コレクション1の翻刻テキスト

このテキストはみんなで翻刻で作成したものです.利用条件はCC-BYです.

BnF.

【表紙】

【見返し】
JAPONAIS
35
1

【見返し】

【上中央と右下の三行】
1794
Japonais
345
(1, 1-4)

【文字なし】

【文字なし】

【中央白抜き四角内上から】No22【線で抹消右上に】27
Hoksai Mangwa
Desfuis et esquisfes 【単語不明fはjかも】
en different genres
10 Vol in S【右上の小字不明】
par Hoksai
【左赤字】《割書:傳神|開手》北斎漫畫ニ編
【スペースの下】全
【印下から右回り】MSS【記号】BIIBLIOTHEQUE【記号】NATIONALE【中央不明】

【右上三行】Japonai 345 (ち2)

【一行が二行になる場合あり】
おのれこときらに物めてするくせはあらねと此さうし
の繪をうち見るよりてうちたゝきてふしあふき
あさみおとろくことおふかたならすさるハ野山をかくる
けたもの海川におよく魚あるハ鳥むし樹草のた
くひすへてこゝろゆくハかりきはことにかきなしたるけに
になき上手のしワさとそみへたる人のすかた繪は
わきておかしくらゐたかき人の優なるやまかつの
こち〳〵しきからぬしのゐや〳〵しき㳒師のたふ
とけなるはかせのしたりかほなるくすしのほこらは
【左端「北斎漫画ニ篇序」】

【枠外「北斎漫画二篇序」】
しきあそひのあた〳〵しきいろこのみのすころ
なるこしたへぬしひとはひゐきるみとり子こし
かり男くるまやるひとふねこくおのこ馬のくち
とりめのとはらとりちやうけんおとこつふねこんかき
ひはたふきはんしやうかちかはらつくりかへぬりあき人
おんやうしきこりかつきめすまひ人髪あくるさま
ゆひくさまおくるさまいぬるさまやう〳〵さま〳〵の
かたちけはひさなからいきてはたらくかとそおほゆる
この繪師たれそととふに此ころの上手にす

める北齊の翁なりけりまことやこのひとの繪を
もとむとてところせうつとふ人ハこゝらのほしの
北辰にむかふことくはたかつしかわせの田つらふく風に
なひくにことならすとかおのれとしたけほけひか
みて物このみも此人というらうへなからたゝ此ぬし
の繪をしみれはあなめてたあなおかしといつとて
悉えみまけてもてはやし興することなほよこ
もりたる人にたかはずさはわかうとゝおなし
こゝろなるハまたいたう老ぬにこそとせめて
【枠外「北斎漫画二篇序」】

【枠外「北斎漫画二篇序」】
たのもしきこゝちするもたくひなき繪にうち
見ほれておもはすうかれまとうにやあらむ
       六樹園主人

【繪】鳳凰(ほうおう)

(右項)
北斎漫画2辺二篇

(左)

【両丁文字無し】
【右丁 丸印】
BIBLIOTHEQUE IMPERIALE MSS・
【左丁 右と同じ丸印】
【左丁 楕円印外側】
BIBLIOTIC NATIONALE
【楕円印内側】
MSS

【右丁】
浮腹巻(うきはらまき)
【頭部欄外 丸印】
BIBLIOTHEQUE IMPERIALE MSS・

【左丁 日本文字無し】
【頭部に右丁と同じ丸印あり】

【右丁】
太公望(たいこうぼう)
蘇武(そぶ)
西伯(せいはく)
孫晨(そんしん)
猩々(せう〳〵)
伯夷(はくい)
【丸印】
BIBLIOTHEQUE IMPERIALE MSS・

【左丁】
陶淵明(たうゑんめい)
扁鵲(へんじやく)
杜子美(としみ)
卞和(へんくは)
山谷(さんこく)
叔斎(しゆくせい)
伯楽(はくらく)
【丸印】
BIBLIOTHEQUE IMPERIALE MSS・
【楕円印外側】
BIBLIOTIC NATIONALE
【楕円印内側】
MSS

【右丁上段】
顔子(がんし)
曽子(そうし)
子思(しし)
【右丁下段】
周公(しうこう)
張子(てうし)
朱子(しゆし)
【丸印】
BIBLIOTHEQUE IMPERIALE MSS・

【左丁上段】
孟子(もうし)
程子(ていし)
周子(しうし)
【左丁下段】
韓退之(かんたいし)
邵康節(せうかうせつ)
欧陽永叔(おうやうゑいしゆく)
【楕円印外側】
BIBLIOTIC NATIONALE
【楕円印内側】
MSS

【右丁】
松明(たいまつ)
【丸印】
BIBLIOTHEQUE IMPERIALE MSS・

【左丁】
火渡(ひわたり)
鉄火(てつくは)
釣蝋燭(つりらうそく)
【楕円印 外側】
BIBLIOTIC NATIONALE
【楕円印 内側】
MSS・

和合神(わがうじん)
【上部丸印】
BIBLOTHEQUE IMPERIALE MSS・
【下部楕円印 外側】
BIBLIOTIC NATIONALE
【下部楕円印 内側】
MSS・

尾張東壁堂蔵板目録《割書:名古屋本町通七丁目》
            永楽屋東四郎
【上段】
北斎漫画《割書:北斎画》全十冊
商人鑑 《割書:同 画》全一冊
北斎画式《割書:同 画》全一冊
北斎狂画《割書:同 画》全一冊
絵本両筆《割書:同 画》全一冊
戴斗画譜《割書:同 画》全一冊
【下段】
光琳漫画   全一冊
北雲漫画   全一冊
文鳳麁画   全一冊
蕙斎麁画   全一冊
月樵麁画   全一冊
狂画苑    全一冊

【上段】
三体画譜《割書:同画》全一冊
一筆画譜《割書:同画》全一冊
名家画譜  全三冊
福善斎画譜 全五冊
豊国画譜  全五冊
豊国年玉筆 全一冊
英泉画史  全一冊
【丸印】
BIBLIOTHEQUE IMPERIALE MSS・
【下段】
絵本孝経  全二冊
同噺山科  全五冊
同春の錦  全二冊
同には桜  全一冊
同大江山  全一冊
同曾我物語 全一冊
同咲分勇者 全一冊
【丸印 外縁】
BIBLIOTHEQUE■■■■■■■LE MSS
【内円】
R.F


      堀川通
京都書林      伏見屋藤右衛門
      心斎橋通
          柏原屋與左衛門
      同
          同  清右衛門
大坂書林  同
          河内屋 木兵衛
      同
          敦賀屋 九兵衛
      糀町四丁目
          角丸屋 甚 助
      日本橋砥石店
東都書林      大坂屋 茂 吉
      同 新右衛門丁
          前川 六左衛門
      名古屋本町通七丁目
尾陽書林      永楽屋 東四郎【「印」あり】
















【文字無し】

【文字無し】

【文字無し】

【文字無し】

【文字無し】

【裏表紙  文字無し】

BnF.

【題箋】
絵入  竹とり物語

【表紙裏(見返し) 文字無し】

  たけとり物語
いまはむかしたけとりのおきなといふもの有
けり野山にましりてたけをとりつゝよろつの
事につかひけり名をはさるきのみやつこと
なんいひける其竹の中にもとひかる竹なん
一すちありけりあやしかりてよりて見るに
つゝの中ひかりたりそれを見れは三すんはかり
なる人いとうつくしうて居たりおきな云やう
われ朝こと夕ことに見るたけの中におはする
にてしりぬ子になり給ふへき人なめりとて
手にうち入て家へもちてきぬめの女にあつ

けてやしなはすうつくしき事かきりなし
いとおさなけれははこに入てやしなふ竹とり
のおきな竹とるに此子を見つけてのちにたけ
取にふしをへたてゝよことにこかねある竹をみ
つくる事かさなりぬかくておきなやう〳〵
ゆたかになりゆく此ちこやしなふほとにすく
〳〵とおほき【注】になりまさる三月はかりになる
程によきほとなる人になりぬれはかみあけな
とさうしてかみあけさせきちやうの内よりも
出さすいつきかしつきやしなふ程に此ちこの
かたちのけそうなる事世になく屋の内は

【注 字面は「支に濁点が付いたよう」ですが仮名物語にこの字だけ漢字で書き振り仮名を付けるのは不自然なので、変体仮名「き」と書き濁点は誤記かと思われる。】


くらきところなくひかりみちたりおきなこゝ
ちあしくくるしき時も此子をみれはくるし
き事もやみぬはらたゝしき事もなくなく
さみけりおきなたけをとる事ひさしくなるも
さかえにけり此子いとおほきに成ぬれば名を
みむろといんへのあきたをよひてつけさすあ
きたなよ竹のかくやひめと付侍る此程三日う
ちあけあそふよろつのあそひをそしけるお
とこはうけきらはすよひほとへていとかしこ
くあそふ世界のをのこあて【身分が高いこと】なるもいやしき
もいかてこのかくやひめをえてしかな【得てしがな】みてし




かな【見てしがな】とをとにきゝめてゝまとふ【愛でて惑う=ひどく美しい、可愛いと思う】そのあたりの
かきにも家のとにもをる人たにたはやすく
見るましきものをよるはやすきいもねすやみ
の夜にもこゝかしこよりのそきかひま見まと
ひあへりさるときよりなんよはひとはいひける
人の物ともせぬ所にまとひありけともなにの
しるしあるへくも見えす家の人共に物をたに
いはんとていひかくれともことゝもせすあた
りをはなれぬ君達夜をあかし日をくらす人お
ほかりけるをろかなるひとはようなきありき
はよしなかりけりとてこすなりにけり其中

【挿絵 文字無し】

【挿絵 文字無し】

になをいひけるはいろこのみといはるゝ人五
人思ひやむときなくよるひるきたりけりその
名一人はいしつくりの御子一人はくらもちの
御子一人は左大臣あへのみむらし大納言一人
は大伴のみゆき中納言一人はいそのかみのもろ
たか此人々なりけり世中におほかる人をたに
すこしもかたちよしときゝては見まほしうす
る人たちなりけれはかくやひめを見まほしう
て物もくはす思ひつゝかの家に行てたゝすみ
ありきけれ共かひ有へくもあらす文をかきて
やれとも返事もせすわひうたなとかきてつ


かはすれ共かひなしと思へとも霜月極月の
ふりこほりみな月のてりはたゝくにもさはら
すきたり此人々あるときは竹とりをよひ出し
てむすめを我にたへとふしおかみ手をすりの
給へとをのかなさぬ子なれは心にもしたかえ
すとなんいひて月日ををくるかゝれは此人々
家にかへりて物を思ひいのりをしてはんを立
おもひやむへくもあらすさり共つゐに男あは
せさらむやはと思ひてたのみをかけたりあな
かちに心さしをみえありくこれをみつけてお
きなかくやひめにいふやう御身はほとけへんけの





人と申なからこれ程おほきさまてやしなひ
奉る心さしをろかならすおきなの申さん事
きゝ給ひてんやといへはかくやひめ何事をか
のたまはんことは承らさらむへんけの物にて
侍けん身ともしらすおやとこそおもひ奉れと
いふおきなうれしくもの給ふものかなといふお
きな年七十にあまりぬけふともあすともし
らす此世の人は男は女にあふ事をす女は男
にあふことをす其後なん門ひろくもなり
侍るいかてかさる事ノなくてはおはせんかく
やひめのいはくなんてうさる事かし侍らん







といへはへんけの人といふとも女の身もち
給へりおきなのあらんかきりはかうて【こうして】もい
ませかしこの人々の年月をへてかうのみい
ましつゝのたまふ事を思ひ定めてひとり〳〵
にあひ給へやといへはかくやひめいはく能も
あらぬかたちをふかき心もしらてあた心つき
なはのちくやしき事も有べきをとおもふ
はかりなり世のかしこき人なりともふかき心
さしをしらてはあいかたしとなんおもふといふ
おきないはく思ひのことくもの給ふかなそも
〳〵いかやうなるこゝろさしあらん人にか

あはんとおほすかはかり心さしをろかならぬ人
人にこそあめれ【有るめれ➝あんめれ➝あめれ=有るらしく思われる】かくやひめのいはくかはかりの
ふかきをか見んといはんいさゝかの事なり
人の心さしひとしかんなりいかてか中にを
とりまさりはしらむ五人の中にゆかしきも
のを見せ給へらんに御心さしまさりたりとて
つかうまつらんとそのおはすらん人々に申
給へといふよき事なりとうけつ日くるゝほ
とれいのあつまりぬ人々あるひはふえをふき
或は哥をうたい或はしやうかをしあるひはう
そ【口笛】をふきあふきをならしなとするにおきな出て





いはくかたしけなくきたなけ成ところに年
月をへてものし給ふ【いらっしゃる】事ありかたくかしこま
ると申おきなの命けふあすともしらぬをか
くの給ふ君達にもよく思ひさためてつかうま
つれと申もことはりなりいつれもをとりまさ
りおはしまさねは御心さしの程はみゆへし
つかうまつらん事はそれになんさたむへき
といへはこれ能事【成し遂げなければならないことがら】也人のうらみもあるまし
といふ五人の人々も能事なりといへはおきな
いりていふかくやひめ石つくり御子には佛
の御石のはちといふ物ありそれを取て給へと

いふくらもちの御子には東の海にほうらいと
云山あるなりそれにしろかねをねとしこかね
をくきとし白き玉をみとしてたてる木あり
それ一えたおりてたまはらんといふ今ひとり
にはもろこしに有火ねすみのかはきぬを給へ
大伴の大納言にはたつのくひに五色にひかる
玉ありそれを取てたまへいそのかみの中納言
にはつはくらめのもたるこやすの貝取て給へ
といふおきなかたき事にこそあなれ此国に
有ものにもあらすかくかたき事をはいかに申
さんといふかくやひめなにかかたからんといへ

はおきなともあれかくもあれ申さんとて
出てかくなん聞ゆるやうに見給へといへは御(み)
子(こ)たち上達部(かんたちめ)きゝてをいらかに【あっさりと】あたりより
たになありきそとやはのたまはぬと云てうん
して【倦んじて=気がくじけて】みなかへりぬなを此女見ては世にあるまし
き心ちのしけれはてんちくに有物ももてこ
ぬ物かはと思ひめくらしていしつくりの御子は
こゝろのしたく有人にて天ちくに二つとなき
はちを百千万里のほといきたりともいかてか
取へきとおもひてかくやひめのもとにはけふ
なん天ちくへ石のはちとりにまかるときかせ





て三年はかり大和の国とをちのこほりにある
山寺にひんする【賓頭盧】のまへ【前】なるはちのひたくろに
すみ【墨】つきたるをとりてにしきのふくろに入て
つくり花のえたにつけてかくやひめの家に
もてきて見せけれはかくやひめあやしかりて
みれははちの中に文ありひろけて見れは
うみ山のみちに心をつくしはてないしのはち
の涙なかれけかくやひめひかりや有と見るに
ほたるはかりのひかりたになし
  をくつゆのひかりをたにもやとさまし
   おくらの山にてなにもとめけん






とて返し出すはちを門に捨て此哥の返しをす
  しら山にあへはひかりのうするかと
   はちをすてゝもたのまるゝかな
とよみて入たりかくやひめ返しもせすなりぬ
みゝにもきゝ入さりけれはいひかゝつらひて【「言い拘ひ」=うまく言えず難儀して】
帰りぬ彼はちをすてゝ又いひけるよりそおも
なき事をははちをすつるとは云けるくらも
ちの御子は心たはかり有人にておほやけには
つくしの國にゆあみにまからんとていとま
申てかくやひめの家には玉のえたとりになん
まかるといはせてくたり給ふにつかうまつる

へき人々みな難波まて御をくりしける御子い
としのひてとの給はせて人もあまたゐておは
しまさすちかうつかうまつるかきりして出給ひ
御をくりの人々見奉りをくりて帰りぬおはし
ましぬと人には見え給ひて三日はかり有てこ
き給ぬかねてことみな仰たりければ其時一つ
のたからなりけるうちたくみ六人をめし取て
たはやすく【たやすく】人よりくましき【人寄り来まじき】家をつくりてかま
とを三へにし籠てたくら【「たくみら」とあるところ】を入給ひつゝ御子も
同所にこもり給ひてしらせ給ひたる【(まるで)お治めになっている】限十六そ【全十六ヶ所(の所領地)】
をかみに【の上に】くと【くど=竃の煙出しの穴】をあけて玉のえたをつくり給

かくやひめの給ふ様にたかはすつくり出つい
とかしこくたはかりてなにはにみそかにもて
出ぬ舟にのりて帰りきにけりと殿につけやり
ていといたくくるしかりたる様して居給へり
むかへに人おほく参たり玉のえたをは長ひつに
入りて物おほひて持て参るいつか聞けんくらも
ちの御子はうとんてゑの花持てのほり給へり
とのゝしりけりこれをかくやひめきゝて我は
此御子にまけぬへしとむねつふれておもひ
けりかゝる程に門をたゝたきてくらもちの御子
おはしたりとつく旅の御姿なからおはしたりと




【絵画 文字無し】

【絵画 文字無し】

いへはあひ奉る御子の給はく命を捨て彼玉
のえた持てきたるとてかくやひめに見せ奉り
給へといへはおきな持ていりたり此たまの枝
にふみそつけたりける
  いたつらに身はなしつとも玉のえを
   たおしてさらにかへらさらまし
是をも哀ともみてをるに竹取のおきなはしり
入りていはく此御子に申給ひしほうらいの玉
のえたを一つの所をあやまたすもておはしま
せり何を持てとかく申へき旅の御姿なからわ
か御家へもより給はすしておはしましたり












はや此御子にあひつかうまつり給へといふに
物もいわすつらつえ【頬杖】をつきていみしくなけか
しけに思ひたり此御子今さへ何かといふへから
すと云まゝにえんにはひのほり給ぬおきな理
に思ふ此國にみえぬ玉の枝なり此度はいかて
かいなひ申さん人様もよき人におはすなとい
ひゐたりかくやひめの云様おやのの給ふ事を
ひたふるにいなひ申さんことのいとおしさに取
かたき者をかくあさましくもて来る事をね
たく思ひおきなはねやのうちしつらひなとす
おきな御子に申様いかなる所にか此木は候ひ

けんあやしくうるはしくめてたき物にもと
申御子こたへてのたまはくさおととしの二月
の十日ころに難波より舟にのりて海中に出
てゆかん方もしらす覚えしかと思ふ事なら
て世中にいき何かてせんと思ひしかはたゝ
むなしき風にまかせてありく命しなはいかゝ
はせん生てあらん限かくありきてほうらいと
云らん山にあふやと海にこきたゝよひありき
て我國の内をはなれてありき罷しに有時は
波あれつゝうみのそこにも入ぬへく有時には
風につけてしらぬ國に吹よせられて鬼のやう




なる物出来てころさんとしき有時にはこしかた
行すゑもしらてうみにまきれんとし有時には
かてつきて草のねをくひものとし有時いはん
かたなくむくつけけなるものゝきてくひかく
らんと□【「し」ヵ】き有時はうみのかいを取て命をつく
旅のそらにたすけ給ふへき人もなき所に色々
の病をして行方空も覚えす舟の行にまかせ
てうみにたゝよひて五百日と云たつのこく計
にうみの中にわつかに山見ゆ舟の内をなんせ
めて見るうみのうえにたゝよへる山いとおほき
にてあり其山のさま高くうるはし是やわか

もとむる山ならむと思ひてさすかにおそろし
く覚えて山のめくりをさしめくらして二三
日計見ありくに天人のよそほひしたる女山の
中より出きてしろかねのかなまるを持て水をく
みありく是を見て舟よりおりてこの山の名を
何とか申ととふ女こたへて云これはほうらいの
山なりとこたふ是を聞にうれしき事限なし
此女かくのたまふは誰そととふ我名ははうかん
るりと云てふと山の中に入ぬその山を見るに
さらに上るへき様なし其山のそはひら【傍平=かたわら】をめく
れは世中になき華の木共たてり金しろかね







るり色の水山より流出たるそれには色々の玉
の橋渡せり其あたりにてりかゝやく木共立り
其中に此取て持てまうてきたりしはいとわろ
かりしか共の給ひしにたかはましかはとこの
花を折てまうて来る也山はかきりなく面白し
世にたとふへきにあらさりしかと此えたを折
てしかは更に心もとなくて船にのりておひ風
吹て四百余日になんまうてきにし大願力にや
難波よりきのふ南都にまうてきつる更に塩に
ぬれたる衣たにぬきかへなてなん立まうてき
つるとの給へはおきな聞て打なけきてよめる






  くれ竹の世々の竹とり野山にも
   さやはわひしきふしをのみ見し
是を御子聞てこゝらの日ころ思ひわひ侍つる
心はけふなんおちゐぬる【落ち着く】とのたまひて返し
  わかたもと【袂】けふかはけれはわひしさの
   千草のかすもわすられぬへし
との給ひかゝる程に男共六人つらねて庭に
出来一人の男ふはさみ【文挟み】文をはさみて申くも
むつかさのたくみあやへのうちまろ申さく玉
の木をつくりつかふまつりし事こ國をたち
て千余日に力をつくしたる事すくなからす然

にろくいまた給はらす是を給ひてわろきけこ【家子(けご)=下僕】に
給せんと云てさゝけたる竹取のおきな此たく
みらか申事は何事そとかたふき【首をかしげる】おり御子
われにもあらぬ氣しきにてきもきえ【肝消(ぎ)え=肝がつぶれる】居給へり
是をかくやひめきゝて此奉る文をとれと云て
みれは文に申けるやう御子の君千日いやしき
たくみらともろとも同所にかくれ居給ひて
かしこき玉のえたをつくらせ給ひてつかさも
たまはらむと仰給ひき是を此比あんするに
御つかひとおはしますへきかくやひめのえう
し【要じ=是非にと欲しがる】給ふへきなりけりと承て此宮より給はら

むと申て給へきなりといふをきゝてかくやひめ
くるゝ【暮るる】まゝに思ひはひ【思い侘び】つる心地わらひさかへ【笑い栄え=満面に笑みをたたえ】
ておきなをよひとりて云やう誠ほうらいの木
かとこそおもひつれかくあさましきそらこと
にて有けれははや返し給へといへはおきなこた
ふさたかにつくらせたる物と聞つれはかへさんこ
といとやすしとうなつきをりかくやひめの
心ゆきはてゝありつるうたの返し
  まことかと聞て見つれはことのはを
   かされる玉のえたにそありける
といひて玉のえたも返しつ竹取のおきなさは

かりかたらひつるかさすかにおほえて【わざと】ねふり
をり御子はたつもはした【中途半端】居るもはしたにて居
給へり日の暮ぬれはすへり出給ひぬ彼うれへ
せしたくみをはかくやひめよひすへてうれし
き人ともなりといひてろくいとおほくとらせ
給ふたくみらいみしくよろこひて思ひつる様
にもあるかなと云ひて帰る道にてくらもちの御
子ちのなかるゝ迄調させ給ふろくえしかひも
なく皆とり捨させ給ひてけれはにけうせにけ
りかくて此御子一しやうのはち是に過るはあら
し女を得すなりぬのみにあらす天下の人の


おもはん事のはつかしき事との給ひてたゝ一所
ふかき山へいり給ぬ宮つかささふらふ人々
皆手をわかちてもとめ奉れ共御死にもやし
給ひけん得見つけ奉□【らヵ】す成ぬ御子の御供にか
くし給はんとて年頃見え給はさりける也是を
なん玉さかるとは云はしめける右大臣あへの
みむらしはたからゆたかに家ひろき人にて
おはしける其年きたりけるもろこし船のわ
うけいと云人のもとに文を書て火ねすみのか
はといふなる物かひてをこせよとてつかうまつる
人の中に心たしかなるをえらひて小野のふさ



もりと云人をつけてつかはすもていたり彼から
にをるわうけいに金をとらすわうけいふみを
ひろけて見て返事かく火ねすみのかはころも
此國になき物也をとにはきけ共いまたみぬ物
なり世に有物ならは此國にももてまうてきな
ましいとかたきあきなひ也然共もし天ちくに
玉さかにもて渡なは若長者のあたりにとふ
らひもとめんになき物ならは使いにそへて金を
は返し奉らんといへりかのもろこしふねきけ
り小野のふさもりまうてきてまうのほる【参上する】と云
事を聞てあゆみとうする【動揺する】馬をもちてはしら



せんかへさせ給ふ時に馬にのりてつくしより只
七日にまうて来る文を見るに云火ねすみのか
は衣からうして人を出してもとて奉る今の世
にも昔の世にも此かははたはやすく【たやすく】なきものな
りけりむかしかしこき天ちくのひしり此國に
もて渡りて侍りける西の山寺にありときゝ及
ておほやけに申てからうしてかい取て奉る
あたひの金すくなしとこくし使に申しかは
わうけいの物くはえてかひたり今こかね五十両
給るへし舟の帰らんに付てたひをくれもし
かねたまはぬ物ならは彼衣のしち返したへと

いへる事を見て何おほすいまかね少にこそ
あなれうれしくしてお□せたるかなとてもろ
こしのかたにむかひてふしおかみ給ふ此かは
きぬ入たるはこを見れはくさ〳〵のうるはし
きるりをいろえてつくれりかはきぬを見れは
こんしやうの色るりけのすゑにはこかねの光
しさゝやきたりたからと見えうるはしき事
并へき物なし火にやけぬ事よりもけうら【清ら】
なる事限なしうへかくやひめこのもしかり給
ふにこそ有けれとのたまひてあなかしことて
はこに入給ひてものゝえたにつけて御身の

【絵画 文字無し】

【絵画 文字無し】

けさういといたくしてやかてとまりなんもの
そとおほしてうたよみくはへてもちていまし
たりそのうたは
  かきりなき思ひにやけぬかはころも
   たもとかはきてけふこそはきめ
といへり家の門にもていたりてたてり竹取出
きてとり入てかくやひめに見すかくやひめの
かは衣を見て云うるはしきかはなめりわきて
誠のかはならん共しらす竹取こたへていはく
ともあれかくもあれ先しやうし入奉らん世中
に見えぬかはきぬのさまなれは是をと思ひ給







ひね人ないたくわひさせ給ひ奉らせ給ふそと
云てよひすえたてまつれりかくよひすえて此
度はかならすあはんと女の心にも思ひをり此
おきなはかくやひめのやもめなるをなけかしけ
れはよき人にあはせんと思ひはかれとせちに
いなといふ事なれはえしひぬは理也かくやひめ
おきなに云此かは衣は火にやかんにやけすは
こそまことならめと思ひて人のいふ事にもま
けめ世になき物なれはそれをまことゝうたか
ひなく思はんとの給ふ猶是をやきて心見んと
云おきなそれさもいはれたりと云て大臣にかく

なん申といふ大臣こたへて云此かははもろ
こしにもなかりけるをからうしてもとめたつ
ね得たる也なにのうたかひあらんさは申とも
はややきて見給へといへは火の中に打くへ
てやかせ給ふにめら〳〵とやけぬされはこそ
こと物【異物=別物】のかはなりけりといふ大臣是を見給ひ
てかほは草のはの色にて居給へりかくやひめは
あなうれしとよろこひてゐたりかのよみ給ひ
ける哥の返しはこに入て返す
  名残なくもゆとしりせはかわころも
   思ひのほかにをきて見ましを





とありけるされは帰りいましにけり世の人々
あべの大臣ひねすみのかは衣をもていまして
かくやひめに住給ふとなこゝにやいますなと
とふある人の云かははひにくへてやきたりし
かはめら〳〵とやけにしかはかくやひめあひ給
はすといひけれは是を聞てそとけなきもの【遂げなきもの=やり遂げることができない】を
はあへなしと云ける大伴のみゆきの大納言は
我家にありとある人をあつめてのたまはくた
つのくひに五色のひかりある玉あなりそれを
取て奉りたらん人にはねかはん事をかなへん
とのたまふをのこ共仰の事を承て申さく

仰の事はいともたうとし但この玉たはやす
く得とらしをいはんやたつのくひの玉はいかゝ
とらんと申あへり大納言の給ふ天のつかひと
いはんものは命をすてゝもをのか君のおほせ
事をはかなへんとこそ思へけれ此國になき
てんちくもろこしの物にもあらす此國の海山
よりたつはおりのほる物也いかに思ひてか汝
らかたき物と申へきをのこ共申様さらは
いかゝはせんかたき物成共仰事にしたかひても
とめにまからんと申に大納言見わらひてなん
ちらか君の使と名をなかしつ君の仰事をは

いかゝはそむくへきとの給ふたつのくひの玉
とりにとて出したて給ふ此人々のみちのかてく
ひものに殿の内のけぬ【きぬ(絹)の誤記】わた【綿】せに【銭】なとある限取
出してつかはす此人々とも帰るまていもゐ【斎=ものいみ】を
して我はおらん此玉とりえては家に帰りくな
との給はせたりをの〳〵仰承て罷りぬ龍の首
のたま取得すは帰りくなとの給へはいつちも
〳〵あしのむきたらんかたへいなんすかゝるす
き事をし給ふ事とそしりあへり給はせたる
物をの〳〵わけつゝ取或はをのか家にこもり
居或はをのかゆかまほしき所へいぬ親君と

申共かくつきなきことをおほせ給ふ事とこ
とゆかぬ物ゆへ大納言をそしりあひたりかくや
ひめすへん【据ゑん=住まわせる】にはれいやう【例様=普段のさま】には見にくしとのた
まひてうるはしき家をつくり給ひてうるしを
ぬりまき絵して返し【別本には「壁し」】給ひて屋の上にはいと
をそめて色々ふかせてうち〳〵のしつらひに
はいふへくもあらぬあやをり物にゑをかきて
まこと【間ごと】はり【貼り】たりもとのめともはかくやひめを
かならすあはんまうけ【娶る準備】してひとり明しくらし
給ひつかはしゝ人はよるひるまちたまふに
年こゆるまてをともせす心もとなかりていと

しのひてたゝとねり二人めしつきとしてやつれ
たまひて難波のあたりにおはしましてとひ給ふ
事は大伴の大納言の人や舟にのりてたつ
ころしてそかくひのたまとね【「れ」の誤記ヵ】るとや聞ととは
するに舟人こたへていはくあやしき事かなと
わらひてさるわさする船もなしとこたふるに
をちなき【考えが浅い】事する舟人にもあるかなえしらて
かくいふとおほしてわか弓の力はたつ【龍】あらはふ
といころしてくひの玉はとりてんをそくく
るやつはらをまたしとの給ひて舟に乗て海
ことにありき給ふるにいと遠くてつくしの方の

海にこき出給ぬいかゝしけんはやき風吹世界
くらかりて舟をふきもてありくいつれの方共
しらす舟を海中にまかり入ぬへくふきまはし
て波は船にうちかけつゝまき入神は落かゝる様
にひらめきかくるに大納言はまとひてまたか
かるわひしきめ見すいかならんとするそとの給
ふかち取こたへて申こゝら舟に乗て罷ありくに
またかゝるわひしきめを見すみ舟うみのそこに
いらすは神おちかゝりぬへしもしさいはひに
神のたすけあらは南海にふかれおはしぬへし
うたて有【嘆かわしい】主のみもとにつかうまつりてすゝろ【思いがけないさま】

なるしにを【死にを】すへかめるかなと梶取なく大納言
是を聞ての給はくふねに乗てはかちとりの
申事をこそ高き山とたのめなとかくたのもし
けなく申そとあをへと【青へど。注】をつきての給ふかち取
こたへて申神ならねは何わさをかつかうまつ
らん風ふき波はけしけれ共神さへいたゝきに 
おちかゝるやうなるは龍をころさんともとめ給
候へはある也はやて【疾風】もりうのふか【吹か】する也はや神
に祈り給へと云能事なりとてかち取の御神
きこしめせ音なく心をさなくたつをころさん
と思ひけり今よりのちは毛一すちをたにうこ

【注 苦しんで吐くなまなましいへど】

かし奉らしとよこと【寿詞…祈願のことば】をはなちて立居なく〳〵
よはひ給う事千度計申給ふけにやあらんや
う〳〵神なりやみぬ少ひかりて風は猶はやく吹
梶取のいはく是は龍のしわさにこそ有けれ此
ふく風はよき方の風也あしき方の風にはあら
す能かたに趣てふくなりといへ共大納言は是を 
聞入給はす三四日ふきてふき返しよせたり
はまをみれははりまのあかしのはまなりけり
大納言南海のはまにふきよせられたるにやあ
らんとおもひていきつき【いきづき(息吐き)=苦しい息をする】ふし給へり舟にある
をのことも国につけたれ共国のつかさまうて

とふらふにも得おきあかり給はて船そこに
ふし給へり松原に御むしろしきておろし奉る
其時にそ南海にあらさりけりと思ひからう
しておきあかり給へるを見れは風いとおもき
人にてはら【腹】いとふくれこなたかなたの目には
すもゝを二つけたる様也是を見奉りてそ国の
つかさもほうえみたる国に仰給てたこし【手輿】つく
らせ給ひてにやう〳〵【うんうん唸りうめき】になはれて家に入給ひ
ぬるをいかてかきゝけんつかはしゝをのこ共
参りて申様たつの首の玉を得とらされしか
は南殿へも得参らさりし玉の取かたかりし事を

しり給へれはなんかんたう【勘当】あらしとて参つる
と申大納言お起居
てのたまはくなんちらよ
くもてこす成ぬ龍はなる神のるいにこそあ
りけれそれか玉をとらんとてそこらの人々の
かいせられんとしけりましてたつをとらへた
らましかは又こともなく我はかいせられなま
しよくとらへす成にけりかくやひめてうおほ
盗人のやつか人をころさんとするなりけり家
のあたりたに今はとをらし男共もなあり
きそとて家に少のこりたりける物共はたつの
玉をとらぬ者共にたひつ是を聞てはなれ給

ひしもとの上はかたはらいたくわらひ給ふい
と【糸】をふかせ【葺かせ】つくりし屋はとびからすのすにみ
なくひ【喰い】もていにけり世界の人の云けるは大伴
の大納言はたつのくひの玉取りておはしたる
いな【否】さもあらす御まなこ二にすもゝのやうな
る玉をそそへていましたるといひけれはあな
たへかた【食べ難】といひけるよりも世にあはぬ事をは
あなたへかたとはいひはしめける

  たけとり物語上終

【裏見開き】【裏表紙の見返しヵ】

【左上角】
Japonais
5600
 (1)

【左下】
Acq  83-416

【裏表紙】

【書票】
JAPONAIS
5600
1

【本の背】

【冊子の天或は地の写真】

【本 小口】

【本の地或は天の写真】

《割書:絵|入》竹とり物語  

【見返し】

【種々の印】
【上の印】
高等女
学校図
書之印
【中段の大きな角印】
女子高等
師範学校
図書之印

  たけとり物語下
中納言いそのかみのまろたかの家につかは
るゝをのことものもとにつはくらめのすくひ
たらはつけよとの給ふを承りてなにの用にか
あらんと申こたへての給ふやうつはくらめの
もたるこやす貝をとらんれうなりとのたまふ
をのこともこたへて申つはくらめをあまたこ
ろして見るたにもはらになきものなりたゝ
し子うむ時なんいかてかいたすらんと申
人たに見れはうせぬと申又人の申やう
おほいつかさのいひかしく屋のむねにつくの 

あなことにつはくらめはすをくひ侍るそれに
まめならんをのこともをひて【率て】罷りてあくら【足場】を
ゆひあけてうかゝはせんにそこらのつはくらめ
子うまさらむやは扨こそとらしめたまはめと
申中納言よろこひ給ひておかしき事にも
有かなもつともえしらさりけりけう【興】有事申
たりとの給ひてまめなるをのことも廿人はかり
つかはしてあなゝひ【足場】にあけすへられたり殿よ
り使ひまなく給はせてこやすのかひとりたる
かとむかはせ給ふつはくらめもひとのあまた
のほり居たるにおちて【懼ぢ】すにものほりこすかゝる

よしの返しを申しけれは聞給ひていかゝすへき
とおほしわつらふに彼つかさの官人くらつ丸
と申おきな申やうこやす貝とらんとおほしめ
さはたはかり【策略】申さんとて御前にまいりたれは
中納言ひたひをあはせてむかひ給へりくらつ
まろか申やうこのつはくらめこやす貝はあし
くたはかりて【不適当に計略して】とらせ給ふなりさてはえとらせ
給はしあななひにおとろ〳〵しく【人目を驚かす様で】廿人上りて
侍れはあれて【離れて】よりまうてこす也せさせたまふ
へきやうは此あなゝひをこほちて【こぼちて=壊して】ひとみなしり
そきてまめならん人一人をあらたにのせすへ

てつなをかまへて鳥の子うまん間につなを
つりあけさせてふとこやすかひをとらせ給ひ
なはよかるへきと申中納言のたまふやうい
とよき事なりとてあなゝひをこほし人みな
帰りまうてきぬ中納言くらつ丸にのたまは
くつはくらめはいかなる時にか子をうむとし
りて人をはあくへきとのたまふくらつ丸申様
つはくらめ子うまんとする時は尾をさゝけて
七度めくりてなんうみおとすめる扨七度めく
らんおりひきあけてそのおりこやすかひはと
らせ給へと申中納言よろこひ給て万の人

【図 石上中納言】

【図】

にもしらせ給はてみそかにつかさにいまして
をのこ共の中にましりてよるをひるになして
とらしめ給ふくらつ丸かく申をいといたくよ
ろこびてのたまふこゝにつかはるゝ人にも
なきにねかひをかなふる事のうれしさとの
給ひて御そ【衣】ぬきてかつけ給ふつ?【「給ひつ」とあるところか】さらによさり
此つかさにまうてことの給ふてつかはしつ
日暮ぬれは彼つかさにおはして見給ふに誠つ
はくらめすつくれりくらつまろ申やうおう
けて【尾浮けて】めくる【廻る】あらこ【粗籠=目のあらい籠】に人をのほせてつりあけさ
せてつはくらめのすに手を指入させてさくる

に物もなしと申すに中納言あしくさくれは
なき也とはらたちてたれはかりおほえんにと
て我のほりてさくらんとの給ひてこにのりて
つられ上りてうかゝひ給へるにつはくらめお
をさけていたくめくるにあはせて手をさゝけ
てさくり給ふに手にひらめる物さはる時に我
物にきり【握り】たり今はおろしてよおきなしえたり
との給ひてあつまりてとくおろさんとてつな
をひき過してつなたゆる則にやしまのかなへ【注】
の上にのけさまにおち給へり人々あさまし
かりてよりてかゝへ奉れり御目はしらめ【白眼】にて


【注 八島の鼎=宮中の大炊寮にあった八個の竈にかかっている八個の鼎】

ふし給へり人々水をすくひ入奉るからうして
いき出給へるに又かなへの上より手とり足取
してさけおろし奉るからうして御ここちは
いかゝおほさるゝととへはいきの下にて物は
少覚ゆれとこしなんうこ【「と」と見えるは誤記か】かれぬされとこやす
貝をふとにきりもたれはうれしくおほゆる也
まつしそく【脂燭】してこゝのかいかほ見んと御くしも
たけて御手をひろけ給へるにつはくらめのま
り【大小便をする】をけるふるくそをにきり給へるなりけりそ
れを見給ひてあなかひなのわさやとのたまひ
けるよりそ思ふにたかふ事をはかひなしと

云けるかひにもあらすと見給けるに御心ち
もたかひてからひつのふたに入られ給ふへく
もあらす御腰はおれにけり中納言はいくいけ
たる【別本に「わらはげたる(童げ)」とあり】わさしてやむことを人にきかせしとし
給ひけれとそれをやまひにていとよはくなり
給ひにけりかひをえとらすなりにけるよりも
人のきゝわらはん事を日にそへておもひ給ひ
けれはたゝにやみしぬる【病み死ぬる】よりも人きゝはつか
しく覚え給ふなりけりこれをかくやひめ
聞てとふらひにやる哥
  年をへて波立よらぬすみの江

   まつかひなしときくはまことか
とあるをよみてきかすいとよはき心にかしら
もたけて人にかみをもたせてくるしき心ちに
からうしてかき給ふ
  かひはかくありける物をわひはてヽ
   しぬるいのちをすくひやはせぬ
と書はつるたえ入給ひぬ是を聞きてかくやひめ
少あはれとおほしけりそれよりなん少うれし
き事をはかひありとは云けるさてかくやひめ
かたちの世に似すめてたき事を見かときこ
しめして内侍なかとみのふさこにの給おほく

の人の身をいたつらになしてあはさるかくや
ひめはいかはかりの女そとまかりて見てまい
れとの給ふふさこ承てまかれりたけとりの家
に畏てしやうじいれてあへり女に内侍の給ひ
仰事にかぐやひめのうち【別本に「かたち」とある】いう【優】におはすなり能
見てまいるへきよしの給はせつるになん参り
つるといへはさらはかく申し侍らんといひて入
ぬかくやひめにはやかの御使にたいめんし給
へといへはかくやひめよきかたちにもあらすい
かてか見ゆべきといへはうたてものたまふかな
御門の御使をはいかてかをろかにせんといへは

かくやひめのこたふるうやう御門のめしてのた
まはん事かしこし共おもはすといひてさらに
見ゆへくもあらすむめる子のやうにあれと
いと心はつかしけにおろそかなるやうにいひ
けれは心のまゝにもえせめすないしのもとに
帰り出て口おしくこのおさなきものはこはく
侍る者にてたいめんすましきと申しないしか
ならす見奉りてまいれと仰こと有つる物を見
奉らてはいかてか帰り参らん国王の仰事を
まさに世に住み給はん人の承たまはてありなん
やいはれぬこと【訳の分からないこと】なし給ひそとことははちしく【「はちかしく」とあるところか】

云けれは是をきゝてましてかくやひめ聞へく
もあらす国王の仰事をそむかははやころし
給てよかしと云此内侍帰り参て此由をそうす
御門きこしめしておほくのひところしてける心 
そかしとのたまひてやみにけれと猶おほしお
はしましてこの女のたはかりにやまけんとお
ほして仰給ふ汝か持て侍るかくやひめ奉れ
かほかたちよしときこしめしておつかひたひ
しかとかひなく見えす成にけりかくたひ〳〵
しくやはならはすへきと仰らるゝおきな畏て
御返事申やう此めのわらははたへて宮仕

つかうまつるへくもあらす侍をもてわつらひ
侍さり共罷りておほせ給はんとそうす是を聞召
て仰給ふなとかおきなのおほしたてたらん物
を心にまかせさらむ此女もし奉りたるも
のならはおきなにかうふり【冠り=官位】をなとかたはせ【賜ばせ=下さる】さ
らんおきなよろこひて家に帰てかくやひめに
かたらふやうかくなん御門の仰給へるなをや
はつかうまつりたまはぬといへはかくやひめこ
たへて云もはらさやうのみやつかへつかうま
つらしとおもふをしゐてつかうまつらせたま
はゝきえうせなんす【消え失せなんず=消え失せてしまうだろう】みつかさかうふり【官爵】仕てし

ぬはかり也おきないらふる様なし給ひそかう
ふりもわか子を見奉らでは何にかせんさは有
共などか宮つかへをし給はさらん死給ふへき
やうや有へきといふなをそらことかとつかま
つらせてしなすやあると見たまへあまたの人
の心さしをろかならさりしをむなしくなして
しこそあれきのふけふみかとののたまはん事
につかん人きゝやさし【恥ずかしい】といへはおきなこたへ
て云天下の事はと有ともかゝりとも御命の
あやうきこそおほきなるさはりなれは猶つか
うまつるましきことを参りて申さんとて

【挿絵】

【挿絵】

参りて申やう仰の事のかしこさ【畏れ多くもったいなさ】に彼わらは
をまいらせんとてつかうまつれは宮つかへに
出したておはしぬへしと申すみやつこ丸か手に
うませたる子にてもあらずむかし山にて見付
たるかゝれは心はせも世の人に似す侍ると
そうせさす御門おほせ給はくみやつこまろか
家は山もとちかく也御かりみゆきしたまはん
様にてみてんやとのたまはすみやつこまろか
申様いと能事也何か心もなくて侍らんにふ
とみゆきして御覧せられなんとそうすれは
御門俄に日を定て御かりに出給ふてかくや姫の

家に入り給ふて見給に光みちてけうら【清ら】にて居た
る人有是ならんとおほしてにけて入袖をとら
へ給へはおもて【面】をふたきて【覆って】候へとはしめよく御
らんしつれはたくひなくめてたく覚えさせ
給ひてゆるさしとすとてゐて【率て】おはしまさんと
するにかくやひめこたへてそうす【奏ず】をのか身は
此国に生て侍らはこそつかひ給はめいとゐて
おはしまし難くや侍らんとそうす御門なとか
さあらむなをゐておはしまさんとて御こし【輿】を
よせ給ふに此かくやひめきと【急に】かけ【影】に成ぬはか
なくくちおしとおほしてけにたゝ人にはあら

さりけりとおほしてさらは御ともにはゐて【率て】い
かしもとの御かたちとなり給ひねそれを見て
たに帰りなんと仰らるれはかくやひめもとの 
かたちに成ぬ御門猶めてたくおほしめさるゝ
事せきとめかたしかくみせつる宮つこ丸を
よろこび給ふさて仕まつる百くはん【百官=多くの官吏】人々ある
しいかめしう【盛大に】つかうまかる【饗応する】みかとかくやひめ
をとゝめて帰給はん事をあかす口おしくおほ
しけれと玉しゐをとゝめたる心ちしてなんかへ
らせ給ひける御こしに奉て後にかくや姫に
  帰るさ【帰る折】のみゆき物うくおもほえて

   そむきてとまるかくやひめゆへ
お返事
  むくらはふ下にも年はへぬる身の
   なにかは玉のうてなをも見ん
これを御門御らんしていかゝかえり給はんそら
もなくおほさる御心は更にたち帰るへくもお  
ほされさりけれとさりとて夜を明し給ふへき
にあらねはかへらせ給ひぬつねにつかうまつる
人を見給ふにかくやひめのかたはらによるへ
くたにあらさりけりこと人よりはけうらなり
とおほしける人のかれにおほし合すれは人にも

あらすかくやひめのみ御心にかゝりてたゝひとり
過し給ふよしなく御かた〳〵にも渡り給はす
かくやひめの御もとにそ御文をかきてかよは
させ給ふ御かへりさすかににくからすきこえか
はし給ひて面白く木草に付けても御哥をよみ
てつかはすかやうにて御心をたかひになく
さめ給ふ程に三年はかり有て春の初めよりかく
や姫月のおもしろう出たるを見てつねよりも
物思ひたる様也有人の月かほ見るはいむ【忌む】事と
せいし【制し】けれ共ともすれは人ま【人間=人のいないすき】にも月を見ては
いみしくなき給ふ七月十五日の月に出居て

せちに物思へるけしき也ちかくつかはるゝ人
人竹取のおきなにつけて云かくやひめれいもえ
月をあはれかり給へ共此頃となりてはたゝ事
にも侍べらさめりいみしくおほしなけく事有
へしよく〳〵見奉らせ給へといふをきゝてか
くやひめに云様なんてう【なんでふ=何という】心ちすれはかくもの
を思ひたる様にて月を見給ふそうましき【満ち足りて快い】世に
と云かくやひめ見れはせけん心ほそく哀に
侍るなてう【なでふ=どうして】物をかなけき侍るへきと云かくや
ひめの有所【居る所】にいたりて見れは猶物思へるけし
きなり是を見て有仏何事思ひ給ふそおほす

らん事なにことそといへば思ふ事もなし物
なん心ほそくおほゆるといへはおきな月な見
給ふそ是を見給へは物おほすけしきは有そと
いへはいかて月をみてはあらんとて猶月出れ
は出居つゝなけき思へり夕やみには物思はぬ
けしき也月の程に成ぬれはなを時々は打なけ
きなきなとす是をつかふものともなを物おほす
事有へしとさゝやけと親をはしめて何事とも
しらす八月十五日はかりの月に出居てかくや
ひめいといたくなき給ふ人目も今はつゝみ給
はすなき給ふ是をみて親共も何事そととひさ

はくかくや姫なく〳〵云先々も申さんと思ひ
しかともかならす心まとはし給はんものそと
思ひて今を過ごし侍りつる也さのみやはとて打
出侍りぬるそをのか身は此国の人にもあらす
つきの都の人也それをなんむかしのちきり有
けるによりなん此世界にはまうてきたりける
今はかへるへきに成にけれは此月の十五日に
彼もとの国よりむかへに人々まうてこんすさら
す罷ぬへけれはおほしなけかんかかなしき事
を此春より思ひなけき侍るなりといひていみ
しくなくをおきなこはなてう事をの給ふ

そ竹の中より見つけきこえたりしかどなたね
の大きさをおはせしをわかたけたちならふま
てやしなひ奉りたるわか子を何人かむかへ聞
えんまさにゆるさんやと云て我こそしなめと
てなきのゝしる事いとたえがたけ也かくやひめ
云月の都の人にて父母ありかた時の間とてか
のくによりまうてこしかともかく此国にはあま
たの年をへぬるになんありける彼国の父母の
事も覚えすこゝにはかく久敷あそひきこえ
てならひ奉れりいみしからん心地もせすかな
しくのみあるされとをのか心ならす罷りなんと

するといひてもろともにいみしうなくつかは
るゝ人も年比ならひて立ちわかれなん事を心 
はえなとあてやかにうつくしかりつることをみ
ならひてこひしからん事のたへかたくゆ水のま
れず同し心になけかしかりけりこの事を御
門きこしめして竹取か家に御使つかはさせ給ふ
御使に竹取出あひてなく事限なし此事をな
けくにひけもしろくこしもかゝまり目もたゝ
れにけりおきな今年は五十はかりなりけれ
とも物思ひにはかたとき【短期間】になん老になりにけ
りとみゆおつかひおほせ事とておきなに云

いと心くるしく物思ふ成は誠にかと仰たまふ
竹取なく〳〵申此十五日になん月の都より
かくや姫のむかへにまうてくなるたうとくとは
せ給ふ此十五日には人々給はりて月の都の人
□うてこは【来ば】とらへさせんと申御使帰り参りて
おきなの有様申してそうしつる事共申を聞
召ての給ふ一目見給ひし御心にたに忘れ給
はぬに明暮みなれたるかくやひめをやりてい
かゝ思ふべきかの十五日つかさ〳〵におほせて
ちよくし少将高野のおほくにと云人をさして
六ゑのつかさ【六衛の司】合て二千人の人を竹取か家に

つかはす家に罷てつゐ地の上に千人屋の上に
千人家の人々おほかりけるに合てあけるひま
もなくまもらす此まもる人々も弓矢をたいし【帯し】
ておもや【家の中央の部分】の内には女ともはん【番=警固】におりて守らす
女ぬりこめの内にかくや姫をいたかへており
おきなもぬりこめの戸さしてとくちにおり
おきなの云うかはかり守る所に天の人にもまけ
むやといひて屋のうへにおる人々にいはく露も
物そらにかけらは【翔けらば=空を飛び廻れば】ふといころし給へまもる人
人の云かはかりしてまもるところにかはり【別本には「蝙蝠」とあり】一た
にあらはまついころして外にさらさんと

【挿絵】

【挿絵】

おもひ侍るといふおきなこれをきゝてたのもし
かりおり是をきゝてかくやひめはさしこめて
まもりたゝかふべきしたくみをしたり共あの国 
の人を得たゝかはぬなり弓矢していられ【射られ】し
かくさしこめて有共彼国の人々はみなあきな
むとす相たゝかはんとす共彼国の人きなは
たけき心つかう人もよもあらしおきなの云様
御むかへにこん人をは長きつめしてまなこを
つかみつふさんさかゝみ【さがかみ(其髪)=そいつの髪】をとりてかなくりお
とさんさかしりをかきいてゝこゝらのおほやけ
人に見せてはちをみせんとはらたちおるかく

や姫いはくこはたかになのたまひそ屋の上に
おる人共のきくにいとまさなし【見苦しい】いますかりつる
心さしともを思ひもしらて罷りなんする事の
口おしうはべりけりなかきちきりのなかりけれは
程なく罷ぬへきなめりと思ひかなしく侍る也
親達のかへり見をいさゝかたにつかうまつらて
まからん道もやすくも有ましきに日頃も出居
てことし計のいとまを申しつれとさらにゆる
されぬによりてなんかく思ひなけき侍る御心
をのみまとはして【惑わして】さりなん事のかなしくたへ
かたく侍也かの都の人はいとけうらにおひをせ

すなん思ふ事もなく侍るなりさる所へまか
らんするもいみしく侍らす老おとろへ給へる
さまを見奉らさらむ事こひしからめといひて
おきなむねいたき事なし給ふそうるはしきす
かたしたる使にもさはらしとねたみおりかゝる
程によひ打過ぎてねのこく計りに家のあたりひる
のあかさにもすきてひかりたりもち月のあか
さを十あはせたるばかりにて有人の毛のあなさへ
見ゆる程なり大空より人雲にのりておりき
て土より五尺はかりあかりたる程にたちつらね
たり内外なる人の心とも物におそはるゝやう

にて相たゝかはん心もなかりけりからうして
思ひおこして弓矢をとりたてんとすれ共手に
力もなくなりてなへかゝりたる事に心さかし
きもの【しっかりしている者】ねんして【念じて】いんとすれともほかさまへいき
けれはあれも【荒も】たゝかはて心地たゝしれにしれて【ぼんやりして】
まもりあへりたてる人共はさうそく【装束】のきよら
なる事物にも似すとふ【飛ぶ】車一くしたり【具したり】らかい【羅蓋】さ
したり其中に王とおほしき人宮つこまろ
家にまうてこといふにたけく思ひつるみやつこ
まろも物にゑひたるこゝちしてうつふしにふ
せりいはく汝おさなき人いさゝか成くとくを

おきなつくりけるによりて汝かたすけにとて
かた時の程とてくたしゝをそこらの年頃そこ
らのこかね給ひて身をかへたるかことくなり
にけりかくやひめはつみをつくり給へりけれ
はかくいやしきをのれかもとにしはしおはし
つるなりつみのかきりはてぬれはかくむかふ
るおきなはなきなげくあたはぬ事也はや返
し奉れといふおきなこたへて申かくやひめ
をやしなひたてまつる事廿余年に成ぬか
た時との給うにあやしく成侍りぬ又こと所に
かくや姫と申人そおはしますらむと云こゝに

おはするかくやひめはおもき病をし給へはえ
出おはしますましと申せは其返事はなくて
屋の上にとふ車をよせていさかくやひめきた
なき所にいかてか久敷おはせんといひたてこめ
たる処の戸則たゝあきにあきぬかうし共も
人はなくしてあきぬ女いたきて居たるかくや
姫と【外】に出ぬえとゝむましけれはたゝさしあふ
きてなきおり竹とり心まとひてなきふせる所
によりてかくや姫いふこゝにも心にもあらて
かくまかるにのほらむをたに見をくり給へと
いへとも何しに【どうして】かなしきに見をくり奉らん我

をいかにせよとてすてゝはのほり給ふそくして
ゐておはせねとなきてふせれは御心まとひぬ
文を書置てまからんこひしからん折々取出
て見給へとて打なきて書ことはは此国に生れ
ぬるとならはなけかせ奉らぬほとまて侍らて
過わかれぬる事返す〳〵ほゐなくこそ覚侍れ
ぬきをく衣をかた見と見給へ月の出たらん夜
は見をこせ給へ見捨奉りてまかるそらよりも
落ぬへき心地すると書をく天人の中にもたせ
たるはこ有あまの羽衣いれり又あるは不死の
くすり入りひとりの天人云つほなる御くすり

奉れきたなき所の物きこしめしたれは御心地
あしからん物そとてもてよりたれはいさゝか
なめ給ひて少かた見とてぬき置ころもにつゝ
まんとすれはある天人つゝませす御そ【御衣=お召もの】をとり
出してきせんとすその時にかくや姫しはし
まてといひきぬきせつる人は心ことに成なり
といふもの一こといひ置へきことありけりと云
て文かく天人をそしと心もとなかり給ひかく
や姫物しらぬ事なのたまいそとていみしくし
つかにおほやけ【天皇】に御文奉り給ふあはてぬさま
なりかくあまたの人を給ひてとゝめさせ給へと

ゆるさぬむかへまうてきてとりいて【率て】罷ぬれは
口おしくかなしき事宮仕つかうまつらす
なりぬるもかくわつらはしき身にて侍れは
心得すおほしめされつらめとも心つよく承は
らすなりにし事なめけなるもの【無礼な者】に思召とゝ
められぬるなん心にとまり侍りぬとて
  今はとてあまの羽ころもきるおりそ
   君をころも【あはれカ】とおもひいてたる
とてつほのくすりそへて頭中将をよひよせて
奉らす中将に天人とりてつたふ中将とり
つれはふとあまの羽ころもを打きせれりつれは

おきなをいとおしかなしとおほしつる事も
うせぬ此きぬきつる人は物思ひなくなりに
けれは車にのりて百人はかり天人くして上
りぬ其後おきな女ちのなみたをなかしてまと
へとかひなしあの書とをきし文をよみてきかせ
けれと何せんにか命もおしからんたかためにか
何事もようもなしとてくすりもくはすやか
ておきもあからてやみふせり中将人々ひき
くじて【「引き具して」の意。濁点を打ち間違い】帰りまいりてかくや姫を得たゝかひと
とめす成ぬるをこま〳〵とそうすくすりのつ
ほに御文そへて参らすひろけて御覧して

いとあはれからせ給ひて物もきこしめさす
御あそひなどもなかりけりだいじん上達部(かんたちめ)を
め□【「し」ヵ】ていつれの山か天にちかきとゝはせ給ふ
にある人そうすするかの国にあるなる山なん
此都もちかく天もちかく侍るとそうすこれを
きかせたまひて
  あうこともなみたにうかふ我身には
   しなぬくすりも何にかはせん
かの奉る不死のくすりに又つほくして御使に
給はすちよくしには月のいはかさといふ人
を召てするかの国にあなる山のいたゝきにもて

つくべき由仰給ふみねにてすへきやうをしへ
させ給ふ御文ふしのくすりのつほならへて火
をつけてもやすへきよし仰給ふそのよし承て
兵者もあまたくして山へのほりけるよりなん
其山をふしの山とは名付ける其けふりいま
た雲の中へたちのほるとそいひつたへたる

茨城多左衛門板
 
【蔵書印 外円】
BIBLIOTHEQUE NATIONALE MSS
【同 内円】
R.F.

【裏見開き 書き込みあり】

【左上に】
Japonais
5600
(2)


【左下に】
Acq. 83-4

【裏表紙 書票】

JAPONAIS
5600
2

【冊子の背の写真】

【冊子の天或は地の写真】

【冊子の小口の写真】

【冊子の天或は地の写真】

【帙  外側】
書票
JAPONAIS
5600
1-2

【帙 書店の書票に】
《割書:絵|入》竹取物語  二冊
茨城多左衛門板
【書票下に左からよむ】
玉英堂書店
東京•神田  電話 294 − 8045

BnF.

【表紙】

【見返し】
JAPONAIS
302

【見返し】

【文字なし】

【文字なし】

【上部右側】
《割書:R.B| 1843》3285

【上部左側】
【見え消し】1044
302

【文字なし】

【文字なし】

【標題紙裏】
【蔵書印 丸印】BIBLIOTHÈQUE IMPÈRI【続き不鮮明 ALE?】 MAN.

法橋保国画図
野山草
浪華書舗 積玉団

【右丁は前ページで翻刻済】
【挟み込みの用紙、日本語部分 横書き】
絵本野山草   je hon no- jama gusa. 5  
【筆記体の文が解読できません。どなたか補足お願いします。】 Abbildungen  
20

【左丁】
画本野山草叙
四時行は種百物来る中に山原
水澤の草花愛すへき物若干
各色を競ふて爛慢たりかの
淵明が菊を愛し茂叔が蓮を
愛するの類は其操をとりて色艶を
とらず是賢者の物を翫ふは志を

【右丁】
表はずして真に愛す能ず也予家
世〳〵画を嗜み華を取て恒の
産とす依て今草花を図せんと欲
して或は山野に逍遥し或は
樹家に徘徊して見る所の花を
権乃へ葉を袖にして其名を尋て
真偽を辧し漢名に至ては本尊

【左丁】
三才図会に依て是を訂し新花
の如きは出所を追ふて名を記す爰に
其佳なる物数十種を撰写す題に
画本野山草といふ今幸に渋川氏の
需に応して梓に鏤はめ聊童蒙
の便りとす是凡草花は風土の寒暖
肥痩によりて国々の形容同しからず

【右丁】
花葉ともに異ありて図するところは眼の
あたり関る所を是とする而已巻を
開く徒是を察せば幸ならむ
  浪華  法橋保国

【左丁】
画本野山草巻之一目録
甘(かん)菊(きく)花(くは) 紫(し)蕙(らん) 花(け)蔓(まん)草(さう) 熊(くま)谷(かへ)草(さう)
敦(あつ)盛(もり)草(さう) ほたる草 いちはつ 馬(ば)藺(りん)
白(を)朮(けら) 銀(ぎん)銭(せん)花(くは) 蘭(らん)菊(きく) 一りん草
【白朮の左側の振り仮名】びやくじゆつ
あやめ 春すかしゆり 午(ご)時(し)花(くは) 夕(ゆふ)錦(にしき)
廉子(かのこ)百合(ゆり) 羽(は)衣(ころも) 仙(せん)翁(おう)花(け) 小(せう)苑(ゑん)草(さう)
桔(き)梗(けう) しもつけ 芙(ふ)蓉(よう) 山(やま)藤(ふぢ)

【右丁】
あみだ笠(かさ) 紅黄(こうわう)草 をだまき 高麗(かうらい)菊
時(と)計(けい)蘭(らん) 澤(さは)桔梗(ぎけう) 丁子(てうじ)草 かたこゆり
まゆはき くかい草 秋(あき)菊(きく) 《割書:すいようひ|小猩々》
《割書:こがねめぬき 大ぬれ鷺|大般若 清見寺 さきわけ》 山(やま)杜鵑(ほとゝぎす) 秋(あき)薊(あざみ)
燕(かる)麦(かや) 鬱(う)金(こん) 立(たち)葵(あふひ) 戎葵千辨(からあふひせんこん)
岩(がん)石(ぜき)蘭(らん) 岩(いは)蘭(らん) 風(ふう)蘭(らん) 石(せき)斛(こく)
釣(つり)鐘(かね)かつら 黄(わう)蕙(けい)

【左丁】
南陽酈懸(レイケン)ニ甘谷アリ水甘 也上ニ多 ̄ク菊アリ水ニ落テ流下ル谷中ノ
人家此水ヲ飲上寿ハ百二三十中ハ百余歳七ハチ十ヲハ夭トスルナリ





【右丁】
紫(し)蕙(らん)
【左側の振り仮名】シケイ

【図中央の花の下の注記】白
            エンシ

【左丁】
【図理中央下の花の下の注記】花 エンシク
              エンシク

花(け)蔓(まん)草(さう)

【右丁】
熊谷(くまかへ)草(さう)

 ノウテナ白六
 コフンウス生エンシク
ホシクサノシルスシヨ

【左丁】
 地白キソトサキヨリ
生えエンシク 内ソコヨリ同
ク スシホシ同生エンシ

敦盛(あつもり)草(さう)

ほたる草

【右丁】
いちはつ

【左丁】
馬(ば)藺(りん)

【右丁】
【見出し、囲み部分】甘菊(かんきく)花《割書:花五六月より|十月まで》【囲みの外】葉(は)つねの菊葉(きくのは)の順(めぐ)り丸(まろ)し花(はな)の色(いろ)白(しろ)黄(き)
さかやき有菊也 高(たか)さ一尺(いつしやく)ばかり又(また)は四五寸斗(しごすんばかり)山谷(やまたに)に有(あり)野原(のはら)にも
有あぢはひ甘(あま)きを以て甘菊といふ菊児童(きくじどう)にあしらふも是(これ)なり
【区切り線】
唐(たう)本草(ほんさうニ)菊花(きくくは) 一名(いちめいは)女節(じようせつ) 一名(いちめいは) 女華(じよくは )劉蒙菊譜(りうもうがきくのふ)三十(さんじう)
五品(ごひん)又(また)三十二品(さんじうにひん)范石湖菊譜(はんせきこがきくのふ)七十二種(しちじうにしゆ)今(いま)不(す)_レ止(とゞめ)_二
一(いつ)-種(しゆの) 甘菊(かんきくを)_一茎(くき)紫(むらさき)気(き)香(かぐはしく)味(あぢはひ)甘(あまく)花(はな)深黄(しんくわう)単葉(せんよう)有(ある)_二粥(しゆく)膜衣(もい)_一
者(ものを)為(す)_レ真(しんと) 取(とりて)_レ花(はなを)作(なし)_レ糕(もちと) 并(ならひニ)鹹烹(しほににして)飲(のみて)佳(かなり)又(また)有(あり)_二鴛鴦(えんわう)菊(きく)五月
菊六月菊_一陸(りく)亀(き)蒙(もう)有(あり)_二把菊賦(はきくのふ)_一曽(かつて)端伯(たんはく)以(もつて)為_二佳友(かいうと)_一
【区切り線】【見出し、囲み部分】しらん《割書:三四月花咲|けいとも云》
紫(し)けい共云 漢名(かんめう)白及(はくきう)
【囲みの外】葉 黄蕙(わうけい)のはに似(に)てながくこはし花しのたち
のびてらんのごとき本紫色(ほんむらさきいろ)の花さく花のうち
舌(した)あり同(おなし)く紫いろに白き粟紋(なゝこ)すこし有あり又うすむら
さき有うすけいとも紫けいともいふ又白けいといふ有花のいろ
白し一 種(しゆ)白に紫の咲(さき)わけ有葉ほそく長(なが)しつねの紫よりは小(こ)

【左丁】
葉(は)にして茎(くき)をまきだん〳〵に葉 出(いつ)る至極(しごく)見事(みごと)なり
【区切り線】【見出し、囲み部分】けまん草《割書:漢|名》
花(か)苞(はう)牡丹(ぼたん)
又黄(き)けまん
漢名 馬芹(ばきん)
【囲みの外】はなのかたちけまんのかたちだん〴〵につらなり
黄(き)けまん菊(きく)のかたちやぶにんじんの葉のごと
しはなのかたちせいらんのはなに似(に)て色(いろ)
黄(き)なりけまんの名(な)あれともくさみしかく
別(べヽつ)にちがひありはな三四月まであり
【区切り線】【見出し、囲み部分】熊谷(くまかへ)草(さう) ̄花三月
敦盛(あつもり)草(さう) ̄花二月
【囲みの外】花のかたち母衣(ほろ)のごとく色白く葉は款冬(ふき)の
葉に似(に)てこはくあつしまた敦盛(あつもり)草(さう)は
色(いろ)うす紅(べに)也葉さゝばなり花のかたち似(に)たり是其類(これそのるい)漢名 莪朮(がじゆつ)
【区切り線】【見出し、囲み部分】ほたる草《割書:四月中|はな有》
【囲みの外】葉 柳葉(やなぎのは)に似(に)てあつくつや有花ちいさく
いろ本(ほん)るりそこ白しるりと白との間(あいだ)にあいべにのほし
入(い)りうちにほそきしへあり至極(しごく)見事なり蔓(つる)生(しやう)
ず茎(くき)をふせ根(ね)をおろすほたるかづらともいふ又るり草(ざう)
とも玉(たま)かづらともいふたけ五六七寸ばかり谷にあり






【右丁】
白(を)朮(けら)
【左丁】
銀(ぎん)銭(せん)花(くは)
らんきく

【右丁】
一りん草
渓蓀(あやめ)
【左丁】
春すかしゆり

【右丁】
【見出し、囲み部分】白朮(びやくじゆつ) 《割書:花夏ゟ|秋の末|まて咲》
【囲みの外】春(はる)より生(しやう)ず葉(は)はこはくさゝらあり鋸歯(のこぎり)ちいさく一 枚(まい)葉(は) 有
三つ葉(は) 有花 白(しろ) く亦(また) 桜色(さくらいろ) 有 台(うてな)に小(ちいさ)き魚骨(うをのほね)のごとくなる
葉のとりまきあり長(たけ) 一二尺ばかり一名ををけらともいふ
【見出し、囲み部分】銀銭花(ぎんせんくは) 《割書:朝露草(てうろさう)|ともいふ》
【囲みの外】はなのかたちかうそのことく花は秋葵(かうそ)より小(ちいさ)し
いろ白青きうるみ色花 底(そこ) 黒べにのきほひあり葉五つ出(で) 三つて有
葉のきれ西瓜(すいくは)の葉に似(に)たり長一二尺ばかりえだもあり朝(あした)に
ひらきゆふべにしぼむその次(つぎ)なるはな又朝にひらく秋葵(かうそ)
の類也又 金銭花(きんせんくは)に似たり六七月まではなさく
【見出し、囲み部分】蘭菊草(らんきくさう)
《割書:七月より|八月まて花》
【囲みの外】葉 布(ほ)袋(てい)ぎくに似てうすくひろしさき尖(とか)り
ふちのまはりきれあり葉の間にたん〳〵くるま
にさくはなにむらさきしろ二 種(しゆ)あり
【見出し、囲み部分】馬(ば)藺(りん)
【囲みの外】花のかたちあやめのごとし色(いろ)うすむらさき葉あやめ
に似てすこしほそし三四五月まではなあり
【見出し、囲み部分】いちはつ
【囲みの外】花に紫白二色有葉 日扇(ひあふぎ)に似(に)たり二月 末(すえ)花あり
【左丁】
【見出し、囲み部分】一りん草
兎(と)葵(き)《割書:二|月》
はな有
【囲みの外】花葉ともに梅花草(はいくはさう)に似て小(こ)ぶり也このだち一りんつゝ
はなさく夏雪草(なつゆきさう)ともいふ此 少(すこ)し大ふりなるを一(いつ)
花草(くはさう)といふ梅花(ばいくは) 草とははなのつきやうにちがひあり
【見出し、囲み部分】あやめ《割書:三四|月》
渓蓀(けいそん)《割書:花|有》
【囲みの外】花に白あり紫有ねずみ色あり咲わけあり白に
紫のうつり少(すこ)し有花也 蜀錦(しよくきん)あやめといふ又色紫
にて六えうありまたをきなあやめといふは葉しろにあを
のうつりあり筋入(すじいり)あやめあり葉に白すこしいる
【見出し、囲み部分】春透(はるすかし)百合(ゆり)《割書:三四に|花さく》
【囲みの外】夏(なつ)すかしよりはすこし色つよくかのこ少(すくな)し
まるみ艶(つや)ありたちのびること二三尺はなのいろ黄あかく紅のく
ま有花ひら六 枚(まい)しへ六 本(ほん)さきに米(こめ)有色むらさきなり
【仕切り線】
百合(ひやくがう)有(あり)_二 三種(さんしゆ)_一。一名(いちめいは) 檀香(たんかう)。百合(ひやくがう) 子(み) 可(べし)_二 烹(に) 或(あるひは) 蒸(むして) 食(くらふ)_一_レ之(これを)。 益(ます) 気(きを)。一(いち)
名(めいは) 山百合(さんひやくかう)。子(み) 可(べし)_レ食(くらふ)。花(はな) 遅(をそきこと) 一月(いちげつ) 不(す)_二甚(はなはた) 香(かうばしから)_一 一名 ̄ハ虎皮(こひ)百合(ひやくがう) 能(よく) 殺(ころす)
_レ 人(ひとを) 不(す) -可(べから)_レ食(くらふ)。都(と)波(は)不(ざり)_レ 知(しら)_二 耕稼(かうかを)_一 土(と) 多(をゝし)_二 百合(ひやくかう)_一取(とりて)_二其(その) 根(ねを)_一以(もつて) 為(す)_レ糧(かてと)

【右丁】
午(ご)時(じ)花(くは)
【左丁】
夕(ゆふ)錦(にしき)

【右丁】
鹿子(かのこ)百合(ゆり)
【左丁】
内朱
外ニクシキ

仙(せん)翁(をう)花(け)

羽衣草(はごろもさう)

【右丁】
【見出し、囲み部分】午時花(こしくは)《割書:花六七月|一名金銭花|又子午花》
【囲みの外】葉のかたちずた草に似たれどものこぎり小(ちいさ)く
はにこはみあり花のかたちぼけの花に似てさきと
がりよこ花 開(ひらく) 赤(あか)ぼけに似て色又 濃(こい) 紅(べに)にして見事也花かくへ
さき至極(しごく)いかりつよくうちにあかきざい五つたち中心(まんなか)に蘂(しべ)
一つ立(たつ)しべともにあかし葩(はなびら)の底(そこ)にもいろあり其 次(つぎ)に少(すこ)し
紫有 此(この)しべ惣(そう)あかし台(うてな) 長春(ちやうしゆん)に似(に)て又たねのふくらなし
つぼみたねに似てたね又つぼみに似たり長(たけ)一二尺はかり也
【見出し、囲み部分】錦帯(きんたい) 花(くは)
一名 夕錦草(ゆふにしき)
【囲みの外】葉 蕃椒(とうがらし)に似たり葉に大小有はなは山さくらに似た
り又花の茎(くき) 長(なが)くしてはるか下に台(うてな)あり花のいろ
黄あり又紅有 半(はん)黄(き) 半(はん) 紅(あか)ありとびいりあり一本のうちに
いろ〳〵有また黄ばかりべにばかりあり葉むかひあひ出て
えだも両方へはびこるはな七ハ月にさくなり
【見出し、囲み部分】鹿子(かのこ) 百合(ゆり)《割書:六七月|花有》
【囲みの外】葉ほとゝぎす草にに似たり花白にして紅
のくまあり又紅むらさきのほしかのこあり葩(はなびら) 六 枚(まい)花大さ鬼(をに)
百合(ゆり)のごとく茎(くき)同し高(たか)さ四五尺ばかりなり
【左丁】
【見出し、囲み部分】せんのうけ
剪(せん) 秋(しう) 羅(ら)
【囲みの外】花葉ともがんひに似色有紅有白ありうす紅あり紫有
むらさきしぼり有りとびいり有高さ二尺斗六七月花さく
【仕切り線】
剪(せん) 春(しゆん) 羅(ら) 花(はな) 有(あり)_二 五(ご) 種(しゆ)_一 春夏(しゆんか) 秋(しう) 冬(とう) 各(をの〳〵)  以(もつて)_レ 時(ときを)  名(なづく)  春(しゆん) 夏(かの)
二(じ) 羅(ら) 色(いろ) 黄(き)   紅(くれなゐニ して)  不(ず)_レ 佳(かなら) 独(ひとり) 秋(しう) 冬(とうの)  紅深(ものはこうふかく)  色(いろ)美(びなり)亦(また) 在(あり)_二 春(しゆん)
時(じ) 分(わかつ)_一_レ 種(たねを) 又(また) 一(いつ) 種(しゆ) 色(いろ) 金(きん) 黄(くわう) 美(び) 甚(はなはだし)  名(なづく)_二 金(きん)剪(せん) 羅(らと)_一
【見出し、囲み部分】のこぎり草
《割書:一名がんぎ草|又もしほ草又|はころもといふ》
【囲みの外】一本(もと)に二三十 茎(けう) 生(をひ)たつ高(たか)き二尺ばかり葉せまく
長(ながふ)してふちに鴈(がん) 歯(ぎ)有 夏秋(なつあき)の間(あいだ)はなをひらく細(さい) 小(せう)
の菊花に似(に)たりいろ紅白二いろあり紅花を上品(じやうひん)とすはな五
月にありまた九月末(すえ)にあるは紅(べに)むらさき色なり
【仕切り線】
此(これ) 本(ほん) 草(さう) 図(づ) 経(きやう) 等(とうニ) 其(その) 生(せい) 如(ごとし)_レ蒿(よもきの) 作(なす)_レ 叢(くさむらを) 高(たかさ) 五(ご) 六(ろく) 尺(しやく) 一(いつ) 本(ほん) 一
二(に) 十(じう) 茎(けう) 秋(しう) 後(ご) 有(あり)_レ 花(はな) 出(いづ)_二 於 枝(し) 端(たんより)_一 紅紫(こうし) 色(しよく) 形(かたち) 如(ごとし)_二 菊形能(きくのかたちのよく)
合(がつす)_レ之(これに) ○ 史(し) 記(き) 亀(き) 策(さく) 伝(でんニ)  言(いふこと)  蓍(めどの)  状(かたちを)  極(きはめて)  怪(あやし)   妄(みだりニ)  悉(こと〳〵く) 不(ず)_レ 可(へから)_レ 信(しんす) 惟(たゞ)
神(しんにする) 之(これを) 爾(のみ) ○ 詩(し) 経(きやうニ) 浸(ひたす)_二 彼(かの) 苞(はう) 蓍(きを)_一 《割書:葛(かつ) 風(ふう) 下(か)|泉(せんの) 章(しやう)》 朱(しゆ) 註(ちうニ) 著(めとは) 筮(ふ) 草(さう) 也(なり)

【右丁】
小(せう) 苑(えん) 草(さう)

桔梗(ききやう)

【左丁】
しもつけ

【右丁】
芙(ふ) 蓉(よう)

【左丁】
内スシ 生エンシ
外コフン

【右丁】
山(やま) 藤(ふじ)

【左丁 文字無し】

【右丁】
【見出し、囲み部分】小苑(せうえん) 草(さう)
【囲みの外】宿根(ふるね)より春(はる) 生(しやうず) 葉(は)はしをんより短(みじか)くよこへ少(すこ)しひろく
初生地(しよせいち)に数(す) 茎(けう) 出(いで)て五六 尺(しやく) 迄(まで)にのび立(たち) 花しをんのごとくにて白し又
小(こ) いをんと云草あり花 極(きは)めて小りんにして白し草立(くさだち) 葉ともしをん
のごとくにて小草(こくさ)也二尺ばかりのび立(たつ)花なり七八月はなさく
【見出し、囲み部分】桔梗(きけう)
【囲みの外】花 数(かず) 多(をゝ)しるりの一重るり八重白一重白八重紅ひとへ紅八重
南京(なんきん)さらさは白にるりのしぼり入大りん南京さらさ咲(ざき)と
いふはつねの花よりひらたく咲 扇桔梗(あふぎぎゝやう)といふはさらさ咲より葩(はなびら)たくましく
咲也又 咲分(さきわけ)有黄の桔梗有せんだい桔梗 車(くるま)桔梗有六七月花有和名ありのひふき
【見出し、囲み部分】下野(しもつけ)
線(せん) 繍(しう) 菊(ぎく)
【囲みの外】花のかたちさくら川草のごとく本紅色葉もみぢに似て
茎(くき)ほそし白花有うすいろあり白花の■は葉なつくき
れあさし草下つけといふあり

BnF.

BnF.

【絵巻物を巻いた状態】

【ラベル: SMITH-LESOUEF JAP K-18】

【絵巻物を巻いた状態の上部又は下部】

【絵巻物を巻いた状態の上部又は下部】

【絵巻物の表紙と紐】

【絵巻物見返し】

【農村の風景の絵】

【農村の風景の絵】

【農村の風景の絵】

【農村の風景の絵】

【農村の風景の絵】

【農村の風景の絵】

【農村の風景の絵】

【農村の風景の絵】

住吉内記廣行画(印)

【絵巻物見返し】

BnF.

【白紙】

【白紙】

【白紙】

BnF.

【巻物 題箋】
衣類裁物図
【資料整理番号の丸ラベル】
40
【資料整理番号の角ラベル】
SMITH-LESOUEF
 JAP
K-40

【巻物の軸棒の頭から撮った写真】

【巻物の軸棒のお尻から撮った写真】

【書き物を少し開いた状態。表紙題箋】
衣類裁物図
【資料整理番号の丸ラベル】
40
【資料整理番号の角ラベル】
SMITH-LESOUEF
  JAP
 K-40

【巻物の見返し 文字無し】



朱鞘
スヲリ

サケヲ

BnF.

〈為朝大明神〉

一隣斎
芳廉畫
文正堂

BnF.

【表紙】
CATALOGUE DU FONDS JAPONAIS
Manuscrits et xylographes

Nouvelles acquisitions
1986-

CATALOGUE DU FONDS JAPONAIS
MANUSCRITS ET XYLOGRAPHES

NOUVELLES ACQUISITIONS
1986-2008

【右上・手書き頁番号】1


MANUSCRITS

Japonais 5329
(Réserve)
大般若波羅蜜多經 巻第一百九十四
奈良時代 八世紀写 永恩經
Dai hannya hara mittakyô, chapitre 194.
Non daté. Epoque de Nara. 8e siècle.  1 rouleau

Japonais 5330
(Réserve)
二十四孝
画并譯文 東都 牛山人箕騰世龍譯併書
梅溪平世胤画 維時寛政十一年歳次己未春仲
極彩色 画帖
Nijû shikÔ.
Non daté.  1 volume

Japonais 5331
(Réserve)
きふね 奈良絵本 上・下 洋装合一冊
Kibume. Nara ehon.
Non daté.  1 volume

Japonais 5332
布袋草司 絵巻 上(下欠)
Hotei sÔshi.
Non daté.  1 rouleau

Japonais 5333
勃那把爾帝始末 高橋景保訳編
文政頃新写
Bonaparute shimatsu. traduit par
Takahashi Kageyasu.
Non daté.  1 volume

Japonais 5334 (1-2)
「化度寺碑」「温泉銘」 金子鷗亭書
\Kedoji hi\, \Onsenmei\.
Calligraphies par Kaneko Otei.
Don du calligraphe, le 18 octobre 1988
Non daté.  2 feuilles

Japonais 5335
七福神本紀 飯塚清實序
寛保四年写 彩色挿絵七図
Shichifukujin hongi. Préface de Iizuka
Kiyosane. Illustré de sept dessins
coloriés au lavis. Daté 1744.  1 volume

Japonais 5336
太宗温泉銘 野崎幽谷書
奥書「一九八九年孟冬 幽谷臨模」
帙書名「幽谷臨書帖」
TaisÔ Onsenmei. Calligraphie par
Nozaki Yûkoku, d'après \L'Inscription
de la Source chaude\ par l'empereur
de Chine Taizong. Daté hiver 1989.  1 feuille

Japonais 5337
[街頭風俗絵巻] 無款 詞書なし
[幕末頃]写 絹本著色 1軸
[Gaitô fûzoku emaki].
Scènes de la rue. Anonyme.
Sans texte. Non daté. XIXe siècle.
Encre noire et couleurs sur soie.  1 rouleau

Japonais 5338 (1-2)
「處々全真」「月声松影」 藤田金治書
色紙判
Deux calligraphies originales par
Fujita Kinji  2 feuilles

【右上・手書き頁番号】2


MANUSCRITS (suite)

Japonais 5339
(Réserve)
[うらしま] 絵巻下(上欠)・元奈良絵本
[Urashima]. Incomplet.
Non daté.  1 rouleau
Japonais 5340 (1-5)

Japonais 5340 (1-5)
源氏物語 紫式部著
「末摘花」「明石」「蓬生」「夕霧」「早蕨」
Genji monogatari, par Murasaki Shikibu.
Non daté.  5 volumes

Japonais 5341 (1-9)
[女歌仙絵]
[Onna kasen'e].
Non daté.  9 pièces

Japonais 5342
(Réserve)
源平盛衰記 画帖
Genpei seisui ki.
Non daté.  1 volume

Japonais 5343
酒飯論絵巻
Shuhanron emaki.
Non daté.  1 rouleau

Japonais 5344
玻璃幻影 荒金大琳書
Pari gen'ei.
Calligraphie originale de
Arakane Dairin. Non daté. [1996.]  1 pièce

Japonais 5345
(Réserve)
桜の中将 奈良絵本 四・五(一・二・三欠)
江戸前期写 横本 2冊
Sakura no chûjô. Nara ehon. Incomplet.
Non daté.  2 volumes

【右上・手書き頁番号】3


Japonais 5346

Taketori monogatari
Epoque d'Edo
1 rouleau; 31,5 x 527,5 cm.; manuscrit à peintures comportant 5 scènes, sans texte.

1: Kaguya-hime recevant d'un messager céleste l'élixir de longue vie
2: Le coupeur de bambou et son épouse présentant l'élixir de longue vie à l'empereur
3: Kaguya-hime assistant à des divertissement en l'honneur de son départ
4: Kaguya-hime visitée par l'empereur
5: Kaguya-hime recevant des présents de la part de ses prétendants

竹取物語
江戸時代 写
1軸; 31,5 x 527,5 cm.; 紙本着色; 詞書なし

Modalités d'entrée:
Entré le 3 mars 2011
Acq. 11-02

【右上・手書き頁番号】4


XYLOGRAPHES

Japonais 5607
Konrei shiyô keshibukuro・par Hakusui
Kan'en 3 (1750).
1 fasc.: ill.; 12,8 x 18,5 cm.
婚礼仕用罌粟袋 白水著
江戸 西村源六 大坂 柏原屋清右衛門
京 菊屋七郎兵衛・和泉屋伝兵衛
寛延三年刊 2巻1冊 絵入

Japonais 5608 (1-5)
Nagasaki bunkenroku・par Hirokawa Kai.
Kansei 12 (1800).
5 fasc: ill.; 26 x 17,7 cm.
長崎聞見録 広川獬著
京都 林伊兵衛 林喜兵衛 藤井孫兵衛
大坂 浅野弥兵衛 森本太助 岡田新治郎
寛政十二年庚申九月刊 5巻5冊 絵入

Japonais 5609
Nanbanji kôhaiki. Préf. de Kiyû Dôjin.
1 fasc.; 25,6 x 17,9 cm.
Contient aussi Jakyô taii de Sessô Sôsai.
Edition imprimée à caractères mobiles en bois.
Préf. datée: Keiô 4 (1868).
南蛮寺興廃記 杞憂道人序(整版)
無刊記 慶応四年序 1冊
雪窓宗崔著「邪教大意」を合刻
木活字版原裝

Japonais 5610
Bangosen・par Katsuragawa Chûrô.
1 fasc.: 18,4 x 12,7 cm.
Contient aussi Bankoku chimei sen.
Préf. datée: Kansei 10 (1798).
蛮語箋 桂川中良
無刊記 寛政十年序 1冊
附録 万国地名箋

【右上・手書き頁番号】5


XYLOGRAPHES (suite)

Japonais 5611 (1-5)
Itsukushima ema kagami・par Chitoseen Fujihiko.
Tenpô 3 (1832).
5 fasc.: ill. en coul.; 26,5 x 18,9 cm.
厳島絵馬鑒 千歳園藤彦著
渡辺対岳・丸茂文陽・白井南章・千歳園藤彦縮図
京 三木安兵衛、江戸 須原屋茂兵衛、
大阪 河内屋太助、広島 樽屋総左衛門・米屋岳助
天保三歳次壬辰春三月 5巻5冊 色刷絵入

Japonais 5612 (1-6)
Shin chomonjû.
Kan'en 2 (1749),
6 fasc.; 26 x 18 cm.
Retirage postérieur.
新著聞集
寛延二年版 後刷 6冊

Japonais 5613
Nagasaki kôeki nikki・par Nagakubo Sekisui.
Bunka 2 (1805).
1 fasc.: ill.; 26,5 x 18 cm.
長崎行役日記 長久保赤水著
東武 小倉仁兵衛、京都 林伊兵衛・藤井孫兵衛、
攝城 森本太助・田邑九兵衛・浅野弥兵衛
文化歳在乙丑孟春[文化二年]刊
5巻5冊 絵入原装
題簽書名:《割書:標註 | 図画》 長崎紀行

Japonais 5614 (1-2)
Komachi kashû.
[S. l.]:[s. n.], c. Kanbun (1661-1673).
2 fasc.: ill.; 22,7 x 15,7 cm.
小町家集
無刊記 寛文頃刊 2冊 絵入

【右上・手書き頁番号】6


XYLOGRAPHES (suite)

Japonais 5615 (1-12)
Nihon hyakushôden issekibanashi・par Shôtei Kinsui;
illustré par Yanagawa Shigenobu.
12 fasc.: ill.; 25,1 x 17,7 cm.
Préf. datée: Kaei 7 (1854).
日本百将伝一夕話 松亭金水著 柳川重信画
大阪 群玉堂河内屋岡田茂兵衛 嘉永七年序 12冊 絵入

Japonais 5616
Tsukinamishû
1 fasc.: ill. en coul.; 22,4 x 15,8 cm.
Epoque d'Edo, c. XVIIIe siècle (seconde moitié).
月並集 句合せ合冊
無刊記 江戸後期刊 1冊 色刷絵入

Japonais 5617
Zôho nenchû kichiji kagami・compilé par Chin Mai kankô ?;
traduit par Chiba Genshi; complété par Takai Ranzan.
1|fasc.: ill.
Préf. datée: Bunsei 9 (1826).
増補年中吉事鑑 陳枚簡侯編集 千葉玄之譯解 高井蘭山増補
京都 出雲寺文次郎等刊 無刊記 文政九年序 1冊

Japonais 5618
Kôchô nijûshi kô・par Matsudaira Yôkei.
1 fasc.: ill.
Préf. datée: Ansei 3 (1856).
皇朝二十四孝 松平容敬著
無刊記 安政三年序 1帖 絵入

Japonais 5619
Onzôshi shina watari. Tome II.
[c. 1661-1673].
1 fasc. (manque: t. 1): ill. coloriées à la main
御曹子島渡 巻下
無刊記 寛文頃刊 1冊(上欠) 間似合紙刷り丹緑本

【右上・手書き頁番号】7


XYLOGRAPHES (suite)

Japonais 5620 (1-11)
Zenken kojitsu・compilé et illustré par Kikuchi Yôsai;
révisé par Tezuka Mitsuteru et al.
Incomplet, 11 fasc.: ill.; 26,3 x 18,4 cm et 25,6 x 18 cm.
前賢故実 菊池容斎編・画 手塚光照等校
雲水無盡庵蔵梓本 明治刊 菊池武丸蔵版
存: 巻第三上・下、四上、六上、七上・下、八上・下、
九上、十上・下    端本 11冊 絵入

Japonais 5621 (1-7)
Banpô shoga zensho・par Seisai-shujin.
Kaei 3 (1850).
7 fasc.: ill.; 8,1 x 18,2 cm.
万宝書画全書 清斎主人編
東都[江戸]: 須原屋茂兵衛[等], 嘉永3年
6巻・序目1巻 全7冊
題簽書名: 書画必携 名家全書

Japonais 5622
Sankô furyaku・par Kurihara nobumitsu.
1 fasc.: ill.; 8,2 x 18,2 cm.
Préf. datée: Tenpô 15 (1844).
鏨工譜略 栗原信充
無刊記 天保13年序 1冊

Japonais 5623
Mimeyori sôshi: 2 hen gekan・par Ryûtei-Senka I;
illustré par Utagawa Sadahide.
1847 (Kôka 4).
Incomplet, 1 fasc. (le dernier des quatre livrets):
ill.; 17,6 x 18,2 cm.
美目与里艸紙 二編下巻 笠亭仙果一世作 歌川貞秀画
江戸 山本平吉 引化4年刊 零本1冊(全4冊の内)

【右上・手書き頁番号】8


XYLOGRAPHES (suite)

Japonais 5624
Môshi hinbutsu zukô・compilé par Oka Genpô;
illustré par Tachibana Kunio (Yûhôsai Kunio).
Naniwa [Osaka]: Shishobô, c. 1785 (Tenmei 5).
1 vol. (7 kan en 3 fasc., couvertures d'origine),
rel. cartonnée: ill.; 26 x 18 cm.
毛詩品物図攷 岡元鳳編 橘国雄(Yû芳斎国雄)画
Naniwa [大阪] 四書坊 天明5年頃刊
洋装合1冊(原装7巻3冊)

Japonais 5625 (1-30)
Chinsetsu yumiharizuki・par Takizawa Bakin;
illustré par Katsushika Hokusai.
Edo: Hirabayashi Shôgorô, daté 1807-1811 (Bunka 4-8),
retirage postérieur. 30 fasc.: ill.
椿説弓張月 滝沢馬琴作 葛飾北斎画
江戸 平林庄五郎 文化4―8年版の後刷

【右上・手書き頁番号】9


XYLOGRAPHES

Japonais 5626 (1-60)
Genji monogatari 54 livres - suppléments: meyasu, keizu, hikiuta, Yamaji no tsuyu
Auteur: Murasaki Shikibu (987-1015)
Éditeur du texte et illustrateur: Yamamoto Shunshô (1610-1682)
[Kyôto], Yaô Kanbei, Jôhô 3 [1654]
60 volumes; 226 illustrations en noir; 27,4 x 19,5 cm.
Sceaux: 「鳳翔閣蔵」、「源頼徳印」
源氏物語54巻 目案7巻 系圖1巻 引哥1巻 山路の露1巻
紫式部[著](987-1015); 山氏春正[註・畫]
洛陽: 八尾勘兵衛, 承應3[1654]
60冊: 挿図: 半丁214図、見開き12図; 27,4 x 19,5 cm.
印記: 「鳳翔閣蔵」、「源頼徳印」

Japonais 5627 (1-20)
Kokon chomon jû 30 livres
Auteur: Tachibana no Narisue
Ôsaka, Kashiwaraya Seiemon & Kawachiya Mohachi, 1770
20 vol.; illustrations en noir; 22,4 x 16 cm.
Sceaux: 「平戸藩蔵書」、「楽歳堂図書記」、「子孫永宝」
古今著聞集20巻
橘成季著
大坂: 柏原屋清右衛門: 河内屋茂八, 明和7[1770]求板.
20冊: 挿絵あり; 22,4 x 16 cm.
印記: 「平戸藩蔵書」、「楽歳堂図書記」、「子孫永宝」

Japonais 5628
Ikoku monogatari
[Kyôto], sans date, Kikuya Shichirôbei
1 vol., 25,4 cm x 18,1 cm.
137 illustrations en noir, rehaussées de couleur à la main.
異國物語
[京都], [出版年不明], 菊屋七郎兵衛
1冊: 挿図: 137図; 25,4 cm x 18,1 cm.

Japonais 5629
Shûchin gajô・Ishikawa Tairô
Edo: Tsutaya Jûsaburô, 1803 [Bunka 9].
3 vol.; 31,8 x 21,3 cm.; illustrations en noir et couleurs; cachet: LG [Louis Gonse], Hayashi
Tadamasa
聚珍画帖3巻・石川大浪
シュウチンガジョウ・イシカワ, タイロウ
[江戸]: 蔦屋十三郎: 享和3 [1803]
3冊: 挿絵あり; 31,8 x 21,3 cm., 印記: LG [Louis Gonse]、「林忠正」

【裏表紙】

【背表紙】
JAPONAIS: Supplément

【管理タグ】
4
bur. or.
M
4
BIS

BnF.

【貼付題箋】
職人部類

    都筑【朱筆「大東」上書】氏蔵書
        【朱角印】大東蔵書

【枠外朱角印】
都筑氏蔵書印 【上に重ねて押印】 大東蔵書

職人部類序【朱丸蔵書印】    【朱角印】大東蔵書
そのはしめや觴をうかへる江の流に筆を
そそき百の工のわさをうつして梓弓つくれる
ものヽ子の箕をつくるためにそなへしもかたくな
なる丙丁童子のために奪はれそのたくみ
の老画師も今はその国の底なる人の
数にさへ入ぬるを玉くしけふたゝひ

【右丁】
うつはものをとくして花さく春の桜木
にちりはむる事とはなりぬよりてその
ことはりを冠師にかうふらしめて硯の海
に棹さし侍るもかのたくみのはしめ終りを
しるし侍るものならし
天明四のとし甲辰の春
       四方赤良
【左丁】
採(さい)画(くわ)職(しよく)人(にん)部(ぶ)類(るい)  上
   冠(かむり)師(し)   鏡(かヽみ)磨(とき)   大(たい)工(く)
   鍛(か)治(ち)   織(おり)殿(との)   具(く)足(そく)師(し)
   糸(いと)組(くみ)   元結扱(もとゆいこき)  紙漉(かみすき)
   鍔師(つばし)   御簾屋(みすや)   靭師(うつほし)
   籠作(かこつくり)   鞠屋(まりや)   硝子吹(びいどろふき)

【右丁】
【下部に冠を持つ男図】
冠(カムリ)
その冠の
 濫觴(ハシマリ)は
人皇第四の帝
懿徳天皇天地人の
三冠を制たまひ
其後天武の帝の
御時に至て男女
はしめて髪を結ふ事をなす
是より漆塗の冠を用ひて
【左丁】
【烏帽子を持つ男図】
禮儀定れり今の紗冠烏帽子も
 こヽに起源といふ又文武帝の
 比より厚額うす額透額を
制す透ひたひは其頂に繊月の
 ことく羅をもて張る世に
月額ともいへり十五歳以上の
 童子爰に壮氣を洩させん事を
謀るとかしこくも君か代のおん
めくみ仰くも恐あり百官儀々
 として是をいたゝく
烏帽子は数品算ふるに
 いとまなし中にも風折ゑほし
在五中将業平を
     はしめとすといふ

【右丁】
【下に女二人の図】
鏡(カヽミ)
唐土はいさ
知らす我朝
には三種の
神寶宝祚
連綿として
内侍所の影清
後鳥羽院
御製にも
七の社のます
鏡と神あり
ます倭国の
寶ことに婦人は
第一身たしなみの具にして
待宵の嬬屋(ツマヤ)のかさり衣〳〵の姿鏡
【左丁】
【下に鏡を研ぐ男の図】
いつれを何れとくらへなむ
古書に曰むかし夫婦のものあり
わりなき別をなすその夫トは
国をへたつ其時に婦人
夫にせつなる別をかなしみ
朝夕手馴たる鏡を出して
是を破るふたヽひ此われたるを
合せむ事を誓ふ
  年経ても夫古郷へ
  帰らす婦もその
 なけきをわすれさるもの
 日々に疎くついに
他の人と契る時に其鏡
鵲と化してその夫のもとに
 いたる夫其婦の
  仇心を知る鏡のうらに
 かさヽきをつける事は
        此縁なりとそ

【下に手斧をかける男の図】
【右丁】
 工匠(タクミ)

日本紀 ̄ニ神武天皇元年
經(ツクリ)-_二始(ハシム)帝宅於 橿(ス)原 ̄ノ宮_一 ̄ニ此
時天 ̄ノ明 ̄ル日命掌 ̄ルト_二工匠_一 ̄ヲ

荘子云郢人 堊(シラツチ以テ) 漫(ヌリテ)_二其 ̄ノ鼻
端_一 ̄ニ若 ̄ニシテ_二蠅翼_一使 ̄シメ_二_レ匠石 ̄ヲ 斲(ケツラ)_一_レ之 ̄ヲ
運(メクラシテ)_レ 斤(テオノヲ) 成_レ風盡 ̄シテ_レ堊 ̄ヲ而不_レ傷

【刀を鍛える男と男児の図】
【右丁】
鍛(カ)
治(チ)

【左丁】
周の世の桃氏をはしめ
我朝には崇神天皇に
起る文武の御宇に
天国あり剱の諸刃を
  ふたつに割是を
 刀といふとそ夫より
代々に傳へつたへて
  もろ国に良工あり
 小鍛治宗匠を
    はしめとして
  かそふるに何指を
      もつて
        せむ

【右丁】
甲(ヨロイ)
甲 ̄ハ釋名 ̄ニ云
似 ̄リ_三物 ̄ノ之有 ̄ルニ_二鱗甲_一
始 ̄テ作 ̄ル_レ之 ̄ヲ人 ̄ノ異説
多 ̄シ
【左丁】
【下に鎧を組む男の図】
續日本紀 ̄ニ云
光仁天皇寚龜
十一年八月勅 ̄シテ
今革 ̄ノ之為_レ 甲

 俗呼 ̄テ_レ 甲 ̄ヲ 稱 ̄ス_二具足 ̄ト_一
 蓋此六具満足 ̄ノ
 之通-稱耳

【右丁】
【糸組をする女の図】
糸組(イトクミ)

京都に
 はしまると云
もとより
  糸は
婦人の
  常に
取あつかふ
 ものなれは
其組もの
それ〳〵に
 工夫
  し
 三条糸屋何某か廓にわかき婦人を
  多くならへてその職を専とす買人
【左丁】
【出来上がった糸組を整える女の図】
 そこに至つて其好むところの組物
  即席に組たてつかはす京わらんへ
   多くつとひあつまる今も
    組糸は婦人の職とは
           なれり

【右丁】
【下に元結を作る男の図】
鬙(モトユヒ)
君こすは
 ねやへもいらし
  こむらさき
 我もとゆひに
   霜は置
     とも
と詠しは古今集に
ありてふるき
     言の葉
       なから
樛(コキ)元結と
 賞さるものは
寛文の比より起る紙捻(コヨリ)を
 長く縷(ヨリ)て水にひたし
  車にて縷をかけて
【左丁】
水をしこくゆへに樛(シコキ)元結
 なりとそ又文七もとゆひ
           とは
  紙の名なりと
     いヽ傳ふ
       詳ならす

【右丁】
【織り機に糸をかける男の図】
織(ヲリ)
 殿(トノ)
【左丁】
【機を織る男の図】
應神天皇三十七年
の春 阿知使主(アチシヌシ)都加(トカ)
使主(トヌシ)を呉國につかはし
縫工女(キヌヌイヒメ)をもとめ給ふ
兄媛(アニヒメ)弟媛 呉織(クレハトリ) 穴織(アヤハトリ)
四たりの婦来たれり
是はしめなり
  金襴(キンラン) 唐織(カラヲリ)は
   京都西陣野本氏
    俵屋何某か織出す所
      はしめなりとそ

【右丁】
【紙漉をする女の図】
紙(カミ)

聖徳太子
 唐土より
   来れる
曇徵と
 いへる
  ものと
工夫ありて
はしめて帋を
 漉事を
  得給ふ
【左丁】
【紙を整える男の図】
それより代々おしうつり
 國〳〵の名産檀紙奉書を
上品として
 かそふるにいとま
      なし
京都は
   紙屋川の流
ありて其職をなす
東都は麻布関口或は
今戸山谷の神嵐の
       夕べ
何となく淋しき
 砧は四季を
わかたぬ遠音
 こそは
  ことさらに
 哀ふかし

【右丁】
【彫り物図案を見る男の図ヵ?】
雕鐫(ホリモノ)
世に後藤氏をもつて稱す
 傳へて云後藤四郎兵衛祐乗は
普光院義教公の家臣たり
 一旦義教公の怒にふれて
  獄舎に入れり比は六月炎天の
しのきかたきを籠守是をあはれみ
 桃実をあたふ祐乗大に歓ひ其核の
  面に山王二十一社幷に猿六十六疋を
彫たり其細密人間のなす業に
 あらす義教公是を聞たまひ
御覧あり誠に奇なるものとて
 其罪を赦し則祐乗に命して
刃剱の飾の具を造しむ其神
  妙にして禽獣草木人形等生るか
 ことしついに雕鐫の家をおこす
其彫る所のもヽのさねは今
【左丁】
【彫り物細工をする男の図】
常陸國にあつて日吉の
 神躰となす其子宗乗より
 代々つヽきて
     彫工妙手也

【右丁】
【簾を編む老人と若者の図】
鉤簾(ミス)
 又
  翠簾

  風雅集
【左丁】
雨晴るヽ
 風はおり〳〵
   吹いれて
 こすの間
    匂ふ
 軒の梅かえ

 永福門院
   内侍

【右丁】
【小刀を渡そうとするヵ母子の図】
靭(ウツホ)
【左丁】
【靭師主従の図】
三才圖會云
靭 ̄ハ 以_二皮革 ̄ヲ_一為 ̄ル_レ之
隨_二弓弩及箭大
小長短_一用_レ之

  萬葉集に
ますらをの
  ゆき取負て
   出ていかは
 別れを惜しみ
  なけきけん
      妻

【右丁】
【籠を編む男の図】
籠(カコ)

篭は和名
  にして
 唐土には
籃(カタミ)といふ
  種類多く
農業の具
 あるひは
  家飾の具なり
駿河に生る竹
 いたつてよろしく
【左丁】
【籠を編む男に茶を差し出しながら猫と遊ぶ男児の図】
其業をなすもの
 そこに集る
摂州有馬に
  又産あり
花器菜籠を
 はしめとして
甚妙なる
  細工をなす
 世に名産とす

【右丁】
【鞠を作る若い男の図】
鞠(マリ)
鞠は
黄帝
 作らしめ
たまふと
本朝へは
皇極天皇
   の時
 はしめて
  わたる
母帝なれは
是を翫ひ
 たまはす
【左丁】
【鞠を作る壮年男の図】
文武帝
大寶元年
はしめて蹴鞠あり
 相続て
後鳥羽院是を
 賞し給ふ
飛鳥井中将雅經郷【ママ、卿】
此道に達したまひ
 世々蹴鞠の師祖とす
  庶流わかれて
 難波家あり両家を
  もつて世に鳴る所なり
  夫木集に    慈圓
花のもとにかけてかすそふまりの音の
 なつまぬほとに雨そゝくなり

【右丁】
【硝子吹きの男の図】
硝子(ヒイトロ)
【左丁】
【硝子吹きの若者の図】
本朝のものならず
外国より出ると云
紅毛人持来れるを始とす
其製いたつて美なり
中興長崎に是を製する
ことをえて花洛坂場に傳へ
其業をなすものあり近比は
東都に其職行はれ品類数多
器物の物数寄徴明也
まことに四海おさまれる
君か代の徳化溢れかヽる
外國に産するものまても
残りなく鳩集すは
有かたき聖代ならすや

【左丁】
彩画職人(さいくわしよくにん) 部類(ふるい) 下
 扇折(あふきをり)   琴師(ことし)   面打(めんうち)
 筆結(ふてゆい)   土(かはら)器師(けし)  畳指(たヽみさし)
 轆轤(ろくろ)細工(さいく) 経師(きやうし)   賀留多屋(かるたや)
 傘張(からかさはり)  磨(いしうす)切(きり)  針師(はりし)
 硯彫(すヽりほり)

【右丁】
【扇面を折る女の図】
扇(アフキ)
事物紀源云
黄帝内傳 ̄ニ有_二
五-明-扇 ̄ノ之起 ̄リ_一
今以招 ̄ク_二涼風 ̄ヲ_一
者周 ̄ノ武王所
_レ作 ̄タマフ也【原本は玉】
其品数多ありと
 いへとも就中
 神宮皇后三韓を
  責たまふ時
   かうふりの羽を見て
【右丁】
【扇の骨を入れようとする女の図】
はしめて扇を作
 らしめ給ふは
我朝の濫觴にして
 代々官家に檜扇あり
光源氏五條
 あたりの夕顔も
 惟光か取あへぬ
   用となせり
斑妙か閨のかこちくさ
 へんことなき恋路にも
  都しのふほとのゆかしさ
   涼風は勿論にして
 男をふなの中にも
   わりなき姿ならすや

【右丁】
【琴を作る男の図】
琴(コト)
唐土には琴瑟と
わかれ品類是分る
本朝の琹は旧事紀に
いふ天(アマ)の詔琴(ノリコト)
 大(オヽ)己(アナ)貴(ムチノ)命(ミコト)持給ひ
 しとあり和琴(ワコン)は
 河海(カカイ)抄に出たり
又弓六張ををならへて
 引鳴らしたるより
天 細(ウス)女(メノ)命 天(アマ)香(カ)の弓
たて並へ絃をならし
給ふ故事なり
【左丁】
【煙管に火をつける検校?】
今玩婦十三絃は
筝(ソウノコト)といふなり宇多帝の
とき築【ママ】紫彦山にて
色子(イロコ)といふ命婦の曲を
唐人に傳えられし事あり
築紫琹ともいふ又
ある説には十三絃は
二十五絃をわりて半
略したる也十二調子を
あはせり初の一絃名のみ
はかりにてひく事なし
同しく半琴と云爰に八橋流は
寛文の比築紫の法水といふ僧
筝を八橋検校に傳ふ今以
     築紫曲といふとそ

【右丁】
【面打ちの老人の図】
面(メン)
人皇
 三十四代
推古天皇の
   御宇
聖徳太子
 和國安民の
ために天地の
神を祭たまふ
 此時三十六番の
【左丁】
【老人に話しかける男の図】
 面を作らしめ
 秦河勝をして
楽を作らしめ
 神事をなさしめ
 たまふ其後
神楽(シンカク)の扁を除き
  楽を略して
   申楽の
     起りといふ

【右丁】
【筆つくりの老人の図】
筆(フテ)
上代始めて
 造る所
  詳ならす
 ことの製する所も
  又異なり今の
【左丁】
【筆の毛を整える少年の図】
毫は蒙沽より
 傳へて毛穎是を
     製すと
  拾遺愚抄【ママ、草】  定家
ぬしや誰
  見ぬ世の事を
   うつしをく
  ふてのすさみに
   うかふ面かけ

【右丁】
【器を作る男の図】
土器(カハラケ)
洛の東山
 源艸の
里に
 多く
是を業と
 なすもの
   居れり
 最上品とす
東都は箕輪
 かな杉のわひしさ
  土の轆(ロク)轤(ロ)の音
【左丁】
【男の妻と男児の図】
かすかにさすかに
 陶つくりと
  いふほとにも
      あらて
あるほとの日南に
 ならへ立うら〳〵と
陽炎もゆる雨あかりの
 朝けしき鶯の聲
  なよ竹の
   まはら垣に
 そこ爰鄙ひたる
  住居にこそ
   何とやら哀
      深し

【右丁】
疉(タヽミ)
本朝式云掃部 ̄ノ 寮(カミ)
長疉短疉 ̄トテ

禁裡【ママ】 ̄ノ 御疉 ̄ハ
  長七尺厚二寸二分
三公及 ̄ヒ 門跡 ̄ハ
  長六尺六寸厚一寸八分
 吉野高野兩山亦用_レ之
 故 ̄ニ 呼 ̄テ 曰_二高野間 ̄ト_一

【左丁】
【畳を作る男の図】
畿内 ̄ノ 民家 ̄ハ
  長六尺三寸厚一寸七分
 謂 ̄フ_二之 ̄ヲ 京間 ̄ト_一
関東 ̄ノ 民家 ̄ハ
  長五尺八寸厚一寸六分
 謂 ̄フ_二之田舎間 ̄ト_一

【右丁】
【轆轤回しを手伝う男と妻子の図】
轆轤(ロクロ)
玉櫛笥箱根
山中に温泉の
涌出するところ
七所ありてなゝ
温泉と云此山
家に多くこの
業をなすもの
ありいつれの時
□□といふ事を
しらす工み出せる
其細工いたつて妙なり
【左丁】
【轆轤細工をする男の図】
槐樹柊梅桜
神代杉をもつてす
是を江都には湯本
細工とす殊さらに
称美す文房机上
飾の具をはしめ
包厨家飾に至るまて
このむ所に随はさるは
なし是を
  挽(ヒキ)物(モノ)工(シ)といふ

【右丁】
【表装する男の図】
經師(キヤウシ)
【左丁】
經工は佛家に用ゆる
 所の継經を製す
  此業をなすもの
為に帋細工をよくす
故に表具あるひは屏風
襖の類或は色紙
 短冊にいたるまて
  いつとなくこの業を
 なすもの兼たり
  実は經師表具工
   張付工なと
    差別あるへき
    ことなりとそ

【右丁】
【かるた札の形を整えているヵの若者の図】
賀留多(カルタ)  又 骨牌
阿蘭陀人是を
玩ふ寛永のころ
崎陽の人民俲て
たはむれとせり
其製古今同し
からす今もてあそふ
所の製は外黒くして
内白なり画く處
 青色 巴宇【ハウ=棒】 と云
  赤色 伊須【イス=剣】 といふ
   圓形 於留 【オウル=貨幣】 といひ
【左丁】
【かるたの絵柄を書く男の図】
 半圓 骨扶【コップ=盃】 と云四品
各十二共に四十八枚也
則其一は虫の形 豆牟 と云
二より九にいたる
まて其數目を
画く十は僧形
 十一は騎馬
  十二ハ武将也
又○加宇(カウ)
    ○宇牟須牟(ウンスン)
なといふありすへて
南蛮國の
  ことはなり

【右丁】
【傘張りをする男の図】
傘(カラカサ)
博物志 ̄ニ 云魏 ̄ノ 神元帝
始 ̄テ 為 ̄ル_レ傘 ̄ヲ
   古今集
みさふらい【御侍】
  みかさともふせ【御傘と申せ】
    宮城野の
木の下露は
 雨に
  まされり
【左丁】
文禄三年泉州堺の商人
 納屋助左衛門といふもの呂宋(ルソン)より
  帰来れり其時傘蝋燭
   をの〳〵千挺つヽを献す
    今用ゆるところの
     傘是なりとそ

【右丁】
【臼をひく手を休めて煙管の火を貸す男の図】
磨(ヒキウス)
日本紀 ̄ニ云推古天皇
十八年高麗 ̄ノ僧曇徵
來 ̄テ造 ̄ル_二碾磨(アツウス) ̄ヲ_一此 ̄レ其 ̄ノ始 ̄メ也
【左丁】
【火を借りる獅子舞の男の図】
今世俗に
  用ゆる
 揄磨(ヒキウス)是なり
 其石は
  摂州
   御影より
  出る所をもて
   最上とせり

【右丁】
【針づくりをする男の図】
針(ハリ)
説文 ̄ニ以_レ鍼 ̄ヲ結 ̄フ_レ衣 ̄ヲ
曰_レ縫 ̄ト 所-_二以 ̄ノ其縫 ̄ヲ_一
者 ̄ヲ曰_レ鍼 ̄ト俗作 ̄ル_レ針 ̄ニ

【左丁】
【針を包む女の図】
 又
本朝應神天皇
  十四年の春百済國
   よりふたりの
    婦人を貢とす
其工みなる事
 甚妙也是縫ものヽ
  はしめなり 其
製する所は京都
 姉か小路翠簾屋をもつて
  世に鳴る五十本を以て
    一匹といふ
帝王世紀云大昊制 ̄ストイウトキハ_二 九針 ̄ヲ_一
則縫-針(モノヌイハリ) ̄モ亦 ̄タ始 ̄ル_二于比 ̄ヨリ_一

【右丁】
【硯を彫る男の図】
硯(スヽリ)
西京襍記
天子 ̄ハ以_レ玉 ̄ヲ為 ̄ス
_レ硯且唐-人只
多以_レ瓦 ̄ヲ為_レ硯 ̄ト

五雜組 ̄ニ云
端州 ̄ノ石最 ̄モ良 ̄シ益ス_二墨靑
紫色 ̄ヲ_一者可 ̄シ_二直(アタイ)千金 ̄ナル_一
【左丁】
【石切をする男と男児の図】
  源氏物語
姫君御硯をやをら
引よせて手習のやうに
書ませ給ふを是に書
たまへ硯には書付さ
なりとて紙奉り給へ
そとあり

見る石の硯に
  物はかヽさりき
 ふしのやうじも【竹の楊枝も】
   つかはさりけり
       菅家

【右丁】

大東蔵書【蔵書朱角印】
【左丁】

黄帝(くはうてい)始(はしめて)宮室(きうしつ)をつくり給てより
荒(あれ)たる明穴(あきあな)山野(さんや)に多(おほ)く伯余(はくよ)
初(はしめ)て衣(ころも)を製(せい)せしより古衣(ふるぎ)のこの
葉(は)塵塚(ちりつか)にみてり抑(そも〳〵)聖(ひぢり)の思食(おぼしめし)付(つき)より
細工(さいく)は流(りう)〳〵みち〳〵の職人(しよくにん)次第(しだい)に
年(とし)経(へ)て繁栄(はんえい)せしかばちよつとあげ

【右丁】
ては計(かぞふ)べからずこゝに畫工(くはこう)岷江(みんかう)なる
ものきはめて丹青(たんせい)に精(くはし)しそのつくり絵(え)
のこまやかなるは千枝(ちえたの)つねのりゆるしつべく
又やまと絵のなよひかなるや浮世(うきよ)又平(またへい)逡(そこ)
巡(のけ)なるべしされば岷江一たび縞素(かうそ)に
ふんでを下せしより鋳(ゐ)もじの蹈鞴(たゝら)
自然(しぜん)に人籟(じんらい)を生(せう)し木地(きち)挽(ひき)の轆轤(ろくろ)
【左丁】
忽(たちまち)独楽(こま)のことく廻(まは)る今その眞(しん)を寫(しや)する
に至(いたつ)ては惣(すべて)の職人 筆端(ひつたん)にうごくいづれ
百工(ひやつこう)殊相(しゆさう)を窮(きはめ)て當時(とうじ)貴賤(きせん)の眼(め)をよろこ
ばしめんと梓(あつさ)にながうことぶきせしかば
何(なんぞ)以て足(たら)ずとせんやよし麒麟(きりん)凌(りやう)
煙(えん)の下(もと)にたヽざる物(もの)から
           朱楽菅江 【「大東蔵書」朱角印】

【裏表紙】

〈麻疹養生〉

もつてす祭礼 祈祷(きたう)は浮屠(ふと) 巫覡(かんなき)にたのみやまひは医薬にまかせ
なば重なることはよもあるまじ こゝろまよひて薬を用ひず
鬼神の墳墓に日参なし貧乏(びんぼう) 神をまつらぬやう 篁洲翁も
 いひをけり 留青集(りうせいしう)に鬼神の社を建立(こんりう)する化縁(けちゑん)の疏を戴たり
  されば和漢ともまゝある事なり云云
           東献山丁の北窓に
              岳亭春信写

          薬用も手当を
            さきに□□がなる
            写すもあ□□□□
                山もなにかは
                   文の屋
                    仲 丸贅

                    麻疹(はしか)に宜(よろしき) 食物(しよくもつ)                  一 くず 一 だいづ 一 しようが 一やへなり 一 な                  一 さゝげるい 一 だいこん 一 にんじん 一 くはしるい
                  一 かつをぶし 一 しいたけ 一 こんぶ《割書:そのたのうみ|くさるい》
一たうざづけ かうのもの □信□ず 一ゆり 一ふき 一ふ
                  一かんひゃう 一ながいも 一くわゐ 一とうぐはん 一しろうり
                    其外の食物は五十日いむおもきは百日いむべし
                    ゆあみかみゆひ七十五日ほど見合すべし
                    いつさいふじやうのものあしきにほひをかぐべからす
                    かわくともゆちやを用ゆべからす《割書:あくなり □□むぎを|せんじのむべし》
                    かせたるのち廿一日の間しらかゆばかり用ゆへし
                        《割書:伝□よのししよくもつをもちゆればかへりてよびやう引なして|ひたちがたし かたくつゝしむ事かんやうなり》
                    房事(ぼうじ)は百日の間かたくつゝしむべし

BnF.

【題字】
海外人物小伝・二

【表紙裏】

《割書:海外|■■》繍像人物小傳巻之二
  第二回
去(さ)る程(ほと)に勃那把爾的(ほなはるて)は意太里亜(いたりや)の陣(ちん)を去(さ)り「マ
スセナ」を大/将(しやう)として己(おの)れに代(かは)らしめ紀元(きけん)一千
八百年我國の享和(きゃうわ)元(くはん)辛酉(かのととり)年(とし)彼(か)の七月/初一日(ついたち)巴(は)
里斯(りす)に返(かへ)る巴里斯府(はりすふ)人(じん)或(あるひ)は其(その)歸(かへ)るを喜(よろこ)ぶ者(もの)あ
り或(あるひ)は又/其(その)驕慢(きやうまん)にして國(くに)を奪(うは)はんとする心(こころ)日(ひ)々
に盛(さか)んなるを嫉悪(しつを)【左振り仮名「ニクニ(ニクミか)」】し因(よつ)て之(これ)を害(がい)せんと欲(ほつ)する
者あり十月/乱(らん)を作(おこ)す者(もの)を捕(とら)へて禁獄(きんこく)せしむ十
二月/一聲(てつほう)の(を)爆炸(もつて)の(あん)下(に)/勃那把爾的(ほなはるて)
を弑逆(しいきやく)【左振り仮名「コロス」】せんと

謀(はか)る者あり然(しか)れども狙射(ねらいうち)中(あた)らず是(これ)も亦(また)發覺(はつかく)【左振り仮名「アラハル」】し
て誅(ちう)に伏(ふく)す翌(よく)一千八百一年/我國(わかくに)の享和(きやうわ)二/壬戌(みずのへいぬ)
年/彼(か)の一月/大(おおひ)に其(その)餘黨(よとう)を捜索(さか)し貴賤(きせん)を問はず
雅谷貌義團(やこつぷきだん)の人員(にんしゆ)一百三十名を緝捕(しゆほ)【左振り仮名「カラメトリ」】して其中(そのうち)
七十/名(にん)は放流(はうりう)し「アレナ」「セラッシ等の人は初(はし)めの
乱に與(くみ)し此(こヽ)に至(いた)つて尚(なを)逆心(きやくしん)を挿(さしはさ)むを以(もつ)て「キュイ
ルロッチ子」《割書:首を刎|る刑名》の刑(けい)に處(しよ)し且(か)つ「フレフェク■」《割書:廻|り》
《割書:役|人》をして遍(あまね)く人家(ーーか)を捜索(さか)して兵器(へいき)を匿(かく)す者は
盡(こと〳〵)く■(きやう)納(のう)【左振り仮名「ーレカサル」】せしめて宦庫(くはんこ)に鎖(とさ)す是(これ)より前(まへ)一千八
百年/我國(わかくに)の享和(きやうわ)元(くはん)辛酉(かのととり)年(とし)彼(か)の九月三日/北米里(きたあめり)

堅國と和

【裏表紙】

【背】

【天(地)小口】

【小口】

【天(地)小口】

BnF.

BnF.

【巻物前面】
【「四十二国人物図説」(享保五年刊)と思われます】

【巻物上面】

【巻物下面】

1大明人
  大明ハ唐土也世々国号ヲ改カ故ニ定タル号ナシ國人ミツカラ
  称シテ中華中国ト云十五省ヲ定テ一京十三道ヲ立ルハ
  大明ノ大祖帝也日本ヨリ唐土ト号スル事ハ大唐ノ世ニ日本ニ
  親/睦(ボク)繁カリシ故ナリ又/伽羅(カラ)ト号スルハ古日本ヨリ異国ヲ指テ
  伽羅(カラ)ト号ス故ニ漢唐韓ノ字皆伽羅ト訓ス又支那ト
  云ハ天竺方ヨリ称セシ名ニテ梵語トゾ震旦モ支那ノ
  転音ナリト云リ


 大清人

 大清ハ即今ノ唐土ノ号也天子ノ本国韃靼ナルカ故ニ大明ノ世ノ
 風俗ヲ改此故ニ二国ノ図ヲ分テ古今ノ風俗ヲシラシム二京十三道
 文字経史学法前代ニ随テ変改セス


 朝鮮人

 朝鮮ハ古ノ三韓ニテ馬韓辰韓弁韓ノ地ナリ中古ハ新羅
 百済高麗ト分チ末代合テ朝鮮ト号ス国八道アリ寒国ナリ
 京畿道ハ北極地ヲ出ル事三十八度釜山海ハ三十六度


 琉球人

 琉球ハ南海中ノ島国ナリ古ハ龍宮ト云中古琉求ト云末代ニ
 琉球トス暖地ナリ北極地ヲ出ル事二十五六度


  東京(トンキン)人
東京ハ古ヨリ唐土
ニ属セル国ニテ中
華ノ文字ヲ用ル尤詞ハ別ナリ古唐土ヨリ
交趾(コウチ)ト云シハ此国也末代ニ至テ両国ニ分レ東辺ヲ東京ト云南辺ヲ
広南ト云今ハ広南ノミ交趾ト号ス風俗相同シキ故ニ別ニ交趾ヲ
図セス何レモ煖国ナリ北極地ヲ出ル事凡五十六度ナリ

 韃靼人
韃靼ハ本名 韃而靼(タツチタン)
ト云今ハ而字ヲ
略ス其国ノ
東西黒白ノ
二種有
属類
甚タ多ク
国界四十八道ニ
相分レテ
大国ナリ
古ノ胡国ト云ヒ
或ハ蒙古ト云モ皆
此国ノ別号ナリ
南海ハ唐土ニ接(セツ)シ北方ハ氷海ニ近ク大寒地ニテ四季昼夜長短
大ニ他方トハ同カラサルノ所多シ最富饒国ナリト云国人弓馬ヲ好ミ
勇強ノ風俗ナリ北極地ヲ出ル事四十三度ヨリ六十四度ニ至ル南北
短ク東西ニ長シ

【「6」と朱書き】
  爪哇(ジヤワ)人 【口偏に爪の字は見当たりません。「爪哇」でジャワの表記OKです。】

爪哇ハ唐土西南方
ニ当テ遠キ国也大熱
国ナリ四時寒
暑ノ次序
唐土日本
ノ国ト相反シテ甚
別ナリ今日本ニ来ルヲランタ人住居ノ咬(クラツハ)𠺕巴【左側に「ジヤカタラ」と振り仮名】モ此国ノ北端ナリ
故ニ別ニ人物ヲ図セス北極ハ見ヘス南極地ヲ出ル事六度或ハ七度

【「7」と朱書き】
 馬加撒爾(マカサル)人

 馬加撒爾ハ呂宋(ルスン)ノ南ニアタル島国ニテ大熱国ナリ人物賎
南北ノ両極星ヲ見ルコト蘇門答剌(ソモンタラ)ニ同

  暹羅(シヤム)人
暹羅ハ南天竺 摩羯陀(マカダ)国ノ内ナリ唐土ヨリ西南ニ当レル熱国ニテ
東埔寨(トンホヂヤ)【左側にも振り仮名。「カホチヤ」】モ同類ノ国ナリ最モ仏法ヲ尊敬ス東埔寨ハ暹羅ヨリ
暑熱強ク人物甚賎シ北極地ヲ出ル事シヤムハ十四度トンホチヤハ十二度

 【「9」と朱書き】
  莫臥爾(モゴル)【左側にも振り仮名。「モヲル」】人 【卧は臥の俗字】

莫臥爾ハ回々(ウイ〳〵)ヲ以テ莫臥爾トスルハ誤(アヤマリ)ナリ是モ南天竺ノ内ニテ
第一ノ大国ナリ十四道有テ宝貨富饒ノ国也云ヘリ煖国ナレトモ気候ハ凡
唐土広東ニ等シトナリ北極地ヲ出ル事二十二度

【「10」と朱書き】
阿蘭陀(ヲランダ)人
 阿蘭陀ハ欧羅巴ノ北海ノ地ニアリ前爾瑪尼亜(セルマニヤ)ノ西隣 払郎察(フランス)ノ地ニ相
 界フ国ナリ尤寒国ニテ南北相距ル事二度小国ナリ日本唐土ノ西北ニ
 当テ日本ヨリ海上一万三千里有リ北極地ヲ出ル事五十四五度或ハ五十六度

【「11」と朱書き】
百児斉亜(ハルシヤ)人

 百児斉亜ハ亜細亜(アシヤ)ノ内天竺ノ西辺ナル大国ナリ獣類(シウルイ)土産多ク四季
 有テ豊ナル国也ト云百児ノ字又百爾ト作

度爾格(トルコ)人
【「12」と朱書き】

 度爾格ハ天竺ヨリ西北テアル国ニテ四季有リ人物勇強ニシテ武ヲ好ム
 国ナリ隣国是カ為ニ併セラルヽ多シ

【「13」と朱書き】
莫斯哥米亜(ムスカウヒヤ)人

 莫斯哥米亜ハ欧羅巴(ヱヽロツパ)ノ内阿蘭陀国ノ東ニアル大国ニテ大寒国ナリ
 異類ノ獣畜多キ水土ナリ石火失ハ此国ヲ根本トス故ニ多ク有ト云ヘリ
 此辺ハ諸国総テ北極地ヲ出ル事五十度或ハ六十度ノ間ナリ

【「14」と朱書き】
以西把尼亜(イスハニヤ)人

 以西把尼亜ハ欧羅巴(ヱゝロツパ)ノ内ノ大国ナリ四季有リト云リ尤邪法国ナリ

【「15」と朱書き】
波爾杜瓦爾(ホルトガル)人
 波爾杜瓦爾 亜媽港(アマカハ) 臥亜(ゴア)以上三国ハ皆邪法国ノ属ニテ人物風俗相
 同ト云リ亜媽港ハ唐土ノ南海中ニアリ臥阿(ゴア)ハ天竺ノ南辺ニ有テ煖国也ト云リ
 ホルトガルハ遥ニ西方 欧羅巴(ヱヽラツパ)ノ内方テ四季有国ナリ

【「16」と朱書き】
意太里亜(イタリヤ)人
 意太里亜 以西把尼亜此二国欧羅巴ノ内ニテ大国ナリ四季有ト云ヘリ

 イタリヤノ都ヲ羅媽トイヱリ一国ナリ何レモ邪法国ナリ

【「17」と朱書き】
斉爾瑪尼亜(セルマニヤ)人
 斉爾瑪尼亜ハ阿蘭陀国ニ並ヒタル国ニテ寒国ノ大国ナリ人物風俗ヲラン
 ダニ相類ス

【「18」と朱書き】
諳尼利亜(インギリヤ)人

 インギリヤハ阿蘭陀ノ西隣海中ノ島国ナリ尤大国ニテ風俗ヲランダニ
 似テ其種又異ナリ欧羅巴(ヱゝロツパ)ニ属ス

【「19」と黒字書き】
 魯西亜(ヲロシヤ)人
 ヲロシヤハ欧羅巴(ヱゝロツパ)ノ内ヲランタ国ノ東ニアル寒国ナリ海魚山林獣類大ニ多
 五穀宝豊饒ノ国ナリ此国ノ本国ムスコウビイヤ也

伯剌西爾(ハラシイル)人

 伯剌西爾ハ南 亜墨利加(アメリカ)ノ東辺ニ有テ人倫ノ作法ニアラズ奸勇ニシテ人ヲ
 殺(コロ)シ炙(アブリ)食フト云今ノ代ハ諸国ノ人往来シテ交易スル事多ク故ニ少シク
 人倫ノ作法ヲ知レリ

【「21」と朱書き】
 為匿亜(キネイヤ)人
 為匿亜ハ利未亜(リミヤ)ノ内ノ大国ナリ熱国ニシテ武勇ヲ専ラトシ風俗尤賤シ
 海上甚遠キ国ナリ

【「22」と黒字書き】
 羅烏(ラウ)人

 羅烏ハ暹羅ニ近キ類国ニテ摩羯陀(マカダ)国ノ内ナリ尤熱国ニテ人物風俗ハ
 暹羅ニ異ナリ故ニ別ニ是ヲ国ス此国多ク斑文竹(ハンモンチク)ヲ生ス

【「23」と黒字書き】
 亜爾黙尼亜(アルメヱヤ)人
 亜爾黙尼亜ハ西天竺ノ西ニ在テ四季アル国ナリ但シ寒国ナリ此辺国上国多シ
 古ハ西天竺ニ属

【「24」黒字書き】
 槃朶(ハンタ)人
 槃朶ハ蘇門答剌(ソモンタラ)ニ近キ島国ナリ熱国ニテ風俗 紅毛(ヲランダ)ニ似テ又別ナリ
 勇悍ヲ好ムト云

【「25」と黒字書き】
 亜費利加(アメリカ)人
 亜費利加ハ利未亜(リミヤ)ノ内ニ有ル大国ナリ四季アリ併暖国ニテ一ヶ年ノ間
 寒気少ク米麦肥饒ナル国ナリ

【「26」と黒字書き】
 比里太尼亜(ヒリタニヤ)人
 比里太尼亜ハ利未亜(リミヤ)ノ内ニテ欧羅巴(ヱヽロツハ)ヨリハ南方地中海ヲ隔テタル国ナリ
 尤大国ニテ四季正シキ国ナリト云

【「27」と黒字書き】
 工答里亜(ゴンタリヤ)人
 工答里亜ハ莫斯哥未亜(ムスコヲビイヤ)ニ並ヒタル国ニテ風俗又別ナリ尤大国ノ寒国ナリ
 石火失ハ此国トムスコヲビイヤトヨリ始レリト云此国ノ馬ハ皆驢駝(ロダ)ナリ

【「28」と黒字書き】
 大泥亜(タニヤ)人
 大泥亜ハ欧羅巴(ヱゝロツパ)ノ内ニテ波羅尼亜ノ東ニアリ大◦(◦寒)国ナリ最モ大国ニテ

 南北ニ長ク南ハ地中海ニ近ク北ハ極辺ニ近クシテ夏ノ節夜甚ミジカシ
 海魚多ク山林獣諸国ニスグレ五穀宝 饒(ユタカ)ニシテ天文暦象ノ側器ハ
 此国ヲ最一トスルヨシ聞伝フ

【「29」と黒字書き】
翁加里亜(ヲンカリヤ)人
翁加里亜ハウンカリトモ云此国 欧羅巴(ヱゝロツパ)ノ内ニ在テ産物甚豊饒ニテ牛羊
殊ニ繁殖(ハンシヨク)スト云最モ寒国ナリ

【「30」と黒字書き】
撒児本(サルモ)人

 撒児本ハ略シテサモト云此国モ西天竺ノ北ノ方ニ在テ最モ寒国ナリ国人
 武勇ニシテ獣類多キ水土ナリ

【「31」と黒字書き】
阿勒恋(アゼレン)人
 阿勒恋ハ南 亜墨利加(アメリカ)ノ内大国ニテ其人武勇ヲ好ナ(メ)【「ナ」を見せ消ちにして右に「メ」と傍記】リ此国ニ世界第一ノ
 大河アリ広サ日本ノ里数十里ニ相当ルト云リ熱国ニテ日本ヨリ東南ニ
 アタル阿ノ字略シテ勒恋トモ云

【「32」と黒字書き】
加拿林(カナタ)人
 加拿林ハ亜墨利加ノ内ニ有大国ナリ四季有ト云ヘトモ熱国ニテ賎シキ風
 俗ナリ或ハ加納恋(カナレン)トモ云

【「33」と黒字書き】
 答加沙谷(タカサゴ)人
 答加沙谷ハ唐土東南海中ノ島国ナリ昔阿蘭陀人住居セシ時台湾ト号シ
 国姓爺(コクセイヤ)居住以後 東寧(トヲネイ)ト改ム暖国ナリ地民風俗甚賎ク常ニ麋鹿等猟シ【「シ」を消してある風】
 スル事ヲ産業トス農民甘蔗西瓜ヲ種ル事産トス米麦一歳ニ二タヒ収ム
 北極地ヲ出ル事二十二三度

【「34」と黒字書き】
凡良哈(ヲランカイ)人
 凡良哈ハ朝鮮ノ北東ニアル寒国ナリ良ノ字艮トスルハ誤カ此国甚タ朝
 鮮ニ近シト云リ或曰女真国ノ属ナリ北極地ヲ出ル事凡四十二度

【「35」と黒字書き】
呂宋(ロソン)人
 呂宋ハ台湾ヨリ南海ニアル島国ナリ熱国ニテ湿毒深キ地ナリト云
 末代邪法ノ属類ト成テカノ国ノ者多ク住スト云地民風俗甚賎シ

【「36」と黒字書き】
剌答蘭(ラタラン)人
 剌答蘭ハ日本ノ東南大海中ニ有ル島国ニテ熱国ナリ昔蛮ノ諸国往
 来ノ節船ヲ寄テ見タリト云末代紅毛等到ル事有リヤ詳カナラス

【「37」と黒字書き】
蘇門答剌(ソモンタラ)人
蘇門答剌ハ或ハサマダラトモ云爪哇【「6 爪哇人」の項参照】国ノ北ニアル島国ナリ是モ大熱国ニテ
人物風俗賎ク国主ナク面々ニ地ヲ領ス争事ナシ此国金銀ヲ産ストイヘトモ
民多ク取事ヲセス偶金塊ヲ得ルコトアレハ旅人ニ交易スト云南北ノ両星ヲ
見ル此国ノ東ニ浡泥(ブルネル)国有リ人物風俗相同シク常熱国ナリ故ニ別ニ
載セス爪哇(ジヤワ) 蘇門答剌 浡泥等ハ墨瓦臘泥加(メガラニカ)近シ

【「38」と黒字書き】
 小人

 小人ハ波智亜(ハチヤ)ト云国ナリ欧羅巴(ヱゝロツパ)東北隅辺北ノ方氷海ニ至ル地ナリ大寒
 国ナリ半年ハ昼ノミ続キ半年ハ夜ノミ続キ人ノ長尺二三寸ト云伝フ
 然レトモ一尺有余ナリト云唐土ニテ短人トモ云是ナリ

【「39」と黒字書き】
長人
 長人ハ智加ト云国ナリ南亜墨利加ノ内ニ有リ此国ニ相並ヒ巴太温(ハタウン)ト
 云国モ人丈ケ大ナリ凡其丈ケ此方一丈二尺ト云イツレモ日本ノ巽(タツミ)ノ方
 アタレリ四季有風俗尤勇強ニシテ弓矢ヲ好ミ其矢ノ長サ六七尺



              崎湯
                義隣言▢▢
 天保十三寅年四月下旬写之

BnF.

BnF.

ときはこせんは源のよしともになれてうしわかを
まうけたまふ也其後心なら
す平のきよもりに
まみえ給ふ也
 おもひ
  きや
   世の
 ありさまの
   こひころも
  かさねて人に
     なれん物とは

BnF.

【表紙】

【見返し】
【ラベル】
Le No.1827 fleurs et insectes par
Utamaro (arrive 1819 PGS?)【括弧内?】
【最初の単語不明】classe aux beaux-arts

【ラベル】
JAPONAIS
367

【ラベル裏】

【文字無し】

【文字無し

【文字無し】

【右上】1827【抹消】
367

【ラベル】
I
Ye-hon mousi-no erabi
Choix d'insectes, un livre
d'estampes avec des vers
2 Vol. Compl.
No 531 du cat. lib.Japonico?【以下不明】
【本タイトル】
画本虫撰 上

【右上】
Japonais
367
(1)

けふなんはつき十四日の夜野辺に
すたく虫の声きかんと例のたはれたる
友とちかたみにひきゐて両国の北
よしはらの東鯉ひさく店さきのほとり
隅田のつゝみに氈うち敷てをの〳〵
虫のねたんつけのたかきひくきを
さためんとす故ありて酒と妓とを
いましめたれはわきめよりはしはむしの
ゑんとやいふへきなにかしの高の
ねふちの声むしの音にましりてほの

【右丁】
きこゆるなとかのくえんしの建立
ありし姫宮の持仏堂も思ひ出られ
てあはれなりされは朝市のふる
ものあつかひよと人いふめれとたゝに
やはとて長嘯子のえらひ給へる諸虫
歌あはせの跡を追て恋のこゝろの
され歌をのはへ【述ばへ】侍るにとかくして夜も
ふけ侍し江山風月常のあるしなけ
れは地しろをせむる大屋もあらねと
草のむしろのまらうと為は【なるは】なく虫
【左丁】
こそあるしなれとてつゆけき方
にうちむかひてねもころにぬかつきて
立ぬこれなん三百六十のひとつ
なかまのいやなりけらし
       宿屋飯盛
          しるす

【右丁絵画のみ】
【左丁】
     蜂        尻焼猿人
こは〳〵にとる蜂のすのあなにえやうましをとめをみつのあちはひ
     毛虫       四方赤良
毛をふいてきすやもとめんさしつけてきみかあたりにはひかゝりなは

【右丁】
   馬追虫       唐衣橘洲
夜〳〵は馬おひむしのねにそなく君に心のはつなのはして
   むかて       鹿都部真顔
ねかはくは君かつはきにとけ〳〵ととけてねふとの薬ともかな
【左丁絵画のみ

【右丁絵画のみ】
【左丁】
   けら
     耶奈妓波良牟加布
あたしみはけらてふ虫や
         いもとせの
ゑんのしたやに
      ふかいりを
         して
   はさみむし
     桂眉住
みし人を思ひきるにも
きれかぬる
  はさみむしてふ
    名こそ
      鈍けれ

【右丁絵画のみ】
【左丁】
   蝶      稀年成
夢の間蝶とも化して吸てみむ恋しき人の花のくちひる
   蜻蛉     一富士二鷹
人こゝろあきつむしともならはなれはなちはやらしとりもちの竿

【右丁】
   虻      紀定丸
耳のきはの虻とや人のいとふらんさしてうらみむはりももたねは
   芋虫     條門橘丸
芋虫に似たりや〳〵ころ〳〵とわかれちさむき
舟の小蒲団
【左丁絵画のみ】

【右丁】
   松虫     土師掻安
蚊屋つりて人松虫はなくはかりなにおもしろきねところじやない
   蛍      酒楽斎瀧麿
佐保河の水も汲ます身は蛍中よしのはのくされゑんとて
【左丁絵画のみ】

【右丁絵画のみ】
【左丁】
   はつた     意気躬黒成
おさへたるはつたと思ふ待夜半もたゝつま戸のみきち〳〵となく
   蟷螂      浅草市人
くつかへる心としらてかま首をあけて蟷螂のおのはかりまつ

【右丁絵画のみ】
【左丁】
   ひくらし     百喜斎森角
一目よしちよつとこのまに抱ついてせはしなきねはひくらしかそも
   くも       つふり光
ふんとしをしりよりさけてねやの巣へよはひかゝれるくものふるまひ

【文字無し】

【裏表紙見返しカ】

【裏表紙】

画本虫撰   下

【右上手書き文字】
JAPONAIS
367
(2)

【右丁絵画のみ
【左丁】
   赤蜻蛉     朱楽菅江
しのふより声こそたてね赤蜻蛉をのかおもひに
               痩ひこけても
   いなこ     軒端杉丸
露はかり草のたもとをひきみれはいなこのいなと飛のくそ
                   うき

【右丁】
   虵
          千枝鼻元
かきおくる文もとくろを
        まき帋に
つもる思ひのたけは
        なかむし
   とかけ    問屋酒船
きらはるゝうらみや色も
         青とかけ
葛葉ならねと
    這まとふらん
【左丁絵画のみ】

【右丁絵画のみ】
【左丁】
   蓑虫     立花裏也
暗の夜に西はとちやらわかねとも
しのふあまりのかくれみのむし
   兜虫     唐来三和
恋しなは兜虫ともなりぬへし
しのひの緒さへきれはてし身は

【右丁】
   蝸牛     高利刈主
はれやらぬその空言にかたつふりぬるゝほと猶つのや出しけん
   轡虫     貸本古希
かしましき女に似たるくつわ虫なれもちりりん
              りんきにやなく
【左丁絵画のみ】

【右丁絵画のみ】
【左丁】
   きり〳〵す     倉部行澄
さのみには鳴音なたてそきり〳〵すふか入壁も耳のある世に
   蝉         三輪杉門
うき人のこゝろは蝉に似たりけり聲はかりして
すかたみせねは

【右丁絵画のみ】
【左丁】
   蚓      一筋道成
よる昼もわからてまよふ恋のやみきみをみゝすの
              ねをのみそなく
   こうろき   此道くらき
こうろきのすねとや人の思ふらんうらむ間もなく
              おれてみすれは

【右丁】
   蛙     宿屋飯盛
人つてにくとけと首を
ふるいけの
  かはるのつらへ
     水くきそうき
   こかねむし
     小簾菅伎
あはれともみよ
     まくらかの
       こかねむし
こかるゝたまの
     はひよるの
         床
【左丁絵画のみ】

鳥之部
     喜多川歌麿筆
獣之部
     宿屋飯盛撰
魚の部
【縦仕切線。全体囲みあり】
今様櫛■【竹+捦】雛形全三冊 前北斎為一筆
百橋一覧       一枚右同筆
【縦仕切線】
原刻 天明戊申正月   蔦屋重三郎
          江戸馬喰町二丁目
補正 文政癸未八月   西村屋与八

【文字なし】

【右上手書き】
N=11【以下単語読めず】

【文字無し】

【文字無し】

【文字無し】

【文字無し】

【裏表紙見返し】

【裏表紙】

【背表紙】
【部分的に見える文字上から】
N
YE-HON-
MOUS
INO EREBI
N
N

【天あるいは地】

【小口】

【天あるいは地】

BnF.

【表紙題箋】
絵本時世粧  乾 【丸印の押印】
【表紙右下に整理番号のラベル】
JAPONAIS 632 1

【整理番号のラベル】
JAPJAPONAIS 632 1
【下部に手書きで】
D■■ F605

東都《割書:式亭三馬閲|歌川豊国著》【角印】《割書:千里評判|不許押■【「売」カ】》

画帖(ゑほん) 時世粧(いまやうすがた)《割書:全|二》
       《割書:冊》

 司馬 甘泉堂開鐫 【印】

 

ならの葉(ハ)の名におふ宮(ミヤ)の集(シフ)をはしめにて。神楽(カグラ)催馬楽(サイバラ)。はた
古今集の国哥なとは。国民(クニタミ)の云(イヒ)はやせることくさを。えらみ出たる
物とこそ聞つれ。さらは今もなほ馬追(ウマヲヒ)の小室(コムロ)ふし。船長(フナヲサ)の船哥
やうのうたひものを撰(ヱリ)なは。万をもてかそふともつきせし。こゝに
ものせる時世粧(イマヤウスカタ)てふふみは。たときよりいやしきまて。あるとある女(ヲナ)の
かたち。よしあしのさまを。空(ソラ)みつやまと画(ヱ)にうつし。とりかなくあつま
錦(ニシキ)に。すり出たる物にそありける。そがはしつかたに。うた人の口■【「ま」カ】なひ
して。つたなきかんな文 ̄ミ つゝるとも。あなおこかましと人わらへならむも。
なまよみのかひなきわさなれは。いたつらに筆をはするもほいには
あらしと。あまさかるひなの詞。むくつけくいやしけなるさまを。一つ
ふたつひろひとりて。いとくちのことはとはなしぬ。やことなき簾の
うちの御わたらひには。なか〳〵にしろし石めきまこそ猶ゆかしけれ
こはいにしへふりのうたよみすなる。万葉体(マンエウテイ)のくちまねにして。
間合(マニアフ)ふりともおもひ給へかし。   しき亭の翁かいふ





       序
絵(ゑ)の事(こと)さあ。素(しれへ)を後(のち)にするだあちふ。うらあ。
はあ。しらぬこんだども。物しりの。おんぢいたちの。
咄(はなし)さあで。ちくとんがくい。聞かぢり侍(はべ)る。それさ
中にも。倭画(やまとゑ)ちふものは。もの。菱川(ひしがわ)の氏(うぢ)
より。おつ始(ぱじめ)て。西川の流(ながれ)。ふたつさ。わかれてより。
物(もの)さ。うつ換(かは)り。星(ほし)のう。がら。うつりて。あに
はあ。今時(いまどき)の。お画工(ゑかき)どのは。げへに名人(めいじん)だあ

から。其名の高(たか)きことは。譬(たとへ)て見べいなら。
冨士(ふじ)の山のすてつぺんから。てんぢよく【高いところ】の雲(くも)の
上(うへ)さまで。突抜(つんぬい)たるが如(ごと)し。もの。哥川の
豊国せなが。たくみ出(でへ)て。あらゆる女子(おんなご)の容(すかた)
さ。物して。あんだがな。かだがな。【どうしたわけか】ゐろゐぎやう
なる。ふと【「ひと=人の訛った語か】のかたちの。書(けへ)つけて。うらにて
見ろて。こされぬるにぞ。おつぴれ【左に「開」と傍記】へ見るに
おやつかな。うつたまげはてたる。ぎつぱ【「立派」の訛り】に

ぞありけるおふとがら。べらつきのう。引(ふつ)はつ
たる。おじやうさあのあれば。おしやらく【江戸時代、宿駅などにいた売春婦】たちの。
じよなめける【派手に着飾り媚態をふりまく】ありさま。なか〳〵に。めましろき【めまじろき=まばたきをすること。また目くばせをすること】
もならず。これを。給じやうしに。とぢべもの
ならば。いか。なぐさみになるべものをと。気(き)い
つけぬるにぞ。豊国せなごも。ぼのくぼ【「ぼんのくぼ」のこと】の。
づでんどから。かがとの。うつぱづれまで。ぞう。
〳〵して。われ。さう思ふだら。うらも。その

しむてい。だあによて。あじよにも。かじよにも。【どうにもこうにも】
たのみまうすこと。さちに。しめゝ【左に「神明前」と傍記】なる。
せいち【左に「泉市」と傍記】のおやかたどのに。さつくれべちふ
ものしてけるが。あんぞ。名のりのある
べい。あんちうことが。よかつ。ゐがな。ものしりの
ふとに。きくべがな。など。やきもきとすう
を。うらあ。はたから見(み)てべいも。居られ
まうさねば。ふとつ【「ひとつ」の変化した語】。ひたつ【「ふたつ」の変化した語】。口(くち)のう。さん

出(で)へて。あにはあ。ずうさこは。ござんねへもの
いまやうすがたが。よかつぺとて。そのまゝ
くつつけて侍る。みんなが。見てくれせへよ
もの。こな。ゑじやうし【左に「絵草紙」と傍記】を。見てくれせへよ
こな。ゑじやうしをといふ
         しき亭の翁
           さんば【ひらがなで落款風に書いている】

     《割書:万葉体(まんえうてい)の詞(ことば)は俗物(ぞくぶつ)にわからず骨を折て書(か)くに及ばず|とくにもわからぬ事を書(かく)ばあづまなまりのどさことば【濁って卑しいことば、とくに東北弁をいう。転じて田舎言】は》
《割書:わからぬうちに一奥ありアントおんぢいそうだんべいがゝのんし|                門人 楽山人馬笑書》

面開春月満
眉株遠山斜
一笑既相許
何須羅扇遮

【文字無し】

                     歌川豊国作
女は髪(かみ)のめでたからんこそ人のめたつべかめれ人のほど心ばへ
などは物いひたるけはひにてそ物ごしにもしらるれことに
ふれてうちあるさまにも人の心をまどはしすへて女のうち
とけたるいもねず身をおしとも思ひたらずたゆべくもあら
ぬわざにもよくたへ忍ぶはたゞ色を思ふが故也まことに
愛著(あひちやく)の道(みち)その根(ね)ふかく源(みなもと)とをし六塵の楽顔多
しといへともみな厭離(ゑんり)しつべし其中に只かのまどひ
のひとつやめがたきのみぞ老(おひ)たるも若(わか)きも智(ち)あるもおろか

なるもかはる処なしと見ゆるされば女のかみ
すちをよれる綱には大象もよくつながれ女の
はけるあしたにて作れる笛には秋の鹿かならす
よるとぞいひつたへ侍るみづからはいましめておそる
べくつゝしむべきはこのまどひ也とはうべなるかな
ならびが岡のしれものが詞にもとづきて鴉の真似
する鳥にあらでにくまれ口にひとつふたつ女の
身のうへをそれかれとなくかいつくるにたつとき
宮仕(みやつか)へする人〳〵はさらにもいはずはたしも
つかたといへどもこと〳〵くはいひもつきざればその

あらましをいはゞ奥勤(おくつとめ)の女中さま〴〵あるが中
にもはしたなどいふものはわづかの取替を得
て万の事も自由ならす青梅(あをめ)桟留(さんとめ)の古着(ふるき)などを
此うへもなき綺羅(きら)と心得 打敷(うちしき)の裂(きれ)ともいふべき裾(すそ)
模様のこま裂(ぎれ)を寄割(よせわり)にいれたる帯をやの字に
結びもみの細(ほそ)ぐけは襷(たすき)と腰帯とにふりわけ常(つね)
に頂(いたゞき)物をねらひ落(おと)さんと欲(ほつ)して仲間の突合(つきあい)むづかしく
出しつこ【出し合い】の借金(しやつきん) 買喰(かいくひ)のたゝまりいつもお宿に屁(しり)
をぬぐは染【?】鳴(なる)子の音(おと)を聞ては小間物屋の誂(あつらい)を
思ひ出しお鈴(すゞ)の音を聞てはお下(さが)りかとおどろく

下掛(しもかゝ)りのむだ口は御錠口にからましゝ男(おとこ)の評判
は部屋〳〵に絶(たへ)ず曲物入(まげものいり)のあまざけ土鍋(となべ)の中 ̄ニ
こげ付 ̄キ米かしく手もとは上(あげ) ̄ケ とぎの手拍子(てひやうし)に
うかれて流(なが)るゝをしらずたま〳〵流行唄(はやりうた)をきゝ
覚て在郷節(ざいこぶし)のいやみなるを野暮(やぼ)と安(やす)んじ
すは翌日(あした)いづかたまでに御出(おいで)あるよしを触(ふれ)ればふて
寝(ね)の頭痛(づゝつう)たちまちに快(こゝろよ)く今までの仏頂面(ぶつてうづら) 頻(しき) ̄リニ
につこりと変(かは)る下村のおしろい松本の岩戸香柳
屋玉屋が紅粉びんつけは一番二番と間違
水油の徳利は札附にして銭をくゝりつけ

たり是(これ)小使(こつかい)の僕(しもべ)に足駄(あしだ)をはかれまじき為
とぞはけ序(ついで)に宿(やど)まで鳥渡(ちよつと)と上白く【?】の文言
板行(はんかう)におしたるごとくお手本(てほん)の外 通用(つうよう)の文章(ぶんしやう)
なと幸(さいは)いにお宿(やど)丁【「下」の誤記か】りの供(とも)して漸(やうや)く役者(やくしや)の
顔(かほ)見る事をすて家名(いへな)俳名(はいめう)のきいたふう我勝(われかち)に
しり自慢(じまん)をならべ色男(いろおとこ)を贔屓(ひゐ)て敵役(かたきやく)を悪(にく)がり
贔屓〳〵の言(いひ)つのりたる果(はて)は爭論(いさかい)を仕出(しいだ)すなど
実に部屋方ものゝ気さんじとも云つべき也
その口まめに引かへておもくしき襠(うちかけ)して下町
からめし呼(よば)るゝ和哥の御師範(こしはん)月 何度(いくたび)と定日

にあがり兼題(けんだい)の詠草(えいさう)土■【「用」か】坐の添削(てんさく)は雲立
いつも八重垣浜(やえがきはま)のまさごで間(ま)に合(あは)すると思へば
ひとりおかしく六儀八体(りくぎはつてい)は和【「人偏+哥」】式(わかしき)のおもて ̄ニ まかせ
湖月抄(こげつしやう)の垣(かき)のぞきして源氏物語(げんじものがたり)を講(こう)じ契(けい)
沖阿闍梨(ちうあじやり)の説(せつ)といひおかべ岡部(おかべ) 大人(うし)の申されし
など詈(のゝし)りて見台(けんだい)にさし向(むかひ)つて己(おのれ)のみうた
よみがほなる容(すがた)は女医師(おんなゐし)のかな付(つき)たる方彙(ほうゐ)を
もち手引草 重宝記(てうほうき)茶談(ちやたん)を見ながら仲景(ちうけい)
思邈(しばく)が妻(かゝあ)にもなるべき顔(かう)【「かほ」とあるところ】して似ても似(に)つかぬ
長羽織(ながばおり) 着(き)て脈論(みやくろん)するにひとしからずや

つら〳〵流行(りうかう)のありさまを見るに丁子茶染の
縮緬(ちりめん)は煤竹色(すゝたけいろ)の太織(ふとり)と街(ちまた)にすれ違(ちが)ひ
紫縮緬(むらさきちりめん)の上着(うはぎ)のしほぐけの腰帯(こしおび)は本面縮(ほんめんちり)
に黒繻子(くろじゆす)の帯(おび)も行合(ゆきあ)ふ髷(まげ)の結(ゆ)ひやうは体(からだ)よ
り遥(はるか)に大(おほ)きくしてしぼりばなしの髷(まげ)結(ゆはへ)価(あたい)
を聞ては親父(おやぢ)が肝(きも)を天外(てんぐわい)へ飛(とば)ば【活用語尾が重複】すも宜(むべ)なり
ぴら〳〵のかんざしは半白髪(はんしらが)の後(うしろ)へ杖(つえ)と俱(とも)に
突張(つつぱ)りてたぼ形の新製(しんせい)あれは又(また) 其上(そのうへ)の
木細工あり種〳〵さま〳〵の仕出しの工夫(くふう)年
〳〵にかはり月〳〵にかはり〳〵の月囲(つきがこい)或(あるひ)は妾(めかけ)奉

公の悪(わる)しつこく極彩色(ごくさいしき)の厚化粧(あつけせう)は口入婆(くちいればゝ)の
弁舌(べんぜつ)に似(に)ていつもぬつぺりこつぽりの下駄(げた)を
鳴(な)らす湯返(ゆが)り【「ゆがへり」とあるところ。「へ」の脱落か】の町芸者(まちけいしや)はあらひ粉(こ) 舞台(ぶたい)
香(かう)のいやみなし艶(あだ)な素皃(すがほ)の薄化粧(うすげしやう)に新形(しんがた)
のはやり出しは人先(ひとさき)に着初(きそむ)とつさ【「さ」の右肩に「。」が付いている】んにおまんま
を焚(たか)せて食(しよく)このみの我儘(わがまゝ)を云ひかゝさんに贈(おく)り
迎(むかひ)をさせて小言(こごと)の八百(はつぴやく)をならべる亭主(ていしゆ)の挊(かせぎ)
里扶持(さとぶち)にも足(た)らねは不断(ふだん)へこみ勝手(かつて)なり兎(と)
角(かく)浮世(うきよ)は名(な)を取(と)るより徳(とく)を採(と)れ徳(とく)を取(と)る
には名をとれと一(いち)に御器量(こきりやう)二にちやらくら



三に三味線(さみせん)岡崎(おがざき)の糸道(いとみち)わかりてより追欠競(おつかけくら)
のペンペコも習(なゝ)はふよりは馴(なれ)そめてとじょう浄瑠璃(ぜうるり)
の二三段も上(あげ)るとはや何(なん)の何某 師匠号(しせうごう)
の一字を乞受(こひうけ)樫(かし)の木の表札(ひやうさつ)は医者(ゐしや)の
門 ̄ト口と間違(まちがひ)風鈴(ふうりん)のある黒格子(くろかうし)は鹿恋者(かこひもの)
に隣(とな)りてさらにわからず直伝(ぢきでん)の章句(しやうく)
一向(いつかう)むちやくちやにして酒(さけ)を呑(の)む事恰(あたか)も長(てう)
鯨(けい)の百川(はくせん)を吸(すふ)が如し店者(たなもの)の一口稽古(ひとくちけいこ)には
銅壷(どうご)て手拭(てぬぐひ)をぬらして湯返(ゆがへ)りのみせかけ
をこしらへお屋鋪と見てはいやらし文句

に床(ゆか)びらきをこじつけ出来合(できあひ)の摺(すり)ものに
百疋(ひやつび)のいたごとをせしめ花会(はなくわい)の惣割(そうわり)以(もつて)の
ほかに貴(たつと)し貰(もら)つた酒(さけ)をハリ連(れん)にふるまひて
肴をおごらせんと欲(ほつ)しノラツキ連中(れんちう)をとら
へては物見遊山(ものみゆさん)無理無体(むりむたい)にかこつける
抑(そも〳〵)是(これ)は枇杷葉湯(びはようとう)の本家(ほんけ) 烏丸(からすまる)の元祖(ぐわんそ)
とやいはむ其取次処(そのとりつぎところ)といふは色気(いろけ)しつかり
正札附(せうふだつき) 近処名代(きんじよなだい)のそゝり乳母(うば)さし乳(ぢ)
垂乳(だれぢ)の差別(しやべつ)を論(ろん)ぜず子梵脳(こぼんのう)を第一と
思ひの外の高給金(たかきうきん)下乳(したちゝ)だけの別物(べつもつ)に

こゝろ付(つけ)なきをふて寝に見しらせ二親(ふたおや)
への意趣(いしゆ)をもつて抱(だい)た子にあたりちらし
旦那も喰はぬ美味(びみ)をあまんじたま〳〵
乳(ちゝ)の不足(ふそく)する時は気苦労(きぐらう)にかこつけ
色事の取持(とりもち)は早(はや)く請合(うけあつ)て直(ぢき)にこしらへ顔(がほ)なり
うどんやの八公(はちこう)かけつけの長さん最親(もつともした)し
くして田舎(いなか)の亭主(ていしゆ)をぼんくらと賎(いや)しめ
船頭(せんだう)への伝言(ことづて)きはめて麁言(ぞんき)なり廻(まは)りの
髪結(かみい)どん ̄ニ始終(しぢう)の世話を受合せ洗濯屋(せんたくや)の
おばさん一寸(ちよつと)出合(であい)の幕(まく)を切(き)らせるなど口元(くちもと)

の捌(さばき)にしてその甚(はなはだ)しきに至(いた)つては伴頭殿(ばんとうどの)
三十年の万苦(ばんく)。一時(いちぢ)の夢(ゆめ)に敗(やぶ)り手代が
十年の千辛(せんしん)。暫時(さんぢ) 棒(ぼう)にふるの類(たぐひ)吁(あゝ)お
そるべし日向(ひなた)ぼつこのむだ口は人のあら
を探(さが)して土蔵(くら)の落書(らくがきも)一筆しめしを
当替(あてかへ)る事ぶせう也くちのするどき事は
車力(くるまひき)の悪言(わるくち)を返答(いひかへ)し呉服屋(ごふくや)の腰掛(こしかけ)
を塞(ふさい)で売場(うりば)の若(わか)い衆(しゆ)にじやらつき茶(ちや)
番(ばん)の茶(ちや)をかわかし壷(つぼ)の煙草(たばこ)を捻(ひね)つて
番(ばん)煙管(ぎせる)に吸(すひ)つけ三百五十番(ばん)の傘(からかさ)借(か)

りて切り返さずかゝる浮虚(うはき)の生質(うまれつき)にして一
年三百六十日 夢(ゆめ)でくらすもいつしかに破鍋(われなべ)
にも綴蓋(とぢぶた)【「綴」を「糸偏+冊」と書くは誤記と思われる】の縁(ゑん)ありて九尺二間(くしやくにけん)の棟割(むねわり)に
巣作(すつく)りするはそれ〳〵の禍福(くはふく)によるべし。さ
れば氏(うぢ)なくして玉(たま)の輿(こし)しやらたとんのごとく
きのふの下女はけふの御新造(ごしんぞ)寒(かん)の内
吹貫(ふきぬき)で暮(くら)ら【「ら」が重複】した娘(むすめ)も羽二重(はぶたへ)の不断着(ふだんぎ)
して栄曜(ゑよう)に餅(もち)の皮(かは)をむくそのいにしへを
たづぬればわづか三年 季(き)を二分二朱の子(こ)
守(もり)奉公 真岡木綿(まおかもめん)の継(つぎ)〳〵の衣(べゝ)に袖(そで)なし

羽織(はおり)に十文字をかけてくゝし付られ子(こ)は守(もり)も
せでおのれがいたつらにのみふけり鬼渡(おにわた)しの頭取(とうどり)
男の中の豆入(まいめいり)とはやされ盆踊(ぼんおどり)の跡立(あとだち)となり
ては世話役顔(せわやきがほ)にしやはり【しゃばり】出 泣子(なくこ)は番太郎(ばんたらう)で
たらし天窓(あたま)をたゝく事 平(へい)気にして評判(へうばん)
のあくたれ者も鬼(おに)も十七どこやらが悪(あく)からずと
紅白粉(べにおしろい)で磨(みがき)上ればきのふはけふのあだこしらへ
水浅黄(みづあさぎ)の前垂(まへだれ)に藤色(ふぢいろ)の襦袢(じゆばん)【「伴」は「絆」の誤記と思われる】の襟(ゑり)まづざつと
小意気(こいき)なるとりなり【様子、身なり】揚弓場(ようきうば)の数取(かづとり)も穴(あな)を取違(とりちがへ)
て勘定(かんぢやう)の損(そん)亡たび〳〵あり少(すこ)し小口(こぐち)を呑込(のみこむ)と

はや矢(や)を拾(ひろ)ふ尻(しり)つきまで少しの所作(しよさ)をくはへ
太鼓(たいこ)ドン〳〵たるお客を見くびりて左 ̄リの手で
カチリなどゝ高慢(かうまん)に射当(ゐあて)るもお里(さと)がしれぬで持(もつ)
たものと夫(それ)とおなじき楊枝屋娘(やうじやのむすめ)は招牌(かんばん)楊枝(やうじ)
にひとしき太(ふと)ひ手(て)して鉄槌(かなづち)持(もつ)て口(くち)を覆(おほ)ひお
かしくもなきにむしやうと笑(わら)へばゑくぼの穴(あな)へ身(み)
も投(なげ)る気(き)の大(おほ)たぶさ見世先(みせさき)にたへず大縞田(おほしまだ)は
いつも手 拭(ぬぐひ)につゝみ緋縮緬(ひぢりめん)の襷(たすき)は半身(はんしん)にかゝる
自惚(うぬぼれ) 鏡(かゞみ)に口紅(くちべに)粉を繕(つくろ)ふ姿(すがた)まことにいきた
錦画(にしきゑ)じやと現(うつゝ)をぬかし鼻毛(はなげ)を房(ふさ)やうじほど

のばして誰(たれ)もたのまぬ鳩(はと)を追(おつ)てやり吸付(すいつけ)たば
このつけざしは御神馬(ごじんめ)の御幣(ごへい)よりありがたしと
頂(いたゞ)くは実(げ)にも女の世の中ぞかし茶店(ちやみせ)の姉(あね)さん
は芳簀(よしず)の方(ほう)を向(むい)て弁当(べんとう)をわんぐりとたべ
ながらヲヤ源吾(げんご)さんきついお見限(みかぎ)りとはお定(さだま)りの
いやみ也御休所の行燈(あんどう)は千客万来(せんきやくばんらい)の背中(せなか)
合(あはせ)に隣(となり)の茶屋に垣間見(かいまみ)るは茶うけに
あらぬ梅干婆(むめぼしばゝ)が仕合(しあはせ)せ【語尾「せ」の重複と思われる】となりぬ女の髪結(かみゆひ)は
油しみたる帯(おひ)。毛筋立(けすぢたて)におなじく横(よこ)の方 ̄ニ結(むす)び
て鬧(いそが)しく走(はし)りしやんとしたる娘は咽(のど)が太竿(ふとざほ)

稽古(けいこ)としられ稽古浄瑠璃の簾(みす)御 閉帳(へいてう)のごとく
出語(でがた)りの見台(けんだい) ̄ハ見物(けんぶつ)よだれを流(なが)す又ぐにや付て
つやらしきはおどりの師匠(しせう)へ通(かよ)ふと見へて腰(こし)に
二本の扇を指(さ)せり三味線の手真似(てまね)をしながら
首(くび)を振(ふり)てあるくは唄(うた)か豊後(ぶんご)【豊後節の略】にはげみある子(こ)と
見ゆ市子(いちこ)【巫女のこと】は髷(まげ)ばかりへ笠(かさ)をかぶり花うりは
天窓(あたま)へ一世帯(ひとせたい)をさゝげのり売(うり)ばゝは雀(すゞめ)の
舌(した)を切(きり)たるかとおもふ彼所(かしこ)にはんてんを着(き)て
味噌(みそ)こしを提(さぐ)るあれば是(こゝ)に黒鴨(くろがも)を連(つれ)て
駕籠(かご)に乗(の)る女房(によぼう)あり娵(しうとめ)は嫁(よめ)のさきに

立(たち)てするどく見へ実母(はゝおや)は娘の跡(あと)に付(つい)て
御秘蔵(ごひそう)【「ごひくう」に見える】面(おもて)にあらはる山出(やまだ)しの他所行(よそゆき)は軽業(かるわざ)
の娘に似(に)て江戸っ子の下女もおかみさんと間違(まちがふ)。
おぶつた子より可愛(かあゆき)や横(よこ)に抱(だい)たる枝(ゑだ)まめ売(うり)
背中(せなか)に腹(はら)は換(かへ)られぬと。風呂敷(ふろしき)背負(しよつ)たる
女 商人(あきんど)。声(こへ)美(うつく)しき女按摩(あんま)は見てびつくり
の不器量(ふきりやう)にて。後弁天前不動(うしろべんてんまへふどう)。尼(あま)には惜(おし)き
美人(びじん)もありみめかたちより只心(たゞこゝろ)こゝろの
垢(あか)をあらひ落(おと)せば美女(びぢよ)も醜女(しうぢよ)も皆(みな)同(おな)じ
八兵衛がお釜(かま)を起(おこ)すも栓兵衛が角屋敷(かどやしき)

を投(なぐ)るも原是(もとこれ)女よりなす業なり美(うつく)しき
とて迷(まよ)ふべからず醜(みにく)きとて癈(すつ)る事 勿(なか)れ
只(たゞ)想(おも)ふ紫野(むらさきの)の和尚(おせう)が教戒(いましめ)に違(たが)はず
            夫(それ)御用心(ごようじん)〳〵





絵本時世粧上之巻 《割書:尾》

【文字無し】

【裏表紙 文字は無いが、「式亭」と丸印が圧印されているように見える】

【冊子の背表紙から写した写真】

【冊子の綴じ目側と反対側の写真】

【冊子の綴じ目側と反対の写真】

【冊子の綴じ目側の写真】

BnF.

