【表表紙】 【題箋】 《題:江戸名所図會  五》 【見返し】 【左丁】 河崎(かはさき) 六郷渡口(ろくかうわたしくち)より向(むか)ふの方(かた)にあり東海道(とうかいう)官驛(くわんえき)の一つにして  行程(かうてい)品川(しなかはた)より二里半/驛舎(えきしや)数百軒(すひやくけん)整々(せい〳〵)として両側(りやうかは)に聯(つらな)る  《割書:小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)に雉太新三郎(きしたしんさふらう)及(およ)び伊勢兵庫頭(いせへうこのかみ)間宮豊前守(まみやふせんのかみ)等(とう)の|所領(しよりやう)の中(うち)に此(この)河崎(かはさき)の地名(ちめい)あり又/同書(とうしよ)大珠寺分(だいしゅしふん)十九/貫(くわん)四百文の内(うち)五百文は|川崎(かはさき)に伏(ふく)すとあり》  平安記行 《割書:河崎(かはさき)といふ海近(うみちか)き宿(しゆく)にて使(つかひ)なとあとにやりてこゝにてしはし|》       《割書:やすらへは長光寺(ちやうくわうし)日耀(にちよう)上人くたもの抔(なと)僧(そう)にもたせて送(おく)り給ひぬ|馬(うま)むけんと立(たち)ものするに洲崎(すさき)にかさゝきのたてりけれは》    朝朗霞うなかす河崎に浪とみる迄たてる白鷺      持資       《割書:いさこといふ所にて》    かもめゐるいさこの里を来てみれは遊に通ふ沖津浦風  仝    《割書:按(あんする)に長光寺(ちやうくわうし)何(いつ)れなりや今(いま)しるへからす恐(おそ)らくは廃寺(はいし)となりしならん歟(か)砂子(いさこ)といふは|此(この)驛中(えきちゆう)の小/地名(ちめい)にして今(いま)も久根崎町(くねさきまち)新宿(しんしゆく)砂子町/小土呂町(ことろまち)等(とう)の名(な)あり》 河崎庄司次郎高重(かはさきしやうししらうたかしけの)宅地(たくち) 其(その)舊地(きうち)今(いま)しるへからす相傳(あひつた)ふ高重(たかしけ)昔(むかし)渋(しふ)  谷(や)に住(ちゆう)す後(のち)違論(ゐろん)の事(こと)ありて此地(このち)へ移(うつ)り住(すむ)となり又(また)旧地(きうち)堀内(ほりのうち)に  ありし山王(さんわう)の祠(やしろ)をも此(この)河崎(かはさき)に遷(うつ)すといへり 【右丁】 河崎(かはさき)万年屋(まんねんや)  奈良茶飯(ならちやめし) 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】    《割書:按(あんする)に今(いま)河崎(かはさき)の驛舎(えきしや)の南(みなみ)に堀(ほり)の内(うち)と字(あさな)する地(ち)ありて山王権現(さんわうこんけん)の社(やしろ)あり|疑(うたか)ふらくは高重(たかしけ)渋谷(しふや)より遷(うつ)す所(ところ)の御/神(かみ)ならん歟(か)されとも次の山王(さんわう)の社地(しやち)に》    《割書:よるときは其趣(そのおもむき)尤(もつとも)違(たか)へり又此所をも堀(ほり)の内(うち)と称(しよう)するは高重(たかしけ)か旧館(きうくわん)の地(ち)なるへ|けれとも土人もこれを詳(つまひらか)にせす猶(なほ)他日(たしつ)考(かんか)ふへきのみ》 堀内山王権現(ほりのうちさんわうこんけん)宮 河崎(かはさき)上新宿(かみしんしゆく)街道(かいたう)の中程(なかほと)より左(ひたり)へ入(いり)て二丁/斗(はかり)  南(みなみ)にあり相傳(あひつた)ふ 欽明天皇(きんめいてんわう)の御宇(きよう)勧請(くわんしやう)する所(ところ)也と河崎(かはさき)の鎮守(ちんしゆ)  にして神領(しんりやう)あり社司(しやし)鈴木氏(すゝきうち)奉祀(ほうし)す《割書:鈴木氏(すゝきうち)祖先(そせん)を三郎高重(さふらうたかしけ)と|いふ熊野(くまの)の鈴木氏(すゝきうち)より》  《割書:出(いて)たりと|見ゆ》  本社(ほんしや) 祭神(さいしん)武甕槌命(たけみかつちのみこと)相殿(あひてん)《割書:経津主命(ふつぬしのみこと) 菊理媛(くゝりひめ)|伊弉諾尊(いさなきのみこと) 伊弉冊尊(いさなみのみこと)》五神(こしん)合祀(かふし)す  正月三日/流鏑馬神事(やふさめのしんし)あり六月十五日は大祭(たいさい)にして十三日より  十六日に至(いたり)て大(おほい)に賑(にきは)へり其間(そのあひた)渡田邑(わたたむら)の海濵(かいひん)にある所(ところ)の旅(たひ)  所(しよ)へ神幸(しんかう)あり《割書:姥(うは)か森(もり)と号(なつ)く御手洗池(みたらし)ありその傍(かたはら)に弁天(へんてん)の叢祠(さうし)あり又|同書(とうしよ)に長八丁の馬塲(はゝ)あり新田家(につたけ)より寄附(きふ)ありしと云傳(いひつた)ふ》  《割書:土人(としん)云(いふ)此(この)御手洗池(みたらし)に生(しやうす)る|魚虫(うをむし)はすへて片眼(かため)なりとそ》十五日/神輿渡御(みこしときよ)の時(とき)前(さき)へ神弊(しんへい)七/柄(へい)を持(もち)  出(いた)せり相傳(あひつた)ふ弘安(こうあん)四年/川畑櫻川左近助(かははたさくらかはさこんのすけ)と申しゝ人/勅(ちよく)を奉(たてまつ)り  奉弊使(ほうへいし)として當社(たうしや)に向(むか)はれし頃(ころ)の弊串(へいくし)なりとて當社(たうしや)第(たい)一の 【左丁】  神寳(しんはう)とす《割書:奉弊使(ほうへいし)の人名(しんみやう)尤(もつとも)不審(ふしん)少(すくな)からす|只(たゝ)傳説(てんせつ)によつて記(しる)すのみ》又九月十九日には角力(すまふ)の伎(わさ)を  興行(こうきやう)し十一月廿三日には年(とし)の市(いち)立(たて)り    《割書:按(あんする)に同所(とうしよ)佐々木明神(さゝきみやうしん)の社記(しやき)に佐々木四郎高綱(さゝきのしらうたかつな)頼朝公(よりともこう)の命(めい)を蒙(かふむ)り河崎(かはさき)|山王宮(さんわうくう)の社(やしろ)造営奉行(さうえいふきやう)たりしと云事(いふこと)を載(のせ)たり當社(たうしや)の事(こと)をいへるなるへし》 洲河原桃林(すかはらもゝはやし) 河崎渡(かはさきわたし)口より大師河原迄(たいしかはらまて)の間(あひた)にして田園(てんゑん)悉(こと〳〵)く  桃樹(もゝのき)を栽(うゑ)たり故(ゆゑ)に開花(かいくわ)の時(とき)に至(いた)れは紅白(こうはく)色(いろ)を交(まし)へて奇(き)  観(くわん)たり 除厄大師堂(やくよけたいしたう) 大師河原(たいしかはら)にあり金剛山(こんかうさん)平間寺(へいけんし)金乗蜜院(こんしやうみつゐん)と号(かう)す  真言宗(しんこんしう)にして醍醐三宝院(たいこさんはうゐん)に属(そく)す《割書:當寺(たうし)に安置(あんち)せし大師(たいし)の霊像(れいさう)は|此地(このち)より出現(しゆつけん)ありし故(ゆゑ)にその地(ち)を》  《割書:大師河原(たいしかはら)と号(かう)す永禄(えいろく)二年/小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)の所領(しよりやう)|役帳(やくちやう)には行方与次郎(なめかたよしらう)といふ人/此地(このち)を領(りやう)すとあり》  弘法大師像(こうはふたいしのさう)《割書:弘法大師(こうはふたいし)の真作(しんさく)にして海中(かいちゆう)より出現(しゆつけん)|ありしゆゑ佛體(ふつたい)悉(こと〳〵)く貝売(かいから)【注】相著(あひつき)てあり》  額(かく)《割書:金剛山(こんかうさん)》 石川杢亮頼直(いしかはもくのすけよりなほ)筆(ふて)《割書:客殿(きやくてん)に平間寺(へいけんし)と書(しよ)せしも|同し人の書(しよ)なり》  六字名號(ろくしみやうかうの)石碑(せきひ)《割書:堂前(たうのまへ)左の方(かた)にあり石面中(せきめんのうち)に南無阿弥陀佛(なむあみたふつ)とありて|傍(かたはら)に寛永(くわんえい)五年三月二十一日/雪翁月盛居士(せつをうけつせいこし)と注(ちゆう)し花押(くわおう)を》  《割書:印(ゐん)せり碑蔭(ひゐん)に武州(ふしう)江戸京橋(えときやうはし)紀伊國屋(きのくにや)櫻井又太夫(さくらゐまたたいふ)正月二日/御霊夢(これいむ)の所(ところ)六郷(ろくかう)|大橋(おほはし)にして大師(たいし)の御/筆(ふて)を蒙(かふむ)り此名号(このみやうかう)法名(はふみやう)雪翁月盛居士(せつをうけつせいこし)万人に愚筆(くひつ)を染(そめ)て》 【注「売」は殻の略字とされた例がある。「壳(殼の異体字)の誤ヵ」】 【右丁】 河崎山王(かはさきさんわう)社 【図】 【枠内】かくら所 【枠内】弁天 【左丁】 【枠内】神木      銀杏 【枠内】白山      いなり 【枠内】本社 【枠内】神明      霊神      第六天 【枠内】いなり 【枠内】疱瘡神 【枠内】天神 【枠内】神主 【右丁】 大師河原(たいしかはら)  大師堂(たいしたう)  正五九月の廿  一日/参詣(さんけい)多(おほ)し  就中(なかんつく)三月廿  一日は御影供(ごえいく)  にて詣人(けいしん)  稲麻(とうま)の如(こと)く  往還(わうくわん)の賑(にきは)ひ   尤(もつとも)夥(おひたゝ)し 【図】 【枠内】いなり      青龍権現      神明 【枠内】本堂 【枠内】大日 【枠内】かね 【枠内】回廊 【枠内】方丈 【枠内】玄関 【枠内】庫裡 【左丁】 【図】 【枠内】手水や 此辺 茶屋 多  し 【右丁】  《割書:供養(くやう)となすよし鐫付(ゑりつけ)たり東海道名所記(とうかいたうめいしよき)に云く寛永(くわんえい)年中/江戸京橋(えときやうはし)に紀伊國屋作内(きのくにやさくない)|とて一文/不通(ふつう)のものあり酒(さけ)を造(つく)りて業(わさ)とす作内(さくない)深(ふか)く此本尊(このほんそん)を信仰(しんかう)し常(つね)に歩(あゆみ)を》  《割書:運(はこ)ひけるにある夜(よ)の夢中(むちゆう)に大師(たいし)六字(ろくし)の名号(みやうがう)を書(かき)教(をし)へ給ふ奇異(きい)のおもひをなしあくる日|當寺(たうし)の大師(たいし)へ参詣(さんけい)し帰路(きろ)に六郷(ろくがう)の橋(はし)の上(うへ)にて筆一對(ふていつつい)拾(ひろ)ひ得(え)たり夫(それ)より大師(だいし)の教(をし)へ》  《割書:給ふ名号(みやうかう)を書(しよ)し得(え)て筆勢(ひつせい)誠(まこと)に類(たくひ)なかりけれは作内(さくない)石塔(せきたう)に名号(みやうかう)を書(かき)て鐫(ゑり)つけ|大師河原(たいしかはら)に建(たて)たりされと外(ほか)の事(こと)は一字(いちし)をも書(かき)得(え)さりきと云々》  縁起曰(えんきにいはく)弘法大師(こうはふたいし)の霊像(れいさう)は大治年間(たいちねんかん)此所(このところ)の浦(うら)に住(すめ)る平間(ひらま)  氏(うち)某(それかし)なる漁人(きよしん)常(つね)に三寳(さんはう)を敬(うやま)ふ其家(そのいへ)貧(まつ)しく産業(さんきやう)を弘(ひろめ)ん  方便(はうへん)もなく空(むな)しく年月(としつき)を送(おく)り迎(むか)へ既(すで)に四十二歳の年(とし)にあへり  依(よつ)て災厄消除(さいやくせうちよ)を神佛(しんぶつ)に祈(いの)りけるに或夜(あるよ)大師(たいし)告(つげ)て曰(のたまは)く我(われ)昔(むかし)  在唐(さいたう)の日(ひ)自(みつか)ら吾(わ)か肖像(しやうさう)を彫(てう)し有縁(うえむ)の地(ち)に漂着(ひやうちやく)すへしと  誓(ちか)ひ海水(かいすい)に投(たう)す後(のち)久(ひさ)しく海底(かいてい)にありしか今(いま)幸(さいはひ)に此浦(このうら)に止(とゝま)る  汝(なんち)網(あみ)を下(くだ)して是(これ)を得(え)は永(なが)く此地(このち)に化益(けやく)を布(しき)厄難(やくなん)を除滅(ちよめつ)  し人々の所願圓満(しよくわんゑんまん)ならしめんと漁人(きよしん)夢覚(ゆめさめ)て奇異(きい)の事とし  夜(よ)のあくるを待(まつ)て海上(かいしやう)を見渡(みわた)すに一條(いちてう)の光明(くわうみやう)赫(かく)たるあり 【左丁】  其所(そのところ)に舟(ふね)を寄(よ)せ網(あみ)を沈降(しつめくた)すに果(はた)して夢中(むちゆう)に見(み)る所(ところ)の容(よう)  貌(ほう)に毫釐(かうり)も違(たか)はさる大師(たいし)の霊像(れいさう)を得(え)たり仍(よつ)て一/宇(う)を創立(さうりふ)し  平間寺(へいけんし)と号(かうす)《割書:平間氏(ひらまうち)の号(かう)を|採(とり)て寺号(しかう)とす》爾来(しかりしより)已降(このかた)霊應(れいおう)著(いちしる)く常(つね)に詣人(けいしん)  絶(たゆ)る事(こと)なし正五九月の廿一日/別(へつし)て三月二十一日は御影供修行(みえいくしゆきやう)  ある故(ゆへ)に大(おほい)に賑(にき)はへり 蜂龍盃(はちりようはい) 大師河原村(たいしかはらむら)池上氏(いけかみうち)の家(いへ)に蔵(さう)せり往古(そのかみ)慶安年間(けいあんねんかん)此地(このち)に  於(おい)て酒戦(しゆせん)ありし時(とき)用(もち)ひたりし盃(さかつき)にして酒(さけ)七合/餘(あま)りをうらへると云(いふ)  盃中(さかつきのうち)蜂(はち)と龍(りよう)と蟹(かに)との象(かたち)を描金(まきゑ)にせり《割書:蜂(はち)はさし龍(りよう)はのむ蟹(かに)は肴(さかな)を|はさむといふ意(こゝろ)を含(ふく)めりとなり》  相傳(あひつたふ)池上氏(いけかみうち)は小田原(をたはら)の北条家(ほうてうけ)に属(そく)し仕(つか)ふ小田原(をたはら)落城(らくしやう)の後(のち)池(いけ)  上村(かみむら)に移(うつ)り池上(いけかみ)を氏(うち)とす《割書:後(のち)今(いま)の地(ち)へ|遷(うつ)るといへり》此家(このいへ)は水鳥記(すゐちやうき)に見えし酒客(しゆかく)  大蛇丸底深(たいしやまるそこふか)か末裔(はつえい)なり《割書:底深(そこふか)通称(つうしよう)を池上(いけかみ)|太郎右衛門(たらうゑもん)といふ》慶安(けいあん)元年八月/江戸(えと)大(おい)【注】  塚(つか)の地黄坊樽次(ちわうはうたるつく)《割書:茨木春朔(いはらきしゆんさく)と称(しよう)す春朔(しゆんさく)の事は第(たい)|四巻(しくわん)小石川(こいしかは)祥雲寺(しやううんし)の下(しも)に注(ちゆう)せり》此(この)底深(そこふか)か家(いへ)に至(いた)り  樽次(たるつく)底深(そこふか)共(とも)に酒将(しゆしやう)となり數多(あまた)の酒兵(しゆへう)を集(あつ)め敵身方(てきみかた)と分(わか)れ 【注 「大」の振り仮名は「おゝ」「おほ」ヵ】 【右丁】  