【表紙 文字無し】
《題:《割書:地震|奇談》 平安万歳楽(みやこまんざいらく)》
【右丁 下部】
三井寄贈本 4610
【左丁】
大地震録(おほぢしんろく)下
夫天地の理 明(あき)らかなれば物に臆(おく)せず精神(せいしん)
強(つよ)ければ事に驚(おどろ)かずといへどもことわざに
黒犬(くろいぬ)にかまれて灰汁(あく)のたれ糟(かす)とかや
二日の大変誠に肝胆(きも)【膽】に徹(てつ)し少しのドロ〳〵
にも上(かみ)を塞(ふさ)ぎそれより病人 数多(あまた)ある
中に近辺に地震より病気の平愈(へいゆう)したる
人もあり是はまさしく気のはりにて
病をわすれしものならん哉こゝに老人の
狂詩あり
庚-寅七月二日 ̄ノ事 従_二 ̄リ申-上-刻_一【返り点「一」が抜けているがあえて付記】地-震剛 ̄ク
/最(サイ)-初(シヨ) ̄ハ寄(ヨリ)集(アツマリ) ̄テ唱_二世直(ヨナヲシ)_一 ̄ヲ【原文は返り点「一」が抜けている】 狼(ウロ)-狽(タエ) ̄テ桑-原至_二 ̄ル線-香_一 ̄ニ
町-家 ̄ノ家藏/壁(カベ) /直(タゝチニ)落 ̄チ 寺-社 ̄ノ塀-垣柱 ̄ト共 ̄ニ/橿(タヲ) ̄ル
婆(ハヽ)-母(ハ)/黄(キイナ)-/声(コエ) ̄テ念-佛/申(モウ) ̄シ /祖父(ヂイハ)/青顔(アヲイカヲ) ̄テ/祈(イノリ)_レ神 ̄ヲ/懼(ヲソル)【原文の文字に該当する文字がないので取り敢えず使用】
百-姓 ̄ハ/離(ハナシ)_レ/鍬(クハ) ̄ヲ皆入_レ ̄リ藪 ̄ニ 千-頭 ̄ハ捨_レ ̄テ船 ̄ヲ獨 ̄リ上_レ ̄ル/堤(ツゝミ) ̄ニ【塘】
天-地震-動 ̄ウ無_二 ̄シ/仕(シ)-様(ヨウ)_一 上-下 ̄ノ/騒(ソウ)-/動(トウ)暮_二 ̄ル十-方_一 ̄ニ
【左丁】
土埃り宙をくもらす其中に只ドロ〳〵とゆりたへず
心もそゞろに魂(たましい)をとられ肝(きも)を冷(ひや)しうろたへる
者あり周章(あわて)騒(さわく)【送り仮名に「ぐ」があるので、振り仮名の「く」は重複。】ぐも道理こそ二日夜は大道
にて夜を守(まも)らんとするに夜気うけん事を
思ひ板をもて屋根となし又 縄(なわ)を引わたし
むしろを覆ひて洛中皆夜明し町々
には厳重(けんちう)に高張(たかはり)【高張提灯】を立て家並(やなみ)にかけあんどう【掛け行灯】
を釣(つ)りて身は陣笠(ぢんかさ)をかふり胸(むね)あてりゝし
く馬挑灯(ばちやうちん)をともしをき友 親族(しんるい)へ見舞に
廻る事お互(たかひ)【送り仮名に「ひ」があるので振り仮名の「ひ」は重複。】ひにてころび寐の枕元(まくらもと)へ犬の
這(は)ひ来(く)るもいとおかし井の水は皆 濁(にご)れり
少し気のおさまれる方は大道にて茶をわかし
飯(はん)をものし沢【澤?】をくみ漸(やうやく)食物のんどを通る
といへども心はそゞろに只ドロ〳〵とゆりたへず
町内にはかな棒(ばう)わり竹を引鳴(ひきな)らし火用心
触(ふれ)【觸】 歩行(あるく)こと厳(きひ)しく何方(いつく)よりか老(らう)人の来
てまじなひあたへるあり其哥に
ゆるくともよもやぬけしの要石(かなめいし)
鹿嶋(かしま)の神のあらん限(かぎ)りは
と皆 書写(かきうつ)し戸口(とくち)の柱或は大極(たいこく)はしらに張付(はりつけ)
もつたいなくも天照太神宮の御祓(おはらい)をかしらに
戴(いたゝ)き髷(わけ)にまじなひの秘文(ひもん)をはさみ殊に老人
病人子供を抱(かゝへ)しものは其 心配(しんはい)得(ゑ)もいへす中に
家におされ倒(たを)るゝおり又物にはさまれ塀(へい)に押(おさ)
【右丁】
れてなやみぬる聲(こへ)かまびすくくすしの西東へ
馳(はせ)るを聞につけ見るに迷(まと)ひいと心づかひして
其夜も東じらみ【東の空がしらじらと明るむこと】をまち明(あく)る三日日もかわりなば
些(ちと)ゆるがんことを祈り人の顔色(かんしよく)かわり俗語(そくこ)に
青い顔といゝ【二行後に同じ言葉が使われているので、「ゝ」と思われる。「ふ」と書きかけて、踊り字を打ったのでは。】ふらせしもむべなる哉只火用心 盗賊(とうそく)
随分心得て油断(ゆたん)なく日夜心を配(くは)りけん異説(いせつ)
浮(ふ)説をいゝふらすものありて捕(とらは)るゝもあり中に
盗(ぬす)みはたらく悪党(あくとう)【黨】は天の罪(つみ)眼前(がんぜん)たり町々
【左丁】
家並に水 鉄炮(てつほう)をかまへ家根へ水を遣(や)り常に
手 荒(あら)き事もとりあへぬおのこも土足(はだし)になり
水を汲(くみ)はこびぬるもいとおかし藪持(やふもつ)人は藪
或は野へ食物をはこび老人子供の手を引
連行(つれゆく)も有三日夜もまさ〳〵【まざまざ】明しぬるに明(あ)ケ
六ツ時やゝ曇(くも)りて雨ぱら〳〵と振(ふり)出しけるに
跡一天 雲(くも)やけ【雲が赤く焼けるように見えること。】となりて一めん黄色(きいろ)になり
誠におそろしきけしきなるを皆人の取〳〵
沙汰しける中にもドロ〳〵と時をたがへずゆり
たへず又古家古土蔵のたをれかゝるに杖を
つきつつぱりしてとゞめたるは/夥敷(おひたゝしく)/数多(あまた)有
俄(にはか)の家がへする人あちこちにかしましくて
四日も程なく夜はいかなる者も少し身の/労(つか)れ
出てたゞまどろむうち五日となり手の/舞(まい)
足の/踏(ふむ)ところもしらず六日七日八日夜も空(そら)は
曇(くも)りて雨は少しも降(ふ)らず夜八ツ時七ツ時に
【左丁】
大分つよくドロ〳〵とゆり来り皆大道へ又/出(いで)
て取沙汰も是が七日七夜のはねなるかと言ゝ
呪(ましな)ひ居るに九日になりていまたドロ〳〵と時々
鳴(な)り止ます誠に前代未聞の大変(たいへん)にて只
神を祈(いの)り仏を信(しん)じ身を慎むより他事(ほか)
なし心得の哥に
かみなりはあたま叩(たゝ)かれ地震とて
/尻(しり)つめらるゝ天のおしかり
其外 洩(も)れたるは後偏に出す此 草紙(さうし)は今度の
大変 他国(たこく)へ文通(ぶんつう)【振り仮名が「ぶんつう」に見えない】にてしらせる人此小冊にてこと
くはしく相 分(わか)り是又後世迄のこし置なば其
心得にもならんことを深(ふか)く思ひてこゝにしるす
洛住 東 鹿齊【齋】作
文政十三年
寅七月
【左丁】
《割書:地震|奇談》 平安万歳楽(みやこまんさいらく)
【左丁】
大地震録
比は文政十三《割書:庚|寅》のとし七月二日昼七ツ時京都
大地震にて始めドロ〳〵とゆり出し其後ひき
続(つゝい)て大地震となりやゝしばらく家居倒(いへいたを)
るゝ斗りにて只思ひがけなく皆地に伏(ふ)し
畳に伏し柱(はしら)をいだき垣(かき)を杖(つへ)にするも皆
其身の全(まつた)き事のみ祈(いの)る中に老(らう)人の出て
大道へ出よとのゝしるを聞伝【傳】へ銘々板を並べ
【右丁】
畳(た■■)【振り仮名は多分「たゝみ」】を敷(しい)て皆大道へ出けん扨 古家古土蔵(ふるいへふるくら)は
皆 倒(たを)れ其外 神社仏閣(しんしやぶつかく)石鳥井石 燈籠(とうろう)或
は築(つい)地 高塀(たかへい)の倒るゝこと夥敷(おひたゝじく)たとへ丈武の
土蔵たり共ひびりの入らぬはなし棚(たな)の諸道具
落損(おちそん)じ竃(かまど)倒れ襖戸障子(ふすまとしやうじ)はいふも更なり
家居たわみて戸のしまり悪敷(あしき)は皆一統中に
古家の類地しんよりゆかみ戻り戸のしまり
■■有もいとおかし其物音天地に響(ひゞ)き
【左丁】
扨十日も少しドロ〳〵時々 鳴動(めいどう)する十一日には暮過(くれすぎ)
より雨ばら〳〵と降出(ふりいだ)し夜七ツ時ドロ〳〵と
大分 剛(つよく)ゆる十二日 都而(すべて)日々に四五度は時をたがへ
つドロ〳〵と十三日に至り土蔵のいたみたる
まゝに雨をうけて時となく土のずり落(おち)し
は実に其音すさまじく夜はわけて世
間(けん)も物しずかになれば其おどろき合点(がてん)
ゆかずひそ〳〵と語(かた)りぬるもいとおかし
【右丁】
そな土蔵のずり落しは数多あり家 居(ゐ)
たわみて往来御用心と張札所々に先ゆれ
十四日は夜半比大分つよく七ツ時に又トロ〳〵と
鳴動すこの日は二季【盆前と年末の決算期。ぼんくれ。】の極(きわ)なるに其 掛乞(かけとり)の
いつよりも物 淋(さび)しきはいかにや十五日になり
て少し雨降出し中へも又ドロ〳〵と時々
鳴 止(やま)ず最早(もはや)地震なれて仇(あた)にも交(まじ)れど
心はさなく 祈(いの)りけん十六日も打つゞき
【左丁】
雨ふれば過(すき)し大変より屋根瓦(やねかわら)ずりおり
番匠(だいく)瓦 師(し) 左官(さくわん) 手伝(てつたい)【傳】等も中々 数(す)ケ(か)所(しよ)のしつ
らひゆへ手廻(てまわ)り兼(かね)所々雨もりて難義(なんぎ)
之 方(かた)多くみゆる又土蔵の傍(そば)に建(たつ)小 家(いへ)は
土のずり落ん事をも恐(おそ)れて案(あん)じ過(すご)
して夜な〳〵他所へ泊(とま)りに行人も多(おゝ)く
あるよし十七日いまだ雨つよく降八ツ時
少々 晴間(はれま)ありて日暮過西に稲光(いなびか)り少々
【右丁】
あり十八日朝より大雨しきりにふり雷(らい)
地震打 交(まぜ)て雨は車軸(しやぢく)を流(なが)すが如く忽(たちまち)
加茂川堀川西洞院桂川へ水一てきに出
て川 添(そい)の家は水多く這(は)入て皆其辺大
騒動(そうどう)するに爰(こゝ)に音羽(おとは)川とて洛東(らくとう)清水寺
の音羽の瀧(たき)の流れ落来る小川すへは加茂川
へながれ落る此水実に多く出て川すじ
伏見 街道(かいとう)鞘(さや)町問屋町辺はわけて大 洪(こう)水
【左丁】
にて人家の床(ゆか)より一尺も上(うへ)へ水 越(こ)し其辺
大家に油商売(あぶらや)【賣】あり地にいけし【地面に入れ込むこと。】 油壷(あふらつほ)へ水
流れ込(こみ)出て其辺油くさき事 得(ゑ)【振り仮名は「え」とあるところ。】もいえず
水 引去(ひきさ)りて後(のち)其近辺の井中へ油流れ込
実に困り果(はて)しとかや此時清水寺の廊下(らうか)
崩(くづ)れ倒(たを)るゝよし是等も前代未聞(ぜんたいみもん)の事
どもにて是が止(と)どなる歟と皆いへりそも
日本は神国(しんこく)にて萬代(ばんたい)ふ易(ゑき)【「えき」とあるところ。】の国なり雷(らい)
地震は陰陽(いんよう)水火のたゝかひにて国を動(うこ)かす
にあらず只土のうごき亦(また) 土生金(どしやうきん)とてつれ
てかねもうごきめぐる俗語(そくご)に雨降て地(ち)かた
まると地震も納(おさま)り世なをしとかやます〳〵
五穀(ここく)は豊作(ほうさく)下(し)も万民(はんみん)のうるおひ
御代(みよ)万歳楽とうたひめて度〳〵
天(あめ)か下(した)うごかぬ国(くに)とおさまりて
うるおひ廻(めく)るあらかね【土の枕詞】の土(つち)
京中町破損入用銀
凡壱町 ̄ニ付弐拾貫目宛にして
凡銀八万六千貫目
此金六五 ̄ニ して
凡金百三拾弐万三千〇七十六両三歩弐朱
三匁壹分弐り■も
土蔵破損 一統 無難はすくなし
建屋倒分 数しれず
但し高塀小屋物入之分数多し
其外破損数多有之略之
寺社方の破損申にたへずこと繁けれは略之
怪我人其数しれず
【右丁】
文政十三《割書:庚|寅》年
七月
洛住 東 禄作
京松原通新町西へ入町
みのや平兵衛 板
【裏表紙 文字無し】
地震神考
【左丁】
地震神考
【角印】
国民精神文化研究所図書印
【丸印】
国民精神文化研究所
和漢書
【左丁】
地震神考
文政十三年にあたるとしの【「にあたるとしの」は書き込み文】七月二つかの【「つかの」は書き込み語】日の申の時ばかりの事【本文に「にて侍りしが」と書かれ、見せ消ちにしてその横に「なりけむ」が列記】なりけむ
山城丹波の両国 大那爲(オホナヰ)ふりにき《割書:地震を|那爲と》【この割書は次に長く続くのでここから一行書きにします】
いふは日本紀武烈天皇の巻に見えたり其那爲
といふに種々の説あれどもいづれを好(ヨシ)と決(サタメ)が
たし今は世俗 地震(〝シン)【「地」の肩に濁点。】といひなれたれば此下那爲
ふるとは書ず字音にてよまむ【本文に「いはむ」とあり「いは」の横に点を打ち見せ消ちにし「よま」が列記されている。】ため地震と書いつけ【「いつけ」は書き込み語】ぬ 【ここで長い割書が終わり】
《割書:見む人其意|を得べし》其 根本(モト)は愛宕(アタゴ)山の邉(ホトリ)より發(オコリ)しと思はれ【本文に「見」次の行頭の「え」を見せ消ちにしている】
て 其所(ソコ)に近き地(◯)【「地」の左横に点が打ってあるので見せ消ちか。或は右に○を記しているので生きているのか】は殊(コト)に暴(キビシ)く【「て」にも見える。】 京師(ミヤコ)の(○)地(○)【「の地」の左横に点が打ってあるので見せ消ちか。或は右に○を記しているので生きているのか】 □ 強(ツヨ)く
震(フリ)て上は有畏(カシコカレ)ども
天皇(スメラミコト)より下は庶民(モロヒト)に至まて貴(タトキ)も賎(イヤシキ)も冨(トメル)も貧(マドシキ)も
【右丁】
老(オイ)たるも少(ワカキ)も神(カミ)を祈(イノル)者【「者」は挿入字】 も佛を念する人【「人」は挿入字】 も壹(ヒトツ)にぞ皆
震(フリ)にける【次の文字「其」を書きかけて見せ消ちにし左横に小さく「る」と記してある】 其 震(フル)さまは波(ナミ)のうつにひとしく其音
は落(オチ)かゝる雷(イカヅチ)の如し家居(イヘヰ) 傾(カタフ)き土蔵(クラ) 壊(ヤブレ)れ【「れ」が振り仮名と送り仮名とでダブっている。】 なとせ
しかば人みな外(ソト)に出(イデ)て立(タチ)さわぎつゝ震(フル)ことの
なほ止(ヤマ)ざれは其 夜(ヨ)は人皆【「人皆」は挿入字。】 街巷(チマタ)に群居(ムレヰ)て寝(ネ)もやらざ
りし其時の事を思へばいと恐(オソロ)しき事になもありける【本文「事に」に次いで「侍りし」を書くも、の各文字の左側に点々が付けて見せ消ちにし、「なもありける」が列記されている。】
其(ソレ)より以来(コノカタ)三月に満(ミツ)れと其 余波(ナゴリ)なほ止(ヤマ)ずて日(ヒ)
毎【本文に「々」を書きその左横に、点を打ち見せ消ちにし右横に「毎」を列記。】 に微(スコ)しつゝは震(フリ)にけるつら〳〵思ひみれば
地震(ヂシン)は神の所爲(ミシワザ)【ここからは割書になっているが、文が長いので一行書きにする。】
凡(オホヨ)そ人の為(ナサ)ずて天地(アメツチ)の間(アヒダ)に自(オノヅカラ)
なることは皆神の所為なり」其
【左丁】
事は予が神爲(シンヰ)辨(ベン)に委(クハシ)く云(イフ)【ここで割書終り。】
にて人の力以(チカラモ)ていかにとも為(ナス)べ
きこと能(アタ)はざればたゞ其 神爲(カミワザ)を恐れみ【「恐れみ」は挿入語。】 畏(カシコ)み奉(タテマツ)りて【「て」は挿入字。】 奢(オゴリ)を
省(ハブ)き己(オノレ)を慎(ツゝシ)むより外(ホカ)はなき事ぞかし【ここから割書になるが、文が長いので一行書きにする。】
天朝(ミカド)には地震は神(カミ)
為(ワザ)なること其 御伝(ミツタヘ) 【傳】 も有けるにや古(イニシ)へ地震神を
祭らしめ賜(タマヒ)ひ【「ヒ」が振り仮名と送り仮名でダブっている】し事古記に見え使(ツカヒ)を遣(ツカハ)して幣(ニギテ)を
伊勢の大神に幣を【「幣を」は挿入語】 奉り坐(マセ)し事も見えたり此度(コノタビ)の地
震にも伊勢の大神を祭らしめ賜ひ天朝には【「天朝には」は挿入語】 何事をも慎
み坐るよし伝(ツタヘ) 【傳】 聞ぬ然れども野人は何をも辨(ワキマ)へ
ず飲楽遊興を好み何につけても利(り)を得むこと
を旨(ムネ)と意(コゝロ)得て【「て」を見せ消ちにして、○から○まで、以下の長い文を挿入】○る世のありさまなれは此度の地震に就きても○いよ〳〵人 意(コゝロ)のあしくなりゆく
やうに思はれていとなげか は(○)【「は」の左に点を打ち見せ消ちにしているが、右に○を記しているので生きているのか】 しきことなりけ
る唐国(カラクニ)【國】 にも易の大伝【傳】 に鬼神 ̄ハ害_レ ̄メ盈 ̄ツ而福_レ ̄ス謙 ̄ニ とあり
神の御威【「の御威」は挿入語。】 を恐敬(オソレイヤマフ)は己(オノレ)を慎み奢(ヲコリ)【「オコリ」とあるところ】 を省(ハブク)にあることになむ【ここ迄で二行書き終り】
然て地震はいかなる神の所爲(ミシワザ)ぞといふに日本
【右丁】
紀二十二の巻(マキ)推古(スイコ)天皇七年の下に夏四月(ナツウツキ)乙未(キノトノヒツシノ)
朔辛酉(ツイタチカノトノトリノヒ) 地動舎屋(チヰフルイヘヤ) 悉破(コト〳〵クヤブレ) 則(スナハチ) 令(オホセテ)_二 四方(ヨモニ)_一俾(シム)_レ 祭(マツラ)_二 地震神(ヂシンノカミ)_一と有(アリ)
て地震神といへるはこゝに見えたれども其 名(ナ)
をあらはさゞればいかなる神なりや知(シル)こと能(アタ)
はず続【續】日本紀三十の巻 称(シヤウ)【穪】 徳(トク)天皇神護景雲四年
の下に六月甲寅祭_二 疫(エヤミ)神 ̄ヲ於京-師 ̄ノ四-隅機内 ̄ノ十-堺_一 ̄ニ と
あり又三十一の巻光仁天皇宝亀二年の下に三
月 壬戌(ミツノヘイヌノヒ) 令(オホセテ)_三【「令」の左に「シム」と再読の振り仮名あり。】 天下 ̄ノ諸国 ̄ニ祭_二 ̄ラ 疫神(エヤミカミヲ)【返り点の「一」が抜けている。】 とあり此は地震にあ
づからぬ事なれども且(シバラ)く国【國】 史の例を挙(アゲ)て挍(カゝ)へ
【左丁】
見れば神典(カミフミ)に出たる何々の神を指(サシ)て地震神ま
た疫神と為(ナス)にはあらで地震は地を動(ウゴカ)す神あり
疫(エヤミ)は疫を行(オコナ)ふ神有(カミアリ)と為(ナシ)て其神を地震神疫神と
名づけて祭らしめ賜ひしと思はるゝなり然て
簠簋(ナキ)【(正しくはホキ)】内傳(ナイデン)を見れば【ここから割書になっているが、長文なので一行書きにする。】
簠簋は阿傍清明の作とあれ
ども偽書なりといへる説も
有ればこれに依(ヨル)はいかゞなれども当(ソノ)【當】時(カミ)はいか
なる人も仏【佛】 の説に依(ヨラ)ぬはなき時なれば著述の
書も仏【佛】 の説に依(ヨリ)て云(イヒ)たるもの多し簠簋も仏【佛】 説
に依たるものと見ゆれば清明の作といふは偽(イツハリ)
にもあれ宣明歴註とあれば決(サダメ)
て陰陽者流の著述なるべし【ここで割書が終わっている。】 疫神は牛頭天王
なり今に至まて疫神とて所々に祀(マツリ)あるは皆牛
【右丁】
頭天王なり此名(コノナ)は遠(トホ)き西域(ニシノクニ)の浮屠(フト)の説に出し
を【ここから割書が長文なので、一行書きにします。】
予は仏【佛】書を学(マナブ) 【學】さ(サ)れは牛頭天王の名は藏経【經】の
中に有や否(イナヤ)を知ねども簠簋の説の如くなれ
ば西域より出しと見ゆ然て此牛頭天王は素戔(スサノ)
嗚尊(ヲノミコト)のことなりなどいへる説もあれども其は
中古西部習合の神道といふもの出来
て後の説にて牽強附会【會】【自分の都合のよいように、無理にこじつけること。】と云 ̄ふ者なり【ここで割書が終わる。】 当(ソノ)【當】時(カミ)其説
を取用(トリモチヰ)まして其神を祭らしめ賜ひしにやまた
三界義といへる書【「といへる書」は挿入文】を見れば般泥洹(ハンネイクハン)【振り仮名の更に右側に「ネハン」と、意味を示す振り仮名あり。】経【經】に地動に四種の因縁
有ことを説(トキ)たりと云り其中に地中 ̄ニ有_二大威神力_一
意(コヽロニ)欲_レ ̄シハ動_レ ̄ムト地 ̄ヲ即地動といへることあり《割書:三界義の略|解に智度論》
【『智度論』は仏書名。大品般若経を釈す。】
《割書:に地動に火神動龍神動などの種々|の因縁ありといふことを出セリ》日本紀の祭_二
【左丁】
地震神_一とあり【「る」には見えず。】も疑(ウタガフ)らくは仏【佛】説を取用(トリモチヰ)まして其
神を祭らしめ賜ひしにや其【其」を見せ消ちにして次の「地震神の」を挿入。】地震神の名をあらはさゞれ
ば孰(イヅレ)とも知(シル)こと能(アタ)はずまた俗説に地(ツチノ)【「地」の振り仮名の更に右側に「クニ」と注釈あり。】下(シタ)に大魚
ありて其 身(ミ)を動(ウゴカ)せは地震するなり然るを鹿嶋(カシマ)
の神常(カミツネ)にこれを抑(オサヘ)て動(ウゴカ)させたまはざるといへ
るは《割書:此俗説はいかなる書に出|たるや予はいまた見ず》唐国(カラクニ)の書(フミ)《割書:列子湯|問篇》
に断(タチテ)_二 鼇之足(ガウノアシ)_一 ̄ヲ以立(モテタツ)_二 /四極(シキヨク)_一 ̄ヲと云ひまた渤海之東(ボツカイノヒカシ)不(ズ)_レ 知(シラ)_二
幾億萬里(イクオクバンリ)_一 ̄ヲ有(アリ)_二大壑(タイガク)_一焉《割書:中|略》 其中有(ソノナカニアリ)_二 五山(ゴサン)【ここに返り点の「一」が抜けている。】《割書:中|略》 五山之根(ゴサンノネ)無(ナシ)
_レ所(トコロ)_二連著(レンチヨスル)_一【「著」の振り仮名の更に右横に「チヤク」と振り仮名あり。】常随(ツネニシタカヒテ)_二潮波(チヤウハ)_一 ̄ニ上下 往還(ワウクワン) ̄シ不(ズ)_レ得(エ)_二蹔時(シハラクモソバタツコトヲ)_一焉《割書:中|略》使(シム)_二巨鼇(キヨガウ)【大亀】
【右丁】
十五 ̄ニ挙(アゲテ)_レ【擧】 首(カウベ) ̄ヲ 而 戴(イタゞカ)_レ之 ̄ヲ 【ここに返り点「一」が抜けている。】迭爲(タカイニナシ)_二【振り仮名「ナス」とあるところに「ス」を見せ消ちにして更にその右横に「シ」を記す。】三番_一 ̄ヲ 六萬歳 ̄ニ一交 ̄ス焉五山始 ̄テ
峙(ソバタツ)などいへるに附会(フクワイ)【會】して作出(ツクリイダ)せると思はるれ
ば論(アゲツラ)に足(タラ)ず然らは地震は如何(イカ)なる神の所爲(ミシワザ)な
る【「り」とあるを見せ消ちにしてその右横に「る」を記す。】 や地震も伝(ツタヘ)【傳】有べきごとゝ思へば慎てこれ
を神典(カミフミ)に考(カゞフ)るに古事記 須佐之男命(スサノヲノミコト)の條(クタリ)に於是(コゝニ)
速須佐之男命(ハヤスサノヲノミコト)言然者(サラバ) 請天照大御神將罷(アマテラスオホミカミニコヒテマカラムトテ)【「マカラムトテ」はマカラムト「イリタマヒ」を見せ消ちにして「テ」を挿入。】 乃(スナハチ)参上(アメニマヒ)
天時(ノホリマストキ) 山川(ヤマカハ)悉動(コト〳〵クウゴキ)国土皆震(クニツチミナフルフ)と云ひ【ここから割書になるが少し長文にて一行書きにする。】日本紀 神代(カミヨ)の巻には素戔鳴尊 昇(アメニ)
天(ノホリ)_レ【レ点の位置が違っている。】 之時(マストキ) 溟渤(ウナハラ) 以之(コレヲモテ) 鼓盪(ナリウコキ) 山岳(ヤマオカ)爲之鳴(コレカタメニナリ)
呴(ナル)比 ̄レ則 神性(カミサカ) 雄健(タケキ) ̄カ 使之然也(シカラシムルナリ)と云り【ここで割書終わり。】 また大穴牟遅(オホナムヂノ)
神(カミ)の條(クダリ)に大國主神(オホクニヌシノカミ) 亦名(マタナハ ) 【言偏に田+口」の該当する漢字は見当たらず。「イフ」に当たる漢字なので「謂」として次に記す。】 謂大穴牟遅神(オホナムチノカミトイフ)《割書:中|略》 其御祖(ソノミオヤ)
【左丁】
《割書:中|略》 告其子言汝在此間者遂爲八十神所滅(ソノコニツゲテナンヂコゝニアラバツイニヤソカミニホロボサレム)【「ナンヂ」のところ「ナムヂ」とあったところが、更に右横に「ナン」と記入あり。】《割書:中|略》 可参(スサノヲノ)
向須佐能男命所坐之根堅州國(ミコトノヰマセルネノカタスグニゝマヰムカフベシ) 必其大神議也(カナラズソノオホカミハカラムヤノリタマヒキ) 故(カレニ)
隨詔命而参到須佐之男命之御所者(ミコトノリノメイニシタカヒテスサノヲノミコトノオホムトコロニマヒタレバ) 其女須勢理(ソノムスメスセリ)
毘賣出見爲目合而(ビメイデミメアハセナシテ) 相婚(アイコビタ)《割書:中|略》 負其妻須世理毘賣(ソノツマスセリビメヲオヒ)即(スナハチ)
取持其大神之生大刀與生弓矢及其天沼琴而(ソノオホカミノイクタチトイクユミヤトソノアメノヌゴトゝヲトリモチテ)逃(ニゲ)
出之時(イツルトキ) 其天沼琴拂樹而(ソノアメノヌゴトキニフレテ) 地動鳴(ツチウゴキナル) と云(イヘ)る二件(フタクダリ)あり
此は正(マサ)しき地震の伝(ツタヘ)【傳】と思はるゝなり此文等(コノフミドモ)に
依(ヨリ)て見れば山川國土(ヤマカハクニツチ)の震動(ウゴク)は須佐之男命(スサノヲノミコト)の天(アメ)
に上(ノボ)りませし時に初(ハジマ)り其大神 永(ナガ)く根(ネ)の国(クニ)【國】に《割書:根|の》
【右丁 前頁の最後から割書になっているが長文なので一行書きにします。】
国【國】といふは地中(ツチノナカ)を指(サシ)ていふなるべく高天原(タカマノハラ)と
いふは地上(ツチノウヘ) 空虚(ウツホ)なる所(トコロ)【處】 を指(サシ)て人より見上るを
以て高天原とはいふなるべし然るに日輪を指
て高天原なりといひ月輪を指て根の国【國】なりと
いへる説有れども其は大御国(オホミクニ)【國】の
古意(イニシヘコゝロ)にいたく違(タガ)へりゆめな惑(マドヒ)そ【ここで割書終わり。】入坐(イリマセ)し後(ノチ)は
大穴牟遅神(オホナムヂノカミ) 根(ネ)の国【國】を出ます時 持(モチ)ませる天(アメ)の沼(ヌ)
琴(コト) 樹(キ)に払(フレ)【拂】て地動鳴(ツチウコキナリ)しにぞ有ける然れは地震は
須佐之男命(スサノヲノミコト)に本縁(モトツキ)大穴牟遅神(オホナムヂノカミ)に係(カゝ)りて地震神
と称(マヲ)し奉(タテマツル)べきは此 二神(フタハシラ)なる【「なる」の左側本文の行に「にて坐」をミセケチ】こといと著(イチジルシ)きを
