頃は安政三辰八月廿五日夜
五つ半時ごろより辰巳風はげしく先
日本ばし南の方は品川宿大半そんじ南
品川は不残りうし町は出水にて津なみの如く
不残ながさる沖にある大舟五十そう程行方不知
御台場は少々そんじる夫より高なは辺は
不申及三田辺田町へん大にそんじ夫より芝浦
是又津なみにて大半さつま様銅つくりの大舟
芝浦えうち上る金杉はし辺新あみ丁はん
海手通不残大船十そう程打上る
出火の場所は片門前一丁目より神明前
不残神明町片かわにてとまる
大久保様森様新銭ざ大はんそんじ
大小の船数しれず打上る御浜御てんつきじ
海辺大半そんじ西本ぐわんじ本堂は打つぶれ
寺中は大そんじ裏門前へ大船打上る鉄ほうづ
辺不残佃島は大にそんじれいがん島辺
永代ばし大船あたり中程ゟ大くづれにて往来留る
此船の印ばしらは田安様御やしきへ流付ともの所は
安藤様御門前へ打上る御長やは大くづれ其辺
茶ぶね十そう程打上る夫ゟ深川海辺は津海ニ而
大そんじ仮宅遊女屋大くづれ大の屋ト申遊女や
丸つぶれ洲さき辺木場辺不残又御船蔵
二ケ所そんじ其外本所辺出水多くして大そんじ
又北之方は神田辺不残馬喰町両国辺共
浅草御蔵前通り観世音御堂はつゝがなく
御山内は不残そんじ矢大臣門外松田屋ト申遊女屋
惣つぶれ花川戸辺山谷辺芝居町は三座共
大そんじ千住辺不残又西之方は
丸の内諸家様方一円打くづれ下谷辺
不残出火場所坂本辺よし原内やける本
郷辺一円白山辺大そんじ其外
山の手辺は不残右之外市中一ゑんそんじ
【黒枠外右】
嘉永七寅十一月四日辰之下刻より大ゆり出しにて
同五日申ノ刻又々大ゆり出し其夜戌之刻迄四五度
【黒枠内タイトル】
大坂辺 東海道 【上二行の下に横書きで】本しらべ
大地震津波図
【黒枠内上段】
大坂
一天王寺清水藤屋
一塩町さのやはし
一汐津ばし近辺
一京町堀三丁目
一あわだ戸や町近辺
都合弐十軒斗
一御池通五丁目四軒
ばかりくすれ
一北久太郎町丼池北
家二三軒
一福嶋五百らかん
一籠屋町
一なんば新地みぞ
のかは
一住吉とうろふ六部
通こける
一座摩宮鳥居
一御霊社井戸家形
一天満天神井戸家形
一坂けい町丼池南
一玉造二軒茶や十
軒ばかり
一あみだ池横門すじ
此外所々損じ有て
数多候筆に尽し
がたく略す
【上段右下図】
津浪之図
【上段左】
東海道伊勢路志州辺
【上段左上】
山田 川崎館岡山田中大そんじ
両宮別条なし二見は
大つなみ打上け申候
津 八幡町いと丁弁天丁
此辺格別きびしく
人家土蔵大にそんじ申候
其上つなみにてはま辺
岩田さき辺まて高浪
うち上ケ人残らず山手へ
にけ上り大変に御さ候
松坂 舟口川合丁あたご丁
此辺家たをれ平生丁
みなと丁本丁此辺大
そんし立家土蔵数しれず
たをれ申候
志摩 大手御門町家其外共
鳥羽 地しんは格別にこれなく
つなみにて大にそんし且又
はまべ残らず打上申候
【上段左下】
宮 地しんはかく別きびしく
無之つなみうち上け
家居そんし申候由
桑名 四月五日両度大地しん
にて家土蔵とも少々
そんじ其上つなみにて
はまては大にそんじ
申候よし
四日市 右同断人家三十けん
ほと損し申候しかし
此度は格別之義無之由
庄野亀山辺より
草津辺までは同様の由
大略如此
右早飛脚十一月七日に
申来候写し
【下段】
寅十一月五日大地震ゆり通しの中へ湊口沖手
より大津波打込川口に碇泊有之大船小船とも
不残安治川橋上手へ打上ケ安治川ばしかめばし
打流れ申候て大船帆柱立たる侭橋より上へ打上ケ
申候道頓堀川にては大黒橋迄はし残らず落申候て
大黒ばし迄大船小ふね共打込又材木等も沢山に打上ケ
何れの川筋も船并に材木にて押詰り破舟等々数
知れず大躰見聞したる所にては常々碇泊の船九部通りは
破損に相成流人の数何程とも不知此度之津波の有
さま筆紙に書尽しがたく前代見聞せず大変なり
其場所へ行見たる人は能御存じ人の咄しと申は五寸
ばかりの事壱尺にもいふものなれ共今度の事斗りは
壱丈の事が五尺によりいふ事不出来位の事にて誠に
存知もよらぬ大変也浜口図にしるしたる川々残らず
津波打込町家は流れ申さず船斗りに御座候尤も
船はみじんにくだけ申候落たる橋々左にしるす
からかねばし 高ばし 水わけばし
安治川橋 かめ井ばし 黒がねばし
日吉ばし 汐見ばし 幸ばし
住よしばし 大黒ばし にて止り申候
かなやばし
【下段左図】
大阪
湊口
之図
(上段)
《割書:明治九年十一月廿九日》焼場方角図
本日午後十一時二十分日本橋すきや町
鈴木貞蔵の家より
出火北風烈しく
午前五時四十分に
鎮まりました
昨廿九日午後第十一時過第一大区六小区数寄屋町二番地
飼馬渡世鈴木某方より出火桧物町元大工町上槙町川瀬石町
新右衛門町搏正町箔屋町下槙町通三四丁目南伝馬町一丁
目より三丁目迄中橋広小路町南北槙町桶町南大工町南鍛
治町五郎兵衛町畳町北紺屋町中橋和泉町大鋸町南鞘町松
川町鈴木町因幡町常磐町具足町柳町炭町本材木町三丁目
三代町北島町一二丁目亀島町一二丁目水谷町岡崎町一二
丁目八丁堀中町永島町日比谷町幸町長沢町元島町松屋町
壱弐三丁目高代町本八丁堀壱丁目より五丁目迄湊町新富
町壱丁目より七丁目迄南八町堀三丁共入船町八丁共新栄丁
七丁共新湊町七町共明石町等まで延焼にて火勢猛烈東西
に亘り此附紙印刷中未た鎮火に至らす焼死怪我人等も多
分あるへけれ共其詳細を知る能はす依て委しきは明日に
譲り取敢す報知如此
《割書:北陸三県|大つなみ》ホーカイぶし 明治廿九年七月三十日印刷
同 年 八月三日発行
画工印刷兼発行者
日本橋区新葭丁二番地
楠山橘次郎
【上段】
〽北陸(ほくりく)の。大(おほ)つなみ水害(すいがい)さはぎの有(あり)さまは
眼(め)もあてられぬ憐(あは)れさよ ホーカイ
〽怖(おそ)ろしき。いきほひ激(はげ)しき大(おほ)つなみ
のがれるひまも五分間(ごふんかん) ホーカイ
〽あわれさの。限(かぎ)りは今度(こんど)の大(おほ)つなみ
末代(まつだい)までもはなしだね ホーカイ
〽見(み)るうちに。家(いへ)は崩(くづ)れて流(なが)れゆく
箸(はし)も持(もた)ない立(たち)のまゝ ホーカイ
〽おどろきし。万代未聞(ばんだいみもん)の水害(すいがい)は
青森(あおもり)岩手(いわて)に宮城県(みやぎけん) ホーカイ
〽船(ふね)に居(ゐ)て。助(たす)かる漁夫(りやうし)のうん強(つよ)く
さすかる誠(まこと)の天命(てんめい)か ホーカイ
〽時節(じせつ)とは。あきらめながらも遂(つい)愚痴(ぐち)を
こぼす凡夫(ぼんぶ)の浅(あさ)ましさ ホーカイ
〽地震(ぢしん)より。亦(また)もこはいは大(おほ)つなみ
のがれる道(みち)さへ水(みづ)の原(はら)ホーカイ
〽両親(ふたをや)に。離(はな)れて叫(さけ)ぶ子供(こども)あれば
妻(つま)や夫(をつと)とに生(いき)わかれ ホーカイ
【下段】
〽無惨(むざん)なれ。
六万 有余(ゆうよ)の
死傷(ししやう)しやに
のこる妻子(つまこ)は
憐(あわ)れなり
ホーカイ
〽お恵(めぐ)みは。政府(おかみ)の
慈悲(じひ)の救助(すくひ)に
万民(ばんみん)なみだを
ながす米
ホーカイ
〽四海(しかい)みな。兄弟(けいてい)
なりやこそ
捨(すて)てゝは
おかず
倶共(とも〳〵)暮集(ぼしう)の
義捐金(きえんきん)
ホーカイ
【一段目左へ】
大阪大地震一覧
御
別
条
無也
嘉永七寅六月十四日子刻大地震
ゆり市中おどろき候へ共無別条候に付
銘々氏神へ御礼のため御千度致し
悦し給ふ所又もや同十一月四日巳刻
に大ぢしん又翌五日酉刻都合三
度大地しんいたし市中大いにおどろ
き大半のじゆくいたし市中所々崩
れ候家もあり損じたる所かず
不知前代未聞也則其あらまし
左にしるす
北久太郎町どぶ池北二軒
京丁ほり三丁目六けん▲御くらばし五ヽ
あはざ藪横丁六ヽ▲犬才はし【犬斎橋】北一ヽ
かどや丁両国はし十八ヽ▲長ほり
御とうすし六ヽ▲幸丁東樋三ヽ
高はらろうやしきまへ一ヽ
幸栄ばし西つめ三ヽ▲ほり江
かめはし西ノ辻廿ヽ▲常安丁南角三ヽ
順けい丁丼いけ二ヽ▲道修丁中はし一ヽ
北江戸堀三丁目高垪▲さのやはし塩丁同
天満天神▲御りやう社
丸亀金ひら社▲福しま上中下天神
天王寺とう少しゆかむ
右の外破そんの所々数多候
得共筆紙につくしがたし略之
大坂川口大津浪
嘉永七寅十一月五日申ノ刻
西の方より雷のごとくになりふしん
に思ひしが其夜五ツ時沖手より
大津波相来り沖の大船不残
矢を飛す如く其勢にて川々
の橋打流し浜手の家は無別
条地しん故又船をかりて迯居候
人も多く然るに其人々皆々水
死と成大船は船頭加子死こと其数不
知大船は二千石より千石以上の船不残小
舟は大船の下敷となり不残大荒
なり流はし左之通り
安治川はし▲かめ井はし▲国津はし
高はし▲くろかねはし▲日吉はし
汐見はし▲幸はし▲住吉はし
金やはし 以上十はし也
【一~二段の間】
出火崩
人家崩れ宿
【二段目】
東海道大地震出火
十一月四日大地しん宿内人家
くつれ終に出火に相成大混雑
にて其ありさま何ともたとへ
かたなき次第怪我人等在之
大変なり
蒲原 問やより末々七部焼失三部くづれ
吉原 宿内出火に相成 不残丸やけ
江尻 同断
府中 江川丁より出火 四部やけ 六部くつれ
藤枝 上ノ方六部焼失
金谷 宿内七部焼失 三部くつれ
興津 津なみ打込 出火
掛川 不残焼失
袋井 同断
岩渕 六部くつれ 四部やけ
十一月同日大地しんに候へ共
格別之事無之先無事之宿
にて御座候しかし少しつゝの損
じは御座候
大津 草津
石部 水口
土山 坂下
関 亀山
庄野 石薬師
日坂 由井
十一月四日大地しんにて宿
内七部斗くつれ候へ共出火
無之三部斗無事怪我人
も在之由くわしく相分り
不申又ふじ川十八丁に
候へ共水無之歩行渡りに
御座候よし
丸子 桑名
岡部 白須賀
嶋田 二タ川
見付 吉田
浜松 御油
池鯉鮒 赤坂
岡崎 藤川
【二~三段目の間】
大津浪
津浪ノ宿
【三段目】
越前
十一月四日大地しんゆり其中へ大
雪ふり崩家六十軒斗北国すし
すべて其外近在所々大あれのよし
人家六十けんだけにて怪我人
も少くこれあるよし
若狭
同日ゆり出しことの外きびしく
町方家土蔵多くくつれ
小浜人家多くくづれまづ
三百けん斗りのよし
怪我人有之よし
宮 万場
舞坂 白子 神戸
荒井 御関所損舟一艘も無之
鳴海 左屋
十一月四日巳刻大地しんゆり
又五日酉刻大ゆりいたしその
夜沖手の方より雷のことくにて
うなり出しほどなく大津浪打
込人家大半流船そんじたる
数不知怪我人多く在之よし
日本一の高山なれども無別条
近在村々人家くづれたる所も
在之候へ共数多ゆへ略也
江戸大地震出火
十一月四日大地しん箱根
より上方三宿人家不残
くづれ江戸市中格別之
義も御座なく大坂同損に
御座候猿若町より出火いたし
三芝居焼失におよぶ
原 沼津
三嶋 三宿とも不残くつれ
箱根 小田原
此宿々格別之事御座なく無事
大磯 戸塚
平塚 戸塚
平塚 藤沢
程ゲ谷 神名川
川崎 品川
【四段目】
美濃路
嘉永七寅十一月三日一丈斗
雪ふりつもり候所へ四日巳刻
大ちしんにて取分大混さつ人家
雪の中へくづれ怪我人数
不知又所々地三尺ばかりわ
れ水吹出し候よしに御座候
京都大地震
十一月四日巳上刻大地しん
ゆり候へ共格別之事も無之
神社仏閣損じ所無之
洛中洛外にて少しいたみ
在之候へ共先無別条
伊勢
十一月四日巳刻大ちしんにて
所々人家くづれ別して
四日市松坂津之辺人家
くづれ其外六けんくし田
小ばたむく本く津田大てい
同やうのそんじに御座候
両宮様御無別条
尾州名古屋
十一月四日大坂同様地しん
人家土蔵大そんじに候へ共怪が
人無之よりくづれ左に記す
八幡宮手洗鉢家根
清水寺渡り階ろう
秋葉山絵馬堂
源太夫表御門
附出し丁両側壱丁斗崩れ
五日酉刻津浪にて御浜
御殿大損じ
中仙道木曽街道
十一月四日大地しんにて大あれ
大くつれ出火等々相成候所も
有之由くわしきは未相分り
不申候へ共先東海道同
様之事にて人家くづれ怪が
人等も在之よし宿々村々
数多に候ゆへ筆紙にのべがたし
何分大変之よし御座候併
木曽路は高山も在之候へ共
山くつれ候義は無之候よし
たる井 関ケはら
今須 柏原
さめがい ばんば
此六宿は無事のよし
【五段目】
志州鳥羽
十一月四日巳上刻大地しん
ゆり翌五日酉刻大ゆり
いたし引つゞき沖手うなり
出し亥刻大つなみ打
込御家中市中共半分
流れ申候尤怪我人多く
船等大そんじ在之よし
泉州堺
同日大地しん同刻沖手
雷のごとくなり出し是は
ふしきやといろ〳〵はなしの
うち大津なみ打込破
数不知つき地はし六七ケ
所ながれ然ども怪我人無之
紀州
同日大地しん同刻沖より
大太鞁打如くなり是は油
断ならずやと思ひしが程
なく大つなみ打来りて
浜辺の人家数多引流
しそのけわしき事たとへ
かたなき次第なり尤近
在宿々村々浦々何れも
大小のあれ有之候へども
こと〳〵く書しるしかた
候へは爰に略す
南部
嘉永七寅六月十四日大地
しんゆり終に出火にて市
中六部斗り人家くつれて
大混雑いた候所又此たび
十一月四日大地しんゆり候
然ども無別条悦し給ふ
べし春日様金とうろう
おち石とうろう五十本斗
こける
尼ケ崎
十一月四日大地しんにて津波
打込つき地波止家数百五
十軒斗りくつれ辰巳渡し
宿や茶店不残くつれ
出火におよび怪我人も
少々在之候よし
江州路
同四日大地しんにて人家
くづれし所多しと也長
浜八まん日野八日市の
辺別してひどく彦根町
家くづれ多し其外近
在所々あれし所大てい
大坂同やうの事のよし
先江州路四百斗崩るよし
尚これにもれた分又は
西国筋は篤と調べ次編に出す
道(みち)中(なか)嶋(しま)大 合(がつ)せん
はいの死(し)人(にん)芸(げい)
【絵の中の文字】
小間もの品々/岡(?)本/芸人/質物通/安政二乙卯年/呉服の通/十月二日/玉帳
【このページには画像中央資料のみ、右の翻刻だけでよいと思われます】
【画像左資料は同じステージ2中ほどにページがあるが、以下入力分はこのまま置いておきます】
□まづの力ばなし
この□ろ地震のうはさ遠国まできこえ信州のなまづ
御当地へ下り地震の見舞は申さねども江戸のなまづと
こんいをむすびしばらくこゝにとうりうしてありけるにあるひ
あまりと□んなればなまつどじひげとひけとをむすび
あひそうはうのゑりにかけ首引(くびつぴき)をなさんとてたがひに
ちからをあらそひしが女房のあまづこれを見つけ
き□をけしてはしりより〽コレ〳〵そんなわるいことをなぜ
しなさるのじやどちらにけがゝあつてもわるいよしな
されととめるな〳〵〽イヤ〳〵ならぬ〽イヤサなまづの
ひげのきれるぐらゐはいといはせぬは〽そりやまた
なぜへ〽イヤサ伊賀越の平作はな〽どうしたへ
沼(ぬま)津(づ)ではらさへ切ツたはへ
なまづのま夫やきもちばなし
□はくひツ引をしけるにいつまで
しか□てしなくしやうぶもつかざりしがとう〳〵
信州のなまづのひいきをするにぞ
本しらべ
諸国大地しん大つなみ
十一月四日より九日迄追々しらせの写
勢州桑名高なみにて大さわき
四日市三四十軒家つぶれ津松
坂山田大あれ同時鳥羽あれ
又々五日夕六つ時より大つなみ死人凡
一万余等も相わからずと申事
尾州三河美濃辺京大坂同様
播州大地しん大つなみ御城下はん
くずれ死人凡百人余けが人多し
紀州四日大地しん五日夕六つ半より
大つなみの次第うつし
【このページには右の資料のみの翻刻でよいと思われますが、翻刻済みの他資料も以下に残しておきます】
【右上の分】
嘉永七寅六月十四日
大地震二付て
此度大阪の万民近国に大|変(へん)
ありしかども無難(ふなん)に有し事の
うれしさのあまりにて
天下|泰平(たいへい)五穀(ごこく)成就(じやうじゆ)家業(かぎやう)長久を
よろこび日夜|異形(ゐぎやう)のふうていにて
諸社(しよしゃ)え参詣(さんけい)する事引もきらず
こゝにふしぎの珍事(ちんじ)あり摂州
西成郡|御影(ミかげ)近辺(ほとり)山 崩(くづ)れ
岩(いわ)の間より霊水(れいすい)わきいだし
去年(きょねん)の日でりにこりたる百姓
田畑(でんばた)此水にて大いにうるをし
みな〳〵貴異(きゐ)のおもひ
なし此後(こののち)豊年(ほうねん)の
吉随(きちずい)とぞ万歳を
うたひける
【左上絵の部分】
十一月五日の夜(よ)
大津波
来ル前
大坂
前垂(まへだれ)
嶋(しま)に
出る
怪異(かいゐ)の図(づ)
【字の部分】
○十一月五日 夜(よ)暮(くれ)六ツ半時 津波(つなミ)にて橋(はし)落(おち)し分(ぶん)
○道頓堀(とうとんほり)川西ヨリ日吉橋 汐見(しほミ)はし
幸(さいわい)橋住吉はし
○堀江川 水分(ミづわけ)橋 鉄(くろがね)はし○西 横(よこ)堀 金(かね)屋はし
○安治川橋○亀井橋○玉津はし都合(つがう)十一橋
○天保山津 浪(なミ)突上(つきのぼ)り此 辺(へん)の漁師(れうし)民家(ミんか)とも水
つきけるゆへ皆々(ミな〳〵)天保山へ逃登(にげのほ)る民家大そんじ
小家 崩(くず)れながるゝすべて此辺の新田(しんでん)水突入
【右地図】
南 難波村水入 道頓堀川すじ 汐見橋落る さいはひ橋落る 住吉はし落る 南堀江 ほりへ川 ほりへばし 北堀江 ながほり川 北
難波御蔵 土はし 大こくばし 東 戎はし かるやばし もめんやはし みいけはし 嶋の内 四ツはし さのやはし 新町はし 船場 しんさいばし
【左地図右上】
大阪川口新田の図
中津川 野田村 北
四貫嶋 逆川 下ふくしま 中ふくしま 上ふくしま
どうしま 九条嶋新田 安治川 九条村 冨シマ
あち川はし 戎シマ かめ井はし えのこしま 大わたし 小わたし わたし
【地図右下】
とうしま川 中のしま とさほり 江戸ほり かいふほり かいふほり あハほり あわざ いたちほり
新町 西よこほり
【地図左上】
西 天保山 八幡屋新 池田新 ズイケン山 シンテン 湊屋シンテン 田中新田 市岡新田 寺嶋
岩崎サキシンテン 勘助嶋新田 勘
【地図左下】
高はし 長ほり 北ほりえ 水分はし くろかねはし ほりへ川 南ほりえ 日吉はし 汐見はし 幸はし 住吉はし 道とんほり川 大こくはし 木津川 チシマシンテン ザイ木ヲキバ なんば村 イタチ川
【枠外 資料では右】
明治廿四年三月廿一日 改新新聞 第二千四百三十五号 (工)
【枠内 右下から反時計回りで】
イトウまく
かんがへて
てんじやう
しなす
□□
猿ゐるまで
かへる
議鳥の
辞職ねがひ
壮士やとはれるために
うでをみがく
みやこぞはるの
にしき
なりける
〽ふしぎなものでなるほどこれがでんでと
いふのか、おもしろいやあいてをまち
がへておのうけをおれにきかせや
がるヘンちくしやうめ
〽ぎゐんだらうがなんだらうがかしたかねは
とらずには
おかぬ
〽やれなさけないぞ
まうとられることは
税のおもにゝ
百しやう
こまる
のりてがなくて
くるまひき
おほあくび
辞表の雨
げつきう
へらされて
てなまづ
づゝう
はちまき
ことしや
ほんとに
あきんど
なかせだ
せつかく
日本人のふりを
したものを
あゝいまと
なつては
しかたない
〽東京の女□みたあげく
にはきさまのやうな
ふるにようばうは
いやになつた
〽おやわたしに秋が
きたと、このはく
しやうをとこめ
いろ〳〵な
みやげが
あるよ
【中央】
《割書:手始は|このころ》有喜【み】か升 【意味が通らない?】
これで
じんだい
やりくり
するとは
なさけないでぢや ないよこれでは愉快も【心年?】ナイカクでも
しなければいけぬとは
あゝ〳〵〳〵
清三?
