【表紙 題箋】 □□□□袋 《割書:五》 【資料整理ラベル】 721.8 TAC 《割書:日本近代教育史| 資料》 【右丁 見返し】 絵本写宝袋 五 【左丁】 絵本写宝袋五之巻目録 金竜(きんりやう)護(まもる)_二武王(ぶわうを)_一図(づ)    覆水(ふくすい)重(かさねて)《振り仮名:不_レ収|おさまらざる》図(づ) 周公(しうこう)旦(たん)之(の)像(ざう)       叔虞(しゆくぐ)作(つくる)_二桐葉詩(とうようのしを)_一図 周公(しうこう)作(つくる)_二指南車(しなんしやを)_一図    穆王(ぼくわう)逢(あふ)_二西王母(せいわうぼに)_一図 羸(ゑい)【ママ 注】非子(ひし)養(かふ)_レ馬(むまを)図 姜(きやう)皇后(くわうごう)諫(いさむる)_二宣王(せんわうを)_一図 幽王(ゆうわう)放(はなつ)_二火台(くわたいを)_一図     管仲(くわんちう)之(が)図像(づざう) 甯戚(ねいせき)叩(たゝく)_二牛角(ぎうかくを)_レ図      秦(しんの)穆公(ぼくこう)得(うる)_二騫叔(けんしゅくを)_一図 晋(しんの)重耳(ちやうじ)周(しう)-_二遊(ゆうする)諸国(しよこくに)_一図  趙衰(ちやうずい)狐偃(こゑん)奪(うばふ)_二重耳(ちやうじを)_一図 【注 羸は音「ルイ」。贏が音「エイ」なので羸は誤ヵ】 【右丁】 養由基(やうゆうき)之(が)像(ざう)       雲外(うんぐわい)に夜(よる)射(いる)_レ声(こゑを)図 顔夫人(がんふじん)祷(いのる)_二尼丘山(じきうざんに)_一図   孔子(こうし) 嬰児(ゑいじ)之(の)時(とき)嬉戯(きげし給ふ)図(づ) 伍子胥(ごししよ)争(あらそふ)_二明輔(めいほを)_一図 【左丁】 【句点と思われる「・」は「。」に置き替える】 絵本写宝袋五之巻     金竜(きんりやう)武王(ぶわう)を守護(しゆご)する事 殷(いん)の紂王(ちうわう)悪逆(あくぎやく)無道(ぶたう)にして万民(ばんみん)を苦虐(くぎやく)す武王(ぶわう)是を嘆(なけ)き太公(たいこう) 望(ばう)と儀(はかり)て天下のために紂王(ちうわう)を。ほろぼしたまはんとて数(す) 万騎(まんぎ)の軍兵(ぐんびやう)を起(おこ)し帝都(ていと)へおしよせ紂王(ちうわう)が八十万 騎(ぎ)と牧(ぼく) 野(や)に戦(たゝか)ひ給ふ時。殷(いん)の諸将(しよしやう)みな戦(たゝかひ)負(まけ)て進(すゝ)む事あたはず爰(こゝ)に 紂(ちう)王が大 将(しやう)に方相(はうさう)といふ者(もの)。鎗(やり)を横(よこ)たへ馬(むま)を拍(うつ)て直(たゞち)に武王(ぶわう)の 陣(ぢん)に駆入(かけいり)。左(ひだり)に突(つき)右に衝(つい)て人なき所に行(ゆく)がごとく遂(つゐ)に武(ぶ)王 の坐陣(ざぢん)にうち入り。長槍(ながきやり)を以(もつ)て武(ぶ)王を刺(つか)んとするに紅(くれなゐ)の光(ひかり)燦(さん) 爛(らん)として八爪(はつさう)の金竜(きんりやう)出現(しゆつげん)して武王の車駕(しやか)を遮(さへぎり)掩(おゝ)ふ。方相(はうさう) 驚(おとろ)き馬(むま)を返(かへ)せば散宜生(さんぎせい)。南宮活(なんきうくわつ)の二将(にしやう)すでに討(うた)んとす。方相 これと戦(たゝかふ)こと三十 余合(よがふ)遂(つゐ)に活捉(いけどら)れて武王に見(まみ)ゆ武王方相か 勇なるを惜み命(いのち)を赦(ゆるし)給ふ其後(そののち)方相が曰(いわく)紂(ちう)王 既(すで)に亡(ほろ)び給ふ何(なん)の 面目(めんほく)ありて命を保(たも)たんやとみづから首(くび)刎(はね)て死(し)す 【右丁 挿絵】     方相(はうさう) 周(しうの)武王(ぶわう) 【左丁 挿絵】 太公望 童顔(どうがん) 靍髪(くわくはつ) 貌(かたち)常(つね)ならす 大公望(たいこうばう)姜尚(きやうしやう) 【右丁】    覆水(ふくすい)重(かさね)て盆(ぼん)に収(おさま)らず 大公望(たいこうばう)は東征大軍師(とうせいだいぐんし)となつて紂王(ちうわう)が乱(らん)を平(たいら)げしかば 武王(ぶわう)帝位(ていゐ)に即(つ)き太公望(たいこうばう)を斉(せい)といふ大国(たいこく)の主(あるじ)とし給ふに よつて太公(たいこう)其(その)身(み)には錦繍(にしき)【綉は繍の俗字】を着(ちやく)し四馬(しめ)の車(くるま)に乗(の)り数(す) 千の卿太夫(けいたいふ)士卒(しそつ)を召(めし)つれ旗旌(きせい)を空(そら)にひるがへし金(かね)鼓(つゞみ)【皷は俗字】を 鳴(なら)し傍(あたり)を払(はらつ)て本国(ほんごく)に趣(おもむ)かれし所に始(はじめ)離別(りべつ)したる妻(つま) の馬氏(ばし)此よしを聞(き)き路(みち)の側(かたはら)に出迎(いでむか)ひ車(くるま)の前(まへ)に至(いた)り涙(なみだ)を ながし妾(われ)智恵(ちゑ)浅(あさく)して先(さき)に離別(りべつ)をなしいま後悔(こうくわい)するに かひなし願(ねが)はくは我(わ)が先非(せんひ)をゆるし再(ふたゝ)びみやづかへせしめ たまへといふ太公望すなはち盆(ぼん)に水(みづ)を入させ。