【絵内の枠内】
二荒温泉記略
|鶴(つる)の湯(ゆ) |河原湯(かわらゆ)
|純子湯(どんすゆ) |中(なか) |湯(ゆ)
|瀧(たき) |湯(ゆ) |姥(うば) |湯(ゆ)
|御所湯(ごしよゆ) |笹(さゝ) |湯(ゆ)
|自在湯(じざいゆ) |荒(あら) |湯(ゆ)
抑(そも〳〵)この温泉(おんせん)は我朝(わがてう)医術(いじゆつ)の大祖(みをや)
大已貴神(おほなむちのかみ)蒼生救護(さうせいきうご)の為(ため)に授(さづ)
け給ふ所(ところ)にして各泉各種(かくせんかくしゆ)の
偉効(いかう)を奏(そう)ししたがつて温度(をんど)
もまた等(ひと)しからず其病症(そのべうせう)に
応(おう)じてその温泉(をんせん)あること実(じつ)に
天與(てんよ)の霊場(れいでう)殊(こと)に避暑両全(へきしよれうぜん)の
佳境(かきやう)なり且(か)つ風景(ふうけい)の絶美(せつび)なる
こと所謂(いわゆる)日光(につくわう)を見(み)ざれば結構(けつこう)を
いはざるの諺(ことわざ)に負(そむ)かざるべし
|右(みぎ)十泉(とうせん)の温度(をんど)功能等(こうのうとう)は温泉記(をんせんき)
に詳(つまびら)かなり就(つき)て見(み)るべし
巳卯の秋日 馬角斉記
【絵の署名】
朝香楼芳春画
【絵内左下】
画 工 東京府下浅草区並木町十三番地
生田幾三郎
出版人 仝日本橋区馬喰丁一丁目九番地
荒川藤兵衛
売弘人 栃木県下日光本町六百廿二番地
小林次郎
【上の資料】
【太枠外】
新ぱんわらいの種本
【上段左へ】
おそろしい 大きいねへ 今朝の じしん
あれさ なかれる よ つなみの 人々
こしが ふら〳〵 するよ 今朝の じしんで
利上をしな いからながれ たよ 下田のつなみ
またつゞけ るのかへ わたしやいやたね 二度目の じしん
【下段左へ】
にきつたら はやくおいれよ 火事の弁当
わたしや もうがつ かりしたよ 地しんのあと
あれさ しにますよ じしんの 牛馬
あれさ いくよ 御国の はや使
いつそうれ しい ねへ 御ひざもと
【下の資料】
【太枠右タイトル】
《割書:ゆら|ゆら》豊(ゆたか)問答(もんとう)《割書:なまづめがつち うごかして市中に|土蔵の山をつみ かさねけり》
【上段左へ】
しんだ人もないのに 小づかはらとはこれいかに
○くわじがなくても 月やくといふが ことし
ひやざけをのんで やけざけとはこれいかに
○地(ぢ)しんのいらぬまへ からのみつぶれ るがごとし
いたみもせぬにくづれ ばしとはこれいかに
○やけもせぬのに かぢばしと いふがごとし
地(ぢ)がさけもせぬ所(ところ)を わり下水とはこれいかに
○大はそんしてもとく 右衛門(ゑもん)丁といふがごとし
大ぜいのたをれものを しにんとはこれいかに
○数(す)千人の御 火(ひ)けしを 御にんずといふがごとし
七丁ある丁を五丁まち とはこれいかに
○一つのほりを さんやほりといふがごとし
【下段】
つちいぢりもせぬに どろぼふとはこれいかに
○やけばのてつだい にもあらでごまの はいといふがごとし
火をふせぐ ためのくらをぢしん につちをおとすとはこれ いかに
○いきてゐる人 でもぼんくらといふがごとし
いがまぬいへを 三かくとはこれいかに
○地(ぢ)しんまへに井戸が にごつてもきよすみ 丁といふがごとし
りつばにそうぞくする かねもちのいへをつぶれ 家とはこれいかに
○こわれた土蔵(どそう)でも いゝくらといふがごとし
ゆがみもせぬにすじ かいとはこれいかに
○たをれぬ所も よこ丁といふがごとし
くろくもない いなりさまを くろすけとはいかに
くろいへいのそばにあるを 四郎兵衛といふがごとし
【上の資料】
【タイトル】
《割書:大地震|大津波》安達原(あだちがはら)《割書:三段|目》抜文句
【一段目左へ】
年寄(としよつ)たからだは いつ何時の
かうなり はてた身の上
一度におどろき 転(まろ)びおり垣(かき)押(をし)破(やぶ)り
跡の詮(せん)義は某(それがし)が よきやうに
ゆんでめでへ はつたとけとばし
天眼(てんがん)通(つう)は 得ざれども
はしらんと すれども
皮(かは)もやぶれし 三味せんの
浜(はま)ゆふが とびたつばかり
隙(ひま)入ほど 為にならぬ
嘆(なげ)きは理(こと)はり 何かに付て
爰(こゝ)迄くるは きたれど
【二段目】
丸太(まるた)で もたす古家(ふるいへ)
穴掘(あなほつ)て埋(うづん)で ゐる瀬戸物や
ろうじから 空地(くうち)へ逃出る人
内にのこる 番頭
川内へ押込(おしこん)で 来(き)た大船
いつの何時にゆ ると知た貌(かほ)する人
途中(とちう)で地しんに あふた人
さんざひ中へ ゆさ〳〵
鳥羽(とば)浦 大つなみ
工(く)手間 増(ます)船大工
芝(しば)居茶や
ちり〴〵に にげた人
【三段目】
はつとおどろき またばつたり
テモ扨も扨も〳〵 おもひがけない
是はまた あんまりきつい
今思ひ知り おつたか
わが身ながら あいそのついた
聞て心も こゝろならず
追立られ かしこの橋では
八幡殿の 北の方
おまへに問たら しれるであろ
われ〳〵が 大望(たいもう)の妨(さまた)げ
かきがねに錠(ぢやう) しつかとおろし
縄(なわ)引切て逃(にげ)出ん と存ぜし所
【四段目】
つなみと聞て 気打する人
座敷へ船の みよし入られたの
十一月五日の 夕かた
爪(つめ)の長い 家主
釣台(つりだい)で逃して もらふ病人
いせから奉公(ほうこ)に 来(き)てゐる人
津波に 出合た茶舟
しづかに 有た都
江戸から 戻つて来た人
京の 顔見せ
家内連て在(ざい) 所へ逃る人
つなみの 咄(はなし)する船頭(せんどう)
【下の資料】
【箱書タイトル】涙如来(なみだによらい)の損像(そんぞう)《割書:山の宿聖天町にて|有頂天(うてうてん)五十日の間開帳》
【内容】
そも〳〵かりにあんじしたてまつるはしなのゝくにぜんくわうじの
ほんぞんほつこくでんらいしまおうこんの
なみだによらいのそんぞうなりその
むかしてれんてくだうそ八百だいの
みかどけいせいてんわうのおんとき
なまづだいじんのまつしややけのやんはちと
いへるものこのそんぞうにあつくなり
ちうやあゆみをはこべ
ともごりやくなきを
いきとふりたゝらを
ふませておはくろ
とぶへなげこみしを
わかひものとんだとじみつ
やう〳〵ひきあけまいらせてせなかに
おぶひたてまつりのろまのくにはなげ
むらなるおきやくさんかねぼれじへつれ
まいらせしばしかりねのおんちぎりあさ
からずこれによつてこのたび山のしゆく
せうでんてうをおんかりやとしてかいてうし
たてまつりぼんぶけちゑんのために
おとびらをひらきぼんのうぼたいを
によき〳〵と出やうしたてまつるもの
なりひとたびはいするともがらはたいへいの
ぢしんをゆらせうつきをさんじみらいは
かならずひとつはちすのうてなでくらしうてうてんへ
のぼりてまんざいらくねのたのしみにじゆめうの
はなげをのばすことうたがひなしごしん〴〵の
おんかたは一ぶもつてとこへまいられませう
【右上タイトル】上毛四万鉱泉関邸内之図
【上部巻物図の文章】
四方之賦
夜毎にも下に焚火(たきび)は なけれども四方根(よもね)の真(ま)
湯の たゆるともなしと 堀川百首によみゐひし
当温泉は窈窕(ようてう)として 川の左右にあり東に
水晶山。阿野山を望み西は澤渡草津温泉迄
峯つゞきなり 此は日向山。小倉山を麓(ふもと)にして 峨(が)々
たる大山をへだて 越後の国に境迄南は原町
中の条駅迄 谷につらなりて折【節?】曝布(ばくふ)ところ〳〵
に引はへて眼下(がんか)に吾妻川の長流をひかへ さすがに
捨がたき山の姿なりけり 柳ノ沸湯(わきゆ)の源はそのかみ
ふるきころ 沼田の城基 真田伊賀守公 此地の領主(りやうしゆ)
たりしに湯本 某に分ち與へ浴室(よくしつ)を作らせし
よりひらけそめ後 寛文(くわんぶん)の度 公の御聞に達し
温泉の高札を改め 猶(なほ) 維新(いしん)の際(さい)全国鉱泉の
湯質経験(とうしつけいけん)あかしより都鄙(とひ)遠近の老若四時
のわかちなく袖をつらねて来る往々年月
の移り行まゝに 家栄軒睦(いへさかへのきむつ)みて歴然(れきせん)たり
もとより蒸湯の大切 滝湯の妙利〔功能
概略(がいりやく) 慢性皮膚(まんせいひふ)ノ病 《割書:疥癬|ノルヰ》 頑固僂麻質私(ぐわんこるましつし)
○脱舊挫傷(だつきうさしやう)ニヨリテ生スル手足医|痿痺(いひ)○神
経痛(けいつう)○胸(むね)ハリ胸イタミ 消食不良(せうしよくふりやう)○血ノ不足
○肝臓(かんざう)病○便秘(べんひ)ノ癖(へき)アル者 神至痛(しんしつう)]其外
もろ〳〵の病ひを救ふ子細に すまたのほか
こと十丁余りにして 瑠璃殿(るりでん)に薬師仏を
安置し宮|柱(はしら)ふとしき立て 温泉神社|鎮(ちん)
座し給ふ かたはらに 牛をかへすほどの古
木あり 凡そ千年も経たるならん枝葉
生茂りて森(しん)々とならし 産物には蕨(わらひ)独
活|椎茸(しゐたけ)舞たけ 岩茸治菌 湯晒艾など
土産に買はせ其外 北越より魚鼈(ぎよべつ)来り
渓(たに)を隔て米穀を運(はこ)びて 更に幽崖窮谷(いうがゐきうこく)に
はあらじ その群集(ぐわんしゆう)の旅客の湯労れをなぐ
さめんには芸妓といふものありていとたけの
曲をあげ また其|粧(よそほ)ひ 美なり 艶(ゑん)なり 声は
鴬の吟より細く 髪に梅花の薫(かほ)りを含みて
雪の肌(はだ)へに紅(くれない)の袖をひらめかす風情みるに
たへがたくなんありける 殊更の繁花霊泉(はんくわれいせん)の
功多少(くわうたせう)の病客根治(びやうかくこんぢ)せんといふことなし 湯壺(ゆつほ)
きよらかにして 塩気(しをけ)をもち よく茶に
あふといへり 日の本のと呼(よば)れし但馬木の崎
の温泉も上に立んことかたしと 歌川何がし
の書 残されしもむべなるかな 病ひの癒(いゆ)
る所以(ゆゑん)を自ら感(かん)じて十ヶ所のあらましを
書しるし硯りの墨つきて筆とめぬ
薬王山桜 桜狩 病ひありげな 人もなし
稲裏残雪 いらがへに 減るや尾上に 残る雪
髙野蜀魂 上にうへ あるやたかやの ほとゝぎす
山口曝布 しらたきや 青葉の奥の 夕煙り
水晶山秋月 月すむや 青空にさす 地の光り
安良湯残照 温泉の 立山懐の 残暑かな
小倉紅葉 にしきにも 綾にもみへて 夕紅葉
日向古堂 鴬も むかし忍ふか 冬篭り
干時明治十四春良辰 久森烏曉稿
【絵図枠外 左上】明治十四年五月御届
【絵図枠外 左下囲み文字】湯元関善平蔵版
【同版が三枚続けて収集されているらしい資料の三枚目。なので同じステージにある状態の良い二枚目の翻刻だけで良いと思い、このまま完了にします。】
【上の資料】
【太枠右タイトル】
《割書:ゆら|ゆら》豊(ゆたか)問答(もんとう)《割書:大黒のつちうごかして世の中に|宝の山をつみかさねける》
【上段左へ】
おなじやうに ゆられてがら ぢしんばんとはこれいかに
○のじゆくをしても いへぬしといふがことし
よし原(はら)をやけはら とはこれいかに
○みんなやけても 七けんだの五けん だのといふがごとし
ぢしんのときでもかみ なりもんとはこれいかに
○きなくさくも ないににほふもんと いふがごとし
こわいめにあひながら まんざいらくことは これいかに
○やけざけをのんで たいへいらくといふがごとし
ぢしんやけでまるばだかに なつたうへこしのたゝぬ 人をたちのまんまとはこれいかに
○はたらいてたすかつた人を 大ぼねをりといふがごとし
人のおほくとふる ところを馬(うま)みち とはこれいかに
○せうぎにもあらぬに こまかたといふがごとし
【下段】
こんどのことでむしんの 夜(よ)をすこしてぢしんに いつたとはこれいかに
○やけもせぬおきやくを あつくなつてくるといふがごとし
おゝきないへを 御小やとはこれいかに
○ちいさなうちでも 大やさんと いふがごとし
ひもとでもなくて ぢしんやけとはこれいかに
○大われをしても 小われたと いふかごとし
あをものでも ないに大ゆり〳〵 とはこれいかに
○さかなにもかじきの あるがごとし
どろみづがわきたし ても上水(じやうすい)とはこれいかに
○すなをふき だしてもおちやの 水(みづ)へんといふがごとし
ざいもくやげんきんに かねをとつて川岸(かし)で うるとはこれいかに
○わがたてたいへをうり たくといふがごとし
【下の資料】
【太枠タイトル】
《割書:地震|出火》例(れい)のおわらひ《割書:○印の分は先へつゝけてよむへし|跡は小字こと合せてよむなり》
【上段左へ】
○びつくり したよ
〽地しんと火(くわ)事
○ヲヤマアこんなに たつているよ
〽七ヶ所の おすくひ小屋
○ひとがくると 見るよ
〽つふれた 家くら
○あれサぬけ そうたよ
〽はや 仕□の せんとう
○ほねもかわも ひとつになるよ
〽よしはらの 死人
○日本ぢうか いつしよだよ
〽きよねんからの 地しんさわき
○アレもふ いつたよ
〽はりの下の おうしやう
○こん夜は ねかさないよ
〽とき〴〵の ゆりかへし
○じつに うれしいよ
〽おすくひの おむすひ
○はだかに なつておしよ
〽ゆうばりの 手(て)つだい
○オヤ〳〵おまへも おだしたねへ
〽おうらひの にもつ
○大そうでたよ
〽まち〳〵も ほとこし
○はやく おやりよ
〽四斗たるの かりとむらひ
○かつかり したよ
〽こんとの 大へん
金太郎 応需 芳年画◯【印、芳年】
捕鯉魚
【画署名左丸印】
根岸
二五【番】地
教【学?栄?】堂
彫刻
【日本芸術文化振興会のライブラリには、彫師根岸彫刻(根岸直山)、版元松井栄吉とあるが教?堂は不明。読み間違いか】
【タイトル】
雷神秋(らいじんあき)の夕立鏡(ゆうだちがゝみ)【かゞみの誤りか】
【図内右上紺地部分】
明寺十六年八月十五日
落雷場所
麹町区 祝田町 土手
神田区 金沢町 十三番地
芝 区 公園地 四ケ所
【図内左上紺地部分】
四ツ谷区 鮫ケ橋
牛込区 神楽町二番地
小石川区 大塚町三十六番地
本郷区 根津八重垣町
【図内雷セリフ右上から左下】
〽よほどのけが人かあまり
さわぎがつよいから
なりたけしづかに
するがよかろふ
〽はうぼうの
おまつりで若へものが
さわぎだしこれも
さけの上でござり升
〽おとすりを
おあがんなさりませ
〽大そうにそんじたの
ま事【こと】にせがれにも
こまるなんぞ
と
いふと
さきに
たち
むかし
おちかごや
くもすけいまは
なんだろう
な
〽くも助ではないくもの上から
おつこちさ
〽おちもおちたが犬の上ひざを
くいつかれあいつのはには
どくがある
そうだ
〽いぬには
くろざとうが
くすりだ
〽大かたから八
だろう
〽此たいこはたれのだこんなじやうだんを
するからだ
〽かんじんのつのには
さわりはないよ
〽おつかさん
おとつさんはおつのが
おれたのかい
おつかさん【が?】
おこま【り】だねへ
【前部欠損】
ほどの御けが御養生
かんじん
〳〵
〽のんでおりました
からそれでなけれ【ば?】
おちませんとらや
なんぞとは
ちがいます
〽おこしはいたみは
いたし
ま
せ
ん
か
〽おちもおちたが
石の上さんねん
どこかへいちどて
こり〳〵だ
〽大きにごくろう〳〵
なりたけしづかに
しておくれよ
〽ぜんてひ一ト口
のんだときには
よせばよいに
〽これさらのなり
そとへねか
そう
【左下署名】
御届
九月一日出板人画工兼
本郷二町目五月女勝五郎
【画署名】
国利戯墨
【タイトル】
従上総下総海辺冨士遠望
【画像のみで本文なし】
【タイトル】
従上総下総海辺冨士遠望
【画像のみで本文なし】
【上枠資料】
【同タイトル】
《割書:大地震|大津浪》忠臣蔵【横書】九段目【縦書】抜文句
【同上段左へ】
【上部】風雅でもなく しやれでなく
【下部】大道のかたへで 酒のんでいる人
【以下同様】
とんと絵(え)に 書(かい)たとふり
大黒はしのふね はんこう行合 してゐる人
折角(せつかく)おもしろふ えふた酒
ぢして茶屋から とんで出る客(きやく)
たすきはづ して飛(とん)で出る
昼(ひる)めし前の ゆさ〳〵
是上られいと さし出(いだ)す
用意(ようい)の 気(き)つけ
