【蔵書の分類印が押してある半透明な紙から表紙=2コマ目参照=が透けて見えていると思われるが、現物を見なければ断定はできない】 (表紙) 「 (朱印) 『再々改』 安政二卯十月二日  御江戸大地震大破   幷出火類焼場等書上之写 (朱印) 『年代記抜書  地震之部加之』       要石堂施板」 安政二卯年十月二日夜亥ノ刻頃、東南之方ゟ大地震ゆり出し、江戸四里四方大破ニ 成、諸〻ゟ出火もへ出し、怪我人・死亡人筆紙ニ尽しがたし、然ル処其夜、町御会所ゟ窮 民え御救飯被下置候ニ付、存命之者ハうへ不申候事、誠以泰平之御仁恵、難有事也、 猶亦窮民・無住ニ相成候者、御救小屋御建被下、日〻三度之喰物被下候場所左ニ印、   幸橋御門外  浅草雷門前  深川海辺新田 《割書:新吉原町|山谷田町辺》新吉原江戸一丁目・二丁目、京丁一丁目・二丁目、角丁壱丁目・二丁目、揚屋丁、伏見丁 惣じて仲の丁より四方郭中残る所なく類焼にて、大門外御高札幷ニ同じかハの分残り、右カハ残らすやける、日本堤にて往来の地さけたり、郭中におひて土蔵一ケ所も 残りなくゆり潰し、其上に火事なるゆへ、けが人・死亡の者かぞへ尽しがたし、夫 より田丁にて出火して、同所壱丁目袖すりいなり、土手下あミがさ茶や北の方 少し残り候へ共、大形つぶれ家と相成申候、同所西の方谷中にて天王寺門前ニテ 山川丁馬頭くわんオン・西方寺と二ケ寺ハのこる▲同所南方馬路どふりより北しん町 やけ込、遍照いん、其向ふ猿若丁三丁目かハらさき、二丁目市村、壱丁目中むら、右三座 の前後がくや役者しん道共やける、但シ三丁目森田かん弥宅より北の方のこる、夫より 薮の内ゆりつぶれ・火災等にて残る所少し、同所東の方山の宿九品寺より向 うハのこる、南へ花川戸丁戸沢長屋七分やけて止り、同所馬道西がハの分▲吉祥 院・徳応院・延命いん・誠心いん・無動院・教善いん、北馬道迄、同所南馬道ハ曲り角迄、 やける▲同所馬道東かハの分善龍院・泉陵いん・泉蔵いん・修善院・妙徳院・医王いん・ まんだら堂・金剛いん・覚善いん・法善いん・妙音院・顕松院、右の分にいろは長屋多 くあり、皆やける、同所一の権現やける、同所慈性いんにて焼止る▲浅草寺境内の 分奥山の諸宮等何れも破損いたし、同寺内にて正智いん・長寿いん・勝蔵いん・ 寿命いん・正福いん・智光いん、同く梅園いん・実相いん・松寿いん・金蔵いん・観知いん・ 日音いん、此分裏にいろは長屋あり、いつれも大破也▲観音本堂・山門・鐘楼・ 随身門・雷神門・三社念仏堂此分無事也、五重の塔くりん少し曲る、東橋 川付の方にてハ北方山谷ほり迄焼残り候へ共、潰家最多し、右の内待ち山 無事也▲同所山谷はしより北の方、今戸はしきハ半丁計やける、同所銭ざ前 後ハ焼失・潰家等甚多し▲同所ゑた丁のこる▲同所遍照寺のならび総泉寺ゟ 真﨑いなり迄、大破の家多く、川口と柳屋と云れうりやハ無事也、同所山谷丁・ 浅草丁、同くつゝき中村丁・小塚原丁・千住宿大橋迄大破の家多し、又千住ニて しょう焼失在之、此分追加に出すへし (白抜き文字)「浅草辺」浅草本願寺の分、本堂無異、寺中教覚寺・専勝寺・玉泉寺・証 