【表紙にタイトルなし。落書き?あり】
【この資料名の6コマ分は、同じ資料が3冊まとめて掲載されているようなので、表紙の翻刻はコマ3参照】
昔弘化四丁未載三月廿四日会晴暖気ニ而□而穏成其夜亥刻頃信濃国七郡雷鳴の如ク響
大地震にて城下在町民家即時に震潰し所々ニ出火して焼死即死数万人同刻犀川筋
更級郡山平林岩倉孫瀬山櫻井虚空蔵山高サ六十丈余横幅十一丁程の場所抜崩れ犀川江
押出し埋立川幅を〆切流水を留居湛川上江水開キ湖水のことし丹波鳥山渡シ場
水渇て陸のことし【4コマ目で筆耕しているため、4コマ目参照】
《割書:信濃国|大地震》 後世記録 微細色分絵図
時【俗字の「時」】弘化四丁未載三月廿四日會晴暖氣に而到而穏成其夜亥刻頃信濃国七郡雷鳴の如く響
大地震にて城下在町民家即時に震潰し所々に出火して焼死即死数万人同刻犀川筋
更級郡山平林岩倉孫瀬山櫻井虚空蔵山高さ六十丈余横幅二十丁程の場所抜崩れ犀川江
押出し埋立川幅を〆切流水を留水湛川上江水開き湖水のことし丹波島渡し場
水渇て陸のことし渉るに踵をぬらさす其外山々平地迄も震われ通路難成場所有
猶亦数ヶ所山沢崩れ落て水行不通然るに数日水湛一時に押破り候はゞ川下民家水難の
憂難斗御上様より水切の節しらせのため所々に狼煙御覚悟有之所
四月十三日申下刻一時に水抜出し浪高き事数十丈水声雷鳴の如く
天地に響き大山の崩るゝが如し虚空一面雲霧のことく狼煙発すと
いへとも更に黒白不分川中島より千曲川越後国迄民家悉く
漂流し溺れ死すもの幾万といふをしらす扶桑略記に曰
光孝天皇仁和三丁未載七月晦日信濃国六郡大地震に而大山
抜崩れ城蘆仏地男女牛馬に到まて流死成丘【丘を成す】云々自仁和三
丁未至弘化四丁未にこゝに九百六十一年亦如斯天災を
見る唯当国の人而已にあらす善光寺如来開扉によりて
諸国の旅人数を尽して死失す嗚呼時なるかな異変有事
亦こゝに善光寺如来御本堂無難にして其夜に通夜するもの一人も
無恙是仏徳の験し難有事霊瑞感応逐一に不遑誠に三国無
双の霊仏仰て可信給逸々筆にまかせかたきを以あら
ましを験す尚足らざるは見る人ゆるしたまへ
【この資料名の6コマ分は、同じ資料が3冊まとめて掲載されているようなので、表紙翻刻はコマ3参照】
【この資料名の6コマ分は、同じ資料が3冊まとめて掲載されているようなので、本文翻刻はコマ4を参照】
梅寿国利筆
八王子高尾山
吉田登山 子安観音堂
富士北口ニ当ル 鳥居より四二丁
御林山 山中にあり
略して爰ニ知す
唐銅灯籠
《割書:左|右》石灯籠
大山子安ヨリ
高尾山迠一日半
の道
唐銅一ノの鳥居【鳥居の図】
雷神山
神沢山トモ云
子安はたこや
神沢の神社有関東雷司 子安茶屋
箕もことなり 左右唐銅水盤
神沢村ヨリ
上ル
坊中
村山登山 【滝の絵】
富士東口ニ当ル 良弁の滝
第二ノたき
かけてうちん
其外奉納物あり
坊中
行者堂
大宮登山
富士南口ニ当ル 申酉ノ方富士山
此大山ヨリ富士山間二日路
【左のページ】
雨雲是の下ゟ立
前不動より 石尊宮の前ニ
雨降 ここ迠一八丁 大いなるは箱有 行者堂
神社 真中大刀納ム 三のたき 坊中うらて
石尊 又とりかへる 新たき がけづくり
宮也 男坂ハ行者堂
本堂不動尊 より上ル
良弁の滝おち口
木戸六月廿八日ゟ
七月一七日迠 大木を並べたる橋
二王門 此はしゟ大滝へ行く
来迎谷 がく堂
みのけ道 西の河原石仏お
柴戸六月廿八日ゟ 西の河原道
女坂ハ西ノ河原
七月十七日迠開 より上ル
日向日向越此所ゟ伊豆見る
ひでり越ともいふ 大滝おち口
石仏銅仏多し 大滝ミち みのけ道
中の茶屋
【図題―図左上】
相模国
大隅郡
大山阿
夫利神
社真景
【図内文章】
【箱根山上二子岳説明】
これは大山ゟ
真南に
あたれとも略して辰巳の方へ出
せばおしはかりて見るべし
【海内の説明】
此本八王子
又大山より
田村川にお
ちて馬入
川にいる
【署名】
御届 明治十四年六月廿三日
浅草馬道町三丁目一番地
画工出板人 児玉彌七
人農(にんのう)虚(うそ)八百代 有頂天王(うてうてんのう)の
御宇(ぎよう)気味悪大尽(きみわるだいじん)ぐら腰(こし)に
わたりて家破台(やばだい)の詩(し)をよまんと
すれども
句々(くゝ)混雑(こんざつ)してその意(こころ)を解(げ)すこと
不能(あたはず)其時(そのとき)天(てん)より一疋(いつひき)の小鯰(こなまづ)まひさがつて
ひげを以(も)て字行(じぎやう)の導(みちびき)をなせしとぞ
【上段右】
流難休(りうなんやすみ)
施行金(せこうのかね) 【行に左ルビ:ぎやうの】
家人鯰(かひとなまづ)
【上段中】
金人潰(きんひとつぶれ)
阿玉砕(あたまくだけ)
胆飛縮(きもとぶちゝみ)
【上段左】
借小高(しやくこたかく)
大銭通(たいせんつうじ)
職動止(しよくうごきやんで)
【下段右】
土地灰(どぢはいの如く)
面蔵青(めんぞうあをし)
新児粉(しんのここの如く)
【下段中】
雑質散(ぞうしちさんず)
什物焼(じふもつやけ)
財空損(ざいむなしそんじ)
【下段左】
用安苦(ようあんくるしみ)
勧心(くわんじん)の要(かなめ)
野民為(のたみため)
【裏】
東京大学図書之印 0011841582
一 文政十三寅年七月二日京都大地震御番衆大木
市左衛門より申越候書面略
【右文頭から大地震まで赤線を引き、「同年十二月十六日天保ト改元」と朱文字の注記有】
一 七月二日夕七時打無程地震最初ハ少しゆり初メ
直ニ烈しくゆり出し中々御小屋、居兼庭江
はたしニて欠出し候処兼募り鴨居天井壁等
落候故大小を抱へ御小屋御蔵前又ハ廣き場所
へ走出候処御米蔵屋根瓦瀧の如く落西小屋御小
屋々幷下【棟】暫時にゆりつふし外に出候も
間ニ合兼候ものハをしに打れ申候 損所ハ高麗
御門と申御本丸へ入候惣銅之御門内の方へ倒れ
かゝり 續御櫓御土塀御天守臺所〻損シ 御堀
端通り不残二三寸ツヽ 其外御城中ならひに
御小屋内一面に蜘の巣のことくゑみわれ申候
西御門脇御小屋裏高土居之上 幅壱尺程ゑみわれ
弐拾間余之御土居ニ候得共そと御堀之方江今にも
倒れ落候様ニふら〳〵致し候様ニ御座候 其外
御太皷櫓石段雁木なたれ落 上の土屏も
倒れかゝり 中仕切御門臺續石垣弐間程
ぬけ落 三四尺ほとの石落有之 西御門も
ねちれ 往来あやうく候故 一人立ニ而急き
通り 米斗少〻ツヽはこひ候よし 西御門續
御土居上塀倒れ 御城外見通し御廊下橋
入口御門ならひに土塀拾間弐拾間程宛崩れ
御厩曲輪通り御筋堀不残ひしきとれ 所〻
ぬけ倒れ 東御門大番所後土塀大てい倒れ御
破損定御小屋一ヶ所潰れ 東御門臺石垣所〻孕ミ
渡り出し屏抔損所多 御道具外箱抔不残乱
れ辰巳申御櫓其外白土鉢巻抔へげ落 稲荷石垣
石鳥居同燈籠抔大体倒れ 鳥居三本程 燈籠
十六七本程 稲荷曲輪入口御門棟通り落 石垣
破れ落 往来も甚氣遣敷 稲荷曲輪同心は不残
小屋潰れ 同心三人程迯出し 間ニ合兼をしニ打れ
漸く助ケ出し候由 先一命ニ抱り申間敷かと申事 七半
時頃より地震間遠ニ相成候へ共 時〻地ひゝき致
其度〻所〻壁瓦抔落潰れ候迄ニハ無之候得共
住居成かね候御小屋も余程有之 上下身の置
所なく 各色を失ひ十方ニくれ候次第ニて 御小
屋内をしに打れ候者助ニ出候得共歩行不叶
もの両三人有之候得共一命ニは抱り不申
戸板にのせ舁運ひ候躰 火事場ゟ物すこき
こと この上いか程強キ地震有之候かと心中
不平此上もなき事にて 御小屋内之者不残空地江
集り 高張挑灯箱提灯なとを付寄りこぞり
申候 六ツ時頃俄に所司代御見分有之候由
御破損奉行其外御在役之者ハ持場〳〵見廻り
東西ニ欠走り候 両御番頭御出ニ候御殿御金蔵
其外在役御櫓抔不残損所御見分有之候ニ付 御城入
有之候 六時御太皷打延ニ候得共 所司代 御城入は
五時迄ニ相成申候 西御小屋内御通りぬけ有之候 尤所
司代 御城入ニ付地役も不残 組之者召連 御城入
御門番も御門ニ相詰候よし 夜中も度〻地響いたし
上下安キ心無之 皆〻外ニ而夜を明し 三日ニ至り
夜中迚も今ニ〳〵震動いたし 御小屋ニ相休兼寄集候
御殿向御天井并御襖御繪多さけ損し候 御横間之
ほり物も落テ損し候由 御金蔵御車屋も瓦落
申候 尤此六七日ハ炎暑甚鋪候而 夜中もむし
あつく堪兼申候 大坂御城中抔は是迄ニ覚無之
大暑ニて昼之内ハ隣の小屋へも参り兼候様ニ暑氣
上下堪かね候由 尤地震之様子いまだ大坂之左右
も承り兼候 御城外市中ハ別而土蔵抔多く
損シ 怪我人もよほと有之候由噂有之候 堀川
通其外御城下御柵内番場へ女子共敷もの
三日終日外ニ而くらし候様子此上静ニいたし度
のミ申居候 土御門陰陽師より所司代江いまた
此上強き地震可有之候間御用心可有之旨申候
なとゝ申事ニ候 各膽をひやし居申候 御番衆
事ハ東西共少しも怪我無御座候 今日ニ而三日二夜
野陣いたし居候今ニ震動いたし候事ゆへ今晩も
野陣と覚悟いたし居申候 先荒増此段申上候 以上
七月四日
當地一昨二日申刻頃大地震ニ而誠ニ不存寄大騒動ニ
御座候 京内一統連〻門外ニ出候而 少しも難は無御座
候得共 百年斗以前年代記ニ而見受候而已 正氣を
失ひ手前斗之儀も無之 京師一統之儀ニ而御座候
得共肝を潰し申候 家ハ別条なく土蔵及大被
御座候故屋根瓦も落散 剰臺輪落申候二日夜ゟ
三日今四日不堪とう〳〵と鳴候而震申候 扨〻何と
やらん氣も片付不申 如此震ひ通しニ而は何時も
不取斗恐敷事 言語に難尽御座候 當地之土蔵
ニ不當ハ無之候よし 其上我土蔵打倒れ怪我
人即死も多く只今其数も不相分候拙宅近辺
ニ大人小児怪我人多土蔵の落数之土ニ打れ或ハ
瓦ニ而頭を被打土蔵の庇落下ニ成往来中路次
ニ而家々倒れ候而敷れ候者抔数不知家の崩れ
候は多く御座候二日三日大道ニ畳を敷夜明し仕今
夜ハ過半外ニ出居候ニ付実ニ安キ心無之候
禁中始ハ御涼所ニ被為在渡御夫より小御所
之御庭ニ被為成御近習方一統畳を敷杭を打
柱を建幕を張なとして其夜より庭上に被為
在候旨葉室宰相殿御咄御座候
一其上今明日か或ハ不遠内京都大火と申觸候而
町中ハ不及申御築地内不寄何時立退之用意
或ハ昨日ゟたんす長持類門へ出し置候所も多く
有之昼夜往辺人夥敷上を下へと騒立申候只
今日なとハ一命有ゆへ如此日々苦労いたし義と
斗存候何卒明日よりハ非常大変無之様と祈居申候
酒食ハ例之場所へ不納様ニ御座候薄氷を踏と
申心得ニ御座候申上置義も御座候へ共尚跡より
可申上候 此段御堅慮可被成下候
一五六日以前ハ四条麩屋町角より出火 麩屋町
通りハ南側綾小路みの裏丁右両側之裏丁之
裏之方四条西へ富小路まて夜九半時頃より翌
朝六ツ時過迄焼申候 是も當地ニ而ハ珍敷大火ニ御座候
一今日迄ニ及見聞候損所
御所御築地瓦落候儀は夥敷 御文庫拾三ハ大損
ニ候 二条 御城北側塀悉く御城へ打崩れ 西の方
御門共塀も崩れ申候 御米蔵も壱弐ヶ所倒れ
申候 御築地内摂家堂方堂上損所筆紙ニ難尽
御座候 淀の城矢倉潰れ申候由 尤地の割候所
町〻夥敷有之候
一三日より諸社御祈祷被 仰出候事
一定而無程年号改元可有之哉と奉存候 御蔭参ハ
御座候得共 伊勢表別宮炎上 其上此度の大変
最早此後何事も無之様祈居申候 扨〻恐敷〳〵〳〵
一先月小倉中将殿頓死 又候父卿中納言殿頓死
被成候 壱ヶ月ニ父子頓死と申義珍事ニ御座候
一二条殿御庭の樹江火の鳥と欤申鳥飛来鳴候
よし抔 種〻不能事斗口〻申觸候而 大小
びく〳〵仕候
中略
右之段早速御風聴申上度如此御座候 時候折角
御厭被成候奉存候 恐惶謹言
七月四日夜認 ふさ?
松岡清助様
一 京都六孫王 大通本塔頭多聞院ニ有之木村長門守
遺状之寫 本紙居判無之
一 筆令啓上候 先頃疵痛如何和申候哉 朝夕
無心躰存暮候 御聞及も可被成候 一圓不?寸隙
心外之至奉存候 城中之有様墓〻鋪躰無之 兎角
天下は家康と存候事ニ御座候 昨夕も石川肥後守我等
陣 家(屋)へ忍ひ参 石川も我等同腹中城中之詮義評判
御母公の下知にて手前手配一圓承引無之由尤ニ存候
其事昨夕も七ツ迄下知不承 鴫野へ罷出手際之働
諸人驚目候 兎角一日も早く打死と覚悟仕候
貴所事昨今之籠城 其上数ヶ所深手ヲ負候間 無油断
早々在所へ御引込御尤存候 誰ニ而も嘲有間敷候 我等
ハ家康懇意之筋目有之 板倉伊賀守ゟ度々内意
申越候得共 二心ハ士之非本意 聊面目も不存候得共
人並ニ月日を送り無是非事ニ御座候 然は此香炉
姉君へ御届可被下候 扨此太刀ハ家康ゟ我等十三才之時
元服之為祝儀給候 使者本多平八口上 家康も秘蔵
之大業物ニ而来国俊之由申来候 我等数度之戦ニ此太刀
ニ而一度も不得不覚 依之大波と名付今日迄所持仕候
得共進候 随分御秘蔵可被成下一城の中ニ有なから一時も
心閑ニ得御意候事も無之 他人同然之様残念至極ニ候 嘸々
御姉お照殿御恨可有之此段私ならす候 宜御言訳可被下候
無是非事ニ御座候 恐惶謹言
木村長門守
四月六日
猪飼左馬介殿
御陣所
一 筆啓上仕候 亡主内匠儀及御聞被成候通 去春不慮
之仕合為御法式切腹被仰付候段家中之面〻無是非次第
然共吉良上野殿存生之間心底急度差含候訳も候へ共
内匠弟大学儀閉門被仰付置候故江戸之御家老共初傍輩
共覚語【「悟」カ】區〻ニ而其節存念相達候段血気之様申成シ必死之
相談仕掛候而も一圓不相調候ニ付而此段無是非次第ニ存
拙者儀同志之傍輩共両人申合早速播州江罷越候而
志を立候家老大石内蔵助初其外侍大将物頭共
江致對談於城内必死之覚語相究候処大学案否
不相知内ニ懸宿意候段大学為ニ不宜と内匠一門
中より追〻被申越其上江戸ニ罷在候家老共ゟ大学指図
之様申越此度必死仕候ハヽ大学腰を押候様ニ相見へ候得共奉對
上如何様之由申と候而於城内必死相究候面〻も不及是非
離散仕候然共上野殿存命之事ニ候へは是切之覚悟ニも
無之候間重而相談シ相究可申と何レも堅く申合
置候然ル処去夏以後區〻之了簡相談も前後仕餘り
延候ニ成行候故私義當六月十八日江戸表出立致上京大石
内蔵助初其外之面〻江も對談一決之相談弥相調
候節ニ至り七月十八日大学閉門被遊御免藝州廣嶋江
引越被申筈之由従江戸表注進同廿二日京都江申来候
ニ付此上ハ何之心障も無之時節ニ罷成候間兼而之一決弥
相催シ候相談堅ク申合私儀八月二日京都罷立同十日ニ
江戸着何れも申談候右一巻初中終委細得御意度候へ共
殊之外入組たる分共ニ御座候間不能其儀候乍併佐藤条右衛門
義初中終之儀淵底ニ存知罷在候ニ付而此一紙頼置申候拙者
亡命已後河村忠右衛門殿迄相届可申候右一巻以後ハ態絶
書?候此度為御暇乞如此御座候恐惶謹言
堀部安兵衛
武庸【花押】
十一月廿日
溝口祐弥様
上田宗貫様
坂井又太夫様
坂井九大夫様
窪田兵左衛門様
堀市郎左衛門様
河村文太夫様
河村仲右衛門様
坂井惣太夫様
石林十之助様
古橋
小羽氏
【黒枠外】
嘉永七甲寅十一月新板
【黒枠内】
諸国大地震
地震之弁
抑【そもそも】地しんと云 寒暑温冷(かんしよおんれい)の平順(へいしゆん)なるときは安全にして
異変(いへん)震雷等有ことなしいん気|陽(やう)に押いれ発(はつ)出
する事なりがたしさにより大小のぢしん有はその気の
強ぢやくによるところなり惣してふじゆんのせつは天雷
ぢしんのきう変あつて其気の甚しきところは
つなみとうあつて村里をかい中へ引入大舟を山岳へ打上
古代の江川流地とうを埋みあらたに泉わき出地|裂(さけ)て
火気出て民家をやく等有ば諸人心得あつてりんじ
のあくさゐをのかるべしすでに今度嘉永七寅年十一月四日
五ツ時大ぢしん大つなみの入し国々を委細しるすに
東海道をはじめ先さかみの国は小田原大久保加賀守様
御城内少々そんじ宿中は土蔵三十余くづれ町
家大はんそんじけが人ておい多し箱根は少々
そんしけがにんすくなし山中は人家大はん
つふれ三ツ谷崩れ御関所そんじ山々しんどう
なし大石大木うち折湯もと近へん
はしめ人家大ひにつふれそんじける
三島宿は人家をたをし其上新町
はしきはより出火いたし明じん前
伝馬町久保町方へ三丁よやける
ぢしん【地震】はます〳〵つよくなり死人
けが人七十よ人きう馬迄
やけしす又うつまり死するも有
あはれといふもおろか也伊豆の国は
大しまかんず三倉三宅其外しま
〳〵大ひにゆれいろをうさき戸田河津
いなし赤さはいとう北条にら山仁
田しゆぜんじあたみへん一同につぶれ
死亡のもの多くけがにん少なからす下田は
千弐百けんよの人家つなみにて押ながし
あと十五軒程のこる人々大てい山上へ
にげあがりたすかるもの少なからすと云
あしろ大せん四十そうよ小舟かずしれ
ず大つなみにて引れ大はんゆくへしれず
又は山上へうちあけ破そんの舟おゝく候
しらすかも大あれにてゆりつふす
人家五百よつなみにしかれ死亡けがにん
すくなからすふしのこしは二三百石づみの船二
そう廿二三丁ほどくかちへうちあけるするがの国
沼津水羽出羽守様御城下大そんじにて
家はつぶれ出火となり又も浜手は大つなみに
人家のそんほうおびたゞしく凡このとろにて
二百人よておいけが人ありあるひは牛馬迄死
かん原宿由井おきつは人家そんし出火
なし七分とふり焼失なす江しり宿は清水
のみなと町家不残つふれ大火となりてをい
けが人は少なからす老若男女八方へさんらんいたし
そのこへ天地にしひきまことめもあてられことなり
同日おなしこくけんふし川のがげくつれ二丁よ埋まる
川水わうくわんに流れるさつたとうげくずれ
美保の松原甚つよく吉田辺も同断なり
府中の御城下大はんそんじやけるなり弥勒
へんあへ川まん水にてこまる小嶋一万石
松平丹後守様御じんや下まりこ宿うつのや峠
みね大あれにてくつれおかへ宿藤枝宿甚つよく
田中本多豊前守様御城下大そんし人家は
大はんつぶれ焼失に及ぶせと川まん水にて留
三けんやしまだ宿つふれ大井川古今の大
水ためし少し金谷大はんつぶれ日坂同断
さよの中山大地ごく小ぢごくこと〴〵く崩れ
しんとうなすかけ川太田摂津守様御城
下大はんそんじ宿中大ひにつふれしゆつ火
となり六分とふりやける袋井宿見付宿は
同断池田いづれも大そんし大てん龍小てん龍
此川一ツになるにもたらず五百軒程つゝみ切
人家あまたそんする也横須賀西尾おきの守様
御城下大そんじ人家つぶれうつまるなる袋井見
付宿ゆりくすし出火となり三分どふりやける
浜松井上河内守様御城内人家そんじる舞さか
あら井大はんつなみにながすなを又七里のうみは大あれ
にて人家大はんなかすしらすか二川三分とふりそんし
吉田松平いづの守様御城内少々そんし町や大はん
つふれや多し御油あかさかふぢ川大あれ宿々はそん
しなりおかざき御城下人家少々そんしる也
同こく田原三宅対馬守様御城内町家そん
しるなりちりうなるみ宮の宿長しまへんそんじ
桑名松平越中守様御城少々人家もそんし
少々四日市つふれ家四十三げんはまて大つなみ
神戸本多いよの守様御城下白子上の
三分とふり大そんなり津藤堂いつみの守様
御城下大ゆれなれどもそんじ少し
くもつ月本六けん松坂くしだ小はだ山田
丁は家蔵大ひにそんじ宇治ばし二見かうら
大はんそんじ忝も内宮外宮御別条近へんの
人々少もけなく恐れ尊べし石やくし庄の宿
亀山石川日向守様御城下そんし町家は
大ひにくつれ伊賀の国はそんじすくな
し尾張みやの宿大はんそんしる也
浜手は二十三間つふれ土蔵は
くづれ御役しよそんし
かめざき半田大つなみ
名古屋清須少々そんじ
摂津国大坂安倍川ぐち
すじあち川ばし大仏
じま九条嶋このへん人家
大はんそんしる御舟奉行
御蔵御番所舟つばし大そん
山田町兵庫丁みなとばし六
左エ丁みなとばし常安へん大つなみにて
ながす仁兵へ丁床村新田良丁【庄村新四郎丁】次郎
べいてうふくしま天神正せんじ本町狐辻
あわち丁大ちわれすな水ふきあけ町家は
二十けんほどながすせとのまちかく川道
ふき丁江戸ぼりしんさいばし三まひばし
二十けんよつぶれあぢ川大つなみにて大舟
小ふねおひたゞしく押上はし〴〵三十八なかす
又は大黒ばし迄大舟四五そうゆりあげ
てんまふね小舟とうは大ふねにあたりて
大はんみちんと成死人けが人かず多し
天保山大そんしるいけたいたみよしの
之へん兵庫大そんなりあまがさき
松平とを〳〵みの守様御城下そんしる
三田九鬼長門守様御城下へんそんじ
あさ田青木かいの守様御しんや大そん也
山城国淀の御城下伏見京都大和河内は
大ぢしん也紀伊国はくまのうら大つ浪
家々大ばんそんじるわか山紀伊様御
城下そんじる田辺安籐飛騨守様新くう
水野土佐守様御城下大ひにそんじる
人家大半つふれ惣て九十九浦黒江日方
藤代大つなみにてゆか下三尺斗り汐上
同広うらとふり流失いたし候河東箕
じまゆらのみなとながれる大しま有田の
加太目馬辺大そんし泉しうきしのわだ
大そんじさかいの丁大坂同やうにそんじ
越前ふく井御城下大そんしるなり
同つるが辺丹波亀山同そのべ四こくぢ
一ゑんあしう徳しま御城下大
にそんじ其上五百らかんへんは
大はんそんじ土佐のくには大そん
しるあはじ嶋大つなみ丸がめ
京極土佐守様御城下そんしる也
いよのくに少々播しうは赤かう
森ゑつ中の守様御城下そんじる
びぜんたの口下むらへんひつちうくら
敷玉しまへんひんご尾の道鞆ふく
山 阿部いせの守様御城下へんは
少々そんじ鶴さきそんじ少肥後の
くま本御領分大ちしんつなみにそんじるなり
日向のなた大ひに海あれる肥前之国少々そんし唐人(ナカサキ)やしき同
この外同時しんしうわた峠辺下のすは福しま
御関所へん上ヶまつすはらの尻へんいたつてつよく
そんし飯田の御城下大そん也松本御城下大はん松代御城下
つふれ家多しなか〳〵筆紙につくしがたくこゝに略す
(看板)
骨抜どうせう
なまづ大家破焼
【店頭二皿の値札】
二十四文
十六文
かしま
「さあ〳〵おかいなさい〳〵これは
こんどの大ちしんいへくらやいた
いしゆかへし大くし小くしの
なまづのかはやきしかしこの
せつのことはりけんきんうりが
かなめいしひやうたんくひやう
ばん〳〵ときこへるかしらぬ
くわし
「もし〳〵そこへゆくのは雷公と
おやぢどのではないか おやち「そう
いふは火事公かどこへゆくのだ
くわじ
「かしまさまがなまづを
やく火につかはれぬうち
きへるつもりさ おやぢ「それが
いゝくわじやぢしんはやぼの
うへなしだ くわじ しておまへ
がたはいきなせかいかね
かみなり「たちのきがはやると
いふからいんきよとこつそり
しんそうかいだ くわじ「そいつは
おたのしみだがしかしらい
こうはあけまいぜ かみなり「
なせ〳〵 くわじ「てまへはきん
じよのごろつきだから
げいしや
「もし三みせんやさんこのごろは
おいそがしいかへ
三みせんや
「どうして〳〵ぢしんこのかた
三すぢはおろか一とすぢの
おあしもとれずまえ
にこまつたよつぢさ
じつにどうしやうかと
おもふおまへなんぞはおでん
かんざけであつたまつたと
いふうはさでごさり
ますぜ
げいしや
「それもほんのあの
とうざさながくすると
みそをつけますよ
せんどう
「ほんにわつちらがしやう
ばいもやつぱりにたり
よつたりでわづか
二朱か三てうの
ちよきがりさへ
できやせぬ
ごふくや
「いづくのうらぢも
おなじことかなきん
もうかる
はなしは
なく
ひまな
上田に
なんぎに
あをめ
ぐちばつ
かりを
ゆうきじま▲
▲りやうり かみなり
「たんもの 「おいらもこん
よりは どのちしんでは
口の いやもふまつ
はやい さきになつて
りやうりで かけだした
さへもくひてはなく
くわいせきしやう
ばいになりやせぬ●
【二段目】
●かしほんや
「いやわたしなぞも
ほんはやきはらひはとれず
このくれは中本のなきほんさ
はやく一夜あけてわらひぼんの
せかいとしたいこのくらうを
しらぬのはおかこさんおまへたね
かこいもの
「なにさたんなのうちづまる
やけゆへわたいのほうまで
おはちがまはらず
たべるものさへふじゆう
がちだはね
はなしか
「その口かせぎにわたしらも
くみ合のしうのこはいろ
をつかひしごとにでたが
口ほどにかたがたつしやに
きかぬゆへあふぎなめに
あいましたこれものちの
はなしのたねさ
おどりのしせう
「とうじんばなしで
おやしきのおきやうげんは
あがつたりなんぎな
ところへこんどのふぢま
しやうもやうも中むら
やでけがをせぬのが
しあはせさ
【三段目】
小道ぐや
「じつにこんどのぢしんでは大小となく
どぞうをふるひみぢん七字?にどうぐ
やはあきないはひまそのうへに
せつぱつまつたかさくの
いりようふちかしらを
かいております
かうしやくし
「ぢしんとくわじの
かけもちからながらう
じやうのひやうろう
ぜめすでにらくぜう
するところよう〳〵
やかうでとりつきました
とうぶつや
「みなさんよりはとり
わけてかひてのないどう
ぶつげるゐいつそらしやや
とろめんか
じんめの毛なら
うれるであらう
はいくわいし
「あきうどしうより
又ひまはなくても
こまらぬはいくわいし
百いんのてんりやうも
とらねばとめのきれ
じにてにははあはず
此せつは一くもでずだ
ごうち
「もしそうしよういかゞ
でごさるやつがれなぞは
おでいりのおやしきがたが
みなつぶれどう
かうといふめう
しゆもなく
ほんのいのちを
つなぐのみで
ござる
茶人
「ふねいちや
などはのうちうが
だん〳〵うすちやに
そこがみへればこい
ちやはしあんを
せずはなります
まい
くわんけ
「たれかれ
といふ
なか
でも
二日このかた
一文のおあしも
もらわぬ大きな
そんじつに
ぢしんはごめ
んのかん
けだ
けいしや
「なまづのしりふるは
あとがこわい
かみくづひろひ
「やけばに
かみくづのないのは
わかつたが
ぢしんのいつたは
よるだから
あとに
かみくづが
あり
そふな
ものだ
【看板の左側の台詞】
三みせんや
「むねは二上がりは
ふるもん
くだ○
○こんどはきん
たまがそう
あがりだ
【この資料は画像が裏返っているので文字もうすくなっていて判読できません】
【印「東京大学図書印」】0011841756
《割書:豆州|熱海》温泉湯治所日々新湯《割書:但し男女別湯あり外に|丁子風呂は女ゆのみにて常のゆに同じ》
◯一周【=週】間 廿銭 ◯一度入 壹銭 |○丁(女中)子風呂 八厘
○一日入 三銭 ○のみゆ 五厘
熱海(あたみ)温泉(おんせん)は入浴(にうよく)僅(わづか)に数日(すじつ)にして其(その)病(やまひ)を治(ぢ)す者(もの)少(すくな)からず然るに明治七年
夏(なつ)日|此泉(このせん)の有功(うこう)により分析(ぶんせき)なすに至(いたり)て中和(ちうくわ)塩泉(ゑんせん)なるを徴(ちやう)せりと中島先生の
温泉(おんせん)考(かう)に委(くわ)しく記(しる)せば聊(いさゝか)効能(こうのう)を左(さ)に挙(あげ)て諸君(しよくん)の入浴(にうよく)あらんことを冀(ねが)ふ
経験(けいけん)主治(しゆぢ)
◯|僂麻質斯(れうまちす)◯|風寒(ふうかん)雨湿(うしつ)より発(はつ)する症(やまひ)◯|筋骨(すぢほね)の痛(いたみ)◯|疝気(せんき)◯|寸白(すばく)◯|瘰(るい)
癧(れき)◯|麻痺(まひ)病(びやう)◯|半身(はんしん)不遂(ふずひ)◯四十|手(で)五十|手(で)のるゐ◯|皮膚(ひふ)の衰(おとろへ)より発(おこ)る
病(やまひ)◯|咳嗽(せき)痰(たん)留飲(りういん)逆上(のぼせ)目暈(めまひ)気鬱(きうつ)盗汗(ねあせ)両便(りやうべん)秘結(ひけつ)の症(しやう)◯|□【病だれに黴】毒(ばいとく)◯|骨痛(ほねいたみ)
◯|楊梅瘡(やうばいさう)◯|小瘡(こまかきできもの)によし◯婦人は子宮病(こつぼのやまび)◯|子(こ)を生(うま)ざる者(もの)も浴(ゆあみ)て妊娠(にんしん)すべし
◯|腰気(こしけ)◯|長血(ながち)白血(しらぢ)◯|経水(けいすゐ)不順(ふじゆん)◯|血(ち)のみち一切(いつさい)を治(ぢ)す
右の諸症(しよしやう)に罹(かゝ)る者(もの)此(この)温泉(おんせん)に浴(よく)して其(その)効(かう)を奏(さう)す第一|気血(きけつ)を順(めぐ)らし
飲食(いんしよく)を消化(せうくわ)し血液(けつえき)循環(じゆんくわん)して無病(むびやう)壮健(さうけん)ならしむるの名湯(めいたう)なり
|浴法(よくはふ) |呑湯(のみゆ)も亦(また)功能(こうのう)多(おほ)し
一日に二|度(ど)又三|度(ど)を常法(じやうはふ)とす尤(もつとも)甚(はなは)だ熱(あつ)きは害(がい)あり微温(ひおん)なる湯(ゆ)を佳(よし)とす浴(ゆあみ)て
後(のち)乾(かは)きたる布帛(てぬくひ)を以(もつ)て拭(ぬぐ)ひ早(はや)く衣服(いふく)を着(ちやく)し風(かぜ)に当(あた)るを忌(いむ)む【本のまま】べし
伊豆国加茂郡 今井新左衛門
熱海駅 鈴木 半次郎
温泉元方 藤屋喜右衛門
右は是迄江戸橋錦町に於て正銘温泉営業仕候所此度御改正に付左之
地へ引移り御蔭を以て普請仕候間不相変御入湯被下置候様偏に奉希上候
日本橋南箔屋町十三番地
六月一日開業 熱海庵 西村忠輔
【左端の枠内】
あたみ元湯 一樽に付定価金五十銭 売捌処
《割書:熱|海》温泉考 《割書:小本一冊| 定価五銭》 同分析表一枚摺 定価五銭
鹿島(かしま)神詫所(しんたくじよ)より
鯰(なまづ)一統(いつとう)江|申(まうし)渡(わたし)の事
一 鯰(なまづ)どものぎは神代(じんだい)より申 觸(ふら)しおき候|通(とほ)り
九ハやまひ五七が雨(あめ)に四ツ日(ひ)でり六ツ八ツ
ならば風(かぜ)としるべしとの御(ご)詠(らい)哥(か)を守(まも)り
時候(じこう)不順(ふしゆん)の折(をり)を見合(みあは)せ質素(しつそ)に渡世(とせい)
いたすべきところ諸神(しよじん)出雲(いづも)御旅行(ごりよこう)の
留守(るす)を見込(みこみ)先例(せんれい)の掟(おきて)を背(そむ)き御府内(ごふない)
近在(きんざい)を乱妨(らんぼう)致(いた)し家(いへ)蔵(くら)身体(しんだい)をゆすりちらし候
のみならず同類(どうるい)の出火(しゆつくわ)をさそひ格別(かくべつ)の風(かぜ)とても
無之(これなき)に数ヶ所(すかしよ)焼(やき)拂(はら)ひ候 段(だん)八百万(やほよろづ)の神(かみ)を恐(おそ)れざる
いたしかたぬら地(ち)主(しゆ)極(ごく)に付四ツ手(で)をもつて一疋(いつひき)も
洩(もら)さずすくひ揚(あ)げ蒲焼所(かばやきじよ)に於(おい)て
骨抜(ほねぬき)の上(うへ)火(ひ)あぶりにも行(おこな)ふべき所
格別(かくべつ)の御神威(ごじんゐ)をもつて神国(しんこく)一圓(いちゑん)追放(ついはう)
仰付(おゝせつけ)らるゝものなり然(しか)る上(うへ)は此(この)後(ご)
御(お)かまひの場所(ばしよ)へ立寄(たちより)いさゝかなりとも
いたぶりがましき義(ぎ)有之(これある)に於ては
早速(さつそく)に要石(かなめいし)をもつて取(とり)押(おさ)へ引(ひき)さき候 上(うへ)
酒(さけ)の肴(さかな)に喰(く)ふべきもの也
安心(あんしん)元年おち月吉日 鎮火(ちんくわ)焼所(やくしよ)鹿島
寛政四壬子年四月朔日嶋原雲仙嶽焼崩一件
去る十三日熊本え着仕御客屋ヘ参申候処
指支御座候故笠屋藤右衛門方へ参早速
藤右衛門取次を以御文箱差上申候処御返答
隙取申候間逗留仕候様藤右衛門申聞候に付
翌十四日高橋尾村両所え罷越承居
申候処四月朔日ゟ地震強御座候処嶋原の
前山海中に崩込津浪にて村々損人死
の義は別紙之通り咄申候死失残候者共は
御調の上下河原にて御養被仰付候此人数
四百人程去る二日ゟ十日比迄御養御坐候由にて
御座候嶋原殿様森山と申処被遊
御坐候に付其処去る十八日罷越三室村
大庄屋竹添治右衛門と申者取次にて
御文箱差上申候右治右衛門咄申候処
左の通に御座候嶋原御領の内不現山
押ケ谷と申処去十二月鹿猿其外鳥
類死凶事の始にて御座候色々へん
成義は御座候由
一 当正月十八日右不現山石□【「壇」か】崩焼
出申候焼穴ゟ石等を吹出壱日二三里
程宛焼下り昼夜地震強鳴申候義
無限右に付嶋原中は不及申隣国迄
土蔵塀石垣等迄もゆるき塗壁
等損し申候由に 御座候
一 二月下旬之比ゟ嶋原御城下中に梨
の木牡丹の花咲申候藪竹梨が
なり唐梅の木に八升豆なりふしぎ
の義と皆々申由御座候
一 四月朔日朝六つ時分ゟ山海夥敷
しんとう仕候処諸人驚き居申候処
同夜五つ時分別て震働強御坐候処
不現山の前山壱里半程抜け
御城下町不残且安徳寺村今村右
潰下に相成生残者無御座候
一 右崩嶋原海中に突出し嶋数多分に
出来申候
一 右崩之時分大成る火之玉肥前地ゟ壱つ
熊本ゟ壱つ飛来双方海中にて行逢
くたけ万方にちり海中わきゆの
□□□【「ことく」か】相成申候魚類多分に死浮
揚申候由御座候
一 殿様四月二日早朝御領六里程へ
たゝり森山村大庄や中野佐左衛門
宅え被遊御越今以御逗留に御座候
一 御子様方前以森山村に御退去
被遊候由御座候
一 御城下之儀は崩不申尤地震にて過半
破損御座候由に有之候
一 御家中御屋敷も右同断一統御家中迄
も森山村三室村山田村右三ヶ村へ不残
御引越の由御座候
一 鉄炮町と申諸奉公人居候町残申候
尤御城下町の内家数弐拾軒程残申候
一 近在破損村の義は別紙書付
有之候通り死失人数得と相分不申候
凡弐万余も死失と申事に御座候
右の通大庄屋竹添治右衛門ゟ
承り申処御座候
子四月廿二日
《蔵書印:東京大学図書之印》
熊野本宮湯峰薬王山東光寺の
霊場(れいじやう)に扶桑(ひのした)第一の温泉(ゆ)あり薬師
如来の仏体ハ湯のはなにて自然と
出現なりいにしへハ御 胸(むね)の中より温泉(をんせん)
湧出(わきだ)しなり御 胸(むね)にその痕(あと)あり脇立
日光月光十二神将ハ弘法大師の御作
なり此温泉ハ往古(むかし)小栗判官といふ人
毒(どく)酒に傷(やぶ)られこの温泉に浴(いる)事一ト臘(まハり)にて
篤病(たいびやう)散癒(さつそくいゆ)病後ミづから力を試(ため)さんとて
玉のことき小石を以大石へ心安く圧(おし)入れぬ
それよりこの石を小栗のちから石と
称(いふ)又小栗温泉 浴(いる)の間 藁蘂(わらしべ)にて
髪(かミ)を束(ゆひ)其しべを棄(すて)てし所今に至る
まで毎年自然と稲(いね)を生す是を不播(まかず)
の稲(いね)と号(なづ)く湯のみミねより北の方三丁
ばかり道のほとりにありい今まかず
の稲とちから石を図(ず)して諸人に
示(しめ)すものなり
[上段絵の説明]
右 まかすのいね 左 小栗ちから石
下段枠
紀州熊野本宮
湯峯温泉之図
●(赤)ハ湯
●(青)ハ水
【左下四角囲み上 開始】
底倉宮ノ下ゟ
小田原《割書:江|》 三里半
湯元《割書:江|》 二里
塔ノ澤《割書:江|》 一里半
堂ケ島《割書:江|》 五丁
木賀《割書:江|》 半道
芦ノ湯《割書:江|》 一里半
箱根権現《割書:江|》 二里十丁
姥 子《割書:江|》 三里半
小地獄《割書:江|》 半道
熱海《割書:江|》日金越六里
道了権現《割書:江|》 六里半
大山《割書:江|》 十里は半
富士
須走口《割書:江|》 五里百丁
吉田口《割書:江|》 九里百丁
【左下四角囲み上 終了】
【左下四角囲み下 開始】
応需 東都宮亀年写
【湯元】
福住九蔵
小川万右エ門
【底倉】
万屋孫左エ門
梅屋又左エ門
蔦屋平左エ門
仙石屋丈助
【塔ノ澤】
元湯甚五兵衛
一ノ湯澤右エ門
藤屋喜八
田村兵蔵
田村久兵衛
福住喜平治
瀧湯十左エ門
【木賀】
仙石屋七兵衛
松坂屋寿平治
亀屋新太郎
【堂ケ島】
奈良屋六郎兵衛
江戸屋与惣治
丸屋孫兵衛
大和屋太郎左エ門
近江屋半兵衛
【芦ノ湯】
亀屋兵蔵
伊勢屋清左エ門
吉田屋平兵衛
松坂屋万右エ門
紀国屋忠右エ門
大黒屋金左エ門
【宮ノ下】
奈良屋平治
伊勢屋八右エ門
吉田屋勘兵衛
藤屋勘右エ門
【宮ノ下】
藤屋勘右エ門
蔵板
天保十三年
壬寅秋再板
【左下四角囲み下 終了】
「ちよいと〳〵
おつかアのをぶつて
おくれヨ
「ひどいめに
あはしてくんな
ましよ
「いいきびざ
ますねへ
「マア〳〵
ごかんべん〳〵
「わちきにも
ぶたして
くんなまし
ヨウ
なまづ
「おれぐらゐのなまづの
手ぎはて二日のばんの
しごとができる
ものか
よくかんかへて
見なせへな
いたへ
〳〵〳〵
〳〵〳〵
「すんでのことに
かりたくも
できねへ所た
そのはらいせに
うごかずと
ぶたれろへ
「おれも
なまづだ
けれども
おれじやア
ねへ
なまづちがひ
だよ
〳〵〳〵
「うぬで
なくつても
かまはねへ
から
たくさん
ぶたれて
かへつて
はなせ
「マア〳〵
おまちなせへ
そいつのおかけで
又いゝことも
ありますはね
いゝかげんにして
かんにんしなせヱ
安政町二年目 神無月屋I
【裏】
【図題】
箱根七温泉図
【図内主要記述】
【右下】
底倉
宮下
堂ケ嶋
是より
所々
みちのり
一小田原へ 三里半
一長奥山へ 弐里半
一湯本へ 弐リ
一塔の沢へ 一リ半
一芦の湯へ 一リ半
一木賀へ 二十丁
宮城野
こちこく 同
姥子へ 四リ
箱根へ 二リ八丁
豆州熱海より 十里
但し飛加年越【日金】 六リ
【右下四角枠内】
七温泉の
湯場の何も
上々米味噌
酒せうゆ
其外物品ニ
かきらす随分
念入仕込置
御用相弁シ
申候
《割書:岐阜|市街》大地震之圖
縣廳
明治廿四年《割書:十一月 日印刷|十一月 日出版》
日本バシ區馬喰丁
二丁目十一バンチ
《割書:印刷兼|発行人》澤久治郎
【裏】
0011841996-1
東京大學圖書之印
今明治廿四年十月廿八日 暁天(あかつき)
午前六時二十分の地震(ししん)は別(わけ)
て岐阜(ぎふ)名古(なこや)屋 大垣(おほがき)地方(ちほう)は
劇烈(げきれつ)なる地震(ししん)にて震動(しんどふ)
はけしく地(ぢ)さけ家倒(いへたおれ)
れ死人(しにん)何数人(なんまんにん)なるをしらべ
兼(かね)る程(ほど)にて且(かつ)出火(しつか)有(あ)り
水災(すいさい)をこふむる有(あり)て実(じつ)に
前代未聞(せんだいみもん)の事なりける
先(まづ)家(いへ)倒(たお)れ半身(はんしん)家(いへ)にひ
しがれ出ることならず其傍(そのかたはら)
より火(ひ)うつりて生(いき)ながら
焼(や)け死(し)したり又は地(ぢ)さげ
て半身(はんしん)地(ち)にうづもりて死(しし)た
るありて不便(ふびん)といふもおろ
かなり進行(しんこう)の汽車(きしや)轉動(てんどう)
常なず乗客(でうきやく)ふしんに思ふ
折(おり)進行(しんこふ)をとゝむるや否(いな)や
【裏】
0011841996-2
東京大學圖書之印
前后(せんこ)の山 崩(くづ)れて進退(しんたい)する
能(あた)はず乗客(ぜうきやく)終日(しうじつ)車中居(しやちうにい)
て食(しよく)を求(もとむ)る事(こと)叶(かな)わず各(めい)
各(めい)下車(げしや)して獨歩(どつぽ)して
行(ゆく)の不便(ふびん)にあひたりける
猶(なほ)近縣(きんけん)近江(おふみ)方(ちほう)にもつぶれ
家(や)有りける其(その)実況(じつけう)をう
つしてこゝにしるす
【裏】
0011841996-3
東京大學圖書之印
【図題】
豆州熱海温泉湧出之図
【左下印内】
武田酔霞
弆蔵之印
【左下手書】栗原氏蔵
【武鑑 中の文字や文章などに通し番号をつけ、その番号に対応する翻刻を掲載します。】
一、震動家 本困貧民土味方之後胤土間守堅吉之末孫由良昼夜之十八代
二、源は地震(ツチフリ)《割書:由利|出太守》 元来地下ノ住発且依土命震出セシカ於伏見勇ヲ震テ討死ス
三、 周照(アワテリ) 《割書:沢木大九郎|家ヲ震テ討死》
四、 焼有(ヤケアリ) 同 烟九郎
五、女子 日照四太郎室
六、 鳴強(ナリツヨ) 地賀権頭
七、鳴 髙(タカ) 改震動
八、■ 早世
九、 猶(ナオ)髙 日比木強五郎
十、 音(ヲト)髙 《割書:八方(ヤカタ) 飛騨守|中少》
十一、女子 握飯九郎室
十二、音鳴《割書:大炊頭|正四ツ時》
十三、 静鞠(シヅマリ) 隼久(ハヤク)
十四、 忠震(タヽフリ) 《割書:越後守|従五時》 蔵斃 《割書:武蔵守|少々》
十五、女子 山井九左衛門村震室
十六、 潰(ツブレ) 《割書:雨野五七郎|於小田原討死》
十七、時強 信乃守
十八、某 《割書:嘉永年中於上方|討死》
十九、■ 時太郎 早世
二十、上ふか川つよし 大火十八ヶ所
二十一、大震間《割書:安政二年十月二日家崩|正四ツ時》
二十二、震動大炊頭音鳴
二十三、御内家曲利無敵斉養女
二十四、献上 《割書:証文|一通》
二十五、《割書:卯年亥|月卯日》
二十六、禁府
二十七、贅? 《割書:御八木|御手当》
二十八、《割書:御小屋之|五ヶ所立》
二十九、御救
三十、ギン一ブ一 ナニこともこれが先に立 くろいろ□くろ白
三十一、押 ひやうたん
三十二、驚 はごりでたびたし??