安政二稔
十月二日
夜亥剋
大地震
焼失
市中
搔動
圖
【表題】
すい神のおしえにいのちたすかりて
六部のかづに入そうれしき
【本文 上】
安政二年十月二日夜
江戸幷関東筋
大地震大火に付
鹿島(かしま)大神御|帰(かへり)
あつていからせ玉ひ
の玉ふよふ 「大せかい
日本の地は天|照(しやう)大神を
はじめとし諸(しよ)神のしゆこ
にして地は堅牢(けんろう)地神とそれがしがあづかりなり
しかるに例年(れひねん)のさだめあれば此月朔日|出雲(いづも)の
大やしろへ参宮(さんぐう)のるすを見こみなまづども乱ばうに
および御|府内(ふない)きん国までゆりつぶし家(いへ)やら石がき
とうをくづし出火となりあまたの焼失(せうしつ)のみ
ならずけがにんはなん万のかづをしらず死人は
二拾七万六千八百余人におよぶときくこれみな
その方どものわざならずやわがかなめ石の
くるしみばかりか大つゑに瓢(ひよう)たんのくがい
をわすれぬらりくらりとつらまへどこなき
大ざい人いかにそれがしるすなりとてかゝる
いへんのあるうへはわがしゆ役(やく)のかどたゝず
よつてそのつみかろからねばなまづいつとう
ほねぬきのうへかばやきにおこ
なはるゝものなりそれうなぎども
なまづをいち〳〵うちとれよ
【本文 中右】
なまづいつとう身をふるわせ
これまであなたがおるすでも市川
団十郎といふひようたんの
おや玉がおられましており〳〵
なり田へ参けいのついで
には此かしまをとう
られますゆへ身うごき
もなりませなんだが
その人もおられぬゆへ
つい〳〵ひれがゆるみ
ましてまことに
おそれいりました
せめてはかばやきと
なつてしよくにん
しゆうのはら
でもたん
と
こやしま
しやう
【本文 右下】
うなぎは【破れ。二文字分を東京都立図書館蔵同名史料にて補う】
いさみ
すゝみいで
「此なまづらはわれ〳〵の
あるゆへにうなぎやへあき
なはれますそのしたしみも
うちわすれ
わたくしらどもが
すまいます
つりしも
はりを
【本文 左下】
おろさ
れぬ
石がきさへ
もくづ
しました
まだその
うへにあめ
ふればで水に
まぎれて田はたさへ
つゝきおよぐのやつなればまだも
あくじがござりませうわたくしどもが
せめたゝきはらのどろをばはかせませう
《題:さやあて》 《割書:■くわじ伴左衛門|●なまづ山三》
■
〽遠(とほ)からんものは音(おと)にもきけ
お客(きやく)はよつてめにもみじめな
ものずきは今龍(いまりう)こし【う?】の素人(しろうと)出立(でたち)
今宵(こよひ)くるわの大門(おほもん)をたをせば
たちまち極悪(ごくあく)丁度五丁(てうどごちやう)に火事(くわじ)の燃(もへ)わたり
●
〽かくのごとくのもへたちは絶(たへ)なるみ声音(こゑおん)せいはまごつく
女郎(ぢよらう)あまたなり今(いま)やけかゝる仲(なか)の丁|火(ひ)の手(て)いろます
その中へふるつた蔵(くら)かかべつちの
■
〽われはしなすやゐのこりのはりまにぴしやり
夜半(よは)のせめ責(せめ)にやかれてかせき笠(かさ)ゆられて
返(かへ)るか家根(やね)に人 ●〽焼(やけ)る心の金持(かねもち)にねぐら焼(やか)ふぞ
欲面(よくづら)めやけにぞやけしかの家(いへ)と ■〽くらべ諸方(しよはう)の火(ひ)も
きへて下谷上のゝ山つゞき西(にし)に消鐘(きえがね)北にはゆけば
おかゆくらはんやけ小袖(こそで)
しんよし原大なまずゆらひ
こてふどん〳〵はやくめの玉をきせるでおぶちよ あげはどん
はやくおりて ひげを
つかみなんしよ
此なまづめ
みやあがれ
〳〵〳〵
こてふ
此なまづめわちきが
をいらんにもらた
あるへいをどこかへ
やツてしまやかツた
ぶちころして長助
どんにくツてもらヲヽや
あれじれ
たい なまづに
はねられて
にくい〳〵〳〵
此なまずめ うぬがおかげで
百ぜにお六まいなくして
しまつた そのかハりに
ぶちころしてくつて
やるそ
こいつめ〳〵〳〵
〳〵〳〵
あれ此ひけを
はやくぬいて
やツてをくれ
にくらしいよ
こいついかしておくものか
かなぼうでぶぢころせ
〳〵〳〵
いめいましい大なまづめ
せツかくいゝ人がくるばんに
あばれやがつた
にくらしいなまづめ
たんとぶて〳〵〳〵
此なまづめ すかねへやつだ
おいらのをきやくをとこへ
やらまいなくした だせ〳〵〳〵
たいこ
此なまづめうぬがおかげで
ことしいツへいくいこみだ
はやくぶちころして
くつてしまへ〳〵
まちねへ〳〵〳〵
おれがとめた
〳〵〳〵
まつて
くれ〳〵〳〵
おい〳〵〳〵
そんなにぶち
なさんな〳〵〳〵
なまず
をいらんたちに
のられてうれ
しいよ〳〵〳〵
そんなにのると
またもちあげるよ
いすぶるよ
いゝかへ
〳〵〳〵
五丁町
地震(ぢしん)火災(くわさい)あくはらひ
あゝらでつかいな〳〵今はん今宵(こよひ)の天 災(さい)を神の力て
はらひませう十月二日三か日町並お門を詠(なかむ)れは
三国一夜のそのうちに土蔵(とそう)や壁(かへ)の不事の山
かゝるうきめに相生(あひおひ)の松丸太やら杉丸太 錺(かさ)り立たる
諸道具(しよたうく)をお庭外(にはそと)へ持はこひ野宿(のしゅく)する身の苦(く)は
病(やま)ひ五七か雨とふりかゝる瓦(かはら)や石の目にしみて
なみたにしめす焼(やけ)原の昼夜ねつはん自身番(しゝんはん)火の
用心や身の用心春ならねとも皆(みな)人の万才楽とうたひそめ
かそへたはしらもおれ口のおめてたくなる人の山これも世直し出雲(いつも)
から立かへりたる神々のふみかためたる芦(あし)原 皇国(みくに)千代に八千代に要(かなめ)石の
磐(いわほ)となりて苔(こけ)のむすゆるかぬ御代をはゝからす又もやひまをかきつけて
ぬらくら物の鯰(なまつ)めかわる〳〵尾 鰭(ひれ)を動(うこ)かさは鹿島(かしま)の神の名代に
此こと触(ふれ)かおさへつけ高麻(たかま)か原をうち越(こし)てみもすそ川へさらり〳〵
火用心
火の用心のうた
火の元は 上にたつ人 見まはりて 内から火事を ださぬ用心
火のもとは 夏とてゆたん せぬがよし もえたつ蚊遣 わけて用心
火のもとは ふしんの場所の かんなくず 焚ちらしたる あとの用心
火の元は きせる ちやうちん 火うち箱 しそくに つけ木 炬燵(こたつ)用心
火のもとは 捨るはら灰 火けし壺 火にゑんの ある所の用心
火の為に はしご 縄ひも 桶つるべ 蔵もつ人は つちの用心
火のために わらし 手ぬぐひ たすき帯 薬小遣ひ常に用心
火のくらに 入るは 見廻り あしきゆゑ 鼠穴なとべして用心
火の為に 着かへの きもの さためおけ すはやと いへる時の用心
火のために 手おけ 水がめ 庭の池 いつもたやさず 水の用心
火のために 夜も ながすな 居風呂の湯も 朝こほせ これも用心
火のときは 老人 子供 病人を けがせぬやうに にがす用心
火のときは 火のある 火ばち 火入など あはてゝ 蔵へ 入れぬ用心
火のときは 宝 過去帳 諸帳面 証文るゐを 焼かぬ用心
火のときは 極大せつなものならば 蔵へ入ずに いたす用心
火のときは 盗人 多くあるもの そ顔みて 荷もつわたす用心
火のときは 金銀なとに めをかけて 大事の命 すてぬ用心
嘉永七年寅霜月四日巳の上刻上り
大地震に付大阪市中殊の外破損有之候所
同五日同様度々震ふ事甚し同日夕方より
俄に津波にて安治川口木津川口ゟ大船
数艘一時に川中へ入込橋々悉く突落し
木津川口は大黒橋迄北は安治川橋迄入込候船々
数しれず怪我人死人夥敷目も当られぬ哀
なる事也其上勘介嶋死人数知れず其外
寺嶋今木新田月正嶋木津なんば
何れも水入白海の如くに成誠に
前代未聞の騒動大方
ならず其荒増を
しるす
鹿島恐
大国(だいこく)のとちうごかして
【右のページの「鹿島恐」は別のところに翻刻されているので、ここに既入力されているところは追記のうえそのまま残し、左に主題「ゑんまの子」を新たに翻刻した。】
【表題】
ゑんまの子(こ)
ゑんま
〽カウいそかしくてはたまらぬみんなてめへ
たちはおれが子にしてくれろと
いふかおれがからだが粉(こ)になる
やうだこれがほんの
ゑんまの粉(こ)だらう
【中央上の歌】
六道(ろくどう)の
辻番(つぢばん)
人(にん)や
辻君(つぢぎみ)も
あじな
ゑんまの
子(こ)とぞ
なり
ける
女曰
〽わちきは町(てう)ざいますがことしのくれは
ねんもあきすへはどうして黄泉(くわうせん)のなれぬ
たびぢのかりまくらつひうたゝねかゆめうつゝ
おきるまもなくつぶされてやいてこにして水でのむ
人もなき身とあはれみてモシゑんまさん
ぬしの
子として
おくんなんし
もうじや曰
〽わたくしはおやこ五人のしんいりでございます
どうぞこれからはあなたのお子さま
どうやうにおもつて
すこしもよいとこへ
おねがひ
申ます
アノはりの
山はよう
ござりますが
じつにはりの
したは
おそれ
ます
子曰
【〽追記】ちやんや
ばうはぢぞうの
子だよ
【中央上資料のみ翻刻・他は別ページにて翻刻対象】
【挿絵内文字】
十一月五日の夜(よ)
大津波
来ル前
大坂
前垂(まへたれ)
嶋(しま)に
出る
怪異(くわゐ)の図(づ)
【本文】
〇十一月五日 夜(よ)暮(くれ)六ツ半時 津浪(つなみ)にて橋落(はしおち)し分(ぶん)
〇 道頓堀(とうとんほり)川西より日吉橋 汐見(しほみ)はし幸(さいわひ)橋住吉はし
〇堀江川 水分(みづわけ)橋 鉄(くろがね)はし〇西 横(よこ)堀 金(かな)屋はし
〇安治川橋〇亀井橋〇玉津はし都合(つがう)十一橋
〇天保山津 浪(なみ)突上(つきのぼ)り此 辺(へん)の漁師(れうし)民家(みんか)とも水
つきけるゆへ皆々(みな〳〵)天保山へ逃登(にげのほ)る民家大そんじ
小家 崩(くづ)れながるゝすべて此辺の新田(しんでん)水突入
ける故百性家 各(おの〳〵)堤(つゝみ)に逃登る其後 皆堤(みなつゝみ)の上に
仮小家立(かりこやたて)是(これ)に住居(ぢうきよ)す
即席
鯰はなし
「これは此たびの地しんにつき
まして多くの蔵や立家を
くづしましたるゆゑ人々うれひ
かなしみゐたるにやう/\
月もたち日をおひけるに
あるひかのなまづぼんにんの
かたちをなしつゝ町々をめぐり
あるき「ヲヤ/\でへぶこゝの
内はくづれたヲヤ此くらもひどく
ふるつたアこんなにぶちこわすつもり
ではなかつたトひとりごとをいふをきゝて
あたりよりかけいで「これ/\てめへはぢしん
しやアねへか「ナニちしんだウヌ手めへのおかげで
かあいゝつま子にわかれたり「ソウヨおやをころした
かたきのぢしんかくごしろトてん/\にゑもの/\
をもちきたりさん〴〵に打擲(ちやうちやく)いたしければ
ぢしんもいろ/\わびけれどもいかなりやうけんなり
がたくぢしんはすか所のきずをうけたをれけるを
おほぜいこちより見るにからた中あざだらけなれば
「コレ/\このあざを見なせへ「ヱヽこりやアあざじやアねへ
「ナゼヘ「イヤサこれはなまづたものを
《割書:安政二乙夘歳十月二日|夜ル四ツ時震始メ》 末代
御大名方類焼之部
【第一段】
酒井雅楽頭様
森川出羽守様
松平肥後守様
松平下総守様
内藤紀伊守様
松平長門守様
伊藤主理大輔様
北条彦之丞様
永井遠江守様
本田中務太夫様
上屋采女守様
林大学頭様
松平豊前守様
遠藤但馬守様
松平因幡守様
松平玄蕃守様
【第二段】
松平壱岐守様
南部信濃守様
有馬備後守様
三浦相模守様
松平大膳太夫様
松平時之助様
村上但馬之守様
松平肥前守様
伊藤若狭守様
松平駿河守様
内藤駿河守様
堀田備中守様
戸田竹治郎様
板倉伊予守様
亀井隠岐守様
小笠原佐渡守様
【第三段】
栁沢監物様
朽木近江守様
松平紀伊守様
松平豊後守様
松平周防守様
内藤能登守様
松平甲斐守様
榊原式部守様
安部播磨守様
北条美濃守様
薩州装束家敷
津軽御下家敷
定火消御家敷
定火消御家敷
【本文】
夘十月二日夜四ツ時大地震ゆり始大崩れにて
出火等有増の所付丸之内大手先酒井雅楽頭
森川出羽守様より出火又松平肥後守様より
出火松平下総守様大崩れ出火八代町かし村上
但馬守様御火消屋敷不残やけ松平相模
守様焼失町家夫ゟ京橋五郎兵へ町ゟ出火
具足町栁町白魚やしき竹がし南伝馬町
二丁目三丁目大こんがしふるぎ棚たゝみ町
一丁目二丁目かぢ丁一丁め二丁目同三四大工丁一丁め
二丁目三丁目おけ丁一丁め二丁目鈴木町いなば丁
ときわ丁松川丁本材木丁五丁めゟ八丁目迠是ゟ
南八丁堀通不残やけ又しば口一丁目ゟ源介丁
迠所々くずれ又うた川丁ゟ出火金杉迄不残
焼失のこり所々くつれ又夫ゟ高なわ別してゆり
つよく大地さけ中ゟ砂斗り吹出シ所々くづれ
大混雑それより東方御じんがはら
四はんばら松平紀伊守様より出火
榊はら御家敷戸田竹次郎様小笠
原様小川町火消屋敷土屋采女
様其ほかまな板ばし迠御家敷不残
焼失残所々はくづれ又小石川小びなた
りうけいはし近ぺん屋しき町
家とも焼失伝通院前所々くづ
れ出火ありそれよりお茶の水ばん丁
までくづれ焼るなり赤坂一ツ木
へんより青山六堂辻極楽の水
此へんは惣くづれ出火ありそれ
より四谷塩丁のりもの丁石切よこ丁
此辺より新宿甲州かゐ道すじ
右同断
【下段】
御府内は十里余方は千住宿
大くづれ小塚原じしんの上
のこらず焼失夫より仲仙道
大宮辺まで地さけくづれ上
総下総まで大地震なり
舟はし辺は殊のほか手ひど
く人家申およはず又かさい二
合半日光道中は岩つきさつ
手辺はこど〳〵くくづれ出火
出火此数しれず凡火の手上り
数百五十九ケ所二日夜ゟ今に
大小刻々時々にゆる事やまず
中に三日夜はかうし町下谷出火
あり安き心はさらになし此よし
諸国親るい縁者方もたとり
しがたく親子兄弟一ツ所に寄合
毎日かなしむ事あわれなる
次第なり
一団子坂此辺大くづれ谷中
善光寺坂それゟ本郷どふり
大損じ切どふし辺のやけは加州様御人数
惣掛にて消口を取此辺のたすかりは
中々かうたいもなく有かたき事此上なし
【絵の中】
佃向五番の内
御台場之内
二はんの御台場
一ケ所飛火にて出火
【末尾】
御大名様御屋敷
大そんじ 百九十五ケ所
焼失 百二十ケ所
はた本御屋敷数しれず
寺社くづれ 百九十五ケ所
焼失 九十一ケ所
御家人衆様大損シ 五千余
焼失 九百五十余
町数 三千十二丁
大くづれ焼失 数しれず
出火 三十二ケ所
土蔵 十万七千余
但し戸前くづれとも
玉屋地新兵衛
桶伏の段
火夜苦(ひよく)の門並(かどなみ)
〽宵(よい)の寐(ね)ばなに打(うち)ゆする地震(なまづ)の
もん火(ひ)のいきおひはみな子(こ)に
迷(まよ)ふ行所(ゆきところ)どこにといへるなき
さたは北国一(ほつこくいち)の遊女町(ゆふじよまち)よるのなき
こゑかゝり船(ふね)ねごみおこさぬ客(きやく)
もなし中(なか)に高家(たかや)の天(てん)へんは
どうもぐづ〳〵ひどいめの風(かぜ)
のかたきのうきよとてあげ
くのはてのゆりかへしかめの
かわりに手ばまりのつみがかうしですい
ふろの〽おけぶせになる身ぞつらや
ぢしん兵衛おろ〳〵なみだぐみ
【挿絵内】 要石
《割書:どらが如来(にようらい)|世直(よなほ)し》ちよぼくれ
やんれどらがによらひヤレ〳〵〳〵〳〵ちよぼくれちよんがれそも〳〵かんじん
鹿嶋(かしま)にまします神(かみ)はせかいの色事(いろごと)でいりで出雲(いづも)へござつたおるす
の二日(ふつか)の夜の四(よ)つ時(どき)青(あを)くきいろくぴつかり光つたどゑらいとび物(もの)
北(きた)と南(みなみ)へ往(ゆく)をあいづかめつほうかいなすつほうかいな地震(ぢしん)のはなしを
聞(きい)てもくんねへ花(はな)のお江戸(えど)は申すに及ばず関八州(かんはつしう)から近郷(きんがう)近(きん)ざい
大地(だいぢ)が裂(さけ)たりどろがふいたり棚(たな)か落(おち)たる大(おほ)きななんぎはひつくるけつ
てもでんぐるけつても如亀(によつき)り立(たて)ども屋根(やね)の瓦(かはら)やどざうのかべつち
落(おち)てはとまらぬ家(いへ)は門並(かどなみ)つぶれてたほれてこいつはことだとあはてゝ逃(にげ)
出(だ)しや梁(はり)やひさしをしよつてかついてすべつて轉(ころ)んでひばらをうつやら
片(かた)うでくぢいてかた足(あし)すりむきちん〳〵もぐらで踏(ふみ)ぬきよするやらねだから
どつさりはしごを轉〻(ころ〳〵)轉(ころ)げて倒(たふ)れておやぢははいだしばゝアは腰(こし)がぬけ猫(ねこ)はとびだし
しやくしははねだしうついあみが白(しろ)い内もゝ黒いもゝんじいが見えてはたまらぬ
野宿(のじゆく)のすきはらかゝへておさへてあしたになつたらひつつぶれておつつぶれた
ほとけのさはぎで早桶(はやおけ)がはりに四斗樽(しとだる)ちやばこやさとうの入もの
まだしもひどいは用水桶(ようすゐおけ)だよ青(あを)ごけだらけのぬめりも取(と)ら
ずにむしやうと押(おし)こみゑんさかほいの車(くるま)やぎつちらこの
お舩(ふね)でやつても何(なん)でもおてらの和尚(おしやう)がおふせのふそくに
にがい顔(かほ)してお経(きやう)どころか引導(いんどう)はさて置(おき)木魚(もくぎよ)もたゝかず
半鐘(はんしやう)も鳴(なら)さずそつくり其(その)まゝやきばへおくればこいつも
こんさつ佛(ほとけ)の大入(おほいり)番附(ばんづけ)さはぎて十日もたゝねばやけないなんのと
おんぼうが大(おほ)ふう夫(それ)からそろ〳〵のぢんの人達(ひとたち)夜風(よかぜ)の寒(さむ)きに
腰(こし)がひへるのせんきやすばくが天窓(あたま)へのぼつてかとがつゝはりひたへが
ひっつり血(ち)の道(みち)頭(づ)つうに風(かぜ)をひくやらくさめといつしよにおならが出るやら夜(よ)つゆと
霜(しも)とで夜着(よぎ)もふとんもびつしよりぐつすりぬれてゞあはてゝ役しやはたび立(だち)げいしやは燗酒(かんざけ)
はなしか太夫(たいふ)はつちをかつぐのなんのかんのとまご〳〵するうち仮宅(かりたく)さはぎで▲
▲手(て)のあるおいらん下(した)からくる〳〵まはしてもちやげりや
それにはこりたとお客(きやく)の悪口(わるくち)ヤレ〳〵ちよんがれそう
かうするうち□【読み継ぎを示す印】
□こめやしよしきの
さうばがさがつて
唐人ばなしは□
□どこへかなくなりこれでは
世(よ)のなかはうねんまんさく
おどつてさはいて親子(おやこ)三人(さんにん)間男(まをとこ)
三人(さんにん)寝(ね)てゐて
お金(かね)がまうかる
などゝはさり
とは□
□うれしい
めでたいことだよヤレ〳〵〳〵〳〵
きみやうちやうらい
ホヽウイ〳〵
ちょぼくれちょんがれ
「きめうとうらいからだ大事(だいじ)くらがもろい引やれ〳〵〳〵〳〵
おもてへにげだせ「どうしたさわぎだたすけてくんねへ
二日の四(よ)つ時(どき)俄(にわか)のことでな天地(てんち)しんどうかゝあとふたりの地(ぢ)しんのむつごと
なまづにけされてふんどしひとつでからだもせがれも
ちゞみあがつてんねんぶつだいもく一どにとなへて
おもてへころ〳〵戸板一枚(といたいちまい)生死(しやうし)のさかいだ
こういふうちにもよくづらかわいておやじのゆづりの
大(たい)きんづゝみを落(おと)しはせぬかとさぐつて見(み)たれば
さて〳〵大へんいつのまにやらどこへかおとしてどうした
ものだとよく〳〵さぐればあんまりこはさにつるしあがつて
でべそのきはになかくれてけつかるこれですこしはあんしんかなめの
鹿島(かしま)さんでもおやどにござらばこうしたくらうは
きなかもあるめへよがなよつぴてうろ〳〵まご〳〵あつちの
すみではまんざいらく〳〵のじゆくのあげたはてぶりのあみがさ
すだちのまんまでねござも持(もた)ずにお小屋(こや)をねがつて元(もと)のわが身(み)に
やう〳〵かへつた神(かみ)のいとくやおかみのおめぐみ◎
【下に続く】
◎豊年万作(ほうねんまんさく)
五(ご)こく成就(じやうじゆ)
さりとは〳〵
めでたい
こんだに
ホウヲイ
【左端の文字】
ゆるがぬ願立
持丸長者
持丸の
はらに
たもたず
はきいだし
ひんのやまひの
これで
直る世
《割書:まる|やけ》 土(ど)ぞう荷(に)
《割書:雨ふり|往来》 し る こ
《割書:大 |ゆれ》 きも玉ひやし
《割書:素人(しらうと)| 手伝》 あらうちだんご
《割書:物 |もち》 ほどこしたんと
大やね 瓦 おとし
《割書:つぶれ| やね》 怪我(けが)もち
《割書:大 |まるた》 つツかいもち
じやま 門(かど)のつち
雷
乁これはたいへんだ
これではおれなん
ぞはとてもかな
わねへからおや
じやかじにも
そういおふ
かしま
乁これはたいへんはやく
いつておさへてやらずば
なるめへ
おでん
乁ふるかねやさんごらんな
みんなよつてあんなに
いじめるよ
なさけねへ
のふ
水かみの
つげに命を
たすかりて
六分の
内に
入るぞ
嬉
しき
乁もふこれからは
ひつこみ〳〵
いなか
乁ヤア〳〵これは
たいへんのこんだこれ
そんねへにおすなへまんざいらく〳〵
乁かないませんめくらといざりに
いのちだけのごほうしやくだ
さりまして【アゝ?】〳〵これはたいへんだ
これではおもらいにこまりきる
職人
乁マア〳〵だんながたそん
なにせずともうかん
にんしておやんなナせへ
それではわつちらが
こまります〳〵
安政二稔
十月二日
夜亥剋
大地震
焼失
市中
騒動
図
【文字なし】
《割書:明治|丙申》三陸大海嘯之實況 小國政 「梅堂」印
時(とき)は惟(こ)れ明治二十
九年六月十五日 岩手(いわて)
宮城(みやぎ)青森(あをもり)の三 縣(けん)海邊(かいへん)に
起(おこ)りし大海嘨(をほつなみ)は實(じつ)に猛烈(もうれつ)を極(きわ)め
たり此日(このひ)は恰(あたか)も舊暦(きふれき)の端午(たんご)にて家族(かぞく)友(いう)
人(じん)相會(あいくわい)し宴飲(ゑんゐん)歓(くわん)を盡(つく)しつゝありしが突(とつ)
然(ぜん)沖合(をきあい)に當(あた)つて巨砲(きよはう)を發(はつ)したるが如(ごと)き響(ひゞき)
あり人々 怪(あやし)み屋外(をくぐわい)に出(いで)んとする一 瞬間(しゆんかん)數(す)
丈(じやう)の狂瀾(きやうらん)襲(おそ)ひ来(きた)り三万に近(ちか)き人命(じんめい)を
家屋(かをく)と共(とも)に一 掃(そう)せり幸(さひはひ)に逃(のが)れしも
或(あるひ)は為(ため)に不具者(かたわ)となり或(あるひ)は食(くら)
ふに粟(あは)なく其(その)惨憺(さんたん)凄愴(せいそう)た
るの状(じやう)能(よ)く筆舌(ひつぜつ)の盡(つくす)
