かなめ石    上下          中欠本 【文字は無し】 艱難目異誌上書目録     序(じよ) 一  地震(ぢしん)ゆりいだしの事 ニ 京中のまち町家 損(そん)ぜし事 三  下御灵(しもごりやう)【「灵」は「霊」の略字として用いられる。】にて子どもの死(し)せし事 四  室町(むろまち)にて女房の死(し)せし事 五 大 佛殿(ぶつでん)修造(しゆざう)并日用のものうろたへし事 六  耳塚(みゝづか)の事并五条の石橋(いしばし)落たる事 七 清水の石塔(せきたう)并 祇園(ぎをん)の石の鳥居(とりゐ)倒(たをるゝ)事 八  八坂(やさか)の塔修造并 塔(たう)のうへにあがりし人の事 九 方々小屋がけ付 門柱(かとばしら)に哥を張(はり)ける事 【右丁】 十 光り物のとびたる事 【左丁】 春すぎ夏も来てやう〳〵なかはに成ゆけは 藤(ふじ)山吹に咲つゝく垣(かき)ねの卯の花やまとなでし こへもさながらにしきをしけるごとくなるに 千えう【千葉】万えう【万葉】梨月(りげつ)名月(めいげつ)などいへる五月(さつき)つゝじ もしな〳〵にほころびいで山ほとゝぎすは聲を はかりに鳴わたり田子の早苗(さなえ)は時過るとてさし いそぐ早乚女(さをとめ)の田うたのこゑ〴〵井手(ゐて)のかはづも おもしろがりてとびあがるも心ありげ也     一 地震ゆりいだしの事 今年(ことし)は寛文第二みづのえ寅のとし去年(こぞ)にも 似(に)ず我(が)も耗(へげ)【「我が剥(へ)げる」で「それまでの態度や意欲などを失う」意。折れる。】やみければ民のかまどもにぎはひ 【右丁】 何となく世もゆるやかに侍べりける所に 五月朔日巳のこくばかりに空かきくもり塵(ちり)【一般的に「ちり」は「塵」の字を用いるが原本に表記されている文字は無い故「塵」をあてた】灰(はい) の立おほひたるやうにみえて雨げの空にも あらず夕立のけしきにもあらずいかさま【いかにも】 聞をよぶ龍(たつ)のあがるといふものかそれかあらぬか 雲(くも)か煙(けふり)かとあやしむところにうしとらのかた より何とはしらずどう〳〵と鳴(なり)ひゞきてゆり いだす上下地しんとはおもひもよらさりけるが しきりにゆらめきけれは諸人こゝろづきて 初めのほどは世なをし〳〵といひけれとも大 家(け)小(せう) 家(け)めき〳〵としてうごきふるふ事おびたゝし 【左丁】 かりければすはや【すわや=「すは」に助詞「や」が付いてできたもの。急の出来事に驚いたときなどに発する語。】世がめつして【滅して】只今沼の海に なるぞやといふほどこそありけれ京中の諸人 うへをしたにもてかへし大 道(だう)をさしてにげ出る 生れてよりこのかた日のめもみぬほどのやごと なき【「やんごとない」の「ん」の無表記から出来た語=身分が高い、恐れ多い。】女房達(にようばうたち)もをびときひろげさばきがみ【「捌髪」=ざんばら髪】 はだしつかもぎそて【意味不明】恥(はぢ)をわすれてかけいで にげいでおめきさけぶ【大声を出して叫ぶ】事いふはかりなし【「言うばかりなし=言葉では言い尽くせない程である。】ある 人この中にもかくぞいひける   わが廬(いほ)の竹のたる木もふるなやに    ゆがまばやがて世なをし〳〵    二 京中の町家(まちや)損(そん)ぜし事 【右丁】 家居(いえゐ)つき〴〵しく【「つぎつぎし(次次し)=次から次へと」だと文意があわない。「つきづきし(付き付きし)」=ふさわしい・調和がとれている。」の方が文意に叶っていると思われるので、筆者が濁点の位置を、繰り返し記号の所と間違えて付けたものと思われる。】つくりみがゝれしかた〴〵 堂舎(だうしや)【大小の家々】仏(ぶつ)かく【仏閣】社頭(しやとう)にいたるまてあるひは棟木(むなぎ) くじけ【折れたり曲がったりする。】梁(うつばり)【家屋や橋などの骨組みの一つ。柱と柱の上に渡し、棟の重みを支えるもの。】ぬけて瓦(かはら)おち垂木(たるき)【屋根面を形成するために棟から桁へ渡す長い木材。】おれ【折れ】さしもの【「指物」=家具や器具】 砕(くだけ)て軒(のき)かたふきあるひは鴫居(しきゐ)【本来は「敷居」とあるところ。「筆者は「敷」を「鴫」と書き誤ったか、次の「鴨居」の「鴨」に対して同じ鳥の名の「鴫」の字を用いてシャレたのかも。】鴨居(かもゐ)はゆがみ すじり【「捩じり」=ねじれ】さしこめたる【中に閉じ込めている】戸障子(としやうじ)どもをひらかん とするにつまりてあかずこれに心をとられ て気(き)をうしなひ又はにげんとするに地かたふ き【傾き】足(あし)よろめきてうちたをれふしまろぶ【臥し転ぶ=身を投げ出してあちこちにころぶ。】 かたはらには家くづれておちかゝるさしもの なげし鴨居(かもゐ)にかうべを打わられたをるゝ 小壁(こかべ)【戸窓の上下にある壁。】に腰(こし)のほねをうちをられ二 階(かい)より高□【「い」か?】 【左丁】 ものはおちかゝる棟木(むなぎ)に髪(かみ)のもとゞり【髪を頭の上に集めてたばねたところ】をはさ まれたもと【袂】をはさみとめられみづからかたな わきざしにて切(きり)はなちにげおりてはう〳〵 いのちをたすかり又は大 木(ぼく)にうちひしかれ てひらめ【「平め・平目」?】になりて死(し)するもあり疵(きず)をかうふり【「こうぶり」=被り、蒙り】 て吟(によひ)【「によび」=うんうんうなる。うめく。】ふし【伏し或は臥し】今をかぎりのものもありをよそ 京中のさうどう【騒動】前代未聞(ぜんだいみもん)の事共なり ある人これにおどろきて腰(こし)【偏のにくづきがのぎ偏になっているのは誤り】をぬかして尻井(しりゐ)【「尻居」とあるところ。…尻もち】に どうど【でんと】ふしてかくぞよみける   ふる【振る】なえ【「なゐ」とあるところ。土地、地盤の意。「なゐふり」で「地震」の意。後に「なゐ」だけで地震をいうようになった。ここでは後に出る語の関係で「なえ」といっているのであろう。】にあやかりけり【地震と同じように動揺していた】な手も足も    なえになえ【「なゐに萎え」と「萎えに萎え(萎えを強調)」を掛けている。】つゝたゝれこそせね【立つことさえ出来ない】 【左丁 左端】 地震ゆりいたし 【右丁】       三  下御灵(しもごりやう)にて子どもの死せし事 五月朔日は祈祷(きたう)の日なりとて諸社(しよしや)に御神楽(かぐら)御湯(みゆ)【巫女(みこ)が神前で熱湯に笹の葉をひたしてそれを身に振りかけて祈ること。】 などまいらする事いにしへよりこのかたこれあり 下御灵(しもごりやう)そも【そもそも】御湯(みゆ)まいらせ貴賤(きせん)老若(らうにやく)つどひ あつまりておがみ奉るその時しも地しんおび たゝしくゆりいでしかば諸人きもをけし【「肝を消す」=心の落ち着きを失う。非常にびっくりすること。】拝殿(はいでん) にのぼり居(ゐ)たるはくづれおち地下なるものは はしりいでんとすこみあひもみあふてなきさ けびよばひ【「呼ばい」=何度も呼ぶ。】どよむ【あたりを揺り動かすように鳴る】その中に年のこのころ七八 歳(さい) にもやなるへきとみゆ【見ゆ】かおのこ子【「おのこご」=男子子】二人にげいづべ き方角(はうがく)をうしなひ心きえ【心消え=正気を失い】たましゐ【思慮分別】うろたへて 【左丁】 せんかたなくおそれもだえ石燈籠(いしとうろう)にいたきつきし 所にやがてかのいしどうろうゆりかたふきて折 たをれしかば二人の子どもはこれにうちひしかれ かうべより手あしにいたるまでつゞく所なく きれ〴〵になりて死(しに)けるこそかなしけれ是は そも【そもそも。