三十三、《割書:御|嫡》 震動隼久静鞠
三十四、御内家
三十五、押
三十六、驚
三十七、食物 らうそく 草鞋 筥
三十八、材木 板 もつこふ 天びん 桶はち
三十九、纏
四十、御幕帆印
四十一、動土宗 地震破 安心山 敗蓮寺
四十二、髙二十一万五千余人死 居所崩州土下郡潰多 《割書:江戸ヨリ|ヨ方》
四十三、往古ヨリ度々震 トイエトモ中ニモ豊富治代伏見辺大地震元禄以後越信両州ヲヲビヤカスコト□【果+鳥、夥カ】シ此時死亡スル者数シレズ又嘉永七年上方筋キビシク御江戸迠騒カスコト甚シ夫ノミナラズ安政 ニイタリ又々御江戸ヲ驚カス始末重々不埒至極ニ付大炊頭音鳴以後代々禁之
四十四、夜中隠岐 梶所左ヱ門 地鳴強大夫 伊丹家蔵 今田少之介 鳶野■ 内野采理
四十五、跡用心 騒大蔵 伊曽木修理
四十六、居守留 土方煉蔵 笘屋寒七 野陣番 雨森困大夫 近藤ハ与か郎 震動玄蕃 安太間嘉吉 一身立介 鯰江瓢庫
四十七、・中 浅くさつよし ・中 本所くづるゝ ・中 芝□□□丁火 ・小 小川丁出火 ・よし原〃 ・小 かんだへん ・小 てつほうず火
(上段右)
仮火衰(かりくわおとろへ)
贅宅止(ぜいたくとゞまる)
新住盛(しんすまいさかる)
(上段中)
水是洩(すいこれあぶれ)
非道鯰(ひどうなまづ)
大性割(だいしやうわれて)
(上段左)
話貧隠(はなしひんかくれ)
大家傾(たいかかたむき)
街嘆退(さとなげきしりぞく)
(下段右)
番丸少(ばんまるすくなし)
滅太(めつたに)《割書: |の》建(たてる)
銭杖労(しんつえつかれ)
(下段中)
役長急(やくてういそがし)
未(まつ)【末】者愁(しやうれひ)
医泣間(いかなしむひま)
(下段左)
夜最息(やさいいき)
女中勧(ぢよちうのよろこび)
夢楽鯰(むたのしみなまづ)
【裏】
【右上四角枠内の歌】
見渡せは
柳さくらを
こきまぜて
都ぞはるの
にしき
なりけり
【上中央丸内の歌】
はせを【松尾芭蕉のこと】
木曽殿と
うしろ合せの
寒さ
かな
【右下「江戸」横の四角枠内の歌】
鐘ひとつ
うれぬ日は
なし
江戸の
はる
【右下四角枠内の註】
方寸に尽すへからず江戸砂子
分ン間大絵図等にゆづりて
こゝに略す
日本橋《割書:ヨ| リ》品川へ二リ
【右下四角枠内署名】
葛飾前北斎
戴斗筆
【左下四角枠内署名】
綉梓【横書き】
嵩山房
千鐘房
衆星閣
美濃国大垣市街精図
震災死亡者追弔会
西国三拾三所各御本尊
聯合開扉
《割書:自四月一日|至五月三日》於大垣町
表示附札の写
濃尾大震災横死者の惨状を深
察し這回西国札所各寺院は遠
地を厭わず本尊観世音菩薩の
尊像を残らず供奉し追弔法会
及ひ衆庶結縁の為当町に於て
表示の通り執行せらる四方人々
十州山河を旅行するの労なく
宿泊の費用を要せす容易霊
像を順拝し納経することを得是
実に空前絶後の災害に対したる
前代未聞の美挙なれば尋常
出開帳の類に非ることを信認
し玉へ
慈眼会
明治廿六年三月廿九日印刷
明治廿六年三月廿九日出版
岐阜県安八郡大垣町字竹島
九拾番戸
《割書:著者兼|発行者》
平野粂治郎
岐阜県安八郡大垣町宮郭町
百五番戸
《割書:印刷者》
野田達助
汽車発着表
東行
午前四時〇五
同 六、一四
同 九、四八
午後一二、四〇
同 三、廿六
同 六、三三
同 八、五八
西行
午前一時二五
同 七、一〇
同一一、二五
午後二、二三
同 五、二〇
同 七、三一
第壱番
若森
紀伊国
那智山
第二番
求浄庵
同国
紀三井寺
第三番
大塚屋敷
同国
粉川寺
第四番
下里磯次郎
槙尾寺
第五番
土井了憧
河内国
葛井寺
第六番
常楽寺
大和国
壺坂寺
第七番
常隆寺
同国
岡寺
第八番
本馬場
同国
長谷寺
第九番
全昌寺
同国
南円堂
第十番
下町
山城国
三室戸寺
第十一番
亀屋町
山城国
上醍醐寺
第十二番
大悲院
近江国
岩間寺
第十三番
俵町
同国
石山寺
第十四番
宮町
同国
三井寺
第十五番
室町
山城国
今熊野
第十六番
桐ケ崎
同国
清水寺
第十七番
文殊院
同国
六波羅蜜寺
第十八番
林本郷
同国
六角堂
第十九番
実相寺
同国
革堂
第二十番
禅桂寺
同国
善峯寺
第廿一番
江藤
丹波国
穴穂寺
第廿二番
旭廓
摂津国
総持寺
第廿三番
高橋
同国
勝尾寺
第廿四番
木村屋敷
同国
中山寺
第廿五番
播磨国
新清水寺
第廿六番
中町
播磨国
法華寺
第廿七番
上本町
同国
書写山
第廿八番
下本町
丹後国
成相寺
第廿九番
善光寺
若狭国
松尾寺
第三十番
竹島町
近江国
竹生島
第三十一番
南ノ顔
近江国
長命寺
第三十二番
徳秀寺
同国
観音寺
第三十三番
大運寺
美濃国
谷汲山
凡側
道路
堤防
鉄道
堀川
田畑
社地
寺院
屋敷
板橋
石橋
電信
【裏】
泰平【上は横書】震華(しんくわ)鑑要(かんえう)
【被災地図】
【図右上の朱記】
○べに所は出火
×薄墨は大はそん
△白キ所無事
山下へ
上野御救小や
【図左上】
御救小屋場
浅草広小路
幸橋御門外
深川海辺新田
【左下隅の文】
安政弐卯年十月二日夜四ツどき
大じしん在之其后に到て所々出火
に付 潰家(つふれや)土蔵等の焼失数も
しれず右 騒乱(そふらん)ゆへけが人等も
多く在之由に候此書は遠国え
告達(かうたつ)の便にならんと委細(いさい)に
相たゝし其印を付置候扨又
此度の義は前代未聞(ぜんだいみもん)の義ニ付
御上にも格別(かくへつ)御仁恵ふかく
御すくひ小家を立御 手当(てあて)厚(あつく)
いたはらせ給へは遠国の縁者に
ても安心致べき事にて今より
御心得にも可相成義と此段書記候
那須温泉大明神宝物之真図
神主 室井近江藤原光記謹識 【角印】光記
百一年目の日蝕
来(きた)る八月十九日の日(につ)蝕( く)は今を去る
百一年前天明六年五月朔日
以来(いらい)の皆既(かいき)にて実(じつ)に珍(めつら)しき
ものなり米国ゟは「ド井ー」
「ビートツド」【D.P.Todd】氏 来朝(らいてう)あり又 理科(りくは)大 学(かく)教授(けうしゆ)
寺尾(てらお)氏 其他(そのた)の諸氏(しよし)等(とう)日 光(こう)新潟(にいかた)
白河(しらかは)等(とう)の地方へ実測(じつそく)のために
出張(しつてう)されたり又今回の日蝕は頗(すこふ)る
奇(きい)異にして蒼(そう)天五色に變(へん)し暗黒(あんこく)色
となり 全(まつ)く(たく)蝕するに及(をよ)べは人 面(めん)は
皆(みな)青白色を帯(を)び草花(そうか)は萎(しぼ)み
飛鳥(ひてう)は地に降(くた)り獸類(じうるい)は地に伏(ふ)し実(しつ)に
一代に一 度(ど)の觀物(みもの)と云ふへし又東京は
九分九リン余蝕し午後二時三十六
分七秒右ゟ欠初め同三時四十八分一秒 甚(はな〳〵)しく
四時五十二分五秒上左の間に復圓(ふくゑん)する也
年清画 大森【印】【芳年門人に年清という絵師あり】
【明治二十年七月廿六日御届編輯兼出版人神田区末廣町十番地 岡田常三郎】
【左端枠外 切り取られた部分に右記の出版人情報あり】
【左下】
0011841954
東京大學圖書之印
【上の絵図資料】
【タイトル】磐梯山噴火略図
ナカサ温泉にては産前産後の男女多く死にたるよし
オシサワ村 アキ元村 細野村 檜原村 壺楊
川上村 沼倉村 長坂村 温泉 ナガセ川 小松□
清水村 シブヤ村 見祢村 岩せ村 八二ツ社 猪苗代 金田村
ハンタイ山 ハンタイノ温泉 白木城村 堀キリ村 若宮村
猪苗代湖 コヒラカタ【小平潟】天神 長浜 翁沢 フドウ堰 十六橋 □口堰 水門番方
波止 □□船場 中浜船場 舟津船場 笹山船場 翁島 戸口船場
【欄外】
明治廿一年七月廿六日印刷 印刷著作 下谷区元黒門町六番地
同 年 七月廿八日出版 兼発行者 並川善六
【下に貼り付けてある資料】
頃(ころ)は明治(めいじ)廿一年七月十五日 午前(ごぜん)八 時頃(じごろ)福島県下(ふくしまけんか)
岩代国耶麻郡(いはしろのくにやまこうり)磐梯山(ばんだいさん)(世俗会津不二) 突然噴火(とつぜんふんくわ)し
崩壊(はうくわひ)の面積(めんせき)凡(およそ)二 里(り)四 方(ほう)にて其災害(そのさいがい)に罹(かか)る場所(ばしよ)は
凡(およ)そ六 里(り)四 方(ほう)に及(およ)び埋没(まいほつ)せし人員(じんいん)は凡(およそ)四百人
負傷者(ふせうしや)凡(およ)そ九百 余名(よめい)岩瀬村(いはせむら)の内(うち)人家(じんか)三十六戸
潰家(つぶれや)五十六 戸(こ)又 其(その)噴出(ふんしゆつ)せし土砂(どしや)の為(ため)に檜原(ひのきばら)
大川の水道(すいどう)を塞(ふさ)ぎしかば檜原村(ひのきはらむら)は殆(ほとん)ど池沼(いけぬま)と
なるべしと雄子沢(おしさわ)秋元(あきもと)細野(ほその)の三ケ 村(そん)は一 面(めん)に
山(やま)となりたる由(よし)此外(このほか)見禰渋谷清水長坂
沼倉川上養蚕三郷若宮堀切白木城
名家 等(とう)の村々(むら〳〵)も人馬(にんば)共(とも)に死傷(しせう)数(かず)を知(し)らず
是(こ)れ実(じつ)に近来(きんらい)未曾有(みぞうう)の一 大地変(だいちへん)にして
其惨状(そのざんぜう)推測(すいそく)の及(およ)ばざる所(ところ)なるべし委(くわ)しくは
諸新聞紙上(しよしんぶんしぜう)に譲(ゆづ)りて茲(こゝ)に大略(たいりやく)を記(しる)しぬ
【資料裏面・白紙】
《割書:治る|御代》 ひやかし鯰
賑(にきは)ふ江戸(ゑど)の花川戸(はなかわど)設(もうか【?】)り宅(たく)の
繁昌(はんじやう)を見物(けんぶつ)せんとぬら
くらと格子(かうし)をのぞく大鯰(おほなまづ)
かむろが見付(みつけ)てさゝやけば
おいらんはとんで出(いで)無理(むり)に
とらえんとすれど抜(ぬけ)つ
くゞりつつらまらねば
もしへ早(はや)くひやうたんを
持(もつ)て来(き)なましといへば
気転(きてん)のきゝし若(わか)イ者(もの)これで
おさへれば大丈夫(だいじやうぶ)だと徳利(とつくり)を
持来(もちきた)れば何(なん)の苦(く)もなくおさへしゆへ
是はふしきと能々(よく〳〵)見れば鹿嶋(かじま)の徳利(とつくり)だ
【「徳利」を下に配置すると振り仮名が付けられなかったのでそのまま続けて書きました】
【中段 格子の中の会話文】
女郎〽︎もしぬしやアあんまり
さますよこのぢうもだしぬけに
きさつして大さわきを
させなました
みせも
にかいも
一ときに
ひねりばなしじやア
めがまはるよウ
ぎりわるや
【下段】
客〽︎その□【ひげ】を
はなして
くんねい□□□【それを】
ぬきや■如
とゝろ■■■
よつほど
かたひげ□【さ】
【コマ⒈の裏面 手書きの整理番号と蔵書印】
0011842036
東京大学図書之印
抑富士の御山は衆岳の宗
日乃本の柱礎にして殊に
霊験日月に等し然るに此度
御山の地名神代の昔に
あらためしを諸人に知らし
めんかために図を以てすと云云
釈迦の割石 割石
薬師ヶ岳 久須志ヶ岳
勢至ヶ窪 荒巻
大日 浅間
東河原 東安河原
西河原 西安河原
経ヶ岳 成就ヶ岳
不動石 磐石
毘沙門石 熊の岩
仏石山 神石山
以上
伊香保之図
一名
伊香保一覧
弘化三丙午年六月十一日
甲子ノ日ヨリ辰巳丑寅ノ雨降ツゞキ
上州野州辺山クツレノヨシニテ所々
川々洪水□幸手近郷アラマシシルス
【中央の枠内】
行 伊豆熟海之湯 勧進元 上州沢渡之湯
諸国温泉一覧 紀伊熊野本宮之湯 紀伊熊野新宮之湯
司 津軽大鰐之湯 差 添 上州川原湯之湯
【右側一段目、横書き】
東之方
【右側二段目】
大関《割書:東京ヨリ四十八リ|万病ニ吉》 上州草津湯
関脇《割書:三十八リ |諸病ニ吉》 野州那須之湯
小結《割書:百五十五リ |中風ニヨシ》 秋田小鹿嶋湯
前頭《割書:三十七リ |フ人ニ吉》 上州伊香保湯
前頭《割書:二十二リ |ソフドクニヨシ》 豆州湯川原湯
前頭《割書:六十八リ |ソフドクニ吉》 相州足之湯
前頭《割書:七十三リ |フ人ニ吉》 奥州嶽之湯
前頭《割書:九十七リ |諸病ニ吉》 最上高湯ノ泉
前頭《割書:九十四リ |ヒゼンニ吉》 仙台成子ノ泉
前頭《割書:四十八リ |諸病ニ吉》 信州諏訪ノ湯
【右側三段目】
同 《割書:百九十リ |ソウトク》 津軽嶽之湯
同 《割書:二十二リ |諸病吉》 相州湯元之湯
同 《割書:二十四リ |ガンベウ》 豆州小名之湯
同 《割書:五十五リ |センキ》 信州渋之湯
同 《割書:六十六リ |ウチミ》 会津大仁寺之湯
同 《割書:百七十 |万ベウ》 越後松ノ山之湯
同 《割書:百二十リ |カツケ》 南部恐山之湯
同 《割書:五十五リ |諸ヘウ》 庄内田川之湯
同 《割書:八十リヨ |ソウトク》 岩城湯元之湯
同 《割書:六十リヨ |諸ヘウ》 米沢赤湯之湯
同 《割書:三十九リ |万ヘウ》 下野中禅寺ノ湯
【右側四段目】
同 《割書:百七十五リ |諸ヘウ》 秋田大滝ノ湯
同 《割書:六十九リ |ヒゼン》 奥州飯坂ノ湯
同 《割書:百六十リ |万ヘウ》 南部鹿角ノ湯
同 《割書:二十二リ |ガンヘウ》 相州姥子ノ湯
同 《割書:二十四リ |センキ》 豆州修善寺湯
同 《割書:九十九リ |諸ヘウ》 仙台川度ノ湯
同 《割書:百廿三リ |万ヘウ》 庄内温海ノ湯
同 《割書:百九十リ |ツカヒニ吉》 津軽温湯之泉
同 《割書:六十五リ |センキ》 米沢湯沢ノ湯
同 《割書:二十四リ |ヅヽウ》 豆州権現ノ湯
同 《割書:六十リ |万ヘウ》 会津熱塩之湯
同 《割書:二十二リ |センキ》 相州貴加之湯
【右側五段目】
同 《割書:三十二リ |フ人ニ吉》 野州塩原之湯
同 《割書:百廿三リ |センキ》 庄内湯浜ノ湯
同 《割書:百九十リ |諸ヘウ》 津軽板留ノ湯
同 《割書:四十八リ |同》 信州別所ノ湯
同 《割書:六十八リ |ソウトク》 越後関ノ山ノ湯
同 《割書:百三十一リ |中フウ》 南部台ノ湯
同 《割書:七十五リ |諸ヘウ》 伊達湯之村湯
同 《割書:百リヨ |ウチミ》 最上銀山ノ湯
同 《割書:九十三リ |ヒゼン》 仙台釜崎ノ湯
同 《割書:六十九リ |ツカヒニ吉》 会津滝之湯
同 《割書:二十八リ |ソフトク》 米沢谷沢ノ湯
同 《割書:百六十二リ |ヅヽウ》 南部麻水ノ湯
同 《割書:六十七リ |万ヘウ》 信州野沢ノ湯
【左側一段目、横書き】
西之方
【左側二段目】
大関《割書:百四十リ |諸病ニ吉》 摂州有馬湯
関脇《割書:百四十リ |万病ニ吉》 但州城之崎ノ湯
小結《割書:二百十九リ |ニユモウニ吉》 予州道後湯
前頭《割書:百二十リ |ソフドクニ吉》 加州山中之湯
前頭《割書:三百四リ |ヒセンニヨシ》 肥後阿蘇ノ湯
同 《割書:二百七十リ |ソウドクニ吉》 豊後浜脇ノ湯
同 《割書:三百二リ |万病ニ吉》 肥前温泉ノ湯
同 《割書:四百四十リ |万ベウニ吉》 薩州露【霧か】嶋湯
同 《割書:二百七十リ |ガンベウニ吉》 豊後別府湯
同 《割書:二百七十リ |万病ニ吉》 肥後山家ノ湯
【左側三段目】
同 《割書:百リ |万ベウ吉》 濃州下良ノ湯
同 《割書:三十九リ |万ベウ》 上州四方【万か】之湯
同 《割書:百七十六リ |ウチミ 》 能州底倉之湯
同 《割書:百八十リ |万ベウ》 備中長府之湯
同 《割書:四百リ |万ベウ》 薩州硫黄之湯
同 《割書:百五十リ |万びやう》 紀州田辺之湯
同 《割書:百五十リ |フ人ニ吉》 但州湯川原ノ湯
同 《割書:二百十リ |ヒセン》 芸州川治之湯
同 《割書:百五十リ |ソフドク》 紀州大世知ノ湯
同 《割書:百二十四リ |万病吉》 加州白山之湯
同 《割書:二百廿リ |ヒセンニ吉》 伯州徒見之湯
【左側四段目】
同 《割書:四百廿リ |ガンへウ》 薩州桜嶋ノ湯
同 《割書:三百リ |フ人ニ吉》 肥州竹尾ノ湯
同 《割書:百五十リ |センキ》 石州河村之湯
同 《割書:三百六十リ |ヒゼンニ吉》 防州山口之湯
同 《割書:三百リ |ガンへウ》 肥前添之湯
同 《割書:百五リ |ソウトク》 越中足倉ノ湯
同 《割書:九十リ |ヅヽウ》 越後塩沢ノ湯
同 《割書:二十二リ |諸ヘウ》 相州塔ノ沢ノ湯
同 《割書:百七十リ |ウチミ 》 秋田小安ノ湯
同 《割書:四百二十五リ|リンへウ》 薩州関外ノ湯
同 《割書:二十一リ |リンへウ》 相州宮下ノ湯
同 《割書:百七十六リ |諸ヘウ》 津軽失【矢か】立之湯
【左側五段目】
同 《割書:四十七リ |センキ》 上州花敷ノ湯
同 《割書:二十二リ |ヅヽウ》 相州堂ヶ島ノ湯
同 《割書:百九十八リ |センキ》 津軽浅虫ノ湯
同 《割書:五十八リ |ヅヽウ》 仙台阿灸之湯
同 《割書:九十リ |ソウトク》 越後出湯ノ湯
同 《割書:九十一リ |ウチミ》 最上上之山ノ湯
同 《割書:五十五リ |ソウトク》 信州浅間ノ湯
同 《割書:二十二リ |ヒセン》 相州底倉ノ湯
同 《割書:四十一リ |中風》 上州老神ノ湯
同 《割書:九十七リ |ソフトク》 越後田上ノ湯
同 《割書:百七十五リ |諸ヘウ》 津軽倉立ノ湯
同 《割書:百七十一リ |ソフトク》 能州足ノ湯
同 《割書:四十七リ |ソフトク》 上州応徳ノ湯
同 《割書:五十六リ |ヤケド》 信州山田ノ湯
地震(ぢしん)のすちやらか
おくれて出(で)られぬ 蔵(くら)の中
あちこち見つけて 藪(やぶ)の中
うちからころげて 大道(だいど)中
はだかでにげ出す 風呂(ふろ)の中
店(たな)ばんはたらく けむの中
女郎(ぢようろ)はおはぐろ どぶの中
雨(あめ)ふり野(の)じんは とばの中
まがりを直(なほ)して 内の中
すちやらかぽく〳〵
万才らく
ぐら〳〵
《蔵書印:東京大学図書之印》0011841897
【右上】
富士浅間宮
諏訪大明神
火防御祭礼之図
【右下】
彫工小泉辰五郎
応需
東都 一立斎広重謹写
【左上】
篝 凡根廻壱丈五尺位
高サ三丈位
其余大小不同
【左下】
神家
大玉屋
【タイトル】
是(これ)は
万代(ばんだい)の
談柄(はなしぐさ)
音聞浅間幻灯画(おとにきくあさまのうつしゑ)
真景 五 枚
【本文なし】
【タイトルなし】
【本文なし】
【全体的に不鮮明、コマ1の裏焼きではないか】
【右枠外】
(のし文様?) 御歳玉 売買不禁三千枚限
【一段目】【それぞれに家紋と槍印の図あり】
御老中
十一万石 堀田備中守様
十一万石 阿部伊勢守様
七万四千石ヨ 牧野備前守様
五万八千石 久世大和守様
五万九千石 内藤紀伊守様
御若年寄
三万石 鳥居丹波守様
二万石 本多越中守様
一万二千石 遠藤但馬守様
一万石 本庄安芸守様
一万石 酒井右京亮様
寺社御奉行
八万二千石 松平右京亮様
五万三千□石ヨ 太田摂津守様
五万石 本多中務大輔様
五万石 松平豊前守様
五万石 安藤長門守様
京都御所司代
五万千八十九石ヨ 脇坂淡路守様
大坂御城代
九万五千石 土屋采女正様
【二段目】【ページが長くなるので名前を縦に書き連ねます】
御側衆
本郷丹後守様 平岡丹波守様 夏目左近将監様 岡部因幡守様 小笠原若狭守様 太田播磨守様 渡辺能登守様 駒木根大内記様 大久保駿河守様 石河美濃守様
御留守居 御関所女手形□【改? 】
佐野日向守様 関播磨守様 加藤伯耆守様 曲渕出羽守様 堀田土佐守様
大御目付
堀伊豆守様 柳生播磨守様 跡部甲斐守様 筒井肥前守様 土岐丹波守様
町御奉行
北 井戸対馬守様 南 龍田播磨守様
御勘定奉行
水野筑後守様 松平河内守様 本多加賀守様 川路左衛門尉様 石谷因幡守様
御勘定吟味役
立田岩太郎様 塚越藤助様 勝田次郎様 村垣与三郎様 中村為弥様 設楽八三郎様
評定所留役御勘定組□【頭】 ●印ハ□□留役
木村駿蔵様 白井達之進様 柴田貞太郎様 浅野弥一郎様 内海多次郎様 吉田昇太郎様 ●小俣稲太郎様 小笠原甫三郎様 桜井久三郎様 甘利八右衛門様 ●星野金吾様 ●滝沢喜太郎様 高柳小三郎様 高田彦太郎様
渡辺佐十郎様 畑兼太郎様 河野□之助様 山本鎌之助様 ●飯島辰五郎様 横田新之丞様 鈴木栄助様 加藤余【餘→余】十郎様 大越貞五郎様 高木源六郎様 吉田条【條→条】太郎様 長坂半八郎様 □□□左衛門様 □□□太夫様 □□□□□様
諸国御代官【縦に四段分あり】
江川太郎左衛門様 斎藤嘉兵衛様 伊奈半左衛門様 荒井清兵衛様 山内総左衛門様 多羅尾久左衛門様 佐々木道太郎様 北条平次郎様 角倉鍋次郎様
大竹左馬太郎様 里見源左衛門様 竹垣三右衛門様 小林藤之助様 佐々井半十郎様 川上金五助様 大草太郎左衛門様 高木伴次郎様 篠本彦次郎様
寺西直次郎様 松永善之助様 屋代増之助様 羽田十左衛門様 林伊太郎様 林部善太左衛門様 高木清左衛門様 内藤杢左衛門様 増田作右衛門様
森田岡太郎様 鈴木大太郎様 清水孫次郎様 今川要作様 白石忠太夫様 福田所左衛門様 森孫三郎様 多羅尾久五郎様
【三段目】
御作事奉行
遠山隼人正様 中川飛騨守様
御普請奉行
河野対馬守様 伊沢美作守様
御小普請奉行
江原下総守様 大沢豊後守様
御目付
鵜殿民部少輔様 松本十郎兵衛様 松平久之丞様 一色邦之丞様 永井岩之丞様 岡部駿河守様 岩瀬修理様 浅野一学様 大久保右近将監様 鈴木四郎左衛門様
十里四方鉄炮御改
土岐丹波守様
宗門御改
堀伊豆守様
道中御奉行
柳生播磨守様 本多加賀守様
盗賊火付御改
坂井右近様
南御用懸り【関連資料未見、未確認】
小林藤太郎様 加藤太左衛門様
同定御廻り
小林藤太郎様 粟野一平様 大関庄三郎様 完戸□蔵様 古谷賢助様 小林平十郎様
臨時廻
古谷賢助様 小林平十郎様 渡辺喜平六様 大沢藤九郎様 大里忠右衛門様 吉田雄之助様
北御用懸り【関連資料未見、未確認】
田辺清三郎様 片川仁右衛門様
同定御廻り
高□数右衛門様 新島鉄蔵様 持田勝助様 鈴木伝兵衛様
臨時懸り
大八木四郎三郎様 神田孫一郎様 高部熊八様 持田勝□様 三井伴次郎様 山本啓助様
【四段目】
京都町御奉行
西 浅野中務少輔様
東 岡部備後守様
伏見御奉行
内藤豊後守様
大坂町御奉行
東 佐々木信濃守様
西 久須美佐渡守様
甲府勤番支配
大久保豊後守様 小笠原長門守様
長崎御奉行
川村対馬守様 荒尾石見守様
浦賀御奉行
土岐豊前守様 松平伊与守様
下田御奉行
岡田備後守様 井上信濃守様
箱館御奉行
竹内下野守様 堀織部正様
奈良御奉行
戸田能登守様
駿河御城代
坪内伊豆守様
同町御奉行
貴志孫太夫様
山田御奉行
山口丹波守様
佐渡御奉行
内藤茂之助様 山岡八郎左衛門様
新潟御奉行
根岸九郎兵衛様
日光御奉行
三好阿波守様 松平上野介様
関八州御取締御出役
斎藤様 渡部園十郎様 関畝四郎様 吉田□十郎様
林部様 吉岡良助様 大熊佐助様 山口顕之助様
□□様 太田孫助様 安原燾助様
上方御郡代 岩田鍬三郎様
飛騨同 福王三郎兵衛様
大津同 石原清左衛門様
西国同 池田岩之丞様
安政二乙卯年十月廿五日改正 乾坤堂蔵板
太平御代の御恵
頃は安政二乙卯のとし十月二日夜四ツ時ころ大江戸大地震并
大火にて諸(しよ)人 恐怖(きやうふ)に迫(せま)り心安からず然るに
御公儀様より御れんみんを以江戸市中の窮民(きうみん)へ御 救(すくひ)被下置候事
難有と奉申上も猶恐あり依之諸民声限なし時に御府
内の町人衆家持地主の有徳(うとく)なる面々太平の御代の御仁徳
をしたひ御救小屋五ケ所并に自分 地面(じめん)または出入 等(とう)のものへ夫々
に金銭(きんせん)をほどこし中にも自分の居所にかゝはらず其近辺 憐(りん)
町まで志を施(ほどこ)したる人〳〵斗(ばかり)を一紙に集(あつ)め書記 尚(なを)又 追〳〵(おひ〳〵)
ほどこしたる面々をせんさく致あとより書 加(くわ)へ可申候古今 未曾(みぞ)
有(う)の仁徳(しんとく)故(ゆへ)梓(あづさ)に綴(つゞ)り四方の諸君子の高覧に備ふるのみ
【下】
土蔵大崩の分十万五千八百余
土蔵小いたみの分五万九百余也
〆十五万六千七百余也
寺々ゟ書上ケ
吉原丁けが人二千九百人余
〆十六万八千二百人余也
外科医者よりの書上ケ
けが人四万〇百人余なり
五海道の分
一東海道は川さきかな川江のしま鎌倉
一中山道は少々一日光海道は幸手くり
はし
一水戸海道は松戸土うら一甲州海道は
高井戸郡内安房上総下総辺
【上段】
浅草広小路御救小屋え施
浅草駒形町
家持内田屋
一味噌汁三樽ツヽ 甚右衛門
節々
十月九日より同廿日迄施申候
浅草東仲町
一漉返シ紙六百帖 家主共
同西仲町
家持
一鱒弐百本 源兵衛
同山の宿町
家持
一味噌弐樽 信 吉
一梅干四拾樽 同所同人店
清兵衛
同所田原町三丁目
儀兵衛店
一銭拾貫文 松五郎
同西仲町
十月十五日 家持堺や
一菓子弐百六十袋 安右衛門
〃
一金三拾弐両弐分 右 同 人
同所茶屋町
作右衛門地借
十月十九日 美濃や
一沢庵七樽 勝次郎
同所東仲町
富右衛門地借
同十八日 大黒屋
一漉返紙三百帖 平兵衛
同所田原町二丁目
家持
一沢庵拾樽 三河屋
一銭百貫文 喜三郎
【中段】
同所東仲町
斎兵衛地借
十月十□日 隅屋
一干魚六千枚 勇 八
同北馬道町
同 家持さの倉
一味噌拾樽 安兵衛
同所東仲町
伊右衛門地借
同十一日 花屋
一さつま芋拾五俵 重 助
同所元はたこ町壱丁目
同十七日 家主
一茶三百袋 義右衛門
同所南馬道新町
同十一日 忠蔵店
一さつま芋拾俵 久兵衛
同所東仲町
家持
同廿日 久右衛門
一菜漬十五樽 次郎兵衛
一銭七拾五貫文 四郎左衛門
忠 助
猿若町壱丁目
正蔵地借
当時浅草寺地中
勝蔵院地借
喜太郎店
同 髪結 平五郎
十六日 床預り人 大 吉
右は当御小屋入のものへ人数壱万
五千人分髪結施し致候事
一荒漬一樽 佐々木彦太郎
一らつきやう同 御代官所
一生姜漬同 下総国相馬郡布佐村
一梅干三樽 百姓 七郎兵衛
右は五ケ所御小屋入のものへ施行差出
候事
【下段】
芝口壱丁目
弥兵衛店
平芝屋
一梅干小桶入 幸 七
三十五桶
右は五ケ所御救小屋へ施出候事
山下東叡山御救小屋へ施
上野北大門町
がんなべ
一金五両 万 吉
一さつま芋拾五俵
同所御救小屋町掛り施
下谷町弐丁目
瀬川屋敷
甘泉屋
一銭三拾貫文 善兵衛
一下駄百足
本郷春木町三丁目
大美津
一味噌五十樽 新三郎
右は五ケ所御小屋入のものへ施候
下谷町弐丁目
三次郎店
一さつま芋拾俵 浅右衛門
一菜漬壱樽
深川海辺大工町御救小屋へ施
深川木場町
家持万屋
一銭百三十五貫文 和 助
右は当御小屋入之ものへ施出候事
同所八幡宮社内御救小屋へ
一銭六拾貫文 右 同 人
幸橋御救小屋え施
壱人ニ付 木挽町五丁目上納地
銭弐百文ツヽ 家持
手ぬくひ壱筋ツヽ 徳三郎
右は当御小屋入之者家族人数に
為施行差送候事
一当百三十貫文 新両替町四丁目
一小銭二十貫文 半次郎地借
十月十五日 瓦師六左衛門
外に金一分ツヽ丁内へ 深川さが丁 勢州住宅ニ付
一金弐百十三両弐分二朱 久住五左衛門 店支配人
米七石二斗 庄兵衛
御褒美銀七枚外二枚
外に金一分ツヽ丁内へ 深川北川丁
一金百七十四両二分 近江屋喜左衛門
御褒美銀七枚
一けんまへ丁内其外へ 同さか丁
一金壱朱ツヽ みやもと
一けんまへ 同丁
一金壱分ツヽ 山屋喜兵衛
丁内其外へ
一けんまへ 同丁
一金壱朱ツヽ 池北屋
右同断
一けんまへ 同丁
一金壱分ツヽ こめ勇
右同断
同丁
一金壱分ト 川むら
黒米壱斗ツヽ
同【丁】
一金壱分ト 上川丁某
弐百文ツヽ
一金壱分ツヽ丁内へ 同木□□
一金弐朱ツヽ寺丁 万 和
三丁へ
同さか丁
一金一分ツヽ出入せんとうへ ちくま
七日の間味そ少々ツヽ諸人にほとこす
丁内其外 北しんほり
一金壱朱ト 長しまや
百文ツヽ
丁内其外 同
一金壱朱ト 北むら
百文ツヽ
丁内其外 同
一白米五升ツヽ 後藤氏
丁内其外 霊かんしま
一金壱朱ト まる甚
白米壱升ツヽ
霊かん島十八ケ丁へ 霊かん島
一金壱分ツヽ 鹿じま
十八ケ丁へ一けんまへ 南しんほり
一白米壱斗五升ツヽ 伊さか
外に五日の間たきたし
一人まへ居廻り丁々へ 南かやば丁
一白米五升ツヽ 永岡儀兵衛
壱人前右同断 日本はし万丁
一白米五升ツヽ 谷口熊五郎
一けんまへ 西がはやしき 芝口
一米三斗五升 つきの丁 御屋敷様
一同五斗弐升 字源助丁へ
一金二朱ツヽ 丁内へ 露月丁
一金壱朱ツヽ 柴井丁へ さかい屋
同丁
右同断 同 きねや
一けんまへ かんた土手下
一金壱分ツヽ 紺や丁某
居廻り丁々へ
一人まへ あさくさ三すじ丁
一白米五升ツヽ 関 氏
右同断
八丁四方へ 下谷ひろ小路
一 一白米壱升 伊東松坂や
銭百文
右之外なをおひ〳〵さしくわへ
可申候
音見坂落雁
【一資料ずつ別項目になっている為、右下資料のみ翻刻。】
【参考に残りは 清見寺晩鐘。田子の浦帰帆。長原の夜雨。】
草津温泉名所
鬼の茶釜 御座(ござ)の湯(ゆ)
温泉は
しせんと
わきし
宝かな
【中央下資料のみ翻刻・他は別に翻刻ページあり】
益池劉之助著
上州磯部鉱泉馬一覧之図
明治十九年九月出版 著者蔵版(角印)
定価金三銭
【タイトル】
上州伊香保鉱泉場名所全図
【俯瞰図下部に宿・商店のリスト】
伊香保温泉入浴宿
㋑楽山館 木暮八郎
㋺うめや 島村金次郎
㋩ふくたや 福田善十郎
㋥あふらや 萩原久吉
㋭ 大塚政兵衛
㋬叶 屋 菊田爾悦
㋣ふくたや 福田与重
㋠かしハや 茂木忠造
㋷山城や 真淵熊蔵
㋦香山楼 邨【むら】松秀藤吉
㋾あらゐや 関根多三郎
㋻くや 森田与三郎
㋕岫雲楼 島田多朔別館
㋵ふしのや 斉藤仙助
㋟たバこや 横手信太郎
㋹浴蘭堂 岸権三郎
㋞てらしまや寺島金四郎
㋡よつしまや大河原清次郎
【○に子】新 屋 多胡常吉
㋤きばちや 宮田ヒロ
㋶森田屋 石坂恵十郎
㋰挹翠楼 木暮金太夫
㋒よしのや 半田飯七
㋼かわちや 羽島善吉
㋨中ざハや 中沢歌吉
㋔仕立屋 浅間源太郎
㋗かねだや 金田作平
㋳枕雲楼 岸六左エ門
㋮つかこしや 塚越七平
㋘出【ま?】る水や 萩原伝七
㋫入こくや 入内島源五郎
㋙ 大島マサ
㋽木村や 木村太郎平
㋢聚遠館 木暮武太夫
㋐もりたや 森田ウタ
㋚後閑楼 後閑八十松
㋖掃雲楼 永井喜太郞
㋴まつバや 萩原重朔
㋱かめや 金井市太郎
㋯のだや 高橋留吉
㋛積流館 島田治良二【三?】郎
㋓山一や 宮下彦太郎
㋪仁泉亭 千明三郎
㋲ 石塚幸七
㋝岫雲楼 島田多朔
㋜まちだや 町田市太郎
【○にい】つるのや 山岸安六
【○にろ】山二や 狩野猪之吉
【○には】飯つかや 飯塚カネ
【○にに】とみや 富永彦太郎
【○にほ】まるや 斉藤新七
【○にへ】若松や 小林礼造
○伊香保勉強商店
大物類荒物売
薬和西洋酒場 こくや
花染漆物乾物 喜三郎
雑書舶来小間
物類品々
鉱泉火石細工
類伊香保榛名
雑書類写真場 斉藤福太郎
花染西洋酒和
舶来小間物其
他産物類品々
荒物和西洋太
物挽物湯花染
雑書其他産物 町田市太郎
類品々
伊香保産物 湯本
類品々 励工舎
挽物細工鉱
泉火石細工品々 萩原小一
鉱泉火石細工
手遊類品々 峯村峯五郎
【図題】
呉服橋外桶町(ごふくばしそとをけちやう)
河岸(がし)飆(つむじかぜ)之図(のづ)
【左上記事】
安政五戌午年十一月十五日
下谷(したや)ねりべい小路(こうじ)より出(しゆつ)火して右に記す所の
町々(まち〳〵)尽(こと〴〵)く類焼(るいしやう)す殊(こと)に火中につむじ風あり
桶町(をけちやう)河岸(かし)において大に 巻(こと)こと三度(さんど)是(これ)が為(ため)に火(ひ)ひろがり
人なやむこと大かたならす実(じつ)に恐(おそ)るべきの甚(はなはだ)しきもの也
よつて今(いま)図(づ)ぐわしてもて後来(かうらい)の心得(こゝろえ)と為(なす)ことしす
【右上四角枠内】
町々(まち〳〵)焼(しやう)
失(しつ)場(ば)
所附(しよづけ)
【一段目】
わかゞはかうじ
さくま丁
あいおい丁
わらたな
なか丁
やなぎはう
すぎ丁
れんじやく
さゑき丁
きじ丁
新白かね丁
た丁
上しらかべ丁
しんごく丁
三かは丁
らうそく丁
せき口丁
【二段目】
よこだいく丁
みながは丁
ながとみ丁【?】
たてだいく丁
新かはや丁
まつ下丁
かまくら丁
かうけん丁
なべ丁
かぢ丁
のりもの丁
小やなぎ丁
ひらなが丁
まつだ丁
くろもん丁
下しらかへ丁
こんや丁
【三段目】
いはい丁
こんや丁
くけん丁
まつ下丁
おたまが池
岸丁
三しま丁
とみ山丁
いはもと丁
はまら丁【?】
とみ山丁
まつ枝丁
ながゐ丁
こいづみ丁
元のりもの丁
へうごやき
たるい□やき
【四段目】
さゑき丁代ち【?】
りう□丁代ち
だいく丁代ち
かまくら丁代ち
さくま丁四丁□
久右エ門丁
元いはい丁
やまと丁
としま丁
□みまつ丁
久右エ門丁代ち
江がは丁
いはい丁
はしもと丁
小でんま上丁
かめい丁
らうやき
【五段目】
うめたてち
大でんま北丁
ほん□□丁
本こく丁
□□
てつ□□丁
小でんま丁
ばくろ丁
つけさ□な
むまやん道
□□さご丁
大でんま丁
大よこ丁
本丁
むろ丁
かねふき丁
りやうけへ丁【?】
【六段目】
するが丁
北さや丁
しなかは丁
いは□□丁
いせ丁
ほうどめ丁
せともの丁
本小だはら丁
な□はま丁
本ふな丁
あんじん丁
こぶな丁
ほりえ丁
せきふか丁【?】
小あみ丁
あらめばし
道□やうばし
【七段目】
おやぢばし
わこくばし
日ほんばし
よつかいち
しんみち
にしがし
よろづ丁
青もの丁
ごふく丁
なか一丁目
同二
同三
同四
ひらまろ丁
木つみだな
本ざいもく丁
元だいく丁
【八段目】
南あぶら丁
さない丁
小まつ丁
すきや丁
□えもん丁
□□もの丁
□□くや丁
□□と正丁
□□まやき
上まき丁
下まき丁
とみまき丁
新肴ば
二らべゑやき
中ばしうめう
南てんま丁
同二丁め
【九段目】
同三丁め
南まき丁
をが丁
まさき丁
をけ丁
南さや丁
□丁
□け丁
□□□
□□□
□□ぬし丁
□□□
□□ヱ丁
同
ま□川丁
同
南□□□丁
【十段目】
同
同
同
かのうやき
すゞ木丁
いなば丁
ときは丁
はたやき
やなぎ丁
五ろべゑ丁
同丁
ぐそく丁
同
やなぎ丁
同
す□丁
同
【十一段目】
竹丁
北こんや丁
だいこんがし
白魚やき
京ばし
はしぎは□
やける
【十二段目】
□のうち
火事□□□
まつ□□□
さ□□□□□
□□□□□
此外新道□□□
なほ数多焼□□
こといへども□紙の□□
尽く記すには□□
らす□んその大にやく□
あげて四方の見らんに
そなふといふ
【最下段】
死人
凡
百十
三人
けが
人
数
多し
【タイトル】
地震節用難事尽(ぢしんせつやうなんじづくし)
【コマ3にコマ1の翻刻が示されている。コマ2はコマ1の裏面で東京大学図書館の蔵書印と整理番号が記されている。】
【タイトルなし】
【コマ1の裏面で東京大学図書館の蔵書印と整理番号が記されている。】
【タイトル】
地震節用難事尽
【コマ1の翻刻】
新会京の寿
【絵図を折り畳んだ状態】
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
◯三代実録《割書:五|十》曰 光孝天皇仁和三年丁未七月晦日《割書:辛|丑》申 ̄ノ時大 ̄ニ震動 ̄シ 経_二歴 ̄シテ数剋 ̄ヲ_一 震 ̄コト猶不_レ止 天皇出 ̄テ_二仁寿殿 ̄ニ_一御 ̄ス_二
紫宸殿 ̄ノ南庭_一 ̄ニ命_二大蔵 ̄ノ省 ̄ニ_一立 ̄テ_二七丈幄二 ̄ヲ_一為 ̄ス_二御在所 ̄ト_一諸司 ̄ノ舎屋及東西 ̄ノ京盧舎往々 ̄ニ真覆圧殺 ̄スル者衆 ̄シ或 ̄ハ有_二失 ̄ヒ_レ神 ̄ヲ頓死 ̄スル者_一亥 ̄ノ
時亦震動三度五畿七道 ̄ノ諸国同日 ̄ニ大震 ̄ヒ舎多 ̄ク損 ̄シ海潮漲 ̄リ_レ陸 ̄ニ溺死 ̄スル者不 ̄ト_レ可_二勝 ̄テ計 ̄フ_一云□
◯扶桑略記《割書:廿|二》曰 《割書:上略|如録文》今日信乃国大山頽崩 ̄レ巨河溢流 ̄レ六郡 ̄ノ城盧払_レ ̄テ地 ̄ヲ漂 ̄ヒ流 ̄ル牛馬男女流死成 ̄スト_レ丘 ̄ヲ云□
私考_レ之距 ̄コト_二於今弘化丁未_一凡九百六十一年矣然シテ仁和丁未ノ変我国六郡ミナ以テ蕩尽スト史籍スデニソノ
地名ヲ不_レ戴_レ暦数僅ニ千年口碑伝ルコトナシ偏ニ雖_レ不_レ可_レ徴(チヤウ) ̄ス按ルニ六郡ヲ貫通スル巨河恐クハ犀千隈ノ
両流ニ過ズ《割書:岐蘇天竜大井|姫川等不及之》這回(コノタビ)ノ大変最甚キモノ水内(ミヌチ)更級(サラシナ)ニシテ上ハ筑摩(ツカマ)安曇(アヅミ)ヲ漫淩シ下葉埴科(ハジナ)髙井ヲ漂蕩ス槩(オホムネ)水災ノ所_レ及殆 ̄ト六郡人畜圧溺セラルヽ者亦仁和ノ厄ノ如シ今□以為古今未曾有ナリト僕コヽニ有_二
微志_一即ソノ境ニ到リ攀渉スルコト数次シ後遂ニ是図ヲ製シ竊ニ家筐ニ蔵メ聊 ̄カ後戒ニ便ゼントス事倉卒
ニ出 ̄ヅ精粗マタ見聞ニ任スト云 □□ 平昌言識 印
◯古伝 ̄ニ曰 推古帝十五年大仁《割書:六位|官名》鳥臣(トリノオミ) ̄ヲ往 ̄シム_二東国 ̄ニ廻 ̄リ_二箕野(ミノ) ̄ニ_一至 ̄リ_二科野(シナノ) ̄ニ_一治_二水内(ミヌチ) ̄ノ海 ̄ヲ_一至_二 上毛(カミツケ) ̄ニ_一治 ̄ム_二利根(トネ) ̄ノ海_一 ̄ヲ乃 ̄チ割 ̄リ_二戸河 ̄ノ瀧 磐(イハ) ̄ヲ_一入_二雁越(カリコシ) ̄ニ_一開 ̄ク_二栗柄 ̄ノ上邑(アゲロ) ̄ノ路 ̄ヲ_一云□
按るに水内郡水内邑は本郡初発の地にして上古に
水内の海と聞へしも此辺をいへるにや今なを北乃郡に大沼あまたあり
これそのなごりなるべし此地北は戸隠の険峻(けはしき)により東南に犀川を
帯ひ西に境川あり東に澣花(すくはな)川ありいはゆる島をなせり実に水内
橋の奇巧(たくみ)なかりせは便りなかるべしおもふにみぬちの名こゝに出し
にやあらん《割書:壒囊鈔 善光寺 ̄ノ来由ノ条 ̄ニ云信乃ハ高キ地ナルニ殊ニコノ郡ノ髙ケレハ水落ノ郡也トイヘレド我国|十郡ノ地最厚髙ニシテ天下ノ上流タリナンゾ是郡ヲ以テ髙シトセンオボツカナシ》
水内乃曲橋 《割書:又久米路ノ橋トモ云歌枕名寄ニ信乃トス又来目ノ岩橋ナド詠ルハ大和ノ葛城ニ在ト|拾遺集 埋木は中むしばむといふめれバくめじの橋ハ心してゆけ よみ人しらす》
◯日本紀曰 推古天皇二十年自_二百済国_一有_二化来者_一其面身皆班白巧 ̄ニ掛_二長橋_一 ̄ヲ時
人號_二 ̄シテ其人_一 ̄ニ曰_二路子エ_一 ̄ト又号_二 ̄クト芝耆麻呂_一 ̄ト云□
◯古伝曰 推古天皇二十年百済国 帰化(ヲノヅカラクル) ̄ノ人《割書:中略|如紀文》巧(タクミ) ̄ニ掛_二長橋_一令_レ造_下遣 ̄シテ_二諸国 ̄ニ_一三河国
八 ̄ノ脛(ハキ) ̄ノ長橋水内 ̄ノ曲橋 木襲(キソ) ̄ノ梯(カケハシ)遠江国浜名 ̄ノ橋会津 闇(クロ)川 ̄ノ橋 □【兜?】岩(カヒ) ̄ノ猿橋等其外一百八十橋 ̄ヲ_上
云□これらの説 出処詳ならざるのよしは先輩已に考按あれは今更に
贅(ぜい)するに及はずたゞその一二を抄略してこゝに掲(かゝぐ)るのみ
此地両山はなはだ狭り犀河の水たぎりて落かの北 涯(きし)の半腹(なかば)を
うがちて酉(にし)より卯(ひがし)へゆく事五丈四尺曲て南へ大橋をわたす長 ̄サ十丈
五尺広 ̄サ一丈四尺 欄基(らん)の髙 ̄サ三尺橋と水との間尋常にて凡
十五丈《割書:或云 三|十三尋》 碧潭(あをきふち)のみなぎるさまみるに肝(きも)すさまし
心してゆけとよみ【詠】しいにしへ【古】にそれなをかはらざりける
しかるに今災(こんさい)《割書:弘化|丁未》三月下旬 湛(たゝへ)水既に橋上数丈に及ひ
橋梁(はしげた)さかしまに浮みながれて穂刈(ほかり)《割書:村|名》の水面に漂(たゝよ)ふ
四月十三日崩流してゆく処をしらず《割書:下流奥 ̄ノ郡ニ|漂着スルモノ》
《割書:径 ̄リ三尺余長 ̄サ十丈余|コレソノ橋材ナルニヤ》此頃歩を徙(うつ)してかの遺跡に臨(のそ)み
里人についてこれを尋るに両岸《割書:立|岩》こと〴〵く
崩れ落残水たゝへてなを数丈再(ふたゝひ)架(かくる)の
術(てだて)ほとんど絶たりと嗚呼(あゝ) 稜谷(りやうこく)の変ある
千載の名蹟こゝにほろびんか又をしむ
へき事ならすや
穂髙(ホタカ)神社《割書:延喜式神名帳名神大|安曇郡穂髙邑ニ坐ス》
◯古事記曰 綿(ワタ)津見 ̄ノ神者阿 曇(ツミ) ̄ノ連(ムラシ)等 之(ノ)祖 ̄ト云□
◯姓氏録曰 安曇 ̄ノ宿禰 ̄ハ海 ̄ノ神 綿 積(ツミ)豊玉
彦 ̄ノ神 ̄ノ子穂髙見 ̄ノ命 ̄ノ後 ̄ト云□
此地草昧の時水を治め玉ひし神に
ませはその勲功(ミイサホ)かしこみて仰べし
【絵図の前書き?】
いはゆる川中嶋四郡ははじなさらしな
みぬちたかゐなり盛衰記東鑑等 ̄ニ云
しなの奥郡にして今も里云おくの郡といふ
恵比寿天申訳之あまりよきたいをつりしゆへ一 盃(ぱい)をすごし
記(ゑびすてんもふしわけのき)
我等諸神に留守居をあづかり罷居候ところ
たいすいニおよび候あいだをつけこみたちまち
かなめいしをはねかへし大江戸へまかりいで
蔵(くら)のこしまきをうちくづしはちまきを
はづし諸家(しよけ)をつぶし死亡(しほう)人すくなからず
出火(しゆつくわ)いたさせはなはだぼうじやくふじんの
しよぎやういたし候ゆへさつそくとりおさへ
ぎんみ仕候ところ一とうのなまづは身ぶるひして
大ニおそれ一言(いちごん)のこたへもなくこのときかしらだち
たるとみゆるものつゝしんで申スよふ
「おそれながら仰のおもむきかしこまり候也此たび大へんの
ことは一とふり御きゝ遊され下さるべし此義は申上ずとも御存の
義にしてはるなつあきふゆのうちにあついじふんにさむい日あり
さむいときにあたゝかなる日ありかくのごとくきこうのくるひ
有てかんだんの順なるとしは少く候今年最ふじゆんなから
ごゝくのよくみのり候は八百万神の御守り遊され候
御力による所也さて天地にかんだんの順のさだまり
ありてはるなつと其きのじかうことの外くるひ候ゆへ
わたくしともくにのすまひにては以の外おもしろき
じせつになりたりとわきまへなきものどもちん
しんのごとくくるひまはり候ゆへわたくしども
いろ/\せいとうをいたせどもみゝにもかけず
らんぼうにくるひさはぎ候よりつひに思ひよら
ざる日本へひゞき御しはいの内なる
ところをそんじ
候だんいかなる
つみにおこなわるともいはい
これなく候也され共わけて
御ねがひにはわたくしども
のこりなく御かりつくし候とも
そんじたるいへくらのたつにもあらねば
まつしばらくのいのちを御あづけ
下されこれより日本のとちをまもり
いかなるじかうちがひにてもこの
たびのごときことはもうとう仕らず
天下のたいへいごこくほうねんを
君が代をまもり奉り候べしと
一とうにねがひけるゆへわたくし
より御わび申上候ところさつそく
御きゝすみ下されまことに
もつてありがたく候
きやうこう十月のため
よつて苦難(くなん)のことし
自身除之守(じしんよけのまもり)
東方 西方 南方 北方
【悉曇文字】
各四方へはるべし
【悉曇文字】家の中なるてん上にはる 又守に入置
てもよし
【中央上、表題】
諸国温泉鑑【横書き】
行司
熊野本宮湯
伊豆温海湯
津軽大鰐湯
勧進元
熊野新宮湯
上州沢渡□湯
上州草津温泉図【横書き】
【中央下】
板元
桐林堂【横書き】
【右上一段目】
大関 上州草津之湯
関脇 野州那須の湯
小結 豆州湯川原湯
前頭 相州足の湯
前頭 陸奥嶽の湯
前頭 上州伊香保湯
前頭 信州諏訪の湯
前頭 仙台成子湯
前頭 最上高湯泉
前頭 秋田河内原湯
前頭 津軽嶽の湯
前頭 相州湯元の湯
前頭 豆州小谷の湯
前頭 会津天仁寺湯
前頭 越後松の山湯
前頭 南部恐山の湯
前頭 庄内田川の湯
前頭 岩城湯元の湯
前頭 米沢湯沢の湯
前頭 下野中善寺湯
前頭 秋田大滝の湯
【右上二段目】
同 陸奥飯阪の湯
同 南部鹿角湯
同 相州姥子の湯
同 豆州朱善寺の
同 仙台川たび
同 庄内温海の
同 津軽板留
同 会津滝
【以下「同」のみ八文字が並ぶ】
【右下】
前頭 同 津かる温湯の泉
同 米沢湯さわのゆ
同 豆州権現のゆ
同 会津熟塩ゆ
同 相州きかの湯
同 野州塩原のゆ
同 庄内ゆの浜の湯
同 信州別所のゆ
同 越後関の山ゆ
同 南部だいの湯
同 伊達ゆの村のゆ
同 もか□【み】ぎん山のゆ
仙台釜崎ゆ
米沢谷沢のゆ
南部浅水のゆ
【左上一段目】
大関 摂州有馬之湯
関脇 但州木の崎湯
小結 予州どふごの湯
前頭 加州山中の湯
前頭 肥後阿蘇之湯
前頭 豊後浜脇の湯
前頭 肥前温泉の湯
前頭 薩摩霧嶋湯
前頭 豊後別府の湯
前頭 肥後山家の湯
前頭 飛騨下良之湯
前頭 肥後ひな久湯
前頭 能州底倉湯
前頭 備中長府の湯
前頭 薩摩硫黄湯
前頭 紀州田辺の湯
前頭 但州湯川原湯
前頭 芸州川治の湯
前頭 紀州大ぜ治湯
前頭 加州白山杉の湯
前頭 伯州徒見の湯
【左上二段目】
【最初に「同」のみ八文字が並ぶ】
同 薩摩桜嶋
同 肥前竹尾の
同 石州川村の
同 周防山口の湯
同 肥前うるしの湯
同 越中足倉の湯
同 越後塩沢の湯
同 相州塔の沢の湯
【左下】
秋田こやすのゆ
薩摩関戸のゆ
相州宮下の湯
津がるやたてのゆ
信州ゆせのゆ
同 相州堂ヶ嶋のゆ
同 津かる浅虫のゆ
同 仙台あきうのゆ
同 越後出湯の泉
同 最上かみの山のゆ
同 信州浅間のゆ
同 相州そこ倉のゆ
同 上州老上のゆ
同 越後田上のゆ
同 つかる倉立のゆ
前頭 同 のう州足の湯
【表題】
富士山神宮麓八海北口正面略絵図
【本文】
夫三国第一富士山万国無双霊山
諸神仙元境たり故称【す】富士仙元大神
祭神三座
天津彦々火瓊々杵尊
大屋萬津美命
木花開耶姫命
加祭 小御嶽社
岩長姫命
素戔嗚尊
神記曰皇御孫尊天降【り】先【す】
娶【り】大山祇命之女開耶姫命を
三子【を】生【?】狭名田【の】稲を以【て】天甜
酒【を】醸し乳味【を】通し玉ふ安産を守り
又八尋殿【に】座【?】繊維【を】玉【ふ】是婦人
一道守護也然に人皇五代迄【は】
雲霧【に】被に【れ】圍世上奉る拝事を
不得同六代孝安天皇九十
二年庚申【の】夏漸雲霧晴【れ】
万国【の】貴賎奉【る】拝之同十二代
景行天皇五十二年皇子
日本武尊東夷御狩の時
富士山北口迄啓行被為遊
勅【る】命に此山南景に出現の山也
然広き子方より世人【に】可為拝
仮に大鳥居建立三国第一山と
勅額【を】奉掛右略焉也
【左端枠内】
当社大鳥居高さ五丈八尺五寸
大さ差渡壱丈五寸唯一本木也
御額大さ竪九尺横六尺楠板二
品親王の御筆則三国第一山
と有手水石一丈五寸に二間二尺
竪四尺七寸の石手水屋の柱
石也石橋一丈二尺【に】一丈六尺の
石以二牧為浮橋本道石燈篭
凡百五十対余右略焉也
【左下枠内】
富士山鈴原
壱岳より出
【本文中カッコ内のかなは、本資料でははっきりしないが、富士北吉田住 田辺豊久と署名のある同名・同文(各行の改行位置は異なる)文書の記述をもとに加えた。なお、参照資料の加祭に素戔嗚尊は載っていない。】
《割書:仁田|四郎》冨士ノ真体ヲ見ル図
楊斎延一筆
【タイトルなし画像のみ】
【タイトルなし】
【コマ1の裏面で東京大学図書館の蔵書印と整理番号が記されている。】
【タイトル】
上野国赤城山湯之沢全図
【俯瞰図上部中央】
赤城山
□□湯の
あたりに
□□
□□
□□□る
□□ゑや
□□□
より飛し
中教立斉藤高久
【俯瞰図左枠内】
【五段構成】
【第一段】
里程【大書右横書き】
【第二段】
鼻毛石へ 二り十丁【この行のみ枠外にはみ出し】
滝沢へ 十丁
三夜沢へ 一り
苗ヶ島へ 二り
大胡へ 三り
前橋へ 六り
伊勢崎へ 六り
境へ 七り半
赤堀へ 四り半
【第三段】
大間々へ 四り半
桐生へ 六り
足利へ 九り
佐野へ 十二り
館林へ 十二り
太田へ 九り
熊谷へ 十二り
深谷へ 九り
【第四段】
本庄へ 八り
新町へ 九り
高崎へ 八り
伊香保へ 九り
沼田へ 七り
岩宿停車場へ五り半
駒形停車場へ四り半
国定停車場へ五り
【第五段】
明治三十五年八月改正
群馬県勢多郡赤城山湯之沢
湯本新島屋 北爪源平【大書】
【タイトルなし】
【俯瞰図右上】
孛国【孛国:孛魯西:プロイセン】ドクトル「マルチン」氏分析表
伊豆国熱海鉱泉定性定量表
一鉱泉一千立方センチメートル即一リートル中
左ノ成分ヲ含メリ
コ【コ:ク】ロールナトリウム【塩化ナトリウム】三七九〇〇 コロールマク子シユム【塩化マグネシウム】二三三三〇
コロールカーリユム【塩化カリウム】一八一〇〇 コロールカルシユム【塩化カルシウム】一七六七〇
硫酸石灰【硫酸カルシウム】一九三〇 重炭酸石灰【炭酸水素カルシウム】〇〇〇四三
重炭酸亜酸化鉄【炭酸水素鉄】 三 珪酸〇一一〇〇
第一コロールマンカン【二塩化マンガン】痕跡 有機物 同
ブロームカーリウム【臭化カリウム】 同 ブロームナトリウム【臭化ナトリウム】 同
惣量一〇、〇一〇四カ【カ:グ】ラム
【俯瞰図左上】
当所ヨリ
東 京 廿七里 江ノ島 十五里
横 浜 廿 里 伊豆山 十八丁
小田原 七里 日金山 五十丁
箱 根 九里 修善寺 八里
三 島 五里 伊 東 五里
下 田 十八里 静 岡 廿一里
産物
一 雁皮紙 一 楠細工
一 挽物細工 一 塗物細工
□ 寄木細工 一 青木箸
木之葉形温泉化石
【画題】
富士(ふじ)参詣諸人(さんけいしよにん)下山栄(げさんのさかへ)
【右下署名】
印
芳盛
狂画
【升に古】ゑかつ【版元】
【左下署名】
【升に古】ゑかつ【版元】
芳盛
印 戯画
【右図左下署名】
【升に古】ゑかつ【版元】
芳盛
印 戯画
【左図左下署名】
印
芳盛画
温泉略記
長(なが)野(の)縣(けん)下(か)信(しな)濃(のゝ)國(くに)諏(す)訪(は)郡(こほり)北(きた)山(やま)村(むら)字(あざな)冷(ひえ)山(やま)の官(くわん)林(りん)中(ちう)に
一(ひとつ)の温(おん)泉(せん)あり抑(そも)信(しん)州(しう)地(ち)方(はう)ハ噴(ふん)火(くわ)山(さん)の脉(ミやく)絡(らく)を通(つう)ずるが
故(ゆゑ)に諸(しよ)方(はう)に温(おん)泉(せん)多(おほ)きが中(なか)に此(この)冷(ひえ)山(やま)の鑛(くわう)泉(せん)ハ去(さんぬ)る明(めい)治(ち)
十年中|獨(ど)逸(いつ)國(こく)の博(どく)士(とる)マルチン氏(し)の試(し)驗(けん)を受(うけ)て分(ぶん)析(せき)
せしに硫(りう)酸(さん)礬(よう)土(ど)加(か)里(り)。|硫(りう)酸(さん)石(せき)灰(くわい)。|硫(りう)酸(さん)苦(く)土(ど)。 挌(こ)魯(ろ)児(しる)那(な)篤(と)
□【「亻」に「留」の字】母(るも)。|挌(こ)魯(ろ)児(しる)加(か)里(り)烏(う)母(も)。の氣(き)を含(がん)有(いう)する物(もの)にして
其(その)効(こう)能(のう)に至(いた)りてハ
◯發疹(ふきで)◯小瘡(くさ)◯頑癬(たむし)◯經久頑固潰瘍(なほらぬくさきず)◯□【「疒」に「黴」の字】毒性骨痛(ほねがらミ)
◯瘰癧(るゐれき)◯疳勞(ひかん)◯耳漏(ミヽだれ)◯瘰癧性慢性(たいどく)角(かく)膜炎(めまい)
◯眼瞼潰瘡(たゞれめ)◯僂麻質私(ふうしつ)◯佝僂病(せむし)◯麻痺(しびれ)
◯感冒(かぜひき)シ易(はやき)キ癖者(からだ)◯白帯下(こしけ)◯月經不調(つきやくふじゆん)
右(みぎ)等(ら)の病(やま)ひを癒(いや)すに妙(めう)なれど其(その)症(しやう)に因(よつ)て冷(れい)熱(ねつ)の適(てき)量(りやう)
あるも此(この)鑛(くわう)泉(せん)ハ冷(ひえ)山(やま)の名(な)ある故(ゆゑ)か温(おん)度(ど)に乏(とぼ)しきを以(も)て焚(たき)沸(わか)し
て人(じん)體(たい)の度(ど)に適(てき)さしむ其(その)浴(よく)室(しつ)を三|等(とう)に分(わか)ちぬるきも熱(あつ)きも
来(らい)客(きやく)の好(この)む所(ところ)に從(したが)ハしめ宿(しゆく)料(れう)等(とう)も手(て)輕(がる)を旨(むね)とし苟(かりに)も疎(そ)
勿(こつ)にする事(こと)なけれバ花(はな)散(ちり)初(そむ)る春(はる)の暮(くれ)より避(へき)暑(しよ)の時(じ)節(せつ)を
盛(さかり)とし更(ふけ)行(ゆく)秋(あき)の月(つき)の頃(ころ)まで変(か)僊(は)る野(の)山(やま)の景(け)色(しき)を見(ミ)
ながら月(つき)日(ひ)を重(かさ)ねて入(にう)浴(よく)あらバ前(まへ)に掲(かゝぐ)る効(こう)能(のう)の他(ほか)にも種(しゆ)々(〴〵)の
奇(き)効(こう)ありて熱(あた)海(ミ)。|箱(はこ)根(ね)。|草(くさ)津(つ)。|伊(い)香(か)保(ほ)の名(な)に負(お)ふ温(いで)泉(ゆ)に譲(ゆづり)
ぬ迄(まで)如(い)何(か)なる病(やまひ)も全(ぜん)快(くわい)すれバ遠(とほ)きを厭(いと)ハず御(ご)来(らい)車(しや)を冀(ねか)ふ
信濃國諏訪郡原村
湯本起業人 行田長右衛門出店
東京大学図書之印
0011842481
下野国那須湯本図
泉亭蔵板
【タイトル】
野州日光山温泉図
【本文】
□湯
河原湯 大熱
純子湯 中熱
中 湯 大熱
滝 湯 冷
姥 湯 熱
御所湯 冷
笹 湯 中熱
自在湯 冷
荒 湯
右効能は温泉記に詳なり
求て知るべし
【右図は1/2で翻刻済み】
【左図左下署名】
五雲亭
貞秀筆
印
印
どらが如(によう)来(らい)世(よ)直(なほ)しちよぼくれ
やんれどらがによらひヤレ〳〵〳〵〳〵ちよぼくれちよんがれそも〳〵かんじん
鹿嶋(かしま)にまします神(かミ)はせかいの色事(いろごと)でいりで出雲(いづも)へござつたおるす
の二日(ふつか)の夜(よる)の四(よ)ツ時(どき)青(あを)くきろくぴつかり光(ひか)つたどゑらいとび物(もの)
北(きた)から南(ミなミ)へ往(ゆく)をあいづかめつほうかいなまつほうかいな地震(ぢしん)のはなしを
聞(きい)てもくんねへ花(はな)のお江戸(えど)ハ申すに及(およ)バず関八刕(かんはつしう)から近郷(きんがう)近(きん)ざい
大地(だいぢ)が裂(さけ)たりどろがふいたり棚(たな)から落(おち)たる大(おほ)きなゑんぎハひつくるけつ
てもでんぐるけつても如亀(によつき)り立(たて)ども屋根(やね)の瓦(かハら)やどざうのかべつち
落(おち)てハたまらぬ家(いへ)ハ門(かど)並(なミ)つぶれてたほれてこいつハことだとあハてゝ逃(にげ)
出(だ)しや梁(はり)やひさしをしよつてかついてすべつて轉(ころ)んでひはらをうつやら
片(かた)うでくぢいてかた足(あし)すりむきちん〳〵もか〻で踏(ふミ)ぬきよするやらねだから
どつさりはしごを轉〻(ころ〳〵)轉(ころ)げて倒(たほ)れておやぢハはいだしばゝアハ腰(こし)がぬけ猫(ねこ)ハとびだし
しやくしハはねだしうつゝいあねへが白(しろ)い内(うち)もゝ黒(くろ)いもんじいが見(ミ)えてハたまらぬ
野宿(のじゆく)のすきはらかゝへておさへてあしたになつたらひつつぶれておつつぶれた
ほとけのさハぎで早桶(はやおけ)がハりに四斗樽(しとだる)ちやばこやさとうの入もの
まだしもひどいハ用水桶(ようすゐおけ)だよ青(あを)ごけだらけのぬめりも取(と)ら
ずにむしやうと押(おし)こミゑんさらほいの車(くるま)やぎつちらこの
お舩(ふね)でやつても何(なん)でもおてらの和尚(おしやう)がおふせのふそくに
にがい顔(かほ)してお経(きやう)どころか引導(いんどう)ハさて置(おき)木魚(もくぎょ)もたゝかず
半鐘(はんしやう)も鳴(なら)さずそつくり其(その)まゝやきばへおくれバこいつも
こんさつ佛(ほとけ)の大入(おほいり)番附(ばんづけ)さハぎて十日もたゝねバやけないなんのと
おんぼうが大(おほ)ふう夫(それ)からそろ〳〵のぢんの人達(ひとたぢ)夜風(よかぜ)の寒(さむ)さに
腰(こし)がひへるのせんきやすバくが天窓(あたま)へのぼつてかとがつゝはりひたへが
ひツつり血(ち)の道(ミち)頭(づ)つうに風(かぜ)をひくやうくさめといつしよにおならが出(で)るやら夜(よ)つゆと
霜(しも)とで夜着(よぎ)もふとんもびつしよりぐつすりぬれてゞあハてゝ役(やく)しやハたび立(だち)げいしやハ燗酒(かんざけ)
はなしか太夫(たいふ)ハつちをかつぐのなんのかんのとまご〳〵するうち仮宅(かりたく)さハぎで
【下段へ】
手(て)のあるおいらん下(した)からくる〳〵まハしてもちやげりや
それにハこりたとお客(きやく)の悪口(わるくち)ヤレ〳〵ちよんがれそう
かうするうち
こめやしよしきの
さうばがさがつて
唐人(とうじん)ばなしハ
どこへかなくなりこれでハ
世(よ)のなかはうねんまんさく
おどつてさハいて親子(おやこ)三人(さんにん)間男(まをとこ)
三人(さんにん)寐(ね)てゐて
お金(かね)がまうかる
などゝハさり
とハ
うれしい
めでたいことだよヤレ〳〵〳〵〳〵
きミやうちやうらい
ホヽウイ〳〵
【裏】
【タイトル】
有馬市街之図
【俯瞰図上に本湯改良建築と炭酸水飲用所建築の図を掲げている】
【俯瞰図左側に本文と付近の道路地図】
【道路地図の上】
○\t舒明天皇御製
みか月の塩湯にうつる影見れは
かたわもなをる七日〳〵に
○\t花山院御製
有馬富士麓の霧は海に似て
浪かと聞は小野ゝまつ風
山掩日光尽尚昏陰々恰作別乾坤
若微冷熱両泉出寂々寥々一水村
近衛霞山
養痾愛此地幽問春去夏来猶未還
浴後浴前無一事□【霊?】意終日対青山
常盤井桐陰
達峯畳々自天関孤客小棲閑対山
秋気谿辺清到骨青松又与浅紅斑
井上世外
名山重到似帰家且喜楼居結構加
一事猶然浴奮例争斉緒来乞塗鴉
重野成齋
山水依然歩々軽喜望落葉奮詩盟
前遊三度吐長夏不似楓樹待此行
清岡東望
脩竹万竿君子居野梅千対美人家
主翁終日何為晨朝在山中夕水涯
鳥尾得庵
たに水も安すきなかれの
有馬山山おもしろきところな
りけり 山懸無隣
秋【わ當?】春のけしきに勝りけり夕日
に照らす峰の楓葉 後藤
山気日夕佳飛鳥相□還 後藤牧長
清々首陽節楚々江湖魂 挋野愛州
たちならふ松の梢をさし出てゝ
塩原山にみちる月かけ 土井無膓
馬山終日雨重大也蕭然何用登山
高労地中有薬泉 稼亭
重巒四面一渓録竹頼泉声山院閑
夕浴正終憑欄處灰形峯翠滴担間
簾雨
【道路地図の下】
我昔官摂西常苦夏熱煎三伏官暇除例
入馬山民馬山有宝池神功出霊泉炎毒
可以消沈痾可以痊況又渓山美画絶断
□緑古寺雲樹表楼閣奇巌前人間有此
境不復羨神仙陳迹帰一夢脩□忽七年
○再落□□裏日為俗累纒山中有故人
頃日鼓箏□□勤励再遊高情不我□賦
詩謝故人三歎独自□再遊不可期□首
望西天
○有馬邑長梶木氏属寄書促我再遊我
未果行賦之□謝
明治十五年一月
淡崖迂夫
二上リ 有馬名所歌
有馬名所は薬師にはたご冨
士の朝雰亀の尾のつゝみの滝
や落葉山清水いなり鳥地
獄糸細工竹細工一の湯と
二の湯との湯つほにい
らさんせ
同新歌
名所ありまの其場所とへは
炭酸水とあなむちの水は
名にあふ高さこや秀吉公の
手水鉢住よし道の洞の
もん蜘蛛の滝つふて石瑞
宝寺を御覧あれ
【炭酸水の瓶のイラスト】異国まで鳴りひゞき
たる鉄砲水わき出るたまは口薬りにて 発見人
梶木
名所並に産物表
鼓ヶ滝 亀の尾 炭酸泉
清 水 鳥地獄 薬師堂
有明桜 瑞宝寺 落葉山
巳尊清水
○
湯之花 竹細工 竹皮箱
筆 墨 花山椒 越天楽
川 鹿 松 茸 香 茸
湯染手拭
【左上図のみ翻刻】
桜川橋の眺望
【一資料ずつ別項目になってい為、以上。】
【参考に残りは 上野の暮雪。景島夕照。金時山秋月】
【タイトル】
冨士山禅定図
【本文】
仁王六代孝安天皇九十二庚申年漏出
秋葉山蹲踞山秘密□祇金亀也
御影山妙高山来集山
天童山不人山四方山
般若山養老山不盡山
不老山四面山仙人山
影向山七宝山和合山
後山蓮華峯
冨士山郡名トス不二山《割書:モ|ト》書
頂上八葉嶽
一嶽地蔵
二阿弥陀
三観音
四釈迦
内院両界
曼陁【陀】羅
胎蔵界
大日如来
五嶽弥勒
六嶽薬師
七嶽文殊
八嶽宝生如来
八葉九尊
五智四菩薩
五大明王五大力菩薩
八大金剛童子
一千弐百余尊
開山役行者大菩薩
ん あ
【タイトルなし】
【コマ一の裏、左上角に冨士山絵図との書き込みあり】
【上段右 表紙相当】
五大葊 吉泉子選
《割書:震火|水雷》身要慎
安政二卯年十月二日改 泰平堂版
【地図二葉】
江戸地震大花眞図
以下 省略
【上段文二枚目】
夫(それ)天地(てんち)に不時(ふじ)の異変(いへん)あり且(まづ)雷(かみなり)大風 強雨(つよきあめ)地震(ぢしん)洪水(おゝみづ)突波(つなみ)其外天
変(へん)地夭(ちえう)いろ〳〵あり失火(しつくは)の事は其身(そのみ)の麁漏(やりつけ)おこたり油断(ゆだん)等より
おこる所なれば天命(てんめい)にあらずされば此度(こんど)の如(ごと)きは前代未聞(ぜんだいみもん)の珍(ちん)
事(じ)にして大地しんの中にて江府(ごふ)内(ない)四方に失火(しつくは)して一時(いちじ)の騒乱(さうらん)いふ
べくもあらず斯(かく)のごとき折からいかなる大勇(たいゆう)智者(ちへしや)にても些(わづか)の失念(しつねん)
なしといゝがたし況(いはん)や凡夫(ぼんふ)におひておや是皆(これみな)平常(つね〴〵)より其(その)心得(こゝろへ)
なきゆへにして過(あやまち)有(あり)は後(のち)悔(くやみ)てかへらず此書(このしよ)は志(こゝろざ)しあらん人
よみ得(え)て妻子(さいし)下人(けらい)又は他(た)にも其(その)たしなみに諭(さとし)置(おき)て若(もし)已来(このゝち)
変動(へんどう)もあらん時(とき)急(にはか)の周障(あはて)騒動(まごつき)なく怪我(けが)等(とう)の憂(うれい)もなき