和泉式部はいつみの守みちさたかつま也
一条院の時代の人なり

  くらきより
   くらき
    みちにそ
 いりぬへ
     き
はるかに
 てらせ山の
     はの
      月

BnF.

【製本表紙、文字なし】

【表紙見返し、文字なし】

【文字なし】

【白紙】

【右上隅ページ番号ヵ】393
N° 3431【下線あり】

【白紙】

【右上隅ページ番号】1
Notices divrerses
   sur
L’extrême Orient.
   ━

  Volume le 173feuillets
   14 Septembre 1871.

【白紙】

【右上隅ページ番号】2
Notices divrerses
   sur
L’extrême Orient.
   ━

Chine,Japon,Annam,Siam, F.

   ━

   Paris.
   1848.

【裏返し】

【右上隅ページ番号】3

【文字なし】

【右上隅ページ番号】4

【文字なし】

【右上隅ページ番号】5

【文字なし】

【ページ】6
【アクサンと単語のアンダーライン省略】
Abaque, en chinois Swan-pwan,machina a compter.Voy.Swan-pwan
【aで始まる単語】
A【弧状のアンダーライン】

Ab-dar ,domestique hindou charge de

rafraichir l'eau.M.

Abel (le Docteur)

Achem. 【スペース】 ,capitale du
royaume de ce nom ,a la pointe N.O.
de l'ile de Sumatra.

Ainos. 【スペース】 peuple aborigene
des iles Kourile et Thoka, et soumi
au Japon. Ils parlent une langue
particuliere. Bouillet

Aksou 阿克蘇【スペース】 district de la
province au sud du Tien-chan. Biot

【右へ移動】
Aberdeen, precedanment nominee
Tchoktcheon,
petite ville de l'ile de Hong-Kong; 【上に挿入】sur la cote Sud;pecherie, et
Station militaire anglaise. fortune,p.15

Agar-agar, sorte d'algue (Fucus Sauharinus)
dont les Chinois font une sort de gelatine
pour la table, et une colle queles insectes ne peuvent attaquer.

Alfourous.

Amberst (W. Pitt, comte) fut
charge en 1816 d'une mission en Chine qui est peu de succes. Bouillet

Amiot (le Pere)

【ページ】7

【文字無し】

【ページ】8
Amour.

Amoy. Voyez Hia-men.

Andrada (le Pere Antoine), missionnaire
jesuite, ne vers l'an 1580, mort en 1634,
parcourut l'Asie et penetra un des premiers
dans le Thibet (l624). Son voyage au
Thibet parut a Lisboune en 1626, et fut
traduit en francais des 1628. Bouillet.


Anglais. 英吉利(ying-ki-li)

Angleterre 英吉利国 (ying-ki-li-
Kwok)

Anier (lat.S.6°3'.long. E.103°34'du mer de Paris).
port de Java ou relachent les batiments qui
passent par le detroit de la Sonde.

Annam (empire d') 安南 (ngan-nan),
comprenant le Tong-King, la Cochinchine,
le royaume de Tsiampa, au S.E. de la
Chine.
La capitale est Kiao-Tcheou. Biot.
【右へ移動】
Anna, monnaie d'argent du Bengale - le 16e-
d'une roupie (environ 3 cents).

【ページ番号】9

【文字無し】

【ページ番号】10
Arabes.

Arabie.

Ava. une des provinces de l'empire birman.
【右へ移動】
Argoun 【スペース】 riviere, branche principale
du fleuve Amour,

【Bで始まる語】
B【弧状のアンダーライン】
Badakchan 巴達克山(
), district au milieu des monts Tsong-ling.

Barkoul 巴爾庫勒(
), appele aussi Tchin-si-fou
鎮西府, district de Tarsarie, entre
les premieres branches du Tien-chan.

Barrow

【ページ番号】11
【右側】
Basilan.

【文字無し】

【ページ番号】12
Batavia (lat.S.6°8' long.E.104°2'. mer. de Paris)
Cap. de l'ile de Java

【文字無し】

【ページ番号】13
Bengale.

Bergeron.

Bleu(fleuve). Voyez Yang-tsze-kiang

Bonze. nom que les Europeens donnent aux
pretres de la Chine.
【右へ移動】
Bin-sin. 【スペース】Min-tching, ruines d'une
ancienne ville detruite par le chef de pirates
Ko-chin-gha.

Bocca-Tigris. Voy.Bogue.

Bogue, en chinois
du Tigre.
Le Bogue est remarquable par ses forts qui,
neanmoins, n'ont offert a deux reprises, malgre
leurs 800 bouches a feu, aucune resistance aux Europeens.

Bolor.

Bombay.
Troisieme presidence des etablissements britanniques
dans l'Inde.

Borneo 浡泥(Po-ni)

Bouddha.

Bouddhisme.

Bouvet (le Pere 【スペース】 )
【右へ移動】
Bouguis (Ouguis).Peuple de l’Oceanie, repandu
principalement dans la Malaisie, et surtout a
Java et a Celebes, navigateur,industriaux et
commercant. Beraud.

【ページ番号】14

【文字無し】

【ページ番号】19
Boym (le Pere Michael).
Son nom chinois etait Pou-mi-ke et
son surnom Tchi-youen

【Cで始まる単語】
C.【弧状のアンダーライン】
Cambodge.

Canal (grand)

Canton. Voyez Kwang-tcheon.
【右へ移動】
Cache. Voyez Cash.

Calcutta.
Premiere presidence des etablissements brritannique,
dans l'Inde.

【ページ番号】16
Cantor, botaniste et medecin anglais.

【文字無し】

【ページ番号】17
Cartes de visit.

Catholiques (missions). Voyez Missions

Ceylan 錫蘭 (Si-lan)

Cha-mo 砂漠 (mer de sable), grand
desert au N.O. de la Chine,appele
aussi Gobi 戈壁 ( ). Biot.
【右へ移動】
Cash, en chinois【スペース】 ;petite piece de
monnaie.

Catay. Voyez Cathay.

Cathay ou Catay. nom donne a la
Chine, au moyen age.

Cathcart (lord L.), mort a Anier (Java),
en 1788, en se rendant en Chine, comme
ambassadeur de la grande Bretagne.

Chang-hai.上海。nom d'un
arrondissement et d'une ville du 3e-【eは序数の語尾】 ordre,
dept. de Song-Kiang-fou.
Premier etablissement sous les Youen.
La ville est pres de la mer et est tres-
commercante. Biot.

Chan-hai-King 山海経。

Chan-si 山西 une des provinces
septentrion. de la Chine prop. dite.

Chang-tong 山東 une des provinces
oientales de la Chine prop. dite.

【ページ番号】18

【文字無し】

【ページ番号】19
Chen-si 陜西 une des provinces
occidentales de la Chine prop.dite.

Chi-King 詩経.

Chi-nai-ngan 【スペース】 auteur du
Choui-hou-tchouen

Chine.
【右へ移動】
Chimo ou Ximo. Voy. Kiou-siou.

Ching-che-long
celebre chef de pirate (17e-【注】 siecle).
haussmann 11, 10.

Ching-King 盛京 en mandchou
MouKden【スペース】, nom de la
capital et du principal departement
du Liao-tong 遼東.

Ching-yiu-kouang-hiun-tchou
聖諭広訓註。
dialecte de Peking
【注:eの下のハイフンは序数を示す】

【ページ番号】20

【文字無し】

【ページ番号】20
Chop-sticks.

Choue-wen, 説文。

Choui-hou-tchouen【スペース】 ,ou
l'histoire des emigrations, par Chi-nai-ngan.
roman chinois, le 5e-【序数】des t'sai tsze.

Chou-King 書経。

Christianisme.

Chun 舜。Empereur chin.

Chusan. Voyez Tcheou-chan.
【右へ移動】
Chuckchew. Voy. Tchoktcheou et
Aberdeen.

【ページ番号】22

Clippers. navires anglais fraudeurs d'opium.

【ページ番号】23
Cochinchine, 安南 (ngan-an), 交趾
(Kiao-tchi).

Colao.

Compradore.

Confucins. Voyez K'ong-fou-tsze.

Coree 朝鮮 (tchao-sien) ;高麗 (Kao-
li).
Soumise aux chinois en 668, sous l'empereur
Kao-tsong.


Coulis. Porteurs de fardeaux, de bagages.

Cycle.
【右へ移動】
Cupsi-moon (baie de).

【ページ番号】24

【文字無し】

【ページ番号】25

【文字無し】

【ページ番号】26
【Dで始まる単語】
D.【アンダーライン】
Davis.

Diagrammes de Toh-hi.
【右へ移動】
Desima. Ile du Japon, dans la baie et en
face de Nangasaki, a laquelle elle communique
par un pont. Etablissement hollandais avec
un resident.

【文字無し】

【ページ番号】27

【文字無し】

【ページ番号】28
【Eで始まる単語】
E.【弧状アンダーライン】
Eleuths 額魯特( ), peuple
de la Tartarie【注】 occidentale. Leur pays etait
au S.du T'ien chan, et comprenait
Aksou, Kachgar, Yarkand. Biot.

Ellis
【注:Tartarie chinoiseは現在の中国東北、モンゴル、チベットを指す用語。Tartarie occidentaleもそれに近い意味と思われる=https://www.library.osaka-u.ac.jp/others/tenji/maps/map010.htm】

Emouy. Voyez Hia-men.

Espagne.

Europe.

【ページ番号】29

【文字無し】

【ページ番号】30
【Fで始まる単語】
F.【弧状アンダーライン】
Fan-kouei

Fartoux (le Pere

Foh 仏, nom chinois de Bouddha.
【右へ移動】
Fa-ti 【スペース】jardins renommes, pres de
Canton.

Fok-hi 伏義。

Fo-kien 福建 une des provinces
de la chine prop. dite.

Fong-tao 馮道, patron des imprimeurs
chinois, ministre d'etat sous les
cinq dynasties (10e-【序数】 siecle). Mort.Dict.angl.
ch.au mot Printer.

【ページ番号】31

【文字無し】

【ページ番号】32
Fontanay (le Pere

Formose. Voyez T'ai-wan.

Fo-t'ou t'ching
celebre Gamaneen.
【右へ移動】
Fortune, voyageur de la Societe des Apothicaires de Londres

Fouquet (le Pere

Fou-tcheou-fou【スペース】capitale
de la province de Foh-Kien.

【ページ番号】33

【文字無し】

【ページ番号】34
【Gで始まる単語】
G.【弧状アンダーライン】
Gange (le).

Gaubil (le Pere Antoine)

Gerbillon (le Pere
【右へ移動】
Gengis-Khan.

Gobi (desert de ). Voy. Cha-mo.

Gutzlaff (le D.

【ページ番号】35

【文字無し】

【ページ番号】36
【Hで始まる単語】
H.【弧状アンダーライン】
Hai-nan.

Han 漢 nom de la 【スペース】dynastie imperiale.

Han-fei【スペース】,philosophe tao-sse.
il florissait sous Ngan-wang, empereur
des Tcheou, qui l'envoya en ambassade
dans le royaume de T'sin, en 397 av. J.C.
Son ouvrage, qui a 4 vol.,traite principalement
des peines et des lois.

Han-lin (college des).

Hannistes. Voyez Hong.

Hao-kieou-tchouen 好述伝。la
femme accomplie. roman chinois, le 3e- des
t'sai-tsze.

【ページ番号】37

【文字無し】

【ページ番号】38
He-long-kiang 【スペース】nom
Chinois de la reviere Amour. Voyez
Amour.

Hia【スペース】,nom de la premiere dynastie
imperiale, fondee par

Hia-men
【右へ移動】
Hiang-kiang 香港。Voy.Hong Kong.

Hiu-chin 許慎。auteur du Choue-wen
説文。

H’lassa, ville du Thibet.

Hoa-tsien-ki【スペース】。histoire du
papier a fleurs d'or. le 8e- des t'sai-tsze.
【右へ移動】
Hoai-nan-tsze【スペース】philosophe
chinois qui incline vers la doctrine des Tao-sse.
C'est le plus ancien des ecrivains de l' ecole
appelee T'sa-kia, c'est-a-dire de l'ecole
des polygraphes. Il etait petit-fils de
l'empereur Kao-ts, fondateur de la
dynastie des Han. Il florissait sous
l'empereur Hiao-wen-ti qui regna
entre l'an 179 et 156 av.J.C. Il avait
ete nomme roi de Hai-nan (dans la
province actuelle de Ngan-hoei).
Les ouvrages forment 6 vol.

【ページ番号】39

【文字無し】

【ページ番号】40

【文字無し】

【ページ番号】41
Hoang-hai【スペース】(Mer【fleuve抹消】 jaune).

Hoang-ho 黄河 (fleuve jaune)

Howang-pou 黄埔。ーVoyez Whampoa.
hwang-pou. Riviere.

【下部抹消】

Hoei 回 un des disciples de
confucius.

Ho-ho-noor (lac). Voyez T'sing-hai.

Ho-kouan-tsze 【スペース】philos.
tao-sse. Il etait originaire du pays de
T'son. Il etait, dit-on, contemporain
des philosophes Yang-tchou et Me-ti
que Meng-tsze combat dans plusieurs
endroits de son livre, et dans la doctrine
etait regardee par l'ecole de Confucius
comme heterodoxe et dangereuse. Son
ouvrage forme 1 vol. Les editeurs y
signalent de graves lacunes et de
nombreuses incorrections qui tiennent
a l'etat de mutilation dans lequel il
est parvenu jusqu'a nous.
【右へ移動】
Hoei-nou
Ce sont les memes peuples de race turque qui,
au XIIIe-siecle【13世紀】, sont connus sous le nom de
Ouigours.


【ページ番号】42

【文字無し】

【ページ番号】43
Ho-lan. Voyez Hollandais
Ho-lin 火林。presume Karakhorin, district
de Tartarie. Voyez Karakhorin.

Hollandais 荷藍 (ho-lan)

Ho-nan 【スペース】, une des provinces
de la Chine prop. dite.

Hong (marchands)

【抹消部分】
Hong-Kiang 紅江 (literal. riviere rouge),
Ile de la baie de Canton. On prononce
Hong-Kong dans le dialecte de la
province. Voy. Hong-Kong.

Hong-Kong. Voyez Hong-kiang. 【抹消】
Capit.【抹消】 Victoria
Ch.lieuf
Hong-Kong (baie de). une des plus belles et
des mieux abritees.
8 ou 10 milles de long, sur une largeur
variant de 2 a 6. fortune, p.13.

Hong-lieou-mong 紅楼夢。
roman chinois, dans le dialecte de Peking.
【右へ移動】
Hong-Kong (Little). Voy. Stanley.

【ページ番号】44

【文字無し】

【ページ番号】45
Hoppo.

Hou-Kouang 湖広 une des anciennes
provinces de la Chine propr. dite,
actuellement partagees en deux: le
Hou-pe et le Hou-nan.

Ho-nan.【スペース】une des provinces
de la Chine propr. dite.

Hou-pe.【スペース】une des provinces
de la Chine propr. dite.
【右へ移動】
Hou-men【スペース】,embouchure du Tigre.
Voy. Boua-Tigris, Bogue, Tigre,

Hue.
Capit. de la Cochinchine.

Hwang-ti 黄帝。Empereur Chinois,

I.-J.【括り弧状アンダーライン】
I-li 伊犁 siege du gouvernement
Chinois dans l'Asie centrale.

Incendie des livres (213 av.J.C.)

Inde. 【前括弧抹消】印度 (in-tou).

In-Kiao-li【スペース】roman chinois,
le 2e- des t'sai tsze.

【ページ番号】46

【文字無し】

Japon 日本 (jih-pen)

Jo

Jaune (fleuve). Voyez Hoang-ho.
Java (ile de). 瓜哇 (Koua-wa).

Jeh-ho. Voyez Thehol.
【右へ移動】
Jou 【スペース】, nom des Sectateurs de Confucius.

【Kで始まる単語
K.【弧状アンダーライン】
Kachgar.

Kang-hi 康熙。

Kan-sou 甘粛 une des provinces
de la Chine propr. dite.

Kao-li Voyez Coree.

【ページ番号】48

【文字無し】

【ページ番号】49
Kao-tong-Kia
auteru du Pi-pa-Ki.

KaraKhorin ou KaraKhorum., ville de
l'empire chinois, dans le pays des Mongols
KhalKas, pres de l'OrKhone, par 100°long.E. et
48 lat. N.; jadis capitale de GengisKhan. Elle
est aujourd'hui ruinee.

KhalKas 【スペース】. Peuple de l'empire chinois nomade
et pasteurs. Il habite la partie septentrionale de la
Mongolie, arrosee par la Selenga, l'OrKhone et
l'Argoun. Leur pays est limite par le grand desert
de Gobi. Ce peuple est peu connu. C'est de cette
nation que sortit le fameux Gengis-khan.

Khou-khou-noor. Voyez T'sing-hai.
【右へ移動】
Kecho.

Khan.

Kiang-nan 江南 une des provinces
de la Chine propr. dite.

Kiang-si【スペース】une des provinces
de la Chine propr. dite.

Kiao-tchi 交趾。Voyez Cochinchine.
【右へ移動】
Kiakhta (lat.N. 50°20'. long. E.103°).
ville russe, sur les frontieres de la Tartarie
chinoise, ou se fait le principal commerce
chino-russe. La ville chinoise est appelee
Mai-mai-tchin.

【ページ番号】50

【文字無し】

【ページ番号】51
Kien-long 乾隆。

Kin-cha-Kiang 金沙江。 affluent du
Yang-tsze-Kiang.

Kin-ping-mei 金瓶梅。
Dialecte de Peking.
【右へ移動】
King-tek-tchin 景徳鎮 bourg immense de la
province de Kiang-si, celebre par ses fabriques
de porcelaine qui y alimentent, dit-on, 500
fourneaux.
Pop.500,000 hab.? Lat.29°6'. Long.115°54’。Biot.

Kiou-siou, ou Chimo ou Ximo, une des 4 grandes iles
qui composent l'empire du Japon.

Kiu-jin.

【ページ番号】52
Ki-ying.
Commissaire imperial, charge des relations
avec les etrangers.

【文字無し】

【ページ番号】53
Ko (le Pere

Kobi ou Gobi 【スペース】,autrement dit
cha-mo【スペース】,

Kotchinga. Voyez Tching-tching-kong.

Kouang-si【スペース】une des provinces
de la Chine prop. dite.

Kouang-tcheou【スペース】capitale
de la province de Kouang-tong.

【ページ番号】54

【文字無し】

【ページ番号】55
Kouang-tong 広東une des provinces
meridionales de la Chine prop. dite.

Kouan-tsze 【スペース】le plus celebre
philosophe de l'ecole appelee Fa-Kia,
c'est a dire de la classe des ecivains qui
traitent des lois penales. Il florissait dans
le royaume de T'si, vers l'an 480 av.J.C.
On a de lui 389 essais (sur l'ecnomie politique,
la guerre et les lois) que Lieou-hiang, qui
vivait sous les han, reunit en 86 chapitres.
L'ouvrage entier forme 8 vol. en 24 livres.


Kouan-yin.

【ページ番号】56

【文字なし】

【ページ番号】57

【文字なし】

【ページ番号】58
Kouei-pi 【スペース】commentateur estime
du Yi-King qui vivait sour les Song,
au commencement du XIIe- siecle de notre ere. Landr. Cat. Klap. 3.

Kouei-tcheou 【スペース】une des provinces
de la Chine prop. dite.

Kouen-lun 崑崙。autrement Koulkoun,
grande chaine de montagnes【抹消あり】, prolongement de
l'Hindou-koh qui se dirige, de l'O.a l'E., vers le
35e- parallele de latitude IV.

Kouen-lun 崑崙 ou Kouen-t’un, nom
chinois de l'ile Poulocondor, dans la mer de
Cochinchine. Biot.

K'ong-fou-tsze 孔夫子 ou K'ong-tsze
孔子, ne en 551 a .c., mort a l'age
de 73 ans, 479 ans avant notre ere,
et 9 ans avant la naissance de Socrate

【ページ番号】59

【文字なし】

【ページ番号】60
K'ong-tsze. Voyez K'ong-fou-tsze.

Kouen-t'un. 崑屯。Voyez Kouen-lun.

Kouriles (iles).

Koxinga. Voyez Tching-tching-kong.

【Lで始まる単語】
L.【弧状アンダーライン】
Lamas.

Lan-tao. Voyez T’ai-yo.

Laos.

Lao-tsze 老子, ne en 604 a.c.,
54 ans avant K'ong-tsze. Son 名
etait 李耳 Li-eurl. On le nomme ordinaire 老君
Lao-Kiun.

【ページ番号】61

【文字なし】

【ページ番号】62
Lascars. Les Europeens appellent ainsi
les matelots des mers de l'Inde.Ils
donnent le meme nom aux soldats du
train d'artillerie, et encore aux domestiques
charges du service des tentes dans les
armees. Dupeuty-trahon, le Moniteur
Indien. Paris, 1838, in - 8?.

Lacomte (le Pere

Liao-tong 遼東。province septentrionale
de la Chine.
【右へ移動】
Liampo, ancien etablissement portugais,
en face de Ning-po. Voy. Ning-po.

Lieou-hiang.
Vouyez Kouan-tsze.

Lieou-kieou (iles) 琉球。

Lie-tsze 【スペース】philosphe
tao-sse, anterieur a Tchoang-tsze
qui le cite assez souvent. Suivant
gques(?) auteurs chinois, il publia
son ouvrage, qui forme 2 vol., la
4e- annee de Ngan-wang, des Tcheou,
l'an 398 a.c.

【ページ番号】63

【文字なし】

【ページ番号】64
Li-Ki 礼記。

Li-Kwoh-tchouen 列国伝。

Li-ma-teou 利瑪竇。nom chinois
de Mathieu Riccii.

【一行目抹消】
Ling-ting. Voyez Lintin.

Linguiste.

Lin-tin 冷汀 (w.w.) ou 零丁B. (ling-ting),
Ile a embouchure de la riviere de
Canton.
【右へ移動】
Li-t'ai-peh 李太白。

【ページ番号】65

【文字なし】

【ページ番号】66
Lo-Kouan-tchong
auteur du San-Koue-tchi.

Lolos.

Lou 魯 (royaume de =,
). Patrie de Confucius.

Luçon (ile de). 呂宋 (liu-song).

Lun-yu 論語 。un des Sse-chou,
par Confucins.

【ページ番号】67

【文字なし】

【ページ番号】68
【Mで始まる単語】
M.【弧状アンダーライン】
Macao. 奥門 (ngao-men)
(dept de Kouang-tcheou-fou).

Macartney (lord).
【右へ移動】
Madras.
Deuxieme presidence des etablissements britanniques
dans l'Inde.

Maigrot.

Manille. (lat.N.15°50'. long. E.116°41')
Capit. de l'ile Luçon et de l'Archipel des Philippines.
【右へ移動】
Maimatchin. 【スペース】mai-mai-tchin.
Voy.Beraud. et Kiakhta.

【ページ番号】69

【文字なし】

【ページ番号】70
Mantchoux 満洲(man-tcheou)

Marco-Polo Voyez Polo (marco).

Ma-touan-lin

【ページ番号】71

【文字なし】

【ページ番号】72
Medhurst.

Meng-tsze 孟子 contemporain de
Xenophon et de Socrate, 4e- siecle A.C.,
auteur du livre qui porte son nom et qui
fait partie des Sse-chou.

Meng-tsze 孟子, un des Sse-chou.

Me-ti 【スペース】ancien philosphe.
Voyez Ho-kouan-tsze.

【ページ番号】73

【文字なし】

【ページ番号】74

【文字なし】

Miao-tsze

Milne
【右へ移動】
Mi-lin (monts)

Min 閩 un des anciens nom s de la
province de Foh-Kien.

Mongols 蒙古。

【ページ番号】76

【文字なし】

【ページ番号】77
Morrison (le Docteur)

Morrison

Moukden. Voyez Ching-king

【ページ番号】78

【文字なし】

【ページ番号】79
【Nで始まる単語】
N.【弧状アンダーライン】

Namoa. 南澳 (nan-ngao). Ile situee a
l'extremite orientale du Kouang-tong;grand
entrepot d'opium.

Nan-hoa-king
ouvrage sphique(?) de Tchouang-tsze.
Napier (lord)
surintendant de S.M.B. en Chine
【右へ移動】
Nangasaki (lat. N. 32°48',long. E.127°52')
Ville commerciale et port du Japon, sur l'ile
de Chi-mo, et aupres de laquelle se trouve la
petite ile de Desima, ouvert , depuis 2 siecles,
au commerce Hollandais.

Nan-king 南京

Nan-ngao. 南澳。Voyez Namoa

Nestoriens.

【ページ番号】80

【文字なし】

【ページ番号】81
Ngan-hoei 【スペース】une des provinces
de la Chine prop. dite.

Nan-nan 【スペース】. Voyez Cochinchine.

Ngao-men.【スペース】Voyez Macao.

Ning-po 寧波。
province de Tche-kiang.

Noel (français)

【ページ番号】82

【文字なし】

【ページ番号】83
【Oで始まる単語】
O.【弧状アンダーライン】
Ophir. Montagne volcanique de l'ile Sumatra
nommee par les Indigenes Gounong-Pasaman.
Elle a plus de 4,200 m. d'altitude.Beraud.

Orkhone. Riviere de la Mongolie, chez les Khalkas,
affluent de la Selenga. Sur ses bords etait Jadis
la ville fameuse de Karakhorum.

Ou-tchao 王朝 (les 5 dynasties) - periode
de l'histoire chinoise (Xe-【注】siecle)
【注:Xの右上のeは序数を表す.-は本来eの下にある。他のコマも同様。】

【右へ移動】
Ouigours. Voy. Hoei-nou.

【ページ番号】84

【文字なし】

【ページ番号】85
【Pで始まる単語】
P.【弧状アンダーライン】
Pan-hoei-pan【スペース】historienne
celebre.

Parennin (le Pere

Pegu. Voy. Beraud.
Peguans.

Pei-wen-yun-fou 佩文韻府。
【右へ移動】
Paris. 巴𥝤城 (Pa-li-tching).W.

【ページ番号】86

【文字なし】

【ページ番号】87
Pe-King.

Pe-kouei-tsi【スペース】ou la tablette de
jade blanc. le 9e-【e-は序数の表示】des t'sai-tsze.

【ページ番号】88

【文字なし】

【ページ番号】89
Perse 波斯 (Po-sse).

Pe-tchi-li 【スペース】une des provinces
de la Chine prop. dite.

Pe-tsin 【スペース】nom chinois du
Pere Bouvet. Voyez Bouvet.

Philippines (iles).

【ページ番号】90

【文字なし】

【ページ番号】91

【文字なし】

【ページ番号】92
Pi-kan.

Ping-chan-ling-yen
ou les deux chinoises lettres。ーroman chinois,
le 4e-【序数のe】des t'sai-tsze.

Ping-Kouei-tchouen
ou la Pacification des demons (des ennemis).
― le 10e des t'sai-tsze.


Pi-pa-ki 【スペース】ou l'histoire du
luth。― par Kao-tong-kia。―drame
chinois, le 7e-【序数のe】 des t'sai-tsze.

【ページ番号】93

【文字なし】

【ページ番号】94
Piraterie.
Voyez Haussmann, Voy. en Chine, T.II,p.10-16.

Polo (Marco).

Population de la Chine.

【ページ番号】95

【文字なし】

【ページ番号】96
Pouan-kou 盤古。
【右へ移動】
Poulocondor (ile), dans la mer de Cochinchine.
Voyez Kouen-lun et Kouen-t'un.

Pou-mi-ke 【スペース】nom chinois
du Pere Michel Boym.

Pou-tsze-hia 卜子夏。Commentateur
du Yi-king.

【ページ番号】97

【文字なし】

【ページ番号】98
Po-yang 鄱陽湖。Grand lac situe dans
le departement de Jao-tcheou 饒州dans
la province de Kiang-si 江西。

Premare (le Pere

Protestantes (Missions).

Province.

【ページ番号】99

【文字なし】

【ページ番号】100

【文字なし】

【ページ番号】101
【Rで始まる単語】
R.【弧状アンダーライン】
Rangoun. Voy.Beraud.

Ricci (Mathieu). Voyez Li-ma-teou.

Rubruguis.

Ruggiero (le Pere Michel)

【ページ番号】102

【文字なし】

【ページ番号】103
Russes.

【Sで始まる単語】
S.【弧状アンダーライン】
Samaneens.

Samarcande.

【ページ番号】104

【文字なし】

【ページ番号】105
San-Koue 三国。peiode de l'histoire
chinoise.

San-Koue-tchi 三国志。l'histoire des
trois royaumes, par Lo-Kouan-tchong❘
roman historique, le 1er-【序数=最初の】des t'sai-tsze.

Sapek.

Schaal (le Pere Adam).

【ページ番号】106

【文字なし】

【ページ番号】107

【文字なし】

【ページ番号】108
Selenga.

Siam (royaume de). 暹羅(tsien-lo).

Sieou-tsai.

Sincapour. Voy Singapore.

Singapore. Voy Beraud.

Sing-chi-tso-pou
Biographie universelle de la Chine.

【ページ番号】109

【文字なし】

【ページ番号】110
Si-siang-ki 【スペース】。ou l'histoire
du Savillon occidental .❘roman chinois,
le 6e【六番目】 de t'sai-tsze.

Song 宋。nom de la【スペース】 dynastie imperiale.
【右へ移動
Souan-pouan.

Soy ou Soya, sorte de condiment qui
s'exporte en grande quantite pour les
Indes, l'Angleterre et les Etats-Unis,
et dont les Chinois font un tres-grand
usage.

Sse-chou 四書。les quatre livres
classiques, savoir:

le Ta-hio

le Tchong-yong

le Lun-yu

le Meng-tsze.

【ページ番号】111

【文字なし】

【ページ番号】112

Sse-makouang 司馬光。auteur du
Loui-pien 類篇。

Sse-mathan.

Sse-matching.【スペース】historien
chinois.

【ページ番号】113

【文字無し】

【ページ番号】114
Sse-mat'sien 司馬遷。

Sse-tchouen 四川une des provinces
de la Chine prop. dite.
【右へ移動】
Stanley, precedemment nommee Little Hong-Kong,
petite ville de l'ile de Hong-Kong, sur la cote Sud. Pecherie.

Sumatra.

Sun-tsze 【スペース】philosophe lettre,
posterieur a Meng-tsze. Il florissait dans
la periode des guerres appelee Tchen-koue,
entre 375 et 230 av.J.C. On le regarde en
Chine comme le plus celebre ecrivain de
l'Ecole de Confucius, et on place son
ouvrage qui forme 5 vol., immediatement
apres les Sse-chou. Il traite de la politique
et de la morale. On l'estime autant pour
la justesse de ses connaissances que pour la
clarte de son style.

【ページ番号】115

【文字無し】

【ページ番号】116
【右側】
Swan-pwan. (abaque, souan-pouan).

【Tで始まる単語】
T.【弧状アンダーライン】
Tachard (le Pere

Ta-kio 大学 un des Sse-chou, par
Tseng-tsze.

【ページ番号】117

【文字無し】

【ページ番号】118
Tai-wan 台湾。nom de l'ile Formose et
de sa capitale.

Tai-yo 太奥 nom d'un bourg et d'une
grande ile, a l'est de la rade de Macao,
appeles autrement Lan-tao.

Tang 唐 nom de la 【スペース】dynastie imperiale.

【ページ番号】119

【文字無し】

【ページ番号】120
Tao.

Taosse.

Tartares



【ページ番号】121

【文字無し】

【ページ番号】122
Tchang-cha-fou【スペース】capitale
de la province de Ho-nan.

Tchao-sien 朝鮮。Voyez Coree.

【ページ番号】123

【文字無し】

【ページ番号】124

【文字無し】

【ページ番号】125
Tcheh-kiang 浙江 une des provinces
de a Chine prop. dite.

Tchen-kouek 戦国 。nom d'une period
de l'histoire chinoise (375-230 av. J.C.)

Tchou 周 nom de la 3e-【序数】 dynastie
imperiale.

Tcheou-chan 舟山。grande ile au N.E.
de Ning-po-fou, connue en Europe sous
le nom de Chusan.
Capitale : Ting-hai.

【ページ番号】126

【文字無し】

【ページ番号】127
Tcheou-kong 【スペース】2e- 【序数】fils de
Wen-wang.

Tchi-li【スペース】. Voyez Peh-tchi-li.

Tching-tching-kong
amiral ou pirate chinois, connu sous le nom
de Koxinga. Il fit la guerre aux Tartares-
Mandchoux, chassa les hollandais des iles
Formose et Pong-hou, prit le titre de roi,
et mourut en 1670.

【ページ番号】128

【文字無し】

【ページ番号】129
Tchin-si-fou.【スペース】Voyez Barkoul.

Tchi-youen 【スペース】。surnom chinois
du Pere Michel Boym.

【ページ番号】130

【文字無し】

【ページ番号】131
Choang-tsze 【スペース】。le plus brillant
ecrivain de l'ecole de Lao-tsze. Il florissait
sous l'empereur Hien-ti, qui commença
a regner l'an 368 av. J.C. auteur du
Nan-hoa-king, en 4 vol.

【右へ移動】
Tchoktcheou:Voy. Chuckchew et Aberdeen

Tchong-koueh 中国。

Tchong-yong 中庸。un des Sse-chou,
par Tseu-sse.

【ページ番号】132

【文字なし】

【ページ番号】133
Tchou-fou-tsze 朱夫子。le plus celebre des
commentateurs des King et des Sse-chou.
Il vivait sous les Song 宋 , dans la 2e-【序数=二番目の】
moitie du XIIe- siecle 【十二世紀】. Son histoire de la Chine
commence au regne de Foh-hi.

Tchou-hi 朱熹。Voyez Tchou-fou-tsze.

Tchun-tsieou 春秋。annales du Royaume
de Lou 魯。le 5e- King, compose par Confucius.

【ページ番号】134
Tenasserim. Voy.Beraud.

【文字なし】

【ページ番号】135
Thibet.

T'ien-chan 天山。grande chaine de
montagnes de l'Asie centrale, parallele
au Koue-lun.

T'ien-tchao 天朝。Voyez Chine.

T'ien-tchu【スペース】。Voyez Inde.

【文字なし】

【ページ番号】137
T'ien-tri (pour T'ien?), roi de Cochinchine,
mort le 4 9bre【septembreの省略】~【breの下部の表記】 1847. Sous son regne, les
chretiens etaient violemment persecutes.
Son successeur est un jeune homme de
18 ans, qui a pris le nom de Tic-Duc.
(Constitutionnel du 25 Juill. 1848).

Ting-hai 定海。nom d'un arrondissement
et d'une ville de 3e- ordre, dept. de
Ning-po-fou, et comprenant l'ile de
Tcheou-chan (Chusan).

【ページ番号】138
Tong-tign 洞庭(lac).

【文字なし】

【ページ番号】139
Tou-fu 杜甫。surnomme Tsuze-mei
【スペース】, l'un des plus celebres poetes
de la Chine; ne au commencement du
VIIIe siecle【八世紀】. Il partagea avec Li-t'ai-peh,
son contemporain, la gloire d'avoir
reforme la poesie chinoise.

Tou-hoei 杜回。general celebre.

Tourane, (lat. N. 16° 7'. long. O.105° 52').
Port de Cochinchine.

Trigault (le Pere Nicolas)

【ページ番号】140

【文字なし】

【ページ番号】141
Tseng-hie 倉頡 mandain civil qui
vivait sous le regne de Hoang-ti (2.698
av.J.C.). Il passe pour etre l'inventeur
du systeme d'ecriture adopte par
Chinois.

T'seng-tsze 曾子。ne vers 505 av.J.C.
auteur du Ta-hio et du Miao-king.

【左側四行抹消】
【右側】
Tsiampa.【スペース】Voyez Annam.

Tsien-lo【スペース】Voyez Siam.

【ページ番号】142

【文字なし】

【ページ番号】143

【文字なし】

【ページ番】144
Tsin 秦 nom de la 【スペース】dynastie imperiale.

Tsing 【スペース】nom de la【 スペース】dynastie imperiale.

T'sing-hai 青海。le lac ho-ho-noor ou
Khou-khou-noor, a l'O. de la Chine.

T'sing-tsao 青草湖。grand lac situe
dans le dept. de Yo-tcheou 岳州, province
de hou-nan 湖南。

【ページ番号】149

【文字なし】

【ページ番号】146
Tsin-sse.

Tso-kieou-ming
collaborateur de Confcius.

Tsong-ling (monts) 葱嶺。grande chaine
partant de l'himalaya et courant du
S. au N. en traversant le T'ien-chan. On
l'appelle aussi Bolor.

【ページ番号】147

【文字無し】

【ページ番号】148
Tsou-tsze 楚辞 (poesies).

Tsze-hia 子夏。Voyez Pou-tsze-hia.

Tsze-mei. 【スペース】Voyez Tou-fou.

Tsze-sse 子思。petit fils de Confucius,
ne vers 515 av.J.C, mort vers 453.
auteur du Tchong-yong, attribue par
Remusat a K'ong-tsze.

【ページ番号】149

【文字なし】

【ページ番号】150
Typa (le) + 字門 chih-tsze-men, partie
du port a Macao.

【Vで始まる単語】
V.【弧状アンダーライン】
Vallat (le Pere
Jesuite français.

Verbiest (le Pere

【ページ番号】151
【右側】
Victoria, capital de l'ile de Hong-Kong.

【文字なし】

【ページ番号】152
Vietnam. 【スペース】Voyez Annam.

Visdelou (le Pere

【文字なし】

【ページ番号】153

【文字なし】

【ページ番号】154
【Wで始まる単語】
W.【弧状アンダーライン】
Wang-pei 王弼。un des commentateurs
du Yi-king. Il vivait sous les Wei 魏。

Wen-Tchong-tsze
philosophe de la secte des lettres.
queques auteurs chinois le regardent
comme un disciple de Meng-tsze.
Son ouvrage forme 1 vol.

Wen-wang.

【ページ番号】155

【文字なし】

【ページ番号】156
Whampoa. 黄埔 (Hoang-pou), port de
Canton. C'est la station de tous les navires
etrangers qui font de commerce avec cette ville.
Whampoa est situe a 16 Kilom. environ, en
aval de Canton. La eut lieu, le 24 7bre-【数字が7に見えるが語尾が-breで終わる月(9-12)のどれか又は誤記と思われる】 1844,
la signature du traite de commerce conclu entre
la France et la Chine par l'entremise des
plenipotentiaires de Lagrene et Ki-ying, et dont
les ratifications ont ete echangees a Macao
le 25 aout 1845.

Wou-jin-kie 呉仁傑。un des
commentateurs du Yi-king. Il vivait
sous les Song 宋。

Wou-san-kouei 呉三桂。general
celebre.

Wou-wang

【ページ番号】157

【文字なし】

【ページ番号】158
Wou-yi chan 武夷山。montagnes
celebres.

【Xで始まる単語】
X.【弧状アンダーライン】
Xavier (Saint François).

【ページ番号】159
【右側】
Ximo . Voy. Chi-mo.

【文字なし】

【ページ番号】160
Y.【弧状アンダーライン】

Ya-long-kiang 【スペース】affluent
du Yang-tsze-kiang.

Yang

【ページ番号】161

【文字なし】

【ページ番号】162
Yang-tchou 【スペース】ancien philosophe.
Voyez Ho-kouan-tsze.

Yang-tsze 【スペース】philosophe de la secte des
lettres. Il vivait sous l'empereur Tching-ti qui
regne depuis l'an 32 jusqu'a l'an 7 av J.C. Son
ouvrage, intitule Fa-yen, forme 2 vol.

Yang-tsze -kiang. 洋子江。fleuve.

Yao 尭。Emp.


【ページ番号】163

【文字なし】

【ページ番号】164

【文字なし】

【ページ番号】165
Yedo

Yen-chin
chef de pirates (XIIIe siecle). V. Haussmann, II, 11.

Yeso.

Yik-king 易経。

【ページ番号】166

【文字なし】

【ページ番号】167
Yin-tou. 【スペース】Voyez Inde.

Yong-tching 雍正。

【ページ番号】168

【文字なし】

【ページ番号】169
Youe 粤 un des anciens noms de la province
de Canton.

Youen 元。

Yu.

Yu-ho 【スペース】affluent du Peh-ho,
arrose Pe-King.

【ページ番号】170

【文字なし】

【ページ番号】171
Yun-nan 【スペース】une des provinces
de la Chine prop. dite.

【文字なし】

【ページ番号】172

【文字なし】

【ページ番号】173
【Zで始まる単語】
Z.【弧状アンダーライン】
Zheol 熱河 (Jeh-ho).m.

【蔵書印】BIBLIOTHEQUE IMPERIALE MSS.

【文字なし

【見返し?】

【丸ラベル】JAPONAIS 393

【裏表紙】

【背表紙】
A.SMITH
NOTICES
SUR
L'ORIENT
【ラベル】JAPONAIS 393

BnF.

BnF.

海外人物小傳 四

BnF.

BnF.

BnF.

麻疹全快御目得口上

麻疹全快御目得口上 一魁齋芳年画

わたくしをいちむらなとゝ
よふこ鳥猿若にすむ〳〵
家橘【市村】

大江戸のすみからすみの
御ひゐきをあゝひかわら崎ねこふものなれ
三升【紫扇】

きの国の玉川などはおよふまし
水道の水の深きめくみに
曙山【かん菊】

流行の病ひもなをるなり駒と
おほめの声をたのしみにして
芝翫

.

《題:北斎写真画》

いにしくのかねしんくきらめくすらなか
らむ鏡もとし月なしふれはおのつから
むらくもなすくもりもいてまぬくしされば
いさやうなるものからあふやつ花かた
のかゝみをらてむまきゑの箱にいわたるなと
うちみるよりき〳〵しくはなやかにかにかゝや
きたらんはいにし契のにんまさわりてめでたし
とゝおほゆるそかしはてやらのな
かくこそあらねふりよたるつしあるはゝ
てらはこなとのそこにうつもれたるしみの
すみかよりとうてたるこ代なるゑよりも
いまめしきかたさへそひて見るにうちか
恵さるゝをりにつけとにふれてうつ
りゆく人の心の御かかにこそ
 文かとゝせあよりひゝすやよひついたちのか
                平由豆流

BnF.

BnF.

妙医甲斐徳本麻疹之来記

妙医(めいゐ)甲斐(かひの)徳本(とくほん)麻疹之来記(はしかのらいき)
      芳藤画

抑(そも〳〵)麻疹(ましん)といふ病(やまひ)にるいするもの五色あり疫鬼(ゑきき)
痘鬼(とうき)といふ疫鬼は疫病神(やくびやうがみ)痘鬼は疱瘡(ほうそう)神なり
また瘧鬼(ぎやくき)邪鬼(じやき)窮鬼(きうき)といふものあり窮鬼は耗(ぼう)也
俗(ぞく)にいふ貧乏(びんぼう)神なりこれみな大陽(たいよう)の
毒(どく)にして其年(そのとし)其時の気運(きうん)に
つれて流行(りうこう)なす疫癘(ゑきらい)は春より
夏をさかんにして寒(かん)にいたり
てわづらひなしむかし弓削(ゆげ)の
守屋(もりや)大連(おふむらじ)といふ妙医(めいい)悪病(あくびやう)の
神を送(を?)まくおもひくすりをすゝ
めてけれども良薬(れうやく)口に苦(にが)くしてたれひとり
もちゆるものなくついに戮(りく)せられたる事わか
医書にいへりまた 張機(てうき)は張 伯(はく)祖(そ)にうけし傷(しやう)
寒論(かんろん)の十巻(じうくわん)をあらわし疫神(えきしん)をのぞく助(たすけ)と
なせり痘(もがさ)麻疹は小児の疫(やく)なりといへどもはしかは
天平九年にはじまりて延暦九 長徳四 慶安三
元禄四 享保十五 宝暦五 享和三 文政七 天保七いまゝた
文久にいたるそのあいた二十年 四十年のほどありされば
疱瘡神はたなをつりてまつるなれども麻疹はまつる人もなし
疫(えやみ)の神(かみ)痘の鬼(おに)はしか鬼も邪(あしき)神なるをまつること心得がたし鬼神(きじん)いかでかこれをよろこばん五鬼(ごき)は陰陽(いんよう)の造化(ざうはけ)にして人のために父母(ふぼ)なり死生(しせい)これにありといへども悪鬼(あくき)をはらはずして謟(かた)らふことあらんや厄難(やくなん)は人の賢(けん)不肖(ふせう)によらず
往昔(むかし)は巫覡【異体字?】(かんなぎ)を信(しん)じてやまひあるものおの〳〵祈祷(きとう)を先(さき)として薬餌(やくじ)をもちこすこれによりて死(し)せるもの多し孔子(こうし)も
此(この)病(やま)ひをやめり子路(しろ)いのらんことをこふ子(し)の曰(いわく)常(つね)に無事(ぶじ)を いのるものすら疾(やまひ)にあるときいのるにをよばずといへり凡夫は常に利にはしりてそのわざはひを避(さけ)んことをもとむるゆへに つねに
いのらせて病(やむ)ときはなはだしく祷(いのる) 聖人(せいじん)は鬼神をまつるに誠(まこと)を

BnF.

【表紙】

JAPONAIS
185

【文字無し】

【文字無し】

扶桑皇統記図会《割書:後編》一上
【貼紙】
7 Vols CY/N
1956
【貼紙下】
Japonais No 185
【下に】1

【表紙裏文字無し】

【次コマ裏】

浪蕐好華堂崇神著編
同柳斎重春先生画図

       後編
扶桑皇統記図会 全七冊

浪蕐書肆《割書:岡田群玉堂|岡田群鳳堂》

扶桑皇統記図会後編叙
本朝 天武帝の古昔より。今に至りて
千有余年。聖賢の君易に。御代知し
召て民を撫。天地と倶に悠久にて。さゞれ
石の巌となる。悦びのみある 皇国と
いへども。天地或ひは風雲あり。時ならず
して氷雪を飛し。地震ひて山を崩し。

日輪竝び出るなんど。これ其時日の変
にして。漢古にゝも往々是等の変あり。されば
治まる聖代にも。国を蠱するの人民出て。
王位を望み富貴を慮ひ。良すれは
乱を起し。兵革闘諍の衢となりて。
天日霎時暗きに至るはこれも所謂
時日の変のみ。是等の事は 本朝の。

歴史に載て昭々たれども。童男稚女には読
易からず。因て野亭子新にものして。国字
書になし出像を加へ。天武帝の御時より。
称徳帝の御宇に至り。初輯と号て嚮に
出しつ。今また嗣編は 光仁帝より。
朱雀帝の御宇に畢る。是より以来上世は。
神武の御世に遡り。下は 後陽成帝の

御宇まで。都ては二千有余年の。治
乱得失人臣の。善悪邪正はいふも更にて。
天変地妖も正史にあるをば。洩さず載て
大成せむと。既にその草を起すもの
から。僅二輯にして大志を果さず。空く
宗下の鬼と成ぬ。然るに這回刻成て。世に
公になすに至り。書肆来つて序辞を余に請。

余はかの野亭と国を隔て。いまだ一面の
識こそなけれ。その志は一なるものから。聊
遅らせず需に応じ。其概略を巻端に
述て。四方の雅君の机下に捧ぐといふ
 于時嘉永庚戌春三月
     東都
      松亭主人頭

委_二-任梱外機-
密_一爰整_二
其-旅_一東-征
薄-伐
以斥_二蝦-狄_一
旋奏_二奥-
羽清-平_一

さかのうへたむら
   まろ【囲み】
     坂上
      田村
       麻呂【囲み】

【左下囲み】
こんがうほう
 くふかい
     金剛峯
      空海

入定の後四日を過て
太上皇弔の書を
降し給ふ其書
    にいはく

うらしまたらう
    浦嶌
     太郎【以上囲み】
万葉
とこよへに
 あるへき
     ものを
  つるきたち
なかこゝろ
    から
  おそや
   この君

ふぢはらの   こう
  ときひら
     藤原
     時平公【以上囲み】

誇_二君-寵_一亡_二賢-臣_一
暫-時雖_下在_二其-位_一
暉_中其-威_上 天責_二
其悪_一罹_二異病_一
両-耳青-蛇浄-
蔵持-念所_レ伝_二
世-俗_一不_レ知_二信-偽_一

黄門行平
忽起_二心兵_一
戯言出_レ思
和歌
 発_レ情
不_レ邪
 不_レ婬
有_レ才有_レ名
 絵島風韻
   全非_二鄭声_一
【以下囲み】
まつ   むらさめ
 かせ
      松風
       村雨

つり   きさき
  どのゝ
      釣
       殿
        后【以上囲み二つ】
陽成帝の
愛嬪也
妬婦奸計
一朝露
 御製
筑波根の
峰より
落る水
無の川
恋そ積て
渕と成
   ぬる

BnF.

BnF.

【表紙 資料整理番号のラベル】
JAPONAIS
 4520

【表紙裏(見返し) 題名を書いた紙を貼付(逆さま)】
仮名本朝孝子伝
【資料整理番号のラベル】
JAPONAIS
 4520

【資料整理番号のラベル】
JAPONAIS
 4520

【白紙】

【白紙】

【銀杏の押し葉】

【銀杏の押し葉】

仮名本朝孝子伝序
此ころたそや我 朝の孝子伝つくりいてゝ
世のおやもたる人のもてあそびぐさと
なせりやくなきにあらずされどまんなに
ものしてからのふみめきたれは文字しらぬ
児女のわらはなどのこれをよみがてにするを
あかぬ事となんおもほす人もおほかり常
にむつれきこゆるふたりみたり又しか
おもへりこゝにやつかれ【自分の謙遜。わたくしめ】みづからのつたなきを

わすれひそかに彼ふみをまきかへしをよそ
なゝそぢあまりひとりが孝のよつかす【世付かず】めで
たきありさまともつく〳〵と見そなはし【見そこなはしの転。=ごらん遊ばす】
わかやまとことのはの今の世にいひならはし
てあやしの【見苦しい】しづ【賎=身分の低い者】山がつ【山中に生活する身分の卑しい人】といへどきゝたどる
まじきをみてつゐに飜訳(ほんやく)の筆にならひ侍る
さりとて字ことにうつし句ごとにかへて本書
のことばをさとさむとにはあらず諸伝たゝ
そのおほむねをのへてよみ見ん人の心に心をつ

たへむ事をこひねがふのみならし賛(さん)はかんなの
まねぶべきものならねばもらす論もかならず
しもそのもとによらずとるとすつるとくはふる
とそぐとすべてをのが臆裁(おくさい)にまかす其事
しりやすくそのむね得やすからしめんとて
なりこれみな本書に罪をえぬへきことは
しれど幼蒙獃癡(ようもうがいち)のためとなんおもへばかく
はからざることをえずねがはくはゆるされむ
歳ひのえとらにやどるそれの月のそれの

日それの野に年ふるおきな筆を浅
茅が露にすゝぎ侍る

書題
ある人われにかたりていはくわが 国は神国なり
わが道は神道なり今この孝子の伝を作りて
ちはやふる神代の事より端をおこさゞるは
是もとをうしなへり真字(まんな)のほんはすでに成ぬ
此ふみなとて本によらざるいはゆる本とは
あまてるおほん神は人にさとしてとをつみお
やの止由氣(とよけ)のおほん神【豊受大神】を丹波の国より伊勢に
むかへてあがめまつらしめ給ふ事代主(ことしろぬし)の神は

その父おほなむちのみことをいさめ給ふてこの
御国を天孫(あめみま)にゆづりて父の御身をやすく
たもたしめ給ふ木花開耶姫(このはなさくやひめ)は大山 衹(ずみ)の神の
御むすめなりて孫見たまひて妻とせんとのた
まひけるをやつこ父あり問たまへとてとみには【頓には】
うけひき【聞き入れ】給はす父のおほせをうけて天孫
にちぎりたまひにけりこれみな孝の
御心せち【切】なるにあらずやされば孝は神代より
かくめてたくおこなはれて千世よろづ代

我国民のそのかぞいろ【父母】につかふまつれる心の水の
みなもとなればながれきよくて孝なる人は
その心神の御心にかなひていみじきさいはひ
をうけたもちにごりて孝ならざる人は其心
神の御心にたがひておそろしきわざはひに
あふ事それまた影ひゞきのことし人しらで
やはあるべきねがはくはとく是をしるせと
なんいへり此こと誠にたうとし我すなはち
こゝにしるして巻をひらくの第一義と

せりよみ見ん人それつゝしめやこれに継て
本文の天子公卿士庶婦女今世五しなの孝に
こゝろをとゞめたかきいやしき身におこなはば
つゐに比屋(ひをく)【やなみ】封ずべくなりて唐虞(たうぐ)はさながら
この 御世の天が下なるへし

仮名本朝孝子伝上目録
 天子
 《割書:一》仁徳天皇    《割書:二》顕宗天皇
 《割書:三》仁明天皇    《割書:四》後三条院
 公卿
 《割書:一》久我太政大臣  《割書:二》帥内大臣
 《割書:三》小松内大臣   《割書:四》藤原吉野
 《割書:五》小野篁     《割書:六》藤原道信
 《割書:七》藤原良仁    《割書:八》藤原衛

 《割書:九 》 山田宿祢古嗣   《割書:十》藤原良縄
 《割書:十一》藤原岳守    《割書:十二》紀夏井
 《割書:十三》大江挙周    《割書:十四》日野阿新丸
 《割書:十五》藤原長親    《割書:十六》北条泰時

仮名本朝孝子伝上
 天子
  仁徳天皇(にんとくてんわう)
天皇は応神(おうじん)天皇の第四の御子にてつねに父
みかとへ御孝行におはしまし何事もたゝ其御
心にしたがはせたまふ天皇の御兄に大山守のみこと
と申奉るありけりある時父みかど大山守のみことゝ
天皇とをめしてなんちら子を愛(あい)するやとゝはせ
給ふみことも天皇もひとしく子を愛すとなん

こたへ給ふ父みかど又とはせ給ふいとけなきと年たけ
たるといつれかいといとおしきとみこと年たけ
たるかいとおしとこたへ給ふ天皇は年たけたるは
すでに人となれりたゞおさなきがいとおしと
のたまふ是は父みかど御位を第五の皇子宇治
のわかいらつこにゆづりまいらせられたき御心
のおはしますをおしはからせ給てその御心に
かなはせたまはむ御ためにこたへまいらさせ給ふ
なりけり父みかど此御こたへをふかくよろこばせ給て

終に宇治のわかいらつこを太子にたてをかせ給ひ
あけの年かくれさせ給ひぬ時に太子御位につかせ
たまはずしてはやく天皇にゆつらせ給ふ天皇は
父の御心ざしにたがひ給はん事をふかくおそれて
うけひき給はず太子は天皇のひしりの君に
まします事をしらせ給へは国のため民(たみ)のため
に御位につかせたまへとあながちにゆづらせ給へど
天皇きこしめしも入られずすでに三とせに
なりにければ太子ちからをよばせたまはてみづ

から御身をはからひてうせさせ給ひぬ天皇是
をなげかせ給ふ事まねぶにことばなしさりと
てあるべき事ならねば人々おして天皇を御
位につけたてまつるそのゝち世の中ゆたかにて
雨風時にしたがひけふりとほしき民のかまと
にきはらぬ所もなくて御世をたもたせ給ふこと
八十七年となむしるせり御孝行の冥加(みやうが)まことに
いとめてたからずや
   論

  をよそ人のおや其兄なる子にはゆつらて
  弟なる子に家をさづくれは兄なる子父を
  うらみ弟をねたまざるはまれなり天皇
  さる御身ながら露も父みかどをうらみまいらせ
  らるゝ御心なく宇治の皇子におゐても御いと
  おしみふかし父かくれさせ給て後なを其
  御志にたかはむ事をおそれおぼしめして
  御位つゐにうけさせ給まじき御けしきを
  皇子見うけさせ給てみづから御身をやぶりて

  うせさせ給ふ天皇孝の御心皇子御はらからの
  道いづれもためしすくなからずや本論に
  おもへらく応神天皇の御時くたらより王仁と
  いふ物しりをめしてわか御国の人々にはしめて
  堯舜周孔(げうしゆんしうこう)の道まなばしめ給ふとなむされは
  天皇皇子の御徳 義(ぎ)かくいみじかりつるも
  学問の御ちからそはせ給ふゆへなるべければ
  人はたかきもいやしきも学問の道ばかり
  あらまほしきわさはあらじ

【絵画 文字無し】

二 顕宗(けんそう)天皇
天皇は履(り)中天皇の御孫にして市辺押盤(いちべをしはの)皇
子の御子なり父の皇子雄略天皇にころされ
させ給ひける時天皇いとけなく【幼く】て御兄 億計(をけ)
の君とつれていなかへのがれ出給ひこゝかしこ
おちぶれさせ給て清寧(せいねい)天皇の御時都に帰り
いらせ給ひしがみかどに御子ましまさねは御よろ
こびあさからでやがて億計の君をまふけの
君となし給ひみかどは程なくかくれさせ給ひに

けりしかる処に億計の君天皇に御いさおし【功績】ある
によりて御位を天皇にゆづらせ給ふ天皇は
御弟なれはさるまじき御事とたび〳〵かへさひ【辞退】申
させ給へと億計の君いたくゆつらせ給てみづから
はなを坊に居たまふ爰に天皇おほせごとありて
のたまはくむかし父の皇子 難(なん)にあひ給ふ時われ
兄弟いはけなく【年はがいかず】てにげかくれし故に御から【亡がら】をおさ
めし所をだにしらず今これをもとむれども
しれる人なしいかゞすべきとて御涙せきあへ

させたまはず其後あまねくたずねとひ給けれ
ばひとりのおうなこれをしりてつげ奉るあふみ
のくにくだわたの蚊屋(かや)野の中にありとなん天皇
よろこび給ひ億計の君とともにその所にみゆき
ありてはたして尋え給ひ御 墓(はか)をひらき御
骨(こつ)を見たまひてなけきかなしませ給ふことたとへ
むかたもおはしまさず終にいみじくその所に
あらためはふむらせ給ひけるとそ
   論

  やけば灰(はい)うづめば土なるものをとて親はらから
  の葬(はふむり)にきはめておろそかなる人あり又国
  をさり境(さかい)をへだてて父母の墓をそこと
  しもしらずあるひはしりても問尋ねぬ人
  ありかゝる人々もし此天皇の御代にあり
  て此御有さまを見聞侍らはいかばかりか
  くゐ恥んむかしもろこし晋(しん)の代に孫法宗(そんはうそう)と
  いふ人あり隋(ずい)の末に王少 玄(げん)と云人ありみな
  むまれていく程なくてその父いくさに

  死しかばねをおさむる事もなかりしに
  法宗少玄年十あまりに成て父の遺骨(ゆいこつ)を
  えたく思ひて先その死せし所をよく〳〵
  人に問きゝてその所に行ておほくの白骨
  の中になきしほれ居たりけるにある人おし
  へていはく父の骨をしらんとならばなんぢの
  身より血(ち)を出してこゝらの骨にそゝき見よ
  その血ほねにしみとほるあらばなんぢの父の
  骨としるへしと少玄よろこびてわが身を

  こゝかしこつきさし血を出して骨にそゝきける
  に十日あまりにして血のしみとほる骨をえ
  て大によろこびて家に帰て葬礼をまふけ
  けり法宗は枯骨を見ては血を出してそゝき
  見る事十年にあまりしかど終にその骨
  をえざりしとなんあはれにかなしきわざ
  ならずや此二人が事をのづからわが顕宗天
  皇の御孝行に似まいらせける事の有
  がたさよ

【絵画 文字無し】

三 仁明(にんみやう)天皇
天皇御母 檀林皇后(たんりんくはうごう)のおはしましける冷然(れいぜん)院に
入らせ給ふには常(つね)に御階(みはし)にとをくて鳳輦(ほうれん)よりおり
させたまひ出させ給ふ時も又とをくてめしけり
嘉祥(かしやう)三年の春れいの入らせ給ふに大后我ふかき
宮の内にありて終に君の出入せ給ふよそひ
を見ず今日出給はゞ階のもとより鳳輦にめし
てその儀式を見せ給へとのたまふ天皇御 辞退(じたい)
ふかゝりけれと大后ゆるしたまはず藤原の良房(よしふさ)

なとにいかゞすべきとはからせ給へばたゞ大后の
おほせのまゝにとなん申す力およばせ給はて御階の
もとよりめして出させ給ひにけりその御うやま
ひのふかきが御かたちにあらはるゝを見奉る人々
はみな涙をおとしけるとそ
   論
  人の子のその父母をたうとむへきことはりから
  の文に見えたるはしはらくをきぬわが立田明神
  の託宣(たくせん)し給へるは人の両親はすなはち是内 宮(くう)

  外宮の神明なりなんぢらよくこれにつかへず
  して外に祈りもとむるかと又三 島(しま)明神の
  のたまふは人の家たかきいやしきかならず内外両
  宮の神ましますよくつかへて崇敬(そうけう)をつくさは天神
  地 祇(ぎ)ひるよるその家に降臨(がうりん)し給はむと是皆
  人の二親を伊勢両大神宮になぞらへ奉りて
  たうとみ申へしとおしへさせ給ふなりけりむへ
  こそ天皇の冷然院のみはしより鳳輦には
  めしかねさせ給ひつれ

【絵画 文字無し】

四 後(ご)三条院
此みかど東(とう)宮におはしましけるころ成尊(じやうそん)僧 都(づ)常
に御 祈祷(きたう)にまいれりある時僧都 北斗(ほくと)をおかませ
給ふにやと問たてまつりければみかどのたまひ
けるは月ごとにこれをおがむされど身のさい
はひをもとめんとにはあらず心の内におそるゝ事
ありてなりおそるゝ事他にあらずわれ坊に
あらん程は主上の御 在位(さいゐ)千世もとこそ祈りて
やむべきをやゝもすればわが即(そく)位のことの

おもはれぬるを罪(つみ)ふかくおぼえてさる心なか
らんやうにとてそ北斗をはおがむとなんのたまふ
成尊うけたまはりもあへず感涙をながしける
とそ
   論
  たゝ人にていはく家の内の事わが世となり
  なばとせんかくせむと思ふばかりは罪とも咎(とが)とも
  みづからはしるまじきを此君御即位のことのかね
  て御心にあるをあながちにあるまじき

  ことゝおほしめし入せ給へる御心の内の有かた
  さよされは年たけたる子その親の家はやく
  得まほしとおもふはみな不孝の子ぞかし本論
  におもへらくいにしへは妻をむかふる家には三日
  音楽をせざりしとなんその故はわれ妻を
  むかふる程のよはひとなれは父母の老おとろへて
  家ゆつり給ふへきころちかづけりそれをかな
  しと思ふほどに音楽などして祝ふべき心は
  なきとなり人の子ふかく此心をしれや

【絵画 文字無し】

 公卿
一 久我(こがの)太政大臣
大臣は六条の右大臣 顕房(あきふさ)の嫡(ちやく)子 雅実(まささね)公なり母は従
□位 隆子(隆子)となん申す大納言源の隆俊の女なり顕房
ある時隆俊と大内【内裏】を見めくり給ふ事ありけり大内
には子孫の殿上人を具(ぐ)して沓(くつ)の用意せざる人は
はだしにて庭をあゆむ所のあるを顕房隆俊
さる用意もなかりけるに雅実公まだいとけなか
りしころ沓を二そくひそかにふところにし来り

てかしこにいたりてとりいでて両人にはかせまいら
せられけり父なれば顕房へはさもあるべし隆俊へも
おなじさまに心をつけられし事のいみじ【すばらし】さよ隆俊
感涙をながしてよろこばれけるとなんしりぞき
て隆子のもとに行て公のいとけなくてをのれまで
に孝のをよべる事をいひて又もろともによろ
こばれけるとそ
   論
  ある人問ていはく雅実公いとけなくての孝心ま

  ことに有かたし年たけ給ていかゞおはせしや答ふ
  いまだかんがへずされど本論におもへらく此公
  内大臣の左大将たりし時伊勢の奉幣使(はうへいし)うけ
  たまはりて物いみにこもりておはせしにある
  夜の夢のうちに神のあらはれさせ給て此ところ
  仏経(ぶつきやう)ありはやく他所にうつすべしとつげ給ふと
  見てうち驚きてこの所いかで仏経のあ
  らんとはおもほしながらこゝかしこくまなく
  尋させ給ひければ何人の置けるにやなげしの

  上に仏経見えけりいそぎこれをとり捨て川原
  に行てはらへし給ふとなん伊勢勅使部類記と云
  ふみにしるせりされは仏経のけがれをのがれて
  御使の事をまたくせさせ給ふこと神の御めぐみ
  ふかきが故ならすや公の孝のいたれるをしるべし
  いはく神の御めぐみに孝のいたれるをしれる
  其理いかむいはく考なる人の家にはひるよる
  天神地 祇(ぎ)くだりのぞませ給ふとなむ三島明神の託宣(たくせん)
  し給ふこと前の論に見えずやあやしむ事なかれ

【絵画 文字無し】

二 帥(そつの)内大臣
一条院の御時内大臣伊周公あやまちありて
播磨(はりま)の国にながされ給ふ母の高階(たかしな)氏いたくなげ
きやがて病にいねてあやうかりけりたゞそゞろ
ごと【うわごと】し給ふにも大臣にあひ見ん事をのみいへり
大臣 配所(はいしよ)にて聞たまひてたとひこれより
をもき罪(つみ)にはしづむとも母を一目見ずしては
えたふまじくおぼしなりてひそかに配所を出て
忍びて京にのぼられけるが母のいまだ事きれ

ざる内にのぼりつきてたいめんし給ひけるとなん
母いかばかりよろこび給ひけんやがて事もれけ
れは罪いよ〳〵をもしとて此たびはつくしの
大宰府(ださいふ)にぞ流されさせ給ひける
   論
  ある人のいはく伊周公はもとよりよからぬ人
  なるうへ御ゆるされもなきにをして配所より
  のぼられたるは誠に罪ふかゝらずやいかで
  此ふみにはとれる答ふよからぬことをよしと

  してとるにはあらず母のをのれをこひてしぬ
  ばかりやめるを聞て身にかへてのぼられ
  ける心のうち孝にあらずと云べからず此
  外はわがしる所にあらず

【絵画 文字無し】

三 小松内大臣
大臣名は重盛平相国(しげもりへいしやうこく)の嫡(ちやく)子なり相国おごりをきは
め君をなみし【軽んずる】事ことによこ紙をさかれ【無理を押し通す】しを此
おとゞふかくうれへさま〴〵にいさめたゞして終に
大逆をなさしめ給はす孝まことにふかゝらずや
事は平家物語盛衰記にくはしけれは略す
   論
  親あしとてつよくいさむるはさかひてわろし
  たゞわれをつくしてをのづからあらたまる

  やうにすべしととく人もあれどあしきに
  軽重ありかろきはさもすべしをもきはすみ
  やうにいさむべししからざれはちゝ母を人
  にそしらせわらはせあるひは罪をおほや
  けにえせしむることありつとめていさめ
  さるべけんやさりとて気をくだし声をやは
  らげかほばせをよろこばしむる事をわする
  べからすわが子か友かをせむるやうに木折【きをり=気が強くて愛想のないさま】
  には申ましき也しからば此おとゞのいさめは

  すこしつよきに過るにやいはくしからず清
  盛位きはめてたかく行ひきはめてあしく
  いさめもしゆるくは国みだれ天下うごかんなみ〳〵
  の人のあしきには似るべからずおとゞも又時の大臣也
  つよくいさめさる事をえたまはんやまさに
  つよかるへくしてつよし又これ孝なり

【絵画 文字無し】

四 藤原吉野(ふちはらよしの)
吉野は参議(さんぎ)正三位兵部卿 綱継(つなつき)の子也学問してざえ【才】
かしこしつかへて中納言にいたれり父母をやし
なふて孝なりある時家にあざらけき【新鮮な】肉(にく)あり
綱継人をつかはしてわかちとらしむ折節吉野
は参 内(だい)していまだかへられずくりや人その肉
をおしみてわかたず後に吉野これを聞て涙
おとしてくりや人をせめそれよりなかく肉食
せられさりしとなん

   論
  くりや人おろかにして肉をわかたで父の心に
  そむきし事のうたてさにさる肉を見るも
  うるさくやおもはれけむ後つゐに肉食せられ
  さりしと也これにてをして思ひ見るに
  この人一生何事をかちゝ母の心にそむかるへ
  きいみしき孝子なりけんかし

【絵画 文字無し】

五 小 野(の) 篁(たかむら)
篁は参議 岑守(みねもり)の子也天長九年父にをくれて【先立たれて】かな
しみふかくやせつかれたり又よく母につかふ承和(せうわ)
五年もろこしに使するとて船をあらそひて
心のごとくならざれは病にかこちてゆかざりし
時もこゝに篁水をくみ薪をとりて匹夫(ひつふ)【身分の低い男】孝を
いたすべしといへりすゝむにもしりぞくにも
孝を忘れざるを見るべしつかへて参議にいた
り従三位に叙せらる

   論
  たかむらは物しりにて歌などもよくよむ
  人とは誰もしれどかゝる孝子なりとはしらず
  又 下野(しもつけ)の国 足利(あしかゞ)の学校(がつかう)は此人のふみよまれし
  所といひつたへて今も経(けい)書おほく聖像(せいざう)も
  おはしませば知恵もおこなひも世にすぐれて
  我 国の大 儒(じゆ)なりし事うたがひなし墓(む)所
  は都の北 雲林院(うぢゐ)にありちかごろ我ゆきて
  尋侍りしに雲林院の民居【民家】より辰巳にあたれ

  る田の中のほそき道のちまたに土のすこし
  高き所をそ篁の塚(つか)なりとそのあたりの
  人はおしへ侍る物まなびするともからは心
  してすぐへし

【絵画 文字無し】

六 藤原 道信(みちのぶ)
道信は左近の中将にて九条大相国 為光(ためみつ)公の子なり
正暦三年父みまかり給ふ道信かなしみにたへず月日
へていよ〳〵せちなりしかれども世のならはし
父の喪はむかはり月【迎はり月…一周忌】にしてやめばひとり其なら
はしにそむくこともえせで心より外に服衣(ぶくゑ)を
ぬぐとてなく〳〵思ひつゝけられける
 かぎりあればけふぬぎ捨つ藤衣はてなきものは
なみだなりけり

   論
  我此うたをすんし【ずんじ=誦じ】て其心ををしはかるにもし
  三とせの喪をゆるさば此人かならずおこなひてん
  世のならはし誠にかなしある人のいはく三年
  の喪は聖人さだめ給ふといへと時も所もみな
  ことなれば今こゝもとにて沙汰することには侍らし
  いかんいはく本論におもへらく父母の喪はこれ天地
  の常経(じやうけい)古今の通義(とうぎ)とて今もむかしもやまと
  もからもいさゝかあらためかふべからざるの大礼

  なり他の礼儀法度の時により所にした
  がひてかけひきすへきがごときにはあらず
  となむされば三年の喪おとろへたりと
  いへどせんとおもふ人はみな是をせり趙宋(てうそう)
  は三代よりは千数百年へだてたれと諸
  儒の古礼によりしはかぞへもつくすべからず
  大 明(みん)の世にいたりてもその人おほし時に
  よりてあらためざるを見るべし宋の徽(き)
  宗といひしみかどは金と云えびすの国にて

  うせ給へりその臣 司馬朴(しばはく)朱弁(しゆべん)なといふ人君の
  喪を法のごとくとらんとおもへど金の国にせざる
  法なれはいかゞすべきとて朱弁ためらひけるを
  司馬朴をしてつとめければ金の人々もかへりて
  みな感しにけり朝鮮などにもちかき世に
  河陽(かやう)の尹仁厚(いんじんこう)鎮川(ちんせん)の金 徳崇(とくそう)なと云人古法に
  よりて喪をおこなひて人是をたうとびけり
  所によりてあらためざるを見るべししかれば
  此ころこゝもとの人の喪はみじかきかよろし

  きぞと力をきはめてをしへらるゝは是一人の
  私言(しげん)なるべし天下の公論にはあらじある人又
  いはくたとひ三年の喪をとれりといふともその心
  誠すくなくたゞ力をもておこなひなさば誠有
  人のみしかき喪にはかへりておとり侍らんかいはく
  しからず喪は我身心をつくして父母 養育(やういく)の恩(おん)に
  むくふる也たとへは臣下が君のあやうきにのぞ
  みて心の内にはやるかたもなく君をいとおし
  とおもひながら力を出してたゝかはざる人と

  さばかりはおもはざれとも身をすてゝたゝかふ
  人といつれかよく御恩を報すとはせんかの父
  母に喪する人もいかに内に誠ありとても両
  三月をだにへずして酒をのみに肉を食して
  よろづ常のまゝならば何をもつてか恩に
  むくゐん人の子これにしのびんや孔子のた
  まへりなんぢにおゐてやすきかなんぢやすく
  はこれをせよ

【絵画 文字無し】

七 藤原 良仁(よしひと)
良仁は贈(ぞう)太政大臣正一位冬 嗣(つぐ)朝臣の第七の子也その
心いたりて孝なり母にをくれてかなしみなきて
血(ち)をはき息(いき)たえ一時ばかりありてよみがへられし
が猶其なげきにたへずつゐに病にをかされて
みまかられけり年四十二
   論やせて
  ある人とふ喪にゐてやせて死にいたるは不孝
  にひとしとこそうけ給はれ良仁をはなど此ふみ

  につらねらるゝやいはく此事ありされどまめ
  やか【誠実】に喪をおこなひて身のそこぬるもしらぬ
  人を不孝とするには忍ひざるにや世々の
  喪にたへざる人おほやう【大様=大体】孝をゆるされけり
  その姓(せい)名本論にあきらけし此ふみに
  この人をとれるより所なきにあらず

【絵画 文字無し】

八 藤原 衛(まもる)
衛は贈左大臣従一位 内麻呂(うちまろ)公の第十人にあたれる
子にて正四位下右京大夫たり此人二歳の時母に
をくれて五歳にして母いかにと問てそのなきをかな
しめる事年たけたる人のしたひなげくが
ごとし大臣これをあやしとしてふかく愛し
たまひけるが終にたてゝ嗣(つぎ)とし給へりされば
年十八にして文学人にすぐれてざえかしこかり
つれは世の人 漢(かん)の賈(か)【商人】長 沙(しや)になぞらへけるとそ

   論
  本論におもへらく世の一二歳にて母にをくるゝ
  ものおほしいやしき家の子はそのおきねくひ
  物をのが心のまゝならぬにつけて五六歳にも
  いたりぬれは人の母あるをうらやみわが母なき
  をかなしむ事をしるもあれどやんごとなき
  きはゝ事みな心のごとくなれば十歳といへど
  猶なき母をしたひなげくはまれなり衛わつ
  かに五歳大家にやしなはれてあかぬことなかる

  べきをかくばかりなき母の世をいたみかなし
  めるこれ誠にたぐひまれなる孝心な
  らずやそれ孝は万事の紀(き)なれはひとつ
  をとりて百善いたるといへりむべこそ大臣
  のこの人をたてゝ嗣とはしたまへれ

【絵画 文字無し】

九 山田 宿祢(のすくね)古 嗣(つき)
古嗣は西京の人なり心きよくことばすくなしいと
けなくて母をうしなひおばなる人につゝしみ
つかへたり孝行殊にあつしある時ふるき文よみ
て木しづかならんとすれど風やまず子やしなは
むとすれど親いまさずと云ことばにいたりて
かなしみにたへず文どもみな涙にぬらしけり
父みまかりけるときもそのなげきせちにし
て形やせおとろへぬとなん

   論
  をよそ人のふるき文よめる口にてよめるあり
  心にてよめるあり口にてよめるは鴉(からす)の
  なき蝉(せみ)のさはぐにことならずといへり心にて
  よめるそ誠によむなる古嗣の風木の
  ことばをよめるがごとき是なりしかれば
  孝のかたどるべきのみならずふみよむも又
  此人をまねばんか

【絵画 文字無し】

十 藤原 良縄(よしなは)
良縄は正五位下備前守大津か子なり斉衡(せいかう)元年大津
備前の国にして病にいねてあやうし良縄きゝも
あへずはやく国にくだらむとしけれど御ゆるされ
なくてたゆたふ程に大津うせぬとつぐ良縄い
といたふなげき血をはきてたえ入時をうつしていき
出ぬそのころは参議なりしが職をさりて喪に
をれり貞観(じやうぐはん)三年母の紀(き)氏また病あつし良縄
ふかくいたはりて目をもあはせず【眠らず】帯をもとかで

ひるよるあつかひきこえけれと母つゐに身まか
りにければ父にはなれし時のごとくになげき
つかれやせおとろへて心地しぬべくなんおほゆ

【絵画 文字無し】

十一 藤原 岳守(をかもり)
散位(さんゐ)従四位下藤原の岳守父みまかりて喪にをれ
りそのつとめ法にすぎてしぬばかりになんやせ
つかれけり天長七年の事なりけるとそ
   論
  ある人とふ良縄岳守が喪にをれる幸(さいはひ)に
  死にいたらずといへどあやうし過たるに
  あらずや答ふそこの此心たとへば人の人と
  たゝかふとていまだ刀もぬきあはぬ内に

  にげ道をはかり取さへ【仲裁する】の人をまつがごとし
  いかにとなれは喪にゐてしぬばかりなるは
  孝子の常なり礼記(らいき)に死を思ふは生を欲(ほつ)せ
  ざるがごとくすといへるのたくひみるべしさば
  かりなげきつかれて実(じつ)に死せんとする時に
  人にたすけられて飲食をも口にいれさ
  すがに死せざるやうにする事にてこそ
  あれその愁嘆はあさくして先わが身の
  やまずしなざるやうにのみするを交(まじはり)ふかき

  友などの是をばしらで心もとなしとてくひ物
  もちて行てとふらふにそのすこやかなること
  日ごろにかはるかたもなければうちいでむ
  言の葉もなくて帰るもありけり其さま
  誠に人のたゝかひてしなんとすと聞て棒(ぼう)ち
  ぎりきたづさへ行て二人がやゐばをへだて
  命たすけんとてうちあつまりたるにさは
  なくて刀をもぬかでにげ道にのぞみ居たれば
  此とりさへの人々手をむなしくして帰るに似ざるべきや

【絵画 文字無し】

十二 紀夏井(きのなつゐ)
夏井は従四位下紀 善岑(よしみね)の子なり心きよくざえかし
こし仁寿のみかどにつかへて右(う)中 弁(べん)にいたれり母を
やしなふて孝なり母みまかれり夏井かなし
みしたひて尸骸(しがい)を野辺にをくらずあらたに堂
ひとつをつくりて其内におさめ置てあした夕
これに入て母につかふることいける世にかはらず
三年ををへてやみぬるとそ
   論

  世の人父母のいける世には孝順に見ゆるも
  おほかれど既になくなり給へはふた夜三夜とも
  とゞめをかずさながらうるさきものをはらひ
  やるやうに野にまれ【~であっても】山にまれ送りすて
  てあながちに【ひたむきに】したひきこゆるさまも見
  えずいにしへもちかき世にも死して日を
  へて又いき出たるためしからやまとに
  すくなからねばもし久しくとゞめ置なば
  さることもやあらんにと思ひやるもいとかなし