それにしても。】いか成【いかなる】人の子ともなるらんと諸人おそろしき 申にもあはれにおもひていひのゝしる【口々に言い立てる】しばらく ありて子どものおやはしりきたりそのかほ かたちはひしけて【「ひしげて」=おし砕かれて、ひしゃげて。】見えねども血(ち)に染かへりし きる物はまがふ所なくそなりければ母も気を うしなひ父も聲をあげて只なきになきけれ 【右丁】 ともかひなしさても爰かよ〳〵【「かよう斯様」に同じ。「かよう」を重ねて内容を複雑にあらわすもの。これこのとおり。】にてちぎれたる かばね【死骸】をとりあつめ洟【なみだ】とともに俵(たはら)にいれ人してもたせて家ぢに立まる【「立ち回る」に同じ】ふたりのおやの心の内 おもひはかるべしその身さきの世のむくひとは いひながらやまいにふして死(しに)もせばせめては 思ひもうすかるべきにやこれはおもひもかけ ざりしいじ【?】けなき【ひどく恐れちぢこまっている】さいごのありさま余所(よそ)の たもともぬれ侍べり後(のち)に聞ければ御灵(ごりやう)ちか きあたりのものにて一人は琴屋(ことや)一人は鞠(まり)やの 子にて侍へりしけがれたる火をくひて親(おや)にも しらせずこの御やしろにまつり御湯(みゆ)まいらする 【左丁】 をおがまむとせしが神の御とがめにてかゝる 事にあひ侍べりけるなとかや【などかや=何故であろうか】あまりにみる め【見る目=見た様子】のふびん【不憫=かわいそうなこと】さるや【そうであるから】とふらひ【「とぶらひ」=「とむらひ」の古形。…死者の霊を慰め冥福を祈る。法要をする。】ける僧(そう)かくぞよみ てたむけ【手向け】ゝる   とてもはや     うちひしかれて死するかし【「かし」は強く相手に念を押す意の助詞。】    いしどうろうを五輪【「五輪卒都婆」の略。卒塔婆の一つ。平安中期ごろ密教で創始された塔形で、石などで五つの部分につくったもの】ともみよ 【左丁 左端】 下ごりやう 【右丁】      四  室町(むろまち)にて女房の死せし事 二条むろ町」に百足(むかで)屋のなにがしとかや聞えし 人の女房は今年わづかに十七歳むかへとりていく ほどもなくたゞならぬ方にて侍りしが朔日の 地しんさしも【これ程にも】おびたゝしかりければ家のうちにも たまりえず【留まることができず】おち【「おじ」=叔父、伯父】の人かひぞへ【介添え】小女四人つれて うらなる空地(くうぢ)にいでんとす そのあひだに 土蔵(どざう)のありけるが俄にくづれかゝり瓦(かはら)にて かうべをくだきおちかさなる壁(かべ)にひしけ【ひしげ=おし砕かれる】うづ まれ【埋められ】四人一所に死(しに)けるこそ一 業(ごう)所感(しよかん)【前世での行為がその結果としてもたらすもの】とはいひ ながらかなしかるべきありさまなり家のうちの 【左丁】 上下もだえこがれ【「悶え焦がれ」=じっとしていられない程激しく思い詰める】山のごとくにおちかさなりし 土(つち)をかきのけむなしきかばね【屍】をほりいだすい まだ息(いき)のかよへるものもありしかどもとかく【あれこれ】 するうちにはや事きれはてけり女房はあえな く打ひしかれ腹(はら)はわきよりさけて内なる子は いまだ五月(いつゝき)ばかりなるがはらわたにまとはれ血に まみれてなだれ出けるを見るこそかなしけれ おやしうとめさしつどひ【詰めかけ】てこれは〳〵といへども かひなし只なくよりほかの事なくいかにとも【どうにも。何とも】 思ひわけたる【物事に対して適正な理解や判断をしている。分別している】ことなければ内のものどもとかく はからひて寺(てら)にをくり一 聚(じゆ)【一つの村里】の塚(つか)の主(ぬし)となし 【右丁】 けりかの女房にかはりて   大なえ【大地震】にくづれておつる棟(むな)がはら     土(つち)ぞつもりて墳(つか)となりける     五 大 佛殿(ぶつでん)修造(しゆざう)并 日用(ひよう)のものうろたへし事 これをはじめとして京中にありとあらゆる 土蔵(どざう)どもあるひはひらに【平に=容易に】くづれあるひはかはら おち壁(かべ)われてゆがみかたふかず【かたぶかず(傾かず)】といふことなし 家々の棟木(むなぎ)さし物はほぞおれてぬけかゝり 軒(のき)かたふき束柱(つかばしら)くじけゆがみ棚(たな)にあげをきし 道具(だうぐ)ども家ごと一 同(どう)におちくづれ女房子どもは いよ〳〵おそれまどひ啼(なき)さけぶ聲に瓦くはえて 【左丁】 目(め)をまはし気(き)をとりうしなふものもおほかり けりむかし文徳(もんどく)天 皇(わう)の御宇 斎衡(さいけう)二年五月五日 の大地しんに南都(なんと)東大寺(とうだいじ)大 佛(ぶつ)の頭(みくし)【「みぐし」=頭の敬称】をゆりお とせしと記録(きろく)にしるせりこのたびの地しんには 京都の大佛は修造(しゆざう)のため頭(みくし)はすでにとり おろし奉りぬ日ごとに手傳(てつだひ)日用(ひよう)【日雇い】をいれてきん金(こん) 銅(どう)十六丈の仏像(ぶつざう)をげ【「氣」は仮名「け」の字母なので、普通に読めば「げん(験)」=ききめ、効果。】んおうかるとこをもつてかちくだきうちこはすくはん〳〵といふ其ひゞき 四王(しわう)【四天王の略】忉利(たうり)【忉利天のこと】の雲のうへまでも聞え水輪(すいりん)【大地の下にあって世界を支えているという四個の大輪の一つ】坤軸(こんぢく)【「坤」は地の意。大地の中心を貫いて大地を支えていると想像された軸。地軸。】の下(した) までもこたへぬらんと物すごくおぼゆるところに 俄におびたゝしき大なえゆりいだして大 佛殿(ぶつでん) 【右丁】 ゆるぎはためきければ日用(ひよう)どもは地しんとは思ひ もよらずうちくだく仏(ほとけ)の罰(ばち)あたりてたゞいま 無間(むけん)地ごく【後世は「むげんじごく」とも。八熱地獄の第八番目、最下底の地獄】におつるとこゝろえ【「江」あるいは「へ」」とあるところ】百人ばかりの日用(ひよう) のものども一 同(どう)に聲をあげ手をすりて南無(なむ) 釋迦如来(しやかによらい)かやうにうちこはし奉る事われらが こころよりおこる所にはさふらはず日用(ひよう)つかさ【司…役人】に やとはれて下知(げぢ)【下知=命令。いいつけ。】によりて打くだき奉る我らに 科(とが)はなきものをゆるさせ給【『くずし字用例辞典』には「給」の項に記載がありますが「たま」の合字にも見えます】へ〳〵とわびことす る奉行(ぶぎやう)の者(もの)どもはいかにこれは地しんなるぞや 日用のものどもさはぐな〳〵といへども耳(みみ)にも 聞きいれずして仏の肩(かた)にのぼり御手のうへに 【左丁】 あかりて居たる日用どもおつるともなくとぶ ともなくやう〳〵にげおりてこそ初めて地しん なりとはおほえけれある日用(ひよう)のものかくぞつぶ やきける      ゆるからにほとけの罰とおもひきや      なゆ【「なゐ(地震)」のこと。】