ステージ3の翻刻テキスト

このテキストはみんなで翻刻で作成したものです.利用条件はCC-BYです.

関東江戸大地震并出火方角附

安政二乙卯年十月
《割書:関東|江戸》大地震幷出火方角附
夫天|変(へん)地|妖(よう)ハ人力を以て是を防(ふせぐ)事(こと)不能(あたらず)時に安政二卯年十月
二日夜四ツ時過俄に天地|震動(しんとう)なし大じしんゆり出し北ハ千住宿
大にゆり崩れ小塚原ハ地しんの上出火にて不残焼失す新吉原
江戸町京町角町伏見町十二軒不残焼失す死亡のものあげてかぞえかたし【田町】
より竹門南北馬道さる若町壱丁目弐丁目三丁目不残消失す花川戸山のしゆく
聖天町此辺夥敷崩るゝ金龍山浅草寺は本堂無恙五重塔少々損す又
並木通は駒かたより出火してすわ町黒舟町三好丁河岸通迄焼失す三好丁
角ニ而壱番組消留る夫ゟ御蔵前通り少々損す又下谷広徳寺前寺
院町家大小崩る此辺藤堂様立花様其外大小名御屋敷のこらす損す
又上の町ゟ長者町焼る和泉橋通り中御徒町辺焼失す同所広小路北
側六あみた横町より伊東松坂屋黒門丁御成道は石川主殿頭様御屋敷黒田
豊前守様御屋敷焼小笠原様損す同所かや町壱丁目弐丁目榊原様類
焼又根津茶屋町辺大に損す無縁坂松平備後守様焼千駄木団子坂
此辺数多崩谷中善光寺坂上少々残る也夫ゟ本郷通り少々損す湯島天神社
少々損す同三組丁中程ニて二軒倒その外畑新町家霊雲寺門前
少々いたみ霊雲寺はねりべい崩るゝ妻恋町いなり社無恙
町内一軒も不崩扨又南方は浅草御門内馬喰丁通りゟ小伝馬
丁通り鉄砲町石町又横町より塩丁油丁通り大伝馬町通り
本町四丁常盤橋御門外此辺格別損じ無之また西の方は
小川町通り本郷丹後守様松平紀伊守様榊原式部
太輔様板倉様戸田様堀田備中守様此辺
御屋敷方大にくづれ焼失す又神田橋
御門内は酒井雅楽頭様森川出羽守様
類焼又一ト口は辰の口松平肥後守様
上中御屋敷焼る松平下総守様内藤
紀伊守様やける
八代洲河岸松平相模守様向遠藤但馬守様
御火消屋敷類焼松平右京損す永井遠江守様
本多中務大輔様御類焼又日比谷外は松平
肥前守様焼失松平大膳太夫様少々焼る阿部
はりまの守様少々損す薩州様御装束屋敷
類焼丹羽若狭守様少々損し有馬備後守様
焼失南部美濃守様御類焼松平時之助様伊
東修理太夫様北条美濃守様御類焼亀井隠岐守様
裏長家少々焼る夫ゟ虎之御門外京極様
稲葉様木下様此辺より愛宕下通り少々の損し
にて又日本橋通り中橋辺少々損す京ばし
南かち町南大工町五郎兵衛町畳町北こんや町
南伝馬町弐丁目三丁目鈴木町いなば町常盤町
具足丁柳丁竹河岸本材木町七丁目八丁目類焼
弾正橋にて焼留る夫ゟ北の方筋違御門内須田町
より今川橋通り十軒店室丁より日本橋際
此辺格別いたみなしまた人形町通り此辺少々損す
松嶋丁八九分通りは崩れ損すかきがら丁林肥後守様
御やしき大に損す此辺御屋敷方大に損ず又はま丁井上
河内守様少々焼水野出羽守様焼安藤但馬守様
少々損ずまた霊厳嶋大川ばた北新ぼり少々やける
八丁ほり辺少々損す京橋ゟ南の方新橋辺は少々の損じ
にて柴井丁両側とも不残焼失す露月丁宇田川丁
神明丁三嶋丁大に崩れ芝増上寺は山内とも別条なし
中門前濱松丁四丁少々損す夫ゟ金杉橋通り本芝濱辺共
損す田丁九丁高輪大木j戸品川辺格別の損じもなく夫ゟ
又西の方麹町四ツ谷辺少々損す鮫ヶはし大崩れる赤坂は伝馬
町四丁一ツ木此辺少々損す相畑黒田筑前守様大に損す青山
六道辻辺大に崩麻布辺格別の事なく又西久保神谷町辺大
に崩夫ゟ辰巳の方本所竪川通緑町壱丁目ゟ五丁目迄花丁徳
右衛門町此辺一面ゆり崩れ焼失同林町猿江辺大に損すまた石
原辺番場町焼失すまた深川御舟蔵後通御旅所此辺崩る
八名川町六間堀常盤町此辺大にゆり崩焼失す同森下辺
は大に損す又一ト口は永代橋向相川町諸町北川町熊井
町黒江丁仲町永代寺門前悉ゆり潰れ焼失す八幡宮
本社別条なく表御門鳥居損ず三十三間別条なし
其外御府内十里四方中仙道大みや辺まて大地さけ大に
崩れ上総下総まて大地震行徳舟橋辺悉ゆり
潰れ又葛西二合半日光道中岩附【槻】幸手辺所々
類焼猶一〳〵是をかそへ上るにいとまあらず翌九ツ時
漸く火鎮り諸人案堵のおもひをなす此由を諸国親
類縁者之ものへしらしめんが為に一紙にしるして
唯一読に備るのみ

[鯰図と猫]

夫天地不時之変動ハ
陰陽混して雷雨と
なる地にいれハ地表を
なすアア神仏の
立護も

東国十八ヶ国並蝦夷図

東国十八ヶ国並蝦夷図

【上段】
安政三丙辰
八月廿五日
雨風荒之部
上野下野
常陸甲斐
同日
津波雨風
天火
大荒
 之部
上総
下総
安房
武蔵
相模
伊豆駿河
遠江
右国々殊更
大あれ大崩
古今無双之
珍事大略
下ニ図する

【右下】
八月十八日ゟ同廿三日迄
青森海中より泥砂を
吹上る事昼夜にして
廿三日別してはけし
く夫ゟ大地震□
浪大にして沖□
勿論地方家蔵
崩人死亡数不
知此時奥州
出羽越後佐
渡蝦夷松前
近辺之嶋々不
残ゆり潰
し目も
当られ



なり

帝都大震災一覧

帝都大震災一覧

【右側一段目】
《割書:むざんに|やけた》 《割書:スルガ|ダイ》ニコライ教堂【欄外】
八かいから折れた  《割書:アサ|クサ》十二階
あおのいて倒(たふ)れた  《割書:通り|三》丸善
《割書:やけおちてけがにん|を多くした》    市内の橋々
ふるいおとされた   屋根瓦
首のおちた      《割書:上|ノ》大仏
焼灰がとんで     《割書:ヒタ|チ》水戸まて
効力の薄かツた    金庫
幾筋も上つた     たつまき
なだれをうつて都おち  罹災(りさい)民
一周間あまり     玄米食

【右側二段目】
根岸 二松軒案【欄外】
世界上に通信を助けた 無線電信
どこにもかしこにも  たつね人のビラ
又来たとおとろく   余震
北の氏神さま     神田明神
まッさきにやけた   警視庁
をしいこと      浅草本願寺
すぐに支払ツた    生命保険金
しんきにできた    金庫あけ業
七十六万冊をやいた  帝大図書館
避難民にくはれた   《割書:ヒゞ|ヤ》公園の鴨
大うそであツた    江ノ島沈没
急ごしらいノ乗合   荷馬車

【右側三段目】
救援品が届いた   芝浦に山
処々に建ツた    公設バラツク
おひ〳〵あげられた 火事どろ
火中にやけなかツた 住友銀行支店
やけあとに多いもの やけ瓦にトタン板
道ふしん      工兵隊
銀行の払ひ戻シ   百円以内
一寸おあいた【?】    骨董商
地が二尺さがツた  本所方面
無法ものがあツた  自警だん
なきつらぞろひ   家主
責任の自殺     山内相生署長
救援電報第一着   北米合衆国
当時品切      煙草ろうそく
大道商人のさきがけ 西瓜すいとん売

【右側四段目】
ひなん者のぐんじゆ 二重橋前広場
助ける神有り    救助米
立ちのきさきの不便 水切レ停電
公定ねだん四十銭  玄米一升
ふところにだく   禁止写真
田舎かせぎに出かけた 藝妓
ふえた〳〵     絵葉書や

東京以外惨害地
全滅 江ノ島、小田原、真鶴、南朝夷、
殆全滅 横浜、横須賀、腰越、茅崎、
 平塚、熱海、箱根、湯本、下鶴間、北
 条付近、布良、
以上は皆東京以上被害ノ大ナル地ナリ

【中央一段目】
時刻《割書:大正十二年九月|一日午前十一時五十八分》
震源《割書:相州小田原と豆州|大島の間ノ海底》

【中央二段目】
《割書:本|所》橋々のたもと むすう 被服廠跡 《割書:死者三万二千|五百六十人》【実際は橋々の〜と、被服廠跡〜は二行でレイアウトされています】
《割書:吉|原》公園ノ池《割書:死者|八百五十人》 川々のきし むすう【実際は公園ノ〜と、川々の〜は二行でレイアウトされています】

【中央三段目】
九月二日 非常徴発令
同    戒厳令
九月七日 流言飛語取締令
同    支払延期令
同    暴利取締令

【中央四段目】
不思議に助かツた
神田和泉町
浅草寺
元佃島

【中央五段目】
戒厳司令部
帝都復興審議会

【左側一段目】
《割書:つぶれた中に|二百五十人》 《割書:丸ノ|内》内外ビルヂング
腰を折ツた   《割書:丸ノ|内》東京会館
あめのように曲(まが)ツた 鉄道線路
まるで信用をおとした 煉瓦建築
でんぐり返ツた 九タン品川氏銅像
東京の火事が見えた 《割書:岩|代》福島から
大抵やけおちだ  土蔵
早く伝はツた   流言飛語
潮のように入ツてきた 救護団
大はたらきの かんづめ類
《割書:英、米、仏、伊、|支、独、和》《割書:七ヶ|国》大公使館【この行欄外】

【左側二段目】
軍用通信の功ハ   飛行機
あはれに立つ    立のき札
くるか〳〵と    津浪の噂(うはさ)
南の氏神さま    日枝神社
スハ地震ソレ火事! 歯科医専学校
をしいこと     築地本願寺
中々支払はない   火災保険金
大道処々に     自転車パンク直し
二百年来の     湯島ノ聖堂
やけ死んた     《割書:アサ|クサ》花屋敷ノ大象
おも荷に小つけ   朝鮮人事件
やねまてのせた   避難汽車
著作権所有 不許復【複】製【この行欄外】

【左側三段目】
十月十七日始めて     日比谷野外劇
青天のへきれき      焼残リノ爆破
保護を願ひ出た      主義者
地震にビクトモしなかツた 帝国ホテル
くものすの如くやけ下ツた 電線類
辻々の立番        歩兵隊
郵便貯金非常払戻     三十円以内
たのみ手が無い      美術家
数丈の地われ       宮城前
意外ゝゝ         甘粕事件
ほく〳〵ものゝ      大工左官瓦屋
立退かずに火を防いた   住友支店庶務課長
九月七日半旗をかゝげた  仏蘭西
当時品ぎれ        砂とう くぎ
よしずばりで       しるこ、牛乳店

【左側三段目】
ひなん者でうつめた   上野公園
なさけは人の為めならず 慰問袋
いつまても     ガス不通葉書品切
未曽有に安くなツた   野菜類
くらやみに出る あやしい女あり
大坂にどし〳〵 長うた師匠
一目に見せる上の かし望遠鏡

《割書:東京|市内》 肝要な数字
焼けた南北   二里廿八町
焼けた東西   二里
火元      百三十四ヶ所
焼失戸数    四十四万七百余戸
焼死人口    判明ノ分六万百十人

正価 金拾銭

発売所 東京市下谷区下根岸町 伊勢辰立退所
    二十五番地 石井方

大正十二年十月廿四日内務省御届 同月二十六日発行 編輯兼発行者東京市神田区元岩井町十九番地広瀬正雄 印刷人
 東京市下谷区坂本裏町六、泰文堂 中村有蔵

大正大震災双六

【タイトル・上部横書き】
大正大地震双六 月の屋案

【紙面右半分上から下へ】
行衛不明
一 軍艦救助(バラック)
二 外国渡航(上り)
三 御目出度
四五 帰郷(上り)
六 死亡 ゆり出し(戻り)
ふりだし

招魂社
一二 御目出度
三四 怪我 軍隊 警察
五六 発病 赤十字外 救護班

仮住居
一三 バラツク
四五 同居
六 焼残り住居 倒潰修繕 帰宅 (上り)

日比谷公園
一 御目出度
二 迷子 軍隊―警察
三 発病 赤十字外各救護班
四 怪我 仝上
五 行衛不明
六 死亡 ゆり出し (戻り)

同居
三 倒潰 修繕 帰宅 (上り)
四六 新築落成 帰宅 (上り)

丸の内
一 怪我 軍隊 警察
二 御目出度
三四 仮住居
五 発病 赤十字救護班
六 御目出度

軍隊警察
一 仮住居 送付
二 赤十字外 各救護班 送附
五 死亡 ゆり出し (戻り)
六 御目出度

遭難
一 けが 赤十字救護班
二 迷子 軍隊 警察
三 発病 赤十字救護班
四五六 死亡 ゆり出し (戻り)
【以下続く画像が切れている】

  生命
上り 安全
  財産

【紙面左半分上から下へ】
御目出度
一 結婚(仮住居)
二 蘇生(赤十字外救護班)
三 出産(仝上)
五 出会(仮住居)
六 焼残り倒潰修繕 帰宅(上り)

バラツク
一二 同居
四 倒潰修繕
帰宅(上り)
五 新築 落成 帰宅(上り)

赤十字外各救護班収容
一二三 仮住居 送付
四 死亡 ゆり出し (戻り)
五六 快方 (二回休) 帰宅 (上り)

被服廠
一 御目出度
二 怪我 赤十字外救護班
三 船の中
四 迷子 軍隊-警察
五六 死亡 ゆり出し (戻り)

上野公園
一 御目出度
二 行衛不明
三 発病
四 怪我
五 御目出度
六 死亡 ゆり出し (戻り)

船の中
一 上陸 避難場所
三 怪我 赤十字外救護班
四 迷子 軍隊 警察
五 行衛不明
六 死亡 ゆり出し (戻り)

浅草公園
二 怪我 軍隊 警察
三 発病 赤十字救護班
四五 御目出度
六 死亡 ゆり出し (戻り)

ゆり出□
一五 家の中
二三四六 避難

庭前
一三 怪我 赤十字救護班
四 死亡 ゆり出し (戻り)
五六 焼残り 倒潰修繕 帰宅 (上り)
【以下続く画像が切れている】
【同じステージ3の中ほど 大正大震災双六(袋) に続く】

江戸大地震出火之図

嘉永七甲寅十一月四日五日
江戸大地震出火の図 本しらべ二仕候
東海道筋
大津 無事
草津  同断
石部  〃
水口  〃
土山  〃
坂下  〃
関   〃
亀山  〃
庄の  大あれ
石薬師 同断
四日市 《割書:大地しん|大地われ》
桑名  《割書:大つなミ|じしん》
宮   《割書:大地震|八部【「分」】くづれ》
鳴海  七部くづれ 
池鯉鮒 《割書:大じしん|大つなミ》
岡崎  不残くづれ
藤川  《割書:大ぢしん|七部くづれ》
赤坂  不残くづれ 
御油  大あれ
吉田  《割書:大ぢしん|六部くづれ》
二川  《割書:同|半分くづれ》
白すか 大地しん八部崩
新居  御関所損
舞坂  《割書:大ぢしん四部|くづれ》
浜松  《割書:大ぢしん|六部くづれ》
見附  《割書:大ぢしん|六部くづれ》
袋井  《割書:大ぢしん|丸やけ》
かけ川 同
日坂  無事
金谷  《割書:大ぢしん|七部丸やけ》
嶋田  《割書:同|半分くづれ》
藤枝  《割書:上の方|六部やけ》
岡部  《割書:大地震|不残くづれ》
丸子  同
府中  《割書:江川丁ゟ出火|四部やけ》
江尻  《割書:大ぢしん|丸やけ》
興津  《割書:大つなミ地しん|四部やけ》
由井  無事
蒲原  《割書:問やばゟ東やけ|不残くづれ》
吉原  大地しん丸やけ
岩淵  《割書:六部くづれ四部|やけ山崩川水ナシ》
  ふじ川
原   少しゆり
沼津  同
三島
箱根  右
小田原
大磯
平塚  同
藤沢
戸塚  断
程ヶ谷
かな川
川崎
品川  大じしん 

江戸出火
當寅十一月五日亥ノ刻浅草猿若丁ゟ出火之有二
三丁目三芝居聖天町山の宿丁花川戸町迄のこらず
西は北馬ミち東大川はしまでそれより向ふじま
小梅むら水戸様御下やしきへ飛火いたし町家
凡十丁四方ほど焼おち申ス地震ハ大坂同断
六郷筑前守様近火に御坐候

江戸大地震の図
嘉永七甲寅十一月四日朝五ツ半時大地震ゆり初め丸の内
辰の口南大名小路西御丸下御役屋敷同様御目附家敷
無事町南の方芝近辺西のくぼ赤阪今井谷あを山
あさぶかなすぎあたご下たまち此辺大あれにて人家
大いにそんじたれどもくづれたる所なし増上寺天徳寺
無事本郷六丁目大あれ又ねづ谷中下谷かなすぎ
山下西の方かうじ町四ツ谷少々あれまた丸の内
備前様蔵の所十軒余大地われさくら田辺御家敷
三四軒少々ヅヽくづれなべ嶋様御家敷こしまき落ル
南部様御家敷御長家くづれ柳澤様げんくわ
大そんじ并ニ大地われる又大保町本郷六丁目大地家根
かわら凡半丁ばかり落る此ほか書しるす事あまだ
あれども是に略す又大地震に而市中の人々大混雑致候所へ
又五日夜四ツ時浅艸ゟ出火にて少々こんさついたし候

【地図 川より東】
すさきむら  小梅むら  しゃうせんじ  町家
かわら町  ミめぐりいなり  水戸様御下やしき  松平越前様
隅田川  あづまばし  橋長サ七十八間
【地図 川より西 右上】
けようじ【慶養寺?】  町家  ゑだ丁  町家  とりこへ丁 町家
かわら町  待乳山聖天  町家  しやうでん丁  役者中町家  丁家  あんらくいん  やくしやしん道  人形しばい  同  同三丁メ  同二丁メ  さる若丁一丁メ  
かわらさき座  市村ざ  中むら座  □□□□こミち
芝居茶屋  馬ミちどふり 
【地図 右下】
うばか池  まんだらとう  いろは長屋  くほんじ  
一ノ権現  町家  北馬道  やまのしゆく  しんしやういん【自性院?】  町家  南馬みち  はなかハとう  此所町家
堺地  広小路  カミナリ門
【地図 左上】
町家  田地 たまち  むりやういん  れんじやういん
いなり  おた大かく様  六郷ちく前守  田地
本堂  右大臣もん  二王門  せんそうじ  金龍山浅草寺  でんぼういん  境内  町家  たわら町












地震吉凶之弁

【同タイトル】
地震吉凶(ぢしんきつきやう)之(の)弁(べん)

【上部右上から】
地震は豊年(ほうねん)の基(もと)ひ也何無愁事秋は草木土(そうもくつち)に
もとり冬の気より土(ち)ちうに芽(め)をふくみ天のめぐみを
地にはらみ萬物(ばんもつ)を生ずるところ時のふしゆんを
いかりすでに発(はつ)して地しんとなる地震は
地の煩(わづら)ひゆゑ野(の)人は不息(やま)人は天地を父母と
して萬物の長 四(し)海(かい)みな兄弟(けいてい)也ゆゑに
老(おひ)の若(わか)きを導(みちび)き若(わか)きは老を助(たすく)ること
人りんの常也然る処(ところ)近来(きんらい)かろきところは
人情(にんじやう)薄(うす)く
自他(じた)の隔(へだて)強(つよ)く美飯(びはん)を
好(この)み時ならざる花を楽(たの)しみ高金(かうきん)を費(つひや)すこと天理にかなはずたとへ
地震のなんをのがるゝとも教(をしへ)に背(そむ)き一身全からず恐れつゝしむべし
夫(それ)天は陽也上に位(くらゐ)して覆(おほ)ふこれ父の徳也
地は陰なり下に位してのする母の道也然して
陰陽(いんやう)交(こう)かんして五行(ごぎやう)を生ず其気(そのき)天にかへりて四(しい)
時(じ)行(おこなは)れ其 形(かた)ち地に布(しひ)て人及び禽獣(きんじう)魚虫(ぎよちう)
草木(さうもく)を生ず故に天地を大 父母(ふぼ)と称(しやう)す
人は秀(ひい)でたる五行の気をうけて生するを以(もつ)て
萬物(ばんもつ)の霊(れい)といふ也されば天地の父母に順(したが)ふ
を孝(こう)といひ日月 君后(くんけう)に従ふを忠といふ
実(まこと)に人は其 性(せい)を天地にかくるがゆゑに天地の
あひだに備(そなは)るもの人に備らずといふ事なし天 圓(まろ)
きがゆゑに人の頭(かしら)丸し天に日月あつて人に両 眼(がん)
あり天に列星(れつせい)あり人に歯牙(しが)あり天に風雨(ふうう)
あり人に喜怒(きど)あり天に雷鳴(らいめい)あり人に音声(おんせい)
あり天に陰陽(いんやう)あり人に男女あり天に四時(しいじ)あり
人に四肢(しし)あり天に炎冷(えんれい)あり人に寒熱(かんねつ)有
天に昼夜(ちうや)あり人に起臥(きくわ)あり
天に五音(ごいん)あり人に五臓(ごぞう)有天に六(りく)
律(りつ)あり人に六腑(りくふ)あり天に十干(じつかん)有
人に十指(じつし)あり天に十二 辰(とき)あり人に足(あし)の
十指と茎垂(きやうすい・インフグリ)あり女は此二つなし故に胞胎(はうたい)を
なす年十二月なれば人に十二 節(ふし)あり一年三百六
十日なれば人に三百六十の骨節(こつせつ)有或は地形成(ちかたなる)が故に人の
足形(あしかた)也地に十二 経水(けいすい)有ば人に十二 脛脉(みやく)有地に高(かう)
山あり人に肩(かた)ひざあり
地に泉脈(せんみやく)あり人に気血(きけつ)あり
地に草木有人に毫毛(かうもう)
募筋(けんきん)あり
地に▲

【左上】
▲砂石(しやせき)あり
人に骨肉(こつにく)あり
その餘(よ)天地の間(あひだ)たにあらゆる
もの人に具(そなは)らずといふものなし仏(ぶつ)
経(きやう)に説(とく)所(ところ)の須弥山(しゆみせん)といへとも皆(みな)一身(いつしん)に具(そなは)る也
既(すで)に須弥(しゆみ)の頂(いたゞき)に忉利天(とうりてん)ありといふも人の頂(いたゞき)の天 骨(こつ)なり
須弥(しゆみ)の圓生樹(ゑんせいしゆ)は頭(かしら)の圓(まろき)に生(しやう)する毛髪(もうはつ)也 帝釈(たいしやく)は額(ひたへ)喜見城(きけんしやう)は
眉毛(まゆげ)也これ喜(よろこ)びの眉(まゆ)を開(ひら)くのいひ也 善法堂(ぜんほうどう)は人 皆(みな)具足(くそく)する所の仏心也
須弥の四方に持 国増長(ごくそうちやう)広目(くわうもく)多聞(たもん)の四天 居住(きよぢう)すといふものまづ広目 両眼(りやうがん)也
多聞(たもん)耳(みゝ)也 増長(ぞうちやう)鼻(はな)也 口は一切(いつさい)の食(よく)を以(もつ)て一身の国を持(たも)つ則(すなはち)持国(ぢこく)也須弥の九山は肩(かた)肘(ひぢ)胸(むね)
腹陰膝(はらいんひざ)背(せ)腰臀(こししり)の九つ也八 海(かい)は胸中(きやうちう)八識(はつしき)の湛(たん)水(すい)也四 州(しう)は四肢(しし)なり又須弥の歌に
北は黄(き)にといへるは黄(くわう)黒(こく)の夜(よる)のいろをさとす也東は
白くといへるは東方 黎明(しのゝめ)の
しらむ色をさすなり
南は青(あを)くといへるは白日 青(せい)
天(てん)昼(ひる)の空(そら)をさす也西くれなゐは夕陽(せきやう)の
影(かげ)の赤(あか)きをさす也是又此 世界(せかい)の一昼夜(いつちうや)
なり蘇命(そめい)路の山は日東山に出て西山
に入(いり)旦(あした)にまた東へ蘇命(よみがへる)也人又東
の陽(やう)に生れて西の陰(いん)に没(ぼつ)し東へめぐりて
蘇命(よみかへる)也是を以て省刻(みるとき)は嗚呼(あゝ)貴(たつと)き哉(かな)人天の道を修(しゆう)し地の理に
順(したが)はずんばあるべからず甲(キノヘ)乙(キノト)丙(ヒノヘ)丁(ヒノト)戊(ツチノヘ)己(ツチノト)庚(カノヘ)辛(カノト)壬(ミツノヘ)癸(ミツノト)是天なりきのへは木(き)の兄(あに)也
東方の春に位(くらゐ)し五常(ごじやう)の仁(じん)に配(はい)す十 幹(かん)の魁(さきがけ)なるを以て甲(はじめ)とも訓(よむ)也是 春(はる)の始(はじめ)なり木と世の
はしめ也きのとは木の弟(をと)也東方の春に位す是此 土(と)也ひのへは火の兄(あに)也南方の夏を司(つかさど)り五常の義に配す



【上部右上から】
又曰丙は炳也 日 輪(りん)炎熱等の火也是を君火と云ひのと火の弟也又南方を司る又曰 丁(てい)は灯(てい)也民家日用の火也是 相火(さうくわ)と云つちのへ土の兄也 央(ちうはう)に
位し四季の土用を主り五常の信に配す又曰戊は母也五こく草木を生るの母也つちのとは土の弟也又曰己は
起也一切の器物を起して人民の 作(さく)用を助る也かのへは金の兄也西方の秋を司り
五常の礼に配し萬物を収る方位也故に云 庚(かう)は更(かう)也 更更(あらためかへる)也万物木(こ)の世に
生じ金の世に更(かわう)り収(おさま)る也かのとは金の弟也又秋に配す又云 辛(しん)は新也
萬物更新なる也みつのへは水の兄也北の方の冬を司り
五常の智に配す又云 壬(しん)は姙也萬物 金(か)の世に収り木の
世に生ずみつのとは水の弟也又曰 癸(き)は揆也水は万物を
揆るの始智は万計を揆の本也
《割書:記|也》子(九)《割書:ハシ|メ》丑(八)《割書:ムス|ブ》寅(七)《割書:ヒラ|ク》卯(六)《割書:シケ|ル》辰(五)《割書:フル|ウ》巳(四)《割書:トヾ|マル》午(九)《割書:ソタ|ツ》未(八)《割書:アジ|ワウ》申(七)《割書:ミ》酉(六)《割書:シラ|へ》
【右行左添え字】【子に北、卯に東、午に南、酉に西】
戌(五)《割書:ヤブル|カヱル》亥(四)《割書:タヱル|ツキル》ねは根也夜九つ夜半と云是陰の終陽の始也故に子の字(じ)了(おわる)と
一(はじめ)の字を合して子とす萬物を生るの根也うしは極陰(ごくいん)にして陽気(ようき)をうしなふ也夜八つ鶏(けい)めいと云物の終也
寅(とら)は陰気陽気にとらるゝ也朝七つ平旦(へいたん)と云平に且てのぼるの気ありなは日をうむ也朝六つ
夜明と云人戸をひらくの時也故に卯の字は戸の字を左右に開きたる形也たつは日上りたつ也
朝五つ食時と云陽の極数也みは日の気みつ昼(ひる)四つ禺中と云日禺_レ 中 ̄ニ也陽気みちのぼる也午は
陽気うまるゝ也ひる九つ日中と云日中天にのほれば傾くの外なしひつし日通じ也則日のつじ也
ひる八つ日昳と云さるは日去也昏七つ晡時(ほじ)と云 猿(さる)の性のさはがしきは晡まへのせわしきに応す
とりは日収る也昏六つ日入と云閂の字は卯に反(はし)して戸を打あはせ横木を入たるのかたち也いぬは陽
気いぬる也 昏(くれ)五つ黄昏と云また戌(いぬ)は戌(やぶる)也陰気陽を戌る也草木霜にやぶれ滅(ほろび)る也ゐは陽気
ゐかへる也夜四つ人定と云 微陽(ひやう)盛陰(せいゐん)と交(まじは)り人定まつて姙(はらむ)の時也草
木ゐかえりて萌(きさし)をはらむ也○戌ヤブル亥にて地震はツキル也子ヨリハジメテ末広の春
【右行右添え字】【○に五、亥に四、子に九】
以後より地震をサシテ萬歳楽と云 既(すで)に十月二日の大地しんは辰(たつ)の日にて
夜の五つ過四つ前にて戌の下刻也戌亥西北に当り戌は土に主り亥は水に
司(つかさ)どる辰は東南に当り土に主どる所此節土中ウルホイ多く其気万もつ
更らんとすれど未だ上の陽気 若(わか)く時至らずして発(はつ)すること能はす其気
変(へん)じて地しんと
なる辰に振ふ急也戌はヤブル亥はタエルノ諺にして一年の
終り一日の仕舞也一旦吹出震崩とも其翌日巳の日にて巳は
とゞまる故に地震の元を失ふ也過れば子の刻(こく)に移(うつ)り子は九つにして陰の終りやうのはじめなれば▲

【左下】
▲是天地
乾抻萬物五
こくを生る根也以て此処(こゝ)を押
ときは凶年の兆しにあらず豊(ほう)年の春
実(げ)に始れる御世(みよ)の祥瑞たるを示(しめ)し
て人の惑をとき忌(いみ)うたがふ人なからんこと
を庶幾(こひねがふ)と云爾
尤地形定るまで其気ありと
いへども再(ふたゝ)び大地しん
の愁(うれ)ひなきかしかしながら
天 質(しつ)ははかり
がたし御用じん
肝要なり

熊本県下飽田郡高橋町市街震災被害真図

熊本県下飽田郡高橋町市街震災被害真図

【図画右下】
生巧館刻
【図画左下】
K.GAUDA

【右側下枠内】
此に掲ぐる両面の図画は明治廿二
年七月二十八日夜熊本県下に起れ
る大地震の紀念として留むべき為
め同県飽田郡高橋町(字川端)市街
被害の実況及び同地第六師団所轄
熊本城内(旧平左衛門櫓床)号砲台
近傍の土地割裂の写真に拠て図画
を作り之を欧風写真画様に模刻し
たるものなり幾多の写真中特に茲
に此の両面を撰みて模刻したるも
のは該地被害の箇処中殊に此の両
処を以て最も悲惨の箇処となせば
なり

【写真の上】
熊本城内号砲台地盤割裂真図

【左側下枠内】
明治廿二年七月廿八日夜に於ける
熊本県下の震災は実に近代稀に聞
くの大震災なり被害の地一市九郡
に亘り裂地八百九十余箇処人畜の
死傷亦少しとせず史家の説に拠る
に同震災は往古白凰七年十二月及
ひ天平十六年五月、貞観九年五月、
仁和三年七月、寛文二年十一月、享
保八年十一月、同十年九月、安永八
年九月、寛政四年二月等に於て九
州に起れる前後九回の震災と共に
永く史上に記して不忘に備ふべき
の大震災なりと云ふ

【写真の下】
明治廿二年九月一日東京朝日新聞第千四百廿五号附録

改正大地震出火年代記

枠外 安政二卯年十月二日              石堂禁売
【上の段 縦方向に】
《割書:改|正》大地震出火年代記
官廷 七ヶ所へ 御すくひ 小屋たつ 日限ながし
二 日本 つゝみ 大いに われる
三 御くらまへの □馬 ふれ内に 清水ふき出す
太平【横書】しやうしつの 町〳〵かりたて はやる
二 かしまの神 るすにて なまつ あハれる
三 日れん 上人の ぞう 頭さむがる
四 十月廿日 えびす こう やすむ
五 日本ばし の東西 つゝがなし
六 番町 ぢしん しらす よそを見て おどろく
名馬 人多く 白馬をのむ 黒馬 あきくさへ すてる
二 深川 神明宮 火の 中にて のこる
安栄 諸寺にて じしん 御き とう を おこなふ  
二 るいしやうば 一夜の うちに 往来へ 山いづる
三 おがわ 水かれて 火所々 より いづる
四 御やく らの 屋根 いつくへか とふ
五 四谷 御門外 水どう いしがき そんじ みずあふる
六 諸方にて あとより けがよけ の守を いだす
七 家つえを つきて あんま 町〳〵にて ころぶ
天命 大いなる はりを せおひ いく めいど国へ おもむく
二 御めいこうの さくら 今年はなさかす
三 火ぶせの あきは山 より所 なく やける
官政 もつそうの ごはん 町〳〵へ くださる
二 ぞうり わらんじ 羽ねが はへて とぶ
三 谷中天王寺 の 塔九りん おれて おつる
四 二かい堂 大破 の上 えん上
五 えんまの子 地ぞうのこ ということ もつぱら はやる
六 浄るりの けいこ所 でし 四方へ ちらず
七 こぼれ 玄蕃 ミづ なし そんす
八 むさしのに はなしかを こいしる
九 くら田山 くつれ かへいち 山をなす
今□ また〳〵 しじん ゆる とて のじゆく 多し
二 土蔵の ひゝたけ こで りやうぢ いしやと まがふ
三 中山道 はけしく 砂わき いたす
分火 諸所 三十三所 くわじぜおん かい長
二 しやくとり むし おうらいに すむ
三 芝神明前 いへと家 はちあはせ する
分限 大じん 金もち公 諸人へ せぎやう を出す
二 北国より 玉 八はうへ ちる
三 南のくにの 人みな つつらを ゆむ
四 のてん山 こうしやく し かい長 はやる
五 小つか原の ぢそう べつして あらはるゝ
伝法 金龍山の 五十の とう 北の方へ まかる
二 馬道より 黑き うし いくつも 見ゆる
三 三丁まち にて がく【ゝ?】や ふろ はやる
四 おどりこの めいもく とせうに うばゝれる
五 芝居まち 柴井てう あと さきに やける
六 ぶげん ぼさつ きん つるし あがる
後悔 にはかに たこくへ 行て □□を うらやむ
二 本所 えかう いん ふせなく して 死人を 吊ふ
三 あきうと せきやう しろもの を ほどこす
家栄 金利 うん上 おあひ だとなる
二 立のきの ところへ にはかに 産家をつくる
三 北こく にて おいらん 上人  入定
四 たいこ もち ぼた もちに ばける  
五 江戸に すむ やくしや ほつそく
六 とびもの はなし 所々にて ちがふ 
七 霜月二日 酉の まち くまで かつぐ
八 素人ぜん【へ?】 一ちして 土産 あゝうちなす
安心 日々ぢしんの うわさ きへて つちかわら のみのこる
二 万歳楽を 万々ぜいと あらたむ
【下段の上】
十二運の事
長 ちゃう すこしつゝはいつまてもゆる也
臨 りん 時にのそみ町中けん重なり
衰 すい 年よりは別して御手当あり
胎 たい ほねつきへかよふ者多し
養 よう 御手あてにて命をつなく
絶 せつ うつはりの下になるもの多し
病 びやう ちの道おこす人多し
暮 ぼ ほり人(て)間にあはす
死 し おびただしくあはれなり
沐 ぼく 翌日双方の火しつまる
帝 てい 諸寺諸山へ御祈祷はしまる
官 くわん 御すくひ御たて下されし也
六様善悪【この部分横書き】
〇 先勝日 外へてゝ今、あり内 にいれはつふるゝ【なり?】
〇 友引日 かし店なくして ともに引こす日也
〇 先負日 さきへ出てのき下にて つふれ内にいて無事也
〇 大安日 ちしんもしつまり 人々あんしんの日也
● 仏滅日 石金木像いつれも たをれそんし多し
〇 赤口日 火事もえはしめは 三十二口あかし
【下段の下】
八焼神
大財(さい)の方 此かたに入りてもちいだす をあやうし
大小君(くん)の方 御中□ 物入のしよく人 此かたにて三年てふさがり
大おんの方 此かたにかけつけはたらくべし
さいはいの方 ひきこしひきこしたるあとのいへ つぶれる
あいけうの方 けいせいの しして人〳〵 なみだをこぼす
さいそくの方 どうぐおきすへなり ゆうずうわろし
へうばんの方 諸こくゟ大工おひ〳〵此かたにむかふ
ほうひの方 此かたにむかひほどこし 御ほめにあづかる
ぢしんのうた
鍬(くは)つかひ大工
   左官(さくわん)にやとひにん
むりやりむりやりならば
   金(かね)としるべし
玉しいをしる歌
ひくからぬ火見ずの
  山はつちさけて
四ツ谷どほりは
   御水どうわれ
【下段中】
江戸焼失場所全図【この題は横書】
焼なきハ神田
 うちそと
   日本はし        
銀さに
 つきちつくだ      
   しまなり
【地名】
 小つかはら:よしハら:田丁二丁 山川丁 竹門:はしば 今川
     坂本二丁 :    しばゐまち 馬屋:とうまえ きくやばし 八けん寺丁
 :花川戸 浅草 駒かた すは丁 くろふね丁 三よし丁   :小うめ 瓦丁
                  中のごう 石ハら かめゐど::ミどう丁  法もんじばし :本所  えな丁 たて川:とく右衛門丁
 いけのはた かや丁 二丁 :広小路 上の丁 御かち丁 長しや丁 大門丁 御成道やしき
 :中はし 京はし:れいがんじま:てつほうず:しばゐした 芝:
:ふか川 御ふなぐらまへ 森下 馬ばし いせさき丁 和ぐら 永代はし向 松川丁ゟはまくり丁:仲丁 八まん前                           
牛天しん下:西丸下:小川丁:神田はし内 たつの口北角 八代すじ 大名小路:
佐賀:なんふ  さつま:御やしき さひはひはし内
西のくほ三田高なはに
  本芝よ 山の手へんは
     すへてやけなし
ぢしんの年暦
〖天正〗十七年駿遠大ちしん〖慶長〗二年京大坂大地震〖同〗十八年諸国ぢしん〖寛永〗四年関東大ちしん〖寛文〗元年諸国大ぢしん〖天和〗三年日光地震〖元禄〗十六年関東地しん〖宝永〗四上方筋ぢしん〖文化〗元出羽大ちしん〖文政〗十一越後ちしん〖天保〗元京都大地しん七月二日〖弘化〗四年信州大地しん〖嘉永〗六年小田原大ぢしん〖同七年〗いづ下田大つなみ〖安政〗元年諸国大地しん〖同ニ年』江戸大地震
出火共 天正以来地震大槻ヲ擧

江戸大地震出火本しらべ

安政二夘ノ十月七日
江戸大地震出火 本しらべ

当月二日亥の刻ゟ大地震にて天地くつがへる斗人家土蔵七歩通り崩れ其中より
所々出火にて死人怪我人数しれず出火卅八ヶ所の火口と相成候趣追々申来り候左之通
浅草御馬や川岸茅町瓦町材木丁御蔵前黒船丁諏訪町駒形丁並木丁
花川戸山の宿猿若丁芝居三軒不残今戸辺ゟ三や吉原のこらず
田町金杉辺下谷上の広小路御成海道外神田佐久間丁辺御
丸の内にて四ケ所出火御大小名様方過半御類焼のよし
虎の御門外京ばし前後芝増上寺神明大損ジ
深川一円永代寺焼る本所辺回向院それより
亀井戸天神柳島小梅辺五百らかん築地
御門跡鉄砲洲細【佃】辺まて焼るあたご下二ケ
所出火芝口高なわ泉岳寺東海寺
三田白かね目黒辺大そんじ伝
通院白山根津こま込追分辺
いづれも大あれにて死人怪我人
おびたゝしく右之外人家残りの
分はあるひはゆがみ又は半くづれ
なんどにて皆々野宿いたし候趣
地震はいまだゆりやまず候へども
出火は漸々四日巳之刻慎【鎮】り候由
古今めづらしき大変の次第
昨ばん四度目追状ニ而申来り候
本しらべにいたし差出し申候余は尚
委敷後篇に仕差出し可申候

