地災撮要 《割書:地震之部|》 十 地災撮要巻十上《割書:地震之部|》 地災撮要 《割書:地震之部|》 巻之十《割書:上|》 武江震災記略巻之四    以下九條は渡辺/魯(ロ)/庵(アン)めしい【「召しの」では】筆記を借りてその儘にうつ    せしなり ○高砂町に木匠吉五郎と云ふものあり今年三ツになれる男子あ  りけるか此程かしらにかさ【瘡=できもの、はれもの】いてきてなやめりしかはかの母年頃念  しける下総国成田の山なる不動尊を祈りてかしこより出し護符  もて其かさをなでゝをりけるに彼児のいへらくこよひ大なるないゆ  りて此家潰れぬへけれはとく逃給へと吉五郎是を聞つけさる怪  しき事いはすととくいねよかしといへと強に再三度この事をいふ  にそあやしく思ひて聊心を用いてやり戸なとくつろけいねふり  けるに頓而【やがて】《割書:なゐ|地震》ゆりいてゝ家はこほれにけれともかくのかれ出てう  からやからいさゝかあやまちもなかりけるとそ ○笠間のとのゝみうち人某の子十はかりなるか太き柱に左のかゐな  を敷れたりしに傍なる人にいふやう我か腰なる/脇(ハキ)差をとりて  給はれといふいかにするそと問へは腕を切て逃んと云に聞人  幼き者なれと倭魂のたけきをめてゝあまた打より柱を取のけ助つ  となん ○吉原角町に浜の一トいふ目しひ人の富たるありうたい/女(メ)をやし  なひ置て世を渡りけりなゐの揺出るやいなや妻はかとの外へに  け出ぬかのうたひ女のうちに安といへる十六才なるか浜の一の手  をとりて先外の方へ出しやりやかておのれは跡に残り居て先祖の  位牌貸出したるこかねの券と納戸に収ありしこがね抔取持ちて  立出る程に火燃出て近つきぬされとあるしの妻の行ゑ【「へ」とあるところ】覚束  なしと道の畔を見れは隣の塗こめ崩れ落たる土の下に屍あり  けれは引出んとするに後迄火もえきて袖もこけなんはかりに  なりぬれはなく〳〵立のきてあるしの行ゑ【「へ」とあるところ】をもとめえて持出  たりしものとも残るところなく渡しけるとそ ○下谷金杉町に匠の棟梁何かしといへるは梁落かゝりて足を敷れ  けれは弟子を呼てのこきりといふ物にて引切らんとするに火  燃出ちかつきしかは梁を切らんよりはとく足を斬れといふにそ  せんすへなくて膝の下をのこきりして引きりしかは這出つゝあた  りに落ちりたる木のはしを杖にしつゝいとすくよかにのかれ  去りしとなむ ○伝馬町なる紙の問丸のをとな何かしくるはなる岡本屋といへ  るに遊ひ新造とて十五才斗りなる遊ひめをあけて閨に入  りぬ寒しとて仮着なとしてうちくつろきともねせるに頓て  なゐゆり出て二階とゝもに落くつれたりしにかの女抱き付て離  れさりけれは其侭にいさなひてからふして大門を出て堤迄のか  れ行てさま〳〵にいひこしらへて立別れ足を空になしつゝ主の  家に帰りきて見れは其騒大方ならす常に居なれつる帳場とい  ふに直り居てとやかくとおこなひゐるを人々の見て忍ひに笑  ふはら立ツゝいたくしかりてふと我身をかへり見れはさしもむく  つけき身に緋縮緬といふものゝ振袖のいとうるはしき小袖をまと  ひたれはさらにをもなくて納戸のかたへ逃入り酔ふたりとて打  臥しぬとか ○浜町なる何かし殿の御うち人家あるしはいぬる年みまかりて妻  と娘ふたりありしに少しき扶持米といふ物給りて姉娘に聟と  りて家をつぐへき由うち〳〵の信事ありけれはむこか手尋るに妹娘  生れつきて《割書:おし|唖》なりけれはそをいみてか聟になる人もなかりけるを  こたひのなひに家こほれてかのおしの娘崩れたる壁土の下になりた  りさては死けるなるへしあはれとは思へとかくまとし【まどし=貧し】き家にかたは者  あれはこそ来ん人もなかりしをこたひ死しけるははからぬ幸になん  なといひてひつきしたゝめめ【「め」の重複か】て葬のしたくしてさて其土をとり  のけんとせしに土の底よりうこめき出て身振ひし土を払ひけれは  髪は白く顔ハ黒くうつくまりゐて手して腹をあまたゝひたゝき又  口をしは〳〵指さして飢たるよしを示しけるにそ人々あきれてい  つれも物をえいはすしはしもろともにおしになんなりけるとそ ○深川六間堀の町に屋守新蔵といふ者妻ありて子五人そありける  なゐに家倒れしかは危き中を子供はみな引出つるに妻は強く  物にしかれて出し兼るを火さへ燃出しかは妻のいふ様我命は  迚も逃れかたく強て助んとし給はゝ子供ら迄失ふへしとくにけ  給へといふことはりなれはのかれんとせしを五人の子供口を揃へて  いふやう母を見殺しにせんよりは倶に死んことまさらめされはいか  にもして引出してんと言さらは信心もて神仏をいのるより外あ  るへからすともにまころ【「まごころ」とすれば、「こ(ゝ)の脱落】もて祈るへしといへは信心とはいかなる事そと  いふされは信心とは神仏を一ト筋に願ふ事そ教ふれはこゝろえ  つとて十四才をかしらとして五人の子供ら神仏おほち【おおぢ=祖父】おほは【おおば=祖母】の  法名を覚えゐてこれを唱へつゝ母の手と袖と帯とを小腕して  とり烟をしのひて引出せるにいとかろらかに助け出けるとかや ○近江国ハ幡といふ所の人いはけなき頃よりして仏の道に志し  深く常に経陀羅尼なと/誦(ズ)しけれは親とも出家させて比叡の山  に登しゝに功つもりて天台の律師に迄なりて横川の延命院に住  しを猶世をいとひて先つ年山科のほとりに退き住けりこの八月故  郷近江の八幡なる俗縁の方へ文の便りに言ひおこせけるやうは九月  の廿八日近江国なゐつよくゆるへし又十月二日には武蔵の国なゐ  ゆるへしとりわきて江戸のわたり強くゆりぬへけれはその由江戸の  ゆかりへもいひ知らしてよとねもころにいひおこせけるされとま  ことゝもなしかたけれは等閑に打過しに九月廿八日近江国なゐい  たくゆりしかは扨は誠なりけりと思へと江戸へいひゆかんもはるかなる  道の程にてはた日数せまりぬされはとていひやらてをかんも律師  の志をもとかんと思ひわつらひて其あすの日人をたてゝ十月  七日のひ江戸石町なる某の許へ其文もてこしとなんこのこと金  吹町なる播磨屋新右衛門に召仕ハるゝ幸助といふものゝ物語なり ○此程おほやけよりの仰事にて町のことゝる人々本町なる亀の尾  といふ茶亭に出はりて市人の頭たちしを呼つとへひか心得す  ましき由いひさとす事なん候ける桶町に住る某も二日の宵より  参りたりしに寒しとて酒あたゝめさせて独していやのみに飲  て人心地もなきまてゑひたりけれはかゝるもの此むしろにつらなら  んはえうなきのみかはあやまちもいてきぬへしとて此家の者も女  に手をとらして送りかへしつるに道すからあらぬ事ともいひ  のゝしりこうじはてさすかのみならすあなかちにかへれ〳〵と幾  度もおし戻すにそすべなくて少しはなれてよろめくを見つつ跡  より行けはとかくしておのか家のはゐりのみちによろめきいるよ  とみるうちになゐゆり出てあたりの家ともこすれつかの女も  道なかにまろひ倒れ夢の心地してたちかへりて見れは本町な  る主の家も倒れそこなひて入るへくもあらねはあひ知れる人のも  とに立のきぬさて桶町なる某の家はたふれさりしかは主はいかにし  つらんと亀の尾に来て尋にたゝさはきにく【「く」に見えるが文意からくりかえし記号とも思われる】ていらへする人たになけ  れはそここゝゆかりの方尋てわぶれと行へ知れさりけり七日のひ家  のはいりに落つもりたるぬりこめの土の山の如くなるを人あまた  して鋤鍬もてほらせて見るにこのそこのうこめくをあやしとみ  れは頓て白きかゐなむく〳〵と出たり人々驚きてしはしたゆた  ひしを少々年老たるかあとてためらふそ鍬は置て手して土をわ  けよとく〳〵とおきてけるにやかて堀出したるを見れは家あるしに  そありけるなゐのゆりしもしらす土にうつもれしもしらす少々冷か  なるに目を覚し見れは土の中にありさては我身は死て葬られたる  にこそあらめかくよみかへりし上はいかにもしてはひ出んとさま  〳〵にしけれともかなはす身は労れて呼さけへとも声さへかれて  すへなさに思ふやうはとてもいくへきいのちならすさらは尊き法  師のすといふなる入定とやらんをせんと思ひて念仏のみ唱へて 【右丁】 ゐたりしかはなか〳〵に心やすかりしとそかたりけるこはぬりこめの 腰巻といふ物たり右よりおち重りて庇のやうになれるうちに埋れ てありしなりとそ     十月二日の夜いみしきなゐのゆりけれは    かくはかりしつけきみよをまかつひ【禍つひ:禍害・凶事などを引き起こす神】のいかにあらふる神無    月はしめのふつかよひのまになゐいやふるひ久堅のあめも    とゝろきあらかねの【「土」のかかる枕詞】土さへさけてむさしなる江戸のちまたに    たちならふ玉のうてな【高殿(たかどの)】もしつかやもたゝときのまにこほれ    つゝはしらもくたけうつはり【梁のこと】もおちてうたるゝそのなかをか    らくもいてゝぬは玉【夜、闇、黒みかかる枕詞】のやみちにまとひゆきなやむ身はつかれ 【左丁】    つゝあしてさへきつゝきなからかけはしの【「危い」にかかる枕詞】あやふきいの    ちなからへてたとる〳〵も若草のつまこをたつねよひかはす    声さへかれてかれをはなまねくかひなく玉のをのたえに    し人のかす〳〵をなけきもあへすあからひく火のわさはひの    いてきつゝもえひろこれはあちむらの【「さわぐ、通ふ」にかかる枕詞】立さわきつゝよゝとな    く花の姿のをとめ子をさそふあらしの風はやみあしたの露    ときえゆきしこけるから【やせこけた体】なるいろ見てはたへぬ哀れをし    のひつゝしはしかりねの草まくらうき世の夢もいまかさむら    ん      なゐのゆる宿にともしゝともし火のほかけよりまつ心きえにき 【左丁】  右魯庵ぬしのすさひなり魯庵は高砂町先の坊正渡辺庄右衛門  隠居の号なり    △以下十三條は花街の名主竹島仁左衛門殿譚なり 〇娼家岡本屋長次郎は近世廓内の冨家なり地震の時あるし長次  郎一旦逃出しか父《割書:隠居》の安否未届ずしてはあらしとて其時隣  家より火燃近きけれは赤裸になりて家の奥に入しか間もなく猛  火一時に燃移りて其身夫婦《割書:父》息子夫婦皆この災に罹りて合家  同時に失ぬと憐へし悲むへし 〇同稲本屋のあるし基を囲て居たりしか家潰れ側に居たり 【左丁】  し此家の妻と封巾簡【「幇間(たいこもち)」のことと思われる。】長作この下に成りしか長作片眼少し  飛出しを押へて命恙なかりしかと逃出んよすがなし漸 棰(タルキ)の  折れたるか手に障りしを得て屋根を穿ちて二人ともにのかれ出  たり其余【餘】は皆亡ひ失たりとそ 〇同三浦屋吉右衛門は穴蔵に入て助らんとてあるし夫婦娼妓と  倶に台【臺】所の穴蔵に入りしが程なく家潰れ其身には当【當】らさり  けれと思はさりきあたりより火出て程なく此家にも火移りて後烟  にむせびて残らす死り 〇同谷本屋のあるし《割書:深川よりうつり|し見せなり》財布に金の入しを携へたる侭に焼  死す此家の遊女壱人二階ゟ下る時階子踊りしかは誤て穴蔵の 【右丁】  中へ落入たり上らんとするにはや家潰れかゝり然るに此家の引窓  幸にして穴蔵の上になりたり再上らんとするに火焼移りしかはし  はらく地に臥てあつさをこらゆる事数刻なりしか下の方なれは強  く煙【烟】も入らさりしにや引窓よりは息も通ひて鎮火の後火中を遁れ  出て命助りたり 〇同上総屋何がし抱声妓いはといへるは地震に怖れて一旦大路へ逃  出けるか徒跣(ハダシ)にて歩行かたしとて履物《割書:駒下駄か|さうりか》を取に戻りし時庇の  崩るゝにあひて即死す 〇同中万字屋弥兵衛か家の奴隷大酒を好み常に酔ふて役にたゝぬ  男あり暇をやらんと思ひしに此夜も例の如く大酒に沈醉して 【左丁】 地震も知らす寝【寐】たりしが揺り止て後目さめてあたりを看るにあ  るし始め遊女其余【餘】客にいたる迄壱人も居らすあたりの騒しきにて  火事ありとは知りつ然れとも地震ありしを知らされは何としてかくは  うろたへて家財をは残し置き其侭には逃退けんと怪しく思ひなから  在合ふ所の銅壷釜の類より手許の器に至に迄手にあふ丈は穴蔵へ収  め置土等かたの如くなしつゝやかてこゝを立退く迚在り合ふ酒を残ら  すも惜しとしたゝかに吞て主の居る所へ尋ね行て此由を語りけるさ  れは此家のみ庖厨の器を残し得たりとて酒のむ男の功を賞し暇や  る事は止たりとそ 〇殊にあはれに聞えしは九郎介稲荷の別当修験某の娘十三才はかり 【右丁】  なるか同し社の側なる潰家の間に成りいかにしてか其足を石に挟れ  て逃る事あたはすかの父なる者も《割書:別当の|事なり》こゝにありて助やらんとし  て色々に骨折しかいかにすれ共愜はす近隣の者も来り援んとせ  しかともせんすへなし其時火災熾になりて別当か着たる衣に燃付  しかは汝を助んとすれは父もろともに終るへしなき命そとあきらめ  くれよといひつゝ濡たる菰をまとふて神体を出し奉り携へて逃れ  のきしとなん親子の情いかにありけん 〇娼家平野屋の庖人何がし潰家の梁に足を挟れ命ありなから逃る  事ならす傍輩二人助んとして色々にせしがかなはす次第に火盛に  燃近つきけれは今は是迄也汝を助んとしてかゝづらひ居らは我々も倶 【左丁】  に死すへしされは迚も存命叶ひかたしとあきらめて念仏【佛】申て  往生せよとなく〳〵云さとし二人ともに此場を去りしか次第に焼  募りて此火土蔵へ入しかやかて此壁一度に落ると等しく其勢に彼  男の圧【壓】に成たる梁を刎上しかは幸に身体逃る事を得て足を  引すり這出しかの傍輩の居るところへ尋行しかはすは亡霊こそ  来れとて一座恐れおのゝきしとなむ 〇海老屋 在(本ノマヽ)屋大黒屋等は家潰れすして焼たりされは怪我人な  しとそ 〇花街の坊正竹島氏の家は此夜息子何かし近隣の児輩を招て  影絵の戯をなして居たりしか俄に振動しけれはあるしは駭て 【右丁】 裏の方へ逃出し妻は末の男子を連て玄関の前へ走り出しか倒 家の圧【壓】に打れて即死すあるしは是を知らす然るに母は家の下 