怪談御伽童 巻一〜二 一 【請求番号の下にも文字あり】 五冊 古今 □□ 怪談□伽童 《割書:古今|実説》怪談御伽童(くわひだんをとぎわらは) 皇都書舗 南枝堂  怪談御伽童序 いづのころにやいづれの北(きた)の御 方(かた) やらん女(め)の童(わらは)あまたさふらはせ給ひ 是なん徒然(つれ〳〵)の御 伽(とき)とて?こ?れかれ 興(けう)せさせたまひぬ折から長(なか)月の 末(すへ)にて虫(むし)の音(ね)もたえ〳〵に初時(はつし) 雨(ぐれ)軒(のき)におとなふ物から寝覚(ねさめ)がち 【検索用:静観房好阿/かいだんおとぎわらわ】 なる夜(よ)すがら例(れい)の童(わらは)共御 前(ぜん)に 侍らせ給ひて己(めい)〳〵か聞(きゝ)覚(おぼ)へし 事共とり〳〵に語(かた)り侍らさせ給ひし 品(しな)〳〵のさすかに耳(みゝ)とまるふしき? ありて筆(ふて)を染(そめ)てしるし侍へる 元来(もとより)片言(かたこと)交(まじ)りのすさみをよく 弁(わきま)へたらん人はいとかゝ?みらいたく おかしからめとかの稚(おさな)ものゝ舌(した)の利(り) なるに詞(ことば)のつゞき拙(つたな)きはひか 耳(みゝ)のあやまりならんかしとおほこ? かに?思ひゆるし給へかし 明和九年壬辰春■き日 古今実説怪談御伽童総目録  巻の壱 速霊神(そくれいしん)の来由(らいゆ)の事【コマ6】 相模国(さがみのくに)地蔵尊(ぢぞうそん)霊験(れいげん)の事【コマ15】 蛇(へび)恩(をん)を報(ほう)ずる事【コマ20】  巻の二 八千代(やちよ)稲荷(いなり)霊験(れいげん)の事【コマ24】 佐藤弾正左衛門(さとうだんぜうさへもん)海賊(かいぞく)の難(なんを)遁(のが)るゝ事【コマ34】 本所(ほんせう)扇橋(あふぎはし)川童(かわわらは)の事【コマ38】   巻の三【以下へ続く: https://honkoku.org/app/#/transcription/B4B2A29B92EA6CD0A3625D1FE8545E92/3/ 】 安房国(あわのくに)浪人(らうにん)横難(わうなん)を遁(のが)るゝ事   巻の四 三 州(しう)八名郡(やなこふり)山伏(やまぶし)の死霊(しれう)の事 長慶寺(てうけいじ)和尚(わしやう)猩々(しやう〴〵)呑(のみ)の事   巻の五 城の主水(もんどう)谷川(たにかわ)に寄情(じやうをよする)の事 怪談御伽和良波巻一    速霊神(そくれいしん)の由来(ゆらい)之事 つくば山 端(は)山しけやましけくたつね求(もと)むるには あらねど常陸(ひたち)の国(くに)に往古(わうご)より打続(うちつゞ)きたる百 姓(しやう) の末(すへ)とて儀兵次といへるものあり三 歳(さい)の年 父(ちゝ)におく れ孤(みなしこ)となり母(はゝ)の養育(よういく)にて人となりぬ此子あくまで 強勇(がうゆう)にて七才の年 猪(ゐのしゝ)を打 殺(ころ)し九歳にて荒(あら) 熊(くま)を生捕(いけどり)など野(の)山をはしり廻(まは)りたゞ力わざを のみことゝして注や(ちうや)をわかたず出歩行(であるき)わが家(いゑ)に 居(をら)す初の程(ほど)は母(はゝ)をはじめ従者(しうしや)及び近隣(きんりん)の者 とも山谷(さんこく)を訪(たづ)ねつれ帰りしが後(のち)にはさのみ人も尋 もとむるに及ばす恩愛(おんあい)深(ふか)き母も悪業(わるさ)を制(せい)しかね て今は一向(いつかふ)彼(かれ)が心のまゝにふるまはせ打 捨(すて)置(をかれ)けるに 月日も立て十二歳の頃(ころ)母此子を近く呼(よん)で汝(なんぢ)三の 時 父(ちち)死(しに)去(さ)り給ひて十年(とゝせ)このかた女の身にて万心を苦(くる) しめ身を忘れて内外の大小事女の力に及ばぬ事迄 取(とり) はからふて異夫(ことつま)をもかさねず人にも心こはきものに いひ思はるゝもおひさき貴(とふ)き汝が行 末(すへ)をおもふゆへ なりいかに稚(おさな)く共母が苦労(くろう)を思ひしらば少(すこ)しは おとなしう物しつゝ野(の)山を家としおそろしき熊(くま) 狼(おほかみ)をもてあそぶ事を止(やめ)て手跡(しゆせき)を習(なら)ひ学問(がくもん)とやらん をもせよかし是(これ)見よや手足のふつゝかにかきやぶられし 疵(きず)の跡(あと)を耳(みゝ)にはさらに入まじけれど唐土(もろこし)のかしこき 人は 病(やまい)に臥(ふし)て予(よ)が足(あし)を啓(ひらけ)予が手をものせよ 戦々兢々(せん〳〵きやうきやう)【戦々恐々】としてふかき渕(ふち)に臨(のぞむ)がごとく薄(うす)き氷(こふり)を 履(ふむ)がごとしとかやの給ひしことはもと此身は親(おや)より の賜(たまもの)にて我(わが)ものにあらず我 骨肉地皮(こつにくちひ)はこと〴〵く 父(ちゝ)母のものにて我 魂(たましひ)をやどしたるかりの器(うつわもの)なる ゆへそのうつはものをそこねぬやうに一 生(しやう)大切に つかひ終(おは)りに父母へ返(かへ)し奉るゆへ若(もし)おもはずに 疵(きず)やつきけんもしらずとあらため見て父母へ返し 奉る心なるとかや聞(きゝ)ぬかくまでこそあらずともせめ て人なみに生(を)ひ立なば草のかげにおはす父御(てゝご)も 又かくいふ母もいかばかり嬉(うれ)しからんにいかなる前(さき)の世(よ) の報(むく)ひにて形(かたち)は人なみに生れながら未(いまだ)としはも ゆかずしてかくおそろしき鬼神(おにかみ)にひとしき心根(こゝろね)哉(や) となく〳〵打くときければ子心にも母の例(れい)ならぬさ まに屈(くつ)したるを見て荒気(あらき)もたゆみぬるやらん 