震災予防調査方法取調委員の設置(乙)

【欄外手書き横書きで】
登録

【表形式の部分】
海東郡  二百八十八人  三百〇五人   七千七百九五  二千五百九十八 津島蟹江等最モ甚シ
海西郡    三十三人   三十三人    千九百〇九   四百 十四
知多郡       〇    十六人      三十六     九十七 【以下判読できず】
碧海郡      三人    十 人     五百〇〇   三百八十〇
幡豆郡      四人   三十三人     百五十八     三十二
額田郡       〇      〇        五       〇
西加茂郡      〇      〇      二十四     二十七
宝飯郡      一人     二人        九     二十七
渥美郡      一人      〇       十五      十六
合計 二千三百五十一人二千九百卅一人四万壱千四百九十九 壱万三千三百四十一

備考本表ノ□ハ未ダ詳細ヲ得ズ概況ヲ掲ケタルモノニ付尚精査ノ上ハ増減有ベシ
人畜死傷家屋倒潰ノ惨状加フルニ名古屋市及西春日井郡枇杷島並清洲丹羽郡岩
倉並犬山葉栗郡北方海東郡津島等出火□所ニアリ又地盤ノ壊裂堤塘ノ渝崩橋梁
ノ破損等枚挙スヘカラス要スルニ今週ノ地震ハ尾張地方ニ最モ強クシテ三河地
方ハ弱ナリ

【絵図表題上から】
大垣町地震大火之図
名古屋市民避震之図
枇杷島破□之図

【地図記号の凡例右から】
震災強
震災弱
□□□□□□□□
国界
河川
池湖
道路
鉄道
山脈
崩壊
被害無

【地図内の文字は図中に記入】


【欄外手書き部分】
明治廿四年□月 日印行
【ちぎれ有り】版

愛知県名古屋市鶴重町六十八番戸
著者兼発行人 近藤寿太郎

同県同市中市場町五番戸
印刷人 大月勤二

名古屋市鶴重町六十八番戸
発行所   秀文【以下ちぎれ】




【欄外手書きの赤字】


明治二十五年三月七日読売新聞に
震災予防調査方法取調委員(しんさいよぼうててうさほうゝとりしらべいゐん)の設置(せつち)

右(みぎ)の如(ごと)く題(だい)せる論説中(ろんせつちう)に 上略  此震災(このしんさい)を前知(ぜんち)せんと欲(ほつ)することハ実(じつ)に困難(こんなん)なることに拘(かゝは)らず東西(とうざい)の学者(がくしや)が苦心(くしん)して
取調(とりしらべ)する所(ところ)なるが 下略  云々(うんゝ) とあり其学理(そのがくり)に拠(よ)り之(これ)を発見(はつけん)することハ学者(がくしや)に譲(ゆづ)り小生が弱年(じやくねん)のころより試(こゝ)ろみ来(きた)り
たる一法(いつほふ)を記(しる)して世(よ)に問(と)ハんとす若(も)し萬一(まんいち)此理(このり)ありとせバ震災(しんさい)及(およ)び身体保全(しんたいほぜん)の一奇術(いつきじゆつ)を得(う)るものと云ふべし○江戸(えど)
芝土橋丸屋町(しばどばしまるやちやう)に質商(しちしやう)山田屋清助(やまだやせいすけ)と云(い)ふ人(ひと)あり小生 年(とし)十四 其家(そのいへ)の丁稚(でつち)となる安政(あんせい)二 年(ねん)乙卯十月二日夜(よ)江戸大 地震(ぢしん)あり
此時(このとき)小生 瘭疽(へうそ)を患(うれ)ひ主家(しゆか)の二 階(かい)に病臥(やみふ)せしに俄(にはか)に震動(しんどう)劇(はげ)しく棚上(たなうえ)にある三四の衣櫃臥床(きものいれどこ)のうえ(うへ)に落(お)ちて身(み)を圧(お)す因(より)て
大に驚(おど)ろき声(こえ)を発(はつ)し救(すく)ひを求(もと)む時(とき)に主人(あるじ)清助(せいすけ)五十 余歳手(よさいて)に雪洞(ぼんぼり)を提(さ)げ二 階(かい)に来(きた)り扶(たす)け起(おこ)す時(とき)に主人(あるじ)の容貌(かたち)を見(み)るに
土蔵(くら)の壁間(かべま)を過来(すぎき)たり頭部(あたま)より全身土灰(ぜんしんつちはい)に埋(うづま)るが如(ごと)きも挙止泰然言語平日(きょしたいぜんげんごへいじつ)に異(こと)なることなし小生ひそかに剛胆(がうたん)なるに
敬服(けいふく)す震後(しんご)人 猶(なお)再震(ふたゝびゆれる)を懼(おそ)れ地上(ちうへ)に小屋(こや)を設(まふ)け仮居(かりずまゐ)す主人家々人(しゆじんけのひと)も亦(ま)た戸外(そと)に居(を)れり主人(しゆじん)大いに叱咤(しかり)して曰(い)ハく何(なん)ぞ
其臆病(そのおくびやう)なる我誓(ちか)つて再震(ふたゝびゆれる)なきを知(し)れり速(すみや)かに小屋(こや)を毀(こは)して本宅(ほんたく)に帰(かへ)るべし主人(しゆじん)の意(い)決(けつ)するを見(み)て家人恐懼未(いへびとおそれいま)だ
止(やま)ざるも強(しひ)て内(うち)に入(い)る後果(のちはた)して強(つよ)き再震(さいしん)なし玄(こゝ)に於(おい)てみな皆主人(みなしゆじん)の英断(えいだん)に感服(かんぷく)せり後(の)ち日(ひ)を歴(へ)て主人一夜家人(しゆじんあるよいいへびと)を集(あつ)めて
曰(いは)く我(わ)れ弱冠(としわか)の時或(ときあ)る陰医(いんい)の為(ため)に横傷(わうしやう)の難(なん)を前知(ぜんち)するの術(じゆつ)を受(うけ)たり此術(このじゆつ)たる其(そ)の身(み)横死(わうし)せんとする凡(およ)そ一 昼夜(ちうや)前(まへ)に
於(おい)て必(かなら)ず兆候(きざし)を顕(あらは)すも
のなりこれを試(こゝ)ろむる
に先(ま)づ左(ひだ)りの手(て)を以(もつ)て
奥歯(おくば)の下(した)にある動脈(どうみやく)を
診(しん)し次(つぎ)に右(みぎ)の手(て)を以(もつ)て
左手(ひだりのて)の動脈(どうみやく)を診(しん)するな
り抑々(そもゝ)人体(ひとのからだ)の脈一身(みやくいつしん)
悉(ことゞ)く同(おな)じく動(うご)くを以(もつ)て
常(つね)とすこれ平日無事(へいじつぶじ)の
脈度(みやくど)なり若(も)し此(こ)の頬(ほふ)と
手(て)との脈度(みやくど)を乱(みだ)るとき
ハ必(かな)らず一昼夜(いつちうや)の内(うち)に
身命(しんめい)を失(うし)なふべき大 難(なん)
あるの兆(きざし)なりとす陰医(いんい)
常(つね)に言(いへ)ることあり我(わ)れ
壮年(さうねん)より日夜(にちや)此(こ)の術(じゆつ)を
試(こゝろ)む数年(すうねん)の後(の)ち相模(さがみ)の
海浜(かいひん)に一泊(いつぱく)し将(まさ)に臥所(ねどこ)
に就(つ)かんとするに先(さきだ)ち此術(このじゅつ)を施(ほど)こすに既(すで)に脈動(みやくどう)の乱(みだ)れたるあり大(おほ)ひに驚(おどろ)き従僕(じゅうぼく)の脈(みやく)を診(しん)す是又同体(これまたどうたい)なりいよヽ
驚(おどろ)き旅店(りよてん)の主人(しゆじん)及(およ)び其(そ)の家族(かぞく)を試(こゝろ)みるに皆共(みなとも)に変動(へんどう)を呈(てい)せり時正(ときまさ)に天晴(てんは)れ月光昼(げつくわうひる)の如(ごと)し海状常(かいじやうつね)に異(こと)ならず然(しか)れども
何(なに)か変(へん)あらんことを察(さつ)し速やかに荷物(にもつ)を負(おふ)て出(い)で店後(みせのうしろ)の山(やま)に登(のぼる)こと凡(およ)そ三五 町(ちやう)脈初(みやくはじ)めて平日(へいじつ)に復(ふく)す因(より)て此処(このところ)に休息(きうそく)す
旅店主人(はたごやのあるじ)も亦共(またとも)に来(きた)る暁(あけ)に及(およ)び風無(かぜな)きに海中忽(かいちうたちま)ち大濤(おほなみ)を起(おこ)し山(やま)の如(ごと)く来(きた)りて海浜(はまべ)を浸(ひた)し人家(じんか)三五を漂流(なが)し去(さ)る既(すで)に
之(これ)を目撃(もくげき)せし以来(いらい)いよヽその恐(おそ)るべきをるべきを信(しん)じ日夜(にちや)三四 回(ど)此(こ)の試験(しけん)を怠(おこた)ることなし我れ此(こ)の陰医(いんい)の言(こと)を信(しん)じ今日迄(けふまで)
之(これ)を行(おこな)へり故(ゆへ)に十月二日の震災(しんさい)に遭(あ)へるも決(けつ)して変死(へんし)の患(うれい)なきを確知(かくち)し敢(あへ)て怖懼(おそれ)の念(ねん)を生(しやう)ぜざりしなり小生 此事(このこと)を
聞(き)き直(たゝ)ちに之(こ)れを筆記(ひつき)し爾来(じらい)三十七八 年(ねん)一日も此(こ)の試験(しけん)を行(おこ)なハざる日なし幸(さいは)ひに心志泰然(しんしたいぜん)常(つね)に怖懼(おそれ)を覚(おぼ)へず既(すで)に客歳(きよねん)濃尾震災(のうびしんさい)の同刻当地(どうこくとうち)も亦(また)強震(つよきゆれ)あり小生 忽(たちま)ち脈度(みやくど)を験(けん)して異変(いへん)なきを知(し)り静(しづ)かに他人(たにん)の狼狽(うろたへる)するを見て気(き)の毒(どく)に
思(おも)ひたる程(ほど)なり夫(そ)れ真(しん)に此(こ)の理(り)の有無(あるなし)ハ愚考(ぐこう)の及(お)よぶべき所(ところ)にあらざれども嘗(かつ)て我(わ)が主人(しゆじん)の平素剛胆(ふだんがうたん)にして百事(ひやくじ)に
驚懼(おどろきおそれ)せざりしハ必(かな)らず中心信(こゝろにしん)ずる所(ところ)あるに因(よ)りしならん蓋(けだ)し濃尾(のふび)の一震(ぢしん)ハ実(じつ)に天下人心(てんかじんしん)を鳴動(うごか)したり此時(このとき)に当(あた)り
我(わ)が主人(しゆじん)の如(ごと)く又陰医(またいんい)の術(じゆつ)ありて之(こ)れを前知せし人(ひと)ありや小生 好(このん)で奇言(きげん)を吐(はい)て世(よ)を弄(もてあそ)ぶものにあらず毫釐(がうりん)も人(ひと)に
益(ゑき)せんとするハ平生(へいぜい)の願(ねがい)なり区々(くゝ)の微哀謹(びちうつゝしん)て識者(しきしや)の教(おしへ)を請(こは)んと欲(ほつ)し聊(いさゝ)か見聞(けんぶん)せしものを記(き)せり博雅(はくが)の君子(くんし)是非(ぜひ)の
報知(ほふち)を賜(たま)ハらハ幸甚(かうじん)

 明治二十五年壬辰三月 日
                    十世 守田治兵衛父
   東京市下谷区池之端     宝丹本舗   守田長禄翁敬白             

   前文に対し親友野口勝一君の意見書
震災(しんさい)前知(ぜんち)奇術御銘作(きじゆつごめいさく)拝承御説(はいしようおせつ)の如(ごと)く学理(がくり)の如何(いかん)ハ何人(なにびと)も未(いま)だ発見(はつけん)致(いた)さゞるべく候へ共 洪水(おほみづ)ある年(とし)にハ鳥(とり)ハ巣(す)を高樹(たかきゝの)
頂(いたゞき)に作(つく)り火災(くわじ)あるに先(さき)だちてハ鼠(ねづみ)先(ま)づ逃(のが)れ強風(つよきかぜ)ある秋(あき)にハ鳳仙花等(ほうせんくわなど)ハ根多(ねをゝ)く生(しやう)ずと申す類(るい)ハ総(すべ)て動植物(どうしよくぶつ)にも自然(しぜん)
感通力(かんつうりよく)あるものゝ如し然(さ)れバ人ハ萬物(まんもつ)の霊物(れいもの)を前知(ぜんち)する事(こと)あるべきに然(しか)らざるハ理(り)また盡(つく)さゞる所(とこ)ろあるに因(よ)れる
ならん私(わたくし)会(かつ)て或人(あるひと)に聞(きゝ)しことあり人 瞑目(めをふさき)し手(て)を以(もつ)て静(しづか)に目(め)を推(おす)ときハ電光(でんくわう)の如(ごと)きもの見(み)ゆ然(しか)るに将(まさ)に死(し)すべきの
禍変(わざわひ)あるの人ハ此 採光(さいくわう)を見ず或(ある)人 会(かつ)て獄中(ごくちう)に在(あ)り将(まさ)に死刑(しけい)に処(しよ)せられんとする罪人(ざいにん)
の上(うえ)に試(こゝろみ)んと欲(ほつ)せしに真逆(まさか)に
気(き)の毒(どく)に思(おも)ひ止(やみ)たりと此等(これら)の事(こと)も蓋(けだ)し何(なに)か拠(よ)る所(ところ)ありしならん其(こ)れも略(ほゞ)脈度説(みやくどせつ)と似(に)たる所(ところ)あり世(よ)に試(こころみ)し人ありや
なしや兎(と)に角(かく)におせつ御説(おせつ)御広(おんひろ)め被遊(あそばされ)候ハゞ種々(しゆヾ)の説(せつ)も自然(しぜん)の実験(じつけん)より発見(はつけん)し学理(がくり)未到之説(いまだいたらざるのせつ)もあるべき事(こと)と思(おも)ハれ候




【欄外手書きの赤字】


本年三月中(ほんねんさんぐわつちう)東京池之端(とうきやういけのはた)宝丹本舗(ほうたんほんぽ)守田治兵衛氏(もりたじへゑし)の父(ちゝ)宝丹翁(ほうたんおう)の施印(せいん)に係(か)かる震災前知(しんさいぜんち)身体(しんたい)
保全法(ほぜんハふ)の一紙(いつし)を見(み)るに頬部(ほうぶ)の動脈(どうみやく)と左手(さしゆ)の動脈(どうみやく)とを合(あわ)せ其(その)異状(いじやう)なきを知(し)り若(もし)其脈度(そのみやくど)乱(みだ)
るゝときは一昼夜(いつちうや)の内(うち)に変死(へんし)すべきの兆(てう)なることを記(しる)せり爾来(じらい)日夜之(にちやこれ)を試(こゝろ)みしに去月(きよげつ)
二日 当国(たうごく)御原郡追分村(みはらごほりおいわけむら)井上(ゐのうへ)マツ宅(たく)に講会(こうくわい)
ありて十余名(じうよめい)出席(しゆつせき)の折(をり)偶々(たまヽ)此脈度(このみやくど)の
談(だん)に及(およ)びたれバ各々(おのヽ)試(こゝろ)むるに異状(いじやう)
なし内一人(うちいちにん)同郡櫛原村(どうぐんくしはらむら)松田吉太郎
といふもの動脈乱(どうみやくみだ)れ居(を)るとの事(こと)より
小生(せうせい)直(たゞち)に之(これ)を診(しん)すれバ全(まつた)く其言(そのこと)の如(ごと)し
然(しかれ)ども同人(どうにん)ハ三十五歳の壮夫身体強健(さうふしんたいききやうけん)
毫(すこ)しも病状(びやうしやう)なし
人皆(ひとみな)不審(ふしん)を懐(い)だき
けるが実(じつ)に争(あらそハ)れぬ
ものにて其夜(そのよ)十二
時を過(すぐ)る頃(ころ)俄(には)かに
赤痢病(せきりびやう)を発(はつ)し翌日(よくじつ)
十二時 過(すぎ)死亡(しバう)せり
因(よつ)ては始(はじ)めて宝丹翁(ほうたんおう)の保全法(ほぜんハふ)の誠(まこと)に玄妙(げんめう)なるに感服(かんぷく)せり但(たゞ)し翁(おう)は変死(へんし)に就(つい)て前知(ぜんち)の事(こと)を
説(とか)れたれども病死(びやうし)も亦(また)同(おな)じ兆候(てうこう)を顕(あら)ハすものたるを知(し)る爰(ここ)に聊(いさゝ)か翁(おう)の厚意(こうい)を謝(しや)し
並(あわ)せて大医諸家(たいいしよか)の教示(きやうし)を仰(あほ)がんとす
                 福岡県筑後国久留米市米屋町茶商
   明治二十五年壬辰九月二日
                       吉川安吉
按(あん)するに此試験法(このしけんほふ)の如(ごと)きハ大(おほ)ひに医術(いいじゆつ)診断上(しんだんじやう)簡便(かんべん)の新法(しんほふ)にして参考(さんかう)に供(きやう)すべきものと
思考(しかう)せり幸(さいは)ひに有志(いうし)の君子(くんし)新聞上(しんぶんじやう)に登録(とうろく)あらば生(せい)が最(もつと)も満足(まんぞく)するところなり

嘉永年間より米相場直段并年代記書抜大新版


【黒枠外上横書タイトル】
嘉永年間より米相場直段并年代記書抜大新版

【上から一段目右から左へ】
嘉永六癸丑年より○くはの木

 米相場 ●百俵印 ▲壱両印 ■百文印

●四十九両 
▲七斗一升
■一升
異国
船はじ
めて浦賀へ
きたる
小田原大地しん
家定公せうぐん

安政元甲寅年○たふのみづ
●六十両
▲五斗八升
■八合五勺
壱朱銀通用
大阪木津川口
大つなみ人家を
ながし橋〴〵をちる

同二乙卯年○たふのみづ
●四十五両
▲七斗八升
■一升二合
十月二日
江戸中大
地しん人多く
しすしんよし原
はじめとして
所々大火事
御すくひ小や
五ケ所へたつ
わけて丸
の内ひどく
して人々なん
ぎをなす

同三丙辰年○いさごのかね
●七十二両
▲四斗八升五合
■七合
八月廿五日大
あらし深川
大水人家を
ながす成田山
ふか川にてくわいてう

同四丁巳年○いさごのかね
●六十三両
▲九斗五升
■七合五勺
しば山仁王両ごく
ゑかういんにてくわい
てう大にはやりて
さんけいくんじゆうす

同五戊午年○天上の火
●八十九両
▲三斗九升
■五合五勺
家定公
御たかひ
やくびやう
はやる人多く
やまひのためにしす

【二段目左へ】
同六己未年○天上の火
●百五両
▲三斗三升
■四合七勺
十月御本丸
ゑんじやう
横はま
かうえき
はじまる
御すくひ
まいを市中へ
くださる

万延元庚申年○さくろの木
●九十九両
▲三斗五升
■五合二勺
さくら田外
上み【上巳の日に変が起こったからでは?】のたゝ
かひ
あさくさ
くわんをん
くわいてう
女人ふじ山へ
あがるをゆるす

文久元辛酉○たにのみづ
●百五両
▲三斗一升
■四合六勺
□□□□
浪(ろう)人戦(せん)そう
たかを山
ゑかういん
にてかい
てう

同二壬戌年○大かいのみず
●百廿三両
▲弐斗八升四合
■四合
江戸はじめ
しよこくはし
か大いにはやり
人しすること
そのかづを
しらず
右につきしよにん
なんじうおゝかた
ならずよつて
御すくひくださる

同三癸亥年○大かいのみづ
●百廿五両
▲二斗八升
■三合八勺
二月
家もち公
御上らく
文久せん
通用はじ
まる

【三段目左へ】
元治元甲子年○うみのかね
●百五十両
▲二斗三升
■三合二勺
七月
十五日
二十日
京都大火
人多くしす

慶応元乙丑年○うみのかね
●二百五両
▲一斗七升
■二合二勺
金花山弁才天
ゑかういんにて
かいてうあさまいり
おゝくいづ
春天ぢくより
大そう
わたり
両国にて
しよ人にみする
本所小笠
原やしきへ
浪人屯
両国広
小じへごく
もん二ツ出る
文久銭八文
青銭十二文
通用はじまる

同二丙寅年○いろりの火
●二百七十両
▲一斗二升
■一合八勺
春市中
大町人
多くこは
されるしよはうにて
近所へほどこしいづる
九月ひんきう人
さわぎ江戸中へ
はじまる
御すくひ
小や佐久
間丁へたつ
谷中天王寺にて
たきだしこれあり
しよにんくんじうす
十二月九日十日
江戸大火これある

【四段目左へ】
同三丁卯年○いろりの火
●四百二十両
▲八升三合
■一合一勺
市中じゆんら
御まはり
これある
しよしき
かうじきにて
御すくい小や
たつ
千住大はし
御かためはじ
まる
大阪千ばにて
大たゝかひこれ
ある
なんきんまい
はじめてわたり
しよにんこれを
かう
十二月廿五日
あかばねにて
大火事これあり
しな川まてやける 人多くしす

同四戌辰年○もりの木
●三百八十両
▲一斗
■一合二勺
しよ大みやう
のこらす国へ
ひきこむ
正月十五日
御ちょくし
御下向
三月市中丁人
どうらんして
こと〴〵くさはぐ
四月中江戸
近在所々に
たゝかいこれある
五月十五日
上の御山たゝかい
大坂にて大水
はし〴〵をちる
奥しうへん
にてたゝかひ
これあるよし
さいばんしよ
にて御はう
びくださる
牛頭天王
御ゑ
かはる
青銭
廿四文
文久十六文
通用に
なる

【黒枠外左】
版元 大坂錦沢堂

岐阜全市大震大火之図

【表題】
【画枠外上 左から横書き】
岐阜全市大地震大火之図

【画内説明】
明治辛卯十一月震災後十日
       廣 業

【画枠外下 左から横書き】
明治廿四辛卯年十月廿八日暁六時三十分

【画枠外右】
風俗画報第三十五号に限り此際更に本月三十日に増刊し本号の全体地震而已の記事を以て一部を編製すべしその編輯の体裁は今回の地震を主として震災百般の惨
状を観察見分及びが学者の所説実際家の談話は勿論建築土木上の参証となるべき事など細大と無く網羅し精巧なる石版密画を加へ其真を睹るが如くになし他は本邦
古代より近世に至る迄の大地震より別して安政の災厄をも参考対照し当時の絵図摺物なんどの尤も珍奇なる物を充分に捜索し得て改版挿入し以て一部の正確なる
地震歴史を編製すべし江湖諸君幸に愛読を賜へ

【画枠外左】
絵画叢誌第五十六巻附録 (明治廿四年十一月二十五日発兌)
発行兼印刷人 吾妻健三郎  編輯人 菅原白龍
風俗画報発行所 東京日本橋区葺屋町六番地 東 陽 堂

濃尾震災惨状真図

濃尾震災惨状真図

岐阜市街災後之惨状

愛知病院負傷者之救助

大垣本町之惨状

罹災人民之露宿

罹災人民之惨苦

名古屋郵便局損害

長良川鉄道橋傷折

笠松道路壊裂

名古屋栄町惨状

明治廿四年十一月十五日
東京朝日新聞第弐千八十八号附録

藤島武治画生巧館彫刻

吉原地震焼亡之図

吉原地震焼亡之図

火の用心

[弘化三丙午正月十五日大火類焼図]

頃は弘化三丙午
正月十五日昼八ツ半
時ゟ本郷丸山辺
より出火にて
神田明神近
辺残らず
焼る明神
は残る西北
の風はげしく
昌平橋焼落る是ゟ
明神下焼る佐久間町ニ而
留る一口は駿河台飛火し
今川橋辺不残類焼す
是より本町通日本橋江戸橋
落る永代橋辺霊岸島
鉄砲洲佃島又一口は通
四町中橋辺不残焼る
京橋竹河岸ニ而翌九ツ時ニ而
よふ〳〵静り人々安土の思ひを
なしにける
  火元ゟ火先迄【省画】壱里十丁余
  町数        五百八十家町余

此度大火類焼ニ付
御公儀様より御すくひ小や
御立被下其上一人ニ付
弁当被下候事ま事に
御仁徳の程難有
御代世に生るゝ人
の幸なる哉


安政改正泰平盤石図会

《割書:安政|改正》 泰平(たいへい)盤石(ばんじやく)図会(つゑ)

焼失屋敷 六百七十軒余
土蔵数  卅二万五千六百余戸前
火口数  四十五ケ所
崩 家  五十七万六千軒余
死人数  十六万八千五百人余

【右下】
明暦三年大火より当年迄百九十九年に成ル今般回向院住主より地震類焼にて亡霊之者回向料壱貫文の処申不請相葬取置致シ度旨相願此段御聞済に相成候以上
   十月

【本文】
夫天変地妖は人力を以て防事不能頃は安政二卯年十月二日夜四ツ時俄に
天地震動なし大じしんゆり出し東は和田倉御門内〇【家紋以下同】松平肥後守様両
御屋敷〇松平下総守様〇内藤様少シやける酒井右京亮様大半崩る八代
すがしは〇遠藤但馬守様やける松平相模守様半やけ表御門残る定火けし
屋敷火の見残る増山河内守様惣崩れ表御門残る織田兵部少輔様大半
崩れ小笠原左衛門尉様表御門崩る松平阿波守様表御門斗り崩る〇松平
右京亮様〇土井大炊頭様少々やける日比谷御門内本多中務大輔様〇永井
遠江守様やける土佐様御中やしき崩る外桜田は毛利様上杉様此辺
崩多し〇松平肥前守様やける阿部播磨守様惣崩れ丹羽様朽木様
大半ふるう〇有馬備後守様〇南部信濃守様〇松平時之助様〇
伊東しゆ理大夫様やける〇亀井隠岐守様半分やける北條様薩州将束
やしき少しやける霞が関永田丁御大名様御旗本様御やしき所々大に
そんじる瀧の口辺は〇酒井雅楽頭様両御やしきやける御上やしき表
御門残る〇森川出羽守様やける惣して神田橋内ときは橋内大にふるう
神田ばし外通りは少しかるく小川丁は崩多し〇松平豊前守様本
郷丹後守様此辺御旗本御やしき七軒やける又〇堀田備中守様〇内藤
駿河守様岡部備後守様斎藤様近藤様川口様本多様大久保様久松様
曽賀様半井左京大夫様土岐様みぞ口様定火けしやしきのこらず
やける〇榊原式部大輔様〇戸田大炊頭様少しやける飯田丁するがだい
辺つよくふるう松平さぬき守様松平駿河守様岩城様辺大にそんじ
神田は東西共くずれ多く本丁伝馬丁通りつよく馬喰丁両
ごく辺いたみ少シ人形丁小あみ丁辺は大につよく宝丁魚がし辺
いたつてかるし又八丁ぼりも同断なり日本ばし南は通丁東西中
通り中橋辺大半崩るかじ丁ゟ出火にて大工丁五郎兵へ丁畳丁南
てんま丁二丁目三丁目鈴木丁ときは丁ぐ足丁柳丁白魚やし
き京ばし竹がしのこらずやける惣してぎんざ尾わり丁
新ばし辺大にそんじる又つきし辺つよく西門跡本堂はつゝが
なし地中大半ふるうといへどもつぶれ無之芝口柴井丁両かは
やける神明丁三しま丁辺こと〳〵く崩る田丁辺ゟ高輪二本榎
白銀辺品川宿ともそんじ少シ又浅草辺は茅丁福井丁代地辺
崩る御蔵前通り森本田原丁東仲町辺大半崩る駒形中程
より出火にてすは丁黒船丁三好丁川岸にてやけ止る並木通り
くわん世おん御堂つゝがなし雷神門いたまず地内大半そんじる三社
権げん鳥居崩る五重の塔九りんまがる北馬道南馬道のこらず寺院
八ケ寺やける田丁二丁山川丁芝居町三座ともやける役者丁少シ残る
花川戸かたかは中程までやける新吉原町惣崩れ殊さら所々ゟ
出火にて五丁町のこらずやける死人三千五百余人大門外五十軒は
西がは少シのこる田中鳥越三谷通りは大にふるう今戸橋ぎは
二丁程やける橋場辺大にふるう銭座町家少シやける千住宿
こと〴〵く崩る小塚原丁やける金杉三の輪大音寺前崩れ多し
坂本二丁目三丁目やける山崎丁広徳寺前通り崩れ多く新
寺丁菊屋橋ぎは行安寺地中やける東門跡御堂さわりなし
うら門崩る八軒寺丁実相寺専蔵寺ふどう院崩る玉そう寺
やける又三味せん堀七曲り辺大半崩る上野広かうじ東かは中
程ゟ出火にて六あみだ伊藤松坂屋ごふく店やける上野丁
黒門丁長者丁残らず中おかち丁までやける武家や御やしき
やける〇井上筑後守様やける小笠原様中やしき堀丹波守
様酒井安芸守様大関信濃守様内藤豊後守様何れも大
半そんじる〇石川主殿頭様〇黒田豊前守様松平伊賀守
様中屋敷〇建部内匠頭様やけるゆしま天神下此辺惣崩れ
池のはた茅丁一丁目二丁目七軒丁やける榊原様〇松平出雲守
様少シやける喜連川様松平備後守様大半崩る又谷中天王
寺五重の塔九輪おれて落る此辺崩れ少シにて舎坊大破所々
なり根津二丁共崩る駒込すがも辺崩多し本郷辺いたみ少シ
ゆしま天神社少々崩る門前三組丁辺大半そんじる妻恋社
別条なし町家少々そんじる神田明神社いたみ無之せい堂
大にそんじ同所前通一丁ほど神田川へこけ入る又小石川辺春
日町戸崎丁とみ坂辺小笠原信濃守様大半崩る牛天神下飯塚
監物様其外御旗本様御やしき六けんやける惣じて此辺つよく
ふるう小日向大塚牛込市ケ谷辺そんじ所々にて四ツ谷御門赤坂
御門内外大にそんじるなり新宿通りいたみ少シ堀の内辺はい
たつてかるし青山麻布広尾三田辺いづれもそんじ所々也
あたごの下辺は桜田久保丁びせん丁ふしみ丁辺大半そんじる
西の久保新下谷丁ふき手丁飯倉辺惣していたみつよく御や
しき方あまたため池黒田様様田様土岐様大にふるう又
八丁ぼり辺はいたつてかろくれいがんしまつよく崩れ多し

池のはた茅丁一丁目二丁目七軒丁やける榊原様〇松平出雲守
様少シやける喜連川様松平備後守様大半崩る又谷中天王
寺五重の塔九輪おれて落る此辺崩れ少シにて舎坊大破所々
なり根津二丁共崩る駒込すがも辺崩多し本郷辺いたみ少シ
ゆしま天神社少々崩る門前三組丁辺大半そんじる妻恋社
別条なし町家少々そんじる神田明神社いたみ無之せい堂
大にそんじ同所前通一丁ほど神田川へこけ入る又小石川辺春
日町戸崎丁とみ坂辺小笠原信濃守様大半崩る牛天神下飯塚
監物様其外御旗本様御やしき六けんやける惣じて此辺つよく
ふるう小日向大塚牛込市ケ谷辺そんじ所々にて四ツ谷御門赤坂
御門内外大にそんじるなり新宿通りいたみ少シ堀の内辺はい
たつてかるし青山麻布広尾三田辺いづれもそんじ所々也
あたごの下辺は桜田久保丁びせん丁ふしみ丁辺大半そんじる
西の久保新下谷丁ふき手丁飯倉辺惣していたみつよく御や
しき方あまたため池黒田様様田様土岐様大にふるう又
八丁ぼり辺はいたつてかろくれいがんしまつよく崩れ多し
塩丁中程より出火にてかたかは半分新川少々大川端丁
やける大橋辺つよく安藤長門守様崩る又松島丁辺は
林播磨守様惣崩其外御旗本御やしき四軒
崩るかきから丁本多肥後守様酒井下野守様
御中やしき酒井雅楽頭きんざ屋敷大にふ
るう鉄ぼうず十けん丁〇松平淡路守様
やける鉄ぼうず稲荷社別条なし又深川
はいたつてつよく七ケ所より出火にて相川丁
熊井町とみ吉丁正源寺中しま丁大しま丁蛤丁
外記どの丁北川丁諸丁のこらず黒江丁少シ残る
山本丁やぐら下辺西よこ丁仲丁八まん前まで
やける阿州様前橋やけ落る八まん社つゝかなく
内外の石鳥居崩る土ばし入舟丁残らず崩る三十
三間堂こと〴〵くふるう永木様丁少シやける木場
所々大にそんじるわくらのこらずやける綱打場辺は
のこらず崩る寺町源しん寺海ふく寺ゑいねん寺本堂
しゆろう堂とも崩る大和丁やける伊せ崎丁黒田様少シ
丁家やける東平野丁崩れ多く牧野様内藤様御下や
しき崩る浄心寺本堂さわりなししゆろう堂地中五軒
崩る中門そんじたをれる門前くよう塔高サ壱丈五尺巾三尺
の角石二ツにおれる霊岸寺本堂つゝがなし地中十五軒崩
うら通りはのこるとろ少シ茶松寺じおん寺崩るしんこうじ
やける立花出雲守様惣くずれ表御門残る高橋辺海辺大工丁大
半くずれ扇橋辺大島辺舟堀辺いたみ所々甚多しときは丁
一丁目二丁目元丁やける大田摂津守様御下やしき惣くずれ
表長屋やける神明社つゝかなし末社たをれる六けん堀は下
の橋通りのこる森下丁半分やけるみろく寺大にいたむ北六間
ぼり八な川丁御組やしき日向様永井様木下図書様林
様井上様やける御舟くら別条なし松井丁崩る一ツ目弁
才天社こと〴〵く崩る深川清住丁新寺崩る也又本所
は惣じてつぶ家多く松坂丁一丁目御旗本やしき三軒土
屋佐渡守様やける二ツ目通りは藤堂様御下やしき津軽
越中守様大にそんじる長崎丁一丁程やける緑丁二丁目ゟ
四丁目三ツ目橋ぎはまでやける其外此辺崩れ家多し又
亀井戸天神橋向少シやける社つゝかなし柳島妙見
社別条なし押上近辺寺院あまたそんじ人家大に
崩る小梅小倉庵近辺町家やける又吉田丁吉岡丁辺崩
多く惣して御やしきあまたそんしる石原かた丁少シ
やける石原通りつよくふるうばんば松浦様御下やしき
大にそんしる石原外手町辺は残る家少し北番場丁
少しやける中の郷辺一ゑんつよくふるう東橋向酒井下野
守松平越前守様御下やしき大にそんじる松平周防
守様御下やしきやける惣して寺じま辺引舟木下川へん
いたつてつよくかさい類は大半そんじ家多し東海道は小
田原辺迄にて藤沢宿はいたみ少シ神な川宿はそんじ
あまたなり又三浦三崎辺も大にゆるき土蔵等は大に
いたむ川崎宿辺はかへつていたみ少シ羽根田りやうし丁
少シいたむ弁才天社さわりなし大師御堂別条無之
大森辺池上そんじ所々なり又日光道中は草か越ケ谷
辺大につぶれ多く栗橋辺はいたみ少シ中仙道は大にかるし
大みや辺大分之ことなく下総より上総房州筋はつよくふ
う砂村舟ぼり堀江ねこざね行とく辺一のゐ二のゐいづれもつ
ぶれ多し成田道中こと〴〵くあれるすべて上総八幡辺下総
千葉辺野田辺迄も大かたならずふるう然りといへとも翌朝
諸方の火しずまり諸人あんどの思ひをなす是に依而
御公儀様より御仁恵御救小屋御建下しおかれ市中へ日々
焚出し御手当下され実以てありがたくあほくべし尊べし
しかれば富家の町人近辺へほどこしそれ〳〵にさし出し是又
御公儀様より御褒美下しおかれ御ほめにあづかりしなりかゝるおり
からなれば巨細をしるして便りなす助にもならんかとかくはあらわす也
【左下枠内】
 御救小屋場所
浅草雷神門前 壱ケ所
幸橋御門外  壱ケ所
深川海辺大工丁壱ケ所
同 八幡境内 壱ケ所
本所割下水  壱ケ所
上野山下   壱ケ所
同所東ゑい山
  御救小屋 壱ケ所

此度地震類焼にて窮
民御救小屋建被置候間掛
之者へ相願勝手次第御小屋
入可致もの也
   十月

地震出火後日はなし

明治二十四年各地震災之実況

(表題)            本所区相生町五丁目五番地
               著作兼画工  大森清風
明治二十四年各地震災之実況
                下谷区御徒町壱丁目十一番地
               印刷兼発行者 依田周右衛門

震災(しんさい)は天変(てんへん)と云ながら今を去る事四十五年 前(せん)弘化(こうか)四未の三月 信州(しんしう)善光(ぜんくわう)
寺(じ)大に震(しん)す尚(なほ)三十七年前 安政(あんせい)二卯の十月二日 関東(くはんたう)の地(ち)大に震(ふる)ひ死(し)する者
少(すく)なからず恰(あたか)も今回(こんと)の大 地震(なへ)は前代未聞(ぜんだいみもん)の震災(しんさい)は明治廿四年十月廿八日
早朝(あさ)の大地震(たいちしん)は府下(ふか)にては左程のこともなかりしも岐阜(ぎふ)大垣(おほがき)名古屋(なごや)地方(ちほう)
非常(ひせう)に甚(はなは)だし今 聞得(きゝゑ)たる所を記(しる)するに濃(のふ)州 大垣(おほがき)岐阜辺(ぎふへん)は今般(こんぱん)大地震(おほちしん)
の中心点(ちうしんてん)なるが如(ごと)く思(おも)はるれども何分同地よりは 何等(なんら)の通知(つうち)なき為(た)め知(し)るを
得(え)す京都(きうと)よりの報(ほう)によれば大坂 岐阜(ぎふ)は大地震の為(た)め全市(ぜんし)全焼(せんじう)せり午前(ごぜん)
六時大地震名古屋市 死傷(ししよう)多(おほ)く出火(かじ)あり郡部(こふりのぶ)同じ全県(ぜんけん)接続地(せつぞくち)は死人(しにん)
二百名|倒家(たほれや)五十|戸(こ)岐阜県笠松(ぎふけんかさまつ)猶夥(なほおほ)し又名古屋市 始(はし)め近郡(きんこふ)人畜死(じんちくし)
傷(しやう)倒家幷に火事(かし)夥(おほ)し名古屋|監獄(かんごく)在監囚人(ざいかんしうじん)負傷(ふしやう)七十三名 死人(しにん)三十
一名 倒家(たをれや)七棟(なゝむね)其他 建物(たてもの)大破(たいは)なり看守(かんしゆ)二名女 監取締(かんとりしまり)一名 押丁(おしてい)二名 負傷(けが)
せり囚人(しうしん)二名 所在(しよさい)分(わか)らす倒家(たをれや)四 棟(むね)其外(そのほか)何(いつ)れも大 破(は)なり有名(いうめい)なる名古(なこ)
屋 電信局(でんしんきよく)秋琴楼(しうきんろう)共に倒(たほ)れ其他倒家|人畜(じんちく)死傷(けか)数知(かづし)れず又|長良川(ながらがは)の
橋桁(はしげた)は落(おち)し殊(こと)に名古屋より東京に向ひて発(はつ)したる午前六時四十分の
列車(れつしや)と岐阜(ぎふ)発(はつ)の神戸行(かうべゆき)午前七時四十三分の列車(れつしや)と恰(あたか)も地震(ししん)のあり
し頃(ころ)なるが所在(しよざい)不|分明(ふんめい)なりと云(い)へり大坂よりの報(ほう)によれば同地震災(どうじしんさい)の被害(ひがい)
は死亡(しぼう)二十一名に負傷(けが)者(にん)九十三人会 社工場(しやかうぜう)全潰(まつたくつぶれ)一棟|半潰(はんつぶれ)一 軒(けん)破損一軒(はそんいつけん)家屋(いへ)
全潰(ぜんつぶれ)十四棟半 潰(つぶれ)五軒 破損(はそん)六十 軒(けん)納(な)屋 土蔵(どぞう)全潰(ぜんつぶれ)六 軒(けん)|難波紡績会社(なんばぼうせきかいしや)の死(し)
傷(せう)十四人|負傷(けが)二十五名なり又九 条(じやう)村しきわ会社にも負傷(けが)あり其他の被害(ひかい)
一方ならず各地の震災は神戸市街は勿論居留地家屋の被害夥し和歌山今
朝七時三十分大地震あり震動強烈(しんどうきやうれつ)にして且(かつ)長(なか)し徳島(とくしま)高知(かうち)も又大に震(しん)す
福井の震災(しんさい)は殊(こと)に甚(はなはだ)しく福井市の分(ぶん)人(じん)家|全潰(せんつぶれ)八十六戸 半潰(はんつぶれ)四十九 戸(こ)土(ど)
蔵全潰(ざうせんつぶれ)二十六|半潰(はんつぶれ)三十六 官衙(くはんが)学校(かつこう)同|付属建物(ふそくたてもの)破 損(そん)十ヶ所圧死(あつし)一人|負傷(けが)
二十二人|其他(そのた)足羽(あしは)吉田二郡の福井に近(ちか)き所 被害(ひがい)多く 若狭地方(わかさちほう)一時|電信不通(でんしんふつう)
なり時々の震動あり滋賀県長浜にて倒家十七半倒家二十一即死三人負傷
三十一人 近(きん) 郡(こおり)の破害(はがい)少からず名古屋市にて潰(つぶれ)家 数(かす)知(し)れず圧死(あつし)者千人以上に
及(およ)び 負傷者(けがにん)も夥(おほ)し桑名(くはな)にても潰家(つぶれや)多(おゝ)く大坂は各工場(かくかうじやう)非常(ひせう)の損害(そんがい)を蒙(かふむ)り煙(ゑん)
筒(たう)は大抵(たいてい)倒れたり又福井は地面の破裂(はれつ)したる部分(ぶゝん)多く但馬(たしま)の豊岡(とよおか)は六寸程の横(をう)
動揺(どうよふ)を為(な)し家屋(いへや)の破損(はそん)少(すく)なからず各(かく)地とも煉瓦(れんくは)家屋 損害(そんがい)を蒙(かふむ)りし其惨状(そのさんせう)見(み)る
にしのびず猶(なほ)画様(ゑよう)に譲(ゆづ)りて筆(ふで)をさしをく