これを地(ち)に 覆(こぼ)してまた盆(ぼん)に入よといふに妻(つま)すなはち其言(そのことば)の如(ごとく)に すれば。唯(たゞ)泥(どろ)のみ盆(ぼん)にあり。太公望のいわく一旦(いつたん)離別(りべつ) してふたゝび相合(あひあふ)べからず覆水(ふくすい)かさねて盆(ぼん)に收(おさ)まらざ るが如(ごと)しと。車(くるま)を押(をさ)せて斉(せい)に入 妻(つま)は悔(くい)羞(はぢ)て。みづから縊(くびれ)て死(し)す 【左丁】 周公(しうこう)旦(たん) 文王(ふんわう)の子(こ)武王(ぶわう)の弟(おとうと)にして大 聖人(せいじん)なり武(ぶ)王 崩(ほう)じ給ひ成王(せいわう)幼年(ようねん)にて 即位(そくゐ)し給ふにより周公(しうこう)旦(たん)政(まつりごと)を摂(せつ)し給ふ魯侯(ろこう)の元祖(ぐわんそ)なり 史記(しきの)世家(せいか)に 周(しう)は冢宰(てうさい)の位(くらゐ)に在(ある)こと七年の後(のち)政(まつりこと)を成王(せいわう)に還(かへ)し北面(ほくめん)して臣下(しんか)の位(くらゐ)に就(つき)つゝ しみたまふこと畏(おそ)るゝがごとしと享年(こうねん)八十三 歳(さい)にして薨(こう)じ給ふ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  周公(しうこう)旦(たん)   賛 ̄ニ曰  姓 ̄ハ姫名 ̄ハ旦武王 ̄ノ  弟負 ̄テ_レ朝 ̄ヲ摂_レ政 ̄ヲ作  _レ楽 ̄ヲ制 ̄シ_レ礼 ̄ヲ二-叔不  _レ咸 ̄セ居 ̄テ_レ東 ̄ニ有愍金  緘啓 ̄キ_レ忠 ̄ヲ雷-雨応 ̄フ  敏 ̄シ衮衣言帰赤  為何 ̄ソ病 ̄ヘシ展_二祀 ̄ヲ魯  邦 ̄ニ_一千載 ̄ノ元聖 【右丁】 異朝(いてう)にて人臣(じんしん)を以(もつ)て摂政(せつしやう)とすること周公(しうこう)旦(たん)を始(はじめ)とす本朝(ほんてう)にては 清和天皇(せいわてんわう)幼時(いとけなきとき)御 外祖(ぐわいそ)忠仁公(ちうじこう)天子(てんし)にかわり政(まつりこと)を摂(せつ)し給ふも周公(しうこう)の例(れい) を用(もち)ひ給ふとなり嘗(かつ)て周公(しうこう)御子 伯禽(はくきん)に誡め(いましめ)て曰(のたまは)く我 文王(ぶんわう)の子(こ)武(ぶ) 王の弟(おとうと)成王(せいわう)の叔父(おぢ)なり然(しかれ)ども一(ひと)たび沐(かみをあらふ)に三 度(たび)髪(かみ)を握(にぎ)り一度 飯(はん)【左ルビ:めしに】 するに三たび晡(ほ)を吐(は)き起(たつ)て士(し)を待(ま)ち天下の賢(けん)を失(うしなはん)ことを恐(おそ)るゝと 叔虞(しゆくぐ)桐葉(とうよう)の詩(し)を作(つく)る 周(しうの)成王(せいわう)一日(あるひ)御 弟(おとゝ)叔虞(しゆくぐ)と庭前(ていぜん)の桐樹(きりのき)の陰(かげ)に遊(あそび)【欄外上部に▲】 給ふ成(せい)王 叔虞(しゆくぐ)に汝(なんぢ)よく詩(し)を吟(きん)ずるやとのたまふ叔虞(しゆくぐ)の曰(いわ)く頗(すこふ)る 其 意(こゝろ)を識(しれ)り成(せい)王の曰 朕(われ)此 桐葉(きりのは)を取て圭璋(けいしやう)【珪は圭の古字】とせん汝(なんぢ)よく此 詩(し)を 吟(ぎん)ぜば諸侯(しよこう)とすべし叔虞(しゆくぐ)其まゝ桐葉(とうよう)の詩(し)を吟(ぎん)じ給ふ成王 喜(よろこび)給ひ 才思(さいし)頗(すこむ)る佳(か)なり但(たゞ)汝(なんぢ)幼(いとけなふ)して諸侯(しよこう)の位(くらい)に任(にん)ずること能(あた)はず姑(しばら)く 数年(すねん)を俟(まつ)て諸侯(しよこう)とすべし其時 といふ臣(しん)傍(かたわら)に在(あつ)て奏(そう)して曰(いわく) 陛下(へいか)なんぞ言(ことば)を異(たがへ)給ふや成(せい)王の曰 朕(ちん)戯(たはふれ)らくのみ史佚(しいつ)が曰天子は戯(たはふれ) 言(ごと)なし一(ひと)たび言(ことば)を出し給へば史官(しくわん)史冊(しさつ)に書(しよ)す望(のぞ)むらくは我(わが)王(わう)叔(しゆく) 虞(ぐ)を封(ほう)ずる事 反覆(はんふく)し給ふべからず成王 則(すなはち)叔虞を封(ほう)じて唐侯(たうこう)とす 【左丁】             周成王(しうのせいわう)                             史佚(しいつ)  桐葉(キリノハ)之(ノ)詩(シ) 叔虞(シユクグ)   桐葉(トウヨウ)落(ヲツ)_二庭(テイ)-除(ヂヨニ)_一   吾(ワガ)王 削(ケヅヽテ)作(ツクル)_レ圭(ケイニ)【注】   如(コトク)_レ念(ヲモフカ)_二連(レン)-枝(シノ)秀(シウヲ)_一   春(シユン)-風(フウ)共(トモニ)暢(テウ)-舒(ジヨス)      叔虞(しゆくぐ)《割書:是(これ)晋(しん)の国(くに)の元祖(くわんそ)後(のち)に|韓(かん)趙(てう)魏(き)の三 国(ごく)とわかる》 【注 珪は圭の古字】 【両丁 挿絵のみ】 【右丁】 【句点と思われる「・」は「。」