す所(ところ)にあらず
【弊】?堂(どう)今回(こんくわい)稀有(けう)の大海嘨(おほつなみ)
【實】?(つ)況(きゃう)を出版(しゆつぱん)して博(ひろ)く天下(てんか)の
【仁】?(ん)人(しん)に照會(せうくわい)し此(この)同胞(どうはう)目前(もくぜん)の
【急】?(ふ)を救助(きふじよ)するの義務(ぎむ)を
【盡】?(く)せられんことを
【希】?(き)望(ばう)す
明治廿九年七月一日印刷 日発行
臨写印刷兼發行者
日本橋区長谷川町十九バンチ
福田初次郎
右側
地震のすちやらか
おくれて出られぬ 蔵のなか
あちこち見つけて 藪の中
うちからころげて |大道(だいど)中
【右は他のところに同じものがあるがそのままにしておき、以前に入力した後に消えていた左の本文を修正して復元した】
富(とみ)は屋(おく)を崩(くづ)し職(しよく)は身(み)を潤(うるほ)すとは
格子(かうし)で極(きめ)た約束(やくそく)の烟(けむ)りと消(きゑ)て
仮(くわ)宅(たく)へ運(はこ)ぶ土槫(つちくれ)大鍬(おほくわ)に儲(もうけ)を
酒(さけ)とけづりかけ精(しらげ)の米(よね)に
奢をきはめ土蔵(どさう)の
日々(ひゞ)のこて
療治(れうぢ)とゞ
かぬまでに
震(ふる)ふとは
なさけ
なくも
また
ありがたき
国(くに)の
恵みを
仰(あふ)ぐに
こそ
ゆすれともうこかぬ御代の
しるしとてはねかへしても
【下の句後半7文字欠損、「元のすかたよ」か】
《割書:治る|御代》ひやかし鯰
賑(にきハ)う江戸(ゑど)の花川戸(はなかハど)設(もうか)り宅(たく)の
繁昌(はんじやう)を見物(けんぶつ)せんとぬら
くらと格子(かうし)をのぞく大鯰(おほなまづ)
かむろが見付(ミつけ)てさゝやけば
おいらんハとんで出(いで)無理(むり)に
とらえんとすれど抜(ぬけ)つ
くゞりつつらまらねば
もしへ早(はや)くひやうたんを
持(もつ)て来(き)なましといへバ
気転(きてん)のきゝし若(わか)イ者(もの)これで
おさへれば大丈夫(だいじやうぶ)だと徳利(とつくり)を
持来(もちきた)れバ何(なん)の苦(く)もなくおさへしゆへ
是ハふしきと能々(よく〳〵)見れバ鹿嶋(かじま)の
徳利(とつくり)だ
女良 もしへぬしやァあんまり
さますよこのぢうもだしぬけに
きさつして大さわきを
させなました
ミせも
にかいも
一ときに
ひねりばなしじやァ
めがまハるよウ
ぎりわるや
客 そのひげを
はなして
くんねへそれを
ぬきやァおめへの
こゝろいきも
よつぽど
かたひげた
【右上箱文字タイトル】
【タイトル】持○長者泣競
【内容右上から】
ため
〽モシ さんざいやの御しゆ人はナントこんどの大ぢしんはぜんだいみもんの
ことゝもふし升が は【い?】かさま むかしより御とうちにはこのやうな大
へんは厶り升まい わたくしどもなどははなはだないぐわい大いたみで厶り升 しよぢ
のちめんが百廿三ケ所こと〴〵く大そんじ そのうち五六十ケ所もやきました
又そのほかにゆやかみゆひ其かぶが六十八ケ所 おまけにくだり荷
もつははせんしてかいむ と申ことで がつかりいたしてきぬけのやうに
なりました このやうすでは家じちや かし金のりそくもとう
ぶんはまづおあいこゝ いへくらのいたみはせけん一とうのことゆへ
ぜひもなし また〳〵やけずにけがのないのが御ほうべんと
もふすので厶り升 しるしみな○印のそんしつだ
らけで まことにとうはくいたし升 このうめくさは
ほかにいたしかたが厶り升ぬゆへ これからは大けん
やくをはじめるつもりて厶り升 そのけんやくのし
かたはだい一がくひもので厶り升 まづあさめしは
上がたりうでよひのちやをのけておきそれにて
ちやがゆ ひるはうめぼし二つづゝ やしよくはかうのものて
ちやづけなまぐさものは五せつくばかり それもひものと
きめるつもり しかしこのせつは米も大きにひきさげました
れどまだ〳〵やすいところへはゆきません くだり米などは中
〳〵もつたいなふ厶り升から なんでもふけ米の壱石五六斗くらゐのをかひまして
三きね半位の米をくはせねは かんじようにあひませぬ この外一家しんるい
のつきあひも二三十ねんほどもやめにいたすつもりで厶り升 もつとももの
見ゆさんはせうがいせず 湯は月六さい かみさかやきは十日めにきめ
手のうちは一せんもださぬつもり 此やうにけんやくいたしても 一代
や二代ではこのうめくさはできまいとおもへは さきがあんじられ
ます もふ〳〵ほかによくはいりませぬ どうぞこれから弐百
ねんもいきのび もとのしんせうにいたして せかれへゆづりとふ厶り升
そん
〽いかさまたとへに申金まふけと死にやまひ せつないもので厶り
升 中〳〵よふいに金はたまらぬもの わたくしなどはせけんの持丸
がおゝくのぜに金をたくはへておかしやるはあぶないもの もし
どろ卯がはいつてとられては せつかくこれまでくふものも
くはず おもしろいめもせずにためたものを 一あみにやられては
うまらぬことゝおもひ そこで金ておかず みな銭にしてたく
わへおき升さすればどろ卯かはいつた所がきついことは厶り
升ぬ しかしこんどのちしんでは大きなめにあひました 御ぞんじ
のとふりうちはゆがみ くらはそふくづれ たてなをさねばな
らぬのが四五ケ所厶り升 かべ土のおきばにこまりよこ町の
あき地をかりてかたづけ おまけにふか川の蔵を六十余戸
まへしろ物ぐるみそつくりやきました 其うへかけさきはとれず
かしの有やつはかけおちするやらひつそくするやら べつさうはつぶれ井
戸はにごり ろくなことは一つも厶り升ぬ せけんの持丸は金くそをひると申
升が私は銭くそをたれ升夫に引かへ家職の者は銭もふけ酒さかなの
くひあきる□□□□□ぢしんのおかけなまづいんらくとは此ことて厶り升
よく
〽アヽむねがいたい〳〵こんどの□□□□くつめこんだものを□□□
とはアなさけなや〳〵此□□□□□たことはないなむあま□□
〳〵これからせう□□まづをたちまつち子孫永くおしん
のうれひをの□□せゐくとへに〳〵おねがひ申升アヽ又むねがむか〳〵して
きた伊左衛門のせりふジヤアねへがなまづエやんでは此むねがゲヱイ〳〵〳〵〳〵
【右下】
よくふか犬
〽ウワン〳〵 よくばりのこ【下が切れているので不明。以下同様】
いゝきみだふだんじひも
けもしらずいけつ
ばつかり一文のぜに
かふにもなまづあ
すやうにちり〳〵
たものを一ときに
だすは〳〵おりい
きだせ〳〵こん
つらはろくな
くらはぬへど
なかまの
くはな
金の
だ
【以降数行あるが省略】
鹿島恐(かしま おそれ)
大國(だいこく)のつちうごかして破家(はか)なきも
君(きみ)の恵(めぐみ)に立(たち)かへる民の
竈の賑はひは
いとおほけ
なき御いさほし
別雷(わけいかづち)の神(かみ)かけてよもや
ぬけじの石御坐(かなめいし)うこかぬ
御代(みよ)のしるし也けり
世直(よなほ)しの地震(なへ)は
いつしか跡(あと)もなく
よき事ふれの
かしましきかな
ゑんまのこ
乁ゑんやらさ
ゑんまの子
つぶれたのは
いんがな子
大工
乁手間のよいのも
きのふけふで
ござるヨイ〳〵
しかししごとは
ヱロウ長ウござる
ヨイ〳〵
なまづ
乁モウ〳〵【擦れのため以下解読不能】
【擦れのため一行解読不能】
【擦れのため解読不能】〳〵
乁よなほし
よのな□
よい
〳〵
〳〵
どかた
乁はいかき
ぢきやう
みちぶしん
すきくわ
つるぱし
もくこう
なんぞは
どでごんす
乁ゑんまのこ土方のこ
ゑんやらこのサ
地震(ぢしん)のすちやらか
おくれて出(で)られぬ 蔵(くら)の中(なか)
あちこち見つけて 藪(やぶ)の中
うちからころげて 大道(だいど)中
はだかでにげ出す 風呂(ふろ)の中
店(たな)ばんはたらく けむの中
女郎(ぢようろ)はおはぐろ どぶの中
雨(あめ)ふり野(の)じんは とばの中
まがりァ直(なほ)して 内(うち)の中
すちやらかぽく〳〵
万歳らく
ぐら〳〵
[表題]
ほね抜
どぞう
《割書:なまづ|おなんぎ》大家場焼
【本文 上右から】
□【か?】しま【鯰をさばく姿と台詞から「鹿島」神と推測】
「 それあちら
でもはやくと
おつしやるぞなに
をうろ〳〵して
いるのだはやく
しないかいま
せいだして
しよくにん
しうのくい
ものにして
やりやれさ
女郎
「 アノいまあげへすよ
じれつたいそんなに
せかずとすこしまち
なましいまにうちが
きまるとゆつくりして
あげへすからさはい
おちようかしのおかわり
これで三つめだよ
じれつてへ
せとり
「 いやもこんどのぢしんは
たいへんだからおめへ
たちはさぞこまるだ
ろうのふしかしおれ
たちもあのときには
どうしようと
おもつたが
この
あん
ばい
では
すこ
しは
おち
ついた
ようだが
しかし
まだ〳〵
わからねへ
藝人
「 いやおまへさん
がたはこのたい
へんでもそう
たいそうにを
しよつてあるき
なさつてもづん〳〵
うれるからあんしん
だかわたしらなぞの
みぶんではこれからは
まことにこまりきります
しかしもうそろ〳〵とほう〴〵【となり〴〵?】が
おだやかになつてきたかららい
はるはよなをしでござりましやう
人足
「 アヽうめへさけだしてこのほしなまづの
かばやきはまたかくべつにうめへわへこのあら
□【を?】しつてハこてへられねへしかしこんな
[ ]たび〳〵はねへとかし□【ま?】の□□ぶん
[ ]のうち[ ]
【本文 中・下右から】
やねや
「 これはきみやう大あたり〳〵
このこと〳〵これにかぎります
どれおれもはいつていつはい
やらかそうこれをみては
たまらなくなつてきた
ゑし
「 へヽヽヽありがとうござり
ますなにぶんおねがい
申ますなんでも
かくことがすく
なくつては
いけません
地主
「 ヘイ〳〵いま
じきにやけます
なんでもはや□【く?】こんな
ことはやめてもらいたいまこと
にしつけないからこしがいたく
なつてきた
板元
「 どうだきさまたちも[ ]
どのいつけんですこし[ ]
かくこともあ□うこれ[ ]
あまりながく
つゞいてはあとが
わりいからは
やくよなを
し
〳〵
くら持
「 ヘイおまへさんかね
おあつらへができました
いやもこんどのぢしん
にはおゝきなめに
あいましたはやく
おあがりなさり
まし
しやかん
「 いやあこれは
ありがてへ
このこと〳〵
どれ
はやく
して
やりてへ
すぐには
わりを
たの□【み?】
升
大工
「 ヲイ〳〵おねさん
もうひとさら
はやくやいてくんな
このあ□をしぬ【め?】
ては□□□られねへ
そし□□けもよ
□やく□□□□な
甲 【手書き風朱文字。以降本文は活字】
明治二十五年三月七日読売新聞に
震災(しんさい)予防(よほう)調査(てうさ)方法(ほう〳〵)取調(とりしらべ)委員(いゐん)の設置(せつち)
(印)【□□寶丹施印?】
右(みぎ)の如(ごと)く題(だい)せる論説中(ろんせつちゅう)に(上略) 此震災(このしんさい)を前知(ぜんち)せんと欲(ほつ)することは実に困難(こんなん)なることに拘(かゝは)らず東西(とうざい)の学者(がくしや)が苦心(くしん)して
取調(とりしらべ)する所(ところ)なるが(下略 云々(うん〳〵))とあり其学理(そのがくり)に拠(よ)り之(これ)を発見(はつけん)することは学者(がくしや)に譲(ゆづ)り小生が弱年(じやくね)【かすれている部分は「ん」?】のころより試(こゝ)ろみ来(きた)り
たる 一法(いつほふ)を記(しる)して世(よ)に問(と)はんとす若(も)し万一(まんいち)此理(このり)ありとせば震災(しんさい)及(をよ)び身体保全(しんたいほぜん)の 一奇術(いつきじゆつ)を得(う)るものと云ふべし◯江戸(えど)
芝(しば)土橋(どばし)丸屋町(まるやちやう)に質商(しちしやう)山田屋清助(やまだやせいすけ)と云(い)ふ人(ひと)あり小生 年(とし)十四 其家(そのいへ)の丁稚(でつち)となる安政(あんせい)二年(ねん)乙卯十月二日 夜(よ)江戸大 地震(ぢしん)あり
此時(このとき)小生 瘭疽(へうそ)を患(うれ)ひ主家(しゆか)の二 階(かい)に病臥(やみふ)せしに俄(ひはか)に震動(しんどう)劇(はげ)しく棚上(たなうへ)にある三四の衣(きもの)櫃(いれ)臥床(とこ)の上(うへ)に落(お)ちて身(み)を圧(お)す因(より)て
大に驚(おど)ろき声(こゑ)を発(はつ)し救(すく)ひを求(もと)む時(とき)に主人(あるじ)清助(せいすけ)五十余(よ)歳(さい)手(て)に雪洞(ぼんぼり)を提(さ)げ二 階(かい)に来(きた)り扶(たす)け起(おこ)す時(とき)に主人(あるじ)の客貌(かたち)を見(み)るに
土蔵(くら)の壁間(かべま)を過(すぎ)来(きた)り頭部(あたま)より全身(ぜんしん)土灰(つちはい)に埋(うづま)るが如き(ごと)きも挙止(きよし)泰然(たいぜん)言語(げんご)平日(へいじつ)に異(こと)なることなし小生ひそかに剛胆(がうたん)なるに
敬服(けいふく)す震後(しんご)人 猶(なほ)再(ふたゝび)震(ゆれる)を懼(おそ)れ地上(ちうへ)に小屋(こや)を設(まふ)け仮居(かりずまゐ)す主家々人(しゆじんけのひと)も亦(ま)た戸外(そと)に居(を)れり主人(しゆじん)大ひに叱咤(しかり)して曰(い)はく何(なん)ぞ
其(その)臆病(おくびやう)なる我れ誓(ちか)つて再(ふたゝび)震(ゆれる)なきを知(し)れり速(すみや)かに小屋(こや)を毀(こは)して本宅(ほんたく)に帰(かへ)るべし主人(しゆじん)の意決(いけつ)するを見(み)て家人(いへびと)恐懼(おそれ)未(いま)だ
止(やま)ざるも強(しひ)て内(うち)に入(い)る後(のち)果(はた)して強(つよ)き再震(さいしん)なし玆(こゝ)に於(おい)て皆(みな)主人(しゆじん)の英断(えいだん)に感服(かんぷく)せり後(の)ち日(ひ)を歴(へ)て主人(しゆじん)一夜(あるよ)家人(いへひと)を集(あつ)めて
曰(いは)く我(わ)れ弱冠(としわか)の時(とき)或(あ)る陰医(いんい)の為(ため)に横傷(わうしやう)の難(なん)を前知(ぜんち)するの術(じゆつ)を受(うけ)たり此術(このじゆつ)たる其(そ)の身(み)横死(わうし)せんとする凡(およ)そ一 昼夜(ちうや)前(まえ)に
於(おい)て必(かなら)ず兆候(きざし)を顕(あらは)すも
のなりこれを試(こゝ)ろむる
に先(ま)づ左(ひだ)りの手(て)を以(もつ)て
奥歯(をくば)の下(した)にある動脈(どうみやく)を
診(しん)し次(つぎ)に右(みぎ)の手(て)を以(もつ)て
左手(ひだりのて)の動脈(どうみやく)を診(しん)するな
り抑々(そも〳〵)人体(ひとのからだ)の脈一身(みやくいつしん)
悉(こと〳〵)く同(おな)じく動(うご)くを以(もつ)て
常(つね)とすこれ平日無事(へいじつぶじ)の※
※脈度(みやくど)なり若(も)し此(こ)の頬(ほふ)と
手(て)との脈度(みやくど)を乱(みだ)るとき
は必(かな)らず一昼夜(いつちうや)の内(うち)に
身命(しんめい)を失(うし)なふべき大 難(なん)
あるの兆(きざし)なりとす陰医(いんい)
常(つね)に言(いへ)ることあり我(わ)れ
壮年(さうねん)より日夜(にちや)此(こ)の術(じゆつ)を
試(こゝろ)む数年(すうねん)の後(の)ち相模(さがみ)の
海浜(かいひん)に一泊(いつぱく)し将(まさ)に臥所(ねどこ)
に就(つ)かんとするに先(さきだ)ち此術(このじゆつ)を施(ほど)こすに既(すで)に脈動(みやくどう)の乱(みだ)れたるあり大(おほ)ひに驚(おどろ)き従僕(じうぼく)の脈(みやく)を診(しん)す是又同体(これまたどうたい)なりいよ〳〵
驚(おどろ)き旅店(りよてん)の主人(しゆじん)及(およ)び其(そ)の家族(かぞく)を試(こゝろ)みるに皆共(みなとも)に変動(へんどう)を呈(てい)せり時正(ときまさ)に天晴(てんは)れ月光昼(げつくわうひる)の如(ごと)し海状(かいじやう)常(つね)に異(こと)ならず然(しか)れども
何(なに)か変(へん)あらんことを察(さつ)し速(すみや)かに荷物(にもつ)を負(おふ)て出(い)で店後(みせのうしろ)の山(やま)に登(のぼる)こと凡(およ)そ三五 町(ちやう)脈始(みやくはじ)めて平日(へいじつ)に復(ふく)す因(より)て此処(このところ)に休息(きうそく)す
旅店主人(はたごやのあるじ)も亦共(またとも)に来(きた)る暁(あけ)に及(をよ)び風無(かぜな)きに海中忽(かいちうたちま)ち大濤(おほなみ)を起(おこ)し山(やま)の如(ごと)く来(きた)りて海浜(はまべ)を浸(ひた)し人家(じんか)三五を漂流(なが)し去(さ)る既(すで)に
之(これ)を目撃(もくげき)せし以来(いらい)いよ〳〵その恐(おそ)るべきを信(しん)じ日夜(にちや)三四 回(ど)此(こ)の試験(しけん)を怠(おこた)ることなし我れ此(こ)の陰医(いんい)の言(こと)を信(しん)じ今日迄(けふまで)
之(これ)を行(おこな)へり故(ゆへ)に十月二日の震災(しんさい)に遭(あ)へるも決(けつ)して変死(へんし)の患(うれい)なきを確知(かくち)し敢(あへ)て怖懼(おそれ)の念(ねん)を生(しやう)ぜざりしなり小生 此事(このこと)を
聞(き)き直(たゞ)ちに之(こ)れを筆記(ひつき)し爾来(じらい)三十七八 年(ねん)一日も此(こ)の試験(しけん)を行(おこ)なはざる日なし幸(さいは)ひに心志泰然(しんしたいぜん)常(つね)に怖懼(おそれ)を覚(おぼ)へず既(すで)に
客歳(きよねん)濃尾震災(のうびしんさい)の同刻当地(どうこくたうち)も亦(また)強震(つよきゆれ)あり小生 忽(たちま)ち脈度(みやくど)を験(けん)して異変(いへん)なきを知(し)り静(しづ)かに他人(たにん)の狼狽(うろたへる)するを見て気(き)の毒(どく)に
思(おも)ひたる程(ほど)なり夫(そ)れ真(しん)に此(こ)の理(り)の有無(あるなし)は愚考(ぐかう)の及(お)よぶべき所(ところ)にあらざれども嘗(かつ)て我(わ)が主人(しゆじん)の平素剛胆(ふだんがうたん)にして百事(ひやくじ)に
驚懼(おどろきおそれ)せざりしは必(かな)らず中心信(こゝろにしん)ずる所(ところ)あるに因(よ)りしならん蓋(けだ)し濃尾(のふび)の一震(ぢしん)は実(じつ)に天下人心(てんかじんしん)を鳴動(うごか)したり此時(このとき)に当(あた)り
我(わ)が主人(しゆじん)の如(ごと)く又陰医(またいんい)の術(じゆつ)ありて之(こ)れを前知(ぜんち)せし人(ひと)ありや小生 好(このん)で奇言(きげん)を吐(はい)て世(よ)を弄(もてあそ)ぶものにあらず毫釐(がうりん)も人(ひと)に
益(ゑき)せんとするは平生(へいぜい)の願(ねがい)なり区々(くゝ)の微哀謹(びちうつゝしん)て識者(しきしや)の教(おしへ)を請(こは)んと欲(ほつ)し聊(いさゝ)か見聞(けんぶん)せしものを記(き)せり博雅(はくが)の君子(くんし)是非(ぜひ)の
報知(ほふち)を賜(たま)はらは幸甚(かうじん)
明治二十五年壬辰三月 日 十世 守田治兵衛父
東京市下谷区池之端 宝丹本舗 守田長禄翁敬白(朱印)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
前文に対し親友 野口勝一(○○○○)君の意見書
震災前知奇術(しんさいぜんちきじゆつ)御銘作拝承(ごめいさくはいしよう)御説(おせつ)の如(ごと)く学理(がくり)の如何(いかん)は何人(なにびと)も未(いま)だ発見致(はつけんいた)さゞるべく候へ共 洪水(おほみづ)ある年(とし)には鳥(とり)は巣(す)を高樹(たかきゝの)
頂(いたゞき)きに作(つく)り火災(くわじ)あるに先(さき)だちては鼠(ねづみ)先(ま)づ逃(のが)れ強風(つよきかぜ)ある秋(あき)には鳳仙花等(ほうせんくわなど)は根多(ねをゝ)く生(しやう)ずと申す類(るい)は総(すべ)て動植物(どうしよくぶつ)にも自然(しぜん)
感通力(かんつうりよく)あるものゝ如(ごと)し然(さ)れば人(ひと)は萬物(まんもつ)の霊物(れいもの)を前知(ぜんち)する事(こと)あるべきに然(しか)らざるは理(り)また盡(つく)さゞる所(とこ)ろあるに因(よ)れる
ならん私(わたくし)曽(かつ)て或人(あるひと)に聞(きゝ)しことあり人 瞑目(めをふさき)し手(て)を以(もつ)て静(しづか)に目(め)を推(おす)ときは電光(でんくわう)の如(ごと)きもの見(み)ゆ然(しか)るに将(まさ)に死(し)すべきの
禍変(わざわひ)あるの人は此 彩光(さいくわう)を見ず或(ある)人 曽(かつ)て獄中(ごくちう)に在(あ)り将(まさ)に死刑(しけい)に処(しよ)せられんとする罪人(ざいにん)の上(うえ)に試(こゝろみ)んと欲(ほつ)せしに真逆(まさか)に
気(き)の毒(どく)に思(おも)ひ止(やみ)たりと此等(これら)の事(こと)も蓋(けだ)し何(なに)か拠(よ)る所(ところ)ありしならん是(こ)れも略(ほゞ)脈度説(みやくどせつ)と似(に)たる所(ところ)あり世(よ)に試(こゝろみ)し人ありや
なしや兎(と)に角(かく)に御説(おせつ)御広(おんひろ)め被遊(あそばされ)候はゞ種々(しゆ〴〵)の説(せつ)も自然(しぜん)の実験(じつけん)より発見(はつけん)し学理(がくり)未到之説(いまだいたらざるのせつ)もあるべき事(こと)と思(おも)はれ候
【続く「乙」の資料は別ページにて翻刻対象の為、ここまで】
【タイトル】流行浮世咄(りうかううきよはな)し
「モシ日光(につかう)のおやかた こんどは とんだ さいなんで
からきしまるはだかサ それでも はうばうから
か神馬(じんめ)ェも いただいたが 壱本や仁王(にわう)のかね
では 三社(さんじや)くまぐちも むづかしいトいって ゑんま
ゆかりもねへところへいって いんぐわ地蔵(ぢそう)をは
なしても おらァ 矢大神(やだいじん)といわれては はうさう
かといつて けへられもしねへから くめの平内(へいない)を
うけ人にたのんできやうと 思つたが あの人じやァ
かたぞうだから そこで おべんさんをせう人にたの
んできたのサ どふぞ ごろつきなかまのよし
みに かしておくんなせへ 日「なるほど さぞこまる
だらう これまでとちがって しよしきは たかし
おれのはうでも いろ〳〵と ものいりは つゞくし 思ふ
