地震風火水災綴 一 【白紙】 【白紙】 【白紙】 【上部】 大地震のはなし 夫山城の国平安乃都は其昔桓武 天皇草□【草冠+劍】の地にして四神相応の場 万代ふゑきのみやことかや然るに当文政 十三年寅七月二日三日両日両夜大地震 にて山崩れ加茂川大井桂川あぶれて 洛中にいたる山は東山西山愛宕鞍馬 裾通さが御室高雄山扨洛中の民家は たおれ人多くけがあり疵付者二三万人 及ぶ死人弐千余人なり堂塔伽藍は 両門跡を初め祇園清水知恩院八坂塔 東寺のとう大寺大塔悉くたをれ 武家方御屋敷公家衆御殿向こと〳〵く ゆりたおす宮門跡方は八方え御立退き被遊 然れとも大地をふむ者みなたおれふし 一足も行事不成四方の山に水あふれ逃 場に迷ひ人多く死す牛馬鶏犬等迄 数多失す誠に目も当てられぬ有様なり 【下部】 二日三日四日 其内五六度 ほとは 殊の外 つよく 其 せつ は をふ らい【往来=道路】へ たたみ 戸なぞ 持出し 其上にて 老若男女にも神ふつをいのりおかけにや四日の夜あけ 七ツ時よふ〳〵しつまり夫より大あめしきりにふり 出し殊に伏見なぞにて其三日の日しんとお【振動】いたし老 若男女きい【忌畏=いやがりおそれること】のおもひをなし候得ともこれまつたく王城の地ゆへけかもなくしつまりしとかや 【上部】 文政十一子都市年 十一月十二日 あさ五ツ時より 大地しんゆりいだし 十四日迄三日の あいたちうや ゆりやます うみべとふり いつもざき 【下部】 八彦明神の 山大にくづれて 海の中へおしいだし 同所 三條まち つばめ町 また 東御門ぜきみどう大門 のこらずゆりたおし其外田はた 山川くずれこぼり大地へ あぶれいて人馬けが任人 数しれず 凡いへかず八千げん余 たおれくずれ牛馬三千余 も打ころされ こゝんまれなる大地しん そのあらましを くゝにうつしぬ 【上部】 比は嘉永二酉とし八月 廿四日九ツ半とき弁けいはし 辺ゟ出火折ふし北風はげ しく此へんのこらす松枝丁 松下丁代地こんや丁九軒丁 大和丁岩井丁上納地もと 岩井丁夫ゟ大門通亀井丁 うらおもて小伝馬一丁めゟ 三丁メ迄同新道油丁 片かは中ほと迄大てんま 二丁め三丁目迄㉩のこる 通りはたこ丁田所丁 はせ川丁三光新みち中ほど 人形丁のとふりいつみ丁のこり 堺丁また一口はほり止より 新材木丁杉のもりのり物丁 かくやしん道ふきや丁よし丁 甚左衛門丁大さか丁小あみ丁 壱丁めよこ丁にてやけ止り あくる五ツとき風もやみ火 しつまりて諸人やふ〳〵 あんどのおもひをなし候へは □【そ?】のあらましをしるし申す 【下部】 覚 類焼にて窮民 御 小屋入(こやいり)相願(あいねがひ)候 者(もの)は 居町(ゐまち)町役人(ちやうやくにん)江届(とどけ)に およばず直(じき)に当所(とうしよ)江 願出(ねがひいづ)べきもの也 但(ただし) 御小屋入之者(おんこやこやいりのもの)日々(ひゞ) 御賄(おんまかない)被下(くだされ)可稼方(かせぐべきかた)は 勝手次第(かつてしだい)当人(とうにん)江は 元手銭(もとでせん)被下(くだされ)候事 御小屋 すじかい 四日市 八丁堀  間口六軒  奥行五十四間 正月十五日類焼人数  《割書:男|女》六万四千三百八十五人 御すくい 《割書:米 三升|銭 弐百文つゝ》 米高 三斗俵に直し  六千四百三十八俵壱斗五升 銭壱両に六貫五百文 金に  〆千九百七十一両      壱貫五百文 【白紙】 かゝる目出度御代に天命のなす 処是非なき珍事おしむへし 爰に弘化四未年三月廿四日夜四ツ 時頃ゟ信州水内郡ゑん近大 地震細末抑善光寺を初めつよ くゆりうこき堂塔伽羅かへ堂末 社寺院其外人家夥しくゆり崩 れ村里類焼川々のこう水あん 夜の事に而夜もすからしんどうし 然は人馬之損耗も有り 東は丹波嶋川田■松代屋代 戸倉坂本■上田此辺殊につよく してかい道筋大石道にゆり出 大地さけ田中■小諸追分くつかけ かるい沢上州口辺まで 南は稲荷山青柳会田刈屋原 岡田■松本辺是亦殊外しん どうし人家やら焼失してさうとふ 大かたならす近へんの大川水夥しく 【下部】 是が為に人馬の損耗有り 西は長沼へん村々あら町柏原 野尻越後口まで其外遠近 之村里其数あげてかそへ□ □も貴賤の男女老たるを 助け幼をいたいてなけきかな しむこへ野にみつ山にひゞき あはれにも亦あまりあり されは善光寺本堂は聊 破損のうれいなく安泰なる は三国一の霊仏の 威徳誠に尊き事 ともなり然に御代官亦は 御領主の御手配り殊外 行届類焼洪水のふせきもよく よく朝六ツ時頃にこと〳〵く止ぬ 兎角人馬の死亡なきは 是て治る御代印なるへし 他国の親族此書を見て安堵成へし 鹿島神詫所(かしましんたくじよ)より鯰共(なまづども)一統(いつとふ)え申 渡(わた)しの事(こと) 一鯰共の義は古来(こらい)より申 渡(わた)し置通(おくとふ)り九ハ病(やま)ひ五七が   雨(あめ)に四ツ日でり六ツ八ツならば風としるべしとの御詠歌(ごゑいか)を   守(まも)り時候(じこう)ふ 順(じゅん)の折(おり)を見あわせ質(しつ)素(そ)に渡世(とせい)致(いた)す  べき処/諸神(しょじん)出雲(いずも)へ御(ご)出仕(しゆつし)の御跡(おんあと)にて先例(せんれい)の   掟(おきて)を背(そむ)き御(ご)府内(ふない)近在(きんざい)とも乱妨(らんぼう)いたし家(いへ)蔵(くら)   身体(しんだい)を  ゆすりちらす  のみならず  どうるいの  出火を  誘引(さそい)  出し  格別(かくべつ)の  風もこれ  なきに  数(す)ヶ所(しよ)焼(やき)  はらひ候段  八百 万(よろづ)の神を  恐(おそれ)れざる  いたし方  ぬらち至極(しごく)に付  四ツ手を以(もつ)て  一疋(いつひき)ももらさず  すくいあげ   蒲(かば)やき所に  おゐて大道(たいどう)さきの  うへ火あふりにも  行(おこな)ふべきところ  格別(かくべつ)の御慈悲(おじひ)を  もつて日本六十 余州(よしう)追放(ついほう)   仰付(おふせつけ)らるゝものなり若(もし)此後 御(お)構(かま)ひ場所(ばしょ)へ立 寄(より)いたぶりがましき義(ぎ)これ有(ある)におゐては  早速(さつそく)地引(じびき)をもつてからめ取(とり)急度(きつと)酒菜(しゆさい)に行(おこな)ふべきものなり《割書:太平元年❘|おち月十日目》 抑 信陽(しんよう)は 郡数十郡高五十 四万七千三百石に及ひ 日本高土第一の国にて尤 山川多く四方に水流なし 上の国にて人はしつそにして名産多 五こく豊ぎようの国也然るはいかなるじ せつにや有けん弘化四年丁未三月廿四日の 夜より古今 未曾有(みぞう)の大ぢしんにて山川へんじ 寺社人家をつぶし人馬の亡失多く火災 水なんに苦しむ事村里の凶へんつぶさに記し 且は  御上の御仁恵良民救助の御国恩 を後代に知らしめんが為こゝにしるすもつとも 三月陽気過度なること数日廿四日夜四五 時より山なりしんどうなし善光寺の辺別 してつよく夫ぢしんといふより早く大山は くづれおち水はあぶれ地中めいどうなす より五寸壱尺又は五尺壱丈と大ちさけ 黒赤のどろ吹出し火炎のごとき物もへ 上り御殿法蔵寺中十八ヶ町の人〳〵は おし潰され大ちにめり込男女らう少泣声 天にひゞき殊にやちうといひにげ迷ひ大石にう たれ谷川にはまりらうばい大方ならず其内 八方□火ゑん起りせうしつせり此辺の村々には北 は大峰戸がくし山上松北松しん光寺西条吉村田子 平手宝坂小平落かけ小高大高あら町柏原のじり 赤川せき川の御関所東はこんどう間の御所中の 御所あらき青木嶋大つか間嶋こしまた水沢西寺尾 田中 南の方は北ばら藤枝雨の 宮矢代向八まんし川山田小松 はらこくう蔵山茶臼山丹波島 西はあら安かみや入山田中林 木辺都て乍恐御代官様 御支配の分潰家五千三百 九十軒半潰れ二千二百 軒余但し木品は打 くだけ用には相立す 潰家同様にてし死人は凡二千七百人けが人 □百人程馬百七十三疋牛二疋大ち にめり込家数廿軒ほ□宮寺四十 六軒郷蔵廿二ケ所是は六万石ば かりの内也中にもあはれ成は此度善 光寺かいちやうにて諸国参詣の男女 同所止宿の者不知案内にてとほうに くれ二百人余もおし□うたれて即死 なす一生けんめい御仏に願はんと所の者 旅人本堂にかけ入り一心にねんじたる者 七百八十余人かゝる大災別而此辺つ よく火難の中に本堂山門けう蔵のみ 破損なくさすが末世の今に至迄三国 でんらいゑんぶたこんの尊ぞうにて利 益の程恐れ尊むべし本堂は広間 十八間奥行三十六間東西南北 四方表門にて寺号は即四つ有 東は定額山善光寺西は不拾山 浄土寺南は南めい山無料無量寿寺 北は北空山雲上寺天台宗に而 寺領千石尼寺にて由来は人 のしる所也扨又水内郡を□ に小ふせ神代あさの大くら か小沢今井赤坂三ツ又 さかい村茂右衛門村駒きそ 戸隠小泉とかり大坪曽 根北条小さかゐわらひふか さは第一飯山御城下にて きびしきちしんにて逃げん としてはころび足たゝず あをのけにはうより仕方 もなく老子供は泣叫び 地はさけ土砂を吹出し山々 はくつれ男女乃死亡丁方 にて四百三十人其外在方 多く此内丹波川かは付村 一同に押ながし行方をしらず 更科郡は内小 ■まはし本大原 和田古いち■かる い沢よしはら竹房 今泉三水あんぞこ 小松原くぼ寺中乃 うしろ丁宿家々をた おす中にも稲荷山に而 廿八軒つぶれたる家は廿 八日には大水におしながし ゆくゑ不知こゝに岩倉山 といふ高山高さ十八九 丈にて安庭村山平林 むら両村の間に有 此山めいどうなし あたかも大雷の ごとく 半面両端崩れ壱ヶ所は三十丁壱ヶ所は八十丁丹波川の上手へおし入近村一同にうつまりこう水 あぶれ七ハ丈も高く数ヶ村湖水のごとく人馬の死ぼう数しれず同少し北の方に六丈ばかりの岩山 有しが是又抜けおち五丁程川中へ押出し土屋藤倉之両村水中へおし入「あつみ郡の分新町と申 所二百八十軒の里こと〳〵く潰れ其侭出火にて焼失なし夫ゟ大水二帖二丈ばかり高くみなぎり目も 当られぬ計りにて宮ぶち犬かひ小梅中曽根ふみ入寺竹くまくら成金町ほそかへしうら町とゞろき村 堀金村小田井中ぼり上下鳥羽住吉長尾柏原七日市御間々べ狐嶋池田町堀の内曽根原宮本 草尾舟堀むら等大破に及ぶ「小さがた郡は秋和生づか上田御ぜうかにしは新丁上小じま下 こじま此辺山なりしんとうなし地中めいどうす今にも大ちがさけるかと此辺のもの共生たる 心ちなくされど大ちのさける程のことはなしといへど家々はつふれけが人多く前田手つか山別所 米沢くつかげならもと一乃沢凡百四十ヶ村ほど「ちくま郡は八まんむら辺至りてつよく度〳〵ゆり返し にんばそんじ多くほうふく寺七あらし赤ぬた泪村おかだ丁松岡ありかし水くみ松本御ぜうか下辺 百二三ヶ村ふるひつよく庄内田貫ちくま新町あら井永田下新かみ新三みぞ飛騨ゑつちうさかいに至る「佐久郡は小諸御ぜう下西の方は瀧原市町本丁■■村 野和魔獅子 此ノ度(たび)世(よ)に珎(めづ)らしき 野和魔獅子(やかましし)と云 怪獣(くはいぢう) 出(いで)たり抑(そも〳〵)獅子(しし)は其種類(そのしゆるひ) 最多(もつともおゝ)し散財図会(さんざいづゑ)に 委(くはし)く誌(しる)せり先(まづ)「王耶山(おゝやさん)」より【ゟ】 出(いづ)るを《割書:隠居獅子(いんきよしし)|苦累獅子(くるしし)》共(とも)云(いふ) 「ヨアキンド」より出(いづ)るを 《割書:天当獅子(てんとふしゝ)とも云(いふ)|又 加鯰獅子(かなしゝ)共云(ともいふ)》「バンヤ」の 際(わき)「カザリツケ」より【ゟ】 来(きた)るを 《割書:合力獅子(かうりよくしゝ)といゝ|また馬伽羅獅子(ばからしゝ)と云》「ヨバン」より 渡(わた)るを《割書:勢(いき)ひ獅子(しゝ)いゝ又|以也良獅子(いやらしゝ)と云(いふ)》「ヂメン モチ」より出るを《割書:忌々獅子(いま〳〵しゝ)と云|又(また)長者獅子(てうじやしゝ)と云》 「ゴホフビ」より渡(わた)るを《割書:宇(う)|曽(そ)》 《割書:良獅子(らしゝ)といふ又|神楽獅子(かぐらしゝ)ともいう》たゞ「リウ コシヤ」より出るは《割書:宇礼獅子(うれしゝ)と|いゝ又 存財(ぞんざい)》 《割書:割書の一とも|いふ》此の野和魔獅子(やかましゝ)は 大民(だいみん)油断(ゆだん)の産(さん)にして 対馬(つしま)の国(くに)に渡(わた)り夫(それ)より 東都(とうと)へ渡(わた)り駆廻(かけまは)る事(こと)は 昼夜(ちうや)休(やすむ)時なし虎(とら)は 嘯(うそぶい)て風(かぜ)を生(しよふ)ずと伝(つとふ)れども この獣(けもの)は風(かせ)の烈(はげし)きに随(したがつ)て 勢猛(いきおいはげし)く砂煙(すなけむり)をあげ 地響(ぢひゞき)して爪音(つまおと)喧(かまびす)く鉄棒(かなぼふ)の如(ごと)く尻尾(しりを)逆立(さかだち)て割竹(わりだけ)の声(こへ)あり走処(はしるところ)に【「小」では。「小児」で「こども」の振り仮名だと思いますが。】児(こども)の夢(ゆめ)を驚(おど)し 諸【原文の字の旁は「者」ではなく「農」だと思います。とすれば「「濃」で「こまやかな話」の意になりますが自信はありません。】話(はなし)の腰(こし)を折(おる)其災(そのわさはい)多(おゝ)しといへども元来(もと)火防(ひぶせ)の獣(けもの)にして火難(くわなん)少(すくな)きこと不思議(ふしぎ)なり 願(ねがは)くは長(なが)く此 獣(けもの)を養育(よういく)し置(おき)て火防(ひぶせ)となさんことを万民(ばんみん)これのみ悦(よろこ)びぬ   于時火衛御年鼠年(ときにかゑいこねんねづみのとし)     蛮人(ばんにん)   呉狗楼仙伴録(ごくろうせんばんしるす) (半狂) 【上段】 おゝ津ゑぶし そうかへ ぶし 【下段】 火の 用心 見立 そうし 【上段・おゝ津ゑぶし・本文】 〽ちくぜんのだざいふに。  ごちんざまします  てんまんごう。これこそあら  たなる。おんやしろ。  じんごうこうくうの ご  こんりう。あまたのうつしは しよ〳〵にあり。なかにもかめどの こかいてうはあまたにのほう けんであめがふる。この せつはおまへの ふでの大文字が。 あまたに よくにて しきりに ふりまする。又てりに平川かし天じん がこぞいてひよりの御きたうする 【下段・火の用心見立てそうし・本文】 木を  いれて   まはり しかけの   水くるま   素白 叙 君恩四沢(くんおんしたく)に溢(あふれ)店子(たなこ)多(おほ)く露路(ろじ)に寄(よる) 龍越清気(りうこしせいき)を楊(つけ)当番(とうはん)五町(こてう)に秀(ひいつ)とは とんだ狂詩(きやうし)のもじくりに自身番(ししんはん)の 長役(てうやく)の居 眠(ねむり)を醒(さま)し作者の本名(ほんめう)は弁(へん) 当(とう)の燗徳利(かんとくり)と共(とし)に隠(かく)して笑(おか)し割竹(わりたけ) サラ〳〵として猫(ねこ)の舌(した)の鈴虫(すゞむし)りん〳〵として冬(ふゆ)なから 秋(あき)に似(に)たり町内(てうない)のかざりつけは大見世(おほみせ)の 二階(にかい)にひとしく鳶(とひ)の者(もの)の懐手(ふところて)も目立(めたゝ) ぬ程(ほど)に 【上段・おゝ津ゑぶし】 〽ゑいほうかたよれ〳〵と。  かなぼうもつて  すぎ王が  詞〽此せつおふれの    きびしいのにつけて  時平公の御だひ  さん。なんときいたか  さくら丸。  よいところでであふたが。  うらみをいおうじやあるまいか。  くるまやらふとうしろ  から。だいおんあげて  まつわう【松王】が  ひきかけた。  このみくるまを  なんとする。  ならばてがらに  とめてみよと  うめまつさくらの  ばつさりにらんでひようしまく     【菅原伝授手習鑑の内容らしい】 【下段・火の用心見立てそうし】 なりしは全(まつた)く公家(おほやけ)の御恵(おんめく)み大雨(おほあめ)のふりし跡(あと)かと あやしまれ黒(くろ)くなるは天水桶(てんすいおけ)白(しろ)くなるは町内(てうない) の名札(なふた)赤(あか)いは分別(ふんへつ)盛(さか)りの家主(いゑぬし)のあたま 青(あを)いは地主(ちぬし)にして黄(きい)ろい声(こゑ)で火(ひ)の用心(ようじん)さつ しやりませうにふと目(め)をさませばかな棒(ぼう)の 音(おと)かん〳〵    維時嘉永五年    冬十月下旬稿成   野暮正銘(印) 春雨や となり 近所  に ことなかれ てうちんを もつ手に とゝく 寒さかな 【上部資料右・白紙】 【上部資料左】 火之元         新板中   大(おふ)勢津ゑふし 当(てふ)世    流行(りうこふ) 【下部右】 太平山安楽院 開山(かいさん)たんねん社(しや)金棒(かなはう)上人 かいき也 〽ごしんごんにはおんそろ〳〵 ふいたりや火(くは)事なしそわか 寺中(じちう)・夜(よ)ばん院(いん) 居(ゐ)眠(ねふり)院等(いんとう)あり 本尊(ほんそん)は弁当冷飯如来(へんとうひやめしによらい) かまの前(まへ)のおさんどん のこけ作(つく)り 【下部左】 此てらより   火(ひ)防(ふせ)といふ  ぞく防(よけ)いづる 【上段 右丁】 春(はる)のでぞめの・夜(よ)なかのころに・ま組(ぐみ)ら組が 先(さき)に立・またぐら御もんと出おかけりや・それ じやおしりでさわぐだろ・〼〳〵ひのこはいせい よく・さつ又【「さすまた(刺股)」に同じ。江戸時代、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)とともに犯罪人や乱暴者などを捕えるのに用いた武器。いわゆる三つ道具の一つ。U字形の鉄製の頭部に木製の長い柄をつけたもので、のど首を押えつけるのに用いた。】お【「を」とあるところ】つゝはらし【「突っ張らし」=棒状のものを押し当てて強く支えること。】・ありやりやんりう こしをもちやげ【腰を持ち上げ】〼一ばん二はん三はんとつゞ けて・たがいにいきせきはたらけは・しばしつか れをやすめんと夜中にさかるははしごもち 【上段 左丁】 此(この)春(はる)のふく風に・せけんはあしきのいろお【「を」とあるところ】なす天水 おけ【防火用に雨水を貯えておく大桶】がくろ黒(くろ)くなり・江戸まち 〳〵の名札が白くなり ・金 持(もち)じぬしはざつぴで青(あほ)くなる・家ぬしはおみき のかげんでゆるり【「いろり(囲炉裏)のこと】にあたつて赤くなる・店(たな)がりは ひやうし木かち〳〵おくりばんわり竹をがら〳〵ひいて ねむゐ目をこすり・きいろなこへ【黄色い声】をはり上て 火の用心さつしやりませうとふれてゆく 【下段 右丁】 廊(くるは)【「廊」は、ひさし、廊下等の意で「くるわ」の意味なし。「廓」とあるところ。】の言葉(ことば)覺(おぼへ) 〽ヲヤはやう          夜まはり   おざりんした    【「「おざりんす」は「ある」、「居る」の丁寧語。】         〽アレサ人かもん         弁当(べんとう)の      すいな          くわんどくり【燗徳利】 〽もつとこつちへ        つめばんの      およりよ          いとこ 〽もうおかへりかへ       あけばんの 〽アゝかつかりした       ろじばん 〽何(なん)とても       いゝなんし     わる口 〽まウやつと          水札を   おしまいか          となりへ 〽いつそぐた〳〵        なまゑひの     するよ            長人(てうにん) 〽たいそう           あんしん      おだしだね           だよ 終(おわり) 以上 【下段 左丁】 おけつこうの鶏(にはとり) あたま 小判 眼は 百銭 腹は 弐朱金 羽根壹分金    尾は 嶋【縞のこと】のさいふ 〽こりりやこれ佐どの山からいけ どりました世の中おけこうな には とりてムリ計御らんの通りみな 人さまのおしいほしいかかたまりまして 一ツを玉子をうみおとしやゝうまるゝに おひてかよふな鶏と化し一名ヨクト 申しますゑじきにはたなこの外 食ませんサア〳〵となたさまは よくきをつけて御らんなさいまし なんとおそろしいものでムリ升 初代一筆座か画きましたよくの  くまたかをこゝににはとりにいたしたのも やつはり作者のよくでムリ升アゝ銭がほしい金がほしい 【下段 左丁 下部】  鳴(なく)聲(こゑ) 〽 アンタイ   メデタイ    〳〵〳〵          【上部資料右】 おゝい〳〵をゝやさん。そのかぎこつちへかして おくれ。 家(いへ)ぬしはびつくりはらをたて。いへ〳〵 此かぎはかされません。おふれがやかましゐ。 ようしがあるならばながやへあづけませう 。さて〳〵こまつたおゝやめと。くちこゞと。なん ぎしごくのひとりもの。路じえ六ツぎり。 こんばんあかねば立すくみ 【上部資料左】 今(いま)の世の。はやりもの。あまたしやうばい あるなかに。はんじやうは。りうこしや。水 でつほうのあたりどし。しぶい渋(しぶ)やも笑顔(わらいかお) かじやは金棒(かなほふ)銭(せに)となるおけやはそこぬけ もうけます。こまるははなしかかうしやくし 。 夜(よ)あきんど。よくに目のないざつとの坊(ほう)も りよじがひまゆへあんまりむごいとぐちおいう 【下部右】 大(おふ)薬(や)鑵繁(くわんはん)用(やう)寺(じ) 此て寺の門せんには名物いとおほし     更科(さらしな) 〇 蕎麦(そば)長寿庵(てうじゆあん)     砂(すな)場      内田(うちだ) 〇 名酒(めいしゆ)四方(よも)      矢野(やの)     ようかん 〇 餅菓子(もちぐわし)いまさか     玉子のあつやき 【下部左】 〽そも〳〵下戸山上戸寺は 唐(とう)の張入道(てうにうよう)和尚(おせう)         伝来(でんらい)の 本尊(ほんそん)十一 面(めん)       観世音(くわんせおん)        ほさつ 御しんごんには  御そろ〳〵〳〵    のんだり       くつたり         そわか知 【上部右】 さかりばに夜見せなし。くれるとゆはなし木ひ ろいせわかなし。三廿どんはくろふなし。かなほう ひつきりなしよまわりひまはなし。よせには 入がなし。たなかりはらくはなし。せうことなし のねづのばん。せけんにことなし火事はなし ろじ口は六ツきり出入なし。しめりがあれは風(かせ) がなしおかみのおふれにぬけめなし 【上部左】 新板 日本(ひのもと)大勢津ゑぶし 上 【下部右】 コレ杢兵衛さん 大そう小間物を ヲ丶エ□   いけきたない 大そうどぶ   ろくの にほひ   が   する コレはち   ゑもどん おめへそんなに 【下部左】 わらつでいづと  こゝへ来て     薬ても  のませてあけ      ねへな いけぶせうな  なんだと   もりがさめる     どれおれも   くうべい    其間    八さんかは      らつし 【上部右】 かざで本。やうじん口。【仮名手本忠臣蔵】 夜(よ)まわり夜うちの いで立で。四十七きのまとい組(ぐみ)大やは大めし くらの助(すけ)。めい〳〵りゝしき合じるしかけやに あらぬゆみはりや。 鑓(やり)にまがひのとびぐちで 。 高(こう)めうてからのけし札に。 家(いへ)ぬしはすきはら をかゝへてわかやへもとりすみべやのかうのものを ひきづりだしてちやつけくい。ほんもうとげる 【上部左】 へつゝいがしへ店(たな)をかり。かまや堀(ほり)うらなべ丁に。 おたんす町を。かいたい町でたゝみ丁まてしきこんで 幸(さいわい)ばしとおもふたか。うはきをすきや丁で 品川丁女と三田ならかうじ町うちにわちつと もいなば丁。わたしをばあんまりばと丁にしよウ でん丁いまさらぐちをいゝだ町もぬしを 代地とおもふゆへ 【下資料右ページ・道標に反転文字で】 よくどうの辻 せ人〇〇【六道の辻の洒落?】 【下資料左ページ】 一ヨリ ▲ 御(こ)くろう山(さん) この山に     の やしろ  あり 【上部右】 春(はる)風がふきや丁。てりふり丁のそのときは 。火の用心とこへは大坂丁。わり竹丁や金ぼう のそのおとは丁たかさご丁大家さんは丁内まわり に北じま丁。すいど丁から水をくみりうこしでや ねの上のへあげや町。夜るや中ねづに夜ばんお するが丁それで火事さたさつぱり仲丁 世の中よし丁であんじん丁 【上部左】 六つ切のろじ口で。しめだしくろうたぽん 太郎。たゝゐてもあけてはくれず。いぬにわん〳〵 ほへられて。せんかたしようもなまけもの。 いつそこれから吉原へ。とまりにゆこふと おもへ共。ごろねするにわぜにはなし。四ツすぎに 四百四びよのやまいより四百なゐのわつらい もの野(の)じゆくはるのはなさけなや 【下資料・火の用心見立そうし】 なんぢう峠(たうげ) とうげを越人北八 〽ヤレ〳〵たいぎだのう 弥二さんおらア火事も おほかたたびへたつてだ らうとおもふゼエ江戸にや チヤンともいゝやしねへ 弥二郎 〽ソウヨこれも神のおかたのお心づ かれたでさぞ下〳〵〳〵のものが こまるであらうのこのたび のゆきとゞいたおふれで此なん  ぢうとふげをこして   しまへば五斗天神  さまへおまいり申ておいら たちも一ツへいツヽもやろうのう 喜多八   ウントコナ〳〵〳〵 此とふげをこすひとは 晦日のぢぞうをしん〴〵 してよし目の下に 氷山ひがけのもり なしくずしのしろとう       みゆる 【上段資料・おゝ津ゑぶし】 夜(よ)まわりのきびしさに。しんみちうらやの けいこじよもくれるとひまになりものわ ぺんともしやんともおとはなし義(ぎ)太 夫(ゆう)はこへ もふとざをでわり竹元や志ん内のおもて うらきどあけ□す。火の用心とふれて ゆく。長うたのなかき夜ばんもかせさわぎ 。きよ元大せ津(つ)文字(もじ)は六 切(ぎり)で〆ります 【上段資料・左ページ】 当世流行新板(とふせいりうこうしんばん) 火之元(ひのもと)大(おゝ)せ津絵(つゑ)ぶし           下 【下段資料・火の用心見立そうし】 〇 五斗天神(ごとうのてんじん)   神主 赤井下総(あかいしたち) 〇さゝのむの尊(みこと)御合殿(ごあいでん) 〇三十□神のやしろ 御朱印(ごしゆいん)  昼夜六百□ 当社 造営(ぞうゑい)は元気(げんき)三年亥冬霜月 とりたて也 境内広くしてもつとも風□いよし 五斗天神社(ことうてんじんやしろ) 【上段資料・おゝ津ゑぶし】 風の夜(よ)にめつぽうはやく。ねぼけて出かける 火の用心。さつしやりませうと。三丁金ぼうで。 わり竹がら〴〵うちならし。ろじは六ツ切〆ッ切。 家(いへ)ぬしは詰(つめ)ばしよ仕事する。丁代さんはぢ しんばんでまじめがほ。中にもひげだらけな番(ばん) 太郎おやじ。火事をながめ。ひようし木たゝゐて とうい〳〵と。