  夏井すみやかに送りすつるに忍ひず三とせ
  までとゞめをかれし事まことにいみじ
  き孝行ならずや

【絵画 文字無し】

十三 大江 挙周(のたかちか)
式部(しきぶの)権 ̄の大輔挙周朝臣は大江の匡衡(まさひら)の子にて母は赤染
乃右衛門にてぞありける挙周をもきやまひに
いねてたのみ【望み】すくなかりけれは赤染そのおもひ
にたへず住吉にまふでて七日こもりて挙周
此たひたすかりがたくはすみやかにわが命に
めしかふべしと申て御幣(ごへい)のしでに
 かはらむと祈るいのちはおしからでさても
わかれんことぞかなしきとかきつけてたてまつり

けるに御納受やありけむ挙周病 癒(いへ)たり赤染ふか
くよろこびてひそかにわが死するをぞ待居ける
挙周是を聞ておどろきなげきをのれも又住吉
にまふでゝ申けるはさきにわが死ぬるいのちたすけ
させ給ふは誠にありがたく思ひたまへられ侍れど
母の命にかへていき侍りては何のいさみか侍らむ
あふぎねがはくは母ながらへてわが病はしめのごとく
ならむとなんふかく祈りこふて京にかへりのぼり
にけりしかれどもその身ふたゝびやまず母も又つゝ

がなしおや子の孝 慈(じ)のやんごとなさを明神のあはれ
させ給ふにこそと人みな申き
   論
  ある人とふ人のかなしみ老て子を先だつるに
  しくなし赤染むへこそ挙周にかはらん事を
  祈りつれもし引かへて挙周死せば赤染のなげ
  きいふはかりなかるへし死は中〳〵にやすかり
  なんしかれば挙周の祈り必しも孝にあら
  ざる歟いはくかくのごとく穿鑿(せんさく)せされたゞ母

  の身を殺(ころ)してわか命いくるには忍びずと
  のみしりてやむべしもし忍ひばこれ禽獣(きんじう)
  のみちなり孝と不孝との沙汰には及ばず

【絵画 文字無し】

十四 日野(ひの)阿新(くまわう)丸
阿新丸は日野中納言 資朝(すけとも)卿の子なり後醍醐(ごだいご)天皇
鎌倉(かまくら)の北条(ほうでう)がおごりをにくませ給ひほろぼさせ
給べき御くはたてありて資朝卿とはからせ給ふ
を北条ふかくうらみたてまつりて先この卿をとらへ
佐渡(ざど)の国にながし其国しれる本間(ほんま)山 城(しろ)入道に
あづけぬ阿新年十三母と都の内をのがれて
仁和(にんわ)寺のわたりにうち忍びてあられけるが父の
卿ちかき内にうしなはれ給ひぬべしと人のいひさは

ぐを聞て心も心ならでたゞいかにもして佐渡と
やらんにたつね行て父もろともにうしなはればや
と思ひたゝれけることのいたはしさよ母にいとま
をこはれしに母おもひもよらずとてゆるさるべき
けしきもなきを父を一目見まいらせてやがて
帰りのぼり侍らむなとさま〴〵にいひなぐさめて
わりなく【仕方なく】家を立出られし心の内おもひやるべし
父の卿ものゝふどもにとられて佐渡におもむかれ
しころ家のたからみなちりぼひまどひて母と

阿新との朝夕のけふりもたえまがちなれは旅の
ようひも何かはなしえむたゞしもべひとりを
ぐしてありしまゝにて都を出て心ばかりは
いそぐとすれどありきもならはぬ足に血ながれ
目にはひまなく涙のうかびぬれば行さきくらき
やうにのみおほえてすゝみもやらずされど十日あ
まりにして越前の国なるつるがと云ところにいたり
それよりあき人【商人】の船にたよりをえてからう
して佐渡にくだりつきてげ【ママ】りやがて本間が

館(たち)【「舘」は「館」の俗字】にあないしてかくといひきこえもあへずたゝはやく
父を見ばやとねがはれければ本間もいといたう
あはれとはおもひながら鎌倉にきこえてをの
がためいかならむとしばしためらふほどに
催促(さいそく)の使来りて元徳(げんとく)二年五月それの日資朝
つゐにうしなはれぬ入道が家の子本間三郎と
云ものぞ資朝のくびをばきりける入道は
阿新の心の内いたはしとおもひければ僧をまね
きて資朝の尸骸を荼毘(だび)し骨をひろひて

阿新にあたへぬ阿新この骨をむねにあてゝ
やがてたえ入られしが久しうしていきいでら
れけれと猶うつし心【正気で理性ある心】もなし見る人みな泪にくれ
けりそのゝち阿新おもへるやう入道がなさけな
くわが父のいけるかほたゞ一目見せざりしことよ
このうらみむくひでたゞにやみなんやいかにもしてかれ
をころして我もしなばやとなん思ふほとに夜ふか
く人しづまりてひそかにうかゞひくありといへど
入道がいねしあたりには尋もあたらで本間三郎

が一間なる所にふしたるを見つけぬこれ入道に
あらずといへともたゞちに我父のくびきりし
ものなればこれをころすも又かたきをうつなり
とおもひさためてやをらちかづきよりて
まづ足にて枕をけてうちおどろかしとみに【早急に】
刀をぬきてむねさしつらぬき咽(のど)たちきりぬ
三郎たちまち死す人いまだ是をしらず阿新
しりぞきて今は望(のぞみ)たりぬみづからしなばやとお
もはれけるが又おもひかへして母をばやしなは

ざらめや君にはつかへざらめや父のこゝろざしつが
ざらめや人にころされんは力なしのがるべき道
あらばのがれもせばやと思はれければこゝかしこ道
もとめられけれど門はかたくとざしぬふかき池
よもにめぐりたればもりて【漏りて=隙間を通り抜けて】出べき方なし池
のほとり竹おひたり阿新こゝろみに大なる竹一もと
にのぼりてつとめてうれ【先端】にいたりたればその竹
池の上にふして身はをのづからかなたの岸(きし)にちかづ
きぬ終に汀(みきは)におりてしばらく心をおさめそれより

湊(みなと)のかたへとあゆみ行にみじか夜はやく明てその道
猶はるかなり追(をひ)手もやゝ近づきぬらむいかゞすべ
きと思ひわづらはれけるにひとりの山ぶし行あひ
たりつく〳〵と阿新を見てうるはしのちごや
さて是はいづこよりいづこにゆかせ給ふととへは
阿新ありしまゝにかたりきこえられければ
この山ぶしうちなきてわれ此人をすくはずは行法
それ何にかせむとて阿新をせなかにかきおひて
口には陀羅尼(だらに)をとなへいととくはしり行けるが

程なく湊につきて船かりてもろともにのりぬ
本間が館には日たけて三郎が死せるを見つけ
てこれ何人のしけるにやとみな人あきれまどひ
たりしが程へて阿新のわざなる事をしりて
ものゝふあまたをひ来りたれど船はとく出してげれ
ば阿新はつゝがもなくて京にぞ帰りのぼられける
天地 神明(しんめい)の孝子を加護(かご)しましますにあらずは
この人いかで身をまたくせむ
   論

  ある人いはく資朝をころすものは高時なり
  阿新入道をねらひ三郎をころすみなあたら
  ざるかごとしいかむいはく阿新家は千里をへだて
  身は敵国(てきこく)にとらはれひとりありける従者(じうざ)さへ
  まづかへしのぼせたりたのむ所たゞ親と身
  とのみつく〴〵とおもひみるに武将(ぶしやう)の家にむま
  れ明暮弓矢とりならひてよはひさかりなる
  人と云ともこゝにありてはいさましからじを
  衣冠(いくはん)の中におふしたてられつねはあらき風

  にもあたらず其年わづかに十あまりにして
  はるかなる海山をこえたけくおそろしき
  ものゝふをころす事て手にたらざるがごとし
  誠にためしすくなからずやわれ此人の
  身をすてゝ孝をなし勇(ゆう)力かくのごとく
  なるに感じて入道をねらひ三郎をころすが
  あたるあたらざるははかるにいとまなし後
  の日をまちて論ぜん

【絵画 文字無し】

十五 藤原 長親(ながちか)
長親は南朝につかへて右近の大将にいたれる人也父の
三年の喪にゐていまだをはらず又主上かくれ
させ給ふによめる
 三とせまでほさぬなみだの藤衣こはまた
いかにそむる袂(たもと)ぞ
   論
  世にこの大将を三年の喪つとめし人といひつたふ
  るは此歌によりてなるべしされと新葉和歌

  集の詞書を見るに妙光寺内大臣みまかりて
  後三年の服(ぶく)いまだはてざりけるに又 後村上(ごむらかみの)
  院(ゐん)の素服(そふく)を給はりて思ひつゞけゝるとあり
  歌と此詞がきのみにては三年の喪の礼の
  そなはれる所もつとも信じがたしといへど
  世の人のいひつたふるにまかせかつはこの歌
  のあはれにもよほされてしばらくこゝにつら
  ぬるよし本論にもいへり

【絵画 文字無し】

十六 北条泰時(ほうでうやすとき)
泰時は武蔵(むさし)守にて鎌倉の執権(しつけん)北条 陸奥守平(むつのかみたいら)
の義(よし)時の太郎がねなり義時みまかられて後
泰時事をとれり義時子おほし愛せらるゝ事みな
泰時にこえたり泰時父の心をもて心としてつねに
弟たちにあつし父みまかられて後いよ〳〵むつまし
所 領(りやう)をわかちとらるゝも弟たちにおほくえさせて
みづからうくる所かへりてすくなしかくのごとくせ
ざれば父の志(こゝろざし)にあらずとおもへり其いまだわかた

ざる前に先わかつべき領地のほど〳〵をかき
しるして二位のあまの政(まつりごと)きけるころなりけれ
ばあま君へみせたてまつらるあま君うちおどろき
てそこにうくる所かくすくなかるべからずさらに
はかるべしとてゆるされざりければ泰時われ
おろかなりといへども御政をたすくる人の数にいれり
いかで所領の事におゐてきそひのぞむ所あらんや
たゞ弟妹(ていまい)をよろこばしめむ事わがねがひに侍る
となん申さるあま君感して泪おとして猶ゆるし

もやられざるに泰時しゐて申こふて家に帰り
て弟たちをあつめ配分(はいぶん)のほどをいひきこえて
これあま君のおほせぞとてをのれははじめより
この事しらざるがごとしはらからみなよろこび
ほこりにけり是を聞つたふる諸国の武将(ぶしやう)心の
うちにふかく恥(はぢ)て孝友(かうゆう)のみちにすゝみけるとそ
   論
  ある人とふ泰時は父の嫡(てき)長にして時の執(しつ)
  権(けん)なりその禄(ろく)かろかるべからす父の志にした

  がへばとて諸弟にわかつ所かくおほきは
  事におゐて過たるにあらずや答ふ人の
  子父母の心ざしにしたがふの道そのつくさるゝ
  かぎりつくすをあたれりとす過るといふ
  事あるべからず本論あきらかに是をこと
  はれりされば伯夷は国をうけず泰伯は天
  下をゆづり給へりいにしへの人是を過たり
  といはず今やす時はその所領またくゆ
  づられしにもあらずかくほど〳〵にわかち

  あたへられたれば過たるにはあらじ父母の
  ためには身をやぶり子をうづみし人だに
  あり是なん過ぬといはんとすればもろこし
  の孝子伝には猶のせてたうとべりいかなる
  をか過たりとはせんされど泰時のこの事
  世の中 庸(よう)を口にしきてつねにひかへて
  すぐさゞる人は過たりと思ふもまたつき
  なからず

【絵画 文字無し】

【銀杏の押し葉】

【銀杏の押し葉】

明治十年丑二月日小原日仙求
       妙笑庵主人

【左上のラベル】
《割書:正|価》1-141 三冊  
     金一円
       五十銭

【白紙の右隅に手書きメモ】
個【?】カトミ

【白紙】

【白紙】

仮名本朝孝子伝中目録
 士庶
《割書:一》養老孝子    《割書:二》伴宿祢野継
《割書:三》丸部臣明麻呂  《割書:四》矢田部黒麻呂
《割書:五》伴直家主    《割書:六》風早審麻呂
《割書:七》財部造継麻呂  《割書:八》丹生弘吉
《割書:九》秦豊永     《割書:十》丈部三子
《割書:十一》信州孝児   《割書:十二》随身公助
《割書:十三》曾我兄弟   《割書:十四》鎌倉孝子

《割書:十五》大蔵右馬頭頼房 《割書:十六》楠帯刀正行
《割書:十七》本間資忠    《割書:十八》左衛門佐氏頼
《割書:十九》武州孝子    《割書:二十》養母孝僧

仮名本朝孝子伝中
 士庶(ししよ)
一 養老(やうらうの)孝子
元(げん)正天皇の御時 美濃(みの)の国にまづしくいやしき
おのこあり老たる父をもたり常は山の木草
をとりてうりて其あたひをえて父をやし
なひけり父あながちに酒をほしがりければ
なりひさごと云ものを腰(こし)につけて酒うる家に
のぞみて常に是をこひて父にあたへ【「ゆ」にも見えるが「へ」とあるところ】けるある

とき又山に入て薪(たきゞ)をこらむ【樵らむ】とするに莓(こけ)ふかき
石にすべりてうつぶしにまろびたりけるに
酒の香(か)のしけれはいとあやしくてそのあたり
を見るに石の中より水ながれ出る所あり汲(くみ)
てなむればめでたき酒なりいとうれしく
てとりて帰て父にすゝむ父よろこべることはな
はだしそのゝち日ごとにこれを汲ておもふ
さまにぞ父をやしなひけるみかど此事をきこ
しめして霊亀三年九月それの日その所に

みゆきして酒 泉(せん)を叡覧(ゑいらん)ありて是すなはち
かれが孝ふかきゆへに天神地 祇(ぎ)あはれみ給ふ
てその徳をあらはし給ふとふかく感ぜさせ
たまひやがてかれを美濃の守になされ其
酒の出る所を養老の瀧(たき)と名づけ年 号(がう)をも
養老とあらためさせ給ひけるとなむ
   論
  ある人とふ孝に吉 瑞(ずい)のいたれるはわが養老
  のみならずもろこしにもおほしと見ゆ不孝

  にわざはひのあらはるゝ事まのあたりそれ
  と思ひよそへらるゝはあれど文などに
  しるし置てその跡のあきらかなるをば
  いまだ見ること侍らずねがはくは是をき
  かんいはく本論に迪(てき)吉録と云ふみを引て
  かきのせたる事どもありみなおそろし
  いで【さあ】そのあらましをかたらむもろこし宋(そう)
  の大 観(くわん)のころにや 羅鞏(らげう)といふ人学問して
  都にありしが夢の内に神のつげありて

  いはく汝(なんぢ)罪あり必死せんすみやかに国にかへ
  るべしと羅鞏申す我つねに大なるあや
  まちなしねがはくは罪をうるゆへをきかん
  と神また父母死して久しくはふむらず
  是その罪なりとのたまふと見て夢さ
  めぬもろこしには人死すといへどまづしく
  てはふむるへき地をもえず金銀をも
  もたざればその尸骸(しがい)を棺(くはん)におさめてあま
  たの年月過るまてはふむらざるものおほし

  孝子は身をうり田をうりてもはふむるべき
  時はふむる事なるを此羅鞏はふる郷に
  兄ありそれをたのみてはふむりを心とせず
  学問のみして居たりされとも兄は学問もせで
  こゝろくらき人なれば罪かろし羅鞏は学者
  にて義理をあきらめたれば罪をもし其
  年羅鞏つゐに死す又 明(みん)の嘉靖(かせへ)のころ通道(つうたう)
  縣(けん)と云所の鄭文献(ていふんけん)と云人母死していまた十日
  も過さるに及第(きうだい)といふ事せんとて都にのほり

  常徳 堤(てい)といふところまて行つきて船にとま
  りし夜俄に雷電(らいでん)おびたゝしくして文献
  をふれころしぬ郭監生(くはくかんせい)といふ友おなし船に
  ありつれどいさゝかも害(かい)なかりけり又 順(じゆん)天 府(ふ)
  と云所の民その母わづらひければいのこの肉(にく)を
  買(かい)て是をてうし【調じ=調理し】て母にすゝめよと妻にいひ
  つけゝり妻その時しも子をうみたりしが
  かの肉をばをのれくらひて母にはそのうみたる
  子の胎衣(ゑな)を煮(に)ていのこぞといひてすゝめぬ

  しかるにいづこよりともなくあかきへび
  ひとつ来りて妻が口におどり入てその尾を
  三四寸ばかり口より外にあませりちから
  をきはめてひけどもぬけず是を聞つた
  ふる人遠きもちかきもあつまりつゝ見る
  に年老たるものゝ見るにはへびうごく
  事なしわかき女の見けるときは尾をつ
  よくうごかして妻か面(おもて)をひだり右にうち
  たゝきけり妻やがて死しぬ又順 義(ぎ)と云

  所に程(てい)を氏なる人あり母をやしなひて
  きはめて不孝也子あり母それをいだき
  居けるがあやまりて土におとしてひたい
  すこしやぶれにけり程氏大きにいかり刀
  をとりて母をさゝむとせしがいかゞしたり
  けん母の身にはあたらでをのがはらにたち
  てその疵(きづ)にてしにけるとなむいはく是
  誠におそろしされとみな人の国のふる  
  ことなりわが御国にもさるためしありや

  いはくこれあり日本善悪 霊異(れいい)記といふ
  ふみに見えたりむかし難波の宮の御時
  大和の国 添(そふの)上郡に瞻保(みやす)といふ人ありけり母に
  孝なし常はやしなふ事もせされば母せん
  かたなくてよねを瞻保にかりてみづから
  かしきて日をおくりけるに瞻保その
  よねをかへせと母にこひはたり【催促する】けり母
  瞻保にむかひてわが乳(ち)ぶさを出して我
  これにて汝をやしなひて人となしぬ汝

  よねをかへせといはゞ我も又乳のあたひをは
  たらん【徴らん=取り立てる】といふ瞻保ことばなくして入けるが
  程なく物にくるひ出てこゝかしことまどひ
  ありきぬ其家には火おこりて妻子はみなやけ
  しにけり瞻保は終にうへてしにけるとぞ
  又ふるき都のある人の妻きはめてその母
  に不孝なり母世をわたるべきたつきも
  なくていとけなき子ひとりをぐしてむすめ
  のかたへ行てくひ物こひけるに折ふしくひ物

  こそなけれとてあたへざれば母ちからなく
  わが住家へ帰けるに道におち物のありけ
  るをひろひて見れば物につゝみたる飯(いゐ)なり
  けり母よろこびてかのいとけなき子とともに
  是をくひてその日のうへをしのぎ家に入て
  打ふしけるに夜なかばかりに人来りて
  汝のむすめにはかにわづらひてむねに針(はり)
  さすといひてしぬべくなん成ぬとつげゝれど
  身いたくつかれて行もやらざりける内に

  むすめははやみまかりにけり又 聖武(しやうむ)天皇の御
  世にむさしの国 多摩(たま)郡に吉志火麻呂(きしひまろ)と云人
  ありけりいかなる故やありけん母をにくみ
  てころさばやとおもひいつはりいざなひて
  ふかき山につれゆき刀をぬきてきらんとせし
  にそのふめる所の土たちまちにさけて火麻
  呂が身おち入けるを母その髪(かみ)をとりて天
  にあふぎて是たすけさせ給へといへど髪ばかり
  手にのこりて火麻呂はふかく土に入てしにけるとなん

【絵画 文字無し】

二 伴宿祢野継(とものすくねのつき)
野継は伴のすくね益(ます)立が子也益立 宝亀(ほうき)十一年に征(せい)
夷持節副(いしせつふ)使となり従四位下に叙せらる後に人
にしこぢ【讒言する】られてその爵(しやく)をうばはれぬ野継心を
くだき身をつくしてしば〳〵父がためにうたへ【訴え】終に
その無実(むしつ)をはらし恥(はぢ)をきよめて父をもとの
位にかへしぬ
   論
  よき人の讒(ざん)にあへるばかりうたてし【恐ろし】きこと

  はあらし親はらからしたしき友ちからを
  きはめてすくふといへどおほやう【大様=大方】はぬれ衣
  ぬぎもえず或は遠き国にながされあるひ
  はいのちをうしなはるかなしからずや益立も
  さりぬべかりしを野継いかばかりの事をか
  なしけん終にその無実をあきらめ【明らめ】其位
  にさへかへしぬ孝のふかく誠のいたれる
  にあらずしてこれをえんや

【絵画 文字無し】

三 丸 部臣明麻呂(べのをんあけまろ)
明麻呂は讃岐の国三野の郡 戸主(こしゆ)外従八位 己西成(こせなり)が
子なり承(ぜう)和のころにや年十八にして都にのぼり
朝(てう)につかへて力をつくせりその功によりて三野の
郡のつかさとなさるされどもその職(しよく)を父の己西
成にゆづりてをのれはすなはち父がたすけと
なりぬそのゝち己西成 齢(よはひ)かたぶきて職をやめて
隠居すその所明麻呂が家とはそこばく【多少】の道を
へだてたるに明麻呂あさゆふ行かよひ父母に

つかへてひとひも【一日も】をこたらず郡中みな感し
ていはくむかしの曽(そう)子のみ賢(けん)者にはあらずと
   論
  わか官職をわたくしに父にゆづるひがこと【間違い】
  にあらずやいはく本論にいへるやうに
  明麻呂が郡にかへりし時己西成なを年老
  ずして政務(せいむ)のざえ人にこえたれは明麻呂
  朝(てう)に申て大領(だいりやう)の官をゆつりてをのれはその
  事をたすけたるらむ私にはいかでゆづる

  べきそも〳〵あちはひよき食物かろく
  あたゝかなる衣類をえてだにをのれはくは
  ずきずしてもたゞ是をちゝ母にと思ふは
  人の子の常の心なりまして父よりたかき
  職をうけてゆづらでやむに忍びんや
  明麻呂が此心人の子たれかなかるべき

【絵画 文字無し】

四 矢田部黒(やたべのくろ)麻呂
黒麻呂はむさしの国入間郡の人なり父母に孝
ふかしおもゝちつねにうらやかにしてうちよろ
こひてつかへやしなへり父母うせければその
うれへにたへずやせおとろえてしたひかなしみ
十六年があいださうじ物【精進物】のあしきくひてぞ
居けるその有さま都にきこえみかどふかく
感しおほしめしてかれがゑだち【役立ち=強制の労役や兵役】をゆるし孝
行をあらはし給ひにけり宝亀年中の事となむ

【絵画 文字無し】

五 秦豊(はだのとよ)永 【注】
豊永は美作(みまさか)の国久米の郡の人なりしがむまれ
なからの孝子にていはけなきよりよく父母に
つかへ父母みまかりにければねんごろにこれを
はふむりおさめ常にその墓(はか)をまぼり【守り】居
けるとなんつねにまほるとしるしをければ
其久しさははかりしるべしこれもみや都に聞こえ
位三階をたまはりゑだちをゆるし門にしるし
たてゝあまねく国にしらしめ給ふ貞観年中

【注 コマ120の「目録」には九番目に登場する人物。従って登場人物の順番が後ろにずれる】

の御事とかや
   論
  父母の喪(も)のことちかき世は四十九日を限(かぎり)とす
  たゞしもし三 箇(が)月にわたれば身つきと
  いふことばをいみて其日数をさへそぎて
  三四十日あまりにしてもやむと見えたり
  かなしきかなやをのが身のつきむ事は
  おそるれども父母の恩を報(ほう)ぜんとはせず
  さやうの人の必おもへるは喪に久しきは

  わか国の事にあらずとされど此黒麻呂豊永
  もろこしの人にもあらず又宝亀貞観の
  みかどわか国にてすまじきことせりとものたま
  はず何にはゞかりてさはおもひけるに
  や浅まし

【絵画 文字無し】

六 伴直家主(とものあたひやかぬし)
安房の国 奏(そう)して申さく当国安房の郡伴直
家主父母につかへて常に孝なり父母をはりに
ければ口にこきあぢはひをたちて久しく
なげき居たりけるが猶したはしさのあまり
父母のすがたを作りて堂をたてゝ是をあがめ
四の時の供養(くやう)をこたらず誠にいけるにつかふる
がごとしとなん勅して位二階にすゝめながく年 貢(ぐ)
所当をゆるしかねて門 閭(りよ)にあらはせ給ふ 

【絵画 文字無し】

七 風早審(かさはやのあき)麻呂
天長十年十月十日安芸の国申す賀茂の郡の
民風早審麻呂身のおこなひもとよりたゞしく
二親につかへて殊にあつし父うせければ口に
あぢはひある物をたち喪のわざよくつゝしみ
てしたひなげく事久しくやまず母なく
なりけるときも又しかりとなん勅して三階
に叙し年貢所当をゆるしたまふ

【絵画 文字無し】

八 財部造継(たからべのみやつこつぎ)麻呂
継麻呂は加賀の国 能美(のみ)の郡の人なり父母あり
ける程は朝夕のつかへに其身をつくしうせける
後も猶その心をかへずしたひかなしみてやむ
ときなしその里人見な感じて京に申
のぼせてければこれも位をたまひみつきを
ゆるされけるとなん承(ぜう)和四年の冬の事
なりし

【絵画 文字無し】

九 丹生弘(にふのひろ)吉
弘吉は若狭の国 遠敷(をにふ)のこほりの民なりいと
けなくて父にはをくれ母と居て孝をつくせり
其さま人の及ぶところにあらず外に出れば必まづ
父が墓(はか)にゆきて心のかぎりかなしみなげき
経(きやう)なとよみてさりぬさればその里なりはひ
あしき年も此人の作れる田のみ雨風にもそこ
なはれず日でりにもかはかず虫なども入えざり
ければこれ明かに神明の孝にめでさせ給ふ故

ぞと里人みな感じあへり事やがて上にもれて
位二階に叙せられぬ貞観十二年の事となん
   論
  人あり問ていはく家主以下の四人その身いや
  しき民なりといへどいつれもいみじき孝子
  なれば人の子たるものはたれも〳〵かた
  どらまほし【真似て欲し】きをある儒者のいへるはをよそ
  民家は田つくりこがひ【蚕飼い】するにいとまなけれは
  かく身をつくして父母にはつかふまじき也

  たゞよくわざをつとめて其心に孝の本を
  うしなはざればすなはち是孝子なりもし
  本なくは小学の書にしるせる孝行ども
  ひとつもかけず身よりなせるともたゞそれ
  孝子のまねの狂言なるべしとなん此論の
  ごとくならば家主 等(ら)四人の孝も必しも民家
  のまねぶへき所にあらさるかいはくこの儒者
  の論を思ふに内その誠なくて外のみつとめ
  て孝行せんよりはたゞ外をやめて内を

  つとめむにはしかじとおもへりその理なきに
  あらず然れどもこれたゞ内をつとめ本を
  たうとむ事をしりて内外本末もとより
  ふたつなきの理をしらずあはれむべし
  されは聖賢の人の子ををしへ給へる必そこ
  ばく【いくらか】の法をたてゝそれにしたがひよらしめ
  給ふ孝はたゞ本をえてやみねと説たまふ
  事はなし本だにあれは孝道たりぬとおも
  へる人のためにかたらば昔ある人父母

  の住ける家のほとりに火おこりたりと聞
  てあまりの心もとなさに諸神諸仏にねがひ
  をたてゝ父母の息災をいのりすましてさて
  行てすくはんとしける内に父母ははや
  やけしににけり内の誠は有がたけれど
  外にすべきことをそなはりたればなり
  本をつとむる人かくおろかなるべしといふ
  にはあらねどつゐへゆかば此たぐひにもや
  似むことさらちかき世は人のならはしうすく

  をのが身をたつるわざには懈(をこたり)もなくて父母
  にはおほやううとししかるを今それに
  をしへてもはら力を農桑(のうさう)につくして
  父母にはさのみつかへずともといはゞいか
  なる世にか成行はべらむおそろし

【絵画 文字無し】

十 丈部(はせかべの)三子
元正天皇の御時 漆(うるし)のつかさの令史(さくはん)はせかべの
路(みち)の忌寸石勝(いんきいはかつ)つかへのよぼろ【注】秦(はだの)犬麻呂二人漆
をかすめたりとて遠き国へながさるべきに
さだまりぬ石勝三人のおのこあり太郎 祖父(そふ)麻
呂年十二次郎 安頭(あんづ)丸こゝのつ三郎 乙(をと)麻呂七
になんなりけるともに父が流罪(るざい)をかなしみうち
つれて官所にまいりわれら三人ながく官の
やつことなりて父が罪をあがなはんといひて

【注 「よほろ(丁)」のこと。古代国家のために徴発されて使役された人民】

せちにおもひ入たるさまなり人々是を奏(そう)せら
れしにみかどふかくあはれませ給ひて士(し)の百
行たゞ孝 敬(けい)を先とすかれら孝なり其ねがひ
にまかせて石勝か罪をなたむ【寛大に処する】べしとなんおほ
せ出されければ犬麻呂ばかりそ配(はい)所には赴(おもむき)
ける
   論
  むかしもろこし梁(りやう)の世に吉 翂(ふん)といへるわら
  はべあり父罪にかゝりて官にとらはれ居ける所に

  行て父にかはりてしなんとなむいふ人のをしへて
  いはせけるにやと人々うたがひて罪人をせむる具(ぐ)
  おほく取ならべて吉翂に見せけるにさらにおそ
  るゝけしきなければみかども是をあはれがり給て
  父子ともにゆるし給ふとなん吉翂はこの時十五
  なりし祖父丸【「麻呂」】兄弟わつかに十二九つ七つにて
  君にも臣にも露うたがはれまいらせずたゞ
  一言の下に父子が罪をゆるされけるは何ぞや
  その孝の誠いたればなるべし

【絵画 文字無し】

十一 信州(しんしうの)孝児
しなのゝ国の何がしとかや年ころの妻にやをくれ
けん京にのほりし比女をおもひてぐして国に
くだりけるに此女京に見し人ありて折々
文かよはすなるをある人ほのきゝて何がしに
つげしらせけり何がしひまをうかゞひてさる
べきふみあまたもとめえてけれどをのれは
物もえかゝざればよむ事かなはで思ひわづら
ひてわがはやうもちたりし子の戸がくし山

に手【文字を書くこと】ならひてありけるをとみ【差し迫った状況】の事ありとて
よびくだして彼文どもよませけり児これを
ひらき見れば誠によのつねのふみにはあらず
児おもひけるは是をありのまゝによみなば
まゝ母かならず父のためにうしなはれんしからば
父の心もいかでやすからんたゞ事なからむやう
にと思ひけるほどに文の詞(ことば)みなかへてつねの
事によみなしけり父きゝてうちよろこびかへ
りてつげしらせし人のことはうきたり【不確かである】と思へり

されば児をば山にかへし女にももとのことくあひ
なれけり女うれしさのあまりにいたゐけし
たるものどもとりぐして児のもとへ文やるとて
  信濃(しなの)なる木曽路(きそぢ)にかゝる丸木ばしふみ見し
ときはあやうかりしをとなんかきつけてつかはし
ければ児の返しに
 しなのなるそのはらにしもやどらねどみな
はゝきゞとおもふばかりそ
   論

  ある人いはく淫(いん)なれはすつとこそ礼経(れいきやう)にも
  見え侍れまゝ母人と文かよはす此児などて
  まことをつげて父にはからはしめざるや
  いはく父をふかく愛する人はかならず後
  の母にあつし罪あれどもあらはさず父の
  心をやすからしめんがためなりむかし
  晋(しん)の太子 驪姫(りき)かためにしこぢ【讒言する】られて身
  あやうし人みな驪姫がつみあらはし給へと
  いへば太子いへらくわが父老たまひて驪姫な

  ければやすからずもしかれが罪をあらはさば父
  いかりてかれをすてむ我しのびずとなん
  いひて終にをのれころされ給ひぬ後の
  是を議する人道理にあたらずなどいへ
  どその孝心はまことに有がたしと信州
  のこのちごを見るに晋の太子と事はかは
  れどその父の心をやすめ母にもゆへ
  なからしむることはすなはち相似たり
  孝子にあらずやまゝ母も人なり児か心

  にはぢ悔(くゐ)てそのあやまちをあらため
  ざらめやいかで害(がい)せしむるにいたらん

【絵画 文字無し】

十二 隨身公助(ずいじんきんすけ)
公助は東三条太政大臣の御 鷹飼(たかかひ)随身 武則(たけのり)が子也
つねに父に孝なり右近(うこん)の馬 場(ば)の賭(のり)弓公助わろ
くつかうまつりたりとて父いかりてはれなる
所にて公助をうちけるににげのく事もせて
しばしか程うたれにけり人々いかでにげざりし
ぞととへば公助がいはくもしにげなば父をひなん
をひてはたふれなどし侍らばきはめて不便なり
ぬべければ心なぐばかりうたれ侍るなりと申き

きく人いみしき孝子なりといひつたふるほどに
世のおぼへもこれよりぞいできにける
   論
  むかし曽(そう)子父にうたれてたふれて絶入ぬ
  すでにさめたればさらぬさまにて猶父につかへ
  しりぞきては琴かきならし歌うたへり
  これはそのうたれし所いたみもなくわづらは
  しからずと父にしられんとおもひてなり
  孔(こう)子これを聞ていかり給て舜(しゆん)の瞽瞍(こそう)に

  うたれさせ給ふにその杖(つえ)ちいさやかなれば
  うたれて父の心をなぐさめ杖大きなれば
  必のかれにげ給ふ今曽 参(しん)父にうたれ大杖
  をさけずしてたふれてたえいれりこれ
  父を不義におとしいる不孝いづれか是より
  大ならん参もし来らば門にいるゝ事なかれ
  となむのたまひしとぞ是によりておもひ
  見るに杖すこしくはにげざるもよしもし
  大杖ならましかは公助もまた不孝におち

  いりぬべしにげたらむがまさるまじきや
  いはく舜曽の御事はしばらくをきぬ公助が
  父老て腹あしくにげば必をはんをはば必たふれ
  て其身をやぶらむ公助是を思へばにぐるに空
  なし杖の大小も見るにいとまあらず人のおほく
  て恥がましきもおぼえず今その心ををしはかれ
  ば涙おちむねふさがりてわれらが親に
  うすかりしこそくゐかなしまれ侍れかれが
  不孝におちいるべきことはえしもしり侍らず

【絵画 文字無し】

十三 曾我(そが)兄弟
兄は十郎 祐(すけ)成弟は五郎時宗伊豆の国伊藤次郎
祐 親(ちか)が孫(まご)にして祐 重(しげ)が二人の子なり祐重 工藤(くどう)祐 経(つね)
にころされし時祐成いつゝ時宗三つに成けるか母に
したがひて曾我と云所にありけれは曾我とは
名のりけるなり兄弟すこし物の心しれるより
後は父の仇(あた)をむくひて敵(てき)とともに死なんと思ふ
より外なし母ふかくこれをうれへてまつ時
宗を箱(はこ)根山にのぼせて法師とならしむ時宗

母の命(めい)にそむかず行て山にありといへとも露心
ざしをかへずある時師の僧をのれを得度(とくど)せん
といふをきゝてにげて曾我に帰りぬ母いかり
て相見ず時宗よるかよるかたなし祐成わが住ける
屋にかくし置て衣食(いしよく)をともにせり時宗打
なげきていはく母の心にそむかじとすれば父
に孝なし我にふたつの身なきをいかんと時に
建(けん)久四年なり右大将家しなのゝ浅間 下野(しもつけ)の
奈須野に狩(かり)す工藤これにしたがへり兄弟ひそか

に行て隙をうかゞひけれとかなはず又冨士に狩
あり工藤したがひぬ此たびは兄弟死をきはめ
て出立けりしかるに時宗母ににくまれ久し
くあひ見ずして死なん事をいといたふかなし
とおもひけれはをして母のもとにゆきて時
宗こそ十郎殿と冨士の御狩見にまかで侍べれ
ねかはくはしばしの御ゆるされをえてたゝ一目
見たてまつりてゆかばやとなん人していはせ
けるに母なをいかりてきゝ入べくもなし時宗泪

にむせびあはれたゞけふはかりはゆるされま
いらせたくこそといへどこたへず祐成も来り
てさま〴〵に侘あへれどゆるさず祐成心に
おもへるやうわれ兄弟冨士にて必しぬべき
事を露はかりもらしなば母いかで時宗を
見たまはさらむされはとてつげまいらすべき
にあらずたゞたばかり奉りて時宗を
一目見せまいらせ時宗にもこの世のねがひ
みてしめはやとおもひければわざと言葉をあ

らゝけて時宗かくまで母ににくまれまいらせて
世にありて何かはせんいで祐成 殺害(せつがい)して御
心にかなひ侍らむといひて刀(かたな)に手をかけてたちぬ
母うち驚きてやゝ祐成ゆるすぞといへは祐成
かぎりなくよろこぼひ【すっかり喜び】てやかて時宗をぐして
母のまへに出ぬ時宗なきはらしたる目ふり
あげていとうれしげに母をぞまぼり居たり
ける鬼(おに)をも神をもあざむくばかりたけきおの
この母ならでたれにかかくはしほれむとありけ

る人々みな涙おとしにけりかはらけ【素焼きの盃】めぐりて
後おの〳〵よろこひをつくしいとまをこひて出ぬ母
見をくりて御狩をはらばすみやかに帰るべし
時をすぐすなといへるをきける兄弟か心の内
おもひやるべし兄弟冨士野につきて工藤があり
ける所よくあなゐしをきて一夜のいたうふけ
ゆくほどらうして忍び入ぬ昼(ひる)狩くらしてつかれ
たれば人みないぎたなし【寝汚し】されど工藤はこゝになし
兄弟せんすべしらずあきれまどひて立ける処に

人ありてさゝやきて工藤ふし所をかへぬこなたへと
いひて道ひき行てまことにいねし所をぞをし
へにける兄弟神の御めぐみとよろこびやをら
すべり入て工藤かいねしさまを見ればうかれめ
ともにふしたり時宗まづ女を床より引くだし
声なたてそといひてすなはち工藤が跡にせま
れり祐成は枕にたてり兄弟面を見あひて
相よろこべるさまたとへをとるに物なし祐成
工藤にふれおどかして曾我の祐成時宗父の

あたをむくふわとの【吾殿=おまえ】いかでふせがざるやと工藤
きゝもあへすをのが刀をぬきて起(をき)あがらむと
せしを祐成きりぬ時宗も又きりぬいつゝみつ
の年より何事をかねがひつるとておどりはね
てきりけるまゝに工藤が身いくきだ【注】になりてか
しにけむちかくふしたる王藤内もきられぬ
そのゝち目をさましたる家の子ども夜うち
ぞといひさはけば此たび右大将家にしたがひ
来し諸国の武士いであつまりて兄弟とたゝかふ

【注 物の切れ・刻み目を数える語】

兄弟心のまゝにきりめぐりけるあいだに祐成
まつうたれにけり時宗は猶しなざれば頼朝と
ても祖父(おほぢ)祐親か仇(あた)なりうらむまじき人にも
あらずさいはひに近づきたらば一太刀こそうた
めとおもふ程にをして頼朝の館(たち)に入ぬある
つはもの女のさましてたばかりよりて終に
とりこにしてけり其しばりくゞむるやう
殊にきびし小川三郎祐 貞(さだ)と云ものありて
これ強盗姦賊(がうどうかんぞく)にもあらずつながすとも

にぐべからずなどかばかりにはといへば時宗
きゝてよくこそいへれされどわが此縄は孝行
によりてつきたればこの縄すなはち父のため
によむ所の経のひぼ【紐】ぞかし何かはやましから
むといひてうちわらひつゝ行て松が崎と云
ところにてきられぬ年わづかに二十祐成は
二十二なりし見と見きくときく【注】人これをあは
れまずと云ことなし事のはじめをはり世の
人みなこまやかにかたりつたへ侍ればたゞ其おほ

【注 「見る」「聞く」を重ねて強調した表現】

やうをしるすになん
   論
  ある人とふかたきうつ人をばからやまと是
  をころさず右大将家などて時宗を殺(ころ)すや
  いはくわれむかし曾我物語見侍しに
  頼朝は時宗をふかくかなしとおもへり後に
  母にろく給ふてごせ【後世】とはせ給へるを見て
  しるべししかはあれどありし夜かれがため
  に疵(きづ)をかふむり身をころすものあまた也

  工藤が門 族(ぞく)又おほしたすけをくともすゑ
  とげずはかれに益なきのみならず国も
  おだやかなるべからずしかじたゞうし
  なはんにはとおもへるなるべしせんかたなき事
  なめり又とふ兄弟五七歳より後は仇とゝも
  に天をいたゞかじのおもひ誠にいたりつくせり
  となんしからばもはら薪(たきゞ)にふし胆(たん)をなめ
  し跡をこそしたふべきに旅屋【旅宿】にかよひて
  うかれを愛せし事はいかんいはく旅屋は

  敵(かたき)の行かふあたりなれは事をあそびによせ
  てたよりをやうかゞひけむされど兄弟
  がこのあそびたからの珠(たま)の瑕(きづ)とやせん是に
  よりて身をあやぶめしこともおほかり
  つればかの一大事のほいとげしは大なる幸
  なりかしもし兄弟をまなぶ人あらば必
  これをいましめていたく絶(たえ)ずはあるべから
  ず

【絵画 文字無し】

十四 鎌倉(かまくら)孝子
鎌倉の相(さう)州禅門のさふらひ何がしとかや母あり
きはめて腹あしくある時いかりて何かしを
むちうたむとしてあやまりてたふれて身
すこしいたみければいよ〳〵腹たつまゝに禅門
の前に出てわが子こそ我をうちてつ土にたふれ
しめ侍れといへば禅門おどろきて何かしをめし
てとはれけるにたれかさは申つるととへばなんぢ
が母のいへるなりとこたへらる何がし口をとぢ

ぬ禅門おもへらく此不孝のもの近づくべからずと
終に流罪(るざい)にさだめらる母これを聞てむねう
ちさはぎ又禅門の前に出てさきには我いかり
のためにみだられてあらぬ事申つる也まことは
わが子我をうたず我かれをうたんとしてあや
まりてたふれて腹たちければ物にくるひ侍し
なりわが子 咎(とが)なし流罪をなだめさせ給へと
いひて泪をしのごひけれは禅門うちわらひて
又何がしをめしてなんぢ母をうたずいかでさきに

さはいはざりしぞととはれければ何かしこたへて
いはく母すでに我にうたれぬと申けるをさには
あらずと申さば母をいつはれりと人のいひお
もはんがかなしくおもひたまへられ侍りて申さ
ざりつるとなむいへば禅門ふかくこれを感嘆(かんたん)
し所領などましあたへてよき人えたりとよろ
こばれけるとなむ
   論
  忠臣は孝子の門にもとむといへばむべこそ禅門

  のこの人をよろこび所領をまして賞せられ
  けれこれを見きく人忠孝にすゝむまじ
  きや忠孝の人家におほくはその国たいらか
  なるまじきや北条氏の代をかさねて天が
  下まつり ごち(ごとせヵ)【「ごち」の左に「◦」を傍記】しは誠にその故なきにあらず

【絵画 文字無し】

十五 本間資忠(ほんますけたゞ)
源内兵衛資忠は相模の国の人本間九郎資 貞(さだ)
が子なり正慶みつのと【癸】の酉のみだれに赤(あか)坂の城
せめんとて鎌倉より八万余のつはものはせのぼり
けるとき此おや子ものぼりてすでに天王寺に
たむろせしが大将あその何がし赤坂へはあさて【明後日】
ばかりよすべしとなんいひふれけり資貞
いかゞ思ひけんそのふれにしたがはず人見四郎
入道 恩阿(をんあ)と云ものとつれてひそかに天王寺を

【120コマの目録には「本間資忠」は十七番目になっている。「本間」が先に入ったことによって、番が一つ後ろにずれていく】

出てたゞ二 騎(き)赤坂にむかひてたゝかひてしに
けり資忠これを聞て父がをのれをゐてゆ
かざりし事をうらみて追(をふ)てかしこにしな
むとおもへりある人そのありさまを見て
いさめていへらくをよそ士(さむらい)の人に先だち
てうちじにするもみつからその義をおこな
ふのみにあらずそも〳〵子孫のさかへをおもふ
なり資貞のそこにつけずして死せる心なき
にあらじもし又行て死せば大きに父の志に

そむくべきぞといへば資忠うちうなづきて
其人をかへし鎧(よろい)うちき太刀かたなとりてまづ
上 宮(ぐう)太子の影堂(ゑいだう)にまいり冥途(めいど)にてはかならず
父にめくりあはせ給へと祈誓(きせい)しやがて赤坂
へおもむきけるが石の鳥居を過るとて
 まてしばし子をおもふ闇(やみ)にまよふらむ六の
地またの道しるべせむとよみてゆびくひきり
その血して鳥居にかきつけさがみの国の住人
本間九郎資貞が子源内兵衛資忠年十八父

がかばねを枕としておなじく戦場(せんじやう)に死しをはん
ぬとかきそへ馬引よせてうちのりしばしが
程に赤坂につきて城の木戸うちたゝきて
我はこれ今朝この城に死せし本間九郎が子也
父われにしらせざりつれば今まではをくれ
侍るねがはくははやく死して追(をひ)つきて父に
冥途につかへ侍らむ木戸ひらかせ給へとなんいふ
人々城より見るにたゞ一騎にして跡もつゞかね
ば木戸あけていれぬ資忠よろこびてふかく

入こゝらのつはものとたゝかひ終に父が死せし所
にしておなじさまにしにけるとそ
   論
  資忠をいさめし人のことばあたれりなか
  らへて家をつぎ祭をもたゝざるこそ父
  が志にもかなひていみじかるべけれ其死
  むやくならずやいはくしかりされと父
  とともにいくさの陣(ぢん)にありて父死して
  わかれとゞまるに忍びずゆきて幽途に

  つかへむとおもふも又孝心ならざるにはあらず
  もろこしにも此たぐひおほしおほやう
  孝を称せられたり本論にその人を出
  せり大抵本朝の士のたゝかひに死せる君
  のためにするはいたりておほく父のために
  するはきはめてすくなし君のためにす
  るは或は名をおもふ父のためにするは
  誠のみ孝なるかな資忠

【絵画 文字無し】

十六 大蔵右馬頭 頼房(よりふさ)
文和それの年 将軍(しやうぐん)尊氏 新田(につた)義宗義 興(おき)と
むさしの国に相たゝかふ石 堂(だう)四郎入道それがし
将軍の手にありながら三浦 葦(あし)名二 階(かい)堂 等(ら)と
ともにほこをさかしま【矛を倒さまにする=裏切る】にせんとはかりあすのたゝ
かひに必ほいとげんと定めあひけりその夜石堂
わが子の大蔵右馬のかみ頼房をよびてひそかに
此事をつげたり頼房大きにおどろきさま〳〵
にいさめけれど父きゝ入べくもなければせんかた

なくてしりぞき出てたゞちに将軍にまいり三
浦葦名 等(ら)君にそむく頼房が父も又是にくみせり
はやくこれかそなへをなしたまへ頼房ふかく
不孝の罪ををそるといへど又申さでやむべき
にはあらずもしかくつげ奉る事をいさゝか忠
ありとし給はゞさいはひに頼房がねかひをみ
て給へねかふところ他にあらずはやく頼房が
くびきらせ給ひて父がいのちをたすけたまへ
いかなる御恩にもましぬべしといへば将軍つく

づくときゝて涙おとして汝(なんぢ)か此忠わが世はをき
ぬ子孫にいたりても忘るべからず父入道の事心に
かけざればいかでかうしなふべきといひてすみ
やかにつはものをつかはし三浦葦名等か陣をや
ぶりて石堂をば問れずそのゝち頼房 仁(につ)木義
長をもて将軍に申す君頼房が父をころさず
恩にむくふるに道なしねがはくは頼房みづから
死して父が罪をあがなはむと将軍これをきゝ
給ひてあるへくもなしあなかしこいさひとゞむべしとぞ

義長におほせける世の中しづまりて後石堂父
子ともにつゝがなし
   論
  私恩(しおん)をもつて公義を害(かい)せさるはかたし私恩
  をもつて公義を害せずして私恩も又やぶ
  るゝことなきはいよ〳〵かたし伊藤九郎祐清松
  田左馬助がともからのごときは私恩をもつて
  公義を害せざる事はしれりかくのごとき人
  猶えつべし頼房がこときは誠に得やす

  からず祐清がともからの及ふべからざるのみ
  ならずもろこし楚(そ)の弃疾唐(きしつたう)の李璀(りさい)といへ
  ど又及はずわが国の人あるを見るべしたれ
  かいふ忠孝ふたつながらまたくしがたしと
  頼房これ其人なりある人いはく頼房
  がことはさらなり君のおほせには父をもころ
  すといひならはせば源の義朝(よしとも)の為義を
  はからへるがごときはかへりて義に害なきや
  いなやいはく人の禄(ろく)をうくる人その君のため

  に父をわするゝことはあるべしすなはち
  弃疾李璀かたぐひなりさはいへど義朝が
  ことのごときは人たるものゝすべきわざに
  あらず不義のいたりふ不孝のきはまれる
  なりいかにとなれば保元(ほうげん)のみたれ義朝 功(こう)
  あり身にかへてこひもとむる事この頼房
  のごとく相似ば為義の罪いかで御ゆるされ
  もなからむたゞをのが軍功の賞をのみむさ
  ぼり父を見る事道ゆく人のごとし終にころ

  して君にこびたりその罪 逆(ぎやく)たとふるに物なし
  されば天はかならず罪あるを討(たう)せることはり
  なれば父死していまだいく程あらざるに
  かれ平氏とたゝかふてかたずにげて尾張
  の国にいたりて郎等(らうとう)忠 致(むね)にころされ頸(くび)を
  京都にさらさるその子義平朝長義圓範
  頼義経かともから一人のその死をえたるなし
  女子におゐても又しかりひとり頼朝さいはひ
  に志をえられけれど世につたへて云その終り

  をよくせられずと東鑑(あつまかゞみ)に逝(せい)去の月と所
  とをしるさずはふむりをいはず是を證と
  すべし又百錬抄といふふみには正治元年
  正月十一日頼朝所労によりて出家せられ
  十三日におはらるとしるせりかく終焉(しうゑん)の
  すみやかなるも又一證とすべきか頼朝の
  子頼家その弟実朝のためにころされ実
  朝又その姪(めい)公 暁(けう)にさゝれ公暁もすなはち
  死してつゐに藤氏にその家をつがるされば

  聖人は俑(よう)つくるものをだに後なかるべし
  とのたまへり義朝が子孫のこゝにいたれる
  あやしむにたらむや人それこれをお
  もへ

【絵画 文字無し】

十七 楠帯刀(くすのきたてわき)正 行(つら)
正行は河内の判官くすのき正 成(しげ)が長子なり建武(けんむ)
丙子の五月尊氏都をせむへしとて関より西の
つはものいく万騎にやあらんみづからひきゐて
すてに津の国にいたれり新田左中将これに対
しぬ主上正成にみことのりして中将をたすけしむ
正成かねてたゝかひかたざらむ事をしりて
死をきはめてかしこに赴(おもむ)く正行年十三父
とともに京を出て桜井のやどりにつきぬ

正成これより正行を河内に帰らしむるとて
かきくどきをしへけるは異国(いこく)の獅子(しし)といふけだ
ものはむまれて三日にしてよくその父をまな
ぶとなん汝すでに十にあまれりわがこの
ことばをこゝろにしめてしばらくも忘るべからず
われもし死せば尊氏の世となるべしさあらむ
とき身をたもたんとてかれにくだるべからず
たゞ義あるいくさををこしていのちを君に
いたすべし是汝が大孝ぞといひてなきてわかれ

ぬおなし月の下の五月に正成終に兵庫(ひやうご)にて
うたれぬ尊氏むかしのちなみわすれずいと
あはれにおもはれけれは正成がくびを妻子の
もとへをくらる正行父がくびをみ見て母とともに愁嘆
せしがそのかなしみにたへすやありけん刀をぬき
て身をやふらむとす母いだきとゞめていはく
いで汝あやまてり判官なんぢを桜井よりかへ
されしは何のためとかしるや幸に人とならば
朝 敵(てき)をうちていのちを君にさづけまいらせよと

はいはずやもし然らでいたづらにしなば不孝何
事かこれにまさんと正行うけたまはりぬとて刀
をばおさめけりそれより後はつねのあぞびたは
むれにもたゞ太刀はき矢おひていくさのかけひ
きをまねぶより外なかりけりやう〳〵年もかさ
なりぬればまづ家の子五百余騎をゐて住吉天王
寺のわたりにいくさだち【出陣】しぬそのいくさののり
いといみじくて父のしわざにもおさ〳〵おとらず
すでにすゝみて細(ほそ)川むつの守 顕(あき)氏が三千のつは

ものを藤井寺にうちて大にかちぬ又山名伊 豆(づ)
のかみ時氏 等(ら)か六千騎にもかちぬ尊氏おそれ
て高(かう)の師直(もろなを)師 泰(やす)におほせて正行をうたし
むそのつはものゝ数八万なりとぞ正行三千騎を
ゐて四条縄手にむかへたゝかふつはもの数すく
なしといへどそのいきほひはなはだたけし
むかふ所まへなし秋山大草居野なといふ勇士(ゆうし)も
正行とたゝかふてはやくうたれぬ次に武(たけ)田が
七百余騎又おほやううたる次に細川清氏が

五百余騎次に仁木 頼章(よりあきら)が七百余騎次に千 葉(ば)宇
津 ̄の宮が五百余騎次に細川 讃岐(さぬき)のかみ頼春が
七千騎おの〳〵馬にあせしほこさきをくだく正
行物のかすともせず鷹(たか)のごとくにあかり虎(とら)の
ごとくにたけし師直が陣さゝへ【支え=応戦して食い止める】ずにげて八幡(やはた)
をすぎ京に入もおほかり師直あやうし上山
六郎と云もの正行をあざむきてわれ師直ぞと
いひてうたれぬ師直があやうきをすくひてなり正
行まことの師直ぞと思ひ上山かくびをとりていと

いたうよろこびけるが師直猶ありと聞ていかりて
又すゝみけるに高の播磨(はりま)のかみがつはもの五十余人た
ちまちに死す師直いよ〳〵あやうしこゝにつくし
人の中に弓に名をえし須(す)々木の何かしありてし
きりにはなちて矢五つまでそ正行に射(ゐ)たてけ
る正行心たけしといへど身その矢にたへずかなしき
かないたましきかな弟の正時と心ゆくばかりさしちがへ
てふしぬ年わづかに二十五正平四年の春正月五日
なり天下しるとしらざるとあはれ父が志を

つぎけりとぞ感しあへる
   論
  ある人いはく正成のこゝろざしたゞ将軍家
  をほろぼして南帝を世にたて奉るに
  あり正行はかりことをめぐらしつはものを
  あつめ時を待て其功をたつべきを力し
  かざるにはやりてたゝかひやくもなき
  しにしけるは父の志をつぐものにあらすいかん
  いはく天下はいきほひのみといへり正行いき

  ほひをいかゞせんそのかみ尊氏 威(い)勢日 々(”)に
  まう【猛】なり南朝これにあたるべからず
  いはんや君のあきらかならず臣も才なし
  世の武士心を南方によするもの十がひとつ
  ふたつなるをやたとひ年をかさねよは
  ひをつむともいかでなしうるときのあらん
  そのうへ其身病おほし不幸にして床に
  ふさばくふともかひあらじたゞ父の遺(い)命
  にしたがひてはやくたゝかひに死せんには

  しかじとおもふなるべしこれ正行が正行
  なるところなりつく〳〵とおもひ見るに
  正成兵庫の志には身をもて道ひけるなり
  正行四条縄手のたゝかひはその道をゆける
  なり志をつぐにあらずして何そやある
  人の物がたりにみかどある時 弁内侍(べんのないし)とき
  こゆる優(ゆう)なる女房を正行に給はんとのみ
  ことのり有ければ正行
   とても世にながらふべくもあらぬ身のかり

  の契をいかてむすばんとよみて奉りてかた
  く辞(じ)し申けるよし吉野拾遺といふふみ
  に見えたりとなんこれを見ても正行が父
  の遺言露わするゝひまなかりしことを
  しるべし

【絵画 文字無し】

十八 左衛門 ̄の佐 氏頼(うぢより)
氏頼は尾張修理(おはりしゆりの)大夫入道道朝か嫡(ちやく)子なり孝順
にして学問をこのみつはものゝ道にもくらからず
将軍これををもくせられ世の人もほめきこえ
けりたゞ父の入道のみひとへに庶子(そし)の治部(ぢぶの)太輔
義將(よしまさ)を愛してをのれにかはりて政とらし
めむと思ひける程に常に氏頼を将軍に
さゝへけり氏頼これをしるといへど心にも色に
もをこさで日ころ過けるかある時したしき

人々をわか館(たち)にまねき何となくかたり出ける
はわれ忠孝をはげまして君と父とのよろ
こびをえんとしけれどざえつたなくてなす
事もなし昔より子をしるは父□【「に」ヵ】しくなしと
いひつたへたれば入道のわれを愛せざる誠に
そのことはりあり今より後もし大なるあや
まちあらば入道をはづかしめ先 祖(ぞ)の名をもくた
すべければしかしたゞ仏道に入てふかき山にも
すまんにはとおもふぞとなんいへりそのゝちいく

程もなくて家をいで髪(かみ)をそり衣をそめて名
を心勝とあらため紀(き)の高野山に入て住けり時に
年三十四その妻は佐々木入道道誉がむすめ
にて子三人あり氏頼みなすてゝかへりみす
将軍ふかくおしみ給ひしは〳〵使を山につかはし
その心をなくさめられけり立かへりつかへむ
事をねがひて也氏頼これをわづらはしとして
ひそかに高野山を出て下野の国くろかみ山に
かくる将軍なを打をき給はず鎌倉の基(もと)氏朝

臣におほせて立かへりつかへん事をすゝめられけれ
どきゝ入へくもなししかるに世こぞりて氏頼
が山を出ざるは父道朝が悪 逆(ぎやく)をにくみてなりと
云を氏頼つたへ聞ていといたう是をうれへわが出
さるが故に父此そしりをうくわか罪ふかし
いかで出ざらむやとおもへど我出てむかしの
ごとくならば義將がためうしろめたくや父の
思はんとまづ基氏をたのみて我出ぬとも官禄をた
まひ政をきかしめ給ふべからずと将軍に申し將

軍これをゆるし給ふて後ぞ山をば出けるよりて
京につきける後も京にのみはあらでともす
れば若 狭(さ)の国に行て居けりこれ又父の心の
やすき様にとはかりてなるべしさればかく
俗(ぞく)にかへりしやうなりつれどうち〳〵終に僧
律(りつ)をやぶらず後に又山に入しとなんいひつたふ
   論
  仏法わが 国にありてより世をそむき山
  にいる人その道によらずと云ことなし既に

  よれは父をも母をも忘はてゝひたみち【ひたすら】に
  仏につかふるをいみじとおもへりしからされば
  道心ならずとてみつからもはぢ人もわら
  へりさるゆへ一たび世をそむき山に入て
  なれは恩愛たちかたくて父母をしたふ心
  の出くる時もつとめてそれをはらひすてゝ
  もはら空寂(くうじやく)におぼるかなしからずや氏頼
  すなはち其人にして今かへりて父のため
  にたやすく山を出きたるはいかにそれ人

  愛すべきを愛するは天命の性なりさらに
  私心にあらずつとめてそれをさるはかへりて
  性をくらますなり氏頼 釈(しやく)門にかくるといへ
  どさいはひにいまだかの天性をくらましは
  てず猶父を愛する心ふかしいかで彼くらまし
  はてゝ父兄の難ありといへど山をでる心な
  き人にならはんやすでに出て官禄をうけず
  政をとらず僧律をやぶらず是を見てもかれ
  誠に父のために出ける外また思ひなきをしるべし

【絵画 文字無し】

十九 武州孝子
昔むさしの国なにがしの里に二人ありひとり
はとみひとりはまづしその交(まじはり)あさからずとも
に身まかりぬ二人が子又したしある夜まづし
き家の子夢のう内に父来りてわれいける世に
とめる家の物そこばく【数量の多いこと】ばかりをかりてかへさず
してをはりぬ心におゐてやすからずねがはくは
汝はやく是をつくのへ【償え】といへり夢さめてむね
うちさはぎわれ父の此おひめある事をしらて

いままて御心をやすめざることの罪ふかさよとて
すみやかにその物をいとなみもとめてとめる家
にをくりて夢のつげかくのことくなればとぞ
いひやりけるとめる家の子きゝもあへすわが
父世にありしほと此事をいはずそのこゝろざし
しりがたし今父 冥途(めいど)にありわれ行てとふべ
からず又此物をちゝがもとにをくるに道なくわれ
みづからほしゐまゝにこれを家にもちゆべから
ずしかれば我これをうけてせんすべをしらず

これによりてうけずとなんいひてかへせりまづしき
家の子是をなげきてわが父のおほせ也まげてう
け給ひてよとあながち【一途】に侘あへれどきかずすべ
きやうなかりければ鎌倉に行て官所に申て
是をわか友それがしにうけしめて亡(ばう)父か心
をやすめさせ給へといへり官所すなはちかの
とめる家の子をめしてしか〳〵といひきこゆ
ればとめる家の子ことば前のごとくにして
いさゝかうくべきけしきもなしまづしき家

の子 泣(なき)てしゐぬ此あらそひを見る人みな泪を
ぞながしにけるしからば二人をなじく此物
を用ひて仏事をなして二人の父が冥福(みやうふく)を
たすくべしとぞ官よりは下知せられにける
   論
  ある人いはく夢ははかなしまことゝするに
  たらず武州の孝子まどへるに近(ちか)からずや
  いはく夢まことゝすべきあり殷(いん)の高宗 周(しう)
  の武王孔子の見たまへる所のごときこれ也まこと

  とすべからざるあり邯鄲槐安(かんたんくはいあん)のたぐひ是也
  されどそれにはかゝはるべからずまこともあれ
  まことならずもあれうせし親のうれへよろこ
  びを見て夢なればとて我うれへよろこぶ
  まじきやねがひあらばかなへまいらすまじき
  やむかし大江の佐(すけ)国が子それがしすけ国身
  まかりて後 蝶(てふ)となりて来りて花にたはふ
  ると夢見しより日ごとに蜜(みつ)といふものを花に
  そゝきて蝶のあそぶをもてなしけりなき

  親の事となればかゝるはかなきわざをだにし
  けり是をまどへりと笑へる人は見る所は
  たかゝるべけれと孝子の心をばしらざらむ
  かしいさゝかの事を忍ふより終には大なる
  不孝にもおちいるぞかしよりてこゝに
  思ふことあり友のこかねをかりてかへさで死
  する人いかにもしてはやく返すべしと
  その子にいひをけれど子それをかへさずかし
  たる人の子しきりにこふて中あしくなる

  ともがら世におほかり遺言(ゆいごん)は夢にはあらね
  どまことゝせざればすべきやうなしさる人の
  まなこより見ばこの武州の孝子が事いかば
  かりもどかしからむ

【絵画 文字無し】

二十 養(やしなふ)_レ母孝僧
白川院の御時にや京ちかき所に住ける僧の老たる
母をやしなへるありこの母 魚(うを)なければ物をくは
ざりけり僧人目もつゝましくくりやもまづし
かりけれともとかくいとなみて常に魚をすゝ
めけるに一とせ天が下 殺生禁断(せつしやうきんだん)のみことのり
くたりて世に魚鳥のもとむべきなし僧せん
かたなくてうほ【ママ】をそなへざれば母やゝ食をたて
り日数ふるまゝによはりゆきて今はたのむかた

なく見えけり僧かなしさのまゝにかなたこな
たはしりまどひて魚をもとむといへどもえず
おもひあまりてつや〳〵【全然】うほとるすべもし
らねどもみつから川のほとりにのぞみてころ
もに玉だすき【たすきの美称】して魚のたよりをうかゞひ居ける
がとかくしてはへと云ちいさきうほひとつふたつ
とりえたり友人これを見つけてやがて僧を
からめとり院の御所にゐてまいりぬ殺生禁断
世にかくれなしいはんや法師の身にて此おかし【犯し=罪科】を

なすこと一かたならぬ科(とが)なりとにくまぬ人なしさて
子細をとはれけるに僧涙をながして申けるは天下此
禁断の御時法師の身にてかゝるふるまひあるべ
きことかはたゞしわれ老たる母あり我一人のほか
たのめるものなしかれ魚なければ物をくはず今天
下うほをもとむるによしなくて母すてに食をた
てりわれ心の置ところなく思ひあまりて川にのぞ
みてからふして此魚をえたり罪におこなはれんことは
あん【案=考え】の内に侍りされど此とる所のうほ今ははなつともいきじ

母のもとへ是ををくりて今一たびあざらけき【新鮮な】あぢはひ
をすゝめて後此身いかにも成侍らは何のおもひかの
こり侍らむといへばきく人みな泪をおとす院き
こしめしてふかく感せさせ給ひて罪をゆるさせた
まふのみならすさま〳〵の物を車につみて給はせ寺に
かへし給ひにけり猶やしなひにとぼしき事あらば
かさねて申べきよしをぞ仰下されける
   論
  客あり此ふみをよみてこゝにいたりてよろこび

  ずしていはくそれ孝はよく父母につかふるの名
  なりその文字をつくれるも老の字のかたへ【一部分】
  をはぶきて子の字をそへたり老たる父母
  のかたはらに子ありてよくつかふるを孝とす
  るのいはれなりしかるに釈氏(しやくし)【僧侶】は家をいで
  親をわするゝを道とすたま〳〵忘れはて
  ざるもあらめど畢竟(ひつきやう)これ棄恩(きおん)の人也いかで
  此ふみにはとれるやあるじこたへていはく
  なへて釈氏の恩をすつるはうけたまはりぬ

  此孝僧にありてはたゞよくやしなひ
  よく愛するのみならず母のためにその
  身をわすれ死にのぞみて志をかへずいま
  その人を思ひその心をたづぬればおぼえず
  涙ころもをうるほしかつわか不孝をくゐ
  はづるにたへず誰も〳〵かくこそあらめ
  しかれば此僧身は方外【浮世の外】にありといへどまこと
  は孝門の先達ぞかしいかで此ふみにとること
  なからむ恩をすつるをゆるすにはあらず

【絵画 文字無し】

【本文覧白紙 左欄外】
明治十年丑二月吉祥日
       小原日仙求

【白紙】

【白紙】

仮名本朝孝子伝下目録
 婦女       《割書:一》兄媛
 《割書:二》佐紀民直    《割書:三》波自采女
 《割書:四》難波部安良売  《割書:五》橘氏妙沖
 《割書:六》薩州福依売   《割書:七》請僧孤女
 《割書:八》供衣貧女    《割書:九》南築紫女
 《割書:十》舞女微妙    《割書:十一》坂東僧女
 今世
 《割書:一》大炊頭好房    今泉村孝子

 《割書:三》雲州伊達氏   《割書:四》中江惟命
 《割書:五》川井正直    《割書:六》絵屋
 《割書:七》神田五郎作   《割書:八》柴木村甚介
 《割書:九》西六条院村孝孫 《割書:十》横井村孝農
 《割書:十一》赤穂惣大夫  《割書:十二》由良孝子
 《割書:十三》芦田為助   《割書:十四》安永安次
 《割書:十五》大矢野孝子  《割書:十六》中原休白
 《割書:十七》鍛匠孫次郎  《割書:十八》三田村孝婦
 《割書:十九》小串村孝女  《割書:二十》宍栗孝女

仮名本朝孝子伝下
 婦女
一 兄媛(ゑひめ)
応(をう)神天皇二十二年の春の末つかた難波(なには)にみゆき
したまひたかき屋にのぼりてとをくのぞませ
給ふ兄媛ちかく侍り西のそらながめやりて
大になげく天皇問給ふ何ぞやなんぢがなけく
ことのはなはだしきこたへて申さく此ころ父母
をおもふ事ふかし西にのぞむによりてことに

なげかしねがはくはしばらく国に帰てち□□【「ゝ母」ヵ】
見侍らんかと天皇兄媛が孝ふかきに感ぜさせ
給ひてしばらく国にかへることをゆるさせ給ふ
国は吉備(きび)なり淡路(あはぢ)の御原の浦人あまためし
て船子としてはやく吉備に送らせ給ひ織部(をんべ)
のあがたをぞ所領にたまはりける
   論
  をよそ女子の国をへだてゝ人にゆくとき
  その父母となきてわかれざるはまれなり

  すでにゆきてその家に相 馴(なれ)ぬれはさきに
  なきしことをくゐさるも又まれ也たゞ人
  とすむたにしかりしかるを此人大内【内裏】にさい
  はひせられまいらせてよろづたゞ心のごと
  くなるべきをつねに父母を忘ることなく
  そのしたひかなしめるさまはじめてわか
  れし時のごとくなれば今みかどゝ西をのぞ
  むによりておほえず大になげゝるならし
  有かたき孝心ならずやみかど感し□□

  めして御船にて送らせたまひ湯沐の
  ところ【「湯沐の邑」のこと】ひろく給りし事みな孝行の
  冥加(めうが)なるべし

【絵画 文字無し】

二 佐紀民直(さきのたみのあたひ)
民直は大和の国 添下(そふのしも)郡佐紀といふ所の民直氏の
女なりをなし郡の倭(やまと)の忌寸果(いんきはた)安か妻となれり
しうとしうとめにつかへて孝の名ありおとこ死し
てかたく志をまもり家をおさめてをのが子と
こと腹【異腹】の子とすべて八人ありけるをなでやしなひ
あはれめるさまいさゝかわくかたもなく【「分く方も無く」=分け隔てなく】見る
をのれむめるがごとし孝 慈(じ)のいたり人みなほ【「し」が脱落ヵ】
感(かん)しけるとそ

   論
  この人たうとむべき道一かたならず舅姑(しうとしうとめ)によ
  ろこびらるゝなりおとこ死して志をまもるなり
  こと腹の子をのが子をわかずしてよくはぐゝめる
  なりされば続(ぞく)日本紀にこれをのせて世につたへ
  給ふ事も後代の人の妻のしうとしうとめにわ
  ろくまゝ子をにくみおとこ死して後又人にあふ
  事を恥(はぢ)しめ給はんためなるまじきやたか
  きいやしきこれをおもひたまへ

【絵画 文字無し】

三 波自采女(はじのうねめ)
采女は対馬(つしま)島の上県(かみあがた)郡の人なりおとこ死して志を
あらためず父みまかりてその墓(はか)にいほりす島の
民みなその孝義に感して上に申ければみつき【税】をゆる
され門にしるされて名を世にあげしとそ称徳(せうとく)天
皇の御時なり
   論
  墓にいほりして住けること女の身にては
  ことにしがたきわざなめり孝の□□□□

  がゆへなるべしある人とふうねめおとこの
  墓にはいかで庵(いほり)【注】せざるいはくしりがた
  しされどこゝにおもふ事ありいにしへは
  人死して妻などのなげきはさもあらで
  賢(かしこ)き友たゞしき臣下(しんか)などのふかくした
  ひかなしめるを死せる人の面目(めんぼく)とすさる
  ゆへに心ある女はおとこの死をかなしめる
  ことわか親や子にはおよばず魯(ろ)の敬姜(けいきやう)
  が穆伯(ぼくはく)の喪にはひるのみ哭(こく)し文伯の喪に

【注 「庐」は「廬」の俗字。ここでは常用漢字の「庵」を使用】

  はひるよる哭せしたぐひを見るべし
  うねめ父の墓に庵しおとこのにはしか
  せさるももしかゝる心やありけん

【絵画 文字無し】

四 難波部安良売(なにはべのやすらめ)
安良売は筑(ちく)前の国の人にていとけなきよりよく父
母につかふまつれりちゝ母はやくうせぬ安良売朝な
ゆふな墓にまふでゝしたひかなしめるさまいとこよ
なし【格別である】年十六にして宗像(むなかた)の郡の大 領(りやう)外正七位上宗
像朝臣秋 足(たり)にむかへられけりされど秋足世をはやう
してやもめにて年へにければ此人をげさう【「けさう(懸想)」ヵ。】していひ
わたるものおほかりけれどちかひてふたゝび人に
ゆかず終に志をとげゝり天長の御時これをきこしめし

て従二 級(きう)を給はりみつきをゆるさせ給ふとなむ
   論
  をよそ親に孝なればかならず君に忠也忠の
  みにはあらず五のともからにおゐて皆そののりを
  うると見えたりされば女の其父母に孝にしておとこ
  に義ならざるはすくなし安良売を見てもしるべし
  よりて思ふに世のめをめとる人その女の心のよし
  あしをえらはばまづ孝なりやいなやを問て其
  縁(えん)をさだむべしかならずのちの悔(くゐ)なけん

【絵画 文字無し】

五 橘(たちはな)氏 妙沖(めうちう)
妙沖は橘の逸勢(まさなり)がいとけきむすめなり承和九
年逸勢つみありて伊 豆(づ)の国にながさるむすめ
わかるゝに忍ひずなく〳〵跡をしたひてゆく
逸勢をぐしてゆく人々しかりてをさへとゞむと
いへどむすめひるはとゞまれるやうにしてよる〳〵【毎夜毎夜】
追(をひ)つきつゝ行て終に父にはなれず逸勢 遠江(とをとふみ)
の国 板築(いたつき)のやどりにつきてみまかりぬむすめ是
をはふむりてやがてその墓(はか)にいほりし尼とさへ

なりてみづから妙沖と名づくあけ暮なげきかなしみ
ていほりにある事十とせに及べり道ゆく人これがため
に泪をながさゞるはなし嘉祥(かじやう)三年みことのりあり
て逸勢に正五位下を追贈(ついぞう)して本土にかへしはふ
むらしめ給ふ妙沖大きによろこびてやがて父が
ひつきをおひて京にぞ帰のほりにける時の人
こぞりて孝女とよへり
   論
  鳴呼(ああ)【「烏呼」の誤記ヵ】妙沖何それ人ぞや官禄(くはんろく)の家にむまれ

  軽暖(けいだん)の衣につゝまれふかき閨(ねや)におふしたてら
  れし身のまだいはけなき【物心がつかない】程に父にとをつ
  国にしたかひ父うせければ墓にいほりし
  人にそこなはれずけがされず十とせかあいだ
  身をまたくして終に父のひつきを負(おひ)て京に
  かへり入ける事あやしと云もおろかならずや
  その辛苦(しんく)又いくそばく【幾そばく=どれほど】ぞたけきますらお
  といふともたやすくはえたふべからずこれに
  よりてつら〳〵おもふに人の辛苦にたへざる

  は皆その志かたからざればなり志かたくは
  たへぬ辛苦もあらじ人のつまやむすめいとくる
  しとおもふとき世には妙沖もありし物をと
  思ひいでゝよ必その辛苦をわすれん孝のみ
  称(せう)してやむべからず

【絵画 文字無し】

六 薩州 福依売(ふくよめ)
福よめはさつまの国のいやしき民のむすめなりちゝ母
老ておのこなしたゞ此むすめのみありて父やまひ
にさへふしたれば家のまづしさ思ひやるべし
福よめつねに人にやとはれていさゝかの物をえて
ちゝ母をぞやしなひけるその辛苦にたへず
さかりなるかたちもいたうおとろへかしけ【やつれる】に
ければ人みなあはれと見けり父年八十やまひは
いへざれとも猶しなざりけり福よめこれがため

に薬を求(もとめ)すゝむることをよそ二十年なり母にも又
ふかくいたはりつかへけり殊にいみじかりしは
其身のいやしきにも似ずちゝ母につかふるさま
やんごとなき人のその親をうやまひ給ふが□□【「ごと」ヵ】し
常におもゝちたゞしくしてかりにもたはれ【色恋に溺れる】
たる色なし同し里の人々有かたき事になん
思ひて終に上に奏(そう)してげ【ママ】ればやがて位三 級(きう)を
たまひ門 閭(りよ)にあらはさせ給ひけるとぞ仁 寿(しゆ)
三年のすゑの夏の事なりし

   論
  人ありいはくむかし衣縫造(きぬぬひのみやつこ)金 継(つぎ)と云ものの
  むすめ年十二父にをくれていたくなげゝり服(ぶく)【服喪】
  はてゝその母かれがためによるへもとめんとしければ
  ひそかにのがれて父が墓にいほりし朝夕
  したひかなしみて更に家に帰らず母かれ
  が志をしりて二たび人に見すべき事をいは
  ず其後家に帰りふかく仏をたふとびて
  常は母とともに経(きやう)うちよみてゐたりとなん

  続(ぞく)日本 後記(こうき)に見えたり是いたれる孝なるべし
  此ふみいかでこの人をすてゝたゞ妙沖福よめ
  のみをとるやこたへていはく衣縫氏まことに孝
  なるに似たりしかれとも人 倫(りん)をやぶる母
  のよろこひうへからずなでう【どうして】此文にはとらむ
  いはく人にゆかざるを云か妙沖福依売も人
  にゆかずいはく妙沖福よめが人にゆかざるは
  やむことをえずして也衣縫氏か故なくてゆ
  かざるには似るべからずいはく人にゆかざる

  をふかくにくめる故ありやいはく故ありを
  よそ天地のあいだにおふる物は天地をのり
  とせざるべからず天に地あり日に月あり
  春に秋あり二気相あふてよろづのもの
  いでくされば人より鳥けだもの草木にいた
  るまてにめとおとありて物を生じて天地に
  のとらずと云ことなししばらくもしからざれ
  ば天地ふさがり人 物(ぶつ)たゆこゝにしれや人の
  親の男をむめばすなはち妻あらん事を思ひ

  女をむめばすなはち家あらんことをおもふ
  これ天の理のまさに然るへきところにして
  またく人の情の私にはあらずしかるにめに
  しておなくおにしてめなきは天地の道にそむき
  父母の心にもとる其つみかろからず衣縫氏がともがら
  のごときにくまざるべけんや按ずるに列女(れつじよ)伝に名
  をかけし婦女三百人にあまれり其内 夭殤(ようしやう)【わかじに】
  殺死(さつし)をのぞきて一人の人にゆかざるなし人
  倫のやぶるべからざるを見るべし

【絵画 文字無し】

七 請(しやうする)_レ僧 ̄を孤(こ)女
此女何氏の子なる事をしらずはやく父母をうし
なひて家これがためにやつ〳〵し【非常にみすぼらしい】ある時おや
の跡とふべき日いたりぬればひとりの僧をまね
きうけて読経(どきやう)せさす僧来りて家を見れば
ことのほかにあれまとひてはか〳〵しき人も見え
ず斎(とき)なといとなみいづべきさまにもあらねば
僧も心ありて法事をいそぎてはやく立出
けるに簾(すだれ)のうちより女手づからきぬひとつと

まきゑの手箱とをさし出して布施(ふせ)としけり
僧これをうけて帰りて手ばこの内を見れば歌をかき
て入たりそのうたは
 玉くしげかけご【掛子】にちりもすへざりしふた
おやながらなき身とをしれ

【絵画 文字無し】

八 供(そなふる)_レ衣 ̄を貧(ひん)女
七月十五日はなき人のくる日とて人みな父母先 祖(そ)
のために仏を供養(くやう)すこれをたままつりと云ある
所のまづしき女まつらんとするに物なしたゞあや
のきぬひとつありそのうらをときすてゝ小が
めの内に入てはちす葉をうへにおほひみづから
たづさへて寺にゆきこれを仏にそなへうち
なきて帰りぬ見ればはちす葉の上に歌かき
つけたりそのうたは

 たてまつるはちすの上の露ばかりこれをあは
れとみよの仏に
   論
  おやの跡とふ事をわするゝ人はなけれとも
  家きはめてまづしければ心の外に過ゆく
  こともあるを此二人の貧女を見ればたゞ
  いま僧にほどこし仏にそなへしものゝ外
  更に物なかるべしあすをはからずして
  けふをいとなみ身をわすれて恩(おん)にむくへり

  ありがたき孝心にあらずやされば貧はめで
  たきもの也 汝(なんぢ)を玉にすとぞ先儒もいへる此
  人々もし富貴栄耀(ふつきゑよう)の家にあらましかば
  たとひ大なるまつりすとも心その心に
  あらでおや先祖の霊(れう)もうけよろこぶまじ
  く又たれありていひつたへて今の世まで
  に人を感ぜむ貧をうれふる人これをお
  もへ

【絵画 文字無し】

九 南 ̄み築紫(づくしか)女
承保(せうほう)のころにやつくしに何がしとかやいひてとみさかへ
たる民(たみ)ありけりある時ふと世の常(つね)なさをおもひ
とり家をすてゝひそかにのがれまづ京のかたへ
と行けるをあひしれる人の見つけて其家に
つげゝれば家こぞりて追ゆきける程にやがて
をひつきぬむすめひとりあり父がたもとをとり
てあらかなしいづこへとてかゆかせ給ふたゞとゞ
まらせ給へといへば父たもとを引さけてわが志

汝がためにさまたげられんやといひて刀(かたな)をぬきて
みづからもとゞりきりてさりぬむすめ立わかるゝ
に忍ひず父が跡をしたひつゝゆくに父は紀(き)の国の
高野(かうや)の山に入て僧となりてなにがしの院に
おこなひすましてゐたり人みな南つくし上人と
よべりむすめなれぬる国をもわすれとみ
さかへたる家をもすてゝひたすら父をのみ
したひ来けるがかの山は女をいめばおなし庵に
はえすまでふもとにありて尼(あま)となりて父が

事をつとめけるとそ
   論
  ある人とふ父子の愛は天性なりともに断(たち)
  がたししかるにむすめはかばかりしたひて
  父のいがて【「いかで」とあるところか】なさけなかりしいはく父子の
  愛は天性なりむすめはその性にしたがへり父
  は利心のためにおほはる利心とは何ぞいはく
  わが死後にくるしみあらむ事をおそれ
  てつとめてその安 樂(らく)をもとむることいきて

  富貴をむさぼるかごとしこれをもとむるが
  はなはだしきにいたりては妻子はいふにや及ぶ
  父母をすて君をもわすれてたゞ仏にのみ
  へつらひつかへ戒(かい)などうけたもちてはひとつ
  の虫をも愛してそこなはずあやまりて
  そこなふ事あればふかくいたみかなしめり
  彼すてられたる父母のよるかたもなきは飢(うへ)
  て死するもなとかなからむ父母の飢て死する
  はかへりも見でひとつの虫のそこなはるゝを

  身にしめてかなしと思ふさかさま事にあら
  ずやみなこれをのが身ひとつの安楽をえ
  むがために父も君も目にだに見えず是いは
  ゆる利心なり利は義と対(たい)すその心義
  なきを見るべしいはく義あらばいかゞ心う
  べきいはくたとへばたゞいま牛頭馬頭(ごづめづ)の
  鬼(おに)が火の車引来て君父をすてゝ仏を
  たのめさらずはこの車にのせ行て億劫(をくこう)【長い時間】
  があいだせむべしと云ともしばらくも