になりたれは屋の棟を穿ちて助出さんとせしに塗家といふ物に して瓦の下に土を重る事厚く其下に厚き板を打其次に天井 板ありて容易に毀つ事かたし人手をかりて漸くにして鋸もて 垂木(タルキ)を切りて助出せり宵より来り居し近隣の幼きものは此 時残らす助りたり下男は土蔵の壁の落重りたるに埋れて首計 をあらはし身体働かれすこれも漸くにして土を除て助出しつ 手代房吉といへるも家の下より助出せり《割書:是は物のひまより手許出|したるか此上を人の渡り》 《割書:て逃けしまゝ男女といはす声を懸裾をとらへて|引けるか皆かなくりて逃退しとなり》然れ共妻と末子はい 【左丁】 つこへ趣しや知れされと此家の下にありてはや死しけるか若命 のありもやすると焼来る迄声の限り呼はる事数刻に及けれと 答なし次第に烈火近つきて彳【たたず】む事ならされは他人の進るに任せて 止む事を得すしてこゝを去りしかもし菩提所大恩寺へ立退し事も やとかしこに至りて尋ねんとせしにはや此寺も潰れて住持も圧【壓】にう たれて寂せしと聞り廓中を退し時家々の下に男女の声ありて助 てくれは焼死るはあつやたえかたやと口々に号【號】叫ふするを聞につけ むねつぶるゝ計なりしが妻子の安否も聞かぬ内はこころならすしかも 衆人の難を一人して救ふへき根もあらされは聞捨にして逃退し より火鎮りて後妻子の屍を繹(タヅネ)【「譯」とあるは誤記】出して愁傷落涙停かたかりしとなん 【右丁】  竹島氏の心中いかにありけむ  此家に弆蔵せる天海僧正御哥短冊一軸の箱に入りし侭溝の中へ落て  流けるを翌日見出し取上て全かりし由     世の中はあられはあるにまかせつゝ心にいたく物な思ひそ《割書:天海と|あるよし》 〇玉楼の宝とせし菅家御真筆の弥陀経焼失のよし歎くへし 定家  卿の色紙も又亡ひたりとそ其余【餘】廓中に名筆名画珍宝等数を尽し  て亡ひたる由なり 〇応【應】挙か筆夜の桜の画幅娼家の珍蔵なりしか焼たるよし 〇花明園西村氏も名器の釜三タ【さんせき➝注】法帖其余【餘】先代 藐(ミヤク)庵ぬし書画をこ  のみしか古筆数多蔵弆【ぞうきょ=書画などをおさめたくわえること】せしを残らす失れし由也光琳の筆 三平二満(オカメ) 【左丁】  抱へ上人の吉原十二月画賛巻物等も焼たり 【注 『新古今集』所収の「秋の夕暮れ」を結びの句とした三首の和歌のこと。それぞれ寂蓮・西行・定家の歌。「法帖」とは、先人の筆跡または碑文などを習字の手本や観賞用に模写、臨写したものをいう】 〇娼家何某吉原堤の裂けたる間へ落たり自 ̄ラ上る事ならす大音に叫  ひてわれ三百両の金を持たり助て呉たらん人には半を頒ち与へんと  いひけれは或者助けよて首にかけたる財布を奪ひ取り突放していつ  ちへか逃去しとなり 〇吉原の人神田辺の人の話を聞しに或る所に狐付あり九月下旬口走  て来月二日には大地震あるへしと語りけるとこれを聞る人々さして  心にもとめさりしに果して此地震有其後来る九日にはふたゝひ大  地震あるへしと云しとかたり先の言葉符合せしかは吉原の人々俄にい  ひのゝしり広【廣】地へ資財を運ひ畳を敷高張の挑灯を燈しつゝ待居たり 【右丁】  しにこの日何事なくして過しぬ   以上竹島氏譚なり     〇 以下十二条【條】ともに花街の談にして衆人より聞く所なり 〇銀座人辻伝【傳】右衛門青楼【せいろう:遊女のいるところ】に遊ひ酒に酔ふて臥たりしか地震の時二階  傾きて溝の上へ倒れかゝりしに目覚て見れは畳の上なから屋根なく  星のきらめくを見る幸にして遊女とゝもに命全き事得たり《割書:雲隺堂話》 〇画人鈴木其一の男守一青楼岡本屋のあるしと懇意にて二日の夜もかし  こにおもむき対【對】話してありける時俄に地震ひ家潰れかゝり逃れ出へき間  もなく二階へ登らんとするに階子踊りて登られす間もなく潰れて欄間(ランマ)と天   【左丁】  井との間になりて恙なし狼狽忙迫して在り合ふ燭台【臺】を以て穿んとす  れとも脇はさる【挟る】もむへなり家内の男女圧【壓】にうたれしもあるへし又屋根  の下に成りて出る事ならすわか如きものもありてこゝかしこにて苦痛に迫る【左横に「”」を付記し右横に「り」と記載す】  叫ひしか次第に声よはり程過て後声止たるは各死したりと覚えて更に  心細くいかにもして遁れ出んともかけともせんすへなし其内火気移  りて障子の倒れかゝりたるかた明るくなりけるを見て透間ある方を  知り匍匐(ハラバヒ)して逃れ出たり夫より家に帰りしに下谷坂本なる《割書:町家にて|土人森川》  《割書:やしきと|いふ所なり》父の家も潰れ其一か孫娘も《割書:山本素堂|の妻なり》泊り合して潰れ死したり  とそ 《割書:勝田三左衛門殿話》 〇京町弐丁目張金屋《割書:娼家|なり》か妻は夫より遥に年長したるが彼女つく〳〵考 【右丁】  ふるに年 闌(タケ)たる女稚き夫に添ひたるは老て後棄【「弃」は「棄」の古字】らるゝならひなれ  は我姪何かしをして配偶を譲らはやと夫にも進め他所に在りしを  呼迎へて次配(ノチソヒ)としおのれはかの姪か母と称して此家に仝処【處】してあ  りしか地震の時家潰れて圧【壓】に打れ死したりかの姪一旦逃出して  後再ひこれか行ゑを繹ねし時家の妓女各梁間に敷れ号【號】叫ふし  て家 刀自(トジ)【いえとじ=一家の主婦】助け給へといふ彼女いふ我壱人の力にて助け得さする事  かたしされと見殺しにして逃るにあらす此場に於て倶に死る程  に我を冤む事なく念仏【佛】申て往生せよといひ捨てこゝかしこ潰  家の内を尋めくり母の在所に尋当りしかはや圧【壓】にうたれて事切れ  たり彼女落涙に迫りしか間もあらせす猛火熾に燃来りしかはあたり 【左丁】  の人此体を見てとく逃去れよといへともきかす何思ひけん炎の中  に飛入かの屍に取付てともに焼死たりしを火鎮りて後見出したり  衆其義気【氣】【ぎきー正義を守る意気】を感してあはれむと    張金やの妻なるものゝ記をよみて感涙袷に伝【傳】ふ墳に剣    をかけしもろこし人と日をおなしうすへけれとて     後の名は玉とそてらめよしや身は      かわらとゝもにくたけゆくとも 桂花園 〇娼家堺屋七郎兵衛は冨有の家なり近頃家を養子に譲りて今戸  の別業に栖遅(セイチ)【「栖遅」の左横に「スミ」と傍記】【ゆっくりした人生をおくること】してありける一中節の浄瑠璃をよく語り号を三卜(サンボク)と  いふこの家潰れて巨材其身を打しか身首を異にすと《割書:或云首は次の間|にありしとなり》 【右丁】                   右楓園話 〇浅草山の宿町に柏屋そよとて船宿をもて活業とせる強欲の寡婦あり  二日の夜吉原町なる娼家兄庄助《割書:小格子》といへる者方泊り合し家潰れて  空く成れり           右村田平右衛門殿話 〇吉原町産屋長島屋某頗る冨り田町なる妾宅へ趣き地震にあひ  て逃出たりしか家に帰らす其後尋れ共知れす田町の往還にて両  側の家潰れし時これにふれかつ大にあひて亡ひたるなるへしと又  吉原町なる清元岩戸太夫も田町なる知る人の所へ趣き地震におとろ  き己か家へとて帰りけるか道にてうせしにや其行方を知らすとなん                右本所菊川町角茶店の婦人話 【左丁】 〇同小格子娼家井箇屋某は地震のとき懾怖して庭へかけ出し  梅の木に取すがりてありし内家潰れ妻子抱の遊女其外合家皆  失ぬと              同人話 〇池の端仲町日野屋忠蔵《割書:小間物器物を|商ふ冨家也》も此日花街に行て帰らす                  右久保啓蔵殿話 〇京橋辺の家主三人近きあたりの人死して野辺送りのかへさ【帰り】青楼  に登りしか家傾しかは一人先に飛下らんとしけるか二階なれは高き  心にて飛下りしかいつしか根太落下りしかは向ふの方へ飛過隣家  の傾たるに頭を打当て悩めり跡の二人是を知り足を延したるに漸  く地に付たれは飛はすして逃れたりかゝる折には狼狽するもの 【右丁】  にこそ                 文鳳堂話 〇両国橋東詰に香具芝居【こうぐしばい】といへるもの常にありこれに出る俳優を  雇ひ吉はら水道尻【江戸の元吉原および、新吉原遊郭内にあった郭内の上水道の終点周辺の名。】の寄せ場に於て夜毎に芝居興行せんとて  十月二日を初日と定めしかは彼俳優音曲者其余【餘】劇場に携【つらな】り  しもの大勢かしこに趣しか障る事ありて此夜興行ならすしかる  に京町弐丁目娼家武蔵屋某この役者の内贔屓の者有りしかは残  らすおのが家にいざなひ酒飯を饗してありしころ震出して家  潰れあるじを始 幾世(イクヨ)《割書:女形也》梅蔵《割書:立役也》といふもの亡ひたりこの梅蔵  は深川六間堀に住けるかかの家も潰れて妻と子供弐人同時に死亡せ  しと聞り             向両国【國】垢離場茶店話 【左丁】 〇京町二丁目丸亀屋も潰たり此時泊り合したる商家ありしはからす天井  板の上に成て頭上に蜘の巣の纏ひしよりしか心付力を極屋根裏を  穿ちて漸くに這出おのが家迄走り帰れり同道せる京師【けいし=京都】の客も倶に這  出たりしかいまた火の焼来る迄は間遠也とてふたゝひ此穴ゟ這入おのれ  か衣類羽織懐中の品々抔【など】取出し帯をしめかへ又連れなる男の着替  等迄残りなく尋出して携帰りさすかに上方者落付たるはからひなりと  噂しぬ  浅草法善寺話 〇江戸町壱丁目家持娼家佐野槌屋せい後見源右衛門か抱の遊女 黛(マユズミ)《割書:十八才|かね》  十一月廿五日廿六日の両日に五箇所御救小屋に在りし貧困のものへ焼  物の鍋《割書:行平なへと|いふ物なり》大小取交千百六十を施す《割書:価金三十円|の余なり》幼稚(エウチ)の頃親に 【右丁】  別れ安否もさたかならねは過去現世利益の為とてこの施を行ひ  けるよし十二月廿五日官府に召れて御褒美あり銀弐枚を給れりし  かりしより瓢客【花柳界に遊ぶ男の客】の輳【訓は「あつまる」だが、送り仮名から「かよふ」とよませるのでは】ふ事日夜に絶すと 〇凡此編に載る所各其実を繹問ひて誌せしといへとも悤劇【恖も劇も忙しいの意】中  の筆録にして聞ひかめ【聞き間違い】たる事なしといふへからすされと多端にし  てふたゝひ問ひあきらむ【明きらむ=事情をハッキリさせる】へきよすがもあらされはさてやみぬ  前に挙家所各姓名を載たりされは必しも他の披閲をゆるす                          へからす 【左丁】    〇以下八條塗師耕雲の筆記也《割書:安田東亭老より借得たる|をいさゝか文を改め写せり》 〇浅草田町編笠茶屋松屋新兵衛か養女ひさは客を送りて吉原江戸  町弐丁目の娼家にありしか地震に駭(オトロ)き辛ふして逃【「迯」は俗字】出家の近処【處】に  至りし時一円【圓】に炎となりて立寄る事叶はされと義理ある両親な  れは殊に其まゝにさし置逃【迯」】んやうなし倶に死んと覚悟して火中  を恐れす入りて見るに我家傾たれと未火移らすよつて父新兵衛  を助け出しやり又母かつを抱き助けて出る頃ははや火移りたれは  ひさは西部【腰部のことか】手足焼たゞれたれと命を全ふし三人ともに助りぬと 〇浅草砂利場に住る盲人松和《割書:按摩|とり》は地震に家潰れ其下になり  十月廿七日にいたり潰家を片付んとせし時家の下にて人声幽に聞え 【右丁】  けれは各あやしみて堀出し見れは松和也驚て様子を尋るに息ある  のみにして声細りて更に聞へす水を与へ療治をくわへ次第に快気【氣】  して命全き事を得たり 〇亀戸町鳶の又吉は自身番屋《割書:世俗坊間の邏所を自身番屋と云当月朔日ゟ|町々夜番始りて非常を守る故こゝに在し也》  にありて地震に驚き家に戻りしに妻たけは幼稚の男子三次郎を抱  きて大路に彳【たたずみ】居たりし故母のぶの安否を聞に分らすよつて又吉一  人家に欠入りし頃はあたりより火起りたゝちに家に焼うつりて母子  二人共に焼死たり翌日焼跡を見しに又吉の屍と母の屍と畳を隔て  在りしはまさしく畳にて火を除け母を援んとせしなるへしとて  人々感涙を催せしとそ 【左丁】 〇深川森下町神明宮の表門前町に住る鍛冶の伝【傳】蔵は年老たる  ものにてありしか他所に趣き帰路に望て地震にあひはしり帰りし  か其家潰れし下より妻とみ子いよの声にて援けくれよと呼はる  により材木を穿ちて妻とみ《割書:老女|也》をは助け出しぬ娘いよをも助ん  とせしか背に柱の倒れたるが圧【壓】となりて苦しみ居たりしかは鋸  を捜出してかの柱を切れは柱たわみて重さ増り一層の苦痛をま  しけるうちあたりの火熾になりて焼近つきぬかくては助りかたき  を知りわらはの命もはや援り難し両親にはこのまゝをきて速  に立退給へとすゝむれと立もさらすして泣居たるうちはや此家  に火移りしかはせんすへなくて逃【迯】のきし由 【右丁】 〇深川伊勢崎町に住る船大工上総屋五郎兵衛は地震の時其子庄太郎  善次郎を連れて先へ出しか妻かくは実子つやといへる幼を措(サシオ)き先妻  のうめる盲女まさは義理ある子なれはとて先へ抱へて戸口迄出しやり  夫より家に入て実子つやを助んとする内火炎に迫りて母子《割書:つやを抱て|死したり》  ともに焼死たりあたりの人其義烈【忠義・正義の心が強くはげしいこと】を感すと 〇同町なる家守常吉は自身番屋にあり地震に驚家へ戻りしにはや  潰れて妻たよは下に囲れたれは屋根を穿て助んとせしうち隣家ゟ  火起りて燃上りしかはつまはいよ〳〵苦しく泣声を出して助けよと  いふ常吉云汝を助んとすれは家財残らす焼て阿(ア)すより乞食すへし  なき命そとあきらめよと云てなさけなくもかれを措てもてる調度 【左丁】  を運出んとすれとかなはす妻は焼死し家財は残らす灰燼(クワイジン)となんぬ  当百【注①】といへる銭八貫五百文真鍮銭【注②】十五貫文ありしを助出さんとして夫  さへ焼たりあくる朝焼たる銭と鍋釜の類を拾【「捨」に見えるが「拾」の誤記】ひ集めしをもいつしか  賊に奪れたり常吉は夫より狂を発しあらぬ事いひて焼はらを  さまよひあるきけるよしそれか娘壱人ありてせきといふこの夜は  しるへ【しるべ=知り合い。