やけばおさして弁当箱(べんとうばこ)のぼりおもて                    はしる 【上段資料・左ページ】 安政二卯年 火之用心三十六歌仙 全 【下段資料・火の用心見立そうし】 四文屋仁王の写 〇仁王尊体はかしらは酒たいにし         て水ばんのはんてんをまき         つらは五(こん)の字(し)もやつたる色         にてもつとも赤く▲ ▲あたまは ▲□□をまきじやのめしぼりの  三尺のでんきなり口よりさけのにほひが  仁王そんのかたちなり 【下段資料・左ページ】 みくじのうつし【横書き】 三十三番吉【横書き】  列風吹土砂上 れいふうふいてとしやをあける  此時表子木音 このときひやうしきのおかすかけり  番太眠覚寒  ばんたねふりをさましてさむし  地主手前共悪 じぬし手まへもつともわるし 此みぐじにあふ人はめさとくしてよしもつとも二十番神 をひとすじにねがひてよし水なん火なんおほしきを つけおくべし常にせわくらうおほくきがねありくち くわほうあり人の上にたつ事わるしいみにくまるゝ事 ありもつともつゝしむべしおのれよりめしたの人をあ はれみなにごともひかへめにしてよし 【上の資料・右ページ上段】  【上の資料・右ページ下段】   天智天皇             持統天皇 あきたなの            はるすぎてうちから やねまで水を           どくの火事ゆへに たな火けしわが          あれ人ともに  からだまでついにぬれつゝ     かぎやうかくやま   柿本人丸             山辺赤人 あしよはを            両ごくへうちいで つれてにげゆく          みればみせものゝ やまのてへしるぺ         こやのたかねへ  たづねて一夜かもねん      火のこふりつゝ   猿丸太夫             中納言家持 おくの間のたんす         いさゝかのわたせる ながもち火が           にもつせおひいで ついてすておき          うしろをみれば にげるときぞかなしき       よくやけにけり 【上の資料・左ページ上段】  【上の資料・左ページ下段】   安部仲麿             喜撰法師 火のみからふり          わがうちは火もとの さきみればはるか         きんしよしかも なる身よりのへんに        るすよふやけたりと 出し火事かも            人はいふなり   小野小町             蝉丸 はなのあな            これやこのゆくも くすぶりにけりな         かへるもあきだな いなづらとゆきゝの        をかすもかさぬも 人がながめせしまに        おふや衆のむね   僧正遍照             参議篁 みなみかぜくもを         またのはら かすみにやけて          両ごくへんへやけ くるあさくさ           ゆくと人には だいちでしばしとゞめん      つけよみつけそとまで 【下の資料・火の用心見立そうし】 ○風ふきは南風  ならい 北おろし  なといたつてはけしく 去明暦三年の大焼に 十万八千人死亡夫よりひきつゝき東都数しれず こたひおほやけよりめてたきおほせ事をこうむり 火のばんあひつとめ亥冬より子のことしに いたるまで万民まくらをたかくして  眠らるゝ事世のためしなき政道あほぐべし               尊とむべし 【上の資料・右ページ上段】  【上の資料・右ページ下段】   陽成院              河原左大臣 つくかねの            みちもなく おとよりはやく          しのびかへしを 八方へやけぞ           こへてにげあしを つもりてはいとなりぬる      いためてわれならなくに   光孝天皇             中納言行平 主のためやけのに         たちわかれ いでゝはいをかく         いなかへゆくも わか小づかいに          やけゆへに金を  くきをうりつゝ         かりたら又かへりこん   在原業平朝臣           藤原繁行 ちはやふる神の          すみなれし ごばちかこのように        ところでやけて にからのはだかで         わき丁へみせをだし  やけいつるとは          たでひとめすぐらん 【上の資料左ページ・白紙】 【下の資料・火の用心見立そうし】 欲(よく)の巌窟(かんくつ) 落(おち)る事なかれ落ると 一生あかられず 〽たれもこふいふ がんくつのある 事は此さく者 よりほかにしる人は あるまひて おそろしや〳〵〳〵 なんとみなさん 御用心なさい まし    深いにかぎりは     ムリ舛セン 慈悲心(ちひしん)のみなと 常(つね)におだやかにして   波(な )かぜなし    安(やす)く世(よ)を      わたる 〽ゆたかなる 人のこゝろの  たいらふね ゆたの  たゆたに 世や  わたるらん 【上の資料・コマ25で翻刻済み】 【下の資料・火の用心見立てそうし】     草臥相(くたひれそう) 〽火の用心サシヤリませうといふ事も できねへよひむすびを二ツくつたきりて はらがへつていけねへ〳〵〳〵ヲイばん太さん いそがしいナ〽ムゝたれだ長まつどんか おめへのとこのわかだんなは どふした〽おらんとこの わかだんなはちつとしく じりの一件て本店へ 当ぶんいつてイルヨそふか どうりて見てなさら ないとおもつた直して すてきとさむい   かふるへて声か てやしねへ犬のあしをふむめへヨキヤンノ〳〵それ見たか いくふむなといふのにキヤレホイおれもけつまついた     店子(たなこ)か骨(ほね)ををり相 〽源こう手(て)めへは  玄馬かおらア龍吐水         の役ヨ   わたしや     龍越 ぬしは玄馬【玄蕃桶=消火道具】 やかてこゝまなきよく【まゝ」では。この部分意味がよく判らない】に おけならはツとんたはるさめ【春雨】たアヽ さむい〳〵〳〵モウ四五軒水をあげたら 自身ばん【自身番】で一へい【一杯】おみきをあけな くちやにつちもさつちも いけねへ龍吐水の水の音         キイチヨ〳〵〳〵 【上の資料・コマ25で翻刻済み】 【下の資料】 家主(いへぬし)が閙敷相(いそがしそう) 〽杢兵衛さんおはやうまだだれも つめませぬかどふもいけづるいことだ 丁内にももうふるひ人がないから せはがやけてならぬそれに出役が しんざん【新参】だからみんなわしが所へ もちこむじやて龍吐水の注文だの げんば【玄蕃桶】の泡たのとナニ半天ができてき たとみせなせへゑりじ【襟の字?】がなんたかちつ ともわからねへト《割書:目かねを|かけて》フトウかたじ【片字?=略字】で店 はんかむづかしくかいた物たなんたと またかなほう【金棒】を折たどふもなら ねへ丁入用かおゝいから地主にもきの とくてム【ござる?】はて早々又地主からよひに【呼びに】 きたとかやれ〳〵せはしねへことた   がとられ相 ハテこまつたものじやてとしも てうど三〆【貫】五百目ほども たらぬじやおれもなこう おきかてめへはならぬサカイニ チツトのうちとうち【湯治】にでも いつてきをはらしてこよふか しらんエヽハこれもたなこの 御奉公とおもふて十五□【文?】も 地面うちの子とも せぎやう【施行】をだソウカ いや〳〵〳〵よそう〳〵いや とんとやくたいしやトヽとうも あんじがつかんやつはり家守の いひなりほうたいにこゝろよく出てやるがヨイハ 【上の資料・コマ25で翻刻済み】 【下の資料】 商(あきな)ひがひま相 〽イヤ伊せまんさん【伊勢万のような屋号?】いふへ【昨夜?】三平さんの市へ いきさつたかなんたかよみせも うれぬと見へてそこらじう からもつて来てうりてばかり しやホン〳〵〳〵此ころは ひどいものでいやばんせんだ かけせんだのととられるはかり おきやくはたゝずいちにあくひと 引はりしや此上についかし ほんの一冊もかりてよむとじき に夫レ四百と五百さんざいが できまするいやはや    ひまなことでムルテ よせ【寄席】は入がなさ相 見物かいふ 〽モウ四ツか 〽いゝエまたて ムリ舛ヘイあなた半札 をおもちなさいまし ヘイおかいなさいまし 明ばんはきつとしん生が 出席いたし舛〽また出る〳〵と いつていくばんもつられるやつさ あしたのばんてねへとあさつてから 只でんぼうで見にくるぜ〽へゝゝゝ 〽しかし勝二郎の火事のおとしばなしは ヨク出来たおゝかた都々(どゝ)一坊も これじやとつらりとんても出来た ろう〽明後日は扇歌と舞鶴か 出席いたされます▲          ▲〽ヘイあなた            おかへりなさいよし     【上の資料・コマ25で翻刻済み】 【下の資料】 おさんどん おこされ相 おらか  のおかみ さんはだんなさんが夜ばんに じしんばんの時はよひつて【「宵居て:夜更けまで起きていること」が話し言葉でつづまって「よひ(い)って」となったと思われる。】エ 何かぐす〴〵〳〵おきていてあさ かただんながかへるといつしよに 旦那の中にのたくりこんで ねていなさるそれほど  ていしゆがこいしけりや  いへぬしの女房にならなけりや  よいにコレをおもやあこれからいへぬしの   女房にやおれがまご子の代までも  さぞやあしねへ火をうつおと            カチ〳〵〳〵      女房(にようぼう) 独(ひと)り寐(ね)さむし相 ひるま亀さんが為永 の中本をかしておくれた からあんまりねられ ないからはんぶんば かりよんだらモウいつそ おつなきになつて耳(みゝ)が あつくなつてうちまたが いつそもしやくしやして ホンニ〳〵モウいへぬしの女房 なんぞになるものじやねへ モウ七ツまゝや一時か半 ときとおもやうおもふ ほとふところさむしくつてねられやアし ねへチヨツ 〽アヽいゝかげんにかへりそふなものだのう とろ〳〵と寐(ね)ると うちの人のゆめを 見てホンニ〳〵〳〵 しれつてへのう 【上の資料・コマ25で翻刻済み】 【下の資料】 ろじばんの人さむ相 ろじばんの人はな□【「かた」カ。8行目の「はだ」の「た」に相似。】 〽はるさめにびつしよりぬるゝ よまわりのおかげてになふ □【水?】さへもはだにさはりていちらしや じぬしでさへもひとすじに ねずにさはいできがもめる若しや ねむるしぬしはばんやがて四月五月になるならば ヲヽうれしいじやないかいなサアサばんでもよいかいな引 ヲヽさむい〳〵どぶろくぐらいじや中々おつつかない 此図わ地震の吉凶の実正をたゞし粉れ なきを集め明細に出板仕候 《題:《割書:江戸|地震》類焼場所図》 【下段へ】 安政二卯十月二日夜四つ時江戸大地震後出火所々に有之候場所を見廻り明細に書写又地 震の次第わ図江色わけにて大中上と印を付彫刻仕候㊀新吉原江戸丁一丁目二丁目京丁一丁目 二丁目角丁楊屋丁伏見丁仲の丁不残焼失五十間わ残郭中土蔵一ケ所も不残失焼②土手下田丁辺より 出火山川丁北の方少し残り竹門馬道北新丁猿若丁三丁目より一丁目三芝居ひがし新道わ東かわ残り候 山の宿片かは花川戸わ少しにて焼留藪の内いろは長屋寺々十ケ寺斗焼申候㊂小塚原丁遊女屋不残 下宿共焼又今戸橋きわ半丁斗焼橋場半丁斗やけ候㊃駒形横丁より出駒形両かわ諏訪丁黒舟丁両側 三好丁御馬屋河岸にて焼留り候㊄東御門跡前菊屋橋角半斗焼又一口わ堂前斗やける㊅下谷坂本 壱丁目二丁目三丁目まで両側やけ候㊆下谷上の広小路中程より出火大門丁上野丁一丁目二丁目伊藤松坂屋土蔵 九戸前共不残失焼同朋丁新黒門丁上野御家来屋敷御成道井上様少し焼車坂丁長者丁一丁目二丁目下 谷町代地中御徒士丁御旅【「旗」カ】本屋鋪凡五十軒程焼申候㊇御成通石川主殿頭様黒田豊前守様 御類焼㊈下谷池之端茅丁一丁目出火 同堺稲荷きわにて焼留り申候是 より上 御公儀様より御救小屋御立 被下置候場所左通り 幸橋御内外原 浅草広小路 深川海辺新田 同所八幡境内 上野山下火除地 東叡山御救小屋 同所山下原 街道近郷聞書 東海道金川 程ケ谷近辺 江之島鎌倉 三崎浦賀辺 中山道は 上州高崎限 此往来地われ 砂出る所又水 吹出る所有之 日光道は 宇都宮限り 草加川口へん 大崩有之候 甲州道は 八王子限りに て格別事無 水戸街道は 土浦辺限り 往来崩る所 有之由 下総は成田辺 八日市ば辺限り 上総房州辺 格別事有之 候由 大阪は九月廿 八日地しんゆり て大そんじの所 候由 尾州三州辺 美濃信州辺 江戸同時にゆ り申候由 此外国々わ 格別之事無 御座候由 紫 御門跡 紅 出火所 黄 所名 藍 川筋 肉 大崩 鼠 中崩 草 小崩 【記号】神社 【記号】仏閣 【記号】見附 【記号】大道 二千枚限禁売買 【上段へ】 ㊉神田橋御門内酒井雅楽頭様両御屋鋪辰 み口角森川出羽守様御類焼⑪和田倉御門内 尾張御番所松平肥後守様両御屋鋪松平 下総守様内藤紀伊守様御類焼⑫八代洲 河岸遠藤但馬守様松平相模守様御火消 屋鋪御類焼火之見斗残り候⑬日比谷御門内 松平肥前守様毛利様裏御門少し焼有馬 備後守様南部美濃守様薩州様製装束屋 敷御類焼⑭幸橋御門内松平甲斐守様伊 東修理太夫様亀井隠岐様御屋鋪一棟 御失焼⑮外桜田兼房丁少し松平 兵部守様御長屋少し御失焼⑯芝 柴井丁両側一丁焼⑰京橋南 鍛冶丁畳丁五郎兵衞丁南伝 馬丁二丁目三丁目具足丁柳丁 竹河岸炭丁稲葉丁常盤丁 本材木丁八丁目迄焼⑱鉄砲 洲十軒丁松平淡路守様御類 焼⑲霊岸嶋大川端丁塩丁 四日市丁銀丁南新堀河岸迄 焼⑳深川相川丁熊井丁蛤丁 富吉丁もろ丁北川丁中嶋丁 大嶋丁黒江丁永代寺門前丁一 の鳥居仲丁山本丁八幡門前 にて留又一口わ伊勢崎丁一丁目 二丁目㉑深川元丁御蔵一ケ所 八名川丁日向様井上様御組 屋鋪木下様火の見斗り殘る 御舟蔵前歯神社大佛殿役所 御旗本五六軒焼北六軒堀 南六軒堀神明社わのこり 門前丁森下丁井上様少し焼る 夫ゟ常盤丁一丁目二丁目太田様 少し焼る㉒扇橋土井大炊頭様 御類焼㉓本所緑丁一丁目二丁目 四丁目五丁目花丁し木橋きわ 迄焼㉔亀井戸天神門前半丁 斗やける㉕五つ目渡し場の所 半丁斗焼㉖徳右衛門丁一丁目 二丁目焼㉗石原弁天小路焼 ㉘同中の郷表丁松平周防守 様焼㉙小梅瓦丁小倉庵やける ㉚浜丁水野出羽守様少し焼る ㉛小川丁松平駿河守様戸田様 堀田備中守様半井出雲守様溝口様 佐藤様伏屋様大久保様柘植様榊 原式部大輔様御長屋一棟焼ル神織部様 荒川様曽我様近藤様本多様新見様 小林様河内様御火消屋鋪本多出雲守様 戸田加賀守様御類焼長谷川様本郷丹後守様 松平紀伊守様一色丹後守様松平駿河守様御組 屋鋪加藤様一色様冬木様本間様大森様本目様 中条様山本様黒川様半焼にて留㉜小石川牛天神下 すわ丁半丁斗焼る㉝二御台場御失焼出火わ三日午の刻に畢候 【地図内文字】 【㊂辺から】    ㊂      遊女屋  小塚原 丁仲くずれ      其出火けか人      多し 百性家 大ずれ 田中  大地われる     日本堤 今戸   銭座     土手  はしより     さける 半丁やける 【㊀㊁㊅辺】   大くずれ   大おんじまへ【?】㊀  寺々大いたみ   五丁町      田丁  坂本    よし原 吉原 六郷【?】様  ㊁  瓦丁  入谷    大くずれ   中そんじ 芝居  大くずれ  其上出火          馬屋【?】 ㊅坂本    けが人多し 【横書き】五丁とうり  御切子丁辺          くりんまる 花川戸  上の御救小屋 此の辺中いたみ  浅草寺 山下     此の辺中いたみ   別段なし  御救小屋    堂前 【横書き】東御門跡座る 【㊃㊄㊆辺】          ㊄  広小じ ㊆   慶とくじまへ    御救小屋  材木丁 駒形 大そん 中いたみ  大たみ   大いたみ     大川橋 じ    下谷 寺丁 阿べ川丁 三けん丁 出火     此へん        中いたみ 浅草 ㊃    此へん    中そん  三味線堀 蔵まへ曲り    じ    中そんじ  中いたみ 御成道  おおそんじ 佐久間丁  御屋敷    すじかい御門 中いたみ   御蔵            福井丁 かや丁             平ゑ丁  代地 もみくら  柳はら   あさくさ御門 大そんじ お玉がいけ  今川ばし      程代  中そんじ  馬喰丁 やしき 両国橋  石丁      横山丁 本丁   大伝馬丁 かく別事なし  中   ほりどめ     中くずれ せと物丁  人形丁通り 御やしき いせ丁    ㉚       新大橋  堺丁   浜丁 安藤様 大くずれ 小田はら丁  中くずれ   江戸はし  小網丁  田安様          北しんほり か相さき【?】 永代橋 日本橋 四日市  かやば丁     材木丁  中そんじ     此へん 八丁堀     南しんほり ⑲     上々  此へん中くずれ 大くずれ 黒岸島 此へん上 木挽丁  鉄炮洲   上々  ⑱ 大くずれ         西御門跡 無事         つきじ 中くずれ 此へん 御屋敷  浜御殿 方少し かく別の 事なし 大くずれ 御やしき 方 中そんじ 大そんじ 【地図の右下】 中いたみ 向島 百姓大いたみ 土手さけ砂吹なし ㉙    小梅 尾丁 御やしき 大いたみ 此へん  ㉘ 大いたみ 中のや 石原 ㉗此へん大いたみ 御やしき 亀井戸 ㉔ わり下水 本所 御救小屋   御竹蔵  五つ目 ㉕ よこあみ 緑丁 けが人多し大いたみ いたみいん い□□  ㉓緑丁一二三四  ㉖ はするく  五花丁   伝右衛門  大そんじ    此へん小屋しくさ大そんじ 六軒堀      ㉒  しんめい㉑   扇橋 蔵  高ばし   大そんじ 御救小屋  遠下丁 海辺 新田  深川 此へん大そんじ 大工丁    木場 大くずれ   寺々 相川丁  御救小屋 ⑳ 土蔵一か所 八幡地中 中くずれ 黒江丁    山本丁 仲丁 佃丁 すさき 大くずれ 佃島 二番御台場 ㉝ 【北付近から上左】           北       千住草加  此へん大くずれ 王子    近へん大そんじ しん丁 稲付へんわ 三川島    みの端 百姓家   大そんじ 少しいたみ 有々し候 日くらし 此へん  此近辺百姓 此へん大たれ      御やしき 大そんじ所      中いたみ 有々し    金杉 此へん    此へん少し   此辺少しいたみ 此辺 中くずれ   いたみ 谷中 天王寺   かく別事なし 駒込  千駄木   上候 根津 丁家 根岸 すがも 中そんじ こんはん無る  白山 寺々  加州様 中くす 御やしき  はすいけ   れ 少しそんじ 弁天  東えい山 □□地中少し     中くずれ  ㊈ 土蔵わ  此へん 本郷 中そんじ 池之端 大くずれ 穴むろくずれ 湯島 天神 中そんじ 音羽   小石川    竹丁  明神社 このへん ㉛ でんつういん 中そんじ  中そんじ ㊇ 大そんじ    水戸様 上 聖堂 中そんじ 御やしき 水道丁 此へん中たれ 大そんじ 牛込 御やしき      此へん中そんじ  市ヶ谷 八まん  尾州様 西  中そんじ  水道とよ吹わく 四ツ谷 大そんじ 紀州様 大そんじ てんま丁 田丁      きか□け      あろこし     赤坂   すべて此のへん 御やしき方 青山  少くずれ かるし上分     中くずれ  此へん大くずれ 御やしき方 御救小屋 芝口 寺々       少し 外桜田 ⑮はんはら丁 中くずれ 渋谷       いたみ  御やしき方少しそんじ 此へん中くずれ 谷丁 御やしき上々 中くずれ 袋井丁 ⑯    市□丁 中くずれ 西久保     宇田川丁 桜田丁    麻布   吹手丁  二丁まで大くずれ い廿はし    残土十だん 下谷丁上々   神明社 三ツんや 少しそんじ 飯倉  山門かく別事なし 増上寺 広尾 そうしき  長坂近へん少しぐずれ 中それ  此へん原 御やしき 三田 薩州様 院松丁金杉 本芝 多きゆへ  少しいたみ   金杉 少し           此へん中すれ  此へん寺と       ばも土蔵  土蔵大いたみと     のこらずくずれ  下丁よりはかるこし   白根  目黒へん 由丁  かるし   少しくずれ   南 【御城周辺】        此へん大くずれ       小川丁 ㉛ するがだい中  此へん御やしき      すだ丁  少しくずれ     神田 なべ丁  飯田丁   中くずれ   かじ丁 此へん御やしき        三川丁 とくべつ         原 中そんじ の事  御やしき方 田安様 なし  中くずれ  清水様  永田丁        此へん 上々             本丁 しろ銀丁 かく別の事 天神   一ツ橋様 御屋敷 なし   中          中そんじ 両かへ丁  麹丁        辰の口  中そんじ 此辺上々 此へん   御城    ㊉   かく別事 いしばし 中そんじ              此へん 日本橋 御やしき  此へんかた     少 御屋敷 まき丁 中々 少し    御やしき方   ⑪ くずれ 中そんじ  ⑰  くずれ  かく別事    和田倉 ⑫ あわ様       なし 上々     八代洲河岸 中  御やしき方   黒田様  日比谷  土井様 上々  少しいたみ   雲州様   ⑬ 中そんじ  京橋     中そんじ  中そんじ   中そんじ すきや ためいけ 山王社 霞ヶ関    幸橋内   かし ぎんざ            大そんじ      上々 おなり丁           真田様  ⑭   八けん丁 道辺上々 元(もと)は 重(おも)たつ人か見まはりてとふそ火出(ひだ)しにならぬ 元は念(ねん)を入見よ客(きゃく)あつて大火をたきしあとの 元は夏(なつ)はねむりて蚊屋(かや)かやり冬(ふゆ)さむがりのこたつ 元はひるは留主(るす)より夜(よ)は二 階(かい)納屋(なや)えん下をとくと 元は大工 左官(さくわん)のかんなくづたきちらしたる場所(ばしよ)の 元はきせるてうちん火 打(うち)ばこ付(つけ)木(き)物(もの)かげしそく 元は風呂場(ふろば)とり灰(はい)火けし壺(つほ)火に縁(えん)のあるところ 為(ため)にはしご水 籠(かご)水はゝき火たゝき鳶(とび)觜(くち)そろふ 為に 蔵(くら)の戸前(とまへ)やつち戸(と)をは折々たてゝうこく【最後のあたりは自信ないです…】 為にわらし手拭(てぬくひ)たすき帯(おひ)くすりにつかひ常(つね)に 為に着替(きかへ)のきものさためおけすはやといへる時の 為に手(て)桶(をけ)水がめ桶(をけ)の類(るい)よるは一はいみづの 為によるはなかすな風呂(ふろ)の湯(ゆ)も燃立(もえたつ)火をはしめす 為に常(つね)に見まはれ鼠(ねすみ)あなはそんなきやと蔵(くら)の 時(とき)は老人(らうしん)子供(ことも)病人(ひやうにん)を怪我(けが)せぬやうににかす 時は内仏(ないぶつ)過去帳(くはこちやう)諸(しよ)帳(ちやう)めんしよう文(もん)類(るい)をいたす 時は蔵(くら)にいれすと大せつなものはもちぬきやかぬ 時はとちめんぼうふるな長持(なかもち)やたんすの棒(ぼう)を兼(かね)て 時は盗人(ぬすひと)多(おほ)くある物ぞ顔(かほ)みて荷物(にもつ)わたす 時は火のある火鉢(はち)火入なとあはてゝ蔵(くら)へいれぬ 時は金銀(きんぎん)なとに目かくれて大事(だいじ)の命(いのち)すてぬ 火之用心   天へんかぎりなし 五穀大安売   乍恐取越御苦労を以奉申上候 一大雨の砌御座候得共益御きらひ能被遊ごろ急惑至極  奉存候光レは私見世数年来夕立類売買仕罷在候処  夜中 班鐘(はんしやう)仕 難(がたく)明(あけ)ケ仕合奉存候光ル処此度雨風の上風流  黒雲夕立類山々より沢山仕入仕可相成丈御おどろき第一仕且又常々  奉御天気 預(あづかり)候に付よふきのため下直奉差上候間へそ開き  当日より御きび〳〵敷御落雷被成下不限 昼夜(ちうやに)ごろ々向被仰付  被下置候様奉希候以上 【お品書き上段】   一所々おつこちしぼりちりめん   一まつさほかほ色木綿地   一観音経染一心不乱ちりめん    一蚊屋の中一トはゞみ   一おつかなびつくり色御望羽織地   一往来ひつそりかん紗御羽織地   一雷おつこち杉の木ぶつさき御羽織地    一八日もめん御地伴地 【お品書き下段】   一念仏 題(たい)目ゆふき木綿   一案心したよく朝御上下地   一又鳴り苦労びろふど御帯地   一夜一トよねづにもめん   一年代記にのるだろふ引さらさ御かひ巻地   一雷おつこち評判きく紋縮緬   一富士南風おりちりめん   一とらのかわ御した帯地 御婚姻御規式鶴亀松竹梅御模様大雨大振袖物仕立念入 下直奉差上候以上 但雲切品々下直奉差上候 【のれん上・横書き】 御目印 【のれん下】 天竺えちよと上る町同店 江戸驚天馬町弐丁目         雷まる店 八月八日  当日麁景御座候得共       梅の守奉差上候 【右頁】 雷■年暦并場所■ 天智九年京都法隆寺雷火    仁和二年京都東寺塔雷火     当年迄千百六十五年      同 九百四十九年に成 延喜三年三月十六日京都大雷  延長八年大雷清涼殿へ落る所々      同 九百十六年に成      同 九百五年に成 久安五年高野山え落る大塔雷火 永禄六年京都東寺らい火     同 六百八十六年に成     同 二百七十二年に成 寛文五年大雷大坂表雷火    寛延三年京都大坂大雷所々落る     同 百七十年に成       同 八十三年に成 寛政十年京都大仏殿雷火    嘉永三年江戸大雷百弐ヶ所     同五十三年に成        落る いにしへより大雷右之如く常といへどもいまだ今年のごとき大がみなりをきかす 夫天地不時の勢動は陰陽混じたゝかふの理也此故に陽気陰につゝまれて地にある 時は動いて地震をなす陰気のこり陽気にさそはれて天に昇りてこへをはつす これを雷といふ皆是これ等は豊年のきざし也時に嘉永三年戌八月八日の夜 江戸表をはじめ関ハ州其外国々共にはたゝがみ【霹靂神】すさましく稲妻ははためき わたりまなこをつらぬく如く女小児はおそれさはぐといへどもじつは出来秋のみ入よしとぞおも はれける抑雷神は陽徳のものなれば陰しつをはらい邪気を さんず此故にしつ気をうけす悪病おこらず或は五穀を始め 野さいもの又はなりくだ物すべて田畑野山に生する物熟してみのりよしとかやされば此秋 天幸ひを万民に下し玉ふ所なれば幸ひの下りし場所と小細に しんして遠境の人らに豊年のことぶきをしらせはへくなり     鳴神御下り場所 【左頁上段】 柴打丁一海手   一下谷二ヶ所 一神明丁海町町  