 明治廿四年十一月一日印刷  同年同月二日出版

大地震火事略図

大地震火事略図

御救小屋場所
幸橋御門外
浅草広小路
深川海辺新田
同永代寺境内
上野御山下火除地
東叡山宮様より
 御山下右同断
十一月二日焼死人のため
諸宗十三ケ寺へ施餓
鬼被 仰付修行被致候
御屋鋪弐万四千六百四十軒
□【町】数五□□【千三】百七拾余町也
寺院一万六千二ケ寺
土蔵焼失の分
 六千八百戸前
崩候分
 七億【拾の誤り】二万六千三十八也
男女生死人の分
十万九千七百余人也


【下段】
乾坤和順せざるときは陰地中に満て一時に発す是地上に地震といひ海上に津浪といふ山中に発する時は洞のぬけたるなど
皆風雨不順の為す所にして恐るべきの大事なり于茲安政二年乙卯冬十月二日夜四ツ時過るころ関東の国々は
地震のとゝ【届】かさることなく一時に舎坊を崩し人命を絶こと風前のともしびの如し其中に先御府内焼亡ノ地は千住小塚原
不残焼け千住宿は大半崩れ山谷橋はのこらず崩れ今戸橋きは数十軒やける新吉原は五丁共不残焼死人おびたゞしく
田丁壱丁目弐丁目山川町浅草竹門北馬道聖天横町芝居町三町北谷中谷の寺院南馬道ゟ花川戸半町程やける山の宿町
聖天町は崩る浅草寺は無事にて雷門の雷神ゆるぎ出す広小路並木辺残らす崩れ駒形町中頃ゟ出火諏訪町黒船町御馬や
河岸にてやけどまる【止まる】御蔵前茅町辺富坂町森下辺大破東門跡恙なし菊屋橋きは新寺町新堀共少しやける大音寺ゟ
みの輪金杉辺崩れ坂本は三丁目やける山崎町東【坂】広徳寺前通り崩多し又は山本仁太夫矢来内死人多し家不残崩る其外寺院は
大破損亡おびたゞし◯谷中三崎千駄木駒込は崩少し根津門前は大半崩池の端茅町弐丁目境いなり向よりやけ同壱丁目不残
木戸際にて留る切通シ坂下大崩仲町は片側丁崩多く両かは丁すくなし御すきや町は大崩広小路東がは中程ゟ伊東松坂屋角迄
上野町ゟ長者町辺やける御徒町近辺ゟ三味せん堀七まがりは大名方組屋敷共崩るといへとも多分のことなし御成通ゟ明神下
破れ多く外神田町家の分崩少し湯嶋天神は崩少し門前町崩多く妻恋町少しも不崩稲荷の社無事也本郷台破
少し筋違御門ゟ日本橋通り左右神田東西共崩多し小川町本郷様松平紀伊守様板倉様戸田様やける榊原様外かは
焼神田橋内酒井雅楽頭様同御向やしき龍之口角森川出羽守様又一ト口は八代洲河岸遠藤但馬守様因州様御火消屋敷
等なり和田倉御門内は松平肥後守様松平下総守様やける近所崩れ其外丸の内御大名方所々崩多し鍋嶋様御上屋敷
不残やける山下御門内阿部様のこらず大崩となり夫ゟ幸橋内松平甲斐守様伊東様亀井様共やける薩州様装束屋敷崩る
霞関は諸家様大半くづれ黒田様御物見のこる永田町三間家かうじ町辺は崩少し四ッ谷市ヶ谷牛込小日向小石川番町辺
何れも損亡おほし赤坂青山麻布渋谷白銀品川高輪台町共崩少し赤羽根三田飯倉西久保は崩多し増上寺無事
◯北本所は中の郷松平周防守様やける此辺大崩にて所々ゟ出火あり同所番場丁弁天小路辺やける其外寺院損亡多し法恩寺橋
町家やける亀戸町二ヶ所やける又竪川通りは相生町緑町三ツめ花町迄やける又御船蔵前町ゟ黒八名川町六間堀森下町高橋にて
留る又一ト口は深川相川町ゟ黒江町大嶋町はまぐり町永代寺門前町八幡宮鳥居きはニて止る又乙女橋向角大川端少しやける
本所深川おしなへて地震つよく損亡おびたゝし◯日本橋ゟ南東西中通り河岸通り共大崩にて南伝馬町弐丁目三丁目左右川岸
京橋川通り迄やける銀座町三十間堀尾張町辺少したるみ新橋向築地木挽町桜田久保町あたご下崩れ多し芝口通り少し
露月丁崩れ柴井町やける神明町三嶋町大崩怪我人多し神明宮恙なし浜手御屋敷残す【不残のことか】いたむ中門前片門前浜松町金杉本
芝辺崩少し田町大木戸品川宿格別の崩なし翌二日ゟ七日迄明日すこしづゝふるひけれ共別にさはることなく追々静謐におよひ下々へは
御救を被下置御救小屋三ヶ所へ御立被下御仁徳の御国恩を拝謝し奉らん人こそなかりけれあらありがたき
事共なり  但し出火のせつわ三十二口なれともやけるところは図のことし 火の用心〳〵

大都会無事

大都會(おほつゑ)無事(ふじ)
〽大ちしん大さわぎそのとき
あちこち火事がてゝ四方八方
きやうてんし家(いへ)〳〵つぶれてござ
りませんむすびをしてくれた
用意(ようい)のにぎりめしおさきへたべませう

やれ〳〵しぶといぢしんめといふ
うちになんのてもなく一トつぶし
いのちと金(かね)とのとりかへこでやう〳〵
たすかつた     市中庵静丸章

地震(じしん)吉凶(きつきよう)の弁(べん)
地震ハ豊年(はうねん)の基(もと)ひなり何無愁事秋ハ草木(さうもく)土(つち)に
もくり冬の気より土(ち)ちうに芽(め)をふくミ天のめぐミを
地にはらミ万物(ばんもつ)を生ずるところ時のふしゆんを
いへりすでに発(はつ)して地しんとなる地震ハ
地の煩(わづら)ひゆゑ野(の)人ハ不息(やま)人ハ天地を父母と
して万物の長四海(しかい)ミな兄弟(けいてい)なりゆゑに
老(おひ)の若(わか)きを導(ミちび)き若(わか)きハ老を助(たす)くること
人りんの常なり然る処(ところ)近来(きんらい)からきところハ
人情(にんじやう)薄(うす)く
自他(じた)の隔(へだて)強(つよ)く美飯(びはん)を
好(この)ミ時ならざる花を楽(たの)しミ高金(かうきん)を費(つひや)すこと天理にかなハずたとへ
地震のなんをのがるゝとも教(をしへ)に背(そむ)き一身全からず恐れつゝしむ
べし
夫(それ)天ハ陽なり上に位(くらゐ)して覆(おほ)ふこれ父の徳なり
地ハ陰なり下に位してのする母の道なり然して
陰陽(いんやう)交(かう)かんして五行(ごぎやう)を生ず其(その)氣(き)天にかへりて四(しい)
時(じ)行(おこなハ)れ其形(かた)ち地に布(しひ)て
人及び禽獣(きんじう)魚虫(ぎょちう)
草木(さうもく)を生ず故に天地を大父母(ふぼ)と称(しやう)す
人ハ秀(ひい)でたる五行の気をうけて生するを以(もつ)て
万物(ばんもつ)の霊(れい)といふなりされバ天地の父母に順(したが)ふ









大合戦図

大合戦図

大合戦図

聞書東海道南海道国々大地震大つなミ

【黒枠外右】
嘉永7年甲寅年十一月本しらべ

【黒枠外上】
聞書

【黒枠内タイトル】
《割書:東海道|南海道》国々大地震大つなみ


【一段目左へ】
志州鳥羽
十一月四日朝五つ時より大地震
にて所々崩同五日昼七つ半時
より又々大地震と成候所へ
大つなみにて御家中六部【「分」カ】
通り流れ町中も八部通崩或は流
二部通り残たる所は破損あり惣而
志摩一国無事成所一ケ所もなく
誠に〳〵日本一の大あれ也
死人凡一万余とも相わからず
失人数しれずゆり凡弐尺

紀州
同四日同刻より大地震の上大つなみ
にて川口流れ 死人 凡三百人余
黒江 日高 藤代辺は床より汐
三尺斗り上り死人凡百五十人
崩家凡三百軒あまり也
残りたる所皆々はそんあり
尤町内くづれ所々沢山成事
かず不知其外一々筆に尽がたし

大地しん
四日朝五つ時五日朝七つ半時
同夜四つ時同八つ時六日五つ時
同四つ時なりゆり 凡一尺五寸

【二段目】
勢州
同日同刻より大地震にて松坂
津 白子 神戸 山田の辺
凡半崩破損の所かず不知
 凡四五十人づゝ死人有よし
 けが人多し

四日市
十一月朝五つ時より大地震となり
家数凡五十軒余り同五日ひる
七つ時より又々大地震となり大地割る
土蔵八十ケ所死人凡二百人
けが人数不知其近在十二ケ村
半くづれ 死人少々
ゆり一尺五寸 けが人多し

桑名
同日同刻より大地震の後大津浪
にて浜辺みな〳〵流れ大津辺まで
大さはぎ けが人多し

播州
十一月四日朝五つ時より大地しん
姫路御城下大はんくづれ残り
たる所はそん有死人凡百人余
けが人多し ゆり凡八寸

奥播州
加東郡栗□へん大地しん
にて四部辺り崩るはそんの家数不知
其外在々皆々大坂同様なり
【三段目】
泉州堺
十一月四日朝五つ時大地震にて
處々崩れ同五日七つ半時より
又々大地しん大つなみにて
新地 茶町 北嶋 米市場
所々大つなみにて大にそんし
大道すし所々崩る破損数不知
死人凡六十人けがにん多し
其近在十五ケ村所々崩大破損有り
死人すくなしけか人多し ゆり凡六寸

崩たる橋の名爰に記
あづま橋 さかへはし 龍神橋
住吉橋  いさみ橋  相生はし
新栄橋  新松生橋
       みな〳〵おちる

但し是にもれたる国々は
大躰大坂同様の事也
十一月四日朝より八日夜迄
八十度のゆりなり

早飛脚にて申来り候由

しんばん地しんぢぐち

しんばん地しんぢぐち

【上段右から】
じしんとつなみと火事の
場所は九州一せうた【九死に一生】

めし時にじしんか入てきて
くわづににげてたつた越せん

じしんの時はとんな物
てもあわくう

四国のほうもいよ〳〵
しとい土佐

道とん堀の芝居も
とんために大坂

あまり度々ゆらせるから
ししんかおやに関東

【下段右から】
下田のまちつなみで
人がすこしもいづ

じしんと火事で
家内じうおおさがみ

じしんとつなみて沼づ
くわづてなにをするが

じしんてやけるはづた
くにがゑんしう

熊の浦もつなみたと
ゆうことおきいた

こう度々いられては
とんなしんしうたまるまい

高天座石御代礎

【上段右】
地震(ぢしん)は
 |亥刻過(いのこくすぎ)にして
諸方潰(しよほうつぶれ)る
 |十月二日(じうぐわつふつか)
出火(しゆつくは)は
 三十|余所(よしよ)にて
諸口(しよくち)静(しづま)る
 |翌朝三日(よくちやうみつか)

士(し) |歩(ぶ)を引上(ひきあげ)る
  |大名方(だいめうがた)は是(これ)も袋(ふくろ)の  |御弓町(おゆみてう)
農(のう) |米(こめ)を取出(とりだ)す
  |大施行(おほせぎやう)は是(これ)も貢(みつぎ)の  |田原町(たはらまち)
喜怒(きど)
  |四民種(よつのたみくさ) 
愛楽(あいらく)
工(こう) |人(ひと)をあつめる
  |大帳場(おほちやうば)は是(これ)も出入(でいり)の |大工町(だいくてう)
商(しやう) |山(やま)をきり出(だ)す
  |大筏(おほいかだ)は是(これ)もお江戸(えど)の |材木町(ざいもくてう)

【右の記述に下の次の横書き】
賜天(てんよりたまふ)御救栄(おすくいのさかへ)

高天座(たかまくら)石|御代礎(みよのいしずへ)
      御小屋
        五箇所
【上段右の絵内】
當テル十月二日より

【上段左】
【横書き】道行

亥刻(ひけしふん)夢地震(ゆめのふること) 《割書:江東焼三郎|郎の井ゆめ三郎)》 秋元連中
         割竹鉄?にて
           相勤申候
第一番にもへ出し申候

【下段】
焼人替名
一震動左衛門    江戸中郎
一驚人部之助    江戸中郎
一百姓番作     五九郎
一若徒錢内     五九郎
一高直とら次郎   番太郎
一草履三太郎    番太郎
一類焼家の下役板衛 高十郎
一かこひものおくぎ 伊太郎
一おんぼうのひ六  よく次
一くづれ棟兵衛   つち蔵
一曲り家蔵住兼  のしゆく
一《割書:最初三十三所|  八な火出吉)》     火次郎
一《割書:観音の塔まかり| 九りん坊)》     五重
一雇人足間似八   相蔵
一《割書:辻商人| 留場の出来蔵)》    三町郎
一午丸太九郎こげたり 三町郎
一座頭高利ノ一   損四郎
一こし元たてず   抜太郎
一こし元いたみ   身すじ
一こし元おあさ   紫色
一こし元おきす   療次郎
一足場の高蔵   丸太郎
一道心者つつかひ焼 丸太郎
一店番火け四郎幟り 町中郎
一こぼれ玄番    町中郎
一《割書:立退家の後室| 繁昌の前)》     廊中郎
一けいせゐ玉なし  廊中郎
一土山内蔵介道わる  難十郎
一黄金内大臣蔵持郷  難十郎
一足元年寄公    難十郎
このもの前勘定め
賀落雁

 

江戸前かばやき鯰大火場焼

焼た
なまづて
職人は
めしを
くひ
【看板】
江戸前 かばやき
鯰大火場焼

      口上
町々 御火元(ごひげん)よくやかせられめいわく
至極(しごく)にそんじ奉候いたがつて打身(うちみ)せ
崩(くづれ)候に付 大道(だいどう)に而 商内(あきない)相はじめ候
お間だ御 瓦(かはら)せなく御用心之程
一と夜(よ)に〳〵寝(ね)ないあげ奉候
一 うなんぎ
  家破やき
一  骨継(ほねつぎ)どぞう
一 なまづ日本 煮(に)

     諸方たて大工町
         ふなやど
           ひま蔵
 十月二日ゆり出し
  当日よけい
    火事あり申候   

[伊勢・伊賀・近江・美濃・尾張図]

山城勢州大和三河江州越前聞書大地震并ニ出火の次第

【黒枠タイトル】
山城大和江州 勢州三河越前 聞書 大 地震(じしん)并に出火の次第

【一段目左へ】
南都 《割書:廿三日迄に|八十五度のゆり》
寅六月十四日夜八つ時よりゆり始め明六つ時迄少々
ふるひ十五日朝五つ時より大地震にて町家一軒も
無事なるはなし家内に居る事ならず皆々
野宿明地なとにて夜をあかし往来人一人も
なく目もあてられぬ次第なり
廿一日夜五つ時田村【?】油坂町西方寺本堂
くだけ高畑神主【鳥畑以降、要検討】高へいのこらす其外家数【敷?】
くすれたる家かすしれず死人少々有之
  死人三百五十人
  けか人横死其数をしらず

伊賀上野
同十四日夜七つ半時地震あれきつく御
城大手御門大損じ町々在々家焼れ
其外出火にて焼失嶋ケ原と申處五十丁
四方螺のために泥海の如く相成人家損し
たる数しれず中々あわれなる事目も
あてられぬ次第也おそるべし〳〵

江州石部
同十四日同刻の地震ゆり出し
所々人家いたみ少しつゝあれたる
所あれども略〳〵

水口土山庄の薬師
同十四日同刻の地震大ゆりにては
無之候へとも両宿すこし損し
るゆゑ此処に書いだす

亀山
同日同刻のゆり出し西辺にて
少し家などそんしかくべつ
の大あれにては無之候

三河岡崎
同日同刻のゆりいだし有之
東の辺にて少し人家いたみ
度々ゆれども事かるし

京大坂紀州丹波丹後
尾州美濃木曽海道筋
并に信州江戸無難に御座候
右之国々京大坂同時同様の地震に
廿三日すぐ【まで?】しらせの事

【二段目】
勢州四日市
六月十四日夜四つ時ゆり始六つ時より大地震と成
家数五百軒余崩れ昼五つ時より出火にて
家数四百けん余焼失
  死人凡弐百四十五人
  しれざる人 五百五六十人

和州古市
同日同刻の大地震にて池われ人家
多分くづれ死人六十七人けが人
数しれずのこる家数三軒ばかりより
これなく義に御座候

江州信楽
六月十三日大雨雷鳴事きひしく翌
十四日大地震にて町々あれ人家たをれ
家数凡百卅軒斗土蔵たをれ十八九戸
まへけが人即死かすしれず

ぜゝ御城下并に石場
十四日同刻大地震にて御城下北大手出火にて
御ぼたい所焼失いたし候事其余御構高へい
こすいへをちこみ大へんの事也又石は舟のり
ば大石とうろうこすいへたをれ横死の人
もあり余は右に准しはそん所多し

和州郡山
六月十四日夜九つ時早々ゆり始八つ時に大地震
柳町壱丁目より同四丁目迄家数凡卅八軒くつれ
同十八日廿一日六つ半又ゆりかへし八十五度のゆり
市内凡三部通り家くづれ其外なら同やう也
   死人凡百弐三十人ばかり

越前福井
六月十三日昼五つ時より出火にて城下不残焼失
其朝大風にて九十九ばしと一百町斗り両本願寺
寺院百ケ所に焼失近在凡十ケ所焼失
夜四つ時にしづまり申候
又十四日夜八つ時より大地しんにて田地など
も泥海に成所々の家くづれ死人凡四五十人
誠に〳〵其混乱筆につくしがたし十六日
くれ方迄に大小六十七八度ゆる恐ろしきしだい

【三段目】
【絵図タイトル】
勢州四日市

【絵図タイトル】
伊賀上野

【文】
南山城木津
同十四日夜九つ半時より東西南北のあやち
なく黒雲ふりくだり右ふり笠置山より大岩
等吹いだし図のごとく近辺大水となり家
十軒ばかりつゝくづれなから流れ命をしみとも
にけゆく所これなく夜中の事なれは誠にあ
われなる次第なり死人いまだ数相わからず
水十五日九つ時ころにさつぱり引なり

【絵図タイトル】
越前福井

会津ばんだいさん大くづれはなし

会津
ばん
 だい
  さん
大くづれ
はなし
【上段】
 ひろい  にほんで    なもたかき
一あいづ  ばんだいさんの おゝさわぎ
 きくも  かたるさも   をそろしや

 ふもとわ ごかむら    そのほかに
二ろくり  よほうの    さわぎにて
 そくしの かづ〴〵    かづしれの

 みるも  をそろし    このさわぎ
三ばんだい さんわま    ふきやぶれ
 したより くハいんが   もいあがる

 よにも  じごくハ    あるものよ
四これが  とうくハつハ  じごくかと
 くるしむ ひとのよ    ありさまハ

 いかに  じごくが    あれバとて
五このよで 三十      ろくかむら
 いちどに はなうの    くるしみで

 むごい  ものだよ    ばんだいの
六とうじの ひと〴〵    だいそこに
 かわいや そのかづ    百五十にん

 ならくの そことハ    このことよ
七つまや  こともの    あるみでも
 しにめも あわずて    このよのわかれ

 やまハ  くづれて    のまとなる
八のまハ  むまりて    やまとなる
 いしハ  くだけて    じやりとなる

 こゝん  まれない    をゝさわぎ
九いしハ  てんより    ふりくだる
 したより ほなうが    もいあがる

 とゞろく だいじハ    ひゃくはちの
十かみなり さまのま    ごとくにて
 いきた  こゝろの    ひとわなし

【下段】
  いばら  をゝかわ    こがわまで
十一すいろハ ふさがり    でんばたも
  みづだめ こぼりも    みなつぶれ

  にわかの さわぎの    ことなれバ
十二をやこ  ちりじり    にげいだす
  いのち  あつての    ものがたり

  さん〴〵 くづれし    そのころハ
十三七月   なかバの    十五日
  ごぜん  はちじも    すぎしころ

  しほう  はつぽう    くろけむり
十四ちやうちく るいまで   みなごろし
  みのけも よだつる    ばかりなり 

  ごたいも ちゝまる    をおろしさ
十五つまこに わかるゝ    かなしさに
  をやこ  わかるゝ    あわれさよ

  ろく十  よしうハ    ひろくとも
十六ばんだい さんのま    をゝさわぎ
  みるも  あわれの    かぎりなし

  しかし  ひとつの    ふしぎあり
十七ひばら  むらにて    ひとりもの
  としハ  八十で     をバゞさん

  はるの  ころより   いつぴきの
十八いのを  だいじに   かいをかバ
  このいの ごをんを   をくらんと

  くびを  かたげて   このいのハ
十九ものわ  いわねど   めでしらす
  そでを  くわいて   つれてよく

  にわかの だいなん   まのかれて
二十うれしや ぶちやと   をバゞさん
  こんな  さわぎが   よにあろか

 明治二十一年七月十六日印刷
 同    年七月十九日出板
    新潟県中蒲原郡白根町
     第百九十二番地
 編輯兼
 発行者  岡田 伝松
 印刷兼

    定価■■■












太平優美論

【右上から】
【かすれて見えないが 内容から推定する かるこ】
乁わしらがかつてゞかせぐのではねへあち
こちからたのまれてよんどころなく
金もうけをするのだしかしふだんは
かるこ〳〵とかる〳〵しくおひつかはれる
からちつとの
ものでも
おも〳〵しく
かついでたんと
ぜにをとつて
やりやす

のり物や
乁さて〳〵こんどはいそがしい
のでせけんから見たら
金もうけと見えませう
けれど今のぶんではよう
ござりますがしまいは
やつぱり太郎【良】兵へで
ござります

せんどう
乁此ごろのやう
ではじつに
まうかつて
しようがねへ
ときにちつと
御入ようなら
おあづけもう
そうか
おくり状のねへ
にもつが
船に二三べい
あつてまことに
こまりきり
ますは

【右はし中段】
□□□□【内容から推察すると車力か】
乁じつに此せつのやうにいそがしくつては金のおき所に
こまりますよしかしながらよくしたものでくるまの
わじやァねへが大かた
まはりもち
でござり
ませう


【中央人物の下】
百せう
乁なるほどわしらァ田舎に
ゐて外へ立のくせわもなし十ねん
あとに立たした座しき一ヶ月
五両でかりでがあるしちと
ごうよくだといはしやる
たらうが御てんまが
なけりやァまるもうけサ

【左ページ上】

乁そうほうともに
しづまれ〳〵皆の
ものよふきけよ
人のくわふくはおの
れのかせぎと正直に
あるところなれば
なけぐにもおよふまじ
またほこるにもおよばぬ
ゆゑじせつをまつてかせげ〳〵

さくわん
乁ぢしんのあとの銭もうけを
ちやくむちゃくにしてしまふ
ト思へはじつにねつかれねへ
たんとの金のいれどころ
くらてもたてたがいゝしやァねへか
しみたれなやつらぜへ

しちや
乁わたくしどものとせいはべつにりきみ升ことも
ござりませんが此せつのことゆゑにきびしく
申つけまして正ろにいたせと申ます
ればまげますことはおことはり
申ます

【「左官」の絵の上】
かねかし
乁サアいくらでも
かしてやる
からかりに
きなせへ
まご〳〵して
にげるにやア
およばねへ
せ五両壱分と
まけました〳〵

げい人
乁ド?ウデスありがたい世の中
ではござりませんかさま〴〵な
おもしろいことをうかゞひますし
うまいものはくひしだいわたしらの
せかいにはすこしもかわつたことはなし
ちつとおかねのないくにへいつて
見てへものだ

げいしや
乁わちきのほうもいそかしいから子供がたら
ないでこまりますよおざしきがさし合だらけ
つけこみは山〳〵あるしねるまもないくらいいそ
かしいのでかつかり
するよちつと二三日
田舎でもたちのきたい
ものでこさりますヨ

【「呉服屋」の絵の上】
ごふく
乁おまへかたのめから
見たらひまさうに
みへませうがそこが
お江戸のありがた
さ一日でもやすみは
なし御ようむきたくさん
ありありかたい
よの中〳〵

【「芸者」の絵の右下】
ひきやく
乁みなさんもごぞんじの
とほり金にあいそづかし
でもしてへくれへふへて
こまりますがぜにづかいのあらいのと
ちうやあるくので
おあしがたま
りませぬ

愛知岐阜福井三県下大地震之図

官民家屋の出火七八ヶ所県下北西の
方(かた)しんどう殊(こと)にはなはだしく
地方税(ちほうぜい)の損害(そん)無量(むりよう)
一百万円以上なりといへり

災害(さいがい)報告(しらせ)今までに全県下
死人千五百卅三人 負傷者(けがにん)
二千四百名 潰(つぶれ)家千五百戸|余(よ)

◯岐阜(ぎふ)の地震(ぢしん)【大字】
仝日六時頃 濃州(のうしう)赤坂には
地 盤(ちめん)一尺五六寸上下するを
見しといふ又|処(ところ)々に
幅(はゞ)七八寸の地割(ぢわれ)をせうじ
泥(どろ)みずとしほ気ある
土砂を高さ一尺 余(よ)も
噴出(ふんしつ)せり大垣(ほゝがき)に
出火はじまり
全焼 数(かず)しれず
長良川鉄道橋
三百尺 程(ほど)落(をち)たり
東行汽車は
垂(たれ)井より発せず
木曽川近ぼう
玉の井は長さ二十丈も
くずれおち出水
甚おゝし

◯福井(ふくい)の地震(ぢしん)【大字】
仝日六時三十七分より
はしまり市内 潰家(つぶれや)
二百四十 死傷者(しにん)五十名
出火十余所
今尚 震(しん?)とうやまず

滋賀(しが)県(けん)は大坂彦根其他
西京近ぼうの損害実に
みぞうの大地しんにて
難波(なんば)紡績(ぼうせき)会社(くわいしや)諸(しよ)会社の
けがにん何万といふ数
今にわからず

凡 彦根に五十戸十五名死人負傷六十名
  西京 高塀つぶれ 死負なし
  大坂 つぶれ死人なし
  石川富山長野三重和歌山高知諸県の地しん
  何れも小大震動あれど負傷者位にて
  すみしとなほ後報をまつのみ


編輯兼印刷発行者
神田区宮本町四番地
諸澄直吉
明治廿四年十一月一日印刷
仝   年仝 月仝日出版

官民家屋の出火七八箇所縣下北西の
方しんどう殊に ざしく
地方税の損害無量(むりよう)
一百万円以上ありといへり

災害報告今までに全縣下
死人千五百三十三人負傷者(けがにん)
二千四百名潰家千五百戸余

○岐阜(ぎふ)の地震(ぢしん)
今日六時に、濃州(のうしう)赤坂に
地盤(ちめん)一尺五六寸上下するを
みしというまた處(ところどころ)□□
幅七八寸の地割をせうじ
泥みずとしぶきなる
土砂を高さ一尺余も
噴出せり大垣に
出火
全焼数しれず
長良川 鉄道橋
三百尺程落(をと)さり
東行汽車は
埀井より発せず




愛知
岐阜 三県下大地震之図
福井
   ○愛知(あいち)の地震(じしん)
明治廿四年十月廿八日午前六時三十九分より
市中大ぢしんにて死人に百有余名にして

摂津大ぢしん

嘉永七寅十一月四日五ツ半時震
摂津大ぢしん
 【上段】
四天王寺清水寺
舞台崩れ落る  【挿絵】
本堂聊も不損
舟場いなり西鳥居そんす
〃 御りう社内井戸家形くずる
〃 狐小路本町寺の高へい 〃
〃 順けい町どぶ池南東角やしき 〃
堀江あみだ池うら門西の辻 〃
南ほりへ四丁目かめばし西の辻角 〃
幸栄はし西詰南へ入 〃
しらが町観おん前せんこだい | 横町高へい
さつまほり願教寺たいめん所
あはざ戸や町西ゆきあたり《割書:此辺多し| 》
永代はま大土蔵
新中はし大そんじ
ざこば石津丁角
北江戸堀一丁目高へい十軒斗り
犬さいはし東入土蔵つくり
常あんはし南かど
浄正はし土蔵一ヶ所
汐津ばし南土蔵同北一ヶ所
上ふくしま天神門 | 同中井戸家形土蔵
坂本社 | 同下絵馬堂其外五六ヶ所
らかん本堂小門 | 同野中丁十軒斗り
さのや
  はし筋
 塩町北へ入  【挿絵】
   高へい崩

 【下段】
舟場北久太郎町どぶ池北入西かは家三軒
本町心さいはし東入うら長屋
天満天神井戸家形
安治川順正寺茶の間本堂大そんじ
〃三丁目十二三軒ばかり
国津はし東西一ヶ所づゝ
道修町せんだんの木高へい
あはぢ町西土蔵
町々瀬戸物店又はかはらや大そんじ
材木やこと〳〵くたをれる
西成郡惣社
  座摩宮  【挿絵】
 石鳥居崩落る
中寺町当麻寺掛所門
同となり本堂そんじ
同源正寺門
〃寺町浄こくじ
高津し正院高へい
御くらあと家四五軒
はご板はし
 北詰角  【挿絵】
なんばてつげん寺釣かね落其外諸堂大そんじ
堺平の八尾久宝寺其外近辺こと〳〵くそんす
〃ぎおん石とうろうこける
大仁村せん寺本堂くするゝ
尼崎城下大そんじ
 【欄外】
此外数多有之候得とも繁多ゆへ篤と相しらべ後編に出す

[江戸地震方角図]

東都珍事実録咄

【見出し】
東都珎事実録咄

【第一段】

【絵】

立退




十月二日亥の刻ゟ大地震差をこり
人家崩れ夫ゟ出火となり市中八方へ
火の手上り大火となり市中の人々是に
おどろき其混雑めもあてられぬ
しだい也又御屋敷様方御殿様
御奥様方御立退或鑓長刀
【を携切捨市中の騒動上を下と】
申方なし大坂表と市中の事替り
或は押にうたれ或は火にまかれ死
すも有○亥の刻ゟ地震止事なし
故に老若男女たすけくれの大声上り
助くる事不能見ごろしなる事数
しれず又江戸表は諸国ゟ入込たる
人多く土地不案内にて何れへ逃
ては門にむかひすわやといふ内大火
山の如くむらがり来り其横死の声
今にやまずあわれなる事たとゑ
がたし寺院社宮は申におよはす
土蔵崩れあるはいろ〳〵われ
たる数筆紙につくしがたし大震
の場所人形町辺人家七部通
潰れ尤橋々は格別の事無之
市中所によりてはこけ家山の如く
かさなり山の如し前代未聞の次
第なり
此度番附外々にも数多く有之
候へ共外方の分は別してくわしくは
江戸表ゟ所々細ぎんみいたし書面参り候
中にも絵図にて出火所わけいたし
其図上にてうつしとんと間違なし
猶死人数は相わからずしれ
しだい小付にて差出し申候

【第二段】
麹町五丁目岩城
升や大崩れにて
家内死人多し
崩れ出火五ヶ所崩れ
四ッ谷伝馬丁通り
廿四五軒くづれ
市ヶ谷町家
十五六軒たをれ
御屋敷は数
多くねつ谷
中くづれ家
少々土蔵并
蔵造りの家
不残くづれ
本郷湯嶋外
神田籠駕丁
又さくま丁くつれ
家弐百七八十けん
くつれ但し出火なし
 
 地震大ふるいの部
日本橋宝町小田原丁此近辺
十軒店本町するか丁越後屋近辺
大伝馬丁大丸辺油丁横山丁人形
丁田所丁堀江丁此辺又富沢町
長谷丁新乗物丁高砂丁川岸どふり
両国広小路浅草御門外福井丁
かや丁御蔵通り又日本はし通り白木屋
すはら屋但し蔵造土蔵とも人家八部
どふりだをれ又日本橋ゟ芝大木戸
までくづれ家数しれず高なは大半
くづれ品川土宿少々下宿六部通りくづれ
中にもあわれなるは旅人又はめしもり女は
とう方にくれやゝもいふ内ぢごくのさまを
見るが如く其時のこへ蚊のなく如く
あわれなる事此上なし

【絵】
 水汲の図
此度大じしんに付水道とゆ【とい】
われ水の手とまり水きれ
にて町々人々大にこまり
ほりぬき井戸迠
くみにゆく事二丁
三丁五丁七丁
とゑんほうへ
くみにゆくこん
さつ一通りならず
井戸はたは
たがひに
こうろう
のようだい
なるへし

【第三段】

【絵】
新よし

崩れ
の図

【絵図  省略】


大地震にて七部くづれ其上出火と
相成不残焼失五十軒新茶や町
田町引手茶やのこらず馬道通
不残東は聖天町瓦町猿若町
三芝居役者町楽屋新みち
其外諸商人のこらず焼失役者
衆即死も有又は片岡我童丈は疵
多く山の宿花川戸北馬道川岸
通材木町並木町駒形すわ町
黒ふね町御馬屋川岸迠不残
又は三間町のこらす焼失別して
新吉原女郎客衆其ほか
歳より若き者横死する人数
千人におよぶ浅草辺は観世音を
見かけ境内へにけ込幾万とも数
しれす時の声上ヶ観世音を
ねんじ其御利益か壱人も怪
我人なし霊験あらた也恐るへし
但し下谷金杉三丁やけ

【第四段】
本所は石原町番く【悉くカ】南わり下水吉田町
吉岡町清水町長崎町入江町
縁り町花町あいをい町立川通り
津軽中屋敷又は御大名御旗本
御組屋敷御与力衆又はあまた
御屋敷焼失凡廿二丁四方
焼失崩れ家少々深川永代ばし
向少々残し富よし町はまぐり町
黒へ【江】町熊井町大和町大嶋丁矢倉
下すそつぎ仲町通一ノ鳥居まて
佃しま八まん宮残り森下町より
六けんぼり神明町ときわ町
高ばし通りいせ崎冬木町凡
十弐丁四方焼失くづれの部
其数しれず北しんぼり二の
橋よりれいがんじま此辺は少々
焼失大川端鉄砲づ舟松町
十けん町焼失焼残りの家は
地震にてつぶれ
佃しまくづれ丸やけに相成
北は下谷池の端仲丁茅丁広小路三枚はしゟ
南へ焼失長者町おかち町辺
御なり道其外代地御大名御中
屋敷御下屋敷御組屋しき
御かち組御先手組御はた本焼
但し池のはた池の水津波の如くおかへ
打上ヶ 龍(たつ)の登るがごとくさも
おそろしきふぜいなり

【絵図 省略】


浮世栄

志んよしハらかりたく
浅艸東仲町  深川仲町
西仲町    富ヶ岡門前
花川戸    東仲町
山の宿    佃 町
聖天町    常盤町
今戸町    松村町
山谷町    山本町
   浮 世 榮
馬喰町    根 津
田 町    谷 仲
御旅弁天   音 羽
御船蔵前   赤 坂
本所入江町  麻 布
八兵衛屋敷  市兵衛町
長岡町    宮下町
陸尺長屋   谷 町
鐘つき堂   鮫ヶ橋
五百日ノ間  此分追而
地震□□くつかた場所も建直り
これからハ御代実によし原

[安政三年辰八月二十五日江戸大風雨]

頃わ安政三年辰八月廿五日夜六ツ時ころより南
大嵐吹出し其はけしき事筆に余り家をつぶし
家根を吹立川筋波を打上ケ舟わこと如くこわれし
事めも当らぬ次第也此時雷鳴渡り地震出火も有之
めずら式次第のあらましを書しるしぬ
日本橋南は通丁筋かく別の事なし【?】中橋京はし同芝口辺
少々のいたみ芝山内わ大木を根より引ぬけ又は打おれし
も有御堂も少々ツヽいたみ有之芝片門せん
より出火いたし半丁斗やけ大門通り少々
神明御社残り
門前丁神明丁
裏通り不残
三嶋丁両かは
浜松丁壱丁目
片かは宇田川丁
少々にてやけ
とまり金杉
本芝海片大方
こわれ御屋鋪
株【?】海岸通り
別して多
し芝田丁
七丁目半丁斗
   此近へん
山道崩れ往来
留所有高
輪辺品川
海岸遊女
屋不残こはれ
山の手麻布
白銀へんはらく【?】

【右下 9行目下】
○海岸汐打上け
津波如し

【左下】
築【筑】地御門跡御堂事
こわれ汐留はし半谷落
鉄炮す汐留大材木吹上

関東一帯を風靡した鮮人虐殺の真相(付録)

