四月八日  午後四時より中山女性文化研究所  小講堂に於て開始 釋尊降誕會紀念映寫 釋尊傳映畵  『亞細亞の光』梗槪 主催 中山女性文化研究所内 婦人精神文化研究會 【上段】 獨逸エメルカ映畫会社 提供 一九二六年度 超弩級作  釋尊傳映畫  『亞細亞の光』  全十巻  主演者《割書:ヒマンズ・ライ氏|セータ・デヴイス嬢》 顧問  印度大東洋協會(グレート、イースタン、コーポレーシヨン) 指導 タゴール翁 原作 サーエドウイン・アーノルド氏 脚色 ニランヤン・パール氏 監督 フランツ・オステン氏 《割書:補助|監督》 ベルトㇽ・シュルテルス氏 撮影 ヴイリー・キールマイヤー氏 撮影 ヨセフ・ヴイルシング氏 《割書:衣裳|考證》 チヤル・ロイ氏 -(配役)- スツトーダナ王(淨飯王)……     ……サラダ・ウキール氏 王妃マーヤ(摩耶夫人)……     ……ラニ・バラ夫人 王子ゴータマ・シツダールタ (瞿曇悉達多)(釋迦牟尼佛陀)     ……ヒマンス・ライ氏 其妃ゴーパ・ヤシヨダーラ (瞿波耶輸陀羅)…………     ……セーダ・デヴイス孃 其父ダンダパニ王(執杖)……     ……ヤギツト・マツール氏 隱者アシータ(阿私陀)     ……スニツト・ミツテル氏 デーヴアダツタ(提婆達多)     ……プロフラ・クマル氏 從者チヤンナ(車匿)     ……スンダル・ラヤム氏 母乳チトラ ノリニ・クマリ孃 傳令使………スニル・プレミ氏 使者ノ一……チヤール・ピライ氏 使者 二……アソーケ・ボーゼ氏 老臣…………スセル・ゴーゼ氏 布告使………ラウエン・ヅツト氏 物語する賤の男…………     ……ハーレン・セン氏 (侍女 夢占者 近侍 僧侶 祭司  名馬カンタカ) 思ひは遠き三千年の昔印度ガンヂス (恒河)の諸上流ヒマラヤの連峰裾長 く曳く地に於て、四隣に其覇を稱へ らるゝフツトーダナ、大王(淨飯王) があつた妃マヤ(摩耶夫人)と、伉儷 の契淺からぬ内に只憾むらく 長の 年月に至つても、世繼の王子なく、 妃はいたく心を痛められ、大王も常 に頭を惱ませられてゐた。一日大王 の御前に、市民より選ばれたるもの 數人伺候して、王に位を繼ぐべき王 子なきが故に、他に側妾を設けん事 を勸めた。果斷の王は神象をして其 後繼者を選ばしむ事を命ぜられる事 になつた、かくして定められたる滿 月の日、裝ひ美々しく飾られた神象 は嚴かに城門より曳かれ出でたれば 此極りなき幸を我兒の頭上へ與へら れん事を希ふ母達は、街上隈なき迄 群をなして集ひた。 茲にアシター隱者 云へるものがあ つた、常に仙術を用ひてよく大事件 の來るを豫知してゐた、此日何處と もなく風の如く來つて大聲叱呼して 曰く「聽け汝等よ『生るゝ者は死に歸 り死したる者は生に還る』須く立つ て用意せよ」と時恰も街上の一角に 一人の兒童を其鼻を持て拾ひ上げん とした神象は此言を解するものの如 く、再び路上に返して大衆の呆然た る裡に祐然と城門の裡に入つたので あつた。 此日恰かも王妃マーヤは俄かに體中 に異を感じた、斯くして四月八日妃 がルンビニー(藍毘尼)の園に宮女を 伴ひて遊歩を運ぶ時無憂樹の花爛漫 たる下に、忽然として千古の大聖は 誕生せられたのである。王は大いに 喜びゴータマ・シツダールタ(瞿曇悉 達多)と命名された、然るに妃マーヤ 夫人はつひに佛陀のみを宿すべき母 で、太子出生の喜びを見ると共に果 なくも世を去られたのであつた、か くして王の慈愛深 春秋を重ねて十 八年は過ぎ、身も心も健やかに成長 され、初めて狩獵の催しに加はられ たのであつた。勢子共に追ひ立てら れた羚羊(カモシカ)が逃げおくれて 【下段】 遂に獵用の豹の爲に屠られるのを見 たる王子は、いたく打愕かれ、自ら馬 より下りて羚羊を撫して厚く勞はら れたのであつた。