傳染病ニ於ケル 免疫 ニ關スル研究 パストウール研究所教授 醫學博士 ア,べスレドカ著 北海道帝國大學教授 醫學博士 井上善十郎譯 昭和八・八・二九・内交 1933         親しき同僚の友よ  貴下が拙著『傳染病に於ける免疫に關する研究』の日本譯を 完成せられしを拝承し衷心より欣ぶものに候 小生は貴下が 日本に於て局所免疫學の普及に如何に努力せられつつあるか を悉知致し居り候  従つて貴下が日本譯御出版に關しては貴下が任意に敢行せ らるゝ事當然に御座候  小生は貴下が當地に御滞在中に於ける懐しき種々の憶出を 常に有し居り候  小生等は幸にも貴下がかつてパスツール研究所に於て行は れたる御研究に關與出來得ることを欣び居り候              巴里パスツール研究所               ア,べスレドカ               一九三二年十二月九日 Institut Pasteur         PARIS, le 9 XII 1932 25, RUE DUTOT (XVe arrondi) TÉLÉPHONE : SÉGUR 01-10 【左翻刻素案】 Mon cher Collègue et Ami, Je tres veux que Vous félicitez de l’achevée que Vous avez écrit de traduction au japonais ”les a(?) études sur l'immunité dans les maladies infectieuses”   Je sais combine Votre (centre) leur(?) à la propagation de la contribution 【以下難解】 Je prendrai (xxxxx p_ecale) dans Votre fait Aussi est-il tout naturel que ce fait à (xxx) que (revieuche) la réduction de l'édition japonaise   Nous avons (pontché) de Notre le jour ferme(?) dans le (heulleur) souvenir Et nous nous rappelons la heure Vos (tra_xxxx), si(?) heureusement (xxxxxxxxxx) à l’Institut Pasteur 【本行殊ニ難解ニ付略】 les (heulleurs) et tout journée               A Besredka 【Arexandre Mikhalovich Besredka: 一八七〇年 三月二十七日於ウクライナ・オデッサ生、一九四〇年二月二十八日於パリ没】 免疫ノ喰菌學説ノ創設者 恩師 Elie Metchnikoff ノ尊キ靈ニ捧グ A, Besredka 序文  本出版物の含む15章は主として吾人がl'Institut Pas- teurに於て過去30年間に、実験的見地に於て、研究せる 問題に捧げたのである。顕著なる諸問題中、実際に同一 問題で異る外見を呈するは、予防的及び治療的接種方 法の問題である。他の研究者の材料を採用せるために、 本問題に関する最初の結構が屡々著しく増大するを免 かれない、亦、意見を確定するために、適宜に時々流用する ことも已むも得なかつた。本冊子に総括せる所のもの は、嘗て発表せる評論の統一である。         (著者)            邦訳に際し  最近我国に於て経口的予防法及びAntivirus治療法の実際化を見んとす る時に当り、苟もその理論の何処に存するかを理解することは、之等の研究 又は実施の上に極めて重要である。而して之が理解に際しては先ず局所免疫 学の創設者なるA,Besredka先生の説述するところ所に聞き、本学説の拠つて来 る所を探索する必要がある。  それには同先生の著”Etudes sur l'immuité dans les maladies infectieuses” が最も好適なりと思考する。本書は先生の実験を経とし多数の研究者のそれ を緯とし、以て縦横に而も平易簡明に免疫学説の変遷、局所免疫の理論並び にその応用方面の如き多数の重要事項を記載してゐる。  訳者は嘗て巴里のPasteur研究所に同師の教を受けた者である。茲に恩 師の許可を得て本書を邦訳し江湖に照会するの先栄を得たが、浅学菲才加之 訳文拙劣、恩師の真意を充分に伝へ得ざるを怖れるのである。  幸ひに大方諸腎【賢】の諒恕を得、一読の栄に接するを得ば、訳者の恩師に対す る微意は酬ひられたと謂ふべきである。   昭和8年1月16日        札幌にて  井上善十郎            目次            概要 第Ⅰ章 白血球の殺菌力・・・・・・・・1  免疫中に於けるalexineの意義に関するBuchnerの意見。Emmerich et   Tsuboi の実験;Fodor 及び Nuttal の実験。細菌及び毒素の注射後に於   ける液体の殺菌力の変化;Bastinの説明。Denys による液体の殺菌力   の重要性。血液の殺菌力の減少と白血球の消失との間の平衡: Denys   et Havet の実験。生活せる白血球原形質による殺菌性物質の分泌に関す   るBuchnerの意見。Pfeiffer氏現像に対する Metchnikoff の反対。Jacob   の白血球浸出物。白血球数に対する血液の殺菌作用に関する Löwit の研   究。Löwit の白血球浸出物の性質。Schattenfroh の反対。Schattenfroh   の白血球浸出物。種々なる浸出物の比較解説。白血球の消化力。文献。 第Ⅱ章 細菌性溶血素・・・・・・・・10  溶血素と毒素。破傷風溶血素;種々なる種属の赤血球に対するその作用。   その不安定。抗溶血素。tétanolysine と tétanospasmine との不同一。   tétanolysine の構造。staphylolysine;その製造方法。高温度に対するそ   の反応。in vitro 及び in vivo に於ける作用。加熱による完全破壊。an-    tistaphylohysine の製法。皮下経路による免疫の長所ーーpyocyanolysi-   ne;Bulloch et Hunter による製造方法。Weingeroff et Breymann の   実験。耐熱性。--typholysine;staphylolysine と pyocyanolysine と   の耐熱性の中間性質。犬の赤血球に対する作用。antitypholysine 血清の 2    目   次 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   製法。--colilysine;Kayser によるその製法。培養基の「アルカリ」性   の意義。120°に於けるcolilysine の抵抗。正常血清による中和。特異   anticolilysine 血清。--streptocolysine;in vivo に於ける溶血必発能   力。in vitro に於けるその形成条件。種々なる種属の「ヘマチー」に対   するその作用。高温度に於ける抵抗力。塩類の意義。透析の作用。毒力   の消失。正常血清の抗溶血力。文献 第Ⅲ章 連鎖状球菌は一種か多種か・・・・・・・・23  一元説と多元説。肉眼的及び顕微鏡学的形態の性質に基く分類。Fehleisen   及び Rosenbach の臨床的起原による連鎖状球菌の異同の試み。生化学   的性質及び抗連鎖状球菌血清の作用方法に基く Marmorek の一元的仮   説。血清の凝集性、予防及び補体結合性に基く連鎖状球菌分類上の論拠   ーー猩紅熱連鎖状球菌と Moser の血清。Aronson 及び Neufeld により   確定されたる種々なる種々なる連鎖状球菌間の類属関係。氏等の実験の誤謬なる   説明;動物通過連鎖状球菌。連鎖状球菌の一種類に左袒する証明の欠   如。補体結合反応に於ける新研究の指針。文献。 第Ⅳ章 抗連鎖状球菌血清療法・・・・・・・・38  連鎖状球菌の一元又は多元の意見の相違。抗連鎖状球菌血清の調製に対す   る予備手段。菌株保存及び培養菌蒐集に資する培地: 血清「ブイヨン」   と血清寒天。経静脈による免疫;その不利と長所。「マウス」及び家兎に   於ける血清の定量。人間に於ける血清の価値;Pinard の意見。  抗猩紅熱血清。Bokay et Escherich の臨床的試用。Buywid et Gertler,   Pospischill の観察。露西亜及びポーランド【二重下線】臨床家の保留。特異性に左袒   する生物学的証拠の不足。猩紅熱患者に於ける連鎖状球菌の頻度:   Hektoen 及び Weaver の観察。特異凝集力及び補体結合物質の欠如。   Moser の血清の真の価値。  Gabritchevsky の猩紅熱予防「ワクチン」;その製造方法;その効力に関す      目   次                3 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   る保留。猿に於ける猩紅熱再発試験。文献。 第Ⅴ章 細菌々体内毒素・・・・・・・・52  菌体内及び菌体外毒素の限界に関する Pfeiffer氏の研究。第一及び第二毒   素;Burgers による毒素二元説の批判。種々の実験者による菌体内毒素   の抽出試験。「グルコーゼ」加「ブイヨン」に於ける弧菌の培養濾液に関す   るHorowitz の研究。Pfeiffer氏現像。in vitro 及び in vivo に於ける   菌体内毒素の作用。  「チフス」菌体内毒素。Macfadyen et Rowland による液体空気使用による   抽出方法。著作の方法:一方に於ては菌及び馬血清使用、他方に於ては   菌及び乾燥食塩の破砕による法。「チフス」菌体内毒素の性質;高温度の   作用;動物に於ける作用;特異能力。  赤痢菌体内毒素; 破砕による製法;物理的及び生物学的性質。  「ペスト」菌体内毒素。Lustig et Galeotti Albrecht et Ghon の古き試験。   通常の2方法によるその製法。鼠及び「マウス」に対する性状と作用。   virus 及び毒素自身による予防接種。抗「ペスト」血清による中和。  百日咳菌体内毒素;Bordet et Gengou によるその製法。海猽及び家兎に   於けるその作用。皮下注射の効果。毒素自身による予防効果の欠如。調   製血清による中和の不充分。  Pfeiffer氏球状桿菌の菌体内毒素;Slatineanu によるその製法。脳及び腹   腔内注射による病変。ーーマルタ【二重下線】熱菌の菌体内毒素。N,Bernard氏に   よるその製法。高温度に対する態度。脳内接種による海猽の感受   性。「ヂフテリア」菌体内毒素。Rist,Cruveilhier, Aviragnet の研究。海   猽に及ぼす作用。抗「ヂフテリア」血清による中和の欠如。--他の絲状   菌の菌体内毒素。  抗菌体内毒素血清。製造方法。受働的及び活働的見地に於ける経静脈の重   要性。感染経路に於ける菌体内毒素の意義。文献。 4    目   次 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 第Ⅵ章 感作病毒による予防接種・・・・・・・・74  Ⅰ。Vaccins 及び血清により賦与せられたる免疫;長所と短所。感作「ワク   チン」、の原理。製造技術:「ペスト」、「チフス」、「コレラ」予防「ワ   クチン」。種々の「チフス」予防「ワクチン」の比較。  感作狂犬病予防「ワクチン」。A,Marie によるその製法。完全無害;作用   確実;迅速、永続。  感作赤痢「ワクチン」。Dopter の研究、結論は毒性の欠如、免疫確実、迅   速、永続。  感作「ヂフテリア=ワクチン」。Theobald Smith によるその製造方法;そ   の作用無害にして永続。文献。  Ⅱ。感作胆汁加結核菌。犢の予防接種に関する Calmette et Guérin の研   究。F,Meyer の通常感作結核菌に関する実験;弱毒性と予防効力;海猽及び人間に於ける治療試験。  感作「ツベルクリン」。牛及び人間に於ける Vallée et Guinard の研究。  感作肺炎球菌。Levy et Aoki による予防及び治療実験。通常肺炎球菌に   対する長所。  感作連鎖状球菌。家兎についての Marxer の実験。Lévy et Hamm の妊   婦に於ける予防及び治療処置の試験。  感作羊痘。Bridré et Boquet の研究。確実有効の証明;羊郡に於ける限定。  Alegérie 及び Egypte に於ける綿羊の感作virus による強制種痘。1913   より 1926 年に至る間に交付せる量は約16 millions 。  感作「チフス」生菌「ワクチン」。「シムパンゼー」についての Metchnikoff 及   び Besredka の実験。  感作「パラチフス」予防「ワクチン」。その長所。遊離血清の全痕跡を感作   「ワクチン」より除去する必要。  感作「ワクチン」の作用方法。 Garbat et Meyer の比較研究。文献。      目   次     5 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 第Ⅶ章「チフス」予防接種・・・・・・・・98  Vaccins の多種多様。予防接種なる考の起源。Roux et Chamberland の敗   血症に関する研究; Chantemesse et Widal の研究。 Pfeiffer et Kolle   の vaccin。Paladino-Blandini, Vincunt, Nègre による「チフス」予防「ワ   クチン」の比較研究。経口的及び経肛門的予防接種に関する J,Cour-   mont et Rochaix の実験。120°加熱菌による予防接種: Loeffler 静脈   内予防接種: Friedberger et Moreschi ; Ch,Nicolle, Connor et Conseil。   Castellani の Vaccin (49-50°C)。海猽の「チフス」性腹膜炎と人間の   「チフス」。「シムパンゼー」に於ける実験的「チフス」。死菌、融解物及び   感作加熱菌による「シムパンゼー」の予防接種試験。感作生菌による予防   接種。反対。人間に於ける本予防接種法の無害なる証明。文献。 第Ⅷ章「コレラ」予防接種・・・・・・・・115  細菌学者及び流行病学者間の論争。 Ferran の発見; 仏蘭西調査委員会に   よる評価。 Haffkine の固定毒及び減弱毒。死滅せる弧菌を以てせる   Gamaléa の実験;Brieger, Kitasato et Wassermann の同じ実験。血清   の殺菌力に関する R, Pfeiffer の研究。 Metchnikoff の反対;幼弱家兎   に於ける氏の研究。 Choukévitch の新実験。Shiga, Takano et Yabé の   実験に於ける感作「コレラ」予防「ワクチン」。  印度に於ける Haffkine の予防接種の第一次成績。二本、ペルシヤ、露西   亜、ギリシヤに於ける流行病学的観察。Cantacuzéne の報告せる”ルー   マニアの実験”。陰性期の意義。東京の流行時に於ける感作加熱「ワク   チン」の使用。 Masaki の実験による感作生菌「ワクチン」の無害。細菌   学者及び流行病学者間の相違の説明。「コレラ」予防接種の問題の新指針。 第Ⅸ章 感染及び免疫に於ける皮膚の意義・・・・・・・・134  免疫を抗体の存在に帰せしめる意見。抗体と無関係に作用する皮内予防接 6    目   次 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   種。生体防御に於ける皮膚組織の重要なる意義。  表皮の構造;剥離による永久的更新。Malpighi氏 層内の食菌要素の存在。   皮膚の結締織要素の部位に於ける遊走細胞の存在。皮膚の作用の多種多   様。皮膚呼吸。皮脂の作用。皮膚吸収力。汗腺。皮膚の機械的作用。無   脊椎及び有脊椎動物に於ける自然免疫。   大動物及び海猽に於ける脾脱疽病。各動物に於ける予防接種。脾脱疽病感   染に於ける皮膚の意義。皮膚感受性の証明。皮膚感染及び皮膚免疫。皮   膚の活動的予防接種及び他の臓器の先天的免疫状態より結果する全身免   疫。層中の皮内予防接種。脾脱疽菌毒素。Vaccin の侵入門口の重要性。   皮下経路による免疫: 家兎についての Plotz の実験。綿羊に於ける免   疫の証明。  葡萄状球菌及び連鎖状球菌症に於ける皮膚の意義。皮膚病変に対し皮内死   菌接種による予防接種。免疫の迅速発現。Antivirus 貼布法による免疫。   人間に於ける「ワクチン」療法。その作用の説明。抗体の不明なる参加。   「ワクチン」療法の転機: 健康なる摂受細胞の予防。人間に於ける葡萄   状球菌及び連鎖状球菌症の皮膚起源。  豚「コレラ」に於ける皮膚感染及び皮膚免疫についての Jenney の実験。鼠   の pasteurella を以てする皮膚予防接種についての Meyer et Batcheld   の研究。  皮膚免疫に於ける網状織内皮細胞系統の確実らしき意義。局所免疫の機転   文献。 第Ⅹ章 皮膚免疫法・・・・・・・・154  予防的免疫法。脾脱疽に対する綿羊の予防接種に関する Mazucchi の実験;   Velu の同様なる実験。脾脱疽に対する経膚免疫せる馬匹に関する Bro-   eq-Rousseu et Urbain の研究。本法によるものにありては、皮下予防接   種せるものに於ける反応の重篤なるに比し、軽度なること。 Levant 軍   隊に於ける Nicolas による馬及び騾馬の皮膚予防接種; 1924-1925 年     目   次    7 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   に至る戦役の成績。Monod et Velu による、 Maroc に於ける大多数の   綿羊及び牛の予防接種。  治療的免疫法。種々なる葡萄状球菌及び連鎖状球菌症に於ける臨床的観   察: 「フルンケル」、「カルブンケル」、瘭疽、乳房炎、感冒性化膿性耳   炎、中耳の「アブセス」、髭瘡、初生児の化膿性皮膚炎、小膿疱疹、「オツエ   ナ」、角膜の感染創傷、涙嚢の慢性「アブセス」、涙嚢炎、潰瘍性眼瞼縁炎、   口内炎及び歯槽骨膜炎、火傷、感染創傷、「フレグモーネ」、骨髄炎、汚染   穿刺、牡牛に於ける瘭疽、馬に於ける多発性「アブセス」を伴へる慢性「フ   レグモーネ」、牝牛に於ける蜂窩織状骨膜炎、産褥熱、産褥熱の予防的処   置、汚染性子宮内膜炎及び産褥熱潰瘍、膀胱炎、腎盂兼腎実質炎。手術   前後に於ける局所予防接種法。文献。 第Ⅺ章 赤痢、「チフス」及び「コレラ」に於ける     腸の意義・・・・・・・・・・・・180  或る組織に対する Virus の選択的親和性ー脾脱疽菌、痘苗、葡萄状球菌、   連鎖状球菌ーー;感染経路と免疫経路との間の相互関係。実験室内動物   に於ける赤痢、「チフス」及び「コレラ」病毒の選択的親和性の外見的欠   如。赤痢菌の静脈内注入に次ぐ肉眼的変化と菌の選択的限局。腸の摂受   細胞と「チフス」「パラチフス」及び「コレラ」病毒との間に腸粘液の介在。   牛胆汁による感作法の利用。腸壁に対する「チフス=パラチフス」 Virus   の親和性。腸壁に対する「コレラ」 Virus の親和性に関する Masaki の   実験。 Glotoff, Horowitz-Wlassowa 及び Pirojnikowa の研究による確   認。毒力の意義を変更する必要:二要素の毒力作用。免疫の研究に対す   るこの意義の重要性。免疫に帰著する感染の種々相の図解。文献。 第Ⅻ章 赤痢、「チフス」、「コレラ」に対する経口免疫・190  皮下経路による予防接種の起源。海猽についての Benner et Peiper の実   験。Pfeiffer et Kolle による、予防接種された海猽の血清中に殺菌力の 8    目   次 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   発見。海猽の「チフス」腹膜炎に対する予防接種は腸「チフス」に対する予   防接種を含まず。皮下予防接種に賛否する統計。ジエンナー【二重下線】氏法、臨床   及び実験より引用さるる教訓。腸壁に対する死菌の親和力;皮下注射せ   る Vaccins の作用方法の説明。  赤痢に対する経口的実験室内動物の予防接種。之等実験の最初の考案。   Alivisatos et Jovanovic の研究による肯定。赤痢予防免疫の性質。抗体   の不参加。Ch, Nicolle et Conseil の人間についての実験。Versailles 及   びギリシア【二重下線】に於ける避難民営地の流行に際し per os の予防接種経口的赤   痢「ワクチン」療法。 Alivisatos の Nisch に於ける、Glonkhof の Lenin-   grad に於ける観察。  経口的による「チフス」又は「コレラ」感染に対し動物を予防接種することの   困難。牛胆汁による感法作の利用。胆汁を嚥下せずしてなせる人間の予   防接種。即【印ヵ】度に於ける Pondichéry Rajbari にて行へる「コレラ」対する   Bilivaccination。Lodz Saint-Paola にて行へる「チフス」に対する Bili-   vaccination。  経口的及び皮下経路による免疫の機転。免疫の喰菌学説の拡大する必要、   感染及び免疫に関する摂受細胞の自治制。文献。 第ⅩⅢ章 感染及び免疫に於ける感作物の意義・・・211  菌と生体細胞との間に存する自然免疫に於ける包容状態。物理的、化学的   及び生物学的感作物による免疫の変化。類人猿及び実験室動物に於ける   経口的感染に対する感受性の不平等。感受性たらしむるために後者の感   作を必要とすること。胆汁の作用方法。感受性を支配する腸の柵の重要性。  胆汁による感作及び非感作動物に於ける「コレラ」Virus の投与:Masaki、   Horowitz-Wlassowa, Klukhine et Wygodchykoff の実験。  大腸菌感染に対する胆汁の感作作用: Golovanoff、Gratia et Doyle の実   験。化膿性敗血症に対する胆汁の感作作用。Webster の実験;「チフス」   感染に対し: Sedan et Hermann の実験; 「ヘルペス」Virus に対し:     目   次             9 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   Remlinger et Bailly の実験; Ductus Choledoctus を拮紮せる動物に於   ける「コレラ」Virus に対し: Olsen et Ray の実績。  食物性過敏症に於ける胆汁の感作作用: Makaroff, Arloing の実験;破傷   風毒素に対し: Dietrich,Ramon et Grasset の実験;抗毒素に対し:   Grasset の実験。  Metchnikoff et Besredka による「シムパンゼー」の経口的予防接種。 J,   Courmont et Rochaix, Lumière et Chevrotier, Loeffler, Kutschera et   Meinicke, Wolf, Bruckner の実験。胆汁投与せずして、「チフス」又は   「コレラ」感染に対し実験室内動物を per os に予防接種することの不可能。   胆汁投与による per os の予防接種;抗「チフス」免疫の機転。経口的「コ   レラ」予防接種に於ける胆汁の意義; Bacterium gallinarum に対する予   防接種に於けるそれ。  皮膚感染及び皮膚免疫に於ける感作物の作用。文献。 第ⅩⅣ章 貼布法と免疫 ・・・・・・・・・・・・227  汚染貼布。有史前。西暦の当初及び中世記に於ける化膿の治療。Ambroise   Paré と氏の創傷治療の意見。ⅩⅨ西紀の半ばに至るまで「ポマード」   と罨法の時代。  殺菌的貼布。Lister の第一回報告。当初の無関心。外科技術の革命。消毒   法の勝利。二三の手術家に於ける保留。石炭酸の短所。  防腐的貼布。パストウール【下線】時代の君臨。防腐の原理。手術上の技術。防腐   法の危険性。  特異貼布;その原理。特異血清及び Antivirus に基く貼布法。Antivirus 療   法の実際的応用。  外科に於ける貼布法の発達と内科に於ける免疫学説との間に存する平衡に   関する結論。 第ⅩⅤ章 免疫 Antivirus ・・・・・・・・・・・・236 10    目   次 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  直接病原体に作用する物質に基く免疫上の見解。生体の仲介に基く喰菌的   見解。Bordet により、喰菌細胞及び液体学説の領域の境界限定。二種   物質の学説。赤血球又は Virus の注射の際に於ける生体の反応相異。  脾脱疽。予防接種動物の血清に於ける補体結合物質の欠如。Bordet によ   る皮膚予防接種の説明。本説明に対する反対。抗脾脱疽血清; Ascoli の   消盡についての実験。  葡萄状球菌及び連鎖状球菌症。抗体の意義。皮膚面に於ける Antivirus 適   用による予防接種と「ワクチン」療法。  赤痢「コレラ」及び「チフス」感染。抗体の関与せざる経腸免疫の実現。人間   に於ける免疫度と抗体の存在との間と平衡関係の欠如。  「リチン」中毒。皮膚及び腸に対する ricine の親和力。抗「リチン」経腸及   び経膚免疫。抗体の欠如。  結核。治療機転との関係欠如。  痘瘡及び痘苗。痘毒滅殺素;予防的又は治療的使用に於けるその無効。  狂犬病。狂犬病毒滅殺血清; Virus 混合に対し保留せらるるその効力;各   自別々に注射する際に於ける無効。経膚的予防接種。  Cordylobia anthropophaga によつて発生する myiasis の病原体に関する   Blacklock te Gordon の研究。幼虫により予め感染せる上皮の免疫。動   物免疫に於ける抗体の欠如。皮下又は腹腔内に幼虫の抽出物注入による   免疫賦与の不可能;直接抽出物の皮膚適用による予防接種。一般循環系   外に於て免疫部位に於ける幼虫の破壊。厳密なる局所免疫。結論。文献。           Ⅰ        白血球の殺菌力    Pouvoir Bactéricide Des Leucocytes(1)  数年来血液特に、白血球の殺菌力に関する幾多の業績が発表された、之等 の業績は免疫問題を液体の殺菌作用に結びつけるのを目的としてゐる。  著者等の考では、体液は外用に使用さるゝ消毒薬の如く生体の消毒に与る 使命を有するものであると。  此の純液体的考へ方は、皮相にして単純に見えるが、然し多数の研究を生 ずる価値を持つて居た。血液の殺菌力の研究は将来多くの進展を要求するで あらう、それ故吾人は本章に於ては血清の殺菌性物質の起原の研究に止める こととする。              *  *  *  液体学説に極端なる思潮を表はす Emmerlich et Tsuboi と共に、本学説 の最も権威ある代表者は Munich (ミユンヘン)【二重下線】の Buchner なることは 異論なき所である。  Buchner は血清の殺菌力をば一生活現象として考へた。 Emmerlich et Tsu- boi はこれを純粋簡単なる化学反応と見做した。氏等によれば、血清の殺菌 性物質は血清蛋白 Sérine であると。55°加熱により此の物質の消失するこ とは次の事実で説明される、即ち血清蛋白の複分子がこの温度で分解し、そ の「アルカリ」要素を失ひ、「アルカリ」要素は遊離して、血清中に存する遊離 酸素と結合する。加熱後殺菌力を回復し得ないのは加熱された血清の化学的 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  (1)1898年7月16日 Pasteur 研究所にてなされたる講演; les Annales de l' Institut Pasteur, t, Ⅻ,p, 607,参照。 2    白血球の殺菌力 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 構造の変化に基くのであらう。かく解釈せるは、「アルカリ」の希釈溶液にて 処置せる加熱血清はその殺菌力を回復する事実より生じたものらしい。  此の実験の重要点を Buchner は見逃しはしなかつた;よつて早速研究す ることとなつた。問題とする所は、化学的物質を単に加ふることによつて、 殺菌力を失つた血清が生体の干渉なく之を回復し得るや否やを見ることで ある。然るに、対照実験は Emmerlich et Tsuboi の研究を肯定することは 出来なかつた;故に Buchner としては氏の最初の意見を甘受するに過ぎな かつた。  且つ Buchner 以前に、多くの研究者は生体の血液及び他の液体と接触せ る菌の破壊を認めた。それ故、 Fordor は家兎に於て脾脱疽菌を全身循環系 統中に注射する時は、血液中の脾脱疽菌の消失することを証明した。氏は之 を血漿が破壊作用を営むと結論した。次いで、試験管内の血液についてなさ れた実験により、氏は決定的証明を齎し得たと信じた。  之につぎ脾脱疽菌に対する脱繊維血液の作用が Nuttal によつて研究され た。同氏は Fordor によつてなされた観察を水溶液及び生体の他の液に拡充 した。氏は殺菌力は55°の加熱により消失することを認めた。  之等の事実及び Behring 及び Flügge の観察せる他の事実に基いて、Bu- chner は氏の液体免疫学説を建てた。之によれば、殺菌力は血液の細胞要素 を除ける血清に一様に発現する特徴を有する”l’alexine 攻撃素”の存在に関 係する、一生活現象であると。  攻撃素の性質に関する知識は当時は極めて制限されてゐた。更にその易熱 性に就ては、 Alexine は低温には障害されず、而してその作用を表はすため には、塩類の存在を必要とした。Buchner の知識内では、生体内に於ても生 体外に於けると同様の作用を果すことが、この Alexine なる要素より免疫 の甚だ重要なるを知り得た殆ど全部であつたのである。       *  *  *  免疫液体学説は Louvain, の Denys その人に熱心なる門人を見出した。 この学者は Buchner の意見を極めて熱心に擁護せる多数の研究報告を発表      白血球の殺菌力             3 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー し特に之を鼓吹した。  Denys の門弟、 Bastin は、血液中に細菌又はその製産物を注入する時は、 血清の殺菌力は著しく減弱するを確めたので、毒素でさへも血清の alexine に より容易に中和されると結論した。翌年発表された Denys et Kaidin の研究 は同じ意味のことを結論した。血液の血清及び淋巴液の如き液体は、之等の 著者によれば、真の消毒液を形成する。”この見地よりすれば、吾人の業績 は完全に Nuttal, Buchner, Emmerich 及び他の多数のものが見た所を確め たのである” と之等の著者等は断言した。同じ報告書中に吾人は次の信仰 的宣言を認める;”吾人は生体の防御には体液の強力なる作用に賛成するも のである”。  免疫に於ける真の意義を血液の殺菌能力に帰し、少しも白血球に触れるこ となき多数の発表が続出した。  之は免疫学説の白血球前駆時代であつた。然るに喰菌作用はその存在十年 後にして入つて来た。       *  *  * 免疫学説のありゆる進展が之を示す如く、喰菌学説はその反対者に極めて 麗はしき「ペイジ」を負ふのである。反対者がいつもかの学説の倒壞を証明し 得たりと信ずる時は、彼等は更に細胞学説を支持する証拠を齎した。血液の 殺菌能力の研究中に一新指針を創設すべく保留されたのは Denys 自身に対 してであつた。この能力は特に白血球にあらはれ血清には極めて少くあらは れることを証明したのは彼によるのである。Denys の実験は明瞭にして且つ 簡単であつた。濾過なる天才的技術により血液残余より白血球を分離し得た。 次いで氏は全血液の殺菌力と白血球を除去せる血液のそれとを比較した。氏 は白血球を失へば、血液は大部分その殺菌性効力を消失することを何の苦も なく認めた。それ故この殺菌力の主要なる根源は白血球に存在してゐるので ある。次に、Denys は対照試験をやつた: 即ち非働性になれる血液に膿球 を加ふるに、之を復活すること、即ち血液に再び殺菌性能力を賦与すること に成功した。 4    白血球の殺菌力 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  之等の実験にも拘はらず、Denys は細胞免疫学説を理解しなかつた。議論 の余地なき白血球の意義を知悉せるに拘はらず、氏は白血球が殺菌力の唯一 の源であることを信じなかつた、と云ふのは殺菌力は、彼によれば、同じく 血清にも現はれ得るものとした。  然し之等の新知見が明かにされたので、殺菌性物質による細菌及び毒素の 中和に関する Bastin 以前の実験は、再検する必要に迫られ、Denys の他の 門弟 Havet に之が課せられた。   Havet は細菌を血液内に注射する時は、血清の殺菌力が減少すること;こ の減少は白血球の消失と平行して進行すること、何となればこの殺菌力の再 現は、注射後数時間にして観察するに、血液中に白血球の回復するのと一致 するからであることを見た。同様の類似は血液内に溶解性細菌製剤を送入せ る時にも確められた。  之等の事実の存在するために、 Bastin の研究は余儀なく支持されざるに 至つた。それ以後血清の殺菌力に関してなされた如何なる仕事も白血球の干 与を、真面目なる考えを以て考慮せなければならなかつたことは明白であつ た。Buchner は之を了解し、免疫についての彼の最初の概念に或る矯正を齎 した。       *  *  *  免疫に於ける最初の意義を白血球に認めたにも拘はらず、Buchner は1894 年に、白血球は遠距離にも同様に作用を及ぼし得るものである、即ち、体外 即ち、血漿の部にある細菌を破壊し得るものであると宣言した。  Denys の実験を復試して、氏は殺菌力を復活せしむるために非働性血清に 白血球を加ふれば充分なることを承認した。Denys と同じく、氏は細胞内の 作用過程の重要なることを知つた。白血球の浸出液を研究して、氏も亦、”喰 菌作用に極めて有効なる援助をせり、”と宣言した。然し之にも拘はらず細菌 の破壊に於けるこの作用過程に帰すべき部分に就ては保留することを妨げな かつた。彼によれば、吾人が述べたる如く、血漿中に喰菌細胞が分泌する産 物によつて、細菌は喰菌細胞の体外に於ても亦体内に於けると同様に破壊さ      白血球の殺菌力           5 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー れると。例へば冷凍によりその生活力を害された白血球は、それがために喰 菌細胞としての役目はしないがその殺菌作用を同等強く表はし得る事を氏は 証明しなかつたであらうか?  Buchner は冷凍用混合物中で白血球の抽出液を氷結し、次ぎに之を再び融 解すると、周囲の液に殺菌性物質を瀰散せしむる時に、白血球の原形質が死 滅することを了解しなかつた。かくの如き器械的の浸出液は普通に生ずるも のであり、而して生活せる白血球の原形質よりの生理的分泌液と同一視さる べきものなることを吾人をして少しも想定せしめない。此の実験がもたらす 唯一の結論は冷凍せる白血球は殺菌性物質を放出することである、この結論 よりしては免疫問題の全部を支配せる生活現象に関することを知るには、 Buchner の引用せるものより距離があるのである。  1894 年以来かなり多数の業績が Buchner の研究室で発表された;いずれ の業績も彼の学説に左袒する確証をもたらすことが出来なかつた。氏の一門 弟 Schattenfroh は Buchner やその共著者、(M,Hahn を含む,)によつて主 張された事実はいずれも白血球の分泌なる考で説明さるべきものでないと宣 言さへするに至つた。  もし白血球が、 Buchner の信ずる如く、生体内で分泌すれば、その分泌能 力は Pfeiffer の現象の際更に高度に達しなければならないであらう。「ブイ ヨン」注射により腹腔内を処置するとき極めて烈しい白血球外破壊が起り次 いで白血球の増殖を伴ふべきではなからうか?然るに、起る結果は反対であ る: 腹腔内の白血球系統がその活働の頂点にある間は、 Pfeiffer の現象は 全く欠如する。故に白血球の分泌と云つてはならぬ、と Metchnikoff は結論 した;彼は追加して曰く Buchner の実験に於ては、それは単に喰菌細胞の 苦悶に基く phagolyse (喰菌細胞の溶解)に関するものである。       *  *  *  扨て白血球の機能方法に関する問題を離れ、而してその内部に含有される 活働的原理は如何に現はれるかを見ることにしやう。  Hankin et Kanthack は殺菌性物質は白血球の嗜好性顆粒によつて現はさ 6    白血球の殺菌力 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー れると信じた。Vaughan et Kossel によれば、白血球に殺菌作用を賦与する のは核質及び核酸であると。  近来、本問題に関する多くの報告が発表された。著者としては Jacob, Löwit et Schattenfroh の如きがゐた。 之等の著者の研究は白血球の細胞体よ り抽出せる「浸出液」について行つた共通点を有してゐる。  白血球に関する研究によりよく知らせたる Jacob はその抽出液を造るた めに次の方法を行つた。頸動脈に集めた血液に炭酸曹達を0,5%の割に加へ 次いで「クロロホルム」(1%)を加へた。24 時間温室に放置せる混合液を濾 過器で濾過する。更に「クロロホルム」を加へた濾液が求むる所の抽出液を なす。  血液はある時は hypoleucocytose,ある時は hyperleucocytose の状態に集 められることを付加しやう。各潟血液は三部より成る: 一部はそのまま使 用に供し、他は血清を得るために用ひ;第二部は浸出液を造るために用ゐた。 之等の各部は次いで肺炎球菌の致死量に対する防御作用の見地に於て、比較 研究された。  詳細に渡るを避け、注意すべきことは之等の研究が到達せる結論は白血球 浸出液よりも作用大;次に全血液は血清自身よりは作用更に大であることで ある。       *  *  * 1897 年 Löwit は白血病と殺菌力との間に存する関係につき主要なる発表を なした。そこでは2問題が特に研究された: 第一は殺菌力を有するは白血 球なりや否や;第二は、肯定の場合にこの力を現はす物質を in vivo にて浸 出することが可能なりや否や。  濾液により血液から白血球を分離する代りに、Denys の技術に従ひ、 Löwit は tronc brachio-céphalique (膊頭琳巴幹)の露出後直ちに Aorta を結紮する 如き極めて「デリケイト」なる手術を行つた。この手術中実験者は絶えず肺 浮腫を起さぬ様に注意した。動物を「クラーレ」で麻痺し、人口呼吸を行ひ 衰弱せんとする心臓を注意する等の手段を講じなければならぬ。手術者が如      白血球の殺菌力           7 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 何に巧みであつても、最も幸福な場合でも、動物は2時間位しか生きない; 屢々家兎は手術後直ちに斃死する。  Löwit は Aorta の結紮後白血球は1「ミリメートル」立方に 800 以下に 下降する時は常に、血清の殺菌力は著しく減少し或は消失することさへある を認めた。この減少は多核白血球に関係する故に、Löwit は殺菌性物質を 含むものは多核白血球なりと結論した。この結論は、あらゆる probabilité によれば、実際に適合する。不幸にも、この実際には hypoleucocytose のほ かに、動物は2時間目に既に死ぬ如き烈しき現象が起つてゐる。Löwit 自身 が指摘せる如く、血液は白血球の破片を含み;動物の体温は29-25°に下降 する。それ故生体の斯の如き変調の雰囲気にあつては白血球の数或は質とそ の殺菌力との間の正確なる関係を求むるための研究をなしてはならぬものら しい。  白血球の浸出液を造るために、Löwit は次の如き方法を講じた; 出来る だけ注意して白血球を血液の他の成分より分離し、次に硝子の粉末と共に擦 りつぶした。顕微鏡的検査により完全な細胞を最早認めざるに至るまで擦り つぶし、生理的食塩水を加えその全体を遠心沈殿した。かゝる条件で得られ た蛋白石様液体は弱「アルカリ」性にして、酢酸で沈殿し熱ではあまり沈殿 しなかつた;之は5分間の煮沸に耐えた;然し特に主要なるは殺菌性極めて 強きことであつた。  Löwit によれば、該液は Buchner の考に従ひ、白血球が生理的状態で分 泌するものとなした。Schattenfroh が-兎も角実験に基き-最近の発表中に その考をのべてゐる意見は之と異り、 Löwit の殺菌性物質は白血球自身より は寧ろ白血球の研磨に使用せる硝子より来るものであると。       *  *  *  Schattenfroh の論文は、先づ、著者がその実験に齎らせる正確さに於て、 次ぎに亦氏が免疫に関する概念の発展上に一行程を印せるために、支持さる べき価値がある。吾人が、始めて、Buchner の一門人に於て、喰菌作用の研 究に捧げたる全章を見るのはこの研究である。 8    白血球の殺菌力 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  氏の先人が受けたる反対を避けるために Schattenfroh は白血球を動物血 清の代りに生理的食塩水の如き無関係の「メヂウム」の中に入れて実験した。 種々なる操作--之に就てはこゝに強調しないが--によつて、氏は結論し て曰く血液中に存する殺菌力の殆ど全部を蓄積するものは白血球なりと。氏 は血清は白血球の死後にのみ殺菌性となるを見た、固より白血球は動物の生 体即ち生理的状態に産生し得るのである。白血球を60°23分加熱するか、或 は粉砕後2時間乃至3時間浸漬せしめて、 Schattenfroh は非常に強き殺菌力 を賦与する液を得ることに成功した;この能力は80°-87°の加熱により消失 した。       *  *  *  白血球浸出液を造るために、本問題を物理学又は化学の領域に導かんとす る企ては、吾人が後に述ぶる如く、解釈するに困難なる結果に直面した。吾 人は今ここに多数の殺菌性物質の存在することを述べよう。55°で消失する Buchner の alexine の他に、吾人は今日知る所では Löwit の白血球浸出液 は煮沸に抵抗し、Jacob のそれは破壊温度不明であり、 Schattenfroh の浸出 液は80°―87°にて破壊するに過ぎず、云ふ迄もなく Bail の leucocidine 方法 で得たそれは65°には抵抗しない。  之を以て白血球の内部に同時に存在する殺菌性物質の差別性を結論すべき であるか?之を以て吾人の浸出方法の欠点に罪を帰すべきであるか?  Bail によれば、列挙せる浸出液の各自はその固有の特色を有する殺菌性の 単一を表はす。之は吾人の感じではない。結合して又は分離して取られたる 之等の浸出物は吾人には真の白血球よりの物質とは思はれない。白血球の原 形質内に含まれた殺菌性物質は、確かに今日まで使用された原始的方法によ つて浸出さるる如き余り単純なる化学的構造ではない。吾人は如何に白血球 の原形質が物理学的及び化学的要素に対し感受性が大であるか、また硝子粉 末と共に単に粉砕し、「クロロフォルム」又は生理的食塩水の中で腐敗させる ことが白血球の活働分子を純粋なる状態に取り出すために充分なりと仮定す るには、如何にこの小天地の作用が複雑なるかを知るに過ぎない。      白血球の殺菌力           9 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  必然的に経験を経べき浸出方法を始むる前に、生白血球につき物理的及び 化学的要素に対する反応を一層よく研究せんと企てるのがよいのではなから うか?種々なる「メヂウム」に於て種々なる温度及び他の要素に対しその態 度如何を学びたる後、之を合理的なる浸出方法に結合すべきものなりと信ず るのである。       *  *  *  以上列記せる成績より判断するに、著者等は白血球の殺菌力に多くの関心 を持ち而してその必要なる特性なる消化力には余り関心を持たない。白血 球は細菌を包含し特に之を殺す使命を有すと信ずる程に、殺菌力の観念が実 際上に免疫の問題全部を支配する様になつた。吾人は細胞又はあらゆる種類 の毒性産物は白血球の側より同様なる貪喰作用をうけることを知れる今日で は、殺菌力は、高等動物に於て、予め起る唾液消化、次に胃腸消化の如き喰嚍 作用の一楷梯として見做されるに過ぎない。この最後の考へ方は研究の範囲 を広め、消化酵素の領域内に研究を持ち来らしめ而して吾人をして自然界に 存する如き生物学的現象に一層接近せしめる長所を有するであらう。         ―――――――――――――      Mémoires Cités Emmerich et Tsuboi, Centralbl f, Bacter,,1892, pp, 364, 417, 449; 1893, p, 575, Buchner’ Centralbl, f, Bacter,, 1889, p, 817,561 ;1890, p, 65; Archiv f, Hyg,,,  1890, 1893; Fortschr, Der Medisin, 1892; München, mediz,Woch, 1891, 1894, Fodor, Deutsché mediz, Woch,, 1887, Nuttal, Zeitschr, f, Hyg,, 1888, Behring Centralbl f, klin, Mediz,, 1888, Flügge, Zeitschr, f, Hyg,, 1888, p, 223, Bastin, La Cellule, 1892, Denys et Kaisin, La Cellule,1893, Havet, La Cellule, 1893, Vaughan, The medical News, 1893, Hahn, Arch, f, Hyg,, 1893, p, 138; Berlin, Klin, Woch,, 1896, p, 869, Schattenfroh, Müuchen mediz, Woch,, 1897, nos 1 et 16; Arch, f, Hyg,, 1897, Löwit, Beitr, zur pathol, Anat, u, allgem, Pathol,, 1897, P, 172; Centralbl, f, Bakter,,  1898, p, 1025, Jacob, Zeitschr, f, klin, Mediz,, 1897, P, 466, Bail, Arch, f, Hyg,, t, ⅩⅩⅩ, ⅩⅩⅩⅡ; Berl, klin, Woch,, 1897, no 41; 1898, no 22,               Ⅱ             細菌性溶血素 Hémolysines Bactériennes (1) 細菌の生物学は「ヂフテリア」毒素を in vitro で得ることに成功せる今日 著しき進歩を見るに至つた。之は細菌性感染に於て溶解性産物に当つべき意 義の最もよき実例であつた。1888 年Roux et Yersin によつてなされたる此 の発見に次ぎ多数の他の毒素――破傷風、「ボトリヌス」、「コレラ」等のそれ が続出した。数年経過せる今日、既知病原菌の種類は甚だ多いのに対して毒 素の数は尚ほ極めて制限せるを見るは驚くべき程である。  遠く離れた細胞を攻撃し得る有害なる菌の存在する時の溶解性産物の仲介 することを考へなければならない。之等溶解性産物が最も屢々存在すること は確である、而して仮令尚之を明になし得なくとも、これは吾人の実験方法 の不完全なるに過ぎない。  細菌性溶血素の発見は真正細菌性毒素を知るための第一歩と考へらるべき である。  仮令溶血素は毒性少くとも、真正毒素即ち致死的毒素との親族関係を否定 してはならぬ。或る種の細菌が赤血球を溶解し得る性質は、明に偶然的の出 来事ではない、之はあらゆる probabilité によれば細菌の反応の一様式であ る; 溶血素は溶解性産物の一つであり之により生体の細胞に作用すべきであ る。或は伝染病例へば緑膿菌又は「チフス」菌の如き場合には比較的著明で ないが、溶解性物質の意義は例へば連鎖状球菌に於ては可成り判明してヰる。  この所見により吾人は既知細菌性溶血素に関し吾人の知る所を記載せん。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― (1) Bulletin de I’Institut Pasteur, t, I, pp, 537, 569;1903 細菌性溶血素   11 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― *  *  *  最初に見られたのは破傷風溶血素であつた。破傷風菌の培養濾液中に於て、 Ehrlich により発表され、その門弟 Madsen により慎重に研究された。之は 破傷風毒素――tétanospasmine――並にその製造方法と共通ならざる Sui ge- neris なる物質である  tétanolysine は大多数の家畜の赤血球特に家兎及び馬のそれを溶解す; 山 羊の血球は之に反し比較的抵抗力が強い。赤血球と接触せしむるに、tétano- lysine は赤血球を一気苛性【呵成】に溶解しない;血色素の瀰散は潜伏期間の先立つ のを見る、この期間は過剰の溶血素により又は適当なる温度の選択により短 縮される。この温度は著しき役目を営む、其の他、あらゆる細菌性及び細胞 性溶血素に対し同様にして: 孵卵器内の滞在時間は著しく tétanolysine の 作用を促進する。  固有の破傷風毒素と異り、破傷風溶血素は極めて容易に変化す。50°20分 間の加熱により完全に破壊す。これを見るには少量の生理的食塩水で希釈す れば充分にして、1時間後には著しく減弱す。濃厚なる食塩溶液(4%)に於 ても、20°に5時間放置された tetanolysine は溶血力の半分を失ふ。少く とも24時間保存に成功するには、密閉試験管にて、0°に置かなければな らない。「硫酸アンモニウム」により沈殿し、粉末状になれるものは、長期間 保存し得。  故に tétanolysine は極めて不安定の物質である、且つ、すべての既知溶血 素中最も不安定なりと付言することが出来る。この性質だけで既に破傷風毒 素と混同する心配はない、即ち破傷風毒素は暫くの間は殆ど変化しない又稀 釈も少し位の温度の上昇も恐るるに足りない。  之等の二つの物質――tétanolysine と tétanospasmine――は分離するに至ら ないが、確かに異る物質である。tétanolyine に富める破傷風菌培養濾液を以 て免疫せる動物は、既知破傷風抗毒素の他に、更に抗溶血素 antihémolysine を生ず。この二種の抗毒素は種々の量に形成される;亦破傷風に対し極めて 12              細菌性溶血素 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 活動性の血清が、殆ど抗溶血性能力を欠如するを見るは稀でない。  若し破傷風菌の分泌する之等の二つの物質の同一ならざる他の証拠を挙げ んとするならば、之等が赤血球に対する態度に之を認めるであろう: 即ち 赤血球を二物質の混合を含む破傷風の培養濾液に加へ、暫くの間低温に放置 す。一定時間の後、本液は唯々一つの物質 tétanospasmine のみを含むを認 むるであらう、他の物質、tétanolysine, は全部赤血球に吸着される。  tétanolysine の構造に関しては、抗毒素を以て部分的飽和を行ふ時に、 Ma- dsen はこの lysine と「ヂフテリア」毒素との間に一定の類似点の成立し得た ことは注意すべきである; この「ヂフテリア」毒素の如く、tetanolysine は 各自特有なる作用を表はす一列の物質に分解される。 *  *  *  Ehrlich et Madren が破傷風菌の溶血素の問題につき観察せる事実は、溶 血性細菌に関する一貫せる研究の端緒となつた。年代順に云ふと、 tétanoly- sine に関する研究を確定して後、その観察を他の多数の菌に及ぼして研究せ るは Kraus et Clairmont であつた。之についで Bulloch et Hunter,de Wein- geroff et de Breymann の pyocyanolysine に関する業績;次ぎに、 Neisser et Wechsberg の Staphylolysine に関する興味ある研究; typholysine に関す る E, et P, Levy の短い報告; streptocolysine に関するBesredka の業績及 び間もなく Kayser によつてなされた colilysine に関する研究が発表された。  すべて之等の物質は同一価値を有するものでなく又同一関係を呈するもの でない。容易にその「ヂアスターゼ」を周囲の液体に瀰散せしめる菌がある と思へば、そこには極めて屢々見らるる場合であるが――血液を菌体即ち濾 過せざる培養と密接せしめた状態でなければ明かに溶血素を証明し得ない程 極めて少量を分泌する菌がある。之等の溶血素は細菌体より分離し得ない、 精密なる研究をなすことは不可能である。「コレラ」菌の培養は其の例である が、その或る種類は、 Kraus et Clairmont によれば、或る種の血球に対し 強大なる溶血能力を営む。之は種々なる葡萄状球菌、大腸菌及び連鎖状球菌 についても同様である。 Lubenau は赤血球を「チフス」菌、連鎖状球菌、「ヂ             細菌性溶血素            13 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― フテリア」菌、 Diplococcus catarrhalis 等の培養中に置く時は、溶血の起る を見た。  本問題の真の研究は細菌より分離せる純粋溶血素を取り扱ひ得る時でなけ れば始まらない。恰も細菌毒素の研究が毒素のみで全培養が起す如き病変を 起し得る時でなければ始まらないと同じである。  吾人は staphylolysine より始めることにしよう。この研究は多くの注意を 以てなされただけに重要であり、その製法は typholysine, colilysine 及び一 部は pyocyanolysine のそれに役立つた。吾人は streptolysine の研究を以て 本章を終わらんとす、該 lysine は、その性質上、細菌性溶血素と認むべき部 分的地位を占む。 *  *  *  葡萄状球菌の「ブイヨン」培養3-4日のものに家兎の脱繊維血液の一滴を 加ふれば、容易に staphylolysine の存在するを知る。2時間孵卵器に置 き、次いで18時間氷室に置けば、血液は完全に溶解するを見る。同一の現 象は家兎の血液を葡萄状球菌の培養濾液に加ふる時にも見られる。 Neisser et Wechsberg により採用されたる staphylolysine の製法は次の如くである: 「ブイヨン」培養は9乃至13日間孵卵器に置く。之を濾過し、濾液に保存 の目的を以て少量の石炭酸「グリセリン」を加へる。重要なるは「ブイヨン」 は充分「アルカリ」性となすことを注意すべきである。 種々培養日数を異にするものに就き検査するに、著者等は staphylolysine は接種後4日間に発現するを認めた。2週間の終りに達するまで増加した。 この時になると、溶血素の形成に停止を来した。最も多量に形成さるるのは 10日乃至14日の間である。  すべての葡萄状球菌が溶血素を作るのでなく之を作るものも皆同じ強さ で作用するのではない。この関係につき、 Neisser et Wechsberg は次の興味 ある観察をした: 化膿性黄色葡萄状球菌と化膿性白色葡萄状球菌とは常に 同一なる溶血素を形成する、之に反して化膿性ならざる白色又は黄色葡萄状 球菌は血液を溶解することが出来ない。溶血力は人間に対する葡萄状球菌の 14              細菌性溶血素 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 毒力とは関係しない。  石炭酸加「グリセリン」を加へ氷室に保存せる staphylolysine は数週間又 は数か月間その能力を保存する。室温特に孵卵器の温度に於ては、その能力 は速に減弱する;該能力は之等の条件に於ては、15日後に完全に消失し得。 高温度に対しては、溶血素は多くの細菌性毒素の如く作用する: 48°20分 間の加熱は著しく之を減弱し; 56°同時間の加熱は完全に之を破壊す。  すべての細菌性溶血素と同じく葡萄状球菌により分泌された溶血素は、多 数の種族の血液に対し活動的なるを示す。家兎の血球は最もよく溶解され; 次は犬、豚、羊、海猽及び馬の血球である; 人間、鵞鳥及び山羊の血球は溶 解するに困難である。  研究室内動物(家兎、山羊)は staphylolysine の注射に対し無関心ではない。 少量(例へば0,2cc,) では発熱を起し、注射部位の浸潤を起すに充分である。 この浸潤は数日間継続し、脱毛及び時として皮膚の壊疽を伴ふ。仮令免疫の 終り頃に動物は一種の硬結せる甲殻を以て蔽はれるも、新に注射する毎に同 一なる局所症状を伴ふのである。或る動物、特に山羊、は特殊の感受性を有 し;時として「カヘキシー」の症状を呈して斃れる。  staphylolysine の反復注射はそのために血清に抗溶血素を賦与した。尚、或 る正常血清は staphylolysine に対して阻止能力を有す。この能力は人間の血 清中に認められた;之は特に馬の血清に於て強力である: 馬血清 0,01cc, は時々 staphylolysine の最少量の作用を中和するに充分である。正常馬血清 のこの抗溶血性作用は既に Kraus により多数の溶血性細菌について証明さ れた; tétanolysine について始めて之を認めたのは Ehrlich なることを附加 しよう。  正常血清の抗溶血素又は免疫法によつて造れる抗溶血素に関しては、その 性状は同一である。58°30分の加熱は殆ど変化せしめない。この耐熱性は、 Neisser et Wechsberg をして毒素抗毒素の混合を加熱するにある有名なる実 験を追試すべく鼓舞せしめた。若し之が単なる混合であるならば、 staphylo- lysine は56°で破壊し、Antistaphylolysine は破壊せず、後者は加熱により              細菌性溶血素            15 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 遊離すべきであつた。然るに、抗毒素はこの実験では遊離されない、之は加 熱によるも分離することの出来ない真正なる化学的結合をなすことを証明す る如く見える。  加熱により非動性となれる staphylolysine を以てせる免疫は抗体を形成し ない;故に加熱は単に staphylolysine を減弱するのみならず完全に之を破壊 するものの如くである。  注意すべき点は: 皮下免疫法は常に抗溶血素を形成し、経静脈免疫法は 成績良好ならず;腹膜内注射に至つては全く之を形成しない。 *  *  *  pyocyanolysine, typholysine 及び colilysine は重要なる共通の性 質を有す、即ち高温度にて破壊されない、故に之を一分類となし、耐熱性 ba- cteriolysines と称す。  pyocyanolysine は結果が常に一定せざる多数発表の目的物となつた。 始めて詳細なる研究をせる Bulloch et Hanter は出所を異にする緑膿菌を中 性反応を呈する「ペプトン」(1,5%)加「ブイヨン」中に接種した。種々な る時を置き――7日乃至34日後に――氏等は或は濾過せざるも 常に toluol 又は加熱(60°,15分)により殺菌せる培養につきその溶血力を 調査した。氏等の普通用ひたる指示薬は新鮮なる牛の脱繊維血液であつた。 氏等は他の血球(綿羊、海猽)も亦、種々なる期間孵卵器内に置ける後は、 溶解することを確めることが出来た。  Weingeroff の実験によれば、 pyocyanolysine (10-50日間の「ブイヨン」培 養を濾過せるもの)により最もよく溶解する血球は犬のそれである;次に来 るものは馬、海猽及び家兎の血球であると。  緑膿菌培養の溶血力は培養日数と共に増加する、かかる点より Bulloch et Hunter は幼弱培養は全く pyocyanolysine を欠如するものと考へた。既に 48時間の濾液中に綿羊の血球に対する溶血素を証明することが出来たのは Margareth Breymann の意見ばかりではないが、唯々3-4週間培養のみが pyocyanolysine としてよい成績を与ふることは確である。陳旧培養は強「ア 16              細菌性溶血素 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ルカリ」性なることは序でながら注意して置かう。  Bulloch et Hunter の実験によれば、溶血性物質は細菌体に固着してゐる。 加熱により滅菌せる全培養と、 Chamberland 濾過器で濾過せる同一培養と を比較する時は、後者の溶血力は全培養のそれより約5倍弱いことを認める。  イギリスの著者等はこの点で Margareth Breymann と相反してゐる。後 者は濾過せざる培養は濾液より以上に溶血することなく、従つて、 pyocyan- olysine は細菌体の内部に含まれざることを確定してゐる。  pyocyanolysine の歴史のうちで最も不思議なる点は勿論、多数の酵素が破 壊される温度に対する対抗力である。  pyocyanolysine を以て行へるすべての業績は一様に、緑膿菌は、その溶血 力を失ふことなく、100°15分間加熱し得ることを述べてゐる。濾過せる培 養は、 Bulloch et Hunter によれば、抵抗力が少いことになるであらう。こ の問題につき Weingeroff 並びに更に遅れて Breymann によつてなされた実 験は、明にイギリスの学者が誤つてゐなければならぬことを示した: 緑膿 菌の全培養も、 pyocyanolysine のみを含む濾液も、120°30分加熱後に少し も変化を受けない。この同様なる実験によれば濾液の毒力も亦少しもこの温 度にて消失せざることを示した。 Weingeroff は緑膿菌溶血素と緑膿菌毒素 とは構造を異にすることを信じてゐる。  之等の研究者のいずれも Antipyocyanolysine の問題に触れなかった。 pyocyanolysine の甚しく耐熱性なるに加ふるに緑膿菌は陳旧培養が甚だ「ア ルカリ」性なるだけそれだけ残念なることは、pyocyanolysine の酵素性々質 に本来多少の疑問を置くべきである。 *  *  *  E, et Proper Levy が分離せる typholysine は氏等側の人々は pyocya- nolysine に類似すと云ひ; 他の著者等は staphylolysine に類似すと云ふ。  「チフス」菌を接種せる「ブイヨン」を濾過せるものは、既に2日後に溶 血性を現はし、培養日数の経過と共に益々強くなつた。作用の最適時は sta- phylolysine の場合の如く約2週間後にみられる。              細菌性溶血素            17 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  犬の赤血球は typholysine に対し極めて感じ易く0,01㏄, で溶血を起こすに 充分である。  pyocyanolysine と同じく、「チフス」菌の溶血性物質は耐熱性である。  加熱「チフス」菌を数回反復して注射せる二匹の犬は、明に antitypholy- sine の血清を得た: この血清の0,25cc,の typholysine の2倍の溶血量を 中和す、然るに正常の犬の血清は少しもこの性質を有つてゐなかつた。  この antitypholysine は55°の加熱に抵抗す。乃ちすべての細菌性溶血素 中明かに甚大なる興味あるものの一つなるこの物質に、吾人の全知識を集中 しやう。之は新研究が企てられ而して今日までなされざりし以上遥か彼方に 進展せんことを望むのである。 *  *  *  耐熱性溶血素群に関する事項を終わるに当り、極めて最近 Kayser が記載せ る colilysine の性質を示すことが残つてゐる。  「メヂウム」の問題は此の場合極めて大切である。「ブイヨン」は、菌を接種 する時に、かなり高度であつても、酸性でなければならない。100cc, 中の「ブ イヨン」に含有せらるゝ酸量が蓚酸の「デシノルマール」溶液の8cc,に相 当する時に溶血価は最大となる。弱「アルカリ」性「ブイヨン」は微量の溶 血素を造るに過ぎない;「ブイヨン」が極めて酸性(蓚酸の1∖10N溶液の8cc, の代りに12,5cc, に等しき酸度)なる時も同様である。  Colilysine の試験に適当なる指示薬は犬の血液である; 馬、牛及び家兎の 血球は余りよく溶解しない; 他の種族(人間、海猽、綿羊、豚、鳩、鵞鳥)の 血球は極めて僅か溶解するか或は全く溶解しない。  Colilysine の活動性の概念を与ふるために、注意することは犬の血液の一 滴(1∖16cc,) を溶解する最少量は0,25と 0,1cc,の間にあることである。  溶血力は接種後2日目に現はれ; 4日目まで増加し、間もなく最高に達し 而してこの状態で2週間の終り迄持続する。  毎日「ブイヨン」の性を検する時は、最初の2日目は酸性であり、3日目 に「アルカリ」性となるを認む;「アルカリ」性は5日目まで増加し以後固 18              細菌性溶血素 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 定的となる。溶血力の発現と「アルカリ」性の発現との間に対比を定めんと する傾向がある。之等の二つの要素の間には極めて密接なる関係が存するこ とは確実らしい;「アルカリ」性が全現象でないことは勿論確実である。何と なれば若し此培養を37°の孵卵器に置く代わりに23°に置く時は「アルカリ」 性は5日目頃に最高に達す; 然し溶血力は甚だ遅れて現はれるに過ぎない: 12日目になつてさへも、孵卵器に4日間放置せる4日間培養の有するもの よりも更に劣つてゐる。  他方に於ては、colilysine の「アルカリ」性は重要である; このことは coli- lysine を蓚酸で中和するや否や、その溶血力を著しく低下する事実から解釈 される。  大腸菌の溶血素を120°に30分間加熱してもその溶血力を減弱しない。 或る特殊の場合には、Kayser は colilysine が偶然的に弱くなるを見た; 然 し一般の規則として、colilysine は数か月間その能力を保有した。  colilysine の溶血性能力は或る正常血清、特に、馬及び人間のそれによつて 麻痺され得る; 之は先天性 anticolysines である。  その血清が通常は之を欠如する動物に於て人工的に anticolysine を造り 得。家兎又は犬に於て、皮下に、4日間の「ブイヨン」培養を注射する時、 正常の Anticolilysines のそれより約4倍強き Anticolilysine の能力を有す る血清を得ることが出来る。 *  *  *  連鎖状球菌の溶血素、即ち streptocolysine, は細菌性溶血素の一部位 を占め、而して種々なる程度を有す。先づ連鎖状球菌は生体内に於ても、溶 血を起す唯一の菌である、この点は他の細菌と本質的に異る所である。  次に、多数の細菌は、人工培養基に数日間又は数週間放置後、陳旧になれ る時に溶血性を獲得するのであるが、連鎖状球菌は、反対に、云ひ得べくん ば、本質的に溶血性なる菌である。他のすべての菌と異り、本菌はその活動の 旺盛なる時のみ溶血作用を現はすに過ぎない、この性状はその陳旧となり且 つ人工培養基に培養さるるに従つて次第に衰へる。最後に、streptocolysine              細菌性溶血素            19 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― は in vitro に於ける産生方法並びに物理化学的及び生物学的性質の二三に より、そのすべての同種属より区別される。  連鎖状球菌の溶血性物質を得んと企てた時、考慮に浮べる最初の思ひ付き は、勿論「ブイヨン」特に選択培養基なる腹水「ブイヨン」中に於ける培養 を使用せんとするにあつた、何となれば溶血は濾過せざる全培養に血液を加 ふる時の優秀な条件で起るからである。然るに、奇妙なることは、極めてよ く溶血する之等の培養は、一回 Chamberland 濾過器で濾過する時は全溶血 力を減弱せるものであることが分つた。  強力なる濾液を得るために、必要なる条件の一つは、培養基として、血清 のみか又は「ブイヨン」を加へたものを使用すべきである。更に、重要なる ことは連鎖状球菌感染から死亡せる家兎より採取し、既に溶血せる血液を加 へた培養基に接種することである。  ここに吾人の方法を述べる。  吾人は腹水「ブイヨン」に培養せる毒力強き連鎖状球菌の24時間培養 数滴を家兎の皮下に注射することから始める。翌日、家兎が死するや否や、 血液が溶解することを確めて後、吾人は「ピペット」を以て心臓より2,3滴 の血液を採り、之を家兎のみの血清又は家兎の血清と綿羊或は山羊の血清と 混合せるものを入れた試験管に接種す。同様に馬血清と「ブイヨン」とを等 量に混合せるものを使用するもよい。試験管を孵卵器に24時間納め; 次に 其培養を生理的食塩水の同量で薄めて後、Chamberland 濾過器で濾過する。  濾過後吸引された液は streptocolysine である。之は容易に家兎、人間、海 猽、綿羊の血球を溶かし、之より少しく馬及び牛の血球を溶す。  奇妙なことは streptocolysine を造るに使用する血清の性質により血球の態 度が異るのである。二例のみを挙ぐれば牡山羊の血清を以て造れる strepto- colysine はよく海猽、家兎及び人間の血球を溶す; が牡の山羊の血球も綿羊 のそれも溶解しない。  人間の血清を以て造れる streptocolysine は前記の如く海猽、家兎及び人間 の血球を溶かすが、然し亦牡の山羊及び綿羊のそれをも溶かす。 20              細菌性溶血素 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  云ふ迄もなく、この二つの場合に於て連鎖状球菌は同一である。此の事実 はかかる点に於ても、連鎖状球菌は培養基の極めて僅かなる変化によるも感 受性大にして、この感受性は使用せる血清に従い種々なる多数の streptoco- lysine を形成することによっても証明される。  上昇せる温度に対するその抵抗力の点よりすれば、streptocolysine は易熱 性溶血素 (tétanolysine, staphylolysine) と耐熱性溶血素 (pyocyanolysine, typholysine, colilysine) との中間の地位を占む。  staphylolysine は既に48°で減弱し、56°20分の加熱により全く破壊す るが、streptocolysine は55-56°に30分間耐え、殆ど破壊することがない; 只溶血の発現に少しく遅延するを認めるのみ、然しこの遅延は著明でない。 65°(1∖2h) に於ても、streptocolysine は著しく減弱することはない。70°に 2時間加熱する時にのみ非動性となるに過ぎない。同様なる結果は55°に10 時間放置する時にも得られる。  室温 (15°-18°) も亦、長ければ有毒作用を及ぼす。15日目には既に著し く弱り、20日後には streptocolysine は痕跡すら認められなくなる。  血液に対する作用は室温に於けるよりも孵卵器の温度に於て遥かに強大と なる。寒冷は極めて顕著に阻止作用を及ぼす。塩類の存在は甚しく溶血を遅 延す。  透析 (la dialyse) は何等の影響なし: streptocolysine は透析膜を通過し ない。  streptocolysine の毒性はない; 実験室内動物は大量 (10-20cc,) に堪へ、少 しも認むべき反応を顕はさない。  antistreptocolysine 血清を得んとの目的からなされた、多数の免疫試験も、 成功の栄冠を冠せられたものはない。streptocolysine を注射せる家兎に於て、 Breton が最近認めたる極めて軽度の抗溶血性効果は恐らく吾人も亦既に認 めた種類のものであろう; 之は、すべての probabilitéによれば、或る正常 血清に固有なる自然の抗溶血力に関係するのである。         *    *    *              細菌性溶血素            21 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  吾人は細菌性溶血素の大多数が多少有害なるを見た。