【上段より開始】
 関東一帯を風靡した
    鮮人虐殺の真相(附録)
鮮人襲来の流言を一番最初に放つた張本人は目下掠
奪暴行其他の犯罪で収監されてゐる横浜在住の社会主義
者山口正憲等であつた事は最近発覚したが、其流言は
忽ち関東一帯を風靡し、数百名の鮮人が無惨の迫害
に斃れた。其真相の報道は当局官憲で調査の必要上
絶対に禁止されてゐたが此二十日漸く解禁され真相報道の自
由が許された。元来が流言に因て起つた事件である丈に従来
の風説世評には多くの虚伝があり誇大に伝へられてゐた。従て
実際の事実は風説ほどはなかつた。併し最も惨虐を極め
たのは何といつても流言の本場であつた横浜で、大震災当日の
午后には山口等の流言は命から〳〵市を囲んだ山や高台
に遁れた多数の罹災民間に早鐘の如く伝へられ殺伐の空
気物凄く漲り青年会率先して同夜区【まちまち】に自警団を組織
し、鮮人を鏖殺せよといきまき、一日夜から四日頃迄に約百
五十名から鮮人がむごたらしく殺されてしまつた。次に狂暴
惨虐を極めたのは埼玉県で本庄では八十六名、熊谷では
四十三名、神保原では三十五名、寄居、処沢【所沢】では各一名、
合計百六十六名の鮮人が殺害された。其中最も甚かつた
のは本庄と熊谷地方で本庄町では九月二日迄は東京か
らの避難民救助に全力を注いでいたが、二日頃から流言
盛んに行はれ、三日夕刻汽車で避難して来た鮮人六名を
乗客避難民が自警団に引渡したのが火蓋の第一となつ
て殺気立ち、警察へ連行の途中暴行を加へて負傷さ
せた。警察では鮮人を保護すると共に署長は新聞記
者在郷軍人分会役員等と大道演説をして極力人身人心の
鎮撫につとめたが、四日朝川口町蕨町其他戸だ戸田、南平柳
村方面でじけ自警団に捕へられた鮮人労働者約二百名を縣
外安全地に送るべく浦和町から自動車で群馬縣下に出
発させたので殺気立つた町内自警団が襲ひ警官消
防組在郷軍人が必死に制止するのもきかず兇器を以て肉
迫したので、一旦警察署に引返し演舞場に収容し
たのを又々自警団襲撃し、数百名の一団は逃げ
惑ふ鮮人をメチャ〳〵に殺害し署内は大修羅場と化し
た。此の暴虐によつて殺された鮮人は実に八十六人に上つた。
又熊谷地方では九月三日来縣警各部で保護中で
あつた多数鮮人が長野縣若くは新潟縣へ送致される事
となり、中山道を西下するといふ噂が伝はり消防組在郷軍
人団は全力を挙げて警戒中であつたが、四日夕刻には何人
が言ひ出したともなく一家一人宛自警員を出せと□に廻
り忽ち自警団が成り、警察と自警団との間に鮮人
の争奪が始まり、熊谷署は消防組と在郷軍人団
の援助で鮮人を深谷方面に送り届け【以下カスミの為数文字判読難】
発したが、忽ち自警団の襲ふ所となり、忽ち十餘名殺
され、遮二無二逃げんとする鮮人を保護の為警察がしば
りあげたので愈に不運鮮人だと誤解し再び□乱状態
に陥り、同夜九時頃迄に熊谷署内、本町三丁目□□屋旅
館前、筑波町他内□数ヶ所□合計四十三名□殺され
た。そして□□の死体は翌日□□累々と□り、あたり一面血
の海と化した。又、九月四日午後一時鮮人十五名に警
官三名消防組役員五名附従ひ本庄署を出発した。貨
物自動車が児玉郡賀美村渡船場に差かゝつた所が流
言に従つた同村民と利根川対岸の村民が竹槍などの凶器
を携へて殺到したので附添の消防役員は逃走し警護の
【上段終了】

【下段開始】
 ▲特に注意▲【四角囲み開始】
本(△)書(△)は(△)発(△)売(△)を(△)禁(△)止(△)さ(△)れ(△)て(△)居(△)た(△)が(△)解(△)禁(△)に(△)よ(△)つ(△)て(△)発(△)
売(△)が(△)許(△)さ(△)れ(△)た(△)も(△)の(△)で(△)本(△)協(△)会(△)は(△)大(△)震(△)災(△)当(△)日(△)以(△)来(△)非(△)
常(△)の(△)危(△)険(△)を(△)冒(△)し(△)て(△)各(△)方(△)面(△)に(△)実(△)地(△)調(△)査(△)を(△)行(△)ひ(△)其(△)
真(△)相(△)を(△)発(△)表(△)し(△)た(△)も(△)の(△)で(△)あ(△)る(△)。【四角囲み終了】
巡査が極力弁明し警察電話で対岸の群馬縣藤岡警察署
に鮮人引継ぎ方を交渉したが同署長は之を拒否した、そこへ本庄署か
ら第二次の護送自動車か廿一名の鮮人を載せて来たので村民は益
々激昂し、騒擾化して来たので二台の自動車は神保原村派出所
前迄引返した所へ本庄署の村磯署長は児玉寄居松山各署
よりの応援巡査と共に自動車で馳付け藤岡署に交渉し村民□
説諭中本庄署構内で八十六名を屠って血に狂った本庄の狂暴自
警団三百餘名喴声をあげて殺到し村民と合して忽ち鮮人に□
害を加へ三十五名悉く殺害し巡査二名を竹槍で突いて
重傷を負はせた、其暴状言語に絶し、九死の中に一生を得た
村磯署長は引責し休職となつた。次に自警団の暴状を
極めたのは群馬縣藤岡町で流言蜚語盛んに行はれ、三日朝には
埼玉縣に接近した各地の青年会在郷軍人等は自警団を
組織し、手に手に兇器を持つて殺気立ち、三日正午頃鬼石町の自
警団が挙行不審で捕へた一鮮人を藤岡警察署に連行引渡
し、署長が取調の結果何事怪しい点がないので放還した。
それを藤岡の自警団は井戸に毒薬を投入する者を警察が放置
するとは何事だと激昂して警察に反感を抱き、砂利会社からの
保護願によつて同署内に保護してゐいた十四名の鮮人土工を引渡
せと迫り、折から署長不在の為メ署員は署長の帰る迄待てといふ
も聞かず、午后六時頃猟銃竹槍日本刀などの兇器を携へた自警
団は「やつてしまへ」と警察に闖入し、留置場を破壊して躍り
込み、保護されてゐた十四名の鮮人を僅か一時間丗分で殺害して
しまつた。□□し縣警察部の伴保安課長は巡査十余名を率ひ
自動車で急行したが宛ら戦場の如く全く手の下し様なく引返した。千
葉縣でも流言盛んに行はれ東葛飾郡八栄村では北総鉄道工事中
か鮮人工夫が危険になつたので会社の願により習志野駐兵聯隊の兵士
十三名が三十七名の鮮人を護送中船橋町の消防組及青年団員約六七十名兇
器を携へ自分達が護送するからと偽つて鮮人を受取り兵士の姿の見え
なくなるや忽ち之鏖殺して同町夏尾仮埋葬場附近に埋めた。又神奈
川方面では二日朝から□□□に行はれ二、三、四の三日間に五十余名の鮮人
殺害され死体は主に鉄道線路附近に遺棄されたが其後も尚死体□
□□を□し火中に或は海中に投ぜられて的確には知り得ないが某会
社に雇用されてゐた八十余名の鮮人の如きは殆ど一夜にして全滅し目も□
てられぬ惨状を呈した。鶴見では七八名殺され、川崎では四百人中四名殺
された。東京市内及附近でも狂暴自警団の為に□□名の鮮人が殺さ
れた。之は既に犯人検挙され目下□審中で報道の自由を有しない
が、山口正憲等が放つた襲人襲来の流言が伝播された結果□□
上の如く関東一帯に於て殆ど四百名からの鮮人が殺害された悲惨
事となつた。但し其中の鮮人中には不逞分子もあつたことは□□
である。

【二重線四角囲み開始】
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関東大震災大見立一覧表

(横書き)関東大震災大見立一覧表
(一段目)官署学校見立表
   東               西
横綱    全焼 内務省   横綱     一部焼失 帝国大学
大関    同  大蔵省   大関      全焼  明治大学
関脇    同  文部省   関脇      同   日本大学 
小結    同  逓信省   小結      同   中央大学
前頭    同  農商務省  前頭      同   商科大学
同     同  印刷局   同       同   専修大学
同     同  専売局   同       同   女子高師
同     同  会計検査院 同       同   士官予科  
同     同  維新史料編纂局 同     同   國學院大學
同     同  中央電話局 同       同   外国語学校
同     同  砲兵工廠  同       同   虎の門女学校
同     同  警視庁   同       同   大倉商業
同     同  特許局   同       同   独逸専門学校
同     同  気象台   同       同   暁星中学
同     同  海軍造兵廠 同       同   仏英和女学
同     同  中央郵便局 同       同   日本歯科医専
同     同  貯金局   同       同   開成中学
同     破損 博物館   同       同   慈恵大学 
同     全焼 細菌検査所 同       同   正則中学
張出小結  同  帝室林野局 張出小結    同   小学校百二十校
(二段目)銀行会社大商店(焼失倒壊)見立表
   東               西
横綱  屋上一部 日本銀行   横綱     全焼 三越呉服本店
大関  全焼   第一銀行   大関     同  三井物産
関脇  同    三井合名会社 関脇     同  安田銀行
小結  同    第三銀行   小結     同  松阪屋呉服店
前頭  倒壊   内外ビルデング 前頭    同  第三銀行
同   全焼   白木屋呉服店  同     同  東京電燈会社
同   同    東京瓦斯会社  同     同  森村銀行
同   同  第一相互ビルヂング 同     同  大倉組
同   同    大日本製糖   同     同  第百銀行 
同   同    朝鮮銀行    同     同  日本貯蓄銀行
同   同    松屋呉服店   同     同  資生堂
同   同    明治製糖    同     同  天賞堂
同   大破   郵船ビルデング 同     同  高島屋呉服店 
同   全焼   村井銀行    同     同  星製薬
同   倒壊   富士瓦斯紡績  同     同  服部時計店
同   全焼   高田商会    同     同  山口銀行支店
同   同    明治製糖    同     同  丸善
同   同    亀屋      同     同  貯蔵銀行
張出前頭 同   台湾製糖    張出前頭  同  三井礦業
 (三段目)観覧地帯大見立表
   東               西
横綱  全滅   吉原遊郭   横綱    全滅 帝国劇場
大関  同    洲崎遊郭   大関    同  国技館
関脇  全焼   新橋駅    関脇    同  大倉集古館
小結  倒壊消失 浅草十二階  小結    同  築地精養軒
前頭  全焼   市村座    前頭    同  厩橋
同   同    松本樓    同     同  新富座
同   同    有楽座    同     同  汐留駅
同   同    公園劇場   同     同  亀清樓
同   同    明治座    同  大破□失  吾妻橋
同   同    上野駅    同    全焼  神田駅
同   同    新喜楽    同     同  吾妻家
同   同    三河家    同     同  八百勘
同   同    永代橋    同     同  両国駅
同   同    福井樓    同     同  常盤
同   同    金龍亭    同     同  花月
同   同    相生橋    同     同  政友会本部
同   同    萬世橋駅   同     同  河内家
同   同    柳光亭    同     同  湖月 
同   同    ひさご家   同     同  深川亭
横綱  炎上   高輪御所   横綱   炎上  芝離宮

 【四段目】各著名建築初見立表
      東        西
横綱 全焼 赤十字社   横綱 全焼 水交社
大関 同  米国大使館  横綱 同  島津公爵邸
関脇 同  東京朝日   関脇 同  読売新聞
小結 同  山県公邸   小結 同  交詢社
前頭 同  博文館    前頭 同  株式取引所
同  同  米穀取引所  同  同  神田青年会館
同  同  安田邸    同  同  大倉邸
同  同  順天堂病院  同  同  伊国大使館
同  同  やまと病院  同  同  国民新聞
同  同  時事新報   同  同  美術倶楽部
同  同  二六新報   同  同  中央新聞
同  同  明治病院   同  同  芝浦製作所
同  同  古河伸銅所  同  同  秀英舎
同  同  鍋島侯邸   同  同  日本橋倶楽部
同  同  仏国大使館  同  同  浜田病院
同  同  鉄道病院   同  同  東洋印刷
同  同  如水館    同  同  金杉病院
張出 同  東京会館
小結

 【五段目】神社仏閣見立表
   東
横綱 全焼 神田明神
大関 同  深川八幡
関脇 同  人形町水天宮
小結 同  芝青松寺
前頭 同  日比谷大神宮
同  同  浅草本願寺
同  同  飯倉八幡
同  同  浅草日切
同  同  救世軍本部
   西
横綱 全焼 芝明神
大関 同  湯島天神
関脇 同  深川不動
小結 同  平川天神
前頭 同  ニコライ会堂
同  同  築地本願寺
同  同  浅草妙見寺
同  同  天理教本部
同  同  本郷中央教会堂

【中央の見出し】
               《割書:金九百| 五拾万円》 政府第一回救済金
《割書:関東震災|義捐金》 大見立表 金壱千万円《割書:御内帑|金下附》
               《割書:金千六百| 六拾万円》 政府第二回救済金
【右側一段目】
   東
横綱 五百万円   岩崎男爵家
大関 弐百五拾万円 住友吉左衛門
関脇 壱百万円   大倉喜八郎
小結 壱百万円  《割書:横浜|復興》正金銀行
前頭 五拾万円   鴻池善右衛門
同  三拾万円   鍋島直映
同  三拾万円   毛利元昭
同  三拾万円   野村徳七
同  拾万円    広岡恵三
同  七万円    徳川家達
同  五万円    久米民之助
【右側二段目】
前頭 三万円    藤山雷太
同  同      和田豊治
同  同      各務謙吉
同  同      大日本紡績聯合会
同  同      和田久左衛門
同  一万二千円  田附商店      
同  二万円    新田長次郎
同  同      日本生命保険会社
同  同      山本藤助
同  同      東洋紡績株式会社
同  壱万五千円  有賀長文
【右側三段目】
前頭 壱万円    大阪株式取引所
同  同      同組合員一同
同  同      大阪合同紡績会社
同  同      谷口房蔵
同  同      竹原荘治郎
同  同      小林林之助
同  同      高島屋呉服店
同  同      知恩院
同  同      今西嘉兵衛
同  同      中江種造
同  同      小河謙三郎
同  同      岸本吉左衛門
同  同      鴻池銀行
同  同      岩田惣治郎
同  同      伊藤萬助
同  同      浮田桂造
【右側四段目】      
前頭 同      [  ]
同  同      [  ]
同  同      大阪海上保険会社
同  同      豊国火災保険会社
同  同      瀬尾喜兵衛
同  同      小山健三
同  同      松風濤聲
同  同      内外綿株式会社
同  同      福田政之助
同  同      共同火災保険会社
同  同      上原種吉
同  同      加島銀行
同  同      石川文右衛門
同  同      大日本製薬会社
同  同      大阪貯蓄銀行
同  同      山内卯之助
同  同      大阪毎日新聞社
同  同      大阪朝日新聞社
同  同      村山龍平
同  同      有田音松

【左側一段目】
   西
横綱 五百万円   三井男爵家
大関 弐百万円   安田善次郎
関脇 壱百万円   藤田平太郎
小結 一百万円  《割書:物 |資 》鈴木商店
前頭 五拾万円   古河虎之助
同  三拾万円   前田利為
同  三拾万円   島津忠重
同  拾万円    山口吉郎兵衛
同  拾万円    本間光哉
同  五万円   《割書:勤業|債券》山内豊景
同  五万円    渋沢栄一
【左側二段目】
前頭 三万円    団 琢磨
同  同      馬越恭平
同  同      大橋新太郎
同  同      岸本五兵衛
同  同      岸本兼太郎
同  二万円    竹原友三郎
同  同      阿部彦太郎
同  同      中山太一
同  同      島 徳蔵
同  一万五千円  福井菊三郎
同  同      喜多又蔵
【左側三段目】
前頭 壱万円    岩井勝次郎
同  同      範多龍太郎
同  同      桃谷政次郎
同  同      山口玄洞
同  同      福徳生命保険会社
同  同      高木又次郎
同  同      日本海上保険会社
同  同      靭 仲次郎
同  同      百三十銀行
同  同      亀岡徳太郎
同  同      嘉納治兵衛
同  同      斎藤恒三
同  同      東洋棉花会社
同  同      高野山金剛峰寺
同  同      大阪瓦斯会社
【左側四段目】
前頭 一万円    柳 広蔵
同  同      日本信託銀行
同  同      岡橋治助
同  同      安宅弥吉
同  同      覚道清子
同  同      郡是製紙会社
同  同      水谷政次郎
同  同      森下 博
同  同      芝田大吉
同  同      浜崎健吉
同  同      清交社
同  同      田村駒次郎
同  同      浅井辰蔵
同  同      堂島取引所
同  同      宇治川電気会社
同  同      小川平助
同  同      山口銀行
同  同      近江銀行
同  同      三十四銀行
同  同      山田市郎兵衛

【中央最下段】
   [  ]【各国義捐金カ】
横綱 《割書:七百拾八|万三千弗》 米国赤十字社(扱)
大関 《割書:拾八万|五千磅》廿日迄 英国ロンドン市長(扱)
関脇 《割書:百弐拾弐|万八千法》  仏蘭西 
小結 《割書:拾五万磅》  濠州ヴノクトリヤ市
前頭 《割書:五拾 |万弗 》(十八日迄)米国桑港
同  《割書:六拾五|万円 》(廿日迄)布 哇
同  《割書:六万磅》   濠州政府
同  《割書:四拾 |万円 》   カナダ政府
同  《割書:五拾 |万元 》   張作霖
同  《割書:参拾 |万元 》   支那政府
同  《割書:弐拾五|万元 》   香港政庁
同  《割書:拾壱万|二千弗》   カナダ日本人会
同  《割書:六拾 |万弗 》   紐育ジヤツパン、ソサイテ
同  《割書:弐拾万|二千弗》   上 海
同  《割書:十五 |万円 》   印 度
同  《割書:拾万円》   和 蘭
同  《割書:拾万法》   白耳義
同  《割書:拾万法》   仏国マルセーユ
同  《割書:拾万元》   支那宣統帝
同  《割書:五万円》   新嘉坡総督府
同  《割書:五万 |ペソ》   墨西哥
同  《割書:四万 |ペソ》(第一回分)比律賓
同  《割書:三千磅》   救世軍本部
同  《割書:二万弗》   羅馬法王庁

【左端一段目】
   名士の惨死(行方不明説)
文学博士    厨川白村氏
        今福忍博士
理学博士    大橋重威氏
医学博士    吾 妻 氏
無政府主義者  大杉 栄氏
男爵      松岡康毅氏
伯爵      芳川顕正未亡人
男爵      園田孝吉氏
男爵 行方不明 毛利五郎氏
侯爵 行方不明 池田氏夫人
伯爵      柳沢保恵氏母堂
貴族院議員   磯辺四郎氏
同 子爵    京極高義氏
伯爵      堀田正恒夫人
代議士《割書:行方|不明》    阪本金彌氏
前代議士    小川作蔵氏
代議士     横田千之助氏厳父
        星亨未亡人
陸軍大将《割書:行方|不明》   大島義昌氏
横浜在留    米国領事夫妻
同       仏国領事
同       支那領事長福氏
【左端二段目】
東海銀行頭取  吉田源次郎氏
小田原農園主  辻村伊助氏
横浜市長《割書:行方 |不明》  渡辺勝三郎氏
《割書:日本セメント  |重役》    末広良三郎氏
東京鉄道局長  木下淑夫氏
天津富豪《割書:行方|不明》   王 祝三氏
文部省     井上督学官
《割書:横浜航路標 |織営理局長》     吉国兼三氏
横浜      朝倉測候所長
横浜在任    伊藤三菱支店長
東京区裁判所  芝野検事
浜横【本ノママ】地方裁判所 末永裁判所長
同       宮本判事
同       西田判事
同       福鎌文也氏
検事正代理   田中検事
同       小野簾平検事
同       小管検事
同       瀬戸検事
同       三輪検事
同       太田検事
相生所長《割書:責任|自殺》   山内警視

【左端三段目】
   震災奇聞大見立
横綱  九月二日発行 手刷の官報
大関  虚説政友会総裁以下 廿名圧死説
関脇  死に変り活き変つた 松方老侯
小結  変形した 富士山の一部
前頭  飛でもない 伊豆大島陥没説
同   新島 真鶴沖に現出
同   拾万円の現金 本所被服廠跡
同   伊東町の銀行の屋根に 乗上た発動機船
同   三丈の浸水した 修善寺温泉
同   警視庁の迷子 千百有名
同   九月八日やつと開通した電話
同   一日の自働車賃 六拾円也
同   三つに裂けた 相州双子山
同   警視庁で安産した女廿三名
同   多過ぎて逆送された 政府米弐拾万石
同   東京死骸焼失用薪炭 弐万三千束
同   逃げるに逃げられぬ アスハルト道路
同   お濠の行水
同   お眼玉を食つた 二里の駕賃 百円
同   鯉を喰ひつくした 上野公園
【左端四段目】
横綱  地震で出来上つた山本内閣
大関  野天の東京市民 三十九万二千百人
関脇  横浜判検事 四拾余名圧死
小結  噂で歪んだ丸の内ビルデング
前頭  首の飛んだ上野の大仏
同   ビリツともしない乃木大将碑
同   首が落ちた品川弥次郎の銅像
同   招待日に見舞れた二科と院展
同   支払の義務がない 火災保険金弐拾弐万円
同   八日に初めて開通した 東京市電青山町線
同   ビールで溺死した 鶴見のカスケード職工
同   非常徴発令に暴落した各市場
同   巡査の行衛不明 二百数十名(東京)
同   切島の降起説
同   水道が役に立たず 井戸を重宝にす
同   戒厳令 出動兵員拾個師団
同   横浜の無籍者廿一万戸
同   東京山手の市民 七十八万二千五百人
同   焼け残つた浅草観音の大繁昌
同   帝都復興費三拾億円以上

【左端五段目】
   震害大見立(戒厳司令部調査)
横綱 東 京  《割書:被害|家屋》 四十一万一千 《割書:死|者》 七万
大関 横 浜  同 二万三千   同 二万四千
関脇 横須賀  同 一万二千   同 五百
小結 鎌 倉  同 六千三百   同 五百
前頭 藤 沢  同 七千     同 三百六十
同  小田原  同 五千     同 二百六十
同  北条附近 同 四千八百五十 同 六百
同  御殿場  同 二千五百   同 五百
同  木更津  同 三千     同 百
同  磯 原  同 二千八百   同 百八十
同  松田□□ 同 二千     同 二百
同  大 磯  同 千九百    同 二百三十
同  戸 塚  同 千七百    同 六十
同  浦 賀  同 千五百    同 二百
同  千 葉  同 千四百    同 二十三
同  伊豆伊東 同 千三百    同 六十
同  葉 山  同 千百     同 二十
同  □ 木  同 千      同 百五十
同  三 崎  同 七百     同 六十
同  熱 海  同 五百五十   同 五十
同  川 崎  同 五百     同 百五十
《割書:張|出》小結 南朝夷 《割書:被害|家屋》 二千五百   《割書:死|者》 千二百五十
 
【左端六段目】
   瀕発された緊急勅令
横綱  帝都戒厳令
大関  非常徴発令
関脇  暴利取締令
小結  支払猶予令
前頭  流言浮説取締令
同   租税減免令
同   物資供給令
同   銀行払戻延期令
同   米穀類輸入免除令
同   生活必需品土木建築材料輸入税減免令
同   行政権限内の権利 利益存続期間令
同   被害地府県会議員任期令
同   警備事務臨時職員設置令
横綱  帝都復興審議会令

【枠外左下】
《割書:大正十二年十一月一日印刷|大正十二年十一月五日発行》 発行所 大阪市東区二十八番地 湯川明文舘




 

伊勢伊賀志摩近江尾張美濃大地震の図

【黒枠タイトル1横に】
【一段目】奈良 郡山 古市 大和 【二段目】丹波 亀山【以上2カッコ】京都 木津【以上2カッコ】山城【三段目】越前 大坂平野【以上2カッコ】摂津 【四段目】福井
【黒枠タイトル2縦に】
伊勢 伊賀 志摩 近江 尾張 美濃 大地震の図

【記事内容】
頃は嘉永七寅年六月十四日
夜八つ時伊勢国は東海道
四日市宿をはじめとし
て東は尾張西は近江国
北は美濃南は伊賀志摩
の国にいたるまで大地しん
にて其ひゞき大かたならず
取わけ伊勢国四日市宿は
甚つよくしてまづ北町不残南川原
不残南町は半丁ほど打倒夫より
出火して砂けぶりをふきたてざん
じに家数九十軒余焼失すはま
だ赤堀落合橋かはけばし長田
ばし加太夫ばし日永砂川うねめ
村つへつき村こと〴〵くあれ橋々は落流
れる也折から老若男女いかであわてざらん
ものはなく各々にげ出さんとなせども大地
大にわれ 心当べき方角だに定めがたく
してけが死亡の者凡五百人余となり牛
馬即死凡百六十疋余なりとかや又桑
名十一万石松平越中守様御領分在方甚つ
よく御城下やた丁家敷〳〵大門やす永村
町屋川辺土蔵大にそんじあるひはつぶれ
春日の社八幡はづ明神社いたむ二重
つゞみかねいば村みやつかいそ川辺七つや
みたき川すへ土橋おちる也長嶋は二万石増山
河内守様御領分御城下大にそんじ在々
こと〳〵ぐ【〴〵くのあやまり】あれる石やくし庄の亀山は
六万石石川主殿頭様御城下并に在々
こと〴〵く大にそんじ又近江路は関
坂の下すゞか山田村社そんじ土山
宿水口は二万五千石加藤越中守御城
下在々いしべ草津大津京都迄も
大方ならず相震中仙道はもり山
より太田辺迄都合十六宿間
大にふるう大垣高領【須の誤り】御領分
尾張は津嶋佐やまんばみや
犬山辺迄伊せは神戸一万五千石
本多伊与守様御領分甚しくふるう
白子津は卅二万三千石藤堂和泉守様
御領分御城下共いたつてつよく
所々そんじ夫より宿々山田近
辺大にそんずるといへども両宮
は別条なしあさま山大にあれ
田丸久居五万三千石藤堂佐
渡守様御領分八田辺つよく
してそんず近江は彦根三十
五万石井伊かもん頭様御領分
すべて湖水のめぐりは甚
しく相震よく十五
日の朝よう〳〵慎り
諸人あんどをなし
にける

○伊勢両宮近辺は殊
更あれるといへども両
御社はいさゝかも別
条なし御神
の尊こと是を
もつて
知り
給ふべし

誤り

打身骨抜即席御りやう治

【中央上資料のみ翻刻・他は別ページにての翻刻対象】

打身 即席御りやう治 火出し仕候
骨抜           外家医前残【銭?】
【挿絵内】  
 瓢磐亭  江戸前 鯰大家破焼
      なまづ 大かばやき
【本文】
        御披露(ごひらう)   
一御町中様 萬歳楽々(まんざいらく〳〵) 御軒別(ごけんべつ) にゆらせられ 仰天(きやうてん )
  地獄(ぢごく) に奉存候しづまつて私義 先達中(さきだつてぢう)江戸前(えどまへ)
  鯰(なまづ)大家破焼(おほかばやき)自身(じしん)大道(たいどう )ざき仕候所ゆり出し 焼失(しやうしつ )より
  家蔵(いへくら)身代迄(しんたいまで)御ゆりあげ動揺(どうよう )向(むき)被仰付候段 大変(たいへん )時(じ)こく
  古今(ここん)に有(あり)がたく奉損候(そんじたてまつり )猶又(なをまた)今磐(こんばん)御 愁(うれ)ひの為(ため)市中(しちう)なんぎ
めし
  此末(このすゑ)どうぜう汁(しる)打身(うちみ)骨抜(ほねぬき)即席(そくせき)御りやうぢ取合(とりあはせ)格別(かくべつ)
  風儀宜(ふうぎよろし)く世直(よなほ)し仕差上可申候間 民(たみ)の竈(かまど)の御 賑々(にぎ〳〵)しく
  御威光(ごいくわう)駕(が)の程 一偏(ひとへ)に奉願上候以上
【札挿絵内】
  市地うなんきめし  御救御一人前 五合宛
  此末どうせう汁   ことし一ぱい 難渋見聞

卯十月二日夜ゟゆり出し    神座鹿島町
 見せひらき焼失        かなめ屋石蔵
   麁かゆ差上申候


古今奇事一覧

【表題】
【枠外上部横書き右から】
古今奇事一覧

【中央上から】
【横書き】
泰平

【中央縦書き太字】
無疆

天暦二《割書:八月|廿四日》 日月並出
応永《割書:十|七》正月 天地震動
神亀五《割書:九月|二丈ヨ光る》 流星 営中庭ニ落【割書はテキストでは三行。「流星」は横書き】


【横書き】
奇女

婢女お竹佛果を布す
光明皇后光を放つ
江口若空ニ舞のぼる
佐用姫望夫石ニなる
清姫蛇身を現す
鍋かつぎ女西国をめぐる

【横書き】
奇男

清寧天皇生なから髪白し
小野篁めいどへかよふ
文屋康秀《割書:伊勢にて死し日向|の人になつてよみがへる》
浦島太郎蓬莱ゟかへる
浄蔵貴所?の塔を《割書:いのり|なをす》
大和国久米氏の人仙となる

明暦三  《割書:十万八千|人焼亡》 江戸振袖大火
弘安四  《割書:十万兵|舩海没》 神風蒙古船ヲ覆
文禄十四 《割書:人家|数千損》  京大雷百ケ所落

【右上段から】
弘化四  山川崩ル  信州大地震
同 三  秋中    関東大水所〻破損
天明三  七月    浅間山焼土砂降
寛永二  二月    奥州山々鳴動
康安元  本二丈   周防海太鼓現
貞観元  三月    日輪上ニ冠顕ル
文永六  二月二日  月輪三ツ並出ル
天文二  十月八日  星落事雨の如
寛政十  七月    京大仏雷火
文政十一 肥前    長崎津浪《割書:唐舩を|陸江吹上ル》

昌平元  六月三日  天暗して人の顔見へす
寛文六  五月    江戸ニ人の形光物飛
延喜《割書:十|五》  七月五日  日輪月のごとし
天延三  八月廿四日 満月申の方ニ現ハる
神亀二  六月    太白星昼見へる
寛保三  十一月   稲星あらハる
明暦三  正月    西ニ五色の雲出る
延長七  《割書:四月|廿五日夜》    禁中ニ鬼足跡あり
仁壽元  八月    天ニ声雷のごとし
延宝元  《割書:人黄ニ|見へる》    黄色雲いづる
天保三  秋     西ニさ月の如気たつ
応永《割書:十|一》   下野   那須ニ野火空迄のへる
明応七  和□    大職冠像より血出る
長治元  十月    北国赤き雪ふる
   
慶安 三年       六月毛をふらす
文安 元ヽ       □あづき物のごとし
白鳳 十四ヽ      信濃国へはいふる
寛弘 二ヽ       七月に霜ふる
永長 元ヽ       梅のごとき大あられ
宝字 元ヽ       六月関東大雪
安永 八ヽ       大嶋焼?る雷の如
寛政 四ヽ       温泉嶽焼人馬損□
天元 三ヽ       京大風羅生門たをる
養老 元ヽ       美濃に酒わき出る
持統 七ヽ       近江甘きいづみわく
白鳳 十二ヽ      伊与のゆ地しんにて損
文政 十一ヽ      越後の国大地しん
長禄 元ヽ       猿沢の池の水なし
寛政 三ヽ       深川つ浪町家流るゝ
天保 十二ヽ      江戸在田楽はやる
享和 三ヽ       浅草太郎いなりはやる

享保 十四年      交趾国ゟ大象渡
慶暦 四ヽ       長《割書:サ|八丈》一頭三面鬼出ル
九壽 二ヽ       九尾きつね顕る
仁平 三ヽ       ぬえ禁中を?や
仁徳 御宇       頭二ツ手足八ツの大男
正元 元ヽ       人を食ふ尼出ル
文暦 同        天狗《割書:奈|良》の家ニ字ヲ書
斉衡 二ヽ       長門に両頭の牛
天智 十ヽ       備前に八足の鹿
同  七ヽ       常陸に角有馬
長保 元ヽ       命の字ふある猫
仁安 二ヽ       鼠清盛《割書:馬ノ尾に|すをくふ》
朱鳥 元ヽ       蛇大に?開修ニ死ス
嘉永 元ヽ       一丈五尺の大百足

延暦 三年       天王寺蛙かつせん
白? 五ヽ       京の鼠近江へわたる
宝字 元ヽ       人魚津軽へつく
元亀 二ヽ       両頭のかめ
白鳳 十一ヽ      九月赤亀いづる
同  十ヽ       四足のにわとり
持統 八ヽ       河内白山の鳥
天平 十一ヽ      出雲赤からす
天智 六ヽ       山城白つばめ
寛政 七ヽ       おきく虫はやる
文化 九ヽ       下総八才女子をうむ
文武 二ヽ       山城ニ一度ニ六子を産
承和 三ヽ       因州ニ四子をうむ
天正 十一ヽ      頭二つある子ヲうむ
享? 元ヽ       丹波に首なき躰出る
天暦 九ヽ       北野に一夜松千本生
長保 元ヽ       正月梔杏実なる
同  同        一くきニ三ツ花咲蓮
文化 十三ヽ      あかきかきつばた
寛文 十二ヽ      冬伊丹つゝじ花咲

【左上段から】
永正七 一里海成    遠州大津浪
弘化三 《割書:正月|十五日》      江戸大火丸山ゟ出
宝永四 駿州      富士焼宝永山湧出
寛永《割書:十|三》 十月      南海なり動
延久二 五月      天に鼓の音する
慶長《割書:十|四》 《割書:三月|四日》       四角なる月出る
永祚元 《割書:八月|三日》      日三方にあらはる
宝亀七 毎秋      路中石雨の如降
寛文五 正月      大坂天守雷火
文化元 出羽      象潟景地震ニて埋

寛永七 四月      空赤もゆるがごとし
白鳳十一 都      虹殿中にあらはる
寛文二 二月中     日月紅のごとし
文明《割書:十|四》 《割書:五月|十二日》      月の中に星あり
斉衡二 二月      横長き星いづる
人王《割書:卅|代》  御宇     天狗星あらはる
建長五 春       月のかさ五色
承平元 空ニ      一丈余の鬼形現る
天仁元 秋       空に人のこゑ有
天文《割書:十|五》  幅      十丈余の黒雲
白鳳十一 空ニ     赤はこの形顕はる
天永三 不知火     伊豆海に火もへる
延応元 奈良      大佛目ゟ血流るゝ
享保《割書:十|六》  夏       諸国甘露ふる

寛寿 二年   奥州石をふらす
天平 十四ヽ  京にめしふる
延徳 元ヽ   北国に泥ふる
天平 十四ヽ  奥州紅の雪ふる 
白鳳 八ヽ   桃のことき大氷ふる
元和 三ヽ   五月京大あられ
安永 三ヽ   桜嶋焼海になる
天文廿三ヽ   白山やけ砂ふる
承元 三ヽ   京朱雀門たをる
天智 七ヽ   越後もゆる大水出る
嘉応 元ヽ   清水滝こと〴〵くかれる
正中 同    近江竹生嶋くづる
元禄 十六ヽ  関東大地しん
天平 三ヽ   紀州海血の如赤し
享保 十三ヽ  関東洪水両国橋落
天保 十一ヽ  大坂井戸染はやる
享保 三ヽ   深川石地蔵はやる

天平 十四年  長サ二丈大くも出る
地神 始    八またのおろち
大宝 三ヽ   異国ゟめ三ツの人来
延元 二ヽ   禁中に化鳥出る
寛平 四ヽ   鬼来て人を喰ふ
文政 十一ヽ  寺々石塔をみがく
応永 十五ヽ  南ばん国ゟ黒象渡る
白鳳 十三ヽ  丹波に十二角出る?
延慶 二ヽ   同八足のうさぎ
斉衡 三ヽ   美作ニしろき鹿
和銅 五ヽ   丹波ニくろき狐
天智 元ヽ   鼠寮馬の尾にうまる
宝亀 九ヽ   猫鼠一つあなにすむ
弘化 四ヽ   二丈五尺の大ほら穴

応永 十五年  京将軍之庭ひき戦ふ
斉明 六ヽ   信濃蝿多く出西去
天平 十五ヽ  筑紫腹赤?うお
応永 廿七ヽ  河内美形緑毛亀
養老 七ヽ   肥後しろきうめ
白鳳 十一ヽ  三足の赤からす
朱鳥 元ヽ   大和赤き雉子
《割書:天平|勝宝》 七ヽ    秋芸白からす
人王 四十代  赤すゝめを献す
享保 十七ヽ  九州うんかの虫ハく
永禄 七ヽ   丹波七才女子ヲ産
人王 四十二代 一度に二男二女ヲ産
貞応 二ヽ   鎌倉三ツ子を産
永方 元ヽ   頭二ツ手四ツ子生る 
天平 十二ヽ  近江に人の手ヲうむ
永正 三ヽ   春日神木七千枯る
大同 二ヽ   冬もゝすもゝの花開
万寿 四ヽ   四茎の蓮花咲
天智 三ヽ   近江一夜稲ほ生す
弘化 二ヽ   芝唐もろこしの花咲

【枠外左上囲み】
弘化二  秋     アメリカ舩来
文化四  《割書:八月十九日|人多ク死ス》  永代橋ふみ落

《割書:天平 天平貴宝|元年 知百年》 甲ニ十字有亀出
《割書:天平宝 天下|字元年 太平》 とけふかいこ文字ヲ現ス

【枠外左下】
□繁堂版

大坂川口大つなみ混雑記

嘉永七寅十一月五日暮六ツ時
《割書:大阪|川口》大つなみ混雑記(こんさつき)

【上段】
摂津大地震二編
ざま宮絵馬とうくづる
いなり石とうろう同おたびのざしき
新町東扇やざしき
願きやうじまへ七八けん
なんば安如じつりかねどう
てんま妙見ゑまどう
南御堂北ノ辻 角
 四天王寺
   しゆろどう   【挿絵】
 こつ堂前の花たて石
  諸堂大そんじ
梅田きんへんくつるゝ
岡御やしき土蔵そんずる
さのやはし北つめうら長家くづれ
御池はし西つめ少しうら高へい
町々かまや其外とうふやそんじ
下寺町浄国じ本とうくつれ
寺々はかしよ石ひこける
柏はら村家くづれ出火す
堺つなみにてつきぢはし落死人あり
さのつなみして大さはぎ
兵庫七八軒家くづれる
西みやなだ大坂同だん
    社町家
 奈   大くづれ
 良  鳥居
 春  金とう  【挿絵】
 日    ろう
     くづれ落

【下段】
于時嘉永七寅十一月
五日昼七ツ半時大地震
同暮六ツ時震ふ同時に
大坂天保山沖安治川
木津川尻なし辺大津
なみして沖の大船二千
石積以下三百石くらゐに
いたる迄こと〳〵 く川口へ
打登し又は海岸へ打
上るもあり川岸などの
家を舟にて打くたき船どうかこ夥しく溺死に
及ぶ其数しれず其外上荷茶船小舟等は大船
の下しきとなり溺死のもの数しれず尚又町内
より舟にて地しんを避んと沖へこぎだし又は内
川につなぎ居もありしかるに波矢よりもはやく
して退く事あたはずついに数多込入舟におそふ
はれ舟くたけ人死する事おびたゞしく又橋々を
帆はしら大船の為に打くたく《割書:はし名|別に有》其騒動こん
さつなる事目もあてられぬありさまは実に七難三災
かくやあらん殊に古今稀代の珍事也其外
新田天保山大あれにて筆紙に
つくしがたし
 落橋
 かめ井はし 安治川はし     【挿絵内】
国津ばし 長高はし          大こくばし
水分はし くろかねはし
日吉はし 汐見ばし
幸はし  住吉はし
金屋はし
大黒はしにて
   とまる

世直り細見(袋)

【「震焼者附」と同一の冊子らしく、その左葉を見ると暖簾の右側に看板らしきものがあるので、その看板の文字を補足しておきます。】
《割書:打身|骨抜》即席御りやう治《割書:火出し仕候|外家医前銭》

【暖簾】
瓢磐亭
【行灯?の文字】
江戸前【小字】 鯰大家破焼【大字】
なまづ【小字】 大かばやき【大字】

御披露(ごひらう)

一 御町中様 万歳楽々(まんさいらく〳〵)御(ご)軒別(けんべつ)にゆらせられ仰天(ぎようてん)
地獄(ぢごく)に奉存候しづまつて私義 先達中(さきだつてぢう)江戸前(えどまへ)
鯰(なまづ)大(おほ)家破焼(かばやき)自身(じしん)大道(たいだう)ざき仕候所ゆり出し焼失(しやうしつ)より
家蔵(いへくら)身代(しんたい)迠(まで)御ゆりあげ動揺(どうよう)向(むき)被仰付候段 大変(たいへん)時(じ)こく
古今(ここん)に有(あり)がたく 奉損(そんじたてまつり)候 猶又(なほまた)今般(こんぱん)御 愁(うれ)ひの為(ため)市中(しちう)なんぎめし
此(この)末(すえ)どうぜう汁(しる)打身(うちみ)骨抜(ほねぬき)即席(そくせき)御りやうぢ取合(とりあわせ)格別(かくべつ)
風儀(ふうぎ)宜(よろし)く世直(よなほ)し仕差上可申候間 民(たみ)の竈(かまど)の御 賑々(にぎ〳〵)しく御(ご)威光(いくわう)駕(が)の程 一偏(ひとへ)に奉願上候以上

