【帙入】 《割書:地震|後世》俗語之種  《割書:初編|之三》   一名本城 四季   借寝ヶ岡の図 絶景   会席の楼を    信中第一楼といふ  四季絶景仮寝ヶ岡之風流釃喜源述 春は梅か香を慕ひて初音哢鶯軒を歴廻 桃桜笑を含み海棠露を含の時に臨て青 柳糸を垂山雀瑠璃鳥も是を慕ひて緑を 添ふる呉竹常盤なる松が枝に哢毛氊ろ なして真薦なる席を携田楽を朋とする 身のいつ鹿馬の齢たかきを雖怪月を過日 を送□【る?】事の我はしらねと柴垣の垣根の 山吹衣更て卯の花にほふ庭の面を月か雪 かと疑へは夢覚よと郭公夏来《割書:に》けりと言儘に 牡丹の薫り齅【=嗅】染て徃つ戻つ《割書:あそふ| ○ 》蝶庵の軒 端に咲つゞく紫白の藤の艶なるは詠尽せぬ 程もなく金色なす菜の花の花より田の面に 苗代の水引入れは其風景沖の浪静やか にして早処女の菅の小笠遠近に見え遠音 に聞ゆる鄙歌を田鶴鳴わたるかと怪み名に 流れたる千曲犀川の清らかなるを船路かとそ 疑もむべなるかなむへ山の山にはあらねと仮寝 ヶ岡その鴈行還苅穂さへ貢のための朝夕に 民の竃戸は賑ふと御製まします叡覧も おゝそれありや有明の月もくまなく初霜を 照すもよしや善光の御寺の鐘の時なく年〳〵 歳〳〵花相似歳々年々同じうして頭に雪は積 れとも暮行歳をはしらぬかほ詩仏老人の 筆すさび信中第一楼と書遺されしも 実にや此仮寝ヶ岡の様なるへし過にし頃 此辺りなる農夫畑を耕て金色なる毘沙門天 の尊像を得たり爰に本城かりねか岡は寅の かたにあたり尊天幸ひの縁によりまた鬼門 相当の里なれは爰に一宇を建立し尊像を 奉遷るに日にまし霊験あらたなれは秘仏に 崇奉り常に前立の尊容を諸人に社は 拝せしむれ年連〳〵にしておのつから 奉納あまたありけるにや愛染菅公稲荷 の堂社勧請あり石檀下りし平地には彼の 楼におきて諸先生書画【畫】の会合を催し 常に会席を商ふにて長閑なる春の 日より冬は雪見にころぶまて四季 おり〳〵の風流を御開帳盛んのころ ほひはさてこそは花にあらめと地震 後世噺の種実法はせずとも一ト度は 嗚呼がましくも唐箕にかゝり吹出さるゝ ところまではと蚯蚓の歌も歌なりと恥を もつて恥ざることのは是畢竟釃酒の喜 源にまかせたるたはむれこととみ給ひぬとて かくなん 去程に出店梅笑堂にありて其賑ふ事お詠るに夜店の ともし火白昼を欺き市町の老若近憐【隣?】在〳〵の 諸人は素より他国遠近の旅人長途の旅行の 労をもいとはす賑しきにうかれたち時の過るも しらさりけり常念仏の時の鐘はやくも亥の刻を告るにそ ありあふ者に店せをしまはせ我壱人参詣に成行けるに引も きらさる往還の群集左りに除右に臨みて御本堂に 入けれは金銀珠玉錦帳あたりを輝し通夜するへく 充満し一口同音に称名を唱へあたかも鳥獣といへども もうねんを捨て上品生の心を発さらんや共に合掌して 仏縁を誓ひ三礼して表向拝まて立出つるに亥の刻 少しく過れとも其賑ふ事夥しく又云語に難述しと おもふ程もなく戌亥のかたとおほしおそろしき ひとこゑ天地八方に響き鳴動し又非類にして 土砂を吹立白昼を欺く数万の灯火手の裏を 返すが如くあん夜に変り親に離れ子を失へ とも是を求むる事はさておき行んとするを 刎あけ居らんとするをうちつけ歩行を運ず して或は五間又は三間前後左右に押遺【潰?】