人は毒性が之等溶血 素の必要なる一要素であると信ずることが出来たであろう。吾人は此結論は 誤りであって溶血素の本態は、之に反して、毒性がないと信ずる。陳旧培養 に於ては、吾人は常に固有の溶血素と真正の毒素との混合を得るが故に、之 等が動物を羸痩せしめ屡々之を死亡せしめる。  tétanolysine に於て、及び pyocyanolysine に於ては、此の分離は容易に実 現し得た。staphylolysine に関しては、分離は今尚出来て居らぬ、然しそれ も同一であるべきことは殆ど確実である、而して其の理由を述べよう。之等 の研究者によれば、山羊は特に staphylolysine に対し感受性がある。山羊の 赤血球は staphylolysine に対し抵抗力あるが故に、staphylo-hémolysine に毒 性を結びつける事は不可能である。tétanolysine に於ては、tétanospasmine が 存在すると同一理由から、staphylolysine に於ても亦、赤血球に作用しない 所の staphylotoxine があるべきである。  streptolysine に関しては、吾人は全く毒性なきを知る。colilysine 及び ty- pholysine の毒性に就ては吾人は其の知識を欠く。  要するに、最もよく研究された4種の細菌性溶血素については、いづれも 固有の毒性を有しない。  感染せる生体内に於て之等の物質の作用をよく了解するために、指示薬と しての赤血球の選択は単に後者の都合により授けられたる意見を失はざるこ とが有利である。恐らく之等の溶血素は生体の他の細胞に対し赤血球に対す るよりも更に大なる親和力を有するであろう。換言すれば之等細菌性溶血素 は寧ろ néphrolysines 又は névro-lysines, 又は他の名称を付すべき価値なき や否やはこれを知らず。吾人が溶血素の性質に就て述べた之等の細菌生産物 は細菌と結合して或る作用を営むか否やは、誰が之を知るであろう。  之は、勿論、仮説である。常に細菌性溶血素の章は未だ解決されるに至ら ず、新しい研究を必要とする。 22          細菌性溶血素 ――――――――――――――――――――――――――――――――――            Mémories Cités  Ehrlich, Berlin, klin, Wochensch,, 1898, n 12, o, 273,  Madsen, Zeitsch, f, Hyg,, t, XXXII, 1899, pp, 214-238,  Kraus et Clairmont, Wiener klin, Woch,, 1900, n 3, pp, 49-56,  Bulloch et Hunter, Centralbl, f, Bacter,, t, XXVIII, 1900, n 25, pp, 865-876  Weingeroff, Centralbl, f, Bacter,, t, XXVIX, 1901, n 29, pp, 777-781,  Breymann, Centralbl, f, Bacter,, t, XXXI, 1902, n 11, pp, 482-502,  Neisser et Wechsberg, Zeitsch, f, Hyg,, t, XXXI, 1901, pp, 299-349,  Lubenau, Centralbl, f, Bacter,, t, XXX, 1901, n 10, pp, 402-405,  E, Levy, et Prosper Levy, Centralbl, f, Bacter,, t, XXX, 1901, n 10, p, 405,  Kayser, Zeitsch, f, Hyg,, t, XLII, 1903, pp, 118-138,  Besredka, Annales de l’ Institut Pasteur, t, XV, pp, 880-893, 1901,  Breton, Compt, rend, de la Soc, de Biel, Séance du 4 juillet 1903,               Ⅲ         連鎖状球菌は一種か多種か?    Existe-t-II Un ou Plusieurs Streptocoques? (1)  吾人の細菌学上の知識の略ぼ当初に於て、始めて課せられてから久しきに 渡る、この問題は常にその回答を待つてゐるのである。この問題についての 研究は欠如してゐない : 寧ろ甚だ多く研究されてゐる位である。困難なる 点は分類方法なることに一致してゐる。  この問題は然しながら次第に重要視されて来た。之は単に科学上の好奇心 を満足さするのみならず、すべての抗連鎖状球菌血清の指針となる。  実用領域に置かれたる問題は次の如く還元される : 是か非か、一定の連 鎖状球菌を以て造られたる血清は、他のすべての連鎖状球菌に対して、作 用するか?この質問は勿論すべての問題を包含してゐないが、然し解決す べき最も緊急なる点を目的とする。  此の問題に就て述べられたすべての意見は次の二点に帰する : 一元論者 は連鎖状球菌の異る菌株間に観察せる個々の傾向は連鎖状球菌の全体に共通 なる一般的特徴の前に解消するものと見てゐる ; 之に反し、多元論者は之等 の傾向は必要欠くべからざるものであり而してすべての連鎖をなすものを同 じ旗織の下に総括することは全く正当ならずと考へてゐる。  之等反対の意見の間に於て一定方針の講義をなすために、吾人は統一せる 見解を妨げるに過ぎざる詳細なる記述や統計を出来るだけ避けて、各方面よ り齎らされた論文をば述べることにしよう。吾人は吾人に対し種々なる論文 の価値あるものを捜し、而して若し講義に賛成するもの反対するものすべて ――――――――――――――――――――――――――――――――――   (1) Bulletin de l'Insitut Pasteur, t, 11, 1904, pp, 657, 689, 24        連鎖状球菌は一種か多種か? ―――――――――――――――――――――――――――――――――― を考量し、本問の現状につき判然として而も個人的なる意見を造るに至るな らば、吾人の努力は大に酬ひられるものであらう。  著者等が彼等の仮設【説】――或は一元説或は多元説――に対し価値を与ふる論 文は、之は当然ではあるが、極く最初は純然たる形態学上の種類のものであ る。更に遅れて、分析方法の完成と共に、連鎖状球菌の生物学的性質又は特 異血清のそれより演釋【繹】せる論文を参考とした。  主として両領域に於ける議論の基礎に役立つ目標は、連鎖状球菌の肉眼的 及び顕微鏡的研究、その起原、その生化学的性質、その溶血性、予防力及び 最後に、抗連鎖状球菌血清の補体結合反応の如き研究により満足された。  吾人は逐次的に之等の各論文を列挙しよう。        *  *  *  純形態的の識別に就ては余り管々しく述べまい。  Pane は丹毒の連鎖状球菌と化膿性連鎖状球菌とを、「グルコーゼ」加「ブ イヨン」に於ける培養の外観により、肉眼的に区別することが出来ると信じ た。前者は「ブイヨン」の管底に沈澱を形成するが後者は「グルコーゼ」の 存在により殆ど影響されず「グルコーゼ」の有無に拘らず同様の状態に発育 す。  Lingelsheim の意見は之と異る : 同氏によれば、連鎖状球菌は「ブイヨ ン」が「グルコーゼ」を含む時は常に管底に集合する、而して之は「グルコ ーゼ」が酸を発生し之が連鎖状球菌を凝集するためであると。  Kurth によれば、「ブイヨン」培養の肉眼的所見より連鎖状球菌を4群に 分類することが出来ると : 之等の各群に連鎖の独特なる顕微鏡的所見が一 致するものの如くであると。  「ブイヨン」培養の所見に基き、Pasquale は連鎖状球菌の三型を区別し得る に過ぎずと信じた。  顕微鏡的所見は同様に分類に与つた。就中、連鎖の長さに応じ、連鎖状球 菌の二型(longus et brevis) を定むべきことを提唱した。この分類を採用す れば、長い連鎖は決して短い連鎖にならず、又その反対も決して見ないこと        連鎖状球菌は一種か多種か?           25 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― を是認することとなる。其の他、すべて之等の分類は、或は肉眼的にせよ、 或は顕微鏡的にせよ、何等鞏固なる根拠に基かざることを付言すべきである か? この分類法は或る詰め将棋の前を走つて居り而して之は同様なる試み の無駄なることを証明するだけの役にしか立たない。        *  *  *  出所により、即ち菌の分離されたる疾病により、連鎖状球菌を分類せんと の意見は、更に多く接する機会があつた。之は当初の研修者の思ひついた意 見であつた ; 亦之は Fehleisen により熱心に支持された、氏は執拗に丹毒菌 の特異性を擁護し、何としても膿痬の連鎖状球菌と同一なりと認めやうとは しなかつた、  同様に、Rosenbach は化膿性連鎖状球菌の培養と丹毒の連鎖状球菌の培養 とを確実に区別し得ることを肯定した。  然し氏は Petruschky が同一連鎖状球菌を以て、人間に於ても亦動物に於 ても、丹毒、膿痬及び全身性敗血症を起せる後には、疾病による区別を全然 抛棄せねばならなくなつた。  臨床家は、更に、丹毒の連鎖状球菌は余り注意せざる産婆の手により産褥 熱の原因となることを証明せる場合を一例以上報告した。  かくして連鎖状球菌の感染は各人の抵抗に依り、接種部位の内部の構造に より、連鎖状球菌の性質又は最初の出所とは全然無関係なる臨床上異る型を 起し得ることが定められた。  確に、Moser の報告の刺戟により猩紅熱又は天然痘に於て遭遇する如き或 種の連鎖状球菌に特異の性質を帰せしむべき傾向の新に現はれるを見た。然 し、少い賛成者のうち、かかる見方は未だ決定的承認を得なかつた。  連鎖状球菌を多数の群に分類せんとする無益なる傾向は多分に一元的仮説 に意見を傾ける様に貢献した、而して、1895 年に、Marmorek が後者に左 袒する決定的宣言をせる時は、氏は自分自身殆ど細菌学者の一元説であつた。 この事件は、勿論、2,3 の抗議なく経過することはなかつた。Van de Vekle, Méry, J, Courmont は、連鎖状球菌感染が Marmorek, の単価血清に適合しな 26        連鎖状球菌は一種か多種か? ―――――――――――――――――――――――――――――――――― い場合を指摘した ; 然し多数の細菌学者は之等の事実は寧ろ連鎖状球菌の差 異に帰するよりも血清の不完全に帰すべきものとして支持した。        *  *  *  之等の反対者に答ふるために、Marmorek は 1902 年に重要なる報告を書 いた、その中で氏は新なる論拠に立つてその一元的意見を全然支持した。  1895 年、氏は顆粒の大さ、連鎖の長さ又は「ブイヨン」培養の混濁度の如 き連鎖状球菌の外在性々質には少しも重要性を帰すべきでないと宣言した。 同氏によれば、何よりも大切なることは生化学的性質である。然るに、生化 学的性質は、氏によれば、人間を出所とする連鎖状球菌の間には親族関係を 造らしめる。連鎖状球菌の生化学的性質を以て、氏は一方では溶血現象を主 張し、他方では連鎖状球菌濾液中に連鎖状球菌の発育不可能なることを主張 した。  人間を出所とする連鎖状球菌 40 株以上に就き Marmorek は溶血の見地 から研究した ; この報告によればすべての菌株が陽性の結果を与へた。唯々、 猩紅熱患者より分離せる連鎖状球菌は余りよく溶血しなかつた、然し溶血性 は、仮令軽度であつても、すべての場合に証明された。  第二の性質――濾液中の発育阻止――に関しては、同氏によれば、すべて の連鎖状球菌に等しく共通である。若し連鎖状球菌を同一の株菌又は異る菌 株の濾液中に接種すれば、「ブイヨン」は混濁することはないが、他のすべて の菌、例へば葡萄状球菌又は肺炎菌を連鎖状球菌濾液中に接種せるものは、 著明なる培養を与へる。  Marmorek の試用せる連鎖状球菌の大多数はこの生化学的仮説に適合し た : 氏は結論して曰く、故に之等は一元にして同一種族に属すと。猩紅熱 に見らるる連鎖状球菌は少しく此の規定より距つてゐる ; 本菌は、上記の条 件に於て、極めて軽度の培養を与え得ることは確実である。湿疹の連鎖状球 菌を見るに、他のすべてのものから明かに区別される : 即ち連鎖状球菌濾 液中に異種細菌と殆ど同様によく発育する。  Marmorek は連鎖状球菌の一元説に有利なる第三の証拠を、猩紅熱連鎖状        連鎖状球菌は一種か多種か?           27 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 球菌を含める全連鎖状球菌に対しその血清の特異作用中に見てゐる。此の報 告に於ても、同様に、湿疹の連鎖状球菌は異彩を放てる唯一のもので、血清 は之に対し何等の作用を持つてゐない。  以上の事実を総括して見るに、Marmorek は、湿疹のそれを除く、すべて の連鎖状球菌を同一種族に属せしむることを躊躇しなかつた ; 何となれば 之を再言して見るに、すべてが家兎の赤血球を溶解し、すべてが連鎖状球菌 濾液に発育不可能なるを示し、。すべてが同一なる抗連鎖状球菌血清に適合す るものであるからである。        *  *  *  連鎖状球菌が其濾液中に発育し得ないことは今日まで何等反対を起さない 事実である。然し他の二つの性質に関しては異論のある所で同一視されない。 Marmorek の考は譲歩して承認するだけに過ぎない ; 例へば溶血素に就ては Marmorek の信ずる如く一般的のものではないらしい。  Schlesinger は屡々全く溶血せざる雑菌性並びに病原性連鎖状球菌を認め た。我々自身も亦屡々抗連鎖状球菌血清に関する研究の際に動物体内に於て 「ヘマチー」を溶解せざるのみならず試験管内に於ても24時間赤血球と接触 せしむるも「ヘモグロビン」を瀰散することなきを見た。従つて家兎の血液 を溶解し又は溶解せざるこの性質は、Marmorek の固持せんと欲する重要な るものであるにせよ、そこに既に連鎖状球菌の一元説に反対する峻厳なる論 拠を見るに至つた。  吾人はそれより何者かの結論を誘導しようとは思はない、何となれば、吾 人に取つては連鎖状球菌が赤血球を溶解すべく有する性質は余り重要ならざ る現象であつた、吾人が茲に述べんとする問題中に入るべき価値のないもの である。  それ故吾人は殆どすべての細菌が多少の程度に溶血力を賦与されてゐるこ とを知らぬであらう? Marmorek の例に於て、連鎖状球菌の此性質の一部 を引用せんと欲するも、吾人の意見によれば、全培養ではなく培養濾液即ち Streptocolysine の名で記載せる物質に帰するが当然である。濾過せるStrep- 28        連鎖状球菌は一種か多種か? ―――――――――――――――――――――――――――――――――― tocolysine は他の何れの溶血素と混同を許さざる性質を有する ; 大多数の細 菌は之を濾過するや否や溶血性でなくなる。        *  *  *  扨て抗連鎖状球菌血清、特に其の凝集性、防御性及び補体結合性の研究よ り引用せる論拠につき一瞥しやう。  或る菌の形態学的性質が其の同一性に疑を抱く時はいつでも特異血清によ るのが甚だ有効である。例へば弧状菌の種々なる種類に対しては血清による より外には鑑別することを知らぬが如きである。同様なる方法は屡々「チフ ス」菌、赤痢菌、大腸菌の場合に大に利用されるを見る。連鎖状球菌の場合 にも同様に試みられることは甚だ当然である。  連鎖状球菌の凝集反応は始めて Van de Velde により唱へられた。種々の 連鎖状球菌を以て馬を免疫するとき、著者は該血清は使用せる連鎖状球菌に 対し防御作用並びに凝集作用を呈するが、他の菌株に対しては殆どかかる性 質なきことを確めた。この類似は『凝集反応に於て或一定の菌が或一定の血 清に対し適合するや否やを知るに確実にして容易なる方法なきや否や』を要 求せるが如きである。  同じ考は Tavel により企圖された。吾人は今日では之等の二つの性質―― 防御作用と凝集作用――は彼等の間に共通するものでないことを知つてゐ る。更に吾人は今日では連鎖状球菌の凝集作用は著しく変化する現象なるこ とを知つてゐる。既に Van de Velde は同じ連鎖状球菌が場合場合により種 々に凝集することを認めた。氏は曰く『此事実は分類の標準として凝集反応 に対する価値の大部分を奪ひ去るは当然である』。  此報告は 1897 年になされ、而して既に此の時代には凝集反応は連鎖状球 菌の分類に有用でなければならぬことが認められたのであるから、特に興味 がある。  然し Meyer は、1902 年に、凝集反応により連鎖状球菌を二群に分類し得 ることを信じた : 第一群中には、氏は「アンギナ」連鎖状球菌(猩紅熱、 「リウマチス」、単純なる「アンギナ」)を置き ; 第二群中には、氏は化膿性感        連鎖状球菌は一種か多種か?           29 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 染を起す連鎖状球菌を配列した。        *  *  *  審判され而して全く忘却の中に突き落された様に見えた此の問題が、新に 復活されたのは特に Moser の反響ある報告に従ふものである。猩紅熱連鎖 状球菌の特異性又は非特異性を定めんとする傾向は吾人に多数の仕事に価値 を付せしめて、その仕事の或るものは甚だ著明なるものがある。之等の業績は Aronson, Neufeld, Weaver, Moser et v, Pirquet, Baginsky et Sommerfeld, Tavel, Wlassiewsky, Solge et Hasenknopf, Dopter 等の著者名を有す。  之等の著者により連鎖状球菌の特異性の有無につきなされた主なる論拠は 種々なる連鎖状球菌に対する血清の凝集価を現はす数字の周りを廻つてゐる ことを見ぬくことが出来る。吾人はすべて之等の業績より、殊に特異性に左 袒する業績より誘導された一般の結論は凝集反応が本問を解決せねばならぬ ことである以上、之等の詳細に亘らぬこととする。  仮令、患者の血清が猩紅熱連鎖球菌を 1:150 の比で凝集するを認めた Solge et Hasenknopf の臨床上の 2,3 観察の抄録せるものはあるも、同種の 他の臨床上の事実は少しも知らないのである。  Moser 自身も V, Pirquet と協力して、猩紅熱にかかれる 51人の患者の 血清及び他の患者の大多数の血清を検査した、氏等は結論に於て曰く『凝集 反応は猩紅熱患者に於ては非猩紅熱患者に於けるより屡々見られ、重症者に ありては軽症者に於けるより更に屡々見られる』。  斯くの如き結論は勿論特異性に有力なる証明を与ふるものではない。之に 付加せんとするものは Baginsky et Sommerfeld, Weaver 及び極めて最近に Dopter が陰性なる成績を証明せるに過ぎぬことである。  以上が臨床上に於て得たる知見である。  免疫動物の血清による猩紅熱連鎖状球菌の凝集反応に関しては、更に其特 異性に有力とはならない。それには他の多数が認めた一事実を述ぶれは充分 である ; 吾人の引用せんとするのは Aronson の業績による。此著者は猩紅 熱患者連鎖状球菌を以て一頭の馬を免疫し、敗血症患者より分離せる連鎖状 30        連鎖状球菌は一種か多種か? ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 球菌を以て他の馬を免疫した。免疫の終り頃に氏はこの二種の血清を猩紅熱 患者連鎖状球菌の新株に対して試みたるに、該株は猩紅熱免疫馬血清による よりも敗血症免疫馬血清によりよく凝集せらるるを見た。  其の他免疫血清による連鎖状球菌の凝集性は著しく変化するものである。 同様に、Neufeld は、極めて屡々、或る血清は之を造るに使用せる菌株より 他の異株連鎖状球菌をよりよく凝集することを確めることが出来た。血清中 に、或る物質例へば「トリクレゾール」の如きものが存在する時は、その凝 集力を破壊するに充分である。凝集力は「メヂウム」の反応が少しく変化す るも影響される。奇妙なることは、同一連鎖状球菌が、その毒力の多少に従 ひ、種々なる凝集価を有ち得ることである。Neufeld は同一出処(F)である が毒力を異にする連鎖状球菌二株を調査し之を確定することが出来た。維納 の所謂抗連鎖状球菌血清は毒力低き変種に対し極めて高き凝集価(1:20,000) を示した ; 之を毒力高き変種と接触せしむる時には100倍希釈に於ても凝集 反応が起らなかつた。著者は「マウス」を数回通過し毒力減弱せる培養の毒 力を高めた時、強毒となれる連鎖状球菌は凝集能力を失ふを見た。  連鎖状球菌は屡々集合して発育し、凝集反応を施行する前に予め平等なる 浮遊液に変形する必要がある程の大なる凝塊をなすことあるを付加して置か う。この予備捜査は勿論各実験者により異り、之によつて成績は余り比較し 得られない。  之等の困難があるから、連鎖状球菌の一元であるか多元であるかに対する 結論を唯一つの凝集反応なる現象に基礎を置かんとすることは危険と云ふべ きである。        *  *  *  吾人が既に本章の始めに注意せる如く、若し本問につき特に研究せりとせ ば、それは主として抗連鎖状球菌血清の製造方法に関する極めて重要なる実 際問題に関係するからである。然し当面の問題を限局し、而じて単価血清が すべての連鎖状球菌に対し作用するか否かを見ることが更に簡単である様で ある ; 何となれば、之を総括するに、吾人が上述せるすべてを之等の議論より        連鎖状球菌は一種か多種か?           31 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 帰結するのは其の点であるからである。  実際に、此の問題は一度ならず此の形式で課せられた ; 然し同一形式を以 て答へられたことはなかつた。  Marmorek(1895)は、家兎に極めて強毒なる唯、一株の連鎖状球菌を注射 して調整せる血清はすべての連鎖状球菌感染を防御せることを報告せる後、 Méry(1896)が先づ、J, Churmont (1898)が之に次ぎ此の確承と一致せざ る観察を発表した。Méry の使用せる連鎖状球菌は猩紅熱にかかれる小児よ り分離したものである。動物に注射するに、この連鎖状球菌は血清を以て処 置せる動物に於ても対照と同じく致死的感染を引き起した。この事実は多数 の動物でも複試されたので、Méry は結論して曰く『人間の疾病で認められ る連鎖状球菌の一元性は決定的意義なきものと思はれる』。  之より2年遅れて[1898], Courmont は他の連鎖状球菌を以て同様の現 象を観察した。氏は7株に就て試みたがその中の一株は Marmorek のそれ であつた ; 唯一つ、この最後のものが Marmorek の血清で影響された。此の 成績は氏をして次のことを考へしめた『連鎖状球菌とは区別不可能なる一群 の変種より成る分類不充分なる細胞属を代表し ; 一株に対し免疫性ある血清 は、他種に対し免疫性はない』。  之等の批判は、Marmorek の信念を動揺しなかつた、即ち氏は1902年の論 文に於て、毒力強き連鎖状球菌を以て調製せる血清は総ての連鎖状球菌に対 し活働性あることを新に是認した。        *  *  *  連鎖状球菌の一元説に左袒する研究は他の2名の有名なる細菌学者 Aron- son et Neufeld に於て断乎たる支持者を見出した。  Aronson は明白に連鎖状球菌の多元説を否定した。氏によれば、すべての 連鎖状球菌の間に『極めて大なる』親族関係があると。氏の言を支持するた めに、氏は唯、一株を以て調製せる氏の血清はその出所の如何に拘らず、す べての連鎖状球菌を防御せりと述べた。  同様に、Neufeld は、極めて速なる方法を以て家兎を免疫することに成功 32        連鎖状球菌は一種か多種か? ―――――――――――――――――――――――――――――――――― せるが、毒力強き唯一つの菌株を以て得たる氏の血清は、単に此の菌株のみ ならず、Aronson 又は Marmorek のそれの如き異種連鎖状球菌に対しても 同様に、「マウス」を防御せりと宣言した。  即ちかくして異種動物につき操作せる両学者は、異る免疫方法を使用し而 して Marmorek が毎常氏の結論を得たると同様なる結論に到達した、即ち 単価血清はすべての人間の連鎖状球菌に対し作用するが故に、連鎖状球菌は 一元なりとの結論である。  かくの如きが最近の業績より見たる、本問題に対する最後の言葉である。           *  *  *  実際上本問題は斯く解決されたりと見るべきか? 吾人の意見によれば、 Aronson の実験も、Neufeld の実験も連鎖状球菌の一元なる事を証明してゐ ない。以下説明しやう。  先づ Aronson の場合から始めて見やう。  同氏は「マウス」より「マウス」に通過せしめ極めて強毒にせる連鎖状球 菌を以て馬を免疫した。氏は単に免疫に使用せる連鎖状球菌に対してのみな らず、更に氏の云ふ所によれば、出所を異にする他の連鎖状球菌に対しても 亦極めて大なる活働性に富める血清を得た。かくして氏は猩紅熱連鎖状球菌 は此の血清に対しその固有の連鎖状球菌と同じ「チーテル」に作用すること を確め得た。  吾人は直接人間より分離せる菌株は一般に「マウス」に対し病原性なきこ とを知つてゐる。之を有毒ならしめるために、Aronson は数回「マウス」を 通過せしめなければならなかつた。之が連鎖状球菌の最初の出所が何であら うと、血清が常に活働的なるを見るに至らしめた。吾人は之より著者の引用 せる結論を知る。然るに、吾人はこの結論の誤れることを確定することが出 来る。  菌の毒力を増強する見地から、出所を異にする連鎖状球菌を「マウス」の 生体を通過せしむることにより、Aronson は菌の個性を没却したのである。 氏はすべての菌を一種類即ち「マウス」に病原性ある種類に変化して了ふた        連鎖状球菌は一種か多種か?           33 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― のである。  仮令 Aronson の単価血清が試用せるすべての連鎖状球菌に対し活働性あ りとするも、之はその出処が同一種族なるがためでなく、Aronson が「マウ ス」より「マウス」に連続的に通過し、人工的に平等ならしめたためである。 それ故、「マウス」を数回通過せる一連鎖状球菌を以て調製せる氏の血清が Aronson の一様化せるこの菌株に対し活働性なることを示すのは敢て怪しむ に当らない。  此の実験者が一度「マウス」に対し病原性ある一連連鎖状球菌を目標とする 時は、腺疫の菌の場合の如く、この血清が治療的効力を欠如する事は極めて 当然である。然し外見上驚異とすべきは、同一菌が「マウス」の数回通過に より、その毒力が本菌が嘗て有せざる迄に増強する時は、同一血清が不活働 性より活働性になる事である。  ここに矛盾と見ゆる事実がある : 即ち余り有毒ならざる連鎖状球菌に対 し作用なき血清が、この連鎖状球菌が毒力を増加するや否や活働的になるこ とである。  然し此の説明は極めて簡単である。自然界に遭遇する如き腺疫の連鎖状球 菌は Aronson のそれと異り、Aronson の血清に作用しない。然し此の同一 腺疫連鎖状球菌が、その個性を失ひ「マウス」通過により特殊なる連鎖状球 菌に変化する時、吾人はかかる菌を特に通過連鎖状球菌と称するが、之に類似 する連鎖状球菌即ち通過連鎖状球菌を以て造れる血清に適合する様になる。  故に Aronson が猩紅熱、安巍那等の連鎖状球菌についてなした血清のす べての試験は、実際上は、唯一の連鎖状球菌、即ち鼠の連鎖状球菌、所謂通 過連鎖状球菌に就てなされたるに過ぎぬことになるのである。  猩紅熱連鎖状球菌は人間の他の連鎖状球菌の存在する場合、この単価血 清が有効なりや否やを知らんとする事は、今後尚解決すべき問題として残さ れてゐる。  Aronson 自身も亦之を認めなければならなかつたのである。何となれば、 氏の馬を免疫するには、動物通過をなさなかつた他の有毒なる連鎖状球菌を 34        連鎖状球菌は一種か多種か? ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 加へてゐるからである。        *  *  *  Neufeld の実験に関しては、勿論、連鎖状球菌の一元性を結論することを 許さざるものの如くに見える。  具体的の一例は一層よく吾人の考を了解せしめる。  同氏は極めて有毒なる連鎖状球菌F に対し急速方法により免疫せる家兎 の経歴を述べてゐる。  此の家兎の血清は単にこの連鎖状球菌F に対してのみならず他の二種の 連鎖状球菌即ち猩紅熱より分離せる Aronson のそれ、並びに安巍那より分 離せる Marmorek のそれに対しても極めて活働的なることを示した、之よ り氏は単価血清の有利なることを結論した。  此の実験を仔細に見給へ。此の連鎖状球菌F とは何であるか? Neufeld が吾人に語る所によれば、之は Phlegmone より分離せるもので ; 分量0,00 001cc で 36 時間以内に家兎を殺すものである。氏は之につきそれ以上述べ てゐない。  然し先づ知らんと欲する重要なることは、このF の過去に関する詳細な る点である。  此の連鎖状球菌は動物を通過せりや否や? 実験のすべての重要関係は其 所にある。  吾人が既に認めたるが加く、直接人間より分離せる連鎖状球菌は動物に対 し病原性あることは稀である。吾人は連鎖状球菌F は同断であり、本菌は 家兎又は「マウス」を通過せる後にあらざれば家兎を殺すに至らざることを 固く信ずるものである。若し然りとせば何故に連鎖状球菌F を以て調製せ る血清が Aronson の連鎖状球菌又は Marmorek の連鎖状球菌に対し同様に 作用するかは直ちに了解し得られる。之等の三種の連鎖状球菌は実際上は一 種に過ぎない、即ちその祖先は一つは猩紅熱連鎖状球菌であり、他は安巍那 連鎖状球菌であり、第三は Phlegmone 連鎖状球菌であつても動物通過連鎖 状球菌なのである。動物通過により、祖先の有する性質は時と共に消失し、        連鎖状球菌は一種か多種か?           35 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 之に代はるに新に獲得せる「マウス」の連鎖状球菌の性質が表はれる。  この合理的なることは、勿論、F の出所に関する吾人の仮設が真実なりと の条件の下でなければ適合しないのである ; 吾人はこの連鎖状球菌F が凝 集反応二点に於ても Marmorek 及び Aronson のそれと同様なればなる程 益々之を信ずるのが当然と思はれる。  血清の予防作用に基く連鎖状球菌一元説の証明は、かくして全部総括され る。  此の方法によつて嘗て証明されなかつたか? 之は殆ど不可能である、而 してその故は動物に対し人間の連鎖状球菌が一様に病原性ある如き動物を現 在所有せざるためである。勿論、時によつて人間から家兎も「マウス」も殺 す如き連鎖状球菌を分離することはある ; が然し之は稀に見る例外である。        *  *  *  之を要するに、本章の題目に揚げたる問題を解決するために、今日まで使 用せられた方法はいづれも、決定的論拠を持ち来さなかつた。  全々解決されぬものとして抛棄すべきか又はその注射材料を少しも知らず に少しの僥倖で馬を免疫するに止むるか?  吾人はかく考へない。尚二三の望みを吾人に遂げしむる手段がある。吾人 は補体結合反応に就て述べたいと思ふ。之は現今屡々問題になる所のもので ある。  其の特異性はここに申し述べる必要がない位知れ渡つてゐる。一言申し述 べたいことは、細胞に取つても、細菌に取つても補体結合物質は今日まで 著しき特異性を示せることである。殆どすべての殺菌性血清に之を認めた。 抗連鎖状球菌血清はこれ迄補体結合物質が観察されなかつた殆ど唯一のもの である。然し実験の一定条件に於ては、之を証明することは容易である。連 鎖状球菌の補体結合物質は、他のすべてのものと同じく特異性である。各自 独特の補体結合物質を有する連鎖状球菌もあれば、共通の一個の補体結合物 質を有するものもある。かくして吾人は共通なる補体結合物質から種々なる 出所より得たる連鎖状球菌を三種に分類し得た。即ち之等の連鎖状球菌の一 36        連鎖状球菌は一種か多種か? ―――――――――――――――――――――――――――――――――― つは敗血症で死亡せる子供より分離せるもの、他は丹毒より分離せるもの及 び第三は猩紅熱で死亡せる子供から分離せるものである。一方に於ては、吾 人は猩紅熱患者の心臓血液より分離せる連鎖状球菌は同一補体結合物質に対 し異る作用を呈することを観察した。  之より連鎖状球菌の更に合理的なる分類法を設くべき標準点を見出し得ぬ であらうか?  今迄殆どなされなかつたこの種の研究は、決定的方法を宣言する前に、更 に長期間の追求をなすを要す。然し乍ら、爾今又は過去に、この種の考でな された少数実験から、吾人は連鎖状球菌は弧状菌又は螺旋菌と同じ関係であ ると信ずる。換言すれば、吾人は一種の連鎖状球菌があるのでなく、「コレラ」 弧菌が Vibrio Metchnikovi から区別されると同じく互に区別さるべき多数 の種類があると考へる。吾人の意見によれば、同一疾病、例へば猩紅熱の経 過中に遭遇する連鎖状球菌は多数の種類をあらはし得るものであり ; 他面に 於いては同一種類の連鎖状球菌が臨床的に異る疾病の経過中に遭遇し得るので ある。           ―――――           Bibliographie  Aronson, Berl, Klin, Wochenschr,, 1902, pp, 979, 1006,  Aronson, Deutsch, mediz, Wochenschr,,1903, p, 439,  Baginsky et Sommerfeld, Berlin, Klin, Wochenschr,,1900, pp, 588, 618,  Besredka, Annales de l’ Institut, Pasteur, 1901, pp, 880-893,  Besredka, Annales de l’ Inst, Pasteur, 1904, juin,  Besredka et Dopter, Annales de l’ Inst, Pasteur, 1904,juin,  Bordet, Annales de l’Inst, Pasteur, 1897, p, 177,  Courmont (J,),Compt, rend, Soc, Biolog,, 1898,  Dopter, Compt, rend, Soc, Biolog,, 1904, mai,  von Lingelsheim, Handbuch der patholog, Mikroorganismen, de Kolle et Wassermann,  Marmorek, Annales de l’Inst, Pasteur 1895, p, 593,  Marmorek, Annales de l’Inzt, Pasteur 1902, p, 172,  Méry, Compt, rend, Soc, Biologie, 1896, p, 398,        連鎖状球菌は一種か多種か?           37 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  Meyer(Fr), Deutsch, med, Wochenschr,,1902, p, 72,  Moser, Wiener Klin, Wochenschr,,1902, p, 1053,  Moser et Pirquet, Centralbl, f, Bacter,, I, Orig,, t, XXXIV, 1903, pp, 560, 714,  Moser et Pirquet, Wiener kiln, Wochenschr,,1903, p, 1086,  Neufeld, Zeitschr, f, Hygiene, 1903, p, 161,  Solge, Centralbl, f, Bacter,, t, XXXII(Refer,), p, 643,  Schlesinger, Zeitschr, f, Hyg,, 1903, t, XLIV, p, 428,  Tavel, Deutsch, mediz, Wochenschr,, 1903, p, 950,979,  Van de Velde, Archives de méd, exp,, 1897, p, 835,  Weaver, Journ, of infect, diseas,, 1904, t, I, p, 91,  Wlassiewsky, Centralbl, f, Bact,, Refter,, 1903, p, 464, t, XXX,                Ⅳ          抗連鎖状球菌血清治療法(1)        Sérothérapie Antistreptococcique  抗連鎖状球菌血清は数年来人間の治療界に入つては来たが、発売権を得る には未であつた。反対に、その発見以来、非難があるげけ最近に至るも少し も隆昌を呈するに至らなかつた。この事実は本血清が大多数の抗細菌血清と 共に分担すべき不完全さの他に、一つの弱点があるのである。之は本質的に 見らるるものにして、常に連鎖状球菌の同一性に下さるべき不確実さより由 来する所のものである。  抗連鎖状球菌の血清療法に多年従事せる Marmorek は最近に至るまで、そ の出所の如何に拘はらず、すべての連鎖状球菌は唯一同種なることを支持し た。  この意見は、満場一致ではないが、一般に唱導せる意見であつた : 即ち 内科医に於て尚亦細菌学の実習に於てさへも、普通に du Streptocoque (即 ち単数冠詞を附す)と呼んでゐる。  今日では、反対の意見が勝つてゐる様である。相似たる連鎖状球菌は二つ ではないらしい。連鎖状球菌は一つの疾患より他の疾患に於て変るのみなら ず、例へば猩紅熱の如く充分臨床上に決定された同一疾病に於ても、相互に 異つてゐるのである。  意見のかくも大なる相違は抗連鎖状球菌血清療法の上に反動なきを得ない と信ずる。以下何故にこの点が臨床方面に道を切り開くに幾多の年月を要し ――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) Gilbert et Carnot 著 Bibliothéque Thérapeutique 参照        抗連鎖状球菌血清治療法           39 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― たかを述べやう。  連鎖状球菌の生物学的性状に関する吾人の知識は今尚不完全なることは疑 なき所である。変形連鎖状球菌を到る所に常に見る現在の傾向は、連鎖をな せる球菌の形態上の類似により催眠術にかけられた一元論者の意見と同じく 大して深いものでないことは少からず確実なものである。  現在課せられた問題は連鎖状球菌を分類する手段を見出さんとすることで ある。このことは抗連鎖状球菌の将来に懸はる問題であると思ふ。この問題 が解決せざる限り暗中模索となり多少僥倖なる経験本位に帰するであらう。  今日では吾人は連鎖状球菌を純科学的方法によつて分類すべき状態になつ てゐない。今尚多数の学者のうち、かなり多数が連鎖状球菌の一元説を信じ、 他のものは之と反対の意見を持つてゐるから、現在、吾人に残されてゐるこ とは、出来るだけ多株の連鎖状球菌で馬を注射することのみである。たとへ 多数の中には馬が同じ様に作用する多くの同じ菌株を含んでゐても、之によ る害はさまで大ではない。  之に反し、菌株の数が増すほど、吾人は日常の実用に応ずる真の多価血清 を得る機会が増すのである。  連鎖状球菌の一元又は多元の問題を論じ、なすべき手段として、現今使用 せる血清の主なる「タイプ」を指示したのである。扨て吾人は吾人が Pasteur 研究所で造つてゐる血清に就て記載しやう。        *  *  *  培養基の問題は、連鎖状球菌にとりては、常に最も多く細菌学者を煩はし た問題の一つであつた。多数の培養基を試みた Marmorek は最後に腹水加「ブ イヨン」に留つた。我々の側では、Aronson に吾人が最も活働的なる血清を 欲したるに、氏は「グルコーゼ」加「ブイヨン」を使用した、之は優秀なる 培養基であるが、然し甚だ変化し易い。他の細菌学者は多少複雑なる培養基 を使用した、が然し常に「ブイヨン」を基礎とした。  吾人は「ブイヨン」の使用と牴触した : 即ち固形培養基上に培養せる連 鎖状球菌について処置をなした。寒天上に於ては、連鎖状球菌は極めて小な 40        抗連鎖状球菌血清治療法 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― る集落を形成し屡々――Marmorek の菌株の場合の如く――培養の白金の痕 と殆ど区別し得ないことがある。馬を免疫するには、細菌体の大量を必要と するが故に、吾人は次の方法に頼つたのである。  すべての連鎖状球菌々株――吾人は40以上を有する――を Martin の「ブ イヨン」と加熱馬血清とを等量に混じたる吾人の培養基に接種し保存した。 この培養基内に於て、連鎖状球菌は長く生活しその生物学的性状をよく保存 する。  斯く血清の存在中に生存を慣らして後は、連鎖状球菌は馬血清の少量を予 め注意して塗布して置けばその寒天上に極めて夥しく発育する様になる。  吾人は長さ22糎、幅11糎ある Roux の「コルベン」に培養した。移植 を行ふ1時間前に、寒天を容れた各「コルベン」に加熱馬血清1-2立方糎 を加へた。かく処置し次いで幅広く移植せる寒天上には、24時間後に、馬 の静脈内に注射するためには約100立方糎の生理的食塩水で希釈する必要あ る位の豊富なる培養を得。  この血清寒天培養基は、多量の細菌体が得られるので、注射すべき菌量を かなり正確に計量し得る長所を与ふ、この長所は吾人が免疫に実施せる唯一 の静脈内注射に際し馬に烈しき感受性を与ふる故馬鹿にならぬ点である。        *  *  *  各注射毎に、吾人は10種の異る連鎖状球菌を送入した、そのうち唯一つ を除き、すべてのものは人間の連鎖状球菌(猩紅熱、丹毒、産褥熱、膿瘍、 敗血症等)から分離したものである。人間より得た連鎖状球菌は、実験室の 動物には一般に毒性がないので、殆ど血清の「チーテル」測定は出来ない。 この理由のために、吾人は之に累代通過により「マウス」又は家兎に対し強 毒となれる一株の連鎖状球菌を付加してゐるのである。  之は仮設に過ぎないが――馬が之に接種されたすべての連鎖状球菌に対し 略々同様に免疫せるものと認むれば、強毒なる連鎖状球菌即ち同部通過連鎖 状球菌は全体の連鎖状球菌に対する馬の免疫度の或る尺度に役立ち得るので ある。        抗連鎖状球菌血清治療法           41 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  各注射毎に烈しい熱反応(40°以上)が起る、之は、更に、長く続かない ; 48時間後には全部が順調に復する。  時々次の如きことを観察する : 即ち全く健康を恢復した様に見えた馬が、 注射後10日から15日目に新に発熱する。ある時は関節の違和を表はし、 ある時は関節より少し離れて炎衝症状を呈する。後者に於ては筋肉の腫脹せ る中に槳液を認める。之は外部へ道を開けば失くなるのである。この動物は 瘠せ数週間で不要に帰する。ある場合には、馬は数日病んで死亡する。剖検 するに、病竈部の筋肉は「ゲラチン」様物質で浸潤され、無菌的なる槳液中 に浸れるを見る。同様なる変化は同様の症状を呈し撲殺せる馬に於ても観察 された。  原因不明の之等の事故は免疫操作のすべての階程に突発する ; この事故は 明かに吾人の免疫方法と関係がある。然し、たとへ此の方法即ち経静脈的免 疫方法が苦悶を伴ふにせよ、一方には価値ある長所もある、何となれば短期 間に、極めて著しき予防的及び治療的効果ある血清を得ることが出来るから である。        *  *  *  ここに Pasteur 研究所の抗連鎖状球菌血清の治療的効果の概念を与ふる ために二三の数字を挙げやう。  量の測定は「マウス」及び家兎について行ふ。  連鎖状球菌の致死量の10倍以上の量を皮下に注入されたる「マウス」は 之に18時間乃至24時間後に血清の1∖1000cc を腹腔内に注入すれば、防御さ れ得る。1∖40cc 乃至 1∖400cc の血清を以てせば、同じ条件に於て、少くとも 2,000 倍の致死量に対し防御し得。単位として取れる致死量は吾人の実験に 於ては「ブイヨン」血清に於ける24時間培養の1∖16,000,000cc に相当するもの であつた。実際には、更に遥かに弱い分量で「マウス」を殺し得 ; 吾人は余 り大なる稀釈を避けるために上記の数字に留めたのである。  血清の予防効果に関しては、治療効果を得るために必要なる分量より 10 倍も少い分量にて既に顕著なるものがあつた。 42        抗連鎖状球菌血清治療法 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 家兎に於ては、更に大量を使用する必要がある。即ち家兎の皮下に一定量 即ち致死量の100倍(1∖40,000c,c)の連鎖状球菌を注入せる後、2時間後に、 血清の1,5 c,c 乃至2 c,c を静脈内又は腹腔内に注入すれば、確実に之を防御 し得る。        *  *  *  人間に於て抗連鎖状球菌血清の価値を正確に定めることは更に甚だ困難で あるか、然らずんば不可能である。抗連鎖状球菌血清療法開始以来、数千の 観察が発表された、然し之等の観察は、「ヂフテリア」の患者で得た統計の如 き唯一つの良き統計すらなしと云はざるを得ない程に両者は全く比較になら ぬものである。  連鎖状球菌の感染は「ヂフテリー」の如きものではない。連鎖状球菌は多 種多様であり、その犯せる器官により極めて種々なる臨床上の型を呈する。  更に、連鎖状球菌は細菌学的意味の用語に於て純粋なることは罕である ; 甚だ屡々、混合感染に遭遇する。顕微鏡を以て感染経過中に連鎖状球菌の存 在を証明し以て一種の連鎖状球菌によるものとし、従つて、抗連鎖状球菌血 清を用ゐる必要があると結論するのは充分でない。実際開業に於ては、吾人 は平素連鎖状球菌の意義が全く第二次的なる疾病に此の方法を応用するのを 見る。抗連鎖状球菌血清を関節「リウマチス」に、痘瘡に、結核に、今尚問 題となれる猩紅熱は別として、使用して居らぬであらうか? すべての産褥 熱敗血症の型に、予め本病が実際連鎖状球菌性のものか否かを確定せずに試 用しては居らぬか?  すべて之等の理由のために、確信を誘導し得る立派な統計を得ることが甚 だ困難である。この理由のために、抗連鎖状球菌血清療法を承認する賛成者 の他に、余り是認せざる中傷者があるのである。  然し、其の重要性を閑却してゐない事実がある : 即ち抗連鎖状球菌血清の 使用は年一年と増加してゐる。之を確めるためには、Pasteur の研究所に寄せ られた各方面の請求を参照するより他にはない。甚だ遺憾なことは何千「リ ートル」を云ふ血清が、之による効果を正確に知ることも得ずして、年々少        抗連鎖状球菌血清治療法           43 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― しの痕跡も残さずに出て行くことである。  吾人は材料の監督をなせる Pinard 教授が産褥熱の治療に就て Budapest の万国医学大会に報告せる所の意見を述べることが出来る。氏は曰く『正し く、抗連鎖状球菌血清は確実有効なる手段を成すものではない ; 本血清は感 染せるすべての婦人を癒したこともなく癒すこともないであらう。然し余は 現在に於て、婦人が連鎖状球菌血清の感染に苦しんでゐる時に之以上に有利 に戦ひ得る武器を掌中に有するものとは信じない。余は抗連鎖状球菌血清中 には産褥熱感染の合理的治療を有するものと信ずる、何となればこの武器は 他の如何なるものよりも、連鎖状球菌が病原的要素なる時には、生体の抵抗 率を増加する様に見えるからである』。        *  *  *  維納の Moser の発表に次いで甚だ問題であつた所謂抗猩紅熱血清の作用 に就いてよく教へられた。  即ち以前より連鎖状球菌は猩紅熱患者には極めて屡々あることが分つてゐ る。その存在は常に雑菌として考へられ、稀ではあるが単なる付随細菌とし て見てゐるものもあつた。  1902年に、Moser は Carlsbad の学会に於て非常な評判となり此の見方を いたく動揺せしめた講演をなした。  此の著者は、猩紅熱にかかれる子供に於て見出せる連鎖状球菌は特異のも のであり。更に之等は種々の患者に於ては独自の性質を呈するとの意見を述 べた。  此の意見を信じて、Moser は猩紅熱で死せる子供の血液より分離せる連鎖 状球菌を使用し血清を造つた。  氏は抗猩紅熱に相当する血清を得た。  オーストリアにて Bokay et Escherich によりなされたる、最初の臨床的 試験は有効であつたので、間もなく猩紅熱連鎖状球菌の特異性並びに血清の 治療的価値に関する多数の発表を見た。  臨床家方面から始めやう。 44        抗連鎖状球菌血清治療法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  最初の発表に引き続き、Escherich はマドリッドの学会に可成り多数の例を 報告した、その結果によれば、Moser の血清使用以来、猩紅熱による死亡率 は16,41% から6,70% に減少した。同氏は宣言して曰く、初期に於て多量 の血清(100-200c,c) を以て患者を処置する時には、体温は殆ど直ぐに低下 し、一般状態は血清で処置せざる子供に比較すれば署名に良好となると。  Bujwid et Gertler は重篤なる猩紅熱に罹れる子供を Moser の方法により 氏等自ら調製せる血清を以て処置した。46人の罹患者中、14人が死亡した ; この14人の死亡者中、二人の子供は病院に到着して1時間生存してゐた。血 清使用後に得た死亡率を前年度以前の総死亡率と比較すれば、著者等は該年 度は約三倍死亡率を減少せしめたと結論した。  26例だけ血清を以て処置せる Pospischill は、血清の治療的価値を判定す るために、特に疾病の発生と統計全体の結果の少いことを斟酌したと述べて ゐる。  氏は患者に一回に100-200c,c の血清を注入すると、著しく体温の低下す るを認めた。氏は脈膊や呼吸が其の数を減じ ; 「チアノーゼ」は去り ; 一定 数の患者に於ては、血清は呼気の臭気と疼痛症状を消失するのを見た。  1904年1月即ち第一回報告後約一年後に、Bokay は多少重篤なる猩紅熱 新患12人を処置した。  唯一回に注入せる血清の最少量は100c,c とし、最大量を200c,c とした。 すべての患者に於て、血清は一般状態を著しく恢復せしめ、既に注射後24時 間にして顕はれる。知覚を失ひ譫語に苦しんでゐる子供は、注射の翌日には 正常の外観を呈した。 体温は0°9乃至3°4下降した。同時に脈膊は良好となり回数を減じた。 発疹さへも血清に影響され著しく快方に向つた。Bokay は血清の優秀なる効 果を咽頭、腎臓、眼球の如き猩紅熱を呈すべき種々なる個所に於ても観察し た。之等の事実の存在によつて、氏は自ら血清による猩紅熱治療の有力なる 賛成者となつた ; 氏は血清は中毒中和の性質によつて作用すると称する Mo- Ser et Escherich の意見に加担した。        抗連鎖状球菌血清治療法           45 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  1905 年9月、同臨床家は Moser の血清による治療例17名の病歴を報 告した。今回も亦氏は血清の特異作用によると結論した。  1905年末に出た発表中に、Schick は維納の「クリニク」に於て60人の 患者になせる観察の結果を報告した。氏は Moser の血清を甚だよきものと なし、その使用を関係諸国に普及せしむべき草案を作成せんことを宣言した。  有力なる結果は他の臨床医家殊に猩紅熱が屡々極めて重篤なる性質を帯び る露西亜、ポーランドに於ても指摘された。吾人は玆にワルサウの Palmir- ski et Zebrowski, Kasan の Menchikoff 並びに約400人の患者につき報告 せるモスコウの二名に医師 Eghise et Langowoï の業績のほかは示すことは 出来ない。        *  *  *  然し乍ら可成り多数の臨床家は差し控へて居り、又他の臨床家は今尚抗連 鎖状球菌血清に治療的価値を全々拒否してゐる。  血清にて処置された重症猩紅熱患者133人をモスコウにて観察せる Molt- chanoff は次のことを証明した : 1°注射後最初の二日間見らるる温度の低下 は継続しなかつた(恢復者26人中4人の患者に於て温度は稽留した) ; 2°一般 状態の恢復は温度の低下と共に平衡しなかつた。 ; 3°咽頭部病竈に於ける局 所作用は著明ではなかつた。 ; 4°血清は合併症を防御することなく且つ、一 般的に、疾病の進行に影響を及ぼさない。血清により処置された患者に於て は、有熱期間及び疾病の継続期間は、この著者によれば、非処置者に於けると 同じく少しも短縮しなかつた。  Quest, Troïtsky, Iasni et Mitzkewitch の如き他の研究者は同様の意味を 述べてゐる。  Bilik の仕事は10例に過ぎなかつたとは云へ、充分の注意を以て各患者の 病歴が研究されたので、価値がある。この臨床医家は抗連鎖状球菌血清はす べての特異作用を奪はれたものと結論した。  Bilik は先刻述べたる Eghise et Langowoï の統計を詳細に調査したのに、 之等の臨床医家によつて得らたる成績は、実際上、彼等が信ずる程鼓舞推 46        抗連鎖状球菌血清治療法 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 称すべきものでないと云ふ結論に到達した。  実際、Eghise 及び Longwoï の患者を、疾病の軽重により四群(I, II, III, IV)に分類すれば、何人も死亡率が相当上つてゐたことを認めるに躊躇せぬ であらう。それ故、もし全数(384)から最初の24時間以内に死亡せる患者22 人更に予後良好なる第II群の95人を控除すれば、257人にしてうち54人の死 亡があつたのであるから、その死亡率は21%である。死亡率は予後重篤なる 第IV群の患者に於ては更に遥に上つた(50%)。  17人の小児の解剖に於tr(第IV群の死亡者26人中)、敗血症が認められ た第III群の小児14人(28人中)に於ても同様であつた。  Bilik は之に就いて血清で処置された小児に於ける敗血症の回数は Heub- ner によつても亦注目されたと述べた。死を招来すべき敗血症の場合には、 たとへ頻回血清の注射をなすも体温を直に低下させることはなかつた。  浮腫、「アデノフレグモーネ」、腎臓炎の如き合併症がある場合には、血清 によつて処置されたものに於て敗血症が非処置者に於けるよりも少いことは なかつた。  故に抗猩紅熱患者血清のよき効果は誇張されてゐるらしい。  その他では、独逸、墺太利に於て、大に初期の熱心に立ち返つた ; 即ち、 材用を取り扱つてゐる小児科医、例へば伯林の Baginsky, プレスロウの Czerny, プラーグの Ganghofner 及び他の人々は今日では抗連鎖状球菌血清 の使用を開始した。         *  *  *  固より、生物学的見地よりすれば、かくの如き血清の特異性は少しも証明 されない。  連鎖状球菌が屡々猩紅熱患者の咽頭或は患者の血液中にさへも認めらるる 事実に就ては、それが必然的に該疾患の病原菌であるとは未だ結論されない。  患者の血液中に連鎖状球菌の存することは、尚、人の云へる如く屡々では ない。  Hektoen はこの関係につき100人の患者を調べた。各患者より血液を1∖2        抗連鎖状球菌血清治療法           47 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 乃至1cc を採取し、直ちに「グリセリン」加「ブイヨン」100乃至150cc に移植 した。然るに、連鎖状球菌は12名の患者に発見されたに過ぎない。兎に角、 疾病の軽重に応じその頻度が如何なるものか、ここに示して見ると。               軽症 稍々重症 重症 死亡 合計    患者数………………………45   40  11  4  100    そのうちの連鎖状球菌……5    5  2    0  12 略々同時期に、Weaver は95人の猩紅熱患者の咽頭を検査した。氏は殆 どすべての患者に於て、殊に病の初期に、連鎖状球菌を証明した。同著者は 猩紅熱患者の咽頭より分離せる連鎖状球菌の24株を極めて精細に研究した。 この研究は之等の連鎖状球菌は他の出処の連鎖状球菌と少しも異らずとの結 論に導いた。  凝集反応は少しも特異性に有利になる如き弁護をしない。且つ、他の仕事 に於て、Weaver は猩紅熱に罹患せる患者の血清が猩紅熱より分離せる連鎖 状球菌を特異的に凝集せざるや否やを尋ねた。  同著者の極めて正しい研究によれば、之等の連鎖状球菌の凝集反応は全く 特異性ではなかつた。Weaver は多数の種類の疾病(猩紅熱、肺炎、丹毒、麻 疹、心臓内膜炎、腸チフス等)に罹患せる人の血清が、猩紅熱、産褥熱、潰 瘍性心臓内膜炎及び腹膜炎の患者より分離せる連鎖状球菌に対し少しも著明 でないことを研究した。之は亦 Dopter の結論である。  略々同様なる結果は、Jogichès の仕事のうちにも書き記るされた。同著者 は猩紅熱患者血清は連鎖状球菌を(1:500 に)凝集せること、この反応は特に 5週又は6週の経過中に著明に表はれることを見た。氏は亦猩紅熱患者血清 を猩紅熱連鎖状球菌を他の疾病より分離せるものと同じ程度に凝集するを見 た。  故に凝集反応は猩紅熱に於ては特異性がない。  人は猩紅熱患者血清は猩紅熱連鎖状球菌に対し特異結合物、即ち補体結合 物質を含有せざるや否やを要求することも出来る。  Besredka et Dopter はこの考を以て多数の実験を行つた。氏等は疾病の種 48        抗連鎖状球菌血清治療法 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 々の時期に於て血清を採集し、次いで確実なる猩紅熱より分離せる種々の連 鎖状球菌株に対し血清を試験した。  之等の実験は明に陰性なる成績を与へた。連鎖状球菌は猩紅熱に於て何等 の役目を演ずるものにあらずと分類上より結論することなく、著者等は全く 特異性なきことを結論した。著者等によれば、連鎖状球菌は猩紅熱に於ては 付随菌の役目しか演ずるに過ぎない ; 猩紅熱の真の病原については更に発見 さるべきものであると。        *  *  * すべて之等の臨床的並に実験的論拠を決定的に、如何に結論すべきか猩紅 熱にて見らるる連鎖状球菌は特異病原菌でないことは、今日では疑ひないも のらしい ; 然し猩紅熱に於ける頻度が極めて大なることは確実である。今日 では抗猩紅熱血清に特異治療的作用を決定しやうとはしない ; 恐らく付随せ る連鎖状球菌に有効なることは本当でないとは云へない。  一程度まで当該血清の価値につき臨床家の非常に相違せる意見を説明して ゐる : 即ち特異作用を主張するものは勿論欺かれてゐる、此の血清は随伴す る連鎖状球菌に対し効果ありと称するものは多数の場合に充分認められる。  Moser の血清は Menzer の血清が結核に於て或は関節性「リウマチス」に於 て特異性がない以上に特異性のないものらしい。  Menzer は結核の初期に於て屡々存する連鎖状球菌は原発病竈の拡大に与 ると云ふ主義から出発して、抗連鎖状球菌血清によつて結核患者を治療した。  氏は22人の結核患者を血清で処置した、うち11人は第一期にして3人んは第 二期であつた。11人の患者のうち抗連鎖状球菌血清の影響により8人が恢復 し ; 第二期の3人の患者のうち1人が恢復し ; 第三期の患者は唯体重を増加 せしめたと記載した。Menzer は同様に「リウマチス」患者を抗連鎖状球菌血 清で処置した ; 氏によれば、この治療はすべての他の治療に優ると、心臓内 膜の側の合併症は同様適当であつた。  結核並に「リウマチス」中に連鎖状球菌を見、之等の疾病に罹れる患者が抗 連鎖状球菌血清でよくなると云ふ事実は、何人も之等の連鎖状球菌の特異性        抗連鎖状球菌血清治療法           49 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― を結論する考にはならぬであらう ; 更に天然痘に見出さるる連鎖状球菌が特 異的要素であることを肯定しないであらう。  たとへ吾人が長い間抗猩紅熱連鎖状球菌血清につき主張したにせい、之は之 に関係せる臨床家の観察が一般に抗連鎖状球菌血清療法の研究に一貢献をな したからである。  猩紅熱の流行的性質は連鎖状球菌による他のすべての疾病より一層よき血 清療法の研究に適当する。もし抗連鎖状球菌血清が役に立ち得るとせば、特 に全身的連鎖状球菌感染に於て、予後が一般に極めて重篤なる場合であるこ とは確実である。不幸にして、之等の感染の散在性のために、比較条件に於 ける大多数の観察例を得ることは困難であり場合によつては不可能である。        *  *  *  本章を終るに当り、抗猩紅熱「ワクチン」につき数語を述ぶることが残され てゐる。  馬の腺疫と猩紅熱の間に存する類似に基き、Gabritchewsky はこの後者の 疾病に対する「ワクチン」を調整せんとの考を有つた。  この「ワクチン」は猩紅熱患者より分離せる連鎖状球菌の「ブイヨン」培養で ある。本培養を60°に加熱し0,5%の石炭酸を加へたものである。  少量中に多数の菌体を得るために、Gabritchewsky は培養を遠心沈澱し た : 上澄液の部を傾瀉し、「ワクチン」の1cc が乾燥菌0,005gr を含むに必 要なる分量だけを残した。  氏はこの「ワクチン」液の0,5cc の注射を開始した(2歳より10歳の子供)次 いで二回注射を反復し、各回に「ワクチン」の量を1倍半乃至2倍に増量した。  注射は極めて屡々かなり軽度の局所及び全身反応を伴つた。或る場合には、 猩紅熱の発疹を思はせるもの、更に安巍那を起す場合を証明した。そこで Gabritchewsky はこれを氏の「ワクチン」の特異性の証明となした。  氏によれば、連鎖状球菌は猩紅熱の病原的要素であるにせよ、又は本病に 於て二次的意義しかないにせよ、加熱培養による予防接種の方法は『小児に 50        抗連鎖状球菌血清治療法 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 取り最も重症の一つを予防する新しく同時に有効なる方法である』と述べて ゐる。  然し、今日までこの「ワクチン」の有効に関する著者の楽天主義に賛成すべ き何物も吾人に許されない。  加熱連鎖状球菌によつて、腺疫を予防するに至れることが証明されたにせ よ、同じ方法が腺疫とはかなり掛け離れた類似点しかない猩紅熱に適応され るとは云はれない。  Gabritchewsky の「ワクチン」が猩紅熱を防御するとせば、何よりも、連鎖 状球菌が該疾病に於て重要なる要素でなければならぬ。連鎖状球菌が猩紅熱 の真の病原菌なることを承認するとしても、本病に対し加熱培養を以て予防 接種することに成功せることの証明は少しもない。連鎖状球菌による感染は 大多数の細菌感染と異り死菌を以てする方法では動物を予防接種し得ざるこ と確実なりと云ひ得るや否や。  すべて之等の理由に対しては、猩紅熱予防「ワクチン」の効果に就ての保留 をなすことを殆ど妨げ得ない。  然し、Cantacuzène, Bernhardt 次いで Landsteiner, Levaditi et Pracek によつて猿に就いてなされた最近の研究は之等の保留を証拠立てたものと見 られる。  Cantacuzène の実験は下等の猿(Cercopithecus cephus, Macacus rhesus, M, sinicus, Cereopithecus griseo-viridis),に猩紅熱患者の血液、心嚢液、又は 気管―気管枝淋巴腺を注射した。5乃至37日の潜伏期間の後に、之等の猿は 次の如き症状を呈した : 3日間発熱は40°と41°の間を昇降し、adénopathie となり、胴体、顔面、前膊にさへも赤紫色の発疹を生じ約36時間継続した。 この発疹は顔面に於ては大きな鱗をなし、背部に於ては小さな鱗をなして剥 離し、四肢に於ては五日間で消褪した。一匹の猿は更に尾の基底部、臀部、 大腿部に著しき浮腫を呈した。  間もなく Bernhardt は実験的猩紅熱に関する研究を公にした ; 氏は特に 猩紅熱病毒は決して連鎖状球菌と共に見られざること、濾過器を通過する不        抗連鎖状球菌血清治療法           51 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 可視性の Virus が関係することを力説した。Berkefeld 濾過器を通過せる Virus を以て、Bernhardt は四頭の猿のうち二頭に於て疾病を起すことに成 功した。  略々同じ時に、Landsteiner, Levaditi et Pracek は猩紅熱患者より採取せ る扁桃腺付着物を以て猿の咽頭に塗布し、この動物に体温の上昇、扁桃腺の 発赤及び腫張、次いで一般の発疹を生ぜしめることに成功した。  すべて之等の実験は、終結したとは云へないが、今では連鎖状球菌は猩紅 熱の真の病原体として考へられない、従つて連鎖状球菌の加熱培養を以て造 れる Vaccin は予防作用をあらはすことなきを示すものである。        ――――――        Mémotres Citsés Marmorek , Annales de l’Institut Pasteur, 1905, p, 553; 1902, p, 172, Besredka, Annales de l’Institut Pasteur, juin 1904, Bujwid et Gertler, Przeglad lekarski, 1903, p, 87, Pospischill, Wiener Klin, Wochenschr,, 1903, p, 433, Bokay, Deutsche mediz, Wochenschr,, 1909, p, 6; Iahresber, f, Kinderheilk,,LIXII,  P, 428, Schick, Deutsche mediz, Wochenschr,, 1905, p, 2092, Hectoen, Journ, of americ medic, Assoc,, 14 mars 1903, Iogichès, Centralbl, f, Bakter, I, Origin, t, XXXVI, p, 692, Besredka et Dopter , Annales de l’Institut Pasteur, 1909, p, 373, Menzer, Münchener mediz, Wochenschr,, 1903, p, 1875; 1904, p, 1461, Gabritchevsky, Centralbl, f, Bakter, I, Orig,, p, 719, 844; Berlin, Klin, Woch,, 1907,  p, 556,             Ⅴ           菌体内毒素(1) Endotoxines Microbiennes  菌体内毒素とは、菌と共に菌体を形成し、菌が多少高度に破壊するにあら ざれば分離出来ない、菌体内部の毒素を意味する。  菌体内毒素は菌体外毒素即ち所謂固有の毒素と異る理由である。後者は同 じく菌株に関係あるが、菌の生活力は著しく障礙されることなく、その形成 に従ひ、周囲の培養基中に算出されるのである。  菌体内毒素の遊離するのは、細菌細胞の崩壊が先行する故、死後の現象で ある。菌体外毒素の産製は菌の生活と両立するを以て、生理的作用、分泌作 用である。  菌体内及び菌体外毒素の相違は之に止まらない: 吾人はその相違を次の叙 述に見る如く、之等両物質の物理化学的性質特に生物学的性質中に認める。  今日尚、細菌製産物の性質に就ては誤報されてゐる。当時は今を去る20年 足らずであつた。この時代に菌の排泄する毒物を区別することは何れ程困難 であるか信じ得られる。若しこの考で、いくらか進歩したとするも、それは 長い間菌体内毒素説の選手であつた R,Pfeiffer に価値を示したに過ぎない。             *  *  *  如何にして Pfeiffer は菌体内毒素と菌体外毒素との境界線を設けたかを此 所に述べて見やう。  「コレラ」弧菌の研究に於て、同氏は幼い「ブイヨン」培養を濾過器で濾過せ るものは、比較的大量に於ても殆ど有毒でない: 之に反して数か月間経過せ ―――――――――――――――――――――――――――――――――― (1) Bulletin de I’Institut Pasteur, t, ⅩⅡ,pp, 145,193;19145,              菌体内毒素            53 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― る陳旧「ブイヨン」培養は濾過すれば著明なる活動性毒素を生ずることを確め た。  然らば陳旧培養中に存するこの溶解性毒素は何であるか、之は「コレラ」弧 菌の分泌する固有の毒素であるか、又は他の毒素であるか。  本問を解決するために、Pfeiffer は「ブイヨン」でなく寒天上に培養せる幼 い弧菌を使用した。之等の弧菌を「クロロホルム」により又は55°cの加熱に より殺して後、之等の死菌の数「ミリグラム」を海猽の腹腔内に注入した。  注射を受けて18時間以内に海猽は死亡する。対照実験では、かく注射せる 弧菌の大量中、生きてた菌は只一個に過きなかつたことを示した。故に海猽 は感染によつて斃れたのではなく、一種の中毒によつて斃れたのである。こ の場合に於て分泌による生産物を主張することは出来ないからして、何うし てもその死は弧菌の内部に含有される毒素に帰さなければならないのであ る。  従つて、陳旧培養の「ブイヨン」濾液を注入せる海猽を斃死せしむるのは細 胞内毒素即ち菌体内毒素であることが分つた。このものは必然的に細菌の崩 壊産物を含むべきものである。  細胞内細菌毒素の存在は確定された事実となつたのであるから、細菌学者 の努力は細菌体内のこの毒素を多少純粋の状態に抽出し、最後に細菌体外に 於てこの抽出物を研究し得る様に向いて来た。  之等の研究の大部分は先づ弧菌に就いて、特に久しく、之等の研究の選択 菌として考へられた Massaouah の弧菌に就いてなされた。間もなく、他の 弧菌及び他の菌に就いて研究された。  細菌の菌体内毒素を抽出するために、種々なる物理化学的要素(種々なる 温度、自家融解作用、圧力、粉砕、振盪、化学的製剤)を作用させた。Pfeiffer 及び Wassermann が第一毒素、第二毒素の語を採用したのは之等の実験の 際であつた。  之等研究者によれば、細菌体内に含有せらるる毒素は、極めて脆弱である; 54             菌体内毒素             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― この理由のために第一毒素(Gamaléia の nucléoalbumine)と呼ぶ。若し化学 薬品を以て少しく烈しくこの毒素を抽出するか、又は細菌を沸騰点又は80° ―90°に長時間持ち来せば、氏等によれば、常に第一毒素は第二毒素(Gama- léia nucléine)に変化すると。この第二毒素は尚有毒性であるが、然し第一毒 素より10倍乃至20倍微弱である。第二毒素は第一毒素の如く特異性を有する ことなく、高温度又は消化酵素の作用に対し抵抗が強い。  第一毒素と第二毒素との区別は Bürgers の実験によれば之を認め得なか つた。此の著者は Pfeiffer et Wassermann により或は第一毒素或は第二毒 素となる前に、種々に加熱せる培養の毒性を比較研究した。之によれば、両 者の場合に於ける毒効果は明に同一なるを認めた。  たとへ毒素の此の二元説を考へ得るにせよ、弧菌は固有の毒性を有するこ とは確実である。之は一方では、幼い培養濾液を注入し、他方では、細菌体 に操作を施す時は之等の同一死菌の毒性より解決し得。毒素産製菌例へば赤 痢菌の如き、菌体内毒素の菌例へば「コレラ」弧菌の如き菌の間の差異は従 つて顕著なりと云はれない。  「ブイヨン」に培養し次に遠心沈澱されたる之等両者の菌は、上澄液及び沈 査を別々に検査する時は、次の如きことを示す、「ヂフテリア」菌培養の液体 の部分は著明に有毒であるが、菌体によつて形成された沈査は殆ど毒性がな い。「コレラ」菌の培養にて証明せられることは反対である。上澄液の部は殆 ど無害であるが、沈査、即ち菌体の死滅せるものと同一であるが、之は大な る毒性を賦与されてゐる。  弧菌の沈査は粗製の菌体内毒素を形成してゐる。吾人は粗製と云ふ、何と なればこの沈査の中には菌体内毒素だけではない: 細菌の形体に加ふるに、 種々なる酵素の有毒性物質及び菌体内毒素の如き他のものを認めるからで ある。 *  *  *  如何にして弧菌の内部から特殊毒素を抽出するか?すべての精製試験は ――而も多数にあるが――平凡なる結果に終るに過ぎなかつた。              菌体内毒素              55 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  すべての菌体内毒素性細菌のうち、弧菌は恐く抽出操作があまり容易でな い所のものであることは、注意すべきである: 弧菌性菌体内毒素は細胞の 原形質と密接に結合し、細胞が崩壊し又は溶解する時にのみ放出され而も極 めて不完全の形である。  