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生徒病中入費及薬餌金等ノ件

時疫流行の節…

    時疫流行の節此薬を用ひてその煩ひをのがるべし
一 時疫にハ大つぶなる黒大豆を能いりて壱合かんぞう壱匁
  水にてせんじ出し時々 飲(のみ)てよし右 医(い)涯(がい)ニ出ル
一 時疫には茗(めう)荷(が)の根と葉をつきくだき汁をとり多く飲
  てよし右 肘(ちう)後(ご)備(び)急(きう)方(はう)ニ出ル
一 時疫には牛房をつきくだき汁をしぼり茶碗に半分づゝ
  二度飲てそのうへ桑の葉を一 握(にぎり)ほど火にてあぶ黄色に成
  たる時茶碗に水四盃入二盃にせんじて一度飲て汗(あせ)をかきて
  よし若桑の葉なくハ枝にてもよし右 孫(そん)真(しん)人(じん)食(しよく)忌(き)ニ出ル
一 時疫にてねつ殊之外つよく気違のことくさわぎてくるしむ
  にハ芭(は)蕉(せを)の根をつきくだき汁をしほりて飲てよし右肘後備
  急方ニ出ル
    一切の食物の毒にあたり又いろ〳〵草木きのこ魚鳥 獣(けだもの)
    など喰ひ煩に用ひてその死をのがるべし
一 一切の食物の毒にあたりてくるしむにハいりたる塩をなめ又ハ
  ぬるき湯にかきたて飲てよし
    但草木の葉を喰ひて毒にあたりたるにいよ〳〵よし
    右 農(のう)政(せい)全(ぜん)書(しよ)ニ出ル
一 一切の食物の毒にあたりてむねくるしく腹張いたむには苦参(くらゝ)
  を水にてよくせんじ飲食を吐いだしてよし右同断
一 一切の食物にあたりくるしむにハ大麦の粉をかうばしくいりて
  さゆにて度々飲てよし右 本草(ほんざう)綱目(かうもく)ニ出ル
一 一切の食物にあてられて口鼻より血出てもだへくるしむには
  ねぎをきざみて一合水にて能せんじひやし置て幾度も
  飲べし血出てやむまで用ひてよし右 衛生(ゑいせう)易(い)簡(かん)ニ出ル
一 一切食物の毒にあたり煩に大つぶなる黒大豆を水にてせんじ
  幾度も用ひてよし魚にあたりたるにハいよ〳〵よし
一 一切の食物の毒にあたり煩に赤(あか)小豆(あつき)の黒焼を粉にしてはま

一 一切食物の毒にあたり煩に大つぶなる黒大豆を水にてせんじ
  幾度も用ひてよし魚にあたりたるにハいよ〳〵よし
一 一切の食物の毒にあたり煩に 赤あか 小豆あつき の黒焼を粉にしてはま
  ぐり貝に壱ツ程づゝ水にて用ゆべし獣の毒にあたりたるに
  いよ〳〵よし右 千金方(せんきんはう)ニ出ル
   菌(きのこ)を喰あてられたるに忍冬(すいかつら)の茎葉(くきは)とも生(なま)にてかみ汁を飲
  てよし右 夷堅志(いけんし)ニ出ル
右之薬法凶年の節辺土のもの雑食毒にあたり又凶年の後必
疫病流行事有其為に簡便方(こゝろやすき)を撰むべき旨依被 仰付諸書
の内より致吟味出也

   享保十八辛丑年十二月   望月三英
                丹羽正伯

□□享保十八辛丑年 飢饉(ききん)の後時疫流行候処町奉行江板行被
仰付御料所村々江被下候写
右は爾時諸国村々疫病致流行又は軽きもの共雑食の毒□あ
たり□煩ひ致難儀候趣相聞候処前書享保十八丑年村々江被下置候
御薬法書付之儀年久敷事故村々ニ而致遣失候儀も可有之候付此度
為 御救右之写村々江触知候様被仰渡候間御料所村々之分銘々支配限り
不洩様可被相触候

   辰五月

右は享保天明厚
御仁恵を以軽きもの共為 御救御薬法書被下候処年久敷事故
遣失のみのも可有之哉ニ付猶又右写村々江差遣候間厚
御仁恵の行届弁候様村役人共より不洩様可為読聞もの也

   酉十二月

病中須佐美

病中須佐美

病中須佐美
室直  清著
昔漢の文帝露臺を作らしめんとて匠をめして其價をとひ
玉ひしに百金に當るよしを奏しけれは百金は中民十家の産
なり吾今臺をつくる為に十家の産を費すことあるへからすと
て纔かの露臺さへやめ玉ひしとなり其事今に至りて青史を照
し千歳の美談となることに今の 大君御代をしろしめす初め
より聊声色の御好おはしまさす御身の栄耀を事ことく玉はす
物ことに華奢をいましめ天下の為に財を惜給ふことは漢文景に

も恐しくは越給ふへし然るに近年米價賤しくして下部には
凍餒の民有り幸ひに菜色を免るゝといへとも豊年打続て米
価あまりに賤しく成り行ほとに微禄を賜る群臣其禄をとり
て衣服以下の諸費をするに財乏して用たらす困窮に及ふ事
のよしを聞召され頻りに賑恤の御政ありといへとも昔より太平
久しくなりぬれは自から世の風俗驕惰に成り行ならいなれは貴
賤となく唯奢侈を好みそれに冨商大賈時勢に乗して貨利
の権を擅にするままに諸の物価未た平ならさる折しも米価
のみ俄に賤しくなれは是を以て諸価を償にたらさるよし又聞し
めし今年より徳素の令御定めある為にそれまての怠を調せ
よとて去年臘月の末つかた先立て有司に命して府庫の財を発
かしめ巨萬の金を散して微禄の輩にあまねく恩貸して下は
府史胥徒の賤しきに及へり誠にかたしけなき御事といふへし今
より後此たひ恩貸に預りし面々自新にして身を脩め奉公を慎
しみ御令を守り偏に徳素を務て置て 上の御恩慮を労
し奉しさるやうまと常に心かけなはせめて御恩の萬一を報する
の志ともいふへしいかなれは庵堂の高きにいまして下の困窮をお
ほしめし忘れず朝夕に御心にかけさせ玉ふ其かたしけなきをも

おもひしらすして己を省る心なく酒色にふけり遊楽をの
み好み身を持崩して 上の御恩を空しくすることあらは
人たる心もてる人とやいふへき禽獣にもおとりぬへし素より有
へき事ならねど近年士の風儀日々に散【敗?】て廉恥のこゝろ有
る参星のことくなれはかゝるうへにもさる人あるましと定かたしさ
れは老のひかめる心にや其事をあらかしめ深くなけきて徒にも
たし難きまゝに筆にまかせてしるし置伝るもし此言の葉ちり
うせすして世にとり伝へて見る人あらはかくいふ予を評して
世を戒るとやいはん又世に論【謟?】とやいはん其評人の心によるへし
楼後【緩?】かいへる母よりいへは賢とし妻よりいへは妬のたくひなりそ
れはあなかちに論する所にあらす享保辛亥年正月十三日
鳩巣老人駿臺の草の庵に筆をとる

病中須佐美終

上近衛公書

麻疹戯言

享和癸亥孟夏新鐫【横書き】
《題:麻疹戯言》
式亭三馬先生 編
《割書:毎部定價|紋銀三戔》   《割書:勝手次第|不構翻刻》

 いふは姓名(せいめい)なる歟 字号(じごう)なるか。 俳名(はいめう)なるか。
  表徳(ひやうとく)なる歟。そも諡号(おくりな)なる歟。そも混名(あだな)
 なる歟。 孰(いづ)れ本名 紛(まぎらは)しき病名(べうめい)也とて。 我(わが)
大御国(おほみくに)のやまとたましい。 些些(ささい)な字義(じぎ)
 にはかまひ申さぬと。 唯手(たゞて)がるくハシカ
 と訓(くん)じて通用(つうよう)す。 其(その)旧(いにしへ)【「古の記紀を」】
  索(さぐ)るに。 稲目瘡(いなめかさ)とあり。 赤疱(あかも)【「瘡とあるは。」】

今いふ麻疹(はしか)の事(こと)なるよし
大人(うし)が説(せつ)にも見えたり。
疱瘡(ほうそう)麻疹(はしか)といへども。 似(に)ぬ物(もの)もまた
疱瘡(ほうそう)麻疹(はしか)なるべし。 形容同(かたちおな)じう
して心の異(こと)なるをたとへば。 水僊(すいせん)と
冬葱(ねぎ)のごとく浄(かたきやく)と諢又浄(はんどうがたき)の如(ごと)し。され
ども世俗(せぞく)似(に)た物(もの)なれば是(これ)を菖蒲(あやめ)

と杜若(かきつばた)にたぐへて。 彼(かれ)を媚定(みめさだめ)とし。
是(これ)を命定(いのちさだめ)とす。 麻疹(はしか)は命定(いのちさだめ)に
あらず。 疱瘡(ほうそう)命定(いのちさだめ)なるべし。 夫(それ)は
ともあれ。 此(この)ごろの人は。 疱瘡鬼(ほうそうがみ)か
合棚(あひだな)に。 麻疹(はしか)の神(かみ)のあるとまで
心得(こヽろえ)けん。 源八(げんぱち)も才陸(さいろく)も。 執(と)り
つかれしとおそれあへるは。 片腹(かたはら)

痛(いた)き事なれども。しばらく俗(ぞく)に
したがひて。さらば神(かみ)とも。 申(まをす)べけれど。
疱瘡神(ほうそうかみ)は棚(たな)に祭(まつ)りて。 赤(あか)い尽(づく)
しをさ〻げ立(たて)。 木兎(みゝづく)のお伽(とぎ)も
あれど。 麻疹(はしか)は神(かみ)といふまで
にて。 赤(あか)の飯(めし)の沙汰(さた)もなく。 鴞(ふくろう)の
張籠(はりこ)も見えず。 神(かみ)でもない物(もの)

神〳〵と利(り)を付るは。しりもことし
の行童謡(はやりうた)。でこでもないもの。でこ
〳〵といふにひとしく。 何(なに)をもつて
神(かみ)といふや。何をもつてでことか
いふや。 夢中(むちう)でしらぬ俗物(ぞくぶつ)が。 初発(ぞやみ)の
熱(ねつ)のうはことなるべし。 噫(あゝ)この
夏(なつ)いかなれば。かゝる天疫(てんゑき)の

災(わざわひ)を下(くだ)して。 吏民(りみん)にくるしみを
かけ給ふぞ。ねがはくば天神(てんじん)地(ぢ)
祇(ぎ)。 哀愍(あひみん)のまなじりをたれ給ひ。
まこと麻疹(はしか)の神(かみ)あらず。すみ
やかにちくら【筑羅】が沖(おき)え送(おく)り給へ。
さらばおのれも御幣(ごへい)を振立(ふりたて)。
鐘(かね)と太鼓(たいこ)をうちならして。

おくれ〳〵とちからを合せ奉る
べし。 撫(なで)つさすりつ看病人(かんべうにん)の。
丹精(たんせい)を抽(ぬきんで)て告(つけ)奉る微志(びし)を
それ見そなはし給(たま)へ。
    ちゝんぷいぷい
          〳〵

   麻疹(はしか)と(と)海鹿之(あしかとのべん)弁
旅行(りよこう)を思はぬものは。 名所(めいしよ)図会(づゑ)も面白(おもしろ)
からず。 戯場(しばゐ)を看(み)ぬものは。 俳優(やくしや)話説(ばなし)も
耳(みゝ)にいらず。 和州順歴(やまとめぐり)して自家(うち)へ回(もど)れば。
旧地(めいしよ)勝景(こせき)を思ひ出(だ)して。 卒然(にはか)に道中記(だうちうき)
が見(み)たくなり。 一回勾欄(ひとたびしばゐ)を覗(のぞい)ては。 今(いま)まで

嫌(きらひ)の優子説(やくしやはなし)も。 自己(おのづ)とする気(き)になるは。
彼串童嫌(かのかげまきらひ)が傍椅(ねきよ)らん勢の愛敬(あひけう)に。
ぐにやとなつたる一般(たぐひ)にして。 見(み)ぬ洛陽(みやこ)
談話(ものがたり)。もとより感情(おもしろみ)ある味道(あぢはひ)をしら
ざる所以(ゆえ)也。 細見(さいけん)を開(ひら)けばまづ旧敷娼(あひかた)
の名(な)をしのばれ。 麻疹(はしか)がはやれば。 俄(にわか)に
麻疹(はしか)の書を見(み)たく思(おも)ふは。 都(すべ)て世間(よのなか)の

人情(にんぜう)なるべし。ちかきまで段義衣装(だんぎいしやう)に
定(さだま)つたる。 正銕色(てうじちや)がはやり出(だ)すと。そこら
だらけが丁子茶(てうじちや)だらけ。 流行物(はやりもの)とはいひ
ながら。 男(おとこ)の䰎(はけ)はます〳〵短(みぢか)く。 女(おんな)の髷(まげ)
は面(かほ)より強大(おほきく)。 五歩真田(ごぶさなだ)の腰帯(こしおび)は
男子(おとこ)のしめるものとなり。 洒(さらし)の手巾(てぬぐひ)は。
婦人(おんな)のかぶるものにきまりて。 往古来今(おうこらいこん)

さま〴〵に移(うつ)り変(かは)るもまた浮世(うきよ)也。されば
御江都(おゑど)の消金場(せいきんぜう)。 繁華(はんくは)の地方(とち)の新(し)
様物(だしもの)。 一(いち)ばん中(あた)つた物(もの)あれば。 贋(にせ)の出(で)る事 速(すみやか)
なり。 時花東西(はやりもの)には喬人(にせて)が多(おほ)く。この衙衕(まち)
にも七種茗漬(なゝいろちやづけ)。かしこの十字街(つじ)にも福徳(ふくとく)
煎餅(せんべい)。 煮(に)たり炙(やひ)たり虚擬(おつかぶせ)。 仮物(にせ)が正舗(ほんけ)
歟。 本家(ほんけ)が偽物(にせ)歟。 汝(われ)が予(おれ)歟。 不侫(おれ)が足下(われ)

やら吾勝(われがち)に。 利(り)を射(ゐ)る們(やから)の多(おほ)き世にも。
流行(はやつ)て喬的(にせて)のなきものは。 這般(このたび)の麻(はし)
疹(か)也。 斵工(さいくにん)は本来(もとより)无(な)く。 有(あつ)た処(ところ)が仮(にせ)て
もつまらず。 没法(よんどころなく)匙(さじ)を放下(なぐ)れば。又 拾(ひろ)ふ
ものありて。 医人(おゐしや)の仮佀(まね)する素人療治(しろうとりやうぢ)は。
包紙(つゝみがみ)の表書(うはがき)にも。 煎法如常(せんじやうつねのごとし)と。
清朝風(せいちやうふう)で嚇詐(おどか)して。 段疋舗(ごふくや)の売契(うりあげ)

歟。 魚市街(おだはらてう)の交盤冊(ひかへてう)歟と。よめぬやうに
にじくらねば。 国手(ぜうず)めりぬと心得(こゝろえ)るが。 白癡(こけ)
諕(おどし)の初熱(ぞやみ)なり。さるが中にも販茶生(きぐすりや)。
を似(に)する売茶多(ばいやくおほ)く。 横町(よこてう)のしまふたや。
新道(しんみち)のあやしの出格子(でがうし)。 連牆(かどなみ)に麻疹(はしか)
の妙薬(めうやく)〳〵と。 ■標的(かんはんかき)の筆意(ひつい) を露(あら)
はし。 筆(ふで)ぶとに見しらせたる。 松板(まついた)の

間(ま)に合招牌(あひかんばん)。■【ふりがな「いど」。井桁のマーク】の牌(しるし)を斜(よこめ)に瞅(に)らんで。
路次(ろじ)口(くち)にまでぶらさげしは。 欲心(よくしん)表(おもて)に
出透(でそろひ)なり。 其効験(そのこうげん)の妙(めう)々 奇(き)々。
孰(いづ)れを聴(きい)ても神(しん)の如(ごと)し。 鳴呼(あゝ)大(おほ)いなる
かな。 痧疹(はしか)の行(おこな)はるゝ。 夫是(それこれ)を見て察(さつ)
せよ。おのれも頃日(このごろ)麻疹(はしか)を患(うれへ)て。 漸(やうや)く
出透(でそろひ)のけふとなれど。うちつゞく【談じて?】

霖雨(ながあめ)のはれ間もなければ。つれ〴〵
なるまゝのかはよと。 節前(ものまへ)の心機(やりくり)も。なく
子(こ)と病(やまひ)に勝(かた)れねど。 債主(かけとり)の分説(いひわけ)には。
恰好(さいはひ)の病也と。ひとりつぶやきて居(ゐ)る
扉(とぼそ)を。ほと〳〵とおとづるゝは。 欠込(かけこ)んで
来(く)る女児(むすめ)のあてもなし。 爰(こゝ)で水鶏(くゐな)も
古いやつずつと押(おし)たり〳〵と。 寢(ね)て居(ゐ)

ながらの応答(あいさつ)も。例の懶堕的(ぶしやうもの)なれば
他(ひと)もおのづからゆるし給へと。 入来(いりく)る客(きやく)の
面(かほ)を看(み)るに。 鹿子(かのこ)まだらの鍋墨(なべずみ)だらけ。
顔色(がんしよく)すべて正黒(まつくろ)なるは。 牛児(うし)に引(ひか)れ
て善灮精舎(ぜんくはうじ)の自慢(じまん)する。 信濃(しなの)の国(くに)の
人民(じうにん)。 大食冠(たいしよくくはん)の苗裔(べうえい)と聞(きこ)へたる。 隣家(となり)
の甚太(ちんだ)といふ焚飯漢(めしたきおのこ)也。 賓主(ひんしゆ)の礼(れい)も 

へちまもかまはず。つか〳〵と入り来(く)るにぞ。
又 故郷(くにもと)の書牘(てがみ)をよませにや来(きた)る。 下漢(おしな)
何(なに)事なるやと起身(おきなほ)るに彼(かれ)が曰(いはく)。ちと承(うけ給は)り
たき子細(しさい)あれば。 竈下(かまもと)を終(しまふ)や否(いな)。 即便(そんま)
参(まい)つたり。 先生(せんせい)に伺(うかゞ)ふ事 余(よ)の儀(ぎ)にあらず。
頃日(このごろ)世間(せけん)に行(おこな)はるゝ病名(べうめい)をハシカといふ
もの七人あれば。アシカといふ人(ひと)三ン人あり

いづれ歟 是(ぜ)なるや。いづれか非(ひ)なりや。 同僚(ほうばひ)
子弟(どうし)の争論昼夜(そうろんちうや)にやまず。 負業(まけわざ)を
贖(あがな)ふに。 大福餅(だいふくもち)を以(もつ)てし。 二合半酒(こなからざけ)を
もつてす。 其甚(そのはなはだ)しきに至(いた)つては。 身價(みのしろ)
の方銀三片(ほうぎんさんぺん)これが為(ため)に危(あやう)し。 先生(せんせい)
よろしく我(わ)が為(ため)に教示(きやうじ)し給へと。 左右(さゆう)の
跟(きびす)を屁腰(へごし)にかいしき。 居(ゐ)ざまは草書(さうしよ)

の道(みち)の字(じ)なして。 襦袢(じゆばん)にまがふ綿布袷(もめんあはせ)
の。 染模様(そめもやう)の色(いろ)までも。いと興(けう)さめて覚(おぼ)
ゆるにぞ。 含笑半分正面(おかしさはんぶんまじめ)に殺(ころ)し。 冷(さめ)た
薬(くすり)をぐつと吃(のみ)。 恰好(さいはひ)の咳払(せきばら)ひに。
勿体(もつたい)をつけて答(こたへ)て曰(いはく)。 嗚呼(あゝ)其争(そのあらそひ)や
君子(くんし)なる。 尤(もつとも)あしかといふ病(やまひ)は別(べつ)に一種(いつしゆ)
ありといへども。 当時はやるははしか也。

はしかとあしかと比(くらべ)ては。 奉書(ほうしよ)に炭団(たどん)。
木履(げた)と炙噌(やきみそ)。 亀児(かめのこ)と天道(てんとう)さまほど
違(ちが)ふ也。 早(はや)く賭(かけもの)【?】の酒(さけ)を吃(の)め。ハシカ〳〵と
答(こた)ふるにぞ。しからばはしかに疑(うたがひ)なき。
しかとしたる証拠(せうこ)を給(たま)へ。 先月(あとのつき)の
事なりしが。 東国方(とうごくへん)の里医(おいしや)の言(ことば)に。
あしか〳〵といふ事を吾慥(われたしか)に聞(きけ)り。

こゝに於(おい)て疑惑(ぎわく)を生(せう)ず。それでお飯(めし)を
食(く)ふ人すらあしかといふは心得(こゝろえ)す。先生
これは奈何(いかに)と言(い)ふ。イヤ〳〵夫(それ)は僻耳(ひがみゝ)
なるべし。 假(かり)にも神農(しんのう)の真佀(まね)をする。
生薬師(いきやくし)の身分(みぶん)として。 病名(べうめい)しらぬ
ものやはある。すべて東奥(とうおく)の人(ひと)。 言語(げんぎよ)
鼻(はな)にかゝがるゆえに。 五音律呂(ごいんりつりよ)の開悟(かいご)

わるくて。はしかもあしかと聞(きこ)ふる也。
国(くに)々の方言(ほうげん)さま〴〵にて。 一(ふと)ツ二(ひた)ツを爰(こゝ)に
いはゞ。びる(蛭)ばち(蜂)どんぼう(蛉)がに(蟹)げへる(蟇)とて。
清濁(せいだく)わからぬ言(ことば)もあり。 江戸(ゑど)から一夜(いちや)
に乗附(のりつけ)る。 眼(め)と鼻(はな)の間(あいだ)ですら。ふき(引)
窓(まど)のふぼ(紐)を。ふつぱ(引張)るな〳〵といふに。
ふつ(引)ぱつたから。がらふつ(引)切(きれ)といふ。

がこどく【ごとく?】。 国癖(くにくせ)の事は夷曲(きやうか)にも。 大和(やまと)かい
西(にし)はあぢかを【左ルビ「西国 ナゼト云コト」】関東(くはんと)べい。 都(みやこ)ござんす伊勢(いせ)
おりやりますとよみたれば。 浪速(なには)の蘆(あし)も
勢陽(いせ)の浜萩(はまおぎ)。 其国其所(そのくにそのところ)によりて。
言語(げんぎよ)もさま〴〵変(かは)りあれども。アシカ
はハシカの僻耳(ひがみゝ)に。 疑(うたが)ひなしと弁(べん)ずれ
ば。 甚太(ぢんだ)反面(かたほ)に微笑(ゑみ)を含(ふく)み。 有(あり)がた

し〳〵。先生のおかげにて。 銅壺(とうこ)を灰汁(あく)
で磨(みがい)た如く。 麻疹(はしか)の生疑(うたがひ)さらりと
解(とけ)たり。シテ又あしかといふ病(やまひ)。 別(べつ)に有
やと根問(ねどひ)の疑問(ぎもん)。せんかた案(つくえ)をトンと
うち。 口(くち)から出(で)まかせ。 方底円蓋(こじつけ)て
曰(いはく)。 夫(それ)熟(つら〳〵)あしかの病症(べうせう)を監(かんがみ)るに
本草綱目(ほんざうこうもく)獣之部(ぢうのぶ)に。 海獺(かいらい)ウミウソ 

といふものあり。大きさ狗(いぬ)のごとく。 脚(あし)の下
に皮あり。 頭(かしら)は馬(うま)の如(ごと)く。 腰(こし)より以下(いか)
蝙蝠(かはほり)に似(に)たり。 其毛(そのけ)獺(かはうそ)に似(に)て大(おほい)なる
もの也 其形(そのかたち)獣(けもの)と魚(うを)との生浄二役(ぢつな?くふたやく)。
乞丐(こじき)演戯(しばゐ)の定九郎(さだくらう)。 当今(たゞいま)のお笑(わらひ)
種(ぐさ)。 是(これ)  日本(につぽん)の海鹿(あしか)なるべし。 紀州(きのくに)
海鹿島(あしかしま)に多(おほ)く群居(むれゐ)て幾千(いくせん)と

なく砂上(しゃせう)に眠(ねむ)る啼声(なくこえ)於宇(おう)〳〵と響(ひゞ)き。
鼾息(いびき)の音(おと)。 殊(こと)にすさまじ。 班(その)中に
お針(はり)の老(お)婆さんともおぼしきもの。只
一頭(いつとう)起番(おきはん)にて。もし漁船(りやうせん)近つく
時は。 寝ごかしされた雛妓(しんんざう)を。 鴨婆(やりて)
が起(おこ)すに異(こと)ならず。 許多(あまた)の海鹿(あしか)を
ゆり起して。 皆(みな)水中へ転(ころひ)入といへり。

此もの人に害(かい)する事。 数回(あまたたび)なりとて。
其いにしへ夢想国師(むそうこくし)といへる。 道徳(たうとく)
いみしき聖(ひじり)のおはして。一 扁(へん)の真(しん)言
を唱(となへ)へ給ふ。 其文曰(そのもんにいはく)
〇〇〇〇(アシカハ)。 〇〇〇〇(トウカラ)。 〇(ヲン)〇〇〇〇(ヒンナレ)
〇〇(ヲンイン)〇〇(ノコ)。〇(イン)〇〇(ノコ)。 〇(ソワ)〇(カ)【〇は凡字】
唵犬兒狛子(おんいんのこいんのこ)娑婆訶(そはか)と。 耳(みゝ)の傍(あたり)え

さしよりて大喝一声(たいくわついつせい)耳(みゝ)つ遠(とを)。 耳(みゝ)つ
遠(とを)と高(たか)らかに偈(げ)を授(さづ)け給ひ。又 二首(にしゆ)の
歌をもつて化度(けど)し給ふ。 其歌(そのうた)に
世(よ)の中に寝(ね)るほど楽(らく)はなきものを
         しらであほうがおきてはたらく
朝寝坊(あさねぼう)宵寝(よひね)をこのみ昼寝(ひるね)して
         とき〴〵おきて居(ゐ)ねふりぞする
此 咏歌(ゑいか)の奇特(きどく)にやよりけん。その後(のち)
絶(たえ)て障礙(しやうげ)をなさずとかや。猶 委(くは)しくは 

寝惚先生(ねぶけせんせい)。 睡眠(すいみん)夢語(ぼうご)に見えたり。今
も時として此ものにおそはるゝもの。 箇(こ)の
病(やまひ)となりて。 提燈(あんどう)を見る時は。 頻(しきり)に
睡気(ねふけ)を催(もよほ)す。 路(みち)をつくる老夫(ぢゝ)老婦(ばゝ)
より寝(ね)るがお役(やく)のうなゐ子まで。ゴウ〳〵
とうなり。ムニヤ〳〵と苦(くる)しむ事。 便(すなはち)病(やまひ)
の業(な)す処にして。 振新名代(ふりしんめうだい)と

なつては。 客(きやく)を看(み)て忽(たちま)ち高鼾息(たかいひき)を
生じ。 小二(でつち)夜食(やしよく)を食(くら)つては算盤(そろばん)を
見て。 頓(とみ)に鼻(はな)呼吸(いき)荒(あら)し。あるひは
刺懸鶉(つぎあてがひ)に。 涎(よだれ)を垂(た)らし。 或(あるひ)は苧(を)を【懸鶉ケンジュン 破れ衣】
捻(ひねつ)て。舟を漕(こ)くの類(たぐひ)。 都(すべ)て是アシカ
の病症(べうせう)なり。 仮令(たとひ)面上(かほぢう)へのしこし山
を写(か)き。 踉(かゝと)へ大の艾(もぐさ)を用(もち)ひて。 呪(まじな)ふ 

とも忽(たちま)ち再発(さいほつ)して。 起(おき)て居(ゐ)て啽囈(ねごと)
を吐(は)き。 寝(ね)て居(ゐ)て小通(せうべん)をたれるに至(いた)る。
故(ゆえ)に張景岳(ちやうけいがく)といふとも。 孫真人(そんしんじん)と
いふとも。 宿昔(いにしへ)より方論(ほうろん)ある事を聞(きか)ず。
誠(まこと)なるかな。 国(お)医(いしや)さんでも。 神祇(かみ)さん
でもあしか病(やまひ)は治(なほ)りやせぬとうたへる。
実(じつ)に難治(なんぢ)の症(せう)なる事 金(かね)の草鞋(わらぢ)

で尋(たづね)るとも。 外(ほか)にはないぞやあしかの
妙薬(めうやく)。 海獺(うみうそ)といふ獺(うそ)話説(はなし)。 因縁此(いんゑんかく)
の通(とを)りぞと。 弁(べん)にまかせて説付(ときつけ)れば。
おまへの僻説(へきせつ)御尤(ごもつとも)。 唯唯(いゝいゝ)として
         点頭去(うなづきさん)ぬ。
維峕享和三ツのとし皐月
端午。 痘疤(あばた)の上(うへ)へ痧病(はしか)をして。

むかしにまさる好男(いろおとこ)。しかも六日目 
出透(でそろひ)の熱(ねつ)に犯(おか)され。
    癚語(うはこと)を蚊帳中(かやのうち)に
       吐(は)くものは。
   江戸前の隠士
     遊戯堂主人

    跋
北川氏船(きたかはうじふね)にて契約(やくそく)の事(こと)と書(かき)たる
招状(はりふだ)は、 爺(ぢゝい)と姥(ばゝあ)の話説(はなし)に残(のこ)りて、
二十八年(にじうはちねん)のむかし〳〵に廃(すた)れ
ども、かせての後(のち)は我(わ)が身に
請合(うけあ)ふ、 麦殿(むぎどの)の歌(うた)の徳(とく)は 

今茲(ことし)も麻疹(はしか)の流行(りうこう)に
後(おく)れず、されば痧疹(はしか)は
養生(ようぜう)にあり、 初発(ぞやみ)の熱(ねつ)の
癚語(うはこと)は、 醒(さめ)ての後(のち)の御了簡(ごりやうけん)
と、 寺岡(てらおか)もうけ合(あ)ふべけれど、
治疹(かせ)ての后(のち)のふ了簡(りやうけん)は、

了竹(りやうちく)が忘【し?】るゝ処にあらず、【『仮名手本忠臣蔵』の寺岡と医者了竹か】
身体髪膚(しんたいはつぷ)を筍(たけのこ)に換(かゆ)るは、
口(くち)に孝行(こう〳〵)をつくして、 親(おや)に
不孝(ふこう)なるをしらず、 長生(ちやうぜい)
ふ老(らう)を鰹(かつを)に縮(ちゞむ)るは、 口(くち)に
初物(はつもの)を食(くら)つて、 生延(いきのび)る

味(あぢは)ひをしらざる也、 鰻(うなぎ)の樺焼(かばやき)
三串(みくし)か四(よ)くし、にくしと思(おも)はぬ
己(おの)が身(み)を、 捨売(すてうり)にして裸(はだか)
百貫(ひやつくはん)、 丈夫(ぜうぶ)につかつて五十 年(ねん)、
人間(にんげん)わづか二百孔(にひやくもん)の價(あたひ)に、
御壱人前(ごいちにんまへ)の命(めい)をあやまつ

は嘆(なげか)はしき事ならずや、予
頃日(このごろ)麻疹(はしか)に罹(かゝ)りて、 営生(えいせい)を
休(やむ)るの間(ひま)?、 箇(こ)の劇文(げきぶん)を著(あらは)し、
て、 題(だひ)するに、 来舶(たいはく)の書名(しよめい)を
借(か)り、 花陣(くはぢん)綺言(きげん)の響(ひゞ)きを
採(と)つて、 麻疹戯言(ましんきげん)と題号(だいごう)

しこれを弘(ひろむ)るに、 彼杵(かのきね)と鈴(すゞ)の、
如くなさんとす、しかはあれど呪(まじ)
術(なひ)の猴(さる)の人(ひと)真似(まね)にして、 多羅(たら)
葉(えう)の、たらはぬがちなれば、
世間(よなみ)の善痧(よき)には引(ひき)かへて、
悪評(あくへう)をするものあるべし、

さら婆 噴嚔(くさめ)をするのみ
にて、 人(ひと)の噂(うはさ)も禁物(どくだて)も、
七十五日のすゑを待(ま)つと
        云而、
  たらり楼に於いて
      三馬題 

     江戸数寄屋橋御門通
       南<割書:江|>一丁下ル山下町
  書林    万屋太治右衛門
              蔵板

 式亭三馬著         袁倉山か随園詩話に
   縮 緬 詩 譚(ちりめんしわ)      傚て江戸諸名家秀
   巾箱本一冊近刻     作なる懐旧の狂詩話
               なればちりめんしわと
               号くるもの也

伝染病ニ於ケル免疫ニ関スル研究

傳染病ニ於ケル
免疫
ニ關スル研究
パストウール研究所教授
醫學博士 ア,べスレドカ著
北海道帝國大學教授
醫學博士 井上善十郎譯

昭和八・八・二九・内交
1933

        親しき同僚の友よ

 貴下が拙著『傳染病に於ける免疫に關する研究』の日本譯を
完成せられしを拝承し衷心より欣ぶものに候 小生は貴下が
日本に於て局所免疫學の普及に如何に努力せられつつあるか
を悉知致し居り候
 従つて貴下が日本譯御出版に關しては貴下が任意に敢行せ
らるゝ事當然に御座候
 小生は貴下が當地に御滞在中に於ける懐しき種々の憶出を
常に有し居り候
 小生等は幸にも貴下がかつてパスツール研究所に於て行は
れたる御研究に關與出來得ることを欣び居り候

             巴里パスツール研究所
              ア,べスレドカ
              一九三二年十二月九日

Institut Pasteur         PARIS, le 9 XII 1932
25, RUE DUTOT
(XVe arrondi)
TÉLÉPHONE : SÉGUR 01-10

【左翻刻素案】
Mon cher Collègue et Ami,
Je tres veux que Vous félicitez de l’achevée
que Vous avez écrit de traduction au japonais
”les a(?) études sur l'immunité dans les maladies
infectieuses”   Je sais combine Votre (centre)
leur(?) à la propagation de la contribution
【以下難解】
Je prendrai (xxxxx p_ecale) dans Votre fait
Aussi est-il tout naturel que ce fait à
(xxx) que (revieuche) la réduction de l'édition
japonaise   Nous avons (pontché) de Notre
le jour ferme(?) dans le (heulleur) souvenir
Et nous nous rappelons la heure Vos
(tra_xxxx), si(?) heureusement (xxxxxxxxxx) à
l’Institut Pasteur
【本行殊ニ難解ニ付略】
les (heulleurs) et tout journée
              A Besredka
【Arexandre Mikhalovich Besredka: 一八七〇年 三月二十七日於ウクライナ・オデッサ生、一九四〇年二月二十八日於パリ没】

免疫ノ喰菌學説ノ創設者
恩師
Elie Metchnikoff
ノ尊キ靈ニ捧グ
A, Besredka

序文
 本出版物の含む15章は主として吾人がl'Institut Pas-
teurに於て過去30年間に、実験的見地に於て、研究せる
問題に捧げたのである。顕著なる諸問題中、実際に同一
問題で異る外見を呈するは、予防的及び治療的接種方
法の問題である。他の研究者の材料を採用せるために、
本問題に関する最初の結構が屡々著しく増大するを免
かれない、亦、意見を確定するために、適宜に時々流用する
ことも已むも得なかつた。本冊子に総括せる所のもの
は、嘗て発表せる評論の統一である。
        (著者)

           邦訳に際し
 最近我国に於て経口的予防法及びAntivirus治療法の実際化を見んとす
る時に当り、苟もその理論の何処に存するかを理解することは、之等の研究
又は実施の上に極めて重要である。而して之が理解に際しては先ず局所免疫
学の創設者なるA,Besredka先生の説述するところ所に聞き、本学説の拠つて来
る所を探索する必要がある。
 それには同先生の著”Etudes sur l'immuité dans les maladies infectieuses”
が最も好適なりと思考する。本書は先生の実験を経とし多数の研究者のそれ
を緯とし、以て縦横に而も平易簡明に免疫学説の変遷、局所免疫の理論並び
にその応用方面の如き多数の重要事項を記載してゐる。
 訳者は嘗て巴里のPasteur研究所に同師の教を受けた者である。茲に恩
師の許可を得て本書を邦訳し江湖に照会するの先栄を得たが、浅学菲才加之
訳文拙劣、恩師の真意を充分に伝へ得ざるを怖れるのである。
 幸ひに大方諸腎【賢】の諒恕を得、一読の栄に接するを得ば、訳者の恩師に対す
る微意は酬ひられたと謂ふべきである。

  昭和8年1月16日

       札幌にて  井上善十郎

           目次
           概要
第Ⅰ章 白血球の殺菌力・・・・・・・・1
 免疫中に於けるalexineの意義に関するBuchnerの意見。Emmerich et
  Tsuboi の実験;Fodor 及び Nuttal の実験。細菌及び毒素の注射後に於
  ける液体の殺菌力の変化;Bastinの説明。Denys による液体の殺菌力
  の重要性。血液の殺菌力の減少と白血球の消失との間の平衡: Denys
  et Havet の実験。生活せる白血球原形質による殺菌性物質の分泌に関す
  るBuchnerの意見。Pfeiffer氏現像に対する Metchnikoff の反対。Jacob
  の白血球浸出物。白血球数に対する血液の殺菌作用に関する Löwit の研
  究。Löwit の白血球浸出物の性質。Schattenfroh の反対。Schattenfroh
  の白血球浸出物。種々なる浸出物の比較解説。白血球の消化力。文献。
第Ⅱ章 細菌性溶血素・・・・・・・・10
 溶血素と毒素。破傷風溶血素;種々なる種属の赤血球に対するその作用。
  その不安定。抗溶血素。tétanolysine と tétanospasmine との不同一。
  tétanolysine の構造。staphylolysine;その製造方法。高温度に対するそ
  の反応。in vitro 及び in vivo に於ける作用。加熱による完全破壊。an-
   tistaphylohysine の製法。皮下経路による免疫の長所ーーpyocyanolysi-
  ne;Bulloch et Hunter による製造方法。Weingeroff et Breymann の
  実験。耐熱性。--typholysine;staphylolysine と pyocyanolysine と
  の耐熱性の中間性質。犬の赤血球に対する作用。antitypholysine 血清の

2    目   次
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  製法。--colilysine;Kayser によるその製法。培養基の「アルカリ」性
  の意義。120°に於けるcolilysine の抵抗。正常血清による中和。特異
  anticolilysine 血清。--streptocolysine;in vivo に於ける溶血必発能
  力。in vitro に於けるその形成条件。種々なる種属の「ヘマチー」に対
  するその作用。高温度に於ける抵抗力。塩類の意義。透析の作用。毒力
  の消失。正常血清の抗溶血力。文献
第Ⅲ章 連鎖状球菌は一種か多種か・・・・・・・・23
 一元説と多元説。肉眼的及び顕微鏡学的形態の性質に基く分類。Fehleisen
  及び Rosenbach の臨床的起原による連鎖状球菌の異同の試み。生化学
  的性質及び抗連鎖状球菌血清の作用方法に基く Marmorek の一元的仮
  説。血清の凝集性、予防及び補体結合性に基く連鎖状球菌分類上の論拠
  ーー猩紅熱連鎖状球菌と Moser の血清。Aronson 及び Neufeld により
  確定されたる種々なる種々なる連鎖状球菌間の類属関係。氏等の実験の誤謬なる
  説明;動物通過連鎖状球菌。連鎖状球菌の一種類に左袒する証明の欠
  如。補体結合反応に於ける新研究の指針。文献。
第Ⅳ章 抗連鎖状球菌血清療法・・・・・・・・38
 連鎖状球菌の一元又は多元の意見の相違。抗連鎖状球菌血清の調製に対す
  る予備手段。菌株保存及び培養菌蒐集に資する培地: 血清「ブイヨン」
  と血清寒天。経静脈による免疫;その不利と長所。「マウス」及び家兎に
  於ける血清の定量。人間に於ける血清の価値;Pinard の意見。
 抗猩紅熱血清。Bokay et Escherich の臨床的試用。Buywid et Gertler,
  Pospischill の観察。露西亜及びポーランド【二重下線】臨床家の保留。特異性に左袒
  する生物学的証拠の不足。猩紅熱患者に於ける連鎖状球菌の頻度:
  Hektoen 及び Weaver の観察。特異凝集力及び補体結合物質の欠如。
  Moser の血清の真の価値。
 Gabritchevsky の猩紅熱予防「ワクチン」;その製造方法;その効力に関す

     目   次                3
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  る保留。猿に於ける猩紅熱再発試験。文献。
第Ⅴ章 細菌々体内毒素・・・・・・・・52
 菌体内及び菌体外毒素の限界に関する Pfeiffer氏の研究。第一及び第二毒
  素;Burgers による毒素二元説の批判。種々の実験者による菌体内毒素
  の抽出試験。「グルコーゼ」加「ブイヨン」に於ける弧菌の培養濾液に関す
  るHorowitz の研究。Pfeiffer氏現像。in vitro 及び in vivo に於ける
  菌体内毒素の作用。
 「チフス」菌体内毒素。Macfadyen et Rowland による液体空気使用による
  抽出方法。著作の方法:一方に於ては菌及び馬血清使用、他方に於ては
  菌及び乾燥食塩の破砕による法。「チフス」菌体内毒素の性質;高温度の
  作用;動物に於ける作用;特異能力。
 赤痢菌体内毒素; 破砕による製法;物理的及び生物学的性質。
 「ペスト」菌体内毒素。Lustig et Galeotti Albrecht et Ghon の古き試験。
  通常の2方法によるその製法。鼠及び「マウス」に対する性状と作用。
  virus 及び毒素自身による予防接種。抗「ペスト」血清による中和。
 百日咳菌体内毒素;Bordet et Gengou によるその製法。海猽及び家兎に
  於けるその作用。皮下注射の効果。毒素自身による予防効果の欠如。調
  製血清による中和の不充分。
 Pfeiffer氏球状桿菌の菌体内毒素;Slatineanu によるその製法。脳及び腹
  腔内注射による病変。ーーマルタ【二重下線】熱菌の菌体内毒素。N,Bernard氏に
  よるその製法。高温度に対する態度。脳内接種による海猽の感受
  性。「ヂフテリア」菌体内毒素。Rist,Cruveilhier, Aviragnet の研究。海
  猽に及ぼす作用。抗「ヂフテリア」血清による中和の欠如。--他の絲状
  菌の菌体内毒素。
 抗菌体内毒素血清。製造方法。受働的及び活働的見地に於ける経静脈の重
  要性。感染経路に於ける菌体内毒素の意義。文献。

4    目   次
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第Ⅵ章 感作病毒による予防接種・・・・・・・・74
 Ⅰ。Vaccins 及び血清により賦与せられたる免疫;長所と短所。感作「ワク
  チン」、の原理。製造技術:「ペスト」、「チフス」、「コレラ」予防「ワ
  クチン」。種々の「チフス」予防「ワクチン」の比較。
 感作狂犬病予防「ワクチン」。A,Marie によるその製法。完全無害;作用
  確実;迅速、永続。
 感作赤痢「ワクチン」。Dopter の研究、結論は毒性の欠如、免疫確実、迅
  速、永続。
 感作「ヂフテリア=ワクチン」。Theobald Smith によるその製造方法;そ
  の作用無害にして永続。文献。
 Ⅱ。感作胆汁加結核菌。犢の予防接種に関する Calmette et Guérin の研
  究。F,Meyer の通常感作結核菌に関する実験;弱毒性と予防効力;海猽及び人間に於ける治療試験。
 感作「ツベルクリン」。牛及び人間に於ける Vallée et Guinard の研究。
 感作肺炎球菌。Levy et Aoki による予防及び治療実験。通常肺炎球菌に
  対する長所。
 感作連鎖状球菌。家兎についての Marxer の実験。Lévy et Hamm の妊
  婦に於ける予防及び治療処置の試験。
 感作羊痘。Bridré et Boquet の研究。確実有効の証明;羊郡に於ける限定。
 Alegérie 及び Egypte に於ける綿羊の感作virus による強制種痘。1913
  より 1926 年に至る間に交付せる量は約16 millions 。
 感作「チフス」生菌「ワクチン」。「シムパンゼー」についての Metchnikoff 及
  び Besredka の実験。
 感作「パラチフス」予防「ワクチン」。その長所。遊離血清の全痕跡を感作
  「ワクチン」より除去する必要。
 感作「ワクチン」の作用方法。 Garbat et Meyer の比較研究。文献。

     目   次     5
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第Ⅶ章「チフス」予防接種・・・・・・・・98
 Vaccins の多種多様。予防接種なる考の起源。Roux et Chamberland の敗
  血症に関する研究; Chantemesse et Widal の研究。 Pfeiffer et Kolle
  の vaccin。Paladino-Blandini, Vincunt, Nègre による「チフス」予防「ワ
  クチン」の比較研究。経口的及び経肛門的予防接種に関する J,Cour-
  mont et Rochaix の実験。120°加熱菌による予防接種: Loeffler 静脈
  内予防接種: Friedberger et Moreschi ; Ch,Nicolle, Connor et Conseil。
  Castellani の Vaccin (49-50°C)。海猽の「チフス」性腹膜炎と人間の
  「チフス」。「シムパンゼー」に於ける実験的「チフス」。死菌、融解物及び
  感作加熱菌による「シムパンゼー」の予防接種試験。感作生菌による予防
  接種。反対。人間に於ける本予防接種法の無害なる証明。文献。
第Ⅷ章「コレラ」予防接種・・・・・・・・115
 細菌学者及び流行病学者間の論争。 Ferran の発見; 仏蘭西調査委員会に
  よる評価。 Haffkine の固定毒及び減弱毒。死滅せる弧菌を以てせる
  Gamaléa の実験;Brieger, Kitasato et Wassermann の同じ実験。血清
  の殺菌力に関する R, Pfeiffer の研究。 Metchnikoff の反対;幼弱家兎
  に於ける氏の研究。 Choukévitch の新実験。Shiga, Takano et Yabé の
  実験に於ける感作「コレラ」予防「ワクチン」。
 印度に於ける Haffkine の予防接種の第一次成績。二本、ペルシヤ、露西
  亜、ギリシヤに於ける流行病学的観察。Cantacuzéne の報告せる”ルー
  マニアの実験”。陰性期の意義。東京の流行時に於ける感作加熱「ワク
  チン」の使用。 Masaki の実験による感作生菌「ワクチン」の無害。細菌
  学者及び流行病学者間の相違の説明。「コレラ」予防接種の問題の新指針。
第Ⅸ章 感染及び免疫に於ける皮膚の意義・・・・・・・・134
 免疫を抗体の存在に帰せしめる意見。抗体と無関係に作用する皮内予防接

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  種。生体防御に於ける皮膚組織の重要なる意義。
 表皮の構造;剥離による永久的更新。Malpighi氏 層内の食菌要素の存在。
  皮膚の結締織要素の部位に於ける遊走細胞の存在。皮膚の作用の多種多
  様。皮膚呼吸。皮脂の作用。皮膚吸収力。汗腺。皮膚の機械的作用。無
  脊椎及び有脊椎動物に於ける自然免疫。 
 大動物及び海猽に於ける脾脱疽病。各動物に於ける予防接種。脾脱疽病感
  染に於ける皮膚の意義。皮膚感受性の証明。皮膚感染及び皮膚免疫。皮
  膚の活動的予防接種及び他の臓器の先天的免疫状態より結果する全身免
  疫。層中の皮内予防接種。脾脱疽菌毒素。Vaccin の侵入門口の重要性。
  皮下経路による免疫: 家兎についての Plotz の実験。綿羊に於ける免
  疫の証明。
 葡萄状球菌及び連鎖状球菌症に於ける皮膚の意義。皮膚病変に対し皮内死
  菌接種による予防接種。免疫の迅速発現。Antivirus 貼布法による免疫。
  人間に於ける「ワクチン」療法。その作用の説明。抗体の不明なる参加。
  「ワクチン」療法の転機: 健康なる摂受細胞の予防。人間に於ける葡萄
  状球菌及び連鎖状球菌症の皮膚起源。
 豚「コレラ」に於ける皮膚感染及び皮膚免疫についての Jenney の実験。鼠
  の pasteurella を以てする皮膚予防接種についての Meyer et Batcheld
  の研究。
 皮膚免疫に於ける網状織内皮細胞系統の確実らしき意義。局所免疫の機転
  文献。
第Ⅹ章 皮膚免疫法・・・・・・・・154
 予防的免疫法。脾脱疽に対する綿羊の予防接種に関する Mazucchi の実験;
  Velu の同様なる実験。脾脱疽に対する経膚免疫せる馬匹に関する Bro-
  eq-Rousseu et Urbain の研究。本法によるものにありては、皮下予防接
  種せるものに於ける反応の重篤なるに比し、軽度なること。 Levant 軍
  隊に於ける Nicolas による馬及び騾馬の皮膚予防接種; 1924-1925 年
    目   次    7
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  に至る戦役の成績。Monod et Velu による、 Maroc に於ける大多数の
  綿羊及び牛の予防接種。
 治療的免疫法。種々なる葡萄状球菌及び連鎖状球菌症に於ける臨床的観
  察: 「フルンケル」、「カルブンケル」、瘭疽、乳房炎、感冒性化膿性耳
  炎、中耳の「アブセス」、髭瘡、初生児の化膿性皮膚炎、小膿疱疹、「オツエ
  ナ」、角膜の感染創傷、涙嚢の慢性「アブセス」、涙嚢炎、潰瘍性眼瞼縁炎、
  口内炎及び歯槽骨膜炎、火傷、感染創傷、「フレグモーネ」、骨髄炎、汚染
  穿刺、牡牛に於ける瘭疽、馬に於ける多発性「アブセス」を伴へる慢性「フ
  レグモーネ」、牝牛に於ける蜂窩織状骨膜炎、産褥熱、産褥熱の予防的処
  置、汚染性子宮内膜炎及び産褥熱潰瘍、膀胱炎、腎盂兼腎実質炎。手術
  前後に於ける局所予防接種法。文献。
第Ⅺ章 赤痢、「チフス」及び「コレラ」に於ける
    腸の意義・・・・・・・・・・・・180
 或る組織に対する Virus の選択的親和性ー脾脱疽菌、痘苗、葡萄状球菌、
  連鎖状球菌ーー;感染経路と免疫経路との間の相互関係。実験室内動物
  に於ける赤痢、「チフス」及び「コレラ」病毒の選択的親和性の外見的欠
  如。赤痢菌の静脈内注入に次ぐ肉眼的変化と菌の選択的限局。腸の摂受
  細胞と「チフス」「パラチフス」及び「コレラ」病毒との間に腸粘液の介在。
  牛胆汁による感作法の利用。腸壁に対する「チフス=パラチフス」 Virus
  の親和性。腸壁に対する「コレラ」 Virus の親和性に関する Masaki の
  実験。 Glotoff, Horowitz-Wlassowa 及び Pirojnikowa の研究による確
  認。毒力の意義を変更する必要:二要素の毒力作用。免疫の研究に対す
  るこの意義の重要性。免疫に帰著する感染の種々相の図解。文献。
第Ⅻ章 赤痢、「チフス」、「コレラ」に対する経口免疫・190
 皮下経路による予防接種の起源。海猽についての Benner et Peiper の実
  験。Pfeiffer et Kolle による、予防接種された海猽の血清中に殺菌力の

8    目   次
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  発見。海猽の「チフス」腹膜炎に対する予防接種は腸「チフス」に対する予
  防接種を含まず。皮下予防接種に賛否する統計。ジエンナー【二重下線】氏法、臨床
  及び実験より引用さるる教訓。腸壁に対する死菌の親和力;皮下注射せ
  る Vaccins の作用方法の説明。
 赤痢に対する経口的実験室内動物の予防接種。之等実験の最初の考案。
  Alivisatos et Jovanovic の研究による肯定。赤痢予防免疫の性質。抗体
  の不参加。Ch, Nicolle et Conseil の人間についての実験。Versailles 及
  びギリシア【二重下線】に於ける避難民営地の流行に際し per os の予防接種経口的赤
  痢「ワクチン」療法。 Alivisatos の Nisch に於ける、Glonkhof の Lenin-
  grad に於ける観察。
 経口的による「チフス」又は「コレラ」感染に対し動物を予防接種することの
  困難。牛胆汁による感法作の利用。胆汁を嚥下せずしてなせる人間の予
  防接種。即【印ヵ】度に於ける Pondichéry Rajbari にて行へる「コレラ」対する
  Bilivaccination。Lodz Saint-Paola にて行へる「チフス」に対する Bili-
  vaccination。
 経口的及び皮下経路による免疫の機転。免疫の喰菌学説の拡大する必要、
  感染及び免疫に関する摂受細胞の自治制。文献。
第ⅩⅢ章 感染及び免疫に於ける感作物の意義・・・211
 菌と生体細胞との間に存する自然免疫に於ける包容状態。物理的、化学的
  及び生物学的感作物による免疫の変化。類人猿及び実験室動物に於ける
  経口的感染に対する感受性の不平等。感受性たらしむるために後者の感
  作を必要とすること。胆汁の作用方法。感受性を支配する腸の柵の重要性。
 胆汁による感作及び非感作動物に於ける「コレラ」Virus の投与:Masaki、
  Horowitz-Wlassowa, Klukhine et Wygodchykoff の実験。
 大腸菌感染に対する胆汁の感作作用: Golovanoff、Gratia et Doyle の実
  験。化膿性敗血症に対する胆汁の感作作用。Webster の実験;「チフス」
  感染に対し: Sedan et Hermann の実験;
「ヘルペス」Virus に対し:
    目   次             9
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  Remlinger et Bailly の実験; Ductus Choledoctus を拮紮せる動物に於
  ける「コレラ」Virus に対し: Olsen et Ray の実績。
 食物性過敏症に於ける胆汁の感作作用: Makaroff, Arloing の実験;破傷
  風毒素に対し: Dietrich,Ramon et Grasset の実験;抗毒素に対し:
  Grasset の実験。
 Metchnikoff et Besredka による「シムパンゼー」の経口的予防接種。 J,
  Courmont et Rochaix, Lumière et Chevrotier, Loeffler, Kutschera et
  Meinicke, Wolf, Bruckner の実験。胆汁投与せずして、「チフス」又は
  「コレラ」感染に対し実験室内動物を per os に予防接種することの不可能。
  胆汁投与による per os の予防接種;抗「チフス」免疫の機転。経口的「コ
  レラ」予防接種に於ける胆汁の意義; Bacterium gallinarum に対する予
  防接種に於けるそれ。
 皮膚感染及び皮膚免疫に於ける感作物の作用。文献。
第ⅩⅣ章 貼布法と免疫 ・・・・・・・・・・・・227
 汚染貼布。有史前。西暦の当初及び中世記に於ける化膿の治療。Ambroise
  Paré と氏の創傷治療の意見。ⅩⅨ西紀の半ばに至るまで「ポマード」
  と罨法の時代。
 殺菌的貼布。Lister の第一回報告。当初の無関心。外科技術の革命。消毒
  法の勝利。二三の手術家に於ける保留。石炭酸の短所。
 防腐的貼布。パストウール【下線】時代の君臨。防腐の原理。手術上の技術。防腐
  法の危険性。
 特異貼布;その原理。特異血清及び Antivirus に基く貼布法。Antivirus 療
  法の実際的応用。
 外科に於ける貼布法の発達と内科に於ける免疫学説との間に存する平衡に
  関する結論。
第ⅩⅤ章 免疫 Antivirus ・・・・・・・・・・・・236


10    目   次
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 直接病原体に作用する物質に基く免疫上の見解。生体の仲介に基く喰菌的
  見解。Bordet により、喰菌細胞及び液体学説の領域の境界限定。二種
  物質の学説。赤血球又は Virus の注射の際に於ける生体の反応相異。
 脾脱疽。予防接種動物の血清に於ける補体結合物質の欠如。Bordet によ
  る皮膚予防接種の説明。本説明に対する反対。抗脾脱疽血清; Ascoli の
  消盡についての実験。
 葡萄状球菌及び連鎖状球菌症。抗体の意義。皮膚面に於ける Antivirus 適
  用による予防接種と「ワクチン」療法。
 赤痢「コレラ」及び「チフス」感染。抗体の関与せざる経腸免疫の実現。人間
  に於ける免疫度と抗体の存在との間と平衡関係の欠如。
 「リチン」中毒。皮膚及び腸に対する ricine の親和力。抗「リチン」経腸及
  び経膚免疫。抗体の欠如。
 結核。治療機転との関係欠如。
 痘瘡及び痘苗。痘毒滅殺素;予防的又は治療的使用に於けるその無効。
 狂犬病。狂犬病毒滅殺血清; Virus 混合に対し保留せらるるその効力;各
  自別々に注射する際に於ける無効。経膚的予防接種。
 Cordylobia anthropophaga によつて発生する myiasis の病原体に関する
  Blacklock te Gordon の研究。幼虫により予め感染せる上皮の免疫。動
  物免疫に於ける抗体の欠如。皮下又は腹腔内に幼虫の抽出物注入による
  免疫賦与の不可能;直接抽出物の皮膚適用による予防接種。一般循環系
  外に於て免疫部位に於ける幼虫の破壊。厳密なる局所免疫。結論。文献。

          Ⅰ
       白血球の殺菌力
   Pouvoir Bactéricide Des Leucocytes(1)
 数年来血液特に、白血球の殺菌力に関する幾多の業績が発表された、之等
の業績は免疫問題を液体の殺菌作用に結びつけるのを目的としてゐる。
 著者等の考では、体液は外用に使用さるゝ消毒薬の如く生体の消毒に与る
使命を有するものであると。
 此の純液体的考へ方は、皮相にして単純に見えるが、然し多数の研究を生
ずる価値を持つて居た。血液の殺菌力の研究は将来多くの進展を要求するで
あらう、それ故吾人は本章に於ては血清の殺菌性物質の起原の研究に止める
こととする。
             *  *  *
 液体学説に極端なる思潮を表はす Emmerlich et Tsuboi と共に、本学説
の最も権威ある代表者は Munich (ミユンヘン)【二重下線】の Buchner なることは
異論なき所である。
 Buchner は血清の殺菌力をば一生活現象として考へた。 Emmerlich et Tsu-
boi はこれを純粋簡単なる化学反応と見做した。氏等によれば、血清の殺菌
性物質は血清蛋白 Sérine であると。55°加熱により此の物質の消失するこ
とは次の事実で説明される、即ち血清蛋白の複分子がこの温度で分解し、そ
の「アルカリ」要素を失ひ、「アルカリ」要素は遊離して、血清中に存する遊離
酸素と結合する。加熱後殺菌力を回復し得ないのは加熱された血清の化学的
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 (1)1898年7月16日 Pasteur 研究所にてなされたる講演; les Annales de l'
Institut Pasteur, t, Ⅻ,p, 607,参照。

2    白血球の殺菌力
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構造の変化に基くのであらう。かく解釈せるは、「アルカリ」の希釈溶液にて
処置せる加熱血清はその殺菌力を回復する事実より生じたものらしい。
 此の実験の重要点を Buchner は見逃しはしなかつた;よつて早速研究す
ることとなつた。問題とする所は、化学的物質を単に加ふることによつて、
殺菌力を失つた血清が生体の干渉なく之を回復し得るや否やを見ることで
ある。然るに、対照実験は Emmerlich et Tsuboi の研究を肯定することは
出来なかつた;故に Buchner としては氏の最初の意見を甘受するに過ぎな
かつた。
 且つ Buchner 以前に、多くの研究者は生体の血液及び他の液体と接触せ
る菌の破壊を認めた。それ故、 Fordor は家兎に於て脾脱疽菌を全身循環系
統中に注射する時は、血液中の脾脱疽菌の消失することを証明した。氏は之
を血漿が破壊作用を営むと結論した。次いで、試験管内の血液についてなさ
れた実験により、氏は決定的証明を齎し得たと信じた。
 之につぎ脾脱疽菌に対する脱繊維血液の作用が Nuttal によつて研究され
た。同氏は Fordor によつてなされた観察を水溶液及び生体の他の液に拡充
した。氏は殺菌力は55°の加熱により消失することを認めた。
 之等の事実及び Behring 及び Flügge の観察せる他の事実に基いて、Bu-
chner は氏の液体免疫学説を建てた。之によれば、殺菌力は血液の細胞要素
を除ける血清に一様に発現する特徴を有する”l’alexine 攻撃素”の存在に関
係する、一生活現象であると。
 攻撃素の性質に関する知識は当時は極めて制限されてゐた。更にその易熱
性に就ては、 Alexine は低温には障害されず、而してその作用を表はすため
には、塩類の存在を必要とした。Buchner の知識内では、生体内に於ても生
体外に於けると同様の作用を果すことが、この Alexine なる要素より免疫
の甚だ重要なるを知り得た殆ど全部であつたのである。
      *  *  *
 免疫液体学説は Louvain, の Denys その人に熱心なる門人を見出した。
この学者は Buchner の意見を極めて熱心に擁護せる多数の研究報告を発表

     白血球の殺菌力             3
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
し特に之を鼓吹した。
 Denys の門弟、 Bastin は、血液中に細菌又はその製産物を注入する時は、
血清の殺菌力は著しく減弱するを確めたので、毒素でさへも血清の alexine に
より容易に中和されると結論した。翌年発表された Denys et Kaidin の研究
は同じ意味のことを結論した。血液の血清及び淋巴液の如き液体は、之等の
著者によれば、真の消毒液を形成する。”この見地よりすれば、吾人の業績
は完全に Nuttal, Buchner, Emmerich 及び他の多数のものが見た所を確め
たのである” と之等の著者等は断言した。同じ報告書中に吾人は次の信仰
的宣言を認める;”吾人は生体の防御には体液の強力なる作用に賛成するも
のである”。
 免疫に於ける真の意義を血液の殺菌能力に帰し、少しも白血球に触れるこ
となき多数の発表が続出した。
 之は免疫学説の白血球前駆時代であつた。然るに喰菌作用はその存在十年
後にして入つて来た。
      *  *  *
免疫学説のありゆる進展が之を示す如く、喰菌学説はその反対者に極めて
麗はしき「ペイジ」を負ふのである。反対者がいつもかの学説の倒壞を証明し
得たりと信ずる時は、彼等は更に細胞学説を支持する証拠を齎した。血液の
殺菌能力の研究中に一新指針を創設すべく保留されたのは Denys 自身に対
してであつた。この能力は特に白血球にあらはれ血清には極めて少くあらは
れることを証明したのは彼によるのである。Denys の実験は明瞭にして且つ
簡単であつた。濾過なる天才的技術により血液残余より白血球を分離し得た。
次いで氏は全血液の殺菌力と白血球を除去せる血液のそれとを比較した。氏
は白血球を失へば、血液は大部分その殺菌性効力を消失することを何の苦も
なく認めた。それ故この殺菌力の主要なる根源は白血球に存在してゐるので
ある。次に、Denys は対照試験をやつた: 即ち非働性になれる血液に膿球
を加ふるに、之を復活すること、即ち血液に再び殺菌性能力を賦与すること
に成功した。


4    白血球の殺菌力
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 之等の実験にも拘はらず、Denys は細胞免疫学説を理解しなかつた。議論
の余地なき白血球の意義を知悉せるに拘はらず、氏は白血球が殺菌力の唯一
の源であることを信じなかつた、と云ふのは殺菌力は、彼によれば、同じく
血清にも現はれ得るものとした。
 然し之等の新知見が明かにされたので、殺菌性物質による細菌及び毒素の
中和に関する Bastin 以前の実験は、再検する必要に迫られ、Denys の他の
門弟 Havet に之が課せられた。
  Havet は細菌を血液内に注射する時は、血清の殺菌力が減少すること;こ
の減少は白血球の消失と平行して進行すること、何となればこの殺菌力の再
現は、注射後数時間にして観察するに、血液中に白血球の回復するのと一致
するからであることを見た。同様の類似は血液内に溶解性細菌製剤を送入せ
る時にも確められた。
 之等の事実の存在するために、 Bastin の研究は余儀なく支持されざるに
至つた。それ以後血清の殺菌力に関してなされた如何なる仕事も白血球の干
与を、真面目なる考えを以て考慮せなければならなかつたことは明白であつ
た。Buchner は之を了解し、免疫についての彼の最初の概念に或る矯正を齎
した。
      *  *  *
 免疫に於ける最初の意義を白血球に認めたにも拘はらず、Buchner は1894
年に、白血球は遠距離にも同様に作用を及ぼし得るものである、即ち、体外
即ち、血漿の部にある細菌を破壊し得るものであると宣言した。
 Denys の実験を復試して、氏は殺菌力を復活せしむるために非働性血清に
白血球を加ふれば充分なることを承認した。Denys と同じく、氏は細胞内の
作用過程の重要なることを知つた。白血球の浸出液を研究して、氏も亦、”喰
菌作用に極めて有効なる援助をせり、”と宣言した。然し之にも拘はらず細菌
の破壊に於けるこの作用過程に帰すべき部分に就ては保留することを妨げな
かつた。彼によれば、吾人が述べたる如く、血漿中に喰菌細胞が分泌する産
物によつて、細菌は喰菌細胞の体外に於ても亦体内に於けると同様に破壊さ

     白血球の殺菌力           5
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れると。例へば冷凍によりその生活力を害された白血球は、それがために喰
菌細胞としての役目はしないがその殺菌作用を同等強く表はし得る事を氏は
証明しなかつたであらうか?
 Buchner は冷凍用混合物中で白血球の抽出液を氷結し、次ぎに之を再び融
解すると、周囲の液に殺菌性物質を瀰散せしむる時に、白血球の原形質が死
滅することを了解しなかつた。かくの如き器械的の浸出液は普通に生ずるも
のであり、而して生活せる白血球の原形質よりの生理的分泌液と同一視さる
べきものなることを吾人をして少しも想定せしめない。此の実験がもたらす
唯一の結論は冷凍せる白血球は殺菌性物質を放出することである、この結論
よりしては免疫問題の全部を支配せる生活現象に関することを知るには、
Buchner の引用せるものより距離があるのである。
 1894 年以来かなり多数の業績が Buchner の研究室で発表された;いずれ
の業績も彼の学説に左袒する確証をもたらすことが出来なかつた。氏の一門
弟 Schattenfroh は Buchner やその共著者、(M,Hahn を含む,)によつて主
張された事実はいずれも白血球の分泌なる考で説明さるべきものでないと宣
言さへするに至つた。
 もし白血球が、 Buchner の信ずる如く、生体内で分泌すれば、その分泌能
力は Pfeiffer の現象の際更に高度に達しなければならないであらう。「ブイ
ヨン」注射により腹腔内を処置するとき極めて烈しい白血球外破壊が起り次
いで白血球の増殖を伴ふべきではなからうか?然るに、起る結果は反対であ
る: 腹腔内の白血球系統がその活働の頂点にある間は、 Pfeiffer の現象は
全く欠如する。故に白血球の分泌と云つてはならぬ、と Metchnikoff は結論
した;彼は追加して曰く Buchner の実験に於ては、それは単に喰菌細胞の
苦悶に基く phagolyse (喰菌細胞の溶解)に関するものである。
      *  *  *
 扨て白血球の機能方法に関する問題を離れ、而してその内部に含有される
活働的原理は如何に現はれるかを見ることにしやう。
 Hankin et Kanthack は殺菌性物質は白血球の嗜好性顆粒によつて現はさ


6    白血球の殺菌力
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
れると信じた。Vaughan et Kossel によれば、白血球に殺菌作用を賦与する
のは核質及び核酸であると。
 近来、本問題に関する多くの報告が発表された。著者としては Jacob,
Löwit et Schattenfroh の如きがゐた。 之等の著者の研究は白血球の細胞体よ
り抽出せる「浸出液」について行つた共通点を有してゐる。
 白血球に関する研究によりよく知らせたる Jacob はその抽出液を造るた
めに次の方法を行つた。頸動脈に集めた血液に炭酸曹達を0,5%の割に加へ
次いで「クロロホルム」(1%)を加へた。24 時間温室に放置せる混合液を濾
過器で濾過する。更に「クロロホルム」を加へた濾液が求むる所の抽出液を
なす。
 血液はある時は hypoleucocytose,ある時は hyperleucocytose の状態に集
められることを付加しやう。各潟血液は三部より成る: 一部はそのまま使
用に供し、他は血清を得るために用ひ;第二部は浸出液を造るために用ゐた。
之等の各部は次いで肺炎球菌の致死量に対する防御作用の見地に於て、比較
研究された。
 詳細に渡るを避け、注意すべきことは之等の研究が到達せる結論は白血球
浸出液よりも作用大;次に全血液は血清自身よりは作用更に大であることで
ある。
      *  *  *
1897 年 Löwit は白血病と殺菌力との間に存する関係につき主要なる発表を
なした。そこでは2問題が特に研究された: 第一は殺菌力を有するは白血
球なりや否や;第二は、肯定の場合にこの力を現はす物質を in vivo にて浸
出することが可能なりや否や。
 濾液により血液から白血球を分離する代りに、Denys の技術に従ひ、 Löwit
は tronc brachio-céphalique (膊頭琳巴幹)の露出後直ちに Aorta を結紮する
如き極めて「デリケイト」なる手術を行つた。この手術中実験者は絶えず肺
浮腫を起さぬ様に注意した。動物を「クラーレ」で麻痺し、人口呼吸を行ひ
衰弱せんとする心臓を注意する等の手段を講じなければならぬ。手術者が如

     白血球の殺菌力           7
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何に巧みであつても、最も幸福な場合でも、動物は2時間位しか生きない;
屢々家兎は手術後直ちに斃死する。
 Löwit は Aorta の結紮後白血球は1「ミリメートル」立方に 800 以下に
下降する時は常に、血清の殺菌力は著しく減少し或は消失することさへある
を認めた。この減少は多核白血球に関係する故に、Löwit は殺菌性物質を
含むものは多核白血球なりと結論した。この結論は、あらゆる probabilité
によれば、実際に適合する。不幸にも、この実際には hypoleucocytose のほ
かに、動物は2時間目に既に死ぬ如き烈しき現象が起つてゐる。Löwit 自身
が指摘せる如く、血液は白血球の破片を含み;動物の体温は29-25°に下降
する。それ故生体の斯の如き変調の雰囲気にあつては白血球の数或は質とそ
の殺菌力との間の正確なる関係を求むるための研究をなしてはならぬものら
しい。
 白血球の浸出液を造るために、Löwit は次の如き方法を講じた; 出来る
だけ注意して白血球を血液の他の成分より分離し、次に硝子の粉末と共に擦
りつぶした。顕微鏡的検査により完全な細胞を最早認めざるに至るまで擦り
つぶし、生理的食塩水を加えその全体を遠心沈殿した。かゝる条件で得られ
た蛋白石様液体は弱「アルカリ」性にして、酢酸で沈殿し熱ではあまり沈殿
しなかつた;之は5分間の煮沸に耐えた;然し特に主要なるは殺菌性極めて
強きことであつた。
 Löwit によれば、該液は Buchner の考に従ひ、白血球が生理的状態で分
泌するものとなした。Schattenfroh が-兎も角実験に基き-最近の発表中に
その考をのべてゐる意見は之と異り、 Löwit の殺菌性物質は白血球自身より
は寧ろ白血球の研磨に使用せる硝子より来るものであると。
      *  *  *
 Schattenfroh の論文は、先づ、著者がその実験に齎らせる正確さに於て、
次ぎに亦氏が免疫に関する概念の発展上に一行程を印せるために、支持さる
べき価値がある。吾人が、始めて、Buchner の一門人に於て、喰菌作用の研
究に捧げたる全章を見るのはこの研究である。

8    白血球の殺菌力
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 氏の先人が受けたる反対を避けるために Schattenfroh は白血球を動物血
清の代りに生理的食塩水の如き無関係の「メヂウム」の中に入れて実験した。
種々なる操作--之に就てはこゝに強調しないが--によつて、氏は結論し
て曰く血液中に存する殺菌力の殆ど全部を蓄積するものは白血球なりと。氏
は血清は白血球の死後にのみ殺菌性となるを見た、固より白血球は動物の生
体即ち生理的状態に産生し得るのである。白血球を60°23分加熱するか、或
は粉砕後2時間乃至3時間浸漬せしめて、 Schattenfroh は非常に強き殺菌力
を賦与する液を得ることに成功した;この能力は80°-87°の加熱により消失
した。
      *  *  *
 白血球浸出液を造るために、本問題を物理学又は化学の領域に導かんとす
る企ては、吾人が後に述ぶる如く、解釈するに困難なる結果に直面した。吾
人は今ここに多数の殺菌性物質の存在することを述べよう。55°で消失する
Buchner の alexine の他に、吾人は今日知る所では Löwit の白血球浸出液
は煮沸に抵抗し、Jacob のそれは破壊温度不明であり、 Schattenfroh の浸出
液は80°―87°にて破壊するに過ぎず、云ふ迄もなく Bail の leucocidine 方法
で得たそれは65°には抵抗しない。
 之を以て白血球の内部に同時に存在する殺菌性物質の差別性を結論すべき
であるか?之を以て吾人の浸出方法の欠点に罪を帰すべきであるか?
 Bail によれば、列挙せる浸出液の各自はその固有の特色を有する殺菌性の
単一を表はす。之は吾人の感じではない。結合して又は分離して取られたる
之等の浸出物は吾人には真の白血球よりの物質とは思はれない。白血球の原
形質内に含まれた殺菌性物質は、確かに今日まで使用された原始的方法によ
つて浸出さるる如き余り単純なる化学的構造ではない。吾人は如何に白血球
の原形質が物理学的及び化学的要素に対し感受性が大であるか、また硝子粉
末と共に単に粉砕し、「クロロフォルム」又は生理的食塩水の中で腐敗させる
ことが白血球の活働分子を純粋なる状態に取り出すために充分なりと仮定す
るには、如何にこの小天地の作用が複雑なるかを知るに過ぎない。

     白血球の殺菌力           9
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 必然的に経験を経べき浸出方法を始むる前に、生白血球につき物理的及び
化学的要素に対する反応を一層よく研究せんと企てるのがよいのではなから
うか?種々なる「メヂウム」に於て種々なる温度及び他の要素に対しその態
度如何を学びたる後、之を合理的なる浸出方法に結合すべきものなりと信ず
るのである。
      *  *  *
 以上列記せる成績より判断するに、著者等は白血球の殺菌力に多くの関心
を持ち而してその必要なる特性なる消化力には余り関心を持たない。白血
球は細菌を包含し特に之を殺す使命を有すと信ずる程に、殺菌力の観念が実
際上に免疫の問題全部を支配する様になつた。吾人は細胞又はあらゆる種類
の毒性産物は白血球の側より同様なる貪喰作用をうけることを知れる今日で
は、殺菌力は、高等動物に於て、予め起る唾液消化、次に胃腸消化の如き喰嚍
作用の一楷梯として見做されるに過ぎない。この最後の考へ方は研究の範囲
を広め、消化酵素の領域内に研究を持ち来らしめ而して吾人をして自然界に
存する如き生物学的現象に一層接近せしめる長所を有するであらう。
        ―――――――――――――
     Mémoires Cités
Emmerich et Tsuboi, Centralbl f, Bacter,,1892, pp, 364, 417, 449; 1893, p, 575,
Buchner’ Centralbl, f, Bacter,, 1889, p, 817,561 ;1890, p, 65; Archiv f, Hyg,,,
 1890, 1893; Fortschr, Der Medisin, 1892; München, mediz,Woch, 1891, 1894,
Fodor, Deutsché mediz, Woch,, 1887,
Nuttal, Zeitschr, f, Hyg,, 1888,
Behring Centralbl f, klin, Mediz,, 1888,
Flügge, Zeitschr, f, Hyg,, 1888, p, 223,
Bastin, La Cellule, 1892,
Denys et Kaisin, La Cellule,1893,
Havet, La Cellule, 1893,
Vaughan, The medical News, 1893,
Hahn, Arch, f, Hyg,, 1893, p, 138; Berlin, Klin, Woch,, 1896, p, 869,
Schattenfroh, Müuchen mediz, Woch,, 1897, nos 1 et 16; Arch, f, Hyg,, 1897,
Löwit, Beitr, zur pathol, Anat, u, allgem, Pathol,, 1897, P, 172; Centralbl, f, Bakter,,
 1898, p, 1025,
Jacob, Zeitschr, f, klin, Mediz,, 1897, P, 466,
Bail, Arch, f, Hyg,, t, ⅩⅩⅩ, ⅩⅩⅩⅡ; Berl, klin, Woch,, 1897, no 41; 1898, no 22,

              Ⅱ
            細菌性溶血素
Hémolysines Bactériennes (1)
細菌の生物学は「ヂフテリア」毒素を in vitro で得ることに成功せる今日
著しき進歩を見るに至つた。之は細菌性感染に於て溶解性産物に当つべき意
義の最もよき実例であつた。1888 年Roux et Yersin によつてなされたる此
の発見に次ぎ多数の他の毒素――破傷風、「ボトリヌス」、「コレラ」等のそれ
が続出した。数年経過せる今日、既知病原菌の種類は甚だ多いのに対して毒
素の数は尚ほ極めて制限せるを見るは驚くべき程である。
 遠く離れた細胞を攻撃し得る有害なる菌の存在する時の溶解性産物の仲介
することを考へなければならない。之等溶解性産物が最も屢々存在すること
は確である、而して仮令尚之を明になし得なくとも、これは吾人の実験方法
の不完全なるに過ぎない。
 細菌性溶血素の発見は真正細菌性毒素を知るための第一歩と考へらるべき
である。
 仮令溶血素は毒性少くとも、真正毒素即ち致死的毒素との親族関係を否定
してはならぬ。或る種の細菌が赤血球を溶解し得る性質は、明に偶然的の出
来事ではない、之はあらゆる probabilité によれば細菌の反応の一様式であ
る; 溶血素は溶解性産物の一つであり之により生体の細胞に作用すべきであ
る。或は伝染病例へば緑膿菌又は「チフス」菌の如き場合には比較的著明で
ないが、溶解性物質の意義は例へば連鎖状球菌に於ては可成り判明してヰる。
 この所見により吾人は既知細菌性溶血素に関し吾人の知る所を記載せん。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1) Bulletin de I’Institut Pasteur, t, I, pp, 537, 569;1903

細菌性溶血素   11
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
*  *  *
 最初に見られたのは破傷風溶血素であつた。破傷風菌の培養濾液中に於て、
Ehrlich により発表され、その門弟 Madsen により慎重に研究された。之は
破傷風毒素――tétanospasmine――並にその製造方法と共通ならざる Sui ge-
neris なる物質である
 tétanolysine は大多数の家畜の赤血球特に家兎及び馬のそれを溶解す; 山
羊の血球は之に反し比較的抵抗力が強い。赤血球と接触せしむるに、tétano-
lysine は赤血球を一気苛性【呵成】に溶解しない;血色素の瀰散は潜伏期間の先立つ
のを見る、この期間は過剰の溶血素により又は適当なる温度の選択により短
縮される。この温度は著しき役目を営む、其の他、あらゆる細菌性及び細胞
性溶血素に対し同様にして: 孵卵器内の滞在時間は著しく tétanolysine の
作用を促進する。
 固有の破傷風毒素と異り、破傷風溶血素は極めて容易に変化す。50°20分
間の加熱により完全に破壊す。これを見るには少量の生理的食塩水で希釈す
れば充分にして、1時間後には著しく減弱す。濃厚なる食塩溶液(4%)に於
ても、20°に5時間放置された tetanolysine は溶血力の半分を失ふ。少く
とも24時間保存に成功するには、密閉試験管にて、0°に置かなければな
らない。「硫酸アンモニウム」により沈殿し、粉末状になれるものは、長期間
保存し得。
 故に tétanolysine は極めて不安定の物質である、且つ、すべての既知溶血
素中最も不安定なりと付言することが出来る。この性質だけで既に破傷風毒
素と混同する心配はない、即ち破傷風毒素は暫くの間は殆ど変化しない又稀
釈も少し位の温度の上昇も恐るるに足りない。
 之等の二つの物質――tétanolysine と tétanospasmine――は分離するに至ら
ないが、確かに異る物質である。tétanolyine に富める破傷風菌培養濾液を以
て免疫せる動物は、既知破傷風抗毒素の他に、更に抗溶血素 antihémolysine
を生ず。この二種の抗毒素は種々の量に形成される;亦破傷風に対し極めて

12              細菌性溶血素
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活動性の血清が、殆ど抗溶血性能力を欠如するを見るは稀でない。
 若し破傷風菌の分泌する之等の二つの物質の同一ならざる他の証拠を挙げ
んとするならば、之等が赤血球に対する態度に之を認めるであろう: 即ち
赤血球を二物質の混合を含む破傷風の培養濾液に加へ、暫くの間低温に放置
す。一定時間の後、本液は唯々一つの物質 tétanospasmine のみを含むを認
むるであらう、他の物質、tétanolysine, は全部赤血球に吸着される。
 tétanolysine の構造に関しては、抗毒素を以て部分的飽和を行ふ時に、 Ma-
dsen はこの lysine と「ヂフテリア」毒素との間に一定の類似点の成立し得た
ことは注意すべきである; この「ヂフテリア」毒素の如く、tetanolysine は
各自特有なる作用を表はす一列の物質に分解される。
*  *  *
 Ehrlich et Madren が破傷風菌の溶血素の問題につき観察せる事実は、溶
血性細菌に関する一貫せる研究の端緒となつた。年代順に云ふと、 tétanoly-
sine に関する研究を確定して後、その観察を他の多数の菌に及ぼして研究せ
るは Kraus et Clairmont であつた。之についで Bulloch et Hunter,de Wein-
geroff et de Breymann の pyocyanolysine に関する業績;次ぎに、 Neisser
et Wechsberg の Staphylolysine に関する興味ある研究; typholysine に関す
る E, et P, Levy の短い報告; streptocolysine に関するBesredka の業績及
び間もなく Kayser によつてなされた colilysine に関する研究が発表された。
 すべて之等の物質は同一価値を有するものでなく又同一関係を呈するもの
でない。容易にその「ヂアスターゼ」を周囲の液体に瀰散せしめる菌がある
と思へば、そこには極めて屢々見らるる場合であるが――血液を菌体即ち濾
過せざる培養と密接せしめた状態でなければ明かに溶血素を証明し得ない程
極めて少量を分泌する菌がある。之等の溶血素は細菌体より分離し得ない、
精密なる研究をなすことは不可能である。「コレラ」菌の培養は其の例である
が、その或る種類は、 Kraus et Clairmont によれば、或る種の血球に対し
強大なる溶血能力を営む。之は種々なる葡萄状球菌、大腸菌及び連鎖状球菌
についても同様である。 Lubenau は赤血球を「チフス」菌、連鎖状球菌、「ヂ

            細菌性溶血素            13
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フテリア」菌、 Diplococcus catarrhalis 等の培養中に置く時は、溶血の起る
を見た。
 本問題の真の研究は細菌より分離せる純粋溶血素を取り扱ひ得る時でなけ
れば始まらない。恰も細菌毒素の研究が毒素のみで全培養が起す如き病変を
起し得る時でなければ始まらないと同じである。
 吾人は staphylolysine より始めることにしよう。この研究は多くの注意を
以てなされただけに重要であり、その製法は typholysine, colilysine 及び一
部は pyocyanolysine のそれに役立つた。吾人は streptolysine の研究を以て
本章を終わらんとす、該 lysine は、その性質上、細菌性溶血素と認むべき部
分的地位を占む。
*  *  *
 葡萄状球菌の「ブイヨン」培養3-4日のものに家兎の脱繊維血液の一滴を
加ふれば、容易に staphylolysine の存在するを知る。2時間孵卵器に置
き、次いで18時間氷室に置けば、血液は完全に溶解するを見る。同一の現
象は家兎の血液を葡萄状球菌の培養濾液に加ふる時にも見られる。 Neisser
et Wechsberg により採用されたる staphylolysine の製法は次の如くである:
「ブイヨン」培養は9乃至13日間孵卵器に置く。之を濾過し、濾液に保存
の目的を以て少量の石炭酸「グリセリン」を加へる。重要なるは「ブイヨン」
は充分「アルカリ」性となすことを注意すべきである。
種々培養日数を異にするものに就き検査するに、著者等は staphylolysine
は接種後4日間に発現するを認めた。2週間の終りに達するまで増加した。
この時になると、溶血素の形成に停止を来した。最も多量に形成さるるのは
10日乃至14日の間である。
 すべての葡萄状球菌が溶血素を作るのでなく之を作るものも皆同じ強さ
で作用するのではない。この関係につき、 Neisser et Wechsberg は次の興味
ある観察をした: 化膿性黄色葡萄状球菌と化膿性白色葡萄状球菌とは常に
同一なる溶血素を形成する、之に反して化膿性ならざる白色又は黄色葡萄状
球菌は血液を溶解することが出来ない。溶血力は人間に対する葡萄状球菌の

14              細菌性溶血素
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毒力とは関係しない。
 石炭酸加「グリセリン」を加へ氷室に保存せる staphylolysine は数週間又
は数か月間その能力を保存する。室温特に孵卵器の温度に於ては、その能力
は速に減弱する;該能力は之等の条件に於ては、15日後に完全に消失し得。
高温度に対しては、溶血素は多くの細菌性毒素の如く作用する: 48°20分
間の加熱は著しく之を減弱し; 56°同時間の加熱は完全に之を破壊す。
 すべての細菌性溶血素と同じく葡萄状球菌により分泌された溶血素は、多
数の種族の血液に対し活動的なるを示す。家兎の血球は最もよく溶解され;
次は犬、豚、羊、海猽及び馬の血球である; 人間、鵞鳥及び山羊の血球は溶
解するに困難である。
 研究室内動物(家兎、山羊)は staphylolysine の注射に対し無関心ではない。
少量(例へば0,2cc,) では発熱を起し、注射部位の浸潤を起すに充分である。
この浸潤は数日間継続し、脱毛及び時として皮膚の壊疽を伴ふ。仮令免疫の
終り頃に動物は一種の硬結せる甲殻を以て蔽はれるも、新に注射する毎に同
一なる局所症状を伴ふのである。或る動物、特に山羊、は特殊の感受性を有
し;時として「カヘキシー」の症状を呈して斃れる。
 staphylolysine の反復注射はそのために血清に抗溶血素を賦与した。尚、或
る正常血清は staphylolysine に対して阻止能力を有す。この能力は人間の血
清中に認められた;之は特に馬の血清に於て強力である: 馬血清 0,01cc,
は時々 staphylolysine の最少量の作用を中和するに充分である。正常馬血清
のこの抗溶血性作用は既に Kraus により多数の溶血性細菌について証明さ
れた; tétanolysine について始めて之を認めたのは Ehrlich なることを附加
しよう。
 正常血清の抗溶血素又は免疫法によつて造れる抗溶血素に関しては、その
性状は同一である。58°30分の加熱は殆ど変化せしめない。この耐熱性は、
Neisser et Wechsberg をして毒素抗毒素の混合を加熱するにある有名なる実
験を追試すべく鼓舞せしめた。若し之が単なる混合であるならば、 staphylo-
lysine は56°で破壊し、Antistaphylolysine は破壊せず、後者は加熱により

             細菌性溶血素            15
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遊離すべきであつた。然るに、抗毒素はこの実験では遊離されない、之は加
熱によるも分離することの出来ない真正なる化学的結合をなすことを証明す
る如く見える。
 加熱により非動性となれる staphylolysine を以てせる免疫は抗体を形成し
ない;故に加熱は単に staphylolysine を減弱するのみならず完全に之を破壊
するものの如くである。
 注意すべき点は: 皮下免疫法は常に抗溶血素を形成し、経静脈免疫法は
成績良好ならず;腹膜内注射に至つては全く之を形成しない。
*  *  *
 pyocyanolysine, typholysine 及び colilysine は重要なる共通の性
質を有す、即ち高温度にて破壊されない、故に之を一分類となし、耐熱性 ba-
cteriolysines と称す。
 pyocyanolysine は結果が常に一定せざる多数発表の目的物となつた。
始めて詳細なる研究をせる Bulloch et Hanter は出所を異にする緑膿菌を中
性反応を呈する「ペプトン」(1,5%)加「ブイヨン」中に接種した。種々な
る時を置き――7日乃至34日後に――氏等は或は濾過せざるも
常に toluol 又は加熱(60°,15分)により殺菌せる培養につきその溶血力を
調査した。氏等の普通用ひたる指示薬は新鮮なる牛の脱繊維血液であつた。
氏等は他の血球(綿羊、海猽)も亦、種々なる期間孵卵器内に置ける後は、
溶解することを確めることが出来た。
 Weingeroff の実験によれば、 pyocyanolysine (10-50日間の「ブイヨン」培
養を濾過せるもの)により最もよく溶解する血球は犬のそれである;次に来
るものは馬、海猽及び家兎の血球であると。
 緑膿菌培養の溶血力は培養日数と共に増加する、かかる点より Bulloch et
Hunter は幼弱培養は全く pyocyanolysine を欠如するものと考へた。既に
48時間の濾液中に綿羊の血球に対する溶血素を証明することが出来たのは
Margareth Breymann の意見ばかりではないが、唯々3-4週間培養のみが
pyocyanolysine としてよい成績を与ふることは確である。陳旧培養は強「ア

16              細菌性溶血素
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ルカリ」性なることは序でながら注意して置かう。
 Bulloch et Hunter の実験によれば、溶血性物質は細菌体に固着してゐる。
加熱により滅菌せる全培養と、 Chamberland 濾過器で濾過せる同一培養と
を比較する時は、後者の溶血力は全培養のそれより約5倍弱いことを認める。
 イギリスの著者等はこの点で Margareth Breymann と相反してゐる。後
者は濾過せざる培養は濾液より以上に溶血することなく、従つて、 pyocyan-
olysine \tは細菌体の内部に含まれざることを確定してゐる。
 pyocyanolysine の歴史のうちで最も不思議なる点は勿論、多数の酵素が破
壊される温度に対する対抗力である。
 pyocyanolysine を以て行へるすべての業績は一様に、緑膿菌は、その溶血
力を失ふことなく、100°15分間加熱し得ることを述べてゐる。濾過せる培
養は、 Bulloch et Hunter によれば、抵抗力が少いことになるであらう。こ
の問題につき Weingeroff 並びに更に遅れて Breymann によつてなされた実
験は、明にイギリスの学者が誤つてゐなければならぬことを示した: 緑膿
菌の全培養も、 pyocyanolysine のみを含む濾液も、120°30分加熱後に少し
も変化を受けない。この同様なる実験によれば濾液の毒力も亦少しもこの温
度にて消失せざることを示した。 Weingeroff は緑膿菌溶血素と緑膿菌毒素
とは構造を異にすることを信じてゐる。
 之等の研究者のいずれも Antipyocyanolysine の問題に触れなかった。
pyocyanolysine の甚しく耐熱性なるに加ふるに緑膿菌は陳旧培養が甚だ「ア
ルカリ」性なるだけそれだけ残念なることは、pyocyanolysine の酵素性々質
に本来多少の疑問を置くべきである。
*  *  *
 E, et Proper Levy が分離せる typholysine は氏等側の人々は pyocya-
nolysine に類似すと云ひ; 他の著者等は staphylolysine に類似すと云ふ。
 「チフス」菌を接種せる「ブイヨン」を濾過せるものは、既に2日後に溶
血性を現はし、培養日数の経過と共に益々強くなつた。作用の最適時は sta-
phylolysine の場合の如く約2週間後にみられる。


             細菌性溶血素            17
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 犬の赤血球は typholysine に対し極めて感じ易く0,01㏄, で溶血を起こすに
充分である。
 pyocyanolysine と同じく、「チフス」菌の溶血性物質は耐熱性である。
 加熱「チフス」菌を数回反復して注射せる二匹の犬は、明に antitypholy-
sine の血清を得た: この血清の0,25cc,の typholysine の2倍の溶血量を
中和す、然るに正常の犬の血清は少しもこの性質を有つてゐなかつた。
 この antitypholysine は55°の加熱に抵抗す。乃ちすべての細菌性溶血素
中明かに甚大なる興味あるものの一つなるこの物質に、吾人の全知識を集中
しやう。之は新研究が企てられ而して今日までなされざりし以上遥か彼方に
進展せんことを望むのである。
*  *  *
 耐熱性溶血素群に関する事項を終わるに当り、極めて最近 Kayser が記載せ
る colilysine の性質を示すことが残つてゐる。
 「メヂウム」の問題は此の場合極めて大切である。「ブイヨン」は、菌を接種
する時に、かなり高度であつても、酸性でなければならない。100cc, 中の「ブ
イヨン」に含有せらるゝ酸量が蓚酸の「デシノルマール」溶液の8cc,に相
当する時に溶血価は最大となる。弱「アルカリ」性「ブイヨン」は微量の溶
血素を造るに過ぎない;「ブイヨン」が極めて酸性(蓚酸の1∖10N溶液の8cc,
の代りに12,5cc, に等しき酸度)なる時も同様である。
 Colilysine の試験に適当なる指示薬は犬の血液である; 馬、牛及び家兎の
血球は余りよく溶解しない; 他の種族(人間、海猽、綿羊、豚、鳩、鵞鳥)の
血球は極めて僅か溶解するか或は全く溶解しない。
 Colilysine の活動性の概念を与ふるために、注意することは犬の血液の一
滴(1∖16cc,) を溶解する最少量は0,25と 0,1cc,の間にあることである。
 溶血力は接種後2日目に現はれ; 4日目まで増加し、間もなく最高に達し
而してこの状態で2週間の終り迄持続する。
 毎日「ブイヨン」の性を検する時は、最初の2日目は酸性であり、3日目
に「アルカリ」性となるを認む;「アルカリ」性は5日目まで増加し以後固

18              細菌性溶血素
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定的となる。溶血力の発現と「アルカリ」性の発現との間に対比を定めんと
する傾向がある。之等の二つの要素の間には極めて密接なる関係が存するこ
とは確実らしい;「アルカリ」性が全現象でないことは勿論確実である。何と
なれば若し此培養を37°の孵卵器に置く代わりに23°に置く時は「アルカリ」
性は5日目頃に最高に達す; 然し溶血力は甚だ遅れて現はれるに過ぎない:
12日目になつてさへも、孵卵器に4日間放置せる4日間培養の有するもの
よりも更に劣つてゐる。
 他方に於ては、colilysine の「アルカリ」性は重要である; このことは coli-
lysine を蓚酸で中和するや否や、その溶血力を著しく低下する事実から解釈
される。
 大腸菌の溶血素を120°に30分間加熱してもその溶血力を減弱しない。
或る特殊の場合には、Kayser は colilysine が偶然的に弱くなるを見た; 然
し一般の規則として、colilysine は数か月間その能力を保有した。
 colilysine の溶血性能力は或る正常血清、特に、馬及び人間のそれによつて
麻痺され得る; 之は先天性 anticolysines である。
 その血清が通常は之を欠如する動物に於て人工的に anticolysine を造り
得。家兎又は犬に於て、皮下に、4日間の「ブイヨン」培養を注射する時、
正常の Anticolilysines のそれより約4倍強き Anticolilysine の能力を有す
る血清を得ることが出来る。
*  *  *
 連鎖状球菌の溶血素、即ち streptocolysine, は細菌性溶血素の一部位
を占め、而して種々なる程度を有す。先づ連鎖状球菌は生体内に於ても、溶
血を起す唯一の菌である、この点は他の細菌と本質的に異る所である。
 次に、多数の細菌は、人工培養基に数日間又は数週間放置後、陳旧になれ
る時に溶血性を獲得するのであるが、連鎖状球菌は、反対に、云ひ得べくん
ば、本質的に溶血性なる菌である。他のすべての菌と異り、本菌はその活動の
旺盛なる時のみ溶血作用を現はすに過ぎない、この性状はその陳旧となり且
つ人工培養基に培養さるるに従つて次第に衰へる。最後に、streptocolysine

             細菌性溶血素            19
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は in vitro に於ける産生方法並びに物理化学的及び生物学的性質の二三に
より、そのすべての同種属より区別される。
 連鎖状球菌の溶血性物質を得んと企てた時、考慮に浮べる最初の思ひ付き
は、勿論「ブイヨン」特に選択培養基なる腹水「ブイヨン」中に於ける培養
を使用せんとするにあつた、何となれば溶血は濾過せざる全培養に血液を加
ふる時の優秀な条件で起るからである。然るに、奇妙なることは、極めてよ
く溶血する之等の培養は、一回 Chamberland 濾過器で濾過する時は全溶血
力を減弱せるものであることが分つた。
 強力なる濾液を得るために、必要なる条件の一つは、培養基として、血清
のみか又は「ブイヨン」を加へたものを使用すべきである。更に、重要なる
ことは連鎖状球菌感染から死亡せる家兎より採取し、既に溶血せる血液を加
へた培養基に接種することである。
 ここに吾人の方法を述べる。
 吾人は腹水「ブイヨン」に培養せる毒力強き連鎖状球菌の24時間培養
数滴を家兎の皮下に注射することから始める。翌日、家兎が死するや否や、
血液が溶解することを確めて後、吾人は「ピペット」を以て心臓より2,3滴
の血液を採り、之を家兎のみの血清又は家兎の血清と綿羊或は山羊の血清と
混合せるものを入れた試験管に接種す。同様に馬血清と「ブイヨン」とを等
量に混合せるものを使用するもよい。試験管を孵卵器に24時間納め; 次に
其培養を生理的食塩水の同量で薄めて後、Chamberland 濾過器で濾過する。
 濾過後吸引された液は streptocolysine である。之は容易に家兎、人間、海
猽、綿羊の血球を溶かし、之より少しく馬及び牛の血球を溶す。
 奇妙なことは streptocolysine を造るに使用する血清の性質により血球の態
度が異るのである。二例のみを挙ぐれば牡山羊の血清を以て造れる strepto-
colysine はよく海猽、家兎及び人間の血球を溶す; が牡の山羊の血球も綿羊
のそれも溶解しない。
 人間の血清を以て造れる streptocolysine は前記の如く海猽、家兎及び人間
の血球を溶かすが、然し亦牡の山羊及び綿羊のそれをも溶かす。

20              細菌性溶血素
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 云ふ迄もなく、この二つの場合に於て連鎖状球菌は同一である。此の事実
はかかる点に於ても、連鎖状球菌は培養基の極めて僅かなる変化によるも感
受性大にして、この感受性は使用せる血清に従い種々なる多数の streptoco-
lysine を形成することによっても証明される。
 上昇せる温度に対するその抵抗力の点よりすれば、streptocolysine は易熱
性溶血素 (tétanolysine, staphylolysine) と耐熱性溶血素 (pyocyanolysine,
typholysine, colilysine) との中間の地位を占む。
 staphylolysine は既に48°で減弱し、56°20分の加熱により全く破壊す
るが、streptocolysine は55-56°に30分間耐え、殆ど破壊することがない;
只溶血の発現に少しく遅延するを認めるのみ、然しこの遅延は著明でない。
65°(1∖2h) に於ても、streptocolysine は著しく減弱することはない。70°に
2時間加熱する時にのみ非動性となるに過ぎない。同様なる結果は55°に10
時間放置する時にも得られる。
 室温 (15°-18°) も亦、長ければ有毒作用を及ぼす。15日目には既に著し
く弱り、20日後には streptocolysine は痕跡すら認められなくなる。
 血液に対する作用は室温に於けるよりも孵卵器の温度に於て遥かに強大と
なる。寒冷は極めて顕著に阻止作用を及ぼす。塩類の存在は甚しく溶血を遅
延す。
 透析 (la dialyse) は何等の影響なし: streptocolysine は透析膜を通過し
ない。
 streptocolysine の毒性はない; 実験室内動物は大量 (10-20cc,) に堪へ、少
しも認むべき反応を顕はさない。
 antistreptocolysine 血清を得んとの目的からなされた、多数の免疫試験も、
成功の栄冠を冠せられたものはない。streptocolysine を注射せる家兎に於て、
Breton が最近認めたる極めて軽度の抗溶血性効果は恐らく吾人も亦既に認
めた種類のものであろう; 之は、すべての probabilitéによれば、或る正常
血清に固有なる自然の抗溶血力に関係するのである。
        *    *    *
             細菌性溶血素            21
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 吾人は細菌性溶血素の大多数が多少有害なるを見た。人は毒性が之等溶血
素の必要なる一要素であると信ずることが出来たであろう。吾人は此結論は
誤りであって溶血素の本態は、之に反して、毒性がないと信ずる。陳旧培養
に於ては、吾人は常に固有の溶血素と真正の毒素との混合を得るが故に、之
等が動物を羸痩せしめ屡々之を死亡せしめる。
 tétanolysine に於て、及び pyocyanolysine に於ては、此の分離は容易に実
現し得た。staphylolysine に関しては、分離は今尚出来て居らぬ、然しそれ
も同一であるべきことは殆ど確実である、而して其の理由を述べよう。之等
の研究者によれば、山羊は特に staphylolysine に対し感受性がある。山羊の
赤血球は staphylolysine に対し抵抗力あるが故に、staphylo-hémolysine に毒
性を結びつける事は不可能である。tétanolysine に於ては、tétanospasmine が
存在すると同一理由から、staphylolysine に於ても亦、赤血球に作用しない
所の staphylotoxine があるべきである。
 streptolysine に関しては、吾人は全く毒性なきを知る。colilysine 及び ty-
pholysine の毒性に就ては吾人は其の知識を欠く。
 要するに、最もよく研究された4種の細菌性溶血素については、いづれも
固有の毒性を有しない。
 感染せる生体内に於て之等の物質の作用をよく了解するために、指示薬と
しての赤血球の選択は単に後者の都合により授けられたる意見を失はざるこ
とが有利である。恐らく之等の溶血素は生体の他の細胞に対し赤血球に対す
るよりも更に大なる親和力を有するであろう。換言すれば之等細菌性溶血素
は寧ろ néphrolysines 又は névro-lysines, 又は他の名称を付すべき価値なき
や否やはこれを知らず。吾人が溶血素の性質に就て述べた之等の細菌生産物
は細菌と結合して或る作用を営むか否やは、誰が之を知るであろう。
 之は、勿論、仮説である。常に細菌性溶血素の章は未だ解決されるに至ら
ず、新しい研究を必要とする。

22          細菌性溶血素
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           Mémories Cités
 Ehrlich, Berlin, klin, Wochensch,, 1898, n 12, o, 273,
 Madsen, Zeitsch, f, Hyg,, t, XXXII, 1899, pp, 214-238,
 Kraus et Clairmont, Wiener klin, Woch,, 1900, n 3, pp, 49-56,
 Bulloch et Hunter, Centralbl, f, Bacter,, t, XXVIII, 1900, n 25, pp, 865-876
 Weingeroff, Centralbl, f, Bacter,, t, XXVIX, 1901, n 29, pp, 777-781,
 Breymann, Centralbl, f, Bacter,, t, XXXI, 1902, n 11, pp, 482-502,
 Neisser et Wechsberg, Zeitsch, f, Hyg,, t, XXXI, 1901, pp, 299-349,
 Lubenau, Centralbl, f, Bacter,, t, XXX, 1901, n 10, pp, 402-405,
 E, Levy, et Prosper Levy, Centralbl, f, Bacter,, t, XXX, 1901, n 10, p, 405,
 Kayser, Zeitsch, f, Hyg,, t, XLII, 1903, pp, 118-138,
 Besredka, Annales de l’ Institut Pasteur, t, XV, pp, 880-893, 1901,
 Breton, Compt, rend, de la Soc, de Biel, Séance du 4 juillet 1903,

              Ⅲ
        連鎖状球菌は一種か多種か?
   Existe-t-II Un ou Plusieurs Streptocoques? (1)

 吾人の細菌学上の知識の略ぼ当初に於て、始めて課せられてから久しきに
渡る、この問題は常にその回答を待つてゐるのである。この問題についての
研究は欠如してゐない : 寧ろ甚だ多く研究されてゐる位である。困難なる
点は分類方法なることに一致してゐる。
 この問題は然しながら次第に重要視されて来た。之は単に科学上の好奇心
を満足さするのみならず、すべての抗連鎖状球菌血清の指針となる。
 実用領域に置かれたる問題は次の如く還元される : 是か非か、一定の連
鎖状球菌を以て造られたる血清は、他のすべての連鎖状球菌に対して、作
用するか?この質問は勿論すべての問題を包含してゐないが、然し解決す
べき最も緊急なる点を目的とする。
 此の問題に就て述べられたすべての意見は次の二点に帰する : 一元論者
は連鎖状球菌の異る菌株間に観察せる個々の傾向は連鎖状球菌の全体に共通
なる一般的特徴の前に解消するものと見てゐる ; 之に反し、多元論者は之等
の傾向は必要欠くべからざるものであり而してすべての連鎖をなすものを同
じ旗織の下に総括することは全く正当ならずと考へてゐる。
 之等反対の意見の間に於て一定方針の講義をなすために、吾人は統一せる
見解を妨げるに過ぎざる詳細なる記述や統計を出来るだけ避けて、各方面よ
り齎らされた論文をば述べることにしよう。吾人は吾人に対し種々なる論文
の価値あるものを捜し、而して若し講義に賛成するもの反対するものすべて
――――――――――――――――――――――――――――――――――
  (1) Bulletin de l'Insitut Pasteur, t, 11, 1904, pp, 657, 689,

24        連鎖状球菌は一種か多種か?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
を考量し、本問の現状につき判然として而も個人的なる意見を造るに至るな
らば、吾人の努力は大に酬ひられるものであらう。
 著者等が彼等の仮設【説】――或は一元説或は多元説――に対し価値を与ふる論
文は、之は当然ではあるが、極く最初は純然たる形態学上の種類のものであ
る。更に遅れて、分析方法の完成と共に、連鎖状球菌の生物学的性質又は特
異血清のそれより演釋【繹】せる論文を参考とした。
 主として両領域に於ける議論の基礎に役立つ目標は、連鎖状球菌の肉眼的
及び顕微鏡的研究、その起原、その生化学的性質、その溶血性、予防力及び
最後に、抗連鎖状球菌血清の補体結合反応の如き研究により満足された。
 吾人は逐次的に之等の各論文を列挙しよう。
       *  *  *
 純形態的の識別に就ては余り管々しく述べまい。
 Pane は丹毒の連鎖状球菌と化膿性連鎖状球菌とを、「グルコーゼ」加「ブ
イヨン」に於ける培養の外観により、肉眼的に区別することが出来ると信じ
た。前者は「ブイヨン」の管底に沈澱を形成するが後者は「グルコーゼ」の
存在により殆ど影響されず「グルコーゼ」の有無に拘らず同様の状態に発育
す。
 Lingelsheim の意見は之と異る : 同氏によれば、連鎖状球菌は「ブイヨ
ン」が「グルコーゼ」を含む時は常に管底に集合する、而して之は「グルコ
ーゼ」が酸を発生し之が連鎖状球菌を凝集するためであると。
 Kurth によれば、「ブイヨン」培養の肉眼的所見より連鎖状球菌を4群に
分類することが出来ると : 之等の各群に連鎖の独特なる顕微鏡的所見が一
致するものの如くであると。
 「ブイヨン」培養の所見に基き、Pasquale は連鎖状球菌の三型を区別し得る
に過ぎずと信じた。
 顕微鏡的所見は同様に分類に与つた。就中、連鎖の長さに応じ、連鎖状球
菌の二型(longus et brevis) を定むべきことを提唱した。この分類を採用す
れば、長い連鎖は決して短い連鎖にならず、又その反対も決して見ないこと

       連鎖状球菌は一種か多種か?           25
――――――――――――――――――――――――――――――――――
を是認することとなる。其の他、すべて之等の分類は、或は肉眼的にせよ、
或は顕微鏡的にせよ、何等鞏固なる根拠に基かざることを付言すべきである
か? この分類法は或る詰め将棋の前を走つて居り而して之は同様なる試み
の無駄なることを証明するだけの役にしか立たない。
       *  *  *
 出所により、即ち菌の分離されたる疾病により、連鎖状球菌を分類せんと
の意見は、更に多く接する機会があつた。之は当初の研修者の思ひついた意
見であつた ; 亦之は Fehleisen により熱心に支持された、氏は執拗に丹毒菌
の特異性を擁護し、何としても膿痬の連鎖状球菌と同一なりと認めやうとは
しなかつた、
 同様に、Rosenbach は化膿性連鎖状球菌の培養と丹毒の連鎖状球菌の培養
とを確実に区別し得ることを肯定した。
 然し氏は Petruschky が同一連鎖状球菌を以て、人間に於ても亦動物に於
ても、丹毒、膿痬及び全身性敗血症を起せる後には、疾病による区別を全然
抛棄せねばならなくなつた。
 臨床家は、更に、丹毒の連鎖状球菌は余り注意せざる産婆の手により産褥
熱の原因となることを証明せる場合を一例以上報告した。
 かくして連鎖状球菌の感染は各人の抵抗に依り、接種部位の内部の構造に
より、連鎖状球菌の性質又は最初の出所とは全然無関係なる臨床上異る型を
起し得ることが定められた。
 確に、Moser の報告の刺戟により猩紅熱又は天然痘に於て遭遇する如き或
種の連鎖状球菌に特異の性質を帰せしむべき傾向の新に現はれるを見た。然
し、少い賛成者のうち、かかる見方は未だ決定的承認を得なかつた。
 連鎖状球菌を多数の群に分類せんとする無益なる傾向は多分に一元的仮説
に意見を傾ける様に貢献した、而して、1895 年に、Marmorek が後者に左
袒する決定的宣言をせる時は、氏は自分自身殆ど細菌学者の一元説であつた。
この事件は、勿論、2,3 の抗議なく経過することはなかつた。Van de Vekle,
Méry, J, Courmont は、連鎖状球菌感染が Marmorek, の単価血清に適合しな

26        連鎖状球菌は一種か多種か?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
い場合を指摘した ; 然し多数の細菌学者は之等の事実は寧ろ連鎖状球菌の差
異に帰するよりも血清の不完全に帰すべきものとして支持した。
       *  *  *
 之等の反対者に答ふるために、Marmorek は 1902 年に重要なる報告を書
いた、その中で氏は新なる論拠に立つてその一元的意見を全然支持した。
 1895 年、氏は顆粒の大さ、連鎖の長さ又は「ブイヨン」培養の混濁度の如
き連鎖状球菌の外在性々質には少しも重要性を帰すべきでないと宣言した。
同氏によれば、何よりも大切なることは生化学的性質である。然るに、生化
学的性質は、氏によれば、人間を出所とする連鎖状球菌の間には親族関係を
造らしめる。連鎖状球菌の生化学的性質を以て、氏は一方では溶血現象を主
張し、他方では連鎖状球菌濾液中に連鎖状球菌の発育不可能なることを主張
した。
 人間を出所とする連鎖状球菌 40 株以上に就き Marmorek は溶血の見地
から研究した ; この報告によればすべての菌株が陽性の結果を与へた。唯々、
猩紅熱患者より分離せる連鎖状球菌は余りよく溶血しなかつた、然し溶血性
は、仮令軽度であつても、すべての場合に証明された。
 第二の性質――濾液中の発育阻止――に関しては、同氏によれば、すべて
の連鎖状球菌に等しく共通である。若し連鎖状球菌を同一の株菌又は異る菌
株の濾液中に接種すれば、「ブイヨン」は混濁することはないが、他のすべて
の菌、例へば葡萄状球菌又は肺炎菌を連鎖状球菌濾液中に接種せるものは、
著明なる培養を与へる。
 Marmorek の試用せる連鎖状球菌の大多数はこの生化学的仮説に適合し
た : 氏は結論して曰く、故に之等は一元にして同一種族に属すと。猩紅熱
に見らるる連鎖状球菌は少しく此の規定より距つてゐる ; 本菌は、上記の条
件に於て、極めて軽度の培養を与え得ることは確実である。湿疹の連鎖状球
菌を見るに、他のすべてのものから明かに区別される : 即ち連鎖状球菌濾
液中に異種細菌と殆ど同様によく発育する。
 Marmorek は連鎖状球菌の一元説に有利なる第三の証拠を、猩紅熱連鎖状

       連鎖状球菌は一種か多種か?           27
――――――――――――――――――――――――――――――――――
球菌を含める全連鎖状球菌に対しその血清の特異作用中に見てゐる。此の報
告に於ても、同様に、湿疹の連鎖状球菌は異彩を放てる唯一のもので、血清
は之に対し何等の作用を持つてゐない。
 以上の事実を総括して見るに、Marmorek は、湿疹のそれを除く、すべて
の連鎖状球菌を同一種族に属せしむることを躊躇しなかつた ; 何となれば
之を再言して見るに、すべてが家兎の赤血球を溶解し、すべてが連鎖状球菌
濾液に発育不可能なるを示し、。すべてが同一なる抗連鎖状球菌血清に適合す
るものであるからである。
       *  *  *
 連鎖状球菌が其濾液中に発育し得ないことは今日まで何等反対を起さない
事実である。然し他の二つの性質に関しては異論のある所で同一視されない。
Marmorek の考は譲歩して承認するだけに過ぎない ; 例へば溶血素に就ては
Marmorek の信ずる如く一般的のものではないらしい。
 Schlesinger は屡々全く溶血せざる雑菌性並びに病原性連鎖状球菌を認め
た。我々自身も亦屡々抗連鎖状球菌血清に関する研究の際に動物体内に於て
「ヘマチー」を溶解せざるのみならず試験管内に於ても24時間赤血球と接触
せしむるも「ヘモグロビン」を瀰散することなきを見た。従つて家兎の血液
を溶解し又は溶解せざるこの性質は、Marmorek の固持せんと欲する重要な
るものであるにせよ、そこに既に連鎖状球菌の一元説に反対する峻厳なる論
拠を見るに至つた。
 吾人はそれより何者かの結論を誘導しようとは思はない、何となれば、吾
人に取つては連鎖状球菌が赤血球を溶解すべく有する性質は余り重要ならざ
る現象であつた、吾人が茲に述べんとする問題中に入るべき価値のないもの
である。
 それ故吾人は殆どすべての細菌が多少の程度に溶血力を賦与されてゐるこ
とを知らぬであらう? Marmorek の例に於て、連鎖状球菌の此性質の一部
を引用せんと欲するも、吾人の意見によれば、全培養ではなく培養濾液即ち
Streptocolysine の名で記載せる物質に帰するが当然である。濾過せるStrep-

28        連鎖状球菌は一種か多種か?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
tocolysine は他の何れの溶血素と混同を許さざる性質を有する ; 大多数の細
菌は之を濾過するや否や溶血性でなくなる。
       *  *  *
 扨て抗連鎖状球菌血清、特に其の凝集性、防御性及び補体結合性の研究よ
り引用せる論拠につき一瞥しやう。
 或る菌の形態学的性質が其の同一性に疑を抱く時はいつでも特異血清によ
るのが甚だ有効である。例へば弧状菌の種々なる種類に対しては血清による
より外には鑑別することを知らぬが如きである。同様なる方法は屡々「チフ
ス」菌、赤痢菌、大腸菌の場合に大に利用されるを見る。連鎖状球菌の場合
にも同様に試みられることは甚だ当然である。
 連鎖状球菌の凝集反応は始めて Van de Velde により唱へられた。種々の
連鎖状球菌を以て馬を免疫するとき、著者は該血清は使用せる連鎖状球菌に
対し防御作用並びに凝集作用を呈するが、他の菌株に対しては殆どかかる性
質なきことを確めた。この類似は『凝集反応に於て或一定の菌が或一定の血
清に対し適合するや否やを知るに確実にして容易なる方法なきや否や』を要
求せるが如きである。
 同じ考は Tavel により企圖された。吾人は今日では之等の二つの性質――
防御作用と凝集作用――は彼等の間に共通するものでないことを知つてゐ
る。更に吾人は今日では連鎖状球菌の凝集作用は著しく変化する現象なるこ
とを知つてゐる。既に Van de Velde は同じ連鎖状球菌が場合場合により種
々に凝集することを認めた。氏は曰く『此事実は分類の標準として凝集反応
に対する価値の大部分を奪ひ去るは当然である』。
 此報告は 1897 年になされ、而して既に此の時代には凝集反応は連鎖状球
菌の分類に有用でなければならぬことが認められたのであるから、特に興味
がある。
 然し Meyer は、1902 年に、凝集反応により連鎖状球菌を二群に分類し得
ることを信じた : 第一群中には、氏は「アンギナ」連鎖状球菌(猩紅熱、
「リウマチス」、単純なる「アンギナ」)を置き ; 第二群中には、氏は化膿性感

       連鎖状球菌は一種か多種か?           29
――――――――――――――――――――――――――――――――――
染を起す連鎖状球菌を配列した。
       *  *  *
 審判され而して全く忘却の中に突き落された様に見えた此の問題が、新に
復活されたのは特に Moser の反響ある報告に従ふものである。猩紅熱連鎖
状球菌の特異性又は非特異性を定めんとする傾向は吾人に多数の仕事に価値
を付せしめて、その仕事の或るものは甚だ著明なるものがある。之等の業績は
Aronson, Neufeld, Weaver, Moser et v, Pirquet, Baginsky et Sommerfeld,
Tavel, Wlassiewsky, Solge et Hasenknopf, Dopter 等の著者名を有す。
 之等の著者により連鎖状球菌の特異性の有無につきなされた主なる論拠は
種々なる連鎖状球菌に対する血清の凝集価を現はす数字の周りを廻つてゐる
ことを見ぬくことが出来る。吾人はすべて之等の業績より、殊に特異性に左
袒する業績より誘導された一般の結論は凝集反応が本問を解決せねばならぬ
ことである以上、之等の詳細に亘らぬこととする。
 仮令、患者の血清が猩紅熱連鎖球菌を 1:150 の比で凝集するを認めた
Solge et Hasenknopf の臨床上の 2,3 観察の抄録せるものはあるも、同種の
他の臨床上の事実は少しも知らないのである。
 Moser 自身も V, Pirquet と協力して、猩紅熱にかかれる 51人の患者の
血清及び他の患者の大多数の血清を検査した、氏等は結論に於て曰く『凝集
反応は猩紅熱患者に於ては非猩紅熱患者に於けるより屡々見られ、重症者に
ありては軽症者に於けるより更に屡々見られる』。
 斯くの如き結論は勿論特異性に有力なる証明を与ふるものではない。之に
付加せんとするものは Baginsky et Sommerfeld, Weaver 及び極めて最近に
Dopter が陰性なる成績を証明せるに過ぎぬことである。
 以上が臨床上に於て得たる知見である。
 免疫動物の血清による猩紅熱連鎖状球菌の凝集反応に関しては、更に其特
異性に有力とはならない。それには他の多数が認めた一事実を述ぶれは充分
である ; 吾人の引用せんとするのは Aronson の業績による。此著者は猩紅
熱患者連鎖状球菌を以て一頭の馬を免疫し、敗血症患者より分離せる連鎖状

30        連鎖状球菌は一種か多種か?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
球菌を以て他の馬を免疫した。免疫の終り頃に氏はこの二種の血清を猩紅熱
患者連鎖状球菌の新株に対して試みたるに、該株は猩紅熱免疫馬血清による
よりも敗血症免疫馬血清によりよく凝集せらるるを見た。
 其の他免疫血清による連鎖状球菌の凝集性は著しく変化するものである。
同様に、Neufeld は、極めて屡々、或る血清は之を造るに使用せる菌株より
他の異株連鎖状球菌をよりよく凝集することを確めることが出来た。血清中
に、或る物質例へば「トリクレゾール」の如きものが存在する時は、その凝
集力を破壊するに充分である。凝集力は「メヂウム」の反応が少しく変化す
るも影響される。奇妙なることは、同一連鎖状球菌が、その毒力の多少に従
ひ、種々なる凝集価を有ち得ることである。Neufeld は同一出処(F)である
が毒力を異にする連鎖状球菌二株を調査し之を確定することが出来た。維納
の所謂抗連鎖状球菌血清は毒力低き変種に対し極めて高き凝集価(1:20,000)
を示した ; 之を毒力高き変種と接触せしむる時には100倍希釈に於ても凝集
反応が起らなかつた。著者は「マウス」を数回通過し毒力減弱せる培養の毒
力を高めた時、強毒となれる連鎖状球菌は凝集能力を失ふを見た。
 連鎖状球菌は屡々集合して発育し、凝集反応を施行する前に予め平等なる
浮遊液に変形する必要がある程の大なる凝塊をなすことあるを付加して置か
う。この予備捜査は勿論各実験者により異り、之によつて成績は余り比較し
得られない。
 之等の困難があるから、連鎖状球菌の一元であるか多元であるかに対する
結論を唯一つの凝集反応なる現象に基礎を置かんとすることは危険と云ふべ
きである。
       *  *  *
 吾人が既に本章の始めに注意せる如く、若し本問につき特に研究せりとせ
ば、それは主として抗連鎖状球菌血清の製造方法に関する極めて重要なる実
際問題に関係するからである。然し当面の問題を限局し、而じて単価血清が
すべての連鎖状球菌に対し作用するか否かを見ることが更に簡単である様で
ある ; 何となれば、之を総括するに、吾人が上述せるすべてを之等の議論より

       連鎖状球菌は一種か多種か?           31
――――――――――――――――――――――――――――――――――
帰結するのは其の点であるからである。
 実際に、此の問題は一度ならず此の形式で課せられた ; 然し同一形式を以
て答へられたことはなかつた。
 Marmorek(1895)は、家兎に極めて強毒なる唯、一株の連鎖状球菌を注射
して調整せる血清はすべての連鎖状球菌感染を防御せることを報告せる後、
Méry(1896)が先づ、J, Churmont (1898)が之に次ぎ此の確承と一致せざ
る観察を発表した。Méry の使用せる連鎖状球菌は猩紅熱にかかれる小児よ
り分離したものである。動物に注射するに、この連鎖状球菌は血清を以て処
置せる動物に於ても対照と同じく致死的感染を引き起した。この事実は多数
の動物でも複試されたので、Méry は結論して曰く『人間の疾病で認められ
る連鎖状球菌の一元性は決定的意義なきものと思はれる』。
 之より2年遅れて[1898], Courmont は他の連鎖状球菌を以て同様の現
象を観察した。氏は7株に就て試みたがその中の一株は Marmorek のそれ
であつた ; 唯一つ、この最後のものが Marmorek の血清で影響された。此の
成績は氏をして次のことを考へしめた『連鎖状球菌とは区別不可能なる一群
の変種より成る分類不充分なる細胞属を代表し ; 一株に対し免疫性ある血清
は、他種に対し免疫性はない』。
 之等の批判は、Marmorek の信念を動揺しなかつた、即ち氏は1902年の論
文に於て、毒力強き連鎖状球菌を以て調製せる血清は総ての連鎖状球菌に対
し活働性あることを新に是認した。
       *  *  *
 連鎖状球菌の一元説に左袒する研究は他の2名の有名なる細菌学者 Aron-
son et Neufeld に於て断乎たる支持者を見出した。
 Aronson は明白に連鎖状球菌の多元説を否定した。氏によれば、すべての
連鎖状球菌の間に『極めて大なる』親族関係があると。氏の言を支持するた
めに、氏は唯、一株を以て調製せる氏の血清はその出所の如何に拘らず、す
べての連鎖状球菌を防御せりと述べた。
 同様に、Neufeld は、極めて速なる方法を以て家兎を免疫することに成功

32        連鎖状球菌は一種か多種か?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
せるが、毒力強き唯一つの菌株を以て得たる氏の血清は、単に此の菌株のみ
ならず、Aronson 又は Marmorek のそれの如き異種連鎖状球菌に対しても
同様に、「マウス」を防御せりと宣言した。
 即ちかくして異種動物につき操作せる両学者は、異る免疫方法を使用し而
して Marmorek が毎常氏の結論を得たると同様なる結論に到達した、即ち
単価血清はすべての人間の連鎖状球菌に対し作用するが故に、連鎖状球菌は
一元なりとの結論である。
 かくの如きが最近の業績より見たる、本問題に対する最後の言葉である。
          *  *  *
 実際上本問題は斯く解決されたりと見るべきか? 吾人の意見によれば、
Aronson の実験も、Neufeld の実験も連鎖状球菌の一元なる事を証明してゐ
ない。以下説明しやう。
 先づ Aronson の場合から始めて見やう。
 同氏は「マウス」より「マウス」に通過せしめ極めて強毒にせる連鎖状球
菌を以て馬を免疫した。氏は単に免疫に使用せる連鎖状球菌に対してのみな
らず、更に氏の云ふ所によれば、出所を異にする他の連鎖状球菌に対しても
亦極めて大なる活働性に富める血清を得た。かくして氏は猩紅熱連鎖状球菌
は此の血清に対しその固有の連鎖状球菌と同じ「チーテル」に作用すること
を確め得た。
 吾人は直接人間より分離せる菌株は一般に「マウス」に対し病原性なきこ
とを知つてゐる。之を有毒ならしめるために、Aronson は数回「マウス」を
通過せしめなければならなかつた。之が連鎖状球菌の最初の出所が何であら
うと、血清が常に活働的なるを見るに至らしめた。吾人は之より著者の引用
せる結論を知る。然るに、吾人はこの結論の誤れることを確定することが出
来る。
 菌の毒力を増強する見地から、出所を異にする連鎖状球菌を「マウス」の
生体を通過せしむることにより、Aronson は菌の個性を没却したのである。
氏はすべての菌を一種類即ち「マウス」に病原性ある種類に変化して了ふた

       連鎖状球菌は一種か多種か?           33
――――――――――――――――――――――――――――――――――
のである。
 仮令 Aronson の単価血清が試用せるすべての連鎖状球菌に対し活働性あ
りとするも、之はその出処が同一種族なるがためでなく、Aronson が「マウ
ス」より「マウス」に連続的に通過し、人工的に平等ならしめたためである。
それ故、「マウス」を数回通過せる一連鎖状球菌を以て調製せる氏の血清が
Aronson の一様化せるこの菌株に対し活働性なることを示すのは敢て怪しむ
に当らない。
 此の実験者が一度「マウス」に対し病原性ある一連連鎖状球菌を目標とする
時は、腺疫の菌の場合の如く、この血清が治療的効力を欠如する事は極めて
当然である。然し外見上驚異とすべきは、同一菌が「マウス」の数回通過に
より、その毒力が本菌が嘗て有せざる迄に増強する時は、同一血清が不活働
性より活働性になる事である。
 ここに矛盾と見ゆる事実がある : 即ち余り有毒ならざる連鎖状球菌に対
し作用なき血清が、この連鎖状球菌が毒力を増加するや否や活働的になるこ
とである。
 然し此の説明は極めて簡単である。自然界に遭遇する如き腺疫の連鎖状球
菌は Aronson のそれと異り、Aronson の血清に作用しない。然し此の同一
腺疫連鎖状球菌が、その個性を失ひ「マウス」通過により特殊なる連鎖状球
菌に変化する時、吾人はかかる菌を特に通過連鎖状球菌と称するが、之に類似
する連鎖状球菌即ち通過連鎖状球菌を以て造れる血清に適合する様になる。
 故に Aronson が猩紅熱、安巍那等の連鎖状球菌についてなした血清のす
べての試験は、実際上は、唯一の連鎖状球菌、即ち鼠の連鎖状球菌、所謂通
過連鎖状球菌に就てなされたるに過ぎぬことになるのである。
 猩紅熱連鎖状球菌は人間の他の連鎖状球菌の存在する場合、この単価血
清が有効なりや否やを知らんとする事は、今後尚解決すべき問題として残さ
れてゐる。
 Aronson 自身も亦之を認めなければならなかつたのである。何となれば、
氏の馬を免疫するには、動物通過をなさなかつた他の有毒なる連鎖状球菌を

34        連鎖状球菌は一種か多種か?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
加へてゐるからである。
       *  *  *
 Neufeld の実験に関しては、勿論、連鎖状球菌の一元性を結論することを
許さざるものの如くに見える。
 具体的の一例は一層よく吾人の考を了解せしめる。
 同氏は極めて有毒なる連鎖状球菌F に対し急速方法により免疫せる家兎
の経歴を述べてゐる。
 此の家兎の血清は単にこの連鎖状球菌F に対してのみならず他の二種の
連鎖状球菌即ち猩紅熱より分離せる Aronson のそれ、並びに安巍那より分
離せる Marmorek のそれに対しても極めて活働的なることを示した、之よ
り氏は単価血清の有利なることを結論した。
 此の実験を仔細に見給へ。此の連鎖状球菌F とは何であるか? Neufeld
が吾人に語る所によれば、之は Phlegmone より分離せるもので ; 分量0,00
001cc で 36 時間以内に家兎を殺すものである。氏は之につきそれ以上述べ
てゐない。
 然し先づ知らんと欲する重要なることは、このF の過去に関する詳細な
る点である。
 此の連鎖状球菌は動物を通過せりや否や? 実験のすべての重要関係は其
所にある。
 吾人が既に認めたるが加く、直接人間より分離せる連鎖状球菌は動物に対
し病原性あることは稀である。吾人は連鎖状球菌F は同断であり、本菌は
家兎又は「マウス」を通過せる後にあらざれば家兎を殺すに至らざることを
固く信ずるものである。若し然りとせば何故に連鎖状球菌F を以て調製せ
る血清が Aronson の連鎖状球菌又は Marmorek の連鎖状球菌に対し同様に
作用するかは直ちに了解し得られる。之等の三種の連鎖状球菌は実際上は一
種に過ぎない、即ちその祖先は一つは猩紅熱連鎖状球菌であり、他は安巍那
連鎖状球菌であり、第三は Phlegmone 連鎖状球菌であつても動物通過連鎖
状球菌なのである。動物通過により、祖先の有する性質は時と共に消失し、

       連鎖状球菌は一種か多種か?           35
――――――――――――――――――――――――――――――――――
之に代はるに新に獲得せる「マウス」の連鎖状球菌の性質が表はれる。
 この合理的なることは、勿論、F の出所に関する吾人の仮設が真実なりと
の条件の下でなければ適合しないのである ; 吾人はこの連鎖状球菌F が凝
集反応二点に於ても Marmorek 及び Aronson のそれと同様なればなる程
益々之を信ずるのが当然と思はれる。
 血清の予防作用に基く連鎖状球菌一元説の証明は、かくして全部総括され
る。
 此の方法によつて嘗て証明されなかつたか? 之は殆ど不可能である、而
してその故は動物に対し人間の連鎖状球菌が一様に病原性ある如き動物を現
在所有せざるためである。勿論、時によつて人間から家兎も「マウス」も殺
す如き連鎖状球菌を分離することはある ; が然し之は稀に見る例外である。
       *  *  *
 之を要するに、本章の題目に揚げたる問題を解決するために、今日まで使
用せられた方法はいづれも、決定的論拠を持ち来さなかつた。
 全々解決されぬものとして抛棄すべきか又はその注射材料を少しも知らず
に少しの僥倖で馬を免疫するに止むるか?
 吾人はかく考へない。尚二三の望みを吾人に遂げしむる手段がある。吾人
は補体結合反応に就て述べたいと思ふ。之は現今屡々問題になる所のもので
ある。
 其の特異性はここに申し述べる必要がない位知れ渡つてゐる。一言申し述
べたいことは、細胞に取つても、細菌に取つても補体結合物質は今日まで
著しき特異性を示せることである。殆どすべての殺菌性血清に之を認めた。
抗連鎖状球菌血清はこれ迄補体結合物質が観察されなかつた殆ど唯一のもの
である。然し実験の一定条件に於ては、之を証明することは容易である。連
鎖状球菌の補体結合物質は、他のすべてのものと同じく特異性である。各自
独特の補体結合物質を有する連鎖状球菌もあれば、共通の一個の補体結合物
質を有するものもある。かくして吾人は共通なる補体結合物質から種々なる
出所より得たる連鎖状球菌を三種に分類し得た。即ち之等の連鎖状球菌の一

36        連鎖状球菌は一種か多種か?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
つは敗血症で死亡せる子供より分離せるもの、他は丹毒より分離せるもの及
び第三は猩紅熱で死亡せる子供から分離せるものである。一方に於ては、吾
人は猩紅熱患者の心臓血液より分離せる連鎖状球菌は同一補体結合物質に対
し異る作用を呈することを観察した。
 之より連鎖状球菌の更に合理的なる分類法を設くべき標準点を見出し得ぬ
であらうか?
 今迄殆どなされなかつたこの種の研究は、決定的方法を宣言する前に、更
に長期間の追求をなすを要す。然し乍ら、爾今又は過去に、この種の考でな
された少数実験から、吾人は連鎖状球菌は弧状菌又は螺旋菌と同じ関係であ
ると信ずる。換言すれば、吾人は一種の連鎖状球菌があるのでなく、「コレラ」
弧菌が Vibrio Metchnikovi から区別されると同じく互に区別さるべき多数
の種類があると考へる。吾人の意見によれば、同一疾病、例へば猩紅熱の経
過中に遭遇する連鎖状球菌は多数の種類をあらはし得るものであり ; 他面に
於いては同一種類の連鎖状球菌が臨床的に異る疾病の経過中に遭遇し得るので
ある。
          ―――――
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       連鎖状球菌は一種か多種か?           37
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               Ⅳ
         抗連鎖状球菌血清治療法(1)
       Sérothérapie Antistreptococcique

 抗連鎖状球菌血清は数年来人間の治療界に入つては来たが、発売権を得る
には未であつた。反対に、その発見以来、非難があるげけ最近に至るも少し
も隆昌を呈するに至らなかつた。この事実は本血清が大多数の抗細菌血清と
共に分担すべき不完全さの他に、一つの弱点があるのである。之は本質的に
見らるるものにして、常に連鎖状球菌の同一性に下さるべき不確実さより由
来する所のものである。
 抗連鎖状球菌の血清療法に多年従事せる Marmorek は最近に至るまで、そ
の出所の如何に拘はらず、すべての連鎖状球菌は唯一同種なることを支持し
た。
 この意見は、満場一致ではないが、一般に唱導せる意見であつた : 即ち
内科医に於て尚亦細菌学の実習に於てさへも、普通に du Streptocoque (即
ち単数冠詞を附す)と呼んでゐる。
 今日では、反対の意見が勝つてゐる様である。相似たる連鎖状球菌は二つ
ではないらしい。連鎖状球菌は一つの疾患より他の疾患に於て変るのみなら
ず、例へば猩紅熱の如く充分臨床上に決定された同一疾病に於ても、相互に
異つてゐるのである。
 意見のかくも大なる相違は抗連鎖状球菌血清療法の上に反動なきを得ない
と信ずる。以下何故にこの点が臨床方面に道を切り開くに幾多の年月を要し
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) \tGilbert et Carnot 著 Bibliothéque Thérapeutique 参照

       抗連鎖状球菌血清治療法           39
――――――――――――――――――――――――――――――――――
たかを述べやう。
 連鎖状球菌の生物学的性状に関する吾人の知識は今尚不完全なることは疑
なき所である。変形連鎖状球菌を到る所に常に見る現在の傾向は、連鎖をな
せる球菌の形態上の類似により催眠術にかけられた一元論者の意見と同じく
大して深いものでないことは少からず確実なものである。
 現在課せられた問題は連鎖状球菌を分類する手段を見出さんとすることで
ある。このことは抗連鎖状球菌の将来に懸はる問題であると思ふ。この問題
が解決せざる限り暗中模索となり多少僥倖なる経験本位に帰するであらう。
 今日では吾人は連鎖状球菌を純科学的方法によつて分類すべき状態になつ
てゐない。今尚多数の学者のうち、かなり多数が連鎖状球菌の一元説を信じ、
他のものは之と反対の意見を持つてゐるから、現在、吾人に残されてゐるこ
とは、出来るだけ多株の連鎖状球菌で馬を注射することのみである。たとへ
多数の中には馬が同じ様に作用する多くの同じ菌株を含んでゐても、之によ
る害はさまで大ではない。
 之に反し、菌株の数が増すほど、吾人は日常の実用に応ずる真の多価血清
を得る機会が増すのである。
 連鎖状球菌の一元又は多元の問題を論じ、なすべき手段として、現今使用
せる血清の主なる「タイプ」を指示したのである。扨て吾人は吾人が Pasteur
研究所で造つてゐる血清に就て記載しやう。
       *  *  *
 培養基の問題は、連鎖状球菌にとりては、常に最も多く細菌学者を煩はし
た問題の一つであつた。多数の培養基を試みた Marmorek は最後に腹水加「ブ
イヨン」に留つた。我々の側では、Aronson に吾人が最も活働的なる血清を
欲したるに、氏は「グルコーゼ」加「ブイヨン」を使用した、之は優秀なる
培養基であるが、然し甚だ変化し易い。他の細菌学者は多少複雑なる培養基
を使用した、が然し常に「ブイヨン」を基礎とした。
 吾人は「ブイヨン」の使用と牴触した : 即ち固形培養基上に培養せる連
鎖状球菌について処置をなした。寒天上に於ては、連鎖状球菌は極めて小な

40        抗連鎖状球菌血清治療法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
る集落を形成し屡々――Marmorek の菌株の場合の如く――培養の白金の痕
と殆ど区別し得ないことがある。馬を免疫するには、細菌体の大量を必要と
するが故に、吾人は次の方法に頼つたのである。
 すべての連鎖状球菌々株――吾人は40以上を有する――を Martin の「ブ
イヨン」と加熱馬血清とを等量に混じたる吾人の培養基に接種し保存した。
この培養基内に於て、連鎖状球菌は長く生活しその生物学的性状をよく保存
する。
 斯く血清の存在中に生存を慣らして後は、連鎖状球菌は馬血清の少量を予
め注意して塗布して置けばその寒天上に極めて夥しく発育する様になる。
 吾人は長さ22糎、幅11糎ある Roux の「コルベン」に培養した。移植
を行ふ1時間前に、寒天を容れた各「コルベン」に加熱馬血清1-2立方糎
を加へた。かく処置し次いで幅広く移植せる寒天上には、24時間後に、馬
の静脈内に注射するためには約100立方糎の生理的食塩水で希釈する必要あ
る位の豊富なる培養を得。
 この血清寒天培養基は、多量の細菌体が得られるので、注射すべき菌量を
かなり正確に計量し得る長所を与ふ、この長所は吾人が免疫に実施せる唯一
の静脈内注射に際し馬に烈しき感受性を与ふる故馬鹿にならぬ点である。
       *  *  *
 各注射毎に、吾人は10種の異る連鎖状球菌を送入した、そのうち唯一つ
を除き、すべてのものは人間の連鎖状球菌(猩紅熱、丹毒、産褥熱、膿瘍、
敗血症等)から分離したものである。人間より得た連鎖状球菌は、実験室の
動物には一般に毒性がないので、殆ど血清の「チーテル」測定は出来ない。
この理由のために、吾人は之に累代通過により「マウス」又は家兎に対し強
毒となれる一株の連鎖状球菌を付加してゐるのである。
 之は仮設に過ぎないが――馬が之に接種されたすべての連鎖状球菌に対し
略々同様に免疫せるものと認むれば、強毒なる連鎖状球菌即ち同部通過連鎖
状球菌は全体の連鎖状球菌に対する馬の免疫度の或る尺度に役立ち得るので
ある。

       抗連鎖状球菌血清治療法           41
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 各注射毎に烈しい熱反応(40°以上)が起る、之は、更に、長く続かない ;
48時間後には全部が順調に復する。
 時々次の如きことを観察する : 即ち全く健康を恢復した様に見えた馬が、
注射後10日から15日目に新に発熱する。ある時は関節の違和を表はし、
ある時は関節より少し離れて炎衝症状を呈する。後者に於ては筋肉の腫脹せ
る中に槳液を認める。之は外部へ道を開けば失くなるのである。この動物は
瘠せ数週間で不要に帰する。ある場合には、馬は数日病んで死亡する。剖検
するに、病竈部の筋肉は「ゲラチン」様物質で浸潤され、無菌的なる槳液中
に浸れるを見る。同様なる変化は同様の症状を呈し撲殺せる馬に於ても観察
された。
 原因不明の之等の事故は免疫操作のすべての階程に突発する ; この事故は
明かに吾人の免疫方法と関係がある。然し、たとへ此の方法即ち経静脈的免
疫方法が苦悶を伴ふにせよ、一方には価値ある長所もある、何となれば短期
間に、極めて著しき予防的及び治療的効果ある血清を得ることが出来るから
である。
       *  *  *
 ここに Pasteur 研究所の抗連鎖状球菌血清の治療的効果の概念を与ふる
ために二三の数字を挙げやう。
 量の測定は「マウス」及び家兎について行ふ。
 連鎖状球菌の致死量の10倍以上の量を皮下に注入されたる「マウス」は
之に18時間乃至24時間後に血清の1∖1000cc を腹腔内に注入すれば、防御さ
れ得る。1∖40cc 乃至 1∖400cc の血清を以てせば、同じ条件に於て、少くとも
2,000 倍の致死量に対し防御し得。単位として取れる致死量は吾人の実験に
於ては「ブイヨン」血清に於ける24時間培養の1∖16,000,000cc に相当するもの
であつた。実際には、更に遥かに弱い分量で「マウス」を殺し得 ; 吾人は余
り大なる稀釈を避けるために上記の数字に留めたのである。
 血清の予防効果に関しては、治療効果を得るために必要なる分量より 10
倍も少い分量にて既に顕著なるものがあつた。

42        抗連鎖状球菌血清治療法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
家兎に於ては、更に大量を使用する必要がある。即ち家兎の皮下に一定量
即ち致死量の100倍(1∖40,000c,c)の連鎖状球菌を注入せる後、2時間後に、
血清の1,5 c,c 乃至2 c,c を静脈内又は腹腔内に注入すれば、確実に之を防御
し得る。
       *  *  *
 人間に於て抗連鎖状球菌血清の価値を正確に定めることは更に甚だ困難で
あるか、然らずんば不可能である。抗連鎖状球菌血清療法開始以来、数千の
観察が発表された、然し之等の観察は、「ヂフテリア」の患者で得た統計の如
き唯一つの良き統計すらなしと云はざるを得ない程に両者は全く比較になら
ぬものである。
 連鎖状球菌の感染は「ヂフテリー」の如きものではない。連鎖状球菌は多
種多様であり、その犯せる器官により極めて種々なる臨床上の型を呈する。
 更に、連鎖状球菌は細菌学的意味の用語に於て純粋なることは罕である ;
甚だ屡々、混合感染に遭遇する。顕微鏡を以て感染経過中に連鎖状球菌の存
在を証明し以て一種の連鎖状球菌によるものとし、従つて、抗連鎖状球菌血
清を用ゐる必要があると結論するのは充分でない。実際開業に於ては、吾人
は平素連鎖状球菌の意義が全く第二次的なる疾病に此の方法を応用するのを
見る。抗連鎖状球菌血清を関節「リウマチス」に、痘瘡に、結核に、今尚問
題となれる猩紅熱は別として、使用して居らぬであらうか? すべての産褥
熱敗血症の型に、予め本病が実際連鎖状球菌性のものか否かを確定せずに試
用しては居らぬか?
 すべて之等の理由のために、確信を誘導し得る立派な統計を得ることが甚
だ困難である。この理由のために、抗連鎖状球菌血清療法を承認する賛成者
の他に、余り是認せざる中傷者があるのである。
 然し、其の重要性を閑却してゐない事実がある : 即ち抗連鎖状球菌血清の
使用は年一年と増加してゐる。之を確めるためには、Pasteur の研究所に寄せ
られた各方面の請求を参照するより他にはない。甚だ遺憾なことは何千「リ
ートル」を云ふ血清が、之による効果を正確に知ることも得ずして、年々少

       抗連鎖状球菌血清治療法           43
――――――――――――――――――――――――――――――――――
しの痕跡も残さずに出て行くことである。
 吾人は材料の監督をなせる Pinard 教授が産褥熱の治療に就て Budapest
の万国医学大会に報告せる所の意見を述べることが出来る。氏は曰く『正し
く、抗連鎖状球菌血清は確実有効なる手段を成すものではない ; 本血清は感
染せるすべての婦人を癒したこともなく癒すこともないであらう。然し余は
現在に於て、婦人が連鎖状球菌血清の感染に苦しんでゐる時に之以上に有利
に戦ひ得る武器を掌中に有するものとは信じない。余は抗連鎖状球菌血清中
には産褥熱感染の合理的治療を有するものと信ずる、何となればこの武器は
他の如何なるものよりも、連鎖状球菌が病原的要素なる時には、生体の抵抗
率を増加する様に見えるからである』。
       *  *  *
 維納の Moser の発表に次いで甚だ問題であつた所謂抗猩紅熱血清の作用
に就いてよく教へられた。
 即ち以前より連鎖状球菌は猩紅熱患者には極めて屡々あることが分つてゐ
る。その存在は常に雑菌として考へられ、稀ではあるが単なる付随細菌とし
て見てゐるものもあつた。
 1902年に、Moser は Carlsbad の学会に於て非常な評判となり此の見方を
いたく動揺せしめた講演をなした。
 此の著者は、猩紅熱にかかれる子供に於て見出せる連鎖状球菌は特異のも
のであり。更に之等は種々の患者に於ては独自の性質を呈するとの意見を述
べた。
 此の意見を信じて、Moser は猩紅熱で死せる子供の血液より分離せる連鎖
状球菌を使用し血清を造つた。
 氏は抗猩紅熱に相当する血清を得た。
 オーストリアにて Bokay et Escherich によりなされたる、最初の臨床的
試験は有効であつたので、間もなく猩紅熱連鎖状球菌の特異性並びに血清の
治療的価値に関する多数の発表を見た。
 臨床家方面から始めやう。

44        抗連鎖状球菌血清治療法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 最初の発表に引き続き、Escherich はマドリッドの学会に可成り多数の例を
報告した、その結果によれば、Moser の血清使用以来、猩紅熱による死亡率
は16,41% から6,70% に減少した。同氏は宣言して曰く、初期に於て多量
の血清(100-200c,c) を以て患者を処置する時には、体温は殆ど直ぐに低下
し、一般状態は血清で処置せざる子供に比較すれば署名に良好となると。
 Bujwid et Gertler は重篤なる猩紅熱に罹れる子供を Moser の方法により
氏等自ら調製せる血清を以て処置した。46人の罹患者中、14人が死亡した ;
この14人の死亡者中、二人の子供は病院に到着して1時間生存してゐた。血
清使用後に得た死亡率を前年度以前の総死亡率と比較すれば、著者等は該年
度は約三倍死亡率を減少せしめたと結論した。
 26例だけ血清を以て処置せる Pospischill は、血清の治療的価値を判定す
るために、特に疾病の発生と統計全体の結果の少いことを斟酌したと述べて
ゐる。
 氏は患者に一回に100-200c,c の血清を注入すると、著しく体温の低下す
るを認めた。氏は脈膊や呼吸が其の数を減じ ; 「チアノーゼ」は去り ; 一定
数の患者に於ては、血清は呼気の臭気と疼痛症状を消失するのを見た。
 1904年1月即ち第一回報告後約一年後に、Bokay は多少重篤なる猩紅熱
新患12人を処置した。
 唯一回に注入せる血清の最少量は100c,c とし、最大量を200c,c とした。
すべての患者に於て、血清は一般状態を著しく恢復せしめ、既に注射後24時
間にして顕はれる。知覚を失ひ譫語に苦しんでゐる子供は、注射の翌日には
正常の外観を呈した。
体温は0°9乃至3°4下降した。同時に脈膊は良好となり回数を減じた。
発疹さへも血清に影響され著しく快方に向つた。Bokay は血清の優秀なる効
果を咽頭、腎臓、眼球の如き猩紅熱を呈すべき種々なる個所に於ても観察し
た。之等の事実の存在によつて、氏は自ら血清による猩紅熱治療の有力なる
賛成者となつた ; 氏は血清は中毒中和の性質によつて作用すると称する Mo-
Ser et Escherich の意見に加担した。

       抗連鎖状球菌血清治療法           45
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 1905 年9月、同臨床家は Moser の血清による治療例17名の病歴を報
告した。今回も亦氏は血清の特異作用によると結論した。
 1905年末に出た発表中に、Schick は維納の「クリニク」に於て60人の
患者になせる観察の結果を報告した。氏は Moser の血清を甚だよきものと
なし、その使用を関係諸国に普及せしむべき草案を作成せんことを宣言した。
 有力なる結果は他の臨床医家殊に猩紅熱が屡々極めて重篤なる性質を帯び
る露西亜、ポーランドに於ても指摘された。吾人は玆にワルサウの Palmir-
ski et Zebrowski, Kasan の Menchikoff 並びに約400人の患者につき報告
せるモスコウの二名に医師 Eghise et Langowoï の業績のほかは示すことは
出来ない。
       *  *  *
 然し乍ら可成り多数の臨床家は差し控へて居り、又他の臨床家は今尚抗連
鎖状球菌血清に治療的価値を全々拒否してゐる。
 血清にて処置された重症猩紅熱患者133人をモスコウにて観察せる Molt-
chanoff は次のことを証明した : 1°注射後最初の二日間見らるる温度の低下
は継続しなかつた(恢復者26人中4人の患者に於て温度は稽留した) ; 2°一般
状態の恢復は温度の低下と共に平衡しなかつた。 ; 3°咽頭部病竈に於ける局
所作用は著明ではなかつた。 ; 4°血清は合併症を防御することなく且つ、一
般的に、疾病の進行に影響を及ぼさない。血清により処置された患者に於て
は、有熱期間及び疾病の継続期間は、この著者によれば、非処置者に於けると
同じく少しも短縮しなかつた。
 Quest, Troïtsky, Iasni et Mitzkewitch の如き他の研究者は同様の意味を
述べてゐる。
 Bilik の仕事は10例に過ぎなかつたとは云へ、充分の注意を以て各患者の
病歴が研究されたので、価値がある。この臨床医家は抗連鎖状球菌血清はす
べての特異作用を奪はれたものと結論した。
 Bilik は先刻述べたる Eghise et Langowoï の統計を詳細に調査したのに、
之等の臨床医家によつて得らたる成績は、実際上、彼等が信ずる程鼓舞推

46        抗連鎖状球菌血清治療法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
称すべきものでないと云ふ結論に到達した。
 実際、Eghise 及び Longwoï の患者を、疾病の軽重により四群(I, II, III,
IV)に分類すれば、何人も死亡率が相当上つてゐたことを認めるに躊躇せぬ
であらう。それ故、もし全数(384)から最初の24時間以内に死亡せる患者22
人更に予後良好なる第II群の95人を控除すれば、257人にしてうち54人の死
亡があつたのであるから、その死亡率は21%である。死亡率は予後重篤なる
第IV群の患者に於ては更に遥に上つた(50%)。
 17人の小児の解剖に於tr(第IV群の死亡者26人中)、敗血症が認められ
た第III群の小児14人(28人中)に於ても同様であつた。
 Bilik は之に就いて血清で処置された小児に於ける敗血症の回数は Heub-
ner によつても亦注目されたと述べた。死を招来すべき敗血症の場合には、
たとへ頻回血清の注射をなすも体温を直に低下させることはなかつた。
 浮腫、「アデノフレグモーネ」、腎臓炎の如き合併症がある場合には、血清
によつて処置されたものに於て敗血症が非処置者に於けるよりも少いことは
なかつた。
 故に抗猩紅熱患者血清のよき効果は誇張されてゐるらしい。
 その他では、独逸、墺太利に於て、大に初期の熱心に立ち返つた ; 即ち、
材用を取り扱つてゐる小児科医、例へば伯林の Baginsky, プレスロウの
Czerny, プラーグの Ganghofner 及び他の人々は今日では抗連鎖状球菌血清
の使用を開始した。
        *  *  *
 固より、生物学的見地よりすれば、かくの如き血清の特異性は少しも証明
されない。
 連鎖状球菌が屡々猩紅熱患者の咽頭或は患者の血液中にさへも認めらるる
事実に就ては、それが必然的に該疾患の病原菌であるとは未だ結論されない。
 患者の血液中に連鎖状球菌の存することは、尚、人の云へる如く屡々では
ない。
 Hektoen はこの関係につき100人の患者を調べた。各患者より血液を1∖2

       抗連鎖状球菌血清治療法           47
――――――――――――――――――――――――――――――――――
乃至1cc を採取し、直ちに「グリセリン」加「ブイヨン」100乃至150cc に移植
した。然るに、連鎖状球菌は12名の患者に発見されたに過ぎない。兎に角、
疾病の軽重に応じその頻度が如何なるものか、ここに示して見ると。
              軽症 稍々重症 重症 死亡 合計
   患者数………………………45   40  11  4  100
   そのうちの連鎖状球菌……5    5  2    0  12
略々同時期に、Weaver は95人の猩紅熱患者の咽頭を検査した。氏は殆
どすべての患者に於て、殊に病の初期に、連鎖状球菌を証明した。同著者は
猩紅熱患者の咽頭より分離せる連鎖状球菌の24株を極めて精細に研究した。
この研究は之等の連鎖状球菌は他の出処の連鎖状球菌と少しも異らずとの結
論に導いた。
 凝集反応は少しも特異性に有利になる如き弁護をしない。且つ、他の仕事
に於て、Weaver は猩紅熱に罹患せる患者の血清が猩紅熱より分離せる連鎖
状球菌を特異的に凝集せざるや否やを尋ねた。
 同著者の極めて正しい研究によれば、之等の連鎖状球菌の凝集反応は全く
特異性ではなかつた。Weaver は多数の種類の疾病(猩紅熱、肺炎、丹毒、麻
疹、心臓内膜炎、腸チフス等)に罹患せる人の血清が、猩紅熱、産褥熱、潰
瘍性心臓内膜炎及び腹膜炎の患者より分離せる連鎖状球菌に対し少しも著明
でないことを研究した。之は亦 Dopter の結論である。
 略々同様なる結果は、Jogichès の仕事のうちにも書き記るされた。同著者
は猩紅熱患者血清は連鎖状球菌を(1:500 に)凝集せること、この反応は特に
5週又は6週の経過中に著明に表はれることを見た。氏は亦猩紅熱患者血清
を猩紅熱連鎖状球菌を他の疾病より分離せるものと同じ程度に凝集するを見
た。
 故に凝集反応は猩紅熱に於ては特異性がない。
 人は猩紅熱患者血清は猩紅熱連鎖状球菌に対し特異結合物、即ち補体結合
物質を含有せざるや否やを要求することも出来る。
 Besredka et Dopter はこの考を以て多数の実験を行つた。氏等は疾病の種