物をもいとはず差(さし)うつふき居(ゐ)たり母はなみだをおし のごひ今日よりして心をあらため野山へ出る事を やめ何院へ参りみやづかへしていとまもありなば学文 手跡(しゆせき)に心を入て学(まな)ぶべしとしみ〳〵と教訓(きやうくん)して 家に久しき従者(しうしや)に伴(ともな)はせ此家より五里余有ける 山 里(さと)に禅家(ぜんけ)の住寺(ぢうじ)の在(あり)けるを師と頼み仮初(かりそめ) ̄ニも 古郷へ帰し給はるべからずと兼(かねて)か此子が有さまつぶさに かたり頼み置けるうへ猶又くれ〳〵申 送(をく)りける此 僧(そう)諸 国 遍(へん)参して此寺へ住職(じうしよく)しけれは此子が悪業(わるさ)をかねて 見聞したとなれば何とその本心になしてとらせんと心の たゆみなく制禁(せいきん)を加(くは)へ折檻(せつかん)し給へば少し心も善 にもとづきて手跡又は読書などもやう〳〵に学(まな)び 【挿し絵】  つゝ心のいとまなきによりてや年月にそひて悪業(わるさ)も 止(や)みにけり母はかくとつたへ聞て悦ぶことかぎりなく 此子人並(なみ)に生(を)ひたちなんにうき世(よ)に何かおもはんと 朝夕神仏を祈(いの)るついでにも此子が心ざしのすなほ ならん事をのみねがひける親の思ひぞやるせなき かゝりしほどに此子十五の年此 住僧(じうそう)老病(らうびやう)にて遷化(せんげ)し 給ひぬ寺院(じゐん)のならひにて他国(たこく)よりしらぬ僧 入院(じゆいん) しければ儀兵次も今は我家へ帰りておひくろしう なりぬればおのが農業(のうぎやう)をいとなみぬはじめのほどは 生れかはりし程におとなしやかなりしがいつの程に か又もとの悪業(わるさ)に燃(もへ)付ごとく成果(なりはて)しこそかなし けれいまだ年はさのみならねど人に越(こへ)て長(たけ)高く 骨(ほね)太(ふと)なりしうへいとけなきより野山を家とし力 わざのみ事としける一しほ形(かたち)も年の程よりは おとなびて見へぬれば若(じやく)年と知たるものこそあれ しらぬものは男 盛(さかり)りとのみ思ふも理(ことは)りぞかし ある時 在(ざい)所の者共あつまりて少力ある族(やから)角力(すもふ)取て 遊びけるに義平次も其中へ交(まじ)り角力取しがおの が力に任(まか)せ人を投(なげ)けるゆへ手足の筋を違(ちが)へ腰の 骨(ほね)などくぢきけれは若き者共一所にあつまり 一同して義平次を打 殺(ころ)さんと企(くはだて)けるを密(ひそか)に母に 告(つぐ)るものあり母 驚(おどろ)き歎(なげ)きて人を頼み金銀を 出して身を打 損(そん)じたるものゝ方へそれとなくわび けるゆへ此ものとも納得(なつとく)してそれなりけりに済(すま)しぬ されど此義平次 性得(しやうとく)母に孝心(こうしん)深(ふか)くいかほとおのが 心に忍(しの)びがたきことありても母の心にしたかはずと いふ事なしそのさまひとへに呉(ご)国の専緒【専諸:人名】がごとく かゝる強勇(がうゆう)不敵(ふてき)の荒者にはふしぎなりと人々 孝心(かうしん)を感(かん)じあへり或(ある)折から義平次水戸の町へ 行て例(れい)のごとく力 業(わざ)のうへに興(けう)に乗(ぜう)しての余(あま)り 風与(ふと )口論(こうろん)を仕(し)出し数多(あまた)のもの共を相手(あいて)とし少〳〵 の怪我人(けがにん)もありければ大 勢(せい)の中へ取こめ終(つゐ)に囚人(めしうど) となして早速(さつそく)義平次か在所(さいしよ)の庄屋(せうや)方へ預 ̄ケければ 庄屋預りて母(はは)にかくと告(つぐ)る母は大きに驚(おとり?)て様々(さま〳〵) と手を廻(まは)して相手(あいて)へわびけるに元来(くはんらい)此相手の者共 疵(きず)はさまでの事ならねど金銀をねだり取へき為に わざと拵(こしらへ)たる事なれは少しのことを仰山(けうさん)にいひ のゝしりけるを手便(てだて)とは露(つゆ)しらで相人もし死(し)なば 我子も必(かなら)ず解死人(げしにん)にとられなんと悲(かな)しみ数多(あまた) の金銀を出しさま〳〵手品(てしな)をかへて詫(わび)けるに事 【専諸:呉王僚を暗殺した刺客】 なく済(すみ)はすみたれど金銀をつくのはん為(ため)に田畑(たはた) 残(のこり)りなく代(しろ)なし今はわづかに残る財宝(ざいほう)も次第(しだい)に売 しまひとやう〳〵家屋敷のみになりけるゆへかくては 世(よ)のいとなみも成がたく昔(むかし)のよしみある者どもの世(せ) 話(わ)にと国(くに)の守(かみ)へ中(ちう)間 奉公(ほうこう)にいでぬ今は其 城内(じやうない)へ 母 諸(もろ)共に引 越(こし)して是(これ)より義平次心入よくなり て例(れい)の力 業(わざ)もすまふなども絶てせず奉公(ほうこう)大事 に勤(つと)め母へ孝(かう)心をつくしけるに次第に年も重(かさな)り弥 全(まつた)き人となりぬ母も年 老(おひ)て朝(あさ)夕の手業(てわざ)何(なに)かの たすけにとてしたしき方より妻(つま)を迎(むか)へ取て夫婦 間(あい)もむつまじく男子(なんし)ふたり女子(によし)ひとり持(も)てりかくて 母も思ふ事なく七十年にあまりて世(よ)をさりぬしかるに その頃(ころ)の国(くに)の守(かみ)何事によらずいぶかしと思ほす事を あきらめ見んとし給ふ折からにて義平次は城内(せうない)のおく 庭(には)の掃除役(さうしやく)を勤(つと)めけるゆへ時しも弥生(やよい)の末(すへ)にて空(そら) にしられぬ雪(ゆき)と見しもいつしかあくたとかはるを宮(みや) づこならねときよめんとてまだしのゝめのほのぐらきに 