名画 キング オブ キングス パンフレット 歐米映畫株式會社提供 【右頁】  映畫の王者來る! 「キング・オヴ・キングス」こそは この世(よ)を救(すく)ふ映畫(えいぐわ)の王者(わうじや)‼ 思(おも)ひは遠(とほ)く逈(はる)かなる二千 年(ねん)の昔(むかし)、 絢美驕華(けんびけうくわ)を 誇(ほこ)りたりし羅馬帝國(ローマていこく)の、しかもその壓政下(あつせいか)に あつて、 彼等(かれら)「さまよへる猶太人(ユヂヤじん)」の血に染(にじ) む忍苦(にんく)の日(ひ)は續(つゞ)けられた。 出(い)でよ!われらが救世(ぐぜい)の王(わう)!--飢(う)へて渇(かつ)へ て血(ち)に叫(さけ)ぶ聲々(こゑ〴〵)は羅馬(ローマ)の街々(まち〳〵)を赤(あか)く彩(いろど)つた。 時(とき)に、--甞(かつ)てベツレヘムの蒼空(そうくう)に輝(かゞ)やきた りし星(ほし)は、 今(いま)、 救世主(きゆうせいしゆ)イエス・キリストとし て彼等(かれら)の前(まへ)に出現(しゆつげん)した。--かくて卷(くわん)を展(てん)ず るに、まづ美(うつく)しき驕兒(けうじ)マグダラのマリアの豪(ごう) 奢(しや)を極(きわ)めたる大饗宴(だいけうえん)に端(たん)を起(おこ)し、イスカリオ テのユダが煩惱(ぼんのう)。 祭司長(さいしのおさ)カヤパの陰謀(ゐんぼう)。さて は羅馬派遣(ローマはけん)の總督(そうとく)ピラトの苦衷(くちう)。 彼(かれ)と十二 使(し) 徒達(とたち)の聖(せい)なる最後(さいご)の晩餐(ばんさん)から月蒼(つきあを)きゲッセマ ネの花園(はなぞの)のわかれ。--ゴルゴタの丘(をか)の 十字(じ) 架(か)にかかりつつやがて昇天(しやうてん)のあかつきに到(いた)る まで、 奇蹟(きせき)は奇蹟(きせき)につぎ、 光明(こうめう)は光明(こうめう)につぐ。 【左頁】 --規模(きぼ)の雄大(いうだい)、 結構(けつこう)の華麗(くわれい)、 殆(ほと)んど今(こん)シー ズンに並(なら)ぶものなき名篇中(めいへんちう)の名篇(めいへん)たる名(な)に恥(は) ぢざるものである。しかも之(これ)が監督(かんとく)に任(にん)ずる ものは、セシル・B・デミル氏(し)、D・W・グ リフイス氏(し)の世界映畫(せかいえいぐわかい)の二 大巨星(だいきよせい)を以(もつ)て し、H・B・ワーナー氏(し)、ジャケリン・ロー ガン孃(じよう)、アーネスト・トーレンス氏(し)ジョセフ・ シルドクラウト氏以外(しいか)、 主要俳優(しゆえうはいいう)一百 餘名(よめい)。 堂々(だう〳〵)五千 名(めい)のヱキストラによる演出表現(えんしゆつへうげん)の盛(せい) 觀(くわん)は、つひに又群小凡百(またぐんせうぼんびやく)の映畵(えいぐわ)をして後(しり)へに 摚著(だうちやく)たらしむるであらう。 就中(なかんづく)、 極彩色(ごくさいしき)のテ クニカラーに彩(いろど)られたる畵面々々(ぐわめん〳〵)の美(うつく)しさに 到(いた)つては、 滔々(とう〳〵)として天下(てんか)の一 大稀觀(だいきわん)であら う。 幸(さいは)ひに來(きた)るべき封切(ふうきり)に絕大(ぜつだい)なる御期待(ごきたい)を かけたまへ! 【右頁】 名畫「キング・オブ・キングスに就て 作家 武者小路實篤 耶蘇の一生を思はせられ、當時の風俗も見られるのをうれしく思つ た。奇蹟が多すぎるがそれは映畫としては感じがあると思つた。耶 蘇になつた人は中々感じを出してゐた。