《割書:疱瘡|□□》軽口ばなし  叙 大星(おおぼし)寺岡(てらおか)に謂(いつ)て曰(いはく)、足下(きさま)足(あし) 軽(がる)にあらず、口軽(くちがる)なり、牽頭持(たいこもち) なされと云云、今(いま)や此(この)軽口噺(かるくちばなし)は 子供衆(こどもしゆ)たいこ持、足軽ならず 手軽(てがる)にして、固(もと)より趣向(しゆこう)は疱(ほう) 瘡(さう)の赤本(あかほん)もどきにへらかし たれば、其等(そこら)は赤(あか)い衆(しゆ)たんのみじや、 祝(いは)ふてひとつ、しめろヤァレ しやんと云爾(しかいふ) 十返舎一九志 発端 くさぞうしの さくし□【「や」か】一九 はんも□【「と」か】 よりの ちうもん にて今 せけんにはやる ほうそうの□□【「ほん」か】をさくせよと たのみにまかせれいのよくばり のみこんだといつたばかり いつとうにしゆこうなし はんもとせきこみきつて よしはらのはまのやともに まいにちのさいそく とちらへもおなじこと わりうそもつきし まいいつしやうけん めいとなり なんでも一ばん あんじるつ もりにてぐつと ねいつてしまいける ときにはりこの だるませんせいむ ちうにあらわれ いでそのちゑ □【「こ」または「と」か】れにと三文ばかりばらり〳〵となげいだせは やう〳〵一九三もんがちゑをさつかりさてこそこの □やうさつをこじつけける 【草双紙の作者一九、版元よりの注文にて今世間にはやる疱瘡の本を作せよと頼みに任せ、「例の欲張り飲み込んだ」と言ったばかり、いっとうに趣向なし。版元急込みきって吉原の浜野屋ともに毎日の催促。どちらへも同じ断り。嘘も尽き、しまい一生懸命となり、何でも一番案じるつもりにてぐっと寝入ってしまいけるときに、張り子の達磨先生夢中に現れ出で、「その知恵これに」と三文ばかりばらりばらりと投げいだせば、やうやう一九、三文が知恵を授かり、さてこそ、この□やうさつをこじつける】 【浜野屋…吉原仲町の妓楼。『素見数子』『吉原青楼年中行事』『通俗巫山夢』など、一九の作にたびたび店の名前が登場している。】 【「殊に、浜野屋の主人東作とは、狂歌仲間としても親しく、後になるが、『膝栗毛』六編下の挿絵には東作が画讃を送ったり、『堀之内詣』第六章では、本文中に東作が実名で登場したりする間柄であった」中山尚夫「十返舎一九伝記考ーその結婚時期を中心として」『文学論藻』38巻59号、東洋大学文学部日本文学文化学科、1985年2月】 くさぞうしのさくしや十返舎一九 あるときよしはらよりのかへり がけにあさくさのかやてうを よふけてとふりけるに あかはのうちよりなにか ちいさな人が出たり はいつたりするをみれば なかにゐぎやうのすがた あり人かとみれは ひとにあらずみな 子どもしゆのもち あそひなりなかにも はりこのだるまがいふには なんでもこんやの よりあいはいつち おいらがか□ あいのことだから みなたのみ ますとの いゝぶん一九 これをちら ときゝて こいつはおもし ろいとかのやいの あとからついてゆき みればあるみせへ みな〳〵あつまり さうだんするをきけば みな〳〵くちを そろへていふわれ〳〵 としごろ子とも