48        抗連鎖状球菌血清治療法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
々の時期に於て血清を採集し、次いで確実なる猩紅熱より分離せる種々の連
鎖状球菌株に対し血清を試験した。
 之等の実験は明に陰性なる成績を与へた。連鎖状球菌は猩紅熱に於て何等
の役目を演ずるものにあらずと分類上より結論することなく、著者等は全く
特異性なきことを結論した。著者等によれば、連鎖状球菌は猩紅熱に於ては
付随菌の役目しか演ずるに過ぎない ; 猩紅熱の真の病原については更に発見
さるべきものであると。
       *  *  *
すべて之等の臨床的並に実験的論拠を決定的に、如何に結論すべきか猩紅
熱にて見らるる連鎖状球菌は特異病原菌でないことは、今日では疑ひないも
のらしい ; 然し猩紅熱に於ける頻度が極めて大なることは確実である。今日
では抗猩紅熱血清に特異治療的作用を決定しやうとはしない ; 恐らく付随せ
る連鎖状球菌に有効なることは本当でないとは云へない。
 一程度まで当該血清の価値につき臨床家の非常に相違せる意見を説明して
ゐる : 即ち特異作用を主張するものは勿論欺かれてゐる、此の血清は随伴す
る連鎖状球菌に対し効果ありと称するものは多数の場合に充分認められる。
 Moser の血清は Menzer の血清が結核に於て或は関節性「リウマチス」に於
て特異性がない以上に特異性のないものらしい。
 Menzer は結核の初期に於て屡々存する連鎖状球菌は原発病竈の拡大に与
ると云ふ主義から出発して、抗連鎖状球菌血清によつて結核患者を治療した。
 氏は22人の結核患者を血清で処置した、うち11人は第一期にして3人んは第
二期であつた。11人の患者のうち抗連鎖状球菌血清の影響により8人が恢復
し ; 第二期の3人の患者のうち1人が恢復し ; 第三期の患者は唯体重を増加
せしめたと記載した。Menzer は同様に「リウマチス」患者を抗連鎖状球菌血
清で処置した ; 氏によれば、この治療はすべての他の治療に優ると、心臓内
膜の側の合併症は同様適当であつた。
 結核並に「リウマチス」中に連鎖状球菌を見、之等の疾病に罹れる患者が抗
連鎖状球菌血清でよくなると云ふ事実は、何人も之等の連鎖状球菌の特異性

       抗連鎖状球菌血清治療法           49
――――――――――――――――――――――――――――――――――
を結論する考にはならぬであらう ; 更に天然痘に見出さるる連鎖状球菌が特
異的要素であることを肯定しないであらう。
 たとへ吾人が長い間抗猩紅熱連鎖状球菌血清につき主張したにせい、之は之
に関係せる臨床家の観察が一般に抗連鎖状球菌血清療法の研究に一貢献をな
したからである。
 猩紅熱の流行的性質は連鎖状球菌による他のすべての疾病より一層よき血
清療法の研究に適当する。もし抗連鎖状球菌血清が役に立ち得るとせば、特
に全身的連鎖状球菌感染に於て、予後が一般に極めて重篤なる場合であるこ
とは確実である。不幸にして、之等の感染の散在性のために、比較条件に於
ける大多数の観察例を得ることは困難であり場合によつては不可能である。
       *  *  *
 本章を終るに当り、抗猩紅熱「ワクチン」につき数語を述ぶることが残され
てゐる。
 馬の腺疫と猩紅熱の間に存する類似に基き、Gabritchewsky はこの後者の
疾病に対する「ワクチン」を調整せんとの考を有つた。
 この「ワクチン」は猩紅熱患者より分離せる連鎖状球菌の「ブイヨン」培養で
ある。本培養を60°に加熱し0,5%の石炭酸を加へたものである。
 少量中に多数の菌体を得るために、Gabritchewsky は培養を遠心沈澱し
た : 上澄液の部を傾瀉し、「ワクチン」の1cc が乾燥菌0,005gr を含むに必
要なる分量だけを残した。
 氏はこの「ワクチン」液の0,5cc の注射を開始した(2歳より10歳の子供)次
いで二回注射を反復し、各回に「ワクチン」の量を1倍半乃至2倍に増量した。
 注射は極めて屡々かなり軽度の局所及び全身反応を伴つた。或る場合には、
猩紅熱の発疹を思はせるもの、更に安巍那を起す場合を証明した。そこで
Gabritchewsky はこれを氏の「ワクチン」の特異性の証明となした。
 氏によれば、連鎖状球菌は猩紅熱の病原的要素であるにせよ、又は本病に
於て二次的意義しかないにせよ、加熱培養による予防接種の方法は『小児に

50        抗連鎖状球菌血清治療法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
取り最も重症の一つを予防する新しく同時に有効なる方法である』と述べて
ゐる。
 然し、今日までこの「ワクチン」の有効に関する著者の楽天主義に賛成すべ
き何物も吾人に許されない。
 加熱連鎖状球菌によつて、腺疫を予防するに至れることが証明されたにせ
よ、同じ方法が腺疫とはかなり掛け離れた類似点しかない猩紅熱に適応され
るとは云はれない。
 Gabritchewsky の「ワクチン」が猩紅熱を防御するとせば、何よりも、連鎖
状球菌が該疾病に於て重要なる要素でなければならぬ。連鎖状球菌が猩紅熱
の真の病原菌なることを承認するとしても、本病に対し加熱培養を以て予防
接種することに成功せることの証明は少しもない。連鎖状球菌による感染は
大多数の細菌感染と異り死菌を以てする方法では動物を予防接種し得ざるこ
と確実なりと云ひ得るや否や。
 すべて之等の理由に対しては、猩紅熱予防「ワクチン」の効果に就ての保留
をなすことを殆ど妨げ得ない。
 然し、Cantacuzène, Bernhardt 次いで Landsteiner, Levaditi et Pracek
によつて猿に就いてなされた最近の研究は之等の保留を証拠立てたものと見
られる。
 Cantacuzène の実験は下等の猿(Cercopithecus cephus, Macacus rhesus,
M, sinicus, Cereopithecus griseo-viridis),に猩紅熱患者の血液、心嚢液、又は
気管―気管枝淋巴腺を注射した。5乃至37日の潜伏期間の後に、之等の猿は
次の如き症状を呈した : 3日間発熱は40°と41°の間を昇降し、adénopathie
となり、胴体、顔面、前膊にさへも赤紫色の発疹を生じ約36時間継続した。
この発疹は顔面に於ては大きな鱗をなし、背部に於ては小さな鱗をなして剥
離し、四肢に於ては五日間で消褪した。一匹の猿は更に尾の基底部、臀部、
大腿部に著しき浮腫を呈した。
 間もなく Bernhardt は実験的猩紅熱に関する研究を公にした ; 氏は特に
猩紅熱病毒は決して連鎖状球菌と共に見られざること、濾過器を通過する不

       抗連鎖状球菌血清治療法           51
――――――――――――――――――――――――――――――――――
可視性の Virus が関係することを力説した。Berkefeld 濾過器を通過せる
Virus を以て、Bernhardt は四頭の猿のうち二頭に於て疾病を起すことに成
功した。
 略々同じ時に、Landsteiner, Levaditi et Pracek は猩紅熱患者より採取せ
る扁桃腺付着物を以て猿の咽頭に塗布し、この動物に体温の上昇、扁桃腺の
発赤及び腫張、次いで一般の発疹を生ぜしめることに成功した。
 すべて之等の実験は、終結したとは云へないが、今では連鎖状球菌は猩紅
熱の真の病原体として考へられない、従つて連鎖状球菌の加熱培養を以て造
れる Vaccin は予防作用をあらはすことなきを示すものである。
       ――――――
       Mémotres Citsés
Marmorek , Annales de l’Institut Pasteur, 1905, p, 553; 1902, p, 172,
Besredka, Annales de l’Institut Pasteur, juin 1904,
Bujwid et Gertler, Przeglad lekarski, 1903, p, 87,
Pospischill, Wiener Klin, Wochenschr,, 1903, p, 433,
Bokay, Deutsche mediz, Wochenschr,, 1909, p, 6; Iahresber, f, Kinderheilk,,LIXII,
 P, 428,
Schick, Deutsche mediz, Wochenschr,, 1905, p, 2092,
Hectoen, Journ, of americ medic, Assoc,, 14 mars 1903,
Iogichès, Centralbl, f, Bakter, I, Origin, t, XXXVI, p, 692,
Besredka et Dopter , Annales de l’Institut Pasteur, 1909, p, 373,
Menzer, Münchener mediz, Wochenschr,, 1903, p, 1875; 1904, p, 1461,
Gabritchevsky, Centralbl, f, Bakter, I, Orig,, p, 719, 844; Berlin, Klin, Woch,, 1907,
 p, 556,

            Ⅴ
          菌体内毒素(1)
Endotoxines Microbiennes
 菌体内毒素とは、菌と共に菌体を形成し、菌が多少高度に破壊するにあら
ざれば分離出来ない、菌体内部の毒素を意味する。
 菌体内毒素は菌体外毒素即ち所謂固有の毒素と異る理由である。後者は同
じく菌株に関係あるが、菌の生活力は著しく障礙されることなく、その形成
に従ひ、周囲の培養基中に算出されるのである。
 菌体内毒素の遊離するのは、細菌細胞の崩壊が先行する故、死後の現象で
ある。菌体外毒素の産製は菌の生活と両立するを以て、生理的作用、分泌作
用である。
 菌体内及び菌体外毒素の相違は之に止まらない: 吾人はその相違を次の叙
述に見る如く、之等両物質の物理化学的性質特に生物学的性質中に認める。
 今日尚、細菌製産物の性質に就ては誤報されてゐる。当時は今を去る20年
足らずであつた。この時代に菌の排泄する毒物を区別することは何れ程困難
であるか信じ得られる。若しこの考で、いくらか進歩したとするも、それは
長い間菌体内毒素説の選手であつた R,Pfeiffer に価値を示したに過ぎない。
            *  *  *
 如何にして Pfeiffer は菌体内毒素と菌体外毒素との境界線を設けたかを此
所に述べて見やう。
 「コレラ」弧菌の研究に於て、同氏は幼い「ブイヨン」培養を濾過器で濾過せ
るものは、比較的大量に於ても殆ど有毒でない: 之に反して数か月間経過せ
――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1) Bulletin de I’Institut Pasteur, t, ⅩⅡ,pp, 145,193;19145,

             菌体内毒素            53
――――――――――――――――――――――――――――――――――
る陳旧「ブイヨン」培養は濾過すれば著明なる活動性毒素を生ずることを確め
た。
 然らば陳旧培養中に存するこの溶解性毒素は何であるか、之は「コレラ」弧
菌の分泌する固有の毒素であるか、又は他の毒素であるか。
 本問を解決するために、Pfeiffer は「ブイヨン」でなく寒天上に培養せる幼
い弧菌を使用した。之等の弧菌を「クロロホルム」により又は55°cの加熱に
より殺して後、之等の死菌の数「ミリグラム」を海猽の腹腔内に注入した。
 注射を受けて18時間以内に海猽は死亡する。対照実験では、かく注射せる
弧菌の大量中、生きてた菌は只一個に過きなかつたことを示した。故に海猽
は感染によつて斃れたのではなく、一種の中毒によつて斃れたのである。こ
の場合に於て分泌による生産物を主張することは出来ないからして、何うし
てもその死は弧菌の内部に含有される毒素に帰さなければならないのであ
る。
 従つて、陳旧培養の「ブイヨン」濾液を注入せる海猽を斃死せしむるのは細
胞内毒素即ち菌体内毒素であることが分つた。このものは必然的に細菌の崩
壊産物を含むべきものである。
 細胞内細菌毒素の存在は確定された事実となつたのであるから、細菌学者
の努力は細菌体内のこの毒素を多少純粋の状態に抽出し、最後に細菌体外に
於てこの抽出物を研究し得る様に向いて来た。
 之等の研究の大部分は先づ弧菌に就いて、特に久しく、之等の研究の選択
菌として考へられた Massaouah の弧菌に就いてなされた。間もなく、他の
弧菌及び他の菌に就いて研究された。
 細菌の菌体内毒素を抽出するために、種々なる物理化学的要素(種々なる
温度、自家融解作用、圧力、粉砕、振盪、化学的製剤)を作用させた。Pfeiffer
及び Wassermann が第一毒素、第二毒素の語を採用したのは之等の実験の
際であつた。
 之等研究者によれば、細菌体内に含有せらるる毒素は、極めて脆弱である;

54             菌体内毒素            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
この理由のために第一毒素(Gamaléia の nucléoalbumine)と呼ぶ。若し化学
薬品を以て少しく烈しくこの毒素を抽出するか、又は細菌を沸騰点又は80°
―90°に長時間持ち来せば、氏等によれば、常に第一毒素は第二毒素(Gama-
léia nucléine)に変化すると。この第二毒素は尚有毒性であるが、然し第一毒
素より10倍乃至20倍微弱である。第二毒素は第一毒素の如く特異性を有する
ことなく、高温度又は消化酵素の作用に対し抵抗が強い。
 第一毒素と第二毒素との区別は Bürgers の実験によれば之を認め得なか
つた。此の著者は Pfeiffer et Wassermann により或は第一毒素或は第二毒
素となる前に、種々に加熱せる培養の毒性を比較研究した。之によれば、両
者の場合に於ける毒効果は明に同一なるを認めた。
 たとへ毒素の此の二元説を考へ得るにせよ、弧菌は固有の毒性を有するこ
とは確実である。之は一方では、幼い培養濾液を注入し、他方では、細菌体
に操作を施す時は之等の同一死菌の毒性より解決し得。毒素産製菌例へば赤
痢菌の如き、菌体内毒素の菌例へば「コレラ」弧菌の如き菌の間の差異は従
つて顕著なりと云はれない。
 「ブイヨン」に培養し次に遠心沈澱されたる之等両者の菌は、上澄液及び沈
査を別々に検査する時は、次の如きことを示す、「ヂフテリア」菌培養の液体
の部分は著明に有毒であるが、菌体によつて形成された沈査は殆ど毒性がな
い。「コレラ」菌の培養にて証明せられることは反対である。上澄液の部は殆
ど無害であるが、沈査、即ち菌体の死滅せるものと同一であるが、之は大な
る毒性を賦与されてゐる。
 弧菌の沈査は粗製の菌体内毒素を形成してゐる。吾人は粗製と云ふ、何と
なればこの沈査の中には菌体内毒素だけではない: 細菌の形体に加ふるに、
種々なる酵素の有毒性物質及び菌体内毒素の如き他のものを認めるからで
ある。
*  *  *
 如何にして弧菌の内部から特殊毒素を抽出するか?すべての精製試験は
――而も多数にあるが――平凡なる結果に終るに過ぎなかつた。

             菌体内毒素              55
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 すべての菌体内毒素性細菌のうち、弧菌は恐く抽出操作があまり容易でな
い所のものであることは、注意すべきである: 弧菌性菌体内毒素は細胞の
原形質と密接に結合し、細胞が崩壊し又は溶解する時にのみ放出され而も極
めて不完全の形である。
 Buchner の Zymase 抽出に関する研究に「ヒント」を得、Hahn は弧菌を強
大なる圧力下に置き「コレラ」菌体内毒素の抽出を試みた。氏は Plasmine と
称する溶解性有毒物を得ることに成功した。
 Macfadyen et Rowland は粉砕と高度の低温例へば液体空気を用ひて生ず
る如き低温(―190°)とを併用した。
 Carriere et Tormarkin は弧菌を蒸溜水中に於ける自家溶解と適当装置に
よる長期間の振盪との協同作用を行つた。
 Bürgers は単に弧菌を生理的食塩水に浮遊し55°―60°に加熱し、菌体内
毒素を抽出する研究をなした。遅れて、同じ目的にてKrawkow は「ヌクレ
オプロテイド」を製するために使用する方法を施した。
 「コレラ」菌体内毒素を抽出するために、吾人は弧菌に後に述ぶる如き方法
を適用し、他菌を以てするもよく成功した; よつて得たる抽出物は余り毒性
がない。
 要約するに、「コレラ」菌体内毒素を精製せんとする試みは多数であつたが、
余り結果は好くなかつた。吾人の意見によれば、種々の著者によつて得られ
たるすべての製剤のうち、最も純粋なる菌体内毒素に接近せるものは、粗製
の菌体内毒素、即ち何等他の処置を受けざる死菌である。
 弧菌属に就て溶解性菌体内毒素を研究せんと欲することは、その研究の対
象の選択を誤つてゐる。此の研究は「ペスト」菌、赤痢菌の如き菌又は他の菌
を以て更に遥に有効になし得られる。
 然し吾人は L,Horowitz の興味に満てる最近の研究を引用しなければなら
ぬ。著者は最も有毒なる濾過性培養は「グルコーゼ」加(1%)「ブイヨン」より
生ぜるものなることを証明した。この「ブイヨン」中にありては、氏の実験が
示す如く、弧菌は極めて速かに死滅し三日目には培養は全く無菌状態とな

【「沈査」は「沈渣」の誤植】

56             菌体内毒素            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
る。もしこの「グルコーゼ」加培養を濾過すれば、濾液は1cc,の分量で12-
18時間に海猽を殺し、時として1∖2ccの分量で同一結果を呈することを証明し
た。
 明に特に「コレラ」菌体内毒素を含有するこの濾液は、耐熱性である。この
可溶性毒素を60°1時間加熱するか、或は之を沸騰点に置くとき、Horowitz
は毒性の減少を観察し得なかつた。他方にては、著者は弧菌属の加熱培養と
交叉予防接種試験を行ひ、この毒性物質の特異性を確めた。
 菌体内毒素の他に、弧菌が他の物質なる真の「コレラ」毒素を分泌し得るか
何うかは検査して見ない。この問題は吾人の追求せる範囲外である。吾人が
ここに解決せんと欲する所のものは、感染の際に於ける菌体内毒素の精製方
法とその意義とである。
             *  *  *
 細胞学説の賛成者は、顕微鏡下に、海猽の腹腔内に送入せる弧菌は白血球
の内部にて消化せらるることを宣言したのを想ひ起すであらう。之に反して
液体学説の賛成者は、弧菌は生体内に侵入するや否や、水中に於て、即ち細
胞の体外に於て砂糖の様に溶解すると主張した。この細菌の細胞外溶解説に
Pfeiffer 及びその一派は人の知る如く氏等の免疫学説の全部を押し建てた。
 之等の研究者によれば、病原菌の危険となるのは、菌が繁殖する事実でも
なく、毒素を分泌する事でもない、即ち、菌が侵入せる生体内に生活し増
殖するためではない; 真の危険は、氏等によれば、菌が死亡する時から始ま
るに過ぎない; 何となれば、感染せる生体の体液中にて死滅し溶解し、動物
を死に至らしむる菌体内毒素を遊離するからである。故に細菌の感染は菌体
内の中毒に帰すべきである。
 かかる事柄が、Pfeiffer の信じた如く、自然界にて起るか? 若し然りと
せば、菌体内毒素が伝染病にて占むる位置は如何に重大であるであらうか。
 詳細は申さずとも、感染及び免疫に関する意見はそれ以後開け、現今では
『Pfeiffer の現象』と呼ぶことに同意せる所のものを一般の法則中に建てんと
する傾向ある学者は少いことを想起すれば充分である。

             菌体内毒素              57
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 細胞説に対し最も反抗せるものは、両極端の学説の間に橋をかけることを
好都合とした。
 如何に誇張するも、菌体内毒素の意義は不明であつた。菌体内毒素は確に
感染の際に関係がある。菌体内毒素は体液にて細菌の溶解せる時に、極めて
少量が関係する。然し、之と共に数ふべきことは、白血球の内部に於て細菌
の消化せる時である。別々に考へた場合、白血球の喰菌に先つて細胞外溶解
の存在することは、何人も証明せざる所である。重要なることは、細菌のす
べての消化は必然的に菌体内毒素の遊離と関係あることである; 之より生ず
るすべての興味は菌体内毒素を知ることである。
             *  *  *
 すべての病原菌は菌体内毒素を有るか? 此の質問に対し一様に答ふる
ことを知らぬ。肯定し得ることは大多数の菌が該毒素を有することである;
之を確める最も手取り早い方法は死菌の毒性を検査することである。
 死菌が中毒症状を惹起する疑あることを確めた時は、或る菌に菌体内毒素
が有ると結論するに躊躇してはならない。然し葡萄状球菌又は連鎖状球菌の
如きは之を殺し、之等に対し感受性ありと思はるる動物に大量を与へてさへ
も何ともないのは、何う考へたらよいか? 之等の菌は菌体内毒素を殆ど持
つてゐないと結論すべきであるか? 吾人は敢へて之を肯定し得ない。
 吾人は連鎖状球菌は加熱により凝固せる後には試験管内に於て菌体内毒素
を瀰撒せしめない、が然し動物体内に於ては生活細胞のみがその秘密を知る
如き手段を使用すれば毒素を遊離せしむるものと簡単に信じてゐる。
 現在の知識状態に於ては、菌体内毒素の作用を普及せしむること、即ち病
原菌全部に及ぼすことは早計である。吾人の意見によれば、多くの菌は菌体
内毒素を有するが、然しそのうちには菌体内毒素の今尚未知のものがある。
吾人は菌体内毒素の既に研究された菌に就て述ぶるに過ぎない故、後者の点
は保留することとする。
 1905年に、吾人は「チフス」及び「ペスト」の菌体内毒素を抽出すべき方法を
記載した。翌年、吾人は更に簡単なる方法を提案した。之によれば菌体内毒

58             「チフス」菌体内毒素            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
素特に、「チフス」菌、「ペスト」菌及び赤痢菌の菌体内毒素の物理学的及び生
物学的性質を更によく検査することが出来る。
 之等の研究に次いで、種々の学者は同じ方法を他の菌体内毒素の抽出に摘
用した。例へば、Bordet et Gengou は百日咳の球菌様桿菌の菌体内毒素を
得た; P,N,Bernard はマルタ熱菌のそれを、Slatineano は「インフルエンザ」
の球菌様桿菌のそれを、Cruveilhier は淋菌のそれを得た。
 主なる菌体内毒素を逐次述べて後、レフレル氏菌、糸状菌、Prodigiosus 及
び Sarcina lutea で造れる多少有毒なる抽出物につき数言述べやう。

             「チフス」菌体内毒素
             Endotoxine Typhique
すべて吾人の実験の出発点に使用せる「チフス」菌は、「チフス」病の極期に、
患者の血液より分離したのである。この菌は決して動物通過をしなかつたも
のである。海猽に対する本菌の毒力は少しも変化しなかつた: 寒天に24時
間培養の 1∖7 を腹腔内に注射し350瓦の海猽を殺した。60°に加熱し、次に
真空内に乾燥する時は10―15mg の分量にて海猽は斃れる。
 「チフス」菌体内毒素を遊離するために、吾人は先づ乾燥菌(15 Centigr,)食
塩水(2cc,)]及び正常馬血清(2cc)の混合を造つた。「チフス」菌は間もなく血清
により凝集される、二時間接触せる後に、之を遠心沈澱した。
 遠心沈澱の前では、混合物の毒性ある部は始めに加へたる乾燥菌のそれで
あつて、液体の部は毒性がなかつた。遠心沈澱の後は、二層の各の毒性は反
対となつた。即ち、細菌体は血清と生理的食塩水とを接触せる後には、殆ど
毒性がなくなつた: 処置せざる菌の10―15mgの菌量で斃れる海猽は、処
置せる菌の 10 Centigr, まで何の障害なく耐えた。他方に於て、混合物の液
体の部分は、始め血清と生理的食塩水より成り、その時は全く無毒であつた
ものが、有毒となり、1,5cc, の腹腔内注射にて、300瓦の海猽は斃れた。

             「チフス」菌体内毒素         59
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 即ち次の如き事が起つたのである: 「チフス」菌はその内容の一部を瀰撒
せしめた; この瀰撒のお蔭で、二つの新物質が造られた: 一部は無毒なる
「チフス」菌であり、他部は溶解性「チフス」菌体内毒素である。
             *  *  *
 吾人は曩に Macfadyen et Rowland の抽出法の原理を述べた。之は菌を
凍結させ極めて強力なる杵を用ひ低温で粉砕するのである。液体空気を注ぎ
固い塊となれる細菌を液体空気の中で二時間粉砕する。操作の終りに、乳鉢
内に細菌の残骸よりなる半流動体の「パテー」を得。
 出発点にて使用せる培養はたとへ生きて居り毒素が強くとも、最終の粉砕
物は無菌状態である。零点下190°なる液体空気の温度は無菌となすことが
出来ないのであるから、英国の学者たち(上記の著者等)は之は細菌の粉砕及び
寸断の結果なりと結論してゐる。
 上記の方法にて採取し次いで細菌残査【渣】を遠心沈澱により除去せる細胞汁は
溶解性の「チフス」菌体内毒素を示す。
 Macfadyen et Rowland によれば、この菌体内毒素は極めて活動的である;
之は使用せる菌が始めに毒力強き程毒性が強い。該菌体内毒素は腹腔内注射
に於て1cc,―0,5cc, の分量で3―4時間に海猽を殺すことが出来る。著者等
は常に本法は極めて骨の折れるもので、いつも甚だ活動的なる製剤を得るも
のでないことを記載してゐる; 屡々何故か正確には分らぬが、細胞汁は余り
毒性のないことがある。
 Macfadyen et Rowland の方法は、確かに、甚だ天才的である; 之はすべ
ての研究室で出来るものではない。
             *  *  *
 吾人が1906年に記載せる菌体内毒素の抽出方法は、特別の装置を必要とし
ない; 之は吾人が以前に更に重要なる生産能率を与ふるために使用した方法
に優つてゐる。
 此所に此の技術を記載することにしやう。
 本法は今日では「ペスト」、赤痢、百日咳、マルタ熱「インフルエンザ」等の

60             「チフス」菌体内毒素            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
如き菌の菌体内毒素を製するに役立つてゐる。
 16-48時間経過せる寒天培養を生理的食塩水の中に0,75%の割に稀釈し、
60°1時間加熱し、次いで真空内で乾燥せしめる。
 一定量(1 gramme) の乾燥菌を乾燥食塩(0,30-0,45gr)と混じ、次いで瑪
瑙の乳針【鉢】で粉砕し、微細なる粉末となさしむ。この操作は約1時間を要する。
 乳棒を放すことなく、乳鉢内に1滴宛蒸溜水を1-2竓注ぐ。之は速に食
塩を溶解す: 之によつて濃厚なる食塩溶液の浸潤せる細菌の「パテー」が出
来る。細菌の大部分が一種の凝集を起す。該浮遊液を試験管に移し、次いで
生理的食塩水の濃度になる様に水を加える時には、平等なる「エムルジオン」
を造る代りに、菌は試験管底に集合する傾向があることを確めた。
 数回混合を振盪して後、菌を翌日まで放置せしめる。
 10-12時間静置すると、細菌の沈澱物の上部には固形浮遊物を含有せざる
液層を造る。この液は透明にして且つ乳白書を呈し液状の菌体内毒素を含有
す。
 氷室又は室温に保存すると、本法によつて得たる「チフス」菌体内毒素は、
屡々菌と見まがふ雲絮状物を浮遊状に発現せしめることがある。顕微鏡にて
検するに、色素を取ることが不良で、漿液性沈澱と称すべき有機質の塵埃に
他ならぬのである。100°に加熱すれば「チフス」の菌体内毒素は全く透明とな
り; 1-2時間60°に加熱するも同様である。
 後に論ずる所の「ペスト」の菌体内毒素は既に65°で混濁するに反し、「チフ
ス」の菌体内毒素は高温度に置けば置く程益々透明となり、120°の「アウト
クラーフ」に30分間置いた後では透明度は最大に達する。
 菌体内毒素を65°の重盪煎に置くと、その毒性を減ずることなく、寧ろ反
対に毒性を賦与するものの様である。之は明に高温度にて再び溶解する問題
の塵埃状物質に帰さねばならぬ。
 「チフス」菌の菌体内毒素は耐熱性である; 吾人は之を100°に1時間以上、又
は120°に30分加熱し、その毒性を少しも除去せしめざることが出来る。
 この体内毒素は馬、家兎、海猽、鼠及び「マウス」にて、吾人の実験が示せ

             赤痢菌々体内毒素         61
――――――――――――――――――――――――――――――――――
る如く活動性がある。腹腔内又は静脈内注射では極めて活動性があり、皮下
注射では余り活動性がない。
 乾燥菌1gr,より出発し、0,30gr,のNaClと30cc,の H₂O を以て250gr,
の海猽に対し毒性が製剤により1∖8 より1∖4cc, に変化する液体を得、この液
体の1cc を、腹腔内に注入すれば、海猽を3時間にして殺し得。
 1,800gr, の家兎は腹腔内又は静脈内に注入するに、1-1,5cc, の分量で死
す。
 50gr, の鼠を殺すためには腹腔内に1∖8cc, を注入しなければならなかつた、
即ち、殆ど 250gr, の海猽を殺すだけの分量である。
 「マウス」は一般に菌体内毒素に対し極めて感受性の強いものであるが、「チ
フス」菌体内毒素には比較的よく堪へ、之に対する致死量は約 0,05cc, であ
つた。
 特に「チフス」菌体内毒素の特徴にしてその特異性を示すことは、血清即ち
抗菌体内毒素に接触すれば非活動性となることである; 吾人は之に就て再び
述べやう。

             赤痢菌々体内毒素
           Endotoxine Dysentérique

 製造方法は「チフス」菌体内毒素のそれと同一である。吾人の採用せる割合
を挙げると: 0,4gr, の志賀菌; 0,15gr, の NaCl;2 0cc の H₂O。
 外観よりすれば、赤痢菌体内毒素は「チフス」菌のそれを思はせる: 後者
と同じく、前者は薄層なる時は卵白色を呈し、厚層なる時は明かに溷濁す;
遠心沈澱を長く行ふも、透明にはならぬ。溷濁は勿論細菌破片より成る小顆
粒の集合のためである。
 その熱に対する抵抗性の点では、赤痢菌体内毒素は「チフス」菌体内毒素と
「ペスト」菌体内毒素との中間を占む: 75-77°30分加熱では之を無害とな
し得ず; 然るに78,5-80°の温度に於ては完全に之を非活動性たらしむるに

62             「ペスト」菌体内毒素            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
足る。「マウス」は不快の状態なく、かく処置せる菌体内毒素の致死量の400倍
まで堪へ得。
 加熱せざる赤痢菌体内毒素は家兎、鼠及び「マウス」に対し極めて猛毒なる
を示す; 之は吾人が所有せるすべての菌体内毒素のうち最も活動性あるもの
である。
 静脈内に注射せる1∖80cc, の菌体内毒素を以て 1,800gr の家兎を2-3日で
殺した; 1∖20cc を以て、之を24時間で殺した。死ぬ前の症状は赤痢菌の培養
濾液を注射せる時に観察せるものと同一症状である。
 50gr の鼠は1∖200cc を腹腔内に注入すれば4-5日で斃れる; 1∖80cc では2
日である。
 赤痢菌体内毒素の研究に選んだ動物は、吾人の実験では、白色「マウス」で
ある。既に皮下注射に対し極めて感受性があるので(1∖640cc)、此の動物は腹
腔内注射をなせば更に感受性となる。最小致死量に達するためには、0,0006
より更に0,003cc, まで下降せねばならなかった。一般に48時間で死亡す。時
として苦悶は長引き; 他の場合には死が突然来ることがある。屡々接種後、
尚元気に見える「マウス」を手に取り之を脊を下に裏返へすと、間もなく強直
し、数秒で斃死することがあつた。
 正常馬血清の添加により、菌体内毒素の作用は遅延するも、決して絶無に
なることはない。之に反し抗赤痢血清(1∖16 cc)を以て、吾人は致死量の150倍
まで中和することが出来た。

「ペスト」菌体内毒素
             Endotoxine Pesteuse

 Yersin, Calmette 及び Borrel は始めて「ペスト」菌の「ブイヨン」培養は濾
過する時、動物に対し何等有害作用を及ぼさぬことを確めた。之に反し、菌
体は58°1時間加熱するも之を腹腔内又は静脈内に注入する時は海猽及び家
兎を殺し易きことを知る。

             赤痢菌々体内毒素           63
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 この事実は始めに Wernicke により証明され、次いで多数の実験者により
確められた。
 Lustig et Galeotti は「ペスト」菌体内毒素を抽出することを研究した、そ
れには12-24時間培養の菌を加里の稀釈溶液にて処置し、次いで酢酸又は
塩酸を以て液体を沈澱せしむるのである。此の条件にて形成せる沈澱は菌体
内毒素を含有す、之が証明には沈澱物を以て鼠、海猽及び家兎に於て重篤致
死的障礙を起し得るのである。
 Albrecht et Ghon は「ブイヨン」培養濾液は一定時期に毒性を帯びること;
この毒性は培養日数と共に増し遂に停止することを認めた。この事実は或る
著者等(Dieudonné et Otto)により真の毒素の形成なる考で説明された。こ
の説明は吾人自身の研究とはよく一致しない、吾人は研究では「ペスト」菌の
抽出液と同一にして菌体内毒素の性状なることは疑なき所である。
 「チフス」菌に於ける如く「ペスト」菌に於て菌体内毒素を遊離するために引
続き吾人の二方法を適用した。
 吾人の使用せる菌は60°に加熱し、乾燥し、皮下に注射せるに5「デシミ
リグラム」の量で「マウス」を殺した。
 第一の抽出方法は一定の比に細菌(0,02 Centigr) 生理的食塩水(1cc,)及び
馬血清(4cc) を混じ、一夜接触せしめたる後混合液を遠心沈澱す。一部は透
明の液となり「ペスト」菌体内毒素を含有し、他部は「ペスト」菌体よりなる
「パテー」状の硬さを有する菌沈渣にして無毒性となる。
 この「ペスト」菌体内毒素は「マウス」に対し可成り活動的なるを示す: 即
ち1∖4cc, の分量である。之を濃厚にすれば、更に活動的になすことは容易で
あつた。
 かくして造れる菌体内毒素は数か月間氷室に保存することが出来た。55°
1時間の加熱で変化なし; 65°(1時間)の温度で梢々軽減す。毒素は抗「ペス
ト」血清で完全に中和さる。
 遠心沈澱後試験管底に残れる細菌を以てなせる反対の試験では、このもの
は、その毒性を大部分消失せることを示した。馬血清と生理的食塩水とを接

64             「ペスト」菌体内毒素            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
触せる後は、始めに於て「マウス」を 0,0005gr, の分量で殺した「ペスト」菌は
殆ど無毒となり 0,01gr, の量で即ち20倍以上の分量で「マウス」は何の障害も
なかつた。
 因みに、無毒になれる菌は優秀なる「ワクチン」となり、吾人の実験より見
らるる如く、「チフス」又は「ペスト」菌にても然りとす。
            *  *  *
 「ペスト」菌に於て「チフス」菌々体内毒素の場合に前述の粉砕に基ける抽出
方法を適用すれば、軽度に卵白光を呈する液体を得。この液は間もなく細菌
体内破壊物の沈澱を容器の底に残し透明となる。
 密閉せる試験管では「ペスト」菌体内毒素を氷室に於て数か月保存すること
が出来た。
 之に反し、高温度の影響により、その外観を変じ、同時にその毒性を著し
く減少した。
 かくして、100°に30分間保てば、粉砕法により浸出された「ペスト」菌体
内毒素は、煮沸卵蛋白に類する可成り多量の白色粗大の浮遊物を生ず。80°
にして既に、凝固は略々完全となる; 然るに100°になれば容積は却つて減
少す。70°(1時間)で、菌体内毒素は蛋白石様液体の外観を呈す; 65°(1時間)
で、溷濁し始める。而して、毒性は凝固(65°)の最初の兆候が現はれると共に
著しく減少し始め、80°-100°の温度に達すれば全く消失する。
 乾燥「ペスト」菌0,40gr, Nacl 0,15gr, 及びH₂O 20cc, を分注すれば、皮下
注射に於て、15gr, の「マウス」を24時間以内に1∖50-1∖80cc, の分量で殺し得
る菌体内毒素を得た。更に大量(1∖20-1∖10cc,)を以てすれば、4-5時間で之を
殺した。
 腹腔内注射では更に有毒である: 確実なる致死量は、10-12時間に於て、
17-18gr, の「マウス」に対しては、1∖160cc, であつた。
 白色の鼠(50gr,)は、皮下に注入せる 1∖8cc, の分量、又は腹腔内に注入セル
1∖25cc, の分量で斃る。
 かく「マウス」に対し有毒なる「ペスト」菌体内毒素は、吾人が先に云へる如

             百日咳菌体内毒素           65
――――――――――――――――――――――――――――――――――
く、毒素が凝固を始めるや否や、「マウス」を殺さない様になる。100°では
完全にその毒性を奪ふ。既に70°(1時間)では毒性は著しく変化し、「マウス」
に1cc, 即ち致死量の50-80倍を皮下に注射するも無害にして、「マウス」は
発病することがない。
 菌体内毒素の減弱は65°で始まる。
 何うして加熱菌体内毒素が無毒となるのであるか,? すべてのものは毒素
は破壊されたと信ぜしめられる、何となれば凝固せる菌体内毒素を注入せら
れたる「マウス」は少しも免疫を得ないからである。
 非加熱「ペスト」菌体内毒素にありては、細菌体と全く同じく、生活せる
Virus に対する免疫を与へ、毒素自身に対する免疫を与へぬものである。
 かくして、吾人の実験では、皮下に、第一回に、致死量以下の菌体内毒素
量を受けた「マウス」は、8日後に菌体内毒素の最小致死量を受けたのに、全
く対照と同じく斃死した。
 故に少くとも「マウス」に於ては菌体内毒素に対する活働性免疫は現はれな
い様である。
 「ペスト」菌体内毒素は極めて容易に抗「ペスト」菌体内毒素血清により中和
さる: 即ちこの血清 0,25cc, と菌体内毒素の致死量の50倍との混合を受け
たる「マウス」は生存確実となる。

        百日咳菌体内毒素
       Endotoxine Coquelucheuse

 通常使用せらるる技術により百日咳菌毒素を得ることに成功しなかつたの
で、Bordet et Gengou は百日咳菌体内毒素を抽出するために、吾人が「チフ
ス」「ペスト」及び赤痢の如き菌に推称せる粉砕方法によつたのである。
 之等の研究者は3日間培養を選んだ。15本の試験管より集めた厚い細菌屑
を20cc, の生理的食塩水に浮遊し、次いで煆【苛】性曹達の存在の下に、37°で真空
乾燥をした。残渣は乾燥食塩0,33gr, と混じ粉砕し、之を出来るだけ微細に

66             百日咳菌体内毒素  
――――――――――――――――――――――――――――――――――
して、一様なる粉末を得るに至らしめた。次ぎにこの粉末に少量宛蒸溜水を
加へた。Bordet et Gengou はかくして得たる濁つた液に於て吾人が既に他の
菌体内毒素に就を【て】述べたものと同様なる雲絮状物質を生ずるのをかなり屡々
見た。粉砕し次いで生理的食塩水に浮遊液とせる百日咳菌をば、24時間氷室
に放置し、次いで遠心沈澱した。上層の液は透明か或は極めて軽度に蛋白石
様色を呈した。
 海猽の腹腔内に1∖4 乃至 1∖2cc, の分量を注入すると、百日咳菌体内毒素を
含有するこの液体は24時間にして動物を殺す。剖検するに、百日咳菌の腹腔
内注射によつて生ぜるそれと類似せる病竈を認む: 極めて多量の、出血性
の腹腔滲出液、多数の腹膜下溢血、腸の烈しき充血及び多量の肋膜充血があ
つた。この充血は動物が斃死前数時間呈する烈しき呼吸困難を説明するもの
である。
 同じ症状は菌体内毒素を腹腔内に注入する時家兎に於て観察される。静脈
内注射では該動物を約18時間にして、1-2cc, の量で殺す。
 百日咳菌体内毒素の皮下注射では極めて興味ある事実を確めることが出来
る。この経路により海猽を殺すためには Bordet et Gengou によれば菌体内
毒素の大量を必要とする。少量(例へば0,2cc,)では既に一程度の重い局所病
竈を起す; 翌日頃になれば、出血性浮腫を発生しその翌日は増加するを見
る; 次ぎに、この浮腫は衰へ、その跡に拡大せる黒色の斑痕を残し、之が壊
疽となり大なる潰瘍を残して陥没す。
 之により何故に海猽や家兎に於て百日咳菌を接種する時、細菌の繁殖する
こともなく又は注入せる菌が殆ど全部消失しても、重篤にして然も致死的障
礙を来すかを説明し得。Bordet et Gengou は云ふ『百日咳菌により決定され
たる病竈は動物に於て寄生菌により恐らくこのものの破壊する時に遊離せる
毒素に因ることを全部承認するものである。又吾人が研修室動物に於て観察
せると同じ種類の病変が百日咳に犯された子供に於ても同様に起れるものと
考へるのは理論的である』。
 吾人が「ペスト」菌体内毒素の問題にて観察せる所のものに関係ある興味あ

          ファイフェル氏球状桿菌の菌体内毒素      65
――――――――――――――――――――――――――――――――――
る事実は、百日咳菌体内毒素に対する動物の予防接種が極めて困難なること
である。皮下に第一回に菌体内毒素の少量(0,2cc)を受け、之によつて生ぜる
潰瘍の治癒せる海猽は最初と同じ様に将来の注射に反応する、即ち菌体内毒
素量を増すことさへ出来ない。
 55°30分間加熱する時は、百日咳菌体内毒素は大に減弱す。「クロロフォ
ルム」「トルオール」「チモール」及び特に「アルコール」は殆ど全部その活働性
を奪ふ。Chamberland 濾過管による濾過は大部分の菌体内毒素を奪ひ取る。
 熱は局所病竈を造ることが出来ない程度まで変質す。加熱せる百日咳菌体
内毒素は加熱ペスト菌体内毒素と全く同様に非加熱体内毒素に対し予防効
力を生ぜず。
 百日咳菌の頻回注射により調製せる馬血清は、百日咳菌々体内毒素を中和
しない。

             ファイフェル氏球状桿菌の菌体内毒素
Endotoxine du Coccobacille de Pfeiffer

  多数の試みがファイフェル氏菌体の菌体内毒素を抽出せんがためになされ
た; 之は培養死滅菌の毒性は周知なるに拘はらず、常に効果を挙げ得なかつ
た。
 吾人が1905年菌体内毒素の抽出に関し記載せる技術に従ひ、Slatineano は
Pfeiffer 氏菌より出発し、液状の菌体内毒素を得ることに成功し; その性質
を研究した。
 血液加寒天に24時間培養せる Pfeiffer 氏菌を乾燥し(0,25gr)蒸餾【溜】水(5cc)
と正常馬血清(5cc)とを加へる。混合物は氷室に12時間置き次いで遠心沈澱
す。遠心沈澱後、上層液は毒性を示し動物に於て Pfeiffer 氏菌自身と同様な
る症状を起した。
 脳内に注入すると、本菌の菌体内毒素は1∖20cc,の量で6-10時間にして海
猽を殺す。腹腔内注射で海猽を斃すためには、5cc, 以下であつてはならぬ;

68         Micrococcus Melitensisの菌体内毒素            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
動物は4-5日で肝臓の脂肪変性と脾臓の著明なる肥大を呈して死す。
 菌体内毒素の効果は生菌又は55°加熱菌によりて生ずる成績と同様であ
る。

      Micrococcus Melitensis の菌体内毒素
    Endotoxine du 『Micrococcus Melitensis』

 マルタ熱の小球菌の培養より発足して、P,Noel Bernard は神経細胞に選
択的親和力を有する毒性抽出物を得た。
 4日間寒天培養より生ぜる乾燥菌1瓦を NaCl の 0,20 と共に粉砕し、微
細の粉末を得るに至らしむ。この粉末を蒸餾【溜】水25cc,の中に浮遊す。この混
合物を強く振盪す。20時間孵卵器中に放置して後、この混合物を58°1時間
加熱し、次いで12時間氷室に置く。形成する沈澱物の上に、橙色蛋白石様の
色を呈する液体の浮ぶを見る、この液は溶解せる菌体内毒素を含む。この液
は450瓦の海猽を脳内注入により1∖100cc, の量で8-10時間にして殺す。腹
腔内経路により18時間で殺すめた【ため】には、300瓦の海猽に対しては10cc, 以下
であつてはならぬ。
 該菌体内毒素は58°に抵抗す。蛋白の凝固する温度付近(78-80°)では、
その毒性は減少す。100°に於ては、凝固物より分離せる透明の液は始めの菌
体内毒素より10倍も毒性は減ず。更に加熱を継続すれば完全に菌体内毒素を
破壊す。濾過管による濾過は之を減弱す。
 海猽は菌体内毒素の脳内注射(致死量=1∖100cc)に対し腹腔内に於てなせし
もの(致死量=10乃至20cc)よりも千倍乃至二千倍感受性がある。後者に於け
る動物の比較的免疫性なるは毒素が特異親和力を有する神経細胞に到達する
ことが困難なるためである; この親和力はマルタ熱の重篤なる場合に神経症
状の存在することを説明するものである。

          「ヂフテリア」菌体内毒素      69
――――――――――――――――――――――――――――――――――
          「ヂフテリア」菌体内毒素
          Endotoxine Diphtérique

 Rist は Loeffler 菌体内には「ヂフテリア」毒素以外に、菌体内毒素が存在
し、特に之が注射を反覆する時は海猽に対し致死的となることを証明した。
最も屡々、ある時は麻痺、ある時は偽膜様腹膜炎の病竈を見る。家兎に於て、
Rist は一回に、「ヂフテリア菌の 0,05gr を腹腔内又は0,002gr-0,003gr を
静脈内に注射し、3週間で、死を決定することが出来た。抗「ヂフテリア」血
清を加へてもその死を防御しなかつた。
 「ヂフテリア」菌体内毒素の研究は Cruveilhier により極めて精密になされ
た。この著者は24時間の寒天培養より出発した。菌は洗滌され、次いで溶解
性毒素の全痕跡をも破壊するために加熱された。
 死菌の毒性に関する研究中に、Cruveilhier は最も不変なる成績を与ふる
道は脳の経路なることを見出した。脳内に固形培養一斜面の1∖4,即ち乾燥菌
の1「センチグラム」に相当する量を受けたる海猽は24時間以内に死す。
 如何なる場合にも抗「ヂフテリア」血清は防御することもなく、又死を数時
間遅延することもなかつた。
 Aviragnet 及び其の共著者の Bloch-Michel 及び Dorlencourt は15日培
養の菌を105-110°で滅菌し、真空内で乾燥し粉末にせるものから出発した。
この粉末状菌体内毒素0,05gr の分量は6-10日で海猽を殺した。この菌体内
毒素量の千倍でも、死を早めることは出来なかつた、之は明かに細胞内に摂
取されたる菌体内毒素の瀰撒度が極めて遅いためである。
 之等の著者等は「ヂフテリア」の菌体内毒素により局所に生ぜる病変並びに
離れた部位に生ぜる病変を研究した: 彼等は肝臓の壊疽、実質性腎臓炎及び
副腎に於ける出血を認めた。
           *  *  *
 Victor C, Vaughan 及びその門弟、Andrew Detweiler, Max Wheeler,

70         糸状菌属の菌体内毒素            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
Mary Leach, Charles Marshall, Louis Gelston 及び Walter Vaughan は
種々なる菌体の内容に就て系統的研究をなした、(Micrococccus prodigiosus,
sarcina lutea, bacilles diphtériques, bacille du charbon,colibacille, etc・・・)。
彼等は乾燥し微細に粉砕せる大量の菌(50 grammes に至るまで)に就いて行
つた。この研究に際し、彼等は次の如き興味ある事実を認めた、即ち菌の毒
性は菌が益々微細なる粉末となるに従ひ益々大となること、更に Sarcina lu-
tea 及び Micrococcus prodigiosus の如き全く病原性なき菌が脾脱疽菌のそ
れより遥かに勝れたる菌体内毒素性の能力を有することである。
 此の事実は本章の始めに於て菌体内毒素の一般性につき述べたる考に関係
がある。

         糸状菌属の菌体内毒素
       Endotoxine des Champignons

 H, Roger は Endomyces albicans の培養を加熱殺菌せるものは、之を皮
下及び腹腔内に注射するに、家兎に対し毒性あることを証明した。彼はこの
毒性は液体に関係し培養の液状部に関係なきを見た。同種の考で、Concetti
は Endomyces の原形質を粉砕し遠心沈澱して後二層を得た; 上層は毒性に
して原形質の蛋白及び脂肪質より成り、下層は無毒にして細胞膜の破片より
成る。
 Aspergillus fumigatus の菌体内毒素抽出の試みは外観上反対の成績を与へ
た。それ故、H,Roger はこの糸状菌の培養を粉砕し遠心沈澱せるものには二
つの層をなすを見た: 即ち上層は家兎に対し全く毒性を消失し; 下層は家
兎に於て下半身不随障礙を生ず。此の現症の反対する原因は恐らく Asper-
Gillus はその菌体内毒素を周囲の「メヂウム」に殆ど瀰散さしめ又事実に存す
るものであらう。
 Penicillium glaucum も恐らく亦、H,Roger の研究による如く、活働性菌
体内毒素を含有するであらう。

          糸状菌属の菌体内毒素            71
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 Gougerot et Blanchetière により Sporotrichum beurmanni の菌体内毒素
が記載された。実際に、之は菌体内毒素よりは寧ろ「エーテル」「クロロホル
ム」「アルコール」その他の抽出液に関係する。
 以前Auclair が結核菌で得た製剤も同様である。使用する溶媒によつてそ
れ等相互に異る之等の物質は皆、多少人工的に細菌の原形質より浸出された
ものである。かく云へば、すべて之等の浸出物は部分的菌体内毒素と同一で
ある; 之等のものは一方では一つの地位に値するものであるが、然し之を真
の菌体内毒素なる、「ペスト」、赤痢、百日咳の如きものと同列には置かれな
い; 後者は動物に於て菌自身が生ずると同様なる症状と病変とを決定するも
のである。
          *  *  *
 先に挙げたる記載の中に、菌体内毒素の性質を列挙するに当り、吾人はそ
の特殊性状を特に注意した。この性質は菌体内毒素のうちのあるものは特異
血清即ち抗菌体内毒素血清によつて中和さるるに過ぎざる事実を著明とす。
 この血清は何であるか:
 ある種の菌体内毒素例へば、「ペスト」菌又は百日咳菌を以て得たる毒素に
就て述べた際、吾人は菌体内毒素の大量に抵抗せる動物が、この同じ菌体内
毒素に対し、而も単に致死量だけを用ゐても、免疫されてゐる事実を認めな
いのは注目すべきこととなした。
 菌体内毒素に対し免疫不可能なる事は永い間実験者をして、抗体を形成せ
ざる性質が菌体内毒素の定義そのものに加へらるる点なりと感じさせた。故
に、ここに如何に菌体内毒素を定義し、之を所謂固有の毒素力から区別する
のが適当であるかを述べやう。曰く、毒素は抗体を生ぜしむ、然し菌体内毒
素は注射方法の如何に拘はらず之を生ずることは不可能である: 動物に注
射するも、このものは血清中に溶菌素 bactériolysines の他は発生しない。
 この区別は R,Pfeiffer の旧弟子なる、Wolff-Eisner によつて信ぜられた、
彼のこの問題に対する意見は、吾人の知る如く、菌体内毒素の考を引き起し
た業績をその師に帰すれば帰する程重きを加へた。Wolff-Eisner は、人間の

72         糸状菌属の菌体内毒素            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
治療に於て所謂殺菌性血清の失敗をば、抗菌体内毒素を得ることの不可能に
帰した。”血清の不満足は菌体内毒素に対する抗体の形成が生体にて不可能
なるに因る。……今日まで、抗菌体内毒素を得んとするすべての努力は無駄
になつた、而して将来にて於も同様なるべきを信ずるのみである,,。
 然し、吾人の実験から再び抗菌体内毒素は立派に存在することが分つた;
このものは既知抗体と同列なるものであつた。之を造るために、最も確実に
して最も速かなる方法は全培養を以て経静脈的に動物を免疫するにある。
 ここには吾人が特に「チフス」免疫血清に就て研究せる本問題の詳細には亘
らぬこととする。唯々報告すべきことは、本法により吾人は1-2cc, の量で
溶解性「チフス」菌体内毒素の致死量の30倍以上を中和する抗菌体内毒素性
「チフス」免疫血清を造るに至つた。
 次いで、吾人は「ペスト」菌及び赤痢菌を以てせる研究に基き、菌体内毒素
を有する最近はすべて――「チフス」菌、大腸菌、「ペスト」菌、「コレラ」弧菌、
赤痢菌、緑膿菌及びその他の菌――菌体を直接一般循環系中に送入すると血
清中に確実なる抗菌体内毒素性性質を証明することを結論するに至つた。他
方に於ては、斯様にして調製すれば、すべての他の抗体を造るを以て、これ
こそ最も有効なる血清を供給する免疫方法である。吾人が1906年に実験的に
得たこの事実は、その後なされたる多数の実験によつて確認された。今日で
は、「チフス」、赤痢、「コレラ」、連鎖状球菌、淋菌の免疫血清は経静脈的に
造られてゐる。尚且つ、短期間に確実に活働性免疫を賦与するために、経静
脈的方法による、之は抗菌体内毒素を形成せしむる唯一の方法である。吾人
は「チフス」菌に就ての Pfeffer et Friedberger の実験、及び更に近年に至り、
Ch,Nicolle 及びその共著者なる Conseil et Conor が人間になしたる極めて
興味ある予防接種の試験を報告するに止める。
        *  *  *
 要するに、溶解性菌体内毒素の意義は何であるか? 之より如何なる実際
上の知識を引き出し得るか? 感染の経過中に於て Pfeiffer 及びその一派が
之に帰した意義は誇張的であることは疑ふまでもない。之等の研究者は現象

          糸状菌属の菌体内毒素            73
――――――――――――――――――――――――――――――――――
の一方を見たに過ぎない; 彼等は細菌体自身が、生物なる以上、自己を防御
し増殖し、毒素を分泌することが出来るものであることを考へなかつた。
吾人のあらゆる努力を支配する免疫の問題は、勿論菌体内毒素に対する争闘
に縮小すべきものでない。確かに、この事は感染経過中には低く評価されて
はならない、その重要さは第二次的であるに過ぎない。
 理論上の興味以外に、溶解性菌体内毒素の調製は実際上の見地に於ても重
要である。新毒素の同一性を定めんとする時は常に――「チフス」「ペスト」赤
痢又はその他の毒素につき――菌体内毒素か又は真の毒素に属するかを決定
するために菌体内毒素の標準の性質を参照するに過ぎない。
 最後に、溶解性菌体内毒素でなし得る少からざる利用のうちの一つは、一
般に生菌を以て、抗菌体内毒素性血清の効力測定に使用出来ることである。

――――――――
引用文献
Mémoires Cités

R, Pfeiffer, Zeitschr, f, Hygiene, 1892-1896,
Bürgers, Hygicnische Rundschau, 190,p, 169,
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Macfadyen et Rowland, Proceed, Royal Soc,, t, IV, p, 30,
Carrière et Tomarkin, Zeitschr, f, Immunitätsf, I, Origin,, t,IV , p, 30,
Besredka, Annales de l’ Inst, Pasteur,juillet 1905, avril, 1906,
Horowitz, Zeitschr,f, Immunitätsf,, t, XIX, p, 44,
Bordet et gengou, Annales de l’ Inst, Pasteur, 1909, p, 415,
Slatineano, Centralbl, f, baktr, I, Origin,, t, XLI,1906, p,185
Noel bernard, C, R, Soc, Biologie, t, LXIX,1910, p, 37,
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Cruveihier, C, R, Soc, Biologie, t, XLVI, 1909, p, 1029,
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H,Roger, C, R, Soc, Biologie, t, LXVII, p, 161,
Gougerot et Blanchetière, C, R, Soc, Biologie, t, LXVII, p, 159,
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           Ⅵ
      感作 Virus による予防接種
    Vaccination par Virus Sensibilisés

          第一章
        Première Partie

 活動性免疫として知らるるすべての型のうち、痘苗によつて実現さるるも
のが最も理想的予防接種法に接近せるものである、が然しなほ、此の場合に
免疫は人の希望する程早く成立しない。時間的因子を除去すれば、痘苗はす
べての希望を満足する; 確実なる効力に加ふるに痘苗は第一位に属する二つ
の性質を有す: 即ち無害にしてその効力は永続する。
 血清による予防接種については、たとへそれ等のうちの優秀なるものを以
てするも、余り云へない。仮令予防効果が異論ないとするも、仮令無害なり
とするも、その期間は一時的であつて、15日経過せる後は之に信頼すること
は慎重を欠くであらう。
 Vaccins のうちには効力の永続するものがある; 之は加熱死菌のそれであ
る。然し之等の Vaccins を以てすると、屡々予防注射をするよりも寧ろ病
気に罹る危険に遭遇するを望む位の犠牲を払はなければ免疫を獲ない場合が
ある。之は、就中、「チフス」Vaccin の場合であつて、注射後屡々可成り不
愉快なる障礙がつづいて起ることがある。Haffkine の「ペスト」Vaccin は
更に温和なる救済薬なりとの好評を受けない。之等の欠点の中、特に実験室
内動物に於て、加熱「ペスト」菌の注射に続き、必要量を少しく超過するため
に、屡々重篤なる中毒症状時としては死亡する場合に遭遇する。

          Première Partie            75
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 加熱培養による予防接種法の結果を軽減するために、ある学者は死菌に少
量の該当する血清を加ふることを提唱した。かかる方法に於ては、他動的な
る血清免疫の例に再び堕するので即ち余り永続せざることを速に認めた。実
際に、実験によると、たとへ死菌と血清と混合せるものが無害であり血清自
身と同様に速かなる作用を呈する長所があるにしても、反対に、血清と共に
次の如き欠点を配分することを示した: 即ち之等の混合が賦与する免疫性は
極めて短期間で決して実際に使用する方法としては許し得ないものである。
 然しその困難を転向し無害にして一定度まで有効、迅速、永続的なる Vac-
cins を得ることは可能である。
 吾人は研究室の言葉で感作「ワクチン」”Vaccins Sensibilisée,,の名称の下
に認可せる製剤を見る。
 之は1902年 Académie des sciences に提出せる報告中にある、即ち吾人は
「ペスト」,「コレラ」及び「チフス」感染に関する研究室の最初の試験の結果を
纏めた。
 之等感作「ワクチン」製剤の根拠となる原理を簡単に申し述べやう。
 特異血清を菌体に付加することは免疫持続期間に関し有害として認められ
たので、吾人は血清中に存する蛋白質及び其の他を全く除去せる特異物質以
外の血清を使用しないことを提唱した。
 この選択を実現するためには、勿論菌自身を使用するよりよい手段がなか
つた。Ehrlich 及び Morgenroth の研究以来、すべての細胞、特にすべての
菌は、之に該当する抗体と接触せしめると、之と結合し、かくして血清中に
含有さるる他のすべての物質を排除することを知る。
 かく抗体を結合せる細菌は最早や之を放さなくなる。菌の浸つてゐる血清
から之を取り出し、生理的食塩水で洗つても無駄である。菌は少からず抗体
によつて滲み込まれてゐる。血清より抗体を自体に引きつけ、云はば、特異
感作物と称するものから染色されてゐる之等の菌は”Vaccins Sensiblisés,,
(感作「ワクチン」)を形成する。
            *  *  *

76         Première Partie            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 最初の感作「ワクチン」は「ペスト」菌、「コレラ」弧菌及び「チフス」菌で調製
した。ここに吾人が採用せる「テクニク」を申し述べる。
 Roux の「コルベン」に於ける、48時間の寒天培養を箆を以て掻き取り、次
ぎに少量の生理的食塩水を注ぐ。「ペスト」菌の場合には60°(1時間)で殺し、
無害とならしめる様にす。水中に浮遊せる菌体は非加熱、凝集力強き抗「ペ
スト」血清を入れたる円筒の容器に入る、
 やがて二層の重なるを見る: 上層は細菌、下層は血清である。更に数時
間遅れて、菌は集合し雲絮状となり、次第に大きくなり、次いで容器の底部
に沈澱するに至る。軽度に蛋白石様の色を呈する上層液を傾瀉す。菌の沈澱
は生理的食塩水を以て数回洗滌し、血清の最後の痕跡をも分離せしむ。
 かくして得たる白色の凝塊は半流動体の「パテー」状の固ざである、之に生
理的食塩水を加ふれば、微細にして極めて「ホモゲン」の浮遊液となる。この
凝塊は「ペストワクチン」を形成するものである(1)。
 「チフス」及び「コレラ」予防「ワクチン」は同様に造られる、只次の如き相違
だけである。即ち菌体を加熱前にそれぞれの血清で処置する。此の方法は抗
体の結合の点より見て良好である。感作菌は次いで反復洗滌する。血清の全
痕跡が完全に除去されて後、之をそのまま使用するか又は56°30分に持ち来す。
 吾人は既に前に感作菌から菌の浸つてゐる血清の全痕跡を除去することが
如何に必要なるかを注意した、之は血清の免疫持続期に及ぼす有害なる作
用を除く目的である。然し余りに注意し過ぎ菌を水中に長く浸して置いては
ならぬ、何となれば此の場合には感作菌は活動性物質の一部を周囲の水に移
行せしめるからである。感作 Virus の洗滌はそれ故速かに継続し、全操作は
同日に終了する如くなすべきである。
         *  *  *
 「ペスト」予防感作「ワクチン」は通常の「ペスト」予防「ワクチン」即ち Haff-
Kine の Vaccin より、実際上毒性の作用は全く消失せる長所を有す。斯くの
――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)この「ペストワクチン」は仏蘭西薬局方の最近の出版に入れてある(1908,Co-
dex medicamentarius gallicus, p, 792,), 而して”Vaccin Antipesteux Seusibilisé,,
の名称の下に存する。

          Première Partie            77
――――――――――――――――――――――――――――――――――
如く、Haffkine の Vaccin は寒天24時間培養の1∖10-1∖15 の量で「マウス」
を殺す。感作「ワクチン」は全培養2けの分量即ち、30倍量以上を注射するも
「マウス」に於て認むべき症状を決定することが出来ない。
 人間に於ても同様に、「ペスト」予防感作「ワクチン」は何等過劇なる症状を
起さない(自己観察)。
 通常「ワクチン」の大なる障礙となる局所症状は感作「ワクチン」を接種せる
動物では全く認められない。之を確むるために、家兎に於て、体の一側には、
単に加熱せる菌――「コレラ」弧菌「チフス」菌又は「ペスト」菌――他例には、
同種同量なるも感作せる菌を注射すればよい。通常「ワクチン」を注射せる側
では硬結及び「アプセス」を有する炎衝反応を見るが、感作菌を接種されたも
のは局所反応は全く起らずに留まる。
 感作「ワクチン」は無害である、何となれば細菌の菌体内毒素は血清の特異
性物質で中和されてゐるからである、この毒性なきために之等の Vaccins を
以てしては一般症状を観察しないのである。他方に於ては感作物質の存在が
喰菌作用を助ける。また組織は速に異物、同種類の感作菌の消失されるのを
見る。之が何故に之等の Vaccins を接種せる部位に於て決して烈しい局所
症状を観察し得ないかの理由である。
         *  *  *
 検査すべき事項として残されたものは: 1°感作「ワクチン」注射後いつ
免疫は発顕するか、2°何の位の期間此の免疫は、継続し得るか?
 免疫の発現時期に関しては、実験の示す所では Virus の性状と共に変化
するが、然し一般的には Vaccin 免疫は注射後間もなく起る。
 所で、「ペスト」の場合には、「マウス」は感作「ワクチン」送入後48時間で脚
内に於ける Virus の致死量の注射に対し感染しなくなる。
 「チフス」及び「コレラ」予防感作「ワクチン」は海猽に対し更に速に免疫を賦
与する。寒天培養の一定量を皮下に注射すると、之等の Vaccins は翌日頃に
腹腔内に接種せる Virus の致死量に対し海猽を防御する。海猽を単に加熱せ
る通常の培養を以て予防接種をなし、翌日之に試験する時は、海猽は予防接種

78         Première Partie            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
されざる対照動物と同じく「チフス」又は「コレラ」感染で死ぬことを確めた。
 即ち、感作「ワクチン」によつて賦与された免疫性は極めて速にして注射後
24又は48時間で顕はれる。
 之は持続性のものであるか? 之は少くとも通常の「ワクチン」の注射に相次
ぐ免疫性と同じ位継続する。
 数字を以て、極めて正確に免疫持続期間を確定することは不可能である。
単に Vaccin の性質を考慮に容れるのみならず、更に Vaccin の量、注射部
位、動物の種類、Vaccin の製造方法は云はずとも、それだけで免疫期間を
変へしむる変化し易い要素となる。
 所が「ペスト」予防感作「ワクチン」を海猽の皮下又は腹腔内に注射せる場合
には、免疫性は1か月半位しか継続しない。之は非感作加熱「ペスト菌体の
注射に次ぐ免疫性の消失する時期と略々同じである。
 之は例へば「マウス」に於てはちがふ: このものは感作「ワクチン」を受け
て後、4-5か月又はそれ以上「ペスト」に対する免疫性を保持する。
 「チフス」及び「コレラ」予防「ワクチン」は5か月以上継続する免疫性を海猽
に賦与する、此の免疫性は「ペスト」予防「ワクチン」が賦与するものよりも著
しく強固である。
 然らば、感作「ワクチン」は、少数のものは問題であるが、無害にして、速
に且つ確実なる手段となり、長期間の活動性免疫を実現し得させる。
          *  *  *
 吾人の第1回発表以来、吾人の研究を確定し、吾人が研究せる以外の他の
Virus に感作の原理を拡張する目的を以てなされた一定数の業績が出た。
 吾人は1905年に発表された Paladino-Blandini の研究について先づ数言述
べやう。
 此の著者は「チフス」防予接種法の材料についてなされた全部について重要
なる実験的業績を発表した。氏は各国に於てなされた発表を記載するのに満
足せずして、氏自らすべての Vaccins を調査する仕事に従事し、効力の点、
局所反応及び発熱、免疫期間等の点を調べた。

          Première Partie            79
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 Paladino-Blandini は17種の Vaccins を研究した: 1)「ブイヨン」培養生
菌強毒のもの; 2)加熱40°3日間にして弱毒せる生菌; 3)Pfeiffer et Kolle
の Vaccin; 4)Wright et Semple のVaccin; 5)Chantemesse の毒素; 6)
Werner の毒素; 7)Rodet, Lagriffoul et Wahly の毒素; 8)腹腔滲出液の
濾過せるもの; 9)「チフス」菌核蛋白質; 10)Macfadyan et Rowland の抽出
物; 11)Brieger et Mayer の抽出物; 12)Balthazard の毒素; 13)Shiga の
抽出物; 14)Wassermann の抽出物; 15)Berne の「チフス」予防血清; 16)
Jez の抽出物; 17)Besredka の Vaccin 。
 吾人は著者がその比較研究の結果を綜括せるこの「モノグラフ」の結論を云
ふだけに止める。
 ”Besredka の「チフス」予防「ワクチン」は単に24時間の期間で免疫を賦与
する長所がある許りでなく、更に全免疫方法のうちで一層よいものと考へら
れる。即ち局所症状も全身症状も起さず、感染に対する素因となることもな
く、動物には他のすべての既知 Vaccin によつて得らるるものより更に持
続的の免疫を与ふる点から見て然りとなす”。
          *  *  *
 今度は他の感作「ワクチン」に就て述べやう。
 最初行はれたのは狂犬病予防接種である。既に吾人の最初の報告後間もな
く、Pasteur 研究所の A, Marie が吾人の方法を狂犬病毒に適用せんとする
祝福すべき意見を持つた。
 狂犬病 Vaccin の製造方法は一般に感作「ワクチン」に使用せる方法を模倣
した: 固定毒の浮遊液を抗狂犬病血清と混合す: 混合物は24時間接触して
置く、次ぎに遊離血清の過剰を除去するために生理的食塩水で洗ふ。
 特異感作物より浸された狂犬病毒より成るかかる調製物は狂犬病予防感作
「ワクチン」を構成す(1)。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)若し吾人がすべて之等の Vaccins ――「チフス」予防、「ペスト」予防、狂犬病
予防その他――を感作「ワクチン」の名称で呼び、ある学者が造る如き Virus-Sérum
(血清ワクチン)の名称で呼ばないとすれば、精確にその主なる特色を注意するた
めには、そが遊離血清を含まざる点である。吾人の意見では、Sérum-Vaccin なる
言葉は、混合予防注射の際に使用さるる Virus と血清との混合物に限るべきである

80           Première Fartie            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 Marie は家兎、海猽及び犬に就て研究をなした、彼は狂犬病予防「ワクチ
ン」の場合も他の感作「ワクチン」の場合と同様に行ふことを確めた。
 実際、この Vaccin は全く無害である; 之を直接脳内に注射し而も動物に
少しの障害を起さない。
 その作用は速かである: 本法により接種された動物は予防接種後同日又
は翌日或は翌々日前房内に注入せる Virus に抵抗する状態となる。Marie
曰く”この狂犬病予防免疫法の特長の一つはその形成が速かである。然るに
Pasteur 氏予防接種法に於ては動物の抵抗力を証明する前に極めて長き一列
の注射の後約15日待たねばならぬ、吾人は此の新治療法は極めて迅速なる免
疫性を賦与するを見る、何となればこの免疫は強毒にして且つ前眼房内に於
ける注射と同様に烈しい病毒の注射後3日目に動物を狂犬病より防御するか
らである,,。
 狂犬病予防「ワクチン」により賦与された免疫性は永続する。Marie の実験
によれば、本法で免疫された海猽及び家兎は「ワクチン」接種後6か月は眼球
内試験に抵抗することが出来た。1904年2月に接種された二匹の犬は、一
年後の1905年の2月及び5月に2回反覆してなせる眼球内接種に抵抗した
が、之に対し対照は斃死した。
 本法の少からざる長所の一つは、唯1回の注射により動物は狂犬病に対し
免疫し得らるることである。この事実は Marie により観察された。之は亦
Remlinger によつてなされた。氏は綿羊に於て眼球感染後3日の間隔を置き
Vaccin を1回注射をなし之を防御し得た。
 3頭の犬に行つた実験で、Marie は皮下に1回接種された之等の動物は直
ちに前眼房内に於ける狂犬病毒の注入に抵抗し; 同様に注入された対照は麻
痺性狂犬病で死亡するを確めた。
 狂犬病予防感作「ワクチン」によつて賦与された免疫は免疫動物が眼球内試
験にも抵抗する点より見れば鞏固なるものである; この感染方法は狂犬病に
かかれる動物の咬傷より重症なることは人の知る所である。
 簡単に云へば、狂犬病予防感作「ワクチン」に於ても吾人が同種の他の

          Première Partie              81
――――――――――――――――――――――――――――――――――
Vaccins に於て既に証明せる性質を認むるのである: 即ち絶対無害にして
作用確実、迅速、持続性なることである。
 この感作「ワクチン」は人間に於ける狂犬病の予防的処置に使用された。”通
過せる家兎の延髄(固定毒)の1gr, を細かに粉砕し稀釈「ブイヨン」又は生理
的食塩水9cc 中に入れ浮遊液を造り之を「リンネル」で濾す。この10倍稀釈液
の2cc に予め56,°30分加熱せる綿羊の狂犬病予防血清4cc を加ふ。この混
液 6cc,,――Virus の過剰を含有するもの――を腹部の皮下に二ヵ所接種す
る。同様の注射を続いて3日間反覆す、その後、6日目より患者は乾燥せる
脊髄の接種を受ける,,。
 1904年以来、多数の咬傷者が本法で治療され、その結果は、Marie によれ
ば、優秀であつた。氏の意見によれば、本法は特に患者が咬傷後久しくして
治療に来れる場合、並びに重症なる咬傷の全部に適用さるべきであると。
          *  *  *
 「チフス」菌と赤痢菌との間に存する親族関係、並びに赤痢に対する予防接
種が人間の場合に表はす重要性があるので、赤痢予防感作「ワクチン」を考ふ
ることは出来なかつた。赤痢の治療手段に随分貢献せる Dopter は亦予防手
段にも貢献する所があつた。
 実験室内小動物を通常の方法により赤痢菌に対して予防接種をなすことは
可成り困難なることは人の知る所である。たとへ免疫が表はれるにしても決
して12-15日前に現はれない。「マウス」を予防接種せんと試むる時は、予防
接種の経過中に少くとも40乃至50「パーセント」を失ふ。
 加熱赤痢菌の注射はかなり重症なる局所及び全身症状を呈する。生存せる
「マウス」に於て、症状は注射部位に於ける一時的の浮腫と軽度の羸痩とを起
すだけである。家兎に於ては、著しき炎衝性浮腫、体温の上昇及び高度にし
て急劇なる羸痩を認める。
 得らるる免疫はその期間が短い; 免疫は殆ど4乃至6週間以上には及ばな
い。然し更に注意すべき点は動物がその免疫経過中には、対照動物より更に
感染に対し感受性が大となることである。故に流行時には加熱培養による予

82           Première Partie            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
防接種方法は危険となる事がある。Dopter によれば、赤痢の潜伏期間内の
患者又は保菌者に使用せるに、この予防接種は赤痢感染を助長するに過ぎな
いと。
 之を要するに、死菌を以て実験室内動物を予防接種することは局所及び全
身症状の危険に遭遇せしめる; 本法は半数に於て致死的中毒症状を起す; 免
疫は12-15日目に現はれる; 潜伏期間内に、予防接種された動物は抵抗力減
少状態となり、最後に、免疫は4-6週間しか続かない。
 すべての点に類似する事実は、Dopter により菌の自家融解産物による予
防接種の際に確められた。故に之等の方法のいづれもが人間に実施してはな
らぬ特に流行時に然りとする。それ故 Dopter は感作 Virus による予防接
種方法を試みんとする考を抱いた。
 ここに2,3の技術を挙げる; 赤痢菌は赤痢予防血清と混合する。混液は実
験室温度に12時間静置する。数時間後に菌は凝集し感作されて試験管底に落
下する。上清液を傾瀉す; 菌の沈澱を数回生理的食塩水で洗滌し、然る後生
理的食塩水中に感作菌を浮遊すればよい。
 実験の示す所ではかく造られたる赤痢予防 Vaccin は全く無害である:
通常の菌の致死量の百倍に相当する分量に敢えた「マウス」は何等体重の減少
を来すことなく認むべき最小の障害も呈しない。
 予防接種効力に関しては、吾人は Dopter の結論を述べるより他には更に
よいものを知らない:。
 ,,1°感作菌による Vaccin は少しも毒性がない; また局所反応も全身反応
も起さない;
 ,,2°感作菌によつて予防接種された「マウス」は大多数の場合に4日目に抗
赤痢免疫を獲得する; 然し5日目でなければ現はれないものもある;
 ,,3°免疫形成機関に於て; 本動物は致死量測定試験に対し対照より感受性
大なることはない;
 ,,4°獲得せる免疫は少くも4か月半継続する,,。
 吾人は、更に再び、赤痢予防 Vaccin のうちに感作 Vaccin の特徴とする

          Première Partie              83
――――――――――――――――――――――――――――――――――
4 性質を認める: 即ち毒性のなきこと免疫の確実、速かにして持続的なる
こと。
 Dopter 曰く”すべての点に於て此の新法は以前提供されたるすべての方
法に断然優る様に見える……陰性期が存在しない……; もし本法が他日人間
の群集生活に使用され、更に流行時に使用される様になれば、此の点は実施
上の見地より見て最も重要なる注意事項である,,。
          *  *  *
 今までは有形生菌又は死菌を以て調整せる感作 Vaccins を問題にした; 吾
人の記載すべく残されたものは「ヂフテリア」毒素を以て製せる Vaccin で
ある。
 その調整方法は感作 Vaccins に対し一般に使用せる所のものであつた。
「ヂフテリア」毒素を抗「ヂフテリア」血清の混合液を造り之を以て開始した。
この混合液を遠心沈澱し過剰の血清を除去することは殆ど不可能事であるか
ら、毒素を中和するために丁度血清の厳密に必要なる分量を加ふる注意を要
す。この混液に固形菌の場合に於ける如く数時間接触せしめて後予防接種を
行つた。抗毒素の滲み込んだ毒素は一種の「ヂフテリア」予防感作 Vaccin と
見るべきである。
 この最後の考を有してゐたのは Théobald Smith である。之を調整するに
当り、氏は始めに於ては真の感作「ワクチン」を実現せんとするほかには他を
顧みなかつたことは疑ひなき所である。
 毒素と抗毒素とを一定量に混合するに当り、吾人が指示せる血清の最小過
剰を避けんとする教義に基き、Th, Smith は単に絶対に無害なるばかりでな
く、著しき予防効力を有する物質を得た。困難なる点は毒素の厳密なる感作
に到達することである: 即ち余り多量ならば余り少量ならざる血清を加へ
なければならぬ。若し多量の血清を加ふるならば、免疫は「チフス」予防「ワ
クチン」から過剰の抗「チフス」血清を除去し得ざる時の如く期間が短いので
ある。若し余り少量の血清を加ふるならば、混液は局所症状を起し、屡々極
めて重篤なることがある。故にそこには抗「ヂフテリア」血清の厳重なる必要

84           Première Partie            
――――――――――――――――――――――――――――――――――
量があることを注意しなければならぬ。かくして安易に数年間継続し且つ人
間は弱反応又は無反応にして之を獲得すれば益々価値ある免疫性を得。
 感作 Virus の場合に於ける如く、「ヂフテリア」毒素とその抗毒素とを接
触することは可成り長くなければならぬ。T,Smith によれば、この接触は
予防接種の使用を実施する前に48時間維持する必要があると。
 此の予防接種によつて賦与せらるる、持続性免疫に加ふるに、Smith によ
れば、このものは全然無害である。この感作毒素を使用することは毒素だけ
のそれよりも遥かに好都合である。後者は亦免疫を賦与することは出来るが
然し此の場合には免疫は鞏固でなく且つ局所症状の代価によつて獲られる。
 若し免疫の形成する速度について知ることを得れば、この「ヂフテリア」予
防「ワクチン」は完全に理想的のものであるであらう。Smith の報告は此の問
題に触れてゐない; 恐らく此の報告に於て「ヂフテリア」予防「ワクチン」は殆
ど他の Vaccin と異る所がない、即ち、速に免疫を賦与するのではなからう
かと思はれる。
 之を総括するに、Virus の性質が何であらうと、例へば「ペスト」、赤痢、
「コレラ」又は「チフス」菌であらうと、狂犬病毒又は「ヂフテリア」毒素でら
うと、死菌又は生菌であらうと、感作は之等に新性質を賦与する即ち Vacc-
ins をしてその性状が確実、迅速、無害にして持続的なる作用を発揮せしむ
る様になすのである。
           ―――――――――――
            Mémoires Cités
A, Besredka, C, R, Académie des Sciences,juin,1902, p, 1330; Annales Inst, Pasteur,
 décembre 1902,
Paladino-Blandini, Annali d’ Igiene sperimental, pp,, 295-411, 1905,
A, Marie, C, R, Soc, Biologie, 29 novembre, 1902; 16 déeembre, 1905; Bulletin
 de l’ Institut Passteur, t, VI, 30 aoun et 15 sept, 1908,
Dopter , Annales de l’ Inst, Pasteur, t, XXIII, p, 677,
Th, Smith, Journ, of expererim, medic,, t, XI, 402; 1909,

            Ⅵ
       感作 Virus による予防接種
     Vaccination par Virus Sensibilisés

          第二章
       Deuxième Partie (1) 

 吾人は前に述べたる性質を、始めに肺炎球菌、連鎖状球菌、「ヂフテリア」
菌、羊痘毒及び結核菌に於ける感作「ワクチン」に於ても亦見出すのである。

 結核菌から始めやう。
 すべての医師及び獣医は、v, Behring の牛の結核予防接種に於ける反響
多き実験に思を致した。種々の国に於て、事実上牛に極めて著明なる結核に
対する抵抗性を賦与した、即ち対照に於ては、結核菌の接種は速に重篤にし
て屡々致死的なる病竈形成を伴ふものであるが、予防接種されたものでは、
かなり長い間病竈を造らざることを確めた。単に、若し単なる肉眼的検査に
満足せず且つ厳密に臓器を観察すれば、特に淋巴腺内に、生きた毒力の高い
結核菌を認める。換言すれば、試験的注射の際に生体内に送入された菌は完
全に破壊されない。この完全なる破壊の欠如することが v, Behring の方法
に於て大なる危険を形成する; 之が牛の結核予防接種の問題が今なほ解決さ
れたと考へるには遥か距りのある理由である。
 本問の解決に向つて重要なる一歩は Calmette et Guerin により実現され
た。氏等は結核菌を「グリセリン」加牛胆汁の存在のもとに馬鈴薯の培養する
と、著しく結核菌の性質を変化することを示した。かかる菌は25mgr の分
――――――――――――――――――――――
(1) Bulletin de l’Institut Pasteur, t, X, 30 juin 1912,

86           Deuxième Partie
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量を犢の静脈内に注入する時は、小時間に犢を免疫する。然し、この場合に
も亦、生菌を接種後120日間も気管枝淋巴腺内に認むるのである。
 之等の事実は胆汁加感作菌を使用する時嘗て起つた所のものである。
 Calmette et Guérin は大量に注射しても是等の菌は容易に吸収されるのを
見た。然る時は感作のために試験的接種の際に生菌の吸収を活発にし得なく
なるか何うかと云ふ質問が起る。
 実験によれば、この場合には、菌の吸収は明かに活動的となり、従つて吸
収は完全に経過する。
 胆汁加感作 Virus を以て予防接種され、次に30日後に、試験的注射(強毒
の牛型菌 3mgr:)を受けた牝牛は90日後には殆ど菌を含まない; 120日後に
は全く含有せざるに至る。之に反し、対照として、感作せざる胆汁加菌を以
て予防接種されたものは、試験後120日後と雖も、気管枝及び中隔の淋巴腺
内に、生きた毒力強き菌を含有してゐる。
           *  *  *
 Calmetet et Guérin の実験に先立つこと数か月前に於ける F, Meyer の実
験は普通の菌と比較して感作せる結核菌の大量注射を試みた。之によれば感
作せる菌は容易に吸収されることが分つた。更に注意すべき点はその予防接
種能力である。
 同氏は感作結核菌は結核海猽により非感作通常菌のそれに対し5倍以上の
分量を堪え得られたことを証明した。
 氏は更に健康動物は何の障礙なく感作菌の反覆注射に堪えるが、非感作菌
の反覆注射に対しては一般に斃死することを見た。感作菌は一般に局所反応
然も多くは最小の反応を与へて後、速かに吸収される。
 Vaccin の予防効果に関し、F, Meyer は次のことを確めた; 長期間感作菌
で処置され、次に通常結核菌を注射された海猽は罹患するが、対照よりは8-
10倍遅れて発病する。
 既に結核病勢にある海猽に於てさへも、感作菌による治療は、同氏によれ
ば、臨床的に、動物が治癒したと思はれる位に快方に向はしめる。

          Deuxième Partie              87
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 Meyer は淋巴腺の菌を消失せしむるに至らなかつたことを認めた; 可能な
ることは体重の減少を停止し生命を数か月間延長させることである。氏はか
くして処置せる動物に於ては対照より9か月長い生存を与ふることに成功
した。
 かく有望なる是等の成績を得たので、Meyer はこの感作 Vaccin を、人間
に於て、治療の意味で、使用せんと決心した。氏は結核の種々の期間にある
もの47人を処置した。効果は限局性結核の場合に特に著明であつた: あら
ゆる治療に抵抗せる瘻管又は「アプセス」は感作菌の影響により速かに瘢痕形
成をなした。少からず良好の成績は骨、関節及び眼の結核感染に於て示され
た。肺結核に於ては、良好の効果は発熱、羸痩、夜間盗汗、心臓障礙、即ち
中毒症状に見られた。之に反して、固有の肺の病変並に喀痰の含菌量は少し
も変化がなかつた。かく処置された47人の患者につきては、Meyer によれ
ば、40人の患者が著明に良好となつた。(1)
          *  *  *
 結核菌浸出液、又は「ツベルクリン」は同様に感作に適当である。
 Vallée et Guinard は”濃縮し感作せる結核菌沈降物,, の性質を研究した
が、是等の物は結核動物に取つても無害なることを認めた。即ち、6週間以上
結核菌を以て接種された海猽は粗製「ツベルクリン」の0,5-2gr, に相当する量
の感作沈降物の注射に抵抗する。牛に於ても同様であつた。数か月来感染せ
る牛は、発熱を起す量の 10-20 倍を表はす粗製「ツベルクリン」の1-2gr, に
相当する量の沈降物を受けても反応熱を出すことがなかつた。
 感作せる結核菌毒素は無害なることを知つたので、Vallée et Guinard は
之を人間に試みた。この試験は種々の程度に肺結核に犯された30人の婦人に
就いて行つた。著者等は曰く”Koch の「ツベルクリン」の最少量(1∖100’ 1∖50’
1∖10mgr)を注射するに、不快の症状が起るのに対し、酒精で沈澱せる純粋「ツ
ベルクリン」の 1∖2-4mgr, に相当する量の感作沈降物を注射するに熱反応も
――――――――――――――――――――――――
(1) 独逸に於ては、感作結核菌は結核予防血清「ワクチン」”S, B,E,, の名称で
  使用されてゐる。

88           Deuxième Partie
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なく病竈の反応もなかつた,,。著者は最初の注射では一般に軽度の浮腫を生
ずるが、間もなく慣れの状態が成立し、それ以後の注射に於ては増量的分量
でも患者に何等不快を起さざることを認めた。
 それ故、感作後濃縮せる結核毒は海猽に於ても、牛に於ても亦人間に於て
も、極めて無害となるのである。
           *  *  *
 研究室内動物は容易に肺炎球菌に対し活動性免疫を得ることは人の知る所
である。感作肺炎球菌を使用する時は E, Levy et Aoki の研究が解決せる
如く、その予防接種は特に良好なる条件で実施される。
 免疫の発生速度に関しては、著者等は次のことを証明した: 即ち肺炎球菌
の死菌(0,5%の石炭酸添加)によつて予防接種された家兎に於ては免疫は6日
過ぎてから成立するが、感作せる肺炎球菌を以て予防接種せる家兎に於ては
一般に3日後に完成する。免疫は更に極めて速かに成立得: 即ち、実験
の際、著者等は感作 Virus を以て予防接種せる家兎を、24時間後、10時間後
及び6時間後に致死量測定試験に用ゐた。是等の家兎は全部試験的接種に対
し抵抗した。
 陰性期は、死滅肺炎球菌を使用せる時に既に稀であるが、感作肺炎球菌を
以てしては決して観察されない。
 更に、極めて矛盾して見えることは、感作肺炎球菌は一定の治療的効果を
表はすことなきにしもあらず: もし毒力強き肺炎球菌の1∖100,000 を身体の一部
に注射し、他の部に感作肺炎球菌の適当量を注射する時は、一定期間生存せ
しめ或は完全に生存せしめることが出来た。実験の結果は Vaccin の量に関
係する: 1-2cc, の量では不充分であり、4cc, の量では4匹のうち3匹を防御
し、6-8cc では確実に動物の全部を予防接種し得た。
 非感作肺炎球菌でなされた同様の実験では、遥かに香ばしからぬ成績を示
した: Vaccin の4cc, は家兎5頭中1頭を防御し; 6cc, では3頭中2頭を
防御し、8cc, でどの家兎も生存する様になつたに過ぎなかつた。
 之を要するに、感作肺炎球菌は通常の肺炎球菌に対し次の如き長所を有す、

          Deuxième Partie              89
――――――――――――――――――――――――――――――――――
即ち之を予防的に注射すれば、本「ワクチン」は更に迅速に更に鞏固なる免疫
性を賦与す; この注射は決して陰性期を伴はず; 更に、或る場合には、本「ワ
クチン」は疑ひなき治療的効果を表はす。
           *  *  *
 連鎖状球菌は肺炎球菌と更に多くの共通点を示す; 亦感作された場合、後
者と同様なる態度を取ることは驚くまでもない。
 Marxer は感作連鎖状球菌で接種された家兎は極めて速に免疫性を獲得す
ることを確めた; 24時間目に既に致死量の数倍に抵抗する様になる。
 「ガラクトーゼ」加「ワクチン」の発案者の一人なるこの実験者は次の如く宣
言した、即ち単に「ガラクトーゼ」の作用下に置かれたる連鎖状球菌を以て同
様なる結果を得ることは極めて稀であると。
 是等の実験に刺激され、Marxer は感作連鎖状球菌を治療方面に使用せん
と企てた。期待し得た如く、Virus 接種後24時間にして試みられたこの治療
成績は輝かしいものではなかつた。然し他のすべての条件が同様なる時、感
作連鎖状球菌は対照に比し処置動物を4-6日生存せしむる意味に於て非感作
に優る。
 Levy et Hamm の企画せる感作連鎖状球菌を以てする予防的及び治療的
処置の試験を述べやう。人間に於て正確なる対照実験をなすことの不可能は
実験室内実験の厳格さを欠如してゐる。この制限はあるが、吾人は是等の治
療的試験から生ずる印象は動物にてなされた観察を強くすることを認めねば
ならぬ。
 Levy et Hamm は妊婦を予防接種せんがために感作連鎖状球菌を使用し
た。注射は分娩前約8-10 日になされた。之は注射部位に軽度の疼痛を生じ
たが、然し熱を伴ふことはなかつた。かく処置された14人の婦人のうち、
1名は不慮の災害のために死亡した; 他の全部は極めて良好の状態で分娩し
た。
 治療的方面には、感作連鎖状球菌は既に発生せる産褥熱の際、並びに化膿
性の付属器官の炎衝又は子宮外膜炎の如き種々なる連鎖状球菌症の際に使用

90           Deuxième Partie
――――――――――――――――――――――――――――――――――
された。明白なる状態で提唱することは出来ないが、著者等はこの治療法は
active なるものと考へ、且つ兎に角、最も重篤なる敗血症の際に於ても全く
無害なりと考へらるる点に於て、良好なる効果あるものと認められたと云つ
てゐる。
          *  *  *
 吾人は純毒性ある菌が若し感作された時に何うなるかと云ふことに就ては
未だ少しも触れてゐなかつた。Dopter の研究のお蔭で、吾人は毒性があり
同時に伝染性がある赤痢菌は、感作の後には、高度の予防効力を得ることを
知つた。
 有毒なる菌、例へば「ヂフテリア」菌及び破傷風菌の如きものにつき此の種
の研究をなすことは興味がある。
 「ヂフテリア」菌に関しては。吾人は Rolla の実験以来感作される時は毒性
が劣ることを知つてるのみである。種々なる種類の問題についてなされた氏
の研究に於て、同著者は偶然に全く他の Virus と同じく、Loeffler 氏菌の
感作は、その結果は、非感作の場合は4-5日で確実なる致死的の量に対し動
物を防御せしむることを認めた。
          *  *  *
 感作「ワクチン」なる武器庫は最近理論的並びに実際的に大なる興味を提供
する産物に富んでゐる。吾人は羊痘予防 Vaccin について述べやうと思ふ。
 羊痘の Virus は不可視性 Virus で、特異血清(Borrel)で感作せしむるこ
とを妨げずして、之より極めて高度の Vaccin を形成する。
 アルジエリアにて施行されてる衛生法規によれば、輸出すべき綿羊は之を
乗船する前に羊痘接種をするか又は抗羊痘血清で処置すべきである。血清に
よる予防は高価なると短期間なるとの不利がある。羊痘接種そのものは、羊
痘の巣窟地方に容易に飼育し得る点より見れば、危険はない。
 Bridré et Boquet は幸に羊痘接種の見地に於て感作 Virus を試みんとす
る意見を有した。他の Virus と同様に、感作せる当該 Virus は綿羊に同時
に迅速鞏固長期の免疫を得べく; 更に全く無害なること、即ち、通常の

          Deuxième Partie              91
――――――――――――――――――――――――――――――――――
Virus に由来する危険を生じない筈である。実際、実験の示す所では羊痘菌
を抗羊痘血清と接触せしめ、次いで遠心沈澱により後者より分離せしめたも
のは、予期せるすべての性質を得た。
 綿羊の皮下に感作 Virus を0,25cc, の分量に注射すると、動物により軽度
の熱症状と、多少烈しき局所症状とを起す。2-4 日目に皮下浮腫は消失す、
唯徐々に逓減する浸潤を残す。重要なる事実は、Vaccin の接種部位が閉鎖
されてることである。
 Bridré et Boquet は、始めに、成熟せる綿羊及び8-10 か月の子羊 1,200
頭以上に種痘した。氏等の観察によれば感作羊痘 Virus による予防接種は
通常の Virus による予防接種より更に確実なる免疫を与へ; 同時に種痘さ
れた動物に対し全く危険がないと云ふ結果になつた。接種部位は閉鎖する故
すべての伝染の機会は除かれる。羊痘の潜伏期間に動物に就いて実施せる所
では、感作 Virus による予防接種は疾病の発育を変化せざる様に見える;
故に感染地域に使用すべく、その適用は家畜間の流行を直ちに停止する結果
となるであらう。
 最後に、Bridré et Boquet の実験が解決せる重要なる事実は、免疫が速
に形成することである、免疫は既に48時間後に生ず; 本予防接種法により賦
与される免疫の持続期間は、11か月以上である。
 氏等の研究を綜合すると、著者等は結論して曰く ”感作 Virus による羊痘
予防接種は予防上の有効なる方法と称するも過言ならざる安全と有効のあら
ゆる保証を提供するものである。アルジエリアの如く羊痘が家畜の地方病の
状態で存する地方に適用することは、その結果は羊痘の巣窟を制限し、従つ
て引いては疾病を消失せしめる,,。(1)
          *  *  *
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) ”Algerie,Tunisie 及びモロツコ王国仏領より来る羊属動物は、積込前最小
  15日最大11か月内に羊痘に対し予防接種(感作 Vaccin を使用し)するにあらざ
  れば、仏蘭西に輸入するを得ず,,(1921 年, 2 月5日発令)。
 エジプトは同様に強制的に同国に輸入する全羊属を感作羊痘 Vaccin にて予防接
  種すべきことを宣言した。
 1913年より1926年までに Algerie の Pasteur 研究所より感作羊痘予防 Vaccin の
 15,852,604 の分量が交付された。

92           Deuxième Partie
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 了解を容易ならしめる理由として、最も屡々 Vaccin の製造に使用する感
作 Virus は、予め加熱により或は消毒薬により殺したものである。生菌の造
る免疫は死菌の付与する免疫よりも確実にして而も鞏固である。然し実際上
には、特に人間では、生菌を使用せざることを望む。
 然し死菌は生菌より遥かに有効である――而して此の事実は実験により証
明されてゐる。この就中「チフス」菌の場合である。
 実験的「チフス」熱に関する研究の際に、Metchnikoff et Besredka は通常の
Vaccins 即ち、死菌又は菌体の浸出物を使用して、類人猿を予防接種し得な
かつた事は人の知る所である。再三失敗したので、一体「チフス」熱に対し猖
々を免疫し得るや否やと質問する様にさえなつた。之等の研究を遂行して居
る際に、著者等は彼等自身に取り思ひ設けざる事柄から、「チフス」生菌を使
用せる時に、鞏固なる「チフス」予防免疫を実験する様に誘導された。
 「チフス」生菌の注射は局所及び全身の烈しい症状を伴ふを以て、氏等は
Virus を感作せんとの考に思ひ当つた。
 実験は感作せる「チフス」生菌は実際上完全なる「チフス」予防 Vaccin なる
ことを示すに躊躇しなかつた。この Vaccin を受けた猖々は何等発熱症状を
呈さなかつた: この注射に引続いて起る局所反応は最小であり、而して之
に続いて起る免疫は絶対的であつた。次いで大量の「チフス」菌を嚥下せしめ
るに、之等の動物は試験に抵抗し、少しの反応をも表はすことがなかつた、
同様に感染せしめた対照動物は充分定型的の「チフス」に感染した。
 之は一例である――更に他の場合にも確に見出し得るものであらう――即
ちこの例は死菌は殆ど効果はなくして、感作により毒力を軽減せる生菌の使
用が、その目的を達せしめる唯一のものである。
          *  *  *
 猖々にて真実なることは、当然かくあるべきことであるが、人間でも亦か
くあらねばならぬ。然し人間に「チフス」生菌を敢て注射し得らるるか?生
菌を注射するのは危険でないか? 吾人は今日ではこの問題に関する恐怖は
根本から無くすることを確めることが出来た。

          Deuxième Partie              93
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 吾人は「チフス」の感作生菌を2名に注射せる戦々競々【兢々】たる試験に次いで、
之等の実験を継続する様、Broughton-Alcock に依頼した。著者は44名に就
てこの予防接種は無害なる操作なることを確めた。
 予防注射を受くべき人員を、その受くる Vaccin の量に従ひ3群に分つた。
 第一群は14名に行つた: これ等は寒天24時間培養を100倍に稀釈せしもの
1cc を接種された。18日後に、第1回注射より2倍多き第2回注射をなし
た。局所反応は認むべきものはなかつた: 体温は正常であつた; 注射部位
に疼痛はなかつた; 而して注射当日に被接種者は少しの苦痛もなく彼らの仕
事に従事することが出来た。
 第2群は10名に行つた; 之等は第1回注射に前記と同様に稀釈せるもの1,
5cc, を受け、次いで、更に9日後に 3cc, を受けた。反応は特に体躯の小さ
い人に顕はれた; 彼等は5「フラン」の貨幣大の發赤を局所に呈した。彼等に
於て何等全身症状をも認めなかつた。
 最後に、第3群は20人に就て行つた; 之等は始めに2cc, の Vaccin 、次ぎ
に、8-10日後に、3cc, の第2回注射を受けた。すべてのものに、軽度の局所
反応があつた。2名に於て、接種者は頭痛と全身疲労の感を訴へた。極めて
矮小なる婦人に於ては、体温は38°に上昇した; 然し之等20人中一人もその
仕事の従事をやめたものはなかつた。
 比較するために、4人がLeishman の使用せる Vaccin を以て接種され
た。之等の人々全部に於て、Leishman 自身の記載に応じて、第1回注射後
に体温の軽度の上昇2日間継続する疼痛性の發赤、全部に一般並びに頭部の
疲労感を伴ふことが、証明された。
 之等の観察より感作生菌は、同量にて、死菌より構成される Vaccin より
遥に弱い全身及び局所の反応を生ずることが分る。
 極めて最近に、「チフス」の感作生菌を以て約700人が接種された; すべて
之等の人々に於ては、全身症状は顕著でなく局所症状は殆ど無であつた; 故

94           Deuxième Partie
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にこの Vaccin の無害は疑ふ余地なきものであらう。(1)
          *  *  *
  現今に於ては、感作の試みを免れた病原菌は餘り多くない、之等の Vac-
cins の多数が既に広く実施に供されてゐる。
 実験室内並に実際上に、その効果を批判せる人々はすべて之に対して通常
Vaccins より優秀なることを認むることに一致した、この優秀なる点は第一
にその無害なるを知る点であり、次にその作用が速かなると同時に、確実に
して持続的なる点である。然し屡々起り得る如く、その摘用の領域が拡大す
るに従つて、その製造を支配する原理が等閑にされることである。吾人は亦
時々その方法を累はし易い誤りがなされるのを目撃した。
 之等の誤りを吾人に専属する人々の間にも確めたので、吾人はBasseches と
共同で、製造を指導する前に意見を決定するのがよいと考へたので、新しい
実験を企てることが必要であると信じた。吾人は「パラチフス」B菌を使用し
た; 病原菌の場合には、未だ感作されずに残ることは稀である。吾人はこの
研究は一般に興味ある事実を確め得たので、その選択に後悔はしなかつた。
          *  *  *
 種々なる予防接種の方法の長所及び短所を知らんがために、吾人は「マウ
ス」に於て、Vaccins の名称ある次の如き製剤に就て試験した:
 a) パラチフツ生菌又は死菌、非感作;
 b) パラチフス生菌又は死菌、種々なる分量の抗パラチフス血清の存在す
る場合
 c) パラチフス生菌、感作。
 すべて之等の製剤は皮下注射で使用された。詳細に渡ることを避け、之等
の実験は次の点を示すことを注意しやう:
 1) パラチフスB菌は感作により毒力を減少す、之は非感作菌に対する割
合は100 倍以上となる。
―――
(1) 数千人がそれ以後各国に於て感作「チフス」の生菌 Vaccin を以て予防接種
 された(Les Annales de l’Institut Pasteur, 8月 1913)。

          Deuxième Partie              95
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 2) パラチフス感作生菌は通常の毒力強き「パラチフス」菌の致死量の数倍
―50倍までーを防御する;
 3) パラチフス感作菌によつて賦与せらるる免疫は活働性免疫である; 之
は予防接種の翌日に形成される;
 4) 活働性、強固にして数か月継続する免疫を造る之等の製剤に反し、抗
「パラチフス」血清を混加されたものは製剤が血清を多く含有すればする程、
一時的の免疫を賦与する。換言すれば、Vaccin なるものは極めて大量の菌
体を含有し得、仮令血清の痕跡を含有するも、免疫は活働性でなくなり: 受
働性となる。
          *  *  *
 本章を終るに当り感作「ワクチン」の作用方法に就て、少しく述べやう。
 吾人の実験の始めに於て、吾人は注射部位に起ることを知らんがために研
究した。吾人は之等の Vaccins は生体に侵入するや間もなく白血球の好餌
となるを見た。亦吾人の最初の発表に於て、吾人は殆ど即時に起る感作菌の
喰菌作用の中に、その表はす性質の秘密があるのではなからうかと考へた。
 吾人は吾人の研究を経過の始めの時期に限つたのに対し、Garbat et Mey-
er の研究は将来の時期に及んだ。この研究は吾人自身が為し得なかつた問
題を一層深く追求したものである。之等の研究者は予防接種された人の血清
が得る性質に注意を向けた、この研究は注意すべき価値ある事実を含んでゐ
る。
 Garbat et Meyer は家兎に就て行つた。一群の家兎は通常の「チフス」菌を
以て予防接種され、他の一群は感作「チフス」菌を以て接種された。両者共注
射は静脈内に行はれた、菌量、並びに注射間隔及び採血はすべての動物につ
き同様にした。場合に応じ、血清は菌の第1回、第2回又は第3回注射後に
試験した。
 ここに著者等の確めたる成績を述べる。
 両群の動物のうちに於て、先づ熱反応に相違があつた: 感作せる家兎に
於ては、体温は注射後1時間にして既に2-3度上昇し、次いで急劇に(6-10

96           Deuxième Partie
――――――――――――――――――――――――――――――――――
時間後に)正常に復した; 通常の Vaccin を受けた家兎に於ては、体温は徐
々に上昇し24-36時間に及ぶまで下降しなかつた。
 感作せる家兎は、発熱の最高期に於ても、略々正常の外観を保つた、他の
家兎は病状を呈し屡々下痢を起した。第3回注射に於て、通常「ワクチン」の
家兎は斃死せるが、感作家兎は充分に堪へ得た。
 Garbat et Meyer の研究の主なる興味は、両群の家兎の血清の研究にあ
る。通常「ワクチン」の家兎の血清は、第1回注射後既に6日にして、強く凝
集(1:100-1:500)するを示した。同じ時期に於て、感作家兎の血清は殆ど凝
集しなかつた(1:10-1:20)。第2回及び第3回注射後凝集価は通常の家兎に
於ては著しく上昇した; 感作家兎に於ては著しい変化はなかつた。
 補体を結合する血清の能力に関しても同様であつた: 通常の家兎の血清
に於ては極めて上昇した。この性質は感作家兎に於ては殆ど認められなかつ
た。
 是等の実証は著者等をして感作動物の血清中には抗体の存在せざることを
結論せしめなければならなかつた。然し、予防的効果を研究するを目的とす
る時は、氏等は感作家兎の血清は単に予防的抗体(anticorps préventifs)を殆
ど欠如せざるのみならず、通常の家兎(註、通常「ワクチン」注射家兎)の血清
よりも更に多くの該抗体を含有することを確めた。即ち、感作家兎血清は接
種後2乃至4時間なるも、「チフス」感染に対し新鮮なる海猽を防御すること
が出来たが、通常の家兎の血清は同じ条件に於て全く無効なることを示し
た。
 Garbat et Meyer の是等の実験は多くの点で興味がある。この実験は感作
「ワクチン」の作用機転並びにその通常「ワクチン」に優る以所【マヽ】を示す。この実
験は、更に、in vitro と in vivo に起るものの間に何等の相互関係なきこと、
凝集反応も、補体結合反応も免疫度の指標として主張し得られざることを示
す。

          Deuxième Partie              97
――――――――――――――――――――――――――――――――――
         Mémoires Cités
A, Besredka, C, R, Acad, Sciences, 1902, t, CXXXIV, p, 1330; Annales de l’Inst,
 Pasteur, 1902, P, 918; Bulletiu de l’Institut Pasteur, 1910, p, 241,
A, Calmette et Guérin, C, R, Acad, Sciences, 1910, t, CLI, p, 32,
Fr, Meyer, Berlin, klin, Wochenschr,, 1910, p, 926,
W, G, Ruppel et, W, Rickmann, Zeitschr, f, Immunitätsforsch,, 1910, p, 344,
W, G, Ruppel, Münchener mediz, Woch,, 1910, n 46,
Vallée et Guinard, C, R, Acad, Sciences, 1910, , CLI, p, 1141,
Levy et Aoki, Zeitschr, f, Immunitätsf,, 1910, p, 435,
A, Marxer, Zeitschr, f, Immunitätsf,, 1910, p, 194,
Levy et Hamm, Münchener mediz, Wochenschr,, 1909, p, 1728,
C, Rolla, Centralbl, f, Bakter, I, Origin,, 1910, p, 495,
J, Bridré et, A, Borquet, C, R, Acad, Sciences, 1912, t, CLIV, p, 144;p, 1256; t,
 CLV, p, 306, Annales de l’Institut Pasteur, 1913, p, 797; 1923, p, 229,
E, Metchnikoff et A, Besredka, Annales de l’Institut Pasteur, 1911, p, 865,
Alcock, C, R, Acad, des Sciences, 1912, t, CLIV, p, 1253,
A, Garbat et F, Meyer, Zeitschr, f, experim, Pathol,,1910, p, 1,
A, Besredka et S, Basseches, Annales de l’Institut Pasteur t, XXXII, mai 1918,
 P,193,

            VII
     腸チフス予防接種実験的根拠(1)
      Vaccinations Antityphiques
       Bases expérimentales

 予防接種なる武装が広く施行せらるる疾病は、「チフス」に如くものはな
い。天然痘又は狂犬病に対しては一種の「ワクチン」あるに過ぎざるも腸「チ
フス」は各国共に同一病なるに拘らず、「ワクチン」の種類は20以上とまで行
かなくとも少くも20位を有する特権があるのである。各国には殆ど一種類の
「ワクチン」がある。例へば独逸は Pfeiffer-Kolle の「ワクチン」を、英吉利は
Wright-Leishman のそれを、亜米利加及び日本はそれそれ自国のものを有し、
仏蘭西は多数の「ワクチン」を有するの長所がある。
 各研究者は自己の「ワクチン」を推称し他に優るものと信じてゐる。之等多
数の「ワクチン」の実験的根拠に通ぜざるものは、その進むべき方向も分から
ず、更にまた最初から、歴史的異論の対象となれる「プリオリテー」の問題も
あまり分らないことになる。
 本章は論説に際し非難的要素は之を除去し、実験的対照の正確なるものを
採取することとした。価値なきにしもあらざる統計に関しては、1906 年に
M, Netter が Bulletin de l’ Institut Pasteur で発表した調査より再録するこ
ととした。
          *  *  *
 「チフス」予防注射なる考案の紀元を探求せんとせば、1886-1890 年頃にな
されたる研究を再検する必要がある。Eberth-Gaffky-Koch による「チフス」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1) Bulletin de l’ Institut Pasteur, t, XI, 15 et 30 août 1913,

          腸チフス予防接種実験的根拠         99
――――――――――――――――――――――――――――――――――
菌の発見は独逸に於て特に実験室内動物を「チフス」に罹患せしめんとする目
的のために幾多重要なる業績の出発点となつた。之等の仕事は E, Fraenkel
et Simmonds, Sirotinine 及びBeumer et Peiper によつてなされた。
 海猽、家兎及び「マウス」に於て「チフス」感染を誘起せしめる生物学的性状
を研究するに際し、氏等は偶然に屡々生存せる動物は再感染の際に更に抵抗
力の強くなれるを確認した。この種の免疫性は Fraenkel et Simmonds によ
つて注意された。この事実はSitrotinine も同様之を指摘したが、然し之に
主要性を附すべきことを信じてはゐなかつた。この事実は最後に Beumer et
Peiper により承認された、氏等は其価値を認めたのである。
 ここに如何にして上記研究者がその点に到れるかその経路を述べて見や
う。実験的チフス感染の研究は非常に多数の動物を必要とするので、之等の
研究者はある日海猽の欠乏を来したのである。最早新しい動物を手に入れる
ことが出来ないので、既に使用せる動物を用ふることにした。所が彼等は致
死的感染を免かれた動物は新鮮動物と全く異り「チフス」菌の第二次感染に対
し能く堪えるものなることを認めた。
 「マウス」に就き同様の考を以てなされた新しい実験は此の条件にて獲得せ
る免疫性の実在に関しては著者等の期待に何等疑を挟む余地はなかつた。著
者等は更に考を遠きに及ぼし必然的に次の様に要求するに至つた”「チホト
キシン」又は他の「プトマイン」を含有せる殺菌培養が、同様なる免疫性を賦
与するや否やと。この仮説が実現せる場合に、人間に”「チフス」死菌,,を試
みることは敢て異とする所ではないと附言した。
          *  *  *
 1886年であつた。この時に始めて生菌ならざる「チフス」予防「ワクチン」
が確実に実験されたのである。
 然し附言せねばならぬことは、その当時としては新しいものであつたにせ
よ、人の信ずる如く決して劃世的のものではなかつた。吾人は1886年頃独逸
特に仏蘭西に於てパストウール学派の間に発表された報告中の意向より推察

100           腸チフス予防接種実験的根拠
――――――――――――――――――――――――――――――――――
するに過ぎない。Pasteur 自身は既に伝染病経過中に化学的製剤に主要性を
与えてゐた。氏は陶器にて濾過せる培養を注射し鶏「コレラ」の一定症状を起
し得なかつたであらうか?同様な考へ方から、氏は狂犬病予防注射の作用
を生活せる狂犬病毒以外の物質に帰した。
 勿論、本体を捕へんがために、化学的「ワクチン」の考は明確なる実験の追
加を必要とした。而して之は Roux et Chamberland による敗血症に関する
研究の際に満足された。ここに之を記載して見やう。
 之等の研究者以前に既に、Charrin は濾過せる緑膿菌培養の大量を注射せ
る家兎はそれにより緑膿菌に対し一定度の抵抗力を現はすと云ふ重要なる事
実を報告した。同じ時代に Salmon は亜米利加に於て殺菌培養を注射するも
hog-cholera (豚疫)に対し鳩を予防し得た。Salmon とは無関係に彼と同時代
に、Roux et Chamberland は其の意をよく示した表題”溶解性物質による
敗血症に対する免疫に就て,, の下に、吾人に暗示を与ふる如き Vibrion sep-
tique に関する研究を公にした。実に死菌免疫に関する其の後のすべての業
績の出発点として考ふべきものは Roux et Chamberland の仕事である。
Chantemesse et Widal の適確なる評によれば、この敗血症に関する研究が
細菌学に新分野を建設したのであると。Roux et Chamberland の論文の始
めに見ることは”すべての生活菌体を除去せる化学的物質を生体内に注入す
るのみにて毒性強き疾病に対し動物を不感受性ならしむことを得れば、免
疫の原因は鮮明せらるべきものと信ずるのである,,。同時に氏等は実験的証
明をなし、極めて毒力強き疾病の一つ即ち急性敗血症に対し動物を不感受性
にならしめ得てゐる。
 Vibrions septique の加熱培養(105°―110°に10分間)を三回接種を受けた
海猽と、同数の対照動物とに同時に毒力強き弧菌を接種した。対照動物は18
時間以内に斃死したが、前処置された海猽は生存した。この簡単しに【マヽ】て雄弁
なる実験は死菌を使用する全予防法の根拠となれるものである。
 Vibrions septique に関する研究発表の約数か月経過後 Chantemesse et
Widal は「チフス」菌に関する研究を発表した。

          腸チフス予防接種実験的根拠         101
――――――――――――――――――――――――――――――――――
  Roux et Chamberland と同じく、両氏は高温にて殺菌せる培養による予防
接種法に拠つた。即ち120°10分間加熱せる「チフス」菌を「マウス」の腹腔内
に反覆接種した、次いで之に「チフス」菌の確実なる致死量を接種した。かく
予防接種をなせる12匹の「マウス」中、4匹は処置中に死亡し、生存せる8匹
は確実に予防されたることを証した。(1)
          *  *  *
動物にて成立せる「チフス」予防接種の事実は之を人間に行ふには僅かに一
歩に過ぎないものと見られる。所でこの歩を進めるために Chantemesse et Wi-
dal の発表日1888年より Pfeiffer et Kolle の発表日1896年次いてWright
の同年まで待つことになつたのである。
 Pfeiffer et Kolle の研究は其当時重要と見えし二つの事実が目につく。1°
「チフス」患者の恢復期血清中には「チフス」菌に対し殺菌性に作用する特殊物
質が発現する。2°同様の性質は「チフス」菌の増量的分量を以て免疫せる山
羊の血清中にも見出される。他の関係では、人工的に免疫せる動物は新感染
に対し「チフス」恢復患者に免疫性を賦与すると同一なる物質を有する。Pfei-
ffer et Kolle は曰く、もし然りとせば「チフス菌を人間に注射して該物質を
造ることが出来ないであらうか? 正に付言すべきことは、この時に於て人
間を予防接種せんとの考は既に Haffkine の印度に於ける「コレラ」撲滅に関
する根気強き闘ひのお蔭で多くの道程が出来てゐたのである。
 寒天培養を集め、「ブイヨン」中に浮遊液となし、次ぎに56°に加熱せる
「チフス」菌を Pfeiffer et Kolle は二人の個体に皮下注射をなした。6日後に
之等の人の血清は著者等が数か月前に、「ワクチン」を射したる山羊の血清及
び恢復患者血清中に指摘せると同様なる殺菌性物質を含有した。この「チフ
――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1) 非常な高温度に「チフス予防ワクチン」を加熱しないのが有効であると云ふ
 ことが屡々問題となる。その他問題は Roux et Chamberland により炭疽菌
 に関する研究に於て既に前から論ぜられた。ここには著者等が炭疽病予防注射
 の題目につき述べたる所を原文のまま挙げて見る”菌は殺すが、ワクチン性物
 質を破壊しない程度になるべく温度を下げる必要がある、即ち55°から58°
 の間に保たねばならぬ,,(Annales de l’Institut Pasteur, t, II,1888,p, 410,)

102           腸チフス予防接種実験的根拠
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ス」菌の注射は当時「チフス」に対し人間を予防するために考案された全部で
あつたらしい。
 略々同じ頃に、Wright は常に注意深く応用の意向を以て、学理より実用
に進んで行つた。勇敢にも彼は1896年より1904年に至るまで「チフス」予防
注射なる戦端を企てた。
 吾人は之等の予防注射の実際的成績には触れずに置く。尚「ワクチン」の製
法も予防接種に続発する臨床上の所見も述べないこととする。吾人がここに
特筆大書せんとするものは、予防接種の問題が経過せる時代相及び彼れ此れ
と「ワクチン」選択の動機となつた実験的研究の経過せる種々なる時代相に就
いてである。
          *  *  *
 「チフス」死菌より成立せる「ワクチン」製剤の他に、予防効果を強大にし、
或は注射による副作用を軽減する目的を以て、種々なる種類の「ワクチン」が
考案された。此の種の考を以てなせる比較研究は Paladino-Blandini 次いで
吾人と前後して Vincent によつて行はれたものである。
 今日知られたるすべての「ワクチン」製剤を一々詳細に述べることは冗長で
あり無味乾燥である。2,3の例外を除いては、之等は「チフス」死菌の培養全
部を基礎としてゐる。Paladino-Blandini の極めて詳細なる単行本は其の製
法及び効価の大部分を知らしめる。同著者は既知「ワクチン」のすべてを製造
するに困難なる仕事に従事し、之を以て実験的対照試験をやつたのである。
「ワクチン」製剤の各につき、局所並びに全身反応を研究し次いで予防接種の
効果、免疫期間等を調査した。
 彼は之等の比較研究から Werner の毒素、Rodet-Lagriffoul-Wahly 及び
Brieger et Mayer の「エキストラクト」を除いては、すべての「ワクチン」製
剤は一定量を以て海猽に「チフス」に対する免疫性を賦与し易きことを知つ
た。種々の Vaccin によつて定めた局所及び全身症状を考慮に入れ、特にそ
の効価及び獲得せる免疫期間を斟酌して、著者は一種の階梯を造りその高位
に感作「ワクチン」を置いたのである。

          腸チフス予防接種実験的根拠         103
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 稍々相違せる結果は Vincent が人間に使用せんための更によき Vaccin に
関する研究の際に得た所のものである。Paladino-Blandini の実際に於ける
如く、実験動物は海猽であつた。「ワクチン」の接種は10日間の間隔を置き3
乃至4回の皮下注射を行つた。最後の注射より15日後に、Vincent は腹腔内
に48時間の「チフス」菌の「ブイヨン」培養1ccを注入し、皮下に10%の食塩
溶液2-4cc又は「アニリン」油を1∖10-1∖8cc注射した。この最後の皮下注射の
目的は「チフス」菌を宿主の全身に蔓延するを促すためである。
 Vincent の試みた Vaccins は次の如くであつた: 24時間乃至10日間の「チ
フス」生菌; 53-55°加熱菌、感作死菌; 生理的食塩水で自家溶解せる菌の「エ
キストラクト」; 消化器に投与せる生菌又は死菌。
 この研究項目を済まし、Vincent は次の如き結論に到達した; ”海猽に最
も鞏固なる免疫性を賦与するのは24時間又はそれ以上(10間)の培養の生菌で
ある。生菌を浸漬し之を遠心沈澱し次いで「エーテル」又は「クロロホルム」で
殺菌せるものは同じく極めて「ワクチン」効果大である。「アンチゲン」として
は24時間培養55°1時間加熱殺菌せるものの使用は同様よき防御力を賦与
す。感作「ワクチン」は満足なる免疫を与ふるが、余り永続性でない。他の
Vaccins は効価更に少し,,
  15日後に発表された報告中、特に人体に応用せる Vaccin の選択を目的と
する同一題目に就いて見るに、Vincent は単に3種類の「ワクチン」を一列に
配列せるは注目に値ひする。曰く、生菌、53-55°加熱菌及び自家融解物。
          *  *  *
 之等三種のうちいずれを選択すべきか? Vincent は最初のもの即ち生菌
がすべてのうちで最も効価ありと宣言するに躊躇しなかつた。然し彼は本
「ワクチン」は危険なりと考ふるを以て、彼は他の二種のうちその生物学的性
状が最も生菌に近い所のものを選んだ。Vincent の意見によれば、人間に安
全にして有効なる全保証を与ふる唯一の Vaccin は生菌の「アウトリザート」
であると
 此の「アウトリザート」は既に Conradi, Brieger et Bassenge の推称せる所

104           腸チフス予防接種実験的根拠
――――――――――――――――――――――――――――――――――
であるが Vincent の Vaccin と名付けるのが全く正常と云ふべきである。
何となればこの著者の研究によつて之が周く知れ渡り、人間に使用する Vac-
cins の中最も優秀なるものとして発表されたからである。
 すべての混乱を避くるために簡単に述べると、Vincent が自分の手で施行
し Avignon, Maroe 及び他の地方で良効なる成績を得た Vaccin は問題にさ
れてる Vaccin ではない。即ち「チフス」菌の「アウトリザーブ」ではなく、「エ
ーテル」で殺菌せる「チフス」菌を以て製せる Vaccin であつたのである。
 実験的立場より「エーテル」で殺菌せる「チフス」菌は何んな価値があるか?
「チフスワクチン」の如何なる階級に之を属せしむべきか?
 L, Nègre の実験はかなり正確な報告を齎した。著者は家兎を三種の Vac-
cins で比較免疫をやつた。1°感作せる「チフス」生菌; 2°56°1時間加熱「チ
フス」死菌、3°「エーテル」にて殺菌せる「チフス」菌。すべての動物は同じ回
数、同じ分量の Vaccin を受け、次いで同一条件にて採血した。
 彼は之等の研究より次の結果を得た。感作生菌を以て注射された動物は凝
集力は弱く、殺菌力は高い。動物は極めて抗体に富む。加熱菌を以て免疫さ
れた動物は凝集力は高く、殺菌力は弱く、抗体に富む。最後に「エーテル」に
て殺菌せる菌を以て免疫せる家兎は凝集価高きも殺菌力弱く抗体も少い。
 換言すれば有効なる抗体に富む点よりすれば、「エーテル」にて殺菌せる菌
は加熱による死菌に劣ることを示し、而して此の両者は感作生菌に劣ること
を示すのである。

          *  *  *
 Vincent 以前既に、細菌学者は細菌を全部殺し出来るだけ少く抗原性作用
を変ずる如き化学的方法を見出さんとする考に驅られてゐた。この考から出
発し、Levy, Blumenthal et Marxer は細菌の物理学的性質に最小なる変化を
与ふる方法として、出来るだけ温和なる物質を細菌に作用せしめた。之等の
著者はその物質として「グリセリン」尿素又は「ガラクトーゼ」を使用した。之
等の実験から25%の尿素溶液に24時間作用せる「チフス」菌は、乾燥量で1-2
mgr, の割に皮下注射せる時は、腹腔内に接種せる毒力菌の致死量の5-10

          腸チフス予防接種実験的根拠         105
――――――――――――――――――――――――――――――――――
倍を確実に防御し得る如き成績を得た。
 最小の副作用を以て最大の予防効果を収めんとする他の試みは、一方では
胃腸の経路に行つた j, Courmont et Rochaix のそれであり、他方では予防
接種をするために静脈の経路を選んだ Loeffler Friedberger et Moreschi 及
び Ch, Nicolle のそれであることを述べねばならぬ。
          *  *  *
 J,Courmont et Rochaix によれば、胃腸の経路は最も無害であり、確実
なる長所を有すと。氏等の予防的投与試験は山羊、海猽、家兎並びに人間に
為された。使用せる Vaccin は8日間培養で53°に加熱せるものであるつた。
 Vaccin 投与は或は空腹時に経口的に送入し、或は浣腸により経腸的に与
へた。著者等は寧ろ第二の方法を選んだ。家兎にはその分量は各洗腸毎に100
cc とし、山羊には280-350cc とした。著者等は3回洗腸を行ひ、数日間
の間隔を置いた。
 既に、一回洗腸後に、氏等によれば、血清中に凝集性殺菌性及び溶菌性能
力の発現するを見た。10-15日後には動物は免疫され28時間にして対照動物
を殺し得る「チフス」菌の毒力強き培養の1cc の静脈内注射にも堪える様にな
つた。
 興味あることは、J, Courmont et Rochaix による経直腸免疫動物は単に
「チフス」の致死的感染に堪ゆるのみならず、更に「チフス」菌の菌体外及び菌
体内毒素による中毒にも堪え得るのである。かくして又、多価「ワクチン」100
cc を5-6日の間隔を以て洗腸により受けたる家兎は、53°に加熱せる培養
の40cc の分量でも生存することが出来る。然るに対照動物はこの同じ培養
10-15cc のの分量で既に数時間で死亡する。
 かくの如く「ワクチン」を投与されたる家兎の血清はCourmont et Rochaix
によれば抗毒性能力を獲得する。この血清の1cc の一部分(1∖3-1∖20cc)は毒
素(「ブイヨン」全培養を53°に加熱)の致死量の三倍を中和するに足る。所が
正常血清(1∖3cc)と単に致死量だけとを混じたるものは不可避的に死を招来す
るのである。

106           腸チフス予防接種実験的根拠
――――――――――――――――――――――――――――――――――
          *  *  *
 吾人が指摘せる如く、静脈内注射にも亦その賛成者がある。
 Pfeiffer et Kolle、Wright 及び特に Leischman は出来るだけ低温度で Vac-
cin を加熱せんとしたのに反し、Loeffler は120-150°の温度に菌を曝ら
すべきことを推称した。勿論之等の菌は予め乾燥し、次いで乾燥加熱するの
である。かの易熱性の酵素も乾燥した後には極めて高温に堪えその性質を失
ふことなきは周知の事実である。之は乾燥せる「チフス」菌に対しても同様で
ある、即ち120°に加熱せる菌を接種せる動物は殺菌性及び凝集性抗体を形
成する。
 Friedberger et Moreschi によつて行はれた分量測定の実験によると、抗体
形成の見地よりすれば、Loeffler の抗原は Pfeiffer-Kolle のそれと同等なる
価値あることを示してゐる。
 この証明を行つて、著者等は「チフス予防ワクチン」の代りに乾燥高温加熱
菌を人間に於て静脈内注射に使用せんとの意見を抱いた。実際、吾人が抗菌
体内毒素の存在を証明して以来、之を造るに最も確実にして最も速かなる方
法は培養の全部を経静脈的に注入するにあることは明らかである。この条件
で得たる血清は、他の血清と同じ性質即ち予防効果があり凝集性があるほか
に、抗菌体内毒素なる長所を有する; 即ち経静脈的投与により抗体の獲得を
最大ならしむることが出来る。
 Friedberger et Moreschi は Loeffler の推称せる如く150°ではなく120°
に菌を加熱することを以て満足した。何となれば150°では菌は一部分抗原
性能力を失ひ、更に「ホモゲン」の浮遊液を造るのが困難であるからである。
 序でながら、之等の実験中 Friedberger et Moreschi は血清中の抗体量は
必ずしも注射せる抗原量に比例して増加するに非ずとの矛盾せる事実を認め
てゐる点は注目に値ひする。即ち著者等は1∖100白金耳を以て1白金耳と同量
の抗体を得たのである。
 13人が乾燥加熱せる「チフス」菌の静脈内接種を受けた。注射分量は1∖50か
ら1∖4000白金耳に変化させた; 之は Kolle-Pfeiffer の方法で注射せるものよ

          腸チフス予防接種実験的根拠         107
――――――――――――――――――――――――――――――――――
りも6,000乃至24,000倍弱かつた。然し、著者等の意見によれば、その結
果は Kolle-Pfeiffer の方法によりて得たものと同じく良好であつたと。本「ワ
クチン」の使用は、彼等によれば、非常なる長所があると。即ち本「ワクチ
ン」は自家融解することなく長く保存さる; 正確なる量の測定に適用である;
最後に静脈内注射なる事は局所反応を避け得。全身反応に関しては、Pfeiffer
et Kolle の Vaccin を以てするよりも更に著明なる如きことはない。
 Ch, Nicolle, A, Conor et E, Conseil は「コレラ」及び赤痢の生菌の静脈内
注射を試みて勇気を得たので、之を「チフス」菌に実施せんとした。然し後者
の方法の相違は52°,30分間加熱せるものを注射した。生理的食塩水中に浮遊
せる「チフス」菌を加熱し、次いでよく洗浄するために数回遠心沈澱した。終
末の浮遊液は1滴の中に400乃至500「ミリオン」を含む。始め浮遊液の1滴
を生理的食塩水10cc中に稀釈せるものを注射し、次に15日後に2滴を注射し
た。60人がかかる方法で予防接種された。之によつて起れる反応は普通より
も著明なることはなかつた。(1)
 吾人が実証せる如く、今日まで使用せられたる Vaccins は殆ど常に細菌の
「エキス」よりなるか、或は消毒薬又は熱の方法により死滅せる菌より成るも
のである。之は死菌であつた。1905年以来Castellani は人間に於て49―
50°の重盪煎に一時間置き減毒せる生菌を試用した。この著者によれば49―
50°の温度は少数の菌を殺すに過ぎずと。かくして製せる Vaccin は第一回
に500「ミリオン」の分量に、第二回にその倍量を注射するのである。局所又
は全身反応は余り著しくなく且つ24―36時間以上継続しない。
同様生活せる他の「チフス予防ワクチン」がある。之は感作「ワクチン」であ
る。この最後の問題の研究に先立ち、一般に Vaccins の取締りに関する問題
を調査して見やう。
          *  *  *
――――――――――――――――――――――――――――――――
(1) 極めて最近、之等の学者は予防接種の目的で「チフス」生菌、単に46°25分
 加熱せる菌を使用した、之等の菌はいずれも二回400乃至1,200「ミリオン」を
 静脈内に注入されたのである。

108           腸チフス予防接種実験的根拠
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 今迄は、既知「ワクチン」はすべて家兎又は海猽に就て Control を行つた。
これ等の動物にありては、多数の Vaccins は多少有効なるを示す。ある「ワ
クチン」は他の「ワクチン」より一層速に一層永続する免疫を賦与するものが
ある。然し殆どすべてが、全部でないにしても、海猽の腹腔内に送入された
る「チフス」菌の一倍乃至数倍の致死量に対し海猽を防御する。
 確に、Vaccins の階段中には、実験者の一元説の考へ方とはちがつたもの
がある。之は生菌「ワクチン」である。其の他の Vaccins は人間にも海猽に
も同様に作用する確実さがあるか何うかは斟酌することは出来なかつたにせ
よ、その相違は本当に著しいものではない。
 所が、この確実さは不幸にも未だ欠くる所がある。
 原則として海猽より人間に移すことを認容されてゐることは、吾人は故意
にそれに意義を申立て様とするのではない。然しそれがためには、海猽に於
ても人間に於ても、同様な疾患を起すことが出来なければならない。それに
は只同一細菌の作用のみでは充分でない; 更に出来るだけ同一なる解剖臨床
的所見を呈しなければならぬ。
 その考へ方を確むるために具体的の一例を引いて見やう。「コレラ」弧菌は
小家兎に於て腹腔内注入によるか経口的投与によるかに従つて或は腹膜炎を
或は腸管の「コレラ」を起す。所が「コレラ」性腹膜炎に対して予防することは
極めて容易なるに反し、腸管の「コレラ」に対しては全く無防備状態である。
そこで、接種材料に就ては、単に菌のみならず更に菌が局限すべき器官を精
査することが大切である。
 再び「チフス」菌に帰つて来よう。少くとも24時間以内に発生する海猽の腹
膜炎又は「チフス」敗血症と、その発病に長期間を要する人間の「チフス」発熱
との間には、細菌以外には共通性はないのである。解剖臨床的見地よりすれ
ば両疾病の差異は少くとも「コレラ」菌による腹膜炎と腸管「コレラ」との間に
於けると同じく深いものである。菌又は菌生産物の注射に続いて表はれて来
る細菌の性質に関しては、その意義は殆ど之を証明するに足りない。皮下に
細菌体又は細菌の「アウトリザート」を注入せる個体は、凝集素、補体結合物

          腸チフス予防接種実験的根拠         109
――――――――――――――――――――――――――――――――――
質又は溶菌素を産生するに過ぎない。之を結論するに真実の「チフス」免疫の
発現することだけは、偶然ではないらしい。
 所で、予防接種方法が、海猽の「チフス」による腹膜炎の場合に有効なる故
を以て、人間の腸「チフス」にも必ずや成功すべきものであると何うして結論
することが出来やうか!
          *  *  *
 真の実験的取締法は最近に至るまで出来てはゐなかつた。Metchnikoff が
人間の腸「チフス」に極めて類似し海猽の「チフス」の感染とは全く異る疾患に
罹病し得る一つの動物即ち類人猿があることを示して以来、今日ではそれが
可能になつた。
 類人猿に経口的に「チフス」菌を送入する時は当日も翌日も病気に罹らな
い。各例により差異あるが、病気の最初の徴候が表はれる前に、5,6,8日を
経過する。この潜伏期間は感染が重篤ならざる程更に長くなる。
 発病は6,7又は8日目の夕方に温度が上昇するので分る。体温は翌日も
上昇しつづけ40°又はそれ以上に達する。体温は4乃至8日間は朝は軽度の
下降を示すも決して正常体温に復することはない。この状態の時期を過ぎる
と、体温は徐々に下降する。平均三日目の始めに、平温に復帰する。
 熱の最高期には、毎常血液中に「チフス」菌を証明する。血清は1∖50―1∖400ま
で凝集する。糞便は屡々下痢状を呈す。
 多くの場合、「シムパンゼー」は治癒す。腸「チフス」は、比較するならば、
子供のそれを思はせる。猿の死せる場合は「チフス」菌は肝臓、脾臓、淋巴腺
中に純培養の状に見られる。Peyer 氏腺は強度の肥大し充血してゐる、特
に Valvule liéo-caecale(廻盲弁)の付近に於て強い。
          *  *  *
 前に述べた所で明なる如く、人間に於ける「チフス予防ワクチン」の効価を
判断するには、最も適当なる実験動物は「シムパンゼー」である。
 この考へより出発し、Metchnikoff と吾人同僚は最も普通に使用されてゐ
る「ワクチン」の検定を開始した。即ち一方では死菌につき、他方では生菌よ

110           腸チフス予防接種実験的根拠
――――――――――――――――――――――――――――――――――
り製せる「アウトリザート」について行つた。
 死菌「ワクチン」のうち最も普通に考へらるるものは、海猽に於ては、感作
せる菌によつて代表されて居るものであるから、吾人は二頭の若い「シムパ
ンゼー」に本法によつて接種をなした。
 第一のものは二回反覆し皮下に死菌感作「ワクチン」を受けた。第一回注射
後12日目にこの「シムパンゼー」及び対照の「シンパンゼー」に経口的に「チフ
ス」菌培養と「チフス」材料との混合を投与した。6日間の潜伏期間後に、両者
共に「チフス」に罹患した。感作せる菌を注射された「シムパンゼー」の表はせ
る熱の上昇中、兎に角軽度(38°6―38°2)であつたが、吾人はその血液中より
「チフス」菌を分離することが出来た。
 死滅感作菌を以て接種する第二回試験は第一回と同様有効ではなかつた。
「シムパンゼー」を使用し、死菌感作「ワクチン」を三回皮膚に接種せる後、試
験材料(「チフス」培養及「チフス」材料)嚥下後七日目に、最も定型的なる「チ
フス」疾病を表はし、血液中にエーベルト氏菌を証明した。
 かく死滅感作菌を以てせる予防接種に失敗せるを以て、吾人は Vincent 氏
法による「チフス」菌の「アウトリザート」を使用した。
 ここに之等の実験の一つを挙げて見る。一頭の「シムパンゼー」は皮下に三
回反覆して「アウトリザート」の1ccを受けた。第一回接種後14日目に、一頭
の対照「シムパンゼー」と同じく、経口的に人間の「チフス」菌及び「チフス」材
料の混合を処方した。この試験材料嚥下後9日目に二頭の猿は温度の上昇を
表はした。対照では体温は翌日下降し引続き2回上昇せるも極めて褪め易い
状態のものであつた。血液は1:400―1:800まで凝集した、然し常に無菌で
あつた。「アウトリザート」を注射せる猿では全く別であつた。対照とは反
対に、極めて高熱(40°8に達し)2週間継続し、動物は遂に死に至つた。血液
は1:400に凝集し、「チフス」菌は大量に存在した。之は吾人が使用せる「シ
ムパンゼー」にて観察せる最も重篤なる「チフス」であつた。
 二頭の「シムパンゼー」に於ける反応を比較して見ると、「アウトリザート」
の三回注射は、予防所でなく、動物を感受性ならしめ、その病患を重篤なら

          腸チフス予防接種実験的根拠         111
――――――――――――――――――――――――――――――――――
しめたと云う印象をはつきりと抱くのである。
 二種の「ワクチン」――加熱感作菌及び生菌の「アウトリザート」――は「シ
ムパンゼー」には有効でないことを示す。同一の日に海猽に試みた実験では、
腹腔内に注射せる「チフス」菌の致死量の数倍を防御し得ることをしめした。
          *  *  *
 「シムパンゼー」の腸チフス病と海猽の「チフス」性腹膜炎とは、それ故単独
同一なる疾患として考へられないのである。従つて、海猽で得た成績に基い
て、腸チフス病に対する予防接種の方法を樹てる権限はない。
 人間に於て予防接種の試験で示された他の事実はその血清中に殺菌性又は
溶菌性能力の発現することが比較的稀なることである。此の能力の発現が抗
チフス免疫性の獲得に必要なることを意味することは屡々反覆して述べられ
た所である。此の問題の詳細に入る必要はないが、嘗てはこの液体の性質に
主要性を置いた独逸に於てさへもこの説を去り、之に余り考慮を払ふことが
なくなつた。
 繰り返し失敗せる後、吾人は人工的方法によつて腸チフス病に対する免疫
性を動物に起させることは困難であるか、乃至は不可能であると考へたので
ある。が実験は反証を吾人に供給するに至つたのである。
 腸「チフス」に関する吾人の研究の際に、Metchnikoff 及び吾人同人に課せ
られた問題の一つは、「チフス」菌を皮下に接種することにより、之を経口的
に与ふると同様なる疾患を「シンパンゼー」に起すことが出来るか何うかを知
ることであつた。吾人はそこで類人猿に寒天培養の「チフス」生菌の10分の1
[(註)寒天斜面の培養全量を10ccの食塩水浮遊液とし、その10分の1のこと)]
を1ccの液に浮遊せるものを皮下接種をなした。殆ど即時に烈しい局所及び
全身の反応を起し、13日間継続した。吾人は菌の嚥下に特有なる何等の症状
をも認めなかつた。
 その後しばらく過ぎてから、吾人はこの「シンパンゼー」を使用せんとの考
を持つた。吾人は猿に「チフス」菌を経口的に投与し、同時に対照となるべき
他のものにも投与した。吾人の一驚せるは前者は何等症状を起さなかつたの

112           腸チフス予防接種実験的根拠
――――――――――――――――――――――――――――――――――
に、同時に同じ条件で感染せしめたる対照は定型的の「チフス」に罹患した。
 この事実は「チフス予防接種は可能なることを結論せしむるものである。
 勿論毒力強き「チフス」生菌より成る「ワクチン」は、不便を呈することな
しとは云はれない。吾人が前に云へる如く、我が「シムパンゼー」は生菌の皮
下注射に続き、烈しき局所反応を呈し、引き続き衰弱状態を呈した。人間は「シ
ムパンゼー」より更にニエーベルト氏菌に対し感受性が大なるが故に、同様な
る接種方法によれば非常に重篤なる症状を起すべきを怖れるのである。
 この偶発事件を避くるために、Metchnikoff と我々同人とは感作「ワクチン」
を使用したのである。吾人は8日間の間隔を置き2回注射をなした後、「シ
ムパンゼー」では更に強固なる「チフス予防免疫の発現するを見た。かく予防
接種をした後に、培養又は有毒なる糞便材料の形で「チフス」菌を多量に嚥下
せしめたのに、対照又は他の「ワクチン」で処置されたものは「チフス」に罹患
した。
 感作生菌「ワクチン」の効果は多くの顕著なる実験に於て五頭の「シムパン
ゼー」にて確めることが出来たので、吾人は人間に於ける試験を行つて差し
支へないものと信じたのである。
           *  *  *
 誰でも、今日では; 死菌又は菌浸出液より成る「ワクチン」より生菌「ワク
チン」の優れることに異議を申し立てるものはない。人間並びに動物に於け
る、予防接種の長い実施は、充分に之を証明した。吾人は種痘、狂犬病又は
炭疽病の歴史を想起するまでもない。然し「チフス」の場合には、そを極めて
危険なりとなすに躊躇しない。近来でもなほ極めて有力なる学者等がこの
「ワクチン」に対し極めて烈しき誹謗を投げはしなかつたであらうか?。人は
また吾人の「ワクチン」を接種されたものは慢性保菌者たらしむ、即「チフス」
流行の尽きざる源となすと云はなかつたか?。人は之を殺人「ワクチン」とま
で難癖つけるに至つた。かかる品質形容詞までが使用された。
 かくの如き評価は吾人の方法を施して見んと欲する人達を意気阻喪せしむ
ることはなかつた。吾人は然しながら注射並び我が共同研究者と共に男女子

          腸チフス予防接種実験的根拠         113
――――――――――――――――――――――――――――――――――
共10,000人に至るまで接種することに成功した。今日まで良心に誓つて一人
の死亡せるものなく、のみならず吾人の知れる所では唯一人の「チフス」菌

有者もなかつた。
 吾人は我々自身及び我々の周囲の人々を予防注射した後、六か月以上幾度
も繰り返へして、糞便や尿を検査した。吾人は吾人の被接種者の家のものの
糞便、尿、血液を検査し又検査せしめた。吾人は一度も「チフス」菌の最小痕
跡をも見出したことはなかつた。
 吾人は自分自身の経験から付加出来ることは、被接種者が、予防接種をせ
る当日も、其翌日も以後も、仕事の従事をやめたるものなきことである。
 以前より、何故と云ふことは分らぬが、被接種者に於て発赤及び触はる際
に疼痛感を表はす如き、局所の反応を認めてゐる。稀な場合に例外として
39°に体温の上昇することがある。然し確むることの出来るのは同一分量で
は生菌感作「ワクチン」は、局所に於ても全身に於ても、死菌を以て製せる
「ワクチン」より遥に温和なる反応を呈することである。
 吾人の「ワクチン」に対しも一つの非難はかうである。他日不幸にして
「チフス」の潜伏期の間の人を接種する様なことがあれば、「ワクチン」中に含
まるる「チフス」菌が既に生体中を順環する菌に加はるを以て、著しく「チフ
ス」症状を重篤にすることが必ずあり得ると云ふのである。
 この非難は事実によつて証明されたものではない。Ardin-Delteil,Nègre
et Raynaud がアルジエリーに於ける臨床的観察、Boinet がマルセイユに
於ける、Netter が巴里に於ける、及び他の人々の観察は、「チフス」菌の感作
生菌は、之を「チフス」経過中に注入する時は、寧ろ疾病に良好を呈す; 即
ち病日を短縮し、再発の数を著しく減じ、死亡率を強度に低下する。故に疾
病の経過中に良好に作用する Vaccin は潜伏期間に於て有害なることは恐ら
くあり得ないことである。
 「シムパンゼー」に於ける吾人の実験の綜合及び人間に於ける観察に基き、
感作「チフス」生菌は皮下に注射するに全く無害にして、人間に於ては、異議
なき予防接種用性質を賦与せられたるものなることを肯定することが出来る

114           腸チフス予防接種実験的根拠
――――――――――――――――――――――――――――――――――
           Mémoires Cités
Pasteur, Annales de l’Institut Pasteur, t, I, p, 10,
Roux et Chamberlnd , Annales de l’Institut Pasteur, t, I, p,561,
Chantemesse et Widal ,Annales de l’Institut Pasteur,t, II, p, 54,
Pfeiffer et Kolle ,Zeitschr, f, Hygiene, 1896、p、202,
Paladino-Blandini, Annali d' Igiene sperimentale, 1305, p, 295
Vincent, C, R, Académie des Sciences, février 1910, pp,355 et 482,
Nègre, C,R,Société de Biologie, t, LXXIV, 31 mai 1913
Levy, Blumenthal, Marxer, Centralbl, f, Bacteriol,,t, XLII, 1906, p, 265,
Courmont et Rochaix, C, R, Acadèmie des Sciences, t, CLII,

            Ⅷ
         「コレラ」予防接種
       Vaccinations Anticholériques(1)
 「コレラ」の予防「ワクチン」に吾人の考を押し進めることは学ぶべき所大で
ある。細菌学者がその威厳のために反対ではないにしても、自重せる態度は
教訓なきにしもあらずである。
 現今に於て最も有効視さるるこの Vaccin は長い間予防方法として最も怪
しげなものとされて来た。有名なる学者達のその中には世界的権威あるもの
もあるが、無下に之を棄てて了つた。Vaccin の効価は研究室の方法によつ
ては証明されなかつた。彼等は之を無効にして価値少きものと考へた。然し、
流行時に際会し、予防接種の効果を見たる人々はかかる意見ではなかつた。
彼等は之を有効なりと感じたることを自ら禁ずることが出来なかつた。然し
臨床方面の領域よりの論拠は研究室の精密なる事実と争ふことは出来なかつ
た。かくしてまた「コレラ」予防接種の問題は二つの反対の流れの間を長い間、
約三十年間動揺してゐた。
 今日、吾人は吾人以後にも幾多の大流行の経験を有する。「コレラ」予防
Vaccin の予防的意義は異論の余地はない。もし現今我々がその価値を肯定
したにせよ、その効価に就ての実験的証明が遂に見出されたがためではない。
之は Vaccin が疑惑と不確実との長期間から勝利を得るに至つたのは流行病
学者のお蔭である。「コレラ」予防ワクチン」が研究室の人間にも施行されな
ければならないのはたとへ誹謗はあつても――それは最も屡々理由のあるこ
とであるが――統計学者のお蔭である。
――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) Bulletin de l‘Institut Pasteur, t, XX, 15―30 janvier 1922,

116           「コレラ」予防接種
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             Ⅰ 実験的部門
           Partie Expérimentale
 「コレラ」弧菌は1884年に発見された。1885年に、Jaime Ferran が「コレ
ラ」に対する「ワクチン」を調製せることを告げた。研究室内の実験に従事す
ることなく、スペインに勃発した流行に恐らくは脅かされて、Ferran は直
接人間に於ける接種を行つた。彼は多数の人々を接種しその結果に満足を表
した。隣接する諸国に流行の拡大せんとする兆候は官権を心配せしめた。仏
蘭西政府は Ferran の許に学者よりなる派遣団を送つた。不幸にして、その
調査は悪い条件の下に行はれた。調査班は「ワクチン」製造方法の齟齬の点
で衝突した。彼等は判断すべき要素を見出さんと希望せる悲惨なる「コレラ」
流行地に於て悪い手助をなし、仏蘭西に悪い報告をなした。彼等が政府に寄
せたる報告書に宣言して曰く『Ferran によつて行はれつつある「コレラ」予防
接種の予防的価値の証明はなされてゐない』。
 この判断は Vaccin の前途に重くかかつて来た。しばらくして後、Ferran
の製剤は患者よりは分離せる「コレラ」生菌よりなることを知つた。
 五年間が経過してた。Virus ―Vaccin に就てのパストウール氏の創意が次第次
第に生物学者の間に侵入して来た。パストウール研究所の若い技術家なる
W, Haffkine は予防接種の問題を再燃さすべく決心した。彼は Pasteur が狂
犬病及び炭疽病になした所のものを「コレラ」に応用せんことを申し出た。彼
は先づ固定毒を得んことを努め、之より出発して、弱毒菌を製することに力
を致した。
 Haffkine は「コレラ」弧菌を海猽より海猽に通過せしめた。一列の腹腔内接
種の後、彼は毒力不変なる浸出液を得た。之は「固定毒」である。弱毒菌を得
るために Roux 及び Yersin の実験より思ひ付き絶えず喚気を行へる場処で固
定毒を39°に培養した。菌は弱くなり、一定時期に於ては菌は最早海猽の皮
下に壊疽を造らなくなる。更にこの海猽に強毒菌を注射する時には nécrose
を防御し得るのである。ここに於て「弱毒菌」を発見し得た。

          「コレラ」予防接種         117
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 Haffkine は同時に弱毒菌を使用して生ずる免疫は単に局所病竈に資する
のみならず、かく処置されたる海猽は菌の致死量の1倍乃至数倍に抗する能
力を獲得するを確めた。
 彼は固定毒及び弱毒菌を得たるに際し、その目的は達せられ、只余す所は
人間に於ける接種の実行のみと考へた。
 1903年2月「コレラ」流行地の目さるる印度に向け出帆した。そこで本問題
の決定的解決をなすに疑はしき一大実験を実現せんことを期待した。不幸に
して意外なる障礙が至る所から起つた。この困難に打ち勝ち人間に於ける予
防接種の効価に関する厳正なる最初の報告を吾人に供給することに成功せる
は実に彼の不撓不掘の争闘のためのみによるものであつた。吾人は之を再録
しよう。
          *  *  *
 Ferran の如く、Haffkine は予防接種のために、「コレラ」生菌を使用した。
二種の Vaccins 調製中に、Haffkine はその純粋さとその毒力に関し完全なる
技術を用ひた。かくしてパストウール氏の教義による接種方法を制定し、氏
は少しも偶然に委することなきを信じた。
 所で、狂犬病や脾脱疽に対する予防接種には実際上全く必要なるこの毒力
の測定を Haffkine はかくも重大視してゐるが、之は「コレラ」の場合に必要
欠くべからざるものであるか?。強弱毒力の二種の生菌系統の代りに、唯一
の死菌の使用が代用でもぬ【?】であらうか。之が当時の若きパストウール派の
Gamaléia の不審とせる所であつた。
 Gamaléia は120°に加熱して弧菌を殺した。之を新鮮海猽に注射せるに、
彼は之等の海猽は「コレラ」生菌に対し防御され得ることを確めた。
 この免疫は Brieger, Kitasato et Wassermann の実験に於て更に鞏固なる
ことが分つた。之等の研究者は120°の培養を加熱する代りに、65°15分間
加熱殺菌せる「コレラ」菌を使用した。之等の研究についで、「コレラ」予防接
種の歴史が新局面に進入したのである。
 特に独逸に於て、接種動物に於ける血清の性質研究に従事するに至れるこ

118           「コレラ」予防接種
――――――――――――――――――――――――――――――――――
とは R, Pfeiffer の刺戟によるのである。体液の殺菌性能力は特に学者の注
意を惹いた。
 免疫の鍵を探さねばならぬのは、溶菌作用の中にありと、Pfeiffer 及び彼と
共に多数の細菌学者が宣言した。之に反して、感染能力に於て動物の運命を決
すべきものは喰菌作用なることを、Metchnikoff 及びその門下が確定した。
 「コレラ」弧菌が殆どすべての負担をかけた一つの争闘が両派の首長の間に
進入した。液体学説と細胞学説との間にあるこの決闘の結末は今尚精神的に
残存してゐる;吾人はここに停まることを避ける。
 只最初には、実験は Pfeifferに有利なる様に見えたことを注目しよう。
 実際「ワクチン」接種者に於ては、血清が殺菌性物質に富むことと、獲得せ
る免疫度との間に密接なる関係が存在しないものであらうか。
 此の関係は絶対的のものでないことを示すには、Metchnikoff の研究で充
分である;この関係は、反対に、弧状菌によつて生ずる感染以外の感染では
却つて一定不変なりと云ひ得ないのである。然しこの考は棄てられた。仮令
個体の抵抗力の尺度を溶菌作用の中に見出すを以て万事終れりとなせるも、
その考だけに留むることは困難であつた。それ故よりよき Vaccin は高度の
殺菌性能力を与ふるものであると結論する必要は少しもなかつた。
 次いで、Kolle 及び他の研究者は加熱菌の使用を推称したが、之は一様に
in vitro に於ける実験に基いたものである:死菌を注入されたる動物に於て
はその血清は生菌を注射された動物に於けると同じく殺菌性なきや?
 最も長所あるものは Vibriolyse (弧菌溶解作用)である。この Vibriolyse
が Vaccin の選択を決定すべきものである。勿論、時々この方法を以て見る
ことの適用でない事実は唱へられた。この問題が「コレラ」に関して決定的に
定められたかの如く見えたのは、少からず本当である。かくの如きは細菌学
者殊に独逸語使用の学者の大多数の意見となつた。
 然し、彼らは Metchnikoff を包含してゐない。
          *  *  *
 動物は皮下に死滅せる弧菌の注射を受けたる後、殺菌性血清を得ることは、

          「コレラ」予防接種         119
――――――――――――――――――――――――――――――――――
全々正確ではない。之によつて動物はこの事実から「コレラ」の腸内感染に対
し予防接種さるべきことを証明してゐるか?。
 皮下に弧菌を接種せられたる海猽は次いで腹腔内に致死病毒を接種するも
之に抵抗することは全々正常とは考へない。;弧菌による腹膜炎に対する予防
接種は勿論実現するに最も容易なる手段の一つである。然し、かく処理せら
れた動物は真の「コレラ」即ち弧菌による腸炎に対し予防接種せられたと云ひ
得るか?。
 動物が極めて少量に皮下注射をされたとき、若し試験感染が腹腔の経路によ
らずして、経口的に実施さるるならば、その処見は全く変ることを、Metch-
nikoff は認めた。たとへ強硬に腹膜炎に対し防御されても、たとへ大量に殺
菌性物質が出来ても、処置動物は「コレラ」に感染しないことは稀であつて、
これがために斃れるのである。
 Metchnikoff の幼弱家兎の試験例は矛盾と思はるるこの現象を説明し而も
之以上よく説明し得ない。
 幼弱家兎がその母親の乳で養はれてゐる間でも、家兎の処生兒は経口的
「コレラ」感染に罹り易い。平均六日目で死ぬ。経口的に送入された弧菌は胃
を通過し小腸内及び盲腸に落ちつく。病の経過中、独特なる米粥状の下痢を
見る;之は無色、無臭、漿液性にして、明黄色に着色せる粘液の凝塊を含有
する液体より成る。動物の体温は30°以下に低下す。
 解剖学的病理学的所見は臨床的症状と同じく特徴がある。解剖学的病竈の
主なる部位は小腸にして、ここには極めて多量に弧菌が存在する。弧菌は又
胆嚢内稀に胃内に見らる。
 幼少なる家兎の「コレラ」と人間の「コレラ」との此の大なる類似の存するこ
とに就いて、一つを以て他を結論することを認許しないでよいものか?即
ち幼少家兎は加熱菌を以てしては、経口感染に対し予防接種に適当でない。
強ひて結論すれば之は人間に於ても同様であるべきである。
 Metchnikoff はこの点につき述べて曰く『家兎の腸内「コレラ」は消化管内
にて造られたる毒素による中毒である。即ち之は多くの業績中に示せる如く、

120           「コレラ」予防接種
――――――――――――――――――――――――――――――――――
予防接種は生体の中毒に対しては防御するものでない。故に組織内送入の
「コレラ」弧菌に対し充分に予防接種をせられたる動物が腸内容中に造られた
る毒素による中毒に抵抗し得ないことは先ず以て容易に信じられる。』
           *  *  *
 幼弱家兎に行へる今日では「クラシツク」となれる之等の実験により、「コ
レラ」の予防「ワクチン」の理由は、全く無意義のものとならないまでも、著
しく危くなつた様である。
 然しこれがために、血球の点より、或は他の点より、人体に対する新試験
を妨げることはなかつた。到る所に始めは戦々競々として次いで次第次第に
肯定的に予防接種に賛成する声の上るのを聞いたのである。
 彼らの圧迫の下に、Metchnikoff は、疑を抱き、1910年に、既に十四年
間幼弱家兎に就て観察せる彼の実験を再び為すべく決心した。氏はChouke-
vitch にその実施をなすことを委嘱した。
 Metchnikoff が1896年に確定せる如く、幼弱家兎は生後20日間は、病毒の
嚥下により「コレラ」に罹患し易いものである。
 Choukevitch は免疫操作が始めの20日以内に終了する様にその実験を準備
した。次いでその家兎を経口的方法による試験に供し、接種の効果を観察す
るために更に数日間を置いた。
 家兎処生兒は二回に皮下注射を施行された;即ち第一回注射は生後2,3日
で行ひ;第二回注射は4日乃至6日遅れて行はれた。
 次いで動物に7日間の休息を与へ;次ぎに試験に供した。予防接種された
家兎並びに同一腹、対照家兎は生後15日目頃に経口的に同量の生弧菌を受け
た。
 実験には合計31頭の家兎を供し、19は処置動物、12は対照とした。
 接種動物19頭中、14頭が試験後に斃れた。即ち73%である。
 対照動物12頭中、6頭が試験後に斃れた。即ち50%である。
 故に、Metchnikoff が1896年に皮下注射は真の「コレラ」に対して無力な
ることを肯定せるは正当であつた。即ちこの事柄はかくの如く家兎処生兒に

          「コレラ」予防接種         121
――――――――――――――――――――――――――――――――――
施せるこの新実験より引用さるる唯一の結論であつた。
 若し何人かが、実験に供せる動物は予防接種を受くべく余りに幼弱である
と云つて反対せんと欲するならば、Metchnikoff は別に断乎たる返答を持つ
てゐる: 即ち問題になれると同年齢の家兎処生兒にして加熱弧菌の皮下注
射二回を受けたるものは、試験を per os に行ふ代りに腹腔内に行ふ時は万
事に充分に予防されてゐることを示すのである。
 この新実験により、皮下接種法による「コレラ」予防接種は実際上人間に関
係ある唯一の型なる腸「コレラ」に於ては更に無効なることが宣言された。
          *  *  *
 「コレラ」予防「ワクチン」に対する実験室の研究は少からず追究された。尚
1902年に、感作「ワクチン」による予防接種の理論が書かれた時、これに用ひ
られた最初の菌の一つは「コレラ弧菌であつた。それ以来、多数の病原菌が
感作され或は医学に又は獣医学に広く実用に供された。唯々感作コレラ弧菌
のみが、吾人が説明せる理由に基き、実験室の入り口を飛び越えなかつたので
ある。然し乍ら動物に於ける研究では感作コレラ予防ワクチン」は局所及び
全身反応が極めて少きか又は全々なくして免疫を獲得することを示した。而
もこの免疫は所謂陰性期の前駆することなく、鞏固にして極めて速に生ずる
長所を有することを示した。
 一般に支配する意見は人間に於ける「コレラ予防ワクチン」使用の次第に不
利となれるを以て、之れ以上に渡ることなく是等の事実を記載するを以て満
足としたのである。(1)
          *  *  *
 かかる状態で16年間停滞した。その結果、吾人は感作弧状菌に関する新研
究を再び見出すために1902年より1918年まで一足飛びに過ぎければならな
かつた。是等の研究は日本の細菌学者三氏:K, Shiga, R, Takano et S, Ya-
be により慎重になされた。氏等の実験の詳細に就てはここに記載すること
―――――――――――――――――――――――
 (1) 感作コレラ弧菌による予防接種は現今に於ては殆ど日本で使用されてゐる
  だけである。

122           「コレラ」予防接種
――――――――――――――――――――――――――――――――――
は出来ないが、それに就いての一般の順序を述べて見やう。
 独逸の業績特に Pfeiffer 派の業績より「ヒント」を得た是等の著者は彼等の
研究を溶菌素に求めた。通常の弧菌並びに感作せる弧菌にて処置せる動物の
血清を比較研究して見たのに、氏等はこの最後の場合に、細菌溶解性抗体は
より速に発現することを確めた。
 氏等は他の検証を行つた、之は吾人の眼から見れば更に重要なるもので、
in vivo に於ける免疫を取り扱つたものである。氏等の実験より結論せるこ
とは、静脈内注射により、感作「ワクチン」を使用せる場合には、動物は「ワ
クチン」接種後六時間にして既に致死量の弧菌の感染に耐へる、然るに非感
作コレラ弧菌は同一条件の下に於て24時間後に始めて免疫を賦与するに過ぎ
ない。
 著者等が正当に之を認むる如く、この免疫性の早く出現することは、実際
問題の見地からすれば、殆ど常に大流行に於ける措置を必要とするが故に、
侮るべからざる点である。
 感作弧菌の場合に於ては「ワクチン」の反応は極めて軽度なるに加ふるに、
この長所は通常「ワクチン」に優る優越性を感作「ワクチン」に与ふるものであ
る。
 是等の著者によれば、感作「ワクチン」は1)速に且つ容易に生体により吸
収され――、2)殆ど組織を刺激することなく又之による反応も著しくない、
之と同じく有利なる条件は陰性期の期間を減少する。然し、この陰性期は
「コレラ」の場合には、後に見る如く確定されてはゐない。
 「コレラ」予防「ワクチン」の応用を述べる前に、実験的見地より此の問題に
関係せる種々の工程を述べた所を総括して見やう。
 「コレラ」に対し人間を予防接種せんとする考を抱けるは Ferran その人で
あつた。本問題の既知の事実の範囲に取り入れ、殊に広大なる階梯に予防接
種を施行したのは Haffkine その人であつた。両者共に生弧状菌を使用した。
 R, Pfeiffer は、血清中に殺菌性能力を証明したので、生菌に代ふるに、加
熱菌体を用ひた。

          「コレラ」予防接種         123
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 Metchnikoff は「コレラ」予防免疫の機転を明にした;氏は溶菌素の意義を
実際の比例に引き戻し、そして本物質の存在は腸内「コレラ」を防御するには
殆ど足らざることを証明した。

           Ⅱ 臨床的部門
           Partie Clinique
 「コレラ」予防接種の問題は実験的成績の点より見れば、全く異れる姿で表
はれてゐる。細菌学者が免疫の軌範に就て論じてゐる間に、彼等が皮下注射
の価値を承認し、遂には之に全価値を撒くに到らなかつた間に、流行病学者
は Vaccin の製造に加へられた各新機軸を利用し続けた。彼等はその豊富と
その重要性とに於ては充分なる材料を蒐集し逐ふせた。
 確に、最初の統計は性質上確信を得なかつた。之を云ふものはあるが、然
し之を詳論することを躊躇した。然しながら之等の統計はすべて将来有利と
なるべきことを欠如せざる特長を呈供した。之はその同一性であつた。流行
病が小さい範囲又は人口多き所に起つても、流行が重いにせよ軽いにせよ、
流行が印度、ペルシア、露西亜にあるにせよ、罹患率は接種者に於ては非接
種者に於けるよりも常に低いのである。決してこの規則に例外を唱ふるもの
はなかつた。
 たとへ、始めには、偶然を主著したとは云へ、予防接種の技術が改良され
るに従つて益々この疑は範囲をせばめた。即ち予防接種の効果は異議なく次
第次第に浸み渡る様になつた。
          *  *  *
 望む所の充分なる精確さを以て記載されたる流行病学的の最初の観察は
Haffkine のそれである。其の歴史的興味の理由に於て、その一つを述べて見
やう。
 一つの流行が印度の Gaïa 牢獄に爆発した。そこで囚人に予防接種をやる
ことにした。未だ新方法で得た経験が少いから半分だけに施行しその利益を
受けしめる様にした。

124           「コレラ」予防接種
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 最初の注射につづく始めの五日間に、衛生状態は次の様にあらはれた。
  非接種者210人中: 「コレラ」患者7人(3,33%)、死亡5人(2,38%)
  接種者 212人中: 「コレラ」患者5人(2,36%)、死亡4人(1,89%)
 故に罹患率も死亡率も初めの五日間は両群共著しく似通よつてゐた。第二
回注射を行つた。次の五日間で状況は次の様に変つた。
  非接種者192人中: 「コレラ」患者4人(2,09%)、死亡1人
  接種者 201人中: 患者0 死亡0
  たとへ数字は少数に就て求めたとは云へ、是等の数字は雄弁に物語つてゐ
る。これより免るる有利なる印象を減少するものは、死亡率が接種者に於て
も非接種者に於て同様に増加する事実である。換言すれば、接種者で「コレ
ラ」に感染せるものはその注射のために何等恩恵を蒙つてゐない: 即ち接種
者も亦非接種者と同じく重篤である。
 兎も角、Heffkine が初めて注意したこの確証は懐疑派に一つの武器を提
供した; この事実は賛成派に一つの疑念を投じた。
 印度の滞在中、Haffkine は40,000人以上を予防接種した。その結果はい
つも Gaïa の牢獄に於けると同じく良好と云ふのではないが、一般の状況か
らすれば本法に極めて有利なるを示した。
          *  *  *
 液体の殺菌性能力に関する Pfeiffer の研究及び免疫に関する報告に次いで
Kolle は「コレラ」に対し予防接種された人の血清は多量に溶菌素を含むこと
を発見した。この溶菌素は注射せる弧菌が生菌であつても死菌であつても殆
ど同様夥しく出現するを以て、Kolle は加熱菌の使用を推称した。之に就て
氏は曰く加熱菌は Hoffkine が印度にて使用せる培養よりも更に安全なるも
のであると。
 1902年に日本(兵庫)に発生した流行の際に、加熱「ワクチン」が始めて大
規模に使用された。
  非接種者825,287 人中: 患者0,13%, 死者 0,10%
  接種者  77,907 人中: 患者0,06%, 死者 0,02%

          「コレラ」予防接種         125
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 同じ程度の成績はペルシアに於て1904年に Zlatogoroff によつて得られ、
更に遅れて露西亜に於て Zabolotny によつて得られた。
 異論を挟む余地なく、「コレラ」予防接種に全々賛意を表する是等の数字は、
然し、確証し得たのではない。ここにその理由を述べて見ま【ママ】う。人口が広汎
に亘る場合には、予防接種者の職業、抵抗力、年齢等に関する正確なる情報
を得ることが極めて必要である。従つて彼らの住居する地方から見て、職業
から見て、感染に曝露することが平等でない人々を同じ統計に集めてはなら
ないのである。
 すべて是等の統計あるにかかわらず、「ワクチン」の効果を達観するために
不正確の存続するのは、そこに理由の一つがある。
 1914年に、Arnaud によつて発表された数字はこの反対を受けるもので
はない。その統計は軍隊にて採られたもので、同一条件に生活せる人に就い
て取り扱はれた。この統計は第二回バルカン戦争の際ギリシヤ軍に発生せる
流行に就いて行はれたものである。
 「コレラ」流行地帯で作業せる軍隊108,000人中非接種者にありては「コレ
ラ」患者を5,75%観察した:然るに一回注射を受けたものの「コレラ」罹患の
百分比は3,12%であつた。二回注射を受けたものは罹患率0,41%に過ぎ
なかつた。
          *  *  *
 Cantacuzène が使用せる条件が吾人に役立てるは、ルーマニアに於ける大
規模の実施にして、氏は吾人に異論の余地なき価値ある流行病学上の参考資
料を供給した。
 この実施は二回に行はれた: 即ち1913年に、ブルガリアの戦疫の時、1
916年に、独逸に布告せるルーマニアの戦争の始めに於てであつた。
 この実施は1,500,000人以上に及んだ。
 吾人は Cantacuzène の重要なる研究報告のうち局部的流行の二三の関係
を借用し、之をここに簡単に要約することとする。是等の流行を実験室内の
実験に比較して見ると、殆ど真実とは思はれない。この実施は動物に於ける

126           「コレラ」予防接種
――――――――――――――――――――――――――――――――――
実験以上に或る点では、価値がある。即ち実験に供せる材料の質に於て、又
その数に於て二、三の例を挙げて之を判断し得るであらう。
 4,500人を包含する或る聯隊は流行より痛く悩まされた: 即ち10日間のう
ちに、「コレラ」患者386人が登録され、そのうち166人が死亡した。
 そこで予防接種を開始した。第一回及び第二回注射の間に於て、新患が発
生してゐる。衛生状態は依然同一であつた。第二回注射を行つた。二日後に、
流行は急劇にやんだ。次いで一例も新患の申告はなかつた。(観察のII)
 他の隊に於ては、流行の初期に於て、患者280人を算し死者120人を出し
た。「ワクチン」の第一回注射は少しも良好に導くことがなかつた:即ち毎日
新患約13人を登録した。6日頃、全部急劇に停止した;只隊中唯々一人予防
接種を拒絶せる中隊長を除き、一名の患者も出なかつた。(観察のIII)
 180人を有する兵営に於いて、予防の目的を以て、予防接種をなした。唯々
四人の伝令将校が予防接種を受けなかつた。しばらくして、「コレラ」患者三
人が兵営で申告された;之は予防注射を受けなかつたものの四人のうちの三
人であつた。その他すべてのものものは罹患しなかつた。(観察のV)
 ある聯隊では、聯隊長がその部下の予防接種をなすことを反対した。イス
ラエル出身の軍隊、人員200、は予防注射を強要したので、その通りこれに
従つた。次いで、この聯隊は450人の「コレラ」患者を出した。予防注射せ
るイスラエルの兵士は一名も罹患しなかつた(観察のVI)。
 「チフス」に罹患せる軍人に充当せる病院内に、露西亜人及びルーマニア人
がゐた。ルーマニア人のみは「コレラ」の予防接種を受けた。特に烈しき「コ
レラ」の流行が発生した;死亡率は40%に及んだ。只露西亜の軍人のみが罹
患した。一名もルーマニアの軍人には発生しなかそ【つ】た、唯々予防注射を巧み
に逃れた軍曹だけが例外であつた(観察のIX)、
 吾人が要約せる上記数例の観察は実験室内にてなし得たものより更に美は
しき実験を以て敵対せんとする状況にある。
          *  *  *
「コレラ」予防接種は常に無害であるか?

