《題:江戸名所図会 十九》 三囲稲荷(みめくりいなり)社 小梅村(こむめむら)田(た)の中(なか)にあり 《割書:故(ゆへ)に田中|稲荷(いなり)とも云》 別当(へつたう)は天台宗延命寺(てんたいしうえんめいし)と  号(かう)す神像(しんさう)は弘法大師(こうほふたいし)の作(さく)にして同大師(おなしたいし)の勧請(くわんしやう)なりといへり文和(ふんわ)  年間 三井寺(みゐてら)の源慶僧都(けんけいそうつ)再興(さいこう)す慶長(けいちやう)の頃迄(ころまて)は今(いま)の地(ち)より南(みなみ)の方(かた)に  ありしを後(のち)此地(このところ)に移(うつ)せり当社(たうしや)の内陣(ないちん)に英一蝶(はなふさいつてう)の書(ゑか)ける牛若丸(うしわかまる)と  弁慶(へんけい)か半身(はんしん)の図(つ)を掲(かけ)たり  《割書:五元集 牛島(うししま)みめくりの神前(しんせん)にて雨乞(あまこひ)する|    ものにかはりて》    夕立や田をみめくりの神ならは 《割書:宝晋斎|  其角》  《割書:社僧(しやそう)云 元禄(けんろく)六年の夏(なつ)大(おほい)に旱魃(ひてり)すしかるに同し六月の二十八日 村民(そんみん)あつまりて神前(しんせん)にむかひ請雨(あまこひ)の|祈願(きくはん)す其日 其角(きかく)も当社(たうしや)に参詣(さんけい)せしに伴(ともな)ひし人の中に白雲(はくうん)といへるありて其角(きかく)に請雨(あまこひ)の発句(ほつく)をすへき》  《割書:よしすゝめけれは農民(のうみん)にかはりて一句を連(つら)ねて当社の神前(しんせん)にたてまつりしに感応(かむをう)やありけんその日 膏雨(かうう)|たちまちに注(そゝ)きけるとなり其 草(さう)は》  《割書:今も当社(たうしや)に伝(つた)へてあり| 》 牛御前王子権現(うしのこせんわうしこんけん)社 同所 北(きた)の方(かた)にあり別当(へつたう)は最勝寺(さいしようし)と号(かう)す牛島(うししま)の  総鎮守(そうちんしゆ)にして祭礼(さいれい)は隔年(かくねん)九月十三日 北本所石原新町(きたほんしよいしはらしんまち)の旅所(たひしよ)へ神(しん)  幸(かう)ありて同十五日に帰輿(きよ)す祭神(さいしん)素盞烏尊(そさのをのみこと) 《割書:牛御前(うしのこせん)|と称(しよう)す》 清和天皇(せいわてんわう)第七 【挿し絵】 大川橋(おほかははし)  吾妻橋(あつまはし)とも  名(な)つく 富士は  つへ まつ  紫   の 筑波  山  大坂   淡々  夜下墨水 金竜山畔江月浮 江揺月湧金竜流 扁舟不住天如水 両岸秋風下二州      南郭 【図中の地名等】 隅田川両岸 あきは 請地 小梅 中の郷 弘福寺 三囲 大川橋 浅草川 梅若 隅田川 つくは山 神明 堀 真土山 花川戸 六地蔵河岸 【挿し絵】  三囲稲荷(みめくりいなり)社 元禄(けんろく)の頃(ころ)当社(たうしや)境内(けいたい)に 一老嫗(ひとりのうは)あり参詣(さんけい)の徒(ともから) 神供(しく)をさゝくる時(とき)この 老嫗(うは)田面(たのも)にむかひ柏掌(てをうて)は 一つの狐(きつね)いつくともなく来(きた)り これを食(くら)ふ老嫗(うは)世に あらすなりしより後(のち) 狐もまた出(いて)すおなり 次(つき)に記(しる)せし其角(きかく)か       句(く)は此事(このこと)を         いへる           なり 五元集  早稲酒や   きつね  よひ出す   姥か    もと     其角 【図中地名等】 隅田川東岸 御供所 本社 かくら所 すみた川 【挿し絵】 牛御前宮(うしのこせんくう) 長命寺(ちやうめいし) 五元集  牛御前 是やみな  雨を   聞く人  下   すゝ     み    其角 【図中】 隅田川東岸 あきは 須崎 弘福寺 葛西太郎 隅田河 長命寺 尺迦堂 奈木 芭蕉庵 こんせい神 地蔵 本社 延寿椎 【挿し絵】 俳諧師(はいかいし)水国(すいこく)か庵(いほり)の 旧跡(きうせき)は長命字(ちやうめいし)の 境内(けいたい)竹薮(たけやふ)の中に あり今其あとに 芭蕉翁(はせうをう)の句碑(くひ)を 建(たて)たり いささらは  雪見に ころふ   所    ま     て    はせを 【図中】 隅田川東岸 寺崎 【本文】 皇子(わうし) 《割書:王子権現(わうしこんけん)|と称(しよう)す》 共(とも)に二座なり相伝(あひつた)清和天皇(せいわてんわう)の御宇(きよう)貞観(ちやうくわん)二年庚辰秋  九月 慈覚大師(しかくたいし)東国弘法(とうこくくほふ)の頃(ころ)素盞烏尊(そさのをのみこと)位冠(ゐくわん)の老翁(らうをう)と化現(けけん)し此(この)  地(ところ)に跡を垂(たれ)永(なか)く国家(こくか)を守護(しゆこ)せんと告(つけ)給ふ仍(よつて)大師(たいし)一社に奉(ほう)し  上足(しやうそく)の良本阿闍梨(りやうほんあしやり)を留(とゝめ)て是(これ)を守(まも)らしむ 《割書:当社(たうしや)の本地仏(ほんちふつ)大日如来(たいにちによらい)|の像(さう)は良本師(りやうほんし)彫刻(てうこく)と云》 又五十七代  陽成院(やうせいゐん)の御宇(きよう)清和帝(せいわてい)第七の皇子(わうし)当国(たうこく)に遷(うつ)されさせたまひ天慶(てんけい)  元年丁酉九月十五日 此地(このところ)に於(をひ)て薨(こう)し給ふ依(よつて)開山(かいさん)良本阿闍梨(りやうほんあしやり)こゝに  葬(はうふ)り奉(たてまつ)り牛御前(うしのこせん)の相殿(あひてん)に合祭(かつさい)なし奉(たてまつ)るといへり 《割書:其後(そのゝち)霊告(れいこう)ありて云く|素盞烏尊(そさのをのみこと)第(たい)二の御子(みこ)》  《割書:にて仮(かり)に清和帝(せいわてい)の皇子(わうし)と|生(しやう)を替させ給ふと云々》  《割書:或人(あるひと)云当社を牛御前(うしのこせん)と称(しよう)しまいらするはこの地(ち)いにしへ牛島(うししま)の出崎(てさき)にてありしゆへ牛島の出崎(てさき)といふ|へきを略(りやく)して牛御崎(うしのみさき)と唱(とな)へたりしならんを後世(こうせい)誤(あやまつ)りて崎(さき)を前(さき)に書(かき)あらためまたそれを御前(こせん)と伝称(てんしよう)せし》  《割書:にやと云り|》   《割書:按に摂洲(せつしう)輪田御崎(わたみさき)筑前(ちくせん)鐘御崎(かねのみさき)其余 相州(さうしう)の三崎(みさき)大江戸(えと)の月岬(つきのみさき)等(とう)すへて海(うみ)に臨(のぞ)める地(ち)なり|今当社の辺(あたり)を須崎村(すさきむら)と名つくるもむかし海辺(かいへん)の出洲(てす)にして其頃(そのころ)は文字も洲崎(すさき)に作(つく)りたりしと》   《割書:おほしくいにしへ此(この)あたり蒼海(さうかい)に浜(ひん)しやゝ年(とし)を歴(へ)て陸地(くかち)となりし事(こと)は次(つき)の寺島(てらしま)蓮華寺(れんけし)の条下(てうか)に|つまひらかなり其 条下(てうか)をあはせ考(かんか)ふる時(とき)は牛(うし)の御崎(みさき)とする説(せつ)も據(よりところ)あるに似(に)たりしかる時(とき)は御崎(みさき)の》   《割書:仮名(かな)の美(み)を御(こ)とし崎(さき)の文字を前(さき)に書(かき)あらため再(ふたゝ)ひサキの訓(くん)を音(おむ)に転(てん)してセムとは呼(よひ)しならん|されと神号(しんかう)に御前(こせん)と称(しよう)するもの又 人(ひと)のうへにも用(もち)ひたりし事(こと)往々(わう〳〵)其例(そのれい)ありこと〳〵く挙(あく)るにいとま》   《割書:あらす故(ゆへ)にこれを略(りやく)す|》  法華経千部供養碑(ほけきやうせんふくやうのひ) 《割書:今 内陣(ないちん)に収(おさめ)てあり長(なかさ)三尺三寸はかり濶は壱尺六寸あまり厚(あつ)さ|二寸 程(ほと)あり》   碑陰銘曰   奉造立釈迦像一躯   貞観十七丁未天三月日   法華千部  明王院  《割書:この碑(いしふみ)は往(いに)し年(とし)当社(たうしや)境内(けいたい)の土中(とちゆう)より窟得(うかちえ)たりとて今 本殿(ほんてん)の中(うち)に収(おさ)む青石(あをいし)にして其 質(しつ)いたつて|堅(かた)し上下 闕損(かけそん)して全(まつた)からす碑面(ひめん)に立像(りふさう)の釈迦如来(しやかによらい)の尊容(そんよう)を刻(こく)し碑陰(ひいん)は直槐(のつら)にして》  《割書:数字(すし)を鐫(せん)すといへとも法華(ほつけ)貞観(ちやうくわん)等(とう)の文字(もんし)は剥欠(はくけつ)して鮮明(せんみやう)ならす|》  千葉五郎胤道籏(ちはこらうためみちのはた) 一流 《割書:別当 最勝寺(さいしようし)に……|》  【挿し絵】  国分庄司   千葉五郎平朝臣胤道  長三尺一寸三分  幅一尺九分  房幅九分  同(おなしく)添状(そへしやう)壱通 《割書:其 文(ふん)に……|》  梶原景季書(かちはらかけすへのしよ) 《割書:石橋山合戦(いしはしやまかつせん)につき……|》  小田原北条家神領寄付状(おたはらほうてうけしんりやうきふのしやう) 壱通 《割書:其 文(ふん)に……|》 宝寿山長命寺(はうしゆさんちやうめいし) 遍照院(へんせうゐん)と号(かう)す天台宗(てんたいしう)東叡山(とうえいさん)に属(そく)せり本尊(ほんそん)は  等身(とうしん)の釈迦如来(しやかによらい)脇士(けふし)は文殊(もんしゆ)普賢(ふけん)般若十六善神(はんにやしふろくせんしん)等(とう)の像(さう)を安(あん)す牛(うし)  島弁財天(しまへんさいてん) 《割書:同し堂内(たうない)に安(あん)す|伝教(てんけう)大師の作(さく)なり》 長命水(ちやうめいすい) 《割書:同し堂(たう)の後(うしろ)の方(かた)に|あり一に般若水(はんにやすい)と云》 延寿椎(ゑんしゆのしゐ) 《割書:堂前(たうせん)にあり寺(てら)の号(な)に|因(より)て名(な)つくるとなり》  梛樹(なぎのき) 《割書:堂(たう)の左(ひたり)の方 垣(かき)そひにあり元禄(けんろく)五年壬申江戸(えと)御菓子司(おんくはしつかさ)大久保主水(おほくほもんと)某(それかし)相州(さうしう)鎌倉(かまくら)にあそひ扇(あふき)か谷(やつ)の善光寺(せんくわうし)|にして此(この)若木(わかき)の纔(わつか)に三寸斗に生出(おひいて)たりしを得(え)て当寺(たうし)にうつし植(うへ)たるよし樹下(しゆか)の碑文(ひふん)に見(み)えたり今(いま)は丈(たけ)二丈 計有(はかりあり)》  自在庵旧址(しさいあんのきうし) 《割書:堂(たう)の右竹薮(ちくそう)の中(うち)にあり俳諧師(はいかいし)水国(すいこく)こゝに庵室(あんしつ)をむすひて住(すみ)たりといへり今(いま)|其地(そのち)に芭蕉翁(はせうをう)の句(く)を彫(ゑり)たる碑(いしふみ)を建(たて)てあり》   いささらは雪見にころふところまて  はせを  当寺(たうし)昔(むかし)はいさゝかの庵室(あんしつ)なりしか寛永(くはんえい)年間  大樹(たいしゆ)遊猟(いうれふ)の砌(みきり)少(すこし)く御不予(おんふよ)  にあらせられしかは此(この)寺内(しない)に休(やすら)はせたまひ庭前(ていせん)の井(ゐ)の水(みつ)をもて御薬(おんくすり)を服(ふく)し  給ひしに須臾(しゆゆ)にして常(つね)にならせ給ひしより此井(このゐ)に長命水(ちやうめいすい)の号(な)を賜(たま)はり  寺(てら)の号(な)をも改(あらた)むへき旨(むね)  台命(たいめい)あり爾来(しかりしより)長命寺(ちやうめいし)と称(しよう)す 《割書:昔(むかし)は常泉寺(しやうせんし)|と云しなり》  殊更(ことさら)当寺(たうし)は雪(ゆき)の名所(なところ)にして前(まへ)に隅田河(すみたかは)の流(なかれ)をうけて風色(ふうしよく)たらすといふことなし 牛頭山弘福禅寺(きうとうさんこうふくせんし) 牛御前宮(うしのこせんくう)の東(ひかし)に隣(とな)る此辺(このあたり)を須崎(すさき)といふ 《割書:旧(もと)洲崎(すさき)|に作(つく)る》 黄檗派(わうはくは)  の禅室(せんしつ)にして落陽(らくやう)万福寺(まんふくし)を模(うつ)す本尊(ほんそん)は唐物(たうふつ)の釈迦如来(しやかによらい)左右は迦葉(かせふ)  阿難(あなん)なり開山(かいさん)鉄牛和尚(てつきうおしやう)延宝(えむはう)紀元(きけん)癸丑 創造(さうさう)す毎歳七月十五日 大施餓鬼修行(たいせかきしゆきやう)有(あり) 【挿し絵】 大 雄 殿  仏殿(ふつてん) 《割書:額(かく)は|二重(にちゆう)》  《割書:家根(やね)に掲(かく)る|隠元(いんけん)の筆(ふて)》 【挿し絵】 大威徳  《割書:本尊(ほんそん)の上(うへ)に|掲(かく)る同筆》 【挿し絵】 覚天日月天?