享和癸亥孟夏新鐫【横書き】 《題:麻疹戯言》 式亭三馬先生 編 《割書:毎部定價|紋銀三戔》   《割書:勝手次第|不構翻刻》  いふは姓名(せいめい)なる歟 字号(じごう)なるか。 俳名(はいめう)なるか。   表徳(ひやうとく)なる歟。そも諡号(おくりな)なる歟。そも混名(あだな)  なる歟。 孰(いづ)れ本名 紛(まぎらは)しき病名(べうめい)也とて。 我(わが) 大御国(おほみくに)のやまとたましい。 些些(ささい)な字義(じぎ)  にはかまひ申さぬと。 唯手(たゞて)がるくハシカ  と訓(くん)じて通用(つうよう)す。 其(その)旧(いにしへ)【「古の記紀を」】   索(さぐ)るに。 稲目瘡(いなめかさ)とあり。 赤疱(あかも)【「瘡とあるは。」】 今いふ麻疹(はしか)の事(こと)なるよし 大人(うし)が説(せつ)にも見えたり。 疱瘡(ほうそう)麻疹(はしか)といへども。 似(に)ぬ物(もの)もまた 疱瘡(ほうそう)麻疹(はしか)なるべし。 形容同(かたちおな)じう して心の異(こと)なるをたとへば。 水僊(すいせん)と 冬葱(ねぎ)のごとく浄(かたきやく)と諢又浄(はんどうがたき)の如(ごと)し。され ども世俗(せぞく)似(に)た物(もの)なれば是(これ)を菖蒲(あやめ) と杜若(かきつばた)にたぐへて。 彼(かれ)を媚定(みめさだめ)とし。 是(これ)を命定(いのちさだめ)とす。 麻疹(はしか)は命定(いのちさだめ)に あらず。 疱瘡(ほうそう)命定(いのちさだめ)なるべし。 夫(それ)は ともあれ。 此(この)ごろの人は。 疱瘡鬼(ほうそうがみ)か 合棚(あひだな)に。 麻疹(はしか)の神(かみ)のあるとまで 心得(こヽろえ)けん。 源八(げんぱち)も才陸(さいろく)も。 執(と)り つかれしとおそれあへるは。 片腹(かたはら) 痛(いた)き事なれども。しばらく俗(ぞく)に したがひて。さらば神(かみ)とも。 申(まをす)べけれど。 疱瘡神(ほうそうかみ)は棚(たな)に祭(まつ)りて。 赤(あか)い尽(づく) しをさ〻げ立(たて)。 木兎(みゝづく)のお伽(とぎ)も あれど。 麻疹(はしか)は神(かみ)といふまで にて。 赤(あか)の飯(めし)の沙汰(さた)もなく。 鴞(ふくろう)の 張籠(はりこ)も見えず。 神(かみ)でもない物(もの) 神〳〵と利(り)を付るは。しりもことし の行童謡(はやりうた)。でこでもないもの。でこ 〳〵といふにひとしく。 何(なに)をもつて 神(かみ)といふや。何をもつてでことか いふや。 夢中(むちう)でしらぬ俗物(ぞくぶつ)が。 初発(ぞやみ)の 熱(ねつ)のうはことなるべし。 噫(あゝ)この 夏(なつ)いかなれば。かゝる天疫(てんゑき)の 災(わざわひ)を下(くだ)して。 吏民(りみん)にくるしみを かけ給ふぞ。ねがはくば天神(てんじん)地(ぢ) 祇(ぎ)。 哀愍(あひみん)のまなじりをたれ給ひ。 まこと麻疹(はしか)の神(かみ)あらず。すみ やかにちくら【筑羅】が沖(おき)え送(おく)り給へ。 さらばおのれも御幣(ごへい)を振立(ふりたて)。 鐘(かね)と太鼓(たいこ)をうちならして。 おくれ〳〵とちからを合せ奉る べし。 撫(なで)つさすりつ看病人(かんべうにん)の。 丹精(たんせい)を抽(ぬきんで)て告(つけ)奉る微志(びし)を それ見そなはし給(たま)へ。     ちゝんぷいぷい           〳〵    麻疹(はしか)と(と)海鹿之(あしかとのべん)弁 旅行(りよこう)を思はぬものは。 名所(めいしよ)図会(づゑ)も面白(おもしろ) からず。 戯場(しばゐ)を看(み)ぬものは。 