縁のある人】の方に泊り合して恙なかりしとそ 【注① 「当百銭(とうひゃくせん)の略。天保六年(一八三五)から発行された百文通用の長円形銭貨。裏面に「百文に相当する」という意味で「当百」の文字が鋳出されている。天保通宝銭。】 【注② 江戸時代、明和五年(一七六八)から発行された寛永通宝四文銭のこと。黄銅貨で、一文銭とは形と色が異なり区別されているが、俗には「四文銭」とも「真鍮銭」とも呼ばれた。】 〇深川辺【邊】或諸侯の臣竹村新之助は下屋鋪に住しけるが地震に屋  敷内より出火せし故主家より預りの鉄炮合薬の入りし大なる器  等海辺まて持運ひ大方に助たり故に己が家をは棄【「弃」は「棄」の古字】置て家財はのこ  らす焼失たり翌日の朝上屋敷より重役の臣火元吟味の為こゝに来   【右丁】  りしかは新之助前の顛末を告て後に私事御覧の通り箸一本も残ら  す焼失しまゝ此より御披露【ご報告】願たてまつると云けるに重役のもの云士た  るもの箸一本も持出さぬとは余【餘】りに狼狽たる仕方上へ達しかたしと云  けれは新之助面色かはり主君の要物を持退て己か財を焼たるをな  んそうろたへものとせくる【責める】ゝや左いふ貴殿こそ委曲下ものを聞すして  人を批判する事うろたへものよといひて更に屈せす重役の士も  ことはりとは思ひつれとその過言に憤りそのあらそひ果しなかり  し由其後いかゝありしや聞かずとなむ《割書:これらは無用の談なれと|見るかまゝにしるしつ》 〇深川永代寺門前踊の師中村登茂次は同長屋より出火せし時速に  その家主を誘引火元を見せ後我家に入て母を助出し弟子の方へ 【左丁】  逃【迯は俗字】退たり依て後日火元争ひの難を遁れたり女子には落付たるはか  らひとてこのあたりには噂せりとなん     〇以下三十八條は何人の撰にや知らす武家の輩難に罹られし      事ともを載たる実記と見ゆ《割書:但文は原本の侭改むる事なし俳画|堂文鳳堂又雲鶴堂より借得し写本》      《割書:をもて|うつせり》 〇小石川冨坂町高七百石役西丸御留守居堀美作守殿所用有之一族戸崎  町松平内記殿方へ参り用事済て帰路右地震来る故美濃守殿駕  籠の中より声を懸安全の地へ急くへしといふに陸尺【六尺のこと。貴人の駕籠を担ぐ人足。「六」と「陸」は音が通じることから文字を代用した】も心得て急かむ  とすれ共動揺強き故駈る事能はす其間に柳町常州屋といふ質 【右丁】  屋の家土蔵とも一時に崩れたふれて美濃守殿駕は微塵に潰れ主  従とも十八人即死内僅に五人助命して屋敷へ馳帰りしとなり《割書:柳町|より》  《割書:屋敷まて壱|町余なり》  《割書:一説濃州大怪我|なれと相凌助命トモ云》 〇又火事場見廻役高五千石屋鋪小石川御門前土井主計殿方に  其夜来客あり亥刻に及ひ退散後当主小便に行んとす又家士侍  女等は酒器を片付んと立廻り居る内一時に震動して屋敷中残  りなく揺潰しけるか用人森田源兵衛なる者主人の安危量りかたく  奥の方へ馳行所に玄関南の方へ倒れ落て即死す其子源太郎此  体を見るより大に駭きなから進み行て家根瓦材木を取除六人  を引出しけれとも主計殿其ほか男女とも即死ありそれより中間 【左丁】  を励まし潰所より救ひ出しけれとも主従都合十七人即死あり  九人は大怪我なり其中三人は明の朝死せし由 〇寄合高三千五百石牛込揚場久世政吉殿表長屋を残し屋鋪中  惣崩当主居間に在て書を続【續】居られけるか一室の内あつとさけふ声  聞えけるより駈行見れははや妻女の居間は悉く潰れ梁落て妻女は  腹を打破られたるか此節臨月にして男子疵口より出けれ共即死す  それより屋敷を改させけるに六人即死怪我人十一人あり扨又五日  の夜予か友生田金吾用事有之右屋敷の前を夜子刻頃通りしか  門前に子を抱きたる女の立居たるか其容躰あやしけなりし故同所  の居酒屋内田にて右の話をせしに亭主答ていふ夫は幽霊にして 【右丁】  見たるもの多し三日の夜より出るよしかたりけるとなり 〇御使番高千石小川町猿楽町大久保八郎左衛門殿十月二日用事有  之丸の内へ参られ同夜戌刻帰宅夫より酒を呑たるに右大地震に  て屋鋪中崩れ当主即死家士九人死す同所池田氏より出火にて  この家も類焼し家来共大に周章【うろたえさわぐ】し主人の死骸を引出し持  出る間にはや火の粉雨の如く家財一品も出さす丸焼に成りしとな  むこの時に大久保彦左衛門殿自筆の一軸焼失せりと承りぬ誠に  惜むへし 〇役寄合高千五百石同所伏屋七之助殿此夜賀儀【祝の儀式】有之家士等に酒  を呑せ其身も砕て打臥したる処【處】俄の震動にて屋敷潰れ当主家 【左丁】  士共八人即死屋敷は残りなく焼失せり 〇役寄合高三千三百石同所佐藤重之丞殿今日組頭用事 ̄ニ付彼方へ参  られ帰宅有之坐敷へ入上下を脱んとする時地震にて屋敷崩れ落主  従三人即死表長屋三人女部屋侍部屋にて六人即死中間部屋  より出火にて残らす焼亡ひたり 〇当時御老中十月五日迄平勤十一万石西丸下堀田備中守殿小川町  在住の節地震にて屋敷悉く潰れ御当主崩れ家の中(下)【「中」の左肩に「”」を付けている】にあ【「な」の上に「あ」を書いたのか、「あ」の上に「な」を書いたのか判別し難い】らる其  陸尺伝蔵平右衛門といふ者両人駈来り家根瓦を取り除き漸く救  ひ出したり又侯僅に足を痛られけれと其侭登城有之尤此夜は  御用召御内意故奥表は御用召物調にて灯火炭火等も沢【澤】山に有之故 【右丁】  直に出火し御留守中不残焼失す事鎮りて後右陸尺伝【傳】蔵平右衛門  は二百石つゝ下され無役の者に被召出しとなり 〇小川町定火消組屋敷当時御頭無之手明組也右組同心鳶人足共丗八  人即死怪我人百余【餘】人其上屋敷不残類焼也 〇小普請支配高千九百石小石【左側に「”」を付している】川町一橋通り大久保筑前守殿今日縁談  之儀 ̄ニ付早川清吾殿入来談合済【濟】て次の間へ送り出る時子息主馬殿  栄之丞殿も倶に送り出奥へ入らんとする折柄一時に揺潰れ父子三  人即死家来男女九人即死又右早川氏は一町余【餘】行て小川町所々の  出火に帰路を塞れ御堀端より牛込へ帰られしと也 〇中奥御小姓高三百俵右同所大久保淡路守殿は家来島田喜内といふ 【左丁】  者孝行成る者にてありしか養父老病 ̄ニ付金三両を与へ養父方へ暇  を遣し病気【氣】を陏(ヰノマヽ)【注】し扨其後に三人は其身坐敷へ入時地震にて屋敷不  残潰れ当主即死家士男女十一人即死其時右喜内は途中ゟ馳帰り主人  の安否を伺んとするに右騒乱の中故漸主人の居所を掘出しけるとかはや  死して在しされとも近火なれは主人の死骸を抱へ市ヶ谷迄退き又  取てかへし再度屋敷へ来り所々火を消したりとなり其労苦察  すへし 【注 「陏」を「隋」の意で用いているが「陏」は別字。「隋」の略字とも譌字ともいわれる「随」の誤記と思われる。】 〇御側役高四千五百三十石小川町一ツ橋通り石河美濃守殿家士に鈴木  新兵衛同忰新六両人地震を恐れす主人の居間へ駈付る迚玄関にて  押潰され即死其外家中三人外に男女五人死す同所小山氏ゟ出火 【左丁】  にて屋敷不残類焼然るに当家焼迹より金銀の具多く灰の中ゟ搔  出したるを見て悪徒とも仮屋へ火を懸是を盗んとせり用人塚田  石田等堅く守りて一物をも失さりしとなり 〇小石川御門内《割書:伊予|今治》高三万五千石松平駿河守殿には今日五人の来客  ありて有馬日向侯池田右京侯残り酒宴有之戌刻帰宅当主一人謡  を唄居られし処地震にて屋敷潰れ家士戸塚助太夫小泉三郎右衛門  駈つき主人を救出すに茶の間より出火し家中不残焼失即死共士分  廿八人足軽中間五十余【餘】人と云々 〇一ツ橋外寺社奉行高五万石松平豊前守殿御玄関奥へ懸りて潰るとい  へとも当主には無異なり家中中間合て九十六人女二十七人乗馬十一匹 【左丁】  斃【たおれ】怪我人百余【餘】人自火【じか=自分の家から出した火事】なり 〇小石川御門内高十二万石松平讃岐守殿当主無異家来三十三人傍女  廿九人即死怪我人百五十余【餘】人夜中にて三日の間野宿してありし  となん 〇大手前高十五万石酒井雅楽頭殿は潰間もなく奥台【臺】子間ゟ出火し  て土蔵迄残りなく焼失家来即死八十四人奥侍女百六十三人死す怪  我人数を知らす 〇御先年御鉄炮頭小川町猿楽町高五百石小笠原平兵衛殿御誂大筒之  事 ̄ニ付杉屋錦之丞殿入来注文書相渡帰宅同時地震にて玄関へ  駈出ると客の間ゟ一同に潰れて即死あり半井氏より出火して残 【右丁】  らす類焼家士十一人外に男女二十七人即死す御預り御馬弐疋を失へ  り 〇小石川水戸殿大破損若年寄某并軍学師戸田忠太夫家老藤田誠之  進其外家士百五十三人侍女四十九人即死せり怪我人の数知るへからす 〇御歯医【醫】師小川町一ツ橋通高弐百石佐藤道安殿は其日小石川辺御  籏本へ参られ帰宅間もなく地震用人部屋ゟ出火して潰れ家に移  り当主及妻子九人用人斉【齋】川某とも皆潰焼失【「失」の左側に「”」を記し、右横に「死」と記す】幸に遁るゝものは中  間三人のみとかや依之去る丑年子細有之家出せし子息道祐家に帰  りて跡相続【續】す右の家にて上下十七人焼死同四日一時に葬送を  いとなむ 【左丁】 〇小普請高弐千五百石小川町田沼市左衛門殿夫婦寝入候処地震に駭  き起出んとする時住居悉く潰れ夫婦共即死家士男女二十五人死屋敷  残らす焼たり 〇役小普請高百五十俵同所福山某此夜妾岩女と一室に在り其妻は子  息十蔵と別室に候居たるか地震の節寝入て知らす【「す」の左横に「”」を記し、右横に「れ」と記載】さるにや各其侭  潰死ける中間下女四人即死其上類焼なり其中にて用人畑某は不思儀  に命助かりしとなり 〇大番組頭高弐百五十石小日向和田勝太郎殿地震に駭き起出んとせ  られしに梁落背に負懸り右の腕打折けるか剛気【氣】の人にて漸梁其  外刎返し危難を脱れたれ共今に其疵痛てたえかたき由聞たり 【右丁】 〇大番組頭小日向斉【齋】藤三太夫殿の子息三十郎殿事小川町辺見廻居  けるところ井上氏土蔵焼残有之候間彳【たたずみ】居る内右焼残り土蔵三十  郎殿の頭上へ落即死供いたし候待住田万蔵も打伏られけれ共幸に  死を遁れ主人の死骸を負て帰れり 〇役小十人高弐百俵小川町斉【齋】藤正作殿用事有之小石川水戸殿百軒長  屋前立慶橋東方熊谷冨次郎殿へ参り居地震に逢【「遁」に見えるが文意から「逢」と思われる】其家にて即死す  《割書:此近辺七軒揺潰|半町計焼失せり》 〇寄合高七千七百十六石小日向蒔田左衛門殿は所用有之本郷へ出駕【注】也然  るに地震に驚帰宅致されしか屋敷不残潰れ表長屋のみ残り有之故  供廻之者に差図して奥住居を掘穿見るに妻女潰家の下に成腹中 【注 しゅつが=貴人が駕籠、車などで出かけること。また貴人を敬ってその外出をいう語。おでまし。】 【左丁】  折【「打」の誤記か】破れて目も当られぬ容躰なりしとなん 〇寄合医師小川町高五百石塙宗悦殿牛込辺御旗本より急病人有之  迎来 ̄ニ付出駕之後地震故引帰し給ふにはや住居は残らす潰れ近辺  四方より出火故家族を救ひ出す間もなく子息宗伯殿の死骸を掘  出せしのみにて皆焼失に及ひける家士弐人女三人即死のよし 〇御腰物奉行根津御取給高百五十石森伝【傳】右衛門殿御用に付て本阿  弥家へ使者を遣んと家士に命し居られし間地震にて奥の間潰れ  当主并家士宮崎平造即死玄関脇潰れて家士五人即死しける  其外は無事にてありし 〇御書院番組小川町遠藤六右衛門殿二日夜屋敷内自身に見廻居ら 【右丁】  れし内地震に奥殿崩れ頭上へ被り六箇所大疵を蒙りけれ共直に  遁れ出家来を励まし諸品を取出させ其家類焼すといへ共諸記  録等迄失はすと也《割書:是平生の心かけ能き|人と思はれたり》 〇小普請小川町室賀録五郎殿は住居長屋物置迄一宇も不残潰たり  然れ共家中馬犬猫に至る迄死たる者無之由是も又一ツの不思儀也 〇大御番高三十五石大岡兵五郎殿十月朔日夜自分居間へ小蟹二十計  り出たるが蜘也と思ひて追出せしに又翌日二日の夜も再ひ出る故  侍女に燭を照させ見るに蟹なる故捕へんとするに何方へか逃し  か其後地震にて即死其外三人を失ひし由迹にて考ふるに全  く前兆なるへしとそ 【左丁】 〇役  小川町  冨永吉太郎殿用事 ̄ニ付同所伏屋新助殿方へ  参り相談中右地震故大に駭き早々立帰る然るに糟屋周防守殿姉  はや女は右吉太郎殿養母にて其娘やの女といふを連て庭へ逃たるが  南の方より奥住居倒れ東方ゟ土蔵倒れ右母子共其処に打敷れた  り当主驚き土瓦を取除見れは母子共手を取抱合て死居られたり翌  三日の夜より隠火【注】二ツ燃へ深夜に及ひては亡霊形を顕はしけるよし  風聞あり 【注 「陰火」のこと。夜間山野や墓地などで幽霊、妖怪などが出るとき燃えて浮遊するといわれる不気味な火。】 