やうの為に粗(あらまし)を記(しるし)はべり猶(なほ)もれたるは後篇(かうへん)に出(いだ)す
地震(ちしん)の節(とき)心得(こゝろへ)
▲今安政二卯年十月二日夜四時江戸表大地震在之其中に
火災(くはじ)起(おこり)て凡(およそ)三十余所より燃(もへ)立 類焼(るいせう)の町々 数(かづ)もしれず常は火災
を凌(しの)ぐ土蔵 悉壁(みなかべ)を揺落(ゆりおと)し骨(ほね)を顕(あらは)したる所ゆへ火のうつる事
最(もつとも)速(はや)く子 刻(こく)に到(いたり)ては四方の火勢(くはせい)盛(さかん)になり虚(そら)に映(うつり)白昼(まひる)のごとし
偖(さて)又家蔵の潰(つぶれ)たる下に敷(しき)込(こま)れたる人あれ共自身に出ること成がた
く是を救(たすけ)んと思へ共 初(はじめ)の地しんに肝(きも)を潰(つぶ)し十分 臆(おく)したるうへ
所々の火勢に気を呑(のま)れ人心地更になきものから老(としより)たる人妻子の
差別(さべつ)なく救(すく)ふ心もつかず稍(やう〳〵)其身一つを脱(のがれ)出たるのみ也右のごとく
限(かきり)なき騒乱(そうらん)なる故(ゆへ)死亡(しぼう)怪我(けが)人家蔵の破損等(はそんとう)は算尽(かそへつくし)がたし
身 二 【折り返しカ】
此(かく)のごとき異変(いへん)は鎌倉時代 已来(このかた)是なき不祥(ちんし)なれば当代の人に
心得たるものなきは全太平に年を経(おくり)て乱(らん)を思ずといふがごとし
遠き昔はさしおき文政十二年七月二日京都大地震其後に
七十余日の間ふるふ弘化四年三月信州嘉永八年相州小田原
伊豆下田其外にも有べし右等の変動(へんどう)はいつといふ告(しらせ)も無ゆへ
かねて心得有べし夫(それ)大地震有とも半時も揺(ふるう)ものにあらず少(わづか)
たばこ一チ二ふくの間(うち)也是は地気の発(はつ)して止(やむ)所也
▲俄(にはか)に地しん有時は人皆 駭(おどろき)うろたへ騒(さはぐ)こと常也夫人間は事に臨(のぞみ)て
覚悟を定るべし一代の間此心なくて叶(かな)はず扨 我家(わかや)他所にゐる
とても方 位(がく)と地の利 土地(とち)の容体(ありさま)を考(かんがへ)を専一とすべし
【黒枠の表】
省略
【下段左へ】
【下段文三枚目】
▲地しんの時立 騒(さわ)ぐこと最(はなはだ)わるし但し其家のの形容(ありさま)に因(よる)へし板やね
平家等ならば弥(いよ〳〵)迯出ること凶し物の落ざる所に座しいるべし
たとひ其家 倒(たふれ)たり共ふとん一枚をはね除(のけ)る程なれば必(かならず)騒(さはぐ)べからず
▲迯(にげ)出るに深く心得あり物急なるゆへあはてうろたへ足をふみくじき
打 転(ころび)其上に瓦 落(おち)て大 疵(きつ)を受又は梁(はりの)落て一命の危きにいたること此度
所々に多く有を以 察(さつす)べし依之(これにより)駈(かけ)出ることは宜々(よく〳〵)考(かんがへ)有べし信州の
地しんの時堂内又はたごやに落着(おちつき)居たるものは無事(ぶじ)也うろたへ駈(かけ)出(だ)す
もの大地のさけたる所へ落(おち)入又は土蔵 或(あるひ)は屋敷 建(たて)家の崩(くづ)るゝこと一どき
なるゆへ屋上の軽(かる)き所に潜(ひそみ)いるをよしとす猶又其時宜を量(はかる)べき也
▲立 退(のく)には四方に高き建物(たちもの)なく平安に空(あき)地へ安座(かりの)すべし海川近き
身 三
所へ行べからす老人(としより)女子小児は湿(しつ)気を受ざるやう寒(かん)気を凌(しのぐ)を第一とす
四方を囲(かこひ)上を覆(おゝ)ひ下には疊を竪横に厚(あつ)く重(かさね)て敷べし大地 裂(さける)とも
落入(おちいる)事なく下より地気を受ず猶此時におひて風 邪(ひき)持病(ぢびやう)をおこし
苦(くるし)み悩(なやみ)たり共薬等も思ふやうに取寄がたく医師を招(よび)ても急(きう)の間(ま)に
合ざるを以知べし諸人地震に恐(おそ)れたる所ゆへ気力もなく日 比(ころ)の強勢(ごうせい)も
頼(たのみ)にならず唯々(たゝ〳〵)其身を慎(つゝしみ)用心専一とするより外あるべからず
▲立 退(のき)たる後(のち)は我家(わがや)の戸じまりも凶(あし)く自然(おのつから)紛失(ふんじつ)物の無にあらずまた
火の用心等を思ひ下人有身にても主人 時々(よう〳〵)見廻るべし且又住居の
四方を宜々(よく〳〵)観察(くはんさつ)すべし若(もし)近辺(きんべん)に危(あやう)きこと怪きこと等見受なば其
心得有べし騒乱(そうらん)の時なれば万事にゆだんすべからず
【下段文四枚目】
▲地しんの時にかいにいる人は急(にはか)に下(おり)ること凶(わる)し此度(こんど)吉原にて脱(のがれ)たるもの
多は二かいにいたる也 揺潰(ゆりつぶし)たれ共 其荷(そのに)もかるく取除(とりのけ)るにも早く救(たすけり)
に仕安(しやす)し夫(それ)大地の裂(さけ)る事も有共上より物の落ることを能(よく)考(かんがふ)べし
▲凡(およそ)大地しんは余(のこりの)動(ひゞき)急(きう)にしづまることなし京都の地しんは七十余日信
州は三十余日相州は半月 斗(ばかり)の間少しの震(ふるひ)ありされば此度とても
十月二日より十日に及て其気(そのき)去(さら)ず一日に二三度づゝ揺(ゆる)ことあり初(はしめ)の大
震(ふるひ)に気勢(きせい)抜(ぬけ)たれは其後は強(つよく)揺(ゆる)事なし此 趣(おもむき)を婦人(おんな)小児(ことも)下人(けらひ)
に至(いたる)迄 能々(よく〳〵)申 聞(きか)し置(おく)べし些(わつか)に揺(ゆり)出(だ)してもスワト騒(さはき)立(たつ)ゆへ怯弱(よはき)
人 小児(こども)婦人等は 病(やまひ)を起(おこ)し看病(かんびやう)も届(とゝき)がたし其(その)難義(なんぎ)いはん方なし
是皆(これみな)弁(わきまへ)なきものゝ業(わざ)なるゆへ咭(きつと)戒(いましめ)置(おか)されば後(のち)に大成 災(わざはい)あり
身 四
▲魚(うを)は水中(すいちう)に居(い)て水(みつの)有ことをしらず人は気中(きちう)に住(すみ)て其気(そのき)をしらす眼前(がんぜん)
其 證拠(せうこ)あり且(まづ)鳥類(てうるい)の物の上に留(とま)りいる時に地しんありたるを見るに
人間(にんげん)のごとく等(ひとし)く揺(ゆう)れてひよろ〳〵なす此時 空中(くうちう)へ飛上(とひのぼ)らは宜(よか)るべきに
其こと叶(かなは)ざる證(しるし)あり空中(くうちう)を飛(とび)いる鳥の羽(はね)づかひ乱(みだ)れ忽(たちまち)下へ落(おちる)なり
天地の間(あいだ)は陰陽(いんやう)の気(き)充満(じうまん)して人畜(にんちく)艸木(そうもく)を養(やしなふ)也 然(しかる)に寒暖(かんだん)の気の順(じゆん)
なる時は天下(てんか)無異(ぶい)之 不順(ふじゆん)より地下(ちのした)の気順(きじゆんなり)がたく其(その)凝(こり)たる所の国は大に
揺(ゆる)也 其間(そのうち)に大地さけて地気(ちき)発(はつし)散(さん)ずる時は地しん止(やむ)也 然(しかれ)共(とも)信州の如(ごとく)
山々 多(おふ)き土地(とち)は裂(さけ)破(やぶれ)る事 遅(おそき)ゆへ破(やぶれ)るゝ迄 揺(ゆり)通(とふ)すゆへ其間(そのま)も長し
江戸の地は山もなく林(はやし)森(もり)浅(あさ)く海川(うみかは)の形(かたち)も備(そなは)り水道(すいどう)筋(すじ)竪横(たてよこ)に渉(わた)り
有ゆへ地気(ちきの)平生(へいせい)に立巡(たちめぐり)り凝(こる)程(ほど)に到(いたら)ざれば大地しんは最(はなはだ)少(すくな)し
【下段文五枚目】
此度のごとき変動(へんどう)は気候(きかう)の不順(ふしゆん)はなはだしきのみには非(あらざ)るべし猶(なを)是等
の利論(りろん)現證(げんせう)を以 後篇(かうへん)に出すべし且(まづ)右のごとく地脉(ちみやく)の薄(うす)き国ゆへ
大揺(おふゆり)長動(なかふるひ)は有べからず江戸つ子の大丈夫(だいぜうぶ)に落着(おちつき)て騒(さはぐ)べからす
失火(しつくは)の心得
▲武家(ぶけ)大家(たいか)には非常(ひぜう)道具(とうぐ)を備(そなへ)有ゆへ防方(ふせきかた)消方(けしかた)も速(すみやか)なるべしもし
中方(ちうはう)已下(した)にては消(けし)道具(とうぐ)もなく人数 小勢(こせい)なれば水の手廻りかねて
終(つひ)に大火となり類焼(るいせう)多く他家(たけ)の迷惑(めいはく)となること多し扨又小火
の時は古着(ふるぎ)かふとんの類を水に浸(ひた)し打消(うちけす)べし隣家(りんか)外方へ遠慮(えんりよ)して
我(わが)一家(いつか)にて消(きゆ)る程ならばよし若(もし)コハ叶はずとしらば声を上て近辺(きんへん)おば
呼寄(よびよせ)るべし此心得 専一(せんいち)也 多勢(おふぜい)となれば水の手もよく廻り諸方へ手
身 五
くばりもよく届(とゞき)て自(おのつから)消(けし)安(やす)し唯々(たゞ〳〵)常より火の用心するより外なし
▲近火の節は風筋(かせすじ)と火勢(くはせい)を観察(くはんさつ)すること第一とすべし下人有ものは夫々
下知(さしづ)して物を取(とり)納(おさめ)類焼(るいせう)を逃(のが)る術(てだて)を専(もつはら)すべし小家(せうか)にては老少(ろうせう)女人
等に相応(そうおう)の品を持(もた)せ前(さき)へ迯(にが)すべし弥(いよ〳〵)火急(くはきう)とならば物(もの)悋(おしみ)欲心(よくしん)とう
有べからず飛(とん)で火に入 夏(なつ)の虫(むし)といへる譬(たとへ)あり些(わづか)の物に執着(しうぢやく)し危(あやうき)に
臨(のぞみ)て過(あやまち)せしこと常に能(よく)いふ所也 此度(こんど)右等の怪我人(けがにん)多を以しるべし然共
主(しう)師(し)親(しん)等の上に拘(かゝは)る節(とき)は等閑(なをさり)成がたし其 時宜(しぎ)を量(はかる)べし
▲火中に包(つゝま)れ脱(のがれ)がたきときは我(わか)着物(きもの)を水に能(よく)ひたし頭(あたま)よりかぶり目斗(めばかり)
出し火の少(すくな)き中を駈(かけ)出る也 此事心付たるにや吉原にて右の如して
脱(のがれ)たる上女三人を同様して救(たすけ)たる人あり如此節(かやうのとき)はうろたへるのみにて
【下段文六枚目】
よき分別(ふんべつ)は出ず九死(きうし)の場(ば)にて一生(いつせう)を得(え)るは覚悟(かくご)による所としるべし
突波(つなみ)洪水(かうずい)の心得
▲突波(つなみ)に二つあり地しんにて海底(うみのそこ)迄 揺動(ゆりうごか)すゆへ海水(うしほ)騒立(さはきたち)近村(きんそん)へ瀑(あばれ)
上る事 一時(いちどき)なるゆへ此(この)急変(きうへん)は最(はなはだ)危(あやう)し既に下田の騒動(そうどう)にて知(しる)べし
如斯(かくのごとき)節(せつ)にも地勢(とちのさま)と方位(ほうがく)の観察(くはんさつ)すべし此事に疎(うとき)きものは脱(のがら)るゝこと
成がたし偖(さて)右の異変(いへん)と見る時は欲(よく)を棄(すて)父子上下を引つれ高き土
地の安体(あんたい)なる所をえらみ立退(たちのく)べし其節(そのとき)は家内の人数(にんず)散乱(さんらん)なき
やう心懸(こゝろかけ)べし一人ふそく成ても安心成がたし常々 宜(よく〳〵)申聞置べし
▲下総国中川御番所の手前なる浮田(うきた)舟堀(ふなぼり)の辺(へん)は暴雨(おふあめ)の節(とき)洪水(かうずい)の上
陰風(しけ)風(かぜ)強(つよ)くして海(うみ)川(かは)の水を吹上(ふきあげ)民家(みんか)の床(ゆか)の上へのり諸品(しよしな)を流(なが)し
身 六
難義(なんぎ)すること度々(たび〳〵)也 此時におひて里(ところの)人(ひと)は弁利(べんり)安体(あんたい)の地をえらみ此(この)災(わざはひ)
を脱(のが)るゝ也二かいへ上り又は屋根(やね)或(あるひ)は木へのぼるなど有共 何(なん)ぞ安心なる
べき下田のごときは家土蔵共に打倒(うちたを)し海中(かいちう)へ引入ることなれば少(ちつと)も頼(たのみ)
に成がたしされば時宜(しぎ)により観察(くはんさつ)の速(すみやか)を以 専要(せんやう)とすべし
▲地震(ちしん)大雷(おふがみなり)失火(しつくは)洪水(あしみづ)等(など)に限(かぎ)らず異変(いへん)ある時は酒を吞(のむ)事
慎(つゝしむ)べし酔人(なまよひ)と成ては万事 麁漏(づろう)になり下人(けらひ)有人にても諸事(しよし)
差図(さしづ)の届(とゝき)がたき上 過(あやまち)せしもの此度(こんど)多く見へたり尤(もつとも)動乱(とうらん)の中(なか)
なれば体(からだ)の疲(つかれ)も有ゆへ物鎮(ことしづまり)まりて後(のち)に呑(のむ)べし唯々(たゞ〳〵)空腹(すきはら)に
ならざるやう飯(めし)の用意(やうゐ)をいたしいかなる異変(いへん)有共こまらざる
やうの心懸 専要(せんやう)也 猶(なを)是にもれたるは後へん出し候間可被下御覧候
抑々富士山は人皇六代
孝安天皇の御時一夜に
あらはれたもふ御山に
して其後やまと
だけのみこと御山
をふみひらき
三国第一の
御がくをかく
せたもふまつ
る神は木の花
さくやひめの尊
れいげんあらた
なる事諸人しると
ころなり六十一年目庚
申の年には男女とも登山
いたす当年 御ゑんねん
の事なれば男女とも
さんけいくんじゆ【群集】なす
当七月中旬いこく人
ふじ山へ登山いたしたき
むね相願右いこく人ふじ
山とざんいたし候ところ
七合五勺めころに
相なりにはかにくも出る
かと見へしが風ふき出しくもの中にてわれ
こそは御山の中ころにある小みたけ石そんなり
御山は日本第一のあらたなる れいざんなりいじんは
登山すべからずはやく下ざんいたすべしと御こへ有し
とかや
《割書:上方(かみがた)|震下(しんくだ)り》瓢磐(ひやうばん)鯰(なまづ)の化物(ばけもの) 一名(いちめう)《割書:難獣(なんぢう)|といふ》
安政二乙卯十月二日夜興行
須弥山(しゆみせん)の地底(ちてい)に大鯰(おゝなまづ)住(すめ)り変化(へんげし)て四足(しそく)全躰(ぜんたい)をなす是(これ)を難獣(なんぢう)と云 一度(ひとたび)首尾(しゆび)を動(うご)かす時(とき)は泰山(たいさん)を抜(ぬき)
蒼海(そうかい)を干(ひた)し宮殿(きうてん)樓閣(らうかく)堂塔(どふとう)伽藍(からん)太家(たいか)庫倉(こそう)を破損(はそん)し躰(たい)より火(くは)ゑんをいだす事いと
おびたゝしく其(その)阿云声(うなりごへ)百千の雷(いかづち)も物かは南圓(なんゑん)浮臺(ぶだい)をくつがへすかとおもはる世界(せかい)の人(じん)
民(みん) 是(これ)が為(ため)に居(い)ところを破(やぶ)られ財宝(ざいほう)をうしなひ万歳楽(ばんざいらく)〳〵〳〵〳〵と怖(おぢ)おそるる事
雷爺仁(かみなりおやじ)に勝(まさ)れり
全躰(ぜんたい)は「面(おもて)」鯰のごとく口より火炎(くわゑん)をふき身より火を出す事三十七ケ所
「頭(かしら)」土蔵の家根(やね)に似たり「背(そびら)」背中(せなか)は瓦をならべたる如くまた家根 板(いた)の
如きところもあり躰(たい)を震動(ゆりうご)かす時は背中の瓦八方へ飛散(とびちり)粉(こ)の如く
こけらの所はさまての事なし「腹(はら)」のうちには臆病(おくびやう)と
いへる病(やまひ)ありておのが住家(すみか)に居(い)る時は身うち
すくみて自由(じゆう)をなさず依(よつ)て夕(ゆふべ)に臥(ふす)時は往還(おうくわん)に
野宿(のじゆく)す「足(あし)」は四本の柱(はしら)に似て
ゆら〳〵として一向(いつこう)に役(やく)にたゝず
常(つね)に丸木を杖(つえ)の如くにして
からばりと号(なづけ)よふ〳〵建(たつ)ている
なり「尻尾(しりを)」は大浪(おゝなみ)の寄(よす)るがごとく
此尾にさはる者は共に巻込(まきこま)れて
地ごくへ店替(たながへ)をなし土(ど)左衛門と名を
改(あらた)むるなり此尾を津浪(つなみ)とよぶ恐(おそる)べき難獣(なんちう)なり
○抑(そも〳〵)此 獣(け)ものは神代の暦世(むかし)豊秋津洲(とよあきつす)に蟠(わだか)まりて時々出て
人民(じんみん)をなやめたるを天下しろしめす皇太神(すめおんがみ)鹿島(かしま)の神に神詫(しんたく)
ありて石の御坐(みまし)《割書:俗に|要石》をもて其 頭(かしら)をおさへ動(うご)かし給はず依(より)て此 難獣(なんぢう)の△
△患(うれ)ひなく
ゆるがぬ御代と
栄(さかへ)つゝ諸(しよ)人 万歳(ばんざい)
楽(らく)をとなへたり
されども諸神(もろかみ)の居まさぬをりは僅(わづか)にその身を動(うご)かすに諸人万才
楽と称ふればその難(なん)をのがるとかや然るに此 変化(べんき)時を得て今時(ことし)
十月 八百万(やをよろづ)の神達(かみたち)出雲(いづも)に御幸(みゆき)させ給ひし閑(ひま)を窺(うかゞ)ひ地中に動揺(どうよう)
して三千六百の町々家蔵を破損(はそん)する事大かたならずしば〳〵世界(せかい)
をくつがへすかと思はれし此事御 留守(るすゐ)居の蛭子尊(ひるこのみこと)《割書:夷|神》より出雲國へ
火急(くはきう)の御 告(つげ)に皇(くわう)太神の御 指揮(しき)として鹿島の神 宕愛(あたご)【愛宕の反転ママ】山の次郎坊
只一時にお帰国(きこく)まし〳〵この難獣(なんぢう)をおさへたるかんじん要(かなめ)の礎(いしづへ)に世は
盤石(ばんじやく)の如くなるべし
【左上】
出雲國(いづものくに)大社(おほやしろ)
におゐて八百
万神(ばんじん)狼藉(らうせき)を【草冠+狼】
怒り給ふ
天照太神御詫
寸 善(せん)尺(しやく)魔(ま)で
此方の連中(れんちう)が壹月
いぬとまたぬら
くら者めが
あばれおつた
鹿島をさきへ
かへした
がよかろう
〽つまごひとのは
おるすでも
おてぎはじや
地しんも火事もしん
るいだからおちついて
いたらたしぬけをくら
わせおつたアヽ
まんざいらく
〳〵〳〵
【右下】
鹿島太神宮
サア〳〵ゆら
しつて御ろうじ
まし騒動(そうどう)にて
は非常(ひじやう)あはれ
大 焼(やけ)にては勘(かん)
當(どう)ゆり店(みせ)は
しろもの丸で
そん御當所に
おゐて元禄年
中に難(なん)にあひ
ましたる鯰(なまづ)
の化(ばけ)物 天災(てんさい)
といふ獣(け)もの
で厶り升
喜怒(きど)せん
わづか
難渋見聞(なんぢうみもん)
土蔵の近隣(きんじよ)は
友崩(ともくづ)れおひやう
ばんじや
〳〵〳〵
【左下古書店の価格票】
珍奇資料専門集収所
四圓也【書入あり 32a?】
帝大赤門前 木内書店
【左下上の価格表】
珍奇資料専門集収所
帝大赤門前 書林 木内誠
【左下】
0011841657
東京大學圖書之印
【右下に2/4と同じ価格表の折り返しあり】
【古書店価格表裏面】
245c?
220分?
嘉永七甲寅年十一月五日
摂津大津波次第
▲五日七ッ時より沖雷のごとく
うなりつなみと相成高さ
壱丈余りの大浪打きたり
寺島近辺勘助しまなんば
嶋天保山大つなみにて皆々
家根へ上り又はふねをかり
家内をのせ候ふねは皆々
命をうしなひ舟のり
船頭其ほか女子とも死人
其数しれずつなみにて
道とんぼり下日吉はし
より唐金ばし【汐見橋の別名】幸ばし
住吉ばしまて四つの橋
押おとし大こくばしまで
千石已上以下の北米船凡
百ぱいばかり入こみ釼先【けんさき船のこと】
茶ふね天満なとはみな
下敷に相なり堀江川下
水分ばし黒金はし長ほり
下高ばし安治川ばし
みな〳〵橋押おとし又所々に
死人あちらに三人こちらに五人
女子供死害其数しれず
つなみ五日夜五ッ時に差おさ
まり安治川へん橋のこらす落る
其こんざつ筆紙につくしがたし
おそるべし〳〵〳〵〳〵
未地震おさまり
申さず事
古今稀代の珍事なり
【挿絵内】
大地震の略図
十一月四日朝
五ツ時ゟ又
五日七ツ時大
地震にて所々家々
先に地震にてそんじ有所
押たをれ候事数しれず
▲天満天神社内ゟ西寺町
福しま天神五百らかん
願教寺門くづれ
あはざ戸や町辺ざまの
鳥居落御堂の損じ
順慶町丼池塩町
さのやばしへん死人二人
高津寺町安治川
亀井はし
堺市中
奈良
南河内
尼□□
わたし
其余こゝに略
【挿絵地図内】
北安治川 安治川はし
南安し川
寺じま 戎じま 亀井ばし 天神おたび 番所 江の子嶋
木津川 【この後大まかに川沿いに図の右から左へ】
まいたれじま 道とんぼり川 幸町 幸栄ばし なみよしばし
日吉ばし からかねはし 南ほりへ 幸ばし 住吉はし 金やはし 西横堀 大黒はし
水わけはし 黒金はし 北ほりへ かめはし ほりへ川
長ほり
高ばし 玉造はし
立売堀
高ばし
【コマ⒈の裏面 蔵書印と手書きの整理番号】
0011842192
東京大学図書之印
【タイトル 右上】上毛四万温泉功能
しやくつかへ むし
りういん たん
せんき すばく【寸白】
婦人血方
【絵図 左下囲み文字】
《割書:湯|本》田村佐太夫板
【図題】
関東
類焼
大地震【横書き】
【コマ一の裏】
【東京大学図書館の蔵書印と整理番号のみ】
東京大学図書之印
〇〇一一八四一八五五
【中央表題】
鵞峰林春斎 世 寄斎三宅玄蕃 年 丈山石川嘉右エ門 勧 清原秀賢
儒者競 行司 羅山林道春 話 直方佐藤五郎左エ門 石斎鵜飼権平 進 藤原惺窩
鳳岡林春常 役 淡淵中西曾七郎 寄 省菴安藤市之進 元 中江藤樹
澹泊安積覚兵衛 差 南村梅軒
添
【欄外右側】
日ノ下儒者 精里古賀弥助 斯外ニ東西ニ儒者数多御座候学派荒ましハ左之通ニ御座候
【欄外上側右】
東之方
【欄外上側左】
西之方
【本文右側一段目】
大関 京都 仁斎伊藤源佐
関脇 江戸 徂徠荻生惣右エ門
小結 備前 蕃山熊澤五郎八
前頭 京都 東涯伊藤源蔵
前頭 江州 明霞宇野三平
前頭 信州 春臺太宰弥右エ門
前頭 京都 篤所北村伊兵衛
前頭 丹波 天民並河簡亮
前頭 下野 東野安藤仁右エ門
前頭 播州 龍洲岡太仲
【右側二段目】
前頭 京都 淇園皆川文蔵
同 江戸 鵬斎亀田文左エ門
同 上野 兼山片山忠蔵
同 江戸 北山山本喜六郎
同 賀州 錦城太田才佐
同 京都 南郭服部小右エ門
同 長門 周南山縣少助
同 肥後 昔陽古屋重治郎
同 京都 蘭嵎伊藤才蔵
同 播州 滄洲大川良平
同 京都 執斎三輪善蔵
同 信州 金峨井上文平
【右側三段目】
同 尾州 平洲細井甚三郎
同 下総 大室渋井平左エ門
同 信州 大湫南宮弥六
同 奥州 金華平賀源右エ門
同 京都 武龍武田三弥
同 奥州 熊耳大内忠太夫
同 上総 灊水宇佐美惠助
同 丹波 観海松崎才蔵
同 京都 栲亭村瀬嘉右エ門
同 筑前 南冥亀井道載
同 摂州 旭山平澤五助
同 丹波 誠所並河五一郎
同 江戸 蘭臺井上嘉膳
【右側四段目】
同 播州 儋叟清田文興
同 越前 錦里伊藤惣司
同 江戸 南溟入江幸八
同 大坂 白賁服部多門
同 備前 常山湯浅新兵衛
同 奥州 迂斎宮田宇右エ門
同 紀州 龍門宮瀬三右エ門
同 播州 北海江村傳左エ門
同 江戸 鼇渚大塩与右エ門
同 仝 竹溪三浦平太夫
同 下野 澹園秋元喜内
同 江戸 白岩稲垣茂左エ門
同 長門 鶴臺瀧弥八
同 播州 太痩赤松秘呂女
【右側五段目】
同 常陸 澹園戸崎五郎太夫
同 江戸 藍田伊東金蔵
同 伏見 草廬龍彦三郎
同 彦根 琴所沢村喜内
同 江戸 江南田中三郎右エ門
同 京都 山陰佐野少進
同 下野 清河安達文仲
同 江戸 桐江菊地大助
同 周防 東溟林周助
同 三河 爽鳩鷹見三郎兵衛
同 京都 龍溪岩垣長門介
同 江戸 鶴鳴市川藤兵衛
同 大坂 因是葛西健蔵
同 三河 東海岳太仲
同 江戸 芸閣千葉茂右エ門【「芸」の字はゲイでなくウン】
【本文左側一段目】
大関 京都 闇斎山崎嘉右エ門
関脇 姫路 活所那波道圓
小結 土州 兼山野中傳右エ門
前頭 京都 順菴木下平之允
前頭 賀州 鳩巣室新助
前頭 江戸 白石新井勘解由
前頭 筑前 益軒貝原久兵衛
前頭 京都 惕斎中村七左エ門
前頭 仝 尺五松永昌三郎
前頭 對州 芳洲雨森東五郎
【左側二段目】
前頭 阿波 栗山柴野彦輔
同 播州 絅斎浅見重二郎
同 若狭 成斎西依義兵衛
同 江州 尚斎三宅丹治
同 摂州 栗斎服部善蔵
同 江戸 蛻岩梁田才右エ門
同 仝 篁洲榊原玄甫
同 大坂 蘭洲五井藤九郎
同 仝 竹山中井善太
同 仝 履軒中井徳治
同 播州 魯堂那波主膳
同 肥後 玉山秋山儀右エ門
【左側三段目】
同 周防 遯菴宇都宮由的
同 京都 貞斎毛利香之進
同 江戸 蘭林中村深蔵
同 尼崎 強斎若林新七
同 大坂 二洲尾藤良助
同 勢州 春水頼弥太郎
同 江戸 玉水村士行蔵
同 播州 松斎奥田尚斎
同 江戸 静斎河口三八
同 熊本 孤山藪茂二郎
同 筑前 春菴竹田助太夫
同 京都 観瀾三宅九十郎
同 紀州 南海祇園与市郎
【左側四段目】
同 長崎 冠山岡嶋援之
同 長州 鹿門小倉彦平
同 筑前 耻斎貝原市之進
同 筑後 懶斎藤井藤蔵
同 京都 蒙斎多田儀兵衛
同 江戸 兼山管野勘平
同 肥前 華沼岩瀬勘平
同 備前 西涯近藤六之丞
同 江戸 寒泉岡田清助
同 仙臺 東山蘆孝七郎
同 阿波 大嶼集堂弓五郎
同 對州 霞沼松浦儀右エ門
同 江戸 東海篠崎金吾
同 紀州 木菴那波采女
【左側五段目】
同 土州 芝山大高清介
同 仝 一斎谷三之助
同 薩摩 海門赤崎源助
同 尾州 朝暘岡田彦左エ門
同 江戸 松窗関永一郎
同 讃州 芝山後藤三郎兵衛
同 水戸 錬斎鵜飼金平
同 京都 道乙三宅忠兵衛
同 水戸 潜峰栗山源助
同 江戸 迂斎稲葉十左エ門
同 出羽 雪樓山宮勘兵衛
同 中津 龍渚倉成善司
同 和州 持軒五井加助
同 大坂 訂斎久米断二郎
同 豊前 麟洲石川平兵衛
東京大学図書印
0011842523
【タイトル】
下野国那須郡那須湯本図
【俯瞰図右下角枠内】
板室塩沢湯 ヘ 四リ
三斗小屋西湯 ヘ 七リ
塩原福渡 ヘ 九リ
黒 羽 へ 八リ
太田原 ヘ 八リ
日 光 ヘ 十八リ
宇都宮 ヘ 十八リ
烏 山 ヘ 十四リ
真 岡 ヘ 十七リ
茂 木 ヘ 十六リ
笠 岡 ヘ 廿 リ
水 戸 ヘ 廿五リ
【俯瞰図左上角枠内】
不許翻刻
千里必究
【俯瞰図左下角枠内】
此図文晟所作請正
校乎
壇山斐先生□□曰
可謂是矣又請加二
三筆云
泉亭主人識
【俯瞰図左下角枠外】
人見綱為蔵板
年魚(なまづ)瓢箪(ひようたん)人(にん)浮状(うきじやう)之 事(こと)
一此 震(うご)九郎と申者 生国(せうこく)ハ常陸国(ひたちのくに)要石郡(かなめいしごうり)地潜村(ぢもぐりむら)出生(しゆつせう)ニ而 慥(たしか)
成(なる) 動々(ぶり〳〵)者(もの)ニ付 燃上(もえあが)り之 火事(くわじ)等(ら)共(ども)燃人(やけにん)ニ相立 危難(きなん)加多(がた)え
御 麁相(そゝう)ニ震(ゆり)上候所 物騒(ぶつそう)也 難(なん)義之儀は當卯十月二日之 晩(ばん)
於眠氣(おねむけ)時ゟ翌(あくる)三日四ツ 這(ばい)迄ニ相定御 損(そん)金として損両(そんりやう)損分(そんぶ)
損(そん)朱 惜(おしく)も焼取れ申候御仕 着(きせ)之義ハ夏ハ震電雷鳴白雨光物(ごろ〳〵かみなりのゆふだちしまひかりもの)
一ツ 冬(ふゆハ)焔散粉(ひのこのふる)布(ぬの)子一枚可被下候事
一 御関東様(ごくわんとうさま)御八 州(しゆ)之義不及申 諸国(しよこく)一統(いつとう)為相動(あひゆるがせ)申 間鋪(まじく)候万一
此者御臺所 勝手(かつて)ケ間敷 氷仕女(おさんとん)方へ参(まい)り大摺木(おゝすりこき)ヲ震立(ふるいたて)摺鉢(すりはち)ヲ
破(こわし) 這々(はい〳〵)之上内々之 地震(ちしん)致候 欤(か)亦(また)ハ動迯(ゆりにげ)壁落(かべおち) 致(いため)メ候ハヾ高梁(かうばり)ヲ以(もつて)
取繕(とりつくろひ)急度(きつと)したる大工 左官(しやくわん)差出(さしいたし)早速(さつそく)埒明(らちあけ)可申候
一 愁障(しうせう)之義ハ鐘(つりがね)之 難題宗(なんだいしう)ニ而寺ハ小 動(ゆれ)川 散々(さん〴〵)橋ぢやんぐわら寺(じ)暫(ざん)
時(じ)に崩(くづれ)家(いへ)なく候 御八方(ごはつほう)ヲ震支丹焼宗門(ゆりしたんやけしうもん)ニハ無之候 若(もし)此物 音(おと)儀(ぎ)ニ付
日合(ひやハひ)ゟがらくら動振(ゆすぶり)等(とう)無之候万一 震返(ゆりかへ)し津浪(つなミ)等致候ハヾ要(かなめ)石ニ判人(はんにん)乃
堅(かたい)我等(われら)地しんニ早速(さつそく)曲出(まかりいで)ぎうと押付(おしつけ)野田(のでん)へ轉寐(ごろね)御 苦労(くろう)小屋 掛(がけ)差(さし)
懸(かけ)申間敷候 地震(ぢしん)之 後(のち)材木(ざいもく)買而(かつて)直段(ねだん)之 高(たか)し
安心(あんしん)二年
是(これ)から〆この夘の十月
請人(うけ二入にん) 天井張(てんじやうはり)下水仕事(げすいしごと)新井丁(あらいまち)
ふしん屋でき介店
家根屋大九郎○【印、「富貴」】
人(ひと)入 主(ぬし) へたくた壁塗(かべぬり)門内(もんうち)左官(しやくわん)ハ早(はやく)智光院(ちかういん)地内(ぢない)
こまい屋角左衛門店
つた屋煉兵衛○【印】
積田(つんだ)金蔵(かねくら)河岸(がし)
無事田(ぶじだ)繁昌(はんじやう)郎様
【表題】
嘉永七寅 奈良
六月十四日 大|地震(ぢしん)|退治(たいぢ)ノ図 御固
夜八ツ時ゟ 郡山
【本文】
此度世をくつがへさんとはかる
ぎやくぞくぢしん直ニあらわれ
いで和州にはたヲ上る昔廿五年
いぜん京都ニおこり近年ニハ
信州善光寺ニて
はびこり大きニ勇ヲ
ふるふ諸人おそれを
なす古今(ここん)がう
てきすでニ
今奈良
郡山伊賀
江州
数百人ヲ打取
手|負(おい)かずしれず
其外諸〳〵ニ出ばり
して人をそんずる
事おびたゞし
山城木津を水ぜめニして
ふく井四日市をやきうち
にして猶八方ニ手
くわりしてあれまわる
ところ勇士の
めい〳〵これヲ
ほろぼす
【上段の武将名、右から左へ】
地|鳴(なり)五郎音高
家蔵|倒(たお)四郎一|烈(れつ)
《割書:四日|市》命(いのち)尾張守|牮(うし)落(おち)
四|方(ほう)真(まつ)九郎|鳴(なる)成(なり)
《割書:奈|良》|咥(け)ケ(が)尾(を)駿河守|倒照(こけてる)
《割書:フク|井》|当分(とうぶん)壱岐守|親(しん)類
破損(はそん)津九郎
大|道(どう)|割(われ)太
難(なん)義|至(しご)九郎
腰抜(こしぬけ)仁次郎
【下段の武将名、右から左へ】
《割書:江|州》怕(びく)り隠岐守|粟光(あわてる)
玉|良(ら)仙蔵
則死(そくし)|大炊(おい)之介
子供|阿(あ)ぶ内
哀(あハれ)|難(なん)十郎
《割書:上|の》融(ゆう)月長門守|渋永(しつこい)
地震(ぢしん)由(ゆ)三郎
病気(ひやうき)出太蔵青成
加|戸(ど)出|寝(ね)太郎
《割書:木|づ》水賀出羽守|狼狽(うろたへ)
なん藤正造|当惑(とうわく)
志方(しかた)内膳(ないぜん)
比(ひ)引左衛門|大恐(おそろし)
東京大学図書之印
0011841830
安房国鋸山日本禅寺真景方角図絵
【左上】
当山は神亀(しんき)元年|行基(きやうき)の草創(さう〳〵)にして
房総二州の界(さかひ)に在|岩石(かんせき)|自然(しせん)に仏像(ふつそう)及
鳥獣(てうしう)のかたちをなし峰々(みね〳〵)|鋸(のこきり)の歯(は)のことし因(よつ)て
鋸山と号し凡一千余年の旧跡(きうせき)なり時に
安永年中其自然なるものにて加て石像一千
二百羅漢并西国秩父坂東相模八番等
の観音を安置奉ことしれり
鋸山 長歌并反歌 杉乃本 志道
鳥啼東国能日向爾
とりがなくあづまのくにのひむかひに
海毛広山多爾満而雖有
うみもさひろしやまさはにみちてあれども
水長鳥安房鋸根増高
しながどりあはのをがのねましたかく
蓬洞能曲呉等千五百仏
よもぎがほらのくまごらにちいほのほとけ
朝日加目細可母夕日奈須
あさひなすまぐはしきかもゆふひなす
浦妙鴨春者花秋者紅葉宁
うらぐはしかもはるははなあきはもみぢを
加座志爾而振放見者両隻能
かざしにてふりさけみればふたなみの
筑波山者如眉雲井爾紛
つくばのやまはまゆのごとくもゐにまがふ
在駿河富士高根者大分爾曽
するがなるふじのたかねはましろにぞ
雪者降来其雪能無絶時
ゆきはふりけりそのゆきのたゆるときなく
千代毛雅母遠江宁往舟能
ちよもがもとほつあふみをゆくふねの
留不所知果白二不知土左右
とまりしられずはてしらにしらぬくにまで
聞挙名応誠日本寺
きこえあげなにおふげにひのもとのてら
反歌
御仏毛天降間兼此山者
みほとけもあをりましけんこのやまは
浮世能外乃古古智社須礼
うきよのほかのこゝちこそすれ
文政十二己丑歳冬十一月改正 崇山老翁写
【右下】
道法
江戸日本橋ヨリ行徳へ 三里
行徳 ヨリ 船橋へ 二里
船橋 ヨリ 八幡へ 五里半
八幡 ヨリ 姉ヶ崎へ二里八丁
姉ヶ崎ヨリ 来去津へ 四里
来去津ヨリ 左貫へ 四里
左貫 ヨリ 百首へ 二里半
百首 ヨリ 当山マテ三里
◯
江戸ヨリ百首迄海上 十六里
江戸ヨリ浦賀迄陸路 十六里
浦賀ヨリ当山麓迄海上 三里
彫工施主
東都馬喰町二丁目
永寿堂 西村与八
|地(ぢ)震(しん)方(ほう)〻(〴〵)ゆり状(じやう)之事
一|此(この)ゆり苦(く)労(ろう)と申|者(もの)生(しやう)得(とく)信濃(しなのゝ)国(くに)生(なま)須(ず)の荘(しやう)揺(ゆり)初(そめ)村(むら)出(しゆつ)生(しやう)にて
|慥(たしか)なるぐら付(つき)者(もの)ニ付|荒(あれ)魔(ま)共|失(うせ)人(にん)に相(あい)立(たち)異(い)変(へん)方(かた)へ諸(しよ)方(ほう)〻(〴〵)に
ゆり出(いだ)し申候|所(ところ)めつぼうなり出(しゆつ)火(くわ)の義(ぎ)ハ當(とう)夘十月二日|夜(よ)ゟ翌(よく)
三日午の下(げ)刻(こく)迄と相(あい)定(さだ)め困(こん)窮(きう)人(にん)繁(はん)昌(じやう)の内(うち)崩(つぶ)れ家(や)御(おん)掘(ほり)かへし
として死(し)人(にん)三(さん)分(ぶ)慥(たしか)になげ込(こミ)申候御しきせの義(ぎ)ハ
なまづハひどい物(もの)不(ふ)意(い)ハ火(ひ)の子(こ)一めん
ふらされべく候事
一|土(ど)蔵(ざう)義(ぎ)様(さま)御(ご)發(はつ)動(どう)之儀(ぎ)ハもやすに
|不及(およばず)お家(いへ)の不(ぶ)作(さ)法(ほう)相(あい)ゆるぎ申|間(ま)敷(じく)候
一|若(もし)此(この)者(もの)地(ぢ)震(しん)の御|目(め)をくらまし御(お)臺(だい)所(どこ)の
|女(ぢよ)中(ちう)方(がた)の寐(ね)入(いり)を考(かんが)へかんじんあなめの所(ところ)を見(ミ)込(こミ)
|火(ひ)の子(こ)をもやしかりばりの丸(まる)太(た)を突(つゝ)ぱり内(ない)證(しやう)の
|地(ぢ)震(しん)を致(いた)し御(ご)大(たい)切(せつ)なる御(おん)入(いれ)物(もの)を損(そん)じ候而ゆりにげ
|壁(かべ)落(おち)致(いたし)候ハヾ急(きつ)度(と)したる左(さ)官(くわん)を以(もつて)早(さつ)速(そく)ぬりあげ可申候事
一|身(ミ)内(うち)ハいたい〳〵一(いつ)向(かふ)夢(む)中(ちう)にて寺(てら)ハ夜(よ)中(なか)ゆり出(だ)坂(ざか)
|道(どう)性(しやう)寺(じ)市(し)中(ちう)まつはだか騒(そう)動(どう)院(ゐん)大(たい)火(くわ)に
|紛(まぎ)れ御座(こさ)なく候|御(ご)發(はつ)動(どう)のゆり支(し)丹(たん)
|宗(しう)にてハ無御座(こさなく)候|若(もし)物(もの)音(おと)ぎしつきひあわい
より瓦(かわら)をふらし万(まん)一(いち)ゆり久し等(とう)致(いたし)候ハヾ我(われ)等(ら)早(さつ)速(そく)
ゆるぎ出(いで)御(こ)殿(てん)へ少(すこ)しも木(き)苦(く)労(らう)相(あい)かけ申|間(ま)敷(じく)五(ご)七(しち)か【?】雨(あめ)ふつてふだんの如(ごと)し
|繁(はん)昌(じやう)福(ふく)徳(とく)町(ちやう)出(で)職(しよく)屋(や)金(きん)蔵(ぞう)店(たな)
|天(てん)災(さい)ざん年|鹿(か)島(しま)の神無月(かんなづき)二日 請負人 |土(ど)方(かた)屋(や) ねり兵衛
|張(はり)の下(した)谷(や)もがき町(まち)家(いへ)なしの九(く)郎(らう)店
ひど主 よわりや ひよろ助
かんじん町|要(かなめ)新(しん)道(ミち)
つゝかい屋|丸(まる)太郎殿
東京大学図書之印
0011842176
【タイトル】富士山頂上八峯内院
并諸国遠見図
富士山は駿河国に在り 其峯雲際に聳
え高サ一万四千百七十尺 其ノ形四面皆同じく
山巓四時雪を戴き 十三州よりこれを
望む皇国第一の高山なり 其の登岳
の路次四所あり 表面を大宮村山口と
云ひ南面を須山口と云ひ 東面を須
走口と云ひ 北面を吉田口と云ふ抑
山頂に鎮座せらるゝ大神を木花
之佐久夜毘賣命と称し大山津見
神の御女也 此の大神は容貌の麗
美なるのみならず 其の神徳亦艶
美なるを以てサクヤの《割書:サクヤは|開光映(サキハヤ)也》神号
あるなり 嘗て天皇迩々 杵命遊幸
して笠沙御崎(カサイサミサキ)に至り 大神に行き逢
ひ玉ひ其鮮姸なるを喜び 将に娶ら
んとなし玉ふに 大神 輙ち諾せずして曰
く 父あり宜く垂問すべしと天皇即ち
使を大山津見神に遣し 固く娶らんと
乞ひ玉ひ立て 皇后と為す後 大神娠め
るあり 産月に臨み天皇宜く 汝娠める
子 吾が子に非ず 必ず国ッ神の子ならん
と 大神聞 且つ怨み無戸室を造り 其
内に入り玉ひ誓て曰く 吾が娠む所若
し天孫《割書:迩々杵命|を称す》の胤に非ざれは当に焦
滅すべし 実に天孫の胤なれば火も損害
する能はじと 則 火を放ち室を焼くに 果
して損害あらず 烟煙中二皇子を生み玉
ふ これ則 大神の安産火難を守護防
禦し給ふの原因とする所なり夫れ皇
別の諸姓は 皆 大神の末流にして 其ノ
子孫は 則 大神の遠孫也 嗟夫(アゝ)諸国の
人民歳々相増し 年々相加し 陸続参拝
する所以のものは 其の余沢の万分の一
を謝せんと欲する所 乎余嘗て聞く群
参中道路旧跡に 鮮明ならず山頂に彷
徨するもの往々これあると 甚遺憾
にたえず為に 聊か知る所を図し以て
登岳の階梯に備ふとしか云
明治十年六月二十日 版権免許
【本文左下、図の左署名】
静岡県平民
著者土屋勝太郎
駿河国富士郡第二大区
二小区厚原村二番地住
静岡県平民
出版人冨士神一郎
駿河国富士郡第二大区
四小区大宮町九十六番地住
一此度私義先年から国々をなやめ
猶亦今度大江戸えの御らんほう
に家蔵をゆりくずし多
くの人を
つぶし
申わけ
なく鹿島様へ
わび入出家致
かい国にてる□【?】
い又此せつ金もふけ
の人がけさころもを
もつて一どう
のたのみには
なにも仏の
ためたから
百万へん
を
してくた
されたはうが【?】
よう御上り升【?】
をう【?】と申ゆへ
いたします
南無阿弥陀仏/\
なまずだ/\/\
【裏】
0011841764
東京大学図書之印
地震用心の歌
ものゝ名
魚の名十
さは(鯖)かしき(カジキ)なます(鯰)ふり(鰤)〳〵う こひ(鯉)たら(鱈)
はや(鮠)く いな(鯔)せよ ふか(養鯨)きさ ゝわら(鰆)
鳥の名十
何 とき(鵇)も きし(雉子)か(鵞)なく 日(鶸)は う(鵜) かり(雁)すな
藪へか け(鶏)とひ(鳶)さき(鷺)へ すゝめ(雀)よ
虫の名十
あふ(虻)な くも(蛛)け か(蛾)あり(蟻)し てふ(蝶)きいて だに(蟎)
身に のみ(蚤)しみ(紙虫)て いとゞ(竃虫)か(蚊)なしき
草の名十
ゆり(百合)やんで つ い(藺)には よし(葭)と きく(菊)とて も(藻)
つた(蔦)な(菜)きとこに しば(芝)し ねむ(合歓)らん(蘭)
木の名十
つき(槻)ひ(檜)すき(杉)やむ かや(榧)と 気(き)を
もみ(樅)きり(桐)ぬ まつ(松)もも(桃)ど かし(樫)
地震(ぢしん)なき(椰)日を
【裏】
東京大学図書之印
0011841806
【タイトル】
駿河国冨士山絵図
【本文】
【俯瞰図右上】
仁王六代孝安天皇
九十二年至暮春
涌出山也
冨士山名
穀聚山蹲踞山御影山
来集山妙高山天童山
不人山四方山般若山
養老山不盡山和合山
不老山四面山
千人山影向山
七宝山蓮華山
【俯瞰図左上】
頂上八葉
一岳地蔵
二岳阿弥陀
三岳観音
四岳釈迦
内院両界曼陀羅
中央胎蔵界大日如来
五岳弥勒
六岳薬師
七岳文殊
八岳宝生如来
八葉九尊
五智四菩薩五大明王
五大力菩薩大金剛童子
開山役行者大菩薩
表総本寺京
聖護院宮
村山諸堂御社
天下御建立所
【俯瞰図左下角】
《割書:冨士山別当表口|村山奥法寺三坊》蔵板
常信筆(印)
(蔵書印、印文「五清堂記」)
文政六年癸未歳四月十五日武一【喜多武一】摹【うつす】
【太枠外】
嘉永七甲寅年十一月五日
【太枠内タイトル】
摂州(せつしう)大津波(おゝつなみ)の次第《割書:委しく相しらべ|遠国へしらせのため》
十一月五日じしん
【上段左へ】
五日七つ時より大地震ゆり夫より七つ半時よりほらの
鳴出したる如くたゝし雷よりはおそろしく鳴音市中へ
とゞろき何事成とふしきに思ひ夫よりくれ六つ時つなみ
しかとわかりかね候へども弐丈五尺斗りなる大波立来る
事大方ならず道とんぼり大ふね小ふね数そう押上け候
其数しれず大船凡三百艘斗り小ふねは其数わかりが
たし大船に押つぶされわからなく太躰崩れ候ふね
数しれず又は船頭行方しれざるも有けが人有事多し
其大ふねにて橋つき落し候往来くんじゆの人々川中へ
橋とも落込候は誠に〳〵おそろしきあはれ次第又道頓堀
にては日吉はし唐金はし幸ばし住よしばし皆々跡もなく
大船のために少しものこる處なく同金やばし中程にておれ
くぼみ但し大こく橋迄数艘の大ふね小ふね押よせ小ふねは
大ぶねにはそ□かれ打割又はよこに成も帆柱さけたるも有
さん〴〵に船くづれあはれなる事世にはおそろしき事中々
述がたく又は前々よりの大地震をのがれんため茶ふね上荷
三十石ふねを仕立老人女子ともなと多く乗置候處へ数
多のふねのりかけ打わり男女手を合おがみたすけくれよと
其声あわれなり尤たすける人多くあれども助ける
ことあたらずみころしに成事数しれず
堀江川黒金ばし水分はし此所船皆道とんぼり同やうになる事
即死けが人数多なり長堀高ばしは両方にて少しのこり真中
は大ふねかためにさけ落此處とても即死けが人多くあり四つ橋
船二艘橋くいへもたれみじんになる事立売堀船二三十
艘押よせけるも少しの事に候阿波座ほり右同断是よりさこば
近辺船あまたくづれけがにんから御座候寺嶋辺浜手死人
波にて打上る事まことにあはれなり此近辺船あまたおしよせ
混雑する事大方ならず安治川船にて押おとし小ふね
大ふね一度をしよせ右同断そく死あまた有事其数多し
亀井ばし船にて押おとし候へども船くづれる事少し也
天保山近辺少々そんじ又はしりなし所々のしん田
大にそんじ木津川大いに損し木津又はなんばむら
少々そんじ住吉浜手よほどあれ申候堺市中浜手
大方ならず物音いたし人々何事ならんと大きにおとろき
夫よりさわき候へどもあちらこちらとさわぐ内大つなみ故
いかゝせんとしんばいいたし候へどもいづれへゆく事もあたわず
誠にあはれなる事いゝ方なきしだいなり飛脚肴や等
商ばい相休候事是よりいづみ辺紀州まで此大へん
言語にのべがたしけか人数多あれども遠ぱう
にて相わからず略す
【下段左へ】
西口井戸の辻東南角大くつれ家十軒斗りの事同東ノ辻西角六軒
大方くづれ立賣ほり近休表こけかけ座摩絵馬堂くづれ
上福鳥山北がは三軒大くづれ安二川壱丁目しん正寺本堂くづれ
同弐丁目六七軒大そんじ南安二河三丁目両かはとも大そんじ
大渡所両かはとも大そんじ此外数多損じ略す伝法村
寺二ケ寺大くづれ百姓有大そんし有大和国四日五つ時
五つ時ゆり出し家くつれる又五日七つ時ゆり出し和州
春日石とうろうおよそ二百本斗崩れる同二月堂
石とうろう三本くづれる外にけかなし同郡山人家六けん
くつれる外にけがなし河内国すみの堂辺の崎此近辺
村々大くつれ其外にそんじ候處多し平の凡三十間余大くつ
れそんじ候所数しれず此外諸方数多そんじ候所もある也
【右上印鑑】
東京大学図書館之印
【資料番号】
011841640
【左下図のみ翻刻】
金時山秋月
【一資料ずつ別項目になってい為、以上。】
【参考に残りは 上野の暮雪。景島夕照。桜川橋の眺望。】
伊豆国桂谷修善寺
此所初開場弘法大師空海
和尚この温泉をひらき給ひし
しるしに独鈷を建おかれし故
名づけてとつこ湯と呼ぶ頃は承
和二年三月廿一日大師卒去也
近は天保四年十二月廿一日大師
一千年の御忌あり寺に大師
御自作の大黒天の像あり
此功徳を信じて福地山といふ
風景は唐土蘆山模せり堂の
左りの方に範頼の墓あり橋
向釈迦堂の左りに頼家の墳
あり年歴は元久元年壬申
七月と斗りあり近世は元禄
十六年五百回御忌有しとなん
【右側下】
豆州修善寺湯
板元 江戸屋喜左エ門
画工 掃部真信【印、「真信」】
熊野本宮湯峰薬王山東光寺の
霊(れい)場(じやう)に扶桑(ひのした)第一の温泉(ゆ)あり薬師
如来の佛躰ハ湯のはなにて自然と
出現なりいにしへハ御|胸(むね)の中より温(をん)泉(せん)
涌(わき)出しなり御|胸(むね)にその痕(あと)あり脇立
日光月光十二神将ハ弘法大師の御作
なり此温泉ハ往古(むかし)小栗判官といふ人
毒(どく)酒に傷(やぶ)られこの温泉に浴(いる)事一ト臘(まハり)にて
篤病(たいびやう)頓(さつそく)癒(いゆ)病後ミづから力を試(ため)さんとて
玉のことき小石を大石へ心あく壓(おし)入れぬ
それよりこの石を小栗のちから石と
称(ゆふ)又小栗温泉浴(いる)の間|藁(わら)蘂(しべ)にて
髪(かミ)を束(ゆひ)其しべを棄(すて)し所今に至る
まで毎年自然と稲(いね)を生す是を不播(まかず)
の稲(いね)と号(なづ)く湯のミねより北の方三丁
ばかり道のほとりにあり今まかず
の稲とちから石を図(づ)して諸人に
示(しめ)すものなり
【別紙右下の枠内】
紀州熊野本宮
湯峯温泉之圖
◯【赤】ハ湯
◯【青】ハ水
【右下図のみ翻刻】
景島夕照
【一資料ずつ別項目になってい為、以上。】
【参考に残りは 上野の暮雪。桜川橋の眺望。金時山秋月】
抑此伊香保温泉は人皇十一代 垂仁(すいにん)天皇の御宇
始て湧(わき)出しより連綿(れんめん)として今に至れり廼(すなは)ち万葉集に載(の)
する処 従来(よりきたること)既(すで)に尚(ひさ)し蓋(けだし)其功萬物を生育(せいいく)するを以本とす故
に凡草木 蔬菜(やさい)の将(まさ)に死(かれ)んとするもの暫(しばら)く是を湯 槽(ふろ)の
側(かたはら)に置(おく)則(とき)【刻?】は必(かならず)ず其始生して地に在ときのことし又 鳥獣昆虫(てうじうこんちう)の
或は傷(きずつく)もの且(また)は疾者(やめるもの)此湯に浴(よく)する則(とき)は乍(たちま)ち其功を奏(そう)す又
是(こ)の湯を耕作(こうさく)の地に漑(そゝぐ)に其土田を肥(こや)し禾穀(くはこく)を長する
と滋糞(よきこやし)も及ばず又其下流 鮒(ふな)䱌(かぢか)の類(たぐい)これあり是皆他温
泉のなき所にして此温泉 独(ひとり)これあるものは亦奇(またき)ならずや実
に和漢無双(わかんぶさう)の名湯と謂(いふ)べきのみ夫 鳥獣(てうじう)草木蔬菜の
たぐひ皆然り況(いはんや)生民においてをや其諸病に功あること【口?】
授(じゆ)を待ずとも推(おし)てしるべし第一 精(せい)を益し経絡(けいらく)を還(めぐら)し
皮膚(ひふ)を潤(うるほ)し五色を美(よく)し気力を強くし壅滞(ようたい)を通し
鬱労(うつらう)を散(さん)し労咳(らうがい)を愈(いや)し中風を治す又婦人血の方
一切に奇効(きかう)あり今其 顕證(しやうこ)をいはんに此地の婦人産する
則は時を移(うつさ)ず直(すぐ)に母子(ぼし)をして浴(よく)せしむるに其功神のごとし
【「故」カ】此地婦人に限て月経(やく)不順(ふじゆん)血積(けつしやく)血塊(けつくわい)枯血(こけつ)崩漏(ぼうろう)赤血(ながち)
滞下等(???ちとう)の病絶(やまひたえ)てこれなし又 年過(としすぎ)て子なき婦人も屡(しば〳〵)
此湯に浴する則は月 経(やく)いまだ終(をはら)ざる人は懐妊(くわいにん)し給ふ事
疑(うたがひ)なし又 懐妊(くわいにん)中此湯に浴する則は決して難産(なんざん)の患(うれひ)なし
其佗(そのた)頭痛(づつう)上衝(じやうしやう)仙気(せんき)脚気(かつけ)痳病(りんびやう)痔疾(じしつ)金瘡(きんさう)打傷(うちみ)諸
瘡腫物(さうしゆもつ)の類(たぐひ)各(おの〳〵)其症(そのしやう)に応(おう)じて治せずと云ふ事なし又湯の
毒(どく)にて皮膚爛(ひふたゝれ)歩行(ほかう)しがたきも此湯に浴する刻は即功ありて
健歩(けんほ)常のごとし豈(あに)外(ほか)温泉の屡(しば〳〵)浴(よく)する則(とき)は愈(いよ〳〵)膏(あぶら)血(ち)を減(へら)し
皮膚(ひふ)をかわかし気力おとろへ或は手足 麻木(しび)れ厳冬(げんとう)凌(しのぎ)がたき
害(がい)を為(な)すの比(たぐひ)ならんや是皆四方 浴客(よくかく)の親(したし)く見て能く知り
給ふ処なれば何ぞ□【辞ことばヵ】を費(ついや)さんや然りと雖(いへ)ども辺境(へんきやう)遠国(えんこく)の
其身 自試(みつからこゝろみ)給はざる人の雷同(らいどう)耳食(じしよく)のうたがひあらんことを恐
れて今其功の一二を挙(あぐ)るのみ其餘は温泉功能記に
□【詳つまびらかにヵ】す
浴(ゆ)室(との)假(た)瀑(き)通計(つうけい)五十 有(ゆう)八
草津温泉名所
折月原 鷲之湯(わしのゆ)
【中央上資料のみ翻刻・他は別に翻刻ページあり】
【タイトル】
上州草津温泉之図
【俯瞰図右枠外】
安政二卯歳改板 板元 三嶌屋四郎兵衛
【俯瞰図右下角】
【三段構成、いずれも草津温泉を起点とし目的地までの経路と距離をしめしている。第一段の目的地は高崎で上下二つの経路、第二段の目的地は妙義で一経路、第三段の目的地は善光寺で上下二つの経路が示されている。】
草津温泉より
【第一段】
三リ半 二リ
長の原 生須
二リ 四リ
須尾 沢渡
二リ 六リ半
御関所 いか保
大戸 二リ
四リ 水沢
三の倉 五リ
三リ
室田
神山
三リ
高崎
【第二段】
三リ半
羽尾
一リ半
狩宿
御関所
四リ半
沓掛
七リ
みやうぎ
【第三段】
四リ 七リ
大前 しぶゆ
一リ 一リ十二丁
大笹 中ノ
御関所 一リ
二リ 浅野
田代 半リ
八リ峠 神代
仁礼 二リ
一リ あら町
須坂 一リ
三リ
善光寺
【俯瞰図左上】
当温泉ハ人
皇四十四代元
正天王御宇
養老五年
行ぎぼさつ
当山ニ登リ
温泉を試玉
其後将軍
よりとも公
浴シ給ふ
とかや委ハ
温泉記ニ有
【タイトル】
三国第一冨士山禅定図
【俯瞰図右上】
仁王六代孝安天皇九十二庚申年
涌出秘密□祇之金亀ナリ
穀集山蹲踞山御影山来集山
妙高山天童山不人山四方山
般若山養老山不盡山和合山
不老山四面山仙人山
影向山七宝山後山
蓮華峯冨士山
郡名トス
不二山《割書:モ|ト》書
【俯瞰図左上第一段】
頂上
八葉嶽
一嶽地蔵
二阿弥□【□:陀】
三観音
四釈迦
内院両界
曼□【□:陀】羅
中央
胎蔵界
大日如来
五嶽弥勒
六嶽□【□:薬】師
七嶽文殊
八嶽宝生如来
【俯瞰図左上第二段】
八葉九尊五智四菩薩
五大明王五大力菩薩
八大金剛童子二千二百
余尊開山役行者
大菩薩
【俯瞰図左上文末】
聖護院宮御直末冨士山村山 印
【コマ一の裏左上角に富士山の図二□の書き込み】
庚申年富士山参詣群衆之図
冨士山略記
抑(そもそも)/当(とう)御山(おんやま)ハ三国(さんこく)/第(たい)一
万国(はんこく)/無双(ぶさう)の霊山(れいさん)にて
諸神(しょしん)/出世(しゆつせ)の仙元境(せんけんきやう)たり
故(かるかゆへ)に冨士仙元大神(ふじせんけんたいしん)と称(しやう)ず
祭(まつ)る所(ところ)/三座(さんさ)にして中央(じうわう)ハ
天照太神(てんしやうたいしん)の神孫(かんまこ)/地神(ちじん)/第(だい)三/代(だい)
瓊瓊杵尊(にゝきのみこと)と申(まふし)/奉(たてまつ)る
嘗(かつ)て大神(おおかみ)の神勅(みことのり)を
奉(ほう)じて高天(たかあま)ケ原(かはら)より豊(と□)
芦原中国(あしはらなかつくに)《割書:日本国|をいふ》に
天降(あまくだ)り天(あめ)が
下(した)を知(しら)し
召(め)〼
大山 祇(すみ)
命(みこと)の女(むすめ)木花
開耶姫命(さくやひめのみこと)を娶(めと)りて
同四代 彦火々(ひこほほ)出見/尊(みこと)を生(うま)しめ
玉(たま)ふ故(ゆへ)に大山/祇(つみ)/木花開耶姫(このはなさくやひめ)の二神
左右として以上/三柱(みはしら)の神(かみ)を合せ崇(あかめ)て仙元
大神と祭(まつ)る是(これ) 本/朝(てう)/守護(しゅこ)の霊神(れいしん)にて
安産(あんさん)を守(まも)り又ハ蚕繭(さんけん)の道(みち)を護(まも)るの御神
なれハ別して婦人(ふしん)ハ尊(そん)/信(□ん)做(な)し奉(たてまつ)るへき
也扨又此御山/往昔(そのかみ)天地/開闢(かいひやく)の時/自然(しぜん)
湧出(ゆしつ)の霊峰(れいほう)たれとも 人皇五代
孝照天皇(かうせうてんわう)の御宇(おんとき)/迄(まて)ハ雲霧(うんむ)繁(しけ)く未(いま)た天地の
気滞(きたい)清(きよ)からさる故(ゆへ)に世人(せしん)/拝(はい)する□(こと)を得(え)す然(しか)るに
同六代 孝安天皇(こうあんてんわう)九十二年 庚申(かのへさる)の夏(なつ)/漸(やうやう)雲(くも)
霧(きり)/始(はちめ)て晴(はれ)万国の貴賤(きせん)これを
奉拝(ほうはい)すと云(いふ)/或(あるひ)ハ同七代
孝霊(かうれい)天/皇(わう)五年近江
国に忽地(たちまち)一夜に湖(こ)水/涌(ゆ)
出(しゆつ)し同日(とうしつ)駿(する)河国に冨士山
出現(しゆつけん)せしとも亦(また)ハ麓(ふもと)にある八海(はつかい)ハ則(すなはち)
御山(おんやま)/涌出(ゆしゆつ)の跡(あと)なる共(とも)/云(いへ)り夫(それ)より同十二代
景行天皇(けいこうてんわう)五十二年/日本武尊(やまとたけのみこと)
東夷(とうい)/御征伐(こせいはつ)の御時(おんとき)/則(すなはち)/三神垂(さんしんすい)
跡(しやく)の御山(おんやま)なれバとて是(これ)を勧請(くはんしやう)あり
けるが此(この)御山ハ南景(なんけい)に出現(しゆつけん)
たれば北方(ほつほう)子(ね)の方(かた)より詣人(けいしん)
拝仰(はいこう)すべしと仮(かり)に華表(とりゐ)を
御建立(ここんりう)あり茲(こゝ)に始(はしめ)て神威(しんゐ)を
示(しめ)し三国(さんこく)第一(たいいち)山の額(かく)を掛(かけ)給ふ
是(これ)や蓬莱(ほうらい)の仙境(せんきやう)にて塵外(ちんくはい)の
霊場(れいしやう)祈(いの)るに利益(りやく)潔然(けつせん)として神徳(しんとく)
耿々(くはう〳〵)たれバ誰(たれ)かこの御神(おんかみ)を信(しん)ぜ
ざらんや仰(あをか)ざらんや
応需 藤村秀賀謹誌
【枠内タイトル】
《割書:伊豆下田|小田原 箱根》大地震之図(■ほぢしんのづ)
【文左へ】
夫天地不時の震動は陰陽混じて雷雨となる地にいるときは
地しんをなす□神きのおうごにもこれをおさむる事かたし頃は嘉永
嘉永七年十一月四日四つ時よりよる九つ時すぎ迄相州豆州駿州
甲斐の国大ぢしんべつして相州小田はら大久保加ゞの守様御城下
万丁本丁板ばしれうし丁通り青もの丁すどを丁はら丁
御城かどやぐら町家ともおほくそんず東は田むら川
へんはぎの山中御ぢん屋大久保ながとの守様
御れうぶん陶綾郡神戸井と大いそ宿そが野
中むらへん金子すゝ川みのけかすやいせ原子やす
大山へん大住郡どうりうごんげん様このきんへん
十五ケ村は百間または百五十けん二百けん
村〳〵にわづか家二けんほど残りせき本は
五百けんほど村にて二百けんほどこのきん
へん□□□上むら谷むら早川いしばし山
ふたご山はこねごんげんさま御社内同所
湖水あふれ出さいのかはら大いにくづす
ならびに同所ゆもと七ケ所こと〴〵く
わうらい三日とまるはこね山中人馬
ともにうつまり三日ほどほりいださんと
せしがいでず此へんにて人馬のそんし
おふくあり豆州三しまぬまづ水野
ではの守様御じやう下きんごうきんざい
原よし原いはぶちかん原ゆ井おきつ
江じり府中のまち〳〵在々ともに
人家のそんじかず知れずふじ野
すそ通りたけ下三くりや御てんば
これより甲州ぐんない上の原さるはし
西ごほり市川かぢ川沢身のぶ山御山この辺
山々大にくづれ北は愛甲ごほり三ます川
村そんずつく井ごほり青のはらとうし川
□□ねづみ坂はし本へんよし野小はら
せき野へん又豆州ねぶ川
石きれ老若男女そく死
【右中】
小田原御城櫓損じ
箱根山大いに
そんじる
【右下枠内】
頃は十一月四日五つ半時より伊豆下田
大地しん大津なみにて大ひにそんじ
宮寺ゆりたをし大つなみ
にてながされふないおゝいに
あれるせんすうあまたなん
せんとうせんなんせんいたし
あまた人おほくそんじ誠に
せんたいみもんなきしだいなり
くわしくゑづめんにしるしひら
がなにてかきしるす
【左上資料番号】
0011842150
【東京大学図書館之印】】
大都会不尽(おほつゑふし)
二上り
「大なまづゆうら〳〵せけんは
たいそうくわじをけしおすくひは
おたきだしにげだすおやこはぶじの
さただいどうのつはりまるた
あんまころんでげうてんし
わらじのねをあげて
おふれにばんたもぞつとして
かべふるひじやうだん
どころでござりません
やつとのおもひでつぶれて
べんとう
やねのうへ
【画中文字右】わらひ上戸 ゑんまの 子
【画中文字中】はらたち上戸 じしんの 子
【画中文字左】なき上戸 地蔵の子
東京大学画書之印
0011841707
とび
「ヘイごめんなさいやしわちきア とびで
ごぜへエスが このたびは いろ〳〵おせはくださり
おかげさまで まうかりました これはあげでこぜいす
ほんのしるしばかり とびにあふらげとは この事てござい
あなぐら大工
「ヘイわたくしは たいくの あなはちと まうしますが
これは ひやうたんぐすりでござりますが あなたさまに
大みやうやくで ございます いたみのところへ つければ
なまずは ひやうたんで をさへますと まうします
どかた
「チトごめんなさいまし わたくしは どかたて
ございます このごろは どかたの ねへほど
かねが もうかるから ちつとたれかにかして
やりたいものだ
ほねつぎ
「わたくしは ほねつきで ございますがこのあいた
まで しやうじや からかさのほねつぎで こざり
ましたが おかげさまで まうかりました
さかん
「ヘイごめんなさい わたくしは ぬり五郎てござり
ますが おい〳〵さかんに こて〳〵まうかりますから
なまづで さけが うまうございます
ざいもくや
「わたくしは ざいもくや木へいと まうしまうします このたびは
をう木に うれました けや木も もめずに くろがきも
しのぎました たくさんまうけすぎました いくらもめても
木は もめません
四もんや
「わたくしは しもんやで ございますが ぢしんさま おか
げでにしんが うれるから さんちんがししんで せつちんが
くさからう
だいく
「ヘイわたくしは たいくのいたすけと まうします
なまづ くはつに おりましたが ぢしんさまのおかげで
おかねがたいそう もうかりました このしなものは
せけんを おだやかに ふるへのなをる 大工(だいく)すりで ごさります
ちうげん
「わたくしは あかいこもんのかみさまの ちうげんで
こざりますが わらじで もうけましたおれいに
おにしめを もつてまいりました かづもよつぽど
こざいます ぢしんあき【み?】なるかずおほく
やねや
「ヘイわたくしは やけやのとんすけとまうしますが
このたびは おかげさまで やねはちしんぶきになり
まして おかねが まうかりますて
こしや【引越屋じゃなくて葬儀屋なのかな?】
「わたくしは こしやのうめ八でこさいますが あなたの
おかげて 一チばんのうめへこし〳〵おかねがまうかりすぎ
ほねがおれて あしこしがいとふござります
いしや
「このごびやうきは じうぐわつ二日のよる四つじぶん
から ふるへが まいりましたか しかしこのあんばいでは
かはつて おはらのゆふづが つきませう まづ このかしま
がんといふ くすりを をあがんなさいまし
大なまづ
「わたくしも このあいだのじこうて からだをだいなし
にいたしました それからといふものは あたまがゆさ〳〵して
こまります まう せけんを おたやかに づゝうのないよう
にいたしたいとは おもひますが ふるへが いまた なをりま
せんから よなほしぐすりでももちいて めでたくなほし
たいものでこざります
東京大学図書印 0011841772
【表題】
上州磯部鉱泉場一覧之図
【本文】
明治十九年八月予偶閑ヲ得テ上野国碓氷郡西上磯部村ノ鉱泉ニ浴シテ宿痾ヲ医ス
其地碓氷川ノ清流ニ沿ヒ溪風水面ヲ掃ヒ来リ清凉掬スヘシ精神頓ニ爽快ナラ
シム且近傍勝地ニ富メリ西北二里許ニシテ白雲山アリ妙義神社結構高古断