や【ここから割書になっているが、長文故一行書きにします。】旧【舊】事本紀といへる書は古事記と日本紀とを取合せ闕(カケ)たることを補(オギナ)ひ偽撰(イツハリエラミ)し書と見ゆれ
どもいと旧(フル)【舊】□□□と見えて其中に地祇本紀を
作て素戔鳴尊(スサノヲノミコト)と大已貴尊(オホアナムチノミコト)とを地祇の総括(スメクゝリ)と為(ナシ)
【左丁】
たるは古意(イニシエコゝロ)□□てぞ有ける此はこゝにあづから
ぬことなれ□□地震は二神に係(カゝ)れることを言(イフ)
につけて思ひ出
れば書つけぬ【ここまでが割書。本文を続ける】 かく神典(カミフミ)に伝(ツタヘ)【傳】の明(アキラ)かなるを先(サキ)
々の人は地震の伝(ツタヘ)【傳】とは思はざりしにやそれと
解説(トケ)るものもそあらざりき然れども山川国【國】土震
動と云ひ地動鳴といへるを今いふ地震のこと
と為(ナサ)ずて何とか為(ナサ)む既(スデ)に日本紀に地震を地動
とも書きたれは古事記に【「古事記に」は挿入文】地動鳴と書たるに合(カナヒ)ていよ〳〵
明かなるを世に地震神といふを知(シ)る人 稀(マレ)にし
て剰(アマツサ)へ其 神為(カミワザ)を恐(オソ)るゝこともなくなりゆくこ
【右丁】 【この書者は振り仮名と送り仮名を重複して記すことがあります。】
との嘆(ナゲカハ)しければかく愚(オロカ)なる 攷(カヾヘ)【「カンガヘ」の「ン」の表記が脱落したもの。「ん」の省略はよく見られる。】を書(カイ)【 見せ消ち カキ 】記(シル)して人に
其神を知らしめ其 神為(カミワザ)を恐れみ【「恐れみ」は挿入 語】畏(カシコ)ましめむと欲(ホシ)【ママ】する
のみ【ここから三行に渡る長い割書計六行】
かくいへばとて鄙夫の身を以て其神を祷(ネギ )【禱】
祭(マツ)れよといふにはあらず神を祭(マツ)りませる
は 【闕字】朝廷(ミカト)にこそあれ鄙夫野人の身を以て神を
祭るは古の道にあらず野人はたゞ神威(カミノミイヅ)を恐れみ【「恐れみ」は挿入語】畏(カシコ)み
奉心のみ必(カナラズ)
な誤(アヤマ)りそ
【「な・・・そ」は優しい禁止表現。
大穴牟遅(オホナムチ)乃 持坐沼琴(モチマスヌゴト)物(モノ)に払(フレ)時々(ヲリ〳〵)地(ツチ)は動(ウゴキ)鳴(ナル)かも
文政十三年□□【「初冬」or「孟冬」ヵ】十月 戸田通元愼識
【左丁】
追加
或人問ひけらく須佐之男命の天へ上り坐しし時に地の震動せし
も大穴牟遅神の沼琴を持ちて根の国を出てませし時に地の
動鳴しも皆はるかに過にし神代の事にて今は其の神は在さヽ
れは今の世の地震は二神の所為とも思はれす其は何とか意
得むや予答へけらく神典の主意を知らされは然う思ひ
つらむも理そかし【ことわりぞかし】そも神代といへははるかに古昔の事と思てと
其の神等は今もなほ其のまゝにて在せは天地のあらん際
りはなほ神代ともいふへきものなり かけまくもあやに貴き
天照大御神は高天原をしろしめし月読命は夜の食す国を
しろしめし又た【この「た」は不要。語尾のダブり】蒼海の潮の八百重をしろしめす事なとは今
も現に見さけ奉る事なれば須佐之男命の根の国をしろし
めし大穴牟遅神の八十垧にかくりて幽事を主りませる事も
推して知らるゝ事にて天地のあらむ際りて常盤に垣盤にかくの
如くて幾千万の歳も経【經】るとも更に変る事はなきものならん
然るに天照大御神は既神去りませしと思ひ其の世に在せし都
城も論ひ甚しきに至りては其の山陵の御在所を
求メする族の有るてこれそ護意の人とはいふへかりけるまた大御
国【國】の神の道せて学へるにも地震の如き災異あれて其を
過津日神の所為と思へるそなほこたてしそも〳〵過津日神
も称すこと遖【あっぱれ 国字】なるものゝ枉【まが】れる名にして災異にあつかる神にも
あらす故次に遖日神そあれます【生れ坐す=出現なさる。】なり大御国【國】の神の道は水には
水の神罔象あり火には火の神加遇突智あり地震も地震の
神ありて洪水火災地震は皆其の神のあらひませるものなれ
は其の神の御心をなこめまつるそ大御国【國】の道の旨趣
なりける然れは地震の神と称し奉るも今予か考ふる須佐之男命
大穴牟遅命の二神にて地震は此の神のあらひませるものな
れは人皆其の神の稜威を恐れみ慎むより外はなき事
なりける
地震新考
ことし七月二日申刻□□いたく地震けるか今日も尚(ナホ)曽(ソ)の余【餘】波
の有に就て世の学者等(タチ)の論を聞に皆かの囀哉西 ̄ノ蕃(クニ)人の所謂(イハユル)陰の下に
伏して清気升むとして升事不能地中の火気舒むとして舒る事を
得ぬと意(イ)る類(タクヒ)なるが果して其言の如くならは爭かふり出(イテ)ぬ前に先
地面(ツチノオモ)に細き壤(ツチクレ)を噴き野原に煙をする如く【「如く」の「く」を○で囲み、「如く」の右肩に「生るか」と記入あり。】きを見井の水卒(ニハカ)に濁湯
涌(ワ)き雲(クモ)の近く成を見むやそれ地気の上升【「昇」に同じ。】ならは舒(ノヒ)受(ス)【打消しの助動詞「ず」】升(ノホラ)さるには
あらざるをや是を神【「袖」に見える】典に考に日本書紀一書に伊弉諾尊田我所生之国
唯有_二朝霧_一而 薫(カホリ) 満之哉(ミテリヤト)の吹撥(フキハラフ)之気(イキ)他為_レ神號曰_二級長戸辺【邊】命_一《割書:亦|曰》
《割書:級長伊|彦命》 是(コレ)風の神也と見え延喜式巻八然田風神 ̄ノ祭 ̄ノ祝詞(ノリト)に皇御孫
命大御夢に悟奉又天下の公民(オホミタカラ)の作 ̄ル 作 ̄リ物【送り仮名を「ニ」と振り、棒線で消している。】悪 ̄キ風震 ̄キ水に相
つゝ不成傷は我【本文に「吾」と書きミセケチにしている。】御名は土【左横に「チ」と記す。】の御程の命国の御程の命と御名は悟奉氏【 「と」から「氏」までは挿入文】云とあり
そも〳〵風は天(アメ)また国を支(サヽ)へ持つ真(ミ)程なるが其風を風たラ【「ら」と書いてその右に「ラ」と記す。】令(シム)るは
級長津彦 ̄ノ命級長戸辺【邊】 ̄ノ命の幸(サチ)に因る事に《割書:てか|》若(モシ)此神の幸ひ
【右丁】
賜ぬ処【處】あれは其御程戯【この字とても悩ましい字です。偏は「劇」にあらず、旁は「戯」の旁にも見えず。「戯」に「けわしく」の意がありますので「戯」としておきます】ク埋(クツ)れ夜霧薫 ̄リ満 ̄チて爾【「尓」を仮名の「に」と読むと言葉が変なので漢字の「爾」のよみの「しか」と読めばと思いますが。】地 靡(ナヒ)き動くなり
其 証(アカシ)【證】は二三日も前より海原を渡る舟の帆に風を不_レ持 ̄タ或は霧満 ̄チて
雨を催を見て舟人は其 兆(キザシ)をしり群鳥の空中にして飛えぬも大
路に敷 物(モノ)して寝(イヌ)る人の灯火の焔(ケフラカ)【「けぶらかす」=くすぶらせる。】ぬもみな風なき故なり已(ステ)に意(イ)る
震兆また直に傍人の半身已上の見えぬも日光にはへ【「はへ」の右に「映」と記されている】盈【みち】て虹影を
見るも皆同理之争【爭】か三日も七日も前より地気上升【「昇」に同じ】して後に大二落の
理(コトワリ)有んや地焼【火偏には見えにくいのですが他に適当な文字見当たらず】最【すべて】に潤を注て見よ水の潟涌も荒水と養を成ぬ
水をすへ言へるまて心得へし予はこの年頃穀の値(アタヒ)【價】の尊(タツトキ)さへ思ひ合さくを
最の畏なん
文政十五年九月十八日
山城国綴喜郡宇治田原
松浦通輔先生国【「國」】 門人 高清助八郎定国【國】述
【左丁 左下の印】
国文学研究資料館 昭和51年12月3日
【裏表紙にて文字無し】
《題:《割書:地震|奇談》平安万歳楽(みやこまんざいらく)》
《題:《割書:地震|奇談》平安万歳楽(みやこまんざいらく)》
大地震録
比は文政十三《割書:庚|寅》のとし七月二日昼七ツ時 京都
大 地(ち)震にて始メドロ〳〵とゆり出し其後ひき
続(つゝい)て大地震となりゆくしばらく家居(いい)【いへい?】倒(たを)
るゝ計りにて只思ひがけなく皆地に伏(ふ)し
畳に伏し柱(はしら)をいだき垣(かき)を杖(つへ)にするも皆
其身の全(まつた)き事のみ祈(いの)る中ニ老(らう)人の出て
大道へ出よとのゝしるを聞伝へ銘〻板を並べ
畳(たゝみ)を敷(しい)て皆大道へ出けん扨 古家(ふるいへ) 古土蔵(ふるくら)は
皆 倒(たを)れ其外 神社仏閣(しんしやぶつかく)石鳥井 石 燈籠(とうろう)或は
は築(つい)地 高塀(たかへい)の倒るゝこと夥敷(おびたゝじく)たとへ丈武の
土蔵たりともひゞりの入らぬはなし棚(たな)の諸道具
落損(おちそん)じ竈(かまど)倒れ襖(ふすま)戸(と)障子(しやうじ)はいふも更なり
家居たわみて戸のしまり悪敷(あしき)は皆一統中ニ
古家の類地しんよりゆかみ戻り戸のしまり
よき有もいとおかし其物音天地に響(ひゞ)き
土埃(つちほこ)り宙(ちう)をくもらす其名かニ只ドロ〳〵ゆりたへず
心もそゞろに魂(たましい)をとられ肝(きも)を冷(ひや)しうろたへる
者あり周章(あわて)騷(さはく)ぐも道理こそ二日夜は大道
にて夜を守(まも)らんとするに夜気うけん事を
思ひ板をもて屋根となし又 縄(なわ)を引わたし
むしろを覆ひて洛中皆夜明し町〻
には厳重(けんちう)に高張(たかはり)を立て家並(やなみ)にかけあんどう
を釣(つ)りて身は陣笠(ぢんかさ)をかふり胸(むね)あてりゝし
く馬挑灯(ばちやうちん)をともし近き友 親族(しんるい)へ見舞に
過る事お互(たかひ)ひにてころび寝の枕元(まくらもと)へ犬の
這(は)ひ来(く)るもいとおかし井の水は皆 濁(にご)れり
少し気のおさまれる方は大道にて茶をわかし
飯(はん)をものし沢?をくみ漸(やうやく)食物のんどを通る
といへどもこころはそゞろに只ドロ〳〵とゆりたへず
町内にはかな棒(ばう)わり竹を引鳴(ひきな)らし火用心
触歩行(ふれあるく)こと厳(きび)しく何方(いつく)よりか老(らう)人の来
てまじなひあたへるあり其歌に
ゆるくともよもやぬけしの要石(かなめいし)
鹿嶋(かしま)の神のあらん限(かぎ)りは
と皆 書写(かきうつ)し戸口(とくち)の柱或は大極(だいこく)ばしらに張付(はりつけ)
もつたいなくも 天照太神宮の御祓(おはらい)をかしらに
戴(いたゝ)き髷(わげ)にまじなひの秘文(ひもん)をはさみ殊に老人
病人子供を抱(かゝへ)しものは其 心配(しんはい)得(ゑ)もいへす中ニ
家におされ倒(たを)るゝあり又物にはさまれ塀(へい)に押(おさ)
れてなやみぬる声(こへ)かまびすしくすしの西東へ
馳(はせ)るを聞につけ見るに迷(まと)ひいと心づかひして
其夜も東じらみをまち明(あく)る三日目もかわりなば
些(ちと)ゆるがんことを祈り人の顔色(かんしよく)かわり俗語(そくこ)に
青い顔とい□【ひ?ら?】ふらせしもむべなる哉只火用心 盗賊(とうそく)
随分心得て油断(ゆだん)なく日夜心を配(くは)りけん異説(いせつ)
浮(ふ)説をいゝふらすものありて捕(とらわ)るゝもあり中ニ
盜(ぬす)みはたらく悪党(あくとう)は天の罪眼前(つみがんぜん)たり町々
家 並(なみ)に水 鉄砲(てつほう)をかまへ家根へ水を遣(や)り常に
手 荒(あら)き事もとりあへぬおのこも土足(はだし)になり
水を汲(くみ)はこびぬるもいとおかし薮持(やふもつ)人は薮
或は野へ食物をはこび老人子供の手を引
連行(つれゆく)も有三日夜もまさ〳〵明しぬるに明(あ)け
六ツ時やゝ曇(くも)りて雨ぱら〳〵と降(ふり)出しけるに
跡一天 雲(くも)やけとなりて一めん黄色(きいろ)になり
誠におそろしきけしきなるを皆人の取々
沙汰しける中にもドロ〳〵と時をたがへずゆり
たへず又古家古土蔵のたをれかゝるに杖を
つきつつぱりしてとゞめたるは夥敷(おひたゝしく)余(あま)多(た)有
俄(にはか)の家がへする人あちこちにかしましくて
四日も程なく夜はいかなる者も少し身の労(つか)れ
出でたゞまどろむうち五日となり手の舞(まい)
足の踏(ふむ)ところもしらず六日七日八日夜も空(そら)は
曇(くも)りて雨は少しも降(ふ)らず夜は八ツ時七ツ時に
大分つよくドロ〳〵とゆり来り皆大道へ又 出(いて)
て取沙汰も是が七日其夜のはねなるかと言ゝ
呪(ましな)ひ居るに九日になりていまたドロ〳〵と時々
鳴(な)り止ます誠に前代未聞の大変(たいへん)にて只
神を祈(いの)り仏を信(しん)じ身を慎むより他事(ほか)
なし心得の歌に
かみなりはあたま叩(たゝ)かれ地震とて
尻(しり)つめらるゝ天のおしかり
其外漏(も)れたるは後偏ニ出す冊 草紙(さうし)は今度の
大変 他国(たこく)へ文通(じゆう)にてしらせる人此小冊にてこと
〳〵しく相 分(わか)り且又後世迄のこし置なば其
心得にもならんことを深(ふか)く思ひてこゝにしるす
文政十三年 洛住 東鹿斎 作
寅七月
《題:《割書:地震|奇談》平安万歳楽(みやこまんざいらく)》
大地震録(おほぢしんろく)下
夫天地の理 明(あき)らかなれば物に臆(おく)せず精神(せいしん)
強(つよ)ければ事に驚(おどろ)かずといへどもことわざニ
黒犬(くろいぬ)にうまれて灰汁(あく)のたれ糟(かす)とかや
二日の大変 誠ニ肝胆(きも)に徹(てつ)し少しのドロ〳〵
にも上(かみ)を塞(ふきこ)ぎそれより病人 数多(あまた)ある
中ニ近辺に地震より病気の平癒(へいゆう)したる
人もあり是はまさしく気のはりにて
病をわすれしものならん哉こゝニ老人の
狂詩あり
庚-寅七月二日 ̄ノ事 従_二 ̄リ申-上-刻_一 地-震剛 ̄ク
最(サイ)-初(シヨ) ̄ハ寄(ヨリ)集(アツマリ) ̄テ唱_二世直(ヨナヲシ)_一 ̄ヲ 狼(ウロ)-狽(タエ) ̄テ桑-原至_二 ̄ル線-香_一 ̄ニ
町-家 ̄ノ家蔵 壁(カベ)直(タヽチ) ̄ニ落 ̄チ 寺-社 ̄ノ塀-垣柱 ̄ト共 ̄ニ僵(タヲ) ̄ル
婆(ハヽ)-母(ハ)黄(キイナ)-声(コエ) ̄テ念-仏 申(モウ) ̄シ 祖(ヂイ)-父(ハ)青(アヲイ)顔(カヲ) ̄テ祈(イノリ)_レ神 ̄ヲ/慱(ヲソル)?
百-姓 ̄ハ離(ハナ)_レ ̄レ鍬(クハ) ̄ヲ皆入_レ ̄リ薮 ̄ニ 千-頭 ̄ハ捨_レ ̄テ船 ̄ヲ獨 ̄リ上_レ ̄ル塘(ツヽミ) ̄ニ
天-地震-動 ̄ウ無_二 ̄シ仕(シ)-様(ヤウ)【返り点「一」の脱字カ】 上-下 ̄ノ騒(ソウ)-動(トウ)暮_二 ̄ル十-方_一 ̄ニ
扨十日も少しドロ〳〵時々 鳴動(めいどう)する十一日には暮過(くれすぎ)
より雨ばら〳〵と降出(ふりいだ)し夜七ツ時ドロ〳〵と
大分 剛(つよく)ゆる十二日 都而(すべて)日々ニ四五度は時をたがへ
すドロ〳〵と十三日ニ至り土蔵のいたみたる
まゝに雨をうけて時となく土のずり落(おち)し
は実に其音すさまじく夜はわけて世
間(けん)も物しづかなれば其おどろき合点(がてん)
ゆかずひそ〳〵と語(かた)りぬるもいとおか
そな土蔵のずり落しは数多あり家 居(ゐ)
たわみて往来御用心と張札所々に見(み)ゆれ
十四日は夜半比大分つよく七ツ時ニ又トロ〳〵と
鳴動すこの日は二季の極(きわ)なるに其 掛乞(かけとり)の【掛乞かけごい-節季に掛売の代金を取立てたこと、又その人。掛取。】
いつもよりも物 淋(さび)しきはいかにや十五日ニなり
て少し雨降り出し中ニも又ドロ〳〵と時々
鳴止(やま)ず最早(もはや)地震なれて仇(あた)にも交(まじ)れど
心は左なく祈(いの)りけん十六日も打つゞき
雨ふれば過(すき)し此大変より屋根(なね)瓦(かわら)ずりおり
番匠(だいく)瓦 師(し)左官(さくわん)手伝(てつたい)等も中々 数(す)ヶ(か)所(しよ)のしつ
らひゆへ手廻(てまわ)り兼(かね)所々雨もりて難義(なんぎ)
し方(かた)多くみゆる又土蔵の傍(そば)に建(たつ)に家(いへ)は
土のずり落ん事をも恐(おそ)れて案(あん)じ過(すご)
して夜な〳〵他所へ泊(とま)りに行人も多(おゝ)く
あるよし十七日いまだ雨つよく降八ツ時
少々 晴間(はれま)ありて日暮過西に稲光(いなびか)り少々
あり十八日朝より大雨しきりにふり雷(らい)
地震打 交(まぜ)て雨は車軸(しやぢく)を流(なが)すが如く忽(たちまち)
か茂川堀川西洞院桂川へ水一てきニ出
て川 添(ぞい)の家は水多く這(は)入て皆其辺大
騒動(そうどう)するに爰(こゝ)に音羽(おとは)川とて洛東(らくとう)清水寺
の音羽の瀧(たき)の流れ落 来(く)る小川すへはか茂川
へながれ落る此水実に多く出て川すじ
伏見 街道鞘(かいとうさや)町問屋町辺はわけて大 洪(こう)水
にて人家の床(ゆか)より一尺も上(うへ)へ水 越(こ)し其辺
大家に油商売(あぶらや)あり地にいけし油壺(あふらつほ)へ水
流れ込(こみ)出て其辺油くさき事得(ゑ)もいえず
水 引去(ひきさ)りて後(のち)其近辺の井中へ油流れ込
実ニ困(こま)り果(はて)しとかや此時清水寺の廊下(らうか)
崩(くづ)れ倒(たを)るゝよし是等も前代未聞(ぜんたいみもん)の事
どもにて是が止(と)どなる歟(か)と皆いへりそも
日本は神国(しんこく)にて万代(ばんたい)ふ易(ゑき)の国なり雷(らい)
地震は陰陽(いんよう)水火のたゝかひにて国を動(うご)かす
にあらず只土のうごき亦土生金(またどしやうきん)とてつれ
てかねもうごきめぐる俗語(そくご)に雨降て地(ち)かた
まると地震も納(おさま)り世なをしとかやます〳〵
五穀(こくわく)は豊作(ほうさく)下(し)も万民(ばんみん)のうるおひ
御代(みよ)万歳楽とうたひめて度〳〵
天(あめ)の下(した)うごかぬ国(くに)とおさまりて
うるおひ廻(めく)るあらかねの土(つち)
京中町破損入用銀
凡壱町ニ付弐拾貫目宛にして
凡銀八万六千貫目
此金六五?ニして
凡金百三拾弐万三千〇七十六両三分弐朱
三匁壱分弐厘五毛
土蔵破損 一統 無難はすくなし
建家倒分 数しらず
但し高塀 小屋物入之分数多し
其外破損数多有之略之
寺社方の破損申にたへずこと繁けれは略之
怪我人其数しれず
【貼紙「別口 昭和七年七日寄託」】
文政十三《割書:庚 | 寅》
七月
洛住 東禄作
京松原通新町西へ入町
【貼紙「変災」】みのや平兵衛 板
【ラベルX122|14|史料館】
【蔵書印三井文庫】
弘化四年
信州大地震書上写
未五月
弘化四未三月廿四日信州大地震
私在所信州松代一昨廿四日亥刻ゟ大地震ニ而城内住居向
櫓并囲塀等夥敷破損家中屋敷城下町領分村々其外
支配所潰家数多死失人夥敷殊村方ニ者出火在之其上
山中筋山抜崩犀川押埋水湛追々致充満勿論流水一切
無之北国往還丹波島渡船場干上り相成此所右溢水
押出方ニ寄如何様変地難斗奉存候且其後も折々相震
申候委細之儀ハ追而可申上候得共先此段御届申上候以上
三月廿六日 真田信濃守
一太方ハ場備二ゟ凡三丁猶も満水高場へ立退き候由尤当時本丸者
先年焼失後二之丸江在城之由
一城下町住居家中木囲ハいつれも倒其内棟落候家
又者土蔵旅屋潰候も有之由
一善光寺ゟ食事焚出之儀申越候得共中々其手当
致兼先米弐百俵送り遣し候由
一善光寺辺ゟ日々松代へ参候もの夥敷致厳建遣シ候積之由
一犀川山崩二而押埋元来急流之場所連日其儘ゆへ
満水いつれ切込候哉難斗多分ハ松代之方甚心配致
信濃国大地震先御届
当月廿四日昼夜快晴二而至極穏之内ニ御座候処同夜
四時頃大地震ニ而信州中ノ条私陣屋構練塀所々震倒シ
其外陣屋元近辺村々農家手弱之分者下家廻シ震倒
厳敷震動いたし暫相立漸々相止候処夫ゟ少々ツゝ間を置
不耐震動陣屋ゟ北之方ニ当り雷鳴之如く響有之夜
明迄之内ニ者凡八十度余之地震翌朝静ニ相成候得共
今以地震相止不申支配所水内郡村々之内二ハ潰家怪我人
等も有之由ニ御座候得共未訴出不申追々風聞致承り候処
同国川中島辺ゟ善光寺夫ゟ南へ当り山中と唱候一郷重之
地震と相見川中島辺ハ民家一村不残又ハ過半震倒シ
其上焼失いたし大造之即死怪我人等有之都而往還ハ
此節善光寺供養ニ付夥敷旅人泊り合居死人も多分御座
候由山中辺ハ手遠片寄故様子難相分候得共犀川上手ニ而
山崩有之川中留切流水更ニ無之丹波島渡船場干揚成歩行
渡いたし候由二御座候越後国之儀ハ如何二御座候哉得と相分不申
右者風聞迄之儀ニ而未聢と難相分候間早速手代差遣シ支配所
潰家其外見分吟味之上外最寄村々損所而も風聞相糺
委細之儀は追而可申上候且御領陣屋附同国佐久郡村々
之儀も前同様大地震致シ候得共善光寺辺とハ里数も隔
次第二劣候哉陣屋并支配所其外最寄私領村々二而も
纔宛之破損家有之趣二候得共為差儀も無御座候先ツ
不取敢右御届申上候以上
三月廿七日
川上金吾助
御勘定所
信州千曲川通塩崎村国役御普請見分并仕立御用中
大地震及見分候趣荒増申上候書付
松平飛騨守殿知行信州更級郡千曲川通り塩崎村
国役御普請見分并仕立御用同役高崎兵八一同彼地ニ罷
在候処去月廿四日夜四時頃承伝二も無之大地震ニ而右塩
崎村高弐千九百石余之村方二而惣家数六百軒余有之
候由之処本家并土蔵物置はなれ家其外とも潰家拾ひ立候
棟数ニ而四五百軒歩通二而凡六七分通潰家之趣地頭役人
取調申聞候怪我人之儀者多人数ニ而即死凡六拾
人程有之趣申聞候得共私共彼地出立迄ニ追々潰家
之中ゟ掘出シ候死人も在之由尤旅人之儀者人速早速
相分兼候趣ニ御座候私共旅宿儀も震潰漸助命仕
候得共荷物其外家下ニ相成翌朝夜明ニ至掘出し候儀ニ
御座候塩崎村之儀ハ出火も少々成三軒焼失而巳二御座候大地震之節者四方遠近一時之出火土煙り一同ニ相成夜中
何十度と無山鳴震キ人声夥敷岩崩落候響キ
強く田畑往還とも巾弐三尺ゟ四五寸位迄竪横ニ地割れ
水吹出し又ハ泥等吹出し世も滅如く被存候儀ニ御座候右地
割候場所者弐尺位段違ニ相成泥ヲ吹出し候場所者匂ひ
悪敷硫黄之気も可有之哉尤水吹出し候場所者
匂ひ無御座候
一去月十日ゟ善光寺開帳ニ付諸国ゟ参詣之旅人夥敷
多泊り候節ハ壱軒之旅籠屋千弐百四拾人泊り在
之内千弐百人者旅籠銭請取残四拾人者無賃ニ而とめ
候由右様群集之折柄大地震二而善光寺町荒方震
潰其上出火二而死人何程哉数限り無之由如来堂ニ
籠り候旅人凡三千人余是ハ無難ニ而立退候得共
衣類其外路銀等ハ何れも焼失之由遠国者ハ別而
及難儀候様子ニ御座候如来堂并山門而已相残其外者
市中一同焼失いたし候由二承り申候死人等之儀者中々以難
相分噂ニハ善光寺町斗にて即死弐三万人も可有之由
同町人別之者も廿五日朝残り居候者漸弐三百人ならてハ
無之趣噂御座候得共是迚も逃去り候者も可有之儀ニ而
凡ニ而人数者相分兼候得共何れ大変成儀ニ御座候
一塩崎村ゟ西之方隣宿上田領稲荷山之儀震潰れ候
上出火ニ而不残焼失いたし旅人其外即死人夥敷趣ニ
御座候得共是も人数相知不申候噂ニ者即死人弐三千人と 申事ニ御座候其外迚も焼失いたし候々村々者自然死
人多く有之候儀と奉存候
一信州佐井川之儀廿四日夜大地震之節ゟ流水留り
廿六日昼頃私共彼地出立之節迄一切通水無之是者
丹波島宿辺ゟ川上江七八り行美濃路之橋迄刎橋有
之由右前後之辺山崩いたし佐井川をふさき候由ニて
何時何方ゟ出水いたし候哉難斗同川附ハ勿論低場之
もの共ハ追々逃去申候右ニ付往還へ者上田松代等ゟ
役人出張いたし善光寺方へ者往来差留申候噂にハ
佐井川之場水信州松本辺潮水之如く相成桔梗
ケ原と申所江水押開キ夫ゟ諏訪之潮水二入天ノ川へ
流水可致様被申居所々噂仕候得共多くハ崩れ
場所十分水湛候ハゝ押切一時二大出水可致哉と計存候
儀二御座候何とても佐井川之為急二又々流家亡所
夥敷義と奉存候
一私共彼地地震後廿六日昼頃彼地出立途中地割候場
所漸通行仕飛騨守殿用人も引続出立いたし候処塩崎
村之山之手之方ゟ夥敷人声ニ而追々寄集り用人を取巻
中ニ者親ニわかれ候も有之妻子ニわかれ候も有之
たすけ呉よ夫食ヲあてへくれよとなきわめき候ニ付
彼地詰合代官其外手代等呼寄段々利解手当方
之次第等申聞漸引取申候様子ニ御座候右之次第故中々以
急速御普請仕立難行届差当旅宿も無之私共
義も両日両夜野宿仕漸彼地引払之儀ニ御座候尤
地頭ゟ小屋掛ケ其外手当いたし人気居合之上者
早速申越猶又私共罷越御普請仕立取掛り候積
を以中帰仕候儀ニ御座候
一此度大地震彼地ニ而も十里四方等申居候得共南北
之中五六間程竪拾弐三里も限り候様子ニ而其余ハ
格別之儀二有之間敷哉ニ奉存候私共塩崎村ヲ
出立いたし千曲川を渡り里数壱里ニ而松代領矢
代宿江罷越候処潰家数も少々三拾軒程有之
趣即死も拾弐三人と申事ニ而塩崎村ゟ地割も細く
少し軽き様子相見夫ゟ三里罷越川金金吾助
御代官所坂木宿辺ハ潰家死人等無御座候得共壁建
具等ハ震損仕昼夜何十度となく震動いたし一同
野宿いたし居夫ゟ三里上田町江罷越候処又一段軽く尤
昼夜野宿いたし居候様子ニハ御座候夫ゟ弐里半ニ而
小諸町夫ゟ三里ニ而中山道追分宿辺ニ至り候てハ山鳴候 程之儀ハ無之大地後震も只折々少ツゝ々震候迄て
夫ゟ碓水峠ヲ江戸之方え越候得者廿四日之夜余程之
地震有之候趣而巳二而其後者更二地震も無之
趣ニ御座候
右は御用中大変之儀及見聞候趣荒増書面通
ニ御座候委細之儀者追々其場ゟ取調申上候儀と
奉存候以上
未四月三日 御普請役見習
西村覚内
大地震二付急難御救拝借之儀ニ付奉伺書
御代官所
当分御預所 中野村外八拾壱ヶ村惣高五万八千三百六拾弐石九斗弐合五夕 無難之分
内高壱万七千七拾六石弐斗九升弐夕
村高四万千弐百八拾六石壱升弐合也
潰家弐千九百七拾七軒
内七十七軒 身元ヶ成之者共并無難之者
助郷村々分除之
御代官所当分御預所
信州高井郡
水内郡九拾壱ヶ村
一潰家弐千九百軒
内拾六軒 土中江埋相知不申分
同弐千百六拾三軒
半潰家七百三拾七軒
但半潰之分木品悉ク打砕不用立潰家同様御座候
外
潰高札場 拾弐ケ所
潰郷蔵 弐拾弐ケ所
潰堂宮寺潰六十六ケ所
潰土蔵三百三十壱ケ所
潰物置九百拾四ケ所
右者当三月廿四日夜大地震二而私御代官所当分御預所
信州髙井郡水内郡村々災害之始末不取敢御届申上
早速手附手代共手配差出私儀も廻村災害之様子見分
仕候処誠以絶言語奇変之躰恐怖仕不忍見地面割
裂七八寸ゟ五六尺余数拾間ツゝ筋立開右割目ゟ夥敷黒
赤色等之泥水吹出し歩行相成兼候場所多有之其外
所々崩土砂押出し大石転落悉変地致し多分之