飛脚(ひきやく)が来(き)たらば しらせいよ
遠方(ゑんほう)へ 出(だ)す手かみ
おまへなり わたしなり
大工方 手伝
是は〳〵 いたみ入
往来(わうらい)で瓦(かはら)が おちてけがした人
わたしが役(やく)の 二人(ふたり)まへ
大地しんで にはかに男(おとこ)世帯(せたい)
いかにやくそく □□□
つなみで 死(しん)だ人
【下段左へ】
そりや真実(しんじつ)か まことかと
大こくはしの 噂(うはさ)を聞(きく)人
家(いへ)にも身にも かへぬ重宝(てうほう)
銘々(めい〳〵)にかねを もたして 逃す人
途方(とはう)にくれし をりからに
在所(さいしよ)の親(しん)るいより むかひに来(き)た人
がてんがゆかぬ コリヤどふじや
つなみで止(やん)だと おもふに又ゆさ〳〵
遊興(ゆうきう)に耽(ふけ)り大(おゝ) 酒(ざけ)に性根(しやうね)を乱(みだ)し
見舞かこつけ 柔やへ行 息子(むすこ)
日本一の あほふの鑑(かゞみ)
外(そと)へも出すじまん 顔(がほ)でへたつてゐる人
嘸(さぞ)本望(ほんもう)で ござらふ
材木屋
かういふ事が いやさに
年より子共を 在所(ざいしよ)へ預(あつけ)た人
絵面(えつら)にくはしく 書付(かきつけ)たり
遠方(ゑんはう)へ手紙に 封(ふう)じ込(こむ)はんかう
移(うつ)りかわ【は?】るは よのならひ
ぢしんも納(おさま)り 春(はる)のしこみ
【下の資料】
ぢしんほう〴〵ゆり状の事
一 此ゆり助と申者生国かしま要郡ゆるぎ村にて慥成くらす
者に付らい共請人に相立いへん江いたぶりほう〴〵にゆり出し
申候所ぢしん之年季の義は去ル未信州より八年かに
相当り御きう近国として越後三州慥に
おどろき申候御しきせの義は夏はがふらじまふるへ
物一枚冬はみぢんつなみぬのこ一枚下るべく候事
一 上方筋五畿内五か国之義は申におよはず
四国九州まで相ゆるがせ申候若此者
夜中おさん殿のねまへはいこみない
しやうのぢしんいたし候か又は
御大せつなる大蔵をこはしゆり
にげかべおちいたし候はゞ急度しかる左官(さくわん)
をもつて早速(さつそく)埒明(らちあけ)可申候事
一 宗旨の義は豆州さうどうはにて寺は
下田横町みなこけ横町ぐら〴〵さんつぶ
れんじなむさんぼふつなみにまぎれ御望なく候
五八そうのなんせんにては無之若此ぢしん
の義に付諸々にてゆり出し候者無之万一ゆり
かへし等致候はゞ我等ぢしんにまかり出かなめ石を以て
ぎうとおしつけきでん江駿河も御くらふ相かけ申
間敷候五七留一たんゆつて九は病の如し
いなかけんのんじ門前
家内つぶれ候へ店
しんどう元年 請人 もへ出しや火事兵衛
なまづ十一月 おさかいゆり通り
にげだし横丁
人主 つらきや大地郎店
ぶなくやこわ右衛門
大坂町屋敷大つなみ打寄場
橋〳〵屋おち右衛門様
【表題】
上州 温泉名所壽古六 萬寿無
草津 彊意之入浴
【左側欄外】
明治廿五年七月■日印刷仝年仝月 日出版 印刷兼発行者東京市神田末廣町廿六番地 阿部鍋五郎
【枠内、上から一段目、右から左へ】
新(しん)御(ご)座(ざ)の湯
暑(あつ)き日(ひ)に新(しん)ござ敷(しき)し心地(こゝち)かな
すが〳〵しくも去(さり)し病(やまひ)に
なぎの湯
風(かぜ)もなく心(こゝろ)しづかにいつまでも
碇(いかり)おろしてはいる凪(なぎ)の湯(ゆ)
泊 |氷(こほり)谷(たに)
名(な)につたふ谷(たに)の氷(こほり)の消(きへ)てより
草(くさ)津(つ)ハ出(で)湯(ゆ)の花(はな)盛(ざか)りかな
白(しら)根(ね)山(さん)の噴(ふん)煙(ゑん)
白(しら)根(ね)さんおまへハなぜにやけさんす
いわう〳〵が胸(むね)にせまりて
天(てん)狗(ぐ)の瀧(たき)
高(かう)慢(まん)の鼻(はな)のさきをバやけどして
おのれ天(てん)狗(ぐ)のめんぼくもなし
各(おの)内(〳〵)湯
おの〳〵の目(め)出(で)瀧(たき)家(いへ)は鬼(おに)ハ外(そと)
福(ふく)ハ内(うち)湯(ゆ)と這(はい)る万(ばん)客(きやく)
【二段目、右から左へ】
浄(じやう)行(ぎやう)菴(あん)
浄(じやう)行(ぎやう)の菴(いほり)の内(うち)ハ鬼(き)子(し)母(も)神(じん)
清(きよ)く正(たゞ)しき公(こう)もまします
かつけの湯
あしびきの病(やまひ)の人(ひと)も此(この)湯(ゆ)にて
膝(ひざ)子(こ)ぞうまで達(たつ)者(しや)にぞなる
團(まる)山(やま)芭(ば)蕉(せう)塚(づか)
はせお
度【「旅」の意】の夜や
谺【読み「こだま」】に明る
下駄の音
白寿湯
御(お)芽(め)出(で)度(たき)尉(ぜう)と姥(うば)との白(しら)寿(す)湯(ゆ)
百(もゝ)代(よ)はおろか千(ち)代(よ)も八(や)千(ち)代(よ)も
西(さい)の河(か)原(ハら)
双六(すごろく)のさいのかハらに遊(あそ)ぶ子(こ)ハ
上(あが)りをいそぐ宿(やど)の飯(めし)どき
薬(やく)師(し)のたき
八月にハさかる薬(やく)師(し)の御えん日
みな浄(じやう)瑠(る)理(り)【本のまま。「璃」】のつぼに入るなり
【三段目、右から左へ】
まがきの湯
風(かぜ)かほる夏(なつ)の草(くさ)津(つ)の花(はな)見んと
覗(のぞ)くまがきの内ぞゆかしき
白(しら)幡(はた)の湯
今(いま)もなほ鎌(かま)倉(くら)殿(どの)の跡(あと)追(お)ふて
湯(ゆ)気(き)の下より煙(けむ)り立(たつ)なり
上り
草津温泉之略圖
㊀あまれバ白はたの湯へかへる
㊁々 かつけのゆへかへる
㊂々 まるやまへかへる
㊃々 白寿湯へかへる
㊄々 西のかわらへかへる
まつの湯
□□□ん早くおいでなお姉さん
わたしやお先(さき)へ行(ゆき)て松(まつ)の湯
不(ふ)動(どう)の瀧
此(この)時(とき)にあたる年増(としま)の二十八
けふハふどうの御 縁(えん)日(にち)とて
【四段目、右から左へ】
泊 |殺生(せつしやう)|川原(かわら)
殺生(せつしやう)の川原(かわら)の中(なか)へ入(い)る人(ひと)を
見るにつけてもお気(き)の毒(どく)なり
【立札】
此處 比□く入べ からず
玉(たま)の湯
くろんぼも忽(たちま)ち化(ばけ)る玉(たま)の肌(はだ)
魂消(たまげ)まふした玉(たま)の湯(ゆ)の効(しるし)
綿(わた)の湯
温(あたゝ)かにまた柔(やは)らかき綿(わた)の湯の
這入(はいり)ごゝろハいつも春(はる)めく
富(とミ)の湯
わき出る宝(たから)の壺(つぼ)の名(な)にめでゝ
はいれバしぜん家(いへ)ハ富(とミ)の湯
地(ぢ)蔵(ぞう)の湯
癪(しやく)持(もち)の閻(ゑん)魔(ま)も顔(かほ)をしかめつゝ
なむあミだ佛(ぶつ)とはいる地(ぢ)蔵(ぞう)湯(ゆ)
熱川の湯
君が代は戸ざゝぬ家に旅寝して
恵もあつき熱川の湯
【五段目、右から左へ】
ふりはじめ
ねつの湯
あたまからあびしやうねつの湯(ゆ)にいれば
跡(あと)ハ病(やまひ)もぬけて極(ごく)楽(らく)
鷲(わし)の湯
わしのゆに病(やまひ)の根(もと)をさらわれて
残(のこ)るからだハ無(む)病(びやう)長(てう)生(せい)
琴(こと)平(ひら)の湯
とんだこと平(ひら)に御(ご)免(めん)と地(ぢ)口(ぐち)にて
浴衣(ゆかた)をふんだ人(ひと)があやまる
ことひら山
ことひらの社(やしろ)に遊(あそ)ぶ子(こ)どもらハ
おんころ〳〵ところげてぞいる
目あらひ湯
磨(ミがけ)とのたとへハあれどみがゝれぬ
人の目(め)玉(だま)ハ是(これ)で洗(あら)わん
湯(ゆ)の川原(かわら)
親(おや)が子(こ)をそだてるごとくわきいでる
あつきめぐミの天(てん)のおんせん
【三枚続き浮き世絵、一枚目】
【タイトル】
《割書:是(これ)は
|萬代(ばんだい)の‥
談柄(はなしぐさ)》
音聞浅間幻燈画(おとにきくあさまのうつしえ)
真景 五 枚
【円型の写し絵には浅間山噴火の様子】
【二枚目】
【壊れる建物、辺りに稲妻、円型の写し絵には浅間山噴火の様子、いなせな菊模様の浴衣姿の尾上菊五郎】
《割書:道中師|初蔵》【街道を往復して人の用事を足すことを業とした人。 飛脚・荷宰領 (にさいりょう) の類。ここでは中村座の「浅間山噴火」で道中師伊豆屋初蔵に扮した菊五郎を描く】
尾上菊五郎
【三枚目】
【円型の写し絵は噴火を眺めているのか女性達の描写】
【左下に 浮世絵師豊原国周落款】
豊原國周筆 落款
明治二十一年九月十日印刷
同 九月十日出版
印刷業■
松木平吉
日本橋區吉川町二番地
ホリ銀
【画像内上資料は別ページにての翻刻対象・下資料のみ翻刻】
《割書:打身|骨抜》即席御りやう治《割書:火出し仕候| 外家医前銭》
【挿絵内】
瓢磐亭 江戸前 鯰大家破焼
なまづ 大かばやき
【本文】
御披露(ごひらう)
一御町中様 萬歳楽(まんざいらく)に御軒別(ごけんべつ)にゆらせられ仰天(きやうてん)
地獄(ぢごく)に奉存候しづまつて私義 先達中(さきだつてちう)江戸前(えどまへ)
鯰(なまづ)大家破焼(おほかばやき)自身(じしん)大道(だいどう)ざき仕候所ゆり出し焼失(しやうしつ)より
家蔵(いへくら)身代迄(しんだひまで)御ゆりあげ 動揺(どうよう)向(むき)被仰付候段 大変(たいへん)時(じ)こく
古今(ここん)に 有(あり)がたく 奉損(そんじたてまつり)候 猶又(なをまた)今磐(こんばん)御 愁(うれ)ひの為(ため)市中(しちう)なんぎ
めし此末(このうへ)どうせう汁(しる)打身(うちみ)骨抜(ほねぬき)即席(そくせき)御りやうぢ 取合(とりあはせ)格別(かくべつ)
風儀宜(ふうぎよろし)く世直(よなほ)し仕差上可申候間 民(たみ)の竈(かまど)の御 賑々(にぎ〳〵)しく
御威光(ごいくわう)駕(が)の程 一偏(ひとへ)に奉願上候以上
【札挿絵内】
市地うなんきめし 御救御一人前 五合宛
此末どうせう汁 【こ】とし一ぱい 難渋見聞
卯十月二日夜ゟゆり出し 神座鹿島町
見勢ひらき焼失 かなめ屋石蔵
麁かゆ差上申候
大阪大地震津浪記 難波本清板
嘉永七甲寅年十一月四日朝五ツ半刻大地震同五日七ツ半刻ゟ夜
五ツ半時迄大地しん津波にて安治川木津川辺につなぎおき
たる所の親舩大津浪にて一同に道頓堀の川へおし入日吉ばし
汐見ばし幸橋住吉ばしを押やぶり大黒橋にてとまる川中は
大舩にて十文字たて横におし破りかさなり合候ゆへ濱川蔵
屋しき町家土蔵納屋こと〴〵く舩さきにて押やぶり小舟
茶舟等は大舩におしつぶされ道とん堀大こく橋迄元舩入こみ
候事は実に前代未もんの大さうどうに有之候
一大坂地震にてくづれ候場所は左之通せんば辺は座摩の社内鳥居
ならびに門たをれ北久太郎町丼池大くづれ塩町佐の屋ばし角
堀死人けがにん其数しれず南本願寺御堂は北西へぞんじ御霊
の社井戸くづれじゆんけい町辺丼池大くづれにて出火致し程なく
しつまり長堀へん板屋はし北詰大くづれ阿波座さつま堀へん
願教寺たいめん所つぶれ永代橋京町堀へん三四軒やける天満
の社内うら門近辺池田町ひがし天満へんはくつれば所数しれ
す中のしま辺常あん橋角大にくづれ西横ほりへん新町遊女
屋の所大くづれ堀江へん四ツはし御池通り土佐様おやしきの堀
くつれあみたが池の辺大にくづるゝ安治川九條へん南は永町辺
幸町の辺栄ばしへん西づめ大くづれなんば新地しん川辺また
あんにう寺の鐘つきとうつふれ住よしの石とうろう残らすたをれる
その外末社くづるゝ上町へんのばて上本町へん玉つくり辺御祓筋
くずれ二けん茶屋へん上町清水ぶたいつふれ天王寺近へん此
外市中くづれ場所数しれす
摂州尼ケ崎の御城はそん御城下五十軒程つぶれ西ノ宮兵庫なだ
三ヶ所大坂同様南海紀州熊野浦ゟしま遠江なた伊豆大浦迄
凡百五里余の海がんの人家津波にて大半流出致候猶追々
諸国の場処出板仕候
東海名所改正道中記十九 広重筆
薩多のした
由井 おき津迄
ニリ十ニ丁
薩陀山(さつたやま)
むかしは峠(とふげ)なり
袖(そで)が浦奥津川(うらをきつがは)など
風景絶妙(ふうけいぜつめう)の勝地(しようち)なり
彫定
浅草並木山清板
【屋根上看板】
名産
伊豫縞絣
【店先のれん】
現きん
富屋
正札附
應需
半山直水画
伊豫道后湯同町
御入湯 富屋利左衛
御宿 中程北側
神田寿栄堂製
【三葉右の絵】
箱根七湯一覧
横川彫刻【署名右】
一立斎廣重図
通【まるに伊】二 丸鉄 【署名左】
【三葉中の絵 署名のみ】
廣重□
通【まるに伊】二 丸鉄 【署名左】
【三葉左の絵 署名のみ】
通【まるに伊】二 丸鉄 【署名右】
廣重画
【図題】
信州浅間山略絵図《割書:別当所宗旨真言|御室御所御寺【務?】所》 真【以下欠落】
法橋玉隆図
松岡定孝【刻か】
【図中文章】
毎年四月八日山開ニテ
八月八日マテ男女サン
ケイ多シ
追分ヨリ小諸江
塩野通リ半リ近シ
大沼池
陬方明
神出現
池ト云
【図題】
熱海温泉市区一覧
【欄外右 実際は縦に一列表示だが、横に並べた】
十八丁 伊豆山
二里 門川
八丁 吉浜
二里 江之浦
十八丁 根府川
廿五丁 米カミ
二十丁 石橋
十丁 早川
十二丁 小田原
【欄外左】
版権所有 明治廿二年九月一日印刷 同月十日出版 著者熱海山本光一《割書:発行兼|印刷者》熱海水谷辰蔵版
【図内記事】
鉱泉定性定量
孛国《割書:トクトル|マルチン》氏分析表
鉱水一千立方《割書:センチメートル|即一リートル》中
含有成分 我五分五勺〇六
コロールナトリウム 三七五〇ゝ
コロールマクネシユム 二三ゝゝ〇
コロールカリユーム 一八一〇ゝ
コロールカルシユム 一七六七〇
リウサン石灰 〇一九三一
重タンサン化鉄 〇ゝゝ三一
同石灰 〇ゝゝ四三
ケイサン 〇一ゝ〇ゝ
第一コロルマンガン 痕跡
フロールカリユーム 〟
フロールナトリウム 〟
有キ物 〟
総量
一〇・一〇四カラム
湯名幷熱度
大湯 百〇三度
小澤湯 未検
無塩湯 九十七〟
風呂ノ湯 〟
水ノ湯 〟
尾張屋湯 〟
樋口ノ湯 〟
左次郎湯 〟
目ノ湯 五十〟
仲ノ湯 未
尾湯 百〟
翠湯 八十五〟
清左ヱ門湯 未
野中湯 〟
三左ヱ門湯 〟
古屋ノ湯
已下略
八景【横書き】
梅園春暁
来宮杜鵑
初鶯漁火
横礒晩涼
魚見帰帆
錦浦秋【ここでは扁と旁が逆】月
温泉寺松
和田山雪
諸方里程
東京 二十七リ 初島 三リ
横浜 二十リ 日金 五十リ
江ノ嶋 十五リ 三嶋 五リ
修善寺 八リ 小田原 七リ
静岡 廿一リ 網代 二リ
筥根 五リ 伊東 五【?】リ
大磯 十一リ 下田 十八リ
【同版が三枚続けて収集されているらしい資料の一枚目。なので同じステージにある状態の良い二枚目の翻刻だけで良いと思い、このまま完了にします。】
【タイトル】
易八卦絵震雷
【タイトルのみで本文なし】
大地震大津浪場所書上之覚
一大坂より四国路中国筋九州の辺は四日五日より八日迄五日の間日々しん
どう相やみ不申候又尾州宮宿内大にそんじ浜手廿三軒つふれ
御役所つぶれ亀崎半田大津浪つしま名古屋清須のへん
少々のそんじは数しれず伊勢桑名御城御城下共大にそんじ
長しま辺四ケ市つぶれ家四十三軒はま手は大津浪庄野石薬
師へんは地われつぶれ家多し亀山御城そんじ町家大にくづ
るゝ神戸白子へん少々津の御城町々共大にそんじ浜手大津
浪山田の町は家蔵大にそんじ忝くも両御宮は御別条なし
田丸御城下八鬼山越大にくづれ往来とまる紀州田辺御城
下へん新宮御城下辺熊野へん惣名九十九浦黒江日方藤代
大津浪にてゆかより三尺斗り汐上る同広浦七分とふり流失いたし候
又河原箕しま由良の湊流失いたし大崎有田日野加太日高
へん大にそんじ泉州岸和田大にそんじ堺の町は大坂同様に
大そんじ摂州高つき御城下へん八幡山崎辺淀の御城下伏見町々
京都洛中洛外山城大和河内少々のくづれは其数しれず
一越前福井の御城下大にそんじ同つる賀辺丹波亀山同その部辺
四国路一円阿州徳しま御城下大にそんじ其上出火五百羅かん辺大に
そんじ土佐国大つなみ淡路しま大津浪丸亀御城下へん高松御
城下大にそんじ豫州大地しん摂州三田御城下辺池田伊丹播州
明石御城下大にそんじ姫ちへん赤穂へん備前田の口下村辺備中倉
鋪玉しま備後尾の道鞆福山御城下へん三原御城下へん安芸
広しま宮しま周防長門豊前小倉御城下へん靏ざきへんつぶれ
家多し豊後国府内御城下四百軒程つぶれ同別府御代官所
弐百三十四軒つぶれ同靏崎熊本御領分大地震大津浪日向