假(かり)に一(ひとつ)の法令(はふれい)を立(たて)て犬居目礼古佛座(けんこもくれいこふつのさ)等(とう)の名(な)を設(もふ)け其(その)酒量(しゆりやう)を  様(ため)さんとて大盃(たいはい)を執(とつ)て勝劣(しやうふ)をわかつを以(もつ)て戯(たはむ)れとせし也/其事(そのこと)は  水鳥記(すゐちやうき)に詳(つまひらか)なり《割書:此書(このしよ)江戸(えと)と京都(きやうと)との二/本(ほん)ありて何(いつ)れも刊本(かんほん)也/樽次(たるつく)|高貴(かうき)の求(もと)めに應(おう)し酒客(しゆかく)を集(あつ)めあらそひ飲(のみ)し事(こと)を》  《割書:自(みつか)ら著(ちよ)せし|戯編(けへん)なり》又(また)此家(このいへ)に酒戦(しゆせん)の時(とき)酒徒(しゆと)に示(しめ)せる制札(せいさつ)あり《割書:闕損(けつそん)|して》  《割書:今(いま)わつかに其(その)半(なかは)を存(そん)せり樽次(たるつく)の書(しよ)なりとて墓(はか)【墨(すみ)ヵ】の跡(あと)高(たか)くなりて古色(こしき)疑(うたか)ふへからす|されと其文(そのふん)水鳥記(すゐちやうき)に出(いつ)る所(ところ)と少(すこし)く異(こと)なり其席(そのせき)に連(つらな)る酒客(しゆかく)の名(な)左(さ)の如(こと)し》   六位大酒官地黄坊樽次   江戸大塚住   毛蔵坊鉢呑        同 赤坂住   佐藤権兵衛胸赤      同 小石川住   鈴木半兵衛飲勝      同 舩町住   名護屋半之丞盛安     同 浅草住   木下杢兵衛飯嫌      同 同   三浦新之丞樽明      同 冨坂住   佐々木五郎兵衛助呑    同 麻布住   同  弥左衛門酒丸   松井金兵衛夜久      武州八王子住   齊藤傳左衛門忠呑     同 南河原住   喜太郎醒安        同 大師河原住   半斎坊數呑        同 蕨驛住   小倉又兵衛忠酔      同 川崎住   佐保田酔久        同 菅村住 【左丁】   來見坊樽持        相州平塚住   甚銕坊常赤        同 鎌倉住    以上十七人   大蛇丸池上太郎右衛門底深 武州大師河原住   池上   長吉底成  《割書:底深長男》   同    百助底平  《割書:同二男》   同    七左衛門底安《割書:同舎弟》   同    左太郎忠成   同    三郎兵衛强成《割書:底深甥》   四郎兵衛底廣       武州稲荷新田住   山下作内請安 《割書:底深従弟》   江戸赤坂住   藪下勘解由左衛門早呑   竹野小太郎盥呑   同 弥太郎數成   米倉八左衛門吐次   田中内德坊呑久   朝服九郎左衛門桶呑   またを九二郎常佐    以上十五人 末廣松(すゑひろまつ) 稲荷新田(いなりしんてん)石渡氏(いしわたうち)の門辺(かとへ)にあり此(この)石渡氏(いしわたうち)も水鳥記に  みえたる酒徒(しゆと)にて四郎兵衛底廣(しらうひやうゑそこひろ)といへる人の末(すゑ)なり昔(むかし)は 【右丁】 末廣松(すゑひろまつ) 【図】 【枠内】末廣松 【左丁】  庭中(ていちゆう)林泉(りんせん)の儲抔(まうけなと)ありて橋(はし)の傍(かたはら)に下戸(けこ)の輩(ともから)渡(わたる)へからすと  注(ちゆう)せし制札(せいさつ)を建(たて)たりしとなり酒客(しゆかく)宴飲(えんいん)の旧跡(きうせき)は今(いま)田園(てんゑん)と  なる此松(このまつ)も底廣(そこひろ)か愛樹(あいしゆ)にして末廣(すゑひろ)とは名(な)つけたりしといふ  此家(このいへ)にも酒戦(しゆせん)の頃(ころ)用(もち)ひたりしといふ大盃(おほさかつき)あり《割書:酒(さけ)七/合(かふ)をうくる|といふ盃中(はいちゆう)金泥(きんてい)》  《割書:をもて猩々(しやう〳〵)の形(かたち)を|描金(まきゑ)せしものなり》箱(はこ)の蓋(ふた)に水鳥底廣盃(みつとりそこひろさかつき)と題(たい)し又(また)左(さ)の如(こと)くの  發句(ほつく)を注(ちゆう)せり     大師河原にあそひて樽次といふものゝ     孫にあふ事   其蔓や西瓜上戸の花の種   沾圃   《割書:按(あんする)に底廣(そこひろ)を樽次(たるつく)と思(おも)ひ誤(あやま)りたりしとおほし|》 鹽濵(しほはま) 同所(とうしよ)南(みなみ)の方の海濵(かいひん)なり寛文(くわんふん)九年己酉/叶栄雲(かなふえいうん)  及(およ)ひ泉市右衛門(いつみいちゑもん)といへる者(もの)開初(ひらきはしめ)たりと云(いふ)依(よつ)て今(いま)も大師河原(たいしかはら)  川中島(かはなかしま)稲荷新田(いなりしんてん)等(とう)の村々(むら〳〵)塩(しほ)を製(せい)するを以(もつ)て産業(さんきやう)とする  もの少(すくな)からす此地(このち)風光(ふうくわう)甚(はなはた)佳景(かけい)なり 【右丁】 【図】 【左丁】 河崎(かはさき)  汐濵(しほはま) 【図】 【右丁】 石観音堂(いしくわんおんたう) 【図】 【枠内】本堂 【枠内】霊亀石 【左丁】 石観音堂(いしくわんおんたう) 同所/平間寺(へいけんし)より七丁斗/南(みなみ)にあり天台宗(てんたいしう)に  して慧日山(ゑにちさん)明長寺(みやうちやうし)と号(かう)す本尊(ほんそん)は石像(せきさう)の如意輪観音(によいりんくわんおん)也  《割書:故(ゆゑ)に石観音(いしくわんおん)|の称(しよう)あり》毎(まい)月十七日/道俗(たうそく)通夜参篭(つやさんろう)す霊亀石(れいきせき)は門内(もんない)左の  垣(かき)の傍(かたはら)にある所(ところ)の石(いし)の手水鉢(てうつはち)をいふ《割書:土人(としん)相傳(あひつた)ふ此石(このいし)は往(いに)し享保(きやうほ)|十八年の秋(あき)海底(かいてい)より出(いつ)る》  《割書:所(ところ)の霊石(れいせき)にして此地(このち)の漁人(きよしん)引揚(ひきあけ)むとせし時(とき)二三の霊亀(れいき)出(いて)て漁人(きよしん)と共(とも)に|捧(さゝ)け揚(あ)く依(よつ)て大悲(たいひ)の威神力(ゐしんりき)なる事をしり同七月晦日/竟(つひ)に堂前(たうせん)に居(すゑ)たり》  《割書:とそされと今(いま)は此石(このいし)破(やふ)れ|損(そん)して水(みつ)をたゝへかたし》 新田大明神(につたたいみやうしん)社 堀(ほり)の内山王(うちさんわう)の社(やしろ)より耕田(かうてん)を隔(へた)てゝ七丁/斗(はかり)南(みなみ)の方(かた)  渡田村(わたたむら)の道(みち)より右(みき)にあり《割書:渡田(わたた)昔(むかし)は|亘田(わたた)に作(つく)る》例祭(れいさい)は七月二日なり土俗(とそく)  云/毎年(まいねん)正月元日と七月二日の暁(あかつき)には必(かならす)軍馬(くんは)の■(いなゝ)【馬+固】く音(こゑ)  する事ありといへり《割書:相傳(あひつたふ)河北矢口村(かはきたやくちむら)に鎮座(ちんさ)まします庶子(しよし)義興公(よしおきこう)の神(しん)|霊(れい)此社(このやしろ)に来(きた)り給ふ故(ゆゑ)にしかりといふ》  本社祭神(ほんしやさいしん) 新田左中将源義貞朝臣(につたさちゆうしやうみなもとのよしさたあそん)の霊(れい)なり相傳(あひつたふ)義貞(よしさた)  公(こう)延元(えんけん)二年丁丑閏七月二日/越前國(ゑちせんのくに)足羽(あすは)の里(さと)の戦(たゝか)ひ利(り)  あらす竟(つひ)に主(ぬし)なき矢(や)の為(ため)に亡(ほろ)ひ給ひしかは骨鯁(こつきやう)の臣(しん)亘新左衛門(わたりしんさゑもんの) 【右丁】 河崎(かはさき)新田(につた)社 無動寺(むとうし) 亘新左衛門墓(わたりしんさゑもんのはか) 【図】 【枠内】無動寺 【枠内】新田社 【左丁】 【図】 【枠内】御霊      権現 【枠内】亘新左ヱ門墓 【枠内】不動 【枠内】庚申 【右丁】  尉早勝(せうはやかつ)無念(むねん)の涙(なみた)を拭(ぬく)ひ其所(そのところ)なる深泥(ふかきとろ)の中(なか)を捜(さか)し求(もとめ)て  義貞公(よしさたこう)の差添(さしそへ)の名剣(めいけん)と七ッ入子(いれこ)の明鏡(めいきやう)及(およひ)陣羽織(ちんはおり)等(とう)の  三種(さんしゆ)を得(え)て此地(このち)に携(たつさ)へ帰(かへ)り幽室(ゆうしつ)に安(あん)し朝夕(てうせき)給仕(きうし)する事  公(こう)の生前(しやうせん)に異(こと)なる事なし早勝(はやかつ)終(つひ)に弓馬(きうは)を捨(すて)て人に面(めん)  せす一向/静座(せいさ)して餘齢(よれい)を養(やしな)へり然(しかる)に里民等(りみんら)公(こう)の德(とく)を  追慕(つゐほ)し其三種(そのさんしゆ)を早勝(はやかつ)に乞(こ)ひ清潔(せいけつ)の地(ち)を求(もと)めて孤松(こしよう)の  本(もと)の土中(とちゆう)に埋蔵(まいさう)し廟(ひやう)を営(いとなみ)て新田大明神(につたたいみやうしん)と崇(あかめ)まゐらせ  此地(このち)の鎮守(ちんしゆ)とすといふ御開國(こかいこく)の後(のち)祭田等(さいてんとう)を附(つけ)らるゝとなり  《割書:其(その)孤松(こしよう)今(いま)は|枯(かれ)てなし》    太平記(たいへいきに)曰(いはく)越前國(ゑちせんのくに)足羽合戦(あすはかつせん)の条下(てうか)に軍(いくさ)散(さんし)て後(のち)氏家(うちゑ)    中務丞(なかつかさのしやう)《割書:重國(しけくに)|と云》尾張守(をはりのかみ)《割書:高径(たかつね)【注】といふ越前(ゑちせん)|藤島(ふちしま)の城(しろ)に篭(こも)る》の前(まへ)に参(まゐり)て重國(しけくに)こそ    新田殿(につたとの)の御一族(こいちそく)かと思(おほ)しき敵(てき)を討(うつ)て首(くひ)を取(とり)て候得(さふらえ)は    誰(たれ)とは名乗候(なのりさふら)はねは名字(みやうし)をは知候(しりさふら)はね共/馬(うま)物具(ものゝく)の様(さま)相(あひ) 【左丁】    順(したかひ)し兵(つはもの)ともの尸骸(しかい)を見(み)て腹(はら)をきり討死(うちしに)を仕候つる躰(てい)    何様(なにさま)尋常(よのつね)の葉武者(はむしや)にてはあらしと覚(おほえ)て候/是(これ)そ其死(そのし)    人(にん)の膚(はた)に懸(かけ)て候つる護(まもり)にて候とて血(ち)をも未(いまた)あらはぬ    首(くひ)に土(つち)の著(つき)たる金襴(きんらん)の守(まもり)を副(そへ)てそ出(いた)したりける尾張守(をはりのかみ)    此首(このくひ)を能々(よく〳〵)見給(みたま)ひてあな不思議(ふしき)や世(よ)に新田左中将(につたさちゆうしやう)の    顔(かほ)つきに似(に)たる所(ところ)あるそや若(もし)それならは左(ひたり)の眉(まゆ)の上(うへ)に    矢(や)の疵(きす)有(ある)へしとて自(みつから)鬢櫛(ひんくし)を以(もつ)て髪(かみ)を掻(かき)あけ血(ち)を    洗(すゝ)き土(つち)をあらひ落(おと)して是(これ)を見給(みたま)ふに果(はた)して左(ひたり)の眉(まゆ)の    上(うへ)に疵(きす)の跡(あと)あり是(これ)に弥(いよ〳〵)心付(こゝろつき)て帯(はかれ)たる二振(ふたふり)の太刀(たち)をは取(とり)    寄(よせ)て見給(みたま)ふに金銀(きん〳〵)を延(のへ)て作(つく)りたるに一振(ひとふり)には銀(きん)を以(もつて)    金膝纏(きんはゝき)の上(うへ)に鬼切(おにきり)と云(いふ)文字(もんし)を沈(しつめ)たり一振(ひとふり)には金(きん)を以(もつて)    銀脛巾(きんはゝき)の上(うへ)に鬼丸(おにまる)と云(いふ)文字(もんし)を入(いれ)らる是(これ)は共(とも)に源氏(けんし)重(ちう)    代(たい)の重宝(てうはう)にて義貞(よしさた)の方(かた)に傳(つたへ)たりと聞(きこ)ゆれは末々(すゑ〳〵)の一族(いちそく) 【注 「高径」は「高経」の誤】 【右丁】    共(とも)の帯(はく)へき太刀(たち)には非(あら)すと見るに弥(いよ〳〵)怪(あやし)けれは膚(はたへ)の守(まもり)を    開(ひら)きて見給(みたま)ふに吉野(よしの)の帝(みかと)の御/宸筆(しんひつ)にて朝敵征伐之(てうてきせいはつの)    事(こと)叡慮(ゑいりよの)所(ところ)_レ向(むかふ)偏(ひとへに)在(あり)_二義貞(よしさたの)武功(ふこうに)_一選(えらひて)未(いまた)【「す」左ルビ】_レ求(もとめ)_レ他(たを)可(へき)_レ運(めくらす)_二早速之計(さっそくのけい)    略(りやくを)_一者也(ものなり)と遊(あそは)されたり扨(さて)は義貞(よしさた)の首(くひ)に相違(さうゐ)なかりけり    とて尸骸(しかい)を輿(こし)に乗(の)せ時衆(ししゆ)八人に舁(かゝ)せて葬礼(さうれい)の為(ため)に    往生院(わうしやうゐん)へ送(おく)られ首(くひ)をは朱(あけ)の唐櫃(からひつ)に入(いれ)氏家中務(うちゑなかつかさ)を副(そへ)て    潜(たゝち)に京都(きやうと)へ上(のほ)せられけり云云 新田山(しんてんさん)成就院(しやうしゆゐん) 聖不動寺(しやうふとうし)と号(かう)す同所一丁/斗(はかり)南(みなみ)の方(かた)同(おな)し  側(かは)にあり新田大明神(につたたいみやうしん)の別當寺(へつたうし)にして新義(しんき)の真言宗(しんこんしう)  六郷(ろくかう)の宝幢院(はうとうゐん)に属(そく)せり本尊(ほんそん)不動明王(ふとうみやうわう)は弘法大師(こうはふたいし)の作(さく)  にして義貞公(よしさたこう)護持(こち)の霊像(れいさう)なりといふ《割書:今(いま)別堂(へつたう)を建(たて)て威怒堂(ゐぬたう)と|号(かう)しかしこに安(あん)す門(もん)の内(うち)》  《割書:左(ひたり)の方(かた)|にあり》相傳(あひつたふ)義貞公(よしさたこう)入間川(いるまかは)に陣(ちん)を布(しき)給ふ頃(ころ)二/童子(とうし)の枕上(ちんしやう)に  立(たち)給ひ鎌倉退治(かまくらたいち)の心願(しんくわん)あらは亘田(わたた)の里(さと)に安置(あんち)し奉(たてまつ)る所(ところ)の 【左丁】 御霊権現(こりやうこんけん)社 亘新左衛門塚(わたりしんさゑもんのつか) 【図】 【右丁】 姥(うは)ゕ森(もり) 栗生左衛門塚(くりふさゑもんのつか) 【図】 【枠内】姥ゕ森 【枠内】みたらし 【枠内】馬場 【左丁】  不動尊(ふとうそん)を崇信(そうしん)せよとなり依(よつ)て義貞公(よしさたこう)此霊像(このれいさう)に誓願(せいくわん)を  こめて竟(つひ)に高時(たかとき)を討亡(うちほろほ)し給ふといふ 亘新左衛門尉早勝(わたりしんさゑもんのせうはやかつ)居住旧址(きよちゆうのきうし)同所/門前(もんせん)半町あまり西(にし)の方(かた)道(みち)  