一ゆしま 一つきち     一つまごひ坂上 一西久保かはらけ町一本郷元丁 一もりもと    一浅草もり丁 一天徳寺     一本所立川 三ヶ所 一芝松本町    一同 石原 一赤羽根     一同 釜屋掘 一白金台丁    一浅草誓願寺 一伊皿子揃木谷  一深川北川丁 一麻布百性丁   一八丁ぼり 一同 広尾    一元浜丁 一赤坂牛なき坂上 一青山十八ヶ所 一いづみばし向  一番丁八ヶ所 ○所々の立木   さける    うち     にも    もけて     青山      八五升        の       松■        二抱        年        の       大木       なり      しが     根本まで     真ッ二ッに     さけて     たわらの    ごとくになる 【左頁中段】    在方之分 一浮田 雷火にて少々やける 一船ほり 一千住    海の■ 一品川沖也 三ヶ所 一船橋沖也 弐ヶ所   ○ 此内 一生■五ヶ所有之候     御上屋敷 一紀州様  表長屋  杉の木   千駄ヶ谷 一雷火にて焼る  紀州様御屋鋪     御家老 一尾州様  成瀬隼人正様     同 一同    竹腰兵部少輔様 一門番所鬼瓦 東ノ方通用ノ■  并■■さける 水戸様表御門 一表門敷石  松平陸奥守様  そんじ     御上屋鋪        本村丁 一榧の木   松平陸奥守様   さける    御中屋敷      三田寺丁 一杉の木   松平肥後守様   さける    御下屋敷 一芝新銭座  同          御中屋鋪 一同所     森越中守様 一向柳原    井伊兵部少輔様      ■市古川 一池の中へ落る 松平八十郎様  池水湯になる      表 二番丁 一中間部屋へ落る 戸田平左衛門様      青山権田原続六道御すきや同心 一垣根際へ落る  荒川豊吉様      四谷安東寺門前■新屋敷小■■ 一地内芋畑へ落る 松浦源太郎様       伊賀坂 一小石川     武士屋鋪       千駄ヶ谷 一立木へ落る 鎮守 八幡宮 一中渋谷  百性 安五郎      上野御別当 一御林の間へ落る 寒松院  松の木さける 【左頁下段】      芝新網町代地 一土蔵え落る  家持 藤兵衛      飯倉五丁目 一二階へ落る  家持 貫治  柱弐本さける      同 ■ばやしき 一玉蔵へ落る  家主 長右衛門  ■打くだく 一土蔵鬼瓦打砕 神田 丁壱丁目  蔵前へ落る   ■■屋新兵衛 一居宅へ落る  深川八名川丁藤兵衛店  柱弐本さける    新兵衛       麻布日ヶ窪 一浄土宗    徳乗院墓所 一二階庇へ落る 飯田丁中仮■■店  柱弐本さける    源蔵         三番空き地 一松の木二本さける 護持院ヶ原 一庇合え落る  をはり丁二丁目七兵衛店  各柱一本さける   周介 一庇へ落る  宇田川丁東うら通り  音での御死  医者 佐藤氏 一かし米蔵へ落る 表■■八丁又左衛門  当火にてやける  ■■■■■■■七 一土蔵へ落る   品川丁うらがし  鬼瓦けらは共砕   持家 平作 一  へ落ちる 比は安政二卯十月二日夜四つ時俄に大地震ゆり出し江戸廿里四方人家損亡おびただしく 北の方御府内千住宿大にゆりつふれ小塚原は家並残らす崩れて中程より出火して一軒も 残りなく焼失新吉原は一時に五丁まち残らず崩れ其上江戸丁一丁目より出火諸々にもへうつり又々 角丁より出火して大門口迄焼五十間西側半分残る也その先幸手辺まで花川戸山の宿聖天丁 此へん焼る芝居丁三丁共残りなり焼る馬道大半崩れ焼る也浅草観音はつゝがなくかみなり門 崩れ地内残らず崩れ並木通り残らずすわ町より出火して夫より駒形迄焼る又田原丁三軒丁 辺は少々なり御蔵前通りかや丁二丁目大にゆり浅草見付は石垣飛出る又馬喰丁辺横山町 大門通大伝馬丁塩丁小伝馬丁へん裏表通り大半崩れ両国むかふ本所は石原より出火 して立川通り相生丁林丁緑丁辺迄焼る又小梅通り引船へん迄出火深川は八幡の鳥居の 所より相川丁蛤町まで一えんに焼る又下谷辺は坂本より車坂辺諸々崩三枚橋廣小路伊東松坂 の所迄焼る夫より池の端仲丁裏通り崩表通りあらまし残る御成道石川様焼る根津二丁茅屋丁通り 壱丁目より二丁目迄焼るむゑん坂上は松平備後守様御屋敷焼る千駄木団子坂此辺三軒つぶれ谷中 善光寺坂上少々残るなり根津二丁共惣崩れ中程にて二三間残るなり又丸山白山けいせいがくほ辺大ぶ 崩れ本郷より出火して湯嶋切通しまで焼此所加州様御火消にて消口をとる湯嶋天神の社 少々いたみ門前は三組丁まで残らず崩れ両側土蔵残りなくふるふ又家通りはだるま横丁新丁家大川 ばたけ横根坂此辺かるしむろわれて大地一尺程さける妻恋坂は稲荷本社の土蔵少々崩れ御宮は つゝがなし丁内は一軒も崩れず夫より坂下建部様内藤様御屋敷表長屋崩れ東えい山地中大半崩れ 本堂つゝがなし昌平橋通は神田同御台所丁旅籠丁金沢丁残らずくずれ筋違御見附少々いたみ 内神田外神田共残らずふるふ也大通りは神田須田丁新石町鍋丁かぢ丁今川橋迄裏丁 表丁百三十六ケ町ほど残らずくずれ先は十間店より日本橋表通り西川岸より呉服丁近辺 東中通りは四日市魚がしよりくれ正丁へん迄所々大くづれ又大通りは南かぢ町より出火して南伝馬丁 二丁目南大工丁畳丁五郎兵衛丁東は具足丁常盤町因幡丁しら魚屋西こんや丁迄焼る京橋 向ふは新橋辺まで崩れる夫より芝口は紫井丁宇田川丁残らず焼る也又神明前より三嶋丁 へん残らず崩れ又金杉より芝橋までしよ〳〵崩れる高なわ十八丁のこらず大地壱尺 ほどわれたり品川までそんじ芝表通りは御浜御殿少々いたむ佃島も右同断夫より芝 赤羽根通りより麻布広尾へんまでしよ〳〵崩れ出火ありまた山の手は四ツ谷かうじ丁 武家地寺院堂社のくづるゝことおびただしく御城内は寅の御門よりかすみが関は大小名 あまたそんずといへども安芸様黒田様は格別のことなし八代洲河岸はうへ村様 松平相模守様火消やしきのこらず焼るなり又和田倉内は松平下ふさの守様松平 肥後守様此へん大にふるふ夫より神田橋御門内は坂井左衛門様森川出羽守様大に崩れ小川 丁は本郷丹後守様松平紀伊守様榊原式部大輔様板くら様戸田様此へん残らず 焼る又牛込より小石川伝通院門前のこらず崩ればん町より飯田町お茶の水辺大に ふるふ筑地門跡本堂はつゝがなく地中過半崩る小田原丁よりあさりがし向は御はた本様方御家人衆御屋敷残り なくふるふおよそ町の間出火三拾七か所家数寺院堂社の損亡いち〳〵かぞへあぐるにいとま あらず又東海道は川崎宿少々神奈川宿は大にふるひ大半崩れ程ケ谷宿は少々戸塚 宿はしよ〳〵ふるふ又藤沢平塚大磯小田原辺迄格別の事なしといへども諸々ふるひいたむ仲仙道 は板橋よりわらび宿浦和あげ尾大宮迄は大にふるひ其先は熊が谷宿まで所々ふるふ日光街道は草加宿 越ケ谷格別の事なしといへどもしよ〳〵いたみさみづ大もりへん御府内四里四方五千七百余 諸々ふるふ又水戸街道は市川松戸うしく宿辺下総口は行徳船橋辺はわけておびただしくふるふ奥州街 道は宇津の宮辺までふるふ又青梅街道は半能□ざきちゝぶ大宮辺迄ゆりふるふかゝる凶変は 古今未曾有にして明暦火災の度にいやまして死亡おひただしくその数いくばくといふこと量しるべからす死人は車 馬につみ船にのせて寺院へ送る誠にめもあてられぬ形勢也かゝる大変も翌日になりては火も消地震も折〳〵ふるふど いへども格別の事なし一町数五千三百七十余崩一御屋敷弐千五百六十余軒損そ一寺院 堂社三万九千六百三十ヶ所一土蔵の数五億八万九千七百八十六ヶ所かく家やしきを失 ひたる軽き者へはそれ〳〵御手当御救米被下置四民安堵に帰し皷腹して御仁徳あふぎ 奉るは実に目出度事どもなり 【絵図四角内文字】 大名こふし 七分焼る 昨日迄書上ケ分料より化我人 十九万三千八百五十人 寺々より死人二十五万四百八十八人        神田へん あざぶ ひろを          大音寺       日本はし        此辺少しかるし 赤羽弥     南伝馬丁二    南大工丁     畳丁      五郎兵衛丁      はしば   具足丁    ときは丁   いなば丁 品川      西こんや丁     しら魚やしき    荒井丁      吉原  今戸    宇田川丁 佃島   しんち   永代ばし   さんや       田原丁       三軒丁   観音     大はし          芝居町:  深川八まん   すは丁   田丁   相川丁     こまかた   蛤丁       並木 馬道     ときは丁     六間ぼり     花川戸  小塚原      おふなくらまへ  山の宿  すさき     石原        あずまばし      ばんば:     立川    緑丁      小梅      引ふね 【上部資料】 風抜(かぜぬき)申一 対(たい)之事 一我等 風邪(ふうじや)共之儀上方筋ゟおゝくれ〳〵とわら人形  などこしらへおくりこさせ無拠江戸中   数多(あまた)流行いたさせ皆様え対(たい)し   鼻(はな)水風はおろかづゝう身ふし  をいたませせんき【疝気】すばく【寄生虫で起こる病気】など  もてつたわせ湯やかみゆひ   床(どこ)までも御なんぎ相掛候致  方全以風邪にて玉子酒のうえ上大  ねつをはつし前後ぼうきやく仕今さら  うはことの申 訳(わけ)も無御座候然る処 既(すで)に法印  様え御 願(ねがひ)被成かじ御きとうにも可及候  処 薬店(やくてん)方御さじかけんをもつてさ  つそくはつさん被致候段がた〳〵さむけ仕  なく奉存候然る上は向後急度要心致し  はつくしやみにても致候はゞ大 夜着(よぎ)を引かぶり  あせをとりふり出しかつこんとう【葛根湯】にておひはらひ可申  万一右躰の引風有之候節はあんまそく力をたのみ一合  引かけ相休さつそく全快(ぜんくわい)致ぶりかへし申間敷候風邪の  ため仍而くしやみの如し   だら〳〵花水橋でたらめ邪道   安心四年なんと正月   当人 大坂屋元太郎                いくじは中橋のう天横丁               仲人いたみ屋鉢五郎        ひだちや          由兵衛殿 【下部資料】 風(かぜ)の神(かみ)大津画ぶし 邪鬼攘(じやきはらひ)【「攘」は手偏で正しいのですが、原典は言偏の「讓」に見えます】 おにく風(かぜ)の神(かみ)。 おのれは此(この) 家(や)へ入(いれ)られぬ。  風の神    仰天(げうてん)し。 ハイ〳〵 鐘馗(しやうき)さま にやかなィや せん。 風(かせ)の袋(ふくろ)もち渋団扇(しぶうちは)。 おそれて逃(にげ)いだし 他(よそ)の家(うち)へまいりましよ。 ヤレ〳〵につくい鬼(おに)め たとっ釼(けん)をぬいて。なんの 苦(く)もなく。 一打(ひとうち)とおもへ ば目(め)が覚(さめ)。 風気(かざけ)もさつ ぱり醒(さめ)ました        小林居良 作   〇作者曰此画を家内(やうち)に張置(はりおき)毎日(まいにち)此大津ゑぶしを    謡(うたひ)たまはゞ風(かぜ)の神(かみ)逃去事(にげさること)うたがひなし 【上の資料】 蓬莱に聞ばや伊勢の神たより    水下配る井戸のくみわけ 遠山も霞立けり江戸の春    四方のちまたのけに静なり はる雨につれ〳〵草のおきて書    たしか時代は東山殿 風たゆ〳〵よりのもどらぬ縄すだれ    軒端を伝ふ拍子木の音 いかめしきすがたも交る直居番    おのづと消る庭のとふろふ 梅ちれは桃やさくらの花かさく    ついじだらくになりし長閑(のどか)さ おゆるしが出るとひらきし山の木戸    ほころびそめし海棠の色 ほとゝきす八十八声なきつれて    きまゝに咲し卯の花の垣  右一近 【下の資料】 音曲 ほこりたゝき  三光才延玉作 〽 安政四《割書:一》【丁?】巳年正月中旬より 《割書:風邪(かせひき)流行(はやり)|風(かぜ)の神(かみ)送(おく)り》忠(ちう)九(く)抜(ぬき)文句(もんく) 【上段はじめ】 風雅(ふうか)てもなく しやれでもなく 風(かせ)の神(かみ)送(おく)る 相談(そうだん)する丁内【町内】 是(これ)は おもひも よらぬ 風の神捨(すて)場所(ばしよ)の 銭もうけ 様(やう)子によつては 聞捨(きゝすて)ならぬ 親類(しんるい)に 重(おも)い風邪 たつぬる襖(ふすま)の 内よりも せきのでる 風気 やうすを うかゞふ お医者(いしや) さんの見まひ 此 程(ほど)の こゝろつかひ 髪結床(かみゆひとこ) 風呂(ふろ)や 主人(しゆじん)の大 事(じ)と ぞんずるうち 奉公人(ほうこうにん)風気 でしんぼう 障子(しやうじ)さらりと 引あくれば アヽさむい〳〵 しめておけ こつては思案(しあん)に あたわず 風の神こし らへる工夫 しわりし竹を 引きまはし 風の神おくる 白丁ちんの ほそ竹 【下段】 おまへなり  わたしなり 夫(ふう)婦くらしの内(うち) 二人ながら 風引た人 烑燈((ち)やうちん)に  釣(つり)がね 道成寺と 弁けいの 風の神 仕(し)やうもよふも  無(ない)わいのふ  大せいの 家内(かない)みな  風気 ざは〳〵と  見苦(くる)しい 大せいの子供 つれて風の神 送る女中 嘸(さそ)本望(ほんもう)で  こざろふの ̄ウ 閙(いそかし)おいしや 風くすり沢山(たくさん) 売(うれ)るくすりや 徒党(ととう)の人数(にんじゆ)は  揃(そろい)つらん サア是(これ)から 風の神おくろ 斯(かう)いふ事が  いやさに 灸(やいと)をすへ いと言(いふ)たのに 画図(ゑづ)にくはしく  書付たり 板行(はんこう)いろ〳〵 出るであろ 仕(し)やうを 爰(こゝ)に見せ申さん 風の神の おもひ付の  出来たの 跡(あと)の片付(かたつけ)  諸事万事(しよじばんじ) 丁内の 世話やき /漢字/漢字(ふりがな)(  御触書之写 《割書:世話掛り|諸色掛り》え 一去る(さんる)丑年(うしとし)に菱(ひ)がき廻船(かいせん)つみ仲間(なかま) 問屋共(といやども)よりめうが金(きん)上納(せうのふ)致(いたし)来(きたり)候 処(ところ)問(とん)屋共ふ正(せう)の 趣(おもむき)に相聞(あいきこえ)候に付上納に不及(およはず)向後(こうご)諸(しよ)問屋仲間 組合(くみあい)てふじ【停止】被仰付(おふせつけられ)候所 其(その)已来(いらい) 売法(ばいほう)相くづれ諸しな下直(かしき)にも相ならす却(かへつ)而ふゆうづの趣(おもむき)相聞候に付 此度(このたび)問屋 組合之儀すべて文化(んくは)以 前(せん)の通(とうり)さいこう【再興】申 渡(わたし)弥(いよ〳〵)以(もつて)冥(めう)が金のさたはこれなく候間 其むねを存(ぞんじ)諸物(しよもつ)あたへきはだち直段(ねだん)引下(ひきさけ)〆売(しめうり)〆買(しめがい)は申におよばず品(しな)劣(おと)り かけ目(め)げんじ等の儀 無之(これなく)一切(いつせつ)正路(せうろ)に売買(ばい〳〵)可致(いたすべく)候かつしんきなかまか入(にう)のせつ たぶん礼金(れいきん)ふるまい等 為致(いたさせ)候儀は御 法度(はつと)之趣 前(まへ)〻(〳〵)御触(おんふれ)これあり享保度(けうほど) 諸職人(しよしょくにん)諸商人(しよあきんど)組合とりきはめ候節も新規(しんき)売買(ばい〳〵)取付(とりつき)候 者(もの)有之(これある)節(せつは)同(どう) 渡世(とせい)乃ものよりさまたげ申 間敷(まじく)段(たん)申 渡(わたし)もこれ有候おもむきにて 薬種問屋(やくしゅどひや)両替屋(れうかへや)岡鳥(おかどり)問や水鳥(みづとり)問屋こよみ問屋等の類(るい)人数(にんず)をさだめ られ候儀は有之(これあり)候 得共(へども)その余しんきに売買(はい〳〵)相(あい)はじめ候儀を被禁(きんせられ)候 儀(ぎ)者(は)これなく候間此度問屋組合 再興(さいこう)申付候とて文化(ふんくは)度(ど)のごとく株(かぶ) 札(ふだ)等相渡(あいわた)す儀にはこれなく人数(にんず)の増減(ぞうけん)は勝(かつ)手次第(しだい)の事に付ふ筋(すじ)の 申合手をまき窮(きう)屈(くつ)の自法(ぢほう)相立候儀は決而不致 併(しかし)其 渡世(とせい)柄(がら)に寄(より) 無拠(よんところなく)人数さだまらず候而は差支(さしつかへ)候儀有之品はぎんみの上 明白(めいはく)にその謂(いわれ) これなく候ては容易(ようい)に聞済(ききすみ)がたき儀に付 其段(そのだん)相心得文化已来 売(はい)ほうに 不流(ながれず)質素(しつそ)けんやくを第一に致 諸事(しよじ)奢侈(しやし)僭上(せんせう)の儀無之様相 慎深(つゝしみふかく) 太平(たいへい)乃     御仁徳(ごじんとく)を奉仰分々(あふぎたてまつりぶん〳〵)の渡世(とせへ)永続(ゑいぞく)致 御城下(ごじようか)に安住(あんせう)致候めうが乃 程(ほと)相弁(わきま)へ四 民(みん)のくらし方(かた)便利(べんり)の儀(ぎ)をあつく 心(こゝろ)がけ実直(じつちよく)に産業(さんめは)を営(いとなみ)候様可致 此上(このうへ)心得(こゝろへ)違(ちがへ)三の利とくに迷(まよひ)申渡を 相用(あいもちい)ざる者有之候はゝ召捕吟味(めしとりきんみ)をとげ厳重(げんぢう)に御 仕置(しおき)申付 仕儀(しき)に寄(より) 家業(かげう)取(とり)候間ふ取しまりの儀 聊(いさゝか)無之様 精々(せい〳〵)厚(あつく)可申合候右之通申 渡し候儀に付ては問屋組合共 都(すべ)而前々にかゝはらず現在(げんざい)のすがたを以 とり調(しらべ)其方(そのほう)共ゟ当月かぎり町年寄(まちとしより)月番(つきばん)え可申立 尤(もつとも)仕入(しいれ)等不致 受売(うけうり) 致候 小前(こまえ)の者共 相除(あいのぞき)候儀は勿論(もちろん)の儀に付 右等(みぎら)の処 紛敷(まぎらはし)儀(ぎ)無之様取調申 可立篤と穿鑿(せんさく)をとげ夫々(それ〴〵)沙汰(さた)に可及(およぶべく)間(あいだ)夫(それ)までは諸商人(しよあきうど)諸職人(しよしよくにん)共 全当(まつたくとう) 時(じ)の振合(ふりあい)相心得(ウカヲウカツ)罷在(まかりあり)者申 渡(わたし)已前(いぜん)家業(かげふ)筋(すじ)に付 何事(なにごと)も訴訟(そせう)申し出候儀 難相成(あいなりがたく)候 若(もし)心得違 出訟(しゆつそ)に及(および)候者有之は町役人(てふやくにん)共迄 曲事(きよくじ)可為条(たるべくのぜう)其 旨(むね)能々(よく〳〵)相心得可申事 右(みぎ)之 趣(おもむき)於町(おいてまち)   御(おん)奉行所(ふげうしよに)被(され)仰渡(おゝせわた)候間 此旨(このむね)町中(まちゞ)不残(ざるのこ)様(やう)早々(さう〳〵)可(へき)触知者(ふれしらすもの)也   嘉永四亥年三月九日   【上段】 新改勢(しんかいせい) 後町宝(ごてうほう) 年代記(ねんだいき) 【便宜上、黒地白抜きの文字を先に掲げる】 改正文(かいせい)【政?】   よくする木 屋部將(やべしやう)ぐん南街道(なんかいどう)に   出陣(しゆつちん)して    十組を亡し   問屋の蔵人    嵩めつぼうす 小 売判官(うりはんぐわん)たん生 二   同木 買(かい)の嵩(たか) 時(とき)を   吟味(ぎんみ)して   位(くらい)を下る 諸国へ直下の   札を出す 三  山の土 屋部將ぐん    卒す 所々にて うはさある 札喰(さつくい)  かわる土 成田ふどう  深川にて  かいてう 鳥の毛かんざし     はやる 二  もゆる火 二丁目 芝居(しばい)  山の宿え     引る りん町の人々 御めんねがひ出る 三  天上の火 上の大仏(だいぶつ)【佛】   ゑんじやう   ねづみ山 かんおうじ    引はらひ 四  はまの水 遠集 ̄ル の   しろ    ねづみ せかいを  かき廻す 五  すゑを水 越(えち)ぜんの    国より   けんやくと云 やくを  諸国にあてる 六  大地の土 新(しん)■【奉?】   床(とこ)■せ   とりのけ 所々にて  なげく 明和■  かわる土 諸方の女郎や   よしはらへ    引 行は新よし  はらとなる 二  ながれの水 岡(おか)ばしよの   唐人(とうじん)は ありんす国へ   うつる 直段高直となる 三  すしいの水 すしの高盛(たかもり)は    六位(ろくい)に定る 奢判官(おごりはんくはん)を  いましめる 四  高利の金 もう人を  じゆず  つなきにして   遠渡え 日なし【毎日少しずつ返済していくこと】うりは   きゝん【基金:資金】 五  つきる金 堂前(たうまへ)より    頭二ツ  ある人を   いけとる 諸国のごろ付を     いけどる 六  もうける木 砂村のうりなすびを   きんず百姓     きゝん   六つのはき物 三分一両一分  高位をきんず 七  かせ木 女じやうるり   女房(にようぼう) ̄ト化る   ぢごくにて 女のつみを    たゞす 八  同木 あたまでくふ   女の手に   ふういん付【封印付:札付き】 ていしゆ    きかん 九  下を水 上るの鯛は  金魚となる 小田原より なき虫いづる 十  日なた水 せんとうは六位に  下りひざ切丸  にてかま共と 三介古木たいて    木を亡す 非道(ひどう)  かせ木  諸商人   正札と     なる 買人元直の せんさく 二  むら木 七りか浜  もとのごとく     上る 置(おき)ぬし尊者    ぼつす 三  かわる金 金ぎんはしんちう   あかゞま ̄ト かへ   べつかうは ぞうげしかの   つのと化る 四  つかへの金 金かんばん   ぬりかへ   ぬりやかべ     はじめ 左官の太夫 集りかいぢん 五  あんどうの火 席(せき)ていめつぼう    残る十六間    かけに入 夜々(よゝ)辻にて  ぐん義【群議】始る 六  かまの火 そばの  くはんじや   盛(もり)よく  二七三五 ̄ト なる 勘定(かんじやう)上人  めんどうを渡す 七  世間を水 諸々の紙は   下り    なくして 高間がはらに   とゞまる 八  諸人泪の水 ひごうの国   ひま本ゟ 化物いづる 諸人ひまだ〳〵と なくことおびたゝし 九  かわる土 山ぶし法印(ほういん)は   水のうつはに   したがふ 是さんかく所      どつこに せう〴〵の初り 十  堀割(ほりわる)土 いんば沼を   五頭(いつかしら)にて   どろ ぼつけと   たゝかふ 十一  休金 きんぎん   ふきかへ     やむ 出かた   きゝん 十二  つまる金 商家ひま成   なみた川      にて  水ものめず  大かんはつ 十三  嵩をする木 江戸中に見せ   ひらき多し   時ならずして うちはを   ちらす 十四  たんとうる木 呉ふくみせは   ふ時(じ)の  高根(たかね)に   つみ積(つも)り 三日のへいもん 強盗(こうとう)  取(とる)木  遠江の地所は   あげ水にて   吹出し  諸家方大評定有 水は引元の如し 二  かまの金 ゆしま太郎   芳長四郎   芝のかげ政の うらもんをせむる かまのかんじや   うち死 三  天のやり木 申の方へ夜五時   白き気出る  天ひんぼう     のごとし 又かまのかはり そめい菊はやる 日光  ひやうし木 日光御社参   つじ   うら〳〵て くつは虫なくこと  おびたゝし 二  てうちんの火 町々にばん小屋   たて諸人   ちうやを     まもる しより   のごとし 三  そうの火 四月十七日夕時ゟ   両ごくにて   りうせい 天にとび江戸中 万どうの如し 四  つまる金 ひま成上   なんぎ山   こん久じ  御こんりう 開山(かいさん)ちくてん上人 五  こはがる木 国芳(くによし)丸   頼光(らいくわう)四天王の   くはいだんにて ほまれをあらはす こはい〳〵あぶない事 諍動  みかねる金 紀伊の国より   世直し   大明神   出げん有て 諸人のなんぎを    すくふ  二  下を水 遠集の白鼠   落し穴へ    おちる 諸人ほつと  いきをつく 三  向水 四ッ谷にて生馬の目を取   冬がれに    辻(つち)ばん      こわす   大さはぎ 四  やねの土 門内え   所々ゟ  砂石を  ふらすこと まのごとし 五  取絵の木  社の末社は   芝(しば)のもちを ぢきろうに入て    けんずる 六  世を開木   渡辺の    綱も切て   三田所で     へいもん 大平  大海水  小川より    太神宮    御出げん      あり 定て  世直し〳〵 二  同水 戸田の川上ゟ    蕉まきを    出して 諸々の気を  うかめる 三  川水 舟持せんどう   小舟のり    うち死 所々   かう水 四  世なおる木 ありんす国より  春秋に花見  初る市中  せきてい多くして 口談咄しか豊年 五  ゑんせうの火 所々のてつほう   ありんす国へ   渡し所々に 辻君(つちき(み))気を顕(あらは)し 助さんをうつめる 六  山の神の木 東都の内義は   びんぼう車の   うなりをはつし   山うはと成 時ならずして はたおり虫なくこと  山中のごとし 七  よろぐの土 あみ笠内ゟ   名なしのにがを   市中に落   はびこり我 上ることあたはず 又樽代節句せん【銭】    はじまる 八  ふきかへの金  五ツ頭の   金龍を    たいじて  残る蔵穴に  ふういんつく 九  どろの水 江戸中芸色   けだ者遠国へ    はびこる  諸国の侍【貨幣の印】  江戸見物は   たのしみなし 嵩国へいもんこはがる金龍侍 【上の資料】 安政三丙辰八月十一日夜子刻 大坂 雷神下り場所附 【一段目】 ざこ場魚市場 北はま壱町め蔵内 備後丁中橋塚キ裏 安土町せんだんの木 堀江御池ばし 阿波どの橋■【留ヵ】へ入 櫂屋丁けんさいばし 雪嶋屋丁お祓すじ 堂嶋 卍ケ辻 同相場より場 北新やしき 【ニ段目】 おはつ天神丁ちんや 稗嶌村家三軒焼残 尼ケ崎小嶋□子破る 新町□の側越後丁 同 道者よこ町 新町すじ東口 天満裏門十丁め□や 生玉鳥居前 上塩町久願寺門前 □の一 骨や丁本□ 三ツ寺すじさかいすし 【三段目】  板元   大坂のだ町久蔵 阿波橋北詰東□や 天満 建国寺 八尾丁壱八ケ所 播州あかし数ヶ所 中ノ嶋浜松蔵屋敷 新地側中津蔵屋敷 本丁心斎ばし南入 片丁水船へ同船破ル 権現様□宮松ノ木 安土丁 □忠 幸町弐丁□ 高松 同  茶屋大勘 番場近辺三ヶ所《割書:□□三□|ほどき》 玉造二軒茶屋野中 桜丁□田□明家 淡路丁中ノ橋西太田 