Buchner の Zymase 抽出に関する研究に「ヒント」を得、Hahn は弧菌を強 大なる圧力下に置き「コレラ」菌体内毒素の抽出を試みた。氏は Plasmine と 称する溶解性有毒物を得ることに成功した。  Macfadyen et Rowland は粉砕と高度の低温例へば液体空気を用ひて生ず る如き低温(―190°)とを併用した。  Carriere et Tormarkin は弧菌を蒸溜水中に於ける自家溶解と適当装置に よる長期間の振盪との協同作用を行つた。  Bürgers は単に弧菌を生理的食塩水に浮遊し55°―60°に加熱し、菌体内 毒素を抽出する研究をなした。遅れて、同じ目的にてKrawkow は「ヌクレ オプロテイド」を製するために使用する方法を施した。  「コレラ」菌体内毒素を抽出するために、吾人は弧菌に後に述ぶる如き方法 を適用し、他菌を以てするもよく成功した; よつて得たる抽出物は余り毒性 がない。  要約するに、「コレラ」菌体内毒素を精製せんとする試みは多数であつたが、 余り結果は好くなかつた。吾人の意見によれば、種々の著者によつて得られ たるすべての製剤のうち、最も純粋なる菌体内毒素に接近せるものは、粗製 の菌体内毒素、即ち何等他の処置を受けざる死菌である。  弧菌属に就て溶解性菌体内毒素を研究せんと欲することは、その研究の対 象の選択を誤つてゐる。此の研究は「ペスト」菌、赤痢菌の如き菌又は他の菌 を以て更に遥に有効になし得られる。  然し吾人は L,Horowitz の興味に満てる最近の研究を引用しなければなら ぬ。著者は最も有毒なる濾過性培養は「グルコーゼ」加(1%)「ブイヨン」より 生ぜるものなることを証明した。この「ブイヨン」中にありては、氏の実験が 示す如く、弧菌は極めて速かに死滅し三日目には培養は全く無菌状態とな 【「沈査」は「沈渣」の誤植】 56             菌体内毒素             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― る。もしこの「グルコーゼ」加培養を濾過すれば、濾液は1cc,の分量で12- 18時間に海猽を殺し、時として1∖2ccの分量で同一結果を呈することを証明し た。  明に特に「コレラ」菌体内毒素を含有するこの濾液は、耐熱性である。この 可溶性毒素を60°1時間加熱するか、或は之を沸騰点に置くとき、Horowitz は毒性の減少を観察し得なかつた。他方にては、著者は弧菌属の加熱培養と 交叉予防接種試験を行ひ、この毒性物質の特異性を確めた。  菌体内毒素の他に、弧菌が他の物質なる真の「コレラ」毒素を分泌し得るか 何うかは検査して見ない。この問題は吾人の追求せる範囲外である。吾人が ここに解決せんと欲する所のものは、感染の際に於ける菌体内毒素の精製方 法とその意義とである。              *  *  *  細胞学説の賛成者は、顕微鏡下に、海猽の腹腔内に送入せる弧菌は白血球 の内部にて消化せらるることを宣言したのを想ひ起すであらう。之に反して 液体学説の賛成者は、弧菌は生体内に侵入するや否や、水中に於て、即ち細 胞の体外に於て砂糖の様に溶解すると主張した。この細菌の細胞外溶解説に Pfeiffer 及びその一派は人の知る如く氏等の免疫学説の全部を押し建てた。  之等の研究者によれば、病原菌の危険となるのは、菌が繁殖する事実でも なく、毒素を分泌する事でもない、即ち、菌が侵入せる生体内に生活し増 殖するためではない; 真の危険は、氏等によれば、菌が死亡する時から始ま るに過ぎない; 何となれば、感染せる生体の体液中にて死滅し溶解し、動物 を死に至らしむる菌体内毒素を遊離するからである。故に細菌の感染は菌体 内の中毒に帰すべきである。  かかる事柄が、Pfeiffer の信じた如く、自然界にて起るか? 若し然りと せば、菌体内毒素が伝染病にて占むる位置は如何に重大であるであらうか。  詳細は申さずとも、感染及び免疫に関する意見はそれ以後開け、現今では 『Pfeiffer の現象』と呼ぶことに同意せる所のものを一般の法則中に建てんと する傾向ある学者は少いことを想起すれば充分である。              菌体内毒素              57 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  細胞説に対し最も反抗せるものは、両極端の学説の間に橋をかけることを 好都合とした。  如何に誇張するも、菌体内毒素の意義は不明であつた。菌体内毒素は確に 感染の際に関係がある。菌体内毒素は体液にて細菌の溶解せる時に、極めて 少量が関係する。然し、之と共に数ふべきことは、白血球の内部に於て細菌 の消化せる時である。別々に考へた場合、白血球の喰菌に先つて細胞外溶解 の存在することは、何人も証明せざる所である。重要なることは、細菌のす べての消化は必然的に菌体内毒素の遊離と関係あることである; 之より生ず るすべての興味は菌体内毒素を知ることである。              *  *  *  すべての病原菌は菌体内毒素を有るか? 此の質問に対し一様に答ふる ことを知らぬ。肯定し得ることは大多数の菌が該毒素を有することである; 之を確める最も手取り早い方法は死菌の毒性を検査することである。  死菌が中毒症状を惹起する疑あることを確めた時は、或る菌に菌体内毒素 が有ると結論するに躊躇してはならない。然し葡萄状球菌又は連鎖状球菌の 如きは之を殺し、之等に対し感受性ありと思はるる動物に大量を与へてさへ も何ともないのは、何う考へたらよいか? 之等の菌は菌体内毒素を殆ど持 つてゐないと結論すべきであるか? 吾人は敢へて之を肯定し得ない。  吾人は連鎖状球菌は加熱により凝固せる後には試験管内に於て菌体内毒素 を瀰撒せしめない、が然し動物体内に於ては生活細胞のみがその秘密を知る 如き手段を使用すれば毒素を遊離せしむるものと簡単に信じてゐる。  現在の知識状態に於ては、菌体内毒素の作用を普及せしむること、即ち病 原菌全部に及ぼすことは早計である。吾人の意見によれば、多くの菌は菌体 内毒素を有するが、然しそのうちには菌体内毒素の今尚未知のものがある。 吾人は菌体内毒素の既に研究された菌に就て述ぶるに過ぎない故、後者の点 は保留することとする。  1905年に、吾人は「チフス」及び「ペスト」の菌体内毒素を抽出すべき方法を 記載した。翌年、吾人は更に簡単なる方法を提案した。之によれば菌体内毒 58             「チフス」菌体内毒素             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 素特に、「チフス」菌、「ペスト」菌及び赤痢菌の菌体内毒素の物理学的及び生 物学的性質を更によく検査することが出来る。  之等の研究に次いで、種々の学者は同じ方法を他の菌体内毒素の抽出に摘 用した。例へば、Bordet et Gengou は百日咳の球菌様桿菌の菌体内毒素を 得た; P,N,Bernard はマルタ熱菌のそれを、Slatineano は「インフルエンザ」 の球菌様桿菌のそれを、Cruveilhier は淋菌のそれを得た。  主なる菌体内毒素を逐次述べて後、レフレル氏菌、糸状菌、Prodigiosus 及 び Sarcina lutea で造れる多少有毒なる抽出物につき数言述べやう。              「チフス」菌体内毒素              Endotoxine Typhique すべて吾人の実験の出発点に使用せる「チフス」菌は、「チフス」病の極期に、 患者の血液より分離したのである。この菌は決して動物通過をしなかつたも のである。海猽に対する本菌の毒力は少しも変化しなかつた: 寒天に24時 間培養の 1∖7 を腹腔内に注射し350瓦の海猽を殺した。60°に加熱し、次に 真空内に乾燥する時は10―15mg の分量にて海猽は斃れる。  「チフス」菌体内毒素を遊離するために、吾人は先づ乾燥菌(15 Centigr,)食 塩水(2cc,)]及び正常馬血清(2cc)の混合を造つた。「チフス」菌は間もなく血清 により凝集される、二時間接触せる後に、之を遠心沈澱した。  遠心沈澱の前では、混合物の毒性ある部は始めに加へたる乾燥菌のそれで あつて、液体の部は毒性がなかつた。遠心沈澱の後は、二層の各の毒性は反 対となつた。即ち、細菌体は血清と生理的食塩水とを接触せる後には、殆ど 毒性がなくなつた: 処置せざる菌の10―15mgの菌量で斃れる海猽は、処 置せる菌の 10 Centigr, まで何の障害なく耐えた。他方に於て、混合物の液 体の部分は、始め血清と生理的食塩水より成り、その時は全く無毒であつた ものが、有毒となり、1,5cc, の腹腔内注射にて、300瓦の海猽は斃れた。              「チフス」菌体内毒素         59 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  即ち次の如き事が起つたのである: 「チフス」菌はその内容の一部を瀰撒 せしめた; この瀰撒のお蔭で、二つの新物質が造られた: 一部は無毒なる 「チフス」菌であり、他部は溶解性「チフス」菌体内毒素である。              *  *  *  吾人は曩に Macfadyen et Rowland の抽出法の原理を述べた。之は菌を 凍結させ極めて強力なる杵を用ひ低温で粉砕するのである。液体空気を注ぎ 固い塊となれる細菌を液体空気の中で二時間粉砕する。操作の終りに、乳鉢 内に細菌の残骸よりなる半流動体の「パテー」を得。  出発点にて使用せる培養はたとへ生きて居り毒素が強くとも、最終の粉砕 物は無菌状態である。零点下190°なる液体空気の温度は無菌となすことが 出来ないのであるから、英国の学者たち(上記の著者等)は之は細菌の粉砕及び 寸断の結果なりと結論してゐる。  上記の方法にて採取し次いで細菌残査【渣】を遠心沈澱により除去せる細胞汁は 溶解性の「チフス」菌体内毒素を示す。  Macfadyen et Rowland によれば、この菌体内毒素は極めて活動的である; 之は使用せる菌が始めに毒力強き程毒性が強い。該菌体内毒素は腹腔内注射 に於て1cc,―0,5cc, の分量で3―4時間に海猽を殺すことが出来る。著者等 は常に本法は極めて骨の折れるもので、いつも甚だ活動的なる製剤を得るも のでないことを記載してゐる; 屡々何故か正確には分らぬが、細胞汁は余り 毒性のないことがある。  Macfadyen et Rowland の方法は、確かに、甚だ天才的である; 之はすべ ての研究室で出来るものではない。              *  *  *  吾人が1906年に記載せる菌体内毒素の抽出方法は、特別の装置を必要とし ない; 之は吾人が以前に更に重要なる生産能率を与ふるために使用した方法 に優つてゐる。  此所に此の技術を記載することにしやう。  本法は今日では「ペスト」、赤痢、百日咳、マルタ熱「インフルエンザ」等の 60             「チフス」菌体内毒素             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 如き菌の菌体内毒素を製するに役立つてゐる。  16-48時間経過せる寒天培養を生理的食塩水の中に0,75%の割に稀釈し、 60°1時間加熱し、次いで真空内で乾燥せしめる。  一定量(1 gramme) の乾燥菌を乾燥食塩(0,30-0,45gr)と混じ、次いで瑪 瑙の乳針【鉢】で粉砕し、微細なる粉末となさしむ。この操作は約1時間を要する。  乳棒を放すことなく、乳鉢内に1滴宛蒸溜水を1-2竓注ぐ。之は速に食 塩を溶解す: 之によつて濃厚なる食塩溶液の浸潤せる細菌の「パテー」が出 来る。細菌の大部分が一種の凝集を起す。該浮遊液を試験管に移し、次いで 生理的食塩水の濃度になる様に水を加える時には、平等なる「エムルジオン」 を造る代りに、菌は試験管底に集合する傾向があることを確めた。  数回混合を振盪して後、菌を翌日まで放置せしめる。  10-12時間静置すると、細菌の沈澱物の上部には固形浮遊物を含有せざる 液層を造る。この液は透明にして且つ乳白書を呈し液状の菌体内毒素を含有 す。  氷室又は室温に保存すると、本法によつて得たる「チフス」菌体内毒素は、 屡々菌と見まがふ雲絮状物を浮遊状に発現せしめることがある。顕微鏡にて 検するに、色素を取ることが不良で、漿液性沈澱と称すべき有機質の塵埃に 他ならぬのである。100°に加熱すれば「チフス」の菌体内毒素は全く透明とな り; 1-2時間60°に加熱するも同様である。  後に論ずる所の「ペスト」の菌体内毒素は既に65°で混濁するに反し、「チフ ス」の菌体内毒素は高温度に置けば置く程益々透明となり、120°の「アウト クラーフ」に30分間置いた後では透明度は最大に達する。  菌体内毒素を65°の重盪煎に置くと、その毒性を減ずることなく、寧ろ反 対に毒性を賦与するものの様である。之は明に高温度にて再び溶解する問題 の塵埃状物質に帰さねばならぬ。  「チフス」菌の菌体内毒素は耐熱性である; 吾人は之を100°に1時間以上、又 は120°に30分加熱し、その毒性を少しも除去せしめざることが出来る。  この体内毒素は馬、家兎、海猽、鼠及び「マウス」にて、吾人の実験が示せ              赤痢菌々体内毒素         61 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― る如く活動性がある。腹腔内又は静脈内注射では極めて活動性があり、皮下 注射では余り活動性がない。  乾燥菌1gr,より出発し、0,30gr,のNaClと30cc,の H₂O を以て250gr, の海猽に対し毒性が製剤により1∖8 より1∖4cc, に変化する液体を得、この液 体の1cc を、腹腔内に注入すれば、海猽を3時間にして殺し得。  1,800gr, の家兎は腹腔内又は静脈内に注入するに、1-1,5cc, の分量で死 す。  50gr, の鼠を殺すためには腹腔内に1∖8cc, を注入しなければならなかつた、 即ち、殆ど 250gr, の海猽を殺すだけの分量である。  「マウス」は一般に菌体内毒素に対し極めて感受性の強いものであるが、「チ フス」菌体内毒素には比較的よく堪へ、之に対する致死量は約 0,05cc, であ つた。  特に「チフス」菌体内毒素の特徴にしてその特異性を示すことは、血清即ち 抗菌体内毒素に接触すれば非活動性となることである; 吾人は之に就て再び 述べやう。              赤痢菌々体内毒素            Endotoxine Dysentérique  製造方法は「チフス」菌体内毒素のそれと同一である。吾人の採用せる割合 を挙げると: 0,4gr, の志賀菌; 0,15gr, の NaCl;2 0cc の H₂O。  外観よりすれば、赤痢菌体内毒素は「チフス」菌のそれを思はせる: 後者 と同じく、前者は薄層なる時は卵白色を呈し、厚層なる時は明かに溷濁す; 遠心沈澱を長く行ふも、透明にはならぬ。溷濁は勿論細菌破片より成る小顆 粒の集合のためである。  その熱に対する抵抗性の点では、赤痢菌体内毒素は「チフス」菌体内毒素と 「ペスト」菌体内毒素との中間を占む: 75-77°30分加熱では之を無害とな し得ず; 然るに78,5-80°の温度に於ては完全に之を非活動性たらしむるに 62             「ペスト」菌体内毒素             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 足る。「マウス」は不快の状態なく、かく処置せる菌体内毒素の致死量の400倍 まで堪へ得。  加熱せざる赤痢菌体内毒素は家兎、鼠及び「マウス」に対し極めて猛毒なる を示す; 之は吾人が所有せるすべての菌体内毒素のうち最も活動性あるもの である。  静脈内に注射せる1∖80cc, の菌体内毒素を以て 1,800gr の家兎を2-3日で 殺した; 1∖20cc を以て、之を24時間で殺した。死ぬ前の症状は赤痢菌の培養 濾液を注射せる時に観察せるものと同一症状である。  50gr の鼠は1∖200cc を腹腔内に注入すれば4-5日で斃れる; 1∖80cc では2 日である。  赤痢菌体内毒素の研究に選んだ動物は、吾人の実験では、白色「マウス」で ある。既に皮下注射に対し極めて感受性があるので(1∖640cc)、此の動物は腹 腔内注射をなせば更に感受性となる。最小致死量に達するためには、0,0006 より更に0,003cc, まで下降せねばならなかった。一般に48時間で死亡す。時 として苦悶は長引き; 他の場合には死が突然来ることがある。屡々接種後、 尚元気に見える「マウス」を手に取り之を脊を下に裏返へすと、間もなく強直 し、数秒で斃死することがあつた。  正常馬血清の添加により、菌体内毒素の作用は遅延するも、決して絶無に なることはない。之に反し抗赤痢血清(1∖16 cc)を以て、吾人は致死量の150倍 まで中和することが出来た。 「ペスト」菌体内毒素              Endotoxine Pesteuse  Yersin, Calmette 及び Borrel は始めて「ペスト」菌の「ブイヨン」培養は濾 過する時、動物に対し何等有害作用を及ぼさぬことを確めた。之に反し、菌 体は58°1時間加熱するも之を腹腔内又は静脈内に注入する時は海猽及び家 兎を殺し易きことを知る。              赤痢菌々体内毒素           63 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  この事実は始めに Wernicke により証明され、次いで多数の実験者により 確められた。  Lustig et Galeotti は「ペスト」菌体内毒素を抽出することを研究した、そ れには12-24時間培養の菌を加里の稀釈溶液にて処置し、次いで酢酸又は 塩酸を以て液体を沈澱せしむるのである。此の条件にて形成せる沈澱は菌体 内毒素を含有す、之が証明には沈澱物を以て鼠、海猽及び家兎に於て重篤致 死的障礙を起し得るのである。  Albrecht et Ghon は「ブイヨン」培養濾液は一定時期に毒性を帯びること; この毒性は培養日数と共に増し遂に停止することを認めた。この事実は或る 著者等(Dieudonné et Otto)により真の毒素の形成なる考で説明された。こ の説明は吾人自身の研究とはよく一致しない、吾人は研究では「ペスト」菌の 抽出液と同一にして菌体内毒素の性状なることは疑なき所である。  「チフス」菌に於ける如く「ペスト」菌に於て菌体内毒素を遊離するために引 続き吾人の二方法を適用した。  吾人の使用せる菌は60°に加熱し、乾燥し、皮下に注射せるに5「デシミ リグラム」の量で「マウス」を殺した。  第一の抽出方法は一定の比に細菌(0,02 Centigr) 生理的食塩水(1cc,)及び 馬血清(4cc) を混じ、一夜接触せしめたる後混合液を遠心沈澱す。一部は透 明の液となり「ペスト」菌体内毒素を含有し、他部は「ペスト」菌体よりなる 「パテー」状の硬さを有する菌沈渣にして無毒性となる。  この「ペスト」菌体内毒素は「マウス」に対し可成り活動的なるを示す: 即 ち1∖4cc, の分量である。之を濃厚にすれば、更に活動的になすことは容易で あつた。  かくして造れる菌体内毒素は数か月間氷室に保存することが出来た。55° 1時間の加熱で変化なし; 65°(1時間)の温度で梢々軽減す。毒素は抗「ペス ト」血清で完全に中和さる。  遠心沈澱後試験管底に残れる細菌を以てなせる反対の試験では、このもの は、その毒性を大部分消失せることを示した。馬血清と生理的食塩水とを接 64             「ペスト」菌体内毒素             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 触せる後は、始めに於て「マウス」を 0,0005gr, の分量で殺した「ペスト」菌は 殆ど無毒となり 0,01gr, の量で即ち20倍以上の分量で「マウス」は何の障害も なかつた。  因みに、無毒になれる菌は優秀なる「ワクチン」となり、吾人の実験より見 らるる如く、「チフス」又は「ペスト」菌にても然りとす。             *  *  *  「ペスト」菌に於て「チフス」菌々体内毒素の場合に前述の粉砕に基ける抽出 方法を適用すれば、軽度に卵白光を呈する液体を得。この液は間もなく細菌 体内破壊物の沈澱を容器の底に残し透明となる。  密閉せる試験管では「ペスト」菌体内毒素を氷室に於て数か月保存すること が出来た。  之に反し、高温度の影響により、その外観を変じ、同時にその毒性を著し く減少した。  かくして、100°に30分間保てば、粉砕法により浸出された「ペスト」菌体 内毒素は、煮沸卵蛋白に類する可成り多量の白色粗大の浮遊物を生ず。80° にして既に、凝固は略々完全となる; 然るに100°になれば容積は却つて減 少す。70°(1時間)で、菌体内毒素は蛋白石様液体の外観を呈す; 65°(1時間) で、溷濁し始める。而して、毒性は凝固(65°)の最初の兆候が現はれると共に 著しく減少し始め、80°-100°の温度に達すれば全く消失する。  乾燥「ペスト」菌0,40gr, Nacl 0,15gr, 及びH₂O 20cc, を分注すれば、皮下 注射に於て、15gr, の「マウス」を24時間以内に1∖50-1∖80cc, の分量で殺し得 る菌体内毒素を得た。更に大量(1∖20-1∖10cc,)を以てすれば、4-5時間で之を 殺した。  腹腔内注射では更に有毒である: 確実なる致死量は、10-12時間に於て、 17-18gr, の「マウス」に対しては、1∖160cc, であつた。  白色の鼠(50gr,)は、皮下に注入せる 1∖8cc, の分量、又は腹腔内に注入セル 1∖25cc, の分量で斃る。  かく「マウス」に対し有毒なる「ペスト」菌体内毒素は、吾人が先に云へる如              百日咳菌体内毒素           65 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― く、毒素が凝固を始めるや否や、「マウス」を殺さない様になる。100°では 完全にその毒性を奪ふ。既に70°(1時間)では毒性は著しく変化し、「マウス」 に1cc, 即ち致死量の50-80倍を皮下に注射するも無害にして、「マウス」は 発病することがない。  菌体内毒素の減弱は65°で始まる。  何うして加熱菌体内毒素が無毒となるのであるか,? すべてのものは毒素 は破壊されたと信ぜしめられる、何となれば凝固せる菌体内毒素を注入せら れたる「マウス」は少しも免疫を得ないからである。  非加熱「ペスト」菌体内毒素にありては、細菌体と全く同じく、生活せる Virus に対する免疫を与へ、毒素自身に対する免疫を与へぬものである。  かくして、吾人の実験では、皮下に、第一回に、致死量以下の菌体内毒素 量を受けた「マウス」は、8日後に菌体内毒素の最小致死量を受けたのに、全 く対照と同じく斃死した。  故に少くとも「マウス」に於ては菌体内毒素に対する活働性免疫は現はれな い様である。  「ペスト」菌体内毒素は極めて容易に抗「ペスト」菌体内毒素血清により中和 さる: 即ちこの血清 0,25cc, と菌体内毒素の致死量の50倍との混合を受け たる「マウス」は生存確実となる。         百日咳菌体内毒素        Endotoxine Coquelucheuse  通常使用せらるる技術により百日咳菌毒素を得ることに成功しなかつたの で、Bordet et Gengou は百日咳菌体内毒素を抽出するために、吾人が「チフ ス」「ペスト」及び赤痢の如き菌に推称せる粉砕方法によつたのである。  之等の研究者は3日間培養を選んだ。15本の試験管より集めた厚い細菌屑 を20cc, の生理的食塩水に浮遊し、次いで煆【苛】性曹達の存在の下に、37°で真空 乾燥をした。残渣は乾燥食塩0,33gr, と混じ粉砕し、之を出来るだけ微細に 66             百日咳菌体内毒素   ―――――――――――――――――――――――――――――――――― して、一様なる粉末を得るに至らしめた。次ぎにこの粉末に少量宛蒸溜水を 加へた。Bordet et Gengou はかくして得たる濁つた液に於て吾人が既に他の 菌体内毒素に就を【て】述べたものと同様なる雲絮状物質を生ずるのをかなり屡々 見た。粉砕し次いで生理的食塩水に浮遊液とせる百日咳菌をば、24時間氷室 に放置し、次いで遠心沈澱した。上層の液は透明か或は極めて軽度に蛋白石 様色を呈した。  海猽の腹腔内に1∖4 乃至 1∖2cc, の分量を注入すると、百日咳菌体内毒素を 含有するこの液体は24時間にして動物を殺す。剖検するに、百日咳菌の腹腔 内注射によつて生ぜるそれと類似せる病竈を認む: 極めて多量の、出血性 の腹腔滲出液、多数の腹膜下溢血、腸の烈しき充血及び多量の肋膜充血があ つた。この充血は動物が斃死前数時間呈する烈しき呼吸困難を説明するもの である。  同じ症状は菌体内毒素を腹腔内に注入する時家兎に於て観察される。静脈 内注射では該動物を約18時間にして、1-2cc, の量で殺す。  百日咳菌体内毒素の皮下注射では極めて興味ある事実を確めることが出来 る。この経路により海猽を殺すためには Bordet et Gengou によれば菌体内 毒素の大量を必要とする。少量(例へば0,2cc,)では既に一程度の重い局所病 竈を起す; 翌日頃になれば、出血性浮腫を発生しその翌日は増加するを見 る; 次ぎに、この浮腫は衰へ、その跡に拡大せる黒色の斑痕を残し、之が壊 疽となり大なる潰瘍を残して陥没す。  之により何故に海猽や家兎に於て百日咳菌を接種する時、細菌の繁殖する こともなく又は注入せる菌が殆ど全部消失しても、重篤にして然も致死的障 礙を来すかを説明し得。Bordet et Gengou は云ふ『百日咳菌により決定され たる病竈は動物に於て寄生菌により恐らくこのものの破壊する時に遊離せる 毒素に因ることを全部承認するものである。又吾人が研修室動物に於て観察 せると同じ種類の病変が百日咳に犯された子供に於ても同様に起れるものと 考へるのは理論的である』。  吾人が「ペスト」菌体内毒素の問題にて観察せる所のものに関係ある興味あ           ファイフェル氏球状桿菌の菌体内毒素      65 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― る事実は、百日咳菌体内毒素に対する動物の予防接種が極めて困難なること である。皮下に第一回に菌体内毒素の少量(0,2cc)を受け、之によつて生ぜる 潰瘍の治癒せる海猽は最初と同じ様に将来の注射に反応する、即ち菌体内毒 素量を増すことさへ出来ない。  55°30分間加熱する時は、百日咳菌体内毒素は大に減弱す。「クロロフォ ルム」「トルオール」「チモール」及び特に「アルコール」は殆ど全部その活働性 を奪ふ。Chamberland 濾過管による濾過は大部分の菌体内毒素を奪ひ取る。  熱は局所病竈を造ることが出来ない程度まで変質す。加熱せる百日咳菌体 内毒素は加熱ペスト菌体内毒素と全く同様に非加熱体内毒素に対し予防効 力を生ぜず。  百日咳菌の頻回注射により調製せる馬血清は、百日咳菌々体内毒素を中和 しない。              ファイフェル氏球状桿菌の菌体内毒素 Endotoxine du Coccobacille de Pfeiffer   多数の試みがファイフェル氏菌体の菌体内毒素を抽出せんがためになされ た; 之は培養死滅菌の毒性は周知なるに拘はらず、常に効果を挙げ得なかつ た。  吾人が1905年菌体内毒素の抽出に関し記載せる技術に従ひ、Slatineano は Pfeiffer 氏菌より出発し、液状の菌体内毒素を得ることに成功し; その性質 を研究した。  血液加寒天に24時間培養せる Pfeiffer 氏菌を乾燥し(0,25gr)蒸餾【溜】水(5cc) と正常馬血清(5cc)とを加へる。混合物は氷室に12時間置き次いで遠心沈澱 す。遠心沈澱後、上層液は毒性を示し動物に於て Pfeiffer 氏菌自身と同様な る症状を起した。  脳内に注入すると、本菌の菌体内毒素は1∖20cc,の量で6-10時間にして海 猽を殺す。腹腔内注射で海猽を斃すためには、5cc, 以下であつてはならぬ; 68         Micrococcus Melitensisの菌体内毒素             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 動物は4-5日で肝臓の脂肪変性と脾臓の著明なる肥大を呈して死す。  菌体内毒素の効果は生菌又は55°加熱菌によりて生ずる成績と同様であ る。       Micrococcus Melitensis の菌体内毒素     Endotoxine du 『Micrococcus Melitensis』  マルタ熱の小球菌の培養より発足して、P,Noel Bernard は神経細胞に選 択的親和力を有する毒性抽出物を得た。  4日間寒天培養より生ぜる乾燥菌1瓦を NaCl の 0,20 と共に粉砕し、微 細の粉末を得るに至らしむ。この粉末を蒸餾【溜】水25cc,の中に浮遊す。この混 合物を強く振盪す。20時間孵卵器中に放置して後、この混合物を58°1時間 加熱し、次いで12時間氷室に置く。形成する沈澱物の上に、橙色蛋白石様の 色を呈する液体の浮ぶを見る、この液は溶解せる菌体内毒素を含む。この液 は450瓦の海猽を脳内注入により1∖100cc, の量で8-10時間にして殺す。腹 腔内経路により18時間で殺すめた【ため】には、300瓦の海猽に対しては10cc, 以下 であつてはならぬ。  該菌体内毒素は58°に抵抗す。蛋白の凝固する温度付近(78-80°)では、 その毒性は減少す。100°に於ては、凝固物より分離せる透明の液は始めの菌 体内毒素より10倍も毒性は減ず。更に加熱を継続すれば完全に菌体内毒素を 破壊す。濾過管による濾過は之を減弱す。  海猽は菌体内毒素の脳内注射(致死量=1∖100cc)に対し腹腔内に於てなせし もの(致死量=10乃至20cc)よりも千倍乃至二千倍感受性がある。後者に於け る動物の比較的免疫性なるは毒素が特異親和力を有する神経細胞に到達する ことが困難なるためである; この親和力はマルタ熱の重篤なる場合に神経症 状の存在することを説明するものである。           「ヂフテリア」菌体内毒素      69 ――――――――――――――――――――――――――――――――――           「ヂフテリア」菌体内毒素           Endotoxine Diphtérique  Rist は Loeffler 菌体内には「ヂフテリア」毒素以外に、菌体内毒素が存在 し、特に之が注射を反覆する時は海猽に対し致死的となることを証明した。 最も屡々、ある時は麻痺、ある時は偽膜様腹膜炎の病竈を見る。家兎に於て、 Rist は一回に、「ヂフテリア菌の 0,05gr を腹腔内又は0,002gr-0,003gr を 静脈内に注射し、3週間で、死を決定することが出来た。抗「ヂフテリア」血 清を加へてもその死を防御しなかつた。  「ヂフテリア」菌体内毒素の研究は Cruveilhier により極めて精密になされ た。この著者は24時間の寒天培養より出発した。菌は洗滌され、次いで溶解 性毒素の全痕跡をも破壊するために加熱された。  死菌の毒性に関する研究中に、Cruveilhier は最も不変なる成績を与ふる 道は脳の経路なることを見出した。脳内に固形培養一斜面の1∖4,即ち乾燥菌 の1「センチグラム」に相当する量を受けたる海猽は24時間以内に死す。  如何なる場合にも抗「ヂフテリア」血清は防御することもなく、又死を数時 間遅延することもなかつた。  Aviragnet 及び其の共著者の Bloch-Michel 及び Dorlencourt は15日培 養の菌を105-110°で滅菌し、真空内で乾燥し粉末にせるものから出発した。 この粉末状菌体内毒素0,05gr の分量は6-10日で海猽を殺した。この菌体内 毒素量の千倍でも、死を早めることは出来なかつた、之は明かに細胞内に摂 取されたる菌体内毒素の瀰撒度が極めて遅いためである。  之等の著者等は「ヂフテリア」の菌体内毒素により局所に生ぜる病変並びに 離れた部位に生ぜる病変を研究した: 彼等は肝臓の壊疽、実質性腎臓炎及び 副腎に於ける出血を認めた。            *  *  *  Victor C, Vaughan 及びその門弟、Andrew Detweiler, Max Wheeler, 70         糸状菌属の菌体内毒素             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― Mary Leach, Charles Marshall, Louis Gelston 及び Walter Vaughan は 種々なる菌体の内容に就て系統的研究をなした、(Micrococccus prodigiosus, sarcina lutea, bacilles diphtériques, bacille du charbon,colibacille, etc・・・)。 彼等は乾燥し微細に粉砕せる大量の菌(50 grammes に至るまで)に就いて行 つた。この研究に際し、彼等は次の如き興味ある事実を認めた、即ち菌の毒 性は菌が益々微細なる粉末となるに従ひ益々大となること、更に Sarcina lu- tea 及び Micrococcus prodigiosus の如き全く病原性なき菌が脾脱疽菌のそ れより遥かに勝れたる菌体内毒素性の能力を有することである。  此の事実は本章の始めに於て菌体内毒素の一般性につき述べたる考に関係 がある。          糸状菌属の菌体内毒素        Endotoxine des Champignons  H, Roger は Endomyces albicans の培養を加熱殺菌せるものは、之を皮 下及び腹腔内に注射するに、家兎に対し毒性あることを証明した。彼はこの 毒性は液体に関係し培養の液状部に関係なきを見た。同種の考で、Concetti は Endomyces の原形質を粉砕し遠心沈澱して後二層を得た; 上層は毒性に して原形質の蛋白及び脂肪質より成り、下層は無毒にして細胞膜の破片より 成る。  Aspergillus fumigatus の菌体内毒素抽出の試みは外観上反対の成績を与へ た。それ故、H,Roger はこの糸状菌の培養を粉砕し遠心沈澱せるものには二 つの層をなすを見た: 即ち上層は家兎に対し全く毒性を消失し; 下層は家 兎に於て下半身不随障礙を生ず。此の現症の反対する原因は恐らく Asper- Gillus はその菌体内毒素を周囲の「メヂウム」に殆ど瀰散さしめ又事実に存す るものであらう。  Penicillium glaucum も恐らく亦、H,Roger の研究による如く、活働性菌 体内毒素を含有するであらう。           糸状菌属の菌体内毒素            71 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  Gougerot et Blanchetière により Sporotrichum beurmanni の菌体内毒素 が記載された。実際に、之は菌体内毒素よりは寧ろ「エーテル」「クロロホル ム」「アルコール」その他の抽出液に関係する。  以前Auclair が結核菌で得た製剤も同様である。使用する溶媒によつてそ れ等相互に異る之等の物質は皆、多少人工的に細菌の原形質より浸出された ものである。かく云へば、すべて之等の浸出物は部分的菌体内毒素と同一で ある; 之等のものは一方では一つの地位に値するものであるが、然し之を真 の菌体内毒素なる、「ペスト」、赤痢、百日咳の如きものと同列には置かれな い; 後者は動物に於て菌自身が生ずると同様なる症状と病変とを決定するも のである。           *  *  *  先に挙げたる記載の中に、菌体内毒素の性質を列挙するに当り、吾人はそ の特殊性状を特に注意した。この性質は菌体内毒素のうちのあるものは特異 血清即ち抗菌体内毒素血清によつて中和さるるに過ぎざる事実を著明とす。  この血清は何であるか:  ある種の菌体内毒素例へば、「ペスト」菌又は百日咳菌を以て得たる毒素に 就て述べた際、吾人は菌体内毒素の大量に抵抗せる動物が、この同じ菌体内 毒素に対し、而も単に致死量だけを用ゐても、免疫されてゐる事実を認めな いのは注目すべきこととなした。  菌体内毒素に対し免疫不可能なる事は永い間実験者をして、抗体を形成せ ざる性質が菌体内毒素の定義そのものに加へらるる点なりと感じさせた。故 に、ここに如何に菌体内毒素を定義し、之を所謂固有の毒素力から区別する のが適当であるかを述べやう。曰く、毒素は抗体を生ぜしむ、然し菌体内毒 素は注射方法の如何に拘はらず之を生ずることは不可能である: 動物に注 射するも、このものは血清中に溶菌素 bactériolysines の他は発生しない。  この区別は R,Pfeiffer の旧弟子なる、Wolff-Eisner によつて信ぜられた、 彼のこの問題に対する意見は、吾人の知る如く、菌体内毒素の考を引き起し た業績をその師に帰すれば帰する程重きを加へた。Wolff-Eisner は、人間の 72         糸状菌属の菌体内毒素             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 治療に於て所謂殺菌性血清の失敗をば、抗菌体内毒素を得ることの不可能に 帰した。”血清の不満足は菌体内毒素に対する抗体の形成が生体にて不可能 なるに因る。……今日まで、抗菌体内毒素を得んとするすべての努力は無駄 になつた、而して将来にて於も同様なるべきを信ずるのみである,,。  然し、吾人の実験から再び抗菌体内毒素は立派に存在することが分つた; このものは既知抗体と同列なるものであつた。之を造るために、最も確実に して最も速かなる方法は全培養を以て経静脈的に動物を免疫するにある。  ここには吾人が特に「チフス」免疫血清に就て研究せる本問題の詳細には亘 らぬこととする。唯々報告すべきことは、本法により吾人は1-2cc, の量で 溶解性「チフス」菌体内毒素の致死量の30倍以上を中和する抗菌体内毒素性 「チフス」免疫血清を造るに至つた。  次いで、吾人は「ペスト」菌及び赤痢菌を以てせる研究に基き、菌体内毒素 を有する最近はすべて――「チフス」菌、大腸菌、「ペスト」菌、「コレラ」弧菌、 赤痢菌、緑膿菌及びその他の菌――菌体を直接一般循環系中に送入すると血 清中に確実なる抗菌体内毒素性性質を証明することを結論するに至つた。他 方に於ては、斯様にして調製すれば、すべての他の抗体を造るを以て、これ こそ最も有効なる血清を供給する免疫方法である。吾人が1906年に実験的に 得たこの事実は、その後なされたる多数の実験によつて確認された。今日で は、「チフス」、赤痢、「コレラ」、連鎖状球菌、淋菌の免疫血清は経静脈的に 造られてゐる。尚且つ、短期間に確実に活働性免疫を賦与するために、経静 脈的方法による、之は抗菌体内毒素を形成せしむる唯一の方法である。吾人 は「チフス」菌に就ての Pfeffer et Friedberger の実験、及び更に近年に至り、 Ch,Nicolle 及びその共著者なる Conseil et Conor が人間になしたる極めて 興味ある予防接種の試験を報告するに止める。         *  *  *  要するに、溶解性菌体内毒素の意義は何であるか? 之より如何なる実際 上の知識を引き出し得るか? 感染の経過中に於て Pfeiffer 及びその一派が 之に帰した意義は誇張的であることは疑ふまでもない。之等の研究者は現象           糸状菌属の菌体内毒素            73 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― の一方を見たに過ぎない; 彼等は細菌体自身が、生物なる以上、自己を防御 し増殖し、毒素を分泌することが出来るものであることを考へなかつた。 吾人のあらゆる努力を支配する免疫の問題は、勿論菌体内毒素に対する争闘 に縮小すべきものでない。確かに、この事は感染経過中には低く評価されて はならない、その重要さは第二次的であるに過ぎない。  理論上の興味以外に、溶解性菌体内毒素の調製は実際上の見地に於ても重 要である。新毒素の同一性を定めんとする時は常に――「チフス」「ペスト」赤 痢又はその他の毒素につき――菌体内毒素か又は真の毒素に属するかを決定 するために菌体内毒素の標準の性質を参照するに過ぎない。  最後に、溶解性菌体内毒素でなし得る少からざる利用のうちの一つは、一 般に生菌を以て、抗菌体内毒素性血清の効力測定に使用出来ることである。 ―――――――― 引用文献 Mémoires Cités R, Pfeiffer, Zeitschr, f, Hygiene, 1892-1896, Bürgers, Hygicnische Rundschau, 190,p, 169, Hahn, München mediz, Wochenschr,, 1910, p, 736, Macfadyen et Rowland, Proceed, Royal Soc,, t, IV, p, 30, Carrière et Tomarkin, Zeitschr, f, Immunitätsf, I, Origin,, t,IV , p, 30, Besredka, Annales de l’ Inst, Pasteur,juillet 1905, avril, 1906, Horowitz, Zeitschr,f, Immunitätsf,, t, XIX, p, 44, Bordet et gengou, Annales de l’ Inst, Pasteur, 1909, p, 415, Slatineano, Centralbl, f, baktr, I, Origin,, t, XLI,1906, p,185 Noel bernard, C, R, Soc, Biologie, t, LXIX,1910, p, 37, E, Rist, C, R, Soc, Biologie, t,IV,1903, p, 978, Cruveihier, C, R, Soc, Biologie, t, XLVI, 1909, p, 1029, Aviragnet, Bloch-Michel, Dorlencourt, C, R, Soc, Biologie, t, LXX, 1911, p,325, Victor C, Vaughan, Transaction of the Asssociat, of Americ, physic,, 1902, pp, 1-89, H,Roger, C, R, Soc, Biologie, t, LXVII, p, 161, Gougerot et Blanchetière, C, R, Soc, Biologie, t, LXVII, p, 159, Wolff-Eisner, Centralbl, f, Bakter, I, Origin,, t, XXXVII, 1904, p, 319,            Ⅵ       感作 Virus による予防接種     Vaccination par Virus Sensibilisés           第一章         Première Partie  活動性免疫として知らるるすべての型のうち、痘苗によつて実現さるるも のが最も理想的予防接種法に接近せるものである、が然しなほ、此の場合に 免疫は人の希望する程早く成立しない。時間的因子を除去すれば、痘苗はす べての希望を満足する; 確実なる効力に加ふるに痘苗は第一位に属する二つ の性質を有す: 即ち無害にしてその効力は永続する。  血清による予防接種については、たとへそれ等のうちの優秀なるものを以 てするも、余り云へない。仮令予防効果が異論ないとするも、仮令無害なり とするも、その期間は一時的であつて、15日経過せる後は之に信頼すること は慎重を欠くであらう。  Vaccins のうちには効力の永続するものがある; 之は加熱死菌のそれであ る。然し之等の Vaccins を以てすると、屡々予防注射をするよりも寧ろ病 気に罹る危険に遭遇するを望む位の犠牲を払はなければ免疫を獲ない場合が ある。之は、就中、「チフス」Vaccin の場合であつて、注射後屡々可成り不 愉快なる障礙がつづいて起ることがある。Haffkine の「ペスト」Vaccin は 更に温和なる救済薬なりとの好評を受けない。之等の欠点の中、特に実験室 内動物に於て、加熱「ペスト」菌の注射に続き、必要量を少しく超過するため に、屡々重篤なる中毒症状時としては死亡する場合に遭遇する。           Première Partie            75 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  加熱培養による予防接種法の結果を軽減するために、ある学者は死菌に少 量の該当する血清を加ふることを提唱した。かかる方法に於ては、他動的な る血清免疫の例に再び堕するので即ち余り永続せざることを速に認めた。実 際に、実験によると、たとへ死菌と血清と混合せるものが無害であり血清自 身と同様に速かなる作用を呈する長所があるにしても、反対に、血清と共に 次の如き欠点を配分することを示した: 即ち之等の混合が賦与する免疫性は 極めて短期間で決して実際に使用する方法としては許し得ないものである。  然しその困難を転向し無害にして一定度まで有効、迅速、永続的なる Vac- cins を得ることは可能である。  吾人は研究室の言葉で感作「ワクチン」”Vaccins Sensibilisée,,の名称の下 に認可せる製剤を見る。  之は1902年 Académie des sciences に提出せる報告中にある、即ち吾人は 「ペスト」,「コレラ」及び「チフス」感染に関する研究室の最初の試験の結果を 纏めた。  之等感作「ワクチン」製剤の根拠となる原理を簡単に申し述べやう。  特異血清を菌体に付加することは免疫持続期間に関し有害として認められ たので、吾人は血清中に存する蛋白質及び其の他を全く除去せる特異物質以 外の血清を使用しないことを提唱した。  この選択を実現するためには、勿論菌自身を使用するよりよい手段がなか つた。Ehrlich 及び Morgenroth の研究以来、すべての細胞、特にすべての 菌は、之に該当する抗体と接触せしめると、之と結合し、かくして血清中に 含有さるる他のすべての物質を排除することを知る。  かく抗体を結合せる細菌は最早や之を放さなくなる。菌の浸つてゐる血清 から之を取り出し、生理的食塩水で洗つても無駄である。菌は少からず抗体 によつて滲み込まれてゐる。血清より抗体を自体に引きつけ、云はば、特異 感作物と称するものから染色されてゐる之等の菌は”Vaccins Sensiblisés,, (感作「ワクチン」)を形成する。             *  *  * 76         Première Partie             ――――――――――――――――――――――――――――――――――  最初の感作「ワクチン」は「ペスト」菌、「コレラ」弧菌及び「チフス」菌で調製 した。ここに吾人が採用せる「テクニク」を申し述べる。  Roux の「コルベン」に於ける、48時間の寒天培養を箆を以て掻き取り、次 ぎに少量の生理的食塩水を注ぐ。「ペスト」菌の場合には60°(1時間)で殺し、 無害とならしめる様にす。水中に浮遊せる菌体は非加熱、凝集力強き抗「ペ スト」血清を入れたる円筒の容器に入る、  やがて二層の重なるを見る: 上層は細菌、下層は血清である。更に数時 間遅れて、菌は集合し雲絮状となり、次第に大きくなり、次いで容器の底部 に沈澱するに至る。軽度に蛋白石様の色を呈する上層液を傾瀉す。菌の沈澱 は生理的食塩水を以て数回洗滌し、血清の最後の痕跡をも分離せしむ。  かくして得たる白色の凝塊は半流動体の「パテー」状の固ざである、之に生 理的食塩水を加ふれば、微細にして極めて「ホモゲン」の浮遊液となる。この 凝塊は「ペストワクチン」を形成するものである(1)。  「チフス」及び「コレラ」予防「ワクチン」は同様に造られる、只次の如き相違 だけである。即ち菌体を加熱前にそれぞれの血清で処置する。此の方法は抗 体の結合の点より見て良好である。感作菌は次いで反復洗滌する。血清の全 痕跡が完全に除去されて後、之をそのまま使用するか又は56°30分に持ち来す。  吾人は既に前に感作菌から菌の浸つてゐる血清の全痕跡を除去することが 如何に必要なるかを注意した、之は血清の免疫持続期に及ぼす有害なる作 用を除く目的である。然し余りに注意し過ぎ菌を水中に長く浸して置いては ならぬ、何となれば此の場合には感作菌は活動性物質の一部を周囲の水に移 行せしめるからである。感作 Virus の洗滌はそれ故速かに継続し、全操作は 同日に終了する如くなすべきである。          *  *  *  「ペスト」予防感作「ワクチン」は通常の「ペスト」予防「ワクチン」即ち Haff- Kine の Vaccin より、実際上毒性の作用は全く消失せる長所を有す。斯くの ―――――――――――――――――――――――――――――――――― (1)この「ペストワクチン」は仏蘭西薬局方の最近の出版に入れてある(1908,Co- dex medicamentarius gallicus, p, 792,), 而して”Vaccin Antipesteux Seusibilisé,, の名称の下に存する。           Première Partie            77 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 如く、Haffkine の Vaccin は寒天24時間培養の1∖10-1∖15 の量で「マウス」 を殺す。感作「ワクチン」は全培養2けの分量即ち、30倍量以上を注射するも 「マウス」に於て認むべき症状を決定することが出来ない。  人間に於ても同様に、「ペスト」予防感作「ワクチン」は何等過劇なる症状を 起さない(自己観察)。  通常「ワクチン」の大なる障礙となる局所症状は感作「ワクチン」を接種せる 動物では全く認められない。之を確むるために、家兎に於て、体の一側には、 単に加熱せる菌――「コレラ」弧菌「チフス」菌又は「ペスト」菌――他例には、 同種同量なるも感作せる菌を注射すればよい。通常「ワクチン」を注射せる側 では硬結及び「アプセス」を有する炎衝反応を見るが、感作菌を接種されたも のは局所反応は全く起らずに留まる。  感作「ワクチン」は無害である、何となれば細菌の菌体内毒素は血清の特異 性物質で中和されてゐるからである、この毒性なきために之等の Vaccins を 以てしては一般症状を観察しないのである。他方に於ては感作物質の存在が 喰菌作用を助ける。また組織は速に異物、同種類の感作菌の消失されるのを 見る。之が何故に之等の Vaccins を接種せる部位に於て決して烈しい局所 症状を観察し得ないかの理由である。          *  *  *  検査すべき事項として残されたものは: 1°感作「ワクチン」注射後いつ 免疫は発顕するか、2°何の位の期間此の免疫は、継続し得るか?  免疫の発現時期に関しては、実験の示す所では Virus の性状と共に変化 するが、然し一般的には Vaccin 免疫は注射後間もなく起る。  所で、「ペスト」の場合には、「マウス」は感作「ワクチン」送入後48時間で脚 内に於ける Virus の致死量の注射に対し感染しなくなる。  「チフス」及び「コレラ」予防感作「ワクチン」は海猽に対し更に速に免疫を賦 与する。寒天培養の一定量を皮下に注射すると、之等の Vaccins は翌日頃に 腹腔内に接種せる Virus の致死量に対し海猽を防御する。海猽を単に加熱せ る通常の培養を以て予防接種をなし、翌日之に試験する時は、海猽は予防接種 78         Première Partie             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― されざる対照動物と同じく「チフス」又は「コレラ」感染で死ぬことを確めた。  即ち、感作「ワクチン」によつて賦与された免疫性は極めて速にして注射後 24又は48時間で顕はれる。  之は持続性のものであるか? 之は少くとも通常の「ワクチン」の注射に相次 ぐ免疫性と同じ位継続する。  数字を以て、極めて正確に免疫持続期間を確定することは不可能である。 単に Vaccin の性質を考慮に容れるのみならず、更に Vaccin の量、注射部 位、動物の種類、Vaccin の製造方法は云はずとも、それだけで免疫期間を 変へしむる変化し易い要素となる。  所が「ペスト」予防感作「ワクチン」を海猽の皮下又は腹腔内に注射せる場合 には、免疫性は1か月半位しか継続しない。之は非感作加熱「ペスト菌体の 注射に次ぐ免疫性の消失する時期と略々同じである。  之は例へば「マウス」に於てはちがふ: このものは感作「ワクチン」を受け て後、4-5か月又はそれ以上「ペスト」に対する免疫性を保持する。  「チフス」及び「コレラ」予防「ワクチン」は5か月以上継続する免疫性を海猽 に賦与する、此の免疫性は「ペスト」予防「ワクチン」が賦与するものよりも著 しく強固である。  然らば、感作「ワクチン」は、少数のものは問題であるが、無害にして、速 に且つ確実なる手段となり、長期間の活動性免疫を実現し得させる。           *  *  *  吾人の第1回発表以来、吾人の研究を確定し、吾人が研究せる以外の他の Virus に感作の原理を拡張する目的を以てなされた一定数の業績が出た。  吾人は1905年に発表された Paladino-Blandini の研究について先づ数言述 べやう。  此の著者は「チフス」防予接種法の材料についてなされた全部について重要 なる実験的業績を発表した。氏は各国に於てなされた発表を記載するのに満 足せずして、氏自らすべての Vaccins を調査する仕事に従事し、効力の点、 局所反応及び発熱、免疫期間等の点を調べた。           Première Partie            79 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  Paladino-Blandini は17種の Vaccins を研究した: 1)「ブイヨン」培養生 菌強毒のもの; 2)加熱40°3日間にして弱毒せる生菌; 3)Pfeiffer et Kolle の Vaccin; 4)Wright et Semple のVaccin; 5)Chantemesse の毒素; 6) Werner の毒素; 7)Rodet, Lagriffoul et Wahly の毒素; 8)腹腔滲出液の 濾過せるもの; 9)「チフス」菌核蛋白質; 10)Macfadyan et Rowland の抽出 物; 11)Brieger et Mayer の抽出物; 12)Balthazard の毒素; 13)Shiga の 抽出物; 14)Wassermann の抽出物; 15)Berne の「チフス」予防血清; 16) Jez の抽出物; 17)Besredka の Vaccin 。  吾人は著者がその比較研究の結果を綜括せるこの「モノグラフ」の結論を云 ふだけに止める。  ”Besredka の「チフス」予防「ワクチン」は単に24時間の期間で免疫を賦与 する長所がある許りでなく、更に全免疫方法のうちで一層よいものと考へら れる。即ち局所症状も全身症状も起さず、感染に対する素因となることもな く、動物には他のすべての既知 Vaccin によつて得らるるものより更に持 続的の免疫を与ふる点から見て然りとなす”。           *  *  *  今度は他の感作「ワクチン」に就て述べやう。  最初行はれたのは狂犬病予防接種である。既に吾人の最初の報告後間もな く、Pasteur 研究所の A, Marie が吾人の方法を狂犬病毒に適用せんとする 祝福すべき意見を持つた。  狂犬病 Vaccin の製造方法は一般に感作「ワクチン」に使用せる方法を模倣 した: 固定毒の浮遊液を抗狂犬病血清と混合す: 混合物は24時間接触して 置く、次ぎに遊離血清の過剰を除去するために生理的食塩水で洗ふ。  特異感作物より浸された狂犬病毒より成るかかる調製物は狂犬病予防感作 「ワクチン」を構成す(1)。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― (1)若し吾人がすべて之等の Vaccins ――「チフス」予防、「ペスト」予防、狂犬病 予防その他――を感作「ワクチン」の名称で呼び、ある学者が造る如き Virus-Sérum (血清ワクチン)の名称で呼ばないとすれば、精確にその主なる特色を注意するた めには、そが遊離血清を含まざる点である。吾人の意見では、Sérum-Vaccin なる 言葉は、混合予防注射の際に使用さるる Virus と血清との混合物に限るべきである 80           Première Fartie             ――――――――――――――――――――――――――――――――――  Marie は家兎、海猽及び犬に就て研究をなした、彼は狂犬病予防「ワクチ ン」の場合も他の感作「ワクチン」の場合と同様に行ふことを確めた。  実際、この Vaccin は全く無害である; 之を直接脳内に注射し而も動物に 少しの障害を起さない。  その作用は速かである: 本法により接種された動物は予防接種後同日又 は翌日或は翌々日前房内に注入せる Virus に抵抗する状態となる。Marie 曰く”この狂犬病予防免疫法の特長の一つはその形成が速かである。然るに Pasteur 氏予防接種法に於ては動物の抵抗力を証明する前に極めて長き一列 の注射の後約15日待たねばならぬ、吾人は此の新治療法は極めて迅速なる免 疫性を賦与するを見る、何となればこの免疫は強毒にして且つ前眼房内に於 ける注射と同様に烈しい病毒の注射後3日目に動物を狂犬病より防御するか らである,,。  狂犬病予防「ワクチン」により賦与された免疫性は永続する。Marie の実験 によれば、本法で免疫された海猽及び家兎は「ワクチン」接種後6か月は眼球 内試験に抵抗することが出来た。1904年2月に接種された二匹の犬は、一 年後の1905年の2月及び5月に2回反覆してなせる眼球内接種に抵抗した が、之に対し対照は斃死した。  本法の少からざる長所の一つは、唯1回の注射により動物は狂犬病に対し 免疫し得らるることである。この事実は Marie により観察された。之は亦 Remlinger によつてなされた。氏は綿羊に於て眼球感染後3日の間隔を置き Vaccin を1回注射をなし之を防御し得た。  3頭の犬に行つた実験で、Marie は皮下に1回接種された之等の動物は直 ちに前眼房内に於ける狂犬病毒の注入に抵抗し; 同様に注入された対照は麻 痺性狂犬病で死亡するを確めた。  狂犬病予防感作「ワクチン」によつて賦与された免疫は免疫動物が眼球内試 験にも抵抗する点より見れば鞏固なるものである; この感染方法は狂犬病に かかれる動物の咬傷より重症なることは人の知る所である。  簡単に云へば、狂犬病予防感作「ワクチン」に於ても吾人が同種の他の           Première Partie              81 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― Vaccins に於て既に証明せる性質を認むるのである: 即ち絶対無害にして 作用確実、迅速、持続性なることである。  この感作「ワクチン」は人間に於ける狂犬病の予防的処置に使用された。”通 過せる家兎の延髄(固定毒)の1gr, を細かに粉砕し稀釈「ブイヨン」又は生理 的食塩水9cc 中に入れ浮遊液を造り之を「リンネル」で濾す。この10倍稀釈液 の2cc に予め56,°30分加熱せる綿羊の狂犬病予防血清4cc を加ふ。この混 液 6cc,,――Virus の過剰を含有するもの――を腹部の皮下に二ヵ所接種す る。同様の注射を続いて3日間反覆す、その後、6日目より患者は乾燥せる 脊髄の接種を受ける,,。  1904年以来、多数の咬傷者が本法で治療され、その結果は、Marie によれ ば、優秀であつた。氏の意見によれば、本法は特に患者が咬傷後久しくして 治療に来れる場合、並びに重症なる咬傷の全部に適用さるべきであると。           *  *  *  「チフス」菌と赤痢菌との間に存する親族関係、並びに赤痢に対する予防接 種が人間の場合に表はす重要性があるので、赤痢予防感作「ワクチン」を考ふ ることは出来なかつた。赤痢の治療手段に随分貢献せる Dopter は亦予防手 段にも貢献する所があつた。  実験室内小動物を通常の方法により赤痢菌に対して予防接種をなすことは 可成り困難なることは人の知る所である。たとへ免疫が表はれるにしても決 して12-15日前に現はれない。「マウス」を予防接種せんと試むる時は、予防 接種の経過中に少くとも40乃至50「パーセント」を失ふ。  加熱赤痢菌の注射はかなり重症なる局所及び全身症状を呈する。生存せる 「マウス」に於て、症状は注射部位に於ける一時的の浮腫と軽度の羸痩とを起 すだけである。家兎に於ては、著しき炎衝性浮腫、体温の上昇及び高度にし て急劇なる羸痩を認める。  得らるる免疫はその期間が短い; 免疫は殆ど4乃至6週間以上には及ばな い。然し更に注意すべき点は動物がその免疫経過中には、対照動物より更に 感染に対し感受性が大となることである。故に流行時には加熱培養による予 82           Première Partie             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 防接種方法は危険となる事がある。Dopter によれば、赤痢の潜伏期間内の 患者又は保菌者に使用せるに、この予防接種は赤痢感染を助長するに過ぎな いと。  之を要するに、死菌を以て実験室内動物を予防接種することは局所及び全 身症状の危険に遭遇せしめる; 本法は半数に於て致死的中毒症状を起す; 免 疫は12-15日目に現はれる; 潜伏期間内に、予防接種された動物は抵抗力減 少状態となり、最後に、免疫は4-6週間しか続かない。  すべての点に類似する事実は、Dopter により菌の自家融解産物による予 防接種の際に確められた。故に之等の方法のいづれもが人間に実施してはな らぬ特に流行時に然りとする。それ故 Dopter は感作 Virus による予防接 種方法を試みんとする考を抱いた。  ここに2,3の技術を挙げる; 赤痢菌は赤痢予防血清と混合する。混液は実 験室温度に12時間静置する。数時間後に菌は凝集し感作されて試験管底に落 下する。上清液を傾瀉す; 菌の沈澱を数回生理的食塩水で洗滌し、然る後生 理的食塩水中に感作菌を浮遊すればよい。  実験の示す所ではかく造られたる赤痢予防 Vaccin は全く無害である: 通常の菌の致死量の百倍に相当する分量に敢えた「マウス」は何等体重の減少 を来すことなく認むべき最小の障害も呈しない。  予防接種効力に関しては、吾人は Dopter の結論を述べるより他には更に よいものを知らない:。  ,,1°感作菌による Vaccin は少しも毒性がない; また局所反応も全身反応 も起さない;  ,,2°感作菌によつて予防接種された「マウス」は大多数の場合に4日目に抗 赤痢免疫を獲得する; 然し5日目でなければ現はれないものもある;  ,,3°免疫形成機関に於て; 本動物は致死量測定試験に対し対照より感受性 大なることはない;  ,,4°獲得せる免疫は少くも4か月半継続する,,。  吾人は、更に再び、赤痢予防 Vaccin のうちに感作 Vaccin の特徴とする           Première Partie              83 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 4 性質を認める: 即ち毒性のなきこと免疫の確実、速かにして持続的なる こと。  Dopter 曰く”すべての点に於て此の新法は以前提供されたるすべての方 法に断然優る様に見える……陰性期が存在しない……; もし本法が他日人間 の群集生活に使用され、更に流行時に使用される様になれば、此の点は実施 上の見地より見て最も重要なる注意事項である,,。           *  *  *  今までは有形生菌又は死菌を以て調整せる感作 Vaccins を問題にした; 吾 人の記載すべく残されたものは「ヂフテリア」毒素を以て製せる Vaccin で ある。  その調整方法は感作 Vaccins に対し一般に使用せる所のものであつた。 「ヂフテリア」毒素を抗「ヂフテリア」血清の混合液を造り之を以て開始した。 この混合液を遠心沈澱し過剰の血清を除去することは殆ど不可能事であるか ら、毒素を中和するために丁度血清の厳密に必要なる分量を加ふる注意を要 す。この混液に固形菌の場合に於ける如く数時間接触せしめて後予防接種を 行つた。抗毒素の滲み込んだ毒素は一種の「ヂフテリア」予防感作 Vaccin と 見るべきである。  この最後の考を有してゐたのは Théobald Smith である。之を調整するに 当り、氏は始めに於ては真の感作「ワクチン」を実現せんとするほかには他を 顧みなかつたことは疑ひなき所である。  毒素と抗毒素とを一定量に混合するに当り、吾人が指示せる血清の最小過 剰を避けんとする教義に基き、Th, Smith は単に絶対に無害なるばかりでな く、著しき予防効力を有する物質を得た。困難なる点は毒素の厳密なる感作 に到達することである: 即ち余り多量ならば余り少量ならざる血清を加へ なければならぬ。若し多量の血清を加ふるならば、免疫は「チフス」予防「ワ クチン」から過剰の抗「チフス」血清を除去し得ざる時の如く期間が短いので ある。若し余り少量の血清を加ふるならば、混液は局所症状を起し、屡々極 めて重篤なることがある。故にそこには抗「ヂフテリア」血清の厳重なる必要 84           Première Partie             ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 量があることを注意しなければならぬ。かくして安易に数年間継続し且つ人 間は弱反応又は無反応にして之を獲得すれば益々価値ある免疫性を得。  感作 Virus の場合に於ける如く、「ヂフテリア」毒素とその抗毒素とを接 触することは可成り長くなければならぬ。T,Smith によれば、この接触は 予防接種の使用を実施する前に48時間維持する必要があると。  此の予防接種によつて賦与せらるる、持続性免疫に加ふるに、Smith によ れば、このものは全然無害である。この感作毒素を使用することは毒素だけ のそれよりも遥かに好都合である。後者は亦免疫を賦与することは出来るが 然し此の場合には免疫は鞏固でなく且つ局所症状の代価によつて獲られる。  若し免疫の形成する速度について知ることを得れば、この「ヂフテリア」予 防「ワクチン」は完全に理想的のものであるであらう。Smith の報告は此の問 題に触れてゐない; 恐らく此の報告に於て「ヂフテリア」予防「ワクチン」は殆 ど他の Vaccin と異る所がない、即ち、速に免疫を賦与するのではなからう かと思はれる。  之を総括するに、Virus の性質が何であらうと、例へば「ペスト」、赤痢、 「コレラ」又は「チフス」菌であらうと、狂犬病毒又は「ヂフテリア」毒素でら うと、死菌又は生菌であらうと、感作は之等に新性質を賦与する即ち Vacc- ins をしてその性状が確実、迅速、無害にして持続的なる作用を発揮せしむ る様になすのである。            ―――――――――――             Mémoires Cités A, Besredka, C, R, Académie des Sciences,juin,1902, p, 1330; Annales Inst, Pasteur,  décembre 1902, Paladino-Blandini, Annali d’ Igiene sperimental, pp,, 295-411, 1905, A, Marie, C, R, Soc, Biologie, 29 novembre, 1902; 16 déeembre, 1905; Bulletin  de l’ Institut Passteur, t, VI, 30 aoun et 15 sept, 1908, Dopter , Annales de l’ Inst, Pasteur, t, XXIII, p, 677, Th, Smith, Journ, of expererim, medic,, t, XI, 402; 1909,             Ⅵ        感作 Virus による予防接種      Vaccination par Virus Sensibilisés           第二章        Deuxième Partie (1)   吾人は前に述べたる性質を、始めに肺炎球菌、連鎖状球菌、「ヂフテリア」 菌、羊痘毒及び結核菌に於ける感作「ワクチン」に於ても亦見出すのである。  結核菌から始めやう。  すべての医師及び獣医は、v, Behring の牛の結核予防接種に於ける反響 多き実験に思を致した。種々の国に於て、事実上牛に極めて著明なる結核に 対する抵抗性を賦与した、即ち対照に於ては、結核菌の接種は速に重篤にし て屡々致死的なる病竈形成を伴ふものであるが、予防接種されたものでは、 かなり長い間病竈を造らざることを確めた。単に、若し単なる肉眼的検査に 満足せず且つ厳密に臓器を観察すれば、特に淋巴腺内に、生きた毒力の高い 結核菌を認める。換言すれば、試験的注射の際に生体内に送入された菌は完 全に破壊されない。この完全なる破壊の欠如することが v, Behring の方法 に於て大なる危険を形成する; 之が牛の結核予防接種の問題が今なほ解決さ れたと考へるには遥か距りのある理由である。  本問の解決に向つて重要なる一歩は Calmette et Guerin により実現され た。氏等は結核菌を「グリセリン」加牛胆汁の存在のもとに馬鈴薯の培養する と、著しく結核菌の性質を変化することを示した。かかる菌は25mgr の分 ―――――――――――――――――――――― (1) Bulletin de l’Institut Pasteur, t, X, 30 juin 1912, 86           Deuxième Partie ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 量を犢の静脈内に注入する時は、小時間に犢を免疫する。然し、この場合に も亦、生菌を接種後120日間も気管枝淋巴腺内に認むるのである。  之等の事実は胆汁加感作菌を使用する時嘗て起つた所のものである。  Calmette et Guérin は大量に注射しても是等の菌は容易に吸収されるのを 見た。然る時は感作のために試験的接種の際に生菌の吸収を活発にし得なく なるか何うかと云ふ質問が起る。  実験によれば、この場合には、菌の吸収は明かに活動的となり、従つて吸 収は完全に経過する。  胆汁加感作 Virus を以て予防接種され、次に30日後に、試験的注射(強毒 の牛型菌 3mgr:)を受けた牝牛は90日後には殆ど菌を含まない; 120日後に は全く含有せざるに至る。之に反し、対照として、感作せざる胆汁加菌を以 て予防接種されたものは、試験後120日後と雖も、気管枝及び中隔の淋巴腺 内に、生きた毒力強き菌を含有してゐる。            *  *  *  Calmetet et Guérin の実験に先立つこと数か月前に於ける F, Meyer の実 験は普通の菌と比較して感作せる結核菌の大量注射を試みた。之によれば感 作せる菌は容易に吸収されることが分つた。更に注意すべき点はその予防接 種能力である。  同氏は感作結核菌は結核海猽により非感作通常菌のそれに対し5倍以上の 分量を堪え得られたことを証明した。  氏は更に健康動物は何の障礙なく感作菌の反覆注射に堪えるが、非感作菌 の反覆注射に対しては一般に斃死することを見た。感作菌は一般に局所反応 然も多くは最小の反応を与へて後、速かに吸収される。  Vaccin の予防効果に関し、F, Meyer は次のことを確めた; 長期間感作菌 で処置され、次に通常結核菌を注射された海猽は罹患するが、対照よりは8- 10倍遅れて発病する。  既に結核病勢にある海猽に於てさへも、感作菌による治療は、同氏によれ ば、臨床的に、動物が治癒したと思はれる位に快方に向はしめる。           Deuxième Partie              87 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  Meyer は淋巴腺の菌を消失せしむるに至らなかつたことを認めた; 可能な ることは体重の減少を停止し生命を数か月間延長させることである。氏はか くして処置せる動物に於ては対照より9か月長い生存を与ふることに成功 した。  かく有望なる是等の成績を得たので、Meyer はこの感作 Vaccin を、人間 に於て、治療の意味で、使用せんと決心した。氏は結核の種々の期間にある もの47人を処置した。効果は限局性結核の場合に特に著明であつた: あら ゆる治療に抵抗せる瘻管又は「アプセス」は感作菌の影響により速かに瘢痕形 成をなした。少からず良好の成績は骨、関節及び眼の結核感染に於て示され た。肺結核に於ては、良好の効果は発熱、羸痩、夜間盗汗、心臓障礙、即ち 中毒症状に見られた。之に反して、固有の肺の病変並に喀痰の含菌量は少し も変化がなかつた。かく処置された47人の患者につきては、Meyer によれ ば、40人の患者が著明に良好となつた。(1)           *  *  *  結核菌浸出液、又は「ツベルクリン」は同様に感作に適当である。  Vallée et Guinard は”濃縮し感作せる結核菌沈降物,, の性質を研究した が、是等の物は結核動物に取つても無害なることを認めた。即ち、6週間以上 結核菌を以て接種された海猽は粗製「ツベルクリン」の0,5-2gr, に相当する量 の感作沈降物の注射に抵抗する。牛に於ても同様であつた。数か月来感染せ る牛は、発熱を起す量の 10-20 倍を表はす粗製「ツベルクリン」の1-2gr, に 相当する量の沈降物を受けても反応熱を出すことがなかつた。  