願寺・円照寺・法ゆう寺・雲行寺・来応寺・光円寺、其外大破損、同所誓願 寺門前丁潰家多し、日輪寺門前其外此辺潰家多く惣崩にて、町〻 分りがたく候、菊屋ばし向行安寺門前丁半丁やける、同所西向がハ新堀はし迄 一丁余やける、同あへ川丁近辺潰家多し▲こまか形丁左りがハ初冨士と申れう りや手前角より両かハ不残やける、此へん土蔵一ケ所も残所なし、すハ丁両かハ 焼ける、黒舟丁同断、同所しつくひや土蔵のこり、同所角米問屋半のこる、三好 丁川岸の方のこる、同所南御馬屋は岸にて止る、蔵前通り無異、 (白抜き文字)「下谷辺」下谷七軒丁よりやけ、同所南方備後・出雲両家大破、同所大正寺・ 光生寺・心行寺迄、同向出雲様上やしきや焼、但し七軒丁向かハにて霊雲寺 下やしきゟ南方町家・休昌寺・忠綱寺・小宮・川俣・朝比奈、其となり妙顕寺・正 慶寺・東渕寺やける、喜連川半やける、同所南方かや丁二丁目、其向称仰寺・無安 寺、同東方教証寺やけ、此所にて止る、かや丁一丁目中ほとより二丁目の分也、下谷 坂本一丁目より三丁目迄不残やける、同所北方金杉・ミのわ・根岸御行松辺潰 家甚多し、同南東方東えい山下車坂・はんすう院門前丁・切手丁・山ざき丁、此 辺やき、寺院共大破多し、上野広小路六あミだのこり、同上野丁一丁目不残やける、 二丁目過半やける、徳大寺・一乗いん、同所南方北大門丁・下谷同朋丁一丁目・二丁目・上の黒門丁、 同御家来やき、同朋丁拝領やき、井上ちくご守様長屋・御てん共潰る、石川とのも様 南方少やける、黒田豊前守様表長屋やけ、此所にて止ル、同所大関信濃守様無事、下 谷長者町一丁目・二丁目・同三丁目代地・同二丁目残地・上野南大門丁・下谷車坂丁・同家来 やき、中御徒士丁高野と申家ゟ南え六丁計やける、同所西方へ廻り、辻元と云医師 やけ、同向五六軒やける、同所西北方湯しま・本郷、加州様・備後守様少〻破損、夫より 駒込・白山・すかも辺迄破損有之▲小石川御門内さぬき様・するが様、同御門外水戸様・青山様・ 丹後様・小笠原様・豊後様大破、牛込は赤城下・改代丁・小日向水道丁・古川丁近辺潰家甚 多し、音羽より目白台・ぞうしかや、東方大つか、此へん大破無之候△市ケ谷御門外 尾州様小破損、かうし丁・飯田丁・ばん丁・四ツ谷・新宿、此辺淀はし辺大破▲赤坂御門外 紀州様小破損、同てんま丁・さめかはし・桐はたけ・寺□しゟ赤はね川筋迄大はそん、目 黒・ひろを・白かね代丁・高輪・品川・同北方札の辻、此辺四方少々破損ニて、委くハ後篇ニ出之 【白抜き文字】「芝辺」染井町両かハ共やける、宇田川丁、三島丁・神明丁、此分潰家多、土蔵残所なし、 同神明無事、同増上寺地中北方の分少破損、土□少〻破損在之▲同所ゟ南方金 杉・札の辻迄格別大破無之、同所方ニて桜田兼房丁自身番より同所南松平兵部 表長屋迄やけ、同西方伏見丁・かぢ丁、くぼ丁・太左衛門丁・びぜん丁・いなバ丁・いつミ丁・喜右衛門 丁、此辺潰家尤多し▲同西南方あたこ下・西のくほ・いゝくら・麻布市へへ丁・六本木 辺大破無之 【白抜き文字】「《割書:永田町|外桜田》辺」半蔵御門外御大名諸屋敷・町屋共少々破損▲南方外さくら田・赤坂 