俳優(やくしや)話説(ばなし)も 耳(みゝ)にいらず。 和州順歴(やまとめぐり)して自家(うち)へ回(もど)れば。 旧地(めいしよ)勝景(こせき)を思ひ出(だ)して。 卒然(にはか)に道中記(だうちうき) が見(み)たくなり。 一回勾欄(ひとたびしばゐ)を覗(のぞい)ては。 今(いま)まで 嫌(きらひ)の優子説(やくしやはなし)も。 自己(おのづ)とする気(き)になるは。 彼串童嫌(かのかげまきらひ)が傍椅(ねきよ)らん勢の愛敬(あひけう)に。 ぐにやとなつたる一般(たぐひ)にして。 見(み)ぬ洛陽(みやこ) 談話(ものがたり)。もとより感情(おもしろみ)ある味道(あぢはひ)をしら ざる所以(ゆえ)也。 細見(さいけん)を開(ひら)けばまづ旧敷娼(あひかた) の名(な)をしのばれ。 麻疹(はしか)がはやれば。 俄(にわか)に 麻疹(はしか)の書を見(み)たく思(おも)ふは。 都(すべ)て世間(よのなか)の 人情(にんぜう)なるべし。ちかきまで段義衣装(だんぎいしやう)に 定(さだま)つたる。 正銕色(てうじちや)がはやり出(だ)すと。そこら だらけが丁子茶(てうじちや)だらけ。 流行物(はやりもの)とはいひ ながら。 男(おとこ)の䰎(はけ)はます〳〵短(みぢか)く。 女(おんな)の髷(まげ) は面(かほ)より強大(おほきく)。 五歩真田(ごぶさなだ)の腰帯(こしおび)は 男子(おとこ)のしめるものとなり。 洒(さらし)の手巾(てぬぐひ)は。 婦人(おんな)のかぶるものにきまりて。 往古来今(おうこらいこん) さま〴〵に移(うつ)り変(かは)るもまた浮世(うきよ)也。されば 御江都(おゑど)の消金場(せいきんぜう)。 繁華(はんくは)の地方(とち)の新(し) 様物(だしもの)。 一(いち)ばん中(あた)つた物(もの)あれば。 贋(にせ)の出(で)る事 速(すみやか) なり。 時花東西(はやりもの)には喬人(にせて)が多(おほ)く。この衙衕(まち) にも七種茗漬(なゝいろちやづけ)。かしこの十字街(つじ)にも福徳(ふくとく) 煎餅(せんべい)。 煮(に)たり炙(やひ)たり虚擬(おつかぶせ)。 仮物(にせ)が正舗(ほんけ) 歟。 本家(ほんけ)が偽物(にせ)歟。 汝(われ)が予(おれ)歟。 不侫(おれ)が足下(われ) やら吾勝(われがち)に。 利(り)を射(ゐ)る們(やから)の多(おほ)き世にも。 流行(はやつ)て喬的(にせて)のなきものは。 這般(このたび)の麻(はし) 疹(か)也。 斵工(さいくにん)は本来(もとより)无(な)く。 有(あつ)た処(ところ)が仮(にせ)て もつまらず。 没法(よんどころなく)匙(さじ)を放下(なぐ)れば。又 拾(ひろ)ふ ものありて。 医人(おゐしや)の仮佀(まね)する素人療治(しろうとりやうぢ)は。 包紙(つゝみがみ)の表書(うはがき)にも。 煎法如常(せんじやうつねのごとし)と。 清朝風(せいちやうふう)で嚇詐(おどか)して。 段疋舗(ごふくや)の売契(うりあげ) 歟。 魚市街(おだはらてう)の交盤冊(ひかへてう)歟と。よめぬやうに にじくらねば。 国手(ぜうず)めりぬと心得(こゝろえ)るが。 白癡(こけ) 諕(おどし)の初熱(ぞやみ)なり。さるが中にも販茶生(きぐすりや)。 を似(に)する売茶多(ばいやくおほ)く。 横町(よこてう)のしまふたや。 新道(しんみち)のあやしの出格子(でがうし)。 連牆(かどなみ)に麻疹(はしか) の妙薬(めうやく)〳〵と。 ■標的(かんはんかき)の筆意(ひつい) を露(あら) はし。 筆(ふで)ぶとに見しらせたる。 松板(まついた)の 間(ま)に合招牌(あひかんばん)。■【ふりがな「いど」。