  君父をすてゝ身の安楽をばもとめじ是
  義なり君父をえすてざりしがために
  火の車にのりたらば火のくるまいかば
  かり涼(すゝ)しからむ

【絵画 文字無し】

十 舞女微妙(ふじよみめう)
微妙は京の名をえし舞(まひ)ひめ也後にゆきて
かまくらにあり将軍 頼(より)家その舞を比企(ひき)の判官能(はんくはんよし)
員(かず)か館(たち)に見て大によろこべり能員いはく此
女とをく京よりくだる心にねがひなからめ
やと将軍みづからかれが願(ねが)ひをとはる微妙な
きていひやらず将軍しば〳〵問給ひてのち
なみだをおさへていひ出けるはわらはが父右兵
衛尉 為成(ためなり)人に讒(ざん)せられて罪にしづみ終に

みちの国にをはれ侍る母はそのかなしみにたへず
してみまかりぬわらは年わづかに七したしきものひと
りもなしたゞ影のかたちにそふのみなれば明くれ
たゞ父をしたひなげくといへどおとづれすべき
やうもあらずさらば舞まふ事をまなびて
人になれより侍らば父がつてきく道もや
あると思ひより侍しよりかゝる身とはなり
侍りぬねがふ所外になしたゞ父がゆくゑのきか
まほしさにといひもはてず又なみだにぞむせ

かへりけるこゝらありける人々もみな心をいこま【射こま】し
めけり将軍はやく使を奥州(おふしう)につかはして微妙
が父をもとめらる二位の尼君かれが孝を感した
まひていといたうあはれめり後はつかばかり
にやかの使かへりていはく微妙が父為成奥州に
死せりと微妙きゝもあへずなきしづみ給入て
久しくしていきいでけるがやかて寿福(じゆふく)寺に行
てかざりおろして名を持蓮(ぢれん)とぞあらため
ける二位のあま君いよ〳〵あはれみて家をふか

沢(さは)の里にたまふて仏につかへしめ給ひにけり
   論
  ある人いはく微妙孝なりといへとそのわざ
  身をはづかしむるにあらずやいはく跡(あと)は
  誠にしかり其心いかむと見よ心と跡と
  ふたつなしといへど花のもとにねむれ
  る猫(ねこ)はこゝろ胡蝶(こてふ)にありて花にあるに
  あらずかれ父死せりと聞てすみやかに
  尼となりてあひ見し古郡保忠(ふるこほりやすたゞ)ともそ

  れよりたえはてけるを見るに何事も
  たゞ父を見んためのはかりことなるべし
  此あはれみすぐしかたくてこゝにはつらね
  侍る也しらびやうしとなるをゆるすには
  あらず

【絵画 文字無し】

十一 坂東(ばんどう)僧 ̄の女
あづまのある山寺に住持(ぢうじ)せる上人老て智徳(ちとく)あり
久しくやまひにいねて弟子(でし)ともあつかひ侘
ける比をんなのげしうはあらぬがふと入来て
上人久しくやみ給へるとなんうけ給るもし女
にて御寺にある事をゆるし給はゞ御かたはら
に侍りてつかへ奉りたくこそといへば弟子ども
をのがつかれやすめむとみなよろこぼひてゆ
るしにけり此をんな心をくだき身をつくして

上人の病をいたはることいひやらんかたなしいか
なる人にておはしますぞととへど道にまよひ
きたれり人にしられまいらすべきほどの
ものにも侍らずとのみいへりある時上人女に
いへるは我久しくやみてしにもやらねば仏法
世法の恩(をん)ふかき弟子だにもおほやううち捨て
侍るをかくねんころに物し給ふ事しかるべき
前世(ぜんぜ)のちきりにこそと有がたくおもひたまへ
られ侍るにいたくかくさせたまふことのいぶせ

さ【胸のふさがる思い】よそも〳〵いかなる人にておはしますぞと
あながちにとはれければ女うちなきて今は
申侍らむ上人わかくおはしましゝ比おもほし
かけぬ縁(えん)にあはせ給ひて何がし氏の女人を
御らんじけることのありしとなん何がし氏われ
をむめり上人はかくともしらせたまふまじ
きを母なん汝(なんぢ)はかゝる事ぞとつげしらせて
侍ればすこしおとなびてより後は心のしたふ
まゝにあはれいかにもしてかくとしらせ奉り

見もし見えまいらせずやと年ごろ心にかけて
わするゝ時もなかりつれどかゝる御身にはゞかり
ありてむなしく月日をすぐし侍しに此ころ例(れい)
ならずわづらはせ給ひめしつかひの人もおほから
ずなどつたへうけたまはりて心も身にそひ侍
べらねばをしておもひたちてまいりて候といへ
ば上人も泪おとして思ひのほかなる孝養(けうやう)をこそ
うけ侍れとて浅からずぞよろこびける女は猶
つとめてやまず上人をはりとれるまて心の

かぎりつかへけるとそ
   論
  をよそ父母の子をあはれめる余所(よそ)より見
  ては軽重(きやうじう)なからずその子はかりにも軽重
  に目をかくへからずたゞ子はまさに父母に孝
  すべしとのみしりて力をきはめてつかふまつ
  るべしもし父母の恩の軽重を見てをのが
  孝に斟酌(しんしやく)をなさば是ものをうりかふ人の心
  にしてまたく父子のおもひにはあらず尤いやし

  むべし此あづまの女恩は云にや及ぶをのれむ
  まれて世にありともしられざりつる父を
  こひてけうとき【気疎き】山寺にたづね入あらぬまじ
  はりに月日ををくり身をくるしめて孝を
  つくせり誠にありがたき志なりかしかの
  恩の軽重を見て孝に斟酌するともがら
  あらば此人に恥(はぢ)ざらめや

【絵画 文字無し】

 今世
一 大炊頭好房(おほゐのかみよしふさ)
弘文(こうぶん)院の学士此人の行状つくれりその中にて孝
にあづかるべき事どもぬきいでゝ本書にしる
せるを見れば好房姓は源氏 参河(みかは)の国松平家の
一 流朝散(りうてうさん)大夫殿中 監(かん)忠 房(ふさ)の嫡(ちやく)子なり江戸にむま
れひとゝなれりいとけなきよりさとくさがし
く孝の心いとふかし出る時はかならず申しかへ
れば又かならずまみゆ常に父母のまします

かたへあしをのべずめづらかなるものを人にえて
は必まづ父母にたてまつり父母物をたまへば
つゝしみてうけ愛してうしなはず父母文をた
まふ事あればいたゞきてひらきよみ又いたゞきて
おさむ父母のおほせひとつとしてそむかずめし
つかひの人と物いひてそのことば父母の事におよへ
ばふすといへども必をきてたゞしく坐して
これをきけりあるひは母のかたはらにはべり
てさざやか【細やか】なるやゐば針錐(はりきり)のたぐひあるをみては

必てづからとりおさむあやまりて母のこれにふれたま
はん事をおそれて也以上はみないとけなくての孝
のさまなりやゝおとなびてこと所にうつろひすま
れし後はあしたにかへりみゆふべにしつめてひ
とひもおこたらず月花の折おかしければ父母を
わが方におはしまさせて心のかぎりなぐさめ
まいらせみづからも興(けう)に入ぬ父母病あれば其かたは【この頁の左下部、紙が斜めに欠損していて読めず】
はなれず薬かならずまづなめ粥(かゆ)かならず【以下欠損】
見てなんすゝめらる父母うれへにあ【以下欠損】

をつくしてなぐさめさとし其かなしみをゆるべられ
けり年すでに十五のほどよりはをごりをにくみ
倹約(けんやく)をまもることをしりていさゝかもその志をはふら
さず父その封邑(ほうゆう)【封ぜられた領地】におはして江戸にあられざる程は留守
のことよくつとめて母につかへていよ〳〵つゝしめり
いさむ【諫む】べき事あれば声をやはらげてつぶさに
申し母の心にかなはずとしればみづからかへりみみつから
くゐて心をつくさずといふ事なしそのよろこへる
色を見ざればしりぞかずいとまある日はまこ

としきふみよみならひ又わが国の草子どもこの
みてよみて其中にて忠孝のせちなる跡(あと)に
あへばふかく心に感し面にもあらはれけりよ
ろづにかくいみじかりけれどむまれながらに
病おほかりければ常にみづから父母のうれへ
をなさん事をおそれて身をふかくつゝしまれ
けるが終にはをもくわづらひてあやうし父母ゆ
きて見給ふことにくるしさたふべくもあらねど
しゐてをきゐてま見え病いかにととひ給へば

やすしとのみぞこたへられけるかなしきかな
いたましきかな寛文九年それの月それの日世
のはかなくつねなきならひにむかしかたりと
なしはてにけりあはれと云もおろかならずや年
ははたちにひとつををなんあませり学士のつく
れるふみのすゑにもし孝子伝あむ事あらば
此人もらすべからずとあればむべこそ本書に
はとりてげれ
   論

  ある人とふ孝子大ていいやしきが中にはえやす
  くてたかき家にえがたきは何ぞやいはく人
  富貴なれば従者(じうざ)おほく用事たるされば
  父も子にもとめなく子も父になれつかふる
  に及ばずたゞ父子の礼儀をつくしめるのみな
  れば礼儀かちて愛たらず愛たらされは
  したしからずよりて孝子すくなきかいやしき
  はこれにことなり父子相たすけされば
  ひとひもたゝずあしき子はいふべきなしおほ

  やうはしたしめり孝子おほきいはれなり
  いはくしからば好房のしたしかりしはいかん
  いはく愛たればなるべしいかにすれば愛たる
  やいはく誠のいたれば歟

【絵画 文字無し】

二 今 泉(いづみ)村孝子
孝子は中村氏にして五郎右衛門となんよばる駿河(するが)の
国 冨士(ふじ)郡今泉村に世をかさねたる民也よく
父母につかへてそのよろこひをえたり父母を
愛する心ををして其里人にをよぼして里人
みなよろこべり父老てやみければよろづの事
心にいれずたゞその病をのみうれへさま〳〵に
あつかひきこえてすでに身まかりにければいた
みかなしめる事いたりてふかく父が住ける

屋にこもり居てをのが方へは帰ることなく人を
も見ずしてぞありける母やみてしにける時も
又しかりしば〳〵仏事をなしてたからをおし
まずあるひは里人のきはめてまづしきをにぎ
はしあるひはよるべなきものゝうへこゞへをすくへ
りみなうせし父母が後世(ごせ)の安楽をいのりてなり
世の人つたへていふ冨士のいたゞきにのぼりいたれば
現当(げんとう)【現世と来世】二世の利益(りやく)ありとこれによりて年〳〵夏
の日をまちてのぼる人おほかり此孝子のぼらん

とては必まづ父母の霊(れう)につげてふたつの位牌(いはい)をよ
くしたゝめてみづから負(おひ)てぞ出行ける是も又
その冥福(みやうふく)をたすけむがためならし従者(じうざ)かはりて
後位牌を負て道のつかれやすめんとすれどしば
らくも身をはなさず孝状おほやうかくのごとし
天和みづのえいぬの春事あづまの都にもれて
台聴(たいてう)【「てい」と見えるが「てう」とあるところ】をうごかしたてまつりめされてまいりて
いともかしこき 鈞命(ぎんめい)をうけたまはりぬ
御教(みげう)書ありひだりのごとし

駿河国冨士郡今泉村五郎右衛門父母に孝をつ
くし行跡よろしく村中のたすけをなすのよし
国 廻(まはり)のともから是を演説(ゑんぜつ)す是に依て其作り
来る所の田畑九十石の事【「㕝」は「事」の古字】永代五郎右衛門に下し
授(さづく)る条 収(しゆ)納すべきもの也
   論
  ひそかにおもひみるに天の孝子にさいはひし
  給ふばかりあきらけき事はあらじかゝる
  下ざまのひとのしわざ

 上(かみ)の御こゝろをうごかし奉りあつき御めぐみをうけ
  て其名をあめが下にひびかすこれ人のちから
  のよくする所ならめや詩にいへらく孝なら
  ざる事あることなくしてみづからこのさい
  はひをもとむと誠なるかな

【絵画 文字無し】

三 雲(うん)州 伊達(だて)氏
寛永のはじめつかた出雲(いづも)の国松江に伊達治左衛門と
いふ人ありけり物よくかきて国のかみ堀尾氏のため
に筆をとれり二親家にあり心をつくしてこれに
つかふその禄(ろく)うすしといへど父母にすゝむる物はほど
に過てゆたか也あしたゆふべ必みづからその
あぢはひをとゝのへけり従者(じうざ)はをのがこゝろを
つくすにをよばしとおもへばなりつかへのいとま
ありける日はさらにあざらけき魚など求(もとめ)て

父母につげてけふは幸に此物を人にえたりいかゞ
調(てう)しはべらんといへば父はいはくあぶりものとせよ
母はいはくあつものにつくれこのむ所つねにこと
なりかれそのこのみのごとくにしてをの〳〵す
すめけりならひてつねとす父母あるひはをのが
すむ方に来りあそばんといへばまづ飲(いん)食を
あつくまふけて父のまへに来りわが力のこは
きほどこゝろみさせたまへといひてかき負(おひ)て
出ぬ母にも又しかすかく力こはく年もさかり

なるおのこなれど二親につかふるすがたありさ
まはまだ世をしらぬ女子のごとし父母かれをつかふ
に心なき事つねに下部(しもべ)をつかふにをなじ身を
をふるまでしかり堀尾公これらの孝行をきゝ
給ひてふかく感じてしば〳〵よき飲食をもて
後父母にたまひしとなん人みないへり国に孝子
なきにあらずたゞ伊達なしと
   論
  人の二親につかふる愛かてばうやまひたらずうや

  まひかてば愛たらず愛かちてなるゝはうるさし
  うやまひかちてうときはすさまじ愛かつに
  似てかたずうやまひたゝざるに似てたれるは
  此伊達氏ならんかしまことに孝子といひつへし
  ことにしがたかるべきは父母をのれをつかふに
  心なき事しもべをつかふにひとしかりしと
  云にぞありける

【絵画 文字無し】

四 中江 惟命(これなが)
中江与右衛門惟命はあふみの国高島の郡小川といふ
所の人なりけりはやうよりふみよむ事をこ
のみて終に王氏の学を世におこせり母あり
是に孝なり一とせ加藤氏に伊予の国大 洲(ず)の城
につかへて母をその所にむかへやしなはんとせり
母のいはく婦人はさかいを越ずとこそきけね
がはくは是をまもらむと惟命さかはずすなはち
つかへをやめて国にかへらんとこへり加藤氏その

ざえをおしみてゆるされず惟命うちなげきて
われ不孝なりといへど禄(ろく)のためにつなかれて母
に定省(ていせい)【親孝行】をかゝめやいひて文かき置てひそかに
のがれ小川にかくれ住て母のよろこびをえたり時
に年二十八寛永それの年月なりとそ
   論
  ある人とふ中江氏その門下にをしへていはく自(じ)
  己(こ)の徳 性(せい)すなはちこれ父母の天 真(しん)【生まれつきの本性】なりさ
  ればわが性をやしなふは親をやしなふ

  いはれなり孝これより大なるなしちかくなれ
  つかふまつるとしからざるとにかゝはる事なかれ
  とこの語意(ごい)母のために禄をいなみて【拒否して】帰りやし
  なはれけると相そむけるがごとしいかんいはく
  此人けだしおもへらく性をやしなひ親をやし
  なふ二あるにあらずよく性をやしなふ人いか
  て親にうすからんとされば此人は誠にこれ
  をふたつにせず身と言(ことば)とそむくに似て実
  はそむかじ是をまねぶ人にいたりては思ひ

  たがへてかの浮屠が恩をすてゝ性を見む事を
  もとむる方にながれ入らんがおそろしきなり
  いはく其をしへの流(ながれ)さるおそろしきわざあら
  ばいかで此ふみに此人をとれるやいはく世の儒者
  口には一日のやしなひ三公にかへずとときて身は遠つ
  国にあそび冨(とみ)をもとむるに心のいとまなくて
  帰りやしなふことは忘はつるもおほかりこれを
  もて中江氏を見れば孝子なる事うたがひ
  なしすでに是孝子也いかで此ふみにとらざらむ

【絵画 文字無し】

五 川井 正直(まさなを)
正直は洛陽二条の室町に住て布袋屋与左衛門と
よばる物をあきなふて家とめりわかくして身の
をこなひよからず年五十にちかづきて物まなびに
こゝろざし小学といふふみよみてはじめて孝道
の人にをいていたりてをもきことをしりて過こし
かたのやしなひのうすかりしことをくゐなげき身を
つゝしみ用をはぶきてもはらちゝ母のたのしみを
なんもとめける正直わかきより酒にふける父母是

をうれふこゝにいたりてのまずをよそをのがすき
好みて父母にいまれし事ともこと〳〵くやめて二たひ
なさず父母大によろこべり正保ひのとの亥の春父病に
ふしぬ正直かたはらをはなれずひるよる力をつくし
薬も粥(かゆ)もをのれこれをすゝめずと云ことなくおき
ねたち居もをのれこれをたすけずと云ことなしあつ
き日寒きあした雨に風にしはらくもをこたらず
心のかぎりあつかひきこえけれどいたく老ぬる身に
病もあつしう成行ければつちのとの丑のむつきの

それの日父つゐに身まかりぬ正直なべてならざる【普通ではない】
なけきに物をだにくはず家の内の事みな妻と子と
にまかせきこえてをのれはかくろへ【隠ろへ=人目を避ける】たる所にたゞ
ひとりこもり居つゝ父が霊(れい)位に物そなふるをのみ
ぞ事とはしけるゆきて母にま見ゆるならで其
所をでることなしかくて十月あまりこゝの月をへて
母またやみてうせぬ正直かなしみ父にひとしく身の
やせくろめる事更にくはへぬ是よりして又三年の
喪をとりける程に前とあはせて四とせはかりぞこ

もりゐにけるそのあいだふかくいためるいろ
つゐに面(おもて)をさらず人みなあはれと見けりはじめ
父うせける時父の友あつまりつどひて火 葬(さう)に
せんとはかる正直ひとより儒礼をたうとみけれ
ばふかくこの事をうれへてよるひそかにひつき
をかきて黒谷といふ山の奥に入て手づから埋(うづみ)て
そ帰りにける母をはふむれるも又おなし喪礼かくて
時のならはしにしたがはざる事をそしりにくめ
る人もおほかりけれど正直それを心とせず終に

ほいのことくしけり後に商(しやう)家をいとひ京をしりぞ
きてかの黒谷の山のふもとに田つくりてぞ居
ける時に年むそぢにこえけれど父母をしたへる
心ます〳〵せちなり常に我とひとしき友にいへる
はわが物まなび他のおもひなし父母のこさ
れしわが体なればよろづにたゞいさゝかもこの
身をけがしはづかしめじとつとむるのみなりされ
ば大なるあやまちなしとぞ又いはく人のよし
あししることはかたしされど其人の父母を愛する

と愛せざるとをもて見侍ればおほやうはたがはす
と又人の子や弟来りま見ゆる事あればかな
らず孝梯の道をかたるにきく人心を動かさ
ずと云事なし人と対してその物がたりわが考(ちゝ)
妣(はゝ)の事にをよべばかならず泪おとしにけり延宝
五年の春の末より正直こゝちわづらはしくて
はつ秋風のおとづるゝ程しばしをこたりにけれ
ば是をよろこべる色ふかし人ありとふていはく
翁(おきな)のやまひまたくいゆるにもあらずなどかばかり

はよろこべるや正直こたふ此月のそれの日はわが
母の忌日なりおもはずにながらへゐて此日にあふ
ことをよろこぶになん命のびん事をおもふには
あらずとかれその身ををふるまでに父母をした
ひてやまさる事これらを見てしりぬべしおなじ
年の冬をはりぬ年七十七子なる正俊(まさとし)に遺言(ゆいごん)し
て黒谷にしてその父母の墓ちかき所にぞはふ
むられける
   論

  後鳥羽院の御時左衛門尉藤原 ̄の朝綱(ともつな)といふ人
  ありていはく二親なしといへどわが身すな
  はち遺体(いてい)にて一言一行こと〳〵くこれ父母の
  言行なればわがこゝろにまかせてする
  事なしとなんこの事やまと論語と
  いふふみに見え侍る正直が父母ののこし
  をかれしわが身よろづにたゞいさゝかも
  けがしはづかしめじなどいひしと符合(ふがう)
  しけるを見れば朝綱も又そのかみのやん

  ことなき孝子なるべし今その跡つぶさに
  しるし置たる文見侍らねば此書には
  つらねずしばらく此 詞(ことば)をこゝにつけてしれ
  る人をまたんとすとそ

【絵画 文字無し】

六 絵(ゑ)屋
寛永の比にや京都小川の町出水といふわたりに
一人あり衣裳(いしやう)に絵かくるをわざとしければ絵屋
勘兵衛とぞいひける老たる父をやしなふて
孝なり父酒をこのむ絵屋夫婦しば〳〵買(かい)てす
すむしかれども父その家のまづしきをしりて
げればのめども心たのしまずあるひはのまず絵
屋これをうれへ夫婦ひそかにはかり年のくれ
ゆく程こがね入べき箱ひとつもとめいでゝ石かはら

を内に見てゝよくしたゝめ夫婦これをかきて父が
前に出てすぎし年まふけし物いつにもまして
侍れば債(おひめ)などみなつくのひ【償い】て是ほどがあまり
侍るこれを酒のあたひとなさばいきてまします
ほどはえもつくし給はじといへば父うちおどろ
きてよろご【ママ】ひにたへずそれよりこそおもふさま
に酒をばのみけれ老くちてしにけるまでに
まことにとめりとのみおもひけるほどにいさゝかうれ
ふる色なかりしとそ

   論
  人はかりにもそらごと【嘘】すべからずよろづの道
  是をいましめたりたゞし老たる父母の心をな
  ぐさめうれへをとゞめんとてはやむことをえずし
  てそらごとする時もあるべしそらごとせぬに
  ほこりて父母のうれへおそるべき事をも口に
  まかせていひちらすは人の子の心にはあらず
  絵屋がそらごとそれむへならすやそら
  ことによりて誠あらはる

【絵画 文字無し】

七 神田(かんだ)五郎作
明暦それの年江戸神田 鍛冶(かぢ)町の五郎兵衛と云
もの罪ありてとらはれにつき事をとはれてうきめ
見けりその子五郎作 官府にまいりて申す
わが父すでに老たりもしくるしみにたへずし
て死せば何事をか問給はんたゞ父にかへて
我をせめさせ給へしる事あらば申べしといへど
人々猶父をぞせめける五郎作天によばひ地
にたふれてなげきかなしみければ人皆涙

をぞもよほしけるその比まつりごととらせたまへる
阿部の前の豊後の太守これをあはれみ給ひて五郎
作をしばらく父にかへしめやがて又その罪の死にいたる
まじきほどをたゞしあきらめて父子ともに
ゆるし給ひけるとなん
   論
  しなんとしていくるも天なりいきんとして死ぬ
  るも天なり善悪の報応(ほうおう)こゝにあらはる善は
  孝より先なるはなし悪は不孝より大なるは

  なししかれば此人父にかはりて死なんとして
  いきたるこれたま〳〵しかるにはあらじ昔
  もろこしにしても宋(そう)の鮑寿孫(はうじゆそん)と云ものゝ父
  盗賊(とうそく)のためにころされんとせしに寿孫かはりて
  死なんとこひければ賊ともあはれがりて父子ともにゆ
  るしぬ衛(ゑい)州の陳顔(ちんがん)といひし人も父罪ありてせめ
  くるしめられけるを見てかなしみなげきてかはらん
  とこへばゆるしぬ孝の天を感じ人をうごかせる
  からもやまともかはる所なきを見るべし

【絵画 文字無し】

八 柴木村甚介
甚介は備中の国浅口のこほり柴木村と云ところ
の民なり母につかへてきはめて孝なり兄あり
といへど母それとをる事をよろこびず常に
甚介がもとにのみ居けり甚介心をつくしてやし
なふあさ夕のくひ物母いまだくはざればをのれも
くはずしゐてくはざるにはあらず母のくはざる程は
をのづから飢(うへ)をおぼえず母のくへるを見れば我
もくふべき心のいできてくふなり母いねんとすれ

ば甚介みづからむしろをのべて冬はあたゝかにし
夏はすゞしくせりいねていねいらざる程はをの
れもねむらずしゐてねむらさるにはあらすをの
づからねむたからず夜いたくふけ過るといへど
猶かたはらにありて物いひなぐさめいたむ所あれ
ばさすりかゆき所あればかくやゝあけほのゝ空
にもなれば必みづから茶をせんじ座をはらひて
母のをき出るをまつ家にしく物はみなわらむしろ
なりけれどたゞ母の居ける所のみ藺(い)のむしろを

しけり母むしろにつけば甚介その前にありて
すゝむもしりぞくもたつも居るもたゞ母の心のまゝ
なり事ありて府にいり市にゆけば必あざら
けき魚めづらかなるくだ物などかひもとめて帰
りてすなはち母にすゝむ母年やそぢにいたり
ぬれど其かほばせ六十の人のごとし人その故を
とへば母こたふ甚介われをやしなふてわか心のごと
くならざることなしやむごとなき人の母うへと
いふとも我心ばかりはよもたのしからじさればにや

形(かたち)もおとろへずとぞいふめる【「める」の左に小さな◦を傍記】甚介か父しにけるとき
甚介はらからに其田をわかちあたへたりこゝら
年へて後兄甚介にいひけるはわが田やせて汝が
田こゑたりさるゆへに我まつししばらくかへてつくり
なんと甚介すなはち兄が心にまかす然れども其
田おの〳〵かりおさむるにいたりては甚介がよね
兄がうる所よりもおほし里人みなおもへらく
これ孝と不孝とのしるしならんとある時甚介
胡麻(ごま)といふ物を畑(はたけ)にうふるに時すこしはやかり

ければ里人みなあやまてりとす後はをのれも
しか思へりうへし時はやかりつればおさむることも
又はやしすでにおさめていく程もなくて長雨ふ
りて水ひたゝけ【ひたひたと打ちつけること】一(ひと)里の胡麻こと〳〵くなかれちり
ぬれくちてたゝ甚介が家のみ胡麻にとめりまた
日てりて水かれあるひは風のため虫のために
ひと里の田おほやうそこなはるゝ時も隣(となり)をさかひて
甚介が田はさかへうるほへりすべてこれ孝徳の
まねきひく所とぞ人はみなほめたうとびける

れいの兄一とせみつきをかきて罪をえたりみづから
人に物かりて是をつくのはんとすれと人した
がはす甚介ふかくうれへて先をのがたくはへし
かきり出しつくしてそのたらざるがほどを人に
かりければ人みなよろこびて甚介に力をあはせ
ける程に兄やがて罪をまぬかれぬかゝる事ども
いはゞつきめや過し承応の比にや備前の府君(ふくん)
羽林次將(うりんじしやう)松平公是をきゝ給ひ備中の浅口もわがみ
ざうなりければ甚介をめしてたいめんたまはり母

に孝をつくせるのみならず兄にも悌(てい)なる事をくり
返しほめ給ひてかれがもとよりつくりきたれる
田はたけみなながら子むまごまでにその租税(そぜい)を
ぞゆるされけるある人柴木村の人にあひて甚介田
はたけたまはれりなんぢらうらやまずやといへば村の
人きゝもあへず甚介が孝まねぶへからずわれら
いかでうらやみ侍らむとなん云一さとの人のことば皆
同じ

【絵画 文字無し】

九 西(にし)六条院村孝 孫(そん)
西六条院村も又備中の国浅口郡にありそこなる民
ふたりの子もたり兄を惣十郎といひ弟を市助と
名づく兄弟はやく父をうしなひておほち【祖父(おおじ)】なる
おきなと田つくりて居たりけるが不幸にしておほぢ
耳(みゝ)つぶれ目しゐてあし手もかなひがたし兄弟
母あり母子三人みな此おほぢにつかへて孝なりおほ
ぢ茶をこのみ酒をすけり兄弟まつしといへと
しばらくもこれをかゝず農(のう)の事いとまあれば薪を

山にとりてひさきて茶酒の料(れう)とせりもし
料たらずして人にもとめかる【借る】事あれば人みな
おほぢがためにしてをのが身のためにあらざる
事をしりてこふにしたがひてかしけりあさ
夕のくひ物おほちにすゝむるはくはしく母子三人
がくへるはあらしおほぢ物くふごとに母 箸(はし)をとり
てくゝむ【口に含ませる】その目しゐ手しひれたるが故なりけが
れのうつはものも母と兄弟日ごとに是をとれり
その足なへてかはやにも行えざれば也冬の夜の

いたうさむきには兄弟かはる〳〵おほぢが跡に
ふしぬその足をあたゝめんがため也夏の夜のあつく
いぶせきにも兄弟かたはらにありていねすして
蚊(か)をはらへりはりぬべき帳なければ也よろづにかく
孝なりけれど母なをかれらがたゆまん【気持ちがゆるむこと】ことをおそ
れて折〳〵にをしへていはくおほぢの世におはし
まさん事今いくばくの日とかしるやなんぢらをこ
たることなかれいさゝかもをこたりなはおはしまさ
ざらむ世にくふともかひあらめやと兄弟つゝしみ

うけたまはりていよ〳〵孝行をそはげみけるおほぢ
母にいひけるはそこの孝徳まことにいひやらんかた
なし徳必むくひあり惣十郎市助が妻あらむ時
その妻そこに孝なる事必そこの我をあはれめる
がごとくなるべしとおほぢ惣十郎に妻もとめしむ
惣十郎うけ給りぬやかてこそむかへ侍らめといひて
もとめずおほぢのやみけがれたるさましたしから
ぬ人に見えむがつゝましければ也かくて日数ふる
まゝにおほぢのやまひ様(やう)かはりて物ぐるはしく

なりぬ此時しも市助は人につかへて外にありけり
家にはたゞ母と惣十郎とのみありてひるよるまぼり
居てうちもねず母子が心ぐるしさおもひやるべし
それより又二とせばかり過ておほぢをはりぬ母
と惣十郎となげきかなしみ衣をうりて葬祭(はふむりまつり)を
つとめいとなみけるとなん惣十郎が父の跡とふべき
月日此時しもめぐり来ぬされども家に物なければ心
にもまかせざりしをその年みのらずとて国主 倉(くら)を
ひらき給ひて国たみをにぎはされければ惣十郎其

よねをうけていさゝかもをのが用とはなさで父をと
ふらふわざになんつくしにけり市助も又外にあり
といへと物を送りて祭をたすけ母のやしなひ
に力をそへけりそのゝち惣十郎妻をむかへて
あひともに母につかへぬつねに妻にいひけるやう
はなんぢざえなきはわがとがむる所にあらず
もしわづかにも不孝ならばすみやかに出しやらん
われ此ことばをたがへじとなむよりて妻も
よくつゝしめりされと猶家の内の事ひとつと

して夫婦が心にまかせず事ごとに母にとひてその
云ところのまゝにす田はおほぢが病にまぎれて
久しく力もいれざりければ今年はことになり
はひもあしかるべくおもひ居けるにさはなくて
よくみのりて人の田にははるかにましたり是
天地神明の孝にめでさせ給ふ故とぞ人は
みな申あひける国主もふかく感じ給ふて母にも
子にも物たまひけり

【絵画文字無し】

十 横井(よこゐ)村孝 農(のう)
備前の国津高郡 横(よこ)井村といふ所にひとりの民
あり太郎左衛門とよべりその父母をやしなふて
よくおしみよくうやまへりかれ父と田にあり
てかれいゐ【飯】すゝめんとおもふときはまづ草葉の
露うちはらひおほく刈(かり)とりて土の高き所に
のべしき父を其うへにをらしめをのれは下に
ひざまづきゐてつゝしみていゐをすゝめ父のくひ
はてぬるを見ざればをのれはくはずならひて

是を常とす父がこの人を見るも礼儀なきに
あらずさればその家に有けるおとこ女すべて
これにならひてうや〳〵しからずと云ことなし
ひとさとの民みな是を見てわらふをのが父
母と居ていたうをこたれるにさまかはりたれ
はなりをよそ貧 賎(せん)のその親をやしなへるを
見るにいとおしみはふかきもあれどうやまひは
必たらずこの人誠にえがたし国主もあやし
とし給ひてあつく賞 賜(し)せられけるとそ

【絵画 文字無し】

十一 赤穂(あかほ)惣太夫
備前の国 岡(おか)山 紺(こう)屋町のこうかき【紺掻き=紺屋】何がし一とせ妻子
をゐて【率て】播磨(はりま)の国にうつり住て赤穂(あかほ)といふ所にて
死けりその子惣太夫母をやしなふて孝なり妻も
又よくつかふ母の云ところうけしたがはずといふことなし
母つねにいふ備前の岡山はわがふる郷なりねがはく
は汝(なんぢ)夫婦と帰りすまむと惣太夫うけたまはりぬと
て其いとなみし侍れど家きはめてまづしければ
かてをつゝむべきよすがもなくて心ならず過ゆく

ほどに母ふと旅のよそひしてけふなん岡山に帰ると
いひて出ければ惣太夫夫婦物もとりあへでぞした
がひゆきける母あしたゆげ【弛げ=だるそうなさま】なれば惣太夫おひぬ
ありく時は妻その手をひくくひ物たらざれば
夫婦(ふうふ)はくふまねのみしてくはずたゞ母にのみすゝめ
けりすでにして備前の内かぐと村といふ所につき
てかて絶(たえ)ぬ母も妻もいたうつかれにければすべき
やうあらであたり近き福岡村の実教(じつきやう)寺といふ
寺に入てくひ物こひけりあるじの僧かれがあり

さまを見て孝子なる事をしりてはやくその
飢(うへ)をすくひ寺のかたへにやどし置て朝夕の食をく
りやにうけしむ是によりて母子三人食物は
たり侍れどやゝ冬ふかく成ゆくまゝに母の衣の
うすきをかなしみよる〳〵【毎夜毎夜】は夫婦ひそかにをのが
衣をひとへづゝぬぎていねし母が身にくはへけり
これをきく人あはれがりてよね一たはらとら
せければいといたうよろこぼひて衣を買(かい)て母に
きせけり母うけずしていはくわが衣さいはひに

うすからずよめが衣やぶれてうすしはやく
是をきすべしとよめがいはくわれとしわかく
身すこやかなりさむくともやまひはせじしう
とめもし是をき給はずは必わづらひたまふべし
たゞはやくき給へと母なをきずしていへるやう
我はかく老おとろへぬ病もおそるゝにたらずしぬる
もおしまずたゞねがはくはなんち夫婦つゝがなか
らん事をいはんや我さむからずいかで此衣をかさ
ねんといひて手をだにふれずよめも猶ゆづりて

【銀杏の押し葉】

【銀杏の押し葉】

きざりければ此ころもいたづらにぞ有ける人又
これを聞てさらに衣ひとつを母にあたへければ
よめもはじめてさきの衣をきけりかゝる事
ども先だちて岡山にきこえければ府君ふかく
感し給ふてかれ夫婦をあはれめるのみならず
実教寺のあるしが慈悲ふかゝりしことをほめて
よねを寺によせられしとそ
   論
  国いつれか国ならざる民いつれか民ならざる

  たゞ備前の前代のみ孝子おほく忠臣義人も
  すくなからざるは何ぞやいはく国の先主少将
  の君いにしへを好みたまひ学 舎(しや)をたてゝ人
  ををしへらるよりてひじりの道をこりてこと
  なるはしやゝやみぬいはんやひとりも孝なる
  子悌なる弟ありといへば必それを讃歎して
  物たまはらずといふ事なし忠義の人を見るも
  又おなじさればそのいまだ孝ならずいまだ
  悌ならずいまだ忠義ならざるものも是に

  よりてはぢくゐてうつりあらたまらざ
  るはまれなりこれその人のおほきいはれ歟
  我幸に孝子がありさまこれかれ人に
  聞侍てこゝにつゞりつけ侍る柴木村より
  下四人と巻の末なる二女これなり外はすべ
  て後の人のえらびにゆづりきこゆるとぞ
  本論に見えたる

【絵画 文字無し】

十二 由良(ゆら)孝子
淡路(あはぢ)の国の由良といふ所に久左衛門といふ民あり
父を愛する事人に過たり出て田をたがへす
といへど父を思ふことあれば鋤(すき)をすてゝしばらく
帰り父を見て又ゆく人にやとはれつかへて外に
ありける日も俄に雨風あれておそろしげ
なればそのわざををへずしてはしりかへり父を
まもりなぐさめていでずいでざれば物をえず
出れば値つくといへど更にかへり見ずこれ父をま

もりなぐさめんとのみにもあらずをのが雨風に
をかされん事を父やうれへむとおそれて也けり
父出てをのがつくる田みんといへばすなはち父を
背(せなか)におひて行めぐり或はくろ【畔】におろし置て
その心をなぐさめけり後は父おとろへつかれて
出てもえ見ざりければいなぼつみとりてもち来
りて見せけるにもしをのがつくる田よからざれ
ば人の田にもとめてきはめてよきいなぼを
とりてぞみせける父をよろこばしめんとてなり

冬の夜ことさらに寒さおぼゆる時はよるか
暁(あかつき)ともいはずおきて衣(ころも)をもとめて行て父が
ふすまにくはふ父目さめてわがふすまうすから
ずむまご【孫】らがいねし衣にくはへてよといへばさも
こそし侍らめといひてしりぞきちごどもには
きせず父がねむりいれるを待て二たびもち行
てぞきせけるかれが父を愛せるさまおほやう
此たぐひなるべしその里人みなほめきこえければ
国の事あづかりきける稲(いな)田の何がしかれをめし

てなんぢか孝行のありさまかたれといへば人は
さもこう申侍れどわれ更に孝ならずとなん
こたふそのさまいさゝかこと葉つくる道しるべくも
あらずをのれまことに孝ならずと思ふなるべし
稲田又とふなんぢ父につかへて力をつくせりされど
なを心にあかぬ事ありやといはくわが母うせし
とき父いまだおとろへずわれのちの母もとめんとし
侍れど父ゆるさず終にやもお【妻のない男】にして老ぬよりて
今老をたすくる人にとぼし是なん常に心に

うらむる所に侍ると又とふなんぢ今日こゝに来
れる事父しれるやいはくよのつね家を出るに
は必そのことのまことをつげ侍れど今日はしからず
たゞ此わたりの市にあそぶとなん申つるといはく
いかでまことをばつげざりしいはくおほやけのめし【召し】
ありときかば此事なめりとしらざらむほとは心
もとなくおもひたまへ侍るべければわざとつげ申さ
ざりしとぞいへる稲田うちなげきてその孝心を
感じ物くはせろくかづけて由良にかへしけるとなん

   論
  孝はたゞ父母の志をやしなふをいたれりと
  す味をとゝのへあたゝかなるをきせてその
  体(たい)をやしなふ事をつとむとも心をやすむ
  る事なくは孝行にはあらざるべし由良の
  孝子いやしといへどその孝たゞ志をやしなふ
  にありたうとまざるべけんやある人のいはく
  かれ孝なることは誠に孝なり我その人を
  見しにをよそびとの中にも誠にしなくだり

  心くらし孝は人にをいていみじき徳性
  なりすでに孝なる人いかでかばかりは
  つたなきやいはく人の心あきらかなる筋(すぢ)
  ありくらき筋ありすべて明かなるはひじり
  なりおほやう明かなるはかしこき也ひとつ
  ふたつ明かなる筋あるを筋ごとにをし
  ひろむるはその次なり由良のおのこたゞ
  孝一すぢに明かにしてこと筋にをしひ
  ろむる事をしらずされば其孝はめでたし

  其人はつたなしいはくかれがこときもをし広
  むることをえんやいはくえぬべし烏獺(うたつ)もその
  あきらかなる一筋はあれど物なるか故に
  をすには及ばす人は物のおさにして郷(きやう)人より聖
  人にいたると云もをせばひろまるが故にあら
  ずやいはく何にたよりてかをすいはく学(がく)なり
  たかきいやしきよく学びてをしひろめえざるは
  あらじさればにやいにしへは王 宮(きう)国都より閭巷(りよこう)
  に及ぶまで学あらずと云ことなかりき

【絵画 文字無し】

十三 芦田為(あしだため)助 《割書:本書の此伝は弘文院|春斉翁つくれり》
丹波の国 天田(あまだ)郡 土師(はじ)村の孝子は芦田七左衛門為助
とそいひける家まつしけれどあつく父母をやし
なへり父母のいふ所したがはずと云ことなし寒き
夜父母いねむとすればまづをのがはだへ【皮膚の表面】をもて
其むしろをあたゝめて後父母をいねしめあるひ
は父母の足ををのがふところに入てあたゝむ
すでにしりぞきては又ゆきてやすくいぬるや
さらずやとうかゞひ見る事夜ごとに二たび三たび

にいたれり夏の日いたうあつきにはすゞしげ
なる木かげをえらびて床をかまへ父母をいざな
ひ行てひねもすその心をたのしめ暮ればともに
かへり枕をあふぎてぞふさしめける衣食たらず
といへどとかくいとなみて父母には常にあまり
あるやうにのみおもはせけり更にをのれがとぼし
きをしらしめず母いかづちをおそるよりてかみ
なる日にあへばことにそのかたはらをはなれず出て
外にありといへどもすみやかに帰りてうちそひ

居けり為助妻をまふく【設く…持つ】その妻又孝なり父母とも
に足なへて道ゆく事かなはずゆかんともとむる
かたあれば夫婦かならずいだきおふて出けり
万治三年の夏母みまかりぬ年八十寛文六年の春
父死す年八十三為助かなしみにたへずしたひてやま
ずをのか家ちかき所に葬(はふむ)り日ごとに墓にまふでぬ
かみなる声いさゝかも耳(みゝ)にいればかならず母の墓
に行てなみ泪おとしてまぼり居けりかゝる孝行ども
ちかき里〳〵にかくれなかりければやがて福智山

にきこえて城主(じやうしゆ)松平氏 忠房(たゞふさ)ふかくかれが孝志に
感じ物たふで褒賞(ほうしやう)し給ひぬ為助其たまはりし
物を兄それがしにあたへけり兄これをうけずはら
から相ゆづりてやまず終にその物をつゝみおさめ
て家のをもき宝(たから)とせり城主かさねてみつきを
ゆるしゑだち【役立ち=強制の労役や兵役】をのぞかれけるとなん論ありいはく
人のおこなひ孝より先なるはなしされば孝なれ
ばいやしきがいたりといへど人なり孝ならされ
ばいとやんごとなききはといへど人ならず舜(しゆん)の聖(ひじり)

なる曽(そう)子のかしこきみな孝にもとづき給はずや
孔子のたまふわがおこなひ孝経(けうきやう)にありと孝経
さいはひに家〳〵にありて人ことによめりよめ
とも孝ならされば鴉(からす)のなき蝉(せみ)のさはぐにこと
ならずしかるを此為助其やしなひやんごとなき
人にもまさりそのつかへ文よむともがらにも
こえたりたれか是をほめざらむ妻もよくした
がひ兄もゆづれり為助がよきにならへば也かれら
為助にならふだにその家みなよし国郡(くにこほり)しらせ

給ふ人もし身をもて先だちたまはゞいかばかりの
人かそのよきにならひてめでたからむしからざる
事のうたてさよそも〳〵いにしへは孝子あれば
下かならず上にまふし上それをあらはしたまふ
近き世はしからず今福智山の城主下のつぐるを
よろこびて芦田を賞ぜらるゝ事誠にこれすた
れたるをおこすのひとつのはしにあらずやこれ
を国〳〵につたへて人の子の志をすゝめまほしき
事にぞ有ける

【絵画 文字無し】

十四 安永(やすなか)安次 《割書:本書の此伝は林|春常丈つくれり》
肥前の国島原に加津佐村の津波見名といふ所あり
そこなる民久右衛門氏は安永名は安次とそいふ
なる父母につかへて孝なり父名は安平いまたいた
くは老ざれとも安次ふかくいたはりて常(つね)に身を
やすくのみあらしめてたゞをのればかりそ耕(かう)作
をばつとめける安平ある時安次が田作りていといたう
くるしめるを見て我いまだ力おとろへず折〳〵は
草をもとりて汝が手すこしやすめんといへば

安次をのれ更につかれ侍らずいかで今さらさる
事はしたまふべきといひて耕作の具(ぐ)手にも
とらせず年ごとにをのが田そこばくをわかちて
心をもちゐて作りなしてこれを父母がわたくしの
用にそなへけりをのれきはめてとぼしき事あれ
ども此父母か用にそなへしよねをば外のことには
露もちひず年みのらずして物なけれとも猶父
母にはゆたかなりとのみいひきこえけりあしたに
かへりみ夕にしづめ夜なかあかつきとなく安否(あんふ)を

とふ事つねにをこたらず雨の日など父母の住ける
所いと物さひしげなれば必をのが方にいざなひ来
て子むまこさしつどへて其つれ〳〵をそなぐ
さめける事ある時もつげざれば外にいでずかへ
ればまづ面を見せずと云ことなし市にあそぶ
事あればかならず食物のよきをもとめて帰り
てすゝむ人に物えたる時もまづ父母にすゝめて
あまらざればをのれは用ひず父母ともに仏
をたうとみてしば〳〵寺院にあそふ安次いとま

ある時にわらぐつおほくつくり置て父母が寺
院に行ごとに必そのふるきくつをすてゝあたら
しきをなんはかせけり心をもちゆるのせちなる
おほむね此たぐひなりかれか一 族(ぞく)ならびにその里
の人々此ありさまをしたひまねぶもおほかり事
つゐに太守にきこえければ物たふでその孝をほめ
戸租丁役(こそていゑき)みなゆるされけり太守とは誰を
かいふ島原の城主 尚舎奉御(しやうしやほうきよ)源の忠房也忠房
むかし丹波の国 福智(ふくち)山をおさめ給へるころ孝

子あり芦田(あした)為助がこときものなり今また安次
がともがらありこれ太守のその親にあつくし
てたみ仁におこれるものか

【絵画 文字無し】

十五 大矢(おほや)野 ̄の孝子 《割書:本書の此伝は人見|友元老つくれり》
肥後の国 天草(あまくさの)郡大矢野の今泉村と云ところに喜左衛門
となんいひてよく父母につかふる民あり妻も又しうと
しうとめに孝なりもとより家まづしきにちかごろ
しきりに年あれければをのれ夫婦はくふべき
物もなけれどちゝ母の食物のみはとかくしていとなみ
出ぬかのとの酉の年国又大きに飢饉(ききん)す喜左衛門
父母にこひて長尾といふ山にうつろひ住て薪(たきゝ)を
とりて人にひさきくづわらびをほりて食とすをなし

年の夏父やまひにふしてあざらけき魚(うほ)をねがへり
ふかき山の奥(おく)にしあればもとめ出べきやうあらて
いかゞすへきとおもひわつらひけるに妻ひそかに山をくだ
りて海のほとりをまよひありき人に釣竿(つりざほ)かりて
つりたれければやがて魚こそかゝりにけれ見れば
鯛(たい)と云うほのごとく【濁点の位置の誤記と思われる】にしてその色くろしよろこびて
是をもてかへり喜左衛門にとらせけり喜左衛門すなは
ちてうして【調じて=調理して】父にすゝむ父ねがひみてけりとゑみ
まげてそ悦びけるおのこだに手なれざれは釣え

がたきを女のあからさまにしづめしつりはりに
やがて此うほののぼり来けるも不 思議(しぎ)なりまことの
ふかきがいたすところ歟父つゐにみな月の廿日あ
まりにみまかりぬ喜左衛門妻とともになげきかなし
むこと浅からずしばしは物をだにくはざりけり
すでにはふむりて後はいはゐを家にまふけ朝な
ゆふな物をそなふる事いける日のごとし母は老の
のち目しゐたり喜左衛門夫婦これにつかへて殊に
つゝしめり母わがしたしきものゝ方にあそび或は

仏にまふでけるときは喜左衛門又は妻かならずおひ
てぞ行ける其道十四五町もありけりとなん此天草
のこほりと云も肥前の国の島原の城主松平氏かね
おさめ給へる所なればかの喜左衛門を島原にめし
て夫婦が孝をほめて白銀そこばくをぞたま
はりける喜左衛門家に帰りてしたしきものどもを
あつめてともに此たまものをいただきこれを
うくるも又父の故にしあればいさゝかも他の事に
用ひば誠に罪ふかゝるべしたゝ父の跡とふ料(れう)と

のみこそなし侍らめといへば人いよ〳〵感しあへり
   論
  右三の伝ひとつの論は二林人見三名 儒(じゆ)の筆作
  なれば此ふみの本書つくりし伊 蒿(かう)子とかや
  その文字ひとつをもたがへずしてうつしのせ
  侍けるを我今かんなにかへんとするに筆つた
  なければをのづから本文にたがふ方やおほからん
  其 事実(じじつ)もまたいさゝかはぶけり罪まことに
  恐るべし伊蒿子又三伝をすべて論ずること

  ばあり是ももらしがたければそのおほむねを
  こゝにあらはすむかし揚雄(やうゆう)かの法言【書名。儒教の書】つくりし
  とき蜀(しよく)の国のとめる人あし十万をおくりて
  名を法言にのせられん事を求(もと)む揚雄ゆるさ
  ずしていはく冨(とみ)て仁義なきはおりの中のけも
  のゝごとしいかでしるしはのすべきとなん今此
  為助安次大矢野の人はみなきはめてまづし
  くいやしければ一銭をもをくる事をうべからず
  しかるを時の名家のためにかくいみじき伝(でん)

  つくられ孝の名をながき世につたふかの蜀の
  とめる人とそのめいぼく【面目】いつれぞやたゞに
  富貴をのみしたひて仁義忠孝のおこなひ
  なき人いかで是をおもはざる城主尚舎君
  しきりに孝子をあらはし給ふがたうとむ
  べき事は三儒の筆につぶさなれば
  われら又何をかのべむ

【絵画 文字無し】

十六 中原休白(なかはらきうはく)
休白は筑前の国 遠賀(をんか)郡中原といふ所の人なりみづ
からその姓氏をあらはさずたゞ中原の何かしとなん
よばる中原にはうらかたを業(わざ)とする人おほし
休白も其ひとりにしてかねて農耕(のうかう)をそつとめ
ける人からいとまめ〳〵し里人みなつゝしみした
がへり父につかへて孝なり父もまたせちに
休白を愛す休白いとけなかりしよりはじめの
老の坂(さか)うちこえていそぢのなみのよせくるまでに

しばしが程も父とすみかをことにせずえさらぬ事
ありて外に出るはさらなり家にだにあれば
つねにかたはらにのみ打そひて事ごとにした
がひつかへけりそのさまさながらうなひ子の母にむつ
るゝがごとし夜のほどゝいへどしば〳〵をきて
父がふしどにいり耳をかたふけていきのとき【疾き】
ゆるきを聞ていぬる事のやすきくるしきをうか
がひ父目さむればさむさあつさうへかはきをとふ
てつゝしみて其心のごとくにしてしりぞくあるひは

又父外にいでゝあそばんといへば野にもあれ山にも
あれ必したがひ行て相たのしみて日ををへ身の
いとなみのかくるをしらずある年のさ月の事にや
休白けふは田をうふべしとて朝とくをき出人あ
またやとひもてきて時をきざみていそぎける
に父その日しも豊前の国の小倉(こくら)といふ所に行て
あそばんと思ひ立て休白にいへるは我よのつね
出てあそべば汝(なんぢ)かならずしたがひきたるけふは田の
事かくのごとくなれば汝したがひきたるべからず

小倉道ちかしやがてこそ帰らめとて出ぬ休白手
にある物をすてゝ足かきあらひ父に追つきつゝ
をのれ家にあらねども田の事さまたげるき
よしをつぶさにのべてうちしたがひゆけるさま
露もかへりみおもふ所なきがごとし見る人みな
感嘆(かんだん)しけり休白つねにおもへらくをよそ事をの
が身に利あらむとて父の志にたがはゞ悪(あく)いづれか
是より大ならんと又いへらく父の志にしたがひ
父のよろこびをうるわがたのしみ是よりふかきは

なしとその孝心はかり見るべし父いたく老てしぬ
べくなりぬ休白ちからをつくしてそのことぶきをもと
めけれど終にかひなかりければなげきかなし
める事いたりてふかく一さとの人の心をいたまし
めけるとなん
   論
  うらかたをわざとするものは人みなこれを
  いやしむわざはいやしむべきにあらねと
  その人おほやう誠すくなくて人をあざむく

  事おほければなり休白はしからず父に孝
  なる事かく誠ふかゝりければうらもて他
  人をあざむくことも必なかるべしおもひみる
  に此人一生のおもひたゝ父を愛(あひ)するにあり
  さればその孝 始(はしめ)もなく終(をはり)もなし世のおさなく
  てはひたすら父母をしたひすこしおとなび
  ぬれば色などに心をよせて父母には日ゝにう
  とくなる人休白にはづる事をしれや

【絵画 文字無し】

十七 鍛匠(たんしやう)孫次郎
孫次郎は肥後の国山 鹿(が)の郡 湯(ゆ)町の鍛工(かぢ)なりわざ
つたなくしてうられず家きはめてまづしよはひ
五十にいたれどもいまだめとる事をえず父は
はやく死して母とをれり孝心ことにふかしわが
身には常にまたき衣だになくて母のやしなひは
ほどに過てあつし母酒をこのめりわづかにもあし
あれば必かひてすゝむ酒うる家かれが孝ふかきに
感じて酒をあたへてあしをとゞめざればかれよろ

こびずしていはくかくのごとくなれはそこに我母
に酒をすゝめらるゝ也わかすゝむるにはあらずねが
はくはわが酒をこそすゝめまほしけれとてさり
てこと所にかひけり酒うる家〳〵後はかれが志を
しりてあしはかへさゞれどもあたひをはぶきてぞ
うりける一さとの人つどひあつまりて物くひ酒のむ
事あれば孫次郎もゆきてまじはりけるによき
酒さかなあればをのれは用ひずしてたづさえかへ
りてかならす母にすゝむ後は人々これをあは

れみて母にすゝむべきをばさらにあたへけり里に
出湯(いでゆ)あり母これにゆあぶることをこのみ又しげく仏
寺にまふでんことをねがふされどやそちの後のおひ
人にて道ゆく事かなはざれはかれ日ゝにいだき
おひてぞ行けるある時母かれにいへらく汝(なんぢ)とし
五十わかきにもあらずわれにつかへてかくくるしめり
わが心にをいてやすからすと孫次郎こたへて
いはくわが身もとよりこはく力も人にすぎ侍る
又道ゆく事をこのめり今母とともにゆく何のたの

しみか是にまさり侍らん我常にやんことなき
人の出給ふを見るに輿(こし)あり馬ありわが母まづし
くしてこれなし幸にひとりのおのこ持たまへりこは
き事馬にもましぬわが母これにのれり更に何をか
うらやみ給はんといひてせなかさしむけておひぬおひ
て家を出るにいたりてかへりみて母にたはふれて
いはくこの馬のときをそきたゞ母の心のごとくなら
むとすでにしてはしりすゝみあるひはとゞまり
てやすらひ足(あし)をはねかうべをふりてまことの馬の

いきほひをなす母大にわらふ里人の是をみるもの
先わらひて後はみなうちなげきてその孝心をぞ
ほめける母すでに出湯にいればをのが身にて母の
衣をあたゝめてまち夏はその身をあふぎて涼
しむ寺にゆきても又ひとへに母の心のごとくせり
冬れいよりも寒しと思ふ夜はをのがよるの衣を
ぬぎて母のふすまにくはへをのれはやをらすべり
いでゝ身を出湯にうちひてゝ【浸して】その夜のさむさを
ふせぎやゝ明がたにぞ家には帰りける母やまひ

にふしぬかれ身ををくに所なげなり母のくふべき
ほどの物ちからをきはめていとなみそなへ母の衣
けがれぬれば皆みづからすゝぎてきよくすすで
にみまかりければなく〳〵ちかき野べにをくりはふ
むり事をはりぬれどとみには帰りもやらず終に
かへりて家にありといへど猶日ごとに行てなげき
かなしみけりことにあはれふかゝりしはいはふべき
日にあへばまづ母が墓にゆきて泪をしのごひ【押拭う】
ていくとせか此日を家にむかへていゐはあはけれど

母とともにあき【満足し】酒はうすけれど母とともにゑひた
ればわが心あかぬ事やはありし今母を捨てこの
野にありたとひ郡司(ぐんじ)のとみをうるとも又はた我
何にかせんやあゝわが母いかで帰りきたらざる
やといひてなきまどへるさまたとへむ物なし是
を見る里人なみだをおとさざるはまれなり寛文
のはじめつかた国主 細(ほそ)川公つぶさにかれがありさま
を聞給ひてろくをもくたふで国府にうつろひ
すましめ給ふとなん云

   論
  いにしへにいはく五十はじめておとろふとあがり
  ての世すでにしかりいはんや今の人をや孫次郎
  はしめておとろふるの後にして日ごとに母をお
  ひて行めぐれりいとたへがたからざらめやたゞ母
  のをのれをいたはらむ事をおそれてみづから
  身のこはきにほこり心にもあらぬたはふれ事
  して母の心をやすめなぐさめ母の身ををふ
  るまでにいさゝかも辛苦(しんく)の色を見せずたれか

  これをかたしとせざらん其身は下が下に
  してかくばかりいたりつくせる孝の心の
  ありがたさよ孟子のたまふ五十にしてしたふ
  ものはわれ大 舜(しゆん)にをいてこれを見る
  と人老て父母をしたふ事のかたき此ことば
  を見てもしるべし孝なるかなこの人

【絵画 文字無し】

十八 三田(みた)村孝婦
孝婦は備中の国 窪屋郡(くぼやくん)三田村の民久兵衛と
いふものゝ妻なり久兵衛父ありきはめてかたくな
なり孝婦をつかふてわづかにも心にかなはざる事
あればすなはちうちたゝきけりしかれども孝婦
是を心とせずふかくその罪をうけてさかは【さかふ=おのずから逆らう】ず
つかへてをこたらずしうと年八十その脚(あし)よはし
孝婦これがき起居(たちゐ)をたすけてよるひるをわかずある
夜孝婦つかれふしてしうとがをくるをしらず

しうといかりて孝婦が日々に物つくなる臼(うす)の内に
ゆばり【尿】す孝婦目さめてこれしるといへど露
いろにあらはさずいたくをのがいぎたな【前後不覚にぐっすり眠ること】かりし
ことをはぢらひしうとがいかりとくるを待て何と
なくしりぞき出てかの臼をあらひけりそのやはらき
したがへるさまよろつにかくのごとしさればかばかり
あしきしうとなりつれど終には孝婦が志に感じ
まへのひが事をくゐあらためけりその比しも国
のなりはひ見めくりける人かれが門を過けるに

しうと出てま見えて孝婦□【「か」或は「が」ヵ】孝のいみじき事どもかき
くづしかたりきこえにければその人やがて国主に申
孝婦にろくたまはせけるとそ
   論
  ちゝはゝ我を愛し給ふは誠によろこふへし
  されどわれ力を用るところなし父母われをつ
  かひ給ふに折〳〵はひが事おはしますこそわれ
  力を用る所はありけれ是もまたよろこふべし
  となんある人いへりいとよしこの婦かたくな

なるしうとにつかへてをのか力をほどこす道
えたりとよろこべるがごとし孝なるかな孝な
るかな世には人のよめとしてわづかにしうと
しうとめのいかりにあへばしばらくもえたへで
なきておとこにかこち或はをのがおやのがり行
て我にはとがなししうとしうとめのわろさよなど
口にまかせていひのゝしるもおほかるをいかなれば
此婦かくまては孝順なりしやその心のうちお
もひやればすゞろに泪ぐまれ侍る

【絵画 文字無し】

十九 小 串(ぐし)村孝女
孝女は備前の国 児島(こしま)郡小串村に住ける七郎
兵衛と云ものゝむすめ也家もとよりまづしければ
孝女もいとけなきほどより人につかへて外にあり
けるが年へて家に帰りけるに父いたく老たり
母はのちのおやなりけるがこれもやゝおとろへぬ
子ももたらずたゞ此むすめひとりのみぞ有ける
よりてしたしき辺のあひはかりむことりて父母
をやしなはしめんとしけるに孝女いなひて【辞退して】いはく

人の心しりがたしわがおとことなるものもしわが
父母によからずはくふるともかひあらめやしかし
たゞはじめよりさる人なからんにはわれ女なりと
いへどたゞふたりある親にしあればともかふも
やしなひてこそ見侍るべけれとてみづから田つくる事
に心をもちゐ身をつくしけり人みなしゐてむこのこといへ
ど終にうけひく【承け引く=承諾する】けしきもなしたへがたきわざにもよく
たへ忍ひて力のかぎりつとめけるほどに父もまゝ母も
よろづにとぼしからであけくれよろこび居けるとなん

【絵画 文字無し】

二十 宍栗(しさう)孝女
播磨(はりま)の国宍栗こほり三方(みかた)町といふ所にひとりの
女子あり紀伊(きい)と名づく母はうせぬ父はやみて
足たらずはらからもなくゆかりもなし家きは
めて貧(まづ)しければあさ夕のけふりも絶(たゆ)るばかり
なるを紀伊さま〳〵にいとなみはかりてちゝがやし
なひをばかゝざりけりその辛苦(しんく)いふもおろかなり
あるとき其となりなる人紀伊にをしへていはく
なんぢ孝にしてざえありよくくるしきにたゆ

もし人にゆきてその家をおさめば必よろこび
られぬべししからばなんぢの父をやしなふもさばかり
はくるしまじいかでさはせざるといへば紀伊こたふ
人にゆけば身をその人の心にまかす既(すで)にその人の
心にまかせて又わが父の心のごとくする事をえん
や思ひもよらずとなんいへりきく人みな感じあへ
りそのころ此郡おさめ給へりし松だいら備後(ひんご)の
太守かれが孝行を聞てふかくあはれみて
年ごとによねたまはりければ後はこゝろやすく

てぞ父をやしなひをはりにける
   論
  飲食(いんしよく)男女は人の大 欲存(よくそん)すとてのみくふ物と
  おとこ女のちぎりとは人のねかひのおほかる
  中にことにせちにいたりてをもし是さだ
  まれることはり也しかるを小串村三方町両所
  の孝女人にあふことをかくいとへるは何そや
  いとへるにはあらず親をいとおしと思へるこゝろ
  その欲にかてばなり又有がたき孝心なら

  ずや世の男女の欲(よく)にひかれてよからぬ事など
  しいだし【し始める】をのれは云にや及ぶ父母の面(おもて)をけが
  しあるひは老たる親を捨(すて)てはしりまどひ
  にげかくれてあらぬかたにさすらふるたぐひ
  もおほかりもし此ふたりの孝女よりその
  ともがらを見ばさながら畜類(ちくるい)のごとくならむ

【絵画 文字無し】

 追加
一 志村(しむら)孝子
築後の国下 妻(つま)のこほり志村といふ所の里のおさは
市右衛門となんいひけりかれ父母をやしなひて孝
なり父はひが〳〵しくあやまちおほきものにて一類【一族】
にもしたしまれすその子むまごといへど皆うとく
てありけるをたゞ市右衛門のみぞふかく愛して
よくつかへける母はちかごろやまひにいねていとあや

うかりけるが市右衛門かたはらをはなれずひるよる
いねず心のかぎりあつかひきこえてからうじて
ながらへしめたりこれにつかふるさま殊にせち
なりよろづの事たゞ母の心のことくせすといふ
ことなし母つねにたばこといふ物をこのめり市右ヱ門
よるといへともしば〳〵おきて母のふし所にいり
寒温(かんうん)をとひたばこをすゝむ日と夜もかゝず又母
外にあそびあるひは寺にまふでんといへば
ずざ【従者】ありといへどそれを用ひず市右衛門かならず

みづから負(おひ)て行かへれり市右衛門あねありやも
めにして事なし母その家にあらんことをねがふ
市右衛門さかはずはやくあねのもとにすましめ
日ごとにゆきてつかふるさまをのが家にありし
時にかはらずさればひと里の人みな感じあひ
□□【「て人」ヵ】の子のおやにつかふる市右衛門をもてのり【範】と
せずはあるべからずといへり貞享のはじめつかた
事つゐに城府にきこふ府の君有馬公ふかく
感ぜさせたまふて物おほくたふでかれが孝行

を賞し母にもたへなる薬(くすり)などあたへて病のあた
りをくすさしめ給ふ
二 対馬(つしま)太田氏
太田氏は対馬の国の士人なにかし正次かむすめなりし
がおなし国のあき人嘉瀬成元といふものゝ妻とな
れりかれ成元が家によろしくしうとめにつかへて
孝なり延宝三年の夏成元やみて死ぬ太田氏かなし
みにたへずおなし道にとおもひ入けるを人々いさめて
いひけらく成元死して老母ありこれをやしなふに

人なし身をまたくしてこれをやしなはゞ成元草の
かげながらいかばかりよろこびんと太田氏いさめに
したがひてそれよりもはらしうとめをやしなふこと
をなん事とはしける時に年二十六なり父正次かれ
が年わかく子なくしてはやくやもめなる事を
いたみてあらためて人に見せむとす太田氏うけひか
ずもししゐてのたまはゞふかき淵(ふち)にもと思ひとり
侍るといへば正次かさねていひもいてず心にまかせて
しうとめをぞやしなはせける成元死して後いつと

なく家の内まづしく成もてゆけば太田氏うみ【績み】つ
むぎ【紡ぎ】おり【織】ぬふ【縫う】わざをしてやしなひのよすがと
せり人そのみさほに感じて物をおくりて衣食(いしよく)
をたすけむとすれはいさゝかもそれをうけ
ずしていはく故なくして人のほどこしをうけは
心におゐてやすからめやわがちからわづかに
しうとめをやしなふにたれり何をもとめてか
心にこゝろよからざることをせんやと成元死して
十とせあまり露もそのかたちをかざらす髪(かみ)は

月ごとにたちてながゝらしめず成元か牌主(はいしゆ)につかへ
て猶いけるにつかふるがごとしかゝる事とも太守に
きこえけれはふかくその貞節(ていせつ)を賞してよねお
ほくたまひにけり貞享二年の秋の事とそ
三 神(かう)山孝女
すぎし寛文のころにや津の国能勢の郡神山と
いふ所に并河(なびか)道悦といふものありけりくすしをわざ
とせり心ざまもあしからさりしがさいはひなく
てつみにおち入その太郎なる子とともにひとやの

内にとらはれてあしかせなどいふ物に身をくるしめ
居けり道悦むすめあり名をは亀(かめ)となんいひて
年は十にふたつばかりぞあまれる父か此こと
をいたうなげきそのくるしみをおもひやりて
身ををくに所なげなり夏は蚊のこゑのしげくわつ
らはしきに母とはらからは帳(ちやう)はりていぬる【寝ぬる】ををの
れはひとり帳の外(と)にのみいねて父のひとや【牢獄】の内に
おはしてい【寝】をやすくもしたまふまじきをわれ家に
ありていかでゆたかにはいぬ【寝ぬ】べきといへりみ山も

さやぐ霜夜には又さよのころも【夜着】をかさねずして
かのひとやの内いかばかりさむからんにわれさむから
てやはいぬべきと思へりちかき山のふかくしげれる
方にいにしへより観音(くはんおん)の堂(だう)ありけり亀なげきのあ
まりにかの堂にまふでゝ父かわざはひにまぬかれん
ことをいのる堂は里とははるかの道をへだてゝ
けうとき【気疎き】山のおくなりけれは年たけたるおのこだ
にいと物すごくおもへりそのうへたけきけだものな
どもすみて折ふしは人をそこなふ事もあるを

亀いさゝかいとはずおそれず夜なかあかつきにも行
かよひてもしあやしきけだものにあへば我はかゝる
ねがひありて観音にまふでくるものぞけだ
物といふとも心あらは此身をそこなはてよといへ
はちかづきよるけだものもなし人みなこれを
あやしみけりさてもかのひとやの内にはつまや
子のゆくゑもしらずたゞ身のくるしきにたへかね
てのみ月日へにけるがある夜何ゆへともなくあ
しかせゆるびたるやうにてふたつの足(あし)こゝろ

のまゝなり道悦よろこびにたへずされどまもる
人の見てとがめんがうるさければつねは猶あり
しまゝに足さし入てぞ居けるそれを聞つたふ
る人はあきらかにこれ神山の観音大 慈(じ)の亀が
心をかなしませ給ひてせさせ給ふらむとぞいへる
かくて六とせばかりありて道悦ゆるされて帰り
ぬ亀よろこべることかぎりもなし父もありし
事ともおち〳〵とひ聞てなきみわらひみ【「…み…み」と重ねた形で「…したり…したり」の意を表す】よろこび
あへりそのころは亀もやう〳〵をよすげ【成長する】ねひま

さり【ねびまさり=成熟の度が際立つ】たれば父母さるべき人にも見せてさかゆ
く【ますます栄えて行く】末をまたはやといへは亀おもひもよらすとなん
云を父母あやしみてとへはわれ父のわざはひを観
音にいのり申し時父故なくは我いけるあひだ
おとこを見侍らしとちかごと【誓言】し侍りぬしかるを
たゝいま其ことはにたがへさせ給はゞわが身の
事はいふにやをよぶ父のさためもいかならむ
とおそろしたゞ此まゝに候はんこそあらまほし
う候へといふ父はゝせんかたなくておもひわづらひ

けるか亀やかてちゝ母にこひて尼となりて名を
智信(ちしん)とあらためけりその後いく程もなくて病に
おかされて年二十三にしてうせぬとなん
  右三人の孝状誠(かうしやうまこと)にあはれふかしことにその
  国〳〵の人のかたりきこえていさゝかうき
  たる事にあらねば聞(きゝ)すてかたく覚え侍
  りて筆のつゐでにかきくはへ侍る此のち
  猶このたぐひあらはたれも〳〵しるしそへ
  給へ人の善をおほはざるのみにあらず人の

  子を感激(かんけき)して孝道(かうだう)を世にひろむるのわざ
  何事か是にすくへき
仮名本朝孝子伝大尾


貞享四年丁卯五月    梓 行


明和七年庚寅三月  平安  石田氏門人藏版

【左欄外 朱書き】
明治十年丑二月 小原日仙求

【白紙】

【裏表紙】

【和綴じ本の背の写真】

【書物の天或は地の写真】

【書物の小口の写真】

【書物の天或は地の写真】

【葉の模様の中の白抜き字】
特製

【本文】
防虫薫
  非売品

此の防虫薫は書画幅及書
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り精製せしものにて毎年一度
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  大阪 山中箺篁堂

BnF.

大日本道中行程細見記大全
壺中藏_二 ̄シ天地 ̄ヲ目前縮_二 ̄ム遠境 ̄ヲ皆是 ̄シ神僊 ̄ノ之述《割書:也》
也人世誰 ̄カ淂 ̄テ䏻_レ ̄センヤ之 ̄ヲ乎故 ̄ニ予嚮(サキ) ̄ニ編_二纂 ̄シ 本朝
行程 ̄ノ之書_一 ̄ヲ登_二 ̄セ梨棗_一 ̄ニ傳_二 ̄フ四方_一 ̄ニ既 ̄ニ大 ̄ニ行_二 ̄ル于海内_一
有_二 ̄リ汗牛充棟 ̄ノ之功_一因 ̄テ重鐫新增 ̄シテ而便 ̄ハチ往來 ̄ノ
之行旅携_レ ̄フルトキハ之 ̄ヲ則莫_二 ̄ト河邉問_レ ̄ヒ津 ̄ヲ雪路放_レ ̄ス馬 ̄ヲ之
事_一云_レ爾      醉雅子識

.