御門内三べざか・山王社無事、かすミが関・虎の門・新しばし迄破損、東方幸橋御門 内松平甲斐守様・伊東修理大夫様やける、南部美濃守様やける、薩州せうぞく やき、南方少やける▲山下御門内・ひゞや御門外少破損 【白抜き文字】「丸の内辺」和田倉御門内大番所・同所松平肥後守様中やしき共やける、同所腰掛やける、同 南松平下総守様やける▲すきやばしゟ呉服ばし内大名小路ノ前後御大名少〻破 多し▲辰の口向森川出羽守様・酒井うたの頭様中やしき・同上やしきやける▲常盤 ばし・きじ橋御門少破損▲田安様・清水様無事《割書:遠藤但馬守|本多中務大輔》やける 【白抜き文字】「小川町辺」一橋御門外ごぢいんの原松平豊前守様・本郷丹後守様共にやける、其外小 やしき五六軒やける、小石川御門内よりするが台・小川丁筋、筋違御門迄少〻破損▲外神田 さミせんぼり七曲・泉ばし・新し橋・浅草御門・柳橋少〻破損、同所北方御蔵前より 御馬やがし迄無事▲すじかい御門内すだ丁ゟ今川橋・日本橋迄家・蔵の破損多 く、火災無之 【白抜き文字】「日本橋辺」日本橋ゟ中橋迄、家・蔵大破▲中橋、南てんま丁二丁目横南かぢ丁より狩 野しん道・五郎兵衛丁・畳丁・北こんや丁・白魚やしき・同東方鈴木丁・いなば丁・ときわ丁 太田やしき・柳丁・ぐそく丁・炭丁・本材木丁八丁目河岸迄やける、土蔵此間に少残る 【白抜き文字】「京橋辺」京ばしゟ新橋迄御屋敷・町屋共大破▲築地、小田原丁・南飯田丁・元 柳原丁、此辺大破・潰家尤多し▲西本願寺本堂無事、寺中数軒大破、此辺 御やしき大破・土蔵潰多し▲鉄砲洲・十間丁・松平淡路守様やける、明石丁潰家 甚多し、又亦松丁・細川能登守様無事、其外大破多し▲佃嶋大破損▲本八丁堀ゟ 北方大通り、八丁堀組やしき、亦かやハ丁・薬師堂無事、四方町屋所〻大破・潰家・破損等多し 【白抜き文字】「霊岸嶋辺」霊岸島拾丁、四日市丁・白銀丁・大川はた丁・南しんぼり、川岸限やける、松平 越前守様中やしき残る、其余ミなと丁・長さき丁大破▲同所北の方、北しん堀・久世様・ 伊豆様・土井様小〻破損、田安様無事、其外大破▲行徳かし・小あミ丁・どうかん ぼり酒井様・本田様・林様・紀州様・三河様・井上河内様・堀出雲守様、此へんのやしき 幷ニ銀座甚左衛門丁ゟ人形丁通・はたご丁通り迄大破そん、同向にて小舟丁・堀江丁・ 本舟丁・せと物丁、此辺不残大破▲北方大川ばたにて安藤様・新庄様・すがぬま菅沼様大破、 同裏通り秋元様・牧野遠江守様・永井肥前守様、此四方大川ばたゟ横山丁迄大破 【白抜き文字】「今川橋辺」日本橋北、本丁・今川橋迄大破、十けん店・東方石丁通・大てんま丁・小てん ま丁・はたご丁・油丁・ばくろふ丁・横山丁・両国ひろ小路・柳原の土手迄大破▲同所郡 代やしき・としま丁・細川玄蕃頭様・弁慶ばし・お玉ケ池・市橋下総様・小柳丁・もミぐら・ すた丁の通り迄大破損、土蔵多く大破▲同所西方、すじかい御門内にて青山下野 守様・酒井様・土井能登守様・松平左衛門様・稲葉丹後守様・土屋うねめ様・戸田竹次郎様・内藤駿河守様・堀田備中守様・伊東若狭守様・柳原式部様・本多伊予守 