【表紙右上ラベル】849 特別 55 【ラベル下】帙入 【左頁上 角朱印】帝国 図書 館藏 《割書:地震|後世》俗語之種《割書:初篇|之五》 【左頁下 丸朱印中心】帝図 【左頁下 丸朱印】昭和十七 十二・二十六・購入・ 【左頁 図枠外朱印】特別 849 55 【図右上 枠内】廿四日大災之夜ヨリ 廿八日迄御本堂ヨリ 戌亥ノ方ニ当リ毎 夜天燈ヲ拝ス図 爰に善左衛門家内かり宿の有さまを記して 其悲歎を子孫の禁めにかたる廿五日朝 五っ時過しころ善左衛門は病気のうへに 斯大災に悩み足腰ふるひ起居不自由な れは人に背負れ漸くにして権堂東たん ほに仮居しつ世穂なる時は何事によらす 手伝来る人も心の儘なれともかゝるに災害の 時なれは誰ありてか手伝すへきは素より 音信する人もなく数千度すれあひて右に 往左りに還るといへとも面を見合せて泪の 袖をしほるのみにて悲歎やるかたなし爰に 妻子は気力をはけみて少しの家財を持 運ふといへとも女性幼少の事なれは手足を労 するに甲斐なくしかする中に東町より権堂に 続きて火は炎〳〵と燃くたるゆゑに此處に ありけくは事の危しとて人々に連やさき 人におくれしと荷物を運ふゆゑにまた〳〵 此處を逃たる頃しも誰いふとなく地震にて 山抜崩れ犀川の流れを止めて一滴の水 なく往来船を待すして自由に歩行す又 煤花川もしかりなりといふ此由聞人壱人として 実否をしらすといへとも大河のなかれ何ゆへに 留る事あらんや爰に出いて虚として 侮とらす実としておそれす其噂区〳〵なり 爰にいかなる天変不思議なるか山中虚空 藏山又岩倉山ともいふ此大山左右に抜 崩れて犀川におし埋みかゝる大河を止る 事《割書:犀川筋又山中方川中嶋川北東|水災等之事ハ都而後編ニ委舗》おそろし なと言あひけれはいかなる天変不思義そと 聞も語るもなか〳〵に身体ふるひ身うちも しふるゝ斗り也漸く一命助りて又今爰に 左程の大河を押出しなはたてもたま らす水災のいかなるわさをなすへしと 途方にくるゝはかりなり爰に善左衛門 家内のものは暮あひ頃より漸くに小屋掛け の用意はなせしかとも五月の節句の飾の 鑓の棒二本天井椽三本のほか竹のをれ たにあらされは薪を以て杭とはなせど是を ひとつ打込むものもあらされはありあふ 小石を取上けて漸くにうちこみて 破れ障子から紙の離れした椽を柱とすれ 共結ひ付くへき縄たになけれは手拭なんと 引さきて是を結ひ襖障子を囲にし 屋根の用意は更になく命をまとに 持ち出せし一品二品の家財をは小屋の中の せまけれはとてかたはらに積重ねこのうへ 如何なる変化のあるにもせよ飯の用意は 鳥用【急用?】なれとて小屋の外面に穴を掘り是に 漸く釜を懸け米さへろく〳〵洗ひも せす火を焚つけて其儘と倒れてねむる 千辛万苦疲るゝ事社ことわりなれ 取分歎の多かりけるはことし纔に 九っなる乾三は出店梅笑堂にありし 時昼の遊ひにうち草臥れかへる 繁花の賑はしきもねむたきまゝにわか 家に帰らん事を頻りに言けるを店を 取かたつける其ひまは待て居よと里【?】 徐くにたまして爰に置【過?】けれとも素より 年も行かされは戸棚に寄添居ねむり しを間もなく掛る大変にて気根を痛 めしのみならす其夜も都合五度ひ迄 逃たる度毎包を抱ひ親の病気をいた わりては心を労し地震鳴動する度こと 如何はせんと立つ居つ少しの間さへね むりもせす御輿安置のかたはらなる麦田 の中に野宿して漸し爰に帰りても 我家に入事能はすして今日も終日 荷物を背負風呂敷包を抱ひては逃 さる事都合六度喰事【喰う事】は素より平日の 菓子菓【くだもの?】