やうにはできねへが のかれねへなかだから すこし
ぐらへは どうかしやうが このごろでは てんきつがふ
がいゝから まるであそびヨマァ こうやって がまんはして
ゐるやうなものゝ きげへのきものまで□れこ
しきときてゐらァ おれなん
そは からきし きたなり(北鳴)だ
からこまりやまよ
アハ………
【画中セリフ上】
「わたいが うけ人だから
とふぞかしてあげ申て
おくんなさいましな
【画中セリフ下】
両人
「おやぶんなに
ぶん おたのみ
申やす なかくは
かりねへしきに
けへすはナ
北陸三縣 明治廿九年七月廿七日印刷
大津なみ 縁かいな節(ぶし) 仝 年同月丗一日発行
画工印刷兼発行者
日本橋区新葭町二番地
捕山橘時次郎
(一段目)
乁北陸(ほくりく)のつなミ騒(さわ)ぎハな に眼(め)も當(あて)られぬ
有形(ありさ )ハ離(はな)れ〳〵に親(をや)と子(こ)がなるも宿世(しゅくせ)の 縁(えん)かいな
乁親(をや)の譲(ゆず)りの家蔵(いえくら)を地震(ぢしん)の為(ため)につぶされて
なんと十方(とほう)に暮(くれ)の鐘(かね)これも自然(じぜん)の天(てん)さいな
乁地震(ぢしん)のあとの大つなミ驚(おどろく)く中(なか)へまた火事(くわじ)と
生(いけ)る心(こころ)ハ更(さら)になし實(じつ)に大(おほ)きな難(なん)かいな
乁先祖代々伝里(せんぞだいだいつたハり)し宝物田地(ほうもつでんち)おし流(なが)し 何所(どこ)へ
行(ゆく)にもあてハなし早(はや)く救(すく)ひハこんかいな
乁禍(わざわ)ひ蒙(かうむ)る三縣(さんけん)ハ後(のち)の世(よ)までもはなしだね
聞(きく)くも憐(あハ)れな青森(あおもり)に岩手(いわで)宮城(みやぎ)の縣かい な
乁一時(いちじ)よせ来(く)る大つなミ逃(にげ)るも引(ひく)もあらばこそ
腹(はら)に動氣を(どうき)を打浪(うつなミ)の胸(むね)ハどん〳〵ドンかいな
乁聞(きく)も語(かた)るも皆涙(みななミ)だこんどつなみの人死(ひとじに)ハ
負傷(ふしょう)合(あハ)せて六万余(よ)實(じつ)にむざんな事かいな
乁萬死(ばんし)をのがれて一生(いつしゆう)をたすかる漁師(れうし)の運強(うんづよ)く
不幸(ふこう)のうちの僥倖(さいわい)ハおめぐミ下(くだ)さる
天(てん)かいな
(二段目)
乁(なん)難に罹(かか)りし
萬民(ばんみん)ハ
世渡(よわた)る業(わざ)も
なく斗(ばか)り
恵(めぐ)む政府(せいふ)の
救助米(すくひまい)
有(あり)がた涙(なミだ)が
出で)るわいな
乁(ふけん)府縣市内(しない)の人々(ひとびと)が
東西南北(とうざいなんぼく)
奔走(ほんそう)し
有志(ゆうし)の者(もの)が
募集(ぼしゅう)して
贈(をく)る義(ぎ)えんの
金(きん)か
いな
(2頁目)
一段目
北陸三縣 明治廿九年七月八日印刷仝年月日十日発行
大つなミ 一ツトセ婦し 監写印刷兼発行者
浅草區七軒町四番地 暮 暁 筆
内 藤 英 次 郎
一ツトセ 乁人〳〵おどろく北陸(ほくりく)の〳〵
前代未聞(ぜんだいみもん)の大(おほ)つなミ この
大さわぎ
二ツトセ 乁ふ幸(こう)のわざハひかうむりし〳〵
青森岩手(あをもりいわて)に宮城縣(みやぎけん) この
きゅうへんよ
三ツトセ 乁見るもおそろし大(おほ)つなミ
火事(くわじ)や地震(ちしん)はまだお ほんとに
おそろしい
四ツトセ 乁よりたる便(たよ)りや妻(つま)や子(こ)に〳〵
はなれしひと〳〵氣(き)のどくよ ても
あハれ
五ツトセ 乁いきほい激(はげ)しき大(おほ)つなミ〳〵
にげるひまなき五分間(ごふんかん)ほんに
おそろしや
六ツトセ 乁むざんなるかやつなミにて〳〵
ひとの死傷(ししょう)ハ六万よ 見るも
あハれなり
七ツトセ 乁なかく語るもおそろしき〳〵
実況視察(じつけうしさつ)の有様(ありさま)よ きしさへ
おそろしや
八ツトセ 乁やまをもつんざくなミにて〳〵
ながれし伊へかづしれず たちき
までも
ひきぬひて
(二段目)
九ツトセ 乁こぎたすうミ江ハ
つつがなく〳〵
のかれ漁使(れうし)の
うんのよさ いのち
あつての
ものだねよ
十ツトセ 乁とほうにくれたる
罹災者(りさいしゃ)を
めぐむ政府(せいふ)の
救助米(きゅうじょまい) いづれも
いけ る
十一ツトセ 乁いき りづゝにて
さいばんも
つなミでぜひなく
ねがひさげ
あいてがないのでなき
ねいり
十二ツトセ 乁にしよひがしと
ほんそうし
有志(ゆうし)が募集(ぼしゅう)の
義(ぎ)えん金(きん) さい
はん
すくひのそのたねに
【上段】
【タイトル】
嘉永七年甲寅四月六日 午刻(ひるとき)出火
《割書:上京|火災》 町家(てうか)雑具(ざつく)損亡(そんはう)考記(かうき)
翌(よく)七日卯刻 鎮火(しづまる)昼夜九の時(とき)也
【内容】
○町数凡弐百十五町 町々木戸并神事用具
壱町に付金五十両として
此金壱万○七百五拾両也
かまど数九千弐百軒 但表家之分 六千七百弐十軒 残りはうら家也
壱軒に付金六十両として
此金五拾五万二千両也
但 御宮社(おんみややしろ)御寺院(おてらがた)御やしき方は量(はか)り知(し)る事かたく
只(たゞ)町家(まちや)ばかり大家(たいか)小家(せうか)平均(へいきん)して雑具(さうぐ)の
焼失(しやうしつ)損亡(そんばう)をおしはかり記(しる)すは諺(ことはざ)に塵(ちり)つもりて
山といへるがごとく纔(わつか)古下駄(ふるげた)古草履(ぞうり)までも其 費(つゐへ)
高大(かうだい)なれば此有増(このあらまし)をつもりて火用心(ひのようしん)恐(おそ)れ慎(つゝしま)しめんとす
へつい 壱軒家 拾七匁四分ならしにて 但大へついとも
凡造酒やとうふやそばや ねりものや其外大家の分 凡千百軒に立
此銀百六拾貫○○八拾目
米(こめ) 壱軒家弐斗六升ツヽならし 石九十目立
合弐千三百九十二石 但米や酒や其外 はり物やのり米迄
此銀弐百拾五貫弐百八拾目
疊(たゝみ) 壱軒家十六畳半ならし 一畳九匁八分立
合十五万千八百畳 七分やけ三分のこるとして
此銀千四百八十七貫六百四十目
障子(しやうじ) 壱軒家四くみツヽにならし 壱くみ 十六匁立
ふすま 合三万六千八十組 七分やけ三分のこるとして
此銀五百八十八貫八百目
あんどう 壱軒家四ツ半ならし 一ツ六匁四分立
合 四万千四百 但しつりあんとうとも 七分やけ三分残
此銀弐百六十四貫九百六十目
日がさ 壱軒家弐本ならし 一本弐匁四分立
合壱万八千四百本 子どもかさとも 七分やけ三分残
此銀四十四貫百六十目
雨がさ 壱軒家四本ならし 壱本 弐匁五分立
合三万六千八百本 七分やけ三分残 但し小どもかさとも
此銀九十弐貫目
ふとん 壱軒家百八十一匁余り但人数わり
着るい 合人数八万八千六百人 壱人前 十八匁八分ツヽ
此銀 千六百六十五貫六百八十目
【下段】
酒 壱軒家弐斗七升ならし 一升弐匁かへ
合弐千百八十四石 造酒三十一軒 清酒五十軒
此銀四百九十六貫八百目
たらい 造酒家清酒や凡八十軒 舟之桶るい
おけ 合弐百十四貫百目
町家の分七万九千四百桶百五十八貫八百目
此銀合三百七十弐貫九百目
醤油 壱軒家壱斗八升立 一升 壱匁かへ
合千六百五十六石商売向棒たる共七分やけ三分残り
此銀百六十五貫六百目
あぶら 壱軒家壱升五合立 一升四匁五分かへ
合百三十八石 商売向とも
此銀六十弐貫百目
柴 壱軒家 八束立 一束壱匁壱分七り
割木 合七万三千六百束 商売向大わりとも
此銀 八十六貫百十弐匁
炭(かたすみ) 壱軒家二俵半立 一俵四匁かへ
くらま 合弐万三千俵 但し炭やくはしやふろやとも
此銀九十弐貫目
下駄 壱人前七足半立 六十六万四千五百足
さうり 人数〆八万八千六百人
わらじ 此銀千○廿四貫三百八十目
漬もの 壱軒家 四挺ならし 但□□□□ 合しさし引して
〆三万六千八百挺
此銀三百六十八貫目
下糞 壱軒家 半荷ツヽ代五分ツヽ立
此銀 四貫六百目
小便 壱軒家 たこ共代 壱匁立
此銀 九貫弐百目
合 金五拾六万弐千七百五十両と
銀六千九百八十六〆百九十弐匁 代十万七千五百両
惣合高金六拾七万○弐百五十両也
土蔵凡 千八百七十三ケ所之内
九百四十一ケ所 焼失
仏だん屏風かけ物脇さし手道具家具おゝ道具
たんす長持なべかま其外せとものるい
此等は迚も広大之事にて量がたしよつて
此金高の外なる事をしるへし
右金高わづか九(こゝ)の時(とき)之 間(ま)に灰燼(くわいじん)と成事 可恐(おそるべき)事也
故につね〳〵火用心(ひのようじん)ゆだんし給ふべからずいさゝか田葉(たば)
粉(こ)の火も万民(はんみん)の歎(なげ)きを発(おこ)す基(もとゐ)也くれ〳〵昼夜(ちうや)
暫(しはら)くもゆだんなすべからず慎(つゝしむ)へき第一也尤 追々(おひ〳〵)もとの
住所(すみか)とするは又 倍々(ばい〳〵)の入用(いりよう)考(かんか)へ知べし
【タイトル】
嘉永七甲寅年中珍事咄
【上から一段目 右から左へ、以下同様】
【コマタイトル】八代目のりこみ
【図中吹出し】大はずみ 大当たり〳〵〳〵
【コマタイトル】大坂なんち□出
【図中吹出し】けしやう料 沢山 あげ代 とまり
【コマタイトル】坂町之らいちやう木□
【図中吹出し】じあんじ 境内
【コマタイトル】上酒うりのばゞ
【図中吹出し】人々 もつぱらの うわさ
【コマタイトル】一朱銀の通用始り
【図中吹出し】
【コマタイトル】北しんちおどり
【図中吹出し】あげ代 入用
【コマタイトル】諸社へ御千度
【図中吹出し】大はづみ 御きとう料
【二段目】
【コマタイトル】信貴山寅ノ守出る
【図中吹出し】六十一 年目に 此守り 出る
【コマタイトル】水死のため大せがき
【図中吹出し】上町 出火 さいせん 心持
【コマタイトル】大風豆ふり井筒やの噂
【図中吹出し】めづらしき事也 なき事をいゝ出し 人々のせつ有
【コマタイトル】江戸三芝居大火
【図中吹出し】十一月五日 亥ノ刻
【コマタイトル】大津波にて破船落はし
【図中吹出し】十一月五日 くれ半時 大坂大黒ばし
【コマタイトル】六月奈良郡山大地震
【図中吹出し】六月十四日
【三段目】
【コマタイトル】湊関取 八代目死去
【図中吹出し】湊十月廿三日 八代目 八月六日往生
【コマタイトル】諸社へさんけい御千度
【図中吹出し】大にぎわひ〳〵〳〵 さいせん
【コマタイトル】目出度新玉の春
【図中吹出し】 上り 目出度〳〵〳〵 大豊年 入船 沢山
【コマタイトル】大地震にて野宿の図
【図中吹出し】十一月四日 酒袋あきない
【コマタイトル】大坂ほり江孝行娘
【図中吹出し】まれなる娘 ほうび沢山
【四段目】
【コマタイトル】西御堂地築
【図中吹出し】大はつみ さいせん 沢山
【コマタイトル】諸国大豊年
【図中吹出し】めでたし〳〵〳〵 大悦
【コマタイトル】大坂長町三ツ子生
【図中吹出し】三人とも 男の 子 なり
【コマタイトル】浪花天保山異国船
【図中吹出し】九月十八日
【コマタイトル】身延山大坂へ御通行
【図中吹出し】さいせん
【コマタイトル】新町天神道中
【図中吹出し】あげ代 入用
【五段目】
【コマタイトル】江戸浦賀異国船
【図中吹出し】ふりはじめ
【コマタイトル】早舟寅吉 尾上多見蔵 一座
【図中吹出し】大当り
【コマタイトル】ぽんぽこの歌大はやり
【図中吹出し】ゑい死火 紙てつほう くわしん代
【コマタイトル】遊行寺参詣
【図中吹出し】さいせん たくさん
【コマタイトル】八丁め 寺町 地ごく戻り
【図中吹出し】やれこわい〳〵 しやばへもどる
【コマタイトル】桜宮正遷宮
【図中吹出し】三月十五日より 休
【コマタイトル】京都大火
【図中吹出し】
【ここには中央下資料のみ翻刻でよいと思われるが残しておく】
【上図表題】
十一月五日の夜(よ)
大津浪
来る前
大坂
前(まへ)垂(たれ)
島(しま)に
出る
怪異(くわゐ)の図(づ)
【本文】
〇十一月五日|夜(よ)暮(くれ)六つ半時|津(つ)浪(なみ)にて橋(はし)落(おち)し分(ぶん)
〇|道(とう)頓(とん)堀(ほり)川西ヨリ日吉橋|汐(しほ)見(み)はし|幸(さいわひ)橋 住吉はし
〇堀江川 |水分(みづわけ)橋|鉄(くろがね)はし〇西|横(よこ)堀|金(かな)屋はし
〇安治川橋〇亀井橋〇玉津はし都合(つかう)十一橋
〇天保山津|浪(なみ)突上(つきのぼ)り此|辺(へん)の漁師(れうし)民家(みんか)とも水
つきけるゆへ皆々(みな〳〵)天保山へ逃登(にげのほ)る民家大そんじ
小家|崩(くづ)れながるゝすべて此辺の新田(しんでん)水突入
ける故百姓家|各(おの〳〵)堤(つゝみ)に逃登る其後|皆(みな)堤(つゝみ)の上に
|仮小屋(かりこや)立(たて)是(これ)に住居(ぢうきよ)す
【下図表題】
大阪川口新田之図
【残り文字は画像内に翻刻】
【絵の説明】
難義鳥(なんぎてう)
大地震の翌晩
四つ時より郭中の真うへ
并に芝居町のほとりへかけて
あやしき鳥あらはれその鳴くこへ
甚た哀なり或時諸職の
ものども嘉肴をとゝのへ
酒もりしける坐中より
大鯰の肴をさらひとり虚空
はるかに舞登りけり
まことにふしぎの事共なり
これ定て深き意味ある事
なるへけれともその次第をしれる
もの更になけれは人〳〵
深くあや
しみ
けりとそ
のちかならす
おもひあたる
事あるへし
と尓いふ
安政二卯年十月二日
大地震にて死亡する
者の為に十一月二日
大施餓鬼これある
寺院名前幷
死人惣数
天台宗
東叡山凌【ニスイに麦】雲院
浅草寺にて勤る
浄土宗本所
回向院
古義真言宗
二本榎 西南院
同 白金台町
圓満院
新義真言宗
大護院
済家宗品川
東海寺
曽洞宗貝塚
青松寺
黄檗宗本所
羅漢寺
時宗浅草
日輪寺
日蓮宗下谷
一致派 宗延寺
一向宗筑地
西本願寺
同 浅草
東本願寺
日蓮宗浅草
勝劣派 慶印寺
十一月十五日改ル死人
男
〆三万七百七十九人
女
〆二万千百六十五人
【上図に横書き】
熊本県下飽田郡高橋
【下図に横書き】
熊本城内号砲台
【下図に横書き】
明治廿二年九月一日東京朝
此に掲ぐる両面の図画は明治廿二
年七月二十八日夜熊本県下に起れ
る大地震の紀念として留むべき為
め同県飽田郡高橋町(字川端)市街
被害の実況及び同地第六師団所轄
熊本城内(旧平左衛門櫓床)号砲台
近傍の土地割裂の写真に拠て図画
を作り之を欧風写真画様に摸刻し
たるものなり幾多の写真中特に茲
に此の両面を撰みて摸刻したるも
のは該地被害の箇処中殊に此の両
処を以て最も悲惨の箇処となせば
なり
北陸三県 縁(ゑん)かいな節(ぶし) 明治廿九年七月廿七日印刷
大津なみ 同 年同月卅一日発行
画工印刷兼発行者
日本橋区新両葭町二番地
楠山橘次郎
【本文上段】
〽北陸(ほくりく)のつなみ騒(さわ)ぎはなか〳〵に眼(め)も当(あて)られぬ
有形(ありさま)は離(はな)れ〴〵に親(をや)と子(こ)がなるも宿世(しゆくせ)の縁(えん)かいな
〽親(をや)の譲(ゆづ)りの家蔵(いへくら)を地震(ぢしん)の為(ため)につぶされて
なんと十方(とはう)に暮(くれ)の鐘(かね)これも自然(じぜん)の天(てん)さいな
〽地震(じしん)のあとの大(おほ)つなみ驚(おどろ)く中(なか)へまた火事(くわじ)と
生(いけ)る心(こゝろ)は更(さら)になし実(しつ)に大(おほ)きな難(なん)かいな
〽先祖代々(せんぞだい〴〵)伝(つたは)りし宝物(ほうもつ)田地(でんち)おし流(なが)し何所(とこ)へ
行(いく)にもあてはなし早(はや)く救(すく)ひはこんかいな
〽禍(わざは)ひ蒙(かふむ)る三県(さんけん)は後(のち)の世(よ)までもはなしだね
聞(きく)も憐(あは)れな青森(あをもり)に岩手(いわで)宮城(みやぎ)の県(けん)かいな
〽一時(いちじ)よせ来(く)る大(おほ)つなみ逃(にげ)るも引(ひく)もあらばこそ
腹(はら)に動気(どうき)を打浪(うつなみ)の胸(むね)はどん〳〵ドンかいな
〽聞(きく)も語(かた)るも皆涙(みななみ)だこんどつなみの人死(ひとじに)は
負傷(ふしやう)合(あは)せて六万 余(よ)実(じつ)にむざんな事(こと)かいな
〽万死(ばんし)をのがれて一生(いつしやう)をたすかる漁師(れうし)の運強(うんづよ)く
不幸(ふこう)のうちの僥倖(さいわい)はおめぐみ下(くだ)さる
天(てん)かいな
【本文下段】
〽難(なん)に罹(かゝ)りし
万民(ばんみん)は
世渡(よわた)る業(わざ)も
なく斗(ばか)り
恵(めぐ)む政府(せいふ)の
救助米(すくひまい)
有(あり)がた涙(なみだ)が
出(で)るわいな
〽府県(ふけん)市内(しない)の
人々(ひと〴〵)が
東西南北(とうざいなんぼく)
奔走(ほんさう)し
有志(いうし)の者(もの)が
募集(ぼしう)して
贈(をく)る義(ぎ)えんの
金(きん)かいな
かなめ石の福
美濃尾張大地震明細図 記事并細表 登録
【第一段】
【六字分ほど破れ】震は愛知岐阜両県下を限りて最も其強
【六字分ほど破れ】極めたる者の如く然り而して其震動線の
【五字分ほど破れ】震害地の概況を述れば名古屋市より南々東
【三字分ほど破れ】弱にして北々西に強猛なり茲に其実況視察の記を作す
【一字分ほど破れ】名古屋市を西北に去れは枇杷嶋町あり一里余に亘れる市街にし
て其西側に櫛比したる人家は将基【棋】倒れとなり又は焼失す
●清洲町東入口の人家五六十戸を残して余は悉とく顚倒
破壊す是より一の宮に到る三里許此村落潰家多し
●一の宮町は戸数凡三千戸に近き地にして尾州第二の商業
地なりしが其十中の七八は倒潰したれど清洲の如く甚しからず
是より黒田停車場の近傍に来り見れば一戸の全き家あるを
見ず北方村より濃州笠松町至る木曽川の堤防は煨芋【焼芋】
を捻り潰したるが如き形状をなせり
●笠松町は商業繁華の地にして堤上堤下の人家焼失す
偶火災を免れたるものは顚倒狼藉一戸の全きものあるなし
一の宮より笠松に至る凡二里笠松より加納町に至る二里余
●加納町は八分通り倒潰す同町に接して岐阜市あり
●岐阜市は濃州の首府戸数凡六千にして美麗繁華の
市街なりしが今回の震災により六ヶ所より発火し全市
十分の九を焼き払ひ一望灰燼の中に金華山の翠壁
を認む奇と云ふへきか惨と云ふへきか
●北方町は岐阜の西北二里余戸数千戸全潰半潰を合す
れば其八分強を失ふに至ると云ふ
因に記す北方町の西端に糸貫川あり源を根尾谷に発し
本巣郡に属す此谷奥深きこと十里木材段木【つだ、薪のこと】を以て名あ
り
此谷の中央に当り去月廿八日払暁より鳴動激発忽にして
轟然震動ありて処々の平野村落等陥落し峰巒は
没して幽谷となり或は深淵となるもの多し●此谷奥に
権現ヶ嶽あり〈今人白山と呼ふ〉海面を抜こと七千尺此髙山
震動の為め三段に折たり而して今回地震発源地は
【第二段】
全く此根尾谷の地盤陥没に原因したる者なりと云ふ
●大垣町は戸数四千余商業繁昌の地なりしが今回の
震災と火災により全市を払ひ尽して只旧城の天主閣
のみ残れり此町は先年の入水により市民困弊今復此災
害に遭ふては終に旧形に復すること能はずして全く滅
亡となるべし死傷殊多く惨中の惨たる者なり
●大垣町より今尾町髙須町及ひ竹ヶ鼻町に来り見
に孰れも七八分の破壊顚覆を蒙らさる者なく此間
の村落も亦同しく其震害を被れり乃ち木曽川を渡
り尾州起駅稲葉町を経て名古屋に帰る
因に記す名古屋より岐阜を経て北方
町に達するの方向は北々西に当る而
して名古屋岐阜間の鉄道線に沿ふ
て縦形に亀裂し処々噴水せし為め
青色或は鼠色の砂を地表に吹き出せり殊に
岐阜金華山の如きは震動后一時間余其麓の
地処々に於て一升樽大の棒状をなしたる噴水
五六尺に及へりと云ふ
【第三段】
上に記したる事実は三日間の行程僅かに一目の看
過なれば其惨場の惨を写し得ること難く殊に此印行
は震害線の地図にありて叙事紀実にあらずと雖と
も蓋し其概況は尽くし得たる心得なり只名古屋市の
記事は此に載せざるも郵便局紡績所の顚倒せしも
のに就て之を見ば其震害の強烈なるを知らん然れ
とも岐阜県の如きは其死傷愛知県に倍するを以て考ふ
れは其惨烈なる知るへきなり
嗚呼去月二十八日午前六時三十八分は如何なる時そ実に此
瞬間四セコンドの間に祖先伝来の蓄積も十年辛苦
の経営も轟然一倒の中、柱梁瓦壁百槌乱降の下に葬
られ或は□【鰥】寡孤独廃疾の者となる其数幾千万なる
を知らす吁々痛哉哀哉請ふ
願くば四千万の同胞よ互
に矜恤の心を起し糸銖其少を問はす各自相沙汰して
此憫むべき者に恵まれんことを
【附表】
【表をそのまま再現できないので、表中の各項目に①、②などの番号を付し、その番号に対応する各市郡の数値を示した。①総戸数、②家屋全潰、③家屋半潰、④総人戸[口?]、⑤死亡、⑥負傷、⑦火災戸数】
岐阜県各郡震災統計表 明治廿四年十一月一日正午十二時迠其筋へ届け出た□
岐阜 ①五、八五二、②九百四十八戸、③二千九百十六戸、④二五、六七六、⑤二百五十人、⑥七百 〇〇(ママ)人⑦二千二百廿五戸
厚見 ①七、八三五、②四千八百四十戸、③千百七十〇、④ 四一、九五五、⑤六百廿一人、⑥五百九十八人、⑦三十四戸
各務 ①四、二一五、②千二百十八、③五百卅三、④二〇、〇三七、⑤四十九人、⑥百二十三人、⑦〇
方県 ①五、七七九、②二千四百八十五、③〇、④二八、七一九、⑤二百九十三人、⑥六十八人、⑦三戸
中島 ①四、六一五、②三千五百五十八、③三百〇四、④二二、六六六、⑤三百五十六人、⑥五百八十六人、⑦五百七十戸、
羽栗 ①六、三一一、②四千五百〇〇、③六百二十五④三二、四〇二、⑤三百四十三人、⑥六百八十二人、⑦五百四十七戸
下石津 ①三、〇七五、②六百六十五、③〇、④一四、一二五 、⑤二十七人、⑥三十四人、⑦〇
海西 ①一、九二二、②九百七十五、③〇、④八、八五〇、⑤四十二人、⑥五十六人、⑦〇
多芸 ①五、八三四、②一千五百五十七、③五百四十二、④二八、〇八一、⑤八十五人、⑥百二十四人、⑦二戸
不破 ①六、六八九、②四百十〇、③百二十五、④三〇、〇八二、⑤二十人、⑥三人、〇
安八 ①一五、二九二、②五千二百七十七、③八百五十三、④七三、三六七、⑤九百九十六人、⑥千八百十九人、⑦二千九十戸
大野 ①七、一一四、②千八百十二、③〇、④三四、〇三二、⑤七十四人、⑥九十九人、⑦〇
池田 ①六、一〇九、②七十四、③百〇四、④二八、九七五、⑤一人、⑥四人、⑦〇
本巣 ①六、五九二、②五千六百三十、③七十、④三一、八六〇、⑤五百六十人、⑥六百〇〇人、⑦〇