に置き替える】 成王(せいわう)の御時 蕃夷(ばんい)の使(つかひ)来朝(らいてう)して貢(みつき)を献(たてまつ)る次(つぎの)日(ひ)使(つかひ)本国(ほんごく)に帰(かへ)らん 事を告(もう)す王(わう)かれが国 路(みち)の程(ほど)中国(ちうごく)より幾(いくばく)里(り)かあると尋(たづね)給ふに一 万(まん) 三千 里(り)あつて来(きた)るゝと一 年(ねん)余(よ)を経(へ)て京師(みやこ)に至(いた)ると奏(そう)す成王(せいわう)周公(しうこう) に命(みことのり)して曰(のたまは)く蕃視(ばんし)本国(ほんごく)に帰(かへ)る万里(ばんり)の労(らう)を。すくふの。はかりことを なしたまはんや周公(しうこう)すなはち黄帝(くわうてい)の制(せい)するところの指南車(しなんしや)を 作(つくり)て蕃使(ばんし)に賜(たま)ふ蕃夷(ばんい)【左ルビ:ゑびす】此 車(くるま)を先(さき)にたて指(ゆびさ)す方(かた)にしたがひ行(ゆく) に唯(たゞ)半年(はんねん)にして本国にかへることを得(ゑ)たり 周(しうの)穆王(ぼくわう)の時 徐哈達(ぢよがうたつ)といふ夷(ゑびす)京師(けいし)に攻(せめ)来(きた)らんとす穆王(ぼくわう)すなはち 東方(とうばう)の諸侯(しよこう)羸徐子(ゑいぢよし)【注】に命(めい)じて是を伐(うた)しむ哈達(がふたつ)八駿(はつしゆん)といふ名(めい) 馬(ば)に乗(の)る此 馬(むま)一日に千 里(り)を行(ゆく)徐子(ぢよし)哈達(かふたつ)を討取(うつとり)其馬を穆王(ぼくわう)に 献(たてまつ)る王此 名馬(めいば)を得(ゑ)給ひ普(あまね)く天下を週(めぐり)て名山(めいさん)仙蹟(せんせき)を窮(きわ)めんと 化人(くわにん)といふ道士(だうし)に案内(あんない)をさせ彼(かの)八駿(はつしゆん)に大 輅(ろ)をひかせ崑崙山(こんろんざん)の 頂(いたゞき)に至(いた)り瑤池(ようち)に升(のぼり)給ふ是(こゝ)に西王母(せいわうぼ)が居所(きよしよ)の宮殿(くうでん)あり化人(くわにん) まづ門(もん)に入て天子 御幸(みゆき)のよしを告(もうす)王母(わうぼ)すなはち白雲(はくうんの)仙輦(てぐるま) に乗(の)り数(す)十の仙女(せんぢよ)を率(ひき)ひ飄然(ひやうせん)として出(いで)て穆王(ぼくわう)に見(まみ)ゆ 【注 羸は音「ルイ」。贏が音「エイ」なので羸は誤ヵ】 【左丁】 周(しうの)穆王(ぼくわう)逢(あふ)_二西王母(せいわうほに)_一図(つ) 【両丁挿絵のみ】 【右丁】 周(しうの)孝王 馬(むま)三千 疋(びき)を羸非子(ゑいひし)【注】に授(さづけ)て此馬をよく養(やしなふ)て数(かず)多(おゝく)すべしと【欄外上部に▲】 勅(みことのり)し給ふ非子(ひし)勅命(ちよくめい)をうけて其馬を汧渭(けんい)といふ大 河(が)の辺(ほとり)に養(やしな)ふ。 此 河(かわ)の向(むかひ)は西戎(せいじう)にて毎日(まいにち)戎(ゑびす)の馬(むま)共を引来(ひきゝた)り此 河(かわ)にて水(みづ)を養(かふ)。非(ひ) 子(し)一つの計(はかりこと)を生(な)し牝(め)馬を岸(きし)の上につなぎ置(をき)。なれたる牡(お)馬を河(かは)に 入て浴(かはあみ)し水(みづ)飼(かふ)。其時 岸(きし)の上なる牝馬(めむま)ども牡(お)馬を慕(した)ひしきりに 嘶鳴(いななき)ければ河向(かはむかひ)なる戎(ゑひす)の馬共 牝(め)馬の嘶(なく)を聞(きゝ)て数(す)千 疋(びき)川を渡(わたつ)て 此方(こなた)の岸(きし)に来(きた)るをこと〴〵く取て一年ならざるに多(おゝく)の馬を献(たてまつ)る 孝王大に喜(よろこ)び非子(ひし)に秦国(しんのくに)を賜(たま)ふ是 秦(しんの)始皇帝(しくわうてい)の元祖(ぐわんそ)なり 周(しうの)宣王(せんわう)は姜(きやう)皇后(くはうごう)を愛(あい)し昼夜(ちうや)酒宴(しゆゑん)して政事(まつりこと)に怠(おこた)りたまふ尹吉甫(いんきつほ)【欄外上部に▲】 これを嘆(なげ)き諫表(かんひやう)を上(たてまつ)る王 怒(いかつ)て其 表(ひやう)を地(ち)に投打(なけうつ)皇后(くわうごう)其 表(ひやう)を取(とら) しめつく〴〵と見(み)給ひて是 皆(みな)王の過(とが)にあらず妾(しやう)が科(とが)なりとて自(みづから) 簪(かんざし)を脱(ぬぎ)き【ママ】衣裳(いしやう)を謝(しや)して王の前(まへ)に跪(ひざまづ)き陛下(へいか)色(いろ)を楽(たのしみ)て政事(まつりごと)に 怠(おこた)りたまふ事 皆(みな)是 妾(しやう)を愛(あい)し給ふゆへなり願(ねがは)くは妾(しやう)を死(ころ)して 政事(まつりごと)を理(おさめ)給へと諫(いさめ)たまふ宣王(せんわう)遂(つゐ)に過(あやまち)を改(あらた)めよく政(まつりごと)を行(おこな)ひ給ふ 【注 羸は音「ルイ」。