          「コレラ」予防接種         127
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 この質問をなしたのは、細菌の毎回の注射に続発する局所又は全身の反応
を目的とするのではない。この反応は、たとへ非難があつても、「コレラ」に
罹患する脅威の前には計算に入らぬであらう。大切なることは大流行に際し
予防接種を実行するに際し危険があるか何うかを知ることである。
 流行病学者を信用せしめることは、最初の「ワクチン」注射に次ぐ2―3日間
に流行の再発を起すことが稀ではない、その際に同時に患者数の増加するこ
と並びに既に予防接種された人々の症状が増悪することが起る。
 吾人は此の種の多数の事実を Cantacuzène の同じ報告中に見るのである。
 外観上健康に見ゆる二人の婦人が「コレラ」予防接種を受けた。注射後6-
10時間で、二名の婦人は烈しい「コレラ」の感染を受けた。
 他の例は、ある聯隊に於て数日間の間隔に於て、270人の「コレラ」患者と
28人の死者を記載してゐる。速に全人員に予防注射を施した。「コレラ」予防
接種の第一回注射後3日以内に、罹患率及び死亡率に著しき増加を来した。
 此の聯隊の提案に基き、Cantacuzène は『この増悪は種々の医師により他の
聯隊にても観察された、そしてこの事実は陰性期並に流行せる所に予防接種
をなすことの危険なることに就いての異論に注意を喚起せしめるものであ
る』ことを認めた。氏は、尚ほ、大流行に際し之がために予防接種を逃れる
ことがあつてはならぬ、更に「アナフイラキシイ」の偶発事故を恐れて抗「ヂ
フテリア」血清の使用を抛棄するかも知れぬ様なことがあつてはならぬこと
を極力付け加へてゐる。
 「コレラ」の流行の極期の於ても、予防接種をなすべきことは当然である、
然しその場合に経過する増悪の危険を最小に減少することを研究するは吾人
の義務ではなからうか? 如何にして之を達するか?
          *  *  *
  すべて個体の抵抗を減少し又は劣性の状態の期間を延長する疑ある理由は
陰性期を強くするに有利である。
 この陰性期が短ければ短い程、免疫が早く出来れば出来る程、大流行に行
はれた予防接種の災害を免るるに都合がいいのである。

128           「コレラ」予防接種
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 この説明の最初の問題となつた所のもので感作「ワクチン」についてなされ
た所の研究を思ひ起すであらう。当該「ワクチン」を接種せる動物に於ては、
局所及び全身症状は極めて軽度にまで減じた、患者の場合に於ても、症状は
存在しない。更に、感作「コレラ」菌を注射せる動物に於ては普通「ワクチン」
の場合には見られざる速さを以て免疫が現はれる。之は人間に於ても同一で
ないであらうか?
 東京の流行は、この見地よりせば、特に教訓的である。
 この流行は1916年に日本の首都及びその郊外に発生した。之はバルカンに
於て前に述べたるルーマニアの大実験をなしたと同じ時である。即ちバルカ
ンでは加熱弧菌を使用し、東京では感作「ワクチン」を使用した。この流行は最
初の重大流行にしてこの際に Vaccin が広く使用されたことを付言しよう。
 此の流行の詳細は Yabe によつて書かかれ1920年に発表されたる更に教
訓的な研究中に詳記された。
 「ワクチン」を民衆に施すべく決定する前に予備実験が必要なりと断じ:
北里研究所に属する15人が感作弧菌を皮下に受けた。
 「ワクチン」による副作用は著しきものはなかった;「ワクチン」を接種され
たものはその血清中に多量の溶菌素を示した: 即ち条件によれば、日本の
学者の眼には、広大なる範囲に Vaccin を使用することの正当なりと映じた
のである。
 流行の猛威を逞うせる時に開始し、予防注射は特に感染に曝露すると考へ
らるる人々(漁業家、飲食店員等)に実施された。
 結論に到達するために流行病学者に取り極めて有益なる詳細を述べやう。
        ┌非接種者 2,244,796 人中 382人の「コレラ」患者、即ち人
 東京市中の調査┤口100,000 に対し 18,5である。接種者 238,936 人中3人
        └の「コレラ」患者、即ち人口100,000に就き1,3である。
        ┌非接種者811,150人中、229人の「コレラ」患者即ち人口
 東京郊外調査 ┤100,000につき 30,9 である。
        └接種者 61,988については「コレラ」患者なし。

         「コレラ」予防接種         129
――――――――――――――――――――――――――――――――――
  市部と郡部とを合計すれば、予防接種者にありては、罹患率は非接種者に
於けるより約25倍も少いのである。
 この「コレラ」予防区域の成績は実際上は上記の統計表に見えし以上に顕著
なものである。実際調査の示す所によれば、接種者に於て見られたる「コレ
ラ」患者は三名だけであるが、之は Vaccin の注射量が不充分なるものに起
つたのであつた。
 東京の流行に際して、非接種者中に数百の犠牲者を出したが、バルカンの
それに於けると同じく、実験室の実験の価値ある事実として記載された。市
のある区に於て、その三分の一の住民に「ワクチン」を施したが、一名も「コ
レラ」に罹患しなかつた;其の区の残りの非接種者に於ては、18人の患者が
あつた。他の一つの区は全部流行を免かれた、その住民の全部が一度に予防
接種をされた。
 多人数より成る家族に於ては、非接種者のみが罹患した;他の者即ち接種
者は同じ条件の下に生活せるに拘らず罹患しなかつた。
 接種による反応に就ては、日本の研究者によれば、著しくないか又は大多
数では全くない(80―95%),
予防接種が、流行せる大区域に行はれたに拘はらず、陰性期に罪を帰し得
る増悪の場合が一例も報告されなかつた。
 東京のこの実験は、感作「コレラ」予防「ワクチン」が大規模に使用された始
めてのもので、特に顕著なるものとして見逃してはならぬ。
         *  *  *
 吾人が要約せる流行の数種の報告によれば、「コレラ」予防接種の効力に異
議を申し立てるのはよくないこととなるであらう。然しかくの如きは吾人の
説明の最初の部分より来る印象ではない。実際と実験室との間のこの不一致
は何処からくるのか?
 複雑なる理由が之に関係してゐる。
 先ず第一に、精神的の理由がある。1885年に仏蘭西委員会の不充分に支持
せる決議並びに始めに於ける Ferran の過度の謙遜がその方法に甚しく不満

130           「コレラ」予防接種
――――――――――――――――――――――――――――――――――
を懐かしめたことは確かである。次に又理論上の理由がある。即ち「コレラ」は
主として中毒による、従つて抗細菌性「ワクチン」を使用することは余り正当
ではないとなした。然しまた幼弱家兎の歴史があつた。
 Metchnikoff のなしたる事実は確乎たるものである: 即ち処生児家兎は
経口的に「コレラ」に罹り得る唯一の実験室内動物である、即ち真の腸管「コ
レラ」を起し得るものである;他面に於て、幼弱家兎は皮下注射によつて殆
ど予防接種し得ぬことは確である。
 幼少家兎に相呼応して臨床例がある: 即ち臨床では二度と「コレラ」に罹
らぬことを指摘してゐる。故に「コレラ」は之を予防接種し得る疾病の圏内に
入るべきものである。
 疾病の自然感染によつて予防された人は、人工的に皮下の経路より接種せ
る人と同一であると認めてよいか?
 勿論、それぞれの場合に血清中に殺菌性能力あるを認める。然しこの性質
は免疫を支配する要素の複雑なる集合に於て価値があるのである!
 免疫機転を更に深く究むるに従ひ、益々 Metchnikoff が殺菌性能力に主要
性を置かず、又其所に伝染病に対する免疫の意義を見やうとしなかつたのは
誠に正当なるを知るのである。
 勿論、免疫度の測定を与へ又は使用せる「ワクチン」の効力を指示し得るも
のは、各個体の血清中に存する溶菌素の割合ではない。
 Metchnikoff その人は、「ワクチン」の効力は腸管「コレラ」に対して動物
を保護する能力より算定すべしとなした。之が何故に氏が「コレラ」菌の腹膜
炎又は敗血症を防御する研究の少かつたか、又氏が腸管内に見出さるる弧菌
に就て正当なる唯一の真の「コレラ」予防「ワクチン」はかかる性質を備ふべし
となしたかは、以上の理由による。
 やがて見る如く、最近得たる事実は明かに Metchnikoff の考を正当とする
ものである。この事実は又実際と実験室内に極めて長い間存在せる矛盾をい
とも満足に説明するのである。
          *  *  *

          「コレラ」予防接種         131
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 吾人がほのめかした事柄は免疫の研究後間もなく感じた新方向にその出処
があるのである。
 之等の研究の詳細に渡るを避け、ここには主要なる点を述ぶるに止める。
 海猽に生弧菌の致死量乃至その数倍を皮下に注射し、12―18時間にして死
の来る時、出来るだけ早く剖検すれば、経口的に接種せられたる処生児家兎
に於ける同様なる状態に弧菌は分布してゐるのを見る、即ち常に弧菌は小腸
内に存し、而もそこに屡々純培養の状態にある;また盲腸及び大腸にありては
或る時は純粋の状態に、或る時は大腸菌と共に――約半数に於て――混在し
てゐるのを見る。之に付加すべきことは、弧菌は時として血液中に、稀に腹
腔内並びに胆嚢内に見るが、決して尿中には見ないのである。
 海猽は消化管より最も遠き経路により「コレラ」病毒を接種されても、その
死は主として腸管感染によつて起る、即ち真の「コレラ」に因るのである。
 吾人が「コレラ予防ワクチン」が皮下に接種せる病毒より海猽を防御するの
を見る時、之は真の「コレラ」感染を防ぐので、実際上、動物は予防接種され
てゐるのである。故に Vaccin が人間に於て「コレラ」に対し有効なるを示す
のは少しも驚くに足らない。
 されば今この理由から25年来の論争の後に細菌学者と流行病学者とが協調
出来たのである。
 今日では細菌学者でさへも「コレラ」予防接種の効力を疑はない様になつた
にせよ、之等の予防接種を更に有効ならしむることが出来るか何うかを要求
するのである。
 生菌「ワクチン」が死菌「ワクチン」に優ることは大多数の菌について充分に
証明された所である。生菌の使用に限るとすると、不慮の災害や全身感染の
心配があり――又屡々実現されることがある。然し、「コレラ」生菌の場合に
は、これ等の心配は特に予め感作せる弧菌を使用する時には要らぬことであ
る。
 吾人の同僚 Masaki (真崎)の実験は感作後「コレラ」生菌注射の新証明を行
つた。この実験によれば、たとへ「コレラ」生菌が培養の1∖50 の分量の腹腔内

132           「コレラ」予防接種
――――――――――――――――――――――――――――――――――
注射で海猽を斃すか、又は培養の1∖30の分量の皮下注射により海猽を斃すに
せよ、一度び感作されたる同一弧菌は全培養又は二倍の培養量を以てしても
海猽を殺し得ないのである。
 感作せる弧菌はその生活力を保ち、容易に之を証明し得、只生体に対する
其毒力が Masaki が皮下注射法により致死量を見出し得なかつた程に減弱し
てゐるのである。
 重要なる処見は次の如し: 即ち感作生弧菌の大量(2-3培養)の量を接種
する時に、腹腔内経路に於て海猽を殺す時には、死の機転が非感作弧菌の場
合に認むるものと異ることを確めた。たとへ腸の内容を移植するも、弧菌の
痕跡だに認めない: 即ち速に注射部位を離れて腸に限局せんとする代りに、
一度び感作せらるたる弧菌は Masaki が確めたる如く注射部位を超えないの
である。海猽が死ぬのは腹膜炎のために、或は菌体内毒素の遊離するために
即刻に死ぬのであつて、敗血症を起すためではない。
 即ち、感作生弧菌の大量を以て接種してさへも、被接種者をして保菌者た
らしめる危険もなく、更にまた彼等に於て全身感染を見る如き危険もない。
          *  *  *
 皮下注射による現在の予防接種法は最近の用語として「コレラ」予防接種の
材料と考へらるべきか?経口的予防接種法を研究しないでよいものである
か?
 現在に於ては、実験室の研究は今尚この予防接種方法を適当とするに至ら
ない。然しながら、「チフス」赤痢菌簇と「コレラ」弧菌との間の感染機転に関
する類似は「コレラ」予防接種に関しても同一機転なることを推知してよい。
すべて抗コレラ免疫は、抗「チフス」及び抗赤痢免疫と全く同じく局所的本質
なることを先づ第一に信ぜしめる(1)。もしこの考が将来確認されるならば、
「コレラ」を予防接種するには、長く迂廻せる経路即ち皮下注射によるよりも、
直接の道なる経口経腸による方が更に合理的となるであらう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) XII章参章

          「コレラ」予防接種         133
――――――――――――――――――――――――――――――――――
             Mèmoires Cités
Metchnikoff, Annales de l’Institut Pasteur,t, VIII, p, 529,
Choukévitch Ibid,, t, XXV,p,433,
Cantacuzène, Ibid,t, XXXIV,p, 57,
Masaki, Ibid,, t, XXXVI,pp, 273, 399,

                Ⅸ
         感染並に免疫に於ける皮膚の意義
     Role de la Peau Dans l’Ifection et l’Immunité(1)

 細菌予防「ワクチン」の大多数は非経口的に生体内に送入される: 即ち皮
下、筋肉内又は静脈内によるのである。この予防接種についで必ず見逃すこ
となきものは血液中の抗体の存在することであるから、最近までは殆ど他に
免疫性なしと説得されてゐた。此の確証の上に、後天性免疫更にまた活働性
並びに受働性免疫のすべての現在の理論が建てられた。
 戦争前に始めた一列の研究中に、吾人は経口的又は経膚的に処方して免疫
を形成することの可能なるを知つた。吾人はかくして免疫された動物の血清
は極めて少量の抗体を含有するか又は全く含有せざるを証した。之によつて
吾人は免疫性は抗体の存在と密接不離の関係あるものでないことを結論し
た。
 もし然りとせば、二つの事柄のうち一つは: 自然には二つの免疫方法が
存在するか、或は又只一つしか存在しないかである、而してこの最後の場合
には、抗体は之に決定的意義を与ふることを剥奪さるべきものである。吾人
の選ばんとする所のものはこの第二の仮定である。
 径膚又は経口的感染の場合の機転を厳密に調査すれば、吾人は或る細胞群
に属する固有の自治制に帰せねばならなくなる。全生体が全く固体であると
すれば、この細胞は彼等固有の宿主に対し之を感染し防御する贈り物を持た
ねばならぬと考へた。この考から、皮膚感染及び腸管感染の如き局所感染の
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) Bulletin de l’Institut Pasteur, t, XXIII, No 20; 1925

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         135
――――――――――――――――――――――――――――――――――
考、並びに局所免疫の考が出た。この二つの手段は所謂 \Cellules réceptiv-
es”攝受細胞のみに関係あるものとなした。之に代はるべき抗体は、我々の
仮説によれば、原因となるべき病原菌に対し、意義少きものか又無意義のも
のである。
 Immunisation Iocale (局所免疫法)と称するものは、必ずしも Immunité lo-
cale(局所免疫)と称するものではない。今日まで眼の免疫法の結果より「ア
ブリン」によつて与えられたる局所免疫のほかは全く知らなかつたのである。
今では局所に適用せる病毒は全身に広がり免疫性を賦与することの出来る事
を知つた。後に述ぶる如く、脾脱疽菌の免疫の場合がそれである: 即ち皮
内接種法によつて獲得したにせよ、その免疫は全身性で更に強固なるもので
ある。同様に、軽度ではあるが、葡萄状球菌又は連鎖状球菌に対する皮内接
種法、「チフス=パラチフス」赤痢又は「コレラ」病毒に対する腸管免疫法は全
身に広がる免疫性を与ふるものである。
 局所免疫法を起すべき免疫は常に、局所解剖学的に云はば直接「ワクチン」
の触るべき細胞群に厳重に限られてゐる。然し、生理学的見地よりすれば、
起るべき事柄は免疫が全身的なるが否かである。然り、もし生菌を使用すれ
ば、その作用は、たとへ身体の限局せる一点に適用するも、次から次へと進
行し、全攝受組織に及ぶのである。類似の事柄は死菌「ワクチン」を使用する
時にも起り得る: 海猽の全腹壁面に適用せる葡萄状球菌又は連鎖状球菌製
剤の濕布繃帯の場合には、細菌性物質の関与する区域は極めて広がり、遂に
は免疫は局所であつたものが全身免疫を得るに至るのである。
 Immunisation Iocale (局所免疫法)が Immunité locale(局所免疫性)又は
Immuité géuérale (全身免疫性)に帰着するか、いずれにせよ、本法は両者共
抗体を離れて細胞内にて完成されるのである。
 吾人は、次の叙述に於て、ある種の伝染病経過中に於ける皮膚組織の意義
及び此の組織が免疫の機転に与る要素を調べて見やう。
       *  *  *
 仮令、生理学者の目には、皮膚の作用は諸種の器官相互の間によき調和を

136           感染並に免疫に於ける皮膚の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
保つために必要なりと映ずるも、病理学者にとりては皮膚は今日まで同様な
る重要性を持つことは距りがあつた。
 その広大なる面積と下界と直接関係のある理由から、皮膚なる機関は、他
の機関以上に、「シヨック」や外傷や汚染に曝露されてゐる。均衡の継続が減
少し又は之が破壊すると土壌又は空気から来る細菌或は表皮の表面を常に覆
ふてゐる細菌に乗ぜられる。殊に葡萄状球菌は毛囊の管内に好んで常住する
習性を要するもので、細胞の内部に侵入するすべての機会を捉ふるものであ
る。局所又は全身の抵抗が欠如することの少い場合にも、皮膚の損傷は起り
得るものである。侵入する細菌の毒性により、犯さるる細胞の性質に従ひ、又
個体の抵抗に応じ、病竈は多少著明なる重篤症状をあらはす。
 皮膚の表面の破損によつて生ずる病竈の他に、他の原因はあまり変化はな
いもので内在性のものである; 即ち「チフス」発疹「チフス」及び他の発疹性
疾患の経過中に之を見るが如きものである。
 病原菌が外界又は内部から皮膚包被を犯し、第二次的に其所に土着するこ
とのために、皮膚は常に感染を受けるだけであり、生体防御の意義は寧ろ受
身で、Methnikoff の表言的なる定義によれば『身を守るための鞘』なる意義
に帰着する。
 此の考へ方は今日では最近吾人の知れる事実によれば最早適応しないもの
である。之等の事実を調ぶる前に皮膚の構造と主なる作用に就て述べ度い、
この作用の協力が生理的状態に於て自然免疫を確実になすのである。
       *  *  *
 皮膚は胎生学上並に組織学上判然区別さるる二部より成る。: 即ち「エク
トプラズマ」より生ぜる上皮と「メソプラズマ」より生ぜる真皮とである。
 上皮は石畳状に重つた上皮細胞より成り、その上部は相継続し角質状に変
化してゐる。上皮細胞の鱗屑は、やがて剥離し、深部より来り、表面に向ふ
細胞により補はれる。その脱落の際に、剥離せる角質細胞は細菌を伴ひ同時
に細菌を含む残屑を伴ふ; 角質細胞はかくして皮膚の浄化とその永久の更新
とに与るのである。

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         137
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 この表面の部分即ち角質層を去るや否や上皮の深部に到達する前に移行部
の細胞層に遭遇する: 即ち之は無色透明の要素より成る Stratum lucidum
である。
 すぐ此の下にある上皮の部は粘液体即ち Malpighi 氏網により占められて
ゐる。多数の細胞層が協同してこの網を構成する;之は外被を有せざる原形
質細胞である。之等の細胞はその性質については久しく決定されなかつた分
枝せる淋巴性要素を以て相互に隣接してゐることを注意するであらう。即ち
之等の淋巴性要素――吾人は之を今日知つてゐるが――白血球即喰菌性要素
に他ならぬのである。
 外傷又は感染の場合には、之等の喰菌細胞は多数に流れ行き細胞間隙中に
侵入し而して、極めてよく知られたるその固有性により、陽性走化性と称す
べき所には何所にも接近するを見る。
 上皮を超えると、外被の基礎をなる第二層即ち真皮に到達する。この真皮
は極めて強靭なる弾力繊維の網より成る、之は結締織要素と交叉してゐる。
全組織は游走性淋巴細胞の移動するを見る。最も著明なる喰菌作用を有する
之等の淋巴細胞は外被の炎衝の際に特に数多く表はれる。更に真皮はその全
表面に多数の小乳頭並びに緻密なる組織を認むる多量の汗腺皮脂腺を示すこ
とを思ひ起すであらう。
 吾人が述べた簡単なる解剖は吾人にその自然免疫性の保存に於ける皮膚の
意義を知らしめた;之は感染の機転及び人口免疫の機転に関する或る問題の
理解を容易ならしむるであらう。
       *  *  *
 皮膚の構造の複雑なるためにその作用の多様なることを答へねばならぬ。
従つてここには吾人の学べる生理を述べやう。
 皮膚なる被服は感覚鋭敏なる広大なる表面を示す。皮膚は吾人の感覚の大
部分の出発点なる種々の刺激を受ける: 即ち触覚、温覚、冷覚及び痛覚で
ある。之等の感覚は外部の有害なる要素に対し吾入を保護する而して自然免
疫の維持に貢献する。

138          感染並に免疫に於ける皮膚の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
皮膚の作用は之に止まらない。皮膚は呼吸する。皮膚は吸着する。皮膚は
温度の変化を調節する。その主なる作用だけを述べても、皮膚は「シヨック」
を和げる。
 ある種族では、皮膚呼吸が、かく名付ければ、計算のうちに入る唯一のも
のであるものがある。又蛙類及び爬虫類では皮膚と外界との間の変化は充分
に肺呼吸の代理をなしてゐる如くである。
 温血動物に於ては同一ではない。人間は、例へば、24時間内に経膚的に体
重の約1∖67を減ずる。成人では平均1瓱【瓩】なるこの消失のうち、排泄される炭
酸瓦斯は5乃至10瓦を秤量するに過ぎず;余は水分の蒸発に帰する。人間及
び哺乳動物では、皮膚は呼吸器官としてはかなり制限された意義を有する。
皮膚は炭酸瓦斯を発散し空気中の酸素を吸収する感受性あることは少からず
真実である。
 皮膚はすべての種類の瓦斯体及び揮発性物質を通過せしめる。人は一肢を
腐敗瓦斯の雰囲気に入れた Bichat の古い実験を知つてゐる: しばらくして
瓦斯は皮膚の表面より吸収され、腸管から排泄された。
 この吸収性あるために、実際上重要なる唯一の問題は皮膚は一般に水及び
液体に対し如何に作用するかが分かつた。長い間論争された問題が現今では解
決され、そして陰性の意義なるものとなつた。今日では人間の正常の皮膚は
水を吸収しないことが確定された様だ。浴槽中に一週間及び数か月間さへんも
浸つてゐた患者は絶えず喝【渇】の感じを感じ、而も自由なる空気中に生活せる人
と同じ程度であつた。食塩、薬物、毒物の水溶液も同様である。: 即ち健康
なる皮膚はそれ等のものを少しも吸収しない。
       *  *  *
 皮膚外被の不透性は大部分皮脂腺より分泌さるる脂肪性産物なる皮脂によ
る。毛孔の口を閉じ、表皮に油を塗り、以て皮脂は皮膚組織を不透性となす。
かくして、皮脂は水中にて柵を造り、之によつて正常の状態では殆ど越え得
ないのである。
 吸収の現象は皮膚が正常の状態にない時には根本的に変化する。その結果

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         139
――――――――――――――――――――――――――――――――――
は、湿布を施す時には、皮膚と水との接触が一定の限界以上に長引くと、上
皮は液体を吸い込むことが止み、膨脹する。上皮の柵がくずれ、多少通過せ
しめる様になる。更に深部への侵入は外皮の侵害の場合、例へば毛髪に富む
部を強く摩擦する場合に起る。毛髪の上に施された塗擦は潰瘍を起す;之は、
肉眼では見えなくとも、皮膚により液体を吸収せしむるに充分である。
 脂状物は異物の侵入に対し皮膚組織を防御するが、軽蔑し得ざる他の作用
を有す:即ち皮膚の乾燥を防ぎかくして皮膚にその感受性を保たしめる。
 汗腺も其所にあつて同様の貢献をなす:即ち、皮膚の表面に行はるる絶え
間なき蒸発は、皮膚を絶えず湿潤状態に保たしめる;それによつてその柔軟
性と外界より来る微細なる刺激を認知する能力が生ずる。
 汗腺は更に第一に重要なる他の作用を有する: 即ち動物の体液の調節を
確実ならしめる。汗の分泌は温度と共に増す、周囲の温度の上昇を起さしむ
る害悪を矯正するのは汗腺である。
 皮膚なる外被の純器械的意義は自然免疫の見地よりすれば価値のないもの
である。皮膚毛細管に及ぼす圧力により、この外皮が構成される種々なる層
は過度の滲出に対し障害をなす。他方に於ては、角質層、上部の上皮細胞、
弾力性移動性の真皮は相合して外部の衝動を和らげ得る鐙【鎧ヵ】を構成する。
 皮膚なる組織に当てられた重要なる作用に関しては、防御する鞘の様に器
官を保護する単なる嚢と云ふ考では了解することは困難である。上皮及び真
皮の複雑なる構造を考ふる時、即ちそこにはすべての種類の細胞――神経性、
血液性、淋巴性、腺質性、結締織性及び筋肉性の要素、その他先には少しも
述べなかつた特種細胞もあるが之を別にして――を認めるが、かく種々なる
細胞に富むことは、ある作用は恐く未だ知られざるものもあるが、複雑なる
作用の標識として考ふることは妨げ得ない。
       *  *  *
 無脊椎動物では自然の防御機転は単純である:即ちその大多数に於ては身
体の表面は多少固く厚い「キチン」層でおはれてゐる。
 脊椎動物では、少くとも、ある種のものは皮膚が同様に不透性の鞘で覆は

140          感染並に免疫に於ける皮膚の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
れてゐる;かくの如きは、就中、魚類及び爬虫類の鱗である。人間は、この
点では、余り有利ではない。最も屡々菌の侵入を避け得るとせば、之は特に
角質細胞が規則正しく剥離し、新細胞を以て補はれるからである。Sabouraud
の云へる如く”壊疽に罹れる層が絶えず剥離する、そして若し此の層が細菌
性のものであるならば、之に生活する細菌の絶えざる追奪がある”。言ひ換
へれば、皮膚は、云ひ得べくんば、絶えず上皮細胞を脱ぎ、そして之に侵入
する細菌の種類を除くのである。
 純器械的なるこの防御作用の他に、皮膚はその部位に喰菌細胞系統を有つ
てゐる。ある病原菌が皮内に侵入するや否や結締織は肥厚し、繊維性「カプ
セル」が出来、之が病毒を幽閉する。感染はそこで限局される。
 この操作は主として既に前に論じたる局所の「マクロファゲン」の作用であ
る。之は例へば、結核菌の場合に於て巨大細胞中に集合し、之に結締織繊維
の極めて著明なる発育を与ふるのは「モマクロフアゲン」の作用である。
 淋巴性要素、即ち上皮及び真皮の内部に認めたる遊走性細胞は感染の際に
も同様に移動する。病毒の周囲に、之等の細胞は集りて多少大となり時には
肉眼で見得る塊となる。真皮内に幽閉された白血球群は摘出されて終りとな
る様になる。生体はこの方法で病毒と同時にその救助に尽せる喰菌細胞より
免れる。
 始めは皮膚の限局せる一点に局限した感染が広がり領域を拡張することが
ある。この場合には局所の喰菌細胞はその職責を充分に果し得ない。生体は
然る時はその救助に遊走性喰菌細胞を送る: 即ちかくして特異性なく、感染
に脅かされた到る所の器官に同様の性質を呈する細胞を戦闘に向はせるので
ある。
 皮膚組織の免疫性は故に一方ではその特殊なる構造により、他方では之を
必要とするすべての組織に一様にその恩恵を施す喰菌細胞系統による。
 最近得たる事実はこの考を大きくさせた。吾人は葡萄状球菌及び連鎖状球
菌の如き細菌に関するこの考をここに述ぶるは満足とする所である。
       *  *  *

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         141
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 脾脱疽病は、以前は”脾臓の血液”又は”黒色病”として知られてゐたが
Pasteur 以前には毎年数百万「フラン」を算する損失を来した。牛、羊、馬、
騾馬は炭疽病のために驚くべき割合で斃死した。本病は罹患しないものは、
人の知る如く、甚だ種類が少い。実験室の動物さへ甚しく感受性がある;海
猽に於ては屡々唯一個の菌を注射し之を殺すに充分である。解剖処見に於て、
気のつくことは、すべての臓器が――例外なく――桿菌で蟻集されてゐるこ
とである。血液は赤血球と同じ位に桿菌に富む。よつて又常に炭疽病は敗血
性伝染病の好模範として考へたのである。
 Pastur の「ワクチン」の発見は牛、馬、綿羊を保護し得る。唯々実験室動物、
特に海猽は、この発見の恩恵を蒙ることが出来なかつた。多数の試験に不拘、
大動物にてかく容易に得た免疫に比し、之に匹敵する免疫或は之より距つた
免疫さへも与ふることに成功しなかつた。実験者は海猽の予防接種を再実験
し、その失敗の原因を本動物の極めて大なる感受性なる説明に求めた。
 真の原因は、今日知れる所では、他にある。
 吾人はここには実験の記載は述べないが、それによれば、海猽に於ては、
菌が繁殖し、その内部より毒素を造り出す唯一の臓器は皮膚であることが判
明した。この臓器以外には、菌はたとへ毒力が強くとも、恰も雑菌の如きも
ので、之を感染することもなければ、之を予防接種することもない。
病毒を注射するに当り、皮膚の汚染を避ける時は、海猽に何の危険をも与
へない。吾人は亦海猽に於て、気管内、腹腔内、腸管内、脳又は他の場処に、
少しも障礙を見ることなく、Virus の致死量の100倍を注入し得た。
 炭疽病に対する海猽の感受性は故に全身的ではない、本動物は主要部位と
して寧ろ絶対的部位として皮膚組織を有する。Virus の接種に次いで起る浮
腫は――侵入門口であるか何うか――新の皮膚感染の証明である。実験者が
皮膚を傷けるのは Virus の注射針を送入し、之を引抜く際に疑もなく汚染す
るからである。剖検によれば、動物は勿論定型的の敗血症を起してゐる;然
し、死の最初の原因は皮膚感染と云ふよりは寧ろ皮膚中毒である。兎に角、
菌が最後まで血液中に現はれないことを見るためには、時間毎に感染を追求

142          感染並に免疫に於ける皮膚の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
するより他に仕方がない。菌が流血中に侵入するのを見るのは、瀕死期に先
立つ数分の間である。故に炭疽病に特有なるは中毒であり ; 敗血症は後に来
るに過ぎない。
       *  *  *
 若し海猽が炭疽菌に非常に感染性がある様に見えるならば、吾人によれば
それは、その皮膚組織のためでなければならぬ。皮膚以外の組織や臓器は実
際上には感受性はないのである。
 若し然りとすれば、吾人の云へる如く、すぐれた感受性組織を予防接種す
る様に全努力をなせば、菌に対し海猽を予防接種し得るであらう。
 実験はこの予想を正当なものとなした。塗布によつて或は更によいのは皮
内注射によつて皮膚を免疫すると、大なる苦痛なく海猽に非常に強固なる炭
疽病に対する免疫力を与ふることに成功した。
 皮膚予防接種は単に皮膚免疫を造る効果があるのみでないことは付け加へ
る必要はない。該海猽は、全身的に同時に、炭疽病に罹らなくなる。之は何
より先に容易に了解出来る。海猽は皮膚なる感受性に富む唯一の臓器しか持
つてゐないので、この臓器が予防接種された時から病気に罹らなくなるので
ある。次いで腹腔内、気管内、腸管内、又は他の部に注入せる菌に対し、海
猽は始めて予防接種された皮膚の免疫、次に他の臓器の先天性自然免疫にて
対抗させる。
 矛盾を支持せんとすることなく、吾人は実験室の長い経験に於て、炭疽病
に対し海猽に与へることに成功したと同じ位の鞏固の免疫の例はめつたに遭
遇したことはないと云ふことが出来る。有効なる予防接種をなすために、必
要なる条件は経膚的に行ふことである ; 他の経験は、この中に皮下の経路を
含むが、効果はない。
 『層中に於ける皮内接種』と称する方法を行ふ時、即ち同時に多数の皮内接
種を身体の各部に行ふ時、人は特に鞏固にして迅速なる免疫力を得る。かく
して免疫方法を大なる表面に施せば、最小時に最大の免疫を発現する。
 海猽又家兎に於て、Pasteur の「ワクチン」を新しく剃つた皮膚に適用す

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         143
――――――――――――――――――――――――――――――――――
れば、よき成績を得ることが出来る。継続して第一、次に第二の Vaccin を
使用すれば、可成り速かにこの動物を大量の致死量の病毒に対し免疫し得る
のである。
       *  *  *
 炭疽病と同じ程度に、一般感染の症状を呈する疾患は少い。臨床上の症候
並びに細菌学的証明も全く炭疽病は全身敗血症を起すことに一致してゐる。然
しこの感染経過に関係するものは唯々皮膚のみである ; 炭疽菌免疫の発生に
参与するのは唯々皮膚のみである。
 若し炭疽病に対する予防接種が経膚的による他は実現されないとせば、そ
れは明に菌が皮膚と接触する時にのみ毒素を分泌するためである。吾人によ
れば抗炭疽菌免疫を実現させるのは又炭疽菌毒素である。皮膚の細胞以外の
細胞に対しては、菌はその毒素を分泌し得ない筈である。 ; 尚又、腹腔内、気
管内又は腸管内の経路によつては海猽を予防接種することは不可能である。
 炭疽菌は、吾人の見解によれば、「ボトリヌス」菌又は「ヂフテリア」菌と同
じく毒素を分泌する菌である。更に、生体の自然抵抗が破られて後に増殖す
るのである。 : 恰も大砲によつて破壊された陣地から突撃に飛躍する歩兵の
如きものである。吾人が菌の毒力に帰著せしむる習慣を有する所のものは毒
素の結果である。この理由のために、所謂超毒力菌即ち超毒素菌の場合には
注射部位に浮腫を証明することは出来ない。
 吾人が見た様に、予防接種に対し之に与るものは皮膚のみである。たとへ
困難なることは勿論であるが――皮下の経路によつても亦予防接種は達せら
れる、然し、かくして得た免疫は皮内経路によつて得る免疫より遥に鞏固で
はない。
 海猽に於ける実験的炭疽病の歴史は次の二つの項目中に総括し得 ; 一つ
は、感受性は皮膚の細胞に限られ生体の他の細胞は之を欠く、他は、免疫は
皮膚組織の攝受細胞の予防接種することにより成立する。
 皮内接種をなせる動物の血液中に凝集素、補体結合物質、沈降素を検索す
るも結果は陰性か或は抗体の痕跡を現はすに過ぎないことは注意すべきであ

144          感染並に免疫に於ける皮膚の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
る。
 後刻記載する如く、炭疽病で観察せる事実は、全体でないにせよ、少くも
大部分に於て、ある種の他の菌に適合する。予防接種せんがために通常の経
路、皮下又は腹腔内を使用するに拘はらず、失敗する ; 抗体を造る考を抛棄
し、攝受細胞の予防接種を目的とする時は、免疫は直ちに出来る。
 Vaccin の侵入門口はそれ故極めて重要なるものである。故に吾人は Wri-
ght と意見を異にする。氏は Vaccin の性質に触れることなく”皮下経路は
有効なり、されど静脈内経路は選ぶべき経路なり”と確言してゐる。Wright
が重要視せるは「オプソニン」 の形成である ; 従つて、この点よりすれば、す
べての経路が、略々同等の価値がある。吾人は反対に、侵入門口の選択は Vac-
cin 自身の選択程に重要ではないと信ずる。攝受細胞は特異であるので、予
防接種をなさんと欲する経路は同様に特異的でなければならぬ。即ち Vaccin
の性質に適合しなければならぬ、この点は人が今日まで考慮に入れることを
忘却してゐた所である。
       *  *  *
 若し脾脱疽病に於て皮内接種の動物で観察せる事実が海猽に於て特別生物
学上奇異なる特長をあらはさずとせば、又若し家兎、馬、牛に於ける最近の
観察が之を承認する如く、他種の動物にも適用さるとせば、如何にして皮下
注射法により綿羊に於て同じく優秀なる成績を挙げたのあるか?Plotz
の最近の実験はすべて家兎を皮下注射法により脾脱疽を免疫することが、不
可能とは云はないが、如何に困難であるかを示せる所を見ると、以上の事実
は更に説明し得ない様に見える。
 Plotz は Virus の大量(1cc, 乃至 3cc,=家兎に対する致死量の 1,000 倍乃
至 3,000 倍) を硝子製の「アムプレー」内に封入し、皮膚を切開して後、之を
皮下の細胞組織内に送入した。4―5日間、即ち傷口が完全に瘢痕を形成する
に必要なる時間を持つて後、氏は之をその場所即ち皮下で破壊した、もし手
術が巧みに行はれた時は、本法で感染せる家兎は死亡しない。然し、いづれ
の家兎も免疫になつてゐないのを見る : 即ち遅れて比較的少量の Virus

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         145
――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1∖500―1∖1,000cc) を皮内に接種する試験によれば、之等の家兎はたとへ Virus
の驚くべき大量1cc を皮下に受けたとは云へ、対照動物と同じ日限内に脾脱
疽病で斃死した。
 即ち皮下の経路に於ては、家兎では、抗脾脱疽免疫を与へない ; 此の事実
は全く確定された。
 Plotz はその研究中に於て、氏に興味を引ける失敗を記載した。家兎の瘢
痕形成が充分ならざる前に、挿入せる「アムプレー」を破壊せる少数では、家
兎は脾脱疽に罹患して斃死した : 即ち皮膚の極めて小なる傷も細菌を吸引
するに充分であり、致死的脾脱疽病を発揮せしむるに充分である。
 此の観察によれば、若し大動物例へば綿羊が皮下接種法によつて脾脱疽予
防接種が極めて奏効するとせば、その細胞組織と皮膚との間に「カナール」(邃
洞)を造る注射針に帰するものと認め得ないであらうか?或は淋巴液の流
れにより運搬された菌が、皮下「トンネル」の長い経路を逆流して、攝受細胞
を感染し(Cutiinfection)、之を免疫し(Cutivaccination) 動物に抗脾脱疽免
疫性(Cutiimmunité) を賦与し得るものと認めてよいのではなからうか?
       *  *  *
 吾人が脾脱疽の問題に就て述べた事柄は、特に脾脱疽菌だけについてであ
らうか? 人間又は動物の他の感染で同様なる事柄の観察される場合はない
であらうか?
 最初に同じ階梯の現象を見得る可能性ある疾患の二三は、葡萄状球菌及び
連鎖状球菌によつて生ずる現象であると思ふ。
 之等の感染の大部分は殆ど全部が皮膚に関係あることは人の知れる所であ
る。之等の患者の血清は、たとへ抗体を有することあるも、一般に甚だ少な
い。然し之は――確定せる事実であるが――「ワクチン」療法の最も有効なる
疾病の部類に属する。然りとせば、吾人の要求する所は、感染の重荷を全部
荷担ひ、予防接種の負担を確実にし而して生体に免疫性を確実に付与するで
あらう所のものは、皮膚組織でないであるうか?
 実験的に葡萄状球菌及び連鎖状球菌による皮膚病竈を生ずる可能性はこの

146          感染並に免疫に於ける皮膚の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
仮説を検印し得た。
 葡萄状球菌は海猽に対し極めて毒性強きことを証明した。皮下に注射すれ
ば、この細菌は「ブイヨン」培養の1―2cc, で 2―3 日目に該動物を斃死せし
めた ; 生き残つた場合には、独特なる皮膚病竈の形成を伴つた。注射後48時
間以内に、浮腫が少し宛浸潤し全腹部表面に拡がるを見た。皮膚は始め赤く、
中央が黒変し、次いで漏出するに至る。2 乃至3日後に、壊疽組織に陥るを
見た。この壊疽は剥離し、化膿せる大なる結痂を露出せしめる。更に大量を
注射すると、海猽は数日で葡萄状球菌の全身感染を起して斃れる。
       *  *  *
 海猽は皮膚病竈に対し予防接種せしめ得るか?海猽を致死的葡萄状球菌
の感染に対し防御し得るか? その詳細に入ることなく、之等両問題に対し、
実験は肯定を以て答ふることを認めしめよ。実験は、免疫を与ふるために、
経膚的にせよ、全身的にせよ。最良を示す接種方法は皮膚の経路を借りるこ
とであることを示す。
 皮内に葡萄状球菌死菌を注入すれば動物は局所感染を避け得る ; 之は特に
Vaccin を剃毛又は単に脱毛せる皮膚面に適用するので、最も大なる効果を
生ずる。
 腹部表面を脱毛せる海猽を取り、之にその胴体の周囲に葡萄状球菌予防「ワ
クチン」を浸せる繃帯を適合する時は、葡萄状球菌の皮下注入に対する抵抗
力は著しく増加するを認めた。繃帯を施せるものでは、海猽は皮膚の局所病
竈は極めて小なるが、その対照動物は腹部に甚だ大なる化膿性結痂を生じた。
或は又――同様驚くべき事実は――葡萄状球菌予防「ワクチン」繃帯を施せ
る海猽或は皮下層に Vaccin を接種された海猽は、屡々生存するが、処置せ
ざる対照の海猽は全身感染のために斃死する。
 この場合免疫性は尋常ならざる速度で形成する : 24時間にして足る。
 皮下の経路を借りる時、時として同様の効果を得、之は皮膚の付近に於て
Vaccin の一部がこの皮膚内に侵入するために引き起される。
 之に反し、Vaccin を腹腔内に注入する時は、免疫の痕跡も認められない :

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         147
――――――――――――――――――――――――――――――――――
該処置動物は、本試験注射の際に、対照の結痂と同じ大さを呈する結痂をあ
らはす。
 換言すれば、葡萄状球菌の感染に対しては、攝受細胞を予防接種する以外
には有効に動物を免疫し得ないのである
       *  *  *
 此の結論は通常の Vaccin で行ふ代りに、葡萄状球菌の培養濾液で行ふ時、
観察せる所により、確実と認められる。吾人は8日乃至10日間の「ブイヨン」
培養を使用した。濾過管で濾過して得られた液体は吾人の予期せるものより
かけ離れた予防的効果を賦与されてゐた。海猽に於て皮下接種する時は活動
性は極めて少く、皮内に接種する時はやや活動性がある、此の液体は脱毛せ
る皮膚に湿布の形で適用される時は著しく動物を防御する。免疫は湿布適用
後24時間で発現する。
 この葡萄状球菌は吾人が Antivirus と称へるものであるが、新に接
種せる葡萄状球菌に取りては不良なる培養基である。其予防接種能力は特異
性である ; 例へば、この濾液は連鎖状球菌の接種に対し予防しない。該濾
液は120℃20分間に置ける後でさへも、全部その能力を保有する。
 濾液の作用方法及びそれによる動物防御の速度より見て、全々抗体の関与
する所でないことは、殆どつけ加へる必要はない : 即ち之は皮膚の局所免
疫の存在による。
 吾人がここに記載せる実験と全く同一なる実験を海猽に有毒なる連鎖状球
菌株を以て行つた。重複を避けるために、単に次の点を記載するに止めるが、
この菌を以て観察せる結果は大体の点までは葡萄状球菌で記載せる所のもの
と同一であつた。連鎖状球菌の場合に於ては、予防接種の効果は、特異にし
て速かで、培養濾液で一回湿布繃帯せる後にあらはれる。この場合皮膚の攝
受細胞を予防接種せることは少しも疑を容れない。この予防接種は皮膚免疫
に帰するのである、この免疫は多くの場合に於て、同時に局所及び全身の連
鎖状球菌感染の結果に対し動物を保護するに充分である。
       *  *  *

148          感染並に免疫に於ける皮膚の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
吾人が総括せる実験で明瞭となりたるため、人間に於ける「ワクチン療法」
の問題は現今では判然した。
 この治療法は日一日と臨床方面に領域を占めた。英語使用国に於ては、「ワ
クチン」の使用は特に拡つた。其所では、極めて軽度の鼻加答留から最も重
篤なる敗血性に至るまで、殆ど全部に感染を注射で治療してゐる。仏蘭西で
は、皮下注射は余りやらない。特に葡萄状球菌による感染 : 「フルンケル」
癰(「カルブンケル」)、中耳炎、「ニキビ」、骨髄炎、骨膜炎、膿瘍及び其の他
に於ては之に頼る。この治療は多くの場合満足を与ふることはない。連鎖状
球菌の或る型に於て、「プソイド=ヂフテリア」菌、肺炎球菌、フリードレン
デル氏菌による或る病竈に於て一様に発売にかかる Vaccin 又は Autobvaccin
を使用してゐる。この治療の比較的幸福なる結果は患者自身によつて造らる
る抗体の「オプソニン」作用に帰せらるるのである。生体内に既に形成された
抗体の作用に之等の作用が加つて、かくして結合せる抗体が感染に対し強力
なる武器を形成するからであらう。人が「ワクチン」療法を説明するのは斯く
の如くである。之は今日では全く証明のない殆ど独断説に過ぎない。
 然し「ワクチン」療法のこの解説中には、何かしら既知の事実と融合し得な
いものがある。実験室内にて葡萄状球菌を使用せる人々は、その抗元性能力
は如何に無力であるかを知つてゐる。細菌学者にして有効なる抗葡萄状球菌
血清を掌中に所有せりと自負し得るものは少い。誇張なりと咎むることなく、
葡萄状球菌と同じく抗体の形成悪しき病原菌は余り知らざる所であることは
肯定出来る。然るにも拘らず、臨床家は――余り習慣となつてゐないが一様
に――「ワクチン」療法の処置によつて得たものと同じく著明に治癒すること
を知らざることを肯定してゐる。
 実際的なる臨床上の成功は、発現に困難にして屡々問題とせらるる抗体に
帰すべきであらうか? 単純なる推理は此の点に保留を設くる様吾人を強ひ
ざるか? 葡萄状球菌は抗体のお蔭で治癒するものと仮定して、皮下に注射
せる数百万の菌体の補給は、既に生体は極めて多数の生菌に犯されてゐる時、

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         149
――――――――――――――――――――――――――――――――――
その重要性はあまりに誇張されてはゐないか?
       *  *  *
 研究室と臨床との間に於ける不一致は、「ワクチン」療法が攝受細胞層に限
局されてゐる方法に基くことを承認すれば消失するのである。
 Wright によれば”「ワクチン」療法”は殺菌素、「オプソニン」及び喰菌素
の協同作用なりと云ふに反し、葡萄状球菌及び連鎖状球菌に関する吾人の実
験の証する所によれば、この治療は局所免疫より生じたるものであると考量
するものである。
 臨床家は「ワクチン」療法のこの新案を霊感するに躊躇しなかつた。葡萄状
球菌及び連鎖状球菌の感染に対し海猽を防御することの可能性が証明される
や否や、特殊の湿布繃帯を単に使用することから、彼等はこれ等の試みを速
に人間に応用せんと努めた。臨床上得たる結果を玆に縷述する余裕はない。
只次のことを云ふに留めて置く、即ち現今に於ては皮膚並びに粘膜に限局せる
数千の患者が抗細菌性湿布によりその治療に成功してゐるのである。
       *  *  *
 多くの場合に於て、濾過器を通過せる培養即ち細菌体を含有せざる無毒性
の液が使用された。「フルンケル」、癰、瘭疽、骨炎、骨髄炎、瘻官の痕跡を
有する又は有せざる種々なる漏膿、肋膜炎、腹膜炎、産褥熱等が通常の「ワ
クチン」接種では挙げることの出来なかつた成績を以て処置された。
 人間に於て得られた治療効果は動物に於ける実験に基いてゐた。そして合
理的なる「ワクチン」療法は抗体の形成に基くのではなく罹患せる器官又は組
織の Vaccination に基くべきことの意見を実証した。
 ここに吾人は「ワクチン」療法の機転を如何に考ふべきか。この治療方法は
人の信ずる如く抗体の形成に基くものではない。浸蝕されない様に、生体は
病中、それ自身出来るだけの最大努力を払ふのである。「ワクチン」治療剤は
病細胞を治癒するのではなく、単に未だ犯されざる細胞を保護するのである。
 既に発生せる病気の経過中に、「ワクチン」は特に未だ障礙を受けざる攝受
細胞が Virus に感ずる所の親和力を飽和する効力を有する : 即ち「ワクチ

150          感染並に免疫に於ける皮膚の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ン」は之等の細胞を非感受性となしかくして Virus と作用することを不可能
ならしめる。
 かく考慮せる「ワクチン」療法は健康なる攝受細胞の予防に誘導される ; そ
の目的は之等健康なる細胞を新感染の餌となすことの不可能なる状態とし、
感染病竈を局限するのである。既に感染せる細胞に関しては、喰菌細胞の種
類では医薬的性質は之に侵入せる菌だけに制限すれば充分である。
       *  *  *
 脾脱疽桿菌の作用方法と葡萄状及び連鎖状球菌の作用方法との間に認めら
れた類似点は、初めに、実験室内の研究に保留された様である。何となれば、
たとへ海猽に於ては、脾脱疽桿菌と葡萄状球菌との皮膚組織に対する親和力
が鞏固であるとは云へ、人間に於ては葡萄状球菌の寄生部位が著しく異るの
であるから、どの人間に於ても同様であるとは云ひ得ないからである。
 従つて、葡萄状球菌の又は連鎖状球菌が海猽の皮膚に対し脾脱疽菌に於て見
たると同一の親和力を人間の皮膚に対しても有つてゐると演釋【繹】するのは早計
である。この場合に於て、人間に於ても亦皮膚が最初の感染器官であること
は確実性がないとは云はれない。多数の場合に感染の或時期に全疾病を構成
するものは皮膚又は粘膜の感染である。
 それ故人間の葡萄状球菌及び連鎖状球菌の大多数の起原に逆上つて見や
う。それ等の菌は宿る部位として関節、肋膜、腎臓又は他の器関を有するが、
最も屡々該病毒を同じ起原 : 即ち皮膚粘膜の包皮中に見出すのである。球
菌類が血液又は内臓器官に移行するために出発するのは其所からである。尚
また海猽に於けると全く同じく、人間に於ても、葡萄状球菌又は連鎖状球菌
による感染の大部分の病原性は皮膚感染が支配すると称するも過言ではな
い。この病原性は「フルンケル」、毛囊炎、瘭疽、眼瞼炎、乳房炎、バルトリ
ン氏腺炎、子宮炎、角膜炎並びに口腔内の或る種の感染につき明瞭である。
この病原性は骨関節、心臓血管又は腎臓の寄生部位では著明でない ; 然し其
所でも亦皮膚の初発病竈の意義は疑なき所である。
 骨髄炎の中には、最初の原因が屡々「フルンケル」、膿瘍又は単なる皮膚の

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         151
――――――――――――――――――――――――――――――――――
剥離であるではないか?伝染性心臓内膜炎は、疑はしいにせよ、時によつ
て皮膚又は粘膜の葡萄状球菌感染によるではないか?腎臓内に粟粒膿瘍を
伴ふ膿毒症さへもその原因を葡萄状球菌より汚染せられたる皮膚より継続し
て解決されるではないか?ある時は顔面の「フルンケル」であり、ある時は
頸部の癰であり、ある時は安巍那であつて、一見良性のものが敗血症への門
口を開くのである。
 之を要するに良性の口唇「ヘルペス」より潰瘍性の心臓内膜炎に至るまで、
葡萄状球菌に由来する臨床上の変化は多種多様であるが、多くの場合に、最
初の皮膚感染を見逃すことはない。
       *  *  *
 皮膚の役目は単に疾病の本態に極めて最初の楷梯となるのみならず、更に
免疫のそれに於ても同様である。吾人は抗脾脱疽免疫に皮膚組織が予防接種
の方法に関係なしと云ふことは殆ど不可能である。綿羊、牛、馬の皮膚接種
の方法を応用せる良効なる結果は数へるまでもない。
 同じ種類の事実は近頃豚「コレラ」の疾病に於て観察された。Salmon et
Smith,Schweitzer によつてなされた予防接種の不成巧なる試験並びに Citron
の「アグレッシン」に就ての研究を想い起すのである。
 近来の研究に於て、吾人の同僚 Jeney は豚「コレラ」菌は経膚的による方
がすべての他の経路によるよりも遥に毒力強きことを示した ; 換言すれば、
海猽に於ては、恰も豚「コレラ」が特に皮膚感染なる如く、皮膚は優秀なる攝
受器官であるのである。
 その根拠から、Jeney は皮膚接種を行つた。これによつて特殊「アンチウ
ヰルス」を侵せる繃帯を以て単に腹部に適用せるのみにて、更に強固なる免
疫を成立することが出来た。かく繃帯された海猽は特異血清を与ふる免疫に
優る所の免疫を得た。即ち、之等の繃帯法は皮下に注射せる病毒に対し動物
を防御するが、腹腔内に於ける病毒の注入に対しては之を防御すること無力
なるを示した、即ち之は豚「コレラ」に対する防御は皮膚免疫なることを明か
に証明するものである。

152          感染並に免疫に於ける皮膚の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 同じ種類の事実は近来 Meyer et Batchelder により鼠の Iasteurella にし
て海猽に極めて強毒なる例に就いて記載された。経膚的に此の病毒を注射す
ると1乃至2日で海猽の死を招来することを確めたので、著者等は同一経路
により、特に特異「アンチウヰルス」を以て之を予防接種出来ないものか何う
かを試みた。氏等は一群の海猽には皮内に0,3ccの「アンチウヰルス」を注射
し、他の群には「アンチウヰルス」を造るに使用せる普通「ブイヨン」の0,3cc
を注入した。種々の間隔を置いて、氏等は之等の動物を厳重なる実験に供し、
病原菌に富める脾臓の碎片を軽度に亂切せる皮膚面にあてがつた。
 対照動物は全部死亡せるに、「アンチウヰルス」を以て経膚免疫せられたる
海猽は生残つた。免疫は既に18時間後に証明された ; これは約三週間続【継】続し
た。興味ある事実は、皮膚接種により免疫を得た海猽は供試菌の注射を皮膚
の代りに、皮下経路を使用する時には、対照と同じく感受性あることを示
した。
 更に付言すべきは経膚免疫をなせる海猽は血液中に抗体を証明しなかつ
た。
       *  *  *
 培養濾液を用ゐ皮下経路により予防接種を行ふこと、皮内経路は湿布繃帯
法によることと、免疫機転は殆ど変化がない。すべて之等の場合に、抗体に
関係なく免疫は獲られる :  之は皮膚組織の内部で出来るのであるから、局
所免疫である。
 如何なる細胞が関係するか? 正確に之に答ふることを知らぬ。皮膚予防
接種は網状織内皮細胞の固定せる攝受細胞内で起ることは確実らしい、この
網状織内皮細胞は皮膚の局所喰菌細胞の門口である ; 游走性白血球は第二次
的に参加するに過ぎない。Virus と接触し、予防接種を受けるのは固定せる
細胞である ; Virus に慣れ、それ自身に於て感受性を消失して了ふ、即ち免
疫を獲得するのは固定せる細胞である。
 新感染が生ずる場合に、一度 Virus に慣れた攝受細胞は、彼等は恰も雑菌
が存在する如くに、振舞ふのである。白血球を遠けることの出来る毒性物質

       感染並に免疫に於ける皮膚の意義         153
――――――――――――――――――――――――――――――――――
は少しも遊離して来ないので、喰菌細胞は生来の貪食性により新に到来する
病原菌に襲ひかかる。之等を捕獲して後、喰菌細胞は自ら生体に侵入するす
べての異物に対し之を貯留する運命を担はしめる。
 局所予防接種に次いで現はれる免疫は、一面に於ては、攝受細胞か又は喰
菌細胞が慣れて Virus に不感受性になることに基因し、他面に於ては、白血
球或は遊走性喰菌細胞の関与に基因するのである。
 「ワクチン」療法に次いで表はるる免疫は、同じ機転なることを知る。即ち
Wright によれば、免疫を確立するのは抗体であるとなし、吾人によれば、
Antivirus により免疫されるのは感染せる細胞に直接する健康攝受細胞であ
るとする。動物体内にて菌体より遊離し又は培養濾液より生ずる Antivirus
は二様の意義にその作用をなす : 即ち之は特に健康攝受細胞を不感受性に
して、Virus の繁殖を妨げ、攝受細胞をして Virus に冒されない様にする。
 かく考へると皮膚の局所喰菌細胞によるのであるから「ワクチン」療法は予
防的手段であつて治療的手段ではない ; 感染より免疫に至るまでの方法の全
相に拡がるのは喰菌細胞の本来の性質に帰するのである。
           ――――
         Mémoires Cités
 Besredka, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXV,juillet 1921, p, 421,
 Metchnikoff, L’ immunité dans les maladies infectieuses,
 Balteano, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXVI,1922, p, 805,
 Brocq-Rousseu et Urbain, Rec, mèdec, vètérin,, t, XCIX, 1923, p, 482,
 Vallée, Bullet, Société Centorale mèd, vétér,, t, XCIX, 1923, p,285,
 Plotz Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXVIII, 1924 p, 169,
 Besredka, C, R, Soc, Bologie, t, LXXXVIII, 19 mai 1923, p, 1273; t, LXX-
  XIX, 2 juin 1923, p, 7,
 Besredka et Usbain,C, R, Soc, Biologie, t, LXXXIX, p, 506,
 Rivalier, Thèse de la Faculté de médec de Paris, 1924,
 Solovieff, Veterinarnoie Dielo, n 10, 1926,
 Jeney, C, R, Soc, Biologie, t, XCII, 1925, p, 921,
 Meyer et Batchelder, Proc, Soc, Exp, Biol, and Medic,, t, XXIII, 1926, p, 730,
 Wright, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXVII, p, 107,

            Ⅹ
          経膚的免疫法
      Immunisation Par la Voie Cutanée(1)

 経膚的予防接種法は予防の目的で広汎なる範囲に、脾脱疽の感染の際に使
用された。
 最初の試験は伊太利に於て Mazucchi が綿羊に行つた。皮内経路により次
第次第に強毒なる菌を以て予防接種せるに、此の実験者は綿羊に極めて鞏固
なる免疫を賦与し得た。次いで大量の Virus を以て試験せるに、綿羊は体
温を軽度に上昇せる以外には他の反応を示すことなく、之に耐え得た。
 同種の実験を Maroc に於て Velu がやつた。その実験は11頭の山羊で行
はれた。之等の動物は一回だけ皮膚接種を受けた。皆が皆同量の Vaccin を
受けたのではない ; 即ち1∖5量から20倍量に変へたので、その一単位は皮
下注射に使用される通常量を以て表はさるるものである。
 一回の皮膚接種の後14日目に、すべての綿羊が試験的菌注入を得た : 氏
は羊に家兎に対する致死量の5,000倍量に相当する Virus の量を接種した。
只「ワクチン」量1∖5を皮内に受けた綿羊が死亡せるのみにて、他はすべて生
残つた。
 鞏固なる免疫はかくして綿羊に於ては皮内に只一回「ワクチン」を注射した
だけで発現せしめ得た。
       *  *  *
 皮内予防接種の試みは続いて馬でなされた。最初の実験は Brocq-Rousseu
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) Presse médicale, 12 juillet 1924, 27 octobre 1926; Annales de l’Institut Pas-
  Teur, juin 1927,

       経膚的免疫法           155
――――――――――――――――――――――――――――――――――
et Urbain に属する。その実験の始めに当り、著者等は馬が甚しく感受性が
あるので、細心の注意を払つた。詳細を述べることを避け、単に述べんと欲
するは皮内接種を受けたる三頭の馬は鞏固なる免疫を得たが、而もそのいづ
れもが血液中に抗体の痕跡を現はさなかつたのである。
 皮内接種反応は Brocq-Rousseu et Urbain の観察せる所によれば良性に
して、通常馬に於て観察さるる偶然の重篤症と比すべき程度に過ぎない。脾
脱疽流行の際に Villars の獣医なる Saint-Cyr は最近 Ain 県に於て多
数の動物に予防接種をなした、そのうちに40頭の馬を含んでゐた。馬の場合
に於ては、その感受性として知らるる反応を避くるためにあるゆる注意がな
された。皮下に第二回の「ワクチン」を接種して後4-5日で7頭の馬は極めて
重篤なる症状を呈し、そのうち3頭は脾脱疽で斃れた。
 予防接種の事業関係を終るに当り、著者は記載して曰く『氏がなしたる結果
によれば、氏は将来馬の予防接種を実行することは大に躊躇するであらう』と。
 問題となれる Brocq-Rousseu et Urbain の有益なる試験に続いて、大規模
なる皮内接種法が Asie 鉱山及び Maroc に於て近来実行された。
 Levant の軍隊に於ては、最近5年来、脾脱疽が可成り猖獗を極めた。大
多数が馬及び驢馬より成る此の軍隊の動物はその地で採集せる秣、大麦及び
teben を飼料とした。bled(草叢)の中を歩き廻はれる獣群は脾脱疽地帯の野
営で感染した。かくして、仏蘭西軍馬がシリアに到着して以来甚しき損失を
嘆くに至つた。
 感染せる部隊に実施せるパストウール氏予防接種は夥しき数に上つた。血
清加「ワクチン」注射更に血清による予防注射さへも行はれた。従来の予防接
種法によつて得たる之等の不成功により、軍馬獣医課長 Nicolas は一部に皮内
接種法を採用した。氏は先づ一定数の馬に試みた ; 次いで、本法の無害なるを
確めたので、氏は之を有効に全軍隊に拡めた、即ち約9,000頭の動物に行つた。
 ここに1925年1月1日に於けるこの脾脱疽皮内予防注射の第一回の仕事の
結果が何うであつたかを述べやう。
 1924年の始めに皮内接種をせる馬及び驢馬8,912頭のうち、4頭が死んだ、

156        経膚的免疫法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
そのうち2頭は予防接種経過中であり2頭は接種後である、即ち0,45%に当る。
 然るに、1919年より1923年に至る5ヶ年に於て、その期間には他の予防
接種法が実施されてゐたのであるが、平均一ヶ年に88頭の損失があつた、即
ち8,1%に当る。即ち皮内接種法は5ヶ年の平均死亡率を約20倍減少したの
である。
 ここに獣医課長が如何なる言葉を以て陸軍大佐に報告してゐるかを述べて
見やう : ”之は馬匹の脾脱疽予防注射の歴史中前例なき成功である、成功は
皮内接種法の殆ど全く無害なること及び有効なることに帰すべきである。”
 同様の接種法が翌年(1925年)に適用された。”この最近の実施成績は、吾
人が大臣に寄せたる報告書に述べたる1924年の成績を明に立証した、即ち
Besredka の方法による予防接種は反応少きこと――予防接種による致死的
災害は少しも認めず――又馬匹に鞏固にして一年間持続する免疫を賦与せる
ことを知つたからである。”
 1925年には、6,994頭の馬と驢馬のうち、5頭が死んだ、即ち0,72%に当
る ; この結果は1925年はシリヤに於ける”脾脱疽の年”(1)であつたことを
考慮すれば更に顕著なるものがある。
            *  *  *
 我国に於て、脾脱疽予防接種の恩恵を最も多く蒙ると称せられる動物は、
綿羊と牛とである。1924年内に Moroc に於て、Monod et Velu の発案で牛
類及び羊類に21,640 の予防接種を実施した(14,405 の牛、12,520 の綿羊、
4,640 の豚、及び75の馬)。
 注意すべき重要点は、之等の予防接種は甚しく病毒濃厚なる地方に実施し
たことである。之に劣らざる重要点は、予防接種はパストウール氏法で行ふ
如く二回に実施する代わりに唯の一回で行つた、之は獣医及び耕作者の側で大
なる価値ある長所である。
 Maroc の獣医は、この皮内接種方を採用したので、一様に本法の無害なる
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) 獣医課長の陸軍大臣に宛てたる報告。Revue Vétèrin, milit, 1926 を参照、

            経膚的免疫法            157
――――――――――――――――――――――――――――――――――
この、更に既に感染せる獣群に実施されること、有効なること、その優秀な
るために採用すべき方法なることさへも承認するに至つた。
 爾来、500,000 以上の予防接種が Maroc に於て Monod et Velu の指揮の
下になされた。
 ここに予防接種成績の綜合より得たる知見は如何なる者か、述べてみやう。
 ”Maroc に於て企てられた一般の実験と実際とは、一般に流布せる意見に
反し、唯一回の皮内注射は、発熱反応も、局部反応も、全身反応も起すこと
なく、鞏固なる免疫の発現を決定するに充分なることを証明した。
 ”免疫は殆ど即時に得られる。一回の皮内接種は殆ど爆発的の免疫を与へ
る、その故は Vaccin の干渉が大多数の場合に、甚だ稀であるが、最も重篤
なる獣疫を、48時間以内に一度に押さへつけることが出来るからである。之
がために予め感染せる家畜群の動物に高価なる血清注射を行ふ必要がない。
 ”免疫は鞏固である、何となれば皮下注射による最小免疫量の5分の1で
皮内注射の場合には之を予防接種するに充分であり従つて予防接種にはこの
分量の5倍を使用し得るからである。
 ”免疫は強烈である、何となればかくして予防接種せられた動物は強毒な
る脾脱疽菌の最小致死量の1,000倍量の皮下注射に抵抗し、感染地域に於て
2-3回の皮下「ワクチン」注射を受けたる動物と同様に平然たるものであるか
らである。
 ”免疫は持続する、何となれば之を実施せる大部分に於て、一年間「ワクチ
ン」を接種せる動物に於ては、一例の脾脱疽病も認められず、尚之等の動物
が、獣疫の発生せる地方に於て、感染地域に存する場合に於ても同様であつ
たやうである。
 最後に、Velu は観察の総括より次の結論を誘導してゐる、之を吾人は原
文通りに再録することとする。
 ”脾脱疽菌に対する一回皮内接種法は単純にして経済的なる方法である。
その無害にして効力の確実なること、血清注射を駆逐し得る免疫性の爆発的
発現、同時に予防接種の可能なることは、その地位は広大なる範囲の飼育地

158        経膚的免疫法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
では明に必要のものとなつた。即ちかかる所に於ては獣医は極めて遠く、動
物は半ば野生にして、取り扱ひに始末悪く、畜群はさまよひ、之を引続き2
回又は3回全部集めることは困難である。
 ”故に皮内接種法の研究は之以上技術の簡単にして、その実施に於て之以
上無害にして、その結果の之以上確実なる方法を要求することは出来ぬと思
はれる、かくの如き方法は殖民地の実施に貢献するものと断言することが出
来る。”
           *  *  *
 治療上には皮膚又は粘膜による予防接種は人間又は獣医の臨床方面に多数
にして多種なるものが用ゐられてゐる。吾人は Bouchaud, Cacan, Coignete,
Latil, Laseigne, Philippeau, Ravina の論文並びに Bass, Bonneau, Chevalley,
Demetriadès, Gerlach et Kralicek, Hababou-Sala, Kandyba et Natanson, Ki-
ssine, Levy-Solal et Simard, Lobre-Francillon, Lotheisen, Naudin, Nicolas,
Nicolaewa, Normet, Ribadeau, Roux, Schlein, Tonnat, Tron により種々なる
定期雑誌に発表された研究を借用し、一定数の観察を報告することとしやう。

           「フルンクロージス」
             Furonculose,
 「フルンケル」が孤立又は密集するにせよ、四肢、胴体、外聴道内、又は顔
面にあるにせよ、近年の実験では湿布繃帯、膏薬、沃度丁幾の塗布に、抗葡
萄状球菌濾液により特殊繃帯を代用し優秀なる成績を挙げ得た。
 初期に処置すれば、「フルンケル」は頓挫する、充分成熟せる時に処置すれ
ば、速に進行する。いづれの場合にも、特殊繃帯の速に痛みを止め膿塊癤心
が消褪するや否や結痂形成を促す。
  
  観察I,-p,…尾骶骨部位に激痛を有する「フルンケル」を生じ、殆ど睡眠を防ぐ。
  5月7日以来、患者は運動をなし得ず臥床す、疼痛は極めて烈しく患者は号泣
 せざるために堪えなければならぬ程である。
  5月10日に初めて抗葡萄状菌繃帯を試む。痛みは間もなく減じ、次に全く消失

            経膚的免疫法            159
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 し、患者は睡眠す。
  4時間後に、湿布は乾燥し痛みが再発す。午後8時に新に繃帯す ; 痛みは直ちに
 消失す。5月11日朝4時、次に正午に包帯を新にす。膿塊は除去さる。
  5月12日、炎衝症状は遞減す。患者の容体は益々満足すべきものとなる。

  観察 II,―G,……「フルンケル」が左側の腿に生ず ; 中央部は強く充血し「チアノ
 ーゼ」をなす。膿汁を排泄することなく、小なる口を認む。浸潤は深く硬し。疼
 痛烈し。患者は杖に倚り歩行困難である。
  1月29日、抗葡萄状球菌の湿布繃帯を始めて行ふ。翌日痛みは消失す。發赤は
 消褪し、炎衝減少す。
  2月1日、發赤も、浮腫も認めず。最後の特異繃帯を施す。

  観察III,―旋盤工、3ヶ月以来「フルンクロージス」に罹患す。頸部に大なる「フ
 ルンケル」を呈す ; 膿塊癤心の口は浸み出るに過ぎない ; 頸部の疼痛と「シコリ」
 は通常の治療に拘はらず数日来継続。
  「ブイヨンーワクチン」による湿布繃帯を適用す ; 数時間にして、患者は緩和せ
 るを認めた。翌日、起床に際し、”患者は少しも悪く感じないで全く自由に頭を廻
 転す。”。24時間で、「フルンケル」は窪み漏出は止む。

  観察 IIII,―青年、二ヶ月来、一列の「フルンケル」が頸部に発生す。種々なる治
 療を試みたるも効果なし。発生せる時には、その頸部は17個の「フルンケル」が散
 在しうち4個は大である。患者は頭を動し得ず又睡眠し得ず。膿疱の清拭と切開
 の後に、抗葡萄状球菌濾液を浸せる圧迫繃帯を施す。
 直接の効果は疼痛の去れることで知らる。翌日、炎衝症状は消失す。葡萄酒の糟
 色を呈せる頸部は正常の外観を呈す。淋巴腺膨脹は容積を減ず。三回の湿布繃帯
 の後に大なる「フルンケル」の膿塊は除去し、小なる「フルンケル」は乾燥す。

  観察 V,―30歳の男、朝覚醒と共に鼻の先端は赤く、腫大し疼痛あり。右側の
 鼻翼の内面に固くして圧迫により痛みを感ずる小塊を認む。葡萄状球菌「アンチ
 ウヰルス」を浸せる湿布繃帯を施す、殆ど即時に、患者は緩和す ; 發赤及び疼痛
 は速に消失す。特異繃帯は午後と翌日に新たにさる。この時、患者は治癒せるを認
 む。「フルンケル」は去り、再発は起らなかつた。

  観察 VI,(Montpellier, Dr R……の自己観察)―数日来、余は右側鼻孔の大なる
 「フルンケル」に犯さる : 3―4日以来痛く苦しむ。余は感染せる鼻孔内に「フル
 ンケル」と接触し、「ブイヨンーワクチン」を浸せる綿の「タムポン」を一夜中入れ
 て置いた。白状するがその結果を少しく疑つてゐた。然し、起床の際全く軽減せ

160     経膚的免疫法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 るを認む。余の鼻は柔軟になつた ; その發赤は充分褪せ、24時間後には、「フルン
 ケル」は治癒した。

  観察VII,(Marseille Dr R……の自己観察)―外聴道に於ける刺戟性にして疼痛
 ある葡萄状球菌感染にかかる。余は二回反覆し該感染を消褪せしめ同時に化膿期
 前の刺す如き痛みを消失せしめることが出来た。二日にしてすべてが順調となつ
 た、諸君余の満足を思つて下さい。

            癰
          Anthrax

 Antivirus による湿布繃帯は之を初期に施す時は屡々癰を頓挫せしめる。
感染部位は蒼白となる ; 浮腫疼痛は減少す ; 熱は低下し患者は休臭【息】感を覚え
る。
 発病の極期に於ては、小なる切開にて足る。「アプセス」の腔内に Antivirus
を滴入するか又は其所に Antivirus を浸せる心(しん)を挿入する。かくして切
開による創痕を避け、顔面癰の場合には、全身感染の危険を避ける。
  観察I、-MC、……、39歳、12月11日に Saint-Germain 病院に入院す。2病竈存
 す :  左側腓腸の癰の大さ3cm の盃状托を有す、右側腿の後面の癰同上の大さ
 を有す。患者は疼痛による不眠のために疲労す。食慾減退するも熱なし。
  各盃状托の部に、葡萄状球菌及び連鎖状球菌を認む。第一日に抗葡萄状球菌濾
 液による湿布繃帯を適用し ; 翌日混合濾液を使用した。
  12月14日、各の癰の囲繞せる烈しい浸潤区域は減退す。之を蔽ふてゐる水疱は
 は空虚となる ; 水疱は新に生ずることなし。盃状托は清拭され充満する傾向あり。
 患者は熟睡し、食慾を回復す。此の時より局所症状は速に良好となる。

  観察II,―60歳の女、糖尿病 ; 初めに背部両肩胛骨間に大なる癰を生ず。之を
 「テルモカウテル」にて開き、通常の湿布繃帯にて処置す。
  20日後に腰背部に2個の新生癰の発生を認む ; 之を「テルモカウテル」にて切閉
 し、此度は Antivirus による湿布繃帯で処置す。
  最初の癰には相異を見るために、故意に単純繃帯にて治療されたもの、瘢痕と
 他の二個の特異繃帯を以て治療されたものの瘢痕とを比較するに、次の事が証明
 された : 最初のものより15日後に発生せる二個の癰は、少くとも最初のものよ

            経膚的免疫法            161
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 り15日早く治癒した。

  観察III,―吾人はDrM……の報告を受けてから2ヶ月である、余は「約15日を
 経過せる癰を有する一婦人の患者に呼ばれた。余は「テルモカウテル」で一眼より
 他眼に及ぶ手掌大の全頸背部に亘る病竈部を切り取つた。之は血膿及び脱疽屑で
 満ちてきた ; 余は実際同大の創痕を残すことを恐れた。余は「ブイヨンーワクチ
 ン」による繃帯を適用した ; 48時間後に、余は他の繃帯をなし軽度の快方を認め
 た ; 患者は苦痛が軽減した。
  余は余の住居より甚だ遠隔なるため患者のため娘に他の三回の繃帯を委嘱した。最
 初の適用後10日目に、余が訪ねた時、余はその結果に全く吃驚した。即ち目前に
 は少しの膿痕もなく生気ある赤色で蔽はれたる創痕を見たのみである。
  現在では、創痕は全く癒着した。

  観察IIII,―M,夫人、68歳16―22gr, の糖尿病。1926年8月3日、余は患者を見
 た : 全頸背部を占むる巨大なる癰あり。手術(「クロール=エチール」の吸入) : 全
 病竈を截除、緑色又は脱疽状を呈する部分を全部摘出。垂直に上昇する切開は創
 面の各側より頭頂に向つて上り、幅約4cm, 長さ約12cm の毛髪を発生せる皮膚
 片を剥離した。剥離せる皮膚片の端は顱頂部の毛髪発生皮膚と Florence 毛によ
 り固定さる。体温は38°と39°の間を上下す。
  8月9日頸部の右側部位に壊疽様の浸潤が起つた。第二回の手術 : 脊椎上部
 及び頸動脈部の全柔軟組織を肩峰突起に至るまで摘出した。
  柔軟組織の覆蓋を一度び除去するや、直下にある筋肉は壊疽で浸潤せるを見た、
 余は胸鎖乳嘴筋の下半分と僧帽筋の大切片とを切り取つた。頸部大脈管が共通の
 鞘に包まれ傷面の底部に見えた。
  細菌学的検査の回答を待ちつつ、抗葡萄状球菌の販売濾液の繃帯を施した。検
 査の結果は葡萄状球菌及び連鎖状球菌なることを明にした。この時より、混合販
 売濾液を1日2―3回、3―4週間使用した。
  9月1日、毛髪発生皮膚片をつなぐ連糸を切断し、之を赤色にして充血し充分
 に肉芽状となれる創面に付着せしむ。そこで脂肪を塗つた紗布の繃帯をなす。9
 月14日頃、患者は病院を去つた。彼女の表在性の創面は尚長さの最大15cm,幅
 の最大8cm を算した。容体極めて良好。

            瘭疽
           Panaris,
  M……嬢右手の中指に深在性瘭疽あり。表在性瘭疽の結果軽度の切開を受けた
 る後、患者は注意せず自宅療養をなし創面を汚染す。指は浮腫を呈し、發赤疼痛

162     経膚的免疫法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 を訴ふ。腱鞘を犯される心配があるので、吾人は Vaccin による繃帯を施した。
 之は翌日取り代へたが、浮腫、發赤疼痛は減退し、皮下に膿を誘導す。完全なる
 治癒は9日で得られた。

           乳房炎
          Mammite,

 乳腺の炎衝の中に瘙痒、發赤、疼痛性腫脹を呈する場合には即時に特異繃
帯を使用せるに、極めて屡々化膿することなく吸収を促進す。膿の形成ある
場合には、切開の後濾液で洗滌し且つ濾液を浸せる「ガーゼ」を插入すれば速
に瘢痕を形成せしむ。
  観察I,―L……(Franoçise,), 18日前発生せる乳房の「アプセス」のために1
 月5日 Saint Germain 病院に入院す。局所に極めて烈しき疼痛あり。体温39°2
 cm の切開により、多量の膿汁を排泄す ; この中に連鎖状球菌を発見す。
  「アプセス」の空洞には「ワクチン」濾液に浸せる「ガーゼ」を確り填める。殆ど直
 ぐに、疼痛及び発熱の消失せるを認む。
  20日で完全に治癒す。
  観察II,―乳房の巨大なる「アプセス」, 車輪の輻状に四個の切開をなし、管を
 以て大なる排膿をなす必要あり。腺は炎衝硬結の所在部位となり、硬化深在性に
 して、遂には化膿せんとして居る。
  排膿管を通じて、「ブイヨン=ワクチン」を充せる蒸気噴霧を行ひ、この同液に
 浸せる「ガーゼ」を出来るだけ深部に挿入す。
  感染が殆ど全乳房に及ぶ時には常に長期間を要するものが、著しく速に経過し :
 20日以内に、乳房は正常の外観に復し、その柔軟性は5―6週の器官を待つまで
 となる。

        感冒性化膿耳炎
      Otite Suppurée Grippale

  耳の「アプセス」が1月13日に穿孔す。耳浴の処方に昇汞化「グリセリン」次いで
 硼酸「アルコール」とす。この洗滌は毎日行はれ2月5日に及ぶも著効なし ; その
 感染は慢性になる恐れがあつた。
  2月5日耳浴に数滴の「ブイヨン=ワクチン」を加へたものを用ひ ; 同じ液に浸

            経膚的免疫法            163
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 せる綿を耳介上に適用す。
  2月6日、流出は全く乾く。

            中耳の「アプセス」
         Abcés de l’Oreille Moyenne

  中耳の「アプセス」、鼓膜穿孔し乳嘴突起炎始まらんとし、まさに専門医を訪れ
 穿骨術を受けんとせる程であつた。
  「ブイヨン=ワクチン」を適用して後、患者は間もなく軽快し ; その第一夜に熟
 睡し、手術することなく恢復す。

             鬚瘡
         Sycosis de la Moustache

  M……氏は一年に二回規則的に鬚瘡の罹つた。普通に、「ポマード」及び種々の
 洗滌液を使用するに不拘、感染は皮膚の広範囲を浸し数週間継続す。患者が罷り
 出た時は、病竈は前日あらはれ2―3平方糎の表面を占む。最も著明なる化膿性
 病竈を火で焼灼し、「ピンセット」で脱毛をなす ; その上に「ブイヨン=ワクチン」
 の繃帯を施す。その晩は極めてよく過ぎた ; 瘙痒は数時間で癒ゆ。翌朝、患者は、
 繃帯を取りつつ、”それが治癒せる”ことを認めて非常に吃驚した。明に、脱毛
 せる皮膚はきれいになり、全く周囲の健康なる皮膚に比較し得。此の患者につき
 Dr N, を認めしめた皮膚接種の優秀なることは、それまで使用せられたるすべて
 の消毒剤に勝れることを示す。

        處生兒の化膿性皮膚炎
       Pyodermite des Nourrissons

 広くひろがれるこの疾患はその頑固なると種々なる治療に対し抵抗強きと
により絶望的のものである。
  観察I,―V,R……, 生後6か月、1925年10月13日、Marfan 教授の病室に入院
 す。彼女は二度の栄養不良の状態、肋骨の珠数状を有せる軽度の佝僂病、頸部
 腋窩及び鼠蹊部の矮小多発性腺病を呈す。
  10月23日、頸部に限局し天疱水より成る多数の発疹をあらはす。他の部、顔面

164     経膚的免疫法
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 の付近、胸部の上部に数個の「アセモ」を認む。
  天疱水の漿液検査によれば葡萄状球菌が純粋の状にあることを示す。葡萄状球
 菌「ワクチン」を以てせる繃帯の作用により、天疱水の発疹は2日で癒ゆ。感染せ
 る粟粒疹は少しく長く続く。
  烈しい頑固なる鼻加答児は通常の医薬(ユーカリ樹油の「コラルゴール」溶液)に
 抵抗し、移植するに特に連鎖状球菌を示したので、連鎖状球菌濾液を鼻腔に注入
 せるに数日で消失した。

  観察II,―小児 Hélène H, ……, 1925年7月10日生れ、8月18日左側内髁付近の
 部位に生ぜる「アプセス」のために小児救済病院(Parrot 哺育育)に入院す ; 浮腫
 が足の背部、脛の前部、膝に至るまで存す。軟き点を呈せる「アプセス」は翌日瘻
 管を形成す ; 浮腫と發赤は継続し ; 体温は38°8で稽留す。
  「ブイヨン=ワクチン」で処置せるに、浮腫上の腫脹は消失し、完全治癒は5日
 間で得られた。
  10月15日、全夏中消化不良を呈せる小児は第二度の栄養不良の状態である ; 腹
 部及び四肢の脂肪膜は消失した。小児は新に毛髪部の皮膚に皮膚性又は皮下性の
 多発性「アプセス」を有する化膿性皮膚炎を呈す ; 頸背部に限界極めて悪しき巨大
 なる腫物を生じ、浮腫性腫脹は頸部一円に及び更に側方顳顬部位に達す ; 左側耳
 朶に出血を認む。之は栄養不良者に於ける毛髪発生皮膚の膿瘍にして Marfan 氏
 は特に重篤と考へ、屡々死の転帰を取るものと考へる。切開す ; 漿液帯血色性液
 体が流出し、その内容を対物硝子にて検し更に培養して葡萄状球菌の存在を知る。
 葡萄状球菌濾液を以てせる繃帯の作用により、頸及び毛髪部浮腫性の腫脹は消失
 し、膿は切開部に於て排除す ; 浸潤性膿瘍の治癒は3日で得らる。

  観察III,―小児 Georgette L……, 1925年2月5日生れ、気管枝肺炎を併発せ
 る麻疹のために、1925年4月の初めに小児救済病院(伝染病室)に入院す。
  数日にして前額及び右側顳顬の膿疱性化膿皮膚炎の小疱を発生す ; 之に「ワク
 チン」含有「ポマード」を使用す : 即ち「ラノリン」と葡萄状球菌濾液との混合で
 ある。
  日毎に、病竈の快方に向ふを認む。6日目に膿疱疹は消失し、乾燥し痂皮を以
 て蔽はれた。
  右側上眼瞼の部位に、「ポマード」を貼用し得ざる発疹があつた、之が対照の発
 疹となつた。その炎衝症状は継続し、膿を含有せる小嚢を形成し、明に他のもの
 より区別さる。

  観察IIII,―Jeannine S, ……1925年8月26日生れ、1925年11月10日小児救済
 病院(Pavillon Pasteur)に入院す。入院させた理由は小児が発育せず、体に吹出

            経膚的免疫法            165
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 もの、甚しき発汗による「アセモ」を発生したためである。之は佝僂病である :
 頭蓋消削病及び珠数状肋骨をなす。小児は左側臀部に巨大なる「アプセス」を示す。
  「ブイヨン=ワクチン」にて処置するに、化膿性皮膚炎の病竈が治癒せるを以て、
 1925年11月23日に退院す。

            小膿疱疹
            Impétigo

 初期は葡萄状球菌に由来するこの感染は屡々多種細菌の第二次感染を併発
す。適当なる Antivirus を局所に適用することが選択すべき治療法である ;
この場合約10日の期間を継過することは稀である。
 
  観察I,―M,S,S,B, ……左側の耳に受けた刀傷に次いで、耳殻、乳嘴突起部及
 び耳下腺部に潰瘍と独特なる痂皮とを有せる Impetigo を生ず。
  1924年3月15日より3月20日まで、3回「ワクチン」を適用せるに、根治するに
 至る。第一回の適用後に、痂皮は剥離す、3月20日、全部位が上皮を生ず。

  観察II,―M,G,G, ……,指物師、屡々木片にて指を損傷し、時々損傷部に潰瘍
 性大膿疱疹の発生を見、全作業を中止せねばならなたつた。吾人は1924年3月之
 を見る機会を得た、之は1ケ月以来生ぜる化膿性膿疱疹で少しもよくならない。
  2日の間隔で3回「ワクチン」を適用せる後、完全に治癒した。患者は「ワクチ
 ン」の適用後一年半で再び訪れた ; 彼は屡々皮膚に外傷を受くる如き仕事を継続
 せるに拘はらず、更に病竈を生じなかつた。

  観察III,―Mlle P,V, ……6ヶ月以来化膿せる乳嘴突起炎のために手術せる妙齢
 の患者に於て、前頭部に約1糎平方、後頭部に3―4糎平方の Impétigo 様の二病
 竈を毛髪発生部の皮膚に生ず。2月以来、之等の病竈は癒着する傾向がない。
  吾人は1924年3月20日より28日まで「ブイヨン=ワクチン」を2日目毎に前頭部
 に適用し治癒せしめ得た ; 3月20日より4月8日まで後頭部病竈に適用し同様の
 結果を得た。

            オツエナ
            Ozéne

 鼻腔粘膜に局所的に適用せる、Antivirus 浸潤「ガーゼ」は、Jacques, Nancy, Re-
battu et Proby, Lyon の管轄内並びに Doviol-Valcroze 及び Leplat の管轄内で、

166           経膚的免疫法
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 良好なる結果を与へた、特に粘膜に予め胆汁を塗布せる場合が有効であつた。

,            角膜の感染創傷
          Plaie Infetée de la Cornée

  F,G, は10月8日角膜に異物を受けた。間もなく葡行性進行をなす「アプセス」
 ついで前房蓄膿症を起した。患者は烈しく苦しみ、一睡せず。
  10月20日、第一回「ブイヨン=ワクチン」適用。21日「アトロピン」をやめたにも
 拘はらず、疼痛は消退す、もはや前房蓄膿症なく ; 「アプセス」は洗滌さる。「アプ
 セス」の場処には洗滌された深部の潰瘍が残存するのみである。この良好の経過
 は27日まで続き、その日に癒着が充分に行はれ、感染は消失し視力が恢復せるを
 見る。
 
            涙嚢の慢性「アプセス」
          Abcés Chronique de Sac Lacrymal

  糖尿病患者で治療手術を行ふことを躊躇せるものに於て起る。Antivirus 濾液
 を以て涙嚢を四回洗滌し全化膿を消褪退せしめた。

,            涙嚢炎
           Dacryocystite

  観察I,―16歳の若き娘、1924年12月4日、涙嚢の感染で来る。彼女は3年来病
 気である。右側涙嚢から多量の膿が流る。この膿は極めて速に形成さる。幼少の
 頃、彼女は風邪に罹患し、「カテーテル」及び涙嚢内に種々の物質を注入して処置
 された。二年間で、涙嚢の部位に「アプセス」が形成さる。
  細菌学的検査は肺炎菌を証明す。12月18日自家「アンチウヰルス」を涙嚢内に第
 一回の滴入をなす。自家「アンチウヰルス」による治療は12月30日まで継続さる ;
 全部で6回の注射がなされた。1月10日患者は治癒し退院す。彼女は2年半この
 方観察され、再発がなかつた。

  観察II,―38歳の婦人、1925年2月24日右側涙嚢炎衝のため訪る。彼女は4年
 来病気である。多量の膿が涙嚢より流出す。患者は専門医に治療されたが成功せ
 ず。最近手術を薦める者があつたが彼女は之に従ふことを拒否した。
  細菌学的検査によれば短連鎖をなす双球菌を発見す。3月12日、涙嚢内に自家

            経膚的免疫法            167
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 「アンチウヰルス」を注入す。注入は七回反覆された。3月31日患者は治療退院す。
 彼女は二ヶ年来観察さる。

  観察III,―45歳の婦人、1925年3月3日涙嚢の炎衝のため訪問す。彼女は6年来
 病気である。濃厚多量の膿が右側涙嚢より流出す。患者は種々の治療を置けた ;
 屡々「カテーテル」で洗滌された。
  細菌学的検査で、肺炎双球菌を発見す。3月21日右側涙嚢内に自家「アンチウ
 ヰルス」の第一回注入を行ふ。之に続いて11回注入をなした。4月18日、患者は
 治癒退院す ; 彼女は尚2年来観察のため残る。

,            潰瘍性眼瞼縁炎
           Blépharite Uleéreuse

  観察I,-35歳の男子 ; 2年来眼瞼炎に罹患す ; 眼瞼縁の發赤と浸潤、毛根に
 於て深部性潰瘍を伴ふ癒着性痂皮あり。黄色葡萄状球菌を発見す。患者は「フル
 ンクロージス」の傾向がある。Wright 氏法による「ワクチン」療法を行つた ; 患
 者は次いで砒素剤の皮下注射の一巡を受け、内服に麦酒の酵母を摂つたがいづれ
 も効果はなかつた。
  葡萄状球菌「アンチウヰルス」による湿布繃帯の適用に続いて、眼瞼は速に正常
 の外観に復した。5ヶ月間患者は観察されたが、少しも再発はなかつた。

  観察II,―右側眼瞼の湿疹性眼瞼炎にして定型的浸出性潰瘍を伴ひ薄皮を以て
 蔽はる ; 睫毛の縁に添うて小潰瘍を認む ; 眼背区域に於ては赤色の皮膚はひびだ
 らけとなり潰瘍とならんとする傾向を示す。左側では、更に發赤は広がり糖粃状
 の鱗脱皮あり、中央に白点を有する二個の麦粒炎存す。
  この感染が慢性化する前、Antivirus による繃帯湿布をなした。5回の繃帯後
 即ち治療後一週にしてすべての治療を拒否し、傷口は閉ぢた。”麦粒炎は二回の
 繃帯後に妖術による如く消失した”。

  観察III,-14歳の少年 ; 一年来眼瞼にその縁に固着する痂皮を有す。之を剥離
 すると出血性の小なる潰瘍が露出する。眼瞼縁は充血し軽度に浸潤す。黄色葡萄
 状球菌を認む。葡萄状球菌「アンチウヰルス」による湿布繃帯は快癒に導く。患者
 は2ヶ月間観察のため留まる。

168           経膚的免疫法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
           口内炎及び歯槽骨-骨膜炎
       Stomatite et Ostéo-Périostite Alvéolaire,

  30歳の患者、特長ある潰瘍性口内炎(口の悪臭、顎下腺の疼痛と腫脹)、3ヶ月
 来治療もさまで快癒の兆候なし。混合「アンチウヰルス」を適用す。疼痛消失し、
 三日後に、完全に治癒す。
  他の患者、彼自身医師、急性歯槽骨―骨膜炎の症状にて「クリニク」を訪る。之
 に在来の治癒法(穿骨、洗滌等)を受けさす。疼痛去らず、3晩継続せる不眠の後、
 患者は抜歯を要求す。最後の手段として彼に葡萄状連鎖状球菌「アンチウヰルス」
 を試用せむことを薦む : 之の歯根管の中に少し注入し、その後にその出口を密
 閉す。
  この適用後二時間で、痛みは止む。翌日その歯は全く感じない様になつた、然
 るに前日までは軽く触るるも極めて烈しい疼痛を起したのである。

           火傷
          Brulures

 更に押し広むれば、之は病原菌の侵入門口に役立つ ; 治療は傷口の上皮形
成を促し、感染を防ぐことを目的とす。この場合には Antivirus はすべて指
示せる生物学的消毒剤となる : 即ち化膿に反抗し、細胞に有害作用を及ぼ
さず、却つてその抵抗を強める。瘢痕形成上皮形成は特異繃帯の適用後直ち
に促進され、負傷者は充分よくなれる様な感じを懐く。
  観察I,―O,D……嬢、16歳、三度の火傷、左側上肢の全内面、両乳房の表面、
 左側の手の両面、右側の手の半面に及ぶ。火傷は極めて感染さる。
  1924年3月20日、Vaccin を浸せる湿布を露出せる皮膚が多少深く犯された全部
 位に適用す。翌日、損傷せる全部分は既に当該表面の1∖3が恢復す ; 尚露出せる
 部は少しも感染せず又夥しき吹出ものもなし。3月25日表皮形成は左腕全表面に
 起る。唯々数個の小なる体液の流出物の尚認めらる。右側乳房の傷面は治癒す ;
 左側乳房の傷面はその面積の半分以上に上皮を生ず。3月27日、恢復著明となる
 最後の「ワクチン」繃帯は3月29日 ; 次いで乾燥繃帯をなす。

  観察II, ―M,J……夫人、22歳。4度の火傷、左側肩の前部より手の両面に及ぶ。
 中央に、一大結痂あつて排除口を有す。皮下の細胞組織は露出し著しく化膿す。
  5月12日 Antivirus の繃帯を適用す。14日、脱疽部は極めて容易に剥離す。す

            経膚的免疫法            169
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 べての部分が露出し鮮紅色の血液が浸出し、化膿は極めて少くなる。煮沸水を以
 て洗滌せる後、16日に乾燥繃帯を適用す ; 浸出液は次第に増加す ; 或る点は尚ほ
 感染し、吾人は之に「クレーム」状にせる Antivirus 層を適用することとす。18
 日、傷口は瘢痕形成のよき経路を示し、更に化膿せざるに至る。

         感染創傷及び「フレグモーネ」
        Plaies Infectées et Phlegmones

  観察I,―手の「フレグモーネ」前腕の淋巴腺炎を伴ふ。手掌及び手頸の上の屈折
 筋及び伸張筋の腱鞘を開いて後、「ブイヨン=ワクチン」を創傷内に注入す。消毒
 的繃帯と特異繃帯とを交互にす。12日間で治癒す。結果は極めてよい、と Sanit-
 Mihiel の Dr P……は付加す、何となれば最初の6日目にすべてが空虚となり、
 何の病弱を残すことなく治癒は確実となれるからである。

  観察II,―男子膝の「フレグモーネ」に犯さる、発熱38°皮膚は強く浸潤し、光
 沢があり、膿疱で蔽はる ; 疼痛烈しく快癒する傾向少し、疼痛は Antivirus の繃
 帯の適用を受けて10分以内で軽減す。
  12時間で、体温は正常に復帰し、腫脹は消失し、膿疱は乾燥し、患者はその膝
 を plié (「ダンス」の時膝を曲げる動作)をするまで矯正することが出来た。
  治療3日後に、患者は歩行することが出来た。

  観察III,―下顎角の「フレグモーネ」智歯の「カリエス」に継続す。化膿性洞腔を
 穿刺し空虚にし、毎日2回「ブイヨン=ワクチン」の一筒を注入す。乾燥し瘻管を
 形成することなく治癒し敢えて切開に頼る必要がなかつた。

  観察IV,―骨髄炎、数ヶ処もの手術(膝の載除、徐々に排除する腐骨片、新な
 る手術の際の数回の擦剥)に引続ける永久性漏洩を伴ふ瘻管のため一年半以来治
 療す。八月に、急性に進展す : 発熱、局所の疼痛、腫脹、發赤。「アプセス」を
 形成す ; 切開により、200gr 膿汁流出す。葡萄状球菌「アンチウヰルス」を多量
 に浸せる「ガーゼ」を挿入し排膿す。同じ「アンチヴヰルス」を浸せる圧迫繃帯をな
 す。
  翌日、圧迫繃帯は膿汁を含有せざる漿液を以て濕潤す。
  3日目頃から、烈しい分泌は著明でなくなる。「ガーゼ」は除去さる。更に数日
 経過し、創傷は閉塞し、少しの化膿性流出もなくなる。
  即ち、二回の反復で、患者は同一場所に嘗て同様なる「アプセス」を造つた ; 切
 開と排膿によれば軽快するには毎回約3週間を要した、然るに Antivirus の影響

170           経膚的免疫法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 によれば「アプセス」は6日間で縮少し完全に治癒した。

  観察V,―手術後の「フレグモーネ」、「ヘルニア」の手術に引続き、体温上昇し、
 3日目に38°5となる ; 4日目に、体温は40°となる。腹膜炎の症状はなく ; 然し、
 手術創傷部位には、例へは掌大の發赤、疼痛及び腫脹がある。縫合は癒合せず ;
 二個の排膿管が置かれた。翌日、腹壁の化膿と剥脱とは大なる「フレグモーネ」の
 特長を示す。炎衝性外観は著しく大となる ; 体温は39°5に達す。翌日、同じ炎衝
 症候は排膿管より多量の膿を排泄し、絶えず増悪する傾向あり。
  この時排膿管を Antivirus で浸せる「ガーゼ」と交替し ; 同じ液で浸せる圧迫繃帯
 を赤色浮腫の全部位に適用す。夕方、体温は38°5に低下す。患者は苦痛を訴へず ;
 明に快癒せるを証す。翌日、体温は正常となり ; 更に上昇せず。炎衝症状は消失
 す。切開により壊疽に陥り排除口となれる下部接続組織より来る膿を流出せしむ。
 6日間で完全に治癒す。

  観察VI,―手の汚染穿刺、巨大なる腫脹、淋巴腺炎、腋下「ガングリオン」,「フ
 レグモーネ」化する脅威、烈しき疼痛、指を動かすこと不可能、Antivirus による
 第一回繃帯後二時間で、疼痛消失し、指は運動し得る様になつた。3日目に、更
に2回の繃帯後、治癒は完全となつた。治療医は、この患者の病歴を報告して、
 次の言葉で結んでゐる : ”この世の中に完全なものはない、然しこの治療は私
 には殆どそれに近いものと思はれる”。

  観察VII,―患者は錆びた釘を足につき刺し足の「フレグモーネ」を呈し、脚部
 及び臀部の淋巴腺炎を併発した。Antivirus による繃帯を受けて、患者は48時間
 で炎衝症状が消失するのを見た。4日後に歩行し始めた。

  観察VIII,―農夫、肥料運搬車を造ることに従事せる際手を碎いた : 多数の
 指骨の開放性骨折、組織の裂傷、土及び肥料の侵入、通常ならば、切断は避くべ
 からざる様に見えた。
  特異繃帯により、患者は何等認むべき化膿もなく非常によく癒着した。

  観察IX,―Mme J, ……陰門周囲の多数の潰瘍のために Hué(安南)の婦人病棟
 に入院すー化膿性海綿腫状の創瘍、周囲組織の脱疽の傾向あり、消毒薬によるす
 べての治療が失敗に帰し 又菌の培養で葡萄状球菌と緑膿菌との存在を証明した
 ので、特異「ブイヨン=ワクチン」が繃帯の形で、一日2回使用された。極めて速
 に、疼痛は減弱し、潰瘍は清浄となり脱疽となる傾向は已む。治療の5日目、上
 皮形成が始まり、肉芽が現はる; 7日目に感染状態は特異治療を中止する位と
 なりそして生理的食塩水による繃帯と交替す。癒着は何等異状なく行はる。

            経膚的免疫法            171
――――――――――――――――――――――――――――――――――
  付言すべきことは此の局所治療法は抗化膿菌「リボ=ワクチン」注射の型で行へ
 る一般療法により完成されたことである。

  観察X,―Le Thi C……頸部の後側面に存する大なる潰瘍、化膿甚しく、深く、
 周囲の組織に脱疽を生ずる傾向あるために、Hué の検疫所で治療さる、熱は4日
 以来38°と39°2、の間を上下す : 衰弱甚しく、脈搏速にして微弱 ; 炎衝性浮腫
 は同側の全顔面を占む。創傷部位にてなせる培養は、連鎖状球菌の純培養を得た
 ので、4日目の午後のうちに特異製剤による局所の繃帯と同時に連鎖状球菌「ブ
 イヨン=ワクチン」の15cc, の静脈内注射を行ふ。翌日、熱は39°2より37°8に
 降る ; 脈搏はよくなる ; 傷面は清浄になり始む。この日より、注射をやめ、只局
 所療法の形で、1日2回の繃帯をなす。極めて速に、脱疽になる傾向はやみ、炎
 衝性の浮腫は消失し、体温は正常に持続す。

          牡牛の於ける瘭疽
         Panaris Chez un Boeuf

   5歳の牡牛、左側前肢の先端に瘭疽を生ず。蹄冠の部に廔管あり。動物は強度
 に跛行す ; 動物は横臥し絶食す。14日間「ポマード」を貼用するも、動物の容体は
 悪化するに過ぎない。最早起死再生は望まれない。脈搏は90°全く食慾はなくな
 る。死期の切迫のため、屠殺することとす。
  かく決定するに先立ち、Antivirus による湿布繃帯を患部に適用し、30分間目
 に12時間交換した。驚くべき効果に逢着す : 間もなく、動物は身を起し、起き
 た状態で止まる。更に数日間繃帯を継続す、之により完全治癒に導き速に正常体
 重に復す。

        馬に於ける多発性「アプセス」を
        伴へる慢性「フレグモーネ」
  Phlegmon Cronique Avec Abcès Multiples Chez Cheval

  馬、3ヶ月来、後肢先端部位に、多発性「アプセス」を伴ふ慢性「フレグモーネ」
 に罹患す。人頭大の巨大なる腫瘍をなす。脱毛 ; 漿液性膿状の分泌物 ; 諸所に波
 動性瀦留物あり。「アプセス」の一つを切開するに大量の膿汁流出す。脚内に烈し
 き疼痛あり ; 食慾不振 ; 温度39°6。
  治療(「アプセス」の切開、消毒薬、繃帯、沃度丁幾の塗布)に拘はらず、新なる「ア
 プセス」と皮膚炎の悪化を認む。馬を犠牲にせんと決心す。然るに、之を殺す前

172           経膚的免疫法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 に、葡萄状球菌「アンチウヰルス」による繃帯を試む。
  翌日になるや否や、馬は通常の如く食しその患脚を動かす。「アプセス」は数日
 間で治癒す。動作の障害は全く消失す。治療は8日間継続した。

        :牝牛に於ける蜂窩織状骨膜炎
    Periostite Alveolaire Chez une Vache

  大なる波動性腫脹、下顎部位に疼痛、之に葡萄状及び連鎖状球菌「アンチウヰ
 ルス」による繃帯を施す。
  翌日になるや、圧痛は消失し食慾は恢復す。三回の繃帯の後、腫脹は吸収され
 瘻管を残さず。

            産褥熱
         Infection Puerpérale

 産褥熱防止のための方法は著しく多数あり。之等の方法は子宮内を手又は
器械による掻爬ににより洗滌するにあるか、又は消毒薬又は「ショック」を使用
するにあるか、又は「ワクチン」接種或は血清療法による治療をなすにある。
之等の方法はいづれも真に満足すべき結果を与へないことを認めざるを得な
い。
 連鎖状球菌濾液を浸せる「ガーゼ」の子宮膣内挿入による治療法は予防上及
び治療上に今日実施されてゐる : 予防上には、子宮内操作の場合、分娩の
際長時間で困難なる場合、後期重篤感染の怖れがある時である ; 治療上には、
既に感染の症候ある場合である。特異貼布は、子宮周囲の病竈の時、流産の
時、帝王切開の時、同様にその適応症となる。最後に、静脈内に直接注入せ
る濾液は屡々一般感染の場合に役立ち得るものである。

  観察I,―T,……, 3回の経産婦。1926年1月24日、市街にて産婆にて自然分
 娩をなす。分娩は可成り速に正常に経過した。自然の出産は完全に行はれたと宣
 告された。翌日、産婦は戦慄を感ず。翌々日、1月26日、体温は40°となる。不
 安。悪寒戦慄反復す。
  27日、午後、分娩の3日目、患者は Saint-Antoine の産科院に運ばれた。
  入院時の検査 : 産褥熱の定型的状態 ; 体温40°2 ; 脈搏128 不安。半譫語。

            経膚的免疫法            173
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 悪寒戦慄頻繁。猩紅熱様発疹は腹部及び胸部に及ぶ。腹壁は柔軟子宮は臍の高さ
 に達す、何等疼痛なし。
  麻酔の下に手を以て子宮の再検をなす ; 子宮は空虚、内壁は離る。その直後に
 濾液の子宮内充填を行ふ。
  同時に血液培養を実行せるに12時間で陽性を示す : 溶血性連鎖状球菌 ; 一部
 採取せる悪露の中にも同様に連鎖状球菌の純培養を見る。
  4日目 ; 朝、体温は38°5 ; 脈搏116。一般状態はよくなる ; 悪寒戦慄は再発せ
 ず。猩紅熱様発疹は増加せず。夕刻、体温は39°、脈搏124°第二回の「タムポン」
 をなす。悪露中には連鎖状球菌は極めて多く又大腸菌も存す。
  5日目 ; 朝、体温は37°8 ; 脈搏116°恢復極めて著明。患者は安静。夕刻、
 体温38°8 ; 脈搏124。第三回「タムポン」。悪露中 : 連鎖状球菌余り多からず ;
 大腸菌 ; 白色及び黄色葡萄状球菌を見る。血液培養陰性。6日目 ; 朝、体温38°4 ;
 脈搏110。極めて良好の状態。猩紅熱様発疹は略々消失す。第四回「タムポン」。
 悪露中 ; 連鎖状球菌は稀有、大腸菌、葡萄状球菌あり。
  7日目 ; 体温38° ; 脈搏100°すべての敗血症状去る ; 翌日体温は正常に復し ;
 脈搏は80となる。
  産婦は治癒退院す ; 入院後11日目にして、分娩後14日目である。

  観察II,―1回経産婦、27歳。看護婦。3月12日自然分娩。出産は自然に完全
 に行はる。
  最初の2日間は無熱。3日目の夕方、体温40°1 ; 脈搏160°痙攣。一時性譫妄。
 戦慄。血液培養は12時間で陽性 ; 溶血性連鎖状球菌。悪露中 : 連鎖状球菌純
 培養。濾液を以て第一回膣栓塞法をなす。
  4日目 ; 朝、体温38°5 ; 脈搏110 ; 夕刻、体温39° ; 脈搏120。一般症状は快
 方。濾液による第2回栓塞。悪露中 : 連鎖状球菌。
  5日目 ; 朝、体温37°5 ; 脈搏100 ; 夕刻、体温38°2 ; 脈搏100、第3回「タ
 ムポン」。血液培養陰性。
  6日目 ; 体温36°8 ; 脈搏80。正常に復帰。18日目に離床 ; 非常によくなつて
退院。

  観察III,―P……,2回経産婦、35歳。子宮線維腫。5月3日 : 胎児渋滞のた
 めにO,P,にて鉗子分娩をなす。
  5月6日、朝、体温37°3 ; 脈搏84 ; 夕刻、体温37°5 ; 脈搏87。夜中 : 悪
 寒戦慄、不安。
  5月7日、朝、体温40° ; 脈搏140。顔面痙攣 ; 新たに悪寒戦慄。子宮は臍部
 中央に達す ; 臭気なき悪露の流出あり。夕刻。体温41°。脈搏小 ; 急速、154。

【本コマの途中より「脈搏」を「脈膊」と植字しているが、「脈搏」に統一する。次コマ以降も同】

174           経膚的免疫法
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 悪寒戦慄。予め子宮内を検査し胎盤破片も膜も破片もないことを見てから、子宮
 内に「ガーゼ」挿入。午前2時、烈しき戦慄、脈搏計算不可能 ; 「カンフル」油、
 20cc。
  5月8日、朝、39° ; 脈搏120、搏動可。一般状態快方。新機戦慄なし。蕁麻
 疹全身。夕方、体温38°2 ; 脈搏110°第2回「タンポン」。患者は不安なく睡眠
 し得た。
  5月9日、体温37°2 ; 脈搏98°新たに全身性蕁麻疹発生。口中に「ブイヨン」
 の味覚。夕刻、36°9 ; 脈搏88。第3回、「タムポン」。
  5月10日、体温36°9 ; 脈搏80。つづいて全く正常となる。20日目に、一般状
 態よく起床
 
  観察IV,―M, …,29歳 ; 4回経産婦。5日以来自宅にて分娩。1925年3月28日、
 夥しき子宮出血のために Saint-Antoine の産院に運搬さる。胎盤全付着面上にあ
 る多数の小破片を取り出す。出血は継続し多量である。消毒「ガーゼ」による子宮
 内「タムポン」をなす。2日後即ち分娩後8日目の午後、体温は38°8に上昇、次
 いで39°5、更に40°となる。始めて濾液による子宮内「タムポン」を行ふ。悪露を
 採取して培養するに連鎖状球菌の純粋培養を示す。一般状態は憂慮さる。顔面痙
 攣、鉛色。昂奮と沈鬱とが交互に来る。
  9日目 : 体温39° ; 午後体温39°9。第2回「タンポン」。一般状態は明に快
 方。
  10日目 : 体温37°3 ; 午後体温38°3。著しく快方。第3回「タムポン」。
  翌日以後、体温は37°5と38°4との間を上下す ; 次いで15日目に全く無熱と
 なる。患者は3週間目に快癒退院す。

  観察V,―F,C, …2回経産婦、25歳。2ヶ月半月経遅る。
  1925年10月24日、子宮出血 : 胎児駆逐。
  25日、烈しき悪寒戦慄 ; 26日、数回の悪寒戦慄、各5分間続く。患者は Saint-
 Antoine の産科院に収容さる。入院時には、体温40°7 ; 脈搏120。直ちに掻爬し
 胎盤を取り出す。採取 : 溶血性連鎖状球菌の純培養。濾液による子宮内「タム
 ポン」。
  27日、体温36°8 ; 脈搏88。第二回「タムポン」を24時間後に取り出す。無熱
 となる。8日目に退院す。
 重要にして特に多数の研究が近来 Saint-Antoine の産院に於て産褥熱感染
の早期治療に関して行はれた。
 この研究は産院にてなされた3,010 の分娩、自宅で始まり次いで産院の隔
離に送られた 1,244 の分娩に就て行ふ。治療は連鎖状球菌「アンチウヰルス」

            経膚的免疫法            175
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による子宮内「タムポン」を使用するのである。この「タムポン」は24時間放置
し、次に連続3日間更新す。
 予防上 Antivirus による「タムポン」は分娩困難の場合(鉗子剔出、子宮傾
斜、人工分娩、前置胎盤等)になされた。35例中、35例が成功した。1例は
特に興味があつた : 101時間の作業と二度の鉗子使用の試みと1回の頭蓋
破碎法を行へる後に、体温は37°7を越えず、正常に下るためには48時間臥
床した。
 治療法として「タンポン」使用は Antivirus による子宮内「タムポン」を子
宮内感染の症状が既に存する場合に、分娩後直ちに行ふのである。21例中20
例が成功した ; 唯々一つの失敗は全腹膜炎の症候を呈せる婦人にて観察され
た ; この例は、然し、当該治療の正常なる範囲内に入るものではない。
 二次的にして後期の治療「タムポン」は出産後3―4日目か又は分娩1週間
後に行はれた。治療16例中、16例が成功した。
 膜の停留の際の「タムポン」は8例に行はれた ; 之は常に重要にして、時と
して全き停留を起す。すべての場合第2回又は第3回「タムポン」後、体温は
正常に下り。子宮の局所状態は極めて速に恢復するを見た。
 最後に、敗血病を起せる流産10例中、Antivirus で治療されたもの10例は
成功した。
 極めて有力なる統計は同様なる条件に於て平均40%の罹患率を示すことを
考ふる時は、Saint-Antoine 病院の産院で得れらた結果はすべて我々の注意
せる所に値ひすることを認めるであらう。

      汚染性子宮内膜炎、産褥熱潰瘍
   Endométrite Septique, Ulcérations Puerpérales,

  観察I,―初産婦。分娩当日、体温38°9。翌日頃、腹部は膨満し、緊張し疼痛
 あり。3日目及びその翌日、明かに腐敗臭ある多量の褐分色泌物【ママ】。
  7日目、会陰の縫合に使用せる糸は取らる ; その前に化膿せる膜と壊疽となれ
 る組織で蔽はれた大創傷あり ; 創傷の底部は充血し浸潤す ; 周囲は強く浮腫を呈
 す。子宮頸は壊疽組織で蔽はれた多数の烈目存す。子宮は多量の膿汁を分泌す :

176           経膚的免疫法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 その中に連鎖状球菌を認む。血液は無菌である。子宮内及び膣内に連鎖状球菌の
 濾液で浸せる「タムポン」を挿入す。午後、患者は10分間継続せる悪寒戦慄を起す。
  8日目、子宮高は臍部の下二横指である。舌は苔を生じ乾燥す。子宮は化膿性
 褐色液を絶えず分泌す。第三回「タムポン」
  10日目、創傷の表面はきれいとなる ; 殆ど浮腫がなくなる。第四回「タムポン」
  11日目、創傷は全く清浄となる ; 生殖器官の浮腫は消失した ; 分泌液は著しく
 減少した。第五回「タムポン」。翌日、創傷は速に癒着す ; 患者は24日にして治癒
 退院した。
  之を要するに、重篤なる全身性感染又は局所の強度の炎衝に犯された婦人に於
 ては、連鎖状球菌濾液による「タムポン」は浮腫を極めて速に消散し少からず速に
 創傷を癒着する効果を有す。

  観察II,―初産婦、26歳。分娩の翌日、体温39°3に上る。大陰唇の浮腫。悪
 寒戦慄。3日目、体温39°7 ; 脈搏110 ; 腹部膨満 ; 子宮疼痛あり。
  5日目、腹部膨満、緊張、疼痛。子宮より悪臭の褐色の液体流る。体温40°。
 会陰裂傷、浮腫、膜にて蔽はる。子宮頸部は脂肪質にて蔽はる。子宮分泌液中に
 連鎖状球菌。血液は無菌なり。
  膣及び子宮の「タムポン」として最初は混合濾液(細菌学的検査前)、次に連鎖状
 球菌濾液による方法を講ず。午後、悪寒戦慄30分継続す。
  5日目、即ち第1回「タムポン」を施せる翌日、体温は39°6 ; 連鎖状球菌「タム
 ポン」の新摘要。6日及び7日目、子宮分泌液は分量減ず、然し体温は稽留し、
 39°6に達す。
  8日目、多量の発汗に続き、熱は分利し37°2に下降す。子宮は最早疼痛なし。
 2日後、分泌液は漿液性となる。患者は13日目に退院す。
  この例に於て、骨盤内結締織炎を併発せる、連鎖状球菌による慢性敗血性子宮
 内膜炎が影響す。Antivirus の影響により、腹膜炎の症状は消失した ; 膜は第1
 回の「タムポン」で弱くなつた ; 疼痛及発熱は濾液の4回適用後に消失した。

            膀胱炎
            Cystite

   観察―Mme N…18歳の時に虫様垂突起炎の手術に続いて「ゾンデ」を使用して
 後、第一回膀膀炎の発作があつた。此の膀胱炎は少しも完全治癒をしなかつた ;
 その妊娠中患者は腎盂兼腎実質炎(Pyélonéphrite)を起した。この時期に於ても、
 亦将来に於ても、膀胱炎の局所治療をなすのは適当でなかつた。疲労に続いて又
 は湿潤時に膀胱の疼痛現はるる時には常に「ウロトロピン」のみを与へた。1921年、

            経膚的免疫法            177
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 少しく酒精を含有せる飲料を嚥下せる後に、患者は膀胱炎の烈しい発作を起し ;
 尿を検査して後 Argyrol による洗滌を行つた。この時には尿及び膿の検査によ
 つて大腸菌及び「エンテロコツケン」を発見した。
  Dr M, …の薦めにより、大腸菌曹達の自家「ワクチン」を注入した ; 洗滌も継続
 した。発作は止んだ、然し数月後に再び起つた ; 而して尿は放尿により更に疼痛
 なき時にも常に溷濁した。
  1923年、余は静脈内にBactériophage の注入を患者に行つた。余は膀胱内に20
 cc, を注入した ; 同時に皮下に10cc を注射し、患者は経口的に Bactériophage を
 20cc, 摂取した。この治療に次いで、尿は以前より透明となつたが、然し強度の
 極めて不愉快なる石炭酸様の臭気を発した。之は膀胱の新しい発作が現はれる時
 には増強した ; 治療せるにも拘はらず新発作は1924年と1925年に現はれた。
  1925年9月、患者はその尿の石炭酸様の臭気のために苦しみ続けた。細菌学的
 検査により葡萄状球菌を証明したので、葡萄状球菌の膀胱内注入を行つた。3時
 間濾液を保留して後、患者は尿、濾液及び濃厚なる膿汁を排泄した。
  翌日になるや、石炭酸様臭気は尿より消失した。八日間遅れて、Antivirus を
 新に注入す ; 液は3時間保留し、放尿後も疼痛なし。更に5日遅れて新注入をなす、
 この時は放尿後一時的の疼痛性発作を生じた。以後疼痛もなければ、尿の臭気も
 なくなつた。

             腎盂兼腎実質炎
             Pyélonéphrite

  観察I―Mme G…,30歳、第2回妊娠、第1回妊娠中に、夫人は腎盂兼腎実
 質炎により蛋白尿を起し、之がために分娩時に子癇 éclampsie の発作を起した。
  患者は妊娠4ヶ月、Pyélonéyhrite を有す。腎臓の疼痛。膀胱炎。膿汁を含む蛋
 白尿。体温は高からず : 37°5。大腸菌。
  Antivirus を膀胱内に始めて注入するや、快癒著しく尿中の膿は減少す、体温
 は低下し、腎臓疼痛及び膀胱炎は消失す。
  患者は完全にその活働力を恢復した。

  観察II,―Mme J…25歳。第1回妊娠 ; 5ヶ月 ; 体温上昇。
  患者は右側腎臓部に極めて烈しき疼痛あり又放尿後に疼痛あり。尿は少く、濃
 厚にして膀胱底に濃厚なる膿汁の沈澱を残す。
  一般症状は可成り悪い。患者は吐き、睡眠せず、妊娠の中絶可能を思はしむ。
  膀胱内に Antivirus の第1回注入。その午後体温は下がり下降し続けた。患者は
 快方に向ひ : 苦しむことなく、食事は出来、1週間後には数時間は起きられる

178           経膚的免疫法
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 様になつた。
  余り成功せざる自家濾液を注入する時に体温は軽度に上昇す ; 患者は新に苦し
 む。以前の濾液を全く規則正しく使用す。患者は3週後に分娩し非常に健康な子
 供を産んだ。患者は現今健康である。
  観察III,―Mme B…, 35歳。1925年7月虫様垂突起切除。緑膿菌で化膿せる
 Hematome を1925年8月に手術。15日後に、患者は溷濁せる尿を排泄す。検査
 するに多量の大腸菌の存在を証明す。体温上昇 ; 40°
  膀胱に注入せる Antivirus は体温を下降し、尿を透明にし、一般状態を快方に
 す。本治療を尿中に全く細菌が消失するまで数ヶ月間継続した。
           *  *  *
 少なからず有効なる結果の記載された場合は、欧氏管の「アプセス」、口腔の
「アプセス」、歯槽漏、乳嘴突起炎、丹毒、膿胸、直腸炎、軟性下疳、静脈潰
瘍である。
 上述せる如く、Antivirus による皮下「ワクチン」療法の適当なる場合は非
常に多様である。之等の場合は外科、産科、婦人科、泌尿器科、皮膚科、眼
科、耳鼻咽喉科、口腔科に属する。
 活動の重要なる領域は尚 Antivirus に保有さる : 吾人は手術前及び後の
局所「ワクチン」療法を目的とす。
 局所免疫の形成は極めて速かであるから、或る重要なる全外科的行為は多
量の Antivirus の洗滌をするに或は必要に応じ後になさるべきことは合理的
と見らる。この手段は特に利尿生殖器官又は胃腸の器官につき手術を行ふ際
になさるべきものである。例へは、胃の切除又は胃腸吻合術の如き手術は最
も熟練せる外科医の最も厳重なる消毒をも屡々疑はれる。この場合、局所免
疫を施せる組織を手術せんとせざるか? 予め Antivirus を「メス」を加ふべ
き組織に灌ぎ、手術する部位、手術者の手、「タムポン」糸を Antivirus に浸
し、合併症を防ぐ機会を得んとせざるか?組織の自然免疫を特異的に強め
ることにより、外より来る菌の発育を防御するであらう、勿論潜伏性状態で
生体内に存する菌ばかりでなく、遠方にあつてまさに巣を離れんとしてゐる
菌に対しても同様に作用するであらう。

            経膚的免疫法            179
――――――――――――――――――――――――――――――――――
          ―――――――――――――
           Mémoires Cités
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              Ⅺ
      赤痢、「チフス」及び「コレラ」に於ける
            腸の意義(1)
      Role de l’Intestin Dans la Dysenterie,
       la Fièvre Typhoïde et le Choléra(1)

 脾脱疽に於ける感染機転を研究せる時に、吾人は海猽が脾脱疽感染に対し
抵抗性あること、唯々その皮膚のみが脾脱疽菌に対し感受性があることの意
外なる事実を確めた。記憶せらるる如く、もし海猽の皮膚より脱毛し、全く
生かして置くか、そしてもし生きたまま皮を剥いで脾脱疽病毒を注入すれば、
海猽は脾脱疽病毒に対し全く無頓着なるを見るであらう。
 従つて、海猽の腹腔内に、人の知る如き注意を以て、脾脱疽病毒を送入す
る時は、脾脱疽菌は速に喰菌され、次いで消失するのを見る。その破壊は完
全にして、その一つも感受性器官にさへも現はれない位である。また、皮膚
が脾脱疽菌感染外に置かれるならば、皮膚は施さるる接種を全く知らざるも
のの如くである。換言すれば、動物はこの接種の後にも亦前と同様に脾脱疽
に対し感受性を有する。
 脾脱疽の感染は、吾人が見たる如く、一様に皮膚の細胞の内部に起る程敏
感である。ここに、吾人が脾脱疽菌の予防接種の機転を同様に了解し得る主
なる注意を挙げよう。
 脾脱疽の場合は一様でない。同様なる現症は種痘用病毒の研究の際に観察
された。剃毛は脱毛又は脱毛せる皮膚に適用すれば、この病毒は、4―5日の潜伏期
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) Bulletin de l’Institut Pasteur, t, XVIII, 1920, p, 121,

     赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    181
――――――――――――――――――――――――――――――――――
間後に、人の知る如き皮膚の発疹を生ず。若し、剃毛せる皮膚に淋巴液を適
用する代りに、皮膚を傷けない様に注意しつつこれを腹腔内に注射すれば、
その結果は全く同一ではない : 動物は感染しない。その證拠を挙げるのは
容易である ; 唯々発疹が出来ないのみならず、更に動物は新感染に対し恰
も新機なると同一の感受性をあらはす。吾人はそれ故次の様に結論するので
ある。即ち痘毒は自然に定められた道筋と異る経路に置かれる時は感染能力
はないものである。
 綜括 : 皮膚外に置かれた脾脱疽菌は感染せず。又この場合には予防をな
し得ず。之は痘毒でも同様である。之は葡萄状球菌及び連鎖状球菌の場合も
略々同様である。故に感染経路と免疫経路との間には議論の余地なき関係が
存する。相互は互に相対的関係があるから、この教義を赤痢、「チフス」及び
「コレラ」に適用し、感染機転の研究よりせる之等の疾患に対する予防接種方
法の研究をなすことは全く合理的である。
           *  *  *
赤痢、「チフス」及び「コレラ」の病毒は、最初に、少くとも研究室内動物に
ありては、一定器官に対し選択的の親和力を有つてゐない様に見える。適当
量を以て之等の病毒は脳内に於ても亦腹腔内に於ても、内臓内注射に於ても
亦静脈内注射に於ても殺し得。
 研究室内にて使用する習慣となれるすべての経路のうち、疾病を起すに余
り感受性なき様に見えるのは経口的経路である。之等の病毒の大量が、大多
数の場合、最も少き罹患的結果をも起すことなく、経口的 per os に与へ得る
のである。然し吾人が次に見る如く、之等の感染の病原性に於て第一義を司
るものは研究室動物に於ても人間に於ても、経口的経路である。而して、顕
微鏡を以て、厳密に、病の経過中種々の器官及び液体中に起る事実を検査す
る時は、すべての之等の感染中最も関係ある器官は腸管なるべきことを結論
するも不可でない
 自然の状態に於ては、研究室内の動物は経口的感染に対し消化管に添うて
配列せる一例の堆積物により保護されてゐる。経口的に之を感染せしめんと

182      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
努むる時には、殆ど取り去るに不可能なる種々の分泌物によつて代表せらる
る一つの防御系統に直面するのである。然し動物は防御されてゐないことを
証明するには感染の間接門口を選べば充分である :  その腸は露出して居り、
病毒はそこに到着するに全く自由である。
            *  *  *
 赤痢菌より始めやう。
 あらゆる試みによるも無益な感染に終る口腔―咽頭―胃の障礙柵を避けん
と欲し、志賀菌を家兎耳縁静脈に注入す。約48時間にて斃す病毒の分量を選
ぶ。
 死後直ちに剖検す ; 之が生体内に於ける菌の分布を正確に了解する唯一の
手段である。更に少し遅れると勿論、速かに赤痢菌が自家融解しそれがため
に菌の培養に失敗することがあるから、その結果を誤ることがある。
 既に、肉眼的検査に於て、腸管に添うて変化せる選択的部位に驚くのであ
る。此の選択性は顕微鏡的に検査する時は一層著明である。器官の内部及び
生体の体液を寒天上に培養すると、接種せられたる菌は極めて不平等に分布
し、而も之は常に同一なることを示す。血液も、尿も志賀菌の痕跡を含まず ;
脾臓、肺臓、腎臓、副腎囊は極めて少量を含有するか或は全く含有しない。
之に反し、腸内容は自然に種々の菌を蔵するが、全々菌の種類を変へる。腸
の或る高さに於て採取すると、殆ど志賀菌のみを認める ; 胆嚢より盲腸に至
る腸の全面に亘つて、志賀菌は、極めて屡々、純培養の状態にある ; 大腸菌
の集落のあるべき場所に、このものだけとなる。
 即ち之は可成り意外の事実である : 菌は直接に一般循環系統中に注入さ
れたのである ; 菌は動物の器官又は液体内に多少不平等に分布するのを見るの
は予期し得る所であらう。実際には、全く違つた事柄が起る: たとへ循環
血液中に侵入せるにせよ、赤痢菌は全部一の器官中に逃避するに至る。若し
殆ど変化せざる規律を以て菌が腸内に赴くとせば、菌は明かにこの器官より
来る抵抗し得ざる力によつて引きつけらるるものと見らる。

     赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    183
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 静脈内に注入された時菌の限局する場処の選択的なることの存在する時、
如何にしてかの脾脱疽菌の親和力が皮膚の細胞に対し特異性あると略々同様
に、腸に対して親和力の存在することを考へないのであるか?
 この親和力が更に驚くまでに現はれるのは、赤痢菌を血液内でなく、皮下
充実細胞組織に送入せる時である。
 事実、かく注入せられたる動物をその病の経過中又はその死の直前に犠牲
に供す。全臓器、血液、胆汁、尿を培養せよ!この場合に於ても亦、腸を除
くほかは、吾人は接種せる菌を何処にも認めないのである。故にこの器官は
菌にある引力の作用を及ぼし、このために菌はその全道程にて遭遇するあら
ゆる障礙を排して到着するのである。然し、之等の障礙は菌がその終局点な
る腸管に到達する前に種々の組織を通過し道を切り開くのである以上、等閑
視してはならぬものである。
 すべての菌がそこに到達するのでなく、失敗するものがある。彼等の多く
のものは道程に於て迷ふ ; 彼等は崩壊し自家融解する。宿主を過ぎる濾過作
用を免かれたものは、最後に胆嚢内及び小腸内に座礁するに至る。故に他の
場所を探すのは無駄である ; 血液の中、尿の中、いずれの重要器官の中にも、
痕跡だにも認められない。
 空腸及び十二指腸の中にー而も一様にーかくも遠方を出発せる菌を認める
ことは可成り意義深きことではないか? この発見は、腸は志賀菌に対し優
秀なる親和性器官であり且つ腸壁が本菌に対する関係は皮膚が脾脱疽菌、種
痘病毒又は葡萄状球菌に対すると同様なることを肯定せしむる権利を与へる
充分なる證処をなるのではないか?
 それ故動物は病毒の嚥下に対し全々或は殆ど感受性を示さない、その腸管
は親和性あるものと考へらるべきものではなければならぬ。
 之を要するに ;  若し脾脱疽、痘毒、葡萄状球菌が皮膚感染ならば、赤痢
は腸感染と認むべきである。若し腸壁が障礙さるる器官ならば、之に向つて
不感受性となし動物に免疫性を賦与する様に努力すべきである。赤痢に対す
る免疫方法を選ぶためには当然その感受性に就て述べる必要がある。

184      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
          *  *  *
 「チフス=パラチフス」病毒の場合にも、感受性器官は同様に腸であるか?
 先づ第一に、特に若しも研究室の動物に拠るならば、之は全々さうらしく
はない様である ; 動物は経口的に摂取せるこの病毒に対し全く無頓着なるを
示す。実験は吾人に海猽、家兎、あらゆる種類の低級猿類に「チフス」菌培養
の多量を経口的に与へ彼等に何等異常症状を現はすことなきを示した。
 病毒の嚥下に対しかく感受性なき之等の動物に於て、すべての器官中感受
性あるものは腸なりとなすは真実である。此の感受性を引立たせるためには、
細菌に対し力を籍りるほかはない ; 即ち、細菌をして腸壁の摂取細胞(Cellu-
les réceptives) の本質に接近することを容易ならしめなければならぬ。通常
は、之等の細胞は可成り厚い粘液層により病原菌の侵入に対し保護されてゐ
る。この粘液層は Virus を嚥下する時は Virus と感受性細胞との間に置か
れる。もし少しでも此の粘液柵を除去することが出来れば腸管感受性を発現
せしむるのである。
 腸壁から粘液層を除去するために、その内面を磨くために、何人の吾人の
実験の場合になした如く、牛胆汁を嚥下させたものはなかつた
 胆汁は、その種々なる性質のうち、優秀なる胆汁分泌促進剤を形成する性
質を有す。此の性質によつて、胆汁は家兎及び海猽に於て極めて多量なる胆
汁の分泌を起す。かかる種類の効果により、胆汁は腸壁の表面の層の烈しき
剥離を生ず。腸壁面の粘液を掃除して、腸壁は腸内面を露出する而して更に
正確に云へば摂受細胞を露出する。かかる時には、嚥下されたる Virus は之
等の細胞と直接々触する様になる。
 研究室の実験は吾人の予想を確めた。即ち正常家兎は処置されない時は
「チフス=パラチフス」病毒の殆ど無限の分量に堪へるが、胆汁で処置された
後には、比較的少量の Virus に対し感受性となるを示す ; 動物は死ぬこと
さへもあり得る。
 興味ある事実は、全生体が牛胆汁の嚥下に次いで著しくその抵抗力が衰へ
るのを見るのである。胆汁の感受性賦加作用は細菌が血液中に侵入してさへ

     赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    185
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 も感ぜられる
 それ故、もし静脈内注射により感作されざる正常家兎を殺すためには、「パ
ラチフス」培養の1∖6ー1∖20 を要すとぜば(註、1∖6―1∖20は寒天培養1斜面の1∖6
―1∖20を示す)、予め胆汁で感作せる同じ体重の家兎の死を招来するためには
2―3倍少き量(1∖15―1∖45)を必要とすることを示す。故に胆汁の嚥下は動物に
於て特に経口的又は血行的に投与されたる「チフス=パラチフス」病毒に対す
る感受性を賦与する。
 感作された動物の剖検では、次の所見を認める。
 腸は殆どその全面が充血す。その小腸の部位は殆ど透明にして粘液で充満
さる ; この粘液の中には剥離せる上皮の全体が浮遊するを見る。
 顕微鏡的検査では亦 Virus の選択的限局性を示す : 臓器より培養する
に「パラチフス」菌は主要なる部位として、絶対的ではないにしても、腸内容
及び胆嚢を選び、そこに菌は屡々純培養の状態にあるのである。
 肉眼的病竈が腸の部に於て優越なること且亦培養によつて証明せる菌の選
択的分布は、之等の菌が腸管に対して有する親和力に左袒する証拠となる。
 此の親和力は Virus の侵入部位がいづこであらうと常に同一である。Virus
が直接に血液内、腹腔内又は皮下に送入されても、最後の結果は同一であ
る : 一定不変に、Virus は腸管粘膜に来る。
 故に、「チフス」菌簇を経口的に投与せるに拘はらず、胆汁で感作せる動物
に於ては、他の全器官を除き、腸に於て見らるるのである。故に之等の感染
は赤痢感染と同列に腸感染 entéro-infection として考へられる
          *  *  *
 吾人が「チフス=パラチフス」菌の問題で説明せる所は、範囲を広めて、「コ
レラ」弧菌にも適用される。
 動物に於ける「コレラ」感染の機転を研究するに当り、吾人の共著者正木は
上述せる症状を想起する症状を記載し得た。
 腹腔内に送入された弧菌は速に一般循環系に達し、次ぎに之を過ぎつて腸
内に来り、ここに2―3日間滞在し得。培養によるに、弧菌は空腸、廻腸及

186      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
び盲腸内に認め、血液、胆汁、尿中には認めない。
 同様に、皮下に注射された弧菌は決して腸粘膜に向ふことを誤たない、そ
の部位に於て既に接種後6時間目に之を証明し得。
 故に菌の分布状態は、菌の接種が腹腔内、皮下又は血液内になされても、
略々同様になる。弧菌が生体内を游走する道程は常に同一の目的地に向つて
集る、腸管壁が「コレラ」弧菌に作用する選択的引力がその方向を定めるので
ある。
 吾人が述べたる研究に引き続き、E,Glottof は実験的「コレラ」に関する研
究を再試した。この実験者は Virus の限局部位、胆汁感作の意義及び経口
的予防法の可能を研究せんと企てた。確実に死ぬ様に実施して、各器官から
系統的に培養せる結果 Glottof は病竈の性質並びに感染臓器内に分布せる弧
菌の状態を報告した。之等の研究は解剖的病竈並びに菌の分布の所見上より
すれば、「コレラ」にて観察された症状は吾人が赤痢及び「パラチフス」にて記
載せる症状を模倣せることを示した : 血行中に送入された弧菌は主として
腸管内に宿るに至る。著者は胆汁を用ゐ家兎を感作し次いで経口的に弧菌を
投与せるに、静脈内弧菌注入の際に観察せる如き「コレラ」感染を惹起し得る
ことを確め得た。かくして著者は「コレラ」感染に於ては腸は、赤痢の場合及
び「チフス=パラチフス」感染の場合に於けると全く同様に、感受性器官なる
ことを結論するに至つた。
 Horowitz-Wlassova et Pirojnikowa は海猽について同様なる証明をなした ;
之等の著者は、胆汁を使用し予め動物を感作せる状態に於て、Virus を per os
に投与する時は該動物に於て腸「コレラ」を起し得ることを見た。
          *  *  *
 脾脱疽脱疽の問題に就ての之等の記載に敷桁して、吾人の報告せんとする事実
は、毒力の注意の再検、細胞の特異なる結合性の注意の必然的帰結を必要と
することである。
 今日までは菌の毒力は全々動物に比較して考へられた。然し、此の考は実
験によるに反対なることが分る。或る菌は或る種の動物に対しては毒性があ

     赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    187
――――――――――――――――――――――――――――――――――
るが他の動物に対しては欠如することは明らかである : 海猽に就ては可成
り怖れられる脾脱疽菌は鼠に対しては殆ど無害の様である。脾脱疽の感染の
歴史は更にその毒力は動物の種類によつて異るのみならず、同一個体に於て
も、細胞群によつて異ることを吾人に教へた。
 皮膚と接触する時は極めて猛毒なる脾脱疽菌も之を腹腔内、気管内、血液
内、皮下細胞組織内に入れる時は雑菌の様になる。その毒性は少しもその生
活力を長くさせることなくして忽ちに消失する。皮膚の細胞に代へるに脾脱
疽菌が親和力を呈せざる他の細胞を以てする唯一の行為が、その毒力を零に
なすに充分である。
 菌の毒力は、如何に強くなつてゐても、もしその表面に菌が置かれた細胞
が結合性がないか又は結合性がなくなつた場合には、何等の障礙をも表はさ
ない。此の最後の出来事は、例へば、皮膚予防接種を行はれた海猽に起るの
で、その際には皮膚は脾脱疽菌に対する親和力を失つてゐる。
 毒力は二つの要素からの作用があるので、お互に作用することにより、之
を増強し又は減弱することが出来る。動物通過をなし、動物界に於ける菌の
結合力を促せば、即ちその細胞に対する親和力を強くすれば、其の毒力を増
す。反対に、Virus を物理的又は化学的要素の凝固作用下に置けば、即ちそ
の反応する「エネルギー」を弱くすれば、その毒力を減少する。
 若し、Virus を変化せずに残し、単に摂受細胞に作用せしむれば、全く同
じ結果を得ることが出来る。同様に、外傷(打傷、剃刀、火)によりその抵抗
を減少するか、又は胆汁により軽度に障礙されると、細菌の毒力を増強す :
殺さない程度の Virus の量で殺す様になる。
 他方では、摂受細胞の抵抗力を増強すると、極めて毒力強き菌の作用を無
効にさせる : 之は摂受細胞の感受性を弱める時又は予め Virus ―Vaccin と
接触してその作用を溷濁せしむる時、例へば皮膚免疫又は腸管免疫の際に於
ける如き場合に観察する所である。
 それ故に動物に毒力強き菌を接種すると云ふことばかりでない ; 更にこの
菌がその攻撃すべき生体内に存在すること即ち菌が摂受細胞に出逢はなけれ

188      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ばならない。予防接種後、之等の細胞が充分結合せる時は、菌は――たとへ
毒性極めて強くとも――無害に止まる。雑菌として取扱はれ、その運命に従
ふ : 菌は容易に喰菌細胞の餌となる。このことは云ふまでもなく、其の後摂
受細胞と接触して置かれた同一菌はその最初の毒力を回復し得ないことにな
るであらう。ここに一例を挙げると、海猽に必要なる注意を払つて強毒なる
脾脱疽菌を腹腔内に注射せよ。そこには摂受細胞がないので、之等の脾脱疽
菌は動物に少しも害毒を与ふることは出来ない ; 却つて脾脱疽菌は白血球に
よつて破壊されるのである。然しもし、その完全破壊を待たずに、空虚の注
射針を以て腹腔内注射を行ふ様なことをすれば、腹腔内に健全なる脾脱疽菌
が一個でも存在すれば、海猽を殺し損ふことはない : 腹腔内では雑菌であ
つても、脾脱疽菌は再び皮膚を通過する間に有毒性となるのである。「ヂフ
テリア」の如き毒素も、鼠に注射され、その体内を循環するも生命を危くす
ることはないが、而も感受性強き他動物に対する毒性は尚保有してゐる。
            *  *  *
 毒力に就いて見た事実は、或る性質が生体の全部に平等に拡がれるもので、
一定群の細胞にあるのでないとしては、免疫の或る種の現像の説明に誤解の
汚点を付さなければならぬ。然し、脾脱疽に於ける免疫に関する多くの研究
は皮膚の意義の不明を感じなければならなかつたことは明らかである。何と
なれば、Virus を皮下又は腹腔内に注入して後、皮下又は腹腔内滲出液内に
起る事柄のみを見ると、真実を看過する : 之は皮膚内に起る所のもの、即
ち吾人の全手術によるこの永久の創傷を調査するのである。たとへ脾脱疽菌
が注射された場所だけで菌の運命を追求することに満足する時でも、感染の
主要なる部位は他にありとの反響を集めるに過ぎない。
 脾脱疽の場合になされたこの観察は、亦「チフス」菌、赤痢菌及び「コレラ」菌
の如き Virus に取つても価値がある。今日まで、一回接種をなした正常又は免
疫動物の反応を知らんと欲する時はいつでも、――菌の侵入門口に従ひ――
血液内、腹腔内又は皮下に菌の運命を追求する習慣となつてゐる。平等に全
器官を検査するが、腸壁部位に起る特種の態度を見てゐない ; 然し其所が主

     赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    189
――――――――――――――――――――――――――――――――――
として動物の運命に関するのである。吾人は細胞の結合力に関しその自治制
が何れ程大なるかを知れる今日、結合器官の内部なる、その実際的範囲内に
免疫性に関する研究を置かねばならぬであらう。
 ここに、やや図解式に、感染の種々相、次いで、免疫に帰着する所のそれ
等を如何に表はし得るかを挙げやう。
 如何に感染が強くとも、皮膚又は粘膜の侵害の場合、その侵入の衝撃に最
初に関与し之を最初に受くるものは常に白血球である。白血球がすべての菌
又は単にその一部分を捕ふることに成功しても、感染が次いで来るのは主と
して摂受細胞の部位に於てである。
 感染が重篤でない時は、菌は摂受細胞の層を突破することはない。その親
和力の強大なる細胞は Virus 又は喰菌細胞に【よ】り遊離された Antivirus の大
部分を吸着する。かくして細胞は感染の全身に拡がるを防ぐ。その Virus に
対する貪欲が満足されて居れば、新感染は最早細胞を攻撃しない。何となれ
ば細胞はそれ以後反応に与ることが出来ないからである。
 感染が重篤なる場合に白血球が喰菌不可能となると、菌は侵入的行進を続
け、摂受細胞によつて表はさるる第二線の柵に衝突するに至る。その存在の
危険の際には、摂受細胞は出来るだけ多くの Virus を吸着する ; 然しその
楯としての意義は充分でない。之等の細胞は充満しやがて次から次に溢れる
様になる。個体の運命は Virus と血液の喰菌細胞との間の争闘の結果に懸
る。この争闘の結末は Metchnikoff の記念すべき研究以来極めて詳細に知ら
れてゐるので、吾人はここに之を主張するは蛇足なりと思ふ。
           ――――――――――
             Mémoires Cités
 A, Besredka, Annales de l’Institut Pasteur t, XXXV,juillet 1921, p, 421;t, XX-
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            Ⅻ
     赤痢、「チフス」、「コレラ」に対する
           経口免疫

 Immunisation Par Voie Bucclale Contre la Dysenterie,
       la Fièvre Typhoïde et le Choléra (1)
        ”すべての生活元子は一定の免疫度を獲得す”Metchnikoff
          (L’immunité dans les maladies infectienses,)

 腸「チフス」又は「コレラ」に対し予防接種をせんとする時は常に、皮下経路
に施行す。30年以上の実施歳月を閲したこの習慣は、殆ど反抗するものなき
一種の反射となつた。
 使用すべき Vaccin に就て、選択困難があるに過ぎない。今日では約10種
の「ワクチン」製剤が知られ、すべてそれぞれ、長所がある : 死菌 Vaccin
もあれば生菌 Vaccin もあり、乾熱120°加熱 Vaccin もあれば53°加熱
Vaccin もあり、自家融解 Vaccin もあれば感作 Vaccin もある ; 脂で調製
せるものもあれば「エーテル」で調製したのもあり ; 沃度、弗素加等の Vaccin
もある。
 之等の Vaccin は何を根拠とせるか? 之は時として専門家でさへも当惑
せしめずには置かぬ問題である。然し衛生学者の精神の中に何等疑念を起さ
ない様に見えるのは、Vaccin の適用方法である。腸「チフス」又は「コレラ」
に対し免疫を賦与するためには、使用する Vaccin の性質が何であらうと、
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) 巴里医科大学衛生学教室に於ける。万国衛生講習会にてなせる講演(1927年
  1月26日)

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    191
――――――――――――――――――――――――――――――――――
施行する唯一の経路は皮下であることに全部が一致してゐる。
 何所からこの十中八九の確信は来てゐるか? 之を知るがためにその原因
に逆つて見やう。それには吾人をして現今の技術の出発点となれる当初の実
験の遠い過去の時代を追憶せしめよ。
          *  *  *
 独逸の二名の研究者、Beumer et Peiper は1888年に海猽に於て「チフス」
感染を研究した。氏等はその動物に Virus の種々なる量を注射した : 或る
ものは死し、他のものは生存した。或る日、Virus の確実致死量を使用しな
ければならぬ実験をなすべきだつたので、対照を置く必要を認めた。稍々躊
躇せる後、氏等は既に使用せる一群の海猽中より対照を取るべく決心した。
氏等は「チフス」菌の致死量を注射せるすべてのうち、対照はその晩のうちに
死ぬであらうことを確信した。然るに翌日対照の大多数が生存し何等の障礙
を呈せざるを見た時、彼等の驚きは如何許りなるかを知らなかつた。氏等は
調査を行つた、それによれば生き残つた対照は明かに予め「チフス」菌の少量
を受けたものであることが分つた。
 此の事件は続く者なく : 間もなく忘れた。その後8年に過ぎずして、他の
2名の独逸の細菌学者なる R, Pfeiffer et Kolle が当時説明出来なかつたこ
の実験に立ちかへる必要ありと判断した。Beumer et Peiper の実験に起つ
た事柄を了解せんとの研究に際し、氏等は菌を接種された海猽の血液中に厳
密に特異なる殺菌性物質、即ち、「チフス」菌にのみ作用する物質を発見した。
 之等の研究者は、之がBeumer et Peiper の海猽にて観察された免疫の鍵
であると宣言した。氏等は曰く、人間に於ても同様であるべきである、何と
なれば若し「チフス」の免疫が殺菌力の作用であるならば、この同様なる能力
を「チフス」を経過し、このために「チフス」の新感染に対し免疫となれる人の
血清中にも認め得べきである。実際上、腸「チフス」の恢復患者の血液を検査
するに、Pfeiffer et Kolle 氏等が菌を接種せる海猽にて曩に見たと同様なる
殺菌性物質を認めた。
 かくして大二研究すべき価値ある極めて興味ある事実に直面した。此の殺

192      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
菌力が「チフス」免疫中に演じ得る意義を確めなければならなかつた ; 換言す
れば、之はこの免疫の全部又は一部を表はすものか、或は亦単に随伴現像即
ち免疫と無関係なるか何うかを見なければならぬ。
 Pfeiffer et Kolle は長い間此の研究に手間取ることはなかつた。幸にも予
防接種せる人の血液中にそれまで疑はざりし特異物質を発見したので、氏等
は「チフス」の全免疫を該物質に帰せんとする誘惑――固より全く自然の誘惑
ではあるが――に対し抵抗しなかつた。人工的に動物又は人間を予防接種す
るためには氏等によれば自然を模倣しなければならなかつた、即ち殺菌性物
質を血液中に生ぜしめなければならなかつた、而して之に達するために「チ
フス」菌を皮下に注射したに過ぎなかつた。以上が即ち「チフス」予防接種の
現今の技術の由来となつた理由である。
 現今広く使用せらるるこの技術は、殺菌力と「チフス」免疫に於けるその意
義とを勝手に云ふに過ぎないから、不充分なる動機的及び早急的説明に基く
ものである。
            *  *  *
 吾人は今日では殺菌能力は生体が反応し得る一つの態度を表はすに過ぎぬ
ことを知つてゐる ; 更に此の反応は制限された数の伝染病に表はれるに過ぎ
ない。免疫度の秤に於て、殺菌性物質は適応する抗原の存在する際に於ける
凝集素又は補体結合物質以上に重さがあるものではない。
 Pfeiffer et Kolle の説明に対し重要にして真実らしき外観を与ふる事は
Peiper et Beumer の実験に於ける海猽の生存である。
 此の生存が殺菌素の証明であることを承認するとしても、問題となれる論
拠は、海猽の感染が人間の腸「チフス」性腹膜炎に対しては皮下予防接種は極め
て容易に作用するが、この腹膜炎は人間の腸「チフス」とは甚しく類似しない
ものである。唯々病原要素が両疾患に於て同一であるだけである ; 固より、
之等の疾患はその進行並びに Virus の存在部位の点からすれば全く異るも
のである。

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    193
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 人間は腸「チフス」又は「コレラ」に感染するのは一様に経口的である。海猽
は、全く他の実験室内動物と同じく、per os の感染には絶対的に不感受性
である。唯々類人猿――大猖々、手長猿及び猖々――は、Metchnikoff の示
せる如く、全く人間と同じく、経口的感染により罹患す。よつて、Pfeiffer
et Kolle が推称せる如き「チフス」予防「ワクチン」、即ち皮下注射に於て人間
に効果あるか否かを知らんがためには、その疑問の解決に適当なのは海猽で
はなく類人猿である。此の実験は Metchnikoff 及吾人自身でなされた。ここ
にはその詳細に亘ることなく、結論を述べるだけに止める : 皮下経路によ
り接種され次に経口的に感染された「シムパンゼー」は腸「チフス」に感染し
た : 海猽の皮下に注射さたる同一「ワクチン」は致死的「チフス」性腹膜炎よ
り海猽を防御した。
 故に海猽の結論より人間に移してはならぬ。海猽の生存せることは殺菌素
の存在に基くと仮定するも、証明は不充分である、本物質が人間に於て評価
さるべき利用価値ありとは云はれない。
 以上は人間に於ける皮下経路による予防接種に対し主張し得る実験的部門
の論拠である。
 実験的部門の之等の事実に対しては確かに、「チフス」又は「コレラ」の流行
の際に作成された多数の有利なる統計より演繹せる論拠より反対することが
出来る。
 吾人は価値ある統計には重要性を置くべく用意するものである。皮下予防
接種法は多くの場合確かに有効であつた ; 吾人は此の問題については後に説
明するであらう。然し多数の場合に就て研究室で厳重に監督されてなされた
ので余り満足でない統計を看過してはならない。実際に、よい条件で皮下に
接種された人が予防注射後2,3又は4ヶ月内に腸「チフス」に感染した多くの
例を知る。
 さきに述べたことから、吾人の意見によれば、今は之を支持すべきではな
い : 「チフス」の皮下予防接種は、たとへ有効であつても必然的のものでな
い ; 予防法に完全なるものとなる様に改良されるであらう。

194      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 之を要的するに : 皮下予防接種法の広く実施さるる三点――殺菌素、海
猽に於ける防御力及び人間に於ける統計――は之を期待する権利ある鞏固性
を提供しない、故に他の問題の解決を探求しなければならない。
          *  *  *
 予防接種の問題――「チフス」予防、「コレラ」予防及びその他――は、仮令始め
の頃は殺菌素の足跡を辿らなかつたとは云へ又仮令単に天然痘予防法の例を
感得してゐたとは云へ、今日では全く異る外観の下に吾人の面前に表はれた。
 天然痘に於ては、本病を支配する症状は皮膚及び粘膜の部に限局してゐる。
Jenner が現今知らるる最も鞏固にして最も有効なる種痘疱を行ふために選
んだ所は皮膚である。
 腸「チフス」に於ては、「コレラ」に於ける如く、赤痢に於ける如く、主なる
局在部位は腸にある ; 其所が「チフス」又は「コレラ」が劇の主要なる部分を演
ずる所である。それ故有効なる予防接種法を行ふために目ざすべき所は、論
理上、腸である。
 此の結論は、全く類推上からも、臨床的に又実験的にも確められた。
 臨床上ではかつて腸「チフス」に罹患せる人即ちその腸が「チフス」菌と接触
せる人の獲得せる程度の免疫性はないと云ふことを教へないであらうか?
かく顕著なる鞏固の免疫は吾人をして自然を模倣し、感染を起すと同じ経路
によつて予防法を実行すべく励ましめないであらうか?
 此の臨床的部門の暗示は実験が吾人に教へる事実に於て充分正当なるを認
める。
          *  *  *
 先づ以て腸壁に対する Virus の親和力を解決するために、吾人は生菌につ
いて調べた。然し同じ菌が一度死滅するも殆ど別の菌の如くならぬことは略
々確実である : 何故に菌がその親和力を保存せずとなすや? 且又実験上
より、かくあるべきことを証明することが出来る。若し家兎に赤痢或は「コレ
ラ」弧菌の殺した培養を静脈内に注入すれば、肉眼的検査に於て、生菌を注射
せる場合に於けると同一の限局的存在と腸病変とを見る。さだうとすれば、

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    195
――――――――――――――――――――――――――――――――――
免疫の目的を以て皮下に注射された「ワクチン」類――「チフス」赤痢又は「コ
レラ」の――は腸にまで達せざるや否やを質ねるに至るであらう。勿論、有
形の形態では其所に到達しない、然し恐らく菌体内毒素又は Antivirus の形
であらう。腸に侵入する前に彼等は恐らく多分、所謂摂受細胞に接触するに
至る。
 この仮説を明にすれば、何故に皮下に注射された Vaccins がよい結果を与
ふるかを合点する : 即ち作用方法は吾人が彼等に許してゐるものとは全く
異るものである。若し之等の Vaccins が皮下に注射された場合有効なりとす
れば、一般に人に考ふる如く、それが抗体を産製するためでなく、腸に到達
して摂受細胞に吸着されるためである : そこで腸の局所免疫が成立するか
らである。
          *  *  *
 若し赤痢に於ける感受性器官が腸であるならば、予防接種の見地に就て、
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) 事柄の何んな連絡から、吾人が腸管局所免疫の意見を抱くに至つたか、こ
こに述べることは興味がないことはない。既に戦争前 Mlle Basseches と共同で
「パラチフス」B予防接種に関する研究の際(Ann, Inst, Pasteur, t, XXXII, P,
193),奇妙なる事実を観察した、之をここに述べる。或る日、対照実験のための
新しい「マウス」がなかつたので、吾人は一ヶ月前に経口的に「パラチフス」菌を受
けた「マウス」を使用せんとの考を持つた。吾人はこの「マウス」に前日強毒なる
「パラチフス」培養の1∖100,即ち確実致死量を注射したのに、恰も何事もなきもの
の如く、その穀物を噛つてゐるのを認めた時には、吾人の驚きは大であつた。何
か間違があると信じ、同列の他の「マウス」を調べた。之も同じく生存した。この
思ひ設けぬ結果のために、実験の条件を代へて、一定数の「マウス」に就て研究を
繰り返へした。然るに per os に送入された Virus は免除を賦与する事実の前に屈
服せざるを得なかつた、それまでは之は皮下に注射された Virus の釆地として考
へられてゐた。免疫の機転が二つの場合に同一なりと考へたので、吾人は腸は皮
下注射の場合に於けると同様なる分け前をなすべきものと申した。若しさうだと
すれば、皮下に注射された Virus は与へられた機会に腸壁を過ぎり、腸管内に出
て来る筈である。戦争が来り、戦争と共にすべての研究を4年間中絶した。吾人
が研究室に復帰するや否や、吾人の最初の考から家兎に就て之他の研究を再び行
つた ; 之等の研究の成績は戦後に於ける吾人の最初の発行物となつた(C,R,Acad,
Sciences, t, CLXVII, p, 212, 29 juillet 1918)。

196      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
吾人の進む所は全部描写されてゐる。腸管免疫法(entéro-vaccination)を実
行する研究をしないでよいであらうか?
 この予防接種方法は、吾人が後述する如く、研究室の研究により証明され
た。
 吾人が家兎又は「マウス」に就てなせる多数の実験から――それ以後他の研
究者により確定れさ【ママ】た実験から――之等の動物はかなり容易に経口的に予防
されることが分る。彼等に赤痢の死菌を嚥下せしむると、既に短時日後に、
彼等がかなり著明なる赤痢免疫を得ることを確めた : 之等の動物は皮下、
血液内、腹腔内に注射するか或は経口的に投与せる Virus の確実致死量に抵
抗する。[(1)前頁にあり]
 極く最近に、Alivisatos rt Iovanovic は吾人の実験なる経口的赤痢予防接種
を家兎で行つた。Vaccin の量を種々に変へ、彼等は per os に Vaccin の70
mg を投与する時、何等の障礙を起すことなく、致死量の4倍に対し確実に
免疫せるを認めた。免疫の形成は速かであるために、彼等は同時に本法は非
経口的免疫法に観察せるものより優秀なるを見た。即ち、彼等は免疫は既に
2日後に生じ、4日目にこの免疫は既に鞏固となり、動物は Virus の致死量
の4倍に抵抗するに至ることを確めた。
 之等の著者は、更に、経口的に実現された免疫は厳密に特異的なるを見た。
即ち、赤痢菌の種々の種類に就て実験するに、彼等は交叉免疫の存在さぜる
を見た : 経口的に志賀菌にて調製せる Vaccin を投与する時にのみ本菌に対
して防御す ; 若し Vaccin が Strong, Flexner 又は Y の如き菌で調製され
るならば、防御しない。
          *  *  *
 此の免疫の本態は何であるか?
 免疫の成立の速かなることは、今日一般に信ずる如き一般免疫には左袒し
ない。実際に、吾人の実験の結果によると、経口的予防接種に次いで、、免疫
は動物に於ては2乃至3日目に成立し得る、之は抗体産製には不充分なる期
間と考へられる。且つ per os に免疫せる動物の血液を検査すると抗体の参

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    197
――――――――――――――――――――――――――――――――――
加に左袒する弁護とならない。
 然し、赤痢「ワクチン」を一回投与せる後しばらくして血液を検する時は、
かなり屡々凝集素を発見する。然し免疫の発生を支配するのは凝集素であら
うか? 之は余り本当らしくない、その理由を述べて見やう。
 若し之等の抗体が免疫に関係するとせば、免疫が鞏固になればなる程抗体
は多くならなければならない。換言すれば、血清の凝集素含有は Vaccin を
新に嚥下する毎に増加しなければならない。然るに、観察する所は正反対と
なる : Vaccin の第一回嚥下後赤痢菌を凝集する血清は、第二回嚥下後には
凝集素は遥に少くなる、更に屡々、Vaccin の第三回嚥下後には最早全く凝
集しなくなる。
 如何なる理由によるか? ここに吾人に最も正当と思はれる説明を述べや
う。Vaccin の第一回吸着についで、Vaccin 中に含まるる菌体内毒素によ
り、腸壁内に潰瘍を生ず ; 之は実際に接種後間もなく動物を犠牲にする時、
肉眼的検査で証明し得らるる ; 之等の潰瘍は一種の粗造赤痢を形成す。腸内
にある Vaccin は腸粘膜の之等の裂傷を過ぎ、一般循環系に侵入し、そこで
抗体、特に凝集素を形成する。
 一定期間を過ぎると、短期間と云へ、之等の潰瘍は瘢痕化す。この時を過
ぎると、腸管壁は赤痢菌に対し特異的に不透性となる。動物は之等の菌の一
定量を新に嚥下するも無駄であつて、腸は菌に対し通過し得ぬ柵として抵抗
するので菌は最早生体中に侵入し得ない。亦抗体も最早形成しない。之は免
疫が最も強固となれる時に起るので、血液中には少しの抗体を見るのみか或
は殆ど全く見ない。
 それ故吾人は赤痢菌に対し経口的に免疫された動物の免疫性は抗体の存在
に関係はないが、然し特に腸の局所細胞性のものであることを確定すること
が出来る。吾人は尚この腸の免疫性はかなり重要なることを付言することが
出来る。何となれば腸の免疫で動物全体が赤痢菌に対し免疫性をなるに充分
であるからである。
          *  *  *

198      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 経口的赤痢予防接種法は今日では実験室内研究の範囲を出た。本法は仏蘭
西並びに外国に於て、多数の流行の際に実際に適用された。実用に移る前に
Ch, Nicolle et Conseil により、Tunis に於て、人体になされた実験を述べな
ければならぬ。
 その周囲の有志2名が、3日間継続して、赤痢「ワクチン」即ち72°―75°
で殺した志賀菌を嚥下した。最後の嚥下後15日目と18日目に、之等2名並び
に対照として無処置の2名が生きた強毒なる気が菌100億を嚥下した。2名
の対照は定型的の赤痢に罹患し糞便中に志賀菌を排泄した、処置せる2名は
罹患しなかつた。
 実験室内の動物に就ての多数の実験に加へた、この人体実験は、人類に流
行の際に多数の試験を企画することになつた。
 経口免疫法によるこの試験は、赤痢の場合には、赤痢「ワクチン」を皮下に
注射せる後に人間にて見る局所又は全身症状があるために、皮下注射法は殆
ど禁じられてゐるだけに益々支持される様に見えた。 
          *  *  *
 ここに多数の中より選抜せる二三の流行の報告を挙げやう。
 1923年7月、細菌性赤痢の流行が Versailles の営舎に起つた。最初の三
例は速かに死亡した。新罹患者の数が憂慮すべき状態に増加したので、経口
的免疫法を施行すべく決心した。当時 Anglade により記載せられたる詳細
に就ては申さない。ここには流行の終りに記載された結果が何うなつたかを
述べる :
 「ワクチン」非服用者の群では赤痢患者は27,75%;
 「ワクチン」服用者の群では赤痢患者は7,6%。
 少からず参考となるは、ギリシヤに於て国際聯盟の流行病調査委員会 Com-
mission des épidémies の監督の下に企てられた赤痢予防接種の成績である。
之は特に流行の蔓延を助くる地域として知らるる営地に囲まれたギリシヤの
避難民に関係たし【ママ】ものである。
 ここには吾人が調査委員会の報告より抜粋せるこの営地の二三の挿話を述

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    199
――――――――――――――――――――――――――――――――――
べやう。
 a) 1923年5月、Hydra 島内に700名を収容せる避難民中に烈しい赤痢
の流行が爆発した。
 既に22名の患者と3名の死亡者とが報告された。そこで全避難民の予防接
種を行ふ。間もなく流行は終熄す。以後一名の新患の報告を見ない。
 b) 1923年8月シシリー島より来れる2,800人の避難民が Saint-Georges
の海港検疫所に上陸した。7日間継続せる航海中、36名が赤痢で死亡し水葬
された。上陸に続き始めの48時間内に、44人の新死亡があり、殆どすべてが
赤痢のためであつた。そこで避難民の一般的予防接種を行ふ。8日後に、流
行は完全に已んだ。
 之等の避難民の全部は Salonique に移されたがそこで赤痢の新患を一名も
見なかつた。
 c) 1923年8月と9月とに、Kokinia の営地に赤痢の流行が爆発した。
400名以上の患者が4,800名の避難民よりなるこの群居生活中に発生した。
流行は前の如く悪性と報告された、何となれば予防注射をせる時には既に50
人の死者を数へたからである。経口免疫による予防接種を命じた。只、此の
予防接種は人口の三分の二に適用したに過ぎなかつた ; 後者は研究室の実験
に於ける場合の如く他の者の対照として役立つた。
 予防接種の後間もなく、流行は予防接種者の群に於ては已んだ ; 流行は非
服用者の群に於ては継続して犠牲者を出し、194人の新患が報告された。
          *  *  *
 吾人が報告せる例では、赤痢「ワクチン」は予防の意味で使用された。此の
Vaccin は亦治療の意味で使用される。ここに二三の例を挙げやう。
 Nisch の伝染病研究所で、Alivisatos により赤痢患者117人に「ワクチ
ン」療法を試みた。Shiga,Strong 及び Flexner の培養を混合し、58°で加熱
せるものより成る Vaccin を経口的に投与した。培養は遠心沈澱されその沈
渣を生理的食塩水に浮游す ; 浮游液の1ccは菌体の10「ミリグラム」を含有
す。大人は第一日にこの浮游液のXX-XXX滴づつ、2回又は数回 ; 2日

200      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
目はL滴 ; 第3日はLX―LXX滴とす。
 かく経口的に処置された患者117名中、唯々1名が入院後間もなく死亡し
た ; 5人の患者は治療によつてよくならなかつた。その他のものでは、111
人が治療後4―5日後に治癒した。失敗せる「プロセント」は5%であつた、
然れば抗赤痢治療血清による治療後見る失敗に率より遥に弱い。
 稍々類似する結果は露西亜に於て Gloukhof 及びその共著者によつて得れ
れた。1925年夏、Leningrad で発生した流行の際に、之等の著者は赤痢罹
患者105人を経口的に「ワクチン」療法を行つた。此のうち、81人の患者は経
過を観察し得た。之等の患者のうち、19例は重篤で中毒症状を伴ひ、体温上
昇、嘔吐、便通頻回、腹部の劇痛あり、中等度の罹患者20人、軽症の赤痢患
者42人あつた。
 治療は志賀及び Flexner 型の赤痢菌を各10億を含有する錠剤を嚥下するに
あり。之等の錠剤は食塩水50cc 中に溶かし ; かくして造れる浮游液をば空
腹時に嚥下させた。大人に対する1日の量は2―3錠剤とす。他のすべての
医薬は禁止された。
 最初の48時間位で、大多数の患者は一般状態の良好を現はし、後裏重急、便
通の回数は減少し、嘔吐は止むに至る。只疼痛は大腸に添うて尚暫らくの間
継続する。特異血清により同じ病院にて同時に処置された他の赤痢患者と比
較して、「ワクチン」療法を受けた患者は更に大に良好なる成績を示した。も
し唯々重症及び中等度の患者のみを考ふれば、血清による被治者の死亡率は
27,7%であつたが、Vaccin を以て per os に治療されたものは死亡率7,7%
を示したに過ぎなかつた。
 この「ワクチン」療法の機転はと云へば、吾人によれば、予防免疫法のそれ
と同一である : 健康に残れる腸粘膜が per os による Vaccin の作用を受け
免疫される。腸粘膜は非感受性、非通過性となり ; 従つて菌も、毒素も、い
づれも腸壁を通過し体内に侵入し得ない様になる。
          *  *  *
 腸「チフス」及び「コレラ」の場合に於ても亦、吾人が曩に証明したるが如く、

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    201
――――――――――――――――――――――――――――――――――
優秀なる結合機関(l’organe réceptif)は矢張り小腸である。若し然りとせば、
明に予防の研究をすべき器官はこのものである。若し感染の全重要性を引受
くるものが小腸とせば、動物に免疫性を賦与するために、entéro-vaccination
(腸管内予防接種法)の実施を試みないでよいか?
 然し、吾人がこの後者の実現を試みた頃は、吾人は赤痢に就ての研究では
知らざる所の困難の生ずるを見た。赤痢の場合には、Vaccin 中に含まれた
る菌体内毒素が腸の内壁を敷きつめたる粘液を駆逐しかくして Vaccins と免
疫さるべき細胞との間に必要なる接触を起さしむるに役立つ。
 「チフス」又は「コレラ」予防「ワクチン」の場合には事柄は同様にならない。
之等の Vaccins 内に含有せらるる菌体内毒素は志賀菌のそれと比較にならな
い。之等の Vaccins はその固有の力により粘液を過ぎりて摂受細胞の方に通
路を通ずることは出来ない。亦、動物に「チフス」又は「コレラ」予防「ワクチ
ン」を嚥下せしむる時、彼等は摂受細胞に作用することなく、即ちその免疫
能力を発揮することなく腸管を通過する。この効力を発揮するために、Vac-
cins に助力を求めねばならぬ、Vaccins に道を造らねばならぬ。所で、実
験によると赤痢予防「ワクチン」が作用する様に、腸壁を磨くことよりよい方
法はないことを示す。
 それ以来、当該「ワクチン」の嚥下に先立ち、牛胆汁の使用が全部行はれた。
 実際、実験の示すところでは、もし胆汁を以て腸管を感作して後、Vaccin
を家兎に服用せしむれば、直ちに「チフス」又は「コレラ」の如き当該 Virus の
確実なる致死量に抵抗し得る様になる。同一 Vaccin を胆汁を加ふることな
く、単独に per os に投与せるものは、動物に何等免疫性を与へない。
 この実験が経口的予防法の極めて重要なる問題の基礎となるものである。
又之は種々なる方面より繰り返へされた。詳細に亘ることなく、予め感作す
る手段は単に「コレラ」及び「チフス」予防接種に関して確められた許りでな
く、更に人及び動物の他の疾患にも及ぼさる【ママ】た。
          *  *  *
 経口的免疫法は既に大槻【規】模に人間に実施された。多数の人々が既に本法に

202      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
より免疫された。人間に於てその価値を確定的に云ひ得るためには、多分、
尚必要なる期間を欠くかも知れぬ。今から確定し得ることは、経口免疫法は
決して少しの災害を惹起することなく、皮下注射法と共に実施された際に、
結果は通常の予防接種法によつて得られたものに殆ど劣つてゐなかつたこ
とである。
 経口免疫の主意に反対するのではないが、何等か尚保留されてる問題とな
るのは : 特に要求すべきことは、人間は「チフス」菌又は「コレラ」弧菌に対
し感受性が大であるから、胆汁を加ふることは――今日では確定せる事実と
なつたが――感作されなければ免疫を獲得しない研究室動物の場合に於ける
が如く必要であるか何うかである。
 学説としては、この保留は支持された : 実際には之に反する多数の事実が
ある。ここに近頃観察せる事実を挙げやう。
 1925年9月末、Roscoff の結核療養所に於て、1名の「チフス」患者が発生し
た。直ぐに、この療養所の子供全部と看護人とが経口的に予防接種された。
然し乍ら胆汁による予備的感作の免疫方法を行ふことを怠つた。所が予防接
種を受けた月内に、服用者中に9名の「チフス」患者を報告するに至つた。10
月には、10名の他の子供が罹患した。同じ方面で予防的服用をせしめた。12
日遅れて最後に予防せるもののうち、一名の「チフス」患者を認めた。
 此の不成功は経口的予防法の価値に帰せられた ; 実際上は、非難すべきは
その技術である。「チフス」又は「コレラ」予防「ワクチン」を感作することなく
服用せる人間は、我々の実験に於ける家兎と同様になる : 即ち免疫は成立
しない。Vaccin は腸管を添ふて滑り降り、摂受細胞と接触することなく、
体外に排泄されてしまふ。
          *  *  *
 「チフス」又は「コレラ」予防「ビリワクチン」投与は既に広汎に亘り施行され
た。
 「コレラ」に対する予防接種法に関しては、之が使用され始めて以来、余り
久しくはなかつた。ここに簡単に印度に起つた流行の際に報告された二三の

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    203
――――――――――――――――――――――――――――――――――
記録を綜括しやう :
 a) 1925年11月末、烈しい流行が Pondichéry の地域に発生した ; 12月一
杯継続し、1926年1月上旬に終熄した。故にこの流行は期間は短つた : 即
ち約40日間であつた。多数の犠牲者があつた : 患者1,039うち831死亡。
 流行の当初に、住民の一部に予防接種を行つた。総数5,200人が、胆汁に
て前処置をなして後、経口的に免疫された。ここに殖民大臣に報告せる保健
課の報告により、この地域の終局が如何なるものであつたかを述べやう :
 「コレラ」に対する「ビリワクチン」を服用せるもの5,200人中、既に疑もな
く潜伏期間にありたるものに於て僅かに2死亡が記載された。特に感染に暴
露せる警察官のうち、唯々1名が罹患した ; この警察官は予防接種の時に休
暇中でそれを服用しなかつたものである。
 b) 多数の「コレラ」発生地が近来 Rajbari 及びその付近に見られた。ここ
に流行の終わりに確められたものを総括する :
 予防接種を実施せる前には、人工8,680人のうち41人の患者と23人の死亡
者が報告された。
 693人に予防接種をした。流行は依然として継続し犠牲者を出した ; 予防
接種の施工後尚41人の「コレラ」新患者と17人の死亡者が記載された。
 所が、之等の新患者はすべて非接種者中に発生した。経口免疫者からは1
名も罹患しなかつた。
 c)「コレラ」に対し経口的及び皮下の予防接種法の比較試験は印度に於て
A, I, H, Russel の指揮の下に実施された。「コレラ」予防の仕事は、1925年
の終りに始められ1927年の始めまで継続された。之は栄養の点並びに衛生
の点に於て同じ条件の下に生活せる印度人に就てなされた。
 236の村落に於て皮下予防接種法が行はれ ; 52の村落に於て経口的「ビリ
ワクチン」接種 ; 72の村落に於て、両方が同時に使用された。
 ここに国際聯盟によつて公表された報告(1927年10月末)より抜粋せる主な
る結果を挙げやう。
 A, 経口的「ビリワクチン」予防を行ひたる村落 :

204      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
  服用者 4,982人中、「コレラ」患者18人あつた(0,36%)。
  非服用者 11,004人中、「コレラ」患者222人あつた(2,02%)。
 B, 皮下予防注射を行ひたる村落 :
  注射者 8,485人中、「コレラ」患者31人あつた(0,37%)。
  非注射者 29,254人中、「コレラ」患者489人あつた(1,67%)。
 C, 両方による予防接種法を行ひたる村落 :
 「ビリワクチン」服用者 3,085人中、「コレラ」患者15人(0,49%)。
  皮下注射者 1,448人中、「コレラ」患者6人(0,41%)。
  非予防接種者 7,664人中、「コレラ」患者160人(2,1%)。
 故に経口的予防接種法は皮下注射法のそれと同じ効果を示した : 「ワクチ
ン」の接種者の両群に於ては、「コレラ」患者の数は非予防接種者に於けるもの
より約5倍少かつた。 
          *  *  *
 「チフス」予防接種に関しては既に、現今に於て、かなり多数の報告がある。
 吾人は最近あつた2例の流行を報告するに止める、この流行の際には「ビ
リワクチン」内服が行はれた : 一つは Pologue, 他は Brésil である。
 1923年11月より1927年1月までに60,000人以上「チフス」予防接種が
Lodz の町に於て衛生視察官 Starzynski の指揮の下に行はれた。之等の予防
接種の効果特に遠方の効果を報告するためには、正確なる統計が必要である ;
且つ又予防接種者にありても非接種者にありても、「チフス」患者の調査は、
1925年の1月1日にやめた。この時までに28,166人が per os に胆汁加「ワ
クチン」を受けた。この数のうち、52人の「チフス」患者が記載された、その
分類は次の如くである :
 予防内服せる家屋151戸の住民  20,867  49患者
 患者の周囲の人          2,368   3
 小学校児童            3,500   0〃
 有志者              807   0〃
 警察官              624   0〃
                 ―――― ――――
                 28,166  52患者
 之等52名の「チフス」患者のうち、3名は第1週内即ち潜伏期間内に発生し、

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    205
――――――――――――――――――――――――――――――――――
6名は「ワクチン」投与後1年以上で発生したのであるから之を除去する。そ
の残り43人の患者が28,166人の内服者より発生せるもので、即ち0,15%に
当る。
 非内服者に於ける罹患率を知るために、唯一人の「チフス」患者が発生せる
全住宅の人員を計算した ; その数は73,494であつた。この数の中に、993例
の「チフス」患者を認めた、即ち1,35%であつた。
 従つて罹患率は内服者に於ては非内服者に於けるよりも遥に弱く、確実に
9倍(1,35:0,15=9)の差があつた。
 以上は一括して考へた場合の予防接種の効果であつた。然し、少しく詳細
に入れば、数字を脱せる結論は更により有効に見える。
 即ち問題となれる疑はしい住宅151個に予防接種を施行せる当時、3,051の
住人が不在であつた ; 彼等は予防接種されなかつた。これ等後者に就てなせ
る調査によれば、之等の不在者は彼等だけのうちに、28,166の住人に於て記
載された全数49例の「チフス」患者のうち47例を出してゐることを知つた。
 他の事実も少からず重要のものである。予防接種に応じたる151戸のうち
全住人が例外なく予防内服をなせるものは27戸に過ぎなかつた。之等の住宅
の住人は4,615であつた。このうち、唯1例の「チフス」患者が出たに過ぎな
かつた ; 更に問題となるのはその人に於て最初の症状は予防接種に次で1週
間以内に発生してゐる。
 二ヶ年以上の期間に及ぶ之等の観察を総括しての Starzynski は次の如き
結論を述べた : 胆汁付加「ワクチン」による経口免疫法は全く無害であり、
腸「チフス」流行に対し強固なる武器を形成す。
          *  *  *
 ブラジルの Saint-Paolo にて1925年の始めに爆発せる流行病の歴史を述べ
やう。この流行は特に興味がある、と云ふのは此の流行の際に皮下注射法と
経口免疫法とを使用したからである。
 印刷物で大に努め、皮下注射法の有益なるを説明せるにも拘はらず、大多
数の住民は之に従ふことを躊躇した : 皮下注射を行ふことに用意せるもの

206      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
は約10,000人を算した。
 流行は継続して犠牲を出したから、衛生当局に住民に経口的に免疫せしめ
やうと提案した。1925年5月1日から9月7日に至るまで、衛生局の監督に
より、胆汁付加「ワクチン」を以て、28,000人に予防接種をなした ; 更に衛生
局に請求せる有志に同一「ワクチン」38,000人分を配布した。故に総計で63,0
00人が経口的に予防接種されたのである。
 1月1日より10月31日までに、Saint-Paolo の衛生課により84例の「チフス」
患者は記載された。この数から、14例は1年以上の予防接種者に起り、25例
は予防接種不完全であり最後に14例使用せる「ワクチン」の性質又は予防接
種の日付を定むること不可能なるを以て、之等を除去しなければならぬ、故
に残り31例の「チフス」患者は予防接種者から1年内に発生し、之に就ての精
密なる記載を得た。
 之等31名のうち :
  20人は皮下に接種された。
  10人は経口的に投与された。
  1人は両方法により接種された。
 皮下に接種された20名のうち :
  4人は予防接種後30日内に感染した。
  16人は30日次後に罹患した。
 経口的に接種された10名のうち :
  7人は予防接種後30日以内に罹患した。
  3人は30日次後に罹患した。
 両法により接種された唯一名は、予防接種後1ヶ月半で罹患した。
 皮下に接種せる人員数を10,000人(類似数)と見積り潜伏期間30日以後の
申告患者(17人)を計算すると、罹患率百分比は0,17%に等しくなる。
 経口免疫せる人につき同様の方法を施し、若し衛生局の監督にて接種せる
28,000人だけを目当てとすれば0,01%の比率を得る、若し胆汁加「ワクチ
ン」を請求せる35,000をも計算に入れると、0,006%となる。

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    207
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 故に per os による予防接種法は皮下によるそれよりも著しく良好なる成
績を挙げた。
 之を綜括するに : 研究室の実験及び人間に於ける試験は予防的意義必要
によつては治療的意義に使用された経口的免疫法は赤痢、「チフス」、「コレ
ラ」に対し有効なるを思はしむ。
          *  *  *
 普通一般に使用さるる予防接種法の効果に疑を置き皮下経路の代りに全く
経口的経路を代用せんと欲するのは吾人の考より距りがある。今日課せられ
た問題は予防接種のこの両方法が同じ機転に基き同じ免疫に達するか否かで
ある。
 経口的に実施された予防接種は、今日吾人の知る所では、腸壁の部位に起
る ; 本法は一般反応なく抗体の形成なく成就し、極めて短時間に成立する。
他面に於ては、吾人は皮下経路による予防接種法は著明なる白血球反応、血
液内の抗体の形成、一般反応を伴ふことを知つてゐる ; 本法は更にその成立
するために少なくとも5―6日の期間を必要とする。
 之等の相違があるので、皮下に Vaccins を接種することにより得たる免疫
は per os に同一 Vaccins を嚥下することにより相続く免疫と異る性質のも
のであり得ると云ふ考を先づ遠ざけなければならぬ。勿論、吾人は皮下に注
射せられたる Virus は腸内に再現することを認ることが出来た、このこ
とは予防接種の両方法の間に既に起るのである、然し、もし免疫機転が両者
に於て同一なりとすれば、如何にして免疫に必要欠くべからざるものとして
考へられる抗体が、或る場合には存し他の場合には欠如することがあり得る
であらうか? Vaccin を嚥下する場合にかく速に免疫が表はれるが、注射
の場合には免疫の形成がかく遅いかを如何にして説明するか?それだけ外
見上異る両免疫性の可能を正当と認むるのは心配なる点である。
 問題を判然とするために、両方法が吾人に提供する所のものは : Vaccin
の嚥下に続いて来る抗体の形成を伴ひ或は Vaccin を皮下に注射すると抗体
なく、速かなる潜伏期間なき免疫性、簡単に云へば経口予防接種法の与ふる

208      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
免疫性とすべての点で比較し得る免疫性を与へ得ることを証明しなければな
らぬ。
 この最後の証明に、Golovanoff と共同で、吾人は吾人の試験を向けた。
          *  *  *
 吾人は前に、葡萄状球菌及び連鎖状球菌の問題で、皮膚の摂受細胞は単に
菌体によるのみならず、更に之等の菌体より浸出せる溶解性物質によつても
容易に予防接種せらるることを見た。吾人は特に人間並びに動物に於ける特
異的湿布繃帯の適用の有効なる効果に注意を喚起した。その時当然同様の物
質が腸に選択的親和力を有する Virus を以て得られざるものか何うか質問
を発したのである。
 この事に基いて「コレラ」弧菌を以てなされた実験は明かに吾人の予想の正
当なるを示した。「ブイヨン」の陳旧培養より出発し、吾人は120°に抵抗す
る無毒の液体を得た。之は皮下に注射する時は、特異予防的能力を有し24時
間後に抗体を発生することなく「コレラ」感染に対し免疫性を賦与するのであ
る。
 即ち之は皮下経路の予防接種の際に遭遇する習慣となつてゐない性質で、
却つて経口的予防接種の場合に観察する性質の綜合的存在を見る。吾人は之
を如何に結論するか?
 到達せる結論は「コレラ」に於ける免疫は――而して赤痢に於て、「チフス」
疾患に於て更に他の疾病に於て極めた真実らしきことである――一様なる機
転に過ぎず、而して消化器経路又非経口経路を採用するも同一なることで
ある。この免疫性は、その発現の速かなる点に於て、明かに抗体以外に作用
するものである。この免疫性は、換言すれば、組織性であり摂受細胞の内部
に成立するものである。
 Vaccin 皮下注射に付随する抗体は、明かに活働性免疫の成立に必要欠く
べからざるものではない。吾人の意見によれば、単に皮膚又は粘膜に於ける
破損及び自然に見る如き経路によらずして循環系内に異種蛋白質の侵入せる
を示すのである。

     赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    209
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 非経口的に Vaccin を使用する時5―6日後に免疫の成立するを見る期間
に関しては吾人は偶然の一致に過ぎないと信ずる : よし普通使用さるる「コ
レラ」予防「ワクチン」が5―6日後に免疫するに過ぎないとするも、之は動物
がその喰菌細胞により弧菌を消化し、次いで之等の弧菌内に含有さるる特異
物質を遊離するためにこの期間を必要とするからである。遊離するや、否や
この物質――Antivirus は摂受細胞に結合するに至り、之に続いて免疫は直
ちに成立するに至る。
          *  *  *
 之等の事実を綜合して、免疫により無闇に抗体の形成に耳を貸すべきでな
いと云ふ考を起す。吾人は抗体は常に不必要であると云ふことは云ひたくな
い。即ち腸感染と考へらるる「コレラ」に於て、感染が腸にあるに拘はらず、
生体は抗体を生じ得る ; この場合、腸免疫が感染動物の保護を確実なるしむ
るに充分である。他の場合に、腸が溢れ、弧菌が全生体に侵入する大量感染
の場合もある。かかる出来事に於ては、動物はその処理する全防御手段、こ
の中に抗体も含まるるが、之を使用しなければならないのである。
          *  *  *
 「コレラ」感染及び「コレラ」免疫の研究の上に殆ど全部分が打ち建てられた
のは、免疫の液体学説である。人は之に細胞学説の左担者がなしたる応酬を
知つてゐる。炎衝の比較病理の記念すべき研究の後に、高級有脊椎動物に於
ては動物界の他の代表者に於けると異る防御手段の存することを如何に思考
すべきか? また Metchnikoff の一般学説は殆ど一致の賛成を獲得した。喰
菌学説は全部高級有脊椎動物の領域に置き換へられた。
 然るに、この学説は主として無脊椎動物の研究から出発した。之等後者に
於ては、白血球は、実質上、感染及び免疫の際に、絶対的ではないが主要な
る役目を演じてゐる。
 然し、高級有脊椎動物に於ては、固定食侭細胞に特種の役目を決定しては
ならぬものか何うかを質問し得る。Virus と高級生物との間の争闘に於ては、
吾人の意見によれば第一楷級の要素に参与するのは摂受細胞である。器官の

210      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫
――――――――――――――――――――――――――――――――――
中に存する之等の細胞は略々その全費用をかけたる感染に与る ; この細胞は
同様に遊走性食侭細胞と同程度に防御作用にも与る。すべての Virus 並びに
すべての異物に対し唯々裏に対抗するこの者、即ち摂受細胞――固定食侭細
胞――はと云へば、それが特異選択的親和性を示す細菌の存在する場合に作
用するに過ぎない。
 簡単に云へば、それ全体として生体と共同責任ある摂受細胞はその固有の
態度を以て、且つまた感染並に免疫に場合に於ても反応する ; この反応はそ
の属する器官が異る程益々明白となる。この自治制はやや図解式に一律に云
つても殆ど差し支へない位のものである、即ち各 Virus は各自の細胞を有
し各自の細胞は各自の免疫を有すと。
       ――――――――――
        Mémoires Citès
Alivisatos et Iovanovic, Centralbl, f, Bakteriol,, Origin,, t, XCVIII, 1926, p, 311,
Alivisatos, Deutsche mediz, Woch,, 1925, p, 1728,
CH, Nicolle, C, R, Acad, Sciences, t, CLXXIV, 13 mars 1922, p, 724,
Gloukhoff, Wolkowa, Erousalimtchique, Panine, La médecine prophylactique (en
 russe), juillet-août 1926, p, 64,
Guerner, C, R, Soc, Biologie, t, XCVI, 1927、p、330,
Starzynsky, C, R, Soc, Biologie, t, XCV,1926, p, 947,
Besredka et Golovanoff, C, R, Soc, Biologie, t, LXXXIX, p, 933,

            XIII
     感染及び免疫に於ける感作物の意義
 Role des Mordants Dans l’Infection et l’Immunité(1)

  出産するや否や、人間及び動物は自然腔、表皮及び粘膜を覆ふはんと努む
う雲霞の群の如き菌の侵入を受ける。たとへ生理的作用は何等認め得べき困
難を示すことなく継続して成し遂げらるるとは云へ、耐へ得る状態は之等の
菌と生体の細胞との間に成立する。
 皮膚及び粘膜はその有する自然免疫は通常の生活状態に於ては、最も危険
なる細菌に対しても充分である。人間に於ては、病的状態以外に、すべての
種類の葡萄状球菌連鎖状球菌は挙げなくても、赤痢菌「チフス」菌「コレラ」弧
菌に遭遇することが如何に屡々であるかは人の知る所である。実験室内動物
に於ては之等の Virus を表皮の上に適用し又は消化管内に送入するも何等障
礙を表はすことなきは人の知る所である。極めて毒力高き脾脱疽菌は少しの
感染を起すことなく結膜嚢内に点滴することが出来る。
 皮膚及び粘膜が解剖学的に完全に維持さるる限り、その免疫性は犯されな
い。然し細胞と Virus との間の平衡が潰れると潜伏性感染を喚び起すに足
る : その時まで細胞と共棲して生活せる細菌は突然毒力を賦与され発揮す
ることは人の殆ど疑ふことが出来ない。
              *  *  *
 自然免疫の破れることは種々の理由により起り得る ; 之等の理由は物理的
化学的又は生物学的性質のことがあり得る。
 肉眼に見えざる継続性の間隙は皮膚及び粘膜に与へられた最も強固なる防
――――
 (1) Gane に於ける衛生国際会議に於ける講演(1927,6月1―6日)

212      感染及び免疫に於ける感作物の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
禦系統を零に低下しめることが出来る。剃刀の閃き、上皮を膨脹せしめる
湿布繃帯、烈しき塗擦はその時までは沈黙を守れる Virus に対し受容する状
態を形成するに至る。腸の上皮に作用し得る生産物によるも又は無害菌を嚥
下するも同様の結果を起し得。自然免疫が損傷すると、その時には皮膚又は
消化管の細胞は容易に犯される ; 或る時は隣接細菌が之を攻撃しある時は外
界より来る菌が感染の原因となる。局所の病変が起り次いで全身感染が起る。
 破傷風菌及び瓦斯壊疽菌は外界にも、而して又、従つて、吾人の腸管内に
も屡々あることは人の知る所である。皮膚又は粘膜が健康なる限り彼等は何
もなし得ない。然しそこに裂傷又は挫傷が少しでもあれば、粉砕せる細胞は
之等の最近に取り極めて良好なる培地となるから、最も重篤なる災害が起る
疑ひがある。
 突然の寒冷、火傷又は化学薬品による腐蝕が菌を同伴すれば、細胞の自然
抵抗力を弱むべき要素となる。吾人は「コレラ」の際に於ける促進作用をなす
菌の意義に関する Metchnikoff の古き実験、並びに付随嫌気性菌によつて惹
起さるる感染に関する最近の実験を思ひ起すのである。
 生体の欠陥、生理的窮乏、中毒、麻醉剤、鎮痛剤、神経の衝動、約言すれ
ば、極めて種々なる原因が細胞を下級状態に置き感染に対し極めて大なる門
戸を開放し得るのである。ある場合には、局所で分泌される毒素が細菌に導
火線を与へ一般感染を促すのである。多くの人の傾向として、自然に於ては、
物理的又は化学的の変質に先立たれざる感染はないと信ずる。且つまた、実
験的に感染を起さしめんと欲する時、自然を模倣する様に感作物 mordants
を使用すべきではないか何うか質ぬるのは全く当然である。
 この考から出発して、腸管感染に於ける実験には吾人は胆汁を用ゐ、皮膚
に関するそれには吾人は塗擦又は抜毛により皮膚を感作(変質)せしめんと試
みた。
           *  *  *
 実験的「チフス」感染に就ての研究の際に、先づ類人猿に於て、恩師 Metch-
nikoff と共著で、更に遅れて家兎に於て、吾人の注意は二つの事実に注が

     感染及び免疫に於ける感作物の意義         213
――――――――――――――――――――――――――――――――――
れた :  病変の主要部は腸壁の部位にあり、Virus の選択的分布は腸胆嚢に
添ふてある。之等の所見より、類人猿及び家兎は単に類似するのみならず、
解剖学的細菌学的に真の一致を示す。彼等の相違する所、而して絶対的の相
違は、経口的に摂取された Virus に対する彼等の感受性の点だけである。大
猖々、手長猿又猖々は「チフス」菌の嚥下後に罹患する ; 家兎はこの接種方
法に対しては全く罹患しない。吾人は家兎、海猽、種々なる下級猿に「チフ
ス」材料の大量を嚥下せしめて、之等の罹患せしめやうと何度となく試みた
ではないか! 之は無益であつた。之等の試みに於ては吾人は決して「チフ
ス」感染の最小の症状をも得ることは出来なかつた。
 経口的によれば実験室内動物は不感受性なるも之を他の経路特に血行又は
腹腔内に投与すればその感受性を排斥することはない。それ故、吾人が考へ
たことは、胃腸管内には柵(barrière) が存在し Virus が宿主内に侵入する
を妨げるにちがひない。この柵は、吾人の云へる如く、粘液層によつて表は
さるべきである、この粘液層は腸管壁を覆ひ嚥下された Virus と腸の摂受
細胞との間に挿入するに至る。もしこの仮説が真ならば、吾人はこの柵を除
去して、実験室内動物に於て嚥下せる Virus に対する感受性を発現せしめ得
なければならぬ。
 故に解決すべき問題は家兎に於てその生理的作用に著しき変化を起すこと
なく表皮の剥離を生ずる物質を見出すことである。吾人の選択は、人の知る
如く、牛胆汁に停つてゐる。このものは之が大量に嚥下さるる時は腸壁を変
化するが、然し、少量なる時は全く無害である。また吾人は Virus よりも
少し前に投与せる胆汁はこの Virus に対し道を造り之をして容易に摂受細
胞に接近せしむるものと考へた。実験は吾人の予想を肯定した。
           *  *  *
 実験の示す所では胆汁で処置された家兎に於ては、感染状態はすべての点
に於て嘗て類人猿にて認めたるそれを思はしる。
 それ故生体全体が反動を受け而して正常動物には無害なる分量の Virus
が感作された動物には致死的となる点に於てその全身免疫が屈するためには

214      感染及び免疫に於ける感作物の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
腸の通過性の条件を変へるだけで充分であつた。その固有の毒力は零なるが
故に、この結果を生ずるのは確かに胆汁自身ではない。もし動物の自然免疫
が破れるとすれば、之は胆汁が腸粘膜のうちに破損部を造るためである ; こ
の損傷は、たとへ顕微鏡的楷梯のものでも、菌をして摂受細胞に到達せしむ
るに充分である。胆汁により生じたる局所の裂傷は感染機転の一般的発現の
上にその反響がある : 即ち Virus の侵入門口が何であらうと、Virus が嚥
下されても又は血液中に注射されても、最後の結果は常に同一である。この
胆汁の作用は、吾人の意見によれば、主として胆汁分泌促進作用に存する。
動物の固有の分泌を強くすれば、胆汁は腸の上皮層の剥離を容易にし、腸を
して更に透過性となす。そこで、その親和力によつて腸に引きつけられた細
菌は、そこに感染病竈を造り得ることは何人も反対しない ; 疾病は始めは局
所に、次いで敗血症状の性質を帯び得る。
 吾人をして之を綜括せしめんに : 健康動物の腸粘膜の完全が「チフス」菌
に対する自然免疫を確実ならしめる ; 胆汁による粘膜の破損がこの免疫性の
部分的消失の原因となる。換言すれば、生理的状態に於ては動物の抵抗力又
は感受性は当該 Virus に対しては腸の柵の演ずる所に従ふのである。
            *  *  *
「チフス=パラチフス」簇の細菌のみが吾人が示した様な作用を営むのでは
ない。「コレラ」弧菌に対しても胆汁は同様に誘導的作用を演ずるであらうこ
とはすべてが想像される所である。吾人は共著者 Masaki をして此の方面の
研究の担当に従事せしめた。
 その最初の実験に当り、著者は、事実上、「コレラ」感染と「チフス=パラ
チフス」感染の間には類似点のあることを観察した。この類似は解剖学的病
変所在、生体内に於ける弧菌の分布、並びに嚥下せる胆汁に対する動物の反
応に置かれた。
 皮下に「コレラ」Virus を接種された海猽及び家兎に於て、Masaki は弧菌が
腸粘膜の部位に注射後2,3時間にして既に現はれるのを確めることが出来た。
10時間後に、弧菌は腸管内に極めて多数となることは、培養によつて証明さ

         感染及び免疫に於ける感作物の意義    215
――――――――――――――――――――――――――――――――――
れる所である。故に弧菌が腸壁に著明なる親和力を有することは確実であ
る。然るに、この親和力あるに拘はらず、弧菌を極めて大量に嚥下するも動
物は完全に障礙を起さない : 成熟動物に於て腸壁型「コレラ」を実験的に造
ることは「チフス=パラチフス」感染のそれの如く常に失敗した。海猽や家兎
は長い間空腹に保つて後、Roux の「コルベン」の寒天培養1―2個の菌量に相
当する量の生弧菌を嚥下せしむるも無益であつて、彼等の症状をも感
じない。消化管内に侵入せる弧菌は腸粘膜に添うて滑り下り、次いで瞬時も
腸も細胞と密接することなく排除される。
 かかる事柄は予め感作せる動物に於ては同一経過を取らぬ。吾人が上述せ
る「コレラ」菌の量では予め牛胆汁を嚥下せる家兎をば烈しく犯す。細菌を食
して後最初の3,4日間は動物は外見上何等罹患症状を呈しない。唯その様子
が病気を潜伏せしめてゐるのではないかと思はれる : 動物は籠の中で動か
ずにゐる、恰も少しでも動くことが苦痛であるかの如くである。感染したこ
との疑ひなきかかる症状に接するや否や、体温は上昇し、糞便は下痢状とな
り、食慾は消失し、急に羸痩が起る。一般に死が「カヘキシー」の状態で2―3
週目に突然来る。剖検に際し、培養するに少しも嚥下せる菌を認めない、之
は明かに長期間の病気の経過中に弧菌の溶解せるためである。
 之等の観察は家兎に就てなされた。最近に至り、Masaki のそれに劣らざ
る判然たる成績が Horowitz-Wlassowa et Pirojnikowa によつて海猽につい
て記載された。著者等は海猽を牛胆汁を以て感作し彼等をば per os に腸管
「コレラ」を起すことに成功した。
 同様に、感染せる家兎に吾人の実験を引用して、Klukhine et Wigodchi-
-koff は経口的経路を借りて「チフス」感染並びに「コレラ」感染を起した。
 之等の動物は牛胆汁を以て予め感作された特殊の状態に於て当該疾患に容
易に罹患することを示す。
            *  *  *
 同じような事実は他の Virus についても記載された。吾人の共著者 Golova-
noff は大腸菌の経口感染に置かれたる家兎に於て胆汁の促進的作用を認め

216      感染及び免疫に於ける感作物の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
た。類似の観察は Gratia et Doyle により海猽にてなされた。之等の著者は
大腸菌の培養に就て実験し、腹腔内注射では極めて有毒なるも、服用せしめ
ると全く無害なるを見た。少量の胆汁を食せしめて菌の服用を施行せしめた
時に、之等の著者は海猽に於て大腸菌に対し真の敗血症を起し得た。
 胆汁による感作は Webster により化膿菌による敗血症に於ける研究の際
に実施された。胆汁は海猽の「チフス」感染の際に Sedan et Hermann によ
つて使用された。2―3日間空腹に置いて後、「チフス」菌を臀部に注射すれば
動物は選択的に腸管内に局在する病変を表わした。空腹を長引かすと海猽の
固有の胆汁分泌を増強し、実験家兎に於て胆汁の嚥下に於て生ずる如き上皮
の剥離を起す。更に追加すべきことは之等の著者は「チフス」菌を結膜下経路
によるも亦腸の病変を起し得たのである。
 極めて最近に Remlinger et Bailly は消化管の経路による「ヘルペス」Virus
の毒力に就ての研究の際に胆汁の効力を研究した。10頭の家兎が「ヘルペス」
に犯された家兎の脳を食した ; そのうち5頭が予め胆汁を嚥下した、他の5
頭は胆汁のない Virus のみを嚥下した。最初の全部は死亡した : 胆汁によ
つて感作されざる5頭は唯1頭が死亡せるのみであつた。同様なる条件にて
処理せる12匹の家兎に就てなしたる他の実験では、結果は同様であつた。
         *  *  *
 少しく異つた考で、胆汁の感作能力を対照するために、吾人は Martin
Hahn の研究室でなされた Olsen et Rey の実験を挙げなければならぬ。之
等の実験者は先づ海猽の皮下に注射せる「コレラ」弧菌は須臾にして腸管内に
認められることを確めた、此の事項は嘗て腸管局所免疫の吾人の観念の出発
点となれる志賀菌について吾人が観察せる所のものであることを記憶さるる
であらう。弧菌が腸管内に移行することを確めて後、著者等は Ductus cho-
ledoctus の拮【結】紮を行つた ; 次いで、氏等は海猽の皮下に「コレラ」弧菌を注射
した。4―6日後に、氏等は海猽を犠牲に供したるに、氏等は極めて特異なる
腸管の充血も、腸管内の生弧菌の存在も認めることが出来なかつた。然るに
処置を行ひ次いで皮下に接種されたる海猽に牛胆汁を与ふれば「コレラ」弧菌

         感染及び免疫に於ける感作物の意義    217
――――――――――――――――――――――――――――――――――
を腸管内容中に認るに充分であつた。経口的に投与された牛胆汁は、それ
故、胆汁の自然の分泌の停止を補足することが出来た : 他の場合に於ける
如くある一つの場合に――例へば胆汁が正常に分泌されるか又は異種動物か
か来る場合に――腸壁は「コレラ」弧菌に対し通過可能となるまでに感作され
るを見る。
         *  *  *
牛胆汁に固有なる感作物 Mordant の作用は毒素、抗毒素又は食物の製産
物の如きすべての種類の非有形の物質に対しても表はれ得る。腸の内面を磨
くので、胆汁は腸壁を通じ之等の物質の移行を促進し又彼等の宿主内への侵
入を容易ならしむるのである。之等の同一物質――毒素、抗毒素、食物製品―
が予め感作することなく摂取されると、腸粘膜に添うて下り何等移行せる痕
跡を止めずして生体を去る。曩に問題とせる Virus についても全く同様に
して、胆汁による感作が腸の通過性の条件並びに摂取の条件を変へる。「チフ
ス」、「コレラ」その他の Virus もついての実験を極めて幸福に完成せる Ma-
karoff, Dietrich, Ramon, grasset の極めて暗示的なる実験を証処として挙げ
る。
 Mme Makaroff は次の如き考から出発した。即ち食物に対し屡々見らるる
過敏症 hypersensibilité はある人に於ては之等の食物が極めて容易に粘膜柵
を通過するためであり得ると。之は出発点に於て食物性過敏症 anaphylaxie
は成熟動物では造ることは不可能であるが反対に極めて若い動物では実現す
ることは容易なること即ちこの場合には腸粘膜は容易に破り得るからである
と云ふ事実を有する単なる仮設に過ぎなかつた。
 この観察に力を得て、Makaroff は人工的に成熟動物に過敏症 hypersensi-
bilité を造らんと試みた。既に牛胆汁は当時「チフス」菌に対し感受性能力あ
ることが知られてゐたので之をこの試験のために使用した : 成熟海猽に胆
汁次に牛乳を嚥下せしめると幼弱海猽の如く感作に適当する様になる : 更
に遅れて試験注射に牛乳を使用すると、動物は反応し独特なる過敏症状を表
はした。

218      感染及び免疫に於ける感作物の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 食物過敏症に於ける胆汁の意義についての立証的実験は後になつて Ar-
loing 及びその共著者により報告された。
           *  *  *
 Wassermann の指導の下に破傷風毒素に就てなした Dietrich の研究は、
同じ「カテゴリー」に含まる。著者は「マウス」に牛胆汁を服用せしめ、次いで
2時間後に、経口的に破傷風毒(0,4cc)を投与した。胆汁によつて感作されざ
る対照の「マウス」は per os に同量の毒素を摂取した。この最後のものは罹
患しなかつたが、最初のものは破傷風に感染した。
 海猽及び家兎についてなされたる同様の実験は最近、Ramon et Grasset
により記載された。「マウス」と全く同様に、之等の動物は破傷風毒素の純粋
にして簡単なるものを嚥下せるに障礙はなかつた。之に牛胆汁の少量(2―3
cc) を破傷風毒素と共に摂取せしめたるに、著者等は成熟家兎に速かに死を
致す全身性破傷風を起すことが出来た。海猽に於ても亦胆汁の嚥下に次いで
破傷風毒素を投与せる時には同様に経過した。
 胆汁の感作能力は、Grasset の実験で明なる如く、抗毒素にも同様に及ぶ
のである。著者は家兎に空腹時に3cc の牛胆汁を嚥下せしめ次いで抗破傷風
血清を嚥下せしめた。服用後24時間は、反覆して血液を採取した。Grasset
は antitoxine の服用後1―4時間で操作採血により得たる血清は1ccを以て
毒素の10倍量の致死量を中和し得ることを確めた。それ以後即ち antitoxine
服用後7―24時間になせる瀉血によつて得た血清は毒素の100倍の致死量ま
で中和することが出来た。同様の結果は抗「ヂフテリア」血清と同じ条件にて
摂取せる家兎に於て得られた。
 之に反して、胆汁を以て感作を受けざる動物に於ては、その結果は全くち
がつて来る。2頭の家兎に、Grasset は空腹時に純粋化せる抗破傷風血清の
6cc即ち抗毒素量1,500単位を摂取せしめた ; 血清服用後氏は1,4,7,24時
間の間隔を以て家兎を瀉血した。今回は、種々なる瀉血により得たる血清は
いづれも抗毒素の痕跡も含まない。同じ結果は抗「ヂフテリア」血清を以て得
られた :  即ち予め感作することなく、経口的に投与する時には、この血清

         感染及び免疫に於ける感作物の意義    219
――――――――――――――――――――――――――――――――――
は少しも血液内に移行することなく、腸管を通過するのである。
           *  *  *
 それ故、受働性免疫の場合には活働性免疫の場合の如く、予め腸壁を感作
することは全く必要のことである。
 免疫の本質的機転は両者に於て同一ならざることは云はずに置く : 受働
免疫の場合には抗毒素は腸壁を通つて全身の循環系統に移行するが、之に反
して活働性の免疫の場合には Virus-vaccin は腸壁の部位に抑留される。然
しいづれの場合に於ても、胆汁は実際上その領域を掃除し腸壁との直接接触
を促すのである。
 吾人の初めの研究に次いで、一定数の学者は胆汁に代ふるに同様なる性質
を賦与する他の物質を使用せんとの研究をなした。「アルコール」(Zabolotny)、
「カカオ」硫酸曹達。安息香酸曹達(Reiter)、Chatel-Guyon の水(Goehlinger)
最後に、赤痢菌の死滅培養(Nedrigaïloff)を使用せんと提唱するものがあつ
た。
 之等の物質のいづれかを以て腸を感作せんとすることは、第二の重要なる
問題である。他日全く無害にして且つ多分牛胆汁より有効でさへある感作物
を発見することは可能であらう。重要なることは、感作と同じ原理で少しの
費用で、腸壁の不透過性に打ち勝つことが出来ることである。
           *  *  *
 たとへ最近に至るまで経口的予防接種が進歩しなかつたとしても、それ
は確乎たる科学的基礎を欠けるためである。支配せる教義はすべて免疫の発
現は抗体に負ふべきことを欲した、亦、腸内に於て Vaccins より受けた損害
があるので、何故に経口的経路が免疫を確実にするには不適当なるかを容易
に説明したのである。
 今日では、同じ様な説明は承認してはならぬ。抗脾脱疽免疫の歴史は吾人
に免疫は抗体の作用を必要としないことを教へた。脾脱疽病に対し真実なる
ことは亦他の疾患に対しても同様であるべきである。もし今日まで経口的免
疫に失敗したとすれば、之は抗体の欠陥よりは寧ろ適当なる技術の欠陥では

220      感染及び免疫に於ける感作物の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ないであらうか?
 吾人が経口免疫に行つた研究を調査する前に、最初の時にこの考の範囲内
にあつた既に古くなれる実験を簡単に申し述べやう ; 之は15年以上をさかの
ぼる。之は最初の経口的「チフス」予防接種であつた ; 之は Metchnikoff 及び
吾人自らによつて類人猿に実施されたのである。
 種々の「チフス」予防 Vaccins の価値を試験する目的を以て、類人猿につい
て研究せる際、吾人は猖々に生きた毒力の強い「チフス」菌を摂取せしめた。
この動物は既に前に経口的に加熱「チフス」菌を受けたのである。然し吾人は
――之は1910年であつた――正常動物と考へた、それは加熱菌を摂取した
事実は免疫の痕跡に過ぎぬと考へ得らるることはほんの瞬間も承認すること
が出来なかつたからである。吾人の猖々はそれ故――吾人の考では――恰も
完全に新しいものの如く、腸「チフス」に罹患すべきであつた。然るに之は何
の障礙も起すことなく止まつた。
 局所免疫の考は当時は吾人の希望に影響を及ぼす事が出来なかつたので、
此の結果は全く吾人を困惑させた。事実は少からず明白であつた。他の猖々
を手に入れることが可能であつたので、吾人に残されたことは事実を記載す
るだけであつた。たとへ per os による実験的予防接種の最初の例を観察す
ることがかかる風に Metchnikoff 及び吾人に残されてあつたとしても、之は
全く意外であつてそれについて吾人の例に何等の価値もなかつたのである。
 翌年(1911年)、経口的予防接種の同様なる実験が、J,Courmont et Rochaix
により、3年遅れて(1914年)A,Lumière et Chevrotier により、実験室内
動物について繰り返へされた。その頃、同種の試験が独逸に於て一連の学者
達―Loeffler, Kutscher et Meinicke, Wolf, Bruckner により「パラチフス」菌
の培養を以て追求された。あらゆる実験が嚥下せる之等の菌に対し特に感受
性大なる動物なる「マウス」に実施された。
           *  *  *
 之等の研究を綜合すると、一定の研究条件に於ては経口的予防接種は実現
性あることを知るに至つた。之等の条件の正確に決定すること並びに動物に

         感染及び免疫に於ける感作物の意義    221
――――――――――――――――――――――――――――――――――
於て免疫経過中に起ることを更に厳重に検査することは保留する。普通一般
の考があるので、特に血清の抗体含有量を追求しなければならない。体躯倭【矮】
小なる「マウス」はこの種の研究には不適当であるので、吾人は家兎を使用す
ることにした。
 第一歩に於て、吾人は大なる困難に遭遇した。吾人は「マウス」及び猖々と
は異り、家兎は経口的には「チフス」又は「パラチフス」感染に対し予防接種さ
れぬことを認めた。吾人は無益に家兎に加熱菌のみならず、更に生きた毒力
強き菌を嚥下せしめたが、家兎は免疫性の獲得を拒否した。嚥下されたる菌
は少しも停滞することなく速かに腸を通過する、恰も雑菌に対する場合の如
くである。
 「パラチフス」感染に於ける腸壁の意義に就ては吾人の以前の実験にはなき
所であり ; 他面に於ては、胆汁の付加をなし得る方法を知つてゐるので、吾
人は遂に胆汁を免疫に使用せんとの考に到達した。吾人はそこで先づ腸の上
皮を磨き、かくして腸壁の透過性を変化し、次いで、経口的に生「パラチフ
ス」菌を投与せんことを提唱した。
 明かに、胆汁で処置された腸は嚥下せる菌を吸着することが出来ることを
示した、従つてかく処置された家兎は強いて血液内に入れたる菌の致死量に
抵抗することが出来る様になる。
 この結果は多数の要項に対して得る所が極めて多かつた。先づ、胆汁を予
め嚥下することは免疫形成に極めて必要なること ; 次に、この免疫が経口的
に得られたと同一なる機転は吾人の新天地を示した。
 この実験の実際的価値に関しては、勿論零であつた。その興味は純学理的
であつた、何人も生菌の服用を予防接種の手段として推称する考を抱いてゐ
なかつた。
 然しこの実験より励まされて、吾人は、他の条件は全部同一にし、生菌に
代ふるに死菌を以てする場合に、何のやうなことになるかを知らんと欲し
た。吾人の驚異せることは、実験の結果は著しく同一なることを示した。実
際上、実験の示す所では、胆汁で感作された腸と接触せる「パラチフス」死菌

222      感染及び免疫に於ける感作物の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
は、吸着され、動物は次いで静脈内に注射せる Virus の確実致死量に対し抵
抗する様になる。
 それ故、吾人はここに、無害にし迅速なる予防接種方法の存在することを
知つた――吾人に及ぶまでには長い間かかつたであらう所の実験が之を証明
した――「チフス=パラチフス」感染に犯された人間に見る免疫になぞらふべ
き方法の存在を知つた。
           *  *  *
 経口的経路によるこの予防接種法は如何なる機転であるか? 之は勿論抗
元が腸壁を過つて移行し、血液内に抗体を形成するに基くのではない、仮令、
ある場合に、予防接種の始めに抗体が血液内に表はるることあるも、抗体は
予防接種の進行すると共に次第に消失する ; 免疫が最高の強さに到達せる時
に抗体を少しも見出さないことが却つて屡々ある。それ故血清の抗体含有度
と生体の免疫度との間には何等の関係も存在しない。
 吾人の意見によれば、予防接種の機転は感染の機転と同一である : 両者
の場合に、胆汁は粘膜を感作し、菌と腸の摂受細胞との密接なる接触を促す。
摂受細胞は腸壁の厚層内に存在し、胆汁の作用により露出され、Virus 又は
Vaccin と結合する : 之によつて、場合に応じて、感染又は予防接種に与
る摂受細胞の親和力が飽和されるや否や、之は最早 Virus を結合し又は吸
着しない状態となる、尚亦、その後に生体がその既に受けたるものに類する
感染に爆【暴】露する時、その摂受細胞は無関心に止まる ; 即ちその親和力が消
燼されたために反応し得ない様になり、細胞は殆ど感染に与らなくなる。換
言すれば、摂受細胞は、一度び Antivirus 吸着により感作が破れると、最
早何等危険がない : 之より腸免疫は生体の全身免疫と同一視される。之は
吾人が脾脱疽菌予防接種をなせる海猽にて既に見た所のものである : 皮膚の
細胞は、パストウール氏「ワクチン」により感作がなくなると、強毒なる脾脱
疽菌が存在する時にも、最早作用しなくなる ; 之より皮膚の免疫は同時に脾
脱疽菌に対する海猽の全身免疫である。
           *  *  *

         感染及び免疫に於ける感作物の意義    223
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 「コレラ」は極めて「チフス」と類似する。
 研究室内の動物は全く「コレラ」弧菌の嚥下に対し感受性がない。亦「コレ
ラ」弧菌を大量に嚥下した後に、弧菌の注射に対し全く免疫性を得ることは
出来ないことは予期しなければならない ; 之は実際上実験の示す所である。
 然らずんば腸が予め牛胆汁を以て感作された時は起り得る事柄である。
 吾人は既に胆汁で前処置して弧菌を服せしめると甚しい障礙を引き起すこ
とを示した ; 之は家兎に於ても海猽にありても真実である。この障礙の程度
は摂取せる Virus の量に従ひ多少がある : 2―3日の潜伏期の後、最初の症
状が現はれるのを見る ; 食慾不振、下痢、羸痩 ; 之等の症状は、動物により、
恢復し或は「カヘキシー」のために死の転帰を取る。
 実験は疾病より生き残つた動物は血液内に弧菌の致死量の接種に対し抵抗
する ; かくして得たる免疫は抗体に無関係である。実際上 Masaki の観察に
よれば「コレラ」に対する免疫は多少強き「コレラ」感染が先駆する時に成立す
るに過ぎない。この事は胆汁を以て処置されざる動物では決して見られぬか
らして、胆汁を加へざる純粋にして単純なる「コレラ」弧菌の嚥下は抗「コレ
ラ」免疫は出来ぬものと信ぜられる。
 この結論は同様に始めは Glotoff,次ぎに最近一面には Horowitz-Wlassowa
et Pirojnikowa の海猽に於ける、他面には Klukhine et Wygodchikoff の家
兎に於ける研究を導いた。
           *  *  *
 Horowitz-Wlassowa et Pirojnikowa は胆汁で感作せる海猽に「コレラ」死菌
を嚥下せしめた。数日遅れて、之等の海猽並びに対照動物は経口的に試験さ
れた。対照は「コレラ」感染で斃れた ; 処置せる海猽は生存した。予防接種さ
れた海猽の血清中の抗体の検索では陽性の成績を示さなかつた。
 Klukhine et Wygodchikoff は海猽に就て実験した。氏等は家兎を赤痢菌
を用ゐて感作した、この方法は Nedrigaïloff et Linnikowa により胆汁の代
りに腸壁に作用させたのである。志賀菌の感作量を定めて、氏等は家兎に経
口的予防接種法を施した。実験は多数の動物に行はれた ; 一つは「コレラ」に

224      感染及び免疫に於ける感作物の意義
――――――――――――――――――――――――――――――――――
対して予防接種され、他は「チフス」感染に対して行はれた。ここで之等の実
験の詳細を述べることは管々しい ; 只々注意すべきことは之等の研究より流
れ出た結論は吾人の結論及び Masaki の結論と一致した点である。志賀菌の
培養によりあらはされた、感作物質は抗赤痢免疫と同時に抗「コレラ」又は
抗「チフス」免疫を賦与することは胆汁に優る。著者は腸の感作を行ふことを
省いた時は、ある失敗に直面せる事に基き次の如く主張す : 「チフス」感染
又は「コレラ」感染に対する予防接種に関する問題は、免疫は家兎が予め感作
された時にのみ per os に得らるるに過ぎないのである。
 同種の事実は Brocq-Rousseu, Truche et Urbain が Bacterium gallinarum
に対する雞の予防接種に関する研究の際に唱へられた: 牛胆汁を以て処置
された雞のみが静脈内注射による Virus の致死量の数倍に能く堪えることを
示した。
           *  *  *
 仮令吾人が長い間、予防接種法の見地に於て予め腸を感作すべきことの重
要性にこだはつてゐたにせよ、之はその事実が吾人の研究の始めに確められ
たためである。ある学者は服用せしめた少量の牛胆汁は動物に於ては通常分
泌される大量の胆汁の他に重要性はある筈がないと宣言してゐる。
 感染を引き起さんとする時はいつでも、或は経口的に予防接種を実現せん
とする時はいつでも、予め感作することが必要欠くべからざることであると
主張するには距離がある。吾人の最初の実験では――之は実験的赤痢に就て
行つた――吾人は志賀菌はその固有の性質により腸の研磨を行ひ得るから、
予め胆汁を嚥下することは不必要である。同様に、特に感受性強き動物では、
特殊の感作物の使用は全く必要なるものにあらざることを示した。即ち、吾
人は予め感作を行ふことなく「パラチフス」菌に対して「マウス」を又、「チフ
ス」菌に対して猖々を予防接種することに成功した。細菌の内部に含有され
た菌体内毒素は同様に使用さる ; 当該動物に於て、菌体内毒素は他の事情に
於て胆汁に代用される。然し吾人は感受性動物に於ても亦、感作物の使用は
有効なりと評価するものである。胃腸液は著しく不定である : その充満、の【ママ】

         感染及び免疫に於ける感作物の意義    225
――――――――――――――――――――――――――――――――――
状態、その反応、酵素の含有量は刻一刻と変化し得。胆汁を服用させると、
測定可能の範囲に於て、之等の条件を一様にすれば、腸壁と Vaccin との密
接なる接触を一層確実になす。吾人の関係せる Virus にありては、人間は
実験室内動物より遥に感受性大である ; 人間は類人猿と比較するも更に感受
性に富む。それ故、人間は人工的感作物に依頼する必要なく、経口的に予防
接種されるものと推量したであらう。然し之を若し疫学的観察に拠れば、殆
どある疑を抱くことを禦ぎ得ない ; 他面に於ては、予め感作することは更に
確実なる免疫を得させるから、吾人は人間に於ても同様に之を実行する意見
を有するものである。 
           *  *  *
 仮令、腸が主要部なる感染に於ては、感作物質の役目は必要なることが証
明されても、皮膚から発生する感染に関係する場合にはこの証明は無益と見
える。皮膚が健康なる限り、すべての Virus に対し殆ど無限の抵抗性を以
て対抗する。皮膚組織に選択的親和力を有する Virus 例へば連鎖状球菌、葡
萄状球菌、「ペスト」菌、結核菌、脾脱疽菌の如きものすら、皮膚に少しも継
続の破損がない状態に於ては、全く安全無害の状態で皮膚に沈着し得。皮膚
感受性を造るために、皮膚は先づ物理的又は化学的損傷を受けなければなら
ぬ ; 同じ種類の感受性は、吾人が既にこの講演の始めに示したる如く、極め
て種々なる要素によつて引き起され得。
 皮膚と腸との間の類似は感染機転に制限されてゐない ; この類似は同じ程
度に免疫の機転に及ぶ。即ち、皮膚及び粘膜を大量の Vaccin と密接せしむ
るも、その結果は少しも自然免疫を強くしないのである。然し、始めに如何
なる形であらうとも感作物質を皮膚に作用せしめた小数では、人工的免疫の
発現に通当なる条件を造つた。Antivirus の歴史はすべてその使用の対照と
して、その必要は云はずとして後天性免疫を得るために皮膚又は粘膜を予め
感作することである。
 之を綜括するに : 器官が包蔵せらるる皮膚粘膜なる外被は正常状態に於
ては防御系統として役立ち皮膚又は粘膜組織を通過すべき菌の全侵入を妨

226      感染及び免疫に於ける感作物の意義       
――――――――――――――――――――――――――――――――――
げ、動物をしてその自然免疫を確立せしめる ; この免疫性は外被の表面が健
全なる限り鞏固である。
 動物に人工免疫を与ふるために、更に先天的に抵抗性ある動物に感染を起
すために、この外被は先づ適当なる感作作用を受け、極めて軽度に過ぎない
が、自然の安全性を破り易くすることが大切である。
           ―――――――――――
             Mémoires Cités
 Metchnikoff et Besredka, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXV, 1911, pp, 193,
  868; t, XXVII, août 1913・
 Masaki, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXVI, p, 399, 1922,
 Horowitz-Wlassova et Pirojnikova, C, R, Soc, Biologie, t, XCIV, p, 1067,

                ⅩⅣ
         貼  布  法  と  免  疫
           Pansements et Immunité
 外科に於ける貼布法(以下湿布繃帯と記す)の発達は疾病に打ち克つよりよ
き手段に基き医学に於て成功せる考察に基く。湿布繃帯に移行せる主なる行
程は――それが殺菌、防腐又は特異的のものであるにせよ――病原菌を破壊
する考から全部誘導された。之等種々なる湿布繃帯の異る所はその作用方法
である。この最後の作用方法はある場合には免疫の液体学説、ある時は細胞
学説或は特異的組織局所免疫学説からである。
 外科学の粗造時代の最初の湿布繃帯は石の年齢に逆上る程である。之は有
史前の人間により使用され、燧石を以て穿孔を行ひ又は肉の中に埋つた矢を
引き抜くと称せらる。すべてがよい : 樹皮、手近に見出さるる草、鳥賊の
墨汁等。要点は速に流血を止め、瘡面を塞ぐにある。儀式上の仕草は余り湿
布の效果を完成しない。Homére(ホーマー)の信ずる如く Ulysse の場合が
それである。
 Autolyticus に於ける狩猟の際に野猪のために脚部に負傷した時、彼はそ
の外科医が負傷せる脚を拮紮するのに長い間呪文を唱へつつその仕事を終る
のを見た。
 現代より五世紀前に Hippocrates の仕事のうちには屡々骨折、負傷及び湿
布繃帯を問題としてゐる ; 然し不幸なことには、このものの成分又はその使
用方法に関しては、吾人は全く詳細を欠くのである。
                 Ⅰ
 漏膿及びその処置は西暦の始めに漸く医家の注意を惹き始めた。

228         貼 布 法 と 免 疫      
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 吾人は Celse の有名なる仕事、De re medica の中にこの問題に関する詳
細なる記載を見出す。Celse の意見によると、「アプセス」は切開しその内容
はそこに存するすべての腐敗物を除去するまで吸引すべきである。19世紀後
に、外科医 Bier はこの方法を彼のものとなした。
 キリスト【四文字に二重下線】文明の到来と共に外科学の更新を待ち設けなければならなかつ
た。それは何でもなかつた : Ecclesia abhornet a sanguine (宗教は血を嫌
ふ)。亦吾人は、教会が流血のために養つたこの嫌忌の理由のために、中世
紀の全期間外科学の萎靡を来したことを附加しやう。かの理髪師-外科医師
は西暦の初年の同業者以上に知者であり得なかつた。然し竹帛に残る唯一の
功労者は XIV 世紀の仏蘭西の外科医 Mondevill にして、氏はその時代の
師表となれる Galénistes (Galén 派) に対抗し漏濃が瘡傷の治癒に必要欠く
べからざること、瘡傷は膿を持たぬ時は却つてよく瘢痕形成をなすものなる
ことを確定するの勇気を持つてゐた。Mondeville のみが自家の見解を持つ
てゐた。
 「ポマード」及び膏薬は化膿及び痕面に好んで論議し続けられた。汚染せる
貼布は Galén 派の教養により祝聖された ; その地位を顛倒さすることは個々
の力では及ばなかつた。
            *\t   *   *
 復興期が来た。当時の最も代表的なる外科医 Ambroise Paré は、かの有
名なる Traité sur les plaies par armes à feu (銃瘡に関する治療)を出版し
た。氏は当時評判となれる灼熱又は煮沸油による腐蝕を非難するに躊躇しな
かつた。氏の意見によれば、感染の恐怖より「ヒント」を得た本法は、之を施
す所の組織の破損のために手術の経過を増悪するに過ぎないと。氏は合併瘡
plaies compliquées の治療には葡萄酒又は l’eau-de-vie (「アブサン」の類)或
は硫酸銅の溶液を以て患部を反覆洗滌することを勧めた。Paré こそ始めて
組織を劣つた状態に置いてはならぬ、組織をして最大の生活力と最大の防禦
手段を保存せしめねばならぬと云ふ重要性に気がついた。亦彼こそ文献以前

         貼 布 法 と 免 疫          229
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に防腐剤を使用したものである(1)。
 Ambroise Paré の考は理解されなかつた。2,3 の熱心なる賛成者があつた
中に、XVIII 世紀の有名なる外科医 J,-L, Petit は理髪師の灼熱法を排し
て揮発油による湿布繃帯、没薬及び「キンキナ」の粉末による湿布繃帯を代用
した。然し、之を総括するに此の時代に於ける外科学は西暦当初以上の進歩
はなさなかつた。
 「ポマード」や罨法は XIX 世紀の半ばに至るまで外科学の室を去らなかつ
た。更に、局所炎衝に関する Broussais の意見に誘惑されて、外科医は、全
く、内科医と同じく負傷者及び手術者から大量に採血する習慣になつた。彼
等は患者を衰弱状態に置いてしまつたのでかかる最小手術が感染に対する口
実となる位であつた。手術後の死亡率は最も熟練せる外科医をして再び「メ
ス」を執ることを断念せしめる位の割合に達した。黒変群 Séries noires と説
明すべき ,,化膿性炎衝,, の起らぬ様祈祷しても、手術の不幸なる結果を防ぐ
ことは出来なかつた。
                Ⅱ
 1867年が来る。手術者、器械又は湿布繃帯によつて齎らさるる感染し易い
伝染の観念が、新しい領域を開拓す。恰も魔術師の杖の下に変化する如く、
外科学の技術は一変す。
 ,,開放性骨折及び「アプセス」の新治療法; 化膿の原因に関する観察,,、か
かる表題の記念すべき報告書が Lister によつて発表された。石炭酸水又は
石炭酸加油による瘡面貼布の問題は広い範囲に流布した。
 この最初の発表は余り認められずに過ぎた。亦、しばらくして後、Lister
は新しい報告書を発表するを必要と判断した。此の度は、極めて簡単な表題
をつけた : “消毒薬の意義,, 之は新貼布法を外科学に感銘せんと企てた新
方針以外には少しも関係しないことを充分指示せんとした。
 その同時代の人を説得せんがために、氏はその技術によりよき結果に導く
に至つた多数の重要なる手術の病歴を挙げた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 (1) Je le pansay, Dieu le guarit,, (私が手当して、神が治す, 1517-1590)

230         貼 布 法 と 免 疫      
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 屡々かかる場合に遭遇する如く或る新しい考案も従つて普及するに至らな
い如く、新法はこれに対する嫉妬と無能の結合の湧き立つのを見ずには樹立
しない。Lister の場合にもその大胆なる発見を許すためには多数の歳月を要
した。その間、氏は洗滌に関し、石炭酸「ガーゼ」及び「カツトグート」に関し、
器具のための石炭酸槽に関しての一列の仕事を発表した。氏の考の中には、
空気中に存する菌は石炭酸のかくの如き使用の前には最早恐るる余地なし
と。亦氏は手術室の化膿を全々追ひ去ることを望んでゐない。
 明かに、消毒薬の貼布を以て病院の腐敗、丹毒及び膿毒症を除き去るを見
た。手術後の死亡率は負傷者及び被手術者をして、その時までは不明なる割
合にまで速に減少した。外科医は重篤患者を手術するに自惚が出た。手術家
の大胆はその手術が無障礙なだけに医界を驚嘆させた。
            *\t   *   *
 之に続く10ケ年間(1875-1885)、消毒薬は些の曇りなく風靡した。勿論、
石炭酸、昇汞及び沃度「フオルム」に代用するために、本法を完全ならしむる
研究をするものはなかつた。Lister の教義は此の長き全期間に亙り両半球の
外科医界に少からず君臨した。
 仮令 Lister 以前に外科手術は極めて屡々成功に帰したとは云へ、然しあ
ちらこちらに幸福なる例外がなかつたと信ずるのは誤りであらう。即ち、仏
蘭西に於て、Koeberlé は消毒剤を使用することなく、子宮繊維腫及び卵巣
嚢腫の手術に成功した。英吉利に於ても亦、Lawson Tait は石炭酸水に拠る
ことなく極めてよくその手術に成功した。後者はその同国人 Lister の方法
を手術の際に不必要なる操作と考へるのに殆ど遠慮しなかつた。
 何故に他の外科医がかくも哀れに失敗せる場合に之等の外科医は成功した
のであるか? 少しも之は説明出来なかつた。該手術者は清潔であつた。そ
れがすべてである。彼等は沢山の石鹸と煮沸水とを使用した。彼等はその糸
及び海綿を煮沸した。彼等は剖検をやらなかつた。
                Ⅲ
 Lister より説伏せられた味方さへも、然し、Koeberlé, Lawson Tait 及び

         貼 布 法 と 免 疫          231
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その門弟により当時挙げられた成績に感動せざるを得なかつた。常に石炭酸
又昇承【ママ】の使用を賞揚しただけそれ丈之等の結果に驚嘆した。之等の物質の毒
性とその組織の上に特に腹膜に関する手術の際に及ぼす不快なる作用との為
めに、被手術者は屡々元気阻喪の状態となり創面の瘢痕形成を痛く害するの
を見る。
 消毒薬の貼用の原理は生物学的の考へ方よりも寧ろ生体の防禦を化学的考
へ方から行ふものであることを注意せよ。本質は一般に消毒的作用により行
ふものでないことを知る : 皮膚又は粘膜を保護するために生体が営む所の
分泌液の産物は、一般に殺菌作用がない。菌を除去するために、皮膚及び粘
膜は極めて屡々その腺の分泌液を利用する。即ち純化学的手段に拠る。
 同時代の人は未だ吾人の仲間うちに生存してゐるが、その当時を想ひ起す
ものは少いから、Lister の研究及び特に Pasteur のそれによつて作られた
る進歩せる考は防腐法(asepsie)に対し既に熟してゐなければならぬと解釈さ
れる。吾人の云はんとする所の Koeberlé の如き外科医によつて実施された
のはこの経験による防腐法に関係するのではなく、実験室の否定し得ない実
験に基く合理的防腐法に関係するのである。亦、石炭酸、昇汞及び他の殺菌
剤は漸次高圧蒸気にその地位を譲るに至つた : Lister 氏「ガーゼ」貼布法は
無菌貼布法の優秀なる前に解消した。
 1885-1890 年代に於ては如何。
 「タムポン」、圧迫繃帯、糸、器具は蒸気又は乾熱により消毒された。只手
術者の手だけは、同様の処置をなし得ないので、石鹸「ブラシ」を使用して後
昇汞、酒精及び過「マンガン」酸加里で洗ふ。ある日、手は充分に「ブラシ」を
かけ、洗滌し、消毒せるに拘はらず、菌が生存するを認めた。更にかくの如
き操作の影響は長ければ手が荒れるだけである。そこで高圧蒸気で滅菌せる
護謨の手袋を使用せんとする考を持つた。防腐の原理はその当時は望み得ら
るる広い範囲に実現された。
 現今に於ては、仮令 “石炭酸の酒宴,, をやる如き少数の忠実者を除いたに
しても、無菌貼布法は一般に採用されてゐることを肯定し得る。吾人の組織

232         貼 布 法 と 免 疫      
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の細胞は圧迫繃帯又は器具と接触せしむるもその生活力を失ふ危険は殆どな
い ; 生体は総体としてその自然免疫性を生体に賦与する全防禦作用を営み得
るのである。
 然し防腐法は害され易い側面がある。感染に対する活働的闘争を止めるの
で、防腐法はその大なる不安は Primum non nocere なるために、自然の治
癒力に一任される。然も、防腐法は完全なる状態なる以外には效果はない。
一大手術は塵埃の最も少い巣窟をも除かれる様な特殊の場処を必要とする厳
格なる防腐の方式により行はれねばならなかつた。之は偶然的感染の原因と
なるを以て、助手も操作も又談話もなるべく少きを要す。手術は時間が短け
れば短いだけよく成功する、然るにもし何か彼にかの理由で、之等の条件を
実現し得ないならば、防腐的手術よりも更に心配なる結果を持ち来し得: こ
の場合には劣る。最後に無菌的繃帯、禁忌の場合がある : 之は多数に病原
菌の存在する時である。
 殺菌的繃帯の目的とする所は直接に完全に菌を破壊することである。細胞
の生活力を考慮することが如何に必要であるかを了解すれば、菌の破壊は二
次的計画に委ねられ、自然の治癒效力、即ち組織の自然免疫に腐心した。
                 Ⅳ
 然るに、最も活働的なる防禦手段に従事せるこの免疫は、人工的要素によ
り更に強固となり而して手術者の手に於て創面の治療上極めて高価なる要素
となり易いのである。吾人は特異繃帯に就て述べやうと思ふ。之等の繃帯は
血清又は Antivirus に基くのである。
 特異血清を基礎とする繃帯は殆ど普遍的実行に入らない。その使用は其の
当時抗破傷風血清を以てせる実験に基く。
 之等の実験は抗破傷風局所免疫を得ることが出来ることを示した。之以上
簡単なものはない :  海猽の剃毛せる皮膚に抗破傷風血清を浸せる圧迫繃帯
を適用するか又は腹部の皮膚を「ラノリン」に混入せる破傷風抗毒素を以て塗
抹するだけでよい。
 之等の方法のいづれかを以て、破傷風毒素の確実なる致死量に対し動物を

         貼 布 法 と 免 疫          233
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防禦す。繃帯は毒素の注射の前日又は毒素注射後間隔は3時間を越えざる状
態で――適用すれば、海猽は致死的破傷風に対し防禦さるるを見る。
 抗破傷風血清繃帯は有效なるためには、それを毒素を受けた部位と直接に
接触せしむることが必要である。腹部の皮膚に適用すれば、繃帯は腹部の皮
下に注射せる毒素に対して防禦す : 他の場処例へば一脚の皮下に注射せる毒
素に対しては防禦しない。
 換言すれば、抗破傷風繃帯により実現された免疫は局所的である ; 之は厳
密に特異的である。
 この局所予防接種 loco loeso は多くの場合、抗破傷風血清の注射に代用し
得。本法は更に異種血清の非経口的侵入に由来する――直接又は間接の――
不都合を少しも持ち来さざる長所を提供する。
             *\t   *   *
 外科医の実際上に極めて多数の適用を見るのは Vaccin 又は Antivirus に
基く繃帯である。その作用は、仮令局所性ではあるが極めて広汎なる適用の
領域を呈する。之は一種の特異的要素と関係する。その特異性は二重の意義
がある : 即ち一方ではそれ等が Virus の発育を阻止する Virus に対するも
のであり、他方には――而して之は特に価値ある長所であるが――それ等が
抵抗力を増強する生体の細胞に対するものである。この二重の作用は、何の
不都合を表はすことなく、殺菌及び無菌の結合せる繃帯の長所を兼ねる様に
なす。この特異繃帯を使用し脾脱疽に対する皮膚予防接種又は「チフス」に対
する経口的予防接種に於けると全く同じく、皮膚及び粘膜の自然免疫性を強
くなすのである。Antivirus を満す生物学的殺菌作用は之が細胞に対して行
ふ作用により増強される。
 葡萄状球菌及び連鎖状球菌の遍在することは特異繃帯が皮膚及び粘膜に関
する感染の際に多数の適用を見るに至らしめた。
 癤(フルンケル)、癰(カルブンケル)、あらゆる種類の「アプセス」産褥熱及
び他の疾患に於て、 Antivirus による繃帯は普ねく使用されるに至つた ; 之
はここに主張する必要はない。戦争中屡々見られたもので、大なる損傷によ

234         貼 布 法 と 免 疫      
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り又は衣類の破片による汚染により特長を呈する場合は吾人の注意を引くに
値ひした。寸断され、血液で氾濫され、打傷により生命を失へる組織は、余
りよく分らないが、病原菌に対し選択的の培養基を提供する。毀損し、その
自然免疫性を減少せる細胞は菌の増加に対し 何等障壁を提供しやうとしな
い。最も厳格なる殺菌作用は同様の場合に如何ともなし得ない。
 生体の自然の資力を分担せしめる Antivirus 療法は、吾人の意見により次
の如き場合と同様に適用された、例へば Lister の最初の記念物となり而し
て今日なほ外科医の関心する瓦斯壊疽、骨髄炎、化膿性関節炎又は開放性骨
端骨折の場合の如きである。最も熟練せる手術家は今日でも尚之等骨折を受
けたる患者に於ては死亡率が多いことを告白してゐる。常に骨折の上の傷は
或は縫合して感染の危険を冒すか或は縫合せずに法外に治療を延期し、而も
骨炎及び腐骨片を確実に避け得ないのである。この大なる矛盾の前に、傷面
を Antivirus に充分浸すか、継続的に或は断片的に死滅せる組織の中に
Antivirus を滴下することは合理的でないであらうか? Carrel の排膿管の
「システーム」に使用する Dakin 氏液の代りに Antivirus を用ふることは、
上述の如き類似の場合に何うであらうか?
 助膜腔内及び特に腹腔内に限局せる膿汁の採取は既に Antivirus を局所に
適用してその処置に成功した。吾人の考によれば Antivirus が特に有效なる
場合は、手術前の予防接種の場合である。器官の局所免疫は極めて速かに得
られたので、手術後の「ワクチン」療法に同様希望を開いた。
            *\t  *   *
 貼布法の経過せる種々なる時代を考究し、之を免疫学説に参照すると、相
互の間に相関的関係の成立することを殆ど妨げることは出来ない。
 医学の有史前の全期間は、而して細菌の意義を少しも知らざる期間は、汚
染せる繃帯貼用期であつた。
 病原菌の作用が発見された時は、内科も外科も一つの目的を持つてゐたに
過ぎない : 即ち殺菌性物質を用ゐ直接作用により之を除かうとするのであ
る ; 一方には液体免疫の考からであり、他方には消毒薬による繃帯貼用で

         貼 布 法 と 免 疫          235
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ある。
 喰菌作用の発見は、生体の意義を細菌の破壊作用に 価値を帰してゐるの
で、内科に於ては細胞免疫説、外科に於ては防腐的繃帯の凱歌を挙げるを見
た。
 今日では、白血球のみが生体の防禦を確実ならしめるのでなく、すべての
細胞が感染され易く又本当の意味に於て免疫され易いことを知つたのである
から、吾人は新時代即ち、一方に於ては局所免疫の学説に、他方に於ては自
然的当然の帰結として特異繃帯の時代に遭遇した。

              ⅩⅤ
          免 疫 と Antivirus
          Immunité et Antivirus (1)
  “何人も嘗て抗体の発顕なき鞏固なる免疫性の発生を非難する事なく証明せ
  るものはない,,。Jules Bordet (Traité de Physiologie normale et pathologique,
   de H, Roger et Binet, 1927, p, 354)
 実験的見地に於て非難し得ない、免疫の機転に関する吾人の知識は、なほ
異論を受くべき観察に基いてゐる。Metchnikoff, Bordet, Ehrlich 及び他の
人々の古典的研究に拘わらず、免疫学説は今日なほ成長期にあつて、将来の
安定を洞察し得ない。吾人も亦二三の私的意見を容易に発表し得るを感ずる
ものでなければならぬ。
 いつの時でも、所謂伝染性又は「ミアスマ」性の疾患を治療せんとするもの
は、必ずや之等の疾患の原因と予想さるべき要素を直接目的とすることが必
要であると断定した ; 疾病の発育する身体に関しては、殆ど問題としてゐな
かつた。既に Hiéronyme Fracastor は水銀の吸入及び塗擦を黴毒に対し推奨
せる時は、この治療的考を持つてゐた : 彼の考では、皮膚から除去される
水銀は、毛孔を通過する際に、その当時皮膚疾患と考へられた黴毒病原体を
破壊すべきであると。
 4世紀遅れて、細菌学時代が到来しても、伝染病を治療するこの方法に認
むべき変化を持ち来さなかつた ; 一層具体的の形状を取れる病原菌より他の
考はなかつた。見つ猶太教の道士と外科医とは最も確実に細菌を殺し易い物
質の捜索に相対峙した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 (1) Bruxelles の医学会に於てなせる講演(1927年, 1月, 25日)

           免 疫 と Antivirus          237
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 Metchnikoff による喰菌作用の発見は伝染病に対する争闘を他の方向に変
向させる結果となった。その研究に際し生体自身の中には Virus に対し殺
菌作用を営み得る装置が先天的に存在することを知った。
 人の知る如く、極めて劃然と喰菌細胞の領域と液体領域との間に境界を
定めたのは Bordet である。
 更に吾人に極めて近接せる所に、自然免疫の機転を説明するために、液体
の殺菌作用を主張せる時代がある。
 Behring は鼠の脾脱疽に対する免疫は脾脱疽菌に対する血清の溶菌的作用
に負ふものとは信じなかった ; 氏は之がすべての免疫の覆蓋の鍵であると主
張しなかつたか?
 今日では、Behring の此の考は歴史に属する。大多数の場合に、自然免疫
は喰嚍作用より起ることを知る。
 後天性免疫の場合には、確に、喰菌細胞に実際上の関係があることは否定
し得ない、然しその意義は自然免疫の場合に於けるよりも更にうすい。現今
最も多くの味方を有する教義によれば、第一位に立つものは液体の力である;
“後天性免疫は血液中に発顕せる本来特異性抗体の発生より本質的に生ずる
結果である,, (Bordet)
 溶菌作用は今日では、Bordet 以来、二つの物質の共働作用に帰せられて
ゐる : 一方では特異補体結合物質及び他方では非特異性の alexine (攻撃
素)である。”alexine は云はば正常動物が既に有する一種の武器を表はすが
然し、このものは之がある補体結合物質と共存する場合には更に作用顕著と
なるので、それ以後は、Vaccin 注射による抗体のお蔭で、それに対して動
物が免疫された菌を特異的に目的とするのである,, (Bordet)。
           *   \t*    *
 今日一般に承認せらるる二元物質の学説は、人の知る如く、溶血素に関す
る Bordet の記念すべき研究に端を発し ; 之より、本学説は抗細菌免疫の領
域に移植された。創案者が吾人に語る所によれば”溶血性血清は、その組成
に於てその作用方法に於て、抗「コレラ」血清に極めてよく一致する,,。其の

238        免 疫 と Antivirus          
――――――――――――――――――――――――――――――――――
他氏の云ふ所は”生体は異種動物より来る細胞に対し、全く細菌に対する如
く振舞ふ ; 即ちかかる細胞の注射は細菌に対応し同じ様に作用する抗体に実
によく一致する、特異抗体の発顕を促す,,。それ故 Bordet は結論して曰く
“同じ機転により生体は或は細菌に対し、或は非伝染性異種細胞、赤血球に
対し免疫される,,。
 此の結論は厳密に実験さるべきものである。生体は伝染性細胞又は赤血球
の存在するに従ひ、全々同様に振舞ふものであるか?赤血球はその増殖せざ
る点、毒素を分泌せざる点に於て細菌と異らずと云へるか? それ故赤血球
は生体内に於て細菌と同様なる変化を生ずとは余り事実らしくない。
 異種細胞を注射された動物は不快になることは、事実である ; 然しよい差
引勘定で之を除去するに至つた。例へば「コレラ」弧菌を接種せる動物に就て
は之は同一でない ; 該動物は之によつてまさに死なんとする苦しみを受け
る。生き残る時は、予防された状態になる。
 二つの場合に於て生体が作用する要素の見地よりすれば、人の知らねばな
らぬ一つの相異がある。
 赤血球及び細菌に共通なる点はその構成をなす蛋白質の性状である、之に
対して生体は作用して溶解性又は凝集性抗体を発生する。
 若し細菌に対する免疫が赤血球に就て証明せる免疫を全々模写したもの
らば、即ち若し免疫が二種の物質補体結合物質 (Sensibilisatrice) と攻撃素
(Alexine) に支配されるとせば、当該抗体を有せざる抗細菌免疫は認められ
ない筈である。然るに、補体結合物質と免疫とが足並揃へて進行せざる場合
が極めて屡々ある。亦吾人は一般に溶血素及び細胞溶解素の形成を極めて明
瞭に説明せる両物質学説は、卒直に簡単に抗伝染性免疫の領域に移植しては
ならぬことを信ずる。
 脾脱疽菌、連鎖状球菌、葡萄状球菌及び更に他の細菌についての研究は、
吾人に細胞溶解性血清に特徴なる現象の範囲内に入れしむること不可能なる
事実を明にした。吾人は屡々いづれの時にも既知抗体を発現するを見ること
なく、局所及び全身の鞏固なる免疫を実現し得た。

           免 疫 と Antivirus          239
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 それ故吾人をして敢て結論せしめることは之等の抗体は必要欠くべからざ
るものではなく而して他の免疫の原因を探さなければならぬものであると。
簡単に綜括せんとする研究に次いで、吾人は感染に対する争闘に於て、菌に
直接作用することを探ぬるよりも更に容易に生体を強くせんと試みてその目
的を達せざるや、質問するに至つた。
 ここに吾人の出発点が如何なるものかを述べやう。脾脱疽菌は如何に危害
の大なるものかを知る : 唯一個の脾脱疽菌は「マウス」、海猽及び家兎さへも
殺すに充分である。剖検するに、多数の桿菌が血液及び他の臓器に増殖するを
見て吃驚する。なほ亦常に人は脾脱疽病を敗血症の典型的なるものと考へた。
 厳密にこの病気を研究するに、脾脱疽に対する実験室内動物の結合性は同
様にすべての臓器に顕はれる代りに、厳格に皮膚粘膜の包被内に限局してゐ
る。
 吾人は一定の実験条件に於ては、海猽は如何なる組織に於ても、悪結果を
生ずることなく一度に10倍、100倍、1000倍の量に堪へ得ることを見た、之が
ために“皮膚が Virus の接触するに至らない様に接種を行ふよりほかには
なかつた。脾脱疽菌は極めて危害大なる如く見えるのは接種を行ふ時はいつ
でも、皮膚を通過し、疑もなく、その度に皮膚感染を起すからである。
 若し、脾脱疽に於て、皮膚が感受性の器官であれば、全く論理的に云へば
予防接種を行ふべき所は皮膚である。実際に於て、予防接種の見地から、皮
膚経路を借りて、吾人は海猽に於て皮膚免疫を実現した、この免疫は単に第
1回及び第2回 Vaccin に非感受性となるのみならず、更に Virus 自身に
対しても非感受性となる。
 それ以後、海猽に膜腔内、肋膜内、腎臓内、脳内に殆ど無制限量の Virus
を注射し得た、動物は少しも反応しないか軽度に反応するに過ぎなかつた。
 かく皮膚接種によつて得られた脾脱疽免疫は血清中にある二つの物質の存
在に基くのであるか?
 先づ第一に他のすべてを排除せる皮膚経路のみが実験室内動物に於てこの
免疫を得せしめるのであるから、二つの物質の存在は最早や事実らしくない。

240        免 疫 と Antivirus          
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 直接実験が猶予することなく証明せることは、皮膚免疫による海猽に於て
は、鞏固なる抗脾脱疽免疫が存在するが、血液中には抗体の痕跡も存在しな
い。
            *    *    *
 仮令、今日では既にその試験が実行に移された皮膚接種の幸福なる結果を
何人も最早抗議はしないが、その機転は今なほ議論の的である。Bordet に
よれば,,皮膚接種は極めて有效なる予防接種の手段を表はす,,何となれば氏
は曰く,, 脾脱疽菌は腹腔内よりも皮内に於て更によく繁殖する。更に、氏は
附加して曰く、皮膚はそれが他のものと同様に処することなくして免疫性を
得ることは承認せず,,。
 吾人の畏友の免疫物質に於ける権威は、この意見が生まし得た誤解を解く
べき義務を生じた。
 若し吾人が Bordet の考を充分に了解すれば、皮膚免疫をなせる海猽の免
疫は局所的ではなく、全身的である、何となれば単に皮膚のみならずすべて
の臓器は同時に免疫を得るからである。吾人に想ひ起さしめることは臓器の
免疫は、Bordet は暗示してゐるが、後天性免疫ではなく、自然免疫である
と、該免疫は皮膚接種に次ぐのではない、之は前から在するのですべての正
常海猽に於て不侵害地帯を形成する。
 第2の意見は、ちよつと見ると、いかにも道理らしく見える。’’弱毒にせ
る脾脱疽菌は之を海猽の腹腔内に少量を注入するに、そこで発育することは
ない ; 之が、皮膚又は皮内に於て更によく成功するのである,,。之が、Bor-
det によれば、経膚的予防接種が他のいづれの経路よりもよりよき成功を与
ふる理由である。
 若し之が皮膚接種の成功せる真実なる理由とせば、之は単に生菌を以ての
み成功すべきである。然るに、実験の示す所では同様なる成績は無菌的なる
浮腫の液を以てしても得られる。この液――真実の脾脱疽菌 Antivirus であ
る――皮内に接種すると之を皮下に注射する時よりも更に鞏固にして更に持
続する免疫を賦与する。

           免 疫 と Antivirus          241
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 なほ又之は葡萄状球菌又は連鎖状球菌に対する皮膚予防接種の場合と全々
同一である : 即ち当該 Antivirus は後に述ぶる如く皮内に球菌数の発育及
び繁殖状態を起すことなく免疫を賦与するのである。
 脾脱疽に関する問題を終るに当り、受働性免疫の問題につき数言述ぶるこ
とが残つてゐる。既知抗細菌性血清中、抗脾脱疽菌血清は実用上に最も屡々
満足を与ふる所のものである。之は抗体の含量が原因であるか? 之は恐ら
くさうでない、ここにその理由を述べやう。
 吾人をして Ascoli の実験を回顧せしめよ、氏は抗脾脱疽血清を脾脱疽菌
と接触せしめ、かくして血清より抗体を奪つた後に、この血清は操作後も以
前と同じく同様に活働的であることを確めた。
 故に抗脾脱疽血清にその特異的能力を与へるのは抗体ではない、更に亦そ
の活働的免疫の発生を支配するのは抗体でない。
            *\t   *    *
 葡萄状球菌と連鎖状球菌は脾脱疽菌感染に関係する皮膚に対して親和性あ
るのが特長である。
 葡萄状球菌及び連鎖状球菌は充分普通抗原たり得る、而してこの考へ方は
広く認められる。
 抗葡萄状球菌血清は殆ど血清療法の武器の一地位を占める資格はない。然
し人間に於て Vaccin 療法はあまり成功を納めない所の Wright の仕事以来
何人も無知ではなかつた :  抗葡萄状菌免疫はそれ故否定さるべきではない
然るに、此の免疫を与ふる所の血清中には所謂保証物即ち抗体を決して見な
いのである。
 実験室内動物に於て、全く人間に於けると同じく、抗葡萄状球菌又は抗連
鎖状菌免疫を造ることが出来る。然し、主要なることは、このためには抗体
の発生を目的とする通常の方法を断念しなければならぬ。皮下経路又は腹腔
内による海猽の予防接種は香しからぬ結果又は全く零の結果を与へるのに、
抗体の形成最小とせらるる皮内「ワクチン」接種法は実際上鞏固なる免疫性を
賦与するのである。更に興味ある事実は、Vaccin が単に剃毛又は脱毛せる

242        免 疫 と Antivirus          
――――――――――――――――――――――――――――――――――
皮膚に適用される時、この免疫は特に高まる。この最後の場合には、免疫は
固より血清中に発見し得ざる抗体の作用でないことは明らかである。
 葡萄状球菌又は連鎖状球菌 Vaccins を皮膚面に適用する時、作用するもの
は、固形体なる以上勿論細菌体自身でなくして、特にその溶解性誘導物であ
る。その他、直接方法により之を確めることが出来る。海猽は葡萄状球菌又
は連鎖状球菌によつて生ぜる皮膚病竈に対し、陳旧培養を濾過器にて濾過
し、湿布繃帯の形で用ふる方法により免疫される。
 之等濾液の活働的起因は、人の知る如く、Antivirus の名を受けた。之等
の Antivirus は無毒性にして特異的である。その誘導されたる球菌自身の親
和力なるその親和力のために、Antivirns は摂受細胞に吸着される、即、著
しく、皮膚粘膜の包被に吸着され易い。Antivirus で浸されると、之等の細
胞はその自然免疫性を増加する様に見える、即ち之に次いで感染が起る時に
彼等は恰も彼等が雑菌に対する如くに作用するのである。感受性の細胞は非
感受性となる : 彼等は免疫されたり、と吾人は云ふのである。
 この主なる作用の他に、Antivirus は余り主要ではないが、然し看過し得
ない他の作用を表はす、之は即ち感染部位に於ける Virus の繁殖を麻痺せ
しむる作用である。
 Antivirus のこの二つの作用は内科に外科に多くの適用を見るに至つた。
特異繃帯又は Antivirus を基礎とする洗滌は現今極めて種々なる疾病に使用
されてゐる。本問題に関しては第Ⅸ章及び第Ⅹ章を参照ありたし。
            *\t   *   *
 今もし吾人が腸壁に対し選択的親和力を有する Virus につき述べるなら
ば、吾人は同じ法則を見出すであらう : 即ち最適の免疫は感受性器官の予
防接種より結果する免疫である。赤痢に於て、「コレラ」に於て、「チフス」感
染に於て、免疫を造るのは腸管内免疫である ; 此の免疫は抗体の発顕とは無
関係に成立する。
 実験室内動物に就ての実験は容易に経口的に赤痢に対し予防接種せしめ
る。赤痢予防「ワクチン」を最初に摂取するや間もなく、細菌体内に含まるる

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――――――――――――――――――――――――――――――――――
菌体内毒素のために、粗造赤痢を思はせる、特異的潰瘍を腸の部位に生ずる
且つ表在性の之等の潰瘍のために、Vaccin の一部は腸を過り血流中に侵入
しそこで抗体殊に凝集素を発生す。第1回 Vaccin 嚥下後間もなく、Vaccin
により生ぜる裂傷が瘢痕形成をなす。この時以後は、腸壁は菌体内毒素に対
し非感受性となる : 即ち腸壁は赤痢抗原に対し超ゆべからざる柵を提供す
る ; 且つ抗体はも早や形成されなくなる。血液中に既に存在するものに関し
ては、之等は少しづづ除去されて消失する。それ故このことは Vaccin の第
2回摂取に次いで起り、そして第3回目についで更に強くなる、即ち免疫は
極めて高度なるに、抗体は血液中に認められない。この抗体の消失は鞏固な
る免疫の発生と一致するので、吾人は抗赤痢免疫は、全体でないにせよ、少
くとも大部分は腸壁の部位で得られるものと考へてよい ; 換言すれば、局所
免疫に関係する。
            *\t   *   *
 「チフス」及び「コレラ」感染に対する経口的予防接種は、吾人が既に他の所
で述べた様に、困難を提供しないわけではなかつた。
 赤痢の場合には、Vaccin 内に含有される菌体内毒素が腸壁の表面をおふ
粘液を駆逐し予防接種すべき細胞に菌の近接するを妨げる作用をする。「チ
フス」又は「コレラ」の感染の場合に於ては、それは同一でない : 「チフス」予
防 Vaccin も「コレラ」予防 Vaccin も、動物に於ては、少くとも、腸に於け
る剥離性能力を持つてゐない。それ故之等の Vaccins に対してはその固有
の手段で摂受細胞に至る経路を通ずることは不可能である。亦、per os に投
与されると、之等の Vaccins は腸壁に添うて滑べり降り感受性細胞に擦過傷
を造ることなく排泄されてしまふのである。
 それ故該 Vaccins は有用なる作用を、それ自身及ぼすことは不明である。
 之に反し、家兎に於ける実験は、もし胆汁を以て腸を処置することにより
上皮層を剥離するならば、困難なく経口的に免疫を得るに至ることを吾人に
示した。空腹時に胆汁を嚥下せしめ、次にしばらくして、「チフス=パラチ
フス」 Vaccin 又は「コレラ」 Vaccin を嚥下せしめた家兎又は海猽の如き動

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物は之に次いで当該 Virus の致死量に抵抗し得るに至る ; 同じ条件である
が胆汁を加へずに予防接種された対照動物は同じ試験に於て変はることなく
斃死した。
 人間に於ては、赤痢、「コレラ」及び「チフス」に対する経口的予防接種は既
に広範囲に実施された。数十万の人間が流行の際に、欧羅巴並に東洋に於て
保護された。今日ではこの予防接種の方法は全く無害であり、今日まで記載
された結果は皮下注射による予防接種が与ふる結果に少しも劣らぬことを肯
定することが出来る。
 抗「チフス」又は抗「コレラ」免疫の機転に関しては、赤痢の場合に於けると
同一である : 之等の免疫は全く腸の部で完成される。腸の内部で遊離する
「チフス」又は「コレラ」 Antivirus は腸壁に吸着される ; 之等は腸壁を非感受
性となし、かくして之を無害になす。腸――感受性器官――のこの免疫は全
生体の免疫と混同される。この免疫は抗体の協力なくして成立する。
 之は全々 probabilité によれば人間に於ては同一である ; 人間に於ては、
何等の平衡も血清中の抗体と免疫度との間には存在しない。「コレラ」感染を
受けた人は屡々その血清は抗体に乏しい、之は「コレラ」の新感染に対し抵抗
することを妨げない ; 之は人工的に免疫されその血液は抗体で満ちてゐる人
に於けるよりも更によく抵抗する。
 同じ様な現象は「チフス」の場合に見られる。皮下経路による予防接種は多
量の抗体の産生を来す ; 然し、かくして人工的免疫は「チフス」の真の罹患に
よつて起る免疫と比較すべくもない、この場合久しき以前より抗体の全痕跡
は血液より消失してゐても、この免疫は数年間に亙つて持続する。
            *\t   *   *
 吾人が記載せる所のものに類似せる現象は、「リチン」の投与により免疫せ
る人につき、Columbia 大学の Lee Hazen によつて最近観察された。
 ricine は腸に対し「チフス」、赤痢又は「コレラ」弧菌の親和力に比較すべき
選択的親和力を有する ; ricine は亦皮膚に対し遥に軽度ではあるが、葡萄状
又は連鎖状球菌のそれを思はしめる親和力を有する。

           免 疫 と Antivirus          245
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 然る所、ricine のこの二重感受性――腸及び皮膚に対する――は必然的結
果として二重の局所免疫――真の腸管及び皮膚免疫――を起した。
 直腸の経路より家兎を免疫し、次いで種々の経路――皮膚、静脈及び直腸
より試験せるに、著者は ricine の致死量を注射する時は、経直腸的に試験
された動物のみが生存するを確めた。
 他方に於ては、毒素抗毒素の混合を以て、経膚的(皮内)に家兎を免疫する
に、著者は混合を注射せる部位に厳格に限局して、免疫が成立するのを確め
た。皮膚免疫された皮膚の断片並に腸免疫せる動物の血清中に抗体を捜索す
るに、著者は少しも抗体の痕跡を発見し得なかつた。
 抗 ricine 免疫は抗体を発生することなく、鞏固なる局所免疫の可能なるた
めに、否定し得ざる新しき弁証を吾人に提供する。
            *\t   *   *
 結核に於ける免疫の機転は今日尚神秘的に残されてゐる。然し予知し始め
たことは次の点である : 免疫を完成するのは多分固定せる細胞部位にある、
抗体はそこでは全く異物の如く見える。結核病竈の治癒機転の問題について
Bordet 自身は述べてゐる”治癒機転と一定せる抗体の発現との間に極めて
正確なる関係を成立させることに成功しなかつた,,と。吾人は Bordet-Gen-
gou の抗体を、速かに死の終局に向はんとしてゐる極めて進行せる結核患者
の血液中に、証明することは稀でない。
 同じ様な考で、結核菌体を注射せる人に於ては、抗体は多量に発顕するが
そのものには免疫の片鱗さへもないことを想起せしめる。
 之を要するに、免疫を得ることなく抗体を多量に供給され得る、而して反
対に : 抗体が乏しいか又は全々之を所有しないで――過去に罹患せる「チ
フス」又は「コレラ」の場合がそれである――而も少しも劣らず鞏固なる免疫
を営み得るのである。
            *\t   *   *
 この説明を長くせざるために、不可視性 Virus による二つの疾患、痘瘡と
狂犬病に於ける免疫について知る所を簡単に述べやう。

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 ,,最近種痘され又は痘瘡より治癒せる人の血清・・・・・・狂犬病に対して免疫さ
れた生体の血清は、in vitro で天然痘又は狂犬病の Virus を中和する・・・・・・
之等の血清の予防的価値を試験して、血清が抗体を含有することを容易に証
明する,,(Brodet)。
 天然痘又は狂犬病の Virus が抗体を発生し得ることは確実である ; 之等
抗体が免疫の機構に与ることは、余り多くはない。
 抗天然痘血清は決して天然痘患者を治癒せることもなく防禦せることもな
い。別々に注射された抗天然痘血清は天然痘の発疹を防禦することは出来な
い; この血清は天然痘 Virusと密接に混合される時の他はこの Virus を中
和しない。乱切せる皮膚に淋巴を受けたる人に於ては、確に、血液中に滅殺
素(Anticorps virulicides) を見出す、然し之等の抗体と免疫度との間には、
「コレラ」に対し又は「チフス」及び夫々の Virus に対し予防接種された人に平
衡が存在せざると同じく、殆ど平衡はないものである。
            *\t   *   *
 狂犬病に於ては、天然痘に於ける如く、抗体は、少しも、免疫体形成に活
動的要素を取らぬものの如くに見える。
 狂犬病毒滅殺性血清は、痘苗に於ける Virus 滅殺性血清と全く同じく、
狂犬病毒と混合される時の他は活動的なるを示さない。予防の意味で、それ
のみを注射するも、この血清は狂犬病症状の発生に対し防禦し得ない。その
治療效果に関しては、同様に零である : 抗狂犬病抗体は既に感染が起つた
場合には免疫を賦与することは出来ない。
 活働性免疫は、全々真実らしい所によれば、抗体は何も関係せざる如き機
転によつて得られる。既に最初にすべては、パストウール氏法による狂犬病
に対する免疫も局所免疫の原理によることを想像せしめる。最初露西亜の
Georges により、南亜米利加の Biglieri et Villagas により、極めて最近に、
仏蘭西の Remlinger et Bailly によつてなされた近来の研究は、実際に此の
状態を見ることを確証した。後出の著者は、剃毛せる皮膚の上に乾燥又は
「エーテル」にて処置せる狂犬病毒乳剤を以て、塗擦をすることにより、経膚

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的に海猽を予防接種することに成功した。次いで、街上毒を剃毛せる皮膚に
刷毛を以て塗布し試験するに、皮膚免疫せる之等の海猽は大多数生存したが、
対照は狂犬病の独特なる症状を起して斃死した。
 それ故、抗狂犬病免疫を得るためには、局所的皮内免疫を以て充分であ
る。序ながら注意することは、この免疫は通常方法、即ち抗体形成に取り最
も好んで使用する経路なる皮下経路によつて得られたる免疫より更に鞏固で
あるらしい。
            *\t   *   *
 Blacklock et Thompson は Cordylobia anthropophaga なる蚊の幼虫に就
いて、極めて奇妙なる免疫の事実を記載した。之等の幼虫は人間及び動物の
皮膚内に侵入しそこに10日位滞在する。そこで発育する間、之等の幼虫は
「フルンケル」を思はせる様な病竈を造る ; かかる感染を受けた人は、その後
は新攻撃に対し犯されない様になる。
 極めて最近、Blacklock et Gordon は之等の研究を復試した。かくして得
た免疫の性状を知らんと欲して、氏等は甚だ重要なる確証に導かるるに至つ
た。氏等は Cordylobia の幼虫を海猽の皮膚の上に置き、次ぎに氏等は6日
間その発育を追及した。実験は既に以前幼虫をかくまつた海猽の皮膚に置か
れた幼虫は新しい海猽に置けるよりも遥に発育率は少いことを示した。即ち
一つの実験に於て新しい海猽の皮膚の上に宿所を取れる501幼虫のうち、30
はその発育の最後に達した、然るに既に前以て試験せる部位に置かれた50の
幼虫のうち、唯の一匹も発育しなかつた。
 著者は皮膚の最初の罹患せる部位に限られた当該免疫は一定数の場合には
この部位より外に拡がり得ることを確めることが出来た。
 氏等の研究の始めに当り、 Blacklock et Gordon は氏等は全身免疫を造り
得たと認定した ; 氏等は、次いで、意見を変向し局所免疫と結論せねばなら
なくなつた。
 不感受性になれる動物の血清は抗体を含有しない。この血清は幼虫に対し
少しも殺菌性作用(?)を営まない ; 血清は新しい動物に受働性免疫を賦与す

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――――――――――――――――――――――――――――――――――
ることも出来ない。
 幼虫の乳剤を皮下又は腹腔内に注射するも免疫を形成しない ; 之に反し、
この乳剤を皮膚上に適用すれば免疫性を賦与することが出来る。
 興味あることは、幼虫が皮膚免疫を行へる皮膚の部位に侵入する時は幼虫
は通常40時間以内で消失する、即ちこの時は幼虫は尚皮膚の水平面にあり、
従つて、血管網より遠く離れてゐる。
 非感受性になれる動物より切除せる皮膚の一片を、直ぐに新しい動物に移
植するに、その免疫性を保存する、此の免疫は次いで隣接する部位の皮膚に
拡がる。逆に新しい動物より切除し次いで予防接種せる動物に移植せる皮膚
の一片は免疫を得易くなる。
 非感受性になれる動物に於て、幼虫の皮膚に侵入することは、免疫せる部
位に於て、烈しき皮膚反応を伴ふ ; この皮膚反応は新動物の皮膚の部位には
欠如す。
 英国の著者が、吾人が細菌につき記載せる、抗体なき免疫に全々比すべき、
局所免疫の存在することを結論せることに対しては最早や附加する必要はな
い。之は今日多細胞性原虫について知らるる局所免疫の最初の例である。
             *   *   *
 吾人は伝染病の最も代表的なるものを列挙した。吾人は如何に抗体は免疫
の均衡を保つこと少きかを見た。之は吾人をして容易に目録を引延ばし他の
疾病をも云ひ易からしめた : 「ペスト」、黴毒、肺炎、脳脊髄膜炎、原虫に
よる疾患及び更に同一例に属する他の疾患。「ヂフテリア」、破傷風、及び「ボ
トリスムス」を除いては――Virus に対する抗体の作用が免疫の主なる原因
となる如き疾病は少いと云つても殆ど差支へあるまい。
 今まで述べた感染の大部分に於て、免疫の原因は血液内の抗体の存在より
も摂受細胞の部位にある Antivirus の存在に一層顕著に関係する様に見える。
 之を要するに、Antivirusthérapie――予防的又は治療的――は抗体なき局
所免疫の原理に基くもので、今日実施せる如き血清療法は Vaccin 療法の
作用を免るる、多数の病的経過に於て顕著なる地位を占める。

        免 疫 と Autivirus          249
――――――――――――――――――――――――――――――――――
        Mèmoires【ママ】 Cités
J, Bordet, Immunité, Traité de Physiologie normale et pathologique, publié sous la
 direction de H, Roger et Binet, 1927, Masson et C,
Lee Hazen, Jonrn, of, Immunol,, t, XIII, mars 1927, p, 171,
de Georges, C, R, Soc, Biologie, t, XCV, 1926, p, 1096,
Biglieri et Villagas, C, R, Soc, Biologie, t, XCV, 1926, p, 1176,
Remlinger et Bailly, C, R, Biologie, t, XCVI, 1927, p, 826,
Blacklock et Gordon, Lancet, 30 avril 1927, p, 923,

【Jules Bordet:一八七〇年六月十三日於ベルギー・スワニー生、一九六一年四月六日於ベルギー・ブリュクセル没。一九一九年、ノーベル生理・医学賞受賞。(Wikipédia)】

【奥書】
  昭和八年八月十日  第一版印刷
  昭和八年八月十五日 第一版発行

   伝染病に於ける免
   疫に関する研究

  正価 金三円

 訳者兼
 発行者           井上善十郎
    札 幌 市 南 七 条 西 十 六 丁 目

 印刷者           加 藤 晴 吉
    東京市本郷区湯島切通坂町五十一番地

 印刷所        《割書:合資|会社》正文舎第一工場
    東京市本郷区湯島切通坂町五十一番地

           売 捌 所
南  江  堂  書  店  南 江 堂 京 都 支 店
東京市本郷区春木町三丁目   京都市中京区寺町通御池南
電・小・三五一〇・三九六九  電話 上 二〇三 〇
振 替 東 京 一 四 九  振 替 大坂 一一五〇五

【原著出版 Impr, Barnéoud, 1928】

【定期預金記入票あり】

【裏表紙・ラベルあり】

トラホーム病豫防ニ關シ岩手縣ヨリ醫科大學ヘ醫師派遣ノ件

{

"ja":

"泰西疫論

]

}

【帙書題箋】泰西疫論

【帙背書題箋】泰西疫論 二冊
【帙書題箋】泰西疫論

泰西疫論 《割書:前|編》 《割書:神経疫部|》 乾

【枠外上部横書】文政甲申鏤行
新宮涼庭訳述
泰西疫論
《割書:神経|疫部》 駆豎斎蔵板

泰西疫論序
丁丑之秋与_二新宮涼庭氏。訪_二蘭医 抜(バ)-的(テ)-
乙(ヰ)之客寮_一。抜-的-乙嘗 ̄テ受_二業 ̄ヲ於彼邦大医
布(プ)-歛(レン)-已(キ)_一。其学最 ̄モ精_二 ̄シ於内科_一。此時吾崎嶴
災後。人多 ̄ク病_レ ̄ム疫。闔門駢 ̄ヒ殪 ̄レ。猖獗勢 ̄ヒ極 ̄ル。其
症大-率 ̄ネ似_二 ̄テ温疫傷寒_一。而治療皆無_レ験。罹_二 ̄ル

其患_一者。頭-痛譫-妄或 ̄ハ下利泄-血。変症百
態出_二乎不側_一 ̄ニ。諸医愕眙相 ̄ヒ視。技窮 ̄リ術尽 ̄ク。
竟 ̄ニ不_レ知_三病為_二 ̄ルヿヲ何名_一也。抜-的-乙聴 ̄テ審_二 ̄カニシ其状_一。
拍_レ手曰。是我邦所謂神経熱者也。論究_二 ̄シテ
繊悉_一。与_レ此合符 ̄ス。乃出_二 二冊子_一。授_二 ̄テ涼庭氏_一
曰。是、翼(ヒユツ)-歇(ヘ)-郎(ラン)-突(ド)及 公(コン)-私(ス)-布(プ)-律(リユ)-倔(グ)者 ̄ノ所_レ著。
我邦近世所_二推重_一 ̄スル也。子熟-読翫-味則。於_二 ̄テ
治_レ此之方_一。無_レ有_二遺欠_一矣。涼庭得_レ之手不
_レ釈_レ巻数月。訳 ̄シテ併_二 ̄セ二書_一。芟_レ繁拾_レ約。淘汰精
粋。傍加_レ所_二自験_一。収録編_二 ̄ス疫論_一。余読_レ之三
復。不_二翅 ̄ニ原書義理精 妙_一 ̄ノミ。而 ̄シテ其所_レ訳如_レ受_二
面命_一。閒有_下警_二-起 ̄セシムル人_一者_上。嗚-呼抜-的-乙之恵。

涼庭氏之功。皆可_レ謂_レ有_レ大_二-補于世_一矣。欣
喜之余弁 ̄スルニ以_二 ̄スルヿ鄙辞_一如_レ此。
 文政六年癸未春三月
  長崎和蘭訳司 吉雄永民撰

附言
○先生嘗 ̄テ訳_二西-洋内-科-書十余篇_一、遂 ̄ニ著_二内-科-則若干巻_一、香
 等今就_二其 ̄ノ書_一抄_二-出 ̄シ神-経-疫-篇_一、総_二-括 ̄シテ其綱-要_一作_二此 ̄ノ冊子_一 上
 梓公_二于世_一、此篇最 ̄モ係_二翼(ヒユツ)-歇(ヘ)-郎(ラン)-突(ド)。公(コン)-私(ス)-布(プ)-律(リユ)-倔(グ)之所_一_レ ̄ニ著、二
 書皆近世所_二鏤-行_一、論最 ̄モ明-確、術極_二 ̄ム精良_一、伹〱原書多記_下軍
 陣致_二此患_一之弊_上、文-脈枝-分、事属_二 ̄ス無用_一、故 ̄ニ今略 ̄シテ而不_レ挙、然 ̄レトモ
 自_二病-症替-転之目_一、至_二治-療機-変之策_一、一切不_レ用_二臆断_一、皆
 以出_二全説_一見者察 ̄セヨ諸、
○原名 写(セー)-紐(ニユー)歌(コー)-爾(ル)-都(ツ)、訳為_二神-経-熱_一、蓋 ̄シ熱之所_レ発係_二於神経_一、

  其 ̄ノ病亦伝_二于人_一李-東-垣 ̄カ所-謂 ̄ル労-役感-冒之類是也、原書
  故 ̄ト有_二疫名_一今為_二神-経-疫_一者取_二其旧_一也、
○此篇所_レ載之薬方、多出_二原書_一而其 ̄ノ品或不_レ易_レ得_二于我邦、
 且 ̄ツ先-輩所_二 ̄ノ仮充_一之薬品 ̄モ亦未_二穏当_一、故 ̄ニ存_二原名_一以 ̄テ俟_二 ̄ツ後之
 学者_一、如_三 ̄キハ夫 ̄ノ附_二 ̄スルカ自-験-方_一、意在_レ便_二 ̄ナルニ於使-用_一 ̄ニ、方或 ̄ハ出_二西-医之口
 訣_一、皆掲_二自-験二字_一以 ̄テ別_レ之、読者審_レ焉、
○各-章註-解抄_二-出 ̄シ諸-書_一皆用_二俚語_一者、使_三読者 ̄ヲシテ易_二暁解_一、且 ̄ツ恐_二
 微-意之遺-漏_一也、況 ̄ヤ香等不_レ嫺_二文辞_一、先生亦非_二操-觚之専
 門_一、読者莫_下 ̄レ以_二文之鄙-俚、言之重-複_一而罪_中原書_上、
○余 ̄カ家世〱奉_二職 ̄ヲ于山廟_一、領_二荘-園若干頃_一、窮-民属_二部下_一 ̄ニ者、病
 則不_レ得_レ不_二 ̄ヿヲ問 ̄テ而救_一_レ之、是以累-世摂_二医業_一、余亦不_レ可_レ廃_二先
 志_一、乃出 ̄テ、就_二都下 ̄ノ諸名家_一、潜-心苦-学其所_レ奉之教、薬方不
 _レ出_二汗吐下和之外_一、治-療唯在_下随_二顕症_一而処_上_レ ̄スルニ方、率-然了-悟 ̄シ
 取_二 一-斑 ̄ヲ於全-豹_一、乃卜_二-居 ̄シ伏-水_一始 ̄テ得_下取_二所_レ学之法_一而接_中 ̄ヿヲ多-
 少患-者_上、始 ̄シテ聞 ̄テ如_レ可_レ悦、漸 ̄ニシテ而思_レ之則其為_二 ̄ヤ囫圇_一也亦甚 ̄シ矣、
 何 ̄ナレハ則病之原_二於虚-脱_一者、非_三 ̄レハナリ汗吐下和之所_二能 ̄ク治_一、施治愈〱
 博 ̄クシテ、疑-難愈〱多、於_レ是幡-然脱_二其窟_一、更 ̄ニ渉_二-猟 ̄シ唐-宋以-下之医
 籍_一、而欲_レ成_二汰-沙択_レ金之功_一、晨-誦夜-読到_レ忘_二飲啖_一、独奈 ̄セン其 ̄ノ

 説 ̄ノ牽-強附-会、茫-乎 ̄トシテ如_レ捕_レ影、無_二 一 ̄モ所_一_レ得矣、当_二 ̄テ此 ̄ノ時_一喎-蘭医
 説頗 ̄ル藉_二于我邦_一、翻-訳之書不_二 一 ̄ニシテ而足_一、因 ̄テ投_二其社_一、借-観一-
 瓻、饞-涎三-尺、染_二 ̄シテ指 ̄ヲ於異-味_一、雖_レ拾_二 ̄ト他-人牙-後之恵_一、纔 ̄ニ不_レ ̄ノミ過
 _レ弁_二内-景解-屍之大略_一而巳、傍 ̄ラ見_二 ̄ルニ其徒 ̄ノ所_レ施之治術_一、亦不
 _レ異_二庸-医之所_一_レ為楚既 ̄ニ失_レ之斉亦不_レ為_レ得_レ之、学愈〱務 ̄テ拙愈〱
 加 ̄ハル、於_レ是初 ̄テ悟 ̄ル不-才如_レ香 ̄カ者無_レ益_二于医術_一、満-腔慚-媿、遂 ̄ニ抛_二
 刀-圭_一、帰_二郷里_一折_レ節学_二国典_一、旁 ̄ラ嗜_二点-茶挿-花之伎_一、泊-然終 ̄ントス
 _レ身是無_レ他、与_三 ̄ヨリハ其益_二 ̄セン于人_一 ̄ニ寧 ̄ロ無_レ ̄ランニハ害_二于人_一 ̄ニ者乎、居 ̄コト十数年、客
 歳豚-児患_レ痘、請_二 ̄テ数医_一治_レ之、皆日稀-痘不_レ足慮、既及_レ引_レ日、
 症愈〱加 ̄ハリ、児漸 ̄ク疲 ̄ル、薬-餌皆無_レ験、於_レ是請_一診 ̄ヲ於新宮先生_一、先
 生診曰是痘雖_レ不_レ重病元 ̄ト挟_二丹毒_一、初 ̄メ無_レ ̄ヤ発_二赤斑_一乎、余曰
 有_レ之、先生曰不_レ清_二可_レ ̄ノ清之熱_一、不_レ放_二可_レ ̄ノ放之血_一、徒 ̄ニ務_二 ̄ム発出_一、
 今也周-身 ̄ノ血無_レ所_レ不_二腐敗_一、瘡皆変_二脱疽_一恐 ̄クハ難_二救護_一、言未
 _レ畢、悪-候蜂-起、遂 ̄ニ上_二 ̄ル鬼籍_一、状態症-候皆不_レ違_レ所_二 ̄ニ予 ̄メ示_一、其論
 可_二 ̄ク感欽_一其事可_二 ̄シ徴証_一、余痛慟之餘、深 ̄ク服_二其卓-識_一、因 ̄テ意 ̄フ良-
 手如_二先生_一何病 ̄カ不_レ可_レ察、何症 ̄カ不_レ可_レ救、於_レ是宿-癖復 ̄ヒ動 ̄キ、旧
 然立_レ志、舍_レ家得_三 ̄タリ且-暮奉_二其 ̄ノ教_一、惟憾 ̄クハ齢踰_二 四旬_一、記-神大減 ̄シ、
 加_レ ̄ルニ之二豎為_レ崇、雖_レ未_三全 ̄ク尽_二其志_一及_レ聴_二其大-略_一、実 ̄ニ有_二発蒙

 刮-目之妙_一也、而 ̄シテ其為_レ学 也(ヤ)従_二 人-身生-活之理_一、至_二 ̄マテ薬-石之
 性-質_一、拠_レ実審_レ用 ̄ヲ、徴_二之 ̄ヲ疾病_一、施_二之 ̄ヲ治療_一、玄-妙幽-微、瞭-然如
 _レ指_二諸 ̄ヲ掌_一、況 ̄ヤ先生之業出_二蘭医之親授_一 ̄ニ、講-究巳 ̄ニ至 ̄レリ、与_二時流
 之所_一_レ伝、不_レ可_二同_レ日而論_一也、感服不_二自 ̄ラ勝_一、遂 ̄ニ忘_二謭劣_一、敢 ̄テ吐_二
 情実_一、娓-娓 ̄タル贅-言取_二 ̄ハ笑 ̄ヲ於四方_一固 ̄ヨリ所_レ不_レ辞云、
  文政甲申秋八月 
        山城  交部晁采《割書:香|》 謹識

泰西疫論巻之上
  目次
 神経疫部     総論
  第一章     源因
  第二章     感受
  第三章     流行
  第四章     初起見症
  第五章     病進_二険路_一
  第六章     解後気力難_レ復

   第七章     急症
   第八章     慢症
   第九章     分_二軽重_一為_二 三等_一
   第十章     軽症
   第十一章    重症
   第十二章    死症
   第十三章    脈候
   第十四章    脈候時変
   第十五章    舌候
   第十六章    発熱
   第十七章    尿候
   第十八章    悪候
   第十九章    善候
   第二十章    治法大要
   第二十一章   初起平症治法
   第二十二章   溏泄不_レ可_レ忽
   第二十三章   重症治法
   第二十四章   揮発薬品

   第二十五章   調理配剤
   第二十六章   阿片気味効能
   第二十七章   阿片主治
   第二十八章   麝香気味効能
   第二十九章   麝香主治
   第三十章    竜脳気味効能
   第三十一章   竜脳主治
   第三十二章   葡萄酒気味効能
   第三十三章   葡萄酒主治
   第三十四章   遏(アツ)-的(テ)-児(ル)油気味効能
   第三十五章   諾(ナ)-布(プ)-多(ター)油気味効能
   第三十六章   桂皮気味効能
   第三十七章   分量可_レ審
   第三十八章   重症転_二薬味_一
   第三十九章   重症倍_レ量
   第四十章    香竄揮発与_二収歛補益_一有_レ別論
   第四十一章   熱皮及収歛剤為_レ害論

泰西疫論巻之上目次畢

泰西疫論巻之上《割書:前|編》

   新宮碩涼庭 訳述
          山城 交部《割書:香|》晁采
      門人 下総 猪野《割書:恭|》允碩 纂訂
          周防 中嶋《割書:郁|》玄潭
神経疫部
   総論
 神経疫之病、邃古邈 ̄タリ焉、中世以来亦未_レ有_二明論_一也、

 余遊_二-学四方_一 ̄ニ、視_二 ̄ルニ当-今所-謂疫熱 ̄ナル者_一、病原_二 ̄シ於疲労_一 ̄ニ、症
 係_二 ̄ル於意識_一者、十中七八、於_レ是妄 ̄ニ投_二発-汗清-解之剤_一、
 輙 ̄チ必 ̄ス誤矣、世業_レ医者、徒 ̄ニ口_二 ̄ニシテ温疫傷寒_一、而不_レ能_三堅 ̄ク持_二
 其方論_一、是-以遇_二 ̄テ此症_一而施_二之 ̄カ治_一、大抵非_二 ̄ルトキハ柴胡_一則附
 子、或用_二平和無為之薬_一、軽者僥_二-倖於不_一_レ ̄ルニ死、重者束
 _レ手而待_レ斃、無_レ他無_二 ̄カ明論_一故也、夫 ̄レ仲-景著_二傷寒論_一、而-
 後天下知_レ治_二傷寒_一、又-可著_二温疫論_一、而-後天下知_レ治_二
 温疫_一、後之施_レ治 ̄ヲ者不_レ能_レ外_二 ̄スルヿ於二家_一 ̄ニ、而至_二於此症_一、未
 _レ能_レ無_二疑惑_一焉、唐宋以降東垣之輩並 ̄ヒ起、立_二労役感
 冒内傷外感等之目_一 ̄ヲ、於_二蘭書_一雖_レ説_二神経熱_一、廑廑唯
 見_二 一斑_一、而未_レ覩_二其全且 ̄ツ備_一也、我邦方今昇平日久
 民慣_二遊惰_一、意-智相 ̄ヒ傾、機-巧競 ̄ヒ与、瞢_二 ̄シ於守内防外之
 術_一、是以到_二此病_一者漸 ̄ク多、而為_レ医者不_レ知_二救_レ ̄ノ之之方_一 ̄ヲ、
 転〱相 ̄ヒ感染、死者枕籍、嗚-呼此豈明者之所_レ ̄ナランヤ忍_二坐視_一
 也哉、余雖_二不敏_一、為_レ之 ̄カ殫_二-竭心力_一、挙_四西医所_レ伝之精
 論 ̄ト与_三 ̄ヲ平日所_二自験_一、以公_二之 ̄ヲ世_一、庶幾 ̄クハ其 ̄レ可_レ救矣、夫傷
 寒 ̄ハ為_二風寒_一 ̄ノ所_レ傷、温疫 ̄ハ感_二 ̄ス天地之厲気_一 ̄ニ、漢人固 ̄ヨリ有_二定
 論_一、如_二 ̄キハ此疫_一則不_レ然、蓋 ̄シ其人本 ̄ト思慮損_レ神、労動傷_レ筋、

 飢飽害_二腸胃_一、精神因 ̄テ以 ̄テ疲困、血液因 ̄テ以 ̄テ虧乏、運行
 為_レ ̄メニ之阻閼 ̄シ、敗壊随 ̄テ生、邪毒以成 ̄ル、成 ̄ハ則著_二 ̄ク於神経_一 ̄ニ矣、
 是 ̄レ所_三-以 ̄ニシテ得_二其名_一而其所_二由 ̄テ発_一与_二温疫傷寒_一自 ̄ラ有_二氷
 炭之別_一、是 ̄ノ故 ̄ニ罹_二 ̄ル此患_一者、当_二 ̄テ其邪熱未_一_レ発、大率 ̄ネ皆患_二 ̄フ
 頭痛眩暈懊鬱倦惰不寐不食等症_一、与_二彼 ̄ノ外邪猝 ̄カニ
 乗 ̄シ倏-然悪寒発熱 ̄スル者_一自 ̄ラ相迥別、医家臨_二此際、苟 ̄モ知_三 ̄テ
 其為_二神経疫_一、而処_二 ̄トキハ之 ̄カ方法_一則 雖_二危症_一猶或 ̄ハ可_二以済_一
 矣、唯恐 ̄ル吾党医学未_レ布、方書未_レ具則雖_三昭 ̄カニ掲_二其方
 論_一乎、観 ̄ル者不_三 ̄トキハ以 ̄テ為_二怪異_一則以 ̄テ為_二 ̄ス妄誕_一 ̄ト或以-為逖 ̄タル矣
 泰西之説、何 ̄ソ足_二深 ̄ク信_一 ̄スルニ、是 ̄レ皆因_二 ̄テ用心之未_レ切更事之
 未_一_レ ̄ルニ多而然 ̄ル也、読_二此書_一者丁寧反復徴_二 ̄シ諸 ̄ヲ実事_一 ̄ニ備 ̄ニ嘗_二
 艱苦_一則、其説之非_二 ̄シテ怪異妄誕_一、而可_レ ̄キヿ信如_二蓍亀_一、不_レ待
 _レ弁而可_レ知也、
  第一章  源因
此疫之為_レ因、其人煩慮損_レ神、労動困_レ ̄メ身、或飲食不調、
或不寐、或過房、或群居受_二其敗気_一 ̄ヲ、気血失_レ常、神経不
_レ旧、所_二由 ̄テ而生_一 ̄スル也、又有_下他病波_二-及 ̄シテ神経_一 ̄ニ而致_レ此者_上、病巳 ̄ニ
成 ̄トキハ則又能伝_二於人_一 ̄ニ、行旅冒_二 ̄シ風水_一、災変失_二 ̄スルノ常居_一 ̄ヲ之間、此

患必多 ̄シ、其源莫_下不_レ出_二于茲_一 ̄ニ者_上、
 凡ソ悲憂驚駭スルヿアレバ、神経牽攣シテ運営宜キ
 ヲ失ヒ、身体ヲ労スルヿアレバ、筋骨運転ノ機ヲ損
 ヒ、飲食宜キヲ得ザレバ、胃化自ラ衰ヘテ血液給セ
 ズ、不寐スルヿアレバ、血頭-脳ニ升リ、過房スレバ、精
 液亡失スル等ノ弊アルヲ以テ、究-竟 ̄ニ此患ヲ発セザ
 ルヿ能ハズ○又衆人群居スルトキハ、気中ノ活精【左ルビ「シユールストフ」】《割書:出_二|于》
 《割書:以(イ)-莂(ペ)-伊(ヰ)|分離書_一 ̄ニ》ナル者、衆人ノ吸気ニ入テ消耗ス、故ニ其気
 ヲ呼吸スルノ徒、其血皆活精ヲ失ヒ、頭-痛倦-惰懊-鬱
 ヲ覚ユルニ至ル、是ヲ以テ西書ニ此疫ハ軍陣洋舶
 ノ如キ、衆人群居シテ神身ヲ損傷シ、不調ノ飲食ス
 ル間ニ流行シ易シト謂ヘリ○碩按スルニ戯-場角
 觗-場ニ集ルノ人、病ムニ至ラズト雖モ往-往疲-倦頭
 痛ヲ覚ユルヲ以テ其事得テ徴スベシ、又三国志ニ
 操 ̄カ軍衆巳 ̄ニ有_二疾疫トハ、是水土ニ習ハズシテ衆人群居
 スルノ致ス所ナリ、
  第二章 感受
邪 ̄ノ之従_レ外伝 ̄フ、無_レ論_二男女強弱_一、触_レ ̄レハ之 ̄ニ即 ̄チ病 ̄ム、就_レ ̄ク中年少多

血、或 ̄ハ天資簿脆、感-触之人《割書:訳者曰猶_二|畏漆之人_一 ̄ノ》最為_レ易_レ感、且 ̄ツ其
症多 ̄クハ危険、比_二 ̄スレハ諸 ̄ヲ老者_一 ̄ニ不_レ同也、又従_レ内発者、其人虚損
運化不_レ全、神経牽蹙、蒸気壅閉、閉蹙巳 ̄ニ極 ̄テ而不_レ能_二通
暢_一 ̄スルヿ、旺火涌_レ血、邪熱以 ̄テ成 ̄ル、此内外 ̄ノ之別也、
 邪毒ハ本ト人身ニ醸シナシテ、其性揮-発風-化《割書:揮発|風化》
 《割書:出_二于 翼(ヒユツ)-|歇(ヘ)-郎(ラン)-突(ド)_一》スルガユヘニ能ク気中ニ泳游ス、故ニ呼吸
 腠理ヨリ感ズ、感ズレバ必ズ神経ニ牴触ス、其事会
 スベクシテ見ルベカラズ、何 ̄ン トナレバ此 ̄ノ熱ニテ死
 シタル屍ヲ解剖シテモ神経ニ変アルヿハ未ダ視
 ルヿ能ハズ《割書:解屍論見_二 ̄タリ于|公(コン)-私(ス)-布(プ)-律(リユ)-倔(グ)_一》○又少年ノ人感シ易キ者
 ハ、神経ノ知-覚敏-捷ニシテ、血液充満スルヲ以テ、少
 シク触ルヽヿアレバ、神経衝-動血液奔-流シ、火気随
 テ集リ以テ熱ヲ発スルニ至ル、老人ハ知覚頑-鈍ナ
 ルヲ以テ之ト相反ス、乃チ公(コン)-私(ス)-布(プ)-律(リユ)-倔(グ)ニ所謂ル諸
 般ノ神経ヲ困メテ知覚ヲシテ敏ナラシムル事件ハ
 悉ク此 ̄ノ疫ノ因タリト、一言ニシテ尽セリト謂ツベ
 シ○或問老-少知-覚鋭-鈍ノ異ナル所以ハ如何、答曰
 老人ハ凝体剛-靭、少年ハ柔-軟ナルヲ以テナリ、

  第三章  流行
四時皆有_二此疫_一、而 ̄レトモ秋冬之際特 ̄ニ多 ̄シ矣、其症初起多 ̄クハ泄
瀉、伹在_二杪冬立春_一 ̄ニ者不_二必 ̄シモ然_一也、
 碩按スルニ世医或ハ暑疫又ハ疫痢ト称シ、其症急
 劇ニシテ発病四五日ニシテ斃ル者、立秋ノ頃オヒ
 ニ流行スルコトアリ、其病 間(マヽ)此疫ニ属スル者アリ、
 学者参考ノ為メ此ニ贅ス、
  第四章  初起見症
初起必先 ̄ツ悪寒 ̄シテ而後発熱脈数目赤 ̄ク口乾 ̄キ四肢疼痛
状 ̄チ類_二 ̄ス冒寒_一 ̄ニ、而神思昏眩、頭痛如_レ割、泄瀉疲倦、勢如_二不
勝_レ邪者_一 ̄ノ、是凶邪内伏、経_レ日将_二大 ̄ニ発_一 ̄セント、其候与_二尋常膚浅
之感冒_一自不_二 一般_一、
或有_二睡中筋愓肉瞤 ̄スル者_一、或有_二噯気悪心 ̄スル者_一、或有_下吐_二粘
沫黄水_一者_上、有_下目中不_二了-了_一者_上、有_二眼光如_レ火者_一、有_下 下利
兼_二腹痛_一者_上、其他変症百出不_レ可_二枚挙_一、
初起八日若 ̄クハ十四日、昼夜純熱、邪伝_二腸襞_一、下利不_レ止、
動 ̄モスレハ入_二険地_一、治法宜_二急 ̄ニ救_一_レ之、否 ̄ラサレハ則腸襞萎弱、溏泄亡_レ液、
或渋閉薀_レ熱、血愈く涸 ̄レ肉愈く削 ̄レ、雖_レ有_二良手_一至_二于不_一_レ ̄ルニ可_レ救