嵓絶壁之レヲ繞リ老杉長槐天ヲ蔽フ該村ヨリ社下ニ至ル道路平坦車馬往来ス
中ノ岳四大石門ノ如キハ本邦無双ノ奇観ト云フベシ又浅間ノ噴煙碓氷ノ畳嶂
及東赤城北榛名等ノ群山ヲ望ミ 風景頗ル絶佳其勝地ヲ探討セント欲ス
ルモ里程ノ遠近行路ノ便否等ヲ記スルモノ其地ニ備ハラス実ニ憾ナシトセス故ニ
今此概図ヲ作リ以テ後来浴者ノ便ニ供スト云フ
附言鉱泉ノ湧出ハ古ヨリアルモノヽ如シ而シテ治病ノ用ニ供スルコト又久シ但其年所
ヲ詳ニセスト云フ近頃鉄道布設ニ際シ停車場ヲ該地ニ置カル浴客ハ大ニ往復ノ便ヲ
得里人ハ浴場改良ニ注意シ頗ル旺盛ノ状アリ旅舎ハ林屋、湯本、山城軒、鳳来館、
三景楼、共寿館等、高濶ナル新築ノ家屋ニシテ構造雅致其待遇尤モ
懇切ナリ
鉱泉医治効用ノ概略ハ胃弱、慢性腸胃加答児、血液不良、呑酸、肝臓病、
便秘、僂麻質斯、神経痛、皮膚病、肺労、気管支加答児、胸腹膜
炎、月経不順、子宮病、其他諸症ニ効アリ浴後常水ニテ能ク全身
ヲ洗フベシト云フ
【下枠内】
里程表
安中ヘ 一リ廿丁
板鼻ヘ 二リ十丁
高崎ヘ 五リ
原市ヘ 廿七丁
一ノ宮ヘ一リ十八丁
富岡ヘ 二リ
妙義ヘ 二リ十丁
下仁田ヘ四リ余
榛名ヘ 七リ余
松井田ヘ一リ十八丁
阪本へ 三リ廿丁
【左端、上側の枠内】
明治十九年八月十八日出版 御届
同 九月廿五日刻成
【左端、下側の枠内】
東京本郷根津藍染町廿番地
静岡県士族
著者兼出版人 益池龍之助
同下谷区下谷北稲荷町十一番地
販売人 長谷川栄三郎
【上段右】
地市騒(ちしさわぐ)
寒中苦(かんちうくるしみ)
夜愁震(やうれひふるひ)
【上段中】
死芸悲(しげいくるしむ)
遊人間(ゆうにんおあいだ)
諸困哀(しよこまるあはれむ)
【上段左】
銭焼廃(せんやけいたゞく)
金銀廃(きんぎんすたり)
白多施(はくをゝしほどこし)
【下段右】
当隣響(たうりんひゞく)
北国焼(ほつこくやけ)
諸潤変(しようるほふへん)
【下段中】
地貸痩(ちかしやせる)
借主有(かりぬしあつて)
家無痛(いへなしいたむ)
【下段左】
天軒守(てんのきまもる)
直下札(ねさげふだ)【右ルビ「か」左ルビ「した」】
配張触(はいはるふれ)
【解読】
地中震(ちちうふるひ)夜中騒(やちうさわぐ)
寒中苦(かんちうくるしみ)市中愁(しちううれひ)
死人哀(しにんあはれむ)諸人悲(しよにんくるしむ)
遊人間(ゆうにんおあいだ)藝人困(げいにんこまる)
銭銀施(せんぎんほどこし)白銀頂(はくぎんいたゞく)
金銀廃(きんぎんすたり)焼銀多(やけぎんをゝし)
当国変(たうこくへん)諸国響(しよこくひゞく)
北国焼(ほっこくやけ)隣国潤(りんこくうるほふ)
地主痛(ちぬしいたむ)家主痩(いへぬしやせる)
借主有(かりぬしあつて)貸主無(かしぬしなし)
天下触(てんかふれ)配下守(はいかまもる)
直下札(ねさげふだ)軒下張(のきしたはる)
【コマ⒈の裏面 蔵書印と手書きの整理番号】
東京大学図書之印
0011841574
長原の夜雨
【一資料ずつ別項目になっている為、左下資料のみ翻刻。】
【参考に残りは 清見寺晩鐘。音見坂落雁。田子の浦帰帆。】
上州草津温泉大図【横書き】
【表題の上の枠内】
当温泉は
人皇四十四代
元正天皇御宇
養老五年
四月八日行基
菩薩当山に
登温泉を成
給ふ其後
建久年中
将軍頼朝公
当国崎御
道て温泉に
浴し給ふ其湯
を御座の湯と
名付に頼朝公
の御宮有委は
温泉記に有
天正年中
近衛龍山公
御入湯有御歌に
▲里はまた
紅葉の秋に
時しらぬ
白根に今朝は
雪ぞふりけり
【右下の枠内】
板元 《割書:あふみ屋|としまや》
草津温泉より【一段目から八段目までベタ打ち】
三り 羽尾
六り 狩宿
御関所
沓掛
十八り みやうぎ
三り半 長の
三り 須ヶ尾
二り 大戸
御関所
三り半 三のくら
三り かみ山
三り たかさき
原
二り 川原湯
三り半 岩下
一り半 江原
一り半 川戸
四り はるな
三り 室田
三り半 【たかさき】
四り しま
二り 生須
四り八丁 沢渡
六り いかほ
一り半 水沢
三り 柏木
三り
二り 中の条
一り あり川
二り 入須川
二り 相又
一り 猿ヶ京
御関所
【中の条】
七り 八ツ崎
七り 花わ
六り 竹木
四り 足尾
五り 日光
四り 大前
一り 大さゝ
御関所
八り峠 仁礼
一り半 わた打【綿内】
□り半 ふく島
二り 舟わたし 善光寺
七り峠 渋湯
一り半 中の
立ヶ花
舟わたし
二り 浅の
一り廿六丁 吉田
□り 【善光寺】
【右側中央、「ねつの湯」の説明】
ねつの湯【横書き】
此ゆは日に三度づゝおんねつの
かはり有て服病はやわらかなる
時入べしうちみくぢきによし
ひつひぜんにはごくあつきとき
いりてよし▲汲水の湯になる
ほどのあつさ哉
【中央上、「御座ゆ」の説明】
御座ゆ
むかし頼朝
此ゆに入給ふ
なん病の
人はこれに
入てよし
【中央中ほどの右、「かつけのゆ」の説明】
かつけのゆ
こう法大師
かつけにて御なんぎ
のせつ此ゆにて
御くわいき
あり
かつけと
しやく
つかへの
名湯
なり
【「かつけのゆ」の下、「馬のゆ」の説明】
馬のゆ
馬の病に
入て吉
【中央中ほどの左、「わたのゆ」の説明】
わた□□【のゆ】
やわらか
なるゆにてよは
き人ひへしやう
の人は長く
入るはげんきをまし
子なき女はくわいにんする也
【中央の下、十七本の打たせ湯の説明】
滝は大小十七本有
いづれの病にもをり〳〵
入ときはのぼせをひき
さげ気血を廻らし
百びやうとして治
せづという事なし
【中央の下、中町の左側の書き入れ】
汲てゆくいづれ
姿の水かゞみ
よいのもあれば
わるいのもあり
【左側上、「じぞうのゆ」の説明】
しぞうのゆ
むかしこゝに虫の病有
人一七日こもり入にまんずる
にゆめのつげに此下に
おんせん有これに入
時はむしのねを切也
無病の人おり〳〵
入ば道中にて雨風に
あたりてもゆはもど
らづ じそうの
せいがん也
【左側下、「わしのゆ」の説明】
わしのゆ
此ゆはむかしわしとび
来て日に三度づゝ足を
ひたし人〻ふしぎに
おもいみればてつぽうに
うたれたるきづ有て
これを湯治する也
ほどなくへいゆにして
とび行うちみくじきの
名湯なり
鯰之讎討【瓢箪の形をした枠内に表題】
安政二年乙卯十月二日亥の刻の頃江戸ハいつくの町にてやありけん家主
はじめ何れも大勢詰ゐたる番屋に壱人の浪人来りて我ハ天下 遊(ゆう)歴(れき)のものなるが
宿をもとめかねてすでに夜に入たり願ハくハ一宿 一(いつ) 飯(ぱん)をめぐミ給へといふニ何れも
其ていを見るに武者修行のものゝ如く丈の高サ六尺有余面 躰(てい)異(い)容(よう)にしていかにも
一くせあるべき浪人也番人一同ニこたへけるハ此所ハ町内の非(ひ)常(じやう)をまもり且火の
もとをいましむるのためなれバ其もとめに応じがたしこの所より 旅籠(はたご)やの
ある馬喰町ハ程遠からねバとくゆきて宿り給へといふニ 彼(かの)浪人色をかへて
我ハ天地震動さいと号ししらさるものなし 既(すで)ニ近ねん大地震なきが
故に 歟(か)諸国に我 輩(ともがら)を 慢(あなどつ)て蒲焼或いハすつほんになどになすが
ゆへニけん 属(ぞく)らつミなくして死するもの少なからず依て是がためニ其仇を
報(むく)わんことを思ひまづ 幸(さいは)ひニ本ごく 発足(しゆつたつ)の時善光寺かい帳ニ来り 集(あつま)り
たるものを震ひ落しこれを手始として美濃近江にかゝり京大坂に
登りてまた多くの人民を震ひ殺しけるがわれにてもいまだ快(こゝろ)よからず此ついで
大和めぐりをなし兼てきこへし繁くハの江戸ニ来りて猶一ト網ニ震ひころさんと
思ひ大和河内紀伊和泉伊賀伊勢を震ひてこれより 東(とう)海(かい)道(どう)筋ニかゝり
伊豆に来りて下田を震ひこゝにしばらく 滞留(とうりう)てまた 駿(すん)遠(ゑん)尾(び)の三ヶ国ニ
立もどり先月廿ノ日吉原宿まて下りて今日たゝ今此所ニ来れるなり
もし 我(わが)求めニ随ハずハ忽ちニ震ひ殺すべしとのゝりけるニ番人共さてこそ汝ハ
地震なるや此所ハこれ汝等をふせぎまもる地震番屋也いざからめよとて立(たち)さハぎ
けれバ震動斎ハいよ〳〵ます〳〵怒りをなしてよし我ニ手向ひせバ今ニ思ひしらせんとて
ゆきがたしらずなりけるが天地 俄(にハ)かニ震ひ 出(いで)て家崩れ蔵落て出火所々ニ始り
損(そん)亡(ぼう)死人おびたゞしく 震(しん)動(とう)斎ハこれ見て今八百万の神たちは出雲にいたり
留守にてましませども鹿島の神の聞つけ給ひてもしはせ下り給ひなバ 後(かう)難(なん)はかり
がたしとて 北国(ほつこく)さしてにげうせけり
0011841988
【印、「東京大学図書印」】
安政二夘年十月二日夜四ツ時過十月廿六日改
御府内御屋敷方市中共
地震類焼場所明細書之寫
兼街道筋近郷聞書 禁賣買
一 千住ゟ吉原浅草御蔵前辺
二 橋場今戸山谷辺
三 東門跡廣徳寺前辺
四 堂前より山さき丁辺
五 坂本ゟ三の輪根岸谷中
六 上野御山より池のはた辺
七 廣小路ゟ御成道御かち丁辺
八 御成道ゟ明神下外神田三味せん堀辺
九 両国ゟ日本ばし北十軒店辺
十 神田東西とも
十一 小川丁辺神田ばし外
十二 小石川御門内
十三 飯田丁ゟ番丁かうじ丁辺
十四 四ツ谷御門外しん宿青山目黒辺まで
十五 本郷ゆしま王子辺まで
十六 駒込白山小石川巣鴨辺まで
十七 小石川御門外牛込高田辺
十八 和田倉内大手さき八代洲川岸辺
十九 外さくら田霞ヶ関永田丁辺
二十 芝本芝一圓品川まで
二十一 日本ばし南しんばしまで
二十二 八丁ぼり築地霊岸嶋佃嶋辺
二十三 南北本所辺不残
二十四 深川一圓ニて終る
【朱字】御大名様御名前上ニ本書御紋有之候得共略し不記
安政三辰年正月九日寫之 小羽氏
一 日本橋ゟ北のかたハ千住宿大半くづれ小
つか原丁両かハ不残やける新よし原ハくつれ候うへ
江戸丁京丁二ヶ所出火五丁残らすやける大門外
五十間高札の側の方田中山谷新鳥こへ町は
家土蔵とも町家寺院不残くつるゝことおひたゝし
又田丁二丁め同一丁め山川丁北馬道金龍山北
谷中谷の寺院不残焼失北新丁〈割書:聖天|よこ丁〉より
芝居丁三丁やける東かハ少ツヽ残而南馬道より
花川戸町中ころニて留る瓦丁聖天丁山の宿
くつれ多く出火の患なし金龍山観音堂つゝかなし
夫ゟ並木田ハら丁中丁ハ崩れおほく駒かた丁
中ほど西側ゟ出火當所谷中清水いなり門前
谷中八軒丁代地少しやける駒かた東がハ駒形堂ゟ
両側共諏訪丁黒ふね丁三好丁御馬屋川岸
にてやけ止る榧寺門前のこる三間丁森下辺新堀
辺大いたミ御蔵まへ通りより茅丁左右代地
福井丁とも鳥こへ辺くつれ多し
二 橋場丁ハくつれ多く東かハ少しやける
今戸ハくづれ半にて橋ぎハ少しやける此辺
寺院損ぼう多し
三 東本願寺御堂別条なく地中くつれ多く
菊屋ばし向新寺丁両かハに半丁やける
此辺すべて寺院多所なれハ大破おひたゝしく
損亡数しれず又新堀通上中下共崩多し
四 堂前〈割書:元三十三間|堂前なり〉山本仁太夫〈割書:【朱書き】此所本書|文字不正〉矢来門つふれる
上出火して此所のミやける山伏丁御切手丁山崎丁崩多し
五 坂本二丁め三丁めやける御たんす丁へ少しやけ
込但し一丁めゟ金杉辺ミの輪辺大?寺前辺崩
多し根岸ハ格別の事なし谷中辺所〻いたミ天王寺
五重の塔九りん落ち三さきたんご坂辺少しくつれ
六 東えい山御別条なし宿坊のミ少〳〵くつるゝ
池の端かや丁ハ二丁め一丁めつふれのうへ不残やける
山側のこる尤つふれ多し御すきや丁のこらす崩
天神下通り御やき大半くづる
七 下谷廣徳寺前通り裏表御組やしき所〻
格別の崩なし上野廣小路東かハ中ほとゟ出火
して北大門丁元黒門丁上野町壱丁目二丁め同
朋丁新黒門丁上野御家来やしき御成ミち
井上筑後守様東北の角少しやける大門丁東
坂丁長者丁一丁め二丁め下谷丁一丁め代地やける
中御徒士丁片がハにて留る三枝ばし横丁ハ鈴木
石川酒巻福井山崎様やける三枝ばし角ゟ中根
さま半焼大沼大塚山木太田大塚やける皆川松井
様のこる成田堀江田村飯原利根川杉山真下
津田平野大岩様杉江山本様やける赤井山田
戸谷藤川岡村やける伊藤様火の中にて半分
残る太田杉田前田清水藤安様やける三谷長谷
川中西様のこる船橋谷村渡辺連水川嶋出口
村田様やける加納様半分やける廣瀬様にて
やけ止る此所東側美濃部葛山大久保様三けん
やける又まりし天横丁ハ桃井森下大八木井上平尾
谷川高木長谷川松本手嶋望月様やける上野
丁横丁ハ袋丁ニて城戸石川吉村高田中村様
やける又青石橋横丁肴店通ハ高安山本宮川
小倉桃井太田様やける此所火の中ニて森田西郷
様二けん残る上の丁二丁め横丁ハ市田坂本山本
飯田坂田家木木村様までやける同一丁め横丁ハ
亀山秋山佐藤河原若?????にてやけ留る
長者丁向側ハ有田榊原小峯坂口小倉東王地
伊藤三間吉田脇谷内田橋村黒田佐藤市田様
やける梶山手嶋谷川藤井三浦三田村湯川田口
大谷高井鈴木伊藤田中相沢俵田竹内様焼る
安間高木様残る山口様やける志村様残る辻元
様やける狭間様残る新やしき南西角久保田藤井
飯原様やけ止る
八 御成道西側ハ 石川主殿頭様 黒田
豊前守様やける此邊小やしき大半崩れ伊賀様
やける又明神下通りハ建部内匠頭様内藤豊後守
さま表長屋崩るゝ明神下御だい所丁同朋丁金沢丁
旅籠丁辺大半いたむ昌平橋外少しくずるゝ湯しま
横丁同壱丁めハ崩少し神田明神別条なく筋
かへ御門外ハ花房丁仲丁一丁め二丁め此辺御成
道町家東西共うら通り迄大半崩るゝ松永丁
相生丁も少しくづれ佐久間丁藤堂様御門前
川岸ともくずるゝ所少し新シ橋通りくつれ多し
又七曲りハ医学館多紀様跡部様井伊兵部少輔様
松浦肥前守様酒井左衛門尉様御中屋敷佐竹様
御中やしき佐竹壱岐守様池田様巨?様阿部様
小出様いづれも大くづれにハ候ハねと所〳〵崩あり
又三味セん堀ハ佐竹様をはじめかくべつのいたみ
なく塀くつるゝのミに御坐候
九 浅草御門内馬喰丁通両国辺柳原通りハ
くつれ少なく橋丁辺薬研堀村松丁濱丁辺ハ
崩少く富沢丁ハ崩つよく人形丁通東西ハ所〳〵崩
いたつて多し親父ばしあらめ橋辺小舟丁堀江丁
堀留いセ丁セと物丁魚かし宝丁両がへ丁釘店本
丁大傳馬丁石丁白銀丁油丁塩丁辺すべて土蔵
多くいたみ崩るゆへこれがために家をくづし
けがいたし候もの多し
十 神田ハ橋本丁豊嶋丁辺少し小柳丁辺平永丁
大いにくづれ筋違御門ゟ今川ばし通所〳〵崩多し西
神田一ゑん少〻ツヽいたみ又鎌倉かし通崩少し
十一 小川丁筋かへ御門ゟ水道ばし通りのうち稲葉
長門守様土屋采女正様此辺そんし 戸田大炊頭
さまやける御表長屋残る 内藤駿河守様焼
て表御長屋残る夫ゟ向ハ田中唯一様残る猶又
堀田備中守様大いにやける向側に半井いづ
もの守様一軒やける溝口八十五郎様佐藤金之丞様
伏屋様大久保様柘植様やける依田様一軒のこる
神(かん)織部様荒川様曽我様近藤様青木様本
多様新見様迄やける河内様小林様佐藤様
やける夫よりうら神保小路ハ間下長坂寺嶋荒
井様迄やける又一ツ橋通りハ明楽様雨森様大岡
のこる表神保こうしハ定火消御やしきやける 榊原
式部大輔様半焼る通用門より向がハ 本多ぶ
ぜんの守様半やけり夫ゟ戸田加賀守様やけて西南
角少〳〵のこる鷲津淡路守様やける長谷川荒井様
二けんのこる尤表がハのミ山本様少〳〵にて焼止る又
一ト口ハ雉子ばし通小川丁ハ本郷丹後守様やける
三ばん原ハ 松平豊前守様やける塙(はなハ)宗悦さま
やける又一ト口ハ渡部三之助様やける又一ト口ハ一色
丹後守様やける同一色邦之助様奥少しやける
尤一えん地震つよくくづるゝ事夥しく候
十二 小石川御門内ハ 松平駿河守様やける此
辺御組やしき加藤大原渡辺冬木様やける本間平
兵へ様やける大森勇三郎様本目様やける中条
中務大輔様山本様やける高井様やける藤川様
半焼にて止る此辺やけさる家ハ大半潰る小石
川御門より西ハ少し損し候
十三 飯田丁辺まないたはし九だん坂へんくつれ少し
番丁小□〻よく〳〵見届け候へとも多分の事なし
からし丁大通り少〻いたみ平川丁隼丁山元丁
谷丁邊ひくき所ハ少しいたミ多し
十四 四ツ谷御門外傳馬丁通り大木戸邊まて
所〳〵潰れ候家相見へ内藤新宿なる子町辺迄
多分の事なし尤玉川上水万年樋石坂そんじ
水あふるゝ天王横丁ゟさめか橋辺そんじ多し
青山善光寺前通大いにそんじ道玄ざか町
渋谷北ざハ桐ヶ谷下目黒辺まて少しいたむ
又長者が九かうがいはし辺少し日がくぼ壟辺
ミな〳〵少しツヽ所諸所に見へたり麻布ハ一圓
くつれ少し廣尾白銀目黒辺いつれも少〳〵
ツヽくつれ所あり
十五 本郷湯嶋辺ハ少ツヽくつれ候所ハ諸所相見へ
申候へ共格別の事なく尤静むろくへ留損ぼう
おびたゝし小石川さかい菊坂下田丁ハくつれ多し
十六 駒込千駄木辺ハ諸〻少〳〵ツヽくづるゝ白山下ゟ
指が谷丁下富坂丁ハくづれ多く巣鴨染井邊
くづれ少なし王子板ばし辺迄少しくづれあり
十七 小石川御門外ハ水府御やき百軒長屋向がハ
御やき不残くつれ五六軒やける牛天神下すハ丁
より安藤坂辺すへて崩れ多し龍けいばし 松平
讃岐守様御やきやける夫ゟ傳通院前通りくづ
れ少なく裏門通りくづれ多し小日向水道丁
関口鳥羽ハ崩れ所〳〵に相見へ見え目白椎名丁ハさハり
なし牛込寺丁辺所〳〵くづれ改代丁ハ大崩也なほ
市がや高田辺ハひくき所のミくづれ所多し
十八 和田倉御門見張番所やける 松平肥後
《割書:會|津》守様 松平下総守様 内藤紀伊守様や
この辺桜田内馬場さき御門内大半くつるゝ馬
場外ハ 遠藤但馬守様 松平相模守様
半やける御火消やきやける数寄屋ばし御門内ハ
くつれ多く猶又御類焼の御やきハ 永井遠
江守様 本多中務大輔様やける日比谷御番
所やける 松平土佐守様 土井大炊頭様大いに損し
同御門外ハ 松平肥前守様やける 長州様裏
御門内少〳〵やける 有馬備後守様 南部ミのゝ
守様やける向かハにて 薩州様せうぞくやき
表長屋少しやける幸橋御門内ハ 松平時之介様
伊藤修理大夫様 亀井隠岐守様中御や
しき御長屋一棟やけるこれにて止る龍のくちかと
森川出羽守様やける大手さきハ 酒井雅
楽頭様やける表御門のこる同御向しきやける此邊
越前様一ツ橋様小笠原様くづれ多分也呉服
ばしゟすきや橋内いつれも崩所〳〵なり
十九 外さくら田ハすべて御大名のミ多く小やき
これなきゆへ塗籠の御長屋大はんくつれ霞が
関ハ藝州様御別条なく黒田様角矢倉御物見
より表御門迄御長屋くづるゝ其外諸家様くづれ
多し江戸見坂上永田丁辺少しつゝ崩れ相見へ申候
山王御社つゝかなく赤坂御門内御やきいつれも
くづれ諸所に御坐候
廿 幸橋外あたこ下通り久保丁あこたし
橋外切通し増上寺御成門辺諸所くづるゝ
所相見へ申候芝口ハ露月丁辺まて汐留仙
臺様御やき辺までゆるやかにて柴井丁一丁
やけるこれより上大門まて地しんつよく三嶋丁
神明丁濱に御やきとも残らず崩れたる所
多し濱松丁より上中門前片門前金杉本芝
田丁三田ひしり坂小山邊少しヅヽ當て候所相
見へ候へとも格別の事なし赤ばね辺有馬様
大くつれ水天宮つゝがなし聖坂より伊皿子たい
崩れ多し高輪臺丁そんし多く白銀二本抜
御殿山ハ格別の事なし高輪通りいたミ少し
薩州侯御物見一ヶ所くつる品川宿少し
いたむ和泉屋と申旅籠屋一軒つぶれ
其外橋向つふれ多し
廿一 日本ばしより南ハ東西中通り呉服ばし
かし新場かし通りとも中ばし辺かくへつの事
なく南てんま丁ゟ崩れ多し同所二丁め京橋
際までやける西ハ南鍛冶丁南大工丁五郎兵へ
丁やける奥丁は火の中ニて残る所少しあり大根
河岸までやける東ハ具足丁柳丁いなば丁鈴
木丁常盤丁松川丁片かハやけ炭丁竹がしにて
やけとまる又京ばし向ハ弓丁辺所〳〵そんじ
多し銀坐三十間ほりハ崩れ少なし木挽丁
築地も少なし数寄橋通り山下通り山城かし
土ばし辺滝山丁少しくつるゝのミなり
廿二 北南八丁ぼり辺ハくづれ少し鉄炮洲ハ崩
多し別して船松丁辺つよし 松平淡路守様
やける此辺おやき残らずいたミ多くいなり社
別条なし霊がん嶋ハ湊丁長俦丁富嶋丁川口
丁湊はし通北南しん堀箱崎丁共崩多く
南しん堀半丁塩丁片かハ大河ばた丁までやける
松平越前守様のこる是ゟ小網丁通稲荷
堀酒井うた様おやき辺甚左エ門丁ゟ銀坐や
しきかきから丁辺松嶋丁辺くづれ多し濱丁
間部がし通り大橋ぎハまて大半いたむ水野
出羽守様やける
廿三 本所ハ惣て崩多く御大名様御旗本様ハ
大半くつれぶじなる方まれ也その中に松平
周防守様本ばし向御やきやける夫ゟ松嶋
丁辺多くつぶれ小梅瓦丁辺少しやける又中の
郷辺寺院損亡多し荒井丁こと〳〵くつぶれ石
原牛の御ぜん御仮屋辺并天小路辺小やき
やける又一ト口ハ天満宮前亀戸丁二ヶ所やけ
る柳しま押上辺所〳〵つぶれ多し又法恩寺
橋ぎハ町ヤ少しやける吉田丁吉岡町南割
下水辺小やき共大いにそんじ津軽様近辺
まで潰れ多し又御竹蔵まへ通小やき大いに
くずるゝ又東両国竪川通りハ両岸町家から
表は潰多く二ツ目緑丁一丁め二丁めやけ三丁
めハくつれのみ四丁め五丁めハやけて三ツ目花丁
少しやけ又川向ハ林丁一丁めゟ五丁めまで潰多くして
徳右衛門丁一丁め二丁めやける三丁めハ潰多し菊川丁
三丁とも崩れ多く扇ばし際深川西丁半丁ほど
やける又しゆもく橋ゟ上ハ手両岸共つふれ多し
廿四 深川御船蔵前丁ゟ八名川丁辺へやけ込
西光寺のこる大久保様少しのこる歯神の
やしろやける御船蔵番やける長家様ゟ大日
横丁管の井上牧野やける木下圖書様
火の見はかりのこる林様やける御籾蔵半
分のこる八名川丁ゟ北六間堀南六けん堀
神明宮つゝがなし裏通りゟ北の方のこる同社
門前やける又一ト口は中敷下ゟ南森下丁元丁
小笠原様やける又一ト口は猿子橋辺ゟ出火して
井上様少しやける夫ゟ常盤丁一丁めゟ二丁
目太田津の守様□しにてやけとまる又
籾蔵ときハ丁深川元丁つぶれ多く一丁の中
ニて三軒のこる又田安様御門前ニて一家一けん
残り此辺大つぶれ是ゟ扇ばし辺迄一圓つぶれ
多し西丁東丁は大いにつぶれ猿江うら丁三丁
斗りに三間のこる扇ばし通り土井大炊頭様
やける夫ゟ小名木川辺大いに損し又海辺大工丁ゟ
清住丁新寺辺潰多し今一ト口は伊勢崎丁一丁
め二丁めやける西平野丁富久丁三角やき此
辺こと〴〵くつぶれ閻魔堂橋網打場辺は少したるみ
佐賀丁辺大いにくつれ相川丁ゟ出火して熊井
丁諸丁中嶋丁大嶋丁迄やける富吉丁通り小川
丁八幡橋の際火の中ニて三げん残る蛤丁少し
残り黒江丁三念寺やける永代寺門前山本丁
西横丁やける蛤丁金子横丁俗に中うらといふ
此所ゟ松平出羽守様やける夫ゟがたくりばし
の際まて二三けん残り爰ニてやけとまる此火
三口一所ニてやける又一ト口は和倉ニて北本所代地
佐賀丁代地等やけるなり又黒江丁一丁四方
ばかり焼る
右之通焼亡場所見廻り不洩様相改候へとも
崩候蔵数等認□候空事にて用るにたらす
御屋しき方市中ともそれ〳〵実正を糺し紛れ
なきを集めて書しるし置もの也
上様ゟ御救小屋
幸橋御門外久保丁原
浅草廣小路
深川海辺新田
同所八幡宮境内
上野御山下火除地
東叡山宮様ゟ御救小屋
同所山下原並ぶ
◯御府内施し名前附
一けんまへ 芝口
一 米三斗五升〈西かハ丁きつ?の丁や〉御屋敷様
同
一 同五斗二升 源介丁へ
一けんまへ丁内其外へ ふか川さが丁
一 金一朱ツヽ みやもと
右同断 同所
一 同一分ツヽ 山屋㐂兵衛
右同断 同所
一 同一朱ツヽ 池北屋
右同断 同所
一 同一分ツヽ こめ 勇
同所
一 同一分ト弐百文ツヽ 相川町某
丁内へ
一 同一分ツヽ 同木場
寺丁三丁 萬 和
一 同弐朱ツヽ
出入船頭へ 同さが丁
一 同一分ツヽ 乳くま
七日の間ミそ少しツヽ諸人へほどこす
一 同弐百十三両二分二朱 同所
米七石五斗 久住五左衛門
外ニ金一分ツヽ丁内へ 勢州住宅ニ付
御ほうひ銀七枚外に二枚被下置 店支配人
正兵衛
一 同百七十四両二分 同北小川丁
外ニ一分ツヽ丁内へ 近江や㐂左衛門
御ほうひ銀七枚
一けんまへ 同さが丁
一 同一分ト玄米一斗ツヽ 川むら
丁内一けんまへ 新右衛門丁
一 同弐朱ツヽ 本 惣
れいがん嶋十八ヶ丁へ れいがん嶋
一 同一分ツヽ 鹿しま
一人前 廿七ヶ丁居廻り丁〻也 新右衛門丁
一 白米五升ツヽ 川村傳左衛門
一人前 居廻り丁〻へ 南かやば丁
一 同断ツヽ 永岡儀兵衛
一けんまへ十八ヶ丁へ 南しんほり
一 同一斗五升ツヽ 伊 坂
一人まへ 八ヶ丁へ 日本ばし万丁
一 同五升ツヽ 谷口熊五郎
居廻り丁〻へ
一人まへ 御救小屋へ 同青物丁
一 銭三百文ツヽ さぬきや久兵衛
一けんまえ 居廻り丁〻へ 神田
一 金一分ツヽ 紺屋丁某
丁内其外へ 北しんぼり
一 同一朱ト百文ツヽ 長しま屋
同断 同所
一 同断ツヽ 北むら
同断 同所
一 白米五升ツヽ 後藤氏
同断 れいがん嶋
一 金一朱ト白米一升ツヽ まる屋
一 同二朱ツヽ 丁内へ 露月丁
一 同一朱ツヽ しハい丁へ さかい屋
一 同断ツヽ 同断 同所
一 同断ツヽ 同断 きね屋
一人まへ 浅草仲丁
一 金弐朱ツヽ 酒井屋
かミなり門御救小ヤへ
同 同所
一 同弐朱ツヽ 三 㐂
同御小屋へ
こまかた
一 毎日味噌汁四斗 内 田
樽ニ三荷ツヽ御小屋へ
一人まへ 居廻り丁〻へ 同三すじ丁
一 白米五升ツヽ 関 氏
馬道かミゆい
一 雷門御救小屋へ入 平五郎
人〻へ髪さかやき施し
右之外御武家方寺院方町家共おい〳〵
施しこれあるべく候へども猶取しらべのうへ
書載せ申へく
街道筋近郷聞書
東海道ハ程がやかぎり神奈川宿所〻くづれ
多し本牧金沢鎌くら江の嶋浦賀辺まで
◯中山道ハ上州高崎限り此海道地ゟ砂わき出清水
あふるゝ所諸所ニあり蕨宿ゟ大宮の間さハり多し
◯甲州かい道八王子限り街道筋格別の事なし
◯日光街道ハ宇都宮限り街道筋くつれこれ
あり候分ハ草加辺也
◯水戸街道ハ土浦を限り街道筋所〻に見
ゆる下総ハ逆井近辺ふるひつよく行徳船ばし
辺同断葛西領二合半領ハくずれ所〻なり又
松戸市川柴又辺も崩れ多しと聞く其外在
郷市中共見積り候所高臺の地ハ格別の事
無之低き地所ハ多分いたみつよき方ニ相見へ申候
大坂表文言抜書
九月廿八日夜地震いりて大坂平野橋箒丁
蜆ばし筋大いに崩れ此辺人多く損し候よし
又尾州名古屋遠州濱松も城下少〳〵やける
右は同時ぢしんありしよし傳へ申候
九月廿九日八代目團十郎弟猿蔵大坂若太夫
座にて不破伴左衛門と関取濡髪の役をつとめ
興行中死去いたし候法号
実誉義莚孝安信士 九月廿九日
年廿一才
江戸芝居丁類焼の中にて残り候分役者
しうか伜
居宅ハ坂本吉弥中村福助市村羽左衛門
森田勘弥尾上菊次郎その外茶屋二三
げん残る
●土蔵大崩れの分 六万七千五百余
●同少いたミの分 八万六千四百余
●けが人凢 十万千余人
●吉原同断 千五百五十余
外科りやうし通ふもの
□【「三」カ】万弐千余人
古橋小羽氏
【右上四角枠内】
小石川 水戸殿通用門
奥表之さかい水門石垣え一ケ所
一ツ橋御門外 明地 松平紀伊守向
御茶の水油坂 川副勝三郎【旗本】屋敷
飯田丁 玉すしや前
神田多丁 長谷川と申質屋
下谷七曲り 井伊兵部少輔
深川 小石川丁米屋
御成道 石川やしき 庭
深川 御舟蔵 脇
青山御えんせう蔵
浅草 熊ケ谷いなり 地内
南茅場丁 米や土蔵 雷火
白山丁 伊賀坂 松平備中守外
つきぢ 加納備中守
赤坂一ツ木丁 竹こし屋敷【尾張藩付家老竹腰家】
麻布長坂丁 渡辺為右衛門やし
森川宿 本多
青山五十人丁 大嶋と申やしき向
戸田隼人 正やしき
千駄ヶ谷八まん 地内
しふや六反 前ばし酒屋向
伝通院 庭内
愛宕下 青松寺山
新宿 松平出羽守やしき
日本はし 釘店
深川 扇はし
すがも 二ケ所
牛込 御門前ほたんやしき【牡丹屋敷】向
雑司ヶ谷 弐ケ所
明う【?音は「茗荷」】が谷戸田■■守【淡路守?】やしき二ケ所
本所菊川丁 中のはし
麻布中丁二丁目
鮫ケはし
青山六道の辻 荒川と申やしき
本所 藤堂和泉守屋しき
赤坂紀伊国坂 同堀脇
小梅川舟
芝 大久保加賀守
本所相生丁
あざぶ
芝宇田川町 医師
一番丁 御勘定 佐藤五郎左衛門
佃しま 沖舟中
上野御宮前
昔 赤羽板はし
麻布 日ケ窪
浅草森下金龍寺
同 小揚
一新寺丁 真言宗寺 二軒
白山伊賀 坂直 飯田と申やしき
□【こうじ】丁成せ隼人正【尾張徳川家の付家老】
外 さくら田 上杉屋しき前
高田馬場わき
同 長明寺之壱ケ所
都合五十八ケ所也 昼八ツ時頃ゟ
嘉永三年八月八日明七ツ時迄大雷
【絵図中 上中央枠文字から左へ】
外料骨接の名人
足のりやうじ
「アゝ もちつとしづかに やつておくんなさいまし
わたくしは こんど かやば丁の 米ぐらへ落やした
所が たちまち火事に成て 買こんで置いたた米
を不残やいてしまう程の 火事たが もと
より 火の中に斗いるからだゞから 火はなん
ともないが 左の足をくじいて 走事がなら
ぬ所を 雲かきて やつと たすかつたの
で ござり升【ます】
背骨りやうじ
「ヲゝあつゝしか
し又 いゝ心
もちに成て
きた おかげさまで
よふ〳〵 鬼心がつき
てした モシおい
しや
さま お聞なさりまし
わたくしも 是迄 諸方
一落ましたが 今度の
よふな所へおちた事は
ござりませぬ 森川の
おやしきうちに ふう婦
いてふと申て 大木が ござり
升が 其いてふは 根が
またに 成ており升
其またの ちやうど
真中へ おちまして
背ぼねを打まして気
がとをく成ました 其
上 あいつは ふう婦中を
さかふと思つて落やがつて かへつて う
ぬが背骨をぶつて いいきみだと 木花共
が ぬかしおり升とさ こんなむまらぬ
事は厶り【ござり】ません
【絵図中 中央左から】
尾にて尻を打やぶる
〽ア こていられ【ん?】ねへ 是此尾が 尻の中へ
はいつていたものを いてへはづだ モシ
おいしやさん わたしは 小石川の御屋
敷の 御門の家根へ おちたのさ そこ
で 家根瓦で こんなに尻を やぶ
つて 大けがをして おせわに
成ます
ひはらを□□□
〽モシ わたしやァ 畑島の
沖中の大船のはしらへ おち
やした所が あいにく 川のふ
きぶりだから 帆ばしらか
ねかして 有た 其上へ
おちて ひはらを ひどく
ふつて すんでの事に
それ切に 成所で厶り【ござり】升
だが それでもうんのよ
さ
【この文章の上にある盥絵の左文が続きと思われる】
わたりりの ふねの
帆ばしらたつて
有ましたから
其帆ばしらへ
のぼつて やつと
雲にすがつて
よう〳〵たすかり
ました
腕のりやうじ
「アイタ〳〵 うでがぬける〳〵 アゝ
モシ 此うでが□□ましたが おか
げで やつと□し□□厶り升
もふ〳〵こり〳〵した こんだ
田丁の質ぐらへ おちた所が 雲は上る
でところはなし くらの二階中
□□あるいて見てもしかたが
ねへから まどの□を やぶつて
【この文章の下にある鬼絵の下の文が続きと思われる】
▲やつと出た所が
はらはへる あん
な くるしかつた
事は有ません
そんでも てんとう
鬼ころさずで
ちやうど 雲がき
て やつとたすかつ
たが 左のうでが
ぶらになつた こ
んなひどいめに
有た事は
なしさ
角ヲ折牛の角挿かへる
〽アゝ いてへ〳〵 此通り 角をおる程
ひどくぶつたものたから 気ぜ
つを しました所で□が
口へはいつたので やつと
いきをふきかへし
よく〳〵見れば
浅草の地内
のいなりさま
の
【この文章の下にある角の治療をされてる鬼絵の左文】
〽鳥居のきわさ
すんでの事で そ
れ切ころりと行
とこで厶り【ござり】升た【ました】 モシ
其出合た角にして下
さりまし 片ちんばでは
見にくう 厶り升【ござります】
から
【この文章の上の子どもを抱いた女鬼の左文】
子雷首くじき
「モシ おいしやさまへ 望事に 此子にはこまり升
いふ事を聞ませぬから 此通り首をつゝこんで わたくしに、気を
もませ升 又内のものも うちのもので 厶り升【ござります】 なんのつれて行ずば
の事で厶り升【ござります】のに 麻布のやしきへ親子ともに おちましたとさ
親父は けがはいたしませんが 此子は ひどいめに あいましたが
虫でも でねば よふ厶り升【ござります】が
怪我雷多勢
【コマ⒈の裏面 蔵書印と手書きの整理番号】
東京大学図書之印
0011841665
【タイトル】
生捕(いけどり)ました三(さん)度の大 地震(ぢしん)
【右上】
だいく
〽ヱヽモシだんなこのてへくのわるひ
ところはとくといひきけやして
とも〴〵おわびをいたしやしゆうから
まアともかくもわつちらにおあづけ
なすつてくださいやしじつのことわつちら
はじめでくやらうまで日壱分とつて
すきなすゐをたらふく けづり(呑)やすのも
このしやつのおかげでごぜへやすから
みにかへてもこのおわびを□くさにや
ありやせんのヲかしら
とびの者
〽そうさ〳〵おめへのいふとをり
こんなことでもなくつ
ちやアあいつのつらア
見にゆくこともでぎやせんモシ〳〵
こらア一ばん
わつちらが
つらアたてゝくだ
せへましな
たくわん
〽あのしゆうの申
ますとをり人の
うれひをよろこぶ
のではございませんが
こんなことでもなけ
りやアはなのしたが
ひあがりますのヲ
やゆ屋さんあゆへなん
【破れ】□そふじやアねへか
【破れ】
〽ほんとうにさ
つくろひし一ど
ぐれいしてゐた
日にやアすきな
こ□の水がのめや
せんこちとらが
ためにや力
いはぐいの
ちのおや
どうゼんで
ござり
ます
どうぞ△
【左下】
△かんべんして
やつてくださひ
まし
や師
〽へヱ〳〵わたくし
なんぞもぢしんさまの
おかけで五ほんや六本のお
あしハあさのうちにとり升
からぢしんまへのこめ
やのかりも五つき
たまつたたな
ちんもすつ
はり【破れ】
そ【破れ】
らもおかん□【破れ】
なすつて
とうかこんどの
ところはお見
のがしください
まし
て
ならふ
ことなら
かり
なく
なつた
じふん
おつか
まへくだ
さいまし
またぜに
もうげが
できます
からトてまへ
がつてをならべ
だてゝごた〳〵※
※わびことを
するにかしまの
かみもこゝろにおか
しくわらひをふくみ
けるがわさとこゑをあららげ
〽イヽヤならぬかゝるつみ
あるやつをゆるしおき
なば日本六十餘州の
なまづどもよきことに
こゝろへまた〳〵□□に
しよ人ににうなんぎをさセ
市中(しちう)を大 家破(かば)やきになさんも
はかられねばいごのみせしめに
なべやきのけいにおこなふべしと
さらにきゝいれ給はざればせんかた
なくみな〳〵ためいきをつきながら
〽ユリせまアとらせう汁
しらひやした
【コマ1の裏】
【東京大学図書館の蔵書印と整理番号のみ】
【表題】
《割書:銘細|改板》江戸大地震出火場所附
【表題の左右の書き込み】
夫(それ)|天地(てんち)の変動(へんどう)ハ陰陽(いんよう)の病労(ひようく)にしてそのき混(こん)じ濁(にご)り
勝(はたかま)り久しく屈(くつ)して発(はつ)する時ハ上りて雷雨(らいう)|電光(てんくう)ひらめき
下りて地中大ひにうごき念魚(ねんきよ)|悲(いか)りて首尾(しゆひ)を発せバ
蒼海(さうかい)もあさしとし須弥山(しゆミせん)も軽(かる)じとす御|府中(ふない)ハ大都(たいと)
会(かい)の繁昌地(はんち)にして諸国(しよこく)の人民|招(まね)かず群集(あつまる)是に依(より)
て遠国(ゑんごく)他郡(たはう)の親類(しんるい)縁者(ゑんしや)へ過京(かきう)の存亡(ぞんぼう)を吉知ら為せん所述(よしをしらさんかためのふる)
【表題左側、上段の上側部分】
頃ハ安政二卯年
十月二日夜四ツ時
にハかにゆりいたし
其音四方になり
ひゝきおそろしき
事筆に余り老若男女
あハてうろたへにけるもならす
土蔵ハくすれ家ハつぶれ
火事ハ四方へ一時にもへあかり
あハれとやいわん其有さま
めもあてられぬ次第也
其出火土蔵家数の
あらましおしるす
御大名様方土蔵
十壱万三千七百三戸マヘ
御旗本様方土蔵
五万八百六十九戸マヘ
寺院方堂宮
五千八百廿七戸マヘ
町方土蔵
三十壱万千四百三十戸マヘ
同類焼の土蔵
三千七百九千【本のまま。「十」か】戸マヘ
惣土蔵数合
〆五十八万四千六百十九戸マヘ
御公儀様より御救小屋御立
被下置候場所
浅草広小路
巾三十六間 深川海辺新田
長七十弐間 幸橋御門外
田村権右衛門様
御役所御救小屋
上野山下
御救小屋増場所
本所割下水
深川八幡地内
山の手ハ午【本のまま】込
市ヶ谷音羽大塚辺
四ツ谷麹町ばん町少〻のいたミ
赤坂青山辺麻布十ばん辺
大いたミにてけか人なし白
銀目黒のへん少たるけかなし
すへて山の手ハ下丁
よりおたやかにて
しすかなるべし
東海道ハ川さき
金川【本のまま。「神奈川」】辺大いにそんじ
上総房州少〻
江のしま浦賀
辺一向なしと云
小山日光道
川口へんハ
大そんじ
中仙道ハ大宮
川越近へん
奥筋水海
道ハ大きに
つよくゆり
いよし古(い)
にしへより
めつらし
き大へん
あらま
しを
しるし
おはりぬ
◯
死人の数
凡
六万八千余人 但し民家方相不分
【上段下側の地図部分】
◯印ハ出火の番 東ゑいざん 田村サマ
付と見るへし 御救小屋
山下
谷なか
此へん少〻の ㊄【十一以上の漢数字も◯の中に記載】
いたミ 上 此へん
根津へん の 土蔵
大くずれ 丁 のこらす
へん やけ
東ゑ おちる
㊂いけのはた い山
かや丁へん いたミ
なし
上のひろ 長
こうじ 者
片かハ 丁
ゆしま のこる
天じん
此辺少〻 六あみだ
いたミ 天神のこる
いけのはた 松坂屋土蔵の
出火 こらずおちる
けが人多し
本郷辺 下谷同朋
此へん穴くら 丁拝領
くすれけが人 やしき
多し 井上
神田明神 石川様 ちくこ守
此へん 御やしき 御やしき
少〻の 廿六 やける
いたミ
御
成
道
せいどう
此かハの
小石川 御やしき
牛天神 多く
廿七 いたミ
すハ丁より 御茶の水
出火 へんハ少〻のいたミ 昌平ばし
飯 廿五 小川丁
田 堀田様 す
丁 戸田様 じ
やける か
い
神田
田丁坂しんミち
へん大くずれ
一ツばし
御門外 なべ丁
㊉ かぢ丁
三川丁 新山手
本郷丹後守様 はし本丁
外 御やしきやける 少〻のいたミ
ばくろ丁
かまくらかし辺
少〻のいたミ
三川丁辺御やしき 神田かぢ丁ぬし丁辺
りうかん丁かまく は蔵家大そんじ
らにしへん少〻 けか人
にてけか人なし 今川橋 なし
せ戸物店大そんし
神田ばし か すべて
此近辺 ま 此へん
御やしき少〻の く おたやか
いたミにてけか ら けか人
人すくなし が なし 石丁通
し 本町通
ときは橋 大伝馬丁
御やしき 此辺少〻 馬喰丁
けか人多し 金座役所
三井居三谷 此へん
少〻のいたミ 少〻
酒井雅楽頭様 此へん 両 けか人 そんじ
両御屋鋪 石かけ 之 なし せともの丁
森川出羽守様 大くずれ 丁 此辺
廿五 御やしき すべて い か
けか人多し じしん せ し
ある也 丁
此近へん
御やしき 此へん少〻そんじ
大そんじ けか人なし
一石ばし 小だハら丁
此へん 此日にさんまの
大そんじ 大市
けか人多し 魚
大名小路 か
ごふく橋 日本ばし し
松平肥後守様
㊈松平下総守様
本多肥前守様 此辺御やしき 四日市
数多大そんじ 此へん少〻
けか人しれず
すへて此へん御やしき 江戸ばし
大そんしの所も有 通丁 万丁青物丁
又少〻の所もあり 近へん少ニ而
けか人なし
こふく丁大工丁すきや丁
ひ物丁へん少〻のいたミ し
遠藤但馬守様 八代す河し 上槙丁桶丁 ざいもく丁 ん
松平因幡守様 定御火消屋鋪 近へん ば
三十 やける 大くずれ
此へん 火のミのこる けか人少〻あり
大そん けか人多し すべて川すじ
しに 少〻の 此へん
てけか かじ橋御門 いたミ 少〻いたミ
人多く 松平阿波守様 中ばし
かすしれず 松平土佐守様
松平ミの守様
伊藤修理大夫様 酒井様小笠原様 少〻 かじ丁 八
毛利大膳太夫様 上村様織田様 いたミ 五郎兵へ丁 丁
亀井隠岐守様 松平誠之助様 ぼ
本多中務様 松平和泉守様 大そんじ 南でま丁 り
此辺
此近へん すきやばし けが
けか人 けか人多し 人少〻
多く
かず 此出火土蔵
しれず のこらず 南伝馬町
京ばし 二丁目横丁
廿九 山 御救 より出火
鍋嶋肥前守様 下 小 かち丁五郎
薩州様御屋鋪 此へん 御 屋 兵へ丁たゝ
南部美濃守様 やしき 門 ミ丁竹丁
松平甲斐守様 大そんじ 幸ばし お ときハ丁 すゞき丁
此へん少〻 わ いなば丁 こ やける
芝山門中いたミ さくらだ り ぐそく丁 ひ けか
けんば□丁 しんはじ 丁 本材木八 き 人な
ぞう上じ ㊇ し 折丁 丁 し
金杉本芝 ば 炭丁
田丁たかな 口 やける
ハ辺大そんし 此辺大そんじ
品川本宿
新宿大くすれ ㊆しばゐ丁
大ぢわれて 神明まへ大くずれ しんせんざ
すなふきでる けが人多し ミしま丁柴井丁宇田川丁
ひかけ丁往来□ねの 神明丁やける土蔵のこらず
ことし
【下段、川より上の絵図部分】
こつか原上下やける
ミのわ金杉往来 此へん人五百人余
なりがたし しす 小
新よし原 ミ なかだ ㊂つ
江戸丁一丁目 の か
より出火 わ 此へん 原
二丁目京丁 大そ
あけや丁 んじ は
角丁 ㊁し
伏見丁 ば
のこらず きんざ
火口七ツ死 やける
けが人九百人余
御高札片かハ ㊀
のこる よし原 よし原
大手
坂 大地われる
本 ㊅ 坂本
壱丁目 高尾寺のこる
より
三丁目 けが人多し 今戸
まてやける 田丁 やける
せんさうじ 山川丁
大そんじ 北じん丁
此へん少〻いたミ
東もんぜき 芝㊁
御堂 居
い とうの 丁
たミ 九りん西
なし まかる
くらもん 浅
くずれ 草 雷神
ミへ
廣 此へん ず
徳 大いに 広かうじ
寺 そんじ 御救小屋 猿若丁
壱丁目
此へん御やしき 二丁目
大そんし 此へん 三丁目
けか人 けか人 花川戸
なし ㊃ 多し 山のしく
きくやばし辺 けか人多し
此へん大そんじ 花川戸
寺院少〻いたミ 山のしく
材木丁
此へん御やしき大そんじ 駒かた堂
寺いんハ大□門斗そんじ 少〻いたミ
けが人なし
柳 しん すわ丁うら通より
の ほり □□□かた少〻
いな 寺 すハ丁黒舟丁残ず
り 丁 やける
けか人 すハ丁
なし くろ舟丁
ミよし丁
此へんの御やしき にて
大そんじ やけとまる
土蔵くすれ
けか人多し
三味せん堀
佐竹右京大夫様
土蔵大そんじ
山本丁 御くらまへ通り
代地へん 土蔵大くすれ
少〻 八まん社
いたミ 成田山其外
社無事ニ而
いたミなし
さくま丁
天もんやしき
少〻いたミ
此へんけか
人なし
和泉はし
あたらしはし
辺少〻の
いたミ
あさくさ御門
横山辺
やけんほり
たち花丁
久松丁辺
少〻のいたミ
けか人なし
両国橋
此近へんに
大いにそんし
たる所もあり
其やに少〻
の所もあり
又一向よき
御やしきも
あり
けか人も
よくあり
此近へん出火
一向なし
かし□
土蔵大 新大はし
そんじ すがぬま様
けか人 御屋しき
多し 安藤様御
やしき
さ 大そんじ
か 大じ
い 二三寸
丁 われる
此へん蔵 此へん大そんじ
家大そんじ
けか人あり はま丁
小 土蔵 清水様
あ 大つふ 一ツ橋様
ミ れ 紀州様
丁 家蔵大そんし
けか人なし
けか人あり 永代橋両口そんじ
小あミ丁
よろいの渡し
はこざき
此へん
かし
付
土蔵
大そんじ
永代ばし
かやは丁やくし
少〻そんじ
れいかんしま
新川へんおおくづれ
十三れいがんじま
大川ばた
大川ばた塩町より
出火四日市銀丁
南しんほり少〻
やけるけか人
多し
松平あハぢ守様
やける
てつぼうづ
十けん丁
十二
御浜御てん
つきじ海へ
大ぢわれて水吹
いたす
つきじ辺
此へん
少〻
西御門せき 品川二ばん御台場
地中大崩 やける 沖にて
舟四そうミづに
まきこまれる
【下段、川より下の絵図部分】
木母寺
梅君様
大そんじ
土手通り
大崩れ
此へん
少〻
向
じ
ま
小梅瓦丁
水戸様
御やしき
半分
やける
小梅へん
此近辺 廿四
大くづれ
けが人
多し
此へん
そん
じる
此へん
なり平ばし
へん大くすれ
大川ばし 中の郷表丁
半丁斗やける
向井様
徳山様やける
牛の御ぜ
石原 たび所
丁半分 やける
やける 廿二
中
女□石 の
廿三 のこる 郷
此へん
大く
すれ
石原
北本所番バ丁
南ばんば丁
多田の薬師
此へん
御やしき
大くすれ
けか人
わり 多し
下すい
此へん わり下水
御やしき 近へんより
大そん 少〻出火
じ わり下水
けが人 御救小屋
多し
御
竹 此へん御やしき方
蔵 大そんじけが人多し
本所ミとり丁より出火壱丁め二丁め三丁め
角にてとまる四丁め五丁め花丁し
もばしきわにてとまる
此へん つかる様御やしき大そんじ
少〻 此へんもけか人多し
回
向 十九 本所五ツ目渡しば
院 本 少〻やける
所 亀戸天神
近へん大くずれ
けか人多し
相生町 ミどり丁 林丁
此へん □□丁
石かけ 葉川丁
くずれ 西丁へん
廿 やける
五のはし
けか人 此へん土蔵
多し 家大そんじ
此へん大くずれ けが人多く
御舟まへ辺 かそへかたし
十七
御舟蔵まへより
出火八な川丁
六けんほり
森下町辺
もミ蔵
十八 やける
神明社斗
のこるとき
ハ丁□はし
六軒ほり ときハ丁辺
富川丁海へ
大工丁まて
やける
此へん大つふれに
て人多くそんじ
海辺大工丁 そのかずしれず
御救小屋 家蔵大そんじ
大じわれる
寺七けん
やけるす
べて深川
へんハ大
くすれに
れいかんじ て人
此へん 多く
大そんじ しす
けか人 浄しんじ
多し 往来屋 本堂
根 つ〻が
深 の なし
川 如
し
木バ
寺
丁 御救小屋
十五
八まん
なか丁 三
佃しま 十
少〻いた 三
ミ 堂
けが 大
一人も 佃じま く
なし づ
れ
相川丁より
出火御舟手組
大そんじ南ハ すさき
熊井丁富よし丁 八まん社無事
中じま丁大しま丁 すさき少〻
北かハ丁黒江丁 いたミ
鈴丁一鳥居
仲丁山本丁永代寺門前にてとまる
太平安心堂蔵板
《割書:甲州路 |御登山》冨士参詣道 │□【御定宿ヵ】
連名之内■■可被下候│同 《割書:内藤新宿| 扇屋又兵衛》
│同 《割書:峠| 柏屋佐右衛門》
│同 《割書:さるはし年寄| 小松屋要蔵》
│同 《割書:さか井川| 亀沢国次郎》
【下から第二段】 【最下段】
申橋 こまはしへ │日本橋 しんしゆくへ
小松や要蔵 │ 一里
角や清右衛門 │
本陣 │新宿 高いとへ
本五郎 │ 二里廿五丁
小西や │仲丁
太郎左衛門 │ 扇屋又兵衛
│荻久保
駒橋 大つきへ │八橋や
十六丁 │■三郎
高山 │
庄右衛門 │高井戸 ふだへ
│ 二り
大月 やむらへ │■𠮷や
二り │ 源蔵
ひ本や │武さしや
十兵へ │ 伊兵へ
きしの │国領宿
左兵へ │ 立■■
田の倉 │橋本
大のや■兵へ │小左衛門
四日市■ │
鎌くらや金五郎 │布田 ふちうへ
│ 二り
谷村 をぬまへ │増田や
一里半 │新兵へ
嶋や平兵へ │
つちや清兵へ │府中 ひのへ
福や │ 二り九丁
■■衛門 │柏や三四郎
松■ │甲州や嘉左衛門
八■へ │明神まへ
│中や平兵へ
小沼 よし田へ │
一り半 │日野 八王子へ
■■ │ 一り廿七丁
大木や浜之進 │つるや
宿 │ 久兵へ
林や半右衛門 │麻田や
金山儀左衛門 │ 徳三郎
│森本
𠮷田大鳥居ゟ絶頂■ │ 右三郎
三百五十七丁十二間
【左側】
八王子 こまきのへ
一り半
角や五郎四郎
大坂や■左衛門
油や三郎左衛門
三■や■七
山上十郎左衛門
古谷字
山口半三郎
角や平二郎
駒木野 こぼとけへ
廿七丁
藤や新兵衛
■木佐二右衛門
米や太郎右衛門
御関所
手形
御差出
之事
小仏 をはらへ
一里半
鈴木や藤右衛門
柏や佐左衛門
■六や源七
小原 よせへ
十七丁
小松や太郎右衛門
【上段】
与瀬 よしのへ
一り
つるや
藤助
■■荷や
壱郎右衛門
小■や
六兵衛
角や
角右衛門
二瀬こへ
近道
よしのへ
十五丁
名物
あゆのすし
𠮷野 せきのへ
廿六丁
ふじや
仁右衛門
関野 上のはらへ
三十四丁
臼井や清助
境川立場
鶴や藤助
漆や■右衛門
境や政右衛門
■■や
国二郎
上野原 つる川へ
十八丁
若松や市郎兵衛
大宗や八郎兵衛
■ちくせや
伊左衛門
伊勢や
源右衛門
鶴川 のたちりへ
一り五丁
志村
四郎右衛門
【右側】
野尻田 いぬめへ
三十二丁
■大品や
■■■
■■や
■右衛門
世 富山常助
話 富田■■■
人 小松や定四郎
富田藤兵へ
■■すやよ壱
座頭ころがし
■尊
犬目 とりさはへ
一り十二丁
山谷坂
泉や初右衛門
笹や源四郎
おもたかや助五郎
同 左 七
■や
元四郎
おかへ
七■也
鳥沢 さるはしへ
二十六丁
白木や
犬左衛門
内田藤左衛門
みよしや十助
富士山
東泉寺
■行場
【左端】
御定宿《割書:内藤新宿二丁目| 扇屋又兵衛》
岐阜
《割書:岐阜県|愛知県》大地震実況
天変地異(てんへんちい)は往古(おふこ)より間〃(まま)
有事書(あることしよ)にも見(み)へ古老(こらう)の咄(はなし)
に聞伝(きゝつた)へしが今回(こたび)尾州濃(びしうのう)
州両国非常(しうりうごくひじやう)の震災(しんさい)に遭(あひ)
し人民(じんみん)が其惨苦筆紙言(そのざんくしつしこと)
葉(ば)に尽(つく)しがたし其(そ)があらましを
記(しる)さんに明治廿四年十月廿八日
午前六時十五分 忽(たちま)ち大地一(たいぢいち)
時(じ)に震幾千(ふるいいくせん)の家屋(かおく)を倒(たほ)し往く幾(いく)
百名(ひやくにん)の人(ひと)を圧(あつ)し山(やま)は崩地(くづれち)は亀(き)
裂(れつ)し加(くわ)ふに火(ひ)を出(しゆつ)し岐阜大垣(ぎふおほがき)
のごときは全市悉(ぜんしことごと)く焼失(しやうしゆつ)す
又(また)名古屋にては潰家災後(つぶれやさいご)
の類焼人畜(るいしやうにんちく)の死傷家屋(ししようかをく)
の損害(そんがい)その他近県(たきんけん)の
破損等(はそんとう)おびたゞしく前代(せんたい)
未聞(みもん)の珍事(ちんじ)なり
明治廿四年十一月□日印刷
同 年十一月□日出版
日本橋区長谷川町十九バンチ
《割書:印刷兼|発行者》福田俟治郎
【タイトル】
伊香保温泉名所一覧
【左枠外】
此絵画板元之外一切出不申ト湯本
【中央の表題】
行 伊豆熱海之湯 勧進元 上州沢渡之湯
諸国温泉一覧 紀伊熊野本宮之湯 紀伊熊野新宮之湯
司 津軽大鰐之湯 差 添 上州原湯之湯【右側一段目】
東之方
【右側二段目】
大関 《割書:江戸ヨリ |四十八リ》 上州草津之湯
関脇 三十八リ 野州那須之湯
小結 百五十三リ 秋田小鹿嶋之湯
前頭 二十四リ 上州伊香保之湯
前頭 二十二リ 豆州湯川原之湯
前頭 六十八リ 相州足之湯
前頭 三十五リ 陸奥嶽之湯
前頭 九十七リ 最上高湯之泉
前頭 九十四リ 仙台成子之湯
前頭 四十八リ 信州諏訪之湯
【右側三段目】
前頭 百九十リ 津軽嶽之湯
同 二十二リ 相州湯元之湯
同 二十四リ 豆州小名之湯
同 六十リ 信州渋之湯
同 六十六リ 会津天仁寺之湯
同 百七十リ 越後松之山之湯
同 百二十リ 南部恐山之湯
同 五十五リ 庄内田川之湯
同 八十リヨ 岩城湯元之湯
同 八十リヨ 米沢赤湯之湯
同 三十九リ 下野中禅寺之湯
【右側四段目】
同 百七十五リ 秋田大滝之湯
同 六十六リ 奥州飯坂之湯
同 百六十リ 南部鹿角之湯
同 二十二リ 相州姥子之湯
同 二十四リ 豆州修善寺之湯
同 九十九リ 仙台川度之湯
同 百二十三リ 庄内温海之湯
同 百九十リ 津軽温湯之泉
同 六十五リ 米沢湯沢之湯
同 二十四リ 豆州権現之湯
同 六十リ 会津熱塩之湯
同 二十二リ 相州貴知之湯
【右側五段目】
同 三十二リ 野州塩原之湯
同 百廿三リ 庄内湯浜之湯
同 百九十リ 津軽板留之湯
同 四十八リ 信州別所之湯
同 六十八リ 越後関之山之湯
同 百三十二リ 南部台之湯
同 七十五リ 伊達湯之村之湯
同 百リヨ 最上銀山之湯
同 九十三リ 仙台釜崎之湯
同 六十九リ 会津滝之湯
同 二十八リ 米沢谷沢之湯
同 百六十二リ 南部麻水之湯
同 六十リヨ 信州野沢之湯
【左側一段目】
西之方
【左側二段目】
大関 百四十リ 摂州有馬之湯
関脇 百四十リ 但州城之崎之湯
小結 二百十九リ 予州道後之湯
前頭 百二十リ 加州山中之湯
前頭 三百四リ 肥後阿蘇之湯
前頭 二百七十リ 豊後浜脇之湯
前頭 三百二リ 肥前温泉之湯
前頭 四百四十リ 薩州霧嶋之湯
前頭 二百七十リ 豊後別府之湯
前頭 二百七十リ 肥後山家之湯
【左側三段目】
前頭 百リ 濃州下良之湯
同 二百七十二リ 肥後雛久之湯
同 百七十六リ 能州底倉之湯
同 百八十リ 備中長府之湯
同 四百リ 薩州硫黄之湯
同 百五十リ 紀州田辺之湯
同 百五十リ 但州湯川原之湯
同 二百十リ 芸州川治之湯
同 百五十リ 紀州大世知之湯
同 百九十四リ 加州白山之湯
同 二百二十リ 伯州徒見之湯
【左側四段目】
同 四百廿リ 薩州桜嶋之湯
同 三百リ 肥前竹尾之湯
同 百五十リ 石州河村之湯
同 三百六十リ 防州山口之湯
同 三百リ 肥前漆之湯
同 百五十リ 越中足倉之湯
同 九十リ 越後塩沢之湯
同 二十二リ 相州塔之沢之湯
同 百七十リ 秋田小安之湯
同 四百廿五リ 薩州関外之湯
同 二十二リ 相州宮下之湯
同 百七十六リ 津軽矢立之湯
【左側五段目】
同 五十六リ 信州湯瀬之湯
同 二十二リ 相州堂ヶ嶋之湯
同 百九十八リ 津軽浅出【虫】之湯
同 五十八リ 仙台阿灸之湯
同 九十リ 越後出湯之泉
同 九十一リ 最上上之山之湯
同 五十五リ 信州浅間之湯
同 廿二リ 相州底倉之湯
同 四十一リ 上州老神之湯
同 九十七リ 越後田上之湯
同 百七十五リ 津軽倉立之湯
同 百七十六リ 能州足之湯
同 五十リヨ 信州山田之湯
同 四十リヨ 上州宝川之湯
/地震(ぢしん)けん
「/扨(さて)もこんどのおおぢしん/家(いへ)ハぐハら〴〵
大へんな壬人ハあわてゝどつちの方へ
まいりましよして/土蔵(どぞう)と/瓦(かハら)で
つぶされて/親仁(おやじ)に子供がしかられて
やつとはい〳〵にげ出してあつちの方へサア
きなせへ「/火事(くわじ)ハ所々へもへあがりにげる人
こそ/身(ミ)ひあし〳〵またぐら〳〵どつち方へ/参(まい)り
ましよしてやつたらむしやうとかけあるき
ぢ/■(さし)がば■の手を引てはいる内■
あらバこそおふねへサアきなせへ
「扨もふり出す/大雨(おゝあめ)にらいハ
おろ〳〵いなびかりミなびしよ
ぬれ/野宿(のじゆく)はできませんして大へん〳〵
大さハぎ大工さんハ/手間(てま)を/上(あげ)てしかられたり
これからだん〴〵/世(よ)が/直(なを)り/金設(かねまふけ)でサアきなせへ
【巻子を巻いたもの】
【付属の荷札にメモ書き】
瓢箪にて鯰を押える男の図
【タイトル】
大震災記念 南耕戯画
【本文なし】
【タイトル・本文・絵なし、表装の状況のみ】
持丸の
はらに
たもたず
はき
いだし
ひんのやまひは
これで
直る世(よ)
がまんして
たんと
おはき
あゝ
くる
しい
くるしい
此
へとは
犬に
くわれ
ては
大
へん〳〵
【状裏・白紙】
ちよぼくれちよんがれ
〽きめうとうらいからだだいじくらかもろい《割書:引|》ヤレ〳〵〳〵〳〵おもてへにげだせ〽どふした
さはぎだたすけてくんねへ二日の四ツどきにはかのことでなてんちしんどうかゝアとふたりの
じゝんのむつことなまづにけされてふんどしひとつでからだもせがれもちゞみあがつて
ねんぶつだいもくいちどにとなへておもてへころ〳〵といたいちまいしやうじの
さかいたどういふうちにもよくづらかわいておやちの
ゆづりのたいきんづゝみをおとしはせぬかとさぐつて
みたればさて〳〵たいへんいつのまにやらどこへか
おとしてどうしたものたとよく〳〵さぐればあんまり
こはさにつるしあがつてでべそのきわになかくれてけつかる
これてすこしはあんしんかなめのかしまさんでもおやどに
ござらばこうしたくろうはきなかもあるめへよがなよつぴてうろ〳〵まご〳〵あつちのすみでは
まんざいらく〳〵のじゆくのあげくはてぶりのあみがさすだちのまんまでねごさももたずに
おこやをねがつてもとのわがみにやう〳〵かへつた神のいとくやおかみのおめぐみほうねんまんさくごゝくじやうじゆ
さりとは〳〵めでたいこんだにホウヲイホイ
【右下】
0011841749
東京大學圖書之印
去ル三月廿四日
夜四ツ時信州
善光寺より
丹波嶋追分
いなり山の宿々凡
五里余りの大地しん
天地もくつがへらんとまたゝく
うちに坊舎旅宿百姓家
一時にゆりたをし里人旅客
にげ出る間なく尽く押にうたれ
命を全ふしのがれたるハ稀也とぞ
其うへ処々より出火して
たふれたる家々にもへうつる折から
暴風はげしく善光寺たんバ嶋
いなり山の宿々一円の火焔となり
又これが為に死人けが人其数をしらず
さて又名にしおふ丹波川ハ川上の山
ゆりくづし二十余ケ村大洪水川下忽
干川となりて水一てきもなくまことに
古今未曾有のことなりけりしかるにふしぎ成ハ
善光寺本堂大門大勧進の三ヶ所ハ少しも
地しんに損せず三ヶ所のミ焼のこり此夜
本堂にこもりたる信者ハ一人もけがなかりしハ
まつたく如来の冥助による処と信心肝に
めいずるあまり旅人に聞得たるまゝを記して
信心の人々に御仏の供徳をしらしむるもの也
【タイトル】
象頭山参詣道紀州加田ヨリ讃岐廻并播磨名勝附
【俯瞰図中に和歌三首】
さみしまや
ま□ふに
通ふ
あまこふも
片肌にのこる
□のふかせ
玉の浦
はなれ
そ
汐のまに
夕あさり
する
田鶴そ
鳴なる
衣笠内大臣
世の中を
渡りくらべて今そしる
あはの鳴戸は
波風もなし
西行法師【兼好作ともいう】
【枠外左上に東京大学図書館蔵書印と整理番号】
〇〇一一八四二一四三
【タイトル】
箱根七温泉図
【俯瞰図右下に二段組みで本文】
【上段】
東都芝 山陽堂
落_レ ̄ル麓 ̄ニ七湯水連_レ ̄ネ雲 ̄ヲ八里 ̄ノ山
病人乗_レ ̄リ駕 ̄ニ到 ̄リ本復歩行 ̄テ還 ̄ル
同 空満屋真枝
たひ人は□のしくれの涼しさに
湯場をめくりて日数ふりけん
同 山□舎光彦
箱根山道ふみわけて又も来ん
わき出る湯の花をしをりに
同京はし 秋長堂惣染
本宮の熊野(ゆや)にも続く〳〵
きく道や蟻のくみ
たる塔の沢
のゆ
【下段】
板元塔ノ沢万屋金兵衛
搭の沢より諸方へ道法
【下段の上】
三枚橋へ 十町余
早雲寺へ 十丁
台ノ茶屋へ 十二丁
畑宿へ 一り十二丁
宮の下へ 一リ半
底倉へ 一リ半余
堂ヶ嶋へ 一リ半余
木賀へ 二り
【下段の下】
芦の湯へ 三リ余
箱根権現へ 二り十三丁
御関所へ 二り廿丁
長奥山へ 一り八丁
小田原へ 一り廿丁
あたみへ 八り半
但ひがね越七リ半
【表題】
安政二卯ノ十月
ニ日夜四ツ時 |萬(まん)歳(ざい)楽(らく)鯰(ねん)大(だい)危(き)事(じ)
有此大変
【本文一段目】
天(てん)災(さい)【黒地の四角の中に白抜き文字】
天の木
十月朔日あけの
ミやうぜう
ひかり月の
ごとし二日の
そら米のごとし
六【黒地の丸の中に白抜き文字、以下同じ】
へい木
十一日のぢしん
よほどつよし
へいきのへいざへ
もん小家を
にげいださず
三
火のそばの水
まち〳〵野ぢんを
はつてぢしん
まつゆるぐ
たび〳〵おどろく
声夜打の入たるが如し
八
かなづちの金
ゐんきよふるくぎを
なをして手の
さきしだいニ
たことなる
十三
のこらずやく火
おふりでにげだしたる
むすこ手ぬ
ぐゐをもらふて
ゑつちうにする
十八
はんしやうの金
ぢしんの夜じしん
ばんにて出を
かけざるハじ
しんのばんのミ
をして人のばんを
せさるニや
二
あこ木【木に濁点】
ざいもくや
はないきあら
くして手おい
じゝのごとし
二
やねの土の土
左官めんぼく
なげニ
出入場を
みまふ
猿若【黒地の四角の中に白抜き文字】
市川の水
ひやうたんころげて
なまづ
はねかへる
六【黒地の丸の中に白抜き文字】
ぎんがミの金
すのこの月
おちて
ならくへ
めりこむ
吉原【黒地の四角の中に白抜き文字】
はやき火
その夜出火
よしはらを
第一ばん
とする
六【黒地の丸の中に白抜き文字、以下同じ】
田のあぜの土
百千のかぶろ
わらを
かぶつて
こゞへふす
十一
土手の土
日本つゝミ大ニ
口をあいて
人をのむ事
両三人
十六
口の甘木【木に濁点】
たいこもち
へんじて
つちもちと
なる
仏閣【黒地の四角の中に白抜き文字】
はかバの土
ゑかうゐん
らいじんかい
ちやう有て
のちぢしん
のもうじや山をなす
六【黒地の丸の中に白抜き文字吉原】
こまる火
もんぜんのしやくや
しきミくさき
水をのミ
せきとうをへつ
ついとする
恩仁【黒地の四角の中に白抜き文字】
ありがた木
深川上野浅草
幸橋御門外
おすくひ
小家できる
【本文二段目】
二【黒地の丸の中に白抜き文字、以下同じ】
地の木
二日の夜江戸中
たちまち地
ごくとなる
人くち〴〵に
ゑんまも子と唱ふ
七
たき火【火に濁点】
十四日の夜大ニ
さむふして
野宿の人
ぢしんより猶
つよくふるふ
四
つゐへの金
両国中村のさか
ゐににしきを
きたるほね
ぬきどぜう
おほし
九
ほねつ木【木に濁点】
中ばしやげんぼり
千住等
何百番と
ばんづけをよんで
りやうぢする
十四
つんだるよ木【木に濁点】
人をまもりて
はりなげし
のよう
じんをする
十九
命めうがの土
芝金すぎニて
十四才の娘
五十七才の
老母白犬一疋
ほり出ス七日の事也【左下「戌」参照】
三
するどき金
丸太はねがはへて
とびこばいた
ふかぬうちニ
小ばんとなる
三
ちからづくの金
このせつ車力の
ながすあせ
ひとつぶ五玉
ほどにあたる
二
わらじの土
りくわんやけがねを
つんで
大ざかへ
かへる
七
ゑんぎだなの金
かミだなの
ふくすけ
おのれと
なりうごく
二
迷の火
大門おのつから
しまりて
にげ出ること
あたハず
七
ねんり木
彦太郎のおぐらぎ
客人ごん
げんのかごよつて
部屋つぶれず
十二
ごろつ木
女郎をおくり
きたれバ
おへやして
とうわくする