井桁のマーク】の牌(しるし)を斜(よこめ)に瞅(に)らんで。 路次(ろじ)口(くち)にまでぶらさげしは。 欲心(よくしん)表(おもて)に 出透(でそろひ)なり。 其効験(そのこうげん)の妙(めう)々 奇(き)々。 孰(いづ)れを聴(きい)ても神(しん)の如(ごと)し。 鳴呼(あゝ)大(おほ)いなる かな。 痧疹(はしか)の行(おこな)はるゝ。 夫是(それこれ)を見て察(さつ) せよ。おのれも頃日(このごろ)麻疹(はしか)を患(うれへ)て。 漸(やうや)く 出透(でそろひ)のけふとなれど。うちつゞく【談じて?】 霖雨(ながあめ)のはれ間もなければ。つれ〴〵 なるまゝのかはよと。 節前(ものまへ)の心機(やりくり)も。なく 子(こ)と病(やまひ)に勝(かた)れねど。 債主(かけとり)の分説(いひわけ)には。 恰好(さいはひ)の病也と。ひとりつぶやきて居(ゐ)る 扉(とぼそ)を。ほと〳〵とおとづるゝは。 欠込(かけこ)んで 来(く)る女児(むすめ)のあてもなし。 爰(こゝ)で水鶏(くゐな)も 古いやつずつと押(おし)たり〳〵と。 寢(ね)て居(ゐ) ながらの応答(あいさつ)も。例の懶堕的(ぶしやうもの)なれば 他(ひと)もおのづからゆるし給へと。 入来(いりく)る客(きやく)の 面(かほ)を看(み)るに。 鹿子(かのこ)まだらの鍋墨(なべずみ)だらけ。 顔色(がんしよく)すべて正黒(まつくろ)なるは。 牛児(うし)に引(ひか)れ て善灮精舎(ぜんくはうじ)の自慢(じまん)する。 信濃(しなの)の国(くに)の 人民(じうにん)。 大食冠(たいしよくくはん)の苗裔(べうえい)と聞(きこ)へたる。 隣家(となり) の甚太(ちんだ)といふ焚飯漢(めしたきおのこ)也。 賓主(ひんしゆ)の礼(れい)も  へちまもかまはず。つか〳〵と入り来(く)るにぞ。 又 故郷(くにもと)の書牘(てがみ)をよませにや来(きた)る。 下漢(おしな) 何(なに)事なるやと起身(おきなほ)るに彼(かれ)が曰(いはく)。ちと承(うけ給は)り たき子細(しさい)あれば。 竈下(かまもと)を終(しまふ)や否(いな)。 即便(そんま) 参(まい)つたり。 先生(せんせい)に伺(うかゞ)ふ事 余(よ)の儀(ぎ)にあらず。 頃日(このごろ)世間(せけん)に行(おこな)はるゝ病名(べうめい)をハシカといふ もの七人あれば。アシカといふ人(ひと)三ン人あり いづれ歟 是(ぜ)なるや。いづれか非(ひ)なりや。 同僚(ほうばひ) 子弟(どうし)の争論昼夜(そうろんちうや)にやまず。 負業(まけわざ)を 贖(あがな)ふに。 大福餅(だいふくもち)を以(もつ)てし。 二合半酒(こなからざけ)を もつてす。 其甚(そのはなはだ)しきに至(いた)つては。 身價(みのしろ) の方銀三片(ほうぎんさんぺん)これが為(ため)に危(あやう)し。 先生(せんせい) よろしく我(わ)が為(ため)に教示(きやうじ)し給へと。 左右(さゆう)の 跟(きびす)を屁腰(へごし)にかいしき。 居(ゐ)ざまは草書(さうしよ) の道(みち)の字(じ)なして。 襦袢(じゆばん)にまがふ綿布袷(もめんあはせ) の。 染模様(そめもやう)の色(いろ)までも。いと興(けう)さめて覚(おぼ) ゆるにぞ。 含笑半分正面(おかしさはんぶんまじめ)に殺(ころ)し。 冷(さめ)た 薬(くすり)をぐつと吃(のみ)。 恰好(さいはひ)の咳払(せきばら)ひに。 勿体(もつたい)をつけて答(こたへ)て曰(いはく)。 嗚呼(あゝ)其争(そのあらそひ)や 君子(くんし)なる。 尤(もつとも)あしかといふ病(やまひ)は別(べつ)に一種(いつしゆ) ありといへども。 当時はやるははしか也。 