感作せる結核菌毒素は無害なることを知つたので、Vallée et Guinard は 之を人間に試みた。この試験は種々の程度に肺結核に犯された30人の婦人に 就いて行つた。著者等は曰く”Koch の「ツベルクリン」の最少量(1∖100’ 1∖50’ 1∖10mgr)を注射するに、不快の症状が起るのに対し、酒精で沈澱せる純粋「ツ ベルクリン」の 1∖2-4mgr, に相当する量の感作沈降物を注射するに熱反応も ―――――――――――――――――――――――― (1) 独逸に於ては、感作結核菌は結核予防血清「ワクチン」”S, B,E,, の名称で   使用されてゐる。 88           Deuxième Partie ―――――――――――――――――――――――――――――――――― なく病竈の反応もなかつた,,。著者は最初の注射では一般に軽度の浮腫を生 ずるが、間もなく慣れの状態が成立し、それ以後の注射に於ては増量的分量 でも患者に何等不快を起さざることを認めた。  それ故、感作後濃縮せる結核毒は海猽に於ても、牛に於ても亦人間に於て も、極めて無害となるのである。            *  *  *  研究室内動物は容易に肺炎球菌に対し活動性免疫を得ることは人の知る所 である。感作肺炎球菌を使用する時は E, Levy et Aoki の研究が解決せる 如く、その予防接種は特に良好なる条件で実施される。  免疫の発生速度に関しては、著者等は次のことを証明した: 即ち肺炎球菌 の死菌(0,5%の石炭酸添加)によつて予防接種された家兎に於ては免疫は6日 過ぎてから成立するが、感作せる肺炎球菌を以て予防接種せる家兎に於ては 一般に3日後に完成する。免疫は更に極めて速かに成立得: 即ち、実験 の際、著者等は感作 Virus を以て予防接種せる家兎を、24時間後、10時間後 及び6時間後に致死量測定試験に用ゐた。是等の家兎は全部試験的接種に対 し抵抗した。  陰性期は、死滅肺炎球菌を使用せる時に既に稀であるが、感作肺炎球菌を 以てしては決して観察されない。  更に、極めて矛盾して見えることは、感作肺炎球菌は一定の治療的効果を 表はすことなきにしもあらず: もし毒力強き肺炎球菌の1∖100,000 を身体の一部 に注射し、他の部に感作肺炎球菌の適当量を注射する時は、一定期間生存せ しめ或は完全に生存せしめることが出来た。実験の結果は Vaccin の量に関 係する: 1-2cc, の量では不充分であり、4cc, の量では4匹のうち3匹を防御 し、6-8cc では確実に動物の全部を予防接種し得た。  非感作肺炎球菌でなされた同様の実験では、遥かに香ばしからぬ成績を示 した: Vaccin の4cc, は家兎5頭中1頭を防御し; 6cc, では3頭中2頭を 防御し、8cc, でどの家兎も生存する様になつたに過ぎなかつた。  之を要するに、感作肺炎球菌は通常の肺炎球菌に対し次の如き長所を有す、           Deuxième Partie              89 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 即ち之を予防的に注射すれば、本「ワクチン」は更に迅速に更に鞏固なる免疫 性を賦与す; この注射は決して陰性期を伴はず; 更に、或る場合には、本「ワ クチン」は疑ひなき治療的効果を表はす。            *  *  *  連鎖状球菌は肺炎球菌と更に多くの共通点を示す; 亦感作された場合、後 者と同様なる態度を取ることは驚くまでもない。  Marxer は感作連鎖状球菌で接種された家兎は極めて速に免疫性を獲得す ることを確めた; 24時間目に既に致死量の数倍に抵抗する様になる。  「ガラクトーゼ」加「ワクチン」の発案者の一人なるこの実験者は次の如く宣 言した、即ち単に「ガラクトーゼ」の作用下に置かれたる連鎖状球菌を以て同 様なる結果を得ることは極めて稀であると。  是等の実験に刺激され、Marxer は感作連鎖状球菌を治療方面に使用せん と企てた。期待し得た如く、Virus 接種後24時間にして試みられたこの治療 成績は輝かしいものではなかつた。然し他のすべての条件が同様なる時、感 作連鎖状球菌は対照に比し処置動物を4-6日生存せしむる意味に於て非感作 に優る。  Levy et Hamm の企画せる感作連鎖状球菌を以てする予防的及び治療的 処置の試験を述べやう。人間に於て正確なる対照実験をなすことの不可能は 実験室内実験の厳格さを欠如してゐる。この制限はあるが、吾人は是等の治 療的試験から生ずる印象は動物にてなされた観察を強くすることを認めねば ならぬ。  Levy et Hamm は妊婦を予防接種せんがために感作連鎖状球菌を使用し た。注射は分娩前約8-10 日になされた。之は注射部位に軽度の疼痛を生じ たが、然し熱を伴ふことはなかつた。かく処置された14人の婦人のうち、 1名は不慮の災害のために死亡した; 他の全部は極めて良好の状態で分娩し た。  治療的方面には、感作連鎖状球菌は既に発生せる産褥熱の際、並びに化膿 性の付属器官の炎衝又は子宮外膜炎の如き種々なる連鎖状球菌症の際に使用 90           Deuxième Partie ―――――――――――――――――――――――――――――――――― された。明白なる状態で提唱することは出来ないが、著者等はこの治療法は active なるものと考へ、且つ兎に角、最も重篤なる敗血症の際に於ても全く 無害なりと考へらるる点に於て、良好なる効果あるものと認められたと云つ てゐる。           *  *  *  吾人は純毒性ある菌が若し感作された時に何うなるかと云ふことに就ては 未だ少しも触れてゐなかつた。Dopter の研究のお蔭で、吾人は毒性があり 同時に伝染性がある赤痢菌は、感作の後には、高度の予防効力を得ることを 知つた。  有毒なる菌、例へば「ヂフテリア」菌及び破傷風菌の如きものにつき此の種 の研究をなすことは興味がある。  「ヂフテリア」菌に関しては。吾人は Rolla の実験以来感作される時は毒性 が劣ることを知つてるのみである。種々なる種類の問題についてなされた氏 の研究に於て、同著者は偶然に全く他の Virus と同じく、Loeffler 氏菌の 感作は、その結果は、非感作の場合は4-5日で確実なる致死的の量に対し動 物を防御せしむることを認めた。           *  *  *  感作「ワクチン」なる武器庫は最近理論的並びに実際的に大なる興味を提供 する産物に富んでゐる。吾人は羊痘予防 Vaccin について述べやうと思ふ。  羊痘の Virus は不可視性 Virus で、特異血清(Borrel)で感作せしむるこ とを妨げずして、之より極めて高度の Vaccin を形成する。  アルジエリアにて施行されてる衛生法規によれば、輸出すべき綿羊は之を 乗船する前に羊痘接種をするか又は抗羊痘血清で処置すべきである。血清に よる予防は高価なると短期間なるとの不利がある。羊痘接種そのものは、羊 痘の巣窟地方に容易に飼育し得る点より見れば、危険はない。  Bridré et Boquet は幸に羊痘接種の見地に於て感作 Virus を試みんとす る意見を有した。他の Virus と同様に、感作せる当該 Virus は綿羊に同時 に迅速鞏固長期の免疫を得べく; 更に全く無害なること、即ち、通常の           Deuxième Partie              91 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― Virus に由来する危険を生じない筈である。実際、実験の示す所では羊痘菌 を抗羊痘血清と接触せしめ、次いで遠心沈澱により後者より分離せしめたも のは、予期せるすべての性質を得た。  綿羊の皮下に感作 Virus を0,25cc, の分量に注射すると、動物により軽度 の熱症状と、多少烈しき局所症状とを起す。2-4 日目に皮下浮腫は消失す、 唯徐々に逓減する浸潤を残す。重要なる事実は、Vaccin の接種部位が閉鎖 されてることである。  Bridré et Boquet は、始めに、成熟せる綿羊及び8-10 か月の子羊 1,200 頭以上に種痘した。氏等の観察によれば感作羊痘 Virus による予防接種は 通常の Virus による予防接種より更に確実なる免疫を与へ; 同時に種痘さ れた動物に対し全く危険がないと云ふ結果になつた。接種部位は閉鎖する故 すべての伝染の機会は除かれる。羊痘の潜伏期間に動物に就いて実施せる所 では、感作 Virus による予防接種は疾病の発育を変化せざる様に見える; 故に感染地域に使用すべく、その適用は家畜間の流行を直ちに停止する結果 となるであらう。  最後に、Bridré et Boquet の実験が解決せる重要なる事実は、免疫が速 に形成することである、免疫は既に48時間後に生ず; 本予防接種法により賦 与される免疫の持続期間は、11か月以上である。  氏等の研究を綜合すると、著者等は結論して曰く ”感作 Virus による羊痘 予防接種は予防上の有効なる方法と称するも過言ならざる安全と有効のあら ゆる保証を提供するものである。アルジエリアの如く羊痘が家畜の地方病の 状態で存する地方に適用することは、その結果は羊痘の巣窟を制限し、従つ て引いては疾病を消失せしめる,,。(1)           *  *  * ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) ”Algerie,Tunisie 及びモロツコ王国仏領より来る羊属動物は、積込前最小   15日最大11か月内に羊痘に対し予防接種(感作 Vaccin を使用し)するにあらざ   れば、仏蘭西に輸入するを得ず,,(1921 年, 2 月5日発令)。  エジプトは同様に強制的に同国に輸入する全羊属を感作羊痘 Vaccin にて予防接   種すべきことを宣言した。  1913年より1926年までに Algerie の Pasteur 研究所より感作羊痘予防 Vaccin の  15,852,604 の分量が交付された。 92           Deuxième Partie ――――――――――――――――――――――――――――――――――  了解を容易ならしめる理由として、最も屡々 Vaccin の製造に使用する感 作 Virus は、予め加熱により或は消毒薬により殺したものである。生菌の造 る免疫は死菌の付与する免疫よりも確実にして而も鞏固である。然し実際上 には、特に人間では、生菌を使用せざることを望む。  然し死菌は生菌より遥かに有効である――而して此の事実は実験により証 明されてゐる。この就中「チフス」菌の場合である。  実験的「チフス」熱に関する研究の際に、Metchnikoff et Besredka は通常の Vaccins 即ち、死菌又は菌体の浸出物を使用して、類人猿を予防接種し得な かつた事は人の知る所である。再三失敗したので、一体「チフス」熱に対し猖 々を免疫し得るや否やと質問する様にさえなつた。之等の研究を遂行して居 る際に、著者等は彼等自身に取り思ひ設けざる事柄から、「チフス」生菌を使 用せる時に、鞏固なる「チフス」予防免疫を実験する様に誘導された。  「チフス」生菌の注射は局所及び全身の烈しい症状を伴ふを以て、氏等は Virus を感作せんとの考に思ひ当つた。  実験は感作せる「チフス」生菌は実際上完全なる「チフス」予防 Vaccin なる ことを示すに躊躇しなかつた。この Vaccin を受けた猖々は何等発熱症状を 呈さなかつた: この注射に引続いて起る局所反応は最小であり、而して之 に続いて起る免疫は絶対的であつた。次いで大量の「チフス」菌を嚥下せしめ るに、之等の動物は試験に抵抗し、少しの反応をも表はすことがなかつた、 同様に感染せしめた対照動物は充分定型的の「チフス」に感染した。  之は一例である――更に他の場合にも確に見出し得るものであらう――即 ちこの例は死菌は殆ど効果はなくして、感作により毒力を軽減せる生菌の使 用が、その目的を達せしめる唯一のものである。           *  *  *  猖々にて真実なることは、当然かくあるべきことであるが、人間でも亦か くあらねばならぬ。然し人間に「チフス」生菌を敢て注射し得らるるか?生 菌を注射するのは危険でないか? 吾人は今日ではこの問題に関する恐怖は 根本から無くすることを確めることが出来た。           Deuxième Partie              93 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  吾人は「チフス」の感作生菌を2名に注射せる戦々競々【兢々】たる試験に次いで、 之等の実験を継続する様、Broughton-Alcock に依頼した。著者は44名に就 てこの予防接種は無害なる操作なることを確めた。  予防注射を受くべき人員を、その受くる Vaccin の量に従ひ3群に分つた。  第一群は14名に行つた: これ等は寒天24時間培養を100倍に稀釈せしもの 1cc を接種された。18日後に、第1回注射より2倍多き第2回注射をなし た。局所反応は認むべきものはなかつた: 体温は正常であつた; 注射部位 に疼痛はなかつた; 而して注射当日に被接種者は少しの苦痛もなく彼らの仕 事に従事することが出来た。  第2群は10名に行つた; 之等は第1回注射に前記と同様に稀釈せるもの1, 5cc, を受け、次いで、更に9日後に 3cc, を受けた。反応は特に体躯の小さ い人に顕はれた; 彼等は5「フラン」の貨幣大の發赤を局所に呈した。彼等に 於て何等全身症状をも認めなかつた。  最後に、第3群は20人に就て行つた; 之等は始めに2cc, の Vaccin 、次ぎ に、8-10日後に、3cc, の第2回注射を受けた。すべてのものに、軽度の局所 反応があつた。2名に於て、接種者は頭痛と全身疲労の感を訴へた。極めて 矮小なる婦人に於ては、体温は38°に上昇した; 然し之等20人中一人もその 仕事の従事をやめたものはなかつた。  比較するために、4人がLeishman の使用せる Vaccin を以て接種され た。之等の人々全部に於て、Leishman 自身の記載に応じて、第1回注射後 に体温の軽度の上昇2日間継続する疼痛性の發赤、全部に一般並びに頭部の 疲労感を伴ふことが、証明された。  之等の観察より感作生菌は、同量にて、死菌より構成される Vaccin より 遥に弱い全身及び局所の反応を生ずることが分る。  極めて最近に、「チフス」の感作生菌を以て約700人が接種された; すべて 之等の人々に於ては、全身症状は顕著でなく局所症状は殆ど無であつた; 故 94           Deuxième Partie ―――――――――――――――――――――――――――――――――― にこの Vaccin の無害は疑ふ余地なきものであらう。(1)           *  *  *   現今に於ては、感作の試みを免れた病原菌は餘り多くない、之等の Vac- cins の多数が既に広く実施に供されてゐる。  実験室内並に実際上に、その効果を批判せる人々はすべて之に対して通常 Vaccins より優秀なることを認むることに一致した、この優秀なる点は第一 にその無害なるを知る点であり、次にその作用が速かなると同時に、確実に して持続的なる点である。然し屡々起り得る如く、その摘用の領域が拡大す るに従つて、その製造を支配する原理が等閑にされることである。吾人は亦 時々その方法を累はし易い誤りがなされるのを目撃した。  之等の誤りを吾人に専属する人々の間にも確めたので、吾人はBasseches と 共同で、製造を指導する前に意見を決定するのがよいと考へたので、新しい 実験を企てることが必要であると信じた。吾人は「パラチフス」B菌を使用し た; 病原菌の場合には、未だ感作されずに残ることは稀である。吾人はこの 研究は一般に興味ある事実を確め得たので、その選択に後悔はしなかつた。           *  *  *  種々なる予防接種の方法の長所及び短所を知らんがために、吾人は「マウ ス」に於て、Vaccins の名称ある次の如き製剤に就て試験した:  a) パラチフツ生菌又は死菌、非感作;  b) パラチフス生菌又は死菌、種々なる分量の抗パラチフス血清の存在す る場合  c) パラチフス生菌、感作。  すべて之等の製剤は皮下注射で使用された。詳細に渡ることを避け、之等 の実験は次の点を示すことを注意しやう:  1) パラチフスB菌は感作により毒力を減少す、之は非感作菌に対する割 合は100 倍以上となる。 ――― (1) 数千人がそれ以後各国に於て感作「チフス」の生菌 Vaccin を以て予防接種  された(Les Annales de l’Institut Pasteur, 8月 1913)。           Deuxième Partie              95 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  2) パラチフス感作生菌は通常の毒力強き「パラチフス」菌の致死量の数倍 ―50倍までーを防御する;  3) パラチフス感作菌によつて賦与せらるる免疫は活働性免疫である; 之 は予防接種の翌日に形成される;  4) 活働性、強固にして数か月継続する免疫を造る之等の製剤に反し、抗 「パラチフス」血清を混加されたものは製剤が血清を多く含有すればする程、 一時的の免疫を賦与する。換言すれば、Vaccin なるものは極めて大量の菌 体を含有し得、仮令血清の痕跡を含有するも、免疫は活働性でなくなり: 受 働性となる。           *  *  *  本章を終るに当り感作「ワクチン」の作用方法に就て、少しく述べやう。  吾人の実験の始めに於て、吾人は注射部位に起ることを知らんがために研 究した。吾人は之等の Vaccins は生体に侵入するや間もなく白血球の好餌 となるを見た。亦吾人の最初の発表に於て、吾人は殆ど即時に起る感作菌の 喰菌作用の中に、その表はす性質の秘密があるのではなからうかと考へた。  吾人は吾人の研究を経過の始めの時期に限つたのに対し、Garbat et Mey- er の研究は将来の時期に及んだ。この研究は吾人自身が為し得なかつた問 題を一層深く追求したものである。之等の研究者は予防接種された人の血清 が得る性質に注意を向けた、この研究は注意すべき価値ある事実を含んでゐ る。  Garbat et Meyer は家兎に就て行つた。一群の家兎は通常の「チフス」菌を 以て予防接種され、他の一群は感作「チフス」菌を以て接種された。両者共注 射は静脈内に行はれた、菌量、並びに注射間隔及び採血はすべての動物につ き同様にした。場合に応じ、血清は菌の第1回、第2回又は第3回注射後に 試験した。  ここに著者等の確めたる成績を述べる。  両群の動物のうちに於て、先づ熱反応に相違があつた: 感作せる家兎に 於ては、体温は注射後1時間にして既に2-3度上昇し、次いで急劇に(6-10 96           Deuxième Partie ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 時間後に)正常に復した; 通常の Vaccin を受けた家兎に於ては、体温は徐 々に上昇し24-36時間に及ぶまで下降しなかつた。  感作せる家兎は、発熱の最高期に於ても、略々正常の外観を保つた、他の 家兎は病状を呈し屡々下痢を起した。第3回注射に於て、通常「ワクチン」の 家兎は斃死せるが、感作家兎は充分に堪へ得た。  Garbat et Meyer の研究の主なる興味は、両群の家兎の血清の研究にあ る。通常「ワクチン」の家兎の血清は、第1回注射後既に6日にして、強く凝 集(1:100-1:500)するを示した。同じ時期に於て、感作家兎の血清は殆ど凝 集しなかつた(1:10-1:20)。第2回及び第3回注射後凝集価は通常の家兎に 於ては著しく上昇した; 感作家兎に於ては著しい変化はなかつた。  補体を結合する血清の能力に関しても同様であつた: 通常の家兎の血清 に於ては極めて上昇した。この性質は感作家兎に於ては殆ど認められなかつ た。  是等の実証は著者等をして感作動物の血清中には抗体の存在せざることを 結論せしめなければならなかつた。然し、予防的効果を研究するを目的とす る時は、氏等は感作家兎の血清は単に予防的抗体(anticorps préventifs)を殆 ど欠如せざるのみならず、通常の家兎(註、通常「ワクチン」注射家兎)の血清 よりも更に多くの該抗体を含有することを確めた。即ち、感作家兎血清は接 種後2乃至4時間なるも、「チフス」感染に対し新鮮なる海猽を防御すること が出来たが、通常の家兎の血清は同じ条件に於て全く無効なることを示し た。  Garbat et Meyer の是等の実験は多くの点で興味がある。この実験は感作 「ワクチン」の作用機転並びにその通常「ワクチン」に優る以所【マヽ】を示す。この実 験は、更に、in vitro と in vivo に起るものの間に何等の相互関係なきこと、 凝集反応も、補体結合反応も免疫度の指標として主張し得られざることを示 す。           Deuxième Partie              97 ――――――――――――――――――――――――――――――――――          Mémoires Cités A, Besredka, C, R, Acad, Sciences, 1902, t, CXXXIV, p, 1330; Annales de l’Inst,  Pasteur, 1902, P, 918; Bulletiu de l’Institut Pasteur, 1910, p, 241, A, Calmette et Guérin, C, R, Acad, Sciences, 1910, t, CLI, p, 32, Fr, Meyer, Berlin, klin, Wochenschr,, 1910, p, 926, W, G, Ruppel et, W, Rickmann, Zeitschr, f, Immunitätsforsch,, 1910, p, 344, W, G, Ruppel, Münchener mediz, Woch,, 1910, n 46, Vallée et Guinard, C, R, Acad, Sciences, 1910, , CLI, p, 1141, Levy et Aoki, Zeitschr, f, Immunitätsf,, 1910, p, 435, A, Marxer, Zeitschr, f, Immunitätsf,, 1910, p, 194, Levy et Hamm, Münchener mediz, Wochenschr,, 1909, p, 1728, C, Rolla, Centralbl, f, Bakter, I, Origin,, 1910, p, 495, J, Bridré et, A, Borquet, C, R, Acad, Sciences, 1912, t, CLIV, p, 144;p, 1256; t,  CLV, p, 306, Annales de l’Institut Pasteur, 1913, p, 797; 1923, p, 229, E, Metchnikoff et A, Besredka, Annales de l’Institut Pasteur, 1911, p, 865, Alcock, C, R, Acad, des Sciences, 1912, t, CLIV, p, 1253, A, Garbat et F, Meyer, Zeitschr, f, experim, Pathol,,1910, p, 1, A, Besredka et S, Basseches, Annales de l’Institut Pasteur t, XXXII, mai 1918,  P,193,             VII      腸チフス予防接種実験的根拠(1)       Vaccinations Antityphiques        Bases expérimentales  予防接種なる武装が広く施行せらるる疾病は、「チフス」に如くものはな い。天然痘又は狂犬病に対しては一種の「ワクチン」あるに過ぎざるも腸「チ フス」は各国共に同一病なるに拘らず、「ワクチン」の種類は20以上とまで行 かなくとも少くも20位を有する特権があるのである。各国には殆ど一種類の 「ワクチン」がある。例へば独逸は Pfeiffer-Kolle の「ワクチン」を、英吉利は Wright-Leishman のそれを、亜米利加及び日本はそれそれ自国のものを有し、 仏蘭西は多数の「ワクチン」を有するの長所がある。  各研究者は自己の「ワクチン」を推称し他に優るものと信じてゐる。之等多 数の「ワクチン」の実験的根拠に通ぜざるものは、その進むべき方向も分から ず、更にまた最初から、歴史的異論の対象となれる「プリオリテー」の問題も あまり分らないことになる。  本章は論説に際し非難的要素は之を除去し、実験的対照の正確なるものを 採取することとした。価値なきにしもあらざる統計に関しては、1906 年に M, Netter が Bulletin de l’ Institut Pasteur で発表した調査より再録するこ ととした。           *  *  *  「チフス」予防注射なる考案の紀元を探求せんとせば、1886-1890 年頃にな されたる研究を再検する必要がある。Eberth-Gaffky-Koch による「チフス」 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― (1) Bulletin de l’ Institut Pasteur, t, XI, 15 et 30 août 1913,           腸チフス予防接種実験的根拠         99 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 菌の発見は独逸に於て特に実験室内動物を「チフス」に罹患せしめんとする目 的のために幾多重要なる業績の出発点となつた。之等の仕事は E, Fraenkel et Simmonds, Sirotinine 及びBeumer et Peiper によつてなされた。  海猽、家兎及び「マウス」に於て「チフス」感染を誘起せしめる生物学的性状 を研究するに際し、氏等は偶然に屡々生存せる動物は再感染の際に更に抵抗 力の強くなれるを確認した。この種の免疫性は Fraenkel et Simmonds によ つて注意された。この事実はSitrotinine も同様之を指摘したが、然し之に 主要性を附すべきことを信じてはゐなかつた。この事実は最後に Beumer et Peiper により承認された、氏等は其価値を認めたのである。  ここに如何にして上記研究者がその点に到れるかその経路を述べて見や う。実験的チフス感染の研究は非常に多数の動物を必要とするので、之等の 研究者はある日海猽の欠乏を来したのである。最早新しい動物を手に入れる ことが出来ないので、既に使用せる動物を用ふることにした。所が彼等は致 死的感染を免かれた動物は新鮮動物と全く異り「チフス」菌の第二次感染に対 し能く堪えるものなることを認めた。  「マウス」に就き同様の考を以てなされた新しい実験は此の条件にて獲得せ る免疫性の実在に関しては著者等の期待に何等疑を挟む余地はなかつた。著 者等は更に考を遠きに及ぼし必然的に次の様に要求するに至つた”「チホト キシン」又は他の「プトマイン」を含有せる殺菌培養が、同様なる免疫性を賦 与するや否やと。この仮説が実現せる場合に、人間に”「チフス」死菌,,を試 みることは敢て異とする所ではないと附言した。           *  *  *  1886年であつた。この時に始めて生菌ならざる「チフス」予防「ワクチン」 が確実に実験されたのである。  然し附言せねばならぬことは、その当時としては新しいものであつたにせ よ、人の信ずる如く決して劃世的のものではなかつた。吾人は1886年頃独逸 特に仏蘭西に於てパストウール学派の間に発表された報告中の意向より推察 100           腸チフス予防接種実験的根拠 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― するに過ぎない。Pasteur 自身は既に伝染病経過中に化学的製剤に主要性を 与えてゐた。氏は陶器にて濾過せる培養を注射し鶏「コレラ」の一定症状を起 し得なかつたであらうか?同様な考へ方から、氏は狂犬病予防注射の作用 を生活せる狂犬病毒以外の物質に帰した。  勿論、本体を捕へんがために、化学的「ワクチン」の考は明確なる実験の追 加を必要とした。而して之は Roux et Chamberland による敗血症に関する 研究の際に満足された。ここに之を記載して見やう。  之等の研究者以前に既に、Charrin は濾過せる緑膿菌培養の大量を注射せ る家兎はそれにより緑膿菌に対し一定度の抵抗力を現はすと云ふ重要なる事 実を報告した。同じ時代に Salmon は亜米利加に於て殺菌培養を注射するも hog-cholera (豚疫)に対し鳩を予防し得た。Salmon とは無関係に彼と同時代 に、Roux et Chamberland は其の意をよく示した表題”溶解性物質による 敗血症に対する免疫に就て,, の下に、吾人に暗示を与ふる如き Vibrion sep- tique に関する研究を公にした。実に死菌免疫に関する其の後のすべての業 績の出発点として考ふべきものは Roux et Chamberland の仕事である。 Chantemesse et Widal の適確なる評によれば、この敗血症に関する研究が 細菌学に新分野を建設したのであると。Roux et Chamberland の論文の始 めに見ることは”すべての生活菌体を除去せる化学的物質を生体内に注入す るのみにて毒性強き疾病に対し動物を不感受性ならしむことを得れば、免 疫の原因は鮮明せらるべきものと信ずるのである,,。同時に氏等は実験的証 明をなし、極めて毒力強き疾病の一つ即ち急性敗血症に対し動物を不感受性 にならしめ得てゐる。  Vibrions septique の加熱培養(105°―110°に10分間)を三回接種を受けた 海猽と、同数の対照動物とに同時に毒力強き弧菌を接種した。対照動物は18 時間以内に斃死したが、前処置された海猽は生存した。この簡単しに【マヽ】て雄弁 なる実験は死菌を使用する全予防法の根拠となれるものである。  Vibrions septique に関する研究発表の約数か月経過後 Chantemesse et Widal は「チフス」菌に関する研究を発表した。           腸チフス予防接種実験的根拠         101 ――――――――――――――――――――――――――――――――――   Roux et Chamberland と同じく、両氏は高温にて殺菌せる培養による予防 接種法に拠つた。即ち120°10分間加熱せる「チフス」菌を「マウス」の腹腔内 に反覆接種した、次いで之に「チフス」菌の確実なる致死量を接種した。かく 予防接種をなせる12匹の「マウス」中、4匹は処置中に死亡し、生存せる8匹 は確実に予防されたることを証した。(1)           *  *  * 動物にて成立せる「チフス」予防接種の事実は之を人間に行ふには僅かに一 歩に過ぎないものと見られる。所でこの歩を進めるために Chantemesse et Wi- dal の発表日1888年より Pfeiffer et Kolle の発表日1896年次いてWright の同年まで待つことになつたのである。  Pfeiffer et Kolle の研究は其当時重要と見えし二つの事実が目につく。1° 「チフス」患者の恢復期血清中には「チフス」菌に対し殺菌性に作用する特殊物 質が発現する。2°同様の性質は「チフス」菌の増量的分量を以て免疫せる山 羊の血清中にも見出される。他の関係では、人工的に免疫せる動物は新感染 に対し「チフス」恢復患者に免疫性を賦与すると同一なる物質を有する。Pfei- ffer et Kolle は曰く、もし然りとせば「チフス菌を人間に注射して該物質を 造ることが出来ないであらうか? 正に付言すべきことは、この時に於て人 間を予防接種せんとの考は既に Haffkine の印度に於ける「コレラ」撲滅に関 する根気強き闘ひのお蔭で多くの道程が出来てゐたのである。  寒天培養を集め、「ブイヨン」中に浮遊液となし、次ぎに56°に加熱せる 「チフス」菌を Pfeiffer et Kolle は二人の個体に皮下注射をなした。6日後に 之等の人の血清は著者等が数か月前に、「ワクチン」を射したる山羊の血清及 び恢復患者血清中に指摘せると同様なる殺菌性物質を含有した。この「チフ ―――――――――――――――――――――――――――――――――― (1) 非常な高温度に「チフス予防ワクチン」を加熱しないのが有効であると云ふ  ことが屡々問題となる。その他問題は Roux et Chamberland により炭疽菌  に関する研究に於て既に前から論ぜられた。ここには著者等が炭疽病予防注射  の題目につき述べたる所を原文のまま挙げて見る”菌は殺すが、ワクチン性物  質を破壊しない程度になるべく温度を下げる必要がある、即ち55°から58°  の間に保たねばならぬ,,(Annales de l’Institut Pasteur, t, II,1888,p, 410,) 102           腸チフス予防接種実験的根拠 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ス」菌の注射は当時「チフス」に対し人間を予防するために考案された全部で あつたらしい。  略々同じ頃に、Wright は常に注意深く応用の意向を以て、学理より実用 に進んで行つた。勇敢にも彼は1896年より1904年に至るまで「チフス」予防 注射なる戦端を企てた。  吾人は之等の予防注射の実際的成績には触れずに置く。尚「ワクチン」の製 法も予防接種に続発する臨床上の所見も述べないこととする。吾人がここに 特筆大書せんとするものは、予防接種の問題が経過せる時代相及び彼れ此れ と「ワクチン」選択の動機となつた実験的研究の経過せる種々なる時代相に就 いてである。           *  *  *  「チフス」死菌より成立せる「ワクチン」製剤の他に、予防効果を強大にし、 或は注射による副作用を軽減する目的を以て、種々なる種類の「ワクチン」が 考案された。此の種の考を以てなせる比較研究は Paladino-Blandini 次いで 吾人と前後して Vincent によつて行はれたものである。  今日知られたるすべての「ワクチン」製剤を一々詳細に述べることは冗長で あり無味乾燥である。2,3の例外を除いては、之等は「チフス」死菌の培養全 部を基礎としてゐる。Paladino-Blandini の極めて詳細なる単行本は其の製 法及び効価の大部分を知らしめる。同著者は既知「ワクチン」のすべてを製造 するに困難なる仕事に従事し、之を以て実験的対照試験をやつたのである。 「ワクチン」製剤の各につき、局所並びに全身反応を研究し次いで予防接種の 効果、免疫期間等を調査した。  彼は之等の比較研究から Werner の毒素、Rodet-Lagriffoul-Wahly 及び Brieger et Mayer の「エキストラクト」を除いては、すべての「ワクチン」製 剤は一定量を以て海猽に「チフス」に対する免疫性を賦与し易きことを知つ た。種々の Vaccin によつて定めた局所及び全身症状を考慮に入れ、特にそ の効価及び獲得せる免疫期間を斟酌して、著者は一種の階梯を造りその高位 に感作「ワクチン」を置いたのである。           腸チフス予防接種実験的根拠         103 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  稍々相違せる結果は Vincent が人間に使用せんための更によき Vaccin に 関する研究の際に得た所のものである。Paladino-Blandini の実際に於ける 如く、実験動物は海猽であつた。「ワクチン」の接種は10日間の間隔を置き3 乃至4回の皮下注射を行つた。最後の注射より15日後に、Vincent は腹腔内 に48時間の「チフス」菌の「ブイヨン」培養1ccを注入し、皮下に10%の食塩 溶液2-4cc又は「アニリン」油を1∖10-1∖8cc注射した。この最後の皮下注射の 目的は「チフス」菌を宿主の全身に蔓延するを促すためである。  Vincent の試みた Vaccins は次の如くであつた: 24時間乃至10日間の「チ フス」生菌; 53-55°加熱菌、感作死菌; 生理的食塩水で自家溶解せる菌の「エ キストラクト」; 消化器に投与せる生菌又は死菌。  この研究項目を済まし、Vincent は次の如き結論に到達した; ”海猽に最 も鞏固なる免疫性を賦与するのは24時間又はそれ以上(10間)の培養の生菌で ある。生菌を浸漬し之を遠心沈澱し次いで「エーテル」又は「クロロホルム」で 殺菌せるものは同じく極めて「ワクチン」効果大である。「アンチゲン」として は24時間培養55°1時間加熱殺菌せるものの使用は同様よき防御力を賦与 す。感作「ワクチン」は満足なる免疫を与ふるが、余り永続性でない。他の Vaccins は効価更に少し,,   15日後に発表された報告中、特に人体に応用せる Vaccin の選択を目的と する同一題目に就いて見るに、Vincent は単に3種類の「ワクチン」を一列に 配列せるは注目に値ひする。曰く、生菌、53-55°加熱菌及び自家融解物。           *  *  *  之等三種のうちいずれを選択すべきか? Vincent は最初のもの即ち生菌 がすべてのうちで最も効価ありと宣言するに躊躇しなかつた。然し彼は本 「ワクチン」は危険なりと考ふるを以て、彼は他の二種のうちその生物学的性 状が最も生菌に近い所のものを選んだ。Vincent の意見によれば、人間に安 全にして有効なる全保証を与ふる唯一の Vaccin は生菌の「アウトリザート」 であると  此の「アウトリザート」は既に Conradi, Brieger et Bassenge の推称せる所 104           腸チフス予防接種実験的根拠 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― であるが Vincent の Vaccin と名付けるのが全く正常と云ふべきである。 何となればこの著者の研究によつて之が周く知れ渡り、人間に使用する Vac- cins の中最も優秀なるものとして発表されたからである。  すべての混乱を避くるために簡単に述べると、Vincent が自分の手で施行 し Avignon, Maroe 及び他の地方で良効なる成績を得た Vaccin は問題にさ れてる Vaccin ではない。即ち「チフス」菌の「アウトリザーブ」ではなく、「エ ーテル」で殺菌せる「チフス」菌を以て製せる Vaccin であつたのである。  実験的立場より「エーテル」で殺菌せる「チフス」菌は何んな価値があるか? 「チフスワクチン」の如何なる階級に之を属せしむべきか?  L, Nègre の実験はかなり正確な報告を齎した。著者は家兎を三種の Vac- cins で比較免疫をやつた。1°感作せる「チフス」生菌; 2°56°1時間加熱「チ フス」死菌、3°「エーテル」にて殺菌せる「チフス」菌。すべての動物は同じ回 数、同じ分量の Vaccin を受け、次いで同一条件にて採血した。  彼は之等の研究より次の結果を得た。感作生菌を以て注射された動物は凝 集力は弱く、殺菌力は高い。動物は極めて抗体に富む。加熱菌を以て免疫さ れた動物は凝集力は高く、殺菌力は弱く、抗体に富む。最後に「エーテル」に て殺菌せる菌を以て免疫せる家兎は凝集価高きも殺菌力弱く抗体も少い。  換言すれば有効なる抗体に富む点よりすれば、「エーテル」にて殺菌せる菌 は加熱による死菌に劣ることを示し、而して此の両者は感作生菌に劣ること を示すのである。           *  *  *  Vincent 以前既に、細菌学者は細菌を全部殺し出来るだけ少く抗原性作用 を変ずる如き化学的方法を見出さんとする考に驅られてゐた。この考から出 発し、Levy, Blumenthal et Marxer は細菌の物理学的性質に最小なる変化を 与ふる方法として、出来るだけ温和なる物質を細菌に作用せしめた。之等の 著者はその物質として「グリセリン」尿素又は「ガラクトーゼ」を使用した。之 等の実験から25%の尿素溶液に24時間作用せる「チフス」菌は、乾燥量で1-2 mgr, の割に皮下注射せる時は、腹腔内に接種せる毒力菌の致死量の5-10           腸チフス予防接種実験的根拠         105 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 倍を確実に防御し得る如き成績を得た。  最小の副作用を以て最大の予防効果を収めんとする他の試みは、一方では 胃腸の経路に行つた j, Courmont et Rochaix のそれであり、他方では予防 接種をするために静脈の経路を選んだ Loeffler Friedberger et Moreschi 及 び Ch, Nicolle のそれであることを述べねばならぬ。           *  *  *  J,Courmont et Rochaix によれば、胃腸の経路は最も無害であり、確実 なる長所を有すと。氏等の予防的投与試験は山羊、海猽、家兎並びに人間に 為された。使用せる Vaccin は8日間培養で53°に加熱せるものであるつた。  Vaccin 投与は或は空腹時に経口的に送入し、或は浣腸により経腸的に与 へた。著者等は寧ろ第二の方法を選んだ。家兎にはその分量は各洗腸毎に100 cc とし、山羊には280-350cc とした。著者等は3回洗腸を行ひ、数日間 の間隔を置いた。  既に、一回洗腸後に、氏等によれば、血清中に凝集性殺菌性及び溶菌性能 力の発現するを見た。10-15日後には動物は免疫され28時間にして対照動物 を殺し得る「チフス」菌の毒力強き培養の1cc の静脈内注射にも堪える様にな つた。  興味あることは、J, Courmont et Rochaix による経直腸免疫動物は単に 「チフス」の致死的感染に堪ゆるのみならず、更に「チフス」菌の菌体外及び菌 体内毒素による中毒にも堪え得るのである。かくして又、多価「ワクチン」100 cc を5-6日の間隔を以て洗腸により受けたる家兎は、53°に加熱せる培養 の40cc の分量でも生存することが出来る。然るに対照動物はこの同じ培養 10-15cc のの分量で既に数時間で死亡する。  かくの如く「ワクチン」を投与されたる家兎の血清はCourmont et Rochaix によれば抗毒性能力を獲得する。この血清の1cc の一部分(1∖3-1∖20cc)は毒 素(「ブイヨン」全培養を53°に加熱)の致死量の三倍を中和するに足る。所が 正常血清(1∖3cc)と単に致死量だけとを混じたるものは不可避的に死を招来す るのである。 106           腸チフス予防接種実験的根拠 ――――――――――――――――――――――――――――――――――           *  *  *  吾人が指摘せる如く、静脈内注射にも亦その賛成者がある。  Pfeiffer et Kolle、Wright 及び特に Leischman は出来るだけ低温度で Vac- cin を加熱せんとしたのに反し、Loeffler は120-150°の温度に菌を曝ら すべきことを推称した。勿論之等の菌は予め乾燥し、次いで乾燥加熱するの である。かの易熱性の酵素も乾燥した後には極めて高温に堪えその性質を失 ふことなきは周知の事実である。之は乾燥せる「チフス」菌に対しても同様で ある、即ち120°に加熱せる菌を接種せる動物は殺菌性及び凝集性抗体を形 成する。  Friedberger et Moreschi によつて行はれた分量測定の実験によると、抗体 形成の見地よりすれば、Loeffler の抗原は Pfeiffer-Kolle のそれと同等なる 価値あることを示してゐる。  この証明を行つて、著者等は「チフス予防ワクチン」の代りに乾燥高温加熱 菌を人間に於て静脈内注射に使用せんとの意見を抱いた。実際、吾人が抗菌 体内毒素の存在を証明して以来、之を造るに最も確実にして最も速かなる方 法は培養の全部を経静脈的に注入するにあることは明らかである。この条件 で得たる血清は、他の血清と同じ性質即ち予防効果があり凝集性があるほか に、抗菌体内毒素なる長所を有する; 即ち経静脈的投与により抗体の獲得を 最大ならしむることが出来る。  Friedberger et Moreschi は Loeffler の推称せる如く150°ではなく120° に菌を加熱することを以て満足した。何となれば150°では菌は一部分抗原 性能力を失ひ、更に「ホモゲン」の浮遊液を造るのが困難であるからである。  序でながら、之等の実験中 Friedberger et Moreschi は血清中の抗体量は 必ずしも注射せる抗原量に比例して増加するに非ずとの矛盾せる事実を認め てゐる点は注目に値ひする。即ち著者等は1∖100白金耳を以て1白金耳と同量 の抗体を得たのである。  13人が乾燥加熱せる「チフス」菌の静脈内接種を受けた。注射分量は1∖50か ら1∖4000白金耳に変化させた; 之は Kolle-Pfeiffer の方法で注射せるものよ           腸チフス予防接種実験的根拠         107 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― りも6,000乃至24,000倍弱かつた。然し、著者等の意見によれば、その結 果は Kolle-Pfeiffer の方法によりて得たものと同じく良好であつたと。本「ワ クチン」の使用は、彼等によれば、非常なる長所があると。即ち本「ワクチ ン」は自家融解することなく長く保存さる; 正確なる量の測定に適用である; 最後に静脈内注射なる事は局所反応を避け得。全身反応に関しては、Pfeiffer et Kolle の Vaccin を以てするよりも更に著明なる如きことはない。  Ch, Nicolle, A, Conor et E, Conseil は「コレラ」及び赤痢の生菌の静脈内 注射を試みて勇気を得たので、之を「チフス」菌に実施せんとした。然し後者 の方法の相違は52°,30分間加熱せるものを注射した。生理的食塩水中に浮遊 せる「チフス」菌を加熱し、次いでよく洗浄するために数回遠心沈澱した。終 末の浮遊液は1滴の中に400乃至500「ミリオン」を含む。始め浮遊液の1滴 を生理的食塩水10cc中に稀釈せるものを注射し、次に15日後に2滴を注射し た。60人がかかる方法で予防接種された。之によつて起れる反応は普通より も著明なることはなかつた。(1)  吾人が実証せる如く、今日まで使用せられたる Vaccins は殆ど常に細菌の 「エキス」よりなるか、或は消毒薬又は熱の方法により死滅せる菌より成るも のである。之は死菌であつた。1905年以来Castellani は人間に於て49― 50°の重盪煎に一時間置き減毒せる生菌を試用した。この著者によれば49― 50°の温度は少数の菌を殺すに過ぎずと。かくして製せる Vaccin は第一回 に500「ミリオン」の分量に、第二回にその倍量を注射するのである。局所又 は全身反応は余り著しくなく且つ24―36時間以上継続しない。 同様生活せる他の「チフス予防ワクチン」がある。之は感作「ワクチン」であ る。この最後の問題の研究に先立ち、一般に Vaccins の取締りに関する問題 を調査して見やう。           *  *  * ―――――――――――――――――――――――――――――――― (1) 極めて最近、之等の学者は予防接種の目的で「チフス」生菌、単に46°25分  加熱せる菌を使用した、之等の菌はいずれも二回400乃至1,200「ミリオン」を  静脈内に注入されたのである。 108           腸チフス予防接種実験的根拠 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  今迄は、既知「ワクチン」はすべて家兎又は海猽に就て Control を行つた。 これ等の動物にありては、多数の Vaccins は多少有効なるを示す。ある「ワ クチン」は他の「ワクチン」より一層速に一層永続する免疫を賦与するものが ある。然し殆どすべてが、全部でないにしても、海猽の腹腔内に送入された る「チフス」菌の一倍乃至数倍の致死量に対し海猽を防御する。  確に、Vaccins の階段中には、実験者の一元説の考へ方とはちがつたもの がある。之は生菌「ワクチン」である。其の他の Vaccins は人間にも海猽に も同様に作用する確実さがあるか何うかは斟酌することは出来なかつたにせ よ、その相違は本当に著しいものではない。  所が、この確実さは不幸にも未だ欠くる所がある。  原則として海猽より人間に移すことを認容されてゐることは、吾人は故意 にそれに意義を申立て様とするのではない。然しそれがためには、海猽に於 ても人間に於ても、同様な疾患を起すことが出来なければならない。それに は只同一細菌の作用のみでは充分でない; 更に出来るだけ同一なる解剖臨床 的所見を呈しなければならぬ。  その考へ方を確むるために具体的の一例を引いて見やう。「コレラ」弧菌は 小家兎に於て腹腔内注入によるか経口的投与によるかに従つて或は腹膜炎を 或は腸管の「コレラ」を起す。所が「コレラ」性腹膜炎に対して予防することは 極めて容易なるに反し、腸管の「コレラ」に対しては全く無防備状態である。 そこで、接種材料に就ては、単に菌のみならず更に菌が局限すべき器官を精 査することが大切である。  再び「チフス」菌に帰つて来よう。少くとも24時間以内に発生する海猽の腹 膜炎又は「チフス」敗血症と、その発病に長期間を要する人間の「チフス」発熱 との間には、細菌以外には共通性はないのである。解剖臨床的見地よりすれ ば両疾病の差異は少くとも「コレラ」菌による腹膜炎と腸管「コレラ」との間に 於けると同じく深いものである。菌又は菌生産物の注射に続いて表はれて来 る細菌の性質に関しては、その意義は殆ど之を証明するに足りない。皮下に 細菌体又は細菌の「アウトリザート」を注入せる個体は、凝集素、補体結合物           腸チフス予防接種実験的根拠         109 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 質又は溶菌素を産生するに過ぎない。之を結論するに真実の「チフス」免疫の 発現することだけは、偶然ではないらしい。  所で、予防接種方法が、海猽の「チフス」による腹膜炎の場合に有効なる故 を以て、人間の腸「チフス」にも必ずや成功すべきものであると何うして結論 することが出来やうか!           *  *  *  真の実験的取締法は最近に至るまで出来てはゐなかつた。Metchnikoff が 人間の腸「チフス」に極めて類似し海猽の「チフス」の感染とは全く異る疾患に 罹病し得る一つの動物即ち類人猿があることを示して以来、今日ではそれが 可能になつた。  類人猿に経口的に「チフス」菌を送入する時は当日も翌日も病気に罹らな い。各例により差異あるが、病気の最初の徴候が表はれる前に、5,6,8日を 経過する。この潜伏期間は感染が重篤ならざる程更に長くなる。  発病は6,7又は8日目の夕方に温度が上昇するので分る。体温は翌日も 上昇しつづけ40°又はそれ以上に達する。体温は4乃至8日間は朝は軽度の 下降を示すも決して正常体温に復することはない。この状態の時期を過ぎる と、体温は徐々に下降する。平均三日目の始めに、平温に復帰する。  熱の最高期には、毎常血液中に「チフス」菌を証明する。血清は1∖50―1∖400ま で凝集する。糞便は屡々下痢状を呈す。  多くの場合、「シムパンゼー」は治癒す。腸「チフス」は、比較するならば、 子供のそれを思はせる。猿の死せる場合は「チフス」菌は肝臓、脾臓、淋巴腺 中に純培養の状に見られる。Peyer 氏腺は強度の肥大し充血してゐる、特 に Valvule liéo-caecale(廻盲弁)の付近に於て強い。           *  *  *  前に述べた所で明なる如く、人間に於ける「チフス予防ワクチン」の効価を 判断するには、最も適当なる実験動物は「シムパンゼー」である。  この考へより出発し、Metchnikoff と吾人同僚は最も普通に使用されてゐ る「ワクチン」の検定を開始した。即ち一方では死菌につき、他方では生菌よ 110           腸チフス予防接種実験的根拠 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― り製せる「アウトリザート」について行つた。  死菌「ワクチン」のうち最も普通に考へらるるものは、海猽に於ては、感作 せる菌によつて代表されて居るものであるから、吾人は二頭の若い「シムパ ンゼー」に本法によつて接種をなした。  第一のものは二回反覆し皮下に死菌感作「ワクチン」を受けた。第一回注射 後12日目にこの「シムパンゼー」及び対照の「シンパンゼー」に経口的に「チフ ス」菌培養と「チフス」材料との混合を投与した。6日間の潜伏期間後に、両者 共に「チフス」に罹患した。感作せる菌を注射された「シムパンゼー」の表はせ る熱の上昇中、兎に角軽度(38°6―38°2)であつたが、吾人はその血液中より 「チフス」菌を分離することが出来た。  死滅感作菌を以て接種する第二回試験は第一回と同様有効ではなかつた。 「シムパンゼー」を使用し、死菌感作「ワクチン」を三回皮膚に接種せる後、試 験材料(「チフス」培養及「チフス」材料)嚥下後七日目に、最も定型的なる「チ フス」疾病を表はし、血液中にエーベルト氏菌を証明した。  かく死滅感作菌を以てせる予防接種に失敗せるを以て、吾人は Vincent 氏 法による「チフス」菌の「アウトリザート」を使用した。  ここに之等の実験の一つを挙げて見る。一頭の「シムパンゼー」は皮下に三 回反覆して「アウトリザート」の1ccを受けた。第一回接種後14日目に、一頭 の対照「シムパンゼー」と同じく、経口的に人間の「チフス」菌及び「チフス」材 料の混合を処方した。この試験材料嚥下後9日目に二頭の猿は温度の上昇を 表はした。対照では体温は翌日下降し引続き2回上昇せるも極めて褪め易い 状態のものであつた。血液は1:400―1:800まで凝集した、然し常に無菌で あつた。「アウトリザート」を注射せる猿では全く別であつた。対照とは反 対に、極めて高熱(40°8に達し)2週間継続し、動物は遂に死に至つた。血液 は1:400に凝集し、「チフス」菌は大量に存在した。之は吾人が使用せる「シ ムパンゼー」にて観察せる最も重篤なる「チフス」であつた。  二頭の「シムパンゼー」に於ける反応を比較して見ると、「アウトリザート」 の三回注射は、予防所でなく、動物を感受性ならしめ、その病患を重篤なら           腸チフス予防接種実験的根拠         111 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― しめたと云う印象をはつきりと抱くのである。  二種の「ワクチン」――加熱感作菌及び生菌の「アウトリザート」――は「シ ムパンゼー」には有効でないことを示す。同一の日に海猽に試みた実験では、 腹腔内に注射せる「チフス」菌の致死量の数倍を防御し得ることをしめした。           *  *  *  「シムパンゼー」の腸チフス病と海猽の「チフス」性腹膜炎とは、それ故単独 同一なる疾患として考へられないのである。従つて、海猽で得た成績に基い て、腸チフス病に対する予防接種の方法を樹てる権限はない。  人間に於て予防接種の試験で示された他の事実はその血清中に殺菌性又は 溶菌性能力の発現することが比較的稀なることである。此の能力の発現が抗 チフス免疫性の獲得に必要なることを意味することは屡々反覆して述べられ た所である。此の問題の詳細に入る必要はないが、嘗てはこの液体の性質に 主要性を置いた独逸に於てさへもこの説を去り、之に余り考慮を払ふことが なくなつた。  繰り返し失敗せる後、吾人は人工的方法によつて腸チフス病に対する免疫 性を動物に起させることは困難であるか、乃至は不可能であると考へたので ある。が実験は反証を吾人に供給するに至つたのである。  腸「チフス」に関する吾人の研究の際に、Metchnikoff 及び吾人同人に課せ られた問題の一つは、「チフス」菌を皮下に接種することにより、之を経口的 に与ふると同様なる疾患を「シンパンゼー」に起すことが出来るか何うかを知 ることであつた。吾人はそこで類人猿に寒天培養の「チフス」生菌の10分の1 [(註)寒天斜面の培養全量を10ccの食塩水浮遊液とし、その10分の1のこと)] を1ccの液に浮遊せるものを皮下接種をなした。殆ど即時に烈しい局所及び 全身の反応を起し、13日間継続した。吾人は菌の嚥下に特有なる何等の症状 をも認めなかつた。  その後しばらく過ぎてから、吾人はこの「シンパンゼー」を使用せんとの考 を持つた。吾人は猿に「チフス」菌を経口的に投与し、同時に対照となるべき 他のものにも投与した。吾人の一驚せるは前者は何等症状を起さなかつたの 112           腸チフス予防接種実験的根拠 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― に、同時に同じ条件で感染せしめたる対照は定型的の「チフス」に罹患した。  この事実は「チフス予防接種は可能なることを結論せしむるものである。  勿論毒力強き「チフス」生菌より成る「ワクチン」は、不便を呈することな しとは云はれない。吾人が前に云へる如く、我が「シムパンゼー」は生菌の皮 下注射に続き、烈しき局所反応を呈し、引き続き衰弱状態を呈した。人間は「シ ムパンゼー」より更にニエーベルト氏菌に対し感受性が大なるが故に、同様な る接種方法によれば非常に重篤なる症状を起すべきを怖れるのである。  この偶発事件を避くるために、Metchnikoff と我々同人とは感作「ワクチン」 を使用したのである。吾人は8日間の間隔を置き2回注射をなした後、「シ ムパンゼー」では更に強固なる「チフス予防免疫の発現するを見た。かく予防 接種をした後に、培養又は有毒なる糞便材料の形で「チフス」菌を多量に嚥下 せしめたのに、対照又は他の「ワクチン」で処置されたものは「チフス」に罹患 した。  感作生菌「ワクチン」の効果は多くの顕著なる実験に於て五頭の「シムパン ゼー」にて確めることが出来たので、吾人は人間に於ける試験を行つて差し 支へないものと信じたのである。            *  *  *  誰でも、今日では; 死菌又は菌浸出液より成る「ワクチン」より生菌「ワク チン」の優れることに異議を申し立てるものはない。人間並びに動物に於け る、予防接種の長い実施は、充分に之を証明した。吾人は種痘、狂犬病又は 炭疽病の歴史を想起するまでもない。然し「チフス」の場合には、そを極めて 危険なりとなすに躊躇しない。近来でもなほ極めて有力なる学者等がこの 「ワクチン」に対し極めて烈しき誹謗を投げはしなかつたであらうか?。人は また吾人の「ワクチン」を接種されたものは慢性保菌者たらしむ、即「チフス」 流行の尽きざる源となすと云はなかつたか?。人は之を殺人「ワクチン」とま で難癖つけるに至つた。かかる品質形容詞までが使用された。  かくの如き評価は吾人の方法を施して見んと欲する人達を意気阻喪せしむ ることはなかつた。吾人は然しながら注射並び我が共同研究者と共に男女子           腸チフス予防接種実験的根拠         113 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 共10,000人に至るまで接種することに成功した。今日まで良心に誓つて一人 の死亡せるものなく、のみならず吾人の知れる所では唯一人の「チフス」菌 保 有者もなかつた。  吾人は我々自身及び我々の周囲の人々を予防注射した後、六か月以上幾度 も繰り返へして、糞便や尿を検査した。吾人は吾人の被接種者の家のものの 糞便、尿、血液を検査し又検査せしめた。吾人は一度も「チフス」菌の最小痕 跡をも見出したことはなかつた。  吾人は自分自身の経験から付加出来ることは、被接種者が、予防接種をせ る当日も、其翌日も以後も、仕事の従事をやめたるものなきことである。  以前より、何故と云ふことは分らぬが、被接種者に於て発赤及び触はる際 に疼痛感を表はす如き、局所の反応を認めてゐる。稀な場合に例外として 39°に体温の上昇することがある。然し確むることの出来るのは同一分量で は生菌感作「ワクチン」は、局所に於ても全身に於ても、死菌を以て製せる 「ワクチン」より遥に温和なる反応を呈することである。  吾人の「ワクチン」に対しも一つの非難はかうである。他日不幸にして 「チフス」の潜伏期の間の人を接種する様なことがあれば、「ワクチン」中に含 まるる「チフス」菌が既に生体中を順環する菌に加はるを以て、著しく「チフ ス」症状を重篤にすることが必ずあり得ると云ふのである。  この非難は事実によつて証明されたものではない。Ardin-Delteil,Nègre et Raynaud がアルジエリーに於ける臨床的観察、Boinet がマルセイユに 於ける、Netter が巴里に於ける、及び他の人々の観察は、「チフス」菌の感作 生菌は、之を「チフス」経過中に注入する時は、寧ろ疾病に良好を呈す; 即 ち病日を短縮し、再発の数を著しく減じ、死亡率を強度に低下する。故に疾 病の経過中に良好に作用する Vaccin は潜伏期間に於て有害なることは恐ら くあり得ないことである。  「シムパンゼー」に於ける吾人の実験の綜合及び人間に於ける観察に基き、 感作「チフス」生菌は皮下に注射するに全く無害にして、人間に於ては、異議 なき予防接種用性質を賦与せられたるものなることを肯定することが出来る 114           腸チフス予防接種実験的根拠 ――――――――――――――――――――――――――――――――――            Mémoires Cités Pasteur, Annales de l’Institut Pasteur, t, I, p, 10, Roux et Chamberlnd , Annales de l’Institut Pasteur, t, I, p,561, Chantemesse et Widal ,Annales de l’Institut Pasteur,t, II, p, 54, Pfeiffer et Kolle ,Zeitschr, f, Hygiene, 1896、p、202, Paladino-Blandini, Annali d' Igiene sperimentale, 1305, p, 295 Vincent, C, R, Académie des Sciences, février 1910, pp,355 et 482, Nègre, C,R,Société de Biologie, t, LXXIV, 31 mai 1913 Levy, Blumenthal, Marxer, Centralbl, f, Bacteriol,,t, XLII, 1906, p, 265, Courmont et Rochaix, C, R, Acadèmie des Sciences, t, CLII,             Ⅷ          「コレラ」予防接種        Vaccinations Anticholériques(1)  「コレラ」の予防「ワクチン」に吾人の考を押し進めることは学ぶべき所大で ある。細菌学者がその威厳のために反対ではないにしても、自重せる態度は 教訓なきにしもあらずである。  現今に於て最も有効視さるるこの Vaccin は長い間予防方法として最も怪 しげなものとされて来た。有名なる学者達のその中には世界的権威あるもの もあるが、無下に之を棄てて了つた。Vaccin の効価は研究室の方法によつ ては証明されなかつた。彼等は之を無効にして価値少きものと考へた。然し、 流行時に際会し、予防接種の効果を見たる人々はかかる意見ではなかつた。 彼等は之を有効なりと感じたることを自ら禁ずることが出来なかつた。然し 臨床方面の領域よりの論拠は研究室の精密なる事実と争ふことは出来なかつ た。かくしてまた「コレラ」予防接種の問題は二つの反対の流れの間を長い間、 約三十年間動揺してゐた。  今日、吾人は吾人以後にも幾多の大流行の経験を有する。「コレラ」予防 Vaccin の予防的意義は異論の余地はない。もし現今我々がその価値を肯定 したにせよ、その効価に就ての実験的証明が遂に見出されたがためではない。 之は Vaccin が疑惑と不確実との長期間から勝利を得るに至つたのは流行病 学者のお蔭である。「コレラ」予防ワクチン」が研究室の人間にも施行されな ければならないのはたとへ誹謗はあつても――それは最も屡々理由のあるこ とであるが――統計学者のお蔭である。 ――――――――――――――――――――――――――――――  (1) Bulletin de l‘Institut Pasteur, t, XX, 15―30 janvier 1922, 116           「コレラ」予防接種 ――――――――――――――――――――――――――――――――――              Ⅰ 実験的部門            Partie Expérimentale  「コレラ」弧菌は1884年に発見された。1885年に、Jaime Ferran が「コレ ラ」に対する「ワクチン」を調製せることを告げた。研究室内の実験に従事す ることなく、スペインに勃発した流行に恐らくは脅かされて、Ferran は直 接人間に於ける接種を行つた。彼は多数の人々を接種しその結果に満足を表 した。隣接する諸国に流行の拡大せんとする兆候は官権を心配せしめた。仏 蘭西政府は Ferran の許に学者よりなる派遣団を送つた。不幸にして、その 調査は悪い条件の下に行はれた。調査班は「ワクチン」製造方法の齟齬の点 で衝突した。彼等は判断すべき要素を見出さんと希望せる悲惨なる「コレラ」 流行地に於て悪い手助をなし、仏蘭西に悪い報告をなした。彼等が政府に寄 せたる報告書に宣言して曰く『Ferran によつて行はれつつある「コレラ」予防 接種の予防的価値の証明はなされてゐない』。  この判断は Vaccin の前途に重くかかつて来た。しばらくして後、Ferran の製剤は患者よりは分離せる「コレラ」生菌よりなることを知つた。  五年間が経過してた。Virus ―Vaccin に就てのパストウール氏の創意が次第次 第に生物学者の間に侵入して来た。パストウール研究所の若い技術家なる W, Haffkine は予防接種の問題を再燃さすべく決心した。彼は Pasteur が狂 犬病及び炭疽病になした所のものを「コレラ」に応用せんことを申し出た。彼 は先づ固定毒を得んことを努め、之より出発して、弱毒菌を製することに力 を致した。  Haffkine は「コレラ」弧菌を海猽より海猽に通過せしめた。一列の腹腔内接 種の後、彼は毒力不変なる浸出液を得た。之は「固定毒」である。弱毒菌を得 るために Roux 及び Yersin の実験より思ひ付き絶えず喚気を行へる場処で固 定毒を39°に培養した。菌は弱くなり、一定時期に於ては菌は最早海猽の皮 下に壊疽を造らなくなる。更にこの海猽に強毒菌を注射する時には nécrose を防御し得るのである。ここに於て「弱毒菌」を発見し得た。           「コレラ」予防接種         117 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  Haffkine は同時に弱毒菌を使用して生ずる免疫は単に局所病竈に資する のみならず、かく処置されたる海猽は菌の致死量の1倍乃至数倍に抗する能 力を獲得するを確めた。  彼は固定毒及び弱毒菌を得たるに際し、その目的は達せられ、只余す所は 人間に於ける接種の実行のみと考へた。  1903年2月「コレラ」流行地の目さるる印度に向け出帆した。そこで本問題 の決定的解決をなすに疑はしき一大実験を実現せんことを期待した。不幸に して意外なる障礙が至る所から起つた。この困難に打ち勝ち人間に於ける予 防接種の効価に関する厳正なる最初の報告を吾人に供給することに成功せる は実に彼の不撓不掘の争闘のためのみによるものであつた。吾人は之を再録 しよう。           *  *  *  Ferran の如く、Haffkine は予防接種のために、「コレラ」生菌を使用した。 二種の Vaccins 調製中に、Haffkine はその純粋さとその毒力に関し完全なる 技術を用ひた。かくしてパストウール氏の教義による接種方法を制定し、氏 は少しも偶然に委することなきを信じた。  所で、狂犬病や脾脱疽に対する予防接種には実際上全く必要なるこの毒力 の測定を Haffkine はかくも重大視してゐるが、之は「コレラ」の場合に必要 欠くべからざるものであるか?。強弱毒力の二種の生菌系統の代りに、唯一 の死菌の使用が代用でもぬ【?】であらうか。之が当時の若きパストウール派の Gamaléia の不審とせる所であつた。  Gamaléia は120°に加熱して弧菌を殺した。之を新鮮海猽に注射せるに、 彼は之等の海猽は「コレラ」生菌に対し防御され得ることを確めた。  この免疫は Brieger, Kitasato et Wassermann の実験に於て更に鞏固なる ことが分つた。之等の研究者は120°の培養を加熱する代りに、65°15分間 加熱殺菌せる「コレラ」菌を使用した。之等の研究についで、「コレラ」予防接 種の歴史が新局面に進入したのである。  特に独逸に於て、接種動物に於ける血清の性質研究に従事するに至れるこ 118           「コレラ」予防接種 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― とは R, Pfeiffer の刺戟によるのである。体液の殺菌性能力は特に学者の注 意を惹いた。  免疫の鍵を探さねばならぬのは、溶菌作用の中にありと、Pfeiffer 及び彼と 共に多数の細菌学者が宣言した。之に反して、感染能力に於て動物の運命を決 すべきものは喰菌作用なることを、Metchnikoff 及びその門下が確定した。  「コレラ」弧菌が殆どすべての負担をかけた一つの争闘が両派の首長の間に 進入した。液体学説と細胞学説との間にあるこの決闘の結末は今尚精神的に 残存してゐる;吾人はここに停まることを避ける。  只最初には、実験は Pfeifferに有利なる様に見えたことを注目しよう。  実際「ワクチン」接種者に於ては、血清が殺菌性物質に富むことと、獲得せ る免疫度との間に密接なる関係が存在しないものであらうか。  此の関係は絶対的のものでないことを示すには、Metchnikoff の研究で充 分である;この関係は、反対に、弧状菌によつて生ずる感染以外の感染では 却つて一定不変なりと云ひ得ないのである。然しこの考は棄てられた。仮令 個体の抵抗力の尺度を溶菌作用の中に見出すを以て万事終れりとなせるも、 その考だけに留むることは困難であつた。それ故よりよき Vaccin は高度の 殺菌性能力を与ふるものであると結論する必要は少しもなかつた。  次いで、Kolle 及び他の研究者は加熱菌の使用を推称したが、之は一様に in vitro に於ける実験に基いたものである:死菌を注入されたる動物に於て はその血清は生菌を注射された動物に於けると同じく殺菌性なきや?  最も長所あるものは Vibriolyse (弧菌溶解作用)である。この Vibriolyse が Vaccin の選択を決定すべきものである。勿論、時々この方法を以て見る ことの適用でない事実は唱へられた。この問題が「コレラ」に関して決定的に 定められたかの如く見えたのは、少からず本当である。かくの如きは細菌学 者殊に独逸語使用の学者の大多数の意見となつた。  然し、彼らは Metchnikoff を包含してゐない。           *  *  *  動物は皮下に死滅せる弧菌の注射を受けたる後、殺菌性血清を得ることは、           「コレラ」予防接種         119 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 全々正確ではない。之によつて動物はこの事実から「コレラ」の腸内感染に対 し予防接種さるべきことを証明してゐるか?。  皮下に弧菌を接種せられたる海猽は次いで腹腔内に致死病毒を接種するも 之に抵抗することは全々正常とは考へない。;弧菌による腹膜炎に対する予防 接種は勿論実現するに最も容易なる手段の一つである。然し、かく処理せら れた動物は真の「コレラ」即ち弧菌による腸炎に対し予防接種せられたと云ひ 得るか?。  動物が極めて少量に皮下注射をされたとき、若し試験感染が腹腔の経路によ らずして、経口的に実施さるるならば、その処見は全く変ることを、Metch- nikoff は認めた。たとへ強硬に腹膜炎に対し防御されても、たとへ大量に殺 菌性物質が出来ても、処置動物は「コレラ」に感染しないことは稀であつて、 これがために斃れるのである。  Metchnikoff の幼弱家兎の試験例は矛盾と思はるるこの現象を説明し而も 之以上よく説明し得ない。  幼弱家兎がその母親の乳で養はれてゐる間でも、家兎の処生兒は経口的 「コレラ」感染に罹り易い。平均六日目で死ぬ。経口的に送入された弧菌は胃 を通過し小腸内及び盲腸に落ちつく。病の経過中、独特なる米粥状の下痢を 見る;之は無色、無臭、漿液性にして、明黄色に着色せる粘液の凝塊を含有 する液体より成る。動物の体温は30°以下に低下す。  解剖学的病理学的所見は臨床的症状と同じく特徴がある。解剖学的病竈の 主なる部位は小腸にして、ここには極めて多量に弧菌が存在する。弧菌は又 胆嚢内稀に胃内に見らる。  幼少なる家兎の「コレラ」と人間の「コレラ」との此の大なる類似の存するこ とに就いて、一つを以て他を結論することを認許しないでよいものか?即 ち幼少家兎は加熱菌を以てしては、経口感染に対し予防接種に適当でない。 強ひて結論すれば之は人間に於ても同様であるべきである。  Metchnikoff はこの点につき述べて曰く『家兎の腸内「コレラ」は消化管内 にて造られたる毒素による中毒である。即ち之は多くの業績中に示せる如く、 120           「コレラ」予防接種 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 予防接種は生体の中毒に対しては防御するものでない。