【表紙 文字無し】

異国物語合巻

持ち主  越後
     □□
     □□

春もやう〳〵くれゆき。五月雨(さみだれ)の比(ころ)になり
ぬ。雨中(うちう)つれ〳〵なるに。友(とも)とする人
きたり。世中(よのなか)のよしなき事 共(ども)うらなく
かたるこそおかしけれ。おなし人間(にんげん)に貴(き)【左側に「たつとき」と傍訓】賤(せん)【左側に「いやしき」と傍訓】
賢(けん)【左側に「かしこき」と傍訓】愚(ぐ)【左側に「おろかなる」と傍訓】有。又 姿(すがた)言葉(ことば)もさま〳〵ありとかたる
或(ある)人云姿言葉の。ちがひしことは。もろこし
なるへしと云。何(なに)の国(くに)には。人のかたちかく
有などかたりけるに。かたはらいたくおもし
ろし。いかで。かの国の風俗(ふうぞく)しれるや。いつは
りならんと云。井(ゐ)の内(うちの)蛙(かはず)なるべし
三 才図絵(さいずゑ)にくわしくありと云。これを

見るに。初心(しよしん)の人。めやすからす。みるにせん
なし。あさきより。ふかきに入なれば。他(た)の
あざけりもあらんなれど。仮名(かな)になをし
つれ〳〵のなぐさみとせしなり。およそ
一百四十余ケ国有めつらしくちかひしこと
なりと云爰によそ人すなはち異国(ゐこく)物語
と名つくるのみ

異国物語上
日本国(につほんこく)則(すなはち)和国(わこく)なり。新羅国(しんらこく)の東南(たつみ)大 海(かひ)のうちに有。
山嶋(さんとう)【「嶋」の左側に「しま」と傍訓】によつてすみかとす。この国九百 余里(より)。もつは
ら武勇(ぶゆう)をこのみ。中国にしたがわず。国をおかし。
うばはんとす。此ゆへに中国是をおそれて常(つね)に
倭寇(わたい)名づく。又は神国(しんこく)と云(いひ)。天神(てんじん)七 代(だい)地神(ぢじん)五代
より。人 王(わう)の今(いま)にいたり。まつり事たゞしく。儒(しゆ)。釈(しやく)。
道(どう)。詩哥(しいか)。管弦(くわんげん)。文武(ぶんふ)。医薬(いやく)。其 道(みち)をまなび。上下 万(ばん)
民(みん)。まことをさきとし。国の制度(せいと)明(あきらか)なり。しかあれ
ば。四海(しかい)【左側に「よつのうみ」と傍記】をだやかに。諸(しよ)国【左側に「もろ〳〵のくに」と傍訓】にすぐれたり。是に
より。万国(はんこく)。日本にしたがわすといふことなし

【絵画 表題として】
大日本国

高(かう)
麗(らい)
国(こく)

いにしへは鮮卑(せんひ)
と名(な)づく。周(しう)の
武王(ぶわう)のとき。箕(き)
子(し)を其国に封(ほう)
じてより。朝鮮(てうせん)
国(こく)と名づく
中 国(ごく)の礼(れい)楽(がく)詩(し)書(しよ)医薬(いやく)うらかた【占形】にいたるまでみな
此国につたはりて官制(くわんせい)こと〴〵くあきらかなり。
国の制度(せいたく)皆(みな)儒道(じゆどう)之 風(ふう)にしたがひて。又 悪殺(あくさつ)【さつ】のい
ましめなし。人みな君化(くんくわ)にかなひて。四夷(ゐ)の中に
ひとり高麗(かうらい)をすぐれたりとす。たゞ礼義(れいぎ)のおこな

はるゝかたち。中国にたがふ事有。其(その)国に。良馬(りやうば)白石(はくせき)
なし。ともし火(ひ)に黒麻(こくま)をもちひ。布(ぬの)をもてあきな
ふ。国のかたち東西(とうざい)二千 里(り)南北(なんぼく)一千五百里なり。
都(みやこ)は開州(かいしう)にあり。名づけて開城府(かいぜひふ)と云。北京(ほつきん)の
城(みやこ)にいたる事其道三千五百里なり


扶(ふ)
桑(さう)
国(こく)

此国は大 漢(かん)国の
東に有。板屋(いたや)を
つくりてすみか
とす。さらに城郭(じやうくはく)
なし。武帝(ぶてい)の時
罽賓(けいひん)の人その

国にいたりてみるに。国人 常(つね)に鹿(ろく)【左に「しかの事也」と傍記】をかふて牛(うし)の
ごとくにつかふ。又其 乳(にう)【左に「ちの事」と傍記】を取 ̄ル をもつてわざとすと也
大(たい)
流(りう)
球(きう)

此国 建安(けんあん)より水を
行事五百里也
其国に玉石(ぎょくせき)【左に「たまいし」と傍記】お
ほし。中国の制(せい)
度(たく)にしたがひて
朝覲(てうごん)みつぎもの
をたてまつる。みな時にかゝはらず。王子(わうじ)およひ
陪臣(ばいしん)の子は。みな大 学(かく)に入て書をよむ。礼義(れいぎ)
はなはだあつし

小(せう)
琉(りう)
球(きう)
国(こく)

其国 東南海(とうなんかい)にち
かし。地(ち)より玻瓈(はり)
名香(めいかう)其外(そのほか)もろ〳〵
のたからを生(しやう)ず



女(ぢよ)
真(しん)
国(こく)

其国 契丹(けいたん)国の
東北(うしとら)【「ひがしきた也」と左側に傍訓】の方(かた)長白(ちやうはく)山
のもとに有。鴨(かう)
緑水(りよくすい)のみなも
と。古粛慎(こせうしん)の地
なり。其さき完(くわん)

顔氏(がんし)と云(いふ)もの有。つみをのがれて。此国にかくれたり。其
地(ち)に金(こかね)【「きん」と左側に傍訓】おほし。此ゆへに。国の名(な)として。金(きん)国と云。阿(あ)国と
云人より。みづから帝王(ていわう)と号(がう)す。国人 鹿皮(ろくひ)【「しかかわ」と左側に傍訓】魚皮(きよひ)【「うを」と左側に傍訓】を
衣(ころも)としたり又 野人(やしん)皆(みな)利刀(りたう)を帯(たひ)し。死(し)をかろくして
命(いのち)をしまず。男子(なんし)皆(みな)其 面(おもて)に黥(すみ)入たり


暹(せん)
等(ら)


其国 濱海(ひんかい)【「はまうみ」と左側に傍訓】に有
男子はかならず其
陽(やう)をさく。宝物(たからもの)
をたくはへて。ふうきを。へつら
ふ。しからざれば

女家(ちよけ)これに妻(つま)あわさず。此国に□(□□□)おほし


匈(けう)
奴(と)
韃(たつ)
靼(たん)

此国人 五 種(しゆ)有
一 種(しゆ)は身の毛(け)黄(き)【「きイろ」と左側に傍訓】
なり是山 鬼(き)と
黄特牛(あめうし)との生
ずる所也一 種(しゆ)は
くびみじかくおほ
きなるもの有。すなはち獲狡(くわくかう)と野猪(やちよ)との生(しやう)する所(ところ)
なり。一種は髪(かみ)くろく身の色(いろ)白(しろき)は則(すなはち)是。唐(もろこし)の
李請(りせい)か兵(つはもの)の末孫(ばつそん)【「すえまご」と左側に傍訓】也一種は突獗(とつけつ)なり。其さ支(き)は
則(すなはち)射摩舎利海神(しやましやりかいしん)のむすめと金角(きんかく)の白鹿(はくろく)【「しゝ」と左側に傍訓】と

ましはり感(かん)じて生(しやう)ず此国の主(しゆ)【「ぬし」と左側に傍訓】として民(たみ)みな
したがふ白鹿(はくろく)の生ずる廿五 世(せ)を貼木真(てうほくしん)と名づく
是大 蒙古(もうご)と云(いふ)。ひそかに帝王(ていわう)と称(せう)す。是より
四 世(せ)の孫(そん)【「まこ」と左側に傍訓】忽必烈(こつひつれつ)【「れツ」と左側に傍訓】すでに。中国の天子(てんし)となれり
国人つねに猲(かつ)をこのみて。羊馬野鹿(やうはやろく)【「ひつしむま しか」と左側に傍訓】の皮(かわ)を
衣(ころも)とす

巴(は)
赤(せき)
国(こく)

此国人
つねに林(はやし)木(き)のうち
に住(すまい)して。田をつ
くる。又馬をいだし
あきなふ。応天府(おうてんふ)
よりゆく事一年
にして此国に
     いたる

黒(こく)
契(けい)
丹(たん)
国(こく)

此国ゆたかにして
城池(しやうち)有 家(いへ)あまた
つくりならべ。人 煙(ゑん)【「けむり」と左側に傍訓】
たえず。金国(きんごく)の人
此国にいたり行。応
天府よりゆく事一年
にしていたる


土(と)
麻(ま)
国(こく)

此国ゆたかに家作(いへつくり)
して人煙たへず
国の風俗また
韃靼(たつたん)国に似(に)たり
応天府より行事
七ヶ月にしていたる

阿(あ)
里(り)
車(しや)
廬(ろ)

其国 皆(みな)山林(さんりん)【「はやし」と左側に傍訓】に
よりて城(しやう)をかま
へ家(いへ)を作(つくり)又 田(た)有
応天府より行
事一年に
していたる


女(ちよ)
暮(ほ)
楽(ら)
国(こく)

其国 城池(しやうち)人 煙(ゑん)
おほし。人 皆(みな)鹿(ろく)
皮(ひ)を衣(ころも)として
牛羊(うしひつし)をやし
なふ国のならひ
人皆ゆたか也 韃靼(たつたん)
国の人と通(つう)して
あきなふ

烏(う)
衣(ゑ)


其人 常(つね)に烏(くろき)
衣(ころも)を着(き)たりか
しらに大被(おおひれ)を
かづくそのながさ
膝(ひさ)をかくし腕(うて)
をかくす漢人(かんひと)
をみるときは則(すなはち)そむき行て其かほをみせし
めず。もししゐてそのかほをみるときは則(すはなち)是
をころす。いわく。わがおもては人に見せしめす
と。則(すなはち)又 草(くさ)をもつて其(その)死(し)人におほふ。物をあき
なふに又かけ物をもつてせり。もし。そのあたひ

すくなき時(とき)は。又も人をころす


老(らう)
過(くわ)
国(こく)

此国
安南(あんなん)国の西北(いぬい)の
かたに有いにしへ
越裳(ゑつしやう)国の人其
性(しやう)狼戻(らうらい)にして
たゞ人とまじ
はらずひそか
に弓(ゆみ)を引(ひき)て是を射(ゐ)ころす。もし又 他国(たこく)の人
をとらへては。足のうらをすりて。其 皮(かわ)をはぐ。此
ゆへに行事あたはず。其国より象牙(ざうげ)金銀(きんぎん)をい
だす。をよそ食(しよく)物は口(くち)よりくらひ水酒(みつさけ)は鼻(はな)よりのむ

虼(きつ)
魯(ろ)


此国 木魯(ほくろ)国と
おなし風俗(ふうぞく)也
応天府(おほふてんふ)より行(ゆく)
事七ヶ月にして
いたる


乞(きつ)
黒(こく)
国(こく)

其国 城池(しやうち)なし
羊(ひつし)と馬(むま)とをい
だしあきなふ
国の風俗(ふうぞく)韃靼(たつたん)
国におなし応天
府より行事
七ヶ月にしていたる

占(せん)
城(しやう)
国(こく)

其国みな林(はやし)の内(うち)
をすみかとす
安南国(あんなんこく)より見(み)
つきものをたて
まつる広州(くわうしう)より
舩(ふね)をいだし順(じゆん)
風(ふう)八日にしていたる。国の内(うち)名香(めいこう)犀象(さいざう)をいだす。又
田をたがやしてくらふ海浜(かいひん)【「うみはま」と左側に傍訓】に鰐(わに)の魚(いを)あり。も
し国人とがのうたがわしき時(とき)は鰐(わに)に。あ
ふたるに。とがなきものはくらはずと
いふ

深(しん)
烈(れつ)
大(たい)
国(こく)

其国人 韃靼(たつたん)国と
風俗(ふうぞく)をおなじく
せり。応天府(おうてんふ)
より行(ゆく)事六ヶ
月にしていたる


波(は)
利(り)
国(こく)

其国 林木(はやしき)おほし
田をうへて。なり
はひとす。城池(しやうち)
なし。家(いへ)おほく
作(つくり)ならべたり。韃(たつ)
靼(たん)国に通(つう)ず。応
天府より行事一年
にしていたる

鉄(てつ)
東(とう)
国(こく)

其国よりよく逸(いち)【「はしる」と左側に傍訓】
物(もつ)【「むま也」と左側に傍訓】の馬(むま)をいだす
応天府(おうてんふ)より行(ゆく)
事二ヶ月にして
いたる


訛(くわ)
魯(ろ)
国(こく)

其国人まなこふ
かくおちいりて
かしらのかみ黄(き)【「きはだ」と左側に傍訓】
なり木(き)をかさね
たてゝ家(いへ)とせ
り。応天府より行
事一年半に
していたる

木(ほく)
思(し)
奚(けい)
徳(とく)

此国の風俗(ふうしよく)【ママ】又 韃(たつ)
靼(たん)におなじ。応
天府より行事
七ヶ月にして
いたる


方(ほう)
連(れん)
魯(ろ)
蛮(はん)

其国人ものいふ
ことばあきらめが
たし。田をつくり
て。なりはひとす
馿馬(ろば)をいだしあ
きなふ。応天府
より行こと一年
にしていたる

昏(こん)
吾(こ)
散(さん)
僧(そう)

其国 山林(やまはやし)おほし
人みな田を作(つくり)
て食(しよく)をたくはふ
応天府より行事
九ヶ月にしていたる


大(たい)
漢(かん)
国(こく)

此国に兵戈(ひやうくわ)なし
又 合戦(かせん)する事
なし紋身国(もんしんこく)
と通(つう)じて。物をあ
きなふ。たゞ其
言葉(ことば)ひとつ
ならずと也

爪(さう)
哇(あ)
国(こく)

東南海(とうなんかい)の嶋(しま)の
うちに有 則(すなはち)是
いにしへ闍婆城(しやばじやう)と
名(な)づくる所(ところ)なり
泉州路(せんしうろ)より舩(ふね)
を出(いだ)して一月
にしていたるべし。其国 冬夏(ふゆなつ)のへだてなく。常(つね)に
あつくして霜雪(しもゆき)なし。其 地(ち)より胡椒(こせう)蘇方(すはう)をいだす
武勇(ぶよう)をもつて賞(しやう)にあづかる。飲食(いんしゐ)【「のみくひ」と左側に傍訓】は木葉(このは)にもりて
くらふ。およそ。あらゆる虫(むし)のたぐひみな是を煮(に)て
食(しよく)す男(おとこ)死(し)する時(とき)は其 妻(つま)十日を過(すご)して又人めとる

擺(ひ)
里(り)
荒(くわう)
国(こく)

其国 北海(きたうみ)にち
かし風俗(ふうぞく)また
韃靼(たつたん)国におなじ
応天府より行事
六ヶ月にしていたる


後(こう)
眼(がん)
国(こく)

其国人うしろの
かたうなじに一
目(もく)有。国(くに)のあり
さま。韃靼(たつたん)国にお
なじ。むかし良(りやう)
河(か)の人。此国に
行(ゆき)てたちまちに
此人をみて大におそ
れたり

大(たい)
羅(ら)
国(こく)

此国の風俗(ふうぞく)また
韃靼(たつたん)国におなじ
応天府より行事
四ヶ月にしていたる


不(ふ)
刺(し)
国(こく)

此国 西蕃(せいばん)にかゝ
れり常(つね)に馬(むま)
羊(ひつし)をやしなひ
て是をあきな
ふ応天府(おうてんふ)より
行(ゆく)事一年八ヶ
月にしていたる

三(さん)
仏(ぶつ)
斎(せい)
国(こく)

此国 南海(なんかい)【「みなみうみ」と左側に傍訓】のうち
にあり広州(くわうしう)より
舟をいたして南
北の風十五日に
していたるへし
惣門(さうもん)より入(いり)て五
日にして其国
中にゆく木(き)をもつて柵垣(ませがき)を作りて城(しろ)とす国
人よく水(みつ)にうかぶ。其人みな薬(くすり)を服(ぶく)するさらに
矢(や)もたゝず。かたなもやぶらず。此ゆへに諸国(しよこく)に覇(は)
たり。其国の地に穴(あな)あり牛(うし)数万(すまん)わき出(いつ)る人是
を取て食(しよく)とす。後の人其 穴(あな)に垣(かき)をゆふより又うし

わきいでずといふ


近(きん)
仏(ひつ)
国(こく)

此国東南海のほ
とも【「り」の誤記ヵ】に有。此国
野嶋(のしま)の蛮賊(ばんぞく)
おほし麻羅奴(もらと)と
名(な)つく商人(あきんど)の
舟(ふね)其国にいたり
ぬれば。国人むら
がりあつまりて。是をとりこにし。大なる竹(たけ)をも
つつ【「つ」の重複ヵ】てさしはさみて。やきころしくらふ。人のかし
らを食物(しよくもつ)のうつはものとす。父母(ちちはは)死(し)する時(とき)は。一 類(るひ)
あつまりて。鼓(つゝみ)をうち。ともに其(その)肉(にく)をくらふ。是

非(ひ)【「あらす」と左側に傍訓】人(にん)の類なり



闍(しや)
婆(ば)
国(こく)

莆家龍(ほけれう)国の
ほとりに有。中
国より順風(じゆんふう)八
日にしていたるべし
むかし雷(いかづち)此国ニ
おちて。大石(たいせき)【「いし」と左側に傍訓】さけ
くだけ。其 石(いし)のうちより。一人 出生(しゆつしやう)せる。是を立(たて)て。
国の大 王(わう)とす。此国より生(しやう)ずるもの。青塩(せいえん)【「あおきしほ」と左側に傍訓】および
綿(わた)あふむ鳥(てう)【「とり」と左側に傍訓】其(その)外(ほか)。たからの玉(たま)あり。又其国に
飛頭(ひとう)の人あり《割書:樚䡎首(ろくろくび)と|いふものなり》其 民(たみ)是を名づけて

虫落民(ちうらくみん)といふ



婆(は)
羅(ら)
国(こく)

此国 男女(なんによ)ともに
かたなをおびて
道をゆく。又人と
ちなみ。したし
まず。人をころし
て。他国(たこく)にはしり
廿日をすぐれば。其とがをかうふらず。他国(たこく)の人其
妻(つま)をぬすむ事あれば。わが妻(つま)かたちすぐ
れて。人のために愛(あい)せらるゝと云(いひ)て。其おとこ
をころし。其女をむかへて。是をやしなふ。た

がふことあれば。皆(みな)ころすをもつて国風(こくふう)とす


沙(しや)
弼(ひつ)
荼(だ)

此国むかしより
このかた人のいたる
事なし。たゞ
聖(せい)人 徂葛尼(そかつけい)
と云人のみ。此国
にわたりて。文
字(じ)ををしへらる。其国は。西荒(せいくわう)のきわまりにして
日輪(にちりん)西(にし)に入(いる)時(とき)日(ひ)のめぐるこゑ。いかづちのひびくがご
とし。国王(こくわう)つねに城(しろ)の上(うへ)に数(す)千人をあつめて。角(かく)
をふき。かねをならし。太鼓(たいこ)をうちて。日(ひ)のめぐる

こゑにまぎらかす。しからざれば。小児(せうに)婦人(ふじん)
みな。おそれて。死(し)【「しぬる」と左側に傍訓】すとなり


斯(し)
伽(きや)
里(り)
野(や)
国(こく)

芦眉(ろひ)国にちかし。
山の上に穴(あな)あり。
四季(しき)のうち。火の
もえいづる事
常(つね)也。国人大 石(せき)
を其 穴(あな)にとり
ふさぐ事 数(す)千 斤(きん)。又 穴(あな)の内(うち)になげいるゝに。し
ばらくのうちに。みな。やけくだく。五年に一たひ
づゝ。火もえあがりて。家(いへ)も林(はやし)も石も。ともに火に

やかれ。人みな死(し)すと云


崑(こん)
崙(ろん)
層(そう)
期(き)

此 国(くに)西南海(せいなんかい)のほ
とりにあり。此
嶋(しま)の上に大 鵬(ほう)と
云(いふ)鳥(とり)有。此 鳥(とり)の
とぶ時(とき)は両(りやう)の
つばさ九 万里(まんり)也
よく駱駝(らくだ)の馬をくらふむかし人其鳥の羽(は)を。ひ
ろふて。其 茎(くき)をもつて。水桶(みつおけ)につくるよし。又野人
有。身くろき事うるしのごとし。他国(たこく)の商(あきん)
人(ど)のために奴(やつこ)となりてあきなふ

采(さい)
牙(け)
金(きん)
彪(ひう)

この国 西蕃(せいはん)の
木波(ほくは)国にちかし
応天府(おうてんふ)より行
事五ヶ月にし
ていたる

獦(らつ)【ママ】
獠(りやう)


𨋽軻(しやうか)に有。其国
人 婦人(ふじん)みなは
らむこと七月
にして子を生(しよう)
ず。国人 死(し)する
時(とき)は竪棺(しゆくわん)【縦棺】にし
て是をうづむ




瓠(こ)
犬(けん)


此国むかし帝(てい)誉(??)
高辛氏(かうしんし)のとき。
宮中(きうちう)に老女(らうぢよ)有
耳(みゝ)のうちより
蚕(かいご)のまゆのごとく
なるものを生(しやう)ず。
瓠(ふくへ)に入てをくに化(け)して犬(いぬ)となる。其 色(いろ)五 色(しき)【「いろ」と左側に傍訓】也
名づけて瓠犬(こけん)と云時(いふとき)に呉将軍(こしやうくん)むほんをおこす。
瓠犬(こけん)ひそかに。呉将(こしやう)が首(くび)をくわへてかへる。帝(みかど)よ
ろこひて。宮女(きうちよ)を給(たま)ふ。犬(いぬ)女(をんな)をつれて。南山(なんさん)に入。
三年のうちに男子(なんし)十二人を。うむ。みな是人也

みかど長 沙(さ)の武陵蛮(ふれうばん)の主(ぬし)とせり。其子。わが父(ちゝ)
の犬(いぬ)なることをはぢて。ひそかにはかつて。是
をころせり。今 瓠犬(こけん)の国そのすゑなり


紅(かう)
夷(ゐ)
国(こく)

此国 安南(あんなん)のみなみ
のかたに有。其国
人 衣(ころも)をつくる事
なし。綿(わた)をもつ
て身にまとへり。
くれなゐのきぬを
かしらにまとへり。其かたち回々国(くわい〳〵こく)の人のごとし。国に
塩(しほ)なし。交趾(かうち)の人 塩(しほ)をもつて。此国にあきなふ也

天(てん)
竺(ちく)
国(こく)

此国大 秦(しん)にちかし
良馬(りやうは)おほし。国
人 皆(みな)両鬂(りやうひん)【「鬂」は「鬢」の俗字】を。た
れくだし。綿(わた)を
もつてかしらを
つゝみ。きぬをも
つて。したうずとせり。国のうちに泉(いづみ)あり。商人(あきんと)
瑠璃(るり)の瓶(へい)に。此 水(みつ)をいれて。ふねのうちにたくは
ゑ。もし風あらく。なみたかきとき。この水を
海(うみ)にそそぐに。風波(ふうは)【「かせなみ」と左側に傍訓】立(たち)どころにとどまるなり

交(かう)
脛(けい)


此国人 両(りやう)のあし
もぢれ。まはれり。
そのはしる事
風のごとしとなり


阿(あ)
黒(こく)
驕(きやう)


此国人 家(いへ)おほし。林(はやし)
木(き)のあひだにあり
国人 鹿皮(しかのかわ)を衣(ころも)とし
馬に乗(のり)て弓(ゆみ)を引(ひく)
たはふれに。人を射(いる)。
死(し)する時(とき)には。その
せなかをうつにす
なはちよみがへる
となり

蘇(そ)
門(もん)
答(とう)
刺(し)

此国田。かたふして
五 穀(こく)すくなし
中にも位(くらゐ)たかき
人。物をおさめ長(ちやう)【「つかさどる」と左側に傍訓】
ずる也。国人一日の
間(あひた)に身の色(いろ)かならず。三度(みたび)かわる。其色 或(あるひ)は黒(くろく)。或は黄(き)。
あるひは赤(あかし)。としごとに。かならず十 余(よ)人をころして。
其 血(ち)を取りて。あぶるときは。その年 病(やまひ)をしやうぜす。
これにより。民(たみ)皆おそれて都(みやこ)につきしたがふ。しか
ればすこし死(し)のなんをのがるとなり

火(くわ)
州(しう)

此国 城(しろ)も田(た)もおほくあり。男子は腰(こし)にばかり衣(ころも)をき
て。長(たけ)高(たかく)かみをくみて。首(くび)にたれ。婦(ふ)人はぼうしを
いたゞいて。居(ゐ)るなり。きわめて。楽(がく)をすく也。琵琶(ひわ)
ふえをもち。あそぶ也男子は。馬にのり弓を射(ゐ)て
たわふれとする也

交(かう)
趾(ち)
国(こく)

交趾(こうち)国。又は安南(あんなん)
と名づく。其国
もとこれ。漢(かん)の
馬援(ばゑん)か兵(へい)の子孫(しそん)【「すへまこ」と左側に傍訓】
なり。国人おや子
一 所(しよ)に住(ぢう)せず。妻(つま)
をむかふに。媒(なかだち)をもちひず。男子(なんし)は盗賊(とうぞく)【「ぬすみ」と左側に傍訓】をわざとす。
女子(によし)は。はなはだ。淫乱(いんらん)なり。古城(こせい)の王(わう)。其 少子(せうし)をつ
かはして。中国の妻(つま)をよみ。道(みち)をおこなふ。国人是に
そむく。漢の中国これをおさむ交州(かうしう)の刺史(しし)を
たつ。後漢(ごかん)のとき。又そむく馬援(ばゑん)これをしつむ

五 代(だい)のすゑにあたつて。節度使(せつとし)呉昌(こしやう)文 初(はじ)めて。ひ
そかに。王(わう)の号(な)をたつる。其後(そのゝち)皆(みな)王の名を称(せう)す
欽(きん)より西南(ひつじさる)のかた。舟をもつてわた□【「る」ヵ】事一日に
していたるへし


黒(こく)
蒙(もう)
国(こく)

此国 城池(しやうち)有(あり)。家(いへ)
づくりあり。国
人田をつくり
てなりはひとす
天気(てんき)常(つね)に熱(ねつ)
して人の身 焼(やく)
がごとく也人 皆(みな)五
色(しき)のにしきをはかまとせり。応天府より行(ゆく)事

一年にしていたるなり


婆(は)
登(とう)
国(こく)

林邑(りんいう)の東(ひかし)に有
西(にし)の方(かた)迷蒭(めいすう)国
にちかく。南の方
阿陵(あれう)国にかゝれ
り。稲(いね)を。うゆる
月ごとに。一たひじ
ゆくす。文字(もんじ)あり。貝葉(はいえう)にかく。もし。死(し)すれば。金銀(きんぎん)
をもつて。四 肢(し)をつらぬきて。後(のち)に婆律膏(はりつかう)。およ
び。沈檀(ちんたん)龍脳(りうなう)をくわへて。薪木(たきゞ)をつみて。これを
火葬(くわぞう)すとなり

無(ぶ)
腹(ふく)


此国 海(うみ)の東南(とうなん)に
あり。国人 男女(なんによ)
ともに。みな腹(はら)
なし


聶(しよう)
耳(じ)


此国無 腹(ふく)国の東(ひがし)に有
国人 身(み)はとらの紋
ありて。耳(みゝ)ながき
事ひざをすぎたり
ゆくときは。その
耳(みゝ)をさゝげて
ゆくといふなり


身(しん)


此国 鑿歯(せんし)【資料の字は「鑿」の異体字と思われる】国の
東(ひかし)にあり其人
かしらひとつにして
身はみつあり


蜒(たん)【字面からは「蜓(てい)」に見える】

蛮(ばん)
国(こく)

此国人 船(ふね)をもつて
家(いへ)とす。きわめて
まづし。冬(ふゆ)にいたる
にも。身に一 衣(ゑ)なし。
魚(うを)を取(とり)て。食(しよく)とす
妻子(さいし)共(とも)に舟(ふね)に
のり。ゆくさきに
とゞまるなり。

木(もく)
蘭(らん)
皮(ひ)
国(こく)

此国大 食(しよく)国の西(にし)
に大 海(かい)有。海(うみ)の
西(にし)に国(くに)有。其 数(かず)
かぎりなし。其中
に木蘭皮国(もくらんひこく)ま
では人みな。いた
るべし。むかし陀盤(たはん)の地(ち)より舩(ふね)をいだして西(にし)に行(ゆく)事
百日にして。一ツの小(せう)舩(せん)【「ふね」と左側に傍訓】をみる。舟(ふね)のうちに。数(す)百人のりて
酒(さけ)さかな。もろ〳〵のうつはもの有。其国の生(しやう)する
所(ところ)。麦(むぎ)一 粒(りう)のたけ三寸。瓜(うり)の大さめぐり四五尺也
柘榴(しやくろ)一 顆(くわ)。おもさ五 斤(きん)。桃(もゝ)は二斤。菜(な)のたけ三四

尺(しやく)井(ゐ)をほる事。深さ百 丈(ちやう)にして水あり。羊(ひつし)のた
かさ三四尺 春(はる)は腹(はら)をさきて。あぶらをとる事
数(す)【「かず」と左側に傍訓】十 斤(きん)二(ふた)たび其(その)疵(きず)をぬふて。よく又よみがへら
しむ。これぬふ所(ところ)の糸(いと)にくすりをぬると云


賓(ひん)
童(とう)
龍(りう)

此国もと占城(せんじやう)国
の貴(き)人。国のあるじと
なれり。道(みち)ゆく
時は象(ざう)にのり
馬(むま)にのる。つきし
たがふもの。数(す)百
人 皆(みな)手(て)ごとに盾(たて)をもてり。あかき。かさをさす。其

従者(じうしや)木(こ)の葉(は)に食(しよく)をもり。椰子酒(やししゆ)と米(べい)酒とをもつ
て。みち〳〵たてまつる。ある人のいわく。仏書(ぶつしよ)に
いへる。王舎城(わうしやじやう)は。すなはち。この地(ち)なり。今(いま)。目連(もくれん)
舎利弗(しやりほつ)の塚(つか)ありと云


骨(こつ)
利(り)
国(こく)

此国 回鶻(くわいこつ)の北(きた)大 海(かい)
のほとりに有。名(めい)
馬(ば)をいだしあき
なふ。其国。昼(ひる)な
がく。夜は。みじ
かし。日くれての
ち。天(てん)の色(いろ)くろし。
羊(ひつじ)を煮(に)て。□(じやく)
するとき。夜あけて。日いづると云

頓(とん)
遜(そん)


此国むかし梁(りやう)の
武帝(ふてい)のとき。み
つぎものをたて
まつる。其国 海(かい)【「うみ」と左側に傍訓】
嶋(とう)【「しま」と左側に傍訓】の上(うへ)にあり。其
国人。まさに。死(し)
すれば。親族(しんぞく)こと〴〵く。歌舞(かぶ)【「うたひまふ」と左側に傍訓】して。野(の)にをくる。又【右側に小字で挿入】 鳥(とり)有。
其かたち。あひるのごとし。数(す)万とひきたる。親族(しんそく)
みなかたはらに立(たち)よる。其 鳥(とり)。死(し)人の肉(にく)を。食(しよく)し
つくす。すなはち。其ほねを火葬(くわそう)にしてかへる。こ
れを鳥葬(てうさう)と名づくなり

狗(こう)
骨(こつ)


此国人 皆(みな)人の身(み)
にして。犬(いぬ)のかしら
なり。身になが
き毛(け)ありて。又 衣(ころも)
を着(き)ず。ものいふ
こと葉(ば)。犬(いぬ)のほゆ
るがごとし。其つまは。皆(みな)人にして。よく。漢語(かんご)に通(つう)ず。
貇鼡皮(りつすのかわ)【振り仮名は「りつす」で「りす(栗鼠)」のことと思われるが、上の字「貇」に迷います。】を衣(ころも)とし。犬人と夫婦(ふうふ)として。穴(あな)にすめ
り。むかし中国の人。其国にいたる。犬人の妻(つま)。其人
をにげかへらしむ。犬人これををふとき。帯(おび)十
余(よ)筋(すし)をおとす。犬人是をくわへて。穴(あな)にかへり此内に

のがれかくりぬと云。応天府より行事二年二月にいたる


長(ちやう)
人(じん)
国(こく)

此国の人たけ
三四 丈(じやう)なり。むかし
明州(みやうじう)の商人(あきんと)海(うみ)
をわたる時(とき)。雰(きり)ふ
かく風あらくして
舟のむかふかたを
わきまへず。やう〳〵雰(きり)はれ。風やみてのち。ひとつの
嶋(しま)につく。ふねよりあがりて。薪木(たきゞ)をとらんとす
るに。たちまちに。ひとりの長(ちやう)【「なが」と左側に傍訓】人をみる。其 行(ゆく)
こと。飛(とふ)がごとし。あき人おどろき。おそれて。にげ

まとひ。ふねにかへる。長人この人をおふて。海(うみ)にか
けいる。舩(ふな)人 強弩(ぎやうと)の大弓をはなつにのがるゝ事
をえたり


蒲(ほ)
□(かん)


犬理(けんり)国より五 程(てい)
にして。其国に
いたる。黒水(こくすい)と
淤泥河(おでいが)とを。へだ
てゝ。しかも難所(なんじよ)
なるをもつて。西(せい)
蕃(はん)の。諸国 通路(つうろ)
なし。其国の王(わう)は金銀の冠(かふり)をいたゝき金銀をもつて
家(いへ)をかざりちりばめ錫(からかね)をもつて瓦(かはら)をつくり
てふくといふなり

婆(は)
羅(ら)
遮(しや)

此国 男女(なんによ)ともに
いぬのかしらをいた
だき。猿(さる)のおもて
をかけ。日夜(にちや)まひ
あそぶなり


五(ご)
渓(けい)


此国人 父母(ちちはは)死(し)する
時は鼓(つゞみ)をうち歌(うた)
をうたひ親属(しんぞく)酒(しゆ)
ゑんして舞(まひ)あそぶ
山にほぶり【文意からは「葬る」=「はぶる」とあるところ。「ほぶる」は屠る意】て其子
三年の内(うち)塩(しほ)を
くらはず

哈(かふ)
密(みつ)


此国 西蕃(せいはん)のうちに
有。火州(くわしう)の東なり
国の風俗(ふうぞく)は 回々(くわい〳〵)国
と韃靼(たつたん)国に同じ


撒(さん)
馬(は)
兒(げい)
罕(かん)

此国 哈刺国(かふしこく)の東に
有。もと是 西蕃(せいはん)
の内なり。山川(さんか)【「やまかは」と左側に傍訓】の景(けい)
物(ふつ)すこぶる中国に
同じ。あきなふ物
は皆(みな)国中の銭(ぜに)
をもちゆとなり

孝(かう)
臆(い)


此国のめぐり三千
余里(より)平沙(へいさ)のうち
にすめり。木を
もつて柵垣(ませがき)を
つくる。柵(ませ)のうち
めぐり十 余(よ)里。其
内に人家(じんか)二千 余(よ)あり。気候(きこう)常(つね)にあたゝかにして。草
木。冬もしぼまず。国人 皆(みな)長(たけ)ながく。大鼻(ひ)【「はな」と左側に傍訓】にして。ま
なこあをく。かみ黄(き)なり。其おもて血(ち)のごとく。つねに
かみをゆふことなし。五こくゆたかに金鉄(きんてつ)【「こかねくろかね」と左側に傍訓】おほく
麻布(あさぬの)を衣(ころも)とす。商(しやう)敗(■■)のあきなひものなし。道

ゆくときは。男女(なんによ)ともに。其おやをつるく【「ゝ」ヵ】。孝道(かうだう)の
国なり。馬羊(うまひつじ)をやしなふをわざとせり


繳(けき)
□(□)


此国 永昌郡(ゑいしやうくん)の南
の方一千五百里
にあり。国人みな
尾(お)あり。座(ざ)せんと
する時は。先(まづ)地(ち)を
ほりて穴(あな)をつくり
其 尾(お)。おきて。のちにざす。もしあやまりて。其 尾(お)
をうちおるときは。すなはち死(し)すとなり

的(てき)
刺(し)
普(ふ)
刺(し)

此国 皆(みな)城池(しやうち)家井(いへい)
あり。田をつくる。
又 明珠(めいしゆ)をいだす
其 玉(たま)ひかりあり。
又もろ〳〵の宝石(ほうせき)【「たからいし」と左に傍記】
おほし。応天府
よりゆく事二年一
ヶ月にしていたる



首(しゆ)
国(こく)
此国むかし夏(か)
侯(こう)の時に有。一身
にしてみつのかし
らあり

真(しん)
臘(らう)
国(こく)

此国 広州(くわうしう)より舩(ふね)
をいだして。北風(きたかせ)
十日にして。此国に
いたるべし天気(てんき)
さらにさむき事
なし。妻(つま)をめど
るには。男(おとこ)まづ。女の家(いへ)にゆくとなり。国人もし女子(むすめ)を
生(しやう)ずれば。九 才(さい)のときに僧(そう)を。よびて経(けふ)をよまし
め。其女子の身より。血(ち)をいだし。其ひたいに黥(すみ)
す。しからざれば。国人めどらず。もし人の妻(つま)。他(た)人
と通(つう)ずれば其男 大(おほき)によろこびていわく。我妻(わがつま)

かたちうつくし。此ゆへに人のために愛(あひ)せらると
て。さらにとがむることなし。もし盗(ぬす)人あれば。其 手(て)
足(あし)をきる。火印(くわゐん)をもつて。其かほにしるしをつくる
と也。国人のとがををかせば。金(きん)をいだしてあかなふ。
金(こがね)なければ身をうるとなり


道(とう)
明(めい)
国(こく)

此国の人。身に衣(ころも)を
着(ちやく)せず。もし人の
衣を着(ちやく)せるをみて
は則(すなはち)是をわらふ。
国に塩(しほ)と。くろがね
なし。竹をもつて
弓矢(ゆみや)につくり。鳥(とり)
を射(ゐ)て食(しよく)とす


蕃(はん)


此国山をたがへし
田をつくる駝牛(だぎう)【「うし」と左側に傍訓】
をいだしてあきなふ
なり


猴(こう)
孫(そん)


此国一には抹利刺(まりし)
国と云(いふ)若(もし)他国(たこく)
より。此国をとらんと
すれば。数(す)万の猿(さる)
ありてふせぎ
かへす。応天府より
行(ゆく)事三年に
していたるとなり

勿(ふつ)
斯(し)
里(り)
国(こく)

此国 白達(はくだつ)国に属(そく)
す国人七八十 歳(さい)
まで。雨(あめ)をみざる
ものあり。大なる
江(え)ありて。其みな
もとをしらず。大
水(みつ) 田(た)をひたす。
水のうちより神人いでゝ石(いし)の上に座(ざ)す。国人是を
礼(れい)して。年の吉凶(きつけう)【「よしうれへ」と左側に傍訓】をとふに。
神人わらふ時は吉也
うれへ有時は。わざはひ有。国人山の上に廟(べう)を
たてゝ是をまつる。廟(へう)の上に大 鏡(かゝみ)あり。他(た)国より
其国にわざはひせんとするときは。かゞみにうつ

りてまづみゆと云なり


馬(ば)
香(こう)
国(こく)

此国の風俗(ふうそく)正月
元日二日八日は婆(は)
摩遮(ましや)のまつり
三月十五日は遊(ゆう)
林(りん)のまつり五月
五日は弥勒(みろく)下生(げしやう)
の日七月七日は先祖(せんぞ)のまつり十月十日には国 王(わう)
より首領(しゆりやう)の臣(しん)をいだし。両部(りやうぶ)の兵をわかち。甲胄(かつちう)を
きせて。石をうち杖(つえ)をもつてたゝかふ《割書:今いふ印地(いんち)|なるへし》
たがひに死(し)するをまちてとゞむとなり

瑞(ずい)
国(こく)

此国人ひつじを
やしなひ。田をつ
くる人家(じんか)おほし


亀(きう)
茲(じ)
国(こく)

此国 牛馬(きうは)のたゝ
かふをもつてた
はふれとし。七日
のうちにせうぶ
を見て。その年
の牛馬(うしむま)の吉凶(きつきやう)
をみると云

丁(ちやう)
霊(れい)
国(こく)

此国 海内(かいたい)にあり
国人ひざより下
に毛(け)を生(しやう)じて
足(あし)は馬(むま)のごとく
よくはしるにみ
づから其 足(あし)に鞭【「ふち」と左側に傍訓】
うつ一日に三百 里(り)
を行(ゆく)へし応天府
より行(ゆく)事二年にいたる


野(や)
人(じん)


此国 山林(さんりん)【「やまはやし」と左側に傍訓】おほし人
皆(みな)木(き)のはをくらふ
国人たつたん国と
たゝかふにまけず
となり

蔵(ざう)


此国 城池(しやうち)人家(じんか)有
国のうちに大なる
柳(やなき)の木おほし応天
府よりゆく事一年
三ヶ月にしていたる


點(もく)
伽(きや)
臘(ろう)
国(こく)

此国 城池(じやうち)人家有
国主(こくしゆ)有て。人これ
にしたがふ。大海(たいかい)より
珊瑚樹(さんごしゆ)をいだす。
国人くろかねのあみ
ををろし。さんこ
をとるといへる。此
国のことなるへし

奇(き)
肱(こう)
国(こく)

此国人よく飛車(ひしや)【「とぶくるま」と左側に傍訓】
をつくりて風に
したがひて。遠(とおく)
ゆく。むかし殷(いん)の
湯王(たうわう)の時 奇肱(きこう)国
の人。くるまにのり
て。西風によつて予州(よしう)にきたる湯王(たうわう)其車を。やぶ
りて。国民(たみ)にみせしめす。そのゝち。十年をへて。
東風(とうふう)吹(ふく)とき。奇肱(きこう)の人またくるまをつくりて
かへる。其国 玄玉門(けんぎよくもん)の西一万里にあり

無(ぶ)
□(けい)


此国人 腹(はら)のうちに
膓(わた)なし。土(つち)を食(しよく)
として。穴(あな)にすむ
男女死するもの。
みな土(つち)にうづむ
そのこゝろくち
ずして。百年ののち。又 化(くわ)して人となる。其 肺(はい)の
臓(ざう)くちずして百二十年に又 化(くわ)して人となる
其 肝(かん)の臓(さう)くちずして。八十年に人となる
其国三 蛮(ばん)国におなじとなり


食(しよく)
勿(ふつ)
斯(し)
離(り)

此国 秋(あき)の露(つゆ)を
うけて。日にさら
すに雨(あめ)となる。あ
ぢはひまことに
甘露(かんろ)なり。山の
上(うへ)に天正樹(てんしやうじゆ)有
木(こ)のみ。栗(くり)のごとし。蒲芦(ほろ)と名づく。国人とりて食(しよく)
す次(つぎ)のとし。又生(しやう)ずるを麻茶(まちや)といふ。三年に
して生(しやう)ずるを没石子(ほつせきし)といふ。又 桃(もゝ)。柘榴(じやくろ)くるみ等(とう)
あり。木蘭皮(もくらんひ)国とおなじくゆたかなり

木(ほく)
直(ちよく)
夷(ゐ)
国(こく)

此国 獦獠(かつりやう)国の西にあり。鹿(しゝ)の角(つの)をもつてうつ
はものとし。国人 死(し)するときは。くゞめて。これを
火葬(くわさう)にす。その人いろくろき事うるしの
ごとし。ふゆにいたれば。沙(すな)のうちにとゞ
まりて。其かしらをいだすとなり


臂(ひ)


此国人一 目(もく)一孔一
手(しゆ)【「て」と左側に傍訓】一 足(そく)【「あし」と左側に傍訓】半躰(はんたい)にし
て相(あい)ならびて行(ゆく)
西海(さいかい)の北(きた)にあり


乾(けん)
陀(だ)
国(こく)

此国むかし。尸毘王(しびわう)
の庫(くら)火のため
やかれて。こがれた
る米(こめ)。今(いま)にあり。人
一 粒(りう)を食(しよく)する時
は身ををふる
までやまひなし
となり

長(ちやう)
毛(もう)


応天府(おうてんふ)よりゆく事二年十ヶ月にして
いたる国人 皆(みな)其 身(み)に長毛(ながきけ)あり城池(じやうち)人家 田(でん)
畠(ばた)【「はたけ」と左側に傍訓】あり。其国人はなはた短少(たんせう)【「みじかく」と左側に傍訓」
也 晋(しん)の永嘉(やうか)
四年。中国にきたれり

昆(こん)
吾(こ)


此国よりからかねをいだす。かたなにつくるに
玉をきる事 泥(どろ)よりもやすし。其国 塹( つち)を
かさねて浮屠(ふと)をつくる。屍(しかはね)をおさめまつりて
哭(こく)するを孝行(かう〳〵)とす

黙(もく)
伽(きや)
国(こく)

此国 荒郊(くわうかう)にかゝ
れり。もと人家
なし。むかし犬食(けんしい)
国の莆羅(ほら)𠰢(はん)と
云人 妻(つま)をめどり
て荒郊(くわうかう)に住(ぢう)す。すでに又一 男子(なんし)をうめり。其所に
水(みつ)なし。其子を地(ち)におきて。水をたづぬるに是
なし。其子あしをもつて地(ち)を擦(かく)に。きよき。いづ
みたちまちにわき出(いで)たり。つゐに。大なる井(ゐ)と
なる。ひでりにもかわかず。此 所(ところ)人 皆(みな)かんじて家(いへ)

づくりすとなり


注(ちう)
輦(れん)
国(こく)

此国 西蕃(せいはん)の南に
有 則(すなはち)南天(なんてん)ぢく
の内(うち)也。此国に大
象(ざう)六万あり皆(みな)
其(その)せなかに。家(いへ)
をつくりてのせ
たり。其 家(いへ)のうちに武勇(ふゆう)の兵(つはもの)をこめて。いきの
そなへとす。金銀(きんぎん)を銭(ぜに)としてあきなふ。国人の性(しやう)其
こゝろひとしからず。食物(しよくふつ)およびうつはものみな
別(べつ)々にしてもちゆとなり

集(しう)
利(り)


此国一 目(もく)国の水(すい)
辺(へん)にあり。其人
ひざ。うしろへま
がりくぶし又うし
ろにむかひて一 手(しゅ)【「て」と左側に傍訓】
一 足(そく)【「あし」と左側に傍訓】


波(は)
厮(し)
国(こく)

此国人身の色(いろ)く
ろき事うるし
のごとし。金花(きんくわ)【「こがねはな」と左側に傍訓】
をもつて身に
まとへり国に

城池(しやうち)なし国王(こくわう)はとらの皮(かわ)をもつて。かしらに
かづく。みちをゆくときは籠(かご)にのり。あるひは象(ざう)
にのり肉(しゝ)【「にく」と左側に傍訓】餅(べい)をくらふ。あやしき。たから。もろ〳〵
の薬(くすり)をいだしあきなふなり


南(なん)
尼(けい)

羅(ら)

此国に三 重(じう)の城(しろ)
あり。国人 皆(みな)牛(うし)をたうとみて。
四 方(はう)の家壁(かへき)【「いへかべ」と左側に傍訓】に
牛(きう)【「うし」と左側に傍訓】糞(ふん)をぬるを
上とす。壇(だん)をつ
きてまつる。また牛(ぎう)ふんをぬり花(はな)をたて。香(こう)をもる

あき人を門(もん)のうちにいれず。門外(もんのそと)にしてものを
おぎのるとなり


西(せい)
洋(や)
古(こ)
里(り)

此国南海の浜(はま)に
ちかし蘇枋(すはう)胡(こ)
椒(しやう)珊瑚(さんご)宝石(ほうせき)
おほし。つねに
木綿(もめん)ををりいだ
す。その色(いろ)あざ
やかに。紙(かみ)のごとし。其国人しろき布(ぬの)をもつて其
かしらをつゝみ。金(こかね)を銭(ぜに)としてあきなふ
となり


目(もく)


北海の外(ほか)に人有
一 目(もく)【左に「め」と傍訓】ありて其
おもての中に
つけり其 外(ほか)は
つね人のごとし


義(ぎ)
渠(きよ)
国(こく)

此国大 秦(しん)の西に
あり。其 親属(しんぞく)
死(し)する時は。柴(しば)
をあつめて。是
を火葬(くわさう)し煙(けふり)

立(たち)て雲井(くもゐ)にのぼるを合烟霞(かふえんか)と名づくまた
卒哭(そつこく)【「なく事なし」と左側に傍訓】することなし


懸(けん)
渡(と)


此国 鳥(てう)ほう山(さん)の
西にあり谷(たに)ふ
かくひろくして
他国(たこく)より通(つう)ぜず
但(ただし)縄(なは)を引(ひき)て
わたると也国民
皆石のうへに田つくる又 石(いし)をたゝみて家(いへ)とす。手
をもつて水をのむに。たがひにあひひく。いは
ゆる猿引(さるひき)といふものなり
\f

長(ちやう)
脚(きやく)
国(こく)

此国長 臂(ひ)国と
其 道(みち)ちかし。其
国の人つねに。長ひ
国の人ををふて
海(うみ)に入て。魚(うを)を
取(とる)其 足(あし)ながさ
一 丈(じやう)ありとなり



臂(ひ)


此国大海の東(ひかし)に
あり国人 手(て)を
たるればながく
して地(ち)にいたる。む
\f

かし一人あり海中(かいちう)【「うみのなか」と左側】にしてひとつの布衣(ほい)【「ぬのころも」と左側に傍訓】をひろふ
其たけ一 丈(しやう)にあまる是 長臂国(ちやうひこく)人の衣(ころも)なりといふ


羽(は)
民(みん)
国(こく)

海の東南に羽(う)
民(みん)の国有。岸(がん)
崖(かい)の間に住(ぢう)し
て。まなこあかく。
かしらしろく。手(て)
足(あし)。人のことくにして。其 身(み)に毛(け)あり。又ふたつの
つばさ有て。よく飛(とふ)にとをき事あたはず
子を生(しやう)ずるに卵(かいご)なり

沙(しや)
花(くわ)
公(こう)

此国東南海の中
に有。其人 常(つね)に
大海に出(いて)て闍(しや)
沙国(しやこく)のあき人を
おびやかしうは
ひ取(とる)をわさとす


都(と)
播(はん)
国(こく)

此国 草(くさ)をむすび
て庵(いほり)として。又
かうさくをしら
ず。国のうちに
百合(ゆり)草おほし

つねにとりて粮(かて)とす。鹿皮(ろくひ)鳥(とり)の羽(は)を衣(ころも)とす。
国に刑(けい)の法なし。若(もし)ぬすひとあればぬすみ物
に一 倍(ばい)してあかなふと也


白(はく)
達(たつ)
国(こく)

此国の大 王(わう)は弗必(ほつひ)
烈勿(れつもつ)の子孫(しそん)也
諸(しよ)国より。おし
よせ。此くにをう
たんとするに。
さらにおかされ
ず。この地(ち)もろ〳〵のたからおほし。酥酪(そらく)を食(しよく)とし
少魚(せうぎよ)【「ちいさきうを」と左側に傍訓】をくらふ。しろきぬのをもつてそのかしらをまとふ也

巣(そう)
魯(ろ)
果(くわ)
国(こく)

此国 城池(しやうち)人家(じんか)
有ごこくをうへ
良馬(りやうば)をいだす
応天府よりゆく事
一年七ヶ月にして
いたる


結(きつ)
賓(ひん)
郎(らう)
国(こく)

此国城池人家有
田をうへてなり
はひとす其国
人かしらのかみ
黄(き)にして身の

色(いろ)あかし応天府よりゆく事三年にしていたる


眉(ひ)
路(ろ)
骨(こつ)

此国 内(うち)に城(しろ)あり
七 重(ちう)なり黒光(こくくわう)【「くろひきかり」と左側に傍訓】
の石(いし)をもつて砌(みきり)
とす。番人(ばんひと) あり。
塚(つか)二百 余(よ)ヶ所有。
胡(こ)に是を塔(たう)と
名づく。一 所(しよ)のたかさ八十 丈(しやう)なり。又三百六十 坊(ぼう)あり
国人。皆 毛段(もうたん)を衣(ころも)とし肉麪(にくめん)を食(しよく)とす。金銀お
ほし砂摩挲石(しやましやせき)をいだしあきなふなり

穿(せん)
胸(けう)


此国 人 皆(みな)むねに
あな有くらゐ
たかき者(もの)は棍(つゑ)を
其むねにとをし
いやしきもの。こ
れをかきてゆく
となり


女(によ)



此国東北海のす
みに有国のうち
に男子(なんし)なし。若(もし)
男子ゆく時はか

ゑさず。女みな井(ゐ)の水(みつ)に影(かけ)をうつしてすなはち
はらむ。また女子をうむといふなり


西(せひ)
蕃(はん)
国(こく)

此国一には鬼方(きはう)国と
名づく武丁(ぶてい)す
てに鬼方国を
うつに二【或は「三」ヵ】年に
してたいらけ
たりと云(いふ)。国の
うちに城池(しやうち)なし山林(さんりん)の内(うち)に住(ぢう)す。よく人の
食□をくらふ応天府よりゆく事三ヶ月にし
ていたるなり

可(か)
只(し)
国(こく)

此国 西(せい)蕃のう
ちにあり。もろ
〳〵のたからを
いだしあきなふ


烏(う)
萇(ちやう)
国(こく)

此国人 若(もし)死罪(しざい)
あるときに。こ
ろす事なし。
くすりをあたへ
てのましむるに。
其とがあきら
かにあらはる。其

ことにしたがひて此人をながすとなり


溌(はつ)
枚(はい)
力(りよく)

此国南 海(かい)のうち
にあり国人つ
ねに肉(にく)をくら
ふ又 牛(うし)に針(はり)
をさし其血(ち)を
とりて。乳(にう)にか
きまぜて。これをのむ。其身に衣(ころも)なし腰(こし)より
したにひつじの皮(かわ)をもつておほひとせ
り。此国のならひなり

鳩(きう)
□(けい)
羅(ろ)

此国また西蕃(せいはん)
のうちにあり
宝石(ほうせき)【「たからいし」と左側に傍訓】をいだす


晏(あん)
陀(だ)
蛮(はん)
国(こく)

此国 藍無里(らんぶり)国
より細蘭(さいらん)国に
いたる。其国ざかひ
に有。国人 身(み)の色(いろ)
くろくしてしかも
くろき毛(け)を生(しやう)
ず。又衣なし白布(はくふ)【「ぬの」と左側】
をもつて腰(こし)に
まとふとなり

回(くわひ)
々(くわひ)


此国 城池(しやうち)人 家(か)【「いへ」と左側に傍訓】
あり田をうへて
食(しよく)す市(いち)ありて
あきなふ江淮(こうわい)の
風俗(ふうそく)のごとし


阿(あ)
陵(れう)


真臘(しんろう)国の南に
有人家はなはた
大なり。しゆろの
かわをもつて上
をおほふ象牙(さうげ)
をもつて床(ゆか)とし
柳花(りうくわ)【「やなきはな」と左側に傍訓】をもつて

酒(さけ)につくる。手をもつて物を食(しよく)す。国人の身に
毒(どく)有て。他国の人おなじく宿すれは其 身(み)に
かさを生(しやう)ず。もし女人と交合(かうかふ)する時(とき)はかならず
死(し)すとなり


不(ふ)
死(し)
国(こく)

此国 穿胸(せんけう)国の
東にあり。其人
身くろくしてう
るしのごとく。い
のちながくして
死(し)することなし
つねに丘土(きうど)【「おかつち」】に住(ぢう)
す樹(き)有不 死樹(しじゆ)と名づく是を食するにいのち

ながし又赤泉(せきせん)【「あかきいつみ」と左側に傍訓】あり是をのむに老(らう)【「おひ」と左側に傍訓】せす


登(とう)
流(りう)
眉(ひ)

此国 真臘(しんらう)国に
しよくす。人をえ
らびて。国のあるじ
とす。其国人
みな帛(わた)をもつ
てもととりを
まとふ。又其身に衣(ころも)なしおなじくわたをもつては
だへをかくす。国主(こくしゆ)【「くにぬし」と左側に傍訓】出(いで)て座(ざ)す。登場(とうぢやう)と云 従者(じうしや)皆(みな)
礼(れい)するに手をまじへ。両(りやう)のかたをいだく中国の
刃手(しやしゆ)【「叉手」の誤記と思われる】のごとし

悄(せう)
国(こく)

此国 西蕃(せいはん)に有
国人つねに乳(にう)
を食(しよく)とす人を
ころして又よく
よみがへらしむ

吐(と)
蕃(はん)
国(こく)

吐蕃の名(な)は西(せい)
蕃(はん)をかりて号(がう)
するところ。も
とは。西羗属居(せいきやうしよくきよ)
のもの西蕃(せいはん)より
其ほどちかく。こゑ

をあぐれば。きこゆるがゆへに。国の名(な)とす姓(しやう)は勃窣(ぼと)
野(や)といふ。其 民(たみ)もつとも。勇(ゆう)をこのみて。其中に
すぐるゝものを賛太夫(さんたいふ)と云

回(くわい)
鶻(こつ)
国(こく)

偉元郎回訖(ゐけんらうくわいこつ)
そのさきはもと
匈奴(けうと)なり。大 業(けう)
中にみづから
回訖子(くわいこつし)を名づ
けて。菩薩(ぼち) 突(とつ)
獗(けつ)と云 唐(たう)の徳宗(とくそう)のとき。諸易(しよえき)をたてたり其
本地(ほんち)は哈刺和林(かうしくわりん)にありといふ則(すなはち)今の和寧路(くわねいろ)也

鳥(てう)
孫(そん)
国(こく)

此国人 皆(みな)三 爪(さう)に
して鳥(とり)のごとし
身(み)にながき毛(け)
あり田をうへて
食(しよく)とす

吉(き)
慈(し)
厄(やく)
国(こく)

此国のめくり皆(みな)大
山なり山によつ
て城(しろ)をかまへたり
金銀(きんぎん)にしき等(とう)。
おほし民(たみ)みなゆた
かにして楼閣(ろうかく)

きれいなり。おほく駝馬(だば)をやしなふ。国のうち。きわ
めてさむく。春(はる)のゆき夏(なつ)にいたりてきえず

大(たい)
秦(しん)


西方(さいはう)諸国の中(なか)
に尤(もつとも)すぐれたり
番国(ばんこく)のあき人
此国を麻羅弗(もらほつ)
と名づく布帛
をもつて金字(きんし)
の錦(にしき)ををりいだす。地(ち)より珊瑚碼碯真珠(さんごめなうしんじゆ)等(とう)
のたからを生(しやう)ずなり

印(ゐん)【字面は「卯」に見える】
都(と)
丹(たん)
国(こく)

此国つねに熱(ねつ)し
て冬(ふゆ)をしらず
天に雲(くも)なし。人
の身くろし応天府よりゆく事
一年二ヶ月にいたる

紋(もん)【「ふん」に見えるが誤記と思われる】
身(しん)
国(こく)

此国人身に文(もん)有
て。豹(へう)のごとし。と
をくゆくときに
糧(かて)をたくはへず
居(こ)【左に「ゐる」と傍訓】する所(ところ)金玉(きんきよく)

をかざる市(いち)に出(いつ)る時(とき)は。珍宝(ちんほう)【「宝」字の左に「たから」と傍訓】をもつてあきなふ

莆(ほ)
家(け)
龍(れう)

此国東南海のほ
とりにあり。広(くわう)
州(しう)より船(ふね)をいだし
てゆく事。一月に
していたるべし
国(くに)の大 王(はう)は。もとゞりをとり。かみをけづる。国民(たみ)はみ
な。かしらをそりて法師(ほうし)のごとし。椰子酒(やししゆ)其色あ
かく。あぢはひきわめて佳(か)なり。其国より胡椒(こせう)
沈檀(ちんたん)【ぢんたん=沈香と白檀】丁香(ちやうかう)【「丁子」のこと】白豆蔲(はくつく)を生す

氐(さい)
人(しん)


此国 建木(けんほく)国の西
にあり其国人
おもては人にして
手(て)も又人のごとし
むねより上(かみ)は人
なりといへともそ
れより下は魚(うを)の
      ことし

東(とう)
印(ゐん)
度(と)

此国 西蕃(せいばん)にちかし
国人の性(しやう)きわめ
て勇(ゆう)なりいくさ
にむかひて死(し)する

を利(り)とす。むかし老子(らうし)この国にいたりてひろく道(みち)を
おしゆとなり。応天府よりゆく事五ヶ月にし
ていたるとなり

小(せう)



此国 東方(とうばう)に小(せう)【左に「ちいさき」と傍訓】
人(しん)国あり人の
たけ。わづかに
九寸。海鶴(かいくわく)【左に「うみつる」と傍訓】常(つね)
にかけり【空を飛び廻る】てやゝ
もすれば。人を
くらふ。このゆへに。国人ゆくときは。大 勢(せい)むらがり
つれてゆくと云(いふ)なり

擔(せん)
波(は)


此国 内(うち)に人家城(じんかじやう)
地(ち)あり。田(た)をつ
くりて食(しよく)す。天
気(き)つねに熱(ねつ)し
て地(ち)に草木(さうもく)な
し黒獅子(こくしゝ)【左に「くろきしゝ」と傍訓】をい
だす応天府より
一年一月にして
いたるなり

西(せい)
南(なん)
夷(ゐ)

此国西南の五 姓(せい)
宜州(きしう)より其国
さかひにいたる。国

人かみをけづることなく。足(あし)を跣(はだし)【左に「すあし」と傍訓】にしてゆく。斑(はん)花の布(ぬ▢)
を衣(ころも)としかたなををひて。弓(ゆみ)をたいしてゆく

蘇(そ)
都(と)
勿(ふつ)
匿(とく)

此国 皆(みな)穴(あな)にすむ
あなの口(くち)に家作(いへつくり)
して。戸(と)をかたく
とぢたり。他(た)国
の人其□【「穴」ヵ】の口(くち)に
いたる。あなより
けぶりいづる。こ
れにふるれば。かならず死(し)す。其あなの深浅(しんせん)【左に「ふかきあさき」と傍訓】を
しらすといふなり

鳥(てう)
伏(ふく)
部(ぶ)
国(こく)

此国むかし大に疫(えやみ)す山神(さんじん)【左に「やまかみ」と傍記】これをあわれみて
孔雀(くじやく)を化(け)して。三たび其 地(ち)をついばむに。泉(いづみ)
わきいでたり。人これをのみて。そのやまひ
みないえたりとなり

三(さん)
伏(ふく)
駄(だ)

此国 交趾(かうち)の南に
あり山有 挿(さう)
流(りう)と名(な)つくめ
ぐり数(す)百里なり
其山はなはだ。か
たくして。くろがねのごとし。さらにやぶるべからず。
一方にひとつの穴(あな)あり。これより出入(いでいり)して交趾(かうち)
に通(つう)ず。山のうちみな良田(りやうてん)なり。かうちより此
国をとらんとせし事。度(たび)〳〵(〳〵)なれども其国人
つよくしてとる事あたはず

䫘(けつ)
祭(さい)
国(こく)

此国 皆(みな)平地(ひらち)にして。山なし林木(りんほく)【左に「はやしき」と傍訓】おほし。又田をうへ
てなりはひとす。家(いへ)おほし。国のうちに良馬(りようば)を
いだす。かしらにつねに衣(ころも)をかうふる。応天府(おうてんふ)より
ゆくこと一年にしていたるなり

浮(ふ)
泥(でい)


此国 板(いた)をもつて城(しろ)
とする也王の居(ゐ)
所(しよ)のやねをたら
葉(よう)【多羅樹の葉】をもつてふき。
民(たみ)のいゑをば。草
をもつてふく也。此国に薬樹(やくじゆ)【左に「くすりのき」と傍訓】有。其 根(ね)を凡てせんじて
膏(こう)とし服(ぶく)す。又身にもぬる。しかる時(とき)はたとひ兵刃(へいじん)【「刃」の左に「やひば」と傍訓】
にやぶられても。死(し)なざるなり。死(しゝ)たる時(とき)は棺(くわん)に入て
山中にうづみおさむるなり。二月にそのまつりを
する也七年こえて後(のち)は。まつらず。俗共(ぞくとも)おごり〳〵て

かみに五色(こしき)にいろどりたるわたをもつてかさり。腰(こし)
に花にしきにてかざる也。さて海(うしほ)を煮(に)て塩(しほ)とし。
もみをかもして。酒とす。十二月七日を。正月とす
およそしゆえんの会(くわひ)。つゞみをならし。ふえをふき。鈴(れい)を
かけて舞(まふ)也是をたのしみとす。食物(しよくもつ)をもる器(うつはもの)も
なきにより。竹(たけ)にて。たらよう【多羅葉】をあみ。食(しよく)をもり。中国の
人をあひけいする。酒(さけ)にゑひたるものを見るたびに
すなはちたすけてかへるなり

【蔵板仮名本抜書目録を三段に枠取りして記載あるもここでは一段ごとに編集】
  菊華堂蔵板仮名本抜書目録 《割書:寺町通松原上 ̄ル町西側》            
               菊屋七郎兵衛板元
【上段】
一休目無草《割書:一休和尚|水鑑註》 全
     《割書:さとりの書》
同哥笑記 《割書:新左衛門ト|問答ノ書》六冊
同噺本      五冊
同一代記 《割書:年譜》  二冊
同骸骨  《割書:さとりの書|哥絵入》全
同水鑑  《割書:さとりの書》全
同二人比丘尼《割書:さとりの書》全
山家一休 《割書:烏鶏問答|絵入》 四冊
將棋力草 《割書:作物》  三冊

【中段】
立花大全 《割書:花ノ立様》 全
同 便蒙 《割書:仏前花ノ|立様》 全
同訓蒙図彙《割書:百瓶ノ図|并生花入》 六冊
同時勢粧 《割書:桑原仙渓|筥入》 八冊
《割書:拋|入》立花道しるべ《割書:生花指南|本ナリ》二冊
商人平生記《割書:常ニ心得ノ|事ヲ記ス》全
商人黄金袋《割書:心得ノ事|并故事入》 全
万世家宝 《割書:四民ノ心得ヲ|記ス》四冊
諸礼教訓鑑《割書:小笠原|躾方入》  全
 
【下段】
料理節用大全《割書:料理仕様|并切形能毒入》全
同切形秘伝抄    全
算法重法記《割書:開平其外|割物委ク入》 全
     《割書:小本》
算法闕疑抄《割書:諸物割物|其外不残有》 五冊
改算智恵車《割書:諸商売 大冊|品割塵劫記也》全
万福塵劫記《割書:近道早算|新板》 全
万海塵劫記《割書:早割|割物委く》 全
世宝塵劫記《割書:随分見安く》全
茶湯真臺子《割書:茶湯稽古ノ書也》五冊

【上段】
同指南抄《割書:作物》 三冊
将棋経抄《割書:作物|指方》 二冊
同評判《割書:上手評判入》二冊
同指覚大成《割書:指方上手分》五冊
中古将棋記《割書:駒組結手|小本》一冊
中将棋初心抄《割書:指方駒ノ|行様》一冊
碁立初心抄《割書:初心稽古本》二冊
諸葛孔明風雨考《割書:雨降晴占|折本小本》一冊
夢相善悪霊府《割書:夢善悪占|小本》一冊
呪咀重法記《割書:まじなひ|小本》一冊

【中段】
同筆記 《割書:諸礼躾方|一まき委記》五冊
諸礼当用集《割書:当流諸礼|悉集》三冊
男重法記《割書:諸礼躾方|其外重法集》全
和字大勧抄《割書:仮名つかひノ|書ナリ》二冊
定家仮名遣   全
手尓葉紐【注①】鏡《割書:てには遣ひ様|折本》全
滝本管書帖《割書:正筆》 全
同 消息 《割書:正筆》 全
朝鮮人行列記《割書:品々》全
朝鮮年代記《割書:絵入》 三冊

【下段】
𠌶【「華」の本字】夷通商考《割書:異国行程人物土産|物異魚異獣等委ク》
     《割書:記ス   五冊》
異国物語《割書:外国ノ人物|註釈ヲ加》三冊
高仜【注②】伝 《割書:馬乗様ノ書》二冊
楠一生記《割書:正成一生ノ事ヲ記|絵入》十二冊
本朝諸士百家記《割書:諸国敵討其外|実説ヲ記》十冊
       《割書:ゑ入》
本朝藤隠比事《割書:諸公古人捌方書》七冊
日本鹿子《割書:諸国名所旧跡神社|仏閣道程委クスル》十二冊
奈良名所記《割書:名所旧跡小本|委ク集》全
京之図 《割書:懐中本》 全
大坂之絵図《割書:懐中本|新改正》全

【注① 「紉(音ヂン・ニン)は「糸を合せる。縄をなう」の意があることから、「紐」の意で用いられていると思われる。】

【注② 「仜(音コウ・グ)」は「龓(音ロウ・ル)」に通じる字だそうで、龓の意に「馬に乗る。又牽く」とあることからこの本の内容「馬乗様ノ書」に合致します。】










【上段】
女庭訓御所文庫《割書:躾方用文|重法入》 一冊
女重法記諸礼鑑《割書:躾方女要用ノ事|悉ク集》一冊
女今川 《割書:大字手本》 二冊
同姫鏡《割書:女躾方重法文章|其外委ク記》一冊
女用躾今川《割書:躾方首書入》一冊
女教補談袋《割書:百人一首用文章|躾方消息入》一冊
女用文殊鑑《割書:小野おつう筆》一冊
尊円百人一首《割書:大字ゑ入》全
百人一首大成《割書:註入首書|哥仙ゑ入》全
花林百人一首《割書:女重法品々入》全

【中段】
婦人寿草《割書:婦人一生ノ心得|并養生薬方》六冊
    《割書:等委ク入》
女筆君か世《割書:長谷川妙貞筆|大字手本》三冊
女蒙求艶詞《割書:口上 ̄ニ云様 ̄ニ用文を書|外しつけ方重法入》全
男女口上律《割書:童女諸事口上ノ|云やうを記す》全
     《割書:ゑ入小本》
伊勢物語《割書:首書伝受入|大字》二冊
つれ〳〵草《割書:巻事註入》二冊
万宝福寿往来《割書:庭訓商売往来|古状揃其外品々》全
      《割書:重法入大字大冊》
寺子節用福寿海《割書:大字ゑ入》全
庭訓抄 《割書:平かな付註入|講釈本也》三冊
式目抄 《割書:平かな付註入|講釈本也》二冊

【下段】
絵本倭比事《割書:西川筆手本画|人物草花其外》十冊
     《割書:品々》
謡曲画誌 《割書:諷の絵本也|註入》十冊
絵本初心柱立《割書:草花獣魚鳥|貝虫ノ手本画也》三冊
同写生獣図画《割書:獣物ばかりの|絵也》二冊
合類絵本鑑《割書:武者仙人|唐子唐人》五冊
     《割書:女絵》
世の中百首《割書:守武教訓哥也》三冊
絵本武勇力草《割書:長谷川光信画|武者絵也》三冊
同士農工商《割書:西川筆|四民ノ絵》三冊
同七福対 《割書:福人絵本也》三冊
訓蒙図彙《割書:天地人万物ノゑ本也|但首書註釈入》八冊


【上段】
君か世百人一首《割書:品々重法并|廿四孝入》全
婚礼仕用罌粟袋《割書:婚礼一式心得|諸事悉記ス》二冊
和国玉葛 《割書:賢女かゝみ|ゑ入》 五冊
三味線手引書《割書:三味せん引やう|けいこ本》一冊
      《割書:小本》
源吾秘訣【注】《割書:源氏物かたりノ内|秘事を記》全
諸人一代八卦《割書:年八卦其外|一代ノ事委ク入》二冊
正対霊符占《割書:うらなひの本也|とはすして其品々をさし》一冊
     《割書:寿妙の占の書也小本》
天真坤元霊符伝《割書:生ル年より第七ツ目|支の利生書本也》全
       《割書:外 ̄ニ霊符有》
竹馬八卦抄《割書:平かな八卦本也》二冊
長明道之記《割書:鴨長明》一冊

【注 「决」は「決」の俗字。「決」と「訣」は通ず。】

【中段】
弘法大師一代記《割書:行状をくわしく記|平かな》三冊
水波問答《割書:禅宗さとりノ書》全
一休妻鑑 《割書:さとりノ書》全
大原談義 《割書:平仮名本》二冊
因果物語 《割書:ゐんぐは咄|正三作》三冊
廿三問答    全
浄土座敷法談《割書:平仮名》二冊
西方発心集《割書:源空作|安心ノ書》全
円光大師法語《割書:平かな》全
長明海道記《割書:鴨長明》二冊

【下段】
禅宗法語 《割書:大燈国師法語|平仮名》全
聖一国師法語  全
月庵法語    全
沢庵法語    全
《割書:|塩山》
祓随法語    全
大智偈頌    全
四部彔【録】  全
句双紙葛藤抄《割書:句双紙註也》四冊
矢数年代記《割書:前代よりノ矢数年代|名所年迄委ク記》全
     《割書:卅三間堂図入》
俳諧摺火打《割書:季寄四季絵抄入|小本》全

【左側欄外】
右之通書物何方之本屋にも有之候間御求可被下候其外本類御用被仰付被下候様奉願上候


京都書林
 天明七年【手書き】
   寺町通松原上 ̄ル町西側
         菊屋七郎兵衛
             板行

【左側上の手書き】
丁【?】
  七月四日

【左側欄外】
両六八 ウロナ

【裏表紙】

【冊子の背の写真】

【冊子の天或は地の写真】

【冊子の小口の写真】

【冊子の天或は地の写真】

BnF.

BnF.

【表紙題箋】
風流美人草 西川筆
【番号】266

《印:林忠正》
JAPONAIS 266
衣(そ)通(とをり)姫(ひめ)

しるしも
我かせこか
 くへき
  よひ
   なり
  さゝかにの
蜘の
  ふる
    まひ
  かねて
【フランス語書き込み:1er tirage de kamatsuhara?】



小町
理りや日本なれは
てりもせん
さり
とては又あめか
下とは

もの
思へは
 沢の
ほたる
  も
我ケ
 身
  より
あく
 かれ
  出る
 たま
  かとそ
    見る      和泉(いづみ)
             式部(しきぶ)   

紫式部(むらさきしきぶ)



石山寺に
 こもり
   居て
   げん
    じ
  もの
   がたり
      を
   うつ
    し
   給ひし
     なり


ふけ
 は

 きつ
  しら波
   たつた山
夜半にや
   君か
 ひとり
  ゆく
   らん
【右頁人物】
業(なり)
 平(ひら)

【左頁人物】
井筒(いづゝの)
   前(まへ)

【右頁人物】
山路(さんろ)
【左頁人物】
玉よの姫

【右頁人物】
浄(じやう)るり
 御前(ごぜん)

【左頁】
牛若丸(うしわかまる)
   琴(こと)の
      音(ね)
        を
      笛(ふえ)にて
      あわ
        し
        たまふ

   

【右頁人物】
西行(さいぎやう)法師(ほうし)
【左頁人物】
江口ノ(えぐちの)
  君(きみ)

【背表紙左下にシール】
JAPONAIS
266

【側面の画像か】

【側面の画像か】

【側面の画像か】

【側面の画像か】

BnF.

【表紙】

【表紙裏(見返し) 整理番号のラベル】
JAPONAIS
361

【見返し】

【白紙】

【白紙】

【白紙 手書き数字あり】
1821【線で見せ消ち】
361

【題箋】
花容女職人鑑  上

【題箋に蔵書印 円の外周】
BIBLIO THEQUE NATIONALE MSS
【同 内円】
R.F.

【貼付してあるメモ】
19【見せ消ち】╲15
Kwa yo nio syok nin Kagami
Miroir de femmes Jolies et
des Ouvrieres
Par Nisi Ku wori Matsou-houts
  2 vol.

【文字無し】

美人職人尽序
蓬莱山人ことばの玉の枝をよぢ
て金銀台のうへに坐して狂歌の
僊人たちをむかふおちつきは露の
吸もの沆瀣【コウカイ=露の気】青ッきりにちよきり
ちよと鯉の瀧のぼりこいつはゑらい
ゑらすごしと瓢の酒に駒下駄の芸
者を出すものあれば大容洪崖がさ

わぎ哥にかへるヒヨコ〳〵のあてぶりすれば
何みてはねるの兎のしうちとひよ〳〵
の鳥あり鳥あり始終天鼓仙笛
のちりからにて老君金母のみぶり
なれば湯又馬生も肝をやけつべき
時に山人ひとつの書をとり出たり
こは十州の国【注】直子が筆にして
玉巵太真が似がほ絵なりいでや

【注 十州(じっしゅう)=中国をとりまく海にあるといわれる十の島。いずれも仙人の住処(すみか)と考えられた。】

飛行自在の羽人といへどもかゝる
名画にむかひては脛のしろきに
うつゝぬかして木の葉衣に涎をの
ごひて下界にぽんと落ざらめ
やは
       宿屋主人

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
芍薬亭撰
 春
  廼
   歌

十五 八十二   下毛水沼
 いかなれは      鼓腹亭実
  すみれの露にをとめこか
     裾の紫色はあせけん

十五 七十
 初日影いたゝくふしは   花実園梅信
    めてたしとつるのこほりの
         人や見るらむ

十五 五八
 見しゆめの中の      おなしく
   絶るはふしかねを
      霞のはらむ時にや有らん

十五 七五            仙府
 春日山とりゐのふちにいにしへの  千柳亭唐丸
       京紫の色を見るかな

【右丁 絵画中に書き込み有り】
【左丁】
浅草庵撰
      春廼歌
十五 十五 七     芳名垣別号
 朝つゆをおとす桜は   福有店真芳
    出る日にうはとけのする
           雪とこそ見れ

一 十三 一         下毛水沼
 うとくなる             鼓腹亭実
   老かみゝをも若水に洗ひてきかむ
                 鶯の声

 一 十三 一
  つゝしさくあたりにしなふ山ふきは  五明楼東川
      あかもすそ引妹にかも似る

  七 十五 五            川崎
  酔さめの水このましくのそく井の    天香久丸
        底にもねふる青柳のうみに

【右丁 絵画 文字書き込み有り】
【左丁】
  西
   来
    居
     撰
      春の歌

十七 十五
日のみかけうつす鏡と  白群舎為春
  鋳直してけさあらたなる春のうすらひ【うすらび(薄ら氷)=薄くはった氷】
  
八 八 十三
散らされむ様なけれは花もたぬ    千年舎秀成
      柳と風の中はむつまし

一 十 十三
世に絶て嵐もとはぬ山もかな花もてはやす 春曙園光音
               かくれかにせむ

七 一 十三
横に寝し霞をとこにとりつきて     紅鏡園梅門
             稚き春もけさや立らむ

一 五 十三
あはひとる蜑【あま】か
     すかたやはなち髪かすみの海に沈む青柳 和雲亭花垣

【右丁上段】

 夷
  菴【葊は菴の古字】
   撰
 夏
  廼
   歌

十五 一一
ほとゝ
 きす
しのひ
ねにさへ
 鳴ぬ夜に
きゝたうも
    なき
 いぬのなかほえ
 浪花
  十明堂北頼

【右丁下段】
上毛
 伊香保
  八暮女
十三 一 七
 ふし
  まうて【冨士詣で】
 すなる
   道者【うちつれて神社・仏寺にお参りする人】の
 あたまから
  けふりを
   出す
    やとの
  ゆあかり

【左丁 絵画 書き込み有り】







【右丁 絵画 書き込み有り】
【左丁】
明心舎撰
  夏廼歌

八 十五 七
照射【ともし】   松花菴金実【葊は菴の古字】
 する夜は我やとの
ほとけにも万にひとつの
   燈しくてけり

八 十三 十   花廼門将雄
あけやすき
 なつの夜更の
      かやりそと
 見れは
  朝けの煙なりける

八 十三 十  和静亭春永
また春も行かてや
 あると散のこる
  花には
     なつの
   風の静けさ

【右丁】
画語楼撰
 夏廼哥

七 八 十五  与鳳亭
神のます     枝成
  杜やはゝかる
銀杏に   つけ
きなく    髪【注】
 法師     の
  せみ
   哉

【注 付け髪=仮装用のかづら】

【左丁】
七 八 十三  雛廼屋
扇屋の       春子
 軒にひと声
   ほとゝきす
 たれを恋にし
  おとしふみかも

八 八 十三  森翠亭
涼しさの風に    大枝
 褒美や
  とらせんとはなかみ
    散す薬やの
        たかとの

八 八 十三
汐風に       春友亭
  もまれしまつや   梅明
 たきぬらん煙り地を這ふ
       蜑【あま】か蚊遣火


【右丁】
  川崎野辺亭改
    壷筆楼春芳
十五 七 五
もみち葉の  矢立の
 夕照の山に   水も
   歌人の  単【筆】に
         汲ほす

十三 六 一  下毛飯沼
立むかふ     尋題【?】亭村立
 山たち【山賊】もなし
      武蔵野の
  月の桂の
   男たてにそ

十三 五 一 文泉舎鈴繁
 雲井にそ
  のほれる
     野への
   秋萩は
    なへて
      千くさの
       司なるかも

十三 八 一  貢林亭持文
 せ話しさは稲より
     先へむら長か
   人をかり込
    出来秋の小田

【右丁 左下】
文庫菴【葊は菴の古字】
   撰
 秋
  の
   歌




     春の部    西来居未仏著述
女は髪(かみ)の愛(めで)たくあらんこそよけれ。新玉(あらたま)のとしたち
かへるあしたには。緋(ひ)のはかまにさげかみしつゝ。ひわり子【注①】
などさゝげ出(いで)たる。宮(みや)づかへもいといみしくて。とそのかは
らけは七歳のめの童(わらは)より。なめそむれば。やごとなき方にも。
あがりたる世(よ)のためしときこえて。今(いま)もむかしのあと
ひき上戸(じやうご)にやわたり給ふらん。かゆ杖(つゑ)【注②】の節会(せちゑ)は。


【注① 桧破子(ひわりご)=桧の薄板で作ったわげもの。またそれに入れた食べ物】
【注② ニワトコの木を削って杖としたもの。正月十五日の望粥(もちがゆ)を煮る時にかき回すのに使った棒。これで子のない婦人の尻を打てば男子を生むといわれた。】

柳(やなぎ)のしもと【細枝】に。腰細(こしほそ)の蜾蠃(すがる)【ジガバチ類の古名】少女(をとめ)【注】かゐとこ【ゐどこ(居所)=適した場所】のわた
りを。したゝかに打戯(うちたは)るゝなと。いたくをかしきわざになん。
はたしもざま【しもじも】のかたはひきおどりて。いづくの里(さと)もたゞ
むつまし月の名(な)にやはらぎ。わけて少女達(をとめたち)は。うつ
くしき衣(きぬ)うちまとうて。何(なに)かしくれかし【誰それ】とどよみあへり。【皆いっせいに声をたてる】
姉(あね)が小路(こうじ)のおばさまより貰(もら)ふたるはごいたは。妹(いもと)に
ほしがられ。綿屋町(わたやまち)より買(か)うたる手まりは。母(はゝ)


【注 ジガバチのように腰の細い、美しい少女。】

親(おや)の百ばかりもはづみつらん。さて哥(うた)がるたの円(まと)
座(ゐ)には。十二三のむすめ子よりして。二十(はたち)を越(こえ)にし
さだ過(すぎ)【盛りの年齢を過ぎる】人も立(たち)まじり。くるま座にゐならびつゝ。
おしあひてや姦(かしまし)からん。汐干(しほひ)にみえぬおきの石(いし)は。
恋(こひ)する妹(いも)が袖(そで)の下(した)にかくれ。花(はな)ぞむかしの香(か)にほへるは。
橘屋(たちはなや)のむすめにや見だされけん。質屋(しちや)の姪子(めいご)は
ころもほすてふをとり得(え)て。となりの後家(ごけ)さまは

ひとりかもねんと。かこちてやさがす成(なる)らん。みなとり
とりの其中(そのなか)に。はり打(うち)のおとは春雨(はるさめ)の軒(のき)をたゝくかと
おもはれ。風(かぜ)さへてふるゆき折(をれ)の竹にこゑある筒(つゝ)のひゞ
きは上臈(じやうろう)がたのすごろくのすさびなるべし。けふは
日和(ひより)ののごかなれば。葛飾(かつしか)の梅(うめ)やしき。今(いま)を盛(さかり)と
みやこ鳥(とり)。あしのあかきは未通子(をとめこ)の。もみのぱつちの
一むれにて。隅田(すだ)つゝみのつみ草(くさ)も。嫁菜(よめな)とよばるゝ

半げんぶく【半元服=近世、元服一、二年前にした略式の成年式】あれば。今戸(いまと)に名高(なたか)きあねさまあり。
をかしからぬをもよく笑(わら)ひて。いと長(なが)き春(はる)の日(ひ)もみじ
かしとや興(きやう)しぬらん。如月(きさらぎ)のひがん涅槃会(ねはんゑ)は。姑女(しうとめ)の
世(よ)の中(なか)にて。口とあしとの達者(たつしや)なるは。六(ろく)阿弥陀(あみだ)に杖(つゑ)を
ひき。また檀那寺(だんなてら)のだんぎ【談義=仏教の教義を話して聞かせること】参(まゐ)りに中食(ちうじき)のにぎり飯(めし)。
菜(さい)の煮染(にしめ)のあんばいも。嫁(よめ)が気(き)どりのうま過(すぎ)たるは。
さすがにそしらん塩(しほ)もあらじかし。弥生(やよひ)は雛市(ひないち)のにぎはひ。

十けん店(たな)のわたりよりして。往来(わうさぎるさ)の内義(ないき)おくがた。紅梅織(こうばいおり)の
衣(きぬ)きたるは鶯袖(うぐひすそで)も似合(にあは)しく。青柳(あをやき)の花田(はなた)のおびはさくらの縫(ぬひ)めも
めに立(たつ)て。都(みやこ)ぞはるのにしきとやいはまし。雛(ひな)の調度(てうど)はところせきまでに
ならべて。古今(こきん)の内裡(だいり)素袍着(すほうき)の五人ばやし。舟月(しうげつ)が名誉(めいよ)もたかく。
手のなるかたは相談(さうだん)の出来(でき)たるにて。こがねの花(はな)の山 吹(ふき)を。ひとひらふた
ひらちらしぬるも。しあんの外(ほか)のおやこゝろにや。三日はなべての家(いへ)に雛(ひな)の棚(たな)
設(まうけ)いでゝ。山川の白酒(しろさけ)はびゐどろの陶(とくり)に雪解(ゆきげ)のいろを争(あらそ)ひ。淀野(よどの)の

はゝ子 艸(くさ)は。ひしもちに翠(みどり)のいろをそへてこそうつくしけれ。内かたの包丁(ほうてう)
重(ぢう)づめのいときりたまごは。風味(ふうみ)さへおぼつかなからん。初節句(はつせく)の家(いへ)には親類(しんるい)
縁者(えんじや)のかぎり女子共うちつどひて。あるは舞(まひ)あるはうたふ糸竹(いとたけ)【弦楽器と管楽器】のこゑ。
うつばり【棟をうける木】のちりも動(うご)くばかりにこそいとにぎはしけれ。五日は出(て)かはりの掟(おきて)とて。
三両のお半下(はした)も時(とき)なる哉(かな)とよそほひ。まがひ八丈 東雲(しのゝめ)どんす。おいとまいたゞく
お膳(ぜん)にも。ぷんと香(か)のするあさつきなます。たつ鳥跡(とりあと)をにごさぬはまた住(すむ)
かたの便(たより)ともなりなましや。そが中(なか)に三とせ五とせ年季(ねんき)かさねし針妙(しんめう)は。

給(たまは)りものもさながらに。主(あるじ)のめぐみのあついたおび。すれば別(わか)れの涙(なみだ)さへ
むね一はいのはゞひろにてやありぬらん。さて親郷(おやさと)のやぶ入はそこ〳〵に過(すぐ)して。
大江戸のわたりなる叔母(おば)てふ人のもとに有(あり)て。きのふは戯場(しばゐ)【注】にうつゝを
ぬかし。けふは飛鳥(あすか)の花(はな)に遊(あそ)びて。春(はる)の日のくるゝを惜(をし)めり。すべて弥生(やよひ)は
風(かぜ)あたゝかふ。大門の柳西(やなぎにし)になびきつゝ。仲の丁のさくら火(ひ)をともす頃(ころ)は。夜(よ)
みせのすゞの音(おと)もよきころ〳〵と鳴(なり)て。一目千本の花(はな)かんざし。よし野(の)泊瀬(はつせ)は
禿(かむろ)が名(な)にうつし。茶(ちや)屋か坐敷(ざしき)は魚肉(ぎよにく)の林(はやし)をなして。下盞(げさん)の酒は池をたゝへり。

【注 外に「芝居」の意で用いられている漢字は「戯園」・「勾欄」・「演戯」等が有ります。】

台頭末社(たいとまつしや)の神(かみ)いさめには。二てう鼓(つゞみ)の長唄(ながうた)こゑうるはしく。舞(まひ)かなでぬる
ひとさしに天(あま)の鈿(うすめ)【佃は誤記。本来の表記は「鈿女」】の昔(むかし)をしのべば。松本の岩戸香(いはとかう)ふん〳〵として。べつ
かうの光(ひかり)かゞやきつゝ外八文字(そとはちもんじ)【注①】ふみしめて。こゝにくるわの君(きみ)か名(な)をとへば。
何某(なにがし)か許(もと)に今(いま)を日の出の全盛(ぜんせい)とぞきこへぬる。くゆらすたばこの薄(うす)
けふり。夕(ゆふべ)には雲(くも)となり。朝(あした)には雨(あめ)とやなるらん。翠帳紅閨(すゐちやうこうけい)【注②】の仇(あだ)しなさけも
蓑輪(みのわ)に月 落(おち)田甫(でんほ)に烏(からす)ないて。衣(きぬ)〳〵の別(わか)れ霜天(しもてん)にみつれば。浅草(あさくさ)の
晨鐘(しんしやう)に驚(おどろか)されて。家路(いへぢ)にとばす罾(よつで)かご。いとゞおもひのおもたましならんかし。

【注① 太夫が揚屋入りの道中をする時の足の踏み方】
【注② みどり色のとばりを垂れ、赤く飾った立派な寝室】

【白紙】

【裏表紙 文字無し】

【表紙 題箋】
花容女職人鑑  下

【白紙】

【短冊様の囲みに和歌三首】

みとりなす春の柳そうつくしき
髪長姫の立すかたかも 芍薬亭

散花に誰か恨むへき御影堂
なつ斗ふく風のやとりそ 浅草菴

南無阿みた色に出にけりとおもふこそ
おのか心の鬼の念仏 六樹園

【右丁】
蓬莱山人撰
   秋
    の
     歌

八 十五 一  生花【芲は花の俗字】斎照道
大きくて
 はては
入へき
 山そなき
くまも
 なく
  すむ
 武蔵野
   の月

【左丁】
八 十三 八  花月堂百雄
くれなゐに
  はなさくとその袋菊
      したゝる露も
         薬なるらん

七 十三 一
花色の    近江信楽
 衣や      桂花園■
  うちけん
   かんさしの
胡蝶も
 くるふ
妹か
 相槌
【左丁 下部】
     春交亭
風なきて  梅明
 こゑなく
    荻は
   照月の
  雪は
   うははに
     つもり
      たり
       けん
【左丁 上部左】
五 十三 五
妻ゆゑに涙斗を   青松楼
     ふとらせて  久丸
 背ほねの見ゆるやせの小男茗

【右丁 絵画 書き込み有り】
【左丁 右下部】

 柳
  園
   撰
 秋
  の
   歌
【左丁 本文】
五 八 十五
空の涙はなつ雀に秋今宵むかしをくゆるなへのはまくり   梅迺屋鶴子
七 十二 十三
世をすてゝゆきゝの雲は山の端へよらすさはらぬ秋の夜の月 向鏡亭菱象
七 □ 十三
しますゝき【縞芒】荻の紫よせ切に桔梗ふくろもぬはせてしかな 和静亭春永
五 十 十三
おちかゝる月のみふねをから〳〵と押戻すやうな初かりの棹 橘光貞
五 七 ■■
城跡のみやまも秋の夕くれは逆茂木みする小男茗の■ 来弓亭数高
七 八 十三
月の中の虎の威をかる狐もや今宵を兎【昼】とたふらかしけん 与鳳亭枝成








【右丁 絵画 書き込み有り】
【左丁】
十五 七 一
いつしたく日かすかそふる斗にて   花咲菴米守
     春は隣のたからなりけり

十三 七 八
雁【鳫】のもし鴎の印は跡もなし  至清堂捨魚
     水際を雪のしらせにして

十三 七 七
しはらくも  生花斎照道
  つちに落ちかぬ
 初雪ははしる
時雨のくせや
  つきけん

十三 七 六  川崎
早咲の      堤兼成
  梅を
   つとにて
うくひすの
  かくれ家とはむ
      けさの初雪

           川崎
十三 十 七      無為菴未高
留守の間に木すゑあれけり
          かへり来て
  葉もりの神や門まとひせん






【右丁】
  不老園撰 冬の哥 滄洲楼梅戸

十 十八 八
この海の氷のひゝも愈あはんあかつき寒き三井寺のかね

五 十五 一   関員雄
埋火に冬をわすれて春心
 つきたす炭にもゆる
         かけろふ

八 十三 一   新泉園
降つもるゆきの田のもの 鷺丸
 すてかゝしゆみ
        もて
         ?たを
      打かとそみる

七 十三 五
あすはまた   松梅舎志丸
  初音またるゝ
      鶯の
 色の
  茶そはも
   愛る晦日

七 十三 五   苑囿亭
つりしのふ     麟馬
 葉はうら
    からて
  袖ひさし
 霰や風に
  みたれみすらん

【左丁 絵画 書き込み有り】









【右丁】
福迺屋撰
 冬の
   哥
 
十三 十五 至清堂
        捨魚
 かくれ蓑そめし
  ふすまはたからにて
 寒さにたにも
     しられさりけり

       近江信楽
八 七 十三    花鳥屋乗康
雪の如    ふれる
 梢にためて  霰の玉に
  見られぬそ  きすなる

【左丁】
         泉堺
          聴風軒草浪
一 五 十三
埋火の炭にけものゝ
       うしとらに
 当りてふせく
    冬の夜の
        ひえ

六 七 十三
松かえの     花咲菴
  こふしを落て   米守
    ひとつかみ
   雪か埋たる人の
       あし跡

十 七 十三   仙府
降雪の玉の     千柳亭
  芸には       唐丸
     およはしと
 こはくもまつの
    根にかくれけん










【右丁 絵画 書き込み有り】
【左丁】
    鈍々亭撰 恋の歌

十五 一 六   六蔵亭
人の目に見も     守冬
     てや
 浮なたちぬらし
  我につきそふ君か俤

十三 五 八
錦木をとり    仝
  いれくれた
      斗にて
 浮名は人のかと〳〵にたつ

十三 八 六      下毛水沼
おもひきや対にそめたる恋衣 鼓腹亭実
    かたく色のかはるへしとは

十三 六 五          川崎壷筆楼改
恋やみそ一枚かみをへかすこと    浅楽菴鳳管
          対の中のふみそうれしき

十三 七 一             黄鳥亭大道
行末をかけゆの水の待遠しみゝか先やる
                 よひとひ【呼樋ヵ】もかな

  

【右丁 絵画 書き込み有り】
【左丁】
     塵外楼撰 恋の歌

七 十五 七
見そめつる時にひねりし芸ひちにおもひの山はつくり出しけん 春交亭梅明

五 十三 五                      《割書:|ヨリ井》
恋やせてひろき衣のみはゝよりおもひにせまる胸のくるしさ  千隺堂長喜

一 十三 七                      《割書:|川崎》
ひとめには腹もたゝれす横くもの帯するまても来ぬ妹そうき  浅楽菴鳳管

一 十三 一                      《割書:|ミカハ》
おとろきて別るゝ鶏のよひなきはもえたつ胸の火にたゝるらし 六王園茂穂

一 十三 三
のみこみし涙のみつに胸の火をけしてひとめをしのふくるしさ 延樹楼湏歌根  



【右丁】
      泉堺
       花月園
六 八 十五   雪丸
梅たちて
 祈りし神の
利生にや
 志にすかりし 
      逢夜
      嬉しき

  六樹園撰
   恋之歌

【左丁】
    《割書:|ミカハ》
     六鵲園
一 十 十三
逢夜はゝ
 つかへし
    癪も
  打わすれ
腹へさしこむ
 文こそうれしき

七 八 十三   呉竹亭真直
こぬ人のおこせし
     ふみは
 采配に
  きりて枕の
   塵はらはらや

一 八 十三   白波酒店甘喜
つるきたち
  身にはそはすて妹故に
   ぬけて出たる武士の魂

        近江信楽
七 十 十五   花鳥屋乗康
君ゆゑに胸斗かは恋やみの
 背中も灸を居て
      こかしつ


      夏の部     蓬莱山人著述
雪(ゆき)の卯花(うのはな)御簾(みす)うちあけてとは。清少納言(せいせうなごん)の筆(ふで)すさび
にて。子規(ほとゝぎす)のはつねきゝては。淀(よど)のわたりはまだ夜深(よふかき)になど。
詠(えい)せしもいとゆかしく。はた初(はつ)かつをの栄耀(えよう)ぐひにとて。八百(やを)
善(ぜん)が楼(たかどの)にのぼれば。目(め)に青(あを)すだれ水(みづ)の音耳(おとみゝ)にすゞしく。
酌(しやく)とる女(をんな)のそろひの前(まへ)だれは。夕風(ゆふかぜ)にそよぎて。蛍(ほたる)みつ
よつ軒(のき)にとびぬれば。女(をんな)どもはこれとらへんとひた

すらに手(て)をうちならすを。さし心得(こゝろえ)たる下男(しもをとこ)は。坂東(ばんどう)
ごゑに返事(へんじ)したるも。おもはぬ興(きやう)をそへてこそおもしろ
けれ。五月(さつき)はたんごのさゝちまき。柏(かしは)もちの手つだひにうち
つどへるは。ひとつながやの佐二兵衛婆(さじべゑば)さま。瀬戸物丁(せとものちやう)の
五良【郎】八 嬶(がゝ)。半下(はした)の於三嫁(おさんよめ)の君(きみ)。たすきひきかけたち
まじりて。くりやのかたはかしましけれど口(くち)ほどは手の
廻(まは)りかねたり。六日のあやめは女の節句(せく)といへど。させる

ふしもなく。ふりつゞくさみだれのつれ〴〵は。ひざに
ゐねむるねこかいやりて。さみせんの爪(つめ)ひきもそれ者(しや)の
はてにやありぬべし。頭(づ)つうにはりし梅(うめ)のみか雨(あめ)のはれ
間(ま)のすけかさは。早乙女(さをとめ)の田植(たうゑ)うたにてあとしさり
して植(うゑ)わたるは。おほきなしりの棚田(たなた)なるべし。その
たそがれのまがきにはゆふがほの花(はな)さきたれど。あや
しの賎(しづ)が住家(すみか)ともみえず。わがせこが来(く)べき宵(よひ)

とやさゝがにの。蜘蛛(くも)のすしぼりのゆかた引(ひき)かけて。
けはひなどつくろふは。何人(なにひと)のかくし妻(つま)にや。椽頬(ゑんがは)には
さゝやかなるせきしやう【石菖】鉢(はち)に金魚(きんぎよ)をはなちて。鉢(はち)うゑの
なでしこはちりもすゑじとや愛(あい)しぬらん。荵草(しのぶくさ)は風鈴(ふうれい)と
ともにのきにつられて。庭下駄(にはげた)はふみ石のうへになゝめ
なり。やがて日没(いりあひ)の過(すぐ)る頃(ころ)夕餉(ゆふげ)のけふりうちなびきて。
僕(ぼく)の女のそのよう意(い)して。膳(ぜん)にならべしふたものに

入たる菜(さい)のいろ〳〵は。昼餉(ひるげ)の料(りやう)にとゝのへたる七色(なゝいろ)
ちやづけの名残(なごり)なるべし。かくて夕餉(ゆふげ)もたべしまへば。
はひりのかたに案内(あない)して。内(うち)にありやとおとづるゝ。声(こゑ)
にぞしるき太棹(ふとざを)は。浄(じやう)るりのおししやうさんにて。
楽屋(がくや)むすびの髪(かみ)にさしたる。廿三屋のつげの櫛(くし)は。
あけ残(のこ)る月に似(に)て。柳(やなぎ)しぼりのゆかたきたるは柳(やなぎ)
湯(ゆ)に入ての帰(かへ)りなるべし。いかに今宵(こよひ)は八日にて

かやば丁の縁日(えんにち)なれば。かしこの街(ちまた)にひさきぬる薬師(やくし)
如来(によらい)の瑠璃(るり)のいろなる。蕣(あさがほ)やもとめんなどそゝのかさ
れて。さそふ水(みづ)あらばとおもふ此(こ)なたにしあれば。うす
ぎぬまとひおびひきしめ。うちつれたちて行(ゆく)かたは。
人あししげき宵月夜(よひつきよ)。闇(やみ)をのこせしくろぬりの
こまげたの音(おと)かしましく。夕(ゆふ)とゞろきのはしならぬ。海(かい)ぞく
橋(はし)や越(こえ)ぬらん。はた出居どの用心(ようじん)すといふ廿八日は。名(な)に

しるき両国(りやうごく)の川びらきにて。年(とし)ごとの例(れい)にそおとに
聞(きこ)へし玉屋(たまや)かはな火(び)あげそむるとか。されば涼風(すゞかぜ)
そよぐ柳(やなぎ)はしよりやね船(ふね)一そううかめ出(いで)て。夏(なつ)な
から梅川(うめかは)とよび青柳(あをやぎ)とのゝしり。いでやこの船(ふね)には
劉伯倫(りうはくりん)かごとくなるのみぬけ【底抜けに酒を呑むこと】もあればと。一斗樽(いつとたる)
ひとつすゑてさかなの用意(ようい)もおほかたならび。海陸山(かいりくさん)
川(せん)の珍味(ちんみ)をこそとゝのへつれ。げにや其(その)利根川(とねかは)の洗(あらひ)

鯉(こい)は。松江(ずんごう)の鱸(すゞき)【魲は鱸の俗字】にまさる美味(びみ)あれど。この円座(まとゐ)に女の
なきはさう〳〵し【張り合いがなくて寂しい】とて。同朋(どうぼう)町に人はしらすれば。とりあへず出現(しゆつげん)
まします妓女(げいしや)の粧(よそほ)ひ。さながら生(いき)たる弁財天(べんざいてん)のごとくにて。
すきやちゞみのかたびらは雪(ゆき)のはだへ【皮膚の表面】をすかし。緋(ひ)ちりめんの二布(ゆもじ)【注】はすゞ風に
ひるがへりてはぎ【すね】のしろきを見すれば。橋(はし)の上(うへ)に行(ゆき)かふ人も。
これに心(こゝろ)をうばゝれて転落(まろびおち)なん風情(ふぜい)あり。芳野丸(よしのまる)のふな
屋(や)かたに髪(かみ)もむかしのかたはづしなるは。いづれの御方(おんかた)の御殿向(ごてんむき)にや。


【注 「ゆかたびら」の後半を略して「文字」を添えた女房詞。】

もうせんの真中(まなか)に座(ざ)せる女性(によしやう)は。瑇瑁(たいまい)の光(ひかり)かしらにかゞやきて。
金襴(きんらん)の帯(おび)は川水(かはみづ)の映(えい)ぜり。これぞ西(にし)の国(くに)百万石もしろしめ
せる【治めたもう】御大名(おだいめう)の北(きた)の方(かた)とぞしられたる。声色(こはいろ)つかふ船(ふね)には紋尽(もんつくし)の
手ぬぐひをそめて。冨本(とみもと)【「富本節」の略。浄瑠璃節の一派】かたる船(ふね)にはさくら草(さう)のゆかたを
まとへり。すべて行(ゆき)かふ船(ふね)ごとにうたひめところせく【狭く】居ならびたる
中(なか)に。媚(みめ)よきかたはやま〳〵浜(はま)〳〵とほめて。こぎわかれ行船(ゆくふね)としてうた
はぬもなく。ひかぬもなし。三弦(さみせん)の棹(さを)船頭(せんどう)よりも猶(なほ)。せはしくてや有(あり)なんかし。

【白紙】

【文字無し】

【白紙】

【白紙】

【白紙】

【見返し 文字無し】

【見返し 文字無し】

【裏表紙】

【王冠マーク(👑) とその下に「N]字】

【背表紙 背文字有り】
KWA YO
NIO SJOK
NIN HAGAMI

【王冠マーク(👑) とその下に「N]字】

【王冠マーク(👑) とその下に「N]字】

【資料整理ラベル】
JAPONAIS
361

【背表紙最下段】
GARDIEN 1864

【冊子の天或は地の写真】

【小口の写真】

【冊子の天或は地の写真】

BnF.