はしかとあしかと比(くらべ)ては。 奉書(ほうしよ)に炭団(たどん)。 木履(げた)と炙噌(やきみそ)。 亀児(かめのこ)と天道(てんとう)さまほど 違(ちが)ふ也。 早(はや)く賭(かけもの)【?】の酒(さけ)を吃(の)め。ハシカ〳〵と 答(こた)ふるにぞ。しからばはしかに疑(うたがひ)なき。 しかとしたる証拠(せうこ)を給(たま)へ。 先月(あとのつき)の 事なりしが。 東国方(とうごくへん)の里医(おいしや)の言(ことば)に。 あしか〳〵といふ事を吾慥(われたしか)に聞(きけ)り。 こゝに於(おい)て疑惑(ぎわく)を生(せう)ず。それでお飯(めし)を 食(く)ふ人すらあしかといふは心得(こゝろえ)す。先生 これは奈何(いかに)と言(い)ふ。イヤ〳〵夫(それ)は僻耳(ひがみゝ) なるべし。 假(かり)にも神農(しんのう)の真佀(まね)をする。 生薬師(いきやくし)の身分(みぶん)として。 病名(べうめい)しらぬ ものやはある。すべて東奥(とうおく)の人(ひと)。 言語(げんぎよ) 鼻(はな)にかゝがるゆえに。 五音律呂(ごいんりつりよ)の開悟(かいご) わるくて。はしかもあしかと聞(きこ)ふる也。 国(くに)々の方言(ほうげん)さま〴〵にて。 一(ふと)ツ二(ひた)ツを爰(こゝ)に いはゞ。びる(蛭)ばち(蜂)どんぼう(蛉)がに(蟹)げへる(蟇)とて。 清濁(せいだく)わからぬ言(ことば)もあり。 江戸(ゑど)から一夜(いちや) に乗附(のりつけ)る。 眼(め)と鼻(はな)の間(あいだ)ですら。ふき(引) 窓(まど)のふぼ(紐)を。ふつぱ(引張)るな〳〵といふに。 ふつ(引)ぱつたから。がらふつ(引)切(きれ)といふ。 がこどく【ごとく?】。 国癖(くにくせ)の事は夷曲(きやうか)にも。 大和(やまと)かい 西(にし)はあぢかを【左ルビ「西国 ナゼト云コト」】関東(くはんと)べい。 都(みやこ)ござんす伊勢(いせ) おりやりますとよみたれば。 浪速(なには)の蘆(あし)も 勢陽(いせ)の浜萩(はまおぎ)。 其国其所(そのくにそのところ)によりて。 言語(げんぎよ)もさま〴〵変(かは)りあれども。アシカ はハシカの僻耳(ひがみゝ)に。 疑(うたが)ひなしと弁(べん)ずれ ば。 甚太(ぢんだ)反面(かたほ)に微笑(ゑみ)を含(ふく)み。 有(あり)がた し〳〵。先生のおかげにて。 銅壺(とうこ)を灰汁(あく) で磨(みがい)た如く。 麻疹(はしか)の生疑(うたがひ)さらりと 解(とけ)たり。シテ又あしかといふ病(やまひ)。 別(べつ)に有 やと根問(ねどひ)の疑問(ぎもん)。せんかた案(つくえ)をトンと うち。 口(くち)から出(で)まかせ。 方底円蓋(こじつけ)て 曰(いはく)。 夫(それ)熟(つら〳〵)あしかの病症(べうせう)を監(かんがみ)るに 本草綱目(ほんざうこうもく)獣之部(ぢうのぶ)に。 海獺(かいらい)ウミウソ  といふものあり。大きさ狗(いぬ)のごとく。 脚(あし)の下 に皮あり。 頭(かしら)は馬(うま)の如(ごと)く。 腰(こし)より以下(いか) 蝙蝠(かはほり)に似(に)たり。 其毛(そのけ)獺(かはうそ)に似(に)て大(おほい)なる もの也 其形(そのかたち)獣(けもの)と魚(うを)との生浄二役(ぢつな?くふたやく)。 乞丐(こじき)演戯(しばゐ)の定九郎(さだくらう)。 当今(たゞいま)のお笑(わらひ) 種(ぐさ)。 是(これ)  日本(につぽん)の海鹿(あしか)なるべし。 紀州(きのくに) 海鹿島(あしかしま)に多(おほ)く群居(むれゐ)て幾千(いくせん)と なく砂上(しゃせう)に眠(ねむ)る啼声(なくこえ)於宇(おう)〳〵と響(ひゞ)き。 