席田 ①七一四、②六十、③二十五、④三、五一九、⑤五人、⑥十五人、⑦〇
山県 ①五、五一四、②二千五百〇〇、③三百〇〇、④二六、九五〇、⑤二百二十七人、⑥三百八十人、⑦〇
武儀 ①一六、一六五、②五百四十四、③三百九十二、④八五、六二一、⑤百〇〇人、⑥百廿二人、⑦九十二戸
加茂 ①一二、七四二、②三百〇七、③〇、④六一、九五六、⑤十四人、⑥四十一人、⑦〇
可児 ①七、二三七、②六十二、③百五十〇、④三三、七五三、⑤十五人、⑥六十一人、⑦〇
土岐 ①九、〇三二、②四十五戸、③四百八十、④三九、九五四、⑤一人、⑥七人、⑦〇
上石津郡、上恵那、《割書: |飛ダ》盆田、大野、吉城等ハ被害ナシ
合計総戸数十八万二千四百九十三戸、総人口九十一万六千六【「百」脱カ】三十九人アリ
震災概表 明治廿四年十一月三日正午十二時調
【①死亡、②負傷、③潰家、④半潰家、⑤摘要】
名古屋市 ①百七十一人、②二百七十一人、③一千五十二戸、④八百一戸、⑤市内家屋ノ被害夥シ
愛知郡 ①百五十一人、②三百〇八人、③千三百廿九、④未詳、⑤熱田及下ノ一色甚シ
東春日井郡 ①十七人、②二十六人、③六百十六、④九百五十一、⑤瀬戸赤津品野ノ諸村《割書:陶器竈ハ悉|皆破壊セリ》
西春日井郡 ①三百十一人、②四百十八人、③《割書四千〇五十七:但シ半潰家共|》、④【空欄】、⑤《割書:枇杷島清洲ノ惨状最トモ【合字】甚シク家|屋ノ存スルモノ殆ド稀ナリ》
丹羽郡 ①百七十六人、②八十四人、③三千四百六十九、④九百九十五、⑤《割書:岩倉犬山小折最モ甚シ而シテ此調査|ハ当郡卅九村ノ内卅村調査ニシテ残九村ハ未詳ス》
葉栗郡 ①二百三十六人、②五百人、③三千九百四十二、④一千五百五十五、⑤《割書:大田島村以西黒田、北方、玉ノ井最モ甚シ|瑞穂村潰家半潰家佐千原村半潰未詳》
中島郡 ①九百五十七人、②九百二十五人、③一万六千六百六十、④五千七百四十八、⑤奥田、起、一ノ宮近辺最モ甚シ
海東郡 ①二百八十八人、②三百〇五人、③七千七百廿五、④二千五百九十八、⑤津島、蟹江等最モ甚シ
海西郡 ①三十三人、②三十三人、③千九百〇九、④四一四、⑤【空欄】
知多郡 ①〇、②十六人、③三十六、④九十七、⑤《割書:被害ノ個所ハ概シテ本郡ノ西海岸ニ沿ヒタル|各町村ニ多ク常滑陶器カマド損害夥シ》
碧海郡 ①三人、②十人、③百五十八、④三十二、⑤【空欄】
幡豆郡 ①四人、②三十三人、③百五十六、④三十二
額田郡 ①〇、②〇、③五、④〇、⑤【空欄】
西加茂郡 ①〇、②〇、③二十五、④二十七、⑤【空欄】
宝飯郡 ①一人、②二人、③九、④二十七、⑤【空欄】
渥美郡 一人、②〇、③十五、④十六、⑤【空欄】
合計 ①二千三百五十一人、②二千九百 卅一人、③四万一千四百九十九、④壱万三千三百四十一、⑤【空欄】
備考 本表ノ数ハ未ダ詳細ヲ得ス概況ヲ掲ケタルモノニ付尚精査ノ上ハ増減有ベシ
人畜死傷家屋倒潰ノ惨状加フルニ名古屋市及西春日井郡枇杷島并清洲丹羽郡岩
倉并犬山葉栗郡北方海東郡津島等出火諸所ニアリ又地盤ノ壊裂堤塘ノ滔崩橋梁
ノ破損等枚挙スヘカラス要スルニ今廻ノ地震ハ尾張地方ニ最モ強クシテ三河地
方ハ弱ナリ
明治廿四年【三字分ほど破れ、十二月】 日
【九字分ほど破れ、印行】
愛知県名古屋市鶴重町六十八番戸
著者兼発行人 近藤寿太郎
同県同市中市場町五番戸
印刷人 大月勒二
名古屋市隺重町六十八番戸
発行所 秀文
(上段右)
地しんの子
(上段左)
ゑんまの子
(中段右)
地ぞふの子
(中段左)
土方の子
(下段)
雷の児
五子十童図
《割書:諸国|大阪》大地震大津波細見一覧
嘉永七甲寅年
霜月四日巳之上刻
大坂大地震有之
人家所々崩れ残ハ
怪我人死人有之大二
騒動いたし候所よく
五日七ツ半時大地震
其上津波にて市
中大混雑一方ならず
流れ人家死人之義は
下の段二委敷しるす
誠二古今稀成大変成
べし〳〵おお大坂市中
夫々町別二いたし
わかり安く一紙に表し
相認有之候其外諸
国同様大地震つなミの
場所も有之則左二くわ
しくしるす
堺 《割書:地しんつなミ人家|流れはし流る》
岸和田 右同断
紀州 《割書:諸々津なミにて|人家流れ死人多し》
尼ケ崎 《割書:地震にて家数|三十軒余崩れ》
灘 地しん
にて
人家大二そんじる
雨之宮 《割書:地震にて八十|軒斗くつれ》
播州 《割書:網丁人家大ひ二|そんじる》
赤穂地しんにて家崩レ
大つなミ流れ人家有之
土地われ泥水吹出し塩浜
すごく大二そんじ死人数
しれず
三田 地震二て七十
軒斗崩レ其
近在九ヶ村二て
百四十軒斗崩るゝ
志州 大坂同時の大
鳥羽 地しん翌五日
大つなミにて
御家中市中大かた流
込死人数しれす其外
勢州川さき 松枝 津
神戸 白子 桑名
何れも同様之事
尾州名古屋 宮
あたミ 津嶋 さや
右大阪同様地震つなミ
大変
京都 丹後 宮部 亀山
右四口五ッ時より大地しんにて
五百軒斗り崩れ死人失人
数しれず
奈良 木津 伊賀上野
右地震にて少々宛人家崩れ
大二そんする
【中央資料のみ翻刻】
あら嬉(うれ)し
大安日に
ゆり直す
御代(みよ)は
千秋(せんしう)
後万歳楽(ごまんざいらく)
鶴亭主人
〽わたくしどもいさゝか人にうらみはなひが
このごろどぜうめがりうかうしてなまづの
むまに【うま煮】はおあいだになりそれかくちおしくて
うごきましたところおもひよらぬ
けがにんをこしらへあとさき見づの
とがをくやみてごまんざいらくの
はてまてもすなを
かぶつてうごき
ませぬゆへ
ごようしや〳〵
【挿絵内】 要石
とてつるけんかへ歌
さてもそうどうしんしうハ
まいるひと〴〵しよこく
から
よるどさ〴〵なまづニ
おそれゆす
ひやうばん
なか〳〵
たいそうだ
ば様ハ
によらいに
すくハれた
ぢゝいハほう〳〵
とてつるてん
のがれてかへりましよ
【左上赤字】
頃ハ弘化四年三月二十四日夜四ツ時信州大地しんにて東西二十里南北十里余の間
ゆりくづれその上出火いたし所々やけるいなり山ゆるぎ出し丹波川くづせこミ九十
余ヶ村のあいだ死するもの数しらず翌廿五日の夜四ツ過大地のさけることやミ二十八日の昼過に
いたりてやう〳〵ゆるゝことやむふしぎなるハ善光寺の本堂山門ばかり暦然たる事きたいなり
【右ページ上段の囲み内】
【1行目はとぎれていて判読不可】
一 我等義(われらぎ)当十月二日 夜酒(よさけ)に乗(じやう)じ鳴動(めいどう)の上
前後(ぜんご)亡失(ほうしつ)仕 八百万(やおよろづの)御神(おんがみ)たち御 留守(るす)をも不弁(わきまへす)
御江戸町々 家蔵(いへくら)等 破逆(はきやく)致し損亡(そんほう)夥敷(おひたゝしく)候に
付 神仏方(しんぶつかた)御 怒(いかり)の段(だん)御 尤(もつとも)に御座候 然(しか)る所
先(せん)夜 雨天(うてん)の節(せつ)津波共(つなみども)打寄(うちより)候に付 我(われ)等
罷出(まかりいで)八大龍王(はちだいりうわう)江 相 頼(たのみ)右津なみ 差戻(さしもどし)させ
御ぶなんに相 過(すぎ)候 依之(これによつて)蛭子(ゑびす)神を以て御 詫(わび)申
入候所ゆる〳〵御 聞済(きゝすみ)被下置 千万(せんばん)難有奉存候
向後(こうご)震(ふるひ)候節は鯰(なまず)一同 蒲焼(かはやき)すつぽん煮(に)等に
被成候共 決而(けつして)一 毛(もう)の動(うごき)申間敷候 為後日(こにちのため)さし
ゆれ申一 発(はつ)仍(よつて)不 断(だん)の如し
安政二年
霜月二日
地震坊(ぢしんばう)
大鯰(たいねん)
【右ページ下段】
□
〽□そらよわしもゆくきはねえけれど
よんどころなくつぶされたのうへで
でき心りやうけんしなせへ
ふきのとう
〽おめへかたはともかくもおれは
なんにもじやまにはならす
ぢしんにあたまをはりたを
されるりくつはねへやア
かみなり
〽コウぢしん手めへやおれはよの中て
仲間といふはしつてゐるになせおとして
くれた□おちていひしふんには
おれかかつてに一人リでおちる
かぜのかみの
まへも
あるはへ
よごれたのを
ぬり直して
くれろ
ゑびす
〽わしも十月そう〳〵から
こんなさはぎかみ〴〵へも
いひわけなくやう〳〵
おわびは申たなれど
このごはきつと
ふるふなヨ
かしまさま
〽かなめ□しが
ひやうたんの
やうになつては
わしがいせへ
すまぬぞきつと
つつしめ
【左ページ】
盲人
〽てもさてもいくしは
ねへせつかくこうり
をかしてためたこの
かねをせめては▲
▲
【給?】と
きんば
かりても
のこして
くれゝば
いゝにそれ
までとは
うまらねへ
じしん
〽なんとどうたこう
ゆすぶつたらありつ
たけたさずはなるまい
さあいまゝでためたその
かねをのこらすはきだして
しまへそうするとおゝくの人が
よろこぶわ
かね持
〽あゝせつねへせつかくしほをなめてためた
このかねをのこらずはかしてしまうとは
なさけねへしかしためたときよりまことに
せわなしにでゝしまつた
かね持
〽やれ〳〵きさまははいたらおれはしりを
ふまれるゆへ?みんなくたつてしまつた
いま【し?】い
□しよ□□【諸しよく人?】よろこぶこゑこや〴〵
かや〳〵〳〵わや〳〵〳〵〳〵
いしや
〽やれ〳〵これは
ごていねいに
ぐろ?までこゝへ
おだしくださるとは
かたじけない
東海道大地震津浪出火次第
吉田 大じしんにて半分つぶれ 藤枝 下伝馬丁ゟ半やけ
二タ川 同断 岡部 半分つぶれ
白須賀 同断 まり子 同断
あら井 大あれにて舟一艘も無し 府中 江川丁ゟ出火三分通やけ
舞坂 津波にて家一軒もなし 江尻 丸やけ
濱松 大地しんにて八分家損し 興津 津波打込半つぶれ
見付 同半分餘つぶれ 由井 無事
袋井 丸やけ かん原 半分つぶれ半分やけ
掛川 同断 岩ぶち 同断
日坂 無事 吉原 丸やけ
金谷 八分通りやけ 富士川 水無之かち渡り
嶋田 三分通りつぶれ 右荒増其餘者【は】未不相分
三職よろこび餅
〽なまづさんおめいの
おかげで今年ァ
久しふりで
たわらで米
をかつて
餅をつき
やしたから
たんとあがつて
くたせいやし
なまつ〽これは〳〵よくねれました
お礼に一しやうかみました
かせくのか人はかんじん
かなめいし
家はかたもち
すへは金もち
金堂筆
《割書:明|治》地震之図
百度(ひやくたび)之を聞(きく)は一度(ひとたび)之を
見(み)るに如(し)かず遠(とふ)く火(ひ)災を望(のぞめ)ば
只(たゞ)赤(あか)きを以(もつ)て見(み)るのみ近付(ちかづ)いて
之(これ)を見(み)る其(その)思(おもひ)必(かなら)ずや増(ま)さん如(いか)何なる
悲哀(ひあい)の事柄(ことがら)たり共(とも)現在(けんざい)自己(おのれ)の見(み)ざる
ものは其(その)感情(かんせう)薄(うす)し岐阜愛知両県の
震災(しんさい)は実(じつ)に明治廿四年十一月廿八日午前
六時三十分の地変(ちへん)にして安政二年十月二日
の大 地震(ぢしん)以来 未(いま)だ嘗(かつ)て聞(き)かざる所(ところ)就中(なかんづく)
岐阜(ぎふ)大垣(おふがき)名古屋(なごや)の如(ごと)きはそも/\中心(ちうしん)にして
潰(つぶれ)家(や)死傷(しせう)幾万(まん)を以て算(かぞ)へ父母(ふぼ)妻子(さいし)全(まつた)
きものなし其 甚(はなはだ)しきに至(いた)つては首足(しゆそく)ちぎれ
身肉(にく)たゞれ一見(いつけん)胸(むね)塞(ふさ)がり魂(こん)飛(と)び眼(まなこ)暉するに
至(いた)る故(ゆへ)を以て全(ぜん)国の慈善家(じぜんか)続々(ぞく/\)義捐(ぎけん)の金
円を喜捨(きしや)す今(いま)や時(とき)は酷寒(こくかん)の候(こふ)に向(むか)ひ地面(ちめん)潰(くわい)
裂(れつ)家財(かざい)烏有(うゆう)食(しよく)するに物(もの)なく買(か)ふに貨(くわ)なし
嗚呼 亦(また)惨状(ざんせう)の極(きよく)と謂(い)ふ可(べ)し此度同 地方(ちほう)の人(ひと)
齋藤彰一山口定雄の両氏其 現状(げんぜう)を実見(じつけん)し
予(よ)に語(かた)る且ツ演劇(ゑんげき)に脚色(きよくしよく)せられんことを嘱(ぞく)せらるゝ
予 其(その)拙(つたな)きを顧(かへり)みず一夕(いつせき)之(これ)を三幕に編(あ)み其 実況(じつきやう)
を写出(しやしゆつ)し名題(なづけ)て大地震(おうぢしん)岐阜(きふの)実況(じつきやう)といふ蓋(けだ)し大(たい)
方(ほう)の慈善家(じぜんか)をして益々(ます/\)喜捨(きしや)の義挙(ぎきよ)ならん事(こと)を勧(すゝむ)
るも亦(ま)た同胞(どうほう)罹災(りさい)死亡者(しぼうしや)追善(ついぜん)の為(ため)に幾(ちか)からん乎
明治廿四年十一月中浣金林堂主人村上氏の需に応ず
牛島の牧士
川 村 鴉 江
秀嶺
《割書:彫|工》高木金
出現(しゆつげん)苦動(くどう)明王(めうわう)
女
〽ヲヤ あのかみさまはひたへかおやちのやうでかほが
なまづにからだかかみなりせなかにひをしよつて
おいでなさるかまことにくといおなりたねへ
ナニヱ それたからくとうさまといふたとヱヲホヽ〳〵
男
〽コレサ〳〵 わらいことしや□□へ
くいちのわれやくとうさまとかたにもかたふ
くれへなあらたかなかみさまたから
はちのあたりかひてへとふつころされるせ
しよく人
〽なむくとうめうわうさままつはわたくしもふなんにいのちの
たすかりましておもひかけないせにまかけをいたしましたゆゑしちを
うけやうとおもひましたかさいわいしちやかやけましたゆゑやまのかみのゆるしか
てゝあたらしいきものかきられるやうになしましてありかとうこさります
このうへのこりやくにはまたふしんのてきあかつたしふんていりの店たけを
すこしつゝおゆすりくたさいまし
□□□く
□□□かたはつまらねへことはかりいつておかむかかみさまをおかむにはこしんこんをとなへるものだ
【な】まづの力ばなし
この【ころ】地震のうはさ遠國まできこえ信州のなまづ
御当地へ下り地震の見舞は申さねども江戸のなまづと
こんいをむすびしばらくこゝにとうりうしてありけるにあるひ
あまりと【ぜ】んなればなまつどじ【ゞ?】ひげとひけとをむすび
あひそうはうの【ゑ】りにかけ首引(くびつぴき)をなさんとてたがひに
ちからをあらそひしが女房のあまづこれを見つけ
きもをけしてはしりより〽これ〳〵そんなわるいことをなぜ
しなさるのじやどちらにけがゝあつてもわるいよしな
され【〳〵〽】とめるな〳〵〽いや〳〵ならぬ〽いやさなまづの
ひげのき【れ】るぐらゐはいといはせぬは〽そりやまた
なぜへ〽いやさ伊賀越の平作はな〽どうしたへ
沼津(ぬまづ)ではらさへ切ったはへ
《割書:なまづの|婦夫》やきもちばなし
【扨またなま】づはくひっ引をしけるにいつまで
【は】てしなくしやうぶもつかざりしがとう〳〵
【女房は】信州のなまづのひいきをするにぞ
【男(を)】鯰(なまづ)はじんすけをおこ【し女】にむかひいひけるは
【〽これ】おな【ま】わりやぁ【おつ】とのひゝきをしもせずに
【あの男のかたをもち】亭主(ていしゆ)をしりにひきずりあまめ
【水くさいやつとは】かねてしつてはゐたが大かたうぬから
【膳(ぜん)をすへた】らう〽いへ〳〵そんな〽そうではないなぜあつちへ
【ついた〽そりやつくにはわけが〽あるならいへ〳〵〽本膳】を見なせへ
【向づけはなまづだはね】
しん版
あんしん物
巖手縣 青森縣 宮城縣
大海嘯(つなみ)畫報(ぐははう)
小國政【印 小國政画】
明治廿九年六月十五日(陰暦(きうれき)五月(ごくわつ)五日(せつく))
怒濤(どたう)天(てん)を捲(ま)ひて襲来(しうらい)し其(その)勢(いきほ)ひ
猛烈(もうれつ)にして実(じつ)に五千 余(よ)の家屋(いへ) 海底(うみそこ)
に沈(しづ)み三万 余(よ)の死屍(しがい)波間(なみま)に?(ほうむ)【草冠+死+大】らる
此(この)悲惨(ひさん)の境界(けうがい)に一生(いつしやう)を全(まつた)ふする者(もの)ある
も家(いへ)無(な)く食(しよく)なく家族(かぞく)なく財産(ざいさん)なし
負傷者(ふしやうしや)は痛(いたみ)に斃(たほ)れ健康者(たつしやなひと)は饑(うえ)に迫(せま)る
其(その)惨状(むざん)実(じつ)に酸鼻(なげかわしき)の至(いた)り也(なり)爰(こゝ)に赤十(せきじふ)
字社(じしや)の如(ごと)きは夙(はや)く災地(さいち)へ醫員(ゐいん)を出張(しゆつちやう)
せしめ能(よ)く之(これ)を看護(かんご)し四方(しはう)の有志者(いうししや)
は財(さい)を抛(なけ)うつて能(よ)く之(これ)を救恤(めぐみ)せら
るゝも如何(いかに)せん被害(ひがい)區域(くいき)の廣(ひろ)き
為(た)め未(いま)だ二分(にふん)の潤澤(うるほひ)も現(あら)はれず同胞(たうばう)
相憐(あいあはれむ)の情(じやう)ある人(ひと)は万費(ついへ)を省略(はぶき)して
罹災(りさい)人民(じんみん)を救浮(すくひ)せられんことを
切(せつ)に勧誘(くわんゆう)する所(ところ)なり
明治廿九年七月《割書: 日印刷| 日発行》
臨写印刷兼発行者
日本橋区長谷川丁九バンチ
福田初次郎
震災
図会 凌雲閣
俗に十二階と称し明治廿三年
十一月十三日から三十四年間
東都第一の高塔として特に
浅草の名物となつていたが
大正十二年九月一日の大震災て
遂に消滅せり
素洲(印)
大正十二年十一月三日印刷 印刷兼 東京牛込東五軒町四十番地
同 年十一月八日発行 発行人 荒木重三郎
地震よけの
歌
水かみの
つげに
いのちを
たすかりて
六分の
うちに
入るぞ
うれしき
【上段タイトル】
江戸 東海道 東国荒珍事図
【上段右囲み文上】
去八月中旬末より東海道筋其外奥
州路松前蝦夷大あれの次第見安からんが為
図にあらはしくわしく書著といへども国数多く
且は城下宿々村々事□しきゆへこと〴〵く書
尽しがたく先見聞のまゝあらましきすのみ
荒場所 ■此印つなみ ▲此印大かせ
日本橋■品川■川さき▲かな川▲程ケ谷▲とつか▲
藤沢▲平塚▲大いそ▲小田原▲箱根▲三しま▲
ぬまづ▲はら▲吉原▲かんばら▲油井■興津■
江尻■府中▲まりこ▲おかべ▲藤枝▲嶋田▲
神谷▲日坂▲かけ川▲袋井▲見付▲浜松▲
【上段右囲み文下】
江戸荒場大略左之通り
御大名様御屋敷 三百六十屋鋪
御旗本様御屋鋪 八百五十余同
神社并いなり小社 千七百三十よ
寺々本山末寺方 千三百八十余
津波にて流家 五千七百軒よ
雨風にて潰家 三万五千軒よ
出火場所三処 二千五百軒
町々損場所 千八百丁余
死人 けが人 幾万共数不知
其外樹木舟損略也
【上段中下】
八月十八日より同二十三日迄
青森海中より泥砂を
吹上る事昼夜にして
廿三日別してはけし
く夫より大地震津
浪大にして沖船は
勿論地方家蔵
崩人死亡数不
知此時奥州
出羽越後佐
渡蝦夷松前
近辺の嶋々不
残ゆり潰
し目も
当られぬ
大変
なり
【上段左上】
安政三丙辰
八月廿五日
雨風荒之郡
上野下野
常陸甲斐
同日
津波雨風
天火
大荒之郡
上総
下総
安房
武蔵
相模
伊豆 駿河
遠江
右国々殊更
大あれ大崩
古今無双之
現事大略
下に図する
【中段右】
当山八月
廿五日の夜
にわかに大雨
ふり出し風烈しく
湖の水うつ高く
立のほり其ほとり
大木大石吹飛し
樹木はこと〴〵くねこき
となり社堂大破に及
事おびたゞしく尤御関所
はしめ人家并人馬死亡おび
たゞしく往来廿七日
迄止る実に大変此上なし
廿八日よりやう〳〵往来
なしけるとぞ
【中段中】
江尻より府中迄
の間樹木たをれたる
事数しれす尤
家蔵くつれ損
する事
おひたゝしく
あへ川出水死人 二百人斗
岡部藤枝之間横打
川はし落て死人五十人
ばかり此近辺崩家数
しれず目もあてられぬ
ありさまなり廿五日より
廿八日迄往来止る
八わたはし落る死人
数しれず此川筋家多
く流れ大変云斗なし
【中段左】
藤枝宿
より一丁半
はかりある在処に郡村と
申処に火の玉二十はかり
飛行いたし並木のうへにて
一トかたまりに相なり凡
大きさ四五尺はかりとなる
飛ゆき候すじ
家八九軒
そくざに
くずし
それより
藤枝宿を
横きれに
とをりかぢや
与さくと申家
半分くずし
寺のへいをこかし
それより芝くささるや
小路のなみ木
三たかへ【三抱え】はかり成を
をり候とき四才と
七才に成子供二人
をしにうたれそく
しす其外
死人数しれつ
【下段右】
嶋田宿空中
より火の玉
飛来たり
家四五十軒
そくざにた
をし寺一ヶ寺
右の玉かな
やしゆくへ
とび家二三十
けんたをし右の
火の玉飛行
いたしかけすか
の浜へとび船十四
五そうそくざに
打くだき又其
玉まきがはらと
申ところへとび
二ただかへ【二た抱え】なる
松の木三十
かぶばかりそく
さにたをし
人家をくずし
死人けが人
其数を
しらず其
余方々へさん
らんしてあれ
まわる事
おびたゝしく中々
筆紙にのへ
かたき次第也
おそろしき
事いはんかた
なきありさま也
【下段左上】
かけ川宿四五十軒
潰家尤本ぢん
御大名様□□侯
御泊り御供廻り御
人数夜通しに立給ふ
ところ空中より何か
あやしくしんどういたし
候ゆへ御供廻り御侍衆
御本陣を取かこみ候
おりから空おひたゝしく
なり候ゆへ侯様にも
きつと空打
ながめ玉ひ
けるに
御家
来に見とゝけさせ
玉ひ
ける又
白き犬のごと
きなるけだ物二十
疋はかり飛行
いたし尤其道
すじ大木人家
たをし死人数
しれず実に
古今とつ
ほ【どつぼ=酷い】の珍事
なり
掛川より
浜松宿の
間大木人家
たをれ候もの
おひたゞしく
死人数しれず
浜松宿より上方は
おたやかに
候
右飛行の火の玉
のちに早くとび
行候や大木
森はやし山等
たをしたる
道すしの義
かくのことくに
御座候
品川宿より
浜松迄の
間橋落
潰家樹
木のたをれ
死人数
しれす
筆紙にて
つくし
かたし
三職よろこび餅 金堂筆
〽なまづさんおめいの
おかげで今年ぁ
久しふりで
たわらで米
をかつて
餅をつき
やしたから
たんとあがつて
くたせいやし
なまつ〽これは〳〵よくねれました
お礼に一しゆうかみました【一首浮かみました】
かせくのか人はかんじん
かなめいし
家はかたもち
すへは金もち
明治十四年十一月十五日ヨリ
世界(せかい)転覆(ひつくりかへる)噺(はなし)
四百年前「イタリヤ」国の人 何某(なにがし)推測(すゐそく)
せしに紀元(きげん)千八百八十一年十一月十五日 即(すな)はち
我明治十四年十一月十五日より日数十五日の
間だに天地 潰(つぶ)れ山岳(さんがく)破裂(はれつ)して大火山を現(げん)