神社【黒地の四角の中に白抜き文字】
護国土
かミ〴〵三日の
あさ
いづもの国え
おんたち
二【黒地の丸の中に白抜き文字、以下同じ】
いかりの金
あさ草かミなり
もんの雷神
たいこを
おとす
七
もふからぬ金
てら〴〵のそう
れいたゞ
うめる
ばかり
二
同木
国恩をおもふて
施行する
人々へ
ほうびをたまハる
【本文三段目】
三【白丸の中に文字】
前後をミづ
ちり〴〵ばら〴〵に
にげてつまを
よび子をよぶ
こゑきやう
くわんぢごくの如し
八【黒地の丸の中に白抜き文字】
海の水
十八日大風海
大ニあれて
らいのごとし
諸人ふたゝび
きもをひやす
五【白丸の中に文字、以下同じ】
なミだの水
山谷坂本へんより
非人を車ニ
つミてゑかう
ゐんへおくる
十
名をうる木
はなしかしんせうを
ふるつて
なぐらのりやう
ぢ人へべんとうを
ほどこす
十五
どろ水
すいどう
くづれて
諸人
さながら
ふなのごとし
廿
こゑをたて金
浅草北じんまちニて
化物女のかほを
つかミ子共を
二人しめころす
四
ふとゞ木
大こん一本六十四文
わらじ一足壱□【匁?】
どぞうひとつ
七両ニてたゝミ手を
しろへまハさるゝ
四
ぶらさがる金
ひようとり
はねをひろ
げてやけ
はらを
かける
三
あのよの一本木
こくらくより
江戸ばしへ
三升だるの
みまいものあり
八
たびかせ木【木に濁点】
富士のすねを
かじり《割書:甲ふ|すんぷ》
きんのしやち
ほこをなめる
三
おそろしき火
五丁まちへんじて
あび
ぢごくと
なる
八
をとこ木【木に濁点】
さのづち【佐野槌のこと】の後家
よくはたらきて
ゆうじよと
きんす諸道具
までやかず
十三【黒地の丸に白抜き文字、以下同じ】
うしミつの金
もうじやの
なきこゑ
五丁町ニミつ
男女の死亡
凡千五百人
二
おまくらの木
かしまさま
しばし
うたゝね
し玉ふ
三
九りんの金
五重のとう
すこしも
ゆるがず
きんりうの角
西へまがる
八
ふし木【木に濁点】
神仏霊あり
堂ミや
九分ハ
つぶれず
三
太平の土
悪人こゝろを
正ふなほりて
戸ざゝぬ
御代となる
【本文四段目】
四
井の水
ゐどがハよりふき
こぼれ或ハ
ひしやくにて
くめる此内ゆへニ
火事すくなし
町家【四角の中に文字】
ふしぎの水
九月廿一日蔵前
薬や福本
のにハへ清水
わき出る是ぢしん
のぜんちやうならん
六【黒地の丸に白抜き文字】
あやしき土
芝うだかわ町ニ
どぞうさかさニ
なりてたつ
土すこしも
くづれず
十一【白丸の中に文字、以下同じ】
まるたの木
つかいぼうの
つよき事
むさしぼう
のごとし
十六
どぞうの土
どぞうはちまき
をおとして
主人の
づつうをます
廿一
せうちう火【火に濁点。焼酎火のこと】
よくどしき
ゆうれい
本所ふか川
にてとらハるゝ
五
かりふ木
こやをふくわら
こめより
たかし
五
むかふ水
にわかじよくにん
にた山より
出てよくの
つのをふる
四
れいこんの火
ばんどうがハの
水をもつて
勘弥の
むねをまもる
九
おかしまの土
あらき地のだいこ
をハりの
ミやしげへ
たねをまきにゆく
四
身のけのよだつ火
十丈斗の
火ばしらたつ
その火勢
うらたんぼの人
をまきたふす
九
不覚の井水
三うらのていしゆ
ゐどへはいる
女房ぎりを
たてゝ子と共に
やけ死す
十四【黒地の丸に白抜き文字、以下同じ】
にぎハ火
小ごうしのしよ
らうねづ
やなかへんの
狐穴にひそんで
なじミをたらす
三
ごまの火
ふどうそんを
しんずるもの
さらにけがをし
うごか
ざる理なり
四
あまだりおちの
くわんおんの 水
ゆかしたに
あたまの黒キ
鼠すをくふ
九
同木
けがなき人の
たもとに
かならず毛あり
死したる
ものニハなし
清
歎はつた木
その夜ハ歎【題?】に
はなくといへ共
日々野じんの
入用打まけ此万
歳楽を當て元手とする
【本文五段目】
五【白丸の中に文字、以下同じ】
雨の水
八日の夜小雨
ふる是より
むしろるい
ねだんあがる
二
苦しき木
牛のごとき
ねぼう
おほく
はりをしよつて
死す
七
ひつ木【木に濁点】
てんすいおけそう
めんなハ四斗
だるのるい
かんをけとなる
十二
はんぶんあん土
二かいほどよく
たふれて
ひらやとなる
人之あめつゆを
しのぐ
十七
わきの下の水
ぢしんのたび〳〵
ひやあせ
ながれ出て
たきのごとし
商人【白地の四角の中に文字】
はん木
野(や)子(し)といふもの
堀より出て
さきをあら
そふてうれひを
しよくす
職人【白地の四角の中に文字】
目から出る火
大工かなづち
一丁にて
八てんぐ
はたらく
六【白丸の中に文字、以下同じ】
たてよこの木
鳶からすより
くろくなる
はたらく事
はやぶさのごとし
五
まつくろな木
やけあとにたけ
十二けん
ばかりの
大牛のこる
十
ひやうし木
きやうげんがた
番太郎と
改名する
五
日本堤の土
うちかけの
おいらん
はじめて
わらじをはく
十【黒地の丸の中に白抜きの文字、以下同じ】
しらねの火
おかもとの主従
三十六人
やけ死す
じよろう三人のこる
十五
小づかい金
かりたくいまだ
さだまらず
ゆうじよほそ
おびにてぢま
いをかせぐ
四
ふしんの材木
しバしんめいの
ごぞうゑい
しばらく
ゑんいんか
五
にぎハし木
こんきうにん
おく山ニ来りて
だいぞうの
ふくちうニやどる
【雷神の絵の左側】
十月
廿六日改
餘ハ二へんに
しるす
【右下、絵画中の文字】
子
大根一本六十四文
さり【つ?】とうをくわぬやう
きをつけてくふべし
丑
桧のせい
御用うしと
な□て
さ□わか
まち
の
そ
ら
より
おち
る
寅
此とら
ぢしんを
おそれてたか
やぶ【竹藪】ににげ入る
卯
アヽラあやしや
此けものミヽを
ながふするハ
やしの
まわし者
にやあらん
辰
とふり
ものゝ
こつてう
水をまかずに
金でもちつと
まきなせへ
巳
ミまちしに
べんてんを
いのるかねもち
諸しよくにんの
さくりやうに
あをだい
しようを
つかふ
午
おす
くい米の
もちはこび実ニ
おほねが
をれ
玉ふ
未
梅干入の
もつそうを
かミごと
くらふ
申
ぢしんのまへ
大さかにて
さる木より
おつる
酉
コレにわとり
てんちかい
びやくの
ごとく
ふたゝび
大地を
ふミ
なら
す
べし
戌
芝金杉
ぢしんの夜
より五日目
壱人の老
母壱人の
むすめ
と此白
狗を
土中より
出る実に
此狗人間ニちかし
亥
ざいもくがし
ゐのしゝ
おほしニ
【タイトル】
諸国温泉一覧
【相撲番付風に東・中央・西の三ブロックで構成】
【東の方ブロック五段構成】
【第一段】
東の方【右横書き】
【第二段】
大関 《割書:江戸より|四十八里》《割書:|万病吉》 上州草津の湯
関脇 《割書:三十八里|諸病吉》 野州那須の湯
小結 《割書:百五十三リ|中風ニ吉》 秋田小鹿嶋の湯
前頭 《割書:六十里|疝きニ》《割書:|中風ニ吉》 信州志武の湯
前頭 《割書:そうとく|ニよし》 豆州湯河原湯
前頭 《割書:六十八リ|そうとく》 相州足の湯
前頭 《割書:三十五リ|ふ人ニ吉》 陸奥嶽の湯
前頭 《割書:九十七リ|諸病吉》 仙台成子の湯
前頭 《割書:九十四リ|ひぜん吉》 最上高湯の泉
前頭 《割書:四十八リ|眼病ニ吉》 信州諏方の湯
【第三段】
同 《割書:百九十リ|瘡毒吉》 津軽嶽の湯
同 《割書:二十二リ|諸病ニ吉》 相州湯元の湯
同 《割書:二十四リ|眼病ニ吉》 豆州小名の湯
同 《割書:六十リ|万病ニ吉》 上州河原湯の湯
同 《割書:六十六リ|打ミ吉》 会津大【大→天】仁寺の湯
同 《割書:百七十リ|万病ニ吉》 越後松山【松山:松之山?】ノ湯
同 《割書:百二十リ|うつけニ吉》 南部恐山ノ湯
同 《割書:五十五リ|諸病ニ吉》 庄内田川の湯
同 《割書:八十リヨ|瘡毒ニ吉》 岩城湯元の湯
同 《割書:八十リ|諸病吉》 米沢赤湯ノ湯
同 《割書:三十九リ|万病ニ吉》 下野中禅寺の湯
【第四段】
同 《割書:百七十五リ|諸病吉》 秋田大滝ノ湯
同 《割書:六十六リ|ひせんニ吉》 奥州飯坂ノ湯
同 《割書:百六十リ|万病ニ吉》 南部鹿角ノ湯
同 《割書:二十二リ|かん病吉》 相州姥子ノ湯
同 《割書:二十四リ|セんき吉》 豆州修善寺湯
同 《割書:九十九リ|諸病ニ吉》 仙台川渡ノ湯
同 《割書:百二十三リ|万病吉》 庄内温海ノ湯
同 《割書:百九十リ|つかひ吉》 津軽温湯泉
同 《割書:六十五リ|疝キ吉》 米沢湯沢ノ湯
同 《割書:二十四リ|つゝう吉》 豆州権現ノ湯
同 《割書:六十リ|万病吉》 会津熱塩ノ湯
同 《割書:二十二リ|疝キ吉》 相州貴加ノ湯
【第五段】
同 《割書:三十二リ|ふ人ニ吉》 野州塩原ノ湯
同 《割書:百廿三リ|疝キ吉》 庄内湯浜【湯浜:湯野浜】湯
同 《割書:百九十リ|諸病吉》 津軽板留ノ湯
同 《割書:四十八リ|諸病吉》 信州別所の湯
同 《割書:六十八リ|そう毒》 越後関山ノ湯
同 《割書:百三十二リ|身中風吉》 南部台の湯
同 《割書:七十五リ|諸病吉》 伊達湯ノ村ノ湯
同 《割書:百リヨ|打ミ吉》 最上銀山ノ湯
同 《割書:九十三リ|ひつ吉》 仙台釜崎ノ湯
同 《割書:六十九リ|つかひ吉》 会津□【滝?】ノ湯
同 《割書:三十八リ|瘡毒ニ》 米沢谷沢ノ湯
同 《割書:百六十二リ|つう吉》 南部麻水ノ湯
【中央ブロック】
諸国温泉一覧 《割書:行|司》 《割書:伊豆熱海の湯|紀伊熊野本宮の湯》《割書:|津軽大鰐の湯》 《割書:勧進元|差添》 《割書:上州沢渡の湯|紀伊熊野新宮の湯》《割書:|上州伊香【伊香:伊香保?】の湯》
【西の方ブロック五段構成】
【第一段】
西の方【右横書き】
【第二段】
大関 《割書:百四十り|諸病に吉》 摂州有馬の湯
関脇 《割書:百四十り|万病に吉》 但州城ノ崎の湯
小結 《割書:二百十九り|腫物に吉》 予州道後の湯
前頭 《割書:百二十リ|ソウトリ》 加州山中の湯
前頭 《割書:三百四リ|ひせんニ吉》 肥後阿蘇の湯
前頭 《割書:二百十一リ|瘡毒吉》 豊後浜脇の湯
前頭 《割書:三百二リ|万病吉》 肥前温泉の湯
前頭 《割書:四百四十リ|万病吉》 薩州霧嶋の湯
前頭 《割書:二百七十リ|眼病吉》 豊後別府の湯
前頭 《割書:二百七十リ|諸病吉》 肥後山家の湯
【第三段】
同 《割書:百里|がん病吉》 濃州下良の湯
同 《割書:二百七十二リ|諸病吉》 肥後雛久ノ湯
同 《割書:百七十六リ|打ミ吉》 能州底倉ノ湯
同 《割書:五十五リ|諸病吉》 信州田中の湯
同 《割書:四百リ|万病ニ吉》 薩州硫黄の湯
同 《割書:百五十リ|諸病ニ吉》 紀州田辺の湯
同 《割書:百五十リ|ふ人ニ吉》 但州湯河原ノ湯
同 《割書:二百十リ|ひせんニ吉》 芸州川治ノ湯
同 《割書:百五十リ|瘡毒ニ吉》 紀州大□【□:ぜ?】知の湯
同 《割書:百十四リ|万病ニ吉》 加州白山の湯
同 《割書:二百廿リ|ひせんニ吉》 伯州徒見の湯
【第四段】
同 《割書:四百廿リ|かん病吉》 薩州桜嶋湯
同 《割書:三百リ|ふ人吉》 肥前竹尾湯
同 《割書:二十四リ|疝キ吉》 石州川村ノ湯
同 《割書:三百六十リ|ひせんニ吉》 防州山口ノ湯
同 《割書:三百リ|りん病ニ》 肥前漆の湯
同 《割書:六十五リ|疝キ吉》 越中足倉ノ湯
同 《割書:九十リ|づゝう吉》 越後塩沢ノ湯
同 《割書:二十二リ|冷病吉》 相州塔ノ沢湯
同 《割書:百七十リ|打ミ吉》 秋田小安ノ湯
同 《割書:四百廿五リ|りん病吉》 薩州関外ノ湯
同 《割書:二十一リ|りん病吉》 相州宮下の湯
同 《割書:百七十六リ|諸病吉》 津軽矢立の湯
【第五段】
同 《割書:五十六リ|瘡毒》 信州湯瀬湯
同 《割書:二十二リ|づゝう吉》 相州堂嶋ノ湯
同 《割書:百九十八リ|疝キ吉》 津軽浅出【出:虫?】の湯
同 《割書:五十八リ|づゝう吉》 仙台阿灸ノ湯
同 《割書:九十リ|瘡毒吉》 越後出湯泉
同 《割書:九十一リ|打ミ吉》 最上上ノ山ノ湯
同 《割書:五十五リ|そう毒》 信州浅間ノ湯
同 《割書:廿二リ|ひせん吉》 相州底倉湯
同 《割書:四十一リ|中風ニ吉》 上州老神湯
同 《割書:九十七リ|そう毒》 越後田上湯
同 《割書:百七十五リ|諸病吉》 津軽倉立ノ湯
同 《割書:百七十六リ|瘡毒吉》 能州足の湯
【左下枠外】
板元
【模様のみで、タイトル・画像・本文ともになし】
【タイトル】
一本木温泉之記
【本文】
【俯瞰図右上】
妙光山の元地獄谷に温泉ありけるを平原へ引出さん事をはかる人のそこはくありしか誰も志しを果さすして
百余年を過きこしに時なる哉文化十三丙子の春何某等七人猛き志しを発し力を合していはゆる越の深雪をふみ
わけ深山にたとり入て営みはしめしがはや其年の長月になむ苅やす原の一木の本に出しにけれは見る人きくると温泉のきよくこまやかなるをほめぬはなかりき斯て又のとしはたこやのはたちはかりを
作りにたれは病る人もやまぬ人もむれ来てはやつきにけりこゝに又赤倉山の峯に霊湯ありしを文政元戊寅年
ひき出して元湯に並へたり抑かゝる大功の僅にみとせに
してめてたくそのいたるはひとつに我
君の厚く下を憐み給ふおほん心はしのありかたきに
そありけるされはこゝに浴する人は我
君のおほん恵みの露とあふきにあふかは痰咳疝
癪はさらに諸病になやまさるゝ事の年あるも或は
瘡毒疥癬癩疾うち身に至るまてもいえすと
いふ事やあらし入てみよ〳〵必其しるしお
見し予今年文政七年八月痰疾の為に
こゝにいりて初て温泉の能ある事を
しれり又いりくたふれては四方を眺望するに
一目百里にいたりて山海の佳景いふへくも
あらす実に禁気を散す此佳景多く
に見すつよくもおもほえす此一ト
しの紙に図して其よし〳〵
を記す事しか〳〵
明月の
露の凝たる
世界かな
魚都里 花押
【俯瞰図中央】
越後国頸城郡一本木ヨリ行程
江戸ヘ六十五里
善光寺ヘ九里余
高田ヘ七里余 柏崎ヘ十九里
今町ヘ十里余
糸魚川ヘ二十里
佐州小木ヘ海陸丗五里
【俯瞰図左上角】
文政九丙戌七月日上梓 涼々堂板
【タイトル】
富嶽道中一覧其二
【本文なし】
【タイトル】
富嶽道中一覧其二
【本文なし】
【中央の表題】
行 伊豆熱海之湯 勧進元 上州沢渡之湯
諸国温泉一覧 紀伊熊野本宮之湯 紀伊熊野新宮之湯
司 津軽大鰐之湯 差 添 上州原湯之湯
【枠外右上】
第二十五号
【右側一段目】
東之方
【右側二段目】
大関 万病吉 上州草津之湯
関脇 諸病吉 野州那須之湯
小結 中風 秋田小鹿嶋之湯
前頭 諸病吉 上州伊香保之湯
前頭 《割書:ソウトク | ニヨシ 》 豆州湯川原之湯
前頭 フ人吉 相州足之湯
前頭 諸病 陸奥嶽之湯
前頭 〃 最上高湯之泉
前頭 ヒセン吉 仙台成子之湯
前頭 眼病 信州諏訪之湯
【右側三段目】
前頭 ソウトク 津軽嶽之湯
同 諸病吉 相州湯元之湯
同 眼ヘウ 豆州小名之湯
同 《割書:センキ | ニヨシ 》 信州渋之湯
同 《割書:ウチ身 | ヨシ 》 会津天仁寺之湯
同 《割書:万へウ | ヨシ 》 越後松之山之湯
同 カツケ 南部恐山之湯
同 諸病ヨシ 庄内田川之湯
同 ソウトク 岩城湯元之湯
同 諸病 米沢赤湯之湯
同 万ヘウ 下野中禅寺之湯
【右側四段目】
同 諸病吉 秋田大滝之湯
同 ヒセン吉 奥州飯坂之湯
同 万病吉 南部鹿角之湯
同 ガンヘウ 相州姥子之湯
同 センキ 豆州修善寺之湯
同 諸病吉 仙台川度之湯
同 万病吉 庄内温海之湯
同 《割書:ツカヘニ| 吉 》 津軽温湯之泉
同 センキ 米沢湯沢之湯
同 ツヽウ 豆州権現之湯
同 万ヘウ 会津熱塩之湯
同 疝キ 相州貴知之湯
【右側五段目】
同 婦人吉 野州塩原之湯
同 センキ 庄内湯浜之湯
同 諸ヘウ 津軽板留之湯
同 〃 信州別所之湯
同 ソウトク 越後関之山之湯
同 中風吉 南部台之湯
同 諸ヘウ 伊達湯之村之湯
同 打ミ 最上銀山之湯
同 《割書:シツ| ヒセン 》 仙台釜崎之湯
同 シヤク 会津滝之湯
同 ソウトク 米沢谷沢之湯
同 ツヽウ 南部麻水之湯
同 諸ヘウ 信州野沢之湯
【左側一段目】
西之方
【左側二段目】
大関 万病吉 摂州有馬之湯
関脇 諸病吉 但州城之崎之湯
小結 《割書:デキモノニ| 吉》 予州道後之湯
前頭 《割書:ソウトク | ニヨシ》 加州山中之湯
前頭 《割書:ヒセンニ | ヨシ》 肥後阿蘇之湯
前頭 《割書:ソウトク | ニ吉》 豊後浜脇之湯
前頭 万病吉 肥前温泉之湯
前頭 同 薩州霧嶋之湯
前頭 眼病 豊後別府之湯
前頭 諸病 肥後山家之湯
【左側三段目】
前頭 眼ヘウ 濃州下良之湯
同 諸ヘウ吉 肥後雛久之湯
同 ウチミ吉 能州底倉之湯
同 諸ヘウ 備中長府之湯
同 万ヘウ吉 薩州硫黄之湯
同 諸ヘウ吉 紀州田辺之湯
同 フ人ニ吉 但州湯川原之湯
同 ヒセン 芸州川治之湯
同 ソウトク 紀州大世知之湯
同 万病 加州白山之湯
同 ヒセン 伯州徒見之湯
【左側四段目】
同 ガンヘウ 薩州桜嶋之湯
同 フ人ニヨシ肥前竹尾之湯
同 センキ 石州河村之湯
同 ヒセン 防州山口之湯
同 リンヘウ 肥前漆之湯
同 ソウトク 越中足倉之湯
同 ツヽウ 越後塩沢之湯
同 ヒエセウ 相州塔之沢之湯
同 打ミ 秋田小安之湯
同 リンヘウ 薩州関外之湯
同 リンヘウ 相州宮下之湯
同 諸病 津軽矢立之湯
【左側五段目】
同 ソウトク 信州湯瀬之湯
同 ツヽウ 相州堂ヶ嶋之湯
同 センキ 津軽浅出【虫】之湯
同 ツヽウ 仙台阿灸之湯
同 ソウトク 越後出湯之泉
同 ウチミ 最上上之山之湯
同 ソウトク 信州浅間之湯
同 ヒセン 相州底倉之湯
同 中風 上州老神之湯
同 ソウトク 越後田上之湯
同 諸ヘウ 津軽倉立之湯
同 ソウトク 能州足之湯
同 《割書:諸ヘウ | ニ吉》 信州山田之湯
同 〃 上州宝川之湯
【コマ一にタイトルなし】
【右図の下に本文】
日本橋ヨリ 品川ヘ 六里
品川ヨリ 川嵜へ 二リ半
川崎ヨリ 神名川ヘ 三リ半
神名川ヨリ 程ケ谷ヘ 一リ九丁
程ケ谷ヨリ 戸塚へ 二リ九丁
戸塚ヨリ 藤沢ヘ 一リ丗丁
藤澤ヨリ 平塚ヘ 三リ半
平塚ヨリ 大礒へ 廿六丁
大礒ヨリ 小田原ヘ 四里
小田原ヨリ 箱根ヘ 四リ八丁
箱根ヨリ 三島ヘ 三リ廿八丁
三嶋ヨリ 沼津へ 二リ半
沼津ヨリ 原ヘ 一リ半
原ヨリ 吉原へ 三リ六丁
吉原ヨリ《割書:大宮ヘ三リ|蒲原ヘ二リ丗丁》
蒲原ヨリ 由井ヘ 三十丁
由井ヨリ 奥津ヘ 二リ十六丁
奥津ヨリ 江尻ヘ 一リ九丁
江尻ヨリ 久能山ヘ 二リ半
清見寺下ヨリ《割書:三保ノ先マデ|海上三里》
三保ノ松原ハ西ヨリ東ヘ長ク
出ル□【□:コトか?】一リ半南北廿丁羽衣ノ
神社羽衣ノ井同古松アリ三
保三社アリ此所ヨリ冨士ヲ見
ルニ竒【竒:奇の異体字】㬌言語ニ述ガタシ
橋本玉蘭画図
両国大平板
【左図の上に本文】
冨士山畧記ニ曰
夫富士山ハ天地開
闢已来自然涌出ノ
御山ニテ万物出生ノ
根元也然レハ人皇五
代マデハ雲霧ニ囲レ
世上奉拝スル□【□:コトか?】ヲ得ズ
人皇六代孝安天王
九十二年庚申年初
テ雲霧晴テ国中ノ
貴賎奉拝之ヲ同十
二景行天王五十二
年夏東夷征伐ノ
御時北□【□:国か?】ニ行幸有
テ此山南果ニ出現ノ
山也□国富士山ヨリ
西北東ニ当ル也北方
広ク子ノ方ヨリ丗人為
拝之旨勅宣上仮ニ華
表ヲ御建立被成下夫
ヨリ已来三国第一山ト
奉号鎮座仙元太神
地神三代瓊々杵命皇
后木花開耶姫神亦
御名鹿茸津姫命大
山祇命女子安産
養蚕ノ守護神也
吉田口麓仙元大華表
高五丈八尺五寸太サ径七
尺五寸但一本木也勅額
竪九尺横六尺楠一枚
板三国第一山トアリ
【左図の左下角】
橋本
玉蘭画図
両国大平板
【タイトル】
富士詣独案内
【俯瞰図の下に本文】
日本橋ヨリ 府中ヘ 九里
府中ヨリ 日野ヘ 二リ八丁
日野ヨリ 八王子ヘ 廿八丁
八王子ヨリ 駒木野へ 廿丁
《割書:小仏峠右|高尾山左》追分上リ口マテ五丁
両山トモニ五十丁高尾山ヨリ
峯越五十丁峠ニ至ル峠ヨリ
小原ヘ下リ坂一里二十二丁
二タ瀬越ヨリ吉野へ 廿丁
吉野ヨリ 関野ヘ 廿六丁
関野ヨリ 上野原ヘ 二里
上野原ヨリ 鶴川ヘ 十八丁
鶴川ヨリ 野田尻ヘ 一リ六丁
野田尻ヨリ 犬目ヘ 三十一丁
犬目ヨリ 鳥沢ヘ 一リ十二丁
鳥沢ヨリ 猿橋ヘ 廿八丁
猿橋ヨリ 大月ヘ 一リ八丁
大月ヨリ 四日市ヘ 一リ半
四日市ヨリ 谷村ヘ 廿五丁
谷村ヨリ 小野ヘ 一リ半
小野ヨリ 下吉田ヘ 一リ半
下吉田《割書:ヨリ|御師ノ丁》上吉田ヘ十八丁
橋本玉蘭画図
両国太平板
【タイトル】
証(シヨウ)果(クワ)増(ゾウ)進(シン)之(ノ)図(ツ)
【大枠内縦十五段横十区画の碁盤の目構造】
【大枠外右上第一段付近円内】
蔵通(ザウツウ)
別円(ベチヱン)
テン
【大枠外右第一段~第六段付近】
「 従(ヨリ)_二初地(シヨチ)_一至(イタリ)_二 十地(ジフヂ)_一 ̄ニ 至(イタル)_二 十聖(ジフシヤウ)_一 ̄ニ 十住(シフチユウ)十行(シフギヤウ)十廻向(シフヱカウ)云_二 三賢(サンケン))_一 ̄ト 又 内凡(ナイボン) ̄ナリ 巳上 別教(ベツケウ)依(ヨル)_二瓔珞(イヨウラク) ̄ノ 列(レツ)五十二位(ゴシウニヰ)_一 ̄ニ
【大枠外右第七段~第十三段付近】
円教(ヱンゲウ)明(ア キラカ) ̄ニ 次_レ位(ツイヅ□) ̄ヲ 有(アリ)_レ八(ハチ)一 ̄ニ 五品(ゴホン)弟子(デシ)位(ヰ)《割書:外(ゲ)|凡(ボン)》、二 ̄ニ 十信(シウシン)《割書:内(ナイ)|凡(ボン)》、三 ̄ニ 十地(ジフヂ)《割書:神(シン)|聖(セウ)》、四 ̄ニ 十 行(ゲウ)、五 十廻向(シフヱカシ)六 十地(シフチ)七 等覚(トウカク)《割書:□(□□)|位(イ)》八妙覚(メウカク)
通教(ツゲウ)十地(シフヂ)、一乾恵地(ケンヱヂ)《割書:外|凡》、二性地(シヤウヂ)《割書:内|凡》、三 八人地(ハチニンヂ)四 見地(ケンヂ)、五 薄地(ハクヂ)、六 離欲地(リヨクチ)、七 巳弁地(イヘンチ)、八 辟支仏地(ヒヤクシブツヂ)、九 菩薩(ボサツ)、十 仏(フツ)、
【第一段】
【四区画構成】
【第一区画】
戒(カイ)【戒(カイ):丸で囲む】金剛心(コンガウシン)
等覚(トウカク)【等覚(トウカク):四角で囲む】
定(ヂヤウ)【定(ヂヤウ):丸で囲む】報身(ホウシン)
慧(ヱ)【慧(ヱ):丸で囲む】法身(ホツシン)
【第二区画】
定(ヂヤウ)【定(ヂヤウ):丸で囲む】応身(ヲウジン)
報身(ホフシン)
慧(ヱ)【慧(ヱ):丸で囲む】法身(ホツシン)
妙(メウ)【妙(メウ):丸で囲む】
法身(ホツシン)
覚(ガク)【覚(ガク):丸で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):丸で囲む】四州(シシウ)
応身(ヲウジン)
慧(ヱ)【慧(ヱ):丸で囲む】報身(ホウシン)
【第三区画】
戒(カイ)【戒(カイ):丸で囲む】等覚(トウガク)
金剛心(コンガウシン)【金剛心(コンガウシン):四角で囲む】
定(チヤウ)【定(チヤウ):丸で囲む】応身(ヲウシン)
慧(ヱ)【慧(ヱ):丸で囲む】法身(ホツシン)
【第二段】
【十区画構成】
【大枠外右第二段付近】
十地(シフヂ)
【第一区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】離垢地(リクヂ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】発光地(ホツクワウチ)
一 歓喜地(クワンギヂ)【歓喜地(クワンギヂ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】燄恵地(ヱンヱチ)
【第二区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】発光地(ホツクワウチ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】燄恵地(ヱンヱチ)
二 離垢地(リクヂ)【離垢地(リクヂ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】難勝地(ナンジヤウチ)
【第三区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】燄恵地(ヱンヱヂ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】難勝地(ナンシヤウチ)
三 発光地(ホツクワウヂ)【発光地(ホツクワウヂ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】現前地(ゲンゼンチ)
【第四区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】難勝地(ナンシヤウヂ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】現前地(ゲンゼンチ)
四 燄慧地(ヱンヱチ)【燄慧地(ヱンヱチ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】遠行地(ヲンギヤウチ)
【第五区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】現前地(ケンゼンチ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】遠行地(ヲンギヤウチ)
五 難勝地(ナンシヨウヂ)【難勝地(ナンシヨウヂ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】不動地(フドウチ)
【第六区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】遠行地(ヲンキヤウチ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】不動地(フトウチ)
六 現前地(ケンゼンチ)【現前地(ケンゼンチ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】善恵地(センヱチ)
【第七区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】不動地(フトウチ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】善恵地(センヱチ)
七 遠行地(ヲンギヤウチ)【遠行地(ヲンギヤウチ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】法雲地(ホウヽンチ)
【第八区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】善恵地(センヱチ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】法雲地(ホウヽンチ)
八 不動地(フドウチ)【不動地(フドウチ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】等覚(トウカク)
【第九区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】法雲地(ホウヽンチ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】等覚(トウカク)
九 善慧地(センヱチ)【善慧地(センヱチ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】金剛心(コンガウシン)
【第十区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】等覚(トウカク)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】金剛地(コンカウチ)
十 法雲地(ホウヽンチ)【法雲地(ホウヽンチ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】妙覚(メウカク)
【第三段】
【十区画構成】
【大枠外右第三段付近】
十廻向(シフヱカウ)
【第一区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】
一《割書:救護衆生離(クゴシユジヤウリ)|衆生相廻向(シユジヤウサウヱカウ)》【《割書:救護衆生離(クゴシユジヤウリ)|衆生相廻向(シユジヤウサウヱカウ)》:四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】等一切諸仏(トウイツサイシヨブツ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】至一切處(シイツサイシヨ)
【第二区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】等一切諸仏(トウイツサイシヨブツ)
二 不壊(フヱ)【不壊(フヱ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】至一切處(シイツサイシヨ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】无盡功徳蔵(ムジンクドクザウ)
【第三区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】至一切處(シイツサイシヨ)
三 等一切諸仏(トウイツサイシヨブツ)【等一切諸仏(トウイツサイシヨブツ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无盡功徳蔵(ムジンクトクサウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】入一切平等善根(ニウイツサイヘウドウゼンゴン)
【第四区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无盡功徳蔵(ムジンクトクザウ)
四 至一切處(シイツサイシヨ)【至一切處(シイツサイシヨ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】入一切平等善根(ニウイツサイヘウトウゼンゴン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】等隨順一切衆生(トウズイジュンイツサイシュゼウ)
【第五区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】入一切平等善根(ニウイツサイヘウトウゼンコン)
五 無盡功徳蔵(ムジンクトクザウ)【無盡功徳蔵(ムジンクトクザウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】等隨順一切衆生(トウズイジュンイツサイシュゼウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】真如相(シンニヨサウ)
【第六区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】等隨順一切衆生(トウズイジュンイツサイシュシヤウ)
六《割書:入一切平等(ニウイツサイビヤウドウ)|善根(ゼンゴン)》【《割書:入一切平等(ニウイツサイビヤウドウ)|善根(ゼンゴン)》:四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无縛无着解脱(ムハクムチャクゲダツ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】
【第七区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】真如相(シンニヨサウ)
七《割書:等隨順一切(トウズイジュンイツサイ)|衆生(シュシヤウ)》【《割書:等隨順一切(トウズイジュンイツサイ)|衆生(シュシヤウ)》:四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无縛无着解脱(ムハクムヂャクゲダツ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】入法界无量(ニウホウカイムリヤウ)
【第八区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无縛无着解脱(ムハクムヂャクゲダツ)
八 真如相(シンニヨサウ)【真如相(シンニヨサウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】入法界无量(ニウホウカイムリヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】歓喜地(クハンキチ)
【第九区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】
九 《割書:無縛無着(ムバクムヂャク)|解脱(ゲダツ)》【《割書:無縛無着(ムバクムヂャク)|解脱(ゲダツ)》:四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】歓喜地(クハンキチ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】離垢地(リクチ)
【第十区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】歓喜地(クハンキチ)
十 入法界无量(ニウ□フカイムリヤウ)【入法界无量(ニウ□フカイムリヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】離垢地(リクチ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】発光地(ハツクハウチ)
【第四段】
【十区画構成】
【大枠外右第四段付近】
十行(シフギヤウ)
【第一区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】饒益行(ネウヤクギヤウ)
一 歓喜行(クハンギギヤウ)【歓喜行(クハンギギヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无違逆行(ムイギヤクギヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】无屈撓行(ムクツネウギヤウ)
【第二区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无違逆行(ムイギヤクギヤウ)
二 饒益行(ネウヤクギヤウ)【饒益行(ネウヤクギヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无屈撓行(ムクツネウギヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】无痴乱行(ムチランギヤウ)
【第三区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无屈撓行(ムクツネウギヤウ)
三 無違逆行(ムイギヤクキヤウ)【無違逆行(ムイギヤクキヤウ)):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无痴乱行(ムチランギヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】善現行(センケンギヤウ)
【第四区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无痴乱行(ムチランギヤウ)
四 無屈撓行(ムクツネウキヤウ)【無屈撓行(ムクツネウキヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】善現行(ゼンケンギヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】无着行(ムチヤクギヤウ)
【第五区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】善現行(センゲンキヤウ)
五 無癡乱行(ムチランギヤウ)【無癡乱行(ムチランギヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无着行(ムチヤクギヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】難得行(ナントクキヤウ)
【第六区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无着行(ムチヤクギヤウ)
六 善現行(ゼンゲンギヤウ)【善現行(ゼンゲンギヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】難得行(ナントクギヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】善法行(センホウキヤウ)
【第七区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】難得行(ナントクギヤウ)
七 無着行(ムチヤクギヤウ)【無着行(ムチヤクギヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】善法行(センホウキヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】真実行(シンジツギヤウ)
【第八区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】善法行(センホウキヤウ)
八 難得行(ナントクギヤウ)【難得行(ナントクギヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】真実行(シンジツキヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】救護衆生(クゴシユシヤウ)
【第九区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】真実行(シンジツキヤウ)
九 善法行(ゼンホウキヤウ)【善法行(ゼンホウキヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】救護衆生(クゴシユシヤウ)
恵【恵:四角で囲む】不壊(フエ)
【第十区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】救護衆生(クゴシユシヤウ)
十 真実行(シンジツキヤウ)【真実行(シンジツキヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】不壊(フエ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】等一切諸仏(トウイツサイシヨフツ)
【第五段】
【十区画構成】
【大枠外右第五段付近】
十住(シフヂユ)
【第一区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】精進心(シヤウシン□□)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】治地住(チヽチユ)
一 発心住(ホツシンヂユ)【発心住(ホツシンヂユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】修行住(シユキヤウチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】生喜住(セウキチユ)
【第二区画】
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】恵信(ヱシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】修行住(シユキヤウチユ)
二 治地性(ヂチヂユ)【治地性(ヂチヂユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】生喜住(シヤウキチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】具足方便住(グソクホウヘンチユ)
【第三区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】定信(ジヤウシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】生喜住(シヤウキチユ)
三 修行住(シユキヤウヂユ)【修行住(シユキヤウヂユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】具足方便住(グソクホウベンチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】正心住(シヤウシンチユ)
【第四区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】不退信(フタイシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】具足方便住(クソクホウベンチユ)
四 生喜住(シヤウキチユ)【生喜住(シヤウキチユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】正心住(シヤウシンチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】不退住(フタイチユ)
【第五区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】廻向信(ヱカウシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】正心住(シヤウシンチユ)
五 具足方便住(グソクホウヘンヂユ)【具足方便住(グソクホウヘンヂユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】不退住(フタイチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】童真住(トウシンチユ)
【第六区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】護法信(ゴホウシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】不退住(フタイチユ)
六 正心住(シヤウシンチユ)【正心住(シヤウシンチユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】童真住(ドウシンチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】法王子住(ホウワウシチユ)
【第七区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】戒信(カイシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】童真住(ドウシンチユ)
七 不退住(フタイチユ)【不退住(フタイチユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】法王子住(ホウワウシチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】潅頂住(クハンテウチユ)
【第八区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】法王子住(ホウワウシチユ)
八 童真住(ドウシンチユ)【童真住(ドウシンチユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】潅頂住(クハンテウチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】歓喜行(クハンギキヤウ)
【第九区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】潅頂住(クハンテウチユ)
九 法王子住(ホウワウシヂユ)【法王子住(ホウワウシヂユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】歓喜行(クハンキキヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】饒益行(ネウヤクキヤウ)
【第十区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】歓喜行(クハンキキヤウ)
十 潅頂住(クハンデウチユ)【潅頂住(クハンデウチユ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】饒益行(ネウヤクキヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】无違逆行(ムヰギヤクキヤウ)
【第六段】
【十区画構成】
【大枠外右第六段付近】
十信(シフシン)
【第一区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】念信(ネンシン)
一 信信(シンシン)【信信(シンシン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】精進信(シヤウシン〳〵)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】恵信(ヱシン)
【第二区画】
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】信々(シン〳〵)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】精進信(シヤウシン〳〵)
二 念信(ネンシン)【念信(ネンシン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】恵信(ヱシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】定信(ジヤウシン)
【第三区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】念信(ネンシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】恵信(ヱシン)
三 精進信(シヤウシン〳〵)【精進信(シヤウシン〳〵):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】定信(ジヤウシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】不退信(フタイシン)
【第四区画】
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】精進信(シヤウシン〳〵)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】定信(シヤウシン)
四 慧信(ヱシン)【慧信(ヱシン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】不退信(フタイシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】廻向信(ヱカウシン)
【第五区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】恵信(ヱシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】不退信(フタイシン)
五 定信(ジヤウシン)【定信(ジヤウシン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】廻向信(ヱカウシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】護法信(ゴホウシン)
【第六区画】
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】定信(ゼウシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】廻向信(ヱカウシン)
六 不退信(フタイシン)【不退信(フタイシン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】護法信(ゴホウシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】戒信(カイシン)
【第七区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】不退信(フタイシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】護法信(ゴホウシン)
七 廻向信(ヱカウシン)【廻向信(ヱカウシン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】戒信(カイシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】願信(グハンシン)
【第八区画】
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】廻向信(ヱカウシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】戒信(カイシン)
八 護法信(ゴホウシン)【護法信(ゴホウシン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】願信(グハンシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】発心住(ホツシンチユ)
【第九区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】護法信(ゴホウシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】願信(グハンシン)
九 戒信(カイシン)【戒信(カイシン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】発心住(ホツシンチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】治地住(ジチチユ)
【第十区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】戒信(カイシン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】発心住(ホツシンチユ)
十 願信(グハンシン)【願信(グハンシン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】治地住(チヽチユ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】修行住(シユキヤウチユ)
【第七段】
【十区画構成】
【大枠外右第七段付近】
四向四果(シカウシクハ)
【第一区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】湏陀洹果(シユタヲンクハ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】斯陀含向(シタコンカウ)
湏陀洹向(シユタヲンカウ)【湏陀洹向(シユタヲンカウ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】斯陀含果(シタコンクハ)
【第二区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】斯陀含向(シタコンカウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】斯陀含果(シタコンクハ)
湏陀洹果(シユタヲンクハ)【湏陀洹果(シユタヲンクハ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】阿那含向(アナコンカウ)
【第三区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】斯陀含果(シタコンクハ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】阿那含向(アナコンカウ)
斯陀含向(シダゴンカウ)【斯陀含向(シダゴンカウ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】斯陀含果(シタコンク)
【第四区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】阿那含向(アナコンカウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】阿那含果(アナコンクハ)
斯陀含果(シタゴンクハ)【斯陀含果(シタゴンクハ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】阿羅漢向(アラカンカウ)
【第五区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】阿那含果(アナコンクハ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】阿羅漢向(アラカンカウ)
阿那含向(アナゴンカウ)【阿那含向(アナゴンカウ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】阿那含果(アナゴンクハ)
【第六区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】阿羅漢向(アラカンカウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】阿羅漢果(アラカンクハ)
阿那含果(アナコンクハ)【阿那含果(アナコンクハ):四角で囲む】
恵( ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】縁覚(ヱンカク)
【第七区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】阿羅漢果(アラカンクハ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】縁覚(ヱンカク)
阿羅漢向(アラカンカウ)【阿羅漢向(アラカンカウ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】初地(シヨチ)
【第八区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】入法界无量(ニフホウカイムリヤウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】初地(シヨチ)
阿羅漢果(アラカンクハ)【阿羅漢果(アラカンクハ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】二地(ニチ)
【第九区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】菩薩(ホサツ)
縁覚(ヱンカク)【縁覚(ヱンカク):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】二地(ニチ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】三地(サンチ)
【第十区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】初地(シヨチ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】二地(ニチ)
菩薩(ホサツ)【菩薩(ホサツ):四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】三地(サンチ)
【大枠外右第八~九段付近】
無色天(ムシキテン)云(イウ)_二 四空定(シクウヂヤウ)_一
【第八段】
【十区画構成】
【第一区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】无想天(ムソウテン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】識處天(シキシヨテン)
空處(クウシヨ)【空處(クウシヨ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无所有處(ムシヨウシヨ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】非々相處(ヒヽソウシヨ)
【第二区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】福生天(フクセウテン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无所有處(ムシヨウシヨ)
識處(シキシヨ)戒(カイ)【識處(シキシヨ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】非々相處(ヒヽソウシヨ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】忍(ニン)
【第三区画】
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】広果天(クワウクハテン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】非々相處(ヒヽソウシヨ)
無所有處(ムシヨウシヨ)【無所有處(ムシヨウシヨ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无煩天(ムホンテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】无所有處(ムシヨウシヨ)
【第四区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】无想天(ムソウテン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】忍(ニン)
非想非々想處(ヒヨウヒヽソウシヨ)【非想非々想處(ヒヨウヒヽソウシヨ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】阿那含果(アナコンクハ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】阿羅漢向(アラカンカウ)
【第五区画】
外九三【外九三:四角で囲む】
【第六区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】北俱盧州(ホククルシウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】東弗婆提(トウホツハタイ)
