【表紙】 【題箋】 日光山志  一 【見返し】 日光山志 【左丁】 余於今人所編録地理書。前導後 送。作之序引者。無慮十数。皆由人 之需。蓋以嘗所嗜之学。而其僕々 尓者。自招之耳。近日老憊脚不副 心。眼根亦襄。絶望於烟霞。輟業於 筆硯。朝夕念仏誦経。以懴宿𠎝 【見返しの折返 文字無し】 【左丁】 余於今人所編録地理書。前導後 送。作之序引者。無慮十数。皆由人 之需。蓋以嘗所嗜之学。而其僕々 尓者。自招之耳。近日老憊脚不副 心。眼根亦襄。絶望於烟霞。輟業於 筆硯。朝夕念仏誦経。以懴宿𠎝 【右丁】 耳。植田子夏又有日光山志之 撰。縁嚮叙其所著武蔵名所図 会亦属以媵後。其書不但探捜故 事。鳩聚旧聞。有新図。有奇説。縮 地転土。使世之未睹未聞者。一閲尽 其勝。於是習気再萌。魂動神飛。 【左丁】 因下一語曰。斯書専為不能往観 者作乎。抑為将往観者作乎。其不 能往観者。則曰善容須弥於芥子 中。其将往観者。則曰善導玲宝 處。杜工部云。人間長見画。老主 恨空聞。余有歳於此矣。夫日光之 【右丁】 為山。 国家至崇之場。巍々郁々。 美尽善尽。固非余輩不能往観 者所得而讃也。文政八年乙酉 十一月不軽居士松平定常撰 【落款二つ】        河三亥書【落款】 【左丁】 東の山の道下野のくに玉くしけ ふたらの山にまします神はいと 古き代より聞えたれともかけまくも かしこき東てる大御神のしつまり ましましゝより古のかたその宮居 のいつくしきはさらなりをのつからなる 足引の山のたゝすまひ谷川の水の なかれ名たゝる瀧とものいきほひ 【右丁】 さへ神のみいつ【注①】に光そひつゝ世に とゝろくを旅行ことの心にまかせ さる身はいかてうつしゑにたに おろかみまつらはやとあら玉のとし 月心のうちにねきわたり【注②】ぬるそかし しか有しほとに八王子なるうへ田 孟縉役にてかの御山にしは〳〵 行かひつゝ五巻のふみを書あら 【左丁】 はし弘賢に一言をそへよとこふ とりてみれは不軽居士の言のはに露 たかふことなくかのとし月ねかひし ことくつほの石文ならねとのこるくま なくかきつくせしかはよに有かたく かしこくうれしくめてくつかへる【注③】 あまりにかくしるしつけぬるは 天保五年しも月七十七の翁幕府 【注① 御厳=「み」は接頭語。いつ(厳)を敬って言う語。御威光。】 【注② ねぎわたる=願い続ける】 【注③ 愛で覆る=大いに感嘆する。】 【右丁】 内史局直事源弘賢筆とりしは 翁の弟子西城歩卒直温なり 【左丁】 日 光 山 志     凡 例 一 二荒山(にくわうざん)は勝道上人(しようだうしやうにん)基(もとゐ)を神護(じんご)の昔(むかし)に開(ひら)き慈眼大師(じげんだいし)これを元和(げんな)に  中興(ちゆうこう)したまひて山川(さんせん)の奇観(きくわん)堂社(だうしや)の壮麗(さうれい)班固(はんこ)孫綽(そんたく)も筆(ふで)を投(とう)ずべく  金岡(かなをか)雪舟(せつしう)も巧(たくみ)を失(しつ)すべし  本邦(ほんはう)二百年来 文明(ぶんめい)の大化(たいくわ)四方に敷(しき)て文彩(ぶんさい)錦繍(きんしう)の君子(くんし)《振り仮名:彬〻|ひん〳〵》輩出(はいしゆつ)す  天下 良史(りやうし)の才に乏(とも)しきにあらずといへども日光山(につくわうざん)は  大神霊(だいしんれい)鎮座(ちんざ)の恐(おそ)れあるを以て惜哉(をしいかな)翰墨(かんぼく)の高手(かうしゆ)も敢(あへ)て筆(ふで)を揮(ふる)ふ  ことを為(せ)ず是(これ)に依(より)て遥(はるか)に神秀(しんしう)を渇望(かつばう)する者(もの)も歩(ほ)を千里に進(すゝ)む  るにあらざれば其(その)勝概(しようがい)を極(きは)むること能(あた)はず世(よ)以(もつ)て是(これ)を遺憾(ゐかん)とし  日光誌(につくわうし)のなれるを俟(ま)つこと大旱(たいかん)の雲霓(うんげい)を望(のぞ)むが如(ごと)し爰(こゝ)におのれ  究(きは)めて鳴呼(をこ)の謗(そしり)を免(まぬか)れ難(がた)く赫(かく)たる 【右丁】  神威(しんゐ)實(じつ)に戦慄(せんりつ)するに堪(たへ)ずといへども日光志(につくわうし)の述作(じゆつさく)を志(こゝろざ)すことこゝに  年(とし)あり其(その)微意(びい)偏(ひとへ)に光嶽(くわうがく)の輝耀(きえう)を添(そ)へ信者(しんじや)の希望(きばう)を満(み)てんと欲(ほつ)  するにありて曽(かつ)て  神譴(しんけん)の将(まさ)に身(み)に逼(せま)らんとすることをしらずたゞ悲(かな)しむべきは  稟性(りんせい)魯鈍(ろどん)加(くは)ふるに獨学(どくがく)孤陋(ころう)を以(もつ)てす爾(しか)るに宿望(しゆくばう)至(いたつ)て大(おほい)にして才力(さいりよく)  甚(はなはだ)微(び)なり豈(あに)勉(つと)めざるべけんやこゝを以て笈(おひ)を負(お)ひ杖(つゑ)を引(ひき)て二荒(にくわう)  山(ざん)に往来(わうらい)すること已(すで)に数(す)十 度(ど)索搜(さくさう)倦(うむ)ことを忘(わす)れ神思(しんし)のまさに  減(げん)ぜんとするをしらず彼(かれ)に問(と)ひ是(これ)に議(はか)りて終(つい)に其(その)梗概(かうがい)を裒輯(はうしふ)  し積(つん)で数百紙(すひやくし)にいたる即(すなはち)分(わか)ちて五冊(ごさつ)となして日光山志(につくわうざんし)と題(だい)す惟(おも)  ふに光嶽(くわうがく)の絶勝(ぜつしよう)竒跡(きせき)あにこの五巻(ごくわん)のみならんや今(いま)録(ろく)するはいは  ゆる九牛(きう〴〵)の一毛(いちまう)のみなほ靈區(れいく)の極(きよく)を盡(つく)し事實(じじつ)の古今(ここん)を蒐羅(しうら)  するに至(いたり)てはかさねて来哲(らいてつ)の纂集(さんしふ)を待(ま)つ 【左丁】 一 開山上人(かいさんしやうにん)の御傳(ごでん)性靈集(しやうりやうしふ)元亨釋書(げんかうしやくしよ)高僧傳(かうそうでん)等(とう)に出(い)づといへども各(おの〳〵)異同(いどう)  無(な)きにあらず若(もし)悉(こと〴〵く)これを抄出(せうしゆつ)せば真偽(しんぎ)互(たかひ)に混濫(こんらん)して却(かへつ)て覧者(みるもの)  の疑惑(ぎわく)を増(まさ)ん故(ゆゑ)に今(いま)たゞ其(その)正(たゞ)しきものを取(とり)て以(もつ)て集中(しふちゆう)に載(の)す  姑(しばらく)高僧傳(かうそうでん)の如(ごと)き野山(やさん)の大師(だいし)と虎關(こくわん)の両端(りやうたん)に首鼠(しゆそ)してたゞ彼此(かれこれ)  出没(しゆつぼつ)するのみまゝ又 其(その)説(せつ)おのれに出(いづ)るものは宗派(そうは)を誤(あやま)り或(あるひ)は  諸説(しよせつ)に矛楯(むじゆん)して一も取(と)るべきなし豈(あに)文華(ぶんくわ)に泥(なづ)んて其(その)實(じつ)を毀(やぶ)ら  んやこれその悉(こと〴〵く)抄出(せうしゆつ)せざる所以(ゆゑん)なり 一 事實(じじつ)の考證(かうしよう)に最(もつとも)尊信(そんしん)すべきものは日光山縁記(につくわうさんのえんぎ)同 列祖傳(れつそでん)瀧尾建(たきのをこん)  立記(りふき)千部會日記(せんふゑのにつき)往古行事集(わうごぎやうじしふ)三月會縁記(さんぐわつゑのえんぎ)等(とう)なり然(しか)れども何(いづ)れも  古来(こらい)より記家職(きかしよく)の秘記(ひき)とする書籍(しよじやく)にして一山(いつさん)の大衆(たいしゆ)といへども  容易(ようい)にこれを見(み)ることを許(ゆる)さず俗衆(ぞくしゆ)にて是(これ)を歷覧(れきらん)せし人は烏丸(からすまるの)  光廣卿(みつひろのきやう)一人のみおのれ庸俗(ようぞく)の身(み)にて争(いかでか)これを窺(うかゞ)ふことを得(え)ん 【右丁】  況(いはんや)  後水尾の上皇 宸翰(しんかん)の五軸(ごぢく)の如(ごと)きに至(いたり)ては凡俗(ぼんぞく)曽(かつ)て聞見(もんけん)を絶(ぜつ)す  去(さ)れども又 大衆(たいしゆ)の中に吾(わが)好古(かうこ)の癖(へき)を怜(あはれ)む学匠(がくしやう)ありて毎時(まいじ)の款(くわん)  語(ご)にまのあたり秘籍(ひじやく)の大意(たいい)及(および)古記(こき)の標目(へうもく)等(とう)曲(つぶさ)に是(これ)を説示(ときしめ)さる  於戲(あゝ)これおのれが丹心(たんしん)を光嶽(くわうがく)の神靈(しんれい)冥(めい)に加護(かご)し給ふといふべし  豈(あに)感激(かんげき)せざらんや抑(そも〳〵)又(また)一大快事(いちだいくわいじ)ならずやこれに依(より)て集中(しふちゆう)たとひ  一小事蹟(いつせうじせき)といへども悉(こと〴〵く)皆(みな)《振り仮名:昭〻|せう〳〵》たる古記(こき)中(ちゆう)より流出(りうしゆつ)して更(さら)に胷(きよう)  臆(おく)に任(まか)するものなしたゞ愚蒙(ぐもう)の悲(かな)しむべきはいはゆる聽(きけ)ども聞(きこ)  えざれば或(あるひ)は至要(しいえう)の説話(せつわ)を聞(きゝ)違(たが)へしことも多(おほ)からん 一 世(よ)の諺(ことわざ)にいへり未(いまだ)日光(につくわう)を視(み)ずは結構(けつこう)の語(ご)を發(はつ)すべからずと嗚呼(あゝ)  格言(かくげん)なる哉(かな)此(この)言(こと)おのれも又 曽(かつ)て言(こと)を設(まう)けて歎(たん)ずらく  神廟(しんべう)の經営(けいえい)始(はじめ)て成(なり)てよりこのかた天下に堂社(だうしや)無(な)しと蓋(けだ)し堂社(たうしや) 【左丁】  無(な)きにあらず日光(につくわう)の如(ごと)き堂社(だうしや)無(な)きをいふそも〳〵  東照宮中の宏麗(くわうれい)なる尺寸(せきすん)も彫琢(てうたく)を竭(つく)さゞるところなく金玉(きんぎよく)瞳(ひとみ)を  射(い)奇工(きこう)魂(たましひ)を銷(せう)す彼(かの)黄金界(わうごんかい)白銀界(びやくごんかい)紫微(しび)靈宮(れいきう)集(あつ)めてこゝに大成(たいせい)すと  いふべしたとへ一 梁(りやう)一 楹(えい)の丹青(たんせい)を誌(しる)さんにもその殊裁(しゆさい)を委(くは)しう  せば毛頴(もうえい)【「フデ」左ルビ】も堪(たへ)ずと辞(じ)し楮(ちよ)【「カミ」左ルビ】先生(せんせい)も憐(あはれみ)を請(こ)ふべし故(ゆゑ)に今たゞ金殿(きんでん)  玉楼(ぎよくろう)の所在(しよざい)と壮觀(さうくわん)の大氐(たいてい)のみを録(ろく)して備(つぶさ)に其 結構(けつこう)をいはず 一 延年(えんねん)の東遊(あづまあそび)武射祭(むさまつり)鎮火祭(ひしづめのまつり)入峰禅頂(にふぶぜんぢやう)當床舞(たうとこまひ)強飯(ごうはん)等(とう)の如(ごと)き古来(こらい)より  《振り仮名:夫〻|それ〳〵》の最秘(さいひ)とする事(こと)なれば容易(ようい)にこれを記(しる)すべきにあらず然(しか)れ  ども世(よ)の口碑(こうひ)に存(そん)して恒(つね)に人の目撃(もくげき)するものなれば又 一向(いつかう)に  これを録(ろく)せざることを得(え)ず故(ゆゑ)にたゞ其 件(くだり)を挙(あげ)て其(その)来由(らいゆ)を顕(あらは)に  いはず蓋(けだし)啻(たゞ)に卒尓(そつじ)の罪(つみ)を懼(おそ)るゝのみにはあらず深秘(しんひ)の古實(こじつ)は  得(え)て窺(うかゞ)ひ聞(き)くこと能(あた)はざるを以てなり歷覧(れきらん)の君子(くんし)請(こ)ふ靴(くつ)を隔(へだ) 【右丁】  てゝ癢(かゆき)を掻(かく)といふこと勿(なか)れ 一《振り仮名:日光𦾔記|につくわうきうき》の式(しき)に據(よ)らば山菅橋(やますげのはし)を中央(ちゆうあう)に置(おき)て堂塔(だうたふ)名所(めいしよ)を四方に  求(もと)め而(しかう)して后(のち)に剏建(へいけん)の事実(じじつ)行程(かうてい)の遠近(ゑんきん)を記(しる)すべし惟(おも)ふにこれ  衆星(しゆうせい)の北辰(ほくしん)を環(めぐ)るに象(かたど)る欤(か)然(しか)るに若(もし)たゞ《振り仮名:𦾔式|きうしき》にのみ泥(なづ)まば恐(おそらく)は  又 探勝(たんしよう)順覧(じゆんらん)の便(たより)を失(うしな)はんこゝを以て今 且(しばらく)世(よ)に行(おこな)はるゝ諸所(しよしよ)の名所(めいしよ)  図繪(づゑ)に凖(じゆん)じてたゞ順路(じゆんろ)の次第(しだい)に依(より)て《振り仮名:夫〻|それ〳〵》の所在(しよざい)を誌(しる)すのみ甞(かつ)  て事迹(じせき)の新古(しんこ)と堂塔(だうたふ)名所(めいしよ)の優降(いうがう)に抅(かゝ)はるにはあらず其(その)意(い)単(ひとへ)に  日光(につくわう)叅拜(さんばい)の将道(しやうだう)をなさんと欲(ほつ)するにあり 一 凡(およそ)文字(もんじ)は畫(ゑ)に依(より)て真(しん)を顕(あらは)し画(ゑ)は文字(もんじ)に依(より)て真(しん)を添(そ)ふ若(もし)画(ゑ)有(あり)て  字(じ)なきは其(その)事(こと)明(あきらか)ならず字(じ)有(あり)て畵(ゑ)無(な)きは其(その)真(しん)を觀(み)ることなし蓋(けだし)  集中(しふちゆう)加(くは)ふるに画(ゑ)を以てする所以(ゆゑん)なり且(かつ)此(この)書(しよ)叙事(じよじ)多(おほ)くして画図(ぐわづ)尠(すくな)  きものは何(なん)ぞ書目(しよもく)図繪(づゑ)と標(へう)せずして山志(さんし)と題(だい)する所以(ゆゑん)なり爰(こゝ)に 【左丁】  おのれ最(もつとも)歡喜(くわんぎ)に堪(たへ)ざることはこの稿(かう)已(すで)に成(なり)て画(ゑ)を諸(しよ)名家(めいか)に請(こ)  ひし時(とき)畵家(ぐわか)みな相(あひ)謂(いひ)て曰(いは)く日光山(につくわうざん)は海内(かいだい)無雙(ぶさう)の靈地(れいち)にして鳳(ほう)  楼(ろう)龍閣(りようかく)の美(び)あり醴泉(れいせん)琪樹(きじゆ)の勝(しよう)あり都(すべ)て山川(さんせん)の幽邃(いうすゐ)なる水石(すゐせき)の  竒絶(きぜつ)なる誰(たれ)かそれ寫出(しやしゆつ)し易(やす)からん若(もし)神助(しんじよ)を藉(か)るにあらざるより  は争(いかで)か能(よ)く其(その)真(しん)を象出(しやうしゆつ)することを得(え)ん吾(われ)は齋戒(さいかい)して書(しよ)すべし  吾(われ)は沐浴(もくよく)して筆(ふで)を取(とら)んと茲(こゝ)に於(おい)て諸(しよ)君子(くんし)みな信(しん)を凝(こら)し毫(がう)を揮(ふるひ)  て各(おの〳〵)一世(いつせ)に畵才(ぐわさい)を罄(こと〴〵く)此(この)書(しよ)に奮發(ふんはつ)せり冝(うべ)なる哉(かな)摸冩(もしや)するところ《振り仮名:一〻|いち〳〵》  真(しん)に逼(せま)らざるもの無(な)く一たび巻(まき)を披(ひら)けば紙上(しじやう)忽然(こつぜん)として神(しん)踊(をど)り  鬼(き)舞(ま)ふ今この集(しふ)文辭(ぶんじ)太(はなはだ)拙(つたな)しといへども諸(しよ)大家(たいか)逼真(ひつしん)の玅画(みやうぐわ)以て長(とこしなへ)に  愚(わ)が文辭(ぶんじ)の卑俗(ひぞく)を蔽(おほ)ふに餘(あま)りあり嗚呼(あゝ)これおのれ無涯(むがい)の大幸(たいかう)  ならずや又 何(なん)ぞ獨(ひとり)節(せつ)を擊(うち)て怡(よろこ)ばざらんや 一 日光山(につくわうざん)は開闢(かいびやく)以来(いらい)千(せん)有餘(いうよ)載(さい)の《振り仮名:𦾔地|きうち》なればたとへ一丘(いちきう)一壑(いちがく)といへ 【右丁】  ども悉(こと〴〵く)古迹(こせき)にあらざるものなし若(もし)それ津(しん)を問(と)ひ撟(けう)を問(と)はゞ徒(むな)  しく紙数(しすう)を長(ちやう)じて煩蕪(はんぶ)の厭(いと)ふべきのみならず翻(かへり)てまた探勝(たんしよう)の  便(たより)を失(しつ)せん是(これ)もとよりおのれが志(こゝろざし)にあらず今 此(この)書(しよ)はたゞ尋常(じんぢやう)の  耳目(じもく)に觸(ふる)るものを挙(あげ)て以て編次(へんし)をなすのみ若(もし)好事(かうず)の君子(くんし)と覽(らん)  古(こ)の雅客(がかく)とは笻(きよう)をひき山徒(さんと)に繹(たづ)ねて而(しかう)して后(のち)にその詳(つまびらか)なるを  知(し)るべし   天保癸巳初冬           植田孟縉識 【左丁】 日光山古圖 《題: 三幅對大懸物之縮圖》 【印 伊豆之舍】 【印 安藝國賀茂郡長濵浦田中 伊豆廼舎 券 章】 【図】 其一 【右丁】 外山 別所 瀧尾社 本宮 御供水 【左丁】 小玉堂 番神堂 別所 東山谷 佛岩谷 㴱砂王 神橋 開山堂 【図】 其二 【右丁】 中山谷 新宮 別所 星ノ宿 星ノ宮 【左丁】 法華堂 三重塔 三佛堂 行者堂 善女寺谷 鉢石町 【図】 其三 【右丁】 清瀧權現 清瀧寺 清滝村 【左丁】 風穴 中禅寺 上野島 歌ノ濵 清滝觀音別所 清滝觀音 等春 【右丁 白紙】 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 一      目録(もくろく)  日光山總説(につくわうざんのそうせつ)   御山内略圖(おんさんないのりやくづ)      其一(そのいち) 其二(そのに) 其三(そのさん)  御山内縮図(おんさんないのしゆくづ)   日光御領(につくわうごりやう)       町入口図(まちいりくちのづ)  松原町(まつばらまち)      石屋町(いしやまち)        御幸町(ごかうまち)    龍蔵寺(りうざうじ)      神主山(かうのすやま)        稲荷町(いなりまち)  下鉢石町(しもはついしまち)     中鉢石町(なかはついしまち)       上鉢石町(かみはついしまち)  鉢石炊烟図(はついしのすゐえんのづ)《割書:八景(はつけい)|の内》  観音寺(くわんおんじ)        下馬(げば)  星宮(ほしのみや)       勝道上人蛇橋(しようだうしやうにんじやきやう)を渡(わたり)給ふ図(づ) ○神橋(みはし)《割書:同図(おなじづ)》      假橋(かりばし)         高坐石(かうざいし)  大谷川(だいやがは)      大谷秋月図(だいやのあきのつきのづ)《割書:八景(はつけい)|の内》    御番所(ごばんしよ) 【右丁】  本宮権現(ほんぐうごんげん)《割書:同図(おなじくづ)》 《割書:本社拝殿(ほんしやはいでん) 四本龍寺(しほんりうじ) 如法經堂(によほふきやうだう) 末社(まつしや) 紫雲石(しうんせき)|笈掛石(おひかけいし) 三層塔(さんぞうのたふ) 三面大黒木像(さんめんのだいこくもくぞう) 鎌倉立神事(かまくらだちのじんじ)》  石碑(せきひ)        硯石(すゞりいし)        禮拜石(らいはいいし)  深砂王社(しんしやわうのやしろ)     長坂(ながさか)         盛長石塔(もりながのせきたふ)  御殿跡地(ごでんあとのち)      御賄坂(おまかなひざか)       安養澤(あんやうざは)  新町(しんまち)        新宮馬塲(しんぐうばゝ)      鐘撞堂(かねつきだう)  座禅院跡(ざぜんゐんのあと)      《振り仮名:光明院𦾔迹|くわうみやうゐんのきうせき》    當山(たうざん) 御座主御歷代(おんざすのおんれきだい)  道興准后逰宴図(だうこうじゆごういうえんのづ)   強飯(がうはん)        御棧鋪(おんさんしき)  御本坊(ごほんばう)《割書:同畧図(おなじくりやくづ)》    新宮鳥居(しんぐうのとりゐ)      三佛堂(さんぶつだう) 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 一                    植 田 孟 縉 編 輯 日光山總説(につくわうざんそうせつ)  下野國(しもつけのくに)は上古(じやうこ)の世(よ)には毛野國(けぬのくに)と號(がう)【注】し今(いま)の上野國(かうつけのくに)に隷(れい)して有(あり)けり  《振り仮名:𦾔事紀|くじきの》國造本紀(こくさうほんき)を閲(えつ)するに瑞籬朝(みづかきのみかど)《割書:人皇十代崇神天皇》の皇子(みこ)豊城入(とよきいり)  彦命(ひこのみこと)の皇孫(みまご)彦狹島命(ひこさじまのみこと)初(はじめ)て東方(とうばう)を平治(へいぢ)し玉ひ東山道(とうさんだう)十五國の地(ち)  を以て封國(ほうこく)に賜(たま)ふと《割書:云| 〻》又(また)磯城瑞籬宮(しきのみづがきのみや)《割書:崇神天皇》の御子(みこ)にてう  まご彦狹嶋命(ひこさじまのみこと)と聞(きこえ)しは纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)《割書:人皇十二代景行天皇》の御世(みよ)五十  五年きさらぎの初(はじめ)の五日に東山道(とうさんだう)十五國の都督(ととく)を賜(たま)はりしに  程(ほど)なくかくれさせ玉ひしかば明(あく)る年の八月に其(その)御子(みこ)御諸別王(みもろわけのみこ)に  みましが父(ちゝ)に賜(たま)はりし國(くに)なればいきて治(をさ)めよとの勅(ちよく)まし〳〵ければ 【「号+乕」は「號」と表記。以下同。】 【右丁】  下(くだ)りおはしてあるべきことどもいとうるはしく治(をさ)め玉ひ民(たみ)くさ  風(かぜ)におしなべて靡(なび)きあひけり其後(そののち)《振り仮名:國〻|くに〴〵》の夷賊(いぞく)等(ら)なほも叛(そむ)けるを  軍(いくさ)を為て討(うち)従(したが)へ玉ひければ長(をさ)なるもの我(わ)が領(りやう)したりし所(ところ)を奉(たてまつ)  りて御下知(おんげぢ)に随(したが)ひ東國(とうごく)のかたすべて穩(おだやか)になりて御子(みこ)のつぎ〳〵  久敷(ひさしく)治(をさ)め玉ひけると《割書:云| 〻》是(これ)日本紀(にほんき)に見(み)えたり夫(それ)より《振り仮名:世〻|よゝ  》朝(みかど)の  御世(みよ)を經(へ)て難波高津宮(なにはのたかつのみや)《割書:人皇十七代仁德天皇》の御世(みよ)に至(いた)り毛野國(けぬのくに)を  裂(さき)て上下(かみしも)とし上毛野國(かみつけのくに)下毛野國(しもつけのくに)と名附(なつげ)玉ひ豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の四世(よつきの)  御孫(みまご)奈良別王(ならわけのみこ)を以て初(はじめ)て國造(くにのみやつこ)にぞ定(さだめ)玉ひければ是(これ)より下毛野(しもつけの)  國(くに)といへる一國にはなりたれど 崇神(すじん)天皇の御世(みよ)より 仁德(にんとく)天  皇の御世(みよ)に至(いた)り世(よ)のおくれたること凡(およそ)四百年 程(ほど)にもなりなんか國造(くにのみやつこ)  奈良別王(ならわけのみこ)の廨府(かいふ)を開(ひら)き玉ひしは當郡(たうぐん)の國府(こくふ)なるべし一説(いつせつ)に都賀(つがの)  郡(こほり)といへるは古(いにしへ)より𦾔(ふる)き塚(つか)の有(あり)けるよりもとは塚郡(つかのこほり)とも書(かき)しを 【左丁】  和銅(わどう)の勅宣(ちよくせん)に國郡邑里(こくぐんいふり)の名(な)は嘉字(よきじ)を撰(えら)み二字に定(さだ)めよとの事  より國(くに)の名(な)も毛字(けのじ)を省(はぶ)き上野國(かみつけのくに)下野國(しもつけのくに)とし郡(こほり)の名(な)も塚(つか)を轉(てん)じて  都賀郡(つがのこほり)と改(あらた)めける由(よし)を傳(つた)へたり上毛(かみつけ)下毛(しもつけ)の両國(りやうこく)は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)  の皇孫(みすゑ)𦾔(ふる)くより此(この)両國(りやうこく)に止(とゞま)り裔孫(えいそん)永(なが)く郷人(さとびと)となり玉ひしかば  其(その)子孫(しそん)國中(こくちゆう)に繁延(はんえん)し上毛野朝臣(かみつけのゝあそん)下毛野朝臣(しもつけのゝあそん)を称(しよう)するものを初(はじめ)  とし其(その)餘(よ)壬生氏(みぶうぢ)等(とう)の始祖(しそ)なる事は姓氏録(しやうしろく)にも見えたり又(また)神名(しんみやう)  帳(ちやう)に載(のせ)て二荒山(にくわうざん)の神社(じんじや)《割書:名神大》山(やま)の名(な)二荒(にくわう)を和訓(わくん)してふたあら  やまと唱(とな)ふ其(その)二荒山(にくわうざん)と號(がう)する義(ぎ)の起(おこ)れる濫觴(らんじやう)は當山(たうざん)の《振り仮名:𦾔記|きうき》に  載(のせ)たるを閲(えつ)するに上古(じやうこ)より中禅寺(ちゆうぜんじ)の東北(とうぼく)に當(あた)りて大坑穴(たいかうけつ)あり  是(これ)を称(しよう)して羅刹崛(らせつくつ)と唱(とな)ふ此 大坑(おほあな)上古(じやうこ)より有(あり)といへども其(その)名(な)を名(な)  附(づけ)玉ひし事は開祖上人(かいそしやうにん)の时(とき)といへり彼(かの)坑中(かうちゆう)より大風(たいふう)吹出(ふきいだ)して草(さう)  木(もく)を倒(たふ)し民屋(みんおく)を破潰(はさい)し國中(こくちゆう)を吹荒(ふきあら)す事 春秋(はるあき)両度(りやうと)毎歳(まいさい)約(やく)したる 【図】 御山内總圖《割書:并》東西町 雲夢齊孟縉圖 【右丁】 小倉山 御茶亭 【左丁】 興雲律院 外山 【図】 其二 【右丁】 イナリ川 御別當  大樂院 養源院 仏岩谷 惠乘院 華藏院 醫王院 藤本院 護光院 法門院 修学院 東山谷 敎城院 日増院 逰城院 禅智院 櫻本院 御別荘 本宮 南照院 安居院 唯心院 【左丁】 御奥ノ院 新宮 御宮 二王御門 御假殿 時ノ鐘 御殿跡 安養院 御本坊 表御門 淨土院 御旅所 観音院 実敎院 光樹院 中山谷 照尊院 星ノ宮 星ノ宿 【図】 其三 【右丁】 御別所  竜光院 日光権現 御靈庿 大師堂山 御堂山 常行堂 法華堂 無量院 御役所 御藏 西御役宅 善女神谷 西谷 火ノ番屋宅 竜神 四軒町 袋町 南谷 下本町 下大工町 上大工町 板引町 御厩 【左丁】 クシラ村 寂光 荒沢 妙道院 八幡 蓮華石 カンマン淵 原町 タモ沢 上本町 淨光寺 向河原 慈雲寺 啼虫山 【地図】 御山内縮圖 【右丁 地図】 【左丁】  が如(ごと)し衆庶(しゆうしよ)是(これ)を患(うれ)ふ其(その)後(ゝち)弘仁十一年 空海和尚(くうかいをしやう)登山(とうざん)せられし时(とき)  彼(かの)崛(くつ)邊(へん)に於(おい)て辟除(へきぢよ)結界(けつかい)し玉ひ山(やま)を號(がう)して日光(につくわう)と改(あらた)められしより  《振り仮名:年〻|ねん〳〵》の暴風(ばうふう)も止(やみ)國中(こくちゆう)の人民(じんみん)も初(はじめ)て安堵(あんど)の思(おも)ひを得(え)たり當山(たうざん)の  社士(しやし)小野氏(をのうぢ)の中禅寺(ちゆうぜんじ)の社職(しやしよく)を兼務(けんむ)して毎歳(まいさい)二荒(にくわう)の巌崛(がんくつ)に到(いた)り  春秋(しゆんじう)二季(にき)風(かぜ)しづめの秘法(ひほふ)空海和尚(くうかいをしやう)より相承(さうじよう)し小野氏(をのうぢ)の家秘(かひ)と  して修(しゆ)せし事 彼(かの)家(いえ)の《振り仮名:𦾔記|きうき》に載(のせ)たる由(よし)なりされど天和 年中(ねんぢゆう)故(ゆゑ)有(あり)て  其(その)家(いえ)断絶(だんぜつ)せしとぞ  文明 年中(ねんぢゆう)聖護院宮准后(しやうごゐんのみやじゆごう)道興法親王(だうこうほふしんわうの)囬國雜記(くわいこくざつきに)云(いはく)日光山(につくわうざん)にのぼりて  よめるまたむかしは二荒山(にくわうざん)といふとなん   雲(くも)きりもおよばて高(たか)き山(やま)の端(は)にわけて照(てり)そふ日(ひ)の光(ひかり)哉  又(また)和名鈔(わみやうせう)郷名(がうみやう)の條(でう)に下野國(しもつけのくに)都賀郡(つがのこほりの)内(うち)の郷名(がうみやう)に布多(ふた)と書(かき)たるは  今 近里(きんり)に其(その)遺称(ゐしよう)も聞(きこ)えざれども若(もし)くは二荒山(にくわうざん)の邊(へん)なる山麓(さんろく)【「フモト」左ルビ】に 【右丁】  有(あり)し地名(ちめい)にてもありしやらんといふ説(せつ)あり定(さだ)かならねど聞(きゝ)傳(つた)  へし事ありしゆゑ聊(いさゝか)爰(こゝ)にしるせり 日光御領(につくわうごりやう)《割書:一万三千石》  日光御料(につくわうごれう)の界限(かいげん)は東の方 宇都宮街道(うつのみやかいだう)大澤駅(おほさはのえき)まで日光(につくわう)より四里  壬生街道(みぶかいだう)は文挾駅(ふばさみのえき)迠(まで)同五里西の方 足尾(あしを)迠(まで)同六里 久我村(くがむら)まで同  七里 乾(いぬゐ)の方 栗山郷(くりやまのがう)迠(まで)同七里なり中禅寺(ちゆうぜんじ)の奥湯本(おくゆもと)へ至(いた)り上野國(かみつけのくに)  境(さかひ)あれども人跡(じんせき)たえたる所(ところ)ゆゑ慥(たしか)には知(し)れるものなけれど日光(につくわう)入口(いりくち)  より九里 許(ばかり)も有(ある)べし南の方 足尾(あしを)より北は會津領(あひづりやう)の山谷堺(さんこくさかひ)へ是(これ)も人(ひと)  の至(いた)らぬ高山(かうざん)峻谷(しゆんこく)多(おほ)きゆゑ定(さだ)かに知(しり)がたけれど大抵(たいてい)八里 餘(よ)も有(ある)べし  御山内(ごさんない)より江戸(えど)迠(まで) 御成道(おんなりみち)三十六里 許(ばかり)宇都宮(うつのみや)へ九里 那須(なす)大田(おほた)  原(はら)へ拾壱里 高原峠(たかはらたうげ)へ八里 餘(よ)常州(ひたちの)水戸(みと)へ三十五里 越後國(ゑちごのくに)へ六拾  里 當國(たうごく)小山(をやま)迠(まで)十六里同 壬生(みぶ)迠(まで)十一里 許(ばかり)同 栃木(とちぎ)迠(まで)十二里 餘(よ)上野(かうづけの) 【左丁】  妙義山(みやうぎさん)迠(まで)廿七里同 厩橋(まえばし)へ足尾(あしを)より十二里同 沼田(ぬまた)迠(まで)十四里 松原町(まつばらまち) 日光(につくわう)入口(いりくち)の町(まち)にて木戸門(きどもん)を設(まう)く古(いにしへ)は此あたり松(まつ)ばらにて  有(あり)しといふ 石屋町(いしやまち) 御幸町(ごかうまち) 傳(つた)へ聞(きく)此三町今 悉(こと〴〵く)町並(まちなみ)の軒(のき)をつらねたは寛永  已来(いらい)の事なりといへり其(その)以前(いぜん)は御幸町(ごかうまち)をば新町(しんまち)と称(しよう)して御山内(ごさんないの)  中山(なかやま)の地(ち)に在(あり)しといひ石屋町(いしやまち)松原町(まつばらまち)は御山内(ごさんない)こゝかしこ又(また)は  御山外(ごさんぐわい)《振り仮名:所〻|しよ〳〵》山際(やまぎは)などに在(あり)し《振り仮名:家〻|いへ〳〵》なりしが寛永十七年 故(ゆゑ)ありて  新町(しんまち)をば鉢石町(はついしまち)の下(しも)へ移(うつ)さる其(その)时(とき)淨土院(じやうどゐん)観音院(くわんおんゐん)実敎院(じつけうゐん)光樹院(くわうじゆゐん)  