も給すして漸く爰を仮居と 定めしかとも今にも水の押来らは荷物は 其儘置捨て逃のひ行ん心の用意 守護の箱とらうそく【蝋燭】とありあはせたる 当百銭是なる三品は其方に預ける程に 譬此上へ異変起り逃去る事のあるときは いかなるかたへ逃行ともなくてかなはぬ品 なりとて言聞かせられ合点して風呂鋪 包をかたかけに背負しまゝに草履をは 紐にて聢とくゝりつけ其儘小屋の囲に 寄添居ねむりしてそ居たりける漸く 年は九つのくわんぜなき【頑是無き】身の此あり さま不便なる事何にとてたとへんやう もあらされとも懸る天変不思義なる時に 臨てせんかたなくこゝろよわくは其時に 狼狽て社【こそ】害あらめと其儘に寐らんとすれ と風は増〳〵強く火勢はいとゝあらけ立 火の子は空によこたはり十丁有余の其 先にて吹まくり〳〵屋根の瓦の落る 音竹ははしけて其響き耳をつら ぬき魂を飛はし雨はしきりに吹かけ 吹つけ恐ろしさくるしさなかくあけて 数へかたし漸くめしも出来ぬれは 何はそこやらかしこやら前代未聞のあり さまなれは手当り次第取集め飯をよそ ひて置ならへ菜は漸く生味噌も箸には あらてかんさし【簪】やよふし【楊子】をもつてつき まわし口のはたまてよす【寄す】れとも心根痛く 脳乱し気疲れ身体よわりしのみか こぬかも離れぬふすふれ【焦げ】飯し一ト箸た にも咽にとほらすすゝめすかしてやう やうにちいさなものに半盞をうのみに してそ【強調】其儘に又倒れ伏す悲歎の 泪たおりしも風のはけしくなりさつと 降来る夜るの雨厭ひ凌くに便りなく 元より屋根なき小屋なれは皆〳〵立いで 襖板戸を並ふれとすきま〳〵を吹込雨 さし傘かさしてうつくまり徐く膝 腰かゝめつ【屈めつ】のはしつ【伸ばしつ】唯此うへの成行こそ いかなる事になるらめと地震鳴動す度 毎地にひれ臥して一心称名居眠る間 さへなきうちに東雲いつしか晴わたり 廿六日の晴天西山の峰を照したまふとおもふ ほともなく誰いふともなくそれ水の 押来るそといふ儘に素より拾ひし 命なれは人気の騒立実にもつとも早ひや うし木【拍子木】しきりにうては水よ〳〵とうっつたひ さわき人をつきぬけ払ひぬけ小児を 抱ひ老人を背負逃さる人々眼たゝく 間【瞬く間】に本城はせ越高土手辺少しも小高き ところには人をもつて山をなし狂気の 【左頁 左端四行】 偽言ヲ信 水災ヲ恐レ 群人高堤ニ 逃去ル図 如く驚怖して纔に五尺の身のうへを 置き處さへなき有様薄氷を踏み舟を渡る 心地にて地獄の苦痛も斯こそと拙筆 には尽し難し徐く騒動も落付ぬれは それ〳〵おのれか小屋に帰り朝の喰事の 用意をなせとも水も不自由に桶さへろく〳〵 そろうてあらされは手水たらへに水を入薬程の 青菜むしり取洗ひし心地に不浄をまきらし【紛らし】 落し味噌にて是を煮焚し漸く半盞【「盞」は小さな杯の意。杯に半分。】一さん【盞】 をむね撫さすりて喰事をしまへ小屋掛なほす 用意に懸り縄に杭よと心を配れど市町は 一円焼失ひ徐く残る新田石堂《割書:焼失又焼残リタル|所ハ前ノ図ヲ以可知》 是も家々倒れ潰れ殊更大火の類焼を恐 れ皆逃けさりて壱人たに家にある者ある されは買求置へきやうもなく漸々手寄【たより】を 頼合ひ縄網て小屋掛のもやうにこそは掛り けれ爰にまた山中にては山抜崩れし その場所の数多ありて土砂磐石樹木 と共に川中におし埋是かために家藏を 押倒し人及ひ牛馬夥しく命を失ひ 田畑を損ふ事前代未聞の大変ありそも〳〵 犀川のあら浪をは一心称名を嘯へて渡船する事 遠国を備る人といへとも誰か此大河を知さるもの あらんや然るに上流にて水湛て渡船の場所一滴の 水なし若上流の此水息【?】を一時に破りて押出し なはいかなる災害の発すへきや人心ひとつとして 穏かならす闇夜に路頭を踏迷ひ大海の浪に 漂よふか如し掛る壇場【陰陽?】の変化なれは不時に大 風を起し又雲雨を発す地は一剋に六七度震ひ 焼亡水災を莫太【大の誤記?】にす地水火風空をもつて 五躰をたもち地水火風空をもつて五 躰を脳まし臥しては五尺の身を置と いへとも立時は纔に壱尺の地を踏む 事かたし一身の置處なく二十七 八日に及ても幾千万の死躰こゝかし こに倒れ或は三尺または五七人 頭を並て伏しまつひ乳より上へを 焼失ひ足腰を焼損ひ死人山をなすと いへとも是を取かたつくる人力もなく見渡 せは茫々たる焼け跡に燃残りたる死骸 味噌漬物雑穀の匂ひ鼻をうかちわる くさき事昼夜言語に絶ておやむ【小止む】事なし 貴賤男女の差別なく裙【尻?】をまくり小屋の 辺りに大小便を心にまかせ年盛なりと いへとも髪を撫揚け歯を染る事 更になく帯〆なをしちりを払ふの 心も聊なく夕へにはさうり【草履】に紐つけわらし をはきて臥し朝たにはひしやく【柄杓】よりに に水【?】をうけて顔を流しそこかしこに穴 を掘て薪木を入鍋にて飯を炊きやく わん【薬缶】にて汁を煮其日〳〵の成行こそ実に あさましきあり様なれかゝる歎きの 多かりしもきのふ【昨日】に過きけふ【今日】となる事 矢よりもはやしとかや思ひもよらぬ大災も はやくも廿五日廿六日と過行けとも准あり てか小屋掛とてのふ者もなく見知りも せさるわらしこと女童はも打交はりて 笘を編み絶なふ事も自然とおほえ【覚え】昼は 終日うろ〳〵となれぬ事とて小屋掛を かうもしたなら都合もよしやあらにせはやと 心を配り梅花の薫りうせはてゝあらひし 髪を乱せし如く日毎に磨く粧ひさへ白 きにあらて焼跡の妙やほこりに穢れ果男 女の差別も更にわからす昼の疲れも此上の 水災いかよと安すからす草履に紐つけわらしを 不離うつくまりては夜を明かし夢うつゝにも 水の音耳そばたてて是を聞けは幾千萬の 変死の人々さぞや苦痛に絶果なん 此上如何なり行者と時の鐘さへあらされは 寂滅為楽生滅も実に生滅のあしきなく 更行夜半に聞ゆるものは秋にあらねと 夜嵐の音のみすき間に吹込みて焼残り たる犬の遠ほえ囲のすき間見渡せは霏り ふらりと小屋〳〵のあかりも自然とひにつれ 淋しさこわさを語りあひ隣家は素より 裏家もなく表も離れし田甫中爰に 一ト小屋かしこに一ト小屋思ひ〳〵に逃去りて 仮居定めし事なれは明け行空を待わひ て東雲告る鶏の啼を待つゝ哀をは 爰にとゞめて居たりける 爰に又感涙の袖を絞りし一義あり其有様を 記るすに幾千萬の横死壱人として苦痛せざる ものなし其苦痛さこそとおし量りて 見る時はたれか愁歎の涙を催ささるへき 然れともかゝる災害を身に受ていまた 風雨を凌くへき小屋さへあらされは おのれか心に唱ふる念仏たに心苦のために 打捨置ぬるもまた理りなり爰におなし さとに住める栄屋平吾といふ人何かの足し にもせよとて金子百疋を見舞として心にかけ られ又英屋新之助といふ人よりも百疋を送り 見舞くれられけり我思ふに此大災を身に うけてもはや五六日を過すといへとも雨 風を凌くの便もなく又市町の焼失ひける 有様をおもひまたは家倒れ潰れたる 事とも横死人の苦痛おもひあはすれは 愁歎やるかたなし其うへにも昼夜幾度と なく地を震ひ不時に大風を起し雨を催し 雲起る事一つ〳〵身にこたふる事常に 変れり掛る不安心にひとつは苦患に 命を失ひし幾群の亡霊此ちにさまよひ 愁歎山より高く海より深きがいたす所ならん共【其?】 