一 五停心(ゴヂヤウシン)【五停心(ゴヂヤウシン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】別想念處(ベツソウネンシヨ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】惣相念處(ソウ〳〵ネンシヨ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】信々(シン〳〵)
【第七区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】東弗婆提(トウホツハタイ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】西牛貨州(サイコケシウ)
二 別想念處(ヘツソウネンシヨ)【別想念處(ヘツソウネンシヨ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】惣相念處(ソウ〳〵ネンシヨ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】忍(ニン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】世第一(セダイヽチ)
【第八区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】北俱盧州(ホクヽルシウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】東弗婆提(トウホツハタイ)
三 惣相念處(ソウ〳〵ネンシヨ)【惣相念處(ソウ〳〵ネンシヨ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】世第一(セダイヽチ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】忍(ニン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】湏陀洹向(シユタヲンカウ)
【第九区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】縁覚(ヱンカク)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】湏陀洹果(シユタヲンクハ)
世第一(セダイヽチ)四【世第一(セダイヽチ)四:四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】湏陀洹向(シユタヲンカウ)
【第十区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】世第一(セダイヽチ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】湏陀洹向(シユタヲンカウ)
忍(ニン)三【忍(ニン)三:四角で囲む】
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】湏陀洹果(シユタヲンクハ)
【大枠外右第九~十段付近】
色界十八天(シキカヒシフハチテン)
【第九段】
【十区画構成】
【第一区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】羅刹(ラセツ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】鳩槃茶(クハンタ)
十一 福生(フクシヤウ)【福生(フクシヤウ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】広果天(カウクハテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】空處天(クウシヨテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】念信(ネンシン)
【第二区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
十二 広果(クワウクハ)【広果(クワウクハ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无想天(ムソウテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】識處天(シキシヨテン)
【第三区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】信々(シン〳〵)
十三 無想(ムソウ)【無想(ムソウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无煩天(ムホンテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】无所有處(ムシヨウシ□)
【第四区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】梵衆天(ボンシユテン)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】大梵天(タイホンテン)
十四 無煩(ムボン)【無煩(ムボン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无熱天(ムネツテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】非々想天(ヒヽソウテン)
【第五区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】梵輔天(ホンフテン)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】少光天(セウクハウテン)
十五 無熱(ムネツ)【無熱(ムネツ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】善見天(センケンテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】世第一(セタイヽチ)
【第六区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】无量光(ムリヤウクハウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】光音(クハウヲン)天
十六 善見(ゼンケン)【善見(ゼンケン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】善見(センケン)天
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】世第一(セタイヽチ)
【第七区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】少光(セウクハウ)天
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】无雲(ムウン)天
十七 善現(センゲン)【善現(センゲン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】色究竟(シキクキヤウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】縁覚(エンカク)
【第八区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】大梵(タイホン)天
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】徧浄(ヘンシヤウ)天
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】空處(クウシヨ)天
十八 色究竟(シキクキヤウ)【色究竟(シキクキヤウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】非々想(ヒヽソウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】縁覚(エンカク)
【第九区画】
内凡(ナイホ□) ̄ニ 四 又(ダ)曰(イハク)四加行(シケゲウ)
又曰 四善根(シセンゴン)
蔵教(ザウケウ)【蔵教(ザウケウ):四角で囲む】
煗(ダン)一【煗(ダン)一:四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】忍(ニン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】世第一(セタイチ)
【第十区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】忍(ニン)
頂(チヤウ)二【頂(チヤウ)二:四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】世第一(セタイヽチ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】湏陀洹向(シユタヲンカウ)
【大枠外右第十段付近】
四禅天(シゼンテン)
【第十段】
【十区画構成】
【第一区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】畜生(チクセウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】頞部陀(アフダ)
初禅之三天(シヨセンノサンテン)
一 梵衆(ホンシユ)【梵衆(ホンシユ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】梵輔天(ボンフテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】五停心(ゴヂヤウシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】大梵天(タイホンテン)
【第二区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】餓鬼(ガキ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
二 梵輔(ボンフ)【梵輔(ボンフ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】信々(シン〳〵)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】大梵天(タイホンテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】少光天(セウクハウテン)
【第三区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞部陀(アフダ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】少光天(セウクハウテン)
三 大梵(タイホン)【大梵(タイホン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】福生天(フクシヤウテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】信々(シン〳〵)
【第四区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】毒龍(トクリウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
二 禅之三天(センノサンテン)
四 少光(セウクハウ)【少光(セウクハウ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无量光(ムリヤウクハウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】五停心(ゴヂヤウシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】広果天(カウクハテン)
【第五区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】阿修羅(ア□□ラ)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】光音天(クハウヲンテン)
五 無量光(ムリヤウクワウ)【無量光(ムリヤウクワウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】恵信(ヱシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】无煩天(ムホンテン)
【第六区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】少浄(セウジヤウ)天
六 光音(クハウヲン)【光音(クハウヲン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】徧浄(ヘンジヤウ)天
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】空處(クウシヨ)天
【第七区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】餓鬼(ガキ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】夜叉(ヤシヤ)
三禅之三天(サンセンノサンテン)
七 少浄(セウジヤウ)【少浄(セウジヤウ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无量浄(ムリヤウシヤウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】信々(シン〳〵)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】无煩(ムボン)天
【第八区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】餓鬼(ガキ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】冨単那(フタンナ)
八 無量浄(ムリヤウシヤウ)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】徧浄(ヘンシヤウ)天
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】善見(センケン)天
【第九区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】餓鬼(ガキ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
九 徧浄(ヘンシヤウ)【徧浄(ヘンシヤウ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】无雲(ムウン)天
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】善見(センケン)天
【第十区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】餓鬼(ガキ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】乾闥婆(ケンタツハ)
四禅之九天(シセンノクテン)
十 無雲(ムウン)【無雲(ムウン):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】福生天(フクセウテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】色究竟(シキクキヤウ)
【大枠外右第十一段付近】
六欲天(ロクヨクテン)
【第十一段】
【七区画構成】
【第一区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】夜叉(ヤシヤ)
多聞天(タモンテン)【多聞天(タモンテン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】梵衆天(ホンシユテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】兜率天(トソツテン)
【第二区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】餓鬼(ガキ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
増長天(ソウヂヤウテン)【増長天(ソウヂヤウテン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】化楽天(ケラクテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无想天(ムソウテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】兜率天(トソツテン)
【第三区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】西牛貨州(サイコケシウ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】毒龍(ドクリウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
忉利天(トウリテン)【忉利天(トウリテン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】大梵天(タイホンテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】光音天(クハウヲンテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】湏陀洹向(シユタヲンカウ)
【第四区画・第十二段共】
貪(トン)【貪(トン):丸で囲む】餓鬼(ガキ)
瞋(シン)【瞋(シン):丸で囲む】地獄(ヂゴク)
アブタ
痴(チ)【痴(チ):丸で囲む】畜生(チクセウ)
南贍部州(ナンセンブシウ)【南贍部州(ナンセンブシウ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):丸で囲む】忉利天(トウリテン)
定(チヤウ)【定(チヤウ):丸で囲む】梵衆天(ボンシユテン)
慧(ヱ)【慧(ヱ):丸で囲む】世第一(セタイイチ)
【第五区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】西牛貨州(サイコケシウ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】毒龍(トクリウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
夜摩天(ヤマテン)【夜摩天(ヤマテン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】大梵天(タイホンテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】光音天(クハウヲンテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】斯陀含向(シタコンカウ)
【第六区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】鳩槃茶(クハンタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】西牛貨州(サイコケシウ)
兜率天(トソツテン)【兜率天(トソツテン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】湏陀洹向(シユタヲンカウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】阿那含向(アナゴンカウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】阿羅漢向(アラカンカウ)
【第七区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
他化自在天(タケシサイテン)【他化自在天(タケシサイテン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】広果天(クハウクハテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】无熱天(ムネツテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】世第(セタイ)一
【大枠外右第十二段付近】
四王四州(シワウシシウ)
【第十二段】
【七区画構成】
【第一区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】鳩槃茶(クハンタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
持国天(チコクテン)【持国天(チコクテン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
定(チヤウ)【定(チヤウ):四角で囲む】梵衆天(ボンシユテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】兜率天(トソツテン)
【第二区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】餓鬼(カキ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
広目天(カウモクテン)【広目天(カウモクテン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
定(チヤウ)【定(チヤウ):四角で囲む】梵衆天(ホンシユテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】兜率天(トソツテン)
【第三区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】餓鬼(カキ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
西牛貨州(サイゴケジウ)【西牛貨州(サイゴケジウ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):丸で囲む】北俱盧州(ホクヽルシウ)
定(チヤウ)【定(チヤウ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】梵輔天(ホンフテン)
【第四区画・第十一段と同じ】
【第五区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】餓鬼(カキ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
東弗婆提(トウホツバダイ)【東弗婆提(トウホツバダイ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】化楽天(ケラクテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】梵衆天(ホンシユテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】湏陀洹向(シユタヲンカウ)
【第六区画】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】兜率天(トソツテン)
北俱盧州(ホククルシウ)【北俱盧州(ホククルシウ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】大梵天(タイホンテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】光音天(クハウヲンテン)
【第七区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】畜生(チクセウ)
化楽天(ケラクテン)【化楽天(ケラクテン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】他化自在天(タケジザイテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】広果天(クハウクハテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】斯陀含向(シダゴンカウ)
【第十三段】
【十区画構成】
【第一区画】
【上部右横書き】
多聞天(タモンテン)所領(シヨレウ)
【縦書き】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】虎々婆(コヽハ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
羅刹(ラセツ)【羅刹(ラセツ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】北俱盧州(ホククルシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
【第二区画】
【上部右横書き】
多聞天(タモンテン)所領(シヨレウ)
【縦書き】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
夜叉(ヤシヤ)【夜叉(ヤシヤ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】北俱盧州(ホククルシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】広目天(カウモクテン)
【第三区画】
【上部右横書き】
広目天(カウモクテン)所領(シヨレウ)
【縦書き】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
毒龍(ドクリウ)【毒龍(ドクリウ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】五停心(ゴヂヤウシン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】北俱盧州(ホククルシウ)
【第四区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】虎々婆(コヽハ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
畜生(チクシヤウ)【畜生(チクシヤウ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】北俱盧州(ホククルシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
【第五区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】虎々婆(コヽハ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
餓鬼(ガキ)【餓鬼(ガキ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】西牛貨州(セイゴケジウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】北俱盧州(ホクヽルシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】夜摩天(ヤマテン)
【第六区画】
【上部右横書き】
持国天(□コクテン)所領(シヨレウ)
【縦書き】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】薜荔陀(ベイレイタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】冨単那(フタンナ)
乾闥婆(ケンタツハ)【乾闥婆(ケンタツハ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】東弗婆提(トウホツハタイ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】北俱盧州(ホククルシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】増長天(ゾウチヤウテン)
【第七区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】薜荔陀(ベイレイタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】毒龍(ドクリウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】羅刹(ラセツ)
阿修羅(アシユラ)【阿修羅(アシユラ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】多聞天(タモンテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
【第八区画】
【上部右横書き】
広目天(コウモクテン)所領(シヨレウ)
【縦書き】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】虎々婆(コヽハ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
毘舎闍(ヒシヤ□ヤ)【毘舎闍(ヒシヤ□ヤ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンセンブシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】北俱盧州(ホククルシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】多聞天(タモンテン)
【第九区画】
【上部右横書き】
持国天(□コクテン)所領(シヨレウ)
【縦書き】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】鳩槃茶(クハンタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】薜荔陀(ヘイレイタ)
冨単那(フタンナ)【冨単那(フタンナ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンセンブシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】東弗婆提(トウホツハタイ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】広目天(コウモクテン)
【第十区画】
【上部右横書き】
増長天(ソウチヤウテン)所領(シヨレウ)
【縦書き】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】鳩槃茶(クハンタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
薜荔陀(ベイレイタ)【薜荔陀(ベイレイタ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】東弗婆提(トウホツハタイ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】北俱盧州(ホククルシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】持国天(ヂコクテン)
【大枠外右第十四段付近】
十六地獄(□フロクチゴク)
【第十四段】
【十区画構成】
【第一区画、第十五段共通】
【上第十四段付近】
八寒(ハツカン)【八寒(ハツカン):四角で囲む】
【下第十五段付近】
八熱(ハチネツ)【八熱(ハチネツ):四角で囲む】
【第二区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
一 頞部陀(アブダ)【頞部陀(アブダ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】夜叉(ヤシヤ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】南贍部州(ナンセンブシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
【第三区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】矐々婆(クハヽハ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
二 尼刺部陀(ニラブダ)【尼刺部陀(ニラブダ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンセンフシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】忉利天(トウリテン)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】夜摩天(ヤマテン)
【第四区画】
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】虎々婆(コヽハ)
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】矐々婆(クハヽハ)
三 頞哳陀(アセツタ)【頞哳陀(アセツタ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】阿修羅(アシユラ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】夜叉(ヤシヤ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】鳩槃茶(クハンタ)
【第五区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】虎々婆(コヽハ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】□鉢羅(ウハラ)
四 矐々婆(クワヽハ)【矐々婆(クワヽハ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】尼刺部陀(ニラブダ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】鳩槃茶(クハンタ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】北俱盧州(ホククルシウ)
【第六区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】鉢特摩(ハロマ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】□鉢羅(ウハラ)
五 虎々婆(コヽバ)【虎々婆(コヽバ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンゼンブシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】冨単那(フタンナ)
【第七区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】鉢特摩(ハドマ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】摩可鉢特(□□ハト)摩
六 □鉢羅(ウハラ)【□鉢羅(ウハラ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】鳩槃茶(クハンタ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】薜荔陀(ヘイレイタ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】矐々婆(クワヽハ)
【第八区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】等活(トウクワツ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】摩可鉢特摩(マカハドマ)
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】噑呌(ケウクハン)
七 鉢特摩(ハドマ)【鉢特摩(ハドマ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】虎々婆(コヽハ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】南贍部州(ナンゼンブシウ)
【第九区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】等活(トウクワツ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】黒縄(コクシヤウ)
八 摩可鉢特摩(マカハドマ)【摩可鉢特摩(マカハドマ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】矐々婆(クワヽハ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】□鉢羅(ウハラ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】南贍部州(ナンゼンブシウ)
【第十区画】
【上部右横書き】
増長天(ゾウチヤウテン)所領(シヨレウ)
【縦書き】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】頞部陀(アフタ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】尼刺部陀(ニラフタ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
鳩槃茶(クハンタ)【鳩槃茶(クハンタ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】乾闥婆(ケンダツハ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】南贍部州(ナンゼンフシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】多聞天(タモンテン)
【第十五段】
【九区画構成】
【第一区画、第十四段共通】
【第二区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】黒縄(コクシヤウ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】衆合(シユカウ)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】鉢特摩(ハトマ)
一 等活(トウクワツ)【等活(トウクワツ):四角で囲む】
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】頞哳陀(アセツタ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】虎々婆(コヽハ)
【第三区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】衆合(シユカウ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】大噑呌(タイ□□クハン)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】炎熱(ヱンネツ)
二 黒縄(コクジヤウ)【黒縄(コクジヤウ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】鉢特摩(ハトマ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】虎々婆(コヽハ)
【第四区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】大噑呌(タイケウクハン)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】炎熱(ヱンネツ)
三 衆合(シユガフ)【衆合(シユガフ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンゼンフシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】冨単那(フタンナ)
【第五区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】炎熱(ヱンネツ)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】大噑呌(タイケウクハン)
四 噑呌(ケウクハン)【噑呌(ケウクハン):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】南贍部州(ナンゼンフシウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】毘舎闍(ヒシヤジヤ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】夜叉(ヤシヤ)
【第六区画】
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】極熱(コクネツ)
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】炎熱(ヱンネツ)
五 大噑呌(タイケウクハン)【大噑呌(タイケウクハン):四角で囲む】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】無間(ムケン)
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】等活(トウクハツ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】鉢特摩(ハトマ)
【第七区画】
痴(チ)【痴(チ):四角で囲む】極熱(コクネツ)
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】無間(ムケン)
六 炎熱(ヱンネツ)【炎熱(ヱンネツ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】衆合(シユカウ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】□鉢羅(ウハラ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】噑呌(ケウクハン)
【第八区画】
貪(トン)【貪(トン):四角で囲む】無間(ムケン)
瞋(シン)【瞋(シン):四角で囲む】無間(ムケン)
七 極熱(ゴクネツ)【極熱(ゴクネツ):四角で囲む】
戒(カイ)【戒(カイ):四角で囲む】炎熱(ヱンネツ)
定(ゼウ)【定(ゼウ):四角で囲む】南贍部州(ナンゼンブシウ)
恵(ヱ)【恵(ヱ):四角で囲む】大噑呌(ダイケウクハン)
【第九区画】
無間【無間:丸で囲む】
【大枠外左】
乾闥婆(ケンダツハ)又 天帝(テンテイ)楽神(カクシン) 毘舎闍(ヒシヤシヤ)云 散精(サンセイ)気鬼(キキ) 冨単那(フタンナ)餓鬼(カキ)勝者(セウシヤ)薜荔陀(ヘイレイタ)餓鬼(カキ)劣者(レツシヤ) 京□□きや宗八板
【コマ1の裏】
【東京大学図書館蔵書印、整理番号】
〇〇一一八四二三八二
【欄外】
嘉永七寅十一月四日
【表題】
東海道大地震津波出火
【表題下の枠内】
十一月四日大ぢ
しんニ付宿々
大あれ往来
止り此外未不分
【本文、右上から左下にかけて】
蒲原 問屋より東
焼残り
くつれ
岩渕 六部くづれ
四部
やけ
吉原 丸やけ
由井 無事
興津 大津浪
出火
四部やけ
江尻 丸やけ
府中 江川丁より
出火
四部やけ
丸子 大地しん
残り
くづれ
岡部 大ぢしん
不残
くつれ
藤枝 上ノ方
六部
やけ
嶋田 大ちしん
五部
くつれ
金谷 大ちしん
七部
丸やけ
日坂 無事
掛川 大ちしん
不残
丸やけ
袋井 大ちしん
丸やけ
見付 大ちしん
六部
くつれ
濱松 大ちしん
六部くつれ
舞坂 大ちしん
四部
くつれ
荒井 御関所損
町方くつれ
白須賀 大ちしん
八部
くつれ
二タ川 大ぢしん
五部
くつれ
吉田 大ぢしん
六部
くつれ
御油 大あれ
赤坂 不残
くつれ
藤川 山くつれ
七部
くつれ
川水なし
岡崎 不残
くつれ
池鯉鮒 大津浪
大ちしん
鳴海 七部
くつれ
宮 八部
くつれ
桑名 大津浪
大ぢしん
かゝるめで度御代なれ共天変地妖にてせひもなし爰に
弘化四未年三月廿四日夜四ツ時頃より信州水内郡遠近大地震
阿りし場所を委しくたつぬるに先ツ善光寺を初メ堂塔
からん末社寺院其外人家夥敷幷川々ハ洪水里々ハ出火し人
馬の損亡多く東ハ丹波嶋川田松代屋代戸倉坂木上田此辺殊ニ強ク
街道筋大石等道ニゆり出し大地もさくるか如しこゝにふしき
なるハ善光寺如来也 抑信濃國善光寺ハ本多善光開きニ
して霊現あらたかなる事ハ世の知る所なれ共此度の大地震
に境内ハ申に及ず新田町後丁大津町西撞堂丁岩石□小
路西門丁東門左右普クゆり崩れ騒動斜ならずと
いへとも本堂ハ少も破却なく御堂に籠る輩ハ
怪我のなきハ偏ニ此尊霊の應護ならんと諸人かつ
がうの思ひそ深かりけれ扨又越後【虫損路ヵ】の方ハ井戸橋より
おし鏡村吉田宿荒町宿田子村吉村平出村三本松村牟禮
宿大古間宿小古間宿柏原宿黒姫山野尻宿関川宿等也
此所信濃ト越後の国境にして関川の御関所有リ夫より越後国
中山ニ宿初メ同国高田辺迠也右の場所ゟ又上州口の方ハ小諸
追分宿沓掛宿軽井沢宿碓井の御関所此所信濃上野の国境也
南ハ稲荷山宿青柳宿會田宿刈谷原宿岡田宿松本辺
是又殊之外震動し人家等多く焼失してその騒動
大方ならす近辺の大川夥敷出水し水火の責とや申へき
されハ貴賤の男女老たるを助けいとけなきを抱て鳴さけ
ふ聲野ニミち山にひゞき其有様哀れと言もおろか也
扨又松代真田様御城下丁々馬喰町荒葉辺鍛冶町鏡
臺町田町袋丁松山町新町丸の内辺大地酒さけ家数
百七八十軒程ゆりつぶされ人数凡六十人程行衛知れす
とかや此辺十二三里のしんとうしける又松平伊賀守様
御領分岩易山崩れ其辺往来も成兼る程也乍去
御領主御代官より御手配もよく出火出水等も夫々
御ふせぎ有り依て存の外人馬の損亡なし是ひとへニ
泰平の 御國恩難有御事也夫ニ付ても御當地□□
のものハかゝる例もなき事ゆへはなしのみ聞て
唯珍しくと思ふ斗なれ共かくけつこうの土地ニ住
果毅ハひとへニ 御國恩の難有事申も中〳〵
恐多事共也
●是又ちくま川むまり高井郡ふくしまハシマ大シマ
王多門堀長門守様御陣屋須坂此邊地王れおふせ
▲中野此辺村々多く損す山田□ふたなが形邊山くつるゝ
川向の方本多豊後守様御城下飯山此辺悉く崩るゝ
浅野辺殊ニ強く有る事也諸人心得にもならんかと
記しぬ誠に泰平の御代こそ難有事也
印
豆(づ)州(しう)熱(あた)海(ミ)温(おん)泉(せん)之儀は海(かい)中(ちう)にわき出(いで)
はまかたりやうしなんぎ仕候處(ところ)弘(こう)法(ぼう)大(だい)師(し)
御作(さく)ひかね地(ぢ)蔵(ぞう)ぼさつれいげんにて
一夜(や)のうちに岡(おか)なるがんくつのあいたより
昼(ちう)夜(や)六度(たび)わきいだしあじわひしほゆ
にて硫(い)黄(わう)の氣(き)いさゝかもこれなく
天(てん)平(へい)勝(しやう)宝(ほう)年(ねん)中(ぢう)よりひらきはじめ
凢(およそ)一千有(ゆう)余(よ)年(ねん)の久(ひさ)しきをへて本(ほん)朝(ちやう)
三温(おん)泉(せん)のその一なりまんびやうによし
いさゝかもさわりなく
上〻様方(かた)も御入(にう)湯(とう)御願之儀ハあたミニ
かきり候事あまねく御ぞんじ之
御事ニ御座候御大(たい)醫(い)之御方様年(とし)
久しきぢびやうと相なりやくりよく
とゞきかね候御方(かた)も日〻私(わたくし)宅(たく)え御かよひ
御入湯あそバされ又(また)は樽(たる)にて御取(とり)よせ
御とうじなされ候事日〻御入湯之
御方様之御存【「知」が脱か】之御事ニ御座候
効(こう)能(のう)
一せんき 一せんしやく
一かつけ 一じひつ
一しやく 一つかへ
一ちう風 一りんひつ
一たむし 一なまづ
一こひつ 一うちみ
其(その)外(ほか)ひへしやう之御方様内(うち)をあたゝめ
氣(き)けつをめぐらしりういんを
下ししよくをすゝめ夜ぶん
ちやうずに御かよひなされ候事無御座(ござなく)
御婦(ふ)人(じん)様方(かた)どのやうなるひへしやうの
御方ニ而もうちをあたゝめめぐりをよくし
月(ハつ)水(すい)とゞこをりなくくハいにんうたゞひ
なし日〻御にうとうなされ候得は
寒(かん)暑(しよ)のうれいなくはやりやまひ
請(うく)ること一切(せつ)御ざなく候御入とうの上
よく〳〵御ためし可被下候
一御府(ふ)内(ない)におゐて熱(あた)海(ミ)出(で)ばり
温泉と申は宿(やど)より外ニ御ざなく候處
近(きん)来(らい)まぎらハしき湯(ゆ)ニてあたミと
申諸〻に御座候よしほゞ相聞(きこ)え候間
此(この)度(たび)相あらため引(ひき)札(ふだ)仕候
豆(づ)州(しう)熱(あた)海(ミ)温(おん)泉(せん)出(で)張(ばり)
江戸四日市河岸通
熱海菴
櫻井甚五郎
右温泉壱度入 三十二文
同 一日入 百五十文
同 一廻り 七匁五分
同 札(ふだ)三拾枚(まい)ニ付 金弐朱
樽(たる)賣(うり) 壱樽ニ付正(しやう)味(ミ)五匁
【タイトル】
富士の裾野巻狩之図
【図のみで本文なし】
【タイトルなし】
【図のみで本文なし】
明治二十歳八月十九日日食九分九厘餘
午前二時三十六分右の下
より虧はじめ三時四十
八分上の右に甚し四時五十
三分上と左の間にをはる
伹し白河より佐渡に至る
線路は皆既たるべし
此度(こんど)の日食は誠(まこと)に珎
らしき現象(げんせう)にて今
を去る事百一年前
天明六年正月元日
依頼 曽(かつ)てなきよし惣(すべ)て
物の色は奇異(きゐ)にして全
く蝕するに及んでは咫(し)
尺も辨する事得ずと
は誠に近年に珎らし
事にこそ
記者述
明治二十年七月 日御届【印】
本所区林丁一丁【メ二ハンチ】
画工兼出板人小林新吉
梅堂筆【年玉印】
【左上】
東京大學圖書之印
0011841962-2
明治二十歳八月十九日日食九分九厘餘
午前二時三十六分右の下
より虧はじめ三時四十
八分上の右に甚し四時五十
三分上と左の間にをはる
伹し白河より佐渡に至る
線路は皆既たるべし
此度(こんど)の日食は誠(まこと)に珎
らしき現象(げんせう)にて今
を去る事百一年前
天明六年正月元日
依頼 曽(かつ)てなきよし惣(すべ)て
物の色は奇異(きゐ)にして全
く蝕するに及んでは咫(し)
尺も辨する事得ずと
は誠に近年に珎らし
事にこそ
記者述
明治二十年七月 日御届【印】
本所区林丁一丁メ二ハンチ
画工兼出板人小林新吉
梅堂筆【年玉印】
【左下】
0011841962-1
東京大學圖書之印
富(ふ)士(じ)山|出(しゆつ)水(すゐ)之|圖(づ)
天保五年甲午四月
七日夜より駿(する)河(が)の國(くに)
富(ふ)士(じ)郡(ごほり)のほとり殊(こと)の外(ほか)
大|雨(あめ)降(ふり)出し同八日|益(ます〳〵)
大|風(ふう)雨(う)にて午の刻(こく)ごろ
より不(ふ)二(じ)山|震(しん)動(どう)いたし
頻(しきり)に暴(ばう)雨(う)滝(たき)のごとく
不二の半(はん)腹(ふく)五合
目あたりより
雪(ゆき)解(げ)水(ミづ)
一(いち)度(ど)にどつと
押(おし)出(いだ)し萱(かや)野(の)
にて水|筋(すぢ)三|道(たう)に
相(あひ)分(わか)れ一筋の水|巾(はゞ)
凢(およそ)半(はん)里(り)ほどづゝ有之|皆(ミな)
泥(どろ)水(ミづ)にて裾(すそ)野(の)村(むら)〻(〳〵)へおし
出(いだ)し未(ひつじの)刻(こく)ごろにハ水(ミづ)勢(せい)
いよ〳〵盛(さか)んになり小山の如(ごと)く
なる大|浪(なミ)打(うち)来(きた)りて裾(すそ)野(の)の在(さい)家(け)
村々の建(たち)家(いへ)皆(ミな)押(おし)流(なが)し老(らう)若(にやく)
男(なん)女(によ)のともがら家(いへ)の棟(むね)に取(とり)付(つき)
或(あるひ)ハ木の枝(えだ)にすがり付(つき)などして
声(こゑ)を限(かぎ)りに泣(なき)喚(さけ)ぶ牛(きう)馬(ば)などハ繋(つなぎ)し
侭(まゝ)に流(なが)れ来(きた)り溺(でき)死(し)する者その
数(かず)をしらず既(すで)に大|宮(ミや)の町(まち)並(なミ)家(いへ)
毎(ごと)に残(のこ)らず流(なが)れ富(ふ)士(じ)御(お)林(はやし)の諸(しよ)木(ぼく)
長(なが)さ二丈三丈|差(さし)わたし四五尺ほどづゝも有(ある)大木
根(ね)こぎになりて流(なが)れ来(きた)り巌(がん)石(ぜき)を轉(まろば)し小石を
降(ふら)し震(しん)動(どう)雷(らい)電(でん)おびたゞしく今や天|地(ち)も反(はん)覆(ふく)
するかとおそろしく流(なが)るゝ男(なん)女の泣(なき)さけぶ声(こゑ)は
地(ぢ)獄(ごく)の呵(か)噴(しやく)に異(こと)ならず都(すべ)て死(し)人(にん)おびたゞしく
水(ミづ)筋(すぢ)流(なが)れし通(とほり)ハ七八里|其(その)巾(はゞ)の廣(ひろ)さは三里
に餘(あま)り彼(かれ)是(これ)十二三里か間(あいだ)渺(びやう)〻(〳〵)たる荒(あれ)地(ち)となりぬ
斯(かゝ)るめづらしき事(こと)ハまた有べくともおぼえず
終(つひ)に一(いつ)紙(し)にしたゝめて後(こう)世(せい)に残(のこ)ししらしむるのミ
【左下】
片田彫長
曜斎国輝摹□
梅堂国政補助
松本岩吉
東京日本橋通二町目
丸屋銕治郎 梓
【タイトルなし】
【図右脇】
絶頂釈迦割石ヨリ
甲州身延山西
五分ニ見 飛州乗鞍嶽西ノ九分ニ見
信州諏訪戌亥ニ見
勢至ヶ窪ヨリ
駿州沼津駅
巳八分
豆州下田ノ湊
丑六分
大島巳二分
三宅島丑正中
観音ヶ嶽ヨリ
相州江ノ島
卯二分
豆州天城山
巳五分
【図中央上】
ふしのやま
のほりて見れは
何もなし
よきもあしきも
わかこゝろなり
【図中央下】
三国の
ふしの
裾野ゝ
にし郷に
南無阿弥
陀仏の
浄土あり
けり
【タイトルなし】
【図右脇】
絶頂釈迦割石ヨリ
甲州身延山西
五分ニ見 飛州乗鞍嶽西ノ九分ニ見
信州諏訪戌亥ニ見
勢至ヶ窪ヨリ
駿州沼津駅
巳八分
豆州下田ノ湊
丑六分
大島巳二分
三宅島丑正中
観音ヶ嶽ヨリ
相州江ノ島
卯二分
豆州天城山
巳五分
【図中央上】
ふしのやま
のほりて見れは
何もなし
よきもあしきも
わかこゝろなり
【図中央下】
三国の
ふしの
裾野ゝ
にし郷に
南無阿弥
陀仏の
浄土あり
けり
【タイトルなし】
【図右脇】
絶頂釈迦割石ヨリ
甲州身延山西
五分ニ見 飛州乗鞍嶽西ノ九分ニ見
信州諏訪戌亥ニ見
勢至ヶ窪ヨリ
駿州沼津駅
巳八分
豆州下田ノ湊
丑六分
大島巳二分
三宅島丑正中
観音ヶ嶽ヨリ
相州江ノ島
卯二分
豆州天城山
巳五分
【図中央上】
ふしのやま
のほりて見れは
何もなし
よきもあしきも
わかこゝろなり
【図中央下】
三国の
ふしの
裾野ゝ
にし郷に
南無阿弥
陀仏の
浄土あり
けり
恵□し岩
みろくの
たけと
□□て三方
目出たふ
戸をさらぬ
御世
山真元子録
□し岩
みろくの
たけと
□□て三方
目出たふ
戸をさらぬ
御世
山真元子録
みろくの
たけと
□□て三方
目出たふ
戸をさらぬ
御世
山真元子録
【タイトルなし】
【図下】
叙
惟嶽為鎭
□【□:奥か】棲僊真
于養動
植于利
人民無言
無語協于
至仁山名不二
実絶等倫正応
臻志図便問津于肖其象
高擬其身序学羅願韻
語敷陳摺畳為帖観覧
惟新克恭克敬百福来臻
豈云無益懐袖之珍
嘉永戊申六月 澤口正應
富士之嶽為邦之鎭羣蛮所仰而未有
詳記之者也窃以為憾因著冨士山志
偶澤口正應有作冨士山図之挙屡来
詢謀同心経営更欲登陟以窮幽
隠更作善図以副山志志藁垂
成将謀嗣刻
日下部 百枝
万葉集三 詠不尽山歌并短歌
高橋虫麻呂
奈麻余美乃甲斐乃
国、打緑流駿河能国
與、己知其智乃、国之
三中従、出之有不
尽能
高嶺者、云云
本朝文粋十二
冨士山記
都良香
冨士山者在駿
河国峯如削成直
聳属天其高不可
測云云
伊勢物語
時志らぬ山は
ふしのね
いつとてか
かのこまたらに
雪のふるらん
業平
文章私集
次九巌老師富士峯韻
朝鮮 翠屏
風俗三韓比屋封古禅方
丈有仙蹤華人亦願生東
国一見金剛白玉峯
人とはくいかゝつたへん
ことのはに及はぬ
ふしの
雪の
あ□□
□の
読谷山王子
朝恒
【図の左下角】
和訓□【□:栞か】二十六 ふじ
甲州上吉田村大鳥居より
山頂まで三百五十七町十
七間
世事百譚三
駿河の吉原宿より富士
山の頂まで二百十六町二
分一六《割書:中|畧》里にすれ
ば六里〇〇六〇となれ
り山の高さは三十五町六
分二一六三
【図の左上】
【コマ一の図右脇と同文、略す】
【タイトルなし】
【コマ二の図の右脇下に部分的に□中胎内之図を貼り付けたもの】
【貼り付け図の上部中央】
□【□:当か】山の裾野にあ
□【□:り か】穴の中なた□
□をの□の□形
□【□:さ か】なから胞衣の
□し実に天然の
□巧人の目をお
□【□:ど か】ろかしむよ□【□:り か】
□【□:て か】図中に画んと
□【□:す か】るに紙上せま
□【□:く か】して□に□し
□たし刻に画工を
□【□:し か】てその状を□
□して有信の
□のに□□
【コマ二と同じ画像の部分の翻刻は省略】
由来記(ゆらいき)
▲そも〳〵これになんじうし
たてまつるはやねのかはらの
どぞうぼさつのそんぞう
なりぢこくのひあはきに
しゆつげんまし〳〵右のおん
てにはかぎのしやくじやうを
たづさへひだるいのおんてには
にぎりめしをつかみ
たまひゑんまのこどかたの
こがどだいのしきいしを
一ちうつんではしちのため
二ぢうつんでははらのためと
ひようのかせぎをあはれみたまひ
くうでんのこんりうあつてせじやう
さいどのためにあらはれたもふ
ところなりこんきうのおかたは
ひどふゆつてこやへはいられませう
▲そも〳〵これにはんぜうしたてまつるは