損地相見村々用水路ハ所々欠崩及大破或ハ床違ニ相成候
場所も有之水乗不申用水路二相成候村々多有之谷川等
之分者大石土砂押出し震埋所々欠落及大破水行を塞平
一面ニ溢出し泥水押流し且潰家之儀何れ家並平押ニ潰
桁梁矧目臍木其外建具之類打砕家財諸道具等ハ悉く
打毀銘々貯置候雑穀之類ハ俵物押崩散乱いたし吹出し
候泥水ヲ冠中にハ土砂押埋候分も有之実失ひ更二元片付之
村々も小前ハ勿論村役人共迄本心取失ひ更ニ鳥片付之
心得も無之銘々潰家前ニ家内一同雨露之手当も不致
只々途方ニ暮忙然と致居私を見請慌頻落涙止
かたく悶絶致尋候答も出来兼打伏居小前老若男
女共泣喚居怪我人共ハ夥敷倒苦痛罷在有候様
難尽申上不便至極歎嗟何れ之村々共同様之次第ニ而
差当夫食備有之候者共も潰家下ニ有之殊泥水も冠
り容易取出候儀出来兼小前未々ニ至夫食手当無之
もの共者尚更水呑者用水ヲ用ひ来候処泥水交ニ相成
及飢餲候所自然村々一般之奇難助合方も無之候間当
日救方夫食之手当相及候丈ヶハ遣候得共百ケ村余之儀
中々惣躰遠方迄私共之自力ニ届兼身元ヶ成之者共迚も
潰家災難二逢候事ニ奇特之取斗筋も出来兼無拠郷
蔵囲穀等を以手代共支配廻村為相凌候間罷在陣屋最寄村々
之分ハ中野村打川寺院社地境内江小屋掛いたし極難渋
之者共救遣候儀ニ有之且追々村々人牛馬死失怪我人等相糺
候処男女死失五百七拾人怪我人千四百六拾人右之内片輪ニ
相成農業渡世も相成不申者共多有之斃死牛弐疋馬五拾疋
右外善光寺へ参詣いたし三月廿四日夜同所へ止宿地
震ニ而焼失候者ハ男女弐百人余有之多之分人絶ニ相成候災
難時村々之分人別弐歩七厘減方相成支配所高五万八千三百
石余之内無難村々高三分内ならてハ残不高七分余ハ災
害村々ニ而何二も歎敷義ニ御座候差当村々用水路手入
不仕候而ハ呑水差支且田方苗間ハ勿論無難之田地
植付ニも差支候処場広大破之儀中々以村々自力及不
申火災等之難とも訳違家々田畑山林等迄覆ひ大災就
中水内高井両郡ハ大地震痛強捨置候而者皆潰
亡所ニ相成候村々多人命ニ拘末々御収納御国益失ひ
不容易儀迚も御救不被下置候而ハ何共可仕様無御
座候且又右地震ニ而北国往還丹波島村渡船場ゟ凡弐り
半程川上真田信濃守領分平林村地内字虚空
蔵山凡弐拾壱町程之処崩犀川へ押出し埋り川中ヲ
〆切候二付流水を堰留水湛当地川上村々平地ゟ
水開候へ共湛溜切候ハヽ自然押埋候〆切場所水力
に而押崩し可申其節者如何様之洪水ニ可相成哉気
遣敷支配所千曲川縁村々心得ため申越候由信濃守
家来掛合有之右故当時千曲川平水ゟ七八尺減水
致居候川筋村々心配致山添高場へ立退居切開候ハヽ
如何有哉数日湛留り候を一時二押流し候ハゝ又候水災異
変出来可申と殊之外人気不穏心配仕候儀ニ御座候前書
申上候災害難渋候次第得と御賢察被下相続方并自
普請所用水路大破ニ付金弐千五百書面之村々者
拝借被仰付被下度左も無之候てハ迚も相続筋手段
無之万一此上難渋迫り心得違人気立候様罷成候而者恐
入深心配仕候義ニ御座候支配所村々之者共儀昨年来同
同国他之支配所ニ無之御国恩并定め増米相願候実ひ
良民共穴敷退転為及候段歎敷奉存候間御仁恵之
御沙汰を以永年賦拝借被仰付被下置候様仕度奉
存候然上者右拝借金高村々ニ応割付貸渡年賦
返納等之儀者別紙を以追而為相伺候様仕度奉存候依之
災害村々一村限帳壱冊相添此段奉伺候以上
弘化四未四月 高木清左衛門印
変災
昭和七年四月寄託返済
《題:《割書:大地震|大津浪》末代噺廼種》 ■全
《題:《割書:東海道|地震津波》末代噺種》
【上段左へ】
京
此度のぢしん
つなみ諸国
大ひにあれ
たれども此
平安城は
しづか也
皇(おゝきみ)の御 威(い)
徳(とく)を仰(あふ)ぎ
奉るべし
大津
地しん大ゆり人家少〻 傾(かたふ)き
湖水(こすい)浪あらけれともけがなし
草津
ぢしん大ゆり人家三四
けん崩れいたみ家多し
石部
地しん烈(はけ)しく人家五六
軒(けん)倒(たふ)れ損(そん)じ家多し
水口
右同断【(=右に同じ)】 人家六七けん
寺一軒倒れ死人三人けが十八人有
土山
右同断三日の夜 鈴(すゞ)か山
何となく 騷がしかりしよし
坂ノ下
地しん烈しく人家大損し土山と
同しく鈴鹿(すゝか)山前夜より物さわがしかりし由
関
右同断人家大損じ倒
るゝ家三げんけが人四人あり
【下段左へ】
亀山
御城少々損じ町屋二十軒
ばかり倒(たふ)れ出火あれども早速(さつそく)鎮(しづま)る
庄野
地しんはげしく人家三
分通りくづれ死人三人けが人多し
石やくし
同断人家大そんじ二
十けんばかり崩れけが人多し
四日市
四日五日とも
ぢしんはげしく人家
五六十けん倒れ土蔵
三十餘ケ所崩る死人
凡二百人けが人数しらず
桑名
大ぢしんの後大つなみにて
浜辺(はまべ)みな〳〵流れ死人けが人おびたゝし
宮
同断人家三分通崩るぢ
しん後(ご)つなみにて浜辺残らず流る
鳴海
大ゆりつなみ人家過半
つぶれ死人けが人多し
池鯉鮒【(ちりゅう)】
大ゆりにて人家こと〴〵く
ゆがみつなみにて半潰れに成
岡崎
右同断 混雑(こんさつ)中つなみ
にて死人多くけが人数しらず
《題:《割書:東海道|地震津波》末代噺種》
【上段左へ】
藤川
地しん後つなみにて人
家過半つぶれ死人多し
赤坂
同つなみにて七分通り
ながれ死人けが人おびたゞし
御油
大ぢしんにて
人家多く崩れ死人
けが人有之其後
つなみにて過半流れ
又死人けが人おびたゞし
二川
ぢしん後つなみきたり
過半つぶれ人死多し
白須賀
同断つなみにて六分
通りつぶれる
新居
半つぶれ
海辺の大小ふね
のこりなく流失
御関所つぶれる
死人多し
舞坂
ぢしん後の大つなみ
にて一/駅(しゆく)のこらず流れる
浜松
地しんにて人家大半
崩れ死人多し
【下段左へ】
見附
ぢしんつなみにて過
半潰れ候へども死人至て少し
袋井
ぢしんにて人家大
半くづれ出火となり丸やけ
掛川
地しんにて人家悉く
倒れ出火となりのこらず消失
日坂
地しん強(つよ)く候へとも少〻
の破そんのみにて無難(ぶなん)
金谷
ぢしんにて人家倒れ
出火と成七八分通りやける
島田
ぢしんにて人家多崩る
其後つなみにて七八分/潰(つぶ)れる
富士川
大ぢしんにて
川上の山くづれ落て
せき留し故渡し
場水なく川原(かわら)と成り
往来の人/歩行(かち)わたり
藤枝
ぢしんにて人家くづれ
出火と成半分焼失死人けか人多し
岡部
ぢしん/後(こ)つなみにて
半つぶれに相成
《題:《割書:東海道|地震津波》末代噺種》
【上段左へ】
丸【鞠】子
大ぢしん後出火と成
火を防ぐ事あたはず丸やけ
府中
地しんにて人家倒れ
江川町より出火三分通やける
江尻
同じく出火と成る丸
やけ人死けが人多くあり
沖【興】津
ぢしんの後つなみにて
過半つぶれ死人けが人多し
由井
ぢしんにて人家損じ
多けれども無難
蒲原
地震
にて人家
倒れ出火と
なり焼のこる
半分ありしが
大つなみ押
来りて
のこりの
人家みな
海中へ
まきこむ
吉原
ぢしんの後出火となり
ふせぐ事ならず丸やけ
【下段左へ】
原 沼津 三島
此三宿は
地しんは尤強けれども無難
箱根
地しん烈しく御本ぢん
三ヶ所崩る山大荒往来留る
小田原
ぢしんつよく人家少〻
崩れ損じ家少なからず
大磯 平塚 藤沢 戸塚
程ヶ谷 神奈川 川崎 品川
右七/駅(しゆく)とも少〻つゝ違(たが)ひあれ
ども大底(たいてい)小田原におなじ
江戸
十一月五日
地しん御屋
敷方并に
町家多く
さる若町
十丁ばかり
出火(かはじ)三
芝居とも
焼失けが人
なし
《題:《割書:大地震|大津波》末代噺種》
【上段】
土州(とさ)
かんの
浦【甲浦】十三
里が間
津浪(つなみ)にて
ながれる
坂井(さかい)飯郡(いくこふり)鯛(たい)の浜(はま)村より徳島(とくしま)
まで二里斗二尺程づゝ地割(ちわ)れ
牛馬(うしむま)落込死(おちこみし)す〇/阿波徳島(あわとくしま)
大ゆりにて人家/倒(たふ)れ出火(しゆつくは)と成
通り町壱丁目より三丁目まで
八百(やを)屋町中町/紀伊国(きのくに)町新
町紙屋町遍【「辺」カ】うらすじ不残
牢(らう)ケ浜(はま)小路(しやうぢ)まで屋敷(やしき)数軒(すけん)
町家千二三百/軒(けん)焼失(せうしつ)
【下段】
〇/讃州高松(さぬきたかまつ)大ゆりにて人(じん)
家(か)過半(くははん)崩(くづる)〇/丸亀(まるかめ)は少しゆる
やかなれども人家(じんか)損(そん)じ多し
〇/豊前(ぶぜん)小倉(こくら)大地しん五日
申(さる)の刻より猶〻/烈(はげ)しく市(し)
中(ちう)大混雑(おほこんざつ)夜中(やちう)五六度ゆり
七日/朝(あさ)又〻大ゆり人家(じんか)崩(くづ)れ
損じ夥(おびたゝ)し〇/肥前肥後筑前(ひぜんひごちくぜん)
右同断〇/豊後鶴崎(ぶんごつるざき)大ゆり
人家過半つぶれ死人かず
しれず府内(ふない)人家四百けん
餘くづれ死人けが人数不知
尤/中国路(ちうこくぢ)国々(くに〴〵)地(ち)しん甚だ
しく候へ共/格別(かくべつ)の事なし
依(よつ)て爰(こゝ)に略(りやく)す
《題:《割書:大地震|大津波》末代噺種》
【上段】
〇/芸州(あき)/広島(ひろしま)十一月四日辰の
刻大 地(ぢ)しん五日申の刻又
大地しん六日中/地震(ぢしん)七日又
大ゆり尤四五六日朝迄二十
五六度/其餘数取出来(そのよかずとりでき)がた
く/大底(たいてい)ゆりつゞけにて家の
内に居られず皆〻/野宿(のじゆく)
にて/凌(しの)ぎ申候御城の/矢倉(やぐら)
大そんじ御家中并に町家
/崩(くづ)れ/損(そん)じおびたゝし/怪我(けが)
人小〻あり/市中(しちう)并/往来(わうらい)
の/橋(はし)/数(す)ケ所ゆり/落(をと)し申候
〇/東(ひがし)は/奥州(おうしう)/辺(へん)もおなじく
地しんありといへどもゆる
やかにして/格別(かくべつ)の事なし
【下段】
〇/紀州(きしう)
/若(わか)山地しん
/烈(はげ)しく其後
大つなみにて
/湊(みなと)の船川上卅
丁/餘(よ)の所迄/突上(つきあげ)
/砕(くだ)ける船数多なり
〇田/辺(なべ)御城下二分通り津波
にて/流(なが)れ跡六分通り/出火(しゆつくは)
/焼亡(しやうばう)〇湯浅六百軒/餘(よ)津波
にて/押(おし)ながす広浦は千/軒(げん)
ばかりの/處(ところ)残り三/軒(けん)に成右
の外/日(ひ)方名高日高黒江
/下津(しもつ)江水等の浦〻津波の
/為(ため)に/過(くは)半/流失(りうしつ)す
《題:大地震末代噺種》
【上のマス】
扇屋
ざしき
の図
〇新町東東/扇(おうぎ)屋のざしき
崩るその近辺損じ/反(おく)し
〇あ波座戸屋町小まもの
だな西角大ゆがみ夫より
にし筋北倒の人家七八
けん大くづれ夫より半丁
西野角屋敷両かわ家
廿五軒大くずれ夫より
にし筋北東角人家十
軒ばかり崩る
【下のマス】
〇永大浜大古蔵崩れる
〇京町堀羽子板ばし北詰
筋角浜がわ人家三げん
くずれ出火と相成/即座(そくざ)に
火しづまる
【図中】
手あやまちの図
〇同両こくばし筋/籠(かご)屋
町筋南角間口十六間
ばかり崩れ手辺ちあり
/早速(さつそく)火しづまる
〇同紀伊国ばし南詰西
に入所両三軒大崩れ
《題:《割書:嘉永七|寅歳中》/珍事(ちんじ)末代噺種》
【右側一段目】
大関 十一月 大坂地震津波
関脇 同 志州鳥羽津浪
小結 九月 《割書:大坂|長町》三つ子産
前頭 閏七月 信貴山寅守
前頭 十一月 阿州徳嶋出火
前頭 八月 《割書:八代目|團十郎》乗込併病死
前頭 六月 奈良大地震
前頭 六月 郡山大地震
【右側二段目】
前 十一月 紀州田辺大津波
同 六月 《割書:讃|州》金毘羅町洪水
同 十一月 岡崎矢矧橋落
同 九月 湊死去
同 十一月 平野大地震
同 七月 北ノ新地踊り
同 十一月 河内松原地しん
同 二月 《割書:八丁目|寺町》地獄戻り
同 六月 なんば砂持
同 十一月 堺津波
同 四月 《割書:大|坂》坂町いてう娘
同 十一月 岡山大荒れ
【右側三段目】
同 十一月 兵庫大地震
同 〻 高野山ぢしん
同 〻 和歌山つなみ
同 〻 備後鞆地震
同 〻 丹波ぢしん
世 〻 富士川埋る
話 〻 《割書:土|州》かしの浦津波
人 〻 《割書:豊|後》鶴崎地しん
頭 〻 紀州日高荒
頭 〻 同湯浅津波
頭 〻 《割書:南|都》灯篭倒
【中央上段から】
《割書:次第|不同》御免
行司
九月 身延山大坂通行
九月 《割書:江|戸》五尺石達磨降
八月 近国近在《割書:豊年踊|神事地単出》
勧進元
諸国大豊年
差添人
六月十一月 大坂町々御千度
【左側一段目】
大関 十一月 《割書:大|坂》大黒橋船込
関脇 四月 京大火
小結 五月 堀江孝行娘
前頭 三月 《割書:大|坂》遊行寺参詣
前頭 十一月 東海道《割書:地震|津波》
前頭 七月 上酒婆々
前頭 六月 伊賀上野地震
前頭 六月 勢州四日市地震
【左側二段目】
前 三月 越前福井大火
同 六月 山城木津大水
同 十一月 尼大地震
同 六月 九郎右衛門町上ケ物
同 四月 《割書:多見蔵|寅吉》同座
同 九月 《割書:東寺|かけ所》弁天出現
同 四月 天神小宮正遷宮
同 十一月 尾ノ道津波
同 〻 西ノ宮地震
同 四月 なんち尼出
同 五月 ちよい出し豆屋
同 十一月 播州《割書:ぢしんにて|泥吹出る》
【左側三段目】
同 十一月 江州彦根地震
同 〻 阿波鳴門ぢしん
同 〻 摂州清水ぶたい落
同 〻 《割書:大|坂》津浪落橋十
同 〻 奥州ぢしん
世 〻 讃州高松地しん
話 〻 淡州福良津波
人 〻 芸州広島地しん
頭 七月大 御堂地搗
〻 坂 天王寺大黒堂建
取 十一月 《割書:江戸|猿若丁》三芝居焼
《題:大地震末代噺種》
△新中ばし筋北角崩る
△掘江土佐の御やしき塀
三間斗損じ
△幸永橋西詰南へ入所の
人家二三軒崩る
△御池橋西詰裏の高塀ぐ
づれ落る
△安治川順正寺本堂大損し
/茶間(ちやのま)倒るゝ
△同三丁目人家十二三軒
ばかり崩る
△同国津橋東西壱軒づゝ崩
△安治川どぐろ近辺大損じ
△九条/前垂嶋(まへだれしま)戎嶋富島
寺嶋人家五六十軒大崩れ
【下段図中へ】
清水の
ぶたひ
西へ
くづれ
落る
本堂
別条なし
△高津/慈照(じせう)院の高へい
大そんじ
△高地新地高津ばし
南へ入所/納屋(なや)十/軒(けん)斗
大崩れ
△幸町東/樋(ひ)よりに南へ家
二三十軒ばかり崩る
△生玉(いくたま)の鳥居こける
《題:大地震末代噺種》
【上段】
〇長町裏借家損じ家
数知らず
〇玉造二軒茶屋一丁斗
東の人家大くつれその
近辺東西南北損じ数
しらず
《割書: | たいこだう》
〇天王寺■■■■【太鼓楼(堂)カ】
亀井の水の屋かた崩る
其餘境内の法堂/悉(こと〴〵)く
大そんじ五重の塔も
少しかたぶく
【絵中文字】
天王寺
境内
の圖
【下段】
〇下寺町大れん寺高塀
崩れ本堂/庫裏(くり)少〻の
破損あり
〇御蔵跡人家四五軒倒る
〇寺町通り寺町少〻づゝ
いたみ浮(うか)む瀬辺遊行寺(せへんゆぎやうでら)
■よまん近辺大いたみ
住居(すまい)ならず
〇生玉/神主屋敷(かんぬしやしき)少〻
そんじあり
〇長町/毘沙門(びしやもん)の大鳥居
倒(たふ)れる
〇住吉石燈篭七八分通
倒(こけ)る末社少〻づゝ損じ
本社/別条(べつでう)なし
《題:大地震末代噺種》
【上段】
〇今里人家十五軒ばかり
倒れる其餘はそん多(おゝ)し
〇今宮戒の社廣田の社
とも少々づゝ損じ
〇/稗島(へじま)村大ゆりにて家
三四分通り倒れるけが
死人は■■【「格別」カ】
〇天下茶屋塀崩る都(すべ)て
今宮より新家勝間等(しんげこつまとう)
すみよし迄の人家合
三十軒ばかり倒(たふ)れ破損
する家其数を知らず
〇木津大黒の社は破損(はそん)少々
あれ共(ども)神の奇特(きどく)にや/無難(ぶなん)
人家十二三軒/倒(こけ)る
【下段絵内文から】
玉造の
親音寺
本堂倒る
〇中寺町/当麻寺(たへまじ)掛所(かけしよ)の門
大そんじ
〇同/隣寺(りんじ)の本堂損じ
〇下寺町源正寺の門損じ
〇同/浄国寺(じやうこくじ)本堂崩る
〇寺町寺 〻の/墓所(はかしよ)の
石碑(せきひ)八九分こける
〇道頓ぼり芝居(しばい)小屋/少 〻(しやう〳〵)
づゝの損じあり
《題:大地震末代噺種》
【上段】
難波(なんば)
銕(てつ)
元(げん)
寺(じ)の/釣(つり)かね
をちる其餘
本堂塀門損じ多し
〇難波村人家二十軒ばかり
崩れる■■■【「いたみ家」カ】多し
〇尼ヶ崎市中人家八十軒
ばかり崩れ怪我人少々
あり近國にて第一ばんの
大ゆり也
〇同たつみの渡し南詰の
宿屋茶みせ残らず崩る
〇今津村人家十軒餘り
崩るいたみ家多し
【下段】
〇中之嶋高松御屋敷内の
金毘羅絵馬堂(こんひらゑまどう)倒(たふ)れその
余門塀等こと〴〵く損じ
金毘羅/長屋(ながや)大そんじ
にて住居(すまい)成がたし
〇/灘(なだ)人家五十軒斗崩る
此近辺/兵庫(ひやうご)迄の人家
七八十軒崩る
〇兵庫凡五六十軒くづれ
怪我人少々あり
〇西の宮人家三十四五軒
崩れすべて此近辺/御影(みかげ)
まで凡三十軒ばかり崩
損じ家数知らず
〇/伊丹(いたみ)大てい右におなじ
《題:大地震末代噺種》
【上段】
〇摂州三田凡七十軒あまり
くづれ近在九ヶ村七八十
けん斗り崩れ/怪我(けが)人多し
〇河内東西にて凡人家
百五六十けん斗倒れ其
外寺社大そんじ
〇堺人家五■■【「六十軒く」カ】づ■【「れ」カ】
堂宮大損じ数知らず
〇泉州佐野人家凡二百
軒餘くづれ大損じ
〇京都は大坂よりはゆり少し
〇紀州勢州は大坂より餘
程ゆり烈しく人家の崩れ
夥(おびた〱)しく大てい野宿(のじゆく)ニ成
申候よし手紙ニ而申来る
【下段】
〇丹波亀山人家凡百軒
あまり崩る
〇同/園部(そのべ)人家二百けん餘
崩れ死人二百餘人けが
人数しらず
〇郡山人家二十餘くづれ
死人凡十二三人怪我人
数しらづ
〇南都春日社大崩れ鳥
居金どうろふ崩れをち
町屋過半崩れけが人少 〻
〇阿波/児島(こじま)大ゆり人家七
分通り倒れ出火となり
一昼夜火おさまらず
〇/讃州(さんしう)高松右同断大火
《題:《割書:地震|津浪》/もちづくし》
【各マス上から下へ】
地しんで人よりおどろく おごろもち
びく〳〵してゐる 家もち
ゆるたびにおこす しやくもち
津なみで船がとまつて おかもち
船大工はあいた口へ ぼたもち
つまらんしばゐの ぶもち
屋/根(ね)から屋根へ材木(ざいもく)でたすけ合ふ あいもち
津なみでからだは あんころもち
なんてゐる 船もち
あんじてゐる 身もち
にげるによはる 子もち
つなみであれた新田(しんでん)は すなもち
普請(ふしん)かたはいそがしい てんてこもち
手あやまちははよふ けしもち
ずつしり腹(はら)へ巻(まい)てにげる /金子(かね)もち
しゆんてゐる たいこもち
地(ぢ)しんで しりもち
せがきのせ話(わ)方は施主(せしゆ)人と和尚を とりもち
こけた灯籠(とうろう)をなをす /力(ちから)もち
よわつてゐる 新田もち
ぢしん最中(さいちう)にさんさいしてゐる /不身(ふみ)もち
まんぞくにねられん かしわもち
くづれかけた家は /菱(ひし)のもち
ゆるたびにかり小屋(こや)へ おかゞみ
《題:《割書:大地震|大津浪》/安達原(あだちがはら)《割書:三段|目》抜文句》
【各マス上から下へ】
年寄(としより)たからだは いつ何時の
丸太(まるた)で にす古家(ふるいえ)
はつとおどろき またばつたり
津なみと聞て 気打する人
かうなり はてた身の上
穴堀(あなほつ)て埋(うづん)で ゐる瀬戸物や
ても扨も扨も〳〵 おもひがけない
座敷へ船の みよし入られたの
一度におどろき /転(まろ)びおり垣押破(かきをしやぶ)り
ろうじうら /空地(くうち)へ迯出る人
是はまた あんまりきつい
十一月五日の 夕かた
跡の詮(せん)義は某(それかし)が よきやうに
門にのこる 番頭
今思い知り おつたか
爪(つめ)の長い 家主
ゆんでめでへ はつたとけとばし
川内へ押込(をしこん)で /来(き)た大船
わが身ながら あいそのついた
釣台(つりだい)で迯(にが)して もらふ病人
天眼通(てんがんつう)は 得ざれども
いつの何時にゆ ると知た皃(かほ)する人
聞て心も こゝろならず
いせから奉公(ほうこ)に /来(き)てゐる人
はしらんと すれども
途中(とちう)で地しんに あふた人
追立られ かしこの橋では
津浪に 出合た茶船
皮(かは)もやぶれし 三味せんの
さんざい中へ ゆさ〳〵
八幡殿の 北の方
しずかに 有た都
浜(はま)ゆふが とびたつばかり
鳥羽(とば)浦 大つなみ
おまへに問たら しれるであろ
江戸から 戻つて来た人
隙(ひま)入ほど 為にならぬ
工(く)手間/増(ます) 船大工
われ〳〵が /大望(たいもう)の妨(さまた)げ
京の 顏見せ
歎(なげ)きは理(こと)はり 何かに付て
芝(しば)居茶や
かきがねに錠(ぢやう) しつかとおろし
家内連て在(ざい) 所へ迯る人
爰(こゝ)迄くるは きたれど
ちり〴〵に にげた人
縄(なわ)引切て迯(にげ)出ん と存せじ所
つなみの /咄(はなし)する/船頭(せんどう)
大津波末代噺種
○摂州 伝法(でんぼ)酒造 味醂蔵(みりんくら)のこらず大浪にて
崩れ候事 奇代(きたい)の珎事なり
○西の宮 灘辺(なだへん)もつなみにて浜近き所の
人家少々流れそんじあれども大坂よりは
余程ゆるやかにて死人 怪我(けが)人少し
味醂蔵(みりんくら)
崩(くず)れ
倒(たふ)るゝ図(づ)
《題:大つなみ末代噺種》
〇紀州/田辺(たなへべ)熊野等(くまのとう)大つなみ
にて海辺(うみべ)又は川口/抔(など)にかゝり
居候船へ打上あるひは磯(いそ)に
突当(つきあて)打くだけ又は流失(りうしつ)
する事其数を知らず
かくのことき水勢なれば
所により一村残らず
おし流し男女
死人おびたゝし
〇泉州堺つなみ
烈(はげ)しく橋八つ落(をち)る
湊(みなと)にかゝり居候船不残
破船に相成濱辺の人家
多く流れ死人多し
〇同佐野/大底(たいてい)右に同じ
《題:《割書:地震|津浪》/精進料理献立(せいじんれうりこんだて)》
【縦書き順に】
津浪で子をしなし うら めし
くはしいことは 手紙で 汁
いつ何時にゆるといふ 順才
気にかゝる足よわと 小いも
道頓堀川はしにん死人の あへまぜ なます
なん船(せん)を助けた 香物
借家(かしや)のふしんはきりが出ぬ 平
門のいがんだ ごぼう
大黒はしへ船の よせ栗
逃る用意を しいたけ
船で逃(にげ)た人はえらい 坪
つなみで海は うず巻麩(まきふ)
酒のんでもりに入て /松露(しやうろ)
よいはたるを まつたけ
裏(うら)の廣地(ひろち)を人に菓子(かし)椀
おきばんは夜の 長いも
金子をはらへ まきゆば
安治川辺は一めんに 水善寺【水前寺】のり
常水(じやうすい)に成て津なみも 台引
いがんだ天王寺の とがらし
はそんした船をくゑにな おしぐわへ
小家片付て先一ぷく 吸物
地しんで逃る人が せり
たすけ船で人を あげ麩(ふ)
はそんした家を早ふなを したし
新田はえらい /水菜(みずな)
《題:《割書:大地震|大津浪》一口ばなし》
【上段】
つなみと聞てどこも みずににげた
材木がこけてきてにげた そうか
今夜(こんや)も西か鳴によつて寝(ね)られん おきばん
船に乗て死だげいこおやまも ながれの身じや
みりん蔵がこけたときあたまを打た でんぼ
清水のぶたいにゐたら地しんでくだけた とんだ事ナア
鉄げん寺の釣かねが落て何にも ならん
西辺(にしへん)のはしは無事なり /十(じう)ヲおちた
荷物(にもつ)がしれんので せんどさがした
紙屋の家が崩(くづ)れて亭主は はんし
乾物(かんぶつ)屋はにげるのになんぎした /数(かず)の子(こ)
【下段】
東海道の馬かたも地しんにあふて まご〳〵
地しんでにげる娘(むすめ)は ゑらゆすり
新造(しんざう)さんは水上しゝかれて われた
野宿のあいだ此ふすまをちよつと かりや
あつたのやしろは地しんがゆらなんだ ソレみや
鳥居も絵馬堂もこけた ざまのわるい
大地しんの時こんな家にいるのは ゑらいこけじや
にげしなにかまぼこ屋の門(かど)でこけて アヽいた
象頭山(ざうづさん)はあれなんだ /鼻高(はなだか)じや
寺〳〵の門へつゝぱりかふた /丸太(まるた)
地しんで米が安はなる /世直(よなを)し
かるかやかへうた
《題: 大津ゑ婦【ぶ】し》
こいしさにはる〴〵と。/地(ぢ)しん
/見舞(みまい)に。こんざつ中へのぼり来れば。
まれな事なり。半時あまりに
一/面(めん)つなみ打て。それを見るより
子供はしがみ付く。この大板にゐら
れんが。ほう〴〵くだけて/押(おし)うたれ。
きのふゆつたも今頃か。ぞく〳〵と。
かどふへ/早(はよ)うつれ/行(ゆき)たまへ。ゆるより
からだはあるくにあるけば。さぶさ
ながらもわが/家(や)をあはて〳〵にげて
は入る 笑福亭 勢楽作
【文字なし】
《題:地震考 全》
【付箋】
此頃地震止まさるに小児婦女あるひは病る人なとは
世上の虚談にまよひておちおそれ心をいたましむる人
多し故に地震のおこる所の古人の説をもらさす挙
又大震の後小動にて止むといふ歴代のためしをのせて
人 〻の心を安からしめんとす又地震せんとする前に
其しらせある現在の譚を出して用心のたよりとも
なれかしと急に上木して四方の心友に贈る事しかる也
不与賈人
濤山先生筆記
《題:地震考》
岸岱 (落款)(落款)【(注)】
【(注)江戸時代後期の絵師(ウィキペディア)】
頃京師地大震而数日不止東隴庵主
人袖小記来而請余題言見其記今■【右カ】
評説画挙此矣因写仁和年間之徴
以代題言聊塞其責云爾
文政十三年庚寅秋七月【(注)】
卓堂岸岱 (落款)(落款)
(朱角印)地 震 考
文政十三庚寅年七月二日申の時はかりに大に地 震(ふる)ひ出
ておびたゝしくゆり動(うごか)しけれは洛中の土-蔵築-地など