としりせばおもざらましを 【右丁 右端】 大ふ門 【左丁】   六  耳塚(みゝつか)の事并五 條(でう)の石橋(いしばし)落(おち)たる事 大 佛殿(ぶつでん)の門前(もんぜん)みなみのかたに耳塚とてこれ ありむかした太閤秀吉公(たいかうひでよしこう)朝鮮征伐(てうせんせいばつ)の時 異国(いこく)の 軍兵ともおほく日本(にほん)の手に打とりその首(くび)を 日本にわたして太閤の実検(じつけん)にそなへんとする に首数(くびかず)おひたゝしかりければ只 耳(みゝ)ばかりを切(きり)て 樽(たる)につめてわたしたり太閤(たいかう)実検(じつけん)し給ひて のちこれ無縁(むえん)のものにして亡郷(ばうきやう)の鬼(き)となり ぬらん敵(てき)ながらもふびんなりとて塚(つか)につきこめ そのうへに五 輪(りん)を立て永代(えいたい)のしるしとし給ふ はぬる【その年がはねての意か】慶長(けいちやう)十九年十月廿五日まことに夥(おびたゝ)しき 地しんなりけるにも子細(しさい)なかりけるをこのたびの 大なゆ【「大なゐ」=大地震のこと】にふりくづされ 塚(つか)はくづれ五 輪(りん)はたをれ て其あとは深(ふか)きあなとなり侍へりけるとそ ゆゝしけれ【いまいましい】ある人 穴(あな)の中へよみいれけり    耳塚(みゝづか)のおほくの耳(みゝ)よことゝはん    かゝる地しんを聞やつたへし あなの底よりひゞき出ける音に返哥とおほしくて  もろこしもゆりやしぬらん大なゆに   今こそ耳(みゝ)のあなはあきけれ 【左丁 右端】 みゝつか 【右丁】 五条の石ばしもこのころはわたしおほせて假令(たとひ) つか成事ありとも当来(たうらい)弥勒(みろく)出世(しゆつせ)の時代(じだい)【未来に出現するという弥勒菩薩が衆生を救うために仮にこの世にあらわれる時代】までも ことゆへあらじ【無事である。別条がない。】とおもひけるに橋(はし)げた橋(はし)板(いた)蘭干(らんかん)まで廿 余間(よけん)おちたりけりこの時わたりかゝりし 人ありけるが一人は橋げたの石(いし)にうたれくだけ ちりて死(しに)たりいま一人は西六条花や町のもの とかや橋板のおつるにのりて下におちつきや がて絶(たえ)いりしがひざのあたりすこし打やぶれ たるばかりにてやう〳〵よみがへり夢のこゝち してはう〳〵家にかへりぬ運(うん)のつよきものに こそとてみづから大に【おおいに】よろこびいはゐごとしけ 【左丁】 るもことはり也 荷(に)おひたる馬ども橋づめに おほくつどひあつたりけるがおほくの馬ども 一 同(どう)におそれてはねあがり立あがりて一あし もゆかずひけどもうてどもすゝまざりけるは 橋のおつべき事をしりけるかと諸人 是(これ)を あやしみけり     いときどく【「奇特」古くは「きどく」という。不思議なほめるべきさま】の事にこそ 【右丁 左端】 五條のはし 【左丁】   七  清水(きよみつ)の石塔(せきたう)并 祇園(ぎをん)の石(いし)の鳥居(とりゐ)倒(たをるゝ)事 清水の石(いし)の塔(たう)は上二 重(ぢう)をゆりおとす瀧(たき)まうでの もの其外さんけいのともがらきもをけし【「肝を潰す」に同じ。非常に驚く。】色を うしなひあまの命【天から授かりものの命】をたすかりよみがへりたる 心地して下向(げかう)の道【社寺に参拝して帰る道】のおそろしさいふはかりなし 祇園(ぎをん)の南門(なんもん)に立ゝれし石の鳥居は津(つ)の国 天王寺(てんわうじ)の鳥居になぞらへ笠木(かさぎ)たかくそびえ 二(ふた)ばしらふとしく【宮殿などの柱をしっかりと揺るがないように地に打ち込む。壮大に造営することにいう。】立ならび額(がく)はこれ青蓮院(しやうれんゐん)の 御 門跡(もんぜき)あそはされ給ひ筆画(ひつくはく)ゆたかにめでたく【すぐれていて】 おはせし【「ある」「いる」の尊敬語】をたちまちにゆりくづされ立(たつ)や鳥居(とりゐ) のふたばしら地をひゞかしてどうど【どうっと】たをれ段々(きだ〳〵) 【右丁】 にうちをれて額(がく)もおなじくくだけたり八坂(やさか) の茶(ちや)屋のは鳥居のたをるゝ音にいよ〳〵肝(きも)を けしさればこそ地の底(そこ)がぬけて泥(どろ)の海になる ぞやとて建仁寺(けんにんじ)のうしろなる野原(のばら)をくだりに かけ出たりおやは子をすて兄(あに)はおとゝ【「おとうと」の変化した語。男女にかかわらず年下のこと。】をわすれ あるひはわが妻(つま)の女房【女性。婦人】かとおもひて人とめ女の 手をひきてにげいであるひはわが子とおもひて 茶(ちや)つぼをいだきてはしりいでふみたをされ うちまろび【転び】夢ぢをたどる心地して目くらみ たましゐきえてをこがましき【馬鹿げていてみっともない】ありさまども なり茶やにあそび居(お)るわかきものどもはあわて 【左丁】 ふためきあみ笠(かさ)を手にもち草履 席駄【せった(雪駄)】かた〳〵し【「かたがたし」=一対のものの、片方。ここでは草履と雪駄の片方づつという意】 はきわきざしをとりわすれみだれ足(あし)になりて かけいづるも何もその中に井づつ屋のなにがし とかや年のころは八十四五なるおとこはう〳〵にぐる を見てある人かくよみてわらひけり   としたけてまだ生(いく)べしとおもいきや    いのちなりけり茶屋のながにげ 【左丁 左端】 ぎおん 【右丁】   八  八坂(やさか)の塔(たう)修造(しゆざう)并 塔(たう)の上(うえ)にあかりし人の事 八坂の塔(たう)はいにしへ後鳥羽院(ごとばのゐん)いまだいとけなく【こどもらしくあどけなく】 おはしましけるが御時に御くちすさひ【「くちずさび」=「くちずさみ」…なんとなく物を言う。】に東寺(とうじ)の塔(たう)と 八坂の塔(たう)とくらべてみれば八坂(やさか)の塔(たう)はまだうゝい〳〵 やとおほせられしとかや右衛門の局(つぼね)が日記(につき)には しるしをきけりある時この塔(たう)のゆがみたりしを 浄蔵貴所(じやうざうきそ)といへる聖(ひじり)いのりなをされけりそれ よりこのかたはふたゝび浄蔵貴所(じやうざうきそ)も世に出給はね はこの塔(たう)ゆがみてもいのりなをす人もなかりしに よき事を案(あん)じいだしゆがみたるううしろのかた に池(いけ)をほりぬればをのづからなをるゆがみの 【左丁】 なをりぬればその池をうづむ【埋める】とかや しかるにこの ころ八坂(やさか)の塔(たう)のうへそこねて【そこなわれる。壊れる。】まもり侍へるとて 修理(しゆり)に及び一紙半銭【紙一枚と銭半銭の意から、ごくわづかのもののたとえ。多く仏家で寄進の額のわずかなことをいう場合に用いる。】をいはず十方だんな【「十方旦那」=諸所方々の檀家】の 心ざしをもとむ 世のわかきものども奉加(ほうが)【他の人々に加わって(神仏に)寄付すること。】にいりて その塔(たう)のうへにのぼりて結縁(けちえん)する事侍へり 五月朔日けふしもあまたこの塔にのほりつゝ 四方(よも)のけしきを見わたして何心もなかりし【何の考え、配慮もない】所に にはかに大なゐふり出して塔(たう)のゆすること事いふ はかりなく路盤(ろばん)へき〳〵として寶鐸(ほうちやく)【「ほうたく」に同じ。寺院の堂塔の四隅の軒などに吊るして飾りとする大きな鈴。】りん〳〵 とひゞきけるを只わかきものどもしたにありて うへなるものをおびやかさんとて塔(たう)をゆすると 心持て【自発的に】うへなるものども聲(こえ)をそろへていかにかく わろき事なせそ【なぜ(何故)ぞ】さなきだに【それでなくても】あやうくおほゆる にこれいか成事ぞ 只をけや〳〵【やめてやめて】といふほとこは【形容詞「こわい(こはい」の語幹)。恐ろしいこと。】 