さくわんむにによらいのめんぞうなり
そのおんゆらひをたつねたて
まつるにむかしすつてん
てんぢくなるはだかこくにて
十月二日の夜おんは手間
ぶにんのおんはらひより
はんぜうましますとき
天じやうてんがぬりがたくさんと
おんこへをはつしたまひあまちやに
あらですいだうのみづをうぶ
ゆにあびおんみのうちよりきん
ぎんのひかりをはなしふところ
アタてるにましますゆへついにぼん
のうきやうをときたもふておだ
ぶつのずいさうをあらはし
なまけどうじをしりむまの
口をとらせゆふぢよぼさつに
きめやりしよりだんとくせんにあら
ずしてだん〳〵しやくせんのふちにはまり
なんぎやうくぎやうのおんくるしみその
とうつもりやうくてぶりあみがさ
とじやうぶつまし〳〵いままで
たまひたるてまちんは百日の
せつほりへ一つをなしたまひたる
そんもうなりふしんじんの
てませんはじかふによつてよけひ
はらはれませう
【中段 立て札】
開帳
左官無二如来
《割書:家根|之瓦》土蔵菩薩
右十月二日夜より普請中
毎朝手間銭を■しむる者也
□【執?】■職人
【図像 右 地蔵菩薩こと 土蔵菩薩 】
《割書:家根の|かわら》
土蔵ぼさつ
【図像 左 釈迦牟尼こと 左官無二如來】
《割書:左官|無二》
如来
【右上図のみ】
上野の暮雪
ヲクノサワ
【一資料ずつ別項目になってい為、以上。】
【参考に残りは 景島夕照。桜川橋の眺望。金時山秋月】
七湯方角略図
【左上】
応需
広重
模写
【右下枠内】
湯本温泉ヨリ 諸方道法
三枚橋エ 六丁余
小田原エ 壱里半余
登リ往還エ 四 丁
湯本立場エ 七丁余
畑 宿エ 壱里八丁
御関所エ 二里半余
塔之沢エ 十二丁余
堂ヶ島エ 二 里
宮之下エ 二里余
底 倉エ 二里半
木 賀エ 二里半余
芦之湯エ 四里余
福住九蔵板
【タイトル】
諸国温泉鑑 上州草津温泉図
【五段構成、三~五段中央に扇面形の俯瞰図】
【第一段】
上州草津温泉
湯効能
白ハタゆ
・いびやう・がん病
・はれもの・なもな
きできもの・のぼせ
を治る
熱(ねつ)の湯(ゆ)
・かさのるい・たいどく・
ひぜん・よこね・せんき
・ようばいそう
脚気湯(かつけゆ)
・ねつのゆとたいがいおなじ
ことなりうつぃけをなを
す事妙也
□(たこ)の湯
□へせう・しつ・むし・
む□ぢなかこしのいたみ・
せんき・ぢ・こしのやまひ
・らうがい・ひいきよ・ひへ
せう・ただらいびやうな
まずたむし□□む
鷲(わし)の湯
・かさるい・わんびやう・ぢ
しつ・だつこう・たんせき
□しかくらい・□たむしなまづ
いむ
瀧(たき)の湯
・上気づ□う・めまい・がん
びやう・いびやう・う
ちみ・なまず・ひゼん・れんぞう・たん・そう
どく・いろ〳〵のはれ
ものすべてとゞこうり
かたまりをやぶりい
やすなり
金毘羅(こんひら)の湯
ねつのゆとおなじた□ら
いびやうなまずたむしでき
ものうみしるしたたかも
の□らす
地蔵湯(ち□□ゆ)
わたのゆにおなじ・むしの□や
う吉又ゆというてのち□風
にあたれば□もどる事
□□此つに入は其事なし
爾穢川湯(にへがわゆ)
・たゞれ・やけと・くさ・か
さ□な□のはれものうみ
しる出なをりがたきによし
松(まつ)の湯
・かさのるい・たいどく・ひゼ
ん・せんき・べんどく・よう
ばいそうすべてうちみ
とゝこうり
るりのゆ
わたのゆと同じ
玉のゆ
まつのゆと同じ
新御座
らい・ひやう
・たむし・
しびれによし・
右いづれもくわ
しき事入湯
おふゆ記にし
るす右にあら
ましをしるす
のみ
【第二段】
【番付形式で各地の温泉を示す】
【中央部に三段構成の別枠を設けている】
【番付右側】
大関 上州草津之湯
関脇 野州那須の湯
小結 豆州湯川原湯
前頭 相州足の湯
前頭 陸奥嶽の湯
前頭 上州伊香保湯
前頭 信州渋湯之湯
前頭 仙台成子之湯
前頭 最上高湯泉
前頭 秋田河内原湯
前頭 津軽嶽の湯
前頭 相州湯元之湯
前頭 豆州小名の湯
前頭 会津天仁寺湯
前頭 越後松の山の湯
前頭 南部恐山の湯
前頭 庄内田川の湯
前頭 岩城湯元の湯
前頭 米沢湯□【□:沢ではないか】の湯
前頭 下野中善寺の湯
前頭 秋田大瀧の湯
【中央上段】
【タイトル横書き】
諸国温泉鑑
【中央中段】
行司
伊豆温海湯
熊野本宮湯
津軽大鰐湯
勧進元
熊野新宮湯
上州沢渡ノ湯
信州諏方のゆ
【中央下段】
【タイトル横書き】
上州草津温泉図
【番付左側】
大関 摂州有馬之湯
関脇 但州 木の嵜の湯
小結 予州とふごの湯
前頭 加州山中乃湯
前頭 肥後阿蘇乃湯
前頭 豊後浜脇乃湯
前頭 肥前温泉乃湯
前頭 薩摩霧嶋之湯
前頭 豊後別府乃湯
前頭 山家乃湯
前頭 飛騨下良乃湯
前頭 肥後ひな久の湯
前頭 能州底倉の湯
前頭 備中長府乃湯
前頭 薩摩硫黄乃湯
前頭 紀州田辺乃湯
前頭 上州川原乃湯
前頭 芸州川治乃湯
前頭 大ぜ治乃湯
前頭 加州白山杦乃湯
前頭 伯州徒見乃湯
【第三段】
【第二段の続き】
【番付右側】
〃 陸奥飯阪の湯
〃 南部鹿角の湯
〃 相州姥子の湯
〃 豆州朱善寺湯
〃 仙台川たひの湯
〃 庄内温海の湯
〃 津軽板留湯
〃 会津滝のゆ
〃 上州法師のゆ
【番付左側】
〃 上州四万
〃 肥前竹尾湯
〃 石州川治の湯
〃 周防山口の湯
〃 肥前うるしの湯
〃 越中足倉の湯
〃 越後塩沢の湯
〃 相州塔の沢
【第四段】
【第三段の続き】
【番付右側】
津かる温湯の泉
米沢湯さわのゆ
【番付左側】
秋田おやすのゆ
さつま関戸のゆ
【第五段】
【第三段の続き】
【番付右側】
〃 越後トチ尾保のゆ
〃 豆州□□のゆ
〃 会津熱海のゆ
〃 相州さかの湯
〃 野州塩原のゆ
〃 庄内ゆの浜の湯
〃 信州別所のゆ
〃 越後関の山ゆ
〃 南部だいのゆ
〃 伊達ゆの村のゆ
〃 もがみぎん山のゆ
〃 仙台□□□のゆ
〃 米ざわ谷沢のゆ
〃 なんぶ浅□のゆ
【中央】
当温泉ハ
人皇四十四代
元正天王御宇
養老五年行
基菩薩当山
登温泉試ミ玉フ
其後建久年中
将軍頼朝公
騎御有テ温
泉ニ浴シ玉フ其
竒功年老
盛也
【番付左側】
〃 相州宮下の湯
〃 津がるやたてのゆ
〃 信州やせのゆ
〃 相州徒ヶ嶌のゆ
〃 津かる浅虫のゆ
〃 せんだいあきうゆ
〃 越後出湯の泉
〃 最上かみの山のゆ
〃 信州浅間のゆ
〃 相州底倉のゆ
〃 上州吉上のゆ
〃 越後田上の湯
〃 つかる倉立のゆ
〃 のう州足の湯
【枠外左側下】
【三段構成】
【上段】
著作者
印刷人兼
発行者
【中段】
明治廿六年
四月五日出版
同年四月六日
印刷
【下段】
東京神田区鈴木町
六番地
阿部善吉
おそれなからなまづども一とうより
ぬらつきをもつて御こたへ申上たてまつり候
一わたくしどもぎはいちもんしんるいニいたるまでどろみづにすまゐつかまつり
せぜうのたとへによつでにかゝつたなまづやろうなどゝふいごのむかふづら
どうやうにとりあつかはれなまけものゝてほんといたされぬらくらとして
くらし候だんてんたうのみやうりをかへりみさるいたしかた
このぎはいかにもおそれいりたてまつり候しかるところ
さんぬる十月二日のよごふないきんさいにいたるまで
らんほういたしいへどざうどうしやをゆりつぶし候
きもわたくしどもなかまうちのしはざなりとごふしんを
かふむり候だんおどろきいりたてまつり候ニつき
いちもんのなまづれんをこと〴〵くとりしらべ候ところ
いつかうにおぼへこれなきよしなにとぞさつそく
かみ〴〵のごつうりきをもつてほか〳〵をごせんぎ
あそはされくだしおかれ候はゝありがたきしあはせニそんじ
たてまつり候ひつきやうわたくしども川うをのぎニ
ござ候へはいかほどてうめいつかまつり候ても
ぢのそこのすまゐあいなりがたくことにゑんま
大王のごりやうぶんにてほかにミるめかぐはなの
おんみつもござ候へばなまづう〳〵しくあばれ候はゞかま
うでのかしやくはもちろんにござ候ぬら〳〵かんがへ候ニこのたびの
ちんじはいんやうがつたいいたさずてんちふうふのいさかいよりことおこりせかいの
だうぐをうちこはしあたりきんじよにいたるまでゆりつぶし候ぎとさつしたてまつり候
みぎいんやうのふうふげんくわもといもふとうをあいたゞし候ところぐわんらいにようぼうのりんき
よりことおこり候ニつきよほどやきたてるいせうのわざはひもこれあり候かとそんじたてまつり候
かつわたくしども一もんはなまけものとめうもくをよばれねんぢうぬらつきおり候ゆへみきやうの御
うたがひもあい有り候ぎゆへいごはなまづくわづあいはたらきけつして
いたぶりゆすりとふのごふしんかふむらざるやふもふしきけ□ふうぞくを なまづ惣代
あいなをすべく候あいだしんこく一ゑんごついほうのぎはごゆうめん 下総国印旛沼
なしくだされ候やふひとへニねがひあげたてまつり候きんじやう 住人
さいはい のらくら
同魚
【タイトル】
三国大一山の図
【右図右上枠内下】
絶頂(ぜつてう)より北の方西の方と
見る所 釈迦(しやか)割石(わりいし)より甲州(かうしう)
身延山(みのぶさん)は酉の五分に見へる
飛州(ひしう)乗鞍(のりぐら)ヶ嶽(たけ)は酉の九分に
見へる信州(しんしう)諏訪(すは)の湖(うみ)は
亥ノ刻に見へる勢至(せいし)ヶ窪(くぼ)
より駿州(すんしう)沼津(ぬまづ)の駅(ゑき)は巳ノ
八分に見へる豆州(づしう)下田(しもだ)の湊(みなと)
は丑の六分に見へる同(おなじ)大嶋(おふしま)は
丑の正中に見へる天城山(あまぎやま)は
巳の五分に見へる観音(くわんおん)ヶ嶽(たけ)
より相州(そうしう)江(え)の嶋(しま)は卯ノ二分に
見へる胎内(たいない)は北ノ方 裾野(すその)
にあり白糸(しらいと)の滝(たき)は西ノ方 裾(すそ)
にあり此図(このづ)は五合目(ごがふめ)より
北の方 登山(とさん)の景(けい)なり
【タイトルなし】
【右図はコマ一の左図に同じ】
【左図左上】
ふじの山登りて
見れば何もなしよしも
あしきも我こゝろなり
【欄外】
諸國へ無事を知さんが為もより分ケくわしくしるす
【表題】
御江戸 禁賣
大地震出火巨細記
關八州 坐石堂壽鐫
【本文上段】
御府内地震出火共焼崩土蔵数ハ
御大小名様方土蔵分ハ
六十七万五千三百六十九戸前也
御小屋数方ハ
二十九万八千六百三十八也
御武家方ハ
十七万二千九百四十七也
寺院蔵崩焼分ハ
三千六百五十六也
町方土蔵ハ
四十二万九千◯七十五也
惣〆高 八百万九千七百八十五也
但シ蔵数あまた有之
候へ共不崩土蔵之分
此中ニ入らす
【下段】
御救小屋五ヶ所
幸橋御門外火除地
浅草雷門外廣小路
深川海辺新田
同永代寺八幡境内
上野御山下原
東叡山宮様ヨリ
御山下え立
右共二ヶ所
【図中の旗・提灯の文字】
御用
町會所
于時安政二乙卯年十月二日夜四ツ半時地震
發し一時に搔【原字は「はつがしら」】動して関東一圓存亡夥敷く
人民肝を消て大路に轉ふ天救を請て漸に命を
保もの官府の仁惠を乞て始て人心に帰す
第一 ◯和田倉内◯大名小路
◯大手前 ◯日比谷内
先震動焼亡の所ハ和田倉内馬場先内
【家紋】會津二十三万石松平肥後守様やける【家紋】武州忍十万石松平下総守様焼る
夫より【家紋】越後村上五万九千石内藤紀伊守様やける此辺西丸下御屋
しき桜田内共崩れ多く損し廣大なり
▲龍の口北之角【家紋】下サ生実一万石森川出羽守様やける
夫よりうた様御向屋敷やける【家紋】姫路十五万石酒井雅楽
頭様やける但表御門残る此辺神田橋ぎハ
左衛門尉様小笠原右京大夫様松平越前守様
道三橋辺御やしきすべて崩おびたゝしく是より
向河岸ハ細川越中守様別条なく秋元但馬守様
此辺御やき少しツヽくづれ多し松平丹波守様
水野壱岐守様松平越後守様何れも少ツヽくづるゝ
大名小路ハ南側共崩所〻也西側角【家紋】江州三上一万二千五石遠藤
但馬守様うしろ定火消御やしき共やける
【家紋】因州鳥取三十二万五千石松平相模守様やけ御長家少しのこる
日比谷御門内【家紋】三州岡崎五万石本田中務太輔様やける
【家紋】摂州高槻三万六千石永井遠江守様やける此邊いたミつよく
すきやばし通りかぢ橋通り共損亡おびたゝし
第貳 ◯外桜田辺◯かうじ丁◯番町
◯幸橋内◯四谷赤坂◯青山辺
外桜田ハ藝州様御屋敷別条なく黒田様御屋敷ハ
角矢倉之御物見残り表御門きハまで御長家くづるゝ
此辺諸家様崩多く南ハ溜池へん西ハ赤坂
御門山王永田丁辺諸〻崩る猶又新橋内東角
【家紋】石州ツワノ四万三千石亀井隠岐守様御屋敷内ニ而長家一ト棟焼る
それゟ【家紋】日向おび五万千八十石余伊東修理大夫様やける【家紋】和州郡山十五万千三百八十石松平時之助
様やけ又向がハヽ【家紋】奥州もり岡十一万石南部美濃守様【家紋】薩州様
御装束屋敷表側やける其外有馬様丹波様
北条様大岡様水野様鍋嶋様等いづれも崩
多し上杉様少し崩る【家紋】長州様うら御門内
少しやける【家紋】肥前佐賀三十五万七千石ヨ松平肥前守様崩候上やける夫ゟ
山下御門内ハ長手通り不残中ニも阿部播磨守
様大崩れ又井伊かもん頭様ゟ三軒家辺
平川丁崩少なく麹町通所〳〵崩あり
谷町隼人山本町少しいたむ四ツ谷御門内ハ
尾州様紀州様共其外御やしき崩少し番丁崩なし
是ゟ四ツ谷傳馬町通り市ヶ谷ハ高地宜しく
鮫がばし丁様ひくき場所いたミつよし當所ハ
上水萬年樋そんし水あふれ諸人難義す
新宿成子大久保辺千駄か谷辺別してさハりなし
青山赤坂ハ所〻そんし多く分けて田町傳馬丁辺
崩れ多く麻布龍土日がくほ辺すべて崩少なし
第三 ◯小川町筋〻 駿河臺
◯小石川御門内 飯田丁
神田橋外ハいたミうすく小川丁通りへ入崩多く
水道橋通り稲葉長門守様土屋采女正様此辺
そんじ多く【家紋】野州足利一万千石戸田大炊頭様表長家計焼る
【家紋】信州高遠三万三千石内藤駿河守様やけ表門長家のこるそれより
向角田中様のこる【家紋】下サ佐倉十一万石堀田備中守様大いにやける
半井出雲守様やける溝口八十五郎佐藤金之丞
伏屋大久保柘植様やける依田様一軒のこる
神(かん)織部様荒川曽我近藤青木本多新見様
まてやける夫ゟ河内小林佐藤様やける又裏神保
小路ハ間下長坂寺嶋荒井様迄やける一ツ橋通りハ
明楽(アケラ)雨森大岡様のこる表神保小路ハ定火消
御屋敷やける又【家紋】ゑちごたか田十五万石榊原式部大輔様半分やける
裏御門ゟ向【家紋】すん州田中四万石本多備後守様半分焼る戸田
加賀守様やける西南の角少しのこる鷲巣淡路守様
やけて長谷川荒井二軒共表がハ残る山本様少しニて
やけ留る又一ト口ハ雉子橋通り小川丁本郷丹後守様
やける一ツ橋通りハ【家紋】丹波カメ山五万石松平豊前守様やける塙(はなわ)宗悦
様やける又渡辺様一色様やける又小石川御門内ハ
【家紋】いよ今治二万五千石松平駿河守様此辺小やしき五六軒やける本間
様半やけにてとまる此辺すべて潰れ多し小石川御門ゟ
西の方少しそんじするが臺無事也飯田町俎ばし辺
少しいたミ番丁ハ多分のことなし牛込ハ改代町大崩也
【右下の書き入れ】
小石川百間長屋向がハ
小やしきとび〳〵三四けん
やける此辺くづれ多し
第四 ◯日本橋ゟ北◯神田辺◯外神田
◯両国辺柳原◯濱丁辺◯本郷辺
日本橋北室丁小田原丁魚かし辺は格別のことなし
釘店ゟ一石橋辺本丁がし通少しいたミするが丁
三井みせ無事也尤何方も土蔵ハ皆ふるひ
申候本町通りつよく大傳馬丁崩多し堀留
小舟丁堀江丁も土蔵不残ふるふ小網丁大崩れなり
富沢丁人形丁通り芳丁辺崩多くかきがら丁ゟ大橋辺
大いにふるふ濱丁【家紋】すん州沼づ五万石水野出羽守様御中屋敷やける
此辺ゟ矢の倉いたミ両国辺馬喰丁ハ格別のいたミなし
豊嶋丁辺ゆるゆりにて東神田ハ小柳丁平永丁お玉が池
辺大いに崩筋違ゟ日本橋通り丁〻崩多し又
西神田蔵のミ崩家ハ格別のことなし鎌くらかし辺
三河丁辺少し崩るゝ今川橋川岸通いたむ處
多し柳原通り土手下辺崩所〻也尤吉年
類焼場所ハさしかけ仮屋等多分にて崩少し
猶又新らしき普請の家にも建方あしきハ
損亡多く土蔵ふるひ候事おびたゝし
▲新橋外佐久間町辺崩少し御成通通り又
金沢丁はたご丁明神下辺すべて崩多く昌平ばし
外少し崩れゆしま一丁めゟお茶の水本郷辺まで
崩少なし尤本郷ハ傘谷ハ下町そんじ切通上ハ少しも
湯嶋天神門前崩所〻也三組丁崩恋妻稲荷【本のまま。「妻恋稲荷」】無事也
第五 ◯日本橋ゟ南 品川宿まで
◯芝西之くほ飯倉三田辺迄
日本橋南壱丁目ゟ四丁目まで左右中通り共
所〻にて土蔵崩る所多し人家ハさのミにあらず
白木屋黒江屋などいたまず西川岸呉服丁
がし新堀通り共にいたミ少し南傳馬丁より
東西共崩つよくかち橋外南紺屋丁五郎
兵衛丁南かぢ丁南大工丁やける畳丁ハ火の中ニて
少しのこる大根がしまでやける東ハ具足町柳丁
炭丁因幡丁鈴木丁常磐丁松川町片側にて
やけとまる通りハ弐丁め三丁め京橋ぎハにて焼止る
▲京橋向ハ銀坐三十間堀弓丁弥左衛門丁辺
木挽丁辺汐留濱御殿つきぢ一圓芝口より
源助丁限東ハ仙臺様西ハ久保丁限り
此内誠ニおだやかにて崩る所まれ也
尤土蔵いたミ候所ハ諸〻に相見へ申候
此うち数寄屋がし辺少しいたむ八間丁土橋
辺いたミ少し▲露月丁よりうら通り共いたミ
つよく荒井町壱丁やける夫三嶋丁神明丁
大いにくづれ芝神明社悉なし増上寺御山内
御別条なくあたご下通り西之久保ハ少し崩る
飯倉四ツ辻辺いたミつよく赤羽根少しいたむ三田
本芝田丁ハ無事也高輪辺品川迄格別のことなし
臺丁ハ聖坂辺まで少し崩所有但土蔵いたむ所多し
第六 ◯上野廣小路◯坂本金杉辺
◯根津池之端◯御成道山下辺
東叡山御山内ハ御別条なく宿院諸所いたむ
池の端茅町弐丁目ゟ出火焼稲荷より上ハ
七軒丁根津辺迄崩多く候へ共類焼なし
□町ハ壱丁め木戸際ニて焼とまる山側少しのこる
出雲様榊原様無事也切通し下町家大崩なり
天神下通り崩つよく御すきや丁皆崩るゝ仲丁ハ
片側崩多く両かハ丁ハ少し廣小路山下辺崩多し
廣小路東側中程ゟ出火上野元黒門町北大門丁
上野丁一丁目二丁目下谷同朋丁新黒門町上野
御家来屋敷向側【家紋】下サ一万石井上筑後守様東北の
角少シやける車坂丁大門丁長者丁壱丁め二丁め
下谷町二丁目代地是ゟ中御徒士町通へやけ込
長者丁向片側御屋敷上野丁うら中おかち丁
一圓御武家地やける山下通御かち丁ハ和泉橋
通り迄所〻崩るゝ妻恋下建部様内藤様
表長家崩るゝ下谷大名小路ハ【家紋】いせかめ山六万石石川主殿頭
様【家紋】房州かつ山一万石酒井安藝守様二軒やける▲夫ゟ下谷坂本ハ
二丁目三丁目やけて金杉三之輪ハ崩多し大音寺前
根岸共少しふるひ谷中ハ多分の事なし又東坂下
山崎丁辺廣徳寺前辺少し崩るゝ尤外神田
境ハ格別のことなく久右衛門丁餌鳥屋敷辺少し崩る
第七 ◯浅草辺一圓
◯下谷境迄
北ハ千住宿崩多く小塚原丁のこらすやける
山谷通新鳥越ハ寺院共大崩れに新吉原
江戸丁ゟ出火五丁不残やける又浅草田町二丁め
山川丁竹門馬道寺院不残聖天横丁ゟ
芝居丁やける東かハにて森田勘弥羽左衛門
福助しらか竹三菊次郎などの家のこる聖天丁
山の宿ハやけす九品寺ゟ西側荒川戸半丁ほど
入やけとまる是ゟ金龍山観世音恙なく地内
崩多し並木田原丁多分也駒形多く中頃ゟ
出火して諏訪丁黒船丁三好丁御うまやがしにてとまる
夫ゟ御蔵前浅草見附迄所〻崩多く鳥越新堀
寺丁辺所〻崩る菊屋橋きハ新寺丁角より
出火して両側小半丁やけこミ本立寺行安寺
正行寺三門前やけるこの裏てこうむね仁太夫の
こやうちニ潰の上やける堂前辺所〻崩る猶又
八軒寺丁四軒寺丁の寺院大半潰る東門跡ハ
本堂恙なし地中大破也西東の門例【「倒」の誤りか】るゝ也
森下三間町堀田原辺所〻崩れ潰れ多し
小揚丁御組一ト長屋潰る福富丁富坂丁
ハ潰れ多く又誓願寺店日輪寺店辺崩
所〻也浅草溜少し崩る観世音五十【本のまま。「重」の誤り】の塔
九りん北の方まがる雷神門の雷神損じ落
第八 本所一圓 東両国辺
本所一ツ目相生町松坂丁辺崩多く二ツ目緑町より
出火壱丁目弐丁目やける三丁めのこり四丁目五丁め三ツ目
蔵町少しやけ是にて留る又向川岸徳右衛門町壱丁め
二丁目やける三丁目ハのこる夫ゟ柳原町茅場町辺四ツ目
辺余程いたむ鐘の下長崎丁辺南割下水辺津軽様辺
亀沢町小泉丁横網丁回向院前皆所〻崩る御竹蔵
辺大川端御屋敷多分の事なし法恩寺橋きハ町家少し
やける此辺少し崩多亀戸天神橋向二ヶ所焼る
柳嶋押上辺所〻いたミつよし小梅瓦丁辺中之郷
松倉丁辺北割下水辺崩多し荒井丁ぬけ弁天
牛御前おかりや辺やける石原番場共大いに崩れ
潰家多し多田の薬師別當所潰る所本所之
寺焼町家共つふれ多し太子堂潰る東橋向
松平周防様下屋敷壱軒やける竹町大根がしゟ
まくら橋辺いたミ少し三園の長手大いにわれる
向島ハ少しツヽ所〻いたむ
附 今戸橋場
橋場真先ハ崩多く銭座やける今戸ハ
橋際ゟ家十軒計やける此辺崩おほし
第九 ◯御船蔵前 高橋筋 佃嶋りやうし丁やける
◯霊岸島 永代橋
御船蔵前町ゟ八名川丁六間堀神明門前南森下
常磐丁【家紋】小笠原佐渡守様下やしき【家紋】太田摂津守様中
屋敷ニて焼留る此辺都て崩多し又扇橋ゟ北深川西丁半丁余やける
小名木川通上下共崩多し又清住丁多崩れいせ崎丁やける寺丁通
少しニて三角富久丁潰る和倉本所代地やける又一ト口ハ永代より入口
相川丁熊井丁諸丁北川町黒江丁大嶋丁中嶋丁はまぐり丁永代寺
門前山本丁仲丁右何れ潰候上焼失す八幡宮御別条なく三十
三間堂木場辺少しツヽ崩所〻也▲大橋ぎハ御籾蔵少しやける深川元丁
大崩也大はし向間部ばし稲(とう)荷(か)堀(ぼり)箱さき北新川共崩多し
霊岸嶋塩丁片側やける南新堀半丁程やける大川端町はま丁やける
都合二丁余也越前様きハニて焼留る霊岸嶋多分崩所多し
鉄炮洲ハ【家紋】松平淡路守様やける其外御やしき潰れ多く前町
二丁程やける都而もえ立時ハ三十余ヶ所相見へ候得共五ヶ所三ヶ所ツヽ一所
になり廿七八か所ニ相成申候是に書加へさる所土蔵のミ崩候分ハ町名を
しるさす誠ニ廣大なる事草紙につくしかたく候間実事のミを記ス
●御府内四里四方ハ往古八百余丁なりしが今新地代地門前を加へて
五千七百七十余丁也但シ里数にして百五十九り六十二町なり
其外東海道筋ハ戸塚限り神奈川崩多く本牧金沢浦賀辺迄
●中山道ハ高崎辺かぎり蕨ゟ大宮宿迄崩所〻也●日光道宇都宮限
街道筋いたミつよく●水戸街道ハ松戸牛久土浦迄●甲州道ハ八王子
限り葛西二合半ハゆれつよく行徳船橋辺甚しくゆすると也あくれバ
翌三日朝五ツ半過諸方共しづまり人〻安堵のおもひをなしぬ
【欄外】
地震除 宮様之御歌 むねハ八ツ門ハ九ツ戸ハ一ツ身ハはいさなきの
神の子にこそ《割書:これを家にはりおけバ|ぢしんにうれひなし》
【タイトル】
道化武者つくし
【本文なし】
【コマ1の裏、本文画像なし】
【東京大学図書館蔵書印・整理番号〇〇一一八四二五一五】
泪如来(なみだによらい)の損像(そんぞう)
山の宿聖天町ニて
有頂天(うてうてん)五十日の間開帳
そも/\かりにあんじしたてまつるはしなのゝくにぜんくわうじの
ほんぞんほつこくでんらいしまおうごんの
なみだによらいのそんぞうなりその
むかしてれんてんだうて八百だいの
みかどけいせいてんわうのおんとき
なまづだいじんの□つしややけのやんはちと
いへるものこのそんぞうにあつ□□□
ちうやあゆみをはこべ
ともごりやくなきを
いきとふりた□を
ふませておはくろ
とぶんなげこみしを
わかひものとんだどしみつ
やう/\ひきあけまいらせてせなかに
おぶひたてまつりのろまの□はなげ
む□なるおきやくさんかねぼれじへつれ
まいらせしばしかりねのおんちぎりあさ
からずこれによつてこのたび山のしゆく
せうでんてう【山の宿聖天町】をおんかりやとしてかいてう【開帳】し
たてまつりぼんぶけちゑんのために
おとびらをひらきぼんのうほたいを
あ【?】にき/\とおやかしたてまつるもの
なりひとたびはいするともがらはたいへいの
ぢしんをやらせうつきをさんじみらいは
かならずひとつはちすのうてなでくらしうてうてん【有頂天】へ
のぼりてまんざいらく抔のたのしみにじゆめうの
はなげをのばすことうたがひなしごしん/\゛の
おんかたは一ぶもつてとこへまはられませう
新ぞう
ぼさつ
北国伝来
なみだ
如来
かむろ
童女
【三図構成】
【右図】
【タイトル】
地獄谷温泉明夜樓眺望之図
【図右枠内】
むかし〳〵大むかしより此處を地獄谷と唱ひてあまたある出湯のあるはふき
のほせて空を衝きあるは流れ深く池をなすそはおそろしき□□見たるゆへ□
□□□さておき喜は□間の歴桜の消沙たる雪かともみまかふはかり
卯の花や山ほとゝぎす来なくこ□□の□なみ礀の
つゝしの咲みたれたる秋草のいろさま〳〵に遠山の□よふ花の
□□なる紅葉と月と□たし□□□□たえきぬ雪の松常□の
□□□はらし□この大御世の開けゆく地獄の名さへ極楽と遊ふ
そのたち温泉に浴しまつ一杯をきこしめせとまふす
明治十六とせのやよひ通りたみ桜木をあらためて 明夜樓のあるし誌
【図中左上タイトル横】
此地渋温泉
より続ヤマ隔テ
東ニ在リ渋
温泉ハ信州
下高井郡ニ
テ頗ル有名
ノ砿泉場ナ
リ
【図中上タイトル下】
地獄谷
妓女の
住かに
乗込んで
組打を
する
強者もあり
遠杢
【図中右中】
おもひきや
開け行
世の地獄谷
鬼女は住つて
妓女の来ぬ
とは
【図中左中】
地獄谷妓女を征伐するのには
力はいらす金が第一 遠杢
【左上図】
【タイトル】
草津温泉名所
鷲(わし)之(の)湯(ゆ)
【左下図】
【タイトル】
草津温泉名所
御(ご)座(ざ)の湯(ゆ)
【左下角】
温泉は
しせん
と
わき
し
宝
かな
【タイトル】
上野国碓氷温泉之全図
【右下枠内】
効能概略
やけどきりきずしつひせんづつうめまひ
立くらみくさできものはれもの一切手足
のすしつまり中風かつけちめたゞれめ小人
五かんきやう風其行まむし毒虫のさしたるによし
【左下枠内】
里程
信州沓掛ヨリ 三リ半
大□ヨリ 三リ半
川浦ヨリ 二リ半
中仙道阪本ヨリ 三リ
碓氷峠山中ヨリ 一リ半
原市ヨリ
左阪本通リ 六リ廿丁
右土塩通リ 五リ二丁
【左下角枠内】
群馬県下碓氷郡碓氷温泉 金湯祖
嘉永七甲寅年十一月
聞書諸国並大阪地震つなみ
諸国 早飛脚へ 申来り候由
【上段】
尼ケさき
十一月四日朝五ツ半時ゟ大
地震となりつき地凡家数
二百けん余りくづれ辰巳のわたし
南詰宿屋茶見世共残らず
くづる市中凡三百軒余り崩
内川八尺余の高水となる
五日夜まで三十五六度のゆり
死人数凡百人余けが人数知ず
失人数有之由誠に哀至極目も
当られぬ次第也
六日の朝まで三十二度ゆり一尺二寸
【津波挿絵】
西ノ宮灘め 神戸(かうべ)す摩皆々
同様のおおぢしんにて家数
多くくづれ死人数知れず
けが人多く失人凡八百人
いづれもゆり同様
丹波園部
同四日五ツ時ゟ大ぢしんとなり
家かず凡二百軒余り死人二百人余
失人数しれず近在五六ケ処
大にそんじ
亀山凡百軒あまりくすれ
三田凡七十軒余くづれ
其近在九ケ村大にそんじ
家数凡百四五十軒余り崩
けが人多く死人凡五十人斗
失人数しれずいつれもゆり同様
【中段】
【津波挿絵】
大坂つなみ
十一月四日朝五ツ時ゟ大地震と成
委しくは下段にしるす
同五日又々度々はけしくゆり
市中人々あわて舟へかけ出候所又々
大つなみにて新田其外島々
水につかり大船浪に追れ内川へ
のり込にて逃出る舟人橋々崩おち
人損じ又は□へ打上りさん〴〵の所
逃る人々舟々向ふゟ追れ大船に
敷れあたりさま〳〵して死す人凡千
人共千五百人共かず不知
大船□三百艘余小舟千艘あまり
くづれ破そんのふね数しれず
大船の為にくつれたる橋の名爰に記
道頓ほり川筋日吉橋塩見ばし
幸橋住吉ばし大黒橋にてとまる
かなやばしくすれる堀江川筋水分橋
くろがねばし長ほり高橋江子嶋かめ
井ばし安治川橋落る 凡ゆり八寸
奈良
同四日朝五ツ時より大地震と成一人も
内にゐる者なし家内蔵くづれ清水
辺西手貝通り五六軒くづれる
五日より昼夜かけて又々はげしく先に
残たる家みな〳〵くづれ
郡山大躰同様の大地震也
逃る人幾千とも数しれず
たび〳〵の大地震ゆへ其混乱
筆につくしがたし
【下段】
大坂大地しん
清水舞台みちんとなる
天王寺村所々大にそんじ
さのやばしすじ塩町北へ入高へい崩死人あり
《割書:京町ほり羽子板ばし|北詰四五けんくづれ》死人あり
かごや町角間口十七八間くづれ
北久太郎町丼池北へ入四五けん同断
永代はま大土蔵 同断
ざま石鳥井みぢん崩絵馬堂崩
さつまぼり願教寺たいめん所くづれ
北ほりへ四丁目五軒崩あみた池西門
一すじ西の辻南へ四五けん幸町東樋
より南へ五六けん堂しま桜橋南詰西へ
七八軒順けい町丼池東へ二けん崩かゝり
本町狐小路浄土寺高へいくづれ上福
嶋天神の門井戸家形北江戸ぼり一丁目
高塀十五けん崩天満天神御霊いなり
高津皆境内井戸館絵馬堂大に
そんじあはち町中ばし大道
われる也安治川三丁目十四五けん崩
同所順正寺茶の間本堂くづれ
いたちぼり中ばし□両かわ崩
其外うち〳〵かし屋または
土蔵などは一々筆につくし
がたし
天王寺境内いろ〳〵損じ幷に
太鼓堂くづれる寺町色々損じる
福しま五百らかんくづれる
凡ゆり 五寸
【挿絵内文章】
市中毎夜〳〵如此にて大道べ
畳等を敷屏風或はむしろにて
かこひ夜を明し内に
ねる者一人もなく
誠に〳〵哀至極
なる事
前代未聞
の事なり
【中央表題】
行 紀伊熊野新宮の湯 勧進元 上州四万の湯
諸国温泉一覧 紀伊熊野本宮の湯 伊豆熱海の湯
司 野州日光二荒の湯 差 添 下野荒湯
【枠外右側下】
定価 金三銭五厘
【枠外左側】
明治二十年六月十七日御届 東京芝区露月町三十六番地川瀬庄兵衛方
同 年六月三十日彫成 編輯兼出版人 垣本源次郎
【枠外上側の書き込み】
野洲湯八ツ
上洲湯七ツ
豆洲湯四ツ
相洲湯六ツ
野洲湯九ツ
上洲湯八ツ
信洲湯七ツ
豆洲湯四ツ
相洲湯六ツ
【右側一段目、横書き】
東の方
【右側二段目】
大関 《割書:万病| 》 上州草津の湯
関脇 《割書:諸病| 》 上州伊香保の湯
小結 《割書:仝 | 》 野州塩原の湯
前頭 《割書:仝 | 》 豆州修善寺の湯
前頭 《割書:瘡毒| 》 豆州湯川原の湯
前頭 《割書:婦人ニ吉 | 》相州宮下の湯
前頭 《割書:諸病| 》 陸奥嶽の湯
前頭 《割書:仝 | 》 野州那須の湯
前頭 《割書:仝 | 》 最上高湯の湯
前頭 《割書:疥癬| 》 仙台成子の湯
前頭 《割書:諸病| 》 秋田小鹿嶋の湯
【右側三段目】
同 《割書:センキ| 》 相州貴加の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 津軽嶽の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 相州湯元の湯
同 《割書:ヒゼン| 》 奥州飯坂の湯
同 《割書:センキ| 》 信州渋の湯
同 《割書:打身| 》 会津天王寺の湯
同 《割書:万病| 》 越後松之山の湯
同 《割書:カツケ| 》 南部恐山の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 庄内田川の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 岩城湯元の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 米沢赤湯の湯
同 《割書:ガン|ビヤウ》 信州諏訪の湯
【右側四段目】
同 《割書:眼病| 》 豆州小名の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 秋田大滝の湯
同 《割書:仝 | 》 野州湯西の湯
同 《割書:万病| 》 南部鹿角の湯
同 《割書:眼病| 》 相州姥子の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 上州河原の湯
同 《割書:仝 | 》 仙台川度の湯
同 《割書:万病| 》 庄内温海の湯
同 《割書:ツカヘ| 》 津軽温湯の湯
同 《割書:センキ| 》 米沢湯沢の湯
同 《割書:ヅヽウ| 》 豆州権現の湯
同 《割書:万病| 》 会津熱塩の湯
同 《割書:仝 | 》 上州沢渡の湯
【右側五段目】
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 上州小川の湯
同 《割書:仝 | 》 野州三度小屋の湯
同 《割書:センキ| 》 庄内湯浜の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 津軽板留の湯
同 《割書:仝 | 》 信州別所の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 越後関の山の湯
同 《割書:中フウ| 》 南部台の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 伊達湯の村の湯
同 《割書:仝 | 》 野州滝の湯
同 《割書:ウチミ| 》 最上銀山の湯
同 《割書:シツ|ヒゼン》 仙台釜崎の湯
同 《割書:シヤク| 》 会津滝の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 米沢谷沢の湯
同 《割書:ヅヽウ| 》 南部麻水の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 信州野沢の湯
【左側一段目、横書き】
西の方
【左側二段目】
大関 《割書:万病| 》 摂州有馬の湯
関脇 《割書:諸病| 》 但州城之崎の湯
小結 《割書:瘡毒| 》 予州道後の湯
前頭 《割書:仝 | 》 加州山中の湯
前頭 《割書:疥癬| 》 肥後阿蘇の湯
前頭 《割書:瘡毒| 》 豊後浜脇の湯
前頭 《割書:万病| 》 肥前温泉の湯
前頭 《割書:仝 | 》 薩州霧嶋の湯
前頭 《割書:眼病| 》 豊後別府の湯
前頭 《割書:諸病| 》 肥後山家の湯
前頭 《割書:仝 | 》 津軽大鰐の湯
【左側三段目】
同 《割書:ガン|ビヤウ》 濃州下良の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 肥後雛久の湯
同 《割書:ウチミ| 》 能州底倉の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 備中長府の湯
同 《割書:万病| 》 芸州硫黄の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 紀州田辺の湯
同 《割書:婦人ニ|ヨシ 》 但州湯川原の湯
同 《割書:ヒゼン| 》 芸州川治の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 紀州大世知の湯
同 《割書:万病| 》 加州白山の湯
同 《割書:ヒゼン| 》 伯州徒見の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 野州板室の湯
【左側四段目】
同 《割書:ガン|ビヤウ》 薩州桜嶋の湯
同 《割書:婦人ニ|ヨシ》 肥前竹尾の湯
同 《割書:血ノ道| 》 石州河村の湯
同 《割書:ヒゼン| 》 防州山口の湯
同 《割書:リン|ビヤウ》 肥前漆の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 越中足倉の湯
同 《割書:ヅヽウ| 》 越後塩沢の湯
同 《割書:ヒエ|シヤウ》 相州塔之沢の湯
同 《割書:ウチミ| 》 秋田小安の湯
同 《割書:リン|ビヤウ》 薩州関外の湯
同 《割書:仝 | 》 相州足の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 津軽矢立の湯
同 《割書:仝 | 》 野州川又の湯
【左側五段目】
同 《割書:ソウ| ドク》 信州湯瀬の湯
同 《割書:ヅヽウ| 》 相州堂ヶ島の湯
同 《割書:センキ| 》 津軽浅出【虫カ】の湯
同 《割書:ヅヽウ| 》 仙台阿灸の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 越後出湯の湯
同 《割書:ウチミ| 》 最上上の山の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 信州浅間の湯
同 《割書:ヒゼン| 》 相州底倉の湯
同 《割書:中フウ| 》 上州老神の湯
同 《割書:万病| 》 野州川治の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 越後田上の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 津軽倉立の湯
同 《割書:ソウ| ドク》 能州足の湯
同 《割書:シヨ|ビヤウ》 信州山田の湯
同 《割書:仝 | 》 上州宝川の湯
【タイトル】
湯本温泉より諸方道法
【右下角枠内】
湯本温泉より諸方道法
三枚橋 エ 六丁余
小田原 エ 一里半余
登リ往還 エ 四丁
湯本立場 エ 七丁余
畑宿 エ 一里八丁
御関所 エ 二里半余
塔之沢 エ 十二丁余
堂ヶ島 エ 二里
宮之下 エ 二里余
底倉 エ 二里半
木賀 エ 二里半
芦之湯 エ 四里余
福住九蔵板
【コマ一の裏】
【東京大学図書館蔵書印と整理番号のみ】
整理番号 〇〇一一八四二四五七
【タイトル】大阪下り
なまづの
かるわざ
安政二卯年十月二日
江戸にて興行
【上段】
「この大かをは どろの
なかにてそだち くに〴〵
の ぬまを しゆぎやう
つかまつり 下ふさのくに
いんばぬまを よんどころ
なくおいだされ それより
信しう ぜんくわうじにて
はじめて かるわざいたし
なを又 京大阪へのほり
大ひやうばんに あづかり
みやうがしごく ありがたく
ぞんじ どなたの おすゝめは
ござりませんが こんど
御とうちへくだり 大ゆりのげい
たう いへからいへの がんどうがへし
みなさまがたの おめのさめます
やう ごらんに入ます まづさいしよは
ぢひゞきに とりかゝります
▲
【下段】
▲「さて〳〵〳〵〳〵
このたびの じしん
さわぎで ゆりちらし
二かいや とざう ながや
だてかはらを おとしてふるふ
ところが ぐら〳〵〳〵〳〵 これをば
なつけて どこからどこまではい
ます ところが大のじ〳〵
「さて〳〵〳〵〳〵そこでひがでゝ ほや〳〵
やけるホイ〳〵〳〵〳〵いへに かいます まる
たんぼのきの□じにて しつかとゆはへ やねは
こなたへ かへらぬやふに のきからのきへ ずらりと
ならぶ これをなづけて のだのさかりぶじしや
それ〳〵あんまは あぶない〳〵くらはさゆふへ
ぐらりとかえる なかにひらやがちよぽんと
のこる だるま大しの ざぜんのかたち
サアこれからが みなさんの ほねおりだ
みな どつとはたらけ〳〵
東京大学図書之印 0011841699
ゆるがぬ御代 要之石寿榮(かなめのいしずえ)
仁(じん)義(ぎ)礼(れい)智(ち)忠(ちう)信(しん)孝(かう)禎(てい)八行(はつこう)の中(うち)に孝行(かう〳〵)をもつて第一とす人界(にんかい)を得(え)て孝なきハ禽(とり)獣(けだもの)にたもしか
ず鳩(はと)に礼(れい)有(あり)烏(からす)に孝あり羊(ひつじ)ハひざまづいて乳(ち)をねむるとかや遠国(へんごく)他国(たこく)より江戸へ縁付(へんづき)又は
奉公(はうかう)に出たる人〻はやく国元(くにもと)の親(おや)たちに我身(わがミ)の無事をしらせて安心(あんしん)さすべし頃(ころ)ハ安政
二年夘の十月二日の夜四ツ時過(すぎ)俄(にハか)に大地(ぢ)震(しん)ゆり出し北は千住(せんじゆ)宿ゆり
倒(たを)れ小塚原(こづかはら)やける新吉原(しんよしはら)ハ江戸丁弐丁目より出火して残(のこら)ず焼大音寺
まへ田丁馬道(うむミち)焼南馬ミち少〻のこる花川戸(はなかハど)片かハ焼山の宿(しゆく)聖天(しやうでん)丁
半ぶんやけ芝居(しばい)丁三座(さんざ)とも焼(やけ)金龍山(きんりうざん)淺草寺(せんそうじ)観音(かんのん)の御堂(ミどう)つゝがなく
傾(かたぶ)きもせず座(まし)ますハ大士の智力(ちりき)有がたし境内(けいだい)塔中(だつちう)摂社(せつしや)末社(まつしや)ゆり崩(くづれ)
茶屋丁並木(なミき)丁大破損(おゝはそん)駒形(こまかた)丁すハ丁やける駒かた堂(どう)乃のこる
蔵前(くらまへ)瓦(かハら)丁邊(へん)一面(いちめん)にくずれ夫より下谷ハ坂本(さかもと)
残(のこ)らずやけ田甫(たんぼ)加藤(かとう)様小笠原(おがさわら)様
大破損(おゝはそん)六郷(ごう)様少〻鷲大明神(わしだいめうじん)
つゝがなく一方ハ七軒(けん)丁中程(なかほど)より
出火(しゆつくわ)して上野長者(てうじや)丁のこらず
焼(やけ)上野(うえの)御山内所〻崩(くづ)れ五條(でう)
天神無事池(いけ)のはた仲丁うら
通(とう)りくづれおもてどうりも
崩れたる家(いへ)多(おゝ)し廣小路(ひろかうじ)
東(ひがし)がハ焼る同かや丁弐丁
目より一町目まで
やける也無縁坂(むへんざか)松平(まつだいら)
豊之丞(ミつのぜう)様やけ本郷(ほんがう)より
湯島(ゆしま)切通(きりどふ)し出火(しゆつくわ)此所(このところ)
加賀(かゞ)宰相(さいしやう)様御人数をもつて
消口(けしくち)を取(とる)ゆしま天神の社
少〻破損(はそん)妻乞(つまごひ)稲荷(いなり)つゝが
なし扨(さて)亦(また)御成道(おなりかいだう)ハ石川
主殿頭(とのものかミ)様井上(いのうえ)筑後守(ちくごのかミ)様
小笠原(をがさわら)左京大夫(さけうのたいふ)様御中屋敷(なかやしき)
類焼(るいせう)筋違(すじかひ)御門少〻いたミ
神田(かんだ)どふりハ少〻崩れ今川
橋(ばし)ゟ日本橋の間所〻崩(くづ)れる
日本ばしゟ南ハ通丁邊(へん)東西(とうざい)とも少し静(しづか)にて
夫より京橋(はし)南傳馬(てんま)丁弐丁目横(よこ)丁ゟ出火(しゆつくわ)
して南鍛冶(かじ)丁南大工(だいく)丁畳(たゝミ)丁五郎兵衛丁
具足(ぐそく)丁竹下柳(やなぎ)丁因幡(いなば)丁常磐丁鈴木丁
本材木(ほんざいもく)丁八丁目迄やける又芝(しば)口ハ宇田川丁ゟ
源介丁露月(ろうげつ)丁迄焼高輪(たかなハ)大地さけ津浪(つなミ)
少〻打上る田丁八幡(まん)宮(ぐう)大ひに崩れ三田春日(かすが)
石段(だん)すこしいたミ札の辻より赤羽(あかはね)通り大崩れ増上(ぞうじやう)寺山内(さんない)所〻いたミ
四ツ辻辺大崩れ切通し近邊しづか天徳(とく)寺大半崩同門前丁西久保(にしのくぼ)丁下谷丁西久保八幡
少しくづるゝ麻布(あさふ)長坂(ながさか)市兵衛丁邊大いたミにて其外ハ格別(かくべつ)破損(はそん)なしといへども古川の端(はた)通り
所〻破(やぶ)れ有青山ハ宮(ミや)様御門廻(まハ)り又六道の辻邊殊の外崩れ百人丁御組(くミ)屋鋪(やしき)少〻熊野権現社(くまのこんけんのやしろ)
無事(ふじ)にて廻り破損(はそん)此外所〻少〻宛(づゝ)扨又外桜田少しゆれいたミ松平美濃(ミのゝ)守様西尾(にしを)隠岐(おき)守様三
浦(うら)志广守様松平伯耆(はうき)守様すこし宛いたミ松平肥前(ひぜん)守様伊東修理(しゆりの)大夫様亀(かめ)井隠岐(おき)守様
北条(ほうぜう)美濃(ミのゝ)守様松平時(とき)之助様南部(なんぶ)美濃守様有馬(ありま)備後(びんご)守様阿部(あべ)播磨(はりま)守御類焼(るいせう)丹羽(にハ)
長門(ながと)守様薩州(さつしう)様将束(せうそく)屋鋪すこし焼日比谷御門内本多中務(つかさの)大輔(たゆう)様土井大炊(おゝいの)頭様松平
相模守様御類焼数寄屋(すきや)橋御門内松平主殿(とのも)頭様御火消(けし)屋永(なが)井遠江(とう〳〵ミの)守様林(はやし)大学頭様遠藤(ゑんどう)
但馬(たじま)守様御類焼鍛冶(かぢ)橋内鳥居(とりい)丹波守様和田倉松平下総守様松平肥後(ひご)守様御類焼雉(き)
子橋御門小出信濃(しなの)守様るい焼酒井雅楽(うた)頭様両御屋敷とも張川(はりかハ)信濃(しなのゝ)守様御類焼そのほか
地震(ぢしん)にて所〻崩るゝ夫より小川丁ハ本郷(ほんごう)丹後(たんご)守様松平紀伊守様榊原(さかきばら)式部(しきぶ)大輔様板倉(いたくら)伊
豫(よ)守様戸田大炊(おゝい)頭様此邊一面にやける飯田(いゝた)丁大崩れ九段坂下少〻いたミ番丁邊殊の外(ほか)静(しづか)也
糀(かうし)丁もゆれ少(すく)なし四ツ谷ハ内藤新宿大木戸邊所〻大ひに崩れ新丁通よし泰宗寺(たいそうじ)少〻く
づれ焔魔堂(ゑんまとう)つゝがなくせう塚乃おはア様少〻いたミ十二相(そう)道(ミち)成子(なるこ)淀(よど)橋辺よほど破損し
浄泉(せうぜん)寺つよくいたむ小栗(おぐり)様津(つ)の守様破損堀の内所〻くずれ祖師堂(そしとう)つゝがなし市ヶ谷
田丁佐(さ)内坂少〻尾(び)州様外廻り大崩れ谷丁辺大ひにゆれいたむ扨又牛込ハ神楽(かぐら)坂へん
毘沙門堂(びしやもんどう)少し崩れ寺丁懐代(たい)丁【「改代丁」の当て字か】邊くづれ赤城(あかぎ)明神社少〻破損し榎(えのき)丁辺御組屋(くミや)
鋪(しき)所〻いたむ目赤不動(ふとう)少〻夫より小石川御門外水戸様御屋敷少〻崩れ青(あを)山
大膳亮(たいせんすけ)様破損し此邊御屋敷丁家(よちや)とも少〻宛(つゝ)傳通院(でんつういん)門前丁悉(こと〴〵)く崩れ又白山(はくさん)大
権現(こんけん)の社(やしろ)安泰(あんたい)にて近辺丁家所〻崩るゝ巣鴨(すがも)邊所〻酒(さか)井様紀(き)の守御下(しも)屋敷少し
崩れ水道(とう)丁関(せき)口丁少〻音羽丁所〻少〻宛護国(ごゝく)寺山内(ない)つよくふるひ目白(しろ)臺(だい)殊(こと)の外(ほか)
大崩れ目白不動(とう)少〻いたミ雑司ヶ谷(さうしがや)内外とも少〻はそんし崩れけれども山の
手(て)ハ何方(いつかた)も出火なし東の方ハ隅田(すミた)川向嶋(むかうしま)少し宛破損し三圍(ミめぐり)稲荷の社(やしろ)恙(つゝが)なく
石段崩れ牛(うし)の御膳(こぜん)殊外ゆれ崩れ又番場(はんハ)邊大崩れ業平(なりひら)橋ゟ押上(おしあげ)邊少〻柳島(やなぎしま)
妙見(めうけん)の宮すこしいたミ亀(かめ)井(い)戸邊悉(こと〴〵)く崩れ天満宮(てんまんぐう)少〻脇坂(わきさか)様御中屋鋪大破(は)損(そん)
平(ひら)井邊(へん)崩れて聖天(せうでん)の社安泰(あんたい)本所所〻(しよ〳〵)崩れ焼(やけ)ばハ吉田丁長嶋(しま)丁三笠(ミかさ)丁井上様
弐ツ目より三ツ目の間(あいだ)残ず焼深川ハ森下(もりした)丁膳(ぜん)のふち小笠原(をがさわら)様御やしき六間(けん)堀(ぼり)柳(やな)川丁
常磐(ときハ)丁太田(おゝた)様元町神(しん)明(めい)前(まい)残ず焼神明の社のこる秋元(あきもと)様半やけ海邊(うミべ)大工町清(きよ)住丁仙(せん)
臺(だい)様半焼(はんやけ)表(おもて)長(なが)屋のこる㚑岸寺(れいがんじ)表門(おもてもん)ばかり焼る浄心寺(ぜうしんじ)門前寺丁邊残らず夫ゟ三角(かく)
奥川(おくがハ)丁綱打場(つなうちバ)邊(へん)残らず焼相川(あいかハ)丁熊井(くまい)丁富吉(とミよし)丁諸(もろ)丁中島(じま)丁黒(くろ)江丁仲丁永代寺(ゑいたいじ)門前
焼八幡宮残る土橋(どはし)入舟(いりふね)丁邊やけ三十三間(げん)堂(どう)半分(はんぶん)焼木場(ば)ハ残る猶(なを)地震(しん)ゆれ崩れ所〻に
有(あり)又㚑岸(れいがん)島塩(しほ)丁大川ばた近邊(きんへん)焼(やけ)夫より佃嶋鉄炮州(てつほうず)十軒丁出火松平長門(ながとの)守様類焼(るいせう)
所〻の出火翌(よく)三日朝巳(ミ)の刻(こく)頃(ころ)悉く静(しづま)りたるが地震(ちしん)ハ少〻宛数〻動(うごき)やまざれバ人〻往還(わうくわん)に
出(いで)て是(これ)を避(さけ)るに漸(やうや)く穏(おだやか)に成(なり)けれバ諸人(しよにん)全(まつた)く安堵(あんど)の思ひなし御(ミ)代(よ)万(ばん)歳(せい)とぞ祝(しゆく)しける
【タイトル】
最上郡肘折温泉図
【右下角枠内】
東京日本橋区堀江町
二丁目十番地
《割書:印刷兼|発行者》亘市兵衛
【俯瞰図左枠内】
【四段構成】
【第一段】
○疵湯効能
一《割書:消化器ノ|衰弱セシ者》 《割書:しよくすゝまずこなれ|あしくはきかへし》《割書:又はくだりやすきもの|》
一頭瘡 《割書:みづくさかさふきで|ものゝるい》
一挫傷 うちみきりきず
一神経痛 《割書:すじほねなどのい|たみ又はせんきなど》
一萎黄病 《割書:さんぜんさんご又はわかき|ふ人におこる血のすく》《割書:なきやまい|》
一子宮病 《割書:ながちひらちゐんぶの|たゞれしやくこしの》《割書:いたみ|》
一膣加答児 《割書:ぢろのち|しら血のるい》
一痳疾 りんしつ
一貧血 血のすくなき病
【第二段】
一脚気 □いれき
○分析表 み
【第二段上】
一無色透明
一温度五十五度
一炭酸多量
一燐酸痕跡
一《割書:コロ|―ル》最多量
一ポトアス中量
一礬土痕跡
一鉄少量
【第二段下】
一反応中性
一気温十度
一硫酸多量
一珪酸少量
一ソーダ中量
一苦土少量
一石灰痕跡
【第三段】
○疝気湯
一《割書:消化器ノ|衰弱セシ者》 《割書:しよくすゝまずこなれ|あしくてはきかへし》《割書:又はくだりやすきもの|》
一頭瘡 《割書:みづくさふきで|ものゝるい》
一脚気 かつけ
一萎黄病 《割書:さんぜんさんご又□|わかきふ人におこる》《割書:血のすくなきやまい|》
一神経痛 《割書:すじほねなどのいた|み又はせんきなど》
一子宮病 《割書:ながちしらちゐんぶの|たゞれしやくこしの》《割書:いたみなど|》
一膣加答児 《割書:ぢろかち|しら血の類》
一痳疾 りん□よう
一貧血 血のすくなき病
【第四段】
一腺病 るいれき
一挫傷 《割書:うちみおよび|きりきず》
○分析表
【第四段上】
一無色透明
一温度四十九度
一炭酸多量
一コロ―ル最多量
一カリウム
一礬土痕跡
【第四段下】
一反応中性
一気温十度
一硫酸多量
一珪酸少量
一ソーダ中量
一苦土少量
一石灰痕跡
【第四段別枠】
山形県最上郡
一ふくにてこり〳〵薬
妙ゆり出し
かた〳〵ふるへるに妙なり
【右表題の下】
但し
/質(しち)やの/内(うち)
ていりなく候間
一名/不自由散(ふじゆうさん)と申候
気ばかりながらつよひ/口上(ごうじやう)奉申上候
一/抑此妙(そもこのめう)ゆりだしくづれの義ハ/先年信州(せんねんしんしう)にて/揺(ゆり)弘め候所大ゆれ大難渋
仕候間/決(けつ)して/他国(たこく)へせりゆりかしゆり/一切(いつせつ)致さず候所/近年諸(きんねんしよ)国に/紛敷(まきらしき)
にせくづれ相見へ申候/別(べつ)して/京大坂東(きやうおほさかとう)かいどう/筋(すぢ)をおしゆり致し又々
江戸/表(おもて)までもにせくづれ出しゆり仕/其上火事木(そのうへくわじき)とうをあげしごく
ぐらちの義二付/急度(きつと)ゆりどめ申付/私方(わたくしかた)いつほうゆりに仕候/尤最(もつともも)うたん
とハゆり申さず当十月/限(かき)りにゆり/子(こ)へ申/渡(わたし)候間/逃出(にげだ)し/野宿(のしゆく)の御さわき
なく/御安心(ごあんしん)被成/楽々(らく〳〵)と御/夫婦中(ふうふなか)よく/夜中(よなか)のゆり/出(だ)し候ぢしんに/毎夜〳〵(まいよ〳〵)二は
二三ぶくづゝ御用ひ可被成候ハゝ/御子孫繁昌(ごしそんはんじやう)致しのらくらの御子供衆ハ
無御座候間しつかり御だきつき被成アゝモウいつそいゝ/世(よ)の/中(なか)と/御評判(ごひやうばん)被成
御求可被下候以上
/効能(かうのう)
一《割書:目のまハるやうに|いそがしい》/職人(しよくにん)一《割書:目のかすむのハ|帳合さし引》/材木屋(さいもくや)一《割書:ねつのやうに|あせをかく》車力一《割書:かたの|はつた》日雇
一《割書:よあかしで|風を引た》/人入(ひといれ)一《割書:づつうに|やんだ》/借金(しやくきん)一《割書:なんじうの|やまひに》/施行(ほどこし)
/禁物(きんもつ)
一/高利座頭(こうりざとう)一/地面持(ぢめんもち)一/株持(かぶもち)一うけ/取(とり)《割書:なんでもとりる糾明一切いむなり》一/諸芸人参(しよげいにんじん)
一/猫(ねこ)のぺん〳〵/草(くさ)并二《割書:大だいて|小だいて》一/土蔵粉(どぞうこ)にしてミなこの/類(るい)いむべし
〇用様《割書:二日のばんにぐわら〳〵と一度大きくゆり出しあとハたび〳〵ゆら〳〵とゆり出して|人の手をかりずぢしんに用ひべし又せんぢるにハ火の用心を第一にすべし》
こゝハどこ〳〵かまいいとうすぢしつかりとうけあつた町百丁目
〇/本家取押糾明所(ほんけとりおさへきうめいところ) /要屋石蔵(かなめやいしさう)印
《蔵書印:東京大学図書之印》
【タイトル】
極楽浄土双六
【基本的には十段十列の碁盤の目構造】
【上から第一段】
【此の段のみ五列で構成】
【右から第一列】
弁才天【枠内】
一薬師
三釈迦
【右から第二列】
地蔵【枠内】
四釈迦
五薬師
【右から第三列】
上り
極楽浄土
【右から第四列】
薬師【枠内】
一上り
五弁天
六地蔵
【右から第五列】
釈尊【枠内】
四上り
五薬師
六地蔵
【上から第二段】
【十列で構成】
【右から第一列】
善道大師【枠内】
一地蔵
三薬師
【右から第二列】
円光大師【枠内】
一弁天
三善道大師
四釈迦
【右から第三列】
弘法大師【枠内】
一薬師
三地蔵
四弁天
五文学
【右から第四列】
元三大師【枠内】
一釈迦
三地蔵
四七夕
【右から第五列】
文珠菩提【枠内】
一普賢
三元三大師
五善道大師
【右から第六列】
普賢菩提【枠内】
一毘沙門
五夷
六円光大し
【右から第七列】
毘沙門【枠内】
一普賢
二布袋
三夷
四雷神
【右から第八列】
大黒【枠内】
一文珠
二弘法大師
三西王母
四風神
【右から第九列】
夷【枠内】
一寿老神
三文珠
四東方朔
【右から第十列】
布袋【枠内】
一西王母
三天人
四七夕
五空や上人
【上から第三段】
【十列で構成】
【右から第一列】
寿老神【枠内】
一大黒
二たるま
三西王母
五役行者
【右から第二列】
福禄寿【枠内】
一夷
二たるま
三東方朔
五布袋
六犬神
【右から第三列】
東方朔【枠内】
一文学上人
三七夕
四古札納
五かりやうびん
【右から第四列】
西王母【枠内】
一一扁上人
三天人
四犬神
五文学上人
【右から第五列】
日蓮上人【枠内】
一善道大師
二元三大師
三弘法大師
【右から第六列】
七夕【枠内】
一万歳
一雷神
四寿老神
五伝教大師
六福禄寿
【右から第七列】
一扁上人【枠内】
一七夕
二寿老人
四寿老神
五伝教大師
六天人
【右から第八列】
文学上人【枠内】
一毘沙門
二万歳
三西王母
五日蓮上人
【右から第九列】
役行者【枠内】
一七夕
二文珠
三一扁上人
四きんなら
五弘法上人
【右から第十列】
伝教大師【枠内】
一善道大師
二弁天
五薬師
【上から第四段】
【十列で構成】
【右から第一列】
明恵上人【枠内】
一一扁上人
二山姥
三万歳
五まこら
【右から第二列】
解脱上人【枠内】
一達磨
二文学上人
三きんなら
四風神
五仙人
【右から第三列】
空也上人【枠内】
一役行者
二明恵上人
三風神
五文学上人
【右から第四列】
達磨【枠内】
一空や上人
二文学上人
四犬神
五一扁上人
六風神
【右から第五列】
維摩【枠内】
一西王母
二仙人
三雷神
五犬神
【右から第六列】
万歳【枠内】
一大黒舞
三七夕
四大黒
五寿老神
【右から第七列】
大せいくわんき天【枠内】
一風神
二達磨
三大黒舞
四山うは
五猩々
【右から第八列】
かろら王【枠内】
一天人
二げだつ上人
三めうゑ上人
四天狗
五かりやうびん
【右から第九列】
天人【枠内】
一役行者
二げだつ上人
三かろら王
四がき
【右から第十列】
かりやうびん【枠内】
一天人
二達磨
三しやう〳〵
五空や上人
【上から第五段】
【十列で構成】
【右から第一列】
せう〳〵【枠内】
一きんなら
三ぬらりひよん
五仙人
六ゑんま
【右から第二列】
大黒舞【枠内】
一まこら
二酒天とうし
四山ひこ
五ふらりひ
【右から第三列】
せきそろ【枠内】
二かつは
三猩々
四見こし入道
五きんなら
六おとろし
【右から第四列】
古札納【枠内】
一きんなら
二童子
三山うは
四風神
五せう〳〵
六うわん
【右から第五列】
やくはらい【枠内】
一万歳
二かつは
三ぬつへつほう
五やしや
六ゑんま
【右から第六列】
ひんほう神【枠内】
一大黒舞
二やくびやうかみ
四ちくせう
五やしや
六仙人
【右から第七列】
仙人【枠内】
一ゆいま
二達磨
三ひんほうかみ
四かろら王
五てん人
六天狗
【右から第八列】
きんなら【枠内】
一大せいくわんき天
二七夕
三天人
四犬神
五かがう
六山ひこ
【右から第九列】
まこら【枠内】
一達磨
二たるま
三風神
四山わらう
五へびかみ
六山うは
【右から第十列】
やくひやう神【枠内】
一せう〳〵
二天人
三びんぼう神
四がき
五風神
六ようちん
【上から第六段】
【十列で構成】
【右から第一列】
雷神【枠内】
一てん人
二日蓮上人
六仙人
【右から第二列】
せうつかばゝ【枠内】
一がき
三牛鬼
五へひかみ
六ねこまた
【右から第三列】
ゑんま王【枠内】
一達磨
二むけんちこく
三ふう神
四大こく
五犬かみ
【右から第四列】
山姥【枠内】
一しゆら
三酒てんとうし
四風神
五山ひこ
六犬かみ
【右から第五列】
酒天童子【枠内】
一山うは
三ゑんま
四しやう〳〵
五かりやうびん
【右から第六列】
へび神【枠内】
一せん人
二大せいくわんき天
四やくひやう神
五風神
【右から第七列】
犬神【枠内】
一かろら王
三きんなら
四やくひやうかみ
五やうちん
六仙人
【右から第八列】
天狗【枠内】
一へびかみ
二せうつかばゝ
三古札納
五かろら王
【右から第九列】
山ひこ【枠内】
一しやう〳〵
二ねこまた
三せきそろ
四ゑんま
五雷神
【右から第十列】
風神【枠内】
一山ワらう
三ゑんま
四やくはらい
五しやう〳〵
六がこう
【上から第七段】
【十列で構成】
【右から第一列】
ふらり火【枠内】
一うふめ
三きやうくわんぢごく
四雪女
五犬かみ
【右から第二列】
赤舌【枠内】
二がき
三雪女
五海坊主
六せうきら
【右から第三列】
うわん【枠内】
一山うは
二ちくせう
五山ひこ
六しゆら
【右から第四列】
見こし入道【枠内】
一わら〳〵
二山ひこ
三かみきり
五ぬれ女
六天狗
【右から第五列】
ぬらりひよん【枠内】
一ふらりひ
二うふめ
三山姥
五海坊主
六うわん
【右から第六列】
ぬつへつほう【枠内】
一山ひこ
二雪女
三犬神
五みこし入道
六目一つほう
【右から第七列】
おとろし【枠内】
一へびかみ
二ぬらりひよん
三せうつかばゝ
六ゑんま
【右から第八列】
わら〳〵【枠内】
一風神
二かみきり
三かつは
五ぬれ女
【右から第九列】
海坊主【枠内】
一ゑんま
三かつは
四やしや
五山わろう
【右から第十列】
かみきり【枠内】
一山ひこ
二うわん
三ちくせう
五がき
【上から第八段】
【九列で構成】
【右から第一列】
山ワらう【枠内】
一赤した
二てんぐ
三うわん
四ひんぼう神
【右から第二列】
やしや【枠内】
一せうねつ地こく
三てんぐ
五ふらりひ
六海ほうす
【右から第三列】
目一ツ坊【枠内】
一みこし入道
二がき
三ぬらりひよん
四わら〳〵
【右から第四列】
かつは【枠内】
一山うは
三しゆら
四らごら
五まごら
【右から第五列、第九段第五列と共通】
一雷神
二びんほう神
三うふめ
四ぬれ女
五万歳
六風神
【右から第六列】
かごら【枠内】
一塗仏
三てんぐ
四わら〳〵
五かみきり
六まごら
【右から第七列】
ぬれ女【枠内】
一がき
二がき
三犬かみ
四へびかみ
五きんなら
【右から第八列】
ひやうすべ【枠内】
一やしや
三ねこまた
四わら〳〵
五やうちん
六かつは
【右から第九列】
ぬりほとけ【枠内】
一うみ坊主
二うふめ
五ぬつへつほう
六かみきり
【上から第九段】
【九列で構成】
【右から第一列】
せうきら【枠内】
一山わろう
二せきぞろ
三おとろし
五酒天とうし
六ぬらりひよん
【右から第二列】
かき【枠内】
一やしや
二ちくせう
三山ひこ
五雪女
六牛鬼
【右から第三列】
ちくせう【枠内】
一赤した
二目ひとつほう
四がこう
五ねこまた
【右から第四列】
しゆら【枠内】
一せうつかばゝ
三うわん
五山ひこ
六無間ぢこく
【右から第五列、第八段第五列と共通】
【右から第六列】
剣の山【枠内】
一やうちん
四とうくわつぢこく
五犬かみ
六赤舌
【右から第七列】
うふめ【枠内】
二猩々
三こくせうちこく
四きやうくわんぢこく
五かつは
六剣の山
【右から第八列】
ゆき女【枠内】
一ふらりひ
三せうきら
四ぬれ女
五まこら
六ひやうすべ
【右から第九列】
ねこまた【枠内】
一剣の山
二ちくせう
三かき
五やしや
六海ぼうづ
【上から第十段】
【十列で構成】
【右から第一列】
きやうくわんちこく【枠内】
一わら〳〵
二剣の山
三やしや
五がき
【右から第二列】
けうくわんちこく【枠内】
一うし鬼
二悪けんちこく
三むけんちこく
五ようちん
【右から第三列】
せうねつちこく【枠内】
一しゆら
三しゆこうちこく
四けうくわんちこく
五こくせうちこく
【右から第四列】
悪けんちこく【枠内】
一やうちん
二とうくわつちこく
四むけんちこく
五こくせうちこく
【右から第五列】
むけんちこく【枠内】
一きやうくわんちこく
二こくせうちこく
三しゆこうちこく