鼾息(いびき)の音(おと)。 殊(こと)にすさまじ。 班(その)中に お針(はり)の老(お)婆さんともおぼしきもの。只 一頭(いつとう)起番(おきはん)にて。もし漁船(りやうせん)近つく 時は。 寝ごかしされた雛妓(しんんざう)を。 鴨婆(やりて) が起(おこ)すに異(こと)ならず。 許多(あまた)の海鹿(あしか)を ゆり起して。 皆(みな)水中へ転(ころひ)入といへり。 此もの人に害(かい)する事。 数回(あまたたび)なりとて。 其いにしへ夢想国師(むそうこくし)といへる。 道徳(たうとく) いみしき聖(ひじり)のおはして。一 扁(へん)の真(しん)言 を唱(となへ)へ給ふ。 其文曰(そのもんにいはく) 〇〇〇〇(アシカハ)。 〇〇〇〇(トウカラ)。 〇(ヲン)〇〇〇〇(ヒンナレ) 〇〇(ヲンイン)〇〇(ノコ)。〇(イン)〇〇(ノコ)。 〇(ソワ)〇(カ)【〇は凡字】 唵犬兒狛子(おんいんのこいんのこ)娑婆訶(そはか)と。 耳(みゝ)の傍(あたり)え さしよりて大喝一声(たいくわついつせい)耳(みゝ)つ遠(とを)。 耳(みゝ)つ 遠(とを)と高(たか)らかに偈(げ)を授(さづ)け給ひ。又 二首(にしゆ)の 歌をもつて化度(けど)し給ふ。 其歌(そのうた)に 世(よ)の中に寝(ね)るほど楽(らく)はなきものを          しらであほうがおきてはたらく 朝寝坊(あさねぼう)宵寝(よひね)をこのみ昼寝(ひるね)して          とき〴〵おきて居(ゐ)ねふりぞする 此 咏歌(ゑいか)の奇特(きどく)にやよりけん。その後(のち) 絶(たえ)て障礙(しやうげ)をなさずとかや。猶 委(くは)しくは  寝惚先生(ねぶけせんせい)。 睡眠(すいみん)夢語(ぼうご)に見えたり。今 も時として此ものにおそはるゝもの。 箇(こ)の 病(やまひ)となりて。 提燈(あんどう)を見る時は。 頻(しきり)に 睡気(ねふけ)を催(もよほ)す。 路(みち)をつくる老夫(ぢゝ)老婦(ばゝ) より寝(ね)るがお役(やく)のうなゐ子まで。ゴウ〳〵 とうなり。ムニヤ〳〵と苦(くる)しむ事。 便(すなはち)病(やまひ) の業(な)す処にして。 振新名代(ふりしんめうだい)と なつては。 客(きやく)を看(み)て忽(たちま)ち高鼾息(たかいひき)を 生じ。 小二(でつち)夜食(やしよく)を食(くら)つては算盤(そろばん)を 見て。 頓(とみ)に鼻(はな)呼吸(いき)荒(あら)し。あるひは 刺懸鶉(つぎあてがひ)に。 涎(よだれ)を垂(た)らし。 或(あるひ)は苧(を)を【懸鶉ケンジュン 破れ衣】 捻(ひねつ)て。舟を漕(こ)くの類(たぐひ)。 都(すべ)て是アシカ の病症(べうせう)なり。 仮令(たとひ)面上(かほぢう)へのしこし山 を写(か)き。 踉(かゝと)へ大の艾(もぐさ)を用(もち)ひて。 呪(まじな)ふ  とも忽(たちま)ち再発(さいほつ)して。 起(おき)て居(ゐ)て啽囈(ねごと) を吐(は)き。 寝(ね)て居(ゐ)て小通(せうべん)をたれるに至(いた)る。 故(ゆえ)に張景岳(ちやうけいがく)といふとも。 孫真人(そんしんじん)と いふとも。 宿昔(いにしへ)より方論(ほうろん)ある事を聞(きか)ず。 誠(まこと)なるかな。 国(お)医(いしや)さんでも。 神祇(かみ)さん でもあしか病(やまひ)は治(なほ)りやせぬとうたへる。 実(じつ)に難治(なんぢ)の症(せう)なる事 金(かね)の草鞋(わらぢ) で尋(たづね)るとも。 外(ほか)にはないぞやあしかの 妙薬(めうやく)。 海獺(うみうそ)といふ獺(うそ)話説(はなし)。 因縁此(いんゑんかく) の通(とを)りぞと。 