晦祖灯■■■ ■地雲?雷普?露林木尽華栄?  聯(れん)《割書:本尊(ほんそん)の|左右の》  《割書:柱(はしら)に掲(かく)る|木庵(もくあん)の》  《割書: 筆なり|》 【挿し絵】 ■■■…… ■■■……  聯(れん)《割書:同し|左右の》  《割書:柱(はしら)に並(なら)へ|掲(かく)る高泉(かうせん)》  《割書:の筆(ふて)なり|》 【挿し絵】 見相傾身敢保未■法相? 拝?■布地自然■界黄金  聯(れん) 《割書:同し|前(まへ)の》  《割書:柱(はしら)に掲(かく)る|鉄牛(てつきう)の》  《割書: 筆(ふて)也|》  木犀 《割書:仏殿(ふつてん)|の前(まへ)》  《割書:左右に分(わかち)|  殖(うへ)たり》  刹竿旗(せつかんき) 《割書:同し殿(てん)|前(せん)の左右》  《割書:にたつる|》 【挿し絵】 選 仏 場  座禅堂(させんたう) 《割書:仏殿(ふつてん)|の左》  《割書:に並(なら)ふ軒(のき)に掲(かく)る所|の額(かく)は木庵(もくあん)の》  《割書:   筆なり|》 【挿し絵】 大冶錬成未堪入選 虚空粉碎方許声■  聯(れん)《割書:同し左|右の柱(はしら)》  《割書:に掲(かく)る|鉄牛(てつきう)筆》 【挿し絵】 慈 親 堂  牌堂(はいたう)《割書:座禅堂(させんたう)に並(なら)ふ|地蔵尊(ちさうそん)そ安(あん)す》  開山堂(かいさんたう) 《割書:開山(かいさん)鉄牛和尚(てつきうおしやう)の肖像(せうさう)を安(あん)す扁(へん)して慈観(しくはん)といふ|此和尚の伝(てん)はこゝに略(りやく)す》 【挿し絵】 一株老桂長垂蔭 万斛天香遠襲人  聯(れん) 《割書:同し|左右の》  《割書:柱(はしら)に掲(かく)る|鉄牛(てつきう)筆》  食堂(しきたう) 《割書:仏殿(ふつてん)の|右に》  《割書:並(なら)ふ額(かく)は鉄牛(てつきう)の|筆なり》 【挿し絵】 聖 相  《割書:此堂(このたう)の軒(のき)|下に木魚(もくきよ)》  《割書:鐘版(しやうはん)等を|かくる》 【挿し絵】 海積山堆摩詰家風真広大 日来月往衲僧法■永殷充  聯(れん) 《割書:同し|堂(たう)に》  《割書:掲(かく)る南岳(なんかく)|悦山(ゑつさん)の筆なり》 【挿し絵】 浴 室  浴室(よくしつ)  《割書:額(かく)は鉄(てつ)|牛(きう)の筆》 【挿し絵】 弘? 福 寺  天王殿(てんわうてん) 《割書:内に布袋(ほてい)|帝釈(たいしやく)四天(してん)》  《割書:王(わう)の像(さう)を安(あん)す額(かく)|は二重家根(にちゆうやね)に掲(かく)る木庵(もくあん)の》  《割書:             筆|》 【挿し絵】 道恭玉麟現瑞 林■■鳳■■  聯(れん) 《割書:同し|堂(たう)の》  《割書:柱(はしら)に掲(かく)る|鉄牛(てつきう)の筆》 【挿し絵】 天 王 閣  《割書:同し堂(たう)の二階(にかい)|世(うしろ)の方(かた)に掲(かく)る》  《割書:額(かく)筆者(ひつしや)上に|おなし》  経蔵(きやうさう) 《割書:内に観音の像を|安す堪堂(かんたう)の筆》  《割書:せる聯額(れんかく)ありしか朽(くち)たりと|て今なし》 【挿し絵】 大■■拝仏魔■須真気 高懸宝鐙故■終■■身  《割書:方丈|聯鉄》  《割書:牛筆也|》 【挿し絵】 鐘 楼  鐘楼(しゆろう) 《割書:座禅堂(させんたう)|の前に》  《割書:並(なら)ふ額(かく)は鉄牛(てつきう)|の筆なり》  《割書:此鐘(このかね)の名は高泉(かうせん)|和尚の撰文(せんふん)なり》  《割書:般若心経(はんにやしんきやう)及ひ三陀(さんた)|羅尼(らに)等を細書(さいしよ)す》  鎮守宮(ちんしゆのみや) 《割書:天照(てんせう)春日八幡(かすかはちまん)およひ弁財天(へんさいてん)稲荷(いなり)|塩竈明神(しほかまみやうしん)等(とう)の諸神(しよしん)を崇(あか)む》 天桂石(てんけいせき) 《割書:経蔵(きやうさう)の前の石の|手水鉢(てうつはち)なり》 【挿し絵】 弘(こう) 福(ふく) 禅(せん) 寺(し) 木犀や  六尺   四人 唐  め   か   す  其角 元禄二年仲秋 初三隅田川 紀行  牛頭山にまいり  仏前に拝して  斎堂にまいり  けれは几の瓶に  朝貌をいけて  眼前のあはれに  斎堂に   あさかほ     いけて   あはれ     かな      杉風  遊牛頭寺 南郭 門外長堤墨水流 江東宝樹倚牛頭 金竜開閣誰家宴 玉女陵波何処遊 蔵壑?舟揺潮岸繋 到来心地応空濶 那更風煙起客愁 【図中】 浴室 食堂 観音 天王殿 天桂石 漢門 方丈 大雄殿 牌堂 鐘楼 座禅堂 【挿し絵】 庵崎(いほさき 俗間(そくかん)請地(うけち) 秋葉権現(あきはこんけん)の 辺(ほとり)をしか 唱(とな)ふれとも 定(さたか)なら         す 須崎(すさき)より 請地(うけち)秋葉(あきは)の 近傍(あたり)まての間(あひた) 酒肉店(れうりや)多(おほ)く 各(おの〳〵)籞(いけす)をかまへ 鯉魚(こい)を畜(かふ) 酒客(しゆかく)おほく こゝに宴飲(えむいむ)す 中にも葛西(かさい) 太郎といへるは 葛西(かさい)三郎 清重(きよしけ)の遠裔(ゑむえい) なりと云伝ふれ とも是非(せひ)をしらす むさしやといふは 昔(むかし)麦飯(むきめし)はかりを 売(うり)たりしかは麦(むき) 計(はかり)と云こゝろにて 麦斗(はくと)と唱(とな)へたり しも今はむさしやとのみ よひて麦斗(はくと)と号(かう)せしを しる人まれに    なりぬ 【牛頭山弘福寺の続き】   牛頭山弘福禅寺大鐘銘並序   瑞聖鉄牛和尚住弘福之明年修葺寺宇将大完井   伊氏伯耆守直武公与玉心院太夫人寿林元栄大   師発心施金為造巨鐘以利幽顕寓書徴余銘為之   銘曰   牛首之阜兮有大法将整■淋宮兮曷殊天匠幸値   賢守兮母子全心乃召鳬氏兮乃簡赤金範斯巨器   兮永鎮禅林暁昏考撃兮以利幽顕曰福曰寿兮夫   豈浅鮮用祈 世主兮万歳千春億兆楽業兮四海   帰仁螽斯衍慶兮子孫振振以空為口兮密婁為毫   擬書厥勣兮莫碑?一毛   貞亨五年歳在著雍執徐林鐘上澣穀且   支那国伝臨済?正宗世四世高泉潡敬撰 【挿し絵】 牛 頭 山  漢門(かんもん) 《割書:総門(そうもん)をいふ|額(かく)は同(おな)し》  《割書:軒(のき)にかけたり開山(かいさん)|鉄牛(てつきう)の筆(ふて)なり》 【挿し絵】 福地弘安?竜象参 玄門高■聖■■  聯(れん) 《割書:同し|左右》  《割書:の柱(はしら)に掲(かく)る|筆者(ひつしや)上に》  《割書:同し| 》 秋葉大権現(あきはたいこんけん)社 同所三丁あまり東(ひかし)の方(かた)請地(うけち)村にあり 《割書:亀戸村(かめとむら)吾嬬権現(あつまこんけん)の社記(しやき)に|請地(うけち)上古(いにしへ)は浮地(うきち)と称(しよう)し》  《割書:たりと|あり》 遠州(えんしう)秋葉権現(あきはこんけん)を勧請(くはんしやう)し稲荷(いなり)の相殿(あいてん)とす 《割書:千代世(ちよせ)|稲荷(いなり)と云》 当社(たうしや)の権興(はしめ)  しるへからす或(あるひ)は云 正応(しやうをう)年間の勧請(くはんしやう)なりとも別当(へつたう)は三宝寺(さんはうし)末寺(まつし)にて  千葉山万願寺(ちはさんまんくはんし)と号(かう)す神泉(しんせん)の松(まつ)と称(しよう)するは社前(しやせん)にありて松(まつ)の控(うろ)より  清泉(せいせん)漏出(ゆしゆつ)するをいふ諸(もろ〳〵)の病(やまひ)に験(しるし)ありといへり 《割書:祭礼(さいれい)は毎年(まいねん)十一月|廿八日に執行(しゆきやう)あり》  境内(けいたい)林泉(りんせん)幽邃(いうすい)にして四時遊観(しいしいうくはん)の地なり門前(もんせん)酒肆(さかや)食店(りようりや)多(おほ)く各(おの〳〵)  生洲(いけす)を構(かま)へて鯉魚(こい)を畜(か)ふ 清竜山蓮華寺(せいりうさんれんけし) 寺島村(てらしまむら)にあり 《割書:寺記(しき)に云く昔(むかし)此地(このち)は海原(うなはら)なり後世(こうせい)漸(やうやく)干潟(ひかた)と|なりし頃(ころ)当寺(たうし)を創建(さうこん)ありし故(ゆへ)に寺島(てらしま)の称(しよう)ありと》  《割書:いへり小田原北条家(おたはらほうてうけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)に行方(なめかた)|与次郎 葛西(かさい)寺島(てらしま)の地(ち)を領(りやう)すとあり》 当寺(たうし)は真言宗(しんこんしう)にして醍醐(たいこ)の三宝院(さんはうゐん)に属(そく)す  本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)の像(さう)は恵心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)といふ  太子堂(たいしたう)本堂(ほんたう)の右にあり本尊(ほんそん)聖徳太子(しやうとくたいし)の像(さう)は十六歳の真影(しんえい)にして  太子(たいし)自(みつから)彫造(てうさう)ありしと云北条経時(ほうてうつねとき)の念持仏(ねんちふつ)にて往古(そのかみ)は相州(さうしう)鎌倉(かまくら)佐々(さゝ)  目谷(めかやつ)にありしを弘安(こうあん)三年の秋(あき)北条頼助(ようてうよりすけ)寺院(しゐん)ならひに本尊(ほんそん)共(とも)に  此地へ引移(ひきうつ)し同年八月二日入仏供養(にうふつくやう)を営(いとなみ)し故(ゆへ)今(いま)に至(いた)る此日(このひ)を  以(もつ)て縁日(ゑむにち)とす又 (これ)より先(さき)寛元(くはんけん)二年の夏(なつ)国中(こくちゆう)大(おほひ)に疫疾(えきしつ)流行(りうかう)し  人民(しんみん)死(し)する者(もの)少(すくな)からす経時(つねとき)頻(しきり)に是(これ)を歎(なけ)き本尊(ほんそん)に告(つけ)て諸人(しよにん)の病(ひやう) 【挿し絵】 請地(うけち)  秋葉権現(あきはこんけん)宮  千代世稲荷(ちよせいなり)社   社頭(しやとう)に青松(せいしよう)   丹楓(たんふう)おほし   晩秋(はんしう)の頃(ころ)    池水(ちすい)に     映(えい)して   錦(にしき)を    あらふか      ことし     奇観(きくはん)      たり 【図中】 開山堂 茶主 本社 結界堂 さる 総門 裏門 別当 【清竜山蓮華寺の続き】  苦(く)を消除(せうしよ)せんとて懇(ねころ)に祈願(きくはん)す或夜(あるよ)本尊(ほんそん)経時(つねとき)に霊示(れいし)ありて秘符(ひふ)  を賜(たま)ふ即(すなはち)此(この)秘符(ひふ)によりて其頃(そのころ)病(やまひ)を退(しりそ)け命(いのち)を全(まった)ふする者(もの)すくな  すくなからすとなり 《割書:今に至(いた)り当寺(たうし)より|件(くたん)の秘符(ひふ)を出(いた)せり》  相伝(あひつた)ふ寛元(くはんけん)四年丙午三月下旬北条経時(ほうてうつねとき)疾(しつ)に臨(のそ)む其時 