〇御目付千弐百石本所五ツ目鈴木四郎左衛門殿書物調もの有之一室  に在りしか地震にて玄関より客間迄潰たる故子息四郎次殿を以  用人を呼しむるに帰り来らすさる故自身も又出懸る処土蔵の壁 【右丁】  落用人即死四郎次殿は途中客間の梁の下に即死外に用人伊東  源兵衛并家士男女五人死《割書:屋鋪は残り|焼失なし》 〇大番組頭小石川諏訪町高五百石柳沢【「澤」 左横に「”」を付記し右側に「瀬」と記載】正左衛門殿二日夜寝所にて夫  婦共即死家来清水平五郎主人の安否を伺んとて部屋より駈来る  に中の間にて足を打敷六寸計り延し即死なし外に四人男女即  死せしとなり 〇本所五ツ目柳原式部大輔殿下屋敷にては地震の後施行有し由を  承りたるとて五十余【餘】人程徒党【黨】いたし参ける故大沢【澤】某外六人立出左  様之儀無之由相断るといへ共不聞入終に彼七人を打倒し米倉へ行  米六十俵余【餘】奪ひ取行ゑ】【「へ」とあるところ】も不知失けるとなり依之以後門内へ鉄炮 【左丁】  を飾り厳重に成し後は右乱妨之者も不来と也 〇御留守居本所一ツ目高五千石関播磨守殿二日夜家士弓の稽古を見  居たる処地震にて北方土蔵揺崩て即死家士二人然る処近辺火災故  用人某漸主人の骸を掘出し立退けるか幸にして火災はのかれたり  十一人の怪我人ありけるとぞ 〇大番頭本所三ツ目逸見甲斐守殿今辰年御番 ̄ニ付誂物有之具足  師明珍某其外用談相済【濟】各帰宅後其身体【「休」の誤記か】足せんとする時地震故  庭中へ走出る途中西の方土蔵倒れ落て即死奥住居西方長屋一  棟潰れ七人即死十九人怪我人なり 〇本所菊川町高弐千五百石野一色外記殿娘八尾女といへるは今年 【右丁】  十八才当世の佳人にして又能書なるか此夜一室の内にて梁に敷れ即死  ありしとなり 〇西丸下御厩御頭諏訪部氏は地震之節一ト先庭へ立出しが風と心付  何やら大切なる物取落したる様子にて住居を見返るにいまた潰ざ  る故立戻居間へ這入らるゝと其侭家倒て即死の由其外組下に  も両三人即死ありしとなん 〇丸の内或侯の藩中二日の夜泊番を同役に頼けるか地震出火に逢  て頼れし同役は焼死し頼みし人の命は恙なしよつて其番を頼ま  れて死せし人の妻愁歎の余【餘】彼助命したる同役の宅へ来り繰  返し恨みをのへて涕泣しける故頼みたる人ももて余【餘】しけるか風 【左丁】  と取昇し【とりのぼし=分別を失わせる】様子にて扨々是非もなき次第也其申訳【譯】致さんといふ  より早く脇差を抜切腹して果けると也其時に恨を云ひたる妻  女も驚き本心に立帰り申分なき次第とて又其刃物を取て自身  咽を貫きて果けると也一人のみか三人迄其事に付て落命せしも  宿業のいたす処にやと皆人舌を巻て驚きしとなり     以上   〇高貴の御家かの事は憚りあれは深くもたとらすいさゝか聞る    侭一二をしるす 〇内藤紀伊守殿地震直に御登城第一番之由袴なく火事羽織のみ 【右丁】  にて召具せられし御供の人壱人もなし見附に於て同心一人停申  せしかは御姓名を名乗らせられて通り給ひ御番所に於て与力某着  替の袴を借りられて登営【とえい=幕府の役所・本城などに参上すること】ありしとかや後にかの同心を騒劇の中勤  整懈【おこた】らぬよしにて御賞美ありけるとかや 〇会【會】津侯地震の時辛ふして助り給ひ即時御登城あり時侍弐人  一人は縄の帯へ大小を帯し壱人は袴を着すして大小を帯しける  よし向屋敷の方は壱人も残る処なく亡失ぬるよし    或侯震後登城す侍弐人随ふ一人は縄帯に大小を帯一人は    寝【寐】まき衣のまゝ刀を帯して云々     是を松平肥後守殿とあやまてり侯此時在国【國】なり十月四日夜     半に江戸の注進到る内室并姉姫おてる殿御安泰云々 〇土州の奥方立退きせらるゝ時家来白刃【ぬきみ】を振る 〇御成道石川侯御内室も此難にて即逝ありし由なり 〇森川侯此頃御遠行ありて尊骸いまた御在所へ趣かす棺郭に収  て屋敷の内に在りし時なれは一家狼狽大方ならさりし由公用人何  某はかいまきといふ夜着一ツを着し入口に倒れたりしか其首ちきれ  て見えす一家中死亡五十人に及ふと云 〇柳沢【澤】侯金蔵まて焼れたり依て万【萬】事御手支【おてづかえ=手もとがさしつかえること。金銭に窮すること】之由酒井侯には水船へ  金子をおさめ置れし故金銀不焼といふ 〇水府侯御館破損多く家臣の長屋も三十八棟潰れたりといふ寵臣 【右丁】  戸田忠太夫藤田誠之進《割書:先名寅之助と云一人は家老壱人は若年寄を勤海|防の事をも命せられて御愛臣にて誠忠の二字を》  《割書:名頭に冠|し給へり》両士とも即死ありし由なり 〇松平豊前守殿御家中即死六十五人内男三十人女三十五人怪我廿一  人内男十五人女六人斃馬十壱疋御住居長屋土蔵残らす潰れその  上類焼あり《割書:本所南割下水巣鴨御駕町|芝田町五丁目等御屋敷も大破也》右御届書に載りし員数の  よしなり 〇下谷御徒町なる《割書:東|側》御先手美濃部八蔵殿卒去ありて明日葬式を  営んとせし夜《割書:二日|也》この地震あり其家ひたつぶれと成り其上火起り  若殿壱人辛ふして逃れ出たり其余【餘】は皆横死【おうし=災難などで天命をまっとうしないで死ぬこと】なり 〇冨坂下小笠原信濃守殿は御住居其外惣体に潰たりこの時庭中へ 【左丁】  逃のひ給ひしか奥方も続【續】ひて逃出給へり余【餘】りの周章【あわてふためくこと】故脇刀さ  へ措れし由申されけれはさらは取て参らすへしとて奥方壱人  元の坐敷へ戻られし時御殿潰れて圧【壓】に打れて失給ひぬるよし  沢田平八殿談 〇小川町松平駿河守殿中間部屋に九月下旬之由来りて泊り居り  し弥助といへる中間あり諢名(アタナ)を閻魔といふ厥【その】容貌によりてし  かよへり若き頃より諸侯の轎【かご】を担【擔】て六尺とよへる傭夫にてありし  か声よくして見附の御門を通る時掛声のうるはしきよしにて  世に賞せられける由諸家を渡り来りて人も知りたる男なりしか  晩年に及ひて奉公なりかたく固(モト)より磊落(ライラク)にて一身を保つ事 【右丁】  なりかたく食客【いそうろう】となりて彼方此方を徘徊しけるかこの頃此部  屋に来り居て二日の夜は賭博(トバク)に打負け赤裸に成りて臥居た  りし時地震に驚き屋敷の中をさまよひはからす庭中に逃出る  時御息壱岐守殿壱人如何してかこの所へ走出られしかとも更に隷(レイ)  する【付きしたがう】者なし誰かあると呼給ひしに壱人も参らすかの赤裸の中間う  づくまり居けるを見附けられ近くへ呼寄られ我はからすも足の裏  へ疵を得て痛強く行歩愜【かな】ひかたし汝我を負て立退けとのた  まふ然れ共尚赤裸なるよしを申すさらはとて自 ̄ラ着給ふ処の外(ハ)  套(ヲリ)を脱て与へられしか則これを着て背負まゐらせしか案内  は知らす仰をうけて無常門より逃れなんとし給ふにはやこの 【左丁】 所迄火になりしか辛ふして貫(クワン)の木を外し桔(ハネ)橋を架(ワタシ)て再負ふ  て恙なく下屋敷へ送りまゐらせける其功により御褒美あり金三十両  を当座に給ひ侍分に御取立あり生涯無役にて扶持し給ひける  ははからさるの僥倖【思いがけぬさいわい】といふへし加藤岩十郎殿記録中   建保二年職人哥合 博奕打    おほつかな誰に打入て月影の雲の衣をぬれて見ゆらん 〇御祐筆立田岩太郎殿は東京也留守中子息六助殿地震の時二  階より下んとせらるゝ時家傾しはつみに柱の間に御足を挟【けもの偏に見えるが手偏の誤記】れ  苦痛にたえかねいかんともする事かなはす家来を呼かけて汝 【右丁】  の帯せる脇差を得させよ速に切腹すへしといはれしかは彼者  是を停め中間を呼来り二人辛ふして材木を取除き助し出し  たりとなん《割書:古沢故十郎殿話》 〇仙台【臺】侯の御屋敷へ奥州塩竃明神の御告ありて地震を知る此  前方より藩中の士其心構へをなし野宿の者多かりし故に怪我人  少しされと不信の輩もありしにや上屋敷に六人深川のやしきに  廿人程即死もありしとかや《割書:深川元儁子話》    翌年の頃より芝の中屋鋪遥拝の社へ毎月十日諸人の参詣を    免さる 〇深川猿江土井大炊頭殿御下屋敷女御隠居御住宅潰れ庭上へ逃れ 【左丁】  出給ひし由召仕はるゝ女中の内逃後れて怪我なしたるあり部屋に  在し女壱人梁落て鎹(カスガヒ)襟より咽へ通り即死す無程長屋焼たり                          文鳳堂話 〇地震の後堀田備中守殿御老中仰蒙られ其跡小川町焼跡御屋  敷の地は松平伊賀守殿森川万【萬】亀之丞殿御屋敷に成る 〇松平陸奥守殿稀なる地震に付取あへす上納米の事相願はれ  壱万俵を納給ひし由 日光御門跡《割書:銀百枚》増上寺方丈《割書:銀百枚》此度の地震其後も振動  有之に付御祈祷料とし被遣候由 【右丁】 〇此度の地震其辺際未詳ならす【左横に「”」を付記し、右横に「ね」と記載】と大略聞く所は東海道は神奈  川宿程ヶ谷宿所に崩れ多く本牧金沢【澤】鎌倉江の島浦賀辺まて中  山道は上州高崎を限り此街道は地より砂湧出清水あふるゝ所  諸所にあり蕨宿より大宮の間さはり多し  甲州街道八王子限り街道させる【さほどの】事なし日光街道は宇都宮限  り街道崩有之分は草加なり 水戸街道は土浦辺を限り街道崩  所々に見ゆる下総筋は逆井近辺【邊】震ひ強く行徳船橋辺同  所葛西領二合半領は崩諸所也又松戸市川柴又辺も崩多し  と聞ゆる其外在郷市中とも見積之所高台【臺】之地は格別之事な 【左丁】  く低き地には多分いたみつよき方に見へける由其外上総房州伊豆  の国々にも所々より痛み甚しきもこれあるよしなり  此夜諸国近郷の旅宿江戸に於て此鍋【「禍」の誤記と思われる】に罹り亡ひ失たるもの数  多ありしとそ花街に於ては別てさる輩多かりしなるへし家族の  歎思ひやられて哀【あわれ】なり 【右丁】 〇震災に罹りし貧民へ金銀米銭等を施しける者名前左の如し  △弐百拾三両弐歩弐朱白米七石弐斗深川佐賀町家持小左衛門勢州住宅  支配人正兵衛△百七拾四両弐歩深川北川町家持喜左衛門△百三十二両一  歩弐朱深川佐賀町家持勇次郎△七十一両二歩芝二本榎広【廣】岳院門前家  持藤兵衛△三拾壱両三歩深川佐賀町家持清兵衛阿州住宅店支配人  忠兵衛△三十五両弐歩同町家持安兵衛阿州住宅 ̄ニ付店支配人忠助△五  百四十七両三歩壱朱同木場町家持和介△三十壱両三歩上柳原町家持  九兵衛阿州住宅店支配人吉兵衛△三十二両《割書:二月三日粥ざう|すゐ等施す》深川東  永代町家持七右衛門△三十四両同久永町弐丁目家持又右衛門△弐百  三十六両白米三石同島崎町家持徳九郎△百四十七両三歩同木場町 【左丁】  家持善左衛門九十四両弐歩同町平三郎地借次郎兵衛△弐百弐両駒込追分  町家持長右衛門△百十二両佐内町家持鶴松後見吉右衛門△九十一両弐歩弐  朱余【餘】浅草田原町二丁目家持喜三郎△三十八両川瀬石町家持はま後見  久右衛門△三十両壱歩新右衛門町家持惣吉△六十六両三歩佐内町兵助地借  甚兵衛△百七十二両三歩深川仲川町家持伝【傳】右衛門△百八拾五両壱歩本所  徳右衛門町二丁目家持兵四郎△百五十四両弐歩南茅場町家持永岡儀兵衛  △百四十二両深川茂森町家持七左衛門△百廿二両三歩神田佐久間町壱丁目家  持与兵衛△宅前河岸へ小屋を立粥飯等与へ其外白米金子等合百十四両弐歩  弐朱余【餘】深川冨久町家持与右衛門勢州住宅 ̄ニ付支配人庄兵衛△十九両壱  歩神田堅大工町家持忠左衛門△十九両三朱通二丁目庄二郎地借武兵衛 【右丁】  △十九両二朱深川佐賀町惣喜【左横に「”」を付記し右横に「七」と記載】地借作兵衛勢州住宅店支配人平三郎△  白米十石九斗四升市ヶ谷本村町家持庄次郎△十六両壱歩三朱余【餘】牛込  三光院門前甚兵衛地借久右衛門△十五両弐歩弐朱深川木場町専蔵地借太兵  衛△十五両二朱同人地借三郎平△十三両壱歩弐朱麻布市兵衛町家持長  之助△七十一両弐歩元大坂町由兵衛地借五郎兵衛△六十一両壱歩三朱本所  緑【「縁」に見えるが「緑」の誤記】町五丁目金七地借忠左衛門△六十六両壱歩弐朱北新堀家持庄左エ門  △六拾六両一歩神田久右衛門町一丁目蔵地家持半平△五十六両壱歩芝口  弐丁目家持治兵衛治兵衛【重複】△五十六両三歩三朱芝中門前三丁目家持栄次郎  △五十四両深川吉永町家持太右衛門△五拾四両弐歩品川町裏河岸八十兵衛地  借卯兵衛△三十弐両三歩弐朱南茅場町家持惣兵衛△三十二両三歩弐朱   【左丁】  神田松永町松五郎地借十右衛門野崎住宅 ̄ニ付店支配人直次郎△十七両  弐歩神田松永町家持久左衛門△十六両三歩深川木場町家持庄兵衛紀州  住宅 ̄ニ付支配人善二郎△十六両同所西永町家持三九郎紀州住宅 ̄ニ付支配人  定吉△十三両弐歩日比谷町家持兼三郎△十三両余【餘】神明町家持勘右衛門  △十弐両三歩三朱南槙町源太地借忠兵衛△十二両三歩深川材木町半四郎地  借三右衛門△十弐両弐歩小石川祥雲寺門前家主喜助△十一両三歩三田同朋町  三郎右衛門地借弥七△十両三歩赤坂谷町壱丁目伊兵衛地借嘉兵衛△十両弐  歩深川東永代町家持栄蔵△十両壱歩壱朱山谷浅草町家持勘右衛門△十両  弐朱赤坂一ツ木町家持吉兵衛△弐百七両弐朱施し所持地面三ヶ所地代一ヶ月  用捨万【萬】町家持熊五郎△百五十両余【餘】浅草西仲町家持安右衛門△飯粥焚 【右丁】  出し代金百二十九両深川上大島町家持弥兵衛△百二十七両三歩其外食物  施麹町四丁目家持又左衛門△回向院外四ヶ寺へ変死供養料三十五両其外  施共合百五両弐歩所持地面上り高一ケ月用捨室町弐丁目家持九兵衛△廿五両  中の郷竹町長右衛門地借金蔵△七十五両四日市組塩町【左横に「”」を付記し右横に「干」(于と見えるが干の誤記と思われる)と記載】肴問屋青物町徳二  郎地借清二郎外七人御救入用へ差加へ金上納願△百五十両通油町半兵衛  地借吉郎兵衛外廿五人御救入用差加へ金上納願△米金銭合九十八両壱歩  弐朱余【餘】深川三好町家持徳右衛門△八十四両南八丁堀五丁目代地家持文蔵  △米金合六十六両弐朱堀江町三丁目勇七地借伊助△六十二両一朱余【餘】兼房  町家持幸右衛門△五十七両三歩弐朱南茅場町源三郎地借石橋弥兵衛  尾州住宅 ̄ニ付店支配人亀七△五十六両桜田太左衛門町家持十兵衛△四十四両 【左丁】  弐歩弐朱小伝【傳】馬町二丁目家持七兵衛△四十四両壱歩余【餘】谷中天王寺門前浅草山川町  友七店喜三郎兄辰五郎△玄米代四十一両深川平野町家持次郎右衛門△三十七両  三歩余【餘】芝口壱丁目西側家持弥兵衛△三十七両二朱余【餘】北新堀町家持松之助  △三十七両壱歩弐朱神田小泉町惣助地借安右衛門△三十六両壱歩弐朱小伝【傳】馬町  二丁目家持平六△三十一両三歩余【餘】浅草龍宝寺門前三吉地借文六△三百五十八両  弐歩弐朱余【餘】金吹町家持中井新右衛門△七百二十八両二貫文長谷川町家持村越  庄左衛門忰万之助△二十四両六匁浅草田原町壱丁目五郎兵衛店惣五郎△廿一  両一貫文同町家持治右衛門△五両弐歩弐朱百六十二貫文小石川伝【傳】通院前  表町家持与【與】七△二十四両六匁七百文つゝ本両替町家持田中金六同小左衛門  同町市左衛門京都住宅 ̄ニ付店支配人喜兵衛△百十一両壱歩六貫七百文 【右丁】  同町家持田中浅之助△四十四両弐歩六匁七百文同町家持伊左衛門△六十一両  壱歩弐百八十九貫呉服町家持吉之助△百二十一両壱歩弐朱七匁余【餘】深川万年  町壱丁目家持橋本清左衛門△百両弐歩弐朱南槙町西会【會】所家持庄助△二十  八両壱歩弐朱廿八匁六十貫六百文南槙町三次郎店忠蔵△三十六両弐百四十弐  貫文外に十九貫三歩六匁呉服町家持治右衛門△五十両壱歩東湊町壱丁目  家持太郎兵衛△四十六両并店賃勘弁同町同源蔵△十一両壱歩北鞘町家持  はや△四両弐朱八十五貫七百文市谷田町壱丁目家持庄右衛門△十七両二歩市  谷八幡町卯兵衛地借清三郎京都住宅 ̄ニ付店預り人市右衛門△十両弐歩同  所家持利兵衛△十両弐歩弐朱市谷七軒町家持はる後見善五郎△十三  両弐歩弐朱青物町五人組持地借徳兵衛△十八貫【左横に「”」を付記し右横に「両」を記載】弐歩八百文元鮫ケ【仮名の「か」と記しているが固有名詞であるので「ケ」とした。】