灘汐のさし引不時にて大海大に荒れる肥前肥後長さきつぶれ家
四百軒唐人屋敷おらんた屋敷大にそんず古今希なる事故こゝに記す
浪花本清板
しんはんわらひまり唄
【上段】
一ツトヤ
人のはなしにきくも
いやひとりもの
となりのぢしんで
きがもめる〳〵
二ツ
ふしんが出来(でき)あが
つて此間(このあいだ)のぢしんさわき
なむさん万ざいらく
みなそんじや〳〵
三ツ
みし〳〵ゆられて小娘(こむすめ)
がたいじなところを
われないやうにと
手をあてる〳〵
四ツ
しばゐのぢしんは
まわり仕かけにいみ□い
まわりてさゝやぶの
だんまりば〳〵
五ツ
今戸(いまど)のかわらしと
左官(さくわん)と屋根(やね)やさん
あとはぜにもふけで
わらひがほ〳〵
六ツ
むかしからたとへに
人がいふこわいものは
ぢしんにかみなり
くわじおやぢ〳〵
【下段】
七ツ
中(なか)よい夫(ふう)婦が夜(よ)なべの
ぢしんはないきあらく
女房(にようほ)はないたり
もちやげたれり〳〵
八ツ
八百八町(はつひやくやてう)の大江戸は
大じやうぶ
自身(ぢしん)ばんかほう〴〵
にごさります〳〵
九ツ
こわいと女にだきつかれ
かぢりつかれ
むねはどき〳〵下(した)では
によき〳〵
十ヲトヤ
どうらくむすこにや
いたぶられぢしんで
やられ親父(おやし)も
おそれます〳〵
十一
いやがるせと物やのき
娘(むすめ)にむこをとり
ぢしんでわられて
しかたなし〳〵
十二
ふきくるかしまの
神(かみ)かぜはありがたや
御代はゆるがぬ
かなめいし〳〵
岩代國 磐梯山(ばんだいさん)噴火(ふんくわ)の圖(づ)
福嶋縣下岩代國 耶麻(やま)郡(ごほり)盤梯山(ばんだいざん)一名會津冨士と
云は海面より高さ三千六十尺 絶頂(ぜつちやう)に雪(ゆき)斷(たえ)ず南
の麓(ふもと)一里半程に猪苗代(ゐなはしろ)の湖水(こすい)あり噴火(ふんくわ)山なる
事は明(あきら)なれと本年七月十五日午前七時三十分
ごろ突然噴火して害を被りし家屋百九十五戸
二丈餘の下に埋没せし戸數四十四個潰家四十
三戸半潰十二戸死亡せし者凡五百名餘死躰發
顯の者四百七十名余負傷して目下治療中の者
三十七名餘
斃馬發顯の類四十五頭餘は明瞭ならす
仝山噴火せし事物に見えず今より三百年前慶
長十六年に此地方大 地震(じしん)あり山崩れ川溢れた
りといへど詳細を知らず此(この)山脈(さんみやく)は西に延て猫(ねこ)
魔(ま)山北に連(つらな)りてアラヽギ峠若松近きに䀋川夫
より西に大䀋と云所有て井䀋を出す檜原(ひばら)と云
鑛山有コガイ村は硫黄(いわう)を出す山の西南の廻り
に沼尻(傍線)、横向(傍線)、川上(傍線)なんと四所の温泉あり里程
は若松より六里本宮停車塲より八里なり
噴火(ふんか)の模樣(もよう)は御前七時三十分ごろ轟然(ぐわうぜん)たる音(おと)
響(ひゞ)けり此響 雷鳴(らいめい)ならんと云或は山鳴にて地 震(しん)
の前兆ならん云合りしところ西北の山間より
鋭(するど)き靑黑き雲現れ暫時(しばらく)の間に雲先放(くもさきはな)れ其形次
第に圓(まる)く笠の如く薄黑(うすぐろ)き雲となり跡の雲は擴
かるに隨ひ灰白色となり芥子粒の如き物降り
しかは仝八時ごろ其大きさ一寸四方へ一個位
の割石ふり留りたる跡は粉末状(こなよう)のもの頻り降
草木の葉は恰も積雪の如く本宮より北に降ら
ず南に多く安積(あさか)郡田村郡へも次第にふる笠の
如き形せし雪は消て全く降り止みしは同十時
ころなりと山の麓は如何なりけん噴出せし土
砂の為に川流止り檜原は沼となり噴火震動今
に止まず該山(このやま)ニ里四方は噴火 灰燼(くわいじん)の為(ため)に草木(さうもく)
枯死(こし)長瀬川 流滯(りうたい)してニ里四方に溢(あふ)れ因(よつ)て直ち
に防禦(ばうぎよ)に力を盡(つく)せる人民の慘状目も當られぬ
有様なり 東京京橋區西紺屋町秀英舎印行
明治廿一年七月十八日印刷
仝 年 仝月 日出版
印刷兼
發行者
京橋區尾張町
二丁目壱番地
佐々木豊吉
幾英筆
【表題】
上州草津温泉之全図
【本文】
根元略
当温泉ハ人皇四十五代
元正天皇之宇養老
年間大和国菅原寺ノ
行基尊者為弘法法杖ヲ
当山ニ曳鉱泉ヲ発見
ス其後鎌倉将軍源頼朝
公建久四年浅間山御狩
ノ時騎御在テ浴湯ヲ試ミ
玉フ亦近衛関白龍山卿
浴湯アリ
薬師十二神ノ御和歌今ニ
残レリ
温泉功能略
熱の湯
たいどくせむしようてう親
ゆづりのばいどくくさかさ○な
もなきわるかさ○けいふんざい
のとゞこほり○れうまちす○ひつ
ひぜん諸病によし
脚気の湯
かつけ○のほせ○りんびやう○
めのかすみ○耳なり○足の病
○こしのやまひ○かほのてきも
の○せんき
御座の湯
らいびやう○三病なまづ○
たむしわる血のとゞこほり
めんさう○手足のしびれ○
みうちのくされ○そのほか腫
物とうによし
綿の湯
やうばいさう○ぢばす○ぢ
らう○がんがさ○ばいどくに
てこしたゝず○せうかち○
ほねふしのいたみひつ等によし
鷲の湯
うちみ○くぢき○さうどく
○ひつ○たいどく○せんき○
すばく○年久しくなほら
ぬ病其外諸病によし
滝の湯
のぼせひきさげほしめ○
ばいどくのめ○年なり○そ
の外づつう○めまいかたは
りたるによし
松の湯
さうどく○ひつ○ひぜん
しらくも○くさがさ○りう
ゐん○ほねふしのいたみ其
外万病によし
地蔵の湯
功能松の湯と同じ諸
病によし
其外
白 寿 湯
玉 の 湯 此六ヶ
にい川の湯 所の
とみの 湯 湯
千代の 湯 諸病
なきの 湯 よし
凡道法略
草津より
高崎へ 十八里
沢たりへ 六 里
善光寺へ 十四里
越後高田へ 二十里
信州上田へ 十三里
日光へ 三十六里
東京へ 四十八里
【中央の和歌】
結ぶてふ
此谷かけの
出湯こそ
むべにも
老せぬ薬なり
けり
【欄外右下書き込み】
五大力ぼさつ 井上銈馬
【欄外左下】
明治廿二年四月廿日 著作印制兼発行者
印刷同年同月廿二日出版 神田区鈴木町六バンチ 阿部善吉
【上の資料】
【タイトル】しんはんわらひまり唄
【横書】一つとや
【縦書内容】人のはなしにきくも いやひとりもの となりのぢしんで きがもめる〳〵
【仕切り線・以下同様】
【横書】二つ
【縦書】ふしんが出来(でき)あが つて此 間(あいだ)のぢしんさわき なむさん万ざいらく みなそんじや〳〵
【横書】三つ
【縦書】みし〳〵ゆられて小娘(こむすめ) がたいじなところを われないやうにと 手をあてる〳〵
【横書】四つ
【縦書】しばゐのぢしんは まわり仕かけにいみない まわりとさゝやぶの だんまりば 〳〵
【横書】五つ
【縦書】今戸(いまど)のかわらしと 左官(さくわん)と屋根(やね)やさん あとはぜにもふけで わらひがほ〳〵
【横書】六つ
【縦書】むかしからたとへに 人がいふこわいものは ぢしんにかみなり くわじおやぢ〳〵
【横書】七つ
【縦書】中(なか)よい夫婦(ふうふ)が夜(よ)なべの ぢしんはないきあらく 女房(にようほ)はないたり もちやけたり 〳〵
【横書】八つ
【縦書】八百八町(はつひやくやちう)の大江戸は 大じやうぶ 自身(ぢしん)ばんかほう〴〵 にごさります〳〵
【横書】九つ
【縦書】こわいと女にだきつかれ かぢりつかれ むねはどき〳〵下では によき〳〵
【横書】十をとや
【縦書】どうらくむすこにや いたぶられぢしんで やられ親父(おやし)も おそれます〳〵
【横書】十一
【縦書】いやがるせと物やのき 娘(むすめ)にむこをとり ぢしんでわられて しかたなし〳〵
【横書】十二
【縦書】ふきくるかしまの 神かぜはありがたや 御代はゆるがぬ かなめいし〳〵
【下の資料】
【タイトル】おどけはなし
【横書】地震
【縦書内容】〽若(わか)い者(もの)二三人あつまりなんとこれから浅草(あさくさ)の方(ほう)を
見物(けんぶつ)してきようと出(で)かけ観世音(くわんぜおん)のけいだいにいたり
〽コウ此(この)雷(かみな)り様(さま)を見(み)ねへどこへかゐなくなつて
しまつたセ 〽ナニ手(て)めへむりなことをいへ雷様(かみなりさま)を見ろと
いふ口(くち)のしたからゐなくなつたとは 〽ホイこれはしたりアレあの
五十の塔(とう)をみねへ先(さき)のはうが大そう曲(まが)つた 〽イヤ〳〵すこしだ 〽ナゼ 〽九輪(くりん)だものを
【仕切り線・以下同様】
【横書】雷
【縦書内容】夕(ゆうべ)アの雨(あめ)はつよいあめでそのうへかみなりさまの
おそろしさそしてアノ音(おと)はなんだろう 〽あれか
アリヤアしんどうといふものだ 〽ヲヤあれがしんどう
かへそんならアノ向(むかふ)の蔵(くら)のはちまきがおちた
音(おと)はかむろだろう 〽そうサこのあひだの二日の
ばんのおとは 〽ナンだへ 〽アリヤアおいらんだろう 〽なるほど
【横書】火事
【縦書内容】店火(たなび)けしの人々は町内へひきとり 〽サア〳〵
ごくらう〳〵弁当(べんとう)をやんなせヱ 〽モウはらが
げつそりへりやした 〽ソウサやらう〳〵ト大せいゐな
らび弁当つかふうちに極(ごく)おく病(びやう)と見へてすみのはうで
がた〳〵ふるへながらこはい〳〵これはこはいトいふゆへ (ほかの者)〽ヲヤなんにも
こわへ事はねへやアな 〽さつさとくいなせへ 〽イヘ〳〵めしがこわいのサ
【横書】親父
【縦書内容】地震(ぢしん)のあとのどさくさまぎれ息子(むすこ)は
廓(てう)をかけぬけてこつそり内(うち)へまぎれ入
親父(おやじ)のこ事(ごと)をきかぬつもり 〽(おやじ)コレせがれおのれはなぜ
けへつてきた爰(ここ)はうぬが内ではねへたつた今(いま)すぐに出ていけサア〳〵
〽(母)モシ〳〵あなたマアけがもしないでかへつたのに 〽(おやし)イヤサはりの下(した)にでもなつて潰(つぶ)れて
仕(し)まへばいゝに 〽(むすこ)つぶれました 〽(母)ヱヽつぶれたヱ 〽親父様(おやじさま)のこ事(ごと)で肝(きも)がつぶれました
《割書:馬喰町|弐町目》 山口屋藤兵衛梓
玉蘭斎貞秀画
彫工邑昌
【右下、「鹿島浦」左側の記載】
加嶋浦ノ磯ニ立テ真西ハ東大洋ナリ
常ニ風無トモ遥カ鋸ノ刃ノ方ヲ空ニ
向タル如ク丑ノ方ニ奥州金華山
十四五里ニ見エント銚子川口ヨリ
五拾里ナリ其美景最モヨロシ
【右下、「結松」の右側枠内の記載】
此川初メ砂地ヨリ
シメルガ如ク出テ
中程ニテハ滝トナリ
音高ク流レ行
又砂ノ中ニシメリ
込テ其末ハ常ノ
道□成是ニヨリテ
末無川ト云
【左下、「徳島」の右側の記載】
此辺古名箕幡江ト云
【左下、「徳島」の下側の記載】
此島〻ノ岸ハ
アヤメ マコモニテ
シガラミトス
島ノ周逈
九里余
【左側中央辺、「諸川」下枠内の記載】
結城ニ内ニ安穏寺ト
云禅刹有此寺之
宝物トシテ昔ヨリ伝
袈裟水晶の珠
数【本のまま。数珠】ハ玄翁和尚
那須野殺生石ヲ
祈り給ひし時品ナリ
【左側下の記載】
五雲亭貞秀画
【右側中央辺、「中田」の左側枠の記載】
了道寺【本のまま。「光了寺」の誤りか】
親鸞聖人
旧跡並ニしづか御前□□
【左側、左下の記載】
五雲亭貞秀画
山口屋藤兵衛梓
彫工邑昌
抱一筆
【表題】
伊香保温泉繁榮之圖
【本文】
皇(くわう)國(こく)の温(おん)泉(せん)ハ諸(しよ)病(びやふ)に功験(しるし)ある内(うち)にも
群(ぐん)馬(ま)縣(けん)下(か)上州 伊(い)香(か)保(ほ)の温(おん)泉(せん)ハ皇(くわう)統(とう)
十一 世(せ) 垂(すい)仁(にん)帝(てい)の御(ミ)代(よ)に発見(みいた)し
最(もつと)も勝(すぐ)れて奇(き)功(かう)を奏(そう)す近(ちか)時(ころ)東(とう)京(けい)
司(し)薬(やく)湯(しやう)にて此(この)温(おん)泉(せん)の質(しつ)を分(ぶん)析(せき)せし
上(うへ)◯飲(いん)食(しよく)のこなれぬ病◯婦(ふ)人(じん)の
諸(しよ)病(びやう)◯僂(るう)麻(ま)質(ち)私(す)の悪(あく)性(しよう)◯疝(せん)気(き)
◯神(しん)経(けい)病◯中(ちう)風(ふう)◯打(うち)損(ミ)等(とう)にハ
年(とし)久(ひさ)しく経(へ)て諸(しよ)薬(やく)の験(しるし)無(な)きも
殊(こと)に著(いちじる)しき功(かう)ありと確(くわく)定(てい)せられ
つ現(げん)に枯(かれ)しぼみたる艸(くさ)木(き)の枝(えだ)
を此(この)温(おん)泉(せん)に浸(ひた)せバ忽(たちまち)に蘇(そ)生(せい)し
亦(また)金(きん)魚(ぎよ)鯉(こい)鮒(ふな)の類(るい)を湯(たう)中(ちう)に畜(やしな)へ
バ體(たい)肥(ぶと)り脂(あぶら)つく抔(など)他(た)の温(おん)泉(せん)の
及(およ)ぶ所(ところ)にあらず時(とき)に明治十二年
七月中 皇(くわう)太(たい)后(こう)宮(ぐう)伊香保に
行(ぎやう)啓(けい)在(あ)らせられ御(ご)帰(き)京(きよう)の後(のち)も
此(この)温泉を御(ご)所(しよ)へ召し寄(よせ)られ
平常(つね)に浴(よく)し給(たま)ふとなん
伊香保名所圖繪の記者
篠田仙果
【左側◯の中】
明治十三年五月御届
【◯の下】
上野北大門丁十一番地
画工 橋本直義
浅草茅野丁六十五番地
出板人 山村金三郎
【左下】
楊洲周延筆
【上の資料】
今般此度次第
天命成哉 信州川中嶋
善光寺大地震の根元をたつぬルニ
弘化四年丁未三月廿四日ノ夜亥
刻よりどん〳〵とゆり初メ同二十五日ノ
午ノ上刻相成候所猶々しんどふ
して四方八めんに砂けむり吹上
おそろしき事語言にのへかたし
いよ〳〵やむ事為す皆々生躰うし
なへしかるに八つ半時とおほしき
時定額山善光寺御堂横にめり
込夫より大門町西町東町権堂損ふ
隣村辺越後地は高田今町
辺まて西は松本池田大町まて
山中新町不残ゆりつぶれ南は上田
辺迄東はじふの湯まて
大方十り四方此外筆紙尽し
かたし
信州善光寺
大地しんの
次第
【下の資料】
相模大地震
夫天地不時之変動は陰陽混して雷雨となる
地にいれは地しんをなすアヽ神仏の応護も
これを納る事かたし比は嘉永六丑とし
二月二日昼四時より夜九時迄大地しん
相州小田原 大久保加賀守様御領分
御城下万町本町板はしりうし町通り
青物丁すわを丁寺まち御城南やくら
町家とも大に損す近村近郷酒匂川すわ
飯すみ十文字十日市場子安大山へん
雨降権現山道東海道すち小田はら
つきはた山中大久保長門守様御領分
村々多く損す箱ねゆ本七ケ所二子山辺
同所権現様御山内尤御社は御さわり□
同所満水あふれ出さいの河原辺大に損す
夫より豆州海辺山々真つる網代伊東西は
しゆせん寺三しま此外所々大に損すると
いへともあらましを記し高覧にそのふのみ
【タイトル】
易八卦絵巽風
【タイトルのみで本文なし】
【タイトルのみ】
阿波鳴戸
【画像中央上資料のみ翻刻】
ころは嘉永七とらどし六月十四日のようしのこくやつどきごろ
おわりいせあふみみの四かこくおゝじしんのしだいとうかいどう
すじなるみじゆくみやじゆくなごやかいどうはいはつか
ばんばかもりさやじゆくつしま五づてんわうもつとも此日
御さいれいにておゝこんざつどうしよはじいんそのほかまちや
はもうすにおよばすあいたおれ候またきたのかたはいぬやま
小まきへんみなみのかたはのまうつみもろさきへんまで
さや川のにしいせのくにはながしまくわな四かいちおゐわけ
へんのこらずあいくつれ候そのうへ出火にあいなりしにん
けがにんあまたなりおなじくいしやくしせうのかめやま
せきさかの下じゆくへんのこらずあふみのくにはつち山みな
くちいしべじゆくへんにしきたはみのゝくに大がきなんぐうくか
すかしはばらさめがいたかみやゑち川むさへんまで
そのほかにしきたのやま〳〵もうすにおよばすたい
はんおゝしんとうにてくづれ候もつとも十五日あけ六つ
はんごろにやう〳〵しづまり候それより日々しやう〳〵
づゝのぢしんこれあり候ここんまれなるおゝぢしん
ゆえにあらましをかきしるししよにんあん
どのためかきしるししらしむるものなり
【以降は別資料ですが入力済み分は消さずにおきます】
[右上]
時ハ嘉永寅の冬みるもさハぎまし□そうどう
ありけるあらましの 飛出(とびだ)しさハぐわれらよりたれもおど
ろき皆目をさましあはてけるハ誠に手ひどふさアハぎ
けるけふのゆさ〳〵ハ安産でどふも御家にゐられぬ皆も
【図題】
改正熱海市街全図