病毒著_二 ̄ク腸襞_一 ̄ニ者十中七八、其著 ̄ヿ一日 ̄ナレハ有_二 一日之害_一、一
時有_二 一時之害_一不_レ可_レ忽 ̄ニ、看過移_レ ̄セハ晷凶不_レ暇_レ措_レ ̄ニ手、
 神思昏眩、頭痛如_レ割、眼精失_レ常ノ諸症、邪ノ脳ニ客ス
 ルヿ得テ見ツベシ、乃チ察病書ニ載ス諸般ノ熱病、
 其眼閃-閃タルハ脳膜焮腫ノ候ニシテ、後遂ニ精神
 錯乱ヲ発スト○邪ノ腸襞ニ著 ̄ク者ハ此熱ノ通弊ニ
 シテ、医ノ最モ注心スベキ要ナリ、溏泄秘閉俱ニ此症
 ニ属ス○或問溏秘ノ異アル者ハ何ソ、答曰腸襞麻
 痺スレバ秘閉シ、萎薾スレバ溏泄ス、
  第五章  病進_二険路_一 ̄ニ
病勢進_二危険_一者、泄瀉頻数雑_二 ̄ヘ-下 ̄シ泡沫_一 ̄ヲ、腰以下触_レ物則
痛 ̄ミ、或気韻如_レ常、或譫妄如_レ狂、搐搦攣急、掮衣摸牀、撮
空理線、或悪_レ ̄ミ声羞_レ ̄チ明、或眼不_レ能_レ視、耳不_レ能_レ聴、或頭眩
不_レ得_レ仰、或如_二見_レ鬼状_一 ̄ノ、或昏睡虚極、脈極 ̄メテ細数、嘔吐噦
逆、漏汗失血、或舌胎焦爛、小溲敗臭、大便腐穢状 ̄チ如_二
藕泥_一、凡備_二 ̄ル此症_一者、血敗 ̄レ肉腐 ̄レ死在_二旦夕_一 ̄ニ、
 病候五官ニ係ル者ハ、邪毒頭脳ヲ犯シテ神経麻痺
 不遂スルニ因ル、漏汗出血腐壊ノ諸症ハ、血肉腐敗

 一身脱疽ノ如ク変ズルノ徴ナリ、
  第六章  解後気力難_レ復
邪熱盛 ̄ナル者解後有_下経_二 一月_一而不_レ能_レ起者_上、或有_下経_二 三月_一
而気力難_レ復者_上、邪之猖獗毒_二 ̄スルヿ於人_一 ̄ニ如_レ此、
解後有_下健忘身熱越_二 ̄テ半年_一而不_レ退者_上、是当_二 ̄テ其身熱如
_レ焼時_一 ̄ニ、計_二 ̄リ目前之快_一、灌水劫_レ ̄カス熱者、後毎 ̄ニ有_二此弊_一、不_レ可_レ不
_レ知也、
 気-力常ニ復シ難キ者ハ、邪ノ神経ヲ痿弱セシムル
 ニ因ル、灌-水熱ヲ涼フスルノ人、健忘ノ患ヲ余ス者
 ハ、熱冷-水ニ劫カサレテ、邪毒醸-熟分-利スルヿ能ハ
 ザルニ因ル○或問醸熟分利トハ何ソ、答曰元運自
 然ノ良能ナル者、熱ヲ発シ血液ヲ煮テ、凝膠【左ルビ「コルスト」】《割書:出_二于 ̄□(ゴ)-|爾(ル)-徳(ト)-児(ル)_一》
 膿ノ如キ物ヲ製シ、邪毒ヲ包裏シテ発-汗利-尿吐-痰
 等ヨリ、外ニ排出スルヲ謂フナリ○碩長崎ニ在シ
 トキ、打橋某ノ女重症ニ罹リシヲ幸ニ救ヒ得タレ
 𪜈、健忘一年余モ治セザリキ、灌水ハ処セザレ𪜈、想
 フニ病毒化熟ノ功ヲ遂ザルナラン、
  第七章  急症

煩慮飢倦、内既 ̄ニ造_二-成邪毒_一、慢-爾 ̄トシテ発_二寒熱_一、諸症漸 ̄ク具 ̄ル、此 ̄ヲ
為_二常症_一、所-謂 ̄ル急発 ̄ノ者 ̄ハ、少壮之輩、或自恃_二 ̄ミ勇健_一無_レ所_二顧
忌_一、入_二蒸-熱汚-穢之病室_一、頓 ̄ニ受 ̄テ頓 ̄ニ発 ̄シ、嘔逆寒慄、頃刻 ̄ニシテ而
腰痿 ̄ヘ、数日之際危症蜂起、疲労転〱加 ̄リ、殆 ̄ント入_二死地_一之類
也、
 或問急発ノ症ハ、必ズ少壮ノ輩ニ多クシテ、四旬以
 上ノ輩ニ有コト稀ナルハ何ソヤ、答曰年少ノ輩ハ
 神経柔-軟知-覚敏ナルヲ以テ、邪来リ犯スヿ有バ速
 カニ感動シ、邪ト戦フノ勢ヲ張レバナリ、老人ハ神
 経鞕-靱感-知鈍キヲ以テ、邪大ニ牴触スルニ至ラザ
 レバ、神経邪ト戦フノ勢ヲ張ラザルガ故ナリ、
  第八章  慢症
杪冬立春之際、最 ̄モ多_二慢発之症_一、其為_レ ̄ル症始 ̄メ得_レ之気力
疲倦、或頭重 ̄クシテ不_レ寐、飲食無_レ味、而尚未_レ就_二牀蓐_一、迢_二 ̄テ経日
既 ̄ニ久 ̄ク病勢漸 ̄ク張_一 ̄ルニ、身体疼痛、精神昏沈、嗇-嗇悪寒、灼-灼
発熱、脈数急 ̄ニシテ而不斉、小水垽濁、筋愓肉瞤、下利頻数、
或敏聡悪_レ声羞明好_レ暗、劇者 ̄ハ不_レ省_二 人事_一、危篤亦甚 ̄シ、其
来雖_レ漸 ̄ナリト而不_レ易_レ救也、

 此 ̄ノ熱感受ノ内外緩急ニ因テ軽重ノ差アルヿナシ、
 治療ニ於テモ亦然リ○或問発スルニ急慢ノ異ア
 ル者ハ如何、答曰矢張リ神経感触ノ鋭鈍ト血ノ稀
 稠トニ因ルナリ、猶薪ノ火ヲ受ルニ遅速ノ等アル
 ハ、薪ノ脂-油多-少ニ因ルガ如シ、
  第九章  分_二軽重_一為_二 三等_一
分_二 ̄テ病之軽重_一為_二 三等_一、曰軽症、精神不_レ乱者是也、曰重
症、精神錯乱者是也、曰死症、見_二血液腐敗之候_一者是
也、
 精神乱レザル者ハ、邪熱神経ヲ犯スノ深カラザル
 ナリ、乱ルヽモノハ、神経ヲ犯スノ酷シキナリ、血液
 腐敗スルハ、流-凝俱ニ妙-和分-離スルナリ、
  第十章  軽症
軽症 ̄ハ神思不_レ乱無_レ見_二悪候_一、雖_レ不_レ薬或可_レ治、然而病不
_レ経_二 二旬_一則身熱不_レ退、尿状亦難_二速 ̄ニ復_一、
 病軽シト雖モ速カニ治シ難キ者ハ、邪純ラ神経ニ
 著 ̄ケ バナリ、蓋シ神経ハ一身ノ主宰生-生万機ノ政ヲ
 主トルヲ以テナリ、仮令ハ良-相病ンテ一-国乱ルヽ

 ガ如シ、尿状ノ変速カニ復シ難キハ、熱ノ血ニ変ヲ
 致スノ甚シキナリ、
  第十一章  重症
重症 ̄ハ危険 ̄ノ諸症悉 ̄ク具、雖_レ有_二良工_一不_レ易_レ済 ̄ヒ也、如 ̄シ不_レ得_二其
治_一大概 ̄ネ不_レ起、或延纏越_二 二旬_一者、雖_レ有_二危症_一亦不_レ抵_レ ̄ラ斃、
然 ̄レトモ而身-熱妄-語搐-搦 ̄ノ諸症、遅留不_レ退勢 ̄ヒ或将_二顚覆_一、亦
不_レ可_レ忽諸、
 此症二旬余ヲ過レバ死ヲ免カルヽヿ多ク、又二旬
 ヲ経ルニ非ラザレバ、良治ヲ処スト雖モ治シ易カ
 ラズ、医此-間毫-髪ヲ剖テ術ヲ施スニ非ザレバ、反掌
 ノ変ヲ招クヿ多シ○碩京-師ニ於テ一-婦-人ノ危症
 ヲ療ズ、始メヨリ妄-語撮-空、変-症百-出、驚-癇痙-攣ヲモ
 発シ、脈モ殆ント絶スルニ及ブコト三次、昼-夜胆ヲ
 嘗テ治ヲ処スルコト五十余日、精神モ常ニ復シ稍〱
 食味ヲ知ニ及ンデ、遂ニ昏睡ニ陥リ六十余日ニシテ
 死タリ、余力ヲ極メ内外ノ術ヲ尽シテ治ヲ処セシ
 ヿナレバ、今ニ其誤リヲ解セズ、翼(ヒユツ)-歇(ヘ)-郎(ラン)-突(ド)ノ所-謂 ̄ル危
 症ニ至テハ、意-思毫-髪ヲ剖キ歴-験事ヲ究ムルニ非

 ザレバ救フコトヲ得ズトハ至言ナリ、
  第十二章  死症
漏汗流-漓、大便敗-臭、五官失_レ守者、因_二神経麻-痺内臟
萎-薾_一、是血敗 ̄レ肉壊 ̄レ、運化将_レ絶之候也、雖_レ有_二良手_一無_二如
_レ之 ̄ヲ何_一、其変大-率 ̄ネ在_二病発 ̄シテ第十一日第十四日第十八
日_一 ̄ニ
 病ノ暴ナル者、其治ヲ得ザレハ二三日ニシテ死ス
 ル者アリ、今茲ニ載スル日-期ハ、良医ノ治法ヲ得ル
 者ヲ謂フノミ、
  第十三章  脈候
脈数者 ̄ハ病固 ̄ヨリ重、飛躍不_レ斉者概 ̄ネ属_二危険_一、蓋 ̄シ病之軽重、
命之安危、必係_二脈之遅数_一、数 ̄ハ則危 ̄ク遅 ̄ハ則安 ̄シ、其数漸 ̄ク減
則危症 ̄モ亦減 ̄ス、脈不_レ数者雖_レ有_二危症_一不_レ足_レ為_レ憂也、夫脈 ̄ハ
起_二 ̄リ於心臓_一 ̄ニ、活気之所_レ由、血液之所_レ環、一身之妙-機従
_レ此出 ̄ツ、故 ̄ニ弁_二 ̄シ順逆_一決_二成敗_一無_レ要_レ ̄ナルハ於_レ脈 ̄ヨリ、
 凡ソ脈ノ不-斉飛-躍スルハ、神経牽引シテ血液順環
 ノ機ヲ妨ゲラレ、内-景常-機ヲ失フノ候ナリ○或問
 遅速ハ何ヲ以テ純ラ安危ノ機ニ係ルヤ、答曰数ハ

 血液疾行シ、遅ハ血液緩流ス、此ラ算スルニ心臟脈
 管ノ血ヲ輸送スルノ機、其困シムコト人意ノ表ニ
 出ツ《割書:詳説見_二于余 ̄カ|生-理-則血-論_一》
  第十四章  脈候時変
脈候時時不_レ同、遅数細大、毎動不_レ斉、故非_二 ̄サレハ屢〱診_一_レ之則
病態難_レ窮、変症難_レ察、
 西医ノ治験ニ、危重ノ症ヲ半時毎ニ一診シタル例
 アリ、想フニ昼間十二診スル者ナリ、用心ノ深切ナ
 ルヿ斯ノ如クナラザレバ、険症ニ臨テ其状-態ヲ尽
 スヿ能ハズ、
  第十五章  舌候
舌乾 ̄テ而無_レ胎、或淡胎帯_レ白者為_二平症_一、黒胎如_二 ̄ク煙煤_一、燥
裂如_レ脱_レ皮者為_二重症_一、状如_レ炙_二 ̄ルカ雞肝_一赤爛作_レ麹者、危甚_二 ̄シ
於累卵_一 ̄ヨリ、
 舌乾テ無胎ハ、此熱ノ通候ナリ、黒胎煙煤ノ如クシ
 テ苦味ヲ覚ユルハ胃中ノ穢物ニ属ス、或ハ吐スベ
 キノ症アリ、然レ𪜈日ヲ経テ見ハレ、或ハ潤フテ燥
 カザルハ必ス揮発ノ薬ヲ用ユベシ、夫敗-疫ノ黒胎、

 多クハ燥芒ヲ生ス、俱ニ皆吐下ノ剤ヲ処スベキノ
 候ナリ、此熱ノ黒胎トハ混論シ難シ、又如炙雞肝者
 ハ血-液腐-敗胃腸潰-爛スルノ候ナリ、麹胎ハ血液酸
 敗腐-穢スルノ候ナリ、《割書:酸敗出_二于|□(ゴ)-爾(ル)-徳(ト)-児(ル)_一》是ヲ以テ舌ハ血液
 ノ状態ト、胃腸ノ内面トヲ候フノ要具ナリ、
  第十六章  発熱
発熱稽留雖_三昼夜無_二間断_一、大-率 ̄ネ平-明稍〱減、其不_レ減者
亦不_レ得_レ無_二 ̄ヿ少 ̄ク進退_一、劇者 ̄ハ昼夜二発、昼始_二 ̄リ於午前_一、熾_二於
午後_一、夜 ̄ノ始_二 ̄リ於初更_一熾_二於三更_一、
 式(シ)-建(ケン)-吉(キ)《割書:人|名》ノ血論ニ、凡ソ平全無病ノ人、其血-行朝ハ
 緩クシテ午後ヨリ夜半ニ至ルノ間ハ稍〱疾ク、凡ソ一-
 分時-刻ニ七八動ノ差アリト謂ヘリ、常人スラ血行
 昼夜ニ此ノ如キノ差アレバ、熱ヲ患フル人ハ午後
 夜半ニ烈シキ所-以ナリ
  第十七章  尿候
小水垽濁、随_三病之有_二劇易_一、不_レ能_レ無_二 ̄コト多-寡濃-淡之差_一、病-
勢進 ̄ム者、色如_二麦酒_一、白垽沈-著質似_二溶膠_一、其積 ̄ヿ大-抵寸
許、又有_二尿閉難_レ通者_一、有_二熱-尿淋-瀝者_一、有_二尿即 ̄チ澄 ̄ミ垽即

消者_一、俱 ̄ニ為_二凶兆_一、又尿如_二清水_一者、搐-搦攣-急将_レ発之候
也、凶莫_レ甚_レ焉 ̄ヨリ○凡験_レ尿之法、盛_二 ̄リ之 ̄ヲ硝子器_一 ̄ニ安置経_レ時
則得_レ審_二 ̄コトヲ其状_一、
病赴_二 ̄ク平路_一者、尿漸 ̄ク澄 ̄ミ垽漸 ̄ク減、色如_二柑汁_一、垽溶 ̄テ而不_レ凝、
其尿経_レ ̄テ日不_レ変者 ̄ハ為_二吉兆_一、
尿面結_レ衣、状如_二鍼芒_一、不_レ ̄シテ久而散解、混淪為_二雲状_一 ̄ヲ者 ̄ハ為_二
危険_一、又清尿如_二列(レ)-応(イン)-酒_一《割書:彼邦|酒名》垽如_レ混_二繊-微撒-糸_一者 ̄ハ属_二 ̄ス
死候_一、凡如_レ此者、発_レ痙而就_レ死、以_レ之断_二 ̄ス死生_一 十不_レ誤_レ 一
 碩按スルニ尿垽ハ病-毒分-利ヲ候フノ要物ニシテ軽-
 蔑シ難シ、是ヲ以テ此熱ニ論ナク、凡-百ノ血液ニ係
 ルノ病ハ、尿ニ変ヲ見ハサヾルハナシ、凡ソ溶-膠良
 膿ノ如キ垽ハ、病-毒化-熟分-利ノ候ニシテ、鍼-芒小-胞
 撒-糸ノ如キ垽ハ、流-体妙-和ヲ失テ塩-質分-解シ、或ハ
 凝体ノ繊-維自ラ腐壊シテ漏泄スル者ナラン、内景
 ノ成-敗之ヨリ著ルシキハナシ、事ヲ会セザルノ輩
 認メテ迂トスルヿ勿レ○又 翼(ヒユツ)-歇(ヘ)-郎(ラン)-突(ド)ノ書ニ、吸(ヒ)-卜(ポノ)
 葛(カ)-刺(ラー)-的(テ)-斯(ス)及ヒ質(チ)-設(セ)-伊(イ)ノ説ヲ引テ、鍼-芒撒-糸ノ如キ
 垽ハ、十四日モ経ザレバ消セズト謂ヘリ、是 ̄レ最モ悪

 徴ト会得セヨトアリ、
  第十八章  悪候
邪毒浸淫、無_二分利之候_一者 ̄ハ、必発_二悪症_一、如_二夫 ̄ノ筋-愓肉-瞤
循-衣弄-手_一勢固 ̄ヨリ険-悪、至_二 ̄テハ理-線撚-指_一危最 ̄モ甚 ̄シ、且得_レ病未
_レ久、爾垤(ルデ)二音不_二明朗_一、属_二凶兆_一、又語-言艱-渋、或不_レ能_レ言
大-凶之兆也、俱 ̄ニ是因_下 ̄ル邪著_二脳中_一圧_二 ̄シ神経_一遂 ̄ニ使_中_レ ̄ムルニ之 ̄ヲシテ麻-痺
不-遂_上、其危可_レ知、
病発 ̄シテ四日若 ̄クハ七日、有_下気力暴脱 ̄シ発_二昏-暈痙-攣畏-水_一而
就_レ死者_上如_二火滅_一然 ̄リ、事出_二不意_一 ̄ニ亦不_レ可_レ不_レ ̄ンハアル諳、
病経_レ日之後、喜 ̄テ嘔 ̄シ喜 ̄テ吐 ̄スル者 ̄ハ危険可_レ徴、且 ̄ソ采聴不_レ ̄ハ亮則 ̄チ
安 ̄ク、或 ̄ハ時 ̄ニ聡或 ̄ハ時 ̄ニ聾 ̄ハ危 ̄シ、
黙-黙嗜_レ眠者非_二善候_一、昏-睡鼾-息 ̄スル者 ̄ハ為_二悪候_一、大便秘閉
之人、多 ̄ク発_二此症_一、
 碩按スルニ筋-愓肉-瞤ハ邪-毒神-経ヲ刺侵スルノ候
 ナリ、循-衣摸-牀ハ意-識守ヲ失フノ候ナリ、爾垤(ルデ)二音
 弁シ難ハ第-五-対神-経ノ麻痺ニシテ、他ノ神経ニモ
 殆ント波及セントスルノ候ナリ、昏-睡痙-攣畏-水ハ
 邪熱ノ脳及ビ神経ヲ強ク害スルノ候ナリ○畏水

 トハ何ソ、患-者水ヲ見テ怯レテ驚癇ヲ発スルナリ、
 犬-毒驚-癇ノ人 間(マヽ)此症アリ、
  第十九章  善候
病毒分利、大-率在_二 二旬 ̄ノ後_一 ̄ニ、咳-嗽吐-痰、自-汗流-漓、小-水
垽-濁、此 ̄ヲ為_二順利_一、又有_二発_レ疹者_一、有_二発_レ班者_一、有_二発_レ癰者_一、是
邪毒崩-潰従_レ ̄シテ此而去 ̄ル、此 ̄ヲ為_二逆利_一、又有_二危症持久口流
_レ涎者_一、毒雖_二外 ̄ニ潰_一、而非_レ ̄サレハ引_レ ̄ニ日則其治不_レ昜_レ冀也、凡吐涎
之症、不_レ涎則邪不_レ去、邪不_レ去則病不_レ癒、不_三必属_二凶兆_一、
 此 ̄ノ諸症ハ病ノ軽重ヲ論ゼズ、自然ノ運化、病毒ヲ排
 出分-利スルノ徴ナレバ、何レヨリスルモ邪毒解-散
 ノ候ト知ルベシ、然レ𪜈順路ヨリスレバ運-化困シ
 マズシテ分利シ、険路ヨリスレハ運-化困ンデ分利
 ス、是順-逆ノ別ナリ○凡ソ有毒ノ病ハ、運化ノ妙機
 ニ排出分利セラルヽ者ナレバ、病重カラズト雖モ
 分利ノ候ナキハ治シ昜カラズ、是ヲ以テ病ニ臨テ
 分利ノ有無ハ成敗ノ分ルヽ所ニシテ、察病ノ一大緊
 要ナリ、
  第二十章  治法大要

治法之大要、在_丁 ̄ルノミ揚_二神気_一復_二麻痺_一使_丙_二 ̄ルニ邪熱_一 ̄ラシテ不_乙沈-固_甲耳、故 ̄ニ
主_二香-竄揮-発之薬_一、此 ̄ノ外更 ̄ニ無_二薬之可_一_レ与也、何 ̄ナレハ則患伹
因_三 ̄ハナリ神気不_レ揚而熱邪致_二沈固_一也、蓋 ̄シ神経者、意識之所
_レ由、妙-化之所_レ発、一身之主-宰必出_二於此_一、故 ̄ニ邪苟 ̄モ有_レ侵 ̄コト
則 ̄チ正不_レ得_レ不_レ争、於_レ ̄テ是欲_下奮-発 ̄シテ而攘_中 ̄ヒ-除 ̄カント之_上、然 ̄レトモ而邪勁 ̄ケレハ則
正不_レ能_レ勝 ̄ヿ、正不_レ ̄レハ能_レ勝則分-排之機、必将_二廃絶_一、正愈〱衰
邪愈〱盛、不_レ ̄レハ死不_レ休、是所_三-以 ̄ナリ用_二揮発之薬_一也、
 此 ̄ノ熱ハ邪-毒神-経ニ著テ、之ヲシテ麻-痺不-遂セシム
 ル者ナルガ故ニ、治法ハ神経ヲ侵-刺衝-動シテ、邪ヲ
 排-出攘-徐セシムルノ働ヲ鼓舞スルナリ、是乃チ一
 書ノ大旨ナリ○或問此 ̄ノ邪毒ハ他ノ熱毒ヲ治スル
 ガ如ク、汗吐下ノ方ヲ以テ捷-徑ニ徐キ難キハ何ソ
 ヤ、答曰此 ̄ノ症邪先ヅ神経ニ著テ、神経ノ働キヲ奪フ
 ガ故ニ、徒ラニ攻撃ヲ用ユレバ、虚ヲ擣キ正ヲ伐ノ
 害アリテ、排発ノ力自カラ挫ケ、邪-毒沈-固スルコト
 ヲ免レズ、尋-常疫熱ト治法ノ異アルハ、邪ノ神経ニ
 著ト否ラザルトニ依ルノミ○碩按スルニ諸般ノ
 熱病ニ時期ノ定マレル者アリ、此 ̄ノ熱ニ於テモ亦然

 リ、則チ発生醸-熟分-利是ナリ、凡ソ此疫ニ於テハ初
 メ七日ヲ発生ト定メテ、病増-長スルノ期ナリ、中七
 日ヲ醸熟ト定メテ、病-毒化-熟スルノ期ナリ、後七日
 ヲ分利ト定メテ、病毒謝-出スルノ期ナリ、然ルニ元-
 運自-然ノ良-能健カナラズシテ、熟セラルヽヿ能ハ
 ザルカ、又仮-令ヒ熟スト雖モ、元-運其 ̄ノ労ニ勝ズシテ、
 分利スルヿ能ハザルカ、何レ其終リハ成敗ノ二途
 ニ出デズ、猶痘ニ序-熱見-点出-斉灌-膿結-痂ヲ立テヽ
 論ズルガ如シ、是医-見ノ標準ヲ立テヽ示スm者ニシテ、
 治-疾察-病ノ用ニ設ク、凡テ治療ノ大旨ハ運化ノ機
 転ヲ扶ケテ、自-然分-利ノ功ヲ遂ゲ成サシムルニア
 リ、余之ヲ熟思スルニ、熱病ニ限ラズ悉ク皆アリ、蓋
 シ天地一切ノ事物ニモ本-末終-始アリテ、盛ナレハ
 衰ヘ、生ズレバ死スルノ理有ガ如シ、高明ノ君子ハ
 我蘭-説ヲ俟ズトモ早ク巳ニ了解スルナレ𪜈、今茲
 ニ載スル者ハ、近来 歇(ヘツ)-怯(ケ)-児(ル)《割書:人|名》ノ書ヲ見テ、喟嘆ノ余
 リ贅言ヲ記シテ同志ニ示スノミ、
 第二十一章  初起平症治法

初起及軽症《割書:症候出_二于第|四章第八章_一》宜_レ与_二左方_一
第一揮発飲《割書:翼-歇-郎-|突方》

  花(ハア)-列(レ)-里(リ)-亜(ヤ)-那(ナ)根《割書:三銭 春女郎花(ハルノヲミナメシ)|気味形状類之》
 右一味以_二水一合五勺_一、上_二武火_一煮 ̄ヿ四五沸、下_レ鍋安-
 定少-時、加_二安(アン)-模(モ)-密(ミ)-□(ユ)-母(ム)。亜(ア)-絶(ゼ)-質(チ)-屈(キユ)-謨(ム)二分 里(リ)-屈(キユ)-胡(-)-
 爾(ル)。亜(ア)-諾(ノ)-篤(ト)。福(ホ)-夫(フ)-満(マン)一分_一、《割書:福-夫-満服-量昼夜以_二 五分_一|為_レ度○碩按西-医福-夫-満》
 《割書:者所_二創-製_一|止-痛-水-剤》乗_レ温頓-服、昼夜四五服、又兼 ̄テ用_下接-骨-木【左ルビ「フリールブルーム」】-
 花擺-湯加_二葡萄酒【左ルビ「ウヱヰン」】_一者_上、服後温-覆 ̄シテ而眠 ̄シム、是一-定之治
 法也、

之有_二香気_一者_上、而交〱用_レ之、又外貼_二白-芥-糊_一《割書:方出_二于下|巻第三章_一》
初起脈堅実、面赤 ̄ク眼-光爛-爛、頭疼如_レ割者、貼_二水蛭 ̄ヲ於
顳顬_一、又嘔-吐下-利、舌-胎穢-黄、胃中挟_レ毒之症、可_三少 ̄ク与_二
吐下之剤_一、《割書:方出_二于下巻第|十章第十一章_一》病既 ̄ニ経_レ日者宜_二斟酌_一
第一揮発飲《割書:自験|方》 主治初起悪-寒発-熱、脈-数頭-痛、
 四-肢疼-痛者、
  春女郎花《割書:二|銭》 接骨木花《割書:五|分》 蛇根《割書:二分或以_二|細辛_一代_レ之》
 右三味以_二水一合三勺_一、煮取_二 一合_一、去_レ滓温服、
 下利者、加_二阿片融-液五滴_一、脈堅-実挟_二焮腫_一之症、加_二
 精硝石一分、或葡萄酢十滴_一、
 蛇根気味芬-芳辛-苦稍〱収-歛シテ、神経ヲ健カニシ、汗
 ヲ発シ、痺ヲ復シ、邪毒ヲ駆ルノ功アリ、又能ク諸毒
 ヲ解ス、
  第二十二章  溏泄不_レ可_レ忽
下利如_レ傾 ̄カ、気血倶 ̄ニ脱 ̄スル者、多 ̄クハ致_二反掌之変_一、其原係_二 ̄ル於腸-
襞萎-薾_一 ̄ニ、急 ̄ニ可_二保止_一、不_レ及則斃 ̄ル、凡此 ̄ノ症下-利止 ̄ヰハ則余症
不_レ治而自 ̄ラ退、
 初発ヨリ溏泄シテ目陥リ、熱手-足ニ達セザル者ハ、

 速カニ下利ヲ止ムベシ、甚シキ者ハ一二日ニシテ
 斃ル、阿片ニ非ザレバ功ナシ、余ハ此症ニ初メヨリ
 軽量ノ阿片ヲ数次ニ用ヒ、第二揮発飲ヲ兼用シテ
 効ヲ取ルヿ多シ、凡ソ下利アリト雖モ熱ノ烈シク
 シテ焮腫ヲ挿ム者ニハ、阿-片附-子俱ニ用ユルヿヲ
 許サズ○碩按ズルニ附子ハ味薟ニシテ、且神-経ヲ
 刺戟シテ麻痺ヲ復シ、牽攣ヲ鎮メ汗ヲ発ス、然レ𪜈
 其性慓-悍量多ケレバ人ヲシテ麻廃セシメ、血脈ヲ傷
 リ火気ヲ旺ゼシム、軽-量連-進スルニヨロシ、
  第二十三章  重症治法
病-勢頗 ̄ル進、脈数而弱、昼夜純-熱、妄-語撮-空、筋-愓瞤-動、
下-利嘔-逆者、宜_レ用_二此湯_一、
第二揮発飲《割書:翼-歇-即-|突方》
  蛇根《割書:一|銭》 花-列-里-亜-那《割書:二|銭》 泥菖【左ルビ「カラミユス」】《割書:一|銭》
 右以_二泉一合五勺_一 上_二文火_一煮 ̄ヿ一-少-時、下_レ鍋期_二薬沈-
 著_一去_レ滓加_二 ̄フ後方水-薬十滴_一《割書:水薬方、熱-皮-融-液、鹿-角-|熬-煎、諾(ナ)-布(プ)-多(タ)。肸(ヒツ)-的(テ)-里(リ)-要(ヨー)-》
 《割書:児(ル)各二銭、右|三-味調-勻》服量毎_二 一時_一 一食匕、更 ̄ニ飲_二好-葡-萄-酒
 一食匕_一、毎半時二次、又兼用_二揮発散_一、其方

揮発散《割書:同|上》 主治数-脈下-利、精-神昏-沈、或循-衣摸-牀
 者、
  麝香【左ルビ「ミユスキユス」】《割書:上|品》  竜脳【左ルビ「カンポル」】《割書:上品各|四毛》  阿片【左ルビ「ヲピユム」】《割書:二|毛》
  白糖【左ルビ「ソヒクル」】《割書:二|銭》
 右四味細末調勻、毎半時服二次、
脈微弱者、貼_二健-心-剤 ̄ヲ於距里_一 ̄ニ、以_二 ̄スルモ蒸剤_一亦可 ̄ナリ《割書:方出_二于下|巻第五章_一》
神気沈衰者、擦_二竜脳油 ̄ヲ於周身_一 ̄ニ《割書:碩按 ̄ルニ以_二 ̄スルモ第-二揮-発-擦-|液_一亦可 ̄ナリ、方出_二于下巻》
《割書:第二|章_一》
下利難_レ止者、可_レ施_二閉止灌腸_一《割書:方出_二于下|巻第六章》
下肢麻痺、或昏-昏難_二醒覚_一者、貼_二白-芥-糊 ̄ヲ於腓腸_一 ̄ニ、《割書:方出_二|于下》
《割書:巻第|三章_一》吐逆不_レ止者、宜_レ施_二揮-発-蒸-剤 ̄ヲ於胃部_一 ̄ニ、
第二揮発飲《割書:自験|方》 主治数脈無_レ力、純熱不_レ解、筋愓
 肉瞤、妄語撮空、舌上乾燥、下利嘔吐者、
  春女郎花《割書:二|銭》  蛇根《割書:五|分》  附子《割書:二|分》
  泥菖《割書:六|分》
 右三味以_二泉二合_一煮取_二 一合五勺_一、内_二女郎花_一、再煮
 三四沸、下_レ鍋安定少時、去_レ滓毎-時服_二 六勺_一、日 ̄ニ十二
 三次○咽喉不利、好_二熱飲_一者、加_二貝母三四分_一、

 碩嘗テ此 ̄ノ疫-症ヲ解セザリシ日、患者ノ口-舌俱ニ乾
 燥スルヲ見テ、頻リニ麦-門-冬桔-梗甘-草ノゴトキ品
 ヲ用ユルニ、咽-喉益〱不-利シテ、甚シキハ沸湯ヲ好ム
 ニモ至ル、然レ𪜈当(ソノ)-時(カミ)其不-利本ヨリ神-経不-遂、粘-痰
 食道ニ絡フヨリ来ルコトヲ解セザレバ、其薬-品モ
 得ルコト能ハズ、近来刺-戟稀-痰ノ能アル貝母ヲ用
 ヒ試ミテ良効ヲ取コト多シ、今斯ニ掲ケ出ス者ハ、
 僅ニ芹味ヲ同志ニ分ツノ意ノミ、
兼用丸剤《割書:自験|方》
  麝香 《割書:上品|五厘》   竜脳 《割書: 上品|七厘》   阿片《割書:上品一|厘五毛》
  砂糖 《割書:一|銭》
 右分 ̄ヲ為_二 十二丸_一、毎_二 一時_一湯液送_二-下一丸_一、
 漏汗難_レ止者、去_二麝香_一倍_二竜脳_一、肌-膚乾-燥者、去_二竜脳_一
 倍_二麝香_一、昏-昏難_二醒覚_一、或有_二焮腫之候_一者、去_二阿片_一貼_二
 白-芥-糊 ̄ヲ於足蹍_一 ̄ニ、
病頗 ̄ル重者、神沈 ̄ミ邪膠 ̄シ、漸 ̄ク見_二内-外諸-器麻-痺之候_一、是-以
投_二揮-発敏-捷之薬_一、蓋 ̄シ非_レ此則不_レ能_下鼓_二-舞精-神_一攘_中-除 ̄スルヿ邪-
毒_上 ̄ヲ也、凡薬品雖_レ有_二揮発之性_一、稍〱帯_二渋飲_一者、不_二趐 ̄ニ不_一_レ ̄ノミ能

_レ奏_レ功、即 ̄チ致_二沈-衰不-遂之症_一、不_レ可_レ不_レ戒也、伹其性揮-発 ̄ニシテ
而気-味純-粋者、得_三善 ̄ク全_二其功_一、故 ̄ニ普 ̄ク採 ̄リ互 ̄ニ用、然 ̄レトモ而軽-重
有_レ度、施-舎有_レ権、雖_三薬得_二其当_一、而過-用 ̄スレハ引_レ禍、不_レ ̄レハ如無_レ効
也、
  第二十四章  揮発薬品
香-竄揮-発之薬、所_二-以 ̄ノ当_一_レ撰者 ̄ハ、無_レ他功在_二 ̄ルナリ発-越飛-散_一 ̄ニ也、
是-以尚_二薬気升_レ脳而持-久難_レ消者_一 ̄ヲ、竜-脳麝-香阿-片桂【左ルビ「カネール」】-
皮 遏(アツ)-的(テ)-児(ル)酒-精及 ̄ヒ油葡-萄-酒蛇-根女-郎-花南-五-味-子
之類是也、而葡-萄-酒最 ̄モ効 ̄アリ、
 性揮-発ニシテ気味峻烈ナル者ハ、強ク徹シテ気-味
 消シ易シ乃チ火酒ニ酔者ハ麴-気速カニ発シテ、一-
 且其 ̄ノ酔ニ勝ヘズト雖モ醒ムルヿモ亦早シ、故ニ此
 病ニ益スルヿ少シ、葡萄ノ醇醪ノ如キハ、酔-者自カ
 ラ其醒酔ヲ覚ヘズ、是其ノ気、神-経ニ触ルヽノ勢ヒ
 緩急ノ分アル一因 ̄ル ナリ、譬ヘバ眠リヲ覚スニ痒笑(コソバカ)
 シテ覚スト、揑(ツメ)リテ覚ストノ異有ルガ如クニシテ、医
 家疾-病ニ臨デ方ヲ撰ムノ目的ナリ、
  第二十五章  調理配剤

香-竄揮-発之薬、気味雖_レ鋭、独-行 ̄スレハ則勢 ̄ヒ孤力弱 ̄ノ不_レ足_レ奏
_レ功、宜_三摘_レ類聚_レ味以 ̄テ取_二佐-使之利_一、芬-芳平-和如_二花-列-里-
亜-那蛇-根_一者、乃 ̄チ其尤也、
 碩按ズルニ配剤ハ、調-餐塩-梅ノ如ク、五味ヲ調理セ
 ルヲ法トス、美味アリト雖モ一味ノ以テ口ヲ悦バ
 シムルニ足ザルガ如シ、然リト雖モ妄リニ数品ヲ
 調シテ可ナリト謂フニ非ズ、其配-調塩-梅ニ心ヲ用
 ヒヨーノ義ナリ、若シ塩梅其宜キヲ得ザレバ、山海
 ノ珍ヲ尽スト雖モ一臠ノ味ニモ劣ルガ如シ、故ニ
 漢人モ剤ニ君臣佐使ノ説アリ、其起ル所亦偶然ニ
 アラズ、
  第二十六章  阿片気味効能
阿片其性侵-刺揮-発、保_二精神_一張_二血脈_一、使_二 人 ̄ヲシテ酔且眠_一、而
其力不_レ似_二麴-気之動_一_レ ̄ニ血、是-以正邪紛争之際、不_レ能_レ克
_レ邪者、暫 ̄ク仮_レ之静_二-養 ̄シ元気_一、以冀_二再-挙之効_一、彼 ̄レ雖_レ有_二風-化
飛-散之性_一、不_下以_二駆邪_一為_上_レ効 ̄ト、
阿片気味敏-捷苦-烈有_レ毒、軽-量連-進為_レ可、如 ̄シ一-時過_二 ̄セハ
其量_一、則徒 ̄ニ搏_二元気_一逞_二病勢_一、然 ̄トモ遇_二劇症_一量軽 ̄モ亦無_レ功、宜_下

仮_二 ̄テ異-物同-趣其 ̄ノ力稍〱緩者_一、以 ̄テ助_レ ̄ケ効和_レ ̄シテ性而調_中之剤_上、走-
竄芳-香之品乃 ̄チ是也、葢 ̄シ芳香之性、摩-痒以 ̄テ悦_二精神_一発_二
沈衰_一、故 ̄ニ不_レ使_二_レ之 ̄ヲシテ至_一_レ為_レ ̄スニ害、使-用之妙、必 ̄ス在_レ此矣、
刺-撃走-竄之諸薬、多-量急進則招_下 ̄ク神経不_レ ̄ノ耐_二薬気_一之
弊_上、若_二夫 ̄ノ阿片_一奪-知安-神、用持_二両端_一、故 ̄ニ能 ̄ク使_下_二諸薬_一 ̄ヲシテ無_中衝-
撃以 ̄テ起_レ痙之害_上、急-劇之際建_二奇勲_一、非_一他薬之所_一_レ ̄ニ匹也、
 阿片ヲ内服シテ試ムルニ、諸般ノ疼-痛痙-攣ヲ鎮ム
 ルノミナラズ、喘-急咳-嗽下-利ノ如キモ、之ヲ服スレ
 バ先ツ病勢ヲ穏カニシテ眠リヲ催シ、其 ̄ノ人暫クハ
 必ス患苦ヲ免カル○碩按スルニ其理奪-知ノ能ア
 ルヨリシテ然ルヿヲ得ルナリ、今茲ニ譬喩シテ論
 スルニ凡ソ病アリテ神経ヲ犯スヿアレバ、神経牽
 攣シテ之ト衡キヲ争ヒ種-種ノ変症ヲ発シ、一時ニ
 其勝-敗ヲ決セント牽-攣怒-張シテ休ムヿナシ、感動
 ノ甚シキ者ニ至テハ、病-毒格-別ニ迫リ侵サズトモ、
 巳レト独リ鬩(ヲ)メキシテ、自-尽ノ敗ヲ取ルヿアリ、是
 ニ於テ阿片ヲ用ユレバ、阿片ノ揮-発-塩頭-脳ニ升リ
 テ、血-脈盈-充邪ト闘フノ神経ヲ圧シ、神気ノ感-注之

 ガ為メニ阻テラレテ知-覚自ラ廃ス、又傍ラ阿片ノ
 異-味怪-臭ニ感応シ、病ヲ棄テヽ阿片ノ気味ト稍(ヤヽ)闘
 ヲ始ルニ至ルナリ、猶附-子蜀-椒蟾-蜍ノ如キ奪-知ノ
 能有 ̄ル者ヲ甞ムレバ、本ヨリ舌ニ他-味有ト雖モ、忽チ
 本味ヲ忘レテ其味ヲ知ルガ如シ、阿片ノ如キモ其
 異味ヲ以テ、神経ノ感知ヲ巳レニ奪ヒ取リテ、病ノ
 感触ヲ緩フス、布(プ)-歛(レン)-巳(キ)ノ説ニ阿片ヲ多ク甞レバ舌
 ヲシテ腫シムト、是ヲ以テ阿片ノ使用ハ自-然ノ病ト
 戦フテ克ツヿ能ハズ、其儘ニ棄置ハ自尽ヲ取ノ症
 ニ用ユルナリ○或問風茄子ノ如キハ甚ダ辛味ナ
 シト雖モ奪知ノ功アルハ如-何、答曰此モ亦揮-発-塩
 ナル者アリテ、神液ノ感注ヲ阻テ遮ギルニ因 ̄ル ナリ
 ○又問他ノ奪知剤ハ人ヲシテ阿片ノ如クニ眠ラ
 シメザルハ何ソ、答曰布-歛-巳ノ説ニ、阿片ノ質ハ多
 分ノ揮-発風-化ノ油塩アルヲ以テ、服スレバ直チニ
 頭脳ニ升リ、其人速カニ睡リヲ催ス、是ヲ以テ外-用
 シテハ催-睡奪-知ノ功ナシト
  第二十七章  阿片主治

妄-語撮-空、筋-愓肉-瞤、身-体疼-痛、羞-明向_レ暗、不-寐怔-忡、
下-利難_レ休、有_二知-覚敏-触之候_一者悉 ̄ク用_レ之○焮-腫昏-睡
有_下血注_二頭脳_一之候_上者太 ̄タ禁_レ之、
  第二十八章  麝香気味効能
麝香揮-発走-竄、力持_二刺痒_一、無_レ所_レ不_レ通、亦無_二渋-滞凝-著
之弊_一、安_レ神 行(ヤリ)_レ血、除_二伏邪_一駆_二悪気_一、美-質良-才、固無_二凶徳_一
雖_二虚極之人_一単味可_レ用、
  第二十九章  麝香主治
精-神昏-沈、血-液敗-脱之人、単味服_レ之、奮_レ神揚_レ沈、駆_二熱
邪_一、其功絶-倫、又与_二阿片_一並 ̄ヘ用 ̄ル則 ̄ハ二味合_二其力_一以 ̄テ成_二輔-
車相-依之利_一、
筋-愓肉-瞤、搐-搦攣-急、精-神昏-瞶、不_レ省_二 人事_一、或撮-空妄-
語、皮-膚乾-燥者、皆宜_二 ̄シ麝香_一、又胸-膜攣-急、喘-鳴咳-嗽者
殊 ̄ニ験 ̄アリ○漏汗不_レ止者可_二斟酌_一、
 麝香ハ愛スベキ香アリ、愛ハ神-経悦ヒ好ムノ義ア
 リ、是ヲ以テ其揮-発スルノ塩-梅、神経ヲ苦シメズシ
 テ痒(コソバカ)-笑シ勇マシム、虚極ノ患者ニ用ヒテ害ナシ、他
 ノ刺-戟-剤ノ如キハ、神-経愛シ好ムノ性ナキヲ以テ、

 其刺-撃スルノ塩-梅、猶 揑(ツメ)リ叱テ起スガ如ク、虚極ノ
 人ニ害ヲナスコト少カラズ、虚極ノ人ニハ用ヒ難
 シ、
  第三十章  竜脳気味効能
竜脳気味苦辛、風化揮発、有_下健_二 ̄ニシ生-動_一固_二萎薾_一保_二亡脱_一
挽_二-回 ̄スルノ腐敗_一之功_上、亦与_二麝香_一相去 ̄ヿ不_レ遠也、配_二阿片_一則能 ̄ク
補_二其所_一_レ不_レ足、達_二其所_一_レ ̄ニ不_レ至、唯竜脳有_二異味_一、非_二常-服之
薬_一、量重 ̄ケレハ則有_二触_レ胃 ̄ニ之害_一也、眩-暈嘔-噦之人或禁_レ之、
  第三十一章  竜脳主治
脈細弱 ̄ニシテ而無_レ力、腠-理弛-開、汗不_レ止者有_二奇効_一、又内-部
麻-痺、形-容憔-悴、或虚-煩不_レ能_レ眠者亦験 ̄アリ
脈堅 ̄ニシテ而不_レ弱、腠-理乾-燥無_レ汗者、竜脳或有_レ害、伹麝香
主_レ之、是竜麝之所_レ異也、
 竜脳気-味涼ニシテ苦-辛其 ̄ノ香愛スベシ、蓋シ竜脳ハ其
 原-質ニ乾-固揮-発ノ塩、油、脂モナク、唯〱天-然一-箇ノ揮-
 発香-竄ノ樹-脂ニシテ、甚ダ火ヲ受易シ、此ヲ以テ焮-
 腫-性ノ熱ヲ挿ム者ニ於テハ、微量ニ非ザレバ害ヲ
 ナスヿ多シ○碩平-日之ヲ諸般ノ熱病ニ験ムルニ、

 腠理ノ収リ悪クシテ、漏-汗悪-寒ヲ兼ヌル悪-性-熱ニ
 功アリ、純-熱ノ症ニハ硝石砂糖ヲ配シ用ユ○翼-歇-
 郎-突曰竜脳ノ異-味胃ニ触レテ嘔-噦ヲ発スル者ニ
 ハ、亜(ア)-勒(ロ)-瑪(マ)-底(チ)-加(カ)。諾(ナ)-布(ブ)-多(ター)ノ類ヲ用ヒテ功アリト、
  第三十二章  葡萄酒気味効能
葡萄酒、質重 ̄ク味醇、其 ̄ノ気不_二峻烈_一、雖_レ有_二収歛之性_一、而無_二
壅-滞痞-寒之害_一、令_下_レ 人 ̄ヲシテ漸 ̄ク入_二 ̄テ酔-郷_一 ̄ニ而難_中醒-覚_上、如_二 ̄キハ夫 ̄ノ火-酒_一
則与_レ此異 ̄ナリ、其慓-悍之気、能令_二_レ 人 ̄ヲシテ酔-倒_一、然亦風-化走-竄 ̄ニシテ
而令_二早醒_一、所-謂 ̄ル勇 ̄ニシテ而無_レ剛者耳、不_レ可_二混論_一、
  第三十三章  葡萄酒主治
胃-気不_レ振、乳-糜不_レ給、神-経衰-弱、諸薬無_レ効者、服_レ ̄スレハ之佐_二 ̄ケ
胃化_一、益_二 ̄シ養液_一、煽_二-発 ̄シ沈-衰_一、使_下_二熱邪_一 ̄ヲシテ不_中膠-固_上、又血-液亡-脱
羸-痩極 ̄ル者、配_二鹿-角-膠-汁_一殊 ̄ニ験 ̄アリ○葡萄酒、新-醸未-熟 ̄ノ者
品劣 ̄ニシテ不_レ勝_レ ̄ヘ用、唯経-年純-熟 ̄ノ者為_レ佳、
 赤-葡-萄-酒ハ衰-弱ヲ強-健ニシ、沈-固ヲ発-揚シ、腐-敗ヲ
 防-止ス、白-葡-萄-酒ハ其 ̄ノ力稍〱緩シ、其最モ宜シキ者ハ、
 古キ福(ホ)-倔(グ)-訛(ヘエ)-墨(メ)-爾(ル)葡-萄-酒カ、払(フ)-郎(ラン)-察(ス)葡萄酒カ、説(セ)-吉(キ)-烈(レ)
 斯(ス)葡萄酒ヲ絶品トス《割書:翼-歇-|郎-突》○布(プ) - 歛(レン) - 巳(キ)曰、葡萄酒ノ本

 質ハ、土ト酸-水ト塩ト揮-発-精-気ト妙-合シテ成タル
 物ナリト、是ヲ以テ其 ̄ノ醸-熟宜シキヲ得テ、年ヲ経ル
 者ニ非ザレバ、妙-化自ラ分-解シテ敗シ易シ、腐-敗未-
 熟ノ者ハ、衰-弊ニ害アリ、撰マズンバアラズ、
  第三十四章  遏(アツ)-的(テ)-児(ル)油気味効能
遏-的-児油、其性醇-和通-達、無_二衝-撃之害_一、有_二救_レ脱伸_レ急
之効_一、配_二香-竄刺-撃之薬_一、用_レ之則和-緩以得_二佐-使之任_一、
且使_下_二芳-香飛-散之薬_一 ̄ヲシテ不_中風-化_上也、乃 阿(ヲ)-必(ピ)-□(ユ)-母(ム)。亜(ア)-的(テ)-律(リユ)
母(ム)花(ハア)-列(レ)-里(リ)-亜(ヤ)-那(ナ)及 ̄ヒ福(ホ)-夫(フ)-満(マン)。秡(バ)-爾(シ)-撒(サ)-密(ミ)-□(ユ)-私(ス)-多(ター)之二方、
殊 ̄ニ有_二効験_一、亦不_レ可_レ不_レ用、
  第三十五章  諾(ナ)- 布(プ)- 多(ター)油気味効能
諾-布-多諸剤及諾-布-多 率(シユ)-利(リ)-翼(ヒユ)-胡(ウ)-葛(カ)亜(ア)-絶(ゼ)-質(チ)-加(カ)、其性
揮-発走-竄、行_二 ̄リ渋-滞_一、保_二 ̄チ亡-脱_一、功-力俊-敏、不_レ可_二軽-視_一、又与_二
阿片_一合-用、則制_二其慓-悍_一、又能 ̄ク輔-翼 ̄ス、功与_二遏-的-児油_一大-
同小-異、
  第三十六章  桂皮気味効能
桂皮気味辛-甘微-渋、有_二強-心活-血発-汗之功_一、又能 ̄ク佐_二 ̄ケ
胃-化_一、健_二頭脳_一、凡焮-腫-熱熾-盛-熱之症、不_レ許_レ服_レ之、

 翼-歇-郎-突曰、安(アン)-模(モ)-密(ミ)-□(ユ)-母(ヘ)ヲ称誉スル者アレ𪜈、此 ̄ノ熱
 ニ的-当ノ薬ニ非ズ、妄用スレバ漏-汗止ザラシム、
  第三十七章  分量可_レ審
治療之権、在_レ ̄ノミ使_下_二 ̄ルニ薬-量_一 ̄ヲシテ無_中過-不-及_上耳、蓋熱-邪盛者、其害
最 ̄モ著 ̄シ、若 ̄シ過_二其量_一則、神-経不_レ勝_二薬-気_一、不_二怒-脹発-痙_一、則 ̄チ塞
蹙不_レ舒、忽 ̄チ致_二殄-滅之禍_一、猶_下 ̄シ火雖_二得_レ風而熾_一亦得_レ風而
滅_上 ̄スルカ、可_レ ̄ンヤ不_二深 ̄ク思_一哉、
  第三十八章  重症転_二薬味_一
薬之一旦奏_レ功者、服_レ之及_二数剤_一、慣 ̄テ而無_レ効、猶_下入_二鮑-魚
之肆_一者、自 ̄ラ不_上_レ知_二其腥_一、医宜_二見_レ機而処置_一、勿_二守-株失_一_レ治、
且薬不_レ ̄シテ見_レ効、而猶用 ̄テ不_レ休、則或至_レ招_レ害、如_二阿片_一為_レ甚、
  第三十九章  重症倍_レ量
凡用_二刺-発之薬_一、因-循延_レ日之際、無_二熱-邪解-散之候_一、転
加_二虚耗_一者、或病深 ̄ク薬浅 ̄シ也、宜_三審 ̄カニ料 ̄テ以 ̄テ倍_二其量_一、医家或
察-病不_レ達、歴-験未_レ遍、半-途生_レ疑、遑-遽 ̄トシテ議_二 ̄ル他薬_一、是非_二其
治_一也、
邪毒 ̄ト与_二正気_一、勢不_二両立_一、邪勁 ̄ケレハ則正蹙 ̄シテ不_レ伸、方_二是時_一欲_下
以_二長-策_一取_上_レ勝、徒 ̄ニ議_二退守_一、足_二以失_一_レ機、宜_三精-兵衝-突制_二捷 ̄ヲ

於一時_一、故 ̄ニ治-法之要、不_レ事_二補-虚救-脱_一、務 ̄メ在_二輔-正駆-邪_一、
正-気一 ̄タヒ奮則、分-排之機自 ̄ラ発 ̄シ、邪不_レ能_二持久_一、将_二 ̄ニ崩 ̄レテ而逃_一、
是 ̄レ西-哲之所_レ ̄ニシテ伝、而余之所_二服-膺_一、万-世不-易之公-論、雖
_レ有_二来者_一不_レ能_二間然_一、
  第四十章  香-竄揮-発与_二収-歛補-益_一有_レ別論
香竄揮発之薬、味辛 ̄ク質軽 ̄ク、走而不_レ止、散而不_レ聚、経-脈
筋-骨毫-末之間、無_レ所_レ不_レ達、通_レ ̄シ気行_レ ̄リ血、以 ̄テ佐_二 ̄ク生-生運-化
之機_一、使_下_二邪毒_一 ̄ヲシテ無_上_レ所_二聚注_一、故 ̄ニ能 ̄ク輔_レ正駆_レ邪、如_二収-歛補-益_一
則 ̄チ不_レ然、質重 ̄ク味渋 ̄リ、以_レ実塡_レ虚、故 ̄ニ能 ̄ク療_二無-毒漏-脱之病_一、
与_二破-結駆-邪之薬_一、自有_二黒-白之易_レ弁者_一、
  香-竄揮-発ノ薬ハ、性軽クシテ気-中ニ升散ス、乃チ密
 封シテ蔵ムト雖モ、其香ノ鼻ヲ撲ヲ以テ証スベシ、
 故ニ之ヲ服スレバ、脈-絡筋-骨繊-微ノ間ニ至ルマデ
 モ穿チ入ルヿヲ得、故ニ邪ニ会テハ之ヲ解-散シ、神
 経ニ触レテハ之ヲ刺-撃衝-動シテ、邪ノ為メニ圧-閉
 セラレテ、其働キ将ニ廃-絶セントスルヲ発セシム、
 是ニ於テ神-経動クヿヲ得テ、排-発ノ機自ラ生シ、駆
 邪ノ功由テ成 ̄ル者ナリ、然ルニ収-歛補-益ノ薬ハ、凝-体

 弛-緩シテ繊-微ノ処ハ糜-爛ニモ至ルガ如キ者ヲ膠-
 固収-歛シ、流体ノ溶-渙シタル者モ之ニ歛メラレテ
 濃-稠ニナル者ナリ、故ニ無-毒衰-弱ノ症ニ功アリ、此
 熱ノ如キハ疲-労有ト雖モ、神-経邪ノ為メニ抑-圧セ
 ラルヽ者ナレバ、某害浅カラザル所-以ナリ、是 ̄レ他ナ
 シ標ヲ治シテ本ヲ棄ルノ理ナレバナリ、之ヲ譬ル
 ニ樹木ノ枝梢ヲ洗芟スレバ、根愈〱固クナルガ如ク
 然リ、
  第四十一章  熱-皮及収-歛-剤為_レ害論
収-歛補-益之薬、害_二於此 ̄ノ病_一 ̄ニ不_レ可_レ用、若_二夫 ̄ノ熱-皮【左ルビ「キナ」】_一、質膠 ̄ニシテ而
味渋 ̄リ、入_レ ̄テ胃不_レ化、以_レ実塡_レ実、使_二_レ邪 ̄ヲシテ愈〱固_一、使_二_レ熱 ̄ヲシテ愈〱淫_一、強 ̄テ用
_レ之則、足_レ招_二数-脈下-利発-熱痞-満亡-脱等之症_一、不_レ可_レ不
_レ戒也、世医或 ̄ハ謂 ̄フ熱皮補-益解-熱、不_レ察_二毒之有-無_一、不_レ論_二
熱之虚-実_一、吠-声捕-影、認 ̄メテ為_二熱-病之奇-薬_一、謾-投妄-施、未
甞 ̄テ無_一_レ ̄ンハ害也、夫 ̄レ熱皮効_二 ̄アリ於神-経衰-弱血-液漏-脱之人_一、而 ̄ルニ
今用_レ之、不_二啻 ̄ニ無_一_レ功、却 ̄テ招_レ害者 ̄ハ何 ̄ヤ也、蓋 ̄シ其虚非_二真-虚_一、因
_レ邪而虚 ̄ス、邪去 ̄レハ則虚自 ̄ラ復、与_二尋-常虚-熱之類_一、異_二 ̄ニス其治_一可_二
_レ以知_一耳、

 人或ハ熱皮ノ名ニ泥ンデ、熱皮ハ偏ニ解-熱ノ奇品
 ナリト誤リ認メ、焮-腫-熱疫-熱ヲ論ゼズ、妄用シテ其
 害アルコトヲ疑カハズ、是薬-性ニ通ゼザルノ弊ノ
 ミ○花(ハ)-伊(イ)-列(レ)分-離-術ノ書ニ載ス、熱皮ノ質ハ膠脂土
 鉄ノ四ツノ者、妙-合シタル者ナリト、蓋シ凝-体弛-緩
 血-液稀-釈ノ熱病ニハ功其 ̄ノ右ニ出ル者ナシ、然レ𪜈
 揮-発走-竄ノ薬ト自ラ氷炭ノ別アリ、故ニ焮-腫-熱疫-
 熱ニハ得テ用ヒ易カラズ、同志ノ輩妄-用シテ罪ヲ
 熱皮ニ帰スルヿナカレ、

泰西疫論巻之上《割書:終|》

【裏表紙】

泰西疫論  《割書:前|編》   神経疫部  坤

泰西疫論巻之下
  目次
 神経疫部
  第一章     胃府麻痺者内薬無_レ効説
  第二章     擦油効験
  第三章     白芥糊剤効験
  第四章     発泡効験
  第五章     蒸剤効験
  第六章     灌腸効験

  第七章     浴湯効験
  第八章     空気
  第九章     吐剤効験
  第十章     下剤
  第十一章    発汗剤
  第十二章    鉱性酸渋剤効験
  第十三章    小水頻数
  第十四章    小水閉止
  第十五章    嘔逆不_レ止 
  第十六章    水銀効験
  第十七章    腸襞萎爾 
  第十八章    経験
  第十九章    除防法

泰西疫論巻之下目次畢

泰西疫論巻之下《割書:前|編》
   新宮碩涼庭 訳述
          山城 交部《割書:香|》晁采
      門人 下総 猪野《割書:恭|》允碩 纂訂
          周防 中嶋《割書:郁|》玄潭
神経疫部
  第一章  胃府麻痺者内薬無レ効説
神気益〱微、火-熱愈〱旺 ̄ン、患-者瀕_レ ̄ルヿ死二三旬、勢欲_レ危者此-

比皆是、此 ̄ノ際医之投_レ薬、宜_レ ̄ク如_レ扇_二 ̄クカ火之将_一_レ滅、烈_レ ̄スレハ之則消、
軽 ̄レハ則不_レ可_レ及、其収_二 ̄ルヤ全効_一也亦難 ̄シ矣、蓋 ̄シ此 ̄ノ症易_レ慣_レ薬、朝
有_レ応者夕用無_レ効、甚者 ̄ハ胃-官衰-廃、服-薬断 ̄テ無_レ功、然 ̄トモ当_二
此時_一術未_二必 ̄ス窮_一、宜_三 ̄タ別 ̄ニ用_二外-敷灌-腸浴-湯等之法_一、頗有_二
殊効、所-謂 ̄ル正-戦不_レ得_レ利奇-攻抜_レ城之策也、
 此 ̄ノ症的-治ヲ施スト雖モ、熱-勢日ニ烈シテ精-神日ニ
 衰ヘ、二三十日ノ間ハ危険ヲ免カレズ、医此 ̄ノ間ノ治
 法ハ、薬剤ノ分-量太タ難シ、少シク過レバ反テ精神
 ヲ脱セシメ、足ザレハ功ナシ、他ノ熱病ノ如ク薬-剤
 的-当スレバ熱速カニ退クノ類ナラズ、劇-症ハ純-熱
 五六十日モ解セズシテ、動モスレバ悪症ヲ発スル
 ノ勢アリ、此症多クハ胃-腸麻-痺シテ内-薬絶テ功無
 キニ至ル、或ハ数-日便-秘スル者アリ、之ニ下剤ヲ用
 ヒテモ容易ニ通利セザルヲ以テ其 ̄ノ徴著-明ナリ、是
 ヲ以テ外部ヨリ治ヲ処スベシ、人-身機-悷ノ理ニ通
 ゼザル輩ハ、外-薬ハ内-症ニ迂-遠ニシテ効無シトノミ
 認ムル者ナリ、䟩(レー)-問(ウヱン)-仏(フツ)-窟(ク)《割書:人|名》ノ説ニ薬-液ヲ血-脈ニ注-
 納スレバ速カニ達シテ、内-服スルヨリハ其効十-倍

 ナリト謂ヘリ、近ク試ミヨ水-銀-膏ヲ外-貼シテ吐-涎
 ヲ発シ、巴豆ヲ握テ暴-瀉スルヲ以テモ外用ノ薬効
 アルヿヲ○或問初メ効ヲ奏スルノ薬、胃ニ慣ルヽ
 ノ理如何、答曰神経ノ知-覚慣ルヽノ理ハ、近ク譬ヲ
 取ルニ発-泡-膏ヲ長ク貼シ試ムルニ、其 ̄ノ初メハ其部
 芫青ニ感シテ痛痒ヲ起シ、甚シキハ感-触一-身ニ及
 ンデ寒熱ヲ発スル者モ、続ヒテ長ク貼スレバ、水ヲ
 流シ膿ヲ出スモ自ラ止ンデ遂ニ白キ厚-皮ヲ生シ、
 膏峻ナリト雖モ痛-痒モ起サズ頑-乎トシテ死-物ニ貼
 スルニ同シク、癒テ後モ其部ヲ撫スルニ、麻痺シテ
 知覚ナキニ至ル、是 ̄レ神経ハ良-知-能アル者故ニ、強ク
 物ニ触レバ巳レト内-部ニ遁レ潜(ヒソ)ンデ頑-皮ヲ生シ
 之ヲ楯ニスルナリ、乃チ肉ノ強ク物ニ触ルヽ部、頑
 皮ヲ生スルモ其理一般ナリ、内部トテモ屢〱刺-戟ノ
 薬ヲ用ユレバ、神-経右ノ如クニナリテ効ナキニ至
 ル者ナラン、
  第二章  擦油効験
腸-胃既 ̄ニ麻-痺、運-転之機将_レ ̄ニ廃者、内-服之薬為_レ無_レ益、若 ̄シ

過_レ量則徒 ̄ニ傷_二胃-膜_一損_二血-脈_一、其害亦不_レ浅矣、宜_下擦_二滲-透
刺-発之油_一而由_二外-路_一攻_上_レ之、
 外-路ハ腠理ノ吸-脈ナリ、吸-脈ハ静-脈ノ末-梢ニ属ス、
 故ニ薬直チニ血-脈ニ入ルノ捷-徑ニシテ其 ̄ノ効浅カ
 ラス、
第一揮発擦液《割書:翼-歇-郎-|突 方》 主治精-神錯-乱昏-睡体-器
 麻-痺
  諳(アン)-厄(ゲ)-利(リ)-加(カ)精
 右一味擦_二 四肢下身_一、昼夜七八次、
第二揮発擦-液《割書:同|上》
  馬(マ)-的(テ)-里(リ)-加(カ)-児(ル)精  竜脳《割書:各三 翁(ヲン)-私(ス)○一翁|私、凡我邦八銭強》
  抜(バ)-爾(ル)-撒(サ)-謨(ム)-肸(ヒ)-他(ター)。福(ホ)-夫(フ)-満(マン)《割書:二翁-私○碩按福-夫-満|所_二創製_一之抜-爾-撒-謨》

 右三味擂-盆内 ̄ニ攪-勻 ̄シ供用○神-気沈-衰将_レ絶者、方
 中加_二硇砂精液四銭_一、宜_レ ̄ク擦_二 四-肢及 ̄ヒ諸部_一、昼夜七八
 次、劇症毎時一次、
揮発擦油《割書:自験|方》
  胆八油《割書:十|銭》  鹿角精《割書:二|銭》  竜脳油《割書:一|銭》
 右擂-盆内 ̄ニ調勻 ̄シ供用、

 翼-歇-郎-突曰ク此方諸-般ノ熱-病劇シキ者ニ処シテ
 奇功アリト、此 ̄ノ剤精-神昏-沈ヲ復シ、数脈ヲ減スルノ
 功アリ○硇砂精ハ硇砂ヨリ分チ収メタル精液ナ
 リ、其 ̄ノ性滲-透揮-発ニシテ気噴シテ鼻ヲ撲ツ○碩按
 スルニ此 ̄ノ擦-剤ヲ用ユルニ法アリ論ゼズンバアラ
 ズ、脈弱ナル者ニハ距里ニ擦シ、嘔-吐吃-逆アル者ニ
 ハ胃府ニ擦シ、喘急スル者ニハ胸膈ニ擦シ、下利ア
 ル者ニハ臍部ニ擦シ、尿閉スル者ニハ臍下ニ擦ス、
 蒸剤ト雖モ亦然リ、
  第三章  白芥糊剤効験
白芥辛刺走竄、通_レ ̄シ鬱行_レ ̄リ滞、撥_レ沈復_レ ̄ス痺、是以邪-熱上-炎
下-身冷者、貼_二 ̄ス足-蹠或腓-腸_一、起_二 ̄シ焮腫_一発_二 ̄スル水泡_一者極 ̄テ験 ̄アリ、
辛刺糊剤《割書:陬(スー)-以(イ)-|天(テン) 方》 主治頭-痛昏-睡
  白芥子【左ルビ「モスタルト」】《割書:新者|麤末》  麺粉《割書:各等|分》  厳酢《割書:適|宜》
 右二味混-和為_レ泥、気噴 ̄シテ如_レ裂_レ鼻者充_レ ̄ツ用 ̄ニ
 白芥ハ味ヒ辛ク気奔テ一身ニ達ス殊ニ神経ヲ刺
 戟ス、故ニ麻痺ヲ復シ滞ヲ行リ結ヲ解ク、
  第四章  発泡効験

芫青侵-刺滲-透、質有_二惨毒_一不_レ可_二謾用_一、邪著_二 ̄キ内臓_一其 ̄ノ部
焮-熱鑚-痛、消-散之薬無_レ功、勢将_レ変_二脱疽_一者便 ̄チ可_レ処_レ之、
其方
発泡膏《割書:同|上》 主治胃-痛胸-痛難_レ止者
  芫青【左ルビ「カンタリデス」】《割書:細末三|十二銭》  黄蠟  松香《割書:各九十|六銭》
  鶏脂《割書:三十|二銭》  厳酢《割書:五十|六銭》
 右文火煉為_レ膏収 ̄シテ貯、
 用-法攤_二綿布_一貼_二患処_一、唯不_レ宜_レ ̄ク貼_二 下肢_一恐 ̄クハ膏-痕或変_二
 脱疽_一 ̄ニ也、
 芫青ハ質ニ揮-発-塩ヲ含ミ《割書:布-歛-巳|薬 性 論》其 ̄ノ性峻-烈ニシテ、
 能ク奔リ結ヲ破リ痺ヲ復ス、油ニ配シテハ其 ̄ノ力劣
 リ、酢ニ配スレハ力優ル○或問芫青ノ水泡ヲ発ス
 ル其 ̄ノ理如-何、答曰辛-烈ノ揮-発-塩、吸-脈ヨリ入リ直チ
 ニ脈管ノ神経ヲ侵刺ス、神-経之ニ感シテ愓-然トシ
 テ奮ヒ水-液ヲ注キ聚メ、其 ̄ノ毒-塩ヲ包裏シテ再ヒ其
 入来ルノ路ヘ推シ輸リ出ス者ナリ、芫青ニ吸ヒ引
 ノ性有ニハアラズ、
  第五章  蒸剤効験

蒸剤者薬気不_レ易_レ消、有_二発-散強-壮之効_一、又邪-毒著_二胃
府_一吐-噦不_レ止者、必蒸_二 ̄ス胃脘_一其方
揮発蒸剤《割書:翼-歇-郎-|突 方》 主治嘔-吐吃-逆気-急咳-嗽
  葡萄酒《割書:百二|十銭》  芳香草【左ルビ「アロマチセコロイト」】《割書:性有_二揮-発芬|芳_一者二握》
 右煮四五沸乗_レ ̄シテ熱置_二患処_一冷 ̄レハ則 ̄チ更 ̄ム、衰-弱之人宜_レ ̄ク蒸_二
 距-里下-肢_一、
  第六章  灌腸効験
邪著_二腸襞_一、転-輸之機殆 ̄ント廃 ̄シ、内-服無_レ功者、不_レ如_下 ̄カ灌_二 ̄キ薬液 ̄ヲ
於腸_一而取_中 ̄ルニ捷-径之利_上、夫人-身稟-受之不_レ同如_二其面_一雖
_レ不_レ可_二 一-例而論_一也、大-率 ̄ネ胃-化不_レ振者用_レ之則功出_二於
内-薬 ̄ノ之右_一、西-哲 ̄ノ歴-験見_二 ̄タリ于諸書_一、固不_レ俟_二余 ̄カ弁_一、今掲_二 ̄ケテ三
方_一各分_二主能_一以 ̄テ示_二 ̄スヿ学者_一如_レ左○一曰閉止方、能 ̄ク止_二瀉
泄_一、二曰刺発方、能 ̄ク撥_二沈固_一、三曰滑泄方、能 ̄ク導_二 ̄ク秘閉_一、
閉止灌腸方《割書:同|上》 主治下-利不_レ止者
  麺粉煮汁《割書:三四|盞【左ルビ「コツプ」】》  阿片《割書:一釐六毛或|三釐二毛強》
 右二味相得適_二 ̄シテ寒暖_一、以_二水-銃_一灌_二 ̄ク肛-内_一 二三盞日 ̄ニ三
 四次、薬液不_二泄出_一為_レ佳、
刺発灌腸方《割書:同|上》 主治五体痿-弱、楯-衣摸-牀、或下-利

 嘔-吐者
  前方中加_二葡-萄-酒半盞【左ルビ「コツプ」】或 ̄ハ蛇-根花-列-里-亜-那煎
  汁半盞_一、
 右照_レ ̄シテ前供用、
又方
  閉止方中加_二麝香竜脳各四五釐_一
 右照_レ前供用○昏-睡難_レ覚者、去_二阿片_一、凡虚-極之人
 用_レ之不_レ過_二 二盞_一、
滑泄灌腸方《割書:自験|方》
  凝菜煎汁《割書:九十|六銭》  蜂蜜《割書:八|銭》  麝香《割書:四|釐》
 右混和相得灌_二 ̄ク肛中_一、凡六十四錢、得_二 ̄テ宿糞_一止 ̄ハ○焮
 熱甚者、加_二厳酢半盞_一、
 以上三方各異_二 ̄ニス主能_一、要_レ ̄ルニ之採_下 ̄テ性有_二刺発_一者_上以 ̄テ調_レ剤
 蓋其所_レ来有_レ旨不_レ可_レ不_レ察、
 閉止方中ノ麺粉ハ阿片ノ気味ヲシテ強ク腸ニ触
 レシメザルノ埋メ草ナリ、此 ̄ノ方下-利ヲ止ムルノ功
 速カニシテ、内服スル如クニ睡ラシメズ、余之ヲ試
 ムルニ平穏ニシテ功アリ、

  第七章  浴湯効験
浴湯之為_レ方、潤_レ燥行_レ ̄リ滞以 ̄テ発_二邪-毒分-利之機_一、功迥 ̄カニ超_二 ̄タリ
於蒸-熨摩-擦之薬_一、
主治舒_二-和 ̄シ経脈_一、平_二-均 ̄シ血行_一、心-悸不-寐、筋-愓肉-瞤、精神
錯-乱、数-脈不-斉、或病-毒結_二 ̄ヒ頭胸_一、或邪-火沈-滞、神-気已 ̄ニ
衰者必効 ̄アリ、又臟-腑麻-痺、或慣_二 ̄テ薬味_一而内-服之薬絶 ̄ヘテ無
_レ効者一切用_レ之、其方
  菊花【左ルビ「カモミラ」】  刺(ラ)-賢(ヘン)-垤(デ)-爾(ル)花  帖(テ)-以(ヰ)-謨(ム)草
  瑪(マ)-要(ヨー)-刺(ラ)-那(ナ)草《割書:各二|翁-私》  泥菖根《割書:四翁-|私》
  墨(メ)-利(リ)-私(ス)草《割書:二翁-|私》  泉《割書:適|宜》
 右煮 ̄ルヿ二三分時、和_二葡萄酒三罎、火酒半罎_一、供用
 浴湯有_レ法不_レ可_二軽忽_一 ̄ナル、温煖適_レ宜、外慮_二風寒_一、内虞_二 ̄ル耳-
 鳴眩-暈_一 ̄ヲ、且要_レ ̄ス不_レ ̄ヿヲ使_二患者 ̄ヲシテ失-気絶-倒_一、此 ̄ノ間医宜【左ルビ「ベシ」】_二 ̄ク看護_一、
 劇-症気-力衰-脱之人、浴_レ ̄スル之不_レ過_二 八分時刻_一 ̄ニ、粗-慢 ̄ナレバ則
 瞬-間殺_レ 人 ̄ヲ、
 浴 ̄シ畢 ̄テ速 ̄ニ取_二香-竄薬液_一、擦_二 ̄シ遍-頭-胸_一 ̄ニ、乗_レ煖服_二 ̄セシシテ綿衣_一、設_二 ̄ケ蓐 ̄ヲ
 暖室_一 ̄ニ、令_二 ̄ム穏卧_一、隔_レ衣摩_二-擦 ̄スルヿ周身_一、小半時許 ̄カリ、温覆 ̄シテ取_二微
 汗_一 ̄ヲ汗出 ̄ル者殊験 ̄アリ、一日一次 ̄ヲ為_レ法、

 碩按スルニ湯浴ハ熱自重シテ病-毒分利ノ候ナク、
 或ハ麻痺ノ候ヲ顯ハシテ、内-藥應ゼズ蒸擦ノ諸藥
 モ及ビ難キ者、則チ之ヲ用ユ、故ニ浴後ニ汗ヲ取ル
 ヲ要トス、之ヲ處スレバ多ク病毒ノ分利ヲ促シテ、
 功常-藥ニ超ヘタリ、然レトモ此法ヲ處スルニハ、醫必
 ス心ヲ用イテ漏ヲ捧シ焦ニ沃クガ如クスベシ、毫
 モ輕忽ナルコトアレバ必ズ人ヲ殺ス、
  第八章  空氣
病室内最 ̄モ要_下 ̄ス引_二新氣_一 ̄ヲ散_中 ̄スルコトヲ敗氣_上 ̄ヲ、及 ̄チ放_二揮發芳香之藥_一、以

身分離ノ書ニ氣中ノ

不_レ許_レ用_レ之、其方
第一吐剤《割書:【羽+戎】-歇-即-|突方》
  吐根《割書:五 ̄ゲ傑-列-応〇傑-列-応|我-邦一釐六毛強、》
 右細末温-湯一椀 ̄ニ撹-匀 ̄シ士頓服 ̄ス使_二患者 ̄ヲシテ平卧_一温覆 ̄スルヿ小
 半時、嘔-気稍催 ̄トキハ則進_二 ̄シテ白湯二三大椀_一、医坐_二 ̄シ枕側_一、探
 吐二三回、吐-後心-下不_レ快者 ̄ハ再服 ̄ス、吐-後下-利難_レ止
 者、有_レ害_二于衰脱_一、以_二阿片_一保_二幼養 ̄ス之_一、
 吐根ニ赤白ノ二種アリ、白ハ和フカニシテ上品ト
 ス、赤ハ其 ̄ノ性甚ダ峻烈ナリ、此 ̄ノ根気-味苦-烈ニシテ、稍
 澁ク甚ダ悪ムベシ、胃ニ入レバ胃之ヲ悪ンデ攣急
 シテ吐ヲ発ス、是ヲ以テ吐剤ニ供ス、古ヨリ之ヲ赤
 白痢ノ奇剤ト稱ス、故ニ赤-痢-根之ノ異名アリ、服-量五
 六傑(ゲ)-列(ン)-応(イン)ヨリ十二三傑-列-応ニ至ル〇凡ソ初発ト
 嘔-吐アル者ハ、邪-毒胃ヲ侵スヨリ来ル者ナリ、然レ
 𪜈吐方ノ力 ̄ラ ヲ假ラザレバ多ク快吐ニハ至らず至ラズ、此
 症速カニ吐セザレバ、胃ノ運-化悪クナルガ故ニ、他
 薬ヲ用ヒテモ功ヲ奏史シ難ク、嘔-気始-終ノ害トナリ
 テ悪-症読キ来ル者ナリ、然レ𪜈吐剤ハ将息ノ緊要

【右丁】
  驅豎齋著述書目
窮理外科則  全十三編 第一編     出來
第二編     出來  第三編     出來
第四編     出來  第五編     出來
第六編     出來  第七編     出來
第八編     近刻  第九編     近刻
第十編     近刻  第十一編    近刻
第十二編    近刻  第十三編    近刻
泰西疫論前編《割書:前編 二冊|   出来》  同《割書: 後編        二冊|腐敗疫熱部      出来》

【左丁】
跋 【印=究理】
熱病之治。創於岐黄。成於張氏。精於
陶李。盡於呉又可。而泰西蒲剛洎謨
等。亦詳細論之。然近日有一證未得的
治者焉。其症似實而不可往瀉。似虚
而不宜能補。唯用附子時或得救之。
  

【右頁端 半分切れている】
疫論

【右頁】
余心疑之十餘年于今矣。近聞涼
庭氏所傅於西醫抜的乙神經疫
之説。始覐【=覚】宿疑頓消治得其方也。
夫氣運之不常有昔有而今無
者。有今有而昔無者。疑者能究其
由。不疑者則終於晦々。鳴呼世之不

【左頁】

疑者能疑余所疑。而回此以得啓
其明則此書之益於世豈鮮少
矣哉。盖【=蓋】治此証率以揮發剌戟
為主而患其慣而不効也。附子剌
戟之力。獨能耐久則余嚮之所施
或庶幾所謂出新意於法度

【左頁端】
疫論        神經疫部下跋

之中乎。余将分涼庭氏而質之
抜的乙
文政甲申冬日平安小石龍題于
究理堂西軒
                           【印2=小石龍印 元瑞氏】

麻疹要論

《題:痳疹要論   全》

那賀山先生著
 痳疹要論
浪花書肆 《割書:文海堂|文言堂》
      

麻疹要論題辞
余少負多識之/学(○)年踰耳
順(○)討究不/廃(○)近日得那賀
山國/手(○)□【裡?】益居/多(○)殆使人
有死可之歎/哉(○)國手嘗著
麻疹要/論(○)其子弟謀而梓

之(○)来求一/語(○)余毫不知求毉
事(○)何敢容/吻(○)唯於利家/学(○)
益我己必此/則(○)彼家学所
在(○)夫豈不大益於人/哉(○)余
之所徴是而已/矣(○)
寛政己未春正月下浣
浪速隠士木邨孔恭識
於兼葭堂南軒之下
    (印)(印)
友人 森世黄書
    (印)(印)

麻疹要論
 法橋那賀山彰元先生著
      佐倉醫官山 元孝 朔元
    門人                考訂
      浪花 岡山 為武 元周

    因症論

夫/麻疹(マシン、ハシカ)ナルモノハ人一生ニ一/度(ト)痘瘡(トウソウ)ニ同ジク
病(ヤム)モノ也痘瘡ハ先天ノ胎毒(タイドク)血分(ケツフン)ニアルモノ天
行ノ疫(エキ)ニフレテ発(ハツ)スルモノナリ麻疹ハ先天ノ
胎毒/気(キ)分ニアルモノコレモ気運(キウン)ニヨツテ十二

支(シ)/二(フタ)メグリ前後(ゼンゴ)ニ行(ハヤ)ル天行ノ疫邪(ヱキジャ)ニヨツテ表(ヒョウ)
発(ハツ)スルモノナリ故ニ痘瘡ハ膿(ウミ)ヲモチ麻疹ハウ
ミヲモタズ支那州(シナシウ、モロコシ)/古(イニシヘ)ヨリアルベケレドモ唐宋(トウソウ)
ヨリ書籍(ショジャク)ニ見(ミ)ヱタリ明人(ミンシン)ハ痧麻(シャマ)トイヽ清人(シンジン)ハ
痧子(シャシ)ト云(イフ)熱毒(ネツドク)ツヨキ病(ヤマイ)ユヘ痧病ト混(コン)ジテ云ト
見ヱタリ痘瘡ハ日本/初(ハジメ)テ流行(リウコウ)ノ年月国史ニタ
シカニアラハルレトモ麻疹ハ往古(ムカシ)ノコトハシレ
ズ天疫ニツレテ発スルモノナレハ往昔(ムカシ)ノ人モ
サゾヤムベケレトモシンズ国史ニ疫邪(ヱキジャ)/行(ヲコナハ)ルコト
ヲ記(シル)シタル内(ウチ)ニ麻疹モアルベシサテ大テイ二
十三五年メニ天下一マイニ流行(リウコウ)ス元禄(ゲンロク)/庚(カノヱ)/未(ヒツジ)年【庚未は存在しない】
宝永(ホヲヱイ)五/戊(ツチノヘ)子年/享保(キヤウホウ)十五庚戌年/宝暦(ホヲリヤク)三/癸(ミズノヘ)【ミズノトの誤記】酉年/安(アン)
永(ヱイ)四五未申年流行ス宝永ト宝暦ノ麻疹ハ至(イタツ)テ
重(ヲモ)ク死亡(シボウ)ノモノ多(ヲヽ)ク安永ノ麻疹ハ軽シ俗(ゾク)ノ諺(コトハザ)
ニモ痘瘡ハ美面(ミメ)/定(サダ)メ麻疹ハ命(イノチ)定トイフ支那ノ
方(ホウ)ニモ痘瘡ト同ジク論(ロン)ジタル書(ショ)アレバ此(コノ)/病(ヤマイ)/治(ジ)
方大切(タイセツ)ノコトナリ古(イニシヘ)ヨリ二十三四五年メニ流(ハヤ)
行(ル)トイヘトモ其(ソノ)ハヤリニ一/度(ト)ハ重(ヲモ)ク一度ハ軽(カロ)ク

流行(リウコウ)シヲモキモカロキモツヾクコトモ其年ノ
気候(キコウ)ニヨツテアルベキナリ明人(ミンジン)孫文胤(ソンブンイン)ガ六腑(フ)
ヨリ発スル熱(ネツ)ト云ハ非(ヒ)/也(ナリ)清(シンノ)張路玉(チヤウロギヨク)ハ手足大陰(シュソクタイイン)
陽明(ヨウメイ)ニ経(ケイ)ノ縕熱(ウンネツ)ガ麻疹ニナルトイヘトモ左(サ)ニハ
アラズウンネツガ二経ニアラハ諸経ニモミナ
ウンネツアツテ諸経ノウンネツモトモニ発ス
ベシ又麻ハ邪熱ナリトモ云リ邪熱ナラバ一/生(セウ)
涯(ガイ)ニ一度ニカギラズ幾度(イクタビ)モヤムハズナリ痘疹
ト同シク一生ニ一度スルニテ天疫ニヨツテ一
/種(シュ)ノ胎毒/表発(ヒヤウハツ)スルヲ麻疹トシルベシ疫邪ニヨ
ツテ癮疹(カサボロセ)イズルヲ俗ニ三日ハシカト云コレハ
カロキモノニテ小児(セウニ)/弱(ジャク)年ノ人ヤムコトアリコ
レト麻疹ト一ツニ心(コヽロ)ヱタルトミヱタリ麻疹ハ
大病也/和漢(ワカン)ノ書ニキツトシタル書モナク二十
四五年メニハヤル病ユヘ医師モタビ〳〵手(テ)ニ
カケヌユヱ此/病(ヤマイ)治方ニ心ヲ用ヒズ療治(リヤウジ)スルモ
麻疹ハヤリイダスト俄ニ諸書ノ巻末(クワンマツ)ニアルザ
ツトシタル杜撰(ズサン)ノ考(カンガヘ)ヤ麻疹(マシン)/精要(セイヨウ)ヲ閲(ミ)テ治方ヲ
【左ページ上部文章】
痘瘡麻疹二度
ヤムハ前后ノ
内痘ハ水痘痳
ハ癮疹也痳痘
流行ノ時ニ水
痘癮疹必ス交
リ行ルヽモノ

下(クタ)スユヱサグリ〳〵ノ療治也チト合点(ガツテン)行(ユキ)カヽ
ルト流行(ハヤリ)シマイ又(マタ)後(ノチ)ノハヤリヲ待(マツ)ウチニハ死(シン)
デシマイ幸(サイワイ)ニ生(イキ)テイテモ老耄(ロウモウ)シテ人ノ療治処
ニテモナシ夫(ソレ)ユヘ天下ニ麻疹ニ功者(カウシャ)と云医師
マレナリ又/俗(ゾク)人ハ升麻葛根湯(セウマカツコントウ)ニテスムヤウニ
心ヱタルモノモアリヤミテミタレバシルベシ
中(ナカ)々カロキ病ニテハナシマヱニ云如ク麻疹ハ
書籍(ショヂャク)徴(チャウ)スルニタラヌユヱ予/自(ミツカ)ラ経験(ケイケン)ヲセント
思(ヲモフ)トコロニ安永ノ麻疹ニ多(ヲヽ)ク療治シテ今古(コンコ)ノ

方法を縦横(ジウヲウ)ニ用(モチ)ヒ予/憶見(ヲクケン)ヲマゼテ治方ヲ下シ
コヽロミ所謂(イハユル)ナマモノヽ稽古(ケイコ)ニテ麻疹ノ治方
合点(ガテン)セシナリ /昇平(セウヘイ)ノ御代(ミヨ)諸道(ショドウ)大イニヒラケ我(ワカ)
道(ミチ)ニ心ヲ用ユル人モ多(ヲヽ)キコトナレバ専門(センモン)ソノ
門人ニ示(シメ)ス高案(カウアン)モアルベシコノ書ハ予ガ門子弟(モンシテイ)
ニ口授(クジユ)スルコトヲ記(キ)スルノミナリ
    麻疹病状并治方之論
一 麻疹流行ノマエニ必(カナラズ)疫邪(ヱキジヤ)大ニ行(ヲコナハ)ルソノヽチ
少壮(セウソウ)大人/老(ロウ)人トモイマダ麻疹ヤマザル人ハ皆(ミナ)

ヤムナリ始(ハジメ)咽(ノンド)ハシカクイラツキイタミ灼熱(シャクネツ)ス
ソノネツ三四日六七日ニ至(イタ)ル尤(モツトモ)熱ニ軽重(キヤウドウ)アリ
強(ツヨキ)ハ譫語(センゴ)妄言(モウゲン)ス面(ヲモテ)赤目(アカメ)ハレナミダイデ頭痛(ヅツウ)シ
咽(ノンド)イタミ咳(セキ)イデ嚏(ハナヒ)シ嘔(カラヱヅキ)シタンイデ煩渇(ハンカツ)一/身(シン)疼(イタム)
コレラノ症(セウ)虚実(キョジツ)ヲ論(ロン)ゼズ一/角(カク)ヲ用(モチ)ユ薬(クスリ)ハ三黄
瀉心湯ヲ與(アタ)フ初(ハジメ)ニ身ニウルホヒ汗(アセ)出(イデ)大/便(ベン)瀉下(シャゲ)
スルハ大ニヨシ順症(ジュンセウ)也三黄湯與ルニ及(ヲヨバ)ズサテ
大便瀉スル症ト三黄ヲ用テ二三行下レバ排毒(ハイドク)
湯ヲ與(アタフ)ベシ

三黄瀉心湯
 大黄 一㦮  黄芩 一㦮  黄連 五分
 右三味水一合半入湯ヲヨク沸(ワカシ)諸薬ヲ入一合
 ヲ取再服小児半/減(ゲンス) 
排毒湯
 午房子 七分 荊芥 三分  羗活  窮芎
 黄芩  防風  葛根 各五分 柴胡三分
 甘艸 一分
右八味水一合半入一合ヲ取頓服小児半減ノ

 服法 大人小児トモネツ強(ツヨ)ク初発ニハ多ク
  服サスヘシ生冷粘滑五辛酢酒臭腥(セイレイネンクワツゴシンスシュシウセイ)
一 麻疹発シテ粟(アハ)ノ粥(カユ)ヲ打(ウチ)ツケタル如(ゴト)ク凸(ナカタカ)ニ尖(トカリ)
色(イロ)/紅潤(カウジユン)ナルハ順疹ナリ色/紫赤(シセキ)ニテ唇(クチヒル)焦(コガ)レ或(アルヒ)ハ
色/赤暗(セキアン)ニテ乾枯(カンコ)/潤(ウルヲヒ)ナク唇/燥(カワキ)/裂(サケ)/舌苔(ゼツタイ)/黄黒(ヲウコク)大小/便(ベン)
秘渋(ヒジュウ)/痰喘(タンゼン)シ神昏(シンコン)/眩瞑(メマイシ)/煩悶(ハンモン)スル症(セウ)ハ悪症(アクセウ)ナリ委(イ)
中(チウ)/尺澤(シャクタク)ヨリ血(チ)ヲトルベシ小児百病熱/強(ツヨ)キ症別
シテ丹毒(タンドク)ニ大推(チリケノ)/身柱(アタリ)ヲ吸(ス)ヱハ血/集(アツマ)ル処ヲツケ
バ血/出(イヅ)ル手(テ)ニシタガツテ解熱(ゲネツ)シ治スルコト妙ナ
リ右ニ云麻疹ハ悪症也三黄加石膏黄連白虎湯
ヲシキリニ用ヒ兼(カネ)テ洎夫藍(サフラン)ヲフリ出(イダ)シ用ベシ
熱(ネツ)/強(ツヨク)色々ノ症アツテ呀牙(カウゲ、ハギリ)シテ頻渇(ハンカツ)スルモノニ
白虎湯ニ芩連玄参ヲ加用ベシ麻疹ハ清涼(セイリヤウ)ノ剤(ザイ)
可(カ)也/温熱(ウンネツ)ノ薬ヲ忌(イム)ベシシカシナガラ其症ニヨ
リ用ベキコトナリ寒気(カンキ)ノ節(セツ)/風寒(フウカン)ニフレテ表気(ヒヤウキ)
閉(トヂ)フレ悪寒(ヲカン)ツヨク麻表発シカヌルニハ葛根湯
ヲ用ユベシ
白虎湯

知母  石膏  粳米  黄連  甘艸
右水煎服
葛根湯
  麻黄  桂枝  葛根  芍薬  生姜
右水煎服
麻初ニ下利スル症発表排毒ノ剤ヲ用テ表発ス
レハ熱解シ下利/止(ヤム)ナリ表発シテ熱サメズ下利
強キモノニ葛根芩連芍薬湯ヲ与フモシ熱解シ
下利/清穀(セイコク)色白黄/腹(ハラ)/痛(イタ)ミ紅潤ナラザルモノニハ
理中湯或ハ黄蓍建中湯/四肢(シシ)/厥令(ケツレイ)スルモノニハ
附子理中湯ヲ与フ瘟疫(ウンエキ)麻疹ハ熱毒病ユヘ温(ウン)薬
ハ用ラレヌト一/向(コウ)ニ云ハ非(ヒ)ナリ四肢/微冷(ビレイ)下利
清水(セイスイ)ノ症ニ大承気湯ヲ用ユル症モアリ寒熱/虚(キョ)
実(ジツ)ノ目(メ)ノ付/処(ドコロ)/肝要(カンヨウ)ナリ外感(グハイカン)/内症(ナイセウ)寒熱虚実ヲ察(サツ)
知(チ)シ温涼補瀉(ウンリヤウホシャ)ノ薬(クスリ)ヲ用ユルコト治方ノ常(ツネ)ナリ
病ハ貴賤(キセン)老少ノ別(ベツ)ナクツクモノナレハ医タル
モノ治術(ジジュツ)ヲナスニハ仁心(ジンシン)ヲ以(モツ)テ仁/術(ジュツ)ヲ行(ヲコナ)フ身(ミ)
ナレハ貴賤(キセン)ノ隔(ヘタテ)ナク其病/因(イン)ト其症ヲヨク診察(シンサツ)


シ寒熱温涼ノ薬ヲ与(アタ)フベキコトナリ当今ノ医
能(ヨク)云コトニ吾(ワレ)ハ古方医者ユヘ後世(コウセイ)ノ薬方ハ用
ヒズ或ハ東垣流(トウヱンリウ)ユヱ古方ノ薬ハ調合(チヤウゴウ)セズト云
儒学(ジュガク)ニコソ漢(カン)以上ヲ古学(コガク)トシ以下ヲ後トシ宋(ソウ)
朝(テウ)風ノ堅(カタ)キ学者ハ老荘(ロウサウ)ノ書ハ講(カウ)ゼヌト云コト
アレトモ医道ハ病ヲ治スルヲ以テ主(シュ)トス今古(コンコ)ト
云/差別(サベツ)アルベケンヤ予常ニ諸生ニ教ルニ我門
医術ヲ行ニハ貴尊(キソン)トイヱトモ懼(ヲソ)レズ権門(ケンモン)トイヱ
トモ愐愉(メンユ)セズ野夫(ヤフ)/貧婆(ヒンバ)トイヱトモ軽慢(キヤウマン)セズ古人名
医ノ説(セツ)トイヱトモ考試(コウシ)シテ験(シルシ)ナケレバトラズ后(コウ)
世(セイ)/蒭蕘(スウショウ)ノ言(コト)トイエトモ治方ニ益(ヱキ)アレバ是(コレ)ヲ取(シュ)
用(ヤウ)ス徃年門生肥藩ノ医/官(クワン)/某(ソレガシ)/業(ギヤウ)ナツテ帰(カヘ)ルヲ送(ヲク)
序(ジョ)ノ中ニ医之治法ハ賢君(ケンクン)ノ国(クニ)ヲ治(ヲサメ)/良将(リヤウセウ)ノ兵(ヘイ)ヲ
用ル如ク寛猛(クハンモウ)ノ政(マツリゴト)/背水(ハイスイ)ノ陣(ヂン)ノコトヲイヱリコ
レラノ語ハ古人モイヽ能人ノ口(クチ)ニ膾炙(クワイシャ)スルコト
ナレトモ麻疹ニ温薬ヲ其症ニヨリ用テ害(カイ)ナキコト
ヲイフチナミニ記(キ)スル也
熱(ネツ)/強(ツヨク)二便/秘渋(ヒジウ)ノモノニハ三黄湯小便/不通(フツウ)ノモ

ノニハ四芩散加滑石舌苔アリテ煩渇冷水ヲ好(コノム)
モノニハ白虎湯寒熱往来アリテ胸脇(キャウ〳〵)/苦満(クマン)シ嘔(カラエヅキ)
モアリテ小便少ク渇キアルモノニハ柴芩湯ヲ
与フベシ
四芩散
 猪芩  沢瀉  白求  茯芩  
 右水煎服
小柴胡湯
 柴胡  黄芩  半夏  人参  大棗
 甘艸  生姜
 右水煎服
始下利シ麻疹発シ熱解シ麻カセ食スヽムハ順
ナリ食スヽマズ下利止テ舌ニ黄苔ツキ大便秘
シ腹脹熱アルモノニハ三黄湯黄連解毒湯撰テ
用ヘシ腹満(フクマン)シ熱實大便四五日通ゼズ譫語(センゴ)スル
モノニハ大承気湯ヲ与テ可ナリ当歳ノ小児/肥(ヒ)
満(マン)/強(ツヨ)ク大便秘スルアリ此児(コノジ)ソノマヽヲケバ短(タン)
命(メイ)ナリ紫圓(シヱン)ヲヲリ〳〵用ヒ甘連加大黄湯ヲツ

ネニ用ユルトキハ鬱(ウツ)熱胎毒/泄下(セツゲ)シ長寿(チヤウジュ)ス此児
痘瘡麻疹ト見タレバ紫圓ヲツネヨリ多ク用ヒ
初発ニ大ニクタスベキナリ忽(ユルカセ)ニセバ悪症必ス
出テ救(スク)ハレザル也麻疹痘瘡モ初発ニ直視(ジキシ、メヲミツメ)スル
コトアリ便秘ノ児ハクルシカラス下セハ治ル
ナリ熱強ク腹クタル児ハタビ〳〵発シ慢驚風(マンキヤウフウ)
ノ如クニナルハ治シガタシ始ニ下利ヲイトワ
ヅ清熱浄腑(セイネツジヤウフ)ノ薬ヲ用テ可ナリ補渋理中ノ剤/斟(シン)
酌(シャク)有ベシ
麻疹/衄血(シュクケツ)出ルハヨシ熾(シ)熱血分ヨリ解スル也排毒
解毒ノ剤ヲ用テ可ナリ傷寒論ノ例ニヨツテ桂
麻ノ剤必用ベカラズ
汗出ルコト大ニ多ク鼻血(ハナヂ)ヤマサルモノニ
清寧湯 丹臺玉案
 當帰  連翹  石膏  黄連  玄参
 生地黄 麥門冬 甘艸
 右水煎服
麻毒強ク汗(アセ)大ニ出テ血/流(ナガレ)テヤマズ又/吐血(トケツ)/止(ヤマ)ヌ
 

モノニハカナノウルヲ握(ニギラ)シヲキテ三黄加 犀角(サイカク)
湯ヲ興フ大便/瀉下(シヤゲ)スルニハ犀角地黄湯/総(スベ)テ吐
血ノ症ニ薬ヲ調合(チヤウガフ)シ煎(セン)ズルヒマモアレバ先/藕(ハス)
根(ネ)白芨(シランノネ)蘿萄(ダイコン)等(トウ)手ヂカニアルモノヲヲロシテ生
姜ノ自然汁(ジネンヂウ)ヲ加ヘ用ユヘキ也

犀角地黄湯
 犀角  地黄   牡丹皮   芍薬
 右水煎服
麻/嘔吐(ヲヽト)スルハツネ也/食薬共(シヨクヤクトモ)ニ吐スルモノニハ
半夏茯苓湯生姜ヲ加用 ソレニテモ納(ヲサマ)ラズ嘔吐
ツヨキモノニハ三黄湯ヲ用ユベシ吐スレバ用
ヒ吐スレハ用ヒ再三スレハ薬気(ヤクキ)胃(イ)中ニノコリ
テ嘔吐ヤム
諸病 嘔吐ヤマズ甚(ハナハタ)シキハ食薬水湯(シヨクヤクスイトウ)咽(ノンド)ヲ下レバ
ソノマヽ吐ハイカナル良(リヨウ)方/妙(メウ)薬モ及(ヲヨ)バズ座視(サナカラミ)
スルノミタトヱハ紙袋(カミフクロ)ニモノヲ入ルヤウナル
モノナリハジメニフツト風(カゼ)ヲ吹(フキ)入ルレバ口(クチ)ハ
ル其処へ入ルレバ這(ハイ)ル也始ニフツトイワサレ


バ袋ノ口(クチ)シマリテアルユヘナニホドイレテモ
ワキヘ泄(モル)ルナリソノ如(ゴト)ク昼夜(チウヤ)ノ嘔吐ニ胃(イ)ノキ
上ヘツキ胃中ハ空虚(クウキヨ)ニナリ心下ハ堅(カタ)クナツテ
イルユヱ胃ハ上ヨリモノヲウケコク化(クワ)シテ下
ヘ送(オク)ルガ役(ヤク)ナルニソノ常度(ジヤウト)ヲ失(ウシナ)イ吐 斗(バカリ)ニナツ
テイルヲ病人にソリヤ薬ト云ト起(オキ)テノムソノ
クスリ胃中ニ納(オサ)マラズ食道胃ノ上 口(クチ)ヱ行トコ
ロテ病人元ノ如クネルユヘスグニ吐スルナリ
ソノ病人ニアヱハ愚按(グアン)ニテ皆(ミナ)嘔吐ヤム也 愚按(グアン)
左(サ)ノ如シマツ病人ヲソノマヽネサセオキ管ヲ
以テ水ヲ一口 吸(スハ)スナリサテソノアトノナニモ
ナキモノヲ今一口ノマスナリ初ノ一吸ノ水食
道ヨリ胃ノ上口ニアルトコロヲアトノカラヲ
ノムテハニハジメノ水胃ヘヲサマルナリソノト
コロニテ病人気ヲシヅメ胸(ムネ)ヲ一二度サスリサ
テ一味半夏湯ニテモ甘草乾姜湯ニテモ竹葉石
膏湯附子粳米湯三黄湯呉茱曳湯ニテモ病症 相(ソウ)
応(オウ)ノ薬ヲ水ヲノマセシ服㳒(フクホウ)【法の異体字】ヲ以テノミカゲン

ヨキヲ管(クタ)ニテ一口/吸(スハ)セソノアトノ空(カラ)ヲクダヲ
トリテ空(カラ)ヲノマセサヘスレハイカヤウノ吐逆(トギャク)
症ニテモ百/発(ホツ)百/中(チウ)ニクスリハ納(ヲサマ)ルナリ
咽喉(インコウ)イタミ咳嗽(ガイソウ)ニ甘桔梗湯嘔気アルニ竹石湯
竹葉石膏湯
 竹葉  石膏  半夏  甘艸  粳米
 人参  麥門冬
 右水煎服
咽喉大ニ腫(ハレ)イタムニ玄桔湯

玄桔湯 丹臺玉案
 玄胡索  桔梗  午房子  石膏
 甘艸  淡竹二十片入水煎服
麻疹発熱外風寒ニ襲(ヲソハ)レ発表シガタク肩背(ケンハイ)/強(コハヾ)リ
悪寒(ヲカン)シ頭痛(ヅツウ)発熱ツヨク咳嗽(ガイソウ)/微喘(ビゼン)シ一身/疼痛(トウツウ)シ
麻疹出カヌルユヱ瘟疫傷(ウンエキセウ)寒ト見(ミ)マガフ症アリ
眼中(ガンチウ)/赤(アカ)ク灼熱(シャクネツ)シ脈(ミヤク)/弦數(ケンサク)/咽(ノンド)イラツクニテ麻疹ト
シルベシ其症ニハ小/続命(ゾクメイ)湯大青龍湯ヲ用/温覆(ウンフ)
シテ汗ヲ取ベシ麻発シ諸症穏也

富貴(フウキ)ノ家(イヘ)ニ生(ムマ)レタル児(ジ)ハ常ニ衣衾(イキン)/重煖(ヂウダン)ニスキ
ルユヱ肌肉(キニク)/蒸熱(ゼウネツ)シテ皮膚(ヒフ)/脆柔(キヂウ)ナルユヱ麻痘表
発シヤスケレトモ蒸爛(ゼウラン)ノ肌肉(キニク)ユヱ麻痘/重(ヲモ)キ方也
貧賤(ヒンセン)ノ児ハ寒風/凛烈(リンレツ)ニモ衣服(イフク)/薄麁(ハクソ)ニテ温暖(ウンダン)ス
クナク育長(イクチヤウ)スルユヱ皮肉(ヒニク)/堅実(ケンジツ)ニテ壮健(ソウケン)ナリコ
レニモ又ツイヱアリテ麻痘発表シガタク食物(ショクモツ)
麁淡(ソタン)/又(マタ)/却(カヘッ)テ小児/不相応(フサウヲウ)ノ膏梁(カウリヤウ)ナル肉食ヲサシ
孕婦(ヨウフ)モ飲(イン)食/節禁(セツキン)ナク乳母(ニウボ)モ食禁セザルユヱ小
児胎毒強ク麻痘トモニ重(ヲモ)シシカシナガラ貴賤(キセン)
トナク兄(アニ)/重(ヲモ)クテ弟(ヲトヲト)/軽(カロ)キモアリ姉(アネ)軽クテ妹(イモヲト)重キ
モアレハ先天ノ毒気血ニ稟(ウク)ル時(トキ)ノ深浅(シンセン)ニヨツ
テ軽重トナルモノナレハ貴賤トモ医療(イリャウ)ノコト
ハ大/切(セツ)ノ事ナリ孝子(カウシ)医ヲ知(シラ)ザレバアルベカラ
ズ古言也/夫(ソレ)子(コ)ハ育長(イクチャウ)サセテ父祖(フソ)ノ業(ゲウ)ヲ譲(ユヅ)ルモ
ノナレバ子孫(シソン)ノ病気ニ養生(ヤウゼウ)ヲ加(クワヘ)ルモ孝ノ一ナ
レバユルカセニスベキ事ニアラザルナリ
小児ニ父母(フボ)ノ遺(イ)毒ニテ胎毒アル児ハ麻疹痘瘡
毒フカシ心ヲツケテ療治スベシ犀角ヲ多ク用

テヨシ大人当今ノ人/?(バイ)【(疒に黴)】毒(ドク)ノ人多/或(アルヒ)ハ疳瘡(カンソウ)/便毒(ベンドク)
骨痛(コツツウ)/等(トウ)服薬シテ其人ハ病/平愈(ヘイユ)シタリト思(ヲモ)ヱトモ
此(コノ)/病(ヤマイ)/根深(ネフカ)キモノニテ遺毒ナヲアルモノ麻疹ヲ
病ニ毒キハメテ深(フカ)ク変症(ヘンセウ)イヅルモノナリ初ニ
三黄加芎ヲ用ヒ解毒排毒ヲユルカセニスベカ
ラサル也
解毒湯
 防風  薄荷  荊芥  石膏  芎窮
 桔梗  午房子 連翹  大黄  甘艸
 右水煎服
麻疹/内攻(ナイコウ)スルコレ至テ大事也発表ノ剤ニ穿山(センザン)
甲(カウ)ヲ加(クハ)ヘ用ユ痰喘(タンゼン)/壅塞 (ヨウソク)アルニハテリヤアカヲ
生姜ノ自然汁(ジネンジウ)ニテ用ヒ煎湯ハ麻黄連翹赤小豆
商陸大黄杏仁枳實甘艸ヲ用ユ安永流行ノトキ
一角ヲ与(アタヘ)テ多(ヲヽ)ク即(ソク)/功(カウ)ヲヱタリ其時ノ治方(ジホウ)ハ麻
疹精要ノ透表(トウヘウ)/不透表(フトウヘウ)/没早(ホツサウ)ノ條(ゼウ)ノ治方ニテ功ア
リ精要ノ治方ヨキユヱコヽニ贅(ゼイ)セズ行テ閲(ミ)ル
ベシ

麻疹毒熱ニヨリ癇発(カンハツ)/狂乱(キヤウラン)スルモノアリ辰砂ヲ
白湯ニテ與ウベシ薬剤ハ白虎三黄/等(トウ)ヲ用ユベ
シサテ発狂ニ治方サマ〳〵アルウチ吐剤ハミ
ダリニ與ウベカラス予吐剤ヲ與ヱテ功モ多ク
トリタレトモ吐剤ニテ吐後(トゴ)/体気(タイキ)/脱(ダツ)シ死(シ)シタルモ
アリ在辱(ザイヂヨク)ノモノハ吐スベカラズト吐方(トホウ)/家(カ)ノ制(セイ)
令(レイ)也/発狂(ハッキヤウ)ノ人/元気(ゲンキ)ニ見(ミ)ユレトモ不心(フシン)ノモノユヘ
体気ヲヽヰニ虚労(キョロウ)スルモノナレハ攻撃(コウゲキ)ハ体気
ノ虚實ヲハカツテ與フヘキナリ発狂ノモノ治
セザレハ終ハ死(シ)スルモノナレトモ人ノ妻子タル
モノハ乱心(ランシン)ナカラモ夫父(フフ)ノ長生(チョウセイ)シテアルヲ悦(ヨロコ)
ブベキニ吐剤(トザイ)ニテ命期(メイキ)ヲ促(ウナガ)シヌレバ夫父ノ敵(カタキ)
トサゾウラムベキト惻隠(ソクイン)ノ心マイ〳〵出テ其
一/族(ゾク)ヲ見レバ耳熱(ジネツ)ヲ生スルコト也シカシナガ
ラ医タルモノ療治ハ褒貶(ホウヘン)ニカヽワルコトナク
仁心(ジンシン)ヲ以治方ヲ下スハ人ノ親子(シンシ)ノ病ヲ見コト
我(ワガ)/父子(フシ)ヲ見ル如(ゴト)ク深切(シンセツ)ヲ以薬ヲ與フレトモ病症
悪症(アクセウ)発シテ死スルハカレガ天命也/愚婦(グフ)/鈍妾(トンセウ)ガ

ウラムトモ内(ウチ)ニ顧(カヘリミ)/見(ミ)テヤマシカラザルベシ
麻疹/咽喉(インコウ)大ニ腫(ハレ)/飲食(インショク)スルコトアタハズ呼吸(コキウ)モ
息(イキ)/閉(フサカリ)セントスルニハ指(ユヒ)ノ高陽(カウヤウ)ノ穴足(ケツアシ)ノ隠白(インハク)ヨ
リ鍼(ハリ)ヲ以(モツ)テ刺(サ)シ血(チ)ヲ取(トル)ベシ血出レバ速(スミヤカ)ニヨシ
妙ナリ
麻疹舌イタミ舌瘡ノ如クニナルハ雌黄(シヲウ)蒲黄(ホヲウ)ヲ
ヌルモヨシ真砂(シンシャ)モヨシ
目(メ)/痛(イタ)ミ赤(アカク)/爛(タダ)ルヽモノニ排毒湯ヲ用ヒ芦眼石(ロカンセキ)氷(ヘウ)
片(ヘン)ヲ水ニテトキアライテヨシ
麻後/耳(ミヽ)ヨリ膿(ウミ)出ルモノ或ハカユミイタミアル
モノ
清黄湯 証治準縄
 防風  滑石  木丹  霍香  黄連
 紫蘇  甘艸
 右水煎服
麻後/牙疳(ゲカン)/齦(ハグキ)/腐爛(フラン)スルハ餘毒アツテ胃中ノ熱気
上/衝(セウ)スルユヘナリ解毒ノ剤ヲ用ユヘシ腐爛ツ
ヨキハ死スルモノ也解毒清熱ノ薬モトヾキカ

ヌルモノナリ生々(セイ〳〵)乳化毒丸(ニウクワトククワン)ヲ與ヱテ功(コウ)ヲトリ
タリ
婦人五十以上麻疹/平生(ヘイセイ)/怒(ド)キ強(ツヨ)ク癇症(カンセウ)ニテ腹内(フクナイ)
トヽノワズ素(モト)ヨリ月水モ少(スクナ)ク四十/有餘(アマリ)ニテ早(ハヤク)
ク【重複】経断(アガリ)タルモノハ初熱強ク悪症アラワルベシ
毒気/熾盛(シセイ)ニテ大小便/秘渋(ヒヂウ)ス三黄湯ニ紅花ヲ加
ヘ用ユ
六十以上ノ麻疹熱ツヨク初発ノ諸生ニテ体気
労(ツカ)レ病/危篤(キトク)ニシテ皮(カワ)/厚(アツ)ク麻疹/透(トウ)発シガタク痰(タン)
喘(ゼン)/壅塞(ヨウソク)スコレモ始ニ解毒排毒ヲ速(スミヤカ)ニスベシ予
安永ノ麻疹ニ多ク療治ノ内七十二歳ノ老婆(ロウバ)/死(シ)
シタリコレモ発表セズ喘急ノ処ユヱ楽/的中(テキチウ)セ
ザルカ治方ノ過(アヤマ)リシカ予ガ手ニ死シタリ
六十以上/老叟(ロウソウ)ハ麻毒強キハ不治也/老男(ロウナン)ハ老/婆(バ)
ヨリ熱ニタヱスト見(ミ)ユルナリ
妊娠(ニンシン)ノ婦(フ)人痘瘡麻疹トモニ熱ニヨツテ堕胎(ダタイ)ス
ルモノナリ初ニ解毒排毒ヲ速ニスベシ治方孕
婦タリトテカワルコトナシ張氏(チョウシ)ハ滋血(ジケツ)/安胎(アンタイ)ノ




薬を兼(カヌ)ベキヤウニイヘトモ滋血安胎ノ薬ハ麻疹
表発解熱ノサワリアルベシモシ胎ヲチハ産後(サンゴ)
ノ治方ニ麻熱ノ血室(ケツシツ)ヘ入ザルヤウニ心ヲツケ
テ治スベシスベテ産後(サンゴ)ニ補血(ホケツ)ノ薬/和漢(ワカン)トモニ
用ヒ来(キタ)レリコレハ産後ニ悪露(ヲロ)/多(ヲヽ)ク下ルヲ見テ
俗(ソク)ニ言(イフ)/猿(サル)ガ血ヲ見テ泣(ナク)ノ意(イ)ニテ恐(ヲソレ)テ補血ノ剤
ヲ用ル也産後血下ルハ十箇月経血下ラザルガ
ヲリルコトニテ別(ヘツ)ニヨキ血ガ下ルニテハナシ
スデニサンゴ悪露(ヲリモノ)スクナケレバ害(カイ)アルニテ知(シル)
ベシ常(ツネ)ニ女ハ血(チ)/有餘(イフヨ)ト云コトヲシリツヽ産後
ニナレハ補血ノ剤ヲ与ルユヱモチマヘノ癇癪(カンシャク)
ニナズミテ餘症ヲヒキ出スモノナリ別(ベツ)シテ痘
麻ノ産後解熱ノ事/肝要(カンヨウ)ナリ十四五ヨリ二十四
五歳マデノ男女トモニ麻後/微(ビ)ネツアリテ手足(テアシ)ノ
裏(ウチ)ネツスルモノ骨蒸労熱(コツゼウラウネツ)ニナルモノアリ由断(ユダン)
ナクテアテスベシ小柴胡湯ニ知母地骨皮ヲ加
エ用ユベシ竹葉石膏湯ヲ用ヒ背面(ハイメン)ニ灸治(キウジ)スベ
シ俗人(ゾクジン)ハ石膏ヲ寒薬トヲソルヽハ軽粉トヽリ










チガヘタル也又麻疹ニ石膏ハ悪シキト云コト
モ俗人ノ云ヒナラワセテ老女少婦ノキイテイ
ルコト也コレハマヱドノ流行(リウカウ)ノトキ毒気強ク
必死(ヒツシ)ノ麻疹ニ石膏ヲヤムコトヲヱズ用ヒシヲ
見テ石膏ニテ死シタルヨウニ心ヱタル也カネ
テ麻疹ハ熱毒病ユヘ石膏ヲ用ヒルモノト云フ
コトヲコンイノ人ヤ病家ニテ話(ハナ)シヲクモ済世(サイセイ)
ノ一/助(ヂヨ)カ
此外麻疹変症色々発セハ前ニ述(ノブ)ル如ク軽重寒
熱虚実ヲ察(サツ)シテ療治スベシ吉益東洞(ヨシマストウ〳〵)ナルモノ
病因(ビヤウイン)ヲ論(ロン)ゼザレトモ百病ソノ病因ヲ正糺(セイキウ)シテ治
方ヲ施(ホドコ)スコト肝要(カンヨウ)也麻疹ハ気分ニウケタル胎
毒天疫ニヨツテ表発スル病ナレハ変症発スル
モ胎毒ノ軽重表発ト不表発ニヨルコト也人心
ノ同シカラサルコトソノ面(ヲモテ)ノ如クナレハ千状(センジヤウ)
万態(バンタイ)/変症(ヘンセウ)アラワルベシ所謂(イハユル)臨機応変(リンキヲウヘン)ニテ治方
ヲ與フベキ事也
麻疹要論終

桃李園藏板【角印】
 
寛政十一巳未歳二月発行

大阪書林   《割書:敦賀屋久兵衛| 誉田屋伊右衛門》

【裏表紙】

温疫論札記

【表紙】
温疫論札記     乾坤

温疫論札記跋
余弱冠与友人対読温疫論、読次参攷諸書、以標記
於上層、天保癸卯、又講此書、乃集為小冊子、以便講
肄、蓋所攷猶太倉之稊米耳、掛一漏百、読者紏【糾ヵ】繆補
遺則幸甚、椿庭山田業広識
天保癸卯草此書、塗抹紛雑、殆不可観、今茲文久癸
亥、大洲医官梅林元【玄=欄外朱記修正】瑞、白川医官乗附春海、逐条対
勘之原書、然後体裁略可観、然区々小冊子、豈足謂
之著述乎、但二子之勤、亦不忍廃、因再装釘為冊、挿
之架云、椿庭又識

四庫全書総目巻一百四
 子部十四 医家類二
温疫論二巻、補遺一巻、《割書:通行|本》
 明呉有性撰、有性字又可、震沢人、是書成於崇禎
 壬午、以四時不正之気、発為温疫、其病与傷寒相
 似而迥殊、古書未能分別、乃著論以発明之、大抵
 謂、傷寒自毫竅而入、中於脈絡、従表入裏、故其伝
 経有六、自陽至陰、以次而深、瘟疫自口鼻而入、伏
 於募原、其邪在不表不裏之間、其伝変有九、或表
 或裏、各自為病、有但表而不裏者、有表而再表者、

【「、」は青色で追記されている】
【温疫は瘟疫を略記したもの。瘟は悪性の感染症、疫は流行病】

 有但裏而不表者、有裏而再裏者、有表裏分伝者、
 有表裏分伝而再分伝者、有表勝於裏者、有先表
 而後裏者、有先裏而後表者、其間有与傷寒相反
 十一事、又有変証兼証、種々不同、並著論制方、一
 々弁别、其顕然易見者、則脈在不伏不沈之間、中
 取之乃見、舌必有胎、初則白、甚則黄、太甚則黒、而 芒刺也、其謂数百瘟疫之中、乃偶有一傷寒、数百
 傷寒之中、乃偶有一陰証、未免矯枉過直、然古人
 以瘟疫為雑証、医書徃々附見、不立専門、又或誤
 解素問冬傷於寒春必病温之文、妄施治療、有性

 因崇禎辛巳、南北直隷、山東浙江大疫、以傷寒法
 治之不效、乃推究病源、参稽医案、著為此書、瘟疫
 一証、始有縄墨之可守、亦可謂有功於世矣、其書
 不甚詮次、似随筆箚録而成、今姑存其旧、其下卷
 労復食復条中、載安神養血湯、小児時疫条中、載
 太極丸、並有方而無証、又疫痢兼証一条、亦有録
 而無書、故别為補遺於末、又正名一篇、傷寒例正
 誤一篇、諸家瘟疫正誤一篇、原目不載、蓋成書以
 後所続入、今亦併録為一為【巻=欄外修正】、成完書焉、

醒医六書瘟疫論引
其伝有九《割書:一|オ》下巻統論疫有九伝治方条、可攷、《割書:下巻|卅六ウ》
屠龍之芸雖成而無所施《割書:一|ウ》 荘子列御冠篇、朱泙
 漫学屠龍於支離益、単千金之家、三年技成、而無
 所用其巧、
指鹿為馬《割書:一|ウ》 史記秦本紀曰、趙高欲為乱、恐群【辟を修正】臣不
 聴、乃先設験、持鹿献於二世曰、馬也、二世笑曰、丞
 相誤邪、謂鹿為馬、問左右、左右或黙、或言馬、以阿
 順趙高、或言鹿者、高因陰中諸言鹿者以法、
或謂瘟疫之証仲景原別有方論《割書:二|オ》 王安道遡洄

 集、張仲景立法攷云、仲景為温暑立方、必別有法、
 但惜其遺佚不伝、致使後人有多岐之患云々、
崇禎辛巳《割書:二|オ》 明思宗十四年、
所感之気《割書:三|オ》 謂天地間一種異気、
所入之門《割書:三|オ》 謂口鼻也、
所受之処《割書:三|オ》 謂募原也、
伝変之体《割書:三|オ》 謂疫有九伝也、
 按西塘感証篇、引傷寒心法云、見今世甚少太陽
 証、又鼓峰云、世甚少太陽症、
 劉茝庭先生云、竊想当時之疫、皆進勢肆厲、遽犯
 
 半表裏、故呉氏随立其説乎、西塘感証引傷寒心
 法云々、其書適与呉氏時世相近、乃可以見也、

温疫論札記上

  原病《割書:類編巻一《割書:二|ウ》作瘟疫病情総論》・本篇補遺
   可攷、《割書:六》
昔以為非其時有其気春応温而反大寒夏応熱而
反大涼秋応涼而反大熱冬応寒而反大温得非時
之気長幼之病相似以【欄外挿入】為疫《割書:一|オ》 傷寒論傷寒例文、
邪自口鼻而入《割書:一|ウ》 医賸曰、仁斎直指云、暑気自口
 鼻而入、凝之於牙頬、達之於心胞絡、如響応声、此
 暑自口鼻而入也、呉崑升麻葛根湯考云、冬月応

 寒而反大温、民受其湿厲之気、名曰冬温、非時不
 正之気、由鼻而入、皮毛未得受邪、故無汗、又疫瘧
 五神丸塞鼻法考云、以疫気無形由鼻而入、故亦
 就鼻而塞之、此冬瘟疫気并自鼻而入也、又太無
 神术散考云、山嵐瘴気、謂山谷間障霧湿土敦阜
 之気也、湿気蒸騰由鼻而入、呼吸伝変、邪正分争、
 又医学全書云、瘴気之病、東南雨広山峻水悪地
 温漚熱、春秋時月、外感霧毒、寒熱胸満少食、此毒
 従口鼻入也、此瘴気自口鼻而入也、広筆記云、傷
 寒温疫三陽証中、往々多帯陽明者、以手陽明経
 
 属大腸、与肺為表裏、同開竅於口、凡邪気之入、従
 口鼻、故兼陽明証者独多、此陽明病、従口鼻而入 
 也、張錫駒傷寒直解云、霍乱者、不従表入、不渉形
 層、大邪従口鼻而入、直中於内、為病最急、又云、痧
 者、即天地間不正之気、湿熱熏蒸、従口鼻而入、不
 吐不瀉、腹中絞痛、俗所謂絞腸痧是也、此霍乱及
 痧、并自口鼻而入也、沈明宗金匱註云、中悪之証、
 俗謂絞腸痧、即臭穢悪毒之気、直従口鼻入於心
 胸腸胃臓腑也、此中悪従口鼻而入也、諸書所載
 已如此、世人徒因呉又可之言、而知瘟疫自口鼻

 而已、
鍼経所謂横連膜原《割書:一|ウ》 四字、見霊樞歳露篇、案素
 問瘧論、其間日発者、由邪気内薄於五蔵、横連募
 原也、其道遠、其気深、其行遅、不能与衛気俱行、不
 得皆出、故間日乃作也、王注、募原謂鬲募之原系、」
 挙痛論、寒気客於腸胃之間、膜原之下、血不得散、
 小絡急引、故痛、按之則血気散、故按之痛止、寒気
 客於侠脊之脈、則深按之不能及、故按之無益也、
 王注、膜謂鬲間之膜、原謂鬲肓之原、侠脊之脈者、
 当中督脈也、桂山先生有膜原考、載医賸、可攷、

昔有三人《割書:二|オ》 博物志云、王爾張衡馬均、昔冒長霧
 行、一人無恙、一人病、一人死、問其故、無恙人曰我
 飲酒、病者食、死者空腹、《割書:十巻|二ウ》
労碌《割書:ニ|ウ》 或曰、碌力音通、後世医書、労力多作労碌、
 鈴木順亭曰、荀子労辱篇、軥録疾力、注云、軥与拘
 同、拘録、謂自撿束也、拘録、又見君道篇、謝氏云、淮
 南子主術訓、勇力弁慧、捷疾劬録、軥録蓋労身苦
 体之意、楊訓為拘録、非也、順亭按、労碌之碌与劬
 録之録、蓋同義、老子碌々、一本作録々、可以徴、力
 録相対用、則或以為碌力通者、恐誤、盧文弨鍾山

 札記云、荀子栄辱篇、孝弟愿愨、軥録疾力、以敦比
 其事業、而不敢怠傲、是庶人之所以取煖衣飽食、
 長生久視、以免於刑戮也、楊倞注云、軥与拘同、拘
 録、謂自撿束也、疾力、謂速力而作也、蓋以君道篇、
 有愿愨拘録語、故謂軥同拘、然淮南子主術訓、人
 之性、莫貴於仁、莫急於智、両者為本、而加之以勇
 力弁慧、捷疾劬録、則劬録【欄外補充】猶今人之所謂労碌、但以撿束
 為言、非也、泰族訓又云、劬禄疾力、作劬是也、禄当
 作録、或古人以音同、得借用也、君道篇、以愿愨拘
 録為官人使吏之材、則尤当作勤労解為是、

精気自内由膜原以達表《割書:三|オ》 劉松峯精改邪云、精
 字不妥、按精気謂裏気也、達原飲方後云、邪気盤
 踞於膜原、内外隔絶、表気不能通於内、裏気不能 
 達於外、
戦汗《割書:三|オ》 本巻戦汗条可攷、《割書:廿四|ウ》
  瘟疫初起《割書:類篇巻二《割書:一|ウ》作瘟疫初起治法》

嶺南瘴気《割書:四|ウ》 医賸曰、巣源、嶺南瘴、猶如嶺北傷寒
 也、外台引備急、嶺南率称為瘴、江北総号為瘧、此
 由方言不同、非是別有異病、按後漢書馬援伝、軍
 吏経瘴疫、又宋均伝、則云及馬援卒於師、軍士多

 温湿病、由此観之、瘴即温湿之気、特以南方嶺嶂
 之地、此気最酷烈、故謂之瘴気也、
舌上胎如積粉《割書:五|ウ》 又見下巻応下諸症中、《割書:十四|ウ》
達原飲《割書:四|ウ》 薬治通義云、又按呉又可以為温疫邪
 初犯募原、宜用達原飲、方中檳榔厚朴草菓三味、
 協力直達其巣穴、使邪気潰敗速、離募原云云、攷
 又可本従瘧論立見、而此方亦胚胎於療瘧清脾
 諸湯、今質之視聴、在京師則盛称其有験、如東都
 則用之少効、蓋地気之使然也、然募原即半表半
 裏之位、而其得病実為少陽、乃是柴胡所主、豈須

 他求乎、如三消飲証、亦係大柴胡所宜、而其方泛
 雑、尤覚無謂矣、又可務急立言、故制此諸方、而以
 柴胡僅為余熱之治、庶幾学者勿拘執焉、《割書:八巻|四オ》
淹々摂々《割書:六|オ》 劉松峯云、淹纏不快之状、
毒易伝化《割書:六|オ》 劉松峯云、伝者、邪気流行之勢、化者、
 邪気変動之機、
陡然《割書:六|オ》 劉松峯云、陡音斗、忽然也、按段玉裁曰、斗
 十升也、叚借為斗陗之斗、因斗形方直也、俗之製
 陡字、《割書:説文十四|斗字注》
  伝変不常《割書:類編巻一《割書:十四|オ》文大異作伝変不常論》

導赤散《割書:七|オ》 局方
五皮《割書:七|オ》 局方
得大承気一服小便如注而愈《割書:七|オ》 下巻応下諸証、
 小便閉条《割書:十五|ウ》 云、大便不通、気結不舒、大便行、小
 便立解、誤服行気利水薬無益、又劉松峯説疫巻
 二、二便不通条云、若止小便閉者、行大便則小便
 通、徒利小便無益、
注者受之《割書:七|オ》 類編、注作窪、
但治其疫而旧病自愈《割書:七|オ》 肢体浮腫条云、向有単
 腹脹而後疫者、治在疫、若先年曽患水腫、因疫而

 発者、但治在疫、腹脹水腫自愈《割書:下ノ|廿三オ》
  急証急攻《割書:類編巻一《割書:卅八|ウ》作|急症急攻論》劉松峯曰、此篇当著眼
   急証二字、若無急証而用此法、則又鮮不敗
   事矣、所当細々体認、粗心人不可不知、
  表裏分伝《割書:類編巻二《割書:七|オ》作瘟疫十伝治法》
  熱邪散漫《割書:類編巻三《割書:十六|ウ》》
白虎湯【欄外補充】辛涼発散之剤清粛肌表気分薬也《割書:九|オ》 傷寒
 総病論云、夏至以後、雖宜白虎、詳白虎湯、自非新
 中暍、而変暑病、乃汗後解表薬耳、《割書:一ノ|三オ》
 活人書巻三《割書:二ノ|ウ》云、夏月天気大熱、玄府開、脈洪大、

 宜正発汗、但不可用麻黄桂枝熱性薬、須是桂枝
 麻黄湯加黄芩石膏知母升麻也、夏月有桂枝麻
 黄証、不可黄芩輩服之、転助熱気、便発黄班出也、
 白虎湯雖可用、然治中暑与汗後、一解表薬耳、一
 白虎未能駆逐表邪、況夏月陰気在内、或患熱病
 而気虚人、妄投白虎、往々有成結胸者、以白虎性
 寒、非治傷寒薬也、同巻六云《割書:五ノ|オ》又問夏至後、皆可
 行白虎湯液耶、白虎湯治中暑、与汗後一解表薬
 耳、
揚湯止沸《割書:九|オ》 前漢書巻五十六、董仲舒伝云、如以

 湯止沸、抱薪救火愈甚、亡益也、
若邪已入胃《割書:九|オ》 劉松峯曰、舌胎黄燥、腹満譫語、或
 不大便、
陽証得陰脈《割書:九|ウ》 傷寒論、弁脈法曰、凡陰病見陽脈
 者生、陽病見陰脈者死、
  内壅不汗《割書:類編巻三《割書:七|オ》》
経論先解其表乃攻其裏《割書:九|ウ》 傷寒論傷寒例云、凡
 傷寒之病、多従風寒得之、始表中風寒、入裏則不
 消矣、未有温覆而当不消散者、不在証治、擬欲攻
 之、猶当先解表、乃可下之、若表已解、而内不消、非

 大満、猶生寒熱、則病不除、若表已解、而内不消、大
 満大実堅、有燥屎、自可除下之、雖四五日、不能為
 禍也、若不宜下、而便攻之、内虚熱入、恊熱遂利、煩
 燥諸変、不可勝数、軽者困篤、重者必死矣、
由中以達表《割書:九|ウ》 劉方舟本、无由中二字、類編刪由
 中以三字、《割書:按原病篇、有精気自内由膜原以達表文、則|由中二字不必刪、蓋内字句、中者指膜原而》
 《割書:言也、》
  下後脈浮 《割書:類編巻三《割書:廿|オ》》
脈浮而微数身微熱神気或不爽《割書:十|オ》 微字、或字、字
 眼、

覆盃則汗解《割書:十|ウ》 霊枢邪客篇云、其病新発者、覆盃
 則臥、汗出則已矣、久者三飲而矣已也、
下後脈浮而数《割書:十|ウ》 劉松峯云、此仍承篇首裡症二
 句来、乃遥接法、非緊頂上句、
週《割書:十|ウ》 周同、
 劉松峯曰、此時石膏不宜多用、因下後也、恐其寒
 胃、況有他病先虧【左は虚】等虚症乎、
  下後脈復沈《割書:類編巻三《割書:廿一|オ》》
  邪気復聚 《割書:類編巻三作下後邪復聚《割書:廿一|オ》》
  下後身反熱《割書:類編巻三《割書:廿一|ウ》》







薬煩《割書:十一|ウ》 本巻薬煩条可攷、
  下後脈反数 《割書:類編巻三《割書:廿二|オ》》
壅被《割書:十一|ウ》 壅、当作擁、
随其性而升泄之《割書:十二|オ》 劉松峯曰、其字指病言、性宜
 解作勢字、升清気、泄余燄、
  因証数攻《割書:類編巻一《割書:四十二オ》作因証数下大下更宜臨時斟|酌論》
塑《割書:十二|ウ》 塑与塐同、音素、埏土象物也、
  病愈結存《割書:類編巻三《割書:廿五|ウ》》
  下隔 《割書:類編巻三《割書:廿六|オ》作病愈下格》
宜調胃承気熱服頓下病結及溏糞粘膠悪物臭不

可当者嘔吐立止《割書:十四|オ》 下後反嘔条云、疫邪留於心
 胸、胃口熱甚、皆令嘔不止、下之嘔当去、又云、有患
 疫時、心下脹満、口渇発熱而嘔、此応下之証也、下
 之諸証減去六七、嘔亦減半、再下之、脹除熱退渇
 止、向則数日不眠、今則少寐、嘔独転甚、此疫毒去
 而諸証除、胃続寒而嘔甚、与半夏藿香湯一剤而
 嘔即止、《割書:三十|ニウ》
欲求南風須開北牖《割書:十四|オ》 法華玄義、如開北窓則南
 風至、摩訶止観、如門開則来風、閉扉則静、
毫釐之差遂有千里之異【欄外補充】《割書:十四|オ》 礼経解引易曰、君子慎始、





 差若毫釐、謬以千里、按易語即易緯之文、詳見孫
 奕示児編巻四、《割書:五|オ》
  注意逐邪勿拘結糞《割書:類編巻一卅九オ作注意逐邪勿|拘結糞論》
開門袪賊之法《割書:十四|ウ》 外台巻十九、《割書:三十|八オ》論陰陽表裏灸
 法、蘇恭云、凡灸不廃湯薬、々攻其内、灸洩其外、譬
 如開門駆賊、々則易出、若閉戸逐之、賊無出路、当
 反害人耳、
掣肘《割書:十四|ウ》 家語巻八屈節解《割書:十六|オ》云、令二史書、方書、輒
 掣其肘、書不善則従而怒之、
下不厭遅之説《割書:十五|オ》 此事難知、下不厭晩、是為善

 守、
養虎遺患《割書:十五|オ》 史記項羽本紀、此所謂養虎自遺患
 也、
不更衣十日無所苦《割書:十五|ウ》 傷寒論陽明篇、五苓散条
 語、
滞下《割書:十六|オ》 厳用和済生方曰、今之所論痢疾者、即古
 方所謂滞下是也、
芍薬湯《割書:十六|オ》 方出戦汗条、《割書:廿五|オ》
其人平素大便不実《割書:十六|ウ》 大便条云、《割書:四十|三ウ》 大腸膠
 閉者、其人平素大便不実、設遇疫邪伝裡、但蒸作







 極臭之物、如粘膠然、至死不結、愈蒸愈閉、以致胃
 気不能下行、疫毒無路而出、不下即死、但得粘膠
 一去、下証自除、霍然而愈、又下巻、応下諸証中、有
 大腸膠閉条、文与大便条略同、《割書:下ノ|十六オ》
経論初硬後必溏不可攻《割書:十六|ウ》 傷寒論陽明篇云、
 陽明病、潮熱、大便微鞕者、可与大承気湯、不鞕者、
 不可与之、若不大便六七日、恐有燥屎、欲知之法、
 少与小承気湯、々入腹中、転失気者、此有燥屎也、
 乃可攻之、若不転失気者、此但初頭鞕、後必溏、不
 可攻之、攻之必脹満、不能食也、欲飲水者、与水則

 噦、其後発熱者、必大便復鞕而少也、以小承気湯
 和之、不転失気者、慎不可攻也、
三承気湯功用彷彿《割書:十七|オ》 多紀茝庭先生曰、後世妙
 用承気者、莫如呉又可、然其云注意逐邪、勿拘結
 糞者、自此言出、往々有下早之誤、又云、三承気功
 用彷彿、殊欠弁晰、又云、功効俱在大黄、余皆治標
 之品也、此似不知制立之旨者、其他於臨処之方、
 則実多所発明焉、《割書:傷寒|述義》薬治通義巻五、《割書:十三》用下勿
 拘結糞条可攷、
  畜血《割書:類編巻三《割書:七ウ》》












波及《割書:十七|ウ》 左伝僖公二十三年、羽毛歯革則君地
 生焉、其波及晋国者、君之余也、
胃移熱於下焦気分小便不利熱結膀胱也《割書:十八|オ》 本
 巻小便条云、熱到膀胱、小便赤色、邪到膀胱、干於
 気分、小便膠瀒、又云、熱到膀胱者、其邪在胃、々熱
 灼於下焦在膀胱、但有熱而無邪、惟令小便赤色
 而已、其治在胃、邪到膀胱者、乃疫邪分布下焦、膀
 胱実有之邪、不止於熱也、従胃家来、治在胃、兼治
 膀胱、若純治膀胱、胃気乗勢、擁入膀胱、非其治也、
 若腸胃無邪、独小便急数、或白膏如馬遺、其治在

 膀胱、宜猪苓湯、邪干気分者宜之、《割書:四十|五オ》
移熱於下焦血分、膀胱畜血也小腹硬満《割書:十八|オ》 小便
 条又云、邪干於血分、溺血畜血、又桃仁湯方、邪干
 血分者宜之、小腹痛、按之硬痛、小便自調、有畜血
 也、加大黄三銭、甚則抵当湯、《割書:四十|五ウ》
癉瘧《割書:十八|ウ》 瘧論、其但熱而不寒者、陰気先絶、陽気独
 発、則少気煩寃、手足熱而欲嘔、名曰癉瘧、又但熱
 而不寒、気内蔵於心、而外舎於分肉之間、令人消
 爍脱肉、故命曰癉瘧、王氷曰、癉熱也、瘧候詳見下
 巻瘟瘧条、《割書:卅|ウ》熱入血室、詳見下巻婦人時疫条、《割書:卅|オウ》









犀角地黄湯《割書:十九|オ》 張路玉曰、血得辛温則散、得苦
 寒則凝、此方別開寒冷散血之門、特創清熱解毒
 之法、全在犀角、通利陽明、以解地黄之滞、猶頼赤
 芍牡丹、下気散血、允為犀角地黄之良佐、裏実則
 加大黄、表熱則加黄芩、脈遅腹不満、自言満者、為無
 熱、但依本法、不応則加桂心、此千金不言之秘、不
 覚為之発露、《割書:千金方衍義|十二吐血門》
  発黄疸是府病非経病也《割書:類編巻三十|一オ作発黄》 劉方舟
   本、原題、更有発黄二字、此十字提頭為本文、
   劉松峯刪疸以下八字、

旧論発黄《割書:廿|ウ》 此条、劉本類編並脱、而別有一条、曰
 愚按旧論発黄、有従湿熱、有従陰寒者、陰陽発黄、
 確有其症、何得云妄湿熱発黄尤多、大約如合麯
 然、飲入于胃、々気薫蒸則成湿熱、透人肌腠、遂成
 黄病、燥火焉有発黄之理、此言為呉君白珪之玷、
 業広按、此係駁呉氏説、而脱原文、当依年氏本補
 劉本類編也、劉松峯云、呉君原未有燥火発黄之
 説、何云白珪之玷耶、是誰人批者、殊不可解、至云
 原有陰黄、又云燥火無発黄之理、却是確論、第陰
 黄亦是傷寒与雑病中有之、瘟疫無此、松峯不見





 原文故有是説、
多岐之惑《割書:廿|ウ》 列子説符篇、楊子之鄰人亡羊、既率
 其党、又請楊子之豎追之、楊子曰、嘻亡一羊、何追
 者之衆、鄰人曰、多岐路、既反、問獲羊乎、曰、亡之矣、
 曰、奚亡之、曰、岐路之中、又有岐焉、吾不知所之、所
 以反也、
辟如氷炭《割書:廿|ウ》 塩鉄論云、氷炭不同器、日月不並明、」
 邪在胸膈《割書:類編巻三《割書:十六|ウ》》
疫邪留於胸膈《割書:廿一|オ》 疫邪留於心胸者下証也、此膈
 字字眼、下後反痞、下後反嘔条可攷、《割書:卅一ウ|卅二ウ》

生山梔仁《割書:廿一|ウ》 徐霊胎曰、古方梔子皆生用、故入口
 即吐、後人作湯、以梔子炒黒、不復作吐、全失用梔
 子之意、然服之於虚煩証、亦有験、想其清肺除煩
 之性故在也、終当従古法生用為妙、《割書:傷寒類方》
  弁明傷寒時疫 《割書:類編巻一《割書:八ウ》作傷寒与瘟疫不同論》
子言傷寒与時疫有霄壌之隔《割書:廿一|ウ》 呉氏序文、
時疫発班則病衰《割書:廿二|ウ》 劉松峯云、瘟疫発斑、竟有病
 不衰者、
邪不出而疾不瘳《割書:廿三|オ》 劉松峯、而改則、
仮如《割書:廿三|ウ》 二字、管到無復有風寒之分矣六十六字、





  発班戦汗合論《割書:類編巻三《割書:一ウ》作発班戦汗合説》
従戦汗者可使頓解従発斑者当圗漸愈《割書:廿四|オ》 劉松
 峯曰、戦汗亦有未能頓解者、発斑亦有不待漸愈
 而便脱然者、未可概論、
 当与発斑条、《割書:上ノ|廿八》疫有九伝治法、《割書:下ノ|卅七ウ》 条参攷、
  戦汗《割書:類編巻三《割書:三オ》》 
疫邪表裏分伝云云 瘟疫下後煩渇減云云、《割書:廿四ウ》
 劉松峯云、上二段、与戦汗無関、
応下失下《割書:廿五|オ》 葉天士曰、邪始終在気分流連者、可
 冀其戦汗、透邪法宜益胃、令邪与汗併、熱達腠開、

 邪従汗出、解後胃気空虚、当膚冷一昼夜、待気還、
 自温暖如常矣、蓋戦汗而解、邪退正虚、陽従汗泄、
 故漸膚冷、未必即成脱症、此時宜安舒静臥、以養
 陽気来復、旁人切勿驚惶、頻々呼喚、擾其元気、但
 診其脈、若虚軟和緩、雖倦臥不語、汗出膚冷、却非
 脱証、若脈急疾、躁擾不臥、膚冷汗出、便為気脱之
 証矣、更有邪盛正虚、不能一戦而解、停一二日、再
 戦汗而愈者、不可不知、《割書:呉医彙講巻一》
戦汗後復下後《割書:廿五|オ》 劉松峯云、復字存疑、
腹痛不止者欲作滞下也《割書:廿五|オ》 劉松峯云、解後亦有






 因余熱未清而腹痛者、不可尽作滞下論、当合脈
 証細参之、
  自汗 《割書:類編巻三《割書:四|ウ》》
三陽随経加減法《割書:廿六|オ》 見瘟疫初起達原飲方後、《割書:五|オ》
与恊熱下利投承気同義云云、《割書:廿六|オ》 劉松峯刪此十
 八字、又移若誤認以下廿二字于編篇末、按与協熱
 以下四十字、当移表解則汗止句下看、不必刪改
人参養栄湯《割書:二十|八ウ》 方見補瀉兼施条条《割書:卅五ウ》
  盗汗 《割書:類編巻三《割書:五|オ》》
若邪甚云云作戦汗矣《割書:廿八|ウ》 劉松峯云、此四句推開

 説、非本題正面、
柴胡湯以佐之《割書:廿八|ウ》 徐東荘云、仲景和解、只清解熱
 邪、而津液自存、陰汁既充、湧出肌表、而外邪自然
 渙散、此養汗以開玄府、与開玄府以出汗逈乎不
 同也、《割書:西塘感証》
汗未止加麻黄浄根《割書:廿七|ウ》 証類本草麻黄条下、陶隠
 居云、今出青州彭城栄陽中牟者為勝、色青而多
 沫、蜀中亦有、不好、用之折除節、々止汗故也、先煮
 一両沸、去上沫、々令人煩、其根亦止汗、夏月雑粉
 用之、俗用療傷寒、解肌第一、







 本草綱目、李時珍曰、麻黄発汗之気駃、不能禦、而
 根節止汗、効如影響、物理之妙、不可測度如此、自
 汗有風湿・傷風・々温・気虚・血虚・脾虚・陰虚・胃熱・痰
 飲・中暑・亡陽・柔痓諸証、皆可随証加而用之、当帰
 六黄湯加麻黄根、治盗汗尤捷、蓋其性能行周身
 肌表、故能引諸薬、外【欄外補充】至衛分而固膜理也、本草但知
 撲之之法、而不知服餌之功尤良也、
邪気盛為実正気奪為虚《割書:廿七|ウ》 素問通評虚実論、邪
 気盛則実、正気奪則虚、
実々虚々之誤《割書:廿七|ウ》 霊枢九針十二原篇、無実々虚

 々、損不足而益有余、
  狂汗 《割書:類編巻三《割書:六ウ》》
狂汗《割書:廿七|ウ》 傷寒論陽明篇、陽明病初欲食、小便反不
 利、大便自調、其人骨節疼、翕々如有熱状、奄然発
 狂、濈然汗出而解者、此水不勝穀気、与汗共并、脈
 緊則愈、按是即狂汗也、
  発斑《割書:類編巻三《割書:二オ》当与発斑戦汗合論《割書:上ノ廿|四オ》疫有九伝|治法第二条《割書:下ノ卅|七ウ》参攷》
托裏挙斑湯《割書:廿八|オ》 劉松峯云、用帰芍以托裡、升柴白
 芷以挙斑、山甲以走竄経絡、則衛気疏暢而斑漸





設有下証云云《割書:廿八|ウ》 劉松峯云、此句宜重看、有下証、
 方且少与緩下之、若無下証、断不可与承気矣、
 劉松峯曰、発斑総因邪毒不解、留於血分所致、有
 当汗不汗、而表邪不解者、有当下不下、而裏邪不
 解者、有当清不清、而熱極不解者、有疫気鍾厚、而
 蓄毒不解者、有誤用温保補、而陽亢不解者、有過服
 寒涼、而陰凝不解者、有当補不補、而無力不解者、
 致病非一途、故療之亦多術、篇内治斑、止有一承
 気、奚足以尽其変哉、至于挙斑湯、亦第補救大下
 受傷之剤、並非治斑正方、挙一廃百、何其疎略乎、

  数下亡陰 《割書:類編巻三《割書:廿オ》》
  解後宜養陰忌投三朮 《割書:類編巻一《割書:四十|三オ》作解後宜陰|養忌投参朮論》
暴解之後余焔尚在陰血未復大忌参茋白朮《割書:廿九|オ》
 孫真人曰、凡病服利湯得瘥者、此後慎不中服補 
 湯也、若初瘥、気力未甚平復者、但消息之、須服薬
 者、当以平薬和之、《割書:千金方一》
 朱奉義議曰、下後慎不中服補薬、孫真人云、服大承
 気湯、得利差、慎不中服補薬也、熱気得補復成、更
 復下之、是重困也、宜消息安養之、《割書:活人書巻三》
 陶節庵曰、凡治傷寒、若汗下後不可便用参茋大




 補、宜用小柴胡加減和之、若大補、使邪気得補而
熱愈盛、復変生他証矣、所謂治傷寒無補法也、《割書:家|秘》
 《割書:的本》
流火《割書:廿九|オ》 或曰、痧脹玉衡、有流火流痰痧、瘍医大全、
 凡腿上或頭面、紅赤腫熱、流散無定、以堿水掃上、
 旋起白霜者、此流火也、
大抵時疫愈後調理之剤投之不当莫如静養節飲
食為第一《割書:廿九|オ》 傷寒論、風家表解、不了々者、十二日
 愈、方有執【報を修正】云、蓋暁人当静養以待、勿多事反擾之
 意、呉儀洛云、経中凡勿薬而俟其自愈之条甚多、
 
 今人凡有診視、無不与薬、致自愈之証、反多不愈
 矣、
清燥養栄湯《割書:廿九|オ》 劉松峯曰、帰地芍薬、皆養栄之品、
 而地黄用汁、大能清燥、知母寒滑、潤腎燥而滋陰、
 花粉亦潤燥而瀉火、又恐其凝滞、加陳皮以利気 
 疎通之、与甘草共臻太和也、
柴胡養栄湯《割書:廿九|ウ》 劉松峯曰、表有余熱、尚宜散宜清、
 故加柴芩、前方当帰用身、因陰枯血燥、以此養之、
 此用全帰以和血足矣、不専清燥、故生地亦不須
 取汁、此方白芍宜減、以表有熱、応散不応歛也、原







 用棗煎、亦宜減去、
承気養栄湯《割書:廿九|ウ》 劉松峯曰、枳朴大黄、小承気也、余
 薬所以養栄、此解後尚有裡症者、曰未尽是已衰
 其半矣、故不敢専用承気、而以帰地芍薬佐之、此
 方又当用白芍矣、
瓜貝養栄湯《割書:卅|オ》 劉松峯曰、蔞貝所以化痰、陳蘇所
 以理気、気順而痰自清也、知母花粉亦清潤之品、
 而花粉亦能清痰理膈、帰芍所以養栄、不用地黄
 者、因有痰涎胸膈不清之証、恐其膩滞也、四方俱
 和平穏妥、

  用参宜忌有前利後害之不同 《割書:類編巻一作用|参宜酌表裏更》
  《割書:有暫利旋害之|不同論《割書:四十五ウ》》
人参所忌者裏証耳《割書:三十|オ》 人参宜忌、又見補瀉兼施
 条、黄龍湯条、《割書:卅五|下オ》乗除条、《割書:五十ウ|五十一ウ》応補諸証条、《割書:下巻|十七ウ》
不至脹《割書:卅|ウ》 類編改作不甚害、按下文因而不脹之
 脹同、謂壅閉也、
  下後間服緩剤《割書:卅一|オ》《割書:類編巻三《割書:廿二|ウ》作下後熱不除》 
  下後反痞《割書:類編同》
下後脈実《割書:卅一|オ》 実字々眼、劉松峯曰、重読、
参附養栄湯《割書:卅二|オ》 劉松峯曰、生地帰芍、所以養栄、以 













 生地為君、大能生血、而栄血之生也、必益其気、故
 用人参以補気、且益脾土而消痞也、姜附亦無非
 治虚痞之剤、得附子之走竄、勝於行気破気之薬
 多矣、
  下後反嘔《割書:類編巻三《割書:廿三|ウ》》
皆令嘔不止《割書:卅二|ウ》 劉松峯曰、皆字承止二句、
半夏霍香湯《割書:卅二|ウ》 本出魏氏家蔵、無乾姜、有人参、名
 人参霍香散、和気利膈、進食化痰、
下之諸証減去六七《割書:卅三|オ》 下隔条曰、瘟疫愈後、脈証
 俱平、大便二三旬不行、時々作嘔、飲食不進、雖少

 与湯水、嘔吐愈加、此為下隔云云、宜調胃承気熱
 服、頓下宿結及溏糞粘膠悪物、臭不可当者、嘔吐
 立止、《割書:十四|オ》按依之此又宜調胃承気、
  奪液無汗 《割書:類編巻三《割書:廿四|オ》作下後奪液無汗》
時疫得下証《割書:卅三|ウ》 類編、補一人二字、
熱結旁流《割書:卅三|ウ》 劉松峯曰、糞為熱結而不下、止旁流
 臭水也、 注意逐邪勿拘結糞条、《割書:十四|ウ》大便条、《割書:四十|三ウ》可
 攷、
積流而渠自通也《割書:卅四|オ》






昔人以為奪血無汗《割書:卅四|オ》 霊枢営衛生会篇、営衛者、
 精気也、血者神気也、故血之与気、異名同類焉、故
 奪血者無汗、奪汗者無血、
  補瀉兼施 《割書:類編巻一《割書:卅一|ウ》施下有与先瀉後補合論七字》
搏血《割書:卅四|オ》 劉松峯云、搏撃也、
黄龍湯《割書:卅四|ウ》 原見傷寒六書、
此補瀉兼施之法也《割書:卅五|ウ》 下巻応補諸証、可参攷、《割書:下|巻》
 《割書:十七》
人参《割書:卅五|オ》 用参宜忌条、《割書:卅オ|ウ》乗除条、《割書:五十|一》下巻応補諸証
 条、《割書:十七|ウ》

  薬煩 《割書:類編巻四《割書:九ウ》》
  停薬 《割書:類編巻四《割書:十オ》作曰停薬》
  虚煩似狂 《割書:類編巻三《割書:十九|オ》》
撚指《割書:卅六|ウ》 劉松峯曰、撚音輦、手摂物、
辟如城郭空虚《割書:卅七|オ》 類編無辟以下廿余字、按此即
 接上文之意、
  神虚譫語 《割書:類編巻三《割書:十九ウ》》
数下之《割書:卅七|オ》 劉松峯曰、数下不宜、
鄭声譫語態度無二《割書:卅七|ウ》 劉松峯曰、声乃声音、而語
 乃言語、焉得云無二、云有虚実之分極是、至云不













 応両立名色則又誤矣、
清燥養栄湯《割書:卅七|ウ》 方見解後宜養陰条、《割書:廿九オ》
  奪気不語 《割書:類編巻三《割書:廿五|オ》奪上補下後二字》
時疫云云常向裏床睡《割書:卅七|ウ》 劉松峯曰、類陰証而実
 非、
此正気奪《割書:卅七|ウ》 脈要精微論、言而微、終日乃復言者、
 此奪気也、
人参養栄湯《割書:卅七|ウ》 方見補瀉兼施条、《割書:卅五|ウ》
 劉松峯曰、瘟疫失于汗下、原有不語一証、此悪候
 也、唯多服竹瀝、可以奏効、此之不語、当着眼下後

 奪気四字、与失汗失下之不語、逈不侔矣、
  老少異治 《割書:類編巻一《割書:廿八ウ》作老少異治論》
 妄投破気薬論 《割書:類編巻一《割書:卅三|オ》妄投改作純用》
所謂一竅通諸竅皆通大関通而百関尽通也《割書:卅九|オ》

  妄投補剤論 《割書:類編巻一《割書:卅六|オ》》
  妄投寒涼薬論 《割書:類編巻一《割書:卅三|オ》作|妄投寒剤論》孫鳳亭曰、二論、
   専重妄投二字、若用之得宜、亦自無妨、《割書:類|編》下
   巻服寒剤反熱条、《割書:廿四|ウ》可参看、
癉瘧熱短《割書:四十|オ》 畜血条云、至夜発熱、亦有癉瘧、《割書:十八|ウ》











黄連瀉心湯《割書:四十|ウ》 又見下巻標本条、《割書:十一ウ》
素問熱淫所勝治以寒涼《割書:四十|ウ》 至真要論、熱淫所勝、
 平以鹹寒、
捷徑《割書:四十|ウ》 屈原離騒、何桀紂之昌披兮、夫唯捷徑以
 窘歩、
有等《割書:四十|一オ》 或曰、謂有一等如是之証也、
  大便《割書:類編巻四《割書:三オ》》
恊熱下利《割書:四十三|オ》 劉松峯曰、傷寒恊熱下利、与此不同、
 又曰、凡遇瘟疫下利之症、当先問其平日大便調
 否、以便施治、

利止二三日後《割書:四十|三オ》 類編接前章曰、原本擡頭、別為
 一節、今接抄、
 劉松峯曰、瘟疫而見下利、病亦不軽矣、大抵属寒
 者三、熱者七、湿則其僅見者也、而呉又可瘟疫論
 中、恊熱下利等説、単以熱論、不亦偏乎、弟瘟病下
 利之属寒者軽浅、自不得与冬月感寒、与直中陰
 経者、同日而語也、《割書:説疫二下利条》
熱結傍流《割書:四十|三ウ》 劉松峯曰、熱邪将糞結住、不能下、糞
 旁止能流下臭水、并所進湯薬、此句当如是講、
大腸膠閉《割書:四十|三ウ》 注意逐邪条、《割書:十六|オウ》応下諸証、《割書:下ノ|十六オ》文頗同、 