より左(ひたり)にあり此地(このち)は元弘(けんこう)の頃(ころ)亘新左衛門(わたりしんさゑもん)か采邑(さいいう)にして則(すなはち)此(この)  地(ち)に住(ちゆう)したりといふ早勝(はやかつ)没(ほつ)するの後(のち)も里民(りみん)其(その)旧恩(きうおん)を忘(わす)れず  して一祠(いつし)を営建(えいけん)し早勝(はやかつ)の霊(れい)を鎮(しつめ)て御霊権現(これうこんけん)と  崇敬(そうきやう)す傍(かたはら)に早勝(はやかつ)の墳墓(ふんほ)あり高(たか)さ三尺/計(はかり)の石(いし)の  層塔(そうたふ)なり 姥(うは)ゕ森(もり) 成就院(しやうしゆゐん)より七八町/計(はかり)南(みなみ)の方/海濵(かいひん)にあり堀(ほり)の内(うち)  山王(さんわう)の旅所(たひしよ)にして西(にし)の方(かた)へ續(つゝ)き馬場(はゝ)の形(かたち)を存(そん)す《割書:土人/義貞(よしさた)|寄附(きふ)の》  《割書:馬場(はゝ)なりと云/御手洗池(みたらし)は森(もり)の中(うち)に|有(あり)て纔(わつか)にその形(かたち)を存(そん)するのみ》 栗生左衛門尉忠良塚(くりふさゑもんのしやうたゝよしのつか) 同/姥(うは)ゕ森(もり)よりは五丁/計(はかり)西(にし)の方/海濵(かいひん)に  臨(のそ)み方(はう)八間斗/竹藪(たけやふ)の中(うち)に有(あ)り《割書:五輪(こりん)の石塔(せきたふ)にして|文字(もんし)剝落(はくらく)せり》相傳(あひつた)ふ 【右丁】  忠良(たゝよし)卒(そつ)するの後(のち)早勝(はやかつ)朋友(ほうゆう)の信(しん)を以(もつ)て其(その)霊骨(れいこつ)を此地(このち)に  埋蔵(まいさう)し塚(つか)を築(つき)たりといへり 瑞龍山(すゐりうさん)宗参寺(しうさんし) 河崎驛(かはさきのえき)砂子(すなこ)町の右側(みきかは)の向(むかふ)にあり洞家(とうけ)の禅(せん)  刹(せつ)にして末吉(すゑよし)の宝泉寺(はうせんし)に属(そく)す本尊(ほんそん)釋迦如来(しやかによらい)は座像(ささう)にして  一尺五寸/計(はかり)の唐佛(たうふつ)なり脇士(けふし)は文珠(もんしゆ)普賢(ふけん)の木像(もくさう)にして  作者(さくしや)詳(つまひらか)ならす《割書:當寺(たうし)古(いにしへ)は薬師(やくし)の別當寺(へつたうし)にして|養光寺(やうくわうし)の薬師(やくし)此寺(このてら)にありしと云》相傳(あひつた)ふ當寺(たうし)は  佐々木四郎高綱(さゝきしらうたかつな)の香花院(かうけゐん)にして其頃(そのころ)は砂子一邑(すなこいちいう)悉(こと〳〵)く當寺(たうし)の  食地(しよくち)たりしとなり開山(かいさん)は臨室玄統和尚(りんしつけんとうおしやう)と号(かうす)昔(むかし)は濟家(さいけ)の  禅林(せんりん)にて鎌倉(かまくら)の建長寺(けんちやうし)に属(そく)せしといふ遥(はるか)の後(のち)天正(てんせう)に至(いた)り  小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)の功臣(こうしん)間宮豊前守信盛(まみやふせんのかみのふもり)といへるは《割書:永禄(えいろく)二年/小田(をた)|原(はら)北条家(ほうてうけ)の》  《割書:所領役帳(しよりやうやくちやう)に間宮豊前守(まみやふせんのかみ)所領(しよりやう)武蔵(むさし)久良岐郡(くらきこほり)杉田(すきた)江戸(えと)川崎(かはさき)小机(こつくゑ)末吉(すゑよし)東(ひかし)|郡(こほり)小雀(こすゝめ)入西郡(いりにしこほり)冨屋(とや)三浦(みうら)元文珠坊(もともんしゆはう)知行(ちきやう)の地(ち)等(とう)すへて六百九十八/貫(くわん)百廿二文の》  《割書:地(ち)を領(りやう)する|由(よし)みえたり》佐々木四郎高綱(さゝきしらうたかつな)か遠裔(ゑんえい)なりしかは寺境(しけう)方八丁を寄(き)  附(ふ)し末吉邑(すゑよしむら)宝泉寺(はうせんし)四代の住持(ちゆうち)自山長老(しさんちやうらう)を請(しやう)して當寺(たうし)の中(ちゆう) 【左丁】  興(こう)開山(かいさん)とし曹洞宗(そうとうしう)に改(あらた)む信盛(のぶもり)法名(はふみやう)を瑞榮院殿雲谷(すゐえいゐんてんうんこく)  宗三大居士(しうさんたいこし)と号(かう)す其(その)石塔(せきたふ)は當寺(たうし)佛殿(ふつてん)の後(うしろ)の方(かた)銀杏樹(いてふのき)の  下(した)に存(そん)す《割書:元禄年間(けんろくねんかん)御幕下(おんはくか)間宮家(まみやけ)より宗参大居士(しうさんたいこし)供養(くやう)の為(ため)其(その)采邑(さいいう)|川崎(かはさき)小田村(をたむら)にて寺領(しりやう)の地(ち)を寄附(きふ)せらるゝとなり》    《割書:按(あんする)に當寺(たうし)什物(しうもつ)元禄(けんろく)四年辛未正月/間宮家(まみやけ)寺領(しりやう)寄附状(きふちやう)に間宮豊前守(まみやふせんのかみ)|信盛(のふもり)法名(はふみやう)宗三(しうさん)といふとあり又/當寺(たうし)開基(かいき)の墓碑(ほひ)には雲谷宗参居士(うんこくしうさんこし)佐々木(さゝき)》    《割書:前豊前守入道源康信(さきのふせんのかみにうたうみなもとのやすのふ)と鐫(ちり)はむしかうして信盛(のふもり)の法名(はふみやう)を宗三に作(つく)り康信(やすのふ)の|法名(はふみやう)を宗参(しうさん)に作(つく)る猶(なほ)疑(うたか)はし然(しか)れとも寺号(しかう)を宗参寺(しうさんし)と称(しょう)し又/康信(やすのふ)を當(たう)》    《割書:寺(し)の開基(かいき)といふ時(とき)は康信(やすのふ)の法名(はふみやう)は宗参(しうさん)なる事/疑(うたかひ)無(な)きに似(に)たり》  高綱(たかつな)護持(こち)の本尊(ほんそん)は如意輪観音(によいりんくわんおん)の木佛(もくふつ)にして座像(ささう)一尺五寸  あり作者(さくしや)詳(つまひらか)ならす別堂(へつたう)に安(あん)して本堂(ほんたう)の左(ひたり)にあり 海栄山(かいえいさん)養光寺(やうくわうし) 宗参寺(しうさんし)より四丁/斗(はかり)先(さき)の方(かた)砂子(すなこ)町の道(みち)より左側(ひたりかは)に  あり洞家(とうけ)の禅宗(せんしう)にして宗参寺(しうさんし)に属(そく)す指月和尚(しけつおしやう)開創(かいさう)の寺院(しゐん)  たり本尊(ほんそん)薬師如来(やくしによらい)の座像(ささう)二尺五寸/計(はかり)あり延暦(えんりやく)六年丁卯の  とし此地(このち)の海中(かいちゆう)より出現(しゆつけん)し給へりといふ《割書:土人(としん)傳(つたへ)云(いふ)此本尊(このほんそん)往古(いにしへ)|海中(かいちゆう)より出現(しゆつけん)の時(とき)海(かい)》  《割書:濵(ひん)の砂子(すなこ)を集(あつ)めて其上(そのうへ)に安置(あんち)せしより砂子(すなこ)といへる地名(ちめい)發(おこ)れりと此(この)霊像(れいさう)|昔(むかし)は宗参寺(しうさんし)の本尊(ほんそん)なりしを後(のち)當寺(たうし)に遷(うつ)すといへり》 【右丁】 河崎(かはさき)  宗三寺(そうさんし)  養光寺(やうくわうし)  佐々木宮(さゝきのみや) 【図】 【枠内】佐々木宮 【枠内】本堂 【枠内】養光寺 【枠内】佐々木塚 【枠内】本堂 【左丁】 【図】 【枠内】観音 【枠内】宗参寺 【枠内】かね 【右丁】 佐々木明神社(さゝきみやうじんのやしろ) 養光寺(やうくわうし)の境内(けいたい)本堂(ほんたう)の右(みき)に並(なら)へり此地(このち)の鎮守(ちんしゆ)  にして宗参寺(しうさんし)より奉祀(ほうし)す祭神(さいしん)近江(あふみ)の佐々木明神(さゝきみやうしん)に相同(あひおな)  しきといふ相殿(あひてん)に高綱(たかつな)の霊(れい)を崇(あか)むるとそ相傳(あひつた)ふ高綱(たかつな)  鎌倉(かまくら)右大将家(うたいしやうけ)の命(めい)を蒙(かふむ)り此(この)河崎(かはさき)の地(ち)に山王宮(さんわうくう)《割書:堀(ほり)の内(うち)|山王(さんわう)是(これ)》  《割書:なら|ん》建立(こんりふ)の奉行(ふきやう)たりしかは其縁(そのえむ)を採(とり)て間宮信盛(まみやのふもり)先霊(せんれい)の  神徳(しんとく)を追慕(つゐほ)し江州(こうしう)の本祠(ほんし)を摸(うつ)して此地(このち)に當社(たうしや)を創(さう)  立(りふ)すと云九月十九日を以て祭日(さいにち)とす 勝福寺舊址(しようふくしのきうし) 其(その)廃跡(はいせき)今(いま)知(しる)へからす然(しかる)に南総(なんさう)望陀郡(まうたこほり)奈良(なら)  輪邑(わむら)の東(ひかし)坂戸市場(さかといちは)と号(かう)する地(ち)に坂戸明神(さかとみやうしん)と称(しよう)する  社(やしろ)あり其(その)社前(しやせん)に一口の梵鐘(ほんしやう)を懸(かく)る銘(めい)に武州(ふしう)河崎(かはさき)庄内(しやうない)  勝福寺(しようふくし)とありて弘長(こうちやう)三年癸亥二月八日/大檀那(たいたんな)禅定(せんちやう)  比丘十阿(ひくしうあ)及(およ)ひ壹岐守泰綱(いきのかみやすつな)等(とう)の名(な)を注(ちゆう)せり按(あんする)に乱世(らんせい)の  頃(ころ)陣鐘(ちんかね)抔(なと)に奪(うは)ひ取(と)られしより其(その)地(ち)にはあるならん歟(か) 【左丁】    《割書:按(あんする)に東鑑(あつまかゝみ)に文應(ふんおう)二年辛酉/此年(このとし)二月/改元(かいけん)ありて弘長(こうちやう)と号(かう)す五月十三日|甲戌今日/晝番(ひるはん)の間(あひた)廣御所(ひろこしよ)において佐々木壹岐前司泰綱(さゝきいきのせんしやすつな)と渋谷(しふや)》    《割書:太郎右衛門尉武重(たらうゑもんのせうたけしけ)と口論(こうろん)に及(およ)ふと云々/然(しか)る時(とき)は鐘(かね)の銘(めい)に泰綱(やすつな)とあるは|東鑑(あつまかゝみ)に記(しる)す所(ところ)の壹岐前司(いきのせんし)の事なるへし此(この)泰綱(やすつな)は四郎高綱(しらうたかつな)の甥(をひ)にして》    《割書:信綱(のふつな)か二/男(なん)なり|》 観音堂(くわんおんたう) 市場村(いちはむら)街道(かいたう)より左(ひたり)の方(かた)一心山(いっしんさん)専念寺(せんねんし)といへる浄(しやう)  刹(せつ)に安置(あんち)せり本尊(ほんそん)千手大悲(せんしゆたいひ)の像(さう)は寛朝(くわんてう)の作(さく)御丈(おんたけ)四寸  ありて紫式部(むらさきしきふ)の念持佛(ねんちふつ)なりと云傳(いひつた)ふ承應年間(しやうおうねんかん)近江(あふみの)  國(くに)石山観音(いしやまくわんおん)の辺(へん)に老嫗(おいおうな)一人/住(すめ)り或時(あるとき)西國行脚(さいこくあんきや)の僧(そう)  愚蔵坊照西(くさうはうせうさい)といふ沙門(しやもん)此(この)老嫗(おいおうな)かもとに宿(しゆく)せし夜(よ)老嫗(おいおうな)の  病悩(ひやうのう)を救(すく)ふ其(その)報(むくひ)として此(この)霊像(れいさう)を授(さつ)く後(のち)故(ゆゑ)ありて當(たう)  寺(し)に安置(あんち)なし奉(たてまつ)るといへり毎月(まいけつ)十七日には参詣(さんけい)の人/多(おほ)し  本堂(ほんたう)に掲(かく)る所(ところ)の額(かく)に一心山(いっしんさん)と書(しよ)せしは縁山(えんさん)前大僧正(さきのたいそうしやう)  雲外(うんけ)の筆(ふて)なり 鶴見川(つるみかは) 海道(かいたう)に架(わた)す所(ところ)の橋(はし)の号(かう)も又(また)鶴見橋(つるみはし)と呼(よ)へり 【右丁】 市場観音(いちはくわんおん) 【図】 【枠内】いなり 【枠内】薬師 【枠内】観音 【枠内】地蔵 【枠内】市場村 【左丁】  《割書:長二十|七間》水源(みなもと)は多磨郡(たまこほり)小野路(をのち)都筑郡(つつきこほり)長津田(なかつた)及(およ)ひ橘樹(たちはな)  郡(こほり)馬絹(まきぬ)の辺(へん)より發(はつ)して恩田川(おんたかは)早瀬川(はやせかは)矢上川(やかみかは)鳥山川(とりやまかは)佐(さ)  江戸川(えとかは)等(とう)の川々(かは〳〵)落合(おちあ)ひ鶴見村(つるみむら)に至(いた)る故(ゆゑ)に鶴見川(つるみかは)の号(かう)  あり梅松論(はいしようろん)に元弘(けんこう)三年五月十四日/鎌倉方(かまくらかた)討手(うつて)として  武蔵守貞将(むさしのかみさたまさ)大将(たいしやう)にて向(むか)ふ下総(しもふさ)よりは千葉介定貞胤(ちはのすけさたたね)義貞(よしさた)  と同心(とうしん)の義(き)有(あつ)て攻上(せめのほ)る間(あひた)武蔵(むさし)の鶴見(つるみ)の辺(へん)に於(おい)て戦(たゝか)ひ  打負(うちまけ)て引退(ひきしりそ)くとあり 末吉不動堂(すゑよしふとうたう) 末吉村(すゑよしむら)にあり鶴見邑海道(つるみむらかいたう)より廿七町/斗(はかり)  西(にし)にあり明王山(みやうわうさん)不動院(ふとうゐん)真福寺(しんふくし)と号(かう)す天台宗(てんたいしう)にして  品川(しなかは)常行寺(しやうきやうし)に属(そく)す本尊(ほんそん)不動明王(ふとうみやうわう)を安置(あんち)すその像(さう)は  坐像(ささう)にして六尺/餘(よ)あり慈覚大師(しかくたいし)の作(さく)といふ本堂(ほんたう)には  十一面/観音(くわんおん)を安(あん)す坐像(ささう)二尺斗り行基菩薩(きやうきほさつ)の作(さく)なり仁王(にわう)  門(もん)の額(かく)真福寺(しんふくし)と書(しよ)せしは増上寺/大僧正(たいそうしやう)智堂(ちたう)和尚の書なり 【右丁】 末吉不動堂(すゑよしふとうたう) 【図】 【枠内】不動堂 【枠内】本堂 【枠内】かね 【枠内】仁王門 【枠内】末吉村 【左丁】 秋田城之介義景(あいたしやうのすけよりかけ)【注】旧館地(きうくわんのち) 其地(そのち)今(いま)しるへからす東鑑(あつまかゝみ)に仁治(にんち)  二年十一月四日 将軍家(しやうくんけ)武蔵野開發(むさしのかいほつ)の御方違(おんかたたかへ)として  義景(よしかけ)か武蔵國(むさしのくに)の鶴見(つるみ)の別荘(へつさう)に渡御(ときよ)頗以(すこふるもつ)て壮観(さうくわん)なりとあり 醫王山(いわうさん)成願寺(しやうくわんし) 鶴見村(つるみむら)の内(うち)にして街道(かいたう)より山手へ入る事三丁  斗(はかり)にあり曹洞(さうとう)の禅刹(せんせつ)にして寺尾(てらを)天光寺(てんくわうし)に属(そく)す本尊(ほんそん)釋迦(しやか)  如来(によらい)にして作者(さくしや)詳(つまひらか)ならす開山(かいさん)を聲菴聞大和尚(せいあんもんたいおしやう)と号す  