橋八軒 【左丁】  町家持源兵衛△十五両壱歩弐朱弐貫文霊巖島町八兵衛地借藤兵衛△十六  両壱歩弐匁余【餘】浅草真砂町喜太郎地借藤次郎△十一両同田原町二丁目五人組  持地借甚三郎△十三両三歩七匁浅草大護院門前平八地借弥太郎△百十二両  中ノ郷五之橋家持伝【傳】右衛門△三十四両中ノ郷横川町家持長八△三十二両三歩弐  朱同所御用屋敷地守三左衛門△二十四両壱歩弐朱余【餘】桜田備前町家持武兵衛  △二十両弐歩芝口壱丁目金兵衛地借半兵衛△二十三両弐歩弐朱南茅場町家  持利右衛門摂州住宅 ̄ニ付店支配人悦蔵△二十五両壱朱同町家持太郎兵衛  △二十一両壱歩三朱同町家持竹川彦太郎勢州住宅 ̄ニ付店支配人忠兵衛  △廿一両壱歩三朱同町家持藤右衛門勢州住宅 ̄ニ付店支配人嘉七△白米  味噌代二十一両三歩神田佐久間町弐丁目家持又四郎△二十両弐歩神田紺 【右丁】  屋町壱丁目治助地借伊兵衛△二十一両壱歩深川木場町家持庄兵衛紀州  住宅 ̄ニ付店支配人庄三郎△二十一両壱歩深川木場町家持庄兵衛紀州住  宅 ̄ニ付店支配人庄三郎【前項の文と重複】△二十四両壱歩三朱深川万年町壱丁目家持さく夫  伝【傳】五郎△廿両深川相川町家主幸四郎△五十二両三歩三朱余【餘】露月町家持  徳兵衛同又左衛門△二十両三歩余【餘】小松町家持茂右衛門△二十両弐歩青物町  六右衛門地借久兵衛△二十一両三歩余【餘】神田松永町定七地借又吉△三百九十  二両三歩余【餘】本石町四丁目家持三郎右衛門勢州住宅 ̄ニ付店預り人新蔵  △五十六両三歩同町同三郎兵衛京都住宅 ̄ニ付店預り人新兵衛△三十四両  弐歩二朱余【餘】明石町家持善兵衛△五十八両壱歩霊巖町八郎兵衛地借弥  兵衛紀州住宅 ̄ニ付店預り人忠兵衛△二十七両六匁浅草大護院門前平八 【左丁】  地借茂右衛門△十両壱歩弐朱余【餘】牛込肴町家持清兵衛△六十両余【餘】深川  三十三間堂吉蔵地借庄七△五十三両弐歩元大坂町家主治兵衛△三十三両三歩弐  朱新和泉町両側又兵衛地借孫左衛門紀州住宅 ̄ニ付店支配人晋兵衛△  五十両弐歩神田仲町栄次郎地借惣右衛門△弐百十二両壱歩余【餘】通旅籠町茂兵衛  地借正右衛門京都住宅 ̄ニ付店預り人安五郎△三十両弐歩弐朱通壱丁目新道  儀三郎地借泰蔵△五十両弐朱堀江町壱丁目家持吉兵衛△三十八両弐歩駒込片  町家持次郎兵衛△廿八両壱歩同町同半兵衛△七十三両壱歩余【餘】本材木町壱  丁目利兵衛地借三郎兵衛△三十両三歩余【餘】本郷菊坂町三次郎地借正兵衛  △三十四両弐歩弐朱余【餘】本芝入横町家持久米二郎△四十両弐歩弐朱余【餘】本所柳原  町三丁目家持甚右衛門△丗七両余【餘】同五丁目同忠兵衛△弐百三十五両弐歩浅草御蔵 【右丁】  前片町家持七郎兵衛△百十二両壱歩一朱三貫五百文同所茅町二丁目家持清  兵衛△百五十三両三歩余【餘】本所緑町四丁目家主清左衛門△百八十五両三歩余【餘】  南新堀弐丁目家持市右衛門△七十二両三歩十四匁同二丁目家持半兵衛△四十  六両弐歩同町同徳兵衛△廿五両三歩弐朱同町儀兵衛地借安兵衛△四十七両  三歩檜物町清次郎地借三四郎大坂住宅 ̄ニ付店預り人正三郎△五十五両壱匁  余【餘】芝口新町忠右衛門地借喜兵衛△三十三両三歩弐朱余【餘】柏木淀橋町家持  吉兵衛△百十二両浅草瓦町家持四郎左衛門△四十八両三歩同町同八郎右衛門  △八十両弐歩弐朱浅草天王寺家持源兵衛△二十一両壱歩余【餘】南新堀壱丁目家  持甚太郎阿州住宅 ̄ニ付店預り人半兵衛△八十七両三匁深川北松代町三丁目  家持九右衛門京都住宅 ̄ニ付店預り人弥七△三十七両弐朱橘町四丁目家持 【左丁】  昌三郎△十五両壱歩深川三十三間堂町吉蔵地借千蔵△十二両弐歩弐朱同人地  借卯兵衛△十一両三歩三朱神田佐久間町壱丁目家持八五郎△十七番【左横に「”」を付記し、右横に「両」を記載】三歩堀江  町二丁目佐兵衛地借又兵衛△十六両三歩五匁深川海辺大工町家持弥兵衛△十  一両三歩弐朱南槙町平助地借太郎兵衛△六百八十一両壱歩余【餘】新右衛門家  持川村伝【傳】左衛門△三百八十八両弐朱霊巖島銀町二丁目家持鹿島利右衛門△  六十三両上野元黒門町家持忠蔵△三十一両壱歩弐朱同町家持吉兵衛△三十  両弐歩余【餘】同町家持ます△廿両三歩神田久右衛門町壱丁目蔵地家持清兵衛  △二十両同所壱丁目代地家持八郎兵衛△四百三十九両霊巖島四日市町家持  鹿島清兵衛△八十七両弐歩同所浜【濱】町文右衛門地借千助△四十六両壱朱三匁  余【餘】深川永代寺門前家持宗之助△四十三両三歩同海辺大工町家持茂兵衛△ 【右丁】  七十六両三歩弐朱十匁同六間堀町家持佐平次△四十五両三歩弐朱十壱貫八百  文余【餘】同東町吉兵衛地借儀三郎紀州住宅 ̄ニ付店預り人平兵衛△十七両  三歩本所玉川屋鋪吉右衛門地借勘右衛門△十六両弐歩余【餘】新両替町壱丁  目喜兵衛地借惣兵衛△十五両壱歩余【餘】神田久右衛門町二丁目代地玉二郎地借  松亀一△十一両三歩三朱余竹川町家持利兵衛△十一両余同所同嘉兵衛  △十両壱朱神田久右衛門町二丁目蔵地吉右衛門地借勇次郎△百七十四両本八町  堀弐丁目家持庄三郎阿州住宅 ̄ニ付店支配人武兵衛△粥焚出し米代共百六十  八両余【餘】浅草福井町二丁目重蔵地借稲垣市兵衛△百十四両三歩同壱丁目清兵  衛地借治兵衛△九十四両本湊町家持角兵衛紀州住宅 ̄ニ付店支配人長  七△七十六両壱朱同町家持源兵衛△七十二両弐歩弐朱三十間堀四丁目家持 【左丁】  九兵衛△五十三両浅草福冨町壱丁目九平次地借三郎兵衛△五十九両弐歩  弐朱本郷二丁目家持多兵衛△白米其外金子共合五十壱両弐歩壱朱本所松  井町弐丁目五人組持店喜太郎△四十八両三歩三十間堀七丁目家持久兵衛△四十  弐両壱歩弐朱本湊町家持久兵衛後見嘉兵衛△四十弐両三歩堀江町壱丁目  家主与兵衛△三十九両木挽町五丁目上納地勘五郎地借徳三郎△三十六両  三朱余【餘】山城町家持伊兵衛△三十一両壱朱佃島家持文五郎△廿一両壱歩壱  朱元数寄屋町弐丁目長助地借卯兵衛△二十五両壱朱本湊町家持いく  後見長左衛門△二十七両三歩壱朱余【餘】本所松井町弐丁目伝【傳】兵衛地借勘  右衛門△二十三両三歩弐朱本所玉川屋敷喜三郎地借清三郎△廿五両四ッ谷  塩町弐丁目家持藤四郎△五十四両弐歩弐朱余【餘】新吉原京町壱丁目家持遊女屋 【右丁】  長兵衛後見四郎兵衛△三十八両弐朱浅草三島門前弥兵衛地借六右衛門△米  其外共三十七両壹歩余【餘】上野町壹丁目喜兵衛地借十郎兵衛△二十三両余【餘】浅  草田原町壱丁目家主専太郎△二十壱両弐朱同所家持安之助△弐百卅七両  壱歩三朱余【餘】深川島田町家持清左衛門△五十一両壹歩同町善八地借清吉  △二十三両壱歩余【餘】同所家持いよ後見清次郎△二十三両壱歩【餘】 同町善八  地借源蔵△五十三両弐歩弐【右横に「三」と傍記】朱并十三ケ所店賃用捨浅草南馬道町伊三郎地  借次郎右衛門△六十一両三歩壹朱神田松坂町小三郎地借佐兵衛△四十八両三歩弐  朱余【餘】浅草元鳥越町吉二郎地借伊右衛門△廿二両三歩三朱庄蔵地借善兵衛  此外御救小屋入之ものへ施行【せぎょう=ほどこしおこなうこと】之もの官府へ御召出御褒美を給はりしもの十三  人御賞誉ありしもの八十余【餘】人姓名こゝに略す 【左丁】 〇今度地震のさまを誌したる破窓の記といへる写本一巻文鳳堂の  あるじ貸与へられしを見たり《割書:美濃紙五十枚半丁|に九行細注等なし》見聞に及ひし事委し  く書綴りこれと自己の迷惑せる事をのべたる事のみ多くして援引(エンイン)  すへきけ件もあらされは抄録せす作者一亭《割書:西河岸|辺の住》序文頭書者西河岸  辺の古書舗不立亭 覚(サムル)又無物といへる人なり《割書:深川西永代町栖原|三九郎の家守のよし》 〇地震預防説一巻刊行奉台命【目上の人の命令の敬語】宇田川興齊訳【譯】述せるよしなり  大槻磐渓の序文あり 〇大地震暦年考小本一巻山崎美成編 〇或人云今度の地震火災より震災の後の事迄持野氏の筆にて  委曲【くわしくこまかなこと】にゑかゞ【ママ】れし画軸あるよし 【右丁】 大地震暦年考《割書:小本》一冊梓行山崎北峯輯 榑正町【くれまさちょう】石坂甚十郎板   地震略説 菱洲山人編 西洋の窮理の説に大地の震動するは其源は地下にある火坑は 全地救【球の誤記】の中にあまたありて吾邦の中に其源二ツあり一ツは中州 《割書:駿遠甲|信豆相》一ツは蝦夷の地にありて其火脈【脉は俗字】遠く異邦迄もかよひ 火坑の形状はたとへは埋み火の如く自然に地気【氣】を蒸あげて万 物是か為に生育す此故に先地震始て発【發】する時煙気【氣】地上に蒸 騰して暫時のうちに空中を掩ひ星宿光輝を失ふを以て験と すその今まのあたり見聞し常に形容をみる者は信州肥州薩州 日州豆州等の山々其外尚多し火脈の流通せさるは魯西亜国【國】の東 【左丁】 南の地亜米利加国の北の地方に多かりこれらの地は荒漠て【あれはて】草 木すら生育せす火気【氣】の流通せる地方は殊に膏腴にして万物肥 綣すこれ造物者の奇巧なるかなしかれどもかくの如き広【廣】大利用 をなす者は害を生するも又極て大なり地震津浪のるい是なり前 に云る火坑全地に圧【壓】仰【おしつけ】られ至て至静なるもわつかに空気【氣】の 通へる事あれは焔気【氣】これか為に発【發】動し大地を震動す甚 し きに至りては山岳【嶽】をも震ひ崩し砂石を噴起し民家を敗り 衆人害を蒙り山河凌谷所をかへるにいたる遠くは意太利亜 国【國】の一都会地下に埋没て人民草木畜類悉く尽たり近時 吾邦の越後信濃畿内紀伊伊賀伊豆駿河なとの地震津 【右丁】 浪ある是也火脈は一條より幾條にもなり故に隣国に相接の 地損害多かりこれは火気【氣】に当るとはからさるによれり神社仏【佛】 閣の破損少きは礎の距度棟梁の高低尋常の家造に異なる故 也洪波もまた火気【氣】の海底に噴起りて海潮これか為に勃蕩 するにて地震することに洪浪かならす起るといふ理ありといふにはあ らすたゞ火気【氣】の海中に起るとおこらさるによれりあるひは地震の為 に山脈を毀ち地下を通ふ水源を沃き川谷を注るに起る又洪浪の 類は山谷の狭隘き地は害多く平坦に開豁たる地は害少なかるへし その理いかにといふにせまき地は水勢吹あかりやすく平坦の地も障 るものなきか故に水勢すみやかに衰へる也大概かくのごとし 【左丁】  同書 北峯説 凡地震する時は天気【氣】甚暖にして星の光殊に大く昴参の小星 の如くにして光も又鮮明にかそふへし鳶舞鴉鳴き大虚の中か ならす先相感して然る也按るに地中は竅【あな】ありて蜂の巣の如くに て水潜り陽気【氣】常に出入し其陰陽相和し宜きを得るを常とす 若陽気【氣】渋滞して出る事を得すして年月を積りて地脹れ水 縮る故に井の水涸時気【氣】暖也たとへは餐餅を炙るに火の為に膨起 るが如しその震はんとする頃は天近く星近く見る物は地升【昇】か天 降るにはあらす雨のふらんとする前山の近くみゆると同じ理 也既に伏陽発【發】出する時はこれか為に地震動す故に其始震 【右丁】 ふ事はけしく後次第に緩繫【?】也此時海潮の怒浪大に湧き上り泝 起る是いはゆる津浪也その脹れる所の地潰沈すれはなりゆ故に洋 中は波静にして海浜【濱】にのみこれあり扨地震して後幾月もす こしづゝ震ふものは伏火のいまた出つくさざる也その甚しき者に至 りては山のやけ出る事あり古昔貞観五年大地震ありて翌年冨 士山焼たりちかく宝永四年の時も又しかり     東京図書館長手島氏ノ属託ニ依リ写【寫】生ニ命     シ之ヲ謄写セシム于時明治二十一年十二月                  関谷清景誌 【左丁 文字無し】 【両面文字無し】 《題:地震撮要巻十下《割書:地震之部|》》 【白紙】 《題:地震撮要《割書:地震之部|》巻之十《割書:下》》 【右丁 文字無し】 【左丁】 【「東京図書館藏」の角印・その下部に外円に「購求・明治二一・一二・一八・」内円に「図」とある丸印】 武江震災記略巻之五 〇安政三年辰の春の頃安政見聞誌と題して去年の地震の聞書 へ彩色摺の画を加へたる刊本三巻あり故人 渓斉(ケイサイ)【齊】英泉か弟子英寿といへ るものゝ編なるよし指画は彼英寿芳綱国【國】周貞秀等か画るものなり其 内に載たる話柄【わへい=話のたね】虚実は知らされとこゝに抄録す △ある人大震の後度々の動揺大小を量りて毬円【圓】に作りしめし其有 やう通俗に倣【「傚」は俗字】ひて日の出日の没を以て昼夜とす即白毬は昼黒毬は夜と知る へし勝且初震の毬は殊に大きく書へきを紙上の所見あしけれはこゝに略す 【丸の大きさを大・中・小として記す。「トキ」は合字】 十月二日●【徳大】《割書:四|時》●【大】《割書:四|過》● 【小】《割書:九|半》●【小】《割書:八|トキ(合字)》●【小】《割書:八|半》●【小】《割書:七|トキ》●【中】《割書:七|過》●【小】《割書:同》●【中】《割書:七|半》●【小】《割書:同》三日〇【大】《割書:九|トキ》〇【小】《割書:七|トキ》●【小】《割書:五|トキ》●【小】《割書:四|トキ》 ●【小】《割書:八|トキ》四日〇【小】《割書:八|半》〇【極小】《割書:七|過》●【小】《割書:九|半》●【極小】《割書:九半|過》五日〇【大】《割書:六|トキ》●【小】《割書:六|トキ》●【極小】《割書:九|トキ》●【極小】《割書:九|半》●【極小】《割書:八|過》●【小】《割書:七|トキ》●【中】《割書:七|過》六日〇【中】《割書:六|トキ》 【右丁】 【丸の大きさを大・中・小として記す。