その夜大王は奇夢 を見られ占者 判斷せしめられた。 占者は太子が若し老病死等の事を知 らるゝならば之に感じて出家をせら るゝであらうと答へたので父王は大 いに心を用ひて數多の美姫を左右に 侍せしめ歌舞管絃は日夕奏せられた が、太子の胸中に兆した人生の疑問 は到底打消さるべくもなく、却つて 太子出家の動機とはなつたのである 然るに太子の心にも愛の萌す時は來 た。深き父王の考慮よりして、共に ダンダパニ王を訪れられた時、蓮の 花のほゝ笑める も似たるかの神々 しき迄美しき淑やかな王女ゴーパ・ ヤシヨーダラ姫(瞿波耶輸陀羅)に見 えし時、甞て太子の口にせられざり し女性に對する賛辭を呈し自ら其手 を求められたので姫も深く喜ばれた のであつた。此有様を見られたるス ツトーダナ王は心中大いに喜ばれ直 ちにダンダ・パニ王に其姫を太子ゴ ータマの爲に求められた。 然るに近國の王子達も又美しき姫を 欲してゐたので勢ひ、其處に競技が 催される事になつて其武術の試合に 勝利を得たる者こそ天晴ゴーパ姫と 結婚さるゝ者なりと决した。其王子 達の内にゴータマ太子の從弟デーヴ アダツタ(提婆達多)も在つたのであ る。 太子の勝利となつて茲に戀の榮冠は 彼の頭上に與へられたのであつた。 やがて大王の深き心よりして輝く湖 上に莊大なる宮殿を造營し、二人を 之に住はしめたのであつた。かくし て太子と妃ゴーパとの勸喜に充ちた 生活は暫し續いたが、其内に太子は 城壁の彼方に展開する世界を知らん として、從者チヤンナ(車匿)に命じ 宮殿を出でて遊觀せんとせられし爲 王嚴しく命じて、不具者、老者、病者 等は訪ふ街に姿を現すべからずと申 渡された。然し太子は路に是等の人 々を眼のあたり見、又遂に死に瀕す る者、又死せる者に會ひ、茲に於て 深く其心に人生の無常を感ぜられ爾 來鬱々として惱みは深む斗りであつ た。遂に從者チヤンナに命じて白馬 カンタカを牽かしめ、之に騎して黄 金の囚屋にも似たる宮を出で去られ たのであつた 是太子二十九歲の時 であつた。太子途に寶冠、寶劔、王沓 を脱して車匿を慰めてカンカタと共 に大王の下へ歸らしめられた。 此報に依つて父王及び妃ゴーパの悲 嘆は喩へやうもなかつた。直ちに命 じて其後を求めさせたけれどそれは 徒らに終つた。 太子或る時は賤ケ家に食を求め山を 越へ谷を渡り、或時は石を枕に、草 の褥に種々の苦行と戰ひ遂にブダガ ヤに到りて菩提樹の下に大决心を以 て結跏趺坐し、四十晝夜の間冥想に 耽り人生を觀じ解脱の道を究めんと した。茲に於て諸々の障魔現出して 或は美女の姿となり或は大風大雨を 起し、太子を誘惑せんとしたけれど 悉く退けて一顧も與へなかつた。や がて曉の明星燦として出でる頃遂に 太子は無上菩提を成じて眼玲瓏と、 千古に輝く大佛陀「亞細亞の光」とな つたのであつた。 一方宮居を出でたるゴーパ妃は、會 ふ人每に太子の行方を尋ねて數年今 は全く花の面影もやつれ果て、樹下 の下に倒れた時、遇々來會せしは妃 の日夜望みし太子 人であつた。今 は悟を得し佛陀の前に躓づきて慈み を請ふ佛陀は懇に諭して終に其の御 弟子の内に加へられたのであつた。 其内に佛陀に歸依するもの日に多く 佛陀、又一切の衆に對して其法を說 いて至らざるなく、次第に人々は奉 福と勸喜の道へ導かれたのであつた かくして、身は王子として生れ乍ら 有ゆる忍苦の内に隨ひて發見したる 敎は幾億の人々に傳へ、世界最大の 宗敎とはなつたのである。   ◇清潔な歯は决してムシ歯にならぬ【决:決の異体字】   磨けば光   る歯と心 歯の為に一番良い クラブ歯磨   予防は治   療に勝る   ◇口中の不潔は万病の基 一番衛生的なセルロイド製柄のクラブ歯刷子【右横書き】