弁(べん)にまかせて説付(ときつけ)れば。 おまへの僻説(へきせつ)御尤(ごもつとも)。 唯唯(いゝいゝ)として          点頭去(うなづきさん)ぬ。 維峕享和三ツのとし皐月 端午。 痘疤(あばた)の上(うへ)へ痧病(はしか)をして。 むかしにまさる好男(いろおとこ)。しかも六日目  出透(でそろひ)の熱(ねつ)に犯(おか)され。     癚語(うはこと)を蚊帳中(かやのうち)に        吐(は)くものは。    江戸前の隠士      遊戯堂主人     跋 北川氏船(きたかはうじふね)にて契約(やくそく)の事(こと)と書(かき)たる 招状(はりふだ)は、 爺(ぢゝい)と姥(ばゝあ)の話説(はなし)に残(のこ)りて、 二十八年(にじうはちねん)のむかし〳〵に廃(すた)れ ども、かせての後(のち)は我(わ)が身に 請合(うけあ)ふ、 麦殿(むぎどの)の歌(うた)の徳(とく)は  今茲(ことし)も麻疹(はしか)の流行(りうこう)に 後(おく)れず、されば痧疹(はしか)は 養生(ようぜう)にあり、 初発(ぞやみ)の熱(ねつ)の 癚語(うはこと)は、 醒(さめ)ての後(のち)の御了簡(ごりやうけん) と、 寺岡(てらおか)もうけ合(あ)ふべけれど、 治疹(かせ)ての后(のち)のふ了簡(りやうけん)は、 了竹(りやうちく)が忘【し?】るゝ処にあらず、【『仮名手本忠臣蔵』の寺岡と医者了竹か】 身体髪膚(しんたいはつぷ)を筍(たけのこ)に換(かゆ)るは、 口(くち)に孝行(こう〳〵)をつくして、 親(おや)に 不孝(ふこう)なるをしらず、 長生(ちやうぜい) ふ老(らう)を鰹(かつを)に縮(ちゞむ)るは、 口(くち)に 初物(はつもの)を食(くら)つて、 生延(いきのび)る 味(あぢは)ひをしらざる也、 鰻(うなぎ)の樺焼(かばやき) 三串(みくし)か四(よ)くし、にくしと思(おも)はぬ 己(おの)が身(み)を、 捨売(すてうり)にして裸(はだか) 百貫(ひやつくはん)、 丈夫(ぜうぶ)につかつて五十 年(ねん)、 人間(にんげん)わづか二百孔(にひやくもん)の價(あたひ)に、 御壱人前(ごいちにんまへ)の命(めい)をあやまつ は嘆(なげか)はしき事ならずや、予 頃日(このごろ)麻疹(はしか)に罹(かゝ)りて、 営生(えいせい)を 休(やむ)るの間(ひま)?、 箇(こ)の劇文(げきぶん)を著(あらは)し、 て、 題(だひ)するに、 来舶(たいはく)の書名(しよめい)を 借(か)り、 花陣(くはぢん)綺言(きげん)の響(ひゞ)きを 採(と)つて、 麻疹戯言(ましんきげん)と題号(だいごう) しこれを弘(ひろむ)るに、 彼杵(かのきね)と鈴(すゞ)の、 如くなさんとす、しかはあれど呪(まじ) 術(なひ)の猴(さる)の人(ひと)真似(まね)にして、 多羅(たら) 葉(えう)の、たらはぬがちなれば、 世間(よなみ)の善痧(よき)には引(ひき)かへて、 悪評(あくへう)をするものあるべし、 さら婆 噴嚔(くさめ)をするのみ にて、 人(ひと)の噂(うはさ)も禁物(どくだて)も、 七十五日のすゑを待(ま)つと         云而、   たらり楼に於いて       三馬題       江戸数寄屋橋御門通        南<割書:江|>一丁下ル山下町   書林    万屋太治右衛門               蔵板  式亭三馬著         袁倉山か随園詩話に    縮 緬 詩 譚(ちりめんしわ)      傚て江戸諸名家秀    巾箱本一冊近刻     作なる懐旧の狂詩話                なればちりめんしわと                号くるもの也