「トキ」は合字】 〇【小】《割書:四|トキ》〇【小】《割書:七|トキ》●【中】《割書:九|トキ》●【極小】《割書:八|トキ》●【極小】《割書:七|トキ》七日〇【小】《割書:四|トキ》〇【極小】《割書:七|トキ》●【大】《割書:六|過》●【小】《割書:五|過》●【極小】《割書:九|過》八日〇【小】《割書:七|半》●【小】《割書:六|過》●【小】《割書:九|半》●【極小】《割書:七|過》九日 〇【中】《割書:五|トキ》●【中】《割書:四|過》●【小】《割書:七|過》十日〇【大】《割書:六|過》●【小】《割書:六|過》十一日〇【中】《割書:八|トキ》●【小】《割書:四|過》●【小】《割書:九|半》十二日〇【小】《割書:八|半》十三日〇【中】《割書:五半|過》●【小】《割書:四|過》 十四日〇【中】《割書:四|過》●【小】《割書:五|半》●【中】《割書:七|トキ》十五日〇【大】《割書:七|過》●【中】《割書:七|トキ》十六日〇【中】《割書:六|トキ》〇【小】《割書:八|過》●【小】《割書:四|トキ》十七日〇【中】《割書:八|半》●【小】《割書:四|過》●【中】《割書:八|トキ》 十八日●【小】《割書:九|過》今夜雷雨十九日●【小】《割書:六|過》●【極小】《割書:四|トキ》廿日●【小】《割書:八半|トキ》廿一日〇【中】《割書:六|トキ》〇【極小】《割書:五|トキ》廿二日〇【小】《割書:五|半》 廿三日無廿四日●【小】《割書:五|過》廿五日〇【小】《割書:七|過》廿六日〇【中】《割書:七|過》●【小】《割書:八|過》廿七日〇【小】《割書:九|過》廿八日●【小】《割書:四|トキ》廿九日 《割書:晦日なり》●【小】《割書:九|トキ》十月総計八十度《割書:昼廿八度|夜五十二度》也以下略之 △本所永倉町篠崎某なる人遊漁を好十月二日の夜ずゝこ【ずずご(数珠子)=ミミズを糸で縦向きに貫いて輪のようにたばねた、鰻釣りの餌】といへるもの にて鰻を取んとて河筋所々をあさるにしきりに鯰騒き鰻一ツも得す只 鯰三尾を得て倩(つら〳〵)思ふ様鯰の騒く時は必す地震為といふに心付て漁 を止帰宅して庭上に筵を敷家財道具を出して異変の備をなせり其 【左丁】 妻はいぶかしみ竊に是を笑ふしかるに其夜右地震なり住居は悉【「患」に見えるが「悉」の誤記と思われる】く潰 けれ共諸器物は更に損せす同夜近辺の人是も漁に行鯰の騒たる を見なから帰宅をせす又獲物も少き上家居ゟ家財道具は残なく揺 崩し深く悔たりしと云々 △中の郷弁天小路八百屋新助地震にて半町余【餘】潰し内にて三人の子を 漸救出しけれ共妻やすは梁の下に閉込られ自由ならす狂気の如くなり て板材木土瓦を刎除救んとするうち同所薪屋ゟ出火して火勢強く炎 は雨の如し妻か云様妾を助んとして時移らは御身を始三人の子迄危し妾 覚悟也然れ共火を見て死ん事甚心苦しと云新助心得古半天を頭に覆(カケ)置 泪と倶に示して云やう天災なから非業の死をなさせん事最かなし三人 【右丁】 の子は我よく養育すれは必心に懸へからすこれより割下水なる牧野氏を頼 へし御経をもよみて成仏【佛】せよと云捨て立退けり其夜子下刻牧野氏方へ尋来 る者あり髪は残りなく焼落頭面より半身黒く薫りて焼爛たるさまは幽霊 なるへしと新助委細を問ふに火は段々燃来る梁の半迄焼し故押付たる 所軽く成漸火中を遁たりと語りぬ △深川冨士見橋に二の組鳶人足善五郎と云者あり右地震にて其家潰 れしが妻子は援出しける幸に怪我なし然るに隣家に物音高く聞しか は鳶口を携急駈行見るに小笠原左京殿下屋敷の玄関を残し舘中残 なく崩潰る其中に泣喚声しきりに聞へしかは力に任大木板瓦等を刎除 侍女九人を救出し猶又散乱の中ゟ女十二人を出しけるが老女の云様早 【左丁】 く妙月院殿《割書:城主の|御母公也》を助くれよと云ふに善五郎心得て急に潰屋の中 へ潜入漸尼公を尋求助け出し侍女にかしづかせ玄関に安座し参(マヰラ)せ夫 ゟ茶の間其外三所【神社にまつられている三柱の神。とくに八幡宮の応神天皇・神功皇后・比売神(ひめがみ)の三神をいうことが多い】の火を消又十一人を救出す此中五人即死也此時御上 屋敷ゟ早馬到来し恙なきを賀し奉るに善五郎に救れたるよし御物語 ありしかは同五日御上屋敷へ召れ当坐の御褒美金百両永代十五人扶持にて 作事方頭取扱被仰付ける云々 △江戸の糀室は穴室にし凡幅一間半長さ十間計なり四方竹垣の如くし て土の間へ藁を詰又天井は横に丸太を渡し筵を敷其上に土を置なり 扨又入口の儀は先に画たるか如し尓に【しかるに】今度之地震の如きは平地さへ響 割る震動なる故土中深く掘込たるもの何そ安躰なるへきされは揺 【右丁】 崩たる中に其最荒ものわづかにこゝにあくる 本郷新町屋に九軒 潰れ其中三河屋彦兵衛同長七等住居室の中へ落込む同所よこね坂七軒 潰同春木町弐丁目四軒同三丁目壱軒同五丁目壱軒同六丁目弐軒同丸山菊 坂四軒其中伊勢屋次郎兵衛家居落込同元町五軒湯嶋天神門前四軒 同植木町壱軒同三組町三軒同六丁目二軒《割書:裏店》同 鎹(カスガヒ)町一軒同たる ま横町二軒神田明神社内二軒右の分町々相糺夫々名前分明なれと もよき事ならざる故わざと略して記す《割書:又新町屋三河屋彦兵衛といへる|味噌やの妻とよ当才の男子に小》 《割書:用をさせんとして糀室へ落入|て死すたる話ありこゝに略す》 △根津七軒町に屑買にて平吉といふ者あり妻かつ娘はると云は今年 十七才にて養女也妹くらは十六才実子也右はるは心はべ【「心はべ」の語は見られず。濁点を打つ位置を間違えたのでは。「心ばへ」と思われる。】より見めもよく 【左丁】 孝心深けれ共夫婦とも邪見にして我子の愚なるを知らす爰に夫婦 密談の事何にして聞けん家主治兵衛ゟ両人を呼寄せ右はる女は孝 心深く尚又義理ある子なり其妹くらは実子なれは売【賣】る共故障なし前 金を受取たる由なり我方より返し断をいひ遣すへしといふにせん 方なく腹たゝしきまゝ金五両を姉はるに持せやりける此時地震にて 平吉か家は一番に潰れ親子三人とも崩家の下に成隣家の火災にて みな焼死したり姉はるは家主の方に在て安全なり是常に継子を悪 み剰【あまつさえ】遊女に売【賣】んとせし不実を諸天の戒【「戎」は誤記】給ふ所なり恐へし慎へし △池の端松平出雲守殿地震火災に付茅町弐丁目より根津七軒町 まて壱軒に白米三斗金壱両つゝ御施行あり云々 【右丁】 △牛込白銀町浅野勇次といふ人吉原大黒屋の喜瀬川になしみ通ひ ける其夜は日頃信心せる善国【國】寺の毘沙門天へ詣て帰る途中壱人の旅 僧に逢ふ善国【國】寺は何方なると尋る故云々の所なりと教へける此僧示て 云足下今革命の相あり惣て陰に帰して最不祥也然れ共足下は神仏【佛】 を尊み給ふ故是を参らせん若止事を得す他行【たぎょう=その場を離れて余所へいくこと】する共深更【深夜】に及はす 帰宅すへし泊る事は弥わろしといふに一礼【禮】を演【のべ】て帰宅しけるか其夜も 又喜瀬川かかたへ趣酒宴して亥刻にも成しかは不斗彼僧の云し事を 思ひ出し暇を告て立出馬道迄来る所右地震にて大に駭しか吉原 の方を見るに暫の間に所々に火災起り崩落物音すさましき故急に取て 返し大黒屋へ駈付右きせ川外五人を救出したり此夜泊りたらは非業 【左丁】 に死すへきに不思議に命を脱れたるは偏に信心の徳成へし △駒込白山下質屋某の丁稚十月二日黄昏に二階の板戸を鎖(とざし)せん とて上りたるに暫有て梯子を下なから打つぶやくやう今宵定めて 地震有て強かるへしと独【獨】言しけるを番頭聞不祥の事とて叱りける か果して其夜此禍に家倉を破損し家内辛ふして身を脱れ恙 なかりしかはかの丁稚か云たる事を思ひ出して主人へ告け訝(イフカ)しく 思ひて丁稚へ尋ねけるに私の父は信州の者にて常に語るには善光寺開 帳の時地震ありたる日の夕方に西方に白雲霞の如く棚引又東の方に 藷(ツクネイモ)の如き雲出たり其夜彼国【國】の大地震也又暫有て元の如き雲東西に 出たり是必揺返しならんと彼雲を見たるともからには家財を広【廣】原に運 【右丁】  ひ身を竹林にひそめ居るに果して其夜も又大地震ありしとかたりた  るを覚へ候て忘れさりしを以て思はす申たるなりとかたりぬ  △仙台【臺】侯今度地震に付隣国【國】の諸侯へ御見舞松板数千枚被進候  よし此御入用御手元御納戸金にて出候由其外御門前四ヶ町之者共焼  失其外住居揺潰必至之難渋たるへきとて即日御取調有之御国米五斗  二升入壱俵つゝ軒別に御恵み成し下され又町役人番人并鳶人足等へ  金弐歩つゝ添て下さる云々  △馬場先御門番丹羽長門守殿藩中山口秀平番所の揺崩し時右の  腕を敷き火災に迫り子息をして腕を斬らしめたる談あり略之  △地震十四五日前下谷辺の冨家へ奉公に出し女或夜亡父を爰に見る 【左丁】  父示して云様此所に居る事なかれと斯爰見る事両夜なる故  奉公の暇母の方へ参りて其趣を告く母是をゆるさす叱りて帰しける  か翌日大地震にて衣類手道具不残焼却したれと幸にして怪我  なかりしとなん    以上見聞誌の抄録也是に繾て安政見聞録といへる刻本も出    たり《割書:絵入彩色|摺三冊》銀街晁善漁父編服部氏蔵樟とあり辰初秋発行  《割書:|月本云》 〇右見聞志【「誌」の意】にあらはせる地震毬図おのれか思ふ跡に違へり依て左 ̄ニ  一図をあらはせり尚他人の刪補を俟つ《割書:十一月以来は漏たるもの多く|外出の時地震にあひ帰宅の》  《割書:後の記しもらし或は深夜|寝入て知らさる少震も有へし》 【左丁】 【丸の大きさを特大・大・中・小で注記する】 十二月二日●【特大】《割書:四|時》●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●【特大の大きな地震の後の33回は全部小】《割書:明|かた》三日《割書:未詳》〇〇〇〇〇〇〇●●●●●●●【14回とも小】四日〇〇〇〇〇● ●●●●【10回とも小】五日〇〇〇〇〇〇〇〇●●●●●●【14回とも小】六日〇〇〇●●●【6回とも小】七日〇〇〇 〇〇〇【6回小】●【大】《割書:暮|六》●●【上2回小】八日〇〇●●●【5回とも小】九日〇〇●●【4回とも小】十日〇●●●●●【6回とも小】《割書:夜中|五度程》十 一日〇●●【3回とも小】《割書:夜|雨》十二日〇【中】《割書:八時|過》十三日〇【小】《割書:五半》●【小】十四日《割書:夜中|ゟ雨》〇●●【3回とも小】十五日〇●【2回小】 十六日〇〇〇〇●●【6回とも小】十七日〇〇●●【4回小】十八日●【小】《割書:雷雨》十九日〇●【2回小】●【極小】廿日〇【小】 《割書:昼|時》●【小】二十一日〇〇【2回小】廿二日〇〇【2回小】廿三日〇〇【2回小】廿四日〇●【2回小】廿五日〇●【2回小】廿六日 〇●【2回小】廿七日〇【小】廿八日●【小】廿九日●【小】十一月朔日〇【中】《割書:昼|時》三日●【小】《割書:九半|時》十日〇【小】《割書:四》 十一日●【小】十二日〇【小】《割書:五ツ時|前》●【小】十四日〇【小】《割書:八》十五日〇【中】《割書:六半|過》〇【小】《割書:五》十七日●●【上二つ小】●【極小】十九日 ●●●●【4回小】廿五日〇【小】《割書:昼時》晦日●●【小】《割書:深夜》十二月朔日●【小】四日●【小】《割書:四時》十五日●【小】 【左丁】 二十九日●【小】《割書:深夜》辰正月三日〇〇【小】《割書:夕方|二度》八日〇【小】《割書:五半》九日〇【小】《割書:昼》十二日●【小】《割書:深夜》十七 日●【小】《割書:暁》廿五日●【小】《割書:宵》二月五日〇【小】《割書:八》十二日〇【小】《割書:早朝》三月十四日●【小】《割書:暁》廿八日〇【小】 《割書:夕七》廿九日●【小】《割書:夜五前》四月八日●【小】《割書:夜五》十一日●【小】《割書:暁六前》廿六日〇【中】《割書:夕七》五月七日●【小】 《割書:暮時》●【小】廿三日《割書:明方》〇【小】《割書:九半》六月十日●【小】《割書:暁》十八日〇【小】《割書:朝》七月廿六日〇《割書:朝》廿七日 ●【小】《割書:深夜》廿八日●【極小】《割書:子刻》八月六日●【小】《割書:暁》十六日●【小】《割書:子刻》廿七日●【小】《割書:深夜》九月十日●【小】 《割書:暮過》十月朔日〇【小】《割書:朝四》二日●【極小】《割書:亥刻過》七日●【小】《割書:朝五》用水こぼるゝ此後も折々 ありしかと略す 【右丁】    こたひの地震の及へるはし〳〵迄はいまた聞も定めす大江戸    のうちたに余所はいかならむいさしらすたゝまのあたりいみ    しう恐ろしともあさましとも覚えたる葛飾のかたほとり石    はらのわたりの有さまを聊かいしるす俳諧の長歌并反哥五    首 やすらけくまつりこつてふ名にし負う年の二とせ神無月二日の 宵【或は「雪」か】の長閑にて人静まれと灯火を猶も排けて又机によりそふ なへにゆくりなく物ふりいてゝなゐふるをそよや【そうだよ】といひもやらぬ間 に鳴かみのこと轟なて壁もつい地も壁こめも土に瓦に木葉なす 山おろしして家ことにつかれ柱も砕くれはうつ梁落てあとさけ 【左丁】 ふ数多の人のひと声にあはれをこめてはかなくも親よ妻子と よひまよふみせのましら夜の靄腹たゆるおもひかな夜はうは玉 の【「闇、夜、黒、」等にかかる枕詞】闇のうちに遠近となく煙たち焰もえきておのがじゝ【おのがじし=めいめい、それぞれ】広【廣】こり【ひろごり=広がる】行 は昼のこと風の火花は散かへ【散り交へ】と誰かは防く人あらむ行先遠く野火 なして末はおのれと消めり知る人逢へはもろともに命しなぬをか ことに【愚痴のように】そ慰さめあへす外はなし新島もり【新島守=新しい流人に見立てている】にあらなくにはふれ【放れ=放ち捨てられる、落ちぶれる】にし身 は宿もなく蜑【あま(海人)】のうらみよなゐにつれ高汐のほる磯ならては乾く よりとも白浪のかゝる紛れに時を得て焼のこりたる庫のうちなか は摧れし家のあたり立ふるまふてうせぬらん小やみもやらす なゐふれは庭の西に古木もて造れる小屋に暫しとて心休めとほ 【右丁】 しもの這入りてみなは萩か枝をしからむ【しがらむ=からみつける】赫やかるもかく伏猪の床 に夜もすからいもねられぬ【眠ることも出来ない】をしくれさへ漏にいとなく羽ぬけ鳥 さゆる夜風にいとゝしく【一層ひどく】晨をまちてねにそなかれける  反哥   なゐは猶あきつ島根宇ゆりすゑつ【揺り動かして動かない位置にとどめる。】