裏門橋西詰仲仕場 堂安橋中国蔵屋敷 安治川持□順正寺 のだ丁東ノ加茂 下ばくろ大船《割書:八百石帆□|き□□》 九条村□□□□□ 北長柄村大こん畑也 同 所岸の□ぶ 住吉加賀屋新た 同 所東かつた村 同 所近在寺いん さゝい□もの丁 同黒門蔵柳泉屋 同地下 芦原 【下の資料】 一抑湯気のはつどふ するは豊穣の印也 此気天にのぼるは 雷をなすまた地に 入れは地しんをなす則 地変には凶をしめし 天動には吉端をあら わす此ゆへに萬もつ ともにみのり諸国 豊作のしるしを天の 人々にしらしむる所か    雷神下り場所  【上段】 一王子畑ノ中   一ヶ所 一堀の内鳴子   夏□がしやのやぶ 一四ツ谷大久保  御下やしき 一雑司ヶ谷    一ヶ所 一芝□□三丁目  松屋と申質屋土蔵 一同七まがり   薩州稼御屋敷 一同広小路    一ヶ所 一同  浜    千石積船焼る 一土橋山下丁   蜂屋と申いしのうら 【下段】 一中橋桶丁    一ヶ所 一れいがんじま  物□え落る 一麻布桜田丁   一ヶ所 一浅草朝茅ケ原  一ヶ所 一本所小梅    一ヶ所 一谷中門前    余録屋と申質屋土蔵 一日比谷御門内  一ヶ所 一高田ノ馬場   原中 一品川上大崎   一ヶ所 赤羽根 芝松本町 青山二ヶ所 神田田町 和泉橋向 下谷二ヶ所 湯島 妻恋坂上 本郷元町 五【護】持院ヶ原二ヶ所 番町九ヶ所 小石川二ヶ所 飯田町 本所竪川通三ヶ所 深川六間堀柳川町 八町堀 茅屋場町霊巌橋  河岸  蔵 鳴神御下り場所    四拾三ヶ所余 右の通に候得共人倫に怪我なきは全く 神国の御威徳万々歳目出度可仰〳〵 【消し札の文字】 一番組 二番組 い組 深川組 頃■■永三戌とし二月五日朝四ツどき比【頃】糀町五丁目へんより出火 にて折ふし北風はげしく同所一丁目にて北がは表口三十間ばかり 南がは十間あまり残る夫より南にいたる此へんにては二はん組八番組 本所ふか川組にてふせぎ消西の方山元丁平川三ケ丁焼ゆしま 亀有町代地はすこし残り同つゝき木挽丁替地焼平川天神 御宮さはりなく門前の町家残らず其つゝきゆしま三組丁拝領やしき 其外此へんあまた焼る同つゝき□坂にて御代官里見源左衛門旗本 無■■此へんは   五はん組にて消止る夫より東の方三枝 宗■■永井鉄弥様嶋津伊与守様武内様内藤四郎様石丸 権六郎様谷帯刀樣菅谷兵庫様夫より俗に云三けんや糀町谷丁 柴田日向守様ゟ南の方大村丹後守様高木くらの介様安部又四郎様 高木清三郎様戸田右近様夫より駒井小路にて小田切出雲守様は 表門長家残る此へんは二ばん五ばん組尾州様御人数にてふせぎ消同所 東の方にいたり鳥居丹波守様中やしき表門は松平出羽守様御人数消止 松平豊前守様残る松岡文藏様夫より永田丁に出岡野大学様 細川豊前守様夏目左近様松平大ぜんの介様大岡左太郎様迄焼て 安倍とらの介様残り勝田左京様後藤兵部様夫より山王門前町家 残らず焼御宮はさはりなし同所丹羽左京大夫様京ごく備中守様 内藤紀伊守様は表門焼御玄関ゟ外は皆さわりなし同つゝきにて内藤 数之丞樣同北の方松平あきの守様中やしき本多豊後守様内藤紀伊 守様中やしき松平玄蕃様中やしき左野日向守様鳥居権之進様保科 永次郎様松平鉄之丞様林式部少輔様等類焼す又一口はかうじ町一丁 目ゟ隼此へんにて御はた本御医師等あまた類焼夫より御堀ばた 京ごく  樣火消神保三千次郎様松平兵部大輔樣は御掘の方長家 残り是より西の方御はた本御屋敷あまた焼る夫ゟ桜田の方に出 三宅土佐守様井伊掃部頭様焼東がは少のこる向にて松平安芸 守様は少焼て別余なく霞ヶ関にいたり松平みのゝ守様表門残る 此所は深川組大にはたらき丁ふせぎたるよし北長家は六はん組と松平 大隅守様藤堂和泉守様吉川監物様等の火役御助勢有て消止る 同西の方九鬼長門守様徳永伊与守様丹羽左京大夫様中やしき九鬼 長門守様中やしき杉うら八九郎様中川様神尾いおり様岩本大隅守様 夫よりさゝひしかに出御はた本残らず焼裏霞の通りにて小出 豊次郎様高木主水正様松平伯耆守様村瀬平四郎様内藤能登 守様迄焼る此所るろは御堀限り焼て風替りて御門内向かは三浦様 西尾様等残り御門外へ飛火にて御勘定所□京ごく長門守様類焼し 向御用屋敷残る夫ゟ新橋の通にて木下主計頭様稲葉富太郎様仁賀保 力之介一柳土佐守様焼林百介様残る土方備中守様毛利安房守様備前丁 かじ丁堀田豊前守様和泉丁伏見丁は残る一柳兵部様松平兵部様残る阿部様 中やしきと小堀大ぜん様は表かは斗残る又一口は金ぴら様ゟ谷主計様相良志摩守 様焼て野せ宗右エ門様残り此辺御はた本多くやける青山様中やしき竹中図書 様共残り東かは御はた本皆焼る加藤備中守様松平丹波守様中やしき曲渕 甲斐守様田村小路田村様中やしき松平三郎左エ門様松平小十郎様小出介四郎 細川豊前守様中やしき土岐信濃守様井上新左エ門様大嶋肥大左京様松平平次兵へ 大沢様いなば様有馬夢一様仁賀保様堀田様中やしき川勝様田村左京大夫様秋田 あはの守様米津越中守様井上遠江守様迄焼大久保鉄之丞様消止る仙台中 やしき植村様中やしき平野権平様仁木様井上様柳生但馬守様有馬日向守様 夫ゟ柴井丁神明丁宇田川丁新銭座と松平肥後守様残る又一口は朽木周防守様 此辺御やしき多く焼け下や丁車坂丁残り天徳寺あたご山此へん寺〳〵焼牧野様中やしき 片桐助作様松平隠岐守様田村伊与守様はせ川為三郎様池田様本多様夫ゟ 神津様□□■■様焼関但馬様残る大久保加賀守様戸田様中やしき藤掛出羽守 様ゟ□□■■裏表共門残り東かは寺は南迄焼る夫ゟ片門前中門前六ケ丁 ■松丁□丁南北しんあみ丹羽様少焼戸田采女様残る金杉濱がは迄寺院両 やける金杉四丁目少残る松平因幡守様焼間部下総守中屋敷にて火止る 【下部”東”字の右側四角枠】 黒き分は残り 白き所類焼也 しかれとも半 焼けたる所等は又 大小の起かひあり 【下部”東”字の左側】 ・神明丁の所は図の ことく曲にあらずたゝ 紙上の体にしたがひ しるしたれは見る人 とがむる事なかれ猶 此外にもあまたあり さつしたまふべし 【下部左隅】 此所■芝四丁目迄両かはの 町家類焼して東の多 濱かは迄やける尤図面所々 のひちみ有て聊たかふ事 あらん見る人ゆるし給へ 頃は安政元年十二月廿八日 夜五ツ時神田多町辺より 出火しておりしも西北の風 はげしく同町一町目二丁目 横大工丁たて大工丁なべ丁 松田丁代地黒門丁小 柳丁一二三丁目此所東 かはおもて通り九 番十番に而けす かじ丁一二丁目 こんや丁一二三 丁目同東かわ 少々のこる此所 けし口は元黒井丁 小ぶな丁小あみ丁ほりへ丁 小伝馬丁亀井町右六ヶ町 若衆にてけす乗物丁三嶋丁 富山丁こんや丁二丁目代地元乗 物丁代地福田やしき平吉やし き兵庫やしき長井丁北角十番 九番にてけす一口は通新石丁須 田丁上白かべ丁佐柄木丁れん若 丁きじ丁北がわ五番六番にて けす新銀丁せき口丁ろうそく 丁長富丁一二三四丁目ぬし丁川合 新石丁みな川丁一二三丁目 松下丁新吹や丁四間丁角 五番六番にてけす三河丁一二 三四丁目本多ぶぜんの守様 御やしき東おもて長や少々本多かゞの守様 御やしき黒べいやける内御馬や少々鎌倉丁 豊嶋やみせのこる又北風つよく竜閑丁四間や しき龍閑ばしもんとがし通のこらずやけ今川橋のこる 中のはしやけおち本銀丁一弐三四丁目ろうやしきのこる 本石丁一弐三四丁目かねつき堂やけ十けんだな岩附丁 金座おもて通のこる本丁一弐三四丁目本吹や丁駿河丁 本両がへ丁北さや丁品川丁室町一弐三丁目浮世かうじせと物 丁南がわ五番六番本所深川組にてけす舟丁がし折まがり家 数十四五間のこる一番二番三番五番にてけす同北角半やけ一番 八番本所深川組にてけす也火はやう〳〵明六ッ時しづまり 人々あんどのおもいをなしゑん国へ知らせんため一紙につゞるなり 江戸丁々火用心道具品数附 【1段目】       【2段目】 室町一丁目         瀬戸物丁 一 はしこ   二丁    一 はしこ   四ツ 一 りうこし  二ツ    一 りうこし  五ツ 一 ておけ   三ツ    一 けんば   五ツ 一 けんは   二ツ    一 ておけ   二十五 一 かこつるへ 二十    一 つるべ   三ツ 一 高はり   二ツ     同二丁目          駿河丁 一 はしご   二丁    一 はしご   三ツ 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   四ツ    一 けんば   五ツ 一 ておけ   十二    一 ておけ   十二 一 つるべ   十二    一 つるべ   五ツ 一 高はり   二ツ    一 たかはり  二ツ 同三丁目          伊勢丁 一 はしご   三丁    一 はしご   二ツ 一 りうこし  三ツ    一 りうこし  【六?】ツ 一 げんば   七ツ    一 水でつほう ニツ 一 ておけ   十六    一 ておけ   二十五 一 片ておけ  十     一 か【ご?】つるべ  三ツ 一 つるべ   五ツ    同裏がし 一 たかはり  四ツ    一 はしご   一ツ               一 りうこし  一               一 げんば   二ツ               一 つるべ   三ツ 本船丁           同横がし 一 たかはり  三ツ    一 りうこし  二ツ 一 はしご   四丁    一 げんば   二ツ 一 りうこし  一ツ    一 ておけ   三ツ 一 けんば   二ツ    一 つるべ   六ツ 一 ておけ   三十        同下がし          のだ平 一 はしご   二丁    一 りうこし  二ツ 一 ておけ   六ツ    一 げんば   三ツ 一 げんば   二ツ    一 はしご   二丁 一 つるべ   □ツ    一 つるべ   五ツ 一 たかはり  二ツ        同米がし          本両替丁 一 はしご   二丁    一 はしご   一ツ   りうこし  四ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   八ツ    一 げんば   二ツ 一 ておけ   五十    一 たかはり  二ツ 一 たかはり  一ツ     くき店           同川岸 一 はしご   三丁    一 はしご   三ツ 一 りうこし  二ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   五ツ    一 けんば   二ツ 一 つるべ   大十    一 小おけ   十 一 たかはり  三ツ    一 つるべ   五ツ 安針丁           本草屋丁 一 はしご   一丁    一 はしご   二ツ 一 龍こし   一ツ    一 りうこし  一ツ 一 ておけ   十二    一 けんば   二ツ               一 つるへ   二ツ               一 たかはり  二ツ 同所            金吹丁 一 りうこし  一ツ    一 はしご   二ツ 一 ておけ   十     一 りうこし  三ツ 一 つるべ   三ツ    一 けんば   六ツ               一 ておけ   十二               一 つるべ   二ツ               一 たかはり  一ツ 長浜丁一丁目        本丁壱丁目 一 はしご   一丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  四ツ 一 けんば   二ツ    一 けんば   三ツ 一 つるへ   二ツ    一 ておけ   六ツ 一 たかはり  一ツ     同二丁目          同二丁目 一 はしご   一丁    一 はしご   弐丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 げんば   二ツ    一 けんば   二ツ 一 つるべ   二ツ     一 かたつるべ 十       小田原丁壱丁目       同三丁目 一 はしご   二丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  二ツ 一 けんば   三ツ    一 けんば   七ツ 一 つるべ   二ツ    一 つるへ   五ツ               一 たかはり  二ツ 同二丁目          同四丁目 一 はしご   一丁    一 りうこし  四ツ 一 げんば   二ツ    一 げんば   六ツ 一 ておけ   二ツ    一 ておけ   六十 一 たかはり  一ツ     品川丁           十軒店 一 はしこ   三丁    はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    りうこし  一ツ 一 けんば   六ツ    げんば   二ツ 一 つるへ   四ツ    つるべ   四ツ 一 たかはり  一ツ    たかはり  二ツ 北鞘丁           岩附丁 一 はしご   二丁    はしご   一丁 一 りうこし  □ツ    りうこし  一ツ 一 けんば   六ツ    けんば   二ツ 一 てけ    十     つるへ   二ツ 一 つるべ   四ツ    かこつるべ 十二 一 たかはり  二ツ    たかはり  一ツ 通壱丁目          江戸橋蔵屋敷 一 はしご   二丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  十     一 りうこし  一ツ 一 げんば   十二    一 けんば   三ツ 一 かこつるべ 八ツ    一 水でつほう 三ツ               一 つるべ   二ツ               一 たかはり  一ツ 同二丁目          元四日市丁 一 はしご   二丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  九ツ    一 りうこし  二ツ 一 けんば   十七    一 げんば   三ツ               一 つるべ   三ツ               一 たかはり  二ツ               一 長でうちん 一ツ 同三丁目          青物丁 一 はしご   一丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  四ツ    一 りうこし  二ツ 一 げんば   三ツ    一 けんば   四ツ 一 手おけ   百三十   一 つるべ   三ツ               一 かごつるべ 三十               一 天りう水  二本 同四丁目          萬丁 一 はしご   一丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 げんば   一ツ    一 けんば   五ツ 一 ておけ   五十六   一 ておけ   十二 一 たかはり  二ツ    一 つるべ   六ツ               一 たかはり  一ツ 中橋広小路         与作屋敷 一 はしご   一丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  二ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   三ツ    一 けんば   二ツ 一 つるべ   二ツ    一 ておけ   十               一 つるべ   三ツ               一 たかはり  一ツ 南伝馬丁一町目       銀座壱丁目 一 はしご   三丁    一 はしご   □丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  二ツ 一 げんば   五ツ    一 けんば   二ツ 一 ておけ   十     一 ておけ   二十 一 小おけ   五ツ    一 ひしやく  五本 一 つるべ   二ツ    一 つるべ   三ツ 一 たかはり  二ツ    一 たかはり  二ツ 同弐丁目          同二丁目 一 はしご   七丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  四ツ    一 げんば   一ツ 一 けんば   五ツ    一 ておけ   三ツ 一 ておけ   六ツ    一 つるべ   二ツ 一 おけ    十 一 つるべ   二ツ 一 かごつるべ 三ツ 一 たかはり  二ツ  西川岸丁          同所 一 はしご   二丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  三ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   八ツ    一 げんば   二ツ 一 ておけ   十     一 ておけ   三ツ 一 つるべ   六ツ    一 つるべ   二ツ 一 たかはり  二ツ    一 たかはり  一ツ □□【数寄?】屋丁     同所 一 はしご   □丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  □ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   四ツ    一 けんば   二ツ 一 ておけ   □     一 ておけ   六ツ 一 つるべ   八ツ    一 つるべ   二ツ 一 たかはり  二ツ    一 たかはり  一ツ 【3段目】       【4段目】               養安院屋敷               一 はしご   一丁               一 りうこし  一ツ               一 げんば   二ツ               一 つるべ   三ツ               一 たかはり  一ツ               三河丁一町目               一 はしご   二丁               一 りうこし  一ツ               一 とひ口   二十本               一 けんは   三ツ               一 ておけ   十五               一 かこつるへ 三ツ               一 たかはり  二ツ 本石丁一町目        同二丁目 一 はしご   二ツ    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 げんば   五ツ    一 けんば   五ツ 一 ておけ   十     一 つるへ   十五 一 つるべ   三ツ    一 かこつるべ 五ツ 一 たかはり  二ツ    一 たかはり  二ツ 同二丁目          同三丁目 一 はしご   三丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   三ツ    一 けんば   五ツ 一 つるへ   五ツ    一 つるへ   十五 一 かごつるべ 十     一 かこつるべ 五ツ 一 たかはり  二ツ    一 たかはり  二ツ 同三丁目          同四丁目 一 はしご   二丁    一 はしご   二ツ 一 りうこし  一ツ    一 ておけ   六ツ 一 けんば   二ツ    一 つるべ   二ツ 一 ておけ   十二    一 たかはり  二ツ 一 かごつるへ 一ツ 一 たかはり  二ツ    同四丁目          永富丁一町目 一 はしご   一丁    一 はしご   三丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   二ツ    一 けんば   五ツ               一 つるべ   五ツ               一 たかはり  二ツ 鉄炮丁           同三丁目 一 はしご   一丁    一 はしご   二丁 一 げんば   二ツ    一 りうこし  一ツ 本銀丁一町目        一 けんば   二ツ 一 はしご   二丁    一 つるべ   三ツ 一 りうこし  一ツ    一 たかはり  二ツ 一 けんば   二ツ 一 つるべ   二ツ    永富二町目 新かわや町 一 たかはり  二ツ    皆川丁   蝋燭丁 同二丁目          一 はしご   六丁 一 はしご   一丁    一 りうこし  一ツ 一 りうこし  一ツ    一 けんば   四ツ 一 げんば   四ツ    一 ておけ   六ツ 一 つるべ   四ツ    一 つるべ   十 同三丁目          新銀丁 一 はしご   一丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  二ツ 一 げんば   三ツ    一 けんば   二ツ 一 つるべ   二ツ    一 かこつるべ 五ツ 照降丁           上白壁丁 一 げんば 十       一 はしご   二丁 一 ておけ 五十      一 りうこし  一ツ 同七軒持店中        一 げんば   二ツ 一 げんば 十       一 つるべ   二ツ 一 手桶 十五 一 かこつるべ 二つ     本銀丁四軒屋敷       神田紺屋丁一町目 一 はしご   二丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   二ツ    一 けんば   ツに 一 つるべ   一ツ    一 ておけ   三十 一 たかはり  二ツ    一 つるべ   五ツ 後藤屋敷          同二丁目 一 はしご   二丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんは   二ツ    一 けんば   二ツ 一 つるべ   二ツ    一 つるべ   一ツ               一 たかはり  一ツ 元乗物丁          同三丁目 一 はしご   一丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   一ツ    一 げんば   三ツ 一 つるべ   二ツ    一 水でつほう 一ツ 神田鍛冶丁一町目      一 とひ口   五本 一 はしご   二丁    一 ておけ   六ツ 一 りうこし  三ツ    一 つるべ   一ツ 一 けんば   七ツ    一 たかはり  一ツ 一 つるべ   三ツ     一 かこつるべ 二ツ     一 たかはり  一ツ 新石丁野嶋屋敷       元岩井丁 一 はしご   一丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 げんば   二ツ    一 げんば   二ツ 一 つるへ   二ツ    一 つるべ   二ツ 一 かこつるべ 十     一 たかはり  二ツ 鎌倉丁           同上納地 一 はしご   二丁    一 りうこし  一ツ 一 りうこし  一ツ    一 けんば   二ツ 一 げんば   二ツ    一 つるべ   二ツ 一 たかはり  二ツ    一 たかはり  一ツ 同所としま屋        亀井丁 一 はしご   二丁    一 はしご   三丁 一 りうこし  三ツ    一 りうこし  二ツ 一 げんば   四ツ    一 げんば   四ツ               一 かごつるべ 五ツ               一 たかはり  一ツ 銀座弐丁目         三十間堀壱丁目 一 はしご   一丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   四ツ    一 けんば   四ツ 一 ておけ   六ツ    一 ておけ   四十三 一 つるべ   三ツ    一 水てつほう 一ツ 一 たかはり  一ツ    一 つるべ   二ツ               一 たかはり  二ツ 同所            同四丁目 一 はしご   一丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   二ツ    一 けんば   三ツ 一 ておけ   三ツ    一 ておけ   十 一 つるべ   二ツ    一 つるべ   二ツ              一 たかはり  二ツ 同所            同五町目 一 はしご   一丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  二ツ 一 けんば   六ツ    一 けんば   十一 一 ておけ   十     一 ておけ   六十 一 つるべ   二ツ    一 たかはり  三ツ 一 □□□ちん 二ツ     しんば           同六丁目 一 はしご   四丁    一 はしご   二丁 一 龍こし   □ツ    一 りうこし  一ツ 一 かごつるべ 十三    一 けんば   五ツ 一 つるべ   二ツ    一 つるべ   三ツ               一 たかはり  二ツ 本材木丁三丁目四丁目    北紺屋丁 一 はしご   一丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  二ツ 一 けんば   二ツ    一 けんば   二ツ 一 ておけ   六ツ    一 ておけ   十 一 つるべ   二ツ    一 つるべ   六ツ 一 たかはり  一ツ    一 たかはり  二ツ 福しま丁 下まき丁     南紺屋丁 一 はしご   一丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  二ツ 一 けんば   □ツ    一 げんば   四ツ 一 ておけ   六ツ    一 ておけ   十 一 つるべ   二ツ    一 つるべ   六ツ 一 たかはり  二ツ    一 たかはり  二ツ はくや丁 岩くら丁     休伯屋敷 一 はしご   一丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   二ツ    一 けんば   二ツ 一 ておけ   六ツ    一 ておけ   六ツ 一 たかはり  一ツ    一 つるべ   五ツ               一 たかはり  一ツ 檜物丁           弓丁 一 はしご   二丁    一 はしご   三丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  三ツ 一 けんば   二ツ    一 けんば   四ツ 一 ておけ   十二    一 ておけ   二十 一 つるべ   二ツ    一 つるべ   六ツ 一 てうちん  二ツ    一 たかはり  二ツ 桶丁            東尾張丁二丁目 一 はしご   三丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  二ツ    一 けんば   三ツ 一 けんば   二ツ    一 ておけ   十五 一 つるべ   三ツ    一 永てうちん 一ツ 一 たかはり  二ツ                   【5段目】       【6段目】 小伝馬丁一町目       豊島丁 一 はしご   一丁    一 はしご   六丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  三ツ 一 げんば   二ツ    一 げんば   六ツ 一 つるべ   三ツ    一 つるべ   九ツ 同二丁目          一 たかはり  三ツ 一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ 一 げんば   二ツ 一 つるべ   二ツ 同三丁目          久右衛門丁一町目 一 はしご   二丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 げんば   九ツ    一 げんば   二ツ 一 つるべ   六ツ    一 つるべ   二               一 たかはり  一ツ 大伝馬塩丁         久右衛門丁二橋本三 一 はしご   二丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   三ツ    一 けんば   二ツ 一 たかはり  二ツ    一 かごつるへ 三ツ               一 たかはり  一ツ 大伝馬丁一町目       橋本丁壱丁目 一 りうこし  八ツ    一 はしご   三丁 一 けんば   二ツ    一 りうこし  一ツ 一 ておけ   十一    一 けんば   六ツ 一 つるべ   十     一 たかはり  一ツ 同二丁目          同二丁目 一 はしご   二丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  二ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   八ツ    一 けんば   二ツ 一 ておけ   十六    一 つるべ   二ツ 一 つるべ   八ツ    一 たかはり  一ツ 一 たかはり  三ツ 通旅籠丁          同四丁目  南側店中         一 はしご   二丁  北側店中         一 りうこし  一ツ 一 たか張   三ツ    一 けんば   二ツ               一 つるべ   二ツ  大丸店中         一 たかはり  一ツ 一 はしご   三丁    吉川丁 一 龍こし   一ツ    一 はしご   一丁 一 けんば   六ツ    一 りうこし  二ツ 一 つるべ   六ツ    一 けんば   五ツ               一 つるべ   四ツ (大)  りうこし 二ツ    一 たかはり  一ツ               橘丁壱丁目               一 はしご   二丁               一 げんば 大小三ツ               一 つるべ   二ツ               一 たかはり  二ツ 弥兵衛丁          同二丁目丁 一 はしご   二丁    一 はしご   二丁 一 水でつほう 二ツ    一 りうこし  一ツ 一 げんば   二ツ    一 けんば   二ツ 一 つるへ   二ツ    一 つるへ   十 一 たかはり  一ツ    一 たかはり  一ツ 横山丁一町目        同三丁目 一 はしご   二丁    (一 はしご   丁) 一 りうこし  □ツ    一 りうこし  一ツ 一 げんば   二ツ    一 けんば   二ツ 一 たかはり  二ツ    一 つるべ   一ツ               一 たかはり  二ツ 同二丁目          村松丁 一 はしご   二丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  二ツ 一 けんば   二ツ    一 げんば   四ツ 一 ておけ   六ツ    一 ておけ   十 一 たかはり  二ツ    一 たかはり  二ツ               一 丸たかはり 二ツ 同三丁目丁         久松丁 一 はしご   二丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 げんば   二ツ    一 げんば   二ツ 一 たかはり  一ツ    一 ておけ   六ツ 馬喰丁一町目        元浜丁 一 はしご   二丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 つるべ   三ツ    一 げんば   三ツ               一 つるべ   二ツ               一 たかはり  二ツ 同二丁目          富沢丁 一 はしご   三丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  二ツ    一 りうこし  二ツ 一 げんば   三ツ    一 けんば   四ツ               一 ておけ   八十五               一 つるべ   四ツ               一 たかはり  二ツ 同三丁目          高砂丁 一 はしご   二丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  二ツ 一 けんば   二ツ    一 けんば   二ツ 一 つるべ   四ツ    一 つるへ   四ツ 一 かごつるべ 五ツ    一 たかはり  二ツ 一 たかはり  二ツ     同四丁目          長谷川丁 一 はしご   二丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 げんば   二ツ    一 小けんば  三ツ 一 かごつるべ 五ツ    一 ておけ   十               一 つるべ   三ツ               一 たかはり  二ツ 西尾張丁弐丁目       堺丁   はしご   三丁    一 はしご   三丁 一 りうこし  二ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   二ツ    一 げんば   二ツ 一 ておけ   十     一 かごつるべ □ツ 一 水でつほう 二ツ    一 たかはり  一ツ 一 長てうちん 一ツ     南新堀壱丁目丁       新和泉丁 一 はしご   二丁    一 はしご   一丁 一 龍こし   十四    一 りうこし  一ツ 一 げんば   九ツ    一 ておけ   三ツ 一 水でつほう 十     一 つるべ   二ツ 一 手おけ   四十五   一 たかはり  一ツ 一 つるべ   五ツ     一 かこつるべ 七ツ 南新堀二丁目        同四方 一 はしご   四丁    一 はしご   二丁   りうこし  六ツ    一 りうこし  三ツ 一 けんば   九ツ    一 けんば   六ツ 一 ておけ   五十二    一 つるべ   四ツ     一 かごつるべ 七ツ     同九軒持          田所丁 一 はしご   一丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   二ツ    一 けんば   二ツ 一 ておけ   六ツ    一 ておけ   十□ 一 つるべ   二ツ    一 かごつるべ 三ツ               一 永てうちん 一ツ 北新堀           難波丁 一 はしご   四丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  四ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   九ツ    一 げんば   二ツ 一 ておけ   十五    一 たかはり  一ツ 一 つるべ   三ツ     一 たかはり  二ツ     小網丁壱丁目        同裏川岸 一 はしご   二丁    一 はしご   一丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   三ツ    一 けんば   一ツ 一 ておけ   六ツ    一 ておけ   六ツ 一 たかはり  二ツ    一 つるべ   二ツ               一 たかはり  二ツ 同二丁目          堀江丁一丁目 一 はしご   二丁    一 りうこし  二ツ 一 りうこし  一ツ    一 ておけ   三十 一 けんば   三ツ    一 つるべ   四ツ 一 つるべ   二ツ    一 たかはり  □ツ 一 たかはり  二ツ    同三丁目          同二丁目 一 はしご   二丁    一 はしご   三丁 一 りうこし  一ツ    一 りうこし  一ツ 一 とひ口   五本    一 けんば   四ツ 一 かごけんば 三ツ    一 ておけ   十二 一 かごつるべ 九ツ    一 たかはり  二ツ 一 たかはり  四ツ     葺屋丁           同三丁目 一 はしご   三丁    一 はしご   二丁 一 りうこし  弐ツ    一 りうこし  一ツ 一 けんば   三ツ    一 げんば   二ツ 一 ておけ   六ツ    一 ておけ   十 一 たかはり  二ツ              嘉永七甲寅十一月新板 諸国大地震      地震之弁 抑地しんとは寒暑温冷(かんしよおんれい)平順(へいしゆん)【平穏】なるときは安全にして 異変(いへん)震雷等有ことなしいん気 陽(よう)に押いれ発(はつ)生 する事なりがたしきにより大小のぢしん有はその気の 強ぢやくによるところなり惣してふじゆんのせつは天雷 ぢしんのきう変あつて其気の甚しきところは つなみとうあつて村里をかい中へ引入大舟を山岳へ打上 古代の江川流地とう【池塘?】を埋みあらたに泉わき出地裂(さけ)て 火気出て民家をやく木有ば諸人心得あつてりんじ のあくさい【悪災?】をのかるべしすでに今度嘉永七寅年十一月四日 五ッ時大ぢしん大つなみの入し国々を委細しるす 東海道をはじめ先さかみの国は小田原大久保加賀守様 御城内少々そんじ宿中は土蔵三十余くづれ町 家大はんそんじけが人ておい多し箱根は少々 そんしけがにんすくなし山中は人家大はん つふれ三つ谷崩れ御関所そんじ山々しんとう なし大石大木うち折湯もとをへん はしめ人家大ひにつふれそんじける 三島宿は人家をたをし其上新町 はしきはより出火いたし明じん前 伝馬町久保町方へ三丁よやける ぢしんはます〳〵つよくなり死人 けが人七十よ人きう馬【?】迄 やけしす又うつまり死するも有 あわれといふかおろか也伊豆の国は 大しまかんず【神津島?】三倉三宅其外しま 〳〵大ひにゆれいろをかさき【石廊崎】戸田河津 いなし赤さは伊東北条にら山に仁 田しゆぜんじあたみへん一同につぶれ 死亡のもの多くけがにん少なからす下田は 千弐百けんよの人家つなみにて押ながし あと十五軒程のこる人々大てい山上へ にげあがりたすかるもの少なからすと云 あしろ【網代】大せん四十そうよ小舟かずしれ ず大つなみにて引れ大はんゆくへしれず 又は山上へうちあけ破そんの舟おゝく候 しらすかも大あれにてゆりつふす 人家五百よつなみにしかれ死亡けがにん すくなからすふしのこしは二三百石づみの船二 そう十二三丁ほどくうちへ【?】うちあけるするがの国 沼津水野出羽守様御城下大そんじにて 家つぶれ出火となり又も浜手は大つなみに 人家のそんほうおひたゞしく凡このところ【合字か?】にて 二百人よておいけが人ありあるひは牛馬迄死 かん原宿由井【由比】おきつ【興津】は人家そんし出火 なし七分とふり焼失なすえしり宿は清水 のみなと町家不残つふれ大火となりてをい けが人は少からす老若男女八方へさんらんいたし そのこへ【声】て地にしひき【ひびき?】まことめもあてられ【「ぬ」の欠落?】ことなり 同日おなしこくけん【刻限】ふし川のがげ【崖】くつれ二丁よ埋る 川水わうくわん【往還?】に流れるさつたとうげ【薩埵峠】くずれ 三保の松原甚つよく吉田辺も同断なり 府中の御城下大はんそんじやけるなり弥勒 へんあへ川まん水にてとまる小嶋一万石 松平丹後守様御じんや下まりこ宿うつのや峠 みね大あれにてくつれおかへ【岡部】宿藤枝宿甚つよく 田中本多豊前守御城下大そんし人家は 大はんつぶれ焼失に及ぶせと【瀬戸】川まん水にて留 三けんや【三軒屋】しまだ宿つふれ大井川古今の大 水ためし少し金谷たいはんつぶれ日坂同断 さよの中山大地ごく小ぢごくこと〴〵く崩れ しんとうなすかけ川太田摂津守様御城 下大はんそんじ宿中大ひにつふれしゆつ火 となり六分どふりやける袋井宿見付宿は 同断池田いづれも大そんし大てん龍小てん龍 此川一つになるにもたらず五百軒程つゝみ切 人家あまたそんする也横須賀西尾おきの守様 御城下大しんじ人家つぶれうつまるなる袋井見 付宿ゆりくすし出火となり三分どふりやける 浜松井上河内守様御場内人家そんじる舞さか あら井大はんつなみになかすなを又七里のうみは大あれ にて人家大はんなかすしらすか【白須賀】二川三分とふりそんじ 吉田松平いづの守様御場内少々そんし町や大はん つふれや多し御油あかさかふぢ川大あれ宿々はそん しなりおかざき御城下人家少々そんしる也 同こく田原三宅対馬守様御城内町家そん しるなりちりう【知立】なるみ【鳴海】宮の宿長しまへんそんじ 桑名松平越中守様御城少々人家もそんし 少々四日市つふれ四十三げんはまて【浜手?】大つなみ 神戸本多いよの守様御城下白子上の 三分とふり大そんなり津藤堂いつみの守様 御城下大ゆれなれどもそんじ少し くもつ月本六けん松坂くしだ小はだ【?】山田 丁は家蔵大ひにそんじ宇治ばし二見かうら 大はんそんじ■も内宮外宮御別条近へんの 人々少もけかなく恐れ尊べし石やくし庄の宿 亀山石川日向守御城下しんし町家は 大ひにくつれ伊賀の国はそんじすくな し尾張みやの宿大はんそんしる也 浜手は二十三間つふれ土蔵は くづれ御役しよそんし かめざき半田大つなみ 名古屋清洲少々そんじ 摂津国大坂安治川ぐち すじあち川ばし大仏 じま九条嶋このへん人家 大はんそんしる御舟奉行 御蔵御番所舟つばし大そん 山田町兵庫丁みなとばし六 左■丁みなとばし常安へん大つなみにて ながす仁兵へ丁床村新田郎丁次郎 べいてうふくしま天神正せんじ本町狐辻 あはち丁大ちわれすな水ふきあげ町家は 二十けんほどながすせとのまちかく川道 ふき丁江戸ぼりしんさいばし三枚ばし 二十けんよつぶれあぢ川大つなみにて大舟 小ふねおひたゞしく押上はし〴〵三十八なかす 又は大黒ばし迄大舟四五そうゆりあげ てんまふね小舟とうは大ふねにあたりて 大はんみちん【微塵?】と成死人けが人かず多し 天保山大そんしついけた【池田】いたみ【伊丹】にしの み【西宮?】へん兵庫大そんなりあまがさき 松平とを〳〵みの守様御城下そんしる 三田九鬼長門守様御城下へんそんじ あさ田青木かいの守様御しんや大そん也 山城国淀の御城下伏見京都大和河内は 大ぢしん也紀伊国はくまのうら大つ浪 家々大はんそんじるわか山紀伊様御 城下そんじる田辺安藤飛騨守新くう【新宮】 水野土佐守様御城下大ひにそんじる 人家大半つふれ惣て九十九浦黒江日方 藤代大つなみにてゆか下三尺計り汐上 同広うら【広浦】とふり流失いたし候河原箕 じまゆらのみなとなかれる大しま有田の 加太日高辺大そんし泉しう【泉州】きしのわだ【岸和田】 大そんじさかいの丁大坂同やうにそんじ 越前ふく井の御城下大そんしるなり 同つるが辺丹波亀山同そのべ四こくぢ 一ゑんあしう【悪しく?】徳しま御城下大 にそんじ其之上五百らかんへんは 大はんそんじ土佐のくには大そん しるあはじ島大つなみ丸がめ 京極土佐守様御城下そんしる也 いよのくに少々播しうは赤かう 森ゑつ中の守様御城下そんじる びぜんたの口【田ノ口】下むら【下村】へんひつちう【必定?】くら 敷玉しまへんひんご【備後】尾の道鞆ふく 山 阿部いせの守様御城下へんは 少々そんじ靏さきそんじ少肥後の くま本御領分大ちしんつなみにそんじるなり 日向のなた【灘】大ひに海あれる肥前之国少々そんし唐人(ナカサキ)やしき内 この外同時しんしうわた峠辺下のすは【諏訪】福しま 御関所へん上ヶまつ【上ヶ松】すはら【須原】の尻へんいたつてつよく そんし飯田の御城下大そん也松本御城下大はん松代御城下 つふれ家多しなか〳〵筆紙につくしがたくこゝに略す 嘉永七寅十一月五日朝五ッ時ゆり出し 《割書:東海道|大阪辺》大地震津波図 【上部】 嘉永七寅六月十四日大 地震ゆり出し候へ共市中 無別条候に付氏神へ御礼 之御千度いたし目出度 悦居候所又十一月四日の朝 五ッ時大地震ゆり出し 所々損じ候へども格別 の事も無し又五日七ッ 時に前日同様の地しん ゆり夫より後止事 なくゆり夜五ッ時に大 地震ゆり都合三度の 大地しんにて終に所々夥しく損し申候併怪我人は十人計り の由に御座候尤門口に固いたし毎夜野宿いたし申候誠に 前代未聞成事に御座候損じ候所荒増を左にしるす 一天王寺清水舞台  一座摩宮鳥居    一北久太郎町丼地北 一塩町さのやばし  一御霊社井戸家形   家二三軒 一汐津ばし近辺   一天満天神井戸家形 一福島五百らかん 一京町堀三丁目   一順けい町丼池角  一籠屋町 一阿わざ戸や町近辺 一玉造二軒茶や十  一なんば新地みぞ   都合二十軒計    軒ばかり      のかは 一御池通五丁目四軒 一あみだ池横門すじ 一住吉とうろふ六分  ばかりくすれ   一橘通三丁目     通こける 此外所々少し□【宛?】損じあれども数多く筆に 尽しがたく候也 【下部】 寅十一月五日大地震ゆり通しの中へ湊口沖手 より大津波打込川口に碇泊有之大船小船とも 不残安治川橋上手へ打上ヶ安治川ばしかめばし 打流れ申候其大船帆柱立たる侭橋より上へ打上ヶ 申候道頓堀川にては大黒橋迄はし残らず落申候て 大黒ばし之上大船小ふね共打込又材木等も沢山に打上ヶ 何れの川筋も船并に材木にて押詰り破舟等之数 知れず大□見聞したる所にては常に碇泊の船九分通りは 破損に相成流人の数何程とも不知此度之津波の有 さま筆紙に書尽しがたく前代見聞せず大変なり 其場所へ行見たる人は能御存じ人の咄しと申は五寸 ばかりの事壱尺にもいふものなれ共今度の事計りは 壱丈の事が五尺によりいふ事不出来位の事にて誠に 存知もよらぬ大変也湊口図にしるしたる川々残らず 津波打込町家は流れ申さず船計りに御座候尤も 船はみじん又くだけ申候落たる橋々左にしるす からかねばし  高ばし    水わけばし 安治川橋    かめ井ばし  黒がねばし 日吉ばし    汐見ばし   幸ばし 住よし橋    大黒ばしにて止り申候 かなやばし 嘉永七甲寅十一月四日五ッ半時ゟ 《割書:諸|国》大地震(おゝじしん)大津波(をゝつなみ)《割書:三|編》 【上段右】 御公儀様難有 御仁誠に依而市中 の人々是を悦び寔に 有がたく思わぬもの 壱人もなし然るに 諸色米万端何に 不寄直段追々下直に 相成悦ぶ事限りなし 依之市中の人々第一 火の用心大切に相守り 万事の事心を懸物 事諸人に至る迄相慎 候事 【上段左】 大坂川口大津波の大略 安治川尻近辺死人凡 三百人よざこば近辺死人 凡弐百人よ寺嶋同死人凡 五百五十人よ堀江川近辺 同三百人よ道頓堀木津川 近辺にて凡三百人よ其ほか 所々廿人三十人あるひは 十人五人と即死いたし候 事は世にはめずらしき事也 もつともけが人は其数し れず即死の数凡弐千余 に聞へ候此人々一度に声 をあげなきわめき其 あわれさはなすにはなし きれ申さず候 十一月五日くれ六ッゟ夜 五ッ時過までの事に御座候 【中段右】 伊勢山田并志州鳥羽 右同日大地震大あれ にて人家大躰半分 はくずれ大いなる こんざつなりその あわれさ申にたへず こゝに御筆のことく成は 御師さまは年頭の したくをいたされ 大坂表へのぼり此度 の大坂のつなみにて暦 等進物のたぐい難 船せし御方もあり まことに〳〵前代未 聞の事也尤大神宮 御社并に末社社家の 家々地震がために少々 いたみ候処数多く ▲志州鳥羽辺は同日に 大地震一通りならず 大ゆりにて人家くずれ候 事は大躰其国は半ぶん はかりくづれ候所へ大 津浪打来り御家中 町家とも大半ながれ 人々の難儀致し候はあわれ なり其大変文面の しらせのうつし是にしるす 【中段左】 尾州路《割書:書しるす事数|多有とも略す》 同日同刻大地震にて 町家損じたる事その 数をしれす寺院名古や 御城下御家中は申に不及 大地震に而大崩言語に のべがたくまことに〳〵 あわれなる次第なり 【下段】 伊勢四日市《割書:十一月四日|辰ノ半刻ゟ》 大地震ゆりはしめ其 おそろしさ弁述に のべがたくもつとも 家かず三千けん計り ゆりくづれ男女 子どもにいたる迄その 混難おそろし事成に同日 申ノ刻に迄に又ゆり大地われ 益々強くゆり人々其中へ 落込候事は其数しれず 又同日いせ津へん同様なり 尤家かず二十四五けんも くづれそんじたるは 其数しれず外に白子 かんべ松坂桑名へん 大じしんなれども 少々のいたみ 嘉永七年     大坂心齋橋文正堂 《割書:聞|書》諸国(しよこく)大 地震(ぢしん)并出火 京大坂堺河内紀州摂州丹波           丹後其外国々少々つゝの不同は           あれとも大てい同時同格の大地           震誠に稀なる珍事也《割書:十六日くれ方にて|七十三度》 【上段】     奈良 寅六月十四日夜八ッ時ゟゆり始明六ッ時迄少々つゝ ふるひ十五日朝五ッ時ゟ大地震にて町家一軒も無事な るはなく勿論一人も家内に居る事ならず皆々野又は 興福寺其外広き明地などにて夜をあかし大道 往来の者一人もなく皆内を〆よていつれに居共不分 毎夜〳〵野宿にて 目もあてられぬ次第也 南方清水通り不残 家くづれ木辻四ッ辻ゟ 西十軒計り崩れ鳴川 町にて二部通りのこり 北方西手貝通りにて三部残り北半田西丁手貝通り南北 大くつれ川久保町大崩れ家二軒残る中ノ方細川丁 北向丁北風呂辻子町右三町別して大くづれ其内にも 三条通りゟ北は少々くづれ都て奈良中の大そんじ 前代未聞の大変なり  死人凡弐百五十人小児五十人けが人数しれず 古市木津も家四五軒のこる 十六日暮方までに七十三度の大地震なり     伊賀 上野十四日夜九ッ時ゟ大地震ゆりはじめ御城大手 御門大にそんじ市中は凡六部通り崩れ四部通は菱に なり猶又鍵の辻ゟ出火にて黒門前迄焼失に およぶ夫ゟ嶋の原といふ所ゟ大川原といふ所迄螺乃 ために一面の泥海のごとく其混乱筆につくしがたし 十六日暮方迄に七十五度の地震なり 【下段】     郡山并に南大和 六月十四日夜九ッ時ゟ少々ゆり始め八ッ時に大地震柳町 壱丁目ゟ同四丁目迄家数凡丗八九軒くつれ其外 市中凡三部通り家くづれ其外奈良同様也  死人凡百弐三十人小児十七八人けか人多し 誠にあわれ至極也是も十六日くれ方迄に七十三度ゆる 一南大和ゆり出し同時けが人少々死人なし家少々 そんじくつれるほどの事もなし     江州 六月十四夜九ッ時より少々ゆり始め七ッ時ゟ大地震にて 三井寺下ゟ尾花川と申所迄家数百 軒余(けんよ)崩(くづ)れ其外 せゞの御城少々そんじ土山などは四五軒つゝ七八ヶ所くつれ 此内の人六部通りおしにうたれ四部は助(たす)かる又石山は別(べつ)して 大い成岩なども崩れ落ち殊に大そんじ其外御城下 在町大そんじ是も十六日くれ方迄大小共六十八度ゆる     勢州四日市 六月十四日夜四ッ時ゆり始め六ッ時ゟ大地震と成家数 三百軒余崩れ昼五ッ時ゟ出火にて家数四百軒余焼失  死人凡百四五十人 しれざる人弐百人余 其外勢州尾州其辺の国々大にそんじ候     越前福井 六月十三日五ッ時ゟ塩町かじや町 より出火東西南北共不残焼失 其朝大風にて九十九橋ゟ二百町 計り寺院百ヶ所両本願寺共 焼失近在凡十ヶ所焼失其 夜四ッ時に鎮り申候 又十四日夜八ッ時ゟ大地しん 田地なども泥海と成所々の家崩れ死人凡四五十人誠に〳〵 其混乱筆につくしがたし十六日暮方迄に大小六十七八度ゆる  【上段】 天保五午 二月七日 御救小屋場所附 大火に附 御公儀様ヨリ 此度数万の人々え 御救小屋御立被下き□つにも及はす 雨露にもうけずそのうへめい〳〵 御鳥目を下されし事実に たうとく有かたき 御仁政のほど申もおそれ 多き事ながら万民よろこび 万歳をぞうたひける  一毎日御たき出し  御用にて深川追茶屋〳〵ヨリ       持はこびいたし候 土橋久保町家 一ヶ所 筋違御門外 一ヶ所    両国広小路 二ケ所 常盤橋御門外 一ヶ所   江戸橋 一ヶ所 数支の橋御門外 一ヶ所  八町堀 三ヶ所 幸橋御門外 一ヶ所    築地 壱ヶ所󠀠󠀠󠀠 神田橋御門外 一ヶ所   御小屋数               都合十三ヶ所 右出火に付御救小屋に罷在候者又は所々難渋 之者どもへ而て合力ほ□こし召出候品□に名前付 【下段】 天保五甲午年二月七日大火に付 御公儀様ゟ御救小屋所々え御建被成下 難有仕合に奉存候猶又此度諸町々より 