ありけれ塔(たう)のしたを見おろせば女おとこ子ども まであはてふためきて家のうちよりはしり 出つゝ此 塔(たう)も只今地にたをるゝぞやといふ聲の かすかに聞えしにぞ地しんなりとこころづき【気が付き】て おりくだらんとするに手ふるひあしなえ塔(たう)はかた ふき【傾き】うなたれ【うなだれ=前に傾き】めき〳〵といふ四方(よも)の空(そら)色はくろ けふりのことくに侍べりしがとかくしてやう〳〵 ゆりやみしかば何とぞしてにげおりばや【逃げ下りたい】とおもふ 【左丁】 一 念(ねん)ばかりに【ひたすら一心に】塔(たう)のしたにはおりくだりけれども気を とりうしなひ目をまはし人心地もなく籠(かご)にのり つえにすがり家〳〵に立かへりても今に心地 わづらひておきふし【起き臥し…日常の生活】なやむものもあり ある人此 塔(たう)に結縁(けちえん)すとて数珠(ずゞ)つまくり【爪繰る=指先で次々にたぐる。】てのほりけるが ゆられておりくだりつゝかくなん    椎柴(しゐしば)のこりはて【懲り果てる=すっかり懲りる】にけり後生(ごしやう)だて【ことさらに来世を信仰する心のあついさまを示すこと】    いまは八坂(やさか)のたう【塔】とげもなし 【右丁 右端】 やさかのとう 【左丁】   九  方々(はう〴〵)小屋(こや)がけ付 門(かど)柱(はしら)に哥を張(はり)ける事 をよそこの時にあたつて洛中(らくちう)はし〴〵には 家もたをれ人も疵(きず)をかうふり【こうぶり(蒙り)=受け】土蔵(どざう)のくづれ たる事 京都に二百 余庫(よこ)なり打ころされ ける人四十余人とかやそのほか諸寺(しよじ)諸社(しよしや)の石(いし) どうろう築地(つゐぢ)五 輪(りん)石塔(せきたう)あるひは軒かたふきあ るひは棟(むな)がはらくづれおち寺〳〵のつり鐘(かね)共は 橦木(しもく)【「しゅもく(撞木)」の変化した語。鉦叩(かねたたき)又は釣鐘をつく棒。】うごきふらめきてみな一同にはやがねをつきけるこそいとゞきもつぶれおどろきけれ 生(むま)れてよりこのかたかゝるおびたゝしき大なゆ【大なゐ】 はおぼしたる【お思いになった】事もなしなどいふうちに又ゆり出し 【右丁】 時をうつさず間(ま)をもあらせず常(ひた)ものに【いちずに。普通は「直物」と書く。】ゆりける ほどに五月朔日 昼(ひる)のうちに五十六度その夜に いりて四十七度にをよへりゆり初めほどにこそ なけれかくゆるからにいか成大ゆりになりてか 家くづれてうちひしかれなんいにしへ慶長(けいちやう)の 大地しんそも大地がさけて泥(どろ)わきあがりなを そのいにしへは火がもえいでゝ人おほく死せしと いふこのたびのだい大地震も後(のち)にはいか成ことかあらん と手をにぎりあしをそらになし おきてもね ても居(お)ること かなはず立 ても居(ゐ)てもたまられず【黙られず】 ゆりいだすたびごとに家々に時の聲をつくり 【左丁】 いとけなき【あどけない】子どもはなきさけぶ何とはしらす地 の底(そこ)はどう〳〵と鳴(なり)はためきて京中さはぎ立 たるどよみ【音・聲が鳴り響くこと。】に物音も聞えずとかく町屋の家 ともは残らずゆりくづすべし命こそ大事なれ とて貴賤(きせん)上下の人〳〵あるひは寺〳〵の堂(たう)の前(まへ) 墓原(はかはら)あるひはまち町(まち)の廣(ひろ)み【広い場所】四辻(よつつじ)のあひだに下(した)には 戸板(といた)をしき竹のはしらを縄(なは)がらみにし上には 渋紙(しぶかみ)雨葛帔(あまかつは)をひきはり【引き張り】京の諸寺 社(やしろ)にも居(ゐ)あ まり【たくさんいて、その場所に入りきれない】北には北野(きたの)内野(うちの)むらさき野れん臺野(だいの)【(蓮台に乗って浄土へ行く野)の意から、墓地。火葬場。地名となっている所が多い。特に京都の船岡山の西麓の地が有名。】ふな 岡山のほとり西のかたは紙屋(かみや)川をくだりに西院(さいゐん) 山のうち朱雀(しゆしやく)の土手(どて)のうち南(みなみ)は山崎(やまざき)かいたう【街道】九 【右丁】 条おもて東のかたは賀茂(かも)川のほとりひがし河原(はら)を くたりに塩がま【塩竈】七條川原にいたるまですきまも なく小屋がけ【仮小屋を造ること】してあつまりきたる老少男女(らうせうなんによ)いく 千万といふ事をしらず小屋がけのためそとて 下部(しもべ)共のもちはこぶ道具(だうぐ)とも西よりひかしへ北 よりみなみへにげまとふ人にもみあひこみあひ あるひはのり物にてゆく人も又ゆりいたして 間(ま)もなき地しんにおのこどもきもをけし足(あし)なえ てはのり物をどうど打おとしあるひは屏風(びやうぶ)障(しやう) 子(じ)をになひかたげ【肩に担いで運び】てゆくものもうちたをれては やふりそこなふ【破り損なう=こわしてだめにする】むかしの事はしらすこのたびの 【左丁】 地(じ)しんに貴賤(きせん)上下あわてたるありさまたとへんかたなし【程度がはなはだしく、言い表しようがない。】ある姫御前(ひめごぜん)のよみける   わくらはに【「わくらばに(邂逅に)=たまたまうまく巡り合わせるさま。偶然に。】とふ人あらは小屋(こや)のうちに    ひとをたれ【垂れ=教え戒める】つゝわぶ【心細く思う】とこたへよ かくて朔日の夕暮がたに成けれども初めほど こそなけれ間(ま)もなくゆりてしかも雨さへふり出 つゝかみなりさはぎにうちそえこの行(ゆく)すえの 世の中は何となもはつべき事ぞやとおや子(こ)兄 弟たがひに手をとりひたいをあはせいとけな  き成ばいだきかゝへてうずくまり居(ゐ)たるうへに 小屋(こや)のうへもり【漏り】下ぬれていとゝ物わひしさかぎりなし 【右丁】 何ものゝ仕(し)いだしけん禁中(きんちう)よりいだされて此 哥(うた)を札(ふた)にかきて家々の門(かど)ばしらにをしぬれ【「押し塗る」(「おし」は接頭語。)塗るを強めていう。】ば 大なゐふりやむとて    棟(むね)は八門(やつかど)は九戸(こゝのつと)はひとつ    身はいざなぎの内にこそすめ 諸人うつしつたへて札(ふだ)にかき家々の門(かど)ばしらに をしけれども地しんはやます夜中(やちう)に四十七度 までゆり侍へりたかき【身分の高い人】もいやしきもきのふの 昼(ひる)よりこのかたは物もくはず湯水(ゆみづ)をだにこゝろのまゝには え【副詞。ここでは打消しの語に続くから、「よう」、「とても」の意】のまで【飲まないで】あれや〳〵とばかりにてふり いだすたびごとにむねをひやし【おそれや危険を感じてぞっとする。戦慄(せんりつ)する。】手をにきり 【左丁】 桃尻(もゝしり)【「ももじり」=尻をもじもじさせ、落ち着かないこと。】になりておそれまどふこの哥はむかし慶長(けいちやう) の地しんに其時の人となへ侍へりしとふるき人は かたられ侍へり夜あけても猶ゆりやまずある 人京の町家のくづれかゝるを見てこのうたを 翻案(ほんあん)【前人が作っておいた趣意を言い換え作りかえること。】してかくぞよみける  むねはわれかと【かど=門】はくづれて戸はゆがみ   身は小屋(こや)がけのうちにこそすめ すべて哥のこゝろいかなる事ともしりがたし いつやらん【いつであったか】疫疠(えきれい ) 【 疠は癘の異体字。「病ダレ+万」。普通は「疫癘」と書く。…悪性の流行病。疫病】のはやりしころ京中家々に 花かごやといへる哥をかきて門々(かど〳〵)にはりける 事の侍べり万葉の哥に 【右丁】   白 雲の峯(みね)こぐ舟のやくしでら    あはぢの嶋にからすき【唐鋤=農具の一種。柄(え)が曲がっていて刃が広く、牛馬に引かせて田畑を耕すのに用いる。】のへら【唐鋤の先の方の上に突起した部分。掘り起こした土をかきわけて砕くのに用いる。】 