四やうちん
【右から第六列】
ようちん【枠内】
【右から第七列】
しゆこうちこく【枠内】
一うし鬼
四こくせうちこく
五かき
六むけんちこく
【右から第八列】
こくせうちこく【枠内】
一せうねつちこく
二悪けんちこく
五きやうくわんちこく
六無間ちこく
【右から第九列】
とうくわつちこく【枠内】
一ほうくわんちこく
三むけんちこく
四うし鬼
六あくけんちこく
【右から第十列】
牛鬼【枠内】
一雪女
三むけんちこく
四こくせうちこく
五ちくせう
【タイトル・画像共に無し】
【コマ1の裏】
【東京大学図書館の蔵書印・整理番号】
〇〇一一八四二三九〇
【タイトル・画像共に無し】
【コマ1の裏】
【タイトル】
安政乙卯新鎸
豆州下田港之図
志都迺屋蔵
【東京大学図書館蔵書印、整理番号】
〇〇一一八四二五四九
【タイトル】
髙橋龍輔鎸
【本文・画像なし】
【タイトル】
豆州下田港ノ圖 完
【東京大学図書館蔵書印、整理番号】
〇〇一一八四二五四九
【俯瞰図左下角】
安政二年乙卯霜月
志都迺屋蔵梓
日本橋通二丁目
山城屋佐兵衛
諸国(しよこく)温泉(おんせん)功能(こうのふ)鑑(かゞミ )
【中央の書き入れ】
伊豆熟海之湯 差添 上州さわたりの湯
為御覧 行司 紀伊熊野本宮之湯
津軽大鰐之湯 勧進元 紀伊熊野新宮之湯
【本文上段右側】
東之方
【本文上段左側】
西之方
【右側一段目】
大関《割書:江戸ゟリ四十八リ|三病そうどく諸病》 上州草津の湯
関脇《割書:同三十八リ|しよ病ニよし》 野州那須の湯
小結《割書:同四十九リ半|目しふひせんニ吉》 信州諏訪の湯
前頭《割書:同二十四リ|切きずうちミ 》 豆州湯河原ノ湯
前頭《割書:同二十二リ|しつひせんニよし》 相州足の湯
前頭《割書:同六十八リ|そうどく諸病》 陸奥嶽の湯
前頭《割書:同三十五リ|子なき女くわい人する》 上州伊香保ノ湯
前頭《割書:同九十七リ|諸病ニよし 》 仙台成子の湯
前頭《割書:同九十四リ|しつひせんニ吉 》 最上高湯の泉
前頭《割書:同百五十三リ|うちミ かつけ中風》 秋田小鹿島湯
【右側二段目】
前頭《割書:百九十リ|かさうちミ 》 津軽嶽の湯
前頭《割書:二十二リ|諸 病 吉 》相州湯元の湯
前頭《割書:二十四リ|目によし 》 豆州小名の湯
前頭《割書:五十六リ|そうどく 》 信州渋湯の湯
前頭《割書:六十六リ|諸病ニ吉 》 会津天仁寺の湯
前頭《割書:八十三リ|うちミ 》 越後松の山の湯
前頭《割書:百四十リ|そうどく 》 南部恐山の湯
前頭《割書:百二十一リ|かつけせんき 》庄内田川の湯
前頭《割書:五十五リ|諸病吉 》 岩城湯元の湯
前頭《割書:八十リヨ|そうどく 》 米沢赤湯の湯
前頭《割書:三十九リヨ|諸病によし》 下野中禅寺麓湯
【右側三段目】
前頭《割書:百七十リ|諸病》 秋田大滝の湯
同 《割書:六十六リ|しつひぜん》 陸奥飯坂の湯
同 《割書:百六十リ|そうどく》 南部鹿角の湯
同 《割書:二十二リ|目ニよし》 相州姥子の湯
同 《割書:二十四リ|せんきニ吉》 豆州修善寺の湯
同 《割書:九十七リ|諸病》 仙台川たびの湯
同 《割書:百二十三リ|諸病》 庄内温海の湯
同 《割書:百九十リ|しやくつかへ》 津軽温湯の湯
同 《割書:七十九リヨ|うちミ せんき》 米沢湯沢の湯
同 《割書:二十四リ|づつうしやく》 豆州権現の湯
同 《割書:六十八リ|中風しやく》 会津熟塩の湯
同 《割書:二十二リ|すばく》 相州貴賀の湯
【右側四段目】
同 《割書:三十二リ|女一さいニ吉》 野州塩原の湯
〃 《割書:百二十三リ|せんき》 庄内湯の浜湯
〃 《割書:百九十リ|諸病》 津軽板留の湯
〃 《割書:四十八リ|諸病》 信州別所の湯
〃 《割書:六十八リ|そうとく》 越後関山の湯
〃 《割書:百三十二リ|うちミ 》 南部台の湯
〃 《割書:七十五リ|諸病》 伊達湯ノ村の湯
〃 《割書:百リヨ|かつけ》 最上銀山の湯
〃 《割書:九十七リ|ひぜん》 仙台谷崎湯
〃 《割書:六十九リ|しやく》 会津たきの湯
〃 《割書:七十八リ|せんき》 米沢谷沢之湯
〃 《割書:百六十リ|つつう》 南部麻水之湯
〃 《割書:しやく|つかへニよし》 上州川原の湯
【左側一段目】
大関《割書:江戸ゟ百四十リ|諸病ニよし》 摂州有馬の湯
関脇《割書:同百四十リ|万病ニよし》 但州木の崎ノ湯
小結《割書:同二百十九リ|できものニよし》 予州どふごの湯
前頭《割書:同百二十リ|かさニよし》 加州山中の湯
前頭《割書:同三百四リ|しつひせんニよし》 肥後阿蘇の湯
前頭《割書:同二百七十リ|かさニよし》 豊後浜脇の湯
前頭《割書:同三百二リ|諸病ニよし》 肥前温泉の湯
前頭《割書:同心四百十リ|うちミ 》 薩摩霧島の湯
前頭《割書:同二百七十リ|目ニよし》 豊後別府の湯
前頭《割書:同二百七十リ|諸病ニよし》 肥後山家の湯
【左側二段目】
前頭《割書:百リ|目ニよし》 濃州下良の湯
前頭《割書:二百七十二リ|諸病ニよし》 肥後ひな久の湯
前頭《割書:百七十六リ|うちミニよし》 能州底倉の湯
前頭《割書:百八十リ|ひぜんニよし》 備中長府の湯
前頭《割書:四百リ|万病》 薩摩硫黄の湯
前頭《割書:百五十リ|しつニ吉 》 紀州田辺の湯
前頭《割書:百四十九リ|女ニよし 》 但州湯川原の湯
前頭《割書:二百三十リ|ひぜんニ吉 》 芸州川治の湯
前頭《割書:百五十リ|そうどく》 紀州大ぜちの湯
前頭《割書:百二十リ|諸病》 加州白山之杉の湯
前頭《割書:二百二十リ|ひぜんニ吉》 伯州徒見の湯
【左側三段目】
前頭《割書:四百廿リ|目ニよし》 薩摩桜島の湯
同 《割書:三百リ|女一さいニよし》 肥前竹尾の湯
同 《割書:百五十リ|しやくせんき》 石州川村の湯
同 《割書:二百六十リ|ひせんニ吉》 周防山口の湯
同 《割書:三百リ|りん病》 肥前うるしの湯
同 《割書:百十五リ|そうどく》 越中足倉の湯
同 《割書:九十リ|つつう》 越後塩沢の湯
同 《割書:二十二リ|ひへせう》 相州塔之沢の湯
同 《割書:百七十リ|うちミ 》 秋田おやすの湯
同 《割書:四百廿五リ|りん病》 薩摩関外の湯
同 《割書:二十二リ|りん病》 相州宮下の湯
同 《割書:百七十六リ|そうとく》 津軽矢立の湯
【左側四段目】
同 《割書:五十六リ|そうとく》 信州湯瀬之湯
〃 《割書:二十二リ|つつう》 相州堂島之湯
〃 《割書:百九十八リ|せんき》 津軽浅虫の湯
〃 《割書:九十八リ|づつう》 仙台あきう湯
〃 《割書:九十リ|そうとく》 越後土湯の泉
〃 《割書:九十一リ|うちミ 》 最上かみノ山之湯
〃 《割書:二十八リ|そうとく》 信州浅間の湯
〃 《割書:二十二リ|しつひせん》 相州底倉の湯
〃 《割書:四十一リ|中風よし》 上州老神の湯
〃 《割書:九十七リ|いたミニよし》 越後田上の湯
〃 《割書:百七十七リ|諸病》 津軽倉立の湯
〃 《割書:百七十六リ|そうとく》 能州足の湯
〃 《割書:四十二リ|むしニよし》 上州島の湯
【欄外】
嘉永七寅年霜月四日朝五ツ半時より此夕方迄ニ四五度ゆる又夜中弐三度ゆる
【表題】
浪花大地震の次第并ニ他所
【一段目】
▲天満天神井戸やかた大
くづれ夫より東寺町寺院
門塀くづれ此近辺少〻
ヅヽいたみ家たをれかけ
候所数多御坐候住家ならず
▲西寺町金比羅さま絵馬
堂大くづれ不動寺本堂
ひしなりに大そんじ其外
此近邊ゆかみたをれ大
そんし堀川戎境内少〻
のいたミ此邊東西南北
少〻ツヽのそんじ有
▲堂嶋此近邊少〻のいたミ
あれともさして大そんしなし
新地うら町曽根崎むら
此邊少〻そんじ大ゆがミ
の所下はら邊にて大損
したをかれ【「たをれかけ」か】候處数多有
▲福島上天神大くづれ
同うら門鳥居たをれかれ【「たをれかけ」か】
同中の天神はいでん大
くづれ同下天神絵馬
堂大くづれ社内そた家
四五軒西手方大くつれ
▲五百らかん門袖かべ大
くづれらかん堂大くづれ
尤羅漢像堂外へ出たるも
又□□□じき哉其侭ニなるも
あり同大臺大ひづミ光智
ゐん玄関くづれ本堂た
をかれ【「たをれかけ」か】其外寺〻大そんじ
▲汐津ばし北づめ東へ入人家
四五軒大くつれ同南詰
の大きなる土蔵前一方壁
□□□□□【紙折れで数文字不明】しま此邊
町家所〻大くづれ又ハたをれ
かけ大そんじの所も沢さん
有之くだけかけ候て住家
ならず常安ばし南づめ
西角往来半ぶんたをれ
かけ其邊少〻上いたミ多く
あり
▲ざこば両国ばしかごや町
南西角十弐三軒大崩レ
此近邊たを【「れ」脱か】かけ候所二三所人□不入
【二段目】
▲きの国ばし南詰西へ入表少〻
くづれうら長家二三軒大
くづれ京町堀はご板はし
角人家大くづれ又ハ半丁
はかり西角五けん斗たをれ
かれ【「たをれかけ」か】あわざならやはし
すじおくび丁角人家たをれ
かけ住居なりがたく同小間
もの棚西南角右同断
戸や部すしはぶのよこ町
六七軒大くつれ戸や町すじ
あわばし西へ入南がハくら八軒
はかり大くづれ其外大そんじ
あまた有
▲願教寺たい面所大くつれ
境外あまたそんじ又は
帯や町北がハうら大土蔵鳩
蔵大くづれ見る物いた〳〵し
▲北ほり江六丁目人家四五軒
大くづれ此邊くづれかけ
候處あまた有あミだ池本
堂少〻いたミ境内少〻い
たミ多くあり
▲塩町さのやはし高塀
西へたをれ即死弐人有
おそるべし〳〵
▲長ほりさのやばし東へ入
うら長家人家八九軒斗
大くづれ住家ならす
▲順けい町丼池人家大ゆがミ
住家ならす二軒斗りの事
▲久太郎町丼池北へ入人家二軒
大くづれ
▲南御堂少〻そんじ候事
本町狐小路高大臺うらて
くづれ
▲座戸表門鳥内へをれこミ
又ハ門の柱をれ小宮少〻いたミ
▲御堂井戸やかた大くつれ
此邊少〻いたミ有之とも同全
▲清水ぶたい西へこけ大
破損と相成其侭留り有
▲天王寺邊少〻いたミ有之
▲のばく蝋や納や十二三間斗り
有所土も蝋も一所ニ相成候事
【三段目】
▲高津じんち高津はし南へ入
江かるかや納や十軒斗り大くづれ
▲玉造二軒茶屋壱丁斗
東大くづれ此邊東西南北
そんしたる處其数しれず
▲道どん堀芝居少〻損じ
いく玉鳥居こけ神主
やしき近邊少〻そんじ
▲寺町通寺町少〻いたみ
うか見世邊遊行寺勝まん
近邊いたミ候而住家ならず
▲天下茶や塀の廻り少〻
くづれ外ニも少〻有
▲梅田邊大くいたミ大仁むら
百姓家二軒くづれ寺下家
大くづれ浦江むら安楽寺
本堂大くづれ百姓家一けん
大くづれ其外いたミ候ところ
数多ニ御坐筆紙ニつくしかたし
【四段目】
▲北安治川通り大くづれ数多
御坐候住家成がたく略
▲南安治川どくろ邊大に
そんじくづれたる石川また
有之九条むら富士だれじま
寺嶋富じま戌じま此邊
大くづれ損じ多し略しぬ
▲亀ばし土蔵川中へくづれ
こみいたわしき次第なり
▲辰巳の渡し近辺大くづれ
▲壱ヶ崎町家四十軒余
大くづれ損したる所其数
しれす池田伊丹大じしん
なれどもくづれたる所なし
▲服部邊寺二ヶ寺大くづれ
天神様宮くづれかけ百姓
家くつれたる所大ニあり
一河内村〻二軒三軒四軒斗り
も崩れたる所数多御坐候 略ス
【左下枠の中】
當度已来大地震もる野へとも此度の地震ハ今古
未曽【本のまま。未曽有か】大ゆり驚くことかきりなし余りめつらしき
故取あへす書しるす諸方遠方へ急〻しらさん事を
こゝに略
文政十二年己丑三月廿一日江戸大火
方角場所附 両国廣小路一ヶ所
合印
御上屋敷■ 土蔵之数凢八百二三十ヶ所橋の数凢八拾五ヶ所程
御中屋敷▲ 御救小屋 常盤橋御門外一ヶ所 神田橋御門外二ヶ所
飛 火 ● 数寄屋橋御門外一ヶ所 幸橋御門外一ヶ所 筋違御門外一ヶ所
江戸橋一ヶ所 築地一ヶ所 八丁堀二ヶ所
見てハなをはなし聞てもおそろしきハ去三月廿一日朝四ツ半頃ゟ西北
の大風はげしく空一面物すごき折から外神田邊ゟ出火し
和泉橋焼おち土手下佐野様富田様細川様九軒丁□□
豊嶋丁久右衛門丁江川丁橋本丁岩井丁松枝丁馬喰丁しほ丁横山丁
吉川丁米沢丁同朋丁柳橋両国邊不残橘丁久松丁村松丁へん
やのくら山伏井戸濱丁△小笠原様松平伯耆様佐竹様水野様并
御旗本様方不残焼◯【記号右側に「外」】御玉ヶ池小柳丁平永丁紺や丁代地共岩元丁
富山丁市橋様□此へん御旗本様丁家不残小傳馬丁牢御やしき
大傳馬丁通旅こ町大丸やける油丁大門通人形町通長谷川丁
此邊不残◯【記号右側に「を」】堀留堀江丁小舟丁小網丁通新材木丁杉森稲荷
乗物丁富沢丁高砂丁なにハ丁住吉丁堺丁中村坐ふきや丁市村
座人形芝居ともよし丁泉丁甚左衛門丁銀座松嶋丁△水野壱岐様
松平越前様室賀様戸田様近藤様牧野様本多肥後守様□
酒井伊□様横山様△酒井様横瀬様安藤様□戸田様越中様
とうけ堀行徳かし永久橋やけ落△土井様松平伊豆様久世大和様
箱崎丁北新堀御舟手御組屋敷此時永代橋危うし湊橋乙女橋落
大川端濱丁白銀町新川檜川岸川口町東ミなと丁此時風弥強
霊巌嶋一面ニ火さかんニ而欠バニ迷ひ難義成事言語ニのべがたく誠
あハれなり同刻越前様御中屋しき御舟手組御やしき焼稲荷橋
焼おち鉄ほうつ稲荷の社より川岸通本ミなと丁△松平阿ハ様
□細川様松平内匠様同所舟松丁十軒丁明石丁向佃しま
不残并大船五十そう小舟数不知◯【記号右側に「小」】東(こ)北(ち)風つよく西神田すだ丁
新石丁なへ丁かじ町松田丁白かへ丁かまくらがし豊嶋や迄焼龍閑はし
松下丁富永丁同とかし今川橋白かね丁白旗社十けん店石丁甚丁
瀬戸物丁本舟丁安針丁小田原丁駿河丁越後や店不残むろ丁
金吹丁両かへ丁金座さや丁釘店日本橋江戸橋あらめ橋焼落
四日市土手くら西かし青物丁万丁呉服丁平松丁音ハ丁通丁
白木や焼本材木丁新は此邊不残中はし南傳馬町大工丁桶丁
五郎兵へ丁かじ丁よゝき丁常ハ丁柳丁具足丁金六丁竹丁此へん
不残京橋四方店白うをやしき三十間堀太刀賣弓丁かんせしん
道西紺屋丁肴丁弥左衛門丁すきやかし京橋ゟ通ハ銀座丁尾張丁
布袋やゑひすや不残やけ竹川丁出も丁金春やしき新橋ニ而とまる
◯【記号右側に「す」】鍋丁瀧山丁宗十郎丁山王丁さへき丁かゝ丁八かん【八官】丁丸や丁此丁家
山下丁より土橋迄西かハ残る◯【記号右側に「四」】かいそく橋やけ落枝野様九鬼様
小濱様坂本丁かやは丁薬師堂八丁堀松平越前守様御組やしき
不残御類焼小嶋丁亀嶋丁日比谷丁同かし古着店幸丁岡崎丁
松や丁同橋弾正橋本八丁堀通不残南八丁ほり土佐様くらやしき
□本多下総様△松平右近将監様井伊かもん様中川修理大夫様
□松平遠江守様小笠原様△奥平様脇坂様築地柳原同朋丁
小田原丁本郷丁寒橋△堀田様松平安藝様一橋様越中様
南八丁堀のつゝき□伊達紀伊守様新店様松村丁木挽丁芝居
きのくに橋紀州様御くらやしき△松平周防守様坂倉様能登様
曲渕様狩野様□諏訪様△大久保様□柳生様仙石様△本多様
△溝口様田沼様□奥平大膳大夫様しほ留芝口西側通丁□□
脇坂中務太夫様御上屋敷ニ而留る◯築地△松平土佐様松下様
松平飛騨様桑山様青山様稲葉様本多弾正様秋田様
木下様亀井様畠山様△栃木様西尾様津田様戸川様
□永井様三浦様△松平内蔵様このへん御旗もと様方
のこらす西本願寺御坊地中とも不残やけ向つきし阿部様
村垣様□稲葉様二軒とも尾州様御蔵やしきニ而留るさて
去廿一日朝四ツ過よりの出火ニて殊ニ大風はけしく人々東西南
北にまよひ親をすて子にはなれあハれなる事云つくしかたし
末代のはなしの種ニもと書しるすものなり
町数凢千二百丁余
焼亡人老若男女凢四千人余
此外水死又ハ行衛相不分者数不知
去三月廿一日の大火ゟ日々物しつかならず然ルに
御公儀様ゟ厳重之御觸故人々安堵のおもひおなし候所同四月六日
朝より大南風吹出し昼九ツ過頃麻布長坂ゟ出火し東かわ町家少々やけ
坂上大長寺光照寺□大田原様△池田様坂上町家并角有馬様飯倉
片町通おかめだんご□牧野甚三郎様上杉様角少々△内藤様野沢千太郎様
御やきニ而とまる一口ハ天野左近様長田百助様□織田大蔵太輔様諏訪様
かぜんぼ御組屋しき少々市兵衛町中角山口様田賀大助様日根野権十郎様ニ而留
市兵衛町不やの丁へん畠山様并御旗本様方△石川様六けん丁木戸さわニて留る
又なたれ坂善照寺圓林寺真上寺大仙寺ニ而留る谷町御組やしき并町家とも
△相馬様少々永正寺西光寺□真田様△黒田様少し□松平日向様山口様
南かわ横田様土岐様御やしきニて夕方しづまる
【タイトル・本文・画像いずれもなし】
【タイトル】
駿河国冨士山表口全図直立一千四百十七丈
【俯瞰図左上】
【本文】
冨士山(ふじのやま)は千早振(ちはやふる)神(かみ)の御代(みよ)より出立(いてたつ)る
山(やま)にて其状(そのさま)は四面(よも)共(みな)同(おな)しく白扇(あふぎ)
を倒(さかしま)に懸(かけ)たるがごとく甚(□□)もくすしく
妙(たえ)なる山(やま)に□□ける加之(しかの)山巓(やまいたゞき)に鎮座(しつまりま)
す大神(おほかみ)は天津(あまつ)日高日子(ひたかひこ)番能(ほの)迩々芸(にゝぎ)
能(の)
命(みこと)の大后(おほきさき)に坐(ま)す木花之(このはなの)佐久夜(さくや)毘(び)
売(め)命(みこと)に坐(ま)す也(なり)斯(かく)て□(この)大神(おほかみ)の
事跡(ことのあと)を
尋(たつ)ぬるに天神(ひこぢ)に仕(みつか)へたまふ事(こと)どもを
始(ハじめ)奉(まつ)る万(よろづ)の事(こと)皆(みな)婦人(をみな)の鏡(かゞみ)となる
へき事(こと)どもにて其(その)御伊豆(みいづ)も古(いにし)へより
いと□然(□□□□)かるれバ上宮大子(うへのみやのみこ)を始(はしめ)奉(まつ)
り代々(よゝ)に参来(まひくる)人々(ひと〳〵)のいや益(ま)し□ま
して今(いま)の世(よ)と成(なり)□てハ一年(ひとゝせ)に幾千万(いくちよろづ)
の多(おほき)に昇(のぼ)り神(かみ)御稜威(みいづ)もいや栄(さかえ)に
さかえいや広(ひろ)□ひけ□□□□ゆかむこれ
の大御世(おほみよ)にそのみかげかゞふる蒼生(あをひと)の誰(たれ)かハ
畏(かしこ)く□む□く仰(あふ)がざらめや己(おの)れ□に
(ところ)るきあと)の
名称(な)などに明(あきら)かなるを□□天放遠(あまぞらとほ)き旅(たび)
路(ぢ)をいとひもやらで来(まひ)くるを可惜(あたら)
厳重(□□□□)なる処(ところ)をだに空(むな)しく□□(てすぐ)しゆの
る人(ひと)の□(にく)からねバいと〳〵憂(うれ)たく哀(かな)し
くてかゝる人々(ひと〳〵)の□便(たより)にもとなれの壱(ひと)
葉(ひら)の手引(てびき)をバものしたるになん
【タイトル】
冨士山頂上八峯内院
并諸国遠見図
【俯瞰図上部に本文】
冨士山は駿河国に在り其峯雲際に聳
え高サ一万四千百七十尺其ノ形四面皆同じく
山巓四時雪を頂き十三州よりこれを
望む皇国第一の高山なり其の登岳
の路次四所あり表面を大宮村山口と
云ひ南面を須山口と云ひ東面を須
走口と云ひ北面を吉田口と云ふ抑
山頂に鎮座せらるゝ大神を木花
之佐久夜毘売命と称し大山津見
神の御女也此の大神は容貌の麗
美なるのみならず其の神徳亦艶
美なるを以てサクヤの《割書:サクヤは|開(サキ)光(ハ)映(ヤ)也》神号
あるなり嘗て天皇迩々杵命遊幸
して笠沙(カサヽノ)御崎(みさき)に至り大神に行き逢
ひ玉ひ其鮮妍なるを喜び将に娶ら
んとなし玉ふに大神輙ち諾せずして曰
く父あり宜く垂問すべしと天皇即ち
使を大山津見神に遣し固く娶らんと
乞ひ玉ひ立て皇后と為す後大神娠め
るあつて産月に臨み天皇宜く汝娠める
子吾ガ子に非ず必ず国ツ神の子ならん
と大神聞且ツ怨み無戸室を造り其
内に入り玉ひ誓て曰く吾ガ娠む所若
し天孫《割書:迩々杵命|を称す》の胤に非ざれは当に焦
滅すべし実に天孫の胤なれば火も損害
する能はじと則火を放ち室を焼くに果
して損害あらず烟煙中ニ皇子を生み玉
ふこれ則天神の安産火難を守護防
禦し給ふの原因とする所なり夫れ皇
別の諸姓は皆大神の末流にして其ノ
子孫は則大神の遠孫也 嗟夫(アヽ)諸国の
人民歳々相増し年々相加し陸続参拝
する所以のものは其の余沢の万分の一
を謝せんと欲する所乎余嘗て聞く群
参中道路旧跡に鮮明ならず山頂に彷
徨するもの往々これあると甚遺憾
にたえず為に聊か知る所を図し以て
登岳の階梯に備ふとしか云
明治十年六月二十日版権免許
【俯瞰図内上部右枠内】
駿州龍爪山 申二ト
甲州身延山 酉五ト
信州訪諏湖 戌五ト
飛州乗鞍山 酉九ト
【俯瞰図内上部中央枠内】
豆州三宅島 午五ト
駿州三穂岬 同八ト
勢州二見浦 未二ト
遠州今ノ切 同三ト
同 秋葉山 申五ト
【俯瞰図内上部左】
静岡県平民
著者土屋勝太郎
駿河国冨士郡第二大区
二小区厚原村二番地住
静岡県平民
出版人冨士神一郎
駿河国冨士郡第二大区
四小区大宮町九十六番地住
【俯瞰図内中部右枠内】
信州八ッヵ嶽 寅二ト
同 浅間山 同八ト
上野山三国嶺 子七ト
野州日光山 同九ト
武州高尾山 丑六ト
【俯瞰図内中部左枠内】
相州 大山 寅七ト
同 江島 卯四ト
駿州 沼津 巳二ト
豆州 大島 同
同 天城山 同
【タイトル】
伊香保温泉名所一覧
【俯瞰図のみ本文なし】
【中央の書き入れ】
行 伊豆熟海之湯 勧進元 上州沢渡之湯
諸国温泉一覧 紀伊熊野本宮之湯 紀伊熊野新宮之湯
司 津軽大鰐之湯 差添 上州川原湯之湯
【本文上段右側】
東之方
【本文上段左側】
西之方
【右側一段目】
大関《割書:東京より |四十八リ》 上州草津湯
《割書:万病ニ吉》
関脇《割書:三十八リ |諸病ニ吉》 野州那須之湯
小結《割書:百五十五リ|中風ニヨシ》 秋田小鹿嶋湯
前頭《割書:三十七リ |フ人ニ吉》 上州伊香保湯
前頭《割書:二十二リ |ソフドクニヨシ》豆州湯川原湯
前頭《割書:六十八リ |ソフドクニ吉 》相州足之湯
前頭《割書:七十三リ |フ人ニ吉》 奥州嶽之湯
前頭《割書:九十七リ |諸病ニ吉》 最上高湯ノ泉
前頭《割書:九十四リ |ヒゼンニ吉》 仙台成子ノ湯
前頭《割書:四十八リ |諸病ニ吉》 信州諏訪ノ湯
【右側二段目】
同 《割書:百九十リ |ソウトク》 津軽嶽之湯
同 《割書:二十二リ |諸病吉》 相州湯元之湯
同 《割書:二十四リ |ガンべウ》 豆州小名之湯
同 《割書:五十五リ |センキ 》 信州渋之湯
同 《割書:六十六リ |ウチミ》 会津大仁寺之湯
同 《割書:百七十リ |万ベウ》 越後松ノ山之湯
同 《割書:百二十リ |カツケ》 南部恐山之湯
同 《割書:五十五リ |諸ヘウ 》 庄内田川之湯
同 《割書:八十リヨ |ソウトク 》 岩城湯元之湯
同 《割書:六十リヨ |諸ヘウ 》 米沢赤湯之湯
同 《割書:三十九リ |万ヘウ 》 下野中禅寺ノ湯
【右側三段目】
同 《割書:百七十五リ|諸ヘウ 》 秋田大滝ノ湯
同 《割書:六十九リ |ヒゼン》 奥州飯坂ノ湯
同 《割書:百六十リ |万ヘウ 》 南部鹿角ノ湯
同 《割書:二十二リ |ガンヘウ 》 相州姥子ノ湯
同 《割書:二十四リ |センキ 》 豆州修善寺湯
同 《割書:九十九リ |諸ヘウ 》 仙台川度ノ湯
同 《割書:百廿三リ |万ヘウ 》 庄内温海ノ湯
同 《割書:百九十リ |ツカヒニ吉》 津軽温湯之湯
同 《割書:六十五リ |センキ 》 米沢湯沢ノ湯
同 《割書:二十四リ |ヅヽウ》 豆州権現ノ湯
同 《割書:六十リ |万ヘウ 》 会津熱塩ノ湯
同 《割書:二十二リ |センキ 》 相州貴賀之湯
【右側四段目】
同 《割書:三十二リ |フ人ニ吉》 野州塩原之湯
同 《割書:百廿三リ |センキ 》 庄内湯浜ノ湯
同 《割書:百九十リ |諸ヘウ 》 津軽板留ノ湯
同 《割書:四十八リ |同》 信州別所ノ湯
同 《割書:六十八リ |ソウトク》 越後関ノ山ノ湯
同 《割書:百三十一リ|中フウ》 南部台ノ湯
同 《割書:七十五リ |諸ヘウ 》 伊達湯之村湯
同 《割書:百リヨ |ウチミ》 最上銀山ノ湯
同 《割書:九十三リ |ヒゼン》 仙台釜崎ノ湯
同 《割書:六十九リ |ツカヒニ吉》 会津滝之湯
同 《割書:二十八リ |ソフトク》 米沢谷沢ノ湯
同 《割書:百六十二リ|ヅヽウ》 南部麻水ノ湯
同 《割書:六十七リ |万ヘウ 》 信州野沢ノ湯
【左側一段目】
大関《割書:百四十リ |諸病ニ吉》 摂州有馬湯
関脇《割書:百四十リ |万病ニ吉 》 但州城之崎ノ湯
小結《割書:二百十九リ|ニユモウニ吉 》 予州道後湯
前頭《割書:百二十リ |ソウドクニ吉 》 加州山中之湯
前頭《割書:三百四リ |ヒセンニヨシ 》 肥後阿蘇ノ湯
前頭《割書:二百七十リ|ソウドクニ吉 》 豊後浜脇ノ湯
前頭《割書:三百二リ |万病ニ吉》 肥前温泉ノ湯
前頭《割書:四百四十リ|万ベウニ吉》 薩州露嶋湯
前頭《割書:二百七十リ|ガンベウニ吉 》 豊後別府湯
前頭《割書:二百七十リ|万病ニ吉》 肥後山家ノ湯
【左側二段目】
同 《割書:百リ |万べう》 濃州下良ノ湯
同 《割書:三十九リ |万べう》 上州四方之湯
同 《割書:百七十六リ|うちみ》 能州底倉之湯
同 《割書:百八十リ |万べう》 備中長府之湯
同 《割書:四百リ |万べう》 薩州硫黄之湯
同 《割書:百五十リ |万びやう》 紀州田辺之湯
同 《割書:百五十リ |フ人ニ吉》 但州湯川原ノ湯
同 《割書:二百十リ |ヒセン》 芸州川治之湯
同 《割書:百五十リ |ソフドク》 紀州大世知ノ湯
同 《割書:百二十四リ|万病吉》 加州白山之湯
同 《割書:二百廿リ |ヒセンニ吉》 伯州徒見之湯
【左側三段目】
同 《割書:四百廿リ |ガンヘウ 》 薩州桜嶋ノ湯
同 《割書:三百リ |フ人ニ吉》 肥州竹尾ノ湯
同 《割書:百五十リ |センキ 》 石州河村之湯
同 《割書:三百六十リ|ヒゼンニ吉》 防州山口之湯
同 《割書:三百リ |ガンヘウ 》 肥前添之湯
同 《割書:百五リ |ソウトク》 越中足倉ノ湯
同 《割書:九十リ |ヅヽウ》 越後塩沢ノ湯
同 《割書:二十二リ |諸ヘウ 》 相州塔ノ沢ノ湯
同 《割書:百七十リ |ウチミ 》 秋田小安ノ湯
同 《割書:四百二十五リ |リンヘウ 》薩州関外ノ湯
同 《割書:二十一リ |リンヘウ 》 相州宮下ノ湯
同 《割書:百七十一リ|諸ヘウ 》 津軽矢立之湯
【左側四段目】
同 《割書:四十七リ |センキ 》 上州花敷ノ湯
同 《割書:二十二リ |ヅヽウ》 相州堂ヶ島ノ湯
同 《割書:百九十八リ|センキ 》 津軽浅出ノ湯
同 《割書:五十八リ |ヅヽウ》 仙台阿灸之湯
同 《割書:九十リ |ソウトク 》 越後出湯ノ泉
同 《割書:九十一リ |ウチミ》 最上上之山ノ湯
同 《割書:五十五リ |ソウトク 》 信州浅間ノ湯
同 《割書:二十二リ |ヒセン》 相州底倉ノ湯
同 《割書:四十一リ |中風》 上州老神ノ湯
同 《割書:九十七リ |ソフトク》 越後田上ノ湯
同 《割書:百七十五リ|諸ヘウ 》 津軽倉立ノ湯
同 《割書:百七十一リ|ソフトク》 能州足ノ湯
同 《割書:四十七リ |ソフトク》 上州応徳ノ湯
同 《割書:五十六リ |ヤケド》 信州山田ノ湯
【タイトル】
野州二荒山温泉図
【俯瞰図左上】
保 湯
河原湯 大熱
純子湯 中熱
中 湯 大熱
滝 湯 冷
姥 湯 熱
御所湯 冷
笹 湯 中熱
自在湯 冷
荒 湯
右効能ハ温泉記有求て知るべし
【俯瞰図左下】
湯元ヨリ諸方道
白根山ヘ 二里
日光ヘ 六里
今市ヘ 八里
宇都宮ヘ 十五里
古峯□ヘ 六里
麻沼ヘ 十三里
栃本ヘ 十八里
小川ヘ 六里
佐野へ 廿三里
【俯瞰図左下角枠内】
板元
栃木県管轄第四大区五小区
当国那須郡矢又村
保志 健図
清見寺晩鐘
【一資料ずつ別項目になっている為、右上資料のみ翻刻。】
【参考に残りは 音見坂落雁。田子の浦帰帆。長原の夜雨。】
【タイトル】地震太平記
【上段】
鹿島大明神(かしまだいみやうしん)ちちうの鯰(なまづ)
どもを めしとらへ いかれる御こゑを ふりたてゝ
託せんして のたまはゝ「われ大やしろへほつそく
なし しばらく くうしやとなせし るすちう
かなめ石が ゆだんをみすまし 去る十月二日
夜四っどき 人のねいきを うかゞつて せじやうを
さはがせ ばんもつをそんずることきつくわいしごく
すでに先ねんも 上方すぢをはじめとして
しよこくを らんばうなし あまつさへ海ちうの
津なみ共を 手びきいたし よういならざる
そうどうを くはだて ぢう〳〵のふらち
すでにそのみぎり こと〴〵くかりつくすべきを
かくべつの じんしんをもつて そのまゝに見
のがしおきしを よきことにしておひ〳〵ぞうちやう
まことに こくかのばんちんたる大江戸を
さはがすこと ごんごだうだん ほねをぬき くしに
さして かばやきとなし 又はつゝぎりにきり
きざんで すつほんにとなすとも あき
たらぬふるまい もはや ゆるしがたし
かの白鳳のむかしより せじやうにあたなす
なまづ共 ひとり〳〵に はくじやういたせと
ねめつけゐへば あまたのなまづ ひげを
たれ ひれをふせ はいつくばつてゐたり
しが 年いとおいたる ぶちなまづ おそる〳〵
ぬたり出し「おそれながら申上ます
なかまどもゝ としよりはみな おひ〳〵に おち
うをと なりましたれば ふるいところはそんじ
ませねど 元禄十五年の大ぢしんは かくまうす
わたくしめでございます ヲゝそれよ思ひだすも
なみだのたね あかふのさむらひ 大石はじめ四十
七きのめん〳〵が しゆびよくかたきを うちおほせ
やれうれしやと思ふ まもなくみな一どうに
せつふくときいて おどろきとびあがるひやうしに
大地へあたまを ぶつけこうくわい ひげをかむ
ともせんなし 又宝ゑいの四っの年 上方すぢを
さはがせましたは すなはち あれなるばゝァめと
きいて女のふるなまづ「ハイ〳〵わたくしはどうも
ねつししやうで おはもじながら せんじゆくわんのん
さまがたかつてなりませんから ひれでぼり〳〵かきどうに
いちがふやつた いきほひに ひぢのさきが ちよいと
さはつて おきのどくさまなせとものやさんなんぞに
大そう ごそんを かけましたそうでございますと
いふとき 又もうしろからまかりいでたる
ひやくしやうなまづ「わしらァ
ハァ文化元年に出羽の
くにサアゆたぶり申たもので
ござりまうす あにも
ハァこのせかいさァ たい
していしゆいこんのう さし
はさんだちうこんでは
おざりましないが
おぢよろなまづめが
あにハァ ねらくらと
いやらしいみぶりのゥしまへ
すので はねつけてやります
べゑ と思つたのが一生のあや
まりねかうげへなことを しでかし
まうした わるくはおもはつ しやれ
ますなと いふうしろより又ひとり
同九年に くわんとうをといふをかきのけ
文政の十一年に 越ごのに三でうたかたいづもざき
しばた五万石はあらそとまゝよと 大あらしに
あらましたは わかげのいたり まつひらと つくばる
かたへに ゐるなまづ「ハイ わつちやァ 天保元年
京とをゆたぶりやした のらなまでごぜへやす
そりやァ はゞかりな申ぶんモシ おめへさんのめへで
ごぜへすけれど なんのかんのつたつて わけへごぜへ
せん そういつちやァごてへさうをまたあげるやうで
おかしくごぜやせんが ながやのなまづのとむれへに
いきやして かはなみのもゝひきをへゑて ぶつつはつて
ゐやしたので あんよがひゞてきが きれてきやしたから
こってへられなくなつて びっぽういすりをはしめやした▲
【中段】
▲ところが 京とハらんちきさはぎ
わつちやァ まうしわけがねへから
すぐにひげをきつてばうず
になり かなめいしさんに
まうしわけをしやした
といふことばさへ をはら
ぬに にようばうめきたる
おしやべりが「アノ わちきやァ
弘化四年に 信しうの
ぜんくわうじさまを ぐら
つかせたなまづ くはづの
びんばうざかな せんたくの
のりさへかはれず じぶんの
からだの ねばりをとり
きものにつけるも けんやくと
はりとあんまで やう〳〵と そのひをおくる
そのなかに うちの をとこの あく
しやうな人を なまづもほとが
ある かばやきもちと いわれう
かと さかれるやうな このむねを
こらへてゐれば よそほかの
女と一つなべやきに だかれて
ころりと さんしよいり
うまにななかを 見
るにつけ わたしやこれ
まで すつぽんにと
だしぬかれたが くやし
さに ていしゆの むな
ぐら つかまへて ゆす
ぶつたのが 身の
あやまり おはら
もたとうが ことわざ
の かんにんしなのゝぜん
くわうじと にげ
こむあとから うちかけの こづま
とるても しどけなく おいらんなまづ
たちいでゝ「ぬしには おはつらで
ありんす わちきは嘉永六年
に さうしうの小田はらとやらを
ちつとことの かんしやくから ゆす
ぶりまうしいんしたが あとでおもへば
わるう おつした きいておくんなんし
そのわけはかうでありんす わちきの
きやくじんが 大くちの
ひげ山さんのとこへ▼▲
▼▲いかしつて
しよかい なじみも
ようおつすがマァ
はらがたつぢやァ
ありんせんかト いひつゝ たばこすひつけて
モシ 一ぷくおあんなしと かしまのかみへ だそうとするを
みるよりあとから これ〳〵としかれば「ヲホヽヽ
おやくにんさまで ありんした つけはから
しりおつすよウ引又ひきつゞいて●
【下段】
●いでくるものども「はい〳〵まうし上ます
わたくしら大ぜいは さくねん上方すぢを
おゝどろかせ申たもの せう〳〵こゝろうれ
しい ふじゆんのおてんきが ございましたゆへ
そのきよにじゆうじ ちやばんきやう
げんを とりたて これにおります わかい
ものがごん八 わたくしが長べゑのやく うしろに
ひかへました二人ぜいが くもすけ やはり うしろは
はこね八りは うまでもこすが の出でござい
ます せりふはすこし もぢりまして きじも
なかずは うたれめへにゑきないことを いたして
ござるなどゝ いふところを つぢのなまづは
くはれめへに ゑきないむだをいたして
ござるなどゝ かきかへましたが こゝのたてが
大さはぎになりまして くもすけ うみの
なかへぶちこむ ひゞきが あふれて まい
つて つなみとなり まことに おそれいりました
さて またこのたびの ぢしんどもも みなもつて
かみ〴〵さまの おるすをつけこむのかなめ石
とまうすわけでは ございません
みなもつて ほんのそのざの やりそこ
ない いらいはきつとつゝしんで びん
ばうゆすりも いたしません またこの
たび人さまに おなげきやごそん
まうをかけ すまないことのみでござい
ますから そのかはり これからは こゝかあん
のんごゝくじやうじゆうお金のたんと
まうかるやうに いのり上ますと 一どう
へいふくなしければ かしまのかみも せんかた
なく みなそれ〳〵より一札をとり そのうへ
ならず かなめ石のまもりを げんぢうに
まうしつけなへば もはや このうへきづかひなしと
おの〳〵あんどしたりけり
【左端 角印】東京大学図書印【?】
0011841848
【タイトル】
江戸名所道戯尽
両国
の
夕立
【画像のみ本文なし】
【コマ1の裏、東京大学図書館蔵書印、整理番号】
〇〇一一八四二〇八五
【右端欄外】
嘉永七年甲寅年十一月本しらべ
聞書
【枠内】
《割書:東海道|南海道》国々大地震大つなみ
志州鳥羽
十一月四日朝五ツ時ゟ大地震
にて所々崩同五日昼七ツ半時
より又々大地震と成候所へ
大津なみにて御家中六部
通り流レ町中も八部通崩或は流
二部通り残たる所は破損あり惣而
志摩一国無事成所一ケ所もなく
誠に〳〵日本一の大あれ也
死人凡一万余とも相わからず
失人数しれず ゆり 凡 弐尺
紀州
同四日同刻ゟ大地震の上大つなみ
にて川口流 死人 凡三百人余
黒江 日高 藤代辺は床ゟ汐
三尺斗り上り 死人凡百五十人
崩家凡三百軒あまり也
残りたる所皆々はそんあり
尤町内くづれ所々沢山成事
かず不知其外一々筆に尽がたし
大地しん
四日朝五ツ時 五日朝七ツ半時
同夜四ツ時 同八ツ時 六日五ツ時
同 四ツ時なり
ゆり 凡一尺五寸
勢州
同日同刻ゟ大地震にて松坂
津 白子 神戸 山田の辺
凡半崩破損の所かず不知
凡四五十人ヅヽ死人有よし
けが人多し
四日市
十一月【マヽ】朝五ツ時ゟ大地震となり
家数凡五十軒余り同五日ひる
七ツ時ゟ又々大地震となり大地割レ
土蔵八十ケ所死人凡二百人
けが人数不知其近在十二ケ村
半くづれ 死人少々
ゆり一尺五寸 けが人多し
桑名
同日同刻ゟ大地震の後大津浪
にて浜辺みな〳〵流れ大津辺まで
大さはぎ けが人多し
播州
十一月四日朝五ツ時ゟ大地しん
姫路御城下大はんくづれ残り
たる所はそん有死人凡百人余
けが人多し ゆり 凡 八寸
奥播州
加東郡 栗野へん大地しん
にて四部通り崩るはそんの家数不知
其外在々皆々大坂同様なり
泉州堺
十一月四日朝五ツ時大地震にて
処々崩れ同五日七ツ半時より
又々大地しん大つなみにて
新地 茶町 北島 米市場
所々大つなみにて大にそんし
大道すし所々崩ル破損数不知
死人凡六十人けか人多し
其近在十五ケ村所々崩大破損有り
死人すくなしけか人多しゆり凡六寸
崩たる橋の名爰に記
あづま橋 さかへはし 龍神橋
住吉橋 いさみ橋 相生ばし
新栄橋 新相生橋
みな〳〵おちる
但し是にもれたる国々は
大体大坂同様の事也
十一月四日朝より八日夜迄
八十度のゆりなり
早飛脚にて申来り候由
嘉永七寅年六月大地震并出火之次第
聞書本しらへ判書
山城・勢州大和三河近江越前
南都廿三日迄に八十五度のゆり
六月十四日夜八時よりゆり始明六時迄
少しふるい十五日朝五時ゟ大地震にて町家
一軒も無事なるは無し家内へ居る事
不成皆々野宿明地抔にて夜を明し
往来人壱人もなく目も当てられ
ぬ次第也
廿一日夜五時ゟ《地名:田利油坂町》西方寺
本堂くだけ高畑神主高塀不残
其外家数崩たる数しらす死人有之
死人三百五十人程
怪我人横死数しらず
勢州四日市
六月十四日夜四時ゆり始六つ時ゟ大地震
□【「と成」カ】家数五百軒余崩昼五時ゟ出火
にて家数四百軒余焼失
死人凡弐百四捨五人
知れざる人五百五六十人
伊賀上野
同十四日夜七時ゟ大地震荒きつく御城
大手御門大損し町在家々たおれ其外
出火にて焼失嶋ケ原と申所五十丁四方
螺のために泥海の如く相成人家損
たる家数しらす中々あわれなる事目
もあてられぬ次第也
和州古市
十ノ字落字歟本之侭【小字で訂正書き込み】
同五日同刻之大地震にて地割れ人家
多分崩れ死人六十七人怪我人数不知家
数三軒斗ゟ無之義に御座候
江州信楽
六月十三日大雨雷鳴事厳敷翌十四日
大地震にて町々人家●【一字消し】たおれ
家数
百三十軒斗大蔵倒十八九戸前怪我人
即死数しらず
同石部
同十四日同刻之地震ゆり出し所々
人家いたみ少々宛荒たる所あれ共
略之
水口土山庄野薬師
同十四日同刻の地震大ゆりにては無之
候得共両宿少し損する故此所に書出す
亀山
同十四日同刻のゆり出し西辺にて少く
家抔損し格別之大荒にて無之候
膳所御城下并石場
同十四日同刻大地震にて御城下
北の大手出火にて御菩提所焼失
致し候事其余御構高塀湖水
に落込大変の事也又石場舟乗場
大石燈籠湖水に倒れ横死の人も
あり余は右に准し破損所多し
和州郡山
六月十四日夜九つ時ゟ早【見せ消し】少々ゆり始
八時に大地震柳町壱丁目ゟ
同四丁目迄家数凡三十八軒崩
致し候事其余御構?高塀湖水
に落込大変の事也又石場舟乗場
大石燈籠湖水に倒れ横死の人も
あり余は右に准し破損所多し
和州郡山
六月十四日夜九つ時ゟ早【見せ消し】少々ゆり始
八時に大地震柳町壱丁目ゟ
同四丁目迄家数凡三十八軒崩【ここまで第2コマと重複】
同十八日廿一日六半にゆり返し八十
五度のゆり市中凡三歩通
家崩れ其外南都同様死人凡
百弐三十人余
越前福井
六月十三日昼五時ゟ出火にて
城下不残焼失其朝大風にて
九十九橋より弐百丁斗両本願寺
寺焼百ヶ所焼失近在凡十
ヶ所焼失夜四時に静まり申候
又十四日夜八時ゟ大地震にて
田地抔も泥海に成所々の人家
崩れ死人凡四五十人誠に
其混雑筆に尽し難し十六日
暮方迄に六十七八度ゆる
恐しき事なり
三河岡崎
同日同刻ゆり出しにて東の辺
にて少し人家いたみ度々ゆれ共
かるし
京大坂紀州丹波丹後尾州
美濃木曽海道筋并信州
江戸無難に御座候
〆
一大坂も十四日昼後ゟ少々宛ゆり
十五日夜八つ時頃ゟ大地震十六日
明六過迄大ゆりにて御殿三ノ間
天井落掛り土蔵所々引割候
由何れも家内に居られ不申御玄関
前に集り夜を明し候由其後
廿三日迄少し宛地震数不知由
女子供は殊の外あわて候故無拠
上荷船又三十石抔借乗せ置候由
一郡山御朱印四日市にて焼失
付添人不残焼死仲間壱人
存命とも言事
一宇和嶋家老四日市にて上下
不残焼死候由
藤堂和泉守様御領分伊賀伊勢
山城大和六月十三日午ノ刻頃ゟ余程
之地震毎々有之同十五日暁丑刻過
大地震に而御城内を始侍屋敷其外
町郷中共大半崩損潰家死失怪我
人等夥敷有之尤翌夕に至候得共未た
鳴動相止不申折々相震申候旨両国
御役人共ゟ不取敢申越候由伊賀山城大和
之義は別而厳敷火災水難等有之趣
御座候尚委細は追而御届可被成旨六月廿二日
御用番様へ御届被成候段六月廿三日江府に而
為御知に成
江戸六月廿六日仕廻七月廿二日達
一 江戸ゟ来状
藤堂様御国許古今大変成大地震右
に付侍壱騎早追にて梅林三五兵衛と申仁去る
廿三日着府に相成候由右に付
殿様も日々御出和泉守様も御願にて
両三日の内此表御籠駕にも相成可申との
事に御坐候右地震は江州大和美濃尾張勢州
右五ヶ国程の処中には近江は湖水辺強き
趣伊賀上野は別て御城抔不残崩れ候程
の御様子津の方は左程には無之候得共
棚に上け置候茶碗類皆下たに落みぢん
に相成候位上野の義は中々難尽筆紙
大変の趣藤堂様御家来御供先御挨拶に
出候仁の咄承知仕候
一 勢州亀山御城下も余程手強石川
主殿頭様当表明日御発駕に相成候由
風聞仕候中にも哀なるは伊勢四日市
宿右の地震最中に出火折節風烈
旁凡八百人程死失の由其内婦人
多き由前断早追の侍も不取敢出立
の事故四日市辺未た消火に不可成
内通行に付跡々何如成行候事哉
追て死失怪我人等委敷御取調御届
方に相成候との趣未曾有の大変
此事と奉恐怖【画数が「怖」より多いが】候
一去る十一日朝六つ前頃大筒にても放し候
音聞へ候に付物干抔に上り見候処四ッ谷
辺に当り大に明り相見其内所々
板木も打付火事の様子に見受候処又々
夥敷音致候て御長家抔もゆらめき候
様に覚へ其音雷の如く候得共何の事共
相分兼同日昼頃承候へは四ッ谷の先き
淀橋と申所新宿ゟ弐十丁御坐候由
其所に
公儀塩焔蔵御座候由爰にて塩焔
合薬場所の処水車真木ゟ火起り
六千斤程の塩焔に火移り候風聞に付
萱野七郎左衛門武衛【?】繁之丞見分被
仰付罷越候処誠に大変成様様子土蔵
建家其外小屋掛等は虚空に吹上車
の真木は拾間の脇の土蔵に半分程打込
居候由新宿辺弐拾丁も御坐候へ共雨戸
類障子抔吹放し候由死人怪我人
等相分不申大変成次第恐敷事と
咄承知仕候
【黒枠外】
嘉永七甲寅十一月四日五つ半時より
【黒枠内タイトル】
【横書】諸国 【縦書】大地震大津波(おゝじしんをゝつなみ)【横書】三編
【一段目左へ】
御公儀様難有
御仁誠に依て市中
の人々是を悦び寔に
有がたく思わぬもの
壱人もなし然るに
諸色米万端何に
不寄直段追々下直に
相成悦ぶ事限りなし
依之市中の人々第一
火の用心大切に相守り
万事の事心を懸物
事諸人に至る迄相慎
候事
大坂川口大津波の大略
安治川凡近辺死人凡
三百人よざこば近辺死人
凡弐百人ヨ寺嶋同死人凡
五百五十人よ堀江川近辺
同三百人余道頓堀木津川
近辺にて凡三百人よ其ほか
所々廿人三十人あるひは
十人五人と即死いたし候
事は世にはめづらしき事也
もつともけが人は其数し
れず即死の数凡弐千余
に聞へ候此人々一度に声
をあげなきわめき其
あわれさはなすにはなし
きれ申さず候
十一月五日くれ六つより夜
五つ時過までの事に御座候
【二段目】
伊勢山田并志州鳥羽
右同日大地震大あれ
にて人家大躰半分
はくずれ大いなる
こんざつなりその
あわれさ申にたへず
こゝに御気のとく成は
御□さまは年頭の
したくをいたされ
大坂表へのぼり此度
の大坂のつなみにて暦
など進物のたぐい難
船せし御方もあり
まことに〳〵前代未
聞の事也尤大神宮
御社并に末社社家の
家々地震がために少々
いたみ候處数多く
▲志州鳥羽辺は同日に
大地震一通りならず
大ゆりにて人家くずれ候
事は大躰其因は半ぶん
はかりくづれ候所へ大
つ浪打来り御家中
町家とも大半ながれ
人々の難義致し候はあわれ
なり其大変文面の
しらせのうつし是にしるす
尾州路《割書:書しるす事数|多有とも略す》
同日同刻大地震にて
町家損じたる事その
数をしれず寺院名古や
御城下御家中は申に不及
大地震にて大崩れ言語に
のべがたくまことに〳〵
あわれなる次第なり
【三段目】
伊勢四日市《割書:十一月四日|辰ノ半刻より》
大地震ゆりはしめ其
おそをしさ弁述に
のべがたくもつとも
家かず三十けん斗り
ゆりくづれ男女
子どもにいたる迄その
混雑おそろし事成に同日
申ノ刻に迄に又ゆり大地われ
益々強くゆり人々其中へ
落込候事は其数しれず
又同日いせ津へん同様なり
尤家かず二十四五けんも
くづれそんじたるは
其数しれず外に白子
かんべ松坂桑名へん
だいじしんなれども
少々のいたみ
【右上印鑑】東京大学図書館之印
【文書番号】0011841632
[画面右上]富士山頂図
□橋光一
[画面右下]日本六十余州
回国
鈴木金兵衛
[画面左上]
鰶か池より
下に□□
の峰
人□□ついて
□もとると
不二の山
古帳庵
買翁
【タイトル】
冨士山北口全図
鎮火大祭 旧暦七月廿一日
【左右二図構成】
【本文なし】
【左図右下角枠内】
東京市下谷区二長町十五番地
《割書:編輯図画兼|印刷発行者》 村上奉一
明治三十年七月十四日版権免許
同 年七月九日 印刷
同 年七月十二日発行
【タイトル】
冨士山(ふじさん)諸人(しよにん)参詣(さんけい)之(の)図(ず)
【左右二図構成】
【本文なし】
【タイトル・本文なし】
【左右二図構成、右図はコマ一の左図に同じ】
【タイトル】
冨士山神宮麓八海北口正面畧絵図
【俯瞰図上部】
夫三国第一冨士山万国無双霊山
諸神仙元境タリ故称冨士仙元大神
祭神三坐
天津彦々火瓊々杵尊
大屋万津美命
木花開耶姫命
加祭小御嶽社
岩長姫命
素戔鳴命
神記曰皇御孫命天降先
娶大山祇命之女開耶姫命
三子生狭名田稲ヲ以天甜
酒醸乳味通シ王ノ安産ヲ守リ
又ハ尋疑坐繊維王是婦人
一道守護也□ニ人皇五代迄
雲霧被囲世上奉ル_レ拝事
不得同六代孝安天皇九十
二年庚申□漸雲霧晴
万国貴賎奉拝之同十二代
景行天皇五十二年皇子
日本武尊東夷御狩ノ時
冨士山北口
迄殿行被_レ為_レ進
勅命此山南景ニ出現ノ山也
然広キ子方ヨリ世人可為拝
仮ニ大鳥居建立三国第一山ト
勅額奉掛右畧焉也
【俯瞰図左端中部】
当社大鳥居高サ五丈八尺五寸
大サ差渡一丈五寸唯本木也
御額大サ竪九尺横六尺楠板二
品親王之御筆則三国第一山
止有手水石一丈五寸一間一尺
竪四尺七寸一石手水屋之柱
石也石橋一丈二尺一丈六尺又
石以二枚為浮橋本道石灯篭
凡百五十対余右畧焉也
【掛け看板】
《割書:打身|骨抜》即席御りやう治《割書:火出し仕候| 外家医前銭》
【暖簾】
瓢磐亭
【置き行灯】
江戸前 鯰大家破焼
なまづ 大かばやき
御披露(ごひらう)
一御町中様 万歳楽々(まんざいらく〳〵)御軒別(ごけんべつ)にゆらせられ仰天(ぎょうてん)
地獄(ぢごく)に奉存候しづまつて《割書:私義》 先達中(さきだつてぢう) 江戸前(えどまへ)
鯰大家破焼(なまつおほかばやき)自身(じしん)大道(だいだう)ざき仕候所ゆり出し焼失(しやうしつ)より
家蔵身代迄(いへくらしんだいまで)御ゆりあげ動揺向(どうようむき)被仰付候段 大変時(たいへんじ)こく
古今(ここん)に有(あり)がたく奉損(そんじたてまつり)候 猶又(なほまた) 今磐(こんばん)御 愁(うれ)ひの為(ため) 市中(しちう)なんぎめし
此末(このすへ)どうせう汁(じる) 打身骨抜即席(うちみほねぬきそくせき)御りやうぢ取合(とりあはせ)格別(かくべつ)
風儀(ふうぎ) 宜(よろし)く世直(よなほ)し仕差上可申候間 民(たみ)の竈(かまど)の御賑々(にぎ〳〵)しく
御威光(ごいくわう) 駕(が)之程 一偏(ひとへ)に奉願上候以上
【掛け看板】
市ちうなんきめし 《割書:御枚御一人前|五合宛》
此末どうせう汁 《割書:ことし一ぱい|難渋見聞》
卯十月二日夜ゟゆり出し 神座鹿島町
見勢【みせ】ひらき焼失
麁かゆ差上申候 かな目屋石蔵
【コマ⒈の裏側 蔵書印】
東京大学図書之印
【手書きの整理番号】
0011841673
(画面の帯の右)
一勇斎國芳 芝噌銀
信州大地震
一 善光寺開帳ニ付諸方ゟ参詣
人群集ニ而誠ニ賑々敷事ニ御座候
然ル処去ル三月廿四日夜亥上刻
ゟ大地震ニ而人家をゆり倒
諸方ゟ出火ニ相成候故旅人ハ
途方失ひ逃狂ひ押打れ
或ハ焼死男女之鳴聲哀成事ニ
御座候尤御本堂護摩堂幷二王門
大歓寺ハ無別条其余一圓焼失
仕同廿六日辰刻火鎮申候稲荷山
町七部通焼佐井川鏡山川中へ
山崩れ込大川をとめ切干川ニ
相成丹波島渡シ歩行ニテ通行仕
其余所々切れ込水押上ケ村々
人家野山大海と相成通行
当時無御座候尤松代御城内
御矢倉押崩れ石垣等所々
破損之由ニ御座候上田御領分所々
出水之由ニ御座候
右の通り従木曽道中筋申
参り候ニ付此段奉申上候 已上
大坂御道守
四月八日 喜兵衛
《蔵書印:東京大学図書之印》
《割書:明治廿四年|十月廿八日》大地震後図
明治廿四年十月廿八日
午前六時すきの地震
はわけてぎふ名古屋大垣
地方はけしくしんどう
おひたゝしく山くづれ家
屋ことごとくつぶれ死人
何万人なるかかつしれ
づおやにわかれおつと
にわかれわつか二三才の小
児一人のこる死したる
骸?にとりすがりなき
さけびたるありさまは目
も当られぬふびんなり
さつそく所々へきう
助おもうけけがにんは
お手あてなしたり
じつに古今まれなる
大地震といふへし
豊原国輝画
明治廿四年十一月
深川区常盤町一
十一ハン
《割書:印刷兼|発行》石井
亀井六郎
中村寿三郎
源義経
尾上菊五郎
明治廿三年五月■日印刷出版
日本橋区通三丁目十三番地
《割書:印刷兼|発行者》 小林鉄次郎
彫藤刀
応需 香朝楼筆
蔦模様血染御朱印
細川ノ大主
市川権十郎
長岡帯刀
中村清三郎
奥方てり葉
若井松之助
こし元タ栄
市川鯉之助
香朝楼国貞筆
大津ぶれ
ふし
乁 たいそふ
おしつぶれ
火事で気
たいがいゆりくずし
仮たくおやまハ無事の花
わらわらんじは高(たか)くなり
土蔵の鉢(はち)まき皆(みな)ふるひ
ぎやうてんし
土をばたかくつみあげて
あら木の板(いた)も直売してか金もうけ
職人手間をバおさへ取り
役者の(やくしゃ)のこんきう旅を売(うり)
お手持ほどこし跡よからふ
(一頁裏面で資料番号のみ、翻刻なし)
大津ぶれ
ぶし
乁 たいそふ
おしつぶれ
火事出来
たいがいゆりくずし
仮たくおやまハ無事の花
わらんじハ高(たか)くなり
土蔵の鉢(はち)まき皆(みな)ふるひ
ぎやうてんし
土をばたかくつみあげて
あら木の板(いた)も直売して金もうけ
職人手間をバおさへ取リ
|役者(やくしゃ)のこんきう旅(たび)を売(う)り
かね持ほどこし跡(あと)よからふ
築波根 山平
橋本や白糸
【印・丙辰改】
泉州堺津波之絵図
嘉永七寅十一月五日酉ノ上刻
ゟ大地震中に津波来て市中
殊の外驚き兵庫沖ゟ風吹き
来て一面のとろ水に成大船
小船に至迄一時に川中へ入込橋々
悉 突落怪我人死人夥敷 橋落
何れも水入白海の如し誠に前代 死人
未聞の騒動大方ならず 凡五十七人
其荒増を知す
【挿絵内の文字】
戎しま
コクセンハ 新ばし
戎ばし
チトセバシ
アズマバシ
旭バシ シ 勇ばし
リウ神小ばし ン 栄ばし
ミカゲばし チ リウジンばし
住吉ばし
シンサカエバシ
相生ばし
魚市場
相生小はし
《蔵書印:東京大学図書之印》
田子の浦帰帆
【一資料ずつ別項目になっている為、左上資料のみ翻刻。】
【参考に残りは 清見寺晩鐘。音見坂落雁。長原の夜雨。】
地主 たいこ□
建具屋
家根屋
大久
左官
大吉利市
材木屋
仕立屋 小ま物や
肥 (山の絵) 廣福 (旗) 杵き □□
禅寺 マ クん
前 役所
国 (峡谷の図)イナリ 公立病院 天神山
杵
嶋
雄 袖武天皇
柄(ルビで ツカ) イナリ
崎(ルビで ザキ)
駅
温
泉 八十八ヶ所
之 (旗)温泉 (看板)蓬莱家
真
景
(山の絵) ケーサツ
蓬莱山
ユノヤクシ
ヨドヒメ社
天神
眉・印
紅風緑雨酒旗斜
蝶舞鶯鳴幾百
家無限蓬莱仙
境景梅花観看了
又桜花
戊子春日客于武陵
底温泉同盟者之需
写此小景図
種竹園主人
屏山樵者利景併題
屏山・之印 印 御舟山
(旗)学校
【欄外右側】
嘉永七年寅ノ年
【表題】
山城 大和 河内 和泉
摂津 伊賀 伊勢 尾張 大地震早引方角附
近江 美濃 三河 播州
丹波 淡路 阿波 越前
【本文はじめ】
寅ノ年六月中旬より諸方国〻大じしん
尾州宮の宿熱田太神宮古来ゟ地しんゆる事
今におゐて無之此度六月十三日神の御つけニ而相分り
近辺町家不残昼夜かゞり火をたきして夜をあかし十四日
夜八ツ時ゟの大地しん皆〳〵かねてのこゝろへ
ふしぎなるかな太神宮境内
地震少しもゆらず誠ニ有がたき
事近国近在
参詣人がありが道引
するが如く引も
きらず神徳の有
かたき御事也
【「福井」の上側の書き入れ】
福井出火
の噺六月十三日
朝五ツ時ゟ境町
辺ゟ出火いたし
等をし風
はけしく東西
南北二百五十丁
斗焼失寺ゐん
百ヶ寺両本願寺
とも焼失その後
四ツ時ニ火しつまり
申又其夜九ツ時ニ大
しじんゆりやけのこり
家くづれ田地地ハれ水吹出し
どろ海と成近辺所〻家崩レ
死人七十五人
其こんさつ
筆ニつくし
かたし
けが人弐百五十人
余りとの
人のうわさ
【「府中」の左下の書き入れ】
此間
十二宿
あり
二十一リ半
ト九丁
【「四日市」の上側の書き入れ】
伊勢四日市六月十四日夜四ツ時ゟゆり始め
明六ツ時の大地しん也間の宿富田ゟ四日市打こし
追分迄両かわとものこらず家くづれ南入口ゟ
北三丁半斗り残り家四百七十軒焼失火入土蔵
三ヶ所死人凢七百五十六人けが人弐千五百人余
十五日ゟ十九日迄往来とまる又廿日夜雷鳴出シ
大小共度〻鳴四日市近辺へ十ヶ所をちる
明廿一日九ツ時まへニ鳴やむ雷
かミなりニ付死人三人斗り有
【琵琶湖の上側の書き入れ】
江州
信楽辺
此近辺
家数
二百軒斗
凡土蔵
廿七ヶ所くづれ
死人
七十人
尤
けが人
多し
【琵琶湖の左側の書き入れ】
江州大津近辺□□船はん所に□水たをれ込のかれ石とうろう
同くへ込横死三人有之余りハ大ニ推ししるべし
【「艸つ」の右側の書き入れ】
中仙道
京ゟ江戸迄
百四十一り十三丁
【「小濱」と「松尾寺」の間の書き入れ】
此間三宿有
六り半五丁
【「上のだいご」の左側の枠内】
本堂大ししんニ而
大はそんニ而堂が□
宿坊六部どふり
少〻崩れそんじ有
【「京」の左側の枠内】
近へん東山
へん少〻そんじ
宮寺少〻
損じし所
も有別ニ
大あれニハ
無御坐候
【「松尾寺」の左側の枠内】
此近辺さいしよゟ少しも
じしんゆらず誠ニか
おだやかなるとの人〻
のうわさよろこび
のしだいなり
【「亀山」の左側の枠内】
十四日くれ方ゟ近辺山うなり出し
其夜九ツ時大しんゆり始人家
少〻くづれ損し有焼はげしき
人〻のはなしゟおそろしき者也
【「さゝ山」の下側の枠外】
近邊山〻ゟ
黒雲まい
さかり十四日
夜九ツ時ごろ
大雨ふり
大じしんなり
【本文左はじの書き入れ】
嘉永七年寅の年六月中旬ゟ十六ヶ国の大地しん誠ニをそろし
き事古来ゟ今ニいたりて誠ニ稀なる諸方のふしぎくわしきことの早引
一枚ずりニ而後のはなしのたねニ書しるす六月十三日九ツ時又八ツ時じしん少〻ゆり
十四日夜九ツ時ごろゟ諸方国〻少〻不同あれども誠ニ大じしんゆり
始め大和近辺ハ凡三時ばかりゆりつゞけにて少〻もやまず地凡
弐尺ばかりヅヽ上りさがりたび〳〵の大あれ又家ミな〳〵くづれ又した
じきになりまことにあわれなり人氣ミな〳〵むこう見へず目まひの
如く誠ニあわれなるしだいなり国〻方角にてくわしき事早
飛脚まわりにてきゝをよぶところ遠方へしらせのためあらまし
書しるすなり
【「岡崎」の下の枠内】
御しろ少々損じ
町家百けん斗り
くづれ死人五十人
ばかり
但し矢矧ノはし少々
そんじしはらく
往来たゆる
【「内宮」の上の枠内】
山田近辺町家少々そんし
けか人も少々有古市
あいの山あちこち少々
くづれ死人少々あり
けが人多し宮内すし
いつもになき大水也
【「上野」の下の枠内】
上の八部通人家崩れ残り家は
人住居できずみな〳〵
野はたけ廣キところへ
かり家をたてけがしながら
残り人〻住居するなり
死人凢千六十人行方
しれさる人二百八十六人
【「なら」の下の枠内】
町家六部通くづれ
死人三百三十人けが
人凢三百五十人斗り
春日大明神三笠
山毎夜〳〵少〻ツヽ
うなり人皆〻
後のあんじの
おもひをなす
【「なら」の右側の書き入れ】
此近辺
合ノ宿
大そんし
家くづれ
死人かず
御改め
二百四十二人
【「なら」の左上の書き入れ】
此邊一ツ家
むら家四軒
くつれ
死人
一人有
【「かさぎ山」の右側の書き入れ】
木づ十四日夜八ツ時大地しんニてかさき山ゟ
大岩等吹出し遠近圖の如大水ニなり家
七部通る
くづれ
しハらく
大海の
ごとし
人にげ行
所無之
夜中なれハ
あハれなる
しだい也
【「伏見」の左側の書き入れ】
ふしミ
竹田道
茶や
四五けん崩れ
けが人少〻有
【「伊丹」の左側の書き入れ】
此近辺も少〻
そんじ有
【「のざき」の左の枠内】
観世音大
じしんニて
ほかは少〻そんし
あれとも
少しの事
【「柳本」の左の枠内】
柳本十四日夜九ツ時
大じしんニて入江ゟ茶屋中
程迄凢八軒斗くづれ
あちこち少々そんし死人
少〻けか人多し
【「郡山」の下の枠内】
柳町通二百五十
軒くづれ岡町
きくやとや宿ニて
泊り人廿五人死す
門外五十宛やニて四十三人
死ス御改死人数三百五十人余
土蔵百八十ヶ所寺院四ヶ寺損ス
【「郡山」の下枠の右側の書き込み】
郡山二百五十軒くずれ
【「郡山」の上側の書き込み】
とうげ
ししん
ゆり
ゆら
かし
ぬるし
家
二十
けん
崩れ
【「大坂」の左の枠内】
大坂京町あち
こちそんじ両御所ニ
少〻そんじ神社
境内皆〻石
とうろうくづれ
此外近在少〻ふしぎ有
【「さかい」の下の枠内】
さかい町家あちこち損
東辺末町三軒くづれ
家した敷ニなり五人
死スけか人少しあり
安立町おゝそんじ
けか人少し有
【「貝づか」の左の枠内】
貝つか近邊やハり十四日
よりじしん少〻ヅヽ度〻
ゆりこれ大和近へんの少〻
ツヽのひゞき也町家皆〻
別条無之と人〻の咄し
【「若山」の左の枠内】
御城下十四日夜
ししん少〻ゆり又
十五日少〻ゆり夫
ゟ少〻ツヽ度〻ゆる
町家無事ニて
別条無之
【「徳島」の下の枠内】
十四日夜八ツ時ニ大し
しんゆり始人〻おと
ろきをなす町家
壱軒も別条なく
人〻あんとうのお
もひを書するす
【「六けん」の右側】
此辺
少々ツヽの
そんじ有り
けが人
多し
【「古市」の下】
古市大ぢしん
にて町家一けんも
不残崩れ大水出
御やしきを始町家皆
流る御家中凡三部
通りのこる誠にまれ
なる大地しんなり
死人凡弐百三十七人
けが人かずしれず
【「はせ」の左の枠内】
此たび大じしん
近辺の村〻の
□□□□観世
音下町ゟ入口
宿や少〻そんし
有之
【別紙】
嘉永七寅六月十四日
大地震ニ付て
此度大阪の万民近国に大|変(へん)
ありしかども無(ふ)難(なん)に有し事の
うれしさのあまりにて
天下|泰(たい)平(へい)五(ご)穀(こく)成(じやう)就(じゆ)家(か)業(ぎやう)長久を
よろこび日夜異(ゐ)形(ぎやう)のふうていにて
諸(しよ)社(しや)え参(さん)詣(けい)する事引もきらず
こゝにふしぎの珍(ちん)事(じ)あり摂州
西成郡|御(ミ)影(かげ)近邊(ほとり)山|崩(くづ)れ
岩(いわ)の間より㚑(れい)水(すい)わきいだし
去(きよ)年(ねん)の日でりニこりたる百姓
田(でん)畑(ばた)此水ニ而大イニうるをし
みな〳〵貴(き)異(ゐ)のおもひ
なし此(この)後(のち)豊(ほう)年(ねん)の
吉(きち)瑞(ずい)とぞ万歳を
うたひける
【表題】鹿嶋神託所(かしましんたくしょ)より鯰共一統(なまずどもいっとふ)江申 渡(わた)しの事(こと)
鯰共の義は古来(こらい)より申 渡(わた)し置(おく)通(とう)り九は病(やま)ひ五七が
雨(あめ)に四ツ日でり六つ八つならば風としるべしとの御詠歌(ごえいか)を
守(まも)り時候(しこう)不順(しゆん)の折(おり)を見合わせ質素(しつそ)に渡世致(とせいいた)す
べき處 諸神(しょしん)出雲(いづも)へ御出仕の御跡にて先例(せんれい)の
掟を背(そむ)き御 府内(ふない)近在とも乱妨(らんほう)いたし家蔵(いえくら)
身体(しんたい)を
ゆすりちらす
のみならす
とうるい
出火を
誘引(さそひ)
格別(かくべつ)のおし
風もこれ
なきに
数(す)ケ所(しよ)焼(やき)
はらひ候段
八百万(よろず)の神を
怖れさる
いたし方
ふらち至極(しごく)に付
四ツ手を以(もつ)て
一匹(いつひき)ももらさず
すくひあけ
蒲やき所に
おゐて大道さきの
うへ火あふりにも
行ふべきところ
格別(かくへつ)の御 慈悲(じひ)を
もつて日本六十 餘劦(よしう)追(つい)放
仰付らるゝものなり若(もし)此後御構ひ場 前(まえ)へ立 寄(より)いたぶりがましき義(ぎ)これ有(ある)におゐては
早速(さつそく)地引(ちびき)をとつてからめ取(より)急度(きつと)酒(しゆ)菜に行ふべきものなり
太平元年
おち月□日目
【コマ⒈の裏側 蔵書印と手書きの整理番号】
0011841913
東京大学図書之印