幾万【萬】代も宇こかさるへく 崩れたる家ゐとやけて辛うしてのこりしものは盗まれにけり 小屋にこそなゐはふるともあからめ【目をそらし】時雨のふりてもるそわひしき 家のみか胸もつふれてさき草のみつ葉よつはのことのはもなし 白浪の過にし浜【濱】の夜守りはやけ野のはらの火危ふの声【聲】              堂閑 丹波のあし                   信節 乱筆   【左丁】     震後口号【號】   治平三百長驕奢  一震倒摧千万【萬】家   気化感衰天地人  人生得失後何噌 右筠居【注①】喜多村うしのすさひなり友人石塚豊芥子蔵莽の草【艸】 を暮せり   むさし野のうこきの雉子【注②】地震ふりて啼か妻子の行ゑ【「へ」とあるところ】しらすか                           東夷庵 天の下うらあかれとこと更に国【國】つみ神やゆりかためけむ                           文雄  【注① 右頁最終行の「信節」は喜多村信節(のぶよ)のこと。江戸後期の国学者・考証学者。筠庭、筠居、等と号す。】 【注② 「うこき」は「うこぎ」では。古く中国から渡来して人家に栽培され時に野生化している。多くは生垣に用い若葉は食用、根の皮は滋養強壮剤として用いる。「雉子」は古くは多く「きぎし」➝「きぎす」と呼ばれていた。】 ○元禄癸未より㠯降(コノカタ)轂下(コクカ)の尊卑久しく地震の甚しきにあはさ  れは常に鬱攸(クワジ)禍を懼れて地震を怖るゝの心薄し《割書:元禄の地震は|白石翁か折焼》  《割書:柴の記正宝事禄和漢合運武江年表に綱要を誌したれと委しからす|其余たま〳〵物に誌るを見れは消日の話柄に備ふるのみ恐れ思ふ人無し| 》より  て倉廩(サウリン)をたのみとし己か家は更なり隣家といへとも此もの多を以  鎮火の綱要とし舗倉或は入口に倉庫を営む事市井殊に多し  宮府よりも延焼の患を避んが為近頃坊間に徇(フレ)られて板葺を以  土蔵塗家に造り改むへきよし厥(ソノ)沙汰ありけるか今度地震の時  舗倉(ミセクラ)は更なり入口に在るものは逃る時 埴土頽(カベツチクヅ)れ堕(オチ)身体を傷損  し或一命をうしなひ剰(アマツサヘ)禍 合壁(カツヘキ)に及ぼすに至るしかりしより諸人  只顧(ヒタスラ)に板葺の矮屋(ヒラヤ)を好(ヨミ)して瓦葺を嫌ひ土蔵造りを悪むこれも 【右丁】  又臆病に出て偏顧とやいはむ然れとも寐所の側と入口の倉庫は  なくてありなん《割書:或云土蔵の前はいか程に狭き所にても住所寐所等よりは|一間斗明て建つへき由古人の話なりとこれは地震の》  《割書:時鉢巻鬼瓦の類落る時屋上を破りて落入る事ある故それを厭ひ亦一ツ|には火負の時用心土の置場抔少しく間を置て持運の自在ならしめんとの》  《割書:事な|り》 〇 嚮(サキ)に弘化丁未の春信州地震の旹(トキ)【時の古字】巨万(コマン)の人民命を失ひ家産を 傾け近くは去歳冬豆州下田港地震の後高潮の危難ありてとも に命を亡し或は困苦に迫りしもまのあたり見るにあらす適(タマ〳〵)人の 噂あるひは紙上によりて其顛末を想像し一時戦慄するのみ に過ず実に今度の凶変貴人公子ども避る事あたはす神宇梵 刹もともに此厄に罹りて漏るゝ事なきは歎くにも猶余【餘】りありとや 【左丁】 いわむ《割書:其地震負二禍をうくる事の薄きも神を動し胸を焼き病痾に|かゝりてなやめる輩も多しときけり鴨の長明か方丈記に元暦二年大》 《割書:地震の事を記したれと其辺際と強弱は知らされと死亡の人数いかてか今日|の如くならん歴代の史籍にもいまたかゝる事を見す実に恐ろしきは地》 《割書:震なる|へし》凡池魚の禍に遭【遇】たる輩あやしの仮【假】屋を営み始て移り 住たる折からはたゝ屋根あり戸障子あるをもて雨露を凌(シノギ)て足 れりと思へと其后漸々に普請成就して旬日【じゅんじつ=十日ばかり】を歴るまゝに宝を 費し好事を究(キハメ)造作に花員を好むの心出来て始の窮厄は更に 忘れ果たるに肖(ニ)たり奢侈に馴るは人情といへともいとも浅まし心 ある人はならふて察せすんはあらし   事たれは足るにまかせて事たらす足らす事たる身こそ安けれ                         東山吉宗卿 【右丁】 近き頃の地震物に見えたるを一二左に諸す  明和八年辛卯五月二日六月二日大地震  天明二年壬寅七月十四日夜九時十五日朝大地震此間度々あり  《割書:諸人戸外へ出る|大山小田原尤強し》  同三年癸卯二月二日大地震  寛政二年庚戌十一月廿七日大地震  同六年甲寅十一月三日子刻大地震  享和三年癸亥三月四日暮六ツ時過大地震  文化九年壬申十一月四日昼八時同品川神奈川潰家怪我人多  かりし由也 【左丁】  天保八年丁酉十二月九日夕八ツ時過  同九年戊戌八月廿五日大風雨地震  同十四年癸卯二月九日巳下刻用水桶の水こほるゝ程也  弘化四年丁未三月廿四日夜四ツ時江戸は僅に揺る信州大地震也  嘉永六年癸丑二月二日巳下刻地震三度小田原大地震  安政元年甲寅十一月四日辰半刻翌五日深夜迄数度諸国【國】大地  震 【画面右下】 四ツ時大に震ひし後少々の地震 有更に止事なく故に家の傾か ぬ輩迄各心あからす夜の明る迄 寝る人なし冬の夜なから殊に 長く覚えたり 大手前辰ノ口等の火 尤熾也次第に焼広 こり【ひろごる】て又数ヶ所の火重 りて一ツの火の根に見え たり 安政乙卯霜月三月一校畢  文久辛酉猟月浄昼成         斎藤月岑幸成輯 ○近頃の地震ものに見えたるを左にしるす  △明和八年辛卯五月二日大地震 △天明二年壬寅七月十四日夜  九時十五日朝大地震此間度々有《割書:諸人戸外へ出る|大山小田原尤強し》 △同三年癸卯二  月二日大地震 △寛政二年庚戌十一月廿七日大地震 △同六年甲寅十一  月三日子刻大地震△享和三年癸亥三月四日暮六時過大地震 △文化  九年壬申十一月四日昼八時同品川神奈川潰家怪我人多かりし由なり  △天保八年丁酉十二月九日夕八時過△同九年戊戌八月廿五日大風雨地震  △同十四年癸卯二月九日巳下刻用水桶の水こほるゝ程なり  △弘化四年丁未三月廿四日夜四時江戸は纔に揺る信州大地震也別録あり △嘉永六年癸丑二月二日巳下刻地震三度小田原大地震 △安政元年甲寅十一月四日辰半刻翌五日深夜迄数度大地震別録 にあり  右何れも少々の地震にして元禄の地震に亜くへきにあらす △安政二卯年十月二日是は本文に誌せる所の地震なり 安政三年丙辰八月二十五日  風雨の記  附録 【右丁 文字無し】 【左丁】 去歳十月二日の大地震は一命を亡し或は活業を失ひし輩数 ふるに遑あらす世に怖しき事に思ひしか今茲安政三年丙辰 の八月廿五日稀世の大風雨ありて家を倒し高潮海辺に漲り て家を溺らし人命を傷【そこな】へり其顛末大略を左に挙く 〇八月廿三日微雨廿四日廿五日続【續】て微雨降日暮次第に降りしきり  南大風戊【戌】の七八点【點】より殊に甚く成り暁丑刻過て追々に鎮り此  始の程雷鳴あり雷は程なく納りこれと風雨の間地震ありし由  大風に家屋動揺するに紛れて知らさるものもありしなり翌  廿六日朝より霽【はれ】に属す  人家所々潰たるもの数ふへからす去々寅十二月去卯三月二度の大火 【右丁】 に罹りし場所家作あらたなるも潰れ去冬地震にいたみしは更也 微塵に砕たるも一町に何所といふを知らす去年地震に山の手の 武家は大方安泰也今度江戸中一円【圓】大破にて潰さも【確かに、まったく】杮葺は残ら す吹散らし瓦葺は重みにて曲り棟瓦を損したり天井板落散た る多し板塀無事なるは稀なり海岸の山手の崖等は殊に甚し 海辺は大小の船岸に打上石垣を損し人家を毀すもの数多あ り 所々喬木折根ゟ抜て倒れたるも多し草類一夜の雨に打れて 枯たるか多く蔓物も多く痛めり 第一に恐怖せし亦前代聞も及さるは西本願寺の御堂なりさしもの 【左丁】 大厦なれと潰れて微塵に砕たり中門惣門其他諸堂は痛みし もあれと潰たるはこれなし此堂内へ入て風雨を避んとせしもの ありしか動揺に懼れてのかれ出しかは各恙なかりしとそ 寒さ橋《割書:本名|明石橋》東の橋台【臺】崩る北東に在りし茶亭《割書:平(ヒラ)家|なり》 礎石(イシズヘ)而巳【のみ】 残り跡方なし此辺【邊】都て【すべて】船松町上柳原町本郷町十軒町南飯 田町南小田原町等海岸洪水溢濫して人家を溺し或は潰逆浪 にさそはれて海底へ沈しものもあり資財雑具の見るか内に流 失たる由本湊町河岸小橋落る 十軒町続【續】松平淡路守殿去冬震の災後漸普請成就し引移ら れし間もなく一円に潰たり門跡の後都て築地霊巖島其外浜【濱】辺 【右丁】 茶船の類陸へ押上て大路に横たはれるもの多くあり船頭水主の溺 たる何百人といふ事を知らす浜【濱】御庭高潮にて築山崩大木根よ り倒れ損せし所甚多し 芸【藝】州侯御屋敷海手石垣大破及ひ土手流失たり 佃島石川島海潮漲りて人家を損す 薩州侯御屋敷大破 高輪町屋所々損海岸の葭簀張茶店物置 等は悉く潰れたり会津侯御藩三抱計りの杉の木折れる戸沢【澤】 侯火の見ならひに番人何方へか飛て行方を知らす 増上寺山内喬木折同下部屋潰下僕十七八人即死すといふ 薩州侯御船大元丸檣【ほばしら】折る又君沢【澤】形【注】二艘芝金杉浜【濱】へ吹寄たり 【左丁】 汀を掘り人部【にんぶ=人夫】数多を以て引出さる其費数千金に及ふと云々真田 侯陣屋大破及ひ土手流損す 芝新網町名主大場惣十郎支配の者へ用談の中東ゟ壹尺五寸斗もや あらむと思ふ火の玉の上るを見る夫より大風吹出たる由也又浅草 辺にて踊りの師何某《割書:女|也》秘蔵の盆花を取入んとして物干に上り火の光 を見て恐怖せりされと響はなかりしとそ 品川東海寺惣門倒れたり 鮫洲料理屋河崎屋の楼【樓】を海に流し表の住居も危く覚えし かは止事なく雨に濡て大路にいたりしに海中より度々火光登 しと見たり宛も白昼の如く須臾にして亦闇夜となれり其外猟 【注 きみざわがた…江戸時代寛政三年(一八五六)ロシア使節プチャーチン一行が日本人大工を雇って建造した帆船と同型の船に対する日本名。伊豆君沢郡戸田村で造られたところからの呼称。】 【右丁】 師町品川辺大破 御殿山下一向宗正徳寺本堂潰る 新大橋安藤長門守殿御屋鋪内へ船押上り候由又大船永代橋に 突当りて東の方七軒目二間程崩堕る《割書:深川娼家の仮宅に遊ひ|し輩後朝を候て未明に》 《割書:駕に乗り或は洪水を恐れて橋向へ急渡らんとせしもの|此橋の切たるを知らすして落入流されたる者多しとそ》又西よりの 方凹に成り廿六日より往来を停む 深川海岸南を受たれは家々吹潰し海へ流れ高潮にて海中へ巻込 家財を失ひし者数ふへからす洲崎吉祥寺境内首丈水に渡りて 歩行ならす 霊巖寺は地蔵堂寮共大半潰たり 深川娼家の仮宅大破多く佐野槌屋の暖簾を借りて深川へ仮宅 【左丁】 を出したる家惣潰れなりこの余【餘】七八軒潰たるよし其後更に 不蕃昌【不繁昌に同じ意】なり 永代寺境内に八月九日より江の島奥院弁財天の開帳あり始より参 詣稀にてありしか此嵐にあふて仮屋潰れ御 厨子(ヅシ)も損し境内  に遷座あり境内見せ物の仮屋吹潰たり 深川蔵々水に浸り米之俵通り濡穀物其外廃多し木場は材木 を流し失ふ 深川新地松平下総守殿門の屋根飛て其侭熊井町へ落る 同所高橋大破 猿江土井侯下藩床上水壱尺市店床上水弐尺位 江戸の冨商宝貨を深川の倉庫に収置しもの多く水にひたる 【右丁】 本所辺の出水これに亜く家作地震に痛し上此大風雨に遇て大破 に及へり御船蔵潰御船大破に及へり《割書:麟。鳳。難波丸破損|焔硝蔵破損》 細川玄蕃頭【げんばのかみ】殿割下水【注①】の下屋敷惣潰れ 亀戸藤の花七月初旬 に咲たり五分一(ゴンフヂ)の桜花五月に咲く本所霊山寺本堂大厦潰る 牛御前別当《割書:サイシヤウ》寺潰る源森橋畔薬店の前榎の老樹根ゟ抜て 倒れたり吾妻橋勾欄【橋の欄干のこと】西へ寄廿間程《割書:南の|側》吹落したり 橋場金座吹所【ふきしょ=金属貨幣などの鋳造場】潰る 今戸橋畔貨食舗金波楼庄吉か家去年地震に家潰其家より 災ありて烏有【注②】となりしか今茲七月の頃漸に普請にかたり建たる侭 此風雨に吹倒したり 【左丁】 猿若町に片足なき鶴一羽落る官府に訟る【うったえる】途中にて死したる由 御蔵前花徳院焔魔堂潰御首は恙なしとそ 浅草寺西宮稲荷銅鳥居折るゝ鐘楼去年の地震に大破に及しかこの 度屋根を吹崩して軒より上跡方なし輪蔵【「転輪蔵(てんりんぞう)」の略。経藏中に設けて、経典を収納するための回転式の書棚】普請延引して成就な かりしか大破及り随身門外松田屋といへる娼家の仮宅惣潰怪我人 有りし由 奥山活人形の看せ物仮屋潰れたり《割書:二度目出来たる活人形也一ツ家の姥|忠臣蔵の夜討鏡山の狂言人形なと》 《割書:ありし|時なり》 砂村辺落合村辺人家多く流れ行徳洪水によりて人家流るゝ事凡 二分通り也とそ大路に死人横たはれる由中山の辺溺死人多く流寄 【注①東京都墨田区本所にあった掘割。またその沿岸一帯の地の呼称。沿岸に津軽屋敷や直参の邸宅があった。】 【注②烏有(うゆう)=「烏(いずくんぞ)有らんや」の意。何もないこと。皆無。】 