大にいたみ潰(つぶ)れし家居もあり土蔵の潰れしは数多
ありて築地高塀などは大かた倒(たふ)れ怪我(けが)せし人も数
多なり昔はありと聞けと近く都の土地にかくはげ
しきはなかりければ人々驚きおそれてみな〳〵家
を走り出て大路に敷ものしき仮(かり)の宿りをつくれと
【(注)一八三〇年、十二月に天保へ改元】
いとなみ二三日かほどは家の内に寝る人なく或は大寺の境
内にうつり或は洛外の川原へうつり西なる野辺につど
ひて夜をあかしけるかくて三日四日過ても猶其名残
の小さき震ひ時々ありてはしめは昼夜に二十度も
有しか次第にしづまりて七八度ばかり三四度になる事
もあり然れどもけふ既に廿日あまりを経ぬれどなほ
折々すこしつゝの震ひもやまて皆人々のまどひ恐るゝ
ことなり世の諺(ことはざ)に地震ははじめきびしく大風は中程
つよく雷は末ほど甚しといへる事をもてはしめの程の
大-震はなきことゝさとしぬれとなほ婦女子小児の
たぐひはいかゞとあんじわづらひていかにや〳〵と尋
ねとふ人のさはなれは旧記をしるして大震の後小
震ありて止(やま)ざるためしを挙(あげ)て人のこゝろをやすく
せんと左にしるし侍る
上古より地震のありし事国史に見えたる限りは類
聚国史【(注)】一百七十一の巻 災異(さいい)の部に挙て詳(つまびらか)なり
【(注)菅原道真の編纂により、寛平四(八九二)年に成立した(ウィキペディア)】
三代実録仁-和三-年秋七月二日癸酉夜地震《割書:中略|》六日
丁丑 虹(にし)降(くたる)_二東 ̄ノ宮_一 ̄ニ其尾 竟(つく)_レ 天虹入_二内蔵寮(くられう)_一 ̄ニ 《割書:中略|》是 ̄ク夜地震
《割書:中略|》卅日辛丑 ̄ノ申時地大 ̄ニ震-動 ̄ス経(けい)_二-歴(れき) ̄シ数剋_一 ̄ヲ震猶不_レ止天皇出_二 ̄テ
仁寿(にんじゆ)殿_一 ̄ヲ御_二 ̄ス紫宸(しし)殿 ̄ノ南庭(なんてい)_一 ̄ニ命(めいして)_二大蔵省(おほくらしやう)_一立_二 七-丈 ̄ノ幄(やく)二_一 ̄ヲ為_二御在所_一 ̄ト
諸司(しよし)舎(しや)-屋(おく)及 ̄ヒ東西 ̄ノ京 盧(ろ)-舎(しや)往-々 顛(てん)-覆(ふく)圧殺(えんさつする)者衆 ̄シ或有_二失(こゝろ)-
神(まどひ)頓(とん)死 ̄スル者_一亥 ̄ノ時亦 震(ふるふ) ̄コト三度五-畿-内七-道諸-国同-日 ̄ニ大震 官(くはん)
舎(しや)多 ̄ク損(そんじ)海(かい)-潮(てう)漲(みなきり)_レ陸(りく) ̄ヲ溺死(たゝよし) ̄スル者不_レ可_二勝計(あげてかぞふ)_一 《割書:中略|》八月四日乙巳地
震五度是 ̄ノ日 達智(たつち)門 ̄ノ上 ̄ニ有_レ気如_レ ̄ニシテ煙(けふり) ̄ノ非_レ ̄ス煙 ̄ニ如_レ ̄ニシテ虹 ̄ノ非_レ ̄ス虹 ̄ニ飛上 ̄テ 属(つけり)
《割書: |レ》 天或人見_レ ̄テ之皆曰是 羽蟻(はあり)也《割書:中略|》十二日癸丑 鷺(さぎ)二 ̄ツ集_二朝(てう)
堂(たう)-院(ゐん)白(びやく)-虎(こ)-楼(ろう)豊(ふ)-楽(らく)-院 栖(せい)-霞(か)-楼 ̄ノ上_一 ̄ニ陰陽寮(おんやうれう)占 ̄テ曰 当(へし)_レ慎(つゝしむ)_二失
火 ̄ノ之事_一 ̄ヲ十三日甲寅地震有_レ鷺集_二 ̄ル豊楽院南門 ̄ノ鵄尾(くつかたの)上【一点脫】
十四日乙卯 ̄ノ子時地震十五日丙辰未 ̄ノ時有_レ鷺集_二 ̄ル豊楽殿 ̄ノ
東鵄尾 ̄ノ上_一 ̄ニ 《割書:下略|》
皇-帝紀抄に云文-治元年七月九日未剋大地震洛中洛-
外 ̄ノ堂-社塔廟人-家大略 顛(たふ)-倒(るゝ) ̄ス樹-木折落山-川皆-変死 ̄スル
者多 ̄シ其後連-日不_レ休 ̄ニ四十余箇日人皆 為(なして)_レ悩(なやみを)心(こゝろ)-神如_レ ̄シ酔(ゑへるが)云々
長明之方丈記に云元暦二年の頃大なゐふる事侍
りき其さまよの常ならず山くづれて川をうづみ海
かたふきて陸をひたせり土さけて水湧上りいはほ
われて谷にまろひ入諸こく舟は波にたゝよひ道
ゆく駒は足の立とをまどはせり況や都のほとりには
在々所々堂舎塔廟一として不全《割書:中略|》かくおひたゝ
しくふることはしばしにて止にしか其名残しばらく
は絶ず尋常におとろくほとの地震二三十度ふらぬ
日はなし十日廿日過にしかばやう〳〵間遠になりて
或は四五度二三度もしは一日まぜニ三日に一度など
大かた其名残三月ばかりや侍けん云々
天-文-考-要に云寛文壬-寅五-月幾-内 ̄ノ地大 ̄ニ震 ̄フ北江最
甚 ̄シ余-動 屡(シハ〳〵)-発 ̄シ至_二 ̄ル於歳 ̄ヲ終_一 ̄ルニ
本-朝天-文-志に云宝暦元年辛未二月廿九日大地-震 ̄ス
諸堂舎破- 壊(ヱ)余-動至_二 ̄テ六七月_一 ̄ニ止 ̄マル
【クタケ】
かく数々ある中にも皆はじめ大震して後小動は止ま
ざれどもはじめのごとき大震はなし我友広嶋氏
なる人諸国にて大地震に四たび逢たり皆其くにゝ
滞留して始末をよく知れり小動は久しけれ共はし
めのごときは一度もなしと申されき是現在の人にて
証とするに足れり
○地震之説
径世衍-義 ̄ニ孔鼂【墨誤カ】 ̄カ曰 ̄ク陽伏_二 ̄テ于陰下_一 ̄ニ見_レ迫(せまる)_二 ̄ヲ于陰_一 ̄ニ而不_レ能_レ ̄ハ升 ̄ルコト以 ̄ニ
至_二 ̄ル於地震_一 ̄ニ と如_レ此陽気地中に伏して出んとする時陰気に
抑(おさ)へられて出る事能はず地中に激攻(げきこう)して動揺(どうえう)する
なり【注】国-語の周-語に伯(はく)-陽(やう)-父(ふ)の言なども如此古代よりみな
此説をいふ
天-経或-問に云地は本 ̄ト気の渣滓(かす)聚(あつ)まつて形質(けいしつ)をなす
元気(げんき) 旋転(せんてん)の中に束(つか)ぬ故に兀然(こつぜん)として空に浮んで墜(おち)ず
四囲(しゐ)に竅(あな)有て相通ず或は蜂の巣のことく或は菌瓣(くさしらのすち)の
ごとし水火の気其中に伏す蓋(けだし)気 噴盈(ふんえい)して舒(のび)んと欲
してのぶることを得ず人身の筋 転(てん)して脈揺(みやくうごく)がことし亦
【『春秋明志録』に「孔墨曰陽伏于隂下見逼于隂故不能升以至于地震」とある】
雷霆(らいてい)と理を同ふす北極下の地は大-寒赤道之下は偏(へん)
熱(ねつ)にしてともに地震少し砂土の地は気 疎(そ)にして聚(あつ)ま
らず震少し泥土(でいど)之地は空に気の蔵むことなし故に震
【とろ】
少し温煖(をんだん)之地多石之地下に空穴有て熱気吹入て冷
気のために摂斂(せつれん)せられ極る則は舒放(じよはう)して其地を激摶(げきはく)
すたとへは大-筒石-火矢などを高-楼 巨塔(きよたふ)の下に発せば
其 震衝(しんしよう)を被(かうふ)らざること無きがことし然れども大地通
して地震する事なし震は各-処各-気各-動なりと
唯一処の地のみなり其 軽重(けいちう)に由て色々の変あり地に
新山有海に新島あるの類ひ少なからず震後地下の燥気(さうき)
猛迫(まうはく)して熱火(ねつくは)に変して出れは則震 停(とま)るなり
○地震之徴
震せんとする時夜間に地に孔(あな)数々出来て細き壌(つちくれ)を
噴(ふき)出して田鼠 坌(うこもつ)ごとしと是土龍などの持上るの教
【たねつみ】 【をころもはな】
ならん歟
又老農野に耕(たがへ)す時に煙を生ずることきを見て将(まさ)
に震せんとするを知ると
又井水にはかに濁り湧も亦震の徴(しるし)なり《割書:已上|天文考要》
又世に言伝ふは雲の近くなるは地震の徴なりと是雲
にはあらず気の上升するにて煙のごとく雲のごとく
見ゆるなり
地震の和名をなゐと云和漢三才図絵にはなへとあり
なゐの仮名然るべからむ歟
季鷹翁の説になは魚にてゐはゆりの約(つゞま)りたるにて
なゆりといふ事ならむ歟魚の尾 鰭(ひれ)を動かすごとく
動揺するを形容して名目とせるかなゐふるとは重
言のやうなれどもなゐは名目となれは守るべしと是
をもて思へは誠に小児の俗説なれども大地の下に大
なる鯰(なまづ)の居るといふも昔より言伝へたる俗言にや又
建久九年の暦の表紙に地震の虫とて其形を画
き日本六十六州の名を記したるもの有俗説なるべ
けれども既に六七百年前よりかゝる事もあれば鯰
の説も何れの書にか拠あらんか仏説には龍の所為とも
いへり古代の説は大やうかくのごときものなるべし
○佐渡の国には今も常になゐふると言ならはせり地震と
いへは通ぜす古言の辺鄙に残る事みるべし
○三代実録仁和三年地震之条に京師の人民出_二盧舎_一 ̄ヲ
居_二 ̄ル于衢 ̄ヒ路 ̄ニ云々こたひの京師のありさまもかくのごとく
いと珍らかなり
○地震に付て其応-徴の事などは漢書晋書の天文志
などには其 応(おう)色々記しあれども唐書の天文志よりは
変を記して応を記さず是春秋の意に本づくなり
今太平の御代何の応か是あらむ地震即 災異(さいい)に
して外に応の有べきことなし人々こゝろをやすんじ
て各の務(つとめ)をおこたらざれ
文政十三年
寅七月廿一日 思斉堂主人誌
○此地震考一冊は予か師涛山先生の考る所にしてこの
頃童蒙婦女或は病者などさま〳〵の虚説にまど
ひておそれおのゝきまた今に小動も止ず此後大震
やあらんと心も安からざれは歴代のためしを挙(あげ)て其
まとひを解(と)きこゝろをやすんぜさらしむ京師は上古
より大震も稀なり宝暦元年の大震より今年まで
星霜八十年を経れは知る人すくなし此災異に係(かゝり)
て命を損し疵をからふる人数多なり時の災難とは
いへども亦免かたしとも言べからす常に地震多き国
は倉庫家建も其心を用ひ人も平日に心得たれは大-
震といへども圧死(あふし)すくなし和漢の歴代に記せし地
裂山-崩土-陷島-出涛-起等は皆辺土なり阿含経智度
論などさま〳〵に説て大地皆動くやうに聞えり左に
はあらず初めにいへる如く震は各-処各-気各-動也予
天経或問に拠て一図をまうけて是を明す
地球之図
地球一周九万里是を唐土の一里六町として日本の一里
三十六町に算すれは一周一万五千里となるしかる時は
地心より地上まで凡二千五百里なり此図黒点の間凡
一千五百里なり今度の地震方二百里と見る時は僅に
図する所の小円の中に当れり是を以て震動する
所の徴少なると地球の広大なる事を思ひはかるべし
○愚按するに天地の中造化皆本末あり本とは根本に
して心(しん)なり心とは震動する所の至て猛-烈なる所を
【はけし】
さす其 心(しん)より四方へ散して漸く柔緩(ゆるく)なるを末とすし
かれば東より揺(ゆり)来るに非らす西より動(うご)き来るにあらず
其 心(しん)より揺(うごき)初て四方に至り其限は段々微動にて畢る
ならん今度震動する所京師を心(しん)として近国に亘(わた)り
末は東武南紀北越西四国中国に抵(いた)る又京師の中に
ても西北の方 心(しん)なりしや其時東山にて此地震に遇し
人まづ西山何となく気立升りて忽市中土煙をたてゝ
揺来り初めて地震なる事を知れりとなり
○又地震に徴(しるし)ある事現在見し所当六月廿五日日輪西
山に没する其色血のごとし同七月四日月没する其色亦
同じ和漢合運云寛文二年壬寅三月六日より廿日まで日
朝夕如_レ血月亦同五月朔日大地震五条石橋落朽-木-谷崩
土民死至_二 ̄ラ七月_一 ̄ニ未_レ止出たり広嶋氏の譚(はなし)に享和三年十一月
諸用ありて佐渡の国 小木(ヲギ)といふ湊に滞留せしに同十五日
の朝なりしか同宿の船かゝりせし船頭とゝもに日和を見
むとて近辺なる丘(をか)へ出しに船頭のいはく今日(けふ)の天気は
誠にあやしげなり四方 濛々(もう〳〵)として雲山の腰にたれ山
半腹より上は峰あらはれたり雨とも見へず風になる
とも覚へず我年来かくのごとき天気を見ずと大に
あやしむ此時広嶋氏考て曰是は雲のたるゝにあらず
地気の上升するならん予幼年のとき父に聞ける事
有地気の上升するは地震の徴(しるし)なりと暫時も猶余(ゆうよ)有
べからずと急ぎ旅宿に帰り主に其由をつげ此地後は山
前は海にして甚 危(あやう)し又来るとも暫時外の地にのがれん
と人をして荷物など先へ送らせそこ〳〵に支度して
立出ぬ道の程四里計も行とおもひしが山中にて果し
て大地震せり地は浪のうつことく揺(ゆり)て大木など枝み
な地を打ふしまろびながら漸にのがれて去りぬ此時 小(を)
木(ぎ)の湊は山崩れ堂塔は倒れ潮漲(うしほみなぎり)て舎屋(いへ)咸(みな)海に入
大きなる岩海より涌出たりそれより毎日小動して翌
年六月に漸く止たりとなん其後同国金山にいたりし
時去る地震には定めし穴も潰(つぶ)れ人も損ぜしにやと
訪ひしにさはなく皆いふ此地はむかしより地震は已前
にしりぬ去る地震も三日以前に其 徴(しるし)を知りて皆穴
に入らず用意せし故一人も怪我なしとなり其徴は
いかにして知るやと問しに将に地震せんとする前は穴の中
地気上升して傍(かたはう)なる人もたがひに腰より上は唯濛々と
して見へず是を地震の徴とすといへり按るに常に地
中に入ものは地気をよくしる鳥は空中にありてよく上
升の気をしる今度地震せんとする時数千の鷺一度
に飛を見る又或人六月廿七日の朝いまだ日も出ぬ先に
虹丑寅の間にたつを見る虹は日にむかひてたつは常なり
いづれも常にあらざるは徴とやいはん
○又はじめにいへる地震の和名なゐふる季鷹大人なは
魚なりといふ説によりて古図を得て茲に出す是図こ
よみの初に出して次に建久九年《割書:つちのえ|むま》の暦凡《割書:三百五|十五ヶ日》と
あり余はこれを略す伊豆の国那珂郡松崎村の寺
誠ふるき唐紙の中より出る摺まきの暦なりとぞ
【右丁上側】
▲ゆるへとも
よもやぬけし
のかなめいし
かしまの神の
あらんかき
りは
かなめ石
十二月火神
とう麦
よし
世の中
に分
十一月
たいしやくとう
雨かせけんくわ
【右丁題字】いせこよみ
【右丁右側上から】
正
月火
神とう
十五日雨
二月
龍神
とう
上十五日雨
南
三
月大
しやく
とう
田はた吉
四
月金
神とう
大兵らん
【右丁下側】
五月火神
とう
上十五日
雨風
六月
金神
とう
うし
馬
下ね
西
七月
龍神とう
水をたし
下十五日ひてり
【右丁左側下から】
八月火神
とう
けん
くわ多し
北
九月龍
神とう大
雨をこりはや
十月火神
とうよの
中よし
槐記享保九年の御話に云く昔四方市といへる盲人は名
誉の調子聞にて人の吉凶悔吝を占ふに少しも違ふこと
なし応山へは御心やすく毎々参りて御次に伺候せし
か晩年に及ひて申せしは由なきことを覚えて甚くや
し終日人に交はる毎に其人の吉凶みな耳にひゞきて
いとかしましと申けるよし去ほどに度々の高名挙て
かぞへかたし此四方市朝夙に起て僕を呼ひ扨々
あしき調子なり此調子にては大方京中は滅却すべき
ぞ急ぎ食にても認めて我を先嵯峨の方へ誘ひゆけ
と云日頃のて手ぎはどもあれは早速西をさして嵯峨に行
嵐山の麓大井源原に着て暫く休息して云やういまだ調
子なほらずあないぶかし大方大火事成べしと人家有所
をはなれて北へ越せしにいまだ同し調子なるは此も悪所
と覚ゆ愛宕には知れる坊あり是に誘ひゆけといふいさ
とて又登り〳〵て其坊に着く坊主出て何とてかく早く
は登山しけるよと申せしかはしか〳〵の事有と答ふこゝはいかに
と問こゝも猶安からす少しにても高き所へ参りたしと云其所
に護摩堂あり此に行れよとありしかは此堂に入て大によろ
こび扨々安堵に住けり調子初て直りしとて唯いつまで
も此に居たき由申せしか頓て地震ゆり出し夥しき事
いふはかりなし《割書:世間に云寅|年大地震》何とかしたりけむ彼護摩堂は架作(たなつくり)にて
頓て深谷へ崩れ落て破損し四方市も空しくなる六十余
りにても有べきか此一生の終りをして人の吉凶さへ姦きほどに
知るものゝ己か終る所をしらざるのみに非ず死場にて安堵し
ける事こそ不審なれ吉の極る所は凶凶の極る所は吉なれは成べし
毎度無禅か物語なりと仰らる愚按るに四方市の占考 著(いちじる)き事
賞するに余り有既に天地の変異を知りて愛宕山にのかれしと
うへなるかな此山に至りて調子直りしに其変もあんなれ共是は
陰極りて陽に変し陽極りて陰を生す楽極りて哀生ず
といふに同じからむ其頃京師一般の大変故震気充満して歩
むに道なく逃るに所なしと云時なれは四方市も身体茲に極ると
いふ処ゆゑ反(かへつ)て其音調の直りしも至極の事に覚へ侍る
素問五運行大論 ̄ニ曰風勝 ̄オハ則地ー動 ̄ク怪異弁断 ̄ニ曰
此説に随ふ時は地震は風気の所為也又曰地震に鯰の
説世俗に有仏説なるにや風を以て鯰としたるもの歟
魚は陰中の陽物なれは風にたとへ言るならん何れにて
も正理には遠き説なり白石の東雅に云地震をな い(ママ)ふ
るといふはないとは鳴なりふるとは動くなり鳴動の義なり
今俗にないゆるともいふなりゆるも又動くなりゆるふと
いひゆるがすなどいふもまた同じ上古の語にゆをにて
などいふも即是なり愚按るに又なへふると北越辺土
にいへり三才図会になへと出たるは何にもとづけるにや
もしなへと言へはなへをつゞめはねとなるねは根にして地
をいふ地震(ちふる)にて子細なし楊子方言云東斉謂_レ根曰_レ ̄ク土
非_三専指_二 ̄スニ桑根白皮_一又日本紀神代巻に根之国と出た
るは地をさす歟又或人云なゐゆるとはなみゆるなり
なみのうへ如くゆるをいう矣
洛東 東隴庵主人誌
題地震考 ̄ノ後
災異之可_レ ̄ル愳【懼の異体字】 ̄ル莫_レ大_レ ̄ナルハ於_二 ̄リ地震_一以_下雖_二其地 折(さけ)山陥 ̄リ海
傾 ̄キ河翻_一 ̄ルト不_上_レ ̄ヲ能_二 ̄ハ翰飛 ̄シ戻(いたる)_一_レ 天 ̄ニ也然 ̄ルニ若_下 ̄キモ夫 ̄ノ古今伝
記 ̄ニ所_レ載 ̄スル及近時邦国 更(かはるみる)有棟壊 ̄レ■【牆カ】倒 ̄レ傷_二-
害 ̄スル人畜_一 ̄テ者_二 ̄ノ人毎 ̄ニ邈然 ̄ト視【一点脱】_レ之 ̄ヲ徒 ̄ニ為_二 一場竒譚_一 ̄ト
及_二其実歴親履心駮 ̄キ【駭ヵ】魂鎖_一 ̄ルニ而後 ̄ニ始 ̄テ回_二-想 ̄シ当
時_一 ̄ヲ以 ̄テ知_レ為_レ ̄ユルヲ可_レ ̄ト愳已茲庚寅 ̄ノ七月二日京地大
震 ̄ス余震于_レ ̄テ今 ̄ニ未_レ歇 ̄マ人心洶々言 ̄フ震若 ̄シ有_レ ̄ラハ甚_レ ̄キ
焉 ̄ヨリ将 ̄タ慿_レ ̄テ何 ̄ニ得_レ ̄ント免 ̄ルコトヲ民之訛言 ̄モ亦孔 ̄タ之将 ̄ニ言 ̄フ其
日-時震甚 ̄シ又言 ̄フ其 ̄ノ事為_レ祟 ̄ヲ又言 ̄フ其 ̄ノ日暴凮
雨与_レ震並 ̄ヒ臻 ̄ルト重 ̄ルニ以_二 ̄シ丙王棍賊之警_一 ̄ヲ人不_レ知_レ所_二 ̄ヲ
底 ̄リ止_一 ̄ル或 ̄ハ廃_レ ̄テ業 ̄リ舎_レ ̄キ務 ̄ヲ至_三携_レ ̄ヘ家 ̄ヲ逃_二 ̄ルヽニ遠地_一 ̄ニ
濤山先生老 ̄テ益 ̄セ悃愊憫_二 ̄ミ其如_一レ ̄ヲ此 ̄ノ為 ̄ニ録_二 ̄メ此言_一 ̄ヲ
以 ̄テ喩_二 ̄トシ民心_一 ̄ヲ釈_二 ̄ントス其惑_一 ̄ヲ故 ̄ニ言辞不_レ飾 ̄ラ考徴 ̄モ亦
不_レ務_レ ̄メ多 ̄ヲ東隴主人受而敷衍 ̄シ辞而行_レ ̄フ之 ̄ヲ
請_三 ̄フ余 ̄ニ識_二 ̄スコトヲ其由_一 ̄ヲ適 ̄ヒ有_三 人為_レ ̄ニ余 ̄カ説_二 ̄ク其先人之言_一 ̄ヲ
云 ̄ノ如_二 ̄キ其 ̄ノ什器_一 ̄ノ今人不_レ悉(つまひらかに)_二其用_一 ̄ヲ注々 ̄ニ以為_二不便_一 ̄ト不_レ
知方_二 ̄リ其大震_一 ̄ニ掩_レ ̄ヒ此 ̄ヲ庇_レ ̄スレハ身 ̄ヲ雖_二棟壊 ̄レ牆倒_一 ̄ルト保_二 ̄ス其
無_一レ ̄ヲ恙又如_下 ̄キヒ今灯架 ̄ニ説_中 ̄ル承_一 ̄ル【二点誤カ】蝋炬_一 ̄ヲ者_上 ̄ヲ亦皆震之
備 ̄ニ蓋【注】宝暦大震之余所_二慮 ̄リ而説_一 ̄タル至_二 天明
欝攸之後_一 ̄ニ人不_レ知_二 震之可_一レ ̄ヲ愳 ̄ル今日之構造
唯災 ̄ニ之 ̄レ備 ̄コト可_レ見_下非_二 ̄レハ宝暦親履_一 ̄ニ思慮不_レ及
亦人心向背之速 ̄ナルコト如_上レ ̄ヲ此 ̄ノ因【注】 ̄テ並 ̄ニ記_レ ̄シ此 ̄ニ欲_下 人之■【觸カ】_レ ̄レ
類 ̄ニ而長_レ ̄シ之 ̄ヲ毎 ̄ニ有_レ所_二懲■【毖カ】_一 ̄スル有_上レ ̄ンコトヲ所_二備預_一
【(注)「盖」は「蓋」の異字体、「囙」は「因」の異字体。森安彦監修「古文書を読む必携」三省堂編集部編】
文政十三年庚寅秋八月上瀚
三誠主人織 (落款)
斉政館都講
小嶋氏蔵板 (角印)
不 与(ともに)買人
【裏表紙】
《題:地震年代記》
ことし安政二年卯十月二日 人定(にんてい)にいたり希有(けう)の大地震(おほぢしん)あり倉屋(さうをく)悉(こと〳〵)く損(そこな)はれ
人畜(にんちく)の傷体(けが)許多(あまた)なれば貴賎(きせん)上下 神(たましひ)を失(うしな)ひ恐怖(きようふ)せざるものなししかるに名(な)
だゝる神社仏閣(しんじやふつかく)にいたりては十に九ッ恙(つゝが)なきは奇(あや)しくもいと尊(たふと)し仰(あふ)かざらめや
敬(けい)せざらめや埃(あい)【(壒)】嚢鈔(のうせう)《割書:十四|巻》に地震動の吉凶(きつきよう)を知(し)る法(ほう)を載(のせ)たりこれによるに十月
二日は二十八宿の虚宿(きよしゆく)に値(あへ)り時(とき)は亥剋(ゐのこく)なり仏説(ぶつせつ)に此日此時の地震(ぢしん)を帝釈動(たいしやくゆり)と
称(とな)へて其徴(そのしるし)は天下安穏五穀豊饒天使吉大臣福(てんかあんおんごこくぶねうてんしきつだいじんふく)を受(うけ)万民安穏(はんみんあんをん)也(なり)としるせり火神動(くわじんゆり)
龍神動(りうじんゆり)金翅鳥動(こんしてうゆり)と震動(ぢしん)に四種(ししゆ)ある事 大智度論(たいちどろん)に出て帝釈動(たいしやくゆり)の外(ほか)は皆(みな)凶兆(きようてう)なり大
鯰(なまづ)の所為(わざ)といふも金翅鳥動(こんしてうゆり)の類(たぐひ)なるべし兎(と)にも角(かく)にもいとめてたき世直(よなほ)しにこそ此(この)一小冊(いつせうさつ)を
上代(じやうだい)よりの地震(ぢしん)を古今(ここん)の書籍(しよぢやく)より鈔略取詮(せうりやくしゆせん)して今度(こんど)のにいくらも勝(まさ)る地震 数十度(すじふど)
ありしかど世(よ)の衰弊(すゐへい)するにもあらず弥栄(いやさか)えにさかえて天地(あめつち)と共(とも)に窮(きはま)りなき我(わが)葦原(あしはら)
の中国(なかつくに)の泰平万々歳(たいへいばん〳〵ぜい)たるよしを人々に知らせ参(まゐ)らせんとて 無名氏識
須佐之男命(すさのをのみこと)天(てん)に昇(のぼ)り
清(きよ)くあきらかなる御心(みこゝろ)を
あかさんとしたまふ
勇威(ゆうゐ)あふれて国(くに)ゆする
【「 」は矩形で囲われた文字】
地震年代記(ぢしんねんだいき)
太古神代(むかしかみよ)に速須佐之男命(はやすさのをのみこと)根国(ねのくに)へ罷(まかり)たまはんとて天照大御神(あまてるおほんかみ)の御許(おんもと)に
御暇乞(おいとまごい)のため高天原(たかまがはら)へ上(のほり)たまふ時(とき)山川(やまかは)こと〴〵く動(うご)き国土(くにつち)皆(みな)震(ふる)ふ
「古事記上巻」是(これ)地震(ぢしん)のはじめと云(いふ)べし
「允恭天皇(いんきようてんわう)」五年七月十四日 地震(ぢしん)「推古(すゐこ)天皇」七年四月廿七日 地動(ちうご)き舎屋(いへ)こと
ごとく破(やぶ)るゝすなはち四方(しはう)に令(おほせ)つけられて地震(ぢしん)の神(かみ)を祭(まつ)らしめたまふ
「皇極(くわうきよく)天皇」元年十月八日 地震(ぢしん)して雨(あめ)ふる次日(つぎのひ)又地震しこの夜(よ)地震(ぢしん)して
風(かぜ)ふく廿四日夜中 地震(ぢしん)す「天武(てんむ)天皇」四年十一月大いに地動く○同六年六月
十四日大に地震動(ちしんどう)す○同七年十二月 筑紫国(つくしのくに)大に地震(ちふる)ひて地(ち)の裂(さく)る
事 広(ひろ)さ二丈 長(なが)さ三千 余(よ)丈(ちやう)村々(むら〳〵)の民家(みんか)多く仆壊(たふれくづ)るゝこの時 百姓家(ひやくしやうや)
一軒(いつけん)岡(おか)のうへに有(あり)けるが震出(ゆりいだ)されて外(ほか)の所(ところ)に遷(うつ)りながら其家(そのいへ)全(まつた)くして
壊(くづ)れず家内(かない)の者(もの)家(いへ)の処(ところ)のかはりしを知(し)らず翌朝(よくあさ)初(はじめ)て大におどろく
以上「日本書紀」○同十一年八月十二日大に地動(ちうご)く十七日 亦(また)地震(ちしん)す「類聚国史」
○同十三年十月十四日 亥剋(ゐのこく)【(刻)】大地震(おほちしん)山 崩(くづ)れ河水(かはみづ)涌出(わきいで)諸国(しよこく)の官舎(やくしよ)民家(みんか)
寺社(じしや)の破壊(はかい)あげてかぞふべからず人民(ひと)六畜(ちくしやう)死傷(しにけが)多(おほ)し伊予(いよ)の温泉(おんせん)没(つぶ)れ
土左国(とさのくに)田苑(たはた)五十余万 頃(けう)《割書:百畝を一頃といふ|則五十余万町也》海(うみ)となる○同十四年十二月十日地震
西より発(はつ)す以上「日本書紀」「文武(もんむ)天皇」「大宝」元年三月廿四日 丹波国(たんばのくに)地震三日する
「元明(けんみやう)天皇」「霊亀」元年五月廿五日 遠江国(とほ〳〵みのくに)地震し山 崩(くづ)れ麁玉河(あらたまかは)【(天竜川)】雍(ふさが)り
数(す)十日を経(へ)て水出 敷智(ふち)長下(ちやうげ)石田(いはた)の三 郡(こほり)百七十余 区(むら)没(つぶ)れ苗(なへ)を損(そこな)ふ
翌(よく)二十六日 三河国(みかはのくに)地震し正倉(おかみのおくら)四十七 民家(みんか)やぶれおち入る「聖武天皇」「天平」
六年四月七日大地震 諸国(しよこく)の民家(みんか)壊(くづ)れ圧死者(おされしすもの)多く山 崩(くづ)れ川 雍(ふさが)り
地拆(ちさく)る事 勝(あげ)てかぞふべからず同九月廿四日地大に震ふ○同十六年五月
【「 」は矩形で囲われた文字】