れ 引返され幾千万の群集いつれへか散乱し 其形ち壱人として爰にあらす天地くつがへりて 世減【滅?】するの時こそ至れるならめ乃至我先にとり ひしかれ人先にやつかみさらはれんかと我心中に 驚怖するのみにてなんらの因縁なるかそのよし を尋ね答ふるにあたりに人なし然するう ちも其響恐しく幾千万の雷連りて地に 落るおと怪み起上らんとすれとも立事不能行 んとすれとも足の踏処をしらす又は倒れ又は 中にはね上られ心魂苦痛やゝ暫くにして 少しは鳴動も止ぬる時は我思ふ譬此侭一命 終り一身爰に滅亡すとも妻子は纔に 山門を隔りて出店梅笑堂にありておなし 苦患に悲歎する事眼前なり譬此上急災を 受とも死場を妻子と共にして朽果なん 子として親の安否をおのれか苦痛に引替 妻として夫の行衛をしらす空鋪【むなしく】一命終り なんかゝる奇怪の時に臨て妻子の愛憐に 迷ひ往生決定せざる事地の謗りも恥へきか 暫く煩脳【悩?】難去といへとも夫婦死後に及 て幼少の子供何を頼にか成長せん共に死せは 我らか死後香華を誰か手向ん是皆凡夫 血統の情愛におほるゝの所為にて一心決 定して一ト走りに山門の下《割書:タ》に至るに案に たかはす闇夜に等しきその中を我を呼て 取縋る妻子をはじめ出店にありあふものとも はいつれも無難なりけれは一ト先心を安から しむといへとも共に安否も尋問ふ事なくたゝ 此処に死場を極めて悲歎し驚怖するのみ なり然るに群集の人〳〵は親夫にはなれ 妻子道連《割書:ヲ》見失ひたれよかれよと思ひ〳〵に 其名を呼て尋求る声あはれにして又辺りに 響き一身の置処に吟ひ啼喚く声 心耳に通し地震なるそ狼狽なといふ 声あり徐〳〵地震なる事をしりて又なそるゝは かゝる大変の事なれは地われて土中に埋なん 事を因て梅笑堂にありあふ板戸鋪もの なとを取出し鋪石の傍に鋪並へ其災害を 防かんとして此時漸く神仏を祈念する 事を案し北辰霊府尊星王【尊星王=妙見菩薩】象頭山 大権現一代の守護八幡大武神妻子とも〳〵 信仰し持合せたるきれものもなけれは脇 差引抜髪【髻?】りを押切りて本願を祈あたりを うち詠れは何鹿に出火となり盛んに燃立 方角は大門町上のかた【方】東横町中程東之門町 西側にて中程此三ヶ所を先とす火事よ〳〵と 呼騒立事夥しといへともたゝ狼狽騒しのみにて 欠【駆】付行んものもなく途方に暮るはかりなり 其ほともなく西之門町新道辺より火の手 盛んに燃立暫時に御本坊こそ危くみえにけり 諸人たゝはうせんとして気を損い魂を奪れ 神号を唱へ又称名を唱へて苦患を爰に とゝむる時節なるかな悪風悪火なる哉火気 盛んになりて本願上人様御院内中衆妻戸を 眼たゝく間に焼失ひて二王門へ吹なくる火勢取 わけて恐しく二王尊を始め迦羅仏の尊像 毘沙門大黒の両王を焼損ひ早くも左右の 見世店へ吹懸ヶ連〳〵たる火勢増〳〵盛んなり しかるかうちにも横山宇木相之木辺とおほしく また東町岩石町新町辺もかくなりける也 いづれを先いづれを後とも其程をわかたす新 道口は西之門桜小路阿弥陀院何れを限り 共わかたず市町一面の火気空にうつり 倒家の下たには圧死人の啼叫声親を慕ひ 子を叫る声神仏祈念の音喧敷【やかましく】また憐れ にして此上のなり行を悲歎する事おほかた【大方】ならす しかするうちも地震鳴動する事夥しく呵責の 苦患も是まてとやるかたなくそ居たりける我家に 帰らんにも一面の大火何とも不能思慮爰に又 庄五郎は我家に行て安否を尋ん事を談合 す我家も何鹿火の中なるへし万に ひとつもいまた火のかゝらすは家財はかならす 恪【きまじめに保持する】にあらす御制札と書物をは何とかして 取出し若も我家の焼失し是迚も遁れ がたくはそのむね直に可告知また願はくは 二条殿下様御震筆の額面我ら年来の 懇願によりて実兄より贈り給はり大切の品 にして同御震筆の掛物堂上方御染筆 六歌仙の額面何れも是皆同様の品なれは 何卒して無難なる事を頼度おもふなり怪我 いたさぬよう心付必〳〵危に近よらす心えなき 事もありなは引返して行事を止るへし 我は四五年此かたの大病此ことく腹中悩乱し 心気胸痛み逆上の烈しけれは今宵の 薄命無覚束お順は母に心を添力を あわせて煩はぬやうに乾三か成長を頼なり また幸ひの縁もあらは女はよろつ【万】嗜み 慎む事常とすへし物いふ事あら〳〵しきは 聞苦鋪夫を天の如く心得へしかねても いふ女に七去の難ありとか也なんと行も届かぬ 噺しに時をうつし乾三はいまた 幼少なれとも三才の魂ひ百まてとか也母を 敬ひ男子はもの読書事を第一とす 我幼少の頃親の教を背いま人前に出て 恥かはしき事の多かりけるも是後悔にして 取にたらす成長して他人の恥かしめを うけぬやうにすへしなんと噺しするまも 数度の地震鳴動おそろしく諸人称名を 唱ひ□【㕸:啼または泣?】喚声あたりにひゝき市町はいち面 炎〳〵たる大火連〳〵たる白黒の煙か灰を 吹立火のこは空に飛廻り盛火に辺りを 見渡せばあるとあらゆる奉納物宝塔 夜燈仏菩薩立連ねたるその筋〳〵【?】 善美の粧ひ手の裏を返すが如くあるひは 倒れ或は潰れ千分のひとつも其形ちの変 ざるはなく目もあてられぬありさまなり暫ク ありて庄五郎は息をもつがす立帰りぬ 其趣を尋ね問ふにいつれを行いつれを帰り たるや其順路をしらす或は倒家の上を踏 あるひは潰れかゞりたる家の下をくゞり 右に吟左りに狼狽その難渋なるは申述 がたく潰れたる家毎に腰をうたれ倒 れたる家並には手足をはさみあるひは黒 髪ばかりをおさへらるといへとも逃出す事 不能助け給へ救ひ給へと啼叫声耳を つらぬき苦痛のありさま目に遮りこけつ まろひつ数万の人〳〵右往左往に 逃去り歴廻に火事よ〳〵といふ侭に 倒れ家潰れ家の下には圧死とともに 息ある人も絶たるも此世からなるとうくゎつ 地獄呵責の苦患も斯やらんと語るもなが 〳〵恐ろしく身の毛も弥立斗なり 火事は横町より上のかた盛りにして風 も西南とおほえ候得はよもや権堂後町の 辺は類焼は致すまじまた御制札の 事は慥なるかたに預あり候まゝ必心配 なされなと申伝へよとの事にて候書物其外 少しのものは持出し置候との事にて候なと噺し するまもあらざるほどに西之門新道辺の 出火はやくも御本坊なる角の御蔵へ 火の掛りける事を人声騒敷呼たつるを 右に見やり左りにながむれは法然堂東之門 追〳〵上みのかたへ燃登りけるそのありさま 怖しく此所にあらん事かなはすとて出店 梅笑堂にあり候累戸棚壱つ其外かしのもの を持出し板戸鋪物のたくひなとわけ持て 御本堂のかたわきまて逃去りぬ当所の老若 はいふに及す遠近の旅人潰家を徐〳〵逃 のひたる人〳〵はじゆばんひとつに小児を抱ひ 