の四ヶ院(ゐん)其(その)町跡(まちあと)を寺地(てらち)に賜(たま)はりて引移(ひきうつ)れり外(ほか)に山内外(さんないぐわい)《振り仮名:所〻|しよ〳〵》に散(さん)  在(ざい)せし俗家(ぞくか)をば稲荷町(いなりまち)並(ならび)に松原(まつばら)へ移(いつ)さる其(その)頃(ころ)は都(すべ)て三町を新町(しんまち)  と唱(とな)へしといへり 龍藏寺(りうざうじ) 石屋町(いしやまち)北側(きたがは)にあり瑞雲山(ずゐうんざん)と號(がう)【号+乕】す原町(はらまち)妙道院(みやうだうゐん)末寺(まつじ)内(ない)に観(くわん) 【図】 日光入口東町凡長十四五町許 花菱齊    北雅筆 【右丁】 上鉢石町 観音寺 中鉢石町 下鉢石町 出町 多聞寺 コウウゾウ イナリ 【左丁】 御幸町 石屋町 松原町 イナリ町 竜藏寺 【右丁】  音堂(おんだう)あり當國(たうごく)三拾三 所(しよ)の内(うち)三拾二 番(ばん)の觀音(くわんおん)慈覚大師(じがくだいしの)作(さく)又 恵心(ゑしん)  僧都(そうづ)の作(さく)なる辨才天(べんざいてん)を安置(あんち)す此 寺(てら)は古(いにしへ)畠山重忠(はたけやましげたゞ)の季子(きし)なるが  出家(しゆつけ)し重慶阿闍梨(ぢうけいあじやり)といへる僧(そう)が庵(いほり)を結(むす)びし《振り仮名:𦾔跡|きうせき》なり重慶(ぢうけい)不慮(ふりよ)に  害(がい)せられ暫(しばら)く断絶(だんぜつ)せしを年(とし)經(へ)て當山(たうざんの)座主(ざす)再営(さいえい)なりといふ東鑑(あづまかゞみに)云(いはく)  建曆(けんりやく)三年九月十九日 日光山(につくわうざん)別當(へつたう)辨覚(べんがく)進(しんじて)_二使者(ししやを)_一申(まうして)云(いはく)故(こ)畠山(はなけやま)次郎 重(しげ)【注①】  忠(たゞ)末子(ばつし)大夫(たいふ)阿闍梨(あじやり)重慶(ぢうけい)籠(こもり)_二居(ゐ)當山(たうざん)之(の)麓(ろく)根(こんに)_一聚(あつめ)_二牢人(らうにんを)_一又(また)祈禱(きたう)有(あり)_下碎(くだく)_二肝(かん)【注②】  膽(たんを)_一事(こと)_上是(これ)企(くはだつる)_二謀叛(むほんを)_一之(の)條(でう)無(なき)_二異儀(いぎ)_一欤(か)之(の)由(よし)《割書:云| 〻》其(その)砌(みぎり)長沼(ながぬま)五郎 宗政(むねまさ)候(こうずる)_二當座(たうざに)_一之(の)  間(あひだ)可(べき)_レ生(いけ)_二-虜(どる)重慶(ぢうけいを)_一之(の)趣(おもむき)被(らる)_二仰(おほせ)含(ふくめ)_一之《割書:云| 〻》宗政(むねまさ)即时(そくじ)に馬(うま)を馳(はせ)て重慶(ぢうけい)が首(くび)を  斬(きり)て鎌倉(かまくら)へ持参(ぢさん)しければ幕下(ばつか)将軍(しやうぐん)の仰(おほせ)に畠山重忠(はたけやましけたゞ)は謀叛人(むほんにん)にあらず  其 末子(ばつし)の出家(しゆつけ)なれば生虜(いけどり)来(きた)るべき旨(むね)を下知(げぢ)せしに誅戮(ちゆうりく)するに  不及(およばず)よと大(おほい)に御気色(みけしき)に違(ちが)ひければ宗政(むねまさ)も無本意(ほいなき)事に思(おも)ひ侍所(さふらひどころ)に  して頭人(とうにん)へ對(たい)し《振り仮名:種〻|しゆ〴〵》所存(しよぞん)の事ども放言(はうげん)して退去(たいきよ)せしといふ 【左丁】 神主山(かうのすやま) 土人(どじん)唱(とな)へを誤(あやまり)て鴻巣(こうのす)とも書(かき)或(あるひ)は鴻臺(こうのだい)などゝ謬(あやまり)傳(つた)へたり  是(これ)は石屋町(いしやまち)邊(へん)の南に當(あた)れる高山(かうざん)登(のぼ)り凡(およそ)一里 許(ばかり)東南 数(す)十里を遠(ゑん)  望(ばう)す此(この)邊(へん)都(すべ)て童山(どうざん)にして頂上(ちやうじやう)平坦(へいたん)十 間(けん)四方(しはう)程(ほど)なり 稲荷町(いなりまち) 一名(いちみやう)は出町(でまち)と唱(とな)ふもとは本宮(ほんぐう)社地(しやち)の東の方に町並(まちなみ)人家(じんか)  在(あり)て又 御目付(おんめつけ)屋敷(やしき)火之番(ひのばん)屋敷(やしき)もありて鎭守(ちんじゆ)稲荷(いなり)の社(やしろ)あるゆゑ  稲荷町と唱(とな)へ川(かわ)の名(な)も稲荷川(いなりがは)と號(がう)し今も本宮(ほんぐう)の東の方(かた)なる谷(たに)  川(がは)をいふ此 谷川(たにがは)の水源(すゐげん)は瀧尾山(たきのをやま)より西北に七滝(なゝたき)といへる深山(しんざん)の  幽谷(いうこく)より出(いづ)る寛文年中 不図(はからず)水源(すゐげん)の山(やま)崩(くづ)れ遽(にはか)に洪水(こうずゐ)激流(げきりう)し御目(おんめ)  付(つけ)屋敷(やしき)火之番(ひのばん)屋敷(やしき)町屋(ちやうか)も稲荷町(いなりまち)萩垣町(はぎがきまち)など同时(どうじ)に流亡(りうばう)し溺死(できし)の  もの三百人 餘(よ)なりとぞ其(その)後(ゝち)町家(ちやうか)を此(この)所(ところ)へうつされけるゆゑ出町(でまち)  とも唱(とな)ふ石屋町(いしやまち)御幸町(ごかうまち)の東 裏(うら)より下鉢石町(しもはついしまち)の横町(よこちやう)迠(まで)に至(いた)る此(この) 横町(よこちやう)を乙女町(おとめまち)とも火(ひ)の番(ばん)横町(よこちやう)ともいへり神人(しんじん)等(ら)が住(ぢゆう)するゆゑ 【注① 「畠山」の振り仮名「はなけやま」はママ】 【注② 「籠」と「居」の間に竪点(合符)脱ヵ】 【図】 【右丁】 關陵寫【印 關陵】 【左丁】 鉢石町の炊烟 【右丁】  なり火(ひ)の番(ばん)屋敷(やしき)も漂流(へうりう)の後(のち)に此(この)横町(よこちやう)へ移(うつ)さる元(もと)より一屋敷(ひとやしき)は  入町(いりまち)に有(あり)て両所(りやうしよ)ともに防火(ばうくわ)の御備(おんそなへ)のために置(おか)れしかど寛政の  初(はじめ)に所以(ゆゑ)ありて一組(ひとくみ)は御減(ごげん)じとなれり 下鉢石町(しもはついしまち) 中鉢石町(なかはついしまち) 御山内(ごさんない)の方(かた)を上(うえ)とし上中下(かみなかしも)と三町に分(わか)ち  町並(まちなみ)長(なが)さ七町 許(ばかり)御幸町(ごかうまち)より續(つゞ)き此(この)三町は御傳馬(おてんま)駅次(うまつぎ)を勤(つと)む本陣(ほんぢん)  の旅亭(りよてい)三四 宇(う)其(その)餘(よ)旅舎(りよしや)あり上鉢石坂下(かみはついしさかした)に傳馬(てんま)會所(くわいしよ)あり問屋(とひや)は  杉江太左衛門(すぎえたざゑもん)とて其(その)事(こと)を司(つかさど)る中鉢石町家(なかはついしまちや)の裏(うら)に鉢(はち)に似(に)たる大(たい)  石(せき)あるをもて町(まち)の名(な)に負(おは)せり 上鉢石町(かみはついしまち) 此(この)所(ところ)は両側(りやうかは)に當所(たうしよ)名産(めいさん)指物(さしもの)塗(ぬり)もの曲物(まげもの)膳椀(ぜんわん)食籠(じきろう)其(その)餘(よ)  諸品(しよひん)を商(あきな)ふ《振り仮名:店〻|たな〴〵》軒(のき)を連(つら)ねてすめり 觀音寺(くわんおんじ) 鉢石山(はついしざん)と號(がう)【号+乕】す當山(たうざん)御直末(おぢきまつ)なり中鉢石町(なかはついしまち)の南の山際(やまぎは)にあり  境内(けいだい)観音堂(くわんおんだう)本尊(ほんぞん)は弘法大師(こうぼふだいしの)作(さく)といふ此(この)寺(てら)は鉢石町(はついしまちの)方(かた)なる香花院(かうげゐん)【「ボダイシヨ」左ルビ】 【左丁】  なり此(この)寺(てら)は徃古(わうこ)より在(あり)し寺(てら)なりといへり 下馬(げば) 上鉢石町(かみはついしまち)を出(で)はなれ四方(しはう)ひらけたる所(ところ)の左(ひだり)の山際(やまぎは)に下乗(げじよう)  の石柱(せきちゆう)たてり土人(どじん)此(これ)所(ところ)を下馬(げば)と唱(とな)ふ向(むか)ふの方(かた)へ少(すこ)しくだれば  神橋(みはし)并(ならびに)仮橋(かりばし)あり 星宮(ほしのみや) 下馬(げば)の南なる山麓(さんろく)【「フモト」左ルビ】杉(すぎ)の古樹社(こじゆしや)邊(へん)を圍繞(ゐねう)す此(この)宮(みや)小社(せうしや)なりと  いへども日光(につくわう)緇素(しそ)大切(たいせつ)なる社頭(しやとう)なり其(その)来由(らいゆ)を爰(こゝ)に省略(しやうりやく)してしる  さんには當山(たうざん)開祖上人(かいそしやうにん)いまだ御幼稚(ごえうち)にておはせしころ御童名(ごどうみやう)を  藤糸丸(ふぢいとまろ)と称(しよう)し奉(たてまつ)れり天平十三癸丑 藤糸丸(ふぢいとまろ)七 歳(さい)の秋(あき)或(ある)夜(よ)明星天(みやうじやうてん)  子(し)忽然(こつぜん)として降臨(ごうりん)まし〳〵親告(まのあたりつげ)て宣(のたま)はく二荒山(にくわうざん)は神代(じんだい)より以降(このかた)  大己貴命(おほなむちのみこと)田心姫命(たごりひめのみこと)味耜高彦根命(あぢすきたかひとねのみこと)垂迹(すゐしやく)の靈地(れいち)にして三神(さんじん)とこし  なへに彼(かの)山頂(さんちやう)にましませり爾(しか)るに汝(なんぢ)兼(かね)て三神(さんじん)と宿縁(しゆくえん)厚(あつ)うして  頗(すこぶる)法器(ほふき)を備(そな)ふ速(すみやか)に大心(たいしん)を發(おこ)し彼(かの)山川(さんせん)を跋渉(ばつせふ)して三神(さんじん)に値遇(ちぐう)し 【右丁】  奉(たてまつ)り勝地(しようち)を草創(さうさう)して遠(とほ)く末代(まつだい)の群生(ぐんしやう)を濟度(さいど)すべし我(われ)は是 虚空(こくう)  蔵(ざう)の垂迹(すゐしやく)なり天(てん)に在(あり)ては大白星(たいはくせい)とあらはれ此(この)土(ど)に来下(らいげ)しては  磐裂(いはさく)の荒神(くわうじん)たりと告説(つげをはり)て忽然(こつぜん)として見(み)え給(たま)はず藤糸(ふぢいと)奇異(きい)の  思(おも)ひをなし是(これ)より信心(しんじん)膽(きも)に銘(めい)じ発心(ほつしん)常(つね)に怠(おこた)り給(たま)はず遂(つひ)に二  十七 歳(さい)の春(はる)薙髪(ちはつ)授戒(じゆかい)して當山(たうざん)開基(かいき)の功業(こうげふ)を成(なし)給(たま)へり上人(しやうにん)曽(かつ)て  四本龍寺(しほんりうじ)におはせし时(とき)徒㐧(とてい)の《振り仮名:人〻|ひと〴〵》に告(つげ)て宣(のたまは)く吾(わが)此(この)靈山(れいざん)を闢(ひら)き  精舎(しやうしや)を建(たて)て天下(てんか)の為(ため)に帰依せらるゝこと単(ひとへ)に明星天子(みやうじやうてんし)の神勅(しんちよく)深(しん)  砂大王(しやだいわう)の擁護(おうご)によれり汝(なんじ)等(ら)及(および)末代(まつだい)我(わ)が耳孫(じそん)たるものは常(つね)に此  両神(りやうじん)を尊崇(そんそう)して必(かならず)神恩(しんおん)を忘失(ばうしつ)すべからずと因茲(これによりて)建立修行記(こんりふしゆぎやうきに)云(いはく)  當(あたりて)_二河南涯(かはのなんがいに)_一有(あり)_レ山(やま)名(なづく)_二精進峰(しやうじんのみねと)_一崇(あがめて)_レ神(かみを)號(がうす)【号+乕】_二星御前(ほしのごせんと)_一《割書:云| 〻》又(また)云(いはく)河北涯(かはのほくがいに)崇(あがむ)_二㴱沙王(しんしやわうを)_一  《割書:云| 〻》是(これ)に仍(よつ)て是(これ)を観(み)れば星宮(ほしのみや)は當山(たうざん)権輿(けんよ)の基(もとゐ)にして上人(しやうにん)の恩(おん)  沢(たく)遠(とほ)く今に及(およぶ)も全(まつた)く二神(にじん)の冥助(みやうじよ)に出(いで)て恰(あたかも)比叡(ひえ)の山王(さんわう)赤山に齊(ひと)し 【左丁】  小社(せうしや)といへども疎(おろそか)なるべけんや此(この)ゆゑに今(いま)猶(なほ)東西 町(まち)にて星宮(ほしのみや)  并(ならび)に虚空蔵(こくうざう)を以(もつ)て總鎮守(そうちんじゆ)と崇(あが)め奉(たてまつ)れり 神橋(みはし) 神護景雲元年 勝道上人(しようだうしやうにん)跋渉(ばつせふ)のみぎり此(この)所(ところ)に来(きた)り給(たまひ)しに両(りやう)  岸(がん)の絶崕(ぜつがい)高(たか)く聳(そびえ)漲水(ちやうすゐ)盤渦(はんくわ)して濟(わた)るべきやうなかりしかば道公(だうこう)  輞然(まうぜん)として巌上(がんしやう)に跪(ひざまづ)き丹心(たんしん)をくだき神仏(しんぶつ)に祈誓(きせい)し暫(しばらく)念誦(ねんじゆ)し玉ひ  けるに髣髴(はうふつ)として北崕(ほくがい)に深沙大王(しんしやだいわう)の尊容(そんよう)あらはれ御手(おんて)に持(もち)玉ふ  青赤(せいしやく)の両蛇(りやうじや)を大河(だいが)に向(むかひ)て放(はなち)玉ふと見(み)る所(ところ)に忽(たちまち)飄然(へうぜん)として虹霓(こうげい)【雨+児】  の山間(さんかん)に浮(うかべ)るに異(こと)ならず北岸(ほくがん)より南崕(なんがい)まで一條(いちでう)の長橋(しやうけう)を架(か)せり  上人(しやうにん)奇異(きい)の思(おも)ひをなし深(ふか)く大権(たいごん)の冥助(みやうじよ)を歓喜(くわんぎ)まし〳〵信心(しんじん)身に  徹(てつ)し玉ふといへどもいまだ凡慮(ぼんりよ)を免(のが)れ給(たま)はざれば大蛇(だいじや)の長橋(ちやうけう)を  望(のぞ)みしばし躊躇(ちうちよ)し給ふ所(ところ)に又(また)不思議(ふしぎ)なる哉(かな)蛇橋(じやけう)の上(うへ)に忽(たちまち)数根(すこん)  の山菅(やますげ)を生(しやう)じ山間(さんかん)に一路(いちろ)を新(あらた)に開(ひら)きたるにことならず上人(しやうにん)いよ〳〵 【図】 【右丁】 勝道上人(しようだうしやうにん)開闢(かいびやく)の時(とき)深沙大王(しんしやだいわう)の加護(かご)を 得(え)て蛇橋(じやばし)を渡(わた)り登山(とうざん)し玉ふ圖(づ) 【右丁】  冥助(みやうじよ)の著(いちじろ)き事を感歎(かんたん)まし〳〵いつしか危(あやふ)き念慮(ねんりよ)も忘(わす)れ遂(つひ)に徒㐧(とてい)と  ともに彼(かの)長橋(ちやうけう)を濟(わた)り給(たま)ひ北岸(ほくがん)に至(いたり)て遥(はるか)に後(うしろ)を顧(かへりみ)給へばあやしむ  べし大王(だいわう)も二蛇(にじや)もかき消(け)す如(ごと)く見(み)えさせ給(たま)はずなりけるとぞ  夫(それ)より此(この)橋(はし)を称(しよう)して山菅(やますげ)の蛇橋(じやばし)とは唱(とな)へけり又(また)大同 年間(ねんかん)帝京(ていきやう)に  兵革(ひやうかく)の事(こと)起(おこり)て既(すで)に干戈(かんくわ)を揺(うごかす)に及(およ)び當山(たうざん)の御神(おんかみ)へ朝廷(てうてい)より懇祈(こんき)  をこめられけるがほどなく天下(てんか)無為(ぶゐ)に帰(き)せしかば其(その)報應(はうおう)の為(ため)  にとて日光權現(につくわうごんげん)の宮殿(きうでん)新(あらた)に御造替(おんつくりかへ)あり山菅橋(やますげのはし)も此(この)时(とき)はじめて  大(おほい)なる橋(はし)となれりそれまでは上人(しやうにん)徒㐧(とてい)とともに蛇橋(じやばし)の跡(あと)へ僅(わづか)  なる橋(はし)を架(か)し置(おき)給(たま)へるのみにて至(いたつ)て小橋(せうけう)なりけりとぞ山菅橋(やますげのはし)又(また)は  山菅(やますげ)の蛇橋(じやばし)とも称(しよう)し玉(たま)ひしより遂(つひ)には通称(つうしよう)となりぬ今は專(もつぱら)神(み)  橋(はし)と唱(とな)ふ枕草紙(まくらのさうし)の春曙抄(しゆんしよせう)に異本(いほん)を引(ひき)てやますけのはし一筋(ひとすぢ)わた  したる棚橋(たなばし)と書(かけ)るはむかし僅(わづか)にわたしゝ小橋(せうけう)のさまを其(その)まゝに 【左丁】  書(かき)たるものなるべし扨(さて)前條(ぜんでう)に出(いだし)し如(ごと)く大同三年 當國(たうごく)の國司(こくし)橘(たちばなの)  利遠(としとほ)當山(たうざん)造営(ざうえい)の勅(ちよく)を稟(うけ)しとき麓(ふもと)にすめる神人(しんじん)にて工匠(こうしやう)を兼(かぬ)る  山崎太夫(やまざきたいふ)といふものに下知(げぢ)して初(はじめ)て大橋(たいけう)を架(か)せしより諸人(しよにん)渡(わた)るに  易(やす)き事(こと)を得(え)たりとぞ夫(それ)より十六年に一度(いちど)づゝ掛替(かけかへ)の命(めい)あり山崎(やまざき)  太夫(たいふ)の子孫(しそん)《振り仮名:代〻|だい〳〵》其(その)事(こと)を勤(つと)む山崎太夫(やまざきたいふ)通名(つうみやう)長兵衞(ちやうびやうゑ)と號(がう)するゆゑ  里俗(りぞく)常(つね)に呼(よん)で橋掛長兵衞(はしかけちやうびやうゑ)と字(あざな)せり  廽國雜記(くわいこくざつきに)云(いはく)此(この)山(やま)にやますげの橋(はし)とて深秘(しんひ)の子細(しさい)ある橋(はし)はべり  くはしくは縁記(えんぎ)に見え侍(はべ)る又(また)顕露(けんろ)にしるし侍(はべ)るべきことにあらず    法(のり)の水(みづ)みなかみふかくたつねずはかけてもしらし山菅(やますげ)の橋(はし)  《割書:万葉》むば玉の黒(くろ)かみ山(やま)のやま菅(すげ)にこさめ降(ふり)しきます〳〵ぞおもふ 人丸  《割書:懐中》老(おい)の世(よ)に年(とし)をわたりてこほれなは常(つね)よかりける山菅(やますげ)の橋(はし)  此(この)所(ところ)は 御遷座(ごせんざ)の事(こと)に仍(より)て荊棘(けいきよく)をはらひ《振り仮名:𡸴嵓|けんがん》を裂(さき)て直道(ちよくだう)を達(たつ)し 【右丁】  橋(はし)を設(まう)け通路(つうろ)の便冝(びんぎ)とせられしより商家(しやうか)連住(れんぢゆう)して街坊(かいばう)修飾(しうしよく)せし  事(こと)とぞ又(また)里老(りらう)が話(かた)れるを聞(きく)に上鉢石(かみはついし)坂(さか)うへはもと星宮(ほしのみや)の山上(さんしやう)  より續(つゞ)きたる山(やま)なるを坂口(さかぐち)より下馬(げば)迠(まで)山(やま)の中腹(ちゆうふく)を悉(こと〴〵く)切(きり)平(たひら)げら  れて中段(ちゆうだん)に造(つく)れる町並(まちなみ)なり今(いま)中鉢石(なかはついし)といへる所(ところ)の北 裏(うら)は町家(ちやうか)の  際(きは)迠(まで)押寄(おしよせ)て大谷川(だいやがは)の水瀬(すゐらい)に有(あり)しゆゑ町幅(まちはゞ)至(いたつ)て狹(せば)し其(その)河瀬(かはせ)を山(さん)  腹(ふく)を開(ひらき)し土石(どせき)を以(もつ)て填(うづめ)られ河瀬(かはせ)を小倉山(をぐらやま)の麓寄(ふもとより)へ疏鑿(しよさく)しける  ゆゑ今は川瀬(かはせ)北岸(ほくがん)へ接附(せつふ)し中下鉢石(なかしもはついし)迠(まで)の北 裏通(うらとほ)り平坦(へいたん)の通路(つうろ)とは  なれる由(よし)されどももとより河原(かはら)跡(あと)ゆゑ大石(たいせき)多(おほ)く路傍(ろはう)にまろべり  此(この)御手傳(おんてつだひ)の成㓛(せいこう)は仙臺侯へ被(られ)_レ命(めいぜ)ける由(よし)其(その)㓛業(こうげふ)また少(すくな)からず  古(いにしへ)より山内(さんない)へ通行(つうかう)せしは観音寺(くわんおんじ)前(まへ)より今(いま)は會所(くわいしよ)と號(がう)するあた  りを過(すぎ)て河原(かはら)へ出(いで)て大谷川(だいやがは)を渉(わた)り本宮(ほんぐう)下(した)より山内(さんない)へ達(たつ)せし由(よし)  今(いま)も鉢石町(はついしまち)うらに又蔵橋(またざうばし)夫(それ)より僅(わづか)下(くだ)れは所野橋(ところのばし)とて所㙒村(ところのむら)へ 【左丁】  通行(つうかう)する土橋(どばし)あり其(その)下(した)に七里村(しちりむら)より小百村(こびやくむら)への通行橋(つうかうはし)あり是(これ)は  湯西(ゆにし)又(また)は高原(たかはら)への道(みち)にて會津(あひづ)へも逗(いた)れり今市駅(いまいちのえき)は  御打入(おんうちいり)の後(のち)に置(おか)れたる驛舎(えきしや)にてもとは七里村(しちりむら)にて大谷川(だいやがは)を渉(わた)り  大渡(おほわたり)にして絹川(きぬかは)を踰(こえ)て宇都宮(うつのみや)へも達(たつ)せしといひ那須(なす)へ通(かよ)ふと  會津(あひづ)へ行(ゆく)は古(いにしへ)も今(いま)も其(その)路(みち)同(おな)じ  宗長紀行(そうちやうきかうに)云(いはく)《割書:永正六年|九月》此(この)八島(やしま)より各(おの〳〵)打(うち)つれかぬまといへる所(ところ)に  綱房(つなふさ)《割書:壬生中務少輔|なり》が父(ちゝ)筑後守(ちくごのかみ)綱重(つなしげ)の館(たち)あり   一宿(いつしゆく)してたちのいそぎのまに        わかで見舞くろ髪山(かみやま)の秋(あき)の霜(しも)  同(おなじ)紀行(きかうに)云(いはく)鹿沼(かぬま)より寺迠(てらまで)は五十里の道(みち)この頃(ごろ)の雨(あめ)に人馬(にんば)のゆき  かよひ通(とほ)るべくもあらずおもひしに寺(てら)の坂本迠(さかもとまで)《振り仮名:所〻|しよ〳〵》より出来(いでく)る  過分(くわぶん)なりしことなり坂本(さかもと)の人家(じんか)は数(かず)を分(わか)ず續(つゞき)て福地(ふくち)と見(み)ゆ爰(こゝ)より 【図】 【右丁】 可菴武清筆【印 可菴】 【左丁】 御神橋圖 【右丁】  九曲折(つゞらをり)なる岩(いは)につたひてよぢ登(のぼ)れば寺(てら)のさま哀(あはれ)に松杉(しようさん)雲霧(うんむ)  まじはり槇檜原(まきひはら)の峰(みね)幾重(いくへ)ともなし左右(さいう)の谷(たに)より大(おほい)なる川(かは)流(なが)れ  出(いで)たり落合(おちあふ)處(ところ)の岩(いは)のさきより橋(はし)あり長(なが)さ四十丈にも餘(あま)りたらん  中(なか)をそらして柱(はしら)も立(たて)ず見(み)えたり山菅橋(やますげのはし)と昔(むかし)よりいひ渡(わた)りたると  なん此(この)山(やま)に小菅(こすげ)生(おふ)ると萬葉(まんえふ)にありゆゑある名(な)と見(み)えたり其(その)日(ひ)の  入相(いりあひ)の程(ほど)に宿坊(しゆくばう)鏡泉坊(きやうせんばう)につきぬ頓(やが)て翌日(よくじつ)座禅院(ざぜんゐん)にて連歌(れんが)あり    世(よ)は秋(あき)もときはかきはのみ山(やま)かな  夜(よ)に入(いり)て果(はて)ぬ執筆(しゆひつ)は児(ちご)の十六七にやと覚(おぼ)ゆるにぞ一座(いちざ)終日(しゆうじつ)の  興(きよう)も浅(あさ)からず侍(はべ)りし宮増源三(みやますげんざう)などいふ猿楽(さるがく)のぼり合(あわせ)て夜(よ)更(ふく)る  まで盃(さかづき)数度(すど)に成(なり)てうたひ舞(まひ)などして意(こゝろ)面白(おもしろ)きさま誰(たれ)か千世(ちよ)も  とおもはざりけん明(あく)る日(ひ)日光堂權現(につくわうだうごんげん)拜(はい)して滝尾(たきのを)といふ別所(べつしよ)あり瀧(たき)  のもとに不動堂(ふどうだう)あり瀧(たき)のうへに楼門(ろうもん)有(あり)廽廊(くわいらう)有(あり)右(みぎ)に漲(みなぎ)り落(おち)たる河(かは) 【左丁】  あり松ふく嵐(あらし)岩(い[は])うつ浪(なみ)何(いづ)れとわかちがたし寺(てら)より廿餘町の程(ほど)  大石(たいせき)をたゝめるなべての寺(てら)の道石(みちいし)を敷(しき)て滑(なめら)かなり是(これ)より《振り仮名:谷〻|たに〴〵》  を見下(みおろ)せば《振り仮名:院〻|ゐん〳〵》僧坊(そうばう)凡(およそ)五百 坊(ばう)にも餘(あま)りぬらん中禅寺(ちゆうぜんじ)とて四十  里のうへに湖(みづうみ)有(あり)とかや《割書:云| 〻》上世(じやうせい)當國(たうごく)の国司(こくし)橘年遠(たちばなのとしとほ)が勅(ちよく)を奉(ほう)じ  て板橋(いたばし)に造立(ざうりふ)せしは大同三年の事(こと)にて夫(それ)より星霜(せいさう)を經(ふ)ること  凡(およそ)八百 有餘歳(いうよさい)にして  大神祖君 御鎮座(おんちんざ)以後(いご)寛永六《割書:己| 巳》年 御修造(おんしゆざう)を加(くは)へ給(たま)ふ同十三《割書:丙| 子》年  新規(しんき)に御造立(おんざうりふ)の結構(けつこう)は長(ながさ)拾四 間(けん)幅(はゞ)三 間(げん)左右前後(さいうぜんご)の欄干(らんかん)ともに  總(そう)朱塗(しゆぬり)擬寶珠(ぎばうしゆ)滅金(めつき)其(その)餘(よ)手摺(てすり)かなもの皆(みな)同(おな)じ橋(はし)の裏板(うらいた)行桁(ゆきけた)は黒(くろ)  塗(ぬり)両方(りやうはう)の入口(いりくち)に欄楯(らんじゆん)を設(まう)け金鎖(きんさ)して通行(つうかう)を禁(きん)じ給ふ両岸(りやうがん)に大石(たいせき)を  削(けづり)て柱(はしら)となす万代(ばんだい)不易(ふえき)の石柱(せきちゆう)なり同年四月  東照宮二十一囬(くわい)御忌(ぎよき)京都(きやうと)より御攝家門跡(ごせつけもんぜき)方(がた)其(その)餘(よ)月卿雲客(げつけいうんかく)下向(げかう)の 【右丁】  时(とき)三條実條卿 下向(げかう)ありて   山菅(やますげ)のかけて危(あやふ)き古橋(ふるはし)を石(いし)を柱(はしら)にわたる御代(みよ)かな     神 橋           朝鮮國 涬溟齋   偶入壺中一破顔■【去+易・朅ヵ】來橋上俯晴灣蒼龍倒飲千層浪玉蝀斜連   兩岸山秋後客疑鐲渚過夜深人似月宮還閑看白鶴飛華表醉   倚雲梯縹緲閒                       龍 洲   路絶盤渦束峽閒飛仙於此亦凋顔誰令烏鵲愁銀漢可異蛟蛇   化艸菅陶素蟠桃通利濤衡山絶頂有躋攀由來禹𪔂驅鬼魅天   下名區鬼得慳  神橋(みはし)御渡初(おんわたりはじめ)御供養(おんくやう)の御導師(おんだうし)ともに天海老大僧正(てんかいらうだいそうじやう)なり此(この)度(たび)美麗(びれい)  に御造立(おんざうりふ)有(あり)しゆゑ諸人(しよにん)の通行(つうかう)には假橋(かりばし)を其(その)侭(まゝ)に架(か)しおかれて 【左丁】  常(つね)の徃来(わうらい)とせられ神橋(みはし)は  将軍家 御登山(ごとうさん)の砌(みぎり)のみ渡御(とぎよ)なし給(たま)ふとぞ其(その)餘(よ)は每歳(まいさい)二月廿三日  冬峰(ふゆみね)修行(しゆぎやう)の行人(ぎやうにん)水取(みづとり)に済(わた)り又(また)三月二日 早朝(さうてう)出峰(しゆつほう)にも済(わた)れり 假橋(かりはし) 神橋(みはし)より二十 間(けん)程(ほど)東の方(かた)に架(わた)す両岸(りやうがん)より材木(ざいもく)を組出(くみいだ)し柱(はしら)  なく欄干(らんかん)附(つき)板橋(いたはし)長(ながさ)十四五 間(けん)幅(はゞ)二 間(けん)半(はん)餘(よ)牛馬(ぎうば)通行(つうかう)の患(うれひ)なし 高坐石(かうざせき) 《振り仮名:𦾔記|きうき》に載(のせ)たるは昔(むかし)此(この)所(ところ)に鼻突石(はなつきいし)《割書:神橋(みはし)より一 間(けん)余(よ)河(かは)|上(かみ)にありしといふ》讀誦石(どくじゆせき)と  称(しよう)する石(いし)あり何(いづ)れも徃古(わうご)より謂(いは)れ有(ある)石(いし)なりしが貞享四年の洪(こう)  水(ずゐ)の时(とき)三石(さんせき)ともに埋(うづみ)て見(み)えず其(その)後(ゝち)元祿十七年の洪水(こうずゐ)の後(のち)に此(この)  高座石(かうざせき)のみ昔(むかし)の所(ところ)へ忽然(こつぜん)として顕(あらは)れ出(いで)たりといふ 大谷川(だいやがは) 水源(すゐげん)は中禅寺(ちゆうぜんじ)の湖水(こすゐ)より出(いで)て華厳瀧(けごんのたき)へ落(おち)来(きた)り大澤(だいたく)幽(いう)  谷(こく)を經(へ)て流(ながる)るゆゑ大谷川(だいやかは)の名(な)あり水路(すゐろ)のかゝること五里ばかり  上下(かみしも)の水流(すゐりう)の内(うち)には渉(わた)り安(やす)き所(ところ)もあれど至(いたつ)て冷水(れいすゐ)なりされども 【図】 【右丁】 大谷川秋月 【左丁】 華山登畫 【右丁】  鱒(ます)鰥(やもめ)岩魚(いはな)などすめり水源(すゐげん)より七八里 東流(とうりう)して絹川(きぬがは)に灌漑(くわんき)す 御番所(おんばんしよ) 仮橋(かりばし)を渡(わた)りて向(むかふ)に有 御山内(おんさんない)御番所(おんばんしよ)此(この)地(ち)を合(あは)せて拾一ヶ所(しよ)  あり 御宮(おんみや)二王御門(にわうごもん)下(した) 御宮内(おんみやうち)御手洗屋(みたらしやの)脇(わき) 御宮(おんみや)裏御門(うらごもん)  三仏堂(さんぶつだうの)脇(わき) 佛岩(ほとけいは) 新宮社地(しんぐうしやち)後山(うしろやま) 御靈屋(ごれいや)二王御門(にわうごもん)下(した) 御堂山(みだうやま)  瀧尾口(たきのをぐち) 下河原(しもがはら) 仮橋向(かりばしむかひ) 本宮權現(ほんぐうごんげん) 日光(につくわう)三社(さんしや)の内(うち)なり社地(しやち)仮橋(かりばし)の筋向(すぢむかふ)なる丘上(をかのうへ)に鎭坐(ちんざ)前(まへ)は  大谷川(だいやがは)の流(ながれ)に對(たい)し東北の方(かた)は稲荷川(いなりがは)に接(せつ)す社木(しやぼく)杉(すぎ)の古樹社地(こじゆしやち)  を繚繞(れうねう)せり御番所(ごばんしよ)の傍(かたはら)より石鴈木(いしがんぎ)を右へ登(のぼ)る中程(なかほど)の左の方(かた)に  別所(べつしよ)の坊(ばう)あり又(また)石鴈木(いしがんぎ)道(みち)を廿五六 間(けん)登(のぼ)り石鳥居(いしのとりゐ)あり寛政年中  迠(まで)は木鳥居(きどりゐ)なりしを同十二《割書:申》年 御修理(おんしゆり)の时(とき)に石(いし)に改(あらため)建(たて)らる此  鳥居(とりゐ)の額(がく)は天明元年二月  一品准三后宮公道法親王の御染筆(ごせんひつ)なり此(この)所(ところ)の隅(すみ)に古(いにしへ)鐘楼堂(しゆろうだう)の 【左丁】  礎石(そせき)残(のこ)れり長禄三年の鋳(たう)なり古河御所成氏朝臣(こがごしよなりうぢあそん)の名(な)を彫(てう)す今(いま)は  西町(にしまち)浄光寺(じやうくわうじ)境内(けいだい)へ移(うつ)さる  本社(ほんしや)拜殿(はいでん) 銅葺(あかゞねぶき)總(そう)赤塗(あかぬり) 祭神(さいじん)阿遲志貴高彦子根神(あぢしきたかひここねのかみ)也(なり)  此(この)神(かみ)は大己貴命(おほなむちのみこと)の御子(みこ)にて本地(ほんち)馬頭觀音(ばとうくわんおん)なり縁起略(えんぎりやくに)云(いはく)大同三年  