【お品書き 大字】市北うなんきめし 【以下小字】御救御一人前 五合宛
【お品書き 大字】此末とうせう汁 【以下小字】ことし一ぱい難渋見聞

卯十月二日夜ゟゆり出し
みせひらき焼失
麁かゆ差上申候

神座鹿島町
かなめ屋石蔵


嘉永七寅六月十四日
大地震に付て

此度大 阪【ママ】の万民近国に大 変(へん)
ありしかども無難(ふなん)に有し事の
うれしさのあまりにて
天下 泰平(たいへい)五穀(ごこく)成就(じやうじゆ)家業(かぎやう)長久を
よろこび日夜 異形(いぎやう)のふうていにて
諸社(しよしや)に参詣(さんけい)する事引もきらず
こゝにふしぎの珎事(ちんじ)あり摂州
西成郡 御影(みかげ)近辺(ほとり)山 崩(くづ)れ
岩(いわ)の間より霊水(れいすい)わきいだし
去年(きよねん)の日でりにこりたる百姓
田畑(でんばた)此水にて大いにうるをし
みなみな〳〵貴異(きゐ)のおもひ
なし此(この)後(のち)豊年(ほうねん)の
吉瑞(きちずい)【随?】とぞ万歳を
うたひける

【冊子の表紙】
安政二乙卯十月二日夜大地震【小字】
世直り細見【大字】
江戸大火

奈良県下十津川地方変災実況之図

【表題❘最上部右から横書き】
奈良県下十津川地方変災実況之図

【右下枠内】
⑴\t 是は今回の変災中尤も惨状を極めたる林村近傍山崩の実況
にて十津川の本流の一時棄塞せられしは此崩壊の為めにして尚
二里の川上迄逆流し高津、上野地、谷瀬。宇宮原の各村は悉く七
八十間以下の水又は土中に在り即ち(イ)印は林村(ロ)印は上野
地村(ハ)印はツンボ茶屋辺夫の玉置郡長の死せし所なり
⑵\t 是は水中に沈める谷瀬村の実況にして地面より水上まで凡
六七十間ありといふ
⑶\t 是は壚【?】野近傍山崩の為め天の川の流を塞ぎ一時湖水となり
し実況なり之が為め天の川の下流は凡三時間許于川となれりと
いふ
⑷\t 是は辻堂村の上に在る八谷村及辻堂村山崩の実況なり初め
山の鳴動して崩壊の兆あるや若し八谷村の山崩懐すれば其下に
在る辻堂村は共に土中のものとなるべしとて八谷村の者は皆難
を外に避んとすると同時に急を辻堂村に告げしめたる時は巳に
数十丁の山上より崩壊し来りし時にして八谷村は勿論辻堂村も
均しく土中に埋もり人も家も一の全きを得るものなきの惨状を
呈するに至りしなり辻堂村は人家廿八戸あり此辺にて小市の形
をなし郵便局もありし所なりしが只寺一箇のみ残し其他は皆無
となれり
⑸\t 是は高津村の水中に在る実況なり北村に高津の宮とて道路
の右手小高き岡の上に一の神社あり其社前に樅の大木あり今は
水面僅に尺余を現はすのみ
⑹\t 是は被害地に於て被害人民が警官及び慈善者の慈恵に依り
一命を全うせし状を写せしなり
⑺\t 是は十津川郷被害地中の凡五分一の図なり此内(イ)印は壚【?】
野(ロ)印は辻堂村(ハ)印は長殿(ニ)印は宇宮原(ホ)印は上野地
(ヘ)印は林村の位置なり

家屋調査に就て

広告郵便
家屋調査(かをくしらべ)に就(つい)て

明年度(らいねんど)から施行(おこな)する(はれる)家屋税(かをくぜい)改正(かいせい)に就(つい)ては目下(いま)区役所(くやくしよ)の方(ほう)で準備調査(したしらべ)
に着手(かヽ)し(つ)て居(お)りますが新家屋税(しんかをくぜい)規程(きそく)は従来(いままで)の不公平(ふかふへい)の税則(きそく)を改正(あらた)し(め)て
家主(いへぬし)の取得(とる)する家賃(やちん)を標準(めやす)として家屋(いへ)所有者(ぬし)に賦課(かけ)する(る)のでありまし
て我国(わがくに)では最(いちばん)も新(あたら)しいそして理論(りくつ)に適合(あ)し(い)実際(じつさい)に応(あ)じた(つた)課税法(かぜいほう)であら
うと思(おも)ひます此(こ)の改正(かいせい)に伴(ともな)ふ調査(しらべ)が正確(たしか)に行(おこな)はれるかどうかは全国(ぜんこく)の
税制(ぜいせい)の改善(かいぜん)上(に)相当(さうたう)大(おほ)きい関係(かんけい)を有(もつ)するのであります。で居住者(すまいにん)の各位(かた)
には此の調査(しらべ)に十分(じゆうぶん)の便宜(べんぎ)を与(あた)へられ調査員(ちようさいん)のお尋(たづ)ねする事柄(ことがら)につい
ては真実(まこと)の事(こと)をお答(こた)へして欲(ほ)しいし又(また)家屋(いへ)所有者(ぬし)の方(かた)には追(お)つてお願(ねがひ)
する家賃(やちん)其(その)他(た)の申告(とゞけ)を正確(たしか)にして欲(ほ)しいのであります此(こ)のお答(こたへ)なり申(おとゞ)
告(け)なりに就(つ)いては特(とく)に左(さ)の点(てん)を御了解(ごりようかい)願(ねが)いたいと思(おも)ひます。
 一、 今度(こんど)の家屋税(かをくぜい)は家賃(やちん)を標準(めやす)としますから高(たか)い家賃(やちん)の処(ところ)は家主(いへぬし)が高(たか)
 い 税(ぜい)を払(はら)ふ事(こと)になり安(やす)い家賃(やちん)の処(ところ)では税(ぜい)は安(やす)い事になりますから
  税(ぜい)が高(たか)くなつた事(こと)を理由(りゆふ)として家賃(やちん)を上(あ)げられると云(い)ふ
  心配(しんぱい)はなからうと思(おも)ひます。
 一、 国税(こくぜい)営業(えいぎやう)税法(ぜいほう)は改正(あらため)さ(ら)れて特殊(とくしゆ)の営業(えいぎやう)を除(のぞ)き一般(いつぱん)の営業(えいぎやう)について
 は建物(たてもの)賃貸(ちんたい)価格(かかく)は賦課(わりつけの)標準(めやす)から除(のぞ)かれる事(こと)になりましたからそれ
 らの営業(えいぎやう)については家屋税(かをくぜい)と営業税(えいぎやうぜい)とは全然(まつたく)関係(かんけい)なく家賃(やちん)の高(たか)
 い低(ひく)いは営業税(えいぎやうぜい)には少(すこ)しも影響(ひゞきは)しないのであります。
 一、 家主(いゑぬし)が仮(かり)に借家(すまい)人(にん)に頼(たの)んで偽(いつは)つた申出(まうしいで)をして貰(もら)つた処(ところ)でこれによ
 つて受(う)ける税(ぜい)の利益(まうけ)は極(きは)めて僅少(すこし)で其(そ)の為(た)めに将来(のちに)家主(いゑぬし)が家賃(やちん)の
  値上(ねあげ)をする時(とき)又(また)は借家人(ふまいにん)から値下(ねさげ)の要求(もとめ)を受(う)けた場合(とき)に家主(いゑぬし)の
  受(う)ける不利益(ふりゑき)は非常(ひじやう)に大(おほ)きい事(こと)と思(おも)はれますから家主(いゑぬし)と
 してはそう云(い)ふ事(こと)のないようにされた方(ほう)が得策(とくさく)と思ひます。
 一、 今度(こんど)の家屋税(かをくぜい)の改正(かいせい)は増税(ぜいを)する(ます)趣旨(つもり)ではないので専ら(たゞ)負(ぜ)
  担(い)の公平(こうへい)を期(き)する為(ため)に行(おこ)つたのでありますからその為(ため)に市民(しみん)全体(ぜんたい)
 が納(おさ)める家屋税(かをくぜい)の総額(そうがく)には変(かは)りはないのであります。
 一、 家主(いゑぬし)が虚偽(うそ)の申告(とゞけ)をした場合(とき)には相当(さふたう)の罰則(ばつ)を設(まう)けるつもりです。
                  東   京   府
                  東   京   市
                  区   役   所

震焼者附

【見出し? 大字】震焼者附 
   【小字】市中座【痤カ】 
   【小字】富場潤蔵



【このページには表題と同じ画像中央の翻刻一件のみでよいと思われますので完了にします。 画面右の翻刻済分は以下に残したままにしておきます】
ふか川本庄神田さく間町
辺一めんの火になり浅くさへん
にて吉原さるわか町のこらず
向ふじま梅やしきさいふ【宰府、亀戸】の天神五百らかん
ゑかういんれいかん嶋不残永代寺ひるこの
宮大あれ大そんじ死人けが人おびたゞしく日
本橋通り京はし大通り不残両本願寺山
王おたび所辺不残新芝御やしきつゞいて
芝神明増上寺せんがくじずい正寺かい
あんじ高なは辺品川不残大くづれ大橋
両国はし永代ばし此辺不残すべて市中
大半くづれ大地さけ死人けが人数
しれず古今まれなる大変なり
四日卯之刻に未火不鎮候よし
凡火口三十八ヶ所に及ぶ尚くわしくは
後編に差出し申候

世直り細見

地震之用心火之用心

地震之用心火之用心

【枠外】根岸二松軒案 
【絵の右下】古城画
【中央】
この用心書を目につく所にはりおき日々用心
する方は地しんと火事の災難を免れ玉ふべし
【中央下】
板元 東京市下谷区下根岸町廿五番地
    石井方 伊勢辰立退所

地震之用心【横書】
  地形(ぢげう)  もり土やおき土の上に住(す)む人は
       地震の時にあぶないと知れ
  建築(けんちく)  細柱(ほそはしら)瓦(かわら)のやねに大(だい)かぐら
      あだま勝(がち)なる家ぞあぶなき
  火元  火 鉢(ばち)ガスすべて火の元 厳重(げんぢう)に
       まツさきに消(け)せ地震する時
 あわて 平日の用心 足(た)らぬあわて者
       瓦(かわら)に打たれ塀(へい)に潰(つぶ)さる
  津波(つなみ)  来(く)る時は地震 間(ま)も無く来るも
      のぞ津波〳〵といつまて怖(おそ)る
  震返(ゆりかへし) ゆり返(かへ)し本(ほん)ゆりよりは小さいもの
       鯰(なまづ)でツかち尻ツこけなり
  逃場(にげば)  頑丈(ぐわんじやう)な長火 鉢(ばち)なとを盾(たて)にとれ
      まさかの時も出(で)るにはまさる
 二 階(かい)  棟(むね)の下に三角の明(あ)きあればこそ
      二階のけがは下よりは無し
  薬品(やくひん) リウサンに塩酸(えんさん)キハツ油なと
      火を出すものはころばさぬやう
  避難(ひなん)  屋外(をくぐわい)にさけるに越(こ)すはなけれども
      其の時々の程(はゞ)に従(したが)へ
火の用心【横書】
  主人(しゆじん)  風呂(ふろ)だんろ煙突(えんとつ)なとの火の元は
      主人 自(みつか)ら吟味(ぎんみ)なされよ
 風 向(むき)  考(かんが)へず無茶(むちや)に飛出(とびだ)す上(あ)ケ句也
       風向(かざむき)と地 理(り)でなんぎするのは
 ポンプ  万(まん)両の神輿(みこし)を造(つく)る金有らば
      小さいぽんぷを各町におけ
 用水   泉(せん)水や堀(ほり)井戸有らば潰(つぶ)さずに
      永く火防(ひふせ)の神と仰(あふ)がん
  非常袋(ひしやうぶくろ) ろうそくにマツチ提灯(てうちん)大 風呂敷(ぶろしき)
       細子(ほそこ)を入れて長押(なげし)にかけおけ
  生命(いのち)  昔(むかし)から生命(いのち)あツての物たねと
      いふは真実(まこと)ぞ見 限(き)り大 切(せつ)
 宝物  ヤレ土蔵(どざう)ヤレ金 庫(こ)とはいふものゝ
       無二(むに)の宝(たから)は身につけて出よ
  持(もち)出  常々(つね〴〵)に目につくやうにきめておく
      非常 持(もち)出す物は何々(なに〳〵)
  身支度(みじたく) 身支度はたびにざうりにかぶり物
      手にのみ水か氷砂糖(こうりさとう)か
  電線(でんせん) うろたいて電燈線(でんとうせん)に引かゝり
       凧(たこ)のまねして命(いのち)とらるな

焼死大法会図

焼死(しやうし)大(たい)法(ほう)會(ゑの)圖(づ)

高名(かうめう)
変死(へんし)
滅法(めつほう)世界(よかい)
念佛(ねんぶつ)種焼(しゆしやう)
拙者(せつしゆ)冨者(ふしや)
南無阿弥陀佛
みななみだ
南無阿弥陀佛
皆なみだ
  〳〵〳〵
キンノヲト
〽ガアン〳〵〳〵

【下部中央位牌部分?】

傾城あだなの焚

傾城(けいせい)あだなの焚(たき)
〽かねてそらこと吹まゝにばかせるはづのつとめ
じやとていやなぢしんにひどきめにおふててくだ
の客とりはおのがからだのかげをだにみぬ目に
けぶるそれ火さきねやもしやうじもおもはずも
へてもへてうきみのなみだですへはついにゆるせは
なきまはり瓦(かはら)ないぞや家根(やね)おちて常(つね)に願(ねがい)の
神(かみ)すてゝつみとむくひのこの中をたが引出し
てつれきぬとなきこへ立てむだな事

[雷の風刺画]

【右上四角枠内】
 当八月八日 雷落場所□
水戸殿通用門
奥表之さかい水門石垣え一ケ所
一ツ橋御門外 明地 松平紀伊守向
御茶の水 油坂 川副勝三郎 屋敷
飯田町 玉すしや前
神田多町 長谷川と申質屋
下谷七曲り 井伊兵部少輔
深川小石川町米屋
御成屋 石川やしき 庭
浅草 熊ケ谷いなり 地内
南茅場町 米や土蔵 雷火
青山口えんせう 蔵
白山下伊賀坂 松平備中守 外
築地加納備中守
赤坂一ツ木町 竹腰 屋しき
麻布長坂丁□□□□□□ 渡辺
為右衛門屋しき
森川宿 本多
青山五十人町 大嶋と申屋敷向
戸田隼人正屋しき
千駄ケ谷八幡 地内
渋谷六反 前橋 酒屋向
伝通院 庭内
愛宕下 青松寺山
深川 御舟蔵 脇
新宿 松平出羽守屋しき
深川扇橋
日本はし 釘店
巣鴨 弐ケ所
牛込御門前ほたん屋敷向
雑司ケ谷 二ケ所
茗荷谷 戸田 吉田 小屋敷
本所菊川町 中ノ橋
麻布中町弐丁目
鮫ケ橋
青山六道辻 荒川と申屋敷
本所 藤堂和泉守
赤坂紀伊国 坂口堀 沸き
小梅川舟
芝 大久保加賀守
本所 相生町
芝宇田川町医師
麻布
一番町 御勘定 佐藤五郎左衛門
佃しま 沖舟中
上野 御宮前
芝 赤羽根橋
麻布日ケくほ
浅草森下金龍寺
同 小揚
同新寺町 真言宗寺 二軒
白山伊賀 坂上 飯田と申屋敷
麴町 成瀬隼人 正屋しき
外 □田 上杉□ 正大□屋敷前
高田馬場 脇
同 長明寺
 都合五十八ケ所也

【絵図中 上中央枠文字から左へ】
外料骨接の名人

足のりやうじ
「アゝ もちつとしづかに やつておくんなさいまし
わたくしは こんど かやば丁の米ぐらへ 落やした
所が たちまち火事に成て 買こんで 隠た米
を不残やいてしまう程の 火事だが もと
より 火の中に斗いるからだゞから 火はなん
ともないが 左の足をくじいて 走事がなら
ぬ所を 雲かきて やつとたすかつたの
で厶【ござ-る?】り升【ます?】

背骨りやうじ
「ヲゝ あつゝしか
し又いゝ心
もちに成て
きたおかげさまで
よふよふ 鬼心がつき
ました モシ おい
       しや
さま お聞なさりまし
わたくしも 是迄諸方
一落ましたが 今度の
よふな所へおちた事は
厶りませぬ 森川の
おやしきうちに ふう婦
いてふと申て大木は厶り
升が其いてふは根が
またに成ており升
其またのちやうど
真中へおちまして
背ぼねを家打まして 気
がとをく成ました 其
上あいつは ふう婦中を
さかふと思つて 落やるがつて かへつて う
ぬが背骨を ぶつて いゝきみだと 木花共
がぬかしおり升とさ こんなむまらぬ
      事は厶りません

【絵図中 中央左から】
尾にて尻を打やぶる
「アゝこていられねへ 是此尾が 尻の中へ
はいつていたものをいてへはづだ モシ
おいしやさん わたしは 小石川の御屋
敷の 御門の家根へ おちたのさ そこ
で 家根瓦で こんなに尻を やぶ
つて 大けがをして おせわに
成ます

ひはらを□□□
「モシ わたしやァ 畑島の
沖中の大船のはしらへ おち
やした所が あいにく 川のふ
きぶりだから 帆ばしらか
ねかして 有た 其上へ
おちて ひはらを ひどく
ぶつて すんでの事に
それ切に 成所で厶り升
だが それでもうんのよ
         さ

【この文章の上にある盥絵の左文が続きと思われる】
わたりりの ふねの
帆ばしらたつて
有ましたから
其帆ばしらへ
のぼつて やつと
雲にすがつて
よう〳〵たすかり
ました

腕のりやうじ
「アイタ〳〵 うでがぬける〳〵 アゝ
モシ 此うでが□□ましたが おか
げで やつと□し□□厶り升
もふ〳〵こり〳〵した こんだ
田丁の質ぐらへ おちた所が 雲は上る
でところはなし くらの二階中
□□あるいて見てもしかたが
ねへから まどの□を やぶつて

【この文章の下にある鬼絵の下の文が続きと思われる】
▲やつと出た所が
はらはへる あん
な くるしかつた
事は有ません
そんでも てんとう
鬼ころさずで
ちやうど 雲がき
て やつとたすかつ
たが 左のうでが
ぶらになつた こ
んなひどいめに
有た事は
なしさ

角ヲ折牛の角挿かへる
「アゝ いてへ〳〵 此通り 角をおる程
ひどくぶつたものだから 気ぜ
つを しました所で□が
口へはいつたので やつと
いきをふきかへし
よく〳〵見れば
浅草の地内
のいなりさま
     の■

【この文章の下にある角の治療をされてる鬼絵の左文】
「鳥居のきわさ
すんでの事で そ
れ切ごろりと行
とこで厶り升た モシ
其出合た角にして下
さりまし 片ちんばでは
見にくう厶り升
    から

【この文章の上の子どもを抱いた女鬼の左文】
子雷首くじき
「モシ おいしやさまへ 望事に 此子にはこまり升
いふ事を聞ませぬから 此通り首をつゝこんで わたくしに、気を
もませ升 又内のものも うちのもので厶り升 なんのつれて行ずば
の事で厶り升のに 麻布のやしきへ親子ともに おちましたとさ
親父は けがはいたしませんが 此子は ひどいめに あいましたが
虫でもでねばよふ厶り升が

怪我雷多勢

安政天下太平

安政天下太平【以上、見出し、大字】

【見出しの下】
地震(じしん)の咒(まじなひ)
【梵字らしきもの】
是を家のうちに
はるべし

【本文上段】
頃は安政二年十月
二日の夜四時江戸
并近郷近在の大地しん
大火ゆへ鹿嶋太神宮
要石をおさへてのたまはく
此神石は天神七代の
むかしより地の
ゆれるをおさへし
神護なり
何とてこんど
大ひに地を
ゆりちらしたるぞと仰らる
此時かなめ石の下よりじしんども
こそ〳〵とはい出て太神宮の御前に
みなうづくまる御神は見たまひ御剱を
さか手に取ていかりたまひなんじらは
わが守護をそむくだいざいゆるしかたく
へんとふありやとありければ江戸のじしんおそれ入て申やふこんどの
大へん一とふり申上んまづわたくしどもは御神の御神石の下に居て
泥中を宿とし御神たくを守るのところへ江戸町々のものども近年
おごりに長じわれ〳〵が孫ひこやしまごをはじめけんぞくともをいけ取
かばやき又はすつぽん煮なべやきうまになどにいたしせいたくなる
料理(りようり)にあづかりすでに子 孫(そん)をたやさんとす其むねん
こつずいにとふりしところ京大坂ゑちご信州のじしんども
まいりめい〳〵に云(いふ)やふみな私が申せしとふり諸人に
料られたり此ゆへ大神いづもへ御立を見こみ十ぶんに
いこんをはらし申たり此うへはもはやわれ〳〵が
ぞんねんのこりなくはや〳〵いのちを
めされ下さるべしといふを聞たまひ
かしま太神宮よこ手をうち悪(あく)は
あく善はぜんとするが神仏の
本意なりなんじらが此たびの
つみおもしといへども一とふりすじの
立うへはまたばつするにあらず以来を
きつとつゝしむべし江戸町中はそれ〳〵に
【以下、途切れ】

【本文中段】
まもり得?させよなんじら
あばれる時はすでにまち中の
用心水をのこらずぶちちらし
たることゆへ出火してもふせぐ
ことあたはずしよ人てんどう
せしゆへ大火大らんとなりしは
そのつみなんしらがいたすところ
なりくれ〴〵も向後大ひに
ふるふことをいましめるぞ
しかしなんじら居すくまる
ばかりにてはまたやまひも
おこらんあいだ少しの
のびはさしゆるす
かならず〳〵わが
いゝしことそむく
まじと

【本文下段】
仰(あふせ)らるゆへじしんどもはほつと一いきつき
ありがたし〳〵今よりわれ〳〵ども天下
太平国家安ぜんをまもり申さんと
かたく御受申上みなどろの中へとうづくまる

流行職人盡

【芝居看板に見立てて、地震で儲かる職人を描く。上段中央にナマズの絵とタイトル、左右に役者名になぞらえた職人の名前。下段には役者のような姿をした職人と職名を左右対称的に配置する。それぞれの職業を象徴する道具や風体をしている。 】
【中央 鯰絵の下】
 現金米屋
流行職人尽
 現金酒屋
【赤地枠の中 下段向かって右上から】
「はなしか」

【「はなしか」の左隣 下膨でチョット髪が薄くなった男】
「金持」

【左隣 瓦を持っている】
「瓦師」

【「瓦師」の後ろ、僧形との間にひょっこり顔を出している】
「ぜいたくや」
【左隣】
「坊主」

【左隣 持っているのは鏝か?】
「こてのかぢ」

【左隣 鍬を担ぐ】 
「土方」

【左隣 青い着物の男】
「鉄物屋」

【左隣 モスグリーンの着物の男】
「茶屋」

【左隣 左手で頭を書いているようなしぐさの男】
「金かし」

【左隣】
「仕立屋」

【右に戻って、はなしかの下 キセルを持つ初老の男】
「地主」

【「地主」と「石屋」の間 痩せて黒い服を着て、扇子を持つ男】
「たいこ持」

【左隣 鑿を持つ男】
「石屋」

【左隣 左手に鉋を持つ男】
「建具屋」

【左隣 右手に玄能?墨つぼ?を持つ男】
「屋根屋」

【左隣 立ち上がって、右手に槍鉋、左手で手拭を担いぐ男】
「大工」

【左隣 右手に鏝、左手に鏝板を持つ】
「左官」

【左隣 立ち上がって、鳶口を持っている男 着物柄に当とある】
「鳶頭」

【左隣立膝で、右手に「判取」と書いた袋を持ち、左手に「大吉利市」と書いた板を立て持つ男】
「材木屋」

【「材木屋」後ろ「茶屋」と「金かし」の間、頭に手拭をかぶった男】
「茅やね」

【左隣 唯一の女性】
「げいしや」

【「げいしや」の左隣 風呂敷包みを担ぐ男】
「小間物や」

【「材木屋」の左隣 左手で本を持つ男】
「太夫」

【上段 名前看板 左端から】
大極上々吉 こて   左官土蔵
おほこまり 古拳   地主持丸
大極上上吉 差曲尺  番匠大工丞
大上々吉  の立   石切【音之?】丞
上上吉   田舎   茅野家根八
大儲    黒黄薬  □【貴?骨?】紐□衛門
大儲    判取   材木□【之?】丞
 
【鯰絵を挟んで】

大極上々吉 鋤鍬   □組右衛門
元手いらず 袈裟   坊主寺助
現金売   会津   蝋燭【掛?】八
大極上々吉 鉄槌   家根板平
かはらず  証文   高利勘左衛門
大上々吉  もつこう 土方焔□□□
安物ばかり 銀み   小間物甲兵衛
大上々吉  鬼板   かはら師土兵衛
掛けた

諸国大地震大津波

嘉永七甲寅十一月四日五ツ半時ゟ
諸国 大地震(おゝじしん)大津波(をゝつなみ)三編

御公儀様難有
御仁誠に依而市中
の人々是を悦び寔に
有がたく思わぬもの
壱人もなし然るに
諸色米万端何に
不寄直段追々下直に
相成悦ぶ事限りなし
依之市中之人々第一
火の用心大切に相守り
万事の事心を懸物
事諸人に至る迄相慎
候事

大坂川口大津波の大略
安治川凡近辺死人凡
三百人ヨざこば近辺死人
凡弐百人ヨ寺島同死人凡
五百五十人ヨ堀江川近辺
同三百人ヨ道頓堀木津川
近辺にて凡三百人ヨ其ほか
所々廿人三十人あるひは
十人五人と即死いたし候
事は世にはめづらしき事也
もつともけが人は其数し
れず即死の数凡弐千余
に聞へ候此人々一度に声
をあげなきわめき其
あわれさはなすにはなし
きれ申さず候
十一月五日くれ六ツゟ夜
八ツ時過までの事に御坐候

伊勢山田并志州鳥羽
右同日大地震大あれ
にて人家大躰半分
はくずれ大いなる
こんざつなりその
あわれさ申にたへず
こゝに御気のとく成は
御師さまは年頭の
したくをいたされ
大坂表へのぼり此度
の大坂のつなみにて暦
等進物のたぐい難
船せし御方もあり
まことに〳〵前代未
聞の事也尤太神々五
御社并に末社社家の
家々地震がために少々
いたみ候処数多く
▲志州鳥羽辺は同日に
大地震一通りならず
大ゆりにて人家くずれ候
事は大躰其国は半ぶん
はかりくづれ候所へ大
津浪打来り御家中
町家とも大半ながれ
人々の難義致し候はあはれ
なり其大変文面の
しらせのうつし是にしるす

尾州路書しるす事数多有とも略ス
同日同刻大地震にて
町家損じたる事その
数をしれず寺院名古や
御城下御家中は申に不及
大地震ニ而大崩し言語に
のべがたくまことに〳〵
あわれなる次第なり

伊勢四日市十一月四日辰ノ半刻ゟ
大地震ゆりはしめ其
おそろしさ弁述に
のべがたくもつとも
家かず三十けん計り
ゆりくづれ男女
子どもにいたる迄その
混雑おそろし事成に同日
申ノ刻と迄に又ゆり大地われ
益々強くゆり人々其中へ
落込候事は其数しれず
又同日いせ津へん同様なり
尤家かず二十四五けんも
くづれそんじたるは
其数しれず外に白子
かんべ松坂桑名へん
大じしんなれども
少々のいたみ

諸職吾沢銭

[震災被害調査票記入心得]

    記入(きにふ)心得(こゝろえ)(全部調査(ぜんぶてうさ)の分(ぶん))
一、\t此(この)調査(てうさ)は震火災(しんくわさい)に関(くわん)する各般(かくはん)の善後施設(ぜんごしせつ)及帝都(およびていと)其他災害地の復興(ふくかう)に付最(つきもつと)も大切(たいせつ)な基礎資料(きそしれう)となるのであり
   ますから正直(せうじき)に有(あり)の儘(まゝ)を書(か)いて下(くだ)さい。
一、\t此(こ)の票(へう)に書(か)かれた個々(こゝ)の事柄(ことがら)は決(けつ)して他人(たにん)に洩(もら)したり公表(こうへう)したりすることはありませんから安心(あんしん)して事実有(じじつあり)
   の儘(まゝ)を書(か)いて下(くだ)さい。
一、\t此(こ)の調(しら)べは災害(さいがい)を受(う)けた人(ひと)でも受(う)けない人(ひと)でも避難(ひなん)して居(ゐ)る人(ひと)でも凡(すべ)て一人毎(ひとりごと)に調(しら)べるのでありますから銘(めい)
    銘(めい)に個人票(こじんへう)に調査事項(てうさじかう)を記入(きにう)し尚震災当時(なほしんさいたうじ)の世帯主又(せたいぬしまた)は之(これ)に準(じゆん)ずべき人(ひと)(《割書:世帯主が死亡し又は行方不明のときは|生残つた家族の内で世帯主に代るべき》
   《割書:人| 》)に限(かぎ)り各別(かくべつ)に世帯票(せたいへう)を拵(こしら)へて下(くだ)さい若(も)し一 軒(けん)の家(いへ)に二 軒(けん)の人(ひと)が避難(ひなん)して居(ゐ)るときは世帯票(せたいへう)三 枚(まい)を作(つく)るの
   であります。但(たゞ)し世帯主(せたいぬし)と家族(かぞく)が別々(べつ〳〵)に避難(ひなん)したときは世帯票(せたいへう)は世帯主(せたいぬし)の方(はう)から出(だ)し家族(かぞく)の方(はう)は個人票(こじんへう)のみ
    書(か)けばよいのです。
一、\t此(こ)の調(しら)べは凡(すべ)て十一 月(ぐわつ)十五 日現在(にちげんざい)に依(よ)つて調(しら)べるのであります。
       一、 世帯票(せたいへう)
    此(こ)の票(へう)は世帯主又(せたいぬしまた)は之(これ)に準(じゆん)ずべき人(ひと)が自分(じぶん)と現(げん)に一 緒(しよ)に居(ゐ)る家族及震災(かぞくおよびしんさい)に依(よ)り死亡(しばう)し又(また)は行方不明(ゆくゑふめい)となつた
    家族(かぞく)に付(つい)て拵(こしら)へるのでありますから若(も)し他(た)の場所(ばしよ)に別(わか)れて居(ゐ)る人(ひと)があつても世帯人員(せたいじんゐん)の計算(けいざん)には入(い)れないで
    下(くだ)さい。 又学屋生生徒工女職工旅行者等震災当時旅館下宿屋(またがくせいせいとこうじよしよくこうりよかうしやとうしんさいたうじりやくわんげしゆくや)とか寄宿舎等(きしゆくしやとう)に居(を)つて独立(どくりつ)の世帯(せたい)を持(も)たなかつた
    人(ひと)は世帯票(せたいへう)を拵(こしら)へる必要(ひつえう)はありませぬ。
   「 調査区(てうさく)」の欄(らん)には市区町村長(しくちやうそんちやう)「 調査員氏名(てうさゐんしめい)」の欄(らん)には調査員(てうさいん)が記入(きにふ)するのであります。
一、\t 世帯主(せたいぬし)の「住居所氏名(ぢうきよしよしめい)」欄中(らんちう)「 現居所(げんきよしよ)」には調査(てうさ)せらるゝ世帯主(せたいぬし)(又(また)は之(これ)に準(じゆん)すべき人(ひと))の現(げん)に避難(ひなん)した場(ば)
    所(しよ)(避難者(ひなんしや)でない者(もの)は現住所(げんぢうしよ))を何番地何官公署(なんばんちなんくわんこうしよ)。 何学校何(なにがつこうなに)バラツク何仮小屋内何々方等(なにかりごやないなに〳〵かたとう)と「 震災当時(しんさいとうじ)の住(ぢう)
    所(しよ)」 欄(らん)には震災当時(しんさいたうじ)住(す)んで居(ゐ)た住所(ぢうしよ)(震災地以外(しんさいちいがい)の者(もの)で震災地(しんさいち)に滞在(たいざい)して居(を)つた者(もの)は其居所(そのきよしよ))を記入(きにふ)し其下(そのした)
   に氏名(しめい)を書(か)いて下(くだ)さい。
二、「 世帯人員(せたいじんいん)」 欄(らん)の「 現存者(げんそんしや)」欄中(らんちう) 「 無事(ぶじ)」とある所(ところ)には震災(しんさい)の為(た)め死傷(ししやう)しなかつた人(ひと)の数(すう)を「 重傷(ぢうしやう)」の所(ところ)には
    震火災(しんくわさい)の為(た)め重傷(ぢうしやう)を受(う)け不具廃疾(ふぐはいしつ)となつた者又(ものまた)は不具廃疾(ふぐはいしつ)となる見込(みこみ)の者若(ものもし)くは三十 日以上休業(にちいじやうきふげふ)して療養(れうやう)し
   た者(もの)の数(すう)を「 軽傷(けいしやう)」の所(ところ)には震火災(しんくわさい)の為(た)め負傷(ふしやう)を受(う)け七 日以上休業(かいじやうきうげふ)して療養(りうやう)した者(もの)を、「 計(けい)」の所(ところ)には以(い)
    上(じやう)の合計(がふけい)を「 死者行方不明者(ししやゆくゑふめいしや)」 欄中(らんちう)「 死亡(しばう)」「 行方不明(ゆくゑふめい)」の所(ところ)には夫々(それ〴〵)震火災(しんくわさい)の為(た)め死亡(しばう)した人又(ひとまた)は行方不明(ゆくゑふめい)
   となつた人(ひと)の数並(すうならび)に其(そ)の合計(がふけい)を、「 合計(がふけい)」とある所(ところ)には右現存者及死者行方不明(みぎげんそんしやおよびししやゆくゑふめい)となつた者(もの)の合計(がふけい)を「 失職(しつしよく)」
   とある所(ところ)には現存(げんそん)して居(ゐ)る人(ひと)の内(うち)で震災当時職業(しんさいたうじしよくげふ)を持(も)つて居(を)つたが震火災(しんくわさい)の為(た)めに工場会社等(こうぢやうくわいしやとう)が焼(や)けたと
   か解散(かいさん)したか等(とう)に依(よ)り職(しよく)を失(うしな)ひ現(げん)に職業(しよくげふ)のない人(ひと)の数(すう)を個人票(こじんへう)の職業欄(しよくげふらん)から数(かぞ)へて記入(きにふ)して下(くだ)さい、 世帯人(せたいじん)
    員数(ゐんすう)には世帯主(せたいぬし)をも入(い)れて数(かぞ)えて下(くだ)さい、該当事項(がいたうじかう)のない欄(らん)には斜線(しやせん)を引(ひ)いて下(くだ)さい。
三、「 住宅罹災(ぢうたくりさい)の種類(しゆるい)」 欄中(らんちう)「 全焼(ぜんせう)」「 全潰(ぜんくわい)」「 全流出(ぜんりうしつ)」は震火水災(しんくわすいさい)の為(た)め全(まつた)く住居(ぢうきよ)することが出来(でき)なくなつたもの
  「 半焼(はんせう)」「 半潰(はんくわい)」「 半流出(はんりうしつ)」は其(そ)の儘修繕(まゝしうぜん)を加(くは)へれば住居(ぢうきよ)に利用(りよう)が出来(でき)るもの「 破損(はそん)」は住居(ぢうきよ)に差支(さしつかへ)なきも震(しん)
    災(さい)の為(た)め大分破損(だいぶんはそん)したもの「 無破損(むはそん)」は何等被害(なんらひがい)のないもの又(また)は壁(かべ)にヒヾが入り瓦(かはら)か多少落(たせうお)ちた位(くらゐ)な程度(ていど)の
  ものを標準(へうじゆん)として夫(そ)れ〳〵区別(くべつ)して当該文字(たうがいもんじ)の右側(みぎがは)に◎ 印(じるし)を附(つ)けて下(くだ)さい。
四、 備考欄(びかうらん)には震災当時同(しんさいたうじおな)じ世帯(せたい)に居(ゐ)た人(ひと)で現(げん)に別々(べつ〳〵)な所(ところ)に居(ゐ)る人(ひと)あれば其(そ)の場所及氏名(ばしよおよびしめい)を又震災地以外(またしんさいちいぐわい)の人(ひと)
   で震災当時(しんさいたうじ)一 時震災地(じしんさいち)に滞在(たいざい)し其居(そのを)つた家(いへ)や旅屋又(やどやまた)は下宿等(げしゆくとう)が焼(や)けたり潰(つぶ)れたりして災害(さいがい)を蒙(かうむ)つた場合等各(ばあひとうかく)
    記入事項中説明(きにふじかうちうせつめい)を要(えう)する事柄(ことがら)を其旨書(そのむねか)いて下(くだ)さい。
    世帯票(せたいへう)を拵(こしら)へる場合(ばあひ)は其世帯(そのせたい)に属(ぞく)する各人(かくじん)の個人票(こじんへう)は世帯票(せたいへう)と一 括(くわつ)して世帯票(せたいへう)の人員数(じんゐんすう)と個人票(こじんへう)の枚数(まいすう)と同(どう)
   一であるかどうか数(かぞ)へて重複(ちようふく)や脱漏(だつらう)のない様(やう)にして下(くだ)さい。
     二、 個人票(こじんへう)
一、「 住居氏名(ぢうきよしめい)」 欄中(らんちう)「 現居所(げんきよしよ)」「 震災当時(しんさいたうじ)の住所(ぢうしよ)」「 氏名(しめい)」は世帯票(せたいへう)(一)の説明(せつめい)に準(じゆん)じ「 世帯主又(せたいぬしまた)は世帯主(せたいぬし)との続(つゞ)
   き柄(がら)」の所(ところ)には世帯主(せたいぬし)とか妻(つま)とか(《割書:内縁でも構|ひません》)長男(ちやうなん)とか妹又(いもうとまた)は女中(ぢよちう)とか世帯主又(せたいぬしまた)は世帯主(せたいぬし)との続柄(つゞきがら)を書(か)いて
    下(くだ)さい。
二、「 避難場所(ひなんばしよ)の種類(しゆるゐ)」 欄(らん)には親族(しんぞく)の家(いへ)に居(を)るか知己(ちき)の家(いへ)に居(を)るか無関係(むくわんけい)の人(ひと)の家(いへ)に居(を)るかに従(したが)ひ当該文字(たうがいもんじ)の右側(みぎがは)
   に◎ 印(じるし)を附(つ)け自己所有(じこしよゆう)の家(いへ)や新(あらた)に借家(しやくか)して避難(ひなん)した人又(ひとまた)は官公署学校(くわんこうしよがくかう)バラツク等(とう)に居(を)る者(もの)は其旨下方(そのむねかはう)に記入(きにふ)
   して下(くだ)さい若(も)し住宅(ぢうたく)が焼流失又(せうりうしつまた)は破壊(はくわい)せずして元(もと)の家(いへ)【に】住(すま)つて居(を)る人(ひと)は斜線(しやせん)を引(ひ)いて下(くだ)さい。
三、「 体性年齢死傷病(たいせいねんれいしゝやうびやう)」欄中(らんちう)「 男女(だんぢよ)の別(べつ)」とある所(ところ)には男又(おとこまた)は女(をんな)と書(か)き「 年齢(ねんれい)」の所(ところ)には数(かぞ)ヘ年(どし)を何歳(なとさい)【なんさいの誤りか】と書(か)き「 重(ぢう)
    傷(しやう)」「 軽傷(けいしやう)」「 病気(びやうき)」「 死亡(しばう)」「 行方不明(ゆくゑふめい)」の所(ところ)には震火災(しんくわさい)に因(よ)り重傷(ぢうしやう)を受(う)けたか軽傷(けいしやう)を受(う)けたか(《割書:区別の標準は世帯|票の説明に依る》)
    死亡(しぼう)したか行方不明(ゆくゑふめい)となつたか又(また)は病気(びようき)に罹(かゝ)つたかに依(よ)り夫々当該文字(それ〴〵たうがいもんじ)の右側(みぎがは)に◎ 印(じるし)を附(つ)けて下(くだ)さい死亡行(しばうゆく)
    方不明等現存(ゑふめいとうげんぞん)しない人(ひと)に付(つい)ては世帯主家族知人調査員等(せたいぬしかぞくちじんてうさゐんとう)に於(おい)て便宜判明(べんぎはんめい)する事項(じかう)のみ記入(きにふ)して下(くだ)さい、一 世(せ)
    帯全部死亡行方不明(たいぜんぶしばうゆくゑふめい)になつた家族(かぞく)がある場合(ばあい)も右(みぎ)に準(じゆん)じて世帯票個人票(せたいへうこじんへう)を拵(こしら)へて下(くだ)さい。
四、「 職業(しよくげふ)」 欄中(らんちう)「 震災当時(しんさいたうじ)の職業(しよくげふ)」「 現職業(げんしよくげふ)」の所(ところ)には「 何工場何工(なにこうぢやうなにこう)」とか「 何銀行出納員(なにぎんかうすゐたふいん)」とか「 生魚小売商(なまうをこうりしやう)」
   とか仕事(しごと)の種類(しゆるゐ)を可成詳(なるべくくは)しく書(か)き職業(しよくげふ)なき時(とき)は斜線(しやせん)を引(ひ)き現(げん) 職業(しよくげふ)あるも一時的(いちじてき)の職業(しよくげふ)に従事(じうじ)する者(もの)は其職(そのしよく)
    業(げふ)と共(とも)に一時的(いちじてき)なるや否(いな)やを書(か)き「 希望職業(きばうしよくげふ)」の所(ところ)には現(げん)に職業(しよくげふ)なき者又(ものまた)は一時的(いちじてき)の職業(しよくげふ)に従事(じゆうじ)する者(もの)に限(かぎ)
   り希望(きばう)する職業(しよくげふ)を書(か)いて下(くだ)さい。
五、「 住宅罹災(ぢうたくりさい)の種類(しゆるゐ)」 欄(らん)は世帯票(せたいへう)(三)の説明(せつめい)に準(じゆん)じて書(か)いて下(くだ)さい。
六、「 今後(こんご)の住所(ぢうしよ)」 欄(らん)には今後住居(こんごぢゆきよ)しようとする府県郡市(ふけんぐんし)( 区(く))の名(な)を書(か)いて下(くだ)さい、但(たゞ)し現居所(げんきよしよ)の其儘居(そのまゝを)らんと
   する者又(ものまた)震災当時(しんさいたうじ)の住所(ぢうしよ)に帰(かへ)らんとする者(もの)は「現居所(げんきよしよ)」又(また)は「震災当時(しんさいたうじ)の住所(ぢうしよ)」と書(か)いても差支(さしつかへ)ありません
   「現居所(げんきよしよ)に在留見込期間(ざいりうみこみきかん)」の所(ところ)には現(げん)に居(ゐ)る場所(ばしよ)に今後尚何日住居(こんごなほなんにちぢうきよ)する見込(みこみ)であるかに依(よ)り「 何年位(なんねんぐらゐ)」「何月(なんげつ)
    位(ぐらゐ)」「 何日位(なんにちぐらゐ)」と記入(きにふ)して下(くだ)さい。
七、 備考欄(びかうらん)は世帯票(せたいへう)(四)の説明(せつめい)に準(じゆん)じて下(くだ)さい。