《割書:日つまひ|らかならず》肥後国(ひごのくに)雨ふりて地震し八代(やつしろ)天草(あまくさ)葦北(あしのきた)の三郡 官舎(やくしよ)并 ̄ニ田二百九十
余(よ)町 民家(みんか)四百七十余 区(むら)人千五百余 口(にん)水にたゝよひ没(しづめ)らるゝ山二百八十余
所 崩(くづ)れ圧死人(おされしするもの)四十余人 公(おほやけ)より賑恤(をすくひ)あり○同十七年四月廿七日通夜二日
三夜地震 美濃国(みのゝくに)櫓館(やくらのたち)正倉(おくら)寺院(てら)民家(みんか)崩(くづ)れひきつゞき五月朔日
二日三日四日地震し五日には日夜(よるひる)止まず六日七日八日九日十日十六日十八
日地震し地拆裂(ちくだけさけ)水 涌出(わきいづ)る二日より一七日の間京都の諸寺(しよじ)にて最勝(さいしやう)
王経(わうきやう)を転読(てんどく)せられたまひ八日より三七日の間 大安寺(たいあんじ)薬師寺(やくしじ)元興寺(ぐわんごうじ)
興福寺(こうふくじ)にて大集経(たいしふきやう)を読(よま)せたまふ「大炊(おほい)天皇」「天平宝字」六年五月九日
美濃(みの)飛騨(ひだ)信濃国(しなのゝくに)地震す家損(いへそん)じたる者に米二石つゞ賜(たま)ふ以上「続日本紀」
これまでの地震何国としるさぬはもはらみやこにてゆすりしなりたゞし
此ころは大和国にみやこありしなりつぎよりは平安城いまの京なり
「桓武(くわんむ)天皇」「延暦」十六年八月十四日地震と暴風(あらがせ)ふきて京中の坊門(きど)民家(みんか)
たふるゝもの多し「平城(へいしやう)天皇」「大同」二年五月地大に震す「嵯峨(さが)天皇」「弘仁」九年
七月相模武蔵下総常陸上野下野等の国 地震(ぢしん)し山崩れ谷埋(たにうづま)るゝ
事 数里(すうり)圧死(おしころされ)たる百姓(ひやくしやう)勝(あげ)て計(はか)るべからず八月 賑恤(おすくひ)をたまひ今年の租調(ねんぐ)を
免(ゆる)したまひ屋(いへ)を修(なほ)し圧没(おしつふされ)たる徒(ともがら)を歛(はう)【(斂)】葬(むら)しめたまふ九月御祈祷あり
「淳和(しゆんわ)天皇」「天長」四年七月十二日地震し頽屋(たふれいへ)おほし一日の内大ゆり壱度
小ゆり七八度同十四日地動てやまず亥刻大に震ゆるごとに声(こゑ)あり
同十五日震動十六日に二度十九日大ゆすり二度廿一日廿二日もゆり
廿四日は昼夜三度廿五日はゆりて雨ふり戌刻もゆり廿七日は大ゆり
廿九日もゆり晦日もゆりて午刻大ゆり未刻にもゆる八月三日も五日
もゆり六日は三度ゆり八日も十二日も十四日十五日も十六日十九日廿二日も
ゆり廿四日は両度九月朔日もゆり十五日は大ゆり二十日も廿ニ日もゆり十月
【「 」は矩形で囲われた文字】
二日二度ゆり四日もゆり十二日は二度ゆり十一月十五日もゆり廿二日は大ゆり廿四日
廿九日ゆり十二月朔日二日もゆる十四日 清行僧(みもちきよきそう)百口(ひやくにん)を大極殿(たいごくでん)に集(あつ)め三ヶ
日の間 大般若経(たいはんにやきやう)を転読(てんどく)せさしむ十六日地震して雪(ゆき)ふる十九日も又
ゆる年改り同五年二月五日十二日十五日三月四日十一日六月三日五日
廿五日もゆる同七月廿九日老人の傜(ねんぐ)をゆるされ八十以上ならびに後(ご)
家(け)やもめ親(おや)なき子(こ)子(こ)なきものゝ貧(まづ)しきに物をたまふ十月廿二日大地
震○同六年三月朔日地大に震ふ○同七年正月三日辰時出羽国大地
震秋田城四天王寺 㒹(くつがへ)り屋仆(いへたふ)れうたれ死(しぬ)る民(たみ)十五人 体損(けがにん)人百人 余(あまり)
地として砕(さけ)ざる処もなく或(あるひ)は三十丈 計(ばかり)或は二十丈 許(ばかり)におよぶ秋田川(あきたかは)水(みづ)
涸(かれ)つくしぬ震動一時に七八度ツヽ同月廿八日にいたりてもやまず風吹(かぜふき)
雪(ゆき)もふる同四月 公(おほやけ)より使(つかひ)を下(くだ)し当年(たうねん)の租調(ねんぐ)をゆるし屋(いへ)を修(なほ)させ
圧亡(おされしに)たるものを葬しめたまふ同五月一七日の間僧百人を大極殿(たいこくてん)にめさ
れ大般若経(だいはんにやきやう)を転読(てんどく)せさせたまふ○同十年二月廿四日 己(みの)【(巳の誤記)】刻(こく)地大いに
震ふ以上「類聚国史」「仁(にん)明天皇」「承和」三年五月二十日地大に震ふ○同八年
二月十三日信濃国地震一夜に凡九十四度 墻屋(かきいへ)倒(たふ)れ頽(くづ)れ上下 損(そこな)はれ
ぬものなし○今年伊豆国地震し人も物も損傷(そこなひやふ)れ租調(ねんぐ)をゆるさ
るゝ等の事出羽国におなじ《割書:月日いまだ|つまびらかならず》以上「続日本後紀」「文徳(もんとく)天皇」「嘉祥」三年
八月廿六日地西北より震来(ふるひく)る鷄雉(にはとりきじ)みなおどろく○同年十月出羽国地大に
震(ふる)ひ裂(さけ)山は谷となり谷は山となり圧死(おされしぬ)る者多し賑恤(おすくひ)の次第(しだい)前(まへ)に
おなじ以上「文徳実録」○同「斉衡」二年五月五日大地震南都東大寺の大仏
の御頭(みぐし)地におつる「和漢合運図」同三年三月此つきしば〳〵地震あり京
都 及(また)城南(みやこのみなみ)屋(いへ)毀(こは)れ仏塔(ふつたふ)傾(かたむ)く○同「天安」元年七月八日 地(ち)大に震(ふる)ふ
東大寺(とうだいじ)盧舎那仏(るしやなぶつ)は
孝謙(かうげん)天皇天平勝宝
元年七月 鋳(い)たてまつる
座像(ざさう)の高(たか)さ五丈三尺
六寸 面(おもて)長一丈七尺
広九尺五寸
肉髻(にくけい)高三尺
【「 」は矩形で囲われた文字】
以上「文徳実録」「清和(せいわ)天皇」「貞観」五年六月十七日/越中(ゑつちう)越後(えちご)地大に震(ふる)ふ陵(をか)は谷(たに)
となり谷(たに)は陵(をか)となり水涌出(みづわきいで)民家(みんか)を壊(くづ)し圧死者(おされしぬもの)多しこれより後/日毎(ひごと)にゆす
る○同六年十月十二日大震動○同十年七月八日/地震動(ぢしんどう)し内外(うちと)の墻(かき)
屋(いへ)往々(わう〳〵)頽破(たいは)に及(およ)ぶ同日/播磨国(はりまのくに)地(ち)大に震動(しんどう)し諸郡(しよぐん)の官舎(やくしよ)寺々皆
頽倒(こはれたふ)るゝ同九日十二日十三日十六日廿日八月十日十二日十四日十六日廿九日九月
七日/地震(ぢしん)あり○同十一年五月廿六日/陸奥国(むつのくに)地(ち)大(おほい)に震動(しんどう)し光(ひか)りありて
昼(ひる)の日陰(ひかげ)の如(ごと)し人民(じんみん)さけんで起事(たつこと)をえず屋(いへ)たふれ圧死(おされしに)或(あるひ)は地裂(ぢさけ)て埋(うづ)まり
馬牛(うまうし)おどろきて踏(ふみ)あひ城郭(じやうくはく)も門櫓(もんやぐら)も墻壁(かきかべ)も頽落(こはれおち)くつがへる事(こと)其数(そのかづ)を
知(し)らず海(うみ)なり驚涛(つなみ)漲(みなぎり)て城下(じやうか)にいたり海(うみ)をへだてたる所(ところ)も原野(はらの)道路(みち〳〵)滄溟(あほうみ)
となり船(ふね)にものりあへず山(やま)にも登(のぼ)り得ず溺死者(おぼれしするもの)千人/許(ばかり)資産(たくはへ)も苗稼(たべもの)も
ほど〳〵孑遺(のこり)なし十月十三日/公(おほやけ)より矜恤(おすくい)をたまふ事大かた前におなじ○
同十五年四月十四日地大に震動(しんどう)する○同十六年十二月二十九日/酉時(とりのとき)地大に
震動(しんどう)する「陽成(やうしやう)天皇」「貞観」十九年三月十一日/辰四刻(たつしこく)地大に震(ふる)ふ同「元慶」元年
十月十七日地大に震(ふる)ふ○同二年九月廿九日/関東(くわんとう)の諸国(しよこく)地大に震裂(ゆりさけ)る相(さ)
模(がみ)武蔵(むさし)尤(もつとも)はなはだし其(その)後五六日/震動(しんどう)やまず公私(おほやけわたくし)の家居(いへゐ)全(まつた)きは
一ッもなし或(あるひ)は地窪陥(ちくぼみおちいり)往還(わうくわん)ふさがり百姓(ひやくしやう)圧死(おされしぬる)もの勝(あげ)て計(かぞ)ふべからず○同
三年三月廿二日/午一尅(うまのいつこく)【(刻)】地大に震動(しんどう)し同/四尅(しこく)【(刻)】に又(また)震(ふる)ふ○同四年四月二日
地大に震ふ○同十月朔日/夜(よ)地震(ぢしん)二日/再(ふたゝび)震(ゆり)三日もゆり十四日大に震(ゆる)
同日/出雲国(いづものくに)神社仏寺官舎(じんじやぶつじやくしよ)及(また)民家(みんか)或(あるひ)は顛倒(てんどう)し或(あるひ)は傾倚(かたぎ)そこね
傷者(やふるゝもの)衆(おほ)し廿二日に至(いた)る迄(まで)昼(ひる)二三/度(ど)夜(よ)三四度/微々(すこしづゝ)震動(しんどう)し廿七日に
いたり猶(なほ)休(やま)止ず○同十二月四日/夜(よ)地(ち)大(おほひ)に震動(しんどう)する事五六度にて
止(とゞま)り同月六日/子尅(ねのこく)【(刻)】地大に震動(しんどう)し且(よあけ)に至迄(いたるまで)に十六度(ど)ゆり大極殿(たいこくでん)
【「 」は矩形で囲われた文字】
西北(いぬい)の竪檀(たてだん)長(ながさ)八間/裂(さく)る宮城(おくるはかち?)京師(みやこ)の庐舎(らくし)頽損(くづれそこなは)るゝ事(こと)甚多(はなはだおほ)し七日/陰陽(おんやう)
寮(れう)奏聞(そうもん)していはく地震の徴(しるし)は兵(いくさ)賊(ぬすびと)飢(きゝん)疫(はやりやまひ)を慎(つゝ)しむべしと。《割書:かくうらなひ|けれどその》
《割書:ころよのなかおたやかに|をさまりしなり》其夜(そのよ)戌尅(いぬのこく)【(刻)】より子尅(ねのこく)【(刻)】迄(まで)地(ぢ)又(また)震動(しんどう)し八日は辰刻(たつのこく)より
丑刻(うしのこく)に至(いた)る迄(まで)に四/度(たび)ゆり九日の夜(よ)も二度十日は五度十一日はしば〳〵震動し
十二日は子一尅(ねのいつこく)【(刻)】大にゆり寅四尅(とらのしこく)【(刻)】小(ちいさ)くゆる十三日十四日十七日十八日もゆる
十九日/戌(いぬ)の時(とき)天(てん)に声(こへ)ある事二度/地(ち)又(また)震動(しんどう)す廿一日も戌一尅(いぬのいつこく)【(刻)】空(そら)に声(こへ)
ありて丑刻(うしのこく)に地震廿二日/辰(たつ)の時(とき)地大に震(ふるひ)二たび動(うご)きてやむ廿三日廿四日
廿五日廿九日も地震する同五年正月六日/酉(とり)の時(とき)地震する十一日十二日
十四日十六日も九月十九日廿日廿一日《割書:二|度》地震する以上「三代実録」「光孝(くわうかう)天皇」「仁和」
元年四月十四日/大風雨(たいふう)して地震/声(こえ)あり同十六日/霜(しも)ふり寒く地震(ちしん)す
「扶桑略記」同十二月廿日/巳(み)の時(とき)天(てん)の東南(たつみ)に声(こへ)ありて高楼(にかいや)の壊落(くづれおつる)が
て圧死者(おされしぬるもの)四人/此(この)穢(けがれ)によつて賀茂祭(かもまつり)停(とゝめ)らるその後(ご)日々(ひゞ)地震(ぢしん)やまず
同廿八日/国々(くに〳〵)におほせつけられて地震祭(ぢしんまつり)あり同廿九日/迄(まで)ゆりてのち
無事(ぶじ)なり○同六月三日/雨(あめ)ふり地大に震(ふる)ひ廿日又/地震(ぢしん)して鴨河(かもがは)の
水(みづ)大に溢(あぶ)れ京(きやう)の人家(じんか)をたゞよはす陰陽寮(おんやうれう)東西(とうざい)に兵草(いくさ)あるべしと占(うらな)へり
「日本記【(紀)】略」「扶桑略記」《割書:はたして翌年下総に将門伊与に純友の|乱おこる但しほどなくたひらぎをはんぬ》「村上天皇」「康保」二年
九月廿一日地大に震(ふる)ひ廿二日廿三日十月朔日又震ふ「冷泉(れいぜい)天皇」「安和」元年
八月三日/子刻(ねのこく)地震(ぢしん)鳥獣(とりけだもの)おどろきて鳴(なく)「円融(ゑんゆう)天皇」「天禄」三年閏二月十四日
寅刻(とらのこく)大地震(おほぢしん)同日/申(さる)の時(とき)冝陽殿(きやうでん)鳴(なる)同年九月廿七日/辰刻(たつのこく)地(ち)大に震(ふるふ)
《割書:「本朝年代記」に余|動有としるす》十二月廿日/年号(ねんごう)天延(てんゑん)元年と改(あらたむ)る天変地震(てんべんぢしん)によつてなり
罪人(たいにん)を赦(ゆる)し調庸(みつぎ)を免(ゆる)し老人(らうじん)に穀(こく)を賜(たま)ふ「貞元」元年四月十一日 夜(よ)
地(ち)大(おほい)に震(ふる)ふ同六月十八日/申刻(さるのこく)地(ち)大(おほひ)に震(ふる)ふそのひゞき甚(はなはだ)し内裏(だいり)御(お)
郭(くるは)諸司(やくしよ〳〵)壊(くづ)れ顛(くつがへ)り京中(きやうぢう)の家居(いへゐ)いと多(おほ)く倒(たほ)る八省院(はつせういん)豊楽(ぶらく)いん
東寺(とうじ)西寺(さいじ)極楽寺(ごくらくじ)清水寺(せいすいし)円覚寺(ゑんがくし)等(とう)顛倒(てんどう)す未曾有(みそう)の地震(ぢしん)
といふ主上中宮(みかどおきさき)御庭(おんには)に幄(まく)をはりて御座(ござ)所とせさせたまふ清水寺(せいすいじ)にて
僧俗(そうぞく)圧死(おされしする)もの五十人/翌(よく)十九日十四度/震(しん)し左衛門(さゑもん)の陣(ぢん)の後(こ)
庁(ちやう)堀川院(ほりかはのいん)の廊下(らうか)閑院(かんいん)の西(にし)の対屋(たいのや)民部省(みんぶせう)の舎(いへ)三宇(みむね)倒(たふ)る主上(みかど)堀川(ほりかは)
太政大臣(だじやうだいじん)兼家公(かねいへこう)の家(いへ)に遷幸(うつら)せゐはんが為(ため)に数百人の大工(だいく)に
修理(しゆり)せさせ給ふ時(とき)四面(しめん)の築垣(ついぢ)忽(たちまち)倒(たふ)れ大工(だいく)三十人/余(よ)打(うち)ころさるゝ
内十八人を堀出(ほりいだ)す御読経(おんどくきやう)の僧(さう)の児(ちご)ども圧殺(おしころ)され崇福寺(そうふくじ)法花(ほつけ)
堂(どう)南方(なんぼう)頽(くづ)れ谷底(たにそこ)に入(い)り堂守(どうもり)の僧(そう)千聖(せんしやう)死(し)し鐘(かね)つき堂(どう)顛倒(てんどう)
弥勒堂(みろくどう)大石(たいせき)落(おち)て乾(いぬい)の角(すみ)をこはす又(また)近江(おふみ)の国分寺(こくぶんじ)大門(だいもん)倒(たふ)れ
二王(にわう)くだけ国府(こくふ)の庁(やくしよ)の屋(いへ)三十/宇(むね)余(よ)顛(くつがへ)り関寺(せきでら)の大仏(おほほとけ)こしよりうへ
くだけ失(うせ)る廿日十一/度(ど)廿一日十三/度(ど)廿二日十二/度(ど)廿三日十度廿六日八度
廿九日五度/晦日(みそか)八度七月十一日六度十二日四度地震あり此災(このさい)によつて
是迄(これまで)天延(てんゑん)《割書:四|年》の年号(ねんごう)を貞元と改らる《割書:罪人をゆるさるゝ|などれいのごとし》されど猶(なほ)余動(よどう)止(やま)ず
十四日二度ゆる十八日廿日大にゆり廿一日三度廿三日/迄(まで)たえず震(ふる)へり
同九月廿三日又地大に震(ふる)ふひゞき甚(はなはだ)し十月十一日/諸社(しよしや)に神宝(じんほう)を奉(たてまつ)らし
めたまひ御祈(おんいのり)あり以上「日本紀略」「扶桑略記」○同二年二月四日/巳刻(みのこく)地震(ちふる)ふ
九日/巳時(みとき)地(ち)大に震(ふる)ふ「花山(くはさん)天皇」「永観」二年十一月八日地大に震(ふる)ふ「一/条(てう)天皇」
「正暦」五年十月廿四日/同前(どうぜん)御卜(おんうらなひ)あり「三条天皇」「長和」四年十一月六日
地大に震(ふるふ)以上「日本紀略」「後一条(ごいちでう)天皇」「治安」二年同前○「万寿」元年三月十一日
戌(いぬ)の刻(こく)地震(ぢしん)十八日/卯刻(うのこく)又(また)震(しん)す「扶桑略記」同二年十二月/地震(ぢしん)大雪(おほゆき)○同
四年三月二日/申(さる)の時(とき)大地震「長元」五年三月五日/天変地震(てんべんぢしん)の恠異(くはいゐ)
【「 」は矩形で囲われた文字】
攘(はら)はんために天下大赦(てんかたいしや)等(とう)の事(こと)あり以上「日本紀略」」《割書:地しんの年月|いまだ考へず》「後朱雀(ごしゆじやく)天皇」
「長久」元年九月八日/寅時(とらのとき)大地震(おほぢしん)同十一月朔日/夜(よ)同前○同二年七月廿日/丑(うしの)
刻(こく)同前(どうせん)「後冷泉(ごれいぜい)天皇」「康平」三年六月十八日同前/声(こへ)あり○同四年五月
六日/丑時(うしのとき)地震(ぢしん)烏(からす)群(むらが)りおどろき鳴(なく)七日/己(みの)【(巳の誤記)】刻(こく)又ゆる八日/恩赦(おんしや)《割書:罪人をゆるし|人にものを》
《割書:たまふ|るゐ也》あり地震(ぢしん)によつてなり「治暦」元年五月七日地大に震(ふる)ふ「後三条(ごさんてう)天皇」
「延久」二年十月廿日/夜半(やはん)に地震動(ちしんどう)す洛中(らくちう)の家々(いへ〳〵)築垣(つひぢ)往(わう〳〵)頽落(くつれおち)東大寺(とうだいじ)の
洪鐘(おほがね)震(ゆ)り零(おと)し諸国(しよこく)の寺塔(てらとふ)間(まゝ)壊損(こはれそこな)ふ同廿三日時々又/震(ふる)ふ「堀河(ほりかは)天皇」
「寛治」五年八月七日申の刻大地震あり法成寺(ほうじやうじ)五大堂(ごだいどう)の軍荼利(ぐんだり)《割書:丈六|なり》
ゆりたふされ九重塔(くちうのとう)の流星(りうせい)かたむき金堂講堂(こんどうかうどう)の本尊(ほんぞん)荘厳(さうごん)そんじ
常行堂(じやうぎやうどう)大破(たいは)又/大和国(やまとのくに)金峯山(きんぶせん)蔵王(ざわう)の宝殿(ほうでん)もゆれそこなはる古今(ここん)いまだ
聞(きか)ずといふ○同六年十一月十日/戌刻(いぬのこく)地大に震動(しんどう)す犬(いぬ)群(むらが)りて駭(おどろき)ほゆる
○同七年二月十四日/未尅(ひつじのこく)【(刻)】地大に震動(しんどう)し僧俗(そうぞく)みな怖(おそれ)て庭(には)におりる以上
「扶桑略記」「嘉保」三年十二月十七日/年号(ねんこう)「永長」と改(あらたむ)る天変地震(てんべんぢしん)によつて也
「永長」二年十一月廿一日「承徳」と改る天変地震(てんべんぢしん)洪水(こうずい)によつてなり「承徳」三年八
月廿八日「康和」と改る地震(ぢしん)疾疫(わづらひ)によつてなり以上「皇代記」《割書:右二度の月日|未た詳ならず》「後鳥羽(ことば)天皇」
「文治」元年七月九日/午尅(うまのこく)【(刻)】京都(きやうと)大地震(おほぢしん)得長寿院(とくちやうじゆいん)蓮華王院(れんけわういん)最勝光院(さいしようくわういん)以下
仏閣(ぶつかく)顛倒(てんどう)し閑院(かんいん)の御殿(ごてん)棟(むなき)をれ釜殿(かまどの)より下(しも)屋々(いへ〳〵)少(すこ)し倒(たふ)る然るに九郎
判官(はうぐはん)源義経(みなもとのよしつね)の六条室(ろくでうむろ)町の亭(いへ)はいさゝかも頽(くづれ)かたむかぬこそめづらしけれ
在々所々(ざい〳〵しよ〳〵)堂塔(どうたう)一として全(まて)からず圧死(おされしぬる)ものもあり地震(ぢしん)の名波(なごり)しばらく絶(たへ)ず
常(つね)におどろくほどのもの二三十度ふるはぬ日なし十日廿日/過(すき)てやう〳〵間遠(まどを)
になり三月(みつき)ばかりにしてしづまる「吾妻鏡」「方丈記」「順徳(じゆんとく)天皇」「建保」元年
五月廿一日/鎌倉(かまくら)大地震(おほぢしん)堂社(とうしや)破倒(やふれたふ)る○同三年八月廿一日/己(み)【(巳)】の刻(こく)鷺(ざき)
【絵のみ文字なし】
【「 」は矩形で囲われた文字】
かまくら御所(ごしよ)の西(にし)侍(さむらひ)の上(うへ)に集(あつま)る未尅(ひつじのこく)【(刻)】地震(ぢしん)廿二日/武将(ぶしやう)占(うらなは)せ玉(たま)ふに
重変(おもきへん)のよし申により相模守(さがみのかみ)の家(いへ)に入たまふ九月六日/丑刻(うしのこく)大/地震(ぢしん)八日
寅刻(とらのこく)又大に震ふ十一日/寅刻(とらのこく)同前又/小動(こゆすり)あり十三日十四日十六日もゆる
十七日三度ゆる廿一日/御祈(おんいの)り三万六千の神祭(じんさい)は親職(ちかもと)地震祭(ぢしんまつ)りは
宣賢(のぶかた)奉行(ぶぎやう)す「四条(してう)天皇」「文暦」二年四月十三日/午尅(うまのこく)【(刻)】同廿八日/未尅(ひづしのこく)【(刻)】廿九日
同尅(どうこく)【(刻)】地震八日/御祈祷(ごきとう)徳政(とくせい)の御沙汰(ごさた)あり「仁治」二年二月七日/己(み)【(巳)】の刻(こく)
大地震/古老(こらう)のいはくさんぬる建暦年中(けんりやくねんぢう)今(いま)の如(ごと)き大ゆすりあり
《割書:建保元年|をさして云》すなはちこれ和田(わだ)左衛門/尉(ぜう)義盛(よしもり)叛逆(ほんぎやく)の兆(てう)やと《割書:云| 云》同日/午時(うまのとき)
子尅(ねのこく)【(刻)】と両度(りやうど)小ゆすりあり八日/己(みの)【(巳)】尅(こく)【(刻)】又ゆる昨今(さくこん)動揺(ゆるぎ)五ヶ度《割書:以|上》「吾妻鏡」
「後深草(ごふかくさ)天皇」「建長」六年閏五月十一日十九日/大地震(おほちしん)「皇年代略記」「正嘉」元年
八月廿三日/鎌倉(かまくら)大地震/音(おと)あり神社仏閣(じんじやふつかく)一宇(いちう)も全(まつた)からず山(やま)くづれ
屋(いへ)倒(たふ)れ築垣(つひぢ)悉(こと〳〵く)損(そん)じ地裂(ちさけ)水/涌出(わきいづ)る中にも下馬橋辺(げばばしへん)地裂たるなか
より青色(あをきいろ)の火炎(くはえん)もえ出ると《割書:云(うん〳〵)| 云》九月四日/小雨(こさめ)ふり申尅(さるのこく)【(刻)】地震する
去月大ゆりの後(のち)けふにいたりてやまず「伏見(ふしみ)天皇」「永仁」元年四月十三日
寅尅(とらのこく)【(刻)】大地震/山頽(やまくづれ)家顛(いへくつがへ)り死るもの其数(そのかず)をしらず鎌倉(かまくら)大慈寺(だいひし)【(だいじじ)】
の丈六/堂(どう)をはじめつぶれ埋(うづま)り寿福寺(しゆふくじ)円覚寺(ゑんがくじ)倒(たふ)れてやけぬ聖の
顛倒(てんどう)かぞへがたし死人二万千廿四人「北条記」「後伏見(ごふしみ)天皇」「正安」元年四月廿五日
大地震/摂津国(せつゝのくに)四天王寺(してんわうじ)金堂(こんどう)くつがへり洛東(らくとう)南禅寺(なんぜんじ)の堂(どう)倒(たふ)る
五畿内(ごきない)死人一万/余(よ)「本朝年代記」「花園(はなその)天皇」「文保」元年正月/以後(いご)京都
連々(れん〳〵)大地震(おほぢしん)東寺(とうじ)の塔(たふ)振落(ふりおと)す清水寺(せいすいじ)炎上(ゑんじやう)し田村将軍(たむらしやうくん)の御影(みゑい)
もやけうせぬ「北条記」「後醍醐(ごだいご)天皇」「正中」元年十一月/大地震(おほぢしん)近江(あうみ)の竹生(ちくぶ)
島(しま)くづれ半(なかは)は湖(みつうみ)に入(い)る「本朝年代記」元弘元年七月三日大地しん
【「 」は矩形で囲われた文字】
有(あつ)て紀伊国(きいのくに)千里浜(ちさとのはま)の遠干潟(とをひかた)俄に陸地(くがち)になる事二十/余(よ)町
同七日/酉尅(とりのこく)【(刻)】に地震あつて富士(ふじ)の絶頂(ぜつちやう)崩(くず)るゝ事(こと)数(す)百丈「太平記」
「建武」元年八月廿七日/暁(あかつき)大地震同十二月十三日同前「光明天皇」「暦応」
元年七月十九日同前ゝ廿二日地震「観応」元年七月二日/申(さる)㐪【(亥の異体字)】両尅【(刻)】
地震/将軍墓(しやうぐんづか)鳴動(めいどう)する事以の外なり○同二年二月十九日大
地震/将軍墓(しやうぐんづか)又(また)鳴動(めいどう)す三月十七日/天変(てんべん)今夜(こんや)又地震四月
十一日/辰刻(たつのこく)同前「後光厳(ごくわうごん)天皇」「康安」元年六月廿日大地震/其以後(そのいご)
連綿(れんめん)と大地震す京/南都(なら)堂舎(とうしや)顛倒(てんどう)す以上「《割書:皇年代略|記頭書》」「延文」五年
六月大地震度々/火災(くはざい)もあり十八日よりはじまりて七月に至(いた)り
てやまず淡路島(あはぢしま)津波(つなみ)人馬(にんば)不残(のこらず)死(し)す七月廿二日/雪(ゆき)ふり廿四日
山の如(ごと)く雪ふりて地震やまず「後小松天皇」「応永」九年春/彗星(はゝきほし)
「慶長」元年閏七月十二日/大地震(おほぢしん)土裂(つちさけ)水わき京伏見(みやこふしみ)の城屋敷(しろやしき)民家(みんか)
倒(たふ)れ破(やふ)れ死(し)人/数(かず)を知(し)らず大仏殿(たいぶつでん)崩(くづ)れ仏像(ぶつざう)も壊(くづ)れたり太閤(たいかふ)
往(ゆき)て御覧(ごらん)じ仏にむかひ叱(しかつ)てのたまはく仏像(ぶつざう)を安置(あんち)するは国家安(こくかあん)
泰(たい)のためなりしかるに大地震をとめる事あたはず万民(ばんみん)をくる
しめ其身(そのみ)だに保(たも)つことをえす摧裂(くだけさけ)たるこそつたなけれ抑(そも〳〵)なにの
益(ゑき)かあると弓をひきて矢を射(ゐ)かけ給ふさて信濃国(しなのゝくに)善光寺(ぜんくわうじ)の仏(ほとけ)を
取(とり)よせ仏殿(ふつでん)に置(おか)せたまひぬ《割書:のちこの像をかへし別に|金仏をいさせ玉ふ》また御傍(おそば)の女中大かた
圧死(おされしに)て俄(にわか)に代(かは)りなかりければ京/伏見(ふしみ)大坂(おほさか)堺(さかい)等(とう)の遊女(ゆうぢよ)数百人を
召上(めしあけ)られ女中としてつかひたまふ「豊臣譜」「後水尾(ごみのを)天皇」「慶長」十九年十