両国佐久間町御救小屋えほどこしの性名 一壱人前《割書:たばこ|銭百文つゝ》   浅草駒形内田   一壱人前《割書:竹のかわ包|一つ宛 》  浅艸伝法院 一壱人前《割書:紙 五帖| はし》   通油町さかなや十助 一壱人前《割書:おはち一つ|ちやわん一つ》 かうじ町伊勢八 一壱人前《割書:てぬくひ|一筋つゝ》  御蔵まへかさくら 一壱人前《割書:銭三百文|  つゝ》  同所ふださし二番組 一壱人前《割書:どびん一つ|ちゃわん五つ》 筋違うちだ 一壱人前《割書:銭三百文|  つゝ》  佐久間町ふしみや 一壱人前《割書:銭七拾弐文|  つゝ》  なまへしれず 一壱人前《割書:銭三百文|  つゝ》  東両国《割書:内田|岡崎屋》 一壱人前《割書:ひもの廿枚|  つゝ》 両国竹   右之通り難渋之人々え施候事仁心之慮也 凡(およそ)世上の災(わざはひ)といへる内/雷火天火(らいくはてんくは)等(とう)は 天の□□にして人力もて量(はかる)べからず されど平生より心慮なく火をば麁(そ) 略になし其身計にあらで其/余災(よさい) 他人に及事偏にいたはしからすや 今嘉永三戌年二月五日は朝より 北風/烈(はけしく)折から朝五ツ半時麹町五丁め 裏通より失火して高貴の御□を始(はじめ) 御はた本其外大小の御屋敷/且(かつ)は神社 仏閣あまた類焼(るいせう)なしける故(ゆえ)諸人力を 尽(つくし)防消(ふせきけす)と雖(いへとも)風/強(つよく)して思はず広大(くはうだい)に至(いたり) 冬天をこがし煙(けふり)雲(くも)を染家居は崩(くづるゝ)音 すさまじく遠近に聞ておびたゝし其夜の亥刻に火は静(しづまり)て 諸人安堵の□□なすと雖斯も世の煩(わづらひ)とならん事其/恐不少(おそれすくなからず) 我も人もつてめて火の元を大事になし殊(こと)に下人などに猶(なを) □く示て火を敬ひつかふときはかくつちの神の恵(めぐみ)をかふむり△下へ 《割書:上より|つゝく》△ 其家ます〳〵富さかえて 火災をのがるゝよし古書に 見へたり其外火は人を養い 徳ありて其恩をしらず みだりにあつかふ事ゆめ〳〵 有へからず是によりて 唯〻世の人の為にも成ぬ べき事と遠方の人にも しらせん便ともならんと 図をしるし拙言を添るのみ 【タイトル】 関東類焼 大地震 御救御小屋三ヶ所  浅草広小路 深川海辺大工町 幸橋御見附外 【本文】 乾坤和順せざるときは陰地中に満て一時に発す是地上に地震といひ海上に津浪といふ山中に発する時は洞のぬけたるなど 皆風雨不順の為す所にして恐るべきの大事なり于茲安政二年乙卯冬十月二日夜四ッ時過るころ関東の国々は 地震のとゝかさることなく一時に舎坊を崩し人命を絶こと風前のともしびの如し其中に先御府内焼亡ノ地は千住小塚原 不残焼け千住宿は大半崩れ山谷橋はのこらす崩れ今戸橋きは数十軒やける新吉原は五丁共不残焼死人おびただしく 田丁壱丁目弐丁目山川町浅草竹門北馬道聖天町芝居町三町北谷中谷能守院南馬道より花川戸半町ほどやける山の宿町 聖天町は崩る浅草寺は無事にて雷門の雷神ゆるぎ出す広小路並木辺残らす崩れ駒形町中頃より出火諏訪町黒船町御馬や 河岸にてやけどまる御蔵前茅町辺富坂町森下辺大破東門跡恙なし菊屋橋きは新寺町新堀共少しやける大音寺より 三の輪金杉辺崩れ坂本は三丁目やける山端町東坂広徳寺前通り崩多し又は山本仁太夫矢来内死人多く家不残崩る其外寺院は 大破損亡おびたゞし〇谷中三崎千駄木駒込は崩少し根津門前は大半崩池の端茅町二丁目境いなり向よりやけ同壱丁目不残 木戸際にて留る切通し坂下大崩仲町は片側丁崩多く両かは丁すくなし御すきや町は大崩広小路東かは中程より伊東松坂屋角迄 上野町より長者町辺やける御徒町近辺より三味せん堀七まがりは大名方組屋敷共崩るといへとも多分のことなし御成通より明神下 破れ多く外神田町家の分崩少し湯島天神は崩少し門前町崩多く妻恋町少しも不崩稲荷の社無事也本郷台破 少し筋違御門より日本橋通り左右神田東西共崩多し小川町本郷様松平紀伊守様板倉様戸田様やける榊原様外かは 焼神田橋内酒井雅楽頭様同御向やしき龍之口角森川出羽守様又下口は八代浦川岸植村但馬守様因州様御火消屋敷 等なり和田倉御門内は松平肥後守様松平下総守様やける近所崩れ其外丸の内御大名方所々崩多し鍋嶋様御上屋敷 不残やける山下御門内阿部様のこらす大崩となり夫より幸橋内松平甲斐守様伊東様亀井様共やける薩摩様装束屋敷崩る 霞関は諸家様大半くづれ黒田様御物見のこる永田町三間家かうじ町辺は崩少し四ツ谷市ヶ谷牛込小日向小石川番町迄 あれも損亡おほし赤坂青山麻布渋谷白銀品川高輪台町共崩少し赤羽根三田飯倉西ノ久保は崩多し増上寺無事 〇北本所は中の郷松平周防守様やける此辺大崩にて所々より出火あり同所番場丁弁天小路辺やける其外寺院損亡多し法恩寺橋 町家やける亀戸町二ヶ所やけるまた竪川通りは相生町緑町三ッめ花町迄やける又御船蔵前町より黒八名川町六間堀森下町高橋にて 留る又下口は深川相川町より黒江町大嶋町はまぐり町永代寺門前町八幡宮鳥居きはにて止る又乙女橋向角大川端少しやける 本所深川おしなへて地震つよく損亡おびたゞし〇日本橋より南東西中通り河岸通り共大崩にて南伝馬町弐丁目三丁目左右川岸 京橋川通り迄やける銀座町三十間堀尾張町辺少したわみ新橋向築地木挽町桜田久保町あたご下崩れ多し芝口通り少し露月丁崩れ柴井町やける神明町三嶋町大崩怪我人多し神明宮恙なし浜手御屋敷残すいたむ中門前片門前浜松町金杉本 芝辺崩少し田町大木戸品川宿格別の崩なし翌三日より七日まで明日すこしづゝふるひけれ共別にさはることなく追々静謐におよひ下々へは 御救を被下置御救小屋三ヶ所へ御立被下御仁徳の御国恩を拝謝し奉らん人こそなかりけれあらありがたき 事共なり   但シ出火のせつわ三十二口なれともやけるところは図のことし     火の用心〳〵 越         信州十郡           佐久伊那高井   信濃国大地震  埴科小県水内           筑摩更科諏訪 後         安曇コゝ二記ス 抑天地不時乃変動ハ陰陽こんじて天にあれば雷雨となり地にいればぢしんをなす又神仏のおうくも是をおさむることかたしされバ此度 弘化四丁未三月廿四日夜亥の刻より信州水内郡の辺より前代ミもんの大地しんにて山をくつし水をふき火ゑん天地をくらまし人 馬乃損ずることおびたゞしゑんごく他所にてかの地ゑんるいのもの安否をたづねなげきかなしむも少なからず仍てち名をくわしくあげ遠近に しらせかつハ後代のかたりつたへにもならんか先善光寺乃辺ことにはなはたしそれ地しんといふより早くしんどうなし大山をくつし川を うつめ土中ゟくわゑんのことき物ふき出し御殿宝蔵寺丁屋ハ申に及はすあるひハつぶれ或ハ大地にめり込大たんーーー 僧ぞくなん女ろうせう乃死人あげてかぞへがたしあまつさへ地火八方にちり不残せうぼうし廿七迄水火にくるしむ事を ひつしにつくしかたし是より北乃かた大峯くろひめ山戸がくし山上松北郷しんかうじ福岡上の西条吉村田子平手室飯 まち小平落影小馬大馬柏はらしほじり赤川せき川乃お御関所辺よりゑちご高田御ぜう下へん廿四日よりゆりはじめ廿九日 午の刻頃別してつよくゆり土蔵寺しや人家をくづし首きこふりの分ことにひどく大山ハくずれ田畑をうずめ大水にておしなが し死にんけがにん多くその内長澤村と申小村にて死亡の者六七十人も是あり此内土にうづまりわつか手足のミ有之 是ハぜんかうじより二三日おそくそうどうに及ぶ同寺よりひがしの方ハごんどう宿間の御所中乃御所あら木此辺ゟ□ーーー ことににきびしくおばすて山の名ハおろか親ハ子をすて子ハ親をたずね大地におちいりかゑんにまなこくらみ地ハさけてどろをふきだし 近辺乃山〳〵一同にくずれ川をうづめ此へん平地と成にげまよふ人〳〵□□といひ山手よりしんとう黒けむりに方角をうしない□ーー 川にはまり木石にうたれ水火になやミ牛馬乃そんじおびたゝしく青木嶋大塚間嶋こしまた水沢西寺尾田中辺ゟ□ーー になり松代乃御城辺きびしく度〳〵ゆり返しけるに廿九日の朝晦日の夕方迄つよくふるひ山〳〵よりがんぜきをくずし安庭むら山平 むら《割書:さらしな |水乃内》両村の間に岩くら山といふ高山半面両はしくすれ一方ハ四十丁一方ハ九十丁ほとさい川の上手へおし入其辺のむら〳〵うづまり こう水あふれ七八丈も高く数ヶ村湖水乃ごとくみなぎり平林かけ村赤しば関屋西条関屋川上下とくら中条横尾金井鼠宿 上下の塩じり村辺つよくちひさがた郡秋和生塚上田御ぜうか西の方ハ新丁かミにしま下にしま此辺山なり地中はらいのごとくなれハ此 辺乃者どもいきたる心ちなく前田手つか山田別所よねざハ沓かけなら本一の沢等およそ百四十三ヶ村ほど善光寺ゟ南乃方和□ 雨の宮小嶋やしろ向八幡し川山田新山此へん山つゞき筑摩郡に至りほうふく寺七あらし赤ぬ田洞村おかた町松岡あり尾水くまゟ松本□ーー 御城下きんへん百二三ヶ村ふるひつよく家居を多くたをす庄内田貫橋ちくま新丁あらゐ永田下新上新三賤より飛驒ゑつちう堺松もと より西の方あつミ郡宮ふち犬かい小海渡し中曽根ふミ入寺所熊くら城金丁ほそがやうら町とゞろき村下丁堀金むら小田井中むら 上下鳥羽すミよし長尾柏ばら七日市また此を辺き□ーー池田丁ほりの内曽根原宮本くさを舟場むら度〳〵ゆり□ハし□ さらしな郡の内小嶋はしにし大原和田下いちばかるゐ沢よし原竹房いま泉三水あんどこ小松原くぼでら中の□町人家乃損亡甚しく善光 寺より北乃方水内郡小ぶせかミしろあさの大倉かに沢今井赤さハ三ッ又さかいむら茂右衛門村□- --戸かく小泉とかり大つぼ曽根□ 小ざかいわらびの深沢山なりしんどうちうやゆり動き中にも飯山御しよう下きびしく大水押出し人馬多く死す善かうじゟ東の方髙井郡のふん 中じまとう高米持さかひ井沢八まん矢部高なし辺佐久郡ハ小もろの御城下西ハたきはら市町与良むら四ッ谷間瀬追はけかり宿□ーー くつかけ赤沢かるい沢峠町矢さき山あさま山上州口まですハ郡ハ□しぬの□ぜうゟ大ーーー木此辺少しく□内八重原大日向ほそ谷平村□ーーー 此辺ハ少しつよく廿四日より善光寺辺は廿五日朝やう〳〵少しずまり松代ゑちご路ハ廿五六日より廿九日晦日べつしてつよくちうやのぢしん 御代官様御地頭様よりかくべつの御手配にて水火をふせぎ人民の助けにかくも御れんミんにて米銭を御□当有がたき事実にたいそうの 御めぐミ申もなか〳〵おろかなり夫大ぢしんをきくに遠きいにしえハさし置□ハ文禄四年豊臣ひでよし公乃時代伏見大ぢしんにて京都 大仏でんをたをす慶長十八年冬京都大ぢしん寛永十年小田はら大ぢしん等々箱根山をくづし寛文二年京中大地震寛政 四年江戸大ぢしんにて六日七夜さゆる文政十一年霜月ゑちごの国大ぢしん天保元年京都大ぢしん是らハ人乃しる所なり□ーー へにて如此数度是あるといへとも此たび信しうのぢしんハきないの□ーなり人馬の死がいあげてかぞへがたし凡里数三十里四方 に及ぶしかるに当時ぜんかうじ如来 おかいちやうにて諸国より 参詣の者数万人 此大へんにあひ土地 不案内にてしんたい □しらせ 大方ならず本堂に かけ入御仏にすがり 一心にねんじたるもの 七百八十余人壱人も けがなく石垣を崩し 大地割たる中に本どう 山門きやう蔵泰ぜんとして□ □ハ仰ぎ尊むべしむべ なる哉人わう三十代 欽明天皇十二年三国伝来 ゑんぶだごんの尊ぞうにて百さい こくより弐本に渡す時の 大臣守屋物部自分 いたんのおしへ神明乃 御心にかなワじとなんば の池にすてさせ畢 其後信濃国の住人 本田よしミつ池の ほとりを通行なすに 池乃中より金じき の光りをはなちし ぜんとおんこえ有て善 光を御よびとめたれハ よしミつおどろひて池 ちうをさぐりこ乃 如来の尊ぞう を得て旧きよ しなの国伊奈 郡ざこうじむら に至り臼のうへに あんちす然るに れいむにかつて水 内郡今乃地にう つらせ給ふ御堂ハ三 十六代 皇極の女帝 勅願也 けいちやう二年七月 十八日太閤ひでよし 公の命によりて如 来を京都大ぶつでんに うつされしに如来乃 仏意にかなわせら れずしば〳〵おん たゝりつよく還 住のおんつげ是有 にまかせ同年八月 しなのゝ国にかへら せ給ふ是あまねく 人のしるところ にて日本三によらい のだい壱なりさればこの度もかゝる きうへんの折からに御どうつゝがなかれハ まつたくもつて仏力のしからしむるところ也 来世の利現いちじるしくかつハゑん者さんけいの諸 にんもさしてけがとうすくなきよしいよ〳〵 しんじあほぐべき事にとそ   御大名附 /真田信濃守(まつしろ十万石)   /松平伊賀守(上田五万三千石) /松平丹波守(まつもと六万石)   /内藤駿河守(たかとを三万三千石) /諏訪稲葉守(たかしま三万石)   /牧野遠江守(こもろ一万五千石) /本多豊後守(いゝ山二万石)   /内藤豊後守(いハむらだ一万五千石) /堀兵庫頭(いゝだ一万七千石)   /堀長門守(すさか一万五千石) 【立て看板】 《割書:くらの| 》開扉 落涙山非常明王(なみださんひじやうめうわう)  念仏題目等 当十月二日夜四つ時より翌日朝迄 一同令難渋者也  地震院 火事 そも〳〵なみだ山 非常(ひじやう)明王は御救(おすくひ)の小屋山町法大事(こやさんてうほうたいじ)の御 作(さく)にして 地震雷火事親父(ぢしんかみなりくわじおやぢ)を倶足(ぐそく)し奉る本尊なり悪魔隆伏(あくまかうぶく)は もちろん世上(せじやう)の人気(しんき)をなほし放蕩惰弱(ほうとうだぢやく)を止(とゞめ)たまふとの御せいくわん也 地震(ぢしん)と現(げん)じ給ふ時 強欲(がうよく)いんあくの土蔵(どさう)をおとし雷鳴(らいめい)とあら はるゝときは聾(つんぼう)の耳を貫(つらぬき)魂(たましい)を天蓋(てんがい)にとばして無慈悲(むじひ)の心(しん) 中(ちう)をかはらしむ火事(くわじ)身(しん)を現(げん)じてはつぶれし家(いへ)より火(ひ)をはなち 消人(けして)なければやけほうだい夜(よ)の明(あけ)るにしたがひていつしかきえてあと かたはなきの涙(なみだ)の箸(はし)もたぬまでになりても命(いのち)さえあれば一法(ひとほう)かき かへてだますとすれば親仁身(おやぢしん)それかけ出して野宿(のじゆく)の雨(あめ)津浪(つなみ)が くるとだまされて逃(にげ)たあとから盗(ぬす)みする極悪人(ごくあくにん)はいざしら浪(なみ)心を 直(すぐ)にもつものは誓(ちかひ)て助(たす)けまゐらする非常(ひじやう)明王の御剣(みつるき)は おやの異見(いけん)の剱(けん)なるべし片手(かたて)にぎる財布尻(さいふじり)しめしを守(まも)る 子孫(しそん)へあたへたまふとの御つげなればつぶれ しんで後悔(こうくわい)あられませう やう〳〵 安堵(あんど)し たてまつる 本尊の由来(ゆらい)を くやしくたずねるにむかし 地震王(ぢしんわう)またかど焼亡(しやうほう)のきこえ ありて商売(しやうはい)ださだまりかねて命(めい)をかうむり田原俵(たはらへう)だ 火出(ひで)たと御すくひとして二合半のもつそうにておめしに かりふくれがはらにおしよせたり此ときなみだ山毎日(まいにち)大(たい)そう 不そうおうをいのり施(ほどこ)し米(ごめ)のはかりことをもつて又門(またかど)の崩(くづ)れと なりしもこの尊像(そんざう)の御とくなり此ときのうたに  またかどでこめかみよりぞうたれける   かはらおちたがさはりこそして さいなん  けんのん   らいよけ    火なんよけ   こゞとよけの    御守は     これより      出升 こんがり  どうじ せいたか  とうじ 【上段】 御救小屋場所附 并出火類焼場所附 禁売買 《割書:大江戸|関八州》大地震(おほぢしん) 石坐子先生撰  《割書:武陽| 》能調堂  印 大江戸八百八町は四里四方の外にあまり 新地代地門前地を加へ当時五千六百五十余丁  但し里数にして百五十八里三十弐町也 此度の地震  崩候土蔵数は 御大名方  一万四千五百八十七斗戸前 御旗本方  二十五万千六百廿九 御家衆方  三万弐千四百二十八 寺院方土蔵堂宮  五千八百十八前 町方土蔵類焼致候共  拾一万四千四百六十九 【下段】 惣土蔵数  〆八百四拾五万    九百七十六也 かゝる天災火難の 中に御城内をはじめ 両山御用屋敷等 一ツの損亡ななくしつまり 候事嘉ぶにかぎりなし 猶諸国文音の為くわしくしるし 衆人のあんどをつゞるのみ 御上より御救に小屋御立被下置▲ ▲その場所三ヶ所 浅草広小路 幸橋御門外 深川  海辺大工町 上野山下  火の用心  安政日記 天地(てんち)の変動(へんどう)は陰陽(いんやう)の病労(びやうく)にしてその気(き)混(こん)し濁(にご)り蟠(わだかま)り久しく屈(くつ)して発(はつ)する時は 上(のぼ)りて雷雨電光(らいうでんくわう)ひらめき下(くだ)りて地中大ひにうごめき念魚(ねんぎよ)怒りて首尾(しゆひ)を発せば 蒼海(さうかい)も浅(あさ)しとし須弥山(しゆみせん)も軽しとす就中(なかんつく)御/府内(ふない)は大都会(たいとくわい)の繁昌地(はんち)にして諸国の 人/民招(みんまね)かず群集(あつまる)これに依(よつ)て遠国他邦(ゑんごくたほう)の親類縁者(しんるゐえじや)へ過急(くわきう)の存亡を告知らし めて安危を一時にはからんが為に天災火難の来歴を巨細するに頃は安政二乙卯 十月二日夜四ツ時すぐるに北の方は千住宿を大半ゆりくづし小塚原町残らず焼失 夫より新吉原は地震の上江戸町一丁目より出火し五丁目残らず焼る大門外は五十 間西側少しのこる田中崩れ田町山川町焼る山谷通り大崩れ北馬道より南馬道は 寺地共のこらす焼る花川戸片側のこり片かは半余焼る山の宿聖天町は崩れ芝居 町は三丁共焼る浅草観音は御堂つゝがなく雷神門いたますして雷神ゆるきてる地 京大坂伏見 大地震 頃は文政十三 七月二日ひる   七ツ時ゟ ゆりいたし 京大坂伏見 らく中落かへ にし東本かんし 町家土蔵此へん へつして【別して=とりわけて】つよく 牛馬命うしのふ 事かづしれず 【上段】 于時嘉永六癸丑二月二日辰の下刻豆相の国さかへ 箱根山の絶頂(ぜつちよ)より地震(ちしん)ゆりいだし追々はげ敷 通路とまり樹木(しゆもく)家蔵堂宮をゆりたをし田 畑はゆり崩(くづれ)其道筋山中箱根宿は不申及 姥(うば)ケ平 てうし口斎かち坂柏木湯本笠松象ケ鼻(はな)祖 師堂早川辺をゆりくづし夫より小田原御城下は足 軽(かる)町始山角丁すじかい橋大手御門通らんかんはしは ういろう虎屋此辺悉くつぶれ出火二ヶ所夫より横 丁青物丁一ゑんにゆりたをし此辺出火四ヶ所大通万 町にて出火壱ヶ所大工丁出火壱ヶ所御城御見附一ヶ所 矢倉二ヶ所ゆりたをし出火は都合八ヶ所其余水 道ゆりつぶじ【ママ】水 満々(まん〳〵)と押流老若男女の一同に打 驚(おどろき)四方に散乱(さんらん)して其有様目もあてられず翌(よく) 三日午の上刻にやう〳〵しづまりかゝる天災有といへ ども人馬共つゝがなきは全鹿島の神の神恵に よる所并に当所 道了(どうりやう)大権現の守らせ給ふ故成べし と諸人 安堵(あんど)の思をなしぬ 【下段】 【読点は朱書き】 ころは嘉永七とらどし六月十四日のようしのこくやつどきごろ おわり、いせ、あふみ、みの四かこく、おゝじしんのしだい、とうかいどう すじ、なるみじゆく、みやじゆく、なごやかいどうは、いはつか 、ばんば、かもり、さやじゆく、つしま五づてんわう、もつとも卅日 御さいれいにておゝこんざつ、どうしよはじいんそのほかまちや はもうすにおよばすあいたおれ候またきたのかたは、いぬやま 、小まきへんみなみのかたは、のま、うつみ、もろさきへんまで 、さや川のにし、いせのくには、ながしま、くわな、四かいち、おゐわけ へんのこらずあいくつれ候そのうヘ出火にあいなりしにん けがにんあまたなりおなじく、いしやくし、せうの、かめやま 、せき、さかの下じゆくへんのこらず、あふみのくには、つち山、みな 、くち、いしべじゆくへんにしきたは、みのゝくに、大がき、なんぐう、たか す、かしはばら、さめがい、たかみや、ゑち川、むさへんまで そのほかにしきたのやま〳〵もうすにおよばすたい はんおゝしんと【右肩に朱で濁点】うにてくづれ候もつとも十五日あけ六ツ はんごろにやう〳〵しづまり候それより日々しやう〳〵 づゝ之ぢしんこれあり候古こんまれなるおゝぢしん ゆえにあらましをかきしるししよにんあん どのためかきしるししらしむるものなり 【上段】 十一月四日朝五ツ時大地しんにて 府ちうより先宿におゐてい まりこ岡べうつのや峠あれる ふし枝しまだ宿大井川其 外川々留るかなや日坂峠大に あれる掛川御城下ゆりつふれ やけるふくろ井見附辺つよく はま松まい坂辺迄も大かた ならずこゝに同日五ツ半時 伊豆七島【嶋】下田津なみは 五丈ほど大山のくずるゝ ごとし家千軒ほど打なが され大船五十そう小舟は 其数をしらす 浦賀大津金 沢又沼津の 浜【濱】手いづ れも大津 なみにて 人家の損 亡大かたな らずおうご【往古=いにしえ】 よりししん つなのるい聞 伝【傳】ふといへども かゝる大いなる を聞ずよつて いさいをこゝに記す 【上段左上】 〇信州大地震 信州松本大ぢしん にてくずれ大はん やけ飯田松代 ぜん光 じ辺 まで其 ひゝぎ【「ひびき」カ】 大かたな らず人馬 けが有 こと其 かづを しらず 【下段】 同月四日朝五ツ時昼夜何ヶ度もなく 大きに震天満天神大きに崩れ堂島【嶋】 辺西寺町金毘羅さまくつれかなく五百らかん 堂くつれらかんさま堂外え飛出し浜津 はし人家大きにくつれ南御堂大きに そんし天王寺しろく堂【「ろくじ(六時)堂のことか】こつ堂前花立いし 大きにそんし高津辺くつれ玉造口二軒茶屋一丁 斗り東えくつれ此辺東西南北そんしたる処その数 しれす道とん堀芝居大きにそんし住吉の石とうろう 残らす崩れ天下茶屋塀廻りくつれ長ほりさのやはし東え入 長屋大きに崩れ住家ならす順慶町丼池人家大くつれ成 二間斗り残り住家ならす帯屋町大土蔵鳩くら 大くつれなり見る人めもあてられぬありさまなり 其外町々崩れ神社仏【佛】かくくつれし処おひたゝし 中にも諸々大名様は蔵やしき大きにくつれ夫ゟ 日暮六ツ時大津浪西南方より泉尾新田勘介【「助」とあるところ】島【嶋】ちしましんてん木津川すし安治川口とみ しま辺大津なみ五丈程の大山の崩もことく往来 に打上り大舟小舟かち合くつれる事おひたゝし 流れ死する人幾万とも数しれす落たる橋は かめ井はし安治川橋国津はし水分はしくろ かねはし高はし日吉はし汐見はし 金谷【「屋」とあるところ】はし大黒橋にて留る夫ゟ大和路奈良 町々大きにそんし春日様社くつれ鳥居 金とうろうくつれ落なり兵庫は家七 八軒くつれ伊丹池田の辺【邊】大ししんなりな れともくつれし家はなし柏原村大きに くつれ出火におよふ西宮なたは大坂に同 し誠に前代未聞の珍事成ゆへ諸方 の文通にしならんとこゝにくはしく記す 【下段 左上部】 〇四国大地震  大津浪 同播州路 四日五ツ時四 五辺不残大 ちしん大つ 浪そんし 中にも阿波 徳しま御城下 大きにそ んし須磨 明石あこ ふの浜【濱】大 津浪なり 姫路御城下 そんし其 外くつれし 処津浪 にて流 されし処 数し れす 【上の資料】       年魚(なまづ)瓢箪(ひようたん)人浮状(にんうきじやう)之 事(こと)  一此 震(うご)九郎と申者 生国(せうこく)は常陸国(ひたちのくに)要石郡(かなめいしごうり)地潜村(ぢもぐりむら)出生(しゆつせう)にて慥(たしか)   成(なる) 動々(ぶり〳〵)者(もの)に付 燃上(もえあが)り之 火事(くわじ)等(ら)共(ども)燃人(やけにん)に相立 危難(きなん)加多(がた)え  御 麁相(そゝう)に震(ゆり)上候所 物騒(ぶつそう)也 難(なん)義之儀は当卯十月二日之 晩(ばん)   於眠氣(おねむけ)時より翌(あくる)三日四ツ 這(ばい)迄に相定御 損(そん)金として損両(そんりやう)損分(そんぶ)   損(そん)朱 惜(おしく)も焼取れ申候御仕 着(きせ)之義は夏は震電雷鳴(ごろ〳〵かみなりの)白雨光物(ゆふだちしまひかりもの)  一ツ 冬(ふゆは)焔散粉(ひのこのふる)布(ぬの)子一枚可被下候事 一 御関東様(ごくわんとうさま)御八 州(しゆ)之義不及申 諸国(しよこく)一統(いつとう)為相動(あいゆるがせ)申 間鋪(まじく)候万一  此者御台所 勝手(かつて)ケ間敷 氷仕女(おさんとん)方へ参(まい)り大摺木(おゝすりこぎ)を震立(ふるひたて)摺鉢(すりはち)を   破(こわし) 這々(はい〳〵)之上内々之 地震(ちしん)致候 歟(か)亦(また)は動逃(ゆりにげ)壁落(かべおち) 致(いため)め候はゞ高梁(かうばり)を以(もつて)   取繕(とりつくろひ)急度(きつと)したる大工 左官(しやくわん)差出(さしいたし)早速(さつそく)埒明(らちあけ)可申候 一 愁障(しうせう)之義は鐘(つりがね)之 難題宗(なんだいしう)にて寺は小 動(ゆれ)川 散々(さん〴〵)橋ぢやんぐわら寺(じ)暫(ざん)   時(じ)に崩(くづれ)家(いへ)□【「なく」カ】候 御八方(ごはつほう)を震支丹焼宗門(ゆりしたんやけしうもん)には無之候 若(もし)此物 音儀(おとぎ)に付   日合(ひや ひ)よりがらくら動振(ゆすぶり)等(とう)無之候万一 震返(ゆりかへ)し津浪(つなミ)等致候はゞ要(かなめ)石に判人(はんにん)乃   堅(かたい)我等(われら)地しんに早速(さつそく)曲出(まかりいで)ぎうと押付(おしつけ)野田(のでん)へ転寐(ごろね)御 苦労(くろう)小屋 掛(がけ)差(さし)   懸(かけ)申間敷候 地震(ぢしん)之 後(のち)材木(ざいもく)買而(かつて)直段(ねだん)之 高(たか)し 安心(あんしん)二年   是(これ)から〆この夘の十月            請(うけ)に人(入にん)  天井張(てんじやうはり)下水仕事(げすいしごと)新井丁(あらいまち)                  ふしん屋でき介店                    家根屋大九郎(印)            人(ひと)入 主(ぬし) へたくた壁塗(かべぬり)門内(もんうち)左官(しやくわん)は早(はやく)智光院(ちかういん)地内(ぢない)                  こまい屋角左衛門店                    つた屋煉兵衛(印)       積田(つんだ)金蔵(かねくら)河岸(がし)           無事田(ぶじだ)繁昌(はんじやう)郎様 【下の資料】 夫/陰陽混克(いんやうこんこく)して地気天降(ちきてんがう)の時を得て埋(うづも)れたる気を発 し物和順するが故俗世なをしとふ此言すてべからず人和合順□【敬ヵ】を 元とすべし是を孝とす孝は百行のつよさなれば人孝なきを木□【石ヵ】と いふしかある時は親に善事をきかすべし必麁略に思ひ給ふなみづから もとむる災ひは悔みても□【詮ヵ】なし天災をのがるゝも孝徳の余慶なれば 