震災地人口調査

【上部赤地白抜き部分】
市民各位の熱誠なる協力に待つ

【本文】
    震(しん)災(さい)地(ち)人(じん)口(こう)調(てう)査(さ)
今(こん)回(くわい)の大(だい)震(しん)火(くわ)災(さい)の惨(さん)禍(くわ)は実(じつ)に前(ぜん)古(こ)未(み)曾(そ)有(う)の事(こと)であ
りまして罹災者(りさいしや)の救護災害応急(きうごさいがいおうきふ)の施設(しせつ)に就(つい)いては
国(くに)を挙(あ)げて力(ちから)を尽(つく)して居(お)ります。
是(これ)が善後(ぜんご)の諸施設(しよしせつ)や帝都復興計画上(ていとふくこうけいくわくじやう)の基礎資料(きそしれう)を
得(う)る為(た)めに来(きた)る十一 月(ぐわつ)十五 日午前零時現在(にちごぜんれいじげんざい)【来る以下ここまで太字】
により左(さ)の事項(じこう)を調査(てうさ)する事(こと)になりました。
是(これ)に就(つ)いては其準備(そのじゆんび)として十一 月(ぐわつ)五 日(か)から調査員(てうさゐん)
が各世帯(かくしよたい)に就(つ)いて世帯主(しよたいぬし)の氏名(しめい)や世帯(しよたい)の人員等(じんゐんなど)を
お尋(たづ)ね致(いた)し調査期日前(てうさきじつぜん)それによつて調査事項(てうさじこう)を印(いん)
刷(さつ)した世帯票(しよたいへう)と個人票(こじんへう)【世帯票以下ここまで太字】とを各世帯(かくしよたい)に配布(はいふ)いた
しますから何卒(なにとぞ)一 人(にん)も洩(も)れなく正確(せいかく)に有(あ)りの儘御(まゝご)
記入(きにふ)を願(ねが)ひます。
     調(てう) 査(さ) 事(じ) 項(こう)
世帯(しよたい)に就(つい)ては【調査事項以下ここまで太字】
 一  世帯主(しよたいぬし)ノ住居所氏名(ぢうきよしよしめい)  現居所(げんきよしよ)     氏名(しめい)
              震災当時(しんさいたうじ)ノ住所(ぢうしよ)
 二  世帯人員(しょたいじんゐん)ノ現存者(げんそんしや)  死者(ししや)  行衛不明者(ゆくゑふめいしや)  失職(しつしよく)
 三  住宅罹災(じうたくりさい)ノ種類(しゆるゐ)  全焼(ぜんせう)  半焼(はんせう)  全潰(ぜんくわい)  半潰(はんくわい)  全流失(ぜんりうしつ)  半流失(はんりうしつ)  破損(はそん)  無(む)
    破損(はそん)
人々(ひとびと)に就(つい)ては【人々以下ここまで太字】
 一  住居所氏名(じうきよしよしめい)  現居所(げんきよしよ)      氏名(しめい)  世帯主又(しよたいぬしまた)ハ世帯主(しよたいぬし)トノ続柄(つゞきがら)
          震災当時(しんさいたうじ)ノ住所(ぢうしよ)
 二  避難場所(ひなんばしよ)ノ種類(しゆるい)  親族(しんぞく)ノ家(いへ)  知己(ちき)ノ家(いへ)  無関係(むくわんけい)ノ家(いへ)
 三  体性年齢死傷病(たいせいねんれいししやうびやう)  男女別(だんじよべつ)  年齢(ねんれい)  重傷(ぢうしやう)  軽傷(けいしやう)  病気(びやうき)  死亡(しばう)  行衛不明(ゆくゑふめい)
 四  職業(しよくげふ)  震災当時(しんさいたうじ)ノ職業(しよくげう)  現職業(げんしよくげう)  希望職業(きぼうしよくげう)
 五  住宅罹災(じうたくりさい)ノ種類(しゆるゐ)  全焼(ぜんせう)  半焼(はんせう)  全潰(ぜんくわい) 半 潰(はんくわい)  全流失(ぜんりうしつ)  半流失(はんりうしつ)  破損(はそん)  無(む)
    破損(はそん)
 六  今後(こんご)ノ住所(ぢうしよ)  現住所(げんぢうしよ)ニ在留見込期間(ざいりうみこみきかん)

 大正十二年十一月
            東京市役所しょたいじんゐ

[安政地震摺物]

当十月二日夜亥上刻ゟ大地
しんして同時出火と相なり
町家一どきに大半くずれ
火は追々はびこり火口四ツに成
ふか川本庄神田さく間町
辺一めんの火になり浅くさへん
にて吉原さるわか町のこらず
向ふじま梅やしきさいふの天神【宰府の天神=亀戸天神のことかと】五百らかん
ゑかういんれいかん島不残永代寺ひるこの
宮大あれ大そんじ死人けが人おびただしく日
本橋通り京はし大通り不残両本願寺山
王おたび所辺不残新芝御やきつゝいて
芝神明増上寺せんがくしずい正寺かい
あんじ高なは辺品川不残大くづれ大橋
両国はし永代ばし此辺不残すべて市中
大半くづれ大地さけ死人けが人数
しれず古今まれなる大変なり
四日卯之刻に未火不鎮候よし
凡火口三十八ケ所に及ぶ尚くわしは
後編に差出し申候


震焼者附 市中雍 富場潤蔵

大正大震災双六(袋)

大正大震災双六

月火屋(印)

【同じステージ3の初めの方の 大正大震災双六 の下半分に当たる。ここでは上半分画像で翻刻していない最下段のみ翻刻する。】

芝公園
一 行衛不明
二 迷子 軍隊 警察収容
三 死亡 ゆり出し (戻り)
四 御目出度
五 怪我 赤十字外救護班
六 発病 同上

家の中
一二三 避難場所ゆき
四五 遭難

ゆり出し
一五 家の中
二三四六 避難場所へ かけ出し

庭前
一三 怪我 赤十字救護班
四 死亡 ゆり出し (戻り)
五六 焼残り 倒潰修繕 帰宅 (上り)

避難場所
一 日比谷公園 芝公園
二 被服廠
三 丸の内 船の中
四 庭前 浅草公園
五 招魂社
六 上野公園


震災予防調査方法取調委員の設置(丙)

丙【手書き風の赤い文字・以後本文は活字】

      身体保全法(しんたいほぜんはふ)の実験二報(じつけんにほふ) 
本年三月中(ほんねんさんぐわつちう)身体保全法(しんたいほぜんはふ)の一奇術(いつきじゆつ)を施印(せいん)に附(ふ)して世上(せじやう)識者(しきしや)の教(をしへ)を請(こひ)たりしが去月(きよげつ)八日 福岡県(ふくかけん)
筑後国(ちくごのくに)久留米市米屋町(くるめしこめやまち)二丁目吉川安吉氏より一報(いつぱふ)を辱(かたじけ)なふせり其(そ)の要(やう)に同月二日 久留米在(くるめざい)
御原郡追分村(みはらごほりおいわけむら)井上マツの家(いへ)に於(おい)ての講会(こうくわい)に十人計(ぢうにんばか)り集(あつ)まり吉川氏も出席(しゆつせき)したる故(ゆゑ)此奇術(このきじゆつ)を
試(こゝろ)むるの便(たより)もあらんと思(おも)ひ人々(ひと〳〵)に就(つい)て脈度(みやくど)を診(しん)せしに敢(あえ)て
異状(いじやう)もなかりしが只(たゞ)其中一人(そのうちいちにん)の脈度乱(みみやくどみだ)れ居(をる)あり此人(このひと)は同郡(どうぐん)
櫛原村(くしはらむら)松田吉太郎とて三十五歳になる強壮(きやうさう)の者(もの)なり此時(このとき)は
聊(いさ)さかも病気(びやうき)などの容子(ようす)なく飲食(いんしよく)も人並(ひとなみ)になし居(を)り其(その)の夜(よ)
十二 時過(じすぐ)る頃(ころ)俄(にわ)かに赤痢病(せきりびやう)に罹(かゝ)り翌日(よくじつ)十二時 過(すぎ)に至(いた)り遂に
死亡(しぼう)したり此事(このこと)を伝聞(つたへきく)者 皆(みな)奇術(きじゆつ)の玄妙(げんめう)なるを感歎(かんたん)せざるは
なとしいへり然(しか)れば此(こ)の術(じゆつ)は只変死(たゞへんし)を前知(ぜんち)するのみならず
病災(びやうさい)の死(し)をも前知(ぜんち)することを得(う)べきものと思(おも)はる已(すで)に此理(このり)
ありとせば医術(いじゆつ)の診断上(しんだんじやう)に取(と)りても亦簡便(またかんべん)の一奇法(いちきはふ)を発見(はつけん)
したるものといふべし又(また)小生(せうせい)の知人(ちじん)に松嶋孫十郎氏と云人(いふひ)
あり長野県(ながのけん)上伊那郡(かみいなごほり)手良村(てらむら)に住居(すまゐ)せり本年(ほんねん)の夏(なつ)所用(しよよう)ありて
筑摩川(ちくまがは)渡(わたり)しに折節(をりふし)洪水(こうすゐ)なるが為(た)め奔流激怒(ほんりうげきど)し其危(そのあやう)きこと
言(い)はん方(かた)なし水主二人(かこににん)ながら棹打折(さほうちを)りて水中(すゐちう)に陥(おちい)り生死(しやうし)の
程(ほど)も知(しれ)ざりき船客(せんかく)は十二人なりしが手足(てあし)と恃(たの)む水主(かこ)に別(わか)れ
各々(おの〳〵)為(せ)ん所(ところ)を知(し)らず皆 茫然(ぼうぜん)として色(いろ)を失(うしな)ふ船(ふね)は流(なが)れに漂(たゞよ)ひ
去(さ)り覆(くつが)へらんとするもの数回(すくわい)に及(およ)び水練(すゐれん)を知(し)る船客(せんかく)八人(はちにん)は
身(み)を躍(おど)らし辛(か)らふじて岸(きし)に泳(およ)ぎ着(つ)きしも氏 外(ほか)三人は水練(すゐれん)の
心得(こゝろえ)なきを以(も)て運(うん)を天(てん)に任(まか)せ船(ふね)の中(うち)に蹲(うづく)まり居(ゐ)るのみ氏は
兼(かね)て保全術(ほぜんじゆつ)を知(しり)たる故(ゆゑ)此所(こゝ)ぞ大切(たいせつ)の場合(ばあい)と思(おも)い屡々(しば〳〵)脈度(みやくど)を
試(こゝろむ)るに敢(あえ)て異状(ゐじやう)なりしかば少(すこし)く安堵(あんど)の思(おもひ)をなす然(しか)れとも
船(ふね) は益々(ます〳〵)危(あやう)く十中八九(ぢうちうはつく)は命助(いのちたす)かるべくも見(み)えざるより反(かへつ)て
此(こ)の術(じゆつ)も恃(た)のむに足(た)らずと疑念(ぎねん)を起(おこ)し今(いま)にも水藻(みくづ)に埋(うづ)まる
ならんと打萎(うちしほ)れて待(ま)つ程(ほど)に船(ふね)は激波(げきは)に巻(まか)れて岸辺(きしべ)に近(ちか)づき
一叢(ひとむら)の竹林中(ちくりんちう)に流(なが)れ入(い)りたり水浅(みづあさ)きを見(み)るより三人は直(たゞち)に
竹藪(たけやぶ)の中(なか)に飛下(とびくだ)り氏一人 残(のこ)りしが漸(やうや)くにして船(ふね)を繋(つな)ぎ止(と)め
たり折(を)りしも川向(かはむか)ふより助船(たすけぶね)来(きた)りて四人を打乗(うちのせ)たれば皆々(みな〳〵)
其無事(そのぶじ)を祝(しゆく)し合(あ)へり茲(こゝ)に於(おい)て氏は保全法(ほぜんはふ)の功益(こうえき)著(いちじる)しくして
斯(か)かる危難(きなん)の際(さい)にても狼狽(ろうばい)せざりしことを喜(よろ)こび去月(きよげつ)上旬(じやうじゆん)
懇(ねんごろ)に小生に謝(しや)せられたり前(まへ)の二報(にほふ)は各々(おの〳〵)実験(じつけん)に繋(かゝ)り空理(くうり)を
談(だん)ずるの比(ひ)に非(あら)ず変災(へんさい)を前知(ぜんち)せることは曽(かつ)て広告(くわうこく)せし陰医(いんい)を
初(はじ)め松嶋氏に於(おい)て毎々(まい〳〵)効(かう)を見(みた)れとも病災(びやうさい)を前知(せんち)することは
吉川氏の実験(じつけん)を始(はじめ)となすべし伏(ふし)て希(こひね)がはくは博識(はくしき)の諸君(しよくん)幸(さいわ)ひに教示(きやうじ)を賜(たま)はらんことを請(こ)ふ
   明治二十五年壬辰九月七日  東京池之端仲町廿七番地
                  寶丹本舗 守田治兵衛父
                     守田長禄翁敬白(印)

【挿絵内】
筑摩川洪水難船の図


磐梯山噴火の図

磐梯山噴火の圖

【右下】
明治廿一年七月?日印刷
??兼 日本橋【区長谷川町十九番地 か】
責任者   福田熊次郎
仝年七月 日出版
探景筆 【=井上安治】

福島(ふくしま)縣下(けんか)磐梯山(はんていざん)噴火(ふんくわ)の大慨(たいりやく)を記(しる)すに明治二十一年
七月十五日御前七時 俄(にわか)に山鳴(やまなり)震動(しんどう)して一時に破裂(はれつ)
し近傍(きんぼう)村々(むら〳〵)の家屋(かおく)微塵(みぢん)に飛散(とびち)り又は埋(うづ)まり人民(じんみん)
死亡(しぼう)せし者(もの)數百人(すうひやくにん)僅(わづ)に免(まぬか)れたるものは皆(みな)父母(ふぼ)妻子(さいし)
兄弟(けうだい)を失(うしな)ひ其(その)屍(しがひ)を掘索(ほりもと)むる有様(ありさま)は實(じつ)に見
に忍(しの)びす又川上 温泉(おんせん)は數丈(すうじやう)の下に埋(うづ)め
られ却(かへつ)て小山を現出(けんしゆつ)したり同地(どうち)の家屋(かおく)
住民(しゆうみん)は勿論(もちろん)浴客(よくきやく)五六十人は影(かげ)もなく
其他(そのた)埋(うづま)りし者を掘出(ほりいだ)せしも身体(しんたい)黒色(くろいろ)を
帯(おび)【異体字】或は頭部(あたま)なきあり又は四肢(てあし)なきあり故(ゆへ)
に男女(なんによ)の別(べつ)を知りかねる程(ほど)なり嬰児(こども)の首(くび)は
樹(き)の上に掛(かゝ)り腰(こし)より下を土(つち)に埋(うづ)められ上 半身(はんしん)の
行衛(ゆくゑ)を知(しら)らざる如(こと)き負傷人(けがにん)の中に頭(あたま)を半分(はんぶん)
失(うし)なひ面部(めんふ)の皮肉(ひにく)を取(とら)れ実(じつ)に見(みる)も厭(いと)ふべき有様(ありさま)なり
又 長瀬川(ながせがは)が二 里(り)余(よ)も埋(うづ)まりたれば其(その)水 流(なが)れ来(き)て流(なが)さるゝなど
浮説(ふせつ)に迷(まよ)ひ東西(とうさい)に逃(に)げ走(はし)る 警察官(けいさつくわん)は近傍(きんぼう)の巡査(しゆんさ)を召集(しようしゆふ)
し非常(ひじやう)に尽力(しんりよく)せられ実(じつ)に其(その)混雑(こんざつ)宛(あたか)も戰地(せんち)に等(ひと)し災害(さいがひ)地
は山となり川と変(へん)じ実況(じつけう)は言語(こんご)に尽し難(かた)し辱(かたじけ)なくも
宮内省(くないしやう)より三千円を下賜(くだしたまは)り難有(ありかたき)ことなり江湖(こうこ)の慈善(じぜん)
者(じや)よりも夫(それ)々 恵(めぐま)るゝよしさもありたきことなり

濃尾震災惨状真図

濃尾震災惨状真図

岐阜市街災後之惨状

愛知病院負傷者之救助

大垣本町之惨状

罹災人民之露宿

罹災人民之惨苦

名古屋郵便局損害

長良川鉄道橋傷折

笠松道路壊裂

名古屋栄町惨状


東京朝日新聞第弐千八十八号附録


藤島武治画
生巧館彫刻

[嘉永六丑年二月二日相州地震]

【上の資料】
出方山おしぬけ
田畑山林人村数高
田畑三万石程
村数宇受村より
宇留田村屯地村迄二十八ケ村
人数三千人余
竪拾五六里
横六七り右之如くあわれ
なる次第也

【下の資料】
夫天地不時之変動は
陰陽混して雷雨と
なる地にいれは地震を
なすアゝ神仏の
応護も
是を納むる
事かたし
比は嘉永
六丑年二月
二日昼四つ時
より夜九時
まて大地震
相州小田原
大久保加賀守様御
領分御城下万町
本町板ばしりう
しまち通り
青物町すとを
町寺町
御城角やぐら
町家とも大に
損す近村近郷
酒匂川筋飯すみ
十文字十日市場
子安大山へん
堂龍権現山道
東海道筋小田
原つゞきはだ
山中大久保長門守様
御領分村々多く
損ず箱根湯本
七ケ所二子山辺同所
権現様御山内尤
御社は御さわりなし
同所湖水あふれ
出さいの河原辺大に
損す夫より豆州海辺
山々真鶴網代伊東
西はしゆせん寺三嶋
此外所々大損する
といへどもあらましを
記し高覧そのをのみ

嘉永七寅六月十四日大地震に附て

嘉永七寅ノ六月十四日
     大地震に付て
此度大阪の万民近国に大 変(へん)
ありしかども無難(ふなん)に有し事の
うれしさのあまりにて
天下 泰平(たいへい)五穀成就(ごこくじやうじゆ)家業(かぎやう)長久を
よろこび日夜 異形(ゐぎやう)のふうていにて
諸社(しよしや)え参詣(さんけい)する事引きもきらず

 こゝにふしぎの珍事(ちんじ)あり摂州
  西成郡 御影(みかげ)近辺(ほとり)山 崩(くづ)れ
   岩(いわ)の間より霊水(れいすい)わきいだし
    去年(きよねん)の日でりにこりたる百姓
    田畑(でんばた)此水にて大いにうるをし
    みな〳〵貴異(きゐ)のおもひ
    なし此後(こののち)豊年(ほうねん)の
      吉随(きちずい)とぞ万歳を
         うたひける

【左上挿絵内】御影

江戸大地震□焼場附

【右上の別枠内】
常之風六字手向  古路【川】流行 三□場 彼岸古人【忌】服
常香盤死後菩提   病死数万人   土ちん 極楽浄土
常盤今安政五秋  前代未曽有   同   蓮台【定】神
【右下上の別枠内】
江戸【横書】 大地震 正徳六年度 当年の七月より     
       壱ケ月八万余人   □【人偏に死】焼場附   
       病死安永二年            し変
       疫癘大流行す
【右下下枠内】
 帰元【横書】 服忌喪□
          戒名 
【右上一段目右から】
新場元利益之部      
潤   死口 生口 水向 口寄□加子   
潤   祈祷 札掛    厄除神主   
潤   見料       易者墨色  
名法  配列       芳香散調薬
門口  厄除       八つ手木葉売
□前  出場知      町びきやく急使
義利  人情       友立の百度参り
付合  迷惑       長屋のぎやうじ
大潤  並焼 別火 奥焼 焼場死坊
潤   布施 経料    寺院和尚
利   高直       田無抜損料
二百  日雇       人□□棺まはし
値   支度代      医しやの薬箱持
利   大売       辛しの粉商
婆   佛参       しきみ【樒】のはなや
からす □ぐり      二しゆ八のそんりやう
□田相 同        おどりのつくもうきん
売   門台       忌中のすだれ屋
潤   板込       仕切板松良衛門

【右上二段目右から】
新【場】元焼場之部   
潤   手回 信□ 日収 □土廻桶
法力  雙广 神徳    修験山侠
利   赤米 注文    饅頭百万□
呑しろ 毎日 切なし   寿□□□
半□□ 大道       □幷買商人
潤   戒名       墓所取立
□前  賃銭       内葬駕籠かき
□行  もらい      門せんのとうじき 
喰□  同        同こりめしもらひ
喰□  同        同寺まちのわん〳〵
潤   調来 粉薬    北来□□ 
利   □めし      湯濯□□□
潤   上下       按摩□りやうじ
行並  出たらめ     厄除のかどまもり
大売  □□       せんかうや
□□し 無常       せがれのみおくり
ふ憫  同        おやなきすて子
同   同        同うられる子
同   同        同さとにやるみつ子
仕合  ゑんき      いきのこつたとしより
同   同        同ちしん□□
相□  同        同かたみのしひん
□わく 同        同のこしたしやきん【借金?】

【上中央右から】
関八州
坂東筋
市中四里四方
嵐小の方
□上発意
【上左一段目右から】
吉原  遊女 狐付  河竹新造
桶や  薬店     しほおんじやく
同   同      おぎなひおんてつ
流行  内□     きやくのひき相
名聞  きどく    ほどこしぐすり
調薬  西洋     経験 蘭□医□
□病  夏相 伝法  名灸處
方便  雇僧     説法談儀
法弁  □僧     つもぢだんぎ
□間  つぢ〳〵   ひつぱりにわか
同   しよく    に社のしゝ会
同   同      とりのきむじん
盲   不祝儀    座頭仕□
屎用  □せぎ    せうちう酒店
葬席  ふりかけ   きよめのしほ火
腹用  出しまき   うこんのきれや
上戸  狂画 酔筆  酒盛□神方
下戸  興言 書者  □□□魯□ 

【上左二段目右から】
念仏  極楽 浄土  右□□□
妙法  定佛     □□題目
終行  手の内    道いし□□
終行  同      千の□主
商   売高     蝋そくみせ
商   同      かんぶつや
商   同      野菜もの
商   同      とうふ油揚
お間  そんもう   いわしうり
同   同      水道みづくみ
同   同      三味せんや
同   同      しよげいにん
□\t  病者 死亡  東西南北
他余り 深川     早桶ほどこし
お間  西東     両国会席
同   やすみ    よせみせもの
同   うれず    よそばうり
ころり
頭押  牛頭天王
神前獅子
苦労太 市並餝行松
魔元 市中悉左わぎエ門

【左上左端枠内1】
吾妻路奇病流行   吾妻恋し   三界  萬霊一切
吾妻路不事大変    死別連 《割書:上下   諸精霊|びやうし 為菩提》
吾妻路驚済

【左上左端枠内2】
江戸御武家地   《割書:五万三千|八百人余》   三  合死亡数
暴 江戸死去人別 《割書:十万七千|六百人余》      二十四万
江戸近郷近在   《割書:八万九千|三百人余》   所  七百人余
                  病者不□
【枠外左下】
鳥居喜常筆

平仮名絵入新聞

平仮名ゑ入新聞 十九号        モリ本
時次郎といふ車引がミお【を】なげんとせしところおまわりに
つかまりどういふわけとぎんミをしたら全ハ
女にて元甲府きんばん水上忠左衛門といふ人の
娘おゑいとてがゝいの時わかれ〳〵ニ成
何卒親兄弟にめぐりあいたい
といふてしよせん女でハかなわぬと
前がミをそり
こぼち
男の姿ニ
なり
かんなん
せしとぞ                周重【歌川周重】筆

平仮名ゑ入新聞 廿号          モリ本
橋場
総泉寺ハ
今度まいそう地ニ
成に付古く有池を埋
立るのだが竜がいるとか
ぬしがすむとかいつて
おそれている
中からつよい
ものがでて
きてどん〳〵
掘ていると池の中から
六尺余りの鯰が
飛出した                周重筆

平仮名ゑ入新聞 廿一号         モリ本
朝須田村の伊藤庄八の女房女の
五人づれにて同所かねヶふちへ
草苅ニ行けるがくさの
中より壱丈余りの
うハばみがぬる〳〵出たゆへ
みな〳〵
おどろきかま
をぶつけて
にげはしる              周重筆

平仮名ゑ入新聞 廿二号        モリ本
出雲の国島根郡かぢ丁に
伊藤辰太郎の母
中風の長わづらい
辰太郎古今
孝心ものニて
かん□□食事ハ
□□【「去迚」カ】色【?】目ハ
たのしミおさせんと四季おり〳〵の
花をもとめ母おなくさめる
こと拾二年ごしついに
おかミからごほふびを
たぶん給りました           周重筆

平仮名ゑ入新聞 廿三号        モリ本
   周重筆
武州川越町中村氏の
後家さまハよせのふし穴から
まいよ〳〵のぞいていく
中入から半せんニていつも〳〵はいてくるが
ある夜ふしあなにすミのぬつて有のを
しらずのぞき中入過てはいつたが
高座のだいより此後家の
かほがおもしろく
大わらい〳〵

平仮名ゑ入新聞 廿四号        モリ本
浜丁にすむ安野政幸ハ
十と二ヶ月なるが
久松かく校【久松学校、小学校】で
修行すること
ほかのこども

中〻
およ
ばず
正幸の
父七十郎ハ
天朝の為に討死なし
其つまおふさハてひとつで
此子をおしへき【尽く?】し
子ハ又親へ孝行
なしくらい
うちから
おきてにたきお
なしかく校へ
行ますが
めづらしい
事てごさい□

地震のすちゃらか

   地震(ぢしん)のすちやらか
おくれて出(で)られぬ   蔵(くら)の中(なか)
あちこち見つけて   藪藪(やぶ)の中
うちからころげて   大道(だいど)中
はだかてにげ出す   風呂(ふろ)の中
店(たな)ばんはたらく   けむの中
女郎(じようろ)はおはぐろ   どぶの中
雨(あめ)ふり野(の)じんは   とばの中
まがり【ヲ】直(なほ)して   内(うち)の中
  すちやらかぽく〳〵
     万歳らく
        ぐら〳〵

世直し鯰の情

世(よ)直(なお)し鯰(なまづ)の情(なさけ)
十月二日大地しんの時
いせの御神馬(ごじんめ)が駈(かけ)て
きて諸人(しよにん)を赦(たすけ)た
其せうこにはその
時きていた着物(きもの)の
たもとを見ると白い毛が
二三本づつはいつてあるなんと
有がたひ事ではないかと咄(はなし)をして
いる所へ一つの鯰(なまづ)がでて来(き)ていはく
なまづ〽︎今の話(はなし)の神馬(じんめ)が赦(たすけ)たのではない
ありやおいらの仲間が赦(たすけ)たのだ △〽︎なあに
ばかあいはつせへなまづは人をくるしめるか
おどかすことよりしねへものがどふしてどふして〳〵
赦(たすけ)るなぞと情(ぜう)が有 ものか今じや親(おや)の敵(かたき)だと
いつて打殺(ぶちころ)されるは足元(あしもと)の明(あか)るひうちにげて
行つせへ〳〵  な〽︎さあそれだから大 笑(わらひ)だたとひ鯰(なまづ)に
しても千百万 寄(よつ)ても此 大地(だいち)が一分でもうごくものか
地しん陰陽(いんやう)の気(き)だそれに鯰(なまづ)をわるくにくむからその
わるくいわねえ人ばかりを赦(たすけ)てやりやした △〽︎ははあそれじやなまづ
にも少(ちつと)は情(なさけ)があるのか  な〽︎そりやおめへ魚(うを)心あれば水心ありだ

関東大地震末代鑑

関東大地震末代鑑

【表題下一段目】
御救小屋場所
一幸橋御門外 一上野広小路
一浅草広小路 一深川八幡境内
一深川海辺新田
東叡山御門主様ゟ御すくひ小屋
        上野山下火除地

【表題下二段目】
一土蔵数 五十三万八百五十余損
一死人  二十二万九千余人
一怪我人 数しれず
此度死亡之者の為に
御上様より所〻の寺〻へ被仰付十一月
一日大施餓鬼有之誠に難有ことども也

【本文、三段組の一段目】
天 災(さい)地 凶(けう)は命(めい)なり時なり重(おもき)病(やまひ)は名医是を救ひ
国の労(わつらひ)は名君是を納め給ふ江湖(せじやう)は西(さい)翁(おう)が馬の
如く倖(さい)偡【にんべんに甚】 (はひ) も幸ひならず禍(わざはひ)も又禍ならず乾坤(けんこん)一
変(へん)する時は昌平 豊饒(ぶによう)をなすとかや
頃は安政二卯十月二日夜四つ時俄に大ぢしんゆり出(だし)北
の方は千住宿大半ゆり崩し小づか原遊女やのこらず焼る
新よし原ぢしんよし原はちしんの上江戸丁又ハ角丁あげや
まちへん處〻よりもへ出し五丁残らず焼大門外五十けん西
がハのこる田中は大半くづれ三谷通りは申すに及はす田丁山
川丁たけもんやける北馬道とりてうへんより出火して芝ゐまち
三丁とも南馬道をかけてのこらずやけせうでん丁山のしゆく
は出火のうれひなくはな川戸はんぶん焼きんりう山くわん
世音御堂ぢないともつゝがなし夫よりなみ木まちどほり
くづれ駒かたとうがらし横てうより出火してやなかしみづ
いなり門前てう代地おなじく八けん丁すこしやける駒かた東
がははつふじといふれうりやよりすは丁くろ船てうみよし丁
御うまやがしにてとまるかや寺門前は残る也こまかたのうち百
助よこ丁北のかたこまかた堂より上は両かはのこる夫ゟ三げん
丁へんは少〻又かり下へん大半いたみ東本ぐわん寺御堂
つゝがなく西東御門つぶれきくやばしの角より出火てら丁
しんぼりばた焼る又ひと口は堂前やけ此へん寺まちやとも
大ひにつぶれとぶたなへん少〻夫より下谷□□りやう寺店
少〻又くわう徳寺通りたぶんの事なく其余よこ立十もんじ
うら表ともくづれたるばしよいさゝかなるは筆紙につくし
がたし又みのわ通り新丁へんは大ひにいたみ金すぎは少〻
坂本へんは大ひにくづれ同所二丁め三丁めやける御切て
丁同山下通りは諸〻くづれ御具そく丁山ざき丁へん大ひ
にくづれ又せんたん木谷中だんご坂下ばんずうゐんうら
門通り大つぶれやぶ下の通り谷へくづれ落て往らい二尺
ほどのはゞになる善くわう寺ざか上少〻根づは二丁とも
つぶれ中のどにて二三げんのこるむえん坂下松平ひんごの
守様やける夫より下谷かや丁二丁めさかはいなり向ふより
出火して同一丁め木戸ぎはまでやける同二丁めいなりのかは
少〻やける池のはたなか丁のきはとまる仲丁うら通りくづれ
表とほりは多ぶんの事なしゆしま天じん下このへんの小や
しき大ひにくつれ又天まん宮社はいでんのはふおち石がき
くづるゝ門前てう黒門丁三くみ丁此へんしよ〳〵そんじ霊
かん寺門ぜんまち屋かうしむろわれおち丸木ばしをかけ
てわうらいす又しん丁屋はたけよこ手坂へん少〻つまごひ
坂上丁ハ少〻いなりの本しやつゝがなくはう蔵少〻いたむ
又本門どほりはふだのつぢまで少〻くづれ菊ざかへん少〻
下は田まちへん大つぶれかはか門前御屋しき伝づうゐんうら
門前やなき丁こと〴〵くつぶれる御そうしまちとさきまち
人家大はんつぶれる白山近へん少〻その下れんげ寺ざか
下さすが谷丁このへんつぶれ夫より片丁通りにて両かは
屋敷大はんそんじ又伝通ゐん表門どほり少〻又あん
どうざかよりすは丁大くづれりうけいばしぎは野本飯
づかくまゐ荒かはまでやける又本郷竹丁へん丁家せう〳〵
小やしき大半つぶれおちやの水へん少〻せいだうは多ぶん
の事なし是より御かち町通り多ぶんの事なく中お
かちまち通りかたかはやける同しよひろかうじ北大もん丁
おもてどほり井口より上の元くろもん丁北大もんてう上
の町一丁め二丁め下谷どうばう町上のしんくろ門てう
上のこけらは【い?】やしきひがし同朋まち井上ちくごの守様東
北のもん少〻やけるはいれう屋敷くるま坂町大門町之長
じや町一丁め二丁め下谷丁二丁めだいち是ゟおかち
まち通り三まいばし横丁ハ鈴木石川さかまき七十二
ふくゐ山崎さまとうやける三まいばし角なかおかちまち
通り中根さまはん焼大沼大つか山木清甚兵へ大田いぬ
つか様までやける成田ほり江田むら飯はらとねがはすぎ
山真下つだ平野大岩様小十人組がしら杉江山もと
様やける赤井山田畠武五郎戸谷ふぢ川岡むら様
やける伊とう様火のなかにて半ぶんのこる太田杉田前
田ふぢやす清水そうま様やける三谷御花御やう
屋敷御門のこる船ばし谷むらわたなべつれみづ川嶋
出ぐち村田様やける加納様半ぶんやけ広せ様にて
とまるこの所東がは美のべかつら山大久保様三けん焼る
又まりしてん横丁は亀井左近もり本大八木ゐのうへ
ひらを吉川たか木はせ川松本手じま様はうき様内
もち月しんの助様やける上の丁のよこ丁にてふくろ丁
ハ□戸けんもつ石井吉むら光郷東景助高田吉
むら中むら木平様やける又青石横丁のかど高安
山本さかへ重蔵宮川小ぐらもゝのゐ太田様やける又
同所二丁めの横丁市田さか本山本飯田坂田いへ
き木むら様までやける同所一丁めよこ丁亀山秋山
佐とうかはら若みや吉田様やける長者丁どほり
有田さかきばら小みね小ぐらとうわうじ清かく伊とう三
間よし田わき谷内田いなむらくろだ佐藤いち田様
やける梶山手じま吉川ふぢゐ三うら三田むら湯川
田口高井すゞ木いとう田中相さはたはら田竹の内
様やける安間高木様のこる山口様つぢ本様焼る
しん屋敷南西すみ久保田葭井飯ばら様焼て
こゝにてとまる又御なり道石川様くろ田様やけこの
へん小屋敷大はんつぶれ伊賀さまやけて神田昌平
ばし通りたてべ様内藤様おもてなが屋くづれどう
ばう町御だいところ町金沢丁へん大はんいたみ夫ゟ▲