【欄外左】
明治 日御届編集兼出版人 山本光一
東京北豊島郡金杉村百一十七番地平民
【図内記事】
【右上枠内】
官舎 《割書:社局| 》
噏滊館
戸長役場
警察署
熱海学校
電信局
郵便局
通運会社
運輸社
伊豆国熱海鉱泉
定性定量
孛国《割書:トクトル|マルチン》氏分析票
鉱水一千立方
センチメートル即一リートル
《割書:五分五勺|〇大ヨ》中含有成分
コロールナトリウム 三七五〇ゝ
コロールマクネシユム 二三ゝゝ〇
コロールカリユーム 一八一〇ゝ
コロールカルシユム 一七六七〇
リウサン石灰 〇一九三一
重タンサン化鉄 〇ゝゝ三一
同石灰 〇ゝゝ四三
ケイサン 〇一ゝ〇ゝ
第一コロルマンガン 痕跡
フロールカリユーム 〟
フロールナトリウム 〟
有機物 〟
総量一〇・一〇四カラム
効能略
肺病 胃病 子宮病
僂广質斯 脚気 癪
シウヒセン 疳 冷性
此他諸病ニ功アル
挙テ計フ可ラス
寒暖計
大寒 五十度
大暑 九十二度
【左上枠内】
湯名及度量
大湯 百〇三度
小沢湯 未検
無塩湯 九十七〟
風呂湯 同
水ノ湯 同
尾張屋湯 同
樋口湯 同
左次郎湯 同
目ノ湯 五十度
仲ノ湯 未
河原湯 百〟
翠湯 八十五〟
清左ヱ門湯 未
野中湯 同
三左ヱ門湯 同
已下略
遠近里程
東京 二十七リ 日金 五十リ
横浜 二十リ 小田原 七リ
江ノ嶋 十五リ 筥根 五リ
修善寺 八リ 三嶋 五リ
静岡 二十一リ 下田 十八リ
初島 《割書:三リ| 船》 網代 二リ
八景
梅園春暁
来宮杜宇
初島漁見
横礒晩涼
魚見帰帆
錦浦秋月
温泉寺松
和田山雪
【図内左下】
本街《割書:ヨ|リ》
十八丁
伊豆山
二里
門川
八丁
吉ハマ
二里
江ノ浦
十八丁
根フ川
廿五丁
米カミ
二十丁
石橋
十丁
早川
十二丁
小田原
うち身 くじき りやうじ所 ゑんま堂
当分之内ほどこし致しんじ候
ゑんま 「いそくな/\おれか子になつてきたものよくせずにおくものかあをあかの
鬼どもやくすりをつけて早々まいてやれいたかろうかわいそうに/\
しやうつか 「地蔵さんのおいかりもゑんまさんのおなげきもおれが引合にだされて
てつだうのもあのなまづゆへださてにくいやつだナしなれぬことはたいぎた/\
地蔵 「おれがまもる此地めんを度々うごかされてはおしやかのまへゑすまぬ地蔵の
かほも三度だそかしまとのへはなしてきたかくごしろふといやつだ
鹿島要石
ぢしんよけ
一天明三癸卯年六月末方ゟ浅間山鳴出し
七月朔日頃より鳴音強く砂吹出す山の内
東北之方に大門沢といふ沢有此澤より泥湯
火石吹出す荒増聞書
一火交泥湯高サ凡拾五丈程幅三里程吹出す
一利根川筋泥湯大海のごとく又高サ壱丈四五尺位
も有之火石数多押込川不残湯二成家蔵道具
材木押懸り流来ㇽ人なんまん何万人とも数不知其外牛馬
畜類数しれず尤右之石よりほのふ吹出シ右之
火石材木死人押懸り利根川をせきり夫
より本庄裏手二廻り小山川へ押込見渡す
所泥海の如し
一薄墨の処者村々家々人々押流され一向
跡嶋候村々又ハ火石に当り焼或者家屋敷
泥二埋ミ或者火の雨抔と心得蔵抔へ逃込
其侭水死いたし候村どもなり
一藍の処者泥湯押込甚難渋の村々右之
泥場折々焼上候事誠に恐しき有様
筆紙に盡しがたし此村の内には処々より
村半分通りて泥押込村半分者石交りの
砂多く障候村も有村々不同有之候へ共夥敷事故
泥砂ともに取控候所無之併人々多分逃去
人死ハ多く無之候絵図之通天変の村数都合
百六十余村なり
一在宿亦者壱里余之松原なとは幅三里程
端々浮嶋のごとく押出す
一平塚川岸に四間八間の火石押流れ止ㇽ七月
八日昼九ッ時浅間山大内村沢ゟ右之火石同日
七ッ時弐此川岸に来る凡弐十里余の行程を
二時斗二来ㇽ事矢より疾く鉄炮よりも早し
右火石二家道具立木流掛りほのふ焼上る事
類なし恐しき事共也
一浅間山七月五日ゟ大きに焼出し八日迄火石を
出す事夥敷浅間山六七里四方へ火石降絵図之外
北東下野下総仙台辺二いたる迄砂灰降是ハ田畑二
障候義ハ有之間敷哉下総結城境川岸辺ハ濃く
江戸ハ少しくふる安房上総所々より弐三寸降
七日八日ハ両日震動す東海道筋震動様子
追々申来候先荒増を書記ス
京都大火場所附
【上段】
□□□□□□□□
通り室丁之間すはの丁
松原下ル西がはより
出火して期せつ
西北風はげしく
山王ノ社□□□
御屋しき班女社
いなば薬しせひしゆ
あん仏光寺中古学
部へんまてやける
不明門通り
長国寺間之丁
小田原丁仏ぐや丁
醒井通り六せんじ
五条通りかぢや丁
高倉之角万寿寺
此辺残らす焼ル
夫より南え雪
たや丁かぎや丁的ば
魚のたな万年寺
とうり此へん寺丁
残らすやける夫ゟ
□□□□□□□□
【下段】
人々□□□
□□□□□
此□□□諸国
親類へ□□
知らせん為に
一紙にしる□
【ここは中央下資料の翻刻ページですが、中央上資料が翻刻してある分もそのまま残しておきます】
わらいの種ほん
ほんとうかね
所々へ仮宅の出きるはなし
はやくしておくれなね
小屋かけを
わたしゃ一どでがっかりしたよ
こんどの地しん
またするのかへ
いりかへしの地しん
おあいだくねへ
やけしんだひと
うれしいね
おすくいの出たはなし
たいそうおおきいね
おすくいの小屋のたき出し
かみはないのかへ
十月だものを
もうおよしよ
土しんのはなし
よかったねえ
えこういんのあなほり
【画像中央下の資料】
夜中笑いの種
【上段】
ほんとうかへ
〽自身(じしん)
うれしいねへ
〽気(き)のついた見廻物(みまいもの)
ひとがくるとみるよ
〽弁当(べんたう)の燗(かん)どくり
もつときつくついておくれよ
〽龍吐(りうど)すいの水(みづ)
あれさぬけますよ
〽風(ふう)れつの湯(ゆ)
がつかりしたよ
〽夜廻(よまは)りのひざがしら
【下段】
おだましでないよ
〽御褒美(ごほうび)
もつとこつちへをよりよ
〽詰番居所(つめばんゐどころ)
はやくおしよ
〽ふれつぎの拍子木
よくなつてきたよ
〽引(ひい)てきた鉄(かな)ぼう
日本中が一つになるよ
〽火の用心
もふおかへりよ
〽あけ番(ばん)の大屋さま
抑此伊香保温泉は神人皇十一代 垂仁(すいにん)天皇の御宇
始て湧(わき)出しより連綿(れんめん)として今に至れり廼(すなは)ち万葉集に載(の)
する処 従来(よりきたること)既(すで)に尚(ひさ)し蓋(けだし)其功萬物を生育(せいいく)するを以本とす故
也凡草木 蔬菜(やさい)の将(まさ)に死(かれ)んとするもの暫(しばら)く是を湯|槽(ふろ)乃
側(かたはら)に置(おく)則(とき)ハ必(かならず)ず其始生して地に在ときのことし又 鳥獣昆虫(てうじうこんちう)の
或は傷(きずつく)もの且(また)は病者(やめるもの)此湯に浴(よく)する則(とき)は乍(たちま)ち其功を奏(そう)す又
是(こ)の湯を耕作(こうさく)の地に漑(そそぐ)に其土田を肥(こや)し禾穀(くはこく)を長する
こと滋糞(よきこやし)も及ばず又其下流 鮒(ふな)□ (かぢか)の類(たぐひ)これあり是皆他温
泉のなき所にして此温泉 独(ひとり)これあるものは亦奇(またき)ならずや実
に和漢無双(わかんぶさう)の名湯と謂(いふ)べきのみ夫 鳥獣(てうじう)草木蔬菜の
たぐひ皆然り況(いはんや)生民においてをや其諸病に功あること口
授(じゆ)を待ずとも推(おし)てしるべし第一|精(せい)を益し経絡(けいらく)を運(めぐら)し
皮膚を潤(うるほ)し五色を美(よく)し氣力を強くし壅滞(ようたい)を通し
鬱労(うつらう)を散(さん)し労咳(らうがい)を愈(いや)し中風を治す又婦人血の方
一切に奇効(きこう)□【あ】り今其 顕證(しやうこ)をいはんに此地の婦人産する
則は時を移(うつさ)ず直(すぐ)に母子(ぼし)をして浴(よく)せしむるに其功神のごとし
【又】此地婦人に限て月 経(やく)不順(ふじゆん)血積(けつしやく)血塊(けつくわい)枯血(こけつ)崩漏(ぼうろう)赤白(ながち)
滞下等(しらちとう)の病絶(やまひたえ)てこれなし又 年過(としすぎ)て子なき婦人も屡(しばしば)
此湯に浴する則は月 経(やく)いまだ終(をはら)ざる人は懐妊(くわいにん)し給ふ事
疑(うたがひ)なし又 懐妊(くわいにん)中此湯に浴する則は決して難産(なんざん)の患(うれひ)なし
其佗(そのた)頭痛(づつう)上衝(じやうしやう)仙気(せんき)脚気(かつけ)痳病(りんびう)痔疾(じしつ)金瘡(きんさう)打傷(うちみ)諸
瘡腫物(さうしゆもつ)の類(たぐひ)各(おの〳〵)其症(そのしやう)に応(おう)じて治せずといふ事なし又湯の
毒(どく)にて皮膚爛(ひふたゝれ)歩行(ほかう)しがたきも此湯に浴する則は即功ありて
健歩(けんほ)常のごとし豈(あに)外(ほか)温泉の屡(しば〳〵)浴(よく)する則(とき)は愈(いよ〳〵)膏(あぶら)血(ち)を減(へら)し
皮膚(ひふ)をかわかし気力おとろへ或は手足 麻木(しび)れ厳冬(げんとう)凌(しのぎ)がたき
害(がい)を為(な)すの比(たぐひ)ならんや是皆四方 浴客(よくかく)の親(したし)く見て能く知り
給ふ処なれば何ぞ辞(ことば)を費(ついや)さんや然りと雖(いへ)ども辺境(へんきやう)遠国(えんこく)の
其身 自試(みつからこゝろみ)給はざる人の雷同(らいどう)耳食(じじょく)のうたがひあらんことを恐
れて今其功の一二を挙(あぐ)るのみ其餘は温泉功能記に
詳(つまびらかに)す
浴(ゆ)室(との)假(た)瀑(き)通計(つうけい)五十 有(ゆう)八
【この右は切れている】
平常に浴し給ふとなん
伊香保名所図絵の記者
篠田仙果
【円内】
明治十三年
御届
五月
上野北大門丁十一番地
画工 橋本直義
浅草茅野丁六十五番地
出板人 山村金三郎
楊洲周延筆
【タイトル】
上州伊香保温泉之略図
【地名は図中に記す】
温泉記
内務省衛生局分析表
左の成分は一リートル中に含有するもの也
硫酸曹達 〇、六一二……
【この左は切れている】
【図内左上枠内】
温泉記
内務省衛生局分析表
左の成分は一リートル中に含有するもの也
硫酸曹達 〇、六七七五ガラム
硫酸加里 痕跡
硫酸广屈涅矢亜【マグネシア】 痕跡
硫酸加爾基【カルキ】 〇、一一二〇ガラム
格魯児【クロル】ナトリユーム 〇、三一五八ガラム
格魯児カリユーム 痕跡
重炭酸加爾基 〇、一九八〇ガラム
重炭酸广屈涅矢亜 〇、一一九〇ガラム
重炭酸亜酸化鉄 〇、〇〇七一ガラム
珪酸 〇、〇三五ガラム
此 鉱泉(ゆ)の主成分(しゆせいぶん)は硫酸曹達(りうさんそうだ)塩化(えんくわ)ナトリユームにして解凝(こりをとき)下泄(つうじをつける)能力(ちから)あるを以(もつ)て
左(さ)の諸病(しよびやう)に効(こう)あり
〇 胃弱(いのよわさ)〇 白帯下(しろこしけ)
右の病者内服効(びやうにんのみてこう)を得(う)べし
〇 経久悪性僂广質私(ひさしきあくしやうれいまちつ)〇 僂广質私(れいまちつ)
性関節病腰痛(にてふしのいたみこしのいたみ)〇 神経病(しんけいびやう)〇 鉱毒(くわうどく)より
発(はつ)せし病(やまひ)〇 皮膚病麻疹痘瘡(ひふびやうはしかはうさう)より
発する頑癬(わるきかさ)
右の病者外用して効を得へし
〇 貧血症(ちのすくなきせう)〇 子宮官能変(こつぼのびやうき)常 月経不順(つきのめぐりふじゆん)
右の病者内外共に服用して効を
得べし
【絵の左下署名】
豊原周春曙射筆
御届 下谷金杉八十三バンチ
月 はせ川升次郎
神田ハタコ丁二十二バンチ
榎本藤兵衛
《割書:上野国|伊香保》 温泉繁栄之図 応需 広重画
当所温泉を内務省衛生
局にて分析の上左の病には殊に
効験ありと決定られたり
◯年久しく悪性の僂麻質私(れいまちす)
◯レイマチスにて関節(ふし)の痛(いたみ)
◯|腰(こし)の痛(いたみ) 神経病
◯|鉱毒(くわうとく)より来する所の麻痺(しひれ)
◯麻疹痘瘡より発したる
頑(?つ)きできもの又|貧血(ちのすくな)き症(ひと)
◯月経不順の者は浴入服用し
てよろし 又 胃弱(いのよはき)者
◯白帯下の病者は内服すへし
此外効能しるしかたし
上野国西群馬郡
伊香保温泉
入浴舎
御届明治十五年三月 日
神田旅籠町一丁目
出板人榎本藤兵衛
南紺屋町弐十七
画工安藤徳兵衛
【額の文字】
爽髄泉
寿延
入浴風呂を
見る図
【タイトル】
上州草津温泉全図
【図上部に本文】
万葉集東歌の内
等保斯等
布故□【□:万葉集十四―三四七八では奈】乃思
良祢爾阿抱
思太毛安波乃
敝思太毛奈爾
己曽与佐礼
この歌はこゝの白根山を
いへるなりこたひおなし
さまなるすかたによめる
しら根て□
いかゝ影
もの
はる〳〵て
あらはくしたり
あへらく
□□し 梅
梅木真秀
湯本の内湯滝
蓬莱の
意を祝して
蓬莱の
めに滝つほ
しを
あがり
ては
亀甲流の
湯衣をも
干す
当温泉の
昔を
思ふて
今も猶
鎌くら殿の
路を追ふて
ゆきの下
より
けふり
たつ
なり
万舟主人
鳴はする
水鶴や
温泉の
出ゆ
ならて
風雅
【上段右端】【別ページに翻刻あり】
かたし
信州善光寺
大地しんの
次第
【上段中】
新ぱんわらいの種本
おそろしい大きいねへ 今朝のじしん
あれさなかれるよ つなみの人々
こしがふら〳〵するよ 今朝のじしんで
利上をしないからながれたよ 下田のつなみ
またつゞけるのかへわたしやいやたね 二度目のじしん
にきつたらはやくおいれよ 火事の弁当
わたしやもうがつかりしたよ 地しんのあと
あれさしにますよ じしんの牛馬
あれさいくよ 御国のはや使
いつそうれしいねへ 御ひざもと
【上段左端】【別ページに翻刻あり】
大地震 【割書出来ず】
大津波 太功記十段目 秡文句
しあん投首(なげくび) 津なみては船し□□【?】荷主
おもひをくことさらになし よういしてばんばへ出□【?】へ
□【?】ほゆへ引とりゐへ □をすてつなみの噂(うはさ)聞く人
あはやと見やる表(おもて)に数か所の手疵(きす) ふる家急に宿かへする人
【タイトル】
六十余州名所図会
伊豆 《割書:修禅寺| 湯治場》
【画像のみで本文なし】
【右上枠内】
熱海温泉沸騰之図
孛国ドフトル「マルチン」氏分析表
伊豆国熱海鉱泉定性定量表
一鉱泉一千立方センチメートル即一リートル中
左ノ成分ヲ含メリ
コロールカトリウム 〇三七九〇〇 コロールマクネシユム 二三三三〇
コロールカトリエム 八一〇〇 コロールカルシユム 一七六七〇
硫酸石灰 一九三〇 重炭酸石灰 〇〇〇四三
重炭酸亜酸化鉄 三 珪酸 〇一一〇〇
第一コロールマンカン 痕跡 有機物 同
バロームカトリウム 同 ブロームナトリウム 同
惣量 一〇〇一〇四カラム
重田吉兵衛板
【左上枠内 上横書きタイトル】
温泉宿
【枠内下 縦書き】
石渡要作
石渡喜右衛門
渡邊彦左衛門
山田彦四郎
鱗屋啓助【啓の異体字と推定】
鈴木治助
相田伝兵衛
杉﨑富八
露木準三
真誠社
重田吉兵衛
曽根吾助
鈴木良三
【四つの図で構成】
【右上段の画像】
【タイトル】
《割書:大地震|大津浪》一口ばなし
【本文は上下二段構成】
【上段】
《割書:つなみと聞て|どこも》 《割書:みづに|にげた》
《割書:材木□こけて|はつ【き?】てにげた》 そふか
《割書:今夜(こんや)も西か嶋に|よつて寝(ね)られん》 《割書:おき|ばん》【起番、寝ずの番】
《割書:船に乗て死だ|けいこおやまも》 《割書:ながれの|身じや》
《割書:みりん蔵がこけた|とき【時】あたまを打た》 でんぼ
《割書:清水のぶたいにゐたら|地しんでくだけた》 《割書:とんだ事|ナア》
《割書:鉄げん寺の釣かねが|落ちて何にも》 ならん
《割書:西辺(にしへん)のはしは|無事なか》 《割書:□□□|□かた》
《割書:荷物(にもつ)が|しれんので》 《割書:せ□□|□□た》
《割書:紙屋の家が崩(くす)|れて亭主は》 はんし【半死、半紙】
《割書:乾物(かんぶつ)屋はにげる|のになんぎした》 数(かず)の子(こ)
【下段】
《割書:東海道の馬かたも|地しんにあふて》 《割書:まご|〳〵》
《割書:地しんで|にげる娘(むすめ)は》 《割書:ゑら|ゆすり》
《割書:新造(しんざう)さんは|軒迄しられて》 われた
《割書:野宿のあいだ|此ふすまをちよつと》 かりや
《割書:あつたのやしろは|地しんがゆらなんだ》 《割書:ソレ|みや》