故に組織内送入の 「コレラ」弧菌に対し充分に予防接種をせられたる動物が腸内容中に造られた る毒素による中毒に抵抗し得ないことは先ず以て容易に信じられる。』            *  *  *  幼弱家兎に行へる今日では「クラシツク」となれる之等の実験により、「コ レラ」の予防「ワクチン」の理由は、全く無意義のものとならないまでも、著 しく危くなつた様である。  然しこれがために、血球の点より、或は他の点より、人体に対する新試験 を妨げることはなかつた。到る所に始めは戦々競々として次いで次第次第に 肯定的に予防接種に賛成する声の上るのを聞いたのである。  彼らの圧迫の下に、Metchnikoff は、疑を抱き、1910年に、既に十四年 間幼弱家兎に就て観察せる彼の実験を再び為すべく決心した。氏はChouke- vitch にその実施をなすことを委嘱した。  Metchnikoff が1896年に確定せる如く、幼弱家兎は生後20日間は、病毒の 嚥下により「コレラ」に罹患し易いものである。  Choukevitch は免疫操作が始めの20日以内に終了する様にその実験を準備 した。次いでその家兎を経口的方法による試験に供し、接種の効果を観察す るために更に数日間を置いた。  家兎処生兒は二回に皮下注射を施行された;即ち第一回注射は生後2,3日 で行ひ;第二回注射は4日乃至6日遅れて行はれた。  次いで動物に7日間の休息を与へ;次ぎに試験に供した。予防接種された 家兎並びに同一腹、対照家兎は生後15日目頃に経口的に同量の生弧菌を受け た。  実験には合計31頭の家兎を供し、19は処置動物、12は対照とした。  接種動物19頭中、14頭が試験後に斃れた。即ち73%である。  対照動物12頭中、6頭が試験後に斃れた。即ち50%である。  故に、Metchnikoff が1896年に皮下注射は真の「コレラ」に対して無力な ることを肯定せるは正当であつた。即ちこの事柄はかくの如く家兎処生兒に           「コレラ」予防接種         121 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 施せるこの新実験より引用さるる唯一の結論であつた。  若し何人かが、実験に供せる動物は予防接種を受くべく余りに幼弱である と云つて反対せんと欲するならば、Metchnikoff は別に断乎たる返答を持つ てゐる: 即ち問題になれると同年齢の家兎処生兒にして加熱弧菌の皮下注 射二回を受けたるものは、試験を per os に行ふ代りに腹腔内に行ふ時は万 事に充分に予防されてゐることを示すのである。  この新実験により、皮下接種法による「コレラ」予防接種は実際上人間に関 係ある唯一の型なる腸「コレラ」に於ては更に無効なることが宣言された。           *  *  *  「コレラ」予防「ワクチン」に対する実験室の研究は少からず追究された。尚 1902年に、感作「ワクチン」による予防接種の理論が書かれた時、これに用ひ られた最初の菌の一つは「コレラ弧菌であつた。それ以来、多数の病原菌が 感作され或は医学に又は獣医学に広く実用に供された。唯々感作コレラ弧菌 のみが、吾人が説明せる理由に基き、実験室の入り口を飛び越えなかつたので ある。然し乍ら動物に於ける研究では感作コレラ予防ワクチン」は局所及び 全身反応が極めて少きか又は全々なくして免疫を獲得することを示した。而 もこの免疫は所謂陰性期の前駆することなく、鞏固にして極めて速に生ずる 長所を有することを示した。  一般に支配する意見は人間に於ける「コレラ予防ワクチン」使用の次第に不 利となれるを以て、之れ以上に渡ることなく是等の事実を記載するを以て満 足としたのである。(1)           *  *  *  かかる状態で16年間停滞した。その結果、吾人は感作弧状菌に関する新研 究を再び見出すために1902年より1918年まで一足飛びに過ぎければならな かつた。是等の研究は日本の細菌学者三氏:K, Shiga, R, Takano et S, Ya- be により慎重になされた。氏等の実験の詳細に就てはここに記載すること ―――――――――――――――――――――――  (1) 感作コレラ弧菌による予防接種は現今に於ては殆ど日本で使用されてゐる   だけである。 122           「コレラ」予防接種 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― は出来ないが、それに就いての一般の順序を述べて見やう。  独逸の業績特に Pfeiffer 派の業績より「ヒント」を得た是等の著者は彼等の 研究を溶菌素に求めた。通常の弧菌並びに感作せる弧菌にて処置せる動物の 血清を比較研究して見たのに、氏等はこの最後の場合に、細菌溶解性抗体は より速に発現することを確めた。  氏等は他の検証を行つた、之は吾人の眼から見れば更に重要なるもので、 in vivo に於ける免疫を取り扱つたものである。氏等の実験より結論せるこ とは、静脈内注射により、感作「ワクチン」を使用せる場合には、動物は「ワ クチン」接種後六時間にして既に致死量の弧菌の感染に耐へる、然るに非感 作コレラ弧菌は同一条件の下に於て24時間後に始めて免疫を賦与するに過ぎ ない。  著者等が正当に之を認むる如く、この免疫性の早く出現することは、実際 問題の見地からすれば、殆ど常に大流行に於ける措置を必要とするが故に、 侮るべからざる点である。  感作弧菌の場合に於ては「ワクチン」の反応は極めて軽度なるに加ふるに、 この長所は通常「ワクチン」に優る優越性を感作「ワクチン」に与ふるものであ る。  是等の著者によれば、感作「ワクチン」は1)速に且つ容易に生体により吸 収され――、2)殆ど組織を刺激することなく又之による反応も著しくない、 之と同じく有利なる条件は陰性期の期間を減少する。然し、この陰性期は 「コレラ」の場合には、後に見る如く確定されてはゐない。  「コレラ」予防「ワクチン」の応用を述べる前に、実験的見地より此の問題に 関係せる種々の工程を述べた所を総括して見やう。  「コレラ」に対し人間を予防接種せんとする考を抱けるは Ferran その人で あつた。本問題の既知の事実の範囲に取り入れ、殊に広大なる階梯に予防接 種を施行したのは Haffkine その人であつた。両者共に生弧状菌を使用した。  R, Pfeiffer は、血清中に殺菌性能力を証明したので、生菌に代ふるに、加 熱菌体を用ひた。           「コレラ」予防接種         123 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  Metchnikoff は「コレラ」予防免疫の機転を明にした;氏は溶菌素の意義を 実際の比例に引き戻し、そして本物質の存在は腸内「コレラ」を防御するには 殆ど足らざることを証明した。            Ⅱ 臨床的部門            Partie Clinique  「コレラ」予防接種の問題は実験的成績の点より見れば、全く異れる姿で表 はれてゐる。細菌学者が免疫の軌範に就て論じてゐる間に、彼等が皮下注射 の価値を承認し、遂には之に全価値を撒くに到らなかつた間に、流行病学者 は Vaccin の製造に加へられた各新機軸を利用し続けた。彼等はその豊富と その重要性とに於ては充分なる材料を蒐集し逐ふせた。  確に、最初の統計は性質上確信を得なかつた。之を云ふものはあるが、然 し之を詳論することを躊躇した。然しながら之等の統計はすべて将来有利と なるべきことを欠如せざる特長を呈供した。之はその同一性であつた。流行 病が小さい範囲又は人口多き所に起つても、流行が重いにせよ軽いにせよ、 流行が印度、ペルシア、露西亜にあるにせよ、罹患率は接種者に於ては非接 種者に於けるよりも常に低いのである。決してこの規則に例外を唱ふるもの はなかつた。  たとへ、始めには、偶然を主著したとは云へ、予防接種の技術が改良され るに従つて益々この疑は範囲をせばめた。即ち予防接種の効果は異議なく次 第次第に浸み渡る様になつた。           *  *  *  望む所の充分なる精確さを以て記載されたる流行病学的の最初の観察は Haffkine のそれである。其の歴史的興味の理由に於て、その一つを述べて見 やう。  一つの流行が印度の Gaïa 牢獄に爆発した。そこで囚人に予防接種をやる ことにした。未だ新方法で得た経験が少いから半分だけに施行しその利益を 受けしめる様にした。 124           「コレラ」予防接種 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  最初の注射につづく始めの五日間に、衛生状態は次の様にあらはれた。   非接種者210人中: 「コレラ」患者7人(3,33%)、死亡5人(2,38%)   接種者 212人中: 「コレラ」患者5人(2,36%)、死亡4人(1,89%)  故に罹患率も死亡率も初めの五日間は両群共著しく似通よつてゐた。第二 回注射を行つた。次の五日間で状況は次の様に変つた。   非接種者192人中: 「コレラ」患者4人(2,09%)、死亡1人   接種者 201人中: 患者0 死亡0   たとへ数字は少数に就て求めたとは云へ、是等の数字は雄弁に物語つてゐ る。これより免るる有利なる印象を減少するものは、死亡率が接種者に於て も非接種者に於て同様に増加する事実である。換言すれば、接種者で「コレ ラ」に感染せるものはその注射のために何等恩恵を蒙つてゐない: 即ち接種 者も亦非接種者と同じく重篤である。  兎も角、Heffkine が初めて注意したこの確証は懐疑派に一つの武器を提 供した; この事実は賛成派に一つの疑念を投じた。  印度の滞在中、Haffkine は40,000人以上を予防接種した。その結果はい つも Gaïa の牢獄に於けると同じく良好と云ふのではないが、一般の状況か らすれば本法に極めて有利なるを示した。           *  *  *  液体の殺菌性能力に関する Pfeiffer の研究及び免疫に関する報告に次いで Kolle は「コレラ」に対し予防接種された人の血清は多量に溶菌素を含むこと を発見した。この溶菌素は注射せる弧菌が生菌であつても死菌であつても殆 ど同様夥しく出現するを以て、Kolle は加熱菌の使用を推称した。之に就て 氏は曰く加熱菌は Hoffkine が印度にて使用せる培養よりも更に安全なるも のであると。  1902年に日本(兵庫)に発生した流行の際に、加熱「ワクチン」が始めて大 規模に使用された。   非接種者825,287 人中: 患者0,13%, 死者 0,10%   接種者  77,907 人中: 患者0,06%, 死者 0,02%           「コレラ」予防接種         125 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  同じ程度の成績はペルシアに於て1904年に Zlatogoroff によつて得られ、 更に遅れて露西亜に於て Zabolotny によつて得られた。  異論を挟む余地なく、「コレラ」予防接種に全々賛意を表する是等の数字は、 然し、確証し得たのではない。ここにその理由を述べて見ま【ママ】う。人口が広汎 に亘る場合には、予防接種者の職業、抵抗力、年齢等に関する正確なる情報 を得ることが極めて必要である。従つて彼らの住居する地方から見て、職業 から見て、感染に曝露することが平等でない人々を同じ統計に集めてはなら ないのである。  すべて是等の統計あるにかかわらず、「ワクチン」の効果を達観するために 不正確の存続するのは、そこに理由の一つがある。  1914年に、Arnaud によつて発表された数字はこの反対を受けるもので はない。その統計は軍隊にて採られたもので、同一条件に生活せる人に就い て取り扱はれた。この統計は第二回バルカン戦争の際ギリシヤ軍に発生せる 流行に就いて行はれたものである。  「コレラ」流行地帯で作業せる軍隊108,000人中非接種者にありては「コレ ラ」患者を5,75%観察した:然るに一回注射を受けたものの「コレラ」罹患の 百分比は3,12%であつた。二回注射を受けたものは罹患率0,41%に過ぎ なかつた。           *  *  *  Cantacuzène が使用せる条件が吾人に役立てるは、ルーマニアに於ける大 規模の実施にして、氏は吾人に異論の余地なき価値ある流行病学上の参考資 料を供給した。  この実施は二回に行はれた: 即ち1913年に、ブルガリアの戦疫の時、1 916年に、独逸に布告せるルーマニアの戦争の始めに於てであつた。  この実施は1,500,000人以上に及んだ。  吾人は Cantacuzène の重要なる研究報告のうち局部的流行の二三の関係 を借用し、之をここに簡単に要約することとする。是等の流行を実験室内の 実験に比較して見ると、殆ど真実とは思はれない。この実施は動物に於ける 126           「コレラ」予防接種 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 実験以上に或る点では、価値がある。即ち実験に供せる材料の質に於て、又 その数に於て二、三の例を挙げて之を判断し得るであらう。  4,500人を包含する或る聯隊は流行より痛く悩まされた: 即ち10日間のう ちに、「コレラ」患者386人が登録され、そのうち166人が死亡した。  そこで予防接種を開始した。第一回及び第二回注射の間に於て、新患が発 生してゐる。衛生状態は依然同一であつた。第二回注射を行つた。二日後に、 流行は急劇にやんだ。次いで一例も新患の申告はなかつた。(観察のII)  他の隊に於ては、流行の初期に於て、患者280人を算し死者120人を出し た。「ワクチン」の第一回注射は少しも良好に導くことがなかつた:即ち毎日 新患約13人を登録した。6日頃、全部急劇に停止した;只隊中唯々一人予防 接種を拒絶せる中隊長を除き、一名の患者も出なかつた。(観察のIII)  180人を有する兵営に於いて、予防の目的を以て、予防接種をなした。唯々 四人の伝令将校が予防接種を受けなかつた。しばらくして、「コレラ」患者三 人が兵営で申告された;之は予防注射を受けなかつたものの四人のうちの三 人であつた。その他すべてのものものは罹患しなかつた。(観察のV)  ある聯隊では、聯隊長がその部下の予防接種をなすことを反対した。イス ラエル出身の軍隊、人員200、は予防注射を強要したので、その通りこれに 従つた。次いで、この聯隊は450人の「コレラ」患者を出した。予防注射せ るイスラエルの兵士は一名も罹患しなかつた(観察のVI)。  「チフス」に罹患せる軍人に充当せる病院内に、露西亜人及びルーマニア人 がゐた。ルーマニア人のみは「コレラ」の予防接種を受けた。特に烈しき「コ レラ」の流行が発生した;死亡率は40%に及んだ。只露西亜の軍人のみが罹 患した。一名もルーマニアの軍人には発生しなかそ【つ】た、唯々予防注射を巧み に逃れた軍曹だけが例外であつた(観察のIX)、  吾人が要約せる上記数例の観察は実験室内にてなし得たものより更に美は しき実験を以て敵対せんとする状況にある。           *  *  * 「コレラ」予防接種は常に無害であるか?           「コレラ」予防接種         127 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  この質問をなしたのは、細菌の毎回の注射に続発する局所又は全身の反応 を目的とするのではない。この反応は、たとへ非難があつても、「コレラ」に 罹患する脅威の前には計算に入らぬであらう。大切なることは大流行に際し 予防接種を実行するに際し危険があるか何うかを知ることである。  流行病学者を信用せしめることは、最初の「ワクチン」注射に次ぐ2―3日間 に流行の再発を起すことが稀ではない、その際に同時に患者数の増加するこ と並びに既に予防接種された人々の症状が増悪することが起る。  吾人は此の種の多数の事実を Cantacuzène の同じ報告中に見るのである。  外観上健康に見ゆる二人の婦人が「コレラ」予防接種を受けた。注射後6- 10時間で、二名の婦人は烈しい「コレラ」の感染を受けた。  他の例は、ある聯隊に於て数日間の間隔に於て、270人の「コレラ」患者と 28人の死者を記載してゐる。速に全人員に予防注射を施した。「コレラ」予防 接種の第一回注射後3日以内に、罹患率及び死亡率に著しき増加を来した。  此の聯隊の提案に基き、Cantacuzène は『この増悪は種々の医師により他の 聯隊にても観察された、そしてこの事実は陰性期並に流行せる所に予防接種 をなすことの危険なることに就いての異論に注意を喚起せしめるものであ る』ことを認めた。氏は、尚ほ、大流行に際し之がために予防接種を逃れる ことがあつてはならぬ、更に「アナフイラキシイ」の偶発事故を恐れて抗「ヂ フテリア」血清の使用を抛棄するかも知れぬ様なことがあつてはならぬこと を極力付け加へてゐる。  「コレラ」の流行の極期の於ても、予防接種をなすべきことは当然である、 然しその場合に経過する増悪の危険を最小に減少することを研究するは吾人 の義務ではなからうか? 如何にして之を達するか?           *  *  *   すべて個体の抵抗を減少し又は劣性の状態の期間を延長する疑ある理由は 陰性期を強くするに有利である。  この陰性期が短ければ短い程、免疫が早く出来れば出来る程、大流行に行 はれた予防接種の災害を免るるに都合がいいのである。 128           「コレラ」予防接種 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  この説明の最初の問題となつた所のもので感作「ワクチン」についてなされ た所の研究を思ひ起すであらう。当該「ワクチン」を接種せる動物に於ては、 局所及び全身症状は極めて軽度にまで減じた、患者の場合に於ても、症状は 存在しない。更に、感作「コレラ」菌を注射せる動物に於ては普通「ワクチン」 の場合には見られざる速さを以て免疫が現はれる。之は人間に於ても同一で ないであらうか?  東京の流行は、この見地よりせば、特に教訓的である。  この流行は1916年に日本の首都及びその郊外に発生した。之はバルカンに 於て前に述べたるルーマニアの大実験をなしたと同じ時である。即ちバルカ ンでは加熱弧菌を使用し、東京では感作「ワクチン」を使用した。この流行は最 初の重大流行にしてこの際に Vaccin が広く使用されたことを付言しよう。  此の流行の詳細は Yabe によつて書かかれ1920年に発表されたる更に教 訓的な研究中に詳記された。  「ワクチン」を民衆に施すべく決定する前に予備実験が必要なりと断じ: 北里研究所に属する15人が感作弧菌を皮下に受けた。  「ワクチン」による副作用は著しきものはなかった;「ワクチン」を接種され たものはその血清中に多量の溶菌素を示した: 即ち条件によれば、日本の 学者の眼には、広大なる範囲に Vaccin を使用することの正当なりと映じた のである。  流行の猛威を逞うせる時に開始し、予防注射は特に感染に曝露すると考へ らるる人々(漁業家、飲食店員等)に実施された。  結論に到達するために流行病学者に取り極めて有益なる詳細を述べやう。         ┌非接種者 2,244,796 人中 382人の「コレラ」患者、即ち人  東京市中の調査┤口100,000 に対し 18,5である。接種者 238,936 人中3人         └の「コレラ」患者、即ち人口100,000に就き1,3である。         ┌非接種者811,150人中、229人の「コレラ」患者即ち人口  東京郊外調査 ┤100,000につき 30,9 である。         └接種者 61,988については「コレラ」患者なし。          「コレラ」予防接種         129 ――――――――――――――――――――――――――――――――――   市部と郡部とを合計すれば、予防接種者にありては、罹患率は非接種者に 於けるより約25倍も少いのである。  この「コレラ」予防区域の成績は実際上は上記の統計表に見えし以上に顕著 なものである。実際調査の示す所によれば、接種者に於て見られたる「コレ ラ」患者は三名だけであるが、之は Vaccin の注射量が不充分なるものに起 つたのであつた。  東京の流行に際して、非接種者中に数百の犠牲者を出したが、バルカンの それに於けると同じく、実験室の実験の価値ある事実として記載された。市 のある区に於て、その三分の一の住民に「ワクチン」を施したが、一名も「コ レラ」に罹患しなかつた;其の区の残りの非接種者に於ては、18人の患者が あつた。他の一つの区は全部流行を免かれた、その住民の全部が一度に予防 接種をされた。  多人数より成る家族に於ては、非接種者のみが罹患した;他の者即ち接種 者は同じ条件の下に生活せるに拘らず罹患しなかつた。  接種による反応に就ては、日本の研究者によれば、著しくないか又は大多 数では全くない(80―95%), 予防接種が、流行せる大区域に行はれたに拘はらず、陰性期に罪を帰し得 る増悪の場合が一例も報告されなかつた。  東京のこの実験は、感作「コレラ」予防「ワクチン」が大規模に使用された始 めてのもので、特に顕著なるものとして見逃してはならぬ。          *  *  *  吾人が要約せる流行の数種の報告によれば、「コレラ」予防接種の効力に異 議を申し立てるのはよくないこととなるであらう。然しかくの如きは吾人の 説明の最初の部分より来る印象ではない。実際と実験室との間のこの不一致 は何処からくるのか?  複雑なる理由が之に関係してゐる。  先ず第一に、精神的の理由がある。1885年に仏蘭西委員会の不充分に支持 せる決議並びに始めに於ける Ferran の過度の謙遜がその方法に甚しく不満 130           「コレラ」予防接種 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― を懐かしめたことは確かである。次に又理論上の理由がある。即ち「コレラ」は 主として中毒による、従つて抗細菌性「ワクチン」を使用することは余り正当 ではないとなした。然しまた幼弱家兎の歴史があつた。  Metchnikoff のなしたる事実は確乎たるものである: 即ち処生児家兎は 経口的に「コレラ」に罹り得る唯一の実験室内動物である、即ち真の腸管「コ レラ」を起し得るものである;他面に於て、幼弱家兎は皮下注射によつて殆 ど予防接種し得ぬことは確である。  幼少家兎に相呼応して臨床例がある: 即ち臨床では二度と「コレラ」に罹 らぬことを指摘してゐる。故に「コレラ」は之を予防接種し得る疾病の圏内に 入るべきものである。  疾病の自然感染によつて予防された人は、人工的に皮下の経路より接種せ る人と同一であると認めてよいか?  勿論、それぞれの場合に血清中に殺菌性能力あるを認める。然しこの性質 は免疫を支配する要素の複雑なる集合に於て価値があるのである!  免疫機転を更に深く究むるに従ひ、益々 Metchnikoff が殺菌性能力に主要 性を置かず、又其所に伝染病に対する免疫の意義を見やうとしなかつたのは 誠に正当なるを知るのである。  勿論、免疫度の測定を与へ又は使用せる「ワクチン」の効力を指示し得るも のは、各個体の血清中に存する溶菌素の割合ではない。  Metchnikoff その人は、「ワクチン」の効力は腸管「コレラ」に対して動物 を保護する能力より算定すべしとなした。之が何故に氏が「コレラ」菌の腹膜 炎又は敗血症を防御する研究の少かつたか、又氏が腸管内に見出さるる弧菌 に就て正当なる唯一の真の「コレラ」予防「ワクチン」はかかる性質を備ふべし となしたかは、以上の理由による。  やがて見る如く、最近得たる事実は明かに Metchnikoff の考を正当とする ものである。この事実は又実際と実験室内に極めて長い間存在せる矛盾をい とも満足に説明するのである。           *  *  *           「コレラ」予防接種         131 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  吾人がほのめかした事柄は免疫の研究後間もなく感じた新方向にその出処 があるのである。  之等の研究の詳細に渡るを避け、ここには主要なる点を述ぶるに止める。  海猽に生弧菌の致死量乃至その数倍を皮下に注射し、12―18時間にして死 の来る時、出来るだけ早く剖検すれば、経口的に接種せられたる処生児家兎 に於ける同様なる状態に弧菌は分布してゐるのを見る、即ち常に弧菌は小腸 内に存し、而もそこに屡々純培養の状態にある;また盲腸及び大腸にありては 或る時は純粋の状態に、或る時は大腸菌と共に――約半数に於て――混在し てゐるのを見る。之に付加すべきことは、弧菌は時として血液中に、稀に腹 腔内並びに胆嚢内に見るが、決して尿中には見ないのである。  海猽は消化管より最も遠き経路により「コレラ」病毒を接種されても、その 死は主として腸管感染によつて起る、即ち真の「コレラ」に因るのである。  吾人が「コレラ予防ワクチン」が皮下に接種せる病毒より海猽を防御するの を見る時、之は真の「コレラ」感染を防ぐので、実際上、動物は予防接種され てゐるのである。故に Vaccin が人間に於て「コレラ」に対し有効なるを示す のは少しも驚くに足らない。  されば今この理由から25年来の論争の後に細菌学者と流行病学者とが協調 出来たのである。  今日では細菌学者でさへも「コレラ」予防接種の効力を疑はない様になつた にせよ、之等の予防接種を更に有効ならしむることが出来るか何うかを要求 するのである。  生菌「ワクチン」が死菌「ワクチン」に優ることは大多数の菌について充分に 証明された所である。生菌の使用に限るとすると、不慮の災害や全身感染の 心配があり――又屡々実現されることがある。然し、「コレラ」生菌の場合に は、これ等の心配は特に予め感作せる弧菌を使用する時には要らぬことであ る。  吾人の同僚 Masaki (真崎)の実験は感作後「コレラ」生菌注射の新証明を行 つた。この実験によれば、たとへ「コレラ」生菌が培養の1∖50 の分量の腹腔内 132           「コレラ」予防接種 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 注射で海猽を斃すか、又は培養の1∖30の分量の皮下注射により海猽を斃すに せよ、一度び感作されたる同一弧菌は全培養又は二倍の培養量を以てしても 海猽を殺し得ないのである。  感作せる弧菌はその生活力を保ち、容易に之を証明し得、只生体に対する 其毒力が Masaki が皮下注射法により致死量を見出し得なかつた程に減弱し てゐるのである。  重要なる処見は次の如し: 即ち感作生弧菌の大量(2-3培養)の量を接種 する時に、腹腔内経路に於て海猽を殺す時には、死の機転が非感作弧菌の場 合に認むるものと異ることを確めた。たとへ腸の内容を移植するも、弧菌の 痕跡だに認めない: 即ち速に注射部位を離れて腸に限局せんとする代りに、 一度び感作せらるたる弧菌は Masaki が確めたる如く注射部位を超えないの である。海猽が死ぬのは腹膜炎のために、或は菌体内毒素の遊離するために 即刻に死ぬのであつて、敗血症を起すためではない。  即ち、感作生弧菌の大量を以て接種してさへも、被接種者をして保菌者た らしめる危険もなく、更にまた彼等に於て全身感染を見る如き危険もない。           *  *  *  皮下注射による現在の予防接種法は最近の用語として「コレラ」予防接種の 材料と考へらるべきか?経口的予防接種法を研究しないでよいものである か?  現在に於ては、実験室の研究は今尚この予防接種方法を適当とするに至ら ない。然しながら、「チフス」赤痢菌簇と「コレラ」弧菌との間の感染機転に関 する類似は「コレラ」予防接種に関しても同一機転なることを推知してよい。 すべて抗コレラ免疫は、抗「チフス」及び抗赤痢免疫と全く同じく局所的本質 なることを先づ第一に信ぜしめる(1)。もしこの考が将来確認されるならば、 「コレラ」を予防接種するには、長く迂廻せる経路即ち皮下注射によるよりも、 直接の道なる経口経腸による方が更に合理的となるであらう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) XII章参章           「コレラ」予防接種         133 ――――――――――――――――――――――――――――――――――              Mèmoires Cités Metchnikoff, Annales de l’Institut Pasteur,t, VIII, p, 529, Choukévitch Ibid,, t, XXV,p,433, Cantacuzène, Ibid,t, XXXIV,p, 57, Masaki, Ibid,, t, XXXVI,pp, 273, 399,                 Ⅸ          感染並に免疫に於ける皮膚の意義      Role de la Peau Dans l’Ifection et l’Immunité(1)  細菌予防「ワクチン」の大多数は非経口的に生体内に送入される: 即ち皮 下、筋肉内又は静脈内によるのである。この予防接種についで必ず見逃すこ となきものは血液中の抗体の存在することであるから、最近までは殆ど他に 免疫性なしと説得されてゐた。此の確証の上に、後天性免疫更にまた活働性 並びに受働性免疫のすべての現在の理論が建てられた。  戦争前に始めた一列の研究中に、吾人は経口的又は経膚的に処方して免疫 を形成することの可能なるを知つた。吾人はかくして免疫された動物の血清 は極めて少量の抗体を含有するか又は全く含有せざるを証した。之によつて 吾人は免疫性は抗体の存在と密接不離の関係あるものでないことを結論し た。  もし然りとせば、二つの事柄のうち一つは: 自然には二つの免疫方法が 存在するか、或は又只一つしか存在しないかである、而してこの最後の場合 には、抗体は之に決定的意義を与ふることを剥奪さるべきものである。吾人 の選ばんとする所のものはこの第二の仮定である。  径膚又は経口的感染の場合の機転を厳密に調査すれば、吾人は或る細胞群 に属する固有の自治制に帰せねばならなくなる。全生体が全く固体であると すれば、この細胞は彼等固有の宿主に対し之を感染し防御する贈り物を持た ねばならぬと考へた。この考から、皮膚感染及び腸管感染の如き局所感染の ――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) Bulletin de l’Institut Pasteur, t, XXIII, No 20; 1925        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         135 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 考、並びに局所免疫の考が出た。この二つの手段は所謂 "Cellules réceptiv- es”攝受細胞のみに関係あるものとなした。之に代はるべき抗体は、我々の 仮説によれば、原因となるべき病原菌に対し、意義少きものか又無意義のも のである。  Immunisation Iocale (局所免疫法)と称するものは、必ずしも Immunité lo- cale(局所免疫)と称するものではない。今日まで眼の免疫法の結果より「ア ブリン」によつて与えられたる局所免疫のほかは全く知らなかつたのである。 今では局所に適用せる病毒は全身に広がり免疫性を賦与することの出来る事 を知つた。後に述ぶる如く、脾脱疽菌の免疫の場合がそれである: 即ち皮 内接種法によつて獲得したにせよ、その免疫は全身性で更に強固なるもので ある。同様に、軽度ではあるが、葡萄状球菌又は連鎖状球菌に対する皮内接 種法、「チフス=パラチフス」赤痢又は「コレラ」病毒に対する腸管免疫法は全 身に広がる免疫性を与ふるものである。  局所免疫法を起すべき免疫は常に、局所解剖学的に云はば直接「ワクチン」 の触るべき細胞群に厳重に限られてゐる。然し、生理学的見地よりすれば、 起るべき事柄は免疫が全身的なるが否かである。然り、もし生菌を使用すれ ば、その作用は、たとへ身体の限局せる一点に適用するも、次から次へと進 行し、全攝受組織に及ぶのである。類似の事柄は死菌「ワクチン」を使用する 時にも起り得る: 海猽の全腹壁面に適用せる葡萄状球菌又は連鎖状球菌製 剤の濕布繃帯の場合には、細菌性物質の関与する区域は極めて広がり、遂に は免疫は局所であつたものが全身免疫を得るに至るのである。  Immunisation Iocale (局所免疫法)が Immunité locale(局所免疫性)又は Immuité géuérale (全身免疫性)に帰着するか、いずれにせよ、本法は両者共 抗体を離れて細胞内にて完成されるのである。  吾人は、次の叙述に於て、ある種の伝染病経過中に於ける皮膚組織の意義 及び此の組織が免疫の機転に与る要素を調べて見やう。        *  *  *  仮令、生理学者の目には、皮膚の作用は諸種の器官相互の間によき調和を 136           感染並に免疫に於ける皮膚の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 保つために必要なりと映ずるも、病理学者にとりては皮膚は今日まで同様な る重要性を持つことは距りがあつた。  その広大なる面積と下界と直接関係のある理由から、皮膚なる機関は、他 の機関以上に、「シヨック」や外傷や汚染に曝露されてゐる。均衡の継続が減 少し又は之が破壊すると土壌又は空気から来る細菌或は表皮の表面を常に覆 ふてゐる細菌に乗ぜられる。殊に葡萄状球菌は毛囊の管内に好んで常住する 習性を要するもので、細胞の内部に侵入するすべての機会を捉ふるものであ る。局所又は全身の抵抗が欠如することの少い場合にも、皮膚の損傷は起り 得るものである。侵入する細菌の毒性により、犯さるる細胞の性質に従ひ、又 個体の抵抗に応じ、病竈は多少著明なる重篤症状をあらはす。  皮膚の表面の破損によつて生ずる病竈の他に、他の原因はあまり変化はな いもので内在性のものである; 即ち「チフス」発疹「チフス」及び他の発疹性 疾患の経過中に之を見るが如きものである。  病原菌が外界又は内部から皮膚包被を犯し、第二次的に其所に土着するこ とのために、皮膚は常に感染を受けるだけであり、生体防御の意義は寧ろ受 身で、Methnikoff の表言的なる定義によれば『身を守るための鞘』なる意義 に帰着する。  此の考へ方は今日では最近吾人の知れる事実によれば最早適応しないもの である。之等の事実を調ぶる前に皮膚の構造と主なる作用に就て述べ度い、 この作用の協力が生理的状態に於て自然免疫を確実になすのである。        *  *  *  皮膚は胎生学上並に組織学上判然区別さるる二部より成る。: 即ち「エク トプラズマ」より生ぜる上皮と「メソプラズマ」より生ぜる真皮とである。  上皮は石畳状に重つた上皮細胞より成り、その上部は相継続し角質状に変 化してゐる。上皮細胞の鱗屑は、やがて剥離し、深部より来り、表面に向ふ 細胞により補はれる。その脱落の際に、剥離せる角質細胞は細菌を伴ひ同時 に細菌を含む残屑を伴ふ; 角質細胞はかくして皮膚の浄化とその永久の更新 とに与るのである。        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         137 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  この表面の部分即ち角質層を去るや否や上皮の深部に到達する前に移行部 の細胞層に遭遇する: 即ち之は無色透明の要素より成る Stratum lucidum である。  すぐ此の下にある上皮の部は粘液体即ち Malpighi 氏網により占められて ゐる。多数の細胞層が協同してこの網を構成する;之は外被を有せざる原形 質細胞である。之等の細胞はその性質については久しく決定されなかつた分 枝せる淋巴性要素を以て相互に隣接してゐることを注意するであらう。即ち 之等の淋巴性要素――吾人は之を今日知つてゐるが――白血球即喰菌性要素 に他ならぬのである。  外傷又は感染の場合には、之等の喰菌細胞は多数に流れ行き細胞間隙中に 侵入し而して、極めてよく知られたるその固有性により、陽性走化性と称す べき所には何所にも接近するを見る。  上皮を超えると、外被の基礎をなる第二層即ち真皮に到達する。この真皮 は極めて強靭なる弾力繊維の網より成る、之は結締織要素と交叉してゐる。 全組織は游走性淋巴細胞の移動するを見る。最も著明なる喰菌作用を有する 之等の淋巴細胞は外被の炎衝の際に特に数多く表はれる。更に真皮はその全 表面に多数の小乳頭並びに緻密なる組織を認むる多量の汗腺皮脂腺を示すこ とを思ひ起すであらう。  吾人が述べた簡単なる解剖は吾人にその自然免疫性の保存に於ける皮膚の 意義を知らしめた;之は感染の機転及び人口免疫の機転に関する或る問題の 理解を容易ならしむるであらう。        *  *  *  皮膚の構造の複雑なるためにその作用の多様なることを答へねばならぬ。 従つてここには吾人の学べる生理を述べやう。  皮膚なる被服は感覚鋭敏なる広大なる表面を示す。皮膚は吾人の感覚の大 部分の出発点なる種々の刺激を受ける: 即ち触覚、温覚、冷覚及び痛覚で ある。之等の感覚は外部の有害なる要素に対し吾入を保護する而して自然免 疫の維持に貢献する。 138          感染並に免疫に於ける皮膚の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 皮膚の作用は之に止まらない。皮膚は呼吸する。皮膚は吸着する。皮膚は 温度の変化を調節する。その主なる作用だけを述べても、皮膚は「シヨック」 を和げる。  ある種族では、皮膚呼吸が、かく名付ければ、計算のうちに入る唯一のも のであるものがある。又蛙類及び爬虫類では皮膚と外界との間の変化は充分 に肺呼吸の代理をなしてゐる如くである。  温血動物に於ては同一ではない。人間は、例へば、24時間内に経膚的に体 重の約1∖67を減ずる。成人では平均1瓱【瓩】なるこの消失のうち、排泄される炭 酸瓦斯は5乃至10瓦を秤量するに過ぎず;余は水分の蒸発に帰する。人間及 び哺乳動物では、皮膚は呼吸器官としてはかなり制限された意義を有する。 皮膚は炭酸瓦斯を発散し空気中の酸素を吸収する感受性あることは少からず 真実である。  皮膚はすべての種類の瓦斯体及び揮発性物質を通過せしめる。人は一肢を 腐敗瓦斯の雰囲気に入れた Bichat の古い実験を知つてゐる: しばらくして 瓦斯は皮膚の表面より吸収され、腸管から排泄された。  この吸収性あるために、実際上重要なる唯一の問題は皮膚は一般に水及び 液体に対し如何に作用するかが分かつた。長い間論争された問題が現今では解 決され、そして陰性の意義なるものとなつた。今日では人間の正常の皮膚は 水を吸収しないことが確定された様だ。浴槽中に一週間及び数か月間さへんも 浸つてゐた患者は絶えず喝【渇】の感じを感じ、而も自由なる空気中に生活せる人 と同じ程度であつた。食塩、薬物、毒物の水溶液も同様である。: 即ち健康 なる皮膚はそれ等のものを少しも吸収しない。        *  *  *  皮膚外被の不透性は大部分皮脂腺より分泌さるる脂肪性産物なる皮脂によ る。毛孔の口を閉じ、表皮に油を塗り、以て皮脂は皮膚組織を不透性となす。 かくして、皮脂は水中にて柵を造り、之によつて正常の状態では殆ど越え得 ないのである。  吸収の現象は皮膚が正常の状態にない時には根本的に変化する。その結果        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         139 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― は、湿布を施す時には、皮膚と水との接触が一定の限界以上に長引くと、上 皮は液体を吸い込むことが止み、膨脹する。上皮の柵がくずれ、多少通過せ しめる様になる。更に深部への侵入は外皮の侵害の場合、例へば毛髪に富む 部を強く摩擦する場合に起る。毛髪の上に施された塗擦は潰瘍を起す;之は、 肉眼では見えなくとも、皮膚により液体を吸収せしむるに充分である。  脂状物は異物の侵入に対し皮膚組織を防御するが、軽蔑し得ざる他の作用 を有す:即ち皮膚の乾燥を防ぎかくして皮膚にその感受性を保たしめる。  汗腺も其所にあつて同様の貢献をなす:即ち、皮膚の表面に行はるる絶え 間なき蒸発は、皮膚を絶えず湿潤状態に保たしめる;それによつてその柔軟 性と外界より来る微細なる刺激を認知する能力が生ずる。  汗腺は更に第一に重要なる他の作用を有する: 即ち動物の体液の調節を 確実ならしめる。汗の分泌は温度と共に増す、周囲の温度の上昇を起さしむ る害悪を矯正するのは汗腺である。  皮膚なる外被の純器械的意義は自然免疫の見地よりすれば価値のないもの である。皮膚毛細管に及ぼす圧力により、この外皮が構成される種々なる層 は過度の滲出に対し障害をなす。他方に於ては、角質層、上部の上皮細胞、 弾力性移動性の真皮は相合して外部の衝動を和らげ得る鐙【鎧ヵ】を構成する。  皮膚なる組織に当てられた重要なる作用に関しては、防御する鞘の様に器 官を保護する単なる嚢と云ふ考では了解することは困難である。上皮及び真 皮の複雑なる構造を考ふる時、即ちそこにはすべての種類の細胞――神経性、 血液性、淋巴性、腺質性、結締織性及び筋肉性の要素、その他先には少しも 述べなかつた特種細胞もあるが之を別にして――を認めるが、かく種々なる 細胞に富むことは、ある作用は恐く未だ知られざるものもあるが、複雑なる 作用の標識として考ふることは妨げ得ない。        *  *  *  無脊椎動物では自然の防御機転は単純である:即ちその大多数に於ては身 体の表面は多少固く厚い「キチン」層でおはれてゐる。  脊椎動物では、少くとも、ある種のものは皮膚が同様に不透性の鞘で覆は 140          感染並に免疫に於ける皮膚の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― れてゐる;かくの如きは、就中、魚類及び爬虫類の鱗である。人間は、この 点では、余り有利ではない。最も屡々菌の侵入を避け得るとせば、之は特に 角質細胞が規則正しく剥離し、新細胞を以て補はれるからである。Sabouraud の云へる如く”壊疽に罹れる層が絶えず剥離する、そして若し此の層が細菌 性のものであるならば、之に生活する細菌の絶えざる追奪がある”。言ひ換 へれば、皮膚は、云ひ得べくんば、絶えず上皮細胞を脱ぎ、そして之に侵入 する細菌の種類を除くのである。  純器械的なるこの防御作用の他に、皮膚はその部位に喰菌細胞系統を有つ てゐる。ある病原菌が皮内に侵入するや否や結締織は肥厚し、繊維性「カプ セル」が出来、之が病毒を幽閉する。感染はそこで限局される。  この操作は主として既に前に論じたる局所の「マクロファゲン」の作用であ る。之は例へば、結核菌の場合に於て巨大細胞中に集合し、之に結締織繊維 の極めて著明なる発育を与ふるのは「モマクロフアゲン」の作用である。  淋巴性要素、即ち上皮及び真皮の内部に認めたる遊走性細胞は感染の際に も同様に移動する。病毒の周囲に、之等の細胞は集りて多少大となり時には 肉眼で見得る塊となる。真皮内に幽閉された白血球群は摘出されて終りとな る様になる。生体はこの方法で病毒と同時にその救助に尽せる喰菌細胞より 免れる。  始めは皮膚の限局せる一点に局限した感染が広がり領域を拡張することが ある。この場合には局所の喰菌細胞はその職責を充分に果し得ない。生体は 然る時はその救助に遊走性喰菌細胞を送る: 即ちかくして特異性なく、感染 に脅かされた到る所の器官に同様の性質を呈する細胞を戦闘に向はせるので ある。  皮膚組織の免疫性は故に一方ではその特殊なる構造により、他方では之を 必要とするすべての組織に一様にその恩恵を施す喰菌細胞系統による。  最近得たる事実はこの考を大きくさせた。吾人は葡萄状球菌及び連鎖状球 菌の如き細菌に関するこの考をここに述ぶるは満足とする所である。        *  *  *        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         141 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  脾脱疽病は、以前は”脾臓の血液”又は”黒色病”として知られてゐたが Pasteur 以前には毎年数百万「フラン」を算する損失を来した。牛、羊、馬、 騾馬は炭疽病のために驚くべき割合で斃死した。本病は罹患しないものは、 人の知る如く、甚だ種類が少い。実験室の動物さへ甚しく感受性がある;海 猽に於ては屡々唯一個の菌を注射し之を殺すに充分である。解剖処見に於て、 気のつくことは、すべての臓器が――例外なく――桿菌で蟻集されてゐるこ とである。血液は赤血球と同じ位に桿菌に富む。よつて又常に炭疽病は敗血 性伝染病の好模範として考へたのである。  Pastur の「ワクチン」の発見は牛、馬、綿羊を保護し得る。唯々実験室動物、 特に海猽は、この発見の恩恵を蒙ることが出来なかつた。多数の試験に不拘、 大動物にてかく容易に得た免疫に比し、之に匹敵する免疫或は之より距つた 免疫さへも与ふることに成功しなかつた。実験者は海猽の予防接種を再実験 し、その失敗の原因を本動物の極めて大なる感受性なる説明に求めた。  真の原因は、今日知れる所では、他にある。  吾人はここには実験の記載は述べないが、それによれば、海猽に於ては、 菌が繁殖し、その内部より毒素を造り出す唯一の臓器は皮膚であることが判 明した。この臓器以外には、菌はたとへ毒力が強くとも、恰も雑菌の如きも ので、之を感染することもなければ、之を予防接種することもない。 病毒を注射するに当り、皮膚の汚染を避ける時は、海猽に何の危険をも与 へない。吾人は亦海猽に於て、気管内、腹腔内、腸管内、脳又は他の場処に、 少しも障礙を見ることなく、Virus の致死量の100倍を注入し得た。  炭疽病に対する海猽の感受性は故に全身的ではない、本動物は主要部位と して寧ろ絶対的部位として皮膚組織を有する。Virus の接種に次いで起る浮 腫は――侵入門口であるか何うか――新の皮膚感染の証明である。実験者が 皮膚を傷けるのは Virus の注射針を送入し、之を引抜く際に疑もなく汚染す るからである。剖検によれば、動物は勿論定型的の敗血症を起してゐる;然 し、死の最初の原因は皮膚感染と云ふよりは寧ろ皮膚中毒である。兎に角、 菌が最後まで血液中に現はれないことを見るためには、時間毎に感染を追求 142          感染並に免疫に於ける皮膚の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― するより他に仕方がない。菌が流血中に侵入するのを見るのは、瀕死期に先 立つ数分の間である。故に炭疽病に特有なるは中毒であり ; 敗血症は後に来 るに過ぎない。        *  *  *  若し海猽が炭疽菌に非常に感染性がある様に見えるならば、吾人によれば それは、その皮膚組織のためでなければならぬ。皮膚以外の組織や臓器は実 際上には感受性はないのである。  若し然りとすれば、吾人の云へる如く、すぐれた感受性組織を予防接種す る様に全努力をなせば、菌に対し海猽を予防接種し得るであらう。  実験はこの予想を正当なものとなした。塗布によつて或は更によいのは皮 内注射によつて皮膚を免疫すると、大なる苦痛なく海猽に非常に強固なる炭 疽病に対する免疫力を与ふることに成功した。  皮膚予防接種は単に皮膚免疫を造る効果があるのみでないことは付け加へ る必要はない。該海猽は、全身的に同時に、炭疽病に罹らなくなる。之は何 より先に容易に了解出来る。海猽は皮膚なる感受性に富む唯一の臓器しか持 つてゐないので、この臓器が予防接種された時から病気に罹らなくなるので ある。次いで腹腔内、気管内、腸管内、又は他の部に注入せる菌に対し、海 猽は始めて予防接種された皮膚の免疫、次に他の臓器の先天性自然免疫にて 対抗させる。  矛盾を支持せんとすることなく、吾人は実験室の長い経験に於て、炭疽病 に対し海猽に与へることに成功したと同じ位の鞏固の免疫の例はめつたに遭 遇したことはないと云ふことが出来る。有効なる予防接種をなすために、必 要なる条件は経膚的に行ふことである ; 他の経験は、この中に皮下の経路を 含むが、効果はない。  『層中に於ける皮内接種』と称する方法を行ふ時、即ち同時に多数の皮内接 種を身体の各部に行ふ時、人は特に鞏固にして迅速なる免疫力を得る。かく して免疫方法を大なる表面に施せば、最小時に最大の免疫を発現する。  海猽又家兎に於て、Pasteur の「ワクチン」を新しく剃つた皮膚に適用す        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         143 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― れば、よき成績を得ることが出来る。継続して第一、次に第二の Vaccin を 使用すれば、可成り速かにこの動物を大量の致死量の病毒に対し免疫し得る のである。        *  *  *  炭疽病と同じ程度に、一般感染の症状を呈する疾患は少い。臨床上の症候 並びに細菌学的証明も全く炭疽病は全身敗血症を起すことに一致してゐる。然 しこの感染経過に関係するものは唯々皮膚のみである ; 炭疽菌免疫の発生に 参与するのは唯々皮膚のみである。  若し炭疽病に対する予防接種が経膚的による他は実現されないとせば、そ れは明に菌が皮膚と接触する時にのみ毒素を分泌するためである。吾人によ れば抗炭疽菌免疫を実現させるのは又炭疽菌毒素である。皮膚の細胞以外の 細胞に対しては、菌はその毒素を分泌し得ない筈である。 ; 尚又、腹腔内、気 管内又は腸管内の経路によつては海猽を予防接種することは不可能である。  炭疽菌は、吾人の見解によれば、「ボトリヌス」菌又は「ヂフテリア」菌と同 じく毒素を分泌する菌である。更に、生体の自然抵抗が破られて後に増殖す るのである。 : 恰も大砲によつて破壊された陣地から突撃に飛躍する歩兵の 如きものである。吾人が菌の毒力に帰著せしむる習慣を有する所のものは毒 素の結果である。この理由のために、所謂超毒力菌即ち超毒素菌の場合には 注射部位に浮腫を証明することは出来ない。  吾人が見た様に、予防接種に対し之に与るものは皮膚のみである。たとへ 困難なることは勿論であるが――皮下の経路によつても亦予防接種は達せら れる、然し、かくして得た免疫は皮内経路によつて得る免疫より遥に鞏固で はない。  海猽に於ける実験的炭疽病の歴史は次の二つの項目中に総括し得 ; 一つ は、感受性は皮膚の細胞に限られ生体の他の細胞は之を欠く、他は、免疫は 皮膚組織の攝受細胞の予防接種することにより成立する。  皮内接種をなせる動物の血液中に凝集素、補体結合物質、沈降素を検索す るも結果は陰性か或は抗体の痕跡を現はすに過ぎないことは注意すべきであ 144          感染並に免疫に於ける皮膚の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― る。  後刻記載する如く、炭疽病で観察せる事実は、全体でないにせよ、少くも 大部分に於て、ある種の他の菌に適合する。予防接種せんがために通常の経 路、皮下又は腹腔内を使用するに拘はらず、失敗する ; 抗体を造る考を抛棄 し、攝受細胞の予防接種を目的とする時は、免疫は直ちに出来る。  Vaccin の侵入門口はそれ故極めて重要なるものである。故に吾人は Wri- ght と意見を異にする。氏は Vaccin の性質に触れることなく”皮下経路は 有効なり、されど静脈内経路は選ぶべき経路なり”と確言してゐる。Wright が重要視せるは「オプソニン」 の形成である ; 従つて、この点よりすれば、す べての経路が、略々同等の価値がある。吾人は反対に、侵入門口の選択は Vac- cin 自身の選択程に重要ではないと信ずる。攝受細胞は特異であるので、予 防接種をなさんと欲する経路は同様に特異的でなければならぬ。即ち Vaccin の性質に適合しなければならぬ、この点は人が今日まで考慮に入れることを 忘却してゐた所である。        *  *  *  若し脾脱疽病に於て皮内接種の動物で観察せる事実が海猽に於て特別生物 学上奇異なる特長をあらはさずとせば、又若し家兎、馬、牛に於ける最近の 観察が之を承認する如く、他種の動物にも適用さるとせば、如何にして皮下 注射法により綿羊に於て同じく優秀なる成績を挙げたのあるか?Plotz の最近の実験はすべて家兎を皮下注射法により脾脱疽を免疫することが、不 可能とは云はないが、如何に困難であるかを示せる所を見ると、以上の事実 は更に説明し得ない様に見える。  Plotz は Virus の大量(1cc, 乃至 3cc,=家兎に対する致死量の 1,000 倍乃 至 3,000 倍) を硝子製の「アムプレー」内に封入し、皮膚を切開して後、之を 皮下の細胞組織内に送入した。4―5日間、即ち傷口が完全に瘢痕を形成する に必要なる時間を持つて後、氏は之をその場所即ち皮下で破壊した、もし手 術が巧みに行はれた時は、本法で感染せる家兎は死亡しない。然し、いづれ の家兎も免疫になつてゐないのを見る : 即ち遅れて比較的少量の Virus        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         145 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― (1∖500―1∖1,000cc) を皮内に接種する試験によれば、之等の家兎はたとへ Virus の驚くべき大量1cc を皮下に受けたとは云へ、対照動物と同じ日限内に脾脱 疽病で斃死した。  即ち皮下の経路に於ては、家兎では、抗脾脱疽免疫を与へない ; 此の事実 は全く確定された。  Plotz はその研究中に於て、氏に興味を引ける失敗を記載した。家兎の瘢 痕形成が充分ならざる前に、挿入せる「アムプレー」を破壊せる少数では、家 兎は脾脱疽に罹患して斃死した : 即ち皮膚の極めて小なる傷も細菌を吸引 するに充分であり、致死的脾脱疽病を発揮せしむるに充分である。  此の観察によれば、若し大動物例へば綿羊が皮下接種法によつて脾脱疽予 防接種が極めて奏効するとせば、その細胞組織と皮膚との間に「カナール」(邃 洞)を造る注射針に帰するものと認め得ないであらうか?或は淋巴液の流 れにより運搬された菌が、皮下「トンネル」の長い経路を逆流して、攝受細胞 を感染し(Cutiinfection)、之を免疫し(Cutivaccination) 動物に抗脾脱疽免 疫性(Cutiimmunité) を賦与し得るものと認めてよいのではなからうか?        *  *  *  吾人が脾脱疽の問題に就て述べた事柄は、特に脾脱疽菌だけについてであ らうか? 人間又は動物の他の感染で同様なる事柄の観察される場合はない であらうか?  最初に同じ階梯の現象を見得る可能性ある疾患の二三は、葡萄状球菌及び 連鎖状球菌によつて生ずる現象であると思ふ。  之等の感染の大部分は殆ど全部が皮膚に関係あることは人の知れる所であ る。之等の患者の血清は、たとへ抗体を有することあるも、一般に甚だ少な い。然し之は――確定せる事実であるが――「ワクチン」療法の最も有効なる 疾病の部類に属する。然りとせば、吾人の要求する所は、感染の重荷を全部 荷担ひ、予防接種の負担を確実にし而して生体に免疫性を確実に付与するで あらう所のものは、皮膚組織でないであるうか?  実験的に葡萄状球菌及び連鎖状球菌による皮膚病竈を生ずる可能性はこの 146          感染並に免疫に於ける皮膚の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 仮説を検印し得た。  葡萄状球菌は海猽に対し極めて毒性強きことを証明した。皮下に注射すれ ば、この細菌は「ブイヨン」培養の1―2cc, で 2―3 日目に該動物を斃死せし めた ; 生き残つた場合には、独特なる皮膚病竈の形成を伴つた。注射後48時 間以内に、浮腫が少し宛浸潤し全腹部表面に拡がるを見た。皮膚は始め赤く、 中央が黒変し、次いで漏出するに至る。2 乃至3日後に、壊疽組織に陥るを 見た。この壊疽は剥離し、化膿せる大なる結痂を露出せしめる。更に大量を 注射すると、海猽は数日で葡萄状球菌の全身感染を起して斃れる。        *  *  *  海猽は皮膚病竈に対し予防接種せしめ得るか?海猽を致死的葡萄状球菌 の感染に対し防御し得るか? その詳細に入ることなく、之等両問題に対し、 実験は肯定を以て答ふることを認めしめよ。実験は、免疫を与ふるために、 経膚的にせよ、全身的にせよ。最良を示す接種方法は皮膚の経路を借りるこ とであることを示す。  皮内に葡萄状球菌死菌を注入すれば動物は局所感染を避け得る ; 之は特に Vaccin を剃毛又は単に脱毛せる皮膚面に適用するので、最も大なる効果を 生ずる。  腹部表面を脱毛せる海猽を取り、之にその胴体の周囲に葡萄状球菌予防「ワ クチン」を浸せる繃帯を適合する時は、葡萄状球菌の皮下注入に対する抵抗 力は著しく増加するを認めた。繃帯を施せるものでは、海猽は皮膚の局所病 竈は極めて小なるが、その対照動物は腹部に甚だ大なる化膿性結痂を生じた。 或は又――同様驚くべき事実は――葡萄状球菌予防「ワクチン」繃帯を施せ る海猽或は皮下層に Vaccin を接種された海猽は、屡々生存するが、処置せ ざる対照の海猽は全身感染のために斃死する。  この場合免疫性は尋常ならざる速度で形成する : 24時間にして足る。  皮下の経路を借りる時、時として同様の効果を得、之は皮膚の付近に於て Vaccin の一部がこの皮膚内に侵入するために引き起される。  之に反し、Vaccin を腹腔内に注入する時は、免疫の痕跡も認められない :        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         147 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 該処置動物は、本試験注射の際に、対照の結痂と同じ大さを呈する結痂をあ らはす。  換言すれば、葡萄状球菌の感染に対しては、攝受細胞を予防接種する以外 には有効に動物を免疫し得ないのである        *  *  *  此の結論は通常の Vaccin で行ふ代りに、葡萄状球菌の培養濾液で行ふ時、 観察せる所により、確実と認められる。吾人は8日乃至10日間の「ブイヨン」 培養を使用した。濾過管で濾過して得られた液体は吾人の予期せるものより かけ離れた予防的効果を賦与されてゐた。海猽に於て皮下接種する時は活動 性は極めて少く、皮内に接種する時はやや活動性がある、此の液体は脱毛せ る皮膚に湿布の形で適用される時は著しく動物を防御する。免疫は湿布適用 後24時間で発現する。  この葡萄状球菌は吾人が Antivirus と称へるものであるが、新に接 種せる葡萄状球菌に取りては不良なる培養基である。其予防接種能力は特異 性である ; 例へば、この濾液は連鎖状球菌の接種に対し予防しない。該濾 液は120℃20分間に置ける後でさへも、全部その能力を保有する。  濾液の作用方法及びそれによる動物防御の速度より見て、全々抗体の関与 する所でないことは、殆どつけ加へる必要はない : 即ち之は皮膚の局所免 疫の存在による。  吾人がここに記載せる実験と全く同一なる実験を海猽に有毒なる連鎖状球 菌株を以て行つた。重複を避けるために、単に次の点を記載するに止めるが、 この菌を以て観察せる結果は大体の点までは葡萄状球菌で記載せる所のもの と同一であつた。連鎖状球菌の場合に於ては、予防接種の効果は、特異にし て速かで、培養濾液で一回湿布繃帯せる後にあらはれる。この場合皮膚の攝 受細胞を予防接種せることは少しも疑を容れない。この予防接種は皮膚免疫 に帰するのである、この免疫は多くの場合に於て、同時に局所及び全身の連 鎖状球菌感染の結果に対し動物を保護するに充分である。        *  *  * 148          感染並に免疫に於ける皮膚の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 吾人が総括せる実験で明瞭となりたるため、人間に於ける「ワクチン療法」 の問題は現今では判然した。  この治療法は日一日と臨床方面に領域を占めた。英語使用国に於ては、「ワ クチン」の使用は特に拡つた。其所では、極めて軽度の鼻加答留から最も重 篤なる敗血性に至るまで、殆ど全部に感染を注射で治療してゐる。仏蘭西で は、皮下注射は余りやらない。特に葡萄状球菌による感染 : 「フルンケル」 癰(「カルブンケル」)、中耳炎、「ニキビ」、骨髄炎、骨膜炎、膿瘍及び其の他 に於ては之に頼る。この治療は多くの場合満足を与ふることはない。連鎖状 球菌の或る型に於て、「プソイド=ヂフテリア」菌、肺炎球菌、フリードレン デル氏菌による或る病竈に於て一様に発売にかかる Vaccin 又は Autobvaccin を使用してゐる。この治療の比較的幸福なる結果は患者自身によつて造らる る抗体の「オプソニン」作用に帰せらるるのである。生体内に既に形成された 抗体の作用に之等の作用が加つて、かくして結合せる抗体が感染に対し強力 なる武器を形成するからであらう。人が「ワクチン」療法を説明するのは斯く の如くである。之は今日では全く証明のない殆ど独断説に過ぎない。  然し「ワクチン」療法のこの解説中には、何かしら既知の事実と融合し得な いものがある。実験室内にて葡萄状球菌を使用せる人々は、その抗元性能力 は如何に無力であるかを知つてゐる。細菌学者にして有効なる抗葡萄状球菌 血清を掌中に所有せりと自負し得るものは少い。誇張なりと咎むることなく、 葡萄状球菌と同じく抗体の形成悪しき病原菌は余り知らざる所であることは 肯定出来る。然るにも拘らず、臨床家は――余り習慣となつてゐないが一様 に――「ワクチン」療法の処置によつて得たものと同じく著明に治癒すること を知らざることを肯定してゐる。  実際的なる臨床上の成功は、発現に困難にして屡々問題とせらるる抗体に 帰すべきであらうか? 単純なる推理は此の点に保留を設くる様吾人を強ひ ざるか? 葡萄状球菌は抗体のお蔭で治癒するものと仮定して、皮下に注射 せる数百万の菌体の補給は、既に生体は極めて多数の生菌に犯されてゐる時、        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         149 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― その重要性はあまりに誇張されてはゐないか?        *  *  *  研究室と臨床との間に於ける不一致は、「ワクチン」療法が攝受細胞層に限 局されてゐる方法に基くことを承認すれば消失するのである。  Wright によれば”「ワクチン」療法”は殺菌素、「オプソニン」及び喰菌素 の協同作用なりと云ふに反し、葡萄状球菌及び連鎖状球菌に関する吾人の実 験の証する所によれば、この治療は局所免疫より生じたるものであると考量 するものである。  臨床家は「ワクチン」療法のこの新案を霊感するに躊躇しなかつた。葡萄状 球菌及び連鎖状球菌の感染に対し海猽を防御することの可能性が証明される や否や、特殊の湿布繃帯を単に使用することから、彼等はこれ等の試みを速 に人間に応用せんと努めた。臨床上得たる結果を玆に縷述する余裕はない。 只次のことを云ふに留めて置く、即ち現今に於ては皮膚並びに粘膜に限局せる 数千の患者が抗細菌性湿布によりその治療に成功してゐるのである。        *  *  *  多くの場合に於て、濾過器を通過せる培養即ち細菌体を含有せざる無毒性 の液が使用された。「フルンケル」、癰、瘭疽、骨炎、骨髄炎、瘻官の痕跡を 有する又は有せざる種々なる漏膿、肋膜炎、腹膜炎、産褥熱等が通常の「ワ クチン」接種では挙げることの出来なかつた成績を以て処置された。  人間に於て得られた治療効果は動物に於ける実験に基いてゐた。そして合 理的なる「ワクチン」療法は抗体の形成に基くのではなく罹患せる器官又は組 織の Vaccination に基くべきことの意見を実証した。  ここに吾人は「ワクチン」療法の機転を如何に考ふべきか。この治療方法は 人の信ずる如く抗体の形成に基くものではない。浸蝕されない様に、生体は 病中、それ自身出来るだけの最大努力を払ふのである。「ワクチン」治療剤は 病細胞を治癒するのではなく、単に未だ犯されざる細胞を保護するのである。  既に発生せる病気の経過中に、「ワクチン」は特に未だ障礙を受けざる攝受 細胞が Virus に感ずる所の親和力を飽和する効力を有する : 即ち「ワクチ 150          感染並に免疫に於ける皮膚の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ン」は之等の細胞を非感受性となしかくして Virus と作用することを不可能 ならしめる。  かく考慮せる「ワクチン」療法は健康なる攝受細胞の予防に誘導される ; そ の目的は之等健康なる細胞を新感染の餌となすことの不可能なる状態とし、 感染病竈を局限するのである。既に感染せる細胞に関しては、喰菌細胞の種 類では医薬的性質は之に侵入せる菌だけに制限すれば充分である。        *  *  *  脾脱疽桿菌の作用方法と葡萄状及び連鎖状球菌の作用方法との間に認めら れた類似点は、初めに、実験室内の研究に保留された様である。何となれば、 たとへ海猽に於ては、脾脱疽桿菌と葡萄状球菌との皮膚組織に対する親和力 が鞏固であるとは云へ、人間に於ては葡萄状球菌の寄生部位が著しく異るの であるから、どの人間に於ても同様であるとは云ひ得ないからである。  従つて、葡萄状球菌の又は連鎖状球菌が海猽の皮膚に対し脾脱疽菌に於て見 たると同一の親和力を人間の皮膚に対しても有つてゐると演釋【繹】するのは早計 である。この場合に於て、人間に於ても亦皮膚が最初の感染器官であること は確実性がないとは云はれない。多数の場合に感染の或時期に全疾病を構成 するものは皮膚又は粘膜の感染である。  それ故人間の葡萄状球菌及び連鎖状球菌の大多数の起原に逆上つて見や う。それ等の菌は宿る部位として関節、肋膜、腎臓又は他の器関を有するが、 最も屡々該病毒を同じ起原 : 即ち皮膚粘膜の包皮中に見出すのである。球 菌類が血液又は内臓器官に移行するために出発するのは其所からである。尚 また海猽に於けると全く同じく、人間に於ても、葡萄状球菌又は連鎖状球菌 による感染の大部分の病原性は皮膚感染が支配すると称するも過言ではな い。この病原性は「フルンケル」、毛囊炎、瘭疽、眼瞼炎、乳房炎、バルトリ ン氏腺炎、子宮炎、角膜炎並びに口腔内の或る種の感染につき明瞭である。 この病原性は骨関節、心臓血管又は腎臓の寄生部位では著明でない ; 然し其 所でも亦皮膚の初発病竈の意義は疑なき所である。  骨髄炎の中には、最初の原因が屡々「フルンケル」、膿瘍又は単なる皮膚の        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         151 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 剥離であるではないか?伝染性心臓内膜炎は、疑はしいにせよ、時によつ て皮膚又は粘膜の葡萄状球菌感染によるではないか?腎臓内に粟粒膿瘍を 伴ふ膿毒症さへもその原因を葡萄状球菌より汚染せられたる皮膚より継続し て解決されるではないか?ある時は顔面の「フルンケル」であり、ある時は 頸部の癰であり、ある時は安巍那であつて、一見良性のものが敗血症への門 口を開くのである。  之を要するに良性の口唇「ヘルペス」より潰瘍性の心臓内膜炎に至るまで、 葡萄状球菌に由来する臨床上の変化は多種多様であるが、多くの場合に、最 初の皮膚感染を見逃すことはない。        *  *  *  皮膚の役目は単に疾病の本態に極めて最初の楷梯となるのみならず、更に 免疫のそれに於ても同様である。吾人は抗脾脱疽免疫に皮膚組織が予防接種 の方法に関係なしと云ふことは殆ど不可能である。綿羊、牛、馬の皮膚接種 の方法を応用せる良効なる結果は数へるまでもない。  同じ種類の事実は近頃豚「コレラ」の疾病に於て観察された。Salmon et Smith,Schweitzer によつてなされた予防接種の不成巧なる試験並びに Citron の「アグレッシン」に就ての研究を想い起すのである。  近来の研究に於て、吾人の同僚 Jeney は豚「コレラ」菌は経膚的による方 がすべての他の経路によるよりも遥に毒力強きことを示した ; 換言すれば、 海猽に於ては、恰も豚「コレラ」が特に皮膚感染なる如く、皮膚は優秀なる攝 受器官であるのである。  その根拠から、Jeney は皮膚接種を行つた。これによつて特殊「アンチウ ヰルス」を侵せる繃帯を以て単に腹部に適用せるのみにて、更に強固なる免 疫を成立することが出来た。かく繃帯された海猽は特異血清を与ふる免疫に 優る所の免疫を得た。即ち、之等の繃帯法は皮下に注射せる病毒に対し動物 を防御するが、腹腔内に於ける病毒の注入に対しては之を防御すること無力 なるを示した、即ち之は豚「コレラ」に対する防御は皮膚免疫なることを明か に証明するものである。 152          感染並に免疫に於ける皮膚の意義 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  同じ種類の事実は近来 Meyer et Batchelder により鼠の Iasteurella にし て海猽に極めて強毒なる例に就いて記載された。経膚的に此の病毒を注射す ると1乃至2日で海猽の死を招来することを確めたので、著者等は同一経路 により、特に特異「アンチウヰルス」を以て之を予防接種出来ないものか何う かを試みた。氏等は一群の海猽には皮内に0,3ccの「アンチウヰルス」を注射 し、他の群には「アンチウヰルス」を造るに使用せる普通「ブイヨン」の0,3cc を注入した。種々の間隔を置いて、氏等は之等の動物を厳重なる実験に供し、 病原菌に富める脾臓の碎片を軽度に亂切せる皮膚面にあてがつた。  対照動物は全部死亡せるに、「アンチウヰルス」を以て経膚免疫せられたる 海猽は生残つた。免疫は既に18時間後に証明された ; これは約三週間続【継】続し た。興味ある事実は、皮膚接種により免疫を得た海猽は供試菌の注射を皮膚 の代りに、皮下経路を使用する時には、対照と同じく感受性あることを示 した。  更に付言すべきは経膚免疫をなせる海猽は血液中に抗体を証明しなかつ た。        *  *  *  培養濾液を用ゐ皮下経路により予防接種を行ふこと、皮内経路は湿布繃帯 法によることと、免疫機転は殆ど変化がない。すべて之等の場合に、抗体に 関係なく免疫は獲られる :  之は皮膚組織の内部で出来るのであるから、局 所免疫である。  如何なる細胞が関係するか? 正確に之に答ふることを知らぬ。皮膚予防 接種は網状織内皮細胞の固定せる攝受細胞内で起ることは確実らしい、この 網状織内皮細胞は皮膚の局所喰菌細胞の門口である ; 游走性白血球は第二次 的に参加するに過ぎない。Virus と接触し、予防接種を受けるのは固定せる 細胞である ; Virus に慣れ、それ自身に於て感受性を消失して了ふ、即ち免 疫を獲得するのは固定せる細胞である。  新感染が生ずる場合に、一度 Virus に慣れた攝受細胞は、彼等は恰も雑菌 が存在する如くに、振舞ふのである。白血球を遠けることの出来る毒性物質        感染並に免疫に於ける皮膚の意義         153 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― は少しも遊離して来ないので、喰菌細胞は生来の貪食性により新に到来する 病原菌に襲ひかかる。之等を捕獲して後、喰菌細胞は自ら生体に侵入するす べての異物に対し之を貯留する運命を担はしめる。  局所予防接種に次いで現はれる免疫は、一面に於ては、攝受細胞か又は喰 菌細胞が慣れて Virus に不感受性になることに基因し、他面に於ては、白血 球或は遊走性喰菌細胞の関与に基因するのである。  「ワクチン」療法に次いで表はるる免疫は、同じ機転なることを知る。即ち Wright によれば、免疫を確立するのは抗体であるとなし、吾人によれば、 Antivirus により免疫されるのは感染せる細胞に直接する健康攝受細胞であ るとする。動物体内にて菌体より遊離し又は培養濾液より生ずる Antivirus は二様の意義にその作用をなす : 即ち之は特に健康攝受細胞を不感受性に して、Virus の繁殖を妨げ、攝受細胞をして Virus に冒されない様にする。  かく考へると皮膚の局所喰菌細胞によるのであるから「ワクチン」療法は予 防的手段であつて治療的手段ではない ; 感染より免疫に至るまでの方法の全 相に拡がるのは喰菌細胞の本来の性質に帰するのである。            ――――          Mémoires Cités  Besredka, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXV,juillet 1921, p, 421,  Metchnikoff, L’ immunité dans les maladies infectieuses,  Balteano, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXVI,1922, p, 805,  Brocq-Rousseu et Urbain, Rec, mèdec, vètérin,, t, XCIX, 1923, p, 482,  Vallée, Bullet, Société Centorale mèd, vétér,, t, XCIX, 1923, p,285,  Plotz Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXVIII, 1924 p, 169,  Besredka, C, R, Soc, Bologie, t, LXXXVIII, 19 mai 1923, p, 1273; t, LXX-   XIX, 2 juin 1923, p, 7,  Besredka et Usbain,C, R, Soc, Biologie, t, LXXXIX, p, 506,  Rivalier, Thèse de la Faculté de médec de Paris, 1924,  Solovieff, Veterinarnoie Dielo, n 10, 1926,  Jeney, C, R, Soc, Biologie, t, XCII, 1925, p, 921,  Meyer et Batchelder, Proc, Soc, Exp, Biol, and Medic,, t, XXIII, 1926, p, 730,  Wright, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXVII, p, 107,             Ⅹ           経膚的免疫法       Immunisation Par la Voie Cutanée(1)  経膚的予防接種法は予防の目的で広汎なる範囲に、脾脱疽の感染の際に使 用された。  