尓時慶応二年寅八月七日 夜四ツ半頃より辰巳の方より風 ふき出し追々大風となりて 天地震動する事言語にたへたり 人家屋根こと〳〵く吹あけかへ ふきおとしいつれも鳥籠のことし 尤吹たをしたる人家おひたゝし 上は加茂を始諸山又神社仏閣社損し 数多し東寺大そんし桟木凡八十本 計打たをれ東山祇園知恩院清水其外 諸境内大そんし諸堂はいふに及はす 桟木三百十本計大木打たをれたり 東本願寺諸御堂ふしん出来たるをこと〳〵く 吹たをし元のあれ地と成たる事残念の いたり也町家凡八十六七軒計打たをれ損し家       数しれす死人凡弐百余けか人は       これも数しれす桂川三り余大水            一面の海のことしと舟にて往来す            伏見淀大水天橋落る            大坂天神はし安治川はし落る            高つき南山城小倉            大あれのよし中々               筆につくしかたし             誠前代未聞の大風のよし                恐れつゝしむ                    へき事也 【椾は桟の異字体】