【右頁上段】 于時安政二乙卯年十月二日夜四ッ半時地震 発し一時に騒動して関東一円存亡夥敷く 人民肝を消て大路に転ふ天救を請て漸に命を 保もの官府の仁恵を乞て始て人心に帰す  第一〇和田倉内〇大名小路    〇大手前 〇日比谷内 先振動焼亡の所は和田倉内馬場崎先内     《割書:  |会津二十三万石》        《割書: |武州忍十万石》       「家紋」松平肥後守様やける「家紋」松平下総守焼る        《割書:一 |越後村上五万九千石》 夫より「家紋」内藤紀伊守様やける此辺西丸下御屋 しき桜田内共崩れ多く損し広大なり            《割書: |下サ生実一万石》 ▲龍の口北之角「家紋」森川出羽守様やける                  《割書: |姫路十五万石》 夫よりかた様御向屋敷やける「家紋」酒井雅樂 頭様やける但表御門残る此辺神田橋ぎは 左衛門尉小笠原右京太夫様松平越前守 道三橋辺御やきすべて崩おびたゝしく是より 向川岸は細川越中守様別条なく秋元但馬守様 此辺御やしき少しツヽくづれ多し松平丹波守様 水野壱岐守様松平越後守様何れも少ツヽくづるゝ                   《割書: |江州三上》 大名小路は両側共崩所々也西側角「家ね紋」遠藤 《割書: |一万二千石》 但馬守様うしろ定火消御やき共やける    《割書: |因州鳥取三十二万五千石》 「家紋」松平相模守様やけ御長家少しのこる           《割書: |三州岡崎 五万石》 日比谷御門内「家紋」本多中務太輔様やける     《割書: |摂州高槻三万六千石》 「家紋」永井遠江守様やける此辺いたみつよく すきやばし通りかぢ橋通り共損亡おびたゝし 【左頁上段】 第弐 ○外桜田辺 〇かうじ丁 〇番町    〇幸橋内  〇四谷赤坂 〇青山辺 外桜田ない芸州様御屋敷別条なく黒田様御屋敷は 角矢倉之御物見残り表御門きはまで御長家くづるゝ 此辺諸家様崩多く南は溜池へん西は赤坂 御門山王永田丁辺諸々崩る猶又新橋内東角    《割書: |石州ツワノ 四万三千石》 「家紋」亀井隠岐守様御屋敷内にて長家一ト棟焼る        《割書: |日向おび 五万千八十余石》     《割書:一行目|和州郡山十五万千三百》 それゟ「家紋」伊東修理太夫様やける「家紋」松平時之助 《割書: |八十石》         《割書: |奥州もり岡 廿万石》 様やけ又向がはゝ「家紋」南部美濃守様「家紋」薩州様 御装束屋敷表側やける其外有馬様丹羽様 北条様大岡様水野様鍋島様等いづれも崩 多し上杉様少し崩る「家紋」長州様うら御門内         《割書: |肥前佐賀 三十五万七千石よ》 少しやける「家紋」松平肥前守様崩候上やける夫ゟ 山下御門内■手通り不残中にも阿部播磨守 様大崩れ又井伊かもん頭様ゟ三軒家辺 平川丁崩少なく麹町通所〳〵崩あり 谷町隼人山本町少しいたむ四ツ谷御門内は 尾州様紀州様共其両御やしき崩少し番丁崩なし 是ゟ四ッ谷伝馬町市谷は高地よ宜しく 鮫がばし丁抔ひくき場所いたみつよし当所は 上水万年樋そんし水あふれ諸人難義す 新宿成子大久保辺千駄か谷辺別してさはりなし 青山赤坂は所々そんし多く分けて田町伝馬丁辺 崩れ多く麻布龍土日がくほ辺すべて崩れなし 【右頁下段】 第六 ○上野広小路 ○坂本金杉辺    ○根津池之端 ○御成道山下辺 東叡山御山内は御別条なく宿院諸所いたむ 池の端茅町弐丁目ゟ出火境稲荷より上は 七軒丁根津辺迄崩多く且共類焼なし 茅町は壱丁め木戸際にて焼とまる山側少々しのこる 出雲様榊原様無事也切通し下町家大崩なり 天神下通り崩つよく御すきや丁皆崩るゝ仲丁は 片側崩多く両かは丁は少し広小路山下辺崩多し 広小路東側中程ゟ出火上野元黒門町北大門丁 上野丁一丁目二丁目下谷同朋丁新黒門町上野           《割書: |下サ一万石》 御家来屋敷向側「家紋」井上筑後守様東北の 角少し焼ける車坂丁大門丁長者丁壱丁め二丁め 下谷町二丁目代地是ゟ中御徒町通へやけの也 長者丁向片側御屋敷上野丁うら中おかち丁 一円御武家地やける山下通御かち丁は和泉橋 通り迄所々崩るゝ妻恋下建部様内藤様                《割書: |いせ亀山六万石》 表長家崩るゝ下谷大名小路は「家紋」石川主殿頭  《割書: |房州かつ山一万石》 様「家紋」酒井安芸守様二軒焼ける▲夫ゟ下谷坂本は 二丁目三丁目やけて金杉三之輪は崩多し大音寺前 根岸共少しふるひ谷中は多分の事なし又車坂下 山崎丁辺広徳寺前辺少し崩るゝ三味せんほりゟ 七曲辺大名方塀土蔵大半崩るゝ尤外神田 境は格別のことなく久右衛門丁餌鳥屋敷辺少し崩る 【左頁下段】 第七 ○浅草辺一円    ○下谷境迄 北は千住宿崩多く小塚原丁のこらずやける 山谷通新鳥越は寺院共大崩れに新吉原 江戸丁ゟ出火五丁不残やける浅草田町二丁め 山下丁竹門馬道町寺院不残聖天横丁ゟ 芝居丁やける東かはにて森田勘弥羽左衛門 福助しうか竹三菊次郎などの家のこる聖天丁 山の宿はやけす九品寺ゟ西側花川戸半丁ほど 入やけとまる是ゟ金龍山観世音恙なく地内 崩多し並木田原丁多分也駒形崩多く中頃ゟ 出火して諏訪丁黒船丁三好丁御うまやがしにてとまる 夫ゟ御蔵前浅草見附迄所々崩多く鳥越新堀 寺丁辺所々崩る菊屋橋きは新寺丁角より 出火して両側小半丁やけこみ本立寺行安寺 正行寺三門前やけるこの裏てこうむね仁太夫の こやうち潰の上やける堂前辺所々くずれ崩る猶又 八軒寺丁四軒寺丁の寺院大半潰る東門跡は 本堂恙なし地中大破也西東の門倒るゝ也 森下三間町堀田原辺所々崩れ潰共多し 小揚丁御組下長屋潰る稲富丁富坂丁 は潰れ多く又誓願寺店日輪寺店辺崩 所々也浅草溜少し崩る観世音五十の塔 九りん北の方まがる雷神門の雷神損じ浅