薬師堂(やくしたう)に安(あん)する所の薬師座像(やくしささう)にして七尺斗り古佛(こふつ)に  してともに作者(さくしや)知(し)れすといふ 白籏八幡宮(しらはたはちまんくう) 白籏村(しらはたむら)にあり義経(よしつね)の霊(れい)を鎮る所と云/傳(つた)ふ別當(へつとう)  は神奈川(かなかわ)能満院(のうまんゐん)兼帯(けんたい)す来由(らいゆ)は拾遺(しうゐ)江戸名所/圖會(つゑ)に  詳(つまひらか)なり 子安観世音(こやすくわんせおん) 子安村(こやすむら)海道(かいたう)より右(みき)の方(かた)の岳(をか)にあり子生山(こいけさん)  東福寺(とうふくし)と号(かう)す新義(しんき)の真言宗(しんこんしう)にて神奈川(かなかは)の金蔵(こんさう) 【注 「義景」の振り仮名はママ】 【右丁】 鶴見橋(つるみはし) 橋(はし)より此方(こなた)に 米饅頭(よねまんちう)を賣(うる) 家(いへ)多(おほ)く此地(このち)の 名産(めいさん)とす鶴屋(つるや) なといへるもの尤(もつとも) 旧(ふる)く慶長(けいちやう)の頃(ころ) より相續(さうそく)すると いへり 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】 生麥村(なまむきむら) しからき茶店(ちやみせ) 生麥(なまむき)は河崎(かはさき)と 神奈川(かなかは)の間宿(あひのしゆく)にて 立場(たては)なり此地(このち)しか らきといへる水茶屋(みつちやや)は 享保年間(きやうほねんかん)鄽(みせ)を 開(ひら)きしより梅干(うめほし)を 鬻(ひさ)き梅漬(うめつけ)の生(しやう) 姜(か)を商(あきな)ふ往来(わうらい)の人(ひと) こゝに休(いこ)はさるものなく 今時(こんし)の繁昌(はんしやう)    なゝめ     なら      す 【図】 【看板】しからき      せんし茶 【左丁】 【図】 【提灯】弁財天 【看板】しからき     御せんし茶 【右丁】 成願寺(しやうくわんし) 【図】 【枠内】庫裡 【枠内】白山松 【左丁】 【図】 【枠内】薬師 【枠内】山門 【枠内】竜燈松 【枠内】本堂 【枠内】地蔵 【右丁】 【図】 【左丁】 白旗八幡宮(しらはたはちまんくう) 【図】 【枠内】本社 【枠内】白旗村 【右丁】 子生山(こいけさん)  観音堂(くわんおんたう) 【図】 【枠内】仁王門 【枠内】はせを碑 【左丁】 【図】 【枠内】光明杉 【枠内】そう堂 【枠内】観音堂 【枠内】かね 【枠内】護摩堂 【枠内】東福寺 【枠内】本堂 【右丁】  院(ゐん)に属(そく)す開基(かいき)の大祖(たいそ)は勝覚僧正(しようかくそうしやう)《割書:理源大師(りけんたいし)|の法孫(はふそん)也》本尊(ほんそん)は如意輪(によいりん)  観音(くわんおん)にして佛工(ふつこう)春日(かすか)の作(さく)一寸八分の座像(ささう)なり  縁起曰(えんきにいはく)往古(そのかみ)勝覚僧正(しようかくそうしやう)一夜(いちや)異僧(いそう)を夢(ゆめ)みる事あり然(しかる)に  件(くたん)の異僧(いそう)告(つけ)て曰(いは)く我(われ)は如意輪観音(によいりんくわんおん)なり昔(むかし)佛工(ふつこう)春日(かすか)  和州(わしう)泊瀬(はせ)の観音(くわんおん)を彫刻(てうこく)せし序(ついて)我(わか)形像(けいさう)をも刻(こく)し末(まつ)  世(せ)の衆生(しゆしやう)を利益(りやく)せよとなり然(しかる)に我(われ)海中(かいちゆう)にある事/久(ひさ)し  今(いま)武州(ふしう)鶴見川(つるみかは)の末(すゑ)生麥(なまむき)の浦(うら)に漂泊(へうはく)す是(これ)我(わか)有縁(うえん)の地(ち)  なり汝(なんち)関東(くわんとう)に至(いた)り一宇(いちう)を創立(さうりふ)して安置(あんち)せよと告(つけ)給ふと  見(み)て夢(ゆめ)さむ僧正(そうしやう)は奇異(きい)の思(おも)ひをなし直(すく)に旅装(たひよそひ)して  此(この)生麥(なまむき)の浦(うら)に至(いた)られしに光明(くわうみやう)赫爍(かくやく)として本尊(ほんそん)海中(かいちゆう)の  浪(なみ)に随(したか)つて勝覚僧正(しようかくそうしやう)の掌上(しやうしやう)に出現(しゆつけん)し給ふ時(とき)に又(また)薩埵(さつた)告(つけ)  て曰(のたまは)く此地(このち)乾隅(いぬゐのすみ)の山(やま)に安(あん)すへしと即(すなはち)勝覚僧正(しようかくそうしやう)當山(たうさん)に登(のほ)り  佛意(ふつい)に任(まか)せ地(ち)を卜(ほく)して草舎(さうしや)を経営(けいえい)し今(いま)の本尊(ほんそん)を安置(あんち) 【左丁】  せり時(とき)に寛治(くわんち)元年三月十八日なり《割書:今(いま)の御堂(みたう)の地(ち)は昔(むかし)より本尊(ほんそん)|安置(あんち)の旧跡(きうせき)にて更(さら)に地(ち)を》  《割書:改(あらたむ)る事な|しと云》其後(そののち)稲毛(いなけ)の領主(りやうしゆ)稲毛三郎平重成(いなけさふらうたひらのしけなり)《割書:中/稲毛(いなけ)の地(ち)其(その)|所領(しよりやう)なりしと也》嗣(つき)  なきを愁(うれひ)とし堂宇(たうう)を修営(しゆえい)諸人(しよにん)供(くう)する所(ところ)の米銭(へいせん)を  乞(こひ)て一年の俸(ほう)に比(ひ)し晨昏(あけくれ)大士(たいし)へ礼拝(れいはい)し事(つかふ)まつること  恰(あたか)も君(きみ)に給仕(きうし)するか如(こと)し三年の後(のち)其妻(そのつま)懐妊(くわいにん)し明年(みやうねん)十一月  一/男子(なんし)を生(しやう)せり《割書:左衛門平(さゑもんたひらの)|重安(しけやす)是(これ)なり》重成(しけなり)歓喜(くわんき)に堪(たへ)す美田(ひてん)三千畝(さんせんほ)  山林(さんりん)方一里有半(はういちりいうはん)の地(ち)を寄附(きふ)し山(やま)を子安(こやす)と号(かう)し院宇(ゐんう)を  植本(うゑもと)と称(しよう)す尓来(しかしてよりこのかた)薩埵(さつた)の威力(ゐりき)益(ます〳〵)新(あらた)にして禱賽(たうさい)する者(もの)  絡繹(らくえき)として絶(たえ)す又(また)堀川帝皇子(ほりかはていわうし)ましまさゝるを愁(うれ)へ  給ひしかは勝栄僧正(しようえいそうしやう)《割書:勝覚(しようかく)の|法嗣(はふし)也》此(この)本尊(ほんそん)の威霊(ゐれい)を奏聞(さうもん)す  依(よつ)て前大納言(さきのたいなこん)藤原道房卿(ふちはらのみちふさきやう)をして其(その)御祈願(こきくわん)の為(ため)に  當山(たうさん)に詣(まう)てしむ三年の後(のち)皇妃(くわうひ)正(まさ)に妊娠(にんしん)し給ひ明年(みやうねん)五月  太子(たいし)降誕(かうたん)なし給へり則(すなはち)鳥羽院(とはのゐん)と申/奉(たてまつ)るは此皇子(このわうし)なり 【右丁】 義高入道墓(よしたかにふたうのはか) 【図】 【左丁】  《割書:按(あんす)るに鳥羽院(とはのゐん)は康和(かうわ)五年正月十六日に|降誕(かうたん)なし給へり五月は誤(あやまり)なるへし》帝(みかと)叡感(えいかん)斜(なゝめ)ならす勅(ちよく)して子生山(こいけさん)  東福寺(とうふくし)の号(かう)を賜(たま)ふ遥(はるか)の後(のち)文亀(ふんき)永正(えいしやう)の間(あひた)東國(とうこく)屢(しは〳〵)兵戦(へうせん)起(おこ)り  し頃(ころ)大(おほい)に衰廃(すゐはい)せしかとも大悲閣(たいひかく)のみは厳然(けんせん)たりしとなり  《割書:寺僧(しそう)云(いふ)今(いま)に至(いた)り寄願(きくわん)ある者(もの)當寺(たうし)本尊(ほんそん)に詣(まうて)し諸人(しよにん)供(くう)する所(ところ)の賽銭(さいせん)を乞(こひ)年(ねん)|限(けん)を定(さた)め本尊(ほんそん)に給仕(きうし)と称(しやう)して誠信(せいしん)に祈念(きねん)し奉(たてまつ)る時(とき)は給仕(きうし)の年限(ねんけん)満(みつ)るをまたす》  《割書:して求(もとむ)る所(ところ)の諸願(しよくわん)円満(ゑんまん)ならすといふ事なしとなり》 仙鶴山(せんくわくさん)松隠寺(しようおんし) 東寺尾村(ひかしてらをむら)にあり《割書:享保(きやうほ)の頃(ころ)迄(まて)は|松音寺(しようおんし)と称(しよう)す》済家(さいけ)の禅林(せんりん)に  して鎌倉(かまくら)建長寺(けんちやうし)雲外庵(うんけあん)の佛壽禅師(ふつしゆせんし)開創(かいさう)の古刹(こせつ)なり  《割書:禅師(せんし)は建武(けんむ)二年二月十八日/化寂(けしやく)すといふ鎌倉志(かまくらし)には文和(ふんわ)|三年二月十八日/尓寂(ししやく)とあり此地(このち)は雲外庵(うんけあん)の采地(さいち)なり》本尊(ほんそん)釋迦如来(しやかによらい)は  座像(ささう)にして二尺/計(はかり)あり 慈眼堂(しけんたう) 松隠寺(しようおんし)よりさし渡(わた)し壱丁/斗(はかり)門(もん)を出(いで)て小(ちいさ)き坂(さか)を  下(を)り廻(めく)りて二丁/半斗(はんはかり)岡(をか)の上(うへ)にあり本尊(ほんそん)十一面観音(しふいちめんくわんおん)  佛工(ふつこう)春日(かすか)の作(さく)なり小机札所(こつくゑふたしよ)の一(いつ)にして松隠寺(しようおんし)より  兼帯(けんたい)せり 【右丁】  義高入道墓(よしたかにふたうのはか)《割書:仁王門(にわうもん)の傍(かたはら)古墳(こふん)の前(まへ)に石(いし)の地蔵尊(ちさうそん)を安(あん)せし小堂(しやうたう)あり軒(のき)に|義高入道(よしたかにふたう)と記(しる)せし額(かく)を掲(かゝけ)たり相傳(あひつた)ふ義高入道(よしたかにふたう)は小笠原内蔵人(をかさはらくらんと)》  《割書:と称(しよう)す後(のち)里見(さとみ)と号(かうす)小田原(をたはら)の合戦(かつせん)に討死(うちしに)せし人なりといへ共/未(いまた)考(かんかへす)此地(このち)の農家(のうか)に|平田氏(ひらたうち)某(それかし)なるあり其(その)始祖(しそ)は義高入道(よしたかにふたう)の家臣(かしん)にてありしとなり附(つけ)て云(いふ)松隠寺(しようおんし)什(しう)》  《割書:物(もつ)の中(うち)に建武(けんむ)元年に記(しる)せし圖(つ)あり人名を注(ちゆう)せし中(うち)に地頭(ちとう)阿波國守護(あはのくにしゆこ)小笠原(をかさはら)|内蔵人太郎入道(くらんとたらうにふだう)といへる名(な)ありこゝに阿波(あは)の國(くに)とあるは安房國(あはのくに)の誤(あやまり)ならん小笠原(をかさはら)》  《割書:内蔵人(くらんと)は先(さき)の義高入道(よしたかにふたう)の祖先(そせん)ならん歟(か)或(あるひ)は又/義高(よしたか)の名(な)に附會(ふくわい)して里見(さとみ)を混(こん)し|交(まし)へしもの歟(か)猶(なほ)可考(かんかふへし)》 護國山(ここくさん)観福壽寺(くわんふくしゆし) 東子安村(ひかしこやすむら)新宿海道(しんしゆくかいたう)より右(みき)の方(かた)の山脇(やまわき)に  あり世俗(せそく)浦島寺(うらしまてら)と称(しよう)す昔(むかし)は歸國山(きこくさん)浦島院(うらしまゐん)といひける由(よし)  縁起(えんき)に見えたり當寺(たうし)は 淳和帝(しゆんわてい)の勅願(ちよくくわん)にして檜尾僧都(ひのをそうつ)  開基(かいき)たり  本堂(ほんたう) 本尊(ほんそん)聖観世音菩薩(しやうくわんせおんほさつ)《割書:立像(りふさう)にして御長(おんたけ)一尺三寸あり世(よ)に浦島(うらしま)の|観世音(くわんせおん)とのみも称(しよう)せり寺傳(してん)に云(いは)く當時(たうし)》  《割書:浦島子(うらしまこ)蓬壺(ほうこ)の蘭臺(らんたい)にあそひ旧里(きうり)に走(さら)んとするの日(ひ)神女(しんによ)一箇(いつか)の玉匣(たまてはこ)と共(とも)に大悲(たいひ)の|尊像(そんさう)をあたへて曰(いは)く子(し)今(いま)本土(ほんと)にかへり去(さ)らんとす仍(よつて)渡海風波(とかいふうは)の難(なん)を凌(しの)き又/長生(ちやうせい)》  《割書:ならしめん事を祢【ねヵ】き思(おも)ふと竟(つひ)に嶋子(しまこ)故郷(こきやう)に帰(かへ)り去(さ)るの後(のち)むさしの國(くに)霞(かすみ)か浦(うら)に|いたり《割書:今のかな|川の地也》霊像(れいさう)の告(つけ)により父(ちゝ)のつかの地(ち)をしり傍(かたはら)に草堂(さうたう)を結(むす)んて彼(かの)大悲(たいひ)の》  《割書:霊像(れいさう)をうつし|まゐらすとあり》  浦島明神(うらしまみやうしん)《割書:本堂(ほんたう)に安(あん)す八千歳の御社(おんやしろ)とも称(しよう)するよし縁起(えんき)にみえたり此(この)|社(やしろ)は乃(すなは)ち浦島太郎(うらしまたらう)の霊(れい)をまつる開山(かいさん)檜尾僧都(ひのをそうつ)より五/世(せ)の後(のち)》 【左丁】  《割書:勝海(しようかい)上人の時(とき)に至(いた)り寛平(くわんへい)七年七月七日/霊告(れいこく)ありしより毎歳(まいさい)七月七日を祭日(さいにち)と|するといへり今(いま)丹後國(たんこのくに)竹野郡(たけのこほり)阿佐茂川(あさもかは)の東網野村(ひかしあみのむら)【注】といへるに浦島子(うらしまこ)の霊社(れいしや)》  《割書:あり浅毛河明神(あさもかはみやうしん)と称(しよう)せり又/網野明神(あみのみやうしん)とも号(なつ)くるよし詞林采葉(しりんさいえう)およひ神社啓(しんしやけい)|蒙(もう)等(とう)の書(しよ)に見えたり和漢三才圖會(わかんさんさいつゑ)に浦島子(うらしまこ)は根見命(ねみのみこと)の後胤(こういん)なりとあり可考(かんかふへし)》  亀化大龍女(きけたいりうによ)《割書:同/本堂(ほんたう)にあり浦島子(うらしまこ)海上(かいしやう)に釣(つり)を垂(たれ)て得(え)たりし霊亀(れいき)を祝(いは)ひ|まつるといへり渡海安穏守護(とかいあんおんしゆこ)の神(かみ)なりとて舩人(ふなひと)多(おほ)く是(これ)を崇敬(そうきやう)す》  龍燈松(りうとうのまつ)《割書:寺(てら)の後(うしろ)の方(かた)山(やま)の頂(いたゝき)にあり傳(つたへ)いふ此(この)樹上(しゆしやう)今(いま)も時(とき)として龍燈(りうとう)の懸(かゝ)る事あり|當寺(たうし)の本尊(ほんそん)は龍宮相承(りうくうさうしやう)の霊像(れいさう)なれは其(その)證(しるし)としてかくの如(こと)しとなり》  目當燈篭(めあてとうろう)《割書:龍燈松(りうとうまつ)の下(しも)にあり夜中(やちゆう)入津(にふしん)の舩(ふね)の便(たより)とす享保(きやうほ)の頃(ころ)|此地(このち)の農民(のうみん)松井某(まつゐそれかし)建立(こんりふ)せしとて今(いま)に連綿(れんめん)たり》  