最初の試験は伊太利に於て Mazucchi が綿羊に行つた。皮内経路により次 第次第に強毒なる菌を以て予防接種せるに、此の実験者は綿羊に極めて鞏固 なる免疫を賦与し得た。次いで大量の Virus を以て試験せるに、綿羊は体 温を軽度に上昇せる以外には他の反応を示すことなく、之に耐え得た。  同種の実験を Maroc に於て Velu がやつた。その実験は11頭の山羊で行 はれた。之等の動物は一回だけ皮膚接種を受けた。皆が皆同量の Vaccin を 受けたのではない ; 即ち1∖5量から20倍量に変へたので、その一単位は皮 下注射に使用される通常量を以て表はさるるものである。  一回の皮膚接種の後14日目に、すべての綿羊が試験的菌注入を得た : 氏 は羊に家兎に対する致死量の5,000倍量に相当する Virus の量を接種した。 只「ワクチン」量1∖5を皮内に受けた綿羊が死亡せるのみにて、他はすべて生 残つた。  鞏固なる免疫はかくして綿羊に於ては皮内に只一回「ワクチン」を注射した だけで発現せしめ得た。        *  *  *  皮内予防接種の試みは続いて馬でなされた。最初の実験は Brocq-Rousseu ――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) Presse médicale, 12 juillet 1924, 27 octobre 1926; Annales de l’Institut Pas-   Teur, juin 1927,        経膚的免疫法           155 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― et Urbain に属する。その実験の始めに当り、著者等は馬が甚しく感受性が あるので、細心の注意を払つた。詳細を述べることを避け、単に述べんと欲 するは皮内接種を受けたる三頭の馬は鞏固なる免疫を得たが、而もそのいづ れもが血液中に抗体の痕跡を現はさなかつたのである。  皮内接種反応は Brocq-Rousseu et Urbain の観察せる所によれば良性に して、通常馬に於て観察さるる偶然の重篤症と比すべき程度に過ぎない。脾 脱疽流行の際に Villars の獣医なる Saint-Cyr は最近 Ain 県に於て多 数の動物に予防接種をなした、そのうちに40頭の馬を含んでゐた。馬の場合 に於ては、その感受性として知らるる反応を避くるためにあるゆる注意がな された。皮下に第二回の「ワクチン」を接種して後4-5日で7頭の馬は極めて 重篤なる症状を呈し、そのうち3頭は脾脱疽で斃れた。  予防接種の事業関係を終るに当り、著者は記載して曰く『氏がなしたる結果 によれば、氏は将来馬の予防接種を実行することは大に躊躇するであらう』と。  問題となれる Brocq-Rousseu et Urbain の有益なる試験に続いて、大規模 なる皮内接種法が Asie 鉱山及び Maroc に於て近来実行された。  Levant の軍隊に於ては、最近5年来、脾脱疽が可成り猖獗を極めた。大 多数が馬及び驢馬より成る此の軍隊の動物はその地で採集せる秣、大麦及び teben を飼料とした。bled(草叢)の中を歩き廻はれる獣群は脾脱疽地帯の野 営で感染した。かくして、仏蘭西軍馬がシリアに到着して以来甚しき損失を 嘆くに至つた。  感染せる部隊に実施せるパストウール氏予防接種は夥しき数に上つた。血 清加「ワクチン」注射更に血清による予防注射さへも行はれた。従来の予防接 種法によつて得たる之等の不成功により、軍馬獣医課長 Nicolas は一部に皮内 接種法を採用した。氏は先づ一定数の馬に試みた ; 次いで、本法の無害なるを 確めたので、氏は之を有効に全軍隊に拡めた、即ち約9,000頭の動物に行つた。  ここに1925年1月1日に於けるこの脾脱疽皮内予防注射の第一回の仕事の 結果が何うであつたかを述べやう。  1924年の始めに皮内接種をせる馬及び驢馬8,912頭のうち、4頭が死んだ、 156        経膚的免疫法 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― そのうち2頭は予防接種経過中であり2頭は接種後である、即ち0,45%に当る。  然るに、1919年より1923年に至る5ヶ年に於て、その期間には他の予防 接種法が実施されてゐたのであるが、平均一ヶ年に88頭の損失があつた、即 ち8,1%に当る。即ち皮内接種法は5ヶ年の平均死亡率を約20倍減少したの である。  ここに獣医課長が如何なる言葉を以て陸軍大佐に報告してゐるかを述べて 見やう : ”之は馬匹の脾脱疽予防注射の歴史中前例なき成功である、成功は 皮内接種法の殆ど全く無害なること及び有効なることに帰すべきである。”  同様の接種法が翌年(1925年)に適用された。”この最近の実施成績は、吾 人が大臣に寄せたる報告書に述べたる1924年の成績を明に立証した、即ち Besredka の方法による予防接種は反応少きこと――予防接種による致死的 災害は少しも認めず――又馬匹に鞏固にして一年間持続する免疫を賦与せる ことを知つたからである。”  1925年には、6,994頭の馬と驢馬のうち、5頭が死んだ、即ち0,72%に当 る ; この結果は1925年はシリヤに於ける”脾脱疽の年”(1)であつたことを 考慮すれば更に顕著なるものがある。             *  *  *  我国に於て、脾脱疽予防接種の恩恵を最も多く蒙ると称せられる動物は、 綿羊と牛とである。1924年内に Moroc に於て、Monod et Velu の発案で牛 類及び羊類に21,640 の予防接種を実施した(14,405 の牛、12,520 の綿羊、 4,640 の豚、及び75の馬)。  注意すべき重要点は、之等の予防接種は甚しく病毒濃厚なる地方に実施し たことである。之に劣らざる重要点は、予防接種はパストウール氏法で行ふ 如く二回に実施する代わりに唯の一回で行つた、之は獣医及び耕作者の側で大 なる価値ある長所である。  Maroc の獣医は、この皮内接種方を採用したので、一様に本法の無害なる ――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) 獣医課長の陸軍大臣に宛てたる報告。Revue Vétèrin, milit, 1926 を参照、             経膚的免疫法            157 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― この、更に既に感染せる獣群に実施されること、有効なること、その優秀な るために採用すべき方法なることさへも承認するに至つた。  爾来、500,000 以上の予防接種が Maroc に於て Monod et Velu の指揮の 下になされた。  ここに予防接種成績の綜合より得たる知見は如何なる者か、述べてみやう。  ”Maroc に於て企てられた一般の実験と実際とは、一般に流布せる意見に 反し、唯一回の皮内注射は、発熱反応も、局部反応も、全身反応も起すこと なく、鞏固なる免疫の発現を決定するに充分なることを証明した。  ”免疫は殆ど即時に得られる。一回の皮内接種は殆ど爆発的の免疫を与へ る、その故は Vaccin の干渉が大多数の場合に、甚だ稀であるが、最も重篤 なる獣疫を、48時間以内に一度に押さへつけることが出来るからである。之 がために予め感染せる家畜群の動物に高価なる血清注射を行ふ必要がない。  ”免疫は鞏固である、何となれば皮下注射による最小免疫量の5分の1で 皮内注射の場合には之を予防接種するに充分であり従つて予防接種にはこの 分量の5倍を使用し得るからである。  ”免疫は強烈である、何となればかくして予防接種せられた動物は強毒な る脾脱疽菌の最小致死量の1,000倍量の皮下注射に抵抗し、感染地域に於て 2-3回の皮下「ワクチン」注射を受けたる動物と同様に平然たるものであるか らである。  ”免疫は持続する、何となれば之を実施せる大部分に於て、一年間「ワクチ ン」を接種せる動物に於ては、一例の脾脱疽病も認められず、尚之等の動物 が、獣疫の発生せる地方に於て、感染地域に存する場合に於ても同様であつ たやうである。  最後に、Velu は観察の総括より次の結論を誘導してゐる、之を吾人は原 文通りに再録することとする。  ”脾脱疽菌に対する一回皮内接種法は単純にして経済的なる方法である。 その無害にして効力の確実なること、血清注射を駆逐し得る免疫性の爆発的 発現、同時に予防接種の可能なることは、その地位は広大なる範囲の飼育地 158        経膚的免疫法 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― では明に必要のものとなつた。即ちかかる所に於ては獣医は極めて遠く、動 物は半ば野生にして、取り扱ひに始末悪く、畜群はさまよひ、之を引続き2 回又は3回全部集めることは困難である。  ”故に皮内接種法の研究は之以上技術の簡単にして、その実施に於て之以 上無害にして、その結果の之以上確実なる方法を要求することは出来ぬと思 はれる、かくの如き方法は殖民地の実施に貢献するものと断言することが出 来る。”            *  *  *  治療上には皮膚又は粘膜による予防接種は人間又は獣医の臨床方面に多数 にして多種なるものが用ゐられてゐる。吾人は Bouchaud, Cacan, Coignete, Latil, Laseigne, Philippeau, Ravina の論文並びに Bass, Bonneau, Chevalley, Demetriadès, Gerlach et Kralicek, Hababou-Sala, Kandyba et Natanson, Ki- ssine, Levy-Solal et Simard, Lobre-Francillon, Lotheisen, Naudin, Nicolas, Nicolaewa, Normet, Ribadeau, Roux, Schlein, Tonnat, Tron により種々なる 定期雑誌に発表された研究を借用し、一定数の観察を報告することとしやう。            「フルンクロージス」              Furonculose,  「フルンケル」が孤立又は密集するにせよ、四肢、胴体、外聴道内、又は顔 面にあるにせよ、近年の実験では湿布繃帯、膏薬、沃度丁幾の塗布に、抗葡 萄状球菌濾液により特殊繃帯を代用し優秀なる成績を挙げ得た。  初期に処置すれば、「フルンケル」は頓挫する、充分成熟せる時に処置すれ ば、速に進行する。いづれの場合にも、特殊繃帯の速に痛みを止め膿塊癤心 が消褪するや否や結痂形成を促す。      観察I,-p,…尾骶骨部位に激痛を有する「フルンケル」を生じ、殆ど睡眠を防ぐ。   5月7日以来、患者は運動をなし得ず臥床す、疼痛は極めて烈しく患者は号泣  せざるために堪えなければならぬ程である。   5月10日に初めて抗葡萄状菌繃帯を試む。痛みは間もなく減じ、次に全く消失             経膚的免疫法            159 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  し、患者は睡眠す。   4時間後に、湿布は乾燥し痛みが再発す。午後8時に新に繃帯す ; 痛みは直ちに  消失す。5月11日朝4時、次に正午に包帯を新にす。膿塊は除去さる。   5月12日、炎衝症状は遞減す。患者の容体は益々満足すべきものとなる。   観察 II,―G,……「フルンケル」が左側の腿に生ず ; 中央部は強く充血し「チアノ  ーゼ」をなす。膿汁を排泄することなく、小なる口を認む。浸潤は深く硬し。疼  痛烈し。患者は杖に倚り歩行困難である。   1月29日、抗葡萄状球菌の湿布繃帯を始めて行ふ。翌日痛みは消失す。發赤は  消褪し、炎衝減少す。   2月1日、發赤も、浮腫も認めず。最後の特異繃帯を施す。   観察III,―旋盤工、3ヶ月以来「フルンクロージス」に罹患す。頸部に大なる「フ  ルンケル」を呈す ; 膿塊癤心の口は浸み出るに過ぎない ; 頸部の疼痛と「シコリ」  は通常の治療に拘はらず数日来継続。   「ブイヨンーワクチン」による湿布繃帯を適用す ; 数時間にして、患者は緩和せ  るを認めた。翌日、起床に際し、”患者は少しも悪く感じないで全く自由に頭を廻  転す。”。24時間で、「フルンケル」は窪み漏出は止む。   観察 IIII,―青年、二ヶ月来、一列の「フルンケル」が頸部に発生す。種々なる治  療を試みたるも効果なし。発生せる時には、その頸部は17個の「フルンケル」が散  在しうち4個は大である。患者は頭を動し得ず又睡眠し得ず。膿疱の清拭と切開  の後に、抗葡萄状球菌濾液を浸せる圧迫繃帯を施す。  直接の効果は疼痛の去れることで知らる。翌日、炎衝症状は消失す。葡萄酒の糟  色を呈せる頸部は正常の外観を呈す。淋巴腺膨脹は容積を減ず。三回の湿布繃帯  の後に大なる「フルンケル」の膿塊は除去し、小なる「フルンケル」は乾燥す。   観察 V,―30歳の男、朝覚醒と共に鼻の先端は赤く、腫大し疼痛あり。右側の  鼻翼の内面に固くして圧迫により痛みを感ずる小塊を認む。葡萄状球菌「アンチ  ウヰルス」を浸せる湿布繃帯を施す、殆ど即時に、患者は緩和す ; 發赤及び疼痛  は速に消失す。特異繃帯は午後と翌日に新たにさる。この時、患者は治癒せるを認  む。「フルンケル」は去り、再発は起らなかつた。   観察 VI,(Montpellier, Dr R……の自己観察)―数日来、余は右側鼻孔の大なる  「フルンケル」に犯さる : 3―4日以来痛く苦しむ。余は感染せる鼻孔内に「フル  ンケル」と接触し、「ブイヨンーワクチン」を浸せる綿の「タムポン」を一夜中入れ  て置いた。白状するがその結果を少しく疑つてゐた。然し、起床の際全く軽減せ 160     経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  るを認む。余の鼻は柔軟になつた ; その發赤は充分褪せ、24時間後には、「フルン  ケル」は治癒した。   観察VII,(Marseille Dr R……の自己観察)―外聴道に於ける刺戟性にして疼痛  ある葡萄状球菌感染にかかる。余は二回反覆し該感染を消褪せしめ同時に化膿期  前の刺す如き痛みを消失せしめることが出来た。二日にしてすべてが順調となつ  た、諸君余の満足を思つて下さい。             癰           Anthrax  Antivirus による湿布繃帯は之を初期に施す時は屡々癰を頓挫せしめる。 感染部位は蒼白となる ; 浮腫疼痛は減少す ; 熱は低下し患者は休臭【息】感を覚え る。  発病の極期に於ては、小なる切開にて足る。「アプセス」の腔内に Antivirus を滴入するか又は其所に Antivirus を浸せる心(しん)を挿入する。かくして切 開による創痕を避け、顔面癰の場合には、全身感染の危険を避ける。   観察I、-MC、……、39歳、12月11日に Saint-Germain 病院に入院す。2病竈存  す :  左側腓腸の癰の大さ3cm の盃状托を有す、右側腿の後面の癰同上の大さ  を有す。患者は疼痛による不眠のために疲労す。食慾減退するも熱なし。   各盃状托の部に、葡萄状球菌及び連鎖状球菌を認む。第一日に抗葡萄状球菌濾  液による湿布繃帯を適用し ; 翌日混合濾液を使用した。   12月14日、各の癰の囲繞せる烈しい浸潤区域は減退す。之を蔽ふてゐる水疱は  は空虚となる ; 水疱は新に生ずることなし。盃状托は清拭され充満する傾向あり。  患者は熟睡し、食慾を回復す。此の時より局所症状は速に良好となる。   観察II,―60歳の女、糖尿病 ; 初めに背部両肩胛骨間に大なる癰を生ず。之を  「テルモカウテル」にて開き、通常の湿布繃帯にて処置す。   20日後に腰背部に2個の新生癰の発生を認む ; 之を「テルモカウテル」にて切閉  し、此度は Antivirus による湿布繃帯で処置す。   最初の癰には相異を見るために、故意に単純繃帯にて治療されたもの、瘢痕と  他の二個の特異繃帯を以て治療されたものの瘢痕とを比較するに、次の事が証明  された : 最初のものより15日後に発生せる二個の癰は、少くとも最初のものよ             経膚的免疫法            161 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  り15日早く治癒した。   観察III,―吾人はDrM……の報告を受けてから2ヶ月である、余は「約15日を  経過せる癰を有する一婦人の患者に呼ばれた。余は「テルモカウテル」で一眼より  他眼に及ぶ手掌大の全頸背部に亘る病竈部を切り取つた。之は血膿及び脱疽屑で  満ちてきた ; 余は実際同大の創痕を残すことを恐れた。余は「ブイヨンーワクチ  ン」による繃帯を適用した ; 48時間後に、余は他の繃帯をなし軽度の快方を認め  た ; 患者は苦痛が軽減した。   余は余の住居より甚だ遠隔なるため患者のため娘に他の三回の繃帯を委嘱した。最  初の適用後10日目に、余が訪ねた時、余はその結果に全く吃驚した。即ち目前に  は少しの膿痕もなく生気ある赤色で蔽はれたる創痕を見たのみである。   現在では、創痕は全く癒着した。   観察IIII,―M,夫人、68歳16―22gr, の糖尿病。1926年8月3日、余は患者を見  た : 全頸背部を占むる巨大なる癰あり。手術(「クロール=エチール」の吸入) : 全  病竈を截除、緑色又は脱疽状を呈する部分を全部摘出。垂直に上昇する切開は創  面の各側より頭頂に向つて上り、幅約4cm, 長さ約12cm の毛髪を発生せる皮膚  片を剥離した。剥離せる皮膚片の端は顱頂部の毛髪発生皮膚と Florence 毛によ  り固定さる。体温は38°と39°の間を上下す。   8月9日頸部の右側部位に壊疽様の浸潤が起つた。第二回の手術 : 脊椎上部  及び頸動脈部の全柔軟組織を肩峰突起に至るまで摘出した。   柔軟組織の覆蓋を一度び除去するや、直下にある筋肉は壊疽で浸潤せるを見た、  余は胸鎖乳嘴筋の下半分と僧帽筋の大切片とを切り取つた。頸部大脈管が共通の  鞘に包まれ傷面の底部に見えた。   細菌学的検査の回答を待ちつつ、抗葡萄状球菌の販売濾液の繃帯を施した。検  査の結果は葡萄状球菌及び連鎖状球菌なることを明にした。この時より、混合販  売濾液を1日2―3回、3―4週間使用した。   9月1日、毛髪発生皮膚片をつなぐ連糸を切断し、之を赤色にして充血し充分  に肉芽状となれる創面に付着せしむ。そこで脂肪を塗つた紗布の繃帯をなす。9  月14日頃、患者は病院を去つた。彼女の表在性の創面は尚長さの最大15cm,幅  の最大8cm を算した。容体極めて良好。             瘭疽            Panaris,   M……嬢右手の中指に深在性瘭疽あり。表在性瘭疽の結果軽度の切開を受けた  る後、患者は注意せず自宅療養をなし創面を汚染す。指は浮腫を呈し、發赤疼痛 162     経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  を訴ふ。腱鞘を犯される心配があるので、吾人は Vaccin による繃帯を施した。  之は翌日取り代へたが、浮腫、發赤疼痛は減退し、皮下に膿を誘導す。完全なる  治癒は9日で得られた。            乳房炎           Mammite,  乳腺の炎衝の中に瘙痒、發赤、疼痛性腫脹を呈する場合には即時に特異繃 帯を使用せるに、極めて屡々化膿することなく吸収を促進す。膿の形成ある 場合には、切開の後濾液で洗滌し且つ濾液を浸せる「ガーゼ」を插入すれば速 に瘢痕を形成せしむ。   観察I,―L……(Franoçise,), 18日前発生せる乳房の「アプセス」のために1  月5日 Saint Germain 病院に入院す。局所に極めて烈しき疼痛あり。体温39°2  cm の切開により、多量の膿汁を排泄す ; この中に連鎖状球菌を発見す。   「アプセス」の空洞には「ワクチン」濾液に浸せる「ガーゼ」を確り填める。殆ど直  ぐに、疼痛及び発熱の消失せるを認む。   20日で完全に治癒す。   観察II,―乳房の巨大なる「アプセス」, 車輪の輻状に四個の切開をなし、管を  以て大なる排膿をなす必要あり。腺は炎衝硬結の所在部位となり、硬化深在性に  して、遂には化膿せんとして居る。   排膿管を通じて、「ブイヨン=ワクチン」を充せる蒸気噴霧を行ひ、この同液に  浸せる「ガーゼ」を出来るだけ深部に挿入す。   感染が殆ど全乳房に及ぶ時には常に長期間を要するものが、著しく速に経過し :  20日以内に、乳房は正常の外観に復し、その柔軟性は5―6週の器官を待つまで  となる。         感冒性化膿耳炎       Otite Suppurée Grippale   耳の「アプセス」が1月13日に穿孔す。耳浴の処方に昇汞化「グリセリン」次いで  硼酸「アルコール」とす。この洗滌は毎日行はれ2月5日に及ぶも著効なし ; その  感染は慢性になる恐れがあつた。   2月5日耳浴に数滴の「ブイヨン=ワクチン」を加へたものを用ひ ; 同じ液に浸             経膚的免疫法            163 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  せる綿を耳介上に適用す。   2月6日、流出は全く乾く。             中耳の「アプセス」          Abcés de l’Oreille Moyenne   中耳の「アプセス」、鼓膜穿孔し乳嘴突起炎始まらんとし、まさに専門医を訪れ  穿骨術を受けんとせる程であつた。   「ブイヨン=ワクチン」を適用して後、患者は間もなく軽快し ; その第一夜に熟  睡し、手術することなく恢復す。              鬚瘡          Sycosis de la Moustache   M……氏は一年に二回規則的に鬚瘡の罹つた。普通に、「ポマード」及び種々の  洗滌液を使用するに不拘、感染は皮膚の広範囲を浸し数週間継続す。患者が罷り  出た時は、病竈は前日あらはれ2―3平方糎の表面を占む。最も著明なる化膿性  病竈を火で焼灼し、「ピンセット」で脱毛をなす ; その上に「ブイヨン=ワクチン」  の繃帯を施す。その晩は極めてよく過ぎた ; 瘙痒は数時間で癒ゆ。翌朝、患者は、  繃帯を取りつつ、”それが治癒せる”ことを認めて非常に吃驚した。明に、脱毛  せる皮膚はきれいになり、全く周囲の健康なる皮膚に比較し得。此の患者につき  Dr N, を認めしめた皮膚接種の優秀なることは、それまで使用せられたるすべて  の消毒剤に勝れることを示す。         處生兒の化膿性皮膚炎        Pyodermite des Nourrissons  広くひろがれるこの疾患はその頑固なると種々なる治療に対し抵抗強きと により絶望的のものである。   観察I,―V,R……, 生後6か月、1925年10月13日、Marfan 教授の病室に入院  す。彼女は二度の栄養不良の状態、肋骨の珠数状を有せる軽度の佝僂病、頸部  腋窩及び鼠蹊部の矮小多発性腺病を呈す。   10月23日、頸部に限局し天疱水より成る多数の発疹をあらはす。他の部、顔面 164     経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  の付近、胸部の上部に数個の「アセモ」を認む。   天疱水の漿液検査によれば葡萄状球菌が純粋の状にあることを示す。葡萄状球  菌「ワクチン」を以てせる繃帯の作用により、天疱水の発疹は2日で癒ゆ。感染せ  る粟粒疹は少しく長く続く。   烈しい頑固なる鼻加答児は通常の医薬(ユーカリ樹油の「コラルゴール」溶液)に  抵抗し、移植するに特に連鎖状球菌を示したので、連鎖状球菌濾液を鼻腔に注入  せるに数日で消失した。   観察II,―小児 Hélène H, ……, 1925年7月10日生れ、8月18日左側内髁付近の  部位に生ぜる「アプセス」のために小児救済病院(Parrot 哺育育)に入院す ; 浮腫  が足の背部、脛の前部、膝に至るまで存す。軟き点を呈せる「アプセス」は翌日瘻  管を形成す ; 浮腫と發赤は継続し ; 体温は38°8で稽留す。   「ブイヨン=ワクチン」で処置せるに、浮腫上の腫脹は消失し、完全治癒は5日  間で得られた。   10月15日、全夏中消化不良を呈せる小児は第二度の栄養不良の状態である ; 腹  部及び四肢の脂肪膜は消失した。小児は新に毛髪部の皮膚に皮膚性又は皮下性の  多発性「アプセス」を有する化膿性皮膚炎を呈す ; 頸背部に限界極めて悪しき巨大  なる腫物を生じ、浮腫性腫脹は頸部一円に及び更に側方顳顬部位に達す ; 左側耳  朶に出血を認む。之は栄養不良者に於ける毛髪発生皮膚の膿瘍にして Marfan 氏  は特に重篤と考へ、屡々死の転帰を取るものと考へる。切開す ; 漿液帯血色性液  体が流出し、その内容を対物硝子にて検し更に培養して葡萄状球菌の存在を知る。  葡萄状球菌濾液を以てせる繃帯の作用により、頸及び毛髪部浮腫性の腫脹は消失  し、膿は切開部に於て排除す ; 浸潤性膿瘍の治癒は3日で得らる。   観察III,―小児 Georgette L……, 1925年2月5日生れ、気管枝肺炎を併発せ  る麻疹のために、1925年4月の初めに小児救済病院(伝染病室)に入院す。   数日にして前額及び右側顳顬の膿疱性化膿皮膚炎の小疱を発生す ; 之に「ワク  チン」含有「ポマード」を使用す : 即ち「ラノリン」と葡萄状球菌濾液との混合で  ある。   日毎に、病竈の快方に向ふを認む。6日目に膿疱疹は消失し、乾燥し痂皮を以  て蔽はれた。   右側上眼瞼の部位に、「ポマード」を貼用し得ざる発疹があつた、之が対照の発  疹となつた。その炎衝症状は継続し、膿を含有せる小嚢を形成し、明に他のもの  より区別さる。   観察IIII,―Jeannine S, ……1925年8月26日生れ、1925年11月10日小児救済  病院(Pavillon Pasteur)に入院す。入院させた理由は小児が発育せず、体に吹出             経膚的免疫法            165 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  もの、甚しき発汗による「アセモ」を発生したためである。之は佝僂病である :  頭蓋消削病及び珠数状肋骨をなす。小児は左側臀部に巨大なる「アプセス」を示す。   「ブイヨン=ワクチン」にて処置するに、化膿性皮膚炎の病竈が治癒せるを以て、  1925年11月23日に退院す。             小膿疱疹             Impétigo  初期は葡萄状球菌に由来するこの感染は屡々多種細菌の第二次感染を併発 す。適当なる Antivirus を局所に適用することが選択すべき治療法である ; この場合約10日の期間を継過することは稀である。     観察I,―M,S,S,B, ……左側の耳に受けた刀傷に次いで、耳殻、乳嘴突起部及  び耳下腺部に潰瘍と独特なる痂皮とを有せる Impetigo を生ず。   1924年3月15日より3月20日まで、3回「ワクチン」を適用せるに、根治するに  至る。第一回の適用後に、痂皮は剥離す、3月20日、全部位が上皮を生ず。   観察II,―M,G,G, ……,指物師、屡々木片にて指を損傷し、時々損傷部に潰瘍  性大膿疱疹の発生を見、全作業を中止せねばならなたつた。吾人は1924年3月之  を見る機会を得た、之は1ケ月以来生ぜる化膿性膿疱疹で少しもよくならない。   2日の間隔で3回「ワクチン」を適用せる後、完全に治癒した。患者は「ワクチ  ン」の適用後一年半で再び訪れた ; 彼は屡々皮膚に外傷を受くる如き仕事を継続  せるに拘はらず、更に病竈を生じなかつた。   観察III,―Mlle P,V, ……6ヶ月以来化膿せる乳嘴突起炎のために手術せる妙齢  の患者に於て、前頭部に約1糎平方、後頭部に3―4糎平方の Impétigo 様の二病  竈を毛髪発生部の皮膚に生ず。2月以来、之等の病竈は癒着する傾向がない。   吾人は1924年3月20日より28日まで「ブイヨン=ワクチン」を2日目毎に前頭部  に適用し治癒せしめ得た ; 3月20日より4月8日まで後頭部病竈に適用し同様の  結果を得た。             オツエナ             Ozéne  鼻腔粘膜に局所的に適用せる、Antivirus 浸潤「ガーゼ」は、Jacques, Nancy, Re- battu et Proby, Lyon の管轄内並びに Doviol-Valcroze 及び Leplat の管轄内で、 166           経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  良好なる結果を与へた、特に粘膜に予め胆汁を塗布せる場合が有効であつた。 ,            角膜の感染創傷           Plaie Infetée de la Cornée   F,G, は10月8日角膜に異物を受けた。間もなく葡行性進行をなす「アプセス」  ついで前房蓄膿症を起した。患者は烈しく苦しみ、一睡せず。   10月20日、第一回「ブイヨン=ワクチン」適用。21日「アトロピン」をやめたにも  拘はらず、疼痛は消退す、もはや前房蓄膿症なく ; 「アプセス」は洗滌さる。「アプ  セス」の場処には洗滌された深部の潰瘍が残存するのみである。この良好の経過  は27日まで続き、その日に癒着が充分に行はれ、感染は消失し視力が恢復せるを  見る。               涙嚢の慢性「アプセス」           Abcés Chronique de Sac Lacrymal   糖尿病患者で治療手術を行ふことを躊躇せるものに於て起る。Antivirus 濾液  を以て涙嚢を四回洗滌し全化膿を消褪退せしめた。 ,            涙嚢炎            Dacryocystite   観察I,―16歳の若き娘、1924年12月4日、涙嚢の感染で来る。彼女は3年来病  気である。右側涙嚢から多量の膿が流る。この膿は極めて速に形成さる。幼少の  頃、彼女は風邪に罹患し、「カテーテル」及び涙嚢内に種々の物質を注入して処置  された。二年間で、涙嚢の部位に「アプセス」が形成さる。   細菌学的検査は肺炎菌を証明す。12月18日自家「アンチウヰルス」を涙嚢内に第  一回の滴入をなす。自家「アンチウヰルス」による治療は12月30日まで継続さる ;  全部で6回の注射がなされた。1月10日患者は治癒し退院す。彼女は2年半この  方観察され、再発がなかつた。   観察II,―38歳の婦人、1925年2月24日右側涙嚢炎衝のため訪る。彼女は4年  来病気である。多量の膿が涙嚢より流出す。患者は専門医に治療されたが成功せ  ず。最近手術を薦める者があつたが彼女は之に従ふことを拒否した。   細菌学的検査によれば短連鎖をなす双球菌を発見す。3月12日、涙嚢内に自家             経膚的免疫法            167 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  「アンチウヰルス」を注入す。注入は七回反覆された。3月31日患者は治療退院す。  彼女は二ヶ年来観察さる。   観察III,―45歳の婦人、1925年3月3日涙嚢の炎衝のため訪問す。彼女は6年来  病気である。濃厚多量の膿が右側涙嚢より流出す。患者は種々の治療を置けた ;  屡々「カテーテル」で洗滌された。   細菌学的検査で、肺炎双球菌を発見す。3月21日右側涙嚢内に自家「アンチウ  ヰルス」の第一回注入を行ふ。之に続いて11回注入をなした。4月18日、患者は  治癒退院す ; 彼女は尚2年来観察のため残る。 ,            潰瘍性眼瞼縁炎            Blépharite Uleéreuse   観察I,-35歳の男子 ; 2年来眼瞼炎に罹患す ; 眼瞼縁の發赤と浸潤、毛根に  於て深部性潰瘍を伴ふ癒着性痂皮あり。黄色葡萄状球菌を発見す。患者は「フル  ンクロージス」の傾向がある。Wright 氏法による「ワクチン」療法を行つた ; 患  者は次いで砒素剤の皮下注射の一巡を受け、内服に麦酒の酵母を摂つたがいづれ  も効果はなかつた。   葡萄状球菌「アンチウヰルス」による湿布繃帯の適用に続いて、眼瞼は速に正常  の外観に復した。5ヶ月間患者は観察されたが、少しも再発はなかつた。   観察II,―右側眼瞼の湿疹性眼瞼炎にして定型的浸出性潰瘍を伴ひ薄皮を以て  蔽はる ; 睫毛の縁に添うて小潰瘍を認む ; 眼背区域に於ては赤色の皮膚はひびだ  らけとなり潰瘍とならんとする傾向を示す。左側では、更に發赤は広がり糖粃状  の鱗脱皮あり、中央に白点を有する二個の麦粒炎存す。   この感染が慢性化する前、Antivirus による繃帯湿布をなした。5回の繃帯後  即ち治療後一週にしてすべての治療を拒否し、傷口は閉ぢた。”麦粒炎は二回の  繃帯後に妖術による如く消失した”。   観察III,-14歳の少年 ; 一年来眼瞼にその縁に固着する痂皮を有す。之を剥離  すると出血性の小なる潰瘍が露出する。眼瞼縁は充血し軽度に浸潤す。黄色葡萄  状球菌を認む。葡萄状球菌「アンチウヰルス」による湿布繃帯は快癒に導く。患者  は2ヶ月間観察のため留まる。 168           経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――            口内炎及び歯槽骨-骨膜炎        Stomatite et Ostéo-Périostite Alvéolaire,   30歳の患者、特長ある潰瘍性口内炎(口の悪臭、顎下腺の疼痛と腫脹)、3ヶ月  来治療もさまで快癒の兆候なし。混合「アンチウヰルス」を適用す。疼痛消失し、  三日後に、完全に治癒す。   他の患者、彼自身医師、急性歯槽骨―骨膜炎の症状にて「クリニク」を訪る。之  に在来の治癒法(穿骨、洗滌等)を受けさす。疼痛去らず、3晩継続せる不眠の後、  患者は抜歯を要求す。最後の手段として彼に葡萄状連鎖状球菌「アンチウヰルス」  を試用せむことを薦む : 之の歯根管の中に少し注入し、その後にその出口を密  閉す。   この適用後二時間で、痛みは止む。翌日その歯は全く感じない様になつた、然  るに前日までは軽く触るるも極めて烈しい疼痛を起したのである。            火傷           Brulures  更に押し広むれば、之は病原菌の侵入門口に役立つ ; 治療は傷口の上皮形 成を促し、感染を防ぐことを目的とす。この場合には Antivirus はすべて指 示せる生物学的消毒剤となる : 即ち化膿に反抗し、細胞に有害作用を及ぼ さず、却つてその抵抗を強める。瘢痕形成上皮形成は特異繃帯の適用後直ち に促進され、負傷者は充分よくなれる様な感じを懐く。   観察I,―O,D……嬢、16歳、三度の火傷、左側上肢の全内面、両乳房の表面、  左側の手の両面、右側の手の半面に及ぶ。火傷は極めて感染さる。   1924年3月20日、Vaccin を浸せる湿布を露出せる皮膚が多少深く犯された全部  位に適用す。翌日、損傷せる全部分は既に当該表面の1∖3が恢復す ; 尚露出せる  部は少しも感染せず又夥しき吹出ものもなし。3月25日表皮形成は左腕全表面に  起る。唯々数個の小なる体液の流出物の尚認めらる。右側乳房の傷面は治癒す ;  左側乳房の傷面はその面積の半分以上に上皮を生ず。3月27日、恢復著明となる  最後の「ワクチン」繃帯は3月29日 ; 次いで乾燥繃帯をなす。   観察II, ―M,J……夫人、22歳。4度の火傷、左側肩の前部より手の両面に及ぶ。  中央に、一大結痂あつて排除口を有す。皮下の細胞組織は露出し著しく化膿す。   5月12日 Antivirus の繃帯を適用す。14日、脱疽部は極めて容易に剥離す。す             経膚的免疫法            169 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  べての部分が露出し鮮紅色の血液が浸出し、化膿は極めて少くなる。煮沸水を以  て洗滌せる後、16日に乾燥繃帯を適用す ; 浸出液は次第に増加す ; 或る点は尚ほ  感染し、吾人は之に「クレーム」状にせる Antivirus 層を適用することとす。18  日、傷口は瘢痕形成のよき経路を示し、更に化膿せざるに至る。          感染創傷及び「フレグモーネ」         Plaies Infectées et Phlegmones   観察I,―手の「フレグモーネ」前腕の淋巴腺炎を伴ふ。手掌及び手頸の上の屈折  筋及び伸張筋の腱鞘を開いて後、「ブイヨン=ワクチン」を創傷内に注入す。消毒  的繃帯と特異繃帯とを交互にす。12日間で治癒す。結果は極めてよい、と Sanit-  Mihiel の Dr P……は付加す、何となれば最初の6日目にすべてが空虚となり、  何の病弱を残すことなく治癒は確実となれるからである。   観察II,―男子膝の「フレグモーネ」に犯さる、発熱38°皮膚は強く浸潤し、光  沢があり、膿疱で蔽はる ; 疼痛烈しく快癒する傾向少し、疼痛は Antivirus の繃  帯の適用を受けて10分以内で軽減す。   12時間で、体温は正常に復帰し、腫脹は消失し、膿疱は乾燥し、患者はその膝  を plié (「ダンス」の時膝を曲げる動作)をするまで矯正することが出来た。   治療3日後に、患者は歩行することが出来た。   観察III,―下顎角の「フレグモーネ」智歯の「カリエス」に継続す。化膿性洞腔を  穿刺し空虚にし、毎日2回「ブイヨン=ワクチン」の一筒を注入す。乾燥し瘻管を  形成することなく治癒し敢えて切開に頼る必要がなかつた。   観察IV,―骨髄炎、数ヶ処もの手術(膝の載除、徐々に排除する腐骨片、新な  る手術の際の数回の擦剥)に引続ける永久性漏洩を伴ふ瘻管のため一年半以来治  療す。八月に、急性に進展す : 発熱、局所の疼痛、腫脹、發赤。「アプセス」を  形成す ; 切開により、200gr 膿汁流出す。葡萄状球菌「アンチウヰルス」を多量  に浸せる「ガーゼ」を挿入し排膿す。同じ「アンチヴヰルス」を浸せる圧迫繃帯をな  す。   翌日、圧迫繃帯は膿汁を含有せざる漿液を以て濕潤す。   3日目頃から、烈しい分泌は著明でなくなる。「ガーゼ」は除去さる。更に数日  経過し、創傷は閉塞し、少しの化膿性流出もなくなる。   即ち、二回の反復で、患者は同一場所に嘗て同様なる「アプセス」を造つた ; 切  開と排膿によれば軽快するには毎回約3週間を要した、然るに Antivirus の影響 170           経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  によれば「アプセス」は6日間で縮少し完全に治癒した。   観察V,―手術後の「フレグモーネ」、「ヘルニア」の手術に引続き、体温上昇し、  3日目に38°5となる ; 4日目に、体温は40°となる。腹膜炎の症状はなく ; 然し、  手術創傷部位には、例へは掌大の發赤、疼痛及び腫脹がある。縫合は癒合せず ;  二個の排膿管が置かれた。翌日、腹壁の化膿と剥脱とは大なる「フレグモーネ」の  特長を示す。炎衝性外観は著しく大となる ; 体温は39°5に達す。翌日、同じ炎衝  症候は排膿管より多量の膿を排泄し、絶えず増悪する傾向あり。   この時排膿管を Antivirus で浸せる「ガーゼ」と交替し ; 同じ液で浸せる圧迫繃帯  を赤色浮腫の全部位に適用す。夕方、体温は38°5に低下す。患者は苦痛を訴へず ;  明に快癒せるを証す。翌日、体温は正常となり ; 更に上昇せず。炎衝症状は消失  す。切開により壊疽に陥り排除口となれる下部接続組織より来る膿を流出せしむ。  6日間で完全に治癒す。   観察VI,―手の汚染穿刺、巨大なる腫脹、淋巴腺炎、腋下「ガングリオン」,「フ  レグモーネ」化する脅威、烈しき疼痛、指を動かすこと不可能、Antivirus による  第一回繃帯後二時間で、疼痛消失し、指は運動し得る様になつた。3日目に、更 に2回の繃帯後、治癒は完全となつた。治療医は、この患者の病歴を報告して、  次の言葉で結んでゐる : ”この世の中に完全なものはない、然しこの治療は私  には殆どそれに近いものと思はれる”。   観察VII,―患者は錆びた釘を足につき刺し足の「フレグモーネ」を呈し、脚部  及び臀部の淋巴腺炎を併発した。Antivirus による繃帯を受けて、患者は48時間  で炎衝症状が消失するのを見た。4日後に歩行し始めた。   観察VIII,―農夫、肥料運搬車を造ることに従事せる際手を碎いた : 多数の  指骨の開放性骨折、組織の裂傷、土及び肥料の侵入、通常ならば、切断は避くべ  からざる様に見えた。   特異繃帯により、患者は何等認むべき化膿もなく非常によく癒着した。   観察IX,―Mme J, ……陰門周囲の多数の潰瘍のために Hué(安南)の婦人病棟  に入院すー化膿性海綿腫状の創瘍、周囲組織の脱疽の傾向あり、消毒薬によるす  べての治療が失敗に帰し 又菌の培養で葡萄状球菌と緑膿菌との存在を証明した  ので、特異「ブイヨン=ワクチン」が繃帯の形で、一日2回使用された。極めて速  に、疼痛は減弱し、潰瘍は清浄となり脱疽となる傾向は已む。治療の5日目、上  皮形成が始まり、肉芽が現はる; 7日目に感染状態は特異治療を中止する位と  なりそして生理的食塩水による繃帯と交替す。癒着は何等異状なく行はる。             経膚的免疫法            171 ――――――――――――――――――――――――――――――――――   付言すべきことは此の局所治療法は抗化膿菌「リボ=ワクチン」注射の型で行へ  る一般療法により完成されたことである。   観察X,―Le Thi C……頸部の後側面に存する大なる潰瘍、化膿甚しく、深く、  周囲の組織に脱疽を生ずる傾向あるために、Hué の検疫所で治療さる、熱は4日  以来38°と39°2、の間を上下す : 衰弱甚しく、脈搏速にして微弱 ; 炎衝性浮腫  は同側の全顔面を占む。創傷部位にてなせる培養は、連鎖状球菌の純培養を得た  ので、4日目の午後のうちに特異製剤による局所の繃帯と同時に連鎖状球菌「ブ  イヨン=ワクチン」の15cc, の静脈内注射を行ふ。翌日、熱は39°2より37°8に  降る ; 脈搏はよくなる ; 傷面は清浄になり始む。この日より、注射をやめ、只局  所療法の形で、1日2回の繃帯をなす。極めて速に、脱疽になる傾向はやみ、炎  衝性の浮腫は消失し、体温は正常に持続す。           牡牛の於ける瘭疽          Panaris Chez un Boeuf    5歳の牡牛、左側前肢の先端に瘭疽を生ず。蹄冠の部に廔管あり。動物は強度  に跛行す ; 動物は横臥し絶食す。14日間「ポマード」を貼用するも、動物の容体は  悪化するに過ぎない。最早起死再生は望まれない。脈搏は90°全く食慾はなくな  る。死期の切迫のため、屠殺することとす。   かく決定するに先立ち、Antivirus による湿布繃帯を患部に適用し、30分間目  に12時間交換した。驚くべき効果に逢着す : 間もなく、動物は身を起し、起き  た状態で止まる。更に数日間繃帯を継続す、之により完全治癒に導き速に正常体  重に復す。         馬に於ける多発性「アプセス」を         伴へる慢性「フレグモーネ」   Phlegmon Cronique Avec Abcès Multiples Chez Cheval   馬、3ヶ月来、後肢先端部位に、多発性「アプセス」を伴ふ慢性「フレグモーネ」  に罹患す。人頭大の巨大なる腫瘍をなす。脱毛 ; 漿液性膿状の分泌物 ; 諸所に波  動性瀦留物あり。「アプセス」の一つを切開するに大量の膿汁流出す。脚内に烈し  き疼痛あり ; 食慾不振 ; 温度39°6。   治療(「アプセス」の切開、消毒薬、繃帯、沃度丁幾の塗布)に拘はらず、新なる「ア  プセス」と皮膚炎の悪化を認む。馬を犠牲にせんと決心す。然るに、之を殺す前 172           経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  に、葡萄状球菌「アンチウヰルス」による繃帯を試む。   翌日になるや否や、馬は通常の如く食しその患脚を動かす。「アプセス」は数日  間で治癒す。動作の障害は全く消失す。治療は8日間継続した。         :牝牛に於ける蜂窩織状骨膜炎     Periostite Alveolaire Chez une Vache   大なる波動性腫脹、下顎部位に疼痛、之に葡萄状及び連鎖状球菌「アンチウヰ  ルス」による繃帯を施す。   翌日になるや、圧痛は消失し食慾は恢復す。三回の繃帯の後、腫脹は吸収され  瘻管を残さず。             産褥熱          Infection Puerpérale  産褥熱防止のための方法は著しく多数あり。之等の方法は子宮内を手又は 器械による掻爬ににより洗滌するにあるか、又は消毒薬又は「ショック」を使用 するにあるか、又は「ワクチン」接種或は血清療法による治療をなすにある。 之等の方法はいづれも真に満足すべき結果を与へないことを認めざるを得な い。  連鎖状球菌濾液を浸せる「ガーゼ」の子宮膣内挿入による治療法は予防上及 び治療上に今日実施されてゐる : 予防上には、子宮内操作の場合、分娩の 際長時間で困難なる場合、後期重篤感染の怖れがある時である ; 治療上には、 既に感染の症候ある場合である。特異貼布は、子宮周囲の病竈の時、流産の 時、帝王切開の時、同様にその適応症となる。最後に、静脈内に直接注入せ る濾液は屡々一般感染の場合に役立ち得るものである。   観察I,―T,……, 3回の経産婦。1926年1月24日、市街にて産婆にて自然分  娩をなす。分娩は可成り速に正常に経過した。自然の出産は完全に行はれたと宣  告された。翌日、産婦は戦慄を感ず。翌々日、1月26日、体温は40°となる。不  安。悪寒戦慄反復す。   27日、午後、分娩の3日目、患者は Saint-Antoine の産科院に運ばれた。   入院時の検査 : 産褥熱の定型的状態 ; 体温40°2 ; 脈搏128 不安。半譫語。             経膚的免疫法            173 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  悪寒戦慄頻繁。猩紅熱様発疹は腹部及び胸部に及ぶ。腹壁は柔軟子宮は臍の高さ  に達す、何等疼痛なし。   麻酔の下に手を以て子宮の再検をなす ; 子宮は空虚、内壁は離る。その直後に  濾液の子宮内充填を行ふ。   同時に血液培養を実行せるに12時間で陽性を示す : 溶血性連鎖状球菌 ; 一部  採取せる悪露の中にも同様に連鎖状球菌の純培養を見る。   4日目 ; 朝、体温は38°5 ; 脈搏116。一般状態はよくなる ; 悪寒戦慄は再発せ  ず。猩紅熱様発疹は増加せず。夕刻、体温は39°、脈搏124°第二回の「タムポン」  をなす。悪露中には連鎖状球菌は極めて多く又大腸菌も存す。   5日目 ; 朝、体温は37°8 ; 脈搏116°恢復極めて著明。患者は安静。夕刻、  体温38°8 ; 脈搏124。第三回「タムポン」。悪露中 : 連鎖状球菌余り多からず ;  大腸菌 ; 白色及び黄色葡萄状球菌を見る。血液培養陰性。6日目 ; 朝、体温38°4 ;  脈搏110。極めて良好の状態。猩紅熱様発疹は略々消失す。第四回「タムポン」。  悪露中 ; 連鎖状球菌は稀有、大腸菌、葡萄状球菌あり。   7日目 ; 体温38° ; 脈搏100°すべての敗血症状去る ; 翌日体温は正常に復し ;  脈搏は80となる。   産婦は治癒退院す ; 入院後11日目にして、分娩後14日目である。   観察II,―1回経産婦、27歳。看護婦。3月12日自然分娩。出産は自然に完全  に行はる。   最初の2日間は無熱。3日目の夕方、体温40°1 ; 脈搏160°痙攣。一時性譫妄。  戦慄。血液培養は12時間で陽性 ; 溶血性連鎖状球菌。悪露中 : 連鎖状球菌純  培養。濾液を以て第一回膣栓塞法をなす。   4日目 ; 朝、体温38°5 ; 脈搏110 ; 夕刻、体温39° ; 脈搏120。一般症状は快  方。濾液による第2回栓塞。悪露中 : 連鎖状球菌。   5日目 ; 朝、体温37°5 ; 脈搏100 ; 夕刻、体温38°2 ; 脈搏100、第3回「タ  ムポン」。血液培養陰性。   6日目 ; 体温36°8 ; 脈搏80。正常に復帰。18日目に離床 ; 非常によくなつて 退院。   観察III,―P……,2回経産婦、35歳。子宮線維腫。5月3日 : 胎児渋滞のた  めにO,P,にて鉗子分娩をなす。   5月6日、朝、体温37°3 ; 脈搏84 ; 夕刻、体温37°5 ; 脈搏87。夜中 : 悪  寒戦慄、不安。   5月7日、朝、体温40° ; 脈搏140。顔面痙攣 ; 新たに悪寒戦慄。子宮は臍部  中央に達す ; 臭気なき悪露の流出あり。夕刻。体温41°。脈搏小 ; 急速、154。 【本コマの途中より「脈搏」を「脈膊」と植字しているが、「脈搏」に統一する。次コマ以降も同】 174           経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  悪寒戦慄。予め子宮内を検査し胎盤破片も膜も破片もないことを見てから、子宮  内に「ガーゼ」挿入。午前2時、烈しき戦慄、脈搏計算不可能 ; 「カンフル」油、  20cc。   5月8日、朝、39° ; 脈搏120、搏動可。一般状態快方。新機戦慄なし。蕁麻  疹全身。夕方、体温38°2 ; 脈搏110°第2回「タンポン」。患者は不安なく睡眠  し得た。   5月9日、体温37°2 ; 脈搏98°新たに全身性蕁麻疹発生。口中に「ブイヨン」  の味覚。夕刻、36°9 ; 脈搏88。第3回、「タムポン」。   5月10日、体温36°9 ; 脈搏80。つづいて全く正常となる。20日目に、一般状  態よく起床     観察IV,―M, …,29歳 ; 4回経産婦。5日以来自宅にて分娩。1925年3月28日、  夥しき子宮出血のために Saint-Antoine の産院に運搬さる。胎盤全付着面上にあ  る多数の小破片を取り出す。出血は継続し多量である。消毒「ガーゼ」による子宮  内「タムポン」をなす。2日後即ち分娩後8日目の午後、体温は38°8に上昇、次  いで39°5、更に40°となる。始めて濾液による子宮内「タムポン」を行ふ。悪露を  採取して培養するに連鎖状球菌の純粋培養を示す。一般状態は憂慮さる。顔面痙  攣、鉛色。昂奮と沈鬱とが交互に来る。   9日目 : 体温39° ; 午後体温39°9。第2回「タンポン」。一般状態は明に快  方。   10日目 : 体温37°3 ; 午後体温38°3。著しく快方。第3回「タムポン」。   翌日以後、体温は37°5と38°4との間を上下す ; 次いで15日目に全く無熱と  なる。患者は3週間目に快癒退院す。   観察V,―F,C, …2回経産婦、25歳。2ヶ月半月経遅る。   1925年10月24日、子宮出血 : 胎児駆逐。   25日、烈しき悪寒戦慄 ; 26日、数回の悪寒戦慄、各5分間続く。患者は Saint-  Antoine の産科院に収容さる。入院時には、体温40°7 ; 脈搏120。直ちに掻爬し  胎盤を取り出す。採取 : 溶血性連鎖状球菌の純培養。濾液による子宮内「タム  ポン」。   27日、体温36°8 ; 脈搏88。第二回「タムポン」を24時間後に取り出す。無熱  となる。8日目に退院す。  重要にして特に多数の研究が近来 Saint-Antoine の産院に於て産褥熱感染 の早期治療に関して行はれた。  この研究は産院にてなされた3,010 の分娩、自宅で始まり次いで産院の隔 離に送られた 1,244 の分娩に就て行ふ。治療は連鎖状球菌「アンチウヰルス」             経膚的免疫法            175 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― による子宮内「タムポン」を使用するのである。この「タムポン」は24時間放置 し、次に連続3日間更新す。  予防上 Antivirus による「タムポン」は分娩困難の場合(鉗子剔出、子宮傾 斜、人工分娩、前置胎盤等)になされた。35例中、35例が成功した。1例は 特に興味があつた : 101時間の作業と二度の鉗子使用の試みと1回の頭蓋 破碎法を行へる後に、体温は37°7を越えず、正常に下るためには48時間臥 床した。  治療法として「タンポン」使用は Antivirus による子宮内「タムポン」を子 宮内感染の症状が既に存する場合に、分娩後直ちに行ふのである。21例中20 例が成功した ; 唯々一つの失敗は全腹膜炎の症候を呈せる婦人にて観察され た ; この例は、然し、当該治療の正常なる範囲内に入るものではない。  二次的にして後期の治療「タムポン」は出産後3―4日目か又は分娩1週間 後に行はれた。治療16例中、16例が成功した。  膜の停留の際の「タムポン」は8例に行はれた ; 之は常に重要にして、時と して全き停留を起す。すべての場合第2回又は第3回「タムポン」後、体温は 正常に下り。子宮の局所状態は極めて速に恢復するを見た。  最後に、敗血病を起せる流産10例中、Antivirus で治療されたもの10例は 成功した。  極めて有力なる統計は同様なる条件に於て平均40%の罹患率を示すことを 考ふる時は、Saint-Antoine 病院の産院で得れらた結果はすべて我々の注意 せる所に値ひすることを認めるであらう。       汚染性子宮内膜炎、産褥熱潰瘍    Endométrite Septique, Ulcérations Puerpérales,   観察I,―初産婦。分娩当日、体温38°9。翌日頃、腹部は膨満し、緊張し疼痛  あり。3日目及びその翌日、明かに腐敗臭ある多量の褐分色泌物【ママ】。   7日目、会陰の縫合に使用せる糸は取らる ; その前に化膿せる膜と壊疽となれ  る組織で蔽はれた大創傷あり ; 創傷の底部は充血し浸潤す ; 周囲は強く浮腫を呈  す。子宮頸は壊疽組織で蔽はれた多数の烈目存す。子宮は多量の膿汁を分泌す : 176           経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  その中に連鎖状球菌を認む。血液は無菌である。子宮内及び膣内に連鎖状球菌の  濾液で浸せる「タムポン」を挿入す。午後、患者は10分間継続せる悪寒戦慄を起す。   8日目、子宮高は臍部の下二横指である。舌は苔を生じ乾燥す。子宮は化膿性  褐色液を絶えず分泌す。第三回「タムポン」   10日目、創傷の表面はきれいとなる ; 殆ど浮腫がなくなる。第四回「タムポン」   11日目、創傷は全く清浄となる ; 生殖器官の浮腫は消失した ; 分泌液は著しく  減少した。第五回「タムポン」。翌日、創傷は速に癒着す ; 患者は24日にして治癒  退院した。   之を要するに、重篤なる全身性感染又は局所の強度の炎衝に犯された婦人に於  ては、連鎖状球菌濾液による「タムポン」は浮腫を極めて速に消散し少からず速に  創傷を癒着する効果を有す。   観察II,―初産婦、26歳。分娩の翌日、体温39°3に上る。大陰唇の浮腫。悪  寒戦慄。3日目、体温39°7 ; 脈搏110 ; 腹部膨満 ; 子宮疼痛あり。   5日目、腹部膨満、緊張、疼痛。子宮より悪臭の褐色の液体流る。体温40°。  会陰裂傷、浮腫、膜にて蔽はる。子宮頸部は脂肪質にて蔽はる。子宮分泌液中に  連鎖状球菌。血液は無菌なり。   膣及び子宮の「タムポン」として最初は混合濾液(細菌学的検査前)、次に連鎖状  球菌濾液による方法を講ず。午後、悪寒戦慄30分継続す。   5日目、即ち第1回「タムポン」を施せる翌日、体温は39°6 ; 連鎖状球菌「タム  ポン」の新摘要。6日及び7日目、子宮分泌液は分量減ず、然し体温は稽留し、  39°6に達す。   8日目、多量の発汗に続き、熱は分利し37°2に下降す。子宮は最早疼痛なし。  2日後、分泌液は漿液性となる。患者は13日目に退院す。   この例に於て、骨盤内結締織炎を併発せる、連鎖状球菌による慢性敗血性子宮  内膜炎が影響す。Antivirus の影響により、腹膜炎の症状は消失した ; 膜は第1  回の「タムポン」で弱くなつた ; 疼痛及発熱は濾液の4回適用後に消失した。             膀胱炎             Cystite    観察―Mme N…18歳の時に虫様垂突起炎の手術に続いて「ゾンデ」を使用して  後、第一回膀膀炎の発作があつた。此の膀胱炎は少しも完全治癒をしなかつた ;  その妊娠中患者は腎盂兼腎実質炎(Pyélonéphrite)を起した。この時期に於ても、  亦将来に於ても、膀胱炎の局所治療をなすのは適当でなかつた。疲労に続いて又  は湿潤時に膀胱の疼痛現はるる時には常に「ウロトロピン」のみを与へた。1921年、             経膚的免疫法            177 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  少しく酒精を含有せる飲料を嚥下せる後に、患者は膀胱炎の烈しい発作を起し ;  尿を検査して後 Argyrol による洗滌を行つた。この時には尿及び膿の検査によ  つて大腸菌及び「エンテロコツケン」を発見した。   Dr M, …の薦めにより、大腸菌曹達の自家「ワクチン」を注入した ; 洗滌も継続  した。発作は止んだ、然し数月後に再び起つた ; 而して尿は放尿により更に疼痛  なき時にも常に溷濁した。   1923年、余は静脈内にBactériophage の注入を患者に行つた。余は膀胱内に20  cc, を注入した ; 同時に皮下に10cc を注射し、患者は経口的に Bactériophage を  20cc, 摂取した。この治療に次いで、尿は以前より透明となつたが、然し強度の  極めて不愉快なる石炭酸様の臭気を発した。之は膀胱の新しい発作が現はれる時  には増強した ; 治療せるにも拘はらず新発作は1924年と1925年に現はれた。   1925年9月、患者はその尿の石炭酸様の臭気のために苦しみ続けた。細菌学的  検査により葡萄状球菌を証明したので、葡萄状球菌の膀胱内注入を行つた。3時  間濾液を保留して後、患者は尿、濾液及び濃厚なる膿汁を排泄した。   翌日になるや、石炭酸様臭気は尿より消失した。八日間遅れて、Antivirus を  新に注入す ; 液は3時間保留し、放尿後も疼痛なし。更に5日遅れて新注入をなす、  この時は放尿後一時的の疼痛性発作を生じた。以後疼痛もなければ、尿の臭気も  なくなつた。              腎盂兼腎実質炎              Pyélonéphrite   観察I―Mme G…,30歳、第2回妊娠、第1回妊娠中に、夫人は腎盂兼腎実  質炎により蛋白尿を起し、之がために分娩時に子癇 éclampsie の発作を起した。   患者は妊娠4ヶ月、Pyélonéyhrite を有す。腎臓の疼痛。膀胱炎。膿汁を含む蛋  白尿。体温は高からず : 37°5。大腸菌。   Antivirus を膀胱内に始めて注入するや、快癒著しく尿中の膿は減少す、体温  は低下し、腎臓疼痛及び膀胱炎は消失す。   患者は完全にその活働力を恢復した。   観察II,―Mme J…25歳。第1回妊娠 ; 5ヶ月 ; 体温上昇。   患者は右側腎臓部に極めて烈しき疼痛あり又放尿後に疼痛あり。尿は少く、濃  厚にして膀胱底に濃厚なる膿汁の沈澱を残す。   一般症状は可成り悪い。患者は吐き、睡眠せず、妊娠の中絶可能を思はしむ。   膀胱内に Antivirus の第1回注入。その午後体温は下がり下降し続けた。患者は  快方に向ひ : 苦しむことなく、食事は出来、1週間後には数時間は起きられる 178           経膚的免疫法 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  様になつた。   余り成功せざる自家濾液を注入する時に体温は軽度に上昇す ; 患者は新に苦し  む。以前の濾液を全く規則正しく使用す。患者は3週後に分娩し非常に健康な子  供を産んだ。患者は現今健康である。   観察III,―Mme B…, 35歳。1925年7月虫様垂突起切除。緑膿菌で化膿せる  Hematome を1925年8月に手術。15日後に、患者は溷濁せる尿を排泄す。検査  するに多量の大腸菌の存在を証明す。体温上昇 ; 40°   膀胱に注入せる Antivirus は体温を下降し、尿を透明にし、一般状態を快方に  す。本治療を尿中に全く細菌が消失するまで数ヶ月間継続した。            *  *  *  少なからず有効なる結果の記載された場合は、欧氏管の「アプセス」、口腔の 「アプセス」、歯槽漏、乳嘴突起炎、丹毒、膿胸、直腸炎、軟性下疳、静脈潰 瘍である。  上述せる如く、Antivirus による皮下「ワクチン」療法の適当なる場合は非 常に多様である。之等の場合は外科、産科、婦人科、泌尿器科、皮膚科、眼 科、耳鼻咽喉科、口腔科に属する。  活動の重要なる領域は尚 Antivirus に保有さる : 吾人は手術前及び後の 局所「ワクチン」療法を目的とす。  局所免疫の形成は極めて速かであるから、或る重要なる全外科的行為は多 量の Antivirus の洗滌をするに或は必要に応じ後になさるべきことは合理的 と見らる。この手段は特に利尿生殖器官又は胃腸の器官につき手術を行ふ際 になさるべきものである。例へは、胃の切除又は胃腸吻合術の如き手術は最 も熟練せる外科医の最も厳重なる消毒をも屡々疑はれる。この場合、局所免 疫を施せる組織を手術せんとせざるか? 予め Antivirus を「メス」を加ふべ き組織に灌ぎ、手術する部位、手術者の手、「タムポン」糸を Antivirus に浸 し、合併症を防ぐ機会を得んとせざるか?組織の自然免疫を特異的に強め ることにより、外より来る菌の発育を防御するであらう、勿論潜伏性状態で 生体内に存する菌ばかりでなく、遠方にあつてまさに巣を離れんとしてゐる 菌に対しても同様に作用するであらう。             経膚的免疫法            179 ――――――――――――――――――――――――――――――――――           ―――――――――――――            Mémoires Cités Mazucchi,Clinica veterinaria,Ier juillet,31 août 1923, Velu, C, R, Soc,Biologie,28 mars 1924, t, XC,p, 746, Brocq-Rousseu et Urbain,Annales de l’Institut Pasteur t, XXXVIII, mars   1924, Saint-Cyr, Bullet, Soc, Sciences veterin, de Lyon,nov,-décembre 1932, p, 327, Lebasque, Revue vétérin, milit,, t, VIII, juin 1927, Velu, Annales de l’Institut Pasteur,juin 1927, t, XLI, p, 615, Gerlach et Kralicek, Deutsche tierärztl, Woch,, n 21, p, 331, 1927, Lotheisen, Wiener klin, Woch,, 20 janv, 1927, p, 80, Kandyba et Natanson, Wratchebnoie Dielo, Ier août 1927, p, 1057, Ravina, Thèse de le la Faculté de mèdecine de Paris, 1926, Bouchaud, Thèse de le la Faculté de mèdecine de Paris, 1927, Latil, Thèse de le la Faculté de mèdecine de Montpellier,1926, Cacan, Thèse de le la Faculté de mèdecine de Lille, 1926, Kissine et Basilevsky, Journ, de micrbiol,(en russe,),t, II, 1926, p, 157, Lehndorff et Brumlik, Wiener klin ,Woch,, 14 avril 1927 p, 483, Schlein, Wiener klin, Woch,, 31 mars 1927, p, 420 Philippeau, thèse de la Faculté de médec, de Paris, 1924, Hababou-Sala, thèse de la Faculté de médec, de Paris, 1926, Lasseigne, thèse de la Faculté de médec, de Montpellier, 1924, Joubert, thèse de la Faculté de médec, de Paris, 1924, Coignet, thèse de la Faculté de médec, de Paris, 1925, Demetriadis Bull, Soc, Ophtalmol, d’Egypte, 1926, Helsmoortel, Le Scalpel, n 38, 18 sept, 1926, Nicolas, Bull, Soc, Centr, médec vétér,, 30 oct, 1926, p,354,               Ⅺ       赤痢、「チフス」及び「コレラ」に於ける             腸の意義(1)       Role de l’Intestin Dans la Dysenterie,        la Fièvre Typhoïde et le Choléra(1)  脾脱疽に於ける感染機転を研究せる時に、吾人は海猽が脾脱疽感染に対し 抵抗性あること、唯々その皮膚のみが脾脱疽菌に対し感受性があることの意 外なる事実を確めた。記憶せらるる如く、もし海猽の皮膚より脱毛し、全く 生かして置くか、そしてもし生きたまま皮を剥いで脾脱疽病毒を注入すれば、 海猽は脾脱疽病毒に対し全く無頓着なるを見るであらう。  従つて、海猽の腹腔内に、人の知る如き注意を以て、脾脱疽病毒を送入す る時は、脾脱疽菌は速に喰菌され、次いで消失するのを見る。その破壊は完 全にして、その一つも感受性器官にさへも現はれない位である。また、皮膚 が脾脱疽菌感染外に置かれるならば、皮膚は施さるる接種を全く知らざるも のの如くである。換言すれば、動物はこの接種の後にも亦前と同様に脾脱疽 に対し感受性を有する。  脾脱疽の感染は、吾人が見たる如く、一様に皮膚の細胞の内部に起る程敏 感である。ここに、吾人が脾脱疽菌の予防接種の機転を同様に了解し得る主 なる注意を挙げよう。  脾脱疽の場合は一様でない。同様なる現症は種痘用病毒の研究の際に観察 された。剃毛は脱毛又は脱毛せる皮膚に適用すれば、この病毒は、4―5日の潜伏期 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) Bulletin de l’Institut Pasteur, t, XVIII, 1920, p, 121,      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    181 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 間後に、人の知る如き皮膚の発疹を生ず。若し、剃毛せる皮膚に淋巴液を適 用する代りに、皮膚を傷けない様に注意しつつこれを腹腔内に注射すれば、 その結果は全く同一ではない : 動物は感染しない。その證拠を挙げるのは 容易である ; 唯々発疹が出来ないのみならず、更に動物は新感染に対し恰 も新機なると同一の感受性をあらはす。吾人はそれ故次の様に結論するので ある。即ち痘毒は自然に定められた道筋と異る経路に置かれる時は感染能力 はないものである。  綜括 : 皮膚外に置かれた脾脱疽菌は感染せず。又この場合には予防をな し得ず。之は痘毒でも同様である。之は葡萄状球菌及び連鎖状球菌の場合も 略々同様である。故に感染経路と免疫経路との間には議論の余地なき関係が 存する。相互は互に相対的関係があるから、この教義を赤痢、「チフス」及び 「コレラ」に適用し、感染機転の研究よりせる之等の疾患に対する予防接種方 法の研究をなすことは全く合理的である。            *  *  * 赤痢、「チフス」及び「コレラ」の病毒は、最初に、少くとも研究室内動物に ありては、一定器官に対し選択的の親和力を有つてゐない様に見える。適当 量を以て之等の病毒は脳内に於ても亦腹腔内に於ても、内臓内注射に於ても 亦静脈内注射に於ても殺し得。  研究室内にて使用する習慣となれるすべての経路のうち、疾病を起すに余 り感受性なき様に見えるのは経口的経路である。之等の病毒の大量が、大多 数の場合、最も少き罹患的結果をも起すことなく、経口的 per os に与へ得る のである。然し吾人が次に見る如く、之等の感染の病原性に於て第一義を司 るものは研究室動物に於ても人間に於ても、経口的経路である。而して、顕 微鏡を以て、厳密に、病の経過中種々の器官及び液体中に起る事実を検査す る時は、すべての之等の感染中最も関係ある器官は腸管なるべきことを結論 するも不可でない  自然の状態に於ては、研究室内の動物は経口的感染に対し消化管に添うて 配列せる一例の堆積物により保護されてゐる。経口的に之を感染せしめんと 182      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 努むる時には、殆ど取り去るに不可能なる種々の分泌物によつて代表せらる る一つの防御系統に直面するのである。然し動物は防御されてゐないことを 証明するには感染の間接門口を選べば充分である :  その腸は露出して居り、 病毒はそこに到着するに全く自由である。             *  *  *  赤痢菌より始めやう。  あらゆる試みによるも無益な感染に終る口腔―咽頭―胃の障礙柵を避けん と欲し、志賀菌を家兎耳縁静脈に注入す。約48時間にて斃す病毒の分量を選 ぶ。  死後直ちに剖検す ; 之が生体内に於ける菌の分布を正確に了解する唯一の 手段である。更に少し遅れると勿論、速かに赤痢菌が自家融解しそれがため に菌の培養に失敗することがあるから、その結果を誤ることがある。  既に、肉眼的検査に於て、腸管に添うて変化せる選択的部位に驚くのであ る。此の選択性は顕微鏡的に検査する時は一層著明である。器官の内部及び 生体の体液を寒天上に培養すると、接種せられたる菌は極めて不平等に分布 し、而も之は常に同一なることを示す。血液も、尿も志賀菌の痕跡を含まず ; 脾臓、肺臓、腎臓、副腎囊は極めて少量を含有するか或は全く含有しない。 之に反し、腸内容は自然に種々の菌を蔵するが、全々菌の種類を変へる。腸 の或る高さに於て採取すると、殆ど志賀菌のみを認める ; 胆嚢より盲腸に至 る腸の全面に亘つて、志賀菌は、極めて屡々、純培養の状態にある ; 大腸菌 の集落のあるべき場所に、このものだけとなる。  即ち之は可成り意外の事実である : 菌は直接に一般循環系統中に注入さ れたのである ; 菌は動物の器官又は液体内に多少不平等に分布するのを見るの は予期し得る所であらう。実際には、全く違つた事柄が起る: たとへ循環 血液中に侵入せるにせよ、赤痢菌は全部一の器官中に逃避するに至る。若し 殆ど変化せざる規律を以て菌が腸内に赴くとせば、菌は明かにこの器官より 来る抵抗し得ざる力によつて引きつけらるるものと見らる。      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    183 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  静脈内に注入された時菌の限局する場処の選択的なることの存在する時、 如何にしてかの脾脱疽菌の親和力が皮膚の細胞に対し特異性あると略々同様 に、腸に対して親和力の存在することを考へないのであるか?  この親和力が更に驚くまでに現はれるのは、赤痢菌を血液内でなく、皮下 充実細胞組織に送入せる時である。  事実、かく注入せられたる動物をその病の経過中又はその死の直前に犠牲 に供す。全臓器、血液、胆汁、尿を培養せよ!この場合に於ても亦、腸を除 くほかは、吾人は接種せる菌を何処にも認めないのである。故にこの器官は 菌にある引力の作用を及ぼし、このために菌はその全道程にて遭遇するあら ゆる障礙を排して到着するのである。然し、之等の障礙は菌がその終局点な る腸管に到達する前に種々の組織を通過し道を切り開くのである以上、等閑 視してはならぬものである。  すべての菌がそこに到達するのでなく、失敗するものがある。彼等の多く のものは道程に於て迷ふ ; 彼等は崩壊し自家融解する。宿主を過ぎる濾過作 用を免かれたものは、最後に胆嚢内及び小腸内に座礁するに至る。故に他の 場所を探すのは無駄である ; 血液の中、尿の中、いずれの重要器官の中にも、 痕跡だにも認められない。  