様・本田豊前守様・御勘定奉行・三河丁迄、此四方御やしき・町家共大破、悉記がたし 【白抜き文字】「深川辺」永代橋わたり、相川丁御舟手組破損、同所木戸きハ二軒の方、南 方熊井丁やける、正源寺やける、とミよし丁・諸丁・中島丁・北川丁・黒江丁右かハ半丁残る、つゝき蛤 丁・大島丁・西念寺やける、一の鳥居・永代寺門前山本丁・仲丁右かハ・永代寺表門角にて焼止ル、同 左かハ半丁手前にて止ル、八幡宮無事、右の鳥居二ケ所大破、社内多くはそん、同門前丁潰 家多し、三十三間堂大破、木場何れも大破、同東入ふね舟丁潰家多し、すさき弁天 社内無事、但し茶屋等破損、木置場大破、同南西方阿州様・越中様・榊原様・瑞雲 寺ハ少破そん、此辺火災ハなし、同所黒江丁・さる丁代地、凡一丁四方やける、同所本所石原 丁代地より平の丁添地、一丁計やける、此辺潰家多し、同所東方六万坪ゟ毛利新田・ 砂村、猶この東方がく四方共大破、潰家数しれず▲同寺町通り、諸宗寺院大破損、 淨心寺本堂大破、寺内三ケ寺幷中門・表門・手水舎共潰、同表口題目石倒れる、 同霊かん寺表門倒、本堂・寺内共大破、同所本誓寺大破損、夫より正覚寺橋通り 万年丁・一色丁大崩・三角、此所納屋・蔵・町家・諸寺院多く潰▲永代橋左の方さか丁・万年 ばし・霊雲いん・海辺大工丁・いせ崎丁・木場、此へん潰家多し、平の丁東西・立花様大破、 同西方奥川丁・円速寺・万徳院大破損▲南方小名木川筋猿江辺、此所の四方大破、いふ 計なし▲大橋をわたり右へ深川元町・松平遠江守様下やしき・さるこ橋迄悉潰る、同 大橋ゟ左方木下図書潰、あたけ御舟蔵無事、同所一ツ目弁天大破損、同所八まん 旅所・同所再幸寺・初音いなり、此辺多く崩、同所御舟蔵前丁ゟ出火、同所大仏殿役所・ とがミごんけん・秋葉宿寺、此南方小やしき多く破損の後やける、同所東方六軒堀あへ川屋 より半丁北にて出火、南森下飛火、此辺大崩、焼地在之▲八名川丁・北六間堀丁・同通り もみぐら少やける、同所神明門前丁、本社残り、此辺一面やける、井上河内守様やける、常盤丁よりやけ出し、 小笠原様やける、太田様表長家少やける、高橋きハにて止る、此四方やけ残、町〻・御屋敷潰家甚多し、弥勒 寺表門潰、同所要律寺・慶長寺共大破、いよはし橋通り東方徳右衛門丁二丁目・三丁目辺やける、近辺何れも大崩 【白抜き文字】「本所辺」両国ばし右方一のはし石垣崩、同元丁回向院鐘楼堂潰、同所本多 内臓介大破、相生丁一丁目ゟ五丁目迄大崩、同ミとり丁一丁目二丁目迄やける、三丁目角にて 止る、同四丁目五丁目・花丁、しゆ木橋際迄やける、津軽様大破、同北方柳原丁五丁・かやは丁 四丁・亀戸天神旅宿・本所瓦丁・松代丁四丁目・中の郷五橋丁迄悉大崩、土蔵残所なし ▲本所五ツ目渡場際、十軒計焼けて消る▲亀戸天神・ふもん院・光明寺・萩寺・光蔵寺・長寿寺・阿部長徳寺・亀戸丁・柳島丁・法性寺・妙見宮・常照寺・押上村・最教寺・大雲寺・ 徳生寺・永泉寺・全性寺・春慶寺・報恩寺橋通り霊山寺・本法寺・大法寺・真盛寺・ 南本所出村丁・北割下水・南割下水、此へん小屋敷多潰、土蔵数ケ所崩▲大川通藤堂 