勝道上人(しようだうしやうにん)四本龍寺(しほんりうじ)を建立(こんりふ)の时(とき)本堂(ほんだう)の南に三社權現(さんじやごんげん)を勸請(くわんじやう)し給(たま)ふ  上人(しやうにん)の遺㐧等(ゐていら)《振り仮名:替〻|かはる〴〵》輪番(りんばん)し膳供(ぜんぐ)を備(そな)へ法楽(はふらく)を捧(さゝ)げて朝三暮四(てうさんぼし)に  奉(たてまつる)_レ祈(いのり)_二帝朝(ていてう)安泰(あんたい)國家(こくか)豊念(ほうねんを)_一《割書:云| 〻》《割書:重宝(ちようはう)に木板にて三社の本地仏(ほんちぶつ)を彫(ほり)たる|もの有承和十一年甲子正月日と刻(こく)す》  四本龍寺(しほんりうじ) 宝形(はうぎやう)栃葺(とちぶき)素木(しらき)造(づくり)宝塔(はうたふ)の側(かたはら)にあり  本尊(ほんぞん)千手觀音(せんじゆくわんおん)並 五大尊(ごだいそん)勝道上人(しようだうしやうにん)の木像(もくざう)をも安(あん)す縁起(えんぎに)云(いはく)天平神  護二年丙午三月《割書:中略》奉_レ刻_二-彫千手觀音尊容_一紫雲靉靆石邉建_レ堂中  央奉_レ安_二-置観音尊像_一《割書:中略》號_二 四本龍寺_一《割書:云| 〻》大同三年戊子告_二國司利  遠_一奏_二 帝位_一再_二-興四本龍寺_一寺辺南造_二-立社壇_一勸_二-請権現_一《割書:云| 〻》また四本(しほん) 【右丁】  龍寺(りうじ)と名附(なづく)る来由(らいゆ)は當山(たうざん)建立修行縁起(こんりふしゆぎやうえんぎ)に委(くはしく)出(いで)たれば略(りやく)す  如法經堂(によほふきやうだう) 別所(べつしよ)に續(つゞ)き東の方(かた)二間(にけん)四面(しめん)三十 番神(ばんじん)勝道上人(しようだうしやうにん)の影(えい)  像(ざう)を安(あん)す或(ある)記(きに)云(いはく)明德二年 本宮(ほんぐう)四本龍寺(しほんりうじ)並 末社(まつしや)等(とう)其(その)外(ほか)焼亡(せうばう)し又(また)  大永二年二月四日にも囘禄(くわいろく)し永禄五年十一月五日にも焼失(せうしつ)し其(その)  後(のち)に再建(さいこん)ありて 御鎭座(おんちんざ)以来(いらい)正保四年 公海大僧正(こうかいだいそうじやう)修理(しゆり)を加(くは)へ  玉(たま)ひ寛文四年 御造営(ござうえい)あり其(その)後(ゝの)天和四年《割書:改元貞享元年》十二月廿日  蓮華石町(れんげいしまち)より失火(しつくわ)し當社(たうしや)迠(まで)延焼(えんせう)す是(これ)を日光山(につくわうざん)大延焼(たいえんせう)と唱(とな)ふ此(この)  时(とき)當社(たうしや)其(その)餘(よ)皆(みな)囬禄(くわいろく)せり同二《割書:丑》年  公(おほやけ)より命(めい)ぜられ社頭(しやとう)御再建(ごさいこん)有(あり)しは今(いま)の宮社(きうしや)なり  末社(まつしや) 鹿島祠(かしまのやしろ) 山王祠(さんわうのやしろ) 稲荷祠(いなりのやしろ) 採燈護广塲(さいとうごまば)  紫雲石(しうんせき) 本社(ほんしや)の後(うしろ)に有(あり)平石(ひらいし)高(たかさ)三尺 許(ばかり)徑(わたり)四尺 程(ほど)  笈掛石(おひかけいし) 拜殿(はいでん)の西の方(かた)に有(あり)立石(たていし)高(たかさ)三尺五寸 餘(よ) 【左丁】  三層塔(さんそうのたふ) 銅葺(あかゞねぶき)本社(ほんしや)の後(うしろ)にあり傳(つた)へいふ此(この)三重塔(さんぢうのたふ)は古(いにしへ)実朝将軍(さねともしやうぐん)の  御建立(ごこんりふ)最初(さいしよ)は今(いま)の御宮(おんみや)邊(へん)に在(あり)しを松平正綱はからひにて此(この)所(ところ)へ  移(うつ)さるゝ處(ところ)貞享の災(わざはひ)に囬禄(くわいろく)し今(いま)の塔(たふ)は其(その)後(ゝち)再建(さいこん)のものなり  三面大黒木像(さんめんだいこくのもくざう) 是(これ)は傳敎大師(でんげうだいし)叡山(えいざん)にて佛法(ぶつほふ)擁護(おうご)の為(ため)に安(あん)せし  を當山(たうざん)にても摸(うつ)し別所(べつしよ)每(ごと)に此(この)像(ざう)を安置(あんち)するは夫(それ)がゆゑなり  鎌倉立(かまくらだち)の神事(じんじ) 每歳(まいさい)正月二日 昼时(ひるどき)於(おいて)_二本宮(ほんぐうの)社前(しやぜんに)_一鎌倉立(かまくらだち)の神事(じんじ)と  いふありて本宮(ほんぐう)の社司(しやし)宮仕(きうし)神人(しんじん)等(とう)集(あつま)り拜殿(はいでん)において太鼓(たいこ)を打(うち)  夫(それ)より別所(べつしよ)へ聚(あつま)り饗應(きやうおう)の事(こと)終(をはり)て鎌倉(かまくら)へ可(べき)_レ赴(おもむく)もの両人(りやうにん)を定(さだ)め此(この)  もの等(ら)へ餅(もち)五十 切(きり)懐帋(くわいし)三 帖(でう)鳥目(てうもく)二百 孔(こう)を渡(わた)す直(すぐ)に出立(しゆつたつ)の装(よそひ)を  なし假橋(かりばし)を渡(わた)り下馬(げば)の邊(へん)迄(まで)も行(ゆき)て帰(かへ)り来(きた)る事なり    是(これ)は徃昔(むかし)乱世(らんせい)の砌(みぎり)當山(たうぜん)を襲(おそ)ひ討(うた)んとせし时(とき)に争討(さうたう)勝利(しようり)を    得(え)たる事(こと)の次第(しだい)を鎌倉(かまくら)へ注進(ちうしん)せしを嘉例(かれい)とする神事(じんじ)なる 【図】 【右丁】 本宮權現 別所 【左丁】 御番所 深砂王社 雲夢陳人寫【印】 【右丁】    ゆゑ後世(こうせい)に至(いた)りても怠(おこた)らず聊(いさゝか)其(その)《振り仮名:𦾔儀|きうぎ》を行(おこな)ふ 石碑(せきひ) 本宮(ほんぐう)社地(しやち)下(した)徃来(わうらい)の傍(かたはら)に立(たて)り 御宮(おんみや)御造立(おんざうりふ)の砌(みぎり)宇都宮(うつのみや)街道(かいだう)  壬生(みぶ)街道(かいだう)より御山内(おんさんない)長坂(ながさか)に至(いた)るまで杉列樹(すぎなみき)数万株(すまんちう)植附(うゑつけ)寄進(きしん)奉(たてまつ)  る事(こと)を勒(ろく)せり其(その)銘(めい)左(さ)に記(しる)す    自 下 野 國 日 光 山 山 菅 橋 至 同 國 都 賀 郡    小 倉 村 同 國 河 内 郡 大 澤 村 同 國 同 郡 大    桑 村 歷 二 十 餘 年 植 杉 於 道 之 左 右 并 山    中 十 餘 里 以 奉 寄 進  東照宮   慶安元年戊子四月十七日 從四位下松右衛門大夫正綱 硯石(すゞりいし) 中山谷(なかやまだに)唯心院(ゆゐしんゐん)境内(けいだい)にあり此(この)寺地(じち)は徃昔(むかし)開山上人(かいさんしやうにん)のいまだ  四本龍寺(しほんりうじ)へ移(うつ)り給(たま)はざりし以前(いぜん)爰(こゝ)に假(かり)の草庵(さうあん)を結(むす)び給(たま)ひし 【左丁】  《振り仮名:𦾔跡|きうせき》なり其後(そのゝち)上人(しやうにん)御所持(ごしよじ)の硯(すゞり)を此石(このいし)の下(した)へ埋(うづ)められしゆゑ硯(すゞり)  石(いし)とは名附(なづけ)し事と聞傳(きゝつた)ふ 禮拜石(れいはいせき) 此石(このいし)は上人(しやうにん)爰(こゝ)の草庵(さうあん)におはせし时(とき)紫雲石(しうんせき)の方(かた)に當(あた)りて  觀音大士(くわんおんだいし)の出現(しゆつげん)し給ふを上人(しやうにん)此(この)石上(せきしやう)にて遥(はるか)に禮拜(れいはい)恭敬(くぎやう)し給(たま)ふ  ゆゑ名附(なづ)くといへり偖(さて)上人(しやうにん)四本龍寺(しほんりうじ)へ移(うつ)り給(たま)ひし後(のち)に上人(しやうにん)の  草庵(さうあん)の跡(あと)へ一(いつ)精舎(しやうしや)を開基(かいき)して上人(しやうにん)の上足(じやうそく)仁朝律師(にんてうりつし)住(すみ)給ひ始(はじめ)は  岩本坊(いはもとばう)と称(しよう)し後(のち)又(また)橋本坊(はしもとばう)と改(あらため)られ竟(つひ)に仁朝律師(にんてうりつし)此所(このところ)にて示寂(じじやく)し  玉(たま)ひしとぞその古庿跡(こべうせき)今(いま)現(げん)に唯心院(ゆゐしんゐん)境内(けいだい)にありといふ 深砂王社(しんしやわうのやしろ) 神橋(しんけう)守護神(しゆごじん)とす本地(ほんち)毘沙門(びしやもん)を安(あん)す長坂(ながさか)登(のぼ)り口(くち)に有(あ)り  南向(みなみむき)栃葺(とちぶき)鳥居(とりゐ)に深砂王(しんしやわう)といへる扁額(へんがく)を掲(かゝ)く是(これ)は當山(たうざん)座主(ざす)の宮(みや)【平出】  大明院宮一品准后公辨法親王の御筆(おんふで)なり社前(しやぜん)に石燈篭(いしどうろう)三基(さんき)爰(こゝ)  の深砂王(しんしやわう)の本地(ほんち)毘沙門天(びしやもんてん)は徃昔(むかし)開祖上人(かいそしやうにん)手(てづから)刻(こく)し玉(たま)ふ靈像(れいざう)なり 【右丁】 長坂(ながさか) 深砂王(しんしやわう)の社前(しやぜん)より左へ登(のぼ)る坂路(はんろ)を云(いふ) 御宮(をんみや)御山内(ごさんない)への本道(ほんだう)  なり道幅(みちはゞ)四 間(けん)許(ばかり)登(のぼ)ること一町 半(はん)程(ほど)も登(のぼ)り平坦(へいたん)の所(ところ)有(あ)り向(むかひ)の角(かど)は  御本坊(ごほんばう)御構(おんかまへ)の築地(ついぢ)右の隅(すみ)は浄土院(じやうどゐん)左の隅(すみ)は観音院(くわんおんゐん)より相(あい)双(なら)び  実敎院(じつけうゐん)光樹院(くわうじゆゐん)と御本坊(ごほんばう)の脇(わき)南 側(がは)にあり衆徒(しゆと)廿ヶ院(ゐん)の内(うち)なり此(この)  邊(へん)を中山(なかやま)と唱(とな)ふ御本坊(ごほんばう)に随(したがひ)て平坦(へいたん)の地(ち)を打(をれ)廽(めぐ)れば左のかたは  御殿跡地(ごてんあとのち)右の方(かた)は御本坊(ごほんばう)の表御門前(おもてごもんぜん)なる廣小路(ひろこうぢ)にて向(むかふ)を望(のぞめ)ば  御宮(をんみや)の正面(しやうめん)にして遥(はるか)に石(いし)の御鳥居(おんとりゐ)見ゆる 盛長(もりなが)の石塔(せきたふ) 長坂(ながさか)の上(うえ)なる浄土院(じやうどゐん)境内(けいだい)に有(あり)藤(とう)九郎 盛長(もりなが)が塔(たふ)あり  《振り仮名:𦾔|ふる》く土人(どじん)等(ら)がいひ傳(つた)ふ石塔(せきたふ)平石(ひらいし)にて正面(しやうめん)六字名號(ろくじのみやうがう)をしるし右の  傍(かたはら)に俗名(ぞくみやう)安達氏(あだちうぢ)左の傍(かたはら)に藤九郎 盛長(もりなが)と銘(めい)ぜり當山(たうざん)の古記(こき)に三融(さんゆう)  房(ばう)《割書:今(いま)の浄土院(じやうどゐん)|の地(ち)なり》寺(てら)の東に藤九郎 盛長(もりなが)が墓(はか)ありと記(しる)したるもあり又(また)  《振り仮名:𦾔記|きうき》に盛長(もりなが)の塚木(つかぎ)延宝八年二月廿九日の烈風(れつふう)に倒(たふる)るよしを記(しるし) 【左丁】  しも有(あり)ける由(よし)當时(たうじ)彦根 侯(こう)の家臣(かしん)に安達氏(あだちうぢ)なる末裔(ばつえい)今(いま)は小㙒田(をのだ)  氏(うぢ)某(なにがし)といふ人(ひと)此(この)塔(たふ)へ每歳(まいさい)茶湯料(ちやたうれう)を備(そな)へ代参(だいさん)も来(きた)るよし近年(きんねん)松平  樂翁 老侯(らうこう)の書(しよ)にて盛長堂(もりながだう)の文字(もんじ)の額(がく)もありといふ此(この)盛長(もりなが)は源(みなもとの)  賴朝卿(よりともきやう)創業(さうげふ)の臣(しん)にて藤九郎 後(のち)に信濃守(しなのゝかみ)になり正治元年正月 右(う)  大将家(だいしやうけ)逝(せい)し給ひければ薙髪(ちはつ)し蓮西(れんさい)と號(がう)し同二年 鎌倉(かまくら)甘繩(あまなは)の私(し)  第(てい)にて歿(ぼつ)せり 御殿跡地(ごてんあとのち) 御本坊(ごほんばう)と相(あひ)向(むかひ)西の方  最初(さいしよ) 御殿(ごてん)と御創建(ごさうこん)ありしは今(いま)の御本坊(ごほんばう)の地(ち)にて有(あり)き今(いま)又(また)【平出】  御殿跡地(ごてんあとのち)といふ所(ところ)は古(いにしへ)より座禅院(ざぜんゐん)の寺地(てらち)なりしかど慶長十八年  座禅院(ざぜんゐん)住持(ぢゆうぢ)異義(いぎ)の事(こと)有(あり)て退院(たいゐん)して廢跡(はいせき)となりしゆゑ寛永十八  年 御本坊(ごほんばう)今(いま)の地(ち)へ再営(さいえい)と同时(どうじ)に座禅院(ざぜんゐん)の《振り仮名:舊跡|きうせき》へ御再建(ごさいこん)といふ  貞享元年の大火(たいくわ)には 御殿(ごてん)消防(せうばう)して火災(くわさい)を遁(のが)れしが享保 年間(ねんかん)に 【図】 【右丁】 御車寄 御桟鋪 【左丁】 御本坊略圖 【右丁】  御殿(ごてん)御取崩(おんとりくづし)となりしかば其(その)以来(いらい)  將軍家 御参詣(ごさんけい)の砌(みぎり)は御本坊(ごほんばう)を以(もつ)て假(かり)の 柳営(りうえい)とせらる表御門(おもてごもん)跡(あと)通(つう)  用御門(ようごもん)跡(あと)埋御門(うづみごもん)跡(あと)等(とう)大路(おほぢ)の通(とほり)にあり其(その)以来(いらい) 御宮(おんみや) 御靈屋(ごれいや)等(とう)  御修復(ごしゆふく)の砌(みぎり)は 御殿跡地(ごてんあとのち)に御普請會所(ごふしんくわいしよ)細工小屋塲(さいくこやば)勤番所(きんばんしよ)等(とう)餘(あま)  多(た)設(まう)けられて御用濟(ごようずみ)の後(のち)は又(また)御構内(おんかまへうち)へ入(いる)事(こと)を禁(きん)ぜらる 御賄坂(おまかなひざか) 御殿地(ごてんち)外(そと)を折廽(をりまは)し西町(にしまち)へ下(くだ)る石坂(いしざか)をいふ又(また)一名(いちみやう)は不動坂(ふどうざか)  とも唱(とな)ふ此(この)坂下(さかした)に不動坊(ふどうばう)とて一坊(いちばう)の有(ある)ゆゑ名附(なづけ)しなり 安養澤(あんやうざは) 西谷(にしだに)より新宮(しんぐう)の方(かた)へ達(たつ)する澤道(さはみち)なり爰(こゝ)に龍光院(りうくわうゐん)の後(うしろ)の  谷(たに)より沢水(さはみづ)流来(ながれきた)る古(いにしへ)より安養沢(あんやうざは)と號(がう)せし由(よし)然(しか)るに新宮(しんぐう)の別所(べつしよ)  御取立(おんとりたて)の时(とき)此(この)所(ところ)に寺地(じち)御造立(ござうりふ)のころ地名(ちめい)を以(もつ)て安養院(あんやうゐん)と称(しよう)す  る由(よし)坂(さか)の名(な)も安養坂(あんやうざか)と唱(とな)ふ 新道(しんみち) 御殿地(ごてんち)の北 脇(わき)なる平坦(へいたん)の大路(おほぢ)をいふ東西に達(たつ)し東は石(いし)の 【左丁】  御鳥居(おんとりゐ)前(まへ)より西は常行堂(じやうぎやうだう)の方(かた)へ貫(つらぬ)き其(その)向(むかふ)遥(はるか)に見(み)ゆるは  御靈屋(ごれいや)二王御門(にわうごもん)なり又(また)土人(どじん)等(ら)此(この)道(みち)を服道(ふくだう)とも唱(とな)ふ 新宮馬塲(しんぐうばゞ) 御宮(おんみや)仁王御門(にわうごもん)下(した)より新宮権現(しんぐうごんげん)鳥居(とりゐ)迄(まで)の道(みち)をいふ長(ながさ)二町  許(ばかり)此(この)道(みち)北の方(かた)に相輪摚(さうりんたう)あり 鐘撞堂(かねつきだう) 鐘楼(しゆろう)は 御仮殿(おんかりでん)御構(おんかまへ)内(うち)にあり鐘撞寮(かねつきれう)は久善坊(きうぜんばう)圓音坊(ゑんおんばう)蓮(れん)  蔵坊(ざうばう)とて鐘撞(かねつき)の承仕僧(しようしそう)三人にて三 軒(げん)物成(ものなり)配當(はいたう)も三人なり  是(これ)は八十 坊(ばう)の数(かず)に入(いら)ず鐘(かね)は万治三年 鋳成(たうせい)又(また)文政七年 鋳成(たうせい)堂(だう)は  四趾(しし)赤塗(あかぬり)橡葺(とちぶき)此(この)地(ち)の間(あひだ)にも小路(こうぢ)有(あり)て東西に達(たつ)す 座禅院跡(ざぜんゐんのあと) 前條(ぜんでう)に記(しるし)し如(ごと)く今(いま)の 御殿跡地(ごてんあとのち)は古(いにしへ)坐禅院(ざぜんゐん)の旧跡(きうせき)なり  もとより此(この)院(ゐん)は一山(いつさん)の衆徒(しゆと)三十六 坊(ばう)の内(うち)なる一院(いちゐん)にして此(この)院(ゐん)の  開祖(かいそ)は勝道尊師(しようだうそんし)の上足(じやうそく)の㐧子(でし)昌禅僧都(しやうぜんそうづ)より《振り仮名:世〻|よゝ  》の住職(ぢゆしよく)昌(しやうの)字(じ)を  以(もつ)て諱(いみな)に称(しよう)せり然(しか)れども此(この)院(ゐん)は當山(たうざん)座主職(ざすしよく)の寺(てら)にあらず《振り仮名:代〻|だい〳〵》 【右丁】  御留守権別當(おんるすごんべつたう)と称(しよう)せしといへり其(その)いはれは座主(ざす)光明院(くわうみやうゐん)は鎌倉(かまくら)に在(ざい)  住(ぢゆう)せられけるゆゑ座禅院(ざぜんゐん)をして御留守権別當(おんるすごんべつたう)にて一山(いつさん)の法務(ほふむ)  を執(しつ)せしが應永廿七年 座主(ざす)大僧正(だいそうじやう)慈玄(じげん)寺務(じむ)を退轉(たいてん)して光明院(くわうみやうゐん)  の座主職(ざすしよく)断絶(だんぜつ)せし後(のち)は坐禅院(ざぜんゐん)昌瑜(しやうゆ)権別當(ごんべつたう)に任(にん)じ當山(たうざん)の政務(せいむ)を  司(つかさどり)しかばおのづから座主職(ざすしよく)のやうにも思(おも)はれしとぞ然(しか)るに應永  廿七年より慶長十八年 迄(まで)凡(およそ)百九十四年の間(あひだ)法務(ほふむ)を司(つかさど)りしが慶長  十八年 座禅院(ざぜんゐん)昌尊(しやうそん)代(よ)に一山(いつさん)と異儀(いぎ)に及(および)しこと有(あり)て昌尊(しやうそん)退院(たいゐん)せ  り此(この)砌(みぎり)駿(すん) 城(じやう)へ南光坊(なんくわうばう)天海師(てんかいし)を召(めさ)せられ日光山(につくわうざん)拜領(はいりやう)せられ同年  登山(とうざん)し玉(たま)ひけれども光明院(くわうみやうゐん)の本坊(ほんばう)は破壊(はゑ)せしゆゑ坐禅院(ざぜんゐん)をして  宿坊(しゆくばう)とし給(たま)ひ是(これ)より《振り仮名:追〻|おひ〳〵》當山(たうざん)悉(こと〴〵く)中興(ちゆうこう)し玉(たま)ふといふ此(この)餘(よ)は光明院(くわうみやうゐん)  《振り仮名:𦾔跡|きうせき》の條(でう)に記(しる)せり  文明年中 聖護院宮准后道興法親王(しやうごゐんのみやじゆごうだうこうほふしんわう)登山(とうざん)せられ座禅院(ざぜんゐん)へ滞畄(たいりう)あり 【左丁】  き是(これ)より以前(いぜん)享禄三年十二月 鎌倉(かまくら)御所(ごしよ)成氏朝臣(なりうぢあそん)の御舎㐧(ごしやてい)なる  勝長壽院殿(しようちやうじゆゐんどの)敵方(てきかた)より謀(はか)りけるが竊(ひそか)に鎌倉(かまくら)を出(いで)させ玉(たま)ひて日光(につくわう)  山(ざん)へ御移(おんうつ)り有(あり)て敵(てき)と一味(いちみ)にて衆徒(しゆと)等(ら)を催(もよほ)さるといふこと大草紙(おほざうし)に  見(み)えたり又(また)結城戦塲物語(ゆふきせんじやうものがたりに)云(いはく)永亨十年七月 鎌倉(かまくら)にて持氏朝臣(もちうぢあそん)御腹(おんはら)  めされけるゆゑ二 男(なん)三 男(なん)春王殿(しゆんわうどの)安王殿(あんわうどの)とて二人 迄(まで)いますを乳(めの)  母(と)の女房(にようばう)かしこく抱(いだ)き取(とり)てまぎれ出(いで)下野國(しもつけのくに)日光山(につくわうざん)へ落行(おちゆき)衆徒(しゆと)  を頼(たの)み申(まうし)てふかく忍(しのば)せ申(まうし)しを結城(ゆふき)七郎 氏朝(うぢとも)此(この)由(よし)を傳(つた)へ聞(きゝ)て申(まうし)  けるは抑(そも〳〵)我(われ)等(ら)が先祖(せんぞ)より右大将家(うだいしやうけ)に仕(つか)へ其後(そのゝち)も尊氏(たかうぢ)より此(この)かた  東國源氏(とうごくげんじ)に従(したが)ひけり一旦(いつたん)頼(たの)み奉(たてまつ)る主君(しゆくん)なれば某(それがし)養育(やういく)申(まう)さんとて  竊(ひそか)に結城(ゆふき)が城(しろ)へ日光山(につくわうざん)より迎(むか)へ奉(たてまつ)ると《割書:云| 〻》 《振り仮名:光明院𦾔迹|くわうみやうゐんきうせき》 今(いま) 御假殿(おんかりでん)の邊(へん)より鐘撞寮(かねつきれう)の南の方(かた)なる明地(あきち)邊(へん)迄(まで)  上世(じやうせい)より當山(たうざん)座主職(ざすしよく)光明院(くわうみやうゐん)の境地(けいち)なる由(よし)抑(そも〳〵)當山(たうざん)開闢(かいびやく)の事(こと)は勝道(しようだう) 【右丁】  上人(しやうにん)天平神護二年 當山(たうざん)を開闢(かいびやく)し翌年(よくねん)神護景雲元年《振り仮名:峰〻嶽〻|ほう〳〵がく〳〵》を  開山(かいさん)し延曆三年 中禅寺(ちゆうぜんじ)を草創(さう〳〵)し大同三年 三社権現(さんじやごんげん)の社頭(しやとう)を創(さう)  建(こん)し給ふ是(これ)を當山(たうざん)草創(さう〳〵)開闢(かいびやく)と稱(しよう)せり其後(そのゝち)弘仁十二年 弘法大師(こうぼふだいし)  瀧尾山(たきのをさん)如體中宮社(によたいちゆうぐうのやしろ)を開建(かいこん)し又(また)其後(そのゝち)嘉祥元年 慈覚大師(じがくだいし)三佛堂(さんぶつだう)常(じやう)  行堂(ぎやうだう)法華堂(ほつけだう)山王社(さんわうのやしろ)等(とう)を創建(さうこん)し玉(たま)ふといふ當山(たうざん)上古(じやうこ)の本院(ほんゐん)と稱(しよう)  するは四本龍寺(しほんりうじ)の事(こと)を本院(ほんゐん)と唱(とな)へしといふ勝道上人(しようだうしやうにん)の最初(さいしよ)に住(すみ)玉(たま)  ひしゆゑ斯(かく)も称(しよう)せしなり其後(そのゝち)は座主職(ざすしよく)を光明院(くわうみやうゐん)と称(しよう)せしは是(これ)  又(また)本院(ほんゐん)の號(がう)なり弘仁八年 敎旻僧都(けうびんそうづ)初(はじめ)て當山(たうざん)座主職(ざすしよく) 宣旨(せんし)【平出】  嵯峨帝より拜賜(はいし)せられてより以来(いらい)座主職(ざすしよく)連綿(れんめん)たりき又(また)光明院(くわうみやうゐん)  の號(がう)は座主(ざす)廿三代 僧正(そうじやう)辨覚(べんがく)の时(とき)《割書:常陸國(ひたちのくに)大方五郎藤原 政家(まさいへ)六 男(なん)の将軍(しやうぐん)実朝(さねとも)|公の護持僧(ごぢそう)ゆゑ和田乱(わだらん)の时(とき)弁覚(べんがく)御所(ごしよ)へ参(まゐ)り》  《割書:勲功(くんこう)をあらはし兄㐧(きやうだい)大方 氏(うぢ)の人も|武功(ぶこう)を顕(あらはし)たること東鑑(あづまかゞみ)に載(のせ)たり》仁治元年 別(べつ)に院宇(ゐんう)を建立(こんりふ)し光明院(くわうみやうゐん)の  稱號(しようがう) 宣旨(せんし)を拜領(はいりやう)せり是(これ)光明院(くわうみやうゐん)座主号(ざすがう)の始(はじめ)なりといふ辨覚(べんがく)以来(いらい) 【左丁】  親王家(しんわうけ)又(また)は鎌倉将軍家(かまくらしやうぐんけ)の一族(いちぞく)を以(もつ)て光明院(くわうみやうゐん)を継(つが)れ《振り仮名:各〻|おの〳〵》座主(ざす)【平出】  宣下(せんげ)ありき又(また)執権(しつけん)北條 氏(うぢ)の帰依(きえ)に因(よつ)て鎌倉(かまくら)葛西谷(かさいがやつ)に地(ち)を賜(たま)ひ  宿院(しゆくゐん)を構(かま)へ常(つね)に鎌倉(かまくら)在住(ざいぢゆう)せらる當山(たうざん)の法務(ほふむ)は座禅院(ざぜんゐん)執(しつ)せしこと  前條(ぜんでう)に出(いだ)せり又(また)當山(たうざん)座主(ざす)尊家(そんけ)法印(はふいん)は鎌倉将軍(かまくらしやうぐん)宗尊親王(むねたかしんわう)の御帰(おんき)  依僧(えそう)にて執権(しつけん)北條時頼(ほうでうときより)も帰依(きえ)淺(あさ)からず南御堂(みなみのみだう)を兼帯(けんたい)し御所(ごしよ)に  於(おい)て秘法(ひほふ)を修(しゆ)せられし事(こと)《振り仮名:徃〻|わう〳〵》東鑑(あづまかゞみ)に出(いで)たり又(また)鎌倉年中行事(かまくらねんぢゆうぎやうじ)と  いふものに日光山(につくわうざん)勝長壽院(しようちやうじゆゐん)の門主(もんしゆ)御所(ごしよ)へ御出(おんいで)の时(とき)は御叮嚀(ごていねい)の式法(しきほふ)  なり鎌倉(かまくら)へ御出(おんいで)の節(せつ)は御畄守(おんるす)をば座禅院(ざぜんゐん)とて相應(さうおう)の人躰(にんたい)の僧(そう)山(さん)  内(ない)の法務(ほふむ)を執(しつ)せりとありされば其頃(そのころ)日光山(につくわうざん)座主(ざす)門主(もんしゆ)を勝長壽(しようぢやうじゆ)  院(ゐん)とも称(しよう)せしことと思(おも)はる又(また)南(みなみ)の御堂(みだう)とは大御堂(おほみだう)の事(こと)にて寺号(じがう)は  勝長壽院(しようちやうじゆゐん)といへり然(しか)るに應永廿七年 座主(ざす)三十六代 大僧正(だいそうじやう)慈玄(じげん)《割書:一条(いちでう)|関白(かんばく)》  《割書:左大臣 実經(さねつね)公|の九 男(なん)なり》寺務(じむ)秡退(ばつたい)してより光明院(くわうみやうゐん)座主職(ざすしよく)断絶(だんぜつ)し是(これ)より光明(くわうみやう) 【右丁】  院(ゐん)は廢跡(はいせき)となれり  御宮(おんみや)御鎮座(ごちんざ)以後(いご)元和七年 《振り仮名:光明院𦾔迹|くわうみやうゐんきうせき》へ御本坊(ごほんばう)御建造(ごこんざう)ありしかど  又(また)寛永十八年に今(いま)の地(ち)へ御本坊(ごほんばう)御再建(ごさいこん)になりしといふ 【左丁】 日(につ) 光(くわう) 座(ざ) 主(す) 御 歷(れき) 代(だい)   開(かい) 祖(そ) 勝 道 上 人      上人(しやうにん)は開祖(かいそ)なれども座主職(ざすしよく)  宣旨(せんじ)なければ座主(ざす)とは      唱(とな)へず開祖(かいそ)とのみ稱(しよう)す上人(しやうにん)の上足(じやうそく)道珍僧都(だうちんそうづ)は御嫡㐧(おんちやくてい)な      れども是(これ)も又(また)座主職(ざすしよく)に任(にん)ぜず敎旻僧都(けうびんそうづ)始(はじめ)て座主(ざす)の【平出】      宣下(せんげ)を拜賜(はいし)せられけるゆゑ當山(たうざん)の初祖(しよそ)と稱(しよう)す大僧正(だいそうしやう)慈(じ)      玄座主(げんざす)にて座主職(ざすしよく)しばらく中絶(ちうぜつ)ゆゑ座禅院(ざぜんゐん)昌瑜(しやうゆ)より昌(しやう)      尊(そん)迄(まで)はたゞ権別當(ごんべつたう)とのみ称(しよう)し玉(たま)へるよしなり 【右丁】   初祖  敎旻       二祖  千如   三祖  神善       四祖  昌禪   五祖  尊蓮       六祖  明秀   七祖  聖兼       八祖  頼肇   九祖  慶眞       十祖  明覺   十一祖 宗圓       十二祖 快舜   十三祖 有尋       十四祖 良重   十五祖 聖宣       十六祖 禪雲 【左丁】   十七祖 隆宣       十八祖 觀纁   十九祖 覺知       二十祖 靜覺   廿一祖 文珍       廿二祖 辨覺   廿三祖 性辨       廿四祖 尊家   廿五祖 源惠       廿六祖 仁澄   廿七祖 道潤       廿八祖 慈道㳒親王   廿九祖 聖惠       三十祖 守惠   卅一祖 二品仁惠㳒親王  卅二祖 聖如 【右丁】   卅三祖  滿守    卅四祖  慈玄   卅五祖  昌瑜    卅六祖  昌縱   卅七祖  成潤    卅八祖  昌繼   卅九祖  昌宣    四十祖  昌源   四十一祖 昌顯    四十二祖 沙弥丸殿   四十三祖 若王丸殿  四十四祖 昌膳   四十五祖 昌歆    四十六祖 昌淳   四十七祖 昌尊 【左丁】  中興(ちゆうこう)   慈 眼 大 師 《割書:諱天海》      慶長十四年十二月任_二権僧正_一同十六年轉_レ権任_レ正同十八年      當山(たうざん)住職(ぢゆうしよく)元和二年七月轉_レ正任_二大僧正_一寛永二十年十月二日      於(おいて)_二東叡山(とうえいざんに)_一入寂(にふじやく)慶安元年四月十一日 諡(おくりなを)賜_二 慈眼大師_一  御兼職(おんけんしよく)   久遠壽院准三宮公海大僧正《割書:前大僧正 毘沙門堂(びしやもんだう)御門跡(ごもんぜき)也》      花山院左大臣定凞公之 嫡孫(ちやくそん)左少将忠長朝臣之 息男(そくなん)後(のち)依(よつて)_二      台命(たいめいに)_一 九條関白幸家公之 為(なる)_二猶子(いうしと)_一寛永二十年 御受職(おんじゆしよく)承應三      甲午年 御辞職(おんじしよく)元禄八年乙亥十月十六日 示寂(じじやく) 【右丁】  是(これ)より輪王寺の宮と奉(たてまつる)_レ稱(しようし)   本照院一品宮守澄親王 《割書:初(はじめ)奉(たてまつる)_レ称(しようし)_二尊敬 親王(しんわうと)_一》      後水尾院圓成法皇第二之 皇子(わうじ)尊母(そんぼ)東福門院 御養子(おんやうし)御実(おんじつ)      母(ぼ)京極■(つぼね)承應三年 御受職(おんじゆしよく)延宝八庚申年五月十六日 薨去(こうきよ)   解脫院一品宮天眞親王      後西院之 皇子(わうじ)尊母(そんぼ)新大納言■(つぼね)延宝八年三月十四日 御受職(おんじゆしよく)      元禄三庚午年三月朔日 薨去(こうきよ)  大明院准三后一品公辨親王      後西院之 皇子(わうじ)尊母(そんぼ)六條■(つぼね)元禄三年三月五日 御受職(おんじゆしよく)正徳 【左丁】      五乙未年五月十二日 御辞職(おんじしよく)同六年四月十七日 於(おいて)_二山階(やましなの)毘(び)      沙門堂(しやもんだうに)_一薨去(こうきよ)   崇保院准三后一品公寬親王      東山院之 皇子(わうじ)初(はじめ)圓満院 御門室(ごもんしつ)御相續(おんさうぞく)正徳三年輪王寺 御附(ごふ)      㐧(てい)同五年五月十二日 御受職(おんじゆしよく)元文三戊午年三月十五日 薨去(こうきよ)   隨自意院准三后一品公遵親王      中御門院之 皇子(わうじ)元文三年三月 御受職(おんじゆしよく)宝歷二壬申年八月      御辞職(おんじしよく)   