舎弟 時頼(ときより)  を側(かたはら)へ招(まね)き示(しめし)て云(いは)く我(わか)疾(しつ)難治(なんち)なり死後(しこ)に至(いた)らは一宇(いちう)の梵刹(ほんせつ)を創(さう)   建(こん)し年頃(としころ)念(ねんす)る処(ところ)の聖徳太子(しやうとくたいし)の像(さう)を安置(あんち)すへしといひ終て同四月  朔日 享(きやう)年三十八歳にして逝去(せいきよ)あり 《割書:東鑑(あつまかゝみ)に云 寛元(くはんけん)四年丙午閏四月一日今日 入道(にうたう)正五位下|行(かう)武蔵守(むさしのかみ)平朝臣経時(たいらのあそんつねとき)卒(そつ)す法名は安楽(あんらく)年三十三》  《割書:とあり証(しよう)|とすへし》 依(よつて)時頼(ときより)遺命(ゆいめい)を奉(ほう)して鎌倉(かまくら)佐介谷(さすけかやつ)に一宇(いちう)を闢(ひら)き蓮華寺(れんけし)  と号(なつ)く 《割書:経時(つねとき)の法号(ほふかう)を蓮華寺殿(れんけしてん)前(さきの)|武州(ふしう)安楽(あんらく)大禅定門(たいせんしやうもん)と号(かう)す》 即(すなはち)弁法印(へんのほふいん)審範(しんはん)を以て開山(かいさん)とす 《割書:寺記(しき)に審範(しんはん)は|頼朝(よりとも)の外(はゝかたの)伯父(をち)》  《割書:深井法眼(ふかゐほうけん)範智(はんち)か孫(まこ)なりと云されと鎌倉(かまくら)|大日記(おほにつき)には開山(かいさん)良忠(りやうちやう)とありて一(いつ)ならす猶次に詳(つまひらか)也》 又 其後(そののち)経時(つねとき)の子 頼助(よりすけ)此(この)寺島(てらしま)を領(りやう)せしか  出離(しゆつり)の志(こゝろさし)頻(しきり)にして忽(たちまち)に剃髪(ていはつ)し弘安(こうあん)三年の秋(あき)鎌倉(かまくら)の蓮華寺(れんけし)をこの  寺島(てらしま)に移(うつ)し自(みつから)開山(かいさん)たり 《割書:佐々目大僧正(さゝめたいそうしやう)頼助(らいしよ)と号(かう)せり按(あんする)に先(さき)に審範(しんはん)を開山(かいさん)とすとあるは|鎌倉(かまくら)にありての事をいふなるへし此 寺島(てらしま)に至(いた)りては頼助(らいしよ)開山(かいさん)》  《割書:たりしなるへし諸家系図(しよけけいつ)に経時(つねとき)の子に顕助(けんしよ)といふ号(な)を載(のせ)て傍(そは)に佐々木(さゝき)僧(そう)と住(ちゆう)せり疑(うたか)ふらくは佐々目(さゝめ)|といふへきを誤(あやま)れるなるへしまた頼助(らいしよ)は顕助(けんしよ)のことをいふならん歟(か)なをかんかふへし》 【挿し絵】 寺島(てらしま)  太子堂(たいしたう)  蓮華寺(れんけし) 【図中】 太子 本堂 【蓮華寺の続き】  元亨(けんかう)三年 北条家(ほうてうけ)滅亡(めつはう)の後も…… 白髭明神(しらひけみやうしん)社 隅田河堤(すみたかはつゝみ)の下(もと)にあり祭神(さいしん)は猿田彦命(さるたひこのみこと)なり祭礼(さいれい)は九月  十五日に執行(しつきやう)せり別当(へつたう)は真言宗(しんこんしう)にして西蔵院(さいさうゐん)と号(なつ)く相伝(あひつた)ふ天暦(てんりやく)   五年 辛亥(かのとゐ)慈恵大師(しゑたいし)関東下向(くはんとうけかう)の頃(ころ)霊示(れいし)によりて近江国(あふみのくに)志賀郡(しかのこほり)  打下(うちおろし)より此地(このち)に勧請(くはんじやう)し給ふとなり天正(てんしやう)九年に至(いた)り神領(しんりやう)を付(ふ)し給ふ 隅田河(すみたかは) 《割書:万葉集(まんえふしふ)角太(かくたい)に作(つく)り旧本伊勢物語(きうほんいせものかたり)墨田(すみた)に作(つく)る八雲御抄(やくもみせう)東鑑(あつまかゝみ)等(なと)に隅田(くうてん)とす澄月歌枕(ちようけつうたまくら)|夫木抄(ふほくせう)古今集(こきんしふ)井蛙抄(せいあせう)等(とう)に当国(たうこく)およひ下総(しもふさ)の国境(くにさかい)とす今は武蔵国に属(そく)せり或説(あるせつ)に》  《割書:むかしはすた河とおひけると又さらしなの日記にあすた河とそ|すみた河 諸国(しよこく)に同名多し其事は次にいたせり》 源(みなもと)は信州(しんしう)甲州(かうしう)及(およ)ひ上野(かみつけ)等(とう)の  国々(くに〳〵)の山谷(さんこく)より発(はつ)し武州(ふしう)秩父郡(ちゝふこほり)の…… 【挿し絵】 白(しら) 髭(ひけ) 明(みやう) 神(しん) 社(やしろ) 【図中】 隅田川東岸 浅草 大川はし 【隅田河(隅田川)の続き、まつわる詩歌】   梅花無尽蔵……  前太平記(せんたいへいき)云(いはく)前(さきの)上総介(かつさのすけ)平忠常(たひらのたゝつね)長元(ちやうけん)元年の春(はる)より下総国(しもふさのくに)にありて  謀叛(むほん)を企(くはた)て竊(ひそか)に便宜(ひんき)の兵(へい)を招(まね)きけれは日本八年京都(きやうと)より忠常(たゝつね)   追討(ついたう)の大将(たいせう)として左衛門佐(さゑもんのすけ)平直方(たいらのなをかた)右兵衛佐(うひやうゑのすけ)中原成道(なかはらのなりみち)等(とう)朝撰(てうせん)に   応(をう)し二万三千 余騎(よき)にて発向(はつかう)す忠常(たゝつね)其身(そのみ)は千葉(ちは)の城(しろ)に楯篭(たてこもり)舎弟(しやてい) 陸奥権介(むつのこんのすけ)忠頼(たゝより)を大将(たいしやう)とし其勢(そのせい)二万 余騎(よき)を卒(そつ)してすみたかはの   南(みなみ)に陣(ちん)を取(とる)同十五日 官軍(くはんくん)成道(なりみち)の舎弟(しやてい)伊勢介(いせのすけ)成俊(なりとし)直方(なをかた)の子(し)   息(そくの)阿多見(あたみ)四郎 聖範(きよのり)共(とも)に勢(せい)を合(あは)せて先登(さきかけ)し大(おほひ)に戦(たゝか)ふ故(ゆへ)に先陣(せんちん)の   忠頼(たゝより)敗走(はいそう)すされと忠常(たゝつね)か残兵(さんへい)一万五千 余騎(よき)に駆立(かけたて)られ官軍(くはんくん)の   後陣(こちん)なりける直方(なをかた)も成道(なりみち)の勢(せい)の落来(おちきた)るに推立(をしたて)られ心(こゝろ)ならす引(ひき)   返(かへ)し敗軍(はいくん)の兵卒(へいそつ)を集(あつめ)んとて隅田河原(すみたかはら)に陣(ちん)を取(とる)と云云   東鑑曰 治承四年庚子十月二日辛己武衛相乗   于常胤広常等之舟■■太井隅田両河精兵及三   万余騎赴武蔵国豊島権守清光葛西三郎清重等   最前参上又足立右馬允遠元兼日依受命為御迎   参向云云   北条九代記(ほうてうくたいき)に文治(ふんち)五年七月十九日 頼朝卿(よりともきやう)奥州(あうしう)泰衡(やすひら)追伐(ついはつ)の首途(かといて)し   給ふと云 条下(てうか)に千葉介常胤(ちはのすけつねたね)八田(やた)右衛門尉 知家(ともいへ)は東海道(とうかいたう)の大将(たいしやう)と   して常陸(ひたち)下総(しもふさ)両国(りやうこく)の㔟(せい)を卒(そつ)して宇太(うた)行方(なめかた)を経(へ)て岩崎(いわさき)より隅田(すみた)   川(かは)の湊(みなと)にて渡(わた)り逢(あふ)下略 須田河原(すたのかはら) 隅田河原(すみたかはら)におなし   夫木集   はる〳〵とすたの河原を朝行はかすめるほとや渡りなるらん 隅田河堤(すみたかはのつゝみ) 深堀橋(ふかほりはし)にはしまり態谷(くまかや)に至(いた)る行程(みちのり)凡(およそ)拾六里 是(これ)を熊谷堤(くまかやつゝみ)と  云 天正(てんしやう)二年 小田原北条氏(おたはらほうてううち)これを築(きつき)たりといへり   官府(くわんふ)の命(めい)ありて三囲稲荷(みめくりいなり)の辺(あたり)より木母寺(もくほし)の際迄(きわまて)堤(つゝみ)の左右(さいう)へ桃(もも)桜(さくら)柳(やなき)の  三樹(さんしゆ)を殖(うへ)させられけれは二月(きさらき)の末(すゑ)より弥生(やよひ)の末(すゑ)まて紅紫翠白(こうしすいはく)枝(えた)を  交(まし)へさなから錦繍(きんしう)を晒(さら)すか如(こと)く幽艶(いうえん)賞(しやう)するに堪(たへ)たりまた董菜(すみれ)砕(げゝ)  米菜(はな)盛(さか)りの頃(ころ)は地上(ちしやう)に花氈(くはせん)を敷(しく)か如(こと)く一時(いちし)の壮観(さうくわん)たり 隅田宿(すみたのしゆく) 何(いつ)れの地(ち)をいふにや今(いま)しるへからす往古(そのかみ)の奥州街道(あうしうかいたう)の駅舎(ゑきしや)  なるへし東鑑(あつまかゝみ)に治承(ちしよう)四年庚子十月二日 頼朝卿(よりともきやう)太井(ふとゐ)隅田(すみた)の両河(りやうか)を渡(わた)ら  るゝといふ条下(てうか)に今日 武衛(ふえい)の御乳母(おんめのと)故八田武者(こやたのむしや)宗綱(むねつな)か息女(そくちよ) 《割書:小山(をやま)下野(しもつけの)大掾(たいしよう)|政光(まさみつ)か妻(つま)なり》 【挿し絵】 隅田川渡(すみたかはのわたし)   隅田川東岸 初花も  けふこそ   みつれ めつら   しき  すみた   河原の  春を   とひ    きて   冷泉    為久卿 筑波根の  峯ふき   おろす 春風に  すみた   河原     の  花そ   ほこ     ろふ   冷泉    為村卿 【図中】 橋場への    渡口 【挿し絵】 隅田川堤(すみたかはつゝみ) 春景(しゆんけい) はる〳〵と 霞(かすみ)わたれる 隅田川(すみたかは)の堤(つゝみ)をうちみれは 青柳(あをやき)の放髪(ふりわけかみ)も緑(みとり)の眉(まゆ) にほひやかにかきたれ莟(つほめ)る 花(はな)のほころひそめて ゑまひ つくらふなんと 立(たち)ましりたる夕はえいと えむなりわきて咲みちぬる  ひとえたはたか挿頭(かさし)にや   手折らんとさすかに心の    とまる木の本       なりけらし  《割書:寒河(さむかは)の尼(あま)|と号(なつ)く》 鐘愛(しやうあい)の末子(はつし)を相具(あいく)して隅田宿(すみたのしゆく)に参向(さんかう)す則(すなはち)御前(こせん)に召(めし)て往時(わうし)  を談(かた)らしめ給ふと云々   按(あんする)に今 木母寺(もくほし)より東北(ひかしきた)の方(かた)にある所(ところ)の川流(かりう)をさして土人(としん)古隅田川(ふるすみたかは)と唱(とな)ふ隅田宿(すみたのしゆく)もまたこの   辺(あたり)ならん歟(か) 都鳥(みやことり) 《割書:旧本伊勢物語(きうほんいせものかたり)に京鳥 藻塩草(もしほくさ)城鳥に作(つく)る真淵翁(まふちをう)云(いは)く古本(こほん)に■【イ+予+鳥】とあるは草書(さうしよ)より|誤(あやま)れるならんと八雲御抄(やくもこせう)藻塩草(もしほくさ)等(とう)に都鳥(みやことり)隅田河(すみたかは)ならても京(みやこ)近(ちか)き河(かは)にもありとしるされ》  《割書:たりされは鳴神潟(なるかみかた)越(こし)の海(うみ)志賀浜(しかのはま)飾磨(しかま)をよひ難波(なには)堀江(ほりえ)高津宮(たかつのみや)輪田御崎(わたのみさき)等(とう)によみあはせはへり又 和泉(いつみ)|式部(しきふ)か家集(いへのしふ)にも和泉(いつみ)に下(くた)りはへりけるに都鳥(みやことり)のほのかに鳴(なき)けれはとあり又 古今著聞集(こきんちよもんしう)に院(ゐん)の御隨身(みすゐしん)秦(はたの)》 【この先も一文字下げ、または二文字下げ、三文字下げの割書で続きますが、何がいけないのかうまく字下げ出来なくなったので、割り書きをやめます】  頼方(よりかた)みやことりをある殿上人(てんしやうひと)に参(まいら)せたるを成季(なりすゑ)にあつけられてはへり食物(くひもの)なともしらてよろつの虫(むし)をくはせ   