菩提樹(ほたいしゆ)《割書:當寺(たうし)山林(さんりん)に数株(すしゆ)ありて年々(とし〳〵)に業生(こうしやう)す相傳(あひつた)ふ|浦島子(うらしまこ)龍(たつ)の都(みやこ)より齎(もた)らし来(きた)る所(ところ)なりと》  浦島太郎墓(うらしまたらうのはか)《割書:堂前(たうせん)にあり島子(しまこ)自(みつから)建置(たておき)し|故(ゆゑ)に齢塚(よはひつか)といふなりといへり》同/足洗井(あしあらひのゐ)《割書:道(みち)の傍(かたはら)にあり|今(いま)も里民(りみん)の用水(ようすゐ)と》  《割書:せり又/布袋丸(ほていまる)の|井(ゐ)ともいふとそ》同/腰掛石(こしかけいし)《割書:其(その)旧跡(きうせき)今(いま)|さたかならす》  日本紀雄略記曰 雄略天皇二十二年戊午秋七   月丹波國餘社郡管川人水江浦島子乗舟而釣   遂得大亀便化為女於是浦島子感以為婦相逐   入海到蓬莱山歴覩仙衆語在別巻  日本後紀淳和記曰 淳和天皇天長二年帰郷至   今三百四十七年也浦島子到蓬莱居之三年春   日初暖群鳥和鳴煙霞瀁靄花樹競開問歸歟之   計婦曰列仙之陬一去難再来縦歸故郷定非住   日浦島子為訪親舊強催歸駕婦與一筥曰慎莫 【注 「綱」は誤】 【右丁】 【図】 【枠内】竜燈松 【枠内】観音堂 【枠内】浦島墓 【枠内】かね 【枠内】観福寺 【左丁】 観福壽寺(くわんふくしゆし)  浦島寺(うらしまてら)といふ 【図】 【右丁】   開此筥若不開者自再相逢浦島子到本郷林園   零落親舊悉亡逢人問之曰昔聞浦島子仙化而   去漸過百年爰帳然如失歩於邯鄲心中大■【恠ヵ】開   匣見之於是浦島子忽變衰老晧白之人不去而   死  万葉集   春日(ハルノヒ)之(ノ)霞(カスメル)時(トキ)爾(ニ)墨吉(スミノエ)之(ノ)岸(キシ)爾(ニ)出居(イテ井)而(テ)釣舩(ツリフネ)之(ノ)得(ト)乎(ヲ)   良(ラ)布(フ)見(ミレ)者(ハ)古(イニシヘ)之(ノ)事(コト)曽(ソ)所念(オモホユ)水江(ミツノエ)之(ノ)浦島兒(ウラシマコ)之(カ)堅魚(カツヲ)   釣(ツリ)鯛釣(タヒツリ)矜(ホコリ)及七日(ナヌカマテ)家(イヘ)爾(ニ)毛(モ)不来(コス)而(テ)海界(ウナサカ)乎(ヲ)過(スキ)而(テ)搒(コキ)   行(ユク)爾(ニ)海若神(ワタツミノカミ)之(ノ)女(ヲトメ)爾(ニ)邂(タマサカ)爾(ニ)伊(イ)許(コ)藝(キ)趍(ワシリテ)相(アヒ)𧨙(カタ)良(ラ)比(ヒ)言(コト)   成(ナリ)之(シ)賀(カ)婆(ハ)加(カ)吉(キ)結(ムスヒ)常代(トコヨ)爾(ニ)至(イタリ)海若神(ワタツミノカミ)之(ノ)宮(ミヤ)乃(ノ)内隔(ウチノヘ)   之(ノ)細有(タヘナル)殿(トノ)爾(ニ)擕(タツサハリ)二人(フタリ)入(イリ)居(井)而(テ)老(オイ)目(モ)不為(セス)死(シニモ)不為(セス)而(シテ)   永世(ナカキヨ)爾(ニ)有(アリ)家(ケ)留(ル)物(モノ)乎(ヲ)世間(ヨノナカ)之(ノ)愚人(シレタルヒト)之(ノ)吾(ワキ)妹(モ)兒(コ)爾(ニ)告(ノリ)   而(テ)語(カタラ)久(ク)須臾(シハラク)者(ハ)家(イヘニ)歸(カヘリ)而(テ)父母(チ丶ハ丶)爾(ニ)事(コトヲ)毛(モ)告(ノ)良(ラ)比(ヒ)如明(アスノ)   日(コト)吾(ワレ)者(ハ)來(キ)南(ナム)登(ト)言(イヒ)家(ケ)禮(レ)婆(ハ)妹(イモ)之(カ)答(イラヘ)久(ク)常世(トコヨ)邊(ヘ)爾(ニ)復(マタ) 【左丁】   變(カヘリ)來(キ)而(テ)如今(ケフノコト)将相(アハム)跡(ト)奈(ナ)良(ラ)婆(ハ)此(コノ)篋(ハコヲ)開(ヒラク)勿(ナ)勤常(ユメト)曽(ソ)己(コ)   良(ラ)久(ク)爾(ニ)堅(カタ)目(メ)師(シ)事(コト)乎(ヲ)墨吉(スミノエ)爾(ニ)還(カヘリ)來(キタリ)而(テ)家(イヘ)見(ミレ)跡(ト)家(イヘ)毛(モ)   見(ミ)金(カネ)手(テ)里(サト)見(ミレ)跡(ト)里(サト)毛(モ)見(ミ)金(カネ)手(テ)■(アヤシ)【恠ヵ】常(ト)所(ソ)許(コ)爾(ニ)念(オモハ)久(ク)從(イヘ)   家(ユ)出(イテ)而(丶)三歳(ミトセ)之(ノ)間(ホト)爾(ニ)墻(カキ)毛(モ)無(ナク)家(イヘモ)滅(ウセ)目(メ)八(ヤ)跡(ト)此(コノ)筥(ハコ)乎(ヲ)   開(ヒラキ)而(テ)見(ミ)手(テ)歯(ハ)如來本(モトノコト)家(イヘ)者(ハ)将有(アラン)登(ト)玉篋(タマクシケ)小(スコシ)披(ヒラク)爾(ニ)白(シラ)   雲(クモ)之(ノ)自箱(ハコヨリ) 出(イテ)而(丶)常世(トコヨ)邊(ヘニ)棚(タナ)引去(ヒキヌレ)者(ハ)立走(タチハシリ)叫(サケヒ)袖振(ソテフリ)■(コイ)【歹ヵ】   側(マロヒ)足(アシ)受(ス)利(リ)四(シ)筒(ツ丶)頓(タチマチニ)情(コ丶ロ)潰失(キエウセ)奴(ヌ)若有(ワカカリ)之(シ)皮(カハ)毛(モ)皺(シワシ)奴(ヌ)黒(クロ)   有(カリ)之(シ)髪(カミ)毛(モ)白斑(シラケ)奴(ヌ)由奈由奈(ユナユナ)波(ハ)氣(イキ)左(サ)倍(ヘ)絶(タエ)而(テ)後(ノチ)遂(ツヒニ)   壽(イノチ)死(シニ)祁(ケ)流(ル)水江(スミノエ)之(ノ)浦島子(ウラシマノコ)之(カ)家(イヘ)地(トコロ)見(ミム)   常世邊(トコヨヘニ)可住(スムヘキ)物(モノ)乎(ヲ)劔(ツルキ)刀(タチ)己之(ワカ)心(ココロ)抦(カラ)於(オ)曽(ソ)也(ヤ)是(コノ)君(キミ)   《割書:按(あんす)るに日本紀(にほんき)丹波國(たんはのくに)とするはいまた丹後國(たんこのくに)わかれさる前(まへ)なれはなり續日本(そくにほん)【𢖏は誤ヵ】|紀(き)に 元明天皇(けんめいてんわう)の和銅(わとう)六年/夏(なつ)四月乙未に丹波國(たんはのくに)五郡(こくん)を割(さき)てはしめて丹後國(たんこのくに)を|置(おく)とあり夫(それ)より後(のち)与社郡(よさのこほり)は丹後(たんこ)に属(そく)せしなり其地(そのち)の書(しよ)皆(みな)こと〳〵く丹後國(たんこのくに)と|す丹後風土記(たんこふうとき)和名抄(わみやうしやう)扶桑略記(ふさうりやくき)の類(たく)ひ與謝(よさ)に作(つく)る又/管川(くたかは)は丹後風土記(たんこふうとき)に|筒川(つゝかは)に作(つく)る水江(すみのえ)は日本紀(にほんき)に水江(みつえ)とす萬葉集(まんえうしふ)には或(あるひ)は墨吉(すみのえ)とも書(かけ)り浦島子(うらしまこ)》 【右丁】 浦島古事(うらしまのこし) 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】   《割書:傳(てん)續浦島子傳(そくうらしまこてん)ともに澄江(すみのえ)とす按(あんする)に仙覚律師(せんかくりつし)の萬葉集抄(まんえうしふしやう)に引(ひく)所(ところ)の丹後(たんこ)風(ふう) |土記(とき)に美頭乃睿能宇良志麻之古(みつのえのうらしまのこ)とありてすてにみつのえとす水(みつ)は澄(すむ)の》   《割書:義(き)ある故(ゆゑ)通(かよは)して云(いふ)なるへし|》  相傳(あひつたふ)往古(わうこ) 雄略天皇(ゆうりやくてんわう)の御宇(きよう)《割書:日本紀(にほんき)雄略記(ゆうりやくき)二十二|年戊午七月とあり》丹後國(たんこのくに)與謝郡(よさのこほり)管川(くたかは)  の人(ひと)に水江(みつのえの)浦島子(うらしまこ)といふあり《割書:寺記(しきに)云(いはく)相州(さうしう)三浦(みうらの)住人(ちゆうにん)水江(みつのえの)浦島太夫(うらしまたいふ)といへるもの|大裡(たいり)の役(やく)に付(つき)てしはし丹波國(たんはのくに)餘佐郡(よさこほり)管川(くたかは)と》  《割書:云(いふ)所(ところ)にうつり住(ちゆう)す其子(そのこ)に浦島太郎(うらしまたらう)といふありと云々/古書(こしよ)浦島子(うらしまこ)に作(つく)る寺記(しき)にのみ太夫(たいふ)|或(あるひ)は太郎(たらう)なとゝせり續浦島子傳(そくうらしまこてん)に浦島子(うらしまこ)何(いつ)れの人なる事をしらす盖(けたし)上古(しやうこ)の仙人(せんにん)》  《割書:なり齢(よはひ)三百/歳(さい)を過(すき)て形容(かたち)童子(とうし)の如(こと)し人となり仙(せん)を好(この)み秘術(ひしゆつ)を学(まな)ふとあり又/丹後(たんこ)|風土記(ふうとき)には《振り仮名:日下部■|くさかへのおうと》【首ヵ】等(ら)か祖(そ)にして箇川(くたかは)【注】の島子(しまこ)と云(いふ)是(これ)乃(すなはち)水江(みつのえの)浦島子(うらしまこ)也云云》  一時(あるとき)七月の事(こと)なるに獨(ひとり)小舟(こふね)に乗(しやう)して海上(かいしやう)に釣(つり)し霊亀(れいき)を得(え)たり  其(その)形勢(ありさま)を見(みる)に尋常(よのつね)にあらさりけれは恠(あやし)み思(おも)ひ且(かつ)《振り仮名:𪫧舊|あはれみ》て是(これ)を  放(はなち)やりつ浹辰(しはらく)ありて彼亀(かのかめ)化(け)して一人の美女(ひちよ)となり前(さき)の恩(おん)を  報(むくは)んとて島子(しまこ)か手(て)を携(たつさ)へて蓬莱山(とこよのくに)海若神(わたつみ)の都(みやこ)に至(いた)りぬ  かくて後(のち)浦島子(うらしまこ)は仙室(せんしつ)の筵(むしろ)に侍(し)し常(つね)に霊薬(れいやく)の味(あちは)ひを嘗(なめ)  目(め)に花麗(くわれい)を視(み)耳(みゝ)に雅楽(かかく)の楽(たのしみ)を聞(きく)観宴(くわんえん)日(ひ)を送(おく)れり《割書:日本後記(にほんこうき)に|浦島子(うらしまこ)蓬(ほう)》  《割書:莱(らい)に至(いた)り居(をる)事(こと)三年とあり又/丹後風土記(たんこふうとき)上に同しく|萬葉集(まんえふしふ)にも家(いへを)出(いて)而(ゝ)三歳(みとせ)之(の)間(ほと)爾(に)檣(かき)毛(も)無(なく)とあり》されと本土(ほんと)を懐(おも)ふ 【左丁】  心(こゝろ)起(おこ)り獨(ひとり)二親(ししん)を戀(こふ)故(ゆゑ)に神女(しんによ)に此事(このこと)を告(つけ)けれは神女(しんによ)は島子(しまこ)か  別(わかれ)を戀慕(こひした)ふといへとも竟(つひ)に止(とゝま)るへき色(いろ)も見(み)えねはかひなく  一箇(いつか)の玉匣(たまてはこ)を與(あた)へて云(いは)く子(し)遂(つひ)に賤妾(せんせふ)を遺(わす)れすして再(ふたゝ)ひ  此(この)神仙境(とこよ)へ来(きた)らんとならは必(かならす)此(この)匣(はこ)の裏(うち)を開(ひら)き見(み)る事なかれと  島子(しまこ)其事(そのこと)を約(やく)しをはり事外(ことなく)喜(よろこ)ひ彼匣(かのはこ)を受傳(うけつた)へつゝ手(て)を  分(わか)ち辞(し)し去(さ)る頓(やかて)蓬嶺(ほうれい)の仙都(せんと)を出(いつ)るかと思(おも)へはいつしか與謝(よさ)の  舊里(きうり)に皈(かへ)り着(つき)ぬ《割書:日本後記(にほんこうきに)云(いはく)浦島子(うらしまこ)天長(てんちやう)二年/郷(さと)に帰(かへ)る今(いま)に至(いた)り三百四十|七年なりと云云/詞林采葉抄(しりんさいえふしやうに)云(いはく)島子(しまこ)蓬莱(ほうらい)に入(いる)の後(のち)帝王(ていわう)》  《割書:三十二代を送(おく)るとあり水鏡(みつかゝみ)に雄略天皇(ゆうりやくてんわう)廿三年と七月に浦島子(うらしまこ)蓬莱(ほうらい)へまかりに|けり云々/同書(とうしよ)淳和天皇(しゆんわてんわう)天長(てんちやう)二年ことし浦島子(うらしまこ)はかへれり中略/雄略天皇(ゆうりやくてんわう)の御世(みよ)に》  《割書:うせてことし三百四十七年といひしにかへりたりしなり云云/因(よつ)て考(かんか)ふるに天長(てんちやう)二年は支干(しかん)|乙巳にあたれり又/雄略天皇(ゆうりやくてんわう)廿三年己未にあたれり日本紀(にほんき)二十二年とし戊午とす然(しか)る》  《割書:ときは三百四十|八年なり》されと物換(ものかは)り星移(ほしうつ)り家園(かゑん)は變(へん)して河濵(かひん)となり山(さん)  岳(かく)は改(あらたまり)て江海(こうかい)となる荒蕪(くわうふ)の閭邑(りよいう)煙(けむ)り絶(た)え舊塘(きうたう)寂寞(しやくまく)として  道路(たうろ)跡(あと)なしましてあたりに知人(しるひと)さへなかりけれはかつ恠(あや)しみ  かつ驚(おとろ)き郷人(さとひと)に旧俗(きうそく)の行方(ゆくへ)を問(と)ふ一人の翁(おきな)答(こた)へて云(いは)く昔(むかし)聞(きく) 【注 「箇川」は「筒川」の誤ヵ。30コマ目30行目に「管川(くたかは)は丹後風土記に筒川(つゝかは)に作る」とあり。】 