贏が音「エイ」なので羸は誤ヵ】 【左丁】 【右から横書き】 姜(きやう)皇(くはう)后(ごう)脱(ぬぎて)_レ簪(かんざしを)諫(いさむ)_二宣(せん)王(わうを)_一 【右丁】 【右から横書き】 烽(ほう)火(くわ)台(たい)之(の)図(づ) 【左丁】 幽王(ゆうわう)褒姒(ほうじ)と 望辺楼(もうへんろう)に 烽火(ほうくわ)を見(み)て 笑(わらひ)楽(たのし)む 図 【右から横書き】 望(もう)辺(へん)楼(ろう) 【右丁】    幽王(ゆうわう)褒姒(ほうじ)と望辺楼(もうへんろう)に烽火(ほうくわ)を見(み)て笑(わら)ひ楽(たのし)む事 烽火台(ほうくわたい)と云は皇城(わうじやう)に大事(だいじ)おこるときは是に烟(けふり)をあげて隣国(りんごく)に 示(しめ)すに国々(くに〳〵)よりこれを見て馳(はせ)参(まい)るためなりしかるに周(しうの)幽(ゆう)王 褒姒(ほうじ)といふ美人(びじん)を寵愛(てうあい)してたわふれに煙(けふり)をあぐるに国々(くに〴〵)の諸侯(しよこう) みな軍兵(ぐんびやう)を卒(そつし)て都(みやこ)に来(きた)る幽王(ゆうわう)褒姒(ほうじ)と共に望辺楼(もうへんろう)に出てこれ を見(み)るに防(ふせ)ぐべき敵(かたき)なくたゞ王の戯(たはふ)れなるよしを聞(き)き皆(みな)いかり て本国(ほんごく)に帰(かへ)る王 美人(びじん)と掌(て)を拍(うつ)て大に笑(わらひ)楽(たのし)む其後 犬戎(ゑびす)中(ちう) 国(ごく)をおかし皇城(わうじやう)をせむるによつて烽火(ほうくわ)をあげて諸侯(しよこう)を召(めせ)ども 又王のなぐさみぞと心得(こゝろへ)て一人も来(きた)らず幽王(ゆうわう)遂(つゐ)にゑびす のためにほろび給ふ 紂王(ちうわう)が炮烙(ほうらく)の刑(けい)と幽王(ゆうわう)烽火台(ほうくわたい)の図(づ)と 是を一双(いつさう)の図(づ)とす実(まこと)に大切(たいせつ)の事をたわふれ事(ごと)になして其身(そのみ)を あやまる誡(いましめ)の図(づ)なりみだりに画(ゑかく)事なかれ 漢書(かんじよ)に云 辺寨(へんさい)には常(つね)に寇(あた)を防(ふせ)がんために高橧(こうそう)を作(つく)り狼糞(おゝかみのふん)を積(つみ)たくわへ 是を燃(もやし)て相図(あいづ)とす狼糞(らうふん)の煙(けふり)高(たか)く直(すぐ)にのぼりて斜(なゝめ)ならず是を狼煙(のろし)といふ 【左丁】 斉(せい)の襄公(じやうこう)其(その)臣(しん)管至甫(くわんしほ)に 弑(ころ)さる此時 襄公(じやうこう)の弟(おとゝ)糾(きう)は魯(ろ) 国(こく)に在(あり)けるが斉(せい)に君(きみ)なき 事(こと)を聞(きゝ)て魯公(ろこう)より精兵(せいへい)五 千をそへて其(その)傅(もり)管仲(くわんちう)に命(めい) じて斉国(せいのくに)に帰(かへ)し遣(つか)はす又 其 弟(おとゝ)小白(せうはく)は其(その)傅(もり)叔牙(しゆくが)と ともに莒国(きよこく)の勢(せい)を率(ひきい)て国(くに) に帰(かへ)る管仲(くわんちう)是を遮(さへぎ)り止(とゞ)め て曰(いわく)わが主(しゆ)は兄(あに)にて汝(なんぢ)は弟(おとゝ) なるに何(なん)ぞ位(くらい)を奪(うば)はんとす るやと弓(ゆみ)を引(ひい)て小白(せうはく)を射(い)る 其矢(そのや)玉帯(ぎよくたい)に受(うけ)とめて身(み) に中(あた)らず莒(きよ)の兵(つわもの)管仲(くわんちう)に討(うつ) てかゝる管仲 小勢(こぜい)なれば引(ひつ) 【右丁】 【句点と思われる「・」は「。」に置き替える】 返(かへ)す。小白(せうはく)はやく斉(せい)に至(いたつ)て位(くらい)に即(つ)く。是を桓公(くわんこう)といふ。其後(そののち) 叔牙(しゆくが)が薦(すゝめ)によつて小白(せうはく)。管仲(くわんちう)が矢(や)を射(い)たる仇(あた)を赦(ゆる)し。その賢(けん) 才(さい)なるを尊(たつとん)で斉(せい)の相(しやう)とし。管仲(くわんちう)が謀(はかりこと)を用(もち)ひて大に覇(は)を天下 に振(ふる)ふ。天子 管仲(くわんちう)を召(めし)入 宣(みことのり)して上卿(じやうけい)の職(しよく)をたまふ 斉(せい)の桓公(くわんこう)。管仲(くわんちう)が謀(はかりこと)を用(もち)ひ。天子(てんし)に奏(そう)して諸侯(しよこう)を。北杏(ほくきやう)と【欄外上部に▲】 いふ所に会盟(くわいめい)す。宋公(そうこう)盟(ちかひ)に背(そむ)くによつて桓公(くわんこう)これを忿(いか)り。 大 軍(ぐん)を率(ひき)ひて宋(そう)の国(くに)を望(のぞ)んで進発(しんばつ)する所に衛国(ゑいのくに)の農(のう) 夫(ふ)甯戚(ねいせき)といふ者(もの)。路辺(みちのほとり)に牛(うし)を牧(かふ)て桓公(くわんこう)の馬(むま)。牧(まき)に近(ちか)づかんとす れどもかへり見ず牛(うし)の角(つの)を叩(たゝい)て時(ときの)政(まつりごと)を刺(そしつ)て歌(うた)ふ。桓公 怒(いかつ)て 是を斬(きら)んとす管仲(くわんちう)が曰(いわく)。此 牧夫(うしかひ)をみるに凡人(たゞひと)にあらず。用(もちひ)て公(きみ)を 輔(たすけ)しめば必(かなら)ず益(ゑき)あらん桓(くわん)公 諫(いさめ)を聴(きい)てすなはち甯戚(ねいせき)を下軍(かぐん) 太夫(たいふ)とす戚(せき)。