はへるも所(ところ)せくおほえて小田川(をたかは)美作(みまさか)茂平(しけひら)かもとへやりて飼(かは)せはへりしを建長(けんちやう)六年十二月廿日 前(さきの)相国(さうこく)の富小路(とみかこうち)の亭(てい)に  行幸(きやうこう)ありし次(つき)の日(ひ)相国(さうこく)みやことりをめして叡覧(えいらん)に備(そな)へけるときおとゝ女房(にようはう)にかはりて    すみたかはすむとしきゝしみやことりけふは雲井のうへにみるかな  前(さきの)三河守(みかはのかみ)卜部兼直(うらへのかねなを)もおなしく和歌(わか)を上(たてまつ)る    にこりかき御代にあひみるすみた河すみける鳥のなをたつねつゝ  隅田河(すみたかは)のみやことりを賞愛(しやうあいひ)せし事 古今(ここん)相(あひ)同(おな)し又丙辰記行(へいしんきかう)に都鳥(みやことり)は角田河(すみたかは)のものなれは好事(かうす)の人とりて家(いへ)に  飼(かひ)てはへるをみるにまことに觜(はし)と足(あし)と赤(あか)き鴫(しき)の大(おほき)さなりこの鳥(とり)蛤(はまくり)を好(この)みてよく食(くひ)けるなりと云々   按(あんする)に都鳥(みやことり)は鴎(かもめ)の一名(いちみやう)にして白鴎(はくおう)なる事(こと)決(けつ)せり羽(はね)の灰色(はいいろ)なるもあれと背(せ)も腹(はら)も白(しろ)きに両羽(りやうう)のつゝきに少(すこ)し   黒(くろ)きもの多(おほ)し或人云 此物(このもの)に大小(たいせう)の二種(にしゆ)ありて大(おほい)なるは鴨(かも)の如(こと)く小(ちいさ)なるは鳩(はと)の如(こと)しと又或人云 関東(くわんとう)の   海浜(かいひん)にありて形(かたち)大なるもの其声(そのこゑ)猫(ねこ)に似(に)たり故(ゆへ)に俗(そく)呼(よ)んて浜猫(はまねこ)といふ則(すなはち)食料(しよくれう)とすこの河(かは)に居(を)るものは   小鴎(せうおう)なり常(つね)は海上(かいしやう)にありて風(かせ)荒(あれ)たる時(とき)は遥(はるか)に波(なみ)の静(しつか)なるを求(もと)め来(きた)りてこゝに泛(たゝよ)ひ遊(あそ)へりとそ   其余(そのよ)所々(しよ〳〵)にあれとも其地(そのち)によりて種々(くさ〳〵)の方言(はうけん)ありて名(な)を異(こと)にせり  伊勢物語 なほゆき〳〵て武蔵国(むさしのくに)としもふさの国(くに)とのなかにいろおほき    なる河(かは)あり夫(それ)をすみた河(かは)といふそのかはのほとりにむれゐておもひ    やれは限(かきり)なくとほくも来(き)にけるかなとわひあへるに渡守(わたしもり)はや舟(ふね)にのれ    日も暮(くれ)ぬといふにのりてわたらんとするにみな人 物(もの)わひしくて    京(みやこ)におもふ人なきにしもあらす然時(さるをり)しも白き鳥(とり)の觜(はし)と足(あし)赤(あかき)    鴫(しき)のおほきさなる水(みつ)のうへにあそひつゝいをゝくふ京(みやこ)には見えぬ鳥    なれはみな人見知らす渡守(わたしもり)に問(とひ)けれは是(これ)なんみやことりといふをきゝて  なにしをはゝいさこととはん都鳥我思ふ人はありやなしやと    とよめりけれは舟(ふね)こそりてなきにけり   真淵翁(まふちをう)に都鳥(みやことり)の事を問(とふ)人ありて云 古今集(こきんしう)には川(かは)の辺(ほとり)にあそひけりとありてことはり明(あきら)けし   伊勢物語(いせものかたり)には水のうへにあそひてといへは足(あし)はみえしやと翁(おきな)こたへていふ此鳥(このとり)は鴎(かもめ)にてむれつゝあそふ故(ゆへ)に   飛立(とひたち)も辺(ほとり)に在(ある)もあるへけれはこの問(とひ)は頑(かたくなし)これはかもめなるをしらせんとてや詞(ことは)を添(そへ)つらん云々  回国雑記 かくて隅田川(すみたかは)のほとりにいたりて《割書:中略| 》猶ゆき〳〵て川上(かはかみ)にいたり    はへりて都鳥(みやことり)尋(たつね)みむと人〳〵さそひけるほとにまかりてよめる   事とはむ鳥たにみえよ隅田河都こいしとおもふ夕に 道興准后   おもふ人なき身なれともすみた河名もむつましき都鳥哉 同  都鳥(みやことり)は所々(しよ〳〵)にあれとも在五中将(さいこちうしやう)の詠(えい)によりて専(もはら)此(この)隅田河(すみたかは)の景物(けいふつ)  とす故(ゆへ)に世〳〵(よよ)の詞人(ししん)吟客(きんかく)是(これ)を賞愛(しやうあい)せり其色(そのいろ)白(しろ)く觜(はし)と足(あし)と赤(あか)く  して形状(かたち)の甚(いと)幽雅(みやひ)たるゆゑにかくは命(めい)せしならん歟 梅柳山木母寺(はいりうさんもくほし) 隅田村(すみたむら)堤(つゝみ)のもとにあり隅田院(すみたゐん)と号(かう)す天台宗(てんたいしう)にして  東叡山(とういえさん)に属(そく)す本尊(ほんそん)は五智如来(こちのによらい)なり中(なか)にも阿弥陀如来(あみたによらい)の像(さう)は聖徳(しやうとく)  太子(たいし)の作(さく)なりと云 伝(つた)ふ貞元(てうけん)年間 忠円阿闍梨(ちうゑむあじやり)当寺(たうし)を草創(さう〳〵)す《割書:天正|十八年》  《割書:台命(たいめい)あり依(よつ)て|梅柳山(はいりうさん)と号(かう)す》昔(むかし)は梅若(はいにやく)寺と呼(よひ)たりしを慶長(けいてう)十二年 近衛関白(このゑくわんはく)信尹公(のふたゝこう)武蔵(むさしの)  国(くに)に下り給ひし時(とき)隅田河(すみたかは)逍遥(せうえう)のゆくてに当寺(たうし)へ立よらせられ寺号(しかう)を改(あらた)  むへきはいかにとありしに寺僧(しそう)応諾(おうたく)す依(よつて)木母寺(もくほし)の号(な)を賜(たま)ひぬ 《割書:其時(そのとき)翰墨(かんほく)|を灑(そゝき)給ひて》  《割書:木母寺(もくほし)と画(くわく)されし真蹟(しんせき)今猶(いまなほ)伝(つた)へて当寺(たうし)第一の什宝(しふほう)とす|事跡合考(しせきかつかう)に云く大虚庵光悦(たいきよあんくわうゑつ)の筆(ふて)の木母寺(もくほし)とある額(かく)もこれありと記せり》 慶安(けいあん)以後(いこ)官府(くわんふ)より  寺料(しれう)若干(そくはく)を付(ふ)せられ朱章(しゆしやう)を賜(たま)ふ又 寛文(くはんふん)の始(はしめ)  大樹(たいしゆ)此地(このち)に  御遊猟(こいうれう)の拗(みきり)当寺(たうし)を御建立(ここんりふ)ありて新殿(しんてん)なと造(つく)らせ給ひぬ   《割書:按(あんする)に木母(もくほ)は梅(むめ)の分字(ふんし)ならんされと梅は毎(はい)に従(したか)ひ母(ほ)にあらす母(も)にしたかふものは本朝(ほんてう)の俗字(そくし)にして|止賀(とか)と訓(くん)す西斎詩話(せいさいしわ)に幸得(さいはひにえて)_二梅山信(はいさんのしんを)_一嘗(なむる)_二日本茶(につほんのちやを)_一と作(つく)りしは山城国(やましろのくに)なる栂尾(とかのを)の茶(ちや)を賞美(しやうひ)》   《割書:せしなり栂(とか)は中華(ちうくは)にはなき文字(もんし)なれは梅(むめ)の誤字(こし)にやなとおもひはかりてかく梅山(はいさん)とはせしなる|へし又 岷峨集(みんかしふ)に云く東山(ひかしやま)の僧(そう)雪村(せつそん)諱(いみな)は友梅(いふはい)と云しか栂尾(とかのを)にまうてこの山(やま)の名(な)は我(わか)諱(いみな)の文字(もんし)》   《割書:なりと云云 是(これ)も頗(すこふる)拠(よりところ)とすへき歟 爾雅(しか)に梅(むめ)は枏(なむ)【楠の異体字】なりとまた史記(しき)に江南(こうなん)枏梓(なむし)を出(いた)すとあるも|梅(むめ)の事にして冄(せん)と母と字形(しきやう)頗(すこふる)似(に)たれは冄(せん)を誤(あやま)りて母に作(つく)るものならん然(しか)れとも木母(もくほ)を》   《割書:もつて梅(むめ)とする事又 拠所(よりところ)あり因(より)て左に挙(あ)く|》  《割書:増続韻府(そうそくゐむふ)といへる書(しよ)に夷堅志(いけんし)を引(ひい)て云く|》   《割書:北朝山濤字致遠赴召宋神宗問曰卿自山路来自|駅路来濤曰自山路来上曰木公木母如何濤曰木》   《割書:公方傲歳木母正含春| 注曰木公松也木母梅也称旨除中書云云》  《割書:木母寺縁起(もくもしえんき)の跋(はつ)に湖海新聞(こかいしんふん)を引(ひい)て梅(むめ)を木母(もくほ)とする事(こと)を挙(あけ)たり湖海新聞(こかいしんふん)に出る文(ふん)上(かみ)の夷堅(いけん)|志(し)の意(い)に同し又 青木氏(あおきうち)か著(あらは)せる草盧雑談(さうろさつたん)にも此事(このこと)を載(あけ)たり古今集(こきんしふ)の歌(うた)に》   雪ふれは木毎に花そ咲にけるいつれを梅とわきておらまし 紀友則  《割書:千載集(せんさいしふ)|》   春の夜は吹まふ風のうつり香に木毎に梅とおもひけるかな 崇徳院御製  《割書:続古今集(そくこきんしふ)|》   年の内の雪を木毎の花とみて春を遅しと来ぬる鴬 将家  《割書:かく連(つら)ねたるも梅(むめ)といふ文字(もんし)を|わかちたりし秀句(しうく)なり》 梅若丸塚(むめわかまるのつか) 木母寺(もくほし)の境内(けいたい)にあり塚上(ちよしやう)に小祠(こみや)あり梅若丸(むめわかまる)の霊(れい)を祠(まつ)りて  山王権現(わんわうこんけん)とす 《割書:縁起(えんき)に梅若丸(むめわかまる)は山王(さんわう)|権現(こんけん)の化現(けけん)なりと云》後(のち)に柳(やなき)を殖(うへ)て是(これ)を印(しるし)の柳(やなき)と号(なつ)く 《割書:昔(むかし)|の》  《割書:柳(やなき)は枯(かれ)て今(いま)若木(わかき)|を殖(うへ)そへたり》 例年三月十五日 忌日(きにち)たる故(ゆへ)に大念仏興行(たいねんふつこうきやう)あり此日(このひ)都下(とか)の  貴賎(きせん)群参(くんさん)せり  回国雑記 かくてすみた河(かは)の辺(ほとり)にいたりて皆(みな)〳〵歌(うた)よみて披講(ひかう)なとして     いにしへの塚(つか)の姿(すかた)あはれさ今(いま)のことくにおほえて   古塚のかけゆく水のすみた河きゝわたりてもぬるゝ袖哉  道興准后     中頃(なかころ)一条(いちてう)関白(くはんはく)康道卿(やすみちきやう)関東(くはんとう)下向(けかう)のころ此地(このち)に     逍遥(せうえう)あり 【挿し絵】 木母寺(もくほし) 梅若塚(むめわかつか) 水神宮(すいしんのみや) 若宮八幡(わかみやはちまん) 木母寺    に   歌の    会     あり   けふの      月     其角 回国雑記  いにしへの塚の  すかたあはれさ  今のことくに  おほえて 古塚の  かけ行水      の  すみた河 聞わたり    ても   ぬるゝ    袖     かな     道興准后 【図中】 隅田川東岸 若みや八まん 木母寺 本堂 茶や 茶や 梅若塚 山王 水神 【挿し絵】 来て見るに  むさしの    国の 江戸   からは  北と    東の   隅    田     川    かな 【図中】 隅田川東岸 内川 御前栽畑 【本文、梅若丸塚の続き】   来てみれはうへし柳のしるしのみ春風渡る隅田河原に 康道公   うき事を思ひ出てや古塚に都のたよりまつ風の声 近衛信尹公    此詠(このえい)は木母寺(もくほし)に蔵(さう)する処(ところ)の短(たん)冊の和歌(わか)なり名書(かき)    山城住人(やましろのちゆうにん)とあり   しるしにとうへし柳も朽はてゝあはれはかりはのこる古塚 良尚親王    此(この)和歌(わか)は曼殊院宮(まんしゆゐんのみや)関東(くわんとう)へ下向(けかう)ありし時(とき)此地(このち)に遊(あそ)ひ給ひし頃(ころ)の詠(えい)なりと    いふ真蹟(しんせき)短冊(たんさく)今尚 木母寺(もくほし)に蔵(さう)せり名書(なかき)旅人(たひひと)とのみあり  