空腸及び十二指腸の中にー而も一様にーかくも遠方を出発せる菌を認める ことは可成り意義深きことではないか? この発見は、腸は志賀菌に対し優 秀なる親和性器官であり且つ腸壁が本菌に対する関係は皮膚が脾脱疽菌、種 痘病毒又は葡萄状球菌に対すると同様なることを肯定せしむる権利を与へる 充分なる證処をなるのではないか?  それ故動物は病毒の嚥下に対し全々或は殆ど感受性を示さない、その腸管 は親和性あるものと考へらるべきものではなければならぬ。  之を要するに ;  若し脾脱疽、痘毒、葡萄状球菌が皮膚感染ならば、赤痢 は腸感染と認むべきである。若し腸壁が障礙さるる器官ならば、之に向つて 不感受性となし動物に免疫性を賦与する様に努力すべきである。赤痢に対す る免疫方法を選ぶためには当然その感受性に就て述べる必要がある。 184      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義 ――――――――――――――――――――――――――――――――――           *  *  *  「チフス=パラチフス」病毒の場合にも、感受性器官は同様に腸であるか?  先づ第一に、特に若しも研究室の動物に拠るならば、之は全々さうらしく はない様である ; 動物は経口的に摂取せるこの病毒に対し全く無頓着なるを 示す。実験は吾人に海猽、家兎、あらゆる種類の低級猿類に「チフス」菌培養 の多量を経口的に与へ彼等に何等異常症状を現はすことなきを示した。  病毒の嚥下に対しかく感受性なき之等の動物に於て、すべての器官中感受 性あるものは腸なりとなすは真実である。此の感受性を引立たせるためには、 細菌に対し力を籍りるほかはない ; 即ち、細菌をして腸壁の摂取細胞(Cellu- les réceptives) の本質に接近することを容易ならしめなければならぬ。通常 は、之等の細胞は可成り厚い粘液層により病原菌の侵入に対し保護されてゐ る。この粘液層は Virus を嚥下する時は Virus と感受性細胞との間に置か れる。もし少しでも此の粘液柵を除去することが出来れば腸管感受性を発現 せしむるのである。  腸壁から粘液層を除去するために、その内面を磨くために、何人の吾人の 実験の場合になした如く、牛胆汁を嚥下させたものはなかつた  胆汁は、その種々なる性質のうち、優秀なる胆汁分泌促進剤を形成する性 質を有す。此の性質によつて、胆汁は家兎及び海猽に於て極めて多量なる胆 汁の分泌を起す。かかる種類の効果により、胆汁は腸壁の表面の層の烈しき 剥離を生ず。腸壁面の粘液を掃除して、腸壁は腸内面を露出する而して更に 正確に云へば摂受細胞を露出する。かかる時には、嚥下されたる Virus は之 等の細胞と直接々触する様になる。  研究室の実験は吾人の予想を確めた。即ち正常家兎は処置されない時は 「チフス=パラチフス」病毒の殆ど無限の分量に堪へるが、胆汁で処置された 後には、比較的少量の Virus に対し感受性となるを示す ; 動物は死ぬこと さへもあり得る。  興味ある事実は、全生体が牛胆汁の嚥下に次いで著しくその抵抗力が衰へ るのを見るのである。胆汁の感受性賦加作用は細菌が血液中に侵入してさへ      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    185 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  も感ぜられる  それ故、もし静脈内注射により感作されざる正常家兎を殺すためには、「パ ラチフス」培養の1∖6ー1∖20 を要すとぜば(註、1∖6―1∖20は寒天培養1斜面の1∖6 ―1∖20を示す)、予め胆汁で感作せる同じ体重の家兎の死を招来するためには 2―3倍少き量(1∖15―1∖45)を必要とすることを示す。故に胆汁の嚥下は動物に 於て特に経口的又は血行的に投与されたる「チフス=パラチフス」病毒に対す る感受性を賦与する。  感作された動物の剖検では、次の所見を認める。  腸は殆どその全面が充血す。その小腸の部位は殆ど透明にして粘液で充満 さる ; この粘液の中には剥離せる上皮の全体が浮遊するを見る。  顕微鏡的検査では亦 Virus の選択的限局性を示す : 臓器より培養する に「パラチフス」菌は主要なる部位として、絶対的ではないにしても、腸内容 及び胆嚢を選び、そこに菌は屡々純培養の状態にあるのである。  肉眼的病竈が腸の部に於て優越なること且亦培養によつて証明せる菌の選 択的分布は、之等の菌が腸管に対して有する親和力に左袒する証拠となる。  此の親和力は Virus の侵入部位がいづこであらうと常に同一である。Virus が直接に血液内、腹腔内又は皮下に送入されても、最後の結果は同一であ る : 一定不変に、Virus は腸管粘膜に来る。  故に、「チフス」菌簇を経口的に投与せるに拘はらず、胆汁で感作せる動物 に於ては、他の全器官を除き、腸に於て見らるるのである。故に之等の感染 は赤痢感染と同列に腸感染 entéro-infection として考へられる           *  *  *  吾人が「チフス=パラチフス」菌の問題で説明せる所は、範囲を広めて、「コ レラ」弧菌にも適用される。  動物に於ける「コレラ」感染の機転を研究するに当り、吾人の共著者正木は 上述せる症状を想起する症状を記載し得た。  腹腔内に送入された弧菌は速に一般循環系に達し、次ぎに之を過ぎつて腸 内に来り、ここに2―3日間滞在し得。培養によるに、弧菌は空腸、廻腸及 186      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― び盲腸内に認め、血液、胆汁、尿中には認めない。  同様に、皮下に注射された弧菌は決して腸粘膜に向ふことを誤たない、そ の部位に於て既に接種後6時間目に之を証明し得。  故に菌の分布状態は、菌の接種が腹腔内、皮下又は血液内になされても、 略々同様になる。弧菌が生体内を游走する道程は常に同一の目的地に向つて 集る、腸管壁が「コレラ」弧菌に作用する選択的引力がその方向を定めるので ある。  吾人が述べたる研究に引き続き、E,Glottof は実験的「コレラ」に関する研 究を再試した。この実験者は Virus の限局部位、胆汁感作の意義及び経口 的予防法の可能を研究せんと企てた。確実に死ぬ様に実施して、各器官から 系統的に培養せる結果 Glottof は病竈の性質並びに感染臓器内に分布せる弧 菌の状態を報告した。之等の研究は解剖的病竈並びに菌の分布の所見上より すれば、「コレラ」にて観察された症状は吾人が赤痢及び「パラチフス」にて記 載せる症状を模倣せることを示した : 血行中に送入された弧菌は主として 腸管内に宿るに至る。著者は胆汁を用ゐ家兎を感作し次いで経口的に弧菌を 投与せるに、静脈内弧菌注入の際に観察せる如き「コレラ」感染を惹起し得る ことを確め得た。かくして著者は「コレラ」感染に於ては腸は、赤痢の場合及 び「チフス=パラチフス」感染の場合に於けると全く同様に、感受性器官なる ことを結論するに至つた。  Horowitz-Wlassova et Pirojnikowa は海猽について同様なる証明をなした ; 之等の著者は、胆汁を使用し予め動物を感作せる状態に於て、Virus を per os に投与する時は該動物に於て腸「コレラ」を起し得ることを見た。           *  *  *  脾脱疽脱疽の問題に就ての之等の記載に敷桁して、吾人の報告せんとする事実 は、毒力の注意の再検、細胞の特異なる結合性の注意の必然的帰結を必要と することである。  今日までは菌の毒力は全々動物に比較して考へられた。然し、此の考は実 験によるに反対なることが分る。或る菌は或る種の動物に対しては毒性があ      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    187 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― るが他の動物に対しては欠如することは明らかである : 海猽に就ては可成 り怖れられる脾脱疽菌は鼠に対しては殆ど無害の様である。脾脱疽の感染の 歴史は更にその毒力は動物の種類によつて異るのみならず、同一個体に於て も、細胞群によつて異ることを吾人に教へた。  皮膚と接触する時は極めて猛毒なる脾脱疽菌も之を腹腔内、気管内、血液 内、皮下細胞組織内に入れる時は雑菌の様になる。その毒性は少しもその生 活力を長くさせることなくして忽ちに消失する。皮膚の細胞に代へるに脾脱 疽菌が親和力を呈せざる他の細胞を以てする唯一の行為が、その毒力を零に なすに充分である。  菌の毒力は、如何に強くなつてゐても、もしその表面に菌が置かれた細胞 が結合性がないか又は結合性がなくなつた場合には、何等の障礙をも表はさ ない。此の最後の出来事は、例へば、皮膚予防接種を行はれた海猽に起るの で、その際には皮膚は脾脱疽菌に対する親和力を失つてゐる。  毒力は二つの要素からの作用があるので、お互に作用することにより、之 を増強し又は減弱することが出来る。動物通過をなし、動物界に於ける菌の 結合力を促せば、即ちその細胞に対する親和力を強くすれば、其の毒力を増 す。反対に、Virus を物理的又は化学的要素の凝固作用下に置けば、即ちそ の反応する「エネルギー」を弱くすれば、その毒力を減少する。  若し、Virus を変化せずに残し、単に摂受細胞に作用せしむれば、全く同 じ結果を得ることが出来る。同様に、外傷(打傷、剃刀、火)によりその抵抗 を減少するか、又は胆汁により軽度に障礙されると、細菌の毒力を増強す : 殺さない程度の Virus の量で殺す様になる。  他方では、摂受細胞の抵抗力を増強すると、極めて毒力強き菌の作用を無 効にさせる : 之は摂受細胞の感受性を弱める時又は予め Virus ―Vaccin と 接触してその作用を溷濁せしむる時、例へば皮膚免疫又は腸管免疫の際に於 ける如き場合に観察する所である。  それ故に動物に毒力強き菌を接種すると云ふことばかりでない ; 更にこの 菌がその攻撃すべき生体内に存在すること即ち菌が摂受細胞に出逢はなけれ 188      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ばならない。予防接種後、之等の細胞が充分結合せる時は、菌は――たとへ 毒性極めて強くとも――無害に止まる。雑菌として取扱はれ、その運命に従 ふ : 菌は容易に喰菌細胞の餌となる。このことは云ふまでもなく、其の後摂 受細胞と接触して置かれた同一菌はその最初の毒力を回復し得ないことにな るであらう。ここに一例を挙げると、海猽に必要なる注意を払つて強毒なる 脾脱疽菌を腹腔内に注射せよ。そこには摂受細胞がないので、之等の脾脱疽 菌は動物に少しも害毒を与ふることは出来ない ; 却つて脾脱疽菌は白血球に よつて破壊されるのである。然しもし、その完全破壊を待たずに、空虚の注 射針を以て腹腔内注射を行ふ様なことをすれば、腹腔内に健全なる脾脱疽菌 が一個でも存在すれば、海猽を殺し損ふことはない : 腹腔内では雑菌であ つても、脾脱疽菌は再び皮膚を通過する間に有毒性となるのである。「ヂフ テリア」の如き毒素も、鼠に注射され、その体内を循環するも生命を危くす ることはないが、而も感受性強き他動物に対する毒性は尚保有してゐる。             *  *  *  毒力に就いて見た事実は、或る性質が生体の全部に平等に拡がれるもので、 一定群の細胞にあるのでないとしては、免疫の或る種の現像の説明に誤解の 汚点を付さなければならぬ。然し、脾脱疽に於ける免疫に関する多くの研究 は皮膚の意義の不明を感じなければならなかつたことは明らかである。何と なれば、Virus を皮下又は腹腔内に注入して後、皮下又は腹腔内滲出液内に 起る事柄のみを見ると、真実を看過する : 之は皮膚内に起る所のもの、即 ち吾人の全手術によるこの永久の創傷を調査するのである。たとへ脾脱疽菌 が注射された場所だけで菌の運命を追求することに満足する時でも、感染の 主要なる部位は他にありとの反響を集めるに過ぎない。  脾脱疽の場合になされたこの観察は、亦「チフス」菌、赤痢菌及び「コレラ」菌 の如き Virus に取つても価値がある。今日まで、一回接種をなした正常又は免 疫動物の反応を知らんと欲する時はいつでも、――菌の侵入門口に従ひ―― 血液内、腹腔内又は皮下に菌の運命を追求する習慣となつてゐる。平等に全 器官を検査するが、腸壁部位に起る特種の態度を見てゐない ; 然し其所が主      赤痢「チフス」及び「コレラ」に於ける腸の意義    189 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― として動物の運命に関するのである。吾人は細胞の結合力に関しその自治制 が何れ程大なるかを知れる今日、結合器官の内部なる、その実際的範囲内に 免疫性に関する研究を置かねばならぬであらう。  ここに、やや図解式に、感染の種々相、次いで、免疫に帰着する所のそれ 等を如何に表はし得るかを挙げやう。  如何に感染が強くとも、皮膚又は粘膜の侵害の場合、その侵入の衝撃に最 初に関与し之を最初に受くるものは常に白血球である。白血球がすべての菌 又は単にその一部分を捕ふることに成功しても、感染が次いで来るのは主と して摂受細胞の部位に於てである。  感染が重篤でない時は、菌は摂受細胞の層を突破することはない。その親 和力の強大なる細胞は Virus 又は喰菌細胞に【よ】り遊離された Antivirus の大 部分を吸着する。かくして細胞は感染の全身に拡がるを防ぐ。その Virus に 対する貪欲が満足されて居れば、新感染は最早細胞を攻撃しない。何となれ ば細胞はそれ以後反応に与ることが出来ないからである。  感染が重篤なる場合に白血球が喰菌不可能となると、菌は侵入的行進を続 け、摂受細胞によつて表はさるる第二線の柵に衝突するに至る。その存在の 危険の際には、摂受細胞は出来るだけ多くの Virus を吸着する ; 然しその 楯としての意義は充分でない。之等の細胞は充満しやがて次から次に溢れる 様になる。個体の運命は Virus と血液の喰菌細胞との間の争闘の結果に懸 る。この争闘の結末は Metchnikoff の記念すべき研究以来極めて詳細に知ら れてゐるので、吾人はここに之を主張するは蛇足なりと思ふ。            ――――――――――              Mémoires Cités  A, Besredka, Annales de l’Institut Pasteur t, XXXV,juillet 1921, p, 421;t, XX-   XIV, juin 1920, p, 362; t, XXXIII, mai août, déc, 1919, pp, 3 1,557,882,  Masaki, Annales de l’Institut Pasteur t、XXXVI,p,399,  Glotoff, C,R, Soc, Biologie, t, LXXXIX, 7 juill, 1923, p, 368,  Harowitz-Wlassova et Pirojnikova, C, R, Soc, Biol,, t, XCIV, 1926, p, 1067,             Ⅻ      赤痢、「チフス」、「コレラ」に対する            経口免疫  Immunisation Par Voie Bucclale Contre la Dysenterie,        la Fièvre Typhoïde et le Choléra (1)         ”すべての生活元子は一定の免疫度を獲得す”Metchnikoff           (L’immunité dans les maladies infectienses,)  腸「チフス」又は「コレラ」に対し予防接種をせんとする時は常に、皮下経路 に施行す。30年以上の実施歳月を閲したこの習慣は、殆ど反抗するものなき 一種の反射となつた。  使用すべき Vaccin に就て、選択困難があるに過ぎない。今日では約10種 の「ワクチン」製剤が知られ、すべてそれぞれ、長所がある : 死菌 Vaccin もあれば生菌 Vaccin もあり、乾熱120°加熱 Vaccin もあれば53°加熱 Vaccin もあり、自家融解 Vaccin もあれば感作 Vaccin もある ; 脂で調製 せるものもあれば「エーテル」で調製したのもあり ; 沃度、弗素加等の Vaccin もある。  之等の Vaccin は何を根拠とせるか? 之は時として専門家でさへも当惑 せしめずには置かぬ問題である。然し衛生学者の精神の中に何等疑念を起さ ない様に見えるのは、Vaccin の適用方法である。腸「チフス」又は「コレラ」 に対し免疫を賦与するためには、使用する Vaccin の性質が何であらうと、 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) 巴里医科大学衛生学教室に於ける。万国衛生講習会にてなせる講演(1927年   1月26日)      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    191 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 施行する唯一の経路は皮下であることに全部が一致してゐる。  何所からこの十中八九の確信は来てゐるか? 之を知るがためにその原因 に逆つて見やう。それには吾人をして現今の技術の出発点となれる当初の実 験の遠い過去の時代を追憶せしめよ。           *  *  *  独逸の二名の研究者、Beumer et Peiper は1888年に海猽に於て「チフス」 感染を研究した。氏等はその動物に Virus の種々なる量を注射した : 或る ものは死し、他のものは生存した。或る日、Virus の確実致死量を使用しな ければならぬ実験をなすべきだつたので、対照を置く必要を認めた。稍々躊 躇せる後、氏等は既に使用せる一群の海猽中より対照を取るべく決心した。 氏等は「チフス」菌の致死量を注射せるすべてのうち、対照はその晩のうちに 死ぬであらうことを確信した。然るに翌日対照の大多数が生存し何等の障礙 を呈せざるを見た時、彼等の驚きは如何許りなるかを知らなかつた。氏等は 調査を行つた、それによれば生き残つた対照は明かに予め「チフス」菌の少量 を受けたものであることが分つた。  此の事件は続く者なく : 間もなく忘れた。その後8年に過ぎずして、他の 2名の独逸の細菌学者なる R, Pfeiffer et Kolle が当時説明出来なかつたこ の実験に立ちかへる必要ありと判断した。Beumer et Peiper の実験に起つ た事柄を了解せんとの研究に際し、氏等は菌を接種された海猽の血液中に厳 密に特異なる殺菌性物質、即ち、「チフス」菌にのみ作用する物質を発見した。  之等の研究者は、之がBeumer et Peiper の海猽にて観察された免疫の鍵 であると宣言した。氏等は曰く、人間に於ても同様であるべきである、何と なれば若し「チフス」の免疫が殺菌力の作用であるならば、この同様なる能力 を「チフス」を経過し、このために「チフス」の新感染に対し免疫となれる人の 血清中にも認め得べきである。実際上、腸「チフス」の恢復患者の血液を検査 するに、Pfeiffer et Kolle 氏等が菌を接種せる海猽にて曩に見たと同様なる 殺菌性物質を認めた。  かくして大二研究すべき価値ある極めて興味ある事実に直面した。此の殺 192      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 菌力が「チフス」免疫中に演じ得る意義を確めなければならなかつた ; 換言す れば、之はこの免疫の全部又は一部を表はすものか、或は亦単に随伴現像即 ち免疫と無関係なるか何うかを見なければならぬ。  Pfeiffer et Kolle は長い間此の研究に手間取ることはなかつた。幸にも予 防接種せる人の血液中にそれまで疑はざりし特異物質を発見したので、氏等 は「チフス」の全免疫を該物質に帰せんとする誘惑――固より全く自然の誘惑 ではあるが――に対し抵抗しなかつた。人工的に動物又は人間を予防接種す るためには氏等によれば自然を模倣しなければならなかつた、即ち殺菌性物 質を血液中に生ぜしめなければならなかつた、而して之に達するために「チ フス」菌を皮下に注射したに過ぎなかつた。以上が即ち「チフス」予防接種の 現今の技術の由来となつた理由である。  現今広く使用せらるるこの技術は、殺菌力と「チフス」免疫に於けるその意 義とを勝手に云ふに過ぎないから、不充分なる動機的及び早急的説明に基く ものである。             *  *  *  吾人は今日では殺菌能力は生体が反応し得る一つの態度を表はすに過ぎぬ ことを知つてゐる ; 更に此の反応は制限された数の伝染病に表はれるに過ぎ ない。免疫度の秤に於て、殺菌性物質は適応する抗原の存在する際に於ける 凝集素又は補体結合物質以上に重さがあるものではない。  Pfeiffer et Kolle の説明に対し重要にして真実らしき外観を与ふる事は Peiper et Beumer の実験に於ける海猽の生存である。  此の生存が殺菌素の証明であることを承認するとしても、問題となれる論 拠は、海猽の感染が人間の腸「チフス」性腹膜炎に対しては皮下予防接種は極め て容易に作用するが、この腹膜炎は人間の腸「チフス」とは甚しく類似しない ものである。唯々病原要素が両疾患に於て同一であるだけである ; 固より、 之等の疾患はその進行並びに Virus の存在部位の点からすれば全く異るも のである。      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    193 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  人間は腸「チフス」又は「コレラ」に感染するのは一様に経口的である。海猽 は、全く他の実験室内動物と同じく、per os の感染には絶対的に不感受性 である。唯々類人猿――大猖々、手長猿及び猖々――は、Metchnikoff の示 せる如く、全く人間と同じく、経口的感染により罹患す。よつて、Pfeiffer et Kolle が推称せる如き「チフス」予防「ワクチン」、即ち皮下注射に於て人間 に効果あるか否かを知らんがためには、その疑問の解決に適当なのは海猽で はなく類人猿である。此の実験は Metchnikoff 及吾人自身でなされた。ここ にはその詳細に亘ることなく、結論を述べるだけに止める : 皮下経路によ り接種され次に経口的に感染された「シムパンゼー」は腸「チフス」に感染し た : 海猽の皮下に注射さたる同一「ワクチン」は致死的「チフス」性腹膜炎よ り海猽を防御した。  故に海猽の結論より人間に移してはならぬ。海猽の生存せることは殺菌素 の存在に基くと仮定するも、証明は不充分である、本物質が人間に於て評価 さるべき利用価値ありとは云はれない。  以上は人間に於ける皮下経路による予防接種に対し主張し得る実験的部門 の論拠である。  実験的部門の之等の事実に対しては確かに、「チフス」又は「コレラ」の流行 の際に作成された多数の有利なる統計より演繹せる論拠より反対することが 出来る。  吾人は価値ある統計には重要性を置くべく用意するものである。皮下予防 接種法は多くの場合確かに有効であつた ; 吾人は此の問題については後に説 明するであらう。然し多数の場合に就て研究室で厳重に監督されてなされた ので余り満足でない統計を看過してはならない。実際に、よい条件で皮下に 接種された人が予防注射後2,3又は4ヶ月内に腸「チフス」に感染した多くの 例を知る。  さきに述べたことから、吾人の意見によれば、今は之を支持すべきではな い : 「チフス」の皮下予防接種は、たとへ有効であつても必然的のものでな い ; 予防法に完全なるものとなる様に改良されるであらう。 194      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  之を要的するに : 皮下予防接種法の広く実施さるる三点――殺菌素、海 猽に於ける防御力及び人間に於ける統計――は之を期待する権利ある鞏固性 を提供しない、故に他の問題の解決を探求しなければならない。           *  *  *  予防接種の問題――「チフス」予防、「コレラ」予防及びその他――は、仮令始め の頃は殺菌素の足跡を辿らなかつたとは云へ又仮令単に天然痘予防法の例を 感得してゐたとは云へ、今日では全く異る外観の下に吾人の面前に表はれた。  天然痘に於ては、本病を支配する症状は皮膚及び粘膜の部に限局してゐる。 Jenner が現今知らるる最も鞏固にして最も有効なる種痘疱を行ふために選 んだ所は皮膚である。  腸「チフス」に於ては、「コレラ」に於ける如く、赤痢に於ける如く、主なる 局在部位は腸にある ; 其所が「チフス」又は「コレラ」が劇の主要なる部分を演 ずる所である。それ故有効なる予防接種法を行ふために目ざすべき所は、論 理上、腸である。  此の結論は、全く類推上からも、臨床的に又実験的にも確められた。  臨床上ではかつて腸「チフス」に罹患せる人即ちその腸が「チフス」菌と接触 せる人の獲得せる程度の免疫性はないと云ふことを教へないであらうか? かく顕著なる鞏固の免疫は吾人をして自然を模倣し、感染を起すと同じ経路 によつて予防法を実行すべく励ましめないであらうか?  此の臨床的部門の暗示は実験が吾人に教へる事実に於て充分正当なるを認 める。           *  *  *  先づ以て腸壁に対する Virus の親和力を解決するために、吾人は生菌につ いて調べた。然し同じ菌が一度死滅するも殆ど別の菌の如くならぬことは略 々確実である : 何故に菌がその親和力を保存せずとなすや? 且又実験上 より、かくあるべきことを証明することが出来る。若し家兎に赤痢或は「コレ ラ」弧菌の殺した培養を静脈内に注入すれば、肉眼的検査に於て、生菌を注射 せる場合に於けると同一の限局的存在と腸病変とを見る。さだうとすれば、      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    195 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 免疫の目的を以て皮下に注射された「ワクチン」類――「チフス」赤痢又は「コ レラ」の――は腸にまで達せざるや否やを質ねるに至るであらう。勿論、有 形の形態では其所に到達しない、然し恐らく菌体内毒素又は Antivirus の形 であらう。腸に侵入する前に彼等は恐らく多分、所謂摂受細胞に接触するに 至る。  この仮説を明にすれば、何故に皮下に注射された Vaccins がよい結果を与 ふるかを合点する : 即ち作用方法は吾人が彼等に許してゐるものとは全く 異るものである。若し之等の Vaccins が皮下に注射された場合有効なりとす れば、一般に人に考ふる如く、それが抗体を産製するためでなく、腸に到達 して摂受細胞に吸着されるためである : そこで腸の局所免疫が成立するか らである。           *  *  *  若し赤痢に於ける感受性器官が腸であるならば、予防接種の見地に就て、 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) 事柄の何んな連絡から、吾人が腸管局所免疫の意見を抱くに至つたか、こ こに述べることは興味がないことはない。既に戦争前 Mlle Basseches と共同で 「パラチフス」B予防接種に関する研究の際(Ann, Inst, Pasteur, t, XXXII, P, 193),奇妙なる事実を観察した、之をここに述べる。或る日、対照実験のための 新しい「マウス」がなかつたので、吾人は一ヶ月前に経口的に「パラチフス」菌を受 けた「マウス」を使用せんとの考を持つた。吾人はこの「マウス」に前日強毒なる 「パラチフス」培養の1∖100,即ち確実致死量を注射したのに、恰も何事もなきもの の如く、その穀物を噛つてゐるのを認めた時には、吾人の驚きは大であつた。何 か間違があると信じ、同列の他の「マウス」を調べた。之も同じく生存した。この 思ひ設けぬ結果のために、実験の条件を代へて、一定数の「マウス」に就て研究を 繰り返へした。然るに per os に送入された Virus は免除を賦与する事実の前に屈 服せざるを得なかつた、それまでは之は皮下に注射された Virus の釆地として考 へられてゐた。免疫の機転が二つの場合に同一なりと考へたので、吾人は腸は皮 下注射の場合に於けると同様なる分け前をなすべきものと申した。若しさうだと すれば、皮下に注射された Virus は与へられた機会に腸壁を過ぎり、腸管内に出 て来る筈である。戦争が来り、戦争と共にすべての研究を4年間中絶した。吾人 が研究室に復帰するや否や、吾人の最初の考から家兎に就て之他の研究を再び行 つた ; 之等の研究の成績は戦後に於ける吾人の最初の発行物となつた(C,R,Acad, Sciences, t, CLXVII, p, 212, 29 juillet 1918)。 196      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 吾人の進む所は全部描写されてゐる。腸管免疫法(entéro-vaccination)を実 行する研究をしないでよいであらうか?  この予防接種方法は、吾人が後述する如く、研究室の研究により証明され た。  吾人が家兎又は「マウス」に就てなせる多数の実験から――それ以後他の研 究者により確定れさ【ママ】た実験から――之等の動物はかなり容易に経口的に予防 されることが分る。彼等に赤痢の死菌を嚥下せしむると、既に短時日後に、 彼等がかなり著明なる赤痢免疫を得ることを確めた : 之等の動物は皮下、 血液内、腹腔内に注射するか或は経口的に投与せる Virus の確実致死量に抵 抗する。[(1)前頁にあり]  極く最近に、Alivisatos rt Iovanovic は吾人の実験なる経口的赤痢予防接種 を家兎で行つた。Vaccin の量を種々に変へ、彼等は per os に Vaccin の70 mg を投与する時、何等の障礙を起すことなく、致死量の4倍に対し確実に 免疫せるを認めた。免疫の形成は速かであるために、彼等は同時に本法は非 経口的免疫法に観察せるものより優秀なるを見た。即ち、彼等は免疫は既に 2日後に生じ、4日目にこの免疫は既に鞏固となり、動物は Virus の致死量 の4倍に抵抗するに至ることを確めた。  之等の著者は、更に、経口的に実現された免疫は厳密に特異的なるを見た。 即ち、赤痢菌の種々の種類に就て実験するに、彼等は交叉免疫の存在さぜる を見た : 経口的に志賀菌にて調製せる Vaccin を投与する時にのみ本菌に対 して防御す ; 若し Vaccin が Strong, Flexner 又は Y の如き菌で調製され るならば、防御しない。           *  *  *  此の免疫の本態は何であるか?  免疫の成立の速かなることは、今日一般に信ずる如き一般免疫には左袒し ない。実際に、吾人の実験の結果によると、経口的予防接種に次いで、、免疫 は動物に於ては2乃至3日目に成立し得る、之は抗体産製には不充分なる期 間と考へられる。且つ per os に免疫せる動物の血液を検査すると抗体の参      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    197 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 加に左袒する弁護とならない。  然し、赤痢「ワクチン」を一回投与せる後しばらくして血液を検する時は、 かなり屡々凝集素を発見する。然し免疫の発生を支配するのは凝集素であら うか? 之は余り本当らしくない、その理由を述べて見やう。  若し之等の抗体が免疫に関係するとせば、免疫が鞏固になればなる程抗体 は多くならなければならない。換言すれば、血清の凝集素含有は Vaccin を 新に嚥下する毎に増加しなければならない。然るに、観察する所は正反対と なる : Vaccin の第一回嚥下後赤痢菌を凝集する血清は、第二回嚥下後には 凝集素は遥に少くなる、更に屡々、Vaccin の第三回嚥下後には最早全く凝 集しなくなる。  如何なる理由によるか? ここに吾人に最も正当と思はれる説明を述べや う。Vaccin の第一回吸着についで、Vaccin 中に含まるる菌体内毒素によ り、腸壁内に潰瘍を生ず ; 之は実際に接種後間もなく動物を犠牲にする時、 肉眼的検査で証明し得らるる ; 之等の潰瘍は一種の粗造赤痢を形成す。腸内 にある Vaccin は腸粘膜の之等の裂傷を過ぎ、一般循環系に侵入し、そこで 抗体、特に凝集素を形成する。  一定期間を過ぎると、短期間と云へ、之等の潰瘍は瘢痕化す。この時を過 ぎると、腸管壁は赤痢菌に対し特異的に不透性となる。動物は之等の菌の一 定量を新に嚥下するも無駄であつて、腸は菌に対し通過し得ぬ柵として抵抗 するので菌は最早生体中に侵入し得ない。亦抗体も最早形成しない。之は免 疫が最も強固となれる時に起るので、血液中には少しの抗体を見るのみか或 は殆ど全く見ない。  それ故吾人は赤痢菌に対し経口的に免疫された動物の免疫性は抗体の存在 に関係はないが、然し特に腸の局所細胞性のものであることを確定すること が出来る。吾人は尚この腸の免疫性はかなり重要なることを付言することが 出来る。何となれば腸の免疫で動物全体が赤痢菌に対し免疫性をなるに充分 であるからである。           *  *  * 198      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  経口的赤痢予防接種法は今日では実験室内研究の範囲を出た。本法は仏蘭 西並びに外国に於て、多数の流行の際に実際に適用された。実用に移る前に Ch, Nicolle et Conseil により、Tunis に於て、人体になされた実験を述べな ければならぬ。  その周囲の有志2名が、3日間継続して、赤痢「ワクチン」即ち72°―75° で殺した志賀菌を嚥下した。最後の嚥下後15日目と18日目に、之等2名並び に対照として無処置の2名が生きた強毒なる気が菌100億を嚥下した。2名 の対照は定型的の赤痢に罹患し糞便中に志賀菌を排泄した、処置せる2名は 罹患しなかつた。  実験室内の動物に就ての多数の実験に加へた、この人体実験は、人類に流 行の際に多数の試験を企画することになつた。  経口免疫法によるこの試験は、赤痢の場合には、赤痢「ワクチン」を皮下に 注射せる後に人間にて見る局所又は全身症状があるために、皮下注射法は殆 ど禁じられてゐるだけに益々支持される様に見えた。            *  *  *  ここに多数の中より選抜せる二三の流行の報告を挙げやう。  1923年7月、細菌性赤痢の流行が Versailles の営舎に起つた。最初の三 例は速かに死亡した。新罹患者の数が憂慮すべき状態に増加したので、経口 的免疫法を施行すべく決心した。当時 Anglade により記載せられたる詳細 に就ては申さない。ここには流行の終りに記載された結果が何うなつたかを 述べる :  「ワクチン」非服用者の群では赤痢患者は27,75%;  「ワクチン」服用者の群では赤痢患者は7,6%。  少からず参考となるは、ギリシヤに於て国際聯盟の流行病調査委員会 Com- mission des épidémies の監督の下に企てられた赤痢予防接種の成績である。 之は特に流行の蔓延を助くる地域として知らるる営地に囲まれたギリシヤの 避難民に関係たし【ママ】ものである。  ここには吾人が調査委員会の報告より抜粋せるこの営地の二三の挿話を述      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    199 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― べやう。  a) 1923年5月、Hydra 島内に700名を収容せる避難民中に烈しい赤痢 の流行が爆発した。  既に22名の患者と3名の死亡者とが報告された。そこで全避難民の予防接 種を行ふ。間もなく流行は終熄す。以後一名の新患の報告を見ない。  b) 1923年8月シシリー島より来れる2,800人の避難民が Saint-Georges の海港検疫所に上陸した。7日間継続せる航海中、36名が赤痢で死亡し水葬 された。上陸に続き始めの48時間内に、44人の新死亡があり、殆どすべてが 赤痢のためであつた。そこで避難民の一般的予防接種を行ふ。8日後に、流 行は完全に已んだ。  之等の避難民の全部は Salonique に移されたがそこで赤痢の新患を一名も 見なかつた。  c) 1923年8月と9月とに、Kokinia の営地に赤痢の流行が爆発した。 400名以上の患者が4,800名の避難民よりなるこの群居生活中に発生した。 流行は前の如く悪性と報告された、何となれば予防注射をせる時には既に50 人の死者を数へたからである。経口免疫による予防接種を命じた。只、此の 予防接種は人口の三分の二に適用したに過ぎなかつた ; 後者は研究室の実験 に於ける場合の如く他の者の対照として役立つた。  予防接種の後間もなく、流行は予防接種者の群に於ては已んだ ; 流行は非 服用者の群に於ては継続して犠牲者を出し、194人の新患が報告された。           *  *  *  吾人が報告せる例では、赤痢「ワクチン」は予防の意味で使用された。此の Vaccin は亦治療の意味で使用される。ここに二三の例を挙げやう。  Nisch の伝染病研究所で、Alivisatos により赤痢患者117人に「ワクチ ン」療法を試みた。Shiga,Strong 及び Flexner の培養を混合し、58°で加熱 せるものより成る Vaccin を経口的に投与した。培養は遠心沈澱されその沈 渣を生理的食塩水に浮游す ; 浮游液の1ccは菌体の10「ミリグラム」を含有 す。大人は第一日にこの浮游液のXX-XXX滴づつ、2回又は数回 ; 2日 200      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 目はL滴 ; 第3日はLX―LXX滴とす。  かく経口的に処置された患者117名中、唯々1名が入院後間もなく死亡し た ; 5人の患者は治療によつてよくならなかつた。その他のものでは、111 人が治療後4―5日後に治癒した。失敗せる「プロセント」は5%であつた、 然れば抗赤痢治療血清による治療後見る失敗に率より遥に弱い。  稍々類似する結果は露西亜に於て Gloukhof 及びその共著者によつて得れ れた。1925年夏、Leningrad で発生した流行の際に、之等の著者は赤痢罹 患者105人を経口的に「ワクチン」療法を行つた。此のうち、81人の患者は経 過を観察し得た。之等の患者のうち、19例は重篤で中毒症状を伴ひ、体温上 昇、嘔吐、便通頻回、腹部の劇痛あり、中等度の罹患者20人、軽症の赤痢患 者42人あつた。  治療は志賀及び Flexner 型の赤痢菌を各10億を含有する錠剤を嚥下するに あり。之等の錠剤は食塩水50cc 中に溶かし ; かくして造れる浮游液をば空 腹時に嚥下させた。大人に対する1日の量は2―3錠剤とす。他のすべての 医薬は禁止された。  最初の48時間位で、大多数の患者は一般状態の良好を現はし、後裏重急、便 通の回数は減少し、嘔吐は止むに至る。只疼痛は大腸に添うて尚暫らくの間 継続する。特異血清により同じ病院にて同時に処置された他の赤痢患者と比 較して、「ワクチン」療法を受けた患者は更に大に良好なる成績を示した。も し唯々重症及び中等度の患者のみを考ふれば、血清による被治者の死亡率は 27,7%であつたが、Vaccin を以て per os に治療されたものは死亡率7,7% を示したに過ぎなかつた。  この「ワクチン」療法の機転はと云へば、吾人によれば、予防免疫法のそれ と同一である : 健康に残れる腸粘膜が per os による Vaccin の作用を受け 免疫される。腸粘膜は非感受性、非通過性となり ; 従つて菌も、毒素も、い づれも腸壁を通過し体内に侵入し得ない様になる。           *  *  *  腸「チフス」及び「コレラ」の場合に於ても亦、吾人が曩に証明したるが如く、      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    201 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 優秀なる結合機関(l’organe réceptif)は矢張り小腸である。若し然りとせば、 明に予防の研究をすべき器官はこのものである。若し感染の全重要性を引受 くるものが小腸とせば、動物に免疫性を賦与するために、entéro-vaccination (腸管内予防接種法)の実施を試みないでよいか?  然し、吾人がこの後者の実現を試みた頃は、吾人は赤痢に就ての研究では 知らざる所の困難の生ずるを見た。赤痢の場合には、Vaccin 中に含まれた る菌体内毒素が腸の内壁を敷きつめたる粘液を駆逐しかくして Vaccins と免 疫さるべき細胞との間に必要なる接触を起さしむるに役立つ。  「チフス」又は「コレラ」予防「ワクチン」の場合には事柄は同様にならない。 之等の Vaccins 内に含有せらるる菌体内毒素は志賀菌のそれと比較にならな い。之等の Vaccins はその固有の力により粘液を過ぎりて摂受細胞の方に通 路を通ずることは出来ない。亦、動物に「チフス」又は「コレラ」予防「ワクチ ン」を嚥下せしむる時、彼等は摂受細胞に作用することなく、即ちその免疫 能力を発揮することなく腸管を通過する。この効力を発揮するために、Vac- cins に助力を求めねばならぬ、Vaccins に道を造らねばならぬ。所で、実 験によると赤痢予防「ワクチン」が作用する様に、腸壁を磨くことよりよい方 法はないことを示す。  それ以来、当該「ワクチン」の嚥下に先立ち、牛胆汁の使用が全部行はれた。  実際、実験の示すところでは、もし胆汁を以て腸管を感作して後、Vaccin を家兎に服用せしむれば、直ちに「チフス」又は「コレラ」の如き当該 Virus の 確実なる致死量に抵抗し得る様になる。同一 Vaccin を胆汁を加ふることな く、単独に per os に投与せるものは、動物に何等免疫性を与へない。  この実験が経口的予防法の極めて重要なる問題の基礎となるものである。 又之は種々なる方面より繰り返へされた。詳細に亘ることなく、予め感作す る手段は単に「コレラ」及び「チフス」予防接種に関して確められた許りでな く、更に人及び動物の他の疾患にも及ぼさる【ママ】た。           *  *  *  経口的免疫法は既に大槻【規】模に人間に実施された。多数の人々が既に本法に 202      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― より免疫された。人間に於てその価値を確定的に云ひ得るためには、多分、 尚必要なる期間を欠くかも知れぬ。今から確定し得ることは、経口免疫法は 決して少しの災害を惹起することなく、皮下注射法と共に実施された際に、 結果は通常の予防接種法によつて得られたものに殆ど劣つてゐなかつたこ とである。  経口免疫の主意に反対するのではないが、何等か尚保留されてる問題とな るのは : 特に要求すべきことは、人間は「チフス」菌又は「コレラ」弧菌に対 し感受性が大であるから、胆汁を加ふることは――今日では確定せる事実と なつたが――感作されなければ免疫を獲得しない研究室動物の場合に於ける が如く必要であるか何うかである。  学説としては、この保留は支持された : 実際には之に反する多数の事実が ある。ここに近頃観察せる事実を挙げやう。  1925年9月末、Roscoff の結核療養所に於て、1名の「チフス」患者が発生し た。直ぐに、この療養所の子供全部と看護人とが経口的に予防接種された。 然し乍ら胆汁による予備的感作の免疫方法を行ふことを怠つた。所が予防接 種を受けた月内に、服用者中に9名の「チフス」患者を報告するに至つた。10 月には、10名の他の子供が罹患した。同じ方面で予防的服用をせしめた。12 日遅れて最後に予防せるもののうち、一名の「チフス」患者を認めた。  此の不成功は経口的予防法の価値に帰せられた ; 実際上は、非難すべきは その技術である。「チフス」又は「コレラ」予防「ワクチン」を感作することなく 服用せる人間は、我々の実験に於ける家兎と同様になる : 即ち免疫は成立 しない。Vaccin は腸管を添ふて滑り降り、摂受細胞と接触することなく、 体外に排泄されてしまふ。           *  *  *  「チフス」又は「コレラ」予防「ビリワクチン」投与は既に広汎に亘り施行され た。  「コレラ」に対する予防接種法に関しては、之が使用され始めて以来、余り 久しくはなかつた。ここに簡単に印度に起つた流行の際に報告された二三の      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    203 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 記録を綜括しやう :  a) 1925年11月末、烈しい流行が Pondichéry の地域に発生した ; 12月一 杯継続し、1926年1月上旬に終熄した。故にこの流行は期間は短つた : 即 ち約40日間であつた。多数の犠牲者があつた : 患者1,039うち831死亡。  流行の当初に、住民の一部に予防接種を行つた。総数5,200人が、胆汁に て前処置をなして後、経口的に免疫された。ここに殖民大臣に報告せる保健 課の報告により、この地域の終局が如何なるものであつたかを述べやう :  「コレラ」に対する「ビリワクチン」を服用せるもの5,200人中、既に疑もな く潜伏期間にありたるものに於て僅かに2死亡が記載された。特に感染に暴 露せる警察官のうち、唯々1名が罹患した ; この警察官は予防接種の時に休 暇中でそれを服用しなかつたものである。  b) 多数の「コレラ」発生地が近来 Rajbari 及びその付近に見られた。ここ に流行の終わりに確められたものを総括する :  予防接種を実施せる前には、人工8,680人のうち41人の患者と23人の死亡 者が報告された。  693人に予防接種をした。流行は依然として継続し犠牲者を出した ; 予防 接種の施工後尚41人の「コレラ」新患者と17人の死亡者が記載された。  所が、之等の新患者はすべて非接種者中に発生した。経口免疫者からは1 名も罹患しなかつた。  c)「コレラ」に対し経口的及び皮下の予防接種法の比較試験は印度に於て A, I, H, Russel の指揮の下に実施された。「コレラ」予防の仕事は、1925年 の終りに始められ1927年の始めまで継続された。之は栄養の点並びに衛生 の点に於て同じ条件の下に生活せる印度人に就てなされた。  236の村落に於て皮下予防接種法が行はれ ; 52の村落に於て経口的「ビリ ワクチン」接種 ; 72の村落に於て、両方が同時に使用された。  ここに国際聯盟によつて公表された報告(1927年10月末)より抜粋せる主な る結果を挙げやう。  A, 経口的「ビリワクチン」予防を行ひたる村落 : 204      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ――――――――――――――――――――――――――――――――――   服用者 4,982人中、「コレラ」患者18人あつた(0,36%)。   非服用者 11,004人中、「コレラ」患者222人あつた(2,02%)。  B, 皮下予防注射を行ひたる村落 :   注射者 8,485人中、「コレラ」患者31人あつた(0,37%)。   非注射者 29,254人中、「コレラ」患者489人あつた(1,67%)。  C, 両方による予防接種法を行ひたる村落 :  「ビリワクチン」服用者 3,085人中、「コレラ」患者15人(0,49%)。   皮下注射者 1,448人中、「コレラ」患者6人(0,41%)。   非予防接種者 7,664人中、「コレラ」患者160人(2,1%)。  故に経口的予防接種法は皮下注射法のそれと同じ効果を示した : 「ワクチ ン」の接種者の両群に於ては、「コレラ」患者の数は非予防接種者に於けるもの より約5倍少かつた。            *  *  *  「チフス」予防接種に関しては既に、現今に於て、かなり多数の報告がある。  吾人は最近あつた2例の流行を報告するに止める、この流行の際には「ビ リワクチン」内服が行はれた : 一つは Pologue, 他は Brésil である。  1923年11月より1927年1月までに60,000人以上「チフス」予防接種が Lodz の町に於て衛生視察官 Starzynski の指揮の下に行はれた。之等の予防 接種の効果特に遠方の効果を報告するためには、正確なる統計が必要である ; 且つ又予防接種者にありても非接種者にありても、「チフス」患者の調査は、 1925年の1月1日にやめた。この時までに28,166人が per os に胆汁加「ワ クチン」を受けた。この数のうち、52人の「チフス」患者が記載された、その 分類は次の如くである :  予防内服せる家屋151戸の住民  20,867  49患者  患者の周囲の人          2,368   3  小学校児童            3,500   0〃  有志者              807   0〃  警察官              624   0〃                  ―――― ――――                  28,166  52患者  之等52名の「チフス」患者のうち、3名は第1週内即ち潜伏期間内に発生し、      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    205 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 6名は「ワクチン」投与後1年以上で発生したのであるから之を除去する。そ の残り43人の患者が28,166人の内服者より発生せるもので、即ち0,15%に 当る。  非内服者に於ける罹患率を知るために、唯一人の「チフス」患者が発生せる 全住宅の人員を計算した ; その数は73,494であつた。この数の中に、993例 の「チフス」患者を認めた、即ち1,35%であつた。  従つて罹患率は内服者に於ては非内服者に於けるよりも遥に弱く、確実に 9倍(1,35:0,15=9)の差があつた。  以上は一括して考へた場合の予防接種の効果であつた。然し、少しく詳細 に入れば、数字を脱せる結論は更により有効に見える。  即ち問題となれる疑はしい住宅151個に予防接種を施行せる当時、3,051の 住人が不在であつた ; 彼等は予防接種されなかつた。これ等後者に就てなせ る調査によれば、之等の不在者は彼等だけのうちに、28,166の住人に於て記 載された全数49例の「チフス」患者のうち47例を出してゐることを知つた。  他の事実も少からず重要のものである。予防接種に応じたる151戸のうち 全住人が例外なく予防内服をなせるものは27戸に過ぎなかつた。之等の住宅 の住人は4,615であつた。このうち、唯1例の「チフス」患者が出たに過ぎな かつた ; 更に問題となるのはその人に於て最初の症状は予防接種に次で1週 間以内に発生してゐる。  二ヶ年以上の期間に及ぶ之等の観察を総括しての Starzynski は次の如き 結論を述べた : 胆汁付加「ワクチン」による経口免疫法は全く無害であり、 腸「チフス」流行に対し強固なる武器を形成す。           *  *  *  ブラジルの Saint-Paolo にて1925年の始めに爆発せる流行病の歴史を述べ やう。この流行は特に興味がある、と云ふのは此の流行の際に皮下注射法と 経口免疫法とを使用したからである。  印刷物で大に努め、皮下注射法の有益なるを説明せるにも拘はらず、大多 数の住民は之に従ふことを躊躇した : 皮下注射を行ふことに用意せるもの 206      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― は約10,000人を算した。  流行は継続して犠牲を出したから、衛生当局に住民に経口的に免疫せしめ やうと提案した。1925年5月1日から9月7日に至るまで、衛生局の監督に より、胆汁付加「ワクチン」を以て、28,000人に予防接種をなした ; 更に衛生 局に請求せる有志に同一「ワクチン」38,000人分を配布した。故に総計で63,0 00人が経口的に予防接種されたのである。  1月1日より10月31日までに、Saint-Paolo の衛生課により84例の「チフス」 患者は記載された。この数から、14例は1年以上の予防接種者に起り、25例 は予防接種不完全であり最後に14例使用せる「ワクチン」の性質又は予防接 種の日付を定むること不可能なるを以て、之等を除去しなければならぬ、故 に残り31例の「チフス」患者は予防接種者から1年内に発生し、之に就ての精 密なる記載を得た。  之等31名のうち :   20人は皮下に接種された。   10人は経口的に投与された。   1人は両方法により接種された。  皮下に接種された20名のうち :   4人は予防接種後30日内に感染した。   16人は30日次後に罹患した。  経口的に接種された10名のうち :   7人は予防接種後30日以内に罹患した。   3人は30日次後に罹患した。  両法により接種された唯一名は、予防接種後1ヶ月半で罹患した。  皮下に接種せる人員数を10,000人(類似数)と見積り潜伏期間30日以後の 申告患者(17人)を計算すると、罹患率百分比は0,17%に等しくなる。  経口免疫せる人につき同様の方法を施し、若し衛生局の監督にて接種せる 28,000人だけを目当てとすれば0,01%の比率を得る、若し胆汁加「ワクチ ン」を請求せる35,000をも計算に入れると、0,006%となる。      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    207 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  故に per os による予防接種法は皮下によるそれよりも著しく良好なる成 績を挙げた。  之を綜括するに : 研究室の実験及び人間に於ける試験は予防的意義必要 によつては治療的意義に使用された経口的免疫法は赤痢、「チフス」、「コレ ラ」に対し有効なるを思はしむ。           *  *  *  普通一般に使用さるる予防接種法の効果に疑を置き皮下経路の代りに全く 経口的経路を代用せんと欲するのは吾人の考より距りがある。今日課せられ た問題は予防接種のこの両方法が同じ機転に基き同じ免疫に達するか否かで ある。  経口的に実施された予防接種は、今日吾人の知る所では、腸壁の部位に起 る ; 本法は一般反応なく抗体の形成なく成就し、極めて短時間に成立する。 他面に於ては、吾人は皮下経路による予防接種法は著明なる白血球反応、血 液内の抗体の形成、一般反応を伴ふことを知つてゐる ; 本法は更にその成立 するために少なくとも5―6日の期間を必要とする。  之等の相違があるので、皮下に Vaccins を接種することにより得たる免疫 は per os に同一 Vaccins を嚥下することにより相続く免疫と異る性質のも のであり得ると云ふ考を先づ遠ざけなければならぬ。勿論、吾人は皮下に注 射せられたる Virus は腸内に再現することを認ることが出来た、このこ とは予防接種の両方法の間に既に起るのである、然し、もし免疫機転が両者 に於て同一なりとすれば、如何にして免疫に必要欠くべからざるものとして 考へられる抗体が、或る場合には存し他の場合には欠如することがあり得る であらうか? Vaccin を嚥下する場合にかく速に免疫が表はれるが、注射 の場合には免疫の形成がかく遅いかを如何にして説明するか?それだけ外 見上異る両免疫性の可能を正当と認むるのは心配なる点である。  問題を判然とするために、両方法が吾人に提供する所のものは : Vaccin の嚥下に続いて来る抗体の形成を伴ひ或は Vaccin を皮下に注射すると抗体 なく、速かなる潜伏期間なき免疫性、簡単に云へば経口予防接種法の与ふる 208      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 免疫性とすべての点で比較し得る免疫性を与へ得ることを証明しなければな らぬ。  この最後の証明に、Golovanoff と共同で、吾人は吾人の試験を向けた。           *  *  *  吾人は前に、葡萄状球菌及び連鎖状球菌の問題で、皮膚の摂受細胞は単に 菌体によるのみならず、更に之等の菌体より浸出せる溶解性物質によつても 容易に予防接種せらるることを見た。吾人は特に人間並びに動物に於ける特 異的湿布繃帯の適用の有効なる効果に注意を喚起した。その時当然同様の物 質が腸に選択的親和力を有する Virus を以て得られざるものか何うか質問 を発したのである。  この事に基いて「コレラ」弧菌を以てなされた実験は明かに吾人の予想の正 当なるを示した。「ブイヨン」の陳旧培養より出発し、吾人は120°に抵抗す る無毒の液体を得た。之は皮下に注射する時は、特異予防的能力を有し24時 間後に抗体を発生することなく「コレラ」感染に対し免疫性を賦与するのであ る。  即ち之は皮下経路の予防接種の際に遭遇する習慣となつてゐない性質で、 却つて経口的予防接種の場合に観察する性質の綜合的存在を見る。吾人は之 を如何に結論するか?  到達せる結論は「コレラ」に於ける免疫は――而して赤痢に於て、「チフス」 疾患に於て更に他の疾病に於て極めた真実らしきことである――一様なる機 転に過ぎず、而して消化器経路又非経口経路を採用するも同一なることで ある。この免疫性は、その発現の速かなる点に於て、明かに抗体以外に作用 するものである。この免疫性は、換言すれば、組織性であり摂受細胞の内部 に成立するものである。  Vaccin 皮下注射に付随する抗体は、明かに活働性免疫の成立に必要欠く べからざるものではない。吾人の意見によれば、単に皮膚又は粘膜に於ける 破損及び自然に見る如き経路によらずして循環系内に異種蛋白質の侵入せる を示すのである。      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫    209 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  非経口的に Vaccin を使用する時5―6日後に免疫の成立するを見る期間 に関しては吾人は偶然の一致に過ぎないと信ずる : よし普通使用さるる「コ レラ」予防「ワクチン」が5―6日後に免疫するに過ぎないとするも、之は動物 がその喰菌細胞により弧菌を消化し、次いで之等の弧菌内に含有さるる特異 物質を遊離するためにこの期間を必要とするからである。遊離するや、否や この物質――Antivirus は摂受細胞に結合するに至り、之に続いて免疫は直 ちに成立するに至る。           *  *  *  之等の事実を綜合して、免疫により無闇に抗体の形成に耳を貸すべきでな いと云ふ考を起す。吾人は抗体は常に不必要であると云ふことは云ひたくな い。即ち腸感染と考へらるる「コレラ」に於て、感染が腸にあるに拘はらず、 生体は抗体を生じ得る ; この場合、腸免疫が感染動物の保護を確実なるしむ るに充分である。他の場合に、腸が溢れ、弧菌が全生体に侵入する大量感染 の場合もある。かかる出来事に於ては、動物はその処理する全防御手段、こ の中に抗体も含まるるが、之を使用しなければならないのである。           *  *  *  「コレラ」感染及び「コレラ」免疫の研究の上に殆ど全部分が打ち建てられた のは、免疫の液体学説である。人は之に細胞学説の左担者がなしたる応酬を 知つてゐる。炎衝の比較病理の記念すべき研究の後に、高級有脊椎動物に於 ては動物界の他の代表者に於けると異る防御手段の存することを如何に思考 すべきか? また Metchnikoff の一般学説は殆ど一致の賛成を獲得した。喰 菌学説は全部高級有脊椎動物の領域に置き換へられた。  然るに、この学説は主として無脊椎動物の研究から出発した。之等後者に 於ては、白血球は、実質上、感染及び免疫の際に、絶対的ではないが主要な る役目を演じてゐる。  然し、高級有脊椎動物に於ては、固定食侭細胞に特種の役目を決定しては ならぬものか何うかを質問し得る。Virus と高級生物との間の争闘に於ては、 吾人の意見によれば第一楷級の要素に参与するのは摂受細胞である。器官の 210      赤痢「チフス」「コレラ」に対する経口免疫 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 中に存する之等の細胞は略々その全費用をかけたる感染に与る ; この細胞は 同様に遊走性食侭細胞と同程度に防御作用にも与る。すべての Virus 並びに すべての異物に対し唯々裏に対抗するこの者、即ち摂受細胞――固定食侭細 胞――はと云へば、それが特異選択的親和性を示す細菌の存在する場合に作 用するに過ぎない。  簡単に云へば、それ全体として生体と共同責任ある摂受細胞はその固有の 態度を以て、且つまた感染並に免疫に場合に於ても反応する ; この反応はそ の属する器官が異る程益々明白となる。この自治制はやや図解式に一律に云 つても殆ど差し支へない位のものである、即ち各 Virus は各自の細胞を有 し各自の細胞は各自の免疫を有すと。        ――――――――――         Mémoires Citès Alivisatos et Iovanovic, Centralbl, f, Bakteriol,, Origin,, t, XCVIII, 1926, p, 311, Alivisatos, Deutsche mediz, Woch,, 1925, p, 1728, CH, Nicolle, C, R, Acad, Sciences, t, CLXXIV, 13 mars 1922, p, 724, Gloukhoff, Wolkowa, Erousalimtchique, Panine, La médecine prophylactique (en  russe), juillet-août 1926, p, 64, Guerner, C, R, Soc, Biologie, t, XCVI, 1927、p、330, Starzynsky, C, R, Soc, Biologie, t, XCV,1926, p, 947, Besredka et Golovanoff, C, R, Soc, Biologie, t, LXXXIX, p, 933,             XIII      感染及び免疫に於ける感作物の意義  Role des Mordants Dans l’Infection et l’Immunité(1)   出産するや否や、人間及び動物は自然腔、表皮及び粘膜を覆ふはんと努む う雲霞の群の如き菌の侵入を受ける。たとへ生理的作用は何等認め得べき困 難を示すことなく継続して成し遂げらるるとは云へ、耐へ得る状態は之等の 菌と生体の細胞との間に成立する。  皮膚及び粘膜はその有する自然免疫は通常の生活状態に於ては、最も危険 なる細菌に対しても充分である。人間に於ては、病的状態以外に、すべての 種類の葡萄状球菌連鎖状球菌は挙げなくても、赤痢菌「チフス」菌「コレラ」弧 菌に遭遇することが如何に屡々であるかは人の知る所である。実験室内動物 に於ては之等の Virus を表皮の上に適用し又は消化管内に送入するも何等障 礙を表はすことなきは人の知る所である。極めて毒力高き脾脱疽菌は少しの 感染を起すことなく結膜嚢内に点滴することが出来る。  皮膚及び粘膜が解剖学的に完全に維持さるる限り、その免疫性は犯されな い。然し細胞と Virus との間の平衡が潰れると潜伏性感染を喚び起すに足 る : その時まで細胞と共棲して生活せる細菌は突然毒力を賦与され発揮す ることは人の殆ど疑ふことが出来ない。               *  *  *  自然免疫の破れることは種々の理由により起り得る ; 之等の理由は物理的 化学的又は生物学的性質のことがあり得る。  肉眼に見えざる継続性の間隙は皮膚及び粘膜に与へられた最も強固なる防 ――――  (1) Gane に於ける衛生国際会議に於ける講演(1927,6月1―6日) 212      感染及び免疫に於ける感作物の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 禦系統を零に低下しめることが出来る。剃刀の閃き、上皮を膨脹せしめる 湿布繃帯、烈しき塗擦はその時までは沈黙を守れる Virus に対し受容する状 態を形成するに至る。腸の上皮に作用し得る生産物によるも又は無害菌を嚥 下するも同様の結果を起し得。自然免疫が損傷すると、その時には皮膚又は 消化管の細胞は容易に犯される ; 或る時は隣接細菌が之を攻撃しある時は外 界より来る菌が感染の原因となる。局所の病変が起り次いで全身感染が起る。  破傷風菌及び瓦斯壊疽菌は外界にも、而して又、従つて、吾人の腸管内に も屡々あることは人の知る所である。皮膚又は粘膜が健康なる限り彼等は何 もなし得ない。然しそこに裂傷又は挫傷が少しでもあれば、粉砕せる細胞は 之等の最近に取り極めて良好なる培地となるから、最も重篤なる災害が起る 疑ひがある。  突然の寒冷、火傷又は化学薬品による腐蝕が菌を同伴すれば、細胞の自然 抵抗力を弱むべき要素となる。吾人は「コレラ」の際に於ける促進作用をなす 菌の意義に関する Metchnikoff の古き実験、並びに付随嫌気性菌によつて惹 起さるる感染に関する最近の実験を思ひ起すのである。  生体の欠陥、生理的窮乏、中毒、麻醉剤、鎮痛剤、神経の衝動、約言すれ ば、極めて種々なる原因が細胞を下級状態に置き感染に対し極めて大なる門 戸を開放し得るのである。ある場合には、局所で分泌される毒素が細菌に導 火線を与へ一般感染を促すのである。多くの人の傾向として、自然に於ては、 物理的又は化学的の変質に先立たれざる感染はないと信ずる。且つまた、実 験的に感染を起さしめんと欲する時、自然を模倣する様に感作物 mordants を使用すべきではないか何うか質ぬるのは全く当然である。  この考から出発して、腸管感染に於ける実験には吾人は胆汁を用ゐ、皮膚 に関するそれには吾人は塗擦又は抜毛により皮膚を感作(変質)せしめんと試 みた。            *  *  *  実験的「チフス」感染に就ての研究の際に、先づ類人猿に於て、恩師 Metch- nikoff と共著で、更に遅れて家兎に於て、吾人の注意は二つの事実に注が      感染及び免疫に於ける感作物の意義         213 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― れた :  病変の主要部は腸壁の部位にあり、Virus の選択的分布は腸胆嚢に 添ふてある。之等の所見より、類人猿及び家兎は単に類似するのみならず、 解剖学的細菌学的に真の一致を示す。彼等の相違する所、而して絶対的の相 違は、経口的に摂取された Virus に対する彼等の感受性の点だけである。大 猖々、手長猿又猖々は「チフス」菌の嚥下後に罹患する ; 家兎はこの接種方 法に対しては全く罹患しない。吾人は家兎、海猽、種々なる下級猿に「チフ ス」材料の大量を嚥下せしめて、之等の罹患せしめやうと何度となく試みた ではないか! 之は無益であつた。之等の試みに於ては吾人は決して「チフ ス」感染の最小の症状をも得ることは出来なかつた。  経口的によれば実験室内動物は不感受性なるも之を他の経路特に血行又は 腹腔内に投与すればその感受性を排斥することはない。それ故、吾人が考へ たことは、胃腸管内には柵(barrière) が存在し Virus が宿主内に侵入する を妨げるにちがひない。この柵は、吾人の云へる如く、粘液層によつて表は さるべきである、この粘液層は腸管壁を覆ひ嚥下された Virus と腸の摂受 細胞との間に挿入するに至る。もしこの仮説が真ならば、吾人はこの柵を除 去して、実験室内動物に於て嚥下せる Virus に対する感受性を発現せしめ得 なければならぬ。  故に解決すべき問題は家兎に於てその生理的作用に著しき変化を起すこと なく表皮の剥離を生ずる物質を見出すことである。吾人の選択は、人の知る 如く、牛胆汁に停つてゐる。このものは之が大量に嚥下さるる時は腸壁を変 化するが、然し、少量なる時は全く無害である。また吾人は Virus よりも 少し前に投与せる胆汁はこの Virus に対し道を造り之をして容易に摂受細 胞に接近せしむるものと考へた。実験は吾人の予想を肯定した。            *  *  *  実験の示す所では胆汁で処置された家兎に於ては、感染状態はすべての点 に於て嘗て類人猿にて認めたるそれを思はしる。  それ故生体全体が反動を受け而して正常動物には無害なる分量の Virus が感作された動物には致死的となる点に於てその全身免疫が屈するためには 214      感染及び免疫に於ける感作物の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 腸の通過性の条件を変へるだけで充分であつた。その固有の毒力は零なるが 故に、この結果を生ずるのは確かに胆汁自身ではない。もし動物の自然免疫 が破れるとすれば、之は胆汁が腸粘膜のうちに破損部を造るためである ; こ の損傷は、たとへ顕微鏡的楷梯のものでも、菌をして摂受細胞に到達せしむ るに充分である。胆汁により生じたる局所の裂傷は感染機転の一般的発現の 上にその反響がある : 即ち Virus の侵入門口が何であらうと、Virus が嚥 下されても又は血液中に注射されても、最後の結果は常に同一である。この 胆汁の作用は、吾人の意見によれば、主として胆汁分泌促進作用に存する。 動物の固有の分泌を強くすれば、胆汁は腸の上皮層の剥離を容易にし、腸を して更に透過性となす。そこで、その親和力によつて腸に引きつけられた細 菌は、そこに感染病竈を造り得ることは何人も反対しない ; 疾病は始めは局 所に、次いで敗血症状の性質を帯び得る。  吾人をして之を綜括せしめんに : 健康動物の腸粘膜の完全が「チフス」菌 に対する自然免疫を確実ならしめる ; 胆汁による粘膜の破損がこの免疫性の 部分的消失の原因となる。換言すれば、生理的状態に於ては動物の抵抗力又 は感受性は当該 Virus に対しては腸の柵の演ずる所に従ふのである。             *  *  * 「チフス=パラチフス」簇の細菌のみが吾人が示した様な作用を営むのでは ない。「コレラ」弧菌に対しても胆汁は同様に誘導的作用を演ずるであらうこ とはすべてが想像される所である。吾人は共著者 Masaki をして此の方面の 研究の担当に従事せしめた。  その最初の実験に当り、著者は、事実上、「コレラ」感染と「チフス=パラ チフス」感染の間には類似点のあることを観察した。この類似は解剖学的病 変所在、生体内に於ける弧菌の分布、並びに嚥下せる胆汁に対する動物の反 応に置かれた。  皮下に「コレラ」Virus を接種された海猽及び家兎に於て、Masaki は弧菌が 腸粘膜の部位に注射後2,3時間にして既に現はれるのを確めることが出来た。 10時間後に、弧菌は腸管内に極めて多数となることは、培養によつて証明さ          感染及び免疫に於ける感作物の意義    215 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― れる所である。故に弧菌が腸壁に著明なる親和力を有することは確実であ る。然るに、この親和力あるに拘はらず、弧菌を極めて大量に嚥下するも動 物は完全に障礙を起さない : 成熟動物に於て腸壁型「コレラ」を実験的に造 ることは「チフス=パラチフス」感染のそれの如く常に失敗した。海猽や家兎 は長い間空腹に保つて後、Roux の「コルベン」の寒天培養1―2個の菌量に相 当する量の生弧菌を嚥下せしむるも無益であつて、彼等の症状をも感 じない。消化管内に侵入せる弧菌は腸粘膜に添うて滑り下り、次いで瞬時も 腸も細胞と密接することなく排除される。  かかる事柄は予め感作せる動物に於ては同一経過を取らぬ。吾人が上述せ る「コレラ」菌の量では予め牛胆汁を嚥下せる家兎をば烈しく犯す。細菌を食 して後最初の3,4日間は動物は外見上何等罹患症状を呈しない。唯その様子 が病気を潜伏せしめてゐるのではないかと思はれる : 動物は籠の中で動か ずにゐる、恰も少しでも動くことが苦痛であるかの如くである。感染したこ との疑ひなきかかる症状に接するや否や、体温は上昇し、糞便は下痢状とな り、食慾は消失し、急に羸痩が起る。一般に死が「カヘキシー」の状態で2―3 週目に突然来る。剖検に際し、培養するに少しも嚥下せる菌を認めない、之 は明かに長期間の病気の経過中に弧菌の溶解せるためである。  之等の観察は家兎に就てなされた。最近に至り、Masaki のそれに劣らざ る判然たる成績が Horowitz-Wlassowa et Pirojnikowa によつて海猽につい て記載された。著者等は海猽を牛胆汁を以て感作し彼等をば per os に腸管 「コレラ」を起すことに成功した。  同様に、感染せる家兎に吾人の実験を引用して、Klukhine et Wigodchi- -koff は経口的経路を借りて「チフス」感染並びに「コレラ」感染を起した。  之等の動物は牛胆汁を以て予め感作された特殊の状態に於て当該疾患に容 易に罹患することを示す。             *  *  *  同じような事実は他の Virus についても記載された。吾人の共著者 Golova- noff は大腸菌の経口感染に置かれたる家兎に於て胆汁の促進的作用を認め 216      感染及び免疫に於ける感作物の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― た。類似の観察は Gratia et Doyle により海猽にてなされた。之等の著者は 大腸菌の培養に就て実験し、腹腔内注射では極めて有毒なるも、服用せしめ ると全く無害なるを見た。少量の胆汁を食せしめて菌の服用を施行せしめた 時に、之等の著者は海猽に於て大腸菌に対し真の敗血症を起し得た。  