最上乘院准三后一品公啓親王 【■(つぼね)は「戸+句」局ヵ】 【右丁】      櫻町院之 皇子(わうじ)実(じつ)は閑院宮太宰師典仁 親王(しんわうの)御連枝(ごれんし)也 初(はじめ)曼      珠院 御門室(ごもんしつ)御相續(おんさうぞく)後(のち)輪王寺 御附㐧(ごふてい)宝歷二年八月廿三日      御受職(おんじゆしよく)明和九壬辰年七月十三日 薨去(こうきよ)   隨宜樂院准三后一品公遵親王      安永改元壬辰年九月廿七日 依(よつて)_二 台命(たいめいに)_一御再職(おんさいしよく)御職務(おんしよくむ)九ヶ年      同九子年三月 御辞職(おんじしよく)天明八戊申年三月廿五日 於(おいて)_二山階(やましな)毘(び)      沙門堂(しやもんだうに)_一薨去(こうきよ)   安樂心院准三后一品公延親王      桃園院之 皇子(わうじ)実(じつ)は閑院宮太宰師典仁 親王(しんわうの)第(だい)四之 宮(みや)安永      九年三月 御受職(おんじゆしよく)寛政三年七月三日 御辞職(おんじしよく)享和三癸亥年 【左丁】      五月廿七日 於(おいて)_二京都(きようとに)_一薨去(こうきよ)   歡喜心院准三后一品公澄親王      後桃園院之 皇子(わうじ)実(じつ)は伏見宮兵部卿邦頼 親王(しんわう)之 第(だい)二之 宮(みや)也      寛政三亥年七月三日 御受職(おんじゆしよく)文化六巳年十二月五日 御辞職(おんじしよく)      文政十一子年八月七日 於(おいて)_二京都(きようとに)_一薨去(こうきよ)   當御門主准三后一品舜仁親王      仙洞御所之 皇子(わうじ)実(じつ)は有栖川織仁 親王(しんわう)之 御子(おんこ)文化六巳年      十二月三日 御受職(おんじゆしよく)始(はじめ)御諱(おんいみな)光猷文政十一子年冬 従(より)_二      仙洞御所_一以(もつて)_二  宸翰(しんかんを)_一賜(たまふ)_二御諱(おんいみな)      舜仁 親王(しんわうを)_一 【右丁】   同新宮一品公紹親王      仙洞御所之 皇子(わうじ)実(じつ)は有栖川韶仁 親王(しんわう)之 御子(おんこ)文政十亥年      六月十七日 御下関(おんげくわん) 【左丁】  新和歌集(しんわかしふ)に日光山(につくわうざん)にて神祇(じんぎ)の歌(うた)よみ侍(はべ)りける中(なか)に   皇(すべらき)の治(をさま)る御代(みよ)をおもふにも國常立(くにとこたち)のすゑぞはるけき    権律師譙【謙】忠   しるらめや豊葦原(とよあしはら)のあしかひの開(ひら)けてなれる国(くに)つ神(かみ)とは   同   世(よ)を照(てら)す日(ひ)の光(ひかり)こそ長閑(のどか)なれ神(かみ)の名(な)におふ山のかひより 同    日光山(につくわうざん)にて又(また)如浄明鏡悉見諸色像(によじやうみやうきやうしつけんしよしきざう)の心(こゝろ)を   曇(くもり)なきおなじ鏡(かゞみ)にみる人のおもひ〳〵の影(かげ)ぞかはける    同  廽国雜記(くわいこくざつきに)云(いはく)又(また)本坊(ほんばう)座禅院(ざぜんゐん)に帰(かへ)りつき侍(はべ)りてさま〴〵逰覧(いうらん)ありある  夜(よ)时雨(しぐれ)をきゝて   こえゆかんをのへの雲も先立て山めぐりする初时雨(はつしぐれ)哉  軒(のき)ちかく瀧(たき)おち侍(はべ)りさながらねざめの时雨(しぐれ)に聞(きゝ)まがひ侍(はべ)りければ   山水のおとをねざめの时雨(しぐれ)にて老(おい)のなみだはいつはりもなし  ある夜(よ)月(つき)いとおもしろかりけるに別當(べつたう)座禅院(ざぜんゐん)法印(はふいん)昌源(しやうげん)方(かた)よりよみて 座禪院(ざぜんゐん)にて 道興法親王(たうこうほふしんわう) 遊宴(いうえん)の圖(づ) 相覧【印】 【右丁】  たまひける   さてもなほおもはぬ袖(そで)のかりねゆゑこよひや都(みやこ)月(つき)の山里(やまざと)  とりあへず返(かへ)し   ことの葉(は)のひかりをそへて見(み)る月(つき)によしや都(みやこ)の秋(あき)もしのばし  一山(いつさん)の老弱(らうにやく)酒宴(しゆえん)を興行(こうぎやう)して児(ちご)わらは数輩(すはい)集(あつま)りて色(いろ)〻(〳〵)曲(きよく)をつくし  侍(はべ)りき宴席(えんせき)終(をはり)て藤乙丸(ふぢおとまろ)といへる少人(せうじん)休所(きうしよ)へ礼(れい)に来(きた)りてしばらく  物語(ものがたり)し侍(はべ)りて帰(かへ)り侍(はべ)りけるが次(つぎ)の日(ひ)いひつかはしける   おとにそといひしもさそなあひみての心つくしを誰(たれ)かしらまし  藤乙丸(ふじおとまろ)かへし   あひ見しはゆめかとばかりたどれるをうつにかへすことの葉(は)のすゑ  ある夜(よ)又(また)かのちごおとづれ侍(はべ)りてあまりに月(つき)のおもしろさにさそ  はれ侍(はべ)るよし申(まうし)てしばし物語(ものがたり)し侍(はべ)りけるに一首(いつしゆ)よみ侍(はべ)るべき 【左丁】  よししひて所望(しよまう)しければとりあへず   月(つき)見(み)つゝおもひ出(いで)なばもろともにむなしき空(そら)や形見(かたみ)ならまし  なごりもけふあすばかりにて侍(はべ)ればふけゆくをもしらずあそび  けるに五更(ごかう)の鐘(かね)すでにつげ渡(わた)りければかへりて長門(ながと)の竪者(じゆしや)して  申(まうし)おこせける歌(うた)   いかにせん又(また)頼(たの)みある身(み)なりとも秋(あき)のわかれはおろかならめや  かへし   わかれぢの露(つゆ)ともきえん时(とき)しもあれ秋(あき)やは人にさのみなけきて  そへてつかはしける歌(うた)   わすれめや一夜(ひとよ)の夢(ゆめ)のかりまくら人こそかりにおもひなすとも 強飯(がうはん) 當山(たうざん)御吉例(おんきちれい)の強飯(がうはん)なり世(よ)に日光責(につくわうぜめ)と称(しよう)し所(しよ)〻(〳〵)の別所(べつしよ)に日光(につくわう)  責(ぜめ)の道具(だうぐ)を数品(すひん)掛(かけ)ならべ置(おけ)り捻(ねぢ)り棒(ばう)或(あるひ)は大(おほい)なる烟管(きせる)等(とう)を設(まう)く 【右丁】  むかし瀧尾(たきのを)へ地蔵(ぢざう)変(へん)じ来(きた)り索麪(さうめん)を乞(こひ)けるゆゑ地蔵(ぢざう)を責(せめ)しより  始(はじま)れりともいふ當山(たうざん)強飯(がうはん)の事(こと)は古実(こじつ)の法式(ほふしき)とすることなりといふ  仍(よつ)て高貴(かうき)の御方(おんかた)へも強飯(がうはん)の式(しき)をまゐらすることにて御料理(おんれうり)一通(ひととほ)り  相済(あひすみ)し折(おり)を見合(みあはせ)て強飯(がうはん)の式(しき)をおこなふ先(まづ)螺(ほら)を吹立(ふきたて)物(もの)すごき形(あり)  勢(さま)なり夫(それ)より式(しき)を始(はじ)め唐銅(からかね)の鉢(はち)へ飯(めし)の高盛(たかもり)を持出(もちいづ)ることなり例(れい)  年(ねん)正月 御本坊(ごほんばう)にて下(くだ)さるゝ事(こと)と聞(き)けりまた大楽院(だいらくゐん)にて歳晩(さいばん)  御餅練(おんもちねり)の節(せつ)此式(このしき)を行(おこなは)る當山(たうざん)古実(こじつ)の式(しき)ゆゑ委(くはしく)は略(りやく)せり 御棧鋪(おんさんじき) 御本坊(ごほんばう)表御門(おもてごもん)に相並(あひなら)ぶ寛文三年迄は  御参詣(おんさんけい)の砌(みぎり)は 御殿(ごてん)表御門(おもてごもんの)脇(わき)石垣(いしかき)の上(うへ)に  将軍家の御棧鋪(おんさんじき)有(あり)て御祭禮(おんさいれい)を 御拜覧(おんはいらん)ありけるが元禄四未年  五月 御殿(ごてん)御取拂(おんとりはらひ)以後(いご)は  御参詣(おんさんけい)の節(せつ)御本坊(ごほんはう)を假(かり)の 柳営(りうえい)とせられしゆゑ御本坊(ごほんばう)御棧鋪(おんさんじき) 【左丁】  にして  将軍家 御拜覧(おんはいらん)あり依(よつ)て【平出】  御門主の御棧鋪(おんさんしき)をば浄土院(じやうどゐん)の境内(けいだい)に新建(しんこん)の御棧鋪(おんさんじき)を設(まう)けられ  御拜覧(おんはいらん)といふ例年(れいねん)四月九月の御祭礼(おんさいれい)には御本坊(ごほんばう)御棧鋪(おんさんじき)にて【平出】  将軍家 御名代(ごみやうだい)として高家衆(かうけしゆ)壱人 登山(とうざん)此(この)折節(をりふし)は【平出】  御門主の御方(おんかた)と御同席(ごどうせき)にて神輿(しんよ)を拜(はい)し給ふといふ 御本坊(ごほんばう) 表御門(おもてごもん)は 御殿地(ごてんち)に相對(あひたい)す裏御門(うらごもん)は東谷(ひがしだに)の方(かた)に在(あり)慈眼(じげん)  大師(だいし)慶長十八年 蒙(かうふり)_二 台命(たいめいを)_一當山(たうざん)に住(ぢゆう)せられ中興(ちゆうこう)の祖(そ)とはなられ  元和三年 御遷座(ごせんざ)の砌(みぎり)座禅院(ざぜんゐん)へ 入御(じふぎよ)と記(しる)せるものあれば大師(だいし)  も座禅院(ざぜんゐん)の《振り仮名:𦾔院|きうゐん》に住(すみ)玉ひ 御鎮座(ごちんざ)後(ご)元和七年 光明院(くわうみやうゐん)の《振り仮名:舊迹|きうせき》へ  御本坊(ごほんばう)再建(さいこん)の後(のち)また寛永十八年 今(いま)の地(ち)へ 御移(おんうつ)し有(あり)しことは  前條(ぜんでう)に記(しる)せり光明院(くわうみやうゐん)は上古(じやうこ)より本院(ほんゐん)のことゆゑ御本坊(ごほんばう)を今(いま)の地(ち)へ 【右丁】  移(うつ)されし後(のち)も明歷 以前(いぜん)迄(まで)は《振り仮名:舊號|きうがう》光明院(くわうみやうゐん)の号(がう)を用(もち)ひ玉ひし由(よし)又(また)  輪王寺(りんわうじ)の尊號(そんがう)は明歷元年【平出】  本照院(ほんせうゐんの)宮(みや)守澄 法親王(はふしんわう)御上京(ごじやうきやう)の砌(みぎり)十一月廿六日を以(もつ)て【平出】  後水尾 上皇(じやうくわう) 院宣(ゐんぜん)を拜賜(はいし)し給ひしより此(この)尊号(そんがう)を稱(しよう)し奉(たてまつ)ること  なり寛永 年間(ねんかん)御本坊(ごほんばう)向(むき)御造立(ござうりふ)せられける时(とき)大師(だいし)の御自筆(おんじひつ)を以(もつ)て  御本坊(ごほんばう)御作事(おんさくじ)向(むき)を図(づ)せられ或(あるひ)は朱(しゆ)を以(もつ)て添書(そへかき)加(くは)へ玉(たま)ひしものを  おのれ先(さき)に御大工(おんだいく)棟梁(とうりやう)甲羅(かふら)筑前(ちくぜん)が家(いへ)に秘蔵(ひさう)するを見(み)たり當山(たうざん)と  東叡山(とうえいざん)と両所(りやうしよ)の図(づ)あり彼(かの)甲羅(かふら)が棟梁(とうりやう)し造畢(ざうひつ)せし功(こう)を賞(しやう)せられ  三社(さんしや)の詫宣(たくせん)を自筆(じひつ)にものせられ其餘(そのよ)くさ〴〵賜(たま)ひし数品(すひん)彼家(かのいへ)に  蔵(ざう)すれば其頃(そのころ)造畢(ざうひつ)せしはしられたり其时(そのとき)の御作事(おんさくじ)向(むき)御書院(おんしよゐん)等(とう)の  繪(ゑ)は狩野探幽法印(かのたんいうはふいん)或(あるひ)は主馬(しゆめ)直信(なほのぶ)等(ら)が図(づ)せしもの顕然(げんぜん)たり中(なか)にも  直信(なほのぶ)が真向(まむき)の雁(かり)とて世(よ)に称(しよう)するもの有(あり)貞享元年十二月廿日の 【左丁】  大延焼(たいえんせう)に御本坊(ごほんばう)向(むき)は皆(みな)焼亡(せうばう)し御客殿(おんきやくでん)御書院(おんしよゐん)向(むき)は同二年 上野御隠(うへのごいん)  殿(でん)を御曳移(おんひきうつし)有(あり)て御再興(ごさいこう)ありし事(こと)なりといふ  将軍家 御登山(ごとうざん)の砌(みぎり)は御本坊(ごほんばう)を假(かり)の 柳営(りうえい)に設(まう)け玉ふ其时(そのとき)は【平出】  御門主の御方(おんかた)東山(ひがしやま)桜本院(さくらもとゐん)を御旅舘(ごりよくわん)に設(まうけ)給ひ【平出】  将軍家 御在山中(ございざんちう)は彼院(かのゐん)へ移(うつ)らせ給ふといふ【平出】  御門主 御方(おんかた)定格(ぢやうかく)として御登山(ごとうざん)の事(こと)は四月十五日 御着山(ごちやくざん)にて五月  廿一日 御發輿(ごはつよ)九月十日 御着山(ごちやくさん)にて同月廿一日 御發輿(ごはつよ)十二月廿九日  御着山(ごちやくさん)にて翌年(よくねん)正月廿一日 御發輿(ごはつよ)例年(れいねん)斯(かく)の如(ごと)し 新宮鳥居(しんぐうとりゐ) 三佛堂(さんぶつだう)の前(まへ)にあり東 向(むき) 御宮(おんみや)二王御門(にわうごもん)下(した)より西の方(かた)  正面(しやうめん)なり新宮馬場(しんぐうばゞ)といへるは此道(このみち)なり鳥居(とりゐ)の額字(がくじ)は 正一位(しやういちゐ)勲一等(くんいつとう)  日光大権現(につくわうだいごんげん)と二行(にぎやう)に當山(たうざん)御座主(おんざす)【平出】  一品公寬親王の御筆(おんふで)なりもとは此(この)鳥居(とりゐ)も木(き)にて造(つく)りしが寛政の 【右丁】  度(ど)の御修理(おんしゆり)の砌(みぎり)唐銅(からかね)に造立(ざうりふ)し高(たかさ)凡(およそ)二丈二尺 許(ばかり)柱廽(はしらめぐ)り六尺五寸  笠木(かさぎ)に巴(ともえ)の紋(もん)を附(つ)く 三佛堂(さんぶつだう) 新宮(しんぐう)鳥居(とりゐ)の北の方(かた)にあり徃古(わうご)金堂(こんだう)と稱(しよう)するは是(これ)なり山内(さんない)  にての大堂(たいだう)銅葺(あかゞねぶき)赤塗(あかぬり)正面(しやうめん)十八 間(けん)横間(よこま)十四五 間(けん)日光三社(につくわうさんじや)の本地仏(ほんちぶつ)  堂(だう)千手観音(せんじゆくわんおん)は新宮(しんぐう)の本地(ほんち)なり馬頭観音(ばとうくわんおん)は本宮(ほんぐう)の本地(ほんち)各(おの〳〵)座像(ざざう)八尺  五寸 阿弥陀(あみだ)は瀧尾(たきのを)の本地(ほんち)長(たけ)九尺五寸 許(ばかり)是(これ)は慈覚大師(じがくだいし)當山(たうざん)に登(のぼ)り  寺院(じゐん)建立(こんりふ)の砌(みぎり)此(この)尊像(そんざう)を雕造(てうざう)し玉(たま)ふものなり此(この)堂内(だうない)乾(いぬゐ)の隅(すみ)に勝(しよう)  道上人(だうしやうにん)の木像(もくざう)を安置(あんち)し艮(うしとら)の方(かた)には軍荼梨明王(ぐんだりみやうわう)の木像(もくざう)をも安(あん)す 日 光 山 志 巻 之 一《割書: 終》 【右丁 前コマと同】 【左丁 左上に折返】 【裏表紙】 【表紙】 【題箋】 日光山志  二 【右丁 白紙】 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 二        目録(もくろく)  新宮権現(しんぐうごんげん)《割書:同図(おなじくづ)| 》 《割書:拜殿(はいでん) 唐銅燈籠(からかねとうろう)《割書:同図(おなじくづ)》 末社(まつしや) 慈覚堂(じがくだう) 金剛堂(こんがうだう) 山王社(さんわうのやしろ) 阿弥陀堂(あみだだう)|十八王寺社(じふはちわうじのやしろ) 大黒天堂(だいこくてんだう) 御供所(ごくうしよ) 宝物品(はうもつしな)〻(〳〵) 神輿(しんよ)かなもの 例祭(れいさい)》  田村丸参詣圖(たむらまるさんけいのづ)  御神位(おんしんゐ)     延年舞(えんねんのまひ)  十神事(じふしんのこと)     敎旻座主墳墓(けうびんざすのふんぽ)  佛岩(ほとけいは)  開山堂(かいさんだう)《割書:同図(おなじくづ)》   勝道上人墓(しようだうしやうにんのはか)  產宮(さんのみや)  手掛石(てかけいし)     飯盛杉(いひもりすぎ)     御神馬碑(おんじんめのひ)  栃御門(とちのごもん)     下乗石柱(げしようのいしのはしら)   唐銅地蔵(からかねのぢざう)  山王社(さんわうのやしろ)    不動堂(ふどうだう)     牛王橋(ごわうばし)  瀧尾瀑布(たきのをのたき)    別所(べつしよ)      弘法大師女躰中宮額(こうぼふだいしによたいちゆうぐうのがく)  石鳥居(いしのとりゐ)     瀧尾社図(たきのをのやしろのづ)   影向石(やうがうせき) 【右丁】  瀧尾靈神影向圖(たきのをのれいじんやうがうのづ)  經筒(きやうづゝ)《割書:同図(おなじくづ)》   鐘楼(しゆろう)  二王樓門(にわうろうもん)     拜殿(はいでん)     中門(ちゆうもん)  本社(ほんしや)       禮拜石(らいはいいし)    千手堂(せんじゆだう)  本地堂(ほんぢだう)      根本堂(こんほんだう)    子種石(こだねいし)  酒泉(さけのいづみ)       三十番神堂(さんじふばんじんだう)  三本椙(さんぼんすぎ)  /碑(ひの)石(いし)       鎮火祭(ひしづめのまつり)    無念橋(むねんばし)  妙覚橋(めうかくばし)      等覚橋(とうがくばし)    多宝鐡塔(たはうてつたふ)《割書:同図(おなじくづ)》  寶物(はうもつ)       筋違橋(すぢかひばし)    行者堂(ぎやうじやだう)  薬師靈水(やくしのれいすゐ)     地蔵磐(ぢざういは)    慈恵大師堂(じゑだいしだう)《割書:一名(いちみやう)|天狗堂(てんぐだう)》  常行堂(じやうぎやうだう)      法華堂(ほつけだう)    桜馬塲(さくらのばゝ) ○御靈廟(おんれいびやう) 《割書:二王御門(にわうおんもん) 御燈籠(おんとうろう) 二天御門(にてんおんもん) 夜叉御門(やしやおんもん) 御鐘皷二楼(おんかねつゞみのにろう) 御唐門(おんからもん)|御拜殿(おんはいでん) 御本殿(おんほんでん) 皇嘉御門(くわうかおんもん) 御奥院(おんおくのゐん) 空烟墓(くうえんのはか) 梶氏墓(かぢうぢのはか)》  慈眼大師庿(じげんだいしのべう)《割書:同図(おなじくづ)》  文珠堂(もんじゆだう)    御供所(おんくうじよ) 【左丁】  求聞持堂(ぐもんぢだう)     阿弥陀堂(あみだだう)   御座主御庿(おんざすのおんべう)  功德水(くどくすゐ)      鐘楼(しゆろう)     經蔵(きやうざう)  御拜殿(おんはいでん)《割書:石燈籠(いしどうろう)》    御庿前(おんべうぜん)    御宝塔(おんはうたふ)  両大師略傳(りやうだいしりやくでん)    入峰禅頂(にふぶぜんぢやう)   大千度(だいせんど)  鳴子(なるこ)       古峯原石原隼人(こぶがはらいしはらはいと)《割書:同図(おなじくづ)》  床神事(とこのじんじ) 【右丁 白紙】 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 二                  植 田 孟 縉 編 輯 新宮權現拜殿(しんぐうごんげんはいでん) 三佛堂(さんぶつだう)と相双(あひなら)ぶ銅葺(あかゞねぶき)赤塗(あかぬり)四方縁(しはうえん)大床舞臺造(おほゆかぶたいづく)り四(し)  方揚蔀(はうあげじとみ)六間に七間 許(ばかり)  本社 南向(みなみむき)八棟造(やつむねづく)り五間四方 銅葺(あかゞねぶき)総赤塗(そうあかぬり)正面(しやうめん)三扉(みとびら)黒塗(くろぬり)向拜(かうはい)に  正躰(しやうたい)の額(がく)を掲(かゝ)ぐまた梁間(りやうかん)に金色(こんじき)の鰐口(わにくち)三ッ掲(かゝ)ぐ高欄(かうらん)彫物(ほりもの)彩色(さいしき)濱(はま)  縁(えん)三方へ折廻(をりまは)し格天井階(がうてんじやうかい)黒塗(くろぬり)前(まへ)に唐門(からもん)あり銅葺(あかゞねぶき)此門(このもん)より瑞籬(たまがき)  本社(ほんしや)の後迄(うしろまで)折廻(をりまは)し是(これ)も銅葺(あかゞねぶき)凡(およそ)拾五間に拾八間 許(ばかり)唐門(からもん)外(そと)の左右(さいう)に  石燈籠(いしどうろう)数基(すき)唐銅大燈籠(からかねおほとうろう)は鹿沼(かぬま)權三郞 入道(にふだう)が納(をさむ)るものなり末社(まつしや)  の堂宇(だうう)は構外(かまへそと)にあり本社(ほんしや)祭神(さいじん)は大己貴命(おほなむちのみこと)なり本地(ほんち)千手観音(せんじゆくわんおん)例(れい)  祭(さい)三月朔日二日なり延年(えんねん)の舞(まひ)とて古式(こしき)執行(しゆぎやう)せり神輿(しんよ)本社(ほんしや)迄 渡(と) 【図】 【右丁】 三佛堂 番所 新宮 【左丁】 龍光院 御靈屋 法花堂 常行堂 河西愛貴【印 湖子】 【右丁】  御別所(ぎよべつしよ)は安養院(あんやうゐん)又 御宮(おんみや)の社家(しやけ)六人の内(うち)にして一﨟(いちらふ)なるもの社(しや)  務(む)を司(つかさど)ることなり  抑(そも〳〵)當社(たうしや)日光三社權現(につくわうさんじやごんげん)は普門示現(ふもんじげん)の神境(しんきやう)佛乗(ぶつじよう)相應(さうおう)の㚑塲(れいぢやう)なるに  仍(より)て神護景雲のむかし勝道上人(しようだうしやうにん)深(ふか)く観音(くわんおん)の妙智力(みやうちりき)を仰(あふ)ぎ遠(とほ)く  無人(ぶにん)の境(さかい)に入(いり)て遂(つひ)に黒髪山(くろかみやま)の巔(いたゞき)に登(のぼ)り給(たま)ふ时(とき)地主(ぢしゆ)神明(しんめい)忽然(こつぜん)と  して現(あらは)れ玉ひて倶(とも)に人法(にんほふ)を擁護(おうご)すべし神勅(しんちよく)を蒙(かうふ)り玉ふ地主(ぢしゆ)  神明(しんめい)と申奉(まをしたてまつ)るは男體權現(なんたいごんげん)大己貴命(おほなむちのみこと)女體中宮(によたいちゆうぐう)田心姫命(たごりびめのみこと)本宮權現(ほんぐうごんげん)  は味耜高彦根命(あぢすきたかひこねのみこと)にてまします本地(ほんち)は千手(せんじゆ)弥陀(みだ)馬頭(ばとう)應用(おうよう)大黒(だいこく)辨(べん)  天(てん)毘沙門(びしやもん)の福智德(ふくちとく)三天(さんてん)の權化(ごんげ)なり是(これ)を日光三社權現(につくわうさんじやごんげん)と申奉る  十方(じつはう)諸國土(しよこくど)無利(むり)不現身(むげんしん)慈眼視(じげんじ)衆生(しゆしやう)福寿海(ふくじゆかい)無量(むりやう)の金言(きんげん)信心(しん〴〵)掲(かつ)【渇】仰(がう)  の輩(ともがら)願望(ぐわんまう)速(すみやか)に満足(まんぞく)すること響(ひゞき)の聲(こゑ)に應(おう)ずるが如(ごと)し其後(そのゝち)弘仁年  中 弘法大師(こうぼふだいし)登山(とうざん)して專(もつはら)三密(さんみつ)五智(ごち)の秘法(ひほふ)を弘(ひろ)めまた嘉祥年中 慈(じ) 【左丁】  覺大師(がくたいし)陟(のぼ)り給ひ双(ならべ)て遮那(しやな)止觀(しくわん)の両業(りやうげふ)を弘(ひろ)め給(たま)ふ其(その)砌(みぎり)當社(たうしや)を再(さい)  営(えい)し玉ひけり當山(たうさん)の古縁起(こえんぎ)には三神(さんじん)始(はじめ)て勸請(くわんじやう)の事は開山上人(かいさんしやうにん)  四本龍寺(しほんりうじ)にすみ玉ひし时(とき)精舎(しやうじや)の東南に初(はじめ)て勸請(くわんじやう)し玉へり其後(そのゝち)  遷宮(せんぐう)の事ありしに仍(より)て御神(おんかみ)たび〳〵すさみ給(たま)ひし事 旧記(きうき)に見え  たり最初(さいしよ)上人(しやうにん)三神(さんじん)の靈像(れいざう)を安置(あんち)の社地(しやち)は大河(だいが)に接(せつ)せし丘地(きうち)【「ヲカ」左ルビ】に  して时(とき)〻(〴〵)洪水(こうすゐ)逆浪(げきらう)し社頭(しやとう)終(つひ)には危(あやふ)からん事を思惟(しゆゐ)し玉ひ御(ご)  遺㐧(ゐてい)道珍(だうちん)敎旻(けうひん)千如(せんによ)等(ら)と相議(あひぎ)して天長年中 社殿(しやでん)を小玉殿(せうぎよくでん)の東に  移(うつ)し給へり其後(そのゝち)二十 餘年(よねん)を經(へ)て嘉祥三年 座主(ざす)昌禅(しやうぜん)輪下(りんげ)の尊鎮(そんちん)  法輪(ほふりん)等(ら)と議(ぎ)せられ法華(ほつけ)常行(じやうぎやう)の二堂(にだう)の後(うしろ)は東西 中院(ちゆうゐん)の中央(ちゆうあう)に當(あた)  りて勝地(しようち)此所(このところ)に過(すぐ)べからずとて即(すなはち)遷宮(せんぐう)し奉り給ふといへり《割書:其(その)|頃(この)》  《割書:法華(ほつけ)常行(じやうぎやう)の二堂(にだう)の後(うしろ)とあるは今(いま)の仏岩(ほとけいは)也|社地(しやち)は今(いま)の御宮内(おんみやうち)鐘楼(しゆろう)の邊(へん)に當(あた)れり》此时(このとき)始(はじめ)て四本龍寺(しほんりうじ)の旧社(きうしや)を本宮(ほんぐう)  と称(しよう)し遷宮(せんくう)の社頭(しやとう)を新宮(しんぐう)と号(がう)し奉るといふ又(また)其後(そのゝち)は十五 代(だい)の 【右丁】  座主(ざす)光智坊(くわうちばう)聖宣(しやうせん)の时仁平三《割書:癸| 酉》年秋八月なり其後(そのゝち)又(また)五十年を  歷(へ)て承元四《割書:庚| 午》年 座主(ざす)真智坊(しんちばう)法橋(ほつけう)隆宣(りうせん)再(ふたゝび)昔(むかし)の勝地(しようち)常行堂(しやうぎやうだう)の後(うしろ)へ  遷(うつ)し奉る是(これ)を神威(しんゐ)穏(おだやか)ならざる度毎(たびこと)に所(しよ)〻(〳〵)へ遷(うつ)し奉る今度(こんど)は此(この)  所(ところ)を不易(ふえき)な社地(しやち)と定(さだ)め永(なが)く神威(しんゐ)を鎮(しづ)め奉らんとて大衆(たいしゆ)相議(あいき)し  て法華(ほつけ)八講(はつかう)等(とう)其 外(ほか)種(しゆ)〻(〴〵)の法施(ほつせ)を奉(たてまつ)り崇敬(そうけい)嚴(おごそか)なりしかど猶(なほ)神鑑(しんかん)  に愜(かなは)ざる事や有(あり)けん頻(しきり)に荒(すさみ)玉ふ事 息(やま)ざりければ山徒(さんと)悉(こと〴〵く)恐怖(きようふ)し  て暫(しばらく)遷宮(せんぐう)の事もやみ思(おもは)ざる年月を過(すぐ)しけるが时(とき)至(いた)りて二十二  代の座主(ざす)但馬法印(たぢまほふいん)辨覺(べんがく)新(あらた)に光明院(くわうみやうゐん)の座主号(ざすがう)を賜(たまは)り将軍家の  《割書:實朝公》御帰依(ごきえ)殊(こと)に厚(あつ)かりければ再(ふたゝび)遷宮(せんぐう)修営(しゆえい)の事を鎌倉(かまくら)に請(こひ)て  建保三《割書:乙| 亥》年 金堂(おんだう)の西(にし)に新(あらた)に社地(しやち)を卜(ぼく)して神殿(しんでん)を造立(ざうりふ)し奉ら  る《割書:今の拜殿(はいでん)の|地(ち)なり》此地(このち)は実(じつ)に不易(ふえき)の勝地(しようち)なるにや是(これ)より荒(すさみ)給ふ事も息(やみ)  て神慮(しんりよ)おだやかに鎮(しづま)り給へり建保三《割書:乙| 亥》年より今(いま)に至(いた)るまで 【左丁】  凡六百二拾 餘年(よねん)に及(およ)びぬ抑(そも〳〵)此(この)大權現(だいごんげん)は日光(につくわう)地主(ぢしゆ)の靈神(れいじん)にして  天下(てんか)の治乱(ちらん)この冥應(みやうおう)に係(かゝ)らざることなく海内(かいだい)の吉凶(きつきよう)もまた此  神の玄鑑(げんかん)に管(あづか)らずといふことなし実(じつ)に靈験(れいげん)の著(いちじる)き事 徃古(わうご)より  挙(あけ)てかぞへがたし今は一二を記(しる)して神德(しんとく)を憲章(けんしやう)せば人王五十  二代  嵯峨天皇の御宇(ぎよう)大同年間 尚侍正(ないしのかみ)薬子(くすりこ)藤原仲成(ふぢはらのなかなり)等(ら)の叛臣(はんしん)【平出】  太上皇を賺(すか)し奉り御謀反(ごむほん)を勸(すゝ)め奉り軍旅(ぐんりよ)を東関(とうくわん)に揚(あげ)て天下を  謀(はか)らんとす此事 早(はや)く 朝廷(てうてい)へ聞(きこ)えければ急(いそ)ぎ三関(さんくわん)を塞(ふせ)ぐべしと群(ぐん)  議(ぎ)有て坂上田村麿(さかのうへのたむらまる)を追討使(つゐたうし)に撰(えらは)れ仲成(なかなり)等(ら)を追伐(つゐばつ)せらる此时 當(たう)  社(しや)へ 勅使(ちよくし)を差下(さしくだ)され朝敵(てうてき)退治(たいぢ)の懇祈(こんき)をこめられけるに神驗(しんげん)著(いちじる)  く遂(つひ)に謀臣(ぼうしん)仲成(なかなり)等(ら)誅(ちゆう)に伏(ふく)し【平出】  上皇も御落飾(ごらくしよく)ましまししかばこゝに於(おい)て動乱(とうらん)悉(こと〴〵く)静(しづ)まり四海(しかい)安(あん) 【右丁】  寧(ねい)に帰(き)せり【平出】  帝(みかど)はるかに當山(たうさん)の神験(しんげん)を叡感(えいかん)まし〳〵勅使(ちよくし)下向(げかう)有て日光大權現(につくわうだいごんけん)へ  正一位(しやういちゐ)勲一等(くんいつとう)の位階(ゐかい)を授(さづけ)賜(たま)ふ其後また北國(ほつこく)の夷賊(いぞく)蜂起(ほうき)せしとき  坂上田村麿(さかのうへのたむらまる)重(かさね)て節刀(せつとう)を賜(たまは)り發向(はつかう)の砌(みぎり)田村将軍(たむらしやうぐん)みづから當社(たうしや)へ  朝敵(てうてき)退治(たいぢ)の願書(ぐわんしよ)をこめられ出陣(しゆつぢん)せられしに夷賊(いぞく)悉(こと〴〵く)神助(しんじよ)に仍(より)て  平治(へいぢ)せしかば田村将軍(たむらしやうぐん)大いに神德(しんとく)を仰(あふ)ぎ鞍馬(あんば)弓箭(きうせん)甲冑(かつちう)等(とう)を  權現(ごんけん)の社頭(しやとう)に獻(けん)じ神德(しんとく)を感謝(かんしや)し奉り帰洛(きらく)の上(うへ)此旨(このむね)具(つぶさ) 奏聞(そうもん)を  遂(とげ)られしかば 朝廷(てうてい)倍(ます)〻(〳〵)當社(たうしや)の神德(しんとく)を叡感(えいかん)ありて武蔵(むさし)相模(さかみ)常(ひた)  陸(ち)上總(かづさ)下総(しもふさ)五箇國(ごかこく)の貢物(みつぎもの)年〻三分一 宛(づゝ)永代(えいたい)日光山(につくわうざん)へ寄(よせ)らるべ  き旨(むね) 勅詔(ちよくぜう)有(あり)しといへりまた【平出】  高倉院の御宇(ぎよう)元歷元年二月 右兵衛佐(うひやうゑのすけ)源頼朝卿(みなもとのよりともきやう)平氏(へいし)討罪(ちうばつ)の事(こと)を  當社(たうしや)へ祈請(きしやう)し玉ひしに遂(つひ)に幾(いく)ほどもなくして平族(へいぞく)を西海(さいかい)に追(つゐ) 【左丁】  討(とう)し源氏(げんし)一統(いつとう)の世(よ)と成(なり)賸(あまつさへ)日本國(につほんごく)総追捕使(そうつゐふし)に任(にん)ぜられ日本国中  を掌握(しやうあく)せられ國郡(こくぐん)に守護(しゆご)を置(お)き荘園(しやうゑん)には地頭(ぢとう)を補(ふ)し日本國中  