縁起(えんきに)云(いはく)梅若丸(むめわかまる)は洛陽(らくやう)北白川(きたしらかは)吉田少将惟房卿(よしたのせうしやうこれふさきやう)の子(こ)なり 《割書:同(おなし)縁起(えむき)に惟房卿(これふさきやう)|嗣(こ)なきを憂(うれ)へ日(ひ)》  《割書:吉(よし)の御神(おんかみ)に祈願(きくわん)ありて後(のち)儲(まうけ)られたりし児(ちこ)なれは梅(むめ)か枝(え)に|咲(さき)出(いて)たりし一花(ひとはな)のこゝちすれはとて梅若丸(むめわかまる)とは号(なつ)くるなりとそ》 五歳にして父(ちゝ)に後(をく)れ  七歳の年(とし)比叡(ひえ)の月林寺(くはちりんし)に入(いり)て習学(しふかく)せり又 其頃(そのころ)東門院(しかしもんゐん)といへるにも  松若丸(まつわかまる)といふ児(ちこ)ありて日頃(ひころ)才(さえ)の程(ほと)を挑(いと)み争(あらそ)ひけれとも梅若丸(むめわかまる)には  をよはさりけりさるを彼坊(かのはう)の法師(ほうし)原口(はらくち)惜(おし)き事(こと)におもひはては闘争(とうしやう)の  事(こと)出来(いてき)にけれは梅若丸(むめわかまる)は潜(ひそか)に身(み)を遁(のか)れて北白川(きたしらかは)の家(いへ)に帰(かへ)らんと  し吟(さまよ)ふて大津(おほつ)の浦(うら)に至(いた)る頃(ころ)は二月廿日あまりの夜(よ)なり然(しかる)に陸奥(みちのく)の  信夫藤太(しのふのとうた)といへる人(ひと)商人(あきひと)に出(いて)あひ藤太(とうた)か為(ため)に欺(あさむか)れて遠(とほ)に東(あつま)の方(かた)に 【挿し絵】 梅若丸(むめわかまる)七歳のとし 比叡(ひえ)の月林寺(くはちりんし)を のかれ出て花洛(みやこ)北(きた) 白川(しらかは)の家(いへ)に帰(かへ)らん とし吟(さまよ)ふて大津(おほつ)の 浦(うら)に至(いた)りけるに 陸奥(みちのく)の信夫(しのふ)の藤太(とうた) といへる人(ひと)あきひとの ためにすかしあさむ かれてはる〳〵とこの 隅田川(すみたかは)に来(き)ぬる ことは本文(ほんもん)に     詳(つまひらか)なり 因(ちなみ)に云(いふ)人買(ひとかい)藤太(とうた)は 陸奥(みちのく)南部(なんふ)の産(さん) なりとて今も南(なん) 部(ふ)の人(ひと)は其 怨霊(おむれう) ある事を恐(をそれ)て木母寺(もくほし) に至(いたら)さること矢口(やくち)の 新田明神(につたみやうしん)へ江戸氏(えとうち)の 人(ひと)はゝかりて  詣(まうて)さるか如(こと)し 【梅若丸塚のつづき】  下(くた)りからうして此(この)隅田川(すみたかは)に至(いた)る貞元(ちやうけん)元年丙子三月十五日なり  路(みち)の程(ほと)より病(やまひ)に罹(かゝ)り此日(このひ)終(つい)に此地(ここ)に於(おひ)て身(み)まかりぬいまはの際(きわ)に  和歌(わか)を詠(えい)す尋ねきてとはゝこたへよ都鳥すみた河原の露と消ぬと  此時(このとき)出羽国(てはのくに)羽黒(はくろ)の山(やま)に下総坊忠円(しもふさはうちゆうゑむ)阿闍梨(あしやり)とて貴(たふと)き聖(ひしり)ありけるか  適(たま〳〵)こゝに会(くはい)し土人(としん)と共(とも)に謀(はか)りて児(ちこ)の亡骸(なきから)を一堆(いつたい)の塚(つか)に築(きつ)き柳(やなき)  一株(いつちゆう)を殖(うへ)て印(しるし)とす翌年(あくるとし)の弥生(やよひ)十五日 里人(さとひと)集(あつま)りて仏名(ふつみやう)を称(とな)へ  児(ちこ)のなき跡をとむらひ侍(はへ)りけるに其日 梅若丸(むめわかまる)の母君(はゝきみ) 《割書:同(おなし)縁起(えんき)に花御前(はなこせん)とす|美濃国(みのゝくに)野上(のかみ)の長者(ちやうしや)の》  《割書:女(むすめ)なりとあり或(あるひは)云 花子(はなこ)とも後(のち)薙髪(ちはつ)して妙亀尼(めうきに)と|号(なつ)く第六巻 浅茅(あさち)が原(はら)の条下(てうか)とあはせみるへし》 児(ちこ)の行衛(ゆくゑ)を尋侘(たつねわひ)みつから物狂(ものくるをし)き  様(さま)して此(この)隅田川(すみたかは)に吟(さまよ)ひ来(きた)り青柳(あをやき)の蔭(かけ)に人の群居(むれゐ)て称名(しようみやう)せるをあや  しみ舟人(ふなひと)に其故(そのゆへ)を問聞(とひきゝ)て我子(わかこ)の塚(つか)なる事をしり悲歎(ひたん)の涙(なみた)にくれ  けるか其夜(そのよ)は里人(さとひと)と共(とも)に称名(しようみやう)してありしに其塚(そのつか)のかけより梅若丸(むめわかまる)  の姿(すかた)髣髴(はうふつ)として幻(まほろし)の容(かたち)を現(あらは)し言葉(ことは)をかはすかとと思へは春(はる)の夜(よ)  の明(あけ)易(やす)く曙(あけほの)の霞(かすみ)と共(とも)に消(きえ)うせぬ母君(ははきみ)は夜(よ)あけて後(のち)忠円阿闍梨(ちゆうゑむあしやり)に  見(まみ)へありし事(こと)ともを告(つけ)て此地(このち)に草堂(さうたう)を営(いとな)み阿闍梨(あしやり)をこゝに居(を)らしめ  常行念仏(しやうきやうねんふつ)の道場(たうちやう)となして児(ちこ)の亡跡(なきあと)をそ吊(とふら)ひける 《割書:以上 木母寺縁起(もくほしえんき)の|要(えう)を摘(つむ)》  《割書:秋夜長物語(あきのよなかものかたり)といへる草紙(さうし)の趣(をもむき)よく前(さき)の木母寺縁起(もくほしえんき)に似(に)たり其略(そのりやく)に云く後堀河院(こほりかはのゐん)の御宇(きよう)北嶺(ほくれい)|東塔(とうたふ)の衆徒(しゆと)に勧学院(くわんかくゐん)の宰相律師(さいしやうりつし)けいかいといふ道学兼備(とうかくけんひ)の師(し)あり 《割書:後(のち)西山(にしやま)の贍(せん)|西(さい)上人といふ》 たま〳〵釈門(しやくもん)に入(いり)なから名聞(みやうもん)》  《割書:利養(りやう)にのみわつらひて出離(しゆつり)の勤(つとめ)怠(をこた)りぬるを浅(あさ)ましとおもひ此事(このこと)成就(しやうしゆ)せんいのりのため石山(いしやま)に参籠(さんろう)し|たり七日まんする夜(よ)の夢(ゆめ)に美少年(ひせうねん)をみて後(のち)心(こゝろ)うかれふたゝひ石山(いしやま)にまうてぬる道(みち)にて春雨(はるさめ)の降(ふり)かゝり》  《割書:けれは聖護院(しやうこゐん)の御坊(こはう)の庭(には)の門(もん)に彳(たゝすみ)たりし時(とき)夢(ゆめ)にみしにたかはぬ美少年(ひせうねん)の花(はな)折(おり)もてるを見出(みいて)たりこはこの|御坊(こはう)に仕(つかへ)て三条(さんてう)京極(きやうこく)の花園左大臣(はなそのゝさたいしん)の子(こ)に梅若(むめわか)と云けるなりけいかいおもひこかれ終(つひい)にかしこにつかふる童(わらわ)して》  《割書:かたらひより一夜(ひとよ)はかりの契(ちきり)をむすひけるか其後(そのゝち)は恋慕(れんほ)の心(こゝろ)いやまさりつゝ伏(ふし)しつみてありけるをきゝ伝(つたへ)梅若(むめわか)は|律師(りつし)のもとを尋(たつね)んとしわらわとともに坊(はう)をさまよひ出(いて)たりしかと行衛(ゆくゑ)もしらてあゆみなやみつ童(わらわ)あまりの》  《割書:いたはしさにあはれ天狗(てんく)はけものなりともわれらをとりてひえの山(やま)へのほせよかしといひて唐崎(からさき)の松(まつ)の木(こ)かけに|やすらひたりしに年(とし)いとたけたる山伏(やまふし)来(きた)りつ児(ちこ)と童(わらわ)を輿(こし)にかきのせて大嶺(おほみね)の釈迦(しやか)の岳(たけ)といふ所(ところ)へそ》  《割書:かきもて行(ゆき)にけりされは門主(もんしゆ)大(おほ)に歎(なけ)きたまひ隈(くま)なくたつねもとめたまふしかありて律師(りつし)の事(こと)しれたりけれは|まつとて三条京極(さんてうきやうこく)なりける父(ちゝ)の大臣(おとゝ)のもとへ押寄(をしよせ)ひとつをも残(のこ)さす焼(やき)はらふ三井寺(みつゐてら)の衆徒(しゆと)是(これ)にても》  《割書:猶(なを)いきとをり散(さん)せすといへとも山門へ押寄(をしよせ)んする事(こと)はかなふへからすしよせんこのついてをもつて当寺(たうし)は城郭(しやうかく)を|かまへ三昧耶戒壇(さんまやかいたん)を建(たて)は山門(さんもん)の衆徒(しゆと)定(さため)て寄(よらん)すらんと其(その)かまへをなして待受(まちうけ)たりけれは山門(さんもん)よりも》  《割書:二十万七千余人にて乱入(みたれいり)火(ひ)をかけて焼払(やきはら)ひぬ其後(そのゝち)梅若(むめわか)は竜神(りうしん)の助(たすけ)によりて都(みやこ)へ帰(かへ)り来(き)にけれと|花園(はなその)も焼野(やけの)の原(はら)となりて問(とふ)へき人もなし三井寺(みゐてら)に行(ゆき)て門主(もんしゆ)の御事をも尋(たつね)まうさんとてゆきて見(み)》  《割書:たまへはこゝも又 残(のこ)らす焼払(やきはら)はれてかはりはてにけれは我故(われゆへ)なりし災(わさはひ)なれはと浅増(あさまし)くて石山(いしやま)にたとり|行(ゆき)わらわして律師(りつし)の許(もと)へふみつかはしつ其(その)ひまに瀬田(せた)の橋(はし)の下(もと)に身(み)を投(なけ)て空(むな)しくなれりける》  《割書:律師(りつし)も童(わらわ)ももろともに児(ちこ)の身(み)を投(なけ)ぬる事(こと)を聞(きゝ)て心(こゝろ)あきれけんといそきつゝやかてかしこに行(ゆき)て尋(たつね)けるに|くこの瀬(せ)と云 所(ところ)にてなきからを求(もと)め出(いた)しけれは律師は天(てん)にあふきてなきかなしみしかかくてしもある》  《割書:へきならねは其夜(そのよ)鳥辺野(とりへの)のけふりとなしつ遺言(ゆいこつ)を首(くひ)にかけて山林斗薮(さんりんとそう)しけるか後(のち)には西山(にしやま)岩倉(いわくら)|に庵室(あんしつ)をむすひてそつとめ行(おこな)ひける童(わらわ)も髪(かみ)をおろして高野山(かうやさん)にそとちこもりける云々》 【梅若丸塚の続き】 《割書: 又 謡曲(えうきよく)桜川(さくらかは)といふもこれに似(に)たり其略(そのりやく)に云 後朱雀院(こしゆしやくのゐん)の御宇(きよう)長暦(ちやうりやく)年中 筑紫潟(つくしかた)に桜子(さくらこ)といへる| 美少年(ひせうねん)ありしか人商人(ひとあきひと)に勾引(かとは)され常陸国(ひたちのくに)磯部(いそへ)の社僧(しやそう)神宮寺(しんくうし)にみやつかへしてありけり其母(そのはゝ)は》 《割書: かくともしらて思ひ子(こ)の行衛(ゆくゑ)を尋(たつね)さまよひ終(つい)に狂乱(きやうらん)し同(おな)し弥生(やよひ)の頃(ころ)ゆくりなく常陸国(ひたちのくに)桜川(さくらかは)に| 至(いた)岸花爛熳(かんくわらんまん)として羅水(らんすい)に漂(たゝよ)ふさまを見(み)て此(この)水中(すいちゆう)に我子(わかこ)ありと流(なか)るゝ花(はな)をむすひあけなきつくときつ》 《割書: しけれは里人(さとひと)等(ら)其故(そのゆへ)を問(とひ)おもひ合(あい)する事(こと)あれはとて彼(かの)狂女(きやうしよ)を神宮寺(しんくうし)へ伴(ともな)ひ行(ゆき)桜子(さくらこ)に逢(あは)せけれは| うれしさのあまり物(もの)くるひは忽(たちまち)にもとにふくし絶(たえ)て久しき母子(ほし)の対面(たいめん)ともに涙(なみた)もせきあへす住僧(ちゆうそう)もと  より慈悲(しひ)深(ふか)かりけれは直(すく)さま桜子(さくらこ)に暇(いとま)をとらせ母子(ほし)ともにつくしへかへされけり 《割書:此事は東国戦記に|みへたり》》 《割書:  按(あんする)に梅若丸(むめわかまる)の事蹟(しせき)は先(さき)に挙(あけ)たる如(こと)く秋夜長物語(あきのよなかのものかたり)及ひ謡曲(えうきよく)の桜川(さくらかは)等(とう)に俤(おもかけ)相似(あひに)たり|》  梅花無尽蔵詩註曰   隅田在武蔵下総両国間道傍小塚有柳  又同書曰   河辺有柳樹盖吉田之子梅若丸墓所也其母北白   河人云々 《割書:  此(この)趣(おもむき)謡曲(えうきよく)の隅田川(すみたかは)にいへる所(ところ)と木母寺(もくほし)縁起(えんき)の意(い)に相似(あひに)たりまた先(さき)に記(しる)せし回国雑記(くはいこくさつき)等(とう)の|  書(しよ)にも古塚(ふるつか)とあり回国雑記(くはいこくさつき)は文明(ふんめい)十八年の記行(きかう)にして寛政(くはんせい)の今よりは凡三百十余年を隔(へたて)たる》 《割書:  昔(むかし)なり其頃(そのころ)さへ古塚(ふるつか)と唱(とな)へたりしなれは其伝説(そのてんせつ)のさたかならぬもむへなり|》 内川(うちかは) 木母寺(もくほし)の後(うしろ)の方(かた)の小川(をかは)をいふ或(ある)人の説(せつ)に往古(そのかみ)荒川(あらかは)綾瀬川(あやせかは)千股(ちまた)に  流(なか)れし時(とき)の古址(ふるあと)なりといへり 御■栽畑(おんせんさいはたけ)【■は苒の冠が止。