胆汁による感作は Webster により化膿菌による敗血症に於ける研究の際 に実施された。胆汁は海猽の「チフス」感染の際に Sedan et Hermann によ つて使用された。2―3日間空腹に置いて後、「チフス」菌を臀部に注射すれば 動物は選択的に腸管内に局在する病変を表わした。空腹を長引かすと海猽の 固有の胆汁分泌を増強し、実験家兎に於て胆汁の嚥下に於て生ずる如き上皮 の剥離を起す。更に追加すべきことは之等の著者は「チフス」菌を結膜下経路 によるも亦腸の病変を起し得たのである。  極めて最近に Remlinger et Bailly は消化管の経路による「ヘルペス」Virus の毒力に就ての研究の際に胆汁の効力を研究した。10頭の家兎が「ヘルペス」 に犯された家兎の脳を食した ; そのうち5頭が予め胆汁を嚥下した、他の5 頭は胆汁のない Virus のみを嚥下した。最初の全部は死亡した : 胆汁によ つて感作されざる5頭は唯1頭が死亡せるのみであつた。同様なる条件にて 処理せる12匹の家兎に就てなしたる他の実験では、結果は同様であつた。          *  *  *  少しく異つた考で、胆汁の感作能力を対照するために、吾人は Martin Hahn の研究室でなされた Olsen et Rey の実験を挙げなければならぬ。之 等の実験者は先づ海猽の皮下に注射せる「コレラ」弧菌は須臾にして腸管内に 認められることを確めた、此の事項は嘗て腸管局所免疫の吾人の観念の出発 点となれる志賀菌について吾人が観察せる所のものであることを記憶さるる であらう。弧菌が腸管内に移行することを確めて後、著者等は Ductus cho- ledoctus の拮【結】紮を行つた ; 次いで、氏等は海猽の皮下に「コレラ」弧菌を注射 した。4―6日後に、氏等は海猽を犠牲に供したるに、氏等は極めて特異なる 腸管の充血も、腸管内の生弧菌の存在も認めることが出来なかつた。然るに 処置を行ひ次いで皮下に接種されたる海猽に牛胆汁を与ふれば「コレラ」弧菌          感染及び免疫に於ける感作物の意義    217 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― を腸管内容中に認るに充分であつた。経口的に投与された牛胆汁は、それ 故、胆汁の自然の分泌の停止を補足することが出来た : 他の場合に於ける 如くある一つの場合に――例へば胆汁が正常に分泌されるか又は異種動物か か来る場合に――腸壁は「コレラ」弧菌に対し通過可能となるまでに感作され るを見る。          *  *  * 牛胆汁に固有なる感作物 Mordant の作用は毒素、抗毒素又は食物の製産 物の如きすべての種類の非有形の物質に対しても表はれ得る。腸の内面を磨 くので、胆汁は腸壁を通じ之等の物質の移行を促進し又彼等の宿主内への侵 入を容易ならしむるのである。之等の同一物質――毒素、抗毒素、食物製品― が予め感作することなく摂取されると、腸粘膜に添うて下り何等移行せる痕 跡を止めずして生体を去る。曩に問題とせる Virus についても全く同様に して、胆汁による感作が腸の通過性の条件並びに摂取の条件を変へる。「チフ ス」、「コレラ」その他の Virus もついての実験を極めて幸福に完成せる Ma- karoff, Dietrich, Ramon, grasset の極めて暗示的なる実験を証処として挙げ る。  Mme Makaroff は次の如き考から出発した。即ち食物に対し屡々見らるる 過敏症 hypersensibilité はある人に於ては之等の食物が極めて容易に粘膜柵 を通過するためであり得ると。之は出発点に於て食物性過敏症 anaphylaxie は成熟動物では造ることは不可能であるが反対に極めて若い動物では実現す ることは容易なること即ちこの場合には腸粘膜は容易に破り得るからである と云ふ事実を有する単なる仮設に過ぎなかつた。  この観察に力を得て、Makaroff は人工的に成熟動物に過敏症 hypersensi- bilité を造らんと試みた。既に牛胆汁は当時「チフス」菌に対し感受性能力あ ることが知られてゐたので之をこの試験のために使用した : 成熟海猽に胆 汁次に牛乳を嚥下せしめると幼弱海猽の如く感作に適当する様になる : 更 に遅れて試験注射に牛乳を使用すると、動物は反応し独特なる過敏症状を表 はした。 218      感染及び免疫に於ける感作物の意義 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  食物過敏症に於ける胆汁の意義についての立証的実験は後になつて Ar- loing 及びその共著者により報告された。            *  *  *  Wassermann の指導の下に破傷風毒素に就てなした Dietrich の研究は、 同じ「カテゴリー」に含まる。著者は「マウス」に牛胆汁を服用せしめ、次いで 2時間後に、経口的に破傷風毒(0,4cc)を投与した。胆汁によつて感作されざ る対照の「マウス」は per os に同量の毒素を摂取した。この最後のものは罹 患しなかつたが、最初のものは破傷風に感染した。  海猽及び家兎についてなされたる同様の実験は最近、Ramon et Grasset により記載された。「マウス」と全く同様に、之等の動物は破傷風毒素の純粋 にして簡単なるものを嚥下せるに障礙はなかつた。之に牛胆汁の少量(2―3 cc) を破傷風毒素と共に摂取せしめたるに、著者等は成熟家兎に速かに死を 致す全身性破傷風を起すことが出来た。海猽に於ても亦胆汁の嚥下に次いで 破傷風毒素を投与せる時には同様に経過した。  胆汁の感作能力は、Grasset の実験で明なる如く、抗毒素にも同様に及ぶ のである。著者は家兎に空腹時に3cc の牛胆汁を嚥下せしめ次いで抗破傷風 血清を嚥下せしめた。服用後24時間は、反覆して血液を採取した。Grasset は antitoxine の服用後1―4時間で操作採血により得たる血清は1ccを以て 毒素の10倍量の致死量を中和し得ることを確めた。それ以後即ち antitoxine 服用後7―24時間になせる瀉血によつて得た血清は毒素の100倍の致死量ま で中和することが出来た。同様の結果は抗「ヂフテリア」血清と同じ条件にて 摂取せる家兎に於て得られた。  之に反して、胆汁を以て感作を受けざる動物に於ては、その結果は全くち がつて来る。2頭の家兎に、Grasset は空腹時に純粋化せる抗破傷風血清の 6cc即ち抗毒素量1,500単位を摂取せしめた ; 血清服用後氏は1,4,7,24時 間の間隔を以て家兎を瀉血した。今回は、種々なる瀉血により得たる血清は いづれも抗毒素の痕跡も含まない。同じ結果は抗「ヂフテリア」血清を以て得 られた :  即ち予め感作することなく、経口的に投与する時には、この血清          感染及び免疫に於ける感作物の意義    219 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― は少しも血液内に移行することなく、腸管を通過するのである。            *  *  *  それ故、受働性免疫の場合には活働性免疫の場合の如く、予め腸壁を感作 することは全く必要のことである。  免疫の本質的機転は両者に於て同一ならざることは云はずに置く : 受働 免疫の場合には抗毒素は腸壁を通つて全身の循環系統に移行するが、之に反 して活働性の免疫の場合には Virus-vaccin は腸壁の部位に抑留される。然 しいづれの場合に於ても、胆汁は実際上その領域を掃除し腸壁との直接接触 を促すのである。  吾人の初めの研究に次いで、一定数の学者は胆汁に代ふるに同様なる性質 を賦与する他の物質を使用せんとの研究をなした。「アルコール」(Zabolotny)、 「カカオ」硫酸曹達。安息香酸曹達(Reiter)、Chatel-Guyon の水(Goehlinger) 最後に、赤痢菌の死滅培養(Nedrigaïloff)を使用せんと提唱するものがあつ た。  之等の物質のいづれかを以て腸を感作せんとすることは、第二の重要なる 問題である。他日全く無害にして且つ多分牛胆汁より有効でさへある感作物 を発見することは可能であらう。重要なることは、感作と同じ原理で少しの 費用で、腸壁の不透過性に打ち勝つことが出来ることである。            *  *  *  たとへ最近に至るまで経口的予防接種が進歩しなかつたとしても、それ は確乎たる科学的基礎を欠けるためである。支配せる教義はすべて免疫の発 現は抗体に負ふべきことを欲した、亦、腸内に於て Vaccins より受けた損害 があるので、何故に経口的経路が免疫を確実にするには不適当なるかを容易 に説明したのである。  今日では、同じ様な説明は承認してはならぬ。抗脾脱疽免疫の歴史は吾人 に免疫は抗体の作用を必要としないことを教へた。脾脱疽病に対し真実なる ことは亦他の疾患に対しても同様であるべきである。もし今日まで経口的免 疫に失敗したとすれば、之は抗体の欠陥よりは寧ろ適当なる技術の欠陥では 220      感染及び免疫に於ける感作物の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ないであらうか?  吾人が経口免疫に行つた研究を調査する前に、最初の時にこの考の範囲内 にあつた既に古くなれる実験を簡単に申し述べやう ; 之は15年以上をさかの ぼる。之は最初の経口的「チフス」予防接種であつた ; 之は Metchnikoff 及び 吾人自らによつて類人猿に実施されたのである。  種々の「チフス」予防 Vaccins の価値を試験する目的を以て、類人猿につい て研究せる際、吾人は猖々に生きた毒力の強い「チフス」菌を摂取せしめた。 この動物は既に前に経口的に加熱「チフス」菌を受けたのである。然し吾人は ――之は1910年であつた――正常動物と考へた、それは加熱菌を摂取した 事実は免疫の痕跡に過ぎぬと考へ得らるることはほんの瞬間も承認すること が出来なかつたからである。吾人の猖々はそれ故――吾人の考では――恰も 完全に新しいものの如く、腸「チフス」に罹患すべきであつた。然るに之は何 の障礙も起すことなく止まつた。  局所免疫の考は当時は吾人の希望に影響を及ぼす事が出来なかつたので、 此の結果は全く吾人を困惑させた。事実は少からず明白であつた。他の猖々 を手に入れることが可能であつたので、吾人に残されたことは事実を記載す るだけであつた。たとへ per os による実験的予防接種の最初の例を観察す ることがかかる風に Metchnikoff 及び吾人に残されてあつたとしても、之は 全く意外であつてそれについて吾人の例に何等の価値もなかつたのである。  翌年(1911年)、経口的予防接種の同様なる実験が、J,Courmont et Rochaix により、3年遅れて(1914年)A,Lumière et Chevrotier により、実験室内 動物について繰り返へされた。その頃、同種の試験が独逸に於て一連の学者 達―Loeffler, Kutscher et Meinicke, Wolf, Bruckner により「パラチフス」菌 の培養を以て追求された。あらゆる実験が嚥下せる之等の菌に対し特に感受 性大なる動物なる「マウス」に実施された。            *  *  *  之等の研究を綜合すると、一定の研究条件に於ては経口的予防接種は実現 性あることを知るに至つた。之等の条件の正確に決定すること並びに動物に          感染及び免疫に於ける感作物の意義    221 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 於て免疫経過中に起ることを更に厳重に検査することは保留する。普通一般 の考があるので、特に血清の抗体含有量を追求しなければならない。体躯倭【矮】 小なる「マウス」はこの種の研究には不適当であるので、吾人は家兎を使用す ることにした。  第一歩に於て、吾人は大なる困難に遭遇した。吾人は「マウス」及び猖々と は異り、家兎は経口的には「チフス」又は「パラチフス」感染に対し予防接種さ れぬことを認めた。吾人は無益に家兎に加熱菌のみならず、更に生きた毒力 強き菌を嚥下せしめたが、家兎は免疫性の獲得を拒否した。嚥下されたる菌 は少しも停滞することなく速かに腸を通過する、恰も雑菌に対する場合の如 くである。  「パラチフス」感染に於ける腸壁の意義に就ては吾人の以前の実験にはなき 所であり ; 他面に於ては、胆汁の付加をなし得る方法を知つてゐるので、吾 人は遂に胆汁を免疫に使用せんとの考に到達した。吾人はそこで先づ腸の上 皮を磨き、かくして腸壁の透過性を変化し、次いで、経口的に生「パラチフ ス」菌を投与せんことを提唱した。  明かに、胆汁で処置された腸は嚥下せる菌を吸着することが出来ることを 示した、従つてかく処置された家兎は強いて血液内に入れたる菌の致死量に 抵抗することが出来る様になる。  この結果は多数の要項に対して得る所が極めて多かつた。先づ、胆汁を予 め嚥下することは免疫形成に極めて必要なること ; 次に、この免疫が経口的 に得られたと同一なる機転は吾人の新天地を示した。  この実験の実際的価値に関しては、勿論零であつた。その興味は純学理的 であつた、何人も生菌の服用を予防接種の手段として推称する考を抱いてゐ なかつた。  然しこの実験より励まされて、吾人は、他の条件は全部同一にし、生菌に 代ふるに死菌を以てする場合に、何のやうなことになるかを知らんと欲し た。吾人の驚異せることは、実験の結果は著しく同一なることを示した。実 際上、実験の示す所では、胆汁で感作された腸と接触せる「パラチフス」死菌 222      感染及び免疫に於ける感作物の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― は、吸着され、動物は次いで静脈内に注射せる Virus の確実致死量に対し抵 抗する様になる。  それ故、吾人はここに、無害にし迅速なる予防接種方法の存在することを 知つた――吾人に及ぶまでには長い間かかつたであらう所の実験が之を証明 した――「チフス=パラチフス」感染に犯された人間に見る免疫になぞらふべ き方法の存在を知つた。            *  *  *  経口的経路によるこの予防接種法は如何なる機転であるか? 之は勿論抗 元が腸壁を過つて移行し、血液内に抗体を形成するに基くのではない、仮令、 ある場合に、予防接種の始めに抗体が血液内に表はるることあるも、抗体は 予防接種の進行すると共に次第に消失する ; 免疫が最高の強さに到達せる時 に抗体を少しも見出さないことが却つて屡々ある。それ故血清の抗体含有度 と生体の免疫度との間には何等の関係も存在しない。  吾人の意見によれば、予防接種の機転は感染の機転と同一である : 両者 の場合に、胆汁は粘膜を感作し、菌と腸の摂受細胞との密接なる接触を促す。 摂受細胞は腸壁の厚層内に存在し、胆汁の作用により露出され、Virus 又は Vaccin と結合する : 之によつて、場合に応じて、感染又は予防接種に与 る摂受細胞の親和力が飽和されるや否や、之は最早 Virus を結合し又は吸 着しない状態となる、尚亦、その後に生体がその既に受けたるものに類する 感染に爆【暴】露する時、その摂受細胞は無関心に止まる ; 即ちその親和力が消 燼されたために反応し得ない様になり、細胞は殆ど感染に与らなくなる。換 言すれば、摂受細胞は、一度び Antivirus 吸着により感作が破れると、最 早何等危険がない : 之より腸免疫は生体の全身免疫と同一視される。之は 吾人が脾脱疽菌予防接種をなせる海猽にて既に見た所のものである : 皮膚の 細胞は、パストウール氏「ワクチン」により感作がなくなると、強毒なる脾脱 疽菌が存在する時にも、最早作用しなくなる ; 之より皮膚の免疫は同時に脾 脱疽菌に対する海猽の全身免疫である。            *  *  *          感染及び免疫に於ける感作物の意義    223 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  「コレラ」は極めて「チフス」と類似する。  研究室内の動物は全く「コレラ」弧菌の嚥下に対し感受性がない。亦「コレ ラ」弧菌を大量に嚥下した後に、弧菌の注射に対し全く免疫性を得ることは 出来ないことは予期しなければならない ; 之は実際上実験の示す所である。  然らずんば腸が予め牛胆汁を以て感作された時は起り得る事柄である。  吾人は既に胆汁で前処置して弧菌を服せしめると甚しい障礙を引き起すこ とを示した ; 之は家兎に於ても海猽にありても真実である。この障礙の程度 は摂取せる Virus の量に従ひ多少がある : 2―3日の潜伏期の後、最初の症 状が現はれるのを見る ; 食慾不振、下痢、羸痩 ; 之等の症状は、動物により、 恢復し或は「カヘキシー」のために死の転帰を取る。  実験は疾病より生き残つた動物は血液内に弧菌の致死量の接種に対し抵抗 する ; かくして得たる免疫は抗体に無関係である。実際上 Masaki の観察に よれば「コレラ」に対する免疫は多少強き「コレラ」感染が先駆する時に成立す るに過ぎない。この事は胆汁を以て処置されざる動物では決して見られぬか らして、胆汁を加へざる純粋にして単純なる「コレラ」弧菌の嚥下は抗「コレ ラ」免疫は出来ぬものと信ぜられる。  この結論は同様に始めは Glotoff,次ぎに最近一面には Horowitz-Wlassowa et Pirojnikowa の海猽に於ける、他面には Klukhine et Wygodchikoff の家 兎に於ける研究を導いた。            *  *  *  Horowitz-Wlassowa et Pirojnikowa は胆汁で感作せる海猽に「コレラ」死菌 を嚥下せしめた。数日遅れて、之等の海猽並びに対照動物は経口的に試験さ れた。対照は「コレラ」感染で斃れた ; 処置せる海猽は生存した。予防接種さ れた海猽の血清中の抗体の検索では陽性の成績を示さなかつた。  Klukhine et Wygodchikoff は海猽に就て実験した。氏等は家兎を赤痢菌 を用ゐて感作した、この方法は Nedrigaïloff et Linnikowa により胆汁の代 りに腸壁に作用させたのである。志賀菌の感作量を定めて、氏等は家兎に経 口的予防接種法を施した。実験は多数の動物に行はれた ; 一つは「コレラ」に 224      感染及び免疫に於ける感作物の意義 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 対して予防接種され、他は「チフス」感染に対して行はれた。ここで之等の実 験の詳細を述べることは管々しい ; 只々注意すべきことは之等の研究より流 れ出た結論は吾人の結論及び Masaki の結論と一致した点である。志賀菌の 培養によりあらはされた、感作物質は抗赤痢免疫と同時に抗「コレラ」又は 抗「チフス」免疫を賦与することは胆汁に優る。著者は腸の感作を行ふことを 省いた時は、ある失敗に直面せる事に基き次の如く主張す : 「チフス」感染 又は「コレラ」感染に対する予防接種に関する問題は、免疫は家兎が予め感作 された時にのみ per os に得らるるに過ぎないのである。  同種の事実は Brocq-Rousseu, Truche et Urbain が Bacterium gallinarum に対する雞の予防接種に関する研究の際に唱へられた: 牛胆汁を以て処置 された雞のみが静脈内注射による Virus の致死量の数倍に能く堪えることを 示した。            *  *  *  仮令吾人が長い間、予防接種法の見地に於て予め腸を感作すべきことの重 要性にこだはつてゐたにせよ、之はその事実が吾人の研究の始めに確められ たためである。ある学者は服用せしめた少量の牛胆汁は動物に於ては通常分 泌される大量の胆汁の他に重要性はある筈がないと宣言してゐる。  感染を引き起さんとする時はいつでも、或は経口的に予防接種を実現せん とする時はいつでも、予め感作することが必要欠くべからざることであると 主張するには距離がある。吾人の最初の実験では――之は実験的赤痢に就て 行つた――吾人は志賀菌はその固有の性質により腸の研磨を行ひ得るから、 予め胆汁を嚥下することは不必要である。同様に、特に感受性強き動物では、 特殊の感作物の使用は全く必要なるものにあらざることを示した。即ち、吾 人は予め感作を行ふことなく「パラチフス」菌に対して「マウス」を又、「チフ ス」菌に対して猖々を予防接種することに成功した。細菌の内部に含有され た菌体内毒素は同様に使用さる ; 当該動物に於て、菌体内毒素は他の事情に 於て胆汁に代用される。然し吾人は感受性動物に於ても亦、感作物の使用は 有効なりと評価するものである。胃腸液は著しく不定である : その充満、の【ママ】          感染及び免疫に於ける感作物の意義    225 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 状態、その反応、酵素の含有量は刻一刻と変化し得。胆汁を服用させると、 測定可能の範囲に於て、之等の条件を一様にすれば、腸壁と Vaccin との密 接なる接触を一層確実になす。吾人の関係せる Virus にありては、人間は 実験室内動物より遥に感受性大である ; 人間は類人猿と比較するも更に感受 性に富む。それ故、人間は人工的感作物に依頼する必要なく、経口的に予防 接種されるものと推量したであらう。然し之を若し疫学的観察に拠れば、殆 どある疑を抱くことを禦ぎ得ない ; 他面に於ては、予め感作することは更に 確実なる免疫を得させるから、吾人は人間に於ても同様に之を実行する意見 を有するものである。             *  *  *  仮令、腸が主要部なる感染に於ては、感作物質の役目は必要なることが証 明されても、皮膚から発生する感染に関係する場合にはこの証明は無益と見 える。皮膚が健康なる限り、すべての Virus に対し殆ど無限の抵抗性を以 て対抗する。皮膚組織に選択的親和力を有する Virus 例へば連鎖状球菌、葡 萄状球菌、「ペスト」菌、結核菌、脾脱疽菌の如きものすら、皮膚に少しも継 続の破損がない状態に於ては、全く安全無害の状態で皮膚に沈着し得。皮膚 感受性を造るために、皮膚は先づ物理的又は化学的損傷を受けなければなら ぬ ; 同じ種類の感受性は、吾人が既にこの講演の始めに示したる如く、極め て種々なる要素によつて引き起され得。  皮膚と腸との間の類似は感染機転に制限されてゐない ; この類似は同じ程 度に免疫の機転に及ぶ。即ち、皮膚及び粘膜を大量の Vaccin と密接せしむ るも、その結果は少しも自然免疫を強くしないのである。然し、始めに如何 なる形であらうとも感作物質を皮膚に作用せしめた小数では、人工的免疫の 発現に通当なる条件を造つた。Antivirus の歴史はすべてその使用の対照と して、その必要は云はずとして後天性免疫を得るために皮膚又は粘膜を予め 感作することである。  之を綜括するに : 器官が包蔵せらるる皮膚粘膜なる外被は正常状態に於 ては防御系統として役立ち皮膚又は粘膜組織を通過すべき菌の全侵入を妨 226      感染及び免疫に於ける感作物の意義        ―――――――――――――――――――――――――――――――――― げ、動物をしてその自然免疫を確立せしめる ; この免疫性は外被の表面が健 全なる限り鞏固である。  動物に人工免疫を与ふるために、更に先天的に抵抗性ある動物に感染を起 すために、この外被は先づ適当なる感作作用を受け、極めて軽度に過ぎない が、自然の安全性を破り易くすることが大切である。            ―――――――――――              Mémoires Cités  Metchnikoff et Besredka, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXV, 1911, pp, 193,   868; t, XXVII, août 1913・  Masaki, Annales de l’Institut Pasteur, t, XXXVI, p, 399, 1922,  Horowitz-Wlassova et Pirojnikova, C, R, Soc, Biologie, t, XCIV, p, 1067,                 ⅩⅣ          貼  布  法  と  免  疫            Pansements et Immunité  外科に於ける貼布法(以下湿布繃帯と記す)の発達は疾病に打ち克つよりよ き手段に基き医学に於て成功せる考察に基く。湿布繃帯に移行せる主なる行 程は――それが殺菌、防腐又は特異的のものであるにせよ――病原菌を破壊 する考から全部誘導された。之等種々なる湿布繃帯の異る所はその作用方法 である。この最後の作用方法はある場合には免疫の液体学説、ある時は細胞 学説或は特異的組織局所免疫学説からである。  外科学の粗造時代の最初の湿布繃帯は石の年齢に逆上る程である。之は有 史前の人間により使用され、燧石を以て穿孔を行ひ又は肉の中に埋つた矢を 引き抜くと称せらる。すべてがよい : 樹皮、手近に見出さるる草、鳥賊の 墨汁等。要点は速に流血を止め、瘡面を塞ぐにある。儀式上の仕草は余り湿 布の效果を完成しない。Homére(ホーマー)の信ずる如く Ulysse の場合が それである。  Autolyticus に於ける狩猟の際に野猪のために脚部に負傷した時、彼はそ の外科医が負傷せる脚を拮紮するのに長い間呪文を唱へつつその仕事を終る のを見た。  現代より五世紀前に Hippocrates の仕事のうちには屡々骨折、負傷及び湿 布繃帯を問題としてゐる ; 然し不幸なことには、このものの成分又はその使 用方法に関しては、吾人は全く詳細を欠くのである。                  Ⅰ  漏膿及びその処置は西暦の始めに漸く医家の注意を惹き始めた。 228         貼 布 法 と 免 疫       ――――――――――――――――――――――――――――――――――  吾人は Celse の有名なる仕事、De re medica の中にこの問題に関する詳 細なる記載を見出す。Celse の意見によると、「アプセス」は切開しその内容 はそこに存するすべての腐敗物を除去するまで吸引すべきである。19世紀後 に、外科医 Bier はこの方法を彼のものとなした。  キリスト【四文字に二重下線】文明の到来と共に外科学の更新を待ち設けなければならなかつ た。それは何でもなかつた : Ecclesia abhornet a sanguine (宗教は血を嫌 ふ)。亦吾人は、教会が流血のために養つたこの嫌忌の理由のために、中世 紀の全期間外科学の萎靡を来したことを附加しやう。かの理髪師-外科医師 は西暦の初年の同業者以上に知者であり得なかつた。然し竹帛に残る唯一の 功労者は XIV 世紀の仏蘭西の外科医 Mondevill にして、氏はその時代の 師表となれる Galénistes (Galén 派) に対抗し漏濃が瘡傷の治癒に必要欠く べからざること、瘡傷は膿を持たぬ時は却つてよく瘢痕形成をなすものなる ことを確定するの勇気を持つてゐた。Mondeville のみが自家の見解を持つ てゐた。  「ポマード」及び膏薬は化膿及び痕面に好んで論議し続けられた。汚染せる 貼布は Galén 派の教養により祝聖された ; その地位を顛倒さすることは個々 の力では及ばなかつた。             *    *   *  復興期が来た。当時の最も代表的なる外科医 Ambroise Paré は、かの有 名なる Traité sur les plaies par armes à feu (銃瘡に関する治療)を出版し た。氏は当時評判となれる灼熱又は煮沸油による腐蝕を非難するに躊躇しな かつた。氏の意見によれば、感染の恐怖より「ヒント」を得た本法は、之を施 す所の組織の破損のために手術の経過を増悪するに過ぎないと。氏は合併瘡 plaies compliquées の治療には葡萄酒又は l’eau-de-vie (「アブサン」の類)或 は硫酸銅の溶液を以て患部を反覆洗滌することを勧めた。Paré こそ始めて 組織を劣つた状態に置いてはならぬ、組織をして最大の生活力と最大の防禦 手段を保存せしめねばならぬと云ふ重要性に気がついた。亦彼こそ文献以前          貼 布 法 と 免 疫          229 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― に防腐剤を使用したものである(1)。  Ambroise Paré の考は理解されなかつた。2,3 の熱心なる賛成者があつた 中に、XVIII 世紀の有名なる外科医 J,-L, Petit は理髪師の灼熱法を排し て揮発油による湿布繃帯、没薬及び「キンキナ」の粉末による湿布繃帯を代用 した。然し、之を総括するに此の時代に於ける外科学は西暦当初以上の進歩 はなさなかつた。  「ポマード」や罨法は XIX 世紀の半ばに至るまで外科学の室を去らなかつ た。更に、局所炎衝に関する Broussais の意見に誘惑されて、外科医は、全 く、内科医と同じく負傷者及び手術者から大量に採血する習慣になつた。彼 等は患者を衰弱状態に置いてしまつたのでかかる最小手術が感染に対する口 実となる位であつた。手術後の死亡率は最も熟練せる外科医をして再び「メ ス」を執ることを断念せしめる位の割合に達した。黒変群 Séries noires と説 明すべき ,,化膿性炎衝,, の起らぬ様祈祷しても、手術の不幸なる結果を防ぐ ことは出来なかつた。                 Ⅱ  1867年が来る。手術者、器械又は湿布繃帯によつて齎らさるる感染し易い 伝染の観念が、新しい領域を開拓す。恰も魔術師の杖の下に変化する如く、 外科学の技術は一変す。  ,,開放性骨折及び「アプセス」の新治療法; 化膿の原因に関する観察,,、か かる表題の記念すべき報告書が Lister によつて発表された。石炭酸水又は 石炭酸加油による瘡面貼布の問題は広い範囲に流布した。  この最初の発表は余り認められずに過ぎた。亦、しばらくして後、Lister は新しい報告書を発表するを必要と判断した。此の度は、極めて簡単な表題 をつけた : “消毒薬の意義,, 之は新貼布法を外科学に感銘せんと企てた新 方針以外には少しも関係しないことを充分指示せんとした。  その同時代の人を説得せんがために、氏はその技術によりよき結果に導く に至つた多数の重要なる手術の病歴を挙げた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  (1) Je le pansay, Dieu le guarit,, (私が手当して、神が治す, 1517-1590) 230         貼 布 法 と 免 疫       ――――――――――――――――――――――――――――――――――  屡々かかる場合に遭遇する如く或る新しい考案も従つて普及するに至らな い如く、新法はこれに対する嫉妬と無能の結合の湧き立つのを見ずには樹立 しない。Lister の場合にもその大胆なる発見を許すためには多数の歳月を要 した。その間、氏は洗滌に関し、石炭酸「ガーゼ」及び「カツトグート」に関し、 器具のための石炭酸槽に関しての一列の仕事を発表した。氏の考の中には、 空気中に存する菌は石炭酸のかくの如き使用の前には最早恐るる余地なし と。亦氏は手術室の化膿を全々追ひ去ることを望んでゐない。  明かに、消毒薬の貼布を以て病院の腐敗、丹毒及び膿毒症を除き去るを見 た。手術後の死亡率は負傷者及び被手術者をして、その時までは不明なる割 合にまで速に減少した。外科医は重篤患者を手術するに自惚が出た。手術家 の大胆はその手術が無障礙なだけに医界を驚嘆させた。             *    *   *  之に続く10ケ年間(1875-1885)、消毒薬は些の曇りなく風靡した。勿論、 石炭酸、昇汞及び沃度「フオルム」に代用するために、本法を完全ならしむる 研究をするものはなかつた。Lister の教義は此の長き全期間に亙り両半球の 外科医界に少からず君臨した。  仮令 Lister 以前に外科手術は極めて屡々成功に帰したとは云へ、然しあ ちらこちらに幸福なる例外がなかつたと信ずるのは誤りであらう。即ち、仏 蘭西に於て、Koeberlé は消毒剤を使用することなく、子宮繊維腫及び卵巣 嚢腫の手術に成功した。英吉利に於ても亦、Lawson Tait は石炭酸水に拠る ことなく極めてよくその手術に成功した。後者はその同国人 Lister の方法 を手術の際に不必要なる操作と考へるのに殆ど遠慮しなかつた。  何故に他の外科医がかくも哀れに失敗せる場合に之等の外科医は成功した のであるか? 少しも之は説明出来なかつた。該手術者は清潔であつた。そ れがすべてである。彼等は沢山の石鹸と煮沸水とを使用した。彼等はその糸 及び海綿を煮沸した。彼等は剖検をやらなかつた。                 Ⅲ  Lister より説伏せられた味方さへも、然し、Koeberlé, Lawson Tait 及び          貼 布 法 と 免 疫          231 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― その門弟により当時挙げられた成績に感動せざるを得なかつた。常に石炭酸 又昇承【ママ】の使用を賞揚しただけそれ丈之等の結果に驚嘆した。之等の物質の毒 性とその組織の上に特に腹膜に関する手術の際に及ぼす不快なる作用との為 めに、被手術者は屡々元気阻喪の状態となり創面の瘢痕形成を痛く害するの を見る。  消毒薬の貼用の原理は生物学的の考へ方よりも寧ろ生体の防禦を化学的考 へ方から行ふものであることを注意せよ。本質は一般に消毒的作用により行 ふものでないことを知る : 皮膚又は粘膜を保護するために生体が営む所の 分泌液の産物は、一般に殺菌作用がない。菌を除去するために、皮膚及び粘 膜は極めて屡々その腺の分泌液を利用する。即ち純化学的手段に拠る。  同時代の人は未だ吾人の仲間うちに生存してゐるが、その当時を想ひ起す ものは少いから、Lister の研究及び特に Pasteur のそれによつて作られた る進歩せる考は防腐法(asepsie)に対し既に熟してゐなければならぬと解釈さ れる。吾人の云はんとする所の Koeberlé の如き外科医によつて実施された のはこの経験による防腐法に関係するのではなく、実験室の否定し得ない実 験に基く合理的防腐法に関係するのである。亦、石炭酸、昇汞及び他の殺菌 剤は漸次高圧蒸気にその地位を譲るに至つた : Lister 氏「ガーゼ」貼布法は 無菌貼布法の優秀なる前に解消した。  1885-1890 年代に於ては如何。  「タムポン」、圧迫繃帯、糸、器具は蒸気又は乾熱により消毒された。只手 術者の手だけは、同様の処置をなし得ないので、石鹸「ブラシ」を使用して後 昇汞、酒精及び過「マンガン」酸加里で洗ふ。ある日、手は充分に「ブラシ」を かけ、洗滌し、消毒せるに拘はらず、菌が生存するを認めた。更にかくの如 き操作の影響は長ければ手が荒れるだけである。そこで高圧蒸気で滅菌せる 護謨の手袋を使用せんとする考を持つた。防腐の原理はその当時は望み得ら るる広い範囲に実現された。  現今に於ては、仮令 “石炭酸の酒宴,, をやる如き少数の忠実者を除いたに しても、無菌貼布法は一般に採用されてゐることを肯定し得る。吾人の組織 232         貼 布 法 と 免 疫       ―――――――――――――――――――――――――――――――――― の細胞は圧迫繃帯又は器具と接触せしむるもその生活力を失ふ危険は殆どな い ; 生体は総体としてその自然免疫性を生体に賦与する全防禦作用を営み得 るのである。  然し防腐法は害され易い側面がある。感染に対する活働的闘争を止めるの で、防腐法はその大なる不安は Primum non nocere なるために、自然の治 癒力に一任される。然も、防腐法は完全なる状態なる以外には效果はない。 一大手術は塵埃の最も少い巣窟をも除かれる様な特殊の場処を必要とする厳 格なる防腐の方式により行はれねばならなかつた。之は偶然的感染の原因と なるを以て、助手も操作も又談話もなるべく少きを要す。手術は時間が短け れば短いだけよく成功する、然るにもし何か彼にかの理由で、之等の条件を 実現し得ないならば、防腐的手術よりも更に心配なる結果を持ち来し得: こ の場合には劣る。最後に無菌的繃帯、禁忌の場合がある : 之は多数に病原 菌の存在する時である。  殺菌的繃帯の目的とする所は直接に完全に菌を破壊することである。細胞 の生活力を考慮することが如何に必要であるかを了解すれば、菌の破壊は二 次的計画に委ねられ、自然の治癒效力、即ち組織の自然免疫に腐心した。                  Ⅳ  然るに、最も活働的なる防禦手段に従事せるこの免疫は、人工的要素によ り更に強固となり而して手術者の手に於て創面の治療上極めて高価なる要素 となり易いのである。吾人は特異繃帯に就て述べやうと思ふ。之等の繃帯は 血清又は Antivirus に基くのである。  特異血清を基礎とする繃帯は殆ど普遍的実行に入らない。その使用は其の 当時抗破傷風血清を以てせる実験に基く。  之等の実験は抗破傷風局所免疫を得ることが出来ることを示した。之以上 簡単なものはない :  海猽の剃毛せる皮膚に抗破傷風血清を浸せる圧迫繃帯 を適用するか又は腹部の皮膚を「ラノリン」に混入せる破傷風抗毒素を以て塗 抹するだけでよい。  之等の方法のいづれかを以て、破傷風毒素の確実なる致死量に対し動物を          貼 布 法 と 免 疫          233 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 防禦す。繃帯は毒素の注射の前日又は毒素注射後間隔は3時間を越えざる状 態で――適用すれば、海猽は致死的破傷風に対し防禦さるるを見る。  抗破傷風血清繃帯は有效なるためには、それを毒素を受けた部位と直接に 接触せしむることが必要である。腹部の皮膚に適用すれば、繃帯は腹部の皮 下に注射せる毒素に対して防禦す : 他の場処例へば一脚の皮下に注射せる毒 素に対しては防禦しない。  換言すれば、抗破傷風繃帯により実現された免疫は局所的である ; 之は厳 密に特異的である。  この局所予防接種 loco loeso は多くの場合、抗破傷風血清の注射に代用し 得。本法は更に異種血清の非経口的侵入に由来する――直接又は間接の―― 不都合を少しも持ち来さざる長所を提供する。              *    *   *  外科医の実際上に極めて多数の適用を見るのは Vaccin 又は Antivirus に 基く繃帯である。その作用は、仮令局所性ではあるが極めて広汎なる適用の 領域を呈する。之は一種の特異的要素と関係する。その特異性は二重の意義 がある : 即ち一方ではそれ等が Virus の発育を阻止する Virus に対するも のであり、他方には――而して之は特に価値ある長所であるが――それ等が 抵抗力を増強する生体の細胞に対するものである。この二重の作用は、何の 不都合を表はすことなく、殺菌及び無菌の結合せる繃帯の長所を兼ねる様に なす。この特異繃帯を使用し脾脱疽に対する皮膚予防接種又は「チフス」に対 する経口的予防接種に於けると全く同じく、皮膚及び粘膜の自然免疫性を強 くなすのである。Antivirus を満す生物学的殺菌作用は之が細胞に対して行 ふ作用により増強される。  葡萄状球菌及び連鎖状球菌の遍在することは特異繃帯が皮膚及び粘膜に関 する感染の際に多数の適用を見るに至らしめた。  癤(フルンケル)、癰(カルブンケル)、あらゆる種類の「アプセス」産褥熱及 び他の疾患に於て、 Antivirus による繃帯は普ねく使用されるに至つた ; 之 はここに主張する必要はない。戦争中屡々見られたもので、大なる損傷によ 234         貼 布 法 と 免 疫       ―――――――――――――――――――――――――――――――――― り又は衣類の破片による汚染により特長を呈する場合は吾人の注意を引くに 値ひした。寸断され、血液で氾濫され、打傷により生命を失へる組織は、余 りよく分らないが、病原菌に対し選択的の培養基を提供する。毀損し、その 自然免疫性を減少せる細胞は菌の増加に対し 何等障壁を提供しやうとしな い。最も厳格なる殺菌作用は同様の場合に如何ともなし得ない。  生体の自然の資力を分担せしめる Antivirus 療法は、吾人の意見により次 の如き場合と同様に適用された、例へば Lister の最初の記念物となり而し て今日なほ外科医の関心する瓦斯壊疽、骨髄炎、化膿性関節炎又は開放性骨 端骨折の場合の如きである。最も熟練せる手術家は今日でも尚之等骨折を受 けたる患者に於ては死亡率が多いことを告白してゐる。常に骨折の上の傷は 或は縫合して感染の危険を冒すか或は縫合せずに法外に治療を延期し、而も 骨炎及び腐骨片を確実に避け得ないのである。この大なる矛盾の前に、傷面 を Antivirus に充分浸すか、継続的に或は断片的に死滅せる組織の中に Antivirus を滴下することは合理的でないであらうか? Carrel の排膿管の 「システーム」に使用する Dakin 氏液の代りに Antivirus を用ふることは、 上述の如き類似の場合に何うであらうか?  助膜腔内及び特に腹腔内に限局せる膿汁の採取は既に Antivirus を局所に 適用してその処置に成功した。吾人の考によれば Antivirus が特に有效なる 場合は、手術前の予防接種の場合である。器官の局所免疫は極めて速かに得 られたので、手術後の「ワクチン」療法に同様希望を開いた。             *   *   *  貼布法の経過せる種々なる時代を考究し、之を免疫学説に参照すると、相 互の間に相関的関係の成立することを殆ど妨げることは出来ない。  医学の有史前の全期間は、而して細菌の意義を少しも知らざる期間は、汚 染せる繃帯貼用期であつた。  病原菌の作用が発見された時は、内科も外科も一つの目的を持つてゐたに 過ぎない : 即ち殺菌性物質を用ゐ直接作用により之を除かうとするのであ る ; 一方には液体免疫の考からであり、他方には消毒薬による繃帯貼用で          貼 布 法 と 免 疫          235 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ある。  喰菌作用の発見は、生体の意義を細菌の破壊作用に 価値を帰してゐるの で、内科に於ては細胞免疫説、外科に於ては防腐的繃帯の凱歌を挙げるを見 た。  今日では、白血球のみが生体の防禦を確実ならしめるのでなく、すべての 細胞が感染され易く又本当の意味に於て免疫され易いことを知つたのである から、吾人は新時代即ち、一方に於ては局所免疫の学説に、他方に於ては自 然的当然の帰結として特異繃帯の時代に遭遇した。               ⅩⅤ           免 疫 と Antivirus           Immunité et Antivirus (1)   “何人も嘗て抗体の発顕なき鞏固なる免疫性の発生を非難する事なく証明せ   るものはない,,。Jules Bordet (Traité de Physiologie normale et pathologique,    de H, Roger et Binet, 1927, p, 354)  実験的見地に於て非難し得ない、免疫の機転に関する吾人の知識は、なほ 異論を受くべき観察に基いてゐる。Metchnikoff, Bordet, Ehrlich 及び他の 人々の古典的研究に拘わらず、免疫学説は今日なほ成長期にあつて、将来の 安定を洞察し得ない。吾人も亦二三の私的意見を容易に発表し得るを感ずる ものでなければならぬ。  いつの時でも、所謂伝染性又は「ミアスマ」性の疾患を治療せんとするもの は、必ずや之等の疾患の原因と予想さるべき要素を直接目的とすることが必 要であると断定した ; 疾病の発育する身体に関しては、殆ど問題としてゐな かつた。既に Hiéronyme Fracastor は水銀の吸入及び塗擦を黴毒に対し推奨 せる時は、この治療的考を持つてゐた : 彼の考では、皮膚から除去される 水銀は、毛孔を通過する際に、その当時皮膚疾患と考へられた黴毒病原体を 破壊すべきであると。  4世紀遅れて、細菌学時代が到来しても、伝染病を治療するこの方法に認 むべき変化を持ち来さなかつた ; 一層具体的の形状を取れる病原菌より他の 考はなかつた。見つ猶太教の道士と外科医とは最も確実に細菌を殺し易い物 質の捜索に相対峙した。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  (1) Bruxelles の医学会に於てなせる講演(1927年, 1月, 25日)            免 疫 と Antivirus          237 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  Metchnikoff による喰菌作用の発見は伝染病に対する争闘を他の方向に変 向させる結果となった。その研究に際し生体自身の中には Virus に対し殺 菌作用を営み得る装置が先天的に存在することを知った。  人の知る如く、極めて劃然と喰菌細胞の領域と液体領域との間に境界を 定めたのは Bordet である。  更に吾人に極めて近接せる所に、自然免疫の機転を説明するために、液体 の殺菌作用を主張せる時代がある。  Behring は鼠の脾脱疽に対する免疫は脾脱疽菌に対する血清の溶菌的作用 に負ふものとは信じなかった ; 氏は之がすべての免疫の覆蓋の鍵であると主 張しなかつたか?  今日では、Behring の此の考は歴史に属する。大多数の場合に、自然免疫 は喰嚍作用より起ることを知る。  後天性免疫の場合には、確に、喰菌細胞に実際上の関係があることは否定 し得ない、然しその意義は自然免疫の場合に於けるよりも更にうすい。現今 最も多くの味方を有する教義によれば、第一位に立つものは液体の力である; “後天性免疫は血液中に発顕せる本来特異性抗体の発生より本質的に生ずる 結果である,, (Bordet)  溶菌作用は今日では、Bordet 以来、二つの物質の共働作用に帰せられて ゐる : 一方では特異補体結合物質及び他方では非特異性の alexine (攻撃 素)である。”alexine は云はば正常動物が既に有する一種の武器を表はすが 然し、このものは之がある補体結合物質と共存する場合には更に作用顕著と なるので、それ以後は、Vaccin 注射による抗体のお蔭で、それに対して動 物が免疫された菌を特異的に目的とするのである,, (Bordet)。            *    *    *  今日一般に承認せらるる二元物質の学説は、人の知る如く、溶血素に関す る Bordet の記念すべき研究に端を発し ; 之より、本学説は抗細菌免疫の領 域に移植された。創案者が吾人に語る所によれば”溶血性血清は、その組成 に於てその作用方法に於て、抗「コレラ」血清に極めてよく一致する,,。其の 238        免 疫 と Antivirus           ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 他氏の云ふ所は”生体は異種動物より来る細胞に対し、全く細菌に対する如 く振舞ふ ; 即ちかかる細胞の注射は細菌に対応し同じ様に作用する抗体に実 によく一致する、特異抗体の発顕を促す,,。それ故 Bordet は結論して曰く “同じ機転により生体は或は細菌に対し、或は非伝染性異種細胞、赤血球に 対し免疫される,,。  此の結論は厳密に実験さるべきものである。生体は伝染性細胞又は赤血球 の存在するに従ひ、全々同様に振舞ふものであるか?赤血球はその増殖せざ る点、毒素を分泌せざる点に於て細菌と異らずと云へるか? それ故赤血球 は生体内に於て細菌と同様なる変化を生ずとは余り事実らしくない。  異種細胞を注射された動物は不快になることは、事実である ; 然しよい差 引勘定で之を除去するに至つた。例へば「コレラ」弧菌を接種せる動物に就て は之は同一でない ; 該動物は之によつてまさに死なんとする苦しみを受け る。生き残る時は、予防された状態になる。  二つの場合に於て生体が作用する要素の見地よりすれば、人の知らねばな らぬ一つの相異がある。  赤血球及び細菌に共通なる点はその構成をなす蛋白質の性状である、之に 対して生体は作用して溶解性又は凝集性抗体を発生する。  若し細菌に対する免疫が赤血球に就て証明せる免疫を全々模写したもの らば、即ち若し免疫が二種の物質補体結合物質 (Sensibilisatrice) と攻撃素 (Alexine) に支配されるとせば、当該抗体を有せざる抗細菌免疫は認められ ない筈である。然るに、補体結合物質と免疫とが足並揃へて進行せざる場合 が極めて屡々ある。亦吾人は一般に溶血素及び細胞溶解素の形成を極めて明 瞭に説明せる両物質学説は、卒直に簡単に抗伝染性免疫の領域に移植しては ならぬことを信ずる。  脾脱疽菌、連鎖状球菌、葡萄状球菌及び更に他の細菌についての研究は、 吾人に細胞溶解性血清に特徴なる現象の範囲内に入れしむること不可能なる 事実を明にした。吾人は屡々いづれの時にも既知抗体を発現するを見ること なく、局所及び全身の鞏固なる免疫を実現し得た。            免 疫 と Antivirus          239 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  それ故吾人をして敢て結論せしめることは之等の抗体は必要欠くべからざ るものではなく而して他の免疫の原因を探さなければならぬものであると。 簡単に綜括せんとする研究に次いで、吾人は感染に対する争闘に於て、菌に 直接作用することを探ぬるよりも更に容易に生体を強くせんと試みてその目 的を達せざるや、質問するに至つた。  ここに吾人の出発点が如何なるものかを述べやう。脾脱疽菌は如何に危害 の大なるものかを知る : 唯一個の脾脱疽菌は「マウス」、海猽及び家兎さへも 殺すに充分である。剖検するに、多数の桿菌が血液及び他の臓器に増殖するを 見て吃驚する。なほ亦常に人は脾脱疽病を敗血症の典型的なるものと考へた。  厳密にこの病気を研究するに、脾脱疽に対する実験室内動物の結合性は同 様にすべての臓器に顕はれる代りに、厳格に皮膚粘膜の包被内に限局してゐ る。  吾人は一定の実験条件に於ては、海猽は如何なる組織に於ても、悪結果を 生ずることなく一度に10倍、100倍、1000倍の量に堪へ得ることを見た、之が ために“皮膚が Virus の接触するに至らない様に接種を行ふよりほかには なかつた。脾脱疽菌は極めて危害大なる如く見えるのは接種を行ふ時はいつ でも、皮膚を通過し、疑もなく、その度に皮膚感染を起すからである。  若し、脾脱疽に於て、皮膚が感受性の器官であれば、全く論理的に云へば 予防接種を行ふべき所は皮膚である。実際に於て、予防接種の見地から、皮 膚経路を借りて、吾人は海猽に於て皮膚免疫を実現した、この免疫は単に第 1回及び第2回 Vaccin に非感受性となるのみならず、更に Virus 自身に 対しても非感受性となる。  それ以後、海猽に膜腔内、肋膜内、腎臓内、脳内に殆ど無制限量の Virus を注射し得た、動物は少しも反応しないか軽度に反応するに過ぎなかつた。  かく皮膚接種によつて得られた脾脱疽免疫は血清中にある二つの物質の存 在に基くのであるか?  先づ第一に他のすべてを排除せる皮膚経路のみが実験室内動物に於てこの 免疫を得せしめるのであるから、二つの物質の存在は最早や事実らしくない。 240        免 疫 と Antivirus           ――――――――――――――――――――――――――――――――――  直接実験が猶予することなく証明せることは、皮膚免疫による海猽に於て は、鞏固なる抗脾脱疽免疫が存在するが、血液中には抗体の痕跡も存在しな い。             *    *    *  仮令、今日では既にその試験が実行に移された皮膚接種の幸福なる結果を 何人も最早抗議はしないが、その機転は今なほ議論の的である。Bordet に よれば,,皮膚接種は極めて有效なる予防接種の手段を表はす,,何となれば氏 は曰く,, 脾脱疽菌は腹腔内よりも皮内に於て更によく繁殖する。更に、氏は 附加して曰く、皮膚はそれが他のものと同様に処することなくして免疫性を 得ることは承認せず,,。  吾人の畏友の免疫物質に於ける権威は、この意見が生まし得た誤解を解く べき義務を生じた。  若し吾人が Bordet の考を充分に了解すれば、皮膚免疫をなせる海猽の免 疫は局所的ではなく、全身的である、何となれば単に皮膚のみならずすべて の臓器は同時に免疫を得るからである。吾人に想ひ起さしめることは臓器の 免疫は、Bordet は暗示してゐるが、後天性免疫ではなく、自然免疫である と、該免疫は皮膚接種に次ぐのではない、之は前から在するのですべての正 常海猽に於て不侵害地帯を形成する。  第2の意見は、ちよつと見ると、いかにも道理らしく見える。’’弱毒にせ る脾脱疽菌は之を海猽の腹腔内に少量を注入するに、そこで発育することは ない ; 之が、皮膚又は皮内に於て更によく成功するのである,,。之が、Bor- det によれば、経膚的予防接種が他のいづれの経路よりもよりよき成功を与 ふる理由である。  若し之が皮膚接種の成功せる真実なる理由とせば、之は単に生菌を以ての み成功すべきである。然るに、実験の示す所では同様なる成績は無菌的なる 浮腫の液を以てしても得られる。この液――真実の脾脱疽菌 Antivirus であ る――皮内に接種すると之を皮下に注射する時よりも更に鞏固にして更に持 続する免疫を賦与する。            免 疫 と Antivirus          241 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  なほ又之は葡萄状球菌又は連鎖状球菌に対する皮膚予防接種の場合と全々 同一である : 即ち当該 Antivirus は後に述ぶる如く皮内に球菌数の発育及 び繁殖状態を起すことなく免疫を賦与するのである。  脾脱疽に関する問題を終るに当り、受働性免疫の問題につき数言述ぶるこ とが残つてゐる。既知抗細菌性血清中、抗脾脱疽菌血清は実用上に最も屡々 満足を与ふる所のものである。之は抗体の含量が原因であるか? 之は恐ら くさうでない、ここにその理由を述べやう。  吾人をして Ascoli の実験を回顧せしめよ、氏は抗脾脱疽血清を脾脱疽菌 と接触せしめ、かくして血清より抗体を奪つた後に、この血清は操作後も以 前と同じく同様に活働的であることを確めた。  故に抗脾脱疽血清にその特異的能力を与へるのは抗体ではない、更に亦そ の活働的免疫の発生を支配するのは抗体でない。             *    *    *  葡萄状球菌と連鎖状球菌は脾脱疽菌感染に関係する皮膚に対して親和性あ るのが特長である。  葡萄状球菌及び連鎖状球菌は充分普通抗原たり得る、而してこの考へ方は 広く認められる。  抗葡萄状球菌血清は殆ど血清療法の武器の一地位を占める資格はない。然 し人間に於て Vaccin 療法はあまり成功を納めない所の Wright の仕事以来 何人も無知ではなかつた :  抗葡萄状菌免疫はそれ故否定さるべきではない 然るに、此の免疫を与ふる所の血清中には所謂保証物即ち抗体を決して見な いのである。  実験室内動物に於て、全く人間に於けると同じく、抗葡萄状球菌又は抗連 鎖状菌免疫を造ることが出来る。然し、主要なることは、このためには抗体 の発生を目的とする通常の方法を断念しなければならぬ。皮下経路又は腹腔 内による海猽の予防接種は香しからぬ結果又は全く零の結果を与へるのに、 抗体の形成最小とせらるる皮内「ワクチン」接種法は実際上鞏固なる免疫性を 賦与するのである。更に興味ある事実は、Vaccin が単に剃毛又は脱毛せる 242        免 疫 と Antivirus           ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 皮膚に適用される時、この免疫は特に高まる。この最後の場合には、免疫は 固より血清中に発見し得ざる抗体の作用でないことは明らかである。  葡萄状球菌又は連鎖状球菌 Vaccins を皮膚面に適用する時、作用するもの は、固形体なる以上勿論細菌体自身でなくして、特にその溶解性誘導物であ る。その他、直接方法により之を確めることが出来る。海猽は葡萄状球菌又 は連鎖状球菌によつて生ぜる皮膚病竈に対し、陳旧培養を濾過器にて濾過 し、湿布繃帯の形で用ふる方法により免疫される。  之等濾液の活働的起因は、人の知る如く、Antivirus の名を受けた。之等 の Antivirus は無毒性にして特異的である。その誘導されたる球菌自身の親 和力なるその親和力のために、Antivirns は摂受細胞に吸着される、即、著 しく、皮膚粘膜の包被に吸着され易い。Antivirus で浸されると、之等の細 胞はその自然免疫性を増加する様に見える、即ち之に次いで感染が起る時に 彼等は恰も彼等が雑菌に対する如くに作用するのである。感受性の細胞は非 感受性となる : 彼等は免疫されたり、と吾人は云ふのである。  この主なる作用の他に、Antivirus は余り主要ではないが、然し看過し得 ない他の作用を表はす、之は即ち感染部位に於ける Virus の繁殖を麻痺せ しむる作用である。  Antivirus のこの二つの作用は内科に外科に多くの適用を見るに至つた。 特異繃帯又は Antivirus を基礎とする洗滌は現今極めて種々なる疾病に使用 されてゐる。本問題に関しては第Ⅸ章及び第Ⅹ章を参照ありたし。             *    *   *  今もし吾人が腸壁に対し選択的親和力を有する Virus につき述べるなら ば、吾人は同じ法則を見出すであらう : 即ち最適の免疫は感受性器官の予 防接種より結果する免疫である。赤痢に於て、「コレラ」に於て、「チフス」感 染に於て、免疫を造るのは腸管内免疫である ; 此の免疫は抗体の発顕とは無 関係に成立する。  実験室内動物に就ての実験は容易に経口的に赤痢に対し予防接種せしめ る。赤痢予防「ワクチン」を最初に摂取するや間もなく、細菌体内に含まるる            免 疫 と Antivirus          243 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 菌体内毒素のために、粗造赤痢を思はせる、特異的潰瘍を腸の部位に生ずる 且つ表在性の之等の潰瘍のために、Vaccin の一部は腸を過り血流中に侵入 しそこで抗体殊に凝集素を発生す。第1回 Vaccin 嚥下後間もなく、Vaccin により生ぜる裂傷が瘢痕形成をなす。この時以後は、腸壁は菌体内毒素に対 し非感受性となる : 即ち腸壁は赤痢抗原に対し超ゆべからざる柵を提供す る ; 且つ抗体はも早や形成されなくなる。血液中に既に存在するものに関し ては、之等は少しづづ除去されて消失する。それ故このことは Vaccin の第 2回摂取に次いで起り、そして第3回目についで更に強くなる、即ち免疫は 極めて高度なるに、抗体は血液中に認められない。この抗体の消失は鞏固な る免疫の発生と一致するので、吾人は抗赤痢免疫は、全体でないにせよ、少 くとも大部分は腸壁の部位で得られるものと考へてよい ; 換言すれば、局所 免疫に関係する。             *    *   *  「チフス」及び「コレラ」感染に対する経口的予防接種は、吾人が既に他の所 で述べた様に、困難を提供しないわけではなかつた。  赤痢の場合には、Vaccin 内に含有される菌体内毒素が腸壁の表面をおふ 粘液を駆逐し予防接種すべき細胞に菌の近接するを妨げる作用をする。「チ フス」又は「コレラ」の感染の場合に於ては、それは同一でない : 「チフス」予 防 Vaccin も「コレラ」予防 Vaccin も、動物に於ては、少くとも、腸に於け る剥離性能力を持つてゐない。それ故之等の Vaccins に対してはその固有 の手段で摂受細胞に至る経路を通ずることは不可能である。亦、per os に投 与されると、之等の Vaccins は腸壁に添うて滑べり降り感受性細胞に擦過傷 を造ることなく排泄されてしまふのである。  それ故該 Vaccins は有用なる作用を、それ自身及ぼすことは不明である。  之に反し、家兎に於ける実験は、もし胆汁を以て腸を処置することにより 上皮層を剥離するならば、困難なく経口的に免疫を得るに至ることを吾人に 示した。空腹時に胆汁を嚥下せしめ、次にしばらくして、「チフス=パラチ フス」 Vaccin 又は「コレラ」 Vaccin を嚥下せしめた家兎又は海猽の如き動 244        免 疫 と Antivirus        ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 物は之に次いで当該 Virus の致死量に抵抗し得るに至る ; 同じ条件である が胆汁を加へずに予防接種された対照動物は同じ試験に於て変はることなく 斃死した。  人間に於ては、赤痢、「コレラ」及び「チフス」に対する経口的予防接種は既 に広範囲に実施された。数十万の人間が流行の際に、欧羅巴並に東洋に於て 保護された。今日ではこの予防接種の方法は全く無害であり、今日まで記載 された結果は皮下注射による予防接種が与ふる結果に少しも劣らぬことを肯 定することが出来る。  抗「チフス」又は抗「コレラ」免疫の機転に関しては、赤痢の場合に於けると 同一である : 之等の免疫は全く腸の部で完成される。腸の内部で遊離する 「チフス」又は「コレラ」 Antivirus は腸壁に吸着される ; 之等は腸壁を非感受 性となし、かくして之を無害になす。腸――感受性器官――のこの免疫は全 生体の免疫と混同される。この免疫は抗体の協力なくして成立する。  之は全々 probabilité によれば人間に於ては同一である ; 人間に於ては、 何等の平衡も血清中の抗体と免疫度との間には存在しない。「コレラ」感染を 受けた人は屡々その血清は抗体に乏しい、之は「コレラ」の新感染に対し抵抗 することを妨げない ; 之は人工的に免疫されその血液は抗体で満ちてゐる人 に於けるよりも更によく抵抗する。  同じ様な現象は「チフス」の場合に見られる。皮下経路による予防接種は多 量の抗体の産生を来す ; 然し、かくして人工的免疫は「チフス」の真の罹患に よつて起る免疫と比較すべくもない、この場合久しき以前より抗体の全痕跡 は血液より消失してゐても、この免疫は数年間に亙つて持続する。             *    *   *  吾人が記載せる所のものに類似せる現象は、「リチン」の投与により免疫せ る人につき、Columbia 大学の Lee Hazen によつて最近観察された。  ricine は腸に対し「チフス」、赤痢又は「コレラ」弧菌の親和力に比較すべき 選択的親和力を有する ; ricine は亦皮膚に対し遥に軽度ではあるが、葡萄状 又は連鎖状球菌のそれを思はしめる親和力を有する。            免 疫 と Antivirus          245 ――――――――――――――――――――――――――――――――――  然る所、ricine のこの二重感受性――腸及び皮膚に対する――は必然的結 果として二重の局所免疫――真の腸管及び皮膚免疫――を起した。  直腸の経路より家兎を免疫し、次いで種々の経路――皮膚、静脈及び直腸 より試験せるに、著者は ricine の致死量を注射する時は、経直腸的に試験 された動物のみが生存するを確めた。  他方に於ては、毒素抗毒素の混合を以て、経膚的(皮内)に家兎を免疫する に、著者は混合を注射せる部位に厳格に限局して、免疫が成立するのを確め た。皮膚免疫された皮膚の断片並に腸免疫せる動物の血清中に抗体を捜索す るに、著者は少しも抗体の痕跡を発見し得なかつた。  抗 ricine 免疫は抗体を発生することなく、鞏固なる局所免疫の可能なるた めに、否定し得ざる新しき弁証を吾人に提供する。             *    *   *  結核に於ける免疫の機転は今日尚神秘的に残されてゐる。然し予知し始め たことは次の点である : 免疫を完成するのは多分固定せる細胞部位にある、 抗体はそこでは全く異物の如く見える。結核病竈の治癒機転の問題について Bordet 自身は述べてゐる”治癒機転と一定せる抗体の発現との間に極めて 正確なる関係を成立させることに成功しなかつた,,と。吾人は Bordet-Gen- gou の抗体を、速かに死の終局に向はんとしてゐる極めて進行せる結核患者 の血液中に、証明することは稀でない。  同じ様な考で、結核菌体を注射せる人に於ては、抗体は多量に発顕するが そのものには免疫の片鱗さへもないことを想起せしめる。  之を要するに、免疫を得ることなく抗体を多量に供給され得る、而して反 対に : 抗体が乏しいか又は全々之を所有しないで――過去に罹患せる「チ フス」又は「コレラ」の場合がそれである――而も少しも劣らず鞏固なる免疫 を営み得るのである。             *    *   *  この説明を長くせざるために、不可視性 Virus による二つの疾患、痘瘡と 狂犬病に於ける免疫について知る所を簡単に述べやう。 246        免 疫 と Antivirus        ――――――――――――――――――――――――――――――――――  ,,最近種痘され又は痘瘡より治癒せる人の血清・・・・・・狂犬病に対して免疫さ れた生体の血清は、in vitro で天然痘又は狂犬病の Virus を中和する・・・・・・ 之等の血清の予防的価値を試験して、血清が抗体を含有することを容易に証 明する,,(Brodet)。  天然痘又は狂犬病の Virus が抗体を発生し得ることは確実である ; 之等 抗体が免疫の機構に与ることは、余り多くはない。  抗天然痘血清は決して天然痘患者を治癒せることもなく防禦せることもな い。別々に注射された抗天然痘血清は天然痘の発疹を防禦することは出来な い; この血清は天然痘 Virusと密接に混合される時の他はこの Virus を中 和しない。乱切せる皮膚に淋巴を受けたる人に於ては、確に、血液中に滅殺 素(Anticorps virulicides) を見出す、然し之等の抗体と免疫度との間には、 「コレラ」に対し又は「チフス」及び夫々の Virus に対し予防接種された人に平 衡が存在せざると同じく、殆ど平衡はないものである。             *    *   *  狂犬病に於ては、天然痘に於ける如く、抗体は、少しも、免疫体形成に活 動的要素を取らぬものの如くに見える。  狂犬病毒滅殺性血清は、痘苗に於ける Virus 滅殺性血清と全く同じく、 狂犬病毒と混合される時の他は活動的なるを示さない。予防の意味で、それ のみを注射するも、この血清は狂犬病症状の発生に対し防禦し得ない。その 治療效果に関しては、同様に零である : 抗狂犬病抗体は既に感染が起つた 場合には免疫を賦与することは出来ない。  活働性免疫は、全々真実らしい所によれば、抗体は何も関係せざる如き機 転によつて得られる。既に最初にすべては、パストウール氏法による狂犬病 に対する免疫も局所免疫の原理によることを想像せしめる。最初露西亜の Georges により、南亜米利加の Biglieri et Villagas により、極めて最近に、 仏蘭西の Remlinger et Bailly によつてなされた近来の研究は、実際に此の 状態を見ることを確証した。後出の著者は、剃毛せる皮膚の上に乾燥又は 「エーテル」にて処置せる狂犬病毒乳剤を以て、塗擦をすることにより、経膚         免 疫 と Antivirus         247 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 的に海猽を予防接種することに成功した。次いで、街上毒を剃毛せる皮膚に 刷毛を以て塗布し試験するに、皮膚免疫せる之等の海猽は大多数生存したが、 対照は狂犬病の独特なる症状を起して斃死した。  それ故、抗狂犬病免疫を得るためには、局所的皮内免疫を以て充分であ る。序ながら注意することは、この免疫は通常方法、即ち抗体形成に取り最 も好んで使用する経路なる皮下経路によつて得られたる免疫より更に鞏固で あるらしい。             *    *   *  Blacklock et Thompson は Cordylobia anthropophaga なる蚊の幼虫に就 いて、極めて奇妙なる免疫の事実を記載した。之等の幼虫は人間及び動物の 皮膚内に侵入しそこに10日位滞在する。そこで発育する間、之等の幼虫は 「フルンケル」を思はせる様な病竈を造る ; かかる感染を受けた人は、その後 は新攻撃に対し犯されない様になる。  極めて最近、Blacklock et Gordon は之等の研究を復試した。かくして得 た免疫の性状を知らんと欲して、氏等は甚だ重要なる確証に導かるるに至つ た。氏等は Cordylobia の幼虫を海猽の皮膚の上に置き、次ぎに氏等は6日 間その発育を追及した。実験は既に以前幼虫をかくまつた海猽の皮膚に置か れた幼虫は新しい海猽に置けるよりも遥に発育率は少いことを示した。即ち 一つの実験に於て新しい海猽の皮膚の上に宿所を取れる501幼虫のうち、30 はその発育の最後に達した、然るに既に前以て試験せる部位に置かれた50の 幼虫のうち、唯の一匹も発育しなかつた。  著者は皮膚の最初の罹患せる部位に限られた当該免疫は一定数の場合には この部位より外に拡がり得ることを確めることが出来た。  氏等の研究の始めに当り、 Blacklock et Gordon は氏等は全身免疫を造り 得たと認定した ; 氏等は、次いで、意見を変向し局所免疫と結論せねばなら なくなつた。  不感受性になれる動物の血清は抗体を含有しない。この血清は幼虫に対し 少しも殺菌性作用(?)を営まない ; 血清は新しい動物に受働性免疫を賦与す 248        免 疫 と Antivirus          ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ることも出来ない。  幼虫の乳剤を皮下又は腹腔内に注射するも免疫を形成しない ; 之に反し、 この乳剤を皮膚上に適用すれば免疫性を賦与することが出来る。  興味あることは、幼虫が皮膚免疫を行へる皮膚の部位に侵入する時は幼虫 は通常40時間以内で消失する、即ちこの時は幼虫は尚皮膚の水平面にあり、 従つて、血管網より遠く離れてゐる。  非感受性になれる動物より切除せる皮膚の一片を、直ぐに新しい動物に移 植するに、その免疫性を保存する、此の免疫は次いで隣接する部位の皮膚に 拡がる。逆に新しい動物より切除し次いで予防接種せる動物に移植せる皮膚 の一片は免疫を得易くなる。  非感受性になれる動物に於て、幼虫の皮膚に侵入することは、免疫せる部 位に於て、烈しき皮膚反応を伴ふ ; この皮膚反応は新動物の皮膚の部位には 欠如す。  英国の著者が、吾人が細菌につき記載せる、抗体なき免疫に全々比すべき、 局所免疫の存在することを結論せることに対しては最早や附加する必要はな い。之は今日多細胞性原虫について知らるる局所免疫の最初の例である。              *   *   *  吾人は伝染病の最も代表的なるものを列挙した。吾人は如何に抗体は免疫 の均衡を保つこと少きかを見た。之は吾人をして容易に目録を引延ばし他の 疾病をも云ひ易からしめた : 「ペスト」、黴毒、肺炎、脳脊髄膜炎、原虫に よる疾患及び更に同一例に属する他の疾患。「ヂフテリア」、破傷風、及び「ボ トリスムス」を除いては――Virus に対する抗体の作用が免疫の主なる原因 となる如き疾病は少いと云つても殆ど差支へあるまい。  今まで述べた感染の大部分に於て、免疫の原因は血液内の抗体の存在より も摂受細胞の部位にある Antivirus の存在に一層顕著に関係する様に見える。  之を要するに、Antivirusthérapie――予防的又は治療的――は抗体なき局 所免疫の原理に基くもので、今日実施せる如き血清療法は Vaccin 療法の 作用を免るる、多数の病的経過に於て顕著なる地位を占める。         免 疫 と Autivirus          249 ――――――――――――――――――――――――――――――――――         Mèmoires【ママ】 Cités J, Bordet, Immunité, Traité de Physiologie normale et pathologique, publié sous la  direction de H, Roger et Binet, 1927, Masson et C, Lee Hazen, Jonrn, of, Immunol,, t, XIII, mars 1927, p, 171, de Georges, C, R, Soc, Biologie, t, XCV, 1926, p, 1096, Biglieri et Villagas, C, R, Soc, Biologie, t, XCV, 1926, p, 1176, Remlinger et Bailly, C, R, Biologie, t, XCVI, 1927, p, 826, Blacklock et Gordon, Lancet, 30 avril 1927, p, 923, 【Jules Bordet:一八七〇年六月十三日於ベルギー・スワニー生、一九六一年四月六日於ベルギー・ブリュクセル没。一九一九年、ノーベル生理・医学賞受賞。(Wikipédia)】 【奥書】   昭和八年八月十日  第一版印刷   昭和八年八月十五日 第一版発行    伝染病に於ける免    疫に関する研究   正価 金三円  訳者兼  発行者           井上善十郎     札 幌 市 南 七 条 西 十 六 丁 目  印刷者           加 藤 晴 吉     東京市本郷区湯島切通坂町五十一番地  印刷所        《割書:合資|会社》正文舎第一工場     東京市本郷区湯島切通坂町五十一番地            売 捌 所 南  江  堂  書  店  南 江 堂 京 都 支 店 東京市本郷区春木町三丁目   京都市中京区寺町通御池南 電・小・三五一〇・三九六九  電話 上 二〇三 〇 振 替 東 京 一 四 九  振 替 大坂 一一五〇五 【原著出版 Impr, Barnéoud, 1928】 【定期預金記入票あり】 【裏表紙・ラベルあり】