又は裸にて手拭なんとを前にあてまた ある人は褌二幅斗りにてやうやく 辛き命を杖に怪我人または老人を 背負て逃去る諸人殊更哀れにして 其歎き見るに忍ひすしかるに又此所に あらん事の危きとて我や先人にや後れしと 逃のひけれは予もまた家内を引連て御本 堂の裏なる御供所の傍まて逃去りける 爰に始て御供所の潰れたるありさまを 見るに鳥籠の如きを石臼なんと打つけて 砕たるがごとく何れを柱何れを鋪居と 材木の形をわかたず地震のおほいなるを 驚怖するのみなりかゝる所に予もまた ます〳〵病ひ重り今にや一命絶ぬるかと おもふ斗りかゝる災害のありともしらす薬り とて用意もなくわづかの小堰に流るる泥 水を手に受て口中を潤し心を補ひ 気を慥にすべしとて妻子取縋りて介 抱し偏に神仏の愛愍納受をたれ給ひて 今一と度は助け救ひ給ひとて悲歎くのみなり かゝる折しも誰いふともなく今や山門へ 火かゝり御本堂も無覚束早く此所を 逃るへしとてまたもや我先人先にとて 老たるを厭ひ幼を抱跡をも見すして 逃去りけれはかゝる病ひの重かりしも身の 置所もあらざるかと肩にすがり腰にとりつき 用水堤の東のかた青麦畑を我宿と病ひの 床には薄縁り一重逆上烈しくして足冷 ぬれは妻子うち寄すそくつろげて火 燵とし介抱なせる身のうへも次第に冷行 に夜風を看病にのみ気を奪はれ哀と 云ともたとふるにものなしかゝる折しも 称名唱へ数多の人音いかにぞと大火にてらす 木陰より次第に近くなりぬるを打 詠むれは無勿体も三国伝来の尊像の 御宝龕引続て御印文前立本尊 の御宝龕錦帳あたりを暉し幾数 しれぬ諸人は此時ならて何鹿御仏の御宝輦を 搔奉らんとて無勿体も不浄もろんせす御輿に 取付一心称名唱へ宛感涙してそ供奉し たる真先なるは御朱印長持警固前 後を打守護厳重にこそ見にける是を 見上て数万の人〳〵すはや御堂も危 かいかなる時節の到来して今社此世の 滅するかかゝる苦患の今の世に生合たる ○宝永四年  亥八月  十三日  今之  御堂え  入仏  ましまして  より今弘化四年  にて百四十四年  にして  御立退なり 悲しさよそれにつきても仏縁こそ大事 なれと御宝龕の御跡慕ひ堀切道の右の かた本城近き田畑にて所は素より仮寝ヶ岡 御輿安置を定め給へは幕打廻し 守護あれは前後左右に逃去し数万の 人〳〵野宿して心に称名唱へつゝ明け行 空をうち詠めあきれ果てそ居たりける 【左頁】       横澤町     方角     アラ町     新道     西之門  御本堂 方角 桜小路 立丁 阿弥陀院 長野町 西町  山門 【右上より左へ】 方角 二王門 《割書:左|右》寺中 目床店 大門町 《割書:東|西》横町   寛慶寺  方角 東之門町 常念仏堂 法然堂町   《割書:方|角》伊勢町 方角 権堂表裏田町 後町新田石堂   方角   岩石町   新町   淀ヶ橋     本城     又者借     寝ヶ岡     毘沙門     《割書:愛染|稲荷》堂     カタハ     《割書:方|角》東北     横山     相ノ木     宇木 【右下より左へ】 此辺之田 畑《割書:え》諸人 旅人等 逃去野 宿ス   ホリキリ 御朱印 御本仏 御印文 前立御 本尊之 御宝龕 守護図 【白紙】 【白紙】 【裏表紙】