といへるこそわけ【意味、内容】の聞えがたき【理解しがたい】證哥(せうか) 【証拠となる歌】なれといへ りこの哥のたくひにや世の愚俗(ぐぞく)【愚かな世俗の人々】ども物のまじ なひに哥をとなふる事ありその哥どもは大(おほ) かたはわけもなき片言(かたこと) 【不完全、不正確な言葉。よく通じない言葉。】おほし【多し】これも人の気(き)を 転(てん)じてゆるやかになす事あり腫物(はれもの)瘧(おこり) 【間欠熱の一種。悪寒、発熱が隔日または毎日時を定めておこる病気。】魚(うを)の鯁(ほね) 山椒(さんせう)にむせたるなどみなよくなれるためし すくなからず諸人せめておそろしさのむねやすめ にうつしつたへて門にそをしけるもをろかなが らもことはり【道理】也 【左丁 右端】 ぢしんゆりしつみ こやかけへおはこふてい 【右丁】   十  光(ひか)り物のとびたる事 五月二日になりてもいよ〳〵なゐはゆりにゆりて 大病(びやう)をうけて久しくわづらふものちかきころ産(さん) 後(ご)の女房などは気(き)をとりあげ【気を引き機嫌を取る】こゝろをうしなふて むなしくなるもの洛中(らくちう)に数をしらず町屋 の家々をあけて小屋こもりせし間(ま)をうかゞひ 盗(ぬす)人いり来(き)て物をとりにげはしるのがすまし【すまじ=してはいけない】 とて追(をつ)かけうちふせふみたをしさう〴〵しさは かぎりもなしその日もくれて三日になれどもいまだ ゆりやまずかゝる所に西山のかたよりひかり物 とび出てひえのやま【比叡山】の峯をさしてゆく事さしも【そんなにも】 【左丁】 はやからすその大さ貝桶ほどにてあかき事火 のごとししづかにとびて山にかくれたり諸人  このよしを見ていかさま【どう見ても】只事にあらず世の中 めつして【滅して】人だね【人種…人類】あるまじなどいひのゝしる大  津(つ)三井寺のあたりにて諸人の見たるもた只 同(おな)じ やうに侍べりし京の寺町三条のわたりより みなみをさして火の玉のとびけるもそのかた ちは瓢(ひさご)のごとく尻(しり)ほそく色あをくとびゆくあと より火の□ (こ)【火偏に更:𪸫(U+2AE2B)】のごとく火のちりけるこれぞ天火(てんひ) といふものなる此うへに京中大 火事(くはじ)ゆきて 一面に焼(やけ)ほろぶべしといひいだしけるほどに 【右丁】 身上(しんしやう)よろしき人は土蔵(どざう)を立(たて)て財寶(ざいほう)を入(いる)ればたとひ 家こそ焼(やく)るとも財寶(ざいほう)道具(だうぐ)はことゆへ【さしさわり】あるまじと日比(ひごろ) は頼み思ひけるに洛中(らくちう)の蔵(くら)共は大方(かた)くづれたをれ 其ほかは戸前(とまへ)傾(かたふ)き軒ゆがみ壁(かべ)われはなれ土(つち)こほ れ落(おち)たれば火事ありとても入(いれ)置(をく)べきやうもなく 資財(しざい)雑具(ざうぐ)を人家(じんか)をはなれし寺々(てら〳〵)社々(やしろ〳〵)に運(はこび)あづく る有さま東西南北(とうざいなんぼく)せき合た【混み合った】か【が】せめてあづくる 所縁(しよえん) 【ゆかり】なきものは肩(かた)にになひ背(せなか)に負(をふ)て小屋がけ の中にはこびいれてつみをき【積み置き】けるも夥(おびたゝ)し みだりがはしき【取り乱しているさま】洛中(らくちう)のさうどう地しんにとりま ぜて一かたならぬさはさはぎなり 【左丁】 可名覚為誌下書目録   一  地しん前例(せんれい)付 地しん子細(しさい)の事   二  諸社の神託(しんたく)の事   三   妻夫(めをと)いさかひして道心(だうしん)おとしける事   四  なゆといふ事 付  東坡詩(とうはのし)の事 【左丁】 可名覚為誌下巻   一  地震(ぢしん)前例(せんれい)付 地しん子細の事 ちはやふる神代(かみよ)のいにしへはしらず人王【にんのう=人皇…神代に対して人代となってからの天皇。神武天皇以下歴代の天皇をいう。】の世に いたりて記録(きろく)にあらはすところ地しんの事すで に人王第廿代 允恭(いんげう)天皇五年ひのえ辰(たつ)七月十四日 はじめてなゐのふりけりとはしるしたれ第三十四代推古天皇七年つちのとのひつじ四月二十七日大 なゐふりて人の家居(いえゐ)おほくたをれ四方の山々 おびたゝしくくづれしかば神をまつりてしづ められしとなり第四十代天武天皇十三年きの え申(さる)十月十四日には前代未聞(ぜんだいみもん)の大地しんにて人民 【右丁】 おほく死せしと也第四十二代 文武(もんむ)天皇 慶雲(けいうん)四年 ひのとのひつじ六月廿三日第四十五代 聖武(しやうむ)天皇 天平六年きのえ戌(いぬ)四月第五十五代 文徳(もんどく)天皇 斎衡(さいかう)ニねんきのとの亥(ゐ)五月五日に大地しんして 東(とう)大寺大佛の頭(みくし)おち給へりそれより以後(いご)にも 大なゐふりしかども鴨長明(かものちやうめい)が方丈記(はうぢやうのき)にこの時の 事をかきのせしはさこそ大なゐにて侍へりけめ まことに筆勢(ひつせい)おびたゝしくしるせり次の年 ひのえ子(ね)三月にもゆりけり第五十八代 光孝(くわうくう)天皇 仁和(にんわ)三年ひのとのひつじ七月晦日大なゐふりて 海水(かいすい)みなぎり沸(わき)て陸(くが)をひたしおぼれ死する人 【左丁】 数しらず山くづれて谷(たに)をうづみ山家(やまが)の人おほく うづもれその外 禁中(きんちう)をはじめ民の家々やぶれ くづれたり第六十一代 朱雀院(しゆしやくゐん)承平(せうへい)四年きの え午(むま)五月廿七日おなしき七年ひのとの酉(とり)四月十五日 第六十四代 円融院(ゑんゆうゐん)貞元(ていげん)二年ひのえ子(ね)六月十 八日には未曾有(みぞうう)の大なゐ一日一夜のあひた小止(をやみ)【こやみ】も なく常(いた)【ここでは「常」を用いているが、普通は「甚」・「痛」の字を当てている。程度の甚だしいさま。激しくひどいこと。】ゆりにゆりてゆりやまず人家(じんか)くづれて 人民おほく損(そん)じ地は裂(さけ)われて泥(どろ)わきあがれり 第六十九代 後朱雀院(ごしゆしやくゐん)長久二年かのとの巳(み)四月 二日大地しんして法成寺(ほうじやうじ)の塔(たう)をゆりたをしぬ 第八十二代 後鳥羽(ごとばの)院 文治(ぶんぢ)元年七月九日第八十八 【右丁】 代 後深草(ごふかくさの)院 正嘉(しやうか)二年ひのとの巳(み)二月二十三日第九 十一代 伏見(ふしみの)院 永仁(えいにん)元ねん四月に大地しんゆりて日 をかさねてやまず鎌倉(かまくら)中にうちこはされうづ みころされしもの一萬余人に及べり第九十九代 後光厳(ごくわうごん)院 延文(えんぶん)五年かのえ子(ね)に大地しんありと太 平記(へいき)におびたゝしくかきしるせり第百一代 後小(ごこ) 松(まつの)院 應永(おうえい)九年みづのえむま春は彗星(はゝきぼし)なかれ 夏(なつ)は大に旱(ひでり)して野(の)に青草(あをくさ)なく井の水は涸(かれ) 秋は洪水(こうずい)大風冬にいたりて大地しんあり同(おなじき) 十三年ひのえいぬ春は天下大に【大いに】飢饉(ききん)して道の ほとりはいふにをよばす家のうちにもうえ 【左丁】 死(し)するもの数しらず秋にいたりては洪水(こうずい)大風 冬になりて十一月朔日大地しんありおなしき 十四年ひのとの亥(ゐ)正月五日おびたゝしき大なゐふ りぬ 第百三代 後花園(ごはなぞのゝ)院 文安(ぶんあん)五年つちのとのたつ 洪水(こうずい)地しんえきれい【疫癘】飢饉(ききん)うちつゞきたり次の年 