随分大がかりで長いものだ が新敎の人達が見たら隨分感動するだらうと思つた。自分も見てゐ て耶蘇のことを今更思ひ出したことを喜んだ。使徒達、ペテロ、ユ ダ、マリア・マグダレナなぞも感じがあつた。 【左頁】 作家 倉田百三 なか〳〵いゝフイルムだ。取りかえ引きかえ映畵的なシーンが展開 する。すじは福音書の通りで少しも新しい解釋はないが、そのすじ に即しながらうまく映畵的にとらへてゐる。實は自分は見ない前に この映畵は屹度失望するだらうと思つてゐた。それは第一にすじが 常套的なのと、こんな場合最も困るキリストになる役者から來る幻 滅とのためであつた。ところが今度のワーナーのキリストは實にい い。實に精神的な柔和な、或る點靈的とも云つていゝ程のキリスト である。動作に何の誇張も、さはがしさもなく、上品な淸らかな性 格をなしてゐる。幾分弱いはに弱い。併しそのために、柔和な、聖 者らしい性格がよく出てゐる。そして内面的には決して弱くない、鋭 さをたしかに示してゐた。殊にやせた手の感じが美しく、淸く、力 がある上乘のキリストである。このキリストのために全體が生きて ゐる。マリア、ユダ、ピラト、祭司の長等相當である。自分は近頃 見た役者では此のキリストに一等感心した。 詩人 千家元麿 「キング・オブ・キングス」は力のある映畵でした。キリストになつ た役者はさう動かずに崇高な感じを出してゐました。ピラトと對面 のところ等異様な壓するやうなキリストでした。ペテロもユダもよ かつた。魚を釣ると金貨をくわえてゐるところ等面白かつた。ピラ トの館から磔刑までは線の太さを感じ橫いつした興味があつた。ラ ザロの復活の場もすごい感じがした。キリスト一代記として要領良 く印象の深い出來だつた。 畵家 河野通勢 實に感心しました。こんないい映畵を見た事は近頃ありません。ほ んとうにキリストのいい所がよく出て居ると思ひました。映畵も無 駄がなく、ぐんぐん人の心を引きつけて行くのには感心しました。そ して實に奇麗です。しまひに一寸涙ぐましい氣持ちになりました。實 に感心致しました。 畵家 梅原龍三郎 ヤソの傳記を知る爲に十度本を讀むよりも、かかる映畵を一度見た 方が、よくりんかくが頭にはいります。又當時の風俗や其地方の様 がよく解つて敎育的な興味が甚大と思ひます。澤山の民衆の出る畵 面など大がかりな處が殊に面白く思ひました。 映畵批評家 杉山靜夫 キリスト傳の最も完全な映畵への飜譯として何よりもまづ、いや殆 ど全的にマクフアーソンのアダプテーターとしての手腕に敬服させ られました。 作家 網野菊 はじめのマクダラのマリアの部分は少し派出すぎると思ひました が、大體に於て感心しました。聖書の言葉がよく生かされてゐて、見 てゐる中、もう一度聖書を読み直してみたい氣が起りました。キリ スト役の人は、やりにくい役でせうに、いやみなく、よく演じてゐ ると思ひました。アーネスト・トウレンスのペテロ役は適役と思ひ ました。後半の部分。しば〳〵涙ぐまされました。幼い人達に見せ ても安心であり、且、有益な寫眞と思ひます。 【右頁:写真のみ】 【左頁】 パデー・デミル社特作映畵……………… 脚色  ジエニー・マクフアスン女史… 總監督 セシル・ビー・デミル氏……… 撮影  ペヴエレル・マアレイ氏……… 出演主要俳優 H・B・ワーナー氏        ドロシイ・カミングス孃 アーネスト・トウエンス氏     ルドルフ・シルドクラウト氏 ジヨセフ・シルドクラウト氏    ジヤクリン・ローガン氏 ヴイクター・ヴアルコニ氏     サム・ド・グラツス氏 カツスン・フアガスン氏      