【本文、三段組の二段目】
▲外神田しやうへい橋へん少〻くずれ神田明しんの社つゝがなく
又はなぶさ町なか丁一丁め二丁めこのへん御成かい道町家東西
うらどほりまでも大はんくづれるあいおい町は少〻夫より
藤堂様おもて門通り少〻又あたらし橋通りは多ぶんの
ことなくさみせんぼり佐竹様御長屋むきいたむ立ばな
様おなししんとりこゑ天もん所【?】へんはさしたるそんじなくおん
くら前通り茅丁より浅くさ見つけ迄是又多ぶんの事
なし浅草御門内西両国は広こうぢへん柳原通り久右
衛門丁としま丁べんけい橋此へんも至てかろし又お玉が池
こん屋丁三丁めかど大ひにくづれる夫より市橋様御門
ぜん多ぶんの事なし是よりいぜんるゐしやうせしばしよは
ふしん新きに付いたみすくなしもちろん平永丁は大ひ
にくづれもみ蔵少〻そんず夫より八つちが原するが台
へんはたいしたる事なし神田すだ丁通り今川ばしまで
かぢ丁二丁めへんそんじ多くその余は多分の事なし西神
田一ゑん少〻又かまくらがしへんもおなし小川丁はすぢか
ひより水道ばしへん通りの内稲葉ながとの守様此へんは
少々そんじ土屋釆女正様此へんも又同し戸田武次郎
様やけ表ながやばかりのこる内藤するがの守様焼て表
もん長屋のこる堀田備中守様こと〴〵やけむかふがはにて半
井出雲守様一けんやける溝口八十五郎様佐藤金之助
様伏屋様大久保様柘植様やける早ミおりべ様荒川
様曽我様近藤様青木様本多様新見様迄焼る
夫より川内様小林様佐藤様やける又神保 小ぢは火消
御役屋敷やける夫よりさかき原様はんぶんやけてうら門ゟ
むかふのかは本多豊後守様はんぶんやける戸田かゞの守様
やけて西みなみの角少〻のこる夫よりわしの巣淡路守様焼
る長谷川荒井様二けんながらおもてまはり残る山本様
にて焼とまる又一口はきじ橋とほり小川丁本郷丹後守
様やけ又ひとくちは一つ橋通り松平豊前守様やけてつゝ
み宗悦様やける又一と口はわたなべ三の助様御てんやける
又一口は一色丹後守様やけて同一色邦之助様奥少〻
やける小石川御もん内松平駿河守様同御組やしき
かとう大はらわたなべ冬木様やける本間平兵衛
様やける大森勇三郎様やける本目様中でう通り
つつき様山本様やけて高井様やけ黒川様半やけ
にてとまる又此近へんやけのこりたる所はあらましくづれ
つぶるゝ夫より小いし川御門うちの西は少〻そんじ飯田丁
このへん破そんすくなく夫より山の手うら表ばん丁辺
一ゑん多分のそんじなくかうし丁大通り少〻いたみ平川
天じんやしろつゝがなく又山王の御宮も無事なり夫より四つ谷
御門外所〻につぶれ家又は大はの家あり又これよりさき
ないとうしん宿まで多ぶんのいたみなしといへども玉がハ
じやうすゐの大どひやぶれ水あバれいでゝふしんちう往
らいとまる又さめが橋こんだ原へん大ひにそんじ紀しう
様御屋しき西通り夫より六道のつぢ多ぶんの事なく
又赤坂御門外ははそん所ことの外多く青山善光寺通り
大ひにそんじ北ざは目黒の近村さしたることなし又牛込御門外
どん〴〵橋へん御屋敷そんじ多くほかぐら坂より市ヶや御門そと
迄の丁なみ少〻づゝのそんじ有といへといへどもかくべつの事なし古川
丁かいたい丁このへん大ひにそんじ潰れ家多し又あかぎ
つくど小日向おとは目白台此へんすべてたいしたるいたみ
なし又馬場さき御門外おん火消やしきやけて火の見やぐら
のこる遠藤たじまの守様やける松平因幡守様はんやけ
数寄屋河岸御門うち永井遠江守様やける夫よりひゞや御
門御ばん所焼る松平土佐守様いたみ少く土井大炊頭様大
ひに破そんす同御門外鍋嶋様やける毛利様うら門内少〻
やける有馬様南部みのゝ守様やけるむかふは薩し
うさましやうぞくやしき表なか屋少々やける松平
甲斐守様伊藤修理大夫様やける亀井様中長
屋やけこゝにてとまる龍の口は大手先酒井雅楽頭
様上中屋敷ともやける森川出羽守様やける和田
ぐら御門うちは御ばん所やけて松平肥後守様むかふ
御屋敷ともやける松平下総守やけるこのへんおもて長
屋どざうとも所〻はそんす又両国横山丁大でんま
丁ほん丁石丁しろかね丁小伝馬丁かめゐ丁附木店
へん少〻つぶれ又両がへ丁するが丁せともの丁むろ町
伊勢丁小田はら丁ほり江丁小あみ丁このへん少〻
いたむ是より大門通りとみざは丁たかさご丁このへん大
ひにつぶれる又濱丁へんは御屋しき所〻くづれ又へつい
河岸どほり松しま丁大ひにつぶれるそれより栄きう
橋ぎハ酒井さま大ひにそんし箱ざき一丁め二丁め大
はんつぶれる霊がん嶋南しんほり二丁め大はんくづれ
又大川ばし塩町かたかはやける北しんぼり一丁ほどやける
みなみ新ぼり半てうばかりやける松平越前守様
きはにてやけとまる夫より霊がん嶋中残りの町数は■

【本文、三段組の三段目】
■少〻のそんじ茅場町八丁ぼりこのへん少〻のそんじなり
てつはうづハ松平淡路守様やけて前町二丁ほど焼
るそれより筑地へんは大小名表なが屋ねりべい所〻
はそんす又日本ばしより中橋へん一ゑんそんじるといへ
ども多分の事なし又みなみ伝馬町二丁めへんより
出火して三丁めまで焼西は南鍛冶町みなみ大工てう
五郎兵衛丁やけたゝみ町は火の中にて少〻のこり大こん
河岸までやける東は具足町やなぎ町因幡町鈴木
町常磐町松川町片かはやけて竹河岸にて火先とまる
又京ばしむかふは弓町所〻そんず銀座より新橋へん
まで少〻そんず三十間ぼりよりおなじくしん橋へんまで
少〻のそんじなり又弓丁より北紺屋丁へんまで所〻そん
じる又すきや河岸より山下御門どほり山しろがし土
橋へんせう〳〵そんじる又幸橋御門外一ゑん多ぶんの事
なしそれよりあたご下通り此へんせう〳〵又西のくぼ
飯ぐら片町かはらけ町より増上寺黒門前赤羽根三
田麻布へん芝田町所〻くづれそんじる又筑地一ゑん少〻
そんじるもちろん丁屋敷とも土蔵ねりべいはこと〴〵く
大破なり西本願寺地ちう少〻そんじ本堂つゝがなし
芝口へん少〻そんじ柴井丁のこらずやけて神明前三嶋
丁へん大ひにふるひそんず神明の社はつゝがなし浜松丁
は多分の事なく御濱御てんつゝがなく本芝へんせう〳〵
そんじる又吾妻橋むかふは松平周防守様やける新井丁
へんこと〴〵くつぶれたほれる又たるま横丁より松くら丁
へんまで丁屋小屋しきとも大ひにそんじるそれより小
梅むらそんじ又出火あり又石原べんてん小路出火あり
此へんすべて大はす押上の通り業平橋へん大そん柳しま
妙見堂つゝがなく前丁天神橋までの間べたつぶれ亀いど
天まん宮社つゝがなく門前丁大破の上前後二ヶ所に出火
あり五百らかん寺大破す又はうおん寺橋むかふ少〻焼る又吉
田町よし岡町長岡丁南わり下水へん丁やしきとも大ひ
にそんじ津がるさま近へん潰れ家多く又お竹くらうら
どほりわり下水へん小屋敷大ひにそんすまた東
両国ゑかうゐん前町一つめのへんそんじ多一つめ橋石がき
くづれ落て往らい渡しになる弁天の宮地内こと〴〵く大
破おなしくうら丁一けんも立家なくこと〴〵くつぶれたほるゝ
又たてかわ通りは林丁一丁めより五丁めまでの間所〻潰れ
みどり丁一丁めより二丁めまでやけて三丁めのこり又四丁
五丁目やける花丁少〻のこる又一くちは徳右衛門丁一丁め二
丁目までやけこゝにてとまる柳はらより四ツめ迄の通り少〻
つぶれる又一つめの通りお船ぐら前丁より出火して西光寺
残り大久保様屋敷少〻のこる又聖天宮大仏殿役者之
歯神の社やけて御船蔵御ばん所焼る又長屋様より
大日堂菅の井上牧野様やける木下図書様火の見斗り
のこる林様やける又もみぐら半分程やける又一口は六けんぼり
町大日横丁八名川丁北六けんぼりやけて夫より南ろく
けんぼりやける神明の宮うらどほりより北の方のこる同門
前丁焼て又一口は中森下より南もり下丁元丁小笠
原様少々焼て又一口はみなみ六けんぼり猿子橋へんより出
火して井上様せう〳〵やけそれより常磐丁一丁め二丁め
太田備中守様御屋敷少〻焼て此口とまるもみぐらの脇
元丁一丁のうちにて潰れのこる家三げん又田安様御門
前通りにて家一けんのこる其先高橋へん一ゑん大ひにつぶ
れ西丁東丁こと〳〵くくづれる猿江うら丁三丁ばかりの場
所にて三げんのこるあふぎ橋とほり土井大炊頭様やける夫
より小名木ざはへん大ひにそんしる浄心寺地ちう大そんほん
堂つゝがなく霊がん寺地ちうこと〴〵く潰れ本堂はつゝがなし
又海辺大工丁へん所〻潰れ清住丁のこらずつぶれる又伊せ
崎丁一丁め二丁めやける西平野丁富久町三角屋敷この
へんこと〴〵く潰れくづれる夫よりゑんまどう橋つなうち場
辺は少〻のはそん又佐賀丁のゐまはり大ひにつぶれ桐川丁
より出火して熊井丁諸丁中じま丁大島丁まで焼て此
口こゝにてとまる又富よし丁どほり北川丁八まん橋のきは火の
なかにて二三げんやけのこりはまぐり丁少〻残り黒江丁ゟ
西念寺やける永代寺門前山本丁西横丁又一口は蛤丁
金子よこ丁俗になか丁といふ松平出羽守様やけるそれ
よりかたくり橋のきはにて二三間のこりこゝにてやけどまる
八まん宮本社つゝがなし此火三口一所にてやける又一口は
北本所代地やけ又一口は黒江丁一丁四方ばかりやける
御府内凡四里四方丁数八百八丁の所新地代地門前
町等を加へ三千八百十八ヶ丁也はじめ出火すること三十八ヶ所
近きは焼つゞき一口となり亦は早く打消すも有て
中ばに至り二十七ヶ所となり後二十三ヶ所となるこの火
追〻に焼おさまり翌三日全く鎮火す地震すんで後
みづから八方を駈めぐり見るがまに〳〵筆をとりて
        是を巨細に書あらはすもの也

江戸大地しん大火場所附

江戸大地しん大火場所附
【図外上部 横書 「戸」と「大」の間に「墨」の文字、「ん」と大火の「大」の間に「紅」の文字あり】

【図外右上】
安政二年卯 十月二日
【図内左下枠内】
【上段】
日本橋ヨリ諸方江道法
神田明神 江 二十六丁
湯島天神 江 二十九丁
上野   江 三十二丁
王子   江 一り三十丁
東門跡  江 三十五丁
浅草観音 江 一り二丁
新吉原  江 一り十二丁
猿若丁  江 一り四丁
両国   江 十三丁
向島   江 一り
梅若塚  江 一り十八丁
亀戸天神 江 一り五丁
新羅漢  江 一り十二丁
深川八幡 江 一り十三丁
洌嵜三十三間堂二十六丁
西門跡  江 十八丁
【下段】
佃嶋住吉 江 十八丁
芝神明  江 廿八丁
愛宕山  江 廿五丁
増上寺  江 廿九丁
泉岳寺  江 一り廿五丁
御殿山  江 一り三十五丁
池上   江 三り半
大師河原 江 五り余
目黒不動 江 二り八丁
祐天寺  江 二り十丁
品川東海寺江 二り
新田   江 四り余
四谷新宿 江 一り丗丁 
堀の内  江 二り三十丁
雑司ヶ谷 江 一り廿九丁
伝通院  江 三十五丁
根津   江 三十二丁
西新井  江 三り半

【表題 図内右下】
安政大地震
【表題左横】
編纂者  神代種亮
【編纂者横図内】
凡うき世の容(さま)お
見るに深川仲丁
やぐら下の央(あたり)【?】は
前年の地震
火災(くわじ)により
野原のごとく
なりしが
仮宅の
家並(やなみ)
美々しく
雅 路(みち)【?】
の往来(ゐきゝ)
たゆるとき
なし其上
不動尊(ふとうそん)新
開帳につれ
弥増(いやまし)のくんじゆ
となり針(はり)を
立る地もなし
げにも大江戸の
はんぜう
おは後(のち)の世
の為にかくは
しるし
はべるなり

【図左下上段】
一、\t日時、安政二年(六十八年前)十月二日
   夜四つ時(午後十時)
二、\t焼失面積、社寺、武家方、町家共
   総数長サ二里十九丁余幅二
   丁半程
三、\tつぶれ家、 町方ニテ一万四千三百四十
   三軒、土蔵一千四百四十戸
   武家方不明
四、\t変死人、武家方三千八百十三人
    町方 四千三百三人
  吉原の変死者
    男 百四人
    女 五百二十七人
【図左下下段】
一、\t当時江戸人口凡五十余万人
以上は笹川臨風先生秘蔵の「日記」に拠り
たるものにて尤信憑すべき数字也、変死
人の数は多くとも一万人内外なりしなるべし、
俗説の十万人、地震年代記の十三万二千
余人は根拠なきもの也、之を大正大震の五
万数千人は比すれば遥かに劣れるは勿論なり、

地震めが世界の人を蚤にして
 つぶして見たり火へもくべたり
何人の吟なるを知らざれども、江戸つ
児の俤を伝へて余りあり
 大正大震災後二旬日
       七松庵主人記

挿画説明【横書】
一、右上の図は(安政二年大震大火の図)
二、右下の二図は(吉原の仮宅図)
三、左上の番附は(安政二年大震大火の図)其当
  時発行の一枚摺

【左上番付】
慶長以来【上段枠外横書】
【中央一段目】
聖代要廼磐寿恵(ゆるがぬみよかなめのいしづゑ)
【中央二~四段通し】
 当       五街道筋
安政二年乙卯            元禄 京都大雷       勧 愛宕神社
十月二日夜   江戸大地震大火《割書:差|添》  嘉永 江戸大雷       進
四ツ時半ヨリ            万治 大坂大雷       要 鹿嶋大神宮

 司       近在近郷
 【右一段目】
大火方【横書】
大関 明暦三  丸山本妙寺出火
関脇 明和九  目黒行人坂出火
小結 文化二  高輪牛町出火
前頭 文政十二 和泉橋際出火
前頭 天保五  佐久間町二丁目出火
前頭 弘化四  本郷丸山出火
前頭 嘉永二  麹町ヨリ出火
前頭 弘化三  青山ヨリ出火
 【右二段目】
前頭 享和九  江戸大火
前頭 寛政四  糀町出火
前頭 寛文元  京都大火
前頭 享保九  大坂大火
前頭 安永元  江戸大火
前頭 天明八  京都大火
前頭 安永七  江戸大火
前頭 天和元  江戸大火
前頭 寛政五  根津出火
前頭 承永【?】京都大火
前頭 元和六  京都大火
前頭 安政   神田出火
 【右三段目】
同  寛文元  京都
同  享保九  江戸大火
同  安永元  江戸大火
同  天保五  江戸大火
同  天保二  江戸大火
同  安政元  江戸大火
同  寛文四  江戸大火
同  安政元  中山道筋大火
同  同    東海道筋大火
同  同    宇都宮大火
同  同    大坂大火
同  寛政   南都大火
同  同    中国大火
 【右四段目】
洪水部【横書】
大関 延宝四  諸国大洪水
関脇 宝永三  中国大洪水
小結 文政五  関東大洪水
前頭 享保二  長崎大洪水
前頭 享和二  関東大洪水
前頭 弘化四  関東大洪水
前頭 宝暦七  関東大洪水
前頭 寛保元  関東大洪水 
前頭 享保十三 関東大洪水
前頭 寛延に  江戸大洪水
前頭 天和三  江戸大洪水
前頭 文化五  関東大洪水
 【左一段目】
地震方【横書】
大関 文政十一 越後大地震
関脇 弘化四  信濃大地震
小結 元禄十六 関八州大地震
前頭 嘉永元  小田原大地震
前頭 寛永四  関東大地震
前頭 寛政十  小田原大地震
前頭 天明二  関東大地震
前頭 安政元  大坂大地震 
 【左二段目】
前頭 天和三  日光大地震
前頭 寛政十  京都大地震
前頭 文化九  関東大地震
前頭 安政元  摂州大地震
前頭 同年   駿河大地震
前頭 同年   遠州大地震
前頭 同年   甲斐大地震
前頭 同年   信州大地震
前頭 同年   三河大地震
前頭 同年   紀州大地震
前頭 同年   土佐大地震
前頭 同年   播州大地震
 【左三段目】
同  安政二  行徳大地震
同  同    船橋大地震
同  同    神奈川大地震     
同  安政元  阿波大地震
同  安政元  伊予大地震
同  安政二  中山道大地震
同  同    東街道大地震
同  同    水街道大地震
同  同    日光道大地震
同  同    下総大地震
同  同    上総大地震
同  同    青梅道大地震
同  同    秩父大地震
【左四段目】
津浪部【横書】
大関 文化元  奥州大津浪
関脇 同    出羽大津浪
小結 寛保   松前大津浪
前頭 安政元  豆州大津浪
前頭 同    駿州大津浪
前頭 同    摂州東津浪
前頭 同    紀州大津浪
前頭 同    土州大津浪 
前頭 同    播州大津浪
前頭 同    阿州大津浪
前頭 同    泉州大津浪
前頭 同    勢州大津浪

【右枠外上から】
大正十二年十月二十日印刷
大正十二年十月二十一日発行

不許複製
定価金参拾銭

東京都本郷区駒込林町二百三十七番地
発行者 檜村音次郎
東京都本郷区駒込林町二百三十七番地
発行元 文明堂書店
東京都小石川区初音町十一番地
印刷所 千代田家印刷所
電話 小石川二四四番

新吉原仮宅附

【表題】
浅くさ   卯霜月より
本所  新吉原仮宅附
深川    千客万歳
【中央の書き入れ】
  あさづけ
  かもぞうに
さるわか三座
  かざりも継
  おじぎ
【欄外右上】
 大地真  江戸中えすくい 江戸中赤
江戸大夫  江戸中の    江戸ふるい
 □□□ 江戸中まハる  江戸中土
【欄外左上】
千霍 □亀    間中〳〵
常磐佐□□□栄 岸平□素
 寿牛書斎□ 間中〳〵
【右側上段】
とうじ 
江戸 所々  唐物屋
江戸 同   三味線屋
江戸 所々  さかりば
江戸 所々  御□□商人
同  同   あはてた立退
江戸 難ギ  両□の往来
江戸 なんぎ □足の□
江戸 同   そんりやう
江戸 同   高利貸
江戸 同   べつかうや
江戸 同   □用張か
江戸     赤坂で少々の内祝
江戸     根津名人工
江戸     谷中名人工
江戸     音羽名人工
江戸 山持  金のなる木取
江戸 坂本  生□二度目
江戸 ざん念 能貸□質
江戸 息用  □国の大じん
江戸 同   □□遺五民
【右側下段】
をあゐだ
江戸 所々  持丸長者
江戸 所々  貸本屋
江戸 所々  家形船
江戸 所々  雪踏屋
江戸 所々  小間物屋
江戸 持合  留寿居かご
江戸 喜楽  茶の会道具
江戸 一もく 本所のかね
江戸 所々  ぐそくや
江戸 同   ぜいたくや
同  同   まきゑし
同  同   したてやし
江戸 所々  会席料理
江戸 同   茶見世の女
江戸 同   楊弓見勢
同  同   刀かじ
同  同   上衆より合
江戸 同   質見世よミ売
江戸 あ   夏のかつを
江戸 さ   三ケ町茶屋中
江戸 茶   出方の名残
【左側上段】
江戸 所々  義太夫かたり
江戸 同   昔ものかたり
江戸 同   あやつり方
同  同   はなし
同  同   うつしゑ
同  同   てしな
江戸 同   野だゐこ
江戸 同   基□□□
江戸     □□□□
江戸     豊□な栄
江戸     □□□□
江戸 亀   歌川由左衛門
江戸    □□し□□
江戸 焼  浅草大分
江戸 同  本所大分
同  同  赤川大分
同  同  しまづやしま
江戸 同  □□筋大分
江戸 同  □辺大分
同  同  下谷大分
江戸 同  京ばし大分
江戸 同  小川町大分
江戸 同  佃島大分
江戸 同  二□□大分
【左側下段】
江戸 所々 まち□□中
江戸 同  尾頭のか□こ
江戸 同  つぢこわ色
江戸    八人げゐ
江戸    しん内一ふし
江戸 桧柳□ 豊後流
江戸 所々 一中都ぶし
江戸 同  河東ぶし
江戸 同  はうたや
江戸 同  てんぐれん
江戸    両国ノ酒米
江戸    □井の出米
江戸 所々 席□のこ□
江戸 焼  坂本辺□ぶ□
江戸 同  金杉ミのわ
江戸 同  四谷□□□□
江戸 焼  千住小塚原
江戸 □□□ 本所深川大分
板□
 仲ぶ戸外ニ出郎
江戸京ばしステキ

明治二十四年地しんの実況

明治二十四年地しんの実況

▲ぢしんの場所(はしよ)と死亡(しほう)負傷(ふしやう)のあらましは大さかはぢしん三
十七 回(くわい)怪我(けか)人九十人死人廿四人也 潰家(つぶれや)百戸にして破(は)そん多く岐阜(きふ)
けんは岐阜(きふ)市中地震五百三十余回 火事(くわし)の為(ため)九分 通(とうり)りやきはらい
二十八日午前六時三十七分に始(はしま)り六ケ所にもへあがり四ケ所はけしとめ一ツは
翌(よく)廿九日午前七時一ツは三十日午後六時に鎮火(ちんくわ)し金華山(きんくわさん)の下(した)迄
やき県下 家屋(かおく)の焼失顛倒(しやうしつてんとう)一万二千九百十一戸死人千七百六人けが人二千三百人余
大がきは潰家(つぶれや)九分火事にて七分 通り
(とうり)やき焼失五千五百けん
死人七百五十けが人二千三百人余三十日午前三時 鎮火(ちんくわ)せり竹ケ鼻(はな)はつぶ
れ家五 八十七 焼失(しやうしつ)五百七十九戸死人百七十二人也かさ松は全市(せんし)

八分通りやきはらい其他 関(せき)町
小くま町は殊(こと)に夥(おひたゝ)し愛知(あいち)けんは
名古屋(なこや)は死人百九十人けが人二百六十
潰家(つぶれや)千○八十七戸 破(は)そん数(かつ)しれす
枇(び)わしま一の宮(みや)津島(つしま)岩倉(いはくら)稲沢
は不残(のこらず)つぶれ死人千○十八人けが人二千五百
六十人 潰家(つぶれや)九千四百八十五戸 堤防(つゝみ)崩(くつ)
壊(れ)の為出水夥し其他全 県下(けんか)にて
死人二千百九十人けが人二千七百余潰家
三万五千七百九十七戸半漬【潰】八千六
百九十七戸余に及べり越前 福井(ふくい)
市(し)は家屋 土蔵(とそう)全潰百十二戸半
潰八十五戸死人壱人けが人廿二人又福
井を除(のぞき)きゑちぜん一円にて潰屋三
百十二戸半潰二百一戸 死傷(しにん)もあり
山崩(やまくつれ)れの為まな川出水夥し
三重けんは潰家二百三十三戸半潰
四百三十九戸死傷等も有り其他
被害(ひかい)夥しその外 静岡(しつおか)県 滋(し)
賀(か)けん長野(なかの)けん山梨(やまなし)神な川等 夥(おひたゝ)シ

【左下 推定あり】
明治廿四年十一月一日印刷 同月二日出版
      東京本所区相生町五丁目五番地
    著作兼画工  大森清風
      同市下谷区御徒町壱丁目十一番地
    印刷兼発行人 依田周右エ門

出方山おしぬけ

【上図】
出方山おしぬけ
田畑山林人村数高
田畑三万石程
村数宇敷【管?】村より
宇留田村毛化【?】村迄廿八ケ村
人数三千人余
竪拾五六里
横六七り右之如くあわれ
なる次第也

【下右図】
夫天地不時之変動は
陰陽混して雷雨と
なる地にいれは地震を
なすアヽ神仏の
応護も
是を納むる
事かたし
頃は嘉永
六丑年二月
二日昼四ツ時
より夜九時
まて大地震
相州小田原
大久保加賀守様御
領分御城下万町
本町板ばしりう
しまち通り
青物町すわを
町寺町
御城角やぐら
町家とも大に
損す近村近郷

【下左】
酒匂川筋飯すみ【飯泉】
十文字十日市場
子安大山へん
堂新権現山道
東海道筋小田
原つゞきはだ
山中大久保長門守様
御領分村々多く
損ず箱根湯本
七ケ所二子山辺同所
権現様御山内尤
御社は御さわりなし
同所満水あふれ
おさいの河原辺大に
損す夫ゟ豆州海辺
山々真鶴網代伊東
西はしゆせん寺三嶋
此外所々大損する
といへどもあらましを
記し高覧そのを【?】
のみ

難中時世の近在借家

【表題】
《割書:おつま|八郎兵衛》難中(なんじう)時世(ときよ)の近在借家(いなかや)

【本文】
〽世(よ)の中(なか)の、またとあるまひ大騒(おほさわぎ)こん
度(ど)まごつく気(き)苦労(ぐろう)はふゐに往(い)かれ
ぬ、縁者(えんしや)でもせ(合わ□)めてくわして
いなか家(や)の、こまるといへど、
かりの舎(やど)誰(合 たれ)もお江戸を、跡(あと)に
して、へんぴへいそぐ旅心(たびごゝろ)重(おも)
き包(つゝみ)をさしになひ
〽コリヤたまりませぬ走(はし)る
人さんどもに往(い)かふとま
ご〳〵して、アノ下町(したまち)をでぬ先(さき)
は、たとへ日々のらにもでるかくご、
しらぬ遠方(えんぽ)でたゞひとり
ひつそりくらすやうになり
かなしう思(おも)ふもせかいがら

明治廿四年十月二十八日大地震図

《割書:明治廿四年|十月廿八日》大地震圖

干時明治廿四年十月廿八日
午前六時 過(すぎ)の地震(じしん)は別(わけ)て
岐阜(ぎふ)名古屋(なごや)大垣(おおがき)地方 劇(はげ)
列(しき)なる地震にて震動(しんどう)おび
たゞしく地(ぢ)裂(さ)け家(いへ)倒(たほ)れ死人 何(なん)
千人 成(なる)か數(かづ)しれず加(くわ)ふるに所々(しよ〳〵)
出火し半身家にしかれ出(いづ)る
ことならす傍(かたわら)より火うつり生(いき)
ながら焼(や)け死したるもあり
又は倒(たほ)れし家に親(おや)は壓死(あつし)し
わづか四五才の小児一人 残(のこ)り死し
たる親に取(とり)すがり泣(なき)きわめ
くありさま目も當(あて)られぬ不便(ふびん)と
いふもおろかなり進行(しんかう)の汽車(きしや)
轉動(てんどう)常(つね)ならず乗客(じやうきゃく)ふしんに
思(おも)ふ折(おり)進行を止(とゞむ)るや否(いな)前後(せんご)
の山 崩(くづ)れて進退(しんたい)する能(あた)わず
乗客(じやうきやく)終日(しゆうじつ)車中に居(ゐ)て食(しよく)を
求(もと)むる事叶わず各(おの)〻(〳〵)【「各」下部の横線を揺すり点と判断しました】下車(おり)し獨(ひ)
歩(とり)にて夫〻へ出 行(ゆき)ける又 近江(あふみ)
の湖水(こすい)は水あふれ之(これ)が為(ため)人 命(めい)
を失(うしな)ひ家(いへ)庫(くら)を押流(おしなが)す名古
屋 電信局(でんしんきよく)并に傍(かたわら)なる旅舎(はたこや)
秋琴楼(しうきんらう)破壊(はくわい)し又一家 残(のこ)
らす生死(せうし)分(わか)らぬもあり負傷(けがにん)者
は或(あるひ)は手を挫(くじ)き足を折(お)り頭(かしら)く
だけ腹(はら)やふるゝなど実(じつ)に筆
に尽(つく)しがたし景況(けいきやう)あらましを
             圖す

明治廿四年十一月 日印刷
仝   年十一月 日出版
日本橋区長谷川町十九バンチ
《割書:印刷兼|発行者》 福田熊次郎

梅堂小國政筆

是から世直し厄はらひ

是から世直し
    厄(やく)はらい

アヽラ珍(めづ)らしいなへこんど此度の大地震世の諺(ことわざ)にもいふ通り地震雷
火事(くわじ)親父(おやぢ)こはい物の四天王その二ツがかたまつてくわら〳〵ひつしやり
と江戸中がつぶれて焼た座頭株(ざかしらかふ)吉原ばかり仮宅(かりたく)の場所(ばしよ)尽で
払ひませう大見勢小見勢おいらんを突(つき)出す鐘の浅草の
大 悲(じ)のちかい深川に嘘(うそ)か本所のはし女郎六ツ限り
路次の鉄棒(かなぼう)も廻り南枝のわらふうめ
なじみの客を松井町 常磐(ときは)のいろの
花川戸上る二 階(かい)の山之宿引付座敷へ
入船町たばこのけむり瓦(くわら)町アイと
返事の長岡(なかおか)町かふろがこぎ出す
御船蔵のりこむ今戸山谷堀
土手馬道や広小路
聖天町のにこゞりに
はなれぬ
二人りが
仲町は

仕かけの
すそつぎ
やぐら下八まん
かねの綱打場(つなうちば)
ごんの御 旅(たび)に弁てんの
一イ二ウ三ツ四ツ五ツ目の
五百らくわんの五百日 取込(とりこむ)
ゆりこむ世直しと所はんじやう
かりたくの格子(かうし)のさきまでやまを
する悪魔(あくま)けとうにつきうまの
地(ぢ)まはりなまづのごろ付(つき)を
このやくはらいがかいつかみ
まかりし塔(とう)の九りんから
西河岸とは
おもえども
ふか川
つくだ丁へ
くわらり

地しん心得草

地しん心得草  休応斎老人著

天に風雨の変地に震動の災ひあり是皆陰陽相戦ふの説なりといへども
凡人の窺ふ所にあらず唯聖賢(たゞせいけん)のみ是を理解(りかい)す昔(むかし)豊臣殿下(とよとみでんか)の時(とき)
伏見(ふしみ)大地震天正十三年十一月夜俄に震動(しんどう)
して家の崩るゝ事おびたゞし其時加藤清正公は
小西石田が讒言にて御勘気を蒙り屋敷に
引籠おり候時大地震して玄関をゆり崩しかば庭口へ
のがれ出はだか馬に飛びのり捨鞭(すてむち)うちつゝ一 騎(き)にて
伏見御城へ第一番に登城なし太閤殿下も
大庭へ御立退有ば御座近くすゝみ大音上ケ
加藤清正仕こうせりいづれも方しつまり給へ石御座(いしのみまし)
〳〵〳〵ト三べん唱へ給へければ自然と地震しづまり
秀吉公御かんなゝめならず虎か近う〳〵と仰て
清正の御手を取 汝(なんじ)が誠忠(せいちう)今にはじめず
猶此上は臣がそふ動をしづむへしト仰せければそれより
清正自身に所々へ幕串(まくぐし)を打て女中小性をあつめ近臣を
さとして泣さけぶ声をしづまさしむ此賞によりて御勘気御免
御太刀并に鞍置馬を拝領す御そばさらずありけるが御尋に清正申上ルは地震は陰陽戦ふといへ共
陽気さかんなる故也大雨ふり候へば地しんしぜんとうすらぐもの也大ゆれの跡小ゆすり日々有といへども
家蔵をゆりたをすほどのこと決てなし其故をとき給ふと也今それを譬て申さば寛永四年
関東大地震其後五十四年過て元禄十六年十二月廿二日大地しん又百五十三年過安政二卯年
十月二日地震如此年間相立ざる内は大地震けつしてなし是陰陽和合せずして地中に滞(とゞこほ)
るといへども十年や二十年には発する物にあらず是ゟ二百年も過ざればなし人々 迷(まよひ)をはらし玉へ



都新聞付録

安政五年午十一月江戸大火

《割書:安政五年|午十一月》江戸大火
【表題の下段】
但し御大名様方
御屋鋪并御籏本
方御屋敷御類焼数
多有之候へ共爰略す

【右下】
安政五年十一月十二日未中刻赤坂御掃除町より【合字】出火
折節西北風強三分坂下清水谷新町四丁目同
五丁目二軒家三川台今井谷麻布谷町丹波谷
なたれ坂市兵衛町六軒丁仲之町飯倉片町
永坂 狸穴(まみあな)十番馬場町新堀端森下中橋迄焼
  南北卅丁程焼飛火芝魚らん下組屋鋪
      二丁四方程焼戌下刻火鎮申候

福島県縁故者へ

      ふうじめ【調査票の折り線】

      福島県縁故者(ふくしまけんにゑんこあるひと)へ(へ)
一、 此度(このたび)の災害で御困りの事と存(ぞん)じます。 福島県(ふくしまけん)に縁故(ゑんこ)ある人(ひと)の安否(あんぴ)と困難の状況を早(はや)く詳しく知(し)りたいと思(おも)ひます
  から面倒(めんどう)でも至急此(しきゆうこ)の紙(かみ)へ記(か)き入(い)れて此(こ)の紙(かみ)の裏(うら)の宛名(あてな)を表(をもて)へ出(だ)して折(を)り目(め)を折(を)つて封(ふう)じて郵便其他(ゆうびんそのた)の方法(ほうほふ)によ
  り事務所(じむしよ)へ届(とゞ)けて下(くだ)さい
一、 御住所(をすまい)が判(わか)れば御慰問(おみまい)したいと思(おも)います
一、\t 福島県人以外(ふくしまけんじんいがい)の方(かた)も県人(けんじん)を御知(おし)り合(あ)ひの方はドウカ御伝(おつた)へ下(くだ)さるか又(また)は御知(おし)り合(あ)ひなくば御自分(ごじぶん)の御状況を御知(おし)
  らせにならば其(そ)の県(けん)の事務所(じむしよ)へ御伝(おつた)へ致(いた)します
【調査票上部横書】
御住所判明次第調査票を送りますから広く県人に知らせる事に援助を願ひます
【調査票】
    震災調査(しんさいしらべ)票
本籍(ほんせきはどちらですか)
現住所(いまのおすまいはどこですか)
震災当時(じしんのとき)の(の)住所(すまいはどこでしたか)
震災当時(じしんのとき)の(の)職業(しょくぎようはなんでしたか)
戸籍及家族其他(あるじとうちのひとたち)の(の)氏名年齢(なと、としをおかきください)【実際は二行書】
今後(こののち)の方針(どうなさるかおしらせになりませんか)  (現在職業(いましょくが)の有無職業名(あるかないかしよくあればなにをおやりですか))
希望職業(こんなしよくにつきたいか)(県内) くにか (県外)どこか
救護上(ここのとこどんなものが)の希望(ふじゆうですか)
罹災(さいなん)の(の)状況(もやうはどうでしたか)  (死傷、行方不明(ふこうやけがやゆくえのわからぬかたはありませんか))
              (被害価格其他(そんがいだかやそのほかのことをかいてください)) 
罹災後(さいなんご)の(の)状況(いゝのやうすはどうですか)   (罹災後帰県(さいなんごくにへかへつたか)、滞留(こちらにゐたか)、再上京別( かへつてまたきましたか))
                 生活状況(いまのくらしむきの)(保健、衛生(よしあしをかいてください))
県人其他(くにのひとやそのた)の(の)罹災美談(ひとがしんさいのときよきはたらきをしたはなしをしらしてください)【実際は二行書】
                (県人其他(ひとをすくふことや)を救済(そのたのよきこと)せしこと等)
震災、火災避難心得(じしんやかじのひなんのときためになるよきはなしをしらしてください)【実際は二行書】
失業者(このさいむしよくのひと)を(を)救済(せわする)せむとする人(ことをおねがひします)【実際は二行書】(事業別(しごと))
                    (人員(ひとかづ))
【調査票左】
之(こ)れは県(けん)の非常(たいせつ)な参考(かんがへ)となるものですから判(わか)るだけでよろしいから至急(はやく)知(し)らせて下(くだ)さい
 大正十二年   福島県庁内(ふくしまけんちやうない)   福島県救護本部(ふくしまけんきうごほんぶ)
         東京市(とうきようし)     福島県救護事務所(ふくしまけんきうごじむしよ)
                   (本郷帝大赤門前立花館)
         横浜市(よこはまし)     福島県救護事務所(ふくしまけんきうごじむしよ)
                   (紅葉坂中腹)
【調査票下 横書】
読めない人や書けない人には何卒御援助を願ひます

摂津大津波次第

嘉永七甲寅年十一月五日
摂津大津波次第

▲五日七ッ時より沖雷のごとく
 うなりつなみと相成高さ
 一丈余りの大浪打きたり
 寺島近辺勘助しまなんば
 嶋天保山大つなみにて皆々
 家根へ又はふねをかり
 家内をのせ候ふねは皆々
 □をうしなひ舟のり
 船頭其ほか女子とも死人
 其数しれずつなみにて
 道とんぼり下日吉はし
 より□金ばし幸ばし
 住吉ばしまて四つの橋
 押やとし大こくばしまで
 千石已上以下の北米船凡
 百ぱいばかり入こみ□先
 茶ふね天満なとはみな
 下敷に相なり堀江川下
 水分ばし黒金はし長ほり
 下高ばし安治川ばし
 みな〳〵橋押おとし又所々に
 死人あちらに三人こちらに五人
 女子供死害其数しれず
 つなみ五日夜五ッ時に是おさ
 まり安治川へん橋のこらす落る
 其こんざつ筆紙につくしかたし
 おそるべし〳〵〳〵〳〵
  末地震おさまり
       しさず事
    古今希代の珍事なり

【挿絵内】
  大地震の略図
  十一月四日朝
  五ツ時ゟ又
  五日七ツ時大
  地震にて所々家々
 先に地震にてそんじ有所
押たをれ候事数しれず
▲天満天神社内ゟ西寺町
 福しま天神五百らかん
 願教寺門くづれ
 あはざ戸や町辺ざまの
 鳥居落御堂の損じ
 順慶町丼池塩町
 さのやばしへん死人二人 
 高津寺町安治川
  亀井はし
    堺市中
    奈良
    南河内
    尼□□
      わたし
     其余こゝに略

【挿絵地図内】
    北安治川  安治川はし
 南安し川
  寺じま 戎じま 亀井ばし 天神おたび 番所 江の子嶋 
木津川 【この後大まかに川沿いに図の右から左へ】
□たれ□ 道とんぼり川 幸町 幸栄ばし □□□□
日吉ばし からかねはし 南ほりへ 幸ばし 住吉はし 金やはし 西横堀 大黒はし 
水わけはし 黒金はし 北ほりへ かめはし ほりへ川
長ほり
高ばし 玉造はし
立売堀
高ばし
  

安政二卯年十月二日夜地震大花場所一覧図

【図枠外右】
十月廿八日極改

【図内表題上】
安政二卯年
十月二日夜

【図内表題】
《割書:地震|大花》場所一覧図

【図内表題下―凡例】
合印
【青色】川海
【肌色】やけず
【灰色】くづれたる所

【図内左上】
右至極相改再板致候
然共もれたる所万一無之と
申かたく候猶後篇【?】に相改申候

【図内左下】
御救小屋
深川八まん社内
同海辺大工丁
幸橋御門外
浅草廣小路
上野山下火除地
東叡山御救小屋
   右同所

岐阜県愛知県大地震実況

諸国大地震大津波末代噺

【表題】
嘉永七年
寅十一月《割書:四日|五日》  諸国大地震大津波末代噺
本しらべ

【左側枠外】
此末代噺ハ本しらべいたしくわしく諸国地しんつなみ并ニ大火の次第をうつし

【一段目】
日坂無事
 此宿
  無事ニ
   通り

《割書:袋井かけ川金谷藤枝|ふちうえじりおきつ》
 此
  七
   宿
 大地
   震
  出火

東海道《割書:さよの| 中山》
 此所
 つり
  かね
 こん
  りう

宮桑名
 大あれ
  〳〵

京木津なら大津
 ▲◯【丸の中に四角、以下同じ】
  作料

志州鳥羽邊
 こん
  さつ
 〳〵

尾州名古屋
 諸入用
  ▲◯

【二段目】
かん原吉原
 丸
 や
 け

日向きゝん
 ふ
 さ
 く

東海なるみ宿
 家
 六部
 つ
  ぶ
  れ

【紙折れのため地名の判読できず】藝州備前備中備後【別資料より】
 西国すじ
 藝州
  廣島
 三備州
  尾の道
   とも

伊勢両宮無事
 春日
  とう
   ろう
    こける
 ▲◯
  さいせん

《割書:美濃竹かはな| 地さけどろ吹出す》
 どろ
  かい
   〳〵

越前敦賀地震《割書:其ほか| 北国》
 よ
  な
   をり
    〳〵〳〵
 目出たい
  〳〵〳〵

【三段目】
尼ケ崎西の宮
 十一月
  四日
 大地
  しん
 あれ

かなめいし
 よな
  をり
 〳〵
 ▲◯
 さい
 せん

大坂   上
上り   町

美濃大雪地震
 是ハ
 たまら
    ぬ
 〳〵〳〵

新田舟入流レこんさつ

【四段目】
日本一高山ぶし【本のまま。「ふじ」】
 めで
  たく
 春
 の
 雲

米安直
 大安賣

播州近邊
 かく
  へつの
 事も
  なし

清水天王寺玉造
 ▲◯
 さい
  せん
     これハ
     たまらぬ
      〳〵〳〵

【四段目】
阿波讃岐土佐
 大やけ
 ▲◯
 と
  まり

摂州三田
 大地
  しん
 大
  あれ

品川川崎かな川
 大
 つ
 な
  み

江戸芝居やけ
 三
 芝
  居
  やけ

《割書:諸方やしき| 江戸そんじ》
 ▲◯
 ふしん
 料

《割書:浅艸上野| 増正【本のまま。「上」】寺無事》
 ▲◯
 さい
  せん

《割書:大こくばし津波| 亀井ばし其外落橋》

【五段目】
諸社御千度
 諸国
 あん
  ぜん
 もと
 か□□【文字見えず】

大坂ゆり出し

京町ぼり

五日夕方《割書:諸方|こんざつ》
 ▲◯
 ふろ
  せん

《割書:諸方井戸やかた| つりがね堂》
 なにが
 銭もう
  けの
 たねニ
 なる
  やら

諸方くだけ
 ▲◯
 大そん
  りやう

[安政地震状況図]