寶徳(ほうとく)元年つちのとの巳(み)四月より日をかさねて大なゐふりて人民おほく死すおなしき御宇(ぎよう)康正(かうしやう) 元年きのとの亥(ゐ)十二月晦日の夜大地しん第百 四代 後土御門(ごつちみかとの)院 文正(ぶんしやう)元年ひのえいぬ十二月廿九日 おなしき御宇 明應(めいおう)三年 甲(きのえ)とら五月七日同き 七年つちのえむま六月十一日には諸国をしなへて 【右丁】 大 地震(ぢしん)して海邊(うみべ)山がた人民おほく死せしと也 第百五代 後柏原(ごかしはばらの)院永正七年かのえ午(むま)八月七日同 九年みつのえ申(さる)六月十日 第百七代 正親町(おほきまちの)院 天正十二年きのえ申十一月廿九日より大地しん して次のとしの正月すゑつがた【末つ方=末のころ】までゆりけり 第百八代 後陽成(ごやうぜい)院 慶(けい)長元年ひのえ申(さる)同七 月十二日より大なゐふり初(そめ)て月をこゆれども その名ごり【余震】ゆりやまずこれよりこのかたの事は 今 古(ふる)き人はおぼえ侍べり第百九代 太上皇帝 万々歳の正統(しやうとう) 慶長(けいちやう)十九年きのえ寅(とら)十月廿五日大 地しんありとをよそ記録(きろく)にしるすところ古しへも 【左丁】 さこそありけめ 第百十二代 今上萬々歳 統御(とうぎよ)【全部をすべ治める】 の時にあたつて寛文(くはんぶん)二年 壬寅(みつのえとら)五月朔日より大地 しんしそめて【しはじめて】日ごとにゆる事あるひは五七度 あるひはニ三度日をかさね月をこゆれともその 名ごりいまたやまず年闌(としたけ)たる【歳をとっている】人はおほえたる ためしもあらめわかきともがらはこのたび初 て逢たか事にてはありことさら女房子共など はおそれまどふもことはり也もろこし【「唐土」=中国の異名】にも上 代の事はさしていふにも及ばず大元(たいげん)の世宗(せいそう) 皇帝(くはうてい) 至元(しげん)廿七年八月に大地しんして民屋(みんおく) おほくくづれたをれてをされ死するもの 【右丁 頭部朱書きの部分】 畠山政長記 永正七年八月七日 ノ夜大地震夥 シクシテ國々堂社 佛閣顚倒シ天王 寺ノ石華表モ 倒レケリ其地震 七十余日不_レ止シテ剰 八月廿七日廿八日 両日ノ間ニ近【「今切れの渡し」は遠江國、浜名湖南部に架けられた渡しのこと。「遠」とあるべき。筆者の書き誤りか。】江國ヘ 大波夥シク来陸 地忽海ト成今ノ 今切ノ渡ト申ハ 是也 【右丁】 七千人なり成宗(せいそう)皇帝 大 徳(とく)七年八月おなしき十 年(ねん) 八月に大地しんして後宮(こうきう)の女房大臣以下 死(し)する もの五千余人なり順宗(じゆんそう)皇帝の時 元統(げんとう)二年八月 に地しんあり大明(たいみん)の世にいたりて孝宗敬(かうそうけい)皇帝 弘始(こうし)十四年正月朔日大地しんして人民おほく死(し) すといへり異國本朝(いこくほんてう)ためしなきにはあらねと たま〳〵かゝる事に逢ぬればむかしはためしも なきやうに上下おとろきさはぐもまたことはり ならずや佛経【佛教】のこゝろによらば地しんに四 種(しゆ)あり ととかれたりこれも一 往(わう)の説(せつ)なるへしこの世界(せかへ)【「い」とあろところが「へ」に見えますので「へ」としました。】の下(した) は風輪(ふうりん)【この世界を支えるという三輪または四輪の一つ。水輪の下に位置するもの。】にてその中に水を盛(もり)たり水輪(すいりん)【大地の下にあって世界を支えているという三輪または四輪の一つ。世界地層の下底。「金輪」と「風輪」の間にある。】の上(うへ)すでに 【左丁】 凝(こり)かたまりて金輪際(こんりんざい)【「金輪」は風輪、水輪の上にあるもの。この上に九山、八海、須弥四州があるという。「金輪際」は水輪と接するところ。】となりそのうへに土輪(どりん)ありて 人間(にんげん)のすみかなり風輪(ふうりん)わづかにうごけば水輪に ひゞき金輪際(こんりんざい)より土輪(とりん)につたへて大地はうごくと いへり易道(えきたう)【「えきどう」古くは「えきとう」=易、占いについての学問、技術。】のこゝろは陰気(いんき)上(かみ)におほひ陽気(やうき)下(しも)に 伏(ふく)してのぼらんとするに陰気(いんき)にをさへられて ゆりうごく時にあたつて地しんとなれりゆる所 とゆらざる所のある事は水脈(すいみやく)のすぢによれ り人の病(やまひ)にとりては関格(くわんかく)【陰陽が共に盛んで相営むことが出来ないため起こる病気。】の証(しやう)と名づくへしといへり みなこれ陽分(やうぶん)の爲(わざ)にして□【ふりがなが「くつろぎ」とあるが、該当する文字は「閒」と「寛」だけ(『大漢和辞典)』)ここに用いられている文字を知らず。】ある所より起(おこ)れり 上(かみ)にある時に聲あるを雷(かみなり)と名づけ聲なきを 電(いなびかり)といふ下にありてうごく時に地しんと名づくと 【右丁】 さま〳〵いへともこれをとゞむる手だてはなし   二  諸社(しよしや)の神託(しんたく)の事 このたひの大地しんに貴賤(きせん)上下おどろき さはぎ此ゆくすゑには又いか成事か出きたらん【やってくるであろうか】 ずらん【来ないだろうか】とやすきこゝろもなし京都はいふに をよばずいなか田舎(ゐなか)邊土(へんど)【都から遠く離れた土地】の村里 在郷(ざいがう)かたの秀倉(ほこら)【小さなやしろ。振り仮名は「ほこら」だが文字は「ほこら」の古い語である「ほくら」を表わしている。】 小宮までも俄に神前の草をむしり灯(とう) 明(みやう)をかゝげ幣帛(へいはく) 御供(ごくう)をそなへ散米(ざんまい)【「さんまい」=神事を行う時、神饌として、あるいは邪気を払い清めるために神前にまき散らす米。】 御酒(みき)を たてまつり猶そのうへに湯(ゆ)をまいらせさまつく に追従(ついせう)【へつらうこと】いたしこのなゆやめ給へといのるほどに 神この御たくせん日比(ひごろ)の述懐(しゆつくわい)を報せらるゝこそ 【左丁】 まが〳〵し【不吉である。忌々しい。】けれ大津の四の宮はかたしけなく も延喜(えんぎ)第四の御子(みこ) 蝉(せみ)丸にておはしますとかや 宮もわらや【藁屋=藁葺きの家。粗末な家の例えにも言う。】もはてしなけれはとて逢坂の 関のほとりに引こもりこれやこのゆくもかへ るもといへる名哥を詠し給ひけると也のちに 神といはひたてまつりて四の宮と申して れいけんあらたにおはしますとてあがめまつる 事今にたえずこのたび大津わたりは又 ことさらにつよき大なゆふりて人の家におひ たゝしく損(そん)じければこれ思事にあらずとて 産土所(うぶすなどころ)のものどもあつまりて湯(ゆ)をまいらせ神(しん) 【右丁】 慮(りよ)【「神慮」=神のみこころ】をすゞしめ【心を静めさせて慰める】奉る五月四日の事なるに諸人(しよにん) 市のごとくあつまりまうで【詣で】おかみ奉らんとす すでに湯(ゆ)はたぎりて玉のわきあがる事三 尺ばかり宜祢(きね)【「ねぎ(禰宜)」の語の他「きね」があり別の意。神に仕える人。神楽を奏し、祝詞をあげて神意をうかがい、それを人々に伝える神と人間とのなかだちをする人。神官、巫女(みこ)いずれにもいう。】がつゞみのこゑたかく松かせ【松風】にひゞ くふえのねに禾(くわ)【「くわし」の意味を持つ字に「委」があるのでこの字のことか。意味は、すみずみまで行届いている。】し銅拍子(とびやうし)【「どびょうし」とも。小型の銅鈸(どうばち)。おもに古代芸能、民俗芸能で用いられる。】