目録は御前栽畑】 同所 内川(うちかは)を隔(へたて)て北(きた)の方(かた)の出洲(てす)をいへり作松(つくりまつ)の木立(こたち)ありて  頗(すこふる)美景(ひけい)なり 丹頂池(たんちやうのいけ) 同所 堤(つゝみ)の下(もと)にあり池(いけ)の中(なか)に小島(こしま)を築(きつ)く往古(そのかみ)  台命(たいめい)によりて  此池(このいけ)の中島(なかしま)に丹頂(たんちやう)の鶴(つる)を放(はな)ち飼(かは)しめ給ひしとなり故(ゆへ)に名(な)とせりとそ 庵崎(いほさき) 木母寺(もくほし)の北(きた)の方(かた)とも又は請地村(うけちむら)秋葉権現(あきはこんけん)の辺(あたり)なりともいへり  澄月歌枕(ちようけつうたまくら)に武蔵国(むさしのくに)に加(くは)へ夫木抄(ふほくせう)藻塩草(もしほくさ)等(とう)に下総国(しもふさのくに)に入(いれ)たり同(とう)  名(めい)駿河(するか)にもあり紫(むらさき)の一本(ひともと)といへる冊子(さうし)に小梅(こむめ)村の出崎(てさき)を庵崎(いほさき)と云人あり  是(これ)も慥(たしか)ならすと云々又 同書(とうしよ)に昔(むかし)本所(ほんしよ)の地 入海(いりうみ)にて洲崎(すさき)殊(こと)に夥(おひたゝ)しく  ありし故(ゆへ)五百崎(いをさき)に作(つく)りしといふ然(しか)れとも未(いまた)考(かんかへす)  新後拾遺   我ためはむすひもをかぬ庵崎の隅田河原に宿やからまし 尚長  建保名所百首   今宵また誰宿からんいほさきのすみた河原の秋の月影 順徳院 関屋里(せきやのさと) 牛田(うした)の辺(ほとり)をいふ澄月歌枕(ちようけつうたまくら)には武蔵国(むさしのくに)に入(いれ)たり   庵崎のすみた河原に日はくれぬ関屋の里に宿やからまし 《割書:   この歌(うた)は家集(いへのしふ)にいふ康元(かうけん)元年九月 鹿島(かしま)の社(やしろ)にまうてけるに隅田川(すみたかは)のわたりにて此渡(このわたり)の|   上(かみ)の方(かた)に河(かは)の端(はた)につきて里(さと)のあるをたつねけれは関屋(せきや)の里(さと)とまうす前(まへ)には海船(かいせん)もおほく泊(とまり)》 《割書:   たりと云々|   聖護院(しやうこゐん)の宮(みや)関東(くはんとう)御下向(おんけかう)の時(とき)此地(このち)に逍遥(せうえう)し給ひて》   かへるさの道に関屋の里もあれな隅田河原のあかぬなかめに 道晃親王 【挿し絵】 鐘(かね)か潭(ふち) 丹頂(たんてう)の池(いけ) 綾瀬川(あやせかは) 鳥の跡  あやせ川     にて  錦そと   みるや  こゝろ     の  あやせ川   うつる もみちを   いかて  折   なむ  戸田   茂睡 【図中】 隅田川両岸 丹頂池 すみた川 鐘か淵 あやせ川 千住川 【挿し絵】 牛田(うした) 薬師堂(やくしたう) 関谷里(せきやのさと) 夫木抄  庵崎の   すみた   河原に  日はくれぬ  関谷の    里に  宿や   から     まし   光俊 【図中】 隅田川上流 其二 古隅田川 西光院 やくし 千住川 其二 【挿し絵】 関谷(せきや)  天満宮(てんまんくう) 其 三 【図中】 氷川 関や 天神 此辺を  関谷の   里と    いふ 【本文】 鐘(かね)か潭(ふち) 同所 隅田河(すみたかは)荒川(あらかは)綾瀬川(あやせかは)の三俣(みつまた)の所(ところ)をさして名(な)つく 《割書:小田原北条家(をたはらほうでうけ)の|所領役帳(しよりやうやくちやう)に》  《割書:千葉殿(ちはとの)とある所領(しよりやう)の中(うち)に下足立(しもあたち)三俣(みつまた)と|いへる地名(ちめい)を加(くは)へたり按(あんする)に此地(このち)の事(こと)なるへし》 伝(つた)へ云 昔(むかし)普門院(ふもんゐん)といへる寺(てら)の鯨鐘(かね)此潭(このふち)に  沈没(ちんほつ)せりとも又 橋場(はしは)長昌寺(ちやうしやうし)の鐘(かね)なりともいひて今両寺(いまりやうし)に存(そん)する所(ところ)の  新鋳(しんちよ)の鐘(かね)の銘(めい)にも此事を載(あけ)たり何(いつれ)か是(せ)ならん   《割書:按(あんする)に鐘(かね)か淵(ふち)と名(なつ)くる地(ち)同(おなし)川上(かはかみ)岩淵(いはふち)の五徳巌(ことくいわ)といへる所(ところ)にもありしとそ往昔(そのかみ)普門院(ふもんゐん)は隅田川(すみたかは)|三胯(みつまた)の城中(しやうちゆう)にありしを元和(けんわ)二年住持(ちゆうち)栄真(えいしん)地(ち)を卜(ほく)して寺(てら)を今(いま)の亀戸(かめとむら)に移(うつ)せり》   《割書:其頃(そのころ)あやまつて華鯨(かね)を水中(すいちゆう)に投(とう)すと土俗(とそく)伝(つた)へて橋場法源寺(はしはほふけし)の鐘(かね)とするものは誤(あやまる)に|  似たり》 牛田薬師堂(うしたのやくしたう) 木母寺(もくほし)より…… 葛西(かさい)の辺(あたり)は人家(しんか)の後(こう) 園(ゑん)あるは圃(はたけ)畔(あせ)にも 悉(こと〳〵)く四季(しき)の草花(さうくわ)を 植(うゑ)並(なみ)はへるかゆゑに 芳香(はうかう)常(つね)に馥郁(ふくいく)たり 土人(としん)開花(かいくわ)の時(とき)を待(まち) 得(え)てこれを刈取(かりとり) 大江戸の市街(いちまち)なる 花戸(はなや)に出して  鬻(ひさく)事もつとも    夥(おひたゝ)し  転(てん)して梵宇(ほんう)とし西光院(さいくわうゐん)と号(なつ)くといふ…… 若宮八幡宮(わかみやはちまんくう) 若宮村(わかみやむら)にあり別当(へつたう)は真言宗(しんこんしう)にして善福寺(せんふくし)と号(かう)す社(しや)  伝(てん)云(いふ)往古(むかし)文治(ふんち)五年己酉七月右大将頼朝卿(うたいしようよりともきやう)奥州(あうしう)泰衡(やすひら)征伐(せいはつ)として  発向(はつかう)あるにより同十八日 伊豆国(いつのくに)より専光坊(せんくわうはう)の阿闍梨(あしやり)を召(めし)て潜(ひそか)に  泰衡(やすひら)征伐(せいはつ)の立願(りうくわん)の旨(むね)を告(つけ)られ同十九日 途出(かといて)あり其勢(そのせい)纔(わつか)に一千  余騎(よき)なり 《割書:東鑑に十九日丁丑二品奥州発向の条下に|供奉(くふ)の輩(ともから)一百四十四人の名(な)を住(ちゆう)せり》 夫(それ)より途中(とちゆう)近国他国(きんこくたこく)  の軍兵(くんひやう)招(まねか)すして走(はせ)加(くは)はる其時(そのとき)此地(このち)をよきり給ふ序(ついて)潜(ひそか)に当社(たうしや)に  参詣(さんけい)ありて源家(けんけ)繁昌(はんしやう)武運長久(ふうんちやうきう)の祈念(きねん)あり 《割書:今(いま)の四木(よつき)迄(まて)の道路(とうろ)は|昔(むかし)の奥州街道(あうしうかいたう)なりと云(いふ)》 又  手自(てつから)榎(えのき)の策(むち)を逆(さかしま)に地(ち)に指(さし)誓(ちかつ)て云(いは)く此度(このたひ)の軍(いくさ)利(り)あらは枝根(しこん)を  生(しやう)して栄(さか)ゆへしとなり 《割書:其榎(そのえのき)は枯(かれ)たりとて|今(いま)は存(そん)せす》 竟(つひ)に奥州(あうしう)を治(をさめ)て凱陣(かいちん)あり  けれは其後(そのゝち)鶴岡若宮八幡宮(つるがおかわかみやはちまんくう)を勧請(くわんしやう)す此地(このち)は葛西三郎清重(かさいさふらうきよしけ)の  領地(りやうち)たるにより清重(きよしけ)に命(めい)して社頭(しやとう)を経営(けいえい)せしめ又 神田(しんてん)等(とう)を  寄付(きふ)せらる其後(そのゝち)年代(ねんたい)遠(とほ)く隔(へたゝ)りけれは瘴霧(しやうむ)は軒(のき)を侵(をか)し淫雨(いんう)  は扉(とひら)を洗(あら)ひ春草(しゆんさう)年々(ねん〳〵)に生(しやう)し秋(あき)の蔦(つた)月々に茂(しけ)り瑞籬(すゐり)は崩(くつ)れ  神階(しんかい)朽(くち)て破壊(はゑ)におよひしを天正(てんしやう)の後(のち) 台命(たいめい)により伊奈(いな)  備前守(ひせんのかみ)再興(さいこう)ありしより重(かさ)ねて朱(あけ)の玉籬(たまかき)光(ひかり)を彰(あら)はしけるか  夫(それ)も又(また)昔(むかし)となり今(いま)は古松(こしよう)老杉(らうさん)矯々(きやう〳〵)として寥々(りやう〳〵)たる社頭(しやとう)  となれり  法華経(ほけきやう)一 部(ふ)一 巻(くわん) 《割書:其丈(そのたけ)漸(やうや)く二寸はかりありて巻(まき)たる囲(めくり)わつかに指渡(さしわた)し八九分|に過(すき)す紺紙(こんし)にして金泥(きんてい)をもて細書(さいしよ)せる物(もの)なり書(しよてい)》  《割書:甚(はなはた)奇古(きこ)なり寺僧(しそう)の説(せつ)に頼朝卿(よりともきやう)の奉納(ほうなう)なりといひつたふ筆者(ひつしや)は文覚(もんかく)なりと|いへとも是非(せひ)をしらす》 超越山(てうゑつさん)西光寺(さいくわうし) 渋江村(しふえむら)にあり 《割書:小田原北条家(おたはらほふてうけ)の古文書(こもんしよ)に山中内匠介(やまなかたくみのすけ)|所領(しよりやう)に渋江(しふえ)の地名(ちめい)を注(ちゆう)し加(くは)へたり》 往古(わうこ)は  浄土宗(しやうとしう)の寺院(しゐん)にて葛西三郎清重(かさいさふらうきよしけ) 《割書:従五位下(しゆこゐけ)壱岐守(いきのかみ)豊島(としま)|権頭(こんのかみ)清光(きよみつ)の子(こ)なり》 開基(かいき)たり 【挿し絵】 渋江(しふえ)  西光寺(さいくわうし)  清重稲荷(きよしけいなり) 【図中】 用水渡 引舟 清重 いなり 用水  しか今(いま)天台宗(てんたいしう)に改(あらた)む本尊(ほんそん)は親鸞(しんらん)上人 親筆(しんひつ)の阿弥陀如来(あみたによらい)  の画像8くわさう)を安(あん)す当寺(たうし)の開基(かいき)清重(きよしけ)は鎌倉(かまくら)代々(よゝ)勤仕(きんし)の士(し)にて  文治(ふんち)五年 奥州(あうしう)泰衡(やすひら)平治(へいち)の後(のち)同年九月 彼地(かのち)の奉行職(ふきやうしよく)に  任(まか)せられ実朝卿(さねともきやう)鶴岡八幡宮(つるかおかはちまんくう)拝賀(はいか)の頃(ころ)も随兵(すゐひやう)に加(くは)へ給ふ  代々(よゝ)此地(このち)に住(ちゆう)す親鸞(しんらん)上人 東国遊化(とうこくいうけ)の時(とき)此地(このち)に至(いた)り清重(きよしけ)  の宅(たく)に投宿(とうしゆく)あり其時(そのとき)上人の弘法(くほふ)に帰依(きえ)し弟子(ていし)の礼(れい)を  儲(まう)け名(な)を西光坊(さいくわうはう)と号(かう)す又 居宅(きよたく)の地(ち)を転(てん)して寺院(しゐん)を営建(えいこん)  し直(すく)に西光院(さいくわうゐん)と号(なつ)く本尊(ほんそん)の脇壇(けふたん)に清重(きよしけ)彫造(てうさう)する所(ところ)の  