《割書:鳥居も絵馬|堂もこけた》 《割書:ざまの|わるい》
《割書:大地しんの時こんな|家にゐるのは》 《割書:ゑらい|こけじや》
《割書:にげしなにかまぼこ|屋の門(かど)でこけて》 《割書:アヽ|いた》
《割書:象頭山(ぞうづさん)は|あれなんだ》 《割書:鼻高(はなだか)|じや》
《割書:寺〳〵の門へ|つゝぱつ□》 丸太(まるた)
《割書:地しんで|米が安ふなる》 世直(よなを)し
【右下段の画像】
【タイトル】
大阪大地震津波記 難波本清板
【本文】
嘉永七甲寅年十一月四日夜五ツ半刻大地震同五日七ツ半刻より夜
五ツ半時迄大地しん津波にて安治川木津川辺につなぎおき
たる所の親船大津波にて一同に道頓堀の川へおし入日吉ばし
汐見ばし幸橋住吉ばしを押やぶり大黒橋にてとまる川中は
大船にて十文字たて横におし破りかさなり合候ゆへ浜川蔵
屋しき町家大蔵納屋こと〴〵く船さきにて押やぶり小舟
茶舟等は大船におし潰ぶされ道とん堀大こく橋迄も船入こみ
候事は実に前代未もんの大さうどうに有て候
一大坂地震にてくづれ候場所は左の通せんば辺は座摩の社内鳥居
ならびに門たをれ北久太郎町丼池大くづれ塩町佐の屋□し【ばし?】角
堀死人けが人其数しれず南本願寺御堂は北西へそんじ御霊
の社井戸くづれじゆんけい町辺丼池大くづれにて出火致し程なく
しつまり長堀へん板屋はし北詰大くづれ阿波座さつま堀へん
願教寺たいめん所潰ぶれ永代橋京町堀へん三四軒やける天満
の社内から門近辺池田町のひがし天満へんはくつれば所数しれ
す中のしま辺常あん橋角大にくづれ西横ほりへん新町遊女
屋の所大くづれ堀江へん四ツはし御池通り土佐様御やしきの堀
くつれあみだが池の辺大にくづるゝ安治川九条へん南は永町辺
幸町の辺栄ばしへん西ずめ大くつれなんば新地しん川辺また
あんにう寺の鐘つきとうつふれ住よしの石とうろう残らすたをれる
その外末社くづるゝ上町へんのばく上本町へん玉つくり辺御祓い所
くづれ二けん茶屋へん上町清水ぶたいつふれ天王寺近へん此
外市中くづれ場所数しれす
摂州尼ヶ崎の御城はそん御城下五十軒程つぶれ西ノ宮兵庫なだ
三ヶ所大坂同様南海紀州熊野浦よりしま遠江なた伊豆大浦迄
凡百五里余の海がんの人家津波にて大半流失致候猶追々
諸国の場處出板仕候
【左上段の画像】
【相撲番付スタイルの記事】
【タイトル】
《割書:嘉永七|寅歳中》珍事(ちんじ)末代噺種
【本文三段構成】
【上段】
大関 十一月 大坂地震津波
関脇 同 志州鳥羽津波
小結 九月 《割書:大坂|長町》三ッ子産
前頭 閏七月 信貴山寅守
前頭 十一月 阿州徳嶋出火
前頭 八月 《割書:八代目|団十郎》乗込戻【戻:小書き】病死
前頭 六月 奈良大地震
前頭 六月 郡山大地震
【中段】
前 十一月 紀州田辺大津波
同 六月 《割書:讃|州》金毘羅町洪水
同 十一月 岡崎矢矧橋落
同 九月 湊死去
同 十一月 平野大地震
同 七月 北ノ新地踊り
同 十一月 河内松原地しん
同 二月 《割書:八丁目|寺町》地獄戻り
同 六月 なんば砂持
同 十一月 堺津波
同 四月 《割書:大|坂》坂町いてう娘
同 十一月 岡山大荒れ
【下段】
同 十一月 兵庫大地震
同 〃 高野山ぢしん
同 〃 和歌山つなみ
同 〃 備後鞆地震
同 〃 丹波ぢしん
世 〃 冨士川埋る
話 〃 《割書:土|州》カレく浦津波
人 〃 《割書:豊|後》靏崎地しん
頭 〃 紀州日高荒
〃 同湯浅津波
取 〃 《割書:南|都》灯籠倒
【左下段の画像】
【タイトルなし】
【本文】
御用心【御用心:大書】
伊香保
雪峰図
伊香保温泉名所一覧
江戸 同所上町
広重写 古久屋與右衛門板【印、「古久屋」】
【左側枠内】
伊香保八景を色紙
形八枚に仕さいしき摺
にて張交なぞには至
極宜敷品に御座候間
御求被下候様奉願上候
【左下、印中の文字】
湯 上 州
木暮八左エ門
元 伊香保
【右上の説明部分】
孛国ドフトル「マルチン」氏分析表
伊豆国熱海鉱泉定性定量表
一鉱泉一千立法センチメートル即一リートル中
左ノ成分ヲ含メリ
コロールカトリウム 三七九〇〇 コロールマクネシユム 二三三三〇
コロールカトリエム 八一〇〇 コロールカルシユム 一七六七〇
硫酸石炭 一九三〇 重炭酸石灰 〇〇〇四三
重炭酸亜酸化銕 三 珪酸 〇一一〇〇
第一コロールマンカン 痕跡 有機物 同
バロームカトリウム 同 ブロームナトリウム 同
惣量一〇〇一〇四カラム
【左上の説明部分】
当所ヨリ
東亰 廿七里 江ノ島 十五里
横浜 廿 里 伊豆山 十八丁
小田原 七 里 日金山 五十丁
箱根 五 里 修善寺 八 里
三島 五 里 伊東 五 里
下田 十八里 静岡 廿一里
網代 二 里
産物
一雁皮紙 一楠細工
一挽物細工 一塗物細工
一寄木細工 一青木箸
一木之葉形温泉化石
【このページには中央上資料のみ翻刻】
わらいの種ほん
ほんとうかね
〽所々へ仮宅の出きるはなし
はやくしておくれなね
〽小屋かけを
わたしや一どでがつかりしたよ
〽こんどの地しん
またするのかへ
〽いりかへしの地しん
おあいだくねへ
〽やけしんだひと
うれしいね
〽おすくいの出たはなし
たいそうおおきいね
〽おすくいの小屋のたき出し
かみはないのかへ
〽十月だものを
もうおよしよ
〽ちしんのはなし
よかつたねえ
えこういんのあなほり
【右端・出版年等】
明治廿三年四月 著作印制兼発行者
印制同年同月廿三日出版 神田区鈴木町六バンチ 阿部善吉
越後高田へ 二十里
信州上田へ 十三里
日光へ 三十六里
東京へ 四十八里
【タイトル】
上州草津温泉之全図
【本文】
当温泉は人皇四十
四代元正天皇の御宇
養老五年薬王如
来の示現に依て行基
菩薩登山あり温
泉鎮護の尊像彫
鐫し玉へり其後武
将頼朝公建久三
年三原巡狩の刻
当温泉を試給ふ
薬王殿御草創
ありしより日に増繁ク
盛也悉くは薬師
別当所より出す
由来記を見て知
べし
【上側右端の和歌】
あしほ山
やます心は
つくはねの
そかひに
たにも
みよく
なき哉
【中程右端】
筑はねの
白雲かゝる
松山の
ちとせの
かけの
さも
しるき
哉
【男体山と女体山の下側、右から左へ】
つく
はね
の
みね
より
落る
みなの
川
つく
はね
の
峰の
さくらや
みなの
川
なかれ
て
淵と
ちり
つもる
らん
みなの川
峰
より
落る
もみちはも
つもりて
なみを
またや
染らん
【下側中央】
つく
はね
の
すそわの
田井の
しつの
庵
このも
かのもに
けふり
たつ
なり
【下側左端】
つねよりも
はるへに
なれは
さくら川
波の花こそ
まなくよるらん
《割書:大地震|大津浪》大功記十段目【斜め書】抜文句
【上段、左へ】
しあん投首(なけくび) 津なみては船した荷(に)主
おもひをくことさらになし よういしてばんばへ出た人
早本国へ引とり給へ 遠方てつなみの噂(うわさ)聞人
あはやと見やる表(をもて)口数ケ所の手 疵(きす) ふる家急に宿かへする人
顕(あら)はれ出(いて)たる まいはん西に黒雲
ぬき足(あし)さし足 へたり掛たる家へ忘物取に這入人
わつと玉(たま)ぎる女のなき声(こえ) 地(ち)しん最中(さいちう)産(さん)の気(け)の付(つい)た人
聞(きこ)ゆるもの音(おと)こゝろえたりと 大道(だいどう)疊敷(たたみしい)て内にゐる人
互(たかい)の身(み)のしあはせ 注文物(ちうもんもの)船(ふね)へつまなんた人
水あげかねし風(ふ)ぜいにて 大地しん蔵仲仕(くらなかし)
末世(まつせ)の記録(きろく)にのこしてたべ 大黒(たいこく)ばしへつまつた船
操(みさお)の鏡(かゞみ)くもりなき 住よしの浜(はま)つなみなし
【下段】
他家へ縁付して下され 大はそんした家ぬし
詞はゆるかぬ大はん石 大坂の御城
しるしは目前これを見よ 家ちんのやすい古家
追〳〵都へはせのほる 諸国よりの見舞状
高名てがらを見るやうな 普請方
我(われ)又 孫呉(そんご)が秘術をつくし 大道へ素人細工の小家たてる人
とかう言内時こくが延る かんばん出した道頓堀の芝居
まだ祝言のさかつきを 地しんて延(のひ)たこん礼
あたりまばゆき出立は 下やしきへ逃(にげ)る北辺の御寮人(これうにん)
行方しらすなりにけり 津なみておちた橋〳〵
さやうなれは御遠慮なし 明地のある所へとまりに行人
めでたい〳〵 家内にけがのないの
【下の別記事】
頃は嘉永七寅十一月四日五つ時舞坂
しらすかあら井宿大津なみ人家そんし
よし田御城下より岡さき御城下宮より七里渡
大きにあれる舟そんし夫より桑名御城下よりかめ山
江州路大津辺まて仲仙道宿々大きにそん
しる也京都はかく別の事も無くいせ路
津松坂山田辺大神宮さ□御宮さふりなし
志州鳥羽大地震大津浪町屋三町程も
流し在々まてもあれ大舟小舟そのか
つしれす人家大きにそんしるなり同月は
六日大しん大津浪かたの浦くまのうら
大津浪人家大きに流し和哥山在々大き
にそんつるなり同月五日六日大坂あし川口
天保山崩れ并あし川橋ふなとはしたかはし
三大橋を流し人家七百けん程流し
大せん七十そう 小舟そのかつ
しれす
人家そん
しること
すくなから
すあまか崎
御城下町屋か
ん崎へん残らす
あわち嶋辺も津浪の
よし中国□辺もしひ
きしなり誠に古
来よりかみ大しん
大つ浪よつて諸変
かくらんに
そなへるもの也
上功能
第一せんき。|寸白(スバク)。|癪(シヤク)つかへ。りうゐん。|痰(タン)せき。|頭痛(ヅツウ)
眩暈(メマイ)。立くらみ。一切の腹痛(ハライタミ)。|淋病(リンヒヤウ)。せうかつ
五痔(ゴヂ)。|脱肛(ダツコ)。|長血(ナガチ)。|白血(シラチ)。婦人血の道|産前(サンセン)|産後(サンコ)
月水(クハツスイ)の|滞(トドコホリ)|又ハ子(コ)なき婦人ニ而も懐胎(クハイタヒ)する事妙也
黄(アヲ)たん。|喘息(センソク)。かつけ。|脹(チヤウ)□【にくづきに満の右側】(マン)。|労咳(ロカユ)。|中風(チウブ)
足腰(アシコシ)の痛(イタミ)。|金瘡(キンサウ)。|打身(ウチミ)。切きず。たむし
頭瘡(ヅサウ)。|小瘡(ヒセン)。|小児(コドモ)|五疳(コカン)。|胎毒(タイドク)。よこね
梅毒(ハイドク)|旧(フルキ)|新(アタラシキ)とも即(ソク)妙なり
或ハ目のうすくなる症(シヨウ)又は朦眼(トリメ)
諸眼病(シヨカンヒヤウ)によし
癲癇(テンカン)。|癩病(ラユヒヤウ)。うきの病(ヤマヒ)。|下部(ケブ)の病一切によし
其外いかやうの難病(ナンヒヤウ)にても入湯して普(アマネ)く
治せずといふことなし
但し湯あたり等(ナト)と申事一切無之候
国恩
抑(そも〳〵)此(この)黒薙(くろなぎ)の温泉(おんせん)ハ世(よ)に無比類(たくひなき)名湯(めいたう)
なれハ是(これ)まて開(ひら)けざるをうたかハしく
思(おも)ハるれと此(この)湯(ゆ)の涌出(わきいづ)る所(ところ)ハ御縮山(おしまりやま)の
うちにして
公(きみ)の御(おん)ゆるしなけれハ開(ひら)く事(こと)不能(あたハず)樵(きこり)杣人(そまひと)抔(など)
のミひそかに浴(ゆあミ)し助(たすか)り居(い)たりしに今(いま)世(よ)の
経済(たすけ)となりぬる時(とき)至(いた)りけるにや
慶応三丁卯初冬のころ
公(きミ)のふかき御(おん)慈悲(なさけ)にて医薬(いやく)を
用(もち)ひすして人(ひと)のたすけと成(なり)名湯(めいたう)なれハ
速(はや)く開(ひら)けよと恐(おそ)れおふくも仰(たれ)玉ハりし
により普(あまね)く世(よ)のたからとハなりぬ
|道程(ミちのり)
魚津(うをづ)ヨリ二リ三日市(ミかいち)ヨリ二リ浦山(うらやま)ヨリ半リ愛本(あいもと)大橋(おはし)ヨリ
三十丁|音沢村(おとさハむら)ヨリ湯本(ゆもと)迄(まで)山道(やまミち)二リ間
新道(あたらしきミ ち)幅(はゞ)八尺ニ造(つく)り馬(むま)駕籠(かご)往来(おふらい)自由(じゆう)也
且愛本橋|詰(つめ)ゟ湯本迄二リ三十丁間
川舟(かハふね)通行(つうこう)なるゆへ深雪(ふかゆき)之 時節(じせつ)も
入湯(にうたう)さしつかへる事なし
追加
倭(ハ)漢(かん)共(とも)普(あまね)く諸州(くに〳〵)の温泉(おんせん)紀元(はじまり)并|功能(こうのふ)の穿鑿(せんさく)を
観(ミ )るに病症(やまひ)によりふさふとふさハざるありて
其(その)利害(よしあし)わけず入湯(にうとう)すれハ却(かへつ)而|損害(わさわい)をまねくと
温泉考(おんせんかう)|養生録(よをしようろく)|其外(そのほか)|医書(いしよ)又|世人(よのひと)の俚言(いひならわし)とも
なり来(きた)りなれど此(この)黒薙(くろなぎ)の温泉(おんせん)いまだ世(よ)に広(ひろ)く
開(ひら)けず万病悉治至妙奇特(いろ〳〵のやまひミ ななをるめづらしきふしぎ)の功能(こうのう)ある事を
こゝろミ たまへさるのあやまりなり是(これ)まて諸名(がくしや)
家(がた)なとの確論(いハれしこと)も管見臆断(せまきてまへりくつ)にして更(さら)に取(とる)ニたらず
さすれハ天地(てんち)造化(そをくハ)の妙用|無尽蔵(むじんそう)足(たる)事|人智(じんち)を以(もつ)て
全(まつたく)量(ハかり)究(きハ)むへからすとする処(ところ)欤(か)恐(おそれ)べし謹(つゝしん)へし
【右下】
功能
ケ様万|病(ひやう)の治(なを)する根元(たね)ハ唯(たゝ)入湯の
功能のみにあらず此|湯(ゆ)萬(よろづ)の食事(しよくじ)に
用(もち)ひ且湯治中|間(ま)隙(ひま)なく白湯(さゆ)にて
飲(のむ)ゆへ惣躰(そふたい)五臓(ごさう)六|腑(ふ)の痼疾(こりやまひ)を
追下(おへくた)し元陽(げんき)を補(おぎな)ひ気血(きけつ)を潤益(そだて)
せしむるゆへ小児(ことも)ハ胎毒(たいどく)を除(のぞ)き
速(すミやか)に成長(せいちよう)せしめ中人(おとな)の腎虚(よハミ)にハ
忽(じき)ニ堅固(たつしや)ならしめ老人(としより)ハ却而(かへつて)壮健(じやうぶ)
ならしむ子(こ)なき婦人(おんな)ハ懐妊(はらむ)せしむ
および人生養育(からだのやしなへ)に神変(めづらしき)不思(ふし)
議(ぎ)の功能(こうのふ)あるが故(ゆへ)に往古(むかし)より
山人(やまびと)とも神通泉(じんつうせん)とハとなひ
来りし也|速(しき)に来りて功(きゝめ)を
得るふべし
【左下】
文会堂彫
越中新川郡
黒なき温泉
湯元
謹誌
鹿島神託所(かしましんたくしよ)より鯰共一統(なまづどもいつとふ)え申|渡(わた)しの事(こと)
鯰共の義は古来(こらい)より申|渡(わた)し置通(おくとう)り九八|病(やま)ひ五七が
雨(あめ)に四つ日でり六つ八つならば風としるべしとの御縁寿(ごゑんか)を
守(まも)り時候(じかう)不 順(しゆん)の折(おり)を見あわせ質素(しつそ)に渡世(とせい)致(いた)す
べき処|諸神(しよしん)出雲(いつも)へ御出仕(ごしゆつし)之御跡(おんあ□)みて先例(せんれい)の
掟を背(そむ)き御|府内(ふない)近来とかく乱妨(らんはう)いたし家蔵(いへくら)
身体(しんたい)をゆすりちらす
のみならす
とうるいの
出火を
誘引(さそひ)
格別(かくべつ)の出
風もこれ
なきに
数(す)ケ所(しよ)|焼(やき)
はらひ候段
八百|万(よろづ)の神を
恐れさる
いたし方
ふらち至極(しごく)に付
四つ手を以(もつ)て
一疋(いつひき)ももらさず
すくひあけ
蒲やき所に
おゐて大道さきの
うへ火あふりにも
行ふべきところ
格別(かくへつ)の御|慈悲(じひ)を
もつて日本六十|余州(よしう)追(つい)放
仰付らるゝものなり若(もし)此後御□頭場|所(しよ)へ立|寄(より)いたぶりがましき義これ有(ある)におゐては
早速(さつそく)地引(ぢびき)をとつてからめ取(とり)急度(きつと)酒(しゆ)菜に行(おこな)ふべきものなり
太平元年おち月十日目
【一段目右から】
平のかねもり
下田をきゆら
れにけりなおろしや
ぶね みなよひ
きみと
人のいふまで
けん徳公
あはれともいふべき
とこは三嶋じく
家がつぶれて
こまるべきかな
中なごんかね平
みなはらへたをれ
いるのをなが
むればわが