爰(こゝ)において始(はじめ)て武家(ぶけ)の世(よ)となりしかば全(まつたく)日光(につくわう)の神助(しんじよ)に依(よ)れり  とて下野國(しもつけのくに)の内 久野(くの)大井(おほゐ)の両郷(りやうがう)を大權現(だいごんげん)の燈油料(とうゆれう)に寄(よせ)玉ひ都(すべ)  て一 國(こく)の地頭(ぢとう)《割書:兼》御家人(ごけにん)等(とう)を日光(いつくわう)の所役(しよやく)に充(あて)給ふとあり文治五  年 奥州(あうしう)の泰衡(やすひら)征伐(せいはつ)の砌(みぎり)もまた御願(ごぐわん)を當社(たうしや)に籠(こめ)られけるに程(ほど)な  く討平(うちたひら)げ給ひ頼朝卿(よりともきやう)尊敬(そんきやう)浅(あさ)からず神贄(かむにへ)を備(そな)へ御剱(きよけん)を奉納(ほうなふ)せら  れ其上 肥前(ひぜんの)〻(ぜん)司(じ)知行(ともゆき)を御使(おんつかひ)として那須庄(なすしやう)の内 五箇郷(ごかがう)を以(もつ)て毎(まい)  歳(さい)神贄(かむにへ)の狩料所(かりれうしよ)に充(あて)玉ひ又 森田(もりた)日向(ひなた)の両郷(りやうがう)をして永代日御供(えいたいひごく)  料(れう)に寄(よせ)玉ひまた法華三昧料(ほつけさんまいれう)として當國(たうこく)寒河郡(さむがはこほり)にて免田(めんでん)十五町  を寄附(きふ)せらる建曆三年五月 和田乱(わだらん)の时日光山 別當(べつたう)辨覚(べんがく)御所(ごしよ)の  御味方(おんみかた)に参(まゐ)りしに依(より)て御感(ぎよかん)の上意(しやうい)を蒙(かうふ)り其賞(そのしやう)として九州(きうしう)筑紫(つくし) 【図】 田村麿奥州凱旋 の砌新宮社頭へ叅拜 相覧【印】 【右丁】  にて土黒(つちぐろ)の荘(しやう)を賜(たま)ふ其後【平出】  龜山院の文永年間【平出】  後宇多院の弘安年間 蒙古(もうこ)の異賊(いぞく)本邦(ほんはう)を襲(おそ)はんとせし时両度と  もに日光 座主(ざす)勅命(ちよくめい)を被(かうふ)り大衆(たいしゆ)とゝもに當社(たうしや)の神殿(しんでん)に於(おい)て夷賊(いぞく)  降伏(ごうふく)の祈祷(きたう)丹誠(たんせい)を抽(ぬきんで)られけるに一七日 結願(けちぐわん)のあした社擅(しやだん)【壇】三度  震動(しんどう)して忽然(こつぜん)と一筋(ひとすぢ)の神鏑(かむかぶら)西に向ひて飛鳴(ひめい)し其 去所(さるところ)をしらず  爾(しか)して後(のち)ほどなく異國(いこく)の軍舩(ぐんせん)悉(こと〳〵く)飄没(へうぼつ)せし由(よし)當社(たうしや)の旧記(きうき)に載(のせ)た  りといふ世(よ)〻(ゝ)の朝敵(てうてき)滅亡(めつばう)の竒瑞(きずゐ)のみならず靈驗(れいげん)感應(かんおう)は万人の  懇祈(こんき)に應ずること恰(あたか)も響(ひゞき)の聲(こゑ)に随(したが)ふが如(こと)し仍(より)て徃昔(むかし)より近國(きんごく)  の諸矦(しよこう)結城(ゆふき)小山(をやま)宇都宮(うつのみや)那須(なす)等(とう)を初(はじ)め大權現(だいごんげん)の冥助(めうじよ)を仰(あふ)がざる  はなし时(とき)〻(〴〵)奉納(ほうなふ)の太刀(たち)曼陀羅(まんだら)種(しゆ)〻(〴〵)宝物(はうもつ)と成(なり)て現存(げんぞん)す徃昔(むかし)鎌倉(かまくら)  より时(じ)〻(ゝ)修造(しゆざう)せられし年月等も具(つぶさ)に旧記(きうき)に見えたるよし也鎌(かま) 【左丁】  倉(くら)も元弘正慶 以来(いらい)は一旦(いつたん)亡國(ばうこく)となり貞和觀應の頃は足利(あしかゞ)公方  家 鎌倉(かまくら)に御所(ごしよ)を構(かま)へすみ給ひけれども戦國(せんごく)の餘弊にて國(くに)〻(〳〵)保(はう)  保(はう)合戦(かつせん)たえざれはいつしか社頭(しやとう)修造(しゆざう)の事も怠(おこた)り動(やゝ)もすれば神領(しんりやう)  の田畠(たはた)山林(さんりん)も侵掠(しんりやう)せられ殆(ほとんど)満山(まんざん)衰廃(すゐはい)せり爾(しか)のみならず織田氏(おたうぢ)  豊臣氏(とよとみうぢ)の為(ため)に佛寺(ぶつじ)を破却(はきやく)せられ神領(しんりやう)をも悉(こと〳〵ぐ)削(けづ)られけるよし此  时に至て猶(なほ)又(また)一山(いつさん)廃頽(はいたい)し神護景雲以来 連綿(れんめん)たる法燈(はふとう)も既(すで)に消(せう)  滅(めつ)すべかりしに天運(てんうん)循環(じゆんくわん)し慈眼大師(じげんたいし)當山(たうざん)を中興(ちゆうこう)し給ひ【平出】  大神祖君の神廟(しんべう)始(はじめ)て鎮(しづま)りましますに及(およ)び絶(たえ)たるを継(つき)すたれたる  を興(おこ)させ給ひ元和五年 新(あらた)に當社(たうしや)を再建(さいこん)まし〳〵唐門(からもん)拜殿(はいでん)御饌殿(みけどの)  等(とう)に至(いた)る迄 悉(こと〳〵く)御修造(おんしゆざう)あり御願主(おんぐわんしゆ)は即(すなはち)【平出】  大相國家《割書:台德公》なり又正保二年 重(かさね)て御修営(おんしゆえい)あり 御三代将軍【闕字】  左大臣家《割書:大猷公》御願主(おんぐわんしゆ)なり此砌(このみぎり)社地(しやち)五間余北の 山際(やまぎは)へ引れたり 【右丁】  夫より三度目の御造替(おんざうたい)の时(とき)本社(ほんしや)拜殿(はいでん)倶(とも)にまた山際(やまぎは)へ引(ひき)て修造(しゆざう)  せらる夫(それ)までの本社(ほんしや)は即(すなはち)今(いま)の拜殿(はいでん)の地(ち)なりといふ  新宮社前(しんくうしやぜんの)唐銅大燈籠(からかねのおほどうろう) 總高(そうたかさ)六尺 許(ばかり)丸柱(ぐわんちゆう)に銘(めい)あり     奉 冶 鑄     新 宮 御 宝 前   御 燈 爐 一 基     右 志 者 爲 二 世 悉 地 成 就 圓 滿 也       利 益 普 及 群 類 《割書:矣》         正 應 五 年 《割書:壬| 辰》 三 月 一日       願 主 鹿 沼 權 三 郞 入 道 教 阿                   清 原 氏 女 《割書:敬|白》           大 工 常 陸 國 三 村 六 郎 守 季 【左丁】 【灯籠の図】 【右丁】  續日本後紀云承和三年十二月授下野國従五位上  勲四等二荒神社正五位下  同八年四月奉授下野國正五位下勲四等二荒神正  五位上  同十五年八月廿八日授從四位下  文德實錄云天安元年十一月在下野國勲四等二荒  神充封戸一烟  三代實錄云貞觀元年正月廿七日授下野國從三位  勲四等二荒神社正三位  同七年十二月廿一日授從二位《割書:云| 云》  同十一年二月廿八日授正二位《割書:云| 云》 【左丁】  神寶(じんはう) 瀬昇太刀(せのぼりのたち)《割書:鞘皮巻(さやかはまき)》一腰 ねゝ切丸(きりまる)《割書:鞘皮巻(さやかはまき)》一腰   枝珊瑚樹(えださんごじゆ)一本 琵琶(びは)《割書:銘玉簾(めいたますだれ)》一面 水晶宝塔(すゐしやうのはうたふ)一基   小山氏鎧(をやまうぢのよろひ)《割書:金小札(きんこざね)》一領 柏太刀(かしはたち) 三振  末社(まつしや)  金剛堂(こんがうだう)  慈覺堂(じがくだう)《割書:護广堂(ごまだう)なり慈覚大師(じがくだいし)の像(ざう)|不動堂(ふどうだう)卅 番神(ばんじん)を安置(あんち)す》  毘沙門堂(びしやもんだう)   山王社(さんわうのやしろ)  阿弥陀堂(あみだだう)  大黒天堂(だいこくてんだう)  十八王子社(じふはちわうじのやしろ)《割書:此 余(よ)は略(りやく)す》  例祭(れいさい) 三月朔日二日なり年(とし)に依(より)て町(まち)〻(〳〵)より邌物(ねりもの)或(あるひ)は狂言(きやうげん)附祭(つけまつり)  等(とう)を出(いだ)せるもあり其时は二月廿七八日 頃(ころ)より邌物(ねりもの)等(とう)おもひ〳〵  の戯藝(ぎげい)を施(ほどこ)し音曲(おんぎよく)を交(まじ)へ乱舞(らんぶ)さま〴〵の態(わざ)をつくし三月朔日まで  町(まち)〻(〳〵)を引渡(ひきわた)し二日 未明(みめい)に新宮(しんぐう)拜殿(はいでん)の前(まへ)にて毎町(まいちやう)ねりものを引(ひき)  来(きた)り替(かはる)〻(〴〵)其 藝(げい)をつくす鉢石町(はついしまち)の方(かた)よりは毎歳(まいさい)恒例(ごうれい)として奴(やつこ)を  出(いだ)せり鉢石町(はついしまち)稲荷町(いなりまち)などの若(わか)きものゝ役(やく)とし青奴(あをやつこ)赤奴(あかやつこ)と二行(にぎやう)に  立(たち)て装(よそほひ)をなし面躰(めんてい)手足(てあし)服色(ふくしよく)ともに其色(そのいろ)を分(わか)てり偖(さて)神輿(しんよ)瀧尾(たきのを)へ 【右丁】  渡御(とぎよ)は二月廿八日の未(ひつじ)の刻(こく)にて還御(くわんぎよ)は三月朔日の午(うま)の刻(こく)なり  其 砌(みぎり)神人(しん〴〵)供奉(ぐぶ)し神輿(じんよ)を拜殿(はいでん)へすゑ奉り翌(よく)二日 神輿(じんよ)本宮(ほんぐう)へ渡御(とぎよ)  供奉(ぐぶ)の行列(ぎやうれつ)数(かず)を知(し)らず行装(ぎやうさう)を尽(つく)し本宮(ほんぐう)の社頭(しやとう)にて古例(これい)の祭儀(さいぎ)  をはり無程(ほどなく)神輿(じんよ)を旋(めぐら)す  新宮神輿䤭(しんぐうしんよかなもの)の銘(めい)   銅細工比氣彦左衛門尉行久 沙弥正道 沙弥乗蓮   野州小山大正持宝寺 願主佛蔵坊能應   康應元《割書:己| 巳》八月日 延年舞(えんねんのまひ) 此 踏舞(たふぶ)の事を當山(たうざん)の旧記(きうき)に載(のせ)たるは古実(こじつ)の来由(らいゆ)にて聞(きゝ)  傳(つた)ふるに古(いにしへ)慈覚大師(じかくだいし)異邦(いはう)より将来(しやうらい)し給ふ秘曲(ひきよく)の舞(まひ)なるを嘉祥  年中 當山(たうざん)の大衆(たいしゆ)へ傳(つた)へ玉ひて摩多羅神(またらじん)の神事(じんじ)の秘舞(ひふ)とし其 以(い)  来(らい)毎歳(まいさい)臘月(らふげつ)晦日(みそか)の夜(よ)より正月七日の朝(あさ)迄 常行堂(じやうぎやうだう)にて修正會(しゆしやうゑ)と 【左丁】  称(しよう)する奥秘(あうひ)の法儀(ほふぎ)を修行(しゆぎやう)の砌(みぎり)日(ひ)〻(ゞ)延年舞(えんねんのまひ)を奏(そう)し天下泰平(てんかたいへい)の  法楽(ほふらく)に備(そな)へ奉らるゝ事といへり中興(ちゆうこう)座主(ざす)辨覚大僧正(べんがくだいそうじやう)の时 大衆(たいしゆ)  と議(ぎ)せられ始(はじめ)て三月二日の神事(じんじ)に移(うつ)されたるものとぞ徃昔(むかし)は  叡山(えいざん)にても慈覚大師(じがくだいし)傳来(でんらい)し給ふ舞(まひ)なるゆゑ每年(まいねん)修正會(しゆしやうゑ)に此 舞(まひ)  を奏(そう)せられしよし今(いま)は叡山(えいざん)にはたえて當山(たうざん)にのみ傳(つた)へ千古(せんこ)の  星霜(せいさう)を經(へ)て修(しゆ)せらるゝ秘曲(ひきよく)の舞(まひ)なりといふ又四月十七日 御神(おんじん)  祭(さい)の砌(みぎり)も新宮(しんぐう)の社前(しやぜん)にて此(この)踏舞(たふぶ)終(をは)りて後(のち)御神事(おんじんじ)を始(はじめ)らるゝ事也 教旻座主墳墓(けうびんざすのふんぼ)  御宮(おんみや)別所(べつしよ)大樂院(だいらくゐん)境内(けいだい)庫裡(くり)の邊(へん)に塚(つか)あり徃古(わうご)より傳(つた)へて敎旻座(けうびんざ)  主(す)の墓(はか)なりとて不浄(ふじやう)を禁(きん)じ崇敬(そうきやう)せり此あたり近(ちか)き所(ところ)に勝道上(しようだうしやう)  人(にん)の墓(はか)あり徃古(わうこ)より小笹原(をざゝはら)の地(ち)にて有(あり)し事なるべし勝道上人(しようだうしやうにん)  十㐧子(じふでし)の中(なか)にも敎旻(けうひん)と道珍(だうちん)は上足(じやうそく)の㐧子(でし)にてありけり道尊者(だうそんじや) 【右丁】  の補𢏋洛山(ふだらくせん)へ跋涉(ばつせふ)の时(とき)も此 両㐧子(りやうでし)相随(あひしたが)ひ俗姓(そくしやう)に附(つき)て上人(しやうにん)と敎(けう)  旻(びん)は徒㐧(とてい)なるよし也 仍(よつ)て勝道上人(しようだうしやうにん)は開祖(かいそ)にて敎旻(けうびん)は當山(たうざん)の始(し)  祖(そ)と称(しよう)し㐧一世の座主職(ざすしよく)なり神社考(じんじやかう)に宇都宮公綱(うつのみやきんつな)といふは敎(けう)  旻座主(びんざす)十八代の孫(まご)なる由(よし)を載(のせ)たれども據(よりどころ)とする所(ところ)なし勝道(しようだう)も  敎旻(けうびん)も大中臣姓(おほなかとみのせい)にて宇都宮(うつのみや)の家(いへ)は藤氏(とうし)より出(いで)て粟田口関白道(あはだぐちくわんばくみち)  兼公(かねこう)四代の孫(そん)宗圓座主(そうゑんざす)より出(いで)て家(いへ)をおこしし宗綱(むねつな)より公綱(きんつね)【ママ】迄(まで)  は凡(およそ)九代にも及(およ)べり是(これ)は系圖(けいづ)に見(み)えたる所(ところ)なり神社考(じんじやかう)の説(せつ)も  誤(あやま)れるなるべし 佛岩(ほとけいは) 東谷(ひがしだに)より續(つゞ)き寺院(じゐん)坊舎(ばうしや)あり佛岩(ほとけいは)といふは山際(やまぎは)に佛像(ぶつざう)に似(に)  たる岩(いは)三四 相並(あひなら)びしが古(いにしへ)山崩(やまくづれ)して徃古(わうご)の佛岩(ほとけいは)もうせけるよし也  されども旧(ふる)くより地(ち)の名(な)となせり是(これ)より瀧尾(たきのを)への本道(ほんだう)にて社(しや)  頭(とう)へ至(いた)る迄(まで)は凡(およそ)八町ばかり平坦(へいたん)にして漸(やう)〻(〳〵)登(のぼ)り社頭(しやとう)まで敷(しき) 【左丁】  石(いし)つゞけり 開山堂(かいさんだう) 地蔵堂(ぢざうだう)とも唱(とな)ふ六間 四面(しめん)赤塗(あかぬり)間(ま)ごとに窓(まど)有(あり)て四面(しめん)に扉(とびら)  あり宝形造(はうぎやうづくり)東向(ひがしむき)本尊(ほんぞん)地蔵木座像(ぢざうもくざざう)五尺 許(ばかり)運慶作(うんけいのさく)なり堂内(だうない)に開先(かいせん)  院(ゐん)といふ額(がく)を掲(かゝ)ぐこれは  御座主宮(おんざすのみや)公道法親王の御筆(おんふで)なり石土間(いしどま)須弥壇(しゆみだん)厨子入(づしいり)勝道上人(しようだうしやう)  の(にん)【ママ】影像(えいざう)を安(あん)し左右(さいう)に十㐧子(じふでし)の像(ざう)をも置(お)けり上人(しやうにん)は地蔵薩埵(ぢざうさつた)の  再誕(さいたん)なるゆゑ地蔵(ぢざう)を安置(あんち)すといふ此 所(ところ)は上人(しやうにん)荼毘(だび)の地(ち)なり  釋書云。釋勝道。姓若田氏。野之下州。芳賀郡人。早出塵  累。鑚仰勝業。州有補陀落山。峰巒峻峙。振古未有陟躋  者。道。以神護景雲元年四月。企跋涉。路險。雪㴱。雲霧晦  暝。不能登。止山腹。凡經三七日而還。天應元年。孟夏又  興先志。亦屈而退。延曆之始。季春之月。發大誓致勤修。 【図】 【右丁】 開山堂 二世   柳川重信冩 白山社 疱瘡神 山王 開山堂 【左丁】 徒弟 ̄ノ庿 開山上人庿 産 ̄ノ宮 陰陽石 【右丁】  且曰。者囘不到山頂。亦不至菩提。漸達于頂。衆峰環峙。  四湖碧㴱。竒花異木。殆非人境。道。堅誓所遂悅目喜心。  乃結蝸舎於西南隅。修懴又三七日。道。雖究山區。未盡  湖曲。三年之夏。造小舡。浮東湖。西南北湖。備極游蕩。就  其勝處。建伽藍。曰神宮寺。居四載。道。行與靈境並傳。  桓武帝聞之。勅任上野講師。又於都賀郡。創蕐嚴精舎。  大同二年。州界大旱。剌【刺】史令道祈雨。道。上補陀落山行  法雩。甘雨速降。百穀皆登。《割書:云| 云》 勝道上人墓(しようだうしやうにんのはか) 此 邊(へん)を称(しよう)して離布畏所(りふゐしよ)と唱(とな)ふ荼毘(だび)の地(ち)なるゆゑに  や五輪塔(ごりんのたふ)高(たか)さ三尺 許(ばかり)石玉垣(いしのたまがき)九尺に一間 程(ほど)また山際(やまぎは)に石像(せきざう)の六(ろく)  天部(てんぶ)の損(そん)じたるあり是(これ)は墳墓(ふんぼ)に安(あん)せしが損(そん)ぜしゆゑ山際(やまぎは)へ移(うつ)し  たるものなるにや 【左丁】  白山社(はくさんのやしろ) 天神社(てんじんのやしろ) 經塔(きやうたふ) 十王堂(じふわうだう) 陰陽石(いんやうせき) 産宮(さんのみや) 開山堂(かいさんだう)の南にあり東 向(むき)六尺 社向拜附(やしろかうはいつき)赤塗(あかぬり)黒扉(くろとびら)滅金(めつき)かな  もの高欄(かうらん)大床造(おほゆかづくり)鰐口(わにぐち)を掲(かゝ)ぐ石玉垣(いしのたまかき)を廻(めぐ)らし社前(しやせん)に鳥居(とりゐ)あり里(り)  俗(ぞく)傳(つた)へいふ姙娠(にんしん)の女子(ぢよし)安産(あんざん)を祈(いの)るに将棊(しやうぎ)のこまの形(かた)を作(つく)り中(なか)  に香車(きやうしや)と書(かき)て社壇(しやだん)に納(をさ)むれば平誕(へいたん)すること妙(みやう)なりとて数多(あまた)納(をさ)め  置(おき)たりこれもいつの頃(ころ)よりの俗習(そくしふ)にか香車(きやうしや)は向(むか)ふ事 速(すみや)かなる  の謂(いは)れならん又 此社(このやしろ)の南寄(みなみより)今(いま)は柵矢來(さくやらい)を廻(めぐ)らし大楽院(たいらくゐん)のうしろ  迄(まで)蒼茫(さうばう)たる地(ち)あり是(これ)は 御遷座(ごせんざ)前迄(まへまで)一山(いつさん)其餘(そのよ)の葬地(さうち)にて有(あり)し  といふ古(いにしへ)此 邊(へん)に釈迦堂(しやかだう)并 徃生院(わうしやうゐん)とて在(あり)しを六供所(ろくぐしよ)と称(しよう)せし小(せう)  庵(あん)の旧跡(きうせき)といふ此事実(このじじつ)は妙道院(みやうだうゐん)と浄光寺(じやうくわうじ)の條(でう)を合(あは)せ見(み)るべし 手掛石(てかけいし) 稲荷川寄(いなりかはより)にある大石(たいせき)をいふ 飯盛杉(いひもりすぎ) 此杉(このすぎ)は至(いたつ)て古木(こぼく)なり枝葉(えだは)皆(みな)地(ち)に垂(たり)たり遥(はるか)に望見(のぞみみ)る时(とき)は 【右丁】  其(その)形㔟(ぎやうせい)飯(いひ)を盛(もり)たるが如(ごと)く見(み)ゆるより名附(なづけ)たり 御神馬碑(おんじんめのひ) 是(これ)は慶長五《割書:庚| 子》年 濃州(のうしう)関(せき)ヶ(が)原(はら)御陣(ごぢん)の时(とき)此(この)駿蹄(しゆんてい)に被(られ)_レ為(せ)  召(めさ)御勝利(おんしようり)ありし御馬(おんうま)ゆゑ元和丙辰年  薨御(こうぎよ)の翌年(よくねん)當山(たうざん)へ放(はな)ち  給(たま)ふといふ碑石(ひせき)瀧尾路(たきのをみち)の傍(かたはら)に有(あり)    御神馬之碑 《割書:高(たかさ)四尺五寸 幅(はゞ)一尺二寸余 厚(あつさ)七寸五分 臺石(だいせき)三 級(きふ)|碑文(ひぶん) 五 行(ぎやう)の上(うへ)御神馬(おんじんめ)の三大字(さんたいじ)有(あり)》  慶長庚子歳御關原之御陣馭於此馬所擊於凶徒矣  元和丙𫝕 大𣗳薨御明年放馬於此山歷於十有四  歳寛永庚午歳斃於槽櫪之間于嗟這馬也駿足千里  初沛艾後欵段非於其性令習而然乎所謂不立厩於  寺厩於屠蒼犺猶守墟白澤復望門或人聞於馬之來  由延寶六戊午歳𣗳碑於塚欲其名跡久不没也㸔者  其致思焉 此碑(このひ)は梶氏(かぢうぢ)の造立(ざうりふ)せられしものなり 【左丁】 栃御門(とちのおんもん) 此所(このところ)は瀧尾総門(たきのをそうもん)なり素木造(しらきづくり)佛岩(ほとけいは)より㔫の方(かた)は 御宮(おんみや)奥(おく)の  院(ゐん)山(やま)の懸崕(けんがい)高(たか)さ十丈 許(ばかり)瀧尾口(たきのをぐち)御番所(おんばんしよ)の邊(へん)へ續(つゞ)き右の方(かた)は稲荷(いなり)  川(かは)の流(ながれ)あり老杉(らうさん)雑木(ざふぼく)路(みち)を掩(おほ)ひ社頭(しやとう)に至(いた)る迄(まで)幽邃(いうすゐ)にして日色(につしよく)を  見(み)ず盛夏(せいか)の时(とき)といふとも此境(このさかひ)へ入(い)れば凄凉(せいりやう)たるゆゑおのづから炎(えん)  暑(しよ)をわする此神境(このしんきやう)は當山(たうざん)第一の靈地(れいち)なり 下乗石柱(げじやうのいしのはしら) 路傍(ろはう)の㔫に建(たて)り 唐銅地蔵尊(からかねぢざうそん) 長(たけ)三尺 許(ばかり)座像(ざざう)路傍(ろはう)の右にあり 山王社(さんわうのやしろ) 向拜造(かうばいづくり)前(まへ)に鳥居(とりゐ)あり 不動堂(ふどうだう) 本尊(ほんぞん)二尺 許(ばかり)二童子(にどうじ)ともに運慶作(うんけいのさく)これより石階(せきかい)五六十 級(きふ)  を登(のぼ)る坂中(さかなか)に燒不動(やけふどう)といへる石像(せきざう)一尺五寸 許(ばかり)なるあり其餘(そのよ)三笠赤(みかさあか)  倉(くら)の石小祠(いしせうし)あり又(また)坂下(さかした)に五重(ごぢゆう)の石塔(せきたふ)《割書:并》熊野社(くまのゝやしろ)なども有(あり) 牛王橋(ごわうばし) 瀧(たき)の下流(かりう)へ架(か)せし石橋(いしばし)をいふ 【右丁】 瀧尾瀑布(たきのをのたき) 白糸瀧(しらいとのたき)とも唱(とな)ふ不動堂(ふどうだう)の後背(うしろ)にて岩上(がんしやう)より凡(およそ)二丈  餘(よ)飛流(ひりう)する形勢(ぎやうせい)数流(すりう)に分(わか)れ素糸(しらいと)を散流(さんりう)するにことならず此瀧(このたき)  を索麪瀧(さうめんのたき)といふは誤(あやまり)なり索麪瀧(さうめんのたき)は含満(かんまん)の南にあり爰(こゝ)の山谷(さんこく)を素(さう)  麪谿(めんだに)といふ由(よし)ものに見(み)えたり  囘國雑記云(くわいこくざつきにいはく)瀧尾(たきのを)と申(まうし)侍(はべ)るは無双(ぶさう)の靈神(れいじん)にてまし〳〵ける飛流(ひりう)の  姿(すがた)目(め)をおどろかし侍(はべ)りき   世(よ)〻(ゝ)を經(へ)て結(むす)ぶちぎりの末(すゑ)なれやこの瀧(たき)の尾(を)のたきのしらいと 別所(べつしよ) 石階(せきかい)数級(すきふ)を登(のぼ)り右の方(かた)にあり例(れい)の日光責(につくわうぜめ)の道具(だうぐ)をかけ双(なら)ぶ  爰(こゝ)の別所(べつしよ)は衆徒中(しゆとのうち)にて五年 替(がは)りに兼持(けんぢ)す 御宮(おんみや)の社家(しよけ)二﨟(じらふ)な  るもの社務(しやむ)を司(つかさど)る扨(さて)日光責(につくわうぜめ)といふは此(この)別所(べつしよ)より濫觴(らんしやう)せし事  ともいひ傳(つた)ふ里諺(りげん)にいつの頃(ころ)にや地蔵(ぢざう)人間(にんげん)に変(へん)じ來(きた)りて索麪(さうめん)  を乞(こひ)けるを責(せめ)しより始(はじま)れりといふ或(あるひ)は貉(むじな)いぶしなどいふ事もあり 【左丁】  別所(べつしよ)の座敷(ざしき)に常人(じやうじん)を入(いれ)ざる間(ま)もあり又(また)は額(がく)の間(ま)といふもあり  是(これ)は弘法大師(こうぼふだいし)書(かき)玉(たま)ひし女體中宮(によたいちゆうぐう)の古額(こがく)有(ある)ゆゑにや今(いま)楼門(ろうもん)に掲(かゞけ)  たるは古額(こがく)を摸(うつし)たるものなりとぞ宝物(はうもつ)に古面(こめん)多(おほ)く其中(そのなか)に深秘(しんひ)  として見(み)る事をゆるさゞる面(めん)あり  抑(そも〳〵)瀧尾(たきのを)は弘仁十一年七月廿六日 弘法大師(こうぼふだいし)始(はじめ)て當山(たうざん)に下着(げちやく)し  玉ひ先(まづ)四本龍寺(しほんりうじ)の室(しつ)に入(いり)給(たま)ひ上人(しやうにん)の遺㐧(ゐてい)敎旻(けうひん)道珍(だうちん)等(とう)其餘(そのよ)の徒(と)  を伴(ともな)ひ瀧尾(たきのを)に到(いたり)給ふに瀧(たき)有(あり)て乱糸(らんし)に似(に)たりとて是(これ)より白糸(しらいと)の  名(な)起(おこ)れりとぞ嶺(みね)を龜山(かめやま)と名附(なづけ)給ふ其形(そのかたち)の伏龜(ふくき)に似(に)たるを以(もつ)て  なり空海和尚(くうかいをしやう)境地(きやうち)の靈區(れいく)なるを感(かん)じ玉ひ大杉(たいさん)のもとに庵(いほり)を結(むす)  び壇(だん)を設(まうけ)て仏眼金輪法(ぶつげんこんりんほふ)を修(しゆ)し給(たま)ふ事(こと)一七 日夜(にちや)地中(ちちゆう)より一白玉(ひとつのはくぎよく)  出現(しゆつげん)す是(これ)則(すなはち)天補星(てんほせい)なりとて祀(まつ)り給ひ小玉殿(せうぎよくでん)と称(しよう)する是(これ)なり又(また)  も勤行(ごんぎやう)せられしに天(てん)より一白玉(ひとつのはくぎよく)降(くだ)りて水上(すゐしやう)に浮(うか)び我(われ)は妙見星(みやうけんせい) 【図】 瀧尾靈神影向之圖 椿年【印】 【右丁】  なり公(こう)が請(こひ)に仍(より)て今(いま)來下(らいげ)せり此所(このところ)は我(わ)が住所(ぢゆうしよ)にあらず此嶺(このみね)に  女躰(によたい)の靈神(れいじん)いませり此地(このち)に祝(いは)ひ奉るべし我(われ)をして中禅寺(ちゆうぜんじ)に安(あん)  住(ぢゆう)せしめば末代(まつだい)迄(まで)人法(にんほふ)を守護(しゆご)せしむべしと話(かた)り畢(をはり)て見(み)えず依(よつ)  て中禅寺(ちゅうぜんし)に崇(あが)め奉(たてまつ)らるまた尊星(そんせい)の告(つげ)によりて修法(しゆほふ)し靈神(れいじん)の影(やう)  向(がう)を請(こひ)給ふに忽(たちまち)靈神(れいじん)化現(けげん)し玉(たま)ふ其(その)貌(かたち)天女(てんによ)の如(ごと)く端正(たんせい)美麗(びれい)金冠(きんくわん)  瓔珞(やうらく)を以(もつ)て荘嚴(しやうごん)に飾(かざ)り其身(そのみ)扈従(こしよう)の侍女(じぢよ)前後(ぜんご)を圍繞(ゐねう)し僮僕(どうぼく)左右(さいう)  に充満(じゆうまん)し異香(いきやう)紛紜(ふんうん)として靈神(れいじん)出現(しゆつげん)の尊容(そんよう)を拜(はい)し心願(しんぐわん)満足(まんぞく)す即(すなはち)  崛上(くつしやう)に社殿(しやでん)を造立(ざうりふ)して勸請(くわんじやう)し奉り手(しゆ)_二-書(しよ)題額(だいがくを)_一し女體中宮(によたいちゆうぐう)と《割書:云| 云》  道珍(だうちん)に室(しつ)を附与(ふよ)し是(これ)より道珍(だうちん)を以(もつ)て瀧尾上人(たきのをしやうにん)の元祖(ぐわんそ)とす 石鳥居(いしのとりゐ) 楼門(ろうもん)の外(そと)廿 間(けん)許(ばかり)を隔(へだ)つ此(この)鳥居(とりゐ)は梶氏(かぢうぢ)建立(こんりふ)なり 影向石(やうがういし) 別所(べつしよ)の西の方(かた)にあり上世(じやうせい)女躰神(によたいじん)影向(やうがう)を弘法大師(こうぼふだいし)の拜(はい)し  給(たま)ひし石(いし)なり三尺に四尺 許(ばかり)なる石(いし)なり 【左丁】 經筒(きやうづゝ) 此(この)銅器(どうき)は文政六年九月 別所(べつしよ)の西の方(かた)に影向石(やうがういし)あり夫(それ)より  楼門(ろうもん)の道(みち)へ出(いづ)る傍(かたはら)の石(いし)の下(した)より出現(しゆつげん)すといへり徃古(わうご)は今(いま)の別(べつ)  所(しよ)の邊(へん)に社頭(しやとう)有(あり)しが稲荷川(いなりかは)度(たび)〻(〳〵)の洪水(こうずゐ)に山根(さんこん)を崩(くづ)しけるゆゑ  正保二《割書:丙| 戌》年 毘沙門堂(ひしやもんだう)公海大僧正(こうかいだいそうじやう)御願主(ごぐわんしゆ)にて社頭(しやとう)造替(つくりかへ)の砌(みぎり)徃(わう)  古(こ)の別所(べつしよ)の地(ち)へ社頭(しやとう)を引移(ひきうつ)し玉ひ旧社(きうしや)の跡(あと)へ別所(べつしよ)を曳(ひか)れたり  といふ 【経筒の図と説明】           長六寸余      外筒(そとつゝ) 三寸三分【右90度回転】     銅筒(あかゞねづゝ)此中(このうち)に又(また)經筒(きやうづゝ)を納(をさ)めたり其(その)經筒(きやうづゝ)に銘(めい)あり是(これ)は     外筒(そとづゝ)なり無銘(むめい)此蓋(このふだ)に丸鏡(まろかゞみ)をもて掩(おほひ)しもの也(なり)別所(べつしよ)に     置(おき)たる内(うち)何(なに)ものか其鏡(そのかゞみ)を奪(うば)ひしといふ 【右丁】     内(うち)の經筒(きやうづゝ)銅(あかゞね)に滅金(めつき)し銘文(めいぶん)彫附(ほりつけ)たり中(なか)の經文(きやうもん)紙(かみ)は     絮(わた)の如(ごと)く文字(もんじ)知(し)れず 【経筒の図と説明】      破【右90度回転】   一寸五分【同上】         長三寸四分  銘文      下野國宇都宮住覺源    羅刹女且那■■法印奉納    大乗妙典六十六部内     三十番神法政禪門     大永五年今月吉日     此(この)經筒(きやうづゝ)は外筒(そとづゝ)なし銅滅金(あかゞねめつき)前(まへ)の經筒(きやうづゝ)と製作(せいさく)同(おな)じ彫附(ほりつけ)     たる文字(もんじ)よみがたし 【左丁】 【経筒の図と説明】            三寸                 一寸五分【右90度回転】   銘文      下総刕北イトト王久菊     羅刹女且那下総國沓懸庄      松本民部少輔宗善     奉納大乗妙典六十六部内     三十番神大永雪月吉日 鐘撞堂(かねつきだう) 石鳥居(いしのとりゐ)の右にあり四趾(しし)鐘(かね)は正保四年の鋳成(たうせい)なり 二王樓門(にわうろうもん) 銅葺(あかゝねぶき)赤塗(あかぬり)彩色(さいしき)彫物(ほりもの)あり二 間(けん)に三 間(げん)許(ばかり)表(おもて)に左輔(さほ)右弼(いうひつ)裏(うら)  に風雷(ふうらい)の二天(にてん)を安(あん)す楼上(ろうしやう)の檐下(えんか)に弘法大師(こうぼふだいし)の手書(しゆしよ)女體中宮(によたいちゆうぐう)の  額(がく)有(あり)写(うつし)は次(つぎ)に出(いだ)せり 【右丁】 拜殿(はいでん) 銅葺(あがゝねぶき)三 間(げん)に四 間(けん)黒漆(こくしつ)上蔀(うはしとみ)外(そと)赤塗(あかぬり)縁側(えんがは)高欄(かうらん)附(つき)なり 中門(ちゆうもん) 素木造(しらきづくり)板葺(いたぶき)左右(さいう)石玉垣(いしのたまがき)矢來(やらい)の内(うち)に矢篠(やしの)を栽(うゑ)たり 本社(ほんしや) 巽向(たつみむき)銅葺(あかゞねぶき)二 間(けん)に三 間(げん)大床造(おほゆかつくり)三扉(さんひ)黒塗(くろぬり)滅金䤭(めつきかざり)正躰(しやうたひ)の額(がく)三 面(めん)  