病中須佐美 病中須佐美 室直  清著 昔漢の文帝露臺を作らしめんとて匠をめして其價をとひ 玉ひしに百金に當るよしを奏しけれは百金は中民十家の産 なり吾今臺をつくる為に十家の産を費すことあるへからすと て纔かの露臺さへやめ玉ひしとなり其事今に至りて青史を照 し千歳の美談となることに今の 大君御代をしろしめす初め より聊声色の御好おはしまさす御身の栄耀を事ことく玉はす 物ことに華奢をいましめ天下の為に財を惜給ふことは漢文景に も恐しくは越給ふへし然るに近年米價賤しくして下部には 凍餒の民有り幸ひに菜色を免るゝといへとも豊年打続て米 価あまりに賤しく成り行ほとに微禄を賜る群臣其禄をとり て衣服以下の諸費をするに財乏して用たらす困窮に及ふ事 のよしを聞召され頻りに賑恤の御政ありといへとも昔より太平 久しくなりぬれは自から世の風俗驕惰に成り行ならいなれは貴 賤となく唯奢侈を好みそれに冨商大賈時勢に乗して貨利 の権を擅にするままに諸の物価未た平ならさる折しも米価 のみ俄に賤しくなれは是を以て諸価を償にたらさるよし又聞し めし今年より徳素の令御定めある為にそれまての怠を調せ よとて去年臘月の末つかた先立て有司に命して府庫の財を発 かしめ巨萬の金を散して微禄の輩にあまねく恩貸して下は 府史胥徒の賤しきに及へり誠にかたしけなき御事といふへし今 より後此たひ恩貸に預りし面々自新にして身を脩め奉公を慎 しみ御令を守り偏に徳素を務て置て 上の御恩慮を労 し奉しさるやうまと常に心かけなはせめて御恩の萬一を報する の志ともいふへしいかなれは庵堂の高きにいまして下の困窮をお ほしめし忘れず朝夕に御心にかけさせ玉ふ其かたしけなきをも おもひしらすして己を省る心なく酒色にふけり遊楽をの み好み身を持崩して 上の御恩を空しくすることあらは 人たる心もてる人とやいふへき禽獣にもおとりぬへし素より有 へき事ならねど近年士の風儀日々に散【敗?】て廉恥のこゝろ有 る参星のことくなれはかゝるうへにもさる人あるましと定かたしさ れは老のひかめる心にや其事をあらかしめ深くなけきて徒にも たし難きまゝに筆にまかせてしるし置伝るもし此言の葉ちり うせすして世にとり伝へて見る人あらはかくいふ予を評して 世を戒るとやいはん又世に論【謟?】とやいはん其評人の心によるへし 楼後【緩?】かいへる母よりいへは賢とし妻よりいへは妬のたくひなりそ れはあなかちに論する所にあらす享保辛亥年正月十三日 鳩巣老人駿臺の草の庵に筆をとる 病中須佐美終 上近衛公書