宋(そう)に使(つかひ)して説諭(ときさと)しければ宋公(そうこう)五十里の地(ち)を 割(さ)き斉(せい)に入て和睦(わぼく)を乞(こ)ふ是ひとへに甯戚(ねいせき)が知謀(ちぼう)によつて 刃(やいば)に血(ち)ぬらずして宋国(そうのくに)を平治(へいぢ)したりとて甯戚(ねいせき)を賞(しやう)じて 中軍(ちうぐん)統謀(とうぼう)とし給ふ 【左丁】 南(ナン)-山(サン)燦(サンタリ)白(ハク)-石(セキ)爛(ランタリ)中(ナカニ)有(アリ)_二鯉長(コイノタケ)尺(セキ)-半(ハンナル)_一 生(イキテ)不(ズ)_レ逢(アハ)_二尭(ギヤウ)與(ト)舜(シユントノ)禅(ユヅリニ)_一短(タン)-褐(カツ)単(タン)- 衣(エ)纔(ワヅカニ)至(イタルハ)_レ骭(キホネニ)従(ヨリ)_レ昏(クレ)飯(ハンシメ)_レ牛(ウシニ)至(イタル)_二 夜半(ヤハンニ)_一長(チヤウ)-夜(ヤ)《振り仮名:漫-々|マン〳〵トシテ》《振り仮名:何-時-旦 |イツレノトキカアケン》 【右丁】 桃花(タウクワ)紅時(クレナイナルトキ)李花(リクワ)-白(シロシ) 桃(タウ)-紅(コウ)李(リ)-白(ハク)呈(テイス)_二春色(シユンシヨクヲ)_一 惟(ヒトリ)有(アリ)_二寒梅(カンハイノ)不(サル)_二_レ闘(アラソハ)_レ芳(ホウヲ)【一点脱】 藐(ハルカニ)視(ミテ)_二年(ネン)-光(クハウヲ)【一点脱】為(ナル)_二過客(クハカクト)_一 【左丁 挿絵のみ】 【右丁】 【句点と思われる「・」は「。」に置き替える】 斉(せい)の䬹(しつ)と云所に姓(せい)は蹇(けん)。名(な)は叔(しゆく)。字(あざな)は伯時(はくじ)と云人あり。博(ひろ)く古今(ここん)に 通(つう)じて政事(せいじ)に暁達(けうたつ)すといへども閑居(かんきよ)して世(よ)に出ず秦(しんの)穆公(ぼくこう) 百里奚(はくりけい)の薦(すゝめ)によつて公子(こうし)縶(ちう)を斉(せい)に遣(つか)はして聘(とは)しむ縶(ちう)則(すなは)ち 其所を尋(たつね)至(いたつ)て見るに。竹林(ちくりん)の中に清泉(しみづ)を左にし白石(しろきいし)を右に して茅廬(ぼうろ)あり。縶(ちう)馬(むま)より下(を)り柴(しば)の扉(とほそ)を叩(たゝ)く。内より童子(どうじ) 出(いて)て主人(しゆしん)は今朝(こんてう)より花(はな)見に出たり。頓(やが)てかへるべしといふ。 しばらく有て一人(ひとり)の耳(みゝ)長(なが)くかたち痩(やせ)たるが。布(ぬの)の袍(ひたゝれ)を着(ちやく) し驢馬(ろば)に乗(の)り手(て)に梅花(むめのはな)一枝(ひとゑだ)をもち閑(しづか)に寒梅(かんばい)の詩(し)を吟(ぎん) じ僕(ぼく)に提重(さげぢう)をもたせて帰(かへ)る縶(ちう)出むかふ蹇叔(けんしゆく)驢(むま)より下(お)り 引連(ひきつれ)て草廬(さうろ)に入る縶(ちう)秦公(しんこう)の命(めい)を告(つぐ)るに蹇叔(けんしゆく)かたく辞(じ)す 縶(ちう)が曰(いわく)これ百里奚(はくりけい)の薦(すゝ)むるところなり貴公(きこう)なんぞ其君(そのきみ)を得(ゑ) て仕(つか)へず徒(いたづら)に草木(さうもく)と共(とも)に腐(くち)たまはんやとて蹇叔(けんしゆく)を伴(ともな)ひ 秦(しん)に至(いた)る秦公(しんこう)階(きざはし)を降(くだ)りみづから迎(むかへ)て上太夫(しやうたいふ)に封(ほう)じ百里奚(はくりけい)と 共(とも)に政(まつりごと)を治(おさめ)しむ夫(それ)より秦(しん)の国(くに)大に覇業(はげう)を振(ふる)ふ功(こう)成(なり)名(な)遂(とげ)て 官(くわん)を辞(じ)し斉(せい)の䬹村(しつそん)に帰(かへ)り八十 余(よ)にて死(し)す 【左丁】 晋(しん)の献公(けんこう)驪戎(りじう)を伐(うつ)て驪姫(りき)を得(ゑ)て夫人(ふじん)とし奚斉(けいせい)を生(うむ)驪(り)【欄外上部に▲】 姫(き)おのれが子(こ)を立(たて)て位(くらい)を嗣(つが)せばやとおもひ太子(たいし)申生(しんせい)を讒(ざん)し 殺(ころ)す申生(しんせい)の弟(おとゝ)重耳(ちやうじ)翟(てき)と云(いふ)国(くに)に逃(のが)れ重耳(ちやうじ)の弟(おとゝ)夷吾(いご)は 梁(りやう)の国(くに)に走(はし)る其後(そののち)里克(りこく)といふ臣(しん)奚斉(けいせい)を殺(ころ)し驪姫(りき)が徒(ともがら)を ほろぼし夷吾(いご)を迎(むかへ)て位(くらい)に即(つく)是を恵公(けいこう)とす重耳(ちやうじ)は翟国(てきこく)の女(むすめ) を婚(めとつ)て十 余年(よねん)を経(へ)て二(ふたり)の子(こ)を生(うむ)其(その)臣(しん)趙衰(てうすい)孤毛(こもう)等(ら)と議(ぎ)して 秦(しん)楚(そ)に適(ゆ)き大 国(こく)を結(むすひ)連(つれ)て晋(しん)の国(くに)にかへり入らんとて先(まづ)衛(ゑい)の 国(くに)に至(いた)る衛公(ゑいこう)門(もん)を閉(とぢ)て納(いる)ることなし重耳(ちやうじ)怒(いかり)て従者(しうしや)と共に曹(そうの) 国にいたるに粮米(らうまい)尽(つき)て将士(しやうし)疲(つかれ)くるしむ路上(みちのほとり)に数人(すにん)の農夫(のうふ)午(ひる) 