木(こ)の間(ま)〳〵をはらひゐける所へ国司(こくし)する〳〵と来らせ 給ひいかに下部(しもべ)との給ふに驚(おどろ)きひざまづく国(くに)のかみ の給ふやう汝(なんじ)に子のありや義平次かしこまりて男子 ふたり女子ひとりさふらひて男子が年(とし)は今年十五 歳(さい)次男は十才女子は十二才にまかりなりさふらふと つゝしんで申けれは国(くに)の守(かみ)の仰(おゝせ)には汝(なんじ)が命を我 に得(ゑ)させよと何となくたはふれての給ふを儀平次 頓首(とんしゆ)して畏(かしこま)り奉りぬ則(すなはち)さしあげ奉らんと何の 苦(く)もなくいと清(きよ)き言葉(ことば)に君(きみ)わらはせ給ひながら 藤(ふじ)戸を諷(うた)ひ給へは義平次其心を悟(さと)りて少し いかりたる顔色(がんしよく)にて君のおもてを屹度(きつと)見れば 君義平次が側(そば)ちかくよらせ給ひて誠(まこと)に汝(なんじ)命を くれなば我が存念(ぞんねん)をいひきかせん此方(こなた)へ参れと いと奥(おく)ふかき方へ誘引(ゆうゐん)し給ひて汝(なんし)が倅(せがれ)両人を士(さむらい)に 取立 永代(ゑいたい)五百石づゝの知行 宛(あて)行(おこな)ふべし今 汝(なんじ)を 我手にかけて首(くび)討(うつ)て即座(そくざ)に死骸(しがい)を神(しん)と祭(まつ)る べし汝(なんじ)が魂(たましひ)神霊(しんれい)となり何にても願(ねが)ひを懸(か)け なば其 願(ねがひ)成就(じやうしゆ)さすべし此事あやまつべからずは 今我手にかけて汝(なんじ)を神(しん)と尊(たつと)むべしもし又 願ひ置(をく)意趣(ゐしゆ)もあらば何事にても苦(くる)しからず 具(つぶさ)に申せと有ければ有難(ありがた)き御諚(こぢやう)恐(をそ)れ多く 候へとも某(それがし)十二才のとし母にて候ひしもの某(それがし)が 悪業(わるさ)を制(せい)しかね女の身(み)にてだに明(あき)らけき 道の教訓(きやうくん)を仕しを今 更(さら)の様(やう)に存じ出し候也 いづれ人の将(まさ)に死(し)せんとする時(とき)其言(そのいふ)事 実(まこと)あり と承(うけたまは)り及候へとももとより賎(いや)しき土民(どみん)多言(たげん) かへつて素性(すじやう)をあらはし恥(はぢ)をや受(うけ)候はん一 刻(こく) もはやく御 手(て)にかけられ我(わ)が霊魂(れいこん)を心見 させ給ふべしと座(ざ)に着(つき)てゑりさしのべ目を ふさぎ観念(くはんねん)したる有様 誠(まこと)に神共なりぬべき 頬魂(つらたましゐ)いといさぎよき見えけるにぞ御心もいさま しく御はかせぬきはなし首(くび)水もたまらずうち 落(をと)し神心(しんしん)乱(みだ)すべからず魂魄(こんはく)此 土(ど)をはなるべ からずと高らかにの給ふ御 声(こゑ)に従(したが)ひて彼(かの)首目を ひらき口をうごかしぬそれより死骸(しがい)を其所に埋(うづ)み 社をたて速霊神(そくれいしん)と祭(まつ)りなし給ひ両人の男子 を御 約諾(やくだく)のごとく五百石づゝ給り客(きやく)挌(がく)に召出し 妻(さい)并(ならび)に女子も一生 合力(かうりよく)給(たま)はりぬ然(しか)しより後此 霊神(れいしん)へ祈(いの)る所病 苦(く) 厄難(やくなん)こと〴〵くはらひいか なる願ひも其 霊験(れいげん)のいちじるきこと数(かず)しれず昔 より霊神あまた有といへともまのあたりかゝることは いとありかたき事になんとそ   此事はわらはか親のしたしき士かたり給ひぬ国  司(し)の名も又祭りなし給ふ神の名も慥 ̄ニ聞けど記さず    相模国地蔵 尊(そん)霊験(れいげん)の事 三 界(がい)無安(むあん)猶(なを)如火宅(くわたくのごとし)誠(まこと)なるかな如来(によらい)の金 言(げん)相 模国大住 郡(こふり)に松兵衛といふ土民あり生得(しやうとく)律義(りちぎ) なるものにて貧(まづ)しきをいとはず臂(ひじ)を曲(まげ)て枕(まくら)とする 事を楽み世を諛(へつ)らはず夫婦同じ心に農業(のうきやう)をい となみ男子ひとり持名を市松と呼(よび)て寵愛(てうあい)す 然(しか)るに是が三つのとし母 空(むな)しく成(な)りぬ松兵衛やもめ の袖にみとり子を養育(やういく)する人々憐(あはれ)みて同郡より 媒(なかふど)して似合しき後妻(こさい)を迎(むかへ)させぬ松兵衛妻に むかひ我(われ)異妻(ことつま)を重(かさ)ねまじと口 堅(かた)くいひしは外(ほか) ならず昔(むかし)より継(まゝ)しき中は高き賎(いや)しきによらず隔(へだて) あるものにて継子(まゝこ)成人の後(のち)はかならず憤(いきどふ)る事出来 果(はて)は浮名(うきな)の山をなしうたてしき事あまた聞見し ゆへぞかしそこもとにいかなるあやまち有ともわれは 堪(たへ)忍(しの)ぶべし只(ただ)此子を恵(めぐみ)深(ふか)く生(をひ)ふしたてゝたまへ 其(そこ)をむかゆるも外の事にあらず此子養育(ようゐく)の為也と くれ〳〵と頼むにぞ女も心よくいらへて夫婦 睦(むつま)じく 女は夫(おつと)の心に違(たが)はじと市松をねんごろにはごく めば此子もよく馴(なれ)したひてひとへに実母(じつほ)の思ひ をなしけれは近郷(きんかう)の者共も此 噂(うはさ)して継(まま)しき中の 手本としけるにそ松兵衛も嬉(うれ)しく今はやゝ心も落(おち) 着(つき)て内の事は万 妻(さい)に打 任(まか)せて我(われ)は農業(のうきやう)の間 には二三里づゝ有所へ売買(うりかい)に行 通(かよ)ひけるかくて二年 程(ほと)有て又 当腹(とうはら)に男子ひとり出生し二つ松と名付く 