1804

1830

《題:装束織文図会》【印】

Soe ézok  Sikigm  don_e
Denins de modeles  paur huliellements
de Cérémavmvbnie.  1815
1  Vue. auec planches caloriées  ok
echantillans ôétsffes

織文図会叙
織文孟会二間予所織穿岡
士辨氏の所輯也外即王公
卿士内則后宮媚御章服之
新綾羅野之文展巻一嘱祭点
備兵古今冷輩饗賎降殺

亦足以挽見也夫大古逸兵汰
舎焉茲反
人皇衣服有制之衣服有制而
後尊乎之等可星而明矣
尊乎之等可得而明而後
治国平天下之道可等而論 

矣由此観之衣服之制蓋邪国
之大典也首優染平礼楽之場
逍遥干典精之団者不可不講
也其所関保米亦大乎若徒以
好事家祝士翁者吾所不与也
女官之部既梓矣此巻亦将嗣

成予不拒其需以叙所懐爾
享和紀元辛酉孟冬
  従四位下行く侍従藤原基秊

 御袍之類
黄檀染 《割書:桐竹鳳|太堅八寸積六寸五分程》

【上段】
御裏 花田

【下段】
同 蘇芳

麹塵《割書:御分同前|近年御再興》

【上段】
麹塵《割書:山鳩色とも伝山雀唐草|大さ大概叙如此》
   緯黄経崩起因黄御裏同色
【下段】
同 《割書:桜町陰|御異文大さ如此》

赤色 《割書:院著御|大さ四寸》
   後陽成院御文歌

黄丹 《割書:東宮著御或赤色|窠鴛鴦大さ三寸程》

【上段】
雲鶴 《割書:鶴大さ翼のひらき七寸|頭より足まで八寸》
  親王 摂関
【下段】
雲立涌 《割書:立涌幅七寸又六寸|また三寸位》
   親王 摂関

【上段】
同 《割書:親王家近衛家用之|奴袴之文亦同》

【下段】
同 《割書:立涌巾三寸二分|一條家用之》
  奴袴之文亦同

臥蝶 《割書:摂関之時用之|大さ六寸余》

【上段】
伏見宮 《割書:窠菊|四寸二分》
【下段】
桂宮 《割書:菊折枝|葉のひらき五寸三分》
   正親町院御異文

【上段】
有栖川宮 《割書:窠大さ四寸七分|唐草》
  後陽成院御文

【下段】
同上 《割書:三菊|大さ二寸二分》

【上段】
閑院宮 《割書:臥菊|大さ四寸三分》
  東山院御異文

【下段】
同上 《割書:臥菊立涌|立涌幅五寸五分》

【上段】
近衛家 《割書:躑躅立涌|立涌幅《割書:三寸五分|又二寸五分》》

【下段】
九條家 《割書:窠唐草|大さ三寸又二寸》

【上段】
二條家 《割書:窠|大三寸》

【下段】
一條家 《割書:窠唐草|大さ四寸》

【上段】
鷹司家 《割書:丁子唐草|大さ二寸八分又二寸三分また二寸》

【下段】
同上 《割書:龍胆唐草|》

【上段】
久我家 《割書:笹立涌|幅四寸》
 中院

【下段】
同上 《割書:菱|竪四寸》

【上段】
三條家 《割書:亀甲|大さ四寸三分》
 正親町三條三條西

【下段】
西園寺家 《割書:長命唐草|大さ二寸六分》

【上段】
徳大寺家 《割書:窠|大さ四寸一分》
 正親町三條三條西

【下段】
花山院家

【上段】
大炊御門家 《割書:亀甲|大さ四寸一分》

【下段】
今出川家 《割書:三楓|大さ四寸》

【上段】
廣幡家 《割書:菊折枝|葉のひらき四寸三分》

【下段】
醍醐家

廣橋家 《割書:丁子大さ二寸三分|》

【上段】
四位以上通用 《割書:轡唐草|》

【下段】
同 《割書:輪無唐草|》

【上段】
同 《割書:三條家一流用之|称大輪無》

【下段】
今出川家

冷泉家 《割書:称定家立涌|又山科家用之》

【上段】
五位通用 《割書:轡唐草|》

【下段】 
同 《割書:輪無唐草|》

【上段】
朱紱 《割書:政官延尉弾正等用之|》

【下段】 
裡蘓芳《割書:政官|》黄《割書:延尉弾正|》

【上段】
六位 《割書:深緑|》

【下段】 
裡 《割書:蘓芳六位蔵人用之|其他無裡尤畧儀歌》

七位 《割書:浅緑|》

【上段】
半臂の類 《割書:冬綾|夏穀織》

半臂 《割書:冬小葵黒|》

【下段】 
同夏 《割書:濃に藍三重欅|》

【上段】
同 《割書:夏黒|》

【下段】 
同 《割書:黄紅葉|》

【上段】
下襲之類 《割書:冬綾裏同黒|夏穀織》
箸御 《割書:冬白綾小葵|》

【下段】 
御裏 《割書:紫六一菱|》

【上段】
公卿 《割書:冬白綾臥螺|文大四寸二分》
箸御 《割書:冬白綾小葵|》

【下段】 
裏黒 《割書:立繁|摂家若年》

【上段】
同 《割書:立四菱|摂家壮年》
箸御 《割書:冬白綾小葵|》

【下段】 
同 《割書:遠菱|摂家老年》

【上段】
同 《割書:横繁菱|諸家若年》
箸御 《割書:冬白綾小葵|》

【下段】 
同 《割書:横四菱|諸家壮年》

同 《割書:横遠菱|諸家老年》

【上段】
黄柳 《割書:薄黄練色浮線綾|殿上人平絹》

【下段】 
裏 《割書:濃黄打遠菱|殿上人同上》

【上段】
殿上人 《割書:白平絹宝|成張て用之》

【下段】 
裏 《割書:黒平絹宝|成張或打》

【上段】
公卿 《割書:夏穀織蘓芳|摂家若年》

【下段】 
同 《割書:摂家壮年|》

同 《割書:摂家老年|》

【上段】
同 《割書:諸家若年|》

【下段】 
同 《割書:諸家壮年|》

【上段】
同 《割書:諸家老年|》

【下段】 
青杇葉 《割書:公卿遠菱|殿上人無文》

【上段】
殿上人 《割書:二藍成浅黄色浅深|随年齢》

【下段】
織物 《割書:公卿一日晴用之|》

【上段】
搗之類
赤衵 《割書:小葵裏同色|平絹》

【下段】
染衵 《割書:萌黄|》

【上段】
同 《割書:薄色|》

【下段】 
同 《割書:白平絹|宿老》

【上段】
単の類 《割書:摂家立菱諸家如圖|一説老者遠菱》
濃色 《割書:十五未満|》


【下段】
同上 《割書:同|襟袖箔をがむ》

【上段】
青 《割書:若年|》

【下段】
紅 《割書:或蘓芳|老若通用》

【上段】
黄 《割書:四十歳の頃より|》
    黄白の単は衣冠直衣の此
    用之束帯の此不用之

【下段】 
白 《割書:六十歳の頃より|或五十歳前後にても》

紅 《割書:近衛家立花菱|諸家横花菱》

【上段】
表袴之類 《割書:白浮織物|裏紅平絹》
窠霰 《割書:窠大三寸八歩|霰大三歩半》

【下段】

【上段】
同 《割書:窠大三寸五分|霰四分》

【下段】
同 《割書:|窠大三寸三分霰四分》

【上段】
同 《割書:|窠大四寸四分 霰五分》

【下段】
同 《割書:|窠三寸九分霰三分半》

【上段】


【下段】

【上段】
同 《割書:|窠三寸八分 霰三分》

【下段】
八藤 《割書:二戻|》

【上段】


【下段】

【上段】
奴袴之類 《割書:織物十か近来付色も用らる|付色は綾なり裏同色平絹》

【下段】
丁子

【上段】
雲立涌 《割書:諸君著御|立坊以後諱白》

【下段】
龍膽唐草 《割書:親王摂家|御著用歟》

【上段】
雲立涌 《割書:親王|此外少宛替りたるもあり略之》

【下段】
同 《割書:浅黄|》

BnF.

BnF.

【表紙 右下に図書整理票】
JAPONAIS
637
2
【中央に題箋破損】
■■俳優三階興■■
【図書館スタンプ】
\tBibliothèque nationale de France
R,F,
【鉛筆で番号】
7167
2∖2

戯(がく)
 房(や)
稽(けい)
 古(こ)
仕(し)
 組(くみの)
  圖(づ)

浪花新町(なにはしんまち)
  揚(あげ)
   屋(やの)
    圖(づ)

仝(おなじく)
 樓(にかい)
  席(ざしき)

俳優三階興附録巻下
   第三回    東都市隠 式亭三馬著
斯(かく)て薹州(だいしう)の都(みやこ)を立(たつ)てより。凢(およそ)二日 路(ぢ)を經(へ)て又一《割書:ツ|》の島(しま)に至(いた)る。号(なづけ)て樂(がく)
州(しう)といへる由(よし)。そのありさまを見るに。蠻夷(ばんゐ)の夜国(やこく)に等(ひと)しく。甚(はなはだ)
濕地(しつち)なり。一面(いちめん)に暗夜(あんや)の如(ごと)く。数丈(すじやう)の岩崫(がんくつ)。日月(じつげつ)を覆(おほ)ひ陰(かく)し。
昼夜(ちうや)の分(わか)ちなく。燈火(ともしび)を以(もつ)て用(やう)を辨(べん)じ。拍子木(ひやうしぎ)を擎(うつ)【撃】て互(たがひ)
に相圖(あいづ)を知(し)る。街道(かいだう)の入口(いりくち)に。見附柱(みつけばしら)といふ見附(みつけ)をくゞりて。道(みち)
の程(ほど)二三 里(り)も行けば。宿(しゆく)に入(い)る。此(この)處(ところ)よりいなり町。はやし町の
町並(まちなみ)。楽屋の関(せき)まで家續(いへつづき)なり。常(つね)に音楽(おんがく)を翫(もてあそ)び。はなやか
なる天人(てんにん)あまくだりて。かしこ爰(こゝ)に戯(たはむ)れ遊(あそ)び。六藝(りくげい)はいふも更(さら)
遊藝(ゆうげい)諸道にすぐれたり。ふりつけの森(もり)には。神(かみ)さびたる頭(とう)
取(どり)の祠(ほこら)。宮柱(みやはしら)ふとしく立(たち)し松(まつ)の木(き)の。数多(あまた)生茂(おひしげ)りたる透間(すきま)
にして。石燈篭(いしどうらう)の表向(おもてむき)斗りにて後(うしろ)へ廻(まは)り見れば。こと〴〵く燈臺(とうだい)

をうちつけたるにてその状(かたち)【燭台の図】縮圖(しゆくづ)のごとし
其処の名所古跡あまたを順覧して中二海(ちうにかい)の海原(うなはら)を眺望(てうもう)
するに幽(かすか)に三階嶌みゆれども國人ばかり渡海(とかい)して他邦(たほう)の
者はゆきゝする事夫をいましめたり尤 解(たま)【邂ヵ】逅(さか)に見る者あれど
も國風(こくふう)を深(ふか)く秘(ひ)するゆへ爰(こゝ)に詳(つまひらか)にせず又樂州に草(さう)
菴(あん)をむすぶ一人の翁(おきな)あり元来浪花の産(さん)にて淨瑠
璃哥舞妓の道をこのみて續《割書:キ》狂言をつくり出せし
近松門左衛門といひし者なりとかや〽︎それ辞世たる
ほど扨もその後にちりし桜か花しにほはゞと一首の
辞世(ぢせい)をのこして此島にわたりけるが國人善悪のわかち
もしらず五常の道おろそかなりければ翁さま〴〵と
狂言 綺語(きぎよ)をもつて導びき今やうやく人倫をわきまへ
士農工商それ〳〵に役割も極りしは此翁のめくみ

なりとて近松大王と尊みけりされども天王建(てんわうだて)のきら
びやかなるは氣つまりなりとてすこしの菴をかまへてこ【心ヵ】を
やしなひ暮しけるさるほどに彼大㔟の若者ともは市川
三舛をともなひ来り近松大王の別業(べつげう)なるしおり戸の
もとに卑(かき)おろして斯と通じければ中より一人の若黨
菖蒲皮(せうぶかは)の羽をりを着たるが立出て大王の前に両手をつかへ
〽︎申上げます只今 南膽部州(なんせんぶしう)大日本花の吾妻にかくれなき六
代目市川三舛さまお出で△(こざ)《割書:り》升といへは近枩翁うなつき〽︎《割書:ナニ》
三舛どのゝお出とや某は衣服(いふく)を改《割書:メ》對面いたさん皆の者共
《割書:ソレ》お出むかひ申せ〽︎いさゐかしこまりまして△《割書:ル》わが君にはまづ
入らせられませふ《割書:トン〳〵》と下座のめりやすにて奥へ入《割書:ル》と門
番大声をはり上〽︎三舛公のお入《割書:リ■》〳〵と二《割書:タ》こゑひゞけば
傜になりてしづ〳〵とうちとをる三舛もすつぱり芝居の

趣と見てとり長上み下の衣装付にて初對面のせり
ふも濟〽︎上使なれば上坐は御免と上使でもなひらせふ上座
にすはれば一《割書:ト》間の内より紙子仕立の袖なし羽織にて近松
門左衛門立出 賔主(ひんしゆ)の一《割書:チ》礼おはりて四方(よも)山の咄しの席(ついで)に哥
舞妓國のいはれといゝ又翁の此処にましますはいかなる子細
に候やと三舛に問かけられてはづかしや抑(そも〳〵)翁が昔(むかし)を語(かた)るも今
さらにと扇を開ひて淨瑠璃の所作風(しよさぶり)になり元(もと)某はやご
となき月卿(げつけい)の家(いへ)につかへしものゝふにて本性(ほんせい)は杉森氏
とてその名もしられし身なりしが故(ゆへ)あつて録(ろく)【禄】を辭(じ)し
世をのがれたるたのしみには平安堂(へいあんどう)菓林子(くはりんし)とて元禄の
はじめの頃京都みやこ万太夫が芝居の狂言作者となり
その後(のち)浪花(なには)に名も髙き竹本筑後が座に至り近
松門左エ門と名も改《割書:メ》哥舞妓をやめて淨瑠璃の戯

作をすること百余番 就中(なかんづく)國戦(こくせん)爺と振袖(ふりそで)の始(はじまり)は各々
も音にきくらん難行苦行苔の衣をまとひたる仙人
あるとき近松が枕のもとに彳(たゝず)み給ひ止なん〳〵の御声(みこへ)の
下《割書:タ》汝《割書:チ》博学碩才(はくがくせきさい)にしてあまたの戯文(ぎぶん)をあらはすこと
智惠(ちゑ)第一の文珠(もんじゆ)先生此事早くも支離(しり)の菩薩の命を
うけ是迄わざ〳〵あらはれたり以来 仙都(せんと)に伴(ともな)ひて作者
の仙(ひじり)となすべきぞゆめ〳〵うたがふことなかれ来《割書:レ》や来れと
外記(げき)ぶしにて《割書:アヽウ》ふしぎや空中(くうちう)より黒雲(くろも)一《割書:ト》むらまひ
下(さが)るは吉事なるか凶事(きよじ)なるかなんにもせよ不審(いぶかし)ながら
と諸(もろ)ともに家をもわすれて立出しは享保九年のこと
なりしその時七十有余歳今もかわらぬ此老人 落㿟(らくはく)【魄】
然(ぜん)たる嶋(しま)の内かの俊寛(しゆんくはん)もかくやらん見わたせば草(くさ)も木(き)
も日本の地とことかはり昔(むかし)日本(にほん)紀の混純(こんとん)【沌】未分(みぶん)又 唐土(もろこし)

【げき‐ぶし「外記節」古浄瑠璃の一派。慶安「1648〜1652」〜明暦「1655〜1658」頃、薩摩外記が京都から江戸に下って語り広めた。荒事風の豪快な語り口で正徳「1711〜1716」頃まで流行。外記。くだりさつま。】

の上古(しやうこ)に似て。三皇(さんくわう)ならぬ三构欄(さんかうらん)。いまだわからぬ其内は。威勢(いせ)を
爭(あらそ)ひ赫(かく)〻(〳〵)たり。されども翁が方便(てだて)にて。万民大平を諷(うた)ひ。和氣(わき)
整(とゝの)ふとはいゝながら。こゝに又 三種(みぐさ)の宝と称ずるあり。第一に金(こがね)の
銀杏(いてう)。第二《割書:ニ》銀(しろかね)の橘。第三に玉の酢醤艸(かたばみ)なり。此三種のたから物を
一《割書:ツ》に守護せばあしかりならんと。三《割書:ツ》の國にわかちあたへ。惣名を
哥舞妓といゝ。猿市森(ゑんししん)の三國を。三大将に預《割書:ケ》置。平㘬【均】の世と
なりつれども。翁が家をつぐ者なし。さるに依て。お■【て・ことヵ】をたのみ。
わが仙術を傳授して。長生(てうせい)不老(ふらう)萬(ばん)〻(〳〵)歳(ぜい)。猶いつまでも
いきなりに。つきせぬ御代こそめでたけれと。淨るり本の大切《割書:リ》
文句に。栄(さか)へん事をねがふぞや。《割書:コレ》ひとへにたのむは三舛公と。三
の切の物語を少し切《割書:リ》抜く長咄しに。三舛ももだしがたく
段〻の子細といゝ。引くにひかれぬ江戸《割書:ツ》子 質氣(かたぎ)。早束(さつそく)詞
にしたがひければ。是より二代目。近松大王はじまりさやうと


【もだ・す「黙す・黙止す」 もだ・す「黙す・黙止す」もだ・す」「自他サ変」「四段にも活用」①だまっている。万葉集16「恥を忍び恥を―・して事もなく」。徒然草「世の人あひあふ時しばらくも―・することなし。必ずことばあり」②(多く「―・しがたい」の形で)ほうって置く。そのままにして構わないで置く。】

觸流(ふれなが)すに。一國いなむものもなく。皆一同に能(よ)ふございませう 
と答(こたへ)つゝ。貢(みつぎ)のかず〴〵積(つみ)かさね。千秋楽をぞ奏(そう)しける。
     第四囘
扨(さて)も市川三舛は。二代目 近松大王(きんせうだいわう)となりけれとも。いま
だ臺州(だいしう)一國の風俗(ふうぞく)をとくとしらざれば。今より臺州へお
もむき。一覧(いちらん)すべしとて。例(れい)の替紋(かへもん)の鶴(つる)にのつて翁と諸(もろ)
とも。そこ爰を見めぐるに。凢人物は勿論。鳥獣(ちやうぢう)草木(さうもく)に
いたる迄。上代のすがたのこりて。正直なる様子也。善人は至《割書:る》
善にて。悪人は至て悪也。智惠(ちゑ)のある者は大智にて。愚(ぐ)
者(しや)は一向なるべらぼう也。女はうつくしき程。 貞列(ていれつ)なれども。
醜女(みにくき)はきはめて奸侫(かんねい)にて老女又 邪悪(じやあく)なり賢愚(けんぐ)強弱(かうしやく)は。顔
色にあらはれ。面(おもて)白(しろ)きは。かならず性 善(せん)の色男にて。色
ごとなども。骨おらずして出来やすく。青く立縞(たてじま)の筋(すぢ)

あるか。又は赤きいろなるは。大悪無道にして。尤 色情(しきぜう)深(ふか)く。
恋暮(れんほ)れゝつは。親の前をもはばからず。もし婦人承知せ
されば。直に悪念を發(はつ)して。宝ものをすりかへ。その女のいひか
はしたる男《割書:ト》共に。勘當さするなど。度〻あり。その内にも。赤
く竪縞なるは大勇士にて。眼下(まぶち)少しく赤きは是に次(つぐ)。一《割書:ツ》
躰色事は。みめよき女の。かあいらしき口より。あつかましく
も男の方へ。もちかくる事。此國のお定にて。さのみ見
にくゝもなしとかや。金のある大盡(だいじん)は。いつでもぶ男にて。美男(びなん)
はなはだひつてん也。やゝともすれば打擲(てうちやく)に出逢(であふ)。悪手代
は後家と馴合(なれあ)ふて。息子の越度(おちど)を願(ねが)ひ。実家老(じつからう)金の
工面に氣を揉(もん)で借用(しやくやう)の金子(きんす)百両は。却る貨金(にせがね)の無(む)
失(しつ)をいひかけられ。女房の身代金(みのしろきん)は。若殿の揚代にたらず。
姫君の身がはりには。老臣(らうしん)みつから娘の髪を結ひ。忰が

【一ツ躰 (いったい)①(多く「に」を伴って)おしなべて。総じて。「―に平年並だ」②(疑問の意を強く表す語)本当に。「―どうした」③もともと。浮世風呂4「わしは―豆腐が大すきぢや」】

【ひってん(江戸時代の流行語)無一物むいちもつ。金銭のないこと。貧乏。略して、「てん」とも。歌舞伎、お染久松色読販「―酒屋に気の利いた物はねへ】

腹切を。母親に申付るなどは。薮(やぶ)から棒(ぼう)の古哥(こか)を引(ひい)て。必(かならず)謎(なぞ)
の文(もん)句あり。其心を解(と)く事。下郎(げらう)といへども妙也。大畧(たいりやく)は
桜か朝㒵(あさかほ)杜若(かきつばた)に限(かぎ)るべし。貨物(にせもの)の勅使(ちよくし)上使(せうし)は。奥の一《割書:ト》
間を出て。化をあらはし。揚屋(あげや)が催促(さいそく)は。髙位(かうい)の前をもは
ばからずして。遊里(ゆうり)の二階へ帯刀(たいとう)をゆるす。或は月卿雲(げつけいうん)
閣(かく)の列座(れつざ)へ。罾駕(よつでかご)を舁(かき)込(こみ)。荷附馬(につけうま)を追(をひ)入るゝ。其馬の
足は。紺(こん)の足 袋(び)を履(はい)て。ついに駻(はね)たることを見ず。上使たる者は。
一人(ひとり)悪人にして。一人(ひとり)善なり。関所の役人も又 然(しか)り。政務(せいむ)を
執行(とりおこなふ)武士(ものゝふ)は。木馬(きうま)ぶり〳〵やがら責の。名のみにて。幼(おさな)きを
も水責雪責にするあれば。極悪の盗賊を責るに。刀の
鐺(こじり)を以て。白状ひろげと云ふあり。頼(たの)まれた奴(やつ)は直に白状
すれども。心から巧(たくみ)たるは鉄(くろかね)の鎖(くさり)を引《割書:キ》切て。仁愛の下紐(さげを)に縛(ばく)
せらるゝ事間〻多し。常に黒装束にて。がんどう燈灯を

持《割書:チ》。堂塔。又は宝藏(ほうぞう)塗塀(ぬりべい)を切破(きりやぶつ)て。だんびらを口にくわへ。まんまと
首尾よくと大音を上て。己(おのれ)が口に手を當れば。同類もまた
お旦那と大声を發し。互いに《割書:シイ》と云へば。ほうびの金に
あたゝまる。但《割書:シ》盗賊(とうぞく)は皆 樋(ひ)の口(くち)にかくれ住(すむ)と見えたり。又
當國の家作(かさく)を見るに。大王の住(す)む大内(おほうち)など。至て端(はし)
近(ちか)なる造(つく)り方にて。公卿(くげう)殿上(てんじやう)人といへるも。押合(おしあひ)へし合て
居(ゐ)ならび。庭上(ていしやう)へは下部(しもべ)を始。町人百性【姓ヵ】。勝手次第に。玉坐(ぎよくざ)
間近(まちか)く来れども。咎(とが)むる者もなく。又時によりては下(さが)れ〳〵
といひながら。割竹(わりたけ)にて跡(あと)よりついて来(く)る斗り也。城(しろ)は要(よう)
害(がい)不堅固(ふけんご)にて。矢挾間(やさま)のかたちは。墨(すみ)にて●■▲べつたり
と書たるゆへ。すはといふとも射(い)出す事かなはず。その外 宮(きう)
殿樓閣(でんらうかく)とも。表向(おもてむき)のみ立派(りつぱ)にて裏(うら)へまはりて見る時は。
こと〴〵く廉末(そまつ)なれども。不思儀(ふしぎ)なる事一つあり。目前(もくせん)

座鋪と思ふ間に。忽竹藪と替(かは)ると見れば。引《割書:ツ》くり返《割書:ツ》て屋
根となり。又は地の底(そこ)より。男女連立て出るかと思えば。空
より。友達がすつくりと下(お)りて來るもあり。すべて奥の
一間といふは。いかなる貧家(ひんか)も廣《割書:キ》と見へて。客何十人 來(きたり)
ても。しるもしらぬもかまはずに。むしやうに奥へ〳〵と通し。
表に騒動ある事も。さつぱり奥へきこへぬ事あれば。様子
は一間で皆聞たといふこともあり。しおり戸は用心のわるき拵
かたにて。戸を《割書:バツタリ》と閉(とづ)れども。随分脇の方より出入は自(じ)
由(ゆう)なり。されども人の心。正直ゆへ。脇よりは出入(でいり)せず。女房
去つたとつき出し。或は人の死をとゞむるにも。戸口へばかり
氣を付て。外より入《割書:ル》事をしらず。惣て一方口(いつぽうぐち)かと思ふに。この
裏屋からお供して。追人(おつて)の来ぬ内早ふ〳〵などと。後の
方へおちて行。其欠落して行者も。急ひで迯さうなる処を。

里の子どもの哥などを。面白さふに聞きながら。ほうかむり《割書:ニ》て
ほそ身のお太刀を腰(こし)にさし。連(つれ)の女(こ)とじやらけ〳〵歩行(あるく)故。
一向に道のはかもゆかす。死に行身(ゆくみ)とあきらめてと。口ではいへ
とも。二人《割書:リ》ながら心中の心はなく。只むだ口を少しも過(すこ)して。
止(とどむ)る人を待居るゆへ。南無阿みだ仏の五六べんもくり返し。
つまらぬ昔語りをして。おどりさわいで居る処へ。辻堂ヵ竹
薮(やぶ)ヵ稲村(いなむら)の蔭あたりより。待(まつ)た〳〵と飛(と)んて出。内へ伴ひ
帰るとかや。此色事の取持(とりもち)をする者は。赤き顔の奴か。又は
哥占(うたうら)文賣(ふみうり)などか世話する也。或は人の首(くび)受取(うけとり)。または
金の催促(さいそく)なども。皆(みな)暮(くれ)六つの鐘より。先の刻限(こくけん)を相圖(あいづ)
に用ひ。悪事の相談(さうだん)を高声ではなせども。他(た)人に聞へず。
ひそ〳〵声のさゝやきは耳のはたへひく内に。心得ました
と答へ。垣根の蔭(かけ)の立聞は。様子を聞たといふ口で。しめ

殺され。松の木に居る忍びの者は。手裏剱(しゆりけん)《割書:バツタリ》に
命を果す。他國の者の目より見てはあまり愚鈍(ぐどん)におも
はるれども。正直 正路(せいろ)の国風(こくふう)なれば。形(かた)やあらんと。三舛
も翁と共に語り合。しばらく鶴を休めんとて。かたへの岩
に腰打かけ。まづ中入《割書:リ》の辨當(べんとう)を開(ひら)きそれより猶も
奥ふかくたづねいりぬ。

   従是《割書:自第五囘|至第廿囘》殘本三冊
      乍憚口上を以奉申上ます

    右は第四囘のつゞきにて。哥舞妓国にあらゆる
    㕝。天地をはじめて。鳥獣(てうじう)。蟲魚(ちうぎよ)。草木(さうもく)。宮室(きうしつ)。
    雜事(ざつじ)にいたる迄。のこらずつゞき物語に。取組まし

    て三舛島巡全部五冊に書つゞり。御 慰(なくさみ)に備(そな)へんと存升れ
    共。當年は板元の仕入方延引いたし。殊にわたくし方
    へ霜月のはじめつかた。附录のよみ本を拵■【呉ヵ】候様子
    たのみ参りましたるゆへ。あまり早急なれは。様〻
    とことはりましても。おもしろくなくてもよいと申して。一向に
    合点いたしませぬ。私も無據わるくもまゝよと。一枚書て
    は筆者へたのみ。二枚出来れば扳木師へわたしまし
    て。誠に口から出たらめを。漸〻二冊とこじつけ。御覧入
    奉り升。第五囘より廿囘全部の義は。また〳〵来春
    拾遺三階興の奥書につゞり合せ。御一笑に備へま
    する。文法てにはのあしき事は。れき〳〵の作者方と
    ちがひまして。文盲愚物にござりますれば。真平御
    免下さりませふ。只板元が金に任せて。煤拂(すゝはき)前の賣

    出しの間にも合せ。春は早〳〵繪草帋屋の
    初賣より。かし本屋の封切(ふうきり)まで。どうやらかうやら
    まじくなはんと斗りにて。首尾も揃はぬ早ごしらへ。
    博物(はくぶつ)の諸君子には。必御論は御ゆるし下され。おも
    しろ《割書:く》なひ敵討や。よみうりの物語本を。御好物の御かた
    様へ。かはらぬ春の笑ぞめに。
           めでたく筆をとりがなく。
            あづまにしき繪生うつし。
             画工豊國が御評判。ひとへに
              奉上希升
                  《割書:チヨン》〳〵〳〵〳〵




俳優三階興附録巻下《割書:尾》

    後序
余(よ)嘗(かつ)て云(いふ)。銁(おまんま)に換(かう)るとも戯場(しばゐ)を覧(みん)事を欲(ほつ)す。され
ども評判記(へうばんき)の見 切者(かうしや)にあらねば わる口(くち)組(くみ)にもあらず。
やつぱり常(つね)の芝居好(しばゐすき)也。朝幕(あさまく)の鼓(たいこ)につれて。
舞臺前(ぶたいまへ)の落間(おちま)に蟄(かゞ)み。水 試合(しあひ)の菰(こも)をかぶり。
泥試合(どろじあひ)の泥にまぶれて。中 賣(うり)の饅頭(まんじう)を甘(あまん)じ。
デンポウがお先(さき)にされて。張子(はりこ)の首(くび)を取次。
ノンタロウが為(ため)にと蜜柑(みかん)の皮(かは)を頂(いたゞ)く。可懼(おそるべし)
火縄(ひなは)の焼(やけ)穴。徳利(とつくり)転(ころ)んで衣類(べゝ)損亡(だいなし)に


【落間「おちま」  劇場の二重舞台の下で、土間に相当】

なる事を。《割書:ソリヤ》闘爭(いざこざ)と見ては。楽屋(がくや)へ迯(にげ)
走(はし)り。《割書:ヤレ》出(で)《割書:が》ある時(とき)。花道(はなみち)より飛(と)び込(こみ)。
膝(ひざ)を屈(まげ)て徳利(とつくり)を枕(まくら)とし。一重(いちじう)の飯(いゝ)。一碗(いつわん)のお
茶(ちや)を呑(のん)で。楽(たのしみ)其(その)うちにあり。友人(ゆうじん)豊国(とよくに)また
然(しか)り。常(つね)に楽屋(がくや)に遊(あそ)んで。三芝(さんしば)居を穿(うが)つ。
想(おも)ふに。彼(かれ)は三階(さんがい)の凸(たかき)に居(ゐ)て。容色(ようしよく)を寫(うつさ)ん
とはかる。予(われ)は切落(きりおとし)の凹(ひくき)に蹲踞(うづくまつ)て。《割書:イヨ》細(こまか)ひ。
《割書:イヨ》大(おほ)きいの品定(ひんてい)をしらず。然(しか)りといへども。
其芝居(そのしばゐ)を好(このめ)るに至(いたつ)ては。彼(かれ)も一時(いちじ)なり

予(われ)も一時(いちぢ)なり。依(よつ)て以(もつ)て此(この)一篇(いつへん)を撰(ゑら)み。  
われ《割書:に》等(ひと)しきしばゐ好(すき)貴 君子(くんし)《割書:に》呈(てい)
す。楚(そ)のため後序(こうじよ)左様(さやう)。
        《割書:チヨン》〳〵〳〵〳〵
                 云爾
  寛政
   辛酉春    哆囉哩樓
    正月       三馬
           二十五の暁に述

         主■【翁or扇】【玄斎ヵ】
          千倉董流書 落款


 

【右上余白に図書館印】

 東都畵人 歌川一陽齋豊國 【落款】一陽齋 【落款】豊國


寛政十三辛酉年正月發行
       《割書:芝數寄屋橋御門通山下町》
         萬屋太次右衞門

 東都書林
       《割書:本材木町一丁目》
     春松軒 西宮新六藏梓

《割書:三戯塲(さんげじやう)|大雑書(おほざつしよ)》俳(やく)優(しや)節(せつ)用(よう)【?】集(しう)狂(きやう)言(げん)袋(ぶくろ)《割書:三馬作|全一冊》
        《割書:来《割書:ル》戌の初春うり出し申し候》

BnF.

SMITH - LESOUËF
JAP
141

  松田緑山鐵筆
《割書:銅版|新鎸》極細書畫便覧
  皇都    玄々堂發行《割書:玄々堂|緑山筆?》

【横文字の書入・蔵書印・タグなどの入力をどうしましょう】

○御内裏圖

今都ハ人皇五十代
桓武天皇延暦十三甲戌長岡ノ
宮ヨリ此平安城ニウツサセタマフ
紫宸殿○清涼殿○建礼門○
建春門○宜秋門○承【u23d0e】明門〇
日花門○月花門○内侍所ニハ
三種ノ神祇ヲ納奉ル金玉ノ
鈴ノ聲人心ヲ澄無情ノ草
木枝ヲタレ葉ヲシク況ヤ人倫ニ
於ヲヤ○祚年始ノ御儀式
元日四方拜ニ朝拜二日三日ノ
御祝七日ハ七種ノ御粥
白馬ノ御節會十六日
踏歌ノ御節會十九日
舞御覧紫宸殿ノ
前ニヲイテ舞楽アリ
同ツルノ包丁アリ廿日
六十六本ノ左儀長
三月三日御トリ合
四月中酉ノ日賀茂
神社ヘ御葵マツリ
六月十六日嘉祥
七月七日梶ノ御鞠
飛鳥井難波両
家ニアリ同十四日
御燈籠八朔日従

公方様ヨリ
御馬御
献上
九月十一日
伊勢奉幣ハ
吉田神前ニ於テ
是行十月亥日
亥猪十一月廿八日
春日御祭時々
節々御政嘉
□【齢の異体字か 嘉齢延年の語あり】延年ノ
御儀式
ナリ

玄〃堂
 緑山製

【下部書入あり】palace de Mikado Kioto

春の初のけさう文その売声をきゝてさへよならす吉事
ありとありといへりまして此みをもとめて見る人は其年のやくを
はらひ開運はんしやう家内和順の守と成へしまた
女子は此文を求てひめ置給へは愛敬の守と成て空敷縁を
結ひ給ふへしとく〳〵求てよき幸を得玉ふへし
大平の御代に出たるけさうふみ

初子之日
野外
御遊之圖

むかし初春(はつはる)の子の日(゛)には大内(おほうち)の北乃野に
みゆきまし〳〵て小松をひきわかなを
つみて御遊(ぎよゆう)ありしなり
公事(くじ)根源(こんげん)に曰く
朱雀院(しゆしやくゐん)圓融院(ゑんゆうゐん)三條院などの御時
には此御遊はありけるにや中にも
圓融院の子ノ日(゛)させたまひけるは
寛和(くわんわ)元年二月十三日の事なり路(みち)乃
ほどは御車なりしが紫野(むらさきの)ちかく
成(なり)て上(゛)皇(くわう)は御馬にめされけり
左右大臣以下皆 直衣(なをし)にて殿(てん)上(゛)人には
布衣(ほい)なり幄(あく)の屋(や)をまうけ幔(まん)を
引めぐらし小 庭(には)となして小松を
ひしと植(うへ)られられたり籠物(ひもの)折(をり)びつ桧破子(ひわりご)
やうの物を奉る人ゝ和哥(わか)を献(けん)ず《割書:下畧|》
式日子は北方に配して一 陽(やう)来復(らいふく)乃
候(こう)とし又 釈氏(しやくじ)に北倶(ほくく)庐州(ろしう)の人の
千歳(せんさい)を経(ふ)るといへる説によりてまづ
大君(おほきみ)に其(その)齢(よは)ひをあやからせ奉らん
為此日の御遊を催(もよほ)されしになん

 ねのひしにしめつる野へ乃
     ひめ小まつひかてやちよの
   かけをまたまし   清正

  みゆきせし北野の春の
          姫小まつ
    引もかしこき
     ためしなりけり     千蔭

【子ノ日の「日」や「上」に濁点「゛」がふられています。閲覧ではうまく表示されず残念。】

                    春燈齊 鐫

高砂
能之
  圖

【下部に薄くアルファベットの書入あり】

                  安宅能之圖
                      春燈齊鐫

       春燈齊 鐫

猪の子餅乃由來
摂津國(せつつのくに)能勢郡(のせごほり)切畑(きりはた)の両村(りやうそん)より毎年(まいねん)
禁庭(きんてい)へ調進(てうしん)し奉(たてまつ)るこれを御玄猪餅(おげんちよもち)の調貢(てうぐ)
といふ傳(てん) ̄ニ曰 ̄クむかし 神功皇后(じんくうくわうこう)三 韓(かん)を征(せい)し
御 凱陣(かいちん)乃とき 皇太子《割書:應神|天皇》を供奉(ぐぶ)し給ふ
こゝに香阪(かうはん)王《割書:麛坂|ならんか》といふ無道(むとう)人あり国家(こくか)を
【割書部分「應神」に(わうしん)「麛坂」に(かこざか)のふりがな有り】
奪(うばゝ)んとて軍勢(くんぜい)を催(もやふ)し 皇后を滅(ほろぼ)さんとて所々にて挑みたゝかひ此山
中に追駆(をいかけ)奉り既(すて)に害(がい)し奉らんとする所に猪(ゐのしゝ)多く出て香阪王を喰殺(くひころ)し
永く怨敵(をんてき)亡(ほろ)びけるこゝに於て 皇后太子ともに危難(きなん)を免(まぬか)れさせ給ふ天下 静(しづ)
まりて後(のち) 應神天皇の御代(みよ)より毎歳(まいさい)亥月亥日を祝(しゆく)し給ひ吉例として長く
御亥猪餅(おけんぢよもち)の供御(ぐご)を調貢(てうぐ)すべき詔(みことのり)ありて代々の 帝へ變らず三ツの亥共に捧(さゝ)げ
奉る也然るに中比に至り兵乱(へうらん)に依て中絶(ちうぜつ)しけるを百八代 後陽成(ごやうぜい)帝乃文禄
二年 再貢(さいぐ)ありて先規(せんき)の如く今に於てかはらず□□
拾芥抄曰十月亥 ̄ノ日食_レ ̄ヘバ餅 ̄ヲ除_二 ̄ク萬病_一 ̄ヲ 下学集云 豕(いのこ)は毎年十二 子(し)を産(うむ)閏月 ̄ニハ
十三子を産故に女人 羨(うらやみ)_レ之 ̄ヲ 十月豕 ̄ノ日を祝(しゆく)すゆへに豕子と名づく十月を用るは
豕(ゐ)の月なるゆへに此月此日を用ゆ 委くは摂津名所圖會 ̄ニ見へたり

新聞文庫・絵


報知新聞
便 錦画第一号

北海道根室州釧路郡において
明治七年十二月二十五日午前十一時 過(す)ぎ
日(ひ)三つ並び出(いづ)るを見る驚愕(おどろき)を
なすと雖(いえど)も怪(あや)しむにたらず其故は久々
の厚雲(あつくも)に大陽(たいよう)の曲(まが)り映(うつり)ずる天象(かたち)
西人(せいよう)是を「フアロス」暈(かさ)の類
と云ゝて昔時の奇(き)じは発明(はつめい)
の世の常なり此一りを窮(きわ)めて
推考(さとり)せば年代記の奇 説(せつ)とても
驚くに足らずと江湖(よもの)の婦女
子にしか云

穂千堂
  真文誌

郵                                 本若板
報知新聞                              新志座
便 錦画第十八号                          ホリまさ

大阪高津七番町栗駒常七 倅(せがれ)の
久吉は当十七才なるが去年 窃盗(せつとう)の
科(とが)により懲役(てうえき)六十日 蒙(かふむ)りなを慎(つゝ)し
まず十二月雇われ先(さき)の金拾円持
逃し親 許(もと)知音(しるべ)へも立寄りがたく
式夜千日前みせ物小屋に臥(ふし)居たる
傍(そば)をかへり見れば拾才計の女子臥
たるに色欲(しきよく)を発(おこ)し無暗と手詰(てづめ)に
なすといへども初年(おさなき)の女子なれば終(つい)に
大音を揚げ叫(さけ)ぶ声 巡査(おまはり)の耳(みみ)にふれ
駆来(かけきた)り捕(ばく)せられ後(のち)懲役七年に所(しょ)
せられ此 初女(むすめ)はなんば村菅原茂兵ヱが
女にて家を出奔(ぬけいで)し爰を臥所(ふしと)とせり
明治八年六月の事情      よしなり            二代
                               貞信
                            編集人 西屋基二

郵便
報知新聞
第五百五十一号
                        大蘇芳年
大坂(おおさか)舩越(ふなこし)町(まち)に骨接(ほねつき)を業(げふ)とする松本(まつもと)
あいと呼(よ)ぶ婦人(ふじん)あり年(とし)猶(なほ)廿六才なるが
日頃(ひごろ)より柔術(やわら)にも長(たけ)たりしが其(その)妍(かほ)よ
きを以(も)て人(ひと)其(その)勇(ゆう)を知(し)るものなし近(ちか)き
頃(ころ)隣(りん)家(か)の娘(むすめ)を連(つ)れて長柄(ながら)川(がは)の
堤(つゝみ)を過(よぎ)りしに川風(かはかぜ)寒(さむ)きかはたれ
時(とき)四人の荒男(あらをとこ)躍(をど)り出(い)でおあいと
隣(となり)の娘(むすめ)とを両人(りやうにん)づゝにて取(とり)おさへ
強淫(がういん)なさんと為(な)せしかば於あいは
大(おほい)に怒(いか)りつゝ組付(くみつい)たる一人を水中(すいちう)
投(なげ)こみ又一人を撞(つき)こかし隣(となり)の娘(むすめ)を押(おし)
臥(ふせ)て上(うへ)へまたがる一人の領髪(ゑりがみ)とつて
捻倒(ねぢたを)し拳(こぶし)を堅(かた)めて一人の眼(まなこ)の辺(あたり)を
打(うち)ければ何(いづ)れも恐(おそ)れ逃散(にげちつ)たり
              三遊亭圓朝誌

【タイトル】
郵便
報知新聞
第四百四十九号

【本文】
枯(かれ)木(き)に再(ふたた)び花(はな)咲(さく)は彼(かの)開花翁(はなさきぢゝい)が
伎(き)倆(りやう)に出(い)でたる昔(むかし)語(がた)りに伝(つた)ふ
を聞(き)く而己(のみ)爰(こゝ)に渡(を)島(しま)の福(ふく)山(やま)
なる杉(すき)原(はら)美(み)農(の)と云(い)へるは挿(さし)花(ばな)を
以(も)て娯楽(たのしみ)とせり西(せい)京(きやう)池(いけ)の坊(ばう)四
十二世 専(せん)正(しやう)坊(ばう)の門にあそびて
功(こう)手(しゆ)に妙(めう)を得(え)たりとぞ去る弥(や)生(よひ)
五日にや活(いけ)たる梅の花の后(のち)其(その)枝(えだ)ゝ(〳〵)
に実(み)を結(むす)び漸(やゝ)熟(じゆく)せしとは愛度(めでた)
けれ師(し)翁(おう)仄(ほのか)に聞(ぶん)知(ち)せるより
前(ぜん)号(こう)の隺岡(つるをか)とよべるに因(ちな)みて
一 首(しゆ)を詠(よみ)て賜(たまは)りしとぞ

鶴岡は仙人(やまびと)の住む宿なれや
 千世のみのりのうめの梅がえ

木偶道人誌

過日錦画新聞第十四号に摸写せる
五大力茂市は浪花の水に遡(さかのぼ)る鯉魚(りぎよ)の
勢ひ普(あま)ねく賞(しやう)して皛(きらびや)かなる晴天
の名を甲太皷(かんだいこ)に轟(とどろ)かす大角力にて
土俵入せる支躰(からだ) 寸量(かつこう)の本説(しつ)
に曰く
大阪府下頭取
  高﨑要左エ門
  弟子
  五大力茂市
  当七年二ケ月
 身丈 四尺五寸
 目方 十八メ目
こゝに再画(さいぐは)し人気力 量(りやう)の栄(さか)ふ
るすへを待のみ
       其角
 觝とり
    ならふや
  秋の唐錦

《割書:大|阪》錦画              花源堂しるす

                            小信改二代
                            貞信画
                                綿喜板
                                冨士政板
                                 ほり九一

【新聞社名欄の刷りなし】      小信改二代
                  重信 画
                   冨士政板
                   錦長板
                   ほり 重
世にふ具(ぐ)なる
を愁(うれ)ひ難病(なんびよう)
にかゝりたるを
遠(とほ)ざけ愛着(あいじやく)
を失(うしな)ふことと少なからづ人論に生れ
人りんたらんは素(もと)より天然(てんねん)の應授(さづけ)なの【り?】こゝに一話
あり生れつき粉芬(ちよふん)を粧(よそ)?ふ如く人にこへ色白くして
頭髪(かみのけ)赤くのびそろひたる一女あり親(おや)これをあやしみ
て年をかさねたるうち近所の料理亭(りようりや)へ酌(しやく)とりにつかはし
おきたるにある日此 亭(や)へさる異人(いじん)酒飯をもとめきたりすでに
一盃(いつこん)かたむくころ此婦人(ふじん)を見て是(これ)わが本国の
美女(ばつぐもの)なりとその容貌(かたち)に見とるゝことやゝ
ありてたちまち妾(てかけ)にせまほしと親に乞(こ)へば
親はわが子の変生(へんしやう)なるを心になやめとも
すでに異人の望(のぞみ)にまかせ妾(しやう)とさため時の
活計(くはつけい)□にけ女子(じよし)の生涯(せうがい) 安穏(あんおん)なるを経(へ)たり あゝ□【情?博?】 (ひろ)く世かいを見
れば捨(すつ)べき物やあらんかへつてふ具(ぐ)の幸(さいわ)ひあり世の人われを顧(かへりみ)ずして
人を謗(そし)り笑いやゝにもおらぬ放言(ほうげん)に其身をやぶりいわゆるあほうに銭もふけ
せられなどよくこゝろへねばあるへからずといさゝか勧善懲悪(くはんせんちようあく)の意(ゐ)をしめすに

                        本安板
                        本若板
                          ホリトラ

長門国小松田村長右ヱ門が息子
 源二郎は元豊浦町東鳥居
  辺の材木屋の子にて
  二才にて捨(すて)たるを
    長右エ門が
    拾(ひろ)ひ育(そだ)てあげたる
       おとなし物何某方へ丁稚(でつち)と

        なりしが主人家内の気に
        入って貰(もろ)ふた金は身に
つけず拾ふた神の親里へおくる心の一燈(いつたう)の
育てた甲斐(かひ)の七光(なゝひか)りと喜ぶ影(かけ)のじつ親は左ほどの者になつたるかと許(もと)へ戻して育てたしと人を
やつて掛合ふても□直(ちょく)一づの源二郎は二つで捨た親よりも今日迄そだてゝもろふたる親の恩義(おんぎ)の
 深いとて渕(ふち)の浅 知惠(ちへ)うけつけずじつおや是に   一音もなくつい其まゝに成つたるは貧(ひん)といへども
  子宝を捨るといふは道でなく育てゝおいてごらんなさい
役にたつことがありますと明治八年
 第六月
 讀賣第百二十一号に出

        小信改二代
        貞信画

大阪新聞錦画  第十七号

大阪新聞錦画 第三号             小信改二代
                       貞 信 画
東京高井戸村辺に明治八年四月二十日ある家の七歳になる女の子が去年生(きよねんうま)れの
赤 児(ご)を守(も)りして夕方ひとり帰(かへ)り母は赤児を尋(たづね)しにおまへがいつもあんまり泣(ない)たら川へ
はめるといふ通り泣て仕(し)よふがないゆへに川へはめて戻(もど)つたと聞より母は気も狂乱(くるい)いそぎ川 辺(べ)へ
居て見れど最早(もはや)流れて知れぬゆへ内へかへり女の子を捕(とら)へさん〴〵せつかんせし所あたり所が
悪(わ)るかつて此子も死んで大 変(へん)となりしを母は思ふやう夫(をつと)の留主に申 訳(わけ)なしと又此母も
身を投(な)げて因果(いんぐは)は巡(めぐ)る一日に三人連れの死出(しで)の旅(たび)三 途(づ)の川の浅はかな事とうわさも
高井戸のあわれといへど愛着(あいじやく)の薄(うす)きことにてあらずや
子のあるおかたは耳をさらへ
よくおきゝと
読うり
八十八号に
    歎(たん)ぜり                本 安 板
                文花堂誌      本 為 板

大阪新聞錦画 第四号

武州小ヶ谷村の平左ヱ門といふもの常々(つね〳〵)
倅(せかれ)に云ふ 若(もし)予(われ)【?】死なば嫁(よめ)と二人にて葬式(そうしき)
を取おこなひいまだ定まれる嫁もなけれは
婚礼(こんれい)は棺(くゎん)の前にてして呉(く)れと云しに明治八年
四月はたして平左ヱ門は頓死(とんし)せり彼の遺言(ゆいげん)を
信じ急に近辺由右ヱ門が娘を仲人を以て貰請(もらひうけ)
野送りの日は棺の前へ花嫁入込み歓(よろこ)ひやら悔(くや)み
やら高砂念佛のあへまぜ鱠(なます)妙な事があれば
有る物世に云ふ泣(なき)笑ひの放言(ほうげん)宜(うべ)なるかな遺言
も考へて云ぬと難義なことが出来ますと
読売百一号に出たり

  文花堂誌

       ホリトラ
      本安板
      本為板

    小信改二代
     貞信画

明治八年
大阪
錦【絵】
新【聞】
第廿四【号】

南円堂(なんゑんとう)に
嗅(かゝ)焼(や)くとは
順礼歌(じゆんれいうた)の横(よこ)
訛(なま)りそれにはあら
で春(はる)の日(ひ)に男(をとこ)が二人(ふたり)も焼死(やけし)
せしは当(この)三 月(くはつ)の四日にて奈良(なら)県下(けんか)なる若草山(わかくさやま)鹿(しか)と分(わか)らぬ事(こと)には非(あら)ず
慥(たしか)に三笠山焼(みかさやまやき)は例年(まいとし)馴(なれ)し事(こと)なれば麓(ふもと)の草(くさ)に火(ひ)を付(つけ)て容易(ようゐ)に
草(くさ)は焼尽(やけつき)じとかの絶頂(ぜつてう)に憩(やすら)ひしが思(をも)ひの外(ほか)に風(かぜ)はけしく
遁走(とんそう)せんと苛(あせ)れども猛火(もうくわ)四方(しほう)を塞(ふた)ぎてぞ是非(ぜひ)なく
死(し)せしは哀(あわ)れなり是(これ)のみならす誰人(たれひと)も万 事(し)に付て油 断(たん)から命(いのち)を失(うしな)ひ
財(たから)を失(うしな)ふ世 間(けん)に此類(これら)些(すく)なしとせず身(み)の用心(ようじん)火(ひ)の用心

                    猩々堂九化述

                    小信改二代
                     貞信画
                        いし和板

新聞図会 第十号

阿州名東県十五等出仕吉本信治いふ人の家に.傭(やと)ひ女の
おつねといふ者は.主人の留守(るす)の戸(と)堅(かた)くろしく.寝(ね)もやらぬ夜に
押入し.一人りの賊(ぞく)は研(と)ぎすます.出刃と眼玉をひからして.
金子出せだせに驚(おどろ)くおつね.わたしは此家の傭人ゆへ.金子の
有所はしらねども.着類は爰(ここ)にと箪笥(たんす)から.出して渡せど
心では.旦那の留守に一と品でも.紛失(ふんしつ)なさばいゝわけなしと.
心もたけき女ゆへ.そつとしら刃をかくし持.とはしら浪の
白痴(しれもの)が.衣類を背負(せをい)出行を.思ひ
しれよと切り付しが.賊もすかさず
出刃振り上.しばしか程は戦(たゝか)へど.
女の腕(うで)のかい
なさに.すでに
切ふせられんと
せしが.近所の人が
聞(きゝ)つけて.かけ付来たる
有様に.賊は品物捨置て.逃
去りしゆへ一と品も.とられざりしは
此おつねが.心がけよき所とて
県庁(おかみ)さまより賞典(ごほうび)を.いたゞきしこそ手柄なりとぞ

                       《割書:略誌|画図》笹木芳瀧
                            八尾善板

大阪西大組拾一区新町通二丁目四十番地川口よしは元     小信改二代
倉橋屋(くらはしや)とて娼婦(ぢよろう) 芸妓(けいこ)の置屋(おきや)なりしが近年(きんねん) 遊女(ゆうじよ)       貞信画
解放(ときはな)しの令(おふれ)ありしの際(きわ) 朝旨(てんしのおゝせ)を遵奉(したがひむてまつり)して数金(あまたのかね)
を出(いだ)してかへたる 多(おほ)くの女郎(こども)も各(おの〳〵) 其籍(そのせき)に
復(かへ)せしの後は活業(なりはい)を醤油商(しやうゆうや)と改めしも
天理(てんり)にや叶ひけん當三月廿五日古き土蔵を壊(こぼ)ち
たりしに宝字(ほうじ)小判其外 種(さま)〱の金貨(かね) 数百金(たくさん)
を得(ゑ)たり直(たゞ)ちに官庁(くわんちやう)へ訴(うつた)ければ
本人(ほんにん) 所持(しよじ)の地中より 掘出せしなれば
残(のこ)りなくたまわりしを當時(このごろの) 金貨(かね)に
交換(かへこら)せしかば千三百円余なりしとは
彼(かの) 支那(もろこし)の廿四孝 郭巨(くわつきよ)の釜(かま)にも
             勝(なさ)るといふべし
  あらかねの地(つち)より得(ゑ)てし金貨(かね)
    なれど天(あめ)のめぐみと人のいふらん

               猩々堂主人記 印

  新聞図会  第
          壹
            号

新聞圖會 《割書:第八|  号》
                   小信改二代
                   貞 信 画
                    八尾善板
盲人蛇(めくらへび)におぢすと
いふ諺(ことはざ)にあらで盗賊にも
屈(くつ)せざる大丈夫はヒンヒン(貧々か)菴
と号し三味の曲弾に名を
得し人にして通称(つうしやう)生久卜
一朗当四月十一日玉江橋
北詰にて三人の賊車前を
ふさき既に衣服を奪(はぐ)へき
の所卜一一言を発して予が
如き貧民(ひんみん)の衣服売代なすともいさゝかの価
なるべし今我衣服を奪ふをゆるせば吾活業(わがなりはひ)たる
一曲を汝等(なんぢら)が耳に施べしと流石(さすが)の暴徒理言に伏し
奥ある事と思ひしにや軈(やが)て調らべを乞けるにぞ得手の
練(れん)曲 弾(だん)じければ其妙音にや感じたりけん手を空(むなしく)して
かへる而已(のみ)かは円貨廿銭を卜一に与へ去しとぞ
               正情道九化記

新聞図会 第廿号

巡邏卒(おまはりさん)は人皆 無益(むゑき)のように思へど
其(その)功能(こうのう)実(じつ)に少からず別て痴病(あほう)などには的薬(めうやく)也
既に六月五日午前三時大阪天神橋下に投身(みなげ)有(あり)
規則の如く陰陽両体 括(くく)り合せて流れ居たり
巡邏(おまはり)其外五六名にて引揚療治を加へしかば頓(やが)て
蘇生(そせい)したり男は西京笹屋町飯森宗吉とて
廿一の若盛(わかざか)り女は同所中立売中島某が母の
志津(しず)四十二年の年増後家(としまごけ)三年前より馴合(ちゝくりあひ)しが
金に手づまり身を投しと色は思案の外か
なから廿歳(はたち)斗の身を以て初老を
越たる婆々【?】さんと死なんとせしは
痴漢(たわけ)の親玉此 難病(なんびょう)を救(すく)ひしも
全く巡回散(おまはりさん)の功能ならずや
四十二と廿一は二つ割に当りたれは
ひと度は四二天作の後家さんと
二進(にっちん)が一子 救(すく)うめてたさ
      □□楼主人□□
本文には両人の書置あれど略く【はぶく?】


      八尾善板

    小信改二代
     貞信画

筆者藤村滋枝
       《割書:新開通|壹丁目》八尾善兵衞板

明治八年六月八日午前一時すぎ東京浅草新谷町佐藤麟造が留主(るす)に兄の終吉が泊(とま)り合はせ
たるに更(ふけ)行く夜はにあやしき物音 起(おき)て見つ寝て見(み)蚊屋(かや)ごしに乗(の)り掛(かゝ)つたる泥棒(どろぼう)は揉(もみ)あふ内に
着(き)物を脱(ぬ)ぎ赤躶(はだか)にて迯げ出るを追かけ行けども終吉が病(やまひ)の跛(びつこ)はしりまけ見失ひたる
片足が空しき短夜物がたり跡にのこりし泥棒の木綿袷と三尺帯 鑿(のみ)
見たやうな物を捨て置こちらは一品も取られずに能くマアこんな分捕(ぶんどり)をいたしましたと
日〳〵新
聞千三十
六号に出

文花堂誌

新聞図絵 第卅六号



【上】
楽善堂三薬(らくぜんどうさんやく)

鎮溜飲(ちんりうゐん)
りうゐんの妙薬(くすり)なり胸(むね)
つかへ腹(はら)はり腰(こし)いたみ気(き)
ふさぎ食物(しょくもつ)すゝまず常(つね)にむか〳〵として
嘔気(はきけ)を催(もよほ)す等(など)に用(もち)ゐて大によし

○穏通丸
つうじの薬(くすり)なり逆上(のぼせ)を引下(ひきさげ)
毒(どく)を下(くだ)すの功(こう)あり頭痛(づつう)めまひ
耳(みみ)なり歯痛(はいた)み腹(はら)はり胸(むな)ぐるしき等(とう)に用(もちゐ)て尤(もっと)も妙(みやう)なり

○補養丸
精根(せいこん)を補(おぎ)なひ元気(げんき)を養(やしな)ふ
の良剤(くすり)なり病後産後(びょうごさんご)の
弱(よわ)りまたは生付(うまれつき)よわく魂気(こんき)うすき人に用(もち)
ゆれば血(ち)の巡(めぐ)りを能(よく)し身体(からだ)を丈夫(じょうぶ)にするの
功(こう)あり

 東京銀座 岸田吟香拝告


【右】
何(いづ)れも用(もち)ゐかた功能とも
各々その薬(くすり)の包紙(つゝみかみ)に委(くわ)
しく記(しる)し置申候
此ほか養生(ようじょう)食
品いろ〳〵水すまし【?】
薬等私方にて売
弘め申候


【左】
《割書:目|薬》精錡水(せいきすい) 《割書:東京銀座| 岸田吟香製》

此御めぐすりは西洋(せいやう)の大医(たいい)より
直伝(ぢきでん)の名法(めいほふ)にして古今無類(ここんむるゐ)の
妙薬(みやうやく)なれば功能(こうのう)の著明(あらた)なることは
諸人(しょにん)の知(し)る処(ところ)なり
○血(ち)め○たゞれめ○のぼせめ○
やみ目○むしめ【?】○目ぼし○其他(そのほか)一切の眼病(がんびやう)《割書:に|よし》

近頃(ちかごろ)諸方(しょはう)に疑似(まぎらは)しき類薬(るゐやく)あまた出来(しゅったい)候間
私方の記号(しるし)よく〳〵御糺(おんたゞ)しの上 御求(おんもと)め可下候


【下】
三薬(さんやく)精錡水(せいきすい)とも取次(とりつぎ)売弘(うりひろ)め被成たき
御方は私方へ御申 越(こ)し被下候ハヾ受売方(うけうりかた)
薬数(やくすう)割合(わりあひ)等(とう)の書類(しよるい)早々御 届(とど)け可
申上候但シ三薬の儀は 実(じつ)に諸人(しょにん)の助(たす)け
とも相成るべき霊薬(れいやく)に付 盛大(せいだい)に売(う)り
弘(ひろ)め度奉存候間取次の御方江は
多分(たぶん)の御利潤(ごりじゅん)に相成候様下直(けじき)に
卸(おろ)シ差上可申奉存候何卒多少に
不限 御注文(ごちうもん)奉願上候以上

 銀座二町目壱番地
東京 岸田吟香 敬白

          鮮斎
          永濯

【右掛け軸】
(印)精錡【金偏に竒】水 
   東京銀座 岸田吟香拝(印)

此御目ぐすりは美国(アメリカ)の大医より
直伝(ぢきでん)の名法にして日本国中たゞ
我が一家(いつか)の外(ほか)には決(けつ)して類(るい)なき
妙薬(みやうやく)なり是(これ)まで世間(せけん)にありふれたる
目薬(めぐすり)は何(いづ)れも粘(ねば)りたる煉薬(ねりやく)の類(るい)にて却(かへつ)て目の
害(がい)となること少からず然(しか)るに此 精錡水(せいきすゐ)は澄明無色(すみきり)たる
水剤(みづぐすり)にして実(じつ)に目薬中(めぐすりちう)の第一等(だいいつとう)なる者なれば一切(いつさい)の眼病(がんびよう)に
用(もち)ゐて其 功能(こうのう)の著明(あらた)なるは素(もと)より世人(せじん)の遍(あまね)く知(し)る所(ところ)なり


【左掛け軸】
(印)楽善堂三薬
   岸田吟香拝(印)

補養丸(ほやうぐわん)
精根(せいこん)を補(おぎ)なひ元気(げんき)を養(やし)なふの良薬(りやうやく)なり性質(うまれつき)の弱(よわ)き人または
病後(ひようご)産後(さんご)の肥立(ひだち)かねたるによし婦人(ふじん)ちのみちに妙(みよう)なり持薬(ぢやく)として
常(つね)に用(もち)ゆれば一生無病(いつしやうむびよう)にて長命(ちようめい)すること受合(うけあひ)なり

鎮溜飲(ちんりうゐん)
りうゐんの妙薬(みやうやく)なり胸膈(むなさき)を開(ひら)き脾胃(ひゐ)を健(すこや)かにし
食物(しよくもつ)のこなれを能(よく)し腹中(ふくちう)を調(とゝの)へ気力(きりよく)を益(ます)の功能(こうのう)あり食物(くひもの)あぢ
なく常(つね)にむか〳〵として胸(むな)ぐるしく苦(にが)き水(みづ)を吐(は)きなどするに用(もち)ゐて
      尤(もつと)も功(こう)あり

穏通丸(おんつうぐわん)
つうじの御薬(おくすり)なり胸(むね)つかへ腹(はら)はり食物(しよくもつ)すゝまず
何(なに)となく心地(こゝち)あしき時(とき)この御薬( くすり)を用(もち)ゆれば忽(たち)まち毒(どく)を下(くだ)し
逆上(のぼせ)を引(き)下げ腹中(ふくちう)を掃除(そうぢ)して気鬱(きうつ)を開(ひら)き
熱(ねつ)を醒(さま)すこと神(しん)の如(ごと)し          千束里の

楽善堂三薬 岸田吟香製 謹製


補養丸(ほやうぐゎん)

精根(せいこん)を補(おぎ)なひ元気(げんき)を養(やし)なふの良薬(くすり)なり性質(うまれつき)の弱(よわ)き人または病後産後(びょうごさんご)の
肥立(ひだち)かねたるによし婦人(ふじん)ちのみちに妙(みやう)なり持薬(ぢやく)として常(つね)に用(もち)ゆれば
一生無病(いっせうむびょう)にて長命(ちょうめい)すること受(うけ)合なり


鎮溜飲(ちんりうゐん)

りうゐんの妙薬(みやうやく)なり胸膈(むなさき)を開(ひら)き脾胃(ひゐ)を健(すこや)かにし食物(しょくもつ)の
こなれを能(よく)し腹中(ふくちう)を調(とゝの)へ気力(きりょく)を益(ます)の功能(こうのう)あり食(くひ)
物(もの)あぢなく常(つね)にむか〳〵として胸(むな)ぐるしく
折々(をり〳〵)苦(にが)き水(みづ)を吐(は)きなどするに
用ゐて尤(もっと)も功(こう)あり


穏通丸(おんつうぐゎん)

つうじの御薬(くすり)なり胸(むね)つかへ腹(はら)はり食物(しょくもつ)
すゝまず何(なに)となく心(こゝ)地あしき時(とき)この御薬を用(もち)ゆれば
忽(たちま)ち毒(どく)を下(くだ)し逆上(のぼせ)を引 下(さ)げ腹中(ふくちゅう)を掃除(そうぢ)して
気 鬱(うつ)を開(ひら)き熱(ねつ)を醒(さま)すこと神の如(ごと)し


御目薬 精錡水

 東京銀座二町目
本家 岸田吟香 謹白


      彫銀

    解□
    永□

勧善懲悪 官許 錦画新聞【「勧善懲悪」「錦画新聞」は横書き、「官許」は縦書き】
第 壹 号
大坂平野町 御霊(ごりよう)
社 裏門(うらもん)まへに西洋造(せいようつく)
りの家を建(たて)たる燕亭(えんてい)と
いふ人は平民中(へいみんちう)の文明家(ぶんめいか)
にて其行(そのおこな)ひに於(おゐ)て美事(びじ)【左ルビ:メヅラシ】
美談(びだん)【左ルビ:キコトハナシ】あまたあり就中去年(なかんづくきよねん)
中の嶋(しま)元 柳川(やまがわ)【柳のルビ:やなカ】の
やしきを  私有(しいう)【左ルビ:ジフンノモノ】となして
豊公(たいこう)の社(やしろ)を建西洋 浴(ふろ)室及び
講場(こうしやくば)茶店(ちやみせ)等を設(まう)けて一の繁花場(はんくわば)を
開(ひら)きし事(こと)はよく人の知(し)る所(ところ)なり今又(いまゝた)その地内(ぢない)に我斯(がす)
燈数多取(とうあまたとり)たて一時(いちじ)に火を点(とも)して諸人(しよにん)の知識(ちしき)を
増(ま)さし
めん事を
企(くわだて)て機器師(きゝし)
安田義房(やすだよしふさ)といへる
ものに細工(さいく)をさせ
みづからも手を下(おろ)して            笹 木 芳 瀧 画
地(ち)を堀功(ほりかう)を助(たす)けしに豈図(あにはか)らん  地中(ちちう)より一ツつ壺(つぼ)をほり出し其中(そのうち)を
みれは保享【享保カ保字カ】 小判(こばん)百 枚(まい)あり依(より)て早速其趣(さつそくそのよし)を坂府(はんぷ)へ届出(とゞけいで)たりとぞ
是天燕亭主人(これてんえんていしゆじん)の国(くに)のため人のために力(ちから)を尽(つく)すに感(かん)して其費用(そのいりよう)を
補(おきな)はしむる者ならんと人々いへり
                   新聞局 《割書:本町四丁目|藤井時習舎》

第貳号
大坂第二大区八小区八
幡町三十七番地 赤沢(あかさ)何
某が妻(つま)おくらはもと川竹(かわたけ)の憂(うき)
ふしに流(なかれ)わたれる者(もの)なれどもう
きたる心(こころ)さらになく竹のすぐなる生(うま)れには此(この)赤沢(あかさわ)何某が
妻となりても操(みさを)正(ただ)しく千代(ちよ)の行末(ゆくすへ)を契(ちき)れり此頃(このごろ)夫(をつと)病事(やまひこと)
ありて既(すで)に十死一生(じつしいつしよう)の場合(ばあひ)にいたり医師(いし)もさま〳〵手(て)を尽(つく)せ
ども最早(もはや)治療(じりよう)の術(てだて)なしといふお倉(くら)はかくと聞(きひ)てあるにも
あわれず夜(よ)な〳〵水(みづ)を浴(あび)み神佛(かみほとけ)をいのりて看病(かんひよう)實(げ)につ
さぐる事(こと)なし其(その)真心(まこころ)天に通(つう)せしにや既(すで)に必死(ひつし)にきわまりたる病(やまい)
気 次第(しだい)に本復(ほんぶく)して此頃(このごろ)全快(せんくわい)せりと精神(せいしん)到(いたる)處(ところ)金石(きんせき)亦(また)徹(とほ)る
と実(げ)に感(かん)ずべき事なり川竹(かわたけ)育(そだ)ちのうちにも又かゝる貞婦(ていふ)あり所詮(いわゆる)
泥中(どろうち)の蓮(はちす)とは此(この)おくらをいふべし
笹木芳瀧画

勧善懲悪 官許 錦画新聞【「勧善懲悪」「錦画新聞」は横書き、「官許」は縦書き】
第 三 號

大坂第一區廿一
小區拾九番地入江平助
が養女(ようじよ)おしかは江戸 端(は)
うた舞(まい)の
指南(しなん)を
わざとして
養父母をやしなひ浮(うき)たるわざに引かへて心正しく
孝心厚(かうしんあつ)きものなり然(しか)るに養父平助は心だてよろしからず養女
おしかに心を掛けて度〻(たび〳〵)いひよれどあらぬことよといひ消(きや)され此上は
妻(つま)を去(さ)りて思(おも)ひを遂(とげ)んとて是(これ)迄つれそひたる妻をも生国藝州廣しまへかへし跡は養
女とさし向ひ夜となく日となく責め口説(くと)き心に随(したが)はざるを憤(いきどふ)りて打擲(ちようちやく)に及(およ)ぶを度々
なれば近所 隣(となり)にても聞(きゝ)つけて何ことにやとなだむれば我(わ)がいふこと聞かぬ故(ゆへ)と一向平気(ひたすらへいき)の
平助が道(みち)にかけたるふるまひにさすがの孝女(こうしよ)もあきれはて此上は養母(はゝ)へ孝を尽(つく)すの外
なしとてある夜 厠(せつちん)にゆくふりして家を出厠の軒(のき)に提灯(てうちん)つりおきて猶内にあるていに
しなし涙(なみだ)ながらに只独(たゞひとり)なれぬ旅路(たびじ)をはる〳〵と藝州廣嶋にたづねゆき覚(おぼ)えたる三味
線を身過(みす)ぎにして養母をやしふとなん   《割書:時習舎しるす|   よし滝画》
              出版所《割書:本町四丁目|藤井時習舎》