早く故郷の父母につげて安心さすべし頃は安政二卯年十月二日すこし くもりけれど風いとしづか成けるに俄に鳴動して地震一時に夥敷家倒 けがする人数しれず此故に出火して新吉原丁不残此内けが人かずしれず 田丁山の宿聖天丁三芝居不残やけ花川戸浅草かんのん地内やけて 十八□□ばかりのこる駒形並木すは丁黒船丁にてとまる下谷は三のわ 坂本火除地まで池のはた仲丁一めん松平豊之丞様榊原式部大夫様 御中やしき小川丁まないたばし御やしき丁家ともごじいん原地さける 又上の広小路ゟおなりかいどふ石川主殿守様井上ちくごの守様 小笠原左京太夫様御中やしき神田ばし内松平紀伊守様小出 信濃守様酒井左衛門様森川信濃守様大名小路大小名方 所〻崩れる和田倉内松平肥後守両御やしき松平下総守様 小笠原左衛門様林大学頭様松平相模守様半やけ日比谷御門 内永井肥前守様松平主殿頭様土井大炊頭本多中務 大輔様さいはい橋御門内丹羽長門守様有馬備前守様夫ゟ さつま様せうぞくやしき少〻やける山下御門内は松平甲斐守様 伊東修理大夫様亀井隠岐守様南部美濃守様松平肥前 守様又品川辺□【強ヵ】ゆれ芝神明前地しんにて家倒るゝ事夥し 芝口京ばし南伝馬丁辺鉄炮洲佃嶋深川諸所〻すさきまで 本所は中の郷原丁いし原辺又弐ツ目ゟ三ツ目迄林丁と【「き」カ】く川丁 六間ぼり森下丁霊がん島大川ばたはま丁此外すこしづゝ の出火地しんゆり倒れ諸〻にあれども略す此時これ火しづ まりしは翌朝四ツ時過全く太平になりけれは人〻あんどの 思ひをなし御代のゆたかはんじやうよろこひ□□【けりヵ】 【上の資料】 一ふくでこり〳〵薬        但し 妙ゆり出し            質(しち)やの内 がた〳〵ふるへるに妙なり     でいりなく候ゆへ                  一名 不自由散(ふじゆうさん)と申候       気(き)ばかりながらつよひかうぜう奉申上候 一抑此妙ゆりだしくづれの義は先(せん)ねん信(しん)しうにてゆりひろめ 候所大ゆれ大なんじう仕候間けつしてたこくへせりゆりおしゆり一切 いださず候所きん年しよこくにまぎらはしきにせくづれ相みへ申候べつして 京大坂 東(とう)かいとふすじをおしゆり致又々江戸おもてまでもにせくづれおしゆり 仕そのうへ火事木とうをあげしごくぐらちの義に付きつとゆりどめ申付私かた いつほうゆりに仕候 尤(もつとも)もふたんとはゆりもふさず当十月かぎりにゆり子へ申 渡(わたし)候間 にげだしのじゆくの御さはぎなく御あんしん被成らく〳〵とごふうふ中よく夜なかの ゆりだしはごじしんにてまいよ〳〵二三ぶくつゝ御 用(もち)ひ可被成候はゞ御しそんはんじやう致し のらぐらの御子どもしゆは無御座候間しつかり御だき付被成《割書:アヽ|もふ》いつそいゝ世(よ)の中(なか)と                 御評判被成御求可被下候以上          効能(かうのふ) 一《割書:目のまわるよふに|いそがしひ》職人(しよくにん) 一《割書:目のかすむのは|帳合さし引》材木屋(ざいもくや) 一《割書:ねつのやふに|あせをかく》車力(しやりき) 一《割書:かたのはつた|  》日雇(ひやとい) 一《割書:よあかしで|風をひいた》人入(ひといれ)  一《割書:づつうに|やんだ》借金(しやくきん)  一《割書:なんじうの|やまひに》施行(ほどこし)          禁物(きんもつ) 一 高利座頭(かうりざとう) 一 地面持(ぢめんもち) 一 株持(かぶもち) 一かけ取(とり)《割書:なんでもとりるい|一さいをいむ也》   一 諸芸人参(しよげいにんじん) 一 猫(ねこ)のへん〳〵草(くさ)《割書:并に大だいこ|  小だいこ》 一 土蔵(どぞう)粉(こ)にしてみなこの類(るい)忌(いむ)べし   ○用様(もちひやう) 二日のばんにぐはら〳〵と一度大きくゆりだしあとは度々ゆら〳〵とゆりだして      人の手をかりずぢしんに用ひへし又せんじるには火の用じんを第一とすべし 本家 取押糾明所(とりおさへきうめいどころ)   こゝはどこ〴〵かしまのかいどうすじ              しつかりとうけあつたまち百丁目                  かなめ屋石蔵 神力 【下の資料】 【欄外上】 慶長以来 【中央】      当     安政二乙卯   五街道筋  差《割書:元|禄》京都大雷  勧 愛宕神社 為御覧 十月二日夜 江戸大地震大火  《割書:嘉|永》江戸大雷  進     四ツ時ヨリ   近在近郷  添《割書:万|治》大坂大雷  要 鹿嶋太神宮      司 【右側】 大火方 大関 明暦三 丸山本妙寺出火 関脇 明和九 目黒行人坂出火 小結 文化三 高輪牛町出火 前頭 文政十二 和泉橋際出火 前頭 天保五 佐久間町《割書:ヨ| リ》出火 前頭 弘化三 本郷丸山出火 前頭 嘉永三 麹町《割書:ヨ| リ》出火 前頭 弘化二 青山《割書:ヨ| リ》出火 前頭 享和九 江戸大火   同 寛文元 京都大火 前頭 寛政四 糀町出火   同 享保九 江戸大火 前頭 寛文元 京都大火   同 安政元 江戸大火 前頭 享保九 大坂大火   同 天保五 江戸大火 前頭 安永元 江戸大火   同  同二 江戸大火 前頭 安永七 江戸大火   同 安政元 江戸大火 前頭 天明八 京都大火   同 寛文四 江戸大火 前頭 天和元 江戸大火   同 安政元 中山道筋大火 前頭 寛政五 根津出火   同  ヽ  東海道筋大火 前頭 承応  京都大火   同  ヽ  宇都宮大火 前頭 元和六 京都大火   同  ヽ  大坂大火 前頭 安政元 神田出火   同 寛政  南都大火               同  ヽ  中国大火 洪水部 大関 延宝四 諸国大洪水 関脇 宝永二 中国大洪水 小結 文政五 関東大洪水 前頭 享保二 長崎大洪水 前頭 享和二 関東大洪水 前頭 弘化四 関東大洪水 前頭 宝暦七 関東大洪水 前頭 寛保元 関東大洪水 前頭 享保十三 関東大洪水 前頭 寛延二 江戸大洪水 前頭 天和三 江戸大洪水 前頭 文化五 関東大洪水 【左側】 地震方 大関 文政十一 越後大地震 関脇 弘化四  信濃大地震 小結 元禄十六 関八州大地震 前頭 嘉永元  小田原大地震 前頭 寛永四  関東大地震 前頭 寛政十  小田原大地震 前頭 天明二  関東大地震 前頭 安政元  大坂大地震 前頭 天和三 日光大地震  同 安政二 行徳大地震 前頭 寛政十 京師大地震  同  ヽ  船橋大地震 前頭 文化九 関東大地震  同  ヽ  神奈川大地震 前頭 安政元 摂州大地震  同 安政元 阿波大地震 前頭  同  駿河大地震  同  ヽ  伊予大地震 前頭 安政二 遠州大地震  同 安政二 中山道筋地震 前頭  同  甲斐大地震  同  ヽ  東海道筋地震 前頭  同  信州大地震  同  ヽ  水街道大地震 前頭  同  三河大地震  同  ヽ  日光道中地震 前頭  同  紀州大地震  同  ヽ  下総大地震 前頭  同  土佐大地震  同  ヽ  上総大地震 前頭  同  播州大地震  同  ヽ  青梅街道大地震               同  ヽ  秩父大地震 津浪部 大関 文化元 奥州大津波 関脇  仝  出羽大津波 小結 寛保  松前大地震 前頭 安政元 豆州大津波 前頭  仝  駿州大津波 前頭  仝  摂州大津波 前頭  仝  紀州大津波 前頭  仝  土州大津波 前頭  仝  播州大津波 前頭  仝  阿州大津波 前頭  仝  泉州大津波 前頭  仝  勢州大津波 【欄外左下】 禁売   松久堂□【蔵ヵ】板 相模国大地震 頃は嘉永六癸丑どし二月二日 ひる九つ時相州小田原御城下 町々をはしめとして東は 田村川辺厚木荻の山中【荻野山中】淘綾 郡神戸井こ大磯宿中村金子 すゝ川みのけかすや伊せばら 子やす辺大山辺大住郡 近邊山々上村谷村 おか本早川石はし山 二子やま箱根并に 七湯の湯場こと〳〵く 湯本畑宿山中 三ツ谷辺西は伊豆 のくにあたみ辺み しま宿海尻峠 岩渡とうは峠 するが国はぬまず 辺まで尤原宿 よし原宿辺迄 も中〳〵の ひらきなり 北は愛甲郡 三増川むら 此へん山々 大にあれる 津く井郡 青の原とう し川 下へ 鼠坂はし本辺少しあれるよしの 小はらへん関のへんまても大かたの ひらきにて夜九つ時過まて都合 いく度といふ数を知らずといへども 大ゆれにいたせしを五度にして やう〳〵ゆり止り諸人あんどの 思ひをなしにけるよつて 此よし諸国の親類 ゑん者へ知らせ ん為一紙に くわしく しるす 【図中の地名等です】      ○北【横書】        甲斐国【逆書】      関の     よしの【逆書】小原【逆書】   つる島  二子沢【「一子沢」カ】【逆書】上の原    鼠坂   此辺少し   とうし川   此辺少し 竹井野【逆書】青の原【逆書】     津久井郡  早小川    此辺少し             三増  はし本  〇東 山伏岳?【逆書】  相模国    愛甲郡  荻の山中【荻野山中】 中島【逆書】       川村     子安 小山【逆書】此辺そんじ【横書】大住郡  かすや 厚木              大山  蓑毛 伊勢原  此辺 竹の下【逆書】 矢倉沢 此辺そんじ 鈴川    愛甲 駿河国【逆書】仙石原  岡本  金子  井□ 神戸 大期【逆書】とうば峠【逆書】 早川    淘綾郡 田村川 海尻桛【逆書】 小田原 中村 此辺そんじ    足柄郡【横書】     大いそ 花水川 馬入川 〇西【逆書】  二子山  石ばし山            ねぶ川  さかは川  此辺そんじ【逆書】湖水 はこね【横書】  土肥   ぬまづ【逆書】三しま【逆書】あたみ【逆書】     伊豆国【逆書】  笠しま    〇南 【全体の上段】 じしんのいりはじめハ おほかたあさの         四ツ谷 おろしや船がつなミにまかれ たといふのハうそかねそれは   本所 大地しんに三日もいられ しんハおとろへ目が       久保丁 つなミでけとうじんハしんだ ろふといふ人の         神田 此地しんでハ    みんなかほが       青山 ふじの山が地しんでつぶれ たといふのハほんとふかねそれハ 鉄砲洲 大地しんでハあしが すくんでめが          丸の内 地しんのおちついたこく げんハ大かた夜の        八ツ山 【以上の下】どをけ三十六哥仙 【哥は右上から下へ、次に左隣へ移動】    てんぢてんわう あきれたね又 東海道ハ大 地震わがにやう ほうハどこへにげつゝ    ぢとう天王 あるくにもて足ハ すくむ地ハ われるわがから だにハあせをかく山    かきの本の人丸 足よハがたす けてくれと 頼めども 命ほしさに 人ハかまハん    山べのあか人 どこの浦も 内より出て にげいづるこへハ 高ねでとこしをふりつゝ    春丸太夫 おく山に道を ふミわけにげ いりて山がくづ れてなくぞかなしき    中なごんやかもち あさ草の【下の四角内に「芝居」】 芝居町から 山のしくひろきを ミれバよるふけにけり    きせんほうし わが家ハ下田の おきにながれつゝ ミな内なしで 人ハいるなり    小のゝ小町 かほのいろハ かハりにけりな 大じしんてん でにかほを ながめせしまに    せミ丸 これやこのいきも かへりもあつ まりてしりも しないで大かたのせめ    そう正へん正 はまつなミ わか内こそ ハ山の上 てをハそろへて しハしとゝめん    さんきたかむら かゝのはらのりし じしんハよけれ とも此じしん でハきん□いりふね    中なごんあさたゞ 大地しんすミし あとにて なか〳〵に 人のしゝたるかすハしれまじ 【下段大きな四角内上から下へ、次に左隣へ】    平のかねもり 下田をきゆら れにけりなおろしや ぶねミなよひ きミとひとのいふまで    かんけ 此たびハ大工 しやかんハかねの山 もちバのしごと きうのまに〳〵    そせいほうし 今に又いると おもふて人々が したくこそして まちゐづるかな    けん徳公 あハれともいふべき とこハ二【三カ】嶋じく 家がつぶれて こまるべきかな    西行ほうし なげきつゝ神や ほとけをいのりても こういふときハ きかぬものかな    しゆ徳いん せをはやく岩で くだけしひがき ぶねもふこれからハ のらんとぞおもふ    中なごんかね平 ミなは□へたをれ いるのをなが むれバわが ていしをバこひしかるらん    文やのやすひで ゆるからに秋はの 町もしをれつゝ 山も地しんと 人ハいふらん    藤原よしたか きミがため おしからざりし 命でも此 じしんでハ にげにけるかな    大弐の三み ありま山火 のミのうへハ ひどかろふたつた ひとりでこハいめをする    清少なごん 夜をふけて 鳥のなくまで 子ぞうさんどうぐの ばんハきつとゆるさじ    右大じんミちつなのはゝ なげきつゝ役者ハ ミんなやすミゐる いかに久しき ものとかハしる    左京の太夫ミち政 今ハたゞをう らいたへて八日 より一人たちを とふすよしもかな    中なごん行平 たちいでゝにけ ゆくとこハ山の うへをちつくときハ またかへりこん    三じやうのう大じん なにしおふ ふた子の山も あれぬれハいしが ころげてくる よしもがな【次の哥の詠み人最後の行】 うミのおとたへつ 久しくなり ぬればまた つなミかと人ハにげけり    大なこんきんとう    さきの大僧正きゃうそん もろともに あハれと おもへ大地 しんやふよりほかに ゐるとこハなし    やうせいゐん つりかねもうへ よりをつる 大地しんおとぞ ひゞきてみゝへなりぬる    藤原清すけあそん なきながら ていしハ ニどの大 ししん湯□とよりも 畑がかなしい    かハらの左大じん 道なかへたをれ ふしたる大 じしん地こそ ひらいてわれならなくに    大江の千さと いりぬれバひゞに 心もかなしけり わが身ひとりの 事にハあらねど    源のむねゆき 山ざとハゆるぞ 久しくかぎり なく人もその 身もしすとおもへバ    ミぶのたゞミね ありがたき つゞく天下 のおひざもと 水道のとよで江 戸ハけがなし【哥の下の四角内「上水」】    じゆん徳いん もも引や古き じばんでかけ いだしあまりに つよきじしんなりける 【上の資料】  頃は嘉永寅七年十一月 四日□五ツ半時より丸ノ内備前 様倉□間こわれるぎ□□ さくら田あいた□屋敷弐三間 すこしづゝいたむ鍋嶋さま こしまきおちる南部さまけん すう拾四五間長家たふれ甲 斐さまやれの瓦おちる柳沢 さまげんかんこわれる久保町 本郷六丁目□□やねの瓦おちる 伏見町□□町丸竹倉いた む町内やかず拾弐万やねの瓦 おちる□□□田さましやう いたむ田丁四町目五間やね瓦 おちる弐丁目常心寺やねの 瓦おちる□□た老男女人々 あはて衣□□上へ下へそうどう 半時はかり四ツ時□□しとし づまり□々はんどうのお□□ しつまりたり 【下の資料】      口 演 御町中様益々きもを御つぶし被成はきのとく 奉存候慥に此度ぢしん大ゆり終□申家わみな つぶしあんに仕りあぢわつなみのしほあんばい つよくまづいをぢまんにさし上申候間御すい□ 御方様道中通りいちぺんつゝ御ゆられ可被成候よふ ひとへに奉声上候以上 一 大ぢしん大ゆりもち   一 五七雨あられおこし 一 大つなみまきせんべい  一 かしま要もち 一 下田みぢんこらくかん  一 にげごしよふかん 一 所々焼まんぢう     一 まんざいらくかん 一 壱度でこり〳〵糖    一 ぐら〳〵ぴつしやり糖 一 此外夜中□目さめし姉ませんべいぢしんるいに   是は御風味よろしく御座候  寅十一月四日      四ツ谷日でり横丁    ゆり□□申候      なまつ屋ほら右衛門   当日せけん一とふ      おどろき申候 《割書:近郷|近在》江戸大風雨出来場所分 【八行目より十九行目上に横書きで「日本橋ゟ南の方」の記述あり】 頃ハ安政三年八月廿五日の夜五半時頃ゟ大風大あめにて追々はげしく 震とうらのめのし社どうをはじめ家くら橋〳〵にいたるまでそんずること おひたゞしくまつ南の方ハ通りすじ京ばししんばしおもてうら丁一ゑんにそんじ 芝丁ゟ東之方は汐どめわきざか様仙だひ様御やしき大そんじ御濱ごてんは 少々二而大船打上る諸々同断芝うら御やしき右同断りやうし丁芝濱辺は 大方之船数しれず打くだきうちあげる芝田通り一ゑんくつれさつまさ様 はまやしき其外諸やしき濱つき一ゑん大浪にて所かけくつれ高なは辺 まへちや屋吹とび海上へ流さるいくてのすだれ大半くつれ御だい ばハ五ヶ所とも少々づゝのいたミ其外下丁へんハ一たいに大そんじ 又芝うら沖にかゝりいるさつま様あかゞねづくりし大せん全横はまへ 吹上る其外品川沖にかゝり候大ふね数た吹流され八口山御てん山 ハことの外にて大木を吹おり吹たおすことかづしれず品川しゅくはたごや 大半そんじ海がハは大くずれ東かいじハ門たおれへいのこらすくづる山うち 木々ハ大半吹おる此へんうミべ之方ハ大もり辺まで海上ゟ津なミのごと く大なみをうち上け人家をながし又ハくつるゝいへおゝしまた日本ばしゟ 右之かた御ほりゟとおりかじばしすきやがし辺八くわん丁通辻ばし辺おはり丁 竹川丁辺家根一ゑん吹めくるかし通りハなをつよしあたごの下は一ゑんに 御やしき諸同打ちくづれ火の見やぐら吹おれる芝口はじゟ一たいに 大そんじ神明御社ハ少々社内ハ大しんじ芝御山内ハ御れいやつゝがなし地中 其外大そんじ大木数しれずおれ又ハ打たをす同所片門前ゟおりにて此辺一ゑん 神□前どをり両かはみしま丁角までおもてハ宇田川丁にて焼どまる又西のくぼ辺 飯くら辺赤ばねへんやしき丁家とも大半くづれ三田辺有馬様ハ大半そんじる 小山もりもと辺寺丁伊皿子だい丁二本ゑのき辺一ゑん細川様大そんじ寺丁 へんのてら〴〵御下やしき又ハ丁家とも大半くづれ此へん山はやし多くして 大木を吹おり又ハ根こぎにし其数しれず其外田地田はたにいたる迄  大そんじ南之方ハ先あらましをかきしるす さて二本ばしゟ東の方青もの丁辺坂本丁四日市しんばとおもん かいぞくばし牧さま御やしきことの外のそんじかやば町八丁ほりへん御くミやしき 一ゑんそんじ亀じま辺大どをりつきじうらとをり辺ことの外大そんじ木ひき丁 へんより門ぜきどをりハ大半いたミ西本くわんじ本堂ハおしつぶれしぼうけが 人あまたなり地中ハ大そんじきんぺん御やしきハ一ゑんおしつぶれあき様御やしき 大なミにて石がけくづれ御やしき内なミうちあぐるつきじ濱べとをりのこらず うちたをれ家々くずれながさるさむさばしゟ十けん丁ミなと丁辺是又大浪 【横書きで「日本ばしゟ東の方」】 大風にて家々なやにいたる迄大浪にて石がきくづれ流れ又ハくづる いなりばし社ハ少々此へん御やしき一たいに大そんじむかふつく田れかしま辺ハ 大なミにてうちつぶれ又ハながさるよせば石川しまハ右どうだんしん川 しんぼり酒ぐらそんじ家々大半くづれそんず川通りハなをつよし永代 はしハ大ふね流れきたり右はしぐいへうちあて中ばよりはしぐいうちおれ 中ほどくづれおうらいとめるむかふふか川さが丁辺諸蔵数しれずいた む蛤町仲町へん大半くづれ大水にて大いたミ仮たく遊じよやハさのづち そうくづれ大こくや大の屋久喜まんじハ大半いたミにてすむ八幡御やしろハ つゝがなく此廿日沢の嶋弁天かいてうにてばしよのこらずうちくづれ大なミにて 行がたしれず其外社内ハ大半いたミまへほりにてけが人多し三十三間堂 九分どをりそんじ木バへんい一ゑんにざいもくをながし人家大そんじ又すさき 弁天は大そんじ其辺ゟ木バ大じんち辺一ゑん大浪にていへ〳〵をながすこと かづしれず御やしき方くミ辺ハ右どうだん又きたの方ハてら町どをりれいがんし まそんじ其外てら〴〵人かにいたる迄大半いたミ大出水にて家くづるゝ事一ゑんハ ときハ町裏下町辺高ばし扇ばし通り大出水にて人家大そんじくずれ家あまた 小名川通砂むら中川へん右おなじあたけ六けんぼりへんおよび 松井町辺いたく大半 いたミみのかめやハ大くづれ立川どをり林丁ミとり丁辺同断五百らかん大いたミわりけ表辺 つか馬様其外近辺やしき一ゑん大半水にて大いたミ亀井戸柳しま辺右同断大川ばた通り 一ゑん中の郷にかめ尾丁辺ミな一ゑん向じまハ田ばた一ゑん本所ふか川ハわけてつよし 【横書きで「日本橋ゟ北の方」】 又日本ばしゟ北之方ハ本丁辺石町辺小田原町辺御ほりどをりかまくらかしどをり 一ゑん大そんじぢんばう小川町壱ゑん大小のやしき長屋御てん又ハ家のみ大半くづれ 飯田丁辺壱ゑんまた通り丁は今川ばしかじ町なべ丁内神田一ゑんやなぎ原辺其外 一ゑんに大半そんじすじかい辺正へいばし辺ともどうだん外かんださくま丁へんはら店 御なりミち御やしき方一ゑんにそんじ神田明じん社ハ少々そんじせいどうがくもん所 へんハ大そんじゆしま天じん社ハ少々からかねの鳥いおれるつまこひへん高ミゆへ大そんじ ほんがうへん竹丁はる木丁へん一ゑんそんじかゞ様御やしきハ御物ミくつれ一ゑん大そんじ かまごめ辺すがも白きん辺大そんじ又本町ゟてんま丁ばくろ丁辺横山丁 はま丁辺丁家御やしき方ハ大そんじ安藤様御長屋打くつれ永代はしへ 打あて候大せんほばしらハ田安様御やしきへながれつくともの方ハ安藤様御や しきへながれ付打上る其辺両きしとも大ミづにて大そんじ両こくばしハつゝがな無 其外小屋ちや屋一ゑん大くづれ浅くさ御門外かや丁平右衛門丁辺代ちへんハミな 一ゑんに大はそん御蔵まへどをりどうだん御くらハ少々にて御馬やがし辺きし辺一ゑん 大はんいたむ駒かた辺三間町仲丁辺田原丁辺右衛門どうだん東ばし辺金竜山は 雷ぢん門仁王門つりの大でうちん行方しれず池のはたにし宮社のかねの鳥居 中ゟ打おれる御山内本堂ハつゝがなくしゆろうどうハやね打くづれ八方へとび ちるちやミせ諸あきんどミせ小屋等までこと〴〵く大そんじ打おれ大木打おれ 根こぎあまたなり地中人家ハ大はんなり矢大江門家根そんじ馬道とをり 大はんくづれいたむ松田屋ト申仮宅惣くづれ其外中田戸田長や花川ど山の宿 仮たく遊女屋は一ゑんに大そんじ芝居丁芝居ハ三ざともやね吹 めくるちや屋一ゑん 大そんじ又ハつぶきやいまた三合田中辺鳥こへ辺大そんじはしハまつさき辺大くづれ千住 へん一ゑん大ミづにて大そんじ新吉原元ち大くづれ其上京丁ゟ出火にてやけるミのハ坂 もと金杉辺大そんじ坂本ゟ出火やける下や通りハ一ゑん御やしき一ゑん東門ぜきハ 少々寺中そんじ其外遠辺寺々大そんじ御くミやしき一ゑん山下通り一ゑん上の御山内ハ 一ゑん御れいやつゝがなく山内清水編大木打おれ其数しれず天王寺日ぐらし根ぎし辺 三かわじま辺ことさらつよく田はた大あれなり其外山々の木々あまた打おる 【これより「日本ばしゟ西の方」横書き】 又日ほんばしゟ西の方ハ丸の内ハくだばし御門内さかい様御長や百間よおしつぶれ 小がさ原様長家片かわつぶれ御さくじやしき大そんじときハばし内門なべ様のこらず つぶれゑちぜん様太田様其外大小名様方一ゑん大そんじ辰の口諸々御やしき一ゑん 大名かうじびぜんくら様御長屋つぶれおた様同断小がさ原様つぶれ近辺御やしき 一ゑん大はんそんじかじはし内あハ様御てん銅かわらおちる長井様つぶれとのも様半 つぶれまき様おもてもんくづれ長屋一ゑん土井様どうだんひゞや御門外毛利さま 半分つぶれなべ様さつまさまなんふ様此辺大小名様方一ゑん大そんじ打くづれ亀 井様にしを様たおれ相馬様御げんくわくづれ上杉様長やゞぶれあき様 かすみがせきうら長屋かたかわくずれ其外近辺御ひゃしき一ゑん雲しう様御やしき 大そんじ三げんや小やしき一ゑん大そんじ右丸の内ハ一ゑんにさくら田御門内ゟ 馬バ先わだくら辺まで大木六十七十ほん打たおれ西の御丸下ハほつた様一ゑん くづれあいづ様御やしきのこらず下サ様其外一ゑんなり又半蔵御門外大半 御ほり石がき諸々そんじ大木打たおすかうじ町通り一ゑん平川天じん社ハ 少々うら町通ハ大半くつれ紀州様御やしき一ゑん大そんじ赤坂御門外通り 伝馬町一ハ木辺一ゑんため池きハ津り打くづれ又ハ吹つぶれくらた様其外 御やしき方一ゑんなり氷川社ハ大そんじ今井丁谷丁辺二本榎りうどへん 人家大半そんじる火けし屋しき火のミ大そんじ又麻布辺ハ十ばんどうやしき 一本松辺大木を吹おる善ふくじ大そんじさくら田一丁古川辺大水にてくづれ むろをしぶやへん一ゑんくづれ又小石川辺一ゑん江戸川すじ牛込辺かし どをり一ゑん大ミづにて木ざいもくをなかす又丸山よりはぐ山御てん其外田丁 きくざか辺伝通院地内一ゑん大半そんじ根津辺其外右之近辺大木を吹 おることおびたゞし又けいせいがくぼすがも通りいたばし辺にいたるまで所々大そんじ 市ヶ谷辺ハ御やしき町家とも一ゑんなり四ッ谷御門外てんま町辺大通りうらじん道 其外御くミやしきにいたるまで大はんそんじなる二町内藤しんじゆくおいわけミち 近辺一ゑん大つぶれ大そんじ青山辺ハ六どう辺百人町其外御くミやしき一ゑんに 大そんじしぶや目ぐろ辺一ゑん山ノ手ハ木々多く大木を吹おり根こぎにしたる所おゝし 【横書きで「近国近在」】 東かいどうハ大山辺ゟふじ沢宿戸つか程ヶやかな川かわ崎辺宿々在々にいたる迄大半そんじ又大くづれ 又かいがんハかたせ江のしま辺かまくら辺うらが辺惣一ゑん大なミにて人家くづれ流す山々ハ大木を打おる 北国かいどうハ千じうさうかこしがへかすかべさつてくりはし宿々ざい〳〵にいたる迄大そんじ大出水にて人馬とも多く けがあり中仙道ハわらび大ミやおけ川かうのすくまがへ宿道在々殊の外つよし甲州かいどうハ高井戸辺 八王子へんまで在々にいたるまでそんぼう多し東ハほり江ねこざね行とくかさいりやう二合半領辺 舟ばし辺ことの外つよく大なミきたり人家とも大半そんじ上さミちおミかわまくわ千ば濱の村辺かい がん通り是又大なミ打来り人家を流し人馬こと〴〵くしんす其外うミ山はもちろんひつしにつくしがたし やう〳〵明七ッ時頃二風しづまる今其こさいを書しるしゑんごくたこくの人々へしらしめんためしるすのミ 《題:《割書:遠江参河駿河甲斐|信濃伊豆相模武蔵》大地震の図【圖】》 頃は嘉永七甲寅年十一月四日朝五半時遠江 三河駿河甲斐信濃伊豆相模武蔵八ヶ国大地しんにし て甲州は甲府迄つよく伊豆は下田七島【嶋】とも甚つよく家つぶ れ大地山々われ大船二十五艘小船あまた行ゑしれづ白浜【濱】つな みにて五百けん程ながす其外伊東赤沢仁田真づるふせあたみ しゆぜん寺辺大にそんじ北条初音山にら山三子山早川ばし相 州は小田原十一万三千百廿九石大久保加賀守様同はぎのと【?】