鰐口(わにぐち)三ッ掲(かゝ)ぐ玉垣(たまがき)の内(うち)は丸小石(まるきこいし)を敷(しき)たり総赤塗(そうあかぬり)向拜造(かうはいつくり)彩色(さいしき)彫物(ほりもの)  高欄(かうらん)二 重(ぢゆう)垂木(たるき)方(はう)七八 間(けん)許(ばかり)  祭神(さいじん) 《割書:田心姫命(たごりひめのみこと)の垂迹(すゐしやく)本地(ほんぢ)阿弥陀佛(あみだぶつ)鎮座(ぢんざ)は人皇五十二代|嵯峨天皇の御願所(ごぐわんしよ)にて御造立(ござうりふ)といふ》 禮拜(らいはいいし) 本社(ほんしや)の前(まへ)中門(ちゆうもん)の内(うち)にあり長(ながさ)三尺 餘(よ)横(よこ)二尺六寸 許(ばかり)の平石(ひらいし)  廻(めぐ)りに手摺(てすり)矢來(やらい)を設(まう)く土俗(どぞく)いふ一名(いちみやう)は助石(たすけいし)とて日光責(につくわうぜめ)にて気絶(きぜつ)  せしもの此石(このいし)の上(うへ)へ荷(にな)ひ來(きた)り置(おく)时(とき)は忽(たちまち)蘇生(そせい)すといへり俗諺(ぞくげん)なれ  ば用(もち)ひがたし 千手堂(せんじゆだう) 本社(ほんしや)の西(にし)に有(あり)橡葺(とちぶき)宝形造(はうぎやうづくり)二 間(けん)四 面(めん)黒漆(こくしつ)本尊(ほんぞん)木座像(もくざざう)六尺  許(ばかり)開祖上人(かいそしやうにん)の作(さく)堂(だう)の基立(きりふ)は但馬法印(たぢまほふいん)覚海阿闍梨(がくかいあじやり)創建(さうこん)也(なり)といふ 【左丁】 本地堂(ほんぢだう) 本社(ほんしや)より西の方(かた)二 間(けん)四 面(めん)赤塗(あかぬり)橡葺(とちぶき)弥陀(みだ)觀音(くわんおん)勢至(せいし)の三 尊(ぞん)  を安(あん)す惠心僧都(ゑしんそうづ)の作(さく)なり 根本堂(こんほんだう) 本社(ほんしや)の西にあり根本(こんほん)日満(にちまん)の本地(ほんぢ)とて弘法大師(こうぼふだいし)大日如來(だいにちによらい)  を手刻(じゆこく)して日満權現(にちまんごんげん)と崇(あか)め給(たま)ふといふ 子種石(こだねいし) 子種大權現(こだねだいごんげん)と唱(とな)ふ本社(ほんしや)より西の方(かた)前(まへ)に鳥居(とりゐ)あり石(いし)の大(おほき)さ  六尺に七尺 程(ほど)苔(こけ)むして廻(めぐ)り凡(およそ)二 間(けん)許(ばかり)も有(ある)べし石玉垣(いしのたまかき)にて廻(めぐ)り  を圍(かこ)めり子(こ)なきもの此石(このいし)に祈(いの)れば必(かなら)ず効驗(かうげん)ありとぞ 酒(さけ)の泉(いづみ) 本名(ほんみやう)は㓛徳池(くどくち)なり池中(ちちゆう)に辨天(べんてん)の石小祠(いしのほこら)を安(あん)し徃古(わうこ)泉塔(せんたふ)  ともいへる由(よし)徑(わたり)六七尺なる小渠(こみぞ)なり九尺に一 間(けん)許(ばかり)なる埒垣(らちがき)を廻(めぐ)  らす或説(あるせつ)に古(いにしへ)此(この)池中(ちちゆう)より酒(さけ)涌出(わきいで)たるより名附(なづく)ともいふ 三拾番神堂(さんじふばんじんのだう) 四尺 社(やしろ)赤塗(あかぬり)鉄塔(てつたふ)の並(ならび)にあり 三本杉(さんぼんすぎ) 奥(おく)の院(ゐん)神木(しんぼく)なり本社(ほんしや)より後(うしろ)に當(あた)り玉垣(たまがき)を廻(めぐ)らしたること 【図】 【右丁】 樓門ノ額 弘法大師筆 女【右90度回転】 【左丁】 體【右90度回転】 【図】 【右丁】 中【右90度回転】 【左丁】 宮【右90度回転】 【図】 【右丁】 瀧尾權現社 酒ノ池 子種石 別所 【左丁】 行者堂 御番所 【右丁】  七 間(けん)程(ほど)入口(いりくち)は辰巳(たつみ)向(むき)にて前(まへ)に鳥居(おりゐ)あり玉垣(たまがき)の内(うち)に障(さは)り三百(さんぎやく)と号(がう)  する石碑(せきひ)あり石燈籠(いしどうろう)一基(いつき)此所(このところ)は瀧尾權現(たきのをごんげん)出現(しゆつげん)し給(たま)ひし地(ち)也といふ 碑石(ひのいし) 瀧尾權現(たきのをごんげん)の靈異(れいい)なる事(こと)を銘(めい)ぜし碑(ひ)なり又(また)苔(こけ)むしたる長(ながさ)三  尺 程(ほど)の石(いし)あり障利三百大荒神(さはりさんびやくだいくわうじん)と唱(とな)ふ其(その)大略(たいりやく)は寬文七年四月【平出】  大猷公十七 周(しう) 御忌(ぎよき)の砌(みぎり)法華(ほつけ)万部會(まんぶゑ)御執行(おんしぎやう)台徒(たいと)群叅(ぐんさん)山門(さんもん)の鶏頭(けいとう)  院(ゐん)三舜法印(さんしゆんほふいん)の奴僕(ぬぼく)瀧尾(たきのを)に來(きた)りて三本杉(さんぼんすぎ)を見(み)て大(おほい)に輕慢(きやうまん)し嘲笑(あざけりわらひ)  ていふ兼(かね)て聞(きゝ)しよりも高大(かうだい)ならず中(なか)なる杉(すぎ)は殊(こと)におとれり  などいひて不敬(ふけい)せしかば其言(そのこと)いまだをはらざるに後背(うしろ)より悪(お)  寒(かん)して心身(しん〴〵)悩乱(なうらん)せしゆゑ舎(いへ)に帰(かへり)ければ偏(ひとへ)に狂人(きやうじん)の如(ごと)く譫語(せんご)し  て止(やま)ず或(あるひ)はいふ神(かみ)來(きたり)て我(われ)を睨(にらみ)玉ふことおそろしとて奮(ふる)ひわなゝき  けるゆゑ同輩等(どうはいら)是則(これすなはち)㚑神(れいじん)の祟(たゝ[り])蒙(かうふり)けることをしりて台山(たいざん)の静(じやう)  光院(くわうゐん)覚深法印(がくしんほふいん)に祈讓(きじやう)を願(ねが)ひければ深師(しんし)加持(かじ)誦咒(しゆじゆ)讀經(どきやう)する事(こと)五 【左丁】  日に及(および)て漸(やうやく)威靈(ゐれい)退去(たいきよ)しける其时(そのとき)深師(しんし)竒状(きじやう)神語(しんご)を蒙(かうふ)りし事実(じしつ)を  輯録(しふろく)せしことども言辞(ごんじ)甚(はなはだ)詳(つまびらか)なるがゆゑ靈詫(れいたく)の一 竒事(きじ)【平出】  天聽(てんちやう)に達(たつ)し靈詫記(れいたくき)一 巻(くわん)を奏(そう)し奉(たてまつ)れることあり宝永三年六月 水(すゐ)  府(ふ)の舘塾(くわんじゆく)なる森尚論が編諸(へんしよ)して雕(ゑり)たる碑(ひ)なり其(その)銘文(めいぶん)は爰(こゝ)に略(りやく)す 鎭火祭(ひしづめのまつり) 御宮(おんみや)の社家(しやけ)二﨟(にらふ)の持(もち)として當社(たうしや)の事(こと)を司(つかさど)り毎歳(まいさい)正月朔  旦 未明(みめい)より 御宮(おんみや)御儀式(おんぎしき)有(ある)ゆゑ 御宮(おんみや)より宿所(しゆくしよ)へ帰(かへ)り夫(それ)より當(たう)  社(しや)拜礼(はいれい)に來(きた)るゆゑ必(かならず)黄昏(たそがれ)過(すぎ)なり然(しか)るに先年(せんねん)貉(むじな)社家(しやけ)に化(ばけ)て來(きた)り  饗應(きやうおう)に逢(あひ)けるゆゑ其以來(そのいらい)は実(じつ)の社家(しやけ)來(きた)るとも青松葉(あをまつば)を以(もつ)て爝(いぶ)す  といへり是(これ)を貉(むじな)いぶしと名附(なづけ)し由(よし)里俗(りぞく)の諺(ことわざ)にいひ傳(つた)ふ 無念橋(むねんばし) 三本杉(さんぼんすぎ)へ至(いた)る橋(はし)をいふ 妙覺橋(みやうがくばし) 子種石(こだねいし)の方(かた)へ通(かよ)ふ橋(はし)なり 等覚橋(とうがくばし) 右(みぎ)同所(とうしよ)より下向道(げかうみち)の橋(はし)なり各(おの〳〵)石(いし)の小橋(こばし) 【右丁】 多寶銕塔(たはうてつたふ) 本社(ほんしや)の左の方(かた)にあり堂(だう)一 間(けん)四 面(めん)内(うち)に銕塔(てつたふ)を置(おく)塔内(たふない)に  銅像(どうざう)の普䝨(ふげん)を安(あん)す其扉(そのとびら)黒漆(こくしつ)銘文(めいぶん)並 圖(づ)は次(つき)に出(いだ)せり     寶物(はうもつ)  佛舎利(ぶつしやり)一 粒(りふ)宝塔(はうたふ)に入(いる)   弘法大師書(こうぼふだいしのしよ)六字名號(ろくじのみやうがう)一 幅(ふく)  大錫杖(おほしやくぢやう)一 本(ほん) 建久三年三月十五日 筑紫(つくし)阿弥陀上人(あみだしやうにん)寄納(きなふ)  瀧尾建立記(たきのをこんりふのき)一 軸(ぢく) 勝道上人(しようだうしやうにん)遺弟(ゐてい)道珍僧都書(だうちんそうづのしよ)  石剣(せきけん)《割書:金襴袋入(きんらんのふくろいり)》一 振(ふり)   太刀(たち)  三 振(ふり)  般若面(はんにやのめん) 天正十二年四月 大島丹後守宗久(おほしまたんごのかみむねひさ)寄納(きなふ)  定順作面(ぢやうじゆんのさくのめん) 永禄三年 清原德春(きよはらののりはる)寄納(きなふ)  阿弥陀經(あみだきやう)  一 巻(くわん)《割書:百 廿 行》 伏見帝 御宸筆(ごしんひつ)  化城踰品(けじやうゆほん)  一 巻(くわん)《割書:三百卅七行》 後伏見帝 御宸筆(ごしんひつ)  不輕品(ふきやうほん)   一 巻(くわん)《割書:百卅八行》  後醍醐帝 御宸筆(ごしんひつ) 【左丁】  御手筪(おんてばこ)  安貞二年 平朝臣助永(たいらのあそんすけなが)寄納(きなふ)  尺鶴之面(しやくくわくのめん) 右(みぎ)御手筪(おんてばこ)の内(うち)にあり  翁面(おきなのめん)   右同(みぎにおなじ)  右剱左剱不動尊(うけんさけんのふどうそん) 二 幅(ふく)  弘法大師筆(こうぼふだいしのふで)  般若心經(はんにやしんぎやう)  草書(さうしよ)    右(みぎ)同筆(どうひつ)  不動尊(ふどうそん)  木立像(もくりふざう)二尺 許(ばかり) 右(みぎ)同作(どうさく)  毘沙門天(びしやもんてん) 右同(みぎにおなじ)     右(みぎ)同作(どうさく)  三尊阿弥陀(さんぞんのあみだ)        惠心僧都作(ゑしんそうづのさく)    此餘(このよ)宝物(はうもつ)数多(あまた)なれど枚挙(まいきよ)するに遑(いとま)あらず 筋違橋(すぢかひばし) 此所(このところ)は境地(けいち)の限(かぎり)にて是(これ)より下向道(げかうみち)なり此橋(このはし)は御用水路(おんようすゐぢ)  にて茲(こゝ)より瀧尾入口(たきのをいりくち)ゆゑ大小便(だいせうべん)其余(そのよ)不浄(ふじやう)を禁(きん)ず南の方(かた)へ石雁木(いしがんぎ)  を登(のぼ)れば行者堂(ぎやうじやだう)の前(まへ)なり此(この)行者堂(ぎやうじやだう)邊(へん)の山(やま)より白糸瀧(しらいとのたき)の上(うへ)なる 【図】 【右丁】 鐵塔髙一丈許 【左丁】 鐵塔ノ脇ニ銘アリ 【銘文】 奉新造     文明二天 瀧尾山 鐵 塔  《割書:庚|寅》三月十二日 光明院  大工宇都 法印昌宣 宮住人      大和太郎 願主 文月坊 宗弘 【右丁】  嶺(みね)を古(いにしへ)より阿弥陀(あみだ)が峰(みね)と号(がう)すといふ 行者堂(ぎやうじやだう) 此堂(このだう)の邊(へん)より年(ねん)〻(〳〵)峰修行(みねしゆぎやう)の禅頂(ぜんぢやう)する道(みち)の始(はじめ)なり路(みち)より  も東の方(かた)に御番所(おんばんしよ)あり是(これ)は 御宮(おんみや)奥院(おくのゐん)御山續(おんやまつゞ)きなれば其(その)警衞(けいゑい)  の為(ため)に置(おけ)る行者堂(ぎやうじやだう)本尊(ほんぞん)役小角(えんのせうかく)并 前鬼後鬼(ぜんきごき)の像(ざう)運慶作(うんけいのさく)なり是(これ)よ  り南の方(かた)へ石雁木(いしがんき)数(す)百 歩(ほ)を下(くだ)りて靈水(れいすゐ)有(あり) 藥師靈水(やくしのれいすゐ) 石坂路(いしさかみち)の山際(やまきは)に水盤(すゐばん)を置(おき)て中(うち)に清水(せいすゐ)を湛(たゝ)へたり眼疾(がんしつ)  を患(うれ)るもの此(この)靈水(れいすゐ)を眼(め)に灑(そゝ)ぐ时(とき)は効驗(かうげん)ありといふ夫(それ)より少(すこし)坂(はん)  路(ろ)を行(ゆき)て道(みち)の中(なか)に堂(だう)あり堂内(だうない)を三尺 通(とほ)り徃來(わうらい)とし右に壇(だん)を設(まうけ)  て薬師(やくし)を安(あん)す左に縁(えん)を張(はり)て籠(こも)り所(どころ)とす尊像(そんざう)は開祖上人(かいそしやうにん)の作(さく)に  て靈験(れいげん)の尊像(そんざう)なりといふ 地蔵岩(ぢざういは) 瀧尾下向道(たきのをげかうみち)を出(いで)て龍光院(りうくわうゐん)表門前(おもてもんぜん)より新宮(しんぐう)の方(かた)へ坂路(はんろ)を  下(くだ)る左の方(かた)にて 御靈屋(ごれいや)御外構(おんそとがまへ)高石垣(たかいしがき)の際(きは)に有(あり)是(これ)は鼻祖(びそ)道公(だうこう) 【左丁】  神護景雲元年四月 二荒(にくわう)の絶頂(ぜつちやう)に攀跡(はんせい)を企(くはだて)て此所(このところ)に來(きた)り給ふに  岩上(がんしやう)に尊影(そんやう)現(げん)し給ひ上人(しやうにん)を慰諭し給ふ所(ところ)とて或(あるひ)は地蔵影向石(ぢざうやうがういし)  とも称(しよう)し此岩(このいは)の側(かたはら)に地蔵石(ぢざういし)と銘(めい)ずる碑石(ひせき)を建(たて)たり然(しか)るに延宝  年中 阿部空烟(あべくうえん)の墳墓(ふんぼ)を御外圍(おんそとがまへ)の内(うち)へ造立(ざうりふ)し此(この)地蔵岩(ぢざういは)の南に當(あた)り  程近(ほどちか)きゆゑ阿部家(あべけ)より石座像(いしざざう)の三尺 程(ほど)なる地蔵(ぢざう)を造(つく)り此(この)石上(せきしやう)  に安置(あんち)す仍(よつ)て土人等(どじんら)称(しよう)して空烟地蔵(くうえんぢざう)と唱(とな)ふ亦(また)彼家(かのいへ)より常夜燈(じやうやとう)  の石燈爐(いしどうろ)を傍(かたはら)に造立(ざうりふ)す 慈惠大師堂(じゑだいしのだう) 新宮社地(しんぐうしやち)の後山(うしろやま)の上(うへ)にあり傳(つた)へ聞(きく)寛永十七《割書:庚| 辰》年  天海大僧正(てんかいだいそうじやう)  御當家(ごたうけ)若君(わかぎみ)御誕生(おんたんじやう)の御祈願(おんきぐわん)として大僧正(たいそうじやう)手(て)づから縄(なは)を曳(ひき)て當(たう)  堂(だう)御建立(おんこんりふ)なり南 向(むき)《割書:二 間(けん)に|三 間(けん)》堂内(だうない)を三 分(ぶん)になして中(なか)の間(ま)正面(しやうめん)一丈四 方(はう)  北の方(かた)に須弥壇(しゆみだん)を設(まうく)大師(だいし)の真影(しんえい)を安(あん)す《割書:石像(せきざう)なり木(もく)|食(じき)端唱作(たんしやうのさく)》東の間(ま)七尺 通(どほり) 【右丁】  須弥壇(しゆみだん)を構(かま)へ正面(しやうめん)の羽目板(はめいた)に將軍地蔵茾(しやうぐんぢざうぼさつ)【𦬇】を圖画(づぐわ)し西の間(ま)おなじく  壇(だん)を構(かま)へて正面(しやうめん)に大天狗(たいてんぐ)左に役行者(えんのぎやうじや)右の方に牛若丸(うしわかまる)西の羽目(はめ)  には八天狗(はつてんぐ)東の羽目(はめ)には大師(だいし)の真容(しんよう)并 二童子(にどうじ)《割書:左|右》各(おの〳〵)繪所(えどころ)了琢法(れうたくほつ)  橋(けう)の筆(ふで)なり本堂(ほんだう)の南四 間余(けんよ)去(さり)て前殿(ぜんでん)を設(まう)く《割書:三間 ̄に|四間》大僧正(だいそうじやう)天海(てんかい)御篭(おんこもり)  所(どころ)とす于时寛永十八年七月 下旬(げじゆん)の頃(ころ)より【平出】  若君(わかぎみ)御誕生(おんたんじやう)の御祈請(おんきしやう)として本堂(ほんだう)中央(ちゆうあう)に行法壇(ぎやうほふだん)を建(たて)て大僧正(だいそうじやう)慈(じ)  恵供御執行(ゑくおんしゆぎやう)同 左右(さいう)に壇(だん)を設(まうけ)て當山(たうざん)の衆徒(しゆと)并 東叡山(とうえいざん)より供奉(ぐぶ)の  徒(と)各(おの〳〵)代(かは)る〴〵慈恵供執行(じゑぐしゆぎやう)あり本堂(ほんだう)前殿(ぜんでん)の両間中際(りやうまちゆうさい)を柴燈壇(さいとうだん)とし  て一 坊(ばう)八十 口(く)護广修行(ごましゆぎやう)山伏(やまぶし)法螺貝(ほらがひ)の聲(こゑ)密供(みつく)養皿(けべい)の響(ひゞ)き三上(さんしやう)山(さん)  下(か)に通徹(つうてつ)す大僧正(だいそうじやう)は新宮(しんぐう)并【平出】  東照宮の御祠中(おんしちゆう)に詣(けい)し抽(ぬきんで)_二懇丹(こんたん)精誠(せい〳〵を)_一給(たま)ふ御祈祷中(おんきたうちゆう) 上使(じやうし)として  中根氏(なかねうぢ)登山(とうざん)同八月三日【平出】 【左丁】  若君(わかぎみ)御誕生(おんたんじやう)御祝(おんいはひ)の 上使(じやうし)宮崎氏(みやざきうぢ)登山(とうざん)せらる御祈祷中(おんきたうちゆう)種(しゆ)〻(〴〵)靈感(れいかん)  の竒瑞(きずゐ)有(あり)し事は大師御傳記(だいしのごでんき)等(とう)に詳(つまひらか)なり其後(そのゝち)拜殿(はいでん)は相除(あひのぞ)かれ今(いま)  本堂(ほんだう)のみ此(この)堂内(だうない)に天狗(てんぐ)の繪像(ゑざう)有(ある)ゆゑ或(あるひ)は天狗堂(てんぐだう)と唱(とな)ふ此堂(このだう)の  地(ち)は 御宮續(おんみやつゞき)の山上(さんしやう)ゆゑ平常(つね)のもの参詣(さんけい)なりがたし 常行堂(じやうぎやうだう) 御靈屋(ごれいや)二王御門前(にわうごもんぜん)南の方(かた)に常行(じやうぎやう)法華(ほつけ)の二堂(にだう)相双(あひなら)び東の  方(かた)なるは常行堂(じやうぎやうだう)西の方(かた)なるは法華堂(ほつけだう)なり銅葺(あかゞねぶき)二 重垂木(ぢゆうたるき)赤塗(あかぬり)欄(らん)  間(ま)彫物(ほりもの)彩色(さいしき)十 間(けん)に五 間(けん)此(この)両堂(りやうだう)のあひだを山上(さんしやう)へ登(のぼ)れば慈眼堂(じげんだう)へ  至(いた)るまた両堂(りやうだう)より通行(つうかう)すべき設(まうけ)に歩廊(ほらう)を渡(わた)せり堂内(だうない)本尊(ほんぞん)は宝(はう)  冠(くわん)の阿弥陀(あみだ)左右(さいう)に四菩薩(しぼさつ)また後(うしろ)の方(かた)に摩多羅神(またらじん)を安(あん)す此堂(このだう)は  嘉祥年中 慈覚大師(じがくだいし)始(はじめ)て登山(とうざん)せられ叡山(えいざん)に摸(も)して両堂(りやうだう)剏建(さうけん)し  玉ひ此时 天台一派(てんだいいつは)を興(おこ)され顕密(げんみつ)繁盛(はんせい)となり大師(だいし)山門(さんもん)より随従(ずゐじやう)  せし僧侶(そうちよ)十 余(よ)輩(はい)を残(のこ)し留(とゞ)められ又(また)久住(きうぢゆう)の徒(と)を合(あは)せて三十六 人(にん) 【右丁】  の内(うち)廿四 人(にん)は法華三昧(ほつけさんまい)の行儀(ぎやうぎ)を修(しゆ)す又(また)十二 人(にん)は常行三昧(じやうきやうさんまい)の法(ほふ)  儀(ぎ)を受(うけ)て無(なく)_二怠慢(たいまん)_一修行(しゆきやう)せしゆゑ鎌倉(かまくら)右大將家(うだいしやうけ)御信仰(おんしんかう)有(あり)て右(みぎ)常行(じやうぎやう)  三昧(さんまい)修行(しゆぎやう)の燈油料(とうゆれう)として文治二年九月 同國(どうこく)寒河郡(さむかはごほり)にて十五 町(ちやう)  の地(ち)を御寄附(おんきふ)有(あり)し事 東鑑(あづまかゞみ)に見(み)えたりまた右府(うふ)実朝公(さねともこう)も御信仰(おんしんかう)  有(あり)て両將軍家(りやうしやうぐんけ)より水晶(すゐしやう)の御念珠(おんねんじゆ)などをも此(この)堂内(だうない)へ納(をさめ)給ふ由(よし)され  ば旧(ふる)くより頼朝堂(よりともだう)とも別称(ばつしよう)せしとぞ然(しか)るに元和三年四月【平出】  東照宮 神霊(しんれい)御遷座(ごせんざ)ゆゑ宮殿(きうでん)御営造(おんえいざう)の地形(ぢぎやう)を曳(ひき)給(たま)ふ时(とき)に二王御門(にわうごおもん)  前(ぜん)の大杉(おほすぎ)の下(した)より一 箇(か)の銅器(どうき)を堀得(ほりえ)たり大僧正(たいそうじやう)へ奉(たてまつ)りければ  奇異(きい)の想(おも)ひをなし給(たま)ひ蓋(ふた)を取(とり)て中(なか)を見(み)給ふに瑠璃壷(るりのつぼ)あり是(これ)頼(より)  朝卿(ともきやう)の御骨(おんこつ)なるべし古記(こき)に其由(そのよし)を録(ろく)せりとて即(すなはち) 御宮(おんみや)別當(べつたう)元(ぐわん)  祖(そ)大楽院(だいらくゐん)行恵法印(ぎやうゑほふいん)へ預置(あづけおき)給ふ其後(そのゝち)二 世(せ)恵海法印(ゑかいほふいん)の时(とき)毘沙門堂(びしやもんだう)公(こう)  海僧正(かいそうじやう)の命(めい)に仍(より)て彼(かの)瑠璃壷(るりのつぼ)を銕(てつ)の宝塔(はうたふ)に造籠(つくりこめ)て常行三昧堂(じやうぎやうさんまいだう)に 【左丁】  納(をさめ)給ふといふ 法華堂(ほつけだう) 常行堂(じやうぎやうだう)の西に双(なら)べり大間(おほま)五 間(けん)に四 間(けん)許(ばかり)起立(きりふ)并 造営(ざうえ[い])の事  は前(まへ)に同(おな)じ本尊(ほんぞん)普䝨(ふげん)𦬇(ぼさつ)並 鬼子母神(きしもじん)十羅刹(じふらせつ)三十 番神(ばんじん)後堂(うしろのだう)に傳教(でんぎやう)  大師(だいし)の影像(えいざう)右(みぎ)大師(だいし)書写(しよしや)の妙典(みやうてん)一 部(ぶ)納(をさめ)有(あり)といふ 御靈屋(おんれいや)  御三代將軍家の御廟(おんべう)なり慶安四年四月廿日  御薨逝(おんこうせい)依(よつて)_二 御遺命(おんゐめいに)_一 御靈柩(おんれいきゆう)當山(たうざん)へ入御(じゆぎよ)し給(たま)ふ 御尊諡(おんそんし)奉(たてまつる)_レ称(しようし)_二  大猷院殿 ̄と_一御別當所(おんべつたうしよ)は龍光院(りうくわうゐん)二王御門(にわうごもん)より西北にあり  二王御門(にわうごもん)《割書:東 向(むき)》御手洗屋(みたらしや)《割書:二王御門内(にわうごもんのうち)|右の方(かた)》御燈爐(おんとうろ)《割書:唐銅(からかね)と石(いし)と|数(す)百 基(き)》御宝庫(おんはうこ)《割書:二王御門(にわうごもん)|左の方》  二天御門(にてんごもん)《割書:御額(おんがく)は|後光明帝の宸翰(しんかん)》夜叉御門(やしやごもん)《割書:二天御門(にてんごもん)より|上(うへ)にあり》鐘楼(しゆろう)皷楼(ころう)《割書:二天御門内(にてんごもんのうち)夜叉御門外(やしやごもんのそと)|左右にあり》  御唐門(おんからもん)《割書:瑞籬(たまがき)四邊(しへん)に|押廻(おしめぐ)らす》  御本殿(おんほんでん) 御拜殿(おんはいでん) 皇嘉御門(くわうかごもん)《割書:御奥院口(おんおくのゐんくち)の|御門(ごもん)なり》 御奥院(おんおくのゐん)《割書:御本殿(おんほんでん)より西の方(かた)|なる山上(さんしやう)をいふ》 【右丁】  阿部空烟墓碑(あべのくうえんのぼひ)《割書:二王御門内(にわうごもんのうち)御手洗屋(みたらしや)の北の方(かた)石(いし)の御玉垣外(おんたまがきのそと)又 其外(そのほか)に柵貫(しがらみぬき)|御矢來(おんやらい)有(あり)て御内構(おんうちがまへ)と御外構(おんそとかまへ)との間(あひだ)にあり》  是(これ)は従四位下(じゆしゐのげ)行侍従(きやうじじゆう)兼(けん)豊後守(ぶんごのかみ)阿部朝臣忠秋(あべのあそんたゞあき)の墓(はか)なり播磨守(はりまのかみ)正(まさ)  勝(かつ)の二男(じなん)左馬助正吉(さまのすけまさよし)の息男(そくなん)なり慶長十五年の頃(ころ)若年(じやくねん)の时(とき)より【平出】  若君(わかぎみ)に附(つけ)させられ後(のち)に豊後守忠秋(ぶんごのかみたゞあき)と申(まう)せりいとけなきより夙(し[ゆ]く)  夜(や)恪勤(かくごん)懈(おこた)らず元和九年十二月 叙爵(しよじやく)し御(おん)一 字(じ)拜領(はいりやう)し寛永元年正  月 父(ちゝ)が遺領(ゐりやう)と我(わが)所領(しよりやう)と合(あは)せ賜(たま)ふ同二年二月 御加恩(おんかおん)の地(ち)を賜(たま)ふ  同三年 又(また)所領(しよりやう)を賜(たま)ふ同十四年正月 下野國(しもつけのくに)壬生城(みぶのしろ)を賜(たま)ひ同十六  年正月 武蔵國(むさしのくに)悪城(おしのしろ)に移(うつ)る慶安二年九月五日【平出】  大納言家 西城(せいじやう)に移(うつ)らせ給(たま)ひ忠秋を宿老職(しゆくらうしよく)に補(ふ)せらる同八年八  月 侍従(じじゆう)に任(にん)ず寬文三年二月 所領(しよりやう)を加(くは)へ賜(たま)ふ同十一年五月廿五日  致仕(ちし)し延宝三年五月三日 逝(せい)せり法諡(ほふし)透玄院天國空烟大居士(とうげんゐんてんこくくうえんだいこじ)位(ゐ) 【左丁】  牌(はい)龍光院(りうくわうゐん)に納(をさ)む碑(ひ)に空烟(くうえん)の二 字(じ)のみ彫附(ほりつけ)たり近年(きんねん)此塔(このたふ)に石(いし)に  て覆(おほ)ひを造(つく)り上(うへ)に屋根(やね)の形(かた)あり総高(そうたかさ)三尺 許(ばかり)四 方(はう)は一尺四五寸  宛(つゝ)前(まへ)の正面(しやうめん)を窓(まど)の如(ごと)く彫(ほり)すかし二 字(じ)の見ゆるやうに造(つく)れり致(ち)  仕(し)せし时(とき)より【平出】  將軍家へ兼(かね)て奉(たてまつり)_二願置(ねがひおき)_一けるゆゑ嫡子(ちやくし)并 家臣等(かしんとう)に命(めい)じ我(われ)没(ぼつ)せしな  らば軀(むくろ)を 御靈屋(おんれいや)近邊(ちかきへん)に捨(すて)よと遺言(ゆゐごん)せし由(よし)仍(よつ)て御構(おんかまへ)ちかき所(ところ)に  埋葬(まいさう)せらる此人(このひと)の碑石(ひせき)は二王御門内構(にわうごもんのうちかまへ)の邊(へん)にありまた梶氏(かぢうぢ)の  墳墓(ふんぼ)は御奥院(おんおくのゐん)近(ちか)き御堂山(みだうやま)に有(あり)各(おの〳〵)前後(ぜんご)にて御本殿(おんほんてん)へ向(むか)ふ猶(なほ)泉下(せんか)に  ても奉仕(ほうし)すべき宿願(しゆくぐわん)なりといふ  梶氏墳墓(かぢうぢのふんぼ) 御堂山(みだうやま)にあり【平出】  従四位下(じゆしゐのげ)左兵衞督(さひやうゑのかみ)源朝臣定良(みなもとのあそんさだよし)の墓(はか)なり此人(このひと)は【平出】  大猷公へ奉仕(ほうし)し莫大(ばくたい)の御恩顧(ごおんこ)を蒙(かうふ)り 御薨逝(おんこうせい)の砌(みぎり)殉死(じゆんし)をも可(へき)_レ遂(とぐ) 【右丁】  を猶(なを)思惟(しゆゐ)を廻(めぐ)らし 御廟前(おんべうぜん)に生涯(しやうがい)奉仕(ほうし)し御厚恩(ごこうおん)に報(むくい)奉(たてまつ)らん事  を奉(たてまつり)_レ願(ねがひ)御(おん)ゆるしを蒙(かうふ)り居(きよ)を當山(たうざん)へ移(うつ)し朝暮(てうぼ) 御廟前(おんべうぜん)へ出仕(しゆつし)し  て給事(きふじ)奉(たてまつ)れる事 御在世(おんざいせ)に奉仕(ほうし)するが如(ごと)く生涯(しやうがい)孤獨(こどく)にして子(し)  孫(そん)の後栄(こうえい)をおもはず 御廟(おんべう)近(ちか)き邊(へん)に墓(はか)を設(まう)けん事を奉(たてまつり)_二願置(ねかひおき)_一元  禄十一年五月十四日 歳(とし)八拾七にて卒(そつ)す終焉(しゆうえん)の後(のち)家(いへ)絶(たえ)ぬることは  是(これ)終身(じゆうしん)の志願(しぐわん)なりとぞ墳墓(ふんぼ)今(いま)奥院(おくのゐん)近(ちか)き御堂山(みだうやま)にあり行状(ぎやうじやう)希代(きたい)  の絶倫(せつりん)なり偖(さて)此人 存命(ぞんめい)の頃(ころ)不圖(ふと)近習(きんじゆ)のものに話(かた)りけるは江戸(えど)  にして阿部空烟(あべくうえん)も歿(ぼつ)せしならんといひけれども近習(きんじゆ)のもの何(なに)を  主人(しゆじん)語(かた)らるゝことゝおもひしに両三日を經(へ)て空烟(くうえん)の柩(ひつ)を荷(にな)ひ來(きた)れ  りといふ誠(まこと)に名誉(めいよ)の人(ひと)〻(〴〵)なれば斯(かゝ)る奇異(きい)なる事(こと)ども有(あり)しなるべし  此事(このこと)も彼(かの)近臣(きんしん)の子孫等(しそんとう)今(いま)日光(につくわう)に住(ぢゆう)し先祖(せんぞ)よりの傳説(でんせつ)を得(え)たり  とて語(かた)れるを聞(きけ)り石塔上(せきたふのうへ)に梵點(ぼんてん)一 字(じ)其下(そのした)に従四位下(じゆしゐのげ)梶氏左(かぢうぢさ) 【左丁】  兵衛佐(ひやうゑのすけ)源朝臣定良(みなもとのあそんさだよし)照光院(せうくわんゐん)月嶺圓心大居士(ぐわつれいゑんしんだいこじ)と真中(まなか)に𠜇(こく)し右の方(かた)  に元禄十一《割書:戊| 寅》とあり左の方(かた)に五月中十四日と鐫(せん)す蓮座石下(れんざいしのした)二  段(だん)の臺石(だいせき)あり廬(いほり)四柱(よつばしら)丸彫(まるぼり)板葺(いたふき)にて庿前(べうぜん)に石香爐(いしのかうろ)花瓶(くわへい)水盥(すゐくわん)石燈(いしどう)  籠(ろう)墓碑(ぼひ)の廻(めぐ)りは石玉垣(いしのたまがき)あり四 邊(へん)に柵(さく)を廻(めぐ)らし木戸門(きどもん)あり柵内(さくのうち)  に石楠花(しやくなんげ)松(まつ)杉(すぎ)槙(まき)の大樹(たいじゆ)有(あり)碑記(ひのき)は墓石(ぼせき)の左の方(かた)にあり此人(このひと)の行(ぎやう)  状傳(じやうのでん)あれども長文(ちやうぶん)ゆゑ悉(こと〴〵く)は略(りやく)す  左兵衛督梶君之碑          從五位下守大學頭林衡撰  故從四位下。左兵衛督梶君者。長島城主。織部正菅  沼氏臣同𫞀。某之子。爲亞父梶君某所養。而冐其姓。  其仕當寛永正保之間。以忠誠慤謹。彌於一時。  大猷大君。使其常侍左右。雖在後庭中冓。亦必從焉。 【右丁】  大君猒代。遺 命葬于野州二荒山。君扈從 靈柩  遂留家焉。自是四十七年。每且拜 廟。不以祁寒暑  雨廢云。君諱定良。晩號左入居士。初爲亞父之義子。  既而亞父生親子。乃譲爲嗣。有 㫖特賜俸米二百  苞。爲小從人寛永中累增俸至六百石。擢小納戸。  嚴有大君時。叙從五位下。增俸至千石。 常憲大君  時。進從四位下。又增禄至二千石。 両朝眷注之渥  ▢恩賚荐臻。時 召抵 廷中。而君堅持宿志。以終  身焉。君在野州。鷄鳴初起。澡浴戒潔。辨色詣 廟。獨  坐殿前。俯仰齋慄。儼如事存。方冬春之交。立干凍風  寒雪之中。輒至於體僵口。噤不已。年八十五。稍衰。始  用轎來還。然入 廟門。未嘗杖焉。君恒言。身被 君 【左丁】  恩。銘骨。浹髓。雖老矣而日侍于 廟。是可以償素志  耳。言終欷歔。以元禄十一年。五月十四日。病卒于野  州之第。距其生慶長十七年。享壽八十又七。葬之  大猷大君塋域之後。蓋成其志也。水戸義公。爲文祭  之云。