モンタキユ・ラブ氏 ウイリアム・ボイド氏       マツト・ムーア氏 セオドル・コスロフ氏       ジヨージ・シーグマン氏 ジエームス・フアレル氏      オツトウ・レデア氏 ブライアント・ウオツシユバ氏   ライオネル・ベルモア氏 モント・コリンス氏        ルシヤ・フラマ氏 上山草人氏            ウイリアム・コステロ氏 サリー・ランド氏         ノーブル・ジヨンソン氏 アンドレイ・チエロン氏      リチヤード・アレキサンダア氏 バツト・フアイン氏        ウイリアム・デ・ボーア氏 ロバート・マツキー氏       トム・ロンドン氏 デイツク・リチヤード氏      エドワード・シエフアー氏 マジエル・コールマン孃      ジヤツク・ペエージエン氏 ロバート・セント・アンジエロ氏  シドニイ・デ・アルプウ氏 ダビツト・イン・ボーデン氏    チヤーレス・ベルチー氏 クレイト・バツカア氏       チヤーレス・レツカア氏 ジヨン・テイ・プリンス氏     主要俳優五十三名 俳優五百五十名          端役五百名 エキストラ三千人         馬二千五百頭 撮影日數十五ケ月         撮影費三百萬弗 このスタッフ!このキャスト!恐らくはホリ ウッド初まつて以來であります。御期待を! 【右頁】 キング・オブ・キングス物語 顧(かへり)みすれば、--吁(あゝ)!思(おも)ひははるかなる二〇 〇〇 年(ねん)の昔(むかし)。--大花園(だいくわゑん)の盛觀(せいくわん)に榮(さか)へ榮(さか)へた 羅馬帝國(ローマていこく)の、しかもその壓政下(あつせいか)に血(ち)に染(にじ)む忍(にん) 苦(く)の日(ひ)を經驗(けいけん)しつつありし「彷徨(さま)よへる猶太(ユデヤ) 【左頁】 人(じん)」の中(なか)にあつて、一 代(だい)の驕兒(けうじ)マグダラのマ リアは、その世(よ)にも蕩麗(たうれい)なる美貌(びぼう)の下(もと)に集(あつま)る 蕩兒(たうじ)を相手(あひて)に日夜(にちや)、 大饗宴(だいけうえん)を張(は)つてゐた。 今(こ) 宵(よひ)も彼女(かのぢよ)は饗宴(けうえん)の光(ひか)りの海(うみ)の中(なか)にゐるが、 何(な) 故(ぜ)かその眉(まゆ)は一 沫(まつ)の憂鬱(いううつ)の翳(かざ)しがあつた。 愛(あい) 人(じん)イスカリオテのユダが、この日(ひ)ごろ、 彼女(かのぢよ) の側(そば)に姿(すがた)を見(み)せぬためであつた。--愛(いと)しい ユダを自分(じぶん)から離(はな)しておく女(をんな)、その女(をんな)はまア どんなに美(うつく)しい女(をんな)であらう?--それが彼女(かのぢよ) の憂鬱(いううつ)であつた。しかし、ユダを彼女(かのぢよ)から引(ひき) き離(はな)したものは、 實(じつ)は美(うつく)しい女(をんな)ではなかつ た。ナザレから來(き)た一人(ひとり)の貧(まづ)しい大工(だいく)、イエ ス・キリストであつたのである。 イエスは尊(たつ)とい神(かみ)の心(こゝろ)を心(こゝろ)とした傳道(でんだう)の行程(こうてい) にあつた。ある時(とき)は死者(ししや)を蘇返(よみがへ)らせ、ある時(とき) は盲(めしひ)に光明(こうめう)を與(あた)へ、 又(また)ある時(とき)は跛(びつこ)を起(た)たしめ て行(ゆ)く行(ゆ)く奇蹟(きせき)を具現(ぐげん)した。 彼(かれ)は今(いま)。一 世(せい)の 翹望(げうぼう)を擔(にな)う救世主(きゅうせいしゆ)であつた。 