ていしをば
こひしかるらん
大弐の三み
ありま山火
のみのうへは
ひどかろふたつた
ひとりでこはいめをする
左京の大夫みち政
今はたゞをう
らいたへてはる
より一人たちと
とふすよしも
かな
うみのおとたへて
久しくなり
ぬればまた
つなみかと人は
にげけり
大なこんきんとう
藤原清すけあそん
なきながら
ていしは
二どの大
ししん湯もとよりも
畑がかなしい
源のむねゆき
山ざとはゆるぞ
久しくかぎり
なく人もその
身もしすとおもへば
【二段目右から】
かんけ
此たびは大工
しやかんはかねの山
もちばのしごと
きうのまに〳〵
西行ほうし
なげきつゝ神や
ほとけをいのりても
こういふときは
きかぬものかな
文やのやすひで
ゆるからに秋はの
町もしをれて
山も地しんと
人はいふらん
清正なごん
夜をふけて
鳥のなくまで
子ぞうさんどうぐの
ばんはきつとゆるさじ
中なごん行平
たちいでゝにけ
ゆくとこは山の
うへをちつく時は
またかへりこん
さきの大僧正きやうそん
もろともに
あはれと
おもへ大地
しんやふよりほかに
ゐるとこはなし
かはらの左大じん
道なかへたをれ
ふしたる大
じしん地こそ
ひらいてわれ
ならなくに
みぶのたゞみね
ありがたき
つゞく天下
のおひざもと
水屋のとよで江
戸はけがなし
【三段目右から】
そぜいほうし
今に又いると
おもふて人々が
したくこそして
まちゐづるかな
しゆ徳いん
せをはやく岩で
くだけしひがき
ぶねもふこれからは
のらんとぞおもふ
藤原よしたか
きみがため
おしからざりし
命でも此
じしんでは
にげにけるかな
右大じんみちつなのはゝ
なげきつゝ役者は
みんなやすみゐる
いかに久しき
ものとかはしる
三じやうのう大じん
なにしおふ
ふた子の山も
あれぬればいしが
ころげてくる
よしもがな
やうせいゐん
つりがねもうへ
よりをつる
大地しんおとぞ
ひゞきてみゝへなりぬる
大江の千さと
いりぬればひゞに
心もかなしけり
わが身ひとりの
事にはあらねど
じゆん徳いん
もゝ引や古き
じばんでかけ
いだしあまりに
つよきじしん
なりける
ころは嘉永七とらどし六月十四日のねうしのニてやつどきごろ
おわり,いせ,あふみ,みの四かこくおゝじじしんのしだい,とうかいどう
すじなるみじやく,みやじやく,なごや,かいどう
【ここに翻刻する資料は画像中央上のものだけなので、左下資料入力済み分は残したまま、この先新しく翻刻を始めます】
《割書:大地震|大津浪》 世直し万歳(まんざい)
時は嘉永寅の冬みるもさはぎ満し升そうどう
ありけるあらましの飛出(とびだ)しさはぐわれらよりたれもおど
ろき皆目をさましあはてけるは誠に手ひどふさアはぎ
けるけふのゆさ〳〵は安座でどふも御家にゐられぬ皆も
大事おれもモウ出るかゝも逃よ夜通しゆさ〳〵とうしや
住の者共が【、?】霜月四日辰の下刻にゆり出し長い事まじ
ない神をいのられ給ふあふないなんぞと気もませ給ふは
まことにねぶたふそふらひける【、?】つなみ〳〵とつとこんだる
つなみ打たる浪の大ゆりうろたへこはい門の大ゆりあはて騒(さはい)で
□□□わいはまがは〳〵〳〵 〳〵〳〵こわいなとゆつたる度に気をもめそこを
□□□物屋をみたればらんちくさはぎ皿やかんちろりん疵(きず)ひゞ
□□□やびん近々 結構(けつこう)かざり立てあぶないしが忽(たちまち)にくづけ
□□□ 破(ぶれ)たる雑(ざう)ばち迄ゆりこうなる様(さま)野にも集(あつま)る皆よれ
これよれ諸方(しよほう)の御蔵もどつさり〳〵〳〵瓦(かはら)も傾(かたむ)く世上に□□ (とり?)た
門(かど)には集(あつ)まるどつちもこつちもいかれんのこわいことは後(のち)の世直(よなを)し
【表題】
伊香保八景
【扇形色紙】
上毛伊香保古久屋楼
【方形色紙】
橋もと玉蘭斎貞秀古礼を図画とす
宝善堂
【扇面上】
古今集名所の和歌をかふ
【扇面下】
両画
【欄外右下】
上州伊香保湯元
川□木暮八左衛門
【上の絵】
伊香保
八景
上の山の
月
万葉集
伊香保風
ふく日
ふかぬひ
ありといへと
あか
恋のみし
時なかりけり【表記は鳧か】
貞秀画
【下の絵】
伊香保八景
二つ嶽の雪
万葉集
かみつけぬいかほの
ねろに
ふろよきの
ゆきすきかたき
妹か家のあたり
貞秀画
【左の絵の翻刻はコマ3に】
【右側の絵】
伊香保八景
関屋の蛍
万葉集
伊香保ろに
天雲いつき
かぬまつく
人を
おた
はふ
いさねしめ
とら
貞秀画
【左】
伊香保八景
高根の鹿
万葉集
いかほろの
やさかの
ゐてに立にし
の
あらはろ
まても
さねを
さねては
貞秀画
相模大地震
夫天地不時之変動ハ陰陽混して雷雨ニなる
地ニいれハ地しんをなすアヽ神仏之応護も
これを納る事かたし比ハ嘉永六丑とし
二月二日昼四時より夜九時迄大地しん
相州小田原 大久保加賀守様御領分
御城下万町本町板はしりうし町通り
青物丁すとを丁寺まち御城角やくら
町家とも大ニ損す近村近郷酒匂川すち
飯すミ十文字十日市場子安大山へん
道降【雨降】権現山道東海道すち小田はら
つゝきはた山中大久保長門守様御領分
村〻多く損す箱ねゆ本七ヶ所二子山辺
同所権現様御山内尤御社ハ御さわり□□
同所満水あふれ出さいの河原辺大ニ損す
夫より豆州海辺山〻真つる網代伊東西ハ
しゆせん寺三しま此外所〻大ニ損すると
いふともあらましを記し高覧ニ
そのふのミ
【表題】
《割書:豆州|熱海》温泉全図
【図右上枠内】
孛国ドクトル「マルチン」氏分析表
伊豆国熱海鉱泉定性定量表
一鉱泉一千立方センチメートル即一リートル中
左ノ成分ヲ含メリ
コロールナトリウム 三七九〇〇 コロールマクネシユム 二三三三〇
コロールカーリユム 一八一〇〇 コロールカルシユム 一七六七〇
硫酸石灰 一九三 重炭酸石灰 〇〇〇四三
重炭酸酸化鉄 三〇 珪酸 〇一一〇〇
第一コロールマンガン 痕跡 有機物 同
ブロームカーリウム 同 ブロームナトリウム 同
惣量二〇、〇一〇四カラム
【図内左上枠内】
当所より
東京 廿七里 江ノ島 十五里
横浜 廿里 伊豆山 十八丁
小田原 七里 日金山 五十丁
箱根 五里 修善寺 八里
三島 五里 伊東 五里
下田 十八里 静岡 二里
網代 二里
産物
一 雁皮紙 一 楠細工
一 挽物細工 一 塗物細工
一 寄木細工 一 青木箸
一 木之葉形温泉化石
【図外左下】
重田吉兵衛蔵版
《割書:日|本》地誌略図
鳴門の風波
阿波国(あはのくに)
東南は海に臨(のぞ)み西北は土佐
伊予讃岐に界(かい)す
徳島 都会(とくわい)の地(ち)にして眉(び)
山は其南に聳(そび)ゆ海岸(かいがん)は
一 湾(わん)をなし紀伊淡路と対(たい)し
両島(りやうとう)北に羅列(られつ)す淡路と
の海峡(かいきやう)其 幅(はば)最狭(いとせま)く潮(てう)勢
急(きふ)なり是を鳴門(なると)といふ
廣重画
【画像中央の下資料のみ翻刻】
【左側三枚目の画像】
徳島県 府県名所図会 阿波鳴門 御届ケ
広重画
支庁位地
徳島
画工南こんや町廿七番地安藤徳兵衛【右下欄外】
【表題】
《割書:嘉永七|寅歳中》珍(ちん)事(じ)末代噺種
【本文一段目】
大関 十一月 大坂地震津波
関脇 同 志州鳥羽津波
小結 九月 《割書:大坂|長町》三ツ子産
前頭 閏七月 信貴山寅守
前頭 十一月 阿州徳嶋出火
前頭 八月 《割書:八代目|團十郎》乗込并病死
前頭 六月 奈良大地震
前頭 六月 郡山大地震
【本文二段目】
前 十一月 紀州田辺大津波
同 六月 《割書:讃|州》金比羅町洪水
同 十一月 岡崎矢矧橋落
同 九月 湊死去
同 十一月 平野大地震
同 七月 北ノ新地踊り
同 十一月 河内松原地しん
同 二月 《割書:八丁目|寺町》地獄戻り
同 六月 なんバ砂持
同 十一月 堺津波
同 四月 《割書:大|坂》坂町いてう娘
同 十一月 岡山大荒レ
【本文三段目】
同 十一月 兵庫大地震
同 〃 高野山ぢしん
同 〃 和歌山つなミ
同 〃 備後鞆地震
同 〃 丹波ぢしん
世 〃 富士川埋ル
話 〃 《割書:土|州》カンノ浦津波
人 〃 《割書:豊|後》靏崎地しん
頭 〃 紀州日高荒
〃 同湯浅津波
取 〃 《割書:南|都》春日燈篭倒
【中央下資料のみ翻刻。他資料は別ページにて翻刻対象】
流行 一口文句なぞ〳〵
【上段】
こんどの地しんとかけて
○おいらんのいきしとゝく
心は〽はりにおさるゝ
よし原のさわぎとかけて
○いろ男の日本一ととく
心は〽をんなころし
たをれかゝつた家(いへ)とかけて
○としよりのいろごととく
心は〽かとぐちでおじぎ
十月二日の夜とかけて
○見(み)にくひかねをとつたと
とく心は〽やけでたをれる
かへにうづまつた人とかけて
○ふるどうぐやの目きゝと
とく心は〽ほりだしがたくさん
三十七ケ所の出火(しゆつくわ)とかけて
○あめふりの空(そら)とゝく
心は〽とびかでない
ゆつ【り?】しづまつたぢしんとかけて
○夕(ゆふ)がたのともしびとゝく
心は〽もふあんどう
【下段】
地しんよけのことばとかけて
○三河の月まちととく
心は〽まんざいらく
おすくひ小屋(こや)とかけて
○大きな馬やととく
心は〽びん〳〵がつめかける
なまづの大あれとかけて
○しまやのさはぎととく
心は〽どぞうが昃【?】きはやおけざんよ
人〴〵の心がけとかけて
○百性(ひやくせう)の門(もん)訴(そ)ととく
心は〽みのやうじん
このごろの七つやとかけて
○小町(こまち)のまたぐらと
とく心は〽一かう通用(つうよう)がない
浅草の五重(ごぢう)のとうと
かけて○福(ふ )ろく寿(しゆ)の
おしぎととく
心は〽あたまがまがる
これからの世(よ)の中と
かけて
○画(え)にかいたぢしんと
とく心は〽うごきや【見ゑ? ァし? 】ねへ
ぢしんほう〴〵ゆり狀の事
一此ゆり助と申者生国かしま要郡ゆるぎ村にて慥成ぐら付
者ニ付らい共請人に相立いへんえいたぶりほう〴〵えゆり出し
申候所ぢしん也年季の義ハ去ル未信州より八年かに
相当り御きう近国として越後三州慥ニ
おどろき申候御しきせの義ハ夏ハがふらじまふるへ
物一枚冬ハみぢんつなミぬのこ一枚下さるべく候事
一上方筋五畿内五か国之義ハ申ニおよバす
四国九州まで相ゆるがせ申候若此者
表中おさん殿のねまへはいこみない
しやうのぢしんいたし候か又ハ
御大せつなる土蔵をこハしゆり
にげかべおちいたし候ハヾ急度したる左(さ)官(くわん)
をもつて早(さつ)速(そく)埒(らち)明(あけ)可申候事
一宗旨の義ハ豆州さうどうはにて寺ハ
下田横町ミなこけ横町ぐら〴〵さんつぶ
れんじなむさんぼふつなミニまぎれ御坐なく候
五八そうのなんせんニてハ無之若此ぢしん
の義ニ付跡々ニてゆり出し候者無之万一ゆり
かへし等致候ハヾ我等ぢしんにまかり出かなめ石を以て
ぎうとおしつけきでんえ駿抄も御くらふ相かけ申
間敷候五七留一たんゆつて九は病の如し
いなかけんのんじ門前
しんどう元年 家内つぶれ兵へ店
なまづ十一月 請人 もへ出シや火事兵衛
あさからゆり通り
にげ出し横丁
ひらきや大地郎店
人主 ぶる〳〵やこわ右衛門
大坂町屋敷大つなミ打寄場
橋〳〵屋おち右衛門様
頃は嘉永七寅十一月四日五ツ時舞坂
しらすかあら井宿大つなみ人家そんし
よし田御城下ゟ岡さき御城下宮より七里渡
大きにあれる舟そんし夫ゟ桑名御城下ゟかめ山
江州路大津辺まて仲仙道宿々大きにそん
しる也京都はかく別の事も無之いせ路
津松坂山田辺大神宮さま御宮さわりなし
志州鳥羽大地震大津浪町屋三町程も
流し在々まてもあれ大舟小舟そのか
つしれす人家大きにそんしるなり同月五
六日大ししん大津浪加たの浦くまのうら
大津浪人家大きに流し和歌山在々大き
にそんつるなり同月五日六日大坂あし川口
天保山崩れ并あし川橋ふなとはしたかはし
三大橋を流し人家七百けん程流し
大せん七十そう 小舟そのかつ
しれす
人家そん
しること
すくなから
すあまか崎
御城下町屋か
ん崎へん残らす
あは土佐辺も津浪の
よし中国丸辺もしひ
きしなり誠に古
来よりかゝる大ししん
大つ浪よつて諸君の
かうらんに
そなへるもの也
【表題】
越中国
立山幷ニ
立山新
道之図
【図内中央右】
富山ヨリ松本マテ
廿九リ廿七丁
同ヨリ上田マテ
三十三リ廿七丁
同善光寺マテ
三十三リ
廿七丁
【図内下右】
立山新道里程ノ附
富山ヨリ上瀧マテ三里
上瀧ヨリ原マテ三リ十八丁
原ヨリセコマテ三リ
セコヨリ温泉マテ二リ
温泉ヨリ黒部川マテ三リ
黒部川ゟ針木峠マテ
二リ針木峠ヨリ
山神マテ二リ九丁
山神ゟ野口マテ
一リ十八丁野口ヨリ
大町マテ十八丁
大町ゟ
松本ニテ九リ
大町ヨリ
善光寺マテ
十二
里
【図内下右】
越中
富山
之図
【表題】
《割書:大地震|大津波》 安達原(あだちがはら)三段目 抜文句 【三段目という三文字横書き】
【最上段右から】
年寄(としよつ)たからだは
いつ何時の
かうなり
はてた身の上
一度におどろき
轉(まろ)びおり垣(かき)押破(をしやふ)り
跡の詮(せん)義は某(それがし)が
よきやうに
ゆんでめでへ
はつたとけとばし
天眼通(てんがんつう)は
得ざれども
はしらんと
すれども
皮(かは)もやぶれし
三味せんの
濱(はま)ゆふが
とびたつばかり
隙(ひま)入ほど
為にならぬ
嘆きは理(こと)はり
何かに付て
爰(こゝ)迠くるは
きたれど
【二段目右から】
丸太(まるた)で
もたす古家(ふるいへ)
穴堀(あなほつ)て埋(うづん)で
ゐる瀬戸物や
ろうじから
空地(くうち)へ逃出る人
内にのこる
番頭
川内へ押込(をしこん)で
来(き)た大舩
いつの何時にゆ
ると知た魚(うほ)する人
途中(とちう)で地しんに
あふた人
さんざい中へ
ゆさ〳〵
鳥羽(とば)浦
大つなみ
工(く)手間 増(ます)
舩大工
芝(しば)居茶や
ちり〴〵に
にげた人
【三段目右から】
はつとおどろき
またばつたり
テモ扨も扨も〳〵
おもひがけない
是はまた
あんまりきつい
今思い知り
おつたか
わが身ながら
あいそのついた
聞て心も
こゝろならず
追立られ
かしこの橋では
八幡殿の
北の方
おまへに問たら
しれるであろ
われ〳〵が
大望(たいもう)の妨(さまた)げ
かきがねに錠(ぢやう)
しつかとおろし
縄(なわ)引切て逃(にげ)出ん
と存ぜし所
【四段目右から】
津なみと聞て
三手打する人
座敷へ舩の
みよし入られたの
十一月五日の
夕かた
爪(つめ)の長い
家主
釣臺(つりだひ)で逃(にが)して
もらふ病人
いせから奉公(ほうこ)に
来(き)てゐる人
津波に
出合た茶舟
しづかに
有た都【?】
江戸から
戻つて来た人
京の
顔見せ
家内連て在(ざい)
所へ逃る人
つなみの
咄(はなし)する舩頭(せんどう)
【図題】
羅城門渡邉綱
鬼腕斬之図
【署名】
応需
芳年筆
【図題 右上】
六十余州名所図会
大隅 《割書:さくら|しま》
【署名 左下】
彫竹
廣重筆
【図外印】
辰三 越平
十一月四日東海道筋大地震
所〻出火怪我人大損之場所
小田原 少〻損し
箱根 中損し
三嶋 大損し出火四丁
豆州下田 津浪流死人多
沼津 皆ツフれ出火少〻
原 無事
吉原 大潰出火少〻
蒲原 〻出火多分
由井 少〻
興津 〻
江尻 大潰出火多分
清水湊 〻
府中 〻
鞠子 半潰
岡部 〻
藤枝 大潰出火多分
田中 〻
嶋田 半潰
安政三丙辰八月十一日夜子刻
浪花大雷落場所附(なにはおうかみなりおちばづけ)
当夏は日でりつゝきにて五月より雨降り申さす
六月に至りても日和つゞきにて七月十四日に少し
ふり候侭にてます〳〵日でりとなり所々雨乞等
在之候へとも其印もなく八月十一日日くれ頃
より曇出しけしきはげしく其夜子の刻ゟ
大夕立にてあたかも大地を引さく如く光り
つゞけ鳴つゞけ生たる心地もなく子は親にしがみ
つき親父はかゝにしがみ付夜の明るを待兼る
ざこ場魚市場 中の嶋浜松蔵屋敷
北浜一丁目蔵の内 新地側中津蔵屋敷
備後丁中橋塚キ裏 本町心斎ばし南入
安土町せんだんの木 片町水船へ同船破る
堀江御池ばし 権現様お宮松の木
阿波どのばし西入 安土町 銭忠
櫂屋町けんさい橋 幸町二丁目高松
雪踏屋丁お祓すじ 同 茶や大初
堂嶋 卍ケ辻 ばん場近辺三ヶ所《割書:鳥二百|羽斗死》
同 相場より場 玉造二軒茶屋野中
北新やしき 桜丁安田跡明家