月廿五日大地震「合運図」「寛永」四年正月十一日同五年同前「本朝年代記」
「明正天皇」「寛永」十年正月廿日同前/相模国(さがみのくに)小田原(をだはら)にて人馬(にんば)死(しす)る
【図中】
伏見(ふしみ)大地震(おほぢしん)のとき
清正(きよまさ)駈来(はせつき)騒動(さうどう)を鎮(しづむ)
【「 」は矩形で囲われた文字】
もの数(かず)を知()らず「後光明(ごくわうみやう)天皇」「正保」四年五月十三日/江戸(ゑど)大地震(おほぢしん)大名(だいめう)
屋敷(やしき)破損(はそん)す「或記」「慶安」元年四月廿二日大地震/相模国(さがみのくに)筥根山(はこねやま)
坂(さか)崩(くず)るゝ「合運図」○同二年二月五日/伊予国(いよのくに)松山(まつやま)宇和島(うわじま)辺(へん)大地震
城中/石垣(いしがき)くづれ民家(みんか)多(おほ)くそこなはる同六月廿日江戸同前/大名(だいめう)
屋敷(やしき)民家(みんか)破倒(やぶれたふ)れ人多く死(し)す○同三年三月廿三日/夜(よ)関東(くわんとう)
大地震以上「或記」「後西天皇」「寛文」二年五月朔日大地震京五条
石橋(いしばし)崩(くづ)れ近江国(あふみのくに)朽木谷(くつきだに)の山(やま)くづれ民家こと〴〵くうづまり
貴賎(きせん)いと多(おほ)く死(し)する同十一月/大隅国(おほすみのくに)の山崩れ海陸地となる
余動(よどう)しば〳〵発(はつ)し歳(とし)の終(をは)りにいたる「本朝年代記」「地震考」同三年
七月廿五日/蝦夷(ゑぞ)松前(まつまへ)大地震同十二月六日京都同前/戌刻(いぬのこく)ゟ丑刻(うしのこく)
にいたる二/条(てう)の城(しろ)をはじめ洛中(らくちう)所々(しよ〳〵)破損(はそん)同四年十二月廿七日
越後国(ゑちごのくに)髙田領(たかたりやう)大地震(おほぢしん)民家(みんか)たふれ死人(しにん)多(おほ)し《割書:本朝年代記に|五年とす》「或記」
「霊元天皇」」「天和」三年五月廿二日大地震/二荒山(ふたらやま)神庿(しんびやう)破(は)そんあり
「本朝年代記」「東山天皇」「元禄」十六年十一月廿二日/丑刻(うしのこく)江戸大地震
武家(ぶけ)町屋とも破損(はそん)し相州(さうしう)小田原(をだはら)は余国(よこく)よりもつよく民(みん)
家(か)倒(たふ)れ筥根山(はこねやま)崩(くづ)れ道(みち)ふさがり同時(どうじ)に所々に出火(しゆつくは)人多く死(し)し
海辺(かいへん)にのがるゝ者(もの)は津波(つなみ)にて死(し)す「宝永」三年九月十五日大地震
以上「或記」○同四年十月四日/未刻(ひつしのこく)東海道(とうかいどう)大地震地さけ海(かい)へん
洪波(つなみ)人多く死(し)す同十一月/富士(ふじ)のやま焼(やけ)宝永山(ほうゑいざん)あらはる「或記」
「和漢三才図会」「中御門天皇」「享保」八年十一月廿日より十二月にいたり
九州大地震○同十年九月廿五日/長崎(ながさき)大地震/昼夜(ちうや)八十/余(ど)【ママ】度
「或記」「桃園天皇」「宝暦」元年二月廿九日大地震/諸堂舎(しよどうしや)破懐(やれそこな)【(壊)】ひ
【「 」は矩形で囲われた文字】
余動(よどう)六七月にいたりてとゞまる「地震考」同年四月廿五日/越後国(ゑちごのくに)高田(たかた)
大地震/酉(とり)の刻(こく)より丑刻(うしのこく)まで三十/余度(よど)山崩(やまくづ)れ民家(みんか)倒(たふ)れ死(しぬ)る
もの凡(おほよそ)一万六千三百/余(よ)人といふ○同六年七月晦日/近江国(あふみのくに)大地
震「後桜町天皇」「明和」三年正月廿八日/奥州(おほしう)津軽(つがる)青森辺(あをもりへん)大(たい)
雪(ゆき?)大地震/大火(たいくは)にて人多く損(そん)ず○同八年五月二日江戸地
震同六月二日江戸大地震「光格天皇」「天明」二年七月十四日/丑(うしの)
刻(こく)江戸同前同十五日また大に震(ふる)ひ民家(みんか)倒(たふ)る翌朝(よくてう)に至(いた)り
十五六/度(ど)震動(しんどう)すこの時(とき)相州(さうしう)小田原(をだはら)ことに甚(はなはだ)し筥根山(はこねやま)
ならびに小田原の城中(せうちう)石垣(いしがき)崩(くづ)れ民家(みんか)破損(はそん)多(おほ)し○同三
年二月二日/丑刻(うしのこく)江戸大地震「寛政」四年閏二月此月/肥前(ひぜん)
の国(くに)島原領(しまばらりやう)山(やま)もえいでゝ湯涌(ゆわき)ながれ人多く死(し)ぬ国中(こくちう)
震動(しんどう)して火(ひ)の光(ひかり)余国を照す以「或記」「享和」三年十一月十五日/佐渡国(さどのくに)大地
震小ゆり翌年(よくねん)六月にいたる以上「地震考」「文化」元年出羽国地震して
象潟(きさがた)の山くづれ地おちいり天下(てんか)に稀(まれ)なる勝地(しやうち)をそこなふ「或日記」同六年
二月廿一日ゟ廿四日にいたり信州松本領/安曇郡(あつみごほり)の山中/鳴動(めいどう)す同廿四
日/暮方(くれかた)南北五百間余東西九百間余大地やぶれさけ岩石(かんぜき)ぬけ崩(くづ)
れ中谷村等の四村/枝郷(えだごう)六ヶ所/家数(いへかず)廿七軒/田畑(てんはた)ともくほみ落つれど
人馬はつゝがなし○同七年元日佐渡国大地震/連日(れんじつ)止(とゞ)まらず○同
九年十一月四日江戸并近国大地震神奈川保土ヶ谷辺/殊(こと)に甚しく
民家/破(や)れたふるゝ「仁孝天皇」「文政」二年六月十二日京并伊勢美濃
辺大地震○同五年閏正月十六日ゟ十九日にいたり奥州蝦夷地大地
震(しん)百五十余度○同九年此秋江戸地震数度○同十一年十一月十二日
【「 」は矩形で囲われた文字】
越後国(ゑちごのくに)長岡辺(ながおかへん)三条辺/家崩事(いへくづるゝこと)おびたゞしく今町辺 ̄ニ いたる大地震也
以上「或記」「天保」元年七月二日申刻京都大地震二条城并/貴賎(きせん)の
家蔵破壊/顛倒(てんどう)おびたゞしく死傷(しじやう)かそふべからす同十八日/洪水(こうずゐ)にて
所々損し清水寺/廻廊(くわいらう)くづれ死人あり地震の余動しば〳〵火災も
あり八月下句【(旬)】全(まつた)くしづまる「今上天皇」【(孝明天皇)】「弘化」四年三月廿四日戌刻ゟ
亥刻(ゐのこく)まで信濃国六郡《割書:安曇更科水内|埴科小県高井》松代上田飯山善光寺辺都て
大地震して山くづれ大河/埋(うづ)み家潰人馬死傷多し同四月十三日
洪水「嘉永」六年二月二日相模国■【(囗に反or友:小)】田原大地震「安政」元年六月十四
日夜上方筋は駿州遠州三州勢州伊賀摂津播州辺四国一参大地震
其餘(そのよ)諸国(しよこく)余動(よとう)あり翌年(よくねん)いたり相州(さうしう)津波(つなみ)同五月摂州同前以上「手記」
右/尋常(まのつね)の地震(ぢしん)は省(はぶ)きて録(しる)さず大地震といへども猶(なお)漏(もれ)たるも少(すく)なからじ
「安政」二乙卯年十月二日/夜(よ)亥(ゐ)の上刻(しやうこく)地震(ちしん)即時(そくじ)に出火(しゆつくわ)はじまり
三十余ヶ所なり翌(よく)三日/朝(あさ)双方(さうはう)しづまりしがそのゝち地震は日々
少しツヽゆりて同月廿日比まて止(や)まず其場所は
㊀日本橋ゟ北室町本船町小田原町本町石町本銀町大伝馬町通
旅籠(はたご)町堀留町小船町小網町辺/大破損(おほはそん)土蔵(どぞう)崩(くづ)れ人家(じんか)潰(つぶれ)
傾(かたむ)く此辺/潰家(つぶれいへ)百三十三軒潰土蔵二十三ヶ所/圧死(おされしす)る者(もの)多し
㊁小伝馬町馬喰町辺格別の事なしといへ共土蔵大破郡代御
屋敷無事同神田亀井町橋本丁としま町辺ゆるやかにて横山丁
両国/辺(へん)人家(じんか)傾(かたむ)き富沢町田所丁人形町通り堺町甚左衛門丁大
坂町かきがら町松しま丁住吉町辺/大破(たいは)夫ゟ浜町川岸水野出羽
守様/焼失(しやうしつ)津軽越中守様安藤長門守様秋元但馬守様そのほか
江戸
地震
出火
一覧
【印】【印】
御屋敷方/大破損(おほはそん)也此辺潰家三百余軒と九十二棟潰土蔵九十七
ヶ所死人おびたゝし
㊂浅草御門外茅町尾町森田町御蔵前片町辺格別のこと
なし同元鳥越明神の社別条なく同七曲り池田様/巨勢(こせ)様小
出様阿部様大破損松原様佐竹壱岐守様大に震(ふる)ひ新堀
端両側共損じ御蔵前八幡宮/本社(ほんしや)別条なく社内大破そん
同所駒形町ゟ出火すは丁黒船丁焼失同所御蔵/別条(べつてう)なし
同並木町田原丁辺損じ東/本願寺(ほんぐわんじ)本堂無事寺中/潰(つぶれ)多し
同/誓願寺(せいぐわんじ)門前/日輪寺(にちりんじ)門前/惣崩(そうくづ)れ中田甫六郷様/損(そん)じ
新吉原町不残潰れのうへ焼失(しやうしつ)江戸町一丁目名主而已残る
五十軒道御/高札(かうさつ)別条(べつでう)なく日本堤(にほんづゝみ)大地/裂(さけ)割(わ)れる夫ゟ田町
出火して一丁め二丁め山川丁/焼失(しやうしつ)大手下の茶屋少々残る同北新町ゟ
出火猿若町三丁め二丁め一丁め三芝居やける同所役者
新道東/側(かは)残る北馬道は浅草寺地中の寺院(しいん)両側/焼(やけ)南馬みち
戸沢長家(とざはながや)北がはにて止る浅草寺は諸門本堂別条なく奥山の
諸堂(しよどう)損(そんじ)花川戸町は半ば焼る山の宿町聖天町大破山谷ばし向
新鳥越丁元吉丁浅草丁辺惣崩れ玉姫の社総泉寺大
破今戸橋向角ゟ半丁程やける橋場丁惣崩れ三宅様
大破真崎稲荷神明宮無事給い【?】潰家千四百四十七軒潰土
蔵七十一ヶ所其外焼失の土蔵数しれず変死人おびたゝし
㊃日本橋ゟ南通一丁めゟ四丁め迄両側中通り四日市町しん
肴場中橋/埋立地(むめたてち)辺格別の事なしといへども悉(こと〴〵)く土蔵を
震(ふる)ふ潰家(つぶれや)六十三軒五/棟(むね)潰(つぶれ)土蔵六十ヶ所
㊄同南伝馬丁より崩(くづ)れ多く其上西中通り南大工丁より
出火して京橋/際迄(きはまで)やける西は南かぢ丁五郎兵衛丁/焼(やけ)畳(たゝみ)
丁少々残る東は具足丁柳丁鈴木丁ときと【(「常磐」カ)】町松川丁/片(かた)かは
すみ丁本材木丁川岸にて止る潰家七十壱/棟(むね)土蔵二十八ヶ所
其外焼失の土蔵数しれず
㊅京橋南新両替丁白魚屋敷金六丁水谷丁弓丁新肴丁
すきや橋御門外川岸通りおはり丁竹川丁いづも丁南鍋丁
山下丁八官丁加賀丁辺木挽丁汐留辺格別の事なし
潰(つぶれ)十一/棟(むね)潰土蔵二十二ヶ所
㊆南八丁/堀(ぼり)大富丁/大破(たいは)築地(つきぢ)小田原丁上柳原丁海川岸辺
大破西/本願寺(ほんぐわんじ)本/堂(どう)別条なく寺中の寺院崩多し夫ゟ■【(鉄)】ぽう
洲(づ)明石町本湊町船松丁辺大破損松平淡路守様焼失/都而(すべて)此辺
御武家方崩多し鉄ぽうづ稲荷社別条なく佃島(つくだじま)格別(かくべつ)のこと
なし霊(れい)がん島東湊町白銀丁長崎丁川口丁辺潰多く同みなと橋通
塩丁/片側(かたかは)やけ夫ゟ南新堀半丁浜丁大川端丁迄焼失松平越前
守様残る同北新堀箱崎丁辺大破同/霊(れい)がん橋ゟ表裏茅場
町坂本丁辺御組屋敷別条なく薬師堂無事同亀島丁日比谷
丁本八丁堀辺破損多し潰家百八十六軒潰土蔵三十九ヶ所也
㊇新橋南芝口ゟ露月丁源助丁仙台様脇坂様格別のこと
なし同柴井丁壱丁焼宇田川丁神明丁三島丁共大ひに崩
浜松丁新網丁中門前片門前辺潰多く増上寺(ぞうじやうじ)本堂別
条なく山内の寺院(じいん)破損(はそん)芝神明の社無事/愛宕下(あたごした)青松(せいしやう)
寺はじめ其外の寺院損じ愛宕の社(やしろ)無事御武家がた
松平隠岐守様米津様仙台様秋田様田村様其外とも
破損し同切通し飯倉丁辺破損し神明宮無事同永井丁
辺西の久保四ッ辻辺損じ天徳寺門前ふきで丁新下谷丁
仙石隠岐守様松平右近将監様等破損し同汐見坂松平
大和守様損じ虎の門外京極様破損金毘羅宮別条なし
同久保丁びぜん丁辺大破堀田様毛利様一柳様溝口様
大破兼房丁少々消失幸橋御門外土橋辺二葉丁ゆる
やかにて烏森稲荷(からすもりいなり)無事潰家四百九十四軒潰土蔵
八十三ヶ所死人多し
㊈金杉橋南通壱丁目ゟ四丁目本芝丁田丁高輪泉丘【(岳)】寺
其外の寺院損じ品川宿損じ同南四丁めゟ大(たい)破/東海(とうかい)
寺/海安寺(かいあんし)等損じ同白銀台丁辺二本榎三田辺いたみ
春日明神(かすがめうしん)無事同松本町赤羽根有馬様損じ同麻布/辺(へん)龍(りう)
土日ヶ久保桜田丁本村丁辺損じ麻布(あさふ)善福寺(ぜんふくし)ゆるや
かにて同今井谷町市兵衛丁等大破夫ゟ青山辺潰
家(いへ)多(おほ)し百五十軒潰れ土蔵(とそう)十四ヶ所潰るゝ
㊉和田/倉(くら)御門の内見張番所やけ松平/肥後(ひごの)守《割書:会|津》様松平
下総守様内藤様等やけ馬場(ばゝ)先御門外遠藤様松平相
模守様半ば御火消屋敷/焼失(しやうしつ)すきやばし御門内/崩(くづれ)多(おゝ)く
御類焼の御屋敷は永井遠江守様本多/中務太輔(なかつかさのたゆふ)【(大輔)】様
【行頭の(漢数字)は丸囲み】
焼失(しやうしつ)日比谷(ひゞや)御門御番所やけ松平/土佐(とさ)守様土井大炊頭様
大ひに損じ同御門外松平/肥前(ひぜん)守様やけ松平太膳太夫
様御門内少々焼る有馬備後守様南部美濃守様やける
向側にて薩州(さつしう)様/御装束(おんしやうぞく)屋敷表長家少しやけ幸ばし
御門内は柳沢時之助伊東様亀井様中長家一棟やけ
北条美濃守様少々にて焼止(やけとま)る山下御門内阿部播磨守
様惣崩れ夫ゟ龍(たつ)の口(くち)角(かど)森川様やけ大手先酒井雅
楽頭様焼表御門残る同御向やしきやける都而(すべて)常磐(ときわ)
橋内神田橋内とも大破外/桜田(さくらだ)霞(かすみ)ヶ(が)関(せき)は芸州(げいしう)様は
別条(べつてう)なく黒田様少々損し井伊かもんの頭様別条
なし其外御大名方塗籠の御長家大半崩れ永田
丁大村様細川様渡辺様/丹羽(には)左京太夫様此辺御/旗本(はたもと)がた御
屋敷損じ山王御社無事赤坂御門内松平出羽守様土井大隅守様
岡部美濃守様等/破損(はそん)
(十一)今川橋北神田かぢ丁同/鍋(なべ)丁通新石丁/須田(すだ)丁辺/崩(くづ)れ
多く御玉ヶ池通/白壁(しらかべ)丁小柳丁辺ゆるやかにて西神田は崩れ少し
小川丁は表猿楽(おもてさるがく)丁通/稲葉(いなば)様/土屋(つちや)様/大破(たいは)戸田様やけ表御門
長家残る又/半井(なからい)出雲守一軒やける猶(なを)表裏神保小路(おもてうらじんぼこふじ)焼(やけ)
定御火消屋敷やけ榊原(さかきばら)様/半(なか)ばやける同向本田豊前守様半は
やけ夫ゟ戸田加賀守様やける同/雉子橋(きじばし)通り本郷様松平豊
前守様焼又一ト口は一色丹後守様一色邦之助様奧少し
やける尤/一円(いちゑん)地震(ぢしん)つよく崩(くづ)れおびたゝ敷候小石川御門
【行頭の(漢数字)は丸囲み】
内松平駿河守様やけ此辺御/組屋敷(くみやしき)加藤(かとう)大原(おゝはら)渡辺(わたなへ)冬木(ふゆき)
様やけ本間(ほんま)様/大森(おゝもり)様/中条(ちうてう)様黒川様/半(なか)ばやけ是(これ)にて止(とま)る
此辺/焼(やけ)ざる家(いへ)は大半(たいはん)潰(つぶ)れ多(おほ)し小石川御門ゟ西は損(そん)じ少(すけな)し
飯田(いゝだ)町/俎板橋(まないたばし)九段坂辺少し崩(くづ)れ番(はん)丁/小路(こふぢ)〳〵能々(よく〳〵)見届(みとゞけ)
候得共/格別(かくべつ)のいたみなし潰(つぶれ)家百八十軒と二十四/棟(むね)潰/土蔵(どざう)
六十三ヶ所/焼失(しやうしつ)の土蔵/数知(かづし)らす
(十二)外神田/佐久間(さくま)丁/辺(へん)相生丁松永丁同和泉橋通藤堂
和泉守様同佐渡守様此辺少し損じ夫/宗対馬(そうつしま)守様/生(い)
駒主殿頭(こまとのものかみ)様/三味線(さみせん)ぼり佐竹右京太夫様立花/左近将(さこんしやう)
監(げん)様御徒丁通り加藤遠江守様等破損夫外神田はた
ご丁金沢丁/余程(よほど)損(そん)じ神田仲町三丁共大破夫ゟ
湯島(ゆしま)辺/聖堂(せいどう)御/学問所(がくもんしよ)別条(べつてう)なし神田明神無事本郷辺はゆるやかにて
妻乞稲荷(つまごひいなり)別条(べつてう)なく湯島天神(ゆしまてんじん)損(そん)じ切通(きりどふ)し辺(へん)は格別(かくべつ)の事なし
此辺/潰家(つぶれや)六十七/棟(むね)潰(つぶれ)土蔵六ヶ所
(十三)神田明神下/同朋(どうほう)丁同/御台所(おだいどころ)丁/大破(たいは)同平永丁代地柳原岩井
丁代地花房丁代地共/大破(たいは)夫ゟ御成道(おなりみち)西側(にしがは)は松平伊賀守様黒田
豊前守様大関信濃守様等やけ石川主殿頭様/半(なか)ば焼(やけ)る同向小笠
原左京太夫様大破損上野大門丁車坂丁長者丁壱丁め弐丁め
下谷丁弐丁め代地等やけ中御/徒(かち)丁/片側(かたかは)にて止(とま)る又/上野広小路(うへのひろこふち)
東側(ひかしがは)中/程(ほど)ゟ出火して北大門丁元黒門町上野丁壱丁め弐丁めやけ
一条院(いちてういん)徳大寺(とくたいし)焼失(しやうしつ)同朋(とうぼう)丁新黒門町上野/御家来屋敷(ごけらいやしき)やけ御成(おなり)
道(みち)井上/筑後(ちくこの)守様東北角少々やける残り惣崩(そうくづ)れ三枚橋横丁は
○十月二日地震出火ニ而焼亡之
人民不少趣被 聞召天災とは申
ながら不便 ̄ニ被 思召依之死亡ものゝ為
十一月二日諸宗寺院に於て施我鬼
修行被 仰付誠に御仁恵之程難有
右寺々名前左にしるし申候
天台宗 上野 凌雲院
淨土宗 本所 回向院
古義眞言 二本榎 高野寺 西南院
同 白金 同寺 円満院
新義真言 御蔵前 大護院
臨済宗 品川 東海寺
漕【(曹)】洞宗 愛宕下 青松寺
黄檗宗 本所 羅漢寺
西本願寺 輪番 与楽寺
東本願寺 輪番 遠慶寺
日蓮宗 一致派 下谷 宗延寺
同 宗 勝劣派 浅草 慶印寺
時 宗 浅草 日輪寺
右寺院にて大法事相勤候
○猶又御救小屋五ヶ所御建被下
幸橋御門外 浅草広小路
深川海辺新田 同八幡境内
上野御山下火除地
○東叡山宮様御小屋 山下右同所
以上 六ヶ所
○二日夜同廿日比迄度々小ゆり
あり人 儡地(らいち)【(畾地)】へ諸道具をつみ野宿
すること毎夜也此人々へ御上より
もつそうの御飯を三日ゟ廿日迄被下置
○市中町人共分限に応じ町内
又は出入之者或は御小屋入之者又は
地面うち等へ施行米銭を出す
○最寄の寺々にてせがき
供養ある事諸方なり
右何れも広大なれ共爰に略す
【行頭の(漢数字)は丸囲み】
鈴木(すゞき)石川(いしかは)坂巻(さかまき)福井(ふくゐ)山崎(やまざき)様やける上野丁壱丁め横丁はよし田様
にて焼止(やけとま)る東叡山(とうゑいざん)御堂(みどう)別条なく山内/宿坊(しゆくぼう)少々/破損(はそん)不忍(しのはず)弁
才天社内大破池の端仲丁少々いたみ御すき屋丁惣崩れ
天神下通御やしき大半(たいはん)崩(くづ)るゝ茅(かや)丁は壱丁め弐丁め潰(つぶれ)の上不残
やける山/側(がわ)のこる崩家多し夫ゟ上野山下通り損(そん)じ広徳寺(こうとくじ)
前通りは格別の事なく下谷稲荷柳の稲荷等/破損(はそん)都而(すべて)
此辺/寺院(じいん)多き所なれば破損おびたゞし阿部川(あべかは)丁ゆるやか
なり又/菊屋橋(きくやばし)西新丁(にししんてう)より出火して両側(りやうかは)半丁程やける
又三十三/間堂前(げんどうまへ)山本仁太夫/矢来内(やらいうち)潰(つぶ)れの上/出火(しゆつか)して矢来
内計/焼失(しやうしつ)同所/矢先稲荷(やさきいなり)残(のこ)る此/辺(へん)都而(すべて)惣崩れ也同/海禅(かいぜん)
寺(じ)門前/極楽寺(ごくらくじ)門前/灯明寺(とうめうじ)門前/源空寺(げんくうし)門前等/崩(くづ)れ多し
東門跡添地(ひがしもんぜきそへち)大破(たいは)幡随院(ばんずいいん)門前/損(そん)じ山伏丁山崎丁辺/潰(つぶれ)多(おゝ)く新
坂本町/惣潰(そうつぶ)れ入谷辺/大破(たいは)下谷坂本丁弐丁め三丁め焼失(しやうしつ)
同四丁目大破/小野照崎明神(おのてるさきめうじん)少々/損(そん)じ根岸(ねぎし)辺(へん)崩(くづ)れ多し同
金杉町四丁/惣潰(そうつぶ)れ圧死(おされしす)るもの多し三嶋(みしま)の社(やしろ)火除観音(ひよけくわんおん)
大破同/龍泉寺(りうせんじ)丁/惣崩(そうくづ)れ龍泉寺(りうせんじ)大音寺(だいおんじ)西徳寺(さいとくじ)鷲(わし)大明
神等大ひに震ふ又/箕輪(みのわ)新町ゟ天王前(てんわうまへ)迄(まで)潰(つふれ)多く小塚原(こつかはら)
中村丁やけはたごや不残(のこらず)焼夫ゟ橋戸(はしど)河原(かはら)千住かもん宿大破損
潰家(つぶれや)千七百二十壱軒/潰(つぶれ)土蔵百九十八ヶ所死人多し
(十四)小石川御門外水戸様御屋敷百軒長家向側飛々焼
失同富坂丁水戸町辺潰れ多く同/伝通院(てんつういん)門前少々
損じ白山巣鴨駒込辺損じ少く団子坂下谷中三崎丁惣崩れ
【行頭の(漢数字)は丸囲み】
同茶屋丁/格別(かくべつ)の事なし天王寺(てんわうじ)五/重(ぢう)の塔(たう)九輪(くりん)おれて大地へ埋(うづま)る
事三尺/余(よ)同/根津宮永(ねづみやなが)丁辺/惣門内外(そうもんうちそと)惣潰(そうつぶ)れ日暮里(につほり)田畑辺(たばたへん)
損(そん)じ又/音羽辺(おとはへん)少々/損(そん)じ護持院(ごぢいん)目白不動(めじろふどう)等/格別(かくべつ)の事
なし潰家七百四十三軒同/土蔵(どぞう)十九ヶ所
(十五)牛込御門外(うしごみごもんそと)揚場(あげば)神楽坂辺(かぐらざかへん)大破(たいは)同/改代(かいたい)丁/肴(さかな)丁へん
損じ市ヶ谷田丁本村丁辺/大破(たいは)麹(かうじ)丁/辺(へん)損(そん)じ平川天満宮(ひらかはてんまんぐう)大
破(は)四ッ谷御門外伝馬丁/塩(しほ)丁/辺(へん)損(そん)じ水戸(すいど)の万年樋(まんねんとよ)崩(くづ)れ損(そん)ず
鮫(さめ)ヶ(が)橋辺/崩(くづ)れ多く赤坂(あかさか)表裏(おもてうら)伝馬(てんま)丁田丁辺/潰(つふれ)多し
潰(つぶれ)家三百六十七軒同土蔵三十九ヶ所
(十六)両国橋(りやうごくはし)東本所(ひかしほんじやう)元町/回向院前(ゑこういんまへ)立川相生丁/大破(たいは)同/緑(みどり)町壱丁
目ゟ出火同弐丁目迄/焼(やけ)三丁目は潰(つぶ)れのみにして四丁
目五丁目/花(はな)丁少々やけ是(これ)にて止(とま)る又向/川岸(かし)は林丁壱丁目ゟ五丁目
迄(まで)潰(つぶ)れ多く徳右衛門丁壱丁め弐丁め焼(やけ)る三丁めは潰れ多く
栄川丁三丁とも崩(くづれ)多(おほ)し扇橋/際(きわ)深川西丁半丁程やける同茅
場丁辺損じ入江丁清水丁辺惣崩れ吉田丁吉岡丁辺大破
都而此辺御武家方御屋敷大半崩多し潰家百九軒八十三棟
潰土蔵七十九ヶ所死人多し
(十七)大橋東深川御船蔵前ゟ出火八名川丁へ焼込/歯神権現(はがみこんげん)焼
御舟蔵番やけ大日横丁管野井上牧野焼る木下図書様火の
見計残る御籾ぐら半は残る六間堀神明宮/恙(つゝが)なし又一ト口は中
森下ゟ両森下元丁焼る猶又/常磐(ときは)町辺ゟ出火して井上
様少々焼る夫ゟ常磐町壱丁めゟ弐丁め太田様にて止る
都(すべ)て此辺大潰れ也夫ゟ小名木(をなぎ)川辺/大破損(おゝはそん)海辺大工丁ゟ清住丁
辺潰多し仙台様蔵屋敷損じ伊せ崎丁壱丁め弐丁め
やける西ひらの丁冨久丁三角屋敷此辺/悉(こと〴〵)くつぶれ寺丁通り諸寺院(しよじいん)
大破/霊(れい)がん寺/浄心寺(じやうしんし)雲光院(うんこういん)等大破/正覚(しやうがく)寺橋通り一色丁
万年丁辺/悉(こと〴〵)く潰(つぶ)れゑんま堂橋(どうはし)綱打場(つなうちば)辺少したるみ佐賀丁は
大に崩れ相川丁熊井丁中嶋丁大嶋丁迄焼る冨吉丁通り
北川丁八幡橋の際(きわ)にて三軒残る蛤(はまぐり)丁少々残り黒江丁三念
寺やける永代寺(ゑいたいじ)門前山本丁ゟがたくり橋/際(きは)迄にて止る又一ト口は
和倉(わぐら)にて北本所代地佐賀丁代地等焼る永代寺八幡宮無事
社内破損同三十三間堂大破木場損じ州崎弁天(すさきへんてん)無事夫ゟ
砂村(すなむら)辺/大破(たいは)潰家(つぶれや)四千九百三軒同土蔵七百八十五
【裏表紙】
【變災】
【昭和六年一二月一五日寄託】
末代噺の種 □
末代噺の種 □【全】
【角朱印】
しんまちみつ井け
地震并津浪之 説(わけ)
地震(ぢしん) 西南海
【輪の外側上から時計回りに】
要石 正月 二月 三月 四月 五月 六月
七月 八月 九月 十月 十一月 十二月
【輪の中】
【上部】
東国【國】
【中部】
日本六十余州
其余外国異国(ソノヨグワイコクイコク)
皆此上ニ有ト云
【下部】
西国【國】
之 図(づ)【圖】 北氷海
【本文】
夫(それ) 地震(ぢしん)といふは其 象(かた)ち別に地底(ちてい)にあるにあらず陽気(やうき)【氣】
陰(いん)の下に伏(ふく)して陰気に迫(せま)り昇(のぼ)ること能(あた)はず陽気 渋滞(とゞこふり)て
歳月を経(ふ)るに随(したが)ひ地裂(ちさけ)て陽気天に発【發】せんとして振動(しんどう)する
なり又 津浪(つなみ)といふて別に地中より水を発(はつ)【發】するの謂(いひ)にあらず
天地の間(あいだ)陽陰につゝまれて動発(どうはつ)【發】する事 大底(たいてい)地震に等(ひと)し故(ゆへ)に
地震(ぢしん)に依(よつ)て起(をこ)り或は大風雨に就(つい)て起(をこ)る其発【發】する所一ならざるを以(もつて)知(しる)べ
し
大地震(おほぢしん)末代噺種(まつだいばなし)
一嘉永七甲寅年十一月四日
朝(あさ)五ツ時過より大地震(おほぢしん)
それより昼夜(ちうや)少々(しやう〳〵)づゝ
ゆり五日 昼(ひる)七ツ過又〳〵
大ゆり夜(よる)五ツ半時 頃(ころ)又
大ゆり夫(それ)より格別(かくべつ)の
大震(おほゆり)は無之(これなく)候へども
大底(たいてい)人家崩(じんかくづ)れ破損(はそん)
図(づ)のごとく且(かつ)大道(だいだう)へ
たゝみを敷(しき)あるひは
小屋を掛(か)け夜(よ)を
