【文字無し】 【右丁 文字無し】 【左丁】 《割書:地震|後世》俗語之種  《割書:初編|之二 【文字無し】 【右丁】      立春 天の恵地の恵のめくみかも しつかふせやに春の来る盤      幸一昇画 【左丁】 徐く目出度年を超若水汲る音には 常盤なる松の聲を添鉢植なる梅か香 福壽草も共にうち揃ひたる此春を 迎はつ日の出青畳を照し御慶目出度 数〳〵の数の子なりと間似合に松竹梅 を熨斗包み屠蘓を寿盃に浪〳〵と 浪のり船の音もよき初鶯や初若菜 七草薺【なずな】うちはやし長閑【のどか】なる日もけふと 過あすと過行光陰に関をとじむる人の 【右丁】 なけれはいつしか桜桃の花柳も糸を 春風に彌生の節句も過行【すぎゆく】まゝに去年 の秋より待わひし御回向初日も近【「進」にも見えますが七行目に同じ字が出てきて「近」と読むほうが適していますので、ここでも「近」としました。】寄けれは たかひに用意取紛れ軒を並へて家毎に 立連【たちつら】ねたるちやうちんには紅をもつて立春 と卍の紋を一様にし近をみれは形を分ち 遠きを見渡せは紅白の色をわかたすして 杏の林【「杏」は旅館などで婦人のこと、花柳界で情婦のことをいう。ここでは「婦人、女性」でいいのでは。「林」は比喩的に、物事の多く集まっているところの意。】しに入か如く暫く歩行【歩き行き】て横丁 路次を左りに見右に詠【ながめ】れは是もまた一 やうにして秋はまた跡と紅葉の錦を 【左丁】 かさるはかりなり町〳〵の寄附奉納の幡は 猩々緋【「猩猩緋」=「あざやかな深紅色。またその色に染めた舶来の毛織物。」】緋の羅脊板をもつてし五色の吹抜は絹木 綿を以てし棹のうへには金銀の玉または日月の形を 粧ひ夕陽赫〳〵【かくかく…日照りのさま。】たる時は綺羅星の如く玉を欺 幡吹流しは風に靡き空によこたはり幟に 風をしとむ声旅籠屋に旅人を止るこゑ いつれをか聞わかたん 二天門【仁王門】より鋪石【しきいし】四丁 を歩行て御本堂なり左右に見世店 幾数十軒を並へ小間物善光寺みやけを商ひ 或は水くわし【水菓子】干菓子のたくひ御影 【右丁】 御開帳  盛んに   して  御山内   繁昌   の図 奥褰錦帳開寶龕拜尊容 【右丁】 絵図面流行うた亦御休處の床机に腰を もたれて旅客を呼込むたをやめ【「手弱女」=か弱い女。やさしい女。】は年も二八の そはよりも細きこしにやまゝゆ【山眉=山の稜線のような美しい眉】入たる紫【女をいう。】御納戸 縮緬【お納戸色(鼠色がかった藍色)の縮緬】の紐つけたるまへかけをしめて酒喰を 商ふ或はすし或るはてんふら蒸菓子等の 屋臺店はぶら灯ちんまた風りんの青色【音色と有るところでしょうがどう見ても「青」に見えます】と 共にすゝやかなる声して客の足を留めあらゆる しる〳〵【(「動詞「知る」を重ねてできた語で「知る」という動作の反復、継続を表わす。)知りつつ。知りながら。】四丁有合【あり合わせ】の鋪石左右二行に軒を 並へ一山衆徒の門前には破風屋根付つけたる 臺ちやうちん一様に建並へ小御堂には施主有 【左丁】 しな〳〵掛ならへ燈明を輝す床見世の 裏通りには曲馬軽業芝居をはしめ思ひ〳〵 の見世物の小屋数二十有余建連ね表に掛 たる名代看板は浮世繪の上手を以て彩 色に筆を労し大入ひいきのふるちやう ちんは火除の下に数多く提【さげ】見物は木戸 口をおし合い笛太鼓の音耳をつら抜【この字本来は手偏だが、原典はサンズイ或は言偏に見える。】 三味線の音色よく口上立はとうけ【「どうけ(道化)=人を笑わせるようなおどけた言語、動作。】