官許  勧善懲悪 錦画新聞

第八号  世の中に何をほり江の三丁目か【?】
きこと【?】積る山川太助が女房せつはおのが名のせつ成る心に迫(せまり)て
や去ル四月廿八日世を宇治川のほとりなるしるべの方へ尋(たづね)ゆき日
をふる雨に水かさ増(ま)す宇治の川づら打 咏(なが)め泡(はう)【フリガナ?】沫夢幻と佛も
とく浮たか【?】此世にいつ迄か何ながらへんと思ひ絶水の怜(あはれ)や宇治が
わに身を投たるはいかなる故と誰白波に浮沈むを折よくも伏見
第四区なる堀口治助といふ人通りたり此躰(このてい)をみて打驚(うちをどろ)き【?】
急に宇治川に踊入り流(なが)るゝ女を抱きとめ辛(かろ)うじて助け
挙(あぐ)るにはやこと切たれど鳩尾のあたり聊(いささ)かぬくみの有
をみて焚(たき)火をなして暖(あたゝ)めつゝさま〴〵【?】と介抱(かいほう)するに未(いまだ)
寿命(いのち)やつきざりけん漸(やうや)くにして蘓生(いきかへり)したり
依(よ)りて其(その)住所を問(と)ひ早速京都府へ
届(とゞけ)しかば京都府より大阪府へ
御 掛合(かけあひ)ありて女は夫へ引
渡(わた)しになり堀口治介
は身捨(みをすて)て女を救(すく)ひ
しを神妙なるとて
京都府にて御賞
詞有て金七拾五
銭賜りしとぞ

  新聞局 《割書:本町四丁目|藤井時習舎》

官許
勧善懲悪 錦画新聞

第九号 誤って悪事をなすとも
善心にひるがいる時は又天の恵(めぐ)み有り大阪
第一大区九小区内淡路町に住せる三嶋(みしま)
何某は其以前(そのまへ)。 遊蕩(ほうとう)にふけり。金の才覚(さいかく)に
さしつかへ。三ッ井の贋札(にせさつ)をこしらへ遣(つか)ひしが
其事 終(つひ)に発覚(ほうかく)【?】して。芸子を連(つれ)て
筑後芝居の戻(もと)り道(みち)より足(あし)がつき。
捕縛(めしとり)せられ。長く牢内(ろうない)に有しが。 先非後悔(せんぴこうかい)して
悪意(あくしん)を改め。同牢内に居る者を深切(しんせつ)にいたはり。かならず
悪事をすまじき。 道理(どうり)を説(と)き聞(きか)せけれは此者の有し程(ほど)は
牢内 至(いた)つておだやか也しとなり此事上聞に達(たつ)しすでに
死刑(しけい)と極(きま)りたりし者なれとも格別の御沙汰を以て
当五月下旬より終身懲役と
なりしとなり

時習舎述

笹木
 芳瀧画

  新聞局 《割書:本町四丁目|藤井時習舎》

官許  勧善懲悪 錦画新聞

第十三号

人の危難(きなん)をみて救(すく)ふは
則 測隠(そくゐん)【惻隠の誤りか?】の心なり大坂
第四大区十二小区 曽(そ)
根崎(ねさき)新地二丁目
鮓(すし)とせい古塚直助(こつか??すけ)【フリガナ?】
の母 隠居(いんきょ)して曽根
崎村にありしに当五月
廿日午前十一時ごろ
ゐん居他出し留 主(す)
をうかゞひ。二人の賊(ぞく)
忍(しの)ひ入り。すでに諸品(しょひん)
をうばい去(さ)らんとなせし
に。 此(この)とき隣家(となり)の川内伊兵ヱ
の妻おそまは。此 物音(ものをと)をきゝつけ
てうち驚(おどろ)き。 抱(ゐだ)きし児(こ)を其まゝ捨置(すておき)
て。 急(きう)にはしり出て。この隠居の本家
なる鮓屋古塚かたへ知(し)らせんと走(はし)るほ
とに 履(はき)ものももどかしとて。 木履(はきもの)を途中
にぬぎ捨て跣足(はだし)にてかけつけ。かく〳〵と
告るより。鮓やの若イ者四人。 手(て)に当る
ものを引提(ひきさけ)て。隠居家にいたり難(なん)なく
二人の賊をとらへ。巡邏の屯所(たむろ)へさしいたし。
物ひとつ盗(ぬす)まれずして事済(ことすみ)たりとぞ。此伊
兵ヱ妻おそまは□ 隣家(となり)の危難に我子の泣
をも厭わず。本家へしらせたる事。隣家の好(よしみ)
かくありたきこと也。依て御上にもそのこゝろざ
しを賞(しやう)せられ。おそまへ金五十銭 彼(か)の鮓屋
の男ともへは。金一円 下(くだ)されしとなり。

 時習舎主人述
  笹木よし瀧画

   新聞局 《割書:本町四丁目|藤井時習舎》

勧善懲悪 官許 錦画新聞【「勧善懲悪」「錦画新聞」は横書き、「官許」は縦書き】
第十五号
                        編輯者時習舎
                             画図
                             笹木
                              芳瀧
三潴県下筑後の国竹野郡石垣村
農夫滝作といへる者二人の娘あり姉(あね)は七歳
妹(いもと)は五歳なるが此二人は近所の畑(はたけ)へ遊びにゆき
芋(いも)や茄子(なすび)をとりたる事 度々(たび〳〵)なれども畑主(はたけぬし)も
子供(こども)の事故と見のがしたれど度かさなれば捨置(すておき)が
たく親の滝作に向(むか)ひしか〳〵と物語(はなす)るに滝作は
立腹(りつぷく)し我子に限(かき)り左様(さやう)の事 決(けつ)してなしと
言(いゝ)つのり終(つい)に喧嘩(けんくは)となり滝作はざん〳〵に
恥(はじ)しめられ無念(むねん)に思ひこんな子が有ればこ
そ親の顔迄よごすなれと人間(にんげん)たるものゝ有る
まじき事か其夜十二時二人の娘をつれて筑
後川の岸(きし)に至(いた)り無慙(むざん)にも川へざんぶりと投(なげ)
こんで我家へ帰(かへ)らんとせしに巡吏(おまはり)に見とがめ
られ終に白状に及び縛(しばり)に付(つき)たりとぞ子に
教(おし)へざるは親の罪(つみ)なるを幼女を殺(ころ)すとは乱心とも
       狂人ともたとへがたなきものなりとぞ
                   新聞局 《割書:本町四丁目|藤井時習舎》

勧善懲悪 官許 錦画新聞【「勧善懲悪」「錦画新聞」は横書き、「官許」は縦書き】
第十七号
酒ははかりなし乱(みだす)に及ばずとは
古人の戒(いまし)めされとも多く
酒好は乱に及ばざれば愉快(ゆくはい)
とせず西の宮 濱の町河内
音吉は酒 癖(くせ)あるものにて度〻(たび〳〵)の
乱暴(らんぼう)。父母ももてあまし段々(だん〳〵)の異見(いけん)
に。音吉も禁酒(きんしゆ)する気になり。明日よりは
誓(ちか)ひて酒はのむまじ。今日 限(かぎ)りの禁
酒がため。快(こゝろ)よく一酌(いつぱい)せんとて。母を相手(あいて)
の一合二合。 徳利胸(とつくりむね)の落付(おちつ)く迄と
数升(すしやう)の酒に一升を誤(あやま)る基(もとい)。はや舌(した)も
まはらぬ程にまはされて。始(はじめ)の心どこへやら
例(れい)の如くにぐぜり出す。折から父の帰(かへ)り
来て。此有様に一(ひ)ト言三(ことみ)こと。異見があらそい
始に【「に」の横に「と」】て有あふものを投ちらし。父を打擲(たゝき)母も疵(きづ)を
負(おは)せたる科(とが)により
其身は終(つい)に縄目(なはめ)の
恥(はじ)。当四月より
懲役(ちやうやく)十年
申付られたり
慎(つゝし)むべくは
 大酒なりけり

   時習舎述
   芳 瀧 筆
                   新聞局 本町四丁目
                       藤井時習舎

勧善懲悪 官許 錦画新聞【「勧善懲悪」「錦画新聞」は横書き、「官許」は縦書き】
第廿八号
角なる玉子は見ざれども三十日(みそか)の月を見
るにつけ真実有契情(まことあるけいせい)の一話(はなし)を聞(き)けり
新町通り二丁目高橋某が抱(かゝへ)の娼婦(まんた)
若靏といへる者の親里(をやざと)は阿波座下通り
一丁目にて父(ちゝ)ははやく世(よ)を去(さ)り母(はゝ)は
老年兄(としよりあに)は多病貧苦(たびやうひんく)にせまりて
遊女(ゆうぢよう)となりしが過(すぎ)る年(とし)
遊女ときはなしの
御布告(をふれ)にてはからず
親もとへ帰(かへ)れども人ませば水 増(ま)す
とやら却(かへつ)て一人の口(くち)がふへます〳〵貧苦を
かなしみてしなれる業(わざ)の賃洗濯(ちんしごと)なりふり
かまはず母兄につくす実意(じつい)を賞美(しようび)して
或(あ)る旦那家(たんなか)が世話(せわ)してやろといへど若靏は
承知(かてん)せず今(いま)お客(きやく)をとりては是迄(これまで)の親(おや)方に
義理(ぎり)たゝずと貧苦の中にも義をまもる其(その)
真意(まごゝろ)を高橋が聞(きい)て大いに感(かん)じ入 我(わが)家へ
呼(よび)とり元の如(ごと)く娼婦(まんた)となし其 得(え)る所の金を
こと〴〵く若靏にあたふ是によつて若靏
は母を安穏(あんをん)に養(やしな)ふとかやこれ孝子の徳とや
                   いはん  
  時習舎主人述
  笹木
   芳瀧画

【タイトル】
勧善懲悪 官許 錦画新聞

第三十号 投書  編集 時習舎

【本文】
潔白(けっぱく)なる行(おこな)ひは聞(きい)てもいさぎよきもの也大阪天満辺の
一 商人(あきんど)の手代かけ取にいきしに 何(いづ)方にてか五円札を受(うけ)取(とり)て帰(かへ)り支配人(しはいにん)に差出(さしだ)すに是(これ)は贋(にせ)札と
いはれ大きに驚(おどろ)き不調法(ぶちようほう)をつくのはんとて
其(その)贋(にせ)札を高麗橋四丁目岡田清藏
かたへ印紙(いんし)を買に持(もち)行しに折(おり)ふし
岡田の主人(あるじ)留主(るす)にて婦人(おんな)の事ゆへ
何心(なにこゝろ)なく贋(にせ)札を受取たりしが
かの手代はしすましたりと悦(よろ)びて
家(いへ)に帰(かへ)りて朋輩(ほうばい)に斯々(こふ〳〵と)
告(つぐ)るを主人(しゆじん)洩れ聞(きゝ)て大いに
怒り贋(にせ)札としりながら是を
用(もち)ふるは人をおとしいるゝぎ也
左様(さやう)の不人情(ふひとがら)なる事をなすは
以(もつて)の外(ほか)の事也速(すみやか)に岡田氏に詫(わび)て取戻(とりもど)し来(きた)るべしと
言付(いつけ)られ手代その理(り)に伏(ふく)し岡田へ行しに又岡田かたも主人(あるじ)
帰(かへ)りて留守中(るすちう)に受取(うけとり)たる金札の贋(にせ)なるを見(み)てケ様(かやう)な物が
人手にわたらば難義(なんぎ)するものゝ出来(でけ)るもの也
とて速に引さき捨(すて)たり折からかの手代来(きた)りて
主人の口上(かうじやう)を述(の)べ厚(あつ)く詫(わ)びて正札五円を出すに
岡田氏是を受(うけ)ず贋作を受取(うけとり)たるは我方(わがかた)の
誤(あやまり)也 既(すで)に如斯(かくのごとく)引さきたり替(かへ)金に不及(およばず)といふに
手代感伏(かんふく)し家(いへ)に帰(かへ)り主人にかくと告(つぐ)るに主人
早速(さつそく)岡田へ来(きた)り手代の誤(あやま)りを謝(しや)して替金を出せども
岡田氏はさらにとらず互(たが)ひに押(おし)含 終(つい)に双方(そうほう)半 分(ぶん)の損(そん)と定(さだ)め
岡田氏へ金二円五十銭わたされしとぞ実(じつ)に互(たがい)の心かげは感心(かんしん)なものなり
新聞局 《割書:本町四丁目|藤井時習舎》

官許  勧善懲悪 錦画新聞

第卅六号
               ホリゲンス【ゲニス?】

雑報

大阪第三大区
廿二小区 本田(ほんでん)
二番町の
藤野(ふじの)久治良
の雇人(やとひど)頭取 藤嶋内(ふじしまうち)の
藤(ふじが)ヶ瀧(たき)久五郎なるもの久治良と
同道(どう〳〵)にて去る六月廿二日の夜十一時 頃(ころ)
亀井橋 辺(へん)を通(とお)りかゝる折(をり)ふし浜先(はまさき)より
身投(みなげ)せし婦人(をんな)ありソレト久五郎が差図(さしづ)に任(まか)せ
ドツコイそ□はと藤ヶ瀧 角力(すもふ)の
相手(あいて)は投(なげ)たをせと身投(みなげ)はさせじと
抱(だき)とめられてカノ女は危(あやふ)き命(いのち)の
土俵際(どひやうぎは)十万億土(ぢうまんおくど)へ突出(つきだ)さ
れもせず助(たすか)る事(こと)の得(え)たるは
久治良久五郎が誠心(まこと)のなす所
にして此事 庁(おかみ)に聞(きこ)へ危急(ききう)の人命(じんめい)を
救(すくひ)候 段(だん)【ずん?】奇特(きどく)の旨(むね)を以(もつて)当七月三日
久五郎へ御褒美(ごほうび)を下(くだ)されしとなり此(この)救(すく)はれ
たる婦人(おんな)は第三大区十六小区北堀江二番町 後家(ごけ)
山口ゑつといふものなるよし也
               時習舎述
               芳瀧画

        新聞局 《割書:本町四丁目|藤井時習舎》

大阪日々■■

      綿喜板
      彫ユ九一

米相庭師(こめそうばし)のならいとて
夢(ゆめ)を信(しん)じ占(うらない)を頼(たの)み霊有(れいある)
といへば鰯(いわし)の頭(かしら)を拝(はい)す爰(こゝ)に
船場 辺(へん)の人仕合せ悪(あ)しく
堂嶌より帰(かへ)る後(うしろ)より廿
七八の女 声(こへ)かけて君(あなた)に一(ひとつ)の願有(ねがひあり)
我(われ)は狸(たぬき)にて候が二疋の子 狸(たぬき)
を取(とら)れ溝(みぞ)の側(かは)の医師(いし)にて
生胆(いきゝも)を薬(くすり)にせんとす哀(あわれ)
命(いのち)を助給(たすけたまは)らば君(きみ)の望(のぞ)み蔭(かげ)より
遂(とげ)しめんといふに男は此事 請(うけ)が【?】ひ立別(たちわか)れ次(つぎ)の日(ひ)医者(いし)を訪(と)ひ価(あたへ)七十 円(ゑん)に
買取り東馬場(ばんば)を聞(きゝ)し所【一+灬】へ持行(もちゆ)き親(おや)の□を叫(よ)へども来(きた)らぬゆへに
子狸(こたぬき)を放(はな)し帰路(かへり)に医師(いし)の門(かど)を見れば戸閉(とざし)て誰(たれ)も居(い)ぬ所から初て心に
当(あた)り隣家(りんか)で様子(ようす)を尋(たづ)ぬれば急(きう)に転居(やどがへ)なせ□□いふにカノ狸(たぬき)より
睾丸(きんたま)の釣上(つりあが)りたる大損(だいそん)は大 欲(よく)却て無慾(むよく)とは是等(これら)の説を
いふ成べし
      大水堂 狸昇記
              小信改二代
               貞信画
               
      略文長谷川徳太郎筆刻

大阪日々新聞

      綿喜板
      彫ユ九一

米相庭師(こめそうばし)のならいとて
夢(ゆめ)を信(しん)じ占(うらない)を頼(たの)み霊有(れいある)
といへば鰯(いわし)の頭(かしら)を拝(はい)す爰(こゝ)に
船場 辺(へん)の人仕合せ悪(あ)しく
堂嶌より帰(かへ)る後(うしろ)より廿
七八の女 声(こへ)かけて君(あなた)に一(ひとつ)の願有(ねがひあり)
我(われ)は狸(たぬき)にて候が二疋の子 狸(たぬき)
を取(とら)れ溝(みぞ)の側(かは)の医師(いし)にて
生胆(いきゝも)を薬(くすり)にせんとす哀(あわれ)
命(いのち)を助給(たすけたまは)らば君(きみ)の望(のぞ)み蔭(かげ)より
遂(とげ)しめんといふに男は此事 請(うけ)が【?】ひ立別(たちわか)れ次(つぎ)の日(ひ)医者(いし)を訪(と)ひ価(あたへ)七十 円(ゑん)に
買取り東馬場(ばんば)を聞(きゝ)し所【一+灬】へ持行(もちゆ)き親(おや)の□を叫(よ)へども来(きた)らぬゆへに
子狸(こたぬき)を放(はな)し帰路(かへり)に医師(いし)の門(かど)を見れば戸閉(とざし)て誰(たれ)も居(い)ぬ所から初て心に
当(あた)り隣家(りんか)で様子(ようす)を尋(たづ)ぬれば急(きう)に転居(やどがへ)なせ□□いふにカノ狸(たぬき)より
睾丸(きんたま)の釣上(つりあが)りたる大損(だいそん)は大 欲(よく)却て無慾(むよく)とは是等(これら)の説(こと)を
いふ成べし
      大水堂 狸昇記
              小信改二代
               貞信画

大阪日々新聞 二百五十三号

紀州周参見村
浜田(はまだ)某の娘(むすめ)まつは
本年十九才心 潔(いさぎよ)き
性質(せいしつ)にて風の
柳のなよやかに
あいてきらはぬ
さゝめ言(ごと)国に有
てもつくまなべ
尻(しり)の早(はや)くも大阪の
今木新田某へ奉公
するより又直になんば村久三良方へ
仲人なしの夫婦中 一重(ひとへ)つまでは肌(はだ)さむしと重(かさね)る
妻の幾重(いくへ)とも数(かづ)さへ定(さだ)めぬ
みる【?】かおばさながら売女(ばいぢよ)同やう【?】の
しまつに其を発覚して久三良もうとみはて
追出さんと思へどもさばかりにてはあきたらずと
近辺の若もの六七人もかたらいて浜さきより
小舟にひそみまつを呼出(よびだ)しさそい入五六丁
もこぎ出し久三良をはじめとしまつを
なぶりものにすまつは鬼がしまへもつれ
ゆかれんと人こゝちもなかりしに豈(あに)
はからんやおのがこ【?】のめる筋なれど
酒ずきも過(すご)せば二日よいのづゝう▲

▲もちずきも
過(すご)せば食もたれ
にてにのおもく
ついに千島新田 葭(よし)の中へ
追あげられて夜をあかし
わが身(み)をくやむは先にたゝず
  柳桜記


   媱婦まつ

      彫福
     川伝

大阪日々新聞 二百七十八号

靱辺(うつぼへん)某(なにがし)の妻(つま)でつち一人 連(つれ)て住吉(すみよし)へ詣(もう)でんと
時をたがへて夜(よ)あけず賊(ぞく)
きたりて女をはだかにする
でつちおそれてはたけ中に
ひそむ女 悲泣(ひきう)すれども
外(ほか)に人なし女なればはだか
にてはいづくへも行(ゆき)がたくじ
ひをたれて下帯(したおび)だけ恵(めぐ)み
給へこれは直内(ねうち)かあると
引すてし車の
ほろう与(あた)へるゆへ
女是を得て去る
処へ又一人ぞく来る
今女をはぎてほろう
あたへし事を云ほろうには廿円を
ぬい込(こみ)置(おき)たり衣(い)るいを奪(うば)ふも金を失(うし)なはゞ
そん有(あり)婦人を追(おい)とめんと二人のぞくははしり行(ゆく)あとに
でつちは車の内の衣(い)ふくをくる〳〵と小わきにかい込み
飛(とぶ)が如くに家(いへ)に帰(かへ)り主(しゆう)のつつがなきをよろこび
両 賊(ぞく)の云し事をいへばかのほろうを見(み)るに
はたして廿円の金札あり夜(よ)の明(あけ)るを
まちて訴(うつた)へければでつちの計(はから)ひ神妙
なりとて賊金はでつちに賜(たま)わりける
頃(ころ)は戌の二月五日也とぞ   柳櫻記

                    川傳 彫福
                   茂廣

【タイトル】
日々新聞

空(そら)寝入(ねいり)を狸(たぬき)といひ年増(としま)
女郎(をんな)を古狸(ふるたぬき)といふ
是等(これら)は
さらに世(よ)に害(がい)なけれどぬく〳〵饅頭(まんちう)と化(ばけ)て重兵衛(ぢうべい)に犬(いぬ)の
屎(くそ)をつかませバツチヨ笠(かさ)に化(ばけ)て雨 夜(よ)に往来(ゆきゝ)を妨(さまたけ)るなぞ
害ありとこそいはめ八 畳敷(ちようしき)の睾丸(きんたま)は風説(うわさ)に聞(きけ)ども
実況(じつきやう)を見す長(なが)さ六尺の大狸(おほたぬき)は雑話(はなし)に
さへも聞(き)ざれども新聞紙上(しんぶんしじやう)に目(め)の前(まへ)に
見るソノ大狸を殺(ころ)せしは当三月の廿八日東京第三大区二小区の〇

〇麹町(かうじまち)にて巡査(じゅんさ)なる原(はら)
正則(まさのり)といふ
人の見 廻(まわ)る
向(むか)ふにカノ
怪物(くわいぶつ)ランプ
を置(おき)て伺(うかゞ)ひ
居(い)ればラン
フの傍(そば)に
歩(あゆ)み寄(よ)り
油を舐(なめ)ん
とする処
正則得たりと
官捧(くわんぼう)にてカノ大狸 打(うち)ころせり方今(いま)
世の中の野蛮(ばかなる)人狐狸を尊崇(そんそう)する惑(まどひ)を
解かんとこゝに画(ぐわ)すなり 

《割書:文福社中の| 狸親父》九化野郎述

日々 新聞  第廿三号

大阪府下道頓尸【堀の略字?】なる川竹に洗ひ上げ
たる世渡りいざ【?】りと意気地を立通て【?】の妓
のうへに限(かぎ)るへし爰(こゝ)に三人と【?】算(かぞ)へたるは早く文明
の時に通(つう)じ日々の新聞を晛(み)て心を慰め
坐鋪(さしき)の秒(せこんど)透間(すきま)【?】なく誓て曰《割書:成| 》「トウモ新聞
紙をよまぬと人情【?】におくるゝやうダヨ《割書:つう| 》「そうサ
まことに善(よい)ことをすゝめわるいことを懲(こら)す
はこれにかぎりますヨ《割書:久| 》「このせつ流行(りうこう)の新聞
錦画(にしきゑ)もよく□□()にかなひてきれいダヨと」世事
深情(しんじつ)【?】の美談(びたん)をなすも色(いろ)の諸訳(しよわけ)の勉強に
南枝(なんし)の花敷また日々(にち〳〵)に盛(さかん)なり

たしなみし
 こゝ□に□し
  □化粧

花源堂


【右の女】《割書:三 | 栄》久□
【中の女】《割書:□ | □》成□【?】
【左の女】《割書:一 | 富》つう


     □政板
     彫九一

     小信改二代
      貞信画

日々新聞

     小信改二代
      貞信画

       綿政板

         彫九一


信州(しんしう)佐(さ)
久(く)郡(ごう)岩
村田の町に或(ある)豪家(ごうか)有しが
当一月の末(すへ)夜(よ)剛盗(ごうどう)三人入て
主人及ひ手代両人を斬害(きりころ)し
巨万(あまた)の貨幣(くわへい)を掠奪し其家
を出去んとす然るに当家の番頭商
用にて他行し遅(をそ)く家に帰らんとする時測
らず此三人の賊(ぞく)に出逢(いであひ)恐怖(けうふ)し家にも入ず逃退(にけのか)んと
駈(かけ)出すに追迫(をひせめ)らるゝ如く覚へければ途中松の大木によ
り【?】登り難(なん)を遁(のが)れんとする処に右三人の賊此松の下に来り
て件(くたん)の掠(かす)め取たる金を面々分ち取て竟(つひ)に立去りたるか番
頭 辛(かろう)じて家に帰れば家内は右の為体(ていたらく)ゆへに弥(いよ〳〵)騒動(そうどう)云(いわ)ん方なく庁(ちやう)
に出て之(これ)を訴(うつた)へしか番頭夜中に他出せしと有に疑(うたが)ひかゝりさま〴〵
拷問(ごうもん)にかゝりたるゆへ大きに身躰(しんたい)労(つか)るれ共いまだ賊を正(まさか)に云ず迚(とても)
責殺(せめころ)さるゝ物ならば云では我身賊に陥入(をちい)るべしと心に思ひけるにぞ
重役(じうやく)の人へ賊(ぞく)はかやう〳〵如此々々(しか〳〵)の人也と見たる処を申し告るに
豈測(あにはから)んや三人の賊(ぞく)はみな是よし有 士族(しそく)の人也しかば皆々(みな〳〵)二度
恟(ひつく)りして終(つひ)に召捕(めしとら)はれ番頭は九死一生(きうしいつせう)を得(ゑ)て助(たす)かりしとかや

日々新聞
文明の徳沢(とくたく)たるや区々(くゝ)に小(せう)
学(がく)を建築(けんちく)して。人財(にんざい)を養(やしな)ひ
開化(かいくは)の仁恵(じんゑい)たるや。各(かく)府県に
病院(ひやういん)を設立(せつりう)して健康(けんこう)を
保(ほ)す。方(へ) 今(まや)西京上十
二区に。一院をしつらひ
病者を助けんとの
くはだてから。砂持をなせしは。明治八年
四月五日より晴天十日にして。区々の人数
材おとらじの花美(はなやか)は。都ぞ春の錦を
着錺り【着飾り】。各町(まち〳)の目印のだしいは八阪(ぎをん)
神事(まつり)の山鉾(やまほこ)にさも似たり
中にも一層。見事なり
しは。下京の
第三区【画面左下へ】
第四区たり猶近日豊国
神社の砂持ありと是も
定めて賑ふなるべし

しゝ菊(きく)の眼(め)に立(たて)て見(み)る塵(ちり)もなしと翁(おきな)が秀句(しうく)
せられしごとくさも美(うつく)しき其風情(そのふぜい) 時(とき)しも
頃は如月の廿九日の事なりし 山形県下(やまかたけんか)
旅篭(はたこ)町 廊宿(ろうしゆく)【?】柏屋(かしわや)茂八【?】が家(いえ)に新庄(しんしやう)
在(さい)より泊(とま)り客ありて夜(よ)る二時頃(にじごろ)まで
物語して居(ゐ)たる折(おり)ふし障子(せうし)【フリガナ?】の外面(そとも)
よりさも艶(うるわ)しき声(こへ)
を出(いだ)し清吉(せいきち)さんと
呼【?】者あり新庄(しんしやう)の
者と猟作(りやうし)【または獲作?狩作?】にて清吉(せいきち)と
いふ者なれば其声(そのこへ)を聞(きく)
コハ人間(にんげん)ならず定(さだ)めて狐(こ)
狸(り)の業(わさ)ならんと彼障子(かのせうじ)
をわる【?】やいな娘(むすめ)と見(み)せし
古狐を煙管(きせる)を以(もつ)て打殺(うちころ)し
は死を庁(ちょう)へ出(いた)せしと

日々新聞


     小信改二代
      貞信画

       綿政板

         板元
         塩町通四丁目

         前田喜兵ヱ社中

         彫ユ九一

     略文長谷川徳□□□筆記【?】

        小信改二代         
        貞 信 画
            冨士 政 梓
               彫 九一
いつも新(しん)ふんと申せは情死盗賊密夫(しんぢうどろほうまおとこ)
欠落と美事(よいこと)は一ツも有ませぬゆへ作者も
心配いたしまして今日は珍(めつら)しい貞女を
出しました是は備中浅口郡の長尾村
小野亀吉の後家(ごけ)おはる今年二十と
八才なるか十六才に亀吉へ嫁(よめり)ましてから
子を明治二年に産(うみ)ましたが其時分から
亀吉は癩病(らいひよう)といふ難 症(せう)ゆへ日々腐(ひに〳〵くさ)るとも
心はくさらぬお春の貞実乳呑子(ていじつちのみこ)かゝへて
髪(かみ)を結ひわづかの賃(ちん)銭に細烟(ほそけふ)り操(みさほ)を
共(とも)に立(たつ)る身を不便(ふひん)に思ひ父母(ふたおや)は離別(りへつ)せ
よとは進(すゝ)むれと道(みち)を守(まも)りてうけひかず
日を送りしか去年の秋 夫(おつと)亀吉死しければ
又もや再縁(さいゑん)すゝめても此幼子が夫(おつと)のかたみ此子に
家名(いへ)をつがせねは何面目に冥土のおつとに見ゆべしと
決(けつ)して得心(とくしん)せざるとは是(これ)そ心(こゝろ)の美人(びじん)なるべし
          正情堂九化記
 日々新聞

         小信改二代
         貞 信 画
             冨 士 政 板
             ホリ 九 一
大阪府下浦江村 方(かた)の小 使壽造(づかひぢうぞう)が家に明治七年夏の頃(ころ)
有夜強盗(あるよごうどう)二人 押(おし)入り壽造をとらへて村中 有財(ゆうざい)の家に案(あん)
内(ない)せよと罵(のゝし)るに壽造 手早(てはや)く藻切鎌(もきりかま)を携(たづさへ)るを見て
凶賊忽(けうぞくたちま)ち白刀(しらは)を翻(ひらめ)かし切付るを女房ゆきは夫(おつと)を
助(たす)んとあせるに甲斐(かひ)も情(なさけ)なく夫は四十年(よそじ)を一 期(ご)として
空(むな)しく一 命(めい)を果(はた)したり倅由松 弟(おとゝ)を連(つ)れ村内
人家戸長(しんかこちやう)の宅迄加勢(いへまでかせい)を触(ふれ)るに
多人数馳(たにんぢうは)せ寄(よ)る間(ま)に賊(ぞく)は迯伸(にけのび)
門辺(かどべ)に倒(たを)るゝ妻(つま)のゆきは最前(さいぜん)
戸口に固(かた)めし一 賊(ぞく)に鉄砲(てつほう)をもて
腹(はら)を撃(うた)れたるよし語(かたり)も果(はて)ず
息絶(いきたへ)たり壽(ながきいのち)もゆきと消(き)へ夫婦(ふうふ)
連(つ)れなる死出(しで)三 途血(づち)で血を洗(あら)ふ
凶賊は天網免(てんこうのが)るゝ事 協(かな)はず間も
なく捕縛(ほばく)せられ斬罪(ざんざい)に處(しよ)せらる
          花源記
 日々 新聞  

            小信改二代
             貞 信 画
                 綿 政 板
                  彫 九 一
                  同 浅二郎
我(われ)とわが心(こゝろ)の内(うち)
にある鬼(おに)をあら
おそろしと見(み)る
人ぞ知ると是(こ)は大(おほ)
阪(さか)の強盗(ごうとう)小伝法(こでんぼ)の庄吉(しようきち)
といへる者(もの)。 去(さんぬる)る明治八年
二月 小田県(をだけん)にて召捕(めしと)られ
大阪に送(おく)られ既(すで)に
きびしく糺問(きうもん)せられ。 是迄(これまで)
なせし悪事(あくじ)の始末(しまつ)。 残(のこ)りなく白状(はくじよう)
なし。 扨言(さてい)ふ様(やう)。 我等(われら)是迄人を殺(ころ)せし
こと数(かづ)をしらず。 其折(そのをり)は何(なに)のこともなか
りしに。小田県にて忍(しの)び居(い)る頃(ころ)
より。毎夜(まいよ)殺したる男女の霊(れい)。
形(かたち)を顕(あらは)し或(あるひ)は
怒(いか)り又はのゝしり終(つひ)には白昼(はくちう)も形を顕し。
其おそろしきこといふばかりなしと。 云(いゝ)しことなり。
是は賊心壮(ぞくしんさか)んなる時(とき)は。其 怨(うら)みもなさず
いつか罪(つみ)をおそれて。 迯(にげ)かくれるに望(のぞみ)て。
かゝるためし世(よ)に多(おほ)しとぞ

日々新聞 第五号        小信改二代
                貞 信 画
                   綿政板
                   彫工政七
 大阪新町二丁目板倉
喜兵ヱといふ者雲州松江旅店
に逗留(とうりう)せしが日々 飲食(のみくひ)と藝(あそ)
妓(び)に奢侈(おごり)を極め千金 遣(つかふ)事湯
水の如しされど楮弊(さつ)を用ひる事なく
只 金貨(しゆうきん)のみつかひたるにうたがはしくと
見る目にかぐられ或夜(あるよ)【目に懸ぐられ】
捕縛(ほばく)せられ糺問(きうもん)
せらるゝに件金(けんきん)は
明治七年九月大坂
三井ノ金庫を毀(こぼ)ち
貳万七千円 盜(ぬす)み取(とり)たる
 大盗人 成(なり)とは報知新聞に
    つまびらかなり

世の中に貧(ひん)侱【程の誤字?】つらき物はなしと爰(こゝ)に
阪府東大組塩町一丁目に母と娘と二人
   住居(すまひ)の者ありさせる稼(かせぎ)もあらず
   して細き煙たに立かぬる
    うち又さらに母は
  病の床にふし娘はとや
  せんかくやせんと明暮
  かなしむ折からに
 母は去(さる)る十二月二十七日の夜(よ)          版元
にあはれむべし病苦を忍(しの)びて              塩町通四丁目
家を抜出(ぬけいで) 三休橋より身投して            前田喜兵ヱ社中
死(し)せり娘は病人の居(お)らぬに驚きさがしもとめる内母の入水(じゆすい)の
由をきくやいなや其身(そのみ)も共に彼(かの) 橋より飛入しに折ふし通りかゝる
小舟の上に落(おち)たれば船頭(せんどう)あつく介抱(かいほう)して命つゝがなかりしといふ此(この)舩頭は
           権(ごん) 兵衛とか云(いひ)し者なりと或(あ)る人の
                語(かた)りしまゝ茲に記(しる)す
                                 彫九一
                                □政板
日々新聞  第                    小信改二代
       六                    貞信画
        号

   客文長谷川徳右衛門伝筆納

               小信改二代
               貞 信 画
東京(とうきやう)小石川原町に無禄(むろく)の士族(しぞく)鈴木定次郎
は兇盗(けうぞく)の為(ため)に殺害(せつがい)されし事実(ことのよし)といふは
明治八年 弥生(やよひ)の末(すへ)三十一日 午前(こぜん)四 時(じ)なる頃(ころ)なりて
花(はな)に嵐(あらし)のいた〳〵敷(し)く落散(おちゝ)り有(あり)し割魚刀(でばほうちよ)を
四大区 四等出仕(しとうしゆし)石川金造 命(めい)を蒙(かふむ)り是(これ)を取揚(とりあ)け
つく〴〵詠(なが)め又 足跡(あしあと)の向(むかひ)しを慕(した)ひ鞭打如(むちうつごと)く
駒込(こまこめ)の片町富川与八が其日(そのひ)包丁(ほうちやう)を鬻(うり)しに手掛(てがゝり)りを
もとめ定次郎が一子長之助と和(くわ)せざる
より家分(いへをわけ)けたるに心附(こゝろつき)長之助を
招(まね)きし跡箪笥(あとたんす)を捜(さぐ)れば
定次郎の衣服(いふく)はたして出(いで)て
犯?人(にん)一子に事極(こときわま)り直(たゞち)に捕縛(ほばく)
せられしは実(じつ)に天暴悪(てんぼうあく)を
示(しめ)すに早(はや)く良才(りようさい)の巡査出(じゆんさいで)しは
懼(おそる)べき事なりける
          花源記
日々新聞 第七号

日々新聞 第八号     小信改二代
               貞信
                綿政板
                彫九一
奸通(かんつう)は盜(とう)心と
同事 爰(こゝ)に珍(ちん)成
老人所は福島辺とかや
五良右ヱ門とて六十の
上三ツ四ツ超(こ)し
ながら
同村なる
お梅とて是も五十二三
とかや此(この)お梅には本夫
ありいかゞの縁(ゑん)や五良
右ヱ門と奸通(かんつう)なせしを
評判(へうばん)になりしは天のしる処(ところ)
今はたまらず両人は闇夜(あんや)に
まぎれかけおちは梅川忠兵ヱが様(やう)なれど
老人 達(たち)が彼風(かのふう)はいと馬鹿々々(ばか〳〵)しやにくむべし

日々新聞 第八号

     小信改二代
      貞信画

       綿政板
       彫九一


奸通(かんつう)は盗(とう)心と
同事 爰(こゝ)に珍(ちん)成


老人所は福島辺とかや
五良右ヱ門とて六十の
上三つ四つ超(こ)し
ながら
同村なる
お梅とて是も五十二三
とかや此(この)お梅には本夫
ありいかゞの縁(ゑん)や五良
右ヱ門と奸通(かんつう)なせしを
評判(へうばん)になりしは天のしる処(ところ)
今はたまらず両人は闇夜(あんや)に
まぎれかけおちは梅川忠兵ヱが様(やう)なれど
老人 達(たち)が彼風(かのふう)はいと馬鹿々々(ばか〳〵)しやにくむべし

                  小信改二代
                   貞 信 画
                      綿 政 板
                       彫 九 一
大阪府下日本橋四丁目に田元
弥助といふ人あり名古町の古(ふる)き
より星霜(としつき)をはるかに経(へ)て今百六才の
齢(よわひ)を保(たも)ち此体(しんたい)は取重(とりかさね)たる節分の豆〳〵
敷万夫(しくばんふ)に勝(すぐれ)て達者なるは古来 稀(まれ)なる喜(き)の字(じ)
采(とる)の字を後(あと)にし只三浦の大助とやら爰に有ば
膝(ひざ)をよせる長壽なるを 府廰(かみ)へ召(めさ)れ若干(そくばく)
賞貨(ほうび)を給(たま)わりし
 何人の口すさみにや
命をは百六ツ田元弥助どの余り珍らし人に大阪
            花源楼筆記
 日々新聞 《割書:第|九》
      《割書:号|》

日々新聞 《割書:第| 拾三》
       《割書:号|》

泉州佐野市場村なる辻本屋といふ宿屋へ
堺県下の小商人松兵ヱは明治八第三月中旬
一泊せしに下女なるお梅の容麗なるに
はや煩悩(ほんのう)の一念はつし菅笠の
すげなきや脚伴の紐のとけ
安きまでに甲掛のそこいわか
らず二朱札の一枚にておれて
汚れる袖の縁間せまき宿に
多人の泊りなればお梅の簪を松兵ヱの
あたまへさし是をしるべに忍あわんと
ちかひし事を合宿の長兵ヱ洩(もれ)れきゝはやそれ〳〵の
旅枕道の労れに松兵ヱもよく熟睡の折をゑて
長兵ヱは一計めくらしその簪を我があたまへさしかへ待間間うそ〳〵お梅の足音
闇(やみ)にとらへてしばらく語ひ八声のとりと松兵ヱ目覚し宵の
約束(やくそく)のかんざしなくお梅を呼(よん)でたづるに初てこいの的ちがひ
矢竹(やたけ)になつてお梅は罵(のゝし)り果は大声のいさかひとなり一夜流の
水掛論実に珍説笑に絶たり
            花源誌

日々新聞 第拾三号

      小信改二代
       貞信画

        □□□
         綿政板

          彫福刀


泉州佐野市場村なる辻本屋といふ宿屋へ
堺県下の小商人松兵ヱは明治八第三月中旬
一泊せしに下女なるお梅の容麗なるに
はや煩悩(ぼんのう)の一念はつし菅笠の
すげなきや脚伴の紐のとけ
安きやどに【?】甲掛の□□□わか
らず二朱札の一枚にておれて
汚れる袖の縁間せまき宿に
多人の泊りなればお梅の簪を松兵ヱの
あたまへさし是をしるべに忍あわんと
ちかひし事を合宿の長兵ヱ 洩(もれ)れきゝはやそれ〳〵の
旅枕道の労れに松兵ヱもよく熟睡の折をゑて
長兵ヱは一計めくらしその簪を我があたまへさしかへ待間うそ〳〵お梅の足音
闇(やみ)にとらへてしばらく語ひ八声のとりに松兵ヱ目覚し宵の
約束(やくそく)のかんざしなくお梅を呼(よん)でたづるに初てこいの的ちがひ
矢竹(やだけ)になつてお梅は罵(のゝし)り果は大声のいさかひとなり一夜流の
水掛論実に珍説笑に絶たり

  花源誌

日々新聞 第十四号
 小信及二代
  貞信画
   綿政板
 東京麻布宮川
町小久助といふ欲はり親父(おやし)
有(あ)りその娘におとみといへり
は親(はゝあ)にも似(に)ぬ心も顔(かほ)も
美(うつく)しきによき鳥をかけん
と芝(しば)の丸山へ茶店を出(いで)せしが
親の心も白銀辺(しろがねへん)に寄留(きりう)せし
元ト(もと)し山口 県(けん)の士族木田梅太郎といふ人今
巡査(しゆんさ)勤中折々【抈々?】の休暇(どんたく)に爰(こゝ)に来り茶を
呑しが縁(ゑん)となりいつしか濃茶(こいちや)の中となりしを
親父(おやし)は知(し)りてやかましく云(い)へは娘は死の
死(しな)ぬと古(ふる)い文句(もんく)に困果て
ぜひなく養子(ようし)に取(とり)な□□【なから?】
元よりこのまぬ婿なれ
ばり縁(ゑん)にされて梅太郎は
元の寄留(きりう)に帰(かへり)りしが娘も跡(あと)を慕ひて抜出一と先(まつ)長門へと△
△横(よこ)はまに
走(はし)りしか
先(さき)へ親父
へ廻りいて
娘をこつちへ
かへせばよしと伴内
もどきの争(あらそ)へば終に
邏卒の眼にとまり
双方説諭に娘は中々
聞入(きゝい)れぬも是(これ)爺(おやじ)の
欲(よく)の間違より
おこりし
ならんか

大水堂
猩昇誌

日々新聞 第拾六号

徳(とく)島 通(かよひ)の蒸気(しようき)去ル二月廿二日の夜に
淡州 岩屋(いわや)の沖にて船中誤て火を
失し荷物に火移りて火勢盛んに
なるを一同力をつくし鎮(しつ)めんとどう
舟中(せんちう)の乗客(のりきやく)の気も石炭(せきたん)を十倍
して走(はし)る程(ほと)に黒煙天(くろけふりてん)を覆(おゝ)ひ只(たゞ)
一 瞬(しゆん)の間(ま)に陸地へ達(たつ)す二百余人の
乗組辛(のりくみかろふ)じて命を拾ひしは是無事
丸の無事を歓(よろこ)び船司の良(そく)計(ち)
憤発(をとこき)を感(かん)ずべし
    江湖堂
      真文記
                    ホリ忠治
                   綿政板
              小信改二代
               貞 信 画

日々 新聞  第廿号

大阪府下舩越町に接骨(ほねつぎ)を業(ぎよう)とする松本
あいと号(いふ)一婦人(おんな)あり心に柔術(やわら)のたしなみ
あれど二十六年にて容貌(ようぼう) 美(び)なるに
其勇かくるゝ 明治八年第一月
の初 近傍(きんぼふ)の女子一人を
連立(つれた)ち長柄堤(ながえつゝみ)を
通るに川風寒き黄(ゆふ)
昏(ぐれ)に四人の荒男(あらおとこ) 跳(おど)りかゝり 二女をとらへて
戯(たはむる)るにはじめは弱(よわ)く云のがれしに不作法(ぶさほう) 次第(しだい)に
強(つよ)うなり二人を倒(こか)し上へ乗(のり)たる有りさま松本あいは最(も)
早免して置べきかと四人の男を一人にて馴(はね)のけ蹴散(けちら)し
手練(しゆれん)の早業川へざんぶと投(なぐ)るもあり悪党はこれに
恐れ皆々(みな〳〵)是はと一同に跡白浪(あとしらなみ)の川 岸(ぎし)を灰(はい)まくごと如く
迯散(にげちり)【逃の異体字】たり 元此いかなる人の果(はて)やらん父は剣法(けんはう) 柔術(にうじゆつ)に定めて名を
得し人柱も長柄の橋のあと絶(たへ)て娘の勇気(ゆうき)が匡(かたみ)かと感(かん)せぬ
人はなかりけり

    花源堂誌

          小信改二代
           貞信画

            綿政板

月夜(つきよ)に釜(かま)
とは抜(ぬけ)【?】けた文句
の尻(しり)かあわず順慶町四丁目要嘉といふ
袋物商(ふくろものや)なるが発明製造(はつめいせいぞう)の品に思(おも)わく有て五尺の大釜(おゝかま)
一つ求(もと)め工夫 最中(さいちう)明治八二月七日の出火に其家 類焼(るいしよう)して土蔵(くら)と
此大釜のみ跡(あと)に残るに板屁(いたひさし)【庇の誤り?】して置(おき)しに翌(よく)八日の夜 忍(しの)び来る者(もの)
あり番の僕(もの)【フリガナ?】伺(うかゞ)ふに大釜に手をかけてアツヽといふて取も得(ゑ)ず逃去(にげさ)る事
三夜に及(およ)ぶいつもアツヽと云て空(むな)しく立去る跡(あと)
にて考へるに此家 炭団(たどん)を沢山買て此
釜へ山 盛(もり)に貯(たくわ)へ置しが出火の為(ため)に火と
なり上より灰になり底(そこ)に火気(くわつき)あるに
気が付たり盗人(ぬすびと)事を仕果(しはた)さず是や郭巨(くわつきよ)か
孫(まご)【フリガナ?】か十六日の亡者(もうしや)【?】嶋やの番頭(ばんた)か終(つい)に石川五右ヱ門
の末葉(ばつよう)なりと新聞紙に一決一笑(いつけついつしよう)【?】せり


日々新聞 第廿一号

     小信改二代
      貞信画

        □政梓【?】

       彫政七

月夜(つきよ)に釜(かま)
とは抜(ぬけ)けた文句
の尻(しり)かあわず順慶町四丁目要嘉といふ
袋(ふくろ)物(もの)商(や)なるが発明製造(はつめいせいぞう)の品に思(おも)わく

読売新聞 第百十五号
            守川周重筆

 つきぢ一丁目の十ばん地にゐる
山口県山もとたでをは□【深】川万年町
二ばん地の木むらおふくという女とわるい
ことをしてゐたがおふくは先ごろさくら田
ふしみ町のふく井某のうちへきて
ゐん〱又ふく井とふぎを
してくわいにんに
なりましたが
どちらのたね
やら〼


わかり
かね
かけ合
ちう五月
二十九日に
山本がふしみ丁を
通るをおふくが
みつけて山もとをひがさ
にてうちたゝき大さわ
 ぎをやらかしました

讀賣新聞【横書き】 第百九号        周重筆
むかふしまうへ
はんといふ
れうり
屋へ△▲

△▲
いまとへんの
なにかはさまとか   
いふ華族《割書:くわ|ぞく》のごゐん
居(きよ)がきてお酒をのんでいまし
たが此せきへでたおせんと
いふ女かほはさらなり
こゝろまでやさしきすが
たにさんごじゆの一寸あまりの
たまをつかはしきざけてすこし 
あてこんだがおせんはあいにくかたぎ
にてそんないやらしい事はごめんください
茶屋《割書:ちや|や》女こそいたしてをれ□こゝろ□□であ□【な?】
 たのごきげんはとりませんといふところ○▲
【下段】
○▲さすが
あひけう
しやうばい
ゆへてい
よくご
いんきよ
はね
られ
まし

讀賣新聞【横書き】 第百号          
浅草山谷ほり人力車ひき冨五郎と
いふものゝむすめおふぢあさ
くさたんぼへんに用たしに
ゆき夕かたうちへ
かへるときぶん
あしといふほどなく
むすめのからたへ石を
しきりとなぐるかない
のものにはすこしもあた
らずあたりてもいたしも
なし又さらはちに
あたりてもこわれず
これはふしぎといふ
うちむすめは
むちうになり
いろ〳〵と口
はしるこれは
きつねの【続きを示す絵文字あり】 

【下段-続きを示す絵文字あり】
つきしなる
かとしゆ〳〵
きとうし
やう
やくおち
つきしとそ

読売新聞 第百十五号

【右上】
□【本?】所相生町五丁目十九番地の
なには【?】清へゑといふものがことし
三月中同所のぢめんをかひいれ
四月廿九日につちのなかより
かゞみいちめんほり
だして大きに
よろ
こび
いな
りに
まいりて
四月廿九日
三十日さいれいを
○●

【左上】
○●
したといふ
又よこはまとべの山に大きな穴【?】があつて〼

【右下】

きつねが
まいにちなくとて
きんじよの
皆が【?】さいせんや
あぶら▲

【左下】

□げをあげて
願【?】がけするといふ


  守川
   周重筆

平假名繪入新聞【横書き】 第十六號
五月十四日の夜(よ)しば口二丁目
のあらものやはら三平
のいえにはいりし
どろぼう
あさ
ひなのはりこの
めんをかぶりこんのふろ
しきにておもてをつゝみ
ぬきみをさげおさだまりの
もんくにて
かねをだせ
といふ女
房ふるへながら
云ふにたらぬ
かねを出すこれ
ではたらぬきも
のを出せといふハイ〳〵ト
たんすのひきたしより三四枚 《割書: |○》

《割書:○|》いだす
をとろぼう▽△

▽△そのきも
のをつゝ
まんと
刀をしたにおくとき
三平すかさす
刀をうばひ
とり



どろぼう
のかほに五刀
きり付るあさひなも
ワツトいつてたをれると
おまはりかけきたるをなか
まと思ひ切付をほう
にてうけと【?】れ廻り秀
もりなるぞといふに
心付□
けを
□る
とうぼうす

繪入新聞【横書き】 十八号
ながしま             周重筆
町(てう)にすむ
こびきしよ
くの松五郎と
いふ人のによう
ばうおきんは
こまものやを
してほう〴〵の
とくゐををあるく
ところがふだん
からおゝざけ
のみでかひ
ぐひが
すきで
ちつとの
まうけ
ぐらひでは
おいつかない
ゆへていしゆに
かくして○

○ていしゆの
まつ五郎の名まへで
あちこちから▽▲

▽▲かねを
かりてつかふていたのが塵《割書:ち|り》つもつて
山ほどになりじぶんのちからでは
おさまらなくなつてきてまつ五郎へめん
ぼくないとて□□じま丁の川へざぶりとやらかして
しにましたがことし三十二三ぐらひのわかざかりくひものゝために
いのちをすてるとはいかに口がかわいゝといつてあんまりつまら ◐

◐ない
では
あり
ませ

【タイトル】
《割書:大|阪》錦画日々新聞紙 第□【廿?】九号

【本文】
明治八年四月三十日 邏卒(らそつ)井上徳三郎は西成三区上福嶌村を巡邏(じゅんら)
する時二人の童子(こども)本梃の先(さき)を鋭(するど)くし地に投(な)げて刺(さ)し勝負を
決(けつ)す互(たがひ)に争(あらそ)ひ挑(いど)みたるに近付き示(しめ)さんとせしに早く二童(二人)逃(にげ)て
其家に帰るを慕(した)ひたるに同村安藤佑七が悴(せがれ)米吉三木松なれば
親へ説諭(せつゆ)して最早(もはや)八才五才の童子 入学(にうがく)の年頃なるに
遊戯(ゆうげい)に耽(ふけ)らしむるはよろしからずと述(のぶ)るに家 困究(こんきう)にて
学校入費(がつこうにうひ)行届かずとこたへ□□□【ける?】を井上 不便(ふびん)に
思ひ二児(ふたり)を同村事務
所へ連(つれ)ゆき自(みづか)ら金一円
差出し入校(にうこう)の筆墨紙を
与(あた)へ後(のち)に戸長より五十銭戻り
学に導(みちびき)せしに親の歓喜(よろこび)
巡卒(じゆんそつ)の深志(こゝろざし)天意に叶ひ人民 保護(ほご)の
有様(こと)なりと実(じつ)に感賞(かんしやう)すべきなりと
報知六百五十五号にのせたり

《割書:大|阪》 錦画日々新聞紙 《割書:第  |五十四号》
                        冨士政板
                        綿 喜 板
神奈川県下」下 作延(さくのへ)村
の関口次良兵ヱの息子は
十三才なれど力 強(つよ)く物に恐れぬ
気丈者(きじやうもの)明治八年六月八日年 経(ふ)る
大きな狐(きつね)が隣の鶏(にはとり)を一羽くはへ
迯はしりしを取られし
人は残念なるべしとあとを
追かけ麦畑にしのび入り穂(ほ)に
あらわるゝ古狐を肥(こへ)おもかけず生捕(いけとり)
て鶏(とり)は隣へ戻してやり一 挙(うち)に殺(ころ)して此狐を
料理して皆にくへと汁に奈須野の物がたり 【三浦上総両介那須野九尾狐討取】
三浦上総の両介が矢先もあざ       【三浦介義明、上総介広常】
むく誉(ほまれ)れもの一人りで仕 留(とめ)し
ふるまいは十三ぐらいでゑらい者で
【下段】
ありますと読けり
百廿六号に出

 花源堂□
                        ホリ砂こし定二 
                      小信改二代
                      貞 信 画

大阪 錦画日々■■【新聞】紙 第四十五号

東京隅田川に寓(ぐう)する岡目八茂久が筆硯(ひつけん)の暇(いとま)あるごとに
堤上(つゝみ)を逍遥(せうよう)し世情(せじよう)風 骨雅味(こつがみ)を目になぐさめ物に感慨(かんがい)せし折
から一葉の舩二 挺櫓(てうろ)を搧(あを)ぎ漣(さざなみ)をたゝんで風のまに〳〵
媚(なまめ)く声清 冷(れい)たる水 調弦(てうし)時にきこへて三四段も上手へ
遡(さかのぼ)りゆくほどに羨(うらやま)しき今そ有かなと我を悟(さと)り
心 寂寞(じやくばく)たる折舩中より小紙あまた散(ち)り出し翩(ひら〳〵)くと
して叢(くさむら)より数(す)【?】千の蝶 起(おき)【フリガナ?】るかと疑(うたが)われ風さそふ花
空(そら)に知られぬ雪浪に漂(たゞ)ふありさま飄零()【フリガナ?】として一片
岡目が手に落るを見るに南無阿弥陀仏と書たるに
あいそもこそも尽果て如何なる白痴(たわけ)と許(もと)をさぐれは日本ばし
槙町の亀岡とかいふ愚(ぐ)人にて浅草向島辺に別荘三ヶ所を
構(かま)へ一 荘(せう)【?】に一 妾(しよう)【?】を置き輪番(じゅんばん)に遊泊(ゆうはく)し安房宄然(あぼうきうぜん)【?】の楽(たのし)み
妾(てかけ)に配分(はいぶん)して書したる六字の名号(めいごう)三万三千三百三十
三枚に満(みつ)れば懺悔善根(ざんげぜんごん)を表(ひよう)し弘誓(ぐぜい)の舩は
色に耽(ふけ)り酒に湎(ひた)りて仏門 冥理(めうり)【?】の道に叶わんと
するは思ふも哀(あわれ)にも思へりと歎息(たそく)せしは 報知六百八十六号に出

    小信改二代
     貞信画

      綿㐂板宄
      □政板

        ホリ徳


  略文長谷川徳太□□筆□

    板元 塩町通四丁目 前田喜兵ヱ社中

諸国日々新聞集 明治八年【横書き】

夫人命を助(たすく)るは万善(ばんぜん)の
源にして孰(たれ)も勉(つとめ)たき事也     茂廣    川傳梓
茲(こゝ)に四月廿三日夜十一時頃
道頓堀清津橋ゟ入水せし
婦人有是は高津町みぞのかは田原(ほていや)と 
云宿やに止宿(とまり)致せし駒(こま)といゝて
本年(ことし)卅四才也四年先に男
音五良に別(わか)れ色〻心 遣(つかひ)して
身を投(とう)せし物ならんか辺(ほと)りの
湯(ゆ)やの男 早速(じきに)飛(とび)こみ
巡査(じゆんさ)の御 指令(さしづ)にて引あげ
介抱なし命につゝがなかりしは
実(け)にたのもしき湯やの
男と御 誉(ほめ)をいたゞき
しは天晴(あつぱれ)なる
事とも也
〽みな底(そこ)の
 どろによご
 れし其身
 をは洗(あら)ひあげたる
 清津湯かな

  柳櫻記

紀州周参見村
濱田(はまだ)某の娘まつは
本年十九才心 潔(いさぎよ)き
性質(せいしつ)にて風の
柳のなよやかに
あいてきらはぬ
さゝめ言(ごと)国に有
てもつくまなべ
尻(しり)の早(はや)くも大阪の
今木新田某へ奉公
するより又直になんば村久三良方へ
仲人なしの夫婦中 一重(ひとへ)つまでは肌(はだ)さむしと重(かさね)る
妻の幾重(いくへ)とも数(かづ)さへ定(さだ)めぬ
みそかおばさながら賣女(ばいぢょ)同やうの
しまつに其こと發覚して久三良もうらみはて
追出さんと思へどもさばかりにてはあきたらずと
近辺の若もの六七人もかたらいて濱さきより
小船にひそみまつを呼出(よびだ)しさそい入五六丁
もこぎ出し久三良をはじめとしまつを
なぶりものにすまつは鬼がしまへもつれ
ゆかれんと人こゝちもなかりしに豈(あに)
はからんやおのがこのめる筋なれど
酒ずきも過(すご)せば二日よいのづゝう▲【上段終了】

【下段開始】

もちずきも
過(すご)せば食もにれ
にてきのおもく
ついに千島新田 葭(よし)の中へ
追あげられて夜をあかし
わが身(み)をくやむは先にたゝず
        柳櫻記

明治八年
錦画
新聞
第三月の六日の夜。淀の小橋の          石 和 板
中程(なかほど)に。 男女(ふたり)の衣類(きもの)ぬぎ捨(すて)て
上(うへ)に壱封(いちふ)のかき置(おき)は。 情死(しんぢう)と見ゆ
れど姿(すがた)は見へず。とふしたわけと
ことのもと。 尋(たつね)て聞(き)けば西京の
上七軒(かみひちけん)の客舎(おちやや)なる
山浅内の若菜(わかな)
とて。 顔艶(みめうつく)しき
倡婦(うかれめ)と。 添遂(そひとげ)る気(き)の遊男(たはれを)は
散財花(ちらすはな)さへ数千本(すせんぼん)。 通北(かよひきた)
野(の)にほど近(ちか)き。 笹井町にて
鳥店(とりや)ゆへ。 籠(かご)の鳥なる若菜とは。気も食鶏(あいのこ)の悪縁か
互(たが)ひに好(すき)と鋤鍋(すきなべ)で。身をこがしたるつゞまりの。 思案(しあん)も
今は煮(に)へつまり。せんかたなくも身を水に。 没(しつめ)て浮名流(うきななが)す
とは。あさはかすぎる愚(おろか)さとの噂(うはさ)のまゝをこゝに画ス
身を水にさらすのみかは名(な)もさらし
行をさらしたことゝ言はれん
      芳瀧誌

東京本所
三笠町六番地
小川宇作と
いふ者の。女房おせいは
泥棒にて。 召(めし)とられしが亭主の。宇作も
以前(もと)は此おせいが。人の女房でありしとき
密通(よこどり)をして邪合(どれあい)の。 非道(むほう)は似(に)たる夫婦中(ふうふなか)
魚と水との悪縁は
のがれがたなき天の
網。かくりやつながる
縄付(なはつき)と。 成(なり)ゆく
二人(ふたり)は当然(とうぜん)の
むくひきたると
いうべし

明治八年
錦画                      笹木
新聞                       芳瀧画
武州高麗郡大谷澤村に
力(ちから)も人に壮男(ますらを)の名は大河内
清兵衛とて。 釖術(けんじつ)さへも
よはからず。すぐれて強(つよ)き気性にて。 或(あ)る時(とき)近村
よりの戻(もど)りしが。何かあやしき家内(うち)の様子。よく〳〵
聞(き)けは盗賊(どろぼう)ゆへ。 隣家(きんじよ)の木太刀借り来(きた)り。声も
ろともにかけつけつ。千変万化 手負(ておひ)ながらも
ついに賊(ぞく)をは捕縛(いけどり)ば同国(どうこく)入間郡越生村
田嶋惣兵衛といへる者にてありしとぞ
 木だちから火花ちらせば土(ど)ろぼうの
   金だせ〳〵も水になりけり

    正情堂
      九化誌            石 和 板

  図会 第卅八号

             呂太夫

昔から名高き大阪天満のはら〳〵薬の
元の主人は今は呂太夫とて浄瑠璃の
大 天窓(あたま)となり其女房は京人形と
混名(あだな)を得(ゑ)たる二十二三の美人(べつひん)なるが
何(いつ)の程(ほど)よりか其家にのらくらしたる
食客(いそうらう)と密通して居たる事を
呂印が嗅(かぎ)つけ何(いつ)の間(ま)に誂(あつら)へ
置しや或日一畳敷の大のし紙
持来るを其侭女房の背中(せなか)
に結ひつけ彼 寓公(いそうらう)を呼(よび)出し此
京人形を貴さまの玩物(をもちや)にやる
さかい何処(いづく)へなりとも持行けと
共に其家を追出しけると扨も
愉快(ゆくわい)なはら〳〵薬ならずやと
 東京日々新聞にまで出たり

もろ人もかたり傳へてきゝつらん
 扨もきれいな はら〳〵薬

  圖會 第卅八号
昔から名高き大阪天満のはら〳〵薬の
元の主人はい今は呂太夫とて浄瑠璃の
大 天窓(あたま)となり其女房は京人形と
混名(あだな)を得(ゑ)たる二十二三の美人(べつひん)なるが
何(いつ)の程(ほど)よりか其家にのらくらしたる
食客(いそうらう)と密通して居たる事を
呂印が嗅(かぎ)つけ何(いつ)の間(ま)に誂(あつら)へ
置しや或日一畳敷の大のしを
持来るを其侭女房の背中(せなか)
に結ひつけ彼 寓公(いそうらう)を呼(よび)出し此
京人形を貴さまの玩物(をもちや)にやる
さかい何処(いづく)へなりとも持行けと
共に其家を追出しけると扨も
愉快(ゆくわい)なはら〳〵薬ならずやと 【はらはら薬は胃腸薬】
  東京日々新聞にまで出たり
もろ人もかたり伝へてきゝつらん
 扨もきれいなはら〳〵薬

横浜野毛町四丁目
髪結職鈴木藤松が蓄猫(かいねこ)が子を
三疋 産(うみ)おわつて死(し)せりかねて獣好(けものすき)
にて洋犬(ようげん)の雌(め)も飼(かい)たるに明治八年
五月のころ柴犬も子を産みしに望(のぞ)み人
ありて早く子を譲(ゆづり)り【衍字か?】たれば親(おや)犬の乳汁(ちしる)たれてやまざるを
孤猫(こねこ)にあてがい昼夜 養育(やしなひ)おこたらず家内店のお客迄も
不思儀(ふしぎ)た【と?】て傍へよれば子猫をとらるゝやと洋犬の吼(ほへ)たつる程(ほど)になりたり
実(まこと)に全国兄弟の契(ちぎ)り貴族(きぞく)官員が平民を軽蔑(けいべつ)せるは犬にだも鹿猿 可(べ)けんやと

日日新ぶん千三十
五号に出ず

大阪錦画新話第八号 □□□□二

      小信改二代
       貞信画

        阿波文板

        森□板

大阪錦画新話 第十二号

小信改二代
 貞信画

森文蔵板

阿波文板
ホリトラ


兵部省の雇人足某は同省より円金五円を受取り
帰り其夜寐処の下へ入れ置き翌朝うちわすれ出張(しゆつてう)せしが
フト思ひ出し驚(おどろ)き家にかへりさがせども更(さら)になし此者の娘
七才なるにたづぬれば今朝五厘をひらひ菓子を
買ふたといふにつけ早そく菓子やにゆきしか
〴〵を語れば我も心つかず蕪(かぶら)をかふたといふに
又〳〵かふらやを爰(ここ)かしこと捜(さが)しよう〳〵
見あたり云々(しか〴〵)かたれば我も円金を受取
たる否(いな)やを知らずと財布を打あけ見
れば果(はた)して有りかぶらや大に
おどろき是 君(きみ)の所有(もの)なればと すみやかにかへし
五厘を呉(く)れといふ正直なるに感(かん)じ一朱をあたへて
是を謝(しゃ)す若(もし)この円金(かね)なくば蕪にあらぬ株(かぶ)
仕舞なれども円(まる)くおさまりたるもよく〳〵
五円の有金なりアヽ金銭は正直大切に致(いた)さねば
なりません

日々新聞
二百四十号出ル

大阪錦画新話 第十号【横書き】
崔(さい)南といふ人の妻唐 婦人(ふじん)は其 姑(しうとめ)長村夫人は年老て
食事かなはざれば常に乳(ちゝ)をあたへて孝を尽(つく)せしは
世の人よく知るところなり是はそれには引かへて
東京北神保町七番地に嶌田政七と云人
の妻おつるは千年の齢(よはひ)もまたず明治
七年の頃 産(うみ)し女の子を忘れ匡(かたみ)に死したりしか
此家の老母(ばさま)は愁傷(かなしみ)にたへず孫を自(わ)が手で育(そだ)つるに
七十余旬の皺乳(しわちゝ)を孫に呑せ居たるに不思儀と
此ころ乳汁(ちゝ)発(いで)てはしるに孫は此 乳(ち)に肥満(ひまん)せるハナント
稀(まれ)な事ではありませんか 読売八十五号紙上に
詳なり
        大水堂                森文蔵板 阿わ文板
          狸 昇 誌          二代
                         貞 信 画

                    小信改二代  阿波文板
                    貞 信 画  森文蔵板
静岡県沼津在推路村の士族鈴木某は去明治八年
より東京へ出て巡査(じゆんさ)を勤めて居しがその妻おのぶと
の【野?】へし花の十九廿年
㒵と心のうつくし
きうへ歌道を
たしなみ夫(おつと)の留
主の一人り寝はいとはず姑女(しうとめ)に
よく孝育(こういく)なし或る日 叔母(おば)がきたりおのぶへ告(つげ)るには夫(おつと)
鈴木は東京にて外に女を貰(もら)ツタといふがナゼ捨て置ノダ
はやく踏(ふみ)出し逢(あつ)ておいでと言われてモシ叔母さま御 戯談(ぜうだん)
おやめそれは少しも怨(うら)みませぬ御身まはりの世話も行届き
また私は御留主を守るは女房の役親を残して行くもいかゞと
貞節美言(うつくしことば)に叔母は言(ことば)をかへさず立帰る跡におのぶは捨がたき心のそこ
意(い)筆とりて
  東路に月は照るやと終夜(よもすがら)啼あかしてむ山時鳥 ト
一 首(しゆ)をつらね遠(とを)き夫(おつと)へおくりしは年も若きに感心な嫁では有りませんかと
読売百廿二号に出たり        筆者高田俊二
 大阪錦画新話 《割書:第  |十四号》

東京日々新聞
七百三拾六号
                       一蕙斎芳幾画

岸田(きしだ)吟香(きんかう)は新聞(しんぶん)
探訪(たんばう)の為(ため)。 陸軍(りくぐん)
に従ひて台湾(たいわん)に在(あ)
る事二ヶ月余。 諸蕃(しよばん)降伏(かうふく)の
後(のち)ある時(とき)牡丹(ぼたん)生蕃(せいばん)の地に遊歩(ゆうほ)し。
帰路(きろ)石門(せきもん)の渓流(こかは)を渉(わた)らんとて靴を
脱(ぬが)んとする折から。 土人(どじん)来(きた)りて
背(せ)に負(お)ふて越(こさ)んと云ふ。 吟香
辞(じ)すれども尚(なを)聴(きか)ざるゆゑ
渠(かれ)が背(そびら)に乗(のり)たりしに。
力(ちから)微(よわく)して立(たつ)こと能(あた)
はず。 遂(つひ)に笑(わら)つて止(やみ)
たりとぞ。 蓋(けだ)し
吟香は躯幹(からだ)肥大(ふとり)て。
重量(めかた)二十三貫目に余(あま)れり
 吟翁が同社の硯友
   轉々堂藍泉記

東京日々新聞 三百廿二号

民(たミ)に親愛(しんあい)を教(おしゆ)る孝より
善は莫(なし)と.尓(さ)れば氷(ひよう)上に
鯉(り)魚を獲(ゑ).雪中に笋(たかんな)を
抜(ぬ)く.古(ふる)き教(おしへ)を固(よく)守て.
老母が長(なが)き病(いたつき)に
食料(しよくりやう)湯薬(たうやく)二便(にべん)
の看護(かんご).聊(すこし)も他人の
手を借(から)ず至(いた)れり
尽(つく)せる其(そが)うえに.快(くわい)
晴(せい)の日は背負(せお)ふて遊歩(いうほ)し.
母の喜(よろこ)ぶ体(さま)を見て.吾(わ)が
第一の歓楽(くわんらく)とす而(しか)して多年(たねん)
も一日の如し.未(ま)だ秋 浅(あさ)き
季候(ころ)なるも氷を食(しよく)せんこと
を望(のぞ)めば.数里(すうり)を阻(へだ)たるに
長沼(ながぬま)山の.渓間(たにそこ)深(ふか)く下(おり)たちて
僅(わつか)に氷を索得(もとめゑ)つ.母に與(あた)へし孝子は
之(こ)れ.福島 県下(けんか)岩代(いわしろ)の国 岩瀬郡(いわせごほり).
鏡沼村(かゝみぬまむら)の農民(ひやくしやう)にて.褒金(ほうきん)若干(そこばく)
賜はりたり
  轉々堂鈍々記

一蕙斎芳幾

東      吉備大臣                 一蕙齋
                             芳幾
京      市川團十郎
                               印


々   芝新ぼりの戯場(げきじやう) 河原崎(かわらさき)【原本は嵜の異体字】 座(ざ)に

新  おいて吉備大臣(きびだひじん) 支那物語(しなものがたり)と題(だい)し
   たる新狂言(しんきゃうげん)を取仕組(とりしく)めり 吾朝(わがてう)の
聞  吉備大臣 日唐の間に於て
   云々の儀に付 唐(とう)の玄宗皇帝(げんそうこうてい)に
     迫(せま)つて貢金(ちようきん)を出(いで)さしむ この場(ば)を演(ゑん)すか
の大臣に
九百十七号     扮するは雷名(らいめい)の市川團十郎なりと聞(き)けば色ゝの
              能辨(のうべん)を以て 安禄山等との 議論(ぎろん) 妙(めう)なるべし
               作者は有名の 河竹翁(かはたけおう)なれば定(さだめ)て興(きよう)ある事あらんと評せし

東京日々新聞 八百三拾二号

世の人を救(すく)ふ誓(ちか)ひの網(あみ)の目と漏(もれ)たつもりの兇賊(わるもの)が
浅(あさ)き工(たく)みの浅 草(くさ)寺。 其(その)境内(ぢない)なる
奥(おく)山に茶屋 揚弓場(やうきうば)
鱗次(いゑなみ)の。中に潜(しそ)みて居
たりしを捕(とら)へんものと
査官(やくにん)が。 的(まと)ハはづ
さぬ弓張(ゆみは)りの。月も廿日の
真夜中(まよなか)に踏込(ふみこ)む目先へ白刃(ぬきみ)を振(ふ)り。
手向ひなせしを事ともせず所持(てにもつ)官棒(くわんぼう)とり
なをし勇気凛々威儀揚々(ゆうきりん〳〵ゐぎやう〳〵)。 大喝(たいかつ)
一声(いつせい)をどりこむ。此勢に鼡賊(そぞく)
ども。おのが名(な)呼(よ)ぶ濡鼡(ぬれねづみ)。 猫(ねこ)に
追(おは)れし有様(ありさま)に。
狼敗(ろうはひ)なせ
しぞこゝち
よき

墨陀西岸
 温克堂
  龍吟誌

     蕙斎芳幾

     《割書:人形|町 》具足屋  渡辺彫栄

東京日々新聞【横書き】           一蕙齋芳幾
頃日専(このごろもつは)ら刊行(おこなは)るゝ。 福澤氏(ふくさはうし)が学問(がくもん)
の進(すゝ)めと題(いへ)る教諭(おしへぶみ)史第八篇の文中に。
一 夫(ぷ)の多妾(たせう)を犯(をか)せるは畜類(ちくるい)なりと論(ろん)ぜ
しも。理(ことはり)なるを此(これ)は之獣(これけもの)の名に因(よ)る熊谷(くまがへ)県下に。
孀婦(ごけ)のおなほが長女(むすめ)のお袖(そで)。 次女(いもと)のお蝶三人と。 輪交(かえ〳〵)
まくら川 越(ごへ)の多賀町に住(す)む滝(たき)次郎。 清(きよ)き流(ながれ)の名にも
似(に)ず放蕩無頼(はうたうふらい)の悪漢(わるもの)なれば。三 婦(ぷ)に姦(かん)する故(ゆへ)をもて親(おや)子 互(たが)ひに
睦(むつ)ましからず。平日(つね)に葛藤(くせつ)の絶(たえ)ざりしが。或時例(あるときれい)の口角(いさかひ)より母を
柱(はしら)に溢(くゝり)つけ。其 面前(めのまへ)に戯(たはむ)れて姉妹(はらから)も亦愉快(またゆくわい)とす。
醜態言語(しうたいごんご)に絶(たえ)たりし人畜生(にんちくしよう)が
挙動(ふるまい)の。官(くわん)に聴(きこ)へて捕(とら)へられ。
入間郡(いるまこほり)の
裁判所(さいはんじよ)へ   轉々堂主人録
一同送致(いちどうおくられ)
たりと
なん

東京日々新聞 九百十二號
一蕙斎芳幾

武州 秩父(ちゝぶ)郡(こほり)芦(あし)ヶ
久 保(ぼ)村(むら)の農(のう)何某(なにがし)は沙魚(ざこ)を取(と)らんと
網(あみ)を携(たづさ)へ七歳(なゝつ)に成(な)りし児を連(つ)れ
て渓川(たにがは)に臨(のぞ)み小児をは川 岸(ぎし)に遊(あそ)ばせ置(お)き
己(おの)れは網(あみ)を打(う)ち入(い)れて彼方(かなた)此方(こなた)と漁(りやう)を
しつゝ歩(ある)行しに児は忽(たちま)ち声(こえ)を
揚(あ)げてアレとゝ様(さま)や蛇(へび)が坊(ぼう)を食(く)
ふよと叫(さけ)ぶゆえ駆(か)け附(つ)け見(み)れば小桶(こだる)
程(ほど)の蟒(うはばみ)か後(うしろ)の山より蜿蜒(のたり)いで
既(すで)に吾子(わがこ)を丸呑(まるの)みに△

せんとする勢(いきほ)ひなるにぞ側(そば)に有り
合ふ杉(すぎ)の丸(まる)木ををつ取(と)りて力(ちから)を極(きは)めてドツと
打(う)てば蟒(うはばみ)は忽(たち)まち草木(くさき)を推(お)し分(わ)けて
後(うしろ)の山へ逃(に)げ隠(かく)れしが此(こ)の小児(こども)は何の
替(かは)りし事(こと)もなく其(その)父(ちゝ)も煩(わづら)ふ事
などは絶(た)えてなかりしとぞ此の
網打(あみうち)は膽(きも)の太(ふと)き男(おのこ)なり

東京日々新聞 九百廿六号

日向國(ひうがのくに)臼杵郡永井村にて先月
十三日明見社の祭礼ありしに
村の者ども集(あつま)りて例(れい)の村 芝居(しばゐ)
を催(もやう)したるに狂言は則ち忠臣蔵
なりしが五段目に至りて此村の精蔵(せいざう)と
云ふ者かの定九郎に扮して舞台(ぶたい)に出て
彼(か)の久しぶりの五十両と云ふ件迄 首尾(しゆひ)
よく行たれば今日の出来は精蔵兄の定九郎
なりと見物も誉(ほ)め居たりしに
勘平に扮したる男かねて所持
の猟銃(りやうじう)を持出しハタと火蓋を
切て落(おと)すや否や定九郎は弾丸(たま)に
打貫(うちぬ)かれてウンと仰(のつけ)に倒(たを)れたるまゝ即死し
たりと勘平も相済ずとて腹を切りしや否や⧖
⧖未た確報(かくほう)なし扨も村戯場(しばゐ) 可笑(おか)しき事も有るべし
此精蔵の如き猪打報ひもあるまじきに
実(ぢつ)に憫然(びんせん)の至りなりと人々 興(けう)を醒(さま)し
たるべし

東京日々新聞【横書き】九百六十四号
相州江の島弁才天女の廟は往古より七年ごとに開帳あること世人の能く知る所なり然るに当亥年
四月一日より五月二十日に至るまで五十日の間 臨時大祭(りんじたいさい)を行な
はるゝよし是に就(つい)て此島に住める一新
講(かう)社中有名なる■

旅館(りよくわん)ゑ
びす屋は此頃 新(あら)たに三階の
高楼を築造したり其 結構(けつこう)は日
本風の立かたにして尤も間取りの
注意より諸式みな風雅(ふうか)を尽(つく)
せり此楼上より望(のぞ)めば三浦鎌
倉由井の浜の風景眼下
に集り冨士は
遥(はる)かに白く
箱根は△

近く翠(みどり)
なり
空(くう)気
清快にし
て健康(けんこう)を補(おぎ)なふべく殊(こと)
に海味に富て佳肴(かこう)乏しから
ず御参詣のお方はお上り有て御試
しなされ頃日この三階の楼上に
掛んと坂東彦三良中村芝翫
菊五郎左團次團十郎半四郎
等を始め俳優(はいゆう)十余人其外作者
留場抔にて名前を染め付け
たる暖簾(のれん)を拵らへ恵
日寿屋へ送らんと専ぱ     蕙齋
ら其用意 最(さい)中なりと云へり   芳幾
                  《割書:人形|町》 具足屋 渡辺彫栄

東京日々新聞【横書き】 九百七十八号
長州小月村の京泊りと云ふ所の長谷川熊吉と云ふ
者の女房おすゑに去年十月ころより阿部(あべ)の清明(せいめい)とか
云ふ狐が乗(の)り移(う)ツたとて色〻妙な事をしやべり
散(ち)らし本年一月には火の雨が降(ふ)り火の風が
吹(ふ)きて世界(せかい)がみな黒土(こくど)に成るなどゝ
云ひ触(ふ)らしけれど近村の
人まで聞(きゝ)き伝へて
何(ど)うそ火災を免(まぬか)れ
る様(やう)にと祈祷(きとう)して京泊に
稲荷(いなり)の社
を建立(こんりう)して
小豆 飯(めし)や
油揚を備(そな)へて
鼠(ねずみ)の油煎だのお洗
米だのと噪(さわ)ぎ立けるが国中の大
評(ひよう)判となり参詣(さんけい)する者引も切らず
灸点を下して貰(もら)へば何(ど)の様(やう)な病気でも治ると云ひ或は
手の相を見て貰(もら)へば運(うん)の吉凶(よしあし)が別(わか)るなどと持て林して蟻(あり)の如く集(あつま)りけるが風と或る人 
より此稲荷にはまだ官位がないから京都へ位を受けに行くが能(よ)いと云ふ相談が始まりて
商人仲間で何程かの金を調のへ本年一月中旬におすゑは亭主熊吉と隣りの金六が
女房おみすを連れ船にのりて出帆せしが備後の尾ノ道にて上陸して或る酒楼(たかや)にて路用を皆(みん)
な飲(の)んで仕 舞(ま)ひ上京する事も出来ず詮(し)方が無く成りて遂に帰る事に成りしが三人 倶(とも)に道々を
南無妙法蓮華経〳〵と唱(とな)へて人の門に立つゝ稍々(よう〳〵)芸州(けいしう)の広島まで帰(かへ)り来り暫(しば)らく ∞
【下段】
∞ 爰に逗留して亭主の熊吉を国元へ戻し路用の工 面(めん)をさせて帰国せしがおすゑ稲荷さまハ前に替らぬ
繁昌(はんじやう)なり此おすゑ様が広島を出る時に同国の瀬川(せがは)百丸と云ふ役者と同伴(どう〳〵)して船の中で乳栗(ちゝくり)あひ大恍(おほのろ)
惚(け)に成り国へ帰りて亭主に云ふ様私は男を禁(きん)じ身を清潔(きれひに)せねば罰(ばち)が当(あたる)とて別に家を借りて居て
毎晩百丸と密(ひそ)かに枕を並べて楽(たのし)みしと此おすゑ稲荷様も人の身の上吉凶 禍(くわ)福はいろ〳〵と
御しやべり成されて随分人を魅したれども神様も人間も恋(こひ)は思(し)
案(あん)の外と見えて百丸に魅されたは奇談(きだん)と申そうか愚談と
申そうか呆れ返(かえ)ります        蕙齋
                   芳幾
             人形町 具足屋 渡邉彫栄

肥後国海中え毎夜光物出ル所之役人行
見るニづの如之者現ス私ハ海中ニ住アマビヱト申
者也当年より六ヶ年之間諸国豊作也併
病流行早く私シ写シ人々ニ見セ候得と
申て海中へ入けり右写シ役人より江戸え
申来ル写也
弘化三午四月中旬

BnF.

【雷神 絵】

      抱一筆

      抱一筆

【風神 絵】

□抱一筆

     【鶉 絵】

BnF.

【表紙】


【右肩にペンで番号】
No 6

【中央に仏語内容メモ】
No 6【見せヶち注記を書きます】
Siki mon dsau..e【織文圖會】
Dessins de modèles
1818 4 vol. gr 8è(?)
N° 6a Itaballements de chasfe (
N° 6b Cérémonie
N° 6c Etoffes de soie faconnée et ……..(….?)
N° 6dIt…..de … pour dames.



【左に題箋】

織文圖画會 《割書:狩衣》【図書館印】迦地

【白紙】

【白紙】

【白紙】

禮服之𩔫
織文圖會
本間氏蔵

【白紙】

【上段の圖會】
   狩衣之部

文紗《割書:地薄ク文厚キヲ云|又唐ノケン文紗ヲ用|シ㕝モアリ》


【下段の圖會】

顕文紗《割書:地厚ク文薄キヲ云|此文シヤケン文紗ノ|㕝説【言+兊】アリトイヘトモ|今暫俗称ニ随フ也》

【上段の圖會】

綾《割書: 生糸ニテ織練テ染也》


【下段の圖會】


浮線綾《割書:経?【糸+坚】生緯練文蝶丸也|或ハ染テ着スルモアリ|又縮線綾?【糸+麦】熟線綾?【糸+麦】等|ノ名アリ》