飯(めし)を食(くら)ふ重耳(ちやうじ)孤偃(こゑん)をして其食(そのめし)を求(もと)む農夫(のうふ)が曰(いわく)我等(われら)は村庄(そんしやう) の小夫(せうふ)何(なん)ぞ余(あま)り有らんとて戯(たわふれ)に土塊(つちくれ)を取て孤偃(こゑん)に与(あたへ)て食(めし)は なし土(つち)なり共 奉(たてまつ)らんと云 魏犨(ぎしう)大に罵(のゝしつ)て其 鋤(すき)を取て田夫(でんぶ)を鞭(むちうた)ん とす孤偃(こゑん)止(とゞめ)て曰(いわく)土(つち)は国(くに)の基(もと)なり天(てん)より国を得(ゑ)給ふと云 重耳(ちやうし)然(しか) なりとし車(くるま)より下(おり)て拝受(はいじゆ)す此時 介子推(かいしずい)腿(もゝ)の肉(にく)を重耳に奉(たてまつ)る 終(つい)に斉(せい)に至(いた)る桓公(くわんこう)宗女(あねむすめ)姜氏(きやうし)を重耳に妻(めあわ)せ重(おも)く是を待(もてな)す 【右丁 挿絵のみ】 【左丁】 十(シフ)英傑(エイケツ) 輔(ホ)-_二佐(サシ) 重耳(チヤウジヲ)_一 従(シタガフ)_レ之 ̄ニ 趙衰(テウズイ)字(アサナハ)子(シ)-余(ヨ)【餘】 臼季(キウキ)字(アサナハ)胥臣(シヨシン) 公(コウ)-孫(ソン)賈(カ)-陀(タ) 魏犨(キシウ)字 公(コウ)-諒(リヤウ) 介(カイ)子(シ)-推(スイ)字 公(コウ)-恕(ヂヨ) 顚頡(テンケツ)字 高挙(カウキヨ)【擧】 先(セン)-丹(タン)-木(ボク)字 時(ジ)-春(シユン) 畢万(ヒツバン)【萬】字 極之(キヨクシ) 孤毛(コモウ)字 ̄ハ子(シ)-羽(ウ) 孤偃(コエン)字 ̄ハ子(シ)-犯(ハン) 【右丁】 重耳(ちやうじ)は斉(せい)に在(あつ)て姜氏(きやうし)と 宴楽(ゑんらく)し本国(ほんごく)に帰(かへ)ることを 忘(わす)るゝ所に斉(せい)の桓公(くわんこう)既(すで)に 卒(そつ)して晋(しん)の恵公(けいこう)亦(また)卒(そつ)し 其子(そのこ)子圉(しきよ)位(くらい)に即(つき)しかば 趙衰(てうずい)孤毛(こもう)等(ら)重耳(てうじ)を晋公(しんこう) の位(くらい)に即(つか)んとて桑林(さうりん)の下(もと) に集(あつま)り相議(あいはか)【儀は誤】る折節(おりふし)姜氏(きやうし)の 侍女(じぢよ)桑(くわ)を採(とり)しが此 由(よし)を聞(きゝ) て姜氏(きやうし)に告(つ)ぐ姜氏(きやうし)侍女(じぢよ) が大事(だいじ)を又 他(た)に洩(もら)さん事を おもひ魏犨(ぎしう)に令(れい)して是を 斬(き)らしめ重耳(てうじ)に語(かたつ)て曰(いわ)く 君(きみ)今 妾(しやう)に羈(つなが)れて国(くに)に かへる事を忘(わす)れ給ふ光陰(くわういん)は 矢(や)のごとし時(とき)人を待(また)た【衍】ず 速(はや)く返(かへつ)て位(くらい)に即(つき)たまへ 重耳の曰(いわく)人生(にんぜい)は隙過(ひまゆく)駒(こま)の 【左丁】 ことし何(なん)ぞ心神(しん〴〵)を苦(くるし)めて人と 争(あらそ)ふ事をせんや姜氏(きやうし)重耳の 従(したが)はざるを知(しつ)て重耳に酒(さけ)を勧(すゝめ) 大に醉(よは)せて密(ひそか)に車(くるま)に乗(のせ)従(じう) 者(しや)を付(つけ)て国(くに)に帰(かへ)らしむ孤偃(こゑん) は車(くるま)を御(ぎよ)し趙衰(てうずい)は戟(ほこ)を持(もつ)その 外(ほか)従臣(じうしん)前後(せんご)を護(まも)り楚国(そこく)を 頼(たの)み本意(ほんい)を遂(とげ)んとする所に 秦侯(しんこう)重耳をむかへて兵十二万 を発(はつ)し送(おくつ)て国(くに)にかへらしむ 終(つい)に子圉(しきよ)を殺(ころ)して位(くらい)に即(つく) 是を晋(しん)の文公(ぶんこう)と云 斯(かく)て大に 功臣(こうしん)を賞(しやう)するに介子推(かいしずい)独(ひとり)賞(しやう) に漏(もれ)たり子推(しずい)も亦 告(つげ)明(あきらむ)ること をせず綿上山(めんじやうざん)に隠(かく)る文は我(わが) 過(あやまり)なりとて徴(めせ)ども出ずみづから 岩穴(いわあな)の中に焚死(やけし)す詔(みことのり)して 廟(びやう)を立(たて)是を祭(まつ)らしむ 【右丁】 【句点と思われる「・」は「。」に置き替える】 養由基(ようゆうき) 姓(しやう)は養(よう)名(な)は由基(ゆうき)。楚(その)荘王(さうわう)の臣(しん)叔敖(しゆくがう)が小卒(せうそつ)也(なり)。よく射(ゆみいる)こと 神(しん)の如(ごと)し百(もゝ)たび発(はなつ)て百(も)たび中(あた)る。先鋒(せんぼう)の争(あらそ)ひある時(とき)百 歩(ほ)退(しさつ)て柳(やなぎ) の葉(は)を射貫(いつらぬ)き。先鋒(せんぼう)の職(しよく)に補(ほ)す。共王(きやうわう)の時 養由(ようゆう)を殿前大将軍(でんぜんたいしやうぐん)とす。                           由基(ゆうき)軍前(ぐんぜん)に出(いづ)る                           ときは。