明(あか)し申候事 前代(ぜんだい)
未聞(みもん)の事ども也
大地震末代噺種
【上段】
座摩(ざま)宮
鳥居門
石とうろう
絵馬堂崩る
本社無事
怪我(けが)人なし
△本町心斎ばし并東へ入
うら長や 惣くづれ
△北久太郎町丼池北へ入所
西側家二軒崩る
△本町狐小路東側寺の
高塀崩る
△同所南の辻角より北へ
七八軒大そんじ
△南本町心さい橋筋東へ入
北がわ人家壱【壹】軒大そんじ
【下段】
△南御堂北西手の塀少々
そんじ南の門大ゆがみ
井戸やかた崩る
△博労町いなりの鳥居大
ゆがみ石灯篭 倒(たふ)れる
△御霊(ごれう)社内井戸屋かた崩る
△塩町さのや橋筋角より
北へ半丁ばかり壱【壹】丈余【餘】の
高塀(たかへい)西手へくづれ落(を)ち
死人二人あり
大地震末代噺種
【上段】
◯道修町せんだんの木筋
高塀十間ばかり崩る
◯順慶町丼池東南角人家
二軒大損じ
天満
不動寺(ふどうじ)
大そんじ
本尊(ほんぞん)
菱形(ひしなり)に
なる
右の近辺【邊】ゆがみ倒れ破(は)
損等おびたゝし
◯堀川の夷境内少〳〵の
いたみ此辺【邊】東西南北
少々づゝの損じあり
◯天満妙見絵馬堂崩る
【下段】
◯淡路町西の土蔵(どぞう)くづれる
◯長ほりさのや橋北詰の
裏長屋七八軒大崩れ
◯天満天神井戸屋かた
土蔵大崩れ夫より東シ
寺町寺院門塀崩れ損じ
多し此近辺【邊】少々づゝの
いたみ家倒れかけ候處
あまた有之住居ならず
天満
西寺町
金毘羅(こんぴら)の
絵馬堂(えまだう)
大くづれ其外
損じ数ケ所
あり
大地震末代噺種
【上段】
◯北の新地みどりはし北詰
西南 煮(に)うりやより西へ
四五軒大そんじ
◯梅田橋北詰に西へ入裏町
の家二けん崩る
◯常安ばし南詰西角の
人家往来へ倒(こけ)る
◯服部(はつとり)天神大損じ同所
寺二軒くづれそのほか
人家十軒ばかり崩る
◯願教寺裏手の長屋二
十軒ばかり崩る
◯阿波座岡崎ばし南詰
半丁東へ入所の人家五
六軒くづれる
【下段】
北の新地
下ばら
辺【邊】
人家
凡四十
けん
ばかり
倒(たふ)れる
◯高原牢【窂】やしき前の家
一軒崩る
◯野ばく【畑地】蝋納屋(らうなや)十三げん
ばかり崩る
◯上本町御はらひすじ【御祓筋】
近辺【邊】少々づゝの損じ
あまたあり
◯川西願教寺 対(たい)【對】面(めん)所大
くづれ前すじ北へ入 練(ねり)
塀(へい)【ねりべい=瓦と練った土とで築き上げ、上に瓦を葺いた 塀】大ゆがみ
大地震末代噺種
【上段】
◯福嶋上の天神表門崩る
◯汐津(しほつ)橋南詰凡長さ十
五間の土蔵惣壁落柱
ばかり残る
◯堂嶋 桜(さくら)ばし南詰西へ
入所人家五六軒崩る
◯天満梅がえ寺町の行
あたり正覚寺 境内(けいだい)金毘(こんぴ)
羅の社絵馬堂くづる
【下段】
◯福島中の天神本社残り
境内の建物(たちもの)のこらず倒(たふれ)る
◯同下の天神絵馬堂崩
その外少々の損じあり
◯同光智院の玄関(げんくわん)大崩
◯同人家大体一町に付
七八軒づゝ崩れ有之
◯同五百羅漢堂大損し
◯大二村人家凡三十けん
ばかり崩る
◯汐津ばし北詰東へ入
所の風呂屋大崩れ
◯右向ひの人家八軒斗り
大くずれに相成
◯梅田橋東へ入所の高塀砕(たかへいくだけ)ル
大地震末代噺種
【上段】
◯京町ぼり紀伊國ばし南詰
西入 裏長屋(うらながや)二三げん
大崩れ
◯新町(しんまち)問屋橋角人家
七八軒大損じ
新町井戸の辻(つぢ)
南東角大崩れ
夫より少し
東の
寺
大
ゆ
がみ
◯奈良屋ばし筋おくび町
角人家 倒(たふ)れかけ住居
ならず
◯北江戸ぼり壱【壹】丁目の
高塀(たかへい)十間計崩る
【下段】
◯江戸堀 犬斎(けんさい)ばし人家
四五軒崩る
◯堀江 橘通(たちばなどふり)三丁目人家
半丁ばかり大損しこの
近辺【邊】人家土蔵そんじ
所々有之
◯同いなり御旅所(おたびしよ)境内
神楽所(かぐらしよ)角力場(すまふば)大損じ
座敷くづるゝ
◯白髪(しらが)町くはんおん横町
高(たか)へい崩る
◯ざこ場石津町角崩る
◯堀江あみだ池裏門筋
の辻南東角高塀四間
ばかり崩る
大昔(おほむかし)《割書:宝永|四年》地震津浪聞書
宝永四年《割書:嘉永七寅迄|百四十八年に成》十月四日未上刻大坂大地震
に付舟にて内川【うちがわ=支流】に遁(のがれ)居候所 俄(にはか)に津波にて破船(はせん)シ皆々 死(しに)申候
《割書:南組|北組》 地震にて潰家(つぶれいえ) 六百二十【拾】軒
南組 同 押打(おしうたれ)死人 三千六百二十余【弐拾餘】人
北組 同 二【弐】千三百三十一【拾壹】人
南組 つなみにて水死(すいし) 一【壹】万二【弐】千人
北組 同 一【壹】万二【弐】千三十【拾】人
落橋(をちたるはし) 二十二【弐拾弐】 折橋(をれたるはし) 四ツ
道頓ぼり汐込(しほごみ)にて廻船大小百二十七 艘(そう)日(につ)
本(ぽん)ばし迄いやがうへに押来り此処【處】にて留り微塵に成
死人惣合二【弐】万九千九百八十一【拾壹】人
枚方(ひらかた)にて川船 数艘(すそう)打破人家押流し此所にて津浪止る
《題:《割書:大地震|大津浪》忠心蔵《割書:九|段|目》秡文句》
【上段】
寒空(さむそら)といひ 此度の
おもひがけない ぢしん
仕(し)よふ【仕様(しやう)か】を爰(こゝ)に 大屋の
見せ申さん 小やがけ
風雅でもなく 大屋のかこい【「ひ」とあるところ。】で
しやれでなく 酒のんでゐるかへ
とんと絵(え)に 大黒はしのふね
はんこう引合
書(かい)たとふり してゐる人
折角(せつかく)おもしろふ ちして茶屋から
え【「ゑ」とある所。】ふた酒 とんで出る客(きやく)
たすきはづ 昼(ひる)めし前の
して飛(とん)で出る ゆさ〳〵
是上られいと 用意(ようい)の
さし出(いだ)す 気(き)【氣】つけ
飛脚(ひきやく)が来(き)たらば 遠方(えんほう)へ
しらせいよ 出(だ)す手かみ
おまへなり 大工方
わたしなり 手待ち
是は〳〵 往来(わうらい)で瓦(かはら)が
いたみ入 おちてけがした人
わたしが役(やく)の 大地しんで
二人(ふたり)まへ にはかに男世帯(をとこせたい)
いかにやくそく 津なみで
なればとて 死(しん)だ人
【下段】
様子(やうす)に依(よつ)ては 諸方の
きゝ捨(すて)られぬ 大つなみ
おやの欲目(よくめ)か 新たち
しらねども 家にゐる人
そりや真実(しんじつ)か 大こくはしの
まことかと 噂(うはさ)を聞(きく)人
家(いへ)にも身にも 銘々(めい〳〵)にかねを
かへぬ重宝(てふほう) もたして逃す人
途方(とはう)にくれし 在所(さいしよ)の親(しん)るいゟ
をりからに むかひに来(き)た人
がてんがゆかぬ つなみで止(やん)だと
コリヤどふじや おもふに又ゆさ〳〵
遊興(ゆうきよう)に耽(ふけ)り大(おゝ) 見舞かこつけ
酒(ざけ)に性根(しやうね)を乱(みだ)し 茶やへ行 息子(むすこ)
日本一の 外(そと)へも出すじまん
あほふの鑑(かゞみ) 顔(がほ)でへたつてゐる人
嘸(さぞ)本望(ほんほう)【「望」の振り仮名が「も」に見えず、さりとて「ほ」では字母が不詳。取り敢えず「ほ」を入れました。】で 材木屋
こざらふ
かういふ事が 年より子共を
いやさに 在所(ざいしよ)へ預(あつけ)た人
絵面(えめん)にくはしく 遠方(えんはう)へ手紙に
書付(かきつけ)たり 封(ふう)じ込(こむ)はんかう【頒行】
移(うつ)りかはるは ぢしんも納(おさま)り
よのならひ 春(はる)のしこみ
嘉永七甲寅十一月
大地震相撲取組《割書:頭取世直シ震蔵|世話人白米安右衛門》
巳ノ時 二度目 堂崩レ 永來目(エライメ) ̄ニ
震(ユリ)出 ̄シ 仰天 土煙 阿武松
浪花瀉 清水 大道 西ノ方
大恵羅 舞台飛 夜明 ̄シ 黒雲
大 震(ユリ) 座摩ノ宮 伝【傳】法瀉 馬場
肝潰 鳥居倒【「コケ」を左ルビ】 藏倒【「ヘタリ」を左ルビ】 人ノ山
大破損 材木矢 吹(フ) ̄イ子(ゴ) 夜通 ̄シ
変宅 大悦 大不寄 逃【「ニゲ」を左ルビ】仕度
普請方 南御堂 高塀 神仏(シンブツ)
幸 ̄ヒ 門 斜【「イガミ」を左ルビ】 皆 倒【「コケ」を左ルビ】 大 祈【「イノリ」を左ルビ】
瀬戸物 起番(オキバン) 用心 尼ケ崎
大割 ̄レ 酒はつみ 軒【「ノキ」を左ルビ】丸太 半崩 ̄レ
都方 伊勢ノ海 四日市 商 ̄ヒ
静 ̄カ 大荒 ̄レ 夏通 ̄リ 半休日【「ハンヤスミ」を左ルビ】
大津浪末代噺種(おおつなみまつだいばなし)
一嘉永七甲寅十一月五日七ツ時過 大地震後(おほぢしんご)沖合
鳴出し夜五ツ半時 頃(ころ)大津なみと相成高さ一
丈余(じやうあま)【餘】りの大浪矢よりも早く打来り天保山の
人家 惣崩(そうくつ)れ泉尾新田今木新田月正嶋木津
難波新田勘介嶋寺嶋一面の白海と相成田地は
勿論(もちろん)人家不残流れ死人数を知らす千石二千石
或は五百石の大船木津川安治川両川口に繫居(かゝりおり)ゝ
所【處】右の津浪にて両川口へ分れ逆巻(さかまく)ごとく内川へ
矢よりもはやく突上け故 剣(けん)【剱】 先(さき)【「剣先舟」の略】 上荷(うわに)【「上荷舟」の略】 茶舟(ちやふね)押潰(おしつぶ)され
あるひは大船の下敷に相成荷物は勿論乗込の人々
溺死(できし) 幾(いく)千人といふ数を知らす大船も五百石千石等の
船の上へ弥(いや)が上(うへ)に乗上け事故互ひに打砕け是亦死
人数しらず夫故内川の浜【濱】側掛造り【かけづくり=水の上や傾斜地に建物を張り出して作ること。またその建物。】の家は勿論(もちろん)藏
【絵画面にて文字はないが強いては船名が記されている】
■大丸
納屋等に至ること悉(こと〳〵)く大船の爲に打砕(うちくた)かれ且
道頓堀川筋は日吉橋 汐見(しほみ)橋 幸(さいわい)橋住吉橋この
四ツの橋 押落(おしをと)し其音百雷の落来ることし漸
大黒橋にて水勢三方へわかれ候事故此所にて
船止る込合居候船千石已上已下の船凡三百余【餘】
艘 剣先(けんさき)以下の小舟凡千艘 崩(くつ)れて形(かた)ち無之
舟数を知らず又安治川は同様の勢ひなれ共(とも)
川はゞひろく道頓堀川筋よりは死人 破船(はせん)等も
すくなく橋は安治川橋亀井橋二ヶ所落ち堀
江川筋落橋水分橋黒金橋長堀川高橋落る
道頓堀西横堀金屋橋 帆柱(ほはしら)にて半崩れ実(しつ)に
あはれ成は地震 最中(さいちう)に上荷【「上荷舟」の略。】茶舟等の小舟
にておもひ〳〵に地震を除(よけ)んとて内川に
舟住居(ふなすまい)致し且は浜側(はまかは)の明地(あきち)へ逃出(にけいた)し居候
男女老若右の津浪にて一人ものこらす水
死いたし候恐るべし〳〵
大津波末代噺種
志州 鳥羽(とば)
の湊(みなと)大 津浪(つなみ)にて
御家中町家とも惣
くづれ又みなと川口に
かゝり有之大船小ふね
陸(くが)へ打上あるひは海中へ
捲(まき)こみ死人何千とも
相わからす目も
当られぬ次第也
◯淡州福良(だんしうふくら)は惣家数三百余【餘】軒の処 【處】大つなみ
にてのこらず流れ此嶋跡かたもなく相成申候
◯勢州山田松坂津白子四日市 桑名(くわな)すべて
浜辺【濱邊】の人家は大体 鳥羽(とば)におなし
⦿摂州尼ケ崎つなみ内川水壱【壹】丈余【餘】り増す船
人家の損し夥(おびたゝ)しく死人百余【餘】人あり
大津浪末代噺種
十一月五日夕 大津波(おほつなみ)
突来(つきく)る前に大坂の西
前垂嶋(まえだれじま)といふ処【處】へ丈(た)け
二丈ばかりの高坊主(たかぼうず)
出たり人々是を見て
肝(きも)を潰(つぶ)しアレヨ〳〵と
いふうち海に入 陸(くが)に
向ひ手にて水を
かける如くして姿(すがた)
見へず成(なる)と
間(ま)もなく
大 津浪(つなみ)
突(つき)来る
是此 変(へん)を告しならんと
後(のち)に思ひ合しける
嘉永七甲寅十一月
《題:大津浪相撲取組《割書:頭取湊 荒右エ門|世話人響灘浪之助》》
沖鳴 大津浪 早浪 大浪
雷の音 逆【「サカ」を左ルビ】巻 落橋 破【「ヤフ」を左ルビ】船
大黒橋 新田 小舟皆 荒湊
船詰リ 白海 微塵【「ミヂン」を左ルビ】 家無シ
問屋瀉 川材木 荷主山 勘助嶋
皆損シ 大流シ 大泣 大 漬【「ツカ」を左ルビ】リ
住ノ江 割茶舟 跡(アト)残り 荷流シ
静【「シツ」を左ルビ】カ 人流シ 橋台【臺】 大損シ
金屋橋 天保山 船持 西ノ浜【濱】
半崩【「クツ」を左ルビ】レ 家流シ 大 弱【「ヨワ」を左ルビ】リ 肝潰【「キモツブ」を左ルビ】シ
出水川 掛造リ 水勢 浜【濱】納屋
割リ舟 大破損 町流 藏崩
鳥羽浦 紀伊ノ海 大群集 多人力
惣崩 大荒 人の山 引船
《題:《割書:大地震|大津浪》大功記十段目《割書:秡| 文| 句》》
しあん投首(なけくび) つなみては船【破船】
した 荷(に)主
おもひをくこと よういして
さらになし ばんばへ出た人
早本国へ 遠まてつなみ
引とり給へ の噂(うはさ)聞人
あはやと見やる ふる家急に
表(をもて)口数ケ所の手 疵(きす) 宿かへする人
顕(あら)はれ出(いて)たる まいはん【毎晩】
西に黒雲
ぬき足(あし) へたり掛たる家へ
さし足 着物取に這入人
わつと玉(たま)ぎる 地(ち)しん最中産(さいちうさん)
女のなき声(こゑ)【聲】 の気(け)の付(つい)た人
聞(きこ)ゆるもの音(おと) 大道(だいだう) 畳敷(たゝみしい)て
こゝろえたりと 内にゐる人
互(たかい)の身(み)の 注文物船(ちうもんものふね)へ
しあはせ つまなんた人
水あげかねし 大地しん
風(ふ)ぜいにて 藏仲仕(くらなかし)
末世(まつせ)の記録(きろく)に 大黒(たいこく)ばしへ
のこしてたべ つまつた船
操(みさほ)の鏡(かゞみ) 住よしの浜(はま)【濱】
くもりなき つなみなし
【下段】
他家へ縁付 大はそんした
して下され 家ぬし
詞はゆるかぬ 大坂の
大はん石 御城
しるしは目前 家ちんの
これを見よ やすい古家
追〳〵都へ 諸国よりの
はせのほる 見舞状
高名手がらを 普請方
見るやうな
我(われ)又 孫呉(そんご)が 大道へ素人細工の
秘術をつくし 小家たてる人
とかふ言内 かんばん出した
時こくが延る 道頓堀の芝居
まだ祝言の 地しんて
さかつきを 延(のひ)たこん礼
あたりまば 下やしきへ逃(にげ)る
ゆき出立は 北辺の御寮人(これうにん)
行方しらす 津なみて
なりにけり おちた橋〳〵
さやうなれは 明地【あきち】のある所へ
御遠慮なし とまりに行人
めでたい〳〵 家内に
けがのないの
《題:《割書:大地震|大津浪》世直し万歳(まんざい)》
時は嘉永寅の冬みるもさはぎまし升そうどう
ありけるあらましの飛出(とびだ)しさはぐわれらよりたれもおど
ろき皆目をさましあはてけるは誠に手ひどふさアはぎ
けるけふのゆさ〳〵は安座でどふも御家にゐられぬ皆も
大事おれもモウ出るかゝも逃よ夜通しゆさ〳〵とうらや
住【裏屋住み】の者共が亽霜月四日辰の下刻にゆり出し長い事まじ
ない神をいのられ給ふあふないなんぞと気もませ給ふは
まことにねぶたふそふらひける亽つなみ〳〵とつとこんだる
つなみ打たる浪の大ゆりうろたへこはい内の大ゆりあはて騒(さはい)で
はまがはこわいはまがは〳〵〳〵こわいなとゆつたる度に気をもめそこを
打捨せと物屋をみたればらんちくさはぎ皿やかんちろりん疵(きず)ひゞ
ぎ皆 疵(きず)しゆびん【酒瓶】色々 結構(けつこう)かざり立てあぶないしが忽(たちまち)にくづけ
しや落して破(われ)たる雑(ざう)ばち迄ゆりこうなる様(さま)野にも集(あつま)る皆よれ
これよれ諸方(しよはう)の御藏もどつさり〳〵〳〵〳〵〳〵瓦も傾(かたむ)く世上には取沙(とりさ)た
門(かど)には集(あつま)るどつちもこつちもいかれんのこわいことは後(のち)の世直(よなを)し
《題:《割書:大地震|大津浪》継ずくし》
【上段】
清水寺とかけて こころはぶたい飛(とび)
しはんばうの散財ととく じや
霜月五日の夕かた 沖なり
直【「値」の意】のたかい質 じや
つなみの大ふね はし折て
なんこのけん じや
道頓堀川の大ふね 大黒で
すぼらな和尚 留つてゐる
ひろちの小家がけ ゆすつても
よいしゆ【良い衆】のむすこ 気が入ぬ
天王寺のたう こけそふても
しやうずのせき取 こけぬ
気のよわひ女中 杓おこして
あら物屋の歳暮 じや
瀬戸物町 高いもの
けいこのかねつけ 割てじや
大地しんの念仏 しんから
香の物の口あけ 出してじや
住よしのとうろう 大かた
すほらなげいこ こけてる
大つなみ 剣先引
茶屋のつき出し さいてじや
今度の大つなみ 志摩
しゆんくはんそうづ【俊寛僧都】 なかしじや
【下段】
おき番【起番=寝ずの番】のさけ 利に入て
えらい借きん しまふ
つなみ地しん 二度びつ
ふきりやうな嫁さん くりじや
しばゐのかんばん 出した儘で
正月のにらみ鯛 手がつかぬ
町〳〵の板行(はんこ)【「版行」に同じ】や づを出して
きせるのそうじ じや
今度のつなみ 紀州が
やすいおやま【遊女・娼妓】 ゑらい
地しんなかばの小便 こは〴〵
きむすめの色事 してじや
くすれかけた橋 人とめて
はたごや じや
鳥羽浦のつなみ 皆 潰(つぶ)れて
かほのわるいたのもし ゐる
へたりかけた家 突張(つゝはり)して
流れかけた質 留てしや
大道の夜あかし 星が
春先のもち 見へる
へたり掛たいえ 丸太で
馬場さき近辺の茶や 持てゐる
道頓堀川の引ふね をい〳〵
米相場 さげる
淀(よと)の川瀬(かはせ)かへ哥
四方(よも)のあわてのなアけし
からぬ音(おと)にこけてこまるやね
なんじうしごく■【記号のよう】ひどきつな
みが打夜(うつよ)のなんぎ■【記号のよう】ひゞく家(や)
ごとにみんなみ船出升■【記号のよう】 出(だ)した
門口(かどぐち)かこうて住(すめ)ば■【記号のよう】 夜風吹(よかせふく)ので
こまつたはつらい惣(そう)よつた所(ところ)で
げんきますヲイ〳〵〳〵ヲイ〳〵イヨル
【張り付けた付箋】
昭和六年十一月一八日寄託
【紙面はコマ22の裏面】
会
望公軒亭記喜寄謝
宿志不思臥弊屋撃妻
携子擇移居鶯遷疑早
偸春気鵬化欲先翔大
虚尚有旧交招設宴謝
無軒語■【愧ヵ】難書但貪鮪膾
在黒甜軟
蒪羹耳喜届油然酔飽
余
丁未■【秋ヵ】日 臥龍題
【朱印】「臥竜■」
人間開口笑大抵在斯時桃李
春三月聖賢酒一卮■【痩ヵ】賜従
易酔懶性不嫌癡蝴蝶夢中
楽兼容情到詩
丁酉三月 臥龍題
(落款)(落款)
大潮記 吉田正敦厚甫記
宝永四-年【一七〇七年】歳次_二 ̄ル丁-亥_一 ̄ニ冬十月四日午 ̄ノ上四-
刻豊 ̄ノ之臼-陽地-震 ̄ス久 ̄ク-之(シテ)-而止 ̄ム至_二于未 ̄ノ時_一 ̄ニ東
洋有_レ声如_二 ̄シ号-砲_一 ̄ノ俄 ̄ニ-而潮-至 ̄ル疾 ̄コト如_二 ̄シ奔-馬_一 ̄ノ黟 ̄キコト若_二
濃-墨_一 ̄ノ高 ̄コト似_二 ̄リ山-岳_一 ̄ニ一-瞬 ̄ノ之間径 ̄ニ乗_二 ̄ス地-面_一 ̄ニ海-湊 ̄ハ
者自_二沿-海一-帯 ̄ノ屋-後_一入 ̄ル祇-園 ̄ノ渕 ̄ハ者自_二城-池
及 ̄ヒ諸-門_一入 ̄ル平-地水-深 ̄キ処各丈-余浅 ̄キ-処可_レ ̄リ没 ̄スル
《割書: |レ》人 ̄ヲ臼-陽 ̄ハ者沿-海之地也尋 ̄ノ-常為_レ ̄ニ潮 ̄ノ■【取ヵ】_レ噬今
【影印第四行より】
般唯-直 ̄ニ所_レ ̄ルヽ沉 ̄メ也予 ̄メ怕_二 ̄レテ圧-死_一 ̄ヲ而駕_レ舟 ̄ニ者溺_二-死
十-余-人_一 ̄ヲ牆-壁顛-倒室-庐 ̄ノ破-裂弗_レ暇_二 ̄アラ枚-挙_一 ̄ニ焉
闔-郷 ̄ノ人-民襁-屓 ̄シテ疾 ̄ク-奔 ̄ル者声-々聞_二于天_一 ̄ニ雖_二涿-
鹿昆-陽之戦_一 ̄ト而未_レ可_レ譲 ̄ル焉肯 ̄テ鬩_二 ̄スルニ毛-井-邑 ̄ノ医
士某 ̄カ私-記_一 ̄ヲ曰慶-長元-年丙-申【一五九六年】七-月七-日大-
地-震豊-府沖 ̄ノ-浜潮-水暴 ̄ニ-来 ̄テ没_二-溺 ̄ス民-戸十-余
町_一 ̄ヲ死 ̄ル者居-多 ̄クナリ矣世 ̄ニ-伝此閏-七月十二日也
乃与_二此-記_一異 ̄ナリ未_レ知執是 ̄ナルコトヲ也同 ̄ク五-年我稲-君
徒_二 ̄セシヨリ鎮 ̄ヲ于此_一 ̄ニ已-来一-百-有九-年所_レ未_レ聞也人
民寓_二 ̄ス于月-桂多-福法-音-等 ̄ノ僧-舎_一 ̄ニ又登_二 城
府_一 ̄ニ月-桂住-持瑞-和-尚法-音住-持義-上-人国-
宰渡-辺豊-宗設_二粥或 ̄ハ飯_一 ̄ヲ以餉_二 ̄ス奔-者_一 ̄ニ顛-沛之
際処-置如_レ此皆以為_レ徳 ̄ト矣于_レ時予行_レ ̄テ県 ̄ニ在_二
于三-重 ̄ノ郷玉-田 ̄ノ邑_一 ̄ニ翌-日帰 ̄テ入_二 ̄ル旧-宅_一 ̄ニ則牆-壁
顛-倒屋-庐 ̄ノ破-壊殆不_レ可_レ見 ̄ル焉座-上水深 ̄コト三-
尺床-木-榻泥-厚 ̄コト五-六-寸魚生_二 ̄ス甑-底_一 ̄ニ蛙跳_二 ̄ル竈-戸_一 ̄ニ
肯栽_二菊 ̄ヲ後-圃_一 ̄ニ頃-日山妻手 ̄ヲ折_二 丁枝_一 ̄ヲ挿_二 ̄ム之 ̄ヲ壁-
間_一 ̄ニ水-痕不_レ及_レ処唯-是_一粧_二旧-顔_一 ̄ヲ迎_レ ̄フルノミ我 ̄ヲ余-物咸
為_二異-状_一也按_二 ̄ルニ先-儒之言_一 ̄ヲ曰天包_レ水 ̄ヲ々𣴎【羨ヵ】_レ ̄ク地 ̄ヲ
天者元-気也包_二-含 ̄シテ地 ̄ト与_一レ ̄ヲ水而運-転不_レ巳若
停 ̄ルトキハ則地須_二陥-下_一 ̄ニ而天-気一-昇一-降乃-是天 ̄ノ
之呼-吸也天 ̄ハ大 也(ナリ)故呼-吸亦-長 ̄シ一-日一-呼-
吸也地与_レ此抑-揚 ̄ス乃-是陰-陽消-長也是以
天-気昇 ̄ルトキハ則地-沉 ̄ム地-沉 ̄ム則海-溢 ̄レテ為_レ潮 ̄ト天-気降 ̄ルトキハ
則地-浮 ̄ム地-浮 ̄ムトキハ則海-縮 ̄テ為_レ汐此潮-汐往-来 ̄ノ之
常也地 ̄ノ之昇-降 ̄スル也如_レ ̄ニシテ此而人不_レ覚猶_下坐_二 ̄シテ船
中_一 ̄ニ而不_上レ ̄ルカ知_二 ̄ラ船之自-運_一 ̄ヲ矣地-震 ̄ハ者天-気失_レ ̄シテ常 ̄ヲ
【以下次のコマへ】
其-昇 ̄ルコト也最-多 ̄シ故 ̄ニ地為_レ ̄ニ之 ̄カ所_レ鼓 ̄セ而其動 ̄スル也甚 ̄シ
故人覚_二其所_一レ ̄ヲ動 ̄ク此-亦猶_下波-大 ̄ニ船-動 ̄テ而船-中 ̄ノ
之人知_上二其 ̄ノ動-揺_一 ̄ヲ矣且天-気大 ̄ニ昇 ̄ル故 ̄ニ地-亦-甚
沉(シヅ) ̄ム故 ̄ニ海-亦大 ̄ニ-溢 ̄ル此地-震 ̄スルトキハ則所_三-以必有_二 ̄ル大-潮_一
也而 ̄シテ-此造-化 ̄ノ所_レ致非_二 人-力 ̄ノ所_一レ ̄ニ及矣以_下我住_二 ̄シテ
于海-浜_一 ̄ニ而驟 ̄ニ被_中 ̄ルヲ水-害_上 ̄ヲ常 ̄ニ列_レ牆 ̄ヲ築_レ壁 ̄ヲ以_二不-
虞_一 ̄ニ不_レ ̄リキ意 ̄ハ這 ̄ノ-回潮-頭丈-余 ̄ニシテ而牆-壁僉列_二 ̄セントハ水-底_一 ̄ニ
譬 ̄ハ如_下患_レ ̄ル盗 ̄ヲ設_二緘-■【綣ヵ】_一固_二 ̄スル扄-鐍_一者_上 ̄ヘ若遇_二 ̄トキハ屓_レ匱 ̄ヲ掲 ̄シテ
《割書: |レ》篋 ̄ヲ而趍 ̄ル-者_一 ̄ニ則併失_二守-■【具ヵ】_一 ̄ヲ未_二如_レ之 ̄ヲ何_一而已(ノミ)輙 ̄チ
是穿-兪 ̄ノ之知尚有_レ未_レ ̄ルコト及 ̄ハ焉矧 ̄ヤ造-化 ̄ヲヤ耶昔 ̄シ武-
蕭-王銭-氏始 ̄テ筑_二 ̄ク捍-海-塘_一 ̄ヲ潮-水衝-撃 ̄ヲ版-築不
《割書: |レ》就発_レ ̄シテ弩 ̄ヲ射_レ ̄ル之 ̄ヲ従_レ此潮-頭避_二銭-塘_一 ̄ヲ東 ̄ノニカ撃_二西-陵_一 ̄ヲ
及-是銭-氏自_レ鏐以-来奄_二有呉越_一 ̄ヲ豪傑 ̄ノ之人
也故有_レ如_レ ̄コト此 ̄ノ矣那 ̄シテ常-人 ̄ノ所_レ ̄ナランヤ及乎但得_レ如_下 ̄ナルコトヲ宋 ̄ノ
景-公 ̄ノ修_レ徳 ̄ヲ而熒惑退_上レ ̄クカ舎 ̄ヲ則可_二 ̄キ苟 ̄モ免_一 ̄ル而已(ノミ)潮-
起以-后人-々怕_二 ̄テ再-起_一 ̄ヲ而皆不_二遑 ̄キ処_一了就_レ ̄テ山 ̄ニ
而居 ̄ル城市空虚 ̄ニ奥 ̄テ官権 ̄リニ置_二 ̄テ候-潮-宦_一 ̄ヲ以掌_下 ̄ル望_二
大-潮_一 ̄ニ撃_レ ̄テ鼓 ̄ヲ徧 ̄ク告_中 ̄ルコトヲ遠近_上 ̄ニ至_レ是 ̄ニ人-皆安-堵 ̄ス矣
《割書:地震|津浪》末題代噺の種□【全カ】
《題:地震《割書:幷|》津浪之/説(わけ)》
地震(ぢしん) 西南海
日本六十余州
東 西
/其余(そのよ)外国(ぐわいこく)【國】異国(いこく)【國】
国【國】 国【國】
皆此上に有と云
之図(づ)【圖】 北氷海
夫(それ) 地震(ぢしん)といふは其 象(かた)ち別に地底(ちてい)にあるにあらず陽気(やうき)【氣】
陰(いん)の下に伏(ふく)して陰気に迫(せま)り昇(のぼ)ること能(あた)はず陽気 渋滞(とゞこふり)て
歳月を経(ふ)るに随(したが)ひ地裂(ちさけ)て陽気天に発【發】せんとして振動(しんどう)する
なり又 津浪(つなみ)といふて別に地中より水を発(はつ)【發】するの謂(いひ)にあらず
天地の間(あいだ)陽陰につゝまれて動発(どうはつ)【發】する事 大底(たいてい)地震に等(ひと)し故(ゆへ)に
地震(ぢしん)に依(よつ)て起(をこ)り或は大風雨に就(つい)て起(をこ)る其発【發】する所一ならざるを以(もつて)知(しる)べし
《題:大地震(おほぢしん)末代(まつだい)噺種(ばなし)》
一嘉永七甲寅年十一月四日
/朝(あさ)五ツ時過より大地震(おほぢしん)
それより昼夜(ちうや)少々(しやう〳〵)づゝ
ゆり五日 昼(ひる)七ツ過又〳〵
大ゆり夜(よる)五ツ半時/頃(ころ)又
大ゆり夫(それ)より格別(かくべつ)の
大震(おほゆり)は無之(これなく)候へども
大底(たいてい)人家(じんか)崩(くづ)れ破損(はそん)
図(づ)【圖】のごとく且(かつ)大道(だいだう)へ
たゝみを敷(しき)あるひは
小屋を掛(か)け夜(よ)を
明(あか)し申候事/前代(ぜんだい)
未聞(みもん)の事ども也