此女いつとなく市松を憎(にく)み何事につけても市松 なからましかばわか子の二つ松がおひさきよからん とおもふ心月々日々に増(まさ)りぬるこそうたてけれさ れども人めばかりはよくもてなしければ松兵衛は其気(そのき) ざしを夢(ゆめ)にもしらず或時又近在へ商(あきな)ひの為に 出ける然(しか)るに此村の入口に石地蔵(いしちそう)ありて賽の神とて一村 尊敬(そんきやう)するなり松兵衛出入 毎(こと)にいつとても此地蔵尊 を拝(はい)し悪事(あくし)災難(さいなん)我子の市松 息災延命(そくさいゑんめい)ならん事を 余念(よねん)なく祈(いの)りぬけふも例(れい)のごとく留主中(るすちう)家内(かない)安(あん) 穏(をん)市松 別条(べつちやう)なからん事を願(ねかひ)置(をき)て出行ぬいつとて も二三日 逗留(とうりう)して有ゆへ今日も其用意にて出た り女房(によほう)は此留主を幸(さいはい)に市松をなきものになさん と思ひそれともはからふべきやうもなくてとかく思ひ めぐらすに日もたけて昼飯(ひるめし)頃(ころ)になりぬ市松は何心 なく近所にて遊(あそ)ひゐておさな子のならひ昼飯(ひるめし)の時 も過て俄(にはか)に腹(はら)のすきけるゆへ我家(わかや)へ帰(かへ)りもの喰(くは)んと いふを母はいらへもせておのがいとなみに心を入居ける ゆへ側(そは)へ寄(よつ)てかゝさま喰(くは)ん〳〵といふ事 数(す)十 遍(へん) ̄ニ 及ひ ぬれば母しかりてまゝ喰(くは)する事ならずいつくへも出行 べしとさん〴〵に訇(のゝし)り打(うち)たゝきければ泣(なく)〳〵門へ出たりし がさすがおさな子とてはかなき事(こと)に見いれて泣(なき)やみ 又おさな事して暫(しは)し時を移(うつ)しけるに日も黄昏(たそかれ)に 成(なり)ぬれは夕 飯(はん)を調(とゝの)へ母は?喰(く)ひ仕(し)まひてさらぬ体(てい)して 居(ゐ)る所へ市松入来て又もの喰(くは)んといふをさま〳〵 呵(しか)り訇(□ゝし)りあたへずわつかに五つ子の事なれは何事か 弁(わきま)へしらんや母(はゝ)の例ならぬさまを見るにも只(たゞ)声(こゑ)を 限(かぎ)りに泣(なく)より外かなしあたりはなれたる住居(すまゐ)なれ ば是(これ)を聞つけて訪(とむ)らひ来(く)る者もなく母はおのが 心のまゝに罵(のゝし)り心つよく取すがるをはらひのけ更(さら) にあはれむ心もなし是(これ)や正法念経(せうぼうねんぎやう)に説(とき)給ひし 餓鬼道(がきどう)の思ひもかくやらんと聞もあはれになん 余(あま)りに声の限(かぎ)り泣て後には声かれて只(たゞ)ひい 〳〵とぞ聞へける母思ふやうかくても死(し)なし賽 の神は是より又山の奥(おく)なれば夜(よる)はおそろし き獣(けだもの)なども集(あつま)るならん是(これ)へやりて喰(く)らひ殺(ころ) 【正法念経:正法念処経のことか。六道の情景を描いた仏画。極楽往生への気持ちを高めるために苦しみに満ちた世界を強調して描いている。】 【挿し絵】 させんは跡の難も有ましと思ひやきもちゐの有 けるを一つ取出し市松に申しけるは此もちゐ(餅)を賽の 神へ備(そな)へて参りなば汝(なんじ)にも食(しよく)をあたふべしはやく 持(もち)行て仏(ほとけ)へ手渡(てわた)しせよ仏の手に取給はぬほどは 夜(よの)明る共 宿(やど)へ帰るべからず仏手に取きこしめすを 見は帰り来よと呉ゝ(くれ〳〵)いひふくめければ此子はものほ しさに何事もわきまへずもちゐを取持て出行を 母はものほしさにおのれが喰(く)ひて仏(ほどけ)【「け」の右側が欠損?】のまいりたるを 偽(いつは)り帰(かへ)らんもはかりがたしと己(おのれ)が心の直(すぐ)ならぬに 思ひくらべて跡より見へ隠(かく)れに行て堂(とう)のくま に忍(しの)び伺(うかゝ)ひゐるともしらて市松は母か言ける事を そのまゝに仏(ほとけ)に向(むか)ひ奉り此もちゐを取てこしめせ これまいらねば我(われ)もものくふ事 叶(かな)はず仏(のゝ)さまなふ〳〵 と声(こゑ)をあけてかのもちゐを差上(さしあく)れど仏の御 手(て)へは はるか二尺斗も間ありてとゝかす市松はおとり上り おどり上り泣(なく)〳〵申けれはふしぎや此 地蔵尊(ちぞうそん)御手を たれて市松が捧(ささぐ)る所のもちゐをとらせ給ひ御手に 持(もち)給ふこそ有がたけれ母は此 体(てい)を見て大きに 驚(おとろ)きはしり出(いて)悪念(あくねん)忽(たちまち)発起(ほつき)して仏(ほとけ)の御前(ごぜん)に 懺悔(ざんけ)し罪(つみ)を詫(わひ)て市松を抱(たゐ)て我家(わかや)へ帰り て早々 食事(しよくじ)を調(とゝの)へすゝめけるかくて一両日ありて 夫(をつと)松兵衛 帰(かへ)りければ女房(によほう)自(みつか)ら罪(つみ)を悔(くゐ)て泣(なく)〳〵 わびければ夫もさんげに心 解(とけ)て罪をゆるし永(なか)く 夫婦のかたらひをなしふたりの男子(なんし)も生(を)ひ立よく 栄(さか)へけるとぞ此事を誰(たれ)しりていふとなくかたり伝(つた)へ 聞(きゝ)傳へに近郷 遠在(ゑんさい)より参詣(さんけい)引もきらず賑(にぎは)ひ しとなりわらはが伯 母(ば)稚(おさな)き時 地蔵尊(ぢぞうそん)へ詣(もふで)て 此 村(むら)にしたしきもの有て立寄りしに折(おり)から其松兵衛 居(ゐ)あはせまのあたりに見たるとぞ    蛇(へび)恩(をん)を報(ほうず) 讐(あた)を恩(をん)を以て報(むく)ひは恩は何を以て報ひん唯(たゞ)仁(しん) 而已(のみ)同(どう)郡(こふり)に五 分(ぶ)一村といふ所に弥(や)助といへる者有 