これに向(むか)ふ                           者(もの)。生(いき)て帰(かへ)る事なし                           其(その)弓勢(ゆんぜい)におそれ                           敢(あへ)て近(ちか)づく者(もの)なし。         【挿絵】              号(がう)して神射将軍(しんしやしやうぐん)                           といふ。晋侯(しんこう)おもへらく                           由(ゆう)。楚(そ)にある間は勝(かつ)事                           能(あた)はじとて暗夜(あんや)に                           万伏弩(まんふくど)を発(はつ)して遂(ついに)                           由基を射死(いころ)さしむ 【左丁】 《振り仮名:雲-外|ウンクハイニ》聞(キイテ)_レ鴻(コウヲ)夜(ヨル)射(ヰル)_レ声(コエヲ) 楚(そ)の養由(ようゆう)雲上(うんしやう)の鳫(かり)を射(い)ると云(いふ)俉(ご)にしたがひて此 図(づ)を画(ゑか)く一本(いつほん)に周(しう)の穆王(ぼくわう)の臣(しん)更嬴(かうゑい)と云(いふ)者(もの)虚空(こくう)に矢(や)を発(はなつ)て鳥(とり)を射(い)る ことを得(ゑ)たり折(おり)しも王(わう)の前(まへ)にて鳫(かり)の東(ひがし)より西(にし)に過(わた)る声(こゑ)を聞(きゝ)てやがて これを射(い)おとしけるといふ此 図(づ)は養由(ようゆう)が狩(かり)に出(いで)していなり更嬴(かうゑい)ならば 朝服(てうふく)を着(き)冠(かんふり)にて矢(や)を放(はな)つ体(てい)なるべし此 図(つ)古(いにしへ)より養由(ようゆう)と云(いひ)伝(つた)へ画(ゑかく)なり ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 上に此 図(つ)を 画(かく)べし    【挿絵】 【右丁】 顔夫人(がんふじん)祷(いのる)_二 尼丘山(じきうざん) ̄ニ_一図(のづ)    賛曰  尼-山巌-々     魯-邦是-胆  降 ̄スコト_レ霊 ̄ヲ自 ̄ル_レ母 ̄ニ  孕 ̄ムコトハ聖 帰(キ) ̄ス_レ男 ̄ニ  既 ̄ニ験 ̄ニ以 ̄シ_レ形 ̄ヲ    遂 ̄ニ徴以 ̄テ名 ̄ク  一-誠感 ̄シテ-格    万-古明-文 【左丁】 孔子(こうし)名(な)は丘(きう)字(あざな)は仲尼(ちうじ)殷(いんの)紂王(ちうわう)が兄(あに)微子啓(びしけい)の後胤(こういん)父(ちゝ)は叔梁紇(しゆくりやうこつ)母(はゝ) は顔氏(がんし) 叔梁紇女子 多(おゝく)して男子(なんし)なし故に夫婦(ふうふ)尼丘(じきう)山に至て 神に祷(いの)る其時 山野(さんや)に宿(やど)して懐妊(くわいにん)す魯(ろの)襄公(じやうこう)二十二年八月 廿七日に魯(ろ)の昌平郷(しやうへいきやうの)陬邑(すうゆう)といふ所にて誕生(たんじやう)し給ふ首上(かしらのうへ)圩(くぼる) にして頂(いたゞき)尼丘(じきう)に象(かたど)る児(ちご)の時 嬉戯(あそびたはふること)つねに俎豆(つくゑうつは)を陳(つら)ね礼容(れいよう) を設(もうけ)たまふ長(ひとゝな)るに及(およん)で身長(みのたけ)九尺 腰(こし)の大さ十囲 竜(りやう)の額(ひたい)亀(かめ) の脊(せな)河目 隆顙(りうさう)々(ひたい)尭帝(ぎやうてい)に似(に)項(うなじ)皐陶(かうたう)に類(るい)し肩(かた)子産(しさん)に類 す腰(こし)より以下(いげ)禹(う)王に及(およ)ばざる事三寸天 性(せい)聡明(さうめい)叡智(ゑいち)なり ければ定公これを用て中 都(と)の宰(さい)とす一年にて四 方(はう)大に 治(おさま)る斉公(せいこう)恐(おそれ)て夾谷(けうこく)に会盟(くわいめい)し魯に侵(おか)せる地(ち)を帰(かへ)す其後大 司寇(しこう)となり又 国政(まつりごと)を摂行(とりおこなひ)給ふ三月にして魯(ろ)国大に治るに よつて斉人(せいひと)魯国を乱(みだ)さんと欲(ほつ)し女楽(ぢよがく)を帰(おく)る魯これを受(うけ)しかば 孔子(こうし)魯を行(さり)諸(しよ)国に周遊(しうゆう)す諸侯(しよこう)みな用(もちゆる)事 能(あた)はず乃(いまし)易詩書(ゑきししよ)礼(れい) 楽(がく)を正(たゞ)し春秋(しゆんじう)を作(つく)り給ふ弟子(ていし)三千人 六芸(りくげい)に通(つうす)る者(ひと)七十二人 終(つい)に 魯(ろの)哀公(あいこう)十六年壬戌二月十八日に卒(そつ)す享(こう)年七十三後世 文宣王(ぶんせんわう)と贈(おくりな)す 【右丁】 【右から横書き】 先(せん)聖(せい)小(せう)児(に)之(の)像(さう) 聖父児嬉俎-豆是特登降俯仰有 ̄リ_レ容有_レ儀 不 ̄シテ_レ学 ̄ハ而能 ̄クシ不 ̄シテ_レ聞 ̄カ而 識(シル)化-_二洽 ̄シ群-童 ̄ヲ_一名 ̄ヲ伝 ̄フ_二列国 ̄ニ_一 【左丁】 秦(しん)の哀公(あいこう)覇業(はぎやう)を天下に振(ふる)はんと欲(ほつ)し周(しう)の天子に奏(そう)して大に 諸侯(しよこう)を臨潼(りんとう)【注】に会(くわい)す又 潜(ひそか)に兵(つはもの)を四方(しはう)に伏(ふせ)て従(したが)はざる者は擒(とりこ) にせんと議(はか)るさるほどに列国(れつこく)の諸侯(しよこう)各(おの〳〵)宝物(ほうもつ)を捧(さゝげ)て潼関(とうくわん)に 至(いた)る斉(せい)の大夫(たいふ)晏平仲(あんへいちう)が曰(いわ)くいにしへは諸侯 会(くわい)するにかならず 公明正直(こうめいせいちよく)にして文武(ぶんふ)兼備(かねそなはる)の士(し)を得(ゑ)て列(れつ)国の是非(ぜひ)を議(はか)り 定(さだ)むこれを明輔(めいほ)といふ先(まづ)明輔を立たまへと哀公(あいこう)すなはち文(ぶん) 題(だい)を下(くだ)しよく此 文字(もんじ)の義(ぎ)を答(こた)へ明(あか)し又 重(おも)さ千 斤(ぎん)の鼎(かなへ)を 挙(あぐ)る者(もの)あらば此 職(しよく)とすべしとて八 句(く)の題目(だいもく)を書下す  天何(いづれの)-所(ところにか)付(つく)地(ち)何(いつれにか)依(よる)     天-地(ち)相生(あいしやうず)数(すう)已(すでに)-知(しるや)  江(こう)-水(すい)源(みなもと)従(より)_二何(いつれの)-処(ところ)_一出(いつる)   泰(たい)-山(さん)派(みなまた)自(よりか)_レ那(いつれ)支離(ゑだわかる)  五-行(ぎやう)迭(たがいに)-運(めぐり)誰(たれか)為(す)_レ重(おもしと)    万(ばん)-物(ぶつ)叢(さう)-生(せい)孰(いつれか)最(もつとも)奇(きなる)  試(こゝろみに)挙(あげて)_二 六‐題(だいを)_一関(くわん)-_二要(ようす)問(とふことを)_一 有(あらば)_二能(よく)明(あきらむるもの)_一_レ此 ̄を是(これ)男児(だんじ) 其時 秦(しん)国の将軍(しやうぐん)公孫后(こうそんこう)兼(かね)てたゝみ置(をき)し事なれば進(すゝみ)出て まづ題(だい)を答て後両の手(て)にて鼎を挙(あげ)地(ち)をはなるゝ事三尺 面(おもて)を 赤(あか)くして下(もと)に置(をく)諸(しよ)人これを感(かん)じすでに明輔たらんとする所に 【注 臨洮とあるところ】 【両丁挿絵のみ】 【右丁】 楚国(そこく)の将軍(しやうぐん)伍子胥(ごししよ)向進(むかへすゝん)で曰(いわく)公孫后(こうそんこう)文(ぶん)を論(ろん)じて題(だい)を破(は)せず 鼎(かなへ)を挙(あげ)て座(ざ)を離(はな)れず何(なん)ぞ此 職(しよく)に任(にん)ぜんとて筆(ふで)を取(とり)答(こたへ)て曰く  天(てん)-元(もと)依(より)_レ 地(ちに)々(ちは)依(よる)_レ 天(てんに)    天-地(ち)皆(みな)従(より)_二 五(ご)-数(すう)【一点脱】先(さきだつ)  河(か)-水(すい)自(おのづから)従(より)_二 天上(てんじやう)_一降(くだる)   泰(たい)-山(さん)已(すてに)発(はつして)_二崑(こん)-崙(ろんに)_一原(はじまる)  土(と)-坤(こん)尊(たつたふして)守(まもる)_二 五(ご)-行(ぎやうの)信(しんを)_一  人(じん)-道(たう)貴(たつとふして)為(なす)_二《振り仮名:万-物-全|ばんぶつのまつたきを》  請(こふ)挙(あげて)_二此(この)-詩(しを)_一明(あかす)_二 六-問(ぶんを)_一  篇々(へん〳〵)透(とう)-徹(てつ)不(ざらん)_二胡(なんそ)言(いわ)_一 答(こたへ)罷(おわつ)て片手(かたて)にて鼎(かなへ)を挙(あげ)諸侯(しよこう)の前を匝(めぐ)り又 元(もと)の所に置(をく) 子胥(ししよ)遂(つい)に明輔(めいほ)の職(しよく)につき殿階(でんかい)の上に立て誓(ちかひ)を定(さだ)む列国(れつこく) 各(おの〳〵)宝(たから)を出し軽重(きやうちう)を闘(くらべ)明(あわ)す只(たゞ)楚国(そこく)は宝を備(そなへ)来(きた)らず哀公(あいこう)の曰(いわく) 楚(そ)は大国なるに何(なに)とて宝(たから)なきや子胥(ししよ)が曰 我(わが)楚は宝とするなし惟(たゞ)善(せん) 以(もつ)て宝とす君々(きみ〳〵)たり臣々(しん〳〵)たり四民(しみん)業(ぎやう)を楽(たのし)む誠(まこと)に鎮国(ちんこく)の大 珍(ちん)豈(あ)に 方寸(はうすん)の珠(たま)に比(ひ)せんや哀公 理(り)に服(ふく)して答(こたふる)こと能(あた)はず子胥又 哀(あい)公に告(つげ)て 曰(いわく)潼関(とうくわん)の一 路(ろ)を見るに強徒(きやうど)相(あい)阻(へた)つ君(きみ)護送(まもりおくら)しめ給へとて公孫后(こうそんこう)を相(あい) 従(したがへ)て関(せき)を出るによつて伏兵(ふくへい)敢(あへ)て犯(おかす)事 能(あた)はず偏(ひとへ)に伍子胥が功(こう)に よりて諸侯(しよこう)を保(やす)んじおの〳〵辞謝(じしや)して国に帰(かへ)る 五巻終 【左丁 見返し 白紙】 【裏表紙】