おはつ天神丁ちんや 淡路丁中橋西太田
稗嶋村家三軒焼る 裏門橋西詰仲仕より場
尼ケ崎小傳格子破る 常安橋中国蔵屋敷
新町塀の側越後丁 安治川新堀順正寺
同 道者横町 のだ町東の 加茂
新町すし東口 下ばくろ大船へ《割書:八百石帆柱|さける》
天満表門十丁目酒や 九條村あひる多く死す
生玉 鳥居前 北長柄村大根畑けへ
上塩丁夕願寺門前 同所岸のやぶ
平の町骨や丁 木や 住吉加賀屋新田
三ツ寺すじさかいすし 同所東かつたむら
阿波橋北詰東 紺や 同所近在 寺いん
天満 建国寺 さかい金もの町
八尾町にて八ヶ所 同黒門飛脚 泉や
播州明石数ヶ所 同地下 芦原
地震 ○印の分は先へつゝけて
出火 例(れい)のおわらひ よむへし跡は小字と
合わせてよむなり
○びつくり ○こん夜は
したよ ねかさないよ
〽地しんと 〽とき〴〵の
火(くわ)事 ゆりかへし
○オヤマアこんなに ○じつに
たつているよ うれしいよ
〽七ヶ所の 〽おすくひの
おすくひ小家 おむすひ
○ひとがくると ○はだかに
見るよ なつておしよ
〽つぶれた 〽かうばりの
家くら 手(て)つだい
○あれサぬけ ○ヲヤ〳〵おまへも
そうたよ おだしたねへ
〽はや仕舞の 〽かうらいの
せんとう にもつ
○ほねもかわも ○大そう
ひとつになるよ でたよ
〽よ□はらの 〽まち〳〵の
死人 ほとこし
○日本ぢうが ○はやく
いつしよだよ おやりよ
〽きよねんからの 〽四斗たるの
地しんさわき かりとむらひ
○アレもふ ○かつかり
いつたよ したよ
〽はりの下の 〽こんとの
おうしやう 大へん
【表題】
羽州
象潟
之図
皇宮山于満珠寺
【図内左下署名】
牧野□□永昌画
【図外左下署名】
本庄又次郎 □□
【表題
世界萬国地球與地全図(せかいばんこくちきうよちぜんづ)《割書:凡(およそ)この図(づ)を見者(みることの)先赤道極星出地(まづせきどうきよくせいしゆつち)|一度(いちど)のところを以(もつ)て主(あるじ)とすべし》
【図上】
此図(このづ)阿蘭陀人(おらんだじん)の製(せい)する所(ところ)にして其(その)
大小精疎(だいしようせいそ)異同(いどう)あるに似(に)たれども大概(たいがい)
皆同(みなおな)じ▲|東小洋(とうしようしん)▲|東大洋(とうたいしん)▲|西小洋(さいしようしん)
▲西大洋(さいたいしん)是(これ)と四大海(しだいかい)と云▲|亜細亜(あしや)▲|欧邏巴(おうらは)
▲|利未亜(りびや)▲|南北亜墨利加(なんぼくあめりか)▲|墨瓦臘泥加(めがらにか)
是(これ)を六大州(ろくたいしう)といふ唐土天竺日本(からてんじくにつほん)は皆亜細亜(みなあじや)
州(しう)の中(うち)なり〇|大地南北(たいちなんぼく)の直中(たゝなか)に赤道線(しやくどうせん)
あり南北(なんほく)各(おの〳〵)九十|度(ど)あり春秋(しゆんしう)二|分(ぶん)の日道(じつどう)
の下(した)にて天下第一炎熱(てんかだいいちえんねつ)冬(ふゆ)なき地(ち)なり是(これ)と
暖帯(たんたい)と云|此所(このところ)にては南極(なんきよく)星も北極(ほくきよく)星もみへず
高山(かうざん)に登(のぼ)りてみれば南北(なんほく)の二|星各地(せいおの〳〵ち)に附(つき)てみゆる
是(これ)を極星出地(きよくせいちをいづる)といふ北方(ほくほう)へ直道(ちよくどう)廿五|里移(りうつ)れば
極星(きよくせい)一|度高(どたか)くみゆる日本は三十度ゟ四十度也
蝦夷(ゑぞ)は四十度ゟ四十七度|魯斉亜(ろせいや)は五十二度
なり北へ行程次第(ゆくほどしだい)に高(たか)し九十度|高(たか)ければ
即人(すなわちひと)の頭上(づしよう)に見(み)るこの所(ところ)夜国氷海(やこくひようかい)也
秋分(しうぶん)より明年(めうねん)の春分(しゆんぶん)まで日(ひ)を見(み)ること
なし故(ゆへ)に春分(しゆんぶん)より秋分(しうぶん)まで日輪地(にちりんち)の
際(きわ)を東南西北(とうなんさいほく)へ一|巡(めぐ)りして一日とす夜(よる)なし
是(これ)を半年夜半年昼(はんねんやはんねんひる)といふ
〇|日輪寅時亜墨利加(にちりんとらのときあめりか)大東洋(たいとうしん)に出(いで)て
其日(そのひ)の申の時(とき)に日本(につほん)の上に来(きた)るその間(あいだ)
百八十|度(ど)四万五千|里(り)なり又(また)その日(ひ)の
丑(うし)の時に以西把尼亜(いすはにあ)の福島(ふくとう)にいたる
その間も四万五千里なり一|昼夜(ちうや)に
三百六十|度(ど)九万里|地球(ぢきう)をめぐり
終(おわ)る一時(いつとき)に七千五百とゆく矢(や)よりも
疾(と)かるべし福島(ふくとう)も日本の直下(ちょくか)に
当(あた)れり気候(きかう)日本は同(おな)じ
〇|南極星(なんききよくせい)の出地度(しゆつちど)も赤道線(しやくどうせん)より
はじまること北極星(ほくきよくせい)と同じしかれ
ども南方墨瓦臘泥加(なんほうめがらにか)の地は大海(たいかい)を
北(きた)に受(うけ)て東西に連(つらな)り大州なれども
南極(なんきよく)の地界(ちかい)へ通達(つうだつ)する海路(うみぢ)なし
故(ゆへ)に其地理人物(このちりじんぶつ)をしらず蘭人(らんじん)も南(なん)
方(ほう)をしることあたわず故(ゆへ)に記録(きろく)なし
此四大海六大州(このしたいかいろくだいしう)は紅毛人(おらんだじん)の名付(なづく)る所(ところ)也
故(ゆへ)に中華(ちうくわ)の書(しよ)に見(み)る叓(こと)なし
〇|利未亜州(りひやしう)は暖帯熱国(だんたいねつこく)也|南北(なんぼく)の
界(かい)は正帯(せうたい)に接(せつ)す大浪山(たいろうさん)の岸(きし)と舟(せん)
行(かう)すれば南極星出地(なんきよくせいしゆつち)三十五|度(ど)に
見(み)ゆ日本の気候(きかう)と全(まつた)く同じ
【図内文章右上から右回りに】
極星(きよくせい)九十度の地(ち)は
寒帯夜国(かんたいやこく)なり
南極地界(なんきよくちかい)も
是(これ)に同(おな)
じ
寒帯(かんたい)
常冬(じやうふゆ)なり
五こく生ぜず
大悪地なり
正帯(せうたい)
陰陽中和(いんやうちゆくわ)にて
極上(ごくじやう)の善地(ぜんち)なり
暖帯(だんたい)
常夏(じやうなつ)にて
冬(ふゆ)なき地なり
五|穀(こく)月々に生(せう)ず
地球(ぢきう)之|周(めぐり)三百六十|度(ど)
九万里也大|抵(てい)
日本|道(みち)三四
十里に而
一|度(と)
也
南方大州(なんはうたいしう)メガラニカ昔(むかし)イスハニアの人
墨瓦臘泥加(めがらにか)と云|人(ひと)この
国(くに)へ来(きた)り本国(ほんこく)へかへる故(ゆへ)に其名(そのな)を
もつて国(くに)の名(な)とす正帯中和(せいたいちうくわ)の善地(ぜんち)
なれども中国(ちうこく)の人|渡(わた)るべき海路(うみじ)の
なきゆへ其土地人物(そのとちじんぶつ)をしること
あたはず南極星(なんきよくせい)を南天(なんてん)に
見(み)る土地気候(とちきこう)は北極界(ほくきよくかい)と
同(おな)じきこと準(じゆん)じて
知(し)るべし
【図内文章図左端】
傳(でん)に曰(いわく)
世界(せかい)は
三山六海(さん〳〵ろくかい)
一平地(いつぺいち)なり
人倫(じんりん)の栖(すみか)は大概廿分(たいがいにじうぶん)の一也
暖帯(だんたい)一
正帯(せいたい)二寒帯(かんたい)二
都合五帯(つごうごたい)也
磐梯山噴火眞圖
【左下】
生巧館
山田芳翠画
合田清刻
【トリミングされた部分に「東京朝日新聞第千九十五號附録」】
【本ステージ四に翻刻完了のおなじ熱海温泉市区一覧あり】
【タイトル】
諸国名所百景信州浅間山真景
【画像のみで本文なし】
万国人物之図
【右上】
万国土地ノ善悪ヲ考ルニ正帯ノ地
陰陽中和春夏秋冬全至五穀能生
人物才知聖賢リ地ナリ暖帯ノ
地ハ炎熱ラシテ無冬偏陽ノ
地ナリ寒帯ハ常冬ナリ
春夏秋ナシ故ニ五
穀生ゼズ大悪地也
日本唐土天竺
紅毛ハ正帯
ノ善地
ナリ
【左上】
此図ハ
阿蘭陀ノ
所製世ニ流布
スルコト多シ其大小
異同アルニ似タレトモ
大概皆同ナリ
〇大東洋〇小東洋〇
小西洋〇大西洋ヲ四大海
ト云△亜細亜△欧羅巴△
利未亜△△南北亜墨利伽△
墨瓦臘尼加□ヲ六大州ト云〇昔 以西(イス)
巴尼亜(ハニア)ノ臣墨□臘尼加ト云者始テ渡此海
還□本国故以其名ヲ為国名ト
【右下】
南北亜墨利伽ハ大国ニシテ一千六百余州アリ此地ノ人物
余国ヨリ大キク色白クシテ至テ美ナリ男子
ハコト〴〵ク体ニホリ物ヲスルナリ摸様ハ唐草
又者龍ノタグイ多シ南ヘヨルホド人
物大キク南アメリカノ果ニ
長人国アリ
【下の人物図の説明】
□大清 日本長サキヨリ 海上三百八十里
朝鮮 二百四十里
琉球 三百里
魯西亜 二千百里
エゾ 六百五十里
ダッタン 二千五百里
天竺 二千八百里
北アメリカ 五千里
南長人国 八千里
阿蘭陀 一万二千六百里
イギリス 一万千五百里
南バン 一万二百里
小人国 一万五千里
女人国 一万四千里
一目国 一万五千五百里
黒人国 七千五百里
【絵図内ー太平洋あたり】
日本ヨリ北アメリカマテ海上
五千里此間島ナシ尤大洋
ニシテ浪アラク諸州ノ舟モ
至ラス
南アメリカマテ海上八千里
黄道日輪行道ノ時日本ノ土用ナリ
赤道日輪此筋行道ノ時春秋彼岸也
黄道日輪此筋行道ノ時日本ノ冬至ナリ
【絵図内ーメカラ二カ左下】
正帯 善地ナレ共
中国ノ人イタラズ
故ニ土風人物□
知ベカラズ
春夏秋冬備
気候アシヤヨ
ウロツハニ同ジ
【絵図内ー新阿蘭陀左下】
近代紅毛人
此所ノロ【?】ヲ奪ト云
此所ヲ五月出帆シテ
八月長崎ヘ着
鸚鵡地
此所□□
□□
故に□□
【表題】
《割書:上 野 国(かうつけのくに)|伊香保(いかほ)鉱泉(をんせん)》浴客(よくかく)病痾(やまひ)全快(ぜんくわひの)祝宴(いはひ)
【表題下】
明治十四年五月 御届
浅草芳野□□十五番地
出板人 山村金三郎
湯島□神田三丁目十一番地
画工 橋本直義
楊洲周延筆
【本文】
東京大|学(がく)|医学部(ゐがくぶ)の教受(けうじゆ)
獨逸(ドイツ)国(コク)のドクトル別爾(ベル)
列(ツ)|先生(せんせい)の著(あらは)されし日本
鉱泉(くわうせん)|論(ろん)にも日本|全国中(せんこくちう)
恐(をそ)らくハ此地と気候(きかう)清勝(せいしよう)
を競(きそ)ふの地なかるべきを信(しん)
ずト記(しる)され温泉(をんせん)の質(しつ)に
硫黄(いわう)の気(き)更(さら)に無(な)く最良(さいれう)
の鉱気(てつき)を十分にふくみた
れバ左(さ)の病(やま)ひにハ殊(こと)に功験(しるし)
神速(すみやか)なり
◯|胃(い)の弱(よは)き◯|白帯(しろこし)下(け)
◯|脚気(かつけ)◯|血(ち)の貧(すくな)き人
◯うち身(ミ)|打傷(うちきず)◯|冷症(ひへしよう)
◯|年(とし)久(ひさ)しき関節(ふし〴〵)の痛(いたミ)
◯|神経(しんけい)病◯|子宮(しきう)病
◯|疝気(せんき)◯|癪(しやく)◯|溜飲(りういん)
◯|喉(のど)のはれ痛(いた)み
伊香保名所図会記者
篠田仙果誌
伊香保湯元
木暮武太夫
【タイトル横書き】
伊香保温泉名所一覧
【絵図内】
沼のふじ山 杜若の名所
はるな 天神峠
湯本不動尊
むしや
向山弁天
はるな屋
木あけ堂
諏訪明神
草津道
薬師堂
医王寺
上野十二社二宮 伊香保神社
温泉寺
黒かそ山
二ツ嶽
物きゝ山金毘羅宮
水沢山
二ツだけ道
六地蔵道
境沢稲荷
天宗寺
天満宮
八幡宮
地藏河原
辻地蔵
中子稲荷
丸山稲荷 つゝじ名所
仲書保 雪峰図
江 戸
細 画 広重写 古久屋与右衛門
【同版が三枚続けて収集されているらしい資料二枚目なので、一・三枚目は翻刻せずに完了にし、状態の良いこの二枚目だけ翻刻します】
【一冊にまとまった資料の各ページがばらばらに項目立てされているようです】
【タイトル】
最上郡肘折温泉図
【本文は左大枠内四段構成】
【第一段】
○疵湯効能
一《割書:消化器ノ|衰弱セシ者》 《割書:しよくすゝまずこなれ|あしくはきかへし》
《割書:|又はくだりやすきもの》
一頭瘡 《割書:みどくさかさふきで|ものゝるい》
一胃瘡 はらいたみ
一神経痛 《割書:すじほねなどのい|たみ又はせんき等》
一萎黄病 《割書:さんぜんさんご又はわかき|ふ人におこる血のすく》
《割書:|なきやまひ》
一子宮病 《割書:ながち、ひらち、ゐんぶの|たゞれ、しやくこしの》
《割書:|いたみ》
一膣加答児 《割書:せうかち|した血のるい》
一痳疾 りんしつ
一貧血 血のすくなき病
【第二段】
一腺病 るいれき
○分析表 み
一無色透明 一反応中性
一温度五十五度 一気温十度
一炭酸多量一硫酸多量
一燐酸痕跡 一珪酸少量
一《割書:コロ|―ル》最多量 一ソーダ中量
一ホータス中量 一若【苦】土少量
一礬土痕跡 一石灰痕跡
一鉄少量
【第三段】
○疝気湯
一《割書:消化器ノ|衰弱セシ者》 《割書:・しよくすゝまずこなれ| あしくしてはきかへし》
《割書:|又はくたりやすきもの》
一頭瘡 《割書:・みつくさふきで|ものゝるい》
一脚気 ・かつけ
一萎黄病 《割書:・さんぜんさんご又は|わかきふ人におこる》
《割書:|血のすくなきやまひ》
一神経病 《割書:・すじほねなどのいた|み又はせんき等》
一子宮病 《割書:・ながち しらち ゐんぶ|のたゞれ しやくこしの》
《割書:|いたみ等》
一膣加答児 ・しやうかち したちの類
一痳疾 ・りんびよう
一貧血 血すくなき病
【第四段】
一腺病 るいれき
一挫傷 《割書:うちみおよび|きりきづ》
○分析表
一無色透明 一反応中性
一温度四十九度 一気温十度
一炭酸多量 一硫酸多量
一燐酸痕跡 一珪酸少量
一コロール最多量 一ソータ中量
一カリウム 一苦土少量
一礬土痕跡 一石灰痕跡
【小枠内】
山形県最上郡
かみや
神野操
【タイトル】
桃太郎雷退治
【画像のみで本文なし】
磐梯山噴火實況之圖
同山噴火は明治廿一年七月十五日午前八時十分頃突然崩壊しは
?【蒸】気の發揚其實況は上の湯即ち小磐?【梯】山上にありて山の北面
より破裂なす容易ならさる事件なり此山噴破の為めに山
の形を失ふに至る圡石四方に飛散して麓崩壊し其様
目の當られぬ模様其際人々出よと逃げ叫ぶ折しも劇しき
其物音して数百年成長せし松の如きも?【拔】けて空中に飛び其
根の跡より烟を吹出し黒烟天に漲(みなぎ)り最も甚しきは十時
頃にて追々静まり午後四時頃に至りて止むいと甚しき音
を発したるは前後二度なりしといふ翌十六日午後四時に至りて
噴烟全く止む是が為め該山の東方三四里余を距てし向な
る吾妻山岳□の西面まで一面に灰を被ぶり磐梯山の東面は
悉皆焼石灰のみ青木草木は稀に残りて木は葉なく
枝なく幹のみ其外潰家埋家親子兄弟或は埋められ或は
破かれ手足体ともに所を異にし馬は七八十頭死亡せり就中秋
山村は一ヶ村残らず埋まり一人も助かりし者なく其他森林は壓
し到れ実に被害甚しく見弥村は為に焼失し其近傍は
一円石と灰を隆らし五寸より一尺 嵩(かさ)も積れり大小の河
流は源を塞ぎ通ぜす為めに満水の所もあり其飛散せし
石塊は皆泥の如きにて硫黄の気山の麓数里の間大木巨石
を押出し烟々数ヶ所より発し悪息気鼻を突き河西
河東と称する数ヶ村恰かも灰世界の形ちを現出せりといふ
其災害のあらましを爰に記す
右死亡負傷人員凢左如し
総計七百四十六人余
内死亡 《割書:男 四百五人余|女 二百九十七人余》
内浴客五百十八人
内死亡 《割書:男二百八十二人|女百九十二人》 負傷 《割書:男三十四人|女十人》
【被害地地図】
被害地 秋山村 小磐梯山 温泉 大磐梯山 被害地 檜原 大塩 □倉【熊倉か】 塩川
猪苗代湖 浅香 関□ 花城 赤井 戸ノ口 □川 若松
梅堂国政写
明治廿一年七月廿二日印刷同年同月廿四日出版
著作印刷兼発行者
神田区橋本町一丁目九番地
岡田松之助
【中央下資料は別ページにて翻刻対象の為、上資料のみ翻刻】
震動家 本国駿河
人皇初代神武
天皇武美加津知
ノ命鹿島大明
神之後胤十五代
要石ノ為成卿
ノ長男