出(しゆつ)し海水(かいすゐ)あぶれ洪水(こうすゐ)となり人間(にんげん)をはじめ禽(きん)
獣(じう)草木(さうもく)魚(ぎよ)虫(ちう)斃死(へいし)と云(いへ)へり其(その)日割(ひわり)左(さ)に
十五日 川々へ水の入る事
十六日 大 洪水(こうすゐ)
十七日 大つなみ
十八日 川の魚(うを)こと/\死(し)す
十九日 海の魚皆し死す
二十日 鳥るゐ残(のこら)ず死(しヽ)落(おつ)る【この行は全体的に自信がありません】
廿一日 大風(たいふう)家(いへ)蔵(くら)を倒(たふ)す
廿二日 巌石(がんせき)八方へちる
廿三日 大地しん
廿四日 山谷 鳴動(めいどう)す
廿五日 悪(あし)き空気(くうき)の為に人間 唖(おし)聾(つんぼ)となる
廿六日 地上 破裂(はれつ)して人家 地底(ちのそこ)に落(つ)る【この行は半分ページが断ち切られているため類推です】
廿七日 星(ほし)雨の如く落ち下る
廿八日 世界(せかい)の男女みな死んて仕舞ふ
廿九日 燃え出る噴煙(ふんゑん)の為に万物 溶解(ようかい)す
前に述(のぶ)る処は其日/\の原況(ありさま)を想像(さう/\)して記(しる)せし物に
然(しか)れ共 固(もと)より信(しん)を置(おく)に足(た)らず「リンコオンシヤー」の□ぎ
此変動を恐(おそ)れ身を空中(くうちう)に置(おく)と□(いへど)も空気(くうき)の通(かよ)ふ所
震動するは自然(しぜん)の理(り)にして奇人(きじん)の苦心(くしん)画餅(ぐわべい)に属(そく)せんと
するを恐(おそ)るヽなり以上は伝聞(でんぶん)の儘(まゝ)記(しる)すといへとも取るに
足(た)らざる忘説(まうせつ)なり人ゝ安心して業(がふ)につきぬへと云
御 明治十四年
届 十月 三日
画工編集兼出版人
弓町二番地
松井栄吉
価 五銭
吉野氏藏板
地震廼兆注(ぢしんのかうしやく)
禁賣買施印書
△此度(このたひ)江戸より近國(きんごく)に
至(いたり)大地震あり其中
にて火災起(くはさひおこる)其 由縁(ゆへん)
を例(ためし)ひきてこゝに記(しるす)
大 清(しん)《割書:今の唐|の名なり》道光(どうくはう)十五年
《割書:日本にては|天保六年也》十二月廿四日
暁(あかつき)に北方より南方へ
とび行ものあり其 形(かたち)
長髪(なかきかみ)を背(うしろ)へちらし冠(かむり)
を頂(いたゝき)薄緋(うすひ)の衣(せうぞく)を
着(きて)劔(つるぎ)を帯(たいし)駿馬(よきうま)に
乘(のる)其 相皃(そうはう)馬の如(ことし)
是を四川(しせん)《割書:唐の|名所》総督(そうとく)
《割書:国司|の事》雄碩(ゆうせき)の家士 幸丁(かうてう)
冝(よく)見届(みとゞけ)主人(しゆじん)に告(つげ)る
雄碩(ゆうせき)占(うらない)て日是地震
在(あり)て火災(くはさい)成べしと云て
一円(いちえん)に觸(ふれて)其用意せしむ
同史(どうやく)東馮(とうへう)阮李(げんり)の二士(ふたり)は
是を聞(きい)て密(ひそか)に嘲笑(あさけりわらひ)て等閑(なをざり)にす
其夜 大地震(おふぢしん)して山を裂(つんざき)城郭(ぜうくはく)を覆(くつが)し
民家(みんか)を揺潰(ゆりつぶし)其間(そのうち)に火災(くはじ)起(お?り)て騒乱(そうらん)云斗(いふはがり)なし
右 東馮(とうへう)阮李(げんり)も押潰(おしつぶさ)れ即死(そくし)一 族(ぞく)家士(けらい)二百余人
同死(おなしくしす)雄碩(ゆうせき)方は破損(はそん)有共 死亡(しばう)火(くは)災を脱たり是其
慎深(つゝしみふか)き徳(とく)と前見(ぜんけん)の速(すみやか)なるに依(よる)所也と聞(きく)人深 感称(かんせう)せり
尓(しかる)に安政二卯年十月朔日夜寅刻浅草寺五重塔の方より南方へ飛行の者あり其 疾(はやき)こと
矢(や)を射(いる)ごとくにて□【たしかに 怗?】見(み)ずと雖(いへども)其体前文に説所の如にして是を見るもの下谷長者町荒物屋卯兵衛と
いふものにて右 異形(いげう)に怖(おそれ)病を発(はつ)し同所安倍周真に治 療(れう)を希て又右の異 形(けう)の趣(おもむき)を具(つぶさ)に談(ものかたり)けれは周真(しうしん)大に駭(おとろき)此 異形(いげう)某(それがし)も見
尚(なを)外にも見届(みとゞけ)たる者三五人 有由(あるよし)にて又 前説(さきのはなし)雄碩(ゆうせき)の事を委 説(とき)て変災(へんさい)の心得をさせける故(ゆへ)此度の横難(わうなん)を脱(のがれ)けり又本所林丁芝田主馬
是を見て同所の玄明堂(げんめいどう)に占(うらな)はせけるに前文の異人(いじん)の相皃則馬に似て又馬にのる易(ゑき)に判(はんだん)する時は是⚊⚋⚊⚊⚋⚊離為火(りいくは)の卦(け)と成又南方へ行
南又午ノ方にして火也 偖(さて)三爻(さんかう)変(へんじ)て⚊⚋⚊⚋⚋⚊火雷噬嗑(くはらいぜいがう)となる是を以占に噬嗑(せいがう)は物を□【かみあわし 咬?】て不合(あはざる)の意(こゝろ)也又 離(り)ははなれるにて大意(たいゐ)は皆火也 正是(まさにこれ)地震(ちしん)
有て火災(くはさい)ならんといへり果(はたして)二日夜四時の変動(へんどう)也実に名人の観 察(さつ)恐(おそる)べし尊(たふとむ)べし是以諸 君(くん)後日の用意にもならんと其 趣(おもむき)を告(しらす)のみなり
【タイトル】
持○長者腹くらべ
【本文】
〽これは〳〵貴公(きこう)方(がた)は
万腹屋(まんふくや)御一統(ごいつとう)ほどあつて
さすが大腹中(おゝぶくちう)でござらつしやる
さて〳〵おうらやましひ事(こと)じや
愚老(ぐらう)などはとんといきばつた
ところがこのくらひなことゆゑ
まことにおはづかしうそんじ
ますそのくせけつししやうでも
ござらぬがごぞんじのあほう
【け】にくひふみてので
腹中【は?】とんと 渉(あた)間(ま)【?】に
あいなりましたイヤ
そのせいかしており〳〵
ぶう〳〵とふきだしまして
ハゝゝゝゝゝ〽イヤしやれ〳〵
かにろひごきぜんでござる
おたがひにかやうなとき
まづしき人々に
あわれみをたれかけ
まするはやつはり
子孫(しそん)長久(ちやうきう)の
こやしとなり
まつた家(いへ)はん
じやうのよい
たねをまく
のでござり
ます
【表題】
《割書:村里|時四郎》明烏花焼衣(あけからすはなのやけきぬ)《割書:黒雲庵立傳|山の》
【本文]】
〽そなたも共にといひた
いがいとしそなたの手
をひいて動鳴(どうなる)ものそ
壁|落(おち)てつぶれた
家のはりのした
おされてたむたすけ声きゝすて行
を〽取付(とりつい)てあんまりむごいなさけなや
今宵(こよひ)地震(ぢしん)で町中(まちちう)の家(いへ)をやかんす火の
手なら蔵(くら)あるとても土がおちたのみの
金(かね)もあるべきか〽金と命(いのち)を取(とり)かはす土蔵(どさう)
家作(かさく)はみんな焼(やき)〽どうでゆらんす覚悟(かくこ)なら
鹿島(かしま)の神もこれ此月はるすを幸(さい)ひもろ
共と〽なぜに揺(ゆつ)ては下さんせぬ震ておいて
やかんせと鯰の髭(ひげ)に取付て地(ち)をふるはせて焼至(やけいたる)
家職人福神
【表題】
鯰之讎討
【本文】
安政二年卯十月二日亥の刻の頃江戸はいつくの町にてやありけん家々
はじめ何れも大勢詰ゐゝる番屋に壱人の浪人来りて我は天下 遊歴(ゆうれき)のものなるが
宿をもとめかねてすでに夜に入たり願はくは一宿|一飯(いつはん)をめぐみ給へといふに何れも
其ていを見るに武者修行のものゝ如く丈の高さ六尺有余面|躰(てい)異容(いよう)にていかにも
一くせあるべき浪人也番人一同こたへけるは此所は町内の非常(ひじやう)をまもり且火の
もとをいましむるのためなれば其もとめに応じかたしこの所より旅籠(はたご)やの
ある馬喰町は程遠からねばとくゆきて宿り給へといふに彼(かの)浪人色をかへて
我は天地震動さひと号ししらさるものなし既(すで)に懸ねん大地震なきが
故に国諸国に我輩(やから)を慢(あなどつ)て蒲焼或いはすつほんになどになすが
ゆへにけん属(ぞく)らつみなくして死するもの少なからず依て其がしめに其仇を
報(むく)わんことを思ひまづ幸(さいは)ひに本ごく発(しゆつ)足(たつ)の時善光寺かい帳に来り集(あつま)り
たるものを震ひ落しこれを手始として美濃近江にかゝり京大坂に
登りてまた多くの人民を震ひ殺しけるがこれにてもいまだ快(こゝろ)よからず此ついでに
大和めぐりをなし兼てきこへし繁くはの江戸に来りて猶一と細く震ひこわさんと
思い大和河内紀伊和泉伊賀伊勢と震ひてこれより東海道(とうかひどう)筋にかゝり
伊豆に来りて下田を震ひゝしにしばらく停留(ていりゆう)てまた駿遠尾(すんゑんび)の三か国に
立もどり先月廿の日吉原宿まて下りて今日たゝ今此所に来たるなり
もし我(わが)求めに随はずは忽ちに震ひ殺すべしとのくりけるに番人共さてさて汝は
地震なるや此所はこれ汝等をふせぎまもる地震番屋也いざからめよとて立(たち)さはぎ
ければ震動斎はいよ〳〵ます〳〵怒りをなしてし俄に手向せば今に思ひしらせんとて
ゆきがたしらずなりけるが天地|俄(には)かに震ひ出(いで)て家崩れ蔵落て出火所々に始り
損亡死(そんぼうし)人おひたゞしく震|動(とう)斎(さい)はこれ見て今は八百万の神たちは出雲にいたり
留守にてましませども鹿島の神の聞つけ給ひてもしはせ下り給ひなば後難(かうなん)はかり
かたしとて北国(ほつこく)さしてにげうせけり
名石千歳刎(めいせきせんざいはね)《割書:男之助|せりふ》
あゝらあやしやな今(いま)荒石要之助照火出(あらいしかなめのすけてるひで)高天(たかま)が
原(はら)の集会(しうくわい)によつて出雲(いづも)の社(やしろ)へ旅立(たびだち)の
留主(るす)にゆるんだ大石(たいせき)の常陸(ひたち)をぬけて
大江戸(おほゑど)の家(いへ)蔵(くら)震(ふる)とはいさしらず
噂(うはさ)を聞(きく)と途中(とちう)から取(とつ)てかへして
丁度(てうど)能(よく)どふしたひやう
りの兵丹(ひやうたん)めうぬも
只(ただ)の瓢(ひさご)ぢやあ
あるめへ此後(このご)に地(ぢ)
震(しん)もあらがねの土(つち)に
根生(ねをひ)の要石(かなめいし)動かぬ
御代(みよ)の万歳楽(まんざいらく)此(この)銕槌(てつつい)を
喰(くら)はぬ内(うち)きり〳〵神国(このち)を立去(たちさ)れえ
江戸大地震出火次第
當十月二日夜五ツ時大地震
ゆり出し人家七歩通潰れ
土蔵大そんじ大半くだけ
申候由橋〻ハ無事なれども
右の地震故市中一統誠に
大混雑の所江又〻出火に及
び大半焼失致潰れ家ハ辻
〻にくずれ立山の如く重り目
もあてられぬありさまなりけが
人死人もおひたゞしき様子なり
左ニあらまし町名しるす
日本橋通京橋前後芝口ゟ品川迄
すべて此邊六七歩通りくずれ
焼失之所も沢山あり
駿河町十軒店乗物町?原両国□
永代橋本町小傳馬町淺艸見付
此邊すべて同断也三芝居丸やけ
かや町はたご町駒がた並木花川戸
山の宿此邊出火甚敷六歩焼失
申候新吉原七歩つぶれ之処へ出火
にて丸やけすべて江戸近邊大てい
半つぶれ所により七八歩つぶれ申
候所もあり
東ヱイ山 淺艸観音 両本願寺 芝神明
湯嶋天神 亀井戸 廻向院 増上寺
五百羅漢 神田明神 忍池弁財天 其外
神社佛閣大躰本社ハ無事なれども
小宮神主坊鳥居之類ハ残らずた
おれ又ハ焼失申候
毎日〳〵ゆりかえしにて残らず往来
にて野宿致候よし前代未聞の大
こんざつなるべし
出火ハ三日巳刻ニ鎮申候
【上段】
いまに
たん〴〵
□【大?】そう
よくなるよ
△よのなか
おまえごせうだから
つれてにげておくれよふ
△たけやぶへ
□や〳〵大そうはやく
□つたつたねへ
△まがつたいへ
【中段】
いつそ
もふてあ
しがさは
つておつな
こゝろもちに
なつたよふ
△のじくの
まるね
このごろでは
ほふぼうへ
くちをかける
そうだがほかの
人にさせてはいやだぜ
△でいりのしよくにん
あれいたくつて
ならないから
そろかにして
おくれよ
△ほねつぎ
【下段】
これでまあ
いくどいつた
けねへ
△こんやの
ぢしん
おまへそんな
にねてばかり
いずとはやく
しておくれよ
△火のばん
もう〳〵ごしやうだ
からしつかりと
おさへつけて
おくれよ
△かなめいし
【タイトルなし】
【右下】
ぢしんさま
乁これはたへんたなんでもこんとら一ばん
おちをとろふと思のたにとんだ
けだものがてしやばつて
ひけをとつたはざん
ねんな これ雨
いせのうらのつげ
なればぜひかなへ
【左上】
いせの馬
乁どうた
一ばんへこんだ
ろうこれといふ
のもおらがおや
ぶんの太神宮(だいしんぐう)さまの
おさしづだからしかたが
あ【る】まい井戸(いと)をほつたら
水(みす)がでる 江戸が【な?】んなら
【うまが?】でると思やきさ
【見出し】
東都珎事実録咄
【第一段】
【絵】
御
立退
の
図
十月二日亥の刻ゟ大地震差をこり
人家崩れ夫ゟ出火となり市中八方へ
火の手上り大火となり市中の人々是に
おどろき其混雑めもあてられぬ
しだい也又御屋敷様方御殿様
御奥様方御立退或鑓長刀
を携切捨市中の騒動上を下と
申方なし大坂表と市中の事替り
或は押にうたれ或は火にまかれ死
すも有○亥の刻ゟ地震止事なし
故に老若男女たすけくれの大声上り
助くる事不能見ごろしなる事数
しれず又江戸表は諸国ゟ入込たる
人多く土地不案内にて何れへ逃
ては門にむかひすわやといふ内大火
山の如くむらがり来り其横死の声
今にやまずあわれなる事たとゑ
がたし寺院社宮は申におよはす
土蔵崩れあるはいろ〳〵われ
たる数筆紙につくしがたし大震
の場所人形町辺人家七部通
潰れ尤橋々は格別の事無之
市中所によりてはこけ家山の如く
かさなり山の如し前代未聞の次
第なり
此度番附外々にも数多く有之
候へ共外方の分は別してくわしくは
江戸表ゟ所々細ぎんみいたし書面参り候
中にも絵図にて出火所わけいたし
其図上にてうつしとんと間違なし
猶死人数は相わからずしれ
しだい小付にて差出し申候
【第二段】
麹町五丁目岩城
升や大崩れにて
家内死人多し
崩れ出火五ヶ所崩れ
四ッ谷伝馬丁通り
廿四五軒くづれ
市ヶ谷町家
十五六軒たをれ
御屋敷は数
多くねつ谷
中くづれ家
少々土蔵并
蔵造りの家
不残くづれ
本郷湯嶋外
神田籠駕丁
又さくま丁くつれ
家弐百七八十けん
くつれ但し出火なし
地震大ふるいの部
日本橋宝町小田原丁此近辺
十軒店本町するか丁越後屋近辺
大伝馬丁大丸辺油丁横山丁人形
丁田所丁堀江丁此辺又富沢町
長谷丁新乗物丁高砂丁川岸どふり
両国広小路浅草御門外福井丁
かや丁御蔵通り又日本はし通り白木屋
すはら屋但し蔵造土蔵とも人家八部
どふりだをれ又日本橋ゟ芝大木戸
までくづれ家数しれず高なは大半
くづれ品川土宿少々下宿六部通りくづれ
中にもあわれなるは旅人又はめしもり女は
とう方にくれやゝもいふ内ぢごくのさまを
見るが如く其時のこへ蚊のなく如く
あわれなる事此上なし
【絵】
水汲の図
此度大じしんに付水道とゆ
われ水の手とまり水きれ
にて町々人々大にこまり
ほりぬき井戸迠
くみにゆく事二丁
三丁五丁七丁
とゑんほうへ
くみにゆくこん
さつ一通りならず
井戸はたは
たがひに
こうろう
のようだい
なるへし
【第三段】
【絵】
新よし
原
崩れ
の図
【絵図 省略】
大地震にて七部くづれ其上出火と
相成不残焼失五十軒新茶や町
田町引手茶やのこらず馬道通
不残東は聖天町瓦町猿若町
三芝居役者町楽屋新みち
其外諸商人のこらず焼失役者
衆即死も有又は片岡我童丈は疵
多く山の宿花川戸北馬道川岸
通材木町並木町駒形すわ町
黒ふね町御馬屋川岸迠不残
又は三間町のこらす焼失別して
新吉原女郎客衆其ほか
歳より若き者横死する人数
千人におよぶ浅草辺は観世音を
見かけ境内へにけ込幾万とも数
しれす時の声上ヶ観世音を
ねんじ其御利益か壱人も怪
我人なし霊験あらた也恐るへし
但し下谷金杉三丁やけ
【第四段】
本所は石原町番く【悉くカ】南わり下水吉田町
吉岡町清水町長崎町入江町
縁り町花町あいをい町立川通り
津軽中屋敷又は御大名御旗本
御組屋敷御与力衆又はあまた
御屋敷焼失凡廿二丁四方
焼失崩れ家少々深川永代ばし
向少々残し富よし町はまぐり町
黒へ【江】町熊井町大和町大嶋丁矢倉
下すそつぎ仲町通一ノ鳥居まて
佃しま八まん宮残り森下町より
六けんぼり神明町ときわ町
高ばし通りいせ崎冬木町凡
十弐丁四方焼失くづれの部
其数しれず北しんぼり二の
橋よりれいがんじま此辺は少々
焼失大川端鉄砲づ舟松町
十けん町焼失焼残りの家は
地震にてつぶれ
佃しまくづれ丸やけに相成
北は下谷池の端仲丁茅丁広小路三枚はしゟ
南へ焼失長者町おかち町辺
御なり道其外代地御大名御中
屋敷御下屋敷御組屋しき
御かち組御先手組御はた本焼
但し池のはた池の水津波の如くおかへ
打上ヶ 龍(たつ)の登るがごとくさもおそろしきふぜいなり
【絵図 省略】
【右ページ上段】
乁ヤイこのなまつめ てまへおれが内へこられたぎり
か いけしぶといやつだ なまづ乁モシだんなそんなにおこる
【こ脱カ】とはない お内ばかりではなし
諸方さまいつとうのことで
乁ナンダ〳〵せけんいつとうは てま
へがいはずとしれているは 先
此さはぎで
地代はとれず
長屋(ながや)のかさくは
みなつぶれるし て
まへを見つけたがさいわい かしまへ
うつたへなければならねへぞ なまづ
乁このせつ おゝそれなからも かしま
はいづものやしろへ行たあとだ
ばか〳〵しいまゝにするがいゝ
乁そんなていへいらくをつき
おつてマアなにしに
こゝへうせたのだ なまづ
乁へい地下(くに)へかへるわらし【▲に続く】
▲せん【草鞋銭】を
おかり申にま
いりました 乁このうへに
金をかせとは 乁 地震(ぢしん)
たから ゆすりにきた
【右ページ下段】
乁この大なまづめ いてめいのおかげでしやうばい
あがつたりだ いつもおれの内はけいしやしう【芸者衆?】の
みくみ【三組?】やよくみ【四組?】はいるに このさわぎで客(きやく)
人はなし そのうへさらこばちはこわすし
ゆるてひくてじやア大きな出入だ 女乁ヲヤ〳〵
にくらしいのらくらなまづだ
ねへ こいつのおかげでごしうぎ
はもらはれず それに夜るは
こはくつて内には
ねられず ばか〳〵
しい 乁ヤイ〳〵
てまへのよふな大なまづ
をれうり【料理】したことがない
からとむねをついてしまつた
ひととふりのほうちやうては
いけまへ鹿島(かしま)へかりにゆかずはなるめへ なまづ乁こいつは
たまらぬこの世なをし しらねいのか さて〳〵女子と
せうじん【小人】はやしなひがたしだ 女乁なんだゑ しやうじん【精進】
ものはおあつらい【お誂い】でなければできないよ
【左ページ上段】
乁コ?其方はそれかしるすちう【留守中】を見こみかくのことく
いんほう【陰謀?】をはたらきしたん【働きし段】ふとゝきしこく【不届き至極】なり まつ
日本のくににてかよふのことあつては天照太神へ それかしか【某が】
申わけかない 乁この
たひのいちしやうにつ
き なにとも申わけなく
おそれいり候 まつたく
かんたん【寒暖?】のじこう【時候?】ちかいゆへ
いかなることゝそんし かしら
をうこかすやいな江戸中の
はそんと相なり かくの仕合
なにとそこれんみん【御憐憫?】をたれ御
かんへん【勘弁】のほとひとへにねかひ上
たてまつり候このゝち右よふのことはなをさら ここく【五穀】のみのり町々はん
ゑい【繁栄】をきつと相まもり申候かへす〳〵も
御きゝすみ被下候はゝ ありかたくそんしたてまつり
候 申のへけれは鹿しまさま御きゝすみあつて ふたゝひ
地しんのうれいなきよふにしめし給ふこそありかたき次第なり
【左ページ下段】
なまつさん おまへのおかけてこのせつはかねもふけ
がたくさんで れいのしよふがない 乁ソヲ〳〵おれた
はおもしろいほとかねかもふかるから なんても
たんとごちそうしなけれはならねへせ
なまつ乁そんなにれいをいふことはない こんとの
いつけんてはうらまれるところかたんとて
ならねへぜ 乁なにもうらむものはいたら
ねへといふものだ 乁そふよ〳〵おれたちに
かねをもたせてもためるといふことはなし
みんなのんたりかりたくへても出かけるから
ほんのせかいのゆうすうといふものた ち
きに【直に】まはつて出てしまう 乁ソウヨ
いくらかねをにきつたところか
ためるといふことはてきなへ
乁かねのはんにん【番人?】をしてもいつせう【一緒?】た
おもいれつかふほうかましさ しかし
このころはかたまつた【固まった?】のかとれる【取れる?】からありかたい
なまつ乁かたまつたのかとれるはつ【筈?】た 乁それ又なせに
乁震(ふるつ)たあとたから
泉州 堺津波之絵図
嘉永七寅十一月五日酉の上刻
ゟ大地震中ニ津波来て市中
殊の外驚き兵庫沖ゟ風吹き
来て一面のとろ水に成大船
小船に至迄一時に川中へ入込橋々
悉 突落怪我人死人夥敷
何れも水入白海の如く誠に前代
未聞の騒動大方ならず
其荒増を知す
橋落
死人
凡五十七人
【見出し】
《割書:安政二年|十月二日》地震出火後日角力
【番付表上段】
●大まうけの方
大関 ざいもく 材木問屋
関脇 存命 諸方仮宅
小結 あら物 笘縄菰筵
前頭 どかた 土方請負
同 御救 貧家潤沢
同 延金 証文寄月
同 かりだて 板葺平屋
同 名ぐら 骨継療治
同 つぶし 古銅古鉄
同 つみ手 運送通船
同 めんるゐ 古着綿類
同 手がる 立場居酒
同 ふる木 湯屋焚木
差添 大儲 家作職人
【番付表下段】
▲大おあいだの方
大関 しばゐ 三町休座
関脇 焼死 花街煙中
小結 小間物 鼈甲蒔画
前頭 ぜひたく 贅沢諸品
同 施し 持丸長者
同 官金 日為高利
同 ほんだて 本建造作
同 御無用 御免勧化
同 上品 象眼銀錺
同 ふね 家根猪牙
同 にしき 京機織物
同 本しき 会席料理
同 こつぱ 唐木細工
勧進元 大休 遊芸諸流
【番付表の下】
【見出し】
打身骨継療治所
【「六ちそうの内」の前後】
乁わたしどものなかまは
ふだんでさへむじんのまじなひ
だのなんのといふて宝珠をかくやら
はなを
そぐやら
ひど
いめに
あはせ
るのに
こんだの
ぢしんは一トおもひに
たゝきおとされ六人
いつしよにふつかりあひ
てんでにけがをいたしました
わたしらが仲間は三べんづゝなでられても
六人だから十八へんなでなけりやアはらは
たゝねへけれど
こんどは一ぺんで
はらがたちます?