迷ふも又理りなり是によりてかの見舞の 懇志【こんし】黙【もだ】しかたく請取たりし金子弐百疋を 種として霊魂菩提のため仏事 供養せは餓に発する所の悪風鳴動も やみて安心なる事もやと思ふもまた 下俗凡夫のあさましき考ひ他の 災ひも多かるへきか我れ煩に脳み 心痛より発する處の愚痴にまかせ 思ひ当るこそ幸ひなれ横死の人々一【ひと】七日も ちかけれはとて懇志なる助右衛門竹【艸?】理といふ 人を頼みておなしさとなる普済寺 巨竹和尚に参りて逮夜進善のため 大施餓鬼を乞頼ふに早速に承引し給ひ けれとも掛る変災にて法衣をはしめ 仏具たに揃ふ事なしいかにも用意を 整ひて回向すへしかゝる変死におゐて はやく行ふ處もつとも功徳挌外なり 布施物はあらすとも是畢竟僧分の願ふ所也 さりなから功徳にもなる事なれは香の物 斗りにて苦しからす遠方よりも和尚たち 参るへくあひた一飯供養給はるへしとて いと懇ろに伝へ聞かせられけれは暫時も急きて 仏事執【書かれているのは左半分がケモノ扁の異体字】行せす【は?】やと思ふほとにその 用意にかゝるといへとも仏具をはしめ 膳椀たるもある事なし一汁一菜と いへとも何とて買もとむへき家もなく漸く 便りを得て野菜乾物を調度して 明け行翌をそ待にける四月朔日の 東天晴渡り向暑堪がたく小屋は素より せまけれは野中に畳を鋪並屋仏 前に香花を備ひ何ひとつ取揃ふ事も なく最【書かれているのは日がウ冠の異体字】早和尚の来り給ふへしとて 出迎ひけるに案に相違し法衣といひ また供廻り美〳〵敷なか柄をさし かさらせ随ふ僧衆七八人引連何れも 一寺の和尚と見ゆれと導師の跡に随ふと 見へたり来臨し給ひて麤茶和菓子を進め 参らせ夫より直に施餓鬼修行始りける處に 彼の圧死したる親族種々さま〳〵の品を 携ひ来りて回向を頼むにまた広田屋 仁兵衛といふ人来りて手伝し戒名俗名を 書留めて仏前に差出し回向をそ乞ける 是等の事共後に見聞する時は他の誹謗も 尤多かるへし乍去幾千萬の諸人横死 苦痛の難堪事魂は此土を去りぬといへとも 死骸はいまた街にさらして満々たれはおの れか心にて己か心を惑はすなるか施餓鬼 中はに至る頃まて晴渡りて向暑なりしを戌 亥の方より黒雲大風暫時に起りさつと下時匂 大風と共に吹まくり仏前に飾り有處の香花 其余のしな〳〵【品々】壇上より吹落しけれは取て 揚くれは又吹落すそれを揚ふれは 吹落し〳〵つかみさらはんありさま にて諸人の親族は尚更に有合ふ人々 地に座して感涙に袖を絞りつゝ愁歎を してそ拝しける程なく勤行済けれは実に 誠とかきけす如くに晴渡りぬ時にして 小時雨土風雲を起し時至りて雲散し 快晴になりたるにもあらん事を揚々しく 爰に記せしなと見る人の心により ては笑ふ事もあらんなれと時に臨みて 心気に通する處の感涙実に幾千萬の 人々圧死のかはねを爰に止むる事恐る へし憐むへし 【左頁の左上ラベル】849 特別 55 【裏表紙 文字無し】