をまし えてやたらにしやへり見物の笑ふ声 あたりに響 居合抜はほんとしたる客の顔色を 【右丁】 見つめて黒痣を抜 鍮石【「ちゅうじゃく(ちゅうしゃく)とも。」真鍮(しんちゅう)の異称。】磨き 銀なかしあるひは 口中一切の薬歯磨き四文銭を噛碎て 利口ものゝ氣を奪ひ七色とうからしは 冷茶に口中を潤し声の嗄る【かれる】もいとはす 一味〳〵に功能をしやへくり熊のあふら 即妙膏吉井の火打は摺あはせて 火口にうつし賣ト者【ばいぼくしゃ】はまの卦にあた□【「り」】 を捕へててたらめをいひ三國一の甘酒山 川白酒のたくひなし簾の茶店は流行の こけ茶深川鼠声花ならす野暮ならす 【左丁】 雪輪乱菊桜草しやれたる模様を一ト 幅に二つ三つ宛染抜て何れも新竒妙 案を工風【くふう】し鐘楼の傍松原のかなた こなたに囲を構へ其振ふ事たとふるに 類なく拙き筆にはなか〳〵に千分の一にも およばさるなり其外俄に寄附奉納の其 品〳〵近在近郷より劣らじものをと席 をあらそひ江戸京大坂千人講中あるひは 念佛御花講中奉納物善美を 盡すばかりなり處狭しと建並へ日も 【右丁】 西山に傾きて入相耳をつらぬけはあると あらゆる数萬の品〳〵或は蝋燭或はかん てらに光りをうつし夜店の賑わい殊更 に覗からくり冨小屋のあかりは素より参詣の 群集の人〳〵ちやうちんてらし炎ふは 空にうつり輝き白畫といへとも清明なら すんは却て是を欺へし行かふ諸人 耳目を驚し西に走り東に歩行南 北だにもさだかならさる其賑ひたとふるに ものなし 【左丁】 旧例として三月九日申の上刻御本坊 表御門より出輿ありて 御本堂まて前立尊像の御寶龕 御印文の御宝龕錦帳あたりを 輝し行列美し鋪して御ねり あり警固の僧衆諸役人左右前 後を打守り相図の鐘を打なら せは一山の衆徒山内の際まていで 迎ひ供奉 尊敬して御本堂に 遷し奉る 花供物 備物をはしめ 【左丁】 生花造華香蝋を奉捧餝付け【かざりつけ】の 次第善なり美なり翌十日には 御別当權僧正様中輿にて御ねりあり 是則 日光御門主様より御拝領にて 金銀の金物を輝し竒麗といふもまた 愚なり 爰に舌代【しただい=口上】していはくかゝる不思議なる 時節になからひ【血縁。親類】居てなとか【などか=何故か】子孫の歴 に書遺しなん事を欲すといへとも 前にも述るか如し生得【生まれつき】物に銀 【右丁】 して筆に愚なり口にありても 其由を遂る事不能筆をして 硯をかきまはす事の数刻に及ふといへ とも習はぬ経の読は社さりとて浮世 におよひなは噺伝もさだかならしと 徐【「徐」は「おもむろに。遅い。」の意。「除」とあるところか】く思案一決して小児だましの 徳文句此處まては不埒たら〳〵 俗語しける所に一子【自分の子供のひとり】乾三 臂【ひ=ひじ。うで。】の元に 来りて御回向盛にして賑はしく また初の十日御ねりあり其行列の 【右丁】 次第を 噺しに せよと いふさた かならすも そのあら ましを はな し せし に 幼年 【左丁】 にして 其由を 不弁【わきまえず】 あまりに うるさく 問ふ ゆゑに 不得 止事 して 【右丁】 不詳と いへとも 空覚【そらおぼえ=確かでない記憶】 の  あら   まし    を もつて  是を 【左丁】 うつす 実に  諺に 噺を  繪に 書 なる  へし しかるにまた 此双紙の    中に 【右丁】 綴入れよと いふこれ□□【「もま」と思われる。】