《題:大地震末代噺種》
【上段】
座摩(ざま)宮
鳥居門
石どうろう
絵【繪】馬堂崩る
本社無事
怪我(けが)人なし
△本町心斉ばし筋東へ入
うら長や惣くづれ
△北久太郎町丼池町北へ入所
西側家二軒崩る
△本町狐小路東側寺の
高塀崩る
△同所南の辻角より北へ
七八軒大そんじ
△南本町心さい橋筋東へ入
北がわ人家壱軒大そんじ
【下段】
△南御堂北西手の塀(へい)少々
そんじ南の門大ゆがみ
井戸やかた崩る
△博労町いなりの鳥居大
ゆがみ石燈篭 倒(たふ)れる
△御霊(ごれう)社内井戸屋かた崩る
△塩町さのや橋筋角より
北へ半丁ばかり壱丈余【餘】の
高塀(たかへい)西手へくづれ落(を)ち
死人三人あり
《題:大地震末代噺種》
【上段】
◯道修町せんだんの木筋
高塀十間ばかり崩る
◯順慶町丼池東南角人家
二軒大損じ
天満
不動寺(ふどうじ)
大そんじ
本尊(ほんぞん)
菱形(ひしなり)に
なる
右の近辺【邊】ゆがみ倒れ破(は)
損等おびたゝし
◯堀川の夷境内少〳〵の
いたみ此辺【邊】東西南北
少々づゝの損じあり
◯天満妙見絵馬堂崩る
【下段】
◯淡路町西の土蔵(どぞう)くづれる
◯長ほりさのや橋北詰の
裏長屋七八軒大崩れ
◯天満天神井戸屋かた
土蔵大崩れ夫より東シ
寺町寺院門塀崩れ損じ
多し内【近カ】辺【邊】少々づゝの
いたみ家倒れかけ候処【處】
あまた有之住居ならず
天満
西寺町
金毘羅(こんぴら)の
絵馬堂(ゑまだう)
大くづれ其外
損じ数ヶ所
あり
《題:大地震末代噺種》
【上段】
○福嶋上の天神表門崩る
○汐津(しほつ)橋南詰凡長さ十
五間の大蔵惣壁落柱
ばかり残る
○堂嶋 桜(さくら)ばし南詰西へ
入所人家五六軒崩る
○天満梅がえ寺町の行
あたり正覚寺 境内(けいだい)金毘(こんぴ)
羅の船【舩】絵馬堂くづる
【下段】
○福嶋中の天神本社残り
境内の建物(たちもの)のこらず倒(たふれ)る
○同下の天神絵馬堂崩
その外少々の損じあり
○同光智院の玄関(げんくはん)大崩レ
○同人家大体一町に付
七八軒づゝ崩れ有之
○同五百羅漢堂大損し
○大二村人家凡三十けん
ばかり崩る
○汐津ばし北詰東へ入
所の風呂屋大崩れ
○右向ひの人家八軒計リ
大くづれに相成
○梅田橋東へ入所の高塀(たかへい)砕(くだけ)ル
《題:大地震末代噺種》
【上段】
◯北の新地みどりはし北詰
西角 煮(に)うりやより西へ
四五軒大そんじ
◯梅田橋北詰西へ入裏町
の家二けん崩る
◯常安ばし南詰西角の
人家往来へ 倒(こけ)る
◯ 服部(はつとり)天神大損じ同所
寺二軒くづれそのほか
人家十軒ばかり崩る
◯願教寺【(注)】裏手の長屋二
十軒ばかり崩る
◯阿波座岡崎ばし南詰
半丁東へ入所の人家五
六軒くづれる
【(注)大阪市鶴見区に願教寺の名称の寺院がある。】
【下段】
北の新地
下ばら
辺【邊】
人家
凡四十
けん
ばかり
倒(たふ)れる
◯高原牢窂やしき前の家
一軒崩る
◯野ばく蝋納屋(らうなや)十三げん
ばかり崩る
◯上本町御はらひすじ
近辺【邊】少々づゝの損じ
あまたあり
◯川西願教寺 対(たい)【對】 面(めん)所大
くづれ前すじ北へ入 練(ねり)
塀(へい)大ゆがみ
《題:大地震末代噺種》
【上段】
◯京町ぼり紀伊国【國】ばし南詰
西へ入 裏長屋(うらながや)二三げん
大崩れ
◯新町(しんまち)問屋橋角人家
七八軒大損じ
新町井戸の辻(つぢ)
南東角大崩れ
夫より少し
東の
寺
大
ゆ
がみ
◯奈良屋ばし筋おくび町
角人家 倒(たふ)れかけ住居
ならず
◯北江戸ぼり壱丁目の
高塀(たかへい)十間計崩る
【下段】
◯江戸堀 犬斎(けんさい)ばし人家
四五軒崩る
◯堀江 橘通(たちばなどふり)三丁目人家
半丁ばかり大損しこの
近辺【邊】人家土蔵そんじ
所々有之
◯同いなり御旅所(おたびしよ)境内
神楽所(かぐらしよ)角力場(すまふば)大損じ
座敷くづるゝ
◯白髪(しらが)町く は(ママ)んおん横町
高(たか)へい崩る
◯ざこ場石津町角崩る
◯堀江あみだ池裏門筋
の辻南東角高塀四間
ばかり崩る
大昔(おほむかし)《割書:宝永|四年》地震津浪聞書
宝永四年《割書:嘉永七寅迄|百四十八年に成》十月四日未上刻大坂大地震
に付舟に而内川に遁(のがれ)居候所 俄(にはか)に津波に而 破船(はせん)シ皆 〻 死(しに)申候
地震にて
《割書:南組|北組》 潰家(つぶれいえ) 六百 二(ママ)拾軒
同
南組 押打(おしにうたれ)死人 三千六百弐拾余【餘】人
北組 同 弐千三百三拾壱人
つなみにて
南組 水死(すいし) 壱万弐千人
北組 同 壱万弐千三拾人
落橋(おちたるはし) 弐拾弐 折橋(をれたるはし) 四ツ
道頓ぼり汐込(しほごみ)にて廻船【舩】大小百二十七 艘(そう)日(につ)
本(ほん)ばし迄いやがうへに押来り此処【處】にて留り微塵に成
死人惣合弐万九千九百八拾壱人
枚方(ひらかた)に而川船【舩】数艘(すそう)打破人家押流し此所に而津浪止る
《割書:大地震|大津浪》忠臣蔵九段目抜文句
【上段】
寒空(さむそら)といひ 此度の
おもひがけない ぢしん
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仕(し)よふを爰(こゝ)に 大屋の
見せ申さん 小やがけ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
風雅でもなく 大道のかこ い(ママ)で
しやれでなく 酒のんでゐる人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とんと絵(え)に 大黒はしのふね
書(かい)たとふり はんこうに引合
してゐる人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
折角(せつかく)おもしろふ ちして茶屋から
え(ママ)ふた酒 とんで出る客(きやく)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
たすきはづ 昼(ひる)めし前の
して飛(とん)で出る ゆさ〳〵
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
是上られいと 用意(ようい)の
さし出(いだ)す 気(き)【氣】つけ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
飛脚(ひきやく)が来(き)たらば 遠方(えんほう)へ
しらせいよ 出(だ)す手かみ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
おまへなり 大工方
わたしなり 手伝
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
是は〳〵 往来(わうらい)で瓦(かはら)が
いたみ入 おちてけがした人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
わたしが役(やく)の 大地しんで
二人(ふたり)まへ にはかに男世帯(をとこせたい)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いかにやくそく 津なみで
なればとて 死(しん)だ人
【下段】
様子(やうす)に依(よつ)ては 諸方の
きゝ捨(すて)られぬ 大つなみ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
おやの欲目(よくめ)か 新たち
しらねども 家にゐる人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そりや真実(しんじつ)か 大こくはしの
まことかと 噂(うはさ)を聞(きく)人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
家(いへ)にも身にも 銘々(めい〳〵)にかねを
かへぬ重宝(てふほう) もたして
逃【迯】す人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
途方(とはう)にくれし 在所(さいしよ)の親(しん)るいより
をりからに むかひに来(き)た人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
がてんがゆかぬ つなみで止(やん)だと
コリヤどふじや おもふに又ゆさ〳〵
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
遊興(ゆうきよう)に耽(ふけ)り大(おゝ) 見舞かこつけ
酒(ざけ)に性根(しやうね)を乱(みだ)し 茶やへ行 息子(むすこ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本一の 外(そと)へも出すじまん
あほふの鑑(かゞみ) 顔(がほ)でへたつてゐる人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
嘸(さぞ) 本望(ほんもう)で 材木屋
こざらふ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
かういふ事が 年より子共を
いやさに 在所(ざいしよ)へ預(あつけ)た人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
絵面(えめん)にくはしく 遠方(えんはう)へ手紙に
書付(かきつけ)たり 封(ふう)じ込(こむ)はんかう
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
移(うつ)りかはるは ぢしんも納(おさま)り
よのならひ 春(はる)のしこみ
嘉永七年甲寅十一月【この月に安政へ改元】
大地震相撲取組《割書:頭取 世直シ震蔵|世話人白米安右衛門》
巳ノ時 二度目 堂崩レ 永来(えらい)目ニ
震(ゆり)出シ 仰天 土煙 阿武松
浪花泻【かた】 清水 大道 西ノ方
大恵【惠】羅 舞台【臺】飛 夜明シ 黒雲
大 震(ゆり) 座摩ノ宮 伝【傳】法泻 馬場
肝潰 鳥居倒 蔵倒 人ノ山
【こけ】 【へたり】
大破損 材木矢【屋誤カ】吹(ふ)イ子(ご) 夜通シ
変宅 大悦 大不寄 逃支度
【にげ】
普請方 南御堂 高塀 神仏(しんぶつ)
幸ヒ 門斜 皆倒 大祈
【いがみ】 【こけ】 【いのり】
瀬戸物 起番(おきばん) 用心 尼ヶ崎
大割レ 酒はつみ 軒丸太 半崩レ
【のき】
都方 伊勢海 四日市 商ヒ
静カ 大荒レ 夏通リ 半休日
【はんやすみ】
大津浪末大噺種(おほつなみまつだいばなし)
一嘉永七甲寅十一月五日七ツ時過 大地震後(おほぢしんご)沖合
鳴出し夜五ツ半時 頃(ころ)大津なみと相成高さ一
/丈余(じやうあま)【餘】りの大浪矢よりも早く打来り天保山の
人家 惣崩(そうくつ)れ泉尾新田今木新田月正嶋木津
難波新田勘介嶋寺嶋一面の白海と相成田地は
/勿論(もちろん)人家不残流れ死人数を知らす千石二千石
或は五百石の大船木津川安治川両川口に繋居(かゝりおり)候
処【處】右の津浪にて両川口へ分れ 逆巻(さかまく)ごとく内川へ
矢よりもはやく突上候故 剣先上荷茶舟押潰(けんさきうわにちやふねおしつぶ)され
ある ひ(ママ)は大船の下敷に相成荷物は勿論乗込の人〻
/溺死幾(できしいく)千人といふ数を知らす大船も五百石千石抔の
船の上へ 弥(いや)が 上(うへ)に乗上候事故互ひに打砕け是亦死
人数しらず夫故内川の浜【濱】側掛造りの家は勿論(もちろん)蔵
【文章はありません】
納(な)屋抔に至るゝ迄 悉(こと〳〵)大船【舩】の為に打砕(うちくた)【碎】かれ且
道頓堀川筋は日吉橋 汐見(しほみ)橋 幸(さいわい)橋住吉橋この
四ツの橋 押落(おしをと)し其音百雷の落来ることし漸
大黒橋にて水勢三方へわかれ候事故此所にて
船【舩】止る込合居候船【舩】千石已上已下の船【舩】凡三百余【餘】
艘 剣先(けんさき)以下の小舟凡千艘 崩(くず)れて形(かた)ち無之
舟数を知らず又安治川は同様の勢いなれ共(とも)
川はゞひろく道頓堀川筋よりは死人 破船(はせん)【舩】抔も
すくなく橋は安治川橋亀井橋二ヶ所落ち堀
江川筋落橋水分橋黒金橋長堀川高橋落る
道頓堀西横堀金屋橋 帆柱(ほばしら)にて半崩れ実(しつ)に
あわれ成は地震 最中(さいちう)に上荷茶舟抔の小舟
にておもひ〳〵に地震を 除(よけ)んとて内川に
舟住居(ふなすまい)致し且は浜(はま)【濱】側(かは)の明地(あきち)へ逃(にけ)【迯】 出(いた)し居候
男女老若右の津浪にて一人ものこらのこらす水
死(し)いたし候恐るべし〳〵
《題:大津波末代噺種》
志州 鳥羽(とば)
の湊(みなと)大 津浪(つなみ)にて
御家中町家とも惣
くづれ又みなと川口に
かゝり有之大船小ふね
陸(くが)へ打上あるいは海中へ
捲(まき)こみ死人何千とも
相わからす目も
当【當】られぬ次第也
○淡州福良(だんしうふくら)は惣家数三百余【餘】軒の処【處】大つなみ
にてのこらず流れ此嶋跡かたもなく相成申候
○勢州山田松坂津白子四日市 桑名(くわな)すべて
浜辺【濱邊】の人家は大体 鳥羽(とば)におなし
○摂州尼ヶ崎つなみ内川水壱丈余【餘】り増す船
人家の損し夥(おびたゝ)しく死人百余【餘】人あり
《題:大津浪末代噺種》
十一月五日夕 大津波(おほつなみ)
突来(つきく)る前に大坂の西
前垂嶋(まへだれじま)といふ処【處】へ丈(た)け
二丈ばかりの高坊主(たかぼうず)
出たり人々是を見て
肝(きも)を潰(つぶ)しアレヨ〳〵と
いふうち海に又 陸(くが)に
向ひ手にて水を
かける如くして 姿(すがた)
見へず 成(なる)と
間(ま)もなく
大 津浪(つなみ)
突(つき)来る
是此 変(へん)を告しならんと
後(のち)に思ひ合しける
嘉永七甲寅十一月【この月に安政へ改元】
大津浪相撲取組《割書:頭取 港荒右衛門|世話人響難浪之助》
沖 鳴 大津浪 早浪 大浪
雷の音 逆巻 落橋 破船【舩】
【さか】 【やふ】
大黒橋 新田 小舟皆 荒湊
船【舩】誥り 白海 微塵 家無シ
【詰誤カ】 【みぢん】
問屋泻 川材木 荷主山 勘助嶋
皆損ン 大流シ 大泣 大漬リ
【つか】
住ノ江 割茶舟 /跡(あと)残リ 荷流シ
静カ 人流シ 橋台【臺】 大損ン
【しつ】
金屋橋 天保山 船【舩】持 西ノ浜【濱】
半崩レ 家流シ 大弱リ 肝潰シ
【くつ】 【よは】 【きもつふ】
出水川 掛造リ 水勢 浜【濱】納屋
割リ舟 大破損 町流 蔵崩
鳥羽ノ浦 紀伊ノ海 大群集 多人力
惣崩 大荒 人の山 引船
《割書:大地震|大津浪》大功記十段目 抜文句
【上段】
しあん投首(なけくび) 津なみては船【舩】
した荷(に)主
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おもひせくこと よういして
さらになし ばんばへ出た人
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早本国へ 遠方てつなみ
引とり給へ の噂(うはさ)聞人
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あはやと見ゆる ふる家急に
表(をもて)口数ヶ所の手 疵(きす) 宿かへする人
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顕(あら)はれ出(いて)たる まいはん
西に黒雲
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ぬき足(あし) へたり掛たる家へ
さし足 忘物取に這入人
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わつと玉(たま)ぎる 地(ち)しん最中(さいちう)産(さん)
女のなき声(こゑ)【聲】 の気(け)の付(つい)た人
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聞(きこ)ゆるもの音(おと) 大道(だいだう)畳敷(たゝみしい)て
こゝろえたりと 内にゐる人
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互(たかい)の身(み)の 注文物(ちうもんもの)船(ふね)【舩】へ
しあはせ つまなんた人
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水あげかねし 大地しん
風(ふ)ぜいにて 蔵仲仕(くらなかし)
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末世(まつせ)の記録(きろく)に 大黒(たいこく)ばしへ
のこしてたべ つまつた船【舩】
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操(みさほ)の鏡(かゞみ) 住よしの浜(はま)【濱】
くもりなき つなみなし
【下段】
他家へ縁付 大はそんした
して下され 家ぬし
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祠はゆるかぬ 大坂の
大はん石 御城
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しるしは目前 家ちんの
これを見よ やすい古家
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追〳〵都へ 諸国よりの
はせのほる 見舞状
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高名手がら紙 普請方
見るやうな
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我(われ)又 孫呉(そんご)が 大道へ素人細工の
秘術をつくし 小家たてる人
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とかふ言内 かんばん出した
時こくが延る 道頓堀の芝居
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まだ祝言の 地しんて
さかつき紙 延(のひ)たこん礼
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あたりまば 下中きへ逃(にけ)【迯】る
ゆき出立は 北辺の御寮人(これうにん)
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行方しらす 津なみて
なりにけり おちた橋〳〵
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さやうなれは 明地のある所へ
御遠慮なし とまりに行人
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めでたい〳〵 家内に
けがのないの
《割書:大地震|大津浪》世直し万歳(まんざい)
時は嘉永寅の冬みなもさはぎまし升そうどう
ありけるあらましの飛出(とびだ)しさはぐわれらよりたれもおど
ろき皆目をさましあはてけるは誠に手ひどふさアはぎ
けるけふのゆさ〳〵は安座でとふも御家にゐられぬ皆も
大事おれもモウ出るかゝも逃【迯】よ夜通しゆさ〳〵とうらや
住の者共が【歌の記号カ】霜月四日辰の下刻にゆり出し長い事まじ
な い(ママ)神をいのられ給ふあふないなんぞと気もませ給ふは
まことにねぶたふそふらひける【歌の記号カ】つなみ〳〵とつとこんだる
つなみ打たる浪の大ゆりうろたへこはい内の大ゆりあはて騒(さはい)で
はまがはこ わ(ママ)いはまがは〳〵〳〵こわいなとゆつたる度に気をもめそこを
打捨せと物屋をみたればらんちくさはぎ皿やかんちろりん疵(きず)ひゞ
ぎ皆 疵(きず)しやびん色々 結構(けつこう)かざり立てあぶないしが忽(たちまち)ににけ
しや落して破(われ)たる雑(ざう)ばち迄ゆりこうなる様(さま)野にも集(あつま)る皆よれ
これよれ諸方(しよはう)の御蔵もどつさり〳〵〳〵〳〵〳〵瓦(かはら)も傾(かたむ)く世上には取沙(とりさ)た
門(かど)には集(あつま)るどつちもこつちもいかれんのこわいことは後(のち)の世直(よなを)し
《割書:大地震|大津浪》 継づく志
【上段】
こゝろは
清水寺とかけて ぶたい飛(とひ)
しはんばうの散財ととく じや
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霜月五日の夕かた 沖なり
直【値】のたかい質 じや
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つなみの大ふね はし折て
なんこのけん じや
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道頓堀川の大ふね 大黒で
すぼらな和尚 留つてゐる
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ひろちの小家がけ ゆすつても
よいしゆのむすこ 気【別冊「が入ぬ」】
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天王寺のたう 【別冊「こけそふても」】
しやう【ずカ】のせき取 こけぬ
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気のよわひ女中 杓おこして
あら物屋の歳暮 じや
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瀬戸物町 高いもの
けいこのかねつけ 割てじや
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大地しんの念仏 しんから
香の物の口あけ 出してじや
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住よしのとうろう 大かた
すぼらなげいこ こけてる
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大つなみ 剣先引
茶屋のつき出し さいてじや
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今度の大つなみ 志摩
しゆんく は(ママ)んそうづ なかしじや
【下段】
おき番のさけ 利に入て
えらい借きん しまふ
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つなみ地しん 二度びつ
ふきりやうな嫁さん くりじや
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しばゐのかんばん 出した儘で
正月のにらみ鯛 手がつかぬ
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町〳〵の板行(はんこ)や づを出して
きせるのそうじ じや
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今度のつなみ 紀州が
【別冊「やすいおやま」】【別冊「ゑらい」】
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地しん【別冊「なかばの小便」】【別冊「こは〴〵」】
きむすめの色事 してじや
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くつれかけた橋 人とめて
はたごや じや
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鳥羽浦のつなみ 皆潰れて
かほのわるいたのもし ゐる
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へたりかけた家 突張(つゝはり)して
流れかけた質 留てしや
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大道の夜あかし 星が
春先のもち 見へる
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へたり掛たいえ 丸太で
馬場さき近辺の茶や 持てゐる
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道頓堀川の引ふね をい〳〵
米相場 【別冊「さげる」】
【付箋朱印】
国分学研究資料館【裏字】
182940【裏字】
平成24【(2012)】年2月6日【裏字】
《題:淀(よと)の川瀬(かはせ)かへ歌》
四方(よも)のあわてのなアけし
からぬ音(おと)にこけてこまるやね
【印影不鮮明、別冊で「なんじうしごく、ひどきつな」】
みが打夜(うちよ)のなんぎ【歌の記号カ】ひゝく家
ごとにみんなみな出升【歌の記号カ】出した
門口(かどぐち)かこうて住(すめ)ば【歌の記号カ】夜風吹(よかせふく)ので
こまつたはつらい惣(そう)よつた所(ところ)で
げんきますヲイ〳〵〳〵ヲイ〳〵□【別冊「イヨル」】
【画面左下】
名□屋
常松
所持