非前病原也《割書:四十|四オ》 類編、原作復、
芍薬湯《割書:四十|四オ》 方見戦汗条、《割書:廿五|ウ》
夯悶《割書:四十|四オ》 劉松峯曰、夯壑上声、大用力、
蜜煎導《割書:四十|四オ》 下巻応下諸証、大便閉条曰、有血液枯
 竭者、無表裏証為虚燥、宜蜜煎導反謄導、《割書:下ノ|十六》 按
 類編、此条補或謄導三字、
毎至黎明或夜半後便作泄瀉《割書:四十|四オ》、劉松峯曰、此瀉
 絶不干瘟疫事、乃病後腎瀉也、故以五更溏瀉法
 治之、
大黄丸《割書:四十|四ウ》 外壱巻四、温病労復方、引古今録験大

 黄丸方、大黄巴豆消石桂心乾姜、右五味、
六成湯《割書:四十|四ウ》 天一生水、地六成之之義、
七成湯《割書:四十|四ウ》 天二生火、地七成之之義、
六味丸少減沢瀉《割書:四十|四ウ》 過利水、故減沢瀉、劉松峯曰、
 六成湯乃潤燥之剤、明白易解、至云用六味丸少
 減沢瀉、不如尽行減去、即茯苓亦不当用、蓋此二
 薬大利小便、小便益利、大便益結也、不可不知、
倍加附子《割書:四十|五オ》 助命門之火、故倍、
  小便 類編巻四《割書:五ウ》
馬遺《割書:四十|五ウ》 遺、溺也、ゝ
 





 業広曰、小便閉塞、宜大承気者、見伝変不常条、《割書:七|オ》
 小便不利、即熱結膀胱、小便自利、責之畜血、見畜
 血条、《割書:十八|オ》以小便赤白、分陰陽法、見陽証似陰条、《割書:下|巻》
 《割書:廿|オ》並当参攷、此篇題以小便而不及之、何、
薬分三等《割書:四十|六オ》 劉松峯曰、原方一也、加大黄二也、抵
 当三也、
  前後虚実 《割書:類編巻一《割書:廿二ウ》作先後虚実論》
仮令先実而後虚者云云《割書:四十|六ウ》 劉松峯曰、此虚乃因
 先下、血液搏尽之虚、非同平日虚怯之虚、
  脈厥 《割書:類編巻三《割書:十五|オ》》

微細而軟《割書:四十|七オ》 劉松峯曰、輭尤易誤認為虚、
  脈証不応 《割書:類編巻一《割書:廿一|ウ》作脈症不応論》
濇脈也《割書:四十|八オ》 劉松峯曰、渋脈不過不流利、非有止歇、
 此説欠妥、桂山先生曰、脈経濇脈細而遅、往来且
 散、或一止、復来而云濇脈無歇止、亦何不考也、
杏桔湯《割書:四十|八オ》
  体厥 《割書:類編巻三《割書:十三|ウ》》
陽証陰脈《割書:四十|八ウ》 劉松峯曰、細微如蛛糸然、
身冷如氷《割書:四十|八ウ》 劉松峯曰、全身皆涼、火逼在内、
体厥《割書:四十|八ウ》 又名陽厥、見陰証世間罕有条、《割書:下巻|十八ウ》陽証似














 陰条、《割書:下巻|十九オ》可参看、
稟賦肥甚《割書:四十|八ウ》 伏邪易壅閉案、
引陶氏全生集《割書:四十|八ウ》 傷寒全生集一巻、傷寒陰症身
 熱面赤認作陽症誤治論第十二、
群龍無首《割書:四十|九オ》 易、乾卦用九、
急投大承気湯嘱其緩々下之《割書:四十|九オ》 劉松峯曰、急投
 者速服、緩下者少与、
陰毒須灸丹田《割書:四十|九ウ》 活人書曰、問手足逆冷、臍腹築
 痛、咽喉疼、嘔吐下利、身体如被杖、或冷汗煩渇、脈
 細欲絶、 此名陰毒也、陰毒之為病、始得病、手足
 
 冷、背強、咽痛、糜粥不下、毒気攻心、心腹痛短気、四
 肢厥逆、嘔吐下利、体如被杖宜服陰毒甘草湯、白 
 朮散、附子散、正陽散、肉桂散、回陽丹、返陰丹、天雄
 散、正元散、退陰散之類、可選用之、○大抵陰毒、本
 因腎気虚寒、或因冷物傷脾、外傷風寒、内既伏陰、
 外又感寒、或先感外寒而内伏陰、内外皆陰、則陽
 気不守、遂発頭疼、腰重腹痛、眼晴疼、身体倦怠、四
 肢逆冷、額上手背冷、汗不止、或多煩渇、精神恍惚、
 如有所失、三二日間、或可起行、不甚覚重、称【言偏】之則
 六脈俱沈細而疾、尺部短小、寸口脈或大、若誤服




 涼薬、則渇転甚、躁転急、有此病証者、便須急服辛
 熱之薬、一日或二日便安、○若陰毒漸深、其候沈
 重、四肢逆冷、腹痛転甚、或咽喉不利、心下脹満、結
 硬躁渇、虚汗不止、或時鄭声、指甲面色青黒、六脈
 沈細而疾、一息七至已来、有此証者、速於気海或
 関元二穴、灸三二百壮、以手足和緩為効、仍兼服
 正陽散・肉桂散・回陽丹・返陰丹・天雄散・白朮散・内
 外通逐、令陽気復而大汗解矣、○若陰毒已深、疾
 勢困重、六脈附骨取之方有、按之即無、一息八至
 已上、或不可数、至此則薬餌難為攻矣、但於臍中

 用葱熨法、或灼艾三五百以来、手足不温者、不可
 治也、如得手足温、更服前熱薬以助之、若陰気散、
 陽気来、即漸減熱薬而調治之、《割書:巻四》
  乗除《割書:類編巻一《割書:廿三|オ》作病之既虚且実者当|補瀉間用論、曰原題乗除不亮之至、》
乗除《割書:四十|九ウ》 算法、添算曰乗、減算曰除、

【末尾】
温疫論札記上《割書:終》

瘟疫論札記下

  雑気論 《割書:類編巻一《割書:五ウ》》
山嵐瘴気嶺南毒霧《割書:一|オ》 後漢書馬援伝、援将楼船
 大小二千余艘、戦士二万余人、撃九真賊徴側余
 党都羊等、自無功至居風、斬獲五千余人、嶠南悉
 平、《割書:注、嶠、嶺|嶠也、》二十年秋、振旅還京師、軍吏経瘴疫、死
 者十四、
野葛《割書:一|ウ》 神農本草経、鈎吻一名野葛、味辛温、生山
 谷、治金瘡乳痙中悪風欬逆上気水腫、殺鬼注蠱

 毒、《割書:下巻|四ウ》
羅計熒惑《割書:一|ウ》 或曰、羅計即羅睺計会二星也、広博
 物志云、羅計二星、人多忌之、考歴代天文志、無此
 星也、不知此説、倣自何時、而宋蠡海録有之、則其
 説久矣、広雅云、熒惑謂之罰星、
大頭瘟《割書:一|ウ》 説疫曰、其症発於頭上并脳後項腮頬
 与目、赤腫而痛、発熱、症似傷寒、治療散見各医書
 本門、茲不多贅、用前刺法亦妙、《割書:三ノ|二ウ》
蝦蟆瘟《割書:一|ウ》 説疫曰、其症咽喉腫痛、涕唾稠粘、甚則
 往来寒熱身痛拘急、大便秘結、有類傷寒、亦与捻

 頸瘟相似、但以不腹脹為異、治法涼散和解攻下
 敗毒、随症施治、無不獲愈、方俱散見各医書本門、
 不多贅、其治療捷法、於初起時、用手在病人両臂、
 自肩項極力、将其中凝滞癘気悪血、赴至手腕数
 次、用帯子将手腕札住、不令悪血走散、用針刺少
 啇穴、并十指近甲蓋薄肉正中処、捻出悪血則愈、
 《割書:三巻|二ウ》
疔瘇《割書:二|オ》 瘇与腫同、劉松峯、為足腫非、
瓜瓤瘟《割書:二|オ》 説疫曰、其症胸高脇起、嘔汁如血、宜生
 犀飲、《割書:三巻|三ウ》











探頭瘟 《割書:二|オ》 森立夫曰、所暴下之物如瓜瓤、故名瓜
 瓤瘟、所嘔之血、如探頭脳而出、故名探頭瘟、
癭痎《割書:二|オ》 痎即核从疒者、蓋癭瘤結核之義、或為瘤
 字譌、非是、
疙瘩瘟《割書:二|オ》 尚論駁正序例云、世俗所称、疙瘩瘟者、
 遍身紅腫発塊、如瘤者是也、○説疫曰、其症発塊
 如瘤、遍身流走、旦発夕死、三稜針刺入委中三分
 出血、並服人中黄散、《割書:三巻|四ウ》
大麻風《割書:三|オ》 丹台玉案巻二、癘風門曰、夫癘風者、即
 大麻風也、又名曰癩、《割書:五十|六オ》

諸痛瘡瘍皆属心火《割書:三|オ》 至真要論文、
絞腸痧《割書:三|オ》 丹台玉案巻四、腹痛門曰、絞腸沙痛、不
 吐不瀉、痢痛後重、○危氏得効方云、乾霍乱俗謂
 攪腸沙、
大易所謂或繋之牛行人之得邑人之災也、《割書:三|オ》 易、
 上経无妄六三、
劉河間《割書:三|ウ》 劉完素、字守真、金河間人、
  論気盛衰《割書:類編巻一《割書:十一|オ》作瘟疫歳々不断但有盛衰|多寡軽重之殊論》
似覚無有《割書:四|オ》 似、類編作反、
  論気所傷不同 《割書:類編巻一《割書:十九|ウ》作気所|傷不同論》








由方土之気也《割書:四|ウ》 尚書禹貢、素問異方法宜論、

猫制鼠鼠制象《割書:五|オ》 森立夫曰、蘇軾曰、養猫以捕鼠、紀
 効新書、霊猫捉鼠勢、事物紺珠、猫称鼠将、五雑俎、
 猫之良者、端然黙然、而鼠自屏息、識其気也、劉基
 擬連珠、千斤之象、不惴虎而惴鼠、
蟹得霧則死棗得霧則枯《割書:五|オ》 瑯瑘代酔相感下、霧
 滃而蟹螯枯、物類相感志、落蟹怕露、《割書:森立夫曰、|露恐霧訛、》
 投甕随筆、秋露降、棗葉尽落、森立夫曰、据此、則本
 文霧字、恐是露訛、

蜒蚰解蜈蚣之毒《割書:五|ウ》 本草衍義蜈蚣条曰、蜈蚣畏
 蛞蝓、不敢過所行之路、触其身、則蜈蚣死、人故取
 以治蜈蚣毒、《割書:十七ノ|十二ウ》
猫肉治鼠瘻之潰《割書:五|ウ》 淮南子説山訓、狸頭愈鼠、
  蚘厥 《割書:類編巻三《割書:十五|ウ》》
蚘厥《割書:六|オ》 馬印麟曰、蚘厥者、手足冷而吐蚘也、有熱
 渇者、黄連解毒湯、有下症者、承気湯、《割書:類|編》 劉松峯
 曰、蚘厥原有属寒者、唯瘟症吐蚘属熱、一症而寒
 熱之不同、有如此者、
臓寒蚘上入膈其人当吐蚘《割書:六|オ》 傷寒論厥陰篇、烏







 梅丸主治文、
胃中冷必吐蚘《割書:六|オ》 傷寒論、太陽中篇曰、病人有寒 
 復発汗、胃中冷必吐蚘、
  呃逆 《割書:類編巻三《割書:十二|ウ》》
見白虎証則投白虎見承気証則投承気《割書:六|ウ》 劉松
 峯曰、此二証、瘟疫中恒有、○按金匱嘔吐噦下利
 篇、噦而腹満、視其前後、知何部不利、利之即愈、
丁香柿蒂散《割書:六|ウ》 全生集、丁香柿蒂散、治陰症呃逆
 及胸中虚寒、呃逆不止者、丁香柿蒂《割書:各一匁|五分》茴香乾
 姜良姜陳皮《割書:各一|匁》各為細末、用熱姜湯調下、未止宜

 再服、 劉松峯曰、柿蒂治呃、寒熱薬中俱可治入、猶
 茵陳之兼治陰黄陽黄也、不可不知、
四逆湯功効殊絶《割書:六|ウ》 劉松峯曰、胃寒呃逆、瘟疫所
 無、不過連類及之、
 劉松峯曰、瘟疫呃逆、大是凶候、然治之得法、亦自
 無妨、
  似表非表似裏非裏《割書:類編巻一《割書:十八|オ》作似表|不表似裏不裏論》
若汗若下後云云渾身支節反加痛甚《割書:七|ウ》 疫有九
 伝治法条、《割書:四十|ウ》 文異義同、可参攷、按此証仲景桂
 枝加芍薬生姜人参新加湯、及霍乱篇桂枝湯主







 治与此合、
時疫初起便作潮熱々甚亦能譫語《割書:七|ウ》 劉松峯曰、
 余子秉淦、毎感風寒、必善作譫語、若不習知者、遇
 此認為裡証、妄施攻下、寧有不殆者乎、
  論食《割書:類編巻四《割書:二|オ》当与調理法|相参攷《割書:下巻三十六オ》》
切不可絶其飲食但不宜過食耳《割書:八|ウ》 張氏医戒云、
 今之方家、一見発熱、便以傷寒目之、一概禁其飲
 食、 徐大椿云、桂枝湯方後、歠粥、育胃気以達於
 肺也、観此可知、傷寒不禁食矣、依二氏所言、清俗
 有傷寒禁食之習、故其言如此、

食復《割書:八|ウ》 見本巻食復条、可参看、《割書:廿|ウ》
  論飲《割書:類編巻四《割書:一ウ》舎病治弊条当参看《割書:廿ウ》》
煩渇思飲酌量与之《割書:九|オ》 王叔和曰、凡得時気病、至
 五六日而渇、欲飲水、飲不能多、不当与也、何者以
 腹中熱尚少、不能消之、便更与人作病也、至七八
 日、大渇欲飲水者、猶当依証与之、与之常令不足、
 勿極意也、言能飲一斗与五升、若飲而腹満、小便
 不利、若喘若噦、不可与之、《割書:傷寒|例》張戴人曰、欲飲水
 之人、慎勿禁水、但飲之後、頻与按摩、按摩之法、当
 按摩其腹、則心下自動、若按摩其中脘久則必痛、













 病人獲痛、若有水結、則不敢按矣、《割書:儒門事親一》
西瓜《割書:九|オ》 家塾事親曰、西瓜性温、熟者可食、解暑名
 白虎湯、《割書:遵生八牋四》
  損復 《割書:類編巻一《割書:四十|六ウ》作損復論》
天傾西北地陥東南《割書:十|オ》 素問陰陽応象論、天不足
 西北、故西北方陰也、而人右耳目不如左明也、地
 不満東南、故東南方陽也、人左手足不如右強也、又五常
 政大論、帝曰、天不足西北、左寒而右涼、地不満東
 南、右熱而左温、其故何也、岐伯曰、東南方陽也、陽
 者其精降于下、故右熱而左温、西北方陰也、陰者

 其精奉于上、故左寒而右涼、列子湯問篇、共工氏
 与顓頊争為帝、怒而触不周之山、折天柱、絶地維、
 故天傾西北、日月星辰帰焉、地不満東南、故百川
 水潦帰焉、
別無所苦《割書:十|オ》 劉松峯曰、著眼、
気復也《割書:十|オ》 肢体浮腫条《割書:廿三|ウ》文略同、
張徳甫《割書:十|ウ》 以上二章、徴上文気復之義、
兪桂玉室云云《割書:十一|オ》 徴上文女先復右之義、
  標本 《割書:類編巻一《割書:廿一|オ》作治邪不治熱論》
経曰《割書:十|オ》 熱論云、其未満三日者、可汗而已、其満三





 日者、可泄而已、
麻徴君復増汗吐下三法《割書:十一|オ》 麻徴君、麻九疇也、字
 知幾、金莫州人、按隠士就聘者、曰徴君、後【徴を欄外修正】漢書黄
 憲伝、竟無所就、年四十八終、天下号曰徴君、又郭
 太伝、徴辟並不起、号曰徴君、李濂医史云、儒門事
 親十四巻、蓋子和草創之、知幾潤色之、
打《割書:十一|オ》 開打也、
黄連解毒湯黄連瀉心湯《割書:十一|ウ》 又見上巻妄投寒涼
 薬条、《割書:上ノ|四十ウ》
  行邪伏邪之別 《割書:類編巻一《割書:廿七|オ》作行邪伏邪論》

万挙万全《割書:十二|ウ》 至真要論語、
風燭《割書:十三|オ》 庾信傷心賦、一朝風燭、万古埃塵、活人書
 性命之寄、危於風燭、
  応下諸証 《割書:類編巻四《割書:六ウ》》
有津液潤沢作軟黒胎者有舌上乾燥作硬黒胎者
《割書:十三|ウ》 劉松峯曰、軟胎尚当細参、未可必其当下、 葉
 天士曰、舌黒而滑者、水来剋火、為陰証、当温之、若
 見短縮、此腎気竭也、為難治、惟加人参五味子、或
 救万一、舌黒而乾者、津枯火熾、急々瀉南補北、若
 黒燥而中心厚者、土燥水竭、急以醎苦下之、《割書:呉医|彙攷一》
















一種舌上俱黒而無胎《割書:十三|ウ》 葉天士曰、舌無苔而有
 如煙煤隠々者、慎不可忽視、如口渇煩熱而燥者、
 平時胃燥也、不可攻之、宜甘寒益胃、若不渇肢寒
 而潤者、乃挟陰病、宜甘温扶中、此何以故、外露而
 裏無也、
舌裂《割書:十四|オ》 劉松峯曰、凡舌裂摠難満、雖病愈終不能
 無痕、 
舌短《割書:十四|オ》 按属難治、説見上葉天士論、
胎如積粉満布《割書:十四|ウ》 文又出上巻達原飲方後、《割書:上ノ|五ウ》
鼻孔如烟煤《割書:十四|ウ》 見急証急攻条、《割書:上ノ|七ウ》

大汗脈長洪而渇未可下宜白虎湯《割書:十五|オ》 上巻達原
 飲方後、《割書:上ノ|六オ》 自汗条、《割書:廿五|オ》熱邪散漫条、《割書:八|ウ》
似裏非裏条《割書:十五|オ》 下巻《割書:七ウ》
熱入血室条《割書:十五|オ》 謂婦人時疫条也、《割書:下ノ|卅一オ》 又見畜血
 条、《割書:上ノ|十八ウ》
神虚譫語条《割書:十五|オ》 上巻《割書:三十|七ウ》
善太息《割書:十五|ウ》 劉松峯曰、古人所謂長太息者、即此之
 謂、乃嘆息之声、長吁気也、因気不舒暢、毎一吁気
 始覚寛鬆、茲解以呼吸不利引気下行、尚不甚真
 切、




頭脹痛《割書:十五|ウ》 見似表非表条、《割書:七|オ》
小便閉《割書:十六|オ》 見上巻伝変不常条、《割書:上ノ|七オ》 劉松峯曰、亦
 有不因大便閉者、
更有下証《割書:十六|オ》 更字当著眼、 
有血液枯竭者《割書:十六|オ》 大便条曰、愈後大便数日不行、
 別無他証、此足三陰不足、以致大腸虚燥、此不可
 攻、飲食漸加、津液流通、自能潤下也、覚穀道夯悶、
 宜作蜜煎導、甚則宜六成湯、《割書:上ノ四|十四オ》
大腸膠閉《割書:十六|オ》 大便条文頗同、《割書:上ノ四|十三ウ》
脈厥《割書:十六|ウ》 上巻脈厥条、《割書:四十|六ウ》

体厥《割書:十六|ウ》 上巻体厥条、《割書:四十八|オウ》
虚煩似狂《割書:十六|ウ》 上巻《割書:卅六ウ》 
因欲汗作狂《割書:十六|ウ》 上巻狂汗、《割書:廿七ウ》
  応補諸証《割書:類編巻四《割書:八ウ》》
傷寒無補法《割書:十七|オ》 和剤局方、許洪指南総論、
補瀉兼施《割書:十七|オ》 上巻《割書:卅四》
因行而増虚証《割書:十七|オ》 行謂下利也、軽疫誤治条、《割書:廿一|ウ》用
 参宜忌条、《割書:上ノ|卅》黄龍湯方後、《割書:上ノ卅|五ウ》停薬条、《割書:上ノ|卅六オ》可証、類編
 作因独、曰句不亮、非也、
宜急峻補《割書:十七|オ》 宜用人参養栄湯、見黄龍湯方後、《割書:上ノ卅|五オ》














見前虚後実《割書:十七|オ》 上巻本条、《割書:四十六|ウ》 又黄龍湯方後、
 可参攷、
人参為益元気之極品云云《割書:十七|ウ》 人参利害、見用参
 宜忌条、《割書:上ノ|卅》黄龍湯方後、《割書:上ノ|卅五オ》乗除条、《割書:五十一|オウ》
  論陰証世間罕有 《割書:類編巻一《割書:十五|オ》作陰症世間罕有論》
少艾《割書:十八|オ》 孟子、知好色則慕少艾、 
房事後得病《割書:十八|オ》 劉松峯曰、当慾後感瘟、不過身体
 虚怯、較壮者、為難治耳、○方有執曰、謡俗専以交
 合陰陽、偶爾中傷、執為陰証、下医又快售、乃膠迷
 而同酔、遂致普通大謬、《割書:傷寒論条|弁五《割書:一ウ》》楊雲峰曰、三陰

 各有分証、今人却以房労後得病、輙命曰陰証、致
 令病家諱言悪聞、亦可笑、房労後得病、乃挟虚、感
 有陰有陽、非必為陰也、《割書:西塘感|症評注》徐霊胎曰、凡治病之
 法、総視目前之現証現脈、如果六脈沈遅、表裏皆
 畏寒、的係三陰之寒証、即使其本領強壮、又絶慾
 十年、亦従陰治、若使所現脈症、的係陽邪、発熱煩
 渇、並无三陰之症、即使其人本体虚弱、又復房労
 過度、亦従陽治、如傷寒論中陽明大熱之症、宜用
 葛根白虎等方者、瞬息之間、転入三陰、即改用温
 補、若陰症転陽証、亦即用涼散、此一定之法也、近






 世唯喩嘉言先生能知此義、有寓意草中、黄長人
 之傷寒按、可見、余人皆不知之、其殺人可勝道哉、
 《割書:医学源流論腎虚非陰症論》
曠夫《割書:十八|オ》 孟子梁恵王下篇、外無曠夫、
閹宦《割書:十八|オ》 奄、精気閉蔵者、今謂之宦人、《割書:周礼天宦|序官注》
陽厥《割書:十八|ウ》 体厥条可攷、《割書:上ノ|四十八》
又曰《割書:十八|ウ》 類編、改作経曰、似是、案二句、傷寒論厥陰
 篇文、
  論陽証似陰 《割書:類編巻一《割書:十六|ウ》作陽症似陰論》
凡陽厥《割書:十九|オ》 体厥条施幼声案、可参攷、《割書:上ノ四|十八ウ》

成片【ヒトムラ=左ルビ】《割書:十九|オ》 片、即片雲之片、
傷寒実録《割書:十九|ウ》 逸
但以小便赤白為拠《割書:廿|オ》 劉松峯曰、以小便赤白定
 陰陽、第語其常耳、又曰、陰症亦有小便黄赤者、第
 知常而不知変、豈足以言医乎、
  舎病治薬《割書:類編巻一《割書:卅七オ》作舎病治薬論》
慓悍《割書:廿|ウ》 劉松峯曰、慓音飃、又上声、急也、疾也、悍音
 汗、勇急、又上声、
  舎病治弊 《割書:類編巻一《割書:卅七|ウ》作舎病治弊論》
誤投升散《割書:廿一|オ》 類編、誤上、補此時若三字、








除弊便是興利《割書:廿一|オ》 元耶律楚材曰、興一利不若除
 一害、生一事不若減一事、
  論軽疫誤治毎成痼疾《割書:類編巻一《割書:卅オ》作軽瘟|誤治毎成痼疾論》
東垣労倦傷脾元気下陥乃執甘温除大熱之句《割書:廿二|オ》
 内外傷弁惑論、
丹渓五火相煽之説《割書:廿二|ウ》 詳見格致余論相火論条、
 可攷、
冲撃《割書:廿二|ウ》 冲、衝也、
凝住《割書:廿二|ウ》 類編、住作泣、按泣渋同、離合真邪論、天寒
 地凍則経水凝泣、

  肢体浮腫 《割書:類編巻三《割書:十七ウ》》
但治其疫水腫自已《割書:廿三|オ》 伝変不常条曰、因疫而発
 旧病、治法無論某経某病、但治其疫而旧病自愈、
 《割書:上ノ七オ》
不喘《割書:廿三|ウ》 与上文水気有喘急証者反、
別無所苦《割書:廿三|ウ》 謂脈症俱平也、
気復《割書:廿三|ウ》 本巻損復条同、《割書:十オ》
言不足以聴《割書:廿四|オ》 劉松峯曰、声微、
気不足以息《割書:廿四|オ》 劉松峯曰、気弱、
煩寃《割書:廿四|オ》 寃、悶同、











宜微汗之《割書:廿四|オ》 劉松峯曰、瘟疫不宜発汗、而此云汗
 之、蘇麻固不能発瘟疫之汗、即羗防芷葛、止宜用
 為臣使、唯有浮苹可発瘟疫之汗、且与腫脹更覚
 相宜也、
或見絶穀期月云云必劇《割書:廿四|ウ》 劉松峯曰、此節無絶
 穀字様、此三句疑在上節中、錯簡在此、
妊娠更多此証《割書:廿四|ウ》 劉松峯曰、此字又指本節、
  服寒剤反熱 《割書:類編巻一《割書:三十|六ウ》作服薬剤反熱論》
人身之火無処不有云云《割書:廿四|ウ》 夢筆録曰、土中石中
 金中海中樹中、敲之、撃之、鑽之、無不有火出焉、則

 此火能蔵神于万物、而又能生万物也、又云、此火
 一散則百骸廃、人初死時、百骸俱存、独此煖気一
 去、則四大皆潰散矣、
百病発熱皆由於壅欝《割書:廿四|ウ》・呂氏春秋達欝篇曰、病
 之留、悪之生也、精気欝也、
今投寒剤抑遏胃気《割書:廿五|オ》 妄投寒涼薬条可参攷、《割書:上ノ|四十オ》
  知一 《割書:類編巻一《割書:十二オ》作瘟疫百端受邪則一論》
有潜消者《割書:廿六|オ》 劉松峯曰、此処挿此句、不倫、移在下
 文、《割書:類編移有無故最|善反復者句上》
発頤疙瘩瘡《割書:廿六|ウ》 又見雑気篇、《割書:一ウ》











首尾能食者《割書:廿六|ウ》 劉松峯曰、順証、
絶穀一両月《割書:廿六|ウ》 劉松峯曰、逆証、
 按劉松峯所増添、更有有嘔逆者、有嘔吐噦者、喘嗽
 者、有蚘厥者、有浮腫者、有善怒者、昏迷時、眼皮自
 動、抽扯如中風状、舌短、狂走狂語、呼号詈罵、敺打、
 笑哂、脈厥体厥等十余句、並本書之所漏、当参互、
知其一万事畢《割書:廿七|オ》 荘子天地篇、通於一而万事
 畢、
知其要者一言而終云云《割書:廿七|オ》 霊九針十二原文、又
 見素問至真要論六元正紀論、

統而言之《割書:廿七|ウ》 類編、統改推、
  四損不可正治《割書:類編巻一《割書:廿八|ウ》作四損不可正治論》 
四損《割書:廿七|ウ》 劉松峯曰、四字不過撮其要而言之、
諺有云傷寒偏死下虚人《割書:廿七|ウ》 谷道人云、大風先倒
 無根樹、傷寒偏死下虚人、《割書:可攷【朱見消】》呂滄州傷寒外編、
 陶節庵傷寒全生集、可攷、【朱記追記】
気不足以息《割書:廿七|ウ》 劉松峯曰、状其気之細微、
言不足以聴《割書:廿七|ウ》 劉松峯曰、状其言之虚弱、
腸風蔵毒《割書:廿八|オ》 医法指南云、先血後便近血也、大腸
 血也、感而即発、俗謂之腸風、赤小豆当帰散主之、







 先便後血遠血也、胃血也、積久而発、俗謂之臓毒、
 黄土湯主之、
面目又無陽色《割書:廿八|オ》 類編、又作反、
四肢厥逆《割書:廿八|オ》 劉松峯曰、陽気不能達尾於四末、
委頓《割書:廿八|ウ》 襄公四年左伝、甲兵不頓、正義曰、頓謂挫
 傷折壊、今俗語委頓是也、
五液《割書:廿八|ウ》 宣明五気篇、五蔵化液、心為汗、肺為涕、肝
 為涙、脾為涎、腎為唾、是謂五液、
肌体悪寒《割書:廿八|オ》 劉松峯曰、陽虚生外寒、
至夜益甚《割書:廿八|オ》 劉松峯曰、陰盛陽衰、

凡遇此等《割書:廿八|ウ》 劉松峯曰、等字妙、四者之外尚多也、」
当従其損而調之調之不愈者稍以常法治之《割書:廿八|ウ》
 劉松峯曰、従其損三字妙、其中包羅無限治法、調
 字更妙、有如許斟酌、稍字又妙、
盧扁《割書:廿八|ウ》 史記正義曰、扁鵲家於盧国、因名之曰盧
 医、
  労復 食復 自復 《割書:類編巻三《割書:廿七|オ》 》
労復《割書:廿九|オ》 巣源、復者謂復病如初也、
安神養血湯《割書:廿九|ウ》 見補遺、
  感冒兼疫 《割書:類編巻三《割書:廿九|オ》作感冒触瘟》





一二日続得云云《割書:卅|オ》 劉松峯曰、如何知其為瘟症
 之発、当于潮熱下三症参之方得、
  瘧疫兼証 《割書:類編巻三《割書:廿九|オ》分為二篇作|先瘧後瘟先瘟後瘧》
此瘟疫著瘧疾隠也云云《割書:卅|オ》 類編、改訂作此原先
 瘟疫被瘧疾掩也、今既顕瘟症、当以治瘟法治之、
  瘟瘧 《割書:類編巻三《割書:廿八|ウ》》
瘟瘧《割書:卅|ウ》 案呉氏所説非素問金匱等温瘧之義、又
 非瘧疫相兼之謂、乃似瘧而伝胃者名之瘟瘧、但
 論中瘟疫減云云句等、並糢糊不了、
清脾飲《割書:卅|ウ》 済生方

不二飲《割書:卅|ウ》 万病回春
四君子《割書:卅|ウ》 和剤局方
  婦人時疫 《割書:類編巻四《割書:十一|ウ》作婦人瘟疫》
衝任脈《割書:卅一|オ》 五音五味篇、衝脈任脈、皆起於胞中、上
 循背裏、為経絡之海、
経曰《割書:卅一|オ》 傷寒論、
発熱而不譫語者亦為熱入血室《割書:卅一|オ》 畜血《割書:上ノ|十八ウ》 応
 下諸証、《割書:下ノ|十五オ》 
血因邪結也《割書:卅一|ウ》 後世所謂血結胸也、
刺期門《割書:卅一|ウ》 成無已曰、期門肝之募、肝主血、刺期門









 者、瀉血室之熱、《割書:傷寒論|注解》徐霊胎曰、血結則為有形
 之証、湯剤一時難効、刺期門以瀉厥陰有余之熱、
  千金方両乳下、
血虚血実之分《割書:卅一|ウ》 劉松峯曰、血虚、経水適断之後、
 血実、経水適来之時、
血兦後《割書:卅一|ウ》 類編、作後亡血似是、
 馬印麟曰、経水適断、瘟邪内搏、血結不散、邪無出
 路、昼則熱軽、夜則熱重、譫語発渇、此熱結瘀血也、
 用小柴胡去半夏加花粉桃仁紅花丹皮生地犀
 角等味、以破血逐邪、如腹満而痛、不大便者、前方

 中酌加熟大黄微利之、劉松峯曰、馬印麟治法、与
 呉又可稍異、附録之以俟臨症者酌云云、業広按、
 呉氏所用、殆小柴胡加地黄之意、馬氏所言、近千
 金犀角地黄加大黄之義、
  小児時疫《割書:類編巻四《割書:十四|ウ》作小児瘟疫》
問切之義《割書:卅二|オ》 六十一難曰、経言、望而知之、謂之神、
 聞而知之、謂之聖、問而知之、謂之工、切脈而知之、
 謂之功、
延捱失治《割書:卅二|オ》 類編、作延挨、《割書:延挨又見九伝治法《割書:四十一オ》》
抱龍丸《割書:卅二|ウ》



















安神丸《割書:卅二|ウ》
神門《割書:卅二|ウ》 神門穴、手少陰、
眉心《割書:卅二|ウ》 証治準縄、小児急驚、灸前頂穴、若不差、灸
 両眉心、及鼻下人中穴、
艾火雖微内攻甚急《割書:卅二|ウ》 傷寒論、火攻雖微、内攻有
 力、
  妊娠時疫《割書:類編巻四《割書:十三|オ》作妊娠瘟疫移于婦人瘟疫》
参朮安胎之説《割書:卅三|オ》 証治準縄、治婦人傷寒妊娠薬
 例、若胎不安者、不離人参阿膠白朮黄芩、
嘈雑《割書:卅三|オ》 或曰、嘈䜊同、

古人有懸鐘之喩《割書:卅三|オ》 王節斎曰、養胎全在脾胃、譬
 猶鐘懸於梁、々軟則鐘下墜、故白朮養脾為安胎
 君薬、
反見大黄為安胎之聖薬《割書:卅三|ウ》 六元正紀大論、婦人
 重身毒之何如、岐伯曰、有故無殞、亦無殞也、
孕婦而投承気《割書:卅三|ウ》 馬印麟曰、芒消乃軟堅之物、用
 之能使胎化為水、劉松峯曰、孕婦而投承気、定当
 減去芒消、不得已用之、止可損胎存母、不如止用
 大黄為妥、又曰、此之用大黄、不過専為孕婦而得
 裡症応下者言之、若邪尚在表者、当速逐其表邪、






 母使内陥為上、
四損《割書:卅四|オ》 本巻《割書:廿七|ウ》
従其損而調之《割書:卅四|オ》 劉松峯曰、暫用補法、
  主客交 《割書:類編巻一《割書:廿四|ウ》作邪膠固於血脈結為痼疾|論十二字》
   劉松峯曰、原題主客交三字、未妥、論中言主
   客交渾、交渾二字連読方明、若截去渾字不
   通、
尫臝《割書:卅四|オ》 劉松峯曰、尫音汪、瘠病、
脈近于数《割書:卅四|オ》 劉松峯曰、虚損之脈多数、不止于邪火
 也、邪火特其一耳、

交卸《割書:卅|五オ》 字書、脱衣解甲曰卸、
三甲散《割書:卅五|オ》 劉松峯曰、鼈甲色青、入肝益陰除熱、治
 瘧疾瘧母血瘕、亀甲入腎、味厚純陰、亦能滋陰、兼
 理久瘧血枯遺精、以二味為君、治客邪膠固于血
 脈、更以山甲之走鼠佐之、引二甲之功能協力并
 入于蔵府経絡、以成厥功、故取三甲為名、蝉退取
 其善脱、殭蚕取其散微結、䗪虫取其破血、当帰取其
 養血活血、甘草取其敗毒、蓋客邪在身血必受傷、
 更兼凝積且邪毒蘊厚、用当帰生甘草、亦大有見
 解、唯牡蠣性渋、似不宜用云々、白芍性歛、亦似不
 








 宜云云、
 外台秘要、引張文仲方、療傷寒八九日不差、名為
 敗傷寒、諸薬不能消者方、鼈甲蜀升麻前胡烏梅
 枳実犀角黄芩甘草生地黄右九味、蘭軒先生曰、
 傷寒壊症用之、有奇効、当代用三甲散、
括蔞霜《割書:卅五|ウ》 時珍曰、有研爛以紙包圧去油者、謂之
 巴豆霜、
  調理法《割書:類編巻四《割書:十|ウ》》当与論食条参攷《割書:下ノ|八ウ》
死灰而求復燃《割書:卅六|オ》 漢書韓安国伝、死灰独不復然
 乎、

  統論疫有九伝治法《割書:類編巻二《割書:四ウ》作瘟疫十伝治法|曰、伝本有十、而題止言九、是遺》
  《割書:却一条矣、》
可咏《割書:卅七|ウ》 咏、劉本作求、
但治其証《割書:卅七|ウ》 劉松峯曰、見頭治頭、見脚治脚、
白虎湯挙斑湯《割書:卅八|オ》 方見熱邪散漫条、《割書:上ノ|八ウ》発斑条、《割書:上ノ廿|八オ》
 按此章、当与発斑戦汗合論、《割書:上ノ廿|四オ》発斑条、《割書:上ノ廿|八オ》参
 攷、
三斑《割書:卅八|オ》 斑疹、桃花斑、紫雲斑、
四汗《割書:卅八|オ》 自汗、盗汗、狂汗、戦汗、
宜白虎湯宜白虎湯汗之《割書:四十|オ》 劉松峯曰、此二証、宜
























 小柴胡加羗防、始為対証、臧盧渓曰、先裡而後
 表節云、下之裡証除、二三日内、又発熱云々、此時
 如脈洪数而兼長大、現陽明証、方可用白虎、如所
 云反加頭痛身痛脈浮者、乃太陽証也、白虎大非
 所宜、且是証下後気血虚者、亦有之、不若用小柴
 胡加減出入之為穏也、《割書:類編巻二《割書:九ウ》》
此近表裏分伝之証不在此例《割書:四十|ウ》 類編此以下八
 字為注文、無不在此例四字、
若大下後大汗後《割書:四十|ウ》 似表非表条同、《割書:下ノ|七ウ》
趲行《割書:四十|一オ》 字書、散走也、

日暮途長《割書:四十|一オ》 史記伍子胥伝、日暮途遠、

瘟疫論補遺
安神養血湯《割書:一|オ》 類編三、移在労復条、《割書:三ノ|廿ハ》
円眼肉《割書:一|オ》 龍眼肉、俗名、
 劉松峯曰、茯神遠志棗仁円肉所以安神、而棗仁
 円肉亦能入心而生血、熟地帰芍所以養血、陳皮
 利気、甘草和中、唯桔梗再酌、
  疫利兼証《割書:類編巻三《割書:卅オ》作瘟疫兼痢》
載毒《割書:一ウ》 劉松峯曰、瘟毒、
檳芍順気湯《割書:一ウ》 劉松峯曰、此湯、小承気加檳榔白
 芍、係治瘟疫之裡証而兼痢者、若有外証仍当解

 表、必如喩嘉言分三次治法、始足以尽其変、
小児太極丸《割書:ニ|オ》 類編、移于小児時疫条後、曰、方内
 皆治小児驚癇風痰之薬、唯大黄尚属治瘟之品、
 此方与篇内議論不合、《割書:四ノ|十五ウ》
天竺黄《割書:ニ|オ》 時珍曰、按呉僧賛寧云、竹黄生南海鏞
 竹中、此竹極大、又名天竹、其内有黄、可以療疾、本
 草作天竺者、非矣、
胆星《割書:ニ|オ》 時珍曰、造胆星法、以南星生研末、臘月取
 黄牯牛胆汁、和剤、納入胆中、繋懸風処、乾之、年久
 者弥佳、

氷片《割書:ニ|オ》 時珍曰、龍脳者、因其状如貴重之称也、以
 白瑩如氷、及作梅花片者、為良、故俗呼為氷片脳、
端午日《割書:ニ|オ》 容斎随筆、凡月之五日、皆可称端午也、
 五雑組、古人午五二字想通用、端午猶言
 初五耳、案十形三療、外傷治法、有端四日字、
  正名 《割書:類編巻一《割書:一ウ》作正名論》
  傷寒例正誤 《割書:類編巻五《割書:一ウ》》
凡病先有病因云々《割書:五|ウ》 依類編、当低行、
香薷飲《割書:五|ウ》 
春温云々乃四時之常《割書:六|ウ》 又見原病、《割書:上ノ|一》





 







爍石流金《割書:七|ウ》 楚辞招魂曰、十日代出、流金鑠石些、
既済《割書:八|ウ》 易
矛盾《割書:九|ウ》 韓非子難一曰、楚人有鬻楯与矛者、誉之
 曰、吾楯之堅、莫能陥也、又誉其矛曰、吾矛之利於
 物無不陥也、或曰、以子之矛、陥子之楯、何如、其人
 弗能応也、夫不可陥之楯、与無不陥之矛、不可同
 世而立、今尭舜之不可両誉、矛楯之説也、
画蛇添足《割書:九|ウ》 史記楚世家云、人有遺其舎人一巵
 酒者、舎人相謂曰、数人飲此、不足以徧、請遂画地
 為蛇、蛇先成者、独飲之、一人曰、吾蛇先成、挙酒而

 飲之、曰、蛇固無足、今為之足、是非蛇也、
  諸家温疫正誤 《割書:類編巻五《割書:七オ》》 諸家温疫諸条、
   並出傷寒準縄七、
雲岐子《割書:九|ウ》 張璧、号雲岐子、潔古之子、
汪《割書:十|ウ》 汪機、字石山、
若遇温気則為温病《割書:十|ウ》

支離《割書:十二|ウ》 荘子人間世云、夫支離其形者、猶足以養
 其身終其天年、又況支離其徳者乎、
膠柱鼓瑟《割書:十五|ウ》 楊子法言、先知篇云、以往聖人之法、 












 治将来、譬猶膠柱而調瑟、





  于時慶応三《割書:丁》卯夏五月写於
  九折堂       倉俣三折

温疫論札記下《割書:終》

【裏表紙 文字なし】

袖珍防疫必携

《題:《割書:袖|珍》防疫必携》


《割書:袖|珍 》防疫必携目次
      總論
                       頁
 傅染病の定義‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一
 法定傅染病………‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二
 細菌の區分………‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二
 細菌の生活………‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三
 細菌の繁殖………‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三
      各論
 膓窒扶私‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥四 
  (原因…誘因…膓窒扶私菌の巢窟…傅染徑路…膓の病変…症候
  …診断…免疫性)
                   一

                   二
パラチフス‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一四
 (原因…症候等)
赤痢‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一五
 (原因…誘因…赤痢菌の巢窟…傅染徑路…腸の病變…症候
 …診斷…免疫性)
實布垤利亞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二〇
 (原因…誘因…實布垤利亞菌の巢窟…傅染徑路…症候…診斷
 …免疫性)
猩紅熱‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二三
 (原因…病毒の所在…傅染徑路…罹病年齡…症候…免疫性)
《割書:膓窒扶私、パラ|チフス、赤痢 》豫防法‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二五
 (甲) 傅染病未發生時即平時豫防法
 (乙) 傅染病發生時豫防法

實布垤利亞の豫防及治療法‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥三六
猩紅熱豫防法‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥四一
消毒法‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥四三
 (日光曝露…燒却法…煮沸消毒…蒸氣消毒…藥品消毒)
病類による消毒の程度‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥四三
 (甲) 虎列刺、赤痢、腸窒扶私、パラチフスに對する消毒の
    程度
 (乙) 發疹窒扶私、痘瘡、猩紅熱、實布垤利亞に對する消毒
    の程度
附  錄
赤痢、虎列刺、膓窒扶私患家其他の消毒方法施行に
關する心得‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥六三
赤痢、膓窒扶私豫防心得‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥七八
                   三

【図中文字】
第一圖

膓窒扶私菌

(約千倍)

【図中文字】
第二圖

膓窒扶私菌鞭毛

(約千倍)

第三圖
(1) 食道
(2) 胃
(3) 小膓
(4) 盲膓
(5) 大膓
(6) 直膓
(7) 肛門
(8) 肝臟
(9) 脾臟
(10) 膵臟

第四圖

赤痢菌

(約千倍)

第五圖

實布垤利亞菌

(約千倍)

第六圖 頬部を切り上下顎骨を開き舌を前方に牽引し扁
    桃腺を示す

(1) 扁桃腺
(2) 懸壅垂
(3) 舌
(4) 歯

一、瀘床面積一平方メートル(直圣【径】三尺六寸)なる時は一時間約六斗を瀘過す
二、細砂層は最重要なる部分なり其厚さ三尺以下なるべからず
三、毎月一回細砂の表層二三寸を取り清水にて能く洗滌するを可とす
四、全部の細砂層を洗滌して詰め換ふるは毎年一ニ回にて足る
五、寒氣の烈しき處にては常に器内に水を満たせ置き且器の外囲を菰の如きものにて
  包み以て其氷結するを防くを要す

【図中文字】
第七圖
瀘水器

二尺 三尺 一尺

水層 細砂層 粗砂 礫 卵大石
棕梠
有孔板

【文中の「瀘」は「濾」の誤記】

  《割書:袖|珍》防疫必携
    總論
傅染病の定義
 傅染病とは生活せる微生体(顯微鏡によりて初めて認め得
 べき極めて微細なる有機体)が人体若くは動物体内に入り
 て發育增殖するが爲に起り多少重症の一般症狀を呈する疾
 患を云ふ
  微生体 細菌(植物) …例へば膓窒扶私菌、赤痢菌の如し
      原蟲(動物)…例へば「マラリア」、原因たる「マヤ
            リア原虫」熱帶地方に流行する赤痢
            の原因たる「赤痢アメーバ」の如し
                   一

                   二
 上記の定義によれば苟も傅染病と稱する以上は必ず一定の
 微生体ありて之が原因たらざるべからざる筈なれとも實際に
 於ては傅染の事實顯著なるにも拘らず今尚其病原体を發見
 し得ざるものあり然れども是等も亦た早晩其病原体を發見
 し得らるべく期待せらるゝが故に今は病原の不明なるにも
 拘らず之を傅染病中に數へ置くなり
法定傅染病
 法定九種傅染病 病原体の明なるもの…膓窒扶私、パラチフ
         ス、赤痢、虎列刺、實布垤利亞(《割書:格魯布|を含む》)ペスト
         病原体の不明なるもの…痘瘡、発疹窒扶私
         猩紅熱
細菌の區分

 細菌 一、球菌…化膿菌、淋菌の如し
    二、桿菌…膓窒扶私菌、赤痢菌の如し
    三、螺旋菌…虎列刺菌、再歸熱菌の如し
細菌の生活
 細菌の生活に欠くべからざるものは吾人の攝取するか如き
 食物、水分、空氣(例外あり)等にして其他一定の温度(人
 の体溫位を適度とす)を要す故に試験管に牛乳、肉汁、馬
 鈴薯等の營養物を入れ一定の溫度に保つ時は人工的に發育
 增殖せしむることを得、之を培養(●●)と云ふ斯の如く各種の細
 菌を培養する時は各特異の發育狀態を呈するが故に依て以
 て細菌鑑別の有力なる一助となすことを得るなり
細菌の繁殖
                   三

                   四
 桿菌及螺旋菌は先づ其長さを增し中央に於て分裂して二箇
 となる次て分れたるもの直に生長して更に分裂す球菌は初
 め短桿狀となり次て中央に於て分裂す若し營養、温度等適
 當なる時は此の如く連綿分裂して繁殖するなり而して繁殖
 の速度には遲速あれども槪して一箇の細菌は十二時間を經
 れば凡三百四十億箇に增加すと云ふ
    各論
     膓窒扶私
原因 今を距ること三十二年前「エーベルト」氏が膓窒扶私
 患者の屍体より発見したる膓窒扶私菌による該菌は中等大
 の桿菌にして両端鈍圓なり(第一圖)菌体の周圍に十乃至十

 二條の鞭毛あり(第二圖)之に依りて活潑なる運動を營む
抵抗力 温度(●●)―攝氏六十度にて半時間乃至一時間熱すれば死
 滅す 乾燥(●●)―軍服に附着して八十七日間、麻布に附着して
 六十乃至七十日間生活したる例あり 日光(●●)―殊に直射光線
 には長く抵抗することを能はず 藥液(●●)―千倍昇汞及二十倍
 石炭酸水にて半時間にして死滅す 糞便中(●●●)―四ヶ月間生存
 す 埋葬(●●)せる(●●)屍体(●●)―三ヶ月後尚本菌を証明す 土中(●●)―三
 乃至五ヶ月間生存す尚十一ヶ月間生存するを証明したる人
 あり 水中(●●)―水流、水質、温度等外圍の狀況により生存期間
 に甚しき差異あり、從來本菌の水中に於ける生存は二三週
 を出てざるものとせしが近來の研究によりそれよりも遥に
 永く生存し得るを証明するに至れり 牛乳中(●●●)―二十一日乃
 至三十五日間生活す
                   五

                   六
誘因 胃膓病、感冒、心身の過勞等
膓窒扶私菌の巢窟 一、膓窒扶私患者 二、膓窒扶私
 菌携帶者 三、排泄物
 膓窒扶私携帶者(●●●●●●●)に三種あり次の如し
 (イ)膓窒扶私回復後數週間尚本菌を糞便及尿中に排泄する
  者(糞便中には長きは三年半或は數年以上に亘りて本菌
  の消失せざる場合あり尿中には七ヶ月間証明せられたり)
 (ロ)軽症膓窒扶私等にして臨床上膓窒扶私の診斷を下す能
  はずして經過したるものして本菌を排泄するもの(軽症
  膓窒扶私は殊に小兒に多し)
 (ハ)全く健康にして而も本菌を排泄するもの
 排泄物(●●●) 本菌の体外に排泄せらるゝ路は糞便、尿及咯痰の

 三あるのみ故に本菌の巢窟として危險なる排泄物は糞便、
 尿及咯痰の三者なり
膓窒扶私の傅染徑路 膓窒扶私菌の吾人の身体に侵入
 する門戸は只消化器の入口たる口あるのみ而して膓窒扶私
 菌が其巢窟より吾人の口に迄達するの路即ち傅染徑路には
 近道と廻り道とあり直接傅染及間接伝染之なり
 直接傅染(●●●●)とは細菌の巢窟たる患者、菌携帶者及其排泄物に
 直接に接近して傅染する塲合を云ふ
 間接傅染(●●●●)とは或中間物を介して傅染するを云ふ其主なる塲
 合を擧くれば次の如し
 (一)營養品 種々なる飮食物例ば牛乳、豆腐、刺身、野菜等
 (二)水   飮料水又は用水(井戸、掘、川等)
                   七

                   八
 (三)物品 患者の使用したる被服、夜具其他病毒に汚染
      せられたる種々なる物品
 (四)昆蟲 蠅等
 (五)空氣 病毒が衣服器具等に附着し乾燥して塵埃と共
      に空中に飛散するに當り該空氣を口中に吸入
      する場合
 (六)土壤 患者の排泄物等によりて汚染せられたる土地
膓の病變 人若し膓窒扶私菌の侵入を受くる時は本菌は
 主として小膓の下部及盲腸部(右下腹部)等の粘膜に病變を
 起す、即該部は發病第一週に於て充血腫脹し第二週に至れ
 ば腐痂を生し第三週には腐痂剥脫して潰瘍となる第四週に
 至りて潰瘍は治癒に向ひ第五週(快復期)に及ひて全く治癒し

 瘢痕を残す
症候 病の輕重により甚しく差異あれとも中等症に於ては大
 畧次の如し
 潜伏期(●●●) 短きは五六日長きは二三週日通常十日乃至十四日
 前驅症候(●●●●) 全身又は四肢の倦怠、疲勞、食慾不振、腰痛、
  頭痛、耳鳴、血衂、多くは便秘
 發病第一週(●●●●●) 惡寒發熱に始まる、頭痛、眩暈、全身又は四
  肢の倦怠、腰痛、左上腹部刺痛、睡眠不安、食思缺乏、舌苔あ
  り体温(●●)は(●)日々階段狀(●●●●●)に(●)上昇(●●)し(●)一週の末に至れば三十九度
  乃至四十度に達す尚本病の大切なる徴候たる脾臟腫大及(●●●●●)
  薔薇疹(●●●)も一週の末又は二週の初めに現る薔薇疹は胸部及
  腹部に生す腹部は多少膨満し右下腹部(●●●●)に(●)壓痛及雷鳴(●●●●●)あり
                   九

                   一〇
  便通は一定せず初期には多く異常なく或は僅に秘結する
  も第一週の終り或は第二週の初めより過半數に於て下痢
  (一日二三回乃至四五回)を發す便の性質は特異にして
  稀薄淡黄色(豌豆羹汁様便(●●●●●●))を呈す
 第二週(●●●) 体温(●●)は(●)三十九度乃至四十度に達して稽留(●●)す(●)脉搏(●●)は(●)
  熱(●)に(●)比(●)して(●●)少(●)く(●)四十度の熱に於ても九十乃至百位なり患
  者は無慾(●●)の(●)顏貌(●●)を呈し聽力の障害を來すことあり或は不
  眠又は反対に嗜眠に陷り時々 譫語(●●)を發す又殆と常に氣管
  枝加答兒を起し咳嗽を發す
 第三週(●●●) 熱(●)は(●)朝夕(●●)の(●)差著(●●)しく(●●)(一度乃至二度以上)なり諸症
  漸次減退し患者は輕快の感ありされど重症の塲合には此
  期に於て心臟衰弱、膓出血又は穿孔性腹膜炎等を起して

  死亡することあり
 第四週(●●●) 諸症益減退し此週の終りに於て漸く無熱となる
 第五週(●●●) 体温は三十六度乃至三十六度五分となり食慾亢進
     し体力增進す
診斷 上記の徴候を完備する時は診斷容易なるも初期に於
 て未だ本病の特徴を發せざる時又は輕症の塲合には臨床上
 の診斷は殆不可能なることありかゝる際には細菌學的診斷
 に依らざるべからず即次の如し
 (一)ウィダール(●●●●●)氏反應(●●●)(凝集反應(●●●●))檢査(●●) ウィダール氏反應と
  は初めて此試驗を行ひたる人がウィダール氏なるにより
  斯く名けたる者なり此檢査に要する者二あり一は患者の
  上膞又は胸部に發疱膏と稱する膏藥を貼して得たる液
                   一一

                   一二
  (發疱液(●●●))にして一は膓窒扶私菌を一定の割合に食鹽水に
  混したる菌液(所謂 膓窒扶私診斷液(●●●●●●●))なり今此兩液を試驗
  管内に於て種々なる割合に混和する際膓窒扶私菌凝集し
  て雲絮狀を呈するを見ばウィダール氏反應陽性と稱し其
  患者は膓窒扶私なりと診斷す若し之に反し膓窒扶私菌凝
  集せざる時はウィダール氏反應陰性にして膓窒扶私に非
  ずと認定す該反應は發病後通常七日乃至十日頃に現出す
  るも早きは第二日に於て旣に現はるゝことなきにあらず
  而して此試驗に要する時間は三乃至二十四時間なりとす
 (二)培養試験(●●●●) 通常患者の糞便、尿或は血液を採りて培養し
  以て膓窒扶私菌の有無を檢す此試驗に要する時日は三四
  日なりとす而して試驗の結果若し膓窒扶私菌を見出し得

  れば其患者の病は即膓窒扶私なるや明なり但し糞便中に
  は發病後五日以内に於て已に本菌の排泄を見るヿあるも
  最多量に現るゝは發病後第二週及第三週なり、尿中には
  第一週の終り或は第二週以後に現るゝヿあるも多くは恢
  復期及其以後に來る而して血液中の膓窒扶私菌は發病第
  一週に於て最多く存在するが故に「ウィダール氏」反應の
  未だ現出せざるに旣に血液の培養によりて陽性成績を得
  ることあり
 上記二種の試驗は本縣衛生課に於て何時にても施行し得る
 か故に必要ある場合には患者より發疱液及糞尿を採取し(血
 液は警察醫出張して採取すへし)淸潔なる小瓶に入れて密栓
 し封臘又は鬢附の如きものにて封じ堅固なる容器(底のあ
                   一三

                   一四
 る竹筒に木栓を施し或はブリキ茶入罐等)に納め成るべく
 迅速に郵送せられたし(赤痢の糞便を送附せらる々塲合亦
 同じ)但赤痢便採取の際は可成粘液又は粘液血液の部分を
 撰ぶを可とす而して郵送する際には容器の上に檢査物在中
 醫師何某藥剤師何某又は何々役塲何々警察署と記すを要す
免疫性 一旦本病を經過すれば免疫性を得るが故に再感す
 るもの稀なり但し絕無にはあらず
     パラチフス
原因 一八九六年(明治二十九年)アシヤール及びベンソード
 氏の発見したるパラチフス菌(中等大の桿菌)に因る
症候 槪して稍輕症なる膓窒扶私に似たり或は膓窒扶私と

 は多少異りたる症候を呈することあるも單に症候のみに依り
 て本病の診斷を確定することは極めて困難なるが故に疑はし
 き塲合には是非共細菌學的診斷(發疱液及糞尿檢査等)に依
 らざるべからず
傅染の關係其他殆んど膓窒扶私に同じ
     赤痢
原因 明治三十年東京に於ける赤痢流行に際し志賀博士の
 發見せられたる赤痢菌(膓窒扶私菌より稍短き桿菌にして
 鞭毛を有せず(第四圖)従て運動なし)に因る但し其後の研究
 により赤痢菌は志賀菌(本型菌)一種に非ずして多少宛性質
 を異にせる所謂異型菌の存するを知るに至れり又主として
                   一五

                   一六
 熱帶地方に流行する赤痢の原因は赤痢にあらずして赤痢
 アメーバと稱する原虫なり
 抵抗力(●●●) 膓窒扶私菌に比すれば幾分か弱き點なきにあらざ
 るも畧相似たり
誘因 暴食過飮、腐敗食物又は不熟果物の攝取、便秘、腹
 部の冷却等
赤痢菌の巢窟 (一)赤痢患者 (二)赤痢菌携帶者 (三)排泄物
 赤痢菌携帯者(●●●●●●)に三種あり即次の如し
 (イ)赤痢回復後十九日間尚本菌を糞便中に排泄せるを証明
  したるものあり然れとも又數ヶ月の長きに亘るものなきに
  あらさるか如し
 (ロ)輕症赤痢にて而も赤痢の診斷を受くることなく治癒した

  るものにして本菌を排泄するもの少からず
 (ハ)全く健康にして尚且本菌を排泄するものあり
 排泄物(●●●)として危險なるは唯糞便あるのみ何となれば赤痢菌
 の体外に排泄せらるゝ路は一に糞便に依るのみなればなり
赤痢の傅染經路 膓窒扶私の場合に同じ
膓の病變 本病に於ては主として直膓及其上部(左下腹
 部に病變を呈す然れとも又小膓を侵す塲合なきにあらず殊に
 小兒に於て然りとす而して其變化は初め粘膜充血腫脹し諸
 處に無數の小出血點を生ず次て粘膜表面に膜様物を生し痂
 皮狀となる痂皮は遂に剝脫して潰瘍となり終に瘢痕を生し
 て治癒す
症候 潜伏期(●●●) 通常に三日なれ𪜈又三日乃至八日なること
                   一七 

                   一八
 あり
 前驅期(●●●) 之を缺き又は數日間の便通異常或は稀に倦怠食思
  不振、舌苔、嘔吐、腹部の雷鳴及疼痛等を訴ふることあり
 發病(●●) 數回の下痢(●●)を以て初まり漸次回數を增し一日數十回
  甚しきは百回以上に達す便(●)には(●●)粘液及血液(●●●●●)を(●)混(●)し(●)便通時
  に腹部雷鳴(●●●●)、腹痛(●●)、左下腹部(●●●●)の(●)壓痛(●●)、裏急後痛(●●●●)(便通あるも便
  意止まず肛門部に苦痛あるを云ふ)を發す、輕症(●●)なるは發
  熱もなく食慾も害されず數日にして恢復し中等症(●●●)は体温
  卅八度前後に達し食慾欠損、嘔気、胃部苦悶、頭痛等あり一
  二週の後治癒す重症(●●)は初期より高度の發熱あり全身の苦
  悶頭痛を訴ふ尿量は減じ食慾は乏失す大便は腐肉様にし
  て臭氣甚し斯くて一二日にして死亡するものあり小兒(●●)の(●)

  赤痢(●●)に於ては發熱甚しく痙攣を發し嘔吐を來す便通は全
  く無く或は僅に一日一ニ回の下痢(粘液便或は粘液血液便)
  あり發病後十二時間乃至四十八時間内に死亡するものあ
  り
診斷 前記の症状完備する時は容易なれとも輕症なる時單
 純膓カタルとの鑑別困難なることあり小兒の赤痢に於ては
 屢腦膜炎と誤診せらる又小膓の赤痢或は盲膓部の赤痢は其
 症狀頗る膓窒扶私に類似し殆んと其何れなるかを診定する
 能はさることありかゝる塲合には糞便の細菌學的檢査に依ら
 さるべからず「ウィダール」氏反應は膓窒扶私の如く初期に
 發現せさるが故に診斷上に應用しうる塲合割合に少なし
免疫性 一旦本病に罹るも長く免疫性を保有せず時として
                   一九

                   二〇
 は再感することあり
     實布垤利亞
原因 一八八三年(二十九年前)「クレープス」氏の發見に係
 り實布垤利亞(中等大の桿菌にして棍棒狀を呈し(第五圖)
 運動なし)にして本病の病狀は本菌の產生する毒素により
 て起る中毒症狀なり
 抵抗力(●●●) 溫度(●●)…攝氏五十八度にて十分間にて死滅す 乾燥(●●)
 …玩具に附着して六ヶ月間生存せし例あり 藥品(●●)…千倍昇
 汞水又は二十倍石炭酸水中にては半分時間にして死す
誘因 感冒等
 年齡(●●)は大に關係あり哺乳兒は本病に罹る少く二歳乃至十歳

 に於ては最屢感染しそれより漸次減少し大人の侵さるゝは
 比較的稀なり
實布垤利亞菌の巢窟 (一)實布垤利亞患者 (二)實布垤利
 亞菌携帶者 (三)義膜及分泌液
 實布垤利亞菌は實布垤利亞患者の義膜中及義膜の附着せる
 粘膜面に局在す從て唾液喀痰は最も危險なり而して本菌は
 該粘膜部に於て本病回復後通常數日の後消失するも所謂菌
 携帶者に於ては往々三週乃至三ヶ月の後尚本菌の遺存を認
 むることあり又大人に於ては其咽頭に强毒の本菌を有しつゝ
 も全く健康にして何等の症候を呈せさるものあり
實布垤利亞傅染徑路 (一) 直接傅染(●●●●) 患者の咳嗽時等に
 ありて義膜又は分泌液直接に健康者の口鼻に達するによる
                  二一

                   二二
 (二) 間接傅染(●●●●) 患者の使用せる飮食器、衣類、玩具等に義膜又
 は分泌液附着せる際健康者は是等の物品を介し又は物品に
 觸れたる手を介して病毒を口鼻に送入するによる尚本菌薼【塵】
 埃に混して飛散し空氣を介して傳染することあり
症候 潜伏期(●●●) 二日乃至七日
 發病(●●) 多くは惡寒若くは戰慄を以て起り体温上昇し咽頭部
 に疼痛を發す殊に嚥下時に於て然り此際開口せしめ舌を壓
 して咽頭を檢するに兩側の扁桃腺(第六圖)は發赤腫脹し灰
 白色の義膜又は黄色の分泌物を認む之れ咽頭實布垤利亞の
 症候なるも進て喉頭實布垤利亞(一名喉頭クループ)を續發
 する時は聲音嘶嗄し一種の特有なる犬吠樣咳嗽を發す吸息
 は延長し一種の響を帶ぶ斯くて呼吸困難增進し遂に窒息に

 陷りて死亡す
診斷 前記の症狀著明なる時は診斷を誤らざるも若し明な
 らざる時は義膜の細菌檢査により確定することを得べし
免疫性 罹病後は一定の免疫性を得るも人により其期間に
 長短あり從て再感し或は甚しきは一年間に三回本病に罹り
 し例あり
     猩紅熱
原因 未だ明ならず
病毒の所在 病毒は恐くは皮膚(水胞液、落屑)及咽頭、鼻
 腔等の粘液内に存するものゝ如く尚延て周圍の諸物に附着
 し長く傳染力を保有す
                  二三

                   二四
傳染徑路 直接(●●)に患者に接觸し或は間接(●●)に什器、玩具、
 書状、空氣等を介して傳染す而して病毒の侵入門(●●●)は呼吸器、
 皮膚の創傷及消化器粘膜殊に咽頭ならん
罹病年齢 二歳乃至七歳の小兒は最多く本病の侵す所と
 なる大人も亦感染することあり
症候 潜伏期(●●●) 一日乃至七日
 發病(●●) 惡寒(●●)若くは戰慄(●●)を以て初まり次て体温三十九度乃至
 四十度に達し脈搏增し惡心、嘔吐(●●)、心悸亢進、全身倦怠、頭痛
 を伴ふ而して患者は咽頭(●●)の(●●)疼痛(●●)を訴へ爲に嚥下困難(●●●●)に苦む
 此際開口せしめて檢するに顯著なる咽頭の發赤腫脹を認む
 次て頸部に於て本病の特徴たる赤色(●●)の(●)發疹(●●)現はれ一二日間
 にして全身(●●)に(●)蔓延(●●)す但し頣部及鼻部(●●●●●)は(●)蒼白色(●●●)を呈す此期に

 於ける舌(●)の(●)狀態(●●)を見るに深紅色にして凹凸あり恰も猫舌(●●)の
 如し而して發疹は三四日間持續するの後徐に褪色を初め其
 後一週を經て皮膚は平常の外觀に復し次て落屑(●●)(多くは膜
 狀)を生ず体溫は發疹の褪色と共に漸次下降す斯くて發病
 後第四週の終りに於て全癒するものなり
免疫性 一回本病に罹る時は多くは免疫性を得れとも時とし
 て三四回感染するものあり
     《割書:膓窒扶私、パラ|チフス、赤痢》豫防法
豫防法は之を(甲)傅染病の未だ發生せさる塲合と(乙)其己【已】に
發生したる塲合とに分つことを得
(甲) 傅染病未發生時即平時(●●●●●●●●●●)の(●)豫防法(●●●)
                  二五

                   二六
 (一)淸潔法を勵行すること 家屋及其周圍の淸潔殊に便所及
  井戸の構造に注意し病毒の土地及水中に侵淫するを防き
  溝渠を渫ひ下水の疏通を計るべし(上下水の完全なる設
  備をなさば固より申分なし)又屢厩舎の掃除を行ひ以て
  蠅の發生を防ぐを要す(旣に發生したる蠅に對しては蠅
  取の方法を講し食品には蠅等の來襲を防く爲に蚊帳覆を
  用ふべし)
 (二)身体の健康に注意すること 感冒及胃膓障害等は屢傅染
  病感染の誘因となるが故に平素十分に注意して身体の健
  康を保持するを要す即日常殊に傅染病流行期に近かば飮
  料水は勿論盥嗽の際又は食器の洗淨等にも必ず一旦煑沸
  したるものを用ひ食物は煑或は燒きたるものにあらされ

  ば食せさるを安全とす
  尚會葬等の際は成るべく飮食せさるを可とす何となれば
  會葬時の飮食によりて俄然傅染病の爆發を見ること少な
  からざればなり若し飮料水にして夾雜物多き時は濾水器
  にて濾過したるものを煮沸して用ゆるを良とす(第七圖)
 (三)衛生展覧會、衛生講和又は幻燈等によりて一般衛生思想
  の發達を計ること
 (四)菌携帶者に對する所置をなすこと
  膓窒扶私又は赤痢の流行一旦止みたる後數週乃至數ヶ月
  の間隔ありて更に發生し而も其傅染徑路不明なる場合多
  しこれ主として菌携帶者なるものが其源泉をなすものな
  るが故に平時に於て菌携帶者の排泄物を消毒するは防疫
                  二七

                   二八
  上極めて重要のことなりとす然れとも何人が菌携帶者なる
  やを知るは極めて手數を要するを以て寧ろ流行期に先つ
  一か月の頃より一定期間前年流行したる大字或は全町村
  の各人悉く上圊毎に成るべく多量の石灰を投入して糞尿
  の消毒をなす時は若し菌携帶者ありとするも最早他に傅
  染するの危險割合に少きに至るへし
  若し出來得へくんは流行ありし町村及附近の町村は町村
  費又は衛生組合費を以て一定の人夫を雇ひ上け之に石灰
  乳を持たせ毎日一回各戸の便所に對し之を注入せしむる
  の方法を採るを尤も安全なりとす而して此塲合には人夫
  の作業を監督する爲め衛生組合役員又は町村吏員は必す
  人夫に附隨すへきものとす

 (五)若し傅染病流行地より來り又は流行地に往復したる者あ
  るときは該病の潜伏期間内發病するや否やを監視すべき
  こと
(乙) 傅染病發生時(●●●●●●)の(●)豫防法(●●●)
 (一)前揭せる平時豫防法を更に嚴行するを要す殊に蠅の驅除
  に付ては特別の注意を拂い飮食の際は蚊帳内に於て爲す
  を可とす
 (二)隱蔽の弊を矯正せさるべからず
 (三)疑はしき患者を成るべく早く發見して醫師の診察を受け
  しむること肝要なり
 (四)本縣在住の醫師にして膓窒扶私、パラチフス、赤痢患者
  及赤痢疑似症を診察したる塲合には之が届出をなすべき
                  二九

                   三〇
  義務あることは勿論なるも若し膓窒扶私に類似の點あるも
  未だ膓窒扶私なりと斷定し能はざるが如き塲合には之を
  注意患者として一應申告すると同時に早期診斷の方法を
  講し患者には萬一を慮りて消毒等を實行せしむる様にな
  すを可とす
 (五)傅染病患者を早期に診斷することは其蔓延を豫防する上
  に於て頗る大切なる事に屬す若し臨床上決定し難き塲合
  には發疱液、尿(膓窒扶私、パラチフス)糞便(膓窒扶私、
  パラチフス、赤痢)を採りて細菌學的檢査をなし以て診斷
  を確定するを要す
 (六)患者發生せば少くとも其發病前膓窒扶私、パラチフスは三
  週前赤痢は八日前に遡り左の事項を調査して傅染系統を

  確め以て適切なる豫防消毒の法を講せさるべからず
 (イ)患家に於て近時病者又は死者あらざりしか若しありしと
   すれば其發病病月日及病狀は如何
 (ロ)患者及其家族が傅染病若くは傅染病の疑ある病者死者あ
   る家又は有りし家若くは傅染病流行地との間に直接間接
   の交通ありしや若しありしとすれば其際飮食せしことあ
   りや便所を使用したることありや又は物品を受取りたる
   ことありや否や
 (ハ)患者又は家人にして病毒汚染の疑ある河川、溝渠、井戸等
   を使用したることありや
 斯く如く調査するも尚最近の事實に於て傳染の系統を見出
 すことを得さる塲合少からず是れ調査の不充分なるかため
                  三一

                   三二
 か或は恐くは菌携帶者之が源泉をなしたるものなるへし
 (七)傅染病患者發生の届出ありたる時は患者は成るべく速に
  傅染病院又は隔離病舎に収容するを原則とし自宅の治療
  は十分の條件を具備するにあらさればなさしめさるを可
  とす
 (八)患者を傅染病院若くは隔離病舎に送りたる後患家殊に病
  室を初めとし患者の使用したる食器並に家族の食器、衣
  類、夜具、其他の物品を消毒せさるべからず殊に汚染の
  疑ある井戸及患者の出入したる便所の消毒(戸、引手、内
  壁、床、睪隱、手洗鉢、柄杓、手拭、草履等迄)には注
  意せさるべからず而して消毒を終りたる便所は直に使用
  し得べく糞尿は消毒後一週を經れば肥料に供するも妨げ

  なし
 (九)腸窒扶私、パラチフスに對しては交通遮斷及健康者隔離
  の必要を認めさるは勿論なるも赤痢發生の際には村落に
  在りては交通遮斷及隔離を行ふこと必要なり但し市街地
  と雖も必要ありと認めたる塲合は之を行ふことあるべし
 (十)患者發見後赤痢は十日間腸窒扶私、パラチフスは二十日
  間患者の家族又は家族以外の者と雖も病毒に汚染し或は
  汚染の疑あるものには上圊毎に石灰末を投入せしめ尚患
  者の治癒後赤痢は二十日間腸窒扶私は一ヶ月以上成るべ
  く長く上圊毎に石灰末を投入せしめ同時に石炭酸水を以
  て手指を消毒せしむべし尚時々褌等の消毒を行ふを可と
  す又腸窒扶私、パラチフス回復者は一定期間尿中にも尚
                  三三

                   三四
  該細菌を排泄するが故に便所以外の放尿は成るべく禁せ
  さるべからす然れとも赤痢患者及赤痢回復者の尿中には赤
  痢菌を排泄せず従て尿を消毒する必要なし
 (十一)患者發生後に於ける病毒散蔓の程度を知るは豫防上必要
  の事に屬するが故に少くとも左の各項を調査し適切なる豫
  防措置を講するを要す
  (イ)患者發生後の家族の健康狀態如何
  (ロ)患者發病後患者及其家族が他家を訪れたることありや
   又は他より患家に來りしものありや
  (ハ)若しありしてとすれば其際飮食物攝取、便所使用、物品授
   與等の事なかりしや
  (二)患者排泄物の処置を如何にせしや

  (ニ)患家に於て使用したる河、堀、井戸等を使用したる人あ
   りや
 (十二)前項調査の結果患家以外の家屋、井戸、便所等にして病毒
   に汚染し若しくは汚染の疑ある塲合にも之が消毒を行ふべ
   きは論を俟たず
 (十三)患家に交通したる人あらは其人の着衣、食器等に対し消
  毒方法を施行し赤痢は少くも十日間膓窒扶私、パラチフ
  スは二十日間其人に對し相當の監視をなすべし
 (十四)病毒汚染の溝渠は消毒を行ひ河川は一定期間使用(勿論
  遊泳も)を禁ずべし
 (十五)患者發見後患家に對しては凡二週間尚其附近に對しても
  一定期間健康視察又は健康診斷をなすを可とす
                  三五

                   三六
 (十六)疑はしき死者あらば之を檢案するを要す
 (十七)多人數の會食を禁ずべし
 (十八)流行の勢猛烈にして容易に消滅の傾向なき時は必要と認
  むる範圍内に豫防注射(●●●●)を行ふを可とす其有効期間は半ヶ
  年乃至一ヶ年なり但し豫防注射によりて全然罹病者を斷
  つ能はされとも大に其數を減少し且假令發病するも多くは
  輕症にして治癒の速なると死亡數を減ずることは統計の
  示す所なり
 (注意)後に揭くる「病類による消毒の程度」及巻末の附録参
 照
     實布垤利亞の豫防及治療法

一、小兒をして感冒に罹らしめざる様平素の注意肝要なり
二、小兒にして惡寒又は戰慄、發熱、咽喉部疼痛、咽頭發赤、義
 膜附着、聲音嘶嗄、特有の咳嗽等疑はしき症狀の一二を呈す
 ることあらば直に醫師の診察を受くること必要なり
三、斯くして實布垤利亞の診斷を早期に下すを得ば實布垤利
 亞血清の注射によりて治癒するを得べし若し本病にあらさ
 るも注射せる爲に害を來すこと無し故に疑はしき場合には
 寧ろ早く直に血淸療法を施すを可とす
四、若し醫師の診察を受くること遅く從て血淸注射の時期後
 るゝ時は折角の注射も其効なく遂に死の傳歸を取るの巳【已】む
 なきに至るべし
五、假令早期に診斷したりとするも交通不便の地にして直に
                  三七

                   三八
 血淸を得る能はさるが如きことあらば遺憾乍ら手を拱いて
 患兒を死に赴くを傍觀するの外なし故に之を救ふの途他な
 し各町村役塲に於て平時血淸を購入貯藏し置くにあり
六、血淸注射によりて治癒するは血淸の成分によりて實布垤
 利亞菌の產生する毒素を中和するが爲にして實布垤利亞菌
 を殺滅するが爲にあらず故に血淸注射後と雖も本菌は尚一
 定期間無害の儘病竈部に生存するものなり但し傳染力は依
 然として存在するか故に他人を侵すことは勿論なり
七、血淸注射後時として早きは一二日遲きは一二週の後發疹
 し或は稀に關節痛、筋肉痛等を發し体溫少しく上昇する等
 の副作用あれとも是等の症狀は多くは一二日にして消失する
 が故に決して危險なるものにあらず

八、患者發生せば其家に甞て實布垤利亞患者ありしか又は近
 時實布垤利亞患者に接したることありや若くは實布垤利亞
 患者の使用したる物品に觸れたることありや家族就中母親
 に咽頭炎等なきや否やを調査して傅染系統を明にすべし
九、患者發病後患家を訪問したるもの(殊に小兒)ありしや若
 しありしとすれば其人に對し其後の健康狀態に注意せざる
 べからず
十、患者の家族殊に健兒に傳染するを確實に豫防せんと欲せ
 ば宜しく實布垤利亞血淸の豫防注射を行ふべし但し其有効
 期間は二三週に過ぎす
十一、實布垤利亞患者は之を隔離し成るべく専任の看護者を
 定むへし
                  三九

                   四〇
十二、若し患者を別室に隔離したる塲合には是迄の病室は勿
 論病毒汚染の虞ある室、患者の使用せる器具及家族の食器
 類等は適宜に消毒するを要す
十三、井戸、便所、下水溝、薼溜等は患者の使用したる飮食器、
 衣類、玩具等によりて汚染せられ若くは其疑ある塲合に限
 り消毒すべし
十四、病中患兒及看護者の食器等は毎回煮沸消毒すべし
十五、看護に従事したるものは被服及手を消毒すたる後にあ
 らざれば健児を触るべからず
十六、患者全快後病室及患兒に關係ある諸物品を嚴重に消毒
 すべきは云ふまでもなし但し床下等を消毒するの必要殆と
 なし

十七、症狀は全く快復するも其後尚數日或は三週乃至三ヶ月
 間咽頭部に實布垤利亞菌を存し傳染力依然たるが故に該期
 間は成るべく食器等の消毒を持續し少くとも快復後四週間は
 登校を禁するを可とす
(注意)後に揭くる「病類による消毒の程度」参照
     猩紅熱豫防法
一、猩紅熱流行地と交通上の關係あるものに對しては該病の
 潜伏期間發病するや否やを監視すべし
二、惡寒、發熱、嘔吐、咽頭疼痛等の疑はしき症狀ある塲合には
 速に醫師の診察を受くること必要なり
三、患者發生の届出ありたる時は患者は成るべく速に傅染病
                  四一

                   四二
 院又は隔離病舎に収容するを原則とすること膓窒扶私赤痢
 等の場合に同じ
四、患者を入院又は入舎せしめたる後の消毒方法は後に揭く
 る「病院による消毒の程度」を參照すべし
五、患者發生せば其家に甞て猩紅熱若くは猩紅熱に疑はしき
 患者ありしか又は近時猩紅熱患者に接したることありや若
 くは該患者の使用したる物品に觸れたることありや等を調査
 し以て其傅染系統を明にすべし
六、患者發生後に於ける病毒散蔓の程度を知り以て適當なる
 豫防処置を爲さんが爲めに少くとも左の各項を調査するを要
 す
  (イ)患者發生後の家族の健康狀態如何

  (ロ)患者發病後患者及其家族が他家を訪れたることありや
   又は他より患家に來りしものありや
  (ハ)患者に接觸したる物(衣類器具等)又は痰壺等の處置如
   何又夫等の物によりて汚染せられたる河、堀、井戸等を
   使用したる人ありや
七、患者發見後患家に對しては少くも一週間尚其附近に對し
 ても一定期間健康視察又は健康診斷をなすを可とす
八、患兒は快復後六週間登校を禁するを可とす
     消毒法
消毒(●●)とは汚染せる傅染病毒を殺滅するを云ふ而して消毒法を
別ちて日光曝露、燒却法、煑沸消毒、蒸氣消毒、藥品消毒の五とす
                  四三

                   四四
(甲)日光曝露(●●●●) 病毒の附着せる疊、家具等を直射日光(曇天の
  際又は障子越の光線は力弱し)に曝すこと數時間なる
  時は稍や消毒の目的を達することを得べし尚數日間之を
  反覆すれば愈可なり但し日光の殺菌作用は唯表部にのみ
  行はれ深部に迄及ばざるの欠點あり故に此方法は他の消
  毒法を行ひたる後其効力を確實ならしむる爲に行ふとこ
  ろの補助の方法となすへく只單獨に日光曝露にのみ依り
  て消毒の目的を達すべしと思料するは不可なり
(乙)燒却法(●●●) 此法は確實に消毒の目的を達し得れとも之唯廉價
  にして消毒後再び實用に供する目的なき物か又は消毒の
  費用却つて其物品より高價なる物にのみ應用すべきもの
  なり而して燒却の際は完全に燒却して餘りなき様注意す

  べし彼の傅染病の屍体を火葬に附するは即燒却による消
  毒法に外ならず
(丙)煮沸消毒(●●●●) 煮沸消毒は最も簡單なる消毒方法なり即ち釜
  鍋の如き器に消毒すへき物品を入れ一定時間煮沸すれは足れり
  一、煮沸消毒に適する物品は次の如し
   (イ)硝子器、陶磁器、木製品(都合により藥品消毒、蒸氣
     消毒にても可なり)
   (ロ)衣類、臥具、布片類(蒸氣消毒器ある時は蒸氣消毒
     を可とす)
  二、煮沸釜の内部には之に適合する籠を備へ其中に被消
   毒物を投入するを便とす
  三、煮沸の際は器物を全部水中に浸し蓋を被ふべし
                  四五

                   四六
  四、糞便、尿等の排泄物は提環を附したる石油空鑵に入
    れ之を三叉に釣し下方に火力を加へ時々攪拌するを
    可とす其際内容は下方三分の一位迄を適度とす若し
    排泄物少量なるか又は水分に乏しき塲合には適宜に
    水を加ふべし
  五、すべて煑沸時間は沸騰後少くも三十分間持續すべし
(丁)蒸氣消毒(●●●●) 之れ消毒法中に王とも稱すべきものにして之
  には蒸氣消毒器を使用す其際注意すべき事項次の如し
  一、蒸氣消毒に適する物品……衣類、夜具、布片、硝子器、
    陶磁器、木製品、金屬製品等
  二、蒸氣消毒に滴せさる物品……革類、漆器、護謨製品、糊
    附品、膠附品、毛皮、象牙、鼈甲、角類、諸種の排泄物等

  三、被服類は豫め檢索し彈藥、燐寸等爆發又は發火し易
    き物品ある時は之を取り出すべし
  四、不潔なる物又は消毒中他物に染色の虞ある物は淸潔
    なる物品と混同積載すべからず
  五、數多の衣類等を嚴密に束包したる儘積載する時は蒸
    氣の滲透十分ならざるの虞あるが故に消毒物品の積
    載は成るべく緩踈なるをよしとす
  六、消毒器内に被消毒物を納むる際には消毒衣を着用し
    て事に從ひ運び入れたる後は直に其手を石炭酸水に
    て消毒し然る後蓋をなすべし而して消毒完了の上は
    淸潔なる消毒衣を着し消毒したる手を以て取り出す
    べし
                  四七

                   四八
  七、消毒時間は攝氏百度の蒸氣に觸れしむること一時間
    以上なるを要す
(戊)藥品消毒(●●●●)

      イ、石炭酸
 石炭酸水製法(●●●●●●) 石炭酸は最も廣く用ひらるゝ消毒薬にし
  て白色針狀の結晶をなす光線に遇へば赤褐色に變すれ
  とも消毒力には變化なし、而して消毒の目的には二十倍
  稀釋(結晶石炭酸五分、鹽酸一分、水九十四分)を用ふ其
  製造法は先づ一瓶(一ポンド入)の結晶防疫用石炭酸を
  爐邊又は湯中にて溶解し之を大なる容器に移し少量の
  水(温湯を用ふれば溶解速なり)を加へて能く攪拌又は振

  蘯し(瓶を用ふる塲合)次て再び少量の水を加へて攪拌
  又は振蘯す此の如く幾度となく繰り返し水四升七合五
  勺(嚴格に言はゝ此の如くなれとも普通には一磅の石炭
  酸に水五升と記臆しても差支なし、一番の「バケツ」は
  水五升入なるが故に一磅の石炭酸を以て一番「バケツ」
  に一杯の水に溶解すれば即ち二十倍の石炭酸水を得へ
  きなり)を加ふれば初め白色に溷濁せし液は透明とな
  る尚之に純䀋酸約四勺(七十八立方センチメートル)を
  加ふれば所要の廿倍石炭酸水を得べし斯の如く製した
  る鹽酸加石炭酸水は鹽酸加へさる石炭酸水に比ぬれ
  ば消毒力遥に强し
二十倍石炭酸水用法(●●●●●●●●)
                  四九

                   五〇
  一、使用に先ち毎回振蘯するをよしとす
  二、吐瀉物及其他の排泄物には同容量を加へ丁寧に攪拌
    すべし
  三、家具、疊、床板、側壁、柱及前記の蒸氣消毒に不適當な
    る物品等の消毒には石炭酸水に浸したる布片を以て
    丁寧に洗拭するか又は大なる噴霧器にて十分に噴霧
    すべし但し毛皮製品の有毛面は石炭酸水を以て濕し
    たる刷毛にて反覆擦拭したる後乾燥し更に日光に曝
    露すべし
  四、手指等を消毒するには石炭酸水中に浸漬して十分に
    擦拭し更に溫湯及石鹼を用ひて洗滌すべし
  五、衣類布片等の消毒には鹽酸を加へさる石炭酸水中に

    數時間浸漬したる後普通の如く洗濯す
  六、傅染病患者死亡する時は屍室に移すに先ち其被服に
    石炭酸水を十分に撒布し又は石炭酸水に浸したる布
    片を以て全身を被包すべし
  七、傅染病患者又は死体の運搬器は使用の都度石炭酸水
    にて擦拭すべし
      ロ、石灰
生石灰(酸化カルシウム)は炭酸石灰を灼熱して製したるもの
なり故に又煆性石灰とも云ふ、本品は元來塊狀をなせとも若し
之を外氣中に曝露すれば氣中の水分吸取して粉末に變ず之
れ即ち生石灰灰末(水酸化カルシウム)なり尚之れを其儘に放置
                  五一

                   五二
すれば遂に氣中の炭酸を攝取して炭酸石灰に復すべし此の如
く炭酸石灰に化する時は消毒力微弱となるものなり、而して
消毒用としては常に生石灰末若くは石灰乳と爲して使用す
生石灰末製法(●●●●●●) 生石灰塊に少量の水を注加する時は高熱を發
 し爆破して白色の粉末となる是れ即ち生石灰末なり此の如
 く生石灰末製造に當りては熱を發するが故に破裂し易き器
 物内に於てすべからず
石灰乳(●●●)の(●)製法(●●) 右の如くして生したる生石灰末に更に水を徐
 々に混和して充分に攪拌すれば白色乳狀の液となる是れ即
 ち石灰乳なり、規定によれば生石灰一分に水九分を加へた
 るもの即十倍石灰乳として使用す故に一鑵の生石灰(約五
 貫目)に水一石加ふれば所定の石灰乳を得べし或は一鑵

 の生石灰を十分し其一分(凡五百目)を取りて一斗入石油空
 鑵に入れ攪拌しつゝ水を注加し鑵の口邊に至るを度とす
用法(●●)
 一、生石灰末及石灰乳は共に用に臨みて其直前に之を製す
  るを要す何となれば製造後時を經るに從ひ漸次炭酸石灰
  に化し其消毒力を減弱すればなり、故に一度生石灰の鑵
  を開く時は之を其際残りなく使用し盡すを原則とせさる
  べからず但し殘部を直に密封すれば差支なし
 二、生石灰末及石灰乳は吐瀉物其他の排泄物、溝渠、薼【塵】溜、
  井戸、浴槽等の消毒に適す從來屢床下に用ひられたしともそ
  は病毒に汚染し若くは汚染の疑ある塲合に限り用ふるを
  良とす而して其際の用量は地面を見るを得ざるを度とす
                  五三

                   五四
 三、石灰乳はペンキ塗面の消毒に適せず
 四、石灰乳は用に臨み丁寧に攪拌すべし何となれば靜置す
   る時は其上層稀薄となればなり
 五、生石灰末は少くとも被消毒物(例之は糞便)の五十分の一
   容量を用ひ石灰乳は四分の一容量を混し(石灰鑵を開
   封の儘放置したるもの又は普通の俵入石灰末を代用す
   るの巳【已】むを得さる塲合には生石灰の倍量を用ふべし)
   其際十分に攪拌するを要す若し攪拌不十分なる時は消
   毒の目的を達すること能はず
 六、石灰乳を以て牀壁の消毒に用ふることあれとも効力充分な
   らず况や雪隱のはめ板等に點々的に散布するに於てを
   や此の如きは啻に効なきのみならず外觀上甚た不体裁

   にして隅々以て消毒從事者の無學なるを表示するもの
   と謂ふへく徒に具眼者の嘲笑を買ふに過きす
 七、井戸、浴槽、糞池等の消毒に要する石灰の分量は別表の
   如くし能く攪拌したる後十二時間以上放置して再三井
   戸浚ひをなすべし
 八、傅染病の死体を納棺するには棺底に生石灰又はクロー
   ル石灰を入れ或は木灰、藁灰、鋸屑等の吸収性物質を敷
   き汁の棺外に漏るゝを防くべし
      ハ、格魯兒石灰(晒粉)
クロール石灰は白色の粉末なり日光に觸れ又は温度上昇する
時は分解を起して爆發することあるが故に之を貯藏するには
                  五五

                   五六
冷暗所に置かさるべからず
用法は二〇倍液(クロール石灰五分水九十五分)となし石灰乳
と同量に且同一の場合に使用するものとす但し用に臨みて製
すべし
      二、「クレゾール」水
クレゾール水を製するにはクレゾール石鹼液(褐色)六分に水
九十四分を加ふべし
クレゾール水は石鹼を含むが故に各種物件殊に不潔なる床板
等の消毒に適し其容量及應用は石炭酸に準ずべし
此外 千倍昇汞水(○○○○○)(昇汞一分䀋酸十分水九百八十九分)綠石鹼又(○○○○)
は加里石鹼(○○○○)、フオルムアルデヒード(○○○○○○○○○○)等の消毒藥あれとも其詳細
は略す

      病類による消毒の程度
病原体は各其性狀を異にするが故に疾病によりて病毒の所在
同じからず從て其消毒の部位程度も之に應して變化せさるべ
からず今左に之が標準を揭げんとす
(甲)虎列刺(●●●)、赤痢(●●)、膓窒扶私(●●●●)、パラチフス(●●●●●●)に(●)對(●)する(●●)消毒(●●)の(●)程度(●●)
 (一)臺所(●●) (イ)食器及庖厨用具類は煮沸消毒を行ふこと但し之
   に適せさるものは石炭酸水に浸漬したる後淨水を以て洗
   滌すべし
 (ロ)食器棚は其内外を石炭酸水を以て擦拭したる後更に淨水
   を以て擦拭すること
 (ハ)飯、野菜、煑物其た飮食物の殘餘にして病毒汚染の虞ある
   ものは家人に說示したる後汚物として處分すること、但し
                  五七

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|   井戸及便所に対する消毒薬量計算                      |
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|口  径|水量 |深| 
|    |生石灰|一   尺  |  一尺五寸 |  二尺   |  二尺五寸 |
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|        | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 |
|二尺  |水量 |  四、八五〇|  七、二七〇|  九、六九〇| 一二、一二〇|
|    |生石灰|    一〇七|    一四六|    一九三|    二四三|
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|二尺一寸|水量 |  五、三四〇|  八、〇一〇| 一〇、六九〇| 一三、三六〇|
|    |生石灰|     九七|    一六一|    二一四|    二六八|
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|二尺二寸|水量 |  五、八六〇|  八、八〇〇| 一一、七三〇| 一四、六六〇|
|    |生石灰|    一一八|    一七六|    二三五|    二九四|
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|二尺三寸|水量 |  六、四一〇|  九、六一〇| 一二、八二〇| 一六、〇二〇|
|    |生石灰|    一二九|    一九三|    二五七|    三二一|
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|二尺四寸|水量 |  六、九八〇| 一〇、四七〇| 一三、九六〇| 一七、四五〇|
|    |生石灰|    一四〇|    二一〇|    二八〇|    三四九|
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|二尺五寸|水量 |  七、五七〇| 一一、三六〇| 一五、一四〇| 一八、九三〇|
|    |生石灰|    一五二|    二二八|    三〇三|    三七九|
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|二尺六寸|水量 |  八、一九〇| 一二、二九〇| 一六、三八〇| 二〇、四八〇|
|    |生石灰|    一六四|    二四六|    三二八|    四一〇|
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|二尺七寸|水量 |  八、八三〇| 一三、二四〇| 一七、六六〇| 二二、〇八〇|
|    |生石灰|    一七七|    二六五|    三五四|    四四一|
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|二尺八寸|水量 |  九、五〇〇| 一四、二四〇| 一八、九九〇| 二三、七四〇|
|    |生石灰|    一九〇|    二八五|    三八〇|    四七五|
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|二尺九寸|水量 | 一〇、一九〇| 一五、二八〇| 二〇、三八〇| 二五、四七〇|
|    |生石灰|    二〇四|    三〇六|    四〇八|    五一〇|
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|三  尺|水量 | 一〇、九〇〇| 一六、三六〇| 二一、八一〇| 二七、二六〇|
|    |生石灰|    二一八|    三二八|    四三七|    五四六|
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|三尺一寸|水量 | 一一、六四〇| 一七、四六〇| 二三、二九〇| 二九、一一〇|
|    |生石灰|    二三三|    三〇五|    四六六|    五八三|
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|三尺二寸|水量 | 一二、四一〇| 一八、六一〇| 二四、八一〇| 三一、〇二〇|
|    |生石灰|    二四九|    三七三|    四九七|    六二一|
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|三尺三寸|水量 | 一三、一九〇| 一九、七九〇| 二六、三九〇| 三二、九八〇|
|    |生石灰|    二六四|    三九六|    五二八|    六六〇|
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|三尺四寸|水量 | 一四、〇一〇| 二一、〇一〇| 二八、〇一〇| 三五、〇一〇|
|    |生石灰|    二八一|    四二一|    五六一|    七〇一|
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|三尺五寸|水量 | 一四、八四〇| 二二、二六〇| 二九、六八〇| 三七、一〇〇|
|    |生石灰|    二九七|    四四六|    五九四|    七四二|
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|三尺六寸|水量 | 一五、七〇〇| 二三、五五〇| 三一、四〇〇| 三九、二五〇|
|    |生石灰|    三三二|    四七一|    六二八|    七八五|
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|三尺七寸|水量 | 一六、五九〇| 二四、八八〇| 三三、一七〇| 四一、四七〇|
|    |生石灰|     九七|    四九八|    六六四|    八三〇|
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|三尺八寸|水量 | 一七、五〇〇| 二六、二四〇| 三四、九九〇| 四三、七四〇|
|    |生石灰|    三五〇|    五二五|    七〇〇|    八七五|
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|三尺九寸|水量 | 一八、四三〇| 二七、六四〇| 三六、八六〇| 四六、〇七〇|
|    |生石灰|    三六九|    五五三|    七三八|    九二二t
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|四  尺|水量 | 一九、三九〇| 二九、〇八〇| 三八、七七〇| 四八、四六〇|
|    |生石灰|    三八八|    五八二|    七七六|    九七〇|
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|   井戸及便所に対する消毒薬量計算                       
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| 三   尺 |  三尺五寸 | 四   尺 |  四尺五寸 | 五   尺 |五尺五
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| 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 |石斗升
| 一四、四五〇| 一六、九六〇| 一九、三八〇| 二一、八一〇| 二四、二三〇|二六、
|    二九一|    三四〇|    三八八|    四三七|    四八五|
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| 一六、〇三〇| 一八、七〇〇| 二一、三七〇| 二四、〇四〇| 二六、七一〇|二九、
|    三二一|    三七四|    四二八|    八四一|    五三五|
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| 一七、五九〇| 二〇、五二〇| 二三、四六〇| 二六、三八〇| 二九、三二〇|三二、
|    三五二|    四一一|    四七〇|    五二八|    五八七|
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| 一九、二三〇| 二二、四三〇| 二五、六四〇| 二八、八四〇| 三二、〇五〇|三五、
|    三八五|    四四九|    五一三|    五七七|    六四一|
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| 二〇、九四〇| 二四、四二〇| 二七、九一〇| 三一、四〇〇| 三四、八九〇|三八、
|    四一九|    四八九|    五五九|    六二九|    六九八|
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| 二二、七二〇| 二六、五〇〇| 三〇、二九〇| 三四、〇八〇| 三七、八六〇|四一、
|    四五五|    五三〇|    六〇六|    七三八|    七五八|
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| 二四、五七〇| 二八、六七〇| 三二、七六〇| 三六、八六〇| 四〇、九五〇|四五、
|    四九二|    五七四|    六五六|    一九三|    八一九|
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| 二六、五〇〇| 三〇、九一〇| 三五、三三〇| 三九、七三〇| 四四、一六〇|四八、
|    五三〇|    六一九|    七〇七|    七九五|    八八四|
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| 二八、五〇〇| 三三、二四〇| 三七、九九〇| 四二、七三〇| 四七、四九〇|五二、
|    五七〇|    六六五|    七六〇|    八五五|    九五〇| 一、
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| 三〇、五七〇| 三五、六六〇| 四〇、七六〇| 四五、八五〇| 五〇、九五〇|五六、
|    六一ニ|    七一四|    八一六|    九一七|  一、〇一九| 一、
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| 三二、七一〇| 三八、一六〇| 四三、六二〇| 四九、〇七〇| 五四、五二〇|五九、
|    六五五|    七六四|    八七三|    九八二|  一、〇九一| 一、
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| 三四、九三〇| 四〇、七五〇| 四六、五七〇| 五二、三九〇| 五八、二二〇|六四、
|    六九九|    八一五|    九三二|  一、〇四八|  一、一六五| 一、
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| 三七、二二〇| 四三、四二〇| 四九、六二〇| 五五、八三〇| 六二、〇三〇|六八
|    七四五|    八六九|    九九四|  一、一一七|  一、二四一| 一、
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| 三九、五八〇| 四六、一八〇| 五二、七七〇| 五九、三七〇| 六五、九七〇|七ニ、
|    七九二|    九二四|  一、〇五六|  一、一八八|  一、三二〇| 一、
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| 四二、〇二〇| 四九、〇二〇| 五六、〇二〇| 六三、〇三〇| 七〇、〇三〇|七七、
|    八四一|    九八一|  一、一ニ一|  一、二六一|  一、四〇一| 一、
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| 四四、五二〇| 五一、九五〇| 五九、三六〇| 六六、七九〇| 七四、二一〇|八一、
|    八九一|  一、〇三九|  一、一八八|  一、三三六|  一、四八五| 一、
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| 四七、一〇〇| 五四、九五〇| 六二、八〇〇| 七〇、六五〇| 七八、五一〇|八六、
|    九四二|  一、一〇〇|  一、二五六|  一、四一四|  一、五七一| 一、
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| 四九、七六〇| 五八、〇五〇| 六六、三四〇| 七四、六四〇| 八二、九三〇|九一、
|    九九六|  一、一六一|  一、三二七|  一、四九三|  一、六五九| 一、
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| 五二、四八〇| 六一、二三〇| 六九、九八〇| 七八、七三〇| 八七、四七〇|九六、
|  一、〇五〇|  一、二二 |  一、四〇〇|  一、五七五|  一、七五〇|
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| 五五、二八〇| 六四、五〇〇| 七一、七一〇| 八二、九三〇| 九二、一四〇|一〇一、
|  一、一〇六|  一、二九〇|  一、四七四|  一、六五九|  一、八四三|  二、
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| 五八、一五〇| 六七、八五〇| 七七、五四〇| 八七、二三〇| 九六、九三〇|一〇六、
|  一、一六三|  一、三五七|  一、五五一|  一、七四五|  一、九三九|  二、
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備考
   井水を消毒するには其水量の五十分の一の生石灰を乳状となし投入し能く攪拌し十二時間以上を経て後充分浚渫を行
   さるはからず井戸は其構造種々にして円筒形なるあり或は長方形なるあり瓢箪形なるあり或は口径及底径を異にする
   に円筒形のものとン見做し左記算式により測定す但実際に臨み其井戸の構造により適宜斟酌するを要す 算式口径×
   即ち五石四斗五升二合なることを知るへし 併し右方法は稍々複雑なるを以て比較的簡易なる方法により算出すると
   せし量は其実際の量より僅かの増量を見る 本評は計算の労を省略する為め口径二尺より四尺迄深さ一尺より一丈ン迄
   其中間の数假は 一寸 二寸、三寸、四寸、六寸、七寸、八寸、九寸等を得ることあり此等の場合に於ては深さ一尺
   に加へ二尺二寸なれは之の原数を二倍し二尺相当欄生石灰の量に加へ三尺六寸なれは三尺五寸相当欄生石灰の量に
   様式により測定し且つ本表を参照し其容量を算出すへし 但し糞池は大抵其口径及底径相同しからすして底部に
   に於ける糞便量は実際の量より増多するも該量に対し石灰乳(十倍)を四分の一以上混和し充分攪拌すれは安全なり

【一、位置表が大きいので分割標示した】
【二、備考表記は40ページと分割されていたので、41ぺージに通して表記した】

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|   毒薬量計算表                      |
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|口  径|水量 |深                              |
|    |生石灰|  四尺五寸 |  五尺   | 五尺五寸  |  六尺   |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|
|        | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 |
|二尺  |水量 | 二一、八一〇| 二四、二三〇| 二六、六五〇| 二九、〇八〇
|    |生石灰|    四三七|    四八五|    五三三|    五八二|
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|二尺一寸|水量 | 二四、〇四〇| 二六、七一〇| 二九、三九〇| 三二、〇六〇|
|    |生石灰|     八四|    五三五|    五八八|    六四二|
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|二尺二寸|水量 | 二六、三八〇| 二九、三二〇| 三二、二四〇| 三五、一九〇|
|    |生石灰|    五二八|    五八七|    六四五|    七〇四|
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|二尺三寸|水量 | 二八、八四〇| 三二、〇五〇| 三五、二五〇| 三八、六四〇|
|    |生石灰|    五七七|    六四一|    七〇五|    七七〇|
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|
|二尺四寸|水量 | 三一、四〇〇| 三四、八九〇| 三八、三八〇| 四一、八七〇|
|    |生石灰|    六八二|    六九八|    七六八|    八三八|
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|二尺五寸|水量 | 三四、〇八〇| 三七、八六〇| 四一、六五〇| 四五、四三〇|
|    |生石灰|    一五二|    七五八|    八三三|    九〇九|
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|二尺六寸|水量 | 三六、ハ六〇| 四〇、九五〇| 四五、〇五〇| 四九、一四〇|
|    |生石灰|    七三八|    八一九|    九〇一|    九八三|
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|二尺七寸|水量 | 三九、七三〇| 四四、一六〇| 四八、五八〇| 五二、九九〇|
|    |生石灰|    七九五|    八八四|    九七二|  一、〇六〇|
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|二尺八寸|水量 | 四二、七三〇| 四七、四九〇| 五二、二四〇| 五六、九九〇|
|    |生石灰|    八五五|    九五〇|  一、〇四五|  一、一四〇|
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|二尺九寸|水量 | 四五、八五〇| 五〇、九五〇| 五六、〇四〇| 六一、一四〇|
|    |生石灰|    九一七|  一、〇一九|  一、一ニ一|  一、二二三|
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|三  尺|水量 | 四九、〇七〇| 五四、五二〇| 五九、九七〇| 六五、四ニ〇|
|    |生石灰|    九八二|  一、〇九一|  一、二〇〇|  一、三〇九|
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|三尺一寸|水量 | 五二、三九〇| 五八、二二〇| 六四、〇四〇| 六九、八六〇|
|    |生石灰|  一、〇四八|  一、一六五|  一、二八一|  一、三九八|
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|三尺二寸|水量 | 五五、八三〇| 六二、〇三〇| 六八、二三〇| 七四、四四〇|
|    |生石灰|  一、一一七|  一、二四一|  一、三六五|  一、四八九|
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|三尺三寸|水量 | 五九、三七〇| 六五、九七〇| 七二、五七〇| 七九、一六〇|
|    |生石灰|  一、一八八|  一、三二〇|  一、四五二|  一、五八四|
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|三尺四寸|水量 | 六三、〇三〇| 七〇、〇三〇| 七七、〇三〇| 八四、〇三〇|
|    |生石灰|  一、二六一|  一、四〇一|  一、五四一|  一、六八三|
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|三尺五寸|水量 | 六六、七九〇| 七四、二一〇| 八一、六三〇| 八九、〇五〇|
|    |生石灰|  一、三三六|  一、四八五|  一、六三三|  一、七八一|
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|三尺六寸|水量 | 七〇、六五〇| 七八、五一〇| 八六、三六〇| 九四、二一〇|
|    |生石灰|  一、四一四|  一、五七一|  一、七ニ八|  一、八八五|
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|三尺七寸|水量 | 七四、六四〇| 八二、九三〇| 九一、二二〇| 九九、五二〇|
|    |生石灰|  一、四九三|  一、六五九|  一、八ニ五|  一、九九一|
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|三尺八寸|水量 | 七八、七三〇| 八七、四七〇| 九六、二二〇|一〇四、九六〇|
|    |生石灰|  一、五七五|  一、七五〇|  一、九二五|  二、一〇〇|
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|三尺九寸|水量 | 八二、九三〇| 九二、一四〇|一〇一、三五〇|一一〇、五六〇|
|    |生石灰|  一、六五九|  一、八四三|  二、〇二七|  二、二一二|
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|四  尺|水量 | 八七、二三〇| 九六、九三〇|一〇六、六二〇|一一六、三一〇|
|    |生石灰|  一、七四五|  一、九三九|  二、一三三|  二、三三六|
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|   井戸及便所に対する消毒薬量計算                       
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|  六尺五寸 | 七   尺 |  七尺五寸 | 八   尺 |   八尺五寸|
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| 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 |
| 三一、四〇〇| 三三、九二〇| 三六、三五〇| 三八、七七〇| 四一、一九〇|
|    六三〇|    六七九|    八〇二|    七七六|    八二四|
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| 三四、七三〇| 三七、四〇〇| 四〇、〇七〇| 四二、七四〇| 四五、四一〇|
|    六九五|    七四八|    四二八|    八五五|    九〇九|
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| 三八、一〇〇| 四一、〇五〇| 四三、九七〇| 四六、九一〇| 四九、八四〇|
|    七六二|    八二一|    八八〇|    九三九|    九六九|
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| 四一、六五〇| 四四、八六〇| 四八、〇六〇| 五一、二七〇| 五四、四八〇|
|    八三三|    八九八|    九六二|  一、〇二六|  一、〇九〇|
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| 四五、三六〇| 四八、八五〇| 五二、三四〇| 五五、八三〇| 五九、三二〇|
|    九〇八|    九七七|  一、〇四七|  一、一一七|  一、一八七|
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| 四九、二二〇| 五三、〇一〇| 五六、七九〇| 六〇、五八〇| 六四、三六〇|
|    九八五|  一、〇六一|  一、一三六|  一、二一二|  一、二八八|
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| 五三、二四〇| 五七、三三〇| 六一、四三〇| 六五、五二〇| 六九、六二〇|
|  一、〇六五|  一、一四七|  一、二二九|  一、三一一|  一、三九三|
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| 五七、四一〇| 六一、八三〇| 六六、二四〇| 七〇、六六〇| 七五、〇七〇|
|  一、一四八|  一、二三七|  一、三二五|  一、四一四|  一、五〇二|
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| 六一、七四〇| 六六、四九〇| 七一、二四〇| 七五、九九〇| 八〇、七四〇|
|  一、二三五|  一、三三 |  一、四ニ五|  一、五二〇|  一、六一五|
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| 六六、二三〇| 七一、三三〇| 七六、四ニ〇| 八一、五一〇| 八六、六一〇|
|  一、三二五|  一、四ニ七|  一、五二九|  一、六三一|  一、七三三|
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| 七〇、八八〇| 七六、三三〇| 八一、七八〇| 八七、二三〇| 九二、六九〇|
|  一、四一八|  一、五二七|  一、六三六|  一、七四五|  一、八五四|
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| 七五、六八〇| 八一、五〇〇| 八七、三二〇| 九三、一五〇| 九八、九七〇|
|  一、五一四|  一、六三〇|  一、七四七|  一、八六三|  一、九八〇|
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| 八〇、六四〇| 八六、八四〇| 九三、〇五〇| 九九、二五〇|一〇五、四五〇|
|  一、六一三|  一、七三七|  一、八六一|  一、九八五|  二、一〇九|
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| 八五、七六〇| 九二、三六〇| 九八、九五〇|一〇五、五五〇|一一二、一五〇|
|  一、七一六|  一、八四八|  一、九七九|  二、一一一|  二、二四三|
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| 九一、三六〇| 九八、〇四〇|一〇五、〇四〇|一一二、〇五〇|一一九、〇五〇|
|  一、八ニ一|  一、九六一|  二、一〇一|  二、二四一|  二、三八一|
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| 九六、四八〇|一〇三、八九〇|一一一、三一〇|一一八、七三〇|一ニ六、一五〇|
|  一、九三〇|  二、〇七九|  二、二二七|  二、三七五|  二、五二三|
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|一〇二、〇五〇|一〇九、九一〇|一一七、七六〇|一ニ五、六一〇|一三三、四六〇|
|  二、〇四一|  二、一九九|  二、三五六|  二、五一三|  二、六七〇|
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|一〇七、八一〇|一一六、一〇〇|一ニ四、四〇〇|一三二、六九〇|一四〇、九八〇|
|  二、一五七|  二、三二二|  二、四八八|  二、六五四|  二、八二〇|
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|一一三、七一〇|一ニ二、四六〇|一三一、二一〇|一三九、九六〇|一四鉢、七一〇|
|  二、二七五|  二、四五〇|  二、六二五|  二、八〇〇|  二、九七五|
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|一一九、八一〇|一ニ八、九九〇|一三八、二一〇|一四七、四二〇|一五六、六四 |
|  二、三九六|  二、五八〇|  二、七六五|  二、九四九|  三、一三三|
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|一ニ五、一〇〇|一三五、六九〇|一四五、三九〇|一五五、〇八〇|一六四、七七〇|、
|  二、五二〇|  二、七一四|  二、九〇八|  三、一〇二|  三、二九六|、
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|   井戸及便所に対する消毒薬量計算     |                  
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| 九   尺 |  九尺五寸 |  一  丈 |
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| 石斗升合尺 | 石斗升合尺 | 石斗升合尺 |
| 四四、五二〇| 四六、〇四〇| 四八、四六〇|
|    八九〇|    九二一|    九七〇|
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| 四八、〇九〇| 五〇、七六〇| 五三、四三〇|
|  一、〇五六|  一、〇一六|  一、〇六九|
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| 五二、七八〇| 五五、七一〇| 五八、六四〇|
|    三五二|  一、一一五|  一、一七三|
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| 五七、六九〇| 六〇、八九〇| 六四、〇九〇|
|  一、一五四|  |、二一八   一、二八二|
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| 六二、八一〇| 六六、三〇〇| 六九、七九〇|
|  一、二五七|  一、三二六|  一、三九六|
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| 六八、一五〇| 七一、九四〇| 七五、七二〇|
|  一、三六三|  一、四三九|  一、五一五|
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| 七三、七一〇| 七七、八一〇| 八一、九〇〇|
|  一、四七五|  一、五五七|  一、六三八|
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| 七九、四九〇| 八三、九一〇| 八八、三二〇|
|  一、五九〇|  一、六七九|  一、七六六|
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| 八五、四九〇| 九〇、二四〇| 九四、九九〇|
|  一、七一〇|  一、八〇五|  一、九〇〇|
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| 九一、七〇〇| 九六、八〇〇|一〇一、八九〇|
|  一、八三四|  一、九三六|  二、〇三八|
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| 九八、一四〇|一〇三、五九〇|一〇九、〇四〇|
|  一、九六三|  二、〇七二|  四、一八一|
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|一〇四、七九〇|一一〇、六一〇|一一六、四三〇|
|  二、〇九六|  二、二一三|  二、三二九|
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|一一一、六六〇|一一七、八六〇|一ニ四、〇六〇|
|  二、二三四|  二、三五八|  二、四八二|
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|一一八、七五〇|一ニ五、三四〇|一三一、九四〇|
|  二、三七五|  二、五七三|  二、六三五|
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|一ニ六、〇五〇|一三三、〇五〇|一四〇、〇六〇|
|  二、五二一|  二、六七一|  二、四〇一|
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|一三三、五七〇|一四一、〇〇〇|一四八、四二〇|
|  二、六七二|  二、八ニ〇|  二、九六九|
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|一四一、三一〇|一四九、一七〇|一五七、〇二〇|
|  二、八ニ七|  二、九八四|  三、一四一|
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|一四九、二八〇|一五七、五七〇|一六五、八六〇|
|  二、九八六|  三、一五二|  三、三一八|
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|一五七、四五〇|一六六、二〇〇|一七四、九五〇|
|  三、一四九|  三、三二四|  三、四九五|
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|一六五、八五〇|一七五、〇六〇|一八四、二八〇|
|  三、三一七|  三、五〇二|  三、六八六|
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|一七四、四六〇|一八四、一六〇|一九三、八五〇|
|  三、四九〇|  三、六八四| 一三、八七七|
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備考
   井水を消毒するには其水量の五十分の一の生石灰を乳状となし投入し能く攪拌し十二時間以上を経て後充分浚渫を行ひ使用し得へきは内務省令の定むる所なり故に先つ其水量を測定し其投入すへき消毒薬 分量を定め
   さるはからず井戸は其構造種々にして円筒形なるあり或は長方形なるあり瓢箪形なるあり或は口径及底径を異にするあり其他種々に不正形なるあり従て水量の測定は常に正確に之を算出すること能はすと雖とも一様
   に円筒形のものとン見做し左記算式により測定す但実際に臨み其井戸の構造により適宜斟酌するを要す 算式口径×口径×深×0,7854×15,26 3×3×5×3×4,04 即ち水量五石四斗五升四合を得後法により測定
   即ち五石四斗五升二合なることを知るへし 併し右方法は稍々複雑なるを以て比較的簡易なる方法により算出すると
   せし量は其実際の量より僅かの増量を見る 本評は計算の労を省略する為め口径二尺より四尺迄深さ一尺より一丈迄の水量及之に投入すへき生石灰の分量を掲く 但し本表は其深さ五寸毎に計算しあるも実際に臨み
   其中間の数假は 一寸 二寸、三寸、四寸、六寸、七寸、八寸、九寸等を得ることあり此等の場合に於ては深さ一尺欄生石灰の量を十分し之を原数となし深さ一尺一寸なれは之の原数を一尺相当欄記載の生石灰の量
   に加へ二尺二寸なれは之の原数を二倍し二尺相当欄生石灰の量に加へ三尺六寸なれは三尺五寸相当欄生石灰の量に原数を加へ四尺七寸なれは原数を二倍し四尺五寸相当欄石灰の量に加入すへし 糞池内糞便量とも右同
   様式により測定し且つ本表を参照し其容量を算出すへし 但し糞池は大抵其口径及底径相同しからすして底部に向つて漸々其径を減するもの多しと雖とも先つ円筒形のものと見做し算出するを便なりとす此の場合
   に於ける糞便量は実際の量より増多するも該量に対し石灰乳(十倍)を四分の一以上混和し充分攪拌すれは安全なりとす

                   五八
   已むを得さるものは煮沸消毒に附したる後飮食に供せし
   むるも妨げなし
 (ニ)流塲は其全面に石灰乳注加し置き十二時間經過の後淨
   水を以て洗滌すること
 (ホ)板の間は石炭酸水を以て擦拭すること
 (へ)壁、戸及障子等は手の達し得る高さ迄石炭酸水を撒布し
   又は同藥液を以て擦拭すること
 (二)病毒汚染(●●●●)の(●)虞少(●●)なき(●●)室(●)(例之客間)(イ)柱、敷居、廊下及疊
   等は塲合により石炭酸水にて擦拭すること
   (ロ)戸、障子等襖等は三項(ロ)に準すること
 (三)病毒汚染(●●●●)の(●)虞(●)ある(●●)室(●)(例之茶の間)(イ)柱、敷居、廊下及
   疊等は四項(イ)に準する事

   (ロ)戸、障子及襖等は摘み、引手、辺椽等常に手の觸るゝ部
     分を石炭酸水を以て擦拭し次で直射日光に曝露すること
   (ハ)其他病毒汚染の虞ある物品は適宜の方法によりて消毒
 (四)病毒汚染(●●●●)の(●)虞多(●●)き(●)室(●)(例之病室)
   (イ)柱、敷居、廊下及疊等は表面に石炭酸水を撒布し又は
     同藥液を以て擦拭し畳は更に直射日光に曝露すること
   (ロ)戸、障子、襖及壁等は通常手の達し得る部分迄石炭酸
     水を撒布し又は同藥液を以て擦拭し次て直射日光に曝
     露すること但し雨戸は手の觸るゝ部分を消毒すること
   (ハ)床板及床下の消毒は汚物の滲透を受け若しくは其疑あ
     る塲合に限り行ふこと
                  五九

                   六〇
   (ニ)天井の消毒は蠅の多數発生等により病毒に汚染したり
     と認めたる場合に限り行ふこと
   (ホ)衣類、臥具、布片等は蒸氣消毒に附し其他の器具物品も
     亦適宜消毒すること
 (五) 便所(●●)、(便器(●●))、下水溜(●●●)、下水溝(●●●)、塵芥溜及井戸(●●●●●●)(水槽(●●))
   (イ)便所の天井、内壁(窓障子を含む)、踏板、睪隱、朝顏、戸
     及其摘みには十分石炭酸水を撒布し又は同藥液を以て
     擦拭すること
     踏板裏、敲面、汲取口及蓋、内羽目板、外羽目板及土
     臺には石炭酸水を撒布すること
     糞池及尿池の消毒には生石灰末を用ふること但し其内
     容物により石灰乳を用ふるも妨げなし

     便器は石灰乳を以て消毒すること
     手洗鉢の内容物は其儘糞池又は尿池に投入すること
      但し糞尿池の消毒前に投入すること
     手洗鉢、手洗流塲は石炭酸水を以て消毒すること
     手洗柄杓及手拭掛は石炭酸水を以て消毒すること
     便所箒、塵拂、草履、紙箱(紙共)及手拭は石炭酸水中
     に浸漬するか又は燒却すること
   (ロ)下水溜及下水溝の消毒には生石灰末又は石灰乳を用ふ
     ること
     塵芥溜は石灰乳を以て消毒し其内容物は燒却すること
   (ハ)井戸(水槽)は飮料たると雜用たるとに拘らず生石灰末
     を以て消毒すること
                  六一

                   六二
     釣瓶、釣瓶車、縄は石灰を投したる井中に浸漬し井戸
     浚を爲すに至る迄放置すへし井戸側、釣瓶竿、柄杓は石
     炭酸又は石灰を以て消毒すへし
(乙)發疹窒扶私(●●●●●)、痘瘡(●●)、猩紅熱(●●●)、實布垤利亞(●●●●●)に(●)對(●)する(●●)消毒(●●)の(●)程(●)
  度(●)
  (一)臺所(●●) (ニ)病毒汚染(●●●●●)の(●)虞少(●●)き(●)室(●) (三)病毒汚染(●●●●●)の(●)虞(●)ある(●●)室(●)
   以上は甲に準ずること
  (四) 病毒汚染(●●●●●)の(●)虞多(●●)き(●)室(●)
    (イ)柱、敷居、廊下及疊は(甲)の如く石炭酸水を撒布し又は
      同藥液を以て擦拭すること
    (ロ)衣類、臥具、布片、其他の器具、物品等の消毒は(甲)に準す
      ること

    (ハ)戸、障子、襖、壁、天井、鴨居及額裏は全部に石炭酸
      水を撒布すること但し掛物又は額面等汚損の虞あるも
      のは十分に日光に曝露すべし
  (五)便所(●●)(便器(●●))、下水溜(●●●)、下水溝(●●●)、塵芥溜及井戸(●●●●●)(水槽(●●))
    是等は病毒に汚染し又は病毒混入の疑ある塲合に限り(甲)
    に準ずること
◎附録
  赤痢、虎列刺、膓窒扶私患家其他の消
  毒方法施行に關する心得
訓令第四十六号號(明治三十八年八月十二日)
          群市役所、警察署、警察分署、町村役場
赤痢、虎列刺、膓窒扶私患者其他の消毒方法は左の心得に依
                  六三

                   六四
り施行すべし
     消毒方法施行に關する心得
第一條 市町村は傅染病發生患家消毒施行に充つる爲め左の
 藥品及器具を準備し必要に應し患家に輸送すべし
  但患家の器具にして使用し得へきものは輸送せさるも妨
  けなし
 一、器具
  一、輸送車若くは擔荷 二、大桶(但三斗以上を容るへ
  きもの) 三、小桶 四、馬喫(五升入) 五、如露 六、
  手桶 七、柄杓 八、煑沸消毒用釜 九、桝(一升)漏斗
  十、メートルグラス(五百グラム) 十一、攪拌用棒 十
  二、消毒衣及帽 十三、履物 十四、雑巾手拭 十五、

  箒 十六、熊手 十七、汚物運搬用具 十八、釘抜、釘、
  金槌、鑵切 十九、釜、薪(燐寸共) 二十、鍬、鋸、蓆、
  縄、風呂桶
 二、藥品
  一、生石灰 二、石炭酸 三、䀋酸 四、クレゾール水
 三、其他必要なる器具藥品
第二條 消毒人夫には消毒施行中左の事項を確守せしむへし
 一、飮食及喫煙すへからす
 二、濫りに消毒區域外に立ち去るへからす
 三、手、足、消毒衣等の病毒に汚染したるときは直に消毒
     すへし
 四、塵芥を飛揚せしめさる様注意すへし
                  六五

                   六六
 五、家具、物品の取扱を鄭重にすへし
 六、家人に對し言語を叮嚀にすへし
第三條 患家に至らは屋内に入る前先つ消毒衣及帽を着用し
 履物を穿き換ふへし
第四條 消毒著手前左の各號を調査し消毒の程度順序を定め
 以て遺漏なきを期すへし
 一、家族及同居人の數及老幼 二、病の輕重 三、發病の
 系統 四、患者の起臥せし室 五、患者に接せし家具、物品
 六、看護に従事せし者 七、患者の上りたる便所及使用せ
 し便器、襁褓 八、汚物を洗滌せし器物及塲所 九、汚物
 を埋沒又は投棄せし塲所 十、汚染せる家具、物品 十一、
 飮食物殘餘の有無 十二、其他必要と認むる事項

第五條 前條調査と共に一面左の各號を準備すへし
 一、煑沸消毒 二、藥品溶解及擦拭等に用ゆる湯 三、消
 毒藥 四、消毒及完了後入浴すへき浴湯
第六條 便所及現に病毒の附著せる物件は槪ね左の方法によ
 り處置すへし但此消毒に從事したる者は一旦手足其他の消
 毒をなしたる上にあらされは他の部分の消毒に從事せしめ
 さること
 一、便所
  (イ) 糞池には糞便量の四分の一以上の石灰乳を加へ叮
     嚀に攪拌すへし
  (ロ) 糞池の周圍には充分石灰乳を灌くへし
  (ハ) 便所の床、壁、柱、戸扉(特に引手に注意すへし)
                  六七

                   六八
     等は充分石炭酸水又はクレゾール水を撒布又は擦
     拭すへし
  (ニ) 便所の履物、手洗柄杓、手拭、箒の類は石炭酸水
     又は「クレゾール」水を以て相當の消毒を行ふへし
      但高價ならさるものは燒却するを可とす
  (ホ) 手洗水の流塲には石灰乳を注くへし
 二、現に病毒の附着せる物件
  (イ) 衣服、臥具、敷物の類は其汚染せる部分に充分石
     炭酸水又は「クレゾール」水を注き途中病毒の散逸
     せさる様嚴重に注意し汚物運搬用具内に収め病院
     又は病舎に送り煮沸若くは蒸氣消毒を行ふへし
  (ロ) 便器は其内外に充分石炭酸水クレゾール水又は石

     灰乳を灌き内部は小なる藁箒の類を以て擦拭して
     其液を糞池に投入し更らに同藥液を注き二十四時
     間以上家人の交通せさる塲所に置くへし
      但襁褓は之を燒却すへし
第七條 各室及物品等は左の方法により處置すへし
  但著手の順序は病毒汚染の虞少なき塲所より初め順次に
  及ほすへし
 一、病毒汚染の虞少なき室(例令は座敷)
  (イ) 戸障子を外し疊を揚け家具、物品と共に屋外に搬
     出し充分日光に曝すへし
  (ロ) 塵芥は掃き集め燒却すへし
 二、病毒汚染の虞ある室(例令は茶の間)
                  六九

                   七〇
  (イ) 疊、敷物は表面及邊椽に石炭酸水を撒布し更に石
     炭酸水又はクレゾール水に浸せし布片を以て擦拭
     すへし
  (ロ) 戸、障子は石炭酸水を撒布し襖はその邊椽を石炭酸
     水若くはクレゾール水を以て擦拭し戸、障子、襖
     は特に其引手、邊椽等常に手に觸るゝ部分に注意
     し充分消毒すへし
  (ハ) 病毒汚染の虞ある器物は(イ)(ロ)に準し消毒すへ
     し
  (二) 消毒を要せすと認むる家具も消毒したる建具、疊
     其他の物品と共に屋外に搬出し日光に曝すへし
      但病毒汚染の虞なき居室より搬出したる物品と

      置塲を區別すへし
  (ホ) 次に壁、柱、敷居、板間等は石炭酸水又はクレゾー
     ル水を以て擦拭すへし但通常手の達し得へき部分
     より以上は之を行ふを要せす尚擦拭に用ゆる布片
     は不潔となれる儘使用せす時々淸洗して用ゆへし
 三、病毒汚染の虞多き室(例令は臺所)
  (イ) 戸、障子、壁、柱、敷居、疊等は前項(イ)
     (ロ)(ニ)の方法に依るへし
  (ロ) 飮食器具は煑沸消毒を行ひ其消毒に適せさるもの
     は石炭酸水若くはクレゾール水を以て洗滌又は擦
     拭すへし石炭酸水又はクレゾール水を以て消毒し
     たる器物は乾燥後煮沸水を以て洗滌すへし
                  七一

                   七二
  (ハ) 食器棚は其内外を石炭酸水若くはクレゾール水を
     以て擦拭し乾燥したる後更らに煮沸水を以て擦拭
     し成る可く日光に晒すへし食器及食器棚擦拭用の
     布片は他に用ゆるものと區別すへし
  (ニ) 飯、煑物其他飮食物の殘餘は燒却すへし
      但已むを得さるものは充分煮沸したる後飮食用
     に供するも妨けなし
  (ホ) 流塲は石炭酸水、クレゾール水又は石灰乳を其全
     面に注ぐへし
      但十二時間以上を經過したる後煮沸水を以て洗
      滌し使用するも妨けなし
  (へ) 浴塲は流塲に準し消毒すへし

  (ト) 塵芥は消毒の上掃き集め燒却すへし
 四、病毒汚染の虞最も多き室(例令は患者の居室)
  (イ) 戸、障子、襖、疊、敷物、壁、柱、敷居、板間等
     は第二項(イ)(ロ)と同様の消毒法を行ふへし
      但疊、敷物は裏面を消毒し其他の消毒法も一層
      嚴重なるを要す
  (ロ) 患者の使用せるものは勿論其他の器具、物品も悉
     く其種類に依り適當の消毒をなすへし
  (ハ) 消毒したる疊、敷物、建具及家具用品は屋外に搬
     出し日光に晒すべし
      但し他室の物品の置塲と區別すべし
  (ニ) 貴重の物品にして病毒汚染の虞少く且藥物煑沸及
                  七三

                  七四
     蒸氣消毒に適せさるものは四時間以上日光に晒す
     こと
  (ホ) 床板は石炭酸水若しくは「クレゾール」水を撒布し
     以て藁箒の類を以て普く擦拭すへし
  (へ) 床下は床板を剝離し石灰乳を全面均等に散布すへ
     し
     構造緊密にして病毒汚染の虞なしと認むる者は床
     板を剝離するを要せす
  (ト) 床、藁床、籾糠の類は燒却し新らしきものと敷き
     換ふること
第八条 井戸、土間、下水、溝渠、塵芥溜其他不潔の塲所に
 對しては左の順序により消毒及淸潔方法を施行すへし

 一、井戸、水槽
  (イ) 井水及水槽は水量五十分一以上の生石灰を乳狀と
     なして投入し能く攪拌したる後其を以て井側、井
     筒を洗滌すへし
  (ロ) 右の施工を終り十二時間以上を經過したる後數回
     井戸浚を爲し淸水に復したるときは使用するも妨
     けなし
  (ハ) 釣瓶縄、釣瓶竹は可成燒却すへし
     但已むを得さる事情あるときは釣瓶縄は三十分以
     上煑沸するか又は六時間以上石炭酸水又は「クレ
     ゾール」水に浸漬したる後煮沸水を以て洗滌し之
     を乾燥すへし
                  七五

                   七六
  (ニ) 釣瓶及釣瓶車等は石灰乳を投したる井中に浸漬し
     井戸を使用するに至る迄放置すへし
  (ホ) 完全なる構造にして病毒汚染の虞なしと認むる井
     戸は單に浚渫するに止め消毒せさるも妨けなし
 二、下水、溝渠、塵芥溜、濕地其他
  (イ) 土間には石灰乳を灌きて下水、溝渠、濕地には生石
     灰末又は石灰乳を撒布すへし汚水あるときは其量
     に對し糞便消毒に準し規定の藥量を用ゆへし
  (ロ) 塵芥溜は先つ石灰乳を注き其塵芥は燒却すへし
  (ハ) 便所以外の肥料及厩の不潔なる箇所には其表面に
     充分石灰乳を撒布すへし
     但病毒の混入を認めたるときは尚能く石灰乳を混

     和せしめさるへからす
第九條 消毒後は可成屋内に日光の射入空氣の流通を良くす
 へし
第十條 消毒法施行の際剝離したる床板其他破損したる箇所
 等は原形に復すへし
第十一條 病毒汚染の虞なき部分の床下と雖も不潔と認むる
 ときは通常の消毒法を行ふへし
第十二條 夜間其他事故の爲め直に消毒を施行し能はさると
 きは危險多き部分に限り應急的消毒を施し其部分に家人の
 交通を禁すへし
第十三條 消毒完了せは消毒用器具を消毒し次に消毒衣及帽
 を脫して消毒し履物を燒却し次に自己の手足を消毒し準備
                  七七

                   七八
 せる湯に浴すへし浴後は最初の履物を穿つへし家人に對し
 ては手足を消毒し入浴換衣せしめ入浴前の衣服は消毒すべ
 し
     附則
第十四條 傅染病毒に汚染し若くは汚染の疑ある家に對して
 は本心得に準し消毒を行ふへし
      赤痢、膓窒扶私豫防心得
訓令第二十九號(明治四十四年五月十六日)
           群市役所、警察官署、町村役場
第一條 患者發生したる塲合に於ては患家其他病毒に汚染し
 若くは汚染の疑ひある家に對し左の各號を行はしめ且つ健

 康視察又は健康診斷を行ふへし
 一、家屋内外の淸潔及消毒
 二、病毒に汚染し又は汚染の疑ひある衣類臥具其他の清毒
 三、便所の消毒
 四、井戸の消毒
 五、上圊時に於ける石灰末の投入
第二條 前條以外の井戸及便所にして患者又は病毒に汚染し
 若くは汚染の疑ひある者の使用したるため病毒混入の疑ひ
 あるものに對しては消毒くを行はしむへし
第三條 患者の屎尿は一室の容器に之れを受け燒却又は煮沸
 せしむへし治癒したる者に對しては治癒の日より起算し左
 の期間上圊毎に可成多量の石灰末を投入せしむへし
                  七九

                   八〇
  赤痢     二十日間
  膓窒扶私   三十日間
第四條 本心得第一條石灰末の投入は病毒に汚染し又は汚染
 の疑ある者に對して患者發見の日より起算し左の期間上圊
 毎に之れを行はしむへし但看護人等患者に觸接する者に對
 しては患者治癒の日より起算すへし
 赤痢      十日間
 膓窒扶私    二十日間
第五條 本心得第三條第二項及ひ第四條の屎尿は消毒を為し
 たる後にあらされは搬出すへからす
第六條 本心得第一條の健康視察は患者發見の日より起算し
 十四日間毎日之れを行ふへし

 前項の健康視察に依り健康狀態に異狀ありと認むる者ある
 ときは健康診斷を行ふへし
第七條 病毒蔓延の虞あるときは必要と認むる區域内に對し健
 康視察又は健康診斷を行ひ可成多量の石灰末を糞池に投入
 せしむへし
第八條 自宅治療患者ある家に對しては別紙様式の注意書を
 配布し其他實行を監視すへし
第九條 飮料水と雜用水とを間はす病毒混入の疑ひある塲合
 に於て他に良水を得るに途なきときは其間煑沸水を使用せ
 しむへし
第十條 郡長及警察官署長は患者發生の塲合に於て其感染地
 他所轄内に係るものと認むるときは感染地、患者治癒後本
                  八一

                   八二
 心得第三條第二項の期間内に他所轄内に移轉したるときは
 移轉地所轄の郡長又は警察官署長に通報すへし前項の通報
 を受けたる郡長又は警察官署長は本心得第一條乃至第六條
 に依り必要なる措置をなすへし傅染病豫防法令施行細則第
 九條に於ける患者移轉の通報ありたる塲合亦同じ
(別紙)
❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘
|   赤痢、膓窒扶私患者自宅治療注意書                  |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|
|発病月日 |              |患者|福島県 郡 町 大字 字 |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|住所|    市 村      |
|診断月日時|明治 年 月 日午前後 時 |氏名| 番地戸主 (戸主又は家)  |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|年齢|      (長との続柄)  |
|届出月日時|明治 年 月 日午前後 時 |戸主|   患者 氏 名    |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|との|       当 年   |
|傳帰及  |              |続柄|             |
|傳出別  |              |  |             |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|  |             |
|同上年    |明治 年 月 日午前 時|  |             |
|月日時    |         後  |  |             |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|  |             |
|届出医師   |医師          |  |             |
|氏名     |            |  |             |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|❘❘|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|
|発生届受理  |明治 年 月 日午前 時| 傅|             |
|月日時    |         後  | 染|             |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|病|             |
|消毒施行   |明治 年 月 日午前 時| 経|             |
|月日時    |         後  | 路|             |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|の|             |
|転帰届出及受理|明治 年 月 日午 時 | 概|             |
|年月日時   |     月 日午 時 | 要|             |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘|  |             |
|消毒施行   |明治 年 月 日午前  |  |             |
|月日時    |          後 |  |             |
|❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘
|   注意事項                              |
| 患者ある家の戸主又は家長は左に記載したる各號を遵守し豫防及ひ治療     |
| 上の實行を奏するに努むへし若し注意事項竝に當該吏員の指示に從はす    |
| 豫防及ひ治療上不適當と認むるときは傅染病院、隔離病舎又は相當設備    |
| ある病院に収容を命することあるへし                   |
|  一、病室には醫師、看護人又は看護婦の外交通せしむへからす且つ看    |
|    護人は可成素養ある看護婦を雇ひ入るること              |
                  八三

                   八四
|  二、看護人又は看護婦は家人の居室に出入すへからす           |
|  三、病室に於て患者の外飮食すへからす                 |
|  四、患者に供したる飮食物の残餘は一定の器物に入れ其都度消毒又は    |
|    燒却すへし                            |
|  五、患者に用ひたる食器等は使用の都度煮沸消毒を行ふべし        |
|  六、醫師の指定せさる飮食物の外一切之れを興ふへからす         |
|  七、患者排泄物、分泌物及病毒汚染物は一定の器物に受け其都度消毒    |
|    を行ひ且つ糞尿は煮沸又は燒却すへし                |
|    治癒したる時は治癒の日より起算し赤痢に付ては二十日間膓窒扶    |
|    私に付ては三十日間上圊毎に可成適量の石灰末を投入すへし      |
|  八、病室内は時々掃除を爲し其掃き集めたる塵芥、紙屑は一定の器物    |
|    に溜め消毒又は燒却をなすへし                   |
|  九、蚊蠅の驅除を行ふへし                       |
|  十、消毒藥品及消毒器具を具へ消毒を嚴重に行ふへし           |
| 十一、患者の沐浴したる湯水は充分に消毒したる上人家遠隔の地にして    |
|    河川に關係なき土中を堀り投棄すへし                |
| 十二、患家の家人は患者發生の日より起算し赤痢に付ては十日間膓窒扶    |

|    私に付ては二十日間上圊毎に石灰末を投入すへし看護人等患者に    |
|    觸接するものは患者治癒後前期間石灰末の投入をなすへし       |
| 十三、家族中赤痢又は膓窒扶私に疑はしきものあるときは速かに警察官    |
|    吏町村吏員に申出つべし                      |
❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘❘
○本書を配付したるときは注意事項其他豫防及治療上心付き
たることは懇篤諭示し實行を監視すべし

                   八五

大正元年八月五日印刷
大正元年八月八日発行

  発行代表部    福島縣警察部
          陸 壯三郎
        福島市五月町六番地
      印刷人 寺田 鍛

        福島市大町二十番地
      印刷所 福島印刷所

【記載なし】

七言律詩 三首

 仲冬臥病累日有懐
登山竹夫因賦長句遣悶
吟社幾時共 子歓参高【斉】千里
隔雲端言【玄】論京【尓】未依書画孤悶
豈能頼酒寛橋畔衰楊唯
待暖湛【淇】邊絲竹当欺寒甃
佇望水村晩片月孤鴻影自

 右用前韵【以下10~15行目までが七言律詩、その他は賦か】
遥夜凄涼冷透衾病懐況又少
知音心事念従忙嚢過琴樽或
是夢中郡有光晴處竹遮
牖鶴唳低邊霜満林憶
子帰期纔隔歳加飱為護峭
寒侵
崖交憐 子堂癪煩遠別
周年里轉目断江雲温【涅】樹外
夢迷黄葉夕陽山幽欣頼得
孤鴻信舒巻聊占一味閑預
待明春迎 君日望花啼
鳥共懽顔
    潢【演】 観拝具

病学通論

【表紙】
【貼紙】
嘉永二己酉年新雕
 去今卯十有九年
両体 生力
資生力 覚機
感応力 動機
各異感応機
刺衝物
生力抗抵
【題簽】
病学通論 共三冊 一【「共三冊」は朱記挿入】
【下に「千葉医科大学千葉本」印】

【右】
【上辺横書】嘉永二年己酉初夏新雕
【枠内】
洪庵緒方先生訳本【「初篇」の朱印】
病学通論  【上部に千葉医科大学の蔵書印】
適適斎蔵 青藜閣発兌 【上部に薄い朱印】

【左】
【欄外上に「千葉本家文庫之章」朱印】
【欄外右に「東洋医学研究室」印】
【右の印下に「千葉医科大学千葉本」印】
【枠内本文】【「、」は朱記挿入】
病学通論序
泰西医学之入我 邦蓋百有余年于茲矣、
而其始也率皆蒙昧無稽非親■【受ヵ】其法而読
其書、唯観西医所施、為臆度而摸倣之僅挟一
二所得之技、以衒世而已、厥後豪傑並興学
術大闢、洋舶齎来之書益多、翻訳鏤行之
書、絡繹争出、大抵医学之書莫求而不在焉、
可謂盛矣、独至於病学之科、則未見有能唱
之者、是無他以文理極深艱論弁亦頗幽賾、
自非学術精錬者、不可了解也、浪華緒方公

裁、資性寛厚学術淵邃、誨生徒諄々不倦、是
以千里負笈、執贄于門者、趾相接、実我社之
一大家也、先是公裁、来遊于江都、時吾先王父
榛斎先生、適著名物考補遺知、公裁寸学倶
優兼長算数、乃託以枝正新製度量之事、公
裁欣然承命、参攷群藉夙夜僶勉、以卒功巳
載在于補遺焉、此書也先王父又所嘗嘱、公裁
復能継其志、講習余間、必脩之而不措、公裁
平生所訳之書、蔚能成帙者、若干部、未敢
開雕以問世、及此書成首鍥之桙、将先達先

師之志、而後及其余其一心弁香不忘師
恩、忠誠敦篤、一何若是哉、抑此書之要在
於察_下 一身機、性之官能、与_中病理之所以然_上、【訓点は朱記挿入】
而審百端病機、皆帰於此実測之一揆病
学之書出于我 邦、実以此為嚆矢、於是
乎泰西医学之科、始備且㒰矣、其功頤不
偉矣乎、若夫体裁精確叙事明兇、世所共
知、固不待吾言、嗚呼俾先王父猶在則、
撃節嘆賞果如何哉、感欣追慕之余恭
代記其喜如此

 嘉永紀元歳次戊申春三月
        作州 宇田川瀛撰
       【落款「宇田川瀛」「葯舟氏」】

         上毛 生方寛書
        【落款「寛印」「記号」】

【左】
病学通論序
自享保中始 允読洋書於今百有余年賢豪
輩出、其医書経訳者、不下数十百種、然解体新
書、医範提綱之外、大抵方薬書而、及原生原病
之学者、未曽聞之、豈非由学者、欲速成哉、蓋西
医之道、以明人身内景、為本、原生、原病、次之而
後薬剤、治方従之、譬諸構室内景礎也、原生原
病柱也、薬剤治方楼屋也、今也礎而未柱、遽然
架屋無此理也、我榛斎先生、有見於此、使緒方
公裁、青木周弼、訳原病書数部、欲以折衷衆説

帰諸簡明也亡幾先生捐館、遺命公裁、継其志
公裁乃遊長崎、親接蘭客、反覆質疑、再取原書
而鑚研之、又参考諸書、苦心焦思十換裘褐更
稿者七八、今春始克成編将上木伝世、乃郵寄
請矣、一言余受而読之、文気通暢而義理明晰、
自非真積力文目諳心熟庸能至此、々書之出可
使天下学者、知西医之道本末、兼䛟費隠倶尽
実済生、躋寿之学而決非衒奇、競新之流矣、公
裁之継述師志、使榛斎先生死猶生者、其功不
亦偉乎、公裁為人、深沈縝密事親而孝、与人交
而信、往年単身、卸担于浪華、年未四十、其術大
行、然名未暢実也、此編一出学者必将裏糧負
笈蟻集其門、矣昔者香川太仲、著行余医言、後
藤艮山、謂之曰、子之門従此多事矣、余於此編
亦云、弘化戊申仲春坪井信道撰
        【落款「坪井□□」「誠軒」か】
         鼎斎生方寛書【落款「寛印」】

自序
章成童、従家君於大阪之邸、学文習武、多病不能勉強、
時聞、有天游中先生者、唱西洋医学、覈驅骸柝疾病、精
密窅賾、出人之意表也、於是憣然、改轍、服従先生、先生
愍章駑鈍、教導究渥慈愛特深、居四年当時之訳書、渉
猟殆尽、頗得闞西学大略矣、先生謂章曰方今西学日
隆、訳書月多、然以其有所未全備、猶有隔履抓痒之憾
焉、吾老不能為卿等、宐就原書学也、於是東游江戸、委
質於誠軒坪井先生、先生恩諭超衆、薫陶冶鎔読原書
数十巻、始覚得如面上脱一膜、而指爪達痒処矣、誠軒
【冒頭の「章」は諱で原文では細字右寄せ、以下同】

先生亦謂章曰、子欲質彼我薬品之名称、宐就榛斎宇
田川先生学也、於是又傍出入榛斎先生之門、先生亦
叩端傾底而相掲示益得弘所学矣、既而先生即世其
所訳述病学一書、稿未成遺命章継之章、陋劣固不当
其任、積日累年之久、纔得卒其業矣、嗚呼章此挙雖榛
斎先生所賜也、非有天游誠軒二先生慈恩、安能得有
今日乎、因記其由以代自序、云弘化丁未孟春足守侍
医緒方章書于大阪之僑居

   題言
一病学ハ和蘭ニ 施機的桾垤(シーキテキュンデ)ト謂 ̄ヒ羅甸ニ 把篤魯芰(パトロギー)
 ト謂 ̄フ是 ̄レ諸病ノ本然ヲ覈知シ病因病証ヲ究識シ
 以テ標本治不治ヲ弁晰スル所ノ学ナリ《割書:先哲之 ̄レ|ヲ原病》
 《割書:学ト訳ス固 ̄ヨリ穏当スト雖トモ今 ̄マ|原語 ̄ノ名義ニ随テ原字ヲ省ク》毎病一 ̄ニ之 ̄レ ヲ論ズル
 ヲ病学各論《割書:ベイソンデレ、シ|ーキテキュンデ》ト謂 ̄フ然 ̄レ トモ疾病百般
 殆 ̄ント極 ̄リ ナシ故ニ普 ̄ク諸病ノ本然ト病因病証ヲ統括
 シテ其総論ヲ立 ̄ツ是 ̄レ ヲ病学通論《割書:アルゲメーネ、シ|ーキテキュンデ》ト
 謂 ̄フ」蓋 ̄シ此学ニ熟達スレハ百病条縷判然トシテ自 ̄ラ分
 拆スベク治療準則決然トシテ自 ̄ラ極定スベシ故ニ

 此学ハ医家必究ノ要鍵ト謂 ̄フ ヘキ者ナリ近世西
 洋此学大ニ備リ其書 皇国ニ齎 ̄シ来 ̄ル者多 ̄シ ト雖トモ
 其文義淵邃ニシテ議論艱渋卒 ̄カ ニ解シ易カラズ加
 《割書: |レ》之支那 皇国共ニ未 ̄タ此学ナク名称等允当シ難 ̄キ
 ヲ以テ未 ̄タ之ヲ訳述スル者アルヲ聞 ̄カ ス榛斎先生
 嘗テ青木周弼《割書:長州|人》ヲシテ 扶歇蘭土(ヒユヘランド)《割書:人|名》ノ病学書ヲ
 訳セシメ章ニ命シテ 昆斯貌律窟(コンスブリユク)《割書:人|名》 公刺地(コンラヂー)《割書:人|名》等ノ
 病学書ヲ訳セシメ参攷折衷シテ一書ヲ編シ以テ
 之ヲ世ニ公ニセントス而 ̄シテ草稿未 ̄タ_レ半先生溘焉ト
 シテ簀ヲ易 ̄ヘ タリ」先生病篤 ̄キ日章ニ嘱シテ曰 ̄ク病学ノ一

 書未 ̄タ稿ヲ脱セズ予 ̄カ遺憾ナリ子其 ̄レ予 ̄カ志ヲ継 ̄ク ト章
 不才浅学何 ̄ソ能 ̄ク此大任ヲ奉スルニ耐ン然 ̄レ トモ亦既
 ニ遺命トナリテ辞スルニ所ナシ先生没後其遺
 稿ヲ乞 ̄ヒ更ニ其原書ヲ取テ鑽研考覈シ旁 ̄ラ華爾篤(ハルト)
 満(マン)《割書:病学|書》利設蘭土(リセランド)《割書:人身究|理書》貌律面抜苦(ブリュメンバツク)《割書:同|上》羅設(ローゼ)《割書:同|上》 私(ス)
 布斂傑児(プレンゲル)《割書:治法|総説》等ノ書及 ̄ヒ舎密(セミ)術窮理学内外科ノ
 群籍ヲ参攷シテ以テ其遺稿ヲ刪定補正シ纔 ̄カ ニ始 ̄メ
 テ其稿ヲ脱スルコトヲ得タリ」章固 ̄ヨリ文辞蒙昧唯嘲 ̄リ
 ヲ取 ̄ル ニ足 ̄レ リ学者若 ̄シ其文辞ヲ以テセスシテ幸ニ其
 学ノ本旨ヲ領解シ済世ニ少補アルコトヲ得ハ則

 師恩ノ万一ニ報スルニ足 ̄ル章カ大幸亦何 ̄ソ之 ̄レ ニ過 ̄キ
 ン
一編中諸説毫 ̄モ臆按ヲ交ヘス諸書ヲ纂集シ彼此相
 綴テ文章ヲ作為ス故ニ或 ̄ハ前後照応セサル所有 ̄ラ
 ン看者其 ̄レ之 ̄レ ヲ恕セヨ偶《割書:々》章ガ愚按ヲ加ル所ニハ
 按字ヲ冠ス
一諸名称大概榛斎先生ノ訳例ニ随フ其闕如スル
 者ハ章ガ膚見ヲ以テ之 ̄レ ヲ構成ス固 ̄ヨリ穏当ナラサ
 ル者居多 ̄シ故ニ毎名条下各《割書:々》原名ヲ附シテ考照ニ具
 ヘ以テ後ノ君子ヲ俟 ̄ツ」但其原名ハ和蘭語羅甸語
 
 ニ限ラス之 ̄レ ヲ襲用ス人ノ慣習スル所ニ随テ参
 閲ニ便スルノミ《割書:編中原名ノ仮字ニ半濁ノ記号|ヲ副 ̄ヘ タルカ゚キ゚ク゚ケ゚コ゚ハガギグ》  
 《割書:ゲゴノ喉ヨリ出ル者ニシテハ|ヒフヘホニ近似セル音ナリ》    
一或云此編意義通達論理精密ヲ尽セリト謂ベシ
 惜哉文字鄙俗ニシテ雅ナラス恰 ̄モ美羹ヲ馬槽ニ盛 ̄レ
 ルガ如シ人顧 ̄ル者アルコト尠 ̄カ ラン蓋 ̄シ此挙ハ所謂病
 学ノ嚆矢ナリ一 ̄タヒ世ニ布 ̄カ ハ天下後世必 ̄ス軌範ヲ之 ̄レ
 ニ資 ̄ラ ン実ニ凡庸ノ事業ニアラス願 ̄ク ハ子意ヲ事
 物 ̄ノ名称等ニ注 ̄ヒ テ再三之 ̄レ ニ改正ヲ加 ̄ヘ ヨ」章云 ̄ク然リ
 余 ̄モ亦嘗テ文字ヲ正シ章句ヲ明ニシ法ヲ後世ニ

 垂 ̄ン コトヲ庶幾セリ然 ̄レ トモ余少 ̄フ シテ西学ニ志シ東西ニ
 奔走シテ文ヲ学 ̄フ ノ余暇ヲ得ズ卑拙浅陋悔 ̄ユ トモ及バ
 ス以為 ̄ラク遺_レ芳ノ備 ̄ラ サランヨリハ寧 ̄ロ臭ヲ伝 ̄ヘ ザル者
 勝 ̄レ リト将 ̄サ ニ此稿ヲ擲テ篋中ニ投シ終歳顧ルー【ヿ(こと)か】
 亡 ̄ラ ントス」【原文では鈎なしの横棒、以下区別せず】比 ̄ロ四方有志ノ士余 ̄カ此挙アルヲ聞テ其
 公行ノ遅 ̄キ ヲ責 ̄ム ル者多ク或 ̄ハ之 ̄レ ヲ請テ止 ̄マ サルコト饑
 渇ノ飲食ヲ望 ̄ム カ如 ̄キ者アリ斯ニ於テ復 ̄タ遺命ノ遅
 遅ス可 ̄ラ サルコトヲ念ヒ其卑陋ヲ省 ̄ミ ス遂ニ梓シテ以
 テ後ノ君子ヲ俟 ̄ツ ノミ」鳩摩羅什与_二彗壑_一書ニ云 ̄ク天
 竺 ̄ノ国俗甚重 ̄ス_レ文《割書:中|略》但改 ̄テ_レ梵為 ̄ス_レ秦 ̄ト失 ̄フ_二其藻蔚_一雖_レ得 ̄ト_二大意 ̄ヲ_一
           
 殊 ̄ニ隔 ̄ツ_二文体 ̄ヲ_一有_レ似 ̄タル_二嚼 ̄テ_レ飯 ̄ヲ与 ̄ルニ_一_レ 人 ̄ニ不_二徒 ̄ニ失 ̄フノミ_一_レ味 ̄ヲ乃令 ̄ル_二嘔噦 ̄セ_一也ト 
 余 ̄カ聞 ̄ク所ヲ以テスルニ梵経ハ支那碩儒会議シテ訳
 セシ所ナリ而 ̄シテ尚 ̄ホ此 ̄ノ非毀アリ」況 ̄ン ヤ余 ̄カ嚼与ノ飯。人 
 必 ̄ス数里ノ外ニ唾セン嘔噦モ何 ̄ソ得ベケンヤ然 ̄リ ト
 雖トモ亦之 ̄レ ヲ以テ夫 ̄ノ饑者ニ与 ̄ヘ ハ其徒 ̄ラ ニ溝壑ニ塡
 ルヲ忍 ̄ヒ視 ̄ル ニハ勝ランカ豈 ̄ニ勝ラズヤ

               緒方章公裁謹誌

病学通論巻之一目次
   生機論
 両体
  有機体 無機体
  《割書:附|》 黙加尼私謬斯(メカニスミユス)《割書:黙加力。引力。聚|力。張力。重力。》 
  舍密私謬斯(セミスミユス)《割書:舍密力。|親交力。》 
  納那密私謬斯(デイナミスミユス) 
 生力
 資生力《割書:一名補給力|》 
  賦機力  成形力

感応力
  感受力  抗抵力  
覚機《割書:一名神経力|》  
 神経識力  神経動力
動機《割書:一名筋力|》  
各異感応機
刺衝物
 内刺衝物 外刺衝物
生力抗抵

病学通論総目次
 巻之一  生機論
 巻之二  疾病総論《割書:第一|》
 巻之三  疾病総論《割書:第二|》
 巻之四  疾病総論《割書:第三上|》
 巻之五  疾病総論《割書:第三中|》
 巻之六  疾病総論《割書:第三下|》
 巻之七  病因総論《割書:第一|》
 巻之八  病因総論《割書:第二|》
 巻之九  病因総論《割書:第三|》