和泉守様中やしき・同所津軽様蔵やしき大破、松前伊豆守様・御竹藏無事、駒止石の通り 松浦壱岐守様・同所御大名下やしき最上様・石原町願雲寺・御舟改役所・御馬屋河岸通り迄 大破、土蔵残る処なし▲本所石原丁半丁やける、同所向井将監様・徳山様・牛御前旅所・石原町 御組・あらい丁・松倉丁、此分大崩▲同所中の郷表丁半丁計やける、北本所番場丁・南本所番場 丁・原庭丁・多田薬師・女夫石、此辺悉潰残る所少し、同所東なり平橋・南蔵院・延命寺・北条新蔵様、此辺 粗やき、同断吾妻橋渡り、細川能登守様・松平越前守様下・竹腰兵部様下・尾丁尾やき、釜等迄潰、此外 大破、土蔵多く崩れ、悉算がたし▲同小梅村・尾町小ぐら庵と云れうりややける、近辺類焼、同所水戸殿下 やしき・同所日蓮宗常泉寺・門前吾妻森・西方三囲りいなり・牛御前・長命寺、すミだ川堤さけ・割、地中泥 を吹出ス事おびたゞし、同所桜もち其外所〻潰家甚多し、同黄檗宗牛頭山弘ぶく寺地内悉潰、すハ明神・ 白ひけ明神梅やき、宝泉寺・木母寺・梅若塚等大破、院内茶屋潰家多く、同かねケ淵水神ノ森大破、夫ゟ東方すた 村・寺島村・若宮村・引舟通客神大明神・木下川淨光寺薬師・同南舟堀・葛西、西柴又・かめあり・二合半領、此外村〻大破、中川御番所前向共大崩 残分 〇小川町堀田様・戸田様・高家戸田様・小やしき少〻やける、近辺大破 〇小石川牛天神下すハ丁すハ明神大破・同所半丁計やける、同江戸川筋潰家多し 一 御屋敷潰・焼共二万四千二百六十三軒 一 町数同三 千七百八十七丁 一 死人二十一万七千三百八十余人 一 寺院一万六千三百五十二ケ寺 【9コマ左頁は過去の大地震一覧。縦4分割、横8分割計32マス。それぞれ発生年を見出しに地震の内容を記す。末尾の年は安政2年までの年数=10コマの注参照】 【右端列1マス目】白鳳五 土佐国田地五十余石たちまち海となる 千百八十年 【同2マス目】同六 伊豆国え大島できる 千百七十九年 【同3マス目】同十一 風なくして神社仏閣崩 千百七十四年 【同4マス目】同十二 天下大ぢしん、人馬多く死ス 千百七十三年 【第2列1マス目】慶雲四 六月天下大地震 千百五十七年 【同2マス目】天平六 四月天下大ぢしん 千百五十一年 【同3マス目】同十七 天下大ぢしん、月をこへてやまず 千百四十年 【同4マス目】勝宝五 摂州大つなミ 千百三十四年 【第3列1マス目】延暦十八 ふじ山やける、其音が雷 千八十八年 【同2マス目】天長四 諸国大ぢしん 千六十一年 【同3マス目】貞観六 五月ふじ山やけて三十里程人家崩 千二十年 【同4マス目】同十一 奥州大ぢしん 千十五年 【第4列1マス目】元慶二 関東大ぢしん 千十一年 【同2マス目】仁和元 大ぢしん大雷、星下る事雨のごとし 千四年 【同3マス目】延喜十一 正月大地震 九百七十四年 【同4マス目】承平二 九月廿七日大ぢしん 九百五十四年 【第5列1マス目】同五 諸国大地震 九百五十一年 【同2マス目】天慶元 四月十五より廿七日まて大ぢしん 九百二十七年 【同3マス目】長久二 大地震 八百三十九年 【同4マス目】同三 大ぢしん 