無下(むげ)に賎(いや)しき筋(すじ)にはあらねと事有て夫婦此村 へ来りけるゆへ何の業(ぎやう)もなきまゝ人に雇(やと)はれて世の たつき【=方便、生計】をなしけるゆへいと貧(まづ)しく朝(あさ)夕の煙(けふり)もかす かなる住居(すまゐ)に一子をもふけて悦(よろこ)びぬ有時弥介は 同村 修泉院(しゆせんゐん)といへる寺(てら)へ雇(やと)はれ行ぬ時に庄屋(せうや) より急(きう)用あり弥助に只(たゞ)今来るべしと有を女房(によぼう) 留主(るす)成(なる)よしを返事 仕(し)けば又 使(つかい)来りて只(たゞ)今に出られ 候 様(やう)にとて帰りぬ女房此事を弥介に告(つげ)んと思(おも)へと人の 情(なさけ)も世(よ)にありし程にてうき時つるゝ友もなくとひ来る 人もあらざれはことづてやらん便(たよ)りなくおさな子(こ)を寝(ね)させ 置(をき)門の戸引よせ走(はし)りゆき弥介にしか〳〵といひすて子を 寝(ね)させ置(をき)しゆへ心こん【心根 or 心魂】なくとくかへりぬ此寺へは道の程 三町余有ければ心せきてはせ帰(かへ)り戸をひらき内に入 ̄レ は程もなくせまき家(や)の内に数(す)十匹の蛇(へび)嬰児(ゑいじ)をとり まき居(ゐ)たり女房おどろき周章(あわて)走(はし)り入けれども蛇は 猶(なを)しりぞかすいかゞせんとあきれまどひ棒(ぼう)の有つるを持(もち)て はらひ除(よけ)んとするに有つる蛇とも一むれに外の方へ かけり行何やら追(をひ)行さま也女房は嬰児(ゑいじ)の心もと なさに先(まづ)抱(いだ)きあげて見るに此子何のつゝがもなし 女房はふしぎにも又おそろしく蛇(へび)の行方を見れば 一つも見へず其家のあたりなる畑(はたけ)に居る人いふは てんといへるものを蛇のあまたむれて追(をひ)行けると いふかくて夫帰りければ女房しか〳〵のよしかたるを 弥介聞て手を打我過し頃寺に有し時子ども 集(あつま)りて大きなる蛇をとらへ打 殺(ころ)さんとするを子 供にこひうけて寺のかたはらの草の中へはなしぬ その後をり〳〵此地いづるを食物の喰(く)ひ残(のこ)り などあたふれば喰などしつ若(もし)此蛇の報(をん)をなし えるにやあらんといひけり其後 住寺(ぢうし)へ弥介此事を つぶさに語(かた)りけれは住寺聞てふしぎにも有難(ありがた)き 事かな蛇(へひ)は世(よ)の人の憎(にく)む所 悪念(あくねん)深(ふ)【「か」が欠損?】きものも 又 仁愛(じんあい)を知(し)る事いかさまにも千変万化(せんべんばんくわ)の世(よ)なり とて深(ふかく)感(かん)じて寺の後の山 際(ぎわ)へ祠(ほこら)を建(たて)ら?れ て蛇のほこらとて今もありとぞ 怪談御伽わらは巻一終 《割書:古今|実説》怪談御伽童 二 怪談御伽童巻二    八千代 稲荷(いなり)霊験(れいげん)の事 子を見る事父に不如(しかす)とは無下に賎しきものわきまふ べくもあらしとおもふはわが愚なる心にくらべたるなる へし上総(かつさ)の国市原 郡(ごほり)とかやに惣太夫といへる土民あり 家富 栄(さか)へ殊に所に久しきものにて有ければ人もおもく かしづきけり一子惣右衛門は遊芸(ゆうけい)にさとく何事も発明 なりしか生得(しやうとく)猟(りやう)を好(この)みおのか農業(のうげう)のいとまには山野へ 出て鳥 獣(けだもの)を取て楽(たの)しみければ父惣太夫是を歎(なけ)き若 きものなれは後(ご)世の事おもはぬは理(ことは)りなから物の命を 断(たつ)ときは必(かならず)その身に報(むく)ふと神仏ともに生(いけ)るを殺(ころ)すを 禁し給ふなれば此理をよくわきまへさとりて汝(なんじ)か殺生(せつせう) 思ひ止(とま)れと度々 異見(いけん)すれは心得申たり此 後(のち)はかたく 相止め申さんと心よく受なからもともすれは鉄砲(てつほう)小弓(こゆみ) 打かたげ出ぬれば惣太夫是をかなしみ一家打寄 相談(さうだん)じ 近郷より妻を迎へ遣し此娘に殺生(せつせう)制止の事を くれ〳〵もいひふくめ猟(かり)を止させける親の慈愛(しあい)ぞ有かた けれ此娘 鄙(いなか)には珍(めづ)らしき女にてゆうにやさしく【優にやさしく】美目も 心も都にまさる花の盛(さかり)に惣右衛門も詠(ながめ)ありて打向ひけれは 野山の楽しみもおさ〳〵やみて明くれむつましう契(ちき)り かはして二とせ斗が程に男子をもふけ惣太郎と名付 寵愛(てうあい)しけれはまぎるゝ事多くて今は一向猟にも出ず 父母へ孝行(かうこう)にして召仕ふものにも情深(なさけふか)く何事もめやす ければ惣太夫も隠居(いんきよ)し惣右衛門世と成ぬれば弥 家業(かげう) 大事に勤(つと)むるにて益(ます〳〵)父の時よりも田 畑(はた)も多くなりぬ 然るに此惣右衛門 隣家(りんか)に高なし鷲(わし)蔵とて近郷(きんかう)に名を ふれし悪 業(さ)者あり家 貧(まづ)しうても己(おの)がいとなみをばな さて喧嘩(けんくは)と聞ては人より先へ走(はし)り出相手の身によりて 理非(りひ)を分(わか)たず肩(かた)を持(もち)少の事にても大ぎやうに罵(のゝし)り 人をゆすりて金銀米穀をねだり取美目 能(よき)小娘をば 親をさま〴〵にすかして遊女に売らせあるとある悪事を のみなす者あり女子ひとり持り名をさくと呼(よび)けり此 娘は父に少も似ず万やさしく貌形(かほかたち)も人にすくれ愛嬌(あいけう) ありて見る人ごとにいつくしみけりしかるに此さく父母に 孝(かう)深(ふか)き事又 類(たぐひ)なし父が人に異(こと)なる業(わざ)をなすをふかく 歎(なげ)き此村に八千代 稲荷(いなり)とていとあらたなる小社(ほこら)あるに 日毎に歩みをはこび父が悪心を改て本心になさしめ たひ給へと丹誠(たんせい)無二に祈(いの)りける志の程こそあはれに 神も納受ありぬべし元来 強欲(がうよく)不動の鷲(わし)蔵殊に 貧賎(ひんせん)にせまり此さくを在の遊女屋へ七年の内勤る 約束(やくそく)に定め金子十両に売らんといひ約し近日金持参し さくと引かへに来(く)るはづなりかくともしらでさくは 野山をいとはず走(はし)りあるきて菜(な)つみ水くみ薪(たきゞ)こり 身を忘(わすれ)て朝夕のたつぎを母もろ共にいとなみぬ時しも 秋の半にて山に菌(きのこ)の盛(さかり)なればそれを取らんとて出たり 折ふし隣(となり)の惣右衛門は久しう止たりし山狩ふと思ひ 付て出たりしかるに大なる狐(きつね)を見つけ打取んと悦ひ 思て玉薬仕かけし鉄砲(てつほう)に火縄付つけ火ぶた切て はなしければあやまたず手ごたへしたり得たりとうれ しく走寄(はせより)見れは狐にはあらでかなしや鷲蔵(わしざう)が娘の 【挿し絵】 さく也かよはき女の肩先(かたさき)より筋違(すじかい)に背(せな)をかけて玉を 打込ければなどかしばしもこたへんうつぶしに伏て さすがに死(しに)もせずくるしむさまたとへんかたなく惣右衛門は きも魂(たましい)も失(う)せはてゝしばしはものも覚へざりしが やう〳〵にさくをいだきおこしいかにやいかにと耳(みゝ)へ口を 寄大声あげて呼ければさくは目をひらき惣右衛門が 顔を打見て物をばさらに得いはず惣右衛門もせんかた なくたゞ抱(いたき)て居るのみにて薬ふくめんにも持合さず 気はうろたへて手 負(おい)と供にふるふて時をうつしぬ秋の 日は例の暮安く日も山合に入なんとするころ迄さく かへらねば母は心も心ならずあなたこなた尋しがかゝる事 とはしらで若(もし)や此山の辺(ほとり)に居るやらんと呼立〳〵来り しがはるかに人 影(かげ)を見つけ走り来り此 体(てい)を見て 大きにおどろきこれはいかに〳〵と狂気(きやうき)のごとく立て見 ゐてみくるひ廻りしがやがて惣右衛門が宿へ走り行此 事を告ければ家内のもの共あはてさはき上を下へと かへしかけ来る此音に近所の者も父の鷲蔵もかけ つけ山は人をうゑしごとく手おひを中に引つゝみ おのが口々心々なる事さへづりける惣右衛門親惣太夫は ものをもいはずいたりしがしばし鳴(なり)しづまりて鷲蔵に むかひいへるは千万いふてもかへらぬくり言忰がふとゞき 申 訳(わけ)なき次第両親の心底(しんてい)さつし入てこそ侍へ さりながら叶はぬ迄も療治(りやうじ)こそ肝要(かんよう)なれ手負 をつれかへり医師(いし)にもみせ給へなんやといへば鷲蔵も げにとてしとみを取よせさくをかきのせてかへり 医薬手をつくせどかひなく翌(よく)の日おしや【惜しや】十六の 花をちらしぬ惣太夫を始惣右衛門一家残りなく打寄 いかゝはせんとあんじ煩ひ安き心もなく皆々ひそみ 居たり日頃さもなきことをさへねぢけたるおとこ なれは解死(けし)人のうへにいかなる事をやいふらんと思ひ やられぬ元来(もとより)鷲蔵夫婦が歎(なげ)きはいはんも更(さら)也一七日の いとなみも果(はて)て十日余りになれど鷲蔵方より何の 事もいひこずけふかあすかとたれ〳〵も思ひゐるに七々 日も過行どさしてとがめにも来らねば惣太夫あや しみ何様にも心得がたしと是も子を思ふ心から 打置がたく鷲蔵(わしさう)が許(もと)へいたりければ夫婦向ひゐて 物かたりするさま也惣太夫は案内し内へ入り悔(くや)みなど いひ終りてはやお作【おさく、娘の名】の忌(いみ)も果たり此上は忰(せかれ)惣右衛門 解死人(けしにん)に取給へ是は少ながらおさくの弔(とむ)らひ料に 参らするとて金五十両出しければ鷲蔵しばし ものをもいはざりしが涙をはら〳〵とながし子を 思ふ道にいつれか浅深(せんしん)あらんや作も我等(われら)かたゞ一子 惣右衛門殿も御身の只一子なり男女のわかちと身上 の貧福との異(こと)なるのみ也何事も前世(せんせ)の因縁(いんゑん)なら めと今もその事を妻にかたり候也作か生得(しやうとく)愛敬(あいけう) 有て美目も心も二親に異(こと)なりて何事も年の程 よりおよすけしを【=大人びているのを】つく〳〵見る度に悪心深きわか むねにこたへ親に先立 横死(わうし)の想(さう)有事 常(つね)に見しり しゆへ恥(はす)かしき事ながらてうしの遊女町へ七年の間 勤(つとめ)奉公(ほうかう)させる約(やく)を定め近日金と引かへにかの遊女や 来るやくだく済(すま)ませしにわが子ながらも彼が生得けがれ ざる心ざしを神仏(かみほとけ)あはれませ給ひて生(うまれ)受し横死(わうし)を なさしめ給へるなるべしと思ひ明らめしうへはなに しに解死(けし)人の沙汰(さた)に及んや又此金は御志の程山々 忝なう思へ共我等多年さま〳〵の無道にて人の金銀 何によらすかすめ取りし天 罪(さい)一時にせまり報(むく)ひ娘が 身に及びしと思へば一紙(いつし)半 銭(せん)も受べからず此うへに 土をはみて成共只今迄筋なき金をかすめ取し 人々へ少し成とも恩(をん)かへしを致しなばかく成果(なりはて)し 娘が後世の助(たすけ)ともなりやせんと思ふより外他事 なしと打てかはりしことの葉に惣太夫もけでんして【怪顛して=驚いて】 しばしもくしていたりしがやゝありて今此三界(こんしさんかい)悉(しつ) 是吾子(ぜごし)の理を能(よく)悟(さと)り給ひしとはしらで最前(さいぜん)よりの くり言はゆるし給へさるにても御身さほど明らけき身 心の今迄のふるまひはそも何故ぞやかゝる尊(たつと)き知 識(しき)の又外にあるべきかと伏拝(ふしおか)み〳〵さるにても此うへ ながら此金子をは受納(じゆのう)有て娘の作善(さぜん)仏事のたすけ 共なしてたべわれはいそぎかへりて此事を一家にいひ きかせんと立んとするを引 止(とめ)此金は何ほとにても 申請まじ悟(さと)りの上に迷(まよ)ひ有いそぎ持帰り給はれと よ元来大 欲(よく)不動の眼(め)にかゝるものさへぎらば又もや迷(まよ)ひの 気ざしとも成やせんはやとく〳〵といふにぞ惣太夫も いはんかたなく此うへはとて持帰りて一 族(ぞく)へしか〳〵のやう をかたれば惣太夫が帰るを待受居たりしものども此 事を聞て一たびは悦一度はあやしみて感(かん)じうたがひながら 先宿々へ帰りぬ夫より鷲蔵は娘が横死に悪念の情(ぜう) 清々(せい〳〵)粲々(さん〳〵)としていさゝかもくらき事なく非道をなせし 人のもとへ行て身の罪をさんげし身を粉にくだき 昼夜のわかちなくあると有事共 精力(せいりよく)を尽して恩 かへしをしければこれを見聞人々かれが本心の真実(しんじつ) ある事を感じ米穀(べいこく)野菜(やさい)或は銀銭なとをあたふれは 曽(かつ)て受す此故に内々にて妻がもとへ密(ひそか)につかはせば妻 又此事を鷲蔵に告て元の所へかへして受ず後々は おのづから人も過し時のやうに賎しめがたくなりぬ是 己か行跡(こうせき)なす所ぞかし誠に人の中に人なし 人の中に人有とはこれをおふなるべしかく鷲蔵が 善心になりて後彼に友たりし近郷のあぶれもの 共残なく見るを見まね聞を聞まねに心をあら ため皆善心となりしとかやかくて月日も過 行て作が三回忌にあたりて惣右衛門鷲蔵にさま 〳〵理をいひて此仏事を惣右衛門方よりいとなみ 一村のもの共を集(あつめ)て百万 偏(べん)【マヽ】をとなへけるに七八十 万に及びし頃表のかたより人声高くあれは おさくかこはいかにといふ間程なく入来り常の ごとく座敷へなをれば集り居たるもの共くり かけし珠数(じゆず)をすて一度にこれおはといひけれは 鷲蔵夫婦は更(さら)に夢うつゝの差別(しやべつ)もなく只すがり たるのみにてしばしは人の音もなしやゝありて 鷲蔵さくにいへるは汝死してすでにけふ三回忌 の仏事をなせり何故にもとの姿(すがた)にて来り ぬるやと作こたへてわらは過し頃山へ行んとて 出しに異人(いじん)一人来りこなたへこよとていさ なひて行ともなく大なる家居にいたりしに うつくしき女とも数多(あまた)立出引て奥へ入あら ゆるけつかうを尽しもてなされぬ日もくれなんに かへりなんといひしに今しばしとあるゆへ一日 ふつかと立てけふ三日に成しとおもひしに 三とせ迄有つる事のいぶかしさよとその身も 有つる事を聞てあやしむ事限なししかるに その夜鷲蔵夫婦惣右衛門親子同夢を見ける こそいとふしきなれ衣冠正しき中老(ちうろう)の人ま みへ給ひてわれは此辺のものなるが汝が娘の 作(さく)天性(てんせい)孝心(かうしん)深(ふか)く汝が親を邪を歎(なげ)き三とせが間 一日もけだいなくあゆみをはこびわれと頼む 其 丹誠(たんせい)不(ふ)二成を感応(かんおう)し彼(かれ)が天性の横難(おうなん)を てんぜしめてしばらくの内彼を世になきものと なして災(わざはひ)を除(のぞ)きあらたに天数をうけさしめ かへしあたふるなり此故に汝か悪念(あくねん)の業果(こうくは) をもはらひのぞきて善心となるはゆめ〳〵 私の事にあらす猶此末を永く守らんとの給ふ 御声耳にひゞき夢さめてもいとかうばしき香 の家にくんじけるとかや扨明ければ夢見たる ものども此事を語(かた)り合ひ信心(しん〳〵)かつかうして やまずそれより近郷近在のもの共聞伝(つた)へて 此御神へ参詣引も切らずとぞ貴賎(きせん)遠近を わかずさくを嫁(めと)らんといひ入るもの数しれず されどもさくは嫁する心いさゝかもなくて明 暮仏経にのみ心を入 禅家(せんけ)の老僧を師と頼 禅 学(かく)をしつゝ廿七にて尼となり一生 不(ふ) 犯(ほん)の禅尼(せんに)となり道心 堅固(けんこ)にして其名を 地蔵尼とかやいひてやんことなき御かたへも召れて 法談(ほうだん)なとしける事度々にて寺院等も開基(かいき) しいとめてたきおはりをなんしけるとかや    佐藤 弾(だん)正左衛門 海賊(かいぞく)の難(なん)をのがるゝ事 たいちしやくぶくもんにたつ金剛(こんがう)じん一身を わかつてあうんのさうをあらはすを世こぞつて 二王とせうしまぐんをくだくひやうじとす 天文の末弘治の頃にやありけん爰(こゝ)に洛陽(らくやう) 東福寺三 章(しやう)寺よりの領地(りやうち)豊後(ぶんご)の国に有 けるを将山(しやうさん)万 寿(じゆ)寺 神護(しんこ)山固慈寺【同慈寺のことか】此両寺より 年毎にこれを取納し大友家の老中より 年貢(ねんく)運送(うんさう)の船奉行を相そへ年毎に指登す ある年吉岡宗観入道の良等に佐藤弾正左衛門 といふもの船奉行として十六たんのふねに 年貢をつみ海上を登(のぼ)りけるに船中にて不 思(し) 儀(き)あり四国路につきけるに讃州(さんしう)塩分浦(しわくのうら)にて 塩浦七浦の海賊(かいぞく)ども此船を奪ひ取らんと斗 ̄リ 賊船多く相催(あいもほ)し佐藤が船を取かこみ矢を 射ること雨(あめ)のふるごとし佐藤は元来強 弓の達者なれは指つめ引つめさん〳〵に射 たつる船おもてにすゝみたるもの七八人 即時(そくじ)に 射(い)倒(たを)さるされ共 海賊(かいそく)とも多勢(たせい)なれはこととも せす前後左右(せんごさゆう)に熊手(くまで)を打かけ〳〵既(すて)にあや ふく見へけれは佐藤か手のもの僫果(あぐみはて)【注】皆(みな)弓(ゆみ)を 打 捨(すて)太刀(たち)かたなをもつて切払(きりはら)へとも多勢な れはふせきかね既(すで)に乗(のり)取らるべくと見へける 処に今迄船中に有共覚ず大の法師(ほうし)顔魂(つらたまし)【「い」が欠損?】 