た 子孫におよひて 春の日の長く 秋の夜の深に およひて砂糖 豆の喰尽し 祖父はゝあの 昔し噺の 【左丁】 数にも入へきや はなしを 繪なるた    はむれ 書其繪爰【ここ】に 綴入たれは あまりに厚き 顔の皮とおつしやる       かたも あるへけれと 【右丁】 是皆子孫の愛情に おほるゝところの   原皮【「腹皮」=腹部の皮。か】と覧人【覧(みる)ひと】    笑ひを      とめ       たまへ 【左丁】 幸一【人名=作者】爰にまた子孫に語る事ありわ□【「れ」か】 幼年のひより今此御開帳まて其数覚て 四度におよへりその度毎に町〳〵の 奉納寄附のしな〳〵ある事先例たりと いへとも家毎に建連ね【つらね】たる高張ちやうちん なりしも敢て一やうといふにもあらさりしを 近来取分て何品によらす憍慢におし移 花車風流を専要とする事言語に 絶たり今此大災を受財寶損亡多し 【右丁】 といへとも就中難得秘書書画の類 小道具古代の名器微塵灰となりて一朝 一夕に山をなす事可恪亦驚怖すへし 爰にまた市街年中行事神社 佛閣縁日祭禮賑ふ事の数多しと いへとも就中六月十三四の両日先規の例 として市町を東西に分ち祇園會祭禮 狂言屋臺鉾とねりもの燈籠に至る迄焼け 損ふ事の多けれは我子様におきておや 此有様を見る事不可有また西町横町に 【左丁】 おきては其市神の祭り夜見世の市の 賑ふ事是もまたしかなれは猶隙も ありなは後編まてに図画を出して子 孫慰に遺すへし如斯驕奢に長し 榮花歓楽の満足なる事幼君小児と いへとも皆是を常とすおもふに六萬五千日 を積り御回向また前立本尊御開帳の ありしもさそ繁華艶ことなるへし 有来りし茶屋旅籠屋更なり新に 地面を廣くし家作を補理【しつらえ=設備する。つくろう。「補理」は当て字。】軒を並て 【右丁】 利潤をあらそひ我人に劣らしと心魂を碎き 内職出店新案を懲す【こらす】事不少予【自称の代名詞。「余」に同じ。】も又 運拙くして家禄不如意なり人皆内職 工風を専らとす然るを奈何【なんぞ】空鋪【むなしく】光陰を 送るへきや御回向そとて遠来の客人 また物入も多し平日質素を守ると いふとも斯たまさかの賑ひ家内のものも 参詣を心にまかせ料理屋の軒によりて 酒給茶漬をも驕りまたは芝居軽業 見世ものなとの心の見物させはやそれに 【左丁】 つき是につけては時花【じか=その時にもてはやされたもの。はやり。】の着もの何やかや 親の苦労も余所事にして艶なる事を 好とする事他を見てうらやみ願ふは禁め【とどめ】 あきといへとも皆是情愛におほるゝの所爲 不得止事幸ひ爰に思ひ付きの事の ありしは善光寺は古今無雙の霊地に して日にまし年にまして参詣の旅人 も群集すといへとも是社善光寺参詣の みやけ【土産】といふ其品なし同花當餅に 同縁ある事を工風し菓子を製し 【右丁】 又御開帳の事なれは子供のもて遊ひに 小幟をこしらひ其料尤安くして遠国迠も 持易有増工風はありぬれとも場處も 程能形も望ある事なれはこれも又 容易依て我實家なる久保田社へ参詣を 遂しに素ゟ【より】血縁はまた格別ともに心を 配りて御本坊へ御内願のいたせしおとも 四門の尊号は是則 勅額の写しにして 尤重すへき事にして容易なりからし さりとて他の願になくご容易も 【左丁】 あるへきなれとも御役人方の御存意も如何哉 就ては御本坊より御内々仰入られも下さる へくや内実御許容の趣もあれはなり乍去【さりながら】 表向は地方の掛りなる中野姓へ願出差 出すへしとありけれは     乍恐以書付奉願上候 今般御回向に付御境内之内駒帰橋近邊 御拝借地仕出店商賣支度奉願上候格別之 御慈悲を以右願之通御聞済被成下置□【この「・」は不明】度 偏【ひとえに】奉願上候以上 【梅笑堂出店の図】 【右丁】 勅額之寫新製御免菓子之圖白フチ字共ニ紅亦ハ地 浅黄字白等也大キサ如圖厚サ五ト【分】包紙色紫以翁之句 月影や四門 四州に唯ひとつ 亦紅摺ニシテ 善光寺みやけとイウ 小札ヲ銀ノ帯ニハサミ 外ニ新製まさこ 【右丁 中央囲みの中】 東《割書:定額山|善光寺》   西《割書:不捨山|浄土寺》 南《割書:南命山|無量壽寺 》 北《割書:北空山|雲上寺》 大サ【「草」の意?】