をならし調子(?)を そろへて相待ところに年のころ五十(いそぢ)にあま る古神子(ふるみこ)の頬車骨(ほうぼね)あれて色くろきが白髪(しらが) まじりの鬘(かづら)をゆりさげ白きうちかけしてねり いで鈴(すゞ)ふりあげ拍子(ひやうし)とりて一舞(ひとまひ)かなてたる ありさま しみやかに【「しめやかに」に同じ=しっとりと落ち着いて、もの静かなさま。しとやかなさま。】いとたうとかりけれは諸人 随喜(ずいき)の洟【なみだ】 【「随喜の涙=心からありがたく思って流す涙。またうれしくて流す涙】をながすかくて舞(まひ)おさめつゝ御幣(ごへい)を 【左丁】 とり湯釜(ゆがま)のほとりにさしかゝりしばし祈念(きねん)して 湯(ゆ)をかきまはし御 幣(へい)の柄(え)を引あげたれば湯玉(ゆだま)と びあがりて沸(わき)かへるいきをひすさまじかりける 所に神子(みこ)すでにうちかけをぬぎすて策(さく)【占いに用いる具。筮竹(ぜいちく)】の青(あを) 柴の束(たばね)たるを両の手にとりもち鼓(つゞみ)の拍子(ひやうし)に あはせてニ(ふた)あび三あびあびければあつまりける 諸人 感(かん)をもよをし前なる人は手をにぎり後(うしろ)なる ものはあしをつまだてをの〳〵片津(かたづ)【固唾=事の成り行きを心配して緊張する時などに、口中にたまるつば。】をのみて見け るほどに策柴(さくば)につきてとびちる湯(ゆ)のしづくに たへがたくあつかり【熱がり】ければこれにかゝらじと もや 〳〵する所に俄に又大なゐふり出たり諸人 【右丁】 きもをけし立さはぎみたれ【乱れ】あひふみたをし をしあひいとけなき子どもはこゑ〳〵になき さけぶしばらくありてゆりしづまりぬ御湯(みゆ) まいらせし願人(ぐはんにん)をはじめ又神前に立かへりて みればかの神子殿(みこどの)は人よりさきににげて拝(はい) 殿(でん)のかたはらなる松の木のうへにかけのほり色 をうしなひけるありさまおそれまとひたる 体(てい)なりしがゆりしづまりければ又をりくだり 祢宜(ねぎ)どもをまねき太鼓(たいこ)をうたせ笛(ふえ)をふかせ てしばらく湯(ゆ)をあびけるが御たくせん【神のお告げ】こそ ありけれ 【左丁 左端】 大津しの宮にてゆを  まいらするてい 【右丁】 その御たくせんのこと柴にいはくいかに願人(ぐはんにん)よく 只今 湯(ゆ)をくれて三 熱(ねつ)のくるしみ【三つの激しい苦しみ。➊熱風や熱砂でやかれる事。❷悪風が吹き起って居所や衣飾などを失う事。❸金翅鳥(こんじちょう)に子を食われる事の三つ】のたすかり たるこそうれしけれ大なゆがゆりておそろし さに丸(まる)【「まろ」の変化した語。室町時代から見られる。人名、特に幼名(牛若丸、蝉丸)に用いたり、下層の者に用いたり、船の名に用いたりされているが室町中期ころから天皇またはこれに準ずる人が用いた。ここではご託宣をおろす神自身の自称として用いられている。「まろ」の意。】にいのりをかくるよな丸もきづかひ【「き」の字の一画目がうすく「さ」にみえているのでは】を するぞ只今もゆりたる地しんに丸もおそろし くて松の木へとびあがりたり氏子(うぢこ)どもの強(こわ) がるは道理(だうり)かな さりながら丸が心をすいりやうせよ 氏子(うぢこ)どもを随分(ずいぶん)まもらうとはおもへどもなゆのゆる たびに丸がむねがをどりてまもりつめて居(ゐ)られ ぬぞ只その身〳〵によく〳〵用心をせよやとて 神はあがらせ給ひけり 【左丁】 近江路はことに大なゐふりければこゝにもかし こにも小宮 小社(こやしろ)まで在所(ざいしよ)〳〵より湯(ゆ)をまいらせ ていのりをかくるに社(やしろ)は替り在所はちがへども 神子(みこ)は四の宮の神子只一人なりこゝかしこへやと はれて御たくせんをおろし奉るに大かたおなし 事なり大津かいだう山科(やましな)わたり【「あたり」の意】諸羽(もろはの)大明神 に湯(ゆ)をまいらせしに四の宮の神子(みこ)をやとひて 御たくせんおろし奉るすでに湯(ゆ)をあびをはりて やがて御たくせんありいかに【相手に呼びかける言葉。これこれ。】氏子(うぢこ)どもよくきけ この年月日ごろは丸をあるものかともおもえず社(しや) 壇(だん)も拝殿(はいでん)もこをれ【こわれ】かたふき邊には草のみ生茂(おひしげ)りヘごk 【右丁】 まことにさびしさいふ【「債負」か】はかりなし【計り知れない】 まうでくる人もな くとうみやうをかゝくることもなしいはんや神楽(かぐら)な どはまつりの日より外にはきかず御供(ごくう)もその 日のまゝにてそなふることなしあまりのさびし さには鳥井【鳥居】のもとに立きて往来(わうらい)の様 人をみて こゝろをなぐさむばかり也日ころかけたる絵馬(ゑむま) どもは雨露にさらされ絵(ゑ)のぐはげてのるべき やうもなしいづかたに何事のあればとてかけいづ へきたより【力になってくれるもの】をうしなひれき〳〵の神たちに あなづられ【「あなどられ」の古形。馬鹿にされ。】をとしめらるゝ【さげすまれる】はみな氏子(うぢこ)どもの所為(しわざ) ぞかしかやうの折から述懐(しゆつくわい)をせずは今より後も 【左丁】 丸をすてもの【捨て物=無用のもの】にすべし【するに違いない】それに只今めづらしき 湯(ゆ)をくれてしばらく三 熱(ねつ)のくるしみをたすかり こゝろもすゞやかにおぼしたりこのほとの地しん がおそろしさに俄にをかぬものを着るやうに 丸が所へ来りてたのみをかくるかや地しんのゆる たひに社(やしろ)も拝殿(はいでん)もくづれさうにてきづかひ【きがかり】なれば これをくづされては重ねて【再び】立てくるゝもの【建てて呉れる者】はあ るまじいかにもしてくづさじと用心にひましが なければ湯をくれたるはうれしけれどもをなゆの 事は丸がちからわざにならぬぞ只用心をよくせよ とて神はあがり給ひぬ氏子(うぢこ)どもは用心をせよとの 【右丁】 御たくせんなり用心をせずは罰(ばち)あたるべし御たくせんにしたがひていざや用心して神の心をいさめ【「いさめる(勇める・慰める)」=力づける。慰め和らげる。】よと て竹のはしら薦(こも)ぶきの小屋をかまへてうつり すみけるありさま俄に乞食(こつじき)のあつまりたるに たがはず見ぐるしき事共也 西ノ京 紙屋(かみや)川のほとり橘地(きちぢ)の天皇に湯(ゆ)を まいらせしかば御たくせんの事おはしましけり いかに氏子(うぢこ)どもかくあはたゝしき中に湯(ゆ)をくれて 身のくるしみをやすむるのみならず心のすゞやかに なりたるこそうれしけれさればこのほどの大 なゐに氏子どものきもをつぶすらんとやすき 【左丁】 こゝろもなく大 社(しや)の神々 達(たち)に尋ねまいらせしが むかしもかやうにゆりそめては久しくゆりたる ためしありさりながら別条(べちでう)あるまじとはおもへ どもそれもしらずと報せられし也 氏子どもよ 只用心せよ用心といふは別の事にはあらず軒(のき) ぐち【「軒口」=軒の先端。屋根の端。】は襲(をそひ)の石【屋根の上に置いて屋根板の押さえにする石】がおつるものぞや小家ならば築張(つゐはり)【「ついはり」と振り仮名があるので「突い張り」のことと思われる。「つい」は「つき」の変化した語。…ものをつっぱるために立てる柱や棒。つっかい。】 をせよ地が裂(さけ)さうならば戸板(といた)をしくべし戸障(としやう) 子(じ)をさしこめてはかたふきてはあかぬものぞ夜る も昼(ひる)もあけはなしにせよおさなき子どもはおび えて驚風(きやうふう)【漢方医学で、幼児のひきつけを起こす病気をいう。】