安政地震状況図

夫天変ちひにして諸民是に窮(きう)す時も安政二乙卯年十月二日
夜四ツ時過ゟ大地震にはかにゆり出し江戸町々破損出火等あらはす
日本橋ゟ▲東の方深川佐賀丁松賀丁一色丁堀川丁小松丁
中川丁材木丁富久丁三角やしき寺町通万年丁西平野丁東
平野丁冬木丁亀久丁大和丁此辺大半崩夫ゟ入船丁洲崎弁天
社無事三十三間堂大半崩八幡社無事境内殊々く崩夫ゟ木場
亥のほり西永丁吉永丁此辺大半崩扇橋ゟ釜屋堀迄大崩又
海辺大工丁水場丁伊せさき丁此辺大損じ浄心寺本堂中門表門地
中破損霊岸寺本堂地中破損夫ゟ出火の分わぐら【和倉】佐賀丁代地石原
代地相川丁熊井丁諸丁富吉丁北川丁中島丁通黒江丁大島丁下蛤
丁永代寺門前丁仲丁山本丁此火先八幡の鳥居きはにて焼止る又一口
御舟蔵前町籾蔵八名川丁六軒ぼり南森下丁北森下丁猿子橋通
井上様やける太田様小笠原様大久保様木下様火の見斗り残る
西町ときは丁皆焼て高橋きはにて止る神明社無事又本所は
尾上丁元町相生丁松井丁林丁横あみ辺亀沢丁南割下水此
辺御大名御旗本大に震夫ゟ四つ目せんざいば茅場丁柳原丁五ツ目
渡場迄大半崩五百らかん少々損じ是ゟ出火の分五ツ目渡場きは五
六軒やける又法恩寺橋きは少々やける亀井戸天神門前半丁程やける小梅町
半丁程やける又緑丁壱丁め二丁目四丁目五丁めやける三丁め残る徳右衛門丁壱
丁目二丁め花丁にて焼止る又壱口は中の郷周防様下やしきやける石原丁あらゐ
町弁天小路迄やける横川町瓦町大に損じ牛の御前みめぐり此辺大半崩
先東の方は出火場破損の場巨細にあらはす▲西の方は糀町番丁此辺少々損じ
平川天神社無事山王社無事夫ゟ飯田町近辺少々損じ牛込神楽坂比沙
門堂無事魚丁榎木町御たんす町山伏丁赤城下築土辺改代町大破損
夫ゟ大塚巣鴨音羽辺少々損じ又市ヶ谷辺少々損じ八幡社無事御大名
御旗本少々損じ夫ゟ四ッ谷ゟ内藤新宿迄少々損じ上水万年どよくゑ
て水吹出る此辺諸御屋敷少々損じ夫ゟ赤坂田町伝馬丁一ツ木此辺破損
氷川明神豊川いなり無事夫ゟ青山辺六堂辻百人町此辺少々損じ西の
方には出火のうれいなし▲南の方は日本橋ゟ京橋迄少々損じ出火
は南伝馬丁二丁め三丁目すみ丁材木丁八丁目柳丁具足丁ときは丁いな
ば丁南がじ丁壱丁目二丁め畳丁五郎兵衛丁北こんや丁大根がし迄やける
夫ゟ京橋向新橋迄少々損じ新橋ゟ金杉ばじ迄少々損じ神明前大半
崩神前社増上寺本堂無事地中少々損じ芝は柴井丁やける夫ゟ
久保丁一円大破損愛宕下御大名御旗本少々損じ夫ゟ飯倉通
赤羽根迄少々損じ三田辺少々損じ麻布狸穴広尾古川此へん
少々損じ夫ゟ築地御大名御旗本町家大破損本願寺本堂無事
寺中大破損夫ゟ鉄砲洲十けん丁やける舟松丁松平淡路守様焼る
本湊丁破損夫ゟ霊岸島十八ケ町大半崩其内出火の分塩丁南新
ぼり大川ばた町迄やける先南の方は出火少々なり▲北の方は千住宿は
大に崩小塚原不残やける山谷ゟ山谷橋迄大破損新吉原不残やける也
田町壱丁二丁目山川下聖天横丁芝居町不残やける役者新道三丁め
東側少々残る金龍山北谷南谷中谷寺院不残やける南馬道北馬道
やける花川戸西側半丁ほどにて焼止る山の宿聖天丁崩るのみなり今
戸橋きは五六軒やける橋場銭座やける夫ゟ金龍山本堂無事地中大
半崩並木通大破損駒かた中ほどゟ出火にてすは丁黒舟丁やける西側
正覚寺門前残る東側御馬屋かしにて止る又壱口は新寺町菊屋橋左右へ
小半丁斗りやけ込通は行安寺本立寺にて止る東本願寺本堂無事地中
表門大破損堂前山本仁太夫溝のうちやける其外寺院潰多く夫ゟ下谷
三のわ金杉大崩坂本壱丁め二丁目やける東叡山本堂無事宿坊破損夫ゟ
広小路東側中程ゟ出火にて伊藤松坂迄やける夫ゟ南へうつり御大名御旗本
やける上の町長者町中徒士町にて焼止る又壱口は茅丁二丁目堺いなりの
向横丁ゟ壱丁め木戸きは迄やける夫ゟ根津は二丁とも大崩谷中団子坂
辺少々損じ夫ゟ駒込白山本郷辺少々損じ又伝通院門前此辺御大名
御旗本町谷【家】大に崩夫ゟ御茶の水辺少々損じ湯島天神社家根少々
損じ畑新町屋大に崩此辺糀むろくゑて大地われる丸木橋にて
往来する夫ゟ妻恋坂はいなり社無事宝蔵少々損じ町家少々損じ
夫ゟ外神田明神社無事御台所町花房丁仲丁佐久間丁相生丁此辺
大に損じ内神田須田丁ゟ今川橋迄今川ばしゟ日本橋少々損じ夫ゟ
小あみ丁十けんぼり酒井様紀州様少々損じ松島丁人形丁通り大破損
向にて小舟丁堀江丁大破損掘留大伝馬丁油丁横山丁両国広かうじ
馬喰丁小伝馬丁本石丁本丁此辺大半損じる▲東西南北をわけてあき
らかにしるす江戸町々の土蔵は不残震なり
▲丸の内御屋敷焼失の分西丸下は松平肥後守様松平下総守様内藤
紀伊守様八代洲がしは松平相模守様同御添やしき御火消やしき遠藤
但馬守様ときは橋御門内酒井雅楽頭様同向屋敷辰の口角森川出羽守様
幸橋御門内柳沢甲斐守様伊東修理様亀井様山下御門内鍋島肥前守様
薩州装束やしき南部美濃守様小川町辺柳原式部様戸田長門守様松平
紀伊守様内藤駿河守様堀田備中守様本多備後守様松平駿河守様本郷
丹後守様此辺小やしき多し右焼失之近辺大破崩多し此外には下やしき
中やしき場末にて焼候所も有之候

 一土蔵破損数四十壱万千三百九十壱ケ所 御大名御旗本御家人衆町方惣数〆高
家蔵を失ひ候諸民には御仁恵にて御救小屋五場所へ立置
幸橋御門外 浅草広小路 上野広小路 深川海辺新田 同八幡社内

万歳楽

【表題】
萬歳楽

【本文】
得意場(とくいば)も御|満足(まんぞく)とはお家(いへ)も潰(つぶ)れすましんますイヤそうどう
なりける裏店の軒(のき)ぶちゆへる柱(はしら)には幼子(おさなご)を夢中(むちう)でおぶつて
あねへの方の手をひいてイヤ新玉(あらたま)のやうなる泪(なみだ)をこほして
夜中に野宿のひだるさしるとにうめんかつぎ賣諸(うりしよ)人の
たべたる大焼場|一統(いつとう)の柱(はしら)はびしりとおれ二|階(かい)の階子(はしこ)は
迯(にげ)るに難渋(なんじう)三|座(さ)の櫓(やくら)は損亡(そんほう)今年四文も絶ぬはしわん
ぼう五ヶ所の御小屋は御仁心(ごにんじん)六本の卒塔(そと)婆は即死の追善
貸屋に貸夜具難義は灰燼(くわいじん)八方に響(ひゞ)くははや半鐘
九輪(くりん)の曲(まが)るは不|思義(しぎ)の根源滅法(こんげんめつほう)騒(さわ)ぎは女郎客〽ワツト
つふてにけられたがコンが大きな散財(さんざい)〽ヤレ万(ま)歳楽〽さつ
ても是から子供等も新造なんぞもぞろりやどつと迯る
立りやどつとまいる〽チゴハ旦那(たんな)さんも薄着(うすき)ならおかみ
さんもうす着(ぎ)お釜の前の三助なんざアまつ裸(はだか)でかなてこや
鶴(つる)ツぱしをおんがらかいてあつちこつちかつぽちりれば
小難屋のすみからおさんどんがでつかいけつをむくりや
イヤむつくり〳〵はいだして〽見舞に来たおかゆなんどてゝの
椀(わん)に五六ぱいもかつくらつてひよつくり〳〵参る騒動起(そうどうおこ)した
鯰(なまづ)なんぞはふんじばつて鹿島(かしま)へ参る是からはつゞひて
能(よ)ひ事斗参るお夢なんざア朝から晩迠引切なしに
まゐるあつちからもこつちからも小判や小|粒(つぶ)か参る
廓千軒金八万両の御受納

夜無情浮世有様

【表題】
夜無情(よはなさけなく)
 |浮世有様(うきよのありさま)
かけ合い
せりふ

【凡例】
▼【実際は扇形】横櫛(よこぐし)のお富(とみ)
🔳きられ与三
▲太左衛門
●蝙蝠安(かうもりやす)

【本文】

〽思(おも)ひ出(いだ)せは過(すぎ)し頃(ころ)駿河路(するがぢ)かけて小田原の
地震(ぢしん)と聞(きく)もおそろしい

🔳
〽潰(つぶ)れて音(おと)が身(み)の仇(あだ)と京信濃路(きやうしなのぢ)も喰(くひ)つめて
小ゆすり津浪(つなみ)におし【わ】たりこゝで逢(あ)ふのも
三年目(さんねんめ)久(ひさ)しぶりであつたよな


〽ちよつと見(み)るから高(たか)ゆすりたとへば
地震(ぢしん)雷(ごろつき)でも
鹿嶋(かしま)の神の
御恵(おめぐみ)みで
ひんぼう動(ゆるぎ)も
さしやア
しねへぞ


〽なる程(ほど)こいつはおつりきな
あんべいだきられの与三なら
三(み)すじの疵(きず)こふもり安(やす)が付(つき)ものなれど
おれは鯰(なまづ)の親(おや)ぶんにはなれぬ中(なか)ののらくら者(もの)
ひやうたんなまづておさへて居(ゐ)やすヨ

聖代要廼磐寿恵

【中央の見出し】
聖代(ゆるがぬみよ)要廼磐寿恵(かなめのいしずゑ)
当 五街道筋
安政二乙卯
十月二日夜 江戸大地震大火
四ツ半ヨリ
司 近在近郷   【当?と司は併せて読んで行事の意味かと思われるが、不明】

差添【横書】
元禄 京都大雷
嘉永 江戸大雷
万治 大坂大雷

勧進要【横書】 
愛宕神社
鹿嶋太神宮

【右欄】
大火方【横書】
【第一段】
大関 明暦三 丸山本妙寺出火
関脇 明和九 目黒行人坂出火 【江戸時代、明和は八年まで。明和九(メイワク)となるので改元されたらしい。明和八のつぎは安永一】
小結 文化三 高輪牛町出火
前頭 文政十二 和泉橋際出火
前頭 天保五 佐久間町二丁目出火
前頭 弘化四 本郷丸山出火
前頭 嘉永二 麹町ヨリ出火
前頭 弘化三 青山ヨリ出火
【第二段】
前頭 享和九 江戸大火   【享和は三年までで文化にかわっているが?】
前頭 寛政四 糀町出火
前頭 寛文元 京都大火
前頭 享保九 大坂大火
前頭 安永元 江戸大火
前頭 天明八 京都大火
前頭 安永七 江戸大火
前頭 天和元 江戸大火
前頭 寛政五 根津出火
前頭 承?永  京都大火  【江戸時代には承永という元号はなく、京都の大火で元号名が似ているのは宝永五年】
前頭 元和六 京都大火
前頭 安政元 神田出火
【第三段】
同 寛文元 京都大火
同 享保九 江戸大火
同 安永元 江戸大火
同 天保五 江戸大火
同 天保二 江戸大火
同 安政元 江戸大火
同 寛文四 江戸大火
同 安政元 中山道筋大火
同 同   東海道筋大火
同 同   宇都宮大火
同 同   大坂大火
同 寛政  南都大火
同 同   中国大火
【第四段】
洪水部【横書】
大関 延宝四 諸国大洪水
関脇 宝永三 中国大洪水
小結 文政五 関東大洪水
前頭 享保二 長崎大洪水
前頭 享和二 関東大洪水
前頭 弘化四 関東大洪水
前頭 宝暦七 関東大洪水
前頭 寛保元 関東大洪水
前頭 享保十三 関東大洪水
前頭 寛延二 江戸大洪水
前頭 天和三 江戸大洪水
前頭 文化五 関東大洪水

【左欄】
【第一段】
地震方【横書】 
大関 文政十一 越後大地震
関脇 弘化四 信濃大地震
小結 元禄十六 関八州大地震
前頭 嘉永元 小田原大地震
前頭 寛永四 関東大地震
前頭 寛政十 小田原大地震
前頭 天明二 関東大地震
前頭 安政元 大坂大地震
【第二段】
前頭 天和三 日光大地震
前頭 寛政十 京都大地震
前頭 文化九 関東大地震
前頭 安政元 摂州大地震
前頭 同年  駿河大地震
前頭 同年  遠州大地震
前頭 同年  甲斐大地震
前頭 安政元 信州大地震
前頭 同年  三河大地震
前頭 同年  紀州大地震
前頭 同年  土佐大地震
前頭 同年  播州大地震
【第三段】
同 安政二 行徳大地震
同 同   船橋大地震
同 同   神奈川大地震
同 安政元 阿波大地震
同 同   伊予大地震
同 安政二 中山道筋地震
同 同   東海道筋地震
同 同   水街道大地震
同 同   日光道中地震
同 同   下総大地震
同 同   上総大地震
同 同   青梅道大地震
同 同   秩父大地震
【第四段】
津波部【横書】
大関 文化元 奥州大津波
関脇 同   出羽大津波
小結 寛保  松前大津波
前頭 安政元 豆州大津波
前頭 同   駿州大津波
前頭 同   摂州大津波
前頭 同   紀州大津波
前頭 同   土州大津波
前頭 同   播州大津波
前頭 同   阿州大津波
前頭 同   泉州大津波
前頭 同   勢州大津波

[地震世相川柳]

【一段目 右から左へ】
【1】
鴨居たわんでみぞ
はづれ障子の□き
ばた〳〵〳〵
地しんの時
【2】
みたで
あ□〳〵
通□を
【3】


【4】
天川や□平は
おとこでごんす
此中で
施こし

江戸大地震新焼場附

【中央の表題】
   関八州
   五街道
市中四里四方
   坂東川筋
   近郷近在

【右端上段】
  (ほり川)常盤町最寄 潰ノ上焼失   三弦堀  岸通石垣損
常盤橋御門内  辰ノ口焼失    上のかし 土蔵壁落
  (京ばし)常盤町近辺 崩なし焼失    同    練塀破損

【右端下段】
江      安政二乙卯年    同日同刻より 板
  大地震  十月二日夜四ツ時  新焼場附    山ノ手崩少シ
戸      其後毎日夜ニ震    ぢしん変  家    正格【?】
       凡及二十五六日

【左端】
  富沢町近辺  土蔵大崩   三筋町 富沢町辺
富ヶ岡八幡宮境内 焼残る恙なし  上のぶん 格別に崩なし
  富永町最寄  新キ家又損   同    先□【者】安体

  江戸御屋鋪《割書:二万四千 |六百軒余》  三  土蔵崩焼失
江戸崩焼失町数《割書:五千七百 |七十余丁》     《割書:二百八十 |七万九千》
 江戸神社寺院《割書:二万三千 |五十三ヶ所》  所  《割書:三百余戸前|  》

【右側上段】
新古焼失之部
焼 《割書:三座   |芝居》 猿若三町
  《割書:去年ト  |二度》
崩 《割書:本堂|つヽがなし》 金龍山地内
焼 《割書:黒舟丁|三好丁辺 》 駒形諏訪町
焼 《割書:八軒寺町 | 》 菊屋橋新堀
同 《割書:どうまへ | 》 ごうむね長家
崩 《割書:そんじ多し| 》 堀田原辺
崩 《割書:おなじく | 》 新シ橋七曲り
崩 《割書:おなじく | 》 和泉橋通
崩 《割書:立家   |つぶれ》 本所辺
  《割書:野じゆく |ぬれる》
崩 《割書:いたみ多し》 柳嶋押上
焼 《割書:川ばた□□| 》 小梅瓦町
崩 《割書:そんじ  | 》 石原番場 
焼 《割書:せう〳〵 | 》 荒井町弁天小路
崩 《割書:そんじ  | 》 南北割下下水
焼 《割書:両かわ  | 》 法恩寺橋際
同 《割書:天じんぶじ| 》 亀戸天神前
同 《割書:三丁め残 | 》 本所緑丁三四丁目
同 《割書:とび火  | 》 同徳右衛門町
崩 《割書:つぶれ  | 》 同錦糸茅場丁
崩 《割書:つぶれ  |多し 》 尾上町町通

【右側下段】
新崩焼失之部
焼 《割書:大つぶれ |死人多 》 新吉原
  《割書:いつわりなし|実事 》
焼 《割書:せう天横丁  |けが人おほし 》田町片門
焼 《割書:半分のこる| 》 花川戸馬道
崩 《割書:大つぶれ | 》 山谷新鳥越
焼 《割書:本丁   | 》 今戸橋地際
同 《割書:かこい内 | 》 橋場銭座
焼 《割書:そんじの上| 》 千住小塚原
崩 《割書:そんじ  | 》 千住宿
崩 《割書:つぶれ多し| 》 箕輪金杉
焼 《割書:大つぶれの上 | 》坂本二三町目
崩 《割書:そんじ多し|  》 根津谷中
焼 《割書:つぶれ  |そんじの上》 池端□□町
焼 《割書:おかち町 |長者町》 下谷上野町
崩 《割書:大そんじ | 》 御数寄屋町
同 《割書:同    | 》 湯嶋天神下通
同 《割書:つぶれ多し| 》 同切通シ下町
同 《割書:そんじ  | 》 本郷菊坂辺
同 《割書:同    | 》 御成街道
崩 《割書:明神下  |そんじ多し》 外神田

【左側上段】
焼 《割書:御舟くら前|もり下》 深川辺
  《割書:和ぐら  |□□□□ 》
  《割書:八まん□□| 》
焼 《割書:四日市  |はま丁 》 南新堀
崩 《割書:土蔵   | 》 日本橋之南
崩 《割書:そんじ  | 》 南伝馬町
焼 《割書:東西   | 》 木挽丁
焼 《割書:東西   |十二ヶ町 》 京橋□
焼 《割書:□□へ  |  》 鉄ほうず
同 《割書:一丁□  | 》 木挽町
崩 《割書:御堂ぶじ | 》 西本願寺地□
焼 《割書:御大名  | 》 大名小路
崩 《割書:そんじ  | 》 外桜田辺
焼 《割書:御大名  | 》 □橋御門内 
焼 《割書:一丁   | 》 染井丁
崩 《割書:ぢしんが |敵 》 神明前
崩 《割書:そんじ  | 》 飯倉四ツ辻
崩 《割書:そんじ  | 》 松本町三田辺
崩 《割書:所々   | 》 土手下
地割《割書:三尺   | 》 日本堤
同 《割書:二尺   | 》 高なわ
同 《割書:同    | 》 まな板橋

【左側下側】
崩 《割書:所々そんじ| 》 東神田
崩 《割書:土蔵   | 》 西神田
同 《割書:そんじ  | 》 岩井町辺
焼 《割書:御大小名 |数多 》 小川町
同 《割書:御どう役 | 》 同定火消御屋鋪
焼 《割書:御大名  | 》 雉子橋通
崩 《割書:そんじ  | 》 今川橋辺
崩 《割書:土蔵   |大そんじ》 本町通
崩 《割書:東海道  | 》 かな川へん
同 《割書:中仙道  | 》 わらひ辺
同 《割書:甲州道  | 》 八王子へん
同 《割書:水戸道  | 》 【まつ】戸辺
同 《割書:日光道  | 》 かすかべへん
同 《割書:成田道  | 》 行とくへん
恵 《割書:御救小屋 | 》 幸橋御門外
同 《割書:同    | 》 深川海辺新田
同 《割書:同    | 》 同八幡境内
同 《割書:同    |二ヶ所 》 上野山下火除地
御救小屋 浅草広小路
なまづの  鹿嶋太神 
  頭押  要 伊四【要石】
 大丈夫 市中桁張丸太
座敷 市中崩家たつ
  
   
   

世中当座帳

【中央の表題】
世中当座帳
     行 土方人足 ざいもくや 諸職人  関東 安政二卯年
     司  風雅聞人 ぜいたくや 諸芸人 江戸大地震大火
                       八州 十月二日夜

【右側一段目、右から左へ】
もちゐられるもの
【右側二段目】
大関 ひら家住居
関取 あな蔵
小結 こけらぶき
前頭 わらんじ
前頭 しるし半天
前頭 わらそうり
前頭 どんぶりめし
前頭 干ものゝおかづ
前頭 二八そば
前頭 もも引
前頭 三じやく帯
前頭 素人火けし
【右側三段目】
前頭 大道の立喰
同  こんにやく
同  長い刀に一門付袴
同  ひら家の茶つけ
同  甲州刀のつば
同  くぎぬき
同  さんま
同  金もの屋
同  あらもの屋
同  木綿着もの
同  茶わんさけ
同  車りき
同  くぎ屋
同  土こね【つちこね。左官のこと】
同  すぎ丸太
同  おでんかん酒
【右側四段目】
同  大ふくもち
同  素人壁の蔵打
同  さしツこ半天
同  すきくわ
同  こてりやうぢ
同  しつくひや
同  火事羽織
同  正札附安賣
同  吉原立のき
同  とまぶき家根
同  町飛脚
同  木ひろい
同  ぶたなへ
大関 大工棟梁
関取 左官棟梁
小結 家根屋棟梁
【右側五段目、右から左へ】
大火方
【右側六段目】
大関 明暦三丸山 本妙寺振袖出火
関取 明和九 目黒行人坂出火
小結 文化三寅年 高輪牛町出火
前頭 文政十二 和泉橋際出火
前頭 天保五 佐久間町二丁目出火
前頭 弘化四 本郷丸山ヨリ出火
前頭 嘉永三 麹町ヨリ出火
前頭 弘化三 青山ヨリ出火
前頭 天明八 京都大火
前頭 安永七 江戸大火
前頭 寛政五 根津大火
前頭 享保九 大坂大火
【右側七段目】
同   享保三 江戸大火
同   天保二 江戸大火
同   寛文元 京都大火
同   天保五 江戸大火
同   天保二 江戸大火
同   安政元 江戸大火
同   安政二 江戸大火
同   安政元 神田出火
同   寛政四 糀町出火
同   嘉永   京都大火
同   寛政   中國大火
同   同     南部大火
同   安政元 中仙道大火
同   同年   東海道大火
同   同年   大坂大火
同   同年   宇都宮大火

【左側一段目、右から左へ】
おあひたなもの
【左側二段目】
大関 土蔵住居
関取 三階家作
小結 かわら家根
前頭 せつた
前頭 紋つき羽おり
前頭 あしだ
前頭 會席料理
前頭 煮つけさかな
前頭 うなき蒲焼
前頭 ぱつち
前頭 どんすの帯
前頭 こわいろつかい
【左側三段目】
前頭  二階のお料理
同   このしろ魚でん
同   茶亭のはかま
同   どんぶりうなき
同   ぞうかん入の鍔
同   べつ甲細工
同   鮎の煮びたし
同   びいどろ屋
同   質屋
同   べんへらきもの
同   ちび〳〵上戸酒
同   堀の船やど
同   分見道具や
同   歌舞伎役者
同   四ツ谷丸太
同   てうしさかつき
【左側四段目】
同   上くわし
同   持あそひ屋
同   縮めんの着物
同   釣りばり
同   たいこ医者
同   こて〳〵ぬつた女
同   ゆうきの羽織
同   かし本屋
同   かこひもの
同   寄せの五りん
同   絹糸わたり
同   居ざり
同   はなしか
大関 茶の湯師匠
関取 踊師匠
小結 三味線ノ師匠
【左側五段目、右から左へ】
地震方
【左側六段目】
大関 弘化四信濃 善光寺開帳地震
関取 文政十一 越後國大地震
小結 嘉永元 小田原大地震
前頭 寛永四 関東大地震
前頭 安政元 大坂大地震
前頭 寛政十 小田原大地震
前頭 元禄十六 関八州大地震
前頭 天和三 日光大地震
前頭 文化九 関東大地震
前頭 安政元 信州大地震
前頭 同年   紀州大地震
前頭 同年   播州大地震
【左側七段目】
同   安政元 攝州大地震
同   同年   甲斐大地震
同   同年   駿河大地震
同   同年   遠州大地震
同   安政二 船橋大地震
同   同年   神奈川大地震
同   安政元 阿波大地震
同   同年   伊予大地震
同   安政二 中山道筋地震
同   同年   東海道筋地震
同   同年   水街道中地震
同   同年   日光道中地震
同   同年   上総大地震
同   同年   下総大地震
同   同年   青梅道地震
同   同年   秩父大地震

【欄外左下】
日野要腎齋蔵板

都新聞付録

【タイトルなし】
【被災各地の写真のみ】
【地名は全て右横書き】
【左下角の「都新聞第二十□十□号付録」との記載の無い版あり】

当時流行いろは壁

かりの舎(やど)誰(合 たれ)もお江戸を後(あと)に
して、へんぴへいそぐ旅心重(だひごゝろおも)
き包(つゝみ)をさしになひ
〽コリヤたまりませぬ走(はし)る
人さんどもに往(い)うふとま
ご〳〵して、アノ下町(したまち)をでぬ先(さき)
ハ、たとへ日ゝのらにもでるかくご、
しらぬ遠方(えんぽ)でたゞひとり、
ひつそりつゝすやうになり、
かなしう思(おも)ふもせかいが



いのうちの
かわづだい
かいしらず

いなかへ
いってこまる
江戸ッ子

へをひって
しりす
ぼめる

けとうじん
めがなき
がほをみな

はな
より
だんこ

ゆさん
どころか
たべるやうじん

とをき
しんるいちか
しきたにん

ひっこす
ならばとも
どもにゆく

ほねおり
ぞんのくた
びれまうけ

へんぴへ
やったにもつ
るいしやう

ちりつ
もって
やまとなる

ごぢせつ
がらださけは
おやめよ

当時流行いろは壁

よしの
ずいからてん
じやうのぞく

おゝきな
おせははなし
まち〳〵

らく
あれば
くある

ぢめんを
しよってうご
かれもせづ

えてに
ほを
あげる

つみだす
にもつひっ
きりもなし

しら
ぬが
ほとけ

おやのさは
ぐをことも
にこ〳〵

ふみをやる
にもかく
てはもたぬ

とびはなれ
たる江戸の
ていしゆへ

ゑん
はゐな
もの

たこくへ
ゆきてくらす
江戸っ子


【人物集合の絵の部分】
まご

とこしば

めしもり
めし
〽あんにしろ
りやうはう
ともまうけ
さつせへ

ひきやく

くもすけ
くも
〽どッこいそうハ
させねへぞおらが
ほうがかねまう
けがおゝいそ

しやりき
しや
〽イゝヤおれのほうが
おゝくかねまう
けをするぞ

あらものや

かごや

のりものや

せんどう

江戸大地震当座見立三人生酔

【中央の表題】
江戸《割書:大地震|當座》見立 三人生酔

【右側一段目】
●役者
▲茶屋
■金主
●店子
▲地主
■家主
●骨継
▲蘭医
■本道
【右側二段目】
●材木屋
▲米屋
■薪屋
●焼場方角
▲貸本屋
■にしき繪
●荒物屋
▲せとものや
■小間物や
●濁酒屋
▲會席料理
■うなきや
【右側三段目】
●わらんじ
▲せつた
■下駄
●四文や
▲おてゞこ
■豆蔵
●大福餅
▲上菓子
■まんぢう
●わらひ上戸
▲なき上戸
■はらたち上戸

【左側一段目】
●神道
▲武家
■寺院
●古着屋
▲質店
■置主
●女郎
▲内證
■藝者
【左側二段目】
●直し釘
▲水屋
■紙くづ買
●出入の者
▲奉公人
■旦那
●時計師
▲唐物屋
■縫箔屋
●飛脚
▲文づかひ
■諸藝人
【左側三段目】
●ぜけん
▲引手茶や
■かこや
●大工手間
▲座頭
■かし夜具
●漉かへし
▲奉書
■ 西の内
此外東西あまたニ
御座候へ共荒増を記

大坂川口大つなみ混雑記

嘉永七寅十一月五日暮六ツ時
《割書:大阪|川口》大つなみ混雑記(こんさつき)

【上段】
摂津大地震二編
ざま宮絵馬とうくづる
いなり石とうろう同おたびのざしき
新町東扇やざしき
願きやうじまへ七八けん
なんば安如じつりかねどう
てんま妙見ゑまどう
南御堂北ノ辻 角
 四天王寺
   しゆろどう   【挿絵】
 こつ堂前の花たて石
  諸堂大そんじ
梅田きんへんくつるゝ
岡御やしき土蔵そんずる
さのやはし北つめうら長家くづれ
御池はし西つめにしうら高へい
町々かまや其外とうふやそんじ
下寺町浄国じ本とうくつれ
寺々はかしよ石ひこける
柏はら村家くづれ出火す
堺つなみにてつきぢはし落死人あり
さのつなみして大さはぎ
兵庫七八軒家くづれる
西みやなだ大坂同だん
    社町家
 奈   大くづれ
 良  鳥居
 春  金とう  【挿絵】
 日    ろう
     くづれ落

【下段】
于時嘉永七寅十一月
五日昼七ツ半時大地震
同暮六ツ時震ふ同時に
大坂天保山沖安治川
木津川尻なし辺大津
なみして沖の大船二千
石積以下三百石くらゐに
いたる迄こと〳〵 く川口へ
打登し又は海岸へ打
上るもあり川岸などの
家を舟にて打くたき船どうかこ夥しく溺死に
及ふ其数しれず其外上荷茶船小舟等は大船
の下しきとなり溺死のもの数しれず尚又町内
より舟にて地しんを避んと沖へこぎだし又は内
川につなぎ居もありしかるに波矢よりもはやく
して退く事あたはすついに数多込入舟におそふ
はれ舟くたけ人死する事おびたゞしく又橋々を
帆はしら大船の為に打くたく《割書:はし名|別に有》其騒動こん
さつなる事目もあてられぬありさまは実に七難三災
かくやあらん誠に古今稀代の珍事也其外
新田天保山大あれにて筆紙に
つくしがたし
 落橋
 かめ井はし 安治川はし     【挿絵内】
国津ばし 長高はし          大こくばし
水分はし くろかねはし
日吉はし 汐見ばし
幸はし  住吉はし
金屋はし
大黒はしにて
   とまる

かけ合あふむ石

【表題】
かけ合
あふむ石
【凡例】
●白屋権八
ばんじやくいん
■鹿嶋や長兵衛
【本文】
■とわれてなんのなに
神(かみ)となのるやうな神号(しんこう)
てもム【ござ】り升【ませ?】ぬしかし社(やしろ)は東(あづま)路(ぢ)に気(き)も
浮(うき)たつた銚(てう)子(し)の鼻(はな)江(ゑ)戸(ど)でうはさの
常陸(ひたち)帯(おひ)盤石院(ばんじやくいん)の長兵衛といふ
唯一(ゆいち)の社(やしろ)さ●スリヤ神国(しんこく)にて隠(かく)れなき鯰(なまつ)
おさへた磐石(ばんじやく)の■アヽもし〳〵そふいわれ
ちやアめんほくねへがわしは此間(このあいた)いつものとふり仲間の手合の
寄(より)合(あい)に出雲(いづも)へ立(たつ)たもきのふけふるすに震(ふるつ)た大鯰(おほなまづ)ほんの事だが是(これ)迄(まで)は
お江戸に地震(ぢしん)のないやうにとねた間も石はゆるめませぬ神前(しんぜん)
ならはどのやうにも手強(てづよ)ひ神詫もいゝましやうがほんの途中(とちう)で
すねツかぎり江戸の鼻(はな)迄(まで)帰(かへつ)たおかげにやア気がつよい
よはひ鯰(なまづ)は除(よけ)てとふし強(つよ)ひやつ
ならむかふづら此(この)以後(いご)に大鯰(なまづ)が
出(で)て左右(さゆう)の髭(ひげ)をふつてきても
びくともさせる事じやアごぜへ
ませぬおよばずなから要(かなめ)のいし
づへ家根(やね)の瓦(かわら)はおちてわれ
破れた家(いへ)はまだ
野宿(のじゆく)よしわら
五町を火事(くはじ)でやけ
江戸の鯰(なまづ)と口〴〵に
なまづのなかの鯰(なまづ)
一疋(いつひき)いつでもまいりに
ござりませ神前(しんぜん)浄(きよめ)て
まつて居(い)ます

関東類焼大地震

関東類焼大地震

御救小屋三ケ所 浅草広小路 深川海辺大工町 幸橋御見附外

乾坤和順せざるときは陰地中に満て一時に発す是地上に地震といひ海上に津浪といふ山中に発する時は洞のぬけたるなど
皆風雨不順の為す所にして恐るべきの大事なり于茲安政二年乙卯冬十月二日夜四ツ時過るころ関東の国々は
地震のとゝかさることなく一時に舎坊を崩し人命を絶こと風前のともしびの如し其中に先御府内焼亡ノ地は千住小塚原
不残焼け千住宿は大半崩れ山谷橋はのこらす崩れ今戸橋きは数十軒やける新吉原は五丁共不残焼死人おびたゞしく
田丁壱丁目弐丁目山川町浅草竹門北馬道聖天横町芝居町三町北谷中谷の寺院南馬道ゟ花川戸半町程やける山の宿町
聖天町は崩る浅草寺は無事にて雷神ゆるぎ出す広小路並木辺残らす崩れ駒形町中頃ゟ出火諏訪町黒船町御馬や
河岸にてやけどまる御蔵前茅町辺冨坂町森下辺大破東門跡恙なし菊屋橋きは新寺町新堀共少しやける大音寺ゟ
三の輪金杉辺崩れ坂本は三丁目やける山崎町東坂広徳寺前通り崩多シ又は山本仁太夫矢来内死人多し家不残崩る其外寺院
大破損亡おびたゞし〇谷中三崎千駄木駒込は崩少し根津門前は大半崩池の端茅町弐丁目境いなり向よりやけ同壱丁目不残
木戸際にて留る切通シ坂下大崩仲町は片側丁崩多く両かは丁すくなし御すきや町は大崩広小路東がは中程ゟ伊東松坂屋角迄
上野町ゟ長者町辺やける御徒町近辺ゟ三味せん堀七まがりは大名方組屋敷共崩るといへとも多分のことなし御成通ゟ明神下
破れ多く外神田町家の分崩少し湯島大神は崩少し門前町崩多く妻恋町少しも不崩稲荷の社無事也本郷台破
少し筋違御門ゟ日本橋通り左右神田東西共崩多し小川町本郷様松平紀伊守様板倉様戸田様やける柳原様外かは
焼神田橋内酒井雅楽頭様同御向やしき龍之口角森川出羽守様又一ト口は八代洲河岸植村但馬守様因州様御火消屋敷
等なり和田倉御門内は松平肥後守様松平下総守様やける近所崩れ其外丸の内御大名方所々崩多し鍋島様御上屋敷
不残やける山下御門内阿部様のこらす大崩となり夫ゟ幸橋内松平甲斐守様伊東様亀井様共やける薩州様装束屋敷崩る
霞関は諸家様大半くずれ黒田様御物見のこる永田町三間家かうじ町辺は崩少し四ツ谷市ケ谷牛込小日向小石川番町辺
何れも損亡おほし赤坂青山麻布渋谷白銀品川高輪台町共崩少し赤羽根三田飯倉西ノ久保は崩多シ増上寺無事
〇北本所は中の郷松平周防守様やける此辺大崩にて所々ゟ出火あり同所番場丁弁天小路辺やける其外寺院損亡多シ法恩寺橋
町家やける亀戸町二ケ所やける又竪川通りは桐生町緑町三ツめ花町迄やける又御船蔵前町ゟ黒八名川町六間堀森下町高橋にて
留る又一ト口は深川相川町ゟ黒江町大嶋町はまぐり町永代寺門前町八幡宮鳥居きはにて止る又乙女橋向南大川端少しやける
本所深川おしなへて地震つよく損亡おびたゝし〇日本橋ゟ南東西中通り河岸通り共大崩にて南伝馬町弐丁目三丁目左右川岸
京橋川通り迄やける銀座町三十間堀尾張町辺少したるみ新橋向築地木挽町桜田久保町あたご下崩れ多シ芝口通り少し
露月丁崩れ柴井町やける神明町三島町大崩怪我人多シ神明宮恙なし浜手御屋敷残すいたむ中門前片門前浜松町金杉本
芝辺崩少し田町大木戸品川宿格別の崩なし翌三日ゟ七日迄□日すこしづゝふるひけれ共別にさはることなく追々静謐におよひ下々へは
御救を被下置御救小屋三ケ所へ御立被下御仁慈の御国恩を拝謝し奉らん人こそなかりけれあらありがたき
事共なり   但シ出火のせつわ三十二口なれともやけるところは図のことし    火の用心〳〵

【絵のみ文字なし】

[東海道宿場震災状況]

金谷  大半損候
日坂  〃
掛川  御城損候人家潰れ出火に相成候
 横須賀 御城損候人家潰れ
袋井  右同断
見附  大損し
浜松  少々
舞坂  〃
新井  御関所大半損候津浪御坐候人家潰れ
白須賀 大半損し
二タ川 少々
吉田  大損し
御油  少々
赤坂  〃
藤川  〃
岡崎  御城損し矢作橋損し
 三州西尾 御城損し人家潰れ
池鯉鮒 少々
鳴海  〃
宮   人家潰れ津浪御坐候
 名古屋 少々損じ
桑名  大損じ
四日市 〃
石薬師庄野 少々損じ 【石薬師から京都まで括りあり】
亀山    〃
関 坂ノ下 〃
土山
水口     外に紀州浦々大津浪大損じ
石部 少
草津 々
大津 損   外に伊せ浦々大津浪大損じ 
伏見 じ
京都
大坂  橋々落大津浪ニ而大舟打上ケ死人多く大損じ
津   半損じ
松坂  〃
山田  大損じ
右之通御座候此段為御知
申上候以上 日本橋佐内町
       和泉屋甚兵衛
  月日


【立札】         当分之内ほどこし致しんじ候
うち身くじき りやうじ所
          ゑんま堂 

ゑんま「いそくな〳〵おれか子になつてきたものよくせずにおくものかあをあかの
    鬼どもやくすりをつけて早くまいてやれいたかろうかわいそうに〳〵
しやうつか「地蔵さんのおいかりもゑんまさんのおなげきもおれが引合にだされて
      てつだうのもあのなまづゆへださてにくいやつだナしなれぬことはたいぎた〳〵
地蔵「おれがまもる此地めんを度々うごかされてはおしやかのまへゑすまぬ地蔵の
   かほも三度だそかしまとのへはなしてきたかくごしろふといやつだ

都新聞付録

【タイトルなし】
【被災各地の写真のみ】
【地名は全て右横書き】