色共ニ如圖袋人【「入」とあるところ。】也但シ袋ノ模様人【「入」とあるところ。】者 小幟等残リ有ヲ以テ可知價百文ニ附四包也 【左丁】   弘化四未年三月  権堂村願人 庄五郎印            杉沢町親類差添 弥助印       中野治兵衛様 形の如く願書を差出し滞るかたもなく整けれ 共東都注文の品々間にあはつ爰に三月十五日 は例にして式日なり誠に亦御回向の事 なれは賑しき事見たるよりもなほたしか なり因ては十四日の夜夫〳〵の品々取揃 十五日暁天を持て目出度店を開へしとて 其用意をそ【ぞ】したりける御境内廣しといへとも 【右丁】 處狭しと小屋掛並へあるとあらゆる品々持 出し賑ふ事限りなしといへとも爰に稀成 店錺り【かざり】ゆゑ評判もよく又繁昌し我 内の者も歓て此上仕入も間に合なは 御山内宿坊かた旅籠屋なとへも願を入れ 座敷に通りて旅人に進めなは是そもつ たいなくも御當山 勅額の写にして お國元への御土産なり是は御當山御開帳 につき遠國よりの御参詣御子孫方への御 土産なり手軽にして実に御参詣の印なり 【左丁】 と口演まても評義を極め笑ひに朝夕取紛れ 手足を痛く労しけり 爰に亦子孫にかたる予か常に閑居の一ト間 あり是をも造作お仕替て座鋪に補理【しつらえ(設え)】 ん事を思ひて地袋附の床の間と持佛安置の一ト間 を普請しおりしも弥生の廿四日は幸ひの 吉辰【きつしん=良い日。吉日。】なれはとて襖張付け腰張も急きし まゝに徐に此日を遷坐も間にあいて古佛 壇より移し上拝禮をそしたりけりまた新 座鋪の祝にとて床の間に題 寄松祝 【右丁】 御染筆は綾小路宰相有長卿  拝見 しつゝも取紛れ夕飯さへもおそくなり暮六ツ 過し【すぎし】比おひに【ころおい=ころあい】に漸く膳に居並ぬ折しも家内を はしめとし《割書:此時善左エ門三十四才妻イト二十九才娘ジユン十六才|悴乾三九才松代中町住人菓子職人長吉同長》 《割書:兵衛大工大吉荘五郎女房タマ此両人は|出店梅笑堂ニアリテ三度ノ喰事可知持出ノ運》とも〳〵に膳に居りて 箸を取ぬ此時予たわむれて言ける事また 参詣に行んとして不進すくみてまた行事を とゝめ留守居もなくして氣を急出店梅 笑堂に至りて災難に出逢死をのかるゝ事 神佛の加護なるか凡人なれはまよふといへとも 【左丁】 亦ふしきなり予戯れていひけるは今の地震 をしりたるやと家内のものに問けれはありあふ 人〳〵顔見合しらさるよしを答けるゆゑ斯 常に稀なる地震のほどをしらぬとは あきれ果てたる事なりというて皆〳〵笑ひ になりぬ疑ふらくは是前表なるか また諺にいふ虫のしらせたるにや去程に 夜喰をも給終りぬれは留守居をたのみて 打連立て参詣し賑はしきを見ばやとて 子供をはしめ打歓したくそこ〳〵取急 【右丁】 留守居のものも兎に角に漸く店五郎母 《割書:於ムメ乾三|トリアケバ也》菓子の職人ひとりを残し待んと しては進得す何やら心にかゝりてはそこ〳〵 にして家をいてぬ実に凡人なれは此大災 ある事を可知や打連立て出店なる 梅笑堂にそ至りける 【文字無し】 【裏表紙にて文字無し】