引痘(うゑぼうさう)の諸事/素人(しらうと)一己(いつこ)の臆断(りやうけん)に任(まか)し又は引痘を行(おこな) はぬ医(ゐしや)の指揮(さしづ)を守(まも)りて謬(しそこなふ)こと多(おほ)きを以て此(こゝ)に始(し) 終(じう)の心得を挙て十全(けがなきこと)を保(うけあふ)の道を喩(さと)す引痘を其 子に行はんと欲(おも)ふ人は必此書を閲(み)て他(ほか)に心を惑(まどは)すこと勿(なか)れ 《題:引(うゑ)痘(ぼうさう)喩俗(さとし)草(ぐさ)》 《題: 安芸有喜斎》 三宅ぬしあきの国に 接痘のわざをおこなひ て此病にわつらふへき 児ともの為にいみしきわさを たてらるゝよしを聞て  吹すきはあれ散こすゑの    うきかせをよそにさくらの       花しつめ【注】かな  芳樹 【注 陰暦三月の花の散る頃、疫病も分散して人を悩ますと考えられていたことから、疫病を払うために、古代、令制で神祇官が行った祭祀の一つ。大神(おおみわ)、狭井(さい)の二神をまつった行事。】 引痘(うゑほうさう)さとし草   引痘(うゑほうさう)貴人(きにん)に専(もつは)ら行(おこな)ひ給ふ事 此引痘は古今無二の良法(よきほふ)にして人命(ひとのいのち)を助(たすけ)ること 是(これ)に出(いづ)る物なし嘉永二年己酉に和蘭(をらんだ)より此種(このたね)を 持来(もちきたり)しより人々/尊信(そんしん)する者 多(おほく)して京都にては 親王方(みやさまがた)を初奉り諸国には御大名方に専ら行(おこなひ)給ふ 事は人々の知(しる)所なりかゝる貴(たつと)き御方にはよく〳〵 御穿鑿(ごせんさく)ありて聊(いさゝ)か妄漫(みだり)なる事を用い給ふ物に 非す然に世人(よのひと)一己(おのれ)の臆断(りようけん)にて此の法を疑(うたが)ひ或は譏(そしり) などするは実(ぢつ)に頑愚(がんぐ)【左ルビ ことのわからぬ人】といふ者なり   悪説(あしきひやうばん)は能々/撿査(たゞ)し見るべき事 引痘の再(にど)発せぬ理(わけ)は言(いふ)にも及ねば爰(ここ)に略(りやく)しぬ 世人(よのひと)折角に吾(わが)子に引痘して大厄(たいやく)を逃(のが)さんとせし 時に何所(どこ)に再痘(にど)したといひ又/彼所(あれ)には引痘に て夭死(わかじに)したもありなど実(ほん)らしく云(いひ)なして其/父(お) 母(や)の疑(うたがひ)を起(おこさ)しむる悪人(あくにん)あり若(もし)左様なる説(ひやうばん)ある 時は我(わが)子の為(ため)なれは竭力(ちからをつくして)【左ルビ こんかぎり】能々/撿査(ただ)し見るべし 必ず浮説(うそ)なりしかし無法(むほう)の医(いしゃ)が妄(みだり)に引痘して 真仮(ほんものとにせものと)の弁別(わかち)も知(しら)ずして誤(しそこなふ)事は常にあることなれば 引痘には別(わけ)て医(いしゃ)を撰(えらぶ)を第一とすること也