愛人(あいじん)を奪(うば)ふべく車(くるま)を驅(か)つた驕兒(けうじ)マリアも、 彼(かれ) の内(うち)なる力(ちから)には及(およ)ばなかつた。--當時(たうじ)、 權(けん) 勢並(せいなら)びなき祭司長(さいしのをさ)カヤパはイエスの行動(こうどう)に憤(ふん) 滿(まん)を感(かん)じてゐた。おのれの地位(ちゐ)、 名譽(めいよ)、 富(とみ)に 對(たい)する不安(ふあん)が、 彼(かれ)の聲望(せいぼう)と共(とも)に日(ひ)に日(ひ)に上(のぼ)つ て行(ゆ)くからであつた。--さうして、カヤパ のキリストに對(たい)する飽(あ)くなき迫害(はくがい)がはじめら 【右頁】 れた。だが、 正義(せいぎ)と人道(じんどう)の前(まへ)に、一 死(し)を辭(じ)せ ぬ神(かみ)の子(こ)イエス、そしてその使徒達(しとたち)にカヤパ の迫害(はくがい)が何(なん)であらう。 彼等(かれら)はカヤパ一 味(み)の壓(あつ) 迫(ぱく)を、その眞實心(しんじつしん)を以(もつ)て悉(ことごと)く打(う)ち碎(くだ)き乍(なが)ら、 つひに奇蹟(きせき)の日(ひ)をヱルサレムにさへ持(も)つ日(ひ)に 會(あ)つた。--カヤパの迫害(はくがい)の手(て)は、しかしな かなか止(や)まうとはしない。 【左頁】 --ヱルサレムのある日(ひ)。--姦淫(かんいん)の罪(つみ)に問(とは) れた婦女(ふじよ)があつた。 人々(ひと〴〵)は彼女(かのぢよ)を石責(いしぜめ)の刑(けい)に 處(しよ)せんとした。これを聞(き)いて喜(よろこ)んだのはカヤ パである。 彼(かれ)は早速(さつそく)イエスをして、この群集(ぐんしう) の與論(よろん)の中(なか)にある女(をんな)の罪(つみ)を裁(さば)かしめたのであ つた。 群集(ぐんしう)は彼(かれ)の裁(さば)きに片唾(かたづ)を呑(の)んだ。 「汝等(なんぢら)の中(うち)、 罪(つみ)なきものがまづ石(いし)を投(な)げよ」 人(ひと)の子(こ)として、 誰(たれ)が女(をんな)に石(いし)を打(う)てやう。カヤ パの奸計(かんけい)は又破(またやぶ)られてしまつた。 人々(ひと〴〵)は起(た)つた。「イエスを王様(わうさま)にせよ」と 叫(さけ)んで起(た)った。イスカリオテのユダがその先(せん) 頭(とう)を切(き)つてゐた。 彼(かれ)は、イエスが王位(わうゐ)につけ ば使徒(しと)であるおのれも高位(かうゐ)に陞(のぼ)れるといふ野(や) 望(ぼう)に執着(しうちやく)してゐたのであつた。 「私(わたし)の王國(わうこく)はこの地上(ちじよう)ではない!」--イエ スは極(きわ)めて靜(しづか)であつた。 かうして、 瞬(またた)くうちにおのれの野望(やぼう)の的(まと)を失(うしな) つたユダは、あさはかにも主(しゆ)イエスを、三十 枚(まい)のデナリの銀(ぎん)に換(か)へてしまつた。 最後(さいご)の聖餐(せいさん)。--ゲッセマネの花園(はなぞの)のわかれ --イエスはすでに來(きた)るべき運命(うんめい)を知(し)る! かくて、 月蒼(つきあを)きゴルゴダの丘(をか)に、 荊(いばら)の冠(かんむり)を 戴(いたゞ)いた神々(かう〴〵)しい白衣(びやくえ)のキリストは十 字架(じか)を負(を) つてゐた。そして、--靜(しづ)かに、 靜(しづ)かに昇天(せうてん) への眠(ねむり)に就(つ)いてゐた。 KING of KINGS PAMPHLET 大公開 日時 廿二、廿三、廿四日 各日昼夜二回 場所 朝日會舘 御入場料A一円・B五十錢