【右丁】  水江(みつのえ)の浦島子(うらしまこ)といへるもの釣(つり)を好(この)み舟(ふね)に乗(しやう)して海(うみ)に遊(あそ)ひ永(なか)く  家(いへ)に歸(かへ)らすといへりされと幾數百歳(いくすひやくさい)を経(ふ)る事(こと)をしらすと  《割書:續浦島子傳(そくうらしまこてん)にわつかに衣(ころも)を洗(あら)ふの老嫗(おうな)にあふて旧里(きうり)の古人(こしん)を問(とふ)嫗(おうな)答(こた)へて|いはく我(われ)年(とし)百有(ひやくいう)七/歳(さい)いまた島子(しまこ)の名(な)をきかす唯(たゝ)我祖父(わかそふ)の世(よ)古老(こらう)口傳(こうてん)して数百(すひやく)》  《割書:歳(さい)を経(ふ)るのみ傳来(てんらい)語(こ)に云(いは)く昔(むかし)水江(みつのえの)浦島子(うらしまこ)といふ者(もの)あり釣(つり)を好(このみ)舟(ふね)に乗(しやう)し久江|浦(うら)に遊(あそ)ひ遂(つひ)に帰(かへ)らす蓋(けたし)海中(かいちゆう)に入(いつ)てより幾数百歳(いくすひやくさい)を経(ふ)る事をしらすと日本(にほん)》  《割書:後記(こうきに)云(いはく)むかし聞(きく)浦島子(うらしまこ)仙化(せんけ)|して去(さ)り漸(やうや)く百年を過(すく)ると云々》こゝに於(おい)て蓬嶺(ほうれい)の仙宮(せんきう)に遊(あそ)ふの間(あひた)時世(しせい)  遥(はるか)に隔(へたゝ)り舊里(きうり)の遷(うつり)變(へん)せし事を悲歎(ひたん)し又/仙遊(せんいう)の未央(みあう)を想(おもひ)  像(やり)て悲戀(ひれん)に堪(たへ)す前(さき)の誓(ちか)ひを忘(わす)れて忽(たちまち)に玉匣(たまてはこ)を開(ひら)きけれは  裡(うち)より紫雲(しうん)出(いて)て蓬城(ほうしやう)をさして靉靆(あいたい)として去(さ)るのみ時(とき)に  其(その)形容(かたち)忽然(こつせん)として衰老(すゐらう)晧白(こうはく)の人と変(へん)す云々《割書:万葉集(まんえふしふ)氣(いき)佐倍(さへ)|絶(たえ)而(て)後(のち)遂(つひに)壽(いのち)死(しに)》  《割書:祁流(ける)水江之(みつのえの)浦島子(うらしまのこか)家(いへ)地(ところ)見(みむ)云云/丹後風土記(たんこふうとき)にも島子(しまこ)俄(にはか)に老翁(らうをう)となり遂(つひ)に死(し)す|時(とき)に天長(てんちやう)二年なりとあり扶桑略記(ふさうりやくき)日本後記(にほんこうき)上に同し續浦島子傳(そくうらしまこてん)に島子(しまこ)神(しん)》  《割書:女(によ)一諾(いつたく)の約(やく)を違(たか)へ仙遊(せんいう)再會(さいくわい)の期(こ)を失(うしな)ひ紅涙(こうるい)千行(せんかう)白鬢(はくひん)を湿(うるほ)し丹誠(たんせい)萬緒(はんしよ)絳(こう)|宮(きう)を乱(みたし)其後(そののち)金梁(きんりやう)に鳴(なゐ)て玉液(きよくゑき)を飲(のみ)紫霞(しか)を喰(くらひ)青彩(せいさい)を服(ふくし)頚鶴(けいくわく)を延(のへ)立(たつ)て遥(はるか)に》  《割書:鼇(かう)海(かい)の蓬嶺(ほうれい)神鳳(しんほう)の馳(はする)を望(のそ)み跱(そはたつ)て遠(とほ)く仙洞(せんとう)の芳淡(はうたん)を顧(かへりみ)る巌河(かんか)に飛遊(ひいう)して|海浦(かいほ)に隠淪(いんりん)し遂(つひ)に終(をは)る所(ところ)をしらす後代(こうたい)地仙(ちせん)と号(かう)す所謂(いはゆる)浦島子傳(うらしまこてん)古賢(こけん)撰(せん)》  《割書:する所(ところ)也/其言(そのこと)不朽(くちす)宜(よろ)しく千古(せんこ)に傳(つた)ふへしと云々/此傳(このてん)は延喜(えんき)十二年庚辰/﨟(らう)八月朔日に|記(しる)せしものにして始(はしめ)に承平二年壬辰四月廿二日/勘解由曹局(かけゆさうきよく)に於(おい)て坂上家高(さかのうへのいへたか)》 【左丁】 浦島塚(うらしまつか) 【図】 【右丁】  《割書:注之(これをちゆうす)とあり永仁(えいにん)二年甲午八月廿四日/丹州(たんしう)箇川庄(くたかはのしやう)【注】福田村(ふくたむら)宝蓮寺(はうれんし)如法道場(によはふたうちやう)に於(おい)て|芳命(はうめい)背(そむ)き難(かた)きに依(よつ)て筆跡(ひつせき)を顧(かへりみ)す狼藉(らうしやく)に紫毫(しもう)を馳(は)せぬと》  寺記(しきに)云(いはく)後(のち)又(また)八千/歳(さい)の齢(よはひ)を持(たも)ちて再(ふたゝ)ひ海神(かいしん)の都(みやこ)に入(いる)と  いへり《割書:諸書(しよしよ)の|要(えう)をつむ》抑(そも〳〵)當寺(たうし)は 淳和天皇(しゆんわてんわう)の勅願(ちよくくわん)にして凡(およそ)九百七十/有(いう)  餘年(よねん)を歴(ふ)るの古藍(こらん)たり同帝(とうてい)第(たい)四の妃(ひ)は浦島子(うらしまこ)か九/世(せ)の  孫(そん)なり妃(ひ)深(ふか)く佛乗(ふつしやう)に帰(き)し給ひ帝(みかと)に告(つけ)奉(たてまつ)りて空海阿闍(くうかいあしや)  梨(り)に計(はか)り檜尾僧都(ひのをそうつ)實慧(しちゑ)をして是(これ)を司(つかさと)らしめ梵宇(ほんう)営構(えいこう)  ありて真言(しんこん)の密場(みつちやう)となし給ふ《割書:元亨釋書(けんかうしやくしよに)云(いはく)如意法尼(によいはふに)は丹後國(たんこのくに)余(よ)|佐郡(さこほり)の人十/歳(さい)にして王都(わうと)に入/弘仁(こうにん)十三》  《割書:年 帝(みかと)霊夢(れいむ)を感(かん)し給ふの後(のち)花使(くわし)をつかはし妃(ひ)を得(え)給ふ妃(ひ)深(ふか)く佛道(ふつたう)に帰(き)し常(つね)に如(によ)|意輪尊(いりんそん)を敬重(けいちう)すかつて一篋(いつけう)を蓄(たくは)ふ人その裏(うち)を見(み)る事を得(え)す世(よ)に云(いふ)天長(てんちやう)元年/天下(てんか)》  《割書:大(おほい)に旱(ひてり)【卑】す守敏(しゆひん)空海(くうかい)後先(こうせん)相競(あひきそひ)て法雩(はふう)を祈(いの)る空海(くうかい)妃(ひ)の篋(はこ)を捧(さゝけ)て秘奥(ひあう)を修(しゆ)す故(ゆゑ)に|雨澤(うたく)天下(てんか)に給(きう)しぬ妃(ひ)の同閭(とうりよ)水江(みつのえ)の浦島子(うらしまこ)と云(いふ)ものあり妃(ひ)に先(さきた)つて数百歳(すひやくさい)久(ひさ)しく》  《割書:仙郷(せんきやう)に棲(す)む天長(てんちやう)二年/故郷(こけう)に還(かへ)る浦島子(うらしまこ)いはく妃(ひ)の持(もつ)所(ところ)の篋(はこ)を紫雲篋(しうんきやう)といふ空海(くうかい)|師(し)佛像(ふつさう)を刻(きさ)む時(とき)に妃像(ひさう)を筪(はこの)中(うち)にをさむと云々/同書(とうしよ)の論(ろん)にいはく妃(ひ)の篋(はこ)恐(おそ)らくは》  《割書:神仙(しんせん)の器(き)にあらしすなはち是(これ)密乗(みつしやう)の秘賾(ひさく)なり|浦島子(うらしまこ)はたゝ蓬瀛(ほうえい)の一/賓(ひん)のみ何(なん)そ是(これ)をしらんやとあり》其後(そののち)星霜(せいさう)を経(へ)て宮殿(くうてん)風(かせ)に  破(やふ)れて悲躰(ひたい)雨(あめ)にそゝき朝(あした)の霧(きり)夕(ゆふへ)の月(つき)は香(かう)の煙(けふ)り燈(ともしひ)の光(ひか)りに  かはる仍(よつ)て唯(たゝ)機縁(きえん)感應(かんおう)の時(とき)を期(こ)するのみ然(しか)るに應長(おうちやう)正和(しやうわ)の 【左丁】  頃(ころ)鎌倉(かまくら)光明寺(くわうみやうし)第(たい)二/世(せ)寂慧(しやくゑ)上人《割書:記主(きしゆ)の家弟(かてい)にして白籏(しらはた)|流(りう)の大祖(たいそ)也/傳(てん)はこゝに略(りやく)す》故郷(こけう)白(しら)  籏(はた)へ往来(わうらい)する毎(こと)に當寺(たうし)観音(くわんおん)へ詣(けい)し守者(もるもの)もなきを歎(なけ)き法弟(はふてい)  慧光(ゑくわう)上人《割書:姓(せい)大森氏(おほもりうち)|相州(さうしうの)人》をして住持(ちゆうち)たらしめ二度/寺院(しゐん)を営建(えいこん)しあら  ためて浄業(しやうけう)の精舎(しやうしや)とせしとなり 神奈川驛(かなかはのえき) 東海道(とうかいたう)五十三/驛(えき)の一なり行程(きやうてい)河崎(かはさき)より二/里半(りはん)あり  《割書:太平記(たいへいき)梅花無尽蔵(はいくわむしんさう)鎌倉大草紙(かまくらおほさうし)等(とう)の書(しよ)皆(みな)神奈川(かなかは)に作(つく)り園大暦(えんたいれき)には狩野川(かのかは)に作(つく)る|此地(このち)の名義(めいき)は次(つき)の上無川(かみなしかは)の条下(てうか)に詳(つまひらか)なり》  本宿(ほんしゆく)《割書:新町(しんまち)より西(にし)の町迄|四町の間(あひた)の惣名(さうみやう)也》青木町(あをきまち)等(とう)の名(な)あり《割書:滝(たき)の町(まち)より下臺(しもたい)迄(まて)の|間(あひた)六町の惣名(さうみやう)なり》又/臺(たい)より  向(むかふ)軽井澤(かるゐさは)と云(いふ)地(ち)迄(まて)すへて神奈川驛(かなかはえき)と云(い)へり  《割書:平安紀行  かのかはにて》   海人小舟軒端によする心ちしてなかめえならぬかの川の里 持資  梅花無盡蔵 文明十七年乙巳   神奈河《割書:小春|二日》出世戸井赴江戸途中有老松蟠屈其   形如竜其処号𩿎森    神奈民鄽板屋連 深泥没馬打難前    𩿎森春動臥松老 未入飛竜九五乾 【注 「箇川庄」は「筒川庄」の誤。「浦嶋子傳記」(国会図書館デジタルコレクション)の奥書に同文(漢文)があり、「筒河庄」とあり】 【右丁】 神奈川(かなかは) 総圖(さうつ) 【図】 【枠内】本覚寺 【枠内】本堂 【枠内】方丈 【枠内】庫裡 【枠内】裏門 【枠内】観音 【枠内】かね 【枠内】千部塔 【枠内】中門 【左丁】 【図】 【枠内】平尾     物見の松 【枠内】こんひら 【枠内】三宝寺 【枠内】舩玉 【枠内】弁天 【枠内】総門 【枠内】地蔵 【枠内】地蔵 【枠内】薬師 【枠内】一り塚 【右丁】 其二 【図】 【枠内】子権現 【枠内】いなり 【枠内】飯綱 【枠内】番や 【左丁】 【図】 【枠内】いなり 【枠内】天神 【枠内】こんひら 神奈川臺町 【右丁】 其三 【図】 【枠内】人穴社 【枠内】人穴 【左丁】  金川駅送別 出餞西看山上山銜杯 為問太刀鐶蒼波欲通 金川海紫氣遥懸玉笥 関遊子浮雲遅暮涙故 人衰鬢別離顔驛亭不 解銷魂色征馬翩々送 徃還      南郭 【図】 【枠内】ほとか谷 【枠内】天王 【右丁】 神奈川臺(かなかはのたい) 此地(このち)はいつれも海(かい) 岸(かん)に臨(のそ)みて海亭(かいてい) をまうけ往来(わうらい)の 人(ひと)の足(あし)を止(とゝ)む此(この) 海辺(うみへ)を袖(そて)の浦(うら)と     名(な)つく 平安紀行 あま  小舟  軒端に   よする  こゝち   して 【図】 【看板】きし田や 【看板】さくら屋 【看板】大佛師 【看板】御奈良茶 【左丁】 なかめ  えならぬ かの  川の里   持資 【図】 【看板】きりや 【看板】御めし 【看板】一せん飯 【右丁】  京都記行   浮世かなかは(◦◦◦◦)る淵瀬は人こと純【のヵ】心の水にふみまよひぬる  澤庵  此地(このち)は太平記(たいへいき)にも正平(しやうへい)七年の閏(うるふ)二月廿日の武蔵野合戦(むさしのかつせん)に  新田義興(につたよしおき)脇屋義治(わきやよしはる)兄弟(けうたい)終(つひ)に二百/餘騎(よき)に打(うち)なされ落行(おちゆく)  へき方(かた)もなし討死(うちしに)すへき命(いのち)なれは鎌倉(かまくら)へ打入(うちいつ)て足利(あしかゝ)  左馬頭(さまのかみ)に逢(あふ)て命(めい)を失(うしな)はゝやと夜半(やはん)過(すく)る程(ほと)に関戸(せきと)を過(すき)給ひ  途中(とちゆう)にして石堂入道(いしたうにふたう)三浦助(みうらのすけ)等(ら)の勢(せい)に行逢(ゆきあ)ひ給ひ軈(やか)て  此(この)勢(せい)と打連(うちつれ)て神奈河(かなかは)に著(つき)て鎌倉(かまくら)の様(さま)を問(とひ)給ふ由(よし)みゆ  又/鎌倉大草紙(かまくらおほさうし)にも永享(えいきやう)十二年四月六日/上杉修理太夫持朝(うえすきしゆりのたいふもちとも)  伊豆國(いつのくに)を立(たつ)て山(やま)の内(うち)の庄(しやう)に帰参(きさん)し長尾郷(なかをのかう)に滞留(たいりう)せしめ  同五月十一日/神奈川(かなかは)へ出勢(しゆつせい)あるよしみえたり 上無川(かみなしかは) 本宿(ほんしゆく)中(なか)の町(まち)と西(にし)の町(まち)との間(あひた)の道(みち)を横(よこ)きりて流(なか)るゝ  小溝(こみそ)を号(なつ)く此所(このところ)に架す橋(はし)を上無橋(かみなしはし)と称(しよう)す《割書:橋(はし)の長(なか)さ|二間にたらす》 【左丁】  常(つね)に水(みつ)涸(かれ)て僅(わつか)の小流(しやうりう)なり水源(みなかみ)定(さたか)ならさる故(ゆゑ)に上無川(かみなしかは)  と云(いふ)則(すなはち)神奈川(かなかは)の地名(ちめい)の興(おこ)る所以(ゆゑん)にして後世(こうせい)美志(みし)の二  字(し)を略(りやく)してかな川(かは)とは云(いひ)けるなり品川(しなかは)も亦(また)下無川(しもなしかは)なり  しを是(これ)も毛志(もし)の二/字(し)を省(はふ)きてかく呼(よひ)ける由(よし)寛永(くわんえい)五年  齊藤徳元(さいとうとくけん)の紀行(きかう)にみえたり《割書:小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)の分限帳(ふんけんちやう)に|矢野彦六(やのひころく)といふ人/武州(ふしう)神奈(かな)》  《割書:川(かは)にて南条(なんてう)高崎(たかさき)の|地(ち)を領(りやう)すとあり》 海運山(かいうんさん)能満院(のうまんゐん) 満願寺(まんくわんし)と号(かう)す本宿(ほんしゆく)荒井町(あらゐまち)道(みち)より右側(みきかは)に  あり古義(こき)の真言宗(しんこんしう)にして鳥山三會寺(とりやまさんゑし)に属(そく)せり開基(かいき)は  内海光善(うつみみつよし)といへる人なり開山(かいさん)は重運(てううん)と号(かう)す本尊(ほんそん)虚空(こくう)  蔵菩薩(さうほさつ)は海中(かいちゆう)より出現(しゆつけん)ありし三寸九分の霊像(れいさう)なり  相傳(あひつたふ)正安(しやうあん)元年己亥八月十三日/此地(このち)の漁者(きよしや)に内海新四郎(うつみしんしらう)  光善(みつよし)といへるあり此日(このひ)海中(かいちゆう)に網(あみ)を沈(おろ)して此(この)霊像(れいさう)を得(え)  たり然(しかる)に本尊(ほんそん)光善(みつよし)の一/女子(によし)に託(たく)して曰(いは)く我(われ)は是(これ)房州(はうしう) 【右丁】 【図】 【左丁】 北條上杉(ほうてううへすき) 神奈川闘戦(かなかはたうせん) 【図】 【右丁】  清澄寺(きよすみてら)の閼伽井(あかゐ)にありて七百/有餘歳(いうよさい)を歴(へ)たり今(いま)此(この)  地(ち)の有縁(うえん)によりて彼所(かのところ)より移(うつ)れり汝(なんち)堂宇(たうう)を営(いとな)むて我(わか)  像(さう)を安置(あんち)せよ必(かならす)子孫(しそん)をして幸福(かうふく)あらしめんとなり  依(よつ)て直(すく)に當寺(たうし)を開創(かいさう)して此(この)霊像(れいさう)を安(あん)し奉(たてまつ)るといふ  《割書:光善(みつよし)の遠孫(ゑんそん)此地(このち)に|ありて今猶(いまなほ)連綿(れんめん)たり》 洲崎明神(すさきみやうしん)祠 海道(かいたう)の右側(みきかは)にあり普門寺(ふもんし)別當(へつたう)たり安房(あはの)  國(くに)洲崎明神(すさきみやうしん)に同(おな)しき歟(か)房総志料(はうさうしれう)に天比理乃咩(あまひりのめの)  命(みこと)を祭(まつ)ると源平盛衰記(けんへいせいすゐき)に洲崎明神(すさきみやうしん)は八幡大菩薩(はちまんたいほさつ)  を祝(いはひ)奉(たてまつ)るとあれは両説(りやうせつ)を挙(あけ)て疑(うたかひ)を存(そん)す 熊野権現(くまのこんけん)社 神奈川(かなかは)本宿町(ほんしゆくまち)海道(かいたう)より右(みき)にあり別當(へつたう)は  金蔵院(こんさうゐん)東曼陀羅寺(とうまんたらし)と号(かう)す新義真言宗(しんきのしんこんしう)也《割書:當社(たうしや)昔(むかし)は|権現山(こんけんさん)の》  《割書:頂(いたゝき)に勧請(くわんしやう)ありしをこの地(ち)へ移(うつ)しまゐらせたりといふされと|旧地(きうち)権現山(こんけんさん)の頂(いたゝき)にも猶(なほ)熊野権現(くまのこんけん)の草祠(さうし)を再(さい)せり》 