法成寺塔たをるゝ 八百三十八年 【第6列1マス目】寛治 諸国大ぢしん 七百九十三年 【同2マス目】同六 諸国大つなミ 七百八十七年 【同3マス目】建保元 和田かつせん、大ぢしん 六百七十七年 【同4マス目】正嘉元 大ぢしん、みぶ寺やける 六百二十二年 【第7列1マス目】乾元 大嵐、大つなミ 五百七十七年 【同2マス目】元弘 大ぢしん 五百二十一年 【同3マス目】延文五 大ぢしん 四百九十七年 【同4マス目】天授三 諸国山〻崩る 四百八十二年 【第8列1マス目】応永十三 大ぢしん 四百五十一年 【同2マス目】文安五 大ぢしん 四百九年 【同3マス目】宝徳 度〻大ぢしん 四百八年 【同4マス目】文明七 津の国大つなミ 三百八十三年 【10コマに続く】 【10コマ最初は9コマ左頁に続き過去の大地震一覧。縦4分割、4列計16マス。それぞれ発生年を見出しに地震の内容を記す。末尾の年は安政2年までの年数=注参照】 【右端列1マス目】明応三 大ぢしん 三百六十三年 【同2マス目】永正七 遠州別て大ぢしん 三百四十六年 【同3マス目】天正十七 駿遠大ぢしん 二百六十六年 【同4マス目】慶長二 京大坂ぢしん 二百五十九年 【第2列1マス目】同十八 諸国大ぢしん 二百四十三年 【同2マス目】寛永四 正月、関東大ぢしん 二百廿九年 【同3マス目】寛文元 諸国大ぢしん 百九十五年 【同4マス目】天和三 日光山大ぢしん 百七十三年 【第3列1マス目】元禄十五 宝永山出げん、関東大ぢしん 百五十三年 【同2マス目】宝永四 十月五畿内大ぢしん 百十九年 【同3マス目】文化元 六月四日より七日まて出羽大ぢしん 五十二年 【同4マス目】同九 関東大ぢしん 四十四年 【第4最終列1マス目】天保元 七月二日京都大ぢしん 二十六年 【同2マス目】弘化四 善光寺開帳、信州大地震 九年 【同3マス目】嘉永六 相州小田原大ぢしん 三年 【同4マス目】同七 豆州下田大つなミ 【大地震一覧表の注】右ニ相印年代ハ年号始ヨリ今安政二年迄、天下大地震之年数早クリ也 【10コマ右頁の後半は本文の補遺】  前書ニ相落し候分、左ニ相印申候 一 カウシ町紀州様表長屋・尾州様西長屋・霞ケ関黒田様北角長屋潰レ、   四谷新道南半丁程・同所大通り・玉川御上水万年樋大崩レ、往還壱丈余、   又ハ弐丈余之穴明き候所、す、数万之人部ニテ三日之間ニ相直り候、永田町・   山王ウラ門前土井様・岡部様表長屋相ツブレ申候 一 御救小屋深川八幡境内 一 下谷山下明地 一 上野宮様ゟ同所山下 【10コマ左頁は死者数まとめ】 一此度大地震之節死亡人、諸寺本山ニテ取調之写 一天台宗   弐万千五百余人 一浄土宗   三万五千七百余人 一古儀真言宗 一万九千五百余人 一新儀真言宗 壱万七千六百余人 一禅臨済宗  一万九千五百余人 一同曹洞宗  七千六百余人 一黄檗宗   七千五百余人 一日蓮宗   九千八百余人 一同勝劣派  五千七百四人 一西本願寺  三万三千九百余人 一東本願寺  三万七千八百余人 一時 宗   三千七百余人  〆 廿壱万九千八百余人