 巻之十  病証総論《割書:第一|》  
 巻之十一  病証総論《割書:第二|》
 巻之十二  病証総論《割書:第三|》
   総目次《割書:終|》


病学通論巻之一
       足守  緒方章公裁 訳述
   生機論
両体
 宇宙間万物ノ品類蕃庶 ̄ナリ ト雖トモ之 ̄レ ヲ統テ両体ト
 ス其一ヲ[有機体]《割書:ベウェルキトヰ|ク゚デ、リカ゚ ーム》ト謂 ̄フ動物植物是
 ナリ」機器ヲ具へ生力ヲ舎シ生滅ニ係ル而 ̄シテ滋養
 ヲ異類ニ資テ内ヨリ化生シ以テ形質ヲ成ス
  動物ハ穀肉菓菜大気ヲ以テ資養シ植物亦大
  気及土壌津液ヲ以テ資養ス是 ̄レ其養ヲ異類ニ

  資ル者ナリ
 其一ヲ[無機体]《割書:オンベウェルキト|ヰク゚デ、リカ゚ ーム》ト謂 ̄フ生機ナク生
 滅ニ係 ̄ラ ス養ヲ同類ニ資テ外ヨリ増添シ形質ヲ
 成ス《割書:気水金石|土ノ類》動植二物ヲ除 ̄ク ノ他皆是 ̄レ ナリ
 凡 ̄ソ天地万物剛柔屈伸動静変化得テ究極スヘカ
 ラスト雖トモ一モ造化力《割書:アルケ゚メーネ、ナ|チュールカラク゚ト 》ノ三作
 用ヨリ出 ̄テ サル者ナシ
  造化力ノ三作用ハ 黙加尼私謬斯(メカニスミユス)。舍密私謬斯(セミスミユス)。    納那密私謬斯(デイナミスミユス)是 ̄レ ナリ
  [黙加尼私謬斯(メカニスミユス)]《割書:以下略シテ黙|加ト記ス》触ル者之 ̄レ フ【ヲヵ】碍エ。抵

 ル者之 ̄レ ヲ弾キ衝テ之 ̄レ ヲ動 ̄カ シ撲テ之 ̄レ ヲ砕キ截
 テ之 ̄レ ヲ分チ圧シテ之 ̄レ ニ迫ル等ノ如 ̄キ器械底ノ作
 用ヲ総称ス」其然 ̄ル所以ノ力之 ̄レ ヲ[黙加(メカ)力]《割書:メカニ|セ、カラ》
 《割書:ク゚|ト》ト謂 ̄フ即 ̄チ引力聚力張力重力等是 ̄レ ナリ」其[引力]
 《割書:アーンテレッキン|ク゚ス、カラク゚ト 》ト云 ̄フ ハ喩 ̄ヘ ハ水ニ油ヲ注 ̄ヒ テ撹
 和スレハ水ハ水ト合シ油ハ油ト合スルカ如 ̄ク
 同類相引 ̄ク力 ̄ラ ナリ《割書:其実ハ同類ノミ相引 ̄ク ニアラ|ス万物共ニ異同ヲ択ハズ相》
 《割書:引 ̄ク力ナリ只次ニ挙 ̄ク ル交力ト比較シテ解シ易カ|ラン為 ̄メ ニ暫 ̄ク同類相引 ̄ク力 ̄ラ トシテ之 ̄レ ヲ示スノミ》
 其[聚力]《割書:サーメンハン|ク゚ス、カラク゚ト》ト云 ̄フ ハ物ノ質分互 ̄ヒ ニ聚
 凝シテ以テ其形体ヲ維持スル力ナリ《割書:是 ̄レ亦引力|ナリ但離 ̄ル》

 《割書:者ノ引テ合スルハ引力作用トシ合スル者ノ|益《割書:々》凝テ離 ̄レ サラントスルハ聚力作用トス故ニ》 
 《割書:編中或 ̄ハ凝力ト訳シ或 ̄ハ|縮力ト訳ス皆一ナリ》其[張力]《割書:オイトセッテン|デ、カラク゚ト》ト
 云 ̄フ ハ物質ノ拡張分散セントスル力ニシテ正 ̄シ ク
 聚力ト相反対ス蓋 ̄シ万物ノ剛柔皆此 ̄ノ聚張二力
 ノ強弱ニ係ル乃 ̄チ凝体ハ聚力ノ偏勝セルナリ
 気類ハ張力ノ偏勝セルナリ流体ハ其中間ニ
 在 ̄リ トス」其[重力]《割書:ズワールテ、|カラク゚ト》ト云 ̄フ ハ万物墜下シテ
 地ニ落ル力ナリ亦是 ̄レ大地ト万物ト相引 ̄ク ノ引
 力ナルノミ
 [舍密私謬斯(セミスミユス)]《割書:以下略シテ舎|密ト記ス》異類ノ物質互 ̄ヒ ニ相抱

 和シテ更ニ一体ヲ生シ或 ̄ハ渾全ノ一体分拆シテ復 ̄タ
 異類ノ各質トナル等皆此作用ナリ」其然 ̄ル所以
 ノ者ヲ指シテ[舍密(セミ)力]《割書:セミセ、カ|ラク゚ト》ト謂 ̄フ」喩 ̄ヘ ハ水分ト
 水分ト合シテ水ヲ成 ̄シ塩分ト塩分ト合シテ塩ヲ成 ̄ス
 カ如 ̄キ ハ同類相引 ̄ク者ニシテ所謂引力作用ナリ然 ̄レ
 トモ今塩ヲ取テ水ニ投スレハ溶化シテ鹵汁トナ
 リ其鹵汁一点モ純水有 ̄ル コトナク一点モ純塩有 ̄ル
 コトナシ是 ̄レ塩ト水トノ異類親交融和シ全鹵汁
 ヲ成 ̄ス者ニシテ乃 ̄チ舍密(セミ)力作用ナリ」故ニ亦之 ̄レ ヲ指
 テ[親交力]《割書:フルワントシカッ|プス、カラク゚ト》ト謂 ̄フ蓋 ̄シ異類相親ム

 ノ義ニ采 ̄ル《割書:以下略シテ交|力ト記ス》但此力ノ物ニ於 ̄ケ ル有無
 アリ親疎アリ是ヲ以テ水ハ塩ト交力有 ̄レ トモ油
 トハ交力ナク又硫酸ト 麻倔涅失亜(マグネシア)ト交力親
 密ナレトモ硫酸ト 剥篤亜斯(ポットアス)トノ至親ナルニハ
 如(シカ)ズ故ニ凝水石《割書:硫酸ト麻倔涅失|亜ノ抱合ニ成ル》ノ溶水ニ剥
 篤亜斯ヲ加レハ硫酸自 ̄ラ麻倔涅失亜ヲ離 ̄レ テ剥 
 篤亜斯ト抱合シ《割書:孕礬酒石ト|為テ溶解ス》麻倔涅失亜ハ特 ̄リ
 配偶ヲ失テ沈底スルナリ
 [納那密私謬斯(デイナミスミユス )]《割書:以下略シテ納|那ト記ス》温素。光素。越列幾(エレキ)。瓦(カ)
 爾華尼(ルハニ)。末倔涅質(マク゚ネチ)。等 ノ如 ̄ク権衡以テ測ル可ラザ

 ル元素ノ作用ヲ総称ス」蓋 ̄シ此諸元素ハ殆 ̄ント無形
 ニ属スルヲ以テ其作用自 ̄ラ黙加力舎密力ト其
 景況ヲ異ニス《割書:以上三力ハ造化妙機ノ淵源ニ|シテ詳 ̄カ ニ解説セサレハ卒 ̄カ ニ理会》
 《割書:シ難シト雖トモ此書ノ本旨ニ非 ̄ル カ故ニ唯其大|概ヲ示スノミ尚名物考補遺。気海観瀾。舍密開》      
 《割書:宗等其他諸書ニ|就テ参考スベシ》
 今 ̄マ其三作用ノ一二ヲ言 ̄ハ ンニ水ハ大気ヨリ重 ̄キ
 ヲ以テ地面ニ流動ス《割書:黙|加》ト雖トモ温素之 ̄レ ニ加 ̄ハ レ
 ハ《割書:納|那》張力増発シテ軽虚トナリ気中ニ浮游ス《割書:黙|加》
 升テ冷際ニ至 ̄レ ハ温素奪却セラレテ《割書:納|那》引力其
 権ヲ擅 ̄マヽ ニシ将ニ凝テ形ヲ成 ̄サ ントス《割書:黙|加》然 ̄レ トモ 越(ヱ)

【麻倔涅失亜=マグネシウム 剥篤亜斯=カリウム 凝水石=硫酸マグネシウム 孕礬酒石=硫酸カリウム、カリ明礬】
【温素=熱 光素=光 越列幾=電気 瓦爾華尼=ガルバニ(銅亜鉛電池) 末倔涅質=磁気】

 列幾(レキ)過剰ニシテ尚 ̄ホ聚力ヲ妨碍スルガ故ニ《割書:納|那》暫 ̄ク
 雲ト為テ陰靄ス此時若 ̄シ新 ̄タ ニ升 ̄リ来 ̄ル所ノ水蒸気。
 越列幾不足ニシテ平均ヲ求メ其過剰ノ越列幾
 ヲ奪 ̄ヘ ハ 《割書:納|那》其雲乍 ̄チ凝聚シテ故形ニ復シ重力ヲ以
 テ下降ス《割書:黙|加》是乃 ̄チ雨滴ナリ」又 ̄タ油中含ム所ノ水
 素ハ気中ノ酸素ト交力ヲ有テトモ《割書:舎|密》冷ナル時
 ハ油ノ聚力ニ妨 ̄ケ ラレテ《割書:黙|加》之 ̄レ ト合スルコト能ハ
 ス偶《割書:々》火ヲ点シテ温素ヲ与 ̄フ レハ聚力之 ̄レ ガ為 ̄メ ニ減
 却セラレテ《割書:納|那》其水素交力ヲ逞シ夫 ̄ノ酸素ト合
 シテ水蒸気トナル《割書:舎|密》此時ニ当テ酸素含蓄ノ温

 素光素排擯セラレテ亦共ニ升騰ス《割書:納|那》是灯火
 ノ燃 ̄ユ ルナリ」又水ハ其質分互ニ引著シ凝テ形 ̄チ
 ヲ成 ̄サ ントスレトモ《割書:黙|加》温素ヲ含 ̄ム コトノ多 ̄キ カ故ニ之 ̄レ
 ニ拡張セラレテ《割書:納|那》固結スルコト能ハズ若シ大気
 寒冷ナルコト甚 ̄フ シテ其温素ヲ奪却スレハ《割書:納|那》引力
 聚力権ヲ専ニシ相引 ̄キ相聚テ乍 ̄チ形ヲ結フ《割書:黙|加》是 ̄レ
 水ノ氷ト為 ̄ル ナリ《割書:凡 ̄ソ流体ノ凝体トナリ凝体ノ|流体ニ変スル所以皆此 ̄レ ニ出》
 《割書:ツ|》」爾余森羅万象皆此 ̄ノ三作用ニ帰ス
  特 ̄リ動植二物ハ此 ̄ノ三作用ヲ以テ其変幻ヲ究 ̄ム ベカ
 ラズ是 ̄レ生力有テ内ニ存スルニヨル

生力《割書:レーフェンス、カラク゚ト」漢人所謂元|運生気、元気、正気、真気、皆是ナリ》
 生力 ̄ト ハ動植二物ノ生活運営ヲ主司スル力 ̄ラ ナリ
 其物タルノ本原実ニ未 ̄タ究識スベカラスト雖トモ 
 唯其作用ニ徴シテ之 ̄レ ヲ言 ̄フ ノミ猶夫 ̄ノ引力 ̄モ交力 ̄モ其本
 原ハ推測ス可ラザルト一般ナリ《割書:按ニ華爾篤満(ハルトマン)|《割書:人|名》云 ̄ク生力本原》
 《割書:ハ万物共ニ具 ̄フ ル所ノ張力縮力 ̄ノミ故ニ諸運動皆此|両力ノ作用ニ他ナラス」ト其議論精密取 ̄ル ヘキニ》
 《割書:似タリト雖トモ亦未 ̄タ全 ̄ク信ス可ラサ|ル所アリ故ニ今 ̄マ之 ̄レ ヲ収用セス》
 有機体《割書:動物|植物》モ固 ̄ヨリ造化ノ一物ナレハ造化 ̄ノ三力《割書:黙|加、》
 《割書:舎密、|納那、》ヲ具 ̄フ ルコト論無 ̄シ ト雖トモ生力有テ之 ̄レ ヲ主宰ス
 ルカ故ニ三力共ニ転化セラレテ造化普通ノ自

 性ヲ擅 ̄マヽ ニスルコト能ハス」喩ハ血液ノ如 ̄キ固 ̄ヨリ流体ナ
 ル故ニ重力ヲ以テ下 ̄キ ニ就 ̄ク コト其自性ナレドモ人身
 ニ在テハ上下左右偏勝ナク斉 ̄シ ク循環流通シテ必 ̄シモ
 下体ニ聚 ̄ラ ス高組技【ツナワタリ=左ルビ】身ヲ倒 ̄マ ニスレトモ血液頭脳ニ
 偏流セズ是 ̄レ血液ノ重力脈管ヲ圧迫スレバ脈管
 ノ生力亦激搏シテ之 ̄レ ヲ抗拒スルニ由 ̄ル」然 ̄レ トモ身ヲ倒 ̄マ
 ニスルコト久 ̄フ シテ休 ̄マ ザレバ重力漸 ̄ク偏勝シテ生力之 ̄レ ヲ
 制スルコト能ハズ血液遂ニ頭脳ニ充積シテ病患ヲ
 発現ス」故ニ久病後生力虚憊セル者久 ̄シ ク立歩ス
 レハ則 ̄チ足脚浮腫ヲ生ス」聚力 ̄モ亦生体ニ在テハ死

 体ト其致ヲ同 ̄フ セス試ニ活人ノ提持ニ堪 ̄ユ ヘキ重
 錘ヲ取テ死者ノ手ニ結縛スレハ其皮肉必 ̄ス破綻
 ス是故ニ有機体ノ黙加(メカ)力ハ無機体ト同 ̄シ カラズ
 転シテ生機ノ作用ヲ輔ク依テ亦之 ̄レ ヲ[有機黙加力]
 《割書:ベウェルキトヰク゚デ、|メカニセカラク゚ト》ト謂 ̄フ」故ニ繊維ノ聚結。血球ノ
 推盪。心肺脈管ノ排張。胃腸襀襞ノ摩擦。肝横隔膜
 ノ胃ヲ圧迫シ屎尿ノ腸尿道ヲ推行スル等自 ̄ラ無
 機黙加力作用ト同 ̄シ カラス」然 ̄レ トモ其黙加力偏勝シテ
 生力ノ化ニ随 ̄ハ サレハ或 ̄ハ血液凝泣シテ《割書:聚|力》脈管ニ塡
 塞シ或 ̄ハ水液墜下シテ《割書:重|力》諸腔ニ瀦溜シ或 ̄ハ諸竅ノ狭

 窄閉縮《割書:聚|力》ヲ起シ或 ̄ハ諸部ノ膨張 貌僂屈(ブレウク)等《割書:張|力》ヲ発
 ス
 舎密(セミ)力 ̄モ亦有機体ニ於テハ造化無生ノ作用ヲ擅 ̄マヽ
 ニセス更ニ転シテ生活運営ヲ為スナリ是 ̄レ ヲ[有機
 舎密力]《割書:ベウェルキトヰク゚デ、|セミセカラク゚ト》ト謂 ̄フ人身ニ在テハ飲
 食ヲ消化シテ血液ヲ醸成シ血液ヲ分拆シテ諸器諸
 液ヲ造為シ吸気ニ由テ酸素ヲ血中ニ布化シ呼
 気ニ由テ炭水二素ヲ排除スル等体内物質ノ離
 合聚散新陳代謝総テ無機舎密力ト其轍ヲ異ニ
 ス」又同圃ニ培栽セル草木土性津液大気等ノ資

 養同一般ナレトモ形質性味猶葵ト大戟トノ如ク
 全 ̄ク相霄壌スル者アリ是 ̄レ其各自ノ生力其舎密力
 ヲ化シテ然 ̄ラ シムルナリ故ニ若 ̄シ人身 ̄ノ舍密力偏勝シテ
 生力之 ̄レ ヲ制スルコト能 ̄ハ サレバ諸液調和ヲ失テ溶
 崩腐敗シ或 ̄ハ酸素 亜児加利(アルカリ)血中ニ游離シ或 ̄ハ土質
 凝固シテ結石ヲ生スル等諸般ノ病ヲ発ス」抑《割書:々》血液
 体内ニ在 ̄レ ハ腐敗セズ体外ニ出セバ乍 ̄チ腐敗ス是 ̄レ
 生力ヲ離 ̄レ テ舍密力ノ化ニ随 ̄ヘ ハナリ
 諸《割書:々》無機体ノ寒暖ハ大気ノ寒暖ニ凖 ̄フ ト雖トモ有機
 体ニ在テハ決シテ然ラス人身血液ノ温ハ盛夏炎

 熱ノ候ニモ華氏験温管《割書:補ニ|出ツ》九十六度ナリ厳冬
 冱寒ノ時モ亦九十六度ナリ無機体ノ夏日ニ灼
 熱シ厳冬ニ冱凍スル比ニ非ス」昆虫ノ厳冬中頑
 然トシテ死セルカ如 ̄ク蟄伏スルモ生力潜蔵スル故
 ニ凍死セス是 ̄レ納那力。生力ニ抑制セラルヽヲ以
 テ温素自性ノ平均作用ヲ為 ̄ス コト能 ̄ハ サレハナリ」試
 ニ縛帯ヲ以テ膝膕ヲ緊扎スレハ血液通セスシテ
 足脚厥冷ス斯ニ於テ嚢ニ熱沙ヲ盛テ之 ̄レ ニ置 ̄ケ ハ
 其部太甚 ̄ク熱ス是生力専ナルコト能 ̄ハ サルヲ以テ其
 温素恣 ̄マヽ ニ偏勝スルナリ転シテ之 ̄レ ヲ他部ニ徙セハ

 其温大ニ加 ̄ハ ラズ是 ̄レ生力其温素ヲ抑制シテ調節ス
 レハナリ」越列幾ノ如 ̄キ モ亦厥損スレバ補充シ鬱
 積スレハ排除スル等有機体ニ在テハ造化普通
 ノ作用ト異ナリ
 由_レ此観_レ之生力ハ有機体ニ稟舎セル霊妙不測ノ
 力ナリ」蓋 ̄シ其有機体ニ在 ̄ル ヤ無生ノ物質ヲ化シテ生
 活区域ニ輸シ諸器ヲ営ミ諸液ヲ醸シ活動ヲ起
 シ生命ヲ保続セシム而 ̄シテ其妙用千態万状《割書:也》ト雖 トモ
 之 ̄レ ヲ統 ̄フ レハ畢竟唯発生化育ノ機ト感覚活動ノ
 用ト二般ノミ」故ニ今 ̄マ之ヲ綱トシ其目ヲ分ツコト

 左ノ如シ
  凡 ̄ソ有機体其具有ノ機器。寡簡ナル者ハ生力発
  見 ̄モ亦随テ寡少ナリ故ニ植物ノ如 ̄キ ハ唯発育ノ
  機 ̄ノミ有テ覚動ノ用ナシ人身ニ至テハ諸器饒多
  ニシテ経絡貫通シ尚且 ̄ツ弁識智慧ヲ具スルカ故
  ニ生力発見多端ニシテ殆 ̄ント究極ナシ
資生力《割書:プラスチセ、|カラク゚ト》
 資生力ハ有機体ノ形質資生ヲ宰 ̄ト リ且 ̄ツ尋 ̄ヒ テ其培
 養補給ヲナス力 ̄ラ ナリ故ニ亦[補給力]《割書:ウェーデルフォ|ールトブレ》
 《割書:ンキ゚ンク゚ス、|カラク゚ト》ノ名アリ」之ヲ分テハ左ノ二力ニ帰

 ス
 [賦機力]《割書:ベウェルキトヰケ゚|ンデ、カラク゚ト》無機 舍密(セミ)力ヲ剋制シテ有
 機舍密力トナシ無生 ̄ノ物質ヲ転化シテ有生物質ト
 ナス力ヲ云 ̄フ」人身ニ在テハ飲食消化シテ妙合調和
 シ乳糜ト為リ血液ト為リ酸素ヲ含テ全体ヲ環
 廻シ活気《割書:資生|力》ヲ増発シテ諸器ヲ滋養スル所以 ̄ン皆
 此力ノ作用ナリ
 [成形力]《割書:フォルメンデ、|カラク゚ト》有機物質ヲシテ結テ形ヲ成 ̄サ シ
 ムル力ナリ」蓋 ̄シ衆器全体共ニ有形ノ始 ̄メ ヨリ其形
 質合織ヲ差ヘス各《割書:々》一定ノ型ヲ守テ発生長育ス

 ル所以此力ノ賦セルニ由 ̄ル」乃 ̄チ人身ニ在テハ衆器
 諸液ノ質日夜弊耗息 ̄ム時ナシト雖トモ飲食大気ニ
 資テ之 ̄レ ヲ培補シ筋骨爪牙血球ニ至 ̄ル マデ其形ヲ
 保続ス且 ̄ツ夫 ̄ノ外傷ニ由テ毀損セル部 ̄モ更ニ補綴シテ
 前形ノ新肉ヲ生スル等亦皆此力ノ作用ニ出 ̄ツ
  按ニ賦機力ハ有生物質ノ混合調和ヲ主 ̄ト リ成
  形力ハ其聚結成形ヲ主 ̄ト ル乃 ̄チ是有機舍密力ト
  有機黙加力トニ属ス」蓋 ̄シ脈管化骨等ノ如 ̄キ ハ成
  形力常ヲ差ヘスシテ賦機力変性スルナリ骨瘤
  贅肉等ノ如 ̄キ ハ賦機力自若トシテ成形力常ニ違 ̄フ

  ナリ以テ二力ノ差ヲ知 ̄ル ヘシ
 蓋 ̄シ資生力ハ凝流二体ニ普 ̄ネ ケレトモ殊ニ多ク血質
 ニ賦シテ衆器諸液ヲ化成ス霊液ノ神経ニ流通シテ
 百体ヲ活動セシメ男精ノ母体ニ入テ孕胎セシ
 ムルモ皆其力ヲ血ニ資 ̄ラ サルハナシ」乃 ̄チ一涓滴ノ
 精液寂然不生ノ渾体《割書:婦人卵巣中ノ卵液ナリ不|生ハ活動無キヲ云 ̄フ絶テ生》
 《割書:機ナシト云 ̄フ|ニハ非ス》ニ感舍シテ之ニ成形力ヲ賦与シ抱合
 シテ胚渾トナル其成形力則 ̄チ一滴ノ男精ヨリ受ル
 コトハ形貌状態 所生【チヽ=左ルビ】ニ象似スルコト有 ̄ル ヲ以テ徴ス
 ヘシ」肢節頑麻不遂ノ症ニ於テ知覚運動共ニ廃

 スレトモ仍能 ̄ク形体ヲ保持スルハ血質ノ資生力之 ̄レ
 ヲ滋養スレハナリ」然 ̄ル ニ或 ̄ハ緊扎シ或 ̄ハ動脈化骨セ
 ル等ニ由テ血ノ運行ヲ遏絶スレハ知覚運動有 ̄リ
 ト雖トモ其部必 ̄ス腐壊ス是 ̄レ資生力消亡【兦】シテ無機舍密
 力ノ化ニ帰スレハナリ」故ニ資生力ハ知覚運動
 《割書:神経脳髄及 ̄ヒ|諸筋ノ力》ニ関ラスシテ殊ニ血質ニ舍スル者ト
 ス」然 ̄リ ト雖トモ所謂感応力《割書:知覚運動ヲ主司ス|ル力ナリ次ニ出ツ》モ資
 生力モ本来一原ノ生力ナリ故ニ脈管ノ運動増
 進スレハ血質ノ凝力《割書:資生|力》旺盛ス《割書:焮衝病ニ於|テ見ルカ如 ̄シ》又
 咽喉。焮衝ノ為 ̄メ ニ義膜ヲ造シ刄創。毒ニ値テ異肉

 ヲ生シ黴毒伝染シテ贅肉骨腫ヲ発シ癌毒侵淫シテ
 危劇ノ水棉様肉ヲ作ス等ノ如ク刺衝劇シケレ
 ハ成形力亦随テ増進ス」然 ̄リ而 ̄シテ資生力ト感応力ト
 ハ其運用亦互ニ相頡頏ス故ニ資生力衰弊シテ羸 
 痩骨立スレハ感応力随テ亢過シ脈細数感動鋭
 敏トナル《割書:労瘵病ニ於|テ見 ̄ル カ如シ》是ヲ以テ植物ノ如 ̄キ感応力
 極テ微ナル者ニ至テハ資生力益《割書:々》大ニ盛ナリ
  人身ハ一支節モ之 ̄レ ヲ截断スレハ復 ̄タヒ補綴スル
  コト難シ而 ̄シテ昆虫類ハ截テ両段トナセトモ更ニ首
  尾ヲ生シテ活動スル者アリ草木ニ至テハ其幹

  ヲ伐 ̄ル ト雖トモ又新芽ヲ生シテ再 ̄ヒ蘩茂ス亦以テ資
  生感応両力ノ反対ヲ見 ̄ル ヘシ
感応力《割書:オプウェ キバールヘイド又 ̄タ プ|リッケルファットバールヘイド》
 眼 ̄ノ物ヲ視ル耳 ̄ノ音ヲ聴ク鼻 ̄ノ臭ヲ嗅ク舌 ̄ノ食ヲ味フ
 肺 ̄ノ気ヲ槖籥スル心 ̄ノ血ヲ出納スル胃 ̄ノ飲食ヲ化ス
 ル腎 ̄ノ小便ヲ利スル等皆是 ̄レ外ニ感シテ内ニ応スル
 者有 ̄ル ニ由 ̄ル」其然 ̄ル所以ノ者ヲ感応力ト謂 ̄フ」賦機力成
 形力ノ如 ̄ク流体凝体植物等一般ニ具有セス独 ̄リ動
 物ノ凝体ニ稟舎シテ一切ノ運動ヲ主司スル力ナ
 リ」亦之ヲ二力ニ分ツ

 其一 ̄ヲ [感受力]《割書:オントファンク゚|バールヘイド》ト云 ̄ヒ
 其一 ̄ヲ [抗抵力]《割書:テリュク゚ウェルケン|デ、フルモーケ゚ン》ト云 ̄フ」感受力ハ外物 ̄ノ
 刺衝ヲ感受スル力ナリ抗抵力ハ之 ̄レ ニ抗抵シテ発
 動スル力ナリ」蓋 ̄シ感受抗抵原 ̄ト是一力 ̄ノ作用《割書:也》ト雖トモ
 体内ノ器。感受敏捷ニシテ抗抵強実ナラサル者ア
 リ《割書:脳、神経|ノ如シ》抗抵強実ニシテ感受敏捷ナラサル者ア
 リ《割書:筋、靭帯|ノ如シ》以テ其別アルコト知 ̄ル ヘシ」人身諸部各《割書:々》其
 感応ノ景況ヲ異ニスル者ハ乃 ̄チ此二力ノ対待其
 致ヲ同 ̄フ セザルニ係ル
  生力ヲ指シテ直 ̄チ ニ感応力ト謂 ̄フ ヘカラス感応力

  ハ只是生力現候ノ一ナルノミ」故ニ感応力ナ
  クシテ生力存スル者アリ之 ̄レ ヲ[潜生]《割書:ケ゚ボンデン|ツースタン》
  《割書:ド、デル、レイフェ|ンスカラク゚ト》ト云 ̄フ喩 ̄ヘ ハ鳥卵ノ如シ頑然タル
  一流体ナレトモ数週腐敗ニ陥ラス之 ̄レ ヲ覆熰ス
  レハ感応力乍 ̄チ発動シ闖然トシテ孵化スルコトヲ
  得是 ̄レ其生力ノ潜蔵セル者以テ知 ̄ル ヘシ
 生力感応ノ機用百般《割書:也》ト雖トモ之 ̄レ ヲ統 ̄フ レハ三等ニ
 帰ス覚機。動機。各異感応機。是 ̄レ ナリ
覚機《割書:ケ゚フーリ|ク゚ヘイド》
 覚機ハ触知感覚スル所以ノ機ニシテ乃 ̄チ神経。脳髄。

 脊髄ノ本然固有力ナリ故ニ亦[神経力]《割書:セーニュー|カラク゚ト》
 ノ名アリ」蓋 ̄シ神経外物ニ感スレハ其感動ヲ脳ト
 筋トニ達ス」其脳ニ達スルハ支末ヨリ原本ニ遡
 洄シテ脳髄ニ届 ̄タ リ以テ痛痒寒熱ヲ知 ̄ラ シメ以テ百
 爾ノ事理ヲ弁セシム是 ̄レ ヲ[神経識力]《割書:ケ゚ワールフ|ルヂンク゚ス、》
 《割書:カラ|ク゚ト》ト謂 ̄フ
  所謂識力ハ精神 ̄ノ力 ̄ラ ヲ指シテ云 ̄フ ニ非ズ精神ヲシテ
  弁識セシムル神経 ̄ノ力 ̄ラ ヲ云 ̄フ《割書:次ニ挙ル神経動力 ̄モ|神経自 ̄ラ運動スルニ》
  《割書:非ス筋ヲシテ運動セシ|ムル力 ̄ラ ナルガ如シ》蓋 ̄シ精神ハ動物ノ脳髄ニ
  舎スル者ニシテ生力ト自 ̄ラ別アリ故ニ生力有 ̄リ ト

  雖トモ精神ナキ者アリ植物是 ̄レ ナリ」動物 ̄モ亦 剥列(ポレイ)
  編(ペン)《割書:植学啓|原ニ出 ̄ツ》ノ如 ̄キ ハ脳髄ナク精神無 ̄シ ト雖トモ生力
  有テ長育活動ス」人 ̄モ亦癇。卒厥。睡痱ノ類ニ於テ
  ハ弁識無 ̄ク シテ生活シ手脚ノ頑麻不遂セル部モ
  精神感動ナクシテ保生シ歯髪爪骨靭帯等ハ弁
  識触覚無 ̄シ ト雖トモ生生長育シテ形質ヲ保全ス以
  テ精神ト生力ト混同ス可 ̄ラ サルコト知 ̄ル ヘシ
 其筋ニ達スルハ受ル所ノ感動《割書:精神若 ̄ク ハ|外物刺衝》ヲ原本
 ヨリ支末ニ伝 ̄ヘ テ筋ニ届 ̄タ リ其繊維ヲ刺衝シテ以テ
 縮張 ̄ノ運動ヲ起サシム是 ̄レ ヲ[神経動力]《割書:ベウェーキ゚ン|ク゚ス、カラク゚》

 《割書:ト、デル、セ|ーニュウェン》ト謂 ̄フ」其両用《割書:識力|動力》共ニ神経ノ一覚機ニ
 シテ唯嚮路ノ異ナルノミ
  精神ハ直 ̄チ ニ筋ヲ動スコトヲ得ス必 ̄ス覚機ノ媒介
  ヲ須ツ」試ニ筋ニ循行セル神経ノ一部ヲ暴露
  シテ此 ̄レ ニ抵触スレハ疼痛ヲ其部ニ覚エ《割書:識|力》又其
  神経支末ノ循 ̄レ ル筋。自意ニ随 ̄ハ サル運動《割書:痙攣|搐掣》ヲ
  発ス《割書:動|力》故ニ諸筋ノ運動ハ神経覚機ノ主ル所
  ニシテ精神直逹ノ感動ニ非ルコト知 ̄ル ヘシ
 然 ̄レ トモ其本ニ達スルモ弁識ヲナサス其末ニ伝 ̄フ ル
 モ精神ノ感動ニ関ラスシテ不随意ノ運動ヲ起ス

 神経アリ乃胸腹諸蔵ニ循行スル者《割書:所謂運|化神経》是ナ
 リ」此神経ハ直径ニ脳ト連属セス神経節及 ̄ヒ神経
 叢ヨリ出テ諸器ニ循行ス故ニ刺衝ヲ受 ̄ク レトモ之
 ヲ精神ニ告 ̄ケ ス特 ̄リ之 ̄レ ニ抗抵シテ自家運営ヲ致ス
  蔓延対神経等ノ支別頸胸腹ノ諸部ニ於テ互
  ニ相聚結シ小節ヲ成 ̄ス者之 ̄レ ヲ神経節ト云 ̄ヒ」其錯
  綜シテ網状ヲ成 ̄ス者之 ̄レ ヲ神経叢ト云 ̄フ」此 ̄レ ヨリ更ニ
  幾多ノ神経ヲ分チ胸腹ノ諸蔵諸器内外筋膜
  等意識ニ関渉セサル諸部ニ瀰蔓ス《割書:肋間対神|経ハ乃 ̄チ其》
  《割書:最幹ヲナ|ス者ナリ》故ニ此神経ハ別域ヲ為 ̄シ テ其用ヲ異

  ニシ脳神ト交渉セサルナリ」然 ̄レ トモ所謂運化神
  経モ非常ノ抗抵ヲ発スレハ其区域ヲ過越シテ
  脳神ニ達シ之 ̄レ ヲ弁識セシムルニ至ル喩 ̄ヘ ハ胃
  腸ノ刺衝《割書:下薬蛔|虫等》強 ̄ケ レハ疼痛ヲ知覚スルカ如
  シ
  脳神経 ̄モ亦其感動ヲ脳ニ達スレトモ精神ヲ待 ̄タ ス
  単(ヒトリ)脳髄 ̄ノミ ノ抗抵ニ由テ動力ヲ発スルコトアリ喩
  ハ眼𥄹【目偏に包。「眼𥄹」は「瞼」の俗称】ノ開闔瞳孔ノ縮張及 ̄ヒ痙攣搐搦ノ諸病
  ニ於テ見 ̄ル カ如シ
動機《割書:プリッケルバ|ールヘイド》

 動機ハ動物繊維。外来刺衝ニ抗抵シテ牽縮スル所
 以ノ機ナリ」其機殊ニ筋繊維ニ見 ̄ハ ル故ニ又 [筋力]
 《割書:スピール、|カラク゚ト》ノ名アリ全身諸器ノ運動咸 ̄ナ此機ニ出 ̄ツ
 然レトモ動機ハ覚機ノ如 ̄ク感動ヲ他部ニ伝 ̄ル コトナク
 唯其刺衝ノ部ニ抗抵ヲ発スルノミ」然 ̄ノ亦此ニ二
 般アリ一 ̄ハ神経力《割書:神経|動力》ノ刺衝ニ感動シテ随意不随
 意ノ運動ヲ作 ̄コ スナリ一 ̄ハ神経力ニ係ラス血液等
 ノ刺衝ニ感動シテ蜎蜎瞤動スルナリ乃 ̄チ心動脈ノ
 縮張胃腸ノ蠕動機ノ如シ」蓋 ̄シ心臓ノ筋繊維ハ神
 経ノ錯綜スルコト甚 ̄タ微ナレトモ常ニ血液ノ刺衝ニ

 抗抵シ縮張シテ大ニ運動ス」以テ筋繊維ノ運動ハ
 必 ̄シモ神経力ニ係 ̄ラ サルコト知 ̄ル ヘシ
  按ニ動機ハ筋繊維 ̄ノ固有力ト云 ̄フ ト雖トモ筋繊維
  ナキ部ニモ亦此機アリ肺蔵大気ヲ受テ槖籥
  シ子宮分娩ニ当テ縮窄シ草木花開テ雄蕊自 ̄ラ
  雌蕊ニ触 ̄ルヽ カ如シ蓋 ̄シ夫 ̄ノ肺蔵子宮ハ共ニ蜂窠質
  ニシテ筋繊維ナク花蕊亦固 ̄ヨリ筋繊維ノ有 ̄ル ベキナ
  シ而 ̄シテ猶此 ̄ノ運動アリ然 ̄レ ハ則動機ナル者ハ必 ̄シモ筋
  繊維 ̄ノ固有力《割書:也》トシ難シ」覚機モ亦必 ̄シモ神経ニ限 ̄レ ル
  力ニ非ス神経ナキ部ト雖トモ病患ニ由テハ知

  覚ヲ発スルコトアリ黴毒 ̄ノ骨痛。糾髪病ノ髪痛ノ
  如シ是故ニ動機モ覚機モ共ニ同一ノ感応力
  ナレトモ其繊維ノ差等ニ由テ或 ̄ハ感受力旺盛シ
  或 ̄ハ抗抵力偏勝シ筋ニ在テハ動機トナリ神経
  ニ在テハ覚機トナリ子宮ニ在テハ子宮自家
  ノ感応機トナリ肺ニ在テハ肺蔵自家ノ感応
  機トナル」畢竟覚機。動機共ニ皆各異感応機ト
  謂テ可ナル者ナリ《割書:筋及神経 ̄モ病患ニ由テ其繊|維ノ合織等常ヲ違フコトア》
  《割書:レハ覚動ノ機ヲ現スルコト能 ̄ハ ス爾余ノ器モ亦|其合織等常ヲ錯テ筋神経ニ類似スルコトヲ得》
  《割書:ハ亦覚動ノ機ヲ発|セスト云コト無 ̄ル ヘシ》唯筋繊維ト神経繊維トハ

  汎 ̄ク諸器ニ渉 ̄ル ヲ以テ全身運営殆 ̄ント其機ニ関 ̄ラ サル
   者ナシ故ニ別ニ区別ヲ立テ其部門ヲ分テル
  ノミ
 凡 ̄ソ人身ノ運営ハ殆 ̄ント覚動両機ニ係 ̄ラ サル者ナシ而 ̄シテ
 其両機自 ̄ラ分別アリ」是故ニ天造ノ妙用ヲ窺測シテ
 病機ヲ推究セント欲セハ先 ̄ツ其両機ノ用ヲ分晰
 スルコト最要ナリ故ニ今之ヲ対較シテ分別ヲ示 ̄メ ス
 コト左ノ如シ」 [一]動機ニ由テハ筋繊維牽縮スレトモ
 覚機ニ由テハ神経繊維毫 ̄モ牽縮スルコトナシ [二]覚
 機阻遏シ或 ̄ハ虚憊スル時ニ当テ動機ハ減損セス

 却テ過盛スルコトアリ」睡痱癇痙等ハ知覚ヲ失 ̄ヘ トモ
 諸筋ノ力 ̄ラ仍強 ̄ク シテ心蔵動脈能運動スルカ如シ」 [三]
 覚機ヲ減損シテ動機ヲ増発セシムル物アリ阿芙
 蓉暝眩。酒醪 ̄ノ酩酊ノ如シ」又蔫煙ヲ腸中ニ薫入ス
 レハ其覚機《割書:疼|痛》減損シテ動機《割書:蠕動|機》増発シ以テ大便
 通利スルカ如シ [四]嬰児婦人労瘵患者ノ如 ̄キ ハ覚
 機敏捷ナレトモ筋力《割書:動|機》脆弱ニシテ労力ニ堪 ̄ヘ ス」 [五]覚
 機ハ精神ノ如 ̄キ無形ノ刺衝ニモ感応スレトモ動機
 ハ植物ノ如 ̄キ粗樸ノ質ニモ発見スルコトアリ」[六]活
 獣ノ肉ヲ其神経ト共ニ宰割シ取 ̄リ試ニ瓦爾華尼(ガルハニ)

 ヲ以テ独 ̄リ其神経ニ触 ̄ル レハ其肉繊維忽 ̄チ感動シテ牽
 縮ス《割書:此時其神経既ニ脳髄ヲ離 ̄レ テ精|神通セスト雖トモ尚此感動アリ》然 ̄ル ニ其触 ̄ルヽ コト
 久 ̄フ シテ歇 ̄マ サレハ神経遂ニ罷弊シテ肉繊維ノ牽縮自 ̄ラ
 弛縦ス此時直 ̄チ ニ其肉ニ触 ̄ル レハ亦牽縮ノ力アリ」
 然 ̄レ ハ覚機ハ動機ト自 ̄ラ別有テ精神トモ同 ̄シ カラサ
 ル一個ノ神経固有力ナルコト昭昭タリ
各異感応機《割書:ベイソンデレプリッケ|ルファットバールヘイド》
 凡 ̄ソ人身ハ凡百機器ノ合集ニ成 ̄ル而 ̄シテ其衆器 ̄ノ製造千
 種万類ナリ故ニ全軀同一 ̄ノ生力ヲ稟舎スレトモ毎
 器毎蔵覚動各《割書:々|》差 ̄ヒ感受抗抵互ニ乖ク之ヲ各異感

 応機ト謂 ̄フ」亦此 ̄レ ニ二般アリ」一 ̄ハ諸部ニ於テ毫 ̄モ感応
 セサル物ヲ独 ̄リ那 ̄ノ一部ニ於テ感応スルナリ光響 ̄ハ
 眼耳 ̄ノミ感応シテ鼻舌之 ̄レ ヲ知 ̄ラ ス臭味ハ鼻舌 ̄ノミ感応スレ
 トモ眼耳之 ̄レ ヲ弁セサルカ如シ」一 ̄ハ同一 ̄ノ刺衝ト雖トモ
 其部ノ差等ニ随テ各《割書:々|》其感応ヲ異ニスルナリ吐
 酒石ハ胃ヲ刺衝シテ吐ヲ起セトモ皮膚ニ貼スレハ
 疹疱ヲ発シ山萮菜白芥子ハ口舌皮膚ニ劇 ̄ク焮熱
 ヲ起セトモ胃ニ下テハ刺衝ヲ覚エス炭酸瓦斯ハ
 胃ニ功有テ肺ニ害ヲナシ水銀ハ唾腺ヲ刺衝シテ
 吐涎ヲ起シ芫菁ハ腎ヲ刺衝シテ尿ヲ利スルカ如

 シ」又血液刺衝ハ全軀同一般ナレトモ肝ハ之 ̄レ ニ抗
 抵シテ胆液ヲ醸成シ腎ハ之 ̄レ ニ抗抵シテ尿ヲ分利シ
 脳ハ之 ̄レ ニ抗抵シテ霊液ヲ製造スル等各《割書:々|》其感応力
 ノ機用ヲ異ニスルニ関ル」是故ニ人身ハ衆域ノ
 各生機。相聚テ一団ノ大生機ヲ営成セシ者トス
  按ニ生力ノ区目ヲ立 ̄ル コト諸家大同小異アリ」貌(ブ)
  律面抜苦(リュメンバック)《割書:人|名》ハ之 ̄レ ヲ神経力。筋力。収縮力。補給力。
  各器固有力ノ五等ニ分ツ乃 ̄チ収縮力ヲ除 ̄ク ノ他
  ハ此編説 ̄ク所ト異ナラス《割書:但 ̄シ此編説 ̄ク所ハ扶歇蘭|土、公刺地、昆斯貌律屈、》
  《割書:三家|同説《割書:也》》其説ニ云 ̄ク牽引短促スルハ筋繊維 ̄ノ固有力
  
  ニシテ収閉斂縮スルハ蜂窠質 ̄ノ固有力ナリ故ニ
  筋力ト収縮力トハ混同ス可ラス」ト《割書:羅説(ローセ)《割書:人|名》之|ヲ非毀シテ》
  《割書:云 ̄ク収縮力ハ無機体モ共ニ一般具有スル所|ノ黙加力《割書:聚|力》ナリ生力作用トスヘカラス》利(リ) 
  設蘭土(セランド)《割書:人|名》毘加多(ビカト)《割書:人|名》ハ生機咸 ̄ナ感受ト収縮 ̄ト ノ両
  機ニ出 ̄ル者ニシテ唯顕潜ノ別有 ̄ル ノミ」ト云 ̄フ《割書:羅設モ|殆 ̄ント同説》 
  《割書:ナレトモ小|異アリ》乃 ̄チ植物繊維 ̄ノ養 ̄ヒ ヲ土壌津液ニ資リ動
  物繊維 ̄ノ之 ̄レ ヲ血液ニ資 ̄ル カ如 ̄キ ハ潜感受。潜収縮。両
  機ノ所為《割書:也|》トシ心蔵胃腸ノ運動ノ如 ̄キ ハ潜感受
  顕収縮。両機ノ所為《割書:也|》トシ諸筋ノ随意運動ノ如 ̄キ
  ハ顕感受。顕収縮両機ノ所為《割書:也|》トス」華爾篤満(ハルトマン)《割書:人|名》
  

  ハ生力ヲ以テ万物共ニ具有セル張力縮力ノ
  和□シテ資生感応両機共ニ縮張両力ノ作用《割書:也|》ト
  ス而 ̄シテ人身諸運営ヲ統 ̄ヘ テ養機ト動機トニ大別
  シ動機ヲ蜂窠動機。筋動機。神経動機ニ区分シ
  養機ヲ[進化機]《割書:フォールワァールツ、カ゚ |ーンデ、ノォルミンク゚》ト[退化機]《割書:テ|リュ》
  《割書:ク゚ワールツ、カ゚ ー|ンデ、フォルミンク゚》トニ区分ス」然 ̄レ トモ其論説ニ至
  テハ諸家咸 ̄ナ大ニ差異スル所有 ̄ル コトナシ
刺衝物《割書:プリッ|ケル》
 有機体ハ生力ヲ舎シテ覚動両機ヲ具 ̄ヘ衆器亦 ̄タ固有
 ノ感応機有 ̄リ ト雖トモ之 ̄レ ヲ挑テ発動セシムル者無 ̄ケ

 レハ其生力ノ機用ヲ現 ̄ハ スコト能ハス猶 ̄ホ鳥卵ノ未 ̄タ
 覆熰セサル者ノ如 ̄ク ンノミ」其挑起シテ抗抵ヲ発セ
 シムル者総テ是 ̄レ ヲ刺衝物ト謂 ̄フ」故ニ刺衝物ハ生
 活ノ為 ̄メ ニ須臾モ闕 ̄ク コト能 ̄ハ サル者ナリ若 ̄シ之 ̄レ ヲ闕 ̄ケ ハ
 則諸器運営必 ̄ス遏絶ス
 蓋 ̄シ刺衝物ハ生力ヲ挑起シテ運動ヲ揚発スル者 ̄ノミ ナ
 ラス亦之 ̄レ ヲ抑頓シテ運動ヲ減損スル者ヲ謂 ̄フ故ニ
 所謂刺衝物ハ其有形無形ヲ論セス生力ニ感シテ
 其変動ヲ起スヘキ一切事物ノ総称《割書:也|》トス」是故ニ
 体内ニ在テハ諸液諸気寤寐動静神思七情一 ̄モ刺

 衝物ナラサルハナシ是ヲ[内刺衝物]《割書:インウェンヂ|ケ゚プリッケル》
 ト謂 ̄フ」喩 ̄ヘ ハ血液ハ心肺及 ̄ヒ総身ノ脈管ヲ刺衝シ意
 識ハ神経力ヲ刺衝シ神経力ハ筋ノ動機ヲ刺衝
 シ各部分泌液ハ各部分泌器ヲ刺衝スルカ如シ」
 但 ̄シ分泌器ハ各自ノ液ヲ分泌シ其液復 ̄タ各自分泌
 器ノ刺衝物トナル」故ニ胆液ハ肝ニ生シテ肝ヲ刺
 衝シ肝之 ̄レ ニ抗抵シテ逾胆液ヲ分泌シ胃液ハ胃ニ
 分泌シテ胃ヲ刺衝シ胃之 ̄レ ニ抗抵シテ蠕動機ヲ逞発
 シ尿及 ̄ヒ精液モ各《割書:々|》其器ヲ刺衝シテ復 ̄タ分泌ヲ催進ス」
 且 ̄ツ人身ニ於テハ諸器連属シテ貫通シ其運営交《割書:々|》感

 シテ互相【タカヒ=左ルビ】 ̄ニ刺衝物トナル故ニ一部ニ変動有 ̄レ ハ必 ̄ス延
 テ他部ニ及フ」喩 ̄ヘ ハ脳病ノ胃ニ及ヒ胃病ノ脳ニ
 感スルカ如シ是 ̄レ胃ト脳ト互ニ刺衝物トナルナ
 リ《割書:後ニ詳|説ス》」体外ニ於テハ大気飲食光声臭味有形
 無形ヲ論セス咸 ̄ナ刺衝物ナリ之 ̄レ ヲ[外刺衝物] 《割書:オイ|トウェ》
 《割書:ンヂケ゚プ|リッケル》ト謂 ̄フ
  刺衝物ハ生力ヲ変動セシムル者ノ総称ナリ
  故ニ体中物質ヲ増与スルハ固 ̄ヨリ刺衝トシ之 ̄レ ヲ
  奪却スルモ亦刺衝トス是ヲ以テ温素。越列幾
  ノ卒 ̄カ ニ謝退スルモ刺衝トシ諸液ノ頓ニ脱泄

  スルモ刺衝トシ燿光急ニ滅 ̄エ テ暗然タルモ刺
  衝トシ劇声俄 ̄カ ニ歇テ寂寞タルモ刺衝トスル
  ナリ
生力抗抵《割書:ウェーデルウェルキンク゚又 ̄タ オプ|ウェッキンク゚又 ̄タ プリッケリンク゚》
 生力 ̄ノ刺衝ヲ受テ発動スル者之 ̄レ ヲ抗抵ト謂 ̄フ」故ニ
 凡百ノ生活運営悉ク皆抗抵ニ非ルハナシ」眼ノ
 視ル舌ノ味フ心ノ縮張スル肺ノ槖籥スル皆其
 刺衝ニ抗抵スルナリ」是故ニ生力有 ̄リ ト雖トモ刺衝
 物之 ̄レ ヲ挑ムト雖トモ亦抗抵無 ̄ケ レハ生活運営其処
 ヲ得ス」蓋 ̄シ抗抵 ̄モ亦其運営ノ興憤発起スルヲ指シテ

 言ノミナラス総テ感動ノ外ニ発見スルヲ称ス
 故ニ其運営ノ脱スル者亦之 ̄レ ヲ抗抵トス喩ハ寒
 気ニ冒触シテ厥冷スルハ之 ̄レ ヲ皮膚ノ抗抵トシ血
 液ヲ失亡シテ暈倒スルハ之 ̄レ ヲ脳髄ノ抗抵トスル
 カ如シ


病学通論巻之一《割書:終|》

【裏表紙】

疫病水



瘧病法《割書:酉酉|》

瘧病水
先病者 ̄ヲ向_レ ̄ニ南 ̄ニ居 ̄ヨ其 ̄ノ/後(ウシロニ)行者可_レ居
先護身   次結界《割書:如常|》
次結_二阿弥陀定印_一 ̄ヲ観_二 ̄ヨ病者 ̄ノ心月
輪上 ̄ニ有_二□□□□□【梵字】 ̄ノ五字_一
□【梵字】字変 ̄メ成_二 ̄ハ塔婆_一 ̄ト々々変 ̄メ成_二 ̄ル大日尊_一 ̄ト
□【梵字】字変成_二 ̄ル五古_一 ̄ト々々変 ̄メ成_二 ̄ル阿閦

如来_一 ̄ト□【梵字】字変 ̄メ成_二 ̄ル如意宝珠_一 ̄ト々々
変 ̄メ成_二 ̄ル宝生尊_一 ̄ト□【梵字】字変成_二 ̄ル八葉
紅蓮花_一 ̄ト々々変成_二阿弥陀如来_一 ̄ト□【梵字】
字変成_二 十字羊石_一 ̄ト々々変成_二 ̄ル不
空成就仏_一 ̄ト此五智如来成_二 ̄ル五大明
王_一 ̄ト□【梵字】字変成_レ釼_一々変成_二不動明
王_一 ̄ト□【梵字】字変成_二 五古_一 ̄ト々々変成_二降
三世明王_一 ̄ト次□【梵字】字変成_二 三古_二 ̄ト々々
変成_二軍荼利明王_一 ̄ト□【梵字】字変成_二
宝/捧(フ)_一 ̄ト々々変成_二大威徳明王_一 ̄ト□【梵字】字
変成_二金剛牙_一 ̄ト々変成_二金剛夜叉
明王_一 ̄ト不動明王 ̄ハ降_二伏 ̄シ一切諸魔_一 ̄ヲ
降三世 ̄ハ降_二伏 ̄シ天魔_一軍荼利降_二伏 ̄シ
身魔_一大威徳 ̄ハ降_二伏 ̄シ人魔_一 ̄ヲ金剛夜

叉明王 ̄ハ降_二伏 ̄ス地魔 ̄ヲ次慈救呪百変
満 ̄テ病者 ̄ヲ加持 ̄セヨ次立 ̄テ行者病者 ̄ノ頂 ̄ニ
以_二頭指_一 ̄ヲ不動明王 ̄ノ□【梵字】書 ̄ケ次病
者 ̄ノ肩 ̄ヲ/抜(ヌカセ) ̄テ左 ̄ノ肩 ̄ニ降三世明王 ̄ノ□【梵字】書
胸 ̄ニ軍荼利明王□【梵字】書 ̄ケ右肩 ̄ニ大威徳
明王 ̄ノ【梵字】書 ̄ケ/項(ウシロニ )【左振り仮名 ウナジニ】 金剛薬叉明王 ̄ヲ□【梵字】書 ̄ケ背 ̄ニ
五□【梵字】字 ̄ヲ書 ̄ケ中 ̄ニ□□【梵字】字 ̄ノ上□【梵字】
字□【梵字】字左□【梵字】字下□【梵字】字
□【梵字】字右□【梵字】字也前□□□【梵字】
□□【梵字】五字書左 ̄ノ/臂(ヒヂ)唵三摩耶
薩埵□【梵字】書右 ̄ノ カイナニ阿闍梨位
真言書額 ̄ニ□【梵字】書左□【梵字】右□【梵字】 ̄ヲ
書後居 ̄メ慈救呪百変/許(ハカリ)満後 ̄ロヲ
不_レ ̄スメ見 ̄セ立行 ̄カセヨ

阿闍梨位真言

厄病除鬼面蟹冩真

厄病除鬼面蟹冩真(やくびやうよけきめんがにのしよううつし)
                       森光親冩
皇朝(わがくに)西海中(さいかいちう)に湧出(わきいづ)る鬼面蟹(きめんがに)は
古代(むかし)管領高國(くわんれいたかくに)の臣(しん)嶌村弾(しまむらだん)
正髙則(じやうたかのり)摂州(せつしう)大物浦(だいもつのうら)の合戦敗(たゝかいやぶれ)
逆浪(あらなみ)に身(み)を投(たう)じ其霊化(そのれいけ)して蟹(かに)
となる土俗(どぞ) 称(よん)で嶌村蟹(しまむらがに)といふ此(この)
説(せつ)おそらくは附會(ふくわい)ならんか鑑(おもふ)に水土(すいど)の
気(き)によりて生(せうづ)る物(もの)なり其(その)甲(かうら)をもて門戸(もんこ)に
釣(つる)せばよく諸(もろ〳〵)の厄(やく)を除(のぞ)き疫癘(ときのけ)をはらふこと
實(じつ)に神霊(しんれい)あるがごとし然(しか)れども東海(とうかひ)には得(うる)こと
かたし依(より)て其(その)本形(ありのまゝ)を冩真(うつし)とりて一紙(いつし)におさめ
衆人(しうじん)に見(み)せしむ常(つね)に門戸(かどのと)室壁(いへのかべ)に張置(はりおき)て
四時(とき〴〵)禍(まがつみ)を決(さく)べきなり

          金屯道人謹識

駆疫法

【右肩管理ラベル】

【大日本教育会書籍館管理ラベル】


驅疫法《割書:コレラヲ ヨケ並 ̄ニ|ナホス シカタ》

このよけかた。なほし方は。もとより。たやすきをむ
ねとするものなれは。此うちにて。とちらなりとも。
手はやくなしやすきかたを。志たくしおきて。ほと
よくするものと志るべし。くれ〳〵も左になした
る。よけの志かたをよくすれは。うつりくることは。
なきはづなれは。あん志んして。はたらき給へ。その
病源を志りて。よける志かたをよくすれは。これら
のうつる。きづかへはなしと志るべし。


【落款】

避疫之要
旨預防之

【枠外】
勅賜学士杉田玄端先生題字

このよけかた。なほし方は。もとより。たやすきをむ
ねとするものなれは。此うちにて。どちらなりとも。
手はやくなしやすきかたを。したくしおきて。ほと
よくするものとしるべし。くれ〳〵も左になした
る。よけのしかたをよくすれは。うつりくることは。
なきはづなれは。あんしんして。はたらき給へ。その
病源をしりて。よけるしかたをよくすれは。これら
のうつる。きづかへはなしとしるべし。

明治十九年九月十三日内務省交付775 貸教育会

【落款】

避疫之要
旨預防之

【枠外】
勅賜学士杉田玄端先生題字

秘訣
明治十九丙戌年八月
  六十九叟 桜所散人題
        【落款二】

雖小

【枠外】
元老院議官従四位勲三等揖取公題字
        【楫取素彦】

而必



【枠外】
元老院議官従四位勲三等揖取公題字

荀子語
畊翁 【落款】


我開_二交 ̄ヲ於欧米諸国_一 ̄ニ也。其利極 ̄テ博 ̄シ矣。而害 ̄モ亦随焉。其
尤大 ̄ナル者有_レ 二。曰毒疫也。曰邪教也。毒疫 ̄ハ害_二 人身_一 ̄ヲ。邪教 ̄ハ
害_二 ̄ス人心_一 ̄ヲ。後来数百年。為_二深患大過_一 ̄ヲ者。蓋莫_レ ̄シ甚_二 ̄キハ於二者_一 ̄ヨリ
而防_二拒 ̄スル之_一 ̄ヲ者。又須有_二其人_一矣。防_二毒疫_一 ̄ヲ者医人也。拒_二 ̄ク邪
教_一者儒者也。世以_二儒医_一 ̄ヲ自居 ̄ル者。豈可_レ不_レ任_二 ̄セ其責_一 ̄ニ乎。余
視_乙 ̄ルニ世之以_二儒与医_一為_レ業者_甲 ̄ヲ。不_レ過_下 ̄キ僅 ̄ニ視_二其未流_一 ̄ヲ以 ̄テ抑_二遏 ̄スル

之_一 ̄ヲ而止_上。余常慨焉。余友茂木充実。慷概之士。非_レ医亦
非_レ儒也。深患_三 二者貽_二 ̄スヲ大害 ̄ヲ於海内_一 ̄ニ。常欲_下抜_二其本_一 ̄ヲ塞_二 ̄キ其
源_一 ̄ヲ。以杜_中 ̄カント禍乱 ̄ヲ於未萌_上 ̄ニ也久矣。頃者。又見_二 ̄テ毒疫肆_一レ ̄スルヲ瘧 ̄ヲ。不
_レ堪_二 ̄ヘ憂憤_一 ̄ニ。乃書_二 ̄シテ嘗 ̄テ所_レ ̄ノ得駆疫術_一 ̄ヲ。以 ̄テ為_二 一冊子_一 ̄ト。欲_下頒_二 ̄テ之世
人_一 ̄ニ以救_中 ̄ハント 其害_上 ̄ヲ。其法簡易。其言深摯。一読_レ之 ̄ヲ者。誰 ̄カ不_二 ̄ル感
歎_一 ̄セ。余読了 ̄テ慨然 ̄トシテ曰。開交以来。人身罹_二 ̄ル此惨毒_一 ̄ニ。以 ̄テ致_二 ̄ス喪
亡_一 ̄ヲ者。不_レ止_二 ̄ラ於数千万人_一 ̄ニ。使_三 ̄シハ其皆知_二 ̄ヲ此術_一 ̄ヲ。庶幾 ̄クハ免_レ ̄レ死 ̄ヲ保 ̄チ
_レ生 ̄ヲ独 ̄リ収_二大利_一 ̄ヲ也。勧 ̄メテ速 ̄カニ梓_二行 ̄ス之_一 ̄ヲ。抑至_下 ̄テハ 邪教 ̄ノ害_二 ̄スル人心_一 ̄ヲ者_上 ̄ニ。則
其拒_レ ̄ク之 ̄ヲ之方。充実亦既 ̄ニ講_レ ̄スル之詳 ̄カナリ矣。蓋将_二 ̄ニ俟_レ ̄テ機 ̄ヲ而発_一 ̄セント也。

 明治十九年八月 碧海老人 内藤正直撰 

叙言
夫天地の間。万物の體をなすもの。皆其原質。微
細なる者。集りて以て之をなす者に非るはな
し。其至微。至細の極。復析すへからざるに至る。
故に凡そ一體をなす者。之を分てば。百千萬分
の多きに至りて盡きず。色の水に染る。香の物
に薫するも。此微分の致す所なり。獣の過る
所。必す其臭を遺す。人之を覚らざるも。田犬よ
く之を踪迹する者は。犬の嗅覚の人に優れは
なり。伝染疫毒の気の衣被の間等に伏蔵し。經
                   一

【右ページ】
                二
久して之を發するも。又此極微に吸入より。生
するに外ならす。
 原始要終。易簡而天下之理解得者。唯神也夫。

【左ページ】
驅疫法
    上野     茂 木 充 實 述
抑も。近頃。悪疫流行の。原因を考ふるに。一は往
時に於て被りたる。外邪の。体中に潜伏する者。
《割書:これを陰|邪とす》一は今俄に受る所の。窒気に卒中す
る者《割書:これを陽|邪とす》二者互に相応一致して。此病を
發するなり。譬へは。砲中に容る所の。硝薬の一
点の火を。得て爆発するに異ならず。内に硝薬
あるも。火気なければ。之に応せず。又外に火気
あるも。硝薬なければ。爆発することなし。内外相
                三

【右ぺージ】
                 四
須つて。此害を生ずるか如し。
人生は。天地と共に。万有の気海中に生活して。
清濁の二気を。呼吸し。其新陳交替するに依て。
生育する者なり。其中に窒気なる者は。其性窒
碍にして。もと吸すべからざるの。殺気とす。若
し単に。此気を以てせば。火も燃るあたはす。然
れとも清気に交れば。乃ち生活を助くる所の。効
力も随て大なり。又窒気は。雰囲気中《割書:大地に囲|繞する重》
《割書:気を|云ふ》に含有して。低地及ひ。人家稠密海辺等に
は。重密なり高地及ひ人家希踈山間等には。輕
【左ぺージ】
踈なり。
雰囲気は。啻に地より。升騰する蒸気のみなら
ず。種々の原質より生し。常に窒気と。清気との。
二者より相交り出つ。之を四分すれば。窒気は
三に居り。清気は一に居る。以て此一調和の気
をなす。是乃ち人の生活に宣しき所の。気とな
るなり。《割書:又燃気あり、硬気あり、|共に気中の別種とす、》
此窒気を。含有する所の。雰囲気たるや。猶。茵褥
を。重畳するが如く。其最下なる者は。壓する所。
特に甚しく。下よりして上れは。稍々其重を減
                 五

【右ページ】
                    六
し。愈々高ければ。愈々軽し是高山に升れは。其気常
に軽踈なる所以なり。《割書:
銓気管を、以て、之を験す|れは、高山の上に於ては、》
《割書:著しく、低降をみ|る者、亦此理なり、》
人身の表皮は。気孔最多く。此孔に由て。身中の
廃液を蒸発し。或は他質を。吸収し、凡そ飲食す
る所の、元気身体を。養栄する者。終に此気孔よ
り。發泄する者。其八分の五に居る。余は他道よ
り。導泄するを以て常とす。故若し此蒸発気を。
窒塞することあれば。尤も危害をなすことあり。
此気の。利害をなす。理由を。解得せんと欲せば。
【左ページ】
試に衰気器と。排気鐘とを。以て。気をあつめ。分
つの。作用によりて。動物《割書:狗、猫、鼠|雀の類》一二分時間に
して。之を死せしめ。又之を活せしむることを。得
るなり。これ。天地間の。万有は、気の効要により
て。生死する所以の。理由をしるべきなり。
しかればしかれば。今考ふる所の。悪疫の原因は。かの。窒
気と。嘗て潜伏する所の。外邪と。相応して。此大
害を。発することをしる時は。之に因て。其予防芟
除の。方法を。講究せざるべからざる者と。確信
するなり。
                  七

【右ページ】
                 八
   悪疫予防幷芟除法
第一 流行病。予防の方法は。毎朝早く。起き。壚
 を以て口を/漱(そゝき)其漱たる。唾(つばき)と。壚と水と交り
 たるを以て。眼縁より顔並に臍。足のうらとを。
 摩擦(なでこすり)し。又手に水をつけ。面部を始め。項(くびすぢ)両 肩(かた)
 より。総身を。摩擦すること。凡そ十五分時。而し
 て。乾きたる。布を以て。之を拭ふべし。
 是一身の。生気。血脈を。運動して。窒塞を開き。
 新舊気の。交替を。促かす所以なり。
  但し一晝夜に。眠ること二十四時間の。四
【左ページ】
  分一。則ち六時間に。過くべからす。
第二 食事の時。生 葱(ねぎ)。生 薤(らつきよ)の類を。少々つゝ。菜
 の取合せにして。《割書:味噌か、壚を付るか、又|やくみの、如くにしても》適宜に
 之を食すべし。若しきらひの人も。悪疫の予
 防薬と。知れは。甚(こらえ)て。食用すへし。《割書:口に容ること|の、ならぬ、人》
 《割書:は膳の上に置|てもよろし》又小児には随身してよろし
 《割書:きれに包み、ふところ|か、こしに、つけてよし》
  但此二物は、至て。気強く。清潔(きよくいさきよし)にして。外気
  を防くに。大丈夫なること。鬼神の如し。試て
  知る可し。《割書:土をさり。何れの所に、かけ置も、|かれることの、なきにても、知る、べ》
                 九

【右ページ】
            十
  《割書:し、効能の弁は|別に記すべし》
第三 噦気(えつき)の兆(きさし)少しく。おこりたらは。之を抑
 へ。忍ことを孜(つとめ)。唾も吐ずして。居ること肝要なり。玆
 を/暫(しばらく)すれは。必らす下回して。大小便。或は放(おな)
 屁(ら)か。其他に。反通分泌して。發泄すること。疑ひ
 なかるべし
  但平素にても。啖は吐へし。唾は吐くべか
  らす。唾は常に飲食物を消化し。其他人の
  生気を。保養栄育する。貴重なる。効液にして。
  妄に吐棄すへからす。其効能も。別記に詳
【左ページ】
  述すべし。
第四 水を 深大(ふかきおほきな)の陶器(ちやわん)。又はコップ。形のもの
 に盈。其口に平なる板。又は盆か。膳を蓋の如
 にあて。之を 顚反(ひつくりかへし)。病蓐(ねや)の側に。三四カ所も。置
 べし
  但是は。前に述る。排気鐘の。作用を軽便に
  する者なり。又平
  常にも。暑中など
  臭気を除んとす
  るときは。一二カ所
【図中文字上】
水を盛
たる図
【図中文字下】
盆の上に
覆する図
               十一

【右ページ】
          十二
  椽側室内等に。置は尤もよし」前に叙する
  所に参考すべし復た月経ある娼妓。客に
  接せんとするとき。室内(へや)にて。此術を施せば。
  三時間ほどは。必。月経。来らずといふ。以て
  其功をしるべし
第五 灸を行うこと。腹部上脘。一穴に。十五壮よ
 り百壮まて施(ほどこす)へし。尤も十五壮より試て。其
 病体により。三十壮。五十壮まても。施すべし。
 此内五十壮は。中脘に施灸するも。適宜に行
 ふべし
【左ページ】
  但上脘とは。天突より。臍まてを。はかり其
  長さを十五節にして。上脘は。臍より上へ。五
  節目。中脘は。四節目。《割書:則ち、上脘より、下ること|一節、乃ち図の如し》
  と知るべし
  火は太陽の光火。又は華ほくちの。火を用
  てすべし。但し尋常(つね)の灸艾にては。落ち易き
  故に。小篠竹軸(こしのたけじく)の如き。管状(くだのかたち)の物ゑ艾をつ
  め。之を灸處にあてゝ。施す方よろし。左の
  図をみて能く合点すべし。
          十三

【右ページ図中分】
                  十四

灸穴點之図

灸壮管

天突  上脘  中脘  臍

 管状をなす

 上と下た少々せまきかよろし
【左ページ】
第六 湯を熱(あつく)わかして。風呂桶。又は大/盤(たらい)。其他
 何にの桶にても。/汲(くみ)湯に/芥子(からし)を。/混和(いれ)して/浴(ゆあみ)
 すべし
第七 薬を用んとするも。/傭醫(いしや)の間にあはぬ
 ときは。神薬。朱雀円。宝丹等の如き。売薬を。/求(もとめ)て。
 試用す可し。但しこれは。其効能書を。読み信
して。述ることなれば。何れも又薬用する人も。能
 書の用法を読て。分量等。斟酌して用ふべし

第一二条の。予防方を常に用意するも。なほ近
                十五

【右ページ】
            十六
地に悪疫流行するときは。/豫(あらかじめ)。第三条以下の。豫備
をなし。/速(すみやか)に。/芟除(なをす)の術を施すべし
【左ページ】
野生醫を学はす。素人にて如此の説を演るは。
老婆心も又甚しと。世人の嘲を受け。信用する
人もなからんかと。一旦躊躇せしか。頃ろ病勢
倍々盛んにして。追日蔓延するを聞き。もし其山
間僻地。醫なく薬なきの地に。流行するに至ら
ば。術の施しすべきなく。徒らに死を待つの外。為
す所をしらざる者あらんかと。常に思得たる
所の簡易便宜の方法を記して。以て一時備急
の。助けとなさんとする也。読者察せよ
明治十九年丙戌八月上浣東京神田区佐柄木
            十七

【右ページ】
            十八
町寓於春輝樓上充實書
【左ページ】
 明治十九年八月十七日御届

          群馬県平民
        《割書:編集兼|出版人》 茂木充實
          東京神田区佐柄木
          廿壱番地

        弘所  はるのや にすけ
            春野屋仁助
             東京神田区佐柄木
             廿壱番地

【右ページ】
            十八
町寓於春輝樓上充實書
【左ページ】
 明治十九年八月十七日御届
          群馬県平民
        《割書:編集兼|出版人》 茂木充實
          東京神田区佐柄木
          廿壱番地
        弘所  はるのや、にすけ
            春野屋仁助
             東京神田区佐柄木
             廿壱番地
 

【前コマ左ページの裏、印透け文字なし】

【右画像 横書 下にバーコード】
059187
特24-238
駆疫法 -コレラヲヨケ並ニナホスシカター
茂木 充実/述
M19
CBF-0040

【左画像 表紙の写し、コマ1と同じ】

[安政五年流行病治方]

【ラベル】a 6
[安政五年秋流行病治方]

【右頁】
【蔵書印 上】
慶応義塾
大学医学
部之図書

【丸印】
慶応義塾大学医学情報センター
昭和47年6月29日

【横書き印】富士川文庫
924

【左頁】
當秋流行ノ變病ハ
文政五年壬午秋ノ流行ノ病證ト異ナル
コトナリ城市山埜海濵ニ至ルマテ免ルヽ者少
シ依テ之ヲ一種ノ疫ト称スヘシ
預防方
  生姜或ハ葱白ヲ生ニテ噛ム
外治方

【右頁】
 破鍼  灸點
藥劑
 三隂病篇并ニ霍乱病等ノ規
 矩ニ隨テ之ヲ療ス詳ナルコトハ活物ニ臨
 ミ目撃親視シテ直傳スルニアラザ
 レハ恐ハ其治ヲ誤ル者アラン
 療治中病者考定 《割書:|大原村》醫師道澤
【左頁】
   破鍼調剤    《割書:弟子|》内記
   親視シテ直傳スル者
       大王村医師 《割書:弟子|》好謙
       安芸郡呉山【?】田村 玄瑞
       鹿川村医師 《割書:弟子|》順澤
       小古江村医師 《割書:弟子|》玄泉

  津久茂村医師 《割書:弟子》敬庵
破鍼直傳
  当村     《割書:第子| 重州【?】》
           新右エ門
  高田村医師  元長子息
  同村     砂堀一治郎
  中村
            寿賢
安芸郡江田島医師    □□
防州ハシラ島    松崎三它

安政五戊午秋八月十七ヨリ廿三日夜四時マテ
  一 病者百八十七人
    内百六十四人 大原村
    此内死スルモノ 《割書:高ナツ|》良吉
            《割書:寺ノ下|》儀平
               小児
              同人妻
    〆 四人     《割書:仲|》小ハ 嫏

一 十八人 柳之浦村
一 三人 大君村
一 一人 小古江村
一 一人 深江村

【裏表紙】

木戸文部卿病中出仕ノ件

疫病除之薬

【表紙、貼付け題箋】
疫病除之藥

【右丁】
【蔵書印「慶應義塾」」大學醫學」部之圖書」】

【左丁、本文は次コマ】
【付箋】九

【左丁】
【蔵書印「慶應義塾大學」醫學部之圖書」】
   ●疫病除の薬  朝比奈五郎三郎殿傳之
毎年五月四日ニ百草ヲ取其日一日干候而直ニ其夜
一夜斗夜露ヲ當テ翌朝取込能包置テ
其翌六日ニ取出シ又候日々能干上ケ置是を
黒焼ニして施薬ニ出ス若大病ニ候ハヽしきみ
の葉五枚ト松葉一握ヲ入茶碗ニ水 盃入
せんじ此ゆ【湯】ニ而右黒焼ヲ給る也
  但つる出る草且又水草ハ少シも入不申候
   ●小児虫の薬
蝉(セミ)のぬけがらヲせんじ七夜の内ニのませる也
きやう風ニ不成又十五才迄ハ虫気の者可_レ飲
            四百八十二

【右丁】
  薬氣根ヲ切る妙薬也
料【朱】●ゆかりの色法
  梅漬の通りニ漬置候上々しそ能々日々
  干上ケ又ほいろニかけ能干上りたる時
  粉ニしてふるひ置候事
     ●きやうふうの薬
  若右やうの節者早速かる石ヲ粉ニして水を
  井戸ゟくみ上ケ候釣のまゝ直ニ薬わんニ請入
  此水ニ而右の粉を為呑べし是妙薬也
     ●出生(あかご)の子見よふの事
  赤子鳴く時男女ともニ口ヲ大キク明クは吉なり
【左丁】
  口小クあくハ虫気有り随分心付毛ケ妙薬用べし
  口を明キかね又聲小ク慥不成ハほふづき虫か又ハ
  きやう風の類出るもの也是小児家之傳所也
     ●毛虫を止る法
  毛虫子之内巣ニ籠り居る時右巣の中へ
  燈油をたら〳〵と少シ落入べし程なく
  不残たへ申候 又方毛虫生じたる木の枝へ竹の筒ニ水ヲ入
       此中へ生のするめヲさきて入枝々へ五ケ所程釣
       置ば毛虫委【悉の誤記ヵ】ク去る事妙なり
     ●蜘(くも)の巣を取たる跡ニ而又巣を掛
      ざる法
  くもの巣を取候ハヽ其跡江茄子の皮ヲ
  水ニ漬置此あく出て赤く成たる水を

【右丁】
   右巣の跡又其辺ニ懸置べし巣を懸る
   事なし蛾ニは茄子のあく大敵薬也
    ●歯(は)みがきの法  若林秀悦傳
 大ク磨砂  中位肉桂  少シ丁子  中位はつか
   右四味細末を求メ一ツニ能交ゼて袋ニ入又
   箱ニ入て能ふたいたし置べし
     但右四品合る時少し口ニ入かげんヲ見ニして
     又かげんすべし袋ハ薬袋紙が賣物ニ吉
料【朱】●蓮葉田楽の法  中川吉右衛門傳之
   蓮の壱巻葉を得とあぶり夫ゟ味噌を付る也
【右丁】
「濟」 ●蜂不_レ指咒
   ごふどふみやうはちあびらうんけんそわか
   如此三遍となへ候得者さゝれぬ也
「濟」 ●狐おとす法
   市谷柳町ニ而薬王寺江行頼候得者
   直ニ落シ呉申候代者請不申由
    但是者護持院内日輪寺の隠居所也
    尤落候印ニ一聲鳴て出行候様好候得者
    右之通ニいたし候由
      又方神代の哥の由
     昔より人のわさにハ限有り刀【力】を添えよ天地(あめつち)の神

  【「濟」は墨角印】

【右丁】
   ●疝気妙薬 甲斐徳本直傳秘
一むきくるみ弐匁 一紅花壱匁 又方浅草並木道
   〆弐味         一月寺番所ト傳法院
               裏門際火の見との間
               向なめし茶やニて
               上刕屋ニ有こより也
               代十二文に
               又水道丁こ
               より薬下谷
               仲丁加藤殿【?】
               うら門向裏
                 に有り
右之通常のかげんニせんじ七日用る
  但疝積有之人常ニ用るよし
   ●吹出物 疾 水虫 田虫 鳫瘡
右之外万出来物ニ妙湯神田鎌倉河岸
地蔵屋敷ニ有之薬湯也
  但是ハ伊豆国かづら谷朱禅寺出湯ニて
  道法凡三十六里又同所こなト申所ニも少シ又
【左丁】
  和らか成出湯も有之
   ●百日咳の妙薬 又方ときといふ鳥ヲ黒焼ニして
           度々呑べし黒焼屋ニ有之
三夫婦有之方の飯ヲ為給るが吉
   ●吹出物せぬ法 又咒小石川春日町弓師
           堀卯兵衛方ニ而いたし無代也
毎月々三日今ニ生豆腐ヲ上ケて鹿嶋様ヲ
可相願決而出来ぬもの也 又方正月飾の裏白ヲ
            黒焼ニしてごま油ニ而付る
  但万々一三日ヲわするゝ時ハ十三日ニ上る也
   ●婦人巡りニ吉又懐妊なれば三ケ月
    四ケ月位之分者下り候薬

【右丁】
     くじきニも吉由
  湯嶋天神男坂ゟ御成道江出ル辺ニ而
  本因坊隣か御籏本屋敷長家より
  出ス丸薬一包代百文の由  植村平右衛門之弟
               藤次郎殿傳授也
料【朱】●浅草のり貯ふ法  又方石しやうの根ト水引草の
               黄色成花ヲ指込もよし
  ふらそこニ而も只の箱ニ而も宜候間米ヲ能いりて
  此米ニ而右海苔を能まきてうづめ置べし
  尤風いらぬよふニいたすべし是傳也
    ●馬のいき相の薬人ニも用る吉 岩尾次郎右衛門殿家傳
  梅の肉 黒砂 人参 右三味能すりまぜ
  吞すべし是妙薬也
【左丁】
    ●切レ類江金銀箔置やう法
  姫のり ふのり 當分ニ入 しやうがのしほり汁ニ而
  能クとき是ニ而附るべし傳也 但ちりめん斗へハ
                右箔置たる裏
                の所江斗裏のり
                   いたし候
    ●うんのまじない
  毎月 辛(かのとの)土にあたる日ニ家の内西ニあたる
  所の土を取て紙ニつゝミ封置てしん〴〵
  すれバ三ケ年の内にうんをひらく事
  うだか【たが】ひなし又右の土をむじん場へ
  持行時ハあたるなり
    ●ひゞ薬   文化十一戌年十月下旬
           四谷右兵衛丁小普請奥田主馬支配
           大岡治兵衛殿傳授也
  もつやく 丁子 酒ニ漬置付而吉

【右丁】
料【朱】●くづあんねりやう  あわ雪みせの傳也
   何成とも一器ニ 葛壱盃 酒ハ弐ツ
   正ゆは三ツ 水は四ツ 但入物ハ猪口ニ而も
              茶わんニ而も升ニ而も分料ハ
              同事
   右酒醤油水ヲ一所ニ入是江葛を入能々
   かきまぜ夫ゟ火ニかけて煉る也
    但よくねれたる時夫ゟハ湯せんニかけ置べし
    何時迄置ても堅ク成る事なし
    ●せんき幷
     疾邪拂薬
   やくもふそう にんどう 右當分ニして
   せんじ用る
【左丁】
    ●腰足痛テ不叶ニ妙薬 かさニも妙薬也
         せんきにもよし
   ひきがいるヲ皮ヲむき股の所斗取り正ゆ
   付燒ニして弐三疋ヲ食ス其風味きじ
   燒鳥ニ不違匂ひも同し是ハ文化年中比
   御目付高井山城守殿家来是ヲ給テ治ス
   其外ニも平愈せし人多シ妙薬なり
    但蟇蛙の大ク腹赤キヲがまといふ都而
    蟇の類ニ毒なし又かさの妙薬ニハ
    ひきヲ丸ニ而ゆでぞうふともニ食ス也
    ●痔の妙薬 又方五月五日朝日の出前に田の水ヲ
          取て付る妙也
   亀ヲ煑テ給テ吉七度程給る時ハ厳敷直る也
                  尤身斗ニ而吉

【右丁】
    ●安産の咒 又方毎年寺々ニてせがきニ上ケ有之
          蓮飯を包テ詰たるわらを腹帯ニ入
          〆て居べしけがなく安産也
 一京大坂ニ而大御番衆部や之道具ニ遣イ候
  すりこ木ヲ頼遣シ是ヲ箱ニ入置産之間ニ
  釣置べし安産也
   但右すりこぎハ女が手ヲ付候而ハ一切きゝ不申間
   一寸ニも女ニ者手ヲ付させ候事無用也
    ●加持の上手有之所 ろふがい
              りういん 其外とも
  本所大川橋向横丁ニ而原庭ト申所ニ而
  真言宗幸徳寺毎月二七ノ日斗朝四ツ時限
  十二銅斗上ル事文化十一戌年冬承之
   但人ハ銅しんちうの品ニて湯茶ヲせんし吞ハ甚大毒也
   りういんハ是ゟ生ス依之銀トからかねも無用也
【左丁】
    ●物もらいヲ直ス法
   物もらい出来たる當人ゟいふ わりや何ヲむすぶㇳ問
  咒ニ懸る前に清キわらのみごヲ洗イ清メて手一そくに
  三本切リテ置なり
   咒ふ人口の内ニ而答て いもらいヲむすふト答なから此
                 みごヲ壱度
                  〳〵ニ一ツ結ぶ
  此のことしく當人ゟ聞事三度咒人答も其度ニて
  是又都合三度なり如此いたし済候ハヽその結びたる
  みご三ツともニ火ニ入焼候へハばち〳〵とはねるト早速
  直る物なり但真より出来する吹出来の物貰
  もらいニ而不聞候事植村平右衛門殿養母傳之
    ●のんどへとげ立テぬきの法 
             又方手の平ラ内江梶木一草ト書て
             なめるべし妙也
  はくてう木の葉ヲ生ニてのむべしぬける
  こと妙なり

【右丁】
    ●のんどの内江はれもの出来の時吹切薬
  赤とんぼふ羽迄も赤キが吉黒燒ニしてさゆ
  にて吞べし妙薬なり 植村平衛門殿母隠居傳
    ●醫者の上手有所の事
  加古良元といふて文化年中の比牛込神楽坂ニ居
  其後者神田     轉宅いたし候事此比
  四十才余の医者なり 植村平衛門殿弟藤次郎殿
  傳之
    ●洗ひ粉ニ妙薬   石原侍半次傳之
  朝皃の種ヲ粉ニして遣ふべし最上也
    ●そこまめニ薬
【左丁】
  桑の木ヲ三ツ目きりのごとくニ拵是を以押べし
  尤永く押シ候得者膿血不残出候事
    ●犬ニ喰付れたるニ妙薬ゆずの花なり
  早速薬種屋ニ而とこ柚を求メ常のごとく
  せんじ出し吞てよし又此せんじたる湯ニて
  度々洗ふべし毒氣去ル事妙なり
    ●田虫の薬
  極上々の樟脳をそくいニ而能おし少シ水ヲ入
  とき付るへし
     又至てかゆミ有之時ハ鉄ヲ押付居る
     此つめたきニ而一たんのしのきニ成なり

【右丁】
    ●烟入ふミ出シ形細工人
  文化年中小普請組近藤左京殿支配柴山熊太郎
  本所津軽越中守殿表門通ヲ先江東の方
  二丁程行二ツ目ニ有之横丁右江二軒目之由
  岩尾次郎右衛門殿文化十二亥年四月上旬
  申聞候
    ●無妙ゑんの能の次第 無名異(むめうい)也
  是ハ石州ゟ出る無妙ゑん最上之品也是ヲ
  御勘定所江たのミ石州の御代官ゟ取寄て
  貰ふ也水どくヲけス又打身痛ニ酒ニ而解
  付る
【左丁】
    ●通ジ薬 又方竹の粉吞てよし
         又方 大根しぼり汁江小豆を漬置テハ干
            〳〵幾度も
            して干上ケ仕廻置のみてよし
  蝦夷地ニ而さりがにトいふ是ハおくりかんきりの
  題ニ用る薬なり松前奉行支配小役人所持也
    ●金はく置やうの傳
  せしめうるしへ極上の弁がらヲ少シ入レ
  能交置是ヲ下地江すり込置程よくかわく
  時ニ金箔ヲ上より置方全わたニ而そろ〳〵と
  おし付る也
    ●引風の時熱早ク發る法
  そば粉ヲ煎てそば湯ヲいたし中へ白砂糖
  を入給る事度々ニ而妙也

【右丁】
    ●おどり装束幷道具賣所
  冨沢町橋を東の方へ渡り北より二三軒目
  古着屋ニ而しろと賣いたし候直段ヲ申候ハヽ
  半分直ゟ付テ段々少ツヽ付上ルなり 大和屋治兵衛傳
   又久上ニ而おしへ候ニハ久松町堺橋通りにて
   大黒屋清六方也尤向ニ鮨屋有之
   又道具者芝口三丁目右かわ大尾屋ニ有之
   又目白坂中程北かわニ細工人有之
    ●雷除の法
  山谷浄生院滿谷和尚口授雷除咒文
   阿伽陀(あきやだ) 刹帝魯(せつていろ) 須陀皇(しゆだくわう) 蘇陀摩尼(そだまに)
【左丁】
   くわんくわらいしん
   くわんくわくらいしん
    愚道之法孫(ぐだうのほうそん)      謹刻
               弘道 湯川姓
    ●年中諸薬ニ入飲妙薬 文化十二亥年七月二日
               御留守居番万年七郎左衛門殿
               より傳授之事
  毎年八月三日ニ蓼(たで)を沢山取大釜ニ水壱斗入レ
  五升ニせんじ詰此水斗を貯置四季ニ不構何
  薬江入入テ吞べし其薬格別ニ功能甚敷能
  功能有物なり尤右何薬の中江も少々入交
  て用べし

【右丁】
    ●腰ノ物彫物師遣候形ヲ押候土覚【朱筆】二千六百法
  京都ゟ出ル キヨミ土が吉是ヲねり置候
  目ぬき其外とも押べし此土大傳馬丁絵の具や
  村田宗清方ニ有之
    ●虫歯痛ニ虫ヲ取法 又方本郷壱岐坂御籏本衆
              石川与次右衛門殿釘打咒妙也
              又方湯嶋六丁目こま物屋ニ而
              村尾忠兵衛方のるりの粉が吉
                    白キ粉代廿文
  土器ヲ火の上ニ置能々燒而瓦か杯の上ニ置
  此中へねぎの種ヲ少シ入ごまヲいるごとくに
  ぱち〳〵とはね燒る処江古きかさへ
  筆のじくクヲ差右土器のふたニして中たね
  燒る煙ヲ右くだゟ請虫歯痛方の耳へ
  當テ暫居る夫ゟ跡ヲ見べし此中へ細き虫が
  沢山出有之物なり
【左丁】
    ●又方
  榎ヲ切テ火ニおこし此火ニ而此火江韮の実ヲ燒此
  煙をくだニ而口中へ請吸入其つわヲ右くだの中へ吐也
  尤圖之ごとし
   又方湯嶋六丁目北がわしつくいや
   裏割たばこや甚兵衛咒も吉               鉢ニ水ヲ入火入ヲ中へ入置
         「図 鉢に管を指して口元にあてる」
    花井政蔵殿直傳
    ●びんほう神を追出しテ入れぬ法
  毎月朔日 十五日 廿八日 定式ニ小豆飯ヲたき
  手前ニ而豆腐を取寄置たる其とふふヲ手前ニ而
  燒とふふニいたし此にをひヲ家内中へちらし

【右丁】
  候得者びんぼう神殊之外きらい恐るゝ也
  又小豆飯も彼神大禁物也如此いたし
  候時ハ其家江びんぼう神決而不来自然と
  万事都合宜福貴ニ成る物也
    諸事談三巻目 九十五ニ有丹後国竹野郡之内船木の廣
           船木村うがの神といふハウガメの神也
           同七十九ニも有分銅之事
  又 一ツ本
    好古真説の内八十四ニ有大国天の事
    渕瀬物語の内八メニも有地福和合神の事
    此妙薬帳弐百六十九ニも有之同帳二十九ニも有
    同帳二百五十四メ初音草の事同三百七十五メ唐もろこしの事
【左丁】
    ●突眼(つきめ)ニ妙薬
  白砥石(しろといし)の粉細末ニして乳(ちゝ)ニて解付る妙薬也
    ●白雲の薬 又方桃の皮をせんじ吞てよし
  正月の餅青クかびたるヲ黒燒ニして酢ニ而解き
  附る二度付れバ直る也
    ●舌(した)江 出来(でき)物いたし候時
                 又法昆布黒燒ヲくゝむ
                 べし直る也
  しうかいどうの根ヲ其根の大サ程飯ヲそくいニ押交ゼ
  足の土ふまずへ張置妙薬也
    ●くじき薬

【右丁】
  からす瓜の根ヲ能干置て細末しごまの
  油ニ而解付る若又日を経(へ)候ハヽきわだの粉ヲ
  少シ交テよし
料【朱】●なめ物 羽田藤右衛門殿傳秘也
  赤みそヲ能すり【抹消あり】此中へしそのミ
  しやうが くるみ此三味ヲ能細ニきざミ能交ぜて
  是をさとふみつニ而ゆるめる也ときわ味噌是也
    ●持薬 せいきヲまし
        たんの薬りういんニも吉田沢久左衛門殿傳之
  黒ごま壱升是ハ摺鉢ニて能する尤ごまハ油のしとり
       出てすれがたき物也咒ニハ米ヲ少シ入するなり
  さんやく 唐かしう 白刀豆 各十六匁ツヽ 白砂糖廿匁
  くこし【枸杞子】
【左丁】
  燒塩二十部一入是ヲ何レも粉ニしてさゆニて常ニ
  のむなり都合七味也
   但少ツヽ拵候方直よし壱升之胡麻四分一之割合を以拵候ハヽ
   ごま二合五勺江くこしさんやく唐かしう白なたまめ
   各此四味壱両月ニ而吉 白砂糖後五匁 燒塩の割合准之
    ●紙江書損したるヲぬく法
 薬種屋ニ有之
  木通の小口へ水ヲ付て書損たる字の所江斗
  上下ゟ白紙ヲあて木通の小口へ水ヲ付そろ〳〵と
  心永ニ打ぬくべし尤上下の紙江墨しみ込候ハヽ
  新キニ又白紙ヲあてかへるべし
    ●朱墨つやよく仕法 又法ところヲ寒中
              水ニ漬置氷らぬよふニ
              ほし上ケ堅メ置遣ふ也
  右之木通がよし是ハ朱墨ヲ能すりたる

【右丁】
  時朱墨ヲやめて夫ゟ右の木通の小口ニて
  朱硯の中を能こすり夫ゟ認物ニ遣ふべし
  至而つやよく出るもの也
    ●ゑぞにべの事
  是ハ蝦夷国ニて用るにべ也町鮫の腹ゟ出る
  こはくの如く成る品ニて是ヲゆせんニ入熊【能】あたゝめ
  とかし候へハさ水のごとく也是ヲ以竹か木成とも
  継候ハヽ放れぬもの也但是ハ松前奉行衆幷ニ
  吟味役其外下役人方ニも有之
    ●歯薬の事 文化十二亥十月五日御腰物方
          中村八十郎殿傳之
  松のみどり 但みどり無之時ハ す桃の梅干
        松かさニ而よし
【左丁】
  右弐品當分ニして黒燒となし細末して
  貯へ置常に毎朝口中へ含居其後うがい仕る
  一生口中痛のうれいなし
    ●銀燒付の傳 小石川戸崎町正運寺門前
           鎗屋長左衛門傳之
  しんちう銅の差別なく能みがき夫ゟ炭ニて
  能とぎ上ケ能ふきて苗わらにて後とみがき
  夫ゟ梅酢を能すり付其上へ水かねヲゆび
  にてすり付其上へ銀はくヲ置べし是職人
  の法也 但梅干ヲすり付ても出来候得ども
      是にてハ跡ニて錆るもの也
   又水かねハ沢山付るハ悪し少ツヽ程よくゆびニて
   そろ〳〵とすり付べし

【右丁】
    ●鮫さや幷木地ろいろとぎ出シ法
  ろいろハ燈油ヲ少加へ上粉の糖ヲ交セ手ニて
  そろ〳〵とぎこする也つや能出るまた
  石持の石又ハ鮫等ハむくの葉て鮫も石も
  そろ〳〵とぎ出ス
    ●木櫛の色黄色ニ色能つや出ス法
  木櫛の分は何木ニよらずくるみの油を以
  切レニ包能念入てこすり其上ヲ上粉の
  ふるいたる石灰ヲ以こする也
「濟」 ●来月朔日のヱトヲ早ク知方
【左丁】
  大七 小六ト知べし たとへバ今月大の月ニハ
  右大の月の朔日子ノ日なれバ子丑寅卯辰巳午と七日目午也
               来月朔日午の日ト
  知べし是ニ准シて小の月ニ来月朔日ヲ知ニは
  其小の月の朔日亥の日なれハ亥子丑寅卯辰
               来月朔日ハ辰ト可知
  是右朔日亥の日ゟ六日目ニ當るなり
    ●中氣大妙薬 又方駿河臺ニ而二万石松平備前守いし
           文化年中勤居候若林秀悦
           名灸いたし候事
 深川辺
  中木場藤店茶屋之向之方ニ而看板出有之
  代三百銅ツヽ右者中氣ニ成三日之内に
  用候得者速ニ直ル三日過候而も用候得者
  段々快氣也 せんよふ幷用よふハ委細ヲ
        のふ書ニ記有之

【「濟」は黒角印】

【右丁】
【上右、右手図】
疳筋(かんすじ)
男子ハ左より
血ヲ取初ル
右の手は
跡ニて取ル
【上左、左手図】
相印

【朱筆】圖之通人さしゆびの一トふし
    寸ヲ取是ヲ圖之ことくニ
    折返シて一トふしの折目ヲ中の真ニ當テ左右へ点ス
【下、男児圖右】
寸尺取ルハ白キ
元結がよし
【男児圖下】
血ヲ取針の圖
【男児圖左】
此寸ハ
ゆひ一トふし
   相印△
  くびニ當ル
   寸ヲ取たる元結の先の
   所の圖
【左丁】
一小児十五才迄五疳の名灸ニて何程成疳症ニても
 不治といふ事なし委細圖ニ記置なり
一圖の如く小児しやんとかしこまり頭もしやんと
 して座ス夫ゟ白キ元結を以圖の朱のごとく
 ゑりニかけくるりと前江廻し胸ゟきうびニ
 當テ切夫ゟ其切たる元結の先ヲ人さし
 ゆび圖の朱のごとく一トふしゟ其一トふしの間ヲ
 寸ヲ取其元結ヲ其長差サニ又今一ツ折返ス都合
 二タ折ト成を印ヲして圖のごとく真中を
 きうびニ當其左右へ点ヲして夫より又
 うしろヲむかせ前のごとくのんどゟ右の
 元結をうしろへ引下脊骨の真中へ

【右丁】
  きうびの節のごとくニ當テ夫ゟ胸のごとく
  左右へ点ヲいたし尤何レも灸数壱ケ所へ
  十五火ツヽすへる也
一 圖ニ有之手の疳筋より血を取事都合
  三度ニて三度目ニ跡ニ而灸点いたし扨又血を
  取ニ者木綿針がよし男子ハ左ゟ取初メ跡ニ而
  右手ゟ血を取ル但突たる穴より出るたけハ
  何度も血をしぼり取ル病強キ程血多ク出る也
一 寸尺ヲ取ニハ白元結がよし
一 灸点いたし候ても不就成日が又ハ宅ニ而取込の
  事あらバ翌日ニても吉 一灸数ハ一ケ所十五火ツヽ
【左丁】
一 忌中又ハ服中ニ而も構なし
一 寸を取たる元結ハ焼捨べし
一 乳をふきたる紙ハ雪隠ニ入べし
一 眼病の躰ニ見請候節者左のことく灸点いたし遣候 
【小指、薬指を折った右手掌】尤何レか両眼之内あしき
               方江点スべし又両目とも
               不宜時ハ左右とも点ス灸
               数右同断ツヽ日々一ト廻り也
               此帳百三十六枚目ニも有之
               おこりの灸点ニ似たり
                但法ハ本所逆井渡向四軒
                茶屋ゟ右江行徳海道半道程
                行左江西一の江村ニ而大杉
                   権五郎方ニも有之由
【朱筆】圖のごとく小ゆびの先の
     あたる所灸点スル也

【右丁】
    ●ぬいもよふいたし法
  糸類ハ何糸何色にてもぬいをいたすぬい糸をいふ
  丸金糸幷大白糸等ヲぬい付るハふせ糸といふ
  金糸ハかば色のふせ糸ニて是ニのりヲいたし
  能干上ケて遣ふ
  艸木の葉ニハもへぎ糸又ハひわもへぎ糸等也
  水ヲ縫ふニハ大白糸二筋幷てふせ糸を以付る
  但都而何糸ニてもよりヲ懸るハ悪しよりヲ
  掛ると糸のつや不出
  一切のもよふぬい上ケて枠(わく)ヲはづす前ニぬいもよふ
  の裏ゟ薄キおしのりを以付る此のり能干上りて
【左丁】
  わくよりはづすべし
  下絵ハ水ヲ不入只の粉おしろいニ而書也
  地の切レハ左右ともわくへからぬいニぬい付る
  ぬうニハ上へよりハ左り手ニ而針ヲ遣ひ右の手ハ
  下江入置下ゟ針ヲ上へ突出スべし
  縫い初ハ糸の崎へ結び玉ヲいたしテぬい初メ仕廻ニハ
  糸の先ヲ長クのこし置テ是ヲのりニ而付る也
    ●虫歯其外歯薬 又方節分の柊葉ヲ
            水ニ入置和らかニしてたゝミ
            痛歯ニくわへ居るべし
  青山宮様御門向横丁 かわ二軒目ニ而
  御家人之由前田氏方ゟ出ス代三十二銅ツヽ
   又方赤にしの貝塩ヲ詰て白燒ニして常々歯みがきニ遣ふ也

【右丁】
「濟」 ●小児人見知るヲするニまじない
  代二三文程の
  一金砂子ヲ付たる土の天神様ヲ壱ツ其人見
   しりヲする子の守江入下ケさせ置べし
   止るものなり
料【朱】●料理ニ用る焼物肴焼候節
     鉄きうへ焼付ぬ法
  焼物肴焼掛る時うちわヲ以向へ手ヲ
  のばし向ゟ前江の方へ三度火ヲあをぎ
  夫ゟ又前ゟ向へ三度あをきテ夫ゟ常の
  通上よりおふぐべし扨能焼け候ハヽ
  引返ス時自分のひたいヲ三べん手の平ニテ
【左丁】
  なで直ニ其手ニテ右焼肴の上より肴へ
  さわらぬよふニ三べんなでるまねヲして
  夫ゟ引返スべし焼付ぬ物なり
    ●欣枡散(きんしやうさん)の法 俗ニ蝦夷香泉と云
  菓子昆布ヲ能々火ニあぶり能クかわかし置て
  やげんニておろし是ヲ能ふるい此中へ山枡ヲ
  細末して能交ゼル也又肉桂もよしのふ書左ニ記ス袋ニおすべし
  但昆布買所     菓子昆布壱〆目 弐匁壱分
   霊岸嶋      元揃壱〆目   壱匁八分
   會所ニ而     しのり壱〆目  壱匁三分

【濟は黒角印】

【右丁】
【薬袋表、枠囲い】
丸にカタバミの家紋 新製 欣枡散(きんしやうさん)
一第一精氣をまし痰を解し能血を治め
 腹内をあたゝめ能とく【毒】を出し胎中の滞を
 下す多産の婦人ニハ別而吉常に御用有て
 其德多し
 文化十三子年正月半田氏製
【袋下】
竹筒か曲物又ハ
焼物等ニ詰るべし
      三十二銅―△
  代   四十八銅―半月形
      百銅  ―○
          相印覚
    ●席浄煙(せきじやうゑん)の法 代十六銅ツヽ
  壱升ノ小豆ヲ細末し其中へ干たる
  桜の葉ヲ細末し弐合交ル也
【下段、薬袋、枠囲い】
秘法 席浄煙(せきしやうゑん) 半田氏製
 何によらず不浄の香匂ひ候ハヽ
 早速手あぶり火入の類へ此薬
 少しツヽ入れ程よくたくへし
 悪敷香を止る事妙なり
【右丁】
             田沢久左衛門殿傳之
    ●暑寒にとぢられふさぎて食物薬も不通言施したる時の法
  さゆヲ煑立て中へ手拭ヲ入れ程能しぼり此あつきヲ
  みぞおちへ何度も取替〳〵押あて置あたゝめ
  べし立所ニ能ひらく也其時薬ヲあとふる也
  又吐も下しもせぬ時ハ塩湯沢山給ル也吐か下ス也其跡ニ而薬用るべし
    但落馬等ニ而打候ニも其打たる所ヲ如此すべし
    是妙ニして立所ニ平癒ス其切ニ而跡引不申
    又肩張たる時も如此ニして治ス
    ●油虫除ケ
  木々ニ油虫附候時紙ニ而も小札江左之通
  認メ枝々江所々ニ下ケ置べし油虫去る事

【右丁】
  奇妙なり【紙縒り図】前銭十六文
「濟」●足ニまめふみ出さぬ咒
  遠方江出候節足の裏ニ錐(きり)トいふ字を
  書て行べし妙なり
料り【朱】●初たけ作よふの事 小出大助殿ゟ傳之
  男松の木有之下の辺へ初 茸(だけ)の錆(さび)たる
  取喰ぬヲきざみて所々江沢山ニ土の上ニ蒔テ
  置べし自然と其気土ニ残り有て翌年
  より其辺江初たけ生ずるもの也
    ●鉄物さび落ス法
【左丁】
  もみ糖【糠】沢山の中へ入て能クこするべし
  若又落兼候ハヽ水を少ツヽ打テよし
    ●塗り物仕上ケみがきの法
  うるしぬり物ハ極上の小ぬかヲ燈油ニて
  しめし手の平又ハゆび先を以念入こすり
  候得者つやよく出る物是塗師方の
  傳秘なり黒朱其外何ニも如此ニ而よし
    ●かさ直る薬 又銘法ニハひきがへるの腹わたを取り捨
           其跡へせみのからト耳艸ヲ當分ニ入
           能詰黒焼ニして六十一日ケ間さゆニて吞也
  草のどく溜メを干置て三ケ年給候得者
  本腹ス但塩氣者堅ク忌べし
【「濟」は黒角印】

【右丁】
    ●無名異(むめうい)の事 かた張たるニ而付手妙也
            常ニせんじ用テ諸病之妙薬也
            但土びんニてせんじ候事
  無めうゐ者石州濱田金山ゟ出る金氣
  最上之品ニ而例年石州御代官ゟ是ヲ
  錫の壷ニ入献上有之夫ゟ御残御配り者
  御支配ニ付御勘定奉行衆幷勘定吟味
  役衆同組頭衆江も配り候事諸病ニ由
  水替りニ由どくじんとうゟも厳敷品也
           但製方ハ五百十五ニ有
    ●水替りニ妙薬
  九年穂の皮を陰干ニして置尤ほそく
  割ミて干が吉道中抔ニて水代りヲ給候節
  此皮を能かミて夫ゟ水か茶も給るべし
【左丁】
    ●角を器物に作る法  小石川戸崎町
                鎗師長左衛門傳之
  鹿の角ヲ鮫ニて卸し細末し青竹の皮を外の方斗能取り
  厚紙の如ニ削り是江角粉ヲ入テ夏月厠の壷の内へ入置
  廿日程へて出ス右の角粉とろけて糊の如ニ成是ヲ物へ
  延付細工スべし又是を堅シト思時ハ大根のしぼり汁に
  ひたすべし堅ク成ル又ハ甘艸ヲ煎ジ出シたる水江入
  置べし又方鹿の角ニ鮭の頭ヲ入煑るも和らかニなる
   上ニ書たるハ古方也細工ニよりて難用秘中の秘には
   角を鮫にておろすか又ハ鉄槌ニて枠【砕】き鍋ニ入水ハ
   見合入て䗜蜒(なめくじ)を数拾ヲ修入て能煑る若解ざる内に
   水干ハ別ニ湯を沸シ置是ヲさすべし如此すれバ後ハ糊の
   如ク解ル若餅の如ニ而細工ニ仕がたくハ暫置べし堅ク成ルいか
   よふの細工ニも出来候若早ク堅メ度ハ甘艸せんじ水ニ入て吉

【右丁】
    ●䗜蜒(なめくじ)作 又法しつける地に付古傘ヲ置へし
          此中へなめくじ出来いたす也
  竹廣記テハ地骨皮(ジコツヒ)牙硝(ケセウ)柳枝(リウシ)水を用て煑ル
    ●象牙(ぞうげ)鹿角ニテ珊瑚珠(さんごじゆ)ニ仕法
  鹿の角ヲ其器の形を拵へ上酢ニ蘇枋(すおふ)ヲ入レて是ヲ煑る
  取出し堅煎脂ヲ能々付て色よき時又々さつと以前
  の酢へひたし煑べし色見合取出ス寔ニ珊瑚珠玉ニ
  成るなり
    ●石を和ニする法
  胡葱ヲ舂たゞらかし【爛らかし】冷水ニ入焼物の鍋ニて煑ル水
  減らハ又熱水を入煑る叓三伏時石和カニ成るヲ
  度とす何にても器に造べし終而甘草水ニテ煑る事
【左丁】
  一伏時なれハ又元の如くニ堅ク成るなり
    ●磁器類江穴ヲ穿又ハ心ニ任セ切製術
  磁器の類江穴明ルニ夏月極暑の時杦の木ニて錐(キリ)ヲ拵へ
  此きりニ䗜蜒(なめくじ)ヲさし通シ炎日ニ干べし能かわき付物也
  この錐(きり)にて穴ヲあくべし心易く穴穿なり又鋸小刀の類
  も拵へ是ニ䗜蜒ヲ干付べし何様磁器にても切レル叓疑
  なし
    ●硝子絹
  絹ヲ火の上に干引張テ渋柿ヲ弐ツニ割テ是ヲ数遍する
  硝子(びいどろ)の如クニなる又なき時ハ上之新渋ニ白砂糖ヲ加へ絹を
  火ニあふり引べし此絹ハのし目なれば一段吉又一方には

【右丁】
  荏桐油壱升是なくハ胡麻油芥子の油よし
  石灰弐分能細末シ能々ねり合セぬる也
    ●綱ニ引ちやん
  松脂壱升 胡麻油三合 鉄松壱升 胡麻壱合
         木ニハ弐合ニて吉
    ●万継物の薬
  饂飩ノ粉壱升さわ〳〵と煑立石灰弐合細末ニして入
  搗合ヲ置焼物塗物一切つぐへし庭の木石などに
  苔ヲ付るも是にて附べし 又法玉子の白味に
  石灰ヲ交ゼ継べし庭石色付是ニ煤ヲ交セ引べし
  古く見事ニ成るなり
咒【朱】●蛙(かわず)の鳴ヲ止法
【左丁】
  菊沢山植たる中ニ花の咲ざる菊有なり其葉ヲ取
  黒焼ニして其池か堀歟の水中へ入置べし
    ●毛生薬
  鼠の赤子 蛭(ひる)の膓(わた)をしごき真菰の根右三色黒焼ニ
  して胡麻油ニて付べし
    ●木ヲ曲ル法
  木にまんていかの油ヲ付あぶりそろ〳〵と曲ル也
    ●木ニ墨能染ル方
  蒼甘の汁にて墨をすり木ニ文字ヲ書べし一寸程通ル
咒【朱】●革の類水へ入てこわらぬ法
  水壱升柿の葉百枚入五合ニ煑詰切菊ニて革の裏より

【右丁】
  三偏【遍】程すり付べし水に漬てもこわらず
「濟」 ●夜道難のがるゝ眼脉
咒【朱】先眼を塞き目頭を指にて押テ見るへし銘々皆
  眼中に金輪見ゆる也不意の難ニて逢前ニハ此金輪見へズ
    ●五辛を食シ𠺒止ム
  艾を鉄砲玉程ニ丸メ火ヲ付揉消シ是ヲ飲べし又生 芹(セリ)
  一本食し熱キ湯ヲ吞べし
    ●紙永代不離法
  曼珠沙花(マンジユサケ)俗ニシブト花ト云根ヲ摺つぶし是ニ而紙ヲ継也
「濟」 ●新鍋釜のかなけ抜方
  其鋳口江一ト火灸すへべし鉄氣不出也
【左丁】
    ●膠ツキノ方
  藜藘(ヲモト)をもと根ヲ黒焼ニして膠をぬる
    ●鉄錆ヌ方
  杉の木炭又桃の核ヲ焼粉ニして交ル
「濟」 ●病人生死ヲ知る法
  病人の年 煩月 煩日 此三ツヲ合セ三増倍ヲ掛ケ九ツ拂
  余り無ヲ半吉又調なれば必死ス又半ならバ吉也
    ●木ヲ結ふ法
  削たる木を結ニハ鼠の糞を沢山あつ【め脱ヵ】灰の上ニ蒔其上に
  薦ヲ覆一夜置べし馬蛭と成ル是ヲ釜ニ水ヲ入湯沸シ

【「濟」は黒角印】

【右丁】
  熱たる湯の中へ木ヲ入暫煑テ此木ヲ手拭にて指添
  結べし自由也
    ●焼刃もよふ付方
  鼠 糞(ふん)を水ニて解き是ニ而もよふヲ書半月程置テ硎(とぐ)也
「濟」 ●盗賊ヲ顕ス法 「濟」
  其年の年徳神江備たる昆布ヲ黒焼ニして酒の中へ
  入て此酒ヲ疑鋪人々ニ飲セ見ルニ盗ハ忽チ頰腫叓妙也
「濟」 ●寒手足凍へざる方
  樒の実ヲ生酒に浸置陰干ニして細末し手足ニぬる也
    ●飛行散
  荊芥(ケイガイ) 防風 草鳥頭 細辛 藁木 右五味細末シテ
【左丁】
  草履又ハわらじの内ニぬる油ニて解ぬるも吉草臥ズ
    ●小便こらゆる方
  青松葉ヲ能クもみて臍の内へ入置べし
    ●蝋燭空ニ釣方
  能々そこねざるよふニして中へ水銀蝋壱分白蛇五分
  龍脳三分是ヲ水銀ニて錬合セしん江入尻の方へ薬の
  不出よふニ詰置いつ迄も火ヲ燈スべしろふそく中ウにて
  ともる事妙々也
    ●蚤(朱・ノミ)碎方
  夜式の下へ苦参を鋪べし又方牽牛花実ヲじゆばんの
  両袖ニ入置べし又方百部 䄅芃二邑粉ニして火ニて如焚ニ燻(フス)

【「濟」は黒角印】

【右丁】
    ●石へ穴ヲ明法
  山査子(さんざし)ノ粉一つまみ石へ穴ヲ明たき所ニ置灸すへて
  䗜蜒ヲ竹の先ヲ錐(きり)の如く削り此先へ䗜ヲ指テ日ニ干付テ
  是ニてもむなり
    ●幾夜も不眠法
  鷂(ハイタカ)の尾を黒焼ニし水ニて解臍ニ入上ヲ糊ニて紙ヲ張置べし
「濟」 ●闇夜眼見ル法
  梟根を黒焼ニし粉ニして萍(ウキクサ)の汁ニて解目ニ付べし見ゆる也
    ●銀箔錆ズ
  箔下ニ鶏卵の白ミ引其上ニ銀箔ヲ置又上へも白ミヲ引テ吉
    ●雷ニ中リシ蘇生ス方
【左丁】
  降真香(こうしんこう)ヲたきて全身ヲ薫べし甦(よみかへる)なり又法ニは
  紫藤香(しとうこう)ヲ懐中スべし
    ●鯨髪ヲ付鱘
  竹の筒の中へ鮫のからの削 屑(クズ)を堅ク搗入木ニテ堅ク口ヲシ
  筒ともニ釜江入久鋪ゆでゝ取出シ中の鮫とろりと解ケ
  たる時本石の灰ヲ交そくいへらニて交つぐべし
    ●うるしヲ離ス法
  サハカニヲ入ユデレハ離ルヽ也
    ●膠(にかわ)ニテ鑓ヲ離ス法
  茄子ヲ摺つぶし付置べししばらくしてのちニは
  はなるゝ物なり

【右丁】
    ●きのこニ當りし時
  山梔子ヲ煎じ飲テよし 又ぼうふうをせんしよく
             ひやし置吞てよし
             又にんどふのしぼり汁を呑て吉
    ●鰒ニ當りし時
  セうのふヲさゆニて吞べし
咒【朱】「濟」●人喰犬ニ哥
  我れハ虎いかになくとも犬ハいぬ獅子のはがみを恐れざらめや
  右の大指より戌亥子丑寅と折強ク握る也
「濟」 ●手負生死ヲ知る方
  白馬の糞(ふん) 蓮肉 右弐味等分香色ニあぶり能舂交ゼ
  ぬるきゆニて用る快氣するハ此薬ヲ受ル本腹せざる人ハ
  吐逆するなり
【左丁】
    ●酒かわらぬ方
  藤の実をいりて二三粒入置べし
    ●木のよごれを洗法
  皂莢のせんじ汁にて洗べし
    ●神仙不醉の秘
  白葛花 小豆花 ケンホナシ各等分 良姜少 塩少各
  どんぐりの大サニ丸じ一丸飲バ十盃呑ム又十丸百盃呑醉
    ●火ヲ久敷貯法
  胡桃壱ツ火ニ入半分燃テ火ニ成たる時熱灰の内ニ埋ミ
  置べし四五日きへず

【「濟」は黒角印】

【右丁】
    ●あかゞり
  五月五日早朝ニ苦(にが)ナ(な)を摘(ツミ)汁ヲもみ出し出来ル処へ付ル
    ●疱瘡澑り薬
  タマリ穴何程ニ深クとも鶏子の白ミヲ落シ入べし
    ●魚目
  餅米ヲ嚙ミて付べし
咒【朱】「濟」●夜歩行の時咒
  左ノ手或ハ右手の中指ニテ手の内ニ我是鬼ノ三字ヲ書テ
  此手ヲ固ク握リテ行べし自然ニ恐ルヽ事なし
    ●飢ヲしのぐ傳
  黄石公張良ニ傳ニ曰 仙粉三匁ヲ五年酒ニ浸シ干又浸テハ干
                 酒壱升ヲ浸シツクス
【左丁】
  壽延 人参各壱匁ツヽ混合丸シ米粉ヲ以て衣とし
  能干堅メ用ユ壱ツ腹すれば二三日飢ス氣力常よりも
  勇力大ニ増然トモ毎日一丸ヲ服して可也仙蕎麦粉 寿
  𫟀米是秘事也
「濟」 ●鶏鳴吉凶法
  黄昏ニ鳴ハ大ニ吉事初夜ニハ悪事夜四ツ時ハ妨ケ也
  雌時ヲつくらハ其家亡婦人家乱べし
    ●絹布江どふさ不引して書法
  しやうがのしぼり汁又ハ糯米の粉ヲ入テ墨スリ書べし
    ●生蝋ヲ遣よふ
  生蝋解シ時焼塩少シ入べし急ニ不固して繪よふ等

【「濟」は黒角印】

【右手】
  能出來ス 近藤三右衛門物語
    ●休息丸 阿蘭陀直傳
  阿片(あへん)蟾酥(センリ)右壱匁ツヽ紫稍華(シちやうくわ)五分 射香(じやこう)弐分
  龍脳(りうのふ)弐分右粉ニして酒ニて解丸ズ其上ハしんしやニて
  衣を掛ル扨又用ル時つわニてとき亀の尾江ぬる也
    ●諸湿拂 ヘキシヤコウ吉 又方まこもヲしつけの
                 有処入物の内下へ敷べし
                 盆會の品ニ而も直吉
    ●痰咳の妙薬
  甘艸一味ヲ細末し飯糊にて丸シ口中含ミ候得者咳止妙也
  又法からす瓜五十但実斗去白砂糖壱斤酒壱升右
  細末其上ヲ酒ニテ解炭火ニて煉薬程ニ成候節少ツヽ用ル也
【左手】
    ○聦明散
  龍骨 遠志 石菖蒲 亀甲各等分
    ●八仙散
  天門冬 生地黄 肉桂 茯苓各一両 石菖蒲
  五味子 遠志甘草の水 各三両
        ニて浥し
咒【朱】「濟」草臥ぬ妙薬
  烏頭 𫇨芎 ビヤクシ 各等分ヲ細末しそくいのり
  にて煉り九分四方程の紙ニぬり足の土ふまず江張置べし
    但シ六文程求候得者三四度用ユ

【「濟」は黒角印】

【右丁】
    ●角ヲ解ス法
  角ヲ切蓋有之器ニ入右の中江水を入置なめくじヲ入
  蓋をしかといたし置候得者解ル叓妙なり
    ●青角の法 今村氏口傳
  角ヲ彫上ケ緑青壱匁五分 タンパン同 生ミヤウバン五分
  水 右銅鍋ニて煑尤水酢ともニ追々さす酢少入ル
    ○チヤン油幷シヤウヘイト同
  ヱの油壱升 ミツタ草弐拾目 古錢六文
  右三品入レ何も𤋎申候尤炭火ニて藁みごヲ入油ヲ付
  水中へたらし入て見其たらし物丸ク成時分藁みごの
  ほき〳〵折候も相圖よしと知べし
【左丁】
    ○石江文字を書落ス法
  きせるのやにヲ墨ニ摺交ゼ是にて文字ヲ書せゝなぎへ日数
  六十日入置テ後取出し見る文字石ニ染込洗テもすりても
  決而不落物なり
    ●鮑貝の内江絵歟又ハ文書ヲ認メ鮑の穴ヲ能ツメふさぎ
  酢ヲ沢山入壱ケ月斗過て酢ヲ捨貝ニ書たるセシメうるしヲ
  おとし見べし
    ●人形の繪の眼ヨリ光リ出法
  胡粉江 蠧(シミ)是ハ本類又ハ紙類江 是ヲ摺交セ彩色スル也
       自然とわく箔虫也
咒【朱】●鼠通穴ヲ止ル法
  蒟蒻玉ヲ入置テ吉又蓮の莖ヲ入ルモ吉又其外カミたる所ニハ
  雄黄ヲぬる又甘艸ヲぬるも大ニよし

【右丁】
料り【朱】●道中味噌の仕方
  極上々味噌ヲ能摺板ニ塗付日ニ干テ粉ニして持参し
  食する時水ニ入汁となす旅中の調法なり
咒【朱】●くだ物植ル法
  上十五日ニ植ルハ実多シ又下十五日ハ実少シ凡 菓(クタモノ)始テ熟する時
  両手ニテ取べし年々実ヲ結ぶ又社日ニ菓木の下ヲ舂バ実
  落ス物なり
「濟」 ●水ニ溺(おぼれ)レ死たるヲ救方
  足の大指のヒカヽミスル人ハ生ル管(くだ)を以明礬ヲ鼻より吹入
  べし暫有テ水ヲ吐也 こふもんの菊座外江ひらきはぜ
            かへりてハ不叶候事又〆り有時ハ生ル
    ●石摺の法      「二千七百法」【朱】
  白芨 酸漿艸 細粉 白礬各等分右ノ白芨白礬粉ニして
【左丁】
  能ふるひ二色目壱分細粉二分入能スリ酸漿草もミ汁ヲ取
  粉薬解テ文字書乾 墨ぬり乾薬粉拂
           ツヤ出唐蝋にて摺ル
    ●酒カビ味酢ク成時直ス法
  蚫貝ノ白焼を粉ニして酒の中へ入ル忽直る也
  又藤の花陰干ニして入よし又からす瓜の実を能洗火ニて
  焼灰ニして入てよし又酒壱升玉子一ツ石膏半両細末シ
  縮砂同杏仁七ツ右四色酒入壷或ハ樽入口ヲ封して三日置べし
咒【朱】●蝿ヲ去法 又方浅草御むまやバしゟくわんおんの
           方へ先西かわ
           如圖角々出ちがい有之横丁へ入右かわ
           四五軒目ニかんばん
           出有之       【地図あり】
  十二月の雪水ヲ貯置夏日果子飲食類ニそゝげハ去ル
  又方五月五日の午時紙に白の字ヲ書柱の四方に張置べし
咒【朱】●鼠穴ヲ塞叓

【「濟」は黒角印】

【右丁】
  正月初の辰ノ日幷毎月庚寅日壬辰ノ日上叚の滿ルノ日
  鼠穴ヲふさぐべし又三月庚午ノ日鼠ヲ取り尾ヲ斬テ其血ヲ
  家の梁ニ塗べし
咒【朱】「濟」●小児夜啼止ル法
  天皇皇 地皇皇ト六字ヲ竈の床ニ書置ハ止ル
咒【朱】●疫病家ニ行時法
  右の手の中指ニテ坎ノ字ヲ書其手ヲ坒ク握リテ行也
咒【朱】●川渡ル時
  土ノ字書べし又朱にて書たる字ヲ身ニ佩(ヲヒ)レバ難(ナン)なし
咒【朱】●蚊去法
  天地太清日月太明陰陽太和急々如_二律令勑_一
【左丁】
  暗キ所ニ向ひて此文ヲ七遍念じ燈心の上ヲ吹テ此燈心
  にて火ヲ點ズべし
「濟」 ●三箇悪日
  大禍 摩訶盧(マカル)補  貪欲(トンヨク)神
  狼藉 波羅毘(ハラビ)神  嗔恚(シイ)神
  减門 伽羅陀(キヤラダ)神  愚癡神
    ●人馬平安散賣所
  四ツ谷御門外  薬種屋ニ而はいぶきやト申
  方ニ而壱器百文是ハ引風其外氣分うつ
  とう敷所かぐへし氣分引立テよし

【「濟」は黒角印】

【右丁】
    ●外科(げくわ)の鋏遣候傳秘の事
  本之阿蘭陀鋏ヲ求メ何療治ニも能々
  なめてつわヲ付て遣かふべし尤阿蘭陀の
  はさミヲ用る時ハふしぎニ痛少シ又々
  俗ニ云鼻茸等ヲ切ルニ能なめねバ鼻の穴へ
  入らぬ物なり依之きんそうヲ縫候にも
  糸ヲ一針〳〵ニなめ縫而ハ又なめてハ其糸針ニて
  縫なり是極秘也
    ●とふぞく出ス法
  松平大和守殿領分武州川越ニ而松山と
  申所 箭弓(ヤキウ)稲荷大明神江自分か又ハ
  代参かを以願かけ候得者早速出申候
【左丁】
  尤是ハ右大和守殿家来足軽之内
  瀬谷(セヤ)林八と申を尋テ頼候得者此者が
  願がけいたし呉申候且又むじんニも願
  がけ次第ふしぎニ急度中り候事
    ●無名異(むめうい)製法(せいほう)の事
  是ハ水沢山ニ入能粉ニしてかき立能すりて
  水ヲおどませ置此上ハ水ヲ外之壷江成共
  入置おどみたるハ極細末也是ハ石州濱田ゟ
  御留品ニ而献上ニ成る上品ニ而目方四匁壱両ニ付
  代金百疋位いたし候夫ゟ跡ハ段々順々に
  すりてハこし又〳〵〳〵夫ヲ二番或ハ三番ト
  申品なり

【右丁】
    ●懐妊する法 又法曲渕甲斐守殿家傳ニて懐妊
           有無の法心次第成る仕方有之
  是ハ七五三の法ニて是万事の初ニして七ハ天の七曜星
  を評し五は五行五常也三は天の三星とすこの
  七五三の数ヲ合セ見れば都合十五ト成る此十五は
  朔日より十五日迄と定メ則此十五日ケ間ニ物事
  滿るたとへバ婦人月々の不浄ニなれば十二日ケ間なり
  此内婦の性ニより四五日か又ハ六七日流血するも有り
  此十二ケ間の不浄相済翌十三日十四日十五日と三日の
  間ハ情分滿て此時懐妊するハ其子誕生して
  後疱瘡軽し躰毒其外腫物等の憂イなし
  又此月水の内ニ懐妊する子ハ癩病と成る又此
  出血止ミたる跡ニ而も十二日不浄の日数の内ニ妊する
  子ハ兎角田虫其外身ニ腫物生ス一生少ツヽハ其
【左丁】
  氣有物なり陰事慎べし又一ケ月三十日の内
  上ミ十五日の間ハ右の如し十六日より末の十五日ケ間ハ
  女の精分おとろへ不_レ全依_レ之先ハ孕事少なし
  尤此三十日ハ其婦人月の内幾日ニ不浄ニ成り候共
  其不浄ニ成たる日ヲ初日朔日と心得て夫より
  先へ順ニ二日三日と筭へる也是至極の秘事也
    但し植木類くだ物も同事ニて上ミ十五日ケ間に
    植たるハ実沢山ニ生ス下十五日の間ニ植たるは
    実少し 又懐妊せぬ女ハ玉門の内子壷ニ申分
    有之物なり其生レ付ニて子の壷曲リテ有歟
    又ハうつむくか又ハあおむくか成べし左候ハヽ
    常ニ夫が中ゆびニてさぐりて其 形(なり)ヲ本途ニ
    直スべし数へん如此すれバろくニ成物なり
    又懐妊する法ニハ子宝(こだから)草の根ヲ葉莖共ニ

【右丁】
    能ゆでゝ給る又鉢植ニして常々願ヲかけ愛する也
    又此子寶草の実ヲ吞てよし又此実ヲうすき
    紙ニ圖之通ニうすのりて子持筋ニ張り置是ヲ
    交合の時男ハ玉茎の元ニ結付女ハ玉門の
    ふちニ張置夫ゟ交合スべし此法書之通り
    いたし候ても懐妊せざるハ全の子なき性なりと
    あきらめてよし又神仏へ願かけるハ全の
    無利ニしてたとへ子出生有とも悪人か又は
    かたわ者成べしうたがひなし又ハ其子
    せい長すらバ父か母の内死ス事有なり
 【上図文言】
 結目ハ上の方か下かの内が吉
      玉茎の元江むすび付ル
 【下図文言】
 玉門江張ル
    但子宝草の実は至而
    細カキ種なり又子有無ハ
    人相ニも出テ見ゆる物なり
【左丁】
    ●ぢん薬拵法
  蛤を酒斗り入て水なしニからむニして
  能口明キ候時実斗取りからを捨て
  直ニ其𤋎汁の中へ蛤の実斗入又候能ク
  酒ヲ入テ得と煑付候時成丈わたを
  去り則其𤋎汁の中へ大白砂糖を入レ
  加へて又候能煑付露無之時取出し
  能摺て壷物ニ入置常々用る時ハ是
  最上のぢん薬と知べし
    ●鶏肉丸(けいにくぐわん)の法 精分よわき人ニ吉
  にわ鳥の柏(かしわ)女鳥一羽能毛焼迄もシ腹綿ヲ取

【右丁】
  頭と両足を切捨夫ゟ丸の侭鍋ニ入上酒ニて
  得と煑候得者骨こと〴〵と能はなれ申候
  夫ゟ取出シ能々骨ヲ取捨身ニして此中へ
  大白砂糖ヲ加へ夫ゟ能々摺て錬薬の如くニ
  成たる時さまし置て丸薬ニする也
                   小石川小十人丁ニ而
    ●労症之妙薬 弐番鑓大御番組頭上田三左衛門殿
           文化十三戌年二月廿八日口傳ス
  土用中極大暑の日ニどじやうヲ求中ニも
  至而精分強きヲ天火ニて干付ル是ハ生キ
  たるどぜうゆへはね候間深キはね出ぬ
  物ニ入置干殺シ極大暑の日ハ一日ニ而夕方ハ
  能干ル也尤一ト時も干付候へは死候間夫よりハ
  板の上抔ニ而干べし且又右どじやう脊ニ星
【左丁】
  の府有ハ悪し真どじやうとて脊ニ府星
  なく色黒きキ方が吉是ヲ能干付上ケ候ハヽ
  土器ニ入目ぬりいたし針かねニ而十文字ニ結ひ
  黒焼ニして細末ス是ヲ病人から腹の時
  みゝかきニ五ツさゆニて飲む又しばらく過而
  給物ハよし尤労症も至而おもき
  病ニ成候てハ印なし初の内ニ用候得ば
  全快相違なし 又方松平備前守二万石駿河藩の
         上屋敷ニ居いし若林秀悦名灸有
    ●瀬戸物ヲ張子ニて拵る法 水けニハ数日漬置候ても
                 不苦候但あつきものハ
                 不入候事
  真ニよりさきたるキ紙ニ而上ハ張迄数へん張立尤渋せんニして
  仕上ケハ唐の土ヲ以白ク塗上ケ能干上ケて夫ゟあいにて絵ヲ書
  ひきの油ヲとかしてはけニて引也

【右丁】
    ●そろばんニて雷除の事
  十露盤弐拾七間
  一ト桁ヲキ
    七二九六
  一ト桁ヲキ
    四三弐五
  一ト桁ヲキ
    一六二
  一ト桁ヌキ
    一四六
  右之通法ニ置居間ニ雷鳴方へ向ケ置也
【左丁】
    不浄の香除ケ 又方御歌
  同断一桁ヌキ    榊葉二ゆふしでかけて打拂ふ
    六四一     身ニハけがれの露程もなし
  同 六四二         【「不浄除」】
  同 一六五
  同 二六九二
  右之通ニ置て匂ふ方江向て置べし
   是ハ文化十三子年三月朔日大御番九番組
   与頭石原新十郎殿ゟ傳秘也

 【「不浄除」は横向き黒丸印】

【右丁】
    ●百柚湯(ひやくゆとう)の法 文化十三子年三月四日大御番
            二番組与頭榊原九右衛門殿ゟ
            傳授請之
  柚の数百大小の構なし丸の侭ニてよし
  カンシヤウ目方拾匁一杦の皮割シテ拾匁
  右三種麻か木綿袋ニ入風呂の中へ
  初メより入焚火ニてせんし候事
   但冬至の日より三廻り入湯スべし
   又ゆヲ立ぬ時は此中の薬袋ヲ引上ケ
   蓋の上ニ置又候わかす時ニ入る也
 功能手足真ンの痛 打身 くじき
   婦人月々厄不巡り
【右丁】
    ●解毒丸(げどくぐわん)  同人ゟ請之
           大毒虫さしたるニ吉
           大食しやうニ吉
  御医師高弐千石久志本左京殿宿所は
  市谷加賀屋敷也施薬ニ被下之候間
  玄関ニ行可願三粒ツヽ被下候得共旅立
  いたし候者えは五粒ツヽ被下之也
   但食あたり又毒虫のさしたるニハ
   一粒ヲ半分削り給る残半分ハ削りて
   とき毒虫のさしたる所へ付テよし
   立所ニて全快する事神妙也

【右丁】
    ●石とふろふ木にて拵る法
  春日形 雪見形成とも思ふまゝに木にて拵へ
  仕上り候はゝ右の木え鳥ヲ取もちヲ一面に村なく
  ぬり付是えまりばぢやりヲみかげ色に合セ
  置是ヲふりかけそろ〳〵と能おし付て
  日に干上ケべし四季とも庭に而雨露霜
  雪等に當り候とも落る事なし
    ●根たば合せる訳
  是は何之無益之事なり併御用に而御ためし
  有之時牢屋敷え御指掛り御硎師竹屋喜四郎
  其外渋谷助五郎角野藤次郎等も壱人ツヽ
  罷出ねたば合候得共何之せんも無之事之由
【右丁】
  是は何之事もなく剃刀ヲ硎ける刃返りヲ手
  合せして拂落スト同利也又は上仕上ケかんなヲ
  硎候節先キヲいさゝか一寸と合せどに而刃先斗
  そつと急になでる利と心得テよし
  右之趣文化十三子年三月七日於 御城に竹屋
  喜四郎へ尋候処右之通申聞候間記置候事
  尤ねたば合候へは首ヲ討候時のんどの皮切り
  残らず能切落ス物也併太刀取の者手中
  定り事なれたる切手には根たば合セルニ不及候
    ●せいぶんよわき人に持薬 ねあせ出るに吉
  にんにく皮を去りて三ツ くるみ壱合各能割テ
  黒ごま一つかみ何れも三味とも能すり白砂糖

【右丁】
  半斤入又能 摺交(すりまぜ)て古酒壱升ニ而煑詰
  常の練薬より少シ堅メニして○程ツヽニ丸シ
  置常々持薬に壱ツヽ用て吉但口中若シ
  匂ひ悪鋪候はゝ其時飲少々飲て吉右悪敷
  香を去る事妙なり
    ●せゐぶんよわく聲を遣ふ ひいよわく
     氣きよの類ニ常々持薬ニ用る方
  大梨子皮ヲ去りて三ツわさびおろしニて能おろし水ヲしぼりて摺也
  しやうが十かぶ右同断ニして吉 大白砂糖壱片
  黒ごま壱合能する右四味一所ニして右なしと
  しやうがのしぼり汁ニ而まぜ唐手鍋ニ入とろ〳〵
  火えかけせんじ詰る但至而虚性の人ニは左之通
  桃仁壱匁目甘草五分ひげ人参五分各細末ヲ加る
【左丁】
  若又なししやうがの汁不足の時は上酒少シ
  入せんじ詰て吉
    ●のんどけ口ひの薬 又方なんてんの実ヲ丸ニ而
              呑候得者夫たけははれ不申候
              痛ニは実ヲかみて呑べし黒焼も吉
  のびるの玉斗りを取り三盃漬にいたし置
  常々少ツヽ持薬に用て吉又赤とんぼう黒焼ヲ吞て吉
    ●さんごじゆヲ角ニ而拵る法
  角を好の形に拵置夫ゟ酢ニさんざしヲ入
  にる也又青くするニハ梅酢え塩抜板緑青
  を入て煑るべし
料り【朱】●昆布ヲ和らかにする法
  こんぶヲ塩水ニ漬置ば和らかニ成也

【右丁】
    ●諸の角を糊のことく又餅のごとく
     器物に作る法
  鹿角粉(つのこ)を能キ青竹の跡先ニふしヲ附置
  右竹の外皮をけずり取厚紙の如くニし
  小サ穴を明ケ是え右角粉ヲ入堅くせんニ仕
  夏月厠の壷え漬置弐十日程過て取出し
  見れば角粉和らかに糊のことくニ成る是ニ而
  細工ヲすべし又堅んと思はゞ大根のしぼり
  汁ニひたし置て吉又甘艸のせんじたるを
  水ニさまし置此能ひへたるニひたすべし
  能ク堅く成る物なり
【左丁】
   但是は古法にて急の間ニ不合
  角粉ヲ鍋ニ入テ水は見合入䗜蜒を数十
  入能々煑る法が吉則此帳五百三〆ニ留有之
    ●玉ヲみがく法光り出ス傳
  万玉類さんごじゆ水しやう其外とも磨たる斗ニては
  光り無之光りヲ出スニは磨ク一日前ニ燈油ニ
  ひたし置テ取出し磨ケバ光り出る也
    ●象牙又は鹿の角を珊瑚珠ニする法
  ぞうげ又角成とも其器の形を拵へ能酢ニ
  すおふヲ入是をせんじ取出シ堅べにを能々
  付て色よき時又さつと以前の酢ニひたし煑る也

【右丁】
  色を見合べし
    ●上田屋太吉傳にんどふ香文化十二【ママ】子年
                五月十日請之
  にんどふ一荷能処斗ヲ取 桑根の甘皮三方壱但桑根ニてもよし
  大釜にてせんじ詰蜜のごとくニいたし
 一豊後梅壱升能つへたるを日ニ干能すりてこし
  板にあつくぬり付天日ニ干上ケ是を少シツヽ入かげんいたし余り酢く無様ニいたし蜜
  にて煉りにんどう桑根のせんじたる中へ交ゼ
  貯置なり第一氣付中氣ニ吉痰ニ吉
  せいぶんを益【=増】其外のんどかわくニ吉
    ●あざヲぬく法田口久次郎極秘傳也
 一黒あざ赤あざともニ誠の石州無名異ヲ
【左丁】
  能キ酢にて解幾日も氣こんニ付べしあざ
  いつとなく取れる事妙也
    ●手ニ染たる草の渋ヲ取方 ずいきふき其外
                 何のしぶニてよし
 一車井戸の縄か又は火打石ニ而水ヲかけながら
  すりあらふべし立所に落る也
    ●じん薬の事 又方年中四季ともニくこの
           葉お汁ニして喰てよし
           年中病のうれいなし
 一何よりするめがよしいつれニいたし給ても吉尤
  なまあぶりニして塩ヲくみ付給るべし
料理【朱】●さしみニとふふ用る方
 一つととふふのごとく是ヲ布ニ包テゆてる也
  尤右とふふヲ能する時ニ中へ葛ヲ程よく
  まぜ是ヲ能すり鉢ニてするなり

【右丁】
料理【朱】●沢庵漬上風味の仕法又方風味宜いたし候ニハ
                漬る時酒ヲふり〳〵漬る也
 一例年定式漬方一樽ニ付早漬は糠六升ニ塩四升入
  中比出シ候方は糠六升能ふるひテ塩六升入年ヲ越から漬ニはぬか六升ニ塩八升入
 右之通何レも押は随分つよく候方よろしく候
 是は文化十三子年六月中旬巣鴨新屋敷之
 大御番鳥居又右衛門殿之実母ゟ傳授有之
    ○角和らかニする法 御納戸頭星野鉄三郎殿傳
 一鹿の角ヲ地中え埋置外皮ト真ンを除き正味ヲ
  鰹節のごとく削り目方百目げぢ〳〵壱合入レ
  右二品を水ニ而せんじとかす也
   但し麦わらを壱寸ふとニ切白水ヲかけて
   むらす置べしげぢ〳〵ニ成るなり
【左丁】
    ●心ト申字認方心得筆法の事
《題:心》
ホウケン」ノ点【四画目】
シンホウラク」ノ点【三画目】
ナイシ処ノ点【二画目】
シンシ」ノ点【一画目】
《題:存》
折枝ノ点【六画目】
《題:也》
入日(ニウビ)ノ点【三画目】
    ●入歯の歯ぐき色よき法
  右歯ぐきのつげ黄色ニて色不宜時はまづ
  一遍せんじ出シ能干上ケて夫ゟ後すおふのせんじ
  たる妙ばん不入がよし此せんじ汁ニ入能せんじ候へば
  よき色に色が付候事 但右歯ぐきえ歯ヲ植ざる
            前ニ右のごとく色ヲ付候事

【右丁】
    ●中暑靏乱速治の仕法 文化十三子年七月三日
               西丸御目付中川惣左衛門殿ゟ
               請之
  先中暑ニて吐氣有之氣分悪敷節早速手ぬぐいヲ
  折たゝみ𤍽【=熱】湯にひたしなましぼりにして心下鳩尾を
  三四度むし候得ば速に快成也又隺乱には手拭二筋
  同様にいたし替々𤍽湯にひたし数度むし候得ば快シ
  又腹痛水泻も留る尤寒氣あたり其外諸病に
  用ひて吉 但最初暑邪請候時心火ひへてふさぎ
  食物停滞むし候て腐候ゆへ吐氣付候其時服薬用イ
  候得者吐泻有之より事により痢病其外種々の
  病に變ず然るを其場に不至内に暑邪停滞
  の食物消和いたし速に治する事不思議の良法なり
  都而暑氣の頃朝夕とも常に数度用れば暑邪不請也
   附山野原人家なき処にて隺乱して氣絶いたし
【左丁】
   行たをれたる者薬用ゆべきに湯水なき時早速
   はだかにして小便ヲ仕かけ候得者速に蘇生也
  右の法用て功を得しにより人々に傳へけるに其功甚多シ
  斯用ひ安くして其徳廣太成故に諸人に傳へその
  疾愚を救ん事を求む依て令施板もの也
    ●踊に行場所
  毎年六月夜宮八日當日九日品川宿の
  天王祭礼藝者ヲのぞみ申候 七月廿六夜も
               右同所え行也
  浅井肥後守次男浅井壽楽隠宅住所
 ●十二里有之あつぎと申所え立寄此所繁昌の
  宿にて踊はやる夫ゟ相州え出立湯治場え行なり

【朱筆は「」で囲む】
【右丁】
 踊に行には毎年四月中旬出立にして
 八月帰ル  湯治場の覚 浅井壽楽「二楽」傳之
             文化十三子年六月
 ●相模国七湯の事何レも御関所手前
「旅かせぎには 湯元    湯場宿 福住九蔵
 参不可参」是ゟとふの沢え半道  小川万右衛門
      「東の沢」   湯宿
「湯バ初り」とふの沢       秋山弥五兵衛
      是ゟどふが嶋へ壱里よ 一の湯沢右衛門
                 田村久右兵衛
      坂の下にて
     「堂がしま」
     どふが嶋「江戸ゟ藝者 同 大和屋
            落着テ吉」奈良や六郎右衛門「方え」
      是ゟ宮の下へ壱里半
【左丁】
     坂の上にて      同 奈良屋兵次「方え」
「二」  宮の下          藤屋勘右衛門
      是ゟそこくらへ五六丁
     「底倉」       同 蔦屋平左衛門
      そこくら        万屋伊兵衛
      是ゟきがへ十二丁
     「きが」       同 柏屋
      木賀          仙石屋直次「方え」
      是ゟ芦のゆえ壱里よ
「湯元ト 「いほふの匂ひつよく不宜」同 松坂屋
 同断」    芦の湯         伊勢屋
        「此所には宜客不来候」
          都合にて三里半

【右丁】
咒   ●やく病よけ咒 又方神田三川町新道四軒丁
           長崎屋ト申薬屋にて壱貼に付
           代廿四文ツヽわげつとふ人参入
  胡茶に梅干をかざしテ左の古哥に包み
  三日の間たもとへ入置四日目に川え流す也
   しゆうかんは風のたよりに来れども
  【天地逆に記す】今吹かへせ伊勢の神風
  右之通下の句をさかさに認候事
咒   ●はしらの咒門口へ張置候事
  比川宗左衛門殿舩にて御約束の事
  と認メかど口へ張置なり
【左丁】
咒   ●犬除の詛法
  三遍申事
  西川の関の清水を春見れば
    口なきいぬは何をくらはん
  此跡にて三べん唱ル事
   あびらうんけんそはかと唱ルなり
    ●暑中り
     くはくらんの薬 又方干 鰷(あゆ)をざつとせんじ此ゆを呑也
  しいたけをせんじるか又は𤍽【=熱】湯に入其湯
  きいろに成たる時吞べし妙薬なり
    ●頭痛の薬 又方七月十八日に柳の葉十八枚水常の通入
          せんじ吞て見なり
  盆の十三日に土器ヲ頭のひよめきに置此中へ大灸
  程能あつく成る迄こらへ居テよし

 【行頭の咒は朱】

【右丁】
    ●寛中丸 文化十三子年七月廿九日
         中村圭周母ゟ請之
  随分新キにがきヲ用
  よふばいひ 香附子 がじゆつ とふやく 各等分
  虫氣 しやく 食傷 腹のいたみ 下り腹
  小児にも至而よし
咒【朱】●かつけの咒所
  本郷六丁目紺屋の裏にてたくはつに出る
  びくにに頼候事但水引二把半紙弐枚ト
  塩が入用に候間可致持参事
    ●尺八の笛寸尺の覚
  左之通り拵可申候事金さし長サ壱尺六寸八分
【左丁】
【尺八の図】
  口の処ふし  印長の半
    前
    ふし五ツ 半 半
    のふ書は三枚目に張付て有之
    ●きれん丸の法 小石川源覚寺前町ニ而
            松屋彦七傳之由田口の与兵衛傳之
  へちまヲほして黒焼となし細末し
  是え丁子ヲ細末して加へみつにてねる也
   但両国吉川町花火やニ而玉屋の向横丁角ゟ二軒目虎や伊兵衛方
   きれん丸代五十文百文
料理【朱】●鯉にこしやうヲ入るは魚の毒解シ也
  上方の国々にては小しやうヲ川え流して翌日其
          こしやうの水ヲ吞たる魚類是に酔て
  腹ヲ上にして浮上り有之時ざるを以すくひ取候
  近年は山椒を右之代りに流して右之通に取也

【右丁】
     用ひ方一ふくヲ五ツにわけ湯
     五勺程ツヽにて三度に用ゆ跡の
     弐度分は湯壱合五勺程にて
     用ゆ時に心得べし吞とおくび出ル
     男女とも人によりて■【瘋(=頭痛)ヵ】も出る是
           亦ヵ血の道の妙薬也
【地図 天王宮から谷田院(こくでんいん)前天王横丁を経て四ツ谷大通りに突き当たる】
●ちのみちの薬血調散
 一貼代六拾四文ツヽ
 一廻り分九貼也
 是又鍋墨ヲさゆにて
 吞もよし
【左丁】
●銀なん壱升ヲ割テ 新は七合五勺程に成
          ひねは四合程に成ル也
 料【朱】●玉子見よふの事
 長キは男鳥 【卵図】 此玉子頭の方ヲ舌(した)に付見るに
 短ク丸キは女鳥     暖成るは生キ玉也尤ほそく
             尾の方冷成るは生玉に候
  又頭尾の方ともに冷なれば死物ㇳ知べし
  尤鶏卵けろける時に初メ横にけろけ後には
  竪にころける物なり四百六十四にも記置候事
料理【朱】●鴨雁其外鳥ヲ冬向求るに心得方

【右丁】
  是は下腹よりふん穴の辺ヲ押テ見るべし都而
  冬之内ニ而も此辺よりくさる物なり
    ●かい置たる犬猫外ニ而まちん【馬銭】給たる時仕方
  是は早速水を数度吞せ又腹えも幾度も
  かける快氣するもの也
    熊の膽求る時見よふの傳
  先之少シ斗水に入見るべし種有品は一向不解
  白ク種水中に残る是は拵もの也
    ●死犬ヲ薮え埋ヌ次第
  右犬の頭しやれたる時頭の目の中ゟ竹の子生る
  ときは必々其家亡ルもの也
【左丁 この間落丁ありヵ】
     又方 又たび だい〳〵 白さとうゆにて吞てよし
又法       むくろふじヲ割せんじ吞もよし
一またゝび 甘艸 各當分にしてせんじ吞也
又法
一足のふくらはぎに有之俗にいふかごかき三里え灸吉
又法 そば粉ヲ𤍽【=熱】湯にほだて吞べし
一正月十六日 七月十六日 六月十六日 此日斗は晝ノ
                   九ツ時に限る也
 常ニ而も發り候はゝ用テよし
又法
一ま虫の干粉を少シ吞て吉但吞たる後足に
 筋高く堅り候はゝ疝氣の根切也尤其
 當分七日程は青物給る事ヲいむべし

【右丁】
    ●痳病の根切法 信州ゟ来ル餅舂□□
            傳之
  桑の根の皮 とふしん五本 青木の葉三枚」五枚
  右能せんじ吞べし即妙也
咒【朱】●運仕合能成る咒
  毎年浅草市ニ而十七日」十八日之内にくわん音様右
  の方ニ而ばゝ【婆】が賣テ居るさいみの茶袋を
  求来る但此中に銭三文入有之苧に入テ有り
  是ヲ左のたもとに入呉候間宅え帰右のたもとゟ
  出シ正月三ケ日福茶ト一所に入せんじ家内中
  給ル跡は仕廻置候事
【左丁】
咒【朱】●又法
  毎月十七日にこんにやくヲ煑テ家内身内斗ニ而
  給る家来えも不爲給候事
咒【朱】●又方
  甲子の夜九ツ時ヲ打初ルト袋ヲぬい初メ鐘ヲ
  打仕廻迄にぬい上ケ此中へ文銭三文黒大豆
  三ツ入袋の中へ願望ヲ申入テ口をぬい切常々
  身にかけ居る事
咒【朱】●又方
  庚申の夜毎に七かふしん文銭十二銅□上ケ
  置候事 但七庚申切ニ而吉信心スべし

【右丁】
料り【朱】●鱈の料理法遣ひ方
 一大クさいの目に切山椒せうゆいる付る吉
 一あんかけわんもりも吉
 一薄へぎにして酢ヲかけすりせうが吉
    ●韮(にら)植置よふの事
  根分して吉尤しやうがのごとく成は不宜候間取捨ル
  夫ゟ二三本ツヽ所々に植べし但こやしにはわらの灰最上也
 料【朱】●あみの塩から拵法
 あみ五合に塩弐合の割を以漬置べし廿日程ねせる也
    ●手ぬぐい遣ひよふ
 初而遣ふ時は水にて洗出シ遣ふべしよこれ方おそくきれい也
【左丁】
    ●石とふろふ求メ方の叓
 大和国の御代官ヲ頼テ吉直段安くかつこよし若又
 右御代官に手釣なき時は御勘定奉行か又は吟味役か
 組頭の内を以頼べし
咒【朱】●不浄よけ御歌 婦人等も月疫中など
            神々え供物燈明上ル時は
            此御歌を絵里襟に縫込置べし
            但是ヲかけて神棚へ
            掛りてもよかろふか抔と
            うたぐる心有れば
            必ばち當る也
            依之心慥に
            思ひてすれば
            少シも障□
 榊葉にゆふしてかけて打拂ふ
  身にはけがれの露程もなし
咒【朱】●疫病よけ咒御歌 門入口へ張置べし
             又銘々一枚ツヽ懐中スル也
 いかでかわ神裾川の流扱
「梵字」日止にあたりてなんの疫霊

【右丁】
咒【朱】●途中にて放レ馬向ゟ欠来る時又は坂にて
     車とゞめ兼候時立向ひ此哥三べん申也
  ほの〴〵と明石が浦の朝雰【=霧】に
   嶋がくれゆけ 舩おしそ思ふ
咒【朱】●盗賊不入御歌 門口其外道具入等えも張置也
      又方上総国柴山の仁王尊可信事肝要也
  うき草の人はなれにや磯がくれ
   思ひなかけそ沖津しらなみ
    ●半紙安キ上紙求よふ
  大紙屋に而見せ紙とて四ツに竪に折有之是は
  壱〆メの紙の見せ紙也壱状に付上品十六文ツヽ也
【左丁】
 料【朱】●あわび和らかに成る法
 是は生の鮑を貝をはなし夫ゟ生大根にて
 両面より能たゝきて煑るべし妙也
 料【朱】●さゞい和らかに煑る方
 生のさゞいヲ蓋の上方ゟへらヲ入てくるりと
 中をこすり廻してみを抜べし夫より
 能洗てぬめりヲ取テざつと煑る也和らかに成ル
 料【朱】●な漬和らかに漬る法
 塩湯を煑立沢山ヲさまし置此極ぬるゆへ
 なヲ入上より鍋ふたの類ヲふたにうかし置べし
 四五日過候へは能つきて和らかに給る也

【右丁】
 料【朱】●ほら貝生に而ぬく法
 天井ゟ慥成縄に而ほら貝に中ウに釣置此下へ
 さらに酒ヲ入置と此酒の匂ひに而自然と貝の
 中ゟ身ぬけ出長く成るテ下ル有之とき
 そろと引両手に而一さんに脇へ引落スべし
 何なく抜ヶ取る物也圖之通り
【ほら貝を釣り下げた図】
    ●すゝ落し法
 しゞみの黒焼にして是をあくに立置此水に而
 洗べし数年のすゝ又はふるびも落るなり
【左丁】
    ●こし水上々吉と成法
 樽の中へ下ゟ七八分も間を置よふに板へ二本
 足を打夫ゟしゆろのくずを度々能あらひ
 干上て是ヲ敷其上へ上砂を度々能あらい
 敷て夫ゟ水を汲込置のみ口ヲ付置ちよろ
 〳〵と出し此水にて茶をせんじのみて妙也
    手玉のろしの方
 土場にて焚火いたし其中へ狼の立ふんを入候へは
 火煙 真直(ますぐ)に空に上る也且又若立ふん無時は
 只のふんに而も狼のふんなればよし

【右丁】
    ●角粉細工練方極秘傳但なめくじげぢ〳〵ヲ入テ角粉ヲ
              にるもよし
  なめくじ沢山そくいにて押つぶし水にして是を以
  極細末成角粉ヲねる也 但角粉に無之ても
             安ごふんヲ極細末にして
             此水に而練も同様堅ク成
             水に入置ても不解ひきの
             油ト同事也
   又上ヲ能みがき上ケ其上にて
   つやヲ出スも此水にてぬるべし
 料【朱】●うなぎかばやきえ付る醤油の本法の事
  上醤油えみりん酒を入うなぎの頭ヲ焼たるヲ入て
  よく煑る也油玉うき風味至而吉秘也
 料【朱】●ゑだ柿仕方みの国名物枝柿植村駿河守殿領分にて
  渋かきの先花落の所五分四方程のこし皮ヲむく夫ゟ
  へたに糸を付一ツ々に釣置程能干たる時筥へわらヲ敷
【左丁】
  其上に彼なま干の柿ヲならべ又其上へわらをかけ
  〳〵〳〵幾通りも如此して漬置百日程も過て
  箱ゟ出シて見れば白ク粉がふき有之也
 咒【朱】●狐に被化ぬ法 又方此葉ヲゆでごま和も吉
              甚薬のよし岩田殿傳也
  白けいとふの花を八月十五日夜八ツ時に取所持いたし
  居候へ共【ママ】狐狸等にばかされる事なし
    ●疫病煩ぬ法
  びんろふじ五ツ生せうが三かぶ吞水の内へ入置て
  此水に而万給物茶に至迄も仕立給る也四季に
  ケ様いたし候得は疫煩なし
    但手前井戸ならば井の内水中へ釣シ置て吉