滝(たき)の橋(はし) 本宿(ほんしゆく)西(にし)の町(まち)と滝(たき)の町(まち)との間(あひた)海道(かいたう)を横(よこ)きり流(なか)るゝ 【左丁】  川(かは)に架(わた)す此(この)橋下(はしのした)の流(なか)れを滝(たき)の川(かは)と号(なつ)く故(ゆゑ)にしかり水源(みなかみ)は  七八町/西(にし)の方(かた)堰村(せきむら)と云(いふ)より発(はつ)する所(ところ)の流(なかれ)なり 橋本(はしもと)宗興寺(そうこうし) 橋(はし)より向(むか)ふの川添(かはそひ)半町はかり西(にし)の方(かた)道(みち)より  左(ひたり)にあり曹洞(さうとう)の禅宗(せんしう)にして同所(とふしよ)本覚寺(ほんかくし)に属(そく)せり  本尊(ほんそん)釋迦如来(しやかによらい)は定朝(ちやうてう)の作(さく)にして一尺はかりの座像(ささう)なり  《割書:此(この)本尊(ほんそん)古(いにしへ)は山上(さんしやう)観音堂(くわんおんたう)五層(こそうの)|塔(たふ)の本尊(ほんそん)にてありしとなり》堂前(たうせん)の清泉(せいせん)は寛永年間(くわんえいねんかん)  大将軍家(たいしやうくんけ)御上洛(こしやうらく)の時(とき)此地(このち)本宿(ほんしゆく)に御旅館(こりよくわん)を儲(まうけ)させられ  し頃(ころ)御/茶(ちや)の水(みつ)に掬(きく)せられしと云 観音山(くわんおんさん) 山頂(さんてう)に観音堂(くわんおんたう)あり故(ゆゑ)に山(やま)の号(かう)とせり宗興寺(そうこうし)より  令(れい)する所(ところ)にして石磴(せきとう)聳立(しうりふ)して寺(てら)の総門(さうもん)の正中(せいちゆう)に對(たい)す  本尊(ほんそん)正観音(しやうくわんおん)の像(さう)は毘首羯摩天(ひしゆかつまてん)の作(さく)にして五寸九分  あり昔(むかし)焼亡(しやうほう)によりてその旧記(きうき)を失(うしな)ひぬ今(いま)其(その)来由(らいゆ)をしら  すといふ 【右丁】 【図】 【枠内】本社 【枠内】神明 【枠内】拝殿 【枠内】神木 【枠内】天神 【枠内】いなり 【枠内】いなり 【看板】二八 【左丁】 洲崎明神(すさきみやうしん) 【図】 【枠内】いなり 【右丁】 観音山(くわんおんやま) 【図】 【枠内】熊野旧跡 【枠内】観音 【枠内】観音 【枠内】地蔵 【枠内】いなり 【枠内】宗興寺 【枠内】本堂 【枠内】天神 【左丁】 熊野権現山(くまのこんけんさん) 観音堂(くわんおんたう)の山續(やまつゝき)にして堂(たう)の左(ひたり)の方(かた)少(すこ)し高(たか)き  地(ち)に形(かた)はかりなる草祠(さうし)あり往古(いにしへ)小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)の功臣(こうしん)間宮(まみや)  四郎左衛門(しらうさゑもん)の城塁(しやうるい)の址(あと)なりと云/前條(せんてう)の本宿町(ほんしゆくまち)海道道(かいたうみち)  より右(みき)に付(つけ)る所(ところ)の熊野権現社(くまのこんけんのやしろ)といふは或(あるひ)は此社(このやしろ)を移(うつ)して  其跡(そのあと)へこの草祠(さうし)を置(おき)て旧地(きうち)を存(そん)せるにや小田原記(をたはらき)に  永正(えいしやう)七年の秋(あき)七月/上杉治部少輔入道建芳(うへすきちふのしやういふにふたうけんはう)か被官(ひくわん)上田(うへた)  蔵人(くらんと)と云(いひ)し者(もの)謀叛(むほん)を企(くはた)て北條早雲(ほうてうさううん)に一味(いちみ)し武州(ふしう)神(か)  奈川(なかは)なる熊野権現山(くまのこんけんさん)を城廓(しやうくわく)に構(かま)へ楯篭(たてこも)る依(よつ)て治部(ちふの)  少輔(しやういふ)自(みつから)大将(たいしやう)として管領(くわんれい)より結【給ヵ】/加勢(かせい)成田下総守(なりたしもふさのかみ)渋江(しふえ)  孫次郎(まこしらう)藤田虎壽丸(ふちたとらしゆまろ)大石源左衛門(おほいしけんさゑもん)長尾孫太郎(なかをまこたらう)か名代(みやうたい)  矢野安藝入道(やのあきにふたう)長尾但馬守(なかをたしまのかみ)か名代(みやうたい)成田中務丞(なりたなかつかさのしやう)其外(そのほか)  武蔵(むさし)の南(みなみ)一揆(いつき)をかり催(もよほ)し同月十一日/権現山(こんけんさん)に走向(はせむか)ひ  同十九日/迄(まて)責戦(せめたゝか)ひ終(つひ)に城(しろ)を落(おと)すとあるは此地(このち)の事(こと) 【右丁】 慶雲寺(けいうんし) 【図】 【枠内】熊野 【枠内】地蔵 【左丁】 【図】 【枠内】庫裡 【枠内】玄関 【枠内】本堂 【枠内】かね 【右丁】  なり《割書:小田原記(をたはらき)に此山(このやま)は四方嶮岨(しはうけんそ)にして岸高(きしたか)く峙(そはた)ち南(みなみ)は海(うみ)北(きた)は深田(ふかた)なり|西(にし)には山續(やまつゝき)たりしを其(その)間々(あひた〳〵)を堀切(ほりきり)て山(やま)に續(つゝき)たる平覚寺(へいかくし)の地蔵堂(ちさうたう)を》  《割書:根城(ねしろ)に取(とり)|立(たつ)と云々》 吉祥山(きちしやうさん)慶運寺(けいうんし)茅草院(ちさうゐん)と号(かうす)滝(たき)の橋(はし)の北詰(きたつめ)より西(にし)の方(かた)へ一町/半(はん)  はかり入(いり)て飯田道(いひたみち)の右側(みきかは)にあり浄土宗(しやうとしう)花洛(くわらく)知恩院(ちおんゐん)に属(そく)す  本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)は立像(りふさう)三尺/計(はか)あり《割書:作者(さくしや)|不知(しれす)》開山(かいさん)は音譽聖観(おんよせいくわん) 上人にして文安(ふんあん)四年丁卯/開基(かいき)といふ《割書:浄土傳燈系図(しやうとてんとうけいつ)に定蓮社(ちやうれんしや)音誉(おんよ)|聖観(せいくわん)上人は氏族(しそく)未詳(いまたつまひらかならす)或(あるひ)はいふ》  《割書:江州(かうしう)甲賀源氏(かうかけんし)と初(はしめ)橋場(はしは)の法源寺(はふけんし)第二世(たいにせ)となり又/當寺(たうし)を開創(かいさう)あり宝徳(はうとく)|元年/増上寺(そうしやうし)第三世(たいさんせ)となり文明年間(ふんめいねんかん)一日/火車(くわしや)を示現(しけん)して空中(くうちゆう)に乗(しやうし)去(さ)る》  《割書:辞世(しせい)の頌(け)及(およ)ひ和歌(わか)あり世(よ)に傳(つた)へて観音(くわんおん)の應化(おうけ)なりといふとみえたり又/音誉(おんよ)|上人/火車(くわしや)に乗(しやう)する事は新著聞集(しんちよもんしふ)にもつまひらかなり》  中興開山(ちゆうこうかいさん)は願故(くわんこ)上人と号(かうす)  東國紀行《割書: |程(ほと)なく神奈川(かなかは)につきたり此所(このところ)へも木机(こつくゑ)の城主(しやうしゆ)へ》      《割書:云つけられて旅宿(りよしゆく)慶雲寺(けいうんし)にかまへたり長老(ちやうらう)|出(いて)給ひて今日(けふ)の宴(えん)をたゝにはなとあれは》   はからすにこれもみしかな何物【注】の桃咲けふの春のやとりは  宗牧    と桃源(とうけん)の古事(こし)をおもひ出(いつ)るはかりなり 下略 【左丁】    《割書:按(あんする)に此(この)宗牧(そうほく)の紀行(きかう)に慶雲(けいうん)に作(つく)る後(のち)雲(うん)を運(うん)に改(あらたむ)るならん歟(か)又/宗牧(そうほく)乃|當寺(たうし)に宿(やと)りたりしは天文(てんふん)十四年三月三日なり》 臥龍山(くわりやうさん)雲松院(うんしようゐん) 乾徳寺(けんとくし)と号(かう)す滝(たき)の橋際(はしきは)より一里十四五町/西(にし)の  方(かた)小机村(こつくゑむら)長津田街道(なかつたかいたう)の左側(ひたりかは)にあり曹洞派(さうとうは)の禅林(せんりん)にして  遠州(ゑんしう)の石雲院(せきうんゐん)に属(そく)せり本尊(ほんそん)虚空蔵菩薩(こくうさうほさつ)は木佛(もくふつ)にして  座像(ささう)八寸/計(はかり)あり當寺(たうし)は小机(こつくゑ)の城代(しやうたい)笠原越前守信為(かさはらゑちせんのかみのふため)開創(かいさう)  の寺院(しゐん)にして《割書:當寺(たうし)霊牌(れいはい)に乾徳院殿雲松道慶庵主(けんとくゐんてんうんしようたうけいあんしゆ)|明應(めいおう)四年乙卯六月八日と注(しるし)たり》開山(かいさん)は季雲永岳(きうんえいかく)  大和尚(たいおしやう)と号(かうす)《割書:大永(たいえい)六年丙戌二月|十五日/化寂(けしやく)たり》総門(さうもん)の額(かく)臥龍山(くわりやうさん)の三大字(さんたいし)は僧(そう)  月舟(けつしう)の筆(ふて)なり《割書:小田原記(をたはらき)に弘治(こうち)三年丁巳七月二十六日/武州(ふしう)小机(こつくゑ)の城代(しやうたい)|笠原越前守(かさはらゑちせんのかみ)小田原(をたはら)において逝去(せいきよ)す法名(はふみやう)雲昌慶公庵主(うんしやうけいこうあんしゆ)と》  《割書:号(かう)す武勇(ふゆう)技藝(きけい)ともに無双(むさう)の達人(たつしん)にして古早雲寺殿(こさううんしとの)の忠臣(ちうしん)たり長総(なかふさ)に付(つき)氏綱(うちつな)|氏康(うちやす)へ忠功(ちうこう)かそへかたし其子(そのこ)は能登守(のとのかみ)なりとあり此書(このしよ)に雲昌慶公(うんしやうけいこう)とあるは》  《割書:雲松道慶(うんしようたうけい)か事なり又/同書(とうしよ)に永禄(えいろく)十年/信玄(しんけん)小田原(をたはら)へ発向(はつかう)するとある条下(てうか)に|小机(こつくゑ)には長綱(なかつな)の代(よ)に笠原能登守(かさはらのとのかみ)在城(さいしやう)すとあれは父子(ふし)共(とも)に二代の間(あひた)小机(こつくゑ)の城代(しやうたい)たり》  《割書:しなるへしされとも明應(めいおう)四年は弘治(こうち)三年に先(さき)たつ事/凡(およそ)六十三年|にして越前守(ゑちせんのかみ)没卒(ほつそつ)の年代(ねんたい)尤(もつとも)違(たか)へり猶(なほ)他日(たしつ)訂正(ていせい)すへきのみ》  鐘(かね) 《割書:堂前(たうせん)左(ひたり)の方(かた)にあり銘(めい)は明(みんの)心越禅師(しんゑつせんし)|撰(せん)する所(ところ)なり其文(そのふん)左(さ)のことし》   夫法界聖凡三途六道皆由人一念之所成擧世而 【注 「何物」は「河面」ヵ。国立公文書館デジタルアーカイブの「東國紀行」のこの歌は「はからすに 是もみしかな 河つらの もゝ咲けふの 春のやとりは」と読めます。https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037301&ID=M1000000000000060532&TYPE= 68頁】 【右丁】 小机城址(こつくゑのしろあと) 雲松院(うんしようゐん) 【図】 【枠内】相生松 【左丁】 【図】 【枠内】白山 【枠内】城跡 【枠内】住吉原 【枠内】白山 【枠内】かね 【枠内】雲松院 【枠内】本堂 【枠内】玄関 【右丁】   言之則有陰陽晝夜之分在人而言之有迷語聖凡   之別盖以我佛垂慈教齋六合無分天上人閒惟以   利生爲事然而種々隨機導利有情同圓覺性故又   設鐘聲佛號拔濟淪稱其功德曷勝言哉茲有   武州都築郡小机庄根古屋郷臥竜山雲松院住持   別峰者曹洞之末孫大源派下遠州高尾石雲院之   門葉也於是歳壬戌暮春積衆掾開鑄銅斯鐘以就   并新建立樓門而施鐘於其梁因質余銘而記之    銘曰   擧世皆暗 帷鐘是明 聲傳法界 響徹幽冥   幽處聞鐘 幽處皆明 明通幽處 幽處無形   聞而返聞 行顧速成 不聞而聞 菩提自生   恩遍六道 利極四生 無盡含識 俱登化城            東皐心越杜多稿   于時天和龍集玄■【黓】閹茂季春如意珠日     臥竜山雲松禅院現住宗靝代置之      武藏國豐島郡江戸住          根本之家御鑄物師             長谷川刑部國永作 【左丁】 小机城跡(こつくゑのしろあと) 同し通道(とほりみち)五丁/計(はかり)を隔(へた)てゝ道(みち)より右(みき)の方(かた)城坂(しろさか)と云(いふ)を  二町/斗(はかり)登(のぼつ)てあり土人(としん)は城山(しろやま)と号(かう)せり今(いま)官林(くわんりん)とす小田原記(をたはらき)に  天永(てんえい)四年甲申正月十三日/北条氏綱(ほうてううちつな)上杉朝興(うへすきともおき)を攻落(せめおと)し  歸陣(きちん)の後(のち)小机(こつくゑ)の城(しろ)を普請(ふしん)ありと記(しる)せり依(よつて)老臣(らうしん)笠原(かさはら)  越前守(ゑちせんのかみ)同(おなしく)能登守(のとのかみ)父子(ふし)を城代(しやうたい)として此処(このところ)に居住(きよちゆう)せし  むとなり封境(ほうきやう)今(いま)南北(なんほく)一町/余(よ)東西(とうさい)四町/計(はかり)の小阜(ちいさきをか)にして  回(めく)りに遑(ほり)の形(かたち)を存(そん)せり《割書:高(たかさ)六七|丈あまり》中心(ちゆうしん)の平地(へいち)纔(わつか)に百歩(ひやくほ)  ばかりありて今(いま)畠(はたけ)とす《割書:古(いにしへ)は橘樹郡(たちはなこほり)都築郡(つつきこほり)にわたりて|木机(こつくゑ)の属郷(そくかう)百八/郷(かう)ありしとなり》又/笠原(かさはら)  家(け)の臣(しん)沼上出羽(ぬまかみては)といへる人の子孫(しそん)今(いま)此地(このち)に存(そん)す其家(そのいへ)に  刀剣(とうけん)の類(るゐ)を収(をさ)むると云《割書:按(あんする)に北条家(ほうてうけ)分限帳(ふんけんちやう)に沼上(ぬまかみ)といへる人/小机(こつくゑ)の|内(うち)井田(ゐた)の地(ち)を領(りやう)するよし注(ちゆう)せしは此(この)出羽(ては)》  《割書:某(それかし)か事(こと)を云なるへし又/同書(とうしよ)に笠原藤左衛門(かさはらとうさゑもん)といへる人/小机(こつくゑ)八朔(はつさく)を領(りやう)し笠原(かさはら)|佐渡(さと)といへるは左衛門佐(さゑもんのすけ)知行(ちきやう)の内(うち)小机(こつくゑ)綱島(つなしま)箕輪(みのわ)を領(りやう)すとあり笠原弥十郎(かさはらやしうらう)は》  《割書:高田玄番助(たかたけんはのすけ)か小机(こつくゑ)菅生(すかふ)の内(うち)を領(りやう)し笠原平左衛門(かさはらへいさゑもん)といへるか所領(しよりやう)の内(うち)にも小机(こつくゑ)|師岡(もろをか)の地名(ちめい)を注(ちゆう)しかへたり按(あんする)にいつれも越前守(ゑちせんのかみ)の氏族(しそく)なりしなるへし》  