【「ぬれほとけ」の上】
乁くわんおん
せいしと
ならんで
ゐても一人リは
けがもいたしませんにわたしばかり
ひつくりかへりぼんぶの目には
さぞいくぢのない
やうに思ひませう
ねへ
【「五重の塔」の上】
乁とうで
ごぜんすト
すましてゐる所を
たしぬけにゆりたをすとは
ぢしんもあんまりむごいやつだ
こつちもめんと
むかつてくりやア
一ぶでも
あとへはひかねへ
つもりだがたしぬけ
ゆゑ九りんがまかつたのだ
【「五重の塔」の左】
乁おれがおとうとは谷中の
天王寺アリヤアぽつきりおれたから
まがつたよりやアよつほど見いゝ
おまけにせいのたかいので見たふもねへのサ
【骨接ぎ師?の右】
乁ぜんてへおまへがたはそれ〴〵のしよくにんの所へ
いきなすつたらよかつたらうに かみなり乁そうサ
大こやくもはふしやへゆりやしたわしやア
よしに
しやした
かはゝ
大きらい
でごぜへ
やす
【「五重の塔」の下】
乁イテ〳〵これさ
しづかにもんで
くだせへおめへ
むすこがある
ならむすこにたのまうこんどは
じしんにこんな
めにあつたから
おやしやア
きみか
わりい
今明治廿四年十月廿八日 暁(あか)□(つき)【扁があるが天では?】
午前六時二十分の地震(ししん)は別(わけ)
て岐阜(ぎふ)名古屋(なこや)大垣(おほがき)地方(ちほう)は
劇烈(げきれつ)なる地震(ししん)にて震動(しんどふ)
はけしく地(ち)さけ家(いへ)倒(たおれ)
れ死人(しにん) 何(なん)数(まん)人(にん)なるをしらべ
兼(かね)る程(ほど)にて且(かつ)出火(しつか)有(あ)り
水災(すいさい)をこふむる有(あり)て実(じつ)に
前代(せんだい)未聞(みもん)の事なりける
先(まづ)家(いへ)倒(たを)れ半身(はんしん)家(いへ)にひ
しがれ出ることならず其(その)傍(かたはら)
より火(ひ)うつりて生(いき)ながら
焼(や)け死(し)したり又は地(ぢ)さげ
て半身(はんしん)地(ち)にうづもりて死(しし)た
るなりて不便(ふびん)といふもおろ
かなり進行(しんこう)の汽車(きしや)転動(てんどう)
常な【ら脱カ】ず乗客(でうきやく)ふしんに思ふ
折(おり)進行(しんこふ)をとゝむるや否(いな)や
前後(せんこ)の山 崩(くづ)れて進退(しんたい)する
能(あた)はず乗客(ぜうきやく)終日(しうじつ)車中(しやちう)に【?】居(い)
て食(しよく)を求(もとむ)る事(こと)叶(かな)わず各(めい)
各(めい)下車(げしや)して独歩(どつぽ)して
行(ゆく)の不便(ふびん)にあひたりける
猶(なを)近県(きんけん)近江(おふみ)方(ちほう)にもつぶれ
家(や)なりける其(その)実況(じつけう)をう
つしてこゝにしるす
八百万神(はつひやくばんじん)御守護(ごしゆご)末代(まつだい)地震(ぢしん)降伏(がうふく)之(の)図(づ)
安政二年十月二日夜の四時神々 出雲(いづも)へ大一座のるすを附込(つけこみ)
例の大鯰(おゝなまつ)ね入ばな【寝入りばな】ゆへねがへりをする所(ところ)江戸十里四方あのめき?〳〵
ピシヤリゆへ自身(じしん)もしよげになつて塞(ふさい)てゐる所へ江戸中の鎮守(ちんじゆ)
立合にて吟味(ぎんみ)ある 地震共でたらめに 近頃(ちかごろ)はとつ【外つ】の奴等(やつら)度々(たび〳〵)此(この)国(くに)へ参(まい)り
地の下でもうるさく存(ぞん)じ日本の後(うしろ)を力任(ちからまかせ)せに動潰(ゆりつぶ)したる尻尾(しりを)はづみに乗(のつ)て
江戸 表(おもて)へ持出(もちだ)し候 段(たん)幾重(いくゑ)にもお免(ゆるし)〳〵と地の下で手を合せたるは九
太夫といふ身振(みぶり)なり 諸神 こいつ要石(かなめいし)位(ぐらゐ)の甘(あま)口ではいかぬ奴(やつ)今度(こんと)
は柳川(やながは)の板前(いたまへ)へ申付 蒲焼(かはやき)すつぽん煮(に)にすると甚(はなは)だいかり
力身(りきま)せ給ふ 山王・神田 二ヶ所(しよ)の氏子 怪我(けが)少(すくな)きゆへ今度(このたび)は仲(ちう)人に
成(なり)給ひ此(この)以後(いご)急度(きつと)動(うご)き申 間鋪(ましき)の一札(いつさつ)を月番 深川(ふかがは)の蛭子(ゑひす)の
宮(みや)へとられ鯰共ふるへながら判(はん)をおす日々少(すこ)しづゝ動(うご)きたる
は大方(おゝかた)此時(このとき)なるべし 【判の絵】 《割書:この判は彼奴(きやつ)が証文(しようもん)の印形(いんきやう)なれば|これを懐中(くわいちう)する者(もの)は地震の難(なん)を免》
【挿絵内】
小野塚天王 浅草第六天 向島あきは 小野照大明神 西ノ久保八まん いそべ大神宮 鉄炮州いなり 氷川明神 杉ノ森いなり 湯島天神 亀戸天神 黒助稲荷 牛の御前 三社大権現
芝神明宮 深川八幡宮 山王大権現 神田大明神 鹿嶋太神宮
深川恵比寿の宮 信州地震 越後地震 江戸地震 小田原地震
【表題】
振出(ふりだ)し鯰薬(なまづぐすり)《割書:價 一ゆり 一百里|同 散(さん)ざい 斗千万両》 大瓢堂製
【本文 右上】
一 抑(そも〳〵)此(この)鯰薬(なまづぐすり)の灵薬(れいやく)は鰻(うなぎ)ぐすりの法(ほふ)に倣(なら)はず瓢(ひやう)たん
薬(ぐすり)の功能(こうのう)とて変(かは)り鹿嶋大明神(かしまだいみやうじん)の御夢想(ごむそう)にして
一子相傳(いつしそうでん)の妙済(めうざい)也|第一時候(だいゝちじかう)の不順(ふじゆん)を治(ぢ)し第二(だいに)
世上(せじやう)の景気(けいき)を直(なほ)す尤(もつとも)薬勢(やくせひ)甚(はなはた)しきに依(よつ)て
大(おほ)ひに動(どう)ずる事(こと)あり然共(しかれとも)其動(そのどう)ずること
有(ある)が故(ゆゑ)に是迠(これまで)年来蔵中(ねんらいぞうちう)に 凝(こり)
集(あつま)り
たる
【本文 左上】
金(きん)
銀(ぎん)の支(つか)へを
下(くだ)し世間(せけん)の
融通(ゆづう)を付廻(つけめぐ)り能(よく)なるに
随(したがつ)て何(いつ)なる冷生(ひえしやう)なる
者(もの)と言共(いへども)追々(おひ〳〵)腹中(ふくちう)に
暖(あたゝか)みを生(しやう)じ貧病(ひんびやう)を愈(いや)す事(こと)震(しん)のごとし
其功験(そのこうけん)の著(いちゞる)しき用(もち)ひてためすべし
【本文 右下】
一|金銀(きんぎん)のめぐりを能(よく)し 一|世上(せじやう)を賑(にぎは)すによし
一|怠(おこた)りをいましむるによし 一|奢(おご)りを止(とゞむ)るによし
禁物(きんもつ) 一|美食(びしよく) 一|美服(びふく)
一|居宅(きよたく)を餝(かざ)る又(また)は
大酒(たいしゆ)をいむ
【本文 左下】
用ひやう
十月二日 夜(よ)四(よ)つ時(どき)一たんに振出(ふりいだ)し猶(なほ)そのふり
残(のこ)りを度々(たびたび)に振出(ふりいだ)し用(もち)ゆべし前(まへ)に記(しる)す所(ところ)の
禁物(きんもつ)を能々(よく〳〵)慎(つゝし)まざれば病(やま)ひ元(もと)にかへる恐(おそ)るべし
【絵左下せりふ】
〽さア〳〵ひやうばんの
なまづぐすりじや人形(にんぎよ)
ほしくばくすりを
かはんせこれは
ひやうばん
きめう〳〵
地震用心の歌
ものゝ名
魚の名十
さは(鯖)かしき(カジキ)なます(鯰)ふり(鰤)〳〵う|こひ(鯉)たら(鱈)
はや(鮠)く|いな(鯔)せよ|ふか(養鯨)きさ|ゝはら(鰆)
【「フカ」は魚偏がついて「鱶」、魚の名は十種なのでここは「養鯨」と書いて「ふか」と読ませたのか?】
鳥の名十
何|とき(鴇)も|きし(雉)か(鵞)なく|日は(鶸)う(鵜)かり(雁)すなく
藪へ|(鶏)かけ|とひ(鳶)さき(鷺)へ|すゝめ(雀)よ
虫の名十
あふ(虻)な|くも(蛛)け|か(蛾)あり(蟻)し|てふ(蝶)きいて|だに(蟎)
身に|のみ(蚤)しみ(紙虫)て|いとゞ(竃虫)か(蚊)なしき
草の名十
ゆり(百合)やんでつ|い(藺)には|よし(葭)と|きく(菊)とて|も(藻)
つた(蔦)な(菜)きとこに|しば(芝)し|ねむ(合歓)らん(蘭)
木の名十
つき(槻)ひ(檜)すき(杉)やむ|かや(榧)と氣(き)を
もみ(樅)きり(桐)ぬ|まつ(松)もも(桃)ど|かし(樫)
|地震(ぢしん)なき(椰)日を
地震(ぢしん)けん
〽扨(さて)もこんどの大ぢしん家(いへ)ぐはら〳〵
大へんな人はあはてゝどつちの方へ
参(まい)りましよ□土蔵(どぞう)と瓦(かわら)でつぶされ
て親父(おやぢ)に子供(こども)がしかられてやつとはい
〳〵にけ出してこつちの方へサアきなせへ
〽火事(くわじ)は所々(しよ〳〵)へもゑあがりにげる人こそ身
ひよこ〳〵またぐら〳〵どつちの方へ参(まい)り
ましよ□やつたらむしやうとかけあるき
ぢ様(さま)がば様の手を引(ひい)てはいる内こそ
あらばこそお舟(ふね)へサアきなせへ
〽扨もふり出す大雨(おゝあめ)にらいはごろ
〳〵いなびかりみなびしよぬれ
野宿(のじゆく)はできません□大へん〳〵
大さはぎ大工さんは手間(ま)を上(あげ)てしから
れたこれから段々(だん〳〵)世(よ)が直(なを)り金設(かねまふけ)てサアきなせへ
【タイトル】
世(よ)直(なおし)し豊(ほふ)年おどり
【表題】
泰平鯰退治(たいへいなまづたいじ)
【本文】
大ぜい〽アリヤ〳〵〳〵〳〵 む忠〽ヤアぬらくらものゝなまづ
ぼうずめおのれがわるくふざけるゆへせけん
のさはぎ諸人のなんぎ おど六〽家くらのみかたい
せつなるきも玉までぶつつぶさし あは九郎〽まだ〳〵
其上火なんのうれい や吉〽老若(ろうにやく)きせんの
さべつなく まち〽いとしい新造(しんぞう)に
のじゆくをさせ いへ〽おいら迠も
やどなしどうぜん たか〽いちどならず今にも
どろ〳〵 もん〽あんまりあこぎのあみはのが
れぬ みなさく〽なまづ坊主(ほうず)めかくごいたせ 大ぜい〽サア
じんぜうにくだばつてしまへ なまづ〽ハヽヽヽハヽヽヽ
ハテそう〴〵しひがらくたやろうめおのら十万
百万でもものかづとは思はず金剛夜叉(こんがうやしや)
五大力でもちつともおそれぬわがいき
おいそれ知(しり)ながらギヤア〴〵とうろたえへ廻(まは)る
おくびやうものわるくさはぐとあばらやのごとく
こなみじんにふみくだくぞ あは九〽ヤアこまごと
ぬかすな初(はじめ)は出しぬけだからおそれたが
今は命(いのち)もかくごの我々(われ〳〵) む忠太〽ことにかしまさま
の守(まもり)もあれば やし吉〽鉄門(てつもん)よりは大丈夫(だいぜうぶ) まち〽一分でも
動(うごき)はしねへぞ くら〽たはこといはせずぶつちめよと
双方(そうほう)より立けるをなまづはしゆうに
はたらきて取ては投(なげ)のけはねとばしあるひは
ころり押倒(おしたおし)せうぎだおしにばた〳〵〳〵なまづは
きおいにあたりを見廻し なまづ〽アラこゝちよや
是よりは思ひのまゝ天地おもくつがへしわが
まゝにしてくれんといふおりからもふしぎの
霊験(れいけん)鹿島(かしま)の神の守にやたをれしもの
一度に起立(おきたち)四天王の勇(ゆう)を顕(あらは)しヤツと声(こへ)かけ
左右(さゆう)よりおつ取かこみうちければなまづも動(はたら)く
心なれど一身(いつしん)しびれてはたらきがたくむねんの
いかりはがみなすをなんなくしめる神しばりみな
一同にいさみたち ぢさく〽サアこれからは此なまづを八つさきに
して腹(はら)いせしやう かべさく〽極悪非道(ごくあくひどう)のらんぼうもの やね〽まづことも
なく取しづめ つし〽天下太平(てんかたいへい)国土安穏(こくとあんおん) くら〽鯰(なかづ)を火にあぶり
いはいのさかもり さら八〽サアうしやアがれ なまづ〽おいらいやだ さう八〽ヤアいやだと
ぬかしてゆるしておかふか ぢさく〽サアうしやアがれ なまづ〽ひどいめにあはせるからいやだ
おど〽あいつひけうなやつだソリヤ知たことだ あは九らう〽たいがいのことですませるものか いへ〽はら
いつはひくるしませてやるのだ なまづ〽ナゼそんなにおれをにくむのだ たか平〽とぼけな
うぬ自身におぼへがあろう 大ぜい〽うぬはいつこくのおふゆすりめだわい
【絵の中の歌】
土天葊
末ひろき御世を
しめたる要石うこかぬ
国と
あふぐ
神風
【絵の署名】
延壽戯画作
【上段右】
一/抑此鯰薬(そも〳〵このなまづくすり)の/灵薬(れいやく)ハ/鰻(うなぎ)ぐすりの/法(ほふ)に/倣(なら)ハず/瓢(ひやう)たん
/薬(ぐすり)の/効能(こうのう)と/変(かハ)り/鹿島大明神(かしまだいミやうじん)の/御夢想(ごむそう)にして
/一子相伝(いちしそうでん)の/妙済(めうざい)也/第一時候(だいいちじかう)の/不順(ふじゆん)を/治(ぢ)し/第二(だいに)
/世上(せじやう)の/景気(けいき)を/直(なほ)す/尤薬勢甚(もつともやくせひはなはた)しきに/依(よつ)て
大ひに/動(どう)ずる/事(こと)あり/然共其動(しかれともそのどう)ずること
/有(ある)が/故(ゆえ)に/是迄年来蔵中(これまでねんらいぞうちう)に/凝(こり)
/集(あつま)り
たる▲
▲/金(きん)
/銀(ぎん)の/支(つか)へと
/下(くだ)し/世間(せけん)の
/融通(ゆづう)を/付廻(つけめぐ)り/能(よく)なるに
/随(したがつ)て/何(いか)なる/冷生(ひえしやう)なる
/者(もの)と/云共追〳〵(いへどもおひ〳〵)に/腹中(ふくちう)に
/暖(あたゝか)ミを/生(しやう)じ/貧病(ひんびやう)を/愈(いや)す/事(こと)/震(しん)のごとし
/其功験(そのこうけん)の/著(いちじる)しき/用(もち)ひてためすべし
【下へ】
一/金銀(きんぎん)のめぐりを/能(よく)し一/世上(せじやう)を/賑(にぎハ)すによし
一/怠(おこた)りをいましむるによし一/奢(おご)りを/止(とゞむ)るによし
/禁物(きんもつ)一/美食(びしよく)一/美服(びふく)
一/居宅(きよたく)を/餝(かざ)る/又(また)ハ
/大酒(たいしゆ)をいむ
「さア〳〵ひやうばんの火ぎよ
なまづぐすりじや人形
ほくバくすりを
かハんせこれハ
ひやうばん
きめう〳〵
用ひやう
十月二日/夜四(よよ)ツ/時(どき)一たんに/振出(ふりいだ)し/猶(なほ)そのふり
/残(のこ)りを/度々(たびたび)二/振出(ふりいだ)し/用(もち)ゆべし/前(まへ)に/記(しる)す/所(ところ)の
/禁物(きんもつ)を/能々慎(よく〳〵つゝし)まざれバ/病(やま)ひ/元(もと)にかへる/恐(おそ)るべし
【上段中】
老なまづ 常磐寿無事大夫直伝
「そも〳〵なまづのあれくることおばんしやくにおされ諸々
八方のわざハひ/数千人(すせんにん)の見ごりをなして/古今(ここん)のう
れひをますしゆんの/時候(じかう)のいかりのときてん
にハかにかきくもり大地しきりにゆりしかバ
くいとかべをふせがんと小やぶのかげにより
たまふ此おりまちくはいほくとなりねだを
おり戸をかたねおのがのきばをふさぎてその
はりをもたさをりしかハむざとさいごと/入(にう)
/寂(じやく)のおはりむだ/死(し)たまひしよりなまづを
あやふと申とかやかやうにすでかき/間違(まちがひ)に
身を/悔(く)ふ/民(たミ)のうれひをバきミのなさけで
おすくひの/米(こめ)の/五合(ごんかう)ふるかべのほこりた
へせぬ/転変地(てんへんち)ごくどう〳〵〳〵とミくらの
つちにうたるゝものこそせつなけれ
安政二乙卯年十月二日
【上段左】
差出申御詫一札之事
/我等義(われらぎ)当十月二日/夜酒(よさけ)二/乗(じやう)じ/鳴動(めいどう)之上
/前後亡失(ぜんごほうしつ)仕/八百萬御神(やほよろづのおんがミ)たち御/留守(るす)をも/不弁(わきまへす)
御江戸町々/家蔵(いへくら)等/破逆(はきやく)致し/損亡夥敷(そんほうおひたゝしく)候二
付/神仏方(しんぶつかた)御/怒(いかり)之/段(だん)御/尤(もつとも)二御座候/然(しか)ル所
/先(せん)夜/雨天(うてん)之/節津波共打寄(せつつなミどもうちより)候二付/我(われ)等
/罷出八大龍王(まかりいではちだいりうわう)江相/願(たのミ)右津なミ/差戻(さしもどし)させ
御ぶなん二相/過(すぎ)候/依之蛭子(蛭これによつてゑびす)神を以て御/詫(わび)申
入候所ゆるく御/聞済(きゝすミ)被下置/千萬(せんばん)難有奉存候
/向後震(こうごふるひ)候節ハ/鯰(なまづ)一同/蒲焼(かハやき)すつぽん/煮(に)等に
被成候共/決而(けつして)一/毛(もう)之/動(うごき)申間敷候/為後日(こにちのため)さし
ゆれ申一/発仍(はつよつて)ふ/断(だん)の如し
【下段中】
新吉原町仮宅場所付 浅草之便
一東仲丁
一西同
一花川戸丁
一山の宿
一聖天町
一堂瓦丁
一山谷丁
一今戸丁
一馬道
一田町
一深川仲丁
深川
一永代寺門前仲丁
一同東仲丁
一山本丁佃丁
一松村丁
一八幡御旅所門前丁
一続御舟蔵前丁
一八郎兵衛屋敷
一松井丁 一入江町 一長園丁
一陸尺屋敷 一時ノ鐘屋敷 一常ハ丁
【下段左】
く事
「火事ならわたしもとくしんつくたが
だしぬけにくづすとハあんまり
むごひしかたぢやアあるめへか
火じ
「もそこら辺もゆきハねへけれど
よんどころなくつぶされのうへで
でき心とやらけんしなせへ
五重のとう
「おめへかたハともかくもおれハ
なんにもじやまにハならす
ぢしんにあたまをはりたを
されるりくつハねへやア
かミなり
「コラぢしん手めへやおれや子の中て
仲間トいふハしつているになせおとして
くれた江おちていひしにんにハ
かれかかつてに一人りておちる
かぜのかミの
まへもあるいへ
よごれたのを
ぬし直して
くれろ
ゑびす
「己レも十月そう〳〵から
こんなさハきかミ〴〵へも
いひわけなくやう〳〵
おわびハ申したなれど
このごハきつと
ふるふなヨ
なまづ
「へイ〳〵〳〵〳〵
モウ
ぬらくらハ
いたしませぬ
【表題】
鹿島大神宮託曰(かしまだいじんぐうおふせわたし)
【本文 上段】
〽其方共義諸神幷に
それがしのるすの間を見こみ
なまずなかまにてらんぼういたし