【右丁】
    ●痢病の薬又腹薬也 又方五月のちまきヲけづるか
              粉にして鰹節沢山入うすき
              みそ汁にて給テよし
  白キ切餅二ツ三ツ 白ハスの華東向に咲たるヲ三ツ程
  水あめ五十程入水ヲ入テ右三味鍋か土鍋にて得と
  極和らかに煑立程能さまし置給テよし
料【朱】●さとう白黒ともにちりごみヲ取る法
  右砂糖へ程よく水ヲ入能せんじよく煑へたる時
  玉子の白ミ斗少シ入べし然時は右さとふのごみ
  不残此白ミへ附かたまり申候其時右白みヲ
  すくひ取るべし大久保主水方の傳秘也
咒法【朱】●刀等の乱レ焼ト直焼ヲしる法
  圖之通いたし見候へは知レ申候 みだれ焼は刃ヲ上にして
                 不立直に横に成る也
【右丁】
  すぐ焼は刃ヲ上にしてしやんと立申候
   但下に認有之圖之通板かなどへ
   左右振わけにかけ置見るべし
   刀脇差ともに右同断   【刀を板の上に置く図】
    ●銅きたへよふの叓
  かづら等の銅なまがねにてはへろ〳〵と
  してぐら〳〵して堅ク無之是を
  きたへるには塩ヲ付て焼べしたちまち
  かたく成りきたへかねと成なり

【右丁】
    ●さし木仕よふ傳 こよみに有社日が吉
             地火の日は悪し
  是は圖之通去年の目ヲ吹たる所がよし
  今年吹たる今年切テさしたるは悪し
  附かねる物なり      【今春目と去年春目の図】
     但秋目の枝は不用也
    ●渋柿のしぶを抜く方
有徳院様御方
  しぶき柿の木の根の廻り壱尺よけてほり三年
  寒中に下こへヲ入べし渋氣不残取れる也
    ●なりたる柿落ぬ方
同断
  寒中は猶吉シ春に而も其柿木の根廻りヲ
  七八寸も堀て其中へいわしか又はひしこの
  古キ求メテ入べし其柿不落也
【左丁】
    ●継ほの臺の木覚 社日がよし
  何木の枝成ともかり継にはハスの臺へ継べし
  違なく附く也但久敷は不持候事見合本臺へ継替る也
    ●歯痛に薬 又方冬瓜ヲぬかみそに漬置
          黒焼シ粉にしておはぐろに交遣候へは一生歯の
          なんぎなし
  仙人艸俗にはこぼれといふ也是ヲ蔭干にして
  能干たる時塩三分一入レ黒焼にス
    ●植木は諸木ともに春目は不切秋目は
     不残切ル事秋目えは翌年花無之
    ●松の下枝かれぬ方
  毎春松の新目出候はゝ委【誤記=悉】ク可切如此すれば下枝かれず

【右丁】
    ●歯を痛なくぬく方
  仙人草といふ草薬種屋に有之是え塩を
  すり付抜く歯え斗附テ置べし暫ク
  過て前か奥えか抜ケる勝手を見合テとなり
  の歯へさわらぬよふにつくべし痛なく
  早速ぬける也
料△【朱】●はぜをむまく仕る法
【頭を落としたハゼの図】
  はぜの頭を圖のごとく切捨夫ゟ火へあぶりこ
  にてかけ程能焼て其あつき処を脊より
  薄きへらにて脊へりを尾の方迄さく
  べし夫ゟ頭の付きわより胴骨を引立候へは
【左丁】
  脊骨に付て骨の分は不残取れ申候是を
  又元のごとく手にてにぎり付元のはぜの
  かたちに拵置是を何へ成とも入テ煑る時は
  骨少シもなく至而風味よし
料【朱】●又方はぜを頭斗取り生のまゝ骨ともに
   鳥のごとく能たゝき夫ゟ大ゆびの先程に
   丸メ干置てごま油にてあげる是を何へ
   成とも入テにる時は鳥のごとく風味吉
料△【朱】●又法上の印のごとくして骨をぬき
   其あつき内に元のごとくあわせにぎり付
   さまし置夫ゟ三ばい酢に附置給る
   べし至而風味よし

【右丁】
料【朱】●酒の肴   小野岩太郎殿傳之
  なた豆を小口よりうすく切是を塩
  にてもみあく水を捨る能しぼりて
  日に干上ケべし白ク干し是を貯置て
             遣ふ時ゆにて洗しぼりて
  三ばい酢に漬給るしやうじんの
  肴によし又精進に無之時は鰹ぶし
  成とも生りふし成とも生肴成とも入テ吉
    菊味
料【朱】●黄菊漬の仕方 飯塚長三郎殿傳之
  黄菊を能むしりばら〳〵にして其儘
  能あらひ能かわきたるとき時壷に入壱へらツヽ
  置テ其上へ梅干ヲばらりと並べ白さとうヲ
【左丁】
  ふり又黄菊を敷此順に何 重(じ)もいたし
  ならべ仕舞候はゝ上よりみりん酒ヲ村なく
  かけて夫ゟ目張いたし貯置也いつ迄も
  替る事なし
    但歯のなき人給料には此黄菊を
    ざつと湯がき能干上ケぱら〳〵と
    する時前書之通漬込置てよし
    ●火縄の火水中に而不消法
  木綿火縄へめうばんをこくせんじて
  引テ干〳〵〳〵三べん程いたし能干て
  仕廻置べし雨天に付ケて行とも不消也

【右丁】
    ●けらはご仕よふ
  下に有之圖之通に小キ薄板え竹ヲ曲て
  左右へ指此竹へもちヲぬりて置べし
  鳥来て中の餌ヲくわへ引候へはおのすと
  脊にかぶる其時早く出て取べし
          【半球形の鳥わなの図】
           もちヲぬり置也
           虫ヲ付置
   但は茶わんか杯に入水油ヲ少シ入火にて
   そろ〳〵とかしてまぜ置遣べし
   如此すれば寒中に而も氷事なし
    こよみに有之
    ●天一天上の日有之覚幷天社日とも
  是は壱ケ年中にみづノとの巳ノ日にて六十日目也
  天社日は壱ケ年に五度ツヽ有之
【左丁】
    ●あざヲぬく法
  大根おろしのしぼり汁を常々氣こんに付べし
  いつとなくぬける也但赤あざはぬけ不申候事
    ●すいおくび仕むねわるく水を仕吐胸痛ニにて不痛
     かゆきよふにて心わるきに薬
  びんろふじ ちんひ粉にして用る
    ●つわりに而ときやたしからゑつきに薬
  かふぶし くわつこう 甘艸當分にしてせんじ用
    ●きうつして頭痛に薬
  かふぶし せんきう 粉にして常々用る
    ●遠道して足はれたるに薬はんげヲぬりて吉

【右丁】
    ●ひじ赤がりの薬
  山枡をせんじ洗てよし
料【朱】●初だけ料理に用る細工にて作る方
  一上々のとふふのからを誠に能すりて玉子にて
   能ねり合せべんがら粉ヲ至て少シ入又能すり
   まぜてかわかし置堅ク成次第に形え押詰
   打ぬく夫ゟじくヲ能程に切其辺え青のりヲ
   さびに付火にあぶりさまし置て大成分は
   程能 焼(きり)て遣ふ也吸物にも又硯臺物には
   頭の表へ斗醤油一へん附あぶりて吉
【左丁】
  ●赤地金入拵よう
 一緋紋羽片面色よきヲ求メ置生麩のり
  姫のりふのりヲ合せ至而うすく解キ是ヲ
  油ぬきの洗粉ヲ水にて能とき此うわ水ヲこして
  此上は水を以うすく解く是に而一面に表の
  けば立たるヲ地へ能すり附テ干上る能干
  上りたる時金入の形を為付可申候金入の
  形ヲ付る処赤坂御門外大黒屋トいふ呉服やの
  近所にて切レ屋賣人

【右丁】
    ●せんきの妙薬 文政三辰年正月十六日
            信州ゟ来る餅舂久治傳之
  正月十六日 六月十六日 七月十六日年内に此三日
  そばこ上々ヲゆにいたし吞べし根切妙薬也
   但六月十六日は晝九ツ時に限テのむべし
   正月ト七月十六日は其日の内なれば吉
    ●髪の毛黒くする方
  瓜の葉をもみて此汁ヲ付る黒く長く成也
    ●小児頭瘡薬幷大人ほつぱん草類疾氣有に薬
  白ハス花蔭干焼心各當分甘艸少シ入  春田小兵衛殿傳
  右三味能せんじ出シ湯茶の代りに常々三廻り程も
【左丁】
  吞べしいつとなく直る翌年ゟでき不申候
  但小児えはかんぞう少余慶入るテ吉
    ●疾の妙薬 大御番八番組与頭酒井但馬殿組也
            春田小兵衛殿傳之
            文政三辰年二月晦日
  しつでき初メならば蕗の根か又は
           けいぼうはいどくさんヲ一廻り
  為給置夫ゟ跡に而細末いわう壱匁同せうのふ壱匁
  焼たる玉子一ツきみ斗ヲ取能交ぜ合せ夫より
  白しぼりごま油にて能ねり吹出物えよく〳〵
  すり込べし不残すい出ス依之古キ草物成とも
  若ス【しかず】也三廻り程湯水遣ふ事無用の事
  三廻りも立候はゝ白水ヲ湯にわかして
  洗ふて吉少シも追込心遣ひ無之事

【右丁】
  ●乳能出る名薬 文政三辰年頃大御番八番
   酒井但馬守壱組与頭春田小兵衛殿家
   傳妙薬有之行而願べし
    但外に病有て不出には印なしまた
    無病に而何事も無之乳不出には忽チ
    即妙有之也
    ●薬湯立候所
  岩附に而禅宗才福寺此寺にて毎年之
  二月十五日ゟ八月十五日迄積ト疝氣の薬湯
  立入湯いたし所々ゟ入人来候事
料【朱】●池の魚などどろくさきヲ取ル法
【左丁】
  何肴にても一夜土地え並置其上え大たらい
  かぶせ置べしどろくさき匂ひ去ル也猶又
  弐枚におろして身の方ヲ土え付置ば弥吉
咒【朱】●仕合能成る法
  文政三庚辰年三月廿四日
   但當辰年迄四百廿一年目に而當り候事
  此年明之方申酉之間庚の方也
 一年徳神を祭る吉日也
    備物左之通り
  金 銀 銭之内ヲ何にても黄色成物にて

【右丁】
  ねじりぬいの袋に入
 一小豆めし 一明の方の清キ土少シ
  庚辰年甲辰月甲辰の日甲辰之刻
  土曜星金曜星相生之吉日也
  此祭りをいたし候得は心願成就富貴
  繁昌寿命長久福徳の最上吉日也
    ●せんき名薬一日に用る袋入壱貼百四十文
  日本橋近所に而瀬戸物町乾物やいせやに有之
    但他国より和尚来而出之也一ふくヲ一日に吞也
    ●痔の名薬 文政三辰年四月朔日
           祥雲寺和尚ゟ被發之
【左丁】
  虎(とら)の革(かわ)黒焼ヲ薬種屋にて求メ是ヲ酢にて
  吞べし一度切にて根ヲたち再起る事無之
  尤とらのかわ黒焼は代六十四文か七十二銅に吉
料【朱】●干あん仕様
  寒中小豆を何升成とも能ク水に而煑上
  みそこしかすいのふに入置水ヲぬき干上ケて
  其まゝ袋に入貯置べし是を皮のまゝ臼にて
  挽細末して置入用之時入用のほと程熱湯に
  入能くかき合せて夫ゟ砂糖ヲ入あんと成る
  何餅に成とも付るなり 大御番酒井大和守殿
             一番組与頭天野清右衛門殿
             より受之文政三辰四月五日

【右丁】
咒【朱】●手足等えまめ出来候節咒之事
  其出来たる豆の上へ米三粒置夫え十の字ヲ
  書て其米を川か下水か人のふまぬ所え
  捨べし忽チ直る物なり
    ●わきがの有無を知る法
  みゝをかきて中より出るあかを見るべし
  わきが有は男女ともに耳のあかゆるく候事
    ●婦人下腹の痛に妙薬
  ほふづきから 外に甘草少シ加ル是ヲ薬種やにて取
  能せんじ度々呑べし妙薬也

【裏表紙】

{

"ja":

"告病傷寒温疫家説"

]

}

告病傷寒温疫家説(こくびょうしょうかんおんえきかせつ)

告病傷寒温疫家説  各一計二


告病傷寒温疫家説

告病傷寒温疫家説

方堂長尾先生著
告病傷寒温疫家説
          穀詒堂蔵


友人尾子明常窃悪西洋医術之威行三十人
心酔信其怪誕流毒有霊乃欲作文而辨折之
近頃其一小冊子成或薦公之於世因【囙の異字体】上梓木
云爾愚興子明居相近日互往来共以吾道之
広【廣】為勢間所論説少係洋医之術子明張
目怒臀叱曰彼 狗鼠(くそ)歯奔(しほん)【ここの読みが不安です】之輩何知吾仁術
之至要特在以所辨感世人其気概如此耳
子明去月嬰祝融【?】災家累蕩書無遺錨銖

而此縞以在愚手偶得存殆以天扶予明而然
乎及来請愚言書之以贈
安政五年十二月念有一
           桃蹊迂識【角印】

告病傷感温疫家説
    江都  長尾明全菴誌
夫傷感温疫之為_レ病也。擧世所_レ恐。而人
身一大厄。係_二生命上_一者也。故勉要_レ求_二良
醫_一。澤_二其醫_一也亦難矣。近時有_二吉益東洞
者_一。唱_二復古の學_一。漫刪_二古醫經_一。立_二自固淺
陿之識見_一。著_二病命各殊之議論_一。而専主
_二攻撃_一。酌_二末流_一者。不擧固陿。倣_二師授之

口吻_一。而行_二斬伐之暴術_一。取_二謗醫流_一者不
少_レ焉。世人目以_二東洞家_一。恐_レ之如_二蛇蝎蜂
蠆_一。頃者又有_下稱_二喎蘭醫_一者_上漫唱_二窮理之
説_一。口逞_二無用之辨_一。令_二レ世人心酔狂惑_一。其
為_レ害不_レ淺矣。余見_二聞其言行_一。唯是死物
之窮理。而更無_レ有_二活變徒解_二人畜之死
體_一。藕計藏府之肢絡_一。細㣲曲折。而及_二秋
毫之末_一。如彼精㣲窮_レ理。則死人可_レ活。人

畜可_レ造。造化可_レ弄。何不_レ為_レ之。所_二以不_一為
_レ之者唯知_レ窮_二死物之理_一。而素不_レ知_下所_二以
含【?】靈活潑_一之理_上故也。幻_二惑其世間_一。大抵
以_二奇怪癖論_一。不_レ過_レ驚_二俗耳_一。余以為彼之
於_レ術。固無_レ足_レ観。而其尤可_レ笑者。種痘是
なり。種痘落痂之後。有_下發_二天年痘_一者_上。有_二同
時併發者_一。且痘後五十日。乃至百日之
際。或驚風。或發癇。熱毒壅盛。得_二康寧者_一。

甚稀也聞近年西洋諸州。天年痘流敷。
而死亡者甚夥。如彼種痘之理。窮_二其至
精_一。益_下【?】其精術_一活_中其民_上。是可_レ笑之至
也。若夫天文地理之學。火攻舟楫之便。
布帛緻密之製。器物精造之法。雖_レ以_レ有
_二可者_一。於_二醫書治之一事_一。所_レ長不_レ過_三外治
之攻具與_二一二水藥精藥_一也。其治療不
_レ度_二變_一。殆如_二兒戯_一矣。至_二夫傷寒温疫之

治法_一。仲景張氏著書。詳_二三陰三陽寒暑
虚実汗吐下温涼_一。定律高論。確乎不_レ可
_レ易。然歴代名醫。森然蜂起。議論紛々。所
_レ各互。非_レ無_二得失_一。蓋陰陽順序。如_レ有_下不
_二一定_一者_上我
神州太平三百年。徳澤廣布到今日_一。學
術彬々。従前疑惑。渙然氷觧。醫道隆盛。
冠_二干宇内_一。前世未_レ聞_レ有_二如_レ此盛者_一。有志

之士。開眼發胸。秩然有_レ律。如網之有_レ綱
不_一レ紊。雖_下有_二千萬之病客_一蝟集_上。區別施治。
猶_二以_レ刀向_一レ竹也。仲景氏之遺法。依_二太平
之徳澤_一。如_レ此煥發者。可_レ謂_二生民之大幸_二
矣。喎蘭所_レ謂熾盛熱酷厲熱間歇熱遷
延熱腐敗熱等之品目。往々雖_レ有_レ應_二 三
隂三陽之位_一。至_下所_二採用_一之藥物_上。機奈茅
根消石蒲公英吐根杜松實等之類。何

得_下應_二機變_一 中_中熇々之熱_上乎。所_レ約唯在
_下催_二促_上性命而己。如_二桂枝麻黄大黄石膏
等之効験_一。比_二我所_レ説者_一。有_二宵壌之違_一。余
甚嘆息焉。聊述_二蘭醫所_レ原之故_一而明_レ之。
元和以降太平日久。都下之四民。多_下醉
_二飽酒食_一。怠惰逸遊者_上。病客不_レ藥。自愈者
亦多在_二其中_一。於_レ是怠惰逸遊之徒。伝醫
治者是易事也。昨日之按摩。今日為_二醫

生_一。亦顔入_二病家_一。唯勤務_二口給_一。伺_二人氣息_一。伝
是疝氣。伝是癇症。一方之泡劑。以投_二諸
病_一。何逞辨_一別病因_一乎。末技癖陋【?】者。以_二 一
病_一立_二専門_一。有_下稱_二脚氣醫狂醫疝氣醫癲
癇醫黴毒醫中風醫痔疾醫勞症醫_一表
_二其門_一糊_二於其口_一者_上。如_レ此人類。何為_レ窺
_二張氏之門墻_一乎。至_二其甚者_一。工匠左官。亦
變_二醫_一。非類不_レ可_二名状_一。如_レ是等輩者。可

_レ謂_二漢法家之罪人_一也。坐【?】不_レ可_レ同_二筵席_一。立
不_レ可_レ列_二醫林_一。咥【?】_二其面_一而可者也。當今都
下之醫。大数不_レ下_二十萬_一。然多是青盲目咥【?】
面之徒。聞_二喎蘭之幻想説_一。一旦愕然。混迷
如_レ夢。恰以_二痴人野狐所_一レ魅。尊_二信其所_一レ言。
従_二順其所_一レ教。而踏_二其閾_一者亦不_レ少也。是
所_レ謂下_二喬木_一。而入_二于幽谷_一。用_レ夏變_二於夷
之徒也。其所_二以然_一者。為_下目無_二文字_一。心無

_二識見_一。不_レ知_二 五倫_一。不_レ辨_二五常_一。孜々汲々。唯
利是求。唯_一口是糊_上也。僅冩_二蠏行之文字_一。
纔讀_二翻訳【?】之國字_一。學鵙舌奇語_一。而反不
_レ明_二原書之文法本意_一。變_二音聲_一改_二容貌_一。巧
言令色。喃々對_二于病家_一。引_レ黨集_レ類。隠_一我
之短才_一。防_二他 之非謗_一。自他稱_レ之伝_二篤志
者_一。是可_レ謂_二蘭法家之罪人_一也。人情日輕
薄。居_レ易求_レ難。以_レ小謀_レ大。以_レ逸替_レ勞。捨_二其

本_一求_二其末_一。百工不_レ精。唯利是計。如_二醫生_一
亦然。假令如_二漢法_一學五年。而猶難_レ得_二於
一隅_一。如_二喎蘭_一學三年。而悉得_二要領_一。是則
無_レ也唯利是計也。故傾_レ意堕_二落于夷類_一
者極多。是青盲蘭醫之所_二以蜂起_一なり。悲
哉生_二東海君子國_一。奉_二蠻夷戎狄之道_一。不
_レ知_二其臭【?】_一。不_レ恥_二其陋_一。所_レ謂人面而獣心。無
_二可_レ比者_一。真堪_二 一棒打殺【?】_一。然世上習風。

好_レ奇而不_レ問_レ實。譬如_三婦女子信_二僧徒_一然。
豈不_レ為_二長大息_一乎。即今依_二洋炮術之盛
行_一。蘭醫乗_レ𦿝【?】。縦_二其奸猾_一。是亦時勢之所
_レ然_レ。而以_レ有_二不_レ可_レ防者_一。如_二洋炮可否_一。我
固所_レ不_レ知也。如_下青盲草醫荷_二擔喎蘭_一者_上。
實國家之大害。而不_レ可_レ不_二禁逷【?】掃除_一。今
歴_二看都下之形勢_一。載_二人名于車上_一。青盲
引_レ前。蘭猾推_レ後。而護_二送于九泉_一者。年不

_レ知_二幾千百_一。賚_二百年之壽命_一。委_二奸猾之草
醫_一。其愚不_レ可_二名状_一。實可_二概観_一。世人能解
_二理_一。而有_二傷感温疫_一之家。必擇_二漢法家
篤學謹行之人_一。而為_レ乞_レ治。勿_レ忽_レ諸。若陋
巷闕_二良醫_一。雖_二東洞者流_一亦可也。。慎勿_レ近
_二青盲鵙舌醫_一矣。彼青盲有_レ言。讀_レ書無_レ益【?】。
治_レ病唯経験之方而是足矣。是蔽_二其短_一
也。其陋可_二冷笑_一。若不_レ讀_レ書。何以得_二用藥

之意見㫖_一。附子大黄人參石膏。一易_二其地_一。
則千金之生命。當_レ為_二土塊_一。至_レ如_二雑病_一者。
緩延施治。雖_レ渉_二歳月_一。係_二生命上_一者。亦不
_レ多矣。特至_二傷寒温温疫之急劇_一。間不_レ入_レ髪。
誤治反掌。噬_レ臍不_レ及。不_レ可_レ不_二慎恐_一也。故
謂勉要_レ求_二良醫_一。嗚呼擇_レ醫。真其難哉。余
幸生_二于太平之時_一。感_二於恩峰【?】之渥_一。坐不
_レ忍_レ見_下民之堕_二土炭_一死_上二悲命_一。聊為_二病客_一

術_レ之。病_二傷寒温疫_一家。請熟_二思此語_一。則子
孫必有_下入_二孝弟之或_一者_上伝爾。
 有_レ客謂_レ余曰。子究_レ口排_二蘭醫_一。不_レ得_レ非
 _二癖論_一。今都下之蘭醫。称_二大家_一者五六
 輩。新得_二俸禄_一盛_二門戸張_二威名_一。起死回
 生之術。有_下不_レ可_二思議_一者_上。雖_レ称_二耆婆_一。名
 實不_レ虚。與_二吾子所_レ節青盲者流_一。不_レ可
 _レ同日語_一也。請再_二思之_一。余應_レ之曰。其然

 豈其然乎。我自有_レ所_レ取然。昔日坪井
 某者。都下之大家也。一日被_レ冐_二風寒。
 百方無_二効験_一。苦悩不_レ勝_レ煩。於_レ是夜間
 宻服_二葛根湯_一發_二散其邪_一。使_下二門生輩_一更
 不_上レ知_レ有_二此事件_一矣。又 近日見_下 一蘭巨
 擘療_二 天行疫_一者_上。処_二茯苓四逆湯_一。余於
 _二 二事_一。以洞_二視蘭醫之肺肝_一。子勿_二多
 言_一。遺_二 天下人災_一者。必子輩矣。客黒【?】然

 如_レ痴。因以_二篇之詩_一。警_二。不_レ堪_二捧
 腹_一。聊贅_二于此_一。
 堪_レ怪當今居世士留_二神方藥_一不_二曽思_一
 千金性命委_二塵土_一路上縦横牛馬醫
  又
 越人思邈見難_レ再方術即今若_二醉魔_一
 漫弄_二新奇_一鳴_二鵙舌_一 一痾緩急意如何」
 于時安政戌午歳仲秋。於_二研慮齋窓

【右頁】
下_一。方堂主人鉄面居士執_レ筆。



               越後  新井貞
               三河  池町幸 校
【左頁】
近日洋医、徘_二 徊都下_一、弔詭惑_レ衆、無識之
徒、無_下不_二驚異_一者_上、到_二師門_一乞_二治験_一之人、必
談話及_二于此_一、平等応接、不_レ勝_レ煩、刀圭之
餘暇、嘗取_下先生所_二手録_一 一篇之説_上、上_二于
梓木_一、以替_二口舌_一、此書曽非_レ所_下以公_二于世_一、
而招_上レ謗、只為_二未訪病客_一示_レ之、弟子等聊
欲_レ脱_レ煩而己、
  相陽廣川生           秩齋窪田東作記

【両丁 白紙】

【裏表紙】

麻疹養生鑑

高林厚齋老人旧考

《題:麻疹養生便覧》

今茲(ことし)麻疹(はしか)の流行(りうかう)諸国(しよこく)同(おな)じ少壮(せうさう)の男女(なんによ)脱(まぬが)るゝは尠(すくな)し
疾病(やまひ)は医(い)の療薬(れうやく)に在(あれ)ど養生(やうじやう)疎(そ)なれば其効(そのこう)見えず
壮少(さうせう)の人(ひと)は殊(こと)に養生(やうじやう)の道(みち)を知(し)らず食禁(しよくきん)に於(おい)て
も各自(かくず)の見識(けん き)に出(いで)て一 様(やう)ならねば惑易(まどひやす)し確実(たしか)
なる説(せつ)を記(しる)し遠近(ゑんきん)に刊布(かんふ)せば世の稗益(ひえき)にもな
らましと数書(しよしよ)の卓論(たくろん)を俗語(ぞくご)にもて一小冊(いつせうさつ)を綴(つゞ)り
書屋(しよし)に与(あた)へて上梓(はんこう)せしめ終(つい)におほやけにする事
                  とはなりぬ


麻疹養生鑑   (印)厚斎老人旧考
        東都  隅田叟斎述
・麻疹(はしか)古(ふるく)は乃解具佐(のげぐさ)といふ乃解(のげ)は稲麦(いねむぎ)等(とう)の穂(ほ)の先(さき)の
  毛(け)なり具佐(ぐさ)はかさといふに同(おな)じく瘡(できもの)をいふのげの皮(は)
  膚(だへ)につきて癬(かゆき)に比(たと)へたるなり
・又(また)赤痘(あかもがさ)と云(いふ)もがさは芋瘡(いもかさ)にて疱瘡(はうさう)也《割書:痘(あと)疫をいもと|いふにてしるべし》
  麻疹(はしか)は痘(もがさ)に似(に)て殊(こと)に赤(あか)きゆへかくいふなるべし
・今はしかといふも乃解具佐(けぐさ)といふに同(おな)じくサラ〳〵と

 して痒(かゆ)きを云(いふ)尾張(をはり)三河(みかは)などにて麦(むぎ)の牙(ひげ)の膚(はだ)に
  触(さわ)りて痒(かゆ)きをはしかゆいと云(いへ)り《割書:江戸にてイガラツホイ| といふにおなじ》此 病(やまい)
  疱瘡(はうさう)と共(とも)に元(もと)瘟疾(うんゑき)《割書:はやり風のおもきをいふすべてねつびやうまた|傷かんともいへどしやうかんは冬の寒気にあた》
 《割書:りしよりおこりて|うんゑきとは似てしからず》の類(るい)にて疹疫(しんゑき)とも云(いふ)或(あるひ)は二十年或は
 三十年をへだちて流行(りうかう)するに此(これ)を掌(つかさど)る邪神(じやじん)あり疫(えき)
 邪と異(ちが)ひ麻疹(はしか)疱瘡(はうさう)は一度 患(やみて)再感(ふたゝびうけ)ず神 気(け)たる事
  最著(もつともいちじる)し疱瘡は胎内(たいなひ)より受(うけ)たる血毒(けつき)に因(よ)れば治(おさむ)るに易(たやす)
 くもあらねど麻疹は外より受たる神の気 故(ゆへ)其 邪(じや)を

  逐(お)ふに難(かた)からざる事 彼(かの)癬疥(ひつしぜん)に類(るい)すべし此(これ)を治(じ)し
  誤(あやま)り又 死(し)に至(いた)らしむるは医(い)の拙(つたな)きと病者(びやうしや)の不養生(ふやうじやう)に在(あり)
  麻疹(はしか)内攻(ないこう)し発(で)がたき故(ゆへ)に苦脳(くのう)甚(はなはた)しく他病(よのやまひ)さへ引出(ひきいだ)し又(また)
  荷痂(かせ)て後(のち)毒忌(どくいみ)を忘(わす)れ再感(さいかん)するもの二件(ふたり)に依(よ)れり再感(ぶりかへし)
 は病後(びやうご)身体疲労(しんたいつか)れ血液調化(けつえきちやうくわ)せず気力(きりよく)全(まつた)からぬ地(ところ)なれば
  食毒(しよくどく)に誘(ひか)れて邪気(じやき)又入(またい)り或(あるい)は異病(いびやう)と変(へん)じ痼疾(こしつ)とも
 なり死(し)せざるも又(また)治(ぢ)するに難(かた)し
・されば此病(このやまひ)に冒(おか)されたらば先(まづ)良医師(よきいし)を招(まね)ぎ速(すみやか)に邪熱(じやねつ)を

  除(のぞ)く薬方(やくほう)を請(こひ)てよし邪熱(ぢやねつ)だに去(さ)れば発(で)る麻疹(はしか)も軽(かろ)く
  発(いでる)にも滞(とゞこう)らず遅々(ちゝ)せざれば病苦(びやうく)浅(あさ)く苦痛(くつう)深からねば
  体(たい)も疲(つか)れず体健(たいすこやか)なれば本 復(ふく)もはやし
・此病(このやまひ)を感(うけ)たる初(はじめ)は悪寒(さむけ)頭痛(づゝう)咳歎(せき)胸(むね)つかへ身(み)の熱強(ねつつよ)く其(その)
  容体(ようだい)外邪(ぐわいじや)の重(おもき)に似(に)て所謂(いわゆる)傷寒(しやうかん)かと思(おも)ふやうなりかくの
  如(ごと)くならは必 風湿(ふうしつ)【左ルビ・シツケ】を避(さく)べし
  ・但し綿入小袖(わたいれこそで)を重(かさ)ね紙帳(しちやう)にかくれ屏風(びやうぶ)を立廻(たてまわ)しなどせんは
    厭(いと)ふに過(すぎ)て身屈(みくつ)してよろしからず

・房事(ばうし)を忌(いむ)男女同臥(なんによどうぐは)あるべからず婬慾(いんよく)の念(ねん)熾盛(さかん)なれば行
 ふに異ならず酒もわろし熱(ねつ)を増(まし)苦(くる)しみ多(おほ)し禁忌(きんき)の食類(しよくるい)
 を遠ざけ渇しても冷(ひや)水を飲(のむ)まじき也内を温(あたゝ)め補(おきの)ふ薬(くすり)を用べし
 さて其病(そのやまひ)に軽重(かるいおもひ)あり中分なるは五六日にて発病(でそろひ)十二日を経
 て落痂(かせ)余(よ)熱残らず心身(しんしん)清くとなるべし是(これ)疱瘡(ほうさう)に異る
 事なし出揃(でそろひ)たるか出そろはざるかは熱 気(き)にてしるべしまた
 出揃へは必(かならず)苦悩(くのう)去(さ)る・病中食事せざるは愁(うれう)にたらず平生好の
 物とて和し難(がた)き品などを勧(すゝ)め食事を強(しい)るは甚(はなはだ)はろし又 吐(はく)


  瀉(くだ)る事もあり赤白痂(かびやう)ならすば驚(おどろく)べからず渋(しぶ)る薬剤(くすり)など用(もち)ゐ
 て止(とむ)べからず
  全快(ぜんくわい)の上二七日も過(すぎ)なば先(まづ)爪(つめ)を剪(きる)べし○次(つぎ)の日 腰湯(こしゆ)○次の日
  行水(きやうずい)○其間を見て髪(かみ)を束(たば)ね次の日 月代(さかやき)髭(しげ)などを剃(そり)○さて
  無事(ふじ)ならば銭湯(せんとう)にも浴(いる)べし湯(ゆ)も髪(かみ)月代も一度にするはわろし
 《割書:つねの病にても|同じ事也》畢竟(しつきやう)は一月も遠慮(ゑんりよ)してよし炎暑(あつさ)の時節(じせつ)余(あま)り久し
 く是をせぬも欝気(うつき)を生(せう)じてよろしからず
  房事(ばうじ)酒(さけ)肉食(にくじき)は百日を忌(いむ)べし軽(かろ)きは七十五日にてもよろし

・病後(ひやうこ)酒(さけ)二 合(こう)飲(のみ)て即死(そくし)し房事(はうじ)を行(おこな)ひて悶絶(もんぜつ)せしを目の
  前(あたり)見たり怕(おそ)るべし〳〵喉(のど)三 寸(すん)の美食(びしよくに)五尺の身体を易く半
  頃(きやう)の合(みめ)観に百年の性(せい)命を縮(ちゞむ)るは不養 生(しやう)の至極(しこく)なり
・或人(あるひと)の説(せつ)に病後(ひやうこ)は白粥(しらかゆ)に焼(やき)塩のみにて飢(うへ)を助くべし能
  書(しよ)の毒(どく)の沙汰(さた)無用(むやう)といへる是(こ)は偏(かたより)たる料簡(りやうけん)也かくては病
 後(ご)肥(ひ)だちがたく羸痩(やせ〳〵)して病身(びやうしん)になるべし過(すき)たるは及(およは)ざるとは
・是(これ)也 佳物(よきもの)は食(しよく)して筋骨(きんこつ)を健(すこやか)ならしむるに如かず
・熱(ねつ)にうかされて譫事(うはこと)をいふはえかみの気なれば鬼話(あやし)と


・するにたらず打捨(うちすて)て置(おく)べし
・病勢(ひやうせい)烈しく苦悩(くのう)堪かたしとて病人(びやうにん)も介 抱人(ほうにん)も泣騒(なきさわ)ぎ
 などし心(こゝろ)をいらたてゝは益(ます)々苦し他の病(やまひ)と異(ちが)ひ出揃(でそろ)へば
 ほどなくおこたる物(もの)にて日限(にちげん)もかきりあれば心(こゝろ)を落付(おちつけ)て
  精神(せいしん)をたしかにすべし是(これ)養生(やうじやう)の専(せん)一也
     ・食(しよく)して能(よき)もの
・ほう〴〵《割書:どくなし| よろし》・かなかしら上同・きす上同・こち上同
・ひらめ《割書:すこしは|  よし》・赤えい上同 ・かつをふし《割書:しこくよろし|尤なまりはわろし》

・あわび《割書:少し食|してよし》・蜆(しゞみ)《割書:精を増こんを増| ゆへ食してよろし》・牡蛎(かき)《割書:大に| よし》・茲(こゝに)しるす
・魚貝(うほかい)くだもの類(るい)とも能(よく)々 煮(に)て食(しよく)すべし生(なま)はわろし
・大こん・かぶら・にんじん・ゆり・冬瓜(とうくわ)・ながいも《割書:げんきを増|大によし》
・白(しろ)うり・丸づけうり《割書:すこしは|  よし》・かんぴやう・ぜんまい・ごぼう《割書:げんき| 》
 《割書:を増ゆへ大によし|  でそろひてのちはわろし》・じゆんさい《割書:少しは| よし》・しそ・たで《割書:すこしは|  よし》
・けし・ふき《割書:ねつをはつして| そのねつをくたす大によし》・黒豆(くろまめ)《割書:大に| よし》・ゆへなり
 《割書:少しは| よし》 あづき上同・つけ菜(な)・小まつな・はだな・みづな
・香(かう)のものはすべて塩(しほ)おしにて食(くふ)べしぬかみそづけ甚(はなはだ)悪(わろ)し

 なるべくは・ふる/漬(づけ)のたくあんのみ/用(もち)ゆべし
・みそづけ《割書:大に|よし》・うど《割書:少しは|よし》・/葛(くず)粉《割書:大に|よし》・さつまいも《割書:少しは|よし》
・やき/麩(ふ)・ゆば《割書:どくなし|用てよし》・うんどん《割書:少しはよし|外のめんるい皆わろし》・こんぶ
・あらめ・わかめ《割書:此類| さはりなし》・ひじき《割書:よく|にてくふべし》・つくいも《割書:大に|よし》
・びは《割書:すこしは|よし》・きんかん《割書:せんじて用ゆれば病にて| のとのつまりたるをとふすゆへ大によし》・九ねんぼ《割書:少しは|よし》
・たんぽゝ《割書:でかねる|によし》・なし《割書:くるし|からず》・ちさ・大麦《割書:むきめし|むぎゆ》
 《割書:類【注】之病へ常に|用ひてよし》・茶《割書:少しは|よし》・あは《割書:くるし|からず》・金山寺(きんさんじ)・ひしほ
・味そ汁(しる)《割書:たへず食すべし|尤しろみそはわろし》・あまざけ・ところてん・かんてん

・あめ・かろゆき・くわし類(るい)かろきものはよろし油(あふら)ぐわしは禁(きん)
 ずべし・餡物(あんもの)はねりやうかんの類(るい)少しはよろし
      ・食(しよく)してあしき物(もの)
・鮪(しび)・かつを・くじら・鮫(さめ)・ゑび・かに・じやこ・鮭(さけ)
・たこ《割書:食すればかならず|はらいたむ》・さば・さんま・このしろ・蛤(はまぐり)《割書:大に|わろし》
・たいらげ・あか貝(かい)・すいほん《割書:食すれば|すぐに死す》・こはだ・さゞへ
・田にし《割書:貝るいみな|わろし》・かまぼこ《割書:大に|いむへし》・干魚塩物(ひうほしほもの)の類《割書:いづれも|わろし》
・又よきやうにて禁(きん)すべきは あいなめ・あぢ・いしもち

【注:数(あまた)の誤りか】

・おこじ・かます・さより・食(しよく)すべからず・獣肉(じうにく)《割書:しごく| わろし》
・鳥類(とりるい)《割書:いづれも|  わろし》・せうが・からし・とうからし・さんしやう
・こせう・《割書:其外からみある|  ものみなわるし》・するめ《割書:かゆがり山|  あげる事おそし》・ぎんなん
・しら魚(うほ)《割書:大に| わろし》・くるみ・なつとう・とうふ・あぶらげ・すべて
 油(あぶら)もの大に禁(きん)ずべし・竹(たけ)の子《割書:ねつを|  うごかす》・わらび《割書:むねいたみて|  はらくだる》
・しいたけ・はつだけ・たけるいみないむべし・そば・めん類(るい)《割書:右に| いだ》
 《割書:すうんどんの|   ほかみないむ》・れんこん・こんにやく《割書:うちへ入り| 命あやうし》・梅(うめ)ぼし《割書:大に|わろし》
・きうり・なんきん・せり・みつば《割書:食すればなほりてのち|中風ともなる 忌べし〳〵》・ぬかみそ漬(づけ)

 《割書:かゆみを|  しやうじる》・ねぶか《割書:ねつをうごかし|  たんおこる》・くわゐ《割書:大にげんき|  おとろへる》なすび《割書:ぬか| みそ》
 《割書:づけ甚わるし|がんびやうとなる》・さといも・ずいき・くだ物(もの)類(るい)右にしるす外(ほか)
 一切(いつせつ)忌(いむ)べし・かちぐり・椎(しい)《割書:甚だ| わろし》・だんご しんこ引(ひき)ものまんぢう
 の類(るい)よろしからず・青梅(あほうめ)を食せばりん病【淋病】となり女は血/発(おこ)る
・なた豆を食べからず即死(そくし)すといふたとへかほどにあらずとも余病
 を発出(ひきいだ)して喩するに難(かた)し・砂糖(さとう)《割書:たくさんくふは|   わろし》・酢のもの《割書:うち》
 《割書:をひやすゆへすべてわろし|  病重きは七十五日もいむべし》・酒《割書:ねつをうごかし血の廻りをとむる|  百日もいむへし軽は七十日もいむべし》
・餅《割書:食ばはらこなれず|  七十五日いむべし》・冷水《割書:いかにのとかわきても|  のむべからす百日も其余もいむべし》

・房事(ばうじ)《割書:是前にもいふ如く病中病後とも|    第一の禁もつ也二百日忌べし》・なるべくは・煙子(たばこ)も忌(いむ)べし
 すべて禁忌(きんき)の品(しな)/出揃(でそろひ)までは害(かい)浅(あさ)けれど病後(ひやうご)には却(かへつ)て懼(おそ)る
 べし右/禁忌(きんき)の類(るい)必(かならず)用(もち)ゐべからず猶(なを)記余(きよ)の魚貝(うほかい)とも食(くふ)べからず
     ・収靨(かせ)て後(のち)食(しよく)してさはりなき物
・とうふ・はぜ・いしもちふ・ふな・かれい・さより
 食(くふ)てもよし去(さり)ながら余(あま)り重(おも)きは三七日(はいか)も遠慮(ゑんりよ)すべし
     ・麻疹(はうさう)発難(でかぬ)る時(とき)食(くふ)て能(よき)物【はうさう=ほうそう、疱瘡】
・鯛(たい)・鱓(うなぎ)・どぜう・いか・するめ・とち・ごま・せり

 防風(ぼうふう) じねんじやう《割書:とろゝに| してもよし》 たまご
 是等(これら)の食物精気(しよくもつせいき)を増(ま)し発揚(はつやう)するに即功(そくこう)あれば最初(さいしよ)
 には用(もちゆ)べしかせての後(のち)は一切(いつせつ)禁(きん)ずべし
      同かゆみを留(と)る方
 黒豆(くろまめ) 陳皮(ちんび) 大麦(おほむぎ) 甘艸(かんぞう) 生姜(しやうが)
 右をせんじ用(もち)ゆべし必(かならず)即功(そくこう)あり
      同/熱(ねつ)ありて発(で)かねるには
 欸冬根(ふきのね) 松茸(まつたけ)  此(この)二種(ふたくさ)をせんじ服(ふく)すべしまた

右の煎(せん)じ汁(しる)にて最初(さいしよ)身(み)を浴(あら)ふもよし是(こ)は大/同類衆(とうるいしゆ)
方第(ほうだい)七十之巻に載(のし)てあり其神/能用(のうもち)ゐてしるべし
   ・麻疹(はしか)預防(よぼう)の神方(しんぽう)《割書:・はしかを| かねてふせぐ方也》
・諸(もろ〳〵)の禁呪(まじなひ)多(おほ)くは頼(たの)むにたらず茲(こゝ)に古(むかし)より傳(つた)はる神方あり
   ・楊皮(やうひ)《割書:かはやな|   ぎのかわ也》 ・桃葉(もゝのは)
右二/種(いろ)を水(みづ)にて煎(せん)じ浴(ゆあみ)すべし煎ずる事/濃(こ)ければ弥(いよ〳〵)しるし
あり又/淡(うす)くして服(ふくす)もよしかくすれば大かた麻疹(はしか)をやまず
若患(もしわづら)ふとも極(きわめ)てかろし
     ・三豆湯(さんづとう)の方(ほう)
・赤小豆(あづき)壱合《割書:小つぶにて|  いろのこきを用ゆ》・黒豆(くろまめ)壱合 ・葲豆(いんげん)壱合
甘草(かんぞう)五分 ・但し袋(ふくろ)にいれて煎(せん)ずべし
水(みづ)壱升五合入壱升に煎じ二番は水壱升入て九合に
せんじ用(もち)ゆべし
此薬/節々(とき〴〵)用(もち)ゆればすべて流行/病(やまひ)におかさる事なし
□て【別(わけ)て】麻疹(はしか)と疱瘡(はうさう)に用ゆれば必(かならず)軽(かろ)し

  養生鏡畢

【背表紙】

     江戸 近江屋久次郎板


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"痧病類記

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}

痧病類編

痧病類編

【背表紙】
痧病類編    二冊 【ラベル】

痧病類編    二

痧病類記
        伊藩  奥廣孝編
 安政五年戊午九月

一此度流行病之俄か一種熱毒之病に
して人参附子其外温補う治療不宜
事漢之医書併此度御貸渡ニ相成候
コレラ病論といふ書ニも相見へ候得ども

世俗病因をしらす清涼或は吐下之薬を
恐れ右様々薬を好み命を損するもの
あり可恐事なり尤此病者痧気といふ
毒か気口鼻より藏府に入暴に吐瀉す
る者也一二時にて手足冷く引つけなとす
れとも寒症とおもふべからす内は熱毒
之病也此毒内にある間ハ治する事
なく吐か瀉か汗にて外へ発し切されは
終にハ死す吐も瀉も毒の洩るゝ道なり
服薬ニて解散する事第一の心得也
若止る薬なと用ひ早く止る時は治す
べき理なし此事病家第一の心
得なり
一病人ありて医者を招く事遅くば
先南天葉塩にてもみ其汁を小茶碗
に半盃位のみ或は水又はぬるま湯
にて三黄丸を用ゆべし其間に惣身
冷れハ温石或は砂又はこぬか三升
程に塩一升ばかりかきまぜよく〳〵
ほうらくにて炙乾小きれニ包み背






腹猶手先足先なとへ入置べし
一病中心得は粥米湯白湯等も熱き
は禁物也ぬるくして用ゆべしまた病
止候て半日も過き大【幸】便繁く下れは元気
持がたし粥か米湯を折節飲すへし
味噌汁たまり塩の煮【糞?】を適宜に加へ
用ゆべし塩気なけれは薬を受ぬ
様子なることの也
一病人に薬よく適へは毒気はやくぬ
けて両三日ニて平癒するものあり
早く治したりとて流行病にあらすと油
断すべからす痢病或ハ脾胃虚と
なる事あり可慎事也
   予防法
一第一身を冷す事なく大酒大食魚るい
柿梨其外何によらす果物類冷物よ
ろしからす酒又は焼酎二合にキナ〳〵
一匁或は川柳皮五匁を浸し置酒なれ
は温めて少しヅヽのみ猶菅【藿】香散を用
気分を引立る事第一にすべし

藿香散
藿香(青菜)  香附子四分ツヽ  薄荷 松(唐)殻  
山査子  連(唐)尭 一匁ヅヽ
 右六味細末湯にて用ゆ
     三黄丸
大(唐)黄  黄(かゞ)芩  黄( 加州)連 各等分
 右細末糊ニて丸ず


安政五年戊子八月中旬
公儀ゟ江戸町々へ御触れ■■【之冩ヵ】
此年流行暴瀉病之予防法
身を冷事なく腹ニハ木綿を巻き大酒
大食を慎其外こなれ難食物を一
切給申間敷候事
此症催し候ハヽ早く寝床に入りて飲食
を慎ミ惣身を温め左に記す芳香散と
云薬を用ゆべし是のみにして治する 
もの少からす旦又吐瀉甚しく惣身冷る

程に至りし者ハ焼酎一二合の中に
龍脳又ハ樟脳一二匁を入れ温めて木綿
の切にひたし腹并ニ手足へ静にすり込
ミ芥子泥を心下并ニ手足え小半時位ツ
ヽ度々張るべし
   芳香散
桂枝  益智 細末各等分  乾姜末
右三味調合至し一二匁ツヽ時々用
ゆべし
   芥子泥
からし粉  饂飩粉 等分
 右あつき酢ニて堅くねり木綿切に
 のばし張候事
但し間に合さる時ハ熱き湯よく
芥子粉ばかりねり候てもよろし
 又方
あつき茶に其三分一焼酎を和し
砂糖を少し加へ用ゆべし但し座敷
を閉布木綿等へ焼酎をつけ頻りに
惣身をこするべし


但し手足の先并ニ腹冷へる所を温
 鉄又は温石を布に包みて湯を注よ
 くなる水ヲ【?】心持のなる程にさする
 も又よし
右は此節流行病其為諸人難治
いたし候ニ付其症に不拘早速用ひ候て
害なき薬法諸人給心得無急度相
達候事
八月

安政戊午之秋江戸ニて或人流行暴
瀉病之予防法を信州御岳山へ相伺
候処則御差当之方
 茯芩弐分  肉桂一分  甘草一分   
 乾姜一分  干艾三分  御種人参一分
 ふきの根少々
右七味水二合入一合半ニ■【煎しヵ】用ゆ
  大人ハ壱貼小児ハ半貼
  

同年臘月八日同藩鷹取尚敬ゟ来書
其後は御文通も不申と御世之為奉るも【?】扨当
八九月中は府山不怪寄病流行御聞候
ニ相成可申暴瀉暴吐一二行【折?】ニて忽然
而斃或は一二日を保ツも聞之候?得共多
くハ一夜一日位ニて勝敗相分れ申候一二
日を保ち候者は勝利を得らる事も聞也
又ハ御国抔もいさゝか流行之由しかし
盛ニハ無之趣大慶成るニハ生薬方
ハ附中理中或半瀉加茯芩小半夏
加茯証ニ寄候ては剤下も致度証も
聞く小子ハ嘔吐ニて薬汁を受不申
ニ術居候間紫圓備急円等薬も
投候存外効を奏し様ニ覚申候
しかし偶中不定規則と存候貴地
御治驗も候ハヽ此示数奉願候先は
右迄????

痧脹玉衡抜萃

痧脹玉衡抜萃
大清康熈十四年乙卯携【槜】李郭志邃右陶著
  痧症発蒙論
夫君子生于斯世、不屑為天下無所用之人、則必求
為天下所必需之人、故君子不為良相、則為良医、益
良相済世、良医済生、其所以行我心之不忍者、事有
相符、而道有相類也、余于傷寒痘疹、驚風𤺞【疒に虛】痢、与夫
胎前産後等症、俱所潜心、姑不具贅、獨是痧之一症、
緩者或可遅延、急者命懸頃刻、在病家必当誠心請
救、在医者必当急為赴援、匪若他症之可以遷延時

日、姑且慢為調治也、迩来四方疫気時行、即今丑寅
年間、痧因而発、郷邨城市之中、俱見者此等症、或為
暗痧、或為悶痧、或為痧痛、或為落弓痧、噤口痧、撲鵝
痧、角弓痧、盤腸痧、或又因傷寒𤺞痧、与夫胎前産後
等症、而痧兼発、甚至闔門被禍、隣里相傳、可不重悼、
余嘗遇此等症、臨危急救、難以屢指、其治之大略、有
三法焉、如痧在肌膚者、刮之而愈、痧在血肉者、放之
而愈、此二者、皆其痧之浅焉者也、雖重亦軽、若夫痧
之深而重者、脹塞腸胃、壅阻経絡、直攻乎少陰心君、
非懸命于斯須、即将危于且夕、扶之不起、呼之不應
即欲刮之放之、而痧脹之極、己難于刮放矣、鳴呼、病
隣于死、誰不傷心、痧症至此、信乎非薬不能救醒、非
薬能莫回生、則刮放之外、又必用薬以済之、然后三
法兼備、救生而生全、庶乎斯人之得有其命也、其如
世有刮痧放痧之人、僅有刮放之能而己、餘俱非所
長也、故痧有放之不出、刮之不起、便云凶、而且放痧
數次不愈、刮痧數次不痊、便聴命于天而垂斃者、往
々皆然、若夫業医諸友、責在救人、推其心、豈非当世
之所謂君子與、然其間、或有云諸書不載、痧名満州
因而謂非薬可療、不知載籍之内、原有云絞腸痧者、

有云乾霍乱者、有云青筋者、有云白虎症者、有云中
悪者、此皆痧之見于諸書、伹略而不詳、未有専家、然
不見有云是冝絶薬、誠彰明較著而可覩也、況痧有
為眞真頭痛、朝発夕死、夕発朝死、寄于頭痛之條、痧有
為真心痛、亦朝発夕死、夕発且死、寄于心痛之例、此
二症者、雖属不治、若知其原于痧者而療之、亦可挽
回、況痧有為頭面腫脹、一似大頭瘟、痧有為咽頭鎖
悶、一似急喉風、痧有為眩暈昏悶、少頃云殂、一似中
風中暑、痧有為喑唖沉迷、身体重痛、一似驚魂落魄
此皆其勢在危急、刮放不及者、非薬将何以救之乎、
而況痧有頭痛寒熱、類于傷寒、咳嗽煩悶、類于傷風、
與夫因𤺞而兼痧、因痧而化𤺞、或又痧以痧発、痧縁
痧生、而痧症百出、傳変多端、更不特如此而己也、諸
如鼻紅吐紅、瀉血便血、由痧而得者有之、更有大腫
大毒、流火流痰、由痧而生者有之、或又有胎前産后、
気鬱食鬱、血鬱火鬱、而痧之兼発者有之、或又有痧
而手腫足腫、手痛足痛、連及徧身、不能轉側者有之、
或又有痧而胸脇肚腹、結成痧塊、一似痞悶、一似結
胸者有之、或又有痧而吐蛔瀉蛔、食結積結血結者
有之、或又有痧而心痛脇痛、腹痛腰痛、盤腸弔痛、徧

身疼痛、幾不能生者有之、況痧嘗有内症所傷、将隣
于死者、男子犯此、一似畜血、而血分之地治法不同、女
子犯此、一似倒経、而気分之治法又異、葢痧之為病、
種々不一、難以枚挙、予特指其大略、而明其最要者、
須看脉之真假、認症之的確、然后投剤必当、用薬無
虚、如痧在肌層、当刮即刮、痧在血肉、当放即放、痧在
腸胃経絡、与脾肝腎三陰、当薬即薬、若痧気肆行、不
拘表裏、傳変皆周、当三法兼用、務在救人於将危、而
回生於将死、余之治此等症、隨処救人、確有竒験、竊
恐前人無論、■【难ヵ】啓后賢、因著為集、仍不敢秘、以公諸
世、庶幾其有以行我心之不認、而幸不為斯世無所
用之人與、
   痧原論
痧症先吐瀉而心腹絞痛者、従う穢気痧発者多、先心
腹絞痛而吐瀉者、従暑気痧発者多、心胸昏悶、痰涎
膠結、従傷暑伏熱痧発者多、徧身腫脹、疼痛■【难ヵ】忍、四
肢不挙、舌強不言、従寒気冰伏過時、節為火毒而発
痧者多、
   治痧三法
肌層痧、用油塩刮之、則痧毒不内攻、血肉痧、看青紫

筋刺之、則痧毒有所洩、腸胃脾肝腎三陰経絡痧、治
之須辨経絡臓腑、在気在血、則痧之攻内者、可消可
散、可駆而絶其病根也、
    痧前禁忌
痧忌熱湯熱酒粥湯米食諸物、葢飲熱湯熱酒粥湯、
則軽者必重、々者立斃、喫米食諸物、恐結成痧塊、日
久家?【變ヵ】出寄【竒ヵ】疾、甚难救療、如有幸而食消、不殞命者、不
可以此為例也、
   痧後禁忌
痧症略鬆、胸中覚餓、設或驟進飲食、即復痧脹、立可
変重、是必忍耐一二日為則、及可万全、
   医家当識痧筋
痧症軽者脉固如常、重者脉必変異、若医家伹識夫
脉、不識痧筋、勢必據脉用薬、而脉己多変、則実病変
虚、々病変実、誠不可特、曷若取脉症不合者、認痧筋
有無、有則據痧用薬、無則據脉用薬、乃無差誤、故余
謂医家当識痧筋
   放痧有十
 一在頭頂百會穴    一在印堂
 一在両大陽穴     一在喉中両旁

 一 在  舌下両旁     一 在双乳
 一 在両手十指頭     一 在両臂灣
 一 在両足十指頭     一 在両腿灣
凡痧有青筋紫筋、或現於數處、或現於一處、必須用
針刺之、先去其毒血、然後據痧用薬、治其脾肝腎及
腸胃経絡痧、万不失一、
  用薬大法
痧気壅遏、未有不阻塞於中、故作痛作脹、用荊芥防
風之類、従表而散、用青皮陳皮之類、従中而消、用枳
實大黄之類、従大便而下、用木通沢瀉之類、従小便
而行、用山査蔔子之類、所以治其食之阻、用金銀花
紅花之類、所以治其血之壅、用梹榔蓬等之類、所以
治其積之滞也、
  痧筋不同辨
痧筋有現、有微現、有乍隠乍現、有伏而不現、痧筋之
現者、毒入於血分者多、乍隠乍現者、毒入於気分者
多、微現者、毒阻於気分者多、伏而不現者、毒結於血
分者多、夫痧筋之現者、人皆知刺而放之矣、其微現
者、乃其毒之阻於腸胃、而痧筋不能大顕、故雖刺而
無血、即微有血而點滴不流、治療之法、伹冝通其腸

胃而痧筋自現、然后俟其痧筋之現、刺而放之、若の
痧筋之乍隠乍現者、人又皆知俟其現而放の矣、至
有伏而不現者、■【「帷」の異体字か。】欲放而無可放、吾観善放痧之人、
また未有能識其為痧者、■以痧症の禍、往■人受其
害、而不覚、如斯者、必従其脈の不合於症而弁之、必
取其所発之病在緩所見之症候更■有其甚急者

凶処更無心腹腰背疼痛之苦但漸々憔悴日甚一
日若不知治亦成大害此痧之慢而軽者也放之即
愈亦有頭痛発熱心中作脹類於傷寒亦有寒熱往
来似■非■悶々不己亦有■漱煩悶有似傷風亦
有頭面腫脹両目如火亦有四肢紅腫身体重滞不
能転側此痧之慢而重者也誤喫熱湯熱酒熱物遂
乃沈重或昏迷不醒或痰喘気急狂乱見凶如遇是
症必先審脉辨症的確果係何因在表者刮在中者
放在裏者或丸或散或煎剤必須連進数服俟其少
安漸為調理

  悶痧
痧毒■心発暈■地一似中暑中風人不知覚即時
而斃此痧之急者如略有甦醒扶起放痧不愈審■
服菜施治如発暈不醒扶之不能起必須審■辨症
的確果係何因先用菜数剤灌醒然后扶起放痧漸
為調治
  痧煩痧睡
痧気衝於心胸故心煩或嗜睡此等之痧俱属慢痧
之類軽而且浅人多誤以心煩嗜睡治之日甚一日
倘日服熱酒熱湯熱物雖非驟然緊急勢必日漸凶

険故併録之以示戒
  霍乱痧
痛而不吐瀉者名乾霍乱毒入血分宜放痧新食宜
吐久食宜消食消下結宜攻痛而吐瀉者毒入気分
宜刮痧扶愈視有痧筋則放宜調其陰陽之気為主
須知腸曽食積宜駆不宜止々則益痛若吐瀉而后
痛者此因瀉糞穢気所触治宜略用藿香冷飲正冷
然必須防食積血滞或消或攻或活血山菜茯苓不
可乱施燥湿之剤俱在所禁温暖之菜未可乱投
  絞痛痧

虎列刺病流行之際……

   下京第七区
    五軒町
     家持中
虎列刺病流行之
際区内へ施薬致し候儀
人民御保全之御趣意
ニ適ひ奇特ニ候事
 明治十年十二月廿二日
  京 都 府

泡盛効

泡 盛 効
萬病水療治以呂波歌  全

   泡盛効
酒は百薬の長たるの古語予いまた其理を会得
せさりしゆへ愚案をめくらすに元来百薬の長
たるものは米なり其米の精気を取たる
ものなれは酒を百薬の長といふ事も理明か
なり然れとも酒ゆへに却而病を生する人多し
是酒の用ひ方を知らさるゆへなり種々の厚味を
食し無利に酒を呑事世の中のならはし

と成ゆへ終に酒の徳を失ひ古語の義理にたか
へり且は酒の品にもよる事なり酒の品と
いへるは先清酒壱升の中弐合は米の精気
なり八合程は腐れへき水にして腹中に
滞りおのつから二口醉等の害をなすもの
此水なり百薬の長たるもの有泡盛にしく
へからず清酒の中より穀気の精計を
取たるものなれは此泡盛を呑時は諸の病

治る事神の如くにして百薬の長たるの古語疑ひ
なし□□り人は米にて命をつなくものなれは
泡盛は天□人に清得たる薬なり世に金銀
珠玉を以宝ものと思ふ事誤也たからものは
米はかり米は田から生するものなれは古への
人かく名つけたるものなり故に米を積たる
船を宝舟と社申也されは米にまさる宝
ものなく米の精気を集め取たる泡盛にまさる

妙薬なし草根木はゐ【?】薬なりとも飯を
喰ぬ病人はしるしなし譬は薬は盲也
米は手引なり泡盛を以穀気を身中へ順る
事第一の養生とおもふへし日々三度の
穀気惣身へめくれは病生せす長命疑なし人寿
百二十歳を上寿とし百歳を中寿とし
八十歳を下寿短命とする事古来の説也古へ
天子公卿に百歳余の人多く武門の者抔は

三百十六歳といふは長寿の長なり今の世の
人短命なるはほしゐまゝに美味をくらひ
あくま□【でカ】酒を呑穀気をめくらす事を第一と
せさるゆへなり長寿する術如何といふに
稲を養ひ米を得るにひとし稲は用水の掛
引程よくすれは豊作なり其上稲は一年
限のものと思ふ人あり左にあらず暖気の地にて
養方よくすれは年を越て枯る事なし

幾度も刈株より生し実るものなり
近くは熱海の辺にて翌年三月頃丈ケ壱尺程に
新芽を生し其年植たる青田のことし
しかれとも実乗すくなきゆへ年々苗をふせる也
人も其如く穀気を以て身体を養ひ用水の
懸引程よきか如く百薬の長たる泡盛を以て
身中の病を去時有無病壮健にして長寿古
人のことくなるへし一年限りと思へる稲さへも

養ひ方によりて年を越ても刈株より新芽を
生し実乗るものなればまして百二十歳と定る
寿命を全ふせん事唯宝ものとする米と
妙薬とする泡盛とを以て身の養生に油断
なく心を付は亀鶴千万の齢ひを保ん事
なを安かるへし

     口腹論

三度の食気惣身へよくめくれは無病長命
なる事疑ひなし其仕方いかゝといふに
腹と口とは好む処うらはらなり腹の好む
処にしたかへは無病安泰也口之好む処に
よれは万病発也先腹は寒冷を好み美味を
好まず口は腹【暖の誤記カ】熱を好み麁食を好ます人々
口の好む処に随ひ病を求め命を損る事
多し腹の意による時【?】は天性の道理に叶ふ也

其故は天地開初たる時生あるもの一体也其中に
人は万物の長にして知恵ある故に寒暑の
凌き方食物等万事己か耳目鼻口の好む処に
工夫をなし末世に至る程自在自由に成て
後は病を生し命を失ふ事心付す外の生類は
天性のまゝにて知恵もなく己か食物と備りたる
所の喰物を喰ひ偶然たる故病も生せす千鶴
万亀の齢ひを保つこと道理也知恵あるも

無もいつれか勝れりとも言かたし古へ穴に住
火食せさりし時を思ふに皆長命也是人気
質朴にして天性にしたかひ耳目鼻口の
欲に寄さる故也されは今の世とても水をあひ
冷物を食しなは無病長命なるへし是腹【?】の
好む処にして天性也爰に常陸国北條の医師に
古宇田伯明といふ老人有灌水の徳を進湯の
人に害ある事をいろはの哥につくりて

おしへたる中に
  論をして病の起るみなもとを
   たつねてみれは入湯なりけり
  恐しきものは巨燵と入湯なり
   人を丸呑するとおもへは
  得手不得手飲喰ふ物は其まゝに
   まつ第一に湯をはつゝしめ
其外水の徳を述たる説あまた有近世は

湯をつかひて行水といふ間違の教あり
しかれとも数ふ年湯をあひ暖熱の食をなす
事ならひとなれは今更急に水をあひ
冷物を食することも成かたしたゝ湯と
熱食は毒にして水と冷物は薬なりと
いふ事を会得なし其心得ありたき事也
腹中へ飲食治りて次なるものは直に腹中の
湯気にてこなすこと早く食気身中へ

めくるなり是を酒を造るにたとへてみれは先
米を能ふかし能さまして後麹と水をかへて
造込日を経て自然の湯気を生し能にへ和合
して酒に成也味噌醤油も同し事なり
いつれも暖熱を嫌也若しさまし方行届ず
して仕込時はかならす腐れて酒も味噌も醤油
も出来そこなふなり腹も其如く冷物はよく
こなれて食気めくりよし熱きものは腹中

にてさめるまて滞りさめて後こなす故其中に
腐る事ありて食滞とも成留飲共成病の根本
と成也古語に年寄りに冷水といふ一理なり老人は
熱火のために身体かれ食気めくらず落命する
事草木水気のほらす枯るゝに同し水を呑て
熱火をしすめ食気をめくらす時は無病にして
天性の寿を保へし年寄に冷水を年寄の冷水と
いふゆへに其利をうしなへり朝夕腹の意に心を

付く養生なす時は無病長命なる事うたかひ
なかるへし

   食物弁

予学問の力なけれは書籍に引あて道理を
いふにあらす自から病身ゆへ惣身へめくらすなり
粥のこときあつき和しかたきものは腹中へ入
てもさめるまで滞りさめて後も陽気の臼にて

こなすに及す其儘通り抜る故食気めくらずして
食滞或は留飲と成て腹内を損るなり腹の冷
物を好む事は天性也かたきものをこなす事は
たとへは鳩雀は穀物のかたきを呑蛇は蛙を呑
鵜は己か丈けより長きうなきを呑皆腹中にて
こなすなりまして人は六尺のたけにて梨子
柿の類をこなす事論ずるにたらす雀の
類小さき生類といへとも腹中陽気の臼を以

穀物のかたきをこなす事安しされは人間
陽気の臼は御影石の臼にもまさるへしこわき
飯なとを毒なりといふは誠に心得ざるの甚
しきなりすへて人の手にて臼にかけ
あるいはあつく煮熟したるものは陽気の臼の
働やうなく腹中の陽気を生る事薄く
天性の理違ひて病を生し命をそこなふ
なり常陸の伯明先生のいろは哥に

  会釈して主人や親に湯をすゝむ
  不忠不幸のはしめなりけり
右哥の心よくかなへりとおもふなり

【左一行】
万病水療治いろは歌

【右丁文字なし】
   万病水療治いろはうた
いち〳〵におしへさとすもむつかしやいろはのうたに水療をせよ
ろんをして病の起るみなもとを尋てみれは入湯なりけり
はかとらぬ病はすへて湯をは忌水をそゝぐかはや道ぞかし
にくむへき湯呑人の愚さよ耳にさかふる忠言はなを
ほんゐとて腹も痛てはく病水呑そゝぎかたくもなし
へたてねは天地人と水なるを湯にあたゝめて身をはむろ咲【室咲=温室で花を咲かせる事】
とし毎に痢病とおこりやむ人は水をそゝきて跡かたもなし

ちわやふる神のみそきの水そゝき方の病みなつきにけり
りういんは朝水のまぬゆへなるぞのみてそゝぎて跡かたもなし
ぬしよりも寒さにまけぬ奴みよからける尻を水にそゝぎて
るいを引ろうせう中風湯の咎と水にそゝきて用心をせよ
をんせんは土用中也くわん水は寒中なりとかねてしるへし
わかさかり色と酒とに朝湯ずき身を持崩し末はよひ〳〵
かほ手足ひヾとあかきれ切るのは湯にあたゝむるゆへと知らずや
よに多きせんき【疝気】すはく【寸白】にかつけ【脚気】やみ朝夕そゝき水に根をきれ

たんせきと胸や背中にこしいたみ痔も痳病もいゆるくわん水
れい水の能ある事をちかくしれいしやと薬を遠くもとむな
そむかれぬ文字をとくと味へよ垢離行水とかくにあらずや
つう風とひぜん【皮癬】さうどく【瘡毒=梅毒】骨からみ【骨がらみ 注】しうちなかちも皆水てすむ
ねまなこは水にてさませ寝あせかき頭痛めまいに寄妙也けり
なつは水けふはよしとさとれとも冬は入湯に迷ひぬるかな
らくになる心をしれや水ごりはいのらすとても神や守らん
むしけある子ともは親の育から水をそゝきてやりはなしよき

【注 梅毒が全身に広がり骨髄までも侵すこと。またその症状。】

うしとらと北風みんな身にしまは水をそゝきて東西もなし
ゐ花水のみてそゝきて湯をいまははれる病ひも中風はなし
のみすこしかしらもおもく寒けせば水をそゝきて酔さましせよ
おそろしきものはこたつに入湯也人を丸呑するとおもへは
くだりはら又はひけつ【秘結=便秘】にこまる人朝夕のみてそゝくにそよき
やかましく耳なりのほせかたいたみ風まめならは水か何より
まのあたりゆありけせつ【下説、或は解説(げせつ)ヵ】みきゝてもこりすに入はあまり也けり
けかすれは先取敢す水そゝき薬たりとも湯のけ大どく

ふゆの内寒さにこまる人あらは水をそゝきて春は来に鳧【けり。鳥の名の当て字】
こヾへなは俄にあつき物喰ふな直に入湯は猶更の事
えてふへて呑喰ふものは其侭にまつせんいちに湯をは慎め
てんきやみ火事と内しやう【一家の暮らし向き】火の車水より外に防くものなし
あしや手のしびれ草臥痛みなば水をそゝきて湯を着■りし
さんぜんご【産前後ヵ】らちあき【かたがつき】りやうし何にても急病気付け顔に水ふけ
きちかひとてんかん驚風【注】疳積【癇癪】は水より外に妙薬はなし
ゆすきでも長いきするとのたまふな水にすまさは限りしられず

【注 漢方医学で、幼児のひきつけを起こす病気をいう。脳膜炎の類。】



めの病ひ打身くじきに湯を忌て水をそゝくか第一そかし
みつ子とは水にてそゝくゆへなるそ疱瘡はしか軽くするため
しきともに朝水のみて身をそゝきはやり病はうけぬ妙ほう
ゑしやくして主人や親に湯をすゝむ不忠不幸のはしめ也けり
ひやく病の長たる風の防きには水より外の妙薬はなし
もろこしのひじりのおしへ見聞ても湯を遣ふ身のなとかしらなん
せめて湯の毒成事をしらせはや水遣ふのはとにもかくにも
すめる代につきせぬ水を身にそゝきなべて無病にくらせ世の人

長命と無病は人のねかへとも湯に入る害をしらぬおろかさ
いさきよく朝夕水に身をそゝけねかわすとても無病長命
湯に入るは大毒也と世の人のしりつゝ水ののうをしらねは

   右灌斎伯明先生著也

  去々申の秋右の老医にまみへて伝授の家等数年
  多病にて種々医療手を尽すといへとも更に
  その甲斐なく是を患る事ひさし然るに

  不計灌水の伝を得て日々修行し家内は勿論
  諸人にすゝめ試るに自他の諸病こと〳〵く治して
  其しるし数ふるにいとまあらす妙行利益ある事を
  広く諸人に伝へさるも無本意にまゝ今般令遊印也
  我等も其以前は甚水を悪みて一滴ものまず
  くわん水なとはそんしもよらさるゆへに人にも
  いましめて水はのむなととゝめしも後悔先に
  たゝすまことに無病に相成候儀はうたかひなく

  候まゝ御自得可成候

よしあしの其名に迷ふおろかさよのみてそゝきてみつからにゑよ
五十まて水を悪みてそしる身の今とふとみてそゝくおかしさ
無事な身を朝夕水にそゝぐのはころはぬ先の杖てこそあれ
もろ〳〵の病のかすはおふけれと水のみそゝきねきり【根絶】はつきり【あきらか】
朝夕に水のみそゝく人ならは四百四病のわつらひはなし
つゝしみはもとより人の生つき朝夕そゝき水てつゝしめ

万病と心のあるをそゝくには水をのめ人水になれ人

            江戸神田
              四方新兵衛
 文化十一年甲戌三月    柳下茂兵衛
              笹川浦兵衛

いく千代もかわらぬ水を身にそゝき朝な夕なにのむをわするな
ろくこんをはらひ清むる修行には先あたまから水あひてみよ
はのいたみ口中あれてなやみなは日々に幾度も水をふくみて
にんしんは湯をつゝしみて水そゝきやす〳〵うみてちの道もなし
ほか〳〵と身のあたゝまる良薬は水そゝきしてふかく味へ
へいさんの守りは水としり給へ朝夕のみてつわりにもよし
ときやく【吐逆】には湯も茶もいみて水薬呑めはたちまちやむか妙やく
ちうかん【中寒=風邪をひくこと】てつゝう【頭痛】かんねつ【寒熱=悪寒や熱】するならはのみてそゝぐか第一によし

りひゃうにてくるしむ人は湯の咎と水をそゝきてのむか第一
ぬくめてもやはりからだのひへるもの水をそゝけはあたゝかになる
るいれき【瘰癧 注】て首にぐり〳〵有ならは水をそゝきてのむか何より
をんなとし月のめぐりの不順には水をそゝきて滞なし
わきがある人は水にてそゝけたゝ腹中をもそゝきぬくへし
かさほろし【かざほろし(風ほろし)=風邪の熱などのために皮膚にできる発疹】又は肴に酔たらは水をそゝきて呑むかよきなり
よなきする子には巨燵をいむかよし水をのませて灌水かよし
たいどくの出来る子供に湯をいみて水てたてたり水を呑たり

れい水のとくは朝夕あひてしれのみては腹のこなるゝを□よ
そろ〳〵とねむけのいつる病には水をそゝきてのむかくすりよ
つく〳〵と水の功能かそへてももしや言葉に尽されはせし
ねつ病はくわん水させて水のませ又水漬をくわせてそよき
なんざんにゑなもひかへて苦しまは心しつめて水をのませよ
らちあきな薬に水の妙あらはやかずきさますそのまゝにのめ
むしけ【子供の疳】有子供はなをも湯をいみて水をのませはむしの根を切
うへもなき良薬也と心得て寒くなりてもやめすくわん水

【注 結核性頸部リンパ節炎の古い呼称。多く頸のあたりに生じて瘤(こぶ)状をなし、次第に蔓延して膿をもち、終に破れて膿汁を分泌する。】

ゐの水を怠りなしにあひ給へ心ゆるせはいやになるもの
のぼせにはくわん水するもあたまからあひてみられよ奇妙也亀
おこりやみ暑気と寒気に食もたれあさゆ朝夕のみてくわん水をせよ
くわくらんやねひへをしたら水を呑くわん水すれは暑あたりもなし
やけとには先取あへす水そゝきあともつかすにいゆるみやう方
まことなる水のことくに気をもちてくわん水すれは鬼にかなほう
けつうん【血暈 注①】とけんうん【眩暈 注②】又は物忘れ水より外のみやうやくはなし
ふとりたりなつやせするも湯の咎と水にそゝきて中にく□成


えんのなき人にも灌水おしへたやおのかやまひのいゆるほとなを
てや足のふし〳〵いたむ病ひには水にてもみてそゝぐにそよし
あ 神はくわん水也とみなもとをきわむる人はくすりいらすよ
さしあたるけふ一日と心得てくわん水なされあすはなきもの
きせつして呼返してもとゝかすはみつをあびせよ〳〵
ゆに入は大どくなれはつゝしみてくわん水するが身の薬也
めいわくな事は我身の薬にて気に入事はみなどくとしれ

【注① 産後に血の道でめまいがしたり、からだがふるえたりする病気】
【注② 「げんうん」ともいう。目がくらんで頭がふらふらすること。またその症状。めまい。立ち眩み】







みひいきを  くわん水なされかし百病ともにいゆる妙やく
しやくつかへはら腰せなか病なはくわん水したり水を呑たり
ゑひたほれ足腰たゝぬほとならはくわん水なされ直にさめる■
ひえきつて足も覚のなきやうにつめたくならはくわん水かよし
もや〳〵と気もうつとりとふさきなはくわん水なされ忽ちによし
せい〳〵と心のうちもはれわたり病もともにはらふくわん水
すへ〳〵の世まても広くひろめたや水の流れの尽ぬとくにて


くわん水はたゝおもわくをやめにせよつめたい寒ひも思わくそかし
水療治はしめめんけん【瞑眩】せしとても肝をつふして水をやめなよ
めんけんはすゝぐにみそきのしるしにて万病のそく奇特也けり

  右常湯北條灌斎古宇田伯明老医の一覧を歴て
           江戸神田相生町
 文化十一甲戌年四月    小川伝蔵著

【右丁左端】
  文政二己卯孟夏於東都写得之
                川嶋姓

【裏表紙】

正陽門駅ニ於ケル防疫班

痘瘡・麻疹・水痘

痘瘡(ほうそう)麻疹(はしか)水痘(みづいぼ)
人間(にんげん)一世(いつしやう)の大厄(だいやく)なれども其(その)かろきに至(いた)りては服薬(ふくやく)をも用(もち)ひずして
治(ぢ)する其中(そのうち)に稍(やゝ)はげしく熱毒(ねつどく)さかんに足腰(あしこし)たゝず人事(じんじ)を失(うしな)ひ
夢中(むちう)の如(ごと)くなるも有(あ)り然(しか)れども養(やう)
生(じやう)をよく専(もっぱ)らにする人は第一食(たいいちしょく)
物(もつ)を用捨(ようしや)しておのづから全快(ぜんくわい)
に至(いた)る はじめ熱有(ねつあり)と思(おも)はゞよく
風(かぜ)にあたらぬやう蚊帳(かや)又は紙帳(しちやう)
を用(もちひ)て日中(ひる)も其内(そのうち)に居(ゐ)るべく
冷(ひやゝ)かなるものを食(しよく)せず渇(かは)くとも水(みづ)を
呑(のむ)こと大(おほい)にわろし白(しら)かゆ又は白湯(さゆ)
漬(づけ)寒晒(かんさらし)の粉(こ)道明寺(だうみやうじ)の粉(こ)など食(しよく)す
べし大人(だいにん)は其心(そのこころ)を得(う)れども幼稚(おさなき)ものは
わきまへもなくくるしきまゝに夜着(よぎ)をふみぬき
手足(てあし)を出(いだ)し冷(ひゆ)るをかまはざるものなれば看病人(かんびやうにん)
よく〳〵心附(こころづけ)て介抱第一(かいほうだいゝち)なり
食(しよく)して悪(あ)しきもの
 一 鳥類一切(とりるいいつさい)一 玉子(たまご)《割書:百日いむ》
 一 青物(あをもの)油物(あぶらけ)は《割書:七十五日いむべし》
 一 豆腐(とうふ) 一こんにやく一そら豆(まめ)
 一 竹(たけ)の子(こ)一 餅(もち)   一 梅(うめ)ぼし
 一 麺(めん)るい《割書:うんどんは|よろし》  一 梅漬(うめづけ)
 一 柿(かき)  一 菌(きのこ)るい 一もみうり
 一 茄子(なす)の生漬(なまつけ)《割書:百日いむべし》
肥立(ひだち)かゝりて怒(はらたつ)ことを忌(いむ)べし又 哀事(かなしむこと)【事は異体字】すべて気(き)をつかふ
事をまぎらせんと雑談(はなし)又は草双紙(くさぞうし)などよみてたいくつせぬことよろし
結髪(かみをゆひ)月代(さかやき)を剃(そる)こと大(おほひ)ひにあしく廿日又は三十日も過(すぎ)てざつと洗足(せんそく)し
【以下は見切れ部分のため確定文字のみ翻刻】
□        其後(そののち)沐浴(ゆあみ)髪月代(かみさかやき)し□□よろし






橋本綱常脚気病実験ノ為メ出張稟請ノ件

天然痘予防注意兼種痘者之注意

桜井伝三著
            (非売品)

《題:天然痘予防注意》
  《割書:兼|》種痘者之注意
  《割書:附|録》(出産期日一覧表)

          天然痘(てんねんとう)/予防(よぼう)/注意(ちうい)
                            桜 井 伝 三 稿
請(こ)フ試(こヽろみ)ニ之(これ)ヲ諸衆(しょしう)ニ問(と)ハン、諸君(しょくん)今日(こんにち)病毒(びゃうどく)ノ恐(おそ)ルベキ何(なに)ヲ以(もっ)テ最(もっと)モ甚(はなはだ)シトナスカ、
諸君(しょくん)必(かなら)ズ答(こた)フルニ虎烈刺病(これらびゃう)ニ如(し)カザルヲ以(もっ)テセン、然(しか)リ虎烈刺病(これらびゃう)最(もっと)モ恐(おそ)ル可(べ)シ、然(しか)
レドモ諸君(しょくん)、尚(な)ホ他(た)ニ更(さら)ニ之(これ)ヨリ恐(おそ)ル可(べ)キモノハ有(あら)ザルカ、諸君(しょくん)請(こ)フ彼(か)ノ天然痘(てんねんとう)ヲ
視(み)ヨ、余(われ)ハ之(これ)ヲ以(も)テ其(その)最位(さいゝ)ニ置(お)カントスルナリ、斯(か)ク言(い)ヘバ諸君(しょくん)或(あるひ)ハ余(われ)ヲ以(もっ)テ人(ひと)ヲ
欺(あざむ)クモノトナラン、余(よ)ガ言(こと)果(はた)シテ欺(あざむ)ケルカ諸君(しょくん)先(ま)ヅ静(じづ)カニ之(こ)レヲ思(おも)ヘ、固(もと)ヨリ余(われ)モ
亦(ま)タ虎烈刺病(これらびゃう)ヲ恐(おそ)レザルニ非(あ)ラズト雖(いへど)モ、伹(た)ダ虎烈刺病(これらべう)ハ尚(な)ホ之(これ)ヲ一部(いちぶの)流行病(りうこうびゃう)トモ
見做(みな)ス可(べ)キモノニシテ、若(も)シ充分(じうぶん)能(よ)ク衣食住(いしょくじう)ニ注意(ちうい)セバ、避(さ)ケテ之(これ)ヲ免(まぬか)ル能(あた)ハザル
ニ非(あ)ラズ、唯(た)ダ如何(いか)ニ空気(くうき)新鮮(しんせん)ノ地(ち)ニ在(あ)ルモ如何(いか)ニ飲料(いんりゃう)ノ清(きよき)ヲ択(えら)ブモ綺羅(きら)錦繡(きんしう)ヲ纏(まと)
フモ滋養(じよう)ノ美味(びみ)ヲ食(くら)フモ千策(ぜんさく)万方(ばんはう)逃避(とうひ)スル能(あたは)ザルハ独(ひと)リ天然痘(てんねんとう)ヲ然(しか)リトナスノミ、
古来(こらい)計算家(けいさんか)ガ為(な)シタル統計(とうけい)ニ依(よ)ルニ、種痘(しゅとう)発明(はつめい)ノ以前(いぜん)ニ在(あ)リテハ、患者(くわんじゃ)三/人(にん)ノ中(うち)必(かなら)
                                   一

                                   二
ズ一人(いちにん)ヲ損(そん)シ、残(のこ)リ二人ノ中(うち)尚(な)ホ其(その)一人(いちにん)ハ必(かなら)ズ廃人(はいじん)不具者(ふぐしゃ)タルヲ免(まぬ)レザルノ割合(わりあひ)ナ
リト、是(こ)レ必(かなら)ズシモ無稽(むけい)ノ妄説(ばうせつ)ニ非(あら)ザルガ如(ごと)シ、現(げん)ニ今回(こんくわい)ノ流行(りうこう)ニ際(さい)シ、我(わ)ガ前橋(まへばし)
市中(しちう)ニ於(お)ケル初発(しょはつ)(一月四日)以来(いらい)、二月廿五日/迄(まで)痘瘡(とうさう)ノ表(ひやう)ヲ示(しめ)サンニ、
        患者(くわんじゃ)三十一人{《割書:天然痘(てんねんとう) 二十四人|変(へん) 痘(とう) 七  人》
伹(たヾ)シ全治(ぜんぢ)十一人、死亡(しばう)九人、現患者(げんくわんじゃ)十二人、ニシテ則(すなは)チ其(その)二十四ニ対(たい)スルノ九ハ、
正(まさ)ニ其(そ)ノ三 分(ぶん)ノ一(いつ)強(きゃう)ナルニテ、益々(ます〳〵)/前説(ぜんせつ)ノ確(かた)キヲ致(いた)セリ、今(いま)此(この)比例(ひれい)ヲ推(お)シテ仮(か)リニ
世界(せかい)ノ人口(じんこう)ヲ十/億(おく)ト見做(みな)サンカ、若(も)シ種痘(しゅとう)ノ発明(はつめい)ナク天然痘(てんねんとう)ヲシテ流行(りうこう)ヲ緃(ほしいまヽ)ニセシ
メタランニハ、十億(じうおく)ノ人口(じんこう)ハ忽(たちま)チ其ノ三/分(ぶん)ノ一(いち)則(すなは)チ三/億(おく)ヲ減却(げんきゃく)スベク、尚(な)ホ残余(ざんよ)七
億(おく)ヲ二/分(ぶん)セル三/億(おく)五千/万(まん)ハ或(あるひ)ハ廃人(はいじん)トナリ或(あるひ)ハ不具者(ふぐしゃ)トナリ眼(まなこ)ヲ失(うしな)フアリ鼻(はな)ヲ損(そん)ス
ルアリ痘痕(とうこん)満面(まんめん)に印(いん)スルアリ光(こう)散(さん)ジ沢(たく)消(せう)シ容(かたち)ヲ変(へん)ジ色(いろ)ヲ黒(くろ)フシ緃令(たとへ)其(そ)ノ以前(いぜん)ハ清絶(せいぜつ)
三秋(さんしう)ノ月(つき)ノ如(ごと)ク麗艶(れいえん)又タ二/月(げつ)ノ花(はな)ヨリモ美(び)ナル絶世(ぜっせい)ノ佳人(かじん)ナリシ者(もの)ト雖(いへど)モ玉顔(ぎょくがん)忽(たちま)チ
砕(くだ)ケテ一朝(いっちゃう)見(み)ル影(かげ)モナキ醜婦(しうふ)ト化(くわ)シ去(さ)ルアラバ為(た)メニ伉儷(こうれい)ノ適遇(てきぐう)ヲ求(もと)ムル能(あた)ハズ一(いっ)
生(せい)ヲ不快(ふくわい)ノ境涯(きゃうがい)ニ終(おは)ル者(もの)蓋(けだ)シ枚挙(まいきょ)スルニ遑(いとま)アラザル可(べ)シ、嗚呼(あヽ)是(こ)レ此(こ)ノ害毒(がいどく)ヲ流布(りうふ)
スルモノ則(すなは)チ天然痘(てんねんとう)ハ虎烈刺病(これらびゃう)ノ害毒(がいどく)ニ比(ひ)シテ尚(な)ホ之(これ)ヨリ甚(はなはだ)シキモノアルナリ、豈(あ)
ニ恐(おそ)ル可(べ)キノ最大(さいだい)一(いち)ニ非(あ)ラズヤ、
然(しか)ルニ今日(こんにち)世人(せじん)ノ天然痘(てんねんとう)恐怖(きゃうふ)スルコト虎烈刺病(これらびゃう)ノ如(ごと)クナラザルハ、倶(とも)ニ其(その)病毒(びゃうどく)ノ猛(もう)
烈(れつ)ナルニモ係(かヽ)ハラズ、一ハ其(そ)ノ伝来(でんらい)ノ近世(きんせい)ニ係(かヽ)ルト、一(いち)ハ其(そ)ノ伝来(でんらい)己(すで)ニ久(ひさ)シク、狎(な)
レテ恐(おそ)レザル習慣(しうかん)ノ勢力(せいりょく)アルニ之(こ)レ由(よ)ルノミ、
抑(そもそ)モ天然痘(でんねんとう)ノ我(わ)ガ国(くに)ニ侵来(しんらい)セルハ、遠(とほ)ク天平(てんてい)九/年(ねん)ノ昔(むかし)ニアリ、其/始(はじ)メ筑紫(つくし)ニ流行(りうこう)セ
ルヤ、世人(せじん)ノ驚愕(きゃうがく)実(じつ)ニ名状(めいじゃう)スベカラザルモノアリシナリ、書籍(しょせき)ノ載(の)スル所(ところ)、口碑(こうひ)ノ
伝(つた)フル所ロニ依(よ)リテ、之(こ)レヲ案(あん)ズルニ、当時(とうじ)粗野(そや)朦眛(もうまい)ノ俗(ぞく)疾病(しつへい)誤過罪辟(ごくわざいへき)等(とう)苟(いやしく)モ身(しん)
心(しん)ノ調和(ちょうくわ)ヲ失(うしな)ヒ、気魄(きはく)ノ迷乱(めいらん)其/常(つね)ニ非(あら)ザルモノハ皆(みな)之(これ)ヲ以(もっ)テ悪魔(あくま)ノ所為(しょい)ニ帰(き)シタル
時代(じだい)ナリシカバ、其ノ迷想(めいそう)ヲ懐(いだ)ク殊(こと)ニ甚(はなはだ)シク、浮説(ふせつ)相(あ)ヒ喧伝(けんでん)シテ自(みづ)カラ百鬼(ひゃくき)ヲ出(いだ)シ
                                   三

                                   四
士人(しじん)婦女子(ふじょし)相(あ)ヒ抱(いだ)ヒテ四巷(しこう)ニ哭泣(こくきう)ノ声(こへ)ヲ絶(た)タズ、不幸(ふこう)ニシテ若(も)シ天然痘(てんねんとう)ニ感染(かんせん)スル
モノアレバ恰(あだか)モ其(その)身(み)大悪魔(だいあくま)ノ憑(よ)ル所(ところ)トナリ、大不潔(だいふけつ)ヲ蒙(こふむ)ルノ思(おも)ヒヲ為(な)シ、患者(くわんじゃ)モ亦(ま)
タ懺悔(さんげ)シテ宿業(しゅくごう)ノ果(くわ)ヲ免(まぬか)レント欲(ほっ)シ、自(みづか)ラ門頭(かど)ニ赤色(せきしょく)ノ注連(しめ)ヲ張(は)リ、其(その)頭上(とうじゃう)ニ赤色(せきしょく)
ノ片布(へんふ)ヲ捲(ま)キ、以(もっ)テ他人(たにん)ヲシテ近(ちか)ヅカザラシムルノ標示(ひゃうじ)ヲナセリ、近時(きんじ)ニ至(いた)ル迄(まで)古(こ)
老(ろう)ノ痘児(とうじ)ニ被(かふむ)ラスニ赤色(せきしょく)ノ頭巾(づきん)ヲ以(もっ)テセルハ全(まった)ク此(この)習慣(しうくわん)ヲ遺(のこ)セルモノナリト云(い)フ、
又(また)以(もっ)テ古人(こじん)ノ天然痘(てんねんとう)ヲ恐怖(きゃうふ)シテ其(その)骨髄(こつずい)ニ徹(てつ)スルノ一斑(いっぱん)ヲ見(み)ルベシ、夫(そ)レ斯(かく)ノ如(ごと)ク古(こ)
人(じん)ハ天然痘(てんねんとう)ヲ恐怖(きゃうふ)セリト雖(いへど)モ、未(いま)ダ之(これ)ヲ予防(よぼう)スルノ方策(はうさく)ヲ立(た)ツルニ至(いた)ラズ当時(とうじ)ノ惨(さん)
状(じゃう)臆(おも)フニ余(あま)リアリト云(い)フベシ、
已(すで)ニシテ其(その)後(のち)(何(いづ)レノ時代(じだい)ニテアリシカ)漸(ようや)ク一法(いつはう)ヲ案出(あんしゅつ)セルモノアリ、其(そ)ハ該(がい)患者(くわんじゃ)
ノ中(うち)ニ就(つき)テ最(もっと)モ其(その)軽症(けいしゃう)ナルヲ択(えら)ビ、其(そ)ノ膿汁(のうじふ)ヲ乞ヒ採(とり)テ未痘者(みとうしゃ)ニ移種(いしゅ)スルニアリシ
モ、患者(くわんじゃ)ハ痛(いた)ク其(そ)ノ膿汁(のうじふ)ヲ取(と)ラルヽコトヲ嫌(きら)ヒシヲ以(もっ)テ、此(この)法(はう)固(もと)ヨリ予防(よぼう)普及(ふきう)ノ方(はう)
策(さく)タラザリシト雖(いへど)モ、爾來(じらい)此(こ)ノ法(はう)ニ依(よ)リ僅(わづ)カニ其(その)病毒(びゃうどく)ノ重(おも)キヲ免(まぬが)ルヽ者(もの)ハ、無上(むじゃう)ノ
幸福(こうふく)ヲ得(え)タルモノトナシ、然(しか)ラザレバ皆(みな)天(てん)ニ任(まか)シテ其(そ)ノ運命(うんめい)ヲ期(き)シ、心細(こころぼそ)クモ幾多(いくばく)
ノ歳月(さいげつ)ヲ経過(けいくわ)セリ、
然(しか)ルニ西暦(せいれき)千八百卅二年(或(あるひ)ハ云(い)フ千七百九十六年ト今(いま)姑(しばら)ク扶氏(ふし)ノ説(せつ)ニ従(したが)フ)我(わ)ガ天(てん)
保(ぽ)八年ノ頃(ころ)ニ至(いた)リ、英国(えいこく)ノ医士(いし)ジエンネル氏(し)、始(はじ)メテ牛痘(ぎうとう)ヲ採(とり)テ人類(じんるい)ニ接種(せっしゅ)スルノ
明案(めひあん)ヲ発明(はつめい)経験(けいけん)セリ、爾来(じらい)氏(し)ノ術(じゅつ)頻(しき)リニ伝播(でんぱ)シ、十三/年(ねん)ヲ経(へ)テ嘉永(かえい)ニ年ノ頃ニハ、
已(すで)ニ其/術(じゅつ)ヲ我邦(わがくに)ニ伝(つた)フルニ至(いた)レリ、今(いま)其(そ)ノ伝播(でんは)ノ事情(じじゃう)ヲ記(しる)サズト雖(いへど)モ、既(すで)ニ其(その)ノ術(じゅつ)
ノ益々(ます〳〵)伝播(でんぱ)シテ今日(こんにち)一般(いっぱん)各所(かくしょ)ニ牛痘(ぎうとう)接種(せっしゅ)ノ行(おこ)ナハルヽハ、又(ま)タ已(すで)ニ諸君(しょくん)ノ熟知(じゅくち)スル
所(ところ)ナリトス、然(しか)レドモ諸君(しょくん)或(あるひ)ハ尚(な)ホ其(そ)ノ一(いつ)ヲ知(しり)テ未(いま)ダ其(そ)ノ二ヲ知(し)ラザルモノニ似(に)タ
リ、諸君(しょくん)ノ中(なか)ニハ恰(あだか)モ一度(ひとた)ビ種痘(しゅとう)ヲ行(おこな)ヘバ、数年(すうねん)数(すう)十/年(ねん)决(けっ)シテ復(ま)タ其(そ)ノ病毒(びゃうどく)ニ感染(かんせん)
セザル物(もの)ナルガ如(ごと)ク思惟(しい)スルモノアリ、否(い)ナ十中ノ八九ハ皆(みな)是(こ)レナリト云(い)フモ誣言(ふごん)
ニ非(あら)ザルベシ、然(しか)レ𪜈【トモ】是(こ)レ誤解(ごかい)ノ甚(はなはだ)シキノミ、天然痘(てんねんとう)ト雖(いへど)モ稀(まれ)ニハ二/回(くわい)以上/感染(かんせん)ス
ルヿ【コト】アリ、况(いは)ンヤ種痘(しゅとう)ハ一再(いっさい)ニシテ止(ま)ム可(べ)キモノニアラズ、若(も)シ諸君(しょくん)ノ思惟(しい)スル所(ところ)
                                  五

                                    六
ニ従(したが)ヘバ、是(こ)レ風前(ふうぜん)ニ灯火(とうくわ)ヲ置(お)クガ如(ごと)シ、危矣哉(あやふいかな)又(また)危矣哉(あやういかな)、乞(こ)フ試(こヽろ)ミニ少(すこ)シク其(その)所(ゆえ)
以(ん)ヲ陳(の)ベン、諸君(しょくん)且(か)ツ暫(しばら)ク之(これ)ヲ聴(き)ケ、夫(そ)レ凡(すべ)テ病毒(びゃうどく)ノ発生(はっせい)スルヤ、多(おほ)クハ外因(ぐわいいん)ノ刺(し)
擊(げき)誘引(いういん)ニ依(よ)ルト雖(いへど)モ、又(また)内因(ないいん)ノ積(つ)ンデ感(かん)ズルニ非(あら)ザルハナシ、故(ゆへ)ニ縱令(たと)ヒ一度(いちど)ハ能(よ)
ク其(そ)ノ病毒(びゃうどく)ヲ駆余(くじょ)【「除」の誤植】スルモ、内因(ないいん)復(ま)タ久(ひさ)シク積(つ)ンデ、一旦(いったん)外因(ぐわいいん)ノ刺擊(しげき)に会(あ)ヘバ、忽(たちま)チ
還(ま)タ其(その)害毒(がいどく)ヲ逞(たくまし)フスルニ至(いた)ルハ、百種(ひゃくしゅ)伝染病(でんせんびゃう)皆(みな)然(しか)リ、譬(たと)へバ之(これ)ヲ言(い)バヽ細管(さいくわん)ヲ通(とふ)
シテ水(みづ)ヲ桶中(とうちう)ニ注(そヽ)グガ如(ごと)シ、仮令(たとひ)其(その)水量(すゐりゃう)ハ極(きは)メテ微々(びヾ)タルニモセヨ、間断(かんだん)ナク之(これ)ヲ
注瀉(ちうしゃ)スレバ終(つい)ニハ溢(あぶ)レテ水(みづ)流出(りうしゅつ)スルニ至(いた)ラン、今(いま)桶底(とうてい)ニ穴(あな)ヲ穿(うが)ヂ一度(ひとた)ビ此(こ)ノ水(みづ)ヲ迸(へい)
出(しゅつ)セシムルニ、若(も)シ復(ま)タ木栓(もくせん)ヲ採(とり)テ此(こ)ノ穴(あな)ヲ塞(ふさ)ガバ、細管(さいくわん)ノ水(みづ)復(ま)タ久(ひさ)シク積(つ)ンデ再(ふたヽ)
ビ溢(あぶ)ルヽニ至(いた)ル可(べ)シ、痘毒(とうどく)又/此(かく)ノ如(ごと)キノミ、縱(も)シ種痘(しゅとう)シテ一旦(いったん)其/毒(どく)ヲ駆除(くじょ)スルモ、
歳月(さいげつ)ノ久(ひさ)シキニ弥(わた)ラバ忽(たちま)チ復(ま)タ感能(かんのう)ノ勢力(せいりょく)ヲ新(あらた)ニスルヤ、恰(あた)カモ彼(か)ノ微々(びヾ)タル細管(さいくわん)
ノ水(みづ)再(ふたヽ)ビ溢(あぶ)ルヽニ至(いた)ルニ似(ニ)タリ、尚(な)ホ一例(いちれい)ヲ挙(あ)ゲテ之(こ)レヲ証(しゃう)センカ、茲(こヽ)ニ迂闊(うくわつ)ナル
一(いつ)農夫(のうふ)アリ、或年(あるとし)其(そ)の所有(しょいう)ノノ畑地(はたち)ニ唐芋(とういも)ヲ作(つく)リ、多分(たぶん)ノ収穫(しうくわく)アルヲ見(み)テ、翌年(よくねん)復(ま)タ
其(そ)ノ畑地(はたち)ニ里芋(さといも)ト称(しゃう)スル他(た)ノ種類(しゅるい)の芋(いも)ヲ植(う)エ附(つ)ケタリ、然(しか)ルニ秋熟(しうじゅく)ノ期(き)ハ至(いた)ルモ毫(ごう)
モ其(そ)ノ茎葉(けいよふ)ノ生長(せいちゃう)ヲ見ザリシカバ、農夫(のうふ)怪(あやし)ミテ其/畑地(はたち)ヲ穿(うが)ツニ、豈(あ)ニ図(はか)ランヤ、初(はじ)
メ植(う)エ付(つ)ケタル親芋(おやいも)は子芋(こいも)ヲ結(むす)バズシテ腐敗(ふはい)シ影(かげ)モ無(な)ク形(カタチ)モ無(な)ク悉(こと〴〵)ク皆(み)ナ消失(せうしつ)シタ
リ、是(こ)レ農夫(のうふ)ハ一旦(いったん)芋(いも)ヲ作(つく)リタル畑地(はたち)ハ数年(すうねん)ヲ経過(けいくわ)スルニ非(あら)ザレバ、再(ふたヽ)ビ芋(いも)ノ収穫(しうくわく)
ヲ望(のぞ)ムベカラザルヲ知(し)ラズシテ、此(こ)ノ失敗(しっぱい)ヲ招(まね)ギシナリ、然(しか)レ𪜈【トモ】農夫(のうふ)ガ此(こ)ノ偶然(ぐうぜん)ノ
失敗(しっぱい)ハ恰(あだか)モ能(よ)ク種痘(しゅとう)ニ依(より)テ天然痘(てんねんとう)ヲ予防(よぼう)スルノ好適例(こうてきれい)ヲ示(しめ)セリ、見(み)ヨ其(そ)ノ唐芋(とうのいも)ヲ以(もっ)
テ牛痘(ぎうとう)ニ比(ひ)セバ、其(そ)ノ里芋(さといも)ハ是(こ)レ天然痘(てんねんとう)ニ非(あら)ズヤ、又(ま)タ見(み)ヨ其(そ)ノ数年(すうねん)ヲ経過(けいくわ)セザレ
バ、再(ふたヽ)ビ同様(どうよう)ノ収穫(しうくわく)ヲ望(のぞ)ム可(べ)カラザレバ是(こ)レ一/度(ど)ノ種痘(しゅとう)ヲ以テ数(す)年ノ真痘(しんどう)ヲ予防(よぼう)シ
得(う)ルニ異(こと)ナラザルナリ、夫(そ)レ然(しか)リ然(しか)レ𪜈【トモ】一度(いちど)種痘(しゅとう)シテ夫(そ)レニテ安心(あんしん)スルヲ得(う)ベキカ、
否(い)ナ々々(〳〵)、何(なん)トナレバ光陰(くわういん)流水(りうすい)ノ如(ごと)シ、須叟(しゅゆ)ニシテ数年(すねん)ハ経過(けいくわ)スベシ、此(こ)ノ間(あいだ)充分(じうぶん)
ナル感能力(かんのうりょく)ヲ積(つ)ム、恰(あだ)カモ又(ま)タ正(まさ)ニ農夫(のうふ)ガ再(ふたヽ)ビ芋(いも)ノ収穫(しうくわく)ヲ望(のぞ)ムノ期(き)ヲ送(おく)リ来(きた)ルヿ【コト】ナ
シトナサズ、見(み)よ况(いは)ンヤ種痘(しゅとう)ハ一再(いっさい)ニシテ止(や)ム可(べ)カラザルナリ、然(しか)ルニ諸君(しょくん)之(こ)レヲ
                                  七

                                    八
思(おも)ハズンバ是(こ)レ諸君(しょくん)ノ為(な)ス所(ところ)風前(ふうぜん)ノ灯火(とうくわ)ニ非(あ)ラズシテ何(なん)ゾ、豈(あ)ニ危(あやう)キニ非(あら)ズヤ豈(あ)ニ
危(あやう)キニ非(あら)ズヤ、頃者(このごろ)或(ある)人(ひと)余(よ)ヲ難(なん)ジテ、曰(いは)ク、聞(き)クガ如(ごと)クンバ、天然痘(てんねんとう)ハ種痘(しゅとう)後(ご)数年(すうねん)
ヲ経過(けいくわ)スルニ非(あら)ザレハ、決(けっ)シテ感染(かんせん)スル者(もの)ニ非(あら)ズト、然(しか)ルニ余(よ)ハ接種(せっしゅ)シテ、未(いま)ダ三
年(ねん)ニ至(いた)ラズ、已(すで)ニ天然痘(てんねんとう)ノ感染(かんせん)スル所(ところ)トナレリ、種痘(しゅとう)ノ功(こう)果(はた)シテ何(いづ)クニカアル、先(せん)
生(せい)又(また)辞(ことば)アルヲ得(え)ンヤト、即(すなは)チ就(つき)テ之ヲ診(しん)スルニ、其(その)形状(けいじゃう)稍々(やヽ)尖(とが)リ痘(とう)ノ大小(だいしゃう)一様(いちよう)ナラ
ズ、是(こ)レ天然痘(てんねんとう)ニハアラズ変痘(へんとう)ト称(しゃう)スルモノニシテ、亦(ま)タ一種(いっしゅ)ノ痘質(とうしつ)ナルニハ、相(そう)
違(ゐ)ナキモ其/性(せい)至(いた)ツテ微弱(びじゃく)ナルモノナレバ、決(けっ)シテ之(これ)ガ為(た)メニ生命(せいめい)ニ関(くわん)スル等(とう)ノ虞(をそれ)ナ
キノミナラズ、平癒(へいゆ)後(ご)ニ至(いた)リ痘痕(とうこん)ヲ留(とヾ)ムルノ憂(うれ)ヒダモアルコトナシ、然(しか)レ𪜈【トモ】若(も)シ其(そ)
ノ膿汁(のうじう)ヲ採(と)ツテ之(こ)レヲ、未痘児(みとうじ)ニ感染(かんせん)セシムル時(とき)ハ、忽(タチマ)チ真痘(しんとう)ニ戻(もど)ルモノニシテ、
且(か)ツ凡(すべ)テ此(この)変痘(へんとう)ナル者(もの)ハ種痘者(しゅとうじゃ)ニ限(かぎ)リ、感染(かんせん)スル者(もの)故(ゆへ)若(も)シ嚮(さ)キニ種痘(しゅとう)セザリシナラ
ンニハ、其(その)人(ひと)ヤ実(じつ)ニ危(あや)フカリシナリ、今(いま)更(さら)ニ一例(いつれい)ヲ設(もう)ケテ真痘(しんとう)○変痘(へんとう)の関係(くわんけい)如何(いかん)ヲ
示(しめ)サントス、諸君(しょくん)請(こ)フ、試(こヽろ)ミニ一/年(ねん)其(そ)ノ畑地(はたち)ニ粟(あは)ヲ作リ見(み)ヨ、而(しか)シテ翌年(よくねん)復(ま)タ其(そ)ノ
同一(どういつ)ノ土地(とち)ニ再(ふたヽ)ビ之(これ)ヲ蒔(ま)キ附(つ)ケタル粟(あは)ハ真(しん)ノ粟(あは)ヲ生(しゃう)ゼズシテ、草粟(くさあは)ト変(かわ)ルベシ、今(いま)
復(ま)タ其(その)草粟(くさあは)ヲ採(と)リテ之(これ)ヲ他(た)ノ新地(しんち)ニ蒔(ま)キ附(つ)ケ見(み)ヨ、其(その)草粟(くさあは)ノ種(たね)ハ草粟(くさあは)ヲ生(しゃう)ゼズシテ
却(かへっ)テ又(ま)タ元(もと)ノ粟(あは)ニ復(ふく)スルヲ見(み)ルベシ、諸君(しょくん)此(この)粟(あは)ヲ以(も)テ真痘種(しんとうしゅ)ト仮定(かてい)セヨ、其/一年(いちねん)粟(あは)
ヲ作(つく)リシ土地(とち)ハ猶(な)ホ種痘(しゅとう)ヲ施(ほどこ)セシ皮膚(ひふ)ノ如(ごと)キニ非(あら)ズヤ、見(み)ヨ其(その)翌年(よくねん)草粟(くさあは)ノ生(しゃう)ゼシハ、
是(こ)レ変痘(へんとう)ニ感柴(かんせん)【「染」の誤植】セルナリ、而(しか)シテ又(また)其/草粟(くさあは)ヲ新地(しんち)ニ移(うつ)スニ、草粟(くさあは)ヲ生(しゃう)ゼズシテ却(かへっ)テ
元(もと)ノ粟(あは)ニ復(ふく)スルヲ見(み)ルハ、又(また)恰(あた)カモ是(こ)レ変痘(へんとう)ノ膿汁(のうじふ)ヲ取(とり)テ、之(こ)レヲ未痘児(みとうじ)ニ感染(かんせん)セ
シムルニ、変痘(へんとう)ヲ生(しゃう)ゼズシテ却(かへっ)テ真痘(しんとう)ニ戻(もど)ルト一般(いっぱん)ナリ、夫(そ)レ此(これ)ニ由(より)テ之(これ)ヲ看(み)レバ、
一旦(いったん)牛痘(ぎうとう)ヲ接種(せっしゅ)セルモノヘ、其(その)後(のち)数年間(すうねんかん)或(あるひ)ハ変痘(へんとう)ニ感染(かんせん)スルコトアルモ、決(けっ)シテ天(てん)
然痘(ねんとう)ニ感染(かんせん)スルノ虞(おそ)レアルコトナシ、彼(か)ノ或(ある)人(ひと)ガ非難(ひなん)セシ要点(ようてん)則(すなは)チ種痘(しゅとう)ノ功果(こうくわ)ヲ疑(うたが)
フニ至(いた)リシ事情(じじゃう)ハ今(いま)却(かへっ)テ偶々(たま〳〵)之(これ)ヲ保証(ほしゃう)スルノ事実(じじつ)トナレリ、
嗚呼(あヽ)古代(こだい)人民(じんみん)ガ恐怖(きゃうふ)シテ、大悪魔(だいあくま)トナセシ天然痘(てんねんとう)ハ今日(こんにち)種痘(しゅとう)ノ術(じゅつ)ニ依(より)テ漸(やうや)ク予防(よぼう)ノ
法(ほう)ヲ得(え)タリト雖(いへど)モ、若(も)シ少(すこ)シク之(これ)ヲ忽諸(こつしょ)ニ附(ふ)スル時(とき)ハ、忽(たちま)チ其(その)魔翼(まよく)ヲ張(は)リ、驀地(まちヽ)風(ふう)
                                    九

                                   十
ヲ捲(ま)キテ各(かく)天(てん)ニ獝狂(きっきゃう)シ、勢(いきほ)ヒ又(ま)タ制止(せいし)ス可(べ)カラザルニ至(いた)ル本年ノ如(ごと)キ已(すで)ニ然(しか)リ、今(いま)
新聞紙(しんぶんし)ノ報(ほう)ズルトコロヲ見(み)ルニ、「東京府下ニ流行(りうこう)スル天然痘(てんねんとう)ハ本年一月一日ヨリ二
月二十五日/迄(まで)ニ、患者(くわんじゃ)二千八百四十四人ニシテ、死亡(しぼう)ハ五百三十三/人(にん)ナリ、之(これ)ヲ去(さ)
ル廿三/年(ねん)ノ虎烈刺(これら)ニ比(ひ)スルニ、患者(くわんじゃ)ノ多(おほ)キコト四百ヲ超(こ)ヘタリ、以(もっ)テ其(その)勢(いきほひ)ノ猖獗(しゃうけつ)
ヲ知(し)ルニ足(た)ルベシ」、ト医事(いじ)ノ進歩(しんぽ)セル東京府下(とうきゃうふか)ニ於(おい)テスラ猶(な)ホ斯(かく)ノ如(ごと)シ、豈(あに)寒心(かんしん)セ
ザル可(べ)ケンヤ、夫(そ)レ此(この)時(とき)ニ当(あた)リ之(これ)ヲ防圧(ぼうあつ)スル、宜(よろ)シク各人(かくじん)ノ恊力(きゃうりょく)セザルベカラザル
所(ところ)ナリ、経済学者(けいざいがくしゃ)、或(あるひ)ハ較(やヽ)モスレバ人口(じんこう)不可増(ますべからざる)ノ説(せつ)ヲ為(な)シテ曰(いは)ク、今日(こんにち)社会(しゃくわい)ノ疲弊(ひへい)
ハ人口(じんこう)過增(くわぞう)ノ致(いた)ストコロ、若(も)シ此(こ)ノ侭(まヽ)ニ放任(はうにん)シテ数十百千万年(すうじうひゃくせんまんねん)ヲ経過(けいくわ)セバ、社会(しゃくわい)ハ
餓鬼(がき)ノ道程(どうてい)ト化(くわ)シ去(さ)ル可(べ)ク、遂(つひ)ニ人人(ひと〴〵)ヲ食(くら)フノ惨状(さんじゃう)ヲ見(み)ルニ至(いた)ラントス、疾病(しっへい)戦争(せんそう)
ハ、是(こ)レ人口(じんこう)過増(くわぞう)ノ好制裁(こうせいさい)ニシテ、又(また)社会(しゃくわい)ノ最要件(さいようけん)ナリ、天(てん)ノ時(とき)ニ疾病(しっへい)ヲ下(く)ダス、決(けっ)
シテ厭悪(えんお)スベキニアラザルナリト、此(この)説(せつ)亦(ま)タ理(り)アリ、然(しか)レドモ人類(じんるい)能(よ)ク、同胞(どうほう)ノ四(し)
辺(へん)ニ悲泣(ひきう)スルヲ聴(きヽ)テ哀(かなし)マザルヲ得(う)ルカ、況(いは)ンヤ其(そ)ノ目前(もくぜん)ニ斃死(へいし)スルヲ見(み)テ、能(よ)ク悽(せい)
然(ぜん)タラザル者(もの)アランヤ、人情(にんじゃう)已(すで)ニ然(しか)リ、豈(あ)ニ又(ま)タ此(よの)際(さい)之(こ)レガ救済(きうせい)ノ策(さく)ヲ講(こう)ゼズシテ
可(か)ナランヤ、蓋(けだ)シ其(その)策(さく)トハ何(なん)ゾ、乞(こ)フ諸君(しょくん)先(ま)ヅ余(よ)ヲシテ之(これ)ヲ述(の)ベシメヨ、払(よ)【「余」の誤植】ハ思(おも)フ
今日(こんにち)種痘(しゅとう)ノ術(じゅつ)頗(すこぶ)ル伝播(でんぱ)セザルニ非(あら)ザルモ、尚(な)ホ一/層(そう)之ガ普及(ふきう)ヲ図(はか)リ、以(もっ)テ全(まった)ク天然(てんねん)
痘(とう)ヲ予防(よぼう)シ尽(つく)スニアリト、然(しか)ラバ其(そ)ノ之(これ)ヲ為(な)ス果(はた)シテ如何(いかん)、余(よ)亦(ま)タ思(おも)フアリ一般(いっぱん)医(い)
師社会(しヽゃくわい)ヲシテ無料(むりゃう)種痘(しゅとう)ヲ以(もっ)テ他衆庶(たしうしょ)ニ対(たい)スルノ徳義(とくぎ)トナサシメ、衆人(しうじん)ハ種痘(しゅとう)ヲ怠(おこた)ラ
ザルヲ以(もっ)テ之(こ)レニ対(たい)ス、之(これ)ト同時(どうじ)ニ又(ま)タ別(べつ)ニ天然痘(てんねんとう)治療(ぢりゃう)医員(いいん)ト云(イ)フヲ設(もふ)ケテ、(《割書:是レ|啻ニ》
《割書:天然痘流行ニ際シテノミ必用ト云フニ非ズ、伝染病|流行ノ際ニハ必ズ其治療医員ヲ置クヲ宜シトス、》)特(こと)ニ天然痘(てんねんとう)患者(くわんじゃ)ノミヲ取扱(とりあつか)ハ
シメ、尋常(じんじゃう)医師(いし)ハ一切(いっせつ)痘瘡(とうそう)ノ患者(くわんじゃ)ヲ取扱(とりあつか)ハザルモノトシ、若(も)シ知(し)ラズシテ之(これ)ヲ接(せっ)ス
ルトキハ直(たヾち)ニ其(その)治療(ぢりゃう)医員(いヽん)ニ引渡(ひきわた)シ、互(たがひ)ニ其(その)徳義(とくぎ)ノ制裁(せいさい)ヲ守(まも)リテ、義務(ぎむ)ノ如(ごと)ク之(これ)ヲ信(しん)
ゼシムルニアリト、是(こ)レ尋常(じんじゃう)医師(いし)ニ在(あ)ツテハ他諸種(たしょしゅ)ノ患者(くわんじゃ)ニ接(せっ)セザル可(べ)カラザルガ
故(ゆへ)ニ、医師(いし)却(かへっ)テ感染(かんせん)ノ媒介(ばいかい)ヲ為(な)スノ虞(おそ)レアルヲ以(もっ)テナリ、抑(そもそ)モ我(わ)ガ群馬県(ぐんまけん)前橋(まへばし)地方(ちはう)
ニ於(おい)テハ去(さ)ル明治十八年一月/以來医師(いらいヽし)同盟(どうめい)シテ無料(むりゃう)ノ種痘(しゅとう)ヲ行(おこな)フ茲(こヽ)ニ七星霜(しちせいそう)ニ余(あま)レ
                                  十一

                                    十二
リ、余輩(わがはい)私(ひそ)カニ謂(おもへ)ラク、是(こ)レ実(じつ)ニ前橋(まへばし)医師(いし)社会(しゃくわい)ノ美挙(びきょ)ナリト、又(ま)タ私(ひそ)カニ以為(おもへ)ラク
諸人(しょじん)ハ定(さだ)メテ之(これ)ニ由(より)テ種痘(しゅとう)ニ漏(も)ルヽノ遺憾(いかん)無(な)カル可(べ)シト、何(なん)ゾ料(はか)ラン今回(こんくわい)ノ流行(リウコウ)ニ
際(さい)シ、市人(しじん)尚(な)ホ動(やヽ)モスレバ種痘(しゅとう)ヲ等閑(とうかん)ニ看過(くわんくわ)スルモノアリ、又(ま)タ動(やヽ)モスレバ之(これ)ヲ忌(き)
避(ひ)スルモノアリ、或(あるひ)ハ風邪(ふうじゃ)ノ未(いま)ダ全(まった)ク去(さ)ラザルヲ口実(こうじつ)ト為(な)シ、以(もっ)テ苟(いやしく)モ之ヲ免(まぬか)レン
ト欲(ほっ)スルモノアリ、緩(なん)【「何」の誤植】ゾ緩急(くわんきう)ヲ誤(あやま)ルモ何(なん)ゾ一(いつ)ニ斯(こヽ)ニ至(いた)ルヤ、未(いま)ダ風邪(ふうじゃ)ニ因(よっ)テ忽(たちま)チ生(せい)
命(めい)ヲ危(あや)フスルモノニアラズ況(いは)ンヤ種痘(しゅとう)ニ於(おい)テヲヤ、又タ況(いは)ンヤ痘瘡(とうさう)ハ人(ひと)ニ非(あ)ラズ、
風邪(ふうじゃ)ノ癒(い)ユルヲ待(ま)タザルヲ、然(しか)ルニ或(あ)ルモノハ亦(ま)タ説(せつ)ヲ為(な)シテ曰(いは)ク、天然痘(てんねんとう)流行(りうこう)
ノ期(き)ニ当(あたっ)テ種痘(しゅとう)スルハ、却(かへっ)テ偶(たまた)マ之(こ)レヲ誘引(いういん)シテ並発(へいはつ)スルノ虞(おそ)レアリト、是レ現(げん)ニ
種痘(しゅとう)ノ際(さい)婦女子(ふじょし)ノ往々(わう〳〵)危(あや)ブミテ問(と)フ所(ところ)ナリ、然(しか)レドモ其時(そのとき)ニ並発(へいはつ)スルコトアルハ、
已(すで)ニ天然痘(てんねんとう)ニ感染(かんせん)シツヽアルヲ知(し)ラズシテ、種痘(しゅとう)ヲ施(ほどこ)セシモノニシテ、其(その)危篤(きとく)ニ逼(せま)
ルノ原因(げんいん)、或(あるひ)ハ種痘(しゅとう)ニ在(あ)ルガ如(ごと)ク見(み)ユルモ、是(こ)レ偶然(ぐうぜん)ノヿ【コト】ノミ、豈(あ)ニ僅(きん〳〵)数点(すうてん)ノ種(しゅ)
痘(とう)誘引(いういん)シテ以(もっ)テ俄(には)カニ斯(こヽ)ニ至(いた)ルモノナランヤ、試(こヽろ)ミニ思(おもひ)見(み)ヨ火機(くわき)ノ正(まさ)ニ伏在(ふくざい)セルニ
当(あた)リ、一炬(いっきょ)ヲ投(とう)ズルモ、投(とう)ゼザルモ、之(これ)ガ為(ため)ニ火焔(くわえん)ノ勢力(せいりょく)ヲ増減(ぞうげん)スルモノニ非(あら)ザル
ヿ【コト】ヲ甚(はなはだ)シヒ哉(かな)世人(せじん)ノ迷謬(めいびう)ヲ懐(いだ)クヤ、尚(な)ホ動(やヽ)モスレバ加持祈祷(かぢきとう)ノ力(ちから)ニ依賴(いらい)シテ、天然(てんねん)
痘(とう)ヲ隠蔽(いんぺい)シ、其(そ)ノ漸(やうや)ク危篤(きとく)ナルニ至(いた)リ、親族(しんぞく)知己(ちき)ニ苦諫(くかん)セラレテ、始(はじ)メテ医師(いし)ノ門(もん)
ニ救(すくひ)ヲ求(もと)ムルモノアリト雖(いへど)モ、是(こ)レ実(じつ)ニ痴愚(ちぐ)ノ骨頂(こっちゃう)ナルノミ、医師(いし)ハ別(べつ)ニ社会(しゃくわい)ニ対(たい)
スルノ義務(ぎむ)アリ一人(いちにん)ノ為(た)メノ故(ゆへ)ニ他(た)ノ多数(たすう)ノ患者(くわんじゃ)ニ接(せっ)スル能(あた)ハザルノ不便(ふべん)ヲ感(かん)ズル
ヲ以(もっ)テ、止(や)ムヲ得(え)ズ之(こ)レヲ謝絶(しゃぜつ)スルガ故(ゆへ)ニ、治療(ぢりゃう)医員(いいん)ノ設定(せってい)ナキ今日(こんにち)看々(みす〳〵)患者(くわんじゃ)ヲシ
テ死(し)ニ至(いた)ラシムル等(とう)世間(せけん)此種(このしゅ)ノ人(ひと)未(いま)ダ以(もっ)テ少(すくな)シト為(な)サズ、嗚呼(あヽ)何(なん)ゾ嚮(さ)キニ種痘(しゅとう)セザ
リシヤ、是(こ)レ独(ひと)リ前橋(まえばし)地方(ちはう)ニ就(つき)テノミ言(い)フニ非(あら)ズト雖(いへど)モ、現(げん)ニ今回(こんくわい)各地(かくち)ニ在(あり)テ天然(てんねん)
痘(とう)ニ感染(かんせん)セル者(もの)ノ如(ごと)キハ、皆(みな)悉(こと〴〵)ク種痘(しゅとう)ヲ怠(おこた)リシニ非(あら)ザルハナカルベシ、他方(たはう)モ亦(また)
推(お)シテ知(し)ル可(べ)キノミ見(み)ル可(べ)シ今日(こんにち)天然痘(てんねんとう)治療(ぢりゃう)医員(いいん)設置(せっち)ノ必用(ひつよう)ナルコト、
夫(そ)レ種痘(しゅとう)ハ天然痘(てんねんとう)ニ対(たい)スル、唯一(いいつ)無類(むるい)ノ予防法(よばうはう)ニシテ、而(し)カモ安全(あんぜん)確実(くわくじつ)ナル予防法(よぼうはう)
ナルナリ、然(しか)ルニ此(こ)ノ安全(あんぜん)ナル予防法(よぼうはう)アルニモ係(かヽ)ハラズ、此(こ)ノ猖獗(しゃうけつ)ナル流行期(りうこうき)ニ際(さい)
                                 十三

                                   十四
シ、之レヲ用(もち)ヒズシテ其(その)身(み)ヲ亡(うしな)フ者(もの)ニ至(いた)ツテハ、吾輩(わがはい)実(じつ)ニ其(そ)ノ何(なん)ノ心(こヽろ)ナルヲ知(し)ルニ
苦(くるし)ムナリ、夫(そ)レ予防(よぼう)ノ方法(はうはう)斯(かく)ノ如(ごと)ク、医師(いし)ノ尽力(じゅんりょく)斯(かく)ノ如(ごと)ク、而(しか)シテ天然痘(てんねんとう)ヲ予防(よぼう)ス
ル能(あた)ハズト云(い)ハゝ其(その)咎(とが)ハ将(は)タ誰(たれ)ニ帰(き)セン、縱(よ)シ諸君(しょくん)ハ自業自得(じごうじとく)トシテ諦(あきら)メモセン、
害(がい)ヲ他人(たにん)ニ及(およ)ボスニ至(いた)ツテハ諸君(しょくん)豈(あ)ニ責任(せきにん)ノ負(お)フトコロナカランヤ、況(いは)ンヤ青春(せいしゅん)陽(よう)
和(わ)ノ天(てん)、南園(なんえん)東隄(とうてい)、花(はな)将(ま)サニ咲(わら)ハント欲(ほっ)シ、黄鳥(くわうちゃう)晴(はれ)ヲ弄(ろう)シテ、柳条(りうじゃう)篁竹(くわうちく)ニ囀(さへ)ヅル
ノ、候(こう)独(ひと)リ痘瘡(とうそう)ニ苦悩(くのう)シテ、霜庭(そうてい)月(つき)悲秋(ひしう)哀雁(あいがん)ノ感(かん)ヲ懐(いだ)クヤ、悔(く)ヒテ既往(きわう)ヲ顧(かへりみ)レバ、
平常(へいじゃう)甞(かっ)テ身(み)ニ疾病(しっぺい)ナク強壮(きょうそう)鉄(てつ)ノ如(ごと)クナルニ誇(ほこ)リシモノ、衰弱(すいじゃく)枯槁(ここう)忽(たちま)チ此(こヽ)ニ至(いた)ラント
ハ、思(おも)ヒ依(よ)ラザリシコトナルベシ、綺羅(きら)ノ無情(むじゃう)ナル誰(たれ)ガ為(た)メニ新(あらた)ナルヤ、人(ひと)ハ霞袂(かべい)
ヲ列(つら)ネテ、三春(さんしゅん)ノ行楽(こうらく)ヲ尽(つく)ス良(ま)コトニ羨(ウラヤ)ムニ堪(た)ヱタリト、此(これ)ハ是(こ)レ諸君(しょくん)ガ心中(しんちう)ノ遺(い)
憾(かん)ナラントス、若(も)シ其(その)観(しん)【「親」の誤植】戚(せき)知己(ちき)ノ心事(しんじ)ニ至(いた)ツテハ又(ま)タ更(さ)ラニ悲傷(ひしゃう)スベキモノアルナ
リ、百卉(ひゃくき)媚(こび)ヲ呈(てい)スル時(とき)人(ひと)已(すで)ニ亡(ぼう)シ、之(これ)ヲ春風(しゅんぷう)ニ問(と)へドモ寂寞(せきばく)トシテ応(こた)ヘズ、起(たち)テ庭(てい)
前(ぜん)ニ徘徊(はいかい)スレハ、李花(りくわ)雨(あめ)ヲ帯(お)ビテ愁(うれひ)ヲ含(ふく)ムガ如(ごと)ク、音容(おんよう)彷彿(はうふつ)夢(ゆめ)カ、幻(うつヽ)カ、枝上(しじゃう)喔々(あく〳〵)
ノ鳥声(ちゃうせい)何(なん)ゾ悲(かな)シキ、地辺(ちへん)離々(りヽ)ノ草(くさ)情(じゃう)偏(ひとへ)ニ繁(しげ)シ、終(つい)ニ旧趾(きうし)ニ倚(よ)ツテ惆悵(ちうちゃう)去(さ)ル能(あた)ハザ
ラントス、而(しか)シテ是(こ)レ何(なん)ノ為(た)メニ茲(こヽ)ニ至(いた)リシヤ、無料(むりゃう)種痘(しゅとう)ヲ以(もっ)テ医師(いし)社会(しゃくわい)ノ他(た)ニ対(たい)
スルノ徳義(とくぎ)ナリト信(しん)ゼシムルト、同時(どうじ)ニ諸君(しょくん)モ亦(ま)タ少(すくな)クトモ、凡(およ)ソ五ケ年/毎(ごと)ニハ必(かなら)
ズ種痘(しゅとう)スルコトヽナシ、殊(こと)ニ流行期(りうこうき)ニ際(さい)シテハ決(けっ)シテ之レヲ怠(おこ)タラザルヲ以(も)テ、一(いつ)
般(ぱん)社会(しゃくわい)ニ対(たい)スルノ義務(ぎむ)トナシ、万一(まんいち)接種(せっしゅ)スルモ感染(かんせん)セザル時(とき)ハ、年々(ねん〳〵)歳々(さい〳〵)其(その)功(こう)ヲ見(み)
ルニ至(いた)ル迄(まで)之(こ)レヲ施(ほどこ)シテ廃(はい)セザル可(ベ)シ、之(こ)レヲ要(よう)スルニ諸君(しょくん)ト医師(いし)ト協力(きゃうりょく)シテ以(も)テ
天然痘(てんねんとう)ヲ予防(よぼう)セヨト云(い)フコトナリ、縱令(たとへ)医師(いし)ノミ如何(いか)ニ尽力(じゅんりょく)スルモ、若(も)シ諸君(しょくん)ニ
シテ種痘(しゅとう)ヲ怠(おこた)ルアランカ、到底(たうてい)満足(まんぞく)ナル予防(よぼう)ノ功果(こうくわ)ヲ奏(そう)スル能(あた)ハザルナリ、昔時(せきじ)未(いま)
ダ牛痘(ぎうとう)発明(はつめい)ノアラザリシ世(よ)ハ、天然痘(てんねんとう)ハ皆(みな)襁褓(きゃうほう)ノ中(うち)ニ感染(かんせん)セシカバ、痘瘡児(ほうそうこ)々々々(〳〵〳〵)
ト呼(よ)ビ馴(な)レ来(きた)リシガ、種痘(しゅとう)ノ行(おこな)ハルヽ今日(こんにち)嬰児(えいじ)ハ皆(みな)接種(せっしゅ)スルガ故(ゆへ)ニ殆(ほと)ンド又(ま)タ絶(た)ヱ
テ痘瘡児(ほうそうッこ)ト呼(よ)ブベキモノヲ見(み)ザルモ、之(こ)レニ反(はん)シテ大人(たいじん)ハ却(かへっ)テ自然(しぜん)種痘(しゅとう)ヲ忽(ゆる)カセニ
スルノ傾向(けいきょう)アリシガ為(た)メ、近年(きんねん)ニ来(いた)リ天然痘(てんねんとう)ノ患者(くわんじゃ)ハ、小児(しゃうじ)ハ至(いた)ツテ稀(まれ)ニシテ大人(たいじん)
                                 十五

                                   十六
ノミ多(おほ)ク殊(こと)ニ今回(こんくわい)ノ流行(りうこう)ノ如(ごと)キハ、惨(さん)又(たた)惨(さん)ヲ極(きは)メ一家(いっか)数口(すうこう)幼児(ようじ)ヲ残(のこ)シテ皆(み)ナ其(その)襲(おそ)フ
トコロトナルモノアリ、痘瘡(ほうそう)姉(あね)、痘瘡(ほうそう)兄(あに)、阿爺(をぢ)、阿母(をば)、亦(ま)タ枕(まくら)ヲ並(なら)ベテ臥(ふ)ス、是(こ)レ
斯(こ)ノ子(こ)此(こ)ノ親(おや)ヲ失(うじな)ハヾ将(ま)サニ何(いづ)クニ適(ゆか)ントスルヤ、諸君(しょくん)夫(そ)レ此(こヽ)ニ至(いた)ツテ尚(な)ホ種痘(しゅとう)ヲ
忽(ゆるか)セニセントスル乎(か)、嗚呼(あヽ)諸君(しょくん)嗚呼(あヽ)諸君(しょくん)若(も)シ諸君(しょくん)ニシテ身(み)ヲ惜(おし)マズンバ則(すなは)チ止(や)ム、
又(また)若(も)シ慈子(じし)愛孫(あいそん)ノ不幸(ふこう)ヲ悲(かなし)マズンバ則(すなは)チ止(や)ム、苟(いやしく)モ否(しか)ラズト云(い)ハヾ盍(なん)ゾ一刻(いっこく)モ早(はや)ク
往(ゆき)テ種痘(しゅとう)ヲ施(ほどこ)サヾル、語(ご)ニ曰(いは)ク天(てん)ノ未(いま)ダ陰雨(いんう)セザルニ及(およ)ンデ牖戸(ようこ)ノ綢繆(ちうびう)ヲ怠(おこた)ル勿(なか)レ
ト、知(し)ラズ諸君(しょくん)以(もっ)テ如何(いかん)ト為(な)スヤ、
 茲(こヽ)ニ尚(な)ホ一事(いちじ)種痘者(しゅとうじゃ)ニ注意(ちうい)スベキモノアリ、本来(ほんらい)種痘後(しゅとうご)ハ時々(じヾ)医師(いし)ノ診察(しんさつ)ヲ受(う)ク
 ルヲ宜(よろ)シトス、然(しか)ルニ世人(せじん)ハ膿汁(のうじう)ヲ取(と)ラレンコトヲ気遣(きづか)ヒテ、又(ま)タ医師(いし)ニ診察(しんさつ)セ
 シメザル者(もの)多(おほ)シ、故(ゆゑ)ニ医師(いし)ニアツテハ其(その)真痘(しんとう)ヲ生(しゃう)セシヤ変痘(へんとう)(又(また)化痘(くわとう))ヲ生(しゃう)ゼシヤ、
 (種痘(しゅとう)ニ真痘(しんとう)変痘(へんとう)アリ)将(は)タ其(その)後(のち)ノ様体(ようだい)ヲ知(し)ルコト能(あた)ハズ、是(こ)レ医師(いし)ノ最(もっと)モ遺憾(いかん)ト
 スルトコロナリ、何(いかん)トナレバ時(とき)トシテ其(その)丹毒(たんどく)或(あるひ)ハ腺病(せんびゃう)皮膚病(ひふびゃう)等(とう)ヲ合併(がっぺい)スル時(とき)ハ、
 其(その)治療(ぢりゃう)ヲ要(よう)シ又(ま)タ機械的(きかいてき)ノ刺衝(ししゃう)(則(すなは)チ衣服(いふく)ノ摩擦(まさつ)又(また)ハ爪破(そうは)等(とう))或(あるひ)ハ他(た)ノ原因(げんいん)ニ由(より)テ
 壌癢(くわいよう)セシモノ等(とう)ノ如(ごと)キハ、往々(わう〳〵)不正(ふせい)ノ経過(けいくわ)ヲ取(と)リ縱(したがっ)テ予防(よぼう)ノ効力(こうりょく)ニ疑(うたが)ハシキコト
 アレバナリ、今(いま)此(こヽ)ニ牛痘(ぎうとう)ヲ接種(せっしゅ)セル者(もの)ニシテ真痘(しんとう)ヲ生(しゃう)ゼシ者(もの)、及(およ)ビ変痘(へんとう)ヲ生(しゃう)ゼシ
 者(もの)ノ経過(けいくわ)ニ付(つ)キ其(その)要点(ようてん)ヲ述(の)ベン
 真痘(しんとう)ハ、初種(しょしゅ)ニ在(あり)テハ初(はじ)メ第(だい)二日ノ終(おはり)或(あるひ)ハ第(だい)三日ノ初(はじめ)ニ至(いた)リ接種部(せっしゅぶ)ニ乳嘴疹状(にうしヽんじゃう)ヲ
 呈(てい)シ、第(だい)三四日ニ於(おい)テ漸次(ぜんじ)水泡疹状(すいはうしんじゃう)トナリ、第(だい)六七日ニ於(おい)テ全(まった)ク水泡(すいはう)トナリ、中(ちう)
 心(しん)ニ陥凹(かんおう)ヲ呈(てい)ス、第(だい)八九日ニ至(いた)リ全(まった)ク生育(せいいく)シテ真珠色(しんじゅしょく)ヲ呈(てい)シ透明(とうめい)ノ液(えき)ヲ充(み)テ中心(ちうしん)
 陥凹(かんおう)著明(ちょめい)ニシテ周辺(しうへん)硬結(こうけつ)ス、第八九日ヨリ膿熱(のうねつ)ヲ起(おこ)シ痘(とう)ノ周囲(しうい)ニ赤色(せきしょく)ノ炎(えん)ヲ発(はっ)シ
 尚(な)ホ一二日/間(かん)炎症(えんしゃう)増加(ぞうか)シ、第(だい)十日ニ至(いた)リ紅暈(こうヽん)消失(しゃうしつ)シ、第(だい)十四五日ニハ褐色(かっしょく)ノ痂(か)ヲ
 結(むす)ビ漸次(ぜんじ)乾燥(かんそう)シテ黒色(こくしょく)トナリ、第(だい)二/十日(じうじつ)ヨリ第(だい)二十五/日(じつ)ニ落痂(らくか)シ陥凹(かんおう)シタル瘢痕(はんこん)
 ヲ遺(のこ)スベシ、而(しか)シテ爰(こヽ)ニ注意(ちうい)スベキハ紅暈(こううん)著明(ちょめい)ニシテ其(そ)ノ直径(ちょくけい)二、五/乃至(ないし)七「ミリ
 メートル」ニ達(たっ)シ、多少(たしゃう)全身症(ぜんしんしゃう)ヲ伴(ともな)フヲ可(か)トス、全身症(ぜんしんしゃう)ハ嬰児(えいじ)ハ幼童(ようどう)ヨリ幼童(ようどう)ハ
                                  十七

                                   十八
 大人(たいじん)ヨリ軽(かろ)キヲ常(つね)トス、大人(たいじん)ノ初種(しょしゅ)ハ経過(けいくわ)遅延(ちえん)シテ紅暈(こうヽん)蔓延(まんえん)シ腋下腺(えきかせん)ノ腫大(しゅだい)ヲ誘(いう)
 発(はつ)スルコト多(おほ)シ、或人(あるひと)ハ一/週間(しうかん)遅延(ちえん)シタル症(しゃう)ヲ目撃(もくげき)セシコトアリト云(い)フ、然(しか)レド
 モ種痘(しゅとう)ノ効力(こうりょく)ニハ関(くわん)するヿ【コト】ナシ、之(こ)レニ反(はん)シテ一両日(いちりゃうじつ)経過(けいくわ)早速(そうそく)ナルコトアルモ紅(こう)
 暈(うん)十分(じうぶん)発生(はっせい)スルトキハ妨(さまた)ゲナシ、但(たヾ)シ遅延症(ちえんしゃう)ヨリモ早速症(さうそくしゃう)ニハ其(その)効力(こうりょく)ニ疑(うたがい)ヲ置(お)
 クベキコト多(おほ)シトス、
 変痘(へんとう)ハ接種(せっしゅ)セル日(ひ)ヨリ痒味(ようみ)ヲ生(しゃう)ジ、赤色(せきしょく)乳嘴疹状(にうししんじゃう)ヲ呈(てい)シ、漸々(ぜん〳〵)腫大(しゅだい)ニシテ其(その)形(かたち)隆(りう)
 起(き)シ、著(いちじる)シク水泡期(すいほうき)ト膿期(のうき)ト不規則(ふきそく)ナルモノナリ、水泡期(すいほうき)トナルヤ否(いな)ヤ化膿期(かのうき)ト
 ナリ、化膿期(かのうき)トナルヤ否(いな)ヤ結痂(けっか)シ、十日/乃至(ないし)十五日ニシテ落痂(らくか)ス、之(これ)ヲ真痘(しんとう)ニ比(ひ)
 スレパ殆(ほと)ンド十日/許(ばか)リ早(はや)ク、落痂(らくか)スルモノニシテ落痂後(らくかご)真痘(しんとう)ニ在(あり)テハ、癡【「瘢」の誤植】痕(はんこん)ノ周(しう)
 囲(い)ニ稍々(やヽ)鋸歯状(きょしじゃう)ヲ遺(のこ)シテ長(なが)ク消滅(しゃうめつ)セザルモ、変痘(へんとう)ハ之(これ)ニ反(はん)シテ瘢痕(はんこん)平滑(へいかつ)ニシテ毫(ごう)
 モ鋸歯状(きょしじゃう)ヲ遺(のこ)サヾルノミナラズ、数月(すうげつ)ヲ経過(けいくわ)スルニ従(したが)ヒ漸々(せん〳〵)消滅(しゃうめつ)シ絶(た)エテ其(その)瘢痕(はんこん)
 ヲ留(とヾ)メザルニ至(いた)ル
 普通(ふつう)ノ経過(ゆいくわ)【ルビ「け」の誤植】大略(たいりゃく)此(かく)ノ如(ごと)シ諸君(しょくん)能(よ)ク之(こ)レヲ注意(ちうい)セバ大(おほい)ニ参考(さんこう)トナル可(べ)キナリ
                                   十九

  一
一五四

前橋市《割書:自明治廿五年一月|至同  年十二月》痘瘡患者調査表
月別  種別 痘瘡  《割書:真|変》痘数   全治及死亡  毎
一月     真痘   一二   全治  七
                 死亡  五
       変痘    二   同   二
                 同   〇
二月     真痘   一一   同   八
                 同   三
       変痘    三   同   三
                 同   〇
三月     真痘   一五   同   八
                 同   七
       変痘    六   同   六
                 同   〇
四月     真痘   二一   同  一二
                 同   九
       変痘    七   同   七
                 同   〇
五月     真痘   三九   同  三〇
                 同   九
       変痘    九   同   九
                 同   〇
六月     真痘   一六   同  一一
                 同   五
       変痘    六   同   六
                 同   〇
七月     真痘    四   同   四
                 同   〇
       変痘    一   同   一
                 同   〇
八月     真痘    〇   同    
                 同    
       変痘    一   同   一
                 同   〇
九月     真痘
                      
       変痘
十月
                      
                      
                      
十一月
                      
                      
                      
十二月    真痘    一   全治  〇
                 死亡  一
       変痘
                      
合計     真痘  一一九   全治 八〇
                 死亡 三九
       変痘   三五   同  三五
                 同   〇
患 者    真痘  全治 六十七人二分
百人中        死亡 三十二人八分
       変痘  全治     百人
           死亡      〇

前橋市《割書:自明治廿五年一月|至同  年十二月》痘瘡患者調査表
別  種別  痘瘡  《割書:真|変》痘数   全治及死亡  毎月患者数
 月     真痘   一二   全治  七     一四
                 死亡  五
       変痘    二   同   二
                 同   〇
 月     真痘   一一   同   八     一四
                 同   三
       変痘    三   同   三
                 同   〇
 月     真痘   一五   同   八     二一
                 同   七
       変痘    六   同   六
                 同   〇
 月     真痘   二一   同  一二     二八
                 同   九
       変痘    七   同   七
                 同   〇
 月     真痘   三九   同  三〇     四八
                 同   九
       変痘    九   同   九
                 同   〇
 月     真痘   一六   同  一一     二二
                 同   五
       変痘    六   同   六
                 同   〇
 月     真痘    四   同   四      五
                 同   〇
       変痘    一   同   一
                 同   〇
 月     真痘    〇   同          一
                 同    
       変痘    一   同   一
                 同   〇
 月     真痘
                            
       変痘
                           

                            
                            
                            
一月
                            
                            
                            
二月     真痘    一   全治  〇      一
                 死亡  一
       変痘

 計     真痘  一一九   全治 八〇    一五四
                 死亡 三九
       変痘   三五   同  三五
                 同   〇
  者    真痘  全治 六十七人二分
人 中        死亡 三十二人八分
       変痘  全治     百人
           死亡      〇        

   種痘者ノ注意
                   桜井伝三
余(よ)数年間(すうねんかん)種痘(しゆとう)接種(せつしゆ)ヲ実験(ぢつけん)セシニ付(つ)キ、此(こゝ)ニ 其(その)注意(ちうい)ノ 概略(がいりやく)ヲ述(のべ)テ 聊(いさゝ)カ世(よ)ノ参考(さんこう)ニ供(ぎやう)
セントス
種痘(しゆとう)摂取後(せつしゆご)ハ凡(およ)ソ三 週間(しうかん)程(ほど)沐浴(もくよく)セザルヲ宜(よろし)シトス、然(しか)レドトモ【「モ」の誤植】接種後(せつしゆご)六 時間(じかん)ヲ経過(けいくわ)セ
バ夫(そ)レヨリ三日 間(かん)ハ入湯(にふとう)【ルビ「と」右横転】スルモ妨(さまたげ)ナシ、第(だい)四日 目(め)ヨリ第(だい)廿一日 目迄(めまで)ハ入浴(にうよく)セザル様(よう)
致(いた)スベシ、但(たゞ)シ半身浴(はんしんよく)ハ行(おこな)フモ妨(さまたげ)ゲ無(な)キノミナラズ、却(かえつ)テ之(こ)レヲ行( こな)【ルビ「お」脱】フヲ宜(よろ)シトス、
殊(こと)ニ小児(しやうに)婦人(ふじん)ハ、身体(しんたい)ノ不潔(ふけつ)ニ至(いた)リ易(やす)キガ故(ゆへ)ニ半身浴(はんしんよく)ヲ行(おこな)フハ最(もつと)モ必要(ひつよう)ナリ、接種(せつしゆ)
後(ご)十四五 日(にち)ヲ経(へ)テ入湯(にふとう)為(な)シ度(たき)トキハ、両手(りやうしゆ)ヲ頭上(とじやうう)【ルビ「う」衍】ニ挙(あ)ゲ種痘部(しゆとうぶ)ヲ湯(ゆ)ニ浸(ひた)サヾル様(よう)注意(ちうい)
スベシ、又(また)三 週日(しうぢつ)ヲ経過(けいくわ)セザル内(うち)ト雖(いへど)モ、両手(リやうて)ヲ湯(ゆ)ノ中(なか)ニ入(い)レ沐浴(もくよく)為(な)シ 度(たき)トキハ医師(いし)
ニ乞(こ)フテ其(その)手術(しゆじゆつ)ニヨリ痛(いた)ミヲ覚(おぼ)【ルビ「ぼ」右横転】ヘザル様(よう)痘痂(とうか)ヲ剥離(はくり)シ而(しか)ル後(のち)入浴(にうよく)スベシ、三 週后(しうご)入(にう)
湯(とう)為(な)ストキト雖(いへど)モ 痘痂(とうか)ハ爪(つめ)ニテ剥離(はくり)シテ入浴(にふよく)スベシ、蓋(けだ)シ其(その)此(かく)ノ如(ごと)ク 痘痂(とうか)ヲ湯(ゆ)ニ浸(ひた)サ
                     二十一

                                   二十二
ヾル様(よう)注意(ちうい)セザレバ入湯(にふとう)ノ為(た)メニ痘痂(とうか)軟化(なんくわ)セラレテ、痘毒(とうどく)ヲ皮膚(ひふ)ニ吸収(きうしう)シ、腺病丹(せんびやうたん)
毒等(どくとう)ヲ起(おこ)スノ虞(おそれ)有レパナリ、種痘後(しゆとうご)ハ便秘(べんひ)スルヲ常(つね)トス、故(ゆへ)ニ時々(じヽ)下剤(げざい)ヲ用(もち)ユルヲ
佳(よ)シトス、何(な)ントナレバ便秘(べんぴ)スルトキ【「ト」と「キ」の合字】ハ皮膚病等(ひふびやうとう)ヲ発(こは)シ易(やす)ケレバナリ、扶氏(ふし)ハ落痂時(らくかじ)
ニハ便秘(べんぴ)セズト雖(いへど)モ亦(また)下剤(げざい)ヲ用(もち)ユルヲ佳(よ)シト説(と)ケリ、余(よ)ハ明治(めいぢ)六〇七〇八ノ三年 間(かん)ニ
凡(およ)ソ六千人ノ未痘児(みとうじ)及ビ数(すう)千人ノ再三種者(さいさんしゆしや)ヲ種痘(しゆとう)シ爾来(じらい)今日(こんにち)ニ至(いた)ル迄(まで)ニ数万人(すうまんにん)ニ接(せつ)
種(しゆ)シ経験(けいけん)セシガ、扶氏(ふし)ノ説(せつ)ノ如(ごと)ク下剤(げざい)ヲ用(もち)ユル方(かた)宜(よろ)シキナリ、是(こ)レ皮膚(ひふ)ト腸(ちやう)トハ交(こう)
感性(かんせい)ヲ有(いう)スルガ故(ゆへ)ニ腸胃(ちやうい)ニ汚物(おぶつ)ヲ鬱積(うつせき)スルトキ【「ト」と「キ」の合字】ハ皮膚ニ反応(はんおう)シ皮膚病等(ひふびやうどう)ヲ発(はつ)シ易(やす)キヲ
以(もつ)テナリ、種痘(しゆとう)経過中(けいくわちう)ハ時日(じじつ)ヲ経過(けいくわ)セル物(もの)ヲ飲食(いんしよく)スベカラズ、何(なん)トナレバ是(こ)レ血液(けつえき)
ヲ悪性(あくせい)ニ変(へん)ズルノミナラズ腸胃(ちやうい)ニ汚物(おぶつ)ヲ鬱滞(うつたい)セシメテ、諸症(しよしやう)ヲ併発(へいはつ)スルノ媒介(ばいかい)トナ
レバナリ種痘(しゆとう)経過中(けいくわちう)ハ能(よ)ク医師(いし)ノ命(めい)ニ従(したが)ヒ注意(ちうい)ニモ尚(な)ホ注意(ちうい)ヲ要(よう)スルヿ【コト】ナリ、種痘(しゆとう)
シテ感(かん)ゼシトキ【「ト」と「キ」の合字】ハ、小児(せうに)ニハ広袖口(ひろそでぐち)ヲ着用(ちやくよう)セシメヨ、大人(たいじん)ニシテ労働(らうどう)スル者(もの)ハ肉襦袢(にくじゆばん)
ヲ着用(ちやくよう)スベシ、之(こ)レヲ要(よう)スルニ爬掻(はそう)又ハ摩擦破潰(まさつはくわい)セザル様(よう)注意(ちうい)スルヿ【こと】ヲ要(よう)ス、嬰児(えいじ)
ハ出産後(しゆさんいご)六七十日ヲ経過(けいくわ)シテ初(はじ)メテ種痘(しゆとう)ヲ施(ほとこ)スヲ常(つね)トスレ𪜈【トモ】天然痘(てんねんとう)流行(りうこう)ノ際(さい)殊(こと)ニ患(くわん)
者(じや)接近(せつきん)ノ地(ち)ニ在(あ)ルトキ【「ト」と「キ」の合字】ハ六七十日ヲ経(へ)ズシテ二週間(にしうかん)以内(いない)ノ者(もの)ト雖(いへど)モ必(かなら)ズ種痘(しゆとう)ヲ施(ほどこ)スベ
シ、余(よ)ハ現(げん)ニ生後(せいご)二 週間(しうかん)ヲ経(へ)ズシテ天然痘(てんねんとう)ヲ感(かん)ゼシ者(もの)ヲ見(み)シ事(こと)アリ、是(こ)ノ例(れい)ニ依(より)テ
見(み)ルモ生后(せいご)六七十日ヲ経過(けいくわ)セザルモノ間々(まヽ)感能者(かんのうしや)アルニ因(よ)リ天然痘(てんねんとう)流行(りうこう)ノ際(さい)ハ生后(せいご)
日数(じつすう)ヲ経過(けいくわ)セズト雖(いへど)モ必(かなら)ズ速(すみやか)ニ種痘(しゆとう)スルヿ【コト】ヲ怠(おこた)ラザルベシ、天然痘(てんねんとう)流行(りうこう)セザル時(とき)
ト雖(いへど)モ、出生後(しゆつせいご)二ヶ月(げつ)以上(いじやう)八ヶ月(げつ)以内(いない)ニハ必(かなら)ズ種痘(しゆとう)スベシ、何(なん)トナレハ八(はつ)ヶ月後(げつご)ハ
生歯期(せいしき)ニ掛(かヽ)リ小児病(しやうにひやう)ヲ発(はつ)シ易(やす)キ故(ゆへ)ニ、成(なる)ベク生歯期前(せいしきぜん)ニ種痘(しゆとう)スルヿ【コト】ヲ要(よう)スルナリ、
種痘経過中(しゆとうけいくわちう)ト雖(いへど)モ平常(へいじやう)慣用(かんよう)シ来(きた)リシ食物等(しよくもつとう)ハ総(すべ)テ禁忌(きんき)スルニ及(およ)バズ、亦(また)医薬(いやく)ヲモ要(よう)
セズ、種痘(しゆとう)ノ時期(じき)ハ春秋(しゆんじう)二 季(き)ヲ以(もつ)テ最良(さいりやう)トスレ𪜈【トモ】、四季中(しきちう)何時(なんとき)種痘(しゆとう)スルモ妨(さまた)ゲアル
コトナシ、医師(いし)ガ多(おほ)ク春秋(しゆんじう)ノ二 季(き)ニ種痘(しゆとう)スルヲ以(もつ)テ、世人(せじん)ハ種痘(しゆとう)ヲ芋種痘瘡(いもだねとうそう)ナドヽ
称(しやう)シテ、医師(いし)ハ閑暇(かんか)ノ時期(じき)ニテ丁度(ちやうど)芋種(いもだね)ヲ植付(うゑつく)ル頃(ころ)種痘(しゆとう)スルガ故(ゆへ)ニ、世人(せじん)芋種(いもだね)ヲ植(うゑ)
付(つく)ル頃(ころ)種痘(しゆとう)スル者(もの)ト思(おも)ヒ、之(これ)ヲ芋種(いもだね)ニ例(たと)ヘテ芋種(いもだね)痘瘡(とうそう)ト云(いふ)ナリ、敢(あへ)テ芋種(いもだね)ヲ植付(うへつく)ル
                                    二十三

                                  二十四
頃(ころ)ニ限(かぎ)ルニアラズ、四季(しき)何時(なんどき)ニテモ宜(よろ)シキナリ、決(けつ)シテ種痘(しゆとう)ヲ怠(おこた)ルベカラズ

【右頁 書誌・所蔵事項】

【左頁】
桜井伝三著
            (非売品)
《題:天然痘予防注意》
  《割書:兼|》種痘者之注意
  《割書:附|録》(出産期日一覧表)

生徒甘粕鷲郎大村央木村乙吉病ニ付退学ノ件

安政五年秋・片岡仁左衛門

安政五年秋のころごひゐきあつき
片岡仁左衛門ころりといへるはやり
やまひにとりつかれくすりよきうよと
てをつくせどもすこしもしるしなく
ついにむじやうのかぜにさそわれ
かないのものはもとよりきく
人たもとをしぼりける
さてなく〳〵ものべおくりの

いとなみなどしけるゆうべふしぎやこくうにおんがく
きこへしうんたなびき日ごろしんじんなす日れん大ぼさつ
あらわれたまひみみやうのおんこへあり〳〵となんじつね〴〵
しんじんのとくによつてこのたびの大なんをすくひむびやう
そくさいをまもるべしゆめ〳〵しんじんおんこへもろとも
ゆめのさめたるごとくよみがへりもとにましたるみうちの
すこやかかないのよろこび大かたならずきく人きいのおも
ひをなしぬあらありがたの
            南無妙法蓮華経〳〵〳〵