曾聞孝子廬親墓者。未覩忠臣廬君墓者。乃今  於居士乎見之。君幼而慧。七歳能騎。十一能鉉。十七  講兵法。其決意辭。爲後於亞父。年纔十九焉。比長不  喜聲色。不求温飽。奉巳極儉朴。而至購良亏駿馬。則  不惜千金。恬于勢利譙卑。自牧爵至四位。不以自崇  每與 朝士立。輒避下位。禄至二千石。不以自封。而  振救施與。乃以爲樂。寛文之水患。貞享之火殃。請賑  濟於 官。野州之民賴以全活者居多。君畢生不娶。 【右丁】  遂絶繼嗣。其意謂一委質爲臣。臨緩急而顧家累非  夫也。雖曰非中道。而其所以報 國之意。則有足多  焉者。嗚呼四十七年之久。而詣拜 廟殿者未嘗有  一日怠焉。自非忠之盡而誠之至。孰能如是乎。小野  良久者。嘗得事君。而其曾孫良純。今列 朝士。官于  野州。獨悲君墓無碑記。而謀伐石劖銘。遙屬筆于余。  今也距其卒巳百年矣。而得良純而始傳。是君雖無  後。而猶有後也。良純之此舉。不亦善乎。余樂爲之叙。  以係銘辭曰  間氣所鍾。百夫之特。維誠維忠。克敬臣軄。出處終始  一厥德。生事死事咸不忒。懋哉駿功允足。勒輦貞珉  表兆。域石雖泐。而名弗泐。英魄靈爽罔終極。長在乎 【左丁】  荒山之側。   寬政九年歳次丁巳五月                   杉浦吉統書                   小野良純建 慈眼堂(じげんだう) 慈眼大師(じげんだいし)の御庿(おんべう)なり徃古(わうご)より此邊(このへん)の山(やま)を称(しよう)して大黒山(だいこくやま)  と唱(とな)へし由(よし)御別所(おんべつしよ)は無量院(むりやうゐん)とて山麓(さんろく)にあり法華(ほつけ)常行(じやうぎやう)の二堂(にだう)の  間(あひだ)に歩廊(ほらう)の梯(はし)を設(まうけ)たる其下(そのした)を逕(わた)りて山路(さんろ)の石雁木(いしがんぎ)を凡(およそ)一 町(ちやう)  半(はん)程(ほど)登(のぼ)り左(ひだり)の方(かた)に宝庫(はうこ)あり石階(せきかい)の邊(へん)に大(おほい)なる唐銅(からかね)の燈籠(とうろう)一 基(き)  あり無銘(むめい)また右へ折(をれ)て石階(せきかい)三 間(げん)程(ほど)もあらんを登(のぼ)れば入口(いりくち)の門(もん)  有(あり)左右(さいう)圍垣(かこひかき)を廻(めぐ)らし拜殿(はいでん)迄 凡(およそ)十三 間(げん)ばかり 文殊堂(もんじゆだう) 入口(いりくち)の門(もん)より西南にあり是(これ)は慈眼大師(じげんだいし)の本地堂(ほんちだう)なり辰(たつ) 【図】 【右丁】 河西湖子圖   【印】 慈眼大師御庿 御宝塔 拜殿 功德水 經蔵 鐘楼 法華堂 【左丁】 御門主御庿 本地堂 お御供所 求聞持堂 常行堂 【右丁】  卯(う)【ママ】向(むき)三 間(げん)に四 間(けん)総揚蔀(そうあげしとみ)赤塗(あかぬり)二 重(ぢゆう)垂木(たるき)向拜(かうばい)縁側附(えんがはつき)前扉(まへとびら)黒塗(くろぬり)左右(さいう)  ともに揚蔀(あげしとみ)銅葺(あかゞねぶき) 御供所(おんくうしよ) 本地堂(ほんちだう)に相接(さうせつ)す向(むき)は同前(まへにおなじ)二 間(けん)に七 間(けん)素木造(しらきづくり)縁側附(えんがはつき)板葺(いたぶき) 求聞持堂(ぐもんぢだう) 本尊(ほんぞん)虚空蔵(こくうざう)なり御供所(おんくうじよ)の南にあり 阿弥陀堂(あみだだう) 石像(せきざう)の三尊(さんぞん)を安(あん)す門(もん)を入(いり)て㔫の方(かた)にあり 御座主宮御廟(おんざすのみやおんべう) 阿弥陀堂(あみだだう)の脇(わき)より石階(せきかい)を西の方(かた)へ登(のぼ)り御門(ごもん)を入(いり)  て右の方(かた)に礼拜所(れいはいじよ)有(あり)て其(その)三方(さんばう)石垣(いしがき)を高(たか)く築揚(つきあげ)たる上(うへ)に三方(さんばう)へ  折廻(をりまは)し御宝塔(おんはうたふ)九 基(き)たてり 㓛德水(くどくすゐ) 御手洗井(みたらしのゐ)なり常(つね)に井桁(ゐげた)に覆(おほ)ひし汲事(くむこと)を禁(きん)ず上屋(うはや)あり四  趾(し)拜殿(はいでん)へ登(のぼ)る一 段下(だんした)の左の方(かた)にあり井桁(ゐげた)の傍(かたはら)に石像(せきざう)二尺 許(ばかり)なる  水神(すゐじん)の立像(りふざう)なるを安(あん)す 鐘楼(しゆろう) 門(もん)を入(いり)て右の方(かた)四柱(よはしら)丸木造(まろきづくり)凡(およそ)丈四 方(はう)橡葺(とちぶき)黒塗(くろぬり) 【左丁】  慈眼大師鐘銘《割書:并序》  日光山台教中興天海尊者慈眼大師之靈廟者由  征夷大將軍從一位左相府源朝臣家光公之鈞命而  所建營也額兹梵室曰顯正院矣弟子公海欲謝師德  鎔鑄蕐鯨以備晨昏之驚覺焉伏冀天下清寧庻民安  泰佛典廣敷群靈均益云爾銘曰  日光靈崛 勝景偉々 山川幽谷 殆摸月氏 三佛並塔  衆神列簃 巍々金殿 堂々畫榱 中興祖庿 德海無涯  摧邪顯正 以之名師 金鑄犍地 掛在高櫪 搖動一擊  聲利甚丕 遐益三界 通覺四維 折伏魔外 彈破鬼魑  罽膩消劍 唐主脫罹 君臣如意 國家平夷 佛乗弘揚  永々福禧 【右丁】  旹慶安元年《割書:戊| 子》卯月二日 日光山貫長兼東叡山二世毘沙門堂公海造 經藏(ぎやうざう) 鐘楼(しゆろう)と相並(あひならび)銅葺(あかゞねふき)朱塗(しゆぬり)二 間(けん)に三 間(げん)向拜(かうはい)縁側附(えんがはつき)扉(とびら)黒塗(くろぬり)西 向(むき)一切(いつさい)  經(きやう)内外典籍(ないげてんせき)を安(あん)す 地主神社(ぢしゆのじんじや) 正一位稲荷社(しやういちゐいなりのやしろ)なり 拜殿(はいてん)より北の方(かた)にあり 拜殿(はいでん) 向拜附(かうはいつき)八棟造(やつむねづくり)巳午向(みうまむき)銅葺(あかゞねぶき)総赤塗(そうあかぬり)二 重垂木(じゆうたるき)五 間(けん)に三 間(げん)前後(ぜんご)  の扉(とびら)黒塗(くろぬり)鰐口(わにぐち)を掲(かゝ)ぐ廻(めぐ)り縁側(えんがは)階段(かいだん)五 級(きふ)四 方(はう)揚蔀(あげしとみ)内(うち)は皆(みな)簾(すだれ)を掛(かけ)  たり丸柱(まろばしら)朱塗(しゆぬり)上外(うえそと)の長押(なげし)上通(うはとほ)り金襴巻(きんらんまき)組(くみ)もの総彩色(そうさいしき)所(しよ)〻(〳〵)に丸(まろ)  の内(うち)に二ッ引(びき)の紋(もん)有(あり)是(これ)は大師(だいし)の定紋(ぢやうもん)なる由(よし)三浦黨(みうらたう)より出(いで)られた  れば左(さ)も有(ある)べし此(この)拜殿(はいでん)の地形(ちぎやう)方(はう)拾 間(けん)余(よ)庭中(ていちゆう)の四 邊(へん)皆(みな)栗石(くりいし)を敷(しき)  石玉垣(いしのたまがき)あり石階(せきかい)六七 級(きふ)上(うへ)より拜殿前(はいでんまへ)迄(まで)敷石(しきいし)十四五 間(けん)あり毎歳(まいさい)  十月朔日は御逮夜(おんたいや)論議(ろんぎ)あり二日は御正當日(おんしやうたうにち)にて一山(いつさん)に総出仕(そうしゆつし) 【左丁】  法華八講(ほつけはつかう)を修行(しゆぎやう)せらる  石燈籠(いしとうろう) 門(もん)より拜殿(はいでん)へ至(いた)る迄(まで)敷石(しきいし)の㔫右(さいう)にあり  紀州(きしう)君 水府(すゐふ)君皆二 基(き)宛(づゝ)左右(さいう)に相對(あひたい)す其次(そのつぎ)は酒井忠勝(さかゐたゞかつ)奉納(ほうなふ)是(これ)  も二 基(き)相對(あひたい)す其次(そのつぎ)は藤堂高次(とうだうたかつぐ)同(おなじく)大学頭(だいかくのかみ)一 基(き)宛(づゝ)其次(そのつぎ)は松平正綱(まつだいらまさつな)  奉納(ほうなふ)一 基(き)右の方(かた)にあり又(また)左の方(かた)には秋元冨朝(あきたとみとも)【ママ】太田資宗(おほたすけむね)各(おの〳〵)一 基(き)  宛(づゝ)年号(ねんがう)は正保元年 同(おなじく)二年の銘(めい)なり 御廟前(おんべうぜん) 石(いし)にて彫工(てうく)せし前卓(まへづくゑ)四ッ足(あし)高(たかさ)四尺 許(ばかり)長(ながさ)三尺 幅(はゞ)一尺左右に  高(たかさ)三尺 許(ばかり)の花瓶(くわひん)あり是(これ)も皆(みな)石(いし)にて造(つく)る卓上(たくしやう)に香爐獅子(かうろしし)を安(あん)す  是等(これら)も皆(みな)石(いし)にて造(つく)れり外(そと)は石燈爐(いしどうろ)二 基(き)あり 御寶塔(おんはうたふ) 御影石(みかげいし)高(たかさ)凡(およそ)九尺 許(ばかり)宝塔(はうたふ)の廻(めぐ)りに六天部(ろくてんぶ)の石像(せきざう)各(おの〳〵)四尺五  六寸 許(ばかり)なるを安(あん)す梵天(ぼんでん)帝釈(たいしやく)持國(ぢこく)廣目(くわうもく)増長(ぞうちやう)多門(たもん)【聞】の立像(りふざう)なり其(その)四  方(はう)石(いし)の玉垣(たまがき)の下(した)は四 邊(へん)石(いし)の高 築地(ついぢ)高(たかさ)四尺 程(ほど)の上(うへ)に石玉垣(いしのたまがき)有(あり)て 【右丁】  庿前(べうぜん)へ入口(いりくち)なしこれ人(ひと)の登(のぼ)る事(こと)を禁(きん)ずる為(ため)に經営(けいえい)せられしもの也(なり) 両大師(りやうだいし) 慈恵大師(じゑだいし)慈眼大師(じげんだいし)是(これ)を名附(なづけ)て両大師(りやうだいし)と称(しよう)す當山(たうざん)にても  両大師(りやうだいし)の尊像(そんざう)山内(さんない)の寺院(じゐん)龍光院(りうくわうゐん)を除(のぞ)きて其他(そのた)二十五 院(ゐん)を月(つき)〻(〳〵)  迁座(せんざ)し玉ひ正月に至(いた)れば御本坊(ごほんばう)へ迁座(せんざ)と定(さだめ)たり東叡山(とうえいざん)にては是(これ)も  月(つき)〻(〳〵)坊舎(ばうしや)を巡行(じゆんぎやう)し十月は御本坊(ごほんばう)へ迁座(せんざ)し給ふ慈恵大師(じゑだいし)は諱(いみな)は  良源(りやうげん)俗姓(ぞくせい)は木津氏(きづうぢ)近江國(あふみのくに)浅井郡(あさゐのこほり)の産(さん)なり延喜十二《割書:壬| 申》年九月  三日 出誕(しゆつたん)永觀三《割書:丙| 戌》年正月三日 示寂(じじやく)し給ふ仍(よつ)て諡(おくりな)を元三大師(ぐわんさんだいし)  と賜(たま)ふといふ 入峰禅頂(にふぶぜんぢやう) 是(これ)は當山(たうざん)僧徒(そうと)古(いにしへ)よりの古実(こじつ)として秘(ひ)する處(ところ)の行法(ぎやうぼふ)な  れば具(つぶさ)にいはんは中(なか)〻(〳〵)に罪(つみ)おほきわざなるべしまして愚(おろか)なる筆(ふで)  にておろ〳〵聞(き)けるところのみを記(しる)さんはいとをこなる業(わざ)なりさは  あれど更(さら)に誌(しる)さずして止(やま)んもまた日光山志(につくわうざんし)の本意(ほい)にあらざれば 【左丁】  今(いま)おぼろげに聞(きゝ)ける處を撮略(さつりやく)して其謂(そのいはれ)をしるさんには開山上(かいさんしやう)  人(にん)當山(たうざん)を闢(ひら)かせ給ふ时(とき)初(はじめ)は出流山(いづるさん)より分入(わけいり)給(たま)ひ徒㐧(とてい)とゝもに  多(おほ)くの山嶽(さんがく)を攀(よぢ)あまたの𡸴(けん)岨(そ)を陟(のぼ)りかの阿私仙(あしせん)に仕(つか)へし大王(だいわう)  の求法(ぐほふ)雪山大士(せつさんだいし)の苦行(くぎやう)を集(あつめ)て師弟(してい)朝暮(てうぼ)の勤行(ごんぎやう)となし玉ひ難行(なんきやう)  日(ひ)を積(つみ)艱苦(かんく)年(とし)を累(かさね)からうじて當山(たうざん)開基(かいき)の㓛業(こうげふ)を終(をへ)玉(たま)へり其後(そのゝち)  上人(しやうにん)の没後(もつご)十 餘(よ)輩(はい)の徒㐧等(とていら)遥(はるか)に師(し)の創業(さうげふ)を追想(つゐさう)しまた上人(しやうにん)曽(かつ)  て山川(さんせん)跋涉(ばつせふ)の砌(みぎり)諸所(しよしよ)に於(おい)てまのあたり影響(やうきやう)の佛神(ぶつしん)を各處(かくしよ)に勸(くわん)  請(じやう)し置(おき)給へる事(こと)を相(あひ)ともに恋慕(れんぼ)渇仰(かつがう)し打(うち)つどひて互(たがひ)に相語(あひかた)らひ  今(いま)より師(し)の苦行(くぎやう)の迹(あと)をふみ師(し)の勸請(くわんじやう)し給ひし佛神へ年(ねん)〻(〳〵)無上(むしやう)  の法施(ほふせ)を奉(たてまつ)らば報恩謝德(はうおんしやとく)の営(いとな)みこれに過(すぐ)べからず天長地久(てんちやうちきう)の祈(いの)り  上求(じやうぐ)下化(げくわ)の修行(しゆぎやう)を末代(まつだい)の法孫(ほふそん)に傳(つた)へんもまた此(この)大行(たいぎやう)に報(こゆ)べからず  とおの〳〵大心(たいしん)決定(けつぢやう)して夫(それ)より入峰(にふぶ)の修行(しゆぎやう)を年(ねん)〻(〳〵)いとなむことゝは 【右丁】  なりぬとぞ実(げ)にや嚴冬(げんとう)のあしたも深雪(しんせつ)に錫(しやく)を飛(とば)して紅蓮大紅(ぐれんだいぐ)  蓮(れん)の寒苦(かんく)に堪(たへ)或(あるひ)は食(しよく)を巖谷(がんこく)に断(たち)ては餓鬼(がき)の困苦(こんく)をおもひ又(また)は  峻(しゆん)𡸴(けん)に匍匐(ほふく)して畜生(ちくしやう)の悩(なう)を忍(しの)ぶ其外(そのほか)行中(ぎやうちゆう)種(しゆ)〻(〴〵)の艱難(かんなん)は筆(ふで)に尽(つく)す  べきにあらず是(これ)に仍(よつ)て古(いにしへ)よりこれを十界(じつかい)の修行(しゆぎやう)と名附(なづく)とかや  三峰(さんはう)の順逆(じゆんぎやく)五禅頂(ごぜんぢやう)の次㐧(しだい)入峰(にふぶ)出峯(しゆつほう)の日取等(ひどりとう)いづれも深秘(しんひ)なる  事(こと)にしてすべて練行(れんぎやう)勤修(ごんしゆ)かず〳〵の作法(さほふ)は世(よ)に有難(ありがた)き事(こと)なる由(よし)  此(この)大行(たいぎやう)十㐧子(じふでし)在世(ざいせ)のむかしより遠(とほ)く今(いま)に至(いた)るまで一とせも間(かん)  断(だん)なきは開山上人(かいさんしやうにん)の遺徳(ゐとく)実(じつ)に仰(あふ)ぐべく尊(たふと)むべき事(こと)ならずやされ  ども秘密(ひみつ)なる修行(しゆぎやう)にして在俗(ざいぞく)の身(み)には詳(つまびらか)に其(その)来由(らいゆ)を聞(きく)ことだ  に難(かた)ければ委(くは)しく爰(こゝ)に載(のす)べきにあらず 大千度(だいせんど) 此(この)修行(しゆぎやう)はむかし開山上人(かいさんしやうにん)峰(ほう)〻(〳〵)岳(がく)〻(〳〵)を跋渉(ばつせふ)し玉ひし时(とき)佛神(ぶつじん)  の影向(やうがう)を感得(かんとく)したまひける所(しよ)〻(〳〵)へ社頭(しやとう)を営(いとな)み置(おか)れしを後(のち)また當(たう) 【左丁】  山内(さんない)に悉(こと〴〵く)勸請(くわんじやう)せらる其(その)大小(たいせう)の諸社(しよしや)を日毎(ひごと)に遶拜(ねうはい)し讀經(どくきやう)法楽(ほふらく)等(とう)  を勤行(ごんぎやう)せらるゝ事(こと)とぞされば其(その)途中(とちう)にして知人(しるひと)に値(あふ)といへども  言(こと)をも通(つう)せずして順堂(じゆんだう)す仍(よつ)て世俗(せぞく)は其(その)秘密(ひみつ)の作法(さほふ)をしらねば  無言(むごん)の修行(しゆぎやう)なるべしなどいへり又(また)此(この)修行(しゆぎやう)の日次(ひなみ)は正月より五  月 迄(まで)又(また)五月より九月 迄(まで)又(また)九月より翌(よく)正月 迄(まで)すべて五ヶ月を以(もつ)て  開結(かいけつ)として施主(せしゆ)の祈念(きねん)を修(しゆ)する事なりと聞(きけ)り 鳴子符(なるこのまもり) 行人(ぎやうにん)山路(さんろ)に至(いた)り或(あるひ)は道(みち)を失(うしな)ひ又(また)は三魅(さんみ)の仕業(しわざ)にて雲霧(うんむ)  をおこし前路(ぜんろ)を遮(さへぎ)り其余(そのよ)さま〴〵の障碍(しやうげ)をなさんとする时(とき)此符(このふ)  をまきちらせば忽(たちまち)に前路(せんろ)を求(もとむ)ることなりといふ出峰(しゆつほう)の时(とき)は童男(どうなん)  童女(どうによ)の乞(こ)ふにまかせて蒔散(まきちら)して与(あた)ふ其符(そのふ)の模様(もやう)は種(しゆ)〻(〴〵)の形(かたち)を  圖(づ)したるを板木(はんぎ)にて摺(すり)たるものなり是(これ)を魔除(まよけ)の守(まもり)ともいふ 古峰原(こぶがはら)の石原隼人(いしはらはやと) 日光御領(につくわうごりやう)の内(うち)大葦郷(おほあしのがう)地名(ちめい)古峰原(こぶがはら)といへる所(ところ)に住(ぢゆう)す 【図】 古峰原 隼人主水居地 等春【印】 【右丁】  日光(につくわう)より七 里(り)西南の方(かた)なり氏(うじ)を石原(いしはら)と称(しよう)す傳(つた)へいふ先祖(せんぞ)は役(えんの)  小角(せうかく)に仕(つか)へし妙童鬼(みやうどうき)か子孫(しそん)なる由(よし)旧(ふる)くより此所(このところ)に住(ぢゆう)し當山内(たうさんない)  の行者(ぎやうじや)彼家(かのいへ)へ行(ゆき)て一 宿(しゆく)し夫(それ)より入峰(にふぶ)する事(こと)なり種(しゆ)〻(〴〵)俗説(ぞくせつ)を傳(つた)ふ  れども慥(たしか)なる事(こと)はしらず近年(きんねん)家(いへ)を分(わかち)て主水(もんど)と称(しよう)するも同所(どうしよ)に  すめり 床(とこ)の神事(じんじ) 毎歳(まいさい)正月二日の夜(よ)暮(くれ)六 时(どき)過(すぎ)より修(しゆ)する神事(じんじ)なり【平出】  御宮(おんみや)并 新宮(しんぐう)本宮(ほんぐう)瀧尾(たきのを)寂光(じやくくわう)中禅寺(ちゆうぜんじ)等(とう)の別所(べつしよ)にて同日(どうじつ)同夜(どうや)夫(それ)〻(〳〵)に  修(しゆ)せり此(この)神事(じんじ)は火爐祭(くわろまつり)なる由(よし)  正月二日 夜(よ)大楽院(だいらくゐん)下御供所(しもごくうしよ)にて採燈護摩修法(さいとうごましゆほふ)終(をは)り机上(きしやう)に錫杖(しやくぢやう)  中啓(ちゆうけい)を置(おき)是(これ)を持(もち)て替(かはる)〻(〳〵)舞(まひ)うたふ《割書:頌歌(しようか)あり》舞(まひ)終(をは)りてごばん〳〵と呼(よ)ぶ  时(とき)に俗人(ぞくしん)種(しゆ)〻(〴〵)の貌(かたち)をなし或(あるひ)は面(めん)を被(かぶ)り出(いで)て躍(をど)り終(をはり)て出席(しゆつせき)の  人(ひと)〻(〴〵)へ御神酒(おんしんしゆ)を賜(たま)ひ夫(それ)より大楽院(だいらくゐん)の大茶(おほちや)の間(ま)へ出席(しゆつせき)一 同(どう)へ銅(あかゞね) 【左丁】  碗(わん)にぜんざい餅(もち)を盛(もり)て銘(めい)〻(〳〵)へ出(いだ)す一 儀(ぎ)終(をは)り夫(それ)より給仕(きふじ)を替(かへ)て参(まゐ)  らすべき㫖(むね)を申て又(また)夫(それ)より俗人(ぞくじん)出(いで)て躍(をとり)ながら御餅(おんもち)を強(しふ)るなり  是(これ)もまた終(をは)れば木鉢(きばち)の大(おほい)なる物(もの)の内(うち)へくさ〳〵の雑物(ざふもつ)或(あるひ)は手逰(てあそび)  の張子(はりこ)其外(そのほか)野菜(やさい)もの菓子(くわし)など餘多(あまた)或(あるひ)は御備餅(おんそなへもち)等(とう)も多分(たぶん)なり其(その)  内(うち)へ金子(きんす)なども入(いれ)てしれぬやうにして是(これ)を蒔(まき)ちらすよしどつと  一 同(どう)に走(はし)り出(いで)て各(おの〳〵)争(あらそ)ひ拾(ひろ)ひて退散(たいさん)す是(これ)にて御神事(おんじんじ)をはり出席(しゆつせき)  の御役人衆(おんやくにんしゆ)へは書院(しよゐん)にて御料理(おんれうり)出(いづ)るといふ 日 光 山 志 巻 之 二《割書: 終》 【裏見返し】 【裏表紙】 【表紙】 【題箋】 日光山志  三 【見返し】 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 三       目録(もくろく)  御山内寺院坊舍(おんさんないじゐんばうしや)  学頭(がくとう)      修学院表門圖(しゆがくゐんのおもてもんのづ)  衆徒二十箇院(しゆとにじつかゐん)   御畄主居(おんるすゐ)    別所四箇院(べつしよしかゐん)  八十坊舍(はちじふばうしや)     御奉行屋鋪(おんぶぎやううあしき)   火之番屋鋪(ひのばんやしき)  青龍権現(せいりうごんげん)     西町(にしまち)      兄弟契(きやうだいちぎり)《割書:同宴逰圖(おなじくえんいうのづ)》  浄光寺(じやうくわうじ)《割書:鐘銘(かねのめい)》    古額(こがく)《割書:弘法大師(こうぼふだいし)|真蹟(しんせき)》   向河原(むかふがはら)  慈雲寺(じうんじ)     ○憾(かん)𤚥(まんが)淵(ふち)     含満驟雨図(がんまんのむらさめのづ)《割書:八景(はつけい)|の内》  靈庇閣(れいひかく)      納骨塔(なふこつたふ)      通行橋(つうかうばし)  鳴虫山(なきむしやま)      鳴虫紅葉図(なきむしのもみぢのづ)《割書:八景(はつけい)|の内》  松立山(まつたてやま)  索麪瀧図(さうめんのたきのづ)     日光八景(につくわうはつけい)    妙道院(みやうだうゐん) 【右丁】  釋迦堂(しやかだう)    石燈籠(いしどうろう)        殉死墓碑(じゆんしのぼひ)  諸家墓碑(しよけのぼひ)   犬牽地蔵(いぬひきぢざう)       禁断石(きんだんいし)  七瀧(なゝたき)《割書:同図(おなじくづ)》   如宝山蔓延松(によはうざんのはひまつ)《割書:同図(おなじくづ)》   飛銚子(とびちやうし)  二子山(ふたごやま)    不動岩(ふどういは)《割書:同図(おなじくづ)》      摺子岩(するすいは)  凍岩(こほりいは)     同冰(おなじくこほり)をうがつ図(づ)  外山(とやま)《割書:同図(おなじくづ)》  興雲律院(こううんりつゐん)《割書:同図(おなじくづ)》  萩垣面(はぎがきめん)       御茶亭(おんさてい)  漆園(うるしぞの)     小倉山(をぐらやま)        小倉春曉図(をぐらのしゆんきやうのづ)《割書:八景(はつけい)|の内》  霧降瀧(きりふりのたき)《割書:同図(おなじくづ)》  生岡大日堂(いくおかのだいにちだう)《割書:同図(おなじくづ)》   尾立岩(をたでいは)  山王社(さんわうのやしろ)    久次良村(くじらむら)      糠塚(ぬかづか)  池石(いけいし)     蓮蕐石(れんげいし)        大日堂(だいにちだう)《割書:同図(おなじくづ)》  寂光(じやくくわう)     常念佛堂(じやうねんぶつだう)      求聞持堂跡(ぐもんぢだうのあと)  寂光寺(じやくくわうじ)    石鳥居(いしのとりゐ)        三十番神堂(さんじふばんじんだう) 【左丁】  不動堂(ふどうだう)    拜殿(はいでん)         寂光権現(じやくくわうごんげん)  釘念佛縁起(くぎねんぶつのえんぎ)  寂光瀧(じやくくわうのたき)       同伊藤長胤詩(おなじくいとうちやういんのし)  羽黒瀧(はぐろのたき)    裏見瀧(うらみのたき)《割書:同図(おなじくづ)》      清瀧村(きよたきむら)《割書:同図(おなじくづ)》  清瀧権現(きよたきごんげん)   清滝寺(せいりうじ)        清瀧観音堂(きよたきくわんおんだう)《割書:並別所(ならびにべつしよ)》  足尾道(あしをみち)    馬返村(うまがへしむら)《割書:同図(おなじくづ)》      前二荒山(まへにくわうざん)《割書:并風穴(ならびにかざあな)》  深澤茶屋(みさはのちやや)   地蔵堂(ぢざうだう)        劔峯(けんのみね)  方等瀧(はうどうのたき)《割書:同図(おなじくづ)》  般若滝(はんにやのたき)《割書:同図(おなじくづ)》      中茶屋(なかのちやや)  不動堂(ふどうだう)    大平(おほだひら)   【右丁 白紙】 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 三                  植 田 孟 縉 編 輯 御山内寺院坊舍(おんさんないじゐんばうしや) 一 山(さん)の学頭(がくとう)一 院(ゐん)衆徒(しゆと)廿ヶ院(ゐん)別所(べつしよ)四ヶ院(ゐん)外(ほか)に一 院(ゐん)  都合(つがふ)廿六 院(ゐん)是(これ)を一 山(さん)の大衆(たいしゆ)と唱(とな)ふ外(ほか)に一 坊(ばう)八十 坊(ばう)あり 学頭(がくとう) 修学院(しゆがくゐん)と号(がう)す佛岩谷(ほとけいはだに)あり此寺(このてら)の表門(おもてもん)は徃古(わうご) 御殿(ごでん)の御門(ごもん)  なりとぞ元禄四未年五月 御取置(おんとりおき)に相成(あひなり)其後(そのゝち)享保 年中(ねんちゆう)御門(ごもん)を修(しゅ)  学院(がくゐん)へ賜(たま)ふといふ室町家(むろまちけ)の作営(さくえい)を移(うつ)され御經営(ごけいえい)ありし御門(ごもん)ゆゑ  世(よ)に稀(まれ)なる匠作(しやうさく)なり土人等(どじんら)穪(しよう)して二階御門(にかいごもん)と唱(とな)ふ 衆徒二十院(しゆとにじつかゐん) 東山谷(ひがしやまだに)佛岩谷(ほとけいはだに)中山(なかやま)にあり  南照院(なんせうゐん) 安居院(あんごゐん) 日増院(にちぞうゐん) 遊城院(いうじやうゐん) 敎城院(けうじやうゐん) 櫻本院(さくらもとゐん) 禅智院(ぜんちゐん)  唯心院(ゆゐしんゐん) 藤本院(ふぢもとゐん) 醫王院(いわうゐん) 護光院(ごくわうゐん) 《割書:以上 東山谷(ひがしやまだに)》 養源院(やうげんゐん) 花蔵院(けざうゐん) 【右丁】 【図】 修學院表門 【左丁】  恵乘院(ゑじようゐん) 法門院(ほふもんゐん) 《割書:以上 仏岩谷(ほとけいはだに)》 照尊院(せうぞんゐん) 浄土院(じやうどゐん) 觀音院(くわんおんゐん) 実敎院(じつけうゐん)  光樹院(くわうじゆゐん) 《割書:以上 中山(なかやま)》 御畄守居(おんるすゐ) 是(これ)は衆徒(しゆと)の内(うち)より一 院(ゐん)兼職(けんしよく)とす法務(ほふむ)の階級(かいきふ)又(また)は老若(らうにやく)の  事(こと)にもよらず其器(そのき)に當(あた)れるを撰(えら)び衆徒(しゆと)の内(うち)より擢(ぬきんで)らるゝ職(しよく)なり  御門主(ごもんしゆ)御家臣(ごかしん)並 社家(しやけ)伶人(れいじん)以下(いげ)神人(しんじん)に至(いた)まで御畄守居(おんるすゐ)の指揮(しき)  なり 別所四(べつしよし)ヶ(か)院(ゐん) 大楽院(だいらくゐん)《割書:仏岩谷(ほとけいはだに)》 龍光院(りうくわうゐん)《割書:中山(なかやま)|御㚑屋(おんれいや)の北 寄(より)》 安養院(あんやうゐん)《割書:中山新宮別所(なかやましんぐうべつしよ)》  無量院(むりやうゐん)《割書:中山大師堂別所(なかやまだいしだうべつしよ)》 八拾坊舍(はちじふばうしや) 妙月坊(みやうぐわつばう) 妙金坊(みやうきんばう) 真鏡坊(しんきやうばう) 日城坊(にちじやうばう) 本龍坊(ほんりうばう) 光栄坊(くわうえいばう)  悦蔵坊(えつざうばう) 城秀坊(じやうしうばう) 杉本坊(すごもとばう) 鏡泉坊(きやうせんばう) 大光坊(たいくわうばう) 祐南房(いうなんばう) 永觀坊(やうくわんばう)  実勝坊(じつしようばう) 能觀坊(のうくわんばう) 道福坊(だうふくばう) 《割書:以上 東山谷(ひがしやまだに)》 正住坊(しやうぢゆうばう) 祐源坊(いうげんばう) 圓乘坊(ゑんじようぼう)  觀妙坊(くわんみやうばう) 尭心坊(げうしんばう) 鏡徳坊(きやうとくばう) 正定坊(しやうぢやうばう) 妙力坊(みやうりきばう) 通乘坊(つうじようばう) 大月坊(だいぐわつばう) 【右丁】  龍觀坊(りうくわんばう) 常觀坊(じやうくわんばう) 龍圓坊(りうゑんばう) 浄久坊(じやうきうばう) 林敎坊(りんけうばう) 妙日坊(みやうにちばう) 《割書:以上 仏岩谷(ほとけいはだに)》  勝泉坊(しようせんばう) 本月坊(ほんぐわつばう) 圓觀坊(ゑんくわんばう) 城了坊(じやうりやうばう) 城空坊(じやうくうばう) 通順坊(つうじゆんばう) 光蔵坊(くわうざうばう)  通勝坊(つうしようばう) 忍性坊(にんしやうばう) 仲音坊(ちゆうおんばう) 常音坊(じやうおんばう) 行実坊(ぎやうじつばう) 醍醐坊(だいごばう) 守光坊(しゆくわうばう)  城祐坊(じやういうばう) 妙珍坊(みやうちんばう) 《割書:以上 南谷(みなみだに)》 不動坊(ふどうばう) 智觀坊(ちくわんばう) 碩善坊(せきぜんばう) 圓祐坊(ゑんいうばう)  桜正坊(あうしやうばう) 敎觀坊(けうくわんばう) 深妙坊(しんみやうばう) 定福坊(ちやうふくばう) 正圓坊(しやうゑんばう) 慶住房(きやうぢゆうばう) 正範坊(しやうはんばう)  觀徳坊(くわんとくばう) 唯敎坊(ゆゐけうばう) 什光坊(じふくわうばう) 永南房(やうなんばう) 圓泉坊(ゑんせんばう) 《割書:以上 西山谷(にしやまだに)》 大林坊(たいりんばう)  光禅坊(くわうぜんばう) 禅敎坊(ぜんけうばう) 順敎坊(じゆんけうばう) 実蔵坊(じつざうばう) 文月坊(ぶんぐわつばう) 理宣坊(りせんばう) 蓮勝坊(れんしようばう)  敎光坊(けうくわうばう) 妙圓坊(みやうゑんばう) 深敎坊(しんけうばう) 金蔵坊(こんざうばう) 正覚坊(しやうかくばう) 桜秀坊(あうしうばう) 林守坊(りんしゆばう)  道龍坊(だうりうばう) 《割書:以上 善女神谷(ぜんによしんだに)》 御奉行屋敷(おんぶぎやうやしき) 此(この)門前(もんぜん)の路(みち)は 御殿地(ごてんち)後(うしろ)御賄坂(おんまかないさか)より西の方(かた)四軒町(しけんちやう)  原町(はらまち)蓮華石町(れんげいしまち)へ達(たつ)し御山内筋(おんさんないすぢ)より中禅寺(ちゆうぜんじ)或(あるひ)は寂光(じやくくわう)荒沢(あらさは)又(また)は足尾(あしを)  邊(へん)への徃來(わうらい)なり 【左丁】 火之番屋敷(ひのばんやしき) 組頭屋鋪(くみがしらやしき)と相對(あひたい)す是(これ)は御山内(おんさんない)火防(ひふせぎ)の御備(おんそな)へとして  爰(こゝ)と下鉢石(しもはついし)に有(あり)て二ヶ所(しよ)に勤番(きんばん)し慶安五年六月より八王子(はちわうじ)千人(せんにん)  組(ぐみ)へ 命(めい)ぜられ頭(かしら)両人 両組(りやうくみ)同心(どうしん)在勤(ざいきん)せしかど是(これ)も寛政の初(はじめ)に  鉢石(はついし)一ヶ所(しよ)を廢(はい)せられ爰(こゝ)の一ヶ所(しよ)となれり夫(それ)よりは千人頭(せんにんがしら)壱人 組(くみ)  頭(がしら)五人 同心(どうしん)四十人 