聖徳太子(しやうとくたいし)の木像(もくさう)を安置(あんち)せり   《割書:按(あんする)に東鑑(あつまかゝみ)に治承(ちしやう)四年庚子十一月十日戊牛 常陸国(ひたちのくに)佐竹太郎義政(さたけたらうよしまさ)同 冠者(くわんしや)|秀義(ひてよし)を征伐(せいはつ)して凱陣(かいちん)し鎌倉(かまくら)に帰(かへ)り給ふ条下(てうか)に武蔵国(むさしのくに)丸子荘(まりこのしやう)を以(もつ)て》   《割書:葛西三郎清重(かさいさふらうきよしけ)に賜(たま)ふ今夜(こんや)彼宅(かのたく)に御止宿(こししゆく)あり清重妻女(きよしけさいちよ)をして御膳(こせん)を|備(そな)へしむ但(たた)し其実(そのしつ)を申(もう)さす御給搆(こきうこう)の為(ため)他所(たしよ)より青女(せいちよ)を招(まね)くの由(よし)》   《割書:言上(こんしやう)すとあるも此地(このち)|にての事(こと)なるべし》 清重稲荷(きよしけいなり)祠 西光寺(さいくわうし)の西(にし)の畑(はた)の中(なか)にあり松(まつ)杉(すき)生(おひ)しけりたる   古叢(こさう)にして此所(このところ)は葛西三郎清重(かさいさふらうきよしけ)の墳墓(ふんほ)の地(ち)といふ今(いま)稲荷(いなり)を  勧請(くわしやう)す 《割書:徃(いん)し年(とし)の洪水(こうすゐ)に此塚(このつか)崩(くつ)れて土中(とちゆう)より石櫃(せきひつ)あらはれ出(いて)けれは土人(としん)蓋(ふた)を|開(ひら)きみしに蓋(ふた)の裡(うち)に梵字(ほんし)蓮花(れんけ)およひ清重(きよしけ)の名(な)をも彫付(ほりつけ)てありしと》  《割書:なり其時(そのとき)櫃(ひつ)の中(うち)より丈(たけ)三尺五寸あまりの弥陀(みた)の木像(もくさう)出(いて)たりとなり其(その)胸中(けうちゆう)に鉄仏(てつふつ)あり|丈(たけ)一寸八分はかりの座像(ささう)なり今(いま)西光寺(さいくわうし)に収(をさ)む其(その)余(よ)武具(ふく)のたくひも出(いて)たりといへり》 青砥左衛門尉藤綱(あをとさゑもんのせうふちつな)第宅旧跡(ていたくのきうせき) 青戸村(あをとむら)にあり 《割書:土人(としん)云(いはく)昔(むかし)は青砥(あをと)を作(つく)る|後世(こうせい)改(あらた)めて青戸(あをと)とすと》  《割書:永禄(えいろく)二年 小田原(をたはら)北条家(ほふてうけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)に遠山(とほやま)丹波守(たんはのかみ)所領(しよりやう)の内(うち)に|葛西青戸(かさいあをと)の号(かう)を注(ちゆう)せり今(いま)割(わり)て二村とし西青戸(にしあをと)表青戸(おもてあをと)と唱(とな)ふ》 土人(としん)城址(しろあと)又(また)  御殿跡(こてんあと)とも称(しよう)す今猶(いまなほ)四方五六 歩(ふ)の所(ところ)除地(ちよち)にして老杉(らうさん)矯々(きやう〳〵)  たる中(うち)に小祠(せうし)あり此村(このむら)農人(のうにん)の中(うち)に廓(くるわ)の誰(たれ)陣屋(ちんや)の何某(なにかし)なと  字(あさな)に唱(とな)ふるありて皆(みな)其(その)時世(しせい)より呼来(よひきた)れるといへり   《割書:按(あんする)に北条(ほふてう)九 代記(たいき)およひ太平記(たいへいき)等(とう)の書(しよ)に青砥左衛門(あをとさゑもん)は伊豆国(いつのくに)の住人(ちゆうにん)大場(おほは)|十郎近郷(しふらうちかさと)の後裔(こうえい)にして近郷(ちかさと)承久(しやうきう)の乱(らん)に宇治(うち)の手(て)に向(むか)大(おほい)に勲功(くんこう)ありけれ》   《割書:は其(その)勧賞(かんしやう)として上総国(かつさのくに)青砥(あをと)の荘(しやう)を賜(たま)はり是(これ)より相伝(さうてん)して藤満(ふちみつ)にいたる|藤綱(ひちつな)は藤満(ふちみつ)の妾腹(せふふく)に生(むま)れて末子(はつし)なりと云々しかるときは青砥荘(あをとのしやう)は上総国(かつさのくに)なっるか》   《割書:されと上総国(かつさのくに)夷灊郡(いしみこほり)臼井(うすゐ)の郷(こう)中村国香(なかむらくにか)といへる人(ひと)のあらはせし房総志料(はうさうしれう)といへる書(しよ)に|上総国(かつさのくに)青砥荘(あをとのしやう)といふ事 東鑑(あつまかゝみ)に見(み)ゆれとも其地(そのち)未(いまた)考(かんか)へすとありて定(さたか)ならす此地(このち)を》   《割書:青戸(あをと)と唱(とな)へ来(きた)るも既(すて)に久(ひさ)しうして藤綱(ふちつな)かやしき跡(あと)と称(しよう)する地(ち)なと現然(けんせん)と残(のこ)|りてあれは其(その)是非(せひ)はしらすといへともしはらくいひ伝(つた)ふるにまかせて是(これ)を記(しる)し加(くは)ふ》 古製山葵擦(こせいわさひおろし) 《割書:此地(このち)の農民(のうみん)茂右衛門(もゑもん)といへる者是(これ)を持伝(もちつた)ふ賞(しやう)すへきものにもあら|されとたゝ上古(しやうこ)質朴(しつほく)の風俗(ふうそく)を想像(おもひやる)にたれり依(よつて)其図(そのづ)をこゝに》  《割書:挙(あく)るのみ土人(としん)此器(このき)を青砥左衛門(あをとさゑもん)か工夫(くふう)に出(いて)たりと云伝(いひつたふ)れとも其(その)可否(かひ)は論(ろん)するに|たらす今(いま)も野州(やしう)辺(へん)の農家(のうか)是(これ)を用(もち)ゆるものあり其図(そのつ)左(さ)のことし》   《割書:全形(かたち)図(つ)のことく杉(すき)をもつて|製(せい)す竹(たけ)の厚(あつ)きを鋸(のこきり)の歯(は)の》   《割書:ことくにして夫(それ)を横(よこ)の板(いた)へ切(きり)|はめ横板(よこいた)の上(うへ)より同く竹(たけ)の》   《割書:縁(ふち)を打付(うちつけ)て動かぬやうにし|たる物(もの)なり或人(あるひと)の説(せつ)に》   《割書:菖蒲革(しやうふかは)に□【△を三つ横に並べた図】かくのことき|紋(もん)あるを俗(そく)にわさひおろしと》   《割書:いふも此器(このき)の形(かたち)を借(かり)ていひ|出(いた)せしならんと是(これ)しからん歟(か)》   《割書:又下に図(つ)する物(もの)も其製(そのせい)大方(おほかた)|同(おなし)うして形(かたち)すこしく異(こと)なり》 【挿し絵その一】 【奥行き】七寸三分 【幅】四寸一分 【高さ】二寸六分 【挿し絵その2】 此所朽損シ 全カラス 【幅】三寸 【長さ】四寸六分余 木下川薬師堂(きけかはやくしたう) 木下川村(きけかはむら)にあり……  天照太神宮(てんせうたいしんくう)  東照大権現神影(とうせうたいこんけんくうみえい)  本尊薬師如来縁起(ほんそんやくしによらいえんき) 一巻(いちくわん) 《割書:其文(そのふん)左(さ)の|如(こと)し》   青竜山薬師仏像縁起   原夫仏像者優填王慕仏而刻像初焉伽藍者須達 【挿し絵】 木(き) 下(け) 川(かは) 薬(やく) 師(し) 堂(たう) 江戸名所記(えとめいしよき)に いにしへより毎月(まいけつ) 八日ならひに 元三の朝(あした)には かならす本尊(ほんそん) の御前(おんまへ)に竜灯(りうとう)の あかるをはいする 人 少(すくな)からすとあり されと此事(このこと)今(いま)は 絶(たえ)たるにや土人(としん)も しらすといへり 【挿し絵中】 弁天 二王門 熊野 本堂 観音 白ひけ   所期末……   嘉暦二年夏六月十五日     浄光寺二十一世住持沙門 義純謹書  本尊(ほんそん)縁起(えんきに)曰(いはく)延暦年間(えんりやくねんかん)伝教大師(てんけうたいし)東国化益(とうこくけやく)の為(ため)叡山(えいさん)に於(おい)て  薬師仏(やくしふつ)を彫刻(てうこく)す漸(やうやく)半(なかは)なる頃(ころ)一夜(いちや)此尊像(このそんさう)大師(たいし)の夢(ゆめ)に告(つけ)て曰(のたまは)く  汝(なんち)か念(おも)ふ所(ところ)の如(こと)く我(われ)東国(とうこく)の衆生(しゆしやう)を利益(りやく)せんとす明旦(めいたん)便(たより)あり  我(われ)正(まさ)に行(ゆく)へしと大師(たいし)驚(おとろ)き夢覚(ゆめさめ)ぬ然(しかる)に明旦(めいたん)下野国(しもつけのくに)大慈寺(たいしし)の広智(くわうち)  其頃(そのころ)叡山(えいさん)にありしか此日(このひ)帰(かへ)らんとし先(まつ)大師(たいし)に別(わかれ)を告(つけ)んと来(きた)  り謁(えつ)すこゝに於(おい)て大師(たいし)仏意(ふつい)を悟(さと)り霊夢(れいむ)の瑞(すゐ)を語(かた)り竟(つひ)に其(その)  像腰(さうえう)を彫刻(てうこく)せすして錦繍(kんしう)をもて是(これ)を纏(まと)ひ広智(くわうち)に付属(ふそく)す 《割書:此故(このゆゑ)|に今(いま)》  《割書:仏体(ふつたい)僅(わつか)に半(なかは)より|上(うへ)を拝(はい)するのみ》 広智(くわうち)諾(たく)して仏像(ふつさう)を背負(せおひ)奉(たてまつ)り東(あつま)に還(かへ)り武州(ふしう)に  到(いた)る 《割書:今(いま)の木下川(きけかは)の|地(ち)これなり》 時(とき)に偶然(くうせん)として一(ひとり)の老翁(らうをう)に逢(あ)へり 《割書:其名(そのな)を唱翁(しやうをう)と呼(よ)ふ|姓氏(せいし)詳(つまひらか)ならす今(いま)白髭(しらひけ)》  《割書:明神(みやうしん)|とす》 翁(おきな)欣然(きんせん)として云(いは)く我(わか)霊像(れいさう)の到(いた)るを待事(まつこと)久(ひさ)しよろしく我(わか)草庵(さうあん)  に安(あん)すへしと《割書:云| 云》 智(ち)喜(よろこ)んで彼像(かのさう)を翁(おきな)に付(ふ)し又 此地(このち)に伽藍(からん)を建(たて)む事(こと)  を告(つく)翁(おきな)云(いはく)時縁(しえん)いまた熟(しくゆ)せす汝(なんち)且(かつ)還(かへ)り去(さ)れ依(よつ)て広智(くわうち)も此事(このこと)を  思(おも)ひ止(とゝま)り郷里(きやうり)に帰(かへ)る爾後(そのゝち)翁(おきな)村民(そんみん)に語(つけ)て云(いは)く後(のち)善知識(せんちしき)ありて必(かならす)  こゝに来(きた)り練若(れんにや)を営(いとなま)ん我(われ)今(いま)西州(さいしう)に行事(ゆくこと)あり若(もし)帰(かへ)り来(きた)る事 遅(おそ)  からんには此語(このこ)を伝(つたへ)よと云畢(いひをは)り空(くう)を凌(しのき)て西(にし)に去(さ)れり村里(そんり)の道俗(とうそく)  天際(てんさい)を見送(みおく)り共(とも)に深信(しん〳〵)稽首(けいしゆ)す其後(そのゝち)慈覚大師(しかくたいし)東国化導(とうこくけたう)の時(とき)  武州(ふしう)に到(いた)り暫(しはらく)浅草寺(あさくさてら)の観音堂(かんのんたう)に留(とゝま)り給ふ一日 白髪(はくはつ)の翁(おきな)来(きたり)て 【挿し絵】 木下川薬師如来(きけかはやくしによらい)の 霊像(れいさう)は延暦(えんりやく)年間の 伝教(てんけう)大師 叡山(えいさん)に 在(いま)せし頃 東国(とうこく) 化益(けやく)のため彫(てう) 造(さう)せられやゝ 半(なかは)なる頃(ころ)一夜(あるよ) 此本尊の霊(れい) 示(し)あるを以て 竟(つひ)にその像(そう) 腰(えう)を刻(こく)さす して錦繍(きんし)を もてこれを 纏(まと)ひ下野国(しもつけのくに)大慈寺(たいしし)の 広智(くわうち)といへる沙門(しやもん)の 東国に帰(かへ)らんとするに 付属ありしかは本 尊 有縁(うえん)の地なるを 以て木下川に安置(あんち) なし奉りしこと 浄光寺(しやうくわうし)縁起(えんき)に  詳(つまひらか)なり 【挿し絵】 中川口(なかかはくち) 【挿し絵】  中川釣鱚(なかかはきすつり) 春鱚(はるきす)は三月の末より 四月に入て盛(さかん)なり春(はる) 釣(つり)と云は寛文(くわんふん)の頃 南総(かつさ) 伍大力(こたいりき)の船頭(せんとう)仁兵衛を はしめとす岩崎(いわさき)兵太夫と いふ人是に継(つく)今岩崎流 といふは則此人に始 りて是より後春鱚 を釣(つ)る事世に盛なり しと云秋鱚は八月の末 より九月なかはを節(せつ) とす然れとも十月に至り 寒気(かんき)にうつれは沖に 出るか故川釣に幸(さち)なし 漁人海に産するを白 鱚と呼川にあるを青 鱚と唱ふ又鱚に大小 の差あり當歳は腹(はら) 白く五六寸なるを二歳 とす腹すこし く黄色を帯(おひ)て 背(せ)通(とほ)り黒み あり七寸より 八寸迄を三歳と呼(よふ) 腹黄色にして赤み を帯背の通り黒し 九寸以上を鼻曲(はなまかり)と 号く鱗(うろこ)あらし尺に 越(こゆ)るを寒風(さむかせ)と唱る よし漁人(きよしん)の    説(せつ)なり 【挿し絵】 平井(ひらゐ)  聖天宮(しようてんくう) 【図中】 地蔵 山門 御供所 はうさう神 すは 灯明寺 不動 聖天堂 平井渡   《割書:称(しよう)し古利根川(ことねかは)とよへり往古(いにしへ)水戸黄門光圀卿(みとくわうもんみつくにきやう)水府(すゐふ)入部(にうふ)の頃(ころ)此(この)中川(なかかは)の|水中(すゐちゆう)にして一の壺(つほ)を得(え)たまひしより年々(とし〳〵)宇治(うち)へ詰茶(つめちや)に登(のほ)せられその器(き)を》   《割書:中川(なかかは)と命(めい)せられたり| 》     中川やほふりこむてもおほろ月 嵐雪 立石(たていし) 立石村(たていしむら)五方山南蔵院(こはうさんなんそうゐん)といへる真言宗(しんこんしう)の寺境(しきやう)にあり地(ち)  上(しやう)へ顕(あらは)れたる所(ところ)纔(わつか)に壱尺(いつしやく)はかりなり土人(としん)相伝(あひつた)へて石根(せきこん)地(ち)  中(ちゆう)に入事(いること)其際(そのきはま)りをしらすといへり石質(せきしつ)弱(やはらか)にして其色(そのいろ)世間(せけん)  に称(しよう)する鞍馬石(くらまいし)に似(に)たり此石(このいし)寒気(かんき)を帯(おふ)れはこゝかしこ欠(かけ)損(そん)すされとも春暖(しゆんたん)の気(き)を得(う)る時(とき)は又 元(もと)の如(こと)しと云(いへ)り 《割書:右は此石|によりて》  《割書:近郷(きんかう)四五 箇村(かむら)の名(な)とせしか分郷(ふんかう)となりし|より後(のち)は此村(このむら)のみを立石(たていし)とよへりとそ》 熊野権現(くまのこんけん)祠 同 境内(けいたい)艮(うしとら)の隅(すみ)になり今(いま)旧地(きうち)を失(うしな)ふ故(ゆへ)に鎮座(ちんさ)の  年歴(ねんれき)等(とう)を詳(つまひらか)にせすといふ神体(しんたい)は一箇(いつこ)の零石(れいせき)にして 《割書:長(たけ)二尺八寸|はかり囲(かみ)み》【かこみ、のあやまりか】  《割書:本(もと)にて二尺はかり末(すゑ)にて六寸あまり|其形(そのかたち)傘(からかさ)をつほめたるかことし》 其余(そのよ)武州練馬(ふしうねりま)の石神井村(しやくしむら)石神井(しやくしの)  社(やしろ)及(およ)ひ多摩郡(たまこほり)阿佐(あさ)か谷(や)神明(しんめい)等(とう)の神体(しんたい)の零石(れいせき)何(いつ)れも  其形(そのかたち)相似(あひに)たり   《割書:按(あんする)に神書(しんしよ)に皇孫(すめみまこ)の降(くたり)給ふ時(とき)諸部(もろとものを)の神(かみ)の佩(はか)せる頭槌剣(かうつちのつるき)なといへる事あり|此類(このたく)ひのものならん尤(もつとも)天工(てんかう)のものにして世(よ)に石剣(いしけん)と称(しよう)するもの是(これ)なり》 日照山普賢寺(にちせうさんふけんし) 上千葉村(かみちはむら)にあり…… 真光山善通寺(しんくわうさんせんつうし) 逆井(さかさゐ)渡口(わたしくち)より八九町 東(ひかし)小 松川村(まつかはむら)にあり…… 【挿し絵】 立石(たていし)  南蔵院(なんさうゐん)  熊野祠(くまのゝやしろ) 【挿し絵中】 中川 くまの 南蔵院 本堂 庫裡 かね 【挿し絵】 立石村(たていしむら)   立石(たていし) 【本文】  月(つき)を歴(へ)たり…… 医王山妙音寺(いわうさんめうおんし) 東(ひかし)一ノ 江村(えむら)にあり…… 【挿し絵】   賓頭盧尊者像(ひんつるそんしやのさう)    堂中(たうちゆう)に安置(あんち)す寺僧(しそう)伝(つた)へて    仏工春日の作なりといへり    高(たか)さ壱尺はかりあり荒木(あらき)造(つく)り    にして其(その)容貌(ようほう)甚(はなはた)異相(いさう)なり 本覚山妙勝寺(ほんかくさんめいしようし) 西(にし)二の江村(えむら)古川(ふるかは)の通(とほ)りにあり…… 【挿し絵】 葛西六朗墳墓(かさいろくらうのふんほ)  葛西上千葉村(かさいかみちはむら)  普賢寺(ふけんし)の境内(けいたい)  にあり 竜亀山浄興寺(りうきさんしやうかうし) 清泰院(せいたいゐん)と号(かう)す上今井村(かみいまゐむら)渡口(わたしくち)より二丁はかり  西北(にしきた)にあり……  琴弾松(ことひきまつ) 同 境内(けいたい)堂前(たうせん)にあり…… 【挿し絵】 東一之江(ひかしいちのえ)   妙音寺(めうおんし) 【図中】 本堂 弁天 【挿し絵】 二(に)の江(え)より今井(いまゐ) 船堀(ふなほり)桑川(くはかは)のあたり に産(さん)する海苔(のり)を 世に葛西海苔(かさいのり) と称(しよう)す本草(ほんさう)に 所謂(いはゆる)紫菜(しさい)の類(たくひ) にして浅草海苔(あさくさのり) に異(こと)なり 二之江(にのえ)  妙勝寺(めうしようし) 【図中】 三十番神 庵 かね 庫裡 方丈 本堂 古川通り 今井(いまゐ)の津頭(わたしは)  柴屋軒宗長(さいをくけんそうちやう)か永正(えいしやう)六  年の紀行(きかう)東土産(あつまのつと)に  隅田川(すみたかが)の河舟(かはふね)にて  葛西(かさい)の府(ふ)のうち  を半日(はんにち)はかり  葭芦(よしあし)をしのき今(いま)  井(ゐ)といふ津(わたり)より  下(をり)て浄土門(しやうともん)の寺(てら)  浄興寺(しやうかうし)に立寄(たちより)て  とあれははやくより   此 津(わたり)の     ありし        事     しられ       たり 【挿し絵】 今井(いまゐ)  浄興寺(しやうかうし)  琴弾松(ことひきまつ) 東土産  富士の根      は   遠からぬ     雪の    千里      かな 方丈の西にさし むかひ雪くもりなく 見えわたるはかり なり云々      宗長 【図中】 本堂 琴ひき松 【本文】  和歌(わか)を詠(えい)せらる…… 天川山妙福寺(てんせんさんめいふくし) 下鎌田村(しもかまたむら)にありて浄興寺(しやうこうし)の北二町 斗(はかり)を隔(へた)□浄土(しやうと)  宗にして上今井村(かみいまゐむら)金蔵寺(こんさうし)に属(そく)す中興(ちゆうこう)開山(かいさん)は徳誉岌公和尚(とくよきうこうおしやう)と号(かうす)  本尊(ほんそん)は阿弥陀如来(あみたによらい)なり  親鸞(しんらん)上人 御影堂(みえいたう) 《割書:本堂(ほんたう)の前(まへ)左(ひたり)の方(かた)にあり相伝(あひつた)ふ昔(むかし)親鸞(しんらん)上人 東国遊化(とうこくいうけ)の頃(ころ)|此地(このち)をよきり給ふ時(とき)に其年(そのとし)旱魃(かんはつ)にて里民(りみん)の歎(なけき)ひとかた》  《割書:ならす上人 請雨(あまこひ)の祈念(きねん)ありしかは数日(すしつ)の間(あひた)雨降(あめふり)て百穀(ひやくこく)登(みの)る其後(そのゝち)上人こに止(とま)り給ふ事|三年 帰洛(きらく)の頃(ころ)自身(ししん)の肖像(せうさう)を造(つく)りてこゝに残(のこ)し置(おか)るゝとなり毎歳(まいさい)四月八日より》 【挿し絵】 天文十五年の秋(あき)小田原(おたはら)の 北条(はうてう)左京太夫(さきやうのたいふ)康(うちやす)むさし 野(の)小鷹狩(こたかかり)の時(とき)葛西(かさい)の 浄興寺(しやうかうし)に一夜(いちや)のやとりを もとめられ松風入琴と いへる和歌(わか)を題(たい)に にて詠(えい)せられ し事 武蔵野(むさしの) 紀行(きかう)に   見え     たり   松風の    吹こゑ      きけ   よも    すから  しらへ   ことなる    音こそ   かはら      ね    北条氏康  《割書:同十日迄仏龕(ふつかん)を開(ひら)きて親鸞(しんらん)上人の|御影(みえい)を拝(はい)さしむ因(よつて)道俗(たうそく)群衆(くんしゆ)す》 鏡(かゝみ)か池 《割書:本堂(ほんたう)の後(うしろ)にあり上人 自(みつか)ら肖像(せうさう)を|造(つく)りたまふ時(とき)此池(このいけ)に面影(おもかけ)をうつ》  《割書:し給ふ|といふ》 袈裟懸松(けさかけまつ) 《割書:同し傍(かたはら)にあり旧樹(きうしゆ)は|枯(かれ)て今若(いまわか)木を植(うゑ)たり》 太子堂(たいしたう) 《割書:本堂(ほんたう)の前(まへ)右(みき)の方(かた)にありて|御影堂(みえいたう)に相対(あひたい)せり聖徳太子の》  《割書:霊像(れいさう)を安(あん)す太子(たいし)自(みつか)ら作(つく)らせたまふと云伝(いひつた)へて毎歳(まいさい)二月廿一日 参詣(さんけい)あり|》 帝釈天王(たいしやくてんわう) 柴又村(しはまたむら)経栄山題経寺(けうえいさんたいけうし)に安置(あんち)す 《割書:江戸(えと)より|二里半》 当寺(たうし)は寛永(くわんえい)  年間(ねんかん)の草創(さう〳〵)なり  縁起(えんきに)云(いはく)当寺(たうし)弟(たい)【第】九世 日敬師(にちけいし)在住(さいちゆう)の頃(ころ)堂宇(たうう)大(おほい)に破壊(はゑ)す師(し)  深(ふか)く是(これ)を歎(なけ)き普(あまね)く四方(よも)に行乞(きやうこつ)して再興(さいこう)の志(こゝろさし)を励(はけま)し終(つひ)に其(その)  堂舎(たうしや)を造改(つくりあらため)んとする時(とき)梁上(りやうしやう)より此板(このいた)本 尊(そん)を得(え)たり旧(もと)当寺(とうし)に  高祖大士(かうそたいし)手刻(しゆこく)の祈祷本尊(きたうほんそん)と称(しよう)するものある由(よし)云(いひ)伝(つた)へし事(こと)の侍(はへ)り  しも此時(このとき)に至(いた)りて空(むな)□からぬを尊み則(すなはち)本尊とすといへり 《割書:長二尺五寸|幅一尺五寸》  《割書:厚(あつ)さ五分 斗(はかり)ある梨板(なしいた)なり片面(かためん)は中央(ちゆうあう)に首題(しゆたい)およひ左右に両尊 四菩薩(しほさつ)又 病即(ひやうそく)|消滅(せうめつ)等(とう)の数字(すうし)を刻(こく)し其下に五月日とありて大 士(し)の号(かう)をよひ花押(くわあふ)を印せり又片面は》  《割書:帝釈天王(たいしやくてんわう)の影像(えいさう)なり右の御手に剣(けん)を持(ち)し左の御手は開(ひら)きて憤怒(ふんぬ)の相(さう)を顕(あら)し給ふ|》  《割書:是(これ)除病延寿(ちよひやうえんしゆ)の本尊 悪魔降伏(あくまかうふく)の尊容(そんよう)なり信敬(しんけい)の輩(ともから)には是(これ)を印(いん)して与(あた)ふ点画(てんくわく)|》  《割書:あさやかにして希代(きたい)の本 尊(そん)なり往古(いにしへ)摂(せつ)の四天王寺に初(はしめ)て帝釈(たいしやく)天 降臨(かうりん)あり|しも庚申(かうしん)の日なり当寺(とうし)の板本 尊(そん)出現(しゆつけん)も又 庚申(かうしん)にあたる故に其 因縁(いんえん)にて此日を》  《割書:縁日(えんにち)とすといへり| 》 【裏表紙】