白山権現(はくさんこんけん) 城山(しろやま)の東(ひかし)の山觜(さんし)にあり古(いにしへ)の鎮守(ちんしゆ)なりしと云傳(いひつた)ふ 【右丁】 松亀山(しようきさん)泉谷寺(せんこくし) 本覚院(ほんかくゐん)と号(かう)す城山(しろやま)より五六町を隔(へた)てゝ長津(なかつ)  田通道(たとほりみち)の左(ひたり)にありて大門(おほもん)三丁/計(はかり)か間(あひた)左右(さいう)に櫻(さくら)の列樹(れつしゆ)あり  《割書:此地(このち)の小名(こな)を《振り仮名:泉ゕ谷|いつみ たに》と|云(いふ)故(ゆゑ)に寺(てら)の号(かう)とせり》浄土宗(しやうとしう)にして花洛(くわらく)智恩院(ちおんゐん)に属(そく)せり本(ほん)  尊(そん)は一/光三尊(くわうさんそん)の阿弥陀如来(あみたによらい)木像(もくさう)にして二尺八寸/計(はかり)あり  作者(さくしや)しるへからす當寺(たうし)は鈴木但馬守(すゝきたしまのかみ)といへる人の開創(かいさう)なり  《割書:此人(このひと)|未考(いまたくわんかへす)》開山(かいさん)を名蓮社見誉大道善悦大和尚(みやうれんしやけんよたいたうせんえつたいおしやう)と号(かう)す《割書:弘治(こうち)元年|八月二日》  《割書:化寂(けしやく)す下総(しもふさ)飯沼(いひぬま)|弘経寺(くきやうし)の六世なり》中門(ちゆうもん)の前(まへ)に天正(てんしやう)十八年/小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)より建(たつ)る  所(ところ)の天正(てんしやう)十八年の制札(せいさつ)あり 淡島明神(あはしまみやうしん)社 相模街道(さかみかいたう)大熊村(おほくまむら)より左(ひたり)へ十三四町入て折本村(をりもとむら)に  あり神主(かんぬし)雲路氏(くもちうち)奉祀(ほうし)す祭禮(さいれい)は二月三日/縁日(えんにち)は毎(まい)月三日  十三日にして祭神(さいしん)は少彦名命(すくなひこなのみこと)及(およ)ひ神功皇后(しんこうくわうこう)二/座(さ)なり勧(くわん)  請(しやう)の初(はしめ)は詳(つまひらか)ならすと云  櫻樹(さくらのき)《割書:神前(しんせん)東(ひかし)の方(かた)にあり昔(むかし)土人(としん)此山(このやま)に入(いり)櫻(さくら)の老樹(らうしゆ)を薪(たきゝ)にせんとして是(これ)を|伐(き)り日(ひ)を経(へ)て後(のち)山(やま)より出(いた)さんとかしこに至(いた)りけるに件(くたん)の老樹(らうしゆ)の傍(かたはら)に》 【左丁】  《割書:大(おほひ)なる蛇(へひ)ありて其樹(そのき)を衛(まも)りひとへに惜(をし)むに似(に)たり里人(りしん)思(おも)へらくもしくは社(しや)|辺(へん)にありし樹(き)なれは當社(たうしや)の神(かみ)の愛樹(あいしゆ)にてやありけんとそゝろに恐怖(けうふ)し終(つひ)に其(その)》  《割書:樹(き)に手(て)を付(つく)る事なく宝永(はうえい)正德(しやうとく)の頃迄(ころまて)猶(なほ)山(やま)かけに朽残(くちのこ)りてありしとなり今(いま)|其(その)根株(ねかふ)より生(しやう)したる蘖(ひこはへ)の若木(わかき)社(やしろ)の上にありしを今(いま)神前(しんせん)の西(にし)に移(うつ)したりと》  《割書:あり社(やしろ)の東(ひかし)に栽(うゑ)たるは宝永(はうえい)|の頃(ころ)其根(そのね)を分(わか)ちたるなり》  淡島神祠之碑(あはしましんしのひ)  《割書:寛保(くわんほ)壬戌/夏(なつ)折本(をりもと)の邑長(むらをさ)藤原英至(ふちはらのてるむね)といへる人/邑民(いうみん)と共(とも)に謀(はかつ)て當社(たうしや)を新(あらた)に|せんと欲(ほつ)すその頃(ころ)此地(このち)は松下某公(まつしたそれかしこう)の采邑(さいいう)なれは英至(てるむね)此事(このこと)を告(つ)く某公(それのこう)すなはち》  《割書:祠(やしろ)に近(ちか)き地(ち)数百歩(すひやくほ)を此(この)神祠(しんし)に属(そく)す英至(てるむね)退(しりそい)て文(ふん)を麻布(あさふ)善福寺(せんふくし)の了誉(りやうよ)上人に|請(こ)ひ書(しよ)を烏石山人(うせきさんしん)に求(もと)む篆額(てんかく)は本多康桓(ほんたやすたけ)竜(りやう)の画(ゑ)は古山平國豊(ふるやまたひらくにとよ)の筆(ふて)なり》  《割書:其文(そのふん)はこゝに省(はふ)きてしるさす》 多目周防守(ためすはうのかみ)宅地(たくち) 青木(あをき)町の中(うち)なりとおほしけれとも其地(そのち)定(さたか)ならす  小田原記(をたはらき)信玄(しんけん)小田原(をたはら)を襲(おそ)ふとある条下(てうか)に多目周防守(ためすはうのかみ)その頃(ころ)  青木(あをき)といふ所(ところ)に居住(きよちゆう)したりとあり《割書:《振り仮名:程ヶ谷|ほとか や 》蒔田城(まいたしやう)の条下(てうか)に詳(つまひらか)なり関(くわん)|東古戦録(とうこせんろく)に此人(このひと)信州(しんしう)上州(しやうしう)の境(さかい)西(にし)》  《割書:牧(まき)の城(しろ)にありて上州(しやうしう)の國(くに)峯(みね)岩倉(いはくら)等(とう)の砦(とりて)落去(らくきよ)の時(とき)討死(うちしに)せし事(こと)見えたり|小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)に多米新左衛門(ためしんさゑもん)青木(あをき)を領(りやう)する由(よし)見(み)えたり》    《割書:按(あんする)に小田原記(をたはらき)には多目周防守(ためすはうのかみ)を吉良佐兵衛佐義門(きらさひやうゑのすけよしかと)の家臣(かしん)なりとすされと|北条家(ほうてうけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)によりて考(かんか)ふれは北条(ほうてう)の臣(しん)なる事あきらけし義門(よしかと)は》    《割書:北条氏康(ほうてううちやす)の妹聟(いもとむこ)なれは新左衛門(しんさゑもん)を後(のち)周防守(すはうのかみ)とし小田原(をたはら)より吉良家(きらけ)へ附(つけ)|人(ひと)なとにせしにより吉良家(きらけ)に属(そく)してありしならん》 【右丁】 泉谷寺(せんこくし) 【図】 【枠内】庫裡 【枠内】玄関 【枠内】本堂 【枠内】かね 【枠内】地蔵 【枠内】観音 【左丁】 【図】 【枠内】いなり      八まん      弁天 【枠内】塔中 【枠内】住吉原 【右丁】  師岡(もろをか)  熊野権現(くまのこんけん)宮 【図】 【枠内】地蔵 【枠内】山王 【枠内】いなり 【枠内】弁天 【左丁】 【図】 【枠内】拝殿 【枠内】本社 【枠内】みたらし 【枠内】別當 【枠内】ゑんま 【右丁】 折本村(をりもとむら) 淡島明神(あはしまみやうしん)社 【図】 【枠内】せつたい      ちや 【枠内】男滝 【左丁】 【図】 【枠内】天王 【枠内】本社 【枠内】いなり 【枠内】女滝 【右丁】 青木山(あをきさん)西向寺(さいかうし) 同所/青木町(あをきまち)の横小路(よここうち)の右側(みきかは)にあり虚無僧寺(こむそうてら)に  して普化宗門(ふけしうもん)金洗派(きんせんは)と称(しよう)す《割書:扣番所(ひかへはんしよ)と号(なつ)くる物(もの)に|して本寺(ほんし)にはあらす》 本覚寺切通(ほんかくしきりとほし) 同所/本覚寺(ほんかくし)の北(きた)の方(かた)の間(あひた)を切闢(きりひら)きて道路(たうろ)とす  《割書:長津田通道(なかつたとほりみち)及(およひ)三澤(みさは)|村(むら)等(とう)への路(みち)なり》永正(えいしやう)七年の秋(あき)上杉治部少輔入道建芳(うへすきちふのしやういふにふたうたつよし)か  被官(ひくわん)上田蔵人(うへたくらんと)建芳(たつよし)に背(そむ)き此地(このち)に打(うつ)て出(いて)熊野権現山(くまのこんけんさん)を  城郭(しやうくわく)に取立(とりたて)西(にし)に續(つゝ)きたる山々をは其間(そのあひた)をは堀切(ほりきり)本覚寺(ほんかくし)  の地蔵堂(ちさうたう)を根城(ねしろ)とせしよし小田原記(をたはらき)に見えたり《割書:熊野(くまの)|権現(こんけん)》  《割書:山(さん)の条下(てうか)と|あはせみるへし》 青木山(あをきさん)本覚禅寺(ほんかくせんし) 同所の南(みなみ)七軒(しちけん)町にあり曹洞(さうとう)の禅刹(せんせつ)にして  小机(こつくゑ)の雲松院(うんしようゐん)に属(そく)す本尊(ほんそん)地蔵菩薩(ちさうほさつ)は一尺四五寸の立像(りふさう)  なり相傳(あひつた)ふ當寺(たうし)は嘉禄(かろく)二年の開創(かいさう)にして其後(そののち)天文紀元(てんふんきけん)  の年/曹洞大源(さうとうたいけん)の末流(はつりう)季雲四傳(きうんしてん)の法孫(はふそん)陽廣禅師(やうくわうせんし)此(こゝ)に  住(すみ)初(はしめ)て法幢(はふとう)を建(た)てゝ禅風(せんふう)を起(おこ)す《割書:元禄(けんろく)の初(はしめ)殿堂門廡(てんたうもんふ)|悉(こと〳〵)く祝融氏(しゆくいうし)の為(ため)に廃(はい)す》佛殿(ふつてん)の 【左丁】  額(かく)に本覚禅寺(ほんかくせんし)と書(しよ)せしは圓明寺(ゑんみやうし)の開祖(かいそ)道山和尚(たうさんおしやう)の  筆(ふて)なり 圓明山(ゑんみやうさん)陽光院(やうくわうゐん)本覚寺(ほんかくし)の南(みなみ)に隣(とな)る遠州(ゑんしう)可睡齋(かすゐさい)退院(たいゐん)の地(ち)に  して曹洞(さうとう)の禅院(せんゐん)なり開山(かいさん)勅特賜本然圓明禅師(ちよくとくしほんねんゑんみやうせんし)と号(かうす)  《割書:石牛天梁(せききうてんりやう)|和尚(おしやう)と号(かうす)》後(うしろ)の山(やま)を福聚峰(ふくしゆほう)と号(かう)す門(もん)の額(かく)に福聚望(ふくしゆはう)と書(しよす)  永平圓明禅師(えいへいゑんみやうせんし)の筆(ふて)なり 道灌山(たうくわんやま) 同所/西(にし)の方(かた)の山中(さんちゆう)の字(あさな)なり昔(むかし)大田道灌入道(おほたたうくわんにふたう)此地(このち)に  城(しろ)を構(かま)へたりしよりの号(かう)なりと云 飯綱権現(いつなこんけん)社 神奈川(かなかは)臺町海道(たいまちかいたう)の右(みき)の山上(さんしやう)にあり本覚寺(ほんかくし)より  一町/斗(はかり)南(みなみ)なり別當(へつたう)は真言宗(しんこんしう)同所の萬年山(まんねんさん)普門寺(ふもんし)奉祀(ほうし)す  祭礼(さいれい)は五月十七日なり飯綱権現(いつなこんけん)本地佛(ほんちふつ)は不動明王(ふとうみやうわう)行基(きやうき)  大士(たいし)の作(さく)にして座像(ささう)一尺七八寸/垂跡(すゐしやく)は大山祗命(おほやますみのみこと)といふ相傳(あひつた)ふ  右大将(うたいしやう)頼朝卿(よりともきやう)此(この)尊像(そんさう)を深(ふか)く崇敬(そうけい)なし給ひ治承(ちしやう)四年 【右丁】  八月/伊豆國(いつのくに)石橋山(いしはしやま)敗軍(はいくん)の後(のち)安房國(あはのくに)へ渡海(とかい)の時(とき)本尊(ほんそん)の  霊尓(れいし)によりて風浪(ふうらう)の難(なん)を逃(のか)れ給ひ其後(そののち)竟(つひ)に天下一統(てんかいつとう)なし  給ひしかは文治年間(ふんちねんかん)此地(このち)に宮社(きうしや)造営(さうえい)ありて神領等(しんりやうとう)を寄(よせ)  られたりしとなり遥(はるか)の後(のち)大田道灌(おほたたうくわん)此地(このち)にありて尤(もつとも)尊信(そんしん)厚(あつ)  かりしと云 《振り仮名:袖の浦|そて  うら》 此地(このち)の光景(くわうけい)長汀曲浦(ちやうていきよくほ)さなから袖(そて)の形(かたち)に似(に)たる故(ゆゑ)に名(な)  とす烏丸大納言光廣卿(からすまるたいなこんみつひろきやう)関東下向(くわんとうげかう)の頃(ころ)帰路(きろ)に再(ふたゝひ)此地(このち)に  よきり給ひて和歌(わか)を詠(えい)せらる《割書:其時(そのとき)みつから筆(ふて)を染(そめ)給ふ詠草(えいさう)は此地(このち)|江戸屋(えとや)何某(なにかし)か家(いへ)に秘(ひ)め置(おけ)り》    こたひ《振り仮名:袖の浦|そて  うら》に泊(とま)りて   思ひきや袖の浦浪立かへりこゝに旅宿を重ぬへしとは  光廣   《割書:按(あんする)に黃葉集(くわうえうしふ)に初五文字をあつまちのとあらため結句(けつく)のとはをとやとす黃(くわう)|葉集(えうしふ)はおそらく傳写(てんしや)のあやまりなるへし》 冨士浅間(ふしせんけん)祠 同所の南/芝生村(しはふむら)海道(かいたう)の右(みき)の方(かた)山(やま)の中腹(ちゆうふく)にあり 【左丁】 浅間社(せんけんのやしろ) 【図】 【枠内】人穴 【右丁】  《振り仮名:保土ヶ谷|ほと や》天徳寺(てんとくし)といへる真言寺(しんこんし)の持(もち)なり此地(このち)に一の  暗窟(あんくつ)あり土俗(とそく)是(これ)を冨士(ふし)の人穴(ひとあな)と号(なつ)く相傳(あひつたふ)昔(むかし)頼朝卿(よりともきやう)  冨士(ふし)の裾野(すその)に御獵(みかり)ありし頃(ころ)仁田四郎忠常(にたんのしらうたゝつね)に命(めい)せられ  冨士(ふし)の人穴(ひとあな)の奥(おく)を究(きは)めしむ忠常(たゝつね)終(つひ)に此(この)穴中(けつちゆう)に入(い)りて抜(ぬけ)  出(いて)たりといふ誕譚(えんたん)よりところなしといへとも古(ふる)くより云傳(いひつたふ)る  故(ゆゑ)に是(これ)を闕事(かくこと)あたはす 洲乾辨財天(しうかんへんさいてん)祠 芒新田(のけしんてん)横濱村(よこはまむら)にあり故(ゆゑ)に土人(としん)横濱辨天(よこはまへんてん)  とも稱(しよう)せり別當(へつたう)は真言宗(しんこんしう)にして同所(とうしよ)増德院(そうとくゐん)奉祀(ほうし)す祭(さい)  礼(れい)は十一月十六日なり安置(あんち)する所(ところ)の弁財天(へんさいてん)の像(さう)は弘法大師(こうはふたいし)の  作(さく)にして《振り仮名:江の嶋|え   しま》と同木(とうほく)也/此地(このち)は洲崎(すさき)にして左右(さいう)共(とも)に海(うみ)に臨(のそ)み  海岸(かいかん)の松風(まつかせ)は波濤(はたう)に響(ひゝき)をかはす尤(もつとも)佳景(かけい)の地(ち)なり  海中(かいちゆう)姥島(うはしま)なと称(しよう)する奇巌(きかん)ありて眺望(てうはう)はなはた  秀美(しうひ)なり                   【尾崎蔵書】 【左丁】                   【豊田家蔵】 【裏表紙】