外(ほか)に歩人(ぶにん)有(あり)て御山内(おんさんない)を警衛(けいゑい)しもとは五十日  交替(かうたい)なるを今(いま)は半年(はんねん)在勤(ざいきん)となれり 青龍權現(せいりうごんげん) 龍神社(りうじんのやしろ)とも唱(とな)ふもとは火之番屋敷(ひのばんやしき)邊(へん)に社頭(しやとう)在(あり)て大(おほい)なる  池水(ちすゐ)も有(あり)し由(よし)奉行屋敷(ぶきやうやしきの)邊(へん)より坊中(ばうちゆう)のあたりを善女神谷(ぜんによじんだに)と號(がう)し  けるも此社(このやしろ)のあるゆゑなり 御鎮座(ごちんざ)以來(いらい)は其(その)池水(ちすゐ)を填(うめ)て火(ひ)之  番屋敷(ばんやしき)とせられ其(その)ほとり四軒町(しけんちやう)も伶人屋敷(れいじんやしき)又(また)は山口氏(やまぐちうぢ)が手代等(てだいら)  住居(ぢゆうきよ)の地(ち)に渡(わた)りける頃(ころ)龍神社(りうじんのやしろ)も今(いま)の山際(やまぎは)に移(うつし)し由(よし)偖(さて)此(この)神社(じんじや)は  弘法大師(こうぼふだいし)入唐(につたう)し天台山(てんだいさん)の青龍寺(せいりうじ)に寓(ぐう)する时(とき)其寺(そのてら)の鎮守神(ちんじゆのかみ)に祈(き) 【右丁】  願(ぐわん)し仏法(ぶつほふ)東漸(とうせん)の事(こと)を祈(いの)り帰朝(きてう)の砌(みぎり)仏法(ふつぼふ)守護神(しゆごじん)なりとて醍醐(だいご)に  社(やしろ)を勸請(くわんじやう)し青龍權現(せいりうごんげん)と崇(あが)め祀(まつ)れるの始(はじめ)なり當山(たうざん)も弘仁年中 空(くう)  海和尚(かいをしやう)登山(とうざん)し瀧尾(たきのを)寂光(じやくくわう)の社頭(しやとう)を勸請(くわんしやう)し古義(こぎ)真言(しんごん)の顕密(げんみつ)をも傳(つた)へ  られしゆゑ其(その)派下(はか)の僧等(そうとう)仏法(ぶつほふ)擁護(おうご)のため醍醐(だいご)より勸請(くわんじやう)せし神(じん)  社(じや)なりといふ 西町(にしまち) 或(あるひ)は入町(いりまち)とも唱(とな)ふ御山内(おんさんない)の西にある町(まち)〻(〳〵)なり 四軒町(しけんちやう)  原町(はらまち) 袋町(ふくろまち) 本町(ほんまち)《割書:上中下》 大工町(だいくちやう)《割書:上中下》 板挽町(いたひきまち) 此(この)町(まち)〻(〳〵)縦横(じゆうわう)に  區(く)を分(わか)ち肆店(してん)両側(りやうかは)に軒(のき)を並(ならべ)て連住(れんぢゆう)す 兄㐧契(きやうだいちぎり) 東は松原町(まつばらまち)より西町(にしまち)に至(いた)る迄(まで)町家(ちやうか)其餘(そのよ)の者(もの)も三月 上巳(じやうし)の  頃(ころ)よりして若菜摘(わかなつみ)を初(はじめ)として或(あるひ)は花見(はなみ)とも名附(なづけ)たがひに親(したしき)もの  を誘引(いういん)し山林(さんりん)原㙒(げんや)の花(はな)を尋(たづね)て花筵(はなむしろ)などつらね酒色(しゆしよく)を携(たづさ)へ三絃(さんげん)を  鳴(な)らし皷躁(こさう)してうたひ舞(まひ)逰興(いうきよう)することを土風(とふう)のならはしとし是(これ)を 【左丁】  名附(なづけ)て兄㐧(きやうだい)ちぎりと唱(とな)ふ四月八日を終(をはり)とす 浄光寺(じやうくわうじ) 板挽町(いたひきまち)にあり還源山(くわんげんさん)妙覚院(みやうかくゐん)と号(がう)す此寺(このてら)もとは仏岩(ほとけいは)にあり  浄光寺(じやうくわうじ)徃古(わうご)浄光防(じやうくわうばう)と号(がう)し上世(じやうせい)當山(たうざん)の本院(ほんゐん)座主(ざす)光明院(くわうみやうゐん)の供僧(ぐそう)の  其一(そのひとつ)なりしが徃古(わうご)應永年中 光明院(くわうみやうゐん)断絶(だんぜつ)の後(のち)善女神谷(ぜんによじんだに)へ移(うつ)すと  いふ又(また)徃生院(わうじやうゐん)といふはもと仏岩(ほとけいは)地蔵堂(ぢさうだう)の邊(へん)に在(あり)て摠山(そうざん)の墓所(ぼしよ)に  て空海師(くうかいし)の妙覚門(みやうがくもん)の額(がく)を掲(かゝげ)たり然(しか)るに此地(このち)は一 山(さん)の鬼門(きもん)に當(あた)る  ゆゑに衆議(しゆぎ)して善女神谷(ぜんによじんだに)へ移(うつ)す其後(そのゝち)又(また)寛永十七年十月 徃生院(わうじやうゐん)  并 六供僧(ろくぐそう)の坊(ばう)ともに綿内村(わたうちむら)の西《割書:今(いま)の地(ち)》へ移(うつ)すといふこと《振り仮名:𦾔記|きうき》に見(み)え  たる由(よし)徃生院(わうじやうゐん)の《振り仮名:𦾔跡|きうせき》は今(いま)浄光寺(じやうくわうじ)の弥陀堂(みだだう)にて六供(ろくぐ)浄光坊(じやうくわうばう)の跡(あと)は  正(たゞ)しく浄光寺(じやうくわうじ)なりされば徃生院(わうじやうゐん)と浄光坊(じやうくわうばう)今(いま)は合(がつ)して浄光寺(じやうくわうじ)と  稱(しよう)するにや古(いにしへ)浄光坊(じやうくわうばう)は六供(ろくぐ)の一(ひとつ)にしてありしゆゑ其(その)遺名(ゐめい)のこりて  今(いま)も土人等(どじんら)浄光寺(じやうくわうじ)のことを六供(ろくぐ)と称(しよう)せり偖(さて)古(いにしへ)より傳(つた)はりし光明院(くわうみやうゐん) 【図】 兄弟契 の逰宴 德誼画 【右丁】  本尊(ほんぞん)弥陀(みだ)を万治二年五月 賊(ぞく)の為(ため)に奪(うば)はれたりといふ西町中(にしまちぢゆう)の香(かう)【「ボ」左ルビ】  華院(げゐん)【「ダイシヨ」左ルビ】とす境内(けいだい)に古(いにしへ)の當山(たうざん)座主(ざす)の墓碑(ぼひ)あり  卅四世昌継逆修文安《割書:乙| 丑》二○六月廿四日入滅  卅五世法印昌宣逆修延德四年八月十三日入滅  權少僧都昌源《割書:年月不見》法印昌顕大永三年六月廿六日  權大僧都法印昌淳庿塔慶長十二《割書:丁| 未》伍月五日 鐘銘(かねのめい) 鐘口(しようく)徑(わたり)二尺 許(ばかり)此鐘(このかね)はもと本宮(ほんぐう)の鐘(かね)なること銘文(めいぶん)にあり文明    二年 本宮(ほんぐう)より此所(このところ)へ施入(せにふ)の由(よし)再刻(さいこく)の銘(めい)あり  奉鑄 日光山本宮推鐘 一口  右增三所權現威光為成二世各願也  一打鐘聲當願衆生斷三界苦頓證菩提  諸賢聖衆同入道場願諸惡趣俱時離苦 【左丁】  當將軍源朝臣成氏公  御留守權大僧都法印座禪院昌継  惣政所西本坊昌宣   旦那古戸道光 氏吉  本願權律師源觀等穀弘継  大工大和權守浦部春久   于時長禄三年《割書:乙| 卯》十二月九日《割書:敬|白》  奉施入  往生院鐘  右志者為天長地久御願  圓滿殊者父母覺靈成等  正覺頓證菩提別者者有縁無縁 【図】 【右丁】 弘法大師眞蹟 妙 覺 【左丁】 門 【右丁】  自他法界平等利益故自本宮  申下新寄進處如件   于時文明二天《割書:庚|刁》二月十五日   願主 東圓坊權律師昌源 古額(こがく) 弘法大師(こうぼふだいしの)真蹟(しんせきの)冩(うつし)浄光寺(じやうくわうじ)什物(じふもつ)古(いにしへ)徃生院(わうじやうゐん)の額(がく)なりといふ長(ながさ)一尺  八寸五分 横(よこ)一尺四寸 廽(めぐ)り雲龍(うんりよう)高彫(たかぼり)是(これ)は外縁(そとぶち)なり又(また)其内(そのうち)に縁(ふち)有(あり)て  梵字(ぼんじ)九ッ有(あり)紺青(こんじやう)妙覚門(みやうがくもん)の三 字(じ)金色(こんじき)なり文字(もんじ)の写(うつし)前(まへ)に出(いだ)せり 向河原(むかふがはら) 大工町(だいくまち)板挽町(いたひきまち)の方(かた)より大谷川(だいやがは)の橋(はし)を越(こえ)て向(むかふ)に有(ある)町家(まちや)ゆゑ  斯(かく)唱(とな)ふ両側(りやうかは)に廿 戸(こ)許(ばかり)夫(それ)より含満(がんまん)の大門路(だいもんみち)へ達(たつ)す爰(こゝ)より鳴虫山(なきむしやま)  を廻(めぐ)り瀧河原(たきがはら)邊(へん)への通行路(つうかうみち)にて牛馬(ぎうば)の通路(つうろ)あり 慈雲寺(じうんじ) 伽羅陀山(きやらださん)と号(がう)す堂(だう)三 間(げん)四 方(はう)本尊(ほんぞん)弥陀(みだ)地蔵(ぢざう)慈眼大師(じげんだいし)の像(ざう)を  安(あん)す境内(けいだい)凡(およそ)三四町 中興開山(ちゆうこうかいさん)は慈眼大師(じげんだいし)の高㐧(かうてい)なる最敎院(さいけうゐん)晃海(くわうかい) 【左丁】  僧正(そうじやう)なり此邊(このへん)よりすべて含満(じんまん)【ママ】と唱(とな)ふ此所(このところ)は山内(さんない)衆徒(しゆと)年中行司(ねんぢゆうぎやうじ)  の持(もち)とす 憾(がん)𤚥(まんが)淵(ふち) 慈雲寺(じうんじ)より西北に當(あた)り川向(かはむか)ふの水涯(すゐがい)に絶壁(ぜつへき)の如(ごと)くなる  巨巌(こがん)水際(すゐさい)より峙立(ぢりふ)し削(けづり)なすにことならず其(その)奇状(きじやう)なる形㔟(ぎやうせい)鬼工(きこう)の  如(ごと)し巌上(かんしやう)に不動(ふどう)の石像(せきざう)を安(あん)す巌下(かんか)は碧水(へきすゐ)盤渦(はんくわ)【「ウヅマキ」左ルビ】して潭底(たんてい)はかり  知(しり)がたし怪岩(くわいがん)横(よこ)九尺 許(ばかり)竪(たて)七八尺なる平面(へいめん)に憾(かん)𤚥(まん)の梵字(ぼんじ)あり讀(よみ)が  たし 靈庇閣(れいひかく) 憾(がん)𤚥(まんが)淵(ふち)のこなたなる川端(かははた)一 面(めん)の嵓石(がんせき)なる所(ところ)に護广壇(ごまだん)を  建(たて)て幽遠(いうゑん)の絶景(ぜつけい)なり丸木柱(まろきはしら)の四阿屋(あづまや)を造(つく)れり此境(このさかひ)は晃海僧正(くわうかいそうじやう)  草創(さう〳〵)にて北 岸(がん)に七尺 餘(よ)の不動(ふどう)の石像(せきざう)は晃海(くわうかい)の造立(さうりふ)にて潭岩(たんがん)の  憾(がん)𤚥(まん)の梵字(ぼんじ)は僧正(そうじやう)山順(さんじゆん)の書(しよ)也(なり)此(この)山順(さんじゆん)は贈大僧正(ぞうだいそうじやう)生順(しやうじゆん)の㐧子(でし)當(たう)  山(ざん)養源院(やうげんゐん)の三 世(せ)なり護广堂(ごまだう)も同时(どうじ)に建立(こんりふ)し一七 日(にち)護广供(ごまく)百 座(ざ) 【図】 【右丁】 含滿驟雨 【左丁】 㚑庇閣 【図】 【右丁】 含満骨塔 【左丁】 等春【院】印 【右丁】  晃海僧正(くわうかいそうじやう)開闢(かいびやく)し一 山(ざん)も僧衆(そうしゆ)修行(しゆぎやう)せしこと《振り仮名:𦾔記|きうき》に見(み)ゆる處(ところ)といへり  西南の高(たか)き所(ところ)に石弥陀(いしのみだ)の座像(ざざう)各(おの〳〵)三尺 許(ばかり)なる列(れつ)し造(つく)れるもの数(す)  百 体(たい)此邊(このへん)より川岸(かはぎし)を傳(つた)ひ凡(およそ)壱町 程(ほど)も嶮岩(けんがん)を陟(のぼ)り行(ゆけ)ば川岸(かはぎし)に骨(こつ)  塔(たふ)あり 納骨塔(なふこつたふ) 礎石(そせき)大(おほき)さ四五 疊敷(でふしき)もあらん石(いし)へ穴(あな)を穿(うがち)て納骨(なふこつ)すべき為(ため)に  造(つく)れり其上(そのうへ)へ碑銘石(ひのめいのいし)を建(たて)たり銘文(めいぶん)は林羅山子(はやしらざんし)の撰(せん)なり     憾𤚥淵納骨堂碑         羅山林道春撰  日光山中有淵潭。世稱不動明王來現處也。故採其種字。號憾𤚥淵  誠是勝地靈區也。先是。  東照宮背後深奥之處有骨堂。慈眼大師。為畏神威毀除之已而。大  師遺敎曰。我没後宜再建此堂。未暇相攸漸歷數歲。方今。  尊敬法親王。有可以營堂於憾𤚥淵幽處之旨。且大師之衆徒等。為 【左丁】  過去萬靈自已菩提。彫石地藏若干軀。造立淵畔。淵畔有巨石。方八  尺許。鑿開之。以納新舊之骨。乃立碑於此石上。以記其所由。願以此  功德。骨化為水精乎。為珠玉乎。與不動地藏分其骨乎。抽果與佛舍  利相共同乎。骨已如此。則其羣靈。或上天。或成佛。以可證之乎。  法親王繼大師之志。受大師之緖。以為此舉。以納萬骨不亦宜乎。若  夫葬枯骨則聖主之德也。掩骼埋胔則孟春之政令也。是非非余之  談。聊併言。   明歷《割書:戊| 戌》年七月吉日 通行橋(つうかうばし) 向河原橋(むかふがはらはし)とも唱(とな)ふ大谷川(だいやがは)に架(か)す長(ながさ)十六七 間(けん)板橋(いたばし)なり板挽町(いたひきまち)  大工町(だいくちやう)邊(へん)より向河原町(むかふがはらまち)へ達(たつ)す牛馬(ぎうば)も通路(つうろ)せり 鳴蟲山(なきむしやま) 向河原(むかふがはら)と含満(がんまん)の後(うしろ)に當(あた)り高山(かうざん)東西へ亘(わた)り此邊(このへん)にての高山(かうざん)  なり本名(ほんみやう)は大懴法嶽(たいせんぼふがたけ)と称(しよう)し又(また)小懴法嶽(せうせんぼふがたけ)とて此山(このやま)の後(うしろ)にあり其餘(そのよ) 【図】 【右丁】 湛粛【印】【印】 鳴ムシ山 二宮山 【左丁】 松立山 鳴蟲紅葉 【右丁】  名(な)を称(しよう)する山(やま)多(おほ)し或(あるひ)は杵立山(きねたてやま)月見山(つきみやま)など皆(みな)冬峰行者(ふゆみねぎやうじや)修法(しゆほふ)を行(おこな)ふ  所(ところ)なり又(また)は星宿(ほしのやど)も此峰(このみね)の續(つゞ)き相好灘(さうかうなぎ)宝形灘(はうぎやうなぎ)とも称(しよう)する所(ところ)もあり  此山(このやま)は紅葉(もみぢ)の勝景(しようけい)あるをもて當所(たうしよ)の八 景(けい)の内(うち)にも入(いれ)られたり  偖(さて)古木(こぼく)の欝翠(うつすゐ)するにもあらず雜樹(ざふじゆ)の柴山(しばやま)なれど时(とき)〻(〴〵)雲霧(うんむ)を起(おこ)し  此山(このやま)に雲(くも)生(しやう)ずる时(とき)は果(はた)して雨(あめ)をふらするより名附(なづけ)たるよし必(かならず)  しも虫(むし)の鳴(なく)といふにはあらず虫(むし)は原㙒(げんや)にすだくものゆゑ高山(かうざん)を  指(さし)てなきむしといへるは至(いたつ)て鄙(ひ)なる俗言(ぞくげん)に嬰児(えいじ)の動(やゝ)もすれば啼(なき)  出(いだ)すを鄙語(ひご)になきむしと呼(よぶ)ことあり此山(このやま)にも一日の内(うち)に幾度(いくど)も  雲(くも)を生(しやう)じ雨降(あめふる)こと时(とき)〻(〴〵)なるゆゑ雨(あめ)を涙(なみだ)に譬(たと)へまたなきむしの啼(なき)  出(いだし)しと土人等(どじんら)が雨降(あめふる)ことをにくみて放言(はうげん)せしを竟(つひ)には山(やま)の名(な)に  負(おは)せたるなり 松立山(まつたてやま) 是(これ)は冬嶺行人(ふゆみねぎやうにん)此山(このやま)へ毎歳(まいさい)松(まつ)を植立(うゑたつ)るを御杵松(おんきねまつ)といふ又 【左丁】  一 名(みやう)螺立山(ほらたてやま)ともいふ年(ねん)〻(〳〵)二月廿八日 行人(ぎやうにん)此所(このところ)にて螺(ほら)を吹立(ふきたつ)ること  あり然(しか)して御松(おんまつ)三 本(ぼん)を植立(うゑたつ)る是(これ)天下泰平(てんかたいへい)の修法(しゆほふ)なりとて種(しゆ)〻(〴〵)  傳秘(でんひ)有(ある)事と聞(きけ)り偖(さて)行人(ぎやうにん)の螺(ほら)を聞(きゝ)て衆徒(しゆと)藤本院(ふぢもとゐん)にて古(いにしへ)より傳來(でんらい)の  修法(しゆほふ)とて細(ほそ)き青竹(あをたけ)長(ながさ)八九尺 上(うへ)に扇(あふぎ)三 本(ぼん)を開(ひら)きたるさまに丸(まろ)く  結(ゆ)ひ附(つけ)其扇(そのあふぎ)の結付(ゆひつけ)たる所(ところ)より白苧(しろを)を長(なが)く垂(たら)せり是(これ)を石(いし)の御鳥(おんとり)  居前(ゐまへ)の清水(せいすゐ)流(ながる)る所(ところ)へ三 本(ぼん)づゝ溝(みぞ)の両側(りやうかは)へ立(たつ)るなり古(いにしへ)より町家(ちやうか)の者(もの)  藤本院(ふぢもとゐん)へ扇(あふぎ)と竹(たけ)と苧(を)を納(おさむ)る事(こと)なりしかど其(それ)町家(ちやうか)断絶(だんぜつ)せしゆゑ今(いま)は  鉢石町(はついしまち)の小間物(こまもの)商人(あきびと)の頭(かしら)なることの役(やく)として出(いで)せり依(よつ)て三月朔日  の未明(みめい)に松立山(まつたてやま)にて其松(そのまつ)を焼(やく)ともいへり徃古(わうご)は御松塲(おんまつば)は相好灘(さうかうなぎ)と  今(いま)の松塲(まつば)の間(あひだ)の峰(みね)なり故(ゆゑ)有(あり)て中古(ちゆうこ)より今(いま)の山上(さんしやう)へ移(うつ)すといふ 日光八景(につくわうのはつけい)  小倉春曉(をぐらのしゆんけう) 鉢石炊烟(はついしのすゐえん) 含満驟雨(がんまんのしうう) 寂光瀑布(じやくくわうのはくふ) 大谷秋月(だいやのしうけつ) 【右丁】  鳴虫紅楓(なきむしのこうふう) 山菅夕照(やますげのせきせう) 黒髪晴雪(くろかみのせいせつ)      小 倉 春 曉    大 明 院 宮 公 辨 法 親 王  小 倉 山 色 似 皇 州 不 嶮 不 夷 沿 水 流 花 氣 氤  氳 天 未 曙 紅 霞 一 片 入 雙 眸      鉢 石 炊 烟         《割書:朝鮮國聘使副使》 任 守 幹  山 下 孤 村 遠 炊 烟 一 抹 靑 隨 風 濃 更 淡 樹 色  晩 冥 〻      含 滿 驟 雨         《割書:同   從事官》 李 邦 彦  深 潭 徹 底 淸 潭 上 蒼 巖 古 下 有 老 龍 潜 時 〻  作 雷 雨      寂 光 瀑 布         《割書:同   正 使》 趙 泰 億  炎 天 樓 閣 欲 生 寒 千 尺 飛 流 落 翠 巒 時 有 遊 【左丁】  入 來 入 洞 錯 疑 雷 雨 門 林 端      大 谷 秋 月               右 同 人  山 前 秋 水 浸 山 平 涵 潯 冰 輸 徹 底 明 聞 說 高  僧 常 管 領 心 將 此 境      鳴 虫 紅 楓               任 守 幹  仙 山 秋 色 晩 琪 樹 尚 靑 葱 獨 有 楓 林 冷 迎 霜  葉 盡 紅      神 橋 夕 照               李 邦 玄  墮 草 傳 神 蹟 靈 源 路 不 迷 畫 橋 留 返 照 紅 影  落 前 溪      黒 髪 晴 雪         《割書:同來聘製述官 》 李   礥  路 絶 懸 崖 不 可 緣 雪 花 寒 逼 斗 牛 躔 兹 山 亦 【右丁】  作 瓊 瑶 窟 積 縞 休 誇 富 士 巓 妙道院(みやうだうゐん) 《割書:寺地(じち)の辺(へん)今(いま)は原町(はらまち)と唱(とな)ふれども古名(こめい)此邊(このへん)田母沢(たもざは)と号(がう)せり》  時號(じがう)は佛龍寺(ぶつりうじ)と号(がう)し寛永五年 天海大僧正(てんかいだいそうじやう)仏岩谷(ほとけいはだに)へ建立(こんりふ)し給(たま)ふ  今(いま)境内(けいだい)にある釈迦堂(しやかだう)は昔(むかし)より中山(なかやま)に有(あり)しを元和七年 中山(なかやま)より佛(ほとけ)  岩谷(いはだに)へ移(うつ)し給ひ其後(そのゝち)寛永十七年 今(いま)の地(ち)へ妙道院(みやうだうゐん)とともに移(うつ)し玉(たま)ふ  といふ其砌(そのみぎり)より一 山(さん)の香花院(かうげゐん)【「ボダイシヨ」左ルビ】と定(さだ)めらる寺領(じりやう)貮百 石(せき)を附(ふ)せられ  末寺(まつじ)二拾四ヶ寺(じ)あり本尊(ほんぞん)は阿弥陀(あみだ)を安(あん)す 釋迦堂(しやかだう)南 向(むき)五 間(けん)四 面(めん)赤塗(あかぬり)寺(てら)の西の方(かた)にあり本尊(ほんぞん)阿弥陀(あみだ)脇士(けふし)文珠(もんじゆ)  普䝨(ふげん)木座像(もくざざう)外(ほか)に三尊(さんぞん)の阿弥陀(あみだ)是(これ)は恵心(ゑしん)の作(さく)といふ堂内(だうない)右の方(かた)に  慈眼大師(じげんだいし)の像(ざう)あり是(これ)は大師(だいし)現存(げんぞん)の肖像(せうざう)とて安置(あんち)し勝道上人(しようだうしやうにん)の  位牌(ゐはい)を安(あん)す 石燈籠(いしどうろう) 二 基(き)釈迦堂(しやかだう)の前(まへ)にあり一は加藤左馬助(かとうさまのすけ)と𠜇(こく)す又(また)一は石川(いしかは) 【左丁】  主殿頭(とのものかみ)奉納(ほうなふ)と銘(めい)あり  慈眼大師(じげんだいし)は寛永廿年十月二日 東叡山(とうえいざん)にて入寂(にふじやく)したまひ同六日  靈棺(れいくわん)を出し同十日 當山(たうざん)座禅院(ざぜんゐん)へ入(いり)玉ひ同日 黄昏(くわうこん)奉(たてまつり)_レ迁(うつし)妙道院(みやうだうゐん)の  釈迦堂(しやかだう)に安(あん)し一七日の間(あひだ)法事(ほふじ)有(あり)曼荼羅供(まんだらく)其餘(そのよ)修法(しゆほふ)畢(をはり)同十七日 全身(ぜんしん)  を大黒山(だいこくさん)の石窟(せきくつ)に奉(たてまつる)_二収歛(しゆうかんし)_一《割書:云| 〻》 撞鐘(つきがね) 慶安二年霜月 鋳成(たうせい)銘文(めいぶん)左に出(いだ)す  日光山妙道院  釋迦堂慈眼大師尊前息苦鐘一口  右當堂者慈眼大師草創而  東照宮兩部合躰之靈場也《割書:云| 云》下略    願主當住持三代顯密職位竪者法印天翁欽誌 殉死墓碑銘(じゆんしのぼひのめい) 五 基(き)釋迦堂(しやかだう)の西にあり都合(つがふ)三 側(かは)にて此(この)五 基(き)は一の側(かは)也 【図】 【右丁】 素麪瀧 【左丁】 等春【印】 【右丁】  玄性院心隱宗卜大居士   堀田加賀守朝臣正盛  芳松院全巖淨心大居士   阿部對馬守阿部朝臣重次  理明院光德徹宗大居士   内田信濃守藤原正信  靜心院一無了性大居士   三枝土佐守源守惠  眞證院理哲玄勇居士    奥山茂左衛門藤原安重    以上(いじやう)五 基(き)の背面(はいめん)に慶安四年四月廿日とあり皆(みな)同(おなじ) 諸家墓碑銘(しよけぼひのめい) 十一 基(き)二の側(かは)  高林院俊庵宗德居士(慶安元年六月廿二日         )    松平右衛門大夫源正綱  白林院直指宗心居士(寛永二年正月十七日         )    成瀬隼人正藤原正成  正信院安譽道輝大居士(承應元年四月              )   竹越山城守源正信  釋性順居士(慶長十五年七月十三日)        高木主水正源清秀  正等院道宗圓雪居士(年月日無              )    天野彦右衛門藤原忠重 【左丁】  源盛院道立心圓居士(寛永七年四月十七日         )    中山備前守丹治信吉  現龍院輝宗道翁居士(寛永五年九月十七日         )    稻葉佐渡守越智正成  清庵源光大居士(寛永十五年正月朔日島原打死 )      板倉内膳正《割書:實名不載》  心空道喜居士(元和庚申四月九日    )       渡邊半藏源守綱  光照院釋道清居士(慶安元年十月朔日        )     渡邊半藏源重綱  了華院道宗居士(永應二年五月朔日      )      諏訪部惣右衛門藤原定吉    是(これ)より次(つぎ)は三に側(かは)なり碑(ひ)七 基(き)  寒松院權大僧都法印衜賢高山(寛永七年十月五日                  )               從四位侍從伊賀少將藤原高虎  從四位行侍從兼伊賀守源朝臣勝重源英居士               從四位下侍從周防守重宗建  宝地院前拾遺穩譽泰翁覺玄大居士(寛永廿一年七月十日                    ) 【右丁】               土井大炊頭源朝臣利勝  大性院月桂宗識居士(寛永四年十一月十四日        )    酒井備後守源忠利  空印寺傑傳長英大居士(寛文二年七月十六日           )   若狹少將兼讃岐守源朝臣忠勝  大雄院永井月丹居士(寛永二年十二月廿九日        )    永井右近大夫大江直勝  從四位下信州大守大江姓永井氏(寛文八年九月十一日                   )■【崐ヵ】山居士《割書:姓名なし|按るに永井尚政の碑なるべし》  右の石塔(せきたふ)釈迦堂(しやかたう)の西の方(かた)に二 行(ぎやう)に立(たて)ならべり 犬牽地蔵尊(いぬひきぢざうそん) 《割書:原町(はらまち)妙道院(みやうだうゐん)表門(おもてもん)の双び道際(みちのきは)に小堂(せうだう)あり相並(あひならび)て堂(だう)の小庵(せうあん)もあり》  縁起(えんぎ)の略云(りやくにいはく)當堂(たう〴〵)の地(ち)は徃昔(わうじやく)勝道上人(しようだうしやうにん)當山(たうさん)開闢(かいびやく)の砌(みぎり)男躰山(なんたいざん)へ登(のぼ)  らせ玉ふ时(とき)此(この)田母沢(たもさは)の流(なが)れ険(けは)しく暫(しはらく)此所(このところ)に徘徊(はいくわい)し玉ひ浅瀬(あさせ)を尋(たづね)  玉ふに忽然(こつぜん)と地蔵尊(ぢさうそん)現(げん)じ給ひ上人(しやうにん)慰諭(いゆ)し向(むか)ふまで渡(わた)り玉ふ  因兹(これによりて)大同年中 此澤(このさは)の両岸(りやうがん)に石地蔵尊(いしのぢざうそん)を建立(こんりふ)し玉ひ追(おひ)〻(〳〵)本堂(ほんだう)并  寮(れう)坊(ばう)ともに建立(こんりふ)有(あり)て香花(かうげ)燈明(とうみやう)をかゝげて日夜(にちや)勤行(ごんぎやう)懈(おこた)らざりき《割書:貞|享》 【左丁】  《割書:の火災(くわさい)に罹(かゝ)り其後(そのゝち)正徳年中 再建(さいこん)に附(つき)今(いま)の本尊(ほんぞん)を|移(うつ)し奉(たてまつ)る昔(むかし)の本尊(ほんぞん)は後堂(こうだう)に安置(あんち)したてまつるなり》其後(そのゝち)某氏(なにがしうぢ)を本願(ほんぐわん)として中禅(ちゆうぜん)  寺(じ)に立(たゝ)せ給ふ延命地蔵尊(えんめいぢさうそん)を當堂内(たうだうない)へ移(うつ)し奉(たてまつ)るとなん従來(じゆうらい)彼山(かのやま)  道路(だうろ)険難(けんなん)にして老弱(らうにやく)の輩(ともがら)歩(ほ)をはこぶことかたく殊(こと)に結界(けつかい)清浄(しやう〴〵)の  道塲(だうぢやう)にて女人(によにん)登(のぼ)ること叶(かな)はされば一切衆生(いつさいしゆじやう)結緣(けちえん)の為(ため)に此地(このち)に下(くだ)し  奉(たてまつ)る也 蓋(けだし)此(この)尊像(そんざう)は勝道上人(しようだうしやうにん)御作(おんさく)にて昔(むかし)は中禅寺(ちゆうぜんじ)湯本(ゆもと)に立(たち)給ふ  犬牽地蔵尊(いぬひきぢさうそん)と申(まうす)は是(これ)也 中(なか)むかし當國(たうごく)都賀郡(つがのこほり)板橋(いたばし)の城主(じやうしゆ)板橋将(いたばししやう)  監(げん)といへる人(ひと)あり其心(そのこゝろ)豪強(かうきやう)にして更(さら)に佛神(ぶつしん)を敬(けい)せず常(つね)に殺生(せつしやう)を  好(この)み山野(さんや)に逰猟(いうれふ)す或时(あるとき)人数(にんじゆ)を従(したが)へて中禅寺(ちゆうぜんじ)の湯本(ゆもと)なる兎島(うさぎじま)の  邊(へん)に狩(かり)し湖岸(こがん)に筵(むしろ)して酒興(しゆきよう)に乗(じよう)じ此(この)湯本(ゆもと)の地蔵(ぢざう)は勝道上人(しようだうしやうにん)の作(さく)  にして世(よ)に靈仏(れいぶつ)なりといひ傳(つた)ふしからば其(その)奇特(きどく)有(ある)べし我(われ)幸(さいはひ)に狩(かり)  塲(ば)の用(よう)に牽來(ひききた)りたる一 匹(ひき)の犬(いぬ)あり此犬(このいぬ)と地蔵(ぢざう)とを首際(くびぎは)一(ひと)ッにゆひ  合(あは)せ此(この)湖水(こすゐ)へ投入(なげいれ)なば勝負(しようぶ)いづれにかあらん若(もし)㚑仏(ねいぶつ[ママ])ならば地蔵(ぢざう)   【右丁】  こそ勝(まさ)るらめ犬(いぬ)に負(まく)る地蔵(ぢざう)ならば靈仏(れいぶつ)とても其話(そのはなし)なし是(これ)を試(こゝろみ)て  殽(かう)【「サカナ」左ルビ】し見物(けんぶつ)せん疾(とく)〻(〳〵)と命(めい)じければ従者(しゆうしや)ども忽(たちまち)に堂上(たうしやう)より尊像(そんざう)を  出(いだ)し彼犬(かのいぬ)に結(ゆ)ひ合(あは)せ湖水(こすゐ)の中(なか)へ投入(なげいれ)けり犬(いぬ)は人騒(ひとさわき)に驚(おとろ)き其侭(そのまゝ)  首(くび)を揚(あげ)て湖水面(こすゐおもて)へ四五町ばかり引行(ひきゆき)けり将監(しやうげん)并 従者(じゆうしや)もろとも手(て)を  打(うち)て笑(わら)ひあれ地蔵(ぢざう)こそ犬(いぬ)に引(ひかる)るはと一度(いちど)に聲(こゑ)を揚(あげ)て笑(わら)ひければ  不思議(ふしぎ)や此(この)尊像(そんざう)忽(たちまち)水中(すゐちう)にて起直(おきなほ)らせ給ひ犬(いぬ)を引(ひき)て元(もと)の岸(きし)へ牽來(ひききた)  らせ給ひけり将監(しやうけん)立出(たちいで)て又(また)湖中(こちゆう)へ突出(つきいだ)さんとせし處(ところ)に俄(にはか)に四(し)  方(はう)に雲霧(うんむ)おこり目先(めさき)もわかず将監(しやうげん)を始(はじめ)従者(じゆうしや)とも五 躰(たい)すくみて  動(うご)くことを得(え)ず血(ち)を吐(はき)或(あるひ)は悶絶(もんぜつ)しけり折節(をりふし)其邊(そのへん)に樵夫(せうふ)ども居(ゐ)た  りしが此体(このてい)を見(み)て畏怖(ゐふ)【「オソレ」左ルビ】し急(いそ)ぎ中禅寺(ちゆうぜんじ)の別所(べつしよ)へ告(つけ)ければ居合(ゐあは)せ  たる僧侶(そうりよ)走(はし)り來(きた)りて先(まづ)尊像(そんざう)を湖水(こすゐ)より取揚(とりあげ)彼犬(かのいぬ)をとき放(はな)せば  犬(いぬ)はすぐさま斃(たふれ)けり偖(さて)僧侶等(そうりよら)讀經(どくきやう)法楽(ほふらく)し罪(つみ)を謝(しや)しければ暫(しばらく)有(あり)て 【左丁】  雲霧(うんむ)も晴(はれ)て将監(しやうげん)并 従者(じゆうしや)ども五 躰(たい)動(うご)きて漸(やうやく)起揚(おきあが)り実(じつ)に夢(ゆめ)の覚(さめ)たる  こゝちにて罪過(さいくわ)を懴悔(さんげ)し地(ち)に伏(ふし)て此山(このやま)にて重(かさ)ねて殺生(せつしやう)をすへじと  誓約(せいやく)してぞ帰(かへ)りけるとなん是(これ)より此(この)尊像(そんざう)を犬牽地蔵尊(いぬひきぢざうそん)と申(まうし)けり  夫(それ)より星霜(せいさう)を經(へ)て元禄年中 篠原秀貞(しのはらひてさだ)といへるもの信心(しんじん)の願主(ぐわんしゆ)とし  中禅寺(ちゆうぜんじ)湯本(ゆもと)より湯守等(ゆもりら)の信施(しんし)を加(くわ)へ當堂(たうだう)へ移(うつし)奉(たてまつ)れり誠(まこと)に靈験(れいげん)  無双(ぶさう)の尊像(そんