【上段】 大地震 火事 略図 御救小屋場所  幸橋御門外  浅草広小路  深川海辺新田  同 永代寺境内  上野御山下火除地  東叡山宮様ゟ   御山下右同断 十一月二日焼死人のため 諸宗十三ケ寺へ施餓 鬼被 仰付修行被致候 御屋鋪 弐万四千六百四十軒 町数 五千三百七拾余町也 寺院 一万六千二ケ寺 土蔵焼失之分  六千八百戸前 崩候分  七億【拾の誤り】二万六千三十八也 男女生死人之分  十万九千七百余人也 【下段】 乾坤和順せざるときは陰地中 ̄ニ満て一時に発す是地上に地震といひ海上に津浪といふ山中に発する時は洞のぬけたるなど 皆風雨不順の為す所にして恐るべきの大事なり于茲安政二年乙卯冬十月二日夜四ツ時過るころ関東の国々は 地震のととかさることなく一時に舎坊を崩し人命を絶こと風前のともしびの如し其中に先御府内焼亡 ̄ノ地ハ千住小塚原 不残焼け千住宿は大半崩れ山谷橋はのこらす崩れ今戸橋きは数十軒やける新吉原は五丁共不残焼死人おひたゞしく 田丁壱丁目弐丁目山川町浅草竹門北馬道聖天横町芝居町三町北谷中谷の寺院南馬道ゟ花川戸半町程やける山の宿町 聖天町は崩る浅草寺は無事にて雷門の雷神ゆるぎ出す広小路並木辺残らす崩れ駒形町中頃ゟ出火諏訪町黒船町御馬や 河岸 ̄ニ てやけどまる御蔵前茅町辺富坂町森下辺大破東門跡恙なし菊屋橋きは新寺町新堀共少しやける大音寺ゟ 三の輪金杉辺崩れ坂本は三丁目やける山崎町東坂広徳寺前通 ̄リ 崩多シ又は山本仁太夫矢来内死人多し家不残崩る其外寺院は 大破損亡おびたゞし○谷中三崎千駄木駒込は崩少し根津門前は大半崩池の端茅町弐丁目境いなり向よりやけ同壱丁目不残 木戸際にて留る切通 ̄シ 坂下大崩仲町は片側丁崩多く両かは丁すくなし御すきや町は大崩広小路東がは中程ゟ伊東松坂屋角迄 上野町ゟ長者町辺やける御徒町近辺ゟ三味せん堀七まがりは大名方組屋敷共崩るといへとも多分のことなし御成通ゟ明神下 破れ多く外神田町家の分崩少し湯嶋天神は崩少し門前町崩多く妻恋町少しも不崩稲荷の社無事也本郷台破 少し筋違御門ゟ日本橋通 ̄リ 左右神田東西共崩多し小川町本郷様松平紀伊守様板倉様戸田様やける榊原様外かは 焼神田橋内酒井雅楽頭様同御向やしき龍之口角森川出羽守様又一 ̄ト 口ハ八代洲河岸遠藤但馬守様因州様御火消屋敷 等なり和田倉御門内は松平肥後守様松平下総守様やける近所崩れ其外丸の内御大名方所々崩多し鍋嶋様御上屋敷 不残やける山下御門内阿部様のこらす大崩となり夫ゟ幸橋内松平甲斐守様伊東様亀井様共やける薩州様装束屋敷崩る 霞関ハ諸家様大半くづれ黒田様御物見のこる永田町三間家かうじ町辺ハ崩少し四ッ谷市ヶ谷牛込小日向小石川番町辺 何れも損亡おほし赤坂青山麻布渋谷白銀品川高輪台町共崩少し赤羽根三田飯倉西ノ久保は崩多シ増上寺無事 ○北本所ハ中の郷松平周防守様やける此辺大崩 ̄ニ て所々ゟ出火あり同所番場丁弁天小路辺やける其外寺院損亡多シ法恩寺橋 町家やける亀戸町二ヶ所やける又竪川通 ̄リ は相生町緑町三ッめ花町迄やける又御船蔵前町ゟ黒八名川町六間堀森下町高橋にて 留る又一 ̄ト 口は深川相川町ゟ黒江町大嶋町はまぐり町永代寺門前町八幡宮鳥居きはにて止る又乙女橋向角大川端少しやける 本所深川おしなへて地震つよく損亡おびたゝし○日本橋ゟ南東西中通 ̄リ 河岸通 ̄リ 共大崩にて南伝馬町弐丁目三丁目左右川岸 京橋川通 ̄リ 迄やける銀座町三十間堀尾張町辺少したるみ新橋向築地木挽町桜田久保町あたご下崩れ多シ芝口通 ̄リ 少し 露月丁崩れ柴井町やける神明町三嶋町大崩怪我人多シ神明宮恙なし浜手御屋敷残す【残らすの誤りか】いたむ中門前片門前浜松町金杉本 芝辺崩少し田町大木戸品川宿格別の崩なし翌三日ゟ七日迄明日すこしづゝふるひけれ共別にさはることなく追々静謐におよひ下々へは 御救を被下置御救小屋三ヶ所へ御立被下御仁徳の御国恩を拝謝し奉らん人こそなかりけれあらありがたき 事共なり  但 ̄シ 出火のせつわ三十二口なれともやけるところは図のことし   火の用心〳〵