震次―震家―震高‐女子‐震数‐早世‐震長―震増――
【紋三種 挿絵】
上大坂町 御苦労
震動田舎守震強 早井忠進
嘉永七年 家督 飛脚隼人
御室 往還泣居卿 御娘 日々野佐太郎
御着 十一月 四日 人馬五九郎
御暇 十一月 五日 草引太郎左衛門
御用人
火見やぐらのぐら〳〵 津浪伊豆
なまつのかはなけざや 火事野佐太夫
石垣押くづれ 下田大蔵
駕くろぢはねうまもん
御嫡
御城外
時献上 三嶋焼のり 箱根損魚 所々野四郎
見舞の書かん 大井伊太巳
纏【まといとはっぴ 挿絵】
海道路派【あるいは流の異体字 㳅かも?】 箱根山大損寺
高五十四国余 道法 江戸ヨリ 東海道スジ
御治世以来寛永五越後国大地震元禄十六年関東大 【寛文五の誤り?】
地震文化九十月四日京都大地震弘化四年三月十四日
信州一円嘉永六年相州小田原大地震同七年十一月
四日ヨリ六日マデ諸国大地震以後末代迄禁之
中屋しき あさからゆり返し 下やしき とん田かし丁
《割書:東海|名所》改正道中記 六 彫定
境木の立場
程が谷
戸塚迄
二り九丁
山(やま)の端(は)に茶屋(ちやや)
あり松(まつ)の生木(いきき)ニ
はりがねかゝり
かまくらやまの
景色(けいしよく)よろしく
広重画
◯【印】浅草並木山清板
【タイトル】
《割書:源|氏》四季ノ内 冬
【画像のみで本文なし】
馬の背中:〇のなか竹、お腹の部分:〇の中は竹内
廿弌【朱印】
木曽街道
追分(ヲイワケ)宿
浅間(アサマ)山眺
望 竹【朱印】 孫【朱印】 【竹と孫は版元保永堂(竹内孫八)からか。馬の腹掛・尻掛の竹と竹内も版元の宣伝らしい】
渓斎画
瓢箪の雅印
【上下二段の図で構成、共にタイトルなし。】
【上段は年内に起こった事件を、角力番付風に配列したもの。年代についての記載は無いので、今回の画像に付けられた表題は別途史料による知見に基づいたものであろう。】
【上段の画像】
【左右の大枠に分かれる】
【右大枠内】
《割書:次第|不同》御免《割書:行|司》《割書:九月身延山大坂通行|九月《割書:江|戸》五尺石達磨降|八月近国近在《割書:豊年踊|神事地車出》》《割書:勧進元 諸国大豊年|差添人《割書:六月十一月|大坂町々御千度》》
【左大枠内三段構成】
【上段】
大関 十一月《割書:大|坂》大黒橋船込
関脇 四月京大火
小結 五月堀江孝行娘
前頭 三月《割書:大|坂》遊行寺参詣
前頭 十一月東海道《割書:地震|津波》
前頭 七月上酒婆々
前頭 六月伊賀上野地震
前頭 六月勢州四日市地震
【中段】
前 六月越前福井大火
同 六月山城木津大水
同 十一月尼大地震
同 六月九郎右衞門町上ヶ物
同 四月《割書:多見蔵|寅吉》同座
同 九月《割書:東寺|かけ所》弁天出現
同 四月天神小宮正遷宮
同 十一月尾ノ道津波
同 〃 西ノ宮地震
同 四月なんち尼出
同 五月ちよい出シ豆屋
同 十一月播州《割書:ぢしんにて|泥吹出る》
【下段】
同 十一月江州彦根地震
同 〃 阿波鳴門ぢしん
同 〃 摂州清水ぶたい落
同 〃 《割書:大|坂》津浪落橋十
同 〃 奥州ぢしん
世 〃 讃州高松地しん
話 〃 淡州福良津波
人 〃 芸州広嶋地しん
頭 七月大御堂地搗
〃 坂天王寺大黒堂建
取 十一月《割書:江戸|猿若丁》三芝居焼
【下段の画像】
【上段の画像の記事とは関係の無い嘉永七年地震についての記事】
【本文】
ころは嘉永七とらどし六月十四日のようしのこくやつどきごろ
おわりいせあふみみの四かこくおゝじしんのしだいとうかいどう
すじなるみじゆくみやじゆくなごやかいどう【佐屋街道】はいはつか
ばんば【万場】かもりさやじゆくつしま五づてんわう【津島牛頭天王】もつとも此日
御さいれいにておゝこんざつどうしよはじいんそのほかまちや
はもうすにおよばすあいたおれ候またきたのかたはいぬやま
小まきへんみなみのかたはのまうつみもろさきへんまで
さや川のにしいせのくにはながしまくわな四かいちおゐわけ
へんのこらずあいくつれ候そのうへ出火にあいなりしにん
けがにんあまたなりおなじくいしやくしせうのかめやま
せきさかの下じゆくへんのこらずあふみのくにはつち山みな
くちいしべじゆくへんにしきたはみのゝくに大がきなんぐう九つ
すかしはばらさめがいたかみやゑち川むさへんまで
そのほかにしきたのやま〳〵もうすにおよばすたい
はんおゝしんとうにてくづれ候もつとも十五日あけ六つ
はんごろにやう〳〵しづまり候それより日々しやう〳〵
づゝくぢしんこれあり候ここんまれなるおゝぢしん
ゆえにあらましをかきしるししよにんあん
どのためかきしるししらしむるものなり
総州銚子港燈台略図
下総国海上郡銚子
犬吠崎へ
御建築相成候燈台
高サ水面二十一丈円至
五丈三尺余燈光遠ク
数十里ヲ照ス
皇国并海外各国ノ通船
且銚港ノ漁船風雨暗中ノ
大目的トナリ危難ヲ遁ルニ
至実に盛世ノ恩沢万民ノ
大幸ナリ
片田彫長
曜斎国輝摹写
梅堂国政補助
松本岩吉
東京日本橋通二町目
丸屋銕治郎 梓元
総州銚子港燈台略図
下総国海上郡銚子
犬吠崎へ
御建築相成候燈台
高サ水面二十一丈円至
五丈三尺余燈光遠ク
数十里ヲ照ス
皇国并海外各国ノ通船
且銚港ノ漁船風雨暗中ノ
大目的トナリ危難ヲ遁ルニ
至実に盛世ノ恩沢万民ノ
大幸ナリ
磐梯山(ばんだいさん)噴火(ふんくわ)顛末(てんまつ)
福嶋(ふくしま)縣下(けんか)岩代國(いはしろのくに)耶(や)
摩(ま)郡 磐梯(ばんだい)山は去(さる)十五日
午前七時頃 俄然(かぜん)噴火(ふんか)し
崩潰(ほうくわい)の面積(めんせき)凡そニ里四方に
して其 災害(さいがい)六里四方に及び
埋没(まいぼつ)せし人員凡そ四百人内浴客
百五十名あり人家の埋没せしは
百九十五戸飛散せし土砂は檜(ひ)原
大川の水路を塞(ふさ)ぎたれば檜原
金村は沼と変し是實に近来
稀有の一大地変にして其の災害
の惨状は固より推測(すいそく)の及ばざる所
にして此変報の叡聞(えいふん)に達するや
畏こくも 聖上よりは一昨日右罹災
者へ金三千円を下し賜はり抑も同
山は若松の東北六里餘彼の有名なる
猪苗代湖(ゐなはしろこ)の西北卽ち猪苗代町の北一里
三十町の矩里あり海面を抽(ぬ)くこと
二千 零六十尺の高山なり同山の山腹或は
山脈の連亘【連なりわたること】せし処に扨當日同縣下安
達郡本宮にては午前七時三十分
頃 轟然(がうぜん)たる音のひゞき聞えければ
人々雷鳴(らいめい)ならんと云(い)ひ或は山 鳴(なり)にて
地しんの前兆(ぜんてう)ならんとかたり合ひ
て居る折から西北の山間より怪(あや)しき
黒くもあらわれ出ではじめの程は左ま
で其の幅も廣からざりしが次第〳〵に
まるく太く押擴(おしひろ)がりたるそのかたち
恰も笠のごとく薄黒き雲となり遂(つい)
にバラ〳〵と灰のふり来りて十時頃には
本宮市街のそらは一面にうす墨をながしたるがごとき
有さまにて草木の葉は宛然灰をふりかけたるに異ならず十一時三十分ごろに
至りて漸(やうや)く其ふりも止み晴天ともなりたるが此の灰は恰も鑛石の粉末のごとく
にして灰いろよりは青味をおび居たりと而して此灰は本宮より北方には
餘りふらずして其以南に多く南安積郡へは充分ふりたる模様(もよう)なりと云(い)ひ
又田村郡三春も同日午前九時頃より俄かに空模様かわりて今にも驟雨(しうゝ)のふり
来らんと思るゝ空合となりし間もなく灰のふり出せしが凡そ一時間にして止みたりとぞ
又信夫郡の西部たる山付の村々は非常に鳴動せしにぞ田甫に労働し居たる農夫の
おどろき大方ならずあはて逃帰りたる者多く同郡福島町にては此(こ)の噴火の報の
聞くや老若男女の差別なく種々様々の噂をなし頻りに會津の空を眺むる
もあり又電信局の前に群集して後報を聞かんとするもあり一時は非常のこんざつに
てありしと云ば実に前代未聞の変じにして聞も哀な次第なり
七月十九日午後九時五十五分郡山発電報
今朝着直ちに実地検分せしに小磐梯山崩れ北方三里程東の方一里程埋む温
泉は二ツ村落三ツ埋没死亡四百七十六人馬四十五被害面積八千二百六十三町歩今猶烟る
明治廿一年 七月廿五日 印刷
仝 年 仝月廿八日 出版
下谷區御徒町壱丁目十壱番地
《割書:著作印刷|兼發行者》 依田周右衛門
定價三㦮
【表題のみ】
阿波鳴門之風景
【署名のみ】
廣重筆 印
伊香保八景
丸山の津ゝし
万葉集【三四二一】
伊香保ねに
神な鳴
そね
吾へには
故ハなけ
とも
児等に
よりてそ
伊香保八景
初聞山ノ蜀魂
万葉集【三四一九】
伊香保世欲奈加(イカホセヨナカ)中次下(ナカシゲニ)
於毛比度路久麻許曽之(オモヒトロクマコソシ)
都等和須礼西奈布母(ツドワスレセナフモ)
伊香保八景
沼の杜若
万葉集【三四一五】
かみつけの
いかほの
沼にうへこ
なき
かく恋んとや
種求め
けむ
伊香保【斜め書き】八景【横書き】
猿(さるさ)わの
以か保ろの
そひの
榛原根も
ころにおくを
なかねそ
まさかし
よか
ば
廣重画
【円内】
未□
《割書:下|谷》魚栄版
盤梯山噴火之図
福島県下岩代国盤梯山
の噴火は近世の一大変事にし
て時は明治廿一年七月十五日
午前八時十分頃轟然たる
一声の物音と共に西北の山
上より一団の黒雲立上り
砂石をふらし大樹を折り
田畑を埋め其地災の為に
六里四方は害を蒙り五百
人以上の死亡者あり負傷
者も多く家屋の埋没せし
数百軒余に及ひ現場の実況
は筆紙の及ぶ所に非ず実に前
代未聞の災害ゆへ略図を
加えて出版す
盤梯山近傍ノ地圖
此所ニ七間四方ノ石ヲチル
土佐光画
【表題―横書き】
越中国立山禅定名所附図別当岩 峅(くら)寺
【図内囲み文章】
▲立山大権現は伊弉諾伊弉冉の霊躰
一切男女の元神にて此峰を城都として上下人の
父母なる故邪正倶に利益す謂る越の太宮也四十二代の
聖皇文武神詫【託】によつて佐伯有頼公を越の領主に下し
給ふ幸二神熊と鷹に化現して嫡子有頼を峯中に引入す
則玉殿岩屋の内にして先代祖々の法を受持し頓悟す依之
慈興と称し 開山也大宝元年に別当岩峅寺を立又
四月八日に権現告て曰昊天には峯に住し龍花会【 釈尊の誕生を記念する灌仏会の別称】を持【?伝?】上天
には此所に住しとそつ寂光を守る是垂跡【迹】の地なり諸
堂精舎を造立し毎年此日祭礼修行なすへしと
《割書:云 | 々》今に七社の神輿をすへ楽者を揃へ児の葬【?】法花
問答あり此山の地主は手力雄の尊也天平七年行基
ほさつ此峯によぢ登り諸嶽を拝し岩峅寺
五智の尊像を造立し御講殿に安置し給ふ
依之一国の経蔵也日本廻国の行者
此所に経を納むるなり
▲岩くら寺ゟ芦くら迄
三り是ゟ藤橋迄一り右は
湯の又川左りはしやうめう川
藤橋の向にこかね坂あり
せんじゆう原有此所にせん
しゆ堂有是皆立山大権現の
式地御本社迄九り八丁也せんしゆ堂
より、ひちよ杉迄一り此間にくまを権現堂有むかし
材木拵る所へ女人来る故材木石に成立つ之横つし則材木坂と成がき
が首と云所有くまをちんざ也わしの岩屋若狭国長良か尼の下女
びちよ杉と成此所は水なしぶな坂迄一り此間に右の尼かふろをしかりな
から小便するにならく迄穴通ししかりばかと云たんさいのみさかと云坂有
ふたんとて仏ちんざ長良か尼石つれしかふろ杉と成廻り八尺斗三間ゟ上へ四方へ
枝みだれしなし廻り三十間あまり有ぶな坂ゟくわ谷へ一り此間にしやう
めうのたきを拝むふしおかみと云かりやす坂くわ谷此所昼飯する也水あり
別当所ゟせつたいの茶屋有ふどう堂迄二り此間くはさき観音堂あり
ふとう堂二間三間也堂ゟ右十間はかり行て水有追分迄一り此間に湯
のみち有松尾越へと云あみたか原やくし如来の木石有追分堂はぢさうぼ
さつ是より右は姥かふところのみち右の尼石と成女人のかたち有左りは一の谷道登りに
大くさり有三条小うちむねちか作しゝかはな岩屋弘法大師ごま修行のはい有
さく峠坂の左りの方ちくしやう原その所へふしきの牛馬見る事多し面は人間にして四足
有下市場迄一り此間に鏡石あり右尼姥かうふところにて権現へ鏡を上るび石と
成二間四方有小松坂下市場上市場有と聖霊市をなす故市場と云左りの方は大日
かたけ右は国見かだけ室堂迄一り此間に横わたりと云所雪の上五丁斗り行右
に出しの谷と云かんぜきの谷有不信心の者はちくせう出通りがたし地こくの追分
ぢさう堂右の方は室宝堂みち左りは地こくみち高とうばと云所そとは有右の方
の山は大天狗小天狗の御在所也別当室堂に居住す堂は四間五間三つある也
【図内右囲み】
別当岩くらの坊数二十四かくばんになつはみねに
住し諸参詣の人をみちびき冬春は岩くら寺
前立にて荘番法会をつとむる也
【図内短文章】
此峯【6行目の此峯と同じ】ふげんば【?】うし
百ねん仏の前に
三ど来迎あり
〇室堂ゟ
御本社迄一り
此あたり 雪有
はらへ堂ゟ上みたの
妙躰也
自然の岩屋奥行
十間程内に?蔵石
ありみた【弥陀】の金さう【像】
有左りのわきに矢の
穴あり此矢御本社に
あり
たいしやくの
硯水池七間に
十六間
有頼のぐ
そく【具足】あり
大こや此所ゟしやうめうの
たきをがむふし拝みといふ
温泉略記
長野県下(ながのけんか)信濃国(しなのゝくに)諏訪郡(すはこほり)北山村(きたやまむら)字冷山(あざなひえやま)の官林中(くわんりんちう)に
一(ひとつ)の温泉(おんせん)あり抑(そも)信州地方(しんしうちはう)は噴火山(ふんくわさん)の脈絡(みやくらく)を通(つう)ずるが
故(ゆゑ)に諸方(しよはう)に温泉(おんせん)多(おほ)きが中(なか)に此冷山(このひえやま)の鉱泉(くわうせん)は去(さんぬ)る明治(めいじ)
十年中|獨逸国(どいつこく)の博士(どくとる)アルチン氏(し)の試験(しけん)を受(うけ)て分析(ぶんせき)
せしに 硫酸礬土加里(りうさんようどかり)。 硫酸石灰(りうさんせきくわい)。 硫酸苦土(りうさんくど)。 挌魯児那篤(ころしるなと)
留母(るも)。 挌魯児加里烏母(ころしるかりうも)。の気(き)を含有(がんいう)する物(もの)にして
其効能(そのこうのう)に至(いた)りては
○発疹(ふきで)○小瘡(くさ)○頑癬(たむし)○経久頑固潰瘍(なほらぬくさきず)○黴毒性骨痛(ほねがらみ)
○瘰歴(るゐれき)○疳労(ひかん)○耳漏(みみだれ)○瘰歴性慢性角膜炎(たいどくかくめまい)
○眼瞼潰瘡(ただれめ)○僂麻質私(ふうしつ)○仢僂病(せむし)○麻痺(しびれ)
○感冒(かぜひき)シ易(はやき)キ癖者(からだ)○白帯下(こしけ)○月経不調(つきやくふじゆん)
右等(みぎら)の病(やま)ひを癒(いや)すに妙(めう)なれど其症(そのしやう)に因(よつ)て冷熱(れいねつ)の適量(てきりやう)
あるも此礦泉(このくわうせん)は冷山(ひえやま)の名(な)ある故(ゆゑ)か温度(おんど)に乏(とぼ)しきを以(も)て焚(たき)沸(わか)し
て人體(じんたい)の度(ど)に適(てき)さしむ 其浴室(そのよくしつ)を三 等(とう)に分(わか)ち ぬるきも熱(あつ)きも
来客(らいきやく)の好(この)む所(ところ)に従(したが)はしめ宿料等(しゆくれうとう)も手軽(てかる)を旨(むね)とし苟(かりに)も疎(そ)
勿(そう)にする事(こと)なければ 花散(はなちり)初(そむ)る春(はる)の暮(くれ)より避暑(へきしよ)の時節(じせつ)を
盛(さかり)とし更行秋(ふけゆくあき)の月(つき)の頃(ころ)まで変僊(かは)る野山(のやま)の景色(けしき)を見(み)
ながら月日(つきひ)を重(かさ)ねて入浴(にうよく)あらば前(まへ)に掲(かゝぐ)る効能(かうのう)の他(ほか)にも種々(しゆ〴〵)の
奇効(きこう)ありて熱海(あたみ)。 箱根(はこね)。 草津(くさつ)。 伊香保(いかほ)の名(な)に負(お)ふ 温泉(いでゆ)に譲(ゆずら)
ぬ迄(まで)如何(いか)なる病(やまひ)も全快(ぜんくわい)すれば 遠きを厭(いと)はず御来車(ごらいしや)を冀(ねが)ふ
信濃国諏訪郡原村
湯本起業人行田長右衛門出店
【タイトル】
上州草津温泉之全図
【本文】
当温泉は人皇四十
四代元正天皇の御宇
養老五年薬王如
来の示現に依て行基
菩薩登山あり温
泉鎮護の尊像彫
鐫し玉へり其後武
将頼朝公建久三
年三原巡狩の刻
当温泉を試給ふ
薬王殿御草創
ありしより日に増繁く
盛也悉くは薬師
別当所より出す
由来記を見て知
べし
御用心
【中央下資料のみ翻刻。ほかの資料は別ページにて翻刻対象】