【右丁】 たる由 堀江猫実海嘯【かいしょう=津波】人家流失多しと三崎辺も同しと云 御城内格別痛なし御門々地震御修復出来上らぬ前に大破損あり 半蔵御門御修復中大破渡り櫓ねぢれて落る此御門内大木松多く 折れる 御城内御普請小屋皆倒損す 鍛冶橋外常盤橋外番所 潰れる 廿六日朝紅葉山樹上より烏五十羽程落て死せり 飯田町続【續】蕃書調所潰九段坂下竹元  殿大破 小川町武家方地震の時残りしも此度吹倒たる分多し 半蔵御門内隅の番所潰所有之添番壱人中間弐人即死ス 【左丁】 一石橋畔柳根より抜る 御肴役所潰人足壱人即死《割書:床見せ是か為|に潰れる》 神田明神神主芝崎氏仮玄関破損所多し額堂瓦落樹木折る 湯嶋天満宮銅鳥居神楽堂倒る 東叡山大木数本折れる 下谷金杉村潰家より出火 浅草日輪寺内同出火 吉原京町壱丁目幇簡【「間」とあるところ】某か家潰れて出火し二棟焼る 今夜雨中潰家より出火起りて類焼数件に曁せるもの芝片門前壱丁目 に吉兵衛か店をかりて版木を彫て業とせる源兵衛か宅潰しより出火して 神明町三島町宇田川町《割書:何れも|西手也》に及へり火元のあるしは辛うして遯れ つ妻子《割書:子供三人有|合四人死》は潰家の下になりて亡たるよしかなしむへし 市谷尾州侯藩内出火あり此外少しの出火は所々にありし由なり 【右丁】  青山紀州侯御屋敷長屋半潰  大窪村鬼王権現遥拝社境内大木杉倒長十五間程  大窪辺百姓家多く潰萱家にして屋根形は其侭に残り柱倒て潰れた  り《割書:人々其下に住せ|り苫船の如し》  本郷附木店御持組屋敷三人即死あり《割書:御弓町住居御鉄炮師冨岡佐平次|細工場弐間半に三間之屋根揺とも》  《割書:に飛て跡|方なし》  牛込棚下酒井侯屋敷喬木八十本余【餘】り折れ倒る  千駄木紫泉亭三階造の家作地震にのかれ此度は柱折れて傾き  たり 青山松平隠岐守殿屋敷惣潰れ也  廿六日商家皆廃務也貨食舗茶店家作無事なるも各商を休む 【左丁】  変死人の野辺送り街に多し  彼岸中なれと六阿弥陀其外霊場諸人更になし《割書:廿五日は彼岸の|中日にて有し》  市中 蓋匠(ヤネヤ)壱人も見る事なし作事諸職人傭貨を貪る者多く次  弟に召捕られて禁獄せらる《割書:市中杮葺の損したるは|杉皮板屋根苫ふきなり》木買も又預買等の  事御詮議あり 魚類菜菰価【價】悉貴し 〇七月頃東方に光強き星逐夜五時頃より現たり  柳原柳風雨後新芽をふきて春柳の如く 楓葉しぼみて看楓の  輩なし菊花も又同し十月所々かへり花【花を咲かせる時期が過ぎたのちに、ふたたび時節はずれに花をつけること】あり  江川太郎左衛門殿御屋敷当時新銭座【江戸時代、銭を鋳造、発行した役所】なり海岸大風雨にて家屋動揺  して危ふけれは調煉の御見分所床高く其上近頃の造営にて家も丈夫 【右丁】 なりとて家臣倶々かしこに入ておはしける家臣は皆々雨戸を押へて風を 凌てありしに力及はす戸を吹放たれて彳【たたずみ】かたく外へ出んとすれは逆 浪漲りていかん共する事ならす程なく海水店の上のほりしかは此所 に続【續】たる長屋の二階に居られしに弥動揺烈しく既に覆らんと せし頃不思議に君沢形の御船吹寄しは二階よりたゝちに此御船へ うつりし後かの船芝浦へ吹寄たり夫より辛して陸に登りのかれ給ひ し由なり 伊豆の辺押送り船【櫓を押して航行する船。特に、江戸近海から漁獲物を江戸に急送する舟をいった。】一艘十六人乗りてありしか本牧の塙(ハナ)にて覆り たりこの内十八才になれる男此浪に漂ひ三番の御台【臺】場へ打上られ石 垣土手を越て其中へ落たりしか身体恙なくこれか兄なるものは芝 【左丁】 の浜【濱】へ打上られ兄弟ともに存命也残れる十四人は行方知れす と聞えし 深川洲崎料理茶屋海岸にあるもの殊に困苦甚し逆浪に坐 敷を取られ海中へ流れ失しか家族物置にひそまり居たりしに 肩のあたり迄水にひたりしかは今は早命の限りと思ひあき らめ弥陀の称号してありしか此物置傾く迄にて流れす終に 一命を拾ひたりむさしやといへるは家作あたらしき故か左迄に 及はさりしよしなり 本所番場町家主新八自身番屋にありて此動揺に居る事な らす外面へ駆出しか歩行ならす木戸柱にすかりて漸此難をま 【右丁】 ぬかれしか家に帰りて見るに悉く潰て妻は既に死りとそ 築地稲葉侯下屋鋪即死七人と云医【醫】師平野仁庵殿かのやしきに 在りしか其身母は助り妻は倒れたる家に押流れ水に溺れて死する を見なから助る事あたはす娘は悪水を吞て重体にわつらひし よし 小日向新屋鋪の辺なる何某近き頃深川 碗倉(ワグラ)といへる所に居を しつらへて住けるに此夜家潰かつ洪水あふれてけれはおのれは首 に衣服を結付辛う【「ら」に見えるが「う」の誤記と思われる】して水を渡り漸遁退けれと妻は水に流さる ゝを助る事あたはすして行方を知らす漸小日向なる   の住 居に来りて尋れは是も風にて潰れしと云ふ 【左丁】 相州江の島猟師町のもの悉く無事也其故は此日夕方ゟ近海の波 間に火之光有りてかゝやきけるを人々見て怪しみ是は夕陽の波間 にかゝやにやといひて止ぬ其夜に至りて海面に夥しく火の燃るを 見たり是唯事にあらすとて各山々へ資財を背負ふて逃のひける か其跡に洪波溢濫(カウハエキラン)して猟師町残らす海中へ溺れけるとそ此頃 江の島の御神深川において啓龕(カイチヤウ)ありし頃なれは岩本院の僧 此事を語りけるとそ 小石川なる何某漁猟を好けるか此日も品川の沖に網(アミ)せんとて 昼下りより支度して出けるに南の方一円【圓】に赤くなりたるを看て 変事あらん事を語り急に船を漕戻しける時はや元船【もとぶね=伝馬船など付属の小舟に対してそれを持つ大船をいう】の輩も 【右丁】 是を量り知りたるにや綱を新に取かへ碇を卸し其騒動大方 ならす【一通りではない】是を見て弥急きて己か家に帰りけるか其夜此大風ありし かは一命を拾ひしと喜ひぬ 江戸より関宿へ往来の高瀬船夥しく破損し荷主の損失大方な らすとて発狂しけるもありしとそ 江戸より箱根へ往来の御用船あたみに造らせられしか当秋始て二 艘とも諸御役人の荷物等あまた積て船出しけるに此夜一艘は行 ゑ【「へ」とあるところ】知れす一艘は帆柱折れ船破損し辛う【「ら」とあるが「う」の誤記と思われる】して南部の海辺に着し 日数歴て江戸へ告越したり 江戸より関宿へ往来の高瀬船夥しく破損し荷主の損失大方なら 【左丁】 すとて発狂しけるもありしとそ 【この二行の文は5~6行目の文と重複】 深川伊奈某屋敷の窓より飛物入たり是を看て主人の痛ひつかれしとそ 番町の辺なる横田某屋敷戸障子吹損し一家【右横に「臺」と傍記。左横に「”」あり】の火炎飛入たり主人こ れを追ふかけ【「け」の左横に「”」あり】とゝまらすとかくするうちに外の方へ飛去ぬ此家の主人 三日目にいたりて故なく卒去ありいかなる気【氣】にふれたるにや 巣鴨なる藤堂侯下屋鋪に住ける家士何某住居大方吹潰し漸 一ト間の残りし内に家内ひそみ居たるに構へ内の樅樹(モミノ木)二抱もや あらんかいくつとなく吹折るゝ時闇夜なれと樅の木の辺に薄明る くなりて樹の形見えたりとそ 砂村人家屋根斗流れ上に男女十一人乗たり大島の方へ流たるよし声 【右丁】 を上けて助くれよとさけひしか各家にかゝはりて助る事あたはすとそ 然れとも此輩は助るゝなるへしと 遠州今切辺も大風あり此日昼四時頃より西北の風秋葉山の方より 吹おろし夜五時頃迄あれたりとそ江戸は夜五時頃ゟ巽風強くし て明七時に静まりぬ 【左丁】 大風雨 ̄ニ付貧銭のものへ金銭等施したるもの官府へ召出され御 褒美あり其名前左に録す △三十九両三歩弐朱余【餘】芝二本榎広【廣】岳院門前家持藤兵衛△四十一両 弐歩弐朱外 ̄ニ所持地面上りて用捨白金台【臺】町四丁目家持すゝ後見増屋 △三両小石川大塚上町家持市右衛門△廿九貫八百文同所坂下町家持治 兵衛△十両檜物町忠七地借庄蔵△五両同町清次郎地借医師養明 △八十九両麹町四丁目家持又左衛門△三両二歩余【餘】音羽町壹丁目家主七五郎 △百六十二両弐歩弐朱三十三貫五百文駒込追分町家持長右衛門△八十一両三 朱深川木場町家持和助△六十三両三歩一朱八貫二百文深川宮川町定吉 地借徳蔵△五十七両弐歩深川木場町平兵衛地借次郎兵衛△廿五両弐歩 【右丁】  同町専蔵地借太兵衛△廿両浅草山の宿町家持惣次郎△七十両壹歩深川木  場町家持善右衛門△十七両弐歩三朱同町家持三郎兵衛△九両壱歩二朱同町家持  庄【或は「店」か。後出に店支配人庄三郎とあるによって庄定か。】定紀州住居 ̄ニ付店支配人庄三郎△九両弐朱同所家持善次郎△九十八両  三歩七百文深川六間堀町清右衛門地借佐平次△五十八両三歩弐朱深川扇  橋町家持嘉兵衛江州住宅付店支配人忠兵衛△三十三両三分青山若松町  半七地借仁右衛門△八両壱歩弐朱桜木町家持やす後見多助△七両弐貫  弐百文同所家持甚助△四両三歩弐朱余【餘】同町家主政右衛門△三両五百文音  羽町八丁目家主卯之助△弐歩弐朱八貫弐百文余【餘】同所九丁目家主重太郎  △銭十四貫四百文余【餘】   彦三郎△十二両壱歩五百文深川万年町一丁  目家持さく夫伝【傳】五郎△二十四両壱歩壱貫百文深川万年町壹丁町目家 【左丁】  持橋本清左衛門△廿両三朱南八丁堀壱丁目新八地借長兵衛  △中の郷五の橋町家持竹木炭薪問屋伝【傳】右衛門は大風雨後必用之材木  多く仕入利潤に抱らす安直に売出しけるまゝ官府に召出され御褒  美を給りたり其余【餘】本材木町六丁目材木仲買商売【賣】平八善助同人召  仕徳二郎本所相生町五丁目弥次平も材木安直 ̄ニ売【賣】出ける侭御賞美あり 八月廿五日嵐の時潰家并に怪我人員数呈状に載たる所左の如し  これは即座の撰にして詳細ならす此余【餘】尚有るへし  壱番組町々 潰家《割書:三十九棟|八十六軒》 半潰 《割書:壱棟|十五軒》 怪我人男三人 即死 無之  弐番組町々 同 《割書:二十八棟|四十二軒》 同  《割書:五棟|五十五軒》 同  男一人 同  《割書:男三人|女二人》 【右丁】 三番組町々  潰家 弐百八十九棟 半潰 十九棟 怪我人 十二人《割書:男九人|女三人》 即死 《割書:男二人|女二人》 四番組町々  同  三十一棟   同   五棟  同    無之    同  無之 五番組町々  同  《割書:廿八棟|百三十軒》   同   《割書:十壹棟|四十九軒》  同   《割書:男二人|女一人》  同  無之 六番組町々  同  《割書:五十棟|弐十軒》    同  《割書:十棟|三軒》   同  《割書:男六人|女五人》 同 無之 七番組町々  同  《割書:百十九棟|弐百十一軒》   同  七十七軒 同    《割書:男三人|女弐人》   同 《割書:男六人|女六人》 八番組町々  同  《割書:六十棟|六十五軒》   同  《割書:廿六棟|廿六軒》  同  無之     同 《割書:男二人|女四人》 九番組町々  同  八百十四軒  同  千十二軒  同  《割書:男九人|女七人》   同 無之 十番組町々  同  弐百三棟   同  百十三棟 同  《割書:男一人|女一人》   同  無之 十一番組町々 同  《割書:廿六棟|百廿五軒》   同  《割書:六棟|四十八軒》 同  《割書:男一人|女一人》    同 《割書:男三人|女二人》 十二番組町々 同  六十七棟   同  五十八棟 同  《割書:男三人|女五人》   同 《割書:男壹人|女弐人》 【左丁】 十三番組町々 同  六百九十九棟 同 三百七十四棟  同  《割書:男六人|女四人》   同 《割書:男四人|女三人》 十四番組町々 同  三百三十一棟 同 弐百三棟   同  無之    同 無之 十五番組町々 同  三百壱棟   同 百三十七棟  同  《割書:男三人|女五人》  同 《割書:男壱人|女三人》 十六番組町々 同  百八十七棟  同 百六十五棟  同  女壱人   同 無之 十七番組町々 同  千四百五軒  同 八百五十二軒 同  《割書:男十一人|女八人》  同 《割書:男六人|女七人》 十八番組町々 同  弐百五十三棟 同 十六棟    同  無之   同 無之 十九番組町々 同  四十三棟   同 四十一棟   同  同     同 同 廿番組町々  同  百八十四棟  同 九十六棟   同  無之   同 男壱人 廿一番組町々 同  四十棟    同 十一軒    同  無之   同 無之 番外品川町々 同  廿九棟    同 廿四棟    同  無之   同 無之 【右丁】 同 新吉原町 潰家 五千五軒 半潰 三十軒 怪我人即死無之    惣高     潰家《割書:三千六棟|弐千九百五十七軒》【割書の行頭を円弧で結ぶ】     半潰《割書:千弐百弐俵【ママ】|弐千百四十五軒》【同右】     怪我【家】人 九十九人 内 《割書:男五十九人|女四十人》     即死人 六十(イ六十一人)人 内 《割書:男廿九人|女三十二人》 近国【國】近在の安否委しきを知らすといへ共東海道筋は神奈川程ヶ谷 藤沢大山の辺より江の島 鎌倉(カマクラ)浦賀の辺人家崩れ洪波溢鑑す北 は草加越ケ谷幸手栗橋蕨大みや桶川鴻の巣熊谷辺甲州海道は高 【左丁】 井戸八王子辺にいたり東は堀江猫ざね行徳二合半領船橋辺ことに強 く上総道馬加、千葉浜【濱】の村辺海岸通り高瀬にて人家を流し溺死怪 我【家】人牛馬を失たる数を知らすとそ 【次の一行文字を四角く囲んでいる】 〇町会所に於て海岸付町々風波の患に遭【遇】しものへ御救米賑給あり 〇此度の大風雨の事を誌し粉色摺のさしゑを加へ安政風聞誌と  題したる板本三巻ありその外坊間【世間】に鬻く【ひさぐ】風様場所付なと号する  板本多し 〇卯辰両年の震災風雨に貴賤の屋屋【?】を破壊し財宝を失ひまして 【右丁】 市人は家産を傾けて困苦に迫りしこと多かりしか僅の間にして轂下【天子のお膝元。みやこ。】の蕃 昌【繁昌に同じ】以前に復し次第に家居の造作成就せしかは貴賤其程につけて業を 励み歳時之営み花月の遊賞昔にかはらす三座の劇場も普請成て 櫓を上娼家の僑居(カリタク)もかへつて賑ひを増し程なく旧里に新宅を建 排年【意味不明】に立戻りぬ今茲丁巳の春は大坂の早竹虎吉か軽業両国橋畔に看 場をひらき男女老稚こゝに輻輳し四月より総州柴山なる那羅延密迹 の二王尊回向院にて啓鑰(カイチヨウ)【注】あり緇素(シソ)の謁詞常に陪し境内錐を立るの所 なし十月は湯嶋聖廟の祭礼【禮】二十年目にて邌物(ネリモノ)を出して遠近の見物 こゝに群集し亜人は肇て江戸城に聘す厥日の見物麻布ゟ飯田町迄の 間大路に駢闐し面ヲ以牆とす其他の繁昌筆端に尽すへからす四民 【左丁】 安逸の思ひをなす事実に昇平の光化【「光華」のことか】にして申も中々おろかなるへし   丁巳仲冬                 翟巣再誌 【注 原文の文字は「啓」の異体字。「チヨウ」の振り仮名のある字は金偏の「鑰(音ヤク、かけがね、鍵の意)」と思われる。鍵をひらくの意で「開帳(カイチヨウ)と振ったのであろう。】 東京図書館長手嶋氏ノ嘱託ニ依リ写生 ニ命シテ謄写セシム于時明治廿一年十 一月          関谷清景誌 【白紙】 【管理ラベル一枚】 【裏表紙】