江戸をはじめ近国までひゞき
わたり古今まれなるさはぎと成
家くらをゆりつぶし
なを又出火して武家
町家のさべつなくあまた
やきうしなふうへけが人又
一命にかゝはるもの多きよし
此つみ何を以くらふへきぞ
これみな諸神をあなどりわれを
かろしめることふらちしこく也今より
八大りう王へ申つかはしのこりなく
なまづ共を八つざきにいたし此
たひのつみをたゞしのちのいましめに
いたさんとにがり切ておゝせけるになまつは
ふかくおそれ御こたへをいたすやう
〽おふせのおもむきおそれ入奉り候也それにつき
いゝわけと申すではござりませんが今年はあついさむいの
しかう大きにちがい其きのちがふにに【?】より十月以のほか
あたゝか也わたくしどもはちいさくなつてかたまつているしふん
なれど右のあたゝかさにてはやはるにも成たるかとやうき
にのほせわきまへなきものともらんしんのことくさはぎくるひ
そのひゝき日本にあたりいへくらその外をそんじ候もまつたく
きちかひよりおこる所に候也もとよりぬらくらものゝことにて
いかにせいとういたしてもきゝ入なくさわぎ立るものともたゞ
今のおもむき申きかせいらいつゝしみ升るやう云付候べしと
【本文 下段】
いふにかしま大神又曰〽此たびのそうどうにて
そんじたるもの左のことし
▲御大名方土蔵 壱万三千二百余
▲御はた本方同 三万六千五百余
▲御家人方 壱万八千五百余
▲寺社幷土蔵共五万二千五百余
▲町方土蔵十万五千二百余
▲焼失町家武家方たてよこを分て
壱丁つゝさす 但し六十間壱丁に立る
四百七十壱丁 〇崩れたる分は不知
△死人《割書:十月廿日迠|しれたる分》十一万八千五百十六人
但し廿一日よりの分又けが人とうは後に改出す
右の通りのそんじ也なんじらきりつくしたる共
あきたるにあらすへんとうにより取はからふ
次第ありと仰になまつはかしこまり奉り
地の下へうつりなかまいつとうそうたん
の上せうもんをさし上る其文に云
一当十月二日|御支配(ごしはい)の内
江戸其外近国まで大ゆすり
いたし家くらをひつくり
かへし長家をゆりつぶし火の見
ものほしとうをちうかへりいたさせ其上
出火と相成御|類焼(るいせう)多く御|迷惑(めいわく)の
御方様あまたのよし重々(しう〳〵)奉恐入候
たとひ此以後|寒暖(かんだん)の気ちがい候とも
ぬらくらものゝふざけ等はけつして
仕らず千万年天下太平にて
身ぶるひ程もうごきなき御国と
しゆご仕候間|何卒(なにとぞ)御じひに
八つざきの上付あぶりの義御
ゆるし被下候やう奉願上候と有
是にて御聞済有て万歳太平
の御国と成しるし有てめてたし〳〵
嘉永七寅ノ六月十四日
大地震に付て
此度大阪の万民近国に大 変(へん)
ありしかども無難(ふなん)に有し事の
うれしさのあまりにて
天下 泰平(たいへい)五穀成就(ごこくじやうじゆ)家業(かぎやう)長久を
よろこび日夜 異形(ゐぎやう)のふうていにて
諸社(しよしや)え参詣(さんけい)する事引きもきらず
こゝにふしぎの珍事(ちんじ)あり摂州
西成郡 御影(みかげ)近辺(ほとり)山 崩(くづ)れ
岩(いわ)の間より霊水(れいすい)わきいだし
去年(きよねん)の日でりにこりたる百姓
田畑(でんばた)此水にて大いにうるをし
みな〳〵貴異(きゐ)のおもひ
なし此後(こののち)豊年(ほうねん)の
吉随(きちずい)とぞ万歳を
うたひける
【左上挿絵内】御影
【表題】
【囲み】聖代要名治
万歳楽(まんざいらく)の津ら祢
【本文】
東西南北四(とうざいなんぼくし)
夷八(ゐはつ)荒天地(くわうてんち)
乾坤(けんこん)の其間(そのあいだ)に
何(いづ)れの土地(とち)も
動(ゆら)ざらんや遠(とほ)からん
国(くに)は便(たより)にきけ近(ちか)くはゆつて
眼(め)に泪(なみだ)神無月(かみなしづき)を幸(さいは)ひに家(いへ)
蔵(くら)堂社(どうしや)をゆりこわし大地(だいぢ)が裂(さけ)て
此世(このよ)から奈落(ならく)へ沈(しづ)むあびきや
うかん【阿鼻叫喚】野宿(のじゆく)する身(み)の苦(く)は病(やまひ)
五七が雨(あめ)と降(ふり)かゝる涙硯(なみだすゞり)の水(みづ)
ぐきに地震(ぢしん)の歌(うた)をしか〴〵と
柿(かき)の素袍(すほう)や大太刀(おほだち)と借(かり)の
衣装(いしやう)の成田屋(なりたや)もどき罷(まかり)出(いで)たる
某(それがし)は鹿島要之助(かしまかなめのすけ)石(いし)|座(ずへ)といふ
神童(かんわらは)南(なん)贍部台(ぜんふたい)【膽の読みはタンで贍の誤りか】
一ぱいに尾鰭(をひれ)はばする
のらくら者(もの)鯰坊主(なまづほうづ)は吉例(きちれい)の顔見世(かほみせ)
近(ちか)き十月二日|最(もふ)是(これ)からは磐石(ばんじやく)と踏(ふみ)
堅(かた)めたるあしはら皇国(みくに)ゆるがぬ御代(みよ)の万(まん)
歳楽此後(ざいらくこのゝち)さまたげひろない筋骨抜(すしほねぬき)の
蒲焼(かばやき)にして凡夫口(ぼんぶくち)へほふり込(こむ)とホヽ納(おさまつ)てもふす
【表題】
持〇長者
【本文】
蔵建(くらたて)る力(ちから)はなくて菊畑(きくばたけ)平家(ひらや)に
すみし風雅人(よすてびと)は潰(つぶ)れたといふ咄(はなし)もなし
さて持丸(もちまる)の長者(ちやうじや)たち此節(このせつ)でこざり
ますその身(み)〳〵の分限次第(ぶんげんしだい)こゝろ
もちの施(ほどこ)しをいたしたいもので
こざり升が何(なに)をほどこしたら
よかろふやらマアこゝが御そうだん
〽さやう〳〵ごくなんじうなものを
ゑらみそれ〴〵へせぎやうして
やりましたらこれにこした
いんとくはこさりますまい
〽なるほど〳〵左様(さやう)〳〵
おやのない子や子のない
おやめのみへぬもの
つえついたとしよりなどに
ほどこしたらよをござり
ましふ〽サアそこでございます
つえをついたものにほどこす
なら此せつのたふれかゝつた
家(いへ)へのこらずほどこしを
おたしなせへナ
【下の絵の右】
積善(せきぜん)の家(いへ)に余(よ)けいな
金もちは たまりし
はらのそうじ
したまへ
震災
図会 浅草寺
素洲 (印)
四方八方を火焔でつゝまれながら
不思議ニも観音さんハ無事を
得たので其の御利生の程を
尊ひ罹災後ハ一層賑ひ来り
毎日十数万の参詣者ありて尚
日ニ〳〵殖えゆくのみなりと
【次の3行は図中の文章です】
一傷病者の救護をいたします
一地方への通信を代筆いたしま
御遠慮なく御申し出下さい
大正十□年十一月三日印刷 印刷兼 東京牛込東五軒町四十番地
同 年十一月八日発行 発行人 荒木重三郎【この情報はどこに書いてありますか?】
【タイトルなし】
序(ついで)に火(ひ)のてを見てたもれどつち
の方しゆへ〳〵ノウ【ノウ:小書き】消(きえ)ぬかいな地(ぢ)しん
なめゆりかいし火(ひ)のてを見たいばかりて
たも〳〵火事しや〳〵地震(ぢしん)はめでたや
目出度(めでた)やなサミ【サミ:小書き】ゆり〳〵此家(このや)を逃(にげ)さる
廻(まは)し消(きえ)るめでたにいつまでも命(いのち)全(まつた)ふ
してたもと火(ひ)は見へねとも見送(みおくり)る 【見送の読みで「り」は不要か】
原野宿(はらのじゆく)も一夜(ひとよ)【一と夜の間にトがあるかも】で店(たな)さがし潰(つぶれ)た
家(いへ)で暇乞(いとまごひ)はりが重(おも)しとなり震(ふり)も
ゆるに土蔵(どさう)土(つち)崩(くづれ)猶(なほ)えさうしにしゆかはつ
《割書:地しん|てんぺむ》堀川の
下の巻 揺(ゆり)こはしの場(ば)
【表題】
じしん百万遍
【本文】
一 此たびわたくしは千年からくに〴〵を
なやめ鹿嶋様へたび〳〵わび入
こんど又大江戸をらんぼふに
いすぶり家蔵をたほし人をおふく
つぶしもふこんどわ申わけなく
出家いたし諸国かい国に出る
ところい【へ】又此せつ金もふけの
人がけさ衣をもつて一どふの
たのみにはなにもをどけの
ためだから百万べんを
してくだされとゆふから
いたします
南無阿弥陀佛
〳〵
なますた
〳〵〳〵
〳〵
【タイトルなし】
面白(おもしろ)く
あつまる
人(ひと)が
寄(より)多(た)か利(り)
世(よ)が直(なを)る
とて
よろこべる形(なり)
地震動珍録
【表題】
差出し申御詫一札之事
【本文】
一|我等義(われらき)当十月二日|夜(よ)酒(さけ)に乗(じやう) じ鳴動(めいどう)の上
|前後亡失(ぜんごほうしつ)仕|八百萬御神(やほよろづのおんがみ)たち御|留守(るす)をも不弁(わきまへす)
御江戸町に家蔵(いへくら)等|破逆(はきやく)致し損亡(そんほう)夥敷(おひたゝしく)候に
付|神佛方(しんぶつかた)御|怒(いかり)の|段(だん)御|尤(もつとも)に御座候|然(しかる)る所
先(せん)夜|雨天(うてん)の節(せつ)津浪共打寄(つなみどもうちより)候に付|我(われ)等
|罷出(まかりいで)八大龍王(はちだいりうわう)江相|願(たのみ)右津なみ差戻(さしもどし)させ
御ぶなんに相|過(すぎ)候|依之(これによつて)蛭子(ゑびす)神を以て御|詫(わび)申
入候所ゆる〳〵御|聞済(きゝすみ)被下置|千萬(せんばん)難有奉存候
|向後(こうご)震(ふるひ)候節は鯰(なまづ)一同|蒲焼(かはやき)すつぽん煮(に)等に
被成候共|決而(けつして)一|毛(もう)の動(うごき)申間敷候|為後日(こにちのため)さし
ゆれ申上一|発仍(はつよつて)ふ断(だん)の如し
安政二年 |地震坊(ぢしんばう)
霜月二日 |大鯰(たいねん)
【下段】
【くら】
〽火事ならわたしもとくしんつくたが
だしぬけにくづすとはあんまり
むごひしかたじやアあるめへか
火じ
〽ヲゝそうよわしもやくきはねへけれど
よんどころなくつぶされのうへで
でき心りやうけんしなせへ
五重のとう
〽おめへかたはともかくもおれは
なんにもじやまにはならす
じしんにあたまをはりたを
されるり【ヱ?】くつはねへやア
かみなり
〽コウぢしん手めへやおれはよの中て
仲間トいふはしつてゐるになせおとして
くれたエゝ おちていひしふんには
おれかかつてに一人リておちる
かぜのかみの
まへも
あるはへ
よごれたのを
ぬり直して
くれろ
ゑびす
〽わしも十月そう〳〵から
こんなさはきかみ〴〵へも
いひわけなくやう〳〵
おわびは申たなれど
このごはきつと
ふるふなヨ
かしまさま
〽かなめいしが
ひやうたんの
やうになつては
わしがいせへ
すまぬぞきつと
つゝしめ
なまづ
〽ヘイ〳〵〳〵〳〵
〳〵〳〵〳〵
モウ
ぬらくらは
いたしませぬ
【タイトル】
流行たこくらべ
【図のみ本文なし】
【署名】
一勇齊
国善【国よしか?】【国芳でしょうね】
戯画
役原居
「あゝら くづれたりな.やけたり
な〳〵.扨(さて)もこんどの大地(おゝぢ)
震(しん).くずれたうへに猿若町(さるわかまち).瓦(かはら)が
先(さき)へ真赤(まつか)にやけ出(いだ)し.もの 音羽屋.
おそろしや.心(ころ)関三 璃寛(りかん)とすれど.
あしがらみ 高麗蔵(こまぞう)や.孫(まご) 彦三を引きつれて.
にげて行のも 奥(おく)山や.荷物(にもつ)をはこんで
紀伊国や.寒(さむ)い 勘彌(かんや)を 明石(あかし)やも.こういふこと
は又と 嵐吉.なにはともあれ役者中(やくしやぢう).市蔵(いちざう)
怪我(けが)もなく有(あり) 我童(がどう)ござると.小団次(こだんぢ)あい.その
中(なか)でのこるとは めうがに叶(かな)ふ 福助(ふくすけ)や.竹三(たけさ)
市村よろこんで よき事を 菊次郎(きくぢろう).鶴蔵(つるぞう)
歌女之丞(かめのでう)と前(まへ)岩井して.酒(さけ)でも 粂三(くめさ)と
いふおりから.又ゆりかへさんとゆする所(ところ).
しばらくがわりに 権十郎(ごんじうろう).なまづのひげを
かいつかみ.西(にし)の海(うみ)とはおもへども.ぢしんの
ことなれば鹿嶋(かしま)がおきへさらり〳〵
【タイトル】
鹿島要石真図
【図のみ本文なし】
震災
図会 花屋敷
素州(印)
浅草の花屋敷では今度の震
災で火が一円に襲ふて来たので
猛獣るいは皆射殺せしも十一才ニ
なる小象は園丁福井某が命を
賭しての愛護により漸く救ひ
出だされたりとぞ
大正十二年十一月三日印刷 印刷兼 東京牛込東五軒町四十番地
同 年十一月八日発行 発行人 荒木重三
《割書:明治廿四年|十月廿八日》大地震後図
豊原国輝画
【右下】
明治廿四年十一月 日
深川区常盤町一丁目
十一ハンチ
《割書:印刷|発行》兼石井六【之助、明治期の東京の地本問屋】
【左上】
明治廿四年十月廿八日
午前六時すきの地震
分けてぎふ名古屋大垣
地方はけしくしんどう
おひたゝしく山々づれ家
屋ことごとくつぶれ死人
何万人なるかかつしれ
づおやにわかれおつと
にわかれわつか二三才の小
児一人のこる死した両
親年とりすがりなき
さけびたるありさまは目
も当られぬ不ふびんなり
さらたく所てきう
助おゆうけ有がにん者
お手あてなしたり
じつに古今まれなる
大地震といふへし
明治廿四年十月廿八日
午前六時すきの地震
はわけてぎふ名古屋大垣
地方はけしくしんどう
おひたゝしく山くづれ家
屋ことごとくつぶれ死人
何万人なるかかつしれ
づおやにわかれおつと
にわかれわつか二三才の小
児一人のこる死したる
親にとりすがりなき
さけびたるありさまは目
も当てられぬふびんなり
さつそく所々へきう
助おもうけけがにんは
お手あてなしたり
じつに古今まれなる
大地震といふへし
大津ぶれぶし
〽たいそふ
おしつぶれ
火事出来
たいがいゆりくずし
仮たくおやまは無事(ぶじ)の花
わらんじは高(たか)くなり
土蔵の鉢(はち)まき皆(みな)ふるひ
ぎやうてんし
土をばたかくつみあげて
あら木の板(いた)も直売して金もうけ
職人手間をばおさへ取り
役者(やくしや)のこんきう旅(たび)を売(う)り
かね持ほどこし跡(あと)よからふ
【欄外上側】
ステキめツポーおもしろイ
大地震番附
【欄外右側】
乞食曰く避難民です 《割書:著 作 者|まなずや主人》 《割書:発行兼|印刷人》大野栄之助 名古屋市中区古郷町三十番地
【欄外左側】
上野から見た武蔵野原ハヤリ出した枯すゝき節 一枚《割書:定|価》金拾銭也焉 《割書:大正十三年八月二十六日|御届同二十八日発行》
【中央の書き入れ】
御 大正十二年九月一日午 震源地北緯 《割書:地震めが|人をしらみと》 常陸要め石
蒙 前十一時五拾八分二十三秒 卅五度四 《割書: 間違へて|つぶして見たり》 勧進元
免 《割書: 焼いても見たり| 》 戒厳司令部
【右側一段目】
偉勲一等賞 無線電信
惜まるる 三殿下
《割書:ポキツト|折れた浅草 》 十二階
《割書:グヅ〴〵|云やあがる 》 火災保険
《割書:本所被服|廠跡死者》 三万五千
《割書:首がおつ| こちた》 上野大仏
《割書:馬鹿に儲|けた上野の 》 望遠鏡貸
《割書:救済支出|に決した》 五億余万円
《割書:効労の魁|軍 用》 飛行機
【右側二段目】
無事息才の三越の 獅 子
新規に出来た 金庫あけ業
《割書:母校を奪はれ| て泣く》 学童十五万
昔に返つた 箱根八里
武士道の権化 山内本所署長
数丈の地割れ 宮 城 前
殆んど全滅 熱海箱ね
《割書:のりのついて| 居らぬ》 切手と印紙
焼灰が飛んで 常陸水戸迄
気持のいゝ暴利 取締令
悪い事云ひ当てる 大本教
【右側三段目】
泣く子に夫れツ地震
ヒヨツコリ合つた鴈と仁左
朝飯もらふに昼までかゝり
殖へたマスクやと絵端書や
根底から破産した化学やはん
側杖くつた伊藤野枝
地団太ふんた大森博士【大森房吉】
●●へ女●●●●●湯●●
鮮人に似たのが抑々不運
三越の焼跡を探す男かな
ペロリと東京ナメちまい
此所小便無用町のまん中
御面相はバラツク式だネー
田舎稼ぎに出る芸妓
【右側四段目】
火保の契約二十三万
震災前の東京住民二百五十万
其後は概算百二十万
政府を相手に宗一【橘宗一】の母者人
何が当るやらかん婦白蓮
安政地震から今日迄六十八年目
ピクツともせぬ帝国ホテル
焼けた南北二里二十八町
潰された父の腕を鋸つて助けた息子
妙な名前鴨志田甘粕
名古屋へ移り申候回向院
火元実に百三十余ヶ所
恐ろしかつた竜巻
あんまり効力のない金庫
【左側一段目】
《割書:救援第一者|北 米 》 合衆国
あわれ 大杉栄
《割書:第一番に| 焼けた 》 警視庁
《割書:気持のいい| 郵便貯金 》 非常払ひ
《割書:死者千人余| の吉原 》 公園の池
《割書:訪ね人の広|告になつた 》 西郷の像
《割書:頼み手のカ|イモクない 》 美術家連
《割書:震災に依る|日本の損害 》 九十二億余万円
《割書:行列は|被服廠から 》 地獄まで
【左側二段目】
焼け死んだ 花屋敷の象
《割書:辻々に居る| 自転車バ【パ】ンク 》 直しや
《割書:帝大丈で焼けた| 書 籍 》 七十六万
急造りの乗り合 荷馬車
《割書:退かずに火を防| いだ住友 》 支店の課長
五尺下つた 横浜の地面
《割書:京浜で焼けた| 電話機 》 三十二万
《割書:御利益あら| た か 》 浅草観世音
《割書:東京の火事が| 見へた 》 岩代福島
《割書:一尺五十円に| 売れた 》 活動ヒルム
《割書:乞食がなくな|つた筈みんな 》 乞食になり
【左側三段目】
飴ン棒に曲つた鉄道
仰向いてへそを出した丸善書店
焼失戸数四十五万
大活動をして缶詰様々
誰かゝ食つたらしい公園の鴨
屋根迄のせた避難汽車
四日の朝ツイタ慰問袋
●●●へどしどし長唄の師匠
焼死人口六万八千
林女史の廃娼運動
大正の大江戸へ草ン靴がけ
とう写ずりの官報教科書
儲けた事は儲けたが懲役二年
自警団長宛然巡査矣
【左側四段目】
おれ丈は生きたぞよ火吹く廠
火事どろ地震どろ泣つ面に蜂
九月二日随分早いすいとん売
二度目のビツクリ焼残り爆破
将に大工五円日傭三円也
九月七日流言火語取締令出づ
ウソだつた首相の死
男ばかりで●●●泣●●●
ハイ御承知の通り支払延期令
恐れ多くも御救助金
篠つく同情欧米七ヶ国
大地は裂けて人を呑む
是れが昨日の皇都かなア