一万石 大久保長門守様御城下大にそんじ箱根山大にあれる三 島【嶋】宿家つぶれ西え二丁程東へ三四丁焼失す駿河は 沼津五百石水野出羽守様りようち大にいたみ家 焼失す又吉原田中四万石本田【「多」とあるところ】豊前守様御城下 大にやけるかんばらともにつぶれる由井宿やけるおき津 は入つなみにて大にそんじ江尻宿つぶれ府中甚つよく 家つぶれ大はん焼失まりこうつのや峠大にあれるをかべ 藤へだ島【嶋】田大にそんじ大井川古今の大水にて往来留る 遠州は金谷さがら一万石田沼玄蕃守様りよち【ママ】そんじ 日坂峠大にあれる掛川五百三千七百石太田摂津守様御城下 辺大にやける横すか三万五千石西尾隠岐守様りようち 大にそんじる袋井やける見附そんじ浜【濱】松六万石井上河内守様 御城下少々そんじる舞坂つぶれ荒井【新居】御関所入つなみに てながさる白すか二川吉田辺迄甚つよく大いそ平つか ふぢ沢鎌倉辺格別のいたみなく六浦■■田浦 中田大峰千田かんのん崎東西浦賀平根 山つるが崎吉井千代崎磯根匂ヶ崎■ 崎網代木和田といたみ武蔵は 金沢大々そんじる戸塚程ヶ 谷かな川川崎少々いた み品川江戸丸之内辺御 やしき少々いたみ之外桜 田南部守様御やしき 大はんそんじ松平時之介 様御屋しき伊東様其 外御屋敷少々いたみ久保町大々 そんじ其外赤坂あざぶ十ばん辺小石 川小川丁御屋敷少々いたみ新宿大そう 霜月四日朝■【「五」カ】ツ時大坂大じしん同五日ひる七ッ時あし川口 はし〴〵十ヶ所余落る人家百けん船流出る■■■ ■■■きよう大せん七十小船かづしれず宮寺そんず 大 小そんじ信濃は松代十万石真田信濃守様御城下 大々そんじる松本六万石松平丹波守様御城下 やけるやくのくづれ人馬大ひに そんじ往来とまり昼夜何度と なくゆりやう〳〵六日 夜しつまり諸人安 堵のおもいをなす遠 国の親類へあん心を 告んが為に   こゝに     しるす 【上部上段資料】 山城国八郡 高廿三万七千石 加茂川日本第一の   名川   にして   京都北奥   山石屋より   わきい出る   小川二十川   流込下に   いたりてか   つら川落 合淀川え流出る なり水元より  淀迄里数十三   里なり 【上部下段資料】 頃は嘉永 五子年 七月廿一日未刻頃ゟよく廿ニ日 辰之刻まて大風あめに而京 都北山ゟ伏見南都まての間 大あれ二条五条為流落川 筋へ家等も数多流失伏見継き所 に而壱丈九尺程淀堤四ヶ所八幡堤 三ヶ所切れ落廿五日朝相成通路 難相□之候廿七日朝ゆふ共往来相成 人々あんどの思ひなし 【下部資料】 山城国八郡高廿二万七千石加茂川日本第一の名川 にして京都北奥山石屋よりわきい出る小川廿八流 込下にいたりかつら川落合淀川に流出るなり 水元より淀川まて里数十三里頃は嘉永五子年 七月廿一日未刻ゟ大雨大風増さかんして三條 より四條五條の川筋流欠いたし家々にも数 多流れ六條御門跡様辺にて堀川かつら川 まて満水に而らく中の大水あふかたならす 親をすて子をうしなひあるいて家根に上り ひさしのほりお□り置家をふせぎ廿一日辰の 刻迄弥さかんにして北山より伏見南都□間 大あれにて家流れ立木なかし□水増さかんして 壱丈五尺程淀川堤四ヶ所八幡堤三ヶ所切落□元 より神宮寺高□社□□□八幡町美豆生 津木津川まて廿五日朝に相成通路難儀や □廿七日往来も相成平□に而人々あんと思ひ なしにける 《題:《割書:江戸十里四方|大風出水焼失》場所附》       頃は安政三丙辰年八月廿五日夜五つ半時風雨はげしく家蔵堂社をはそんする      事おびただしく南は品川宿海がは大半そんじ折ふし海上より大なみを打あげ是が為に     流るゝ樹木おびただしく東海寺うら門海晏寺品川寺ねりべいそんじ御殿山大木倒るゝ    事数しれずにむ御臺場は恙なし夫より高なは海手出茶や海中に吹入寺院大樹往来へ   たをるゝ夫より田町本芝さつ州様御はまやしき少々そんじさつ州様御製造の大舩金杉ばしの  きわに着す又札の辻より三田麻布古川広尾辺こと〴〵くそんじまた芝浜御殿てんはつゝがなく尾州様 御蔵やしき少々そんじ同所門前より出火して表通りは宮田川町少々やけうら通りは神明まへの両かは残らず三嶋町の かどにて焼どまる又増上寺御山内恙なく宿坊ねりべい右かは樹木所々たおれ同切通しゟ西のくぼ迄町家屋敷共大半 そんじ又あたご下通り同断桜田久保丁一円格別の事なく芝口ゟ尾張丁迄のあいだ大通りはつゝがなく両仲通りは 表うら共に所々はそんあり銀座三丁目自身番火の見やぐら半鐘つりあるまゝにて往来へおちる京橋通りは大根がしへ 薪材木おびただしく流れきたる又日本通りは今川橋迄格別の事なく東中通り所々つぶれ家多し西中通り同断また 本町伝馬町通りは格別の事なし石町鉄砲町小伝馬町馬喰丁所々はそんあり油町塩丁横山町右同断夫ゟ橘町 二丁目三丁目西がは大半潰れ米沢町久松丁此辺少々そんじはま丁は大川より水あがり安藤長門守様御やしきうちへ 茶舩一艘ながれこむ此辺一ゑん出水の為におし流され小網丁北しんぼり永代橋中程へ八百石づみの親舩かゝり是が為に 橋杭大いにそんず又南しんぼり辺北は茅場丁八丁堀辺迄所々破損あり南は霊がんじま鉄砲洲つき地小田原町へん 所々大半そんじ其うへ出水おびただしく西本願寺御本堂はじめ寺中大半つぶれ講武所あき様一つ橋様ゑつ中様 御屋敷所々破損あり〇又東の方は深川洲さき大出水八幡まへ仲丁同断遊女屋かりたく五十六七軒押ながされ あるひは破損なしてわづかに残るは久喜万字や一軒のみ夫より六間堀辺高ばし右同断にて少き所は床うへ三尺の出水 なり又本所堅川通り林町緑丁松井町常盤丁御旅一つ目弁天御船蔵辺大出水家々の損じ大方ならず又南北わり 下水法恩寺橋出水おびただしく夫より亀井戸天神門前社内共右同断又五百羅かん辺さゝい堂大半破損なり 又本所石原番場多田薬師辺大にそんじ東橋の欄干(らんかん)中ほどそんじ又浅草雷門まへ広小路同観音地中所々 はそん同所あは島の社銅の鳥居たをれ奥山見せ物小屋樹木等こと〴〵く折れたをるゝ其うへ仁王門雷門の大提灯 とびちりてゆきがたしれず又失大し門そこ松田屋かり宅つぶれ北馬屋物丁通り大半そんじ大音寺まへよし原出火の上 所々そんじ南馬道は少々やぶの内西がは残らずつぶれ並木通りゟ浅草御見附迄表裏共につぶれ家二百二三十 けん余なり〇又北のかたは千住宿少々小塚原焼失夫より算の輪金杉根ぎし坂本東坂町東えい山下黒門 まへ茶やその外少々づゝつぶれ家あり尤御山内大樹数百本打折れ下寺坊舎のうち所々そんじ夫より不忍弁財天 居廻り茶や〴〵所々そんじ善光寺坂うえ下清水門茶や町団子坂通り所々潰れ多し同端林寺残らずつぶれ同所 幡隨院境内樹木打たふれ三浦坂下川ばた御旗本やしき両かは一軒残らずひらつぶし同所祖師堂恙なくくり本堂 丸つぶれ夫より根津惣門うちあかづ組御やしき所々そんじ潰れ家人余ほどこれあり森様内藤様くづれ宮永町門前丁 表裏家百六十間余潰れ惣門は屋根少々そんじ権現社別条なく茅町頃衛つ堂大つぶれ同所うら池の幡籠丁 うら表所々そんじ潰れ家十四五軒又無えんざか上加しか樣柳原様御長屋少々いたみからたち寺めくら御長屋少々 そんじ本郷通り壱丁目より六丁目迄表家格別の事なし裏通り御組やしき所々そんじ同丸山本妙寺辺所々潰れ そのほか梨坂たどんざか菊坂辺少々そんじ森川宿本多様并二御組やしき追分町両かはそんじ九軒屋敷町家其外 小屋敷潰れ多し夫より片町所々そんじ樹木倒れ又竹町通り鶏声がくぼ丸山新町淨心寺辺大にそんじ同坂下拵ケ谷町 小屋敷潰れ多し夫より片町所々そんじ樹木倒れ又竹町通り鶴声がくぼ丸山新町峰心寺辺大にそんじ同坂下指ヶ谷町 小屋敷町家等潰れ多し又巣鴨酒井雅楽頭様御下屋敷土井大炊頭様御下屋敷樹木大にたをれ御篭町通り 表通りは格別の事なし裏通りは所々そんじ傳通院領少々破損夫より板橋通り庚申塚辺樹木倒れ人家破 損なし板橋宿はたごや両かは共大そんじ又大塚浪切不動辺所々そんじ松平大学頭様御屋敷大木たをれ御長屋 少々そんじ小石川一圓格別の事なしといへども所々にくづれ家あり同安藤坂辺傳通院寺中所々そんじ牛天神金杉 水道町水戸様御門通り水道橋お茶の水火消屋敷此辺所々そんじ桜の馬場前田様内田様聖堂前通り 御屋敷所々そんじ又湯島天神社内別当所潰れ其外銅鳥居同裏門鳥居倒るゝ其外芝居小屋揚弓場 茶見せ等損所多し同切通し天深寺前少々つぶれ楼梁屋敷所々そんじ又天神門前三組町御かど町御手代町 まで潰れ家所々に是助り大半は破そん妻乞坂稲荷社少々損じ嶋田様裏門つぶれ三枝梅少々はそん町家 壱間つぶれ大半破損す同坂下黒田様酒井様内藤様芦野様少々づゝ破損昌平橋通り同朋町 御臺所町神田明神石坂下表長屋所々破そん裏長屋大半つぶれ旅籠町金沢丁外神田一ゑん 所々に潰れ家ありといへとも多分の事なし明神表門通り潰れ家二三軒あり昌平橋はその夜薪材木流れ 来り水すじ止まる夫より駿河だい小川町通り両かはお屋敷大半破損土屋様十の字内藤様稲葉様 土井様戸田様本多様残らず形なく三河町表裏一えん所々破損つぶれ家あり〇御くるわ内は神田橋 酒井左衛門尉様御長屋一棟凡百間ほど潰れ小笠原左京大夫様御長屋片かは御作事定小屋つぶれときは ばし御門内間部下総守様残らず潰れ龍の口にて御屋敷壱軒潰れ大名小路松平内藏頭様裏御門通り 織田兵部少輔様小笠原様右同断鍛治橋御門内松平阿波守様御玄関御殿潰れ銅がはら残らずおちる長井 肥前守様つぶれ松平主殿頭様御辻番より半つぶれ内御長屋両かは倒れ土井大炊頭様一長屋たをれ日比谷 御門外松平大膳大夫様御長屋半分余つぶれ阿部播磨守様通用門より左右御長屋残らず潰れ秋田様 さつ州様装束やしき右同断とらの御門内亀井様御殿御二かい半分なし西尾様表門一むねつぶれ相馬様 御長屋表門御玄関たをれ上杉様横長屋つぶれ夫より霞が関藝花様御住居少々破損赤坂御門内 松平出羽守様御長屋片かはそんじ渡辺様同断三軒家小屋敷残らずたをれ糀町平河天神うら門 町家大半つぶれ惣じて桜田御門内より馬場先和田倉迄御植込の大樹おゝよそ六十本倒るゝ又西御丸 下は池田様御長屋残らずたをれ会津様両御屋敷共つぶれ其外山の手は市ヶ谷牛込四ツ谷大久保辺町家 其外土蔵くづるゝ事数しれず又赤城明神近辺早稲田一ツ橋様御抱屋敷穴八幡まへどふり所々破損多し 夫より鮫ケ橋紀州様御やかた辺町家寺院等多く損ずすべて青山百人町通り澁谷道玄坂のあいだ 格別の事なしといへども所々に潰れ家あり凡御府内並二近在十里余方五海道一えん潰れ家破損 神社仏閣樹木宇山山泉人家の存亡場所によりて多少ありといへどもいち〳〵かぞへあぐるにいとまあらず 廣大無辺の珍事なりといへ共神国の寄珍いちぢるくよく廿六日暁六ツ半時雨やミ 狂風しずまり人々あんどの思ひをなしぬそのあらましを一帋に録して山海を へだつ遠国の親るい縁者へ安否をしらせんが為にしるすものなり 【上の資料】 大阪大地震津浪記  難波本清板  嘉永七甲寅年十一月四日朝五ツ半刻大地震同五日七ツ半刻より夜  五ツ半時迄大地しん津波にて安治川木津川辺につなぎおき  たる所の親舩大津浪にて一同に道頓堀の川へおし入日吉ばし  汐見ばし幸橋住吉ばしを押やぶり大黒橋にてとまる川中は  大舩にて十文字たて横におし破りかさなり合候ゆへ浜川蔵  屋しき町家土蔵納屋こと〴〵く舩さきにて押やぶり小舟  茶舟等は大舩におしつぶされ道とん堀大こく橋迄元舩入こみ  候事は実に前代未もんの大さうどうに有之候 一大坂地震にてくづれ候場所は左之通せんば辺は座摩の社内鳥居  ならびに門たをれ北久太郎町丼池大くづれ塩町佐の屋ばし角  堀死人けがにん其数しれず南本願寺御堂は北西へそんじ御霊  の社井戸くづれじゆんけい町辺丼池大くづれにて出火致し程なく  しつまり長堀へん板屋はし北詰大くづれ阿波座さつま堀へん  願教寺たいめん所つぶれ永代橋京町堀へん三四軒やける天満  の社内うら門近辺池田町ひがし天満へんはくつれば所数しれ  す中のしま辺常あん橋角大にくづれ西横ほりへん新町遊女  屋の所大くづれ堀江へん四ツはし御池通り土佐様御やしきの堀  くつれあみたが池の辺大にくづるゝ安治川九條へん南は永町辺  幸町の辺栄ばしへん西づめ大くづれなんば新地しん川辺また  あんにう寺の鐘つきとうつふれ住よしの石とうろう残らすたをれる  その外末社くづるゝ上町へんのばく上本町へん玉つくり辺御祓筋  くずれ二けん茶屋へん上町清水ぶたいつふれ天王寺近へん此  外市中くづれ場所数しれす  摂州尼ケ崎の御城はそん御城下五十軒程つぶれ西ノ宮兵庫なだ  三ケ所大坂同様南海紀州熊野浦よりしま遠江なた伊豆大浦迄  凡百五里余の海がんの人家津波にて大半流失致候猶追々  諸国の場処出板仕候 【下の資料】   諸国大地震大津浪場処書上之覚 嘉永七甲寅年十一月四日五ツ時過大地震大津浪にて東海道の国々上方 すじ中仙道信州岩村田残らずつぶれ其上出火小田井宿同断松代の御 城下同在々半つぶれ人馬けが人多く同松本の御城下在々共右同断 此外少々のくつれ数しれず扨又甲府は大半つぶれ身延道中同断 同五日七ツ半時上方すし中国九州四国路大ちしん大津浪広大にして 凡其数四十六ケ国のさうどう此外少々のそんじは数しれず里数は肥前 長崎より江戸迄三百五十里又伊豆下田より九州迄大津浪の場所数しらす 先江戸は御屋敷町方近在の村々関八州共少々づゝのそんしは扨置東 海道は小田原御城下辺よりだん〳〵つよく箱根御関所大にそんじ同宿 門半つぶれ夫より伊豆みしま明神社つぶれ神前より東の方へやける其 近辺大にそんじ又石山くずれて人馬けが多し下田の湊八分通りつなみ にて流失致候大浦白浜柳さき沼津御城下町在共大半つふれ又 うらては川つなみ原宿少々吉原宿半つぶれ出火大宮つぶれふじ川 向岩ぶち半つぶれ出火けがにん多し蒲原宿半つぶれ問屋場より上の方へやける 由井興津少々江尻宿八分通り潰れ又清水湊つぶれ出火残らず流失三保 町同断府中御城町々過半潰れ横田より制札場迄焼る阿部川立場本陣 初め六軒潰れ川津浪鞠子宿少々つぶれ岡部宿半潰れ藤枝四分通 潰れ六分やける嶋田宿少々大井川大水金谷宿半潰れ地われとろを 吹出す鈴鹿山大損し小夜中山夜なき石飴餅や不残潰れ日坂は少々 懸川御城そんじ町々潰れ出火けが人有原川合の宿潰れ袋井残らず 潰れ焼死人けが人あまた見付宿大に損同所臺の下人家不残つぶれる 天龍川近辺中いつみ御陣屋川ばた池田村不残つぶれ同相良辺大に損じ 横す賀御城町在共半つぶれ怪が人多し浜松御城大にそんじ御城下 三十軒程つぶれ舞坂宿大半流失荒井半潰れ渡船流れ御関 所潰れ門の柱斗り残る大つなみ白すか二夕川三分通り損吉田御城下大に そんじ吉田橋そんじ岡崎御城下少々損矢作の橋東の方橋杭落込東 西地割れる鳴海宿大にそんじ申候     浪花本清板 【上段】 大地震大津浪場所書上之覚 一大坂より四国路中国筋九州の辺は四日五日ゟ八日迄五日の間日々しん  どう相やみ不申候又尾州宮宿内大にそんじ浜【濱】手廿三軒つふれ  御役所つぶれ亀崎半田大津浪津しま名古屋清須のへん  少々のそんじは数しれず伊勢桑名御城御城下共大にそんじ  長しま辺四ヶ市つぶれ家四十三軒はま手は大津浪庄野石薬  師へんは地われつぶれ家多し亀山御城そんじ町家大にくづ  るゝ神戸白子へん少々津の御城町々共大にそんじ浜【濱】手大津  浪山田の町は家蔵大にそんじ忝くも両御宮は御別条なし  田丸御城下八■【「鬼」カ】山越大にくづれ往来とまる紀州田辺御城  下へん新宮御城下辺熊野へん惣名九十九浦■【東?】江同方藤代【「藤白」】  大津浪にてゆかゟ三尺斗り汐上る同広【廣】浦七分とふり流失いたし候  又河原箕しま由良の湊流失いたし大崎有田日野加太日高  へん大にそんじ泉州岸和田大にそんじ堺の町は大坂同様に  大そんじ摂州高つき御城下辺八幡山崎辺淀の御城下伏見町々  京都洛中洛外山城大和河内少々のくづれは其数しれず 一越前福井の御城下大にそんじ同つる賀辺【邊】丹波亀山同その部辺  四国路一円【圓】阿州徳しま御城下大にそんじ其上出火五百らかん辺大に  そんじ土佐国大つなみ淡路しま大津浪丸亀御城下へん高松御  城下大にそんじ予【豫】洲大地しん摂州三田御城下辺池田伊丹播州  明石御城下大にそんじ姫ちへん赤穂へん備前田の口下村辺備中倉  鋪玉しま備後尾の道鞆福山御城下へん三原御城下へん安芸【藝】  広【廣】しま宮しま周防長門豊前小倉御城下へん鶴ざきへんつぶれ  家多し豊後玉【「国」の誤記か】府内御城下四百軒程つぶれ同別府御代官所  弐百三十四軒つぶれ同鶴崎熊本御領分大地震大つ浪日向  灘汐のさし引不時にて大海大に荒れる肥前肥後長さきつぶれ家  四百軒唐人屋敷おらんた屋敷大にそんず古今希なる事故こゝに記す                     浪花本清板 【下段】 頃は嘉永七甲とら年 十一月四日朝五ツ時頃 伊豆をはしめ駿遠 相州武州甲州六ヶ国 大地しんにて甲州は 甲府辺まで伊豆は下田 近辺家つぶれ山々大地われ 人馬数多そんしる其外赤沢 仁田あたみ辺大にそんしるなり 箱根山あれる三島【嶋】は家つふれ明神 社より西へ五六軒東へ二丁余やける 駿州はぬまづ御城下ゆりつぶれやける はらよし原かん原ともつぶれ家 多し由井宿はやけるおきつは入 津なみにて人家多くそんじる 江じり宿つよく府中御城下大に いたむ又田中御城下大にふるひ やける相州小田原大いそ平 つかふじ沢辺かくべつのいたみ もなくかまくら辺武州金 さは辺大にそんじとつか程 がやかな川川崎辺江戸に ても少々つゞ【「づゝ」の誤記と思われる】のそんじ所 あまたにて昼夜何ヶ度 となく六日夜やう〳〵ゆり 止る古今まれなる大地しん ゆへ遠国の親るいへはやく つけんが為こゝにしるす 【上部資料】 つら〳〵往古ゟの年歴を考ふるにかゝる大氷のふれる ためしを聞す比は嘉永五年子六月十八日上野国前 橋は川越様御陣屋にて毎年祇園御祭礼は参 詣くんじゆなせり然るに其日八ッ時頃俄に一天かき曇風 雨はげしく雷厳しき折から大氷ふる事是又おひたゝし 其大さ五合枡のごとくにして立木をたをし或は家を破り 瓦を砕(くだ)き其有様いわんかたなく殊に祭礼の事なれは数万 の老若是をのがれんとして親をすて子をうしなひ或るは是が為に けがするもの少からず此時御陣屋ゟ是をすくはんと御手 くばりあるといへ共中ゝ人力に及ひがたくなをも氷のふることはげしく^ して雷は所ゝにくだり向町橋林寺雷火にて類焼併十 五間町名主七右衛門類焼夫ゟ大氷大雷増ゝさかんにして 前橋領高崎領おだ御代官所都而村数七十五ヶ村に及び中 にも上泉片貝村野中村長磯村上大嶋下大嶋駒形宿 後かん村両家村ぬ手嶋村宿河内龍門村河内村善 光寺村寺賀村横手村新堀村目高村小相木むら 此村々の内にては別而樹木をたをし家蔵田畑ともに そんずることおびたゝしく猶又なんじうなるは後かん村両家 小相木村右三ケ村にして大氷に打れ鳥類の死したる 事其数をしらずかゝる大変の中にも無なんにてすみたる 村々もあり前橋ゟ東中通り米野溝呂木辺はしるし ばかりにて夕六ツ時氷風しづまり雷やみて諸人安堵乃 思ひをなせり 【下部資料】 前橋領高崎領其外御 代官地惣而七十五ヶ村ほど わけて十四五ヶ村程はげ   しく人馬諸鳥共    おひたゝしく損す      雷所々におつる      氷の大さは     両家村ゟ上ケ     たるは凡五合入       枡のごとく 重弁四百九 十目ほど又 ごかん村より上 たるは三百八 十匁なりと云 小相木村は 三百八十匁 又□【尺?】而御改に 相成候処 氷の深さ 日向は一尺 五寸日かげ は二尺五寸     有之 【上の資料 欄外に「65」と書き入れあり】 実入(みのる) 秋(あき) 豊雷(ほうらい) 白人(はくにん) 一首(いつしゆ)  上 【上段】 てんぢてんのう 秋の田のかり ほのために なるらいは わがこゝろでも ついおそれつゝ 柿本人丸 あしも てもなり だす音に したらなく なが〳〵し よをひかり とめなん さる丸太夫 おくさまは もみち さつきをよび あつめ 声もたて ずにいるぞ かなしき あべのなか丸 あめのあし ふりだし みればがら〳〵と みたけあか ぎをいでし らいかな 小のゝ小まち かほのいろはあほ ざめにけり いたはしと わがみに くらべ ながめせしまに さんぎたかむら くものはら やたらにかけて おつこちぬと ひとにも つげて あとのつくろひ やうぜい院 つくばつて これはおちると みなのかほ こはさつのりて ふりと なりぬる 【下段】 ぢとう天のう はだかにて なりくる らいにうろ たへて 子どもをかゝへ あたまかく山 山べのあか人 田のうろに うちいでみれば らいゆへに 米のたかねも 今さがり つゝ 中なごん やかもち かささして わらじの くせに雨 やどり ひかりをまてば よぞふけにけり きせんほうし わがいへは みなその あたり しかもすむ ようおちなんだと 人はいうなり せみ丸 このやねのいた みも らいの こはれとは しるもしらぬも 大あめの さた そうぜう へんじやう あまつかみ くものかよひぢ ふみはづし おとこも すがたしばし ちゞまん かはらの さだいじん みちなかの ひとのゆき きもたへ〴〵に ひかりも つよく がら〳〵 なるよ 【下の資料 欄外に「66」と書き入れあり】 実入(みのる) 秋(あき) 豊雷(ほうらい) 白人(はくにん) 一首(いつしゆ)  下 【上段】 こう〳〵 てんのう きみわるく ねどこをいでゝ かやをつり わが子ども らもなきは やみつゝ ありはらのなり平 ひはやふる けしとも しらずかみなりの がら〳〵 なるに水 かくるとは いせ なにもかをみじ かきかやを つりまわし あわてこの 子をすごして いよとや そせいほうし ごろ〳〵といゝし ばかりか なかきよを 有明ごろも おちし らい かな 大ゑのちさと おちたれば ちかきとこ こそひゞき けれ わがみひとりで きくには あらねど 三條の右たいじん なりだして 大あま やみも せぬからは しかもふられて くるよつでかご 源のむね行 あそん 山のてはふりぞ さびしく またもなる ひかりも つよくおちると おもへば 【下段】 中なこん ゆきひら たちついつ いなかのいへに みをひそめ やみしと きかばいま かへりこん ふし原の とし行 あそん すさましぐ ひかりも つよくなる らいに ゆめのこゝちで ひとを よふらん 元よししんのう やみぬれど 今また らいの ならふかと みなつく〴〵と あきれたと おもふ ぶんやのやすひで なるからに あとひきじやうご しほ 〳〵と むりなる さけを あびしといふらん かんけ このらいは あさになる までなり やます またひかり しと とこにまじ 〳〵 中なごんかね輔 みゝやはら ひゞきならるゝ いかづちの いつまで なるかはてし なからん じゆんとくいん もゝとせの ふるきに のこる はなしぞと なをくもり たるそらを ながめる 【上部】 夫天地不時の変動は 陰陽混して雷雨と なる地にいれは地震を なすア丶神仏の     応護も     是を納むる     事かたし     頃は嘉永     六丑年二月     二日昼四ッ時     より夜九時     まて大地震     相州小田原 大久保加賀守様御 領分御城下万町 本町板ばしりう しまち通り 青物町すわを 町寺町 御城角やぐら 町家とも大に 損す近村近郷 【下部】 酒匂川筋飯すみ 十文字十日市場 子安大山へん 堂龍権現山道 東海道筋小田 原つゞきはだ 山中大久保長門守様 御領分村々多く 損ず箱根湯本 七ケ所二子山辺同所 権現様御山内尤 御社は御さわりなし 同所湖水あふれ 出さいの河原辺大に 損す夫ゟ豆州海辺 山々真鶴網代伊東 西はしゆせん寺三嶋 此外所々大損する といへどもあらましを 記し高覧その儀      のみ 【上部】  甲州身延山大地震  頃は嘉永六丑年二月二日  朝五ッ時より暁七ッ時迄  大地しんにてすでに山も  崩れんと人々大いに  おどろきふしまろび  にげさるものおゝし  町家はたをれ蔵のそんじ  かず多しふしぎや尊(とうとく)■【もヵ】  御山は御どふをはじめ  おくのいん迄何事なく人々  夜あけにいたりあり  がたやとあんどの思ひ  をせしぬ ▲こゝに下野宇都宮■【駅ヵ】  同こくげん地しんの  次第廿八丁の御城下  家くずれ石づくり  のくらあまた  そんじ人は  ぶなんなる     とかや  これによつて  諸国乃人々に  しらしめんが  ために一紙  につゝり  備ふるのみ 【下部】 鹿島大神宮御歌 ゆらぐともよもや   ぬけじの要石  かしまの神のあらんかんぎりは 相州  箱根山 小田原  御城下 大地震  之図 【右見出し】 《割書:天保攻勢|珍説増補》鯰年代雑記 【上中央部】 【白抜き文字】増長 《割書:高ぶる 火|中山の|妙法|乃代に|つれて|流布ス》 【本文はコマ79にて翻刻し、ここは貼紙のみ翻刻】 【中央貼紙】 四谷塩町三丁目続里俗北寺町 御船手大塚孫左衛門地借 小普請水野式部組   火元 服部惣次郎 【下貼紙】 内藤新宿八右衛門地借蒲焼屋源右衛門 同宿源九郎地借旅篭屋弥七   右両人火元相あらそい   当時御吟味中 頃ハ嘉永四年辛の亥四月三日昼九ッ時ごろゟ四ッ谷 塩丁よこ丁辺より出火いたし折ふし北風はげしく 同 御むろ屋ヒこ丁御やしき方々浄うん寺よこ丁 塩丁弐町目同三丁目南かハのこらずやける大木 戸田安様御下やしき柳生様御下やしき 二而内藤様御屋敷内少々やける夫より内藤 新宿下丁中丁両かハ茶や旅籠屋焼る同 横丁やける 大そうじゑんまのこる 正じゆ院おばアさん残る 同所上町やける此所の火三徳と いふごふく屋二て止る 一口ハおし丁同おし原町よこ丁 鈴木■高久様御屋敷その外 御やしきやける岸豊次郎様 火の中二て残る正がくし願せうじ毘沙門天 焼る法念寺残るおに横丁おいわ稲荷焼る さつ殿丁うま殿横丁太田豊次郎様長安寺 同門前丁安部様御下屋敷さゝでらやける 信の殿丁板倉様宮崎様岡部様御やしき にて止る向がハ大番組御屋敷大番丁やける 此外御武家御やしき御組御直参之御やしき あまた焼る青山三すじ町御組屋敷二て止る 同所六道辻飛火二て一けん焼る又一口ハ 伝馬丁三町目船坂横丁車内門横丁同 弐丁目荒木横丁焼る同所新堀江丁残るいが丁 少々やける向がハ天王横丁やける円通寺やける天 王社のこる法蔵寺よこ丁祥山寺法蔵寺南いが丁 やけるこれゟ西風二かハり麹丁十三町目同よこ丁 福寿院伊賀丁おたんす丁焼る傳馬丁一町メ 新道横堅不残やける向がハ天とくじ門前丁 替地少々焼る麹丁拾一町俗二 竹丁と云御堀端二て漸々 夜五ッ時に火鎮人々安堵の 思ひヲなし火用心こそ肝要也 天保五年  午の二月七日昼八ッ時頃ゟ西北の  風はげしく神田佐久間庁丁二丁目 喜太郎店次郎右衛門宅  より柳原土手下夫ゟ四方へひろ  かり日本はしへん八丁ほり両国  辺ゟ新大橋やけ落れいかん  しまへん佃しま其外大船やけ  明六ッ時頃潮へんにてしつまる  又同九日夕七ッ時過頃ゟ西南の  風はけしく檜物丁へんゟ西がし  へんまでやける  又同六日朝四ッ時過頃ゟ西北の  風はけしく呉服はしへんゟ  京橋辺のこらず芝口  へん潮手まてやけるま  におそるへし慎へし火  の元之大切なる事是を  見てしるへし委しくは  ゑつにて御らん可被下候其外  大はし小はしのやけし事  数しれす 類焼場大凡四里ほと 此絵図三度のやけ場所白 すじにて分る  右え付御すくい小屋 両国広こうじ 神田さくま丁元四日市 常盤はし外松屋橋  此外追々追加 【白紙】 【白紙】 【白紙】 【裏表紙】