たゞものとも覚へずおそろしき姿(すがた)にて士卒(しそつ) を押(おし)のけたゞ一人すゝみ出十六 端(たん)の帆柱(ほはしら)を ひつさげ手早(てはや)く振(ふり)まはし海賊が持(もち)し熊 【注:僫=人偏+悪。悪の異体字。倦(あぐむ)の当て字か書き間違いだと思い、人偏は残すことにしました】 手をこと〴〵く打折 雨(あめ)より繁(しげ)き敵(てき)の矢を こと〴〵く切払(きりはら)ふ海賊(かいそく)ども是を見て似合(にあい)ざる まいすの腕(うで)だてかな只(たゝ)討取(うちと)れとこぎ寄(よす)る法師 帆(ほ)柱(□□ら)を取 直(なを)し船(ふね)の腹(はら)をつき破(やふ)ればその船の 海賊 忽(たちまち)うしほにおぼれて海底(かいてい)の滓(もくず)とぞ成ける 残る海賊ども是を見て振(ふる)ひわなゝきしてにげ 帰(かへ)るたゝかひ終(おは)りてかの法師の姿(すがた)忽(たちまち)きへうせて 見へざりしかは船中の人々奇異(きい)の思ひをなし 是 仏神(ぶつしん)の我等(われら)すくひ給ふとぞ悦び程なく 東福寺へ着し年貢(ねんく)を送(おく)り納め奇異の法師 勇(ゆう)力を以て必死(ひつし)の難(なん)をまぬかれし由三章寺 にて物語しけれは一山の衆徒(しゆと)大におどろき 扨此 不審(ふしん)はれ申たり此 頃(ごろ)当寺の二王に一夜の 内に矢多く射立ありしをその矢印を見るに 讃州(さんしう)塩分(しわく)の何 某(かし)としるせりといふ佐藤 かんるいを流(なか)し船へ射込(いこみ)たる矢を取出し 見るに違(たが)ふ所もなく扨は疑(うたが)ふところもなく 二王の軍(いくさ)に出給ひ我をすくい給ふ有がたさ よとて諸人 奇異(きい)の思ひをなしけれは是 よりしてそのころ遠(とを)く渡海(とかい)に趣(おもむく)く【ママ】もの 【挿し絵】 三章寺の二王の判をうけて出船せしとかや そも〳〵二王の本地(ほんじ)を尋(たつぬ)るに胎金両部(たいこんりやうぶ)の 大日 如来(によらい)なりとかや窃(ひそか)に密厳花蔵(みつごんけぞう) 台(うてな)を 出 仮(かり)に分断同居(ふんたんとうご)の塵(ちり)に交(まじは)り給ふ去(さる)により 隨縁(すいゑん)利(り)物のひかりを一天に輝(かゝやか)し消滅(せうめつ)三 毒(どく)の 瀝(したりり)【ママ、したゝり】を四海に潤(うるほ)【原典はさんずい+開】はしめ夜刃(やしや)【ママ、夜叉】鬼畜(きちく)の形(かたち)をなし 快快(かいがう)【?】怨伏(おんふく)敵(てき)の徳(とく)を示(め)【「し」が欠損?】し給ふ口を開(ひら)き給ふ 姿(すかた)は阿字本不生の理を顕(あら)はし又口を閉(とぢ)給ふ 形(すかた)は吽(うん)の字(し)不 可(か)得(とく)の相(そう)をのべ内には慈悲(じひ)接(せつ) 受(しゆ)の功(こう)を隠(かく)し無 縁(ゑん)の衆生を救(すく)ひ外には 威猛忿怒(いもうふんど)の徳(とく)を顕(あら)はし邪悪(じやあく)の送輩(ぎやくはい)【逆輩】罰(ばつ)し給ふ 去は或時は仏門を守護(しゆご)して神(しん)力を以て四魔(しま) 三 障(しやう)を払(はら)ひ又或時は国家を権衛(ようゑ)【擁衛】して三軍【=全軍のこと】 の強敵(かうてき)を退(しりぞ)け給ふ事 何(なん)ぞ是を疑(うたが)はん此時の 二王の霊験(れいげん)は故桑法印 正(まさ)しく見てかたられ けるとかや    本庄扇橋川童の事 末ひろき名のみ聞にしと詠しはかまくらの 扇(あふき)が谷(やつ)これは武蔵(むさし)の国本庄に扇橋といへる 所ありその辺に舟大工五郎徳といへる者有 これしもその辺の棟梁(とうりやう)なれば弟子共あまた ありて家内も広(ひろ)く住居けり五月雨はれて 川水も清頃になりてけれは何国も同し女の 仕業(しわざ)冬の衣のあかを洗ひて下女是をすゝきに 前なる川へ持行清めけるがいと多くて手も たへずつかれければかはらの石にこし打かけ しばしやすみ居けるにいやしき世話にいへる 水のうへにもいぬるとかやにてねふり気さし とろ〳〵とふねこぎけるに何かはしらず足を 引なりおどろきさめて見れば八つ斗なる 童(わらは)の顔は頭髪をふりかけたればよくも見ず手は ほそきが足をつよくとらへてわが身は半身水に ひたり居て引也これや川へ落(おち)入あがらんとに やと心得てその手をとりて引上んとするに 更に足をはなさずとかく引しろいてやう〳〵に 足をはなし何かはしらすおぞけだちて逃 あがりけれは彼(かの)童も同しく水中より出て 追来るに逸(いち)足を出して【=速足で】逃るにやう〳〵主の 家人走り入座敷へ上るとその女は絶(たへ)入たふれ ぬ家内の上下昼飯をしたゝめ居たりしが これを見てこはいかに〳〵といづれもおどろき さはぎけるに内庭今迄かはきて一てきのし めりもなかりしにたちまち水をなかしたる ごとく所々くぼき所へはたまる程なり庭に居 たるものどもはこれにおどろき上には薬よ水 よと呼生るやう〳〵にして此女 息(いき)出たりし ばらく打ちやすめ伏せて後は平生になりけり 扨ありしやうを問に右のことともかたりぬ 何さま此家まで追かけ来りしが其後は しらずといへりこれ世にいふ河童なるべし 此家まて追来りて川童こけたる成へし 其時頭の水こぼれたるによりて庭へ水出 ぬらんなど取々にいひもてあつかひぬ主人の 五郎徳これをつく〴〵見聞て其日の中に 下女をばいとま遣はし宿へ送り帰しけるとぞ 怪談御伽童巻之二終 【裏表紙】