がおこるものぞ虫薬(むしぐすり)をのませてすかし【なだめ】 なぐさめよ家がくづれさうならばはやくにげ出よ 【右丁】 瓦(かはら)ぶきの家又は土蔵(どざう)の戸前(とまへ)などは心をつけて 機(き)をゆるすな火の用心をよくせよかやうの時は うろたへて火事(くはじ)ゆくものなり丸【神の自称。「まろ」に同じ】がをしへに したがはゝあやまちはあるまじきぞよくまもらん とはおもへどもあまたの氏子(うぢこ)なれば見はづす事 もあるへし見わするゝ事もおほかるへしと御たく せんしみやかに【しめやかに」に同じ。】諸人こゝろをすまし耳をかたふ けてうけたまはる所に又おびたゝしくどう〴〵 とゆりいでしかぞ神子殿(みこどの)は色をうしなひて やしろのうへにかけのぼり神はあがらせ給ひけり あらたにたしか成御たくせんかなとて氏子共は【「ハ」字があったような。】 【左丁】 手をあはせておかみたてまつるもいとたうとし 又かやうの事は御たくせんまてもなしいかなる ものも心持たる事也さるめつらしからぬ御たく せんかなとつぶやきわらふ人もありけりその外 京 田舎(ゐなか)なゐのふりける所には俄にそこ〳〵の 神前をきよめいのりをかけて御たくせんをお ろし奉る事さま〳〵なり   三  妻夫(めをと)いさかひして道心(だうしん)【道徳の心】おとしける事 そのころ都のうちに俄へん【「変」=異常な事態、事件。】おこして浮世をめ ぐる痴者(しれもの)【愚か者。怪しい者】ありみづから新房(あたらしばう)とかや名をつきて かた【手形】のごとく機(き)まゝなるだうけもの【道化者=おどけた人。】なり五月四日は 【右丁】 大事の日にてなゐふりつゝ大地がさけて泥(どろ)の 海になるかしからずは火の雨がふりて一めんに やけほろぶるかいかさま【きっと】世の中 滅(めつ)すべき境目(さかひめ)也 といひはやらかす京中の貴賤(きせん)上下聞つたへ 血の洟を流しておそれかなしむもあり又いかなる 事にもさやうにはあるましきぞやといふものも有 けりある町人の身上(しんしやう)もまづしからずともかうもして すみけるもの此沙汰【情報】をきくにおそろしさ かぎり なく手ふるひ足わなゝき目くらみむねおどりて うつゝ心【うつろな心】になりしかとも男たらんもの色にいたし【い出し】 ておそれまどはゞ人のためわらはれんも口おしく 【左丁】 おもいてさらぬやうにてふけり居(を)る今やゆり いでて泥(どろ)の海になるらん火の雨ふるべきかと おもひける所に案(あん)のごとく未(ひつじ)のこくはかりに北 のかたよりどう〳〵となりひゞきしきりに大なゐ ゆりいでければすはや今こそ草木(さうもく)国土(こくど)人(ひと)も 鳥もけだものもみな一同に成佛する也もしや のがるゝ事もあり あしにまかせてにげてみよや とて妻(つま)の女房が手をひつたてみなみをさして かけゆきつゝ七条川原に出たりかくてゆりやみ ければしばらく心をしづめてつら〳〵見れば 手をひきてうちつれにげたるは妻の女房には 【右丁】 あらでさしもなき熊野(くまの) 比丘尼(びくに)の地しんにおそれ てにげこみたるを是非(ぜひ)なく手を引てし七条川 原までにげきたりぬくちおしき事かなさ こそ人のわらひ種(ぐさ)になるへしとおもひつゞけて我 ながらをかしく日くれかたに家にかへりしかば妻の 女房大に腹(はら)をたて日ごろそなたの思ひ給ひける しるしには我をば打すてゝ癩尼(かつたいあま)が手をひきて にげ出給ふはらたちさようの焼尼(やけあま)【「焼け」は他の語につけて用いて、それをののしる意を添える。】と来世(らいせ)までも そひ給へ我には隙をあけて入婿(いりむこ)なれば出ていねと てふりくすべ【腹を立ててふくれ】ければおとこのいふやう人たがへと かふにはためしなき事 かわ【川】ごぜ【瞽女=盲目の女性】かとおもひてとり 【左丁】 ちがへたりそれをふかく腹立(はらたつ)は悋姫(りんき)なりわかよむ 哥をきかしませとて   なゆよりもつまにふらるゝくるしさ□【「に」か】    きげんなをしといふは世なをし といへば女房いよ〳〵腹(はら)をたて何の哥どころぞ 聞たうもなし今はこれまでなりその尼(あま)が所へ ゆかしませとてつきいだす けしかる【「怪しかる」=異様である。得たいが知れない。】地しんの うめきにとりさふる人もなし男ちからなく出る とて門柱(かどばしら)かきつけゝる   でていなば心かろしといひやせん    このいさかひを人はしらねば 【右丁】 洟【なみだ】とゝもに追出され今は世にすむべき甲斐(かひ)はなし 俄に髪(かみ)をそりてこゝろもおとしぬ青道心(あをだうしん)【「青」は未熟の意。「青道心」=にわか道心。】をお こしこゝかしこしれる人のもとにたちよりてき のふけふとするほどに水無月 文月(ふづき)はすくれども なゆの名ごりはいまだやまずそのあひたに国々 所々をめぐりてこのたびのなゆにてくずれそん せしありさまこまかに見聞しつゝかたり侍へりし こそたしかなれ 【左丁 右端】 ふうふいさかひして   りへつのところ 【右丁】   四 なゆといふ事 付 東坡(とうは)の詩(し)の事 ある人尋ねけるは地しんをなゆといひならはし 又はなゐともいふいづれか本(ほん)ぞと問(とひ)ければ新房(あたらしばう) う【?】かり出てこたへけるはやいゆゑよは五 音(いん)の横(わう) 相通(さうつう)なればいづれもおなじこゝろ成へしどう〳〵と 鳴(なり)て地のゆるといふ義(ぎ)也 鳴(なり)ゆるゆへになゆといふ 又家も草木もなびきてゆる故になゆと名づく なゆのふるといふもおなじくうごく義也地しんの するも月によりて吉凶(きつけう)あり東坡詩集(とうばのししう)にみえ たりとてある人かたられしとてうつしもちたり これ見給へとてよむをきけば 【左丁】  民褱(たみをとらへて)春(はるは)火(ひ)大旱至(おほいにひでりいたる) 二五八 は龍高(りうたかき)賤死(いやしきしす)   六九一は金穀米(きんこくべい) 登(えのぼる)  七と十二は帝(てい) 兵乱(ひやうらん) 起(おこる) このたびの地しんは五こくゆたかに民さかゆべき しるし也いにしへ聖王(せいわう)の御世(みよ)とてももろこし わが朝(てう)のあひだ天地 陰陽(いんやう)五 行(ぎやう)の灾変(さいへん)【天災と地変。天変地異。】なきにし もあらず今もいてかくのことしさのみにあやし むへきことにあらずいはんや四海【ここでは「くにじゅう(国中)」の意】たいらかにおさ まりたる世の中何かこれほどの事にゆくすゑ までのさとしとしてけしかる【「怪しかる」=異様である。得たいが知れない。】事といふべきや 俗説(ぞくせつ)に五 帝(てい) 龍王(りうわう)この世界(せかい)をたもち龍王(りうわう)いかる 時は大地ふるふ鹿島(かしまの)明神かの五 帝龍(ていりう)をしたがへ 【右丁】 尾首(おかしら)を一所にくゞめて【屈めて=かがませて】鹿目(かなめ)の石(いし)をうちをか【「打ち置く」…「うち」は接頭語。ある位置にひょいと据える。】せ 給ふゆへにいかばかりゆるとても人間世界(にんげんせかい)は めつする事なしとてむかしの人の哥に   ゆるぐともよもやぬけじのかなめいし    かしまの神のあらんかぎりは この俗哥(ぞくか)によりて地しんの記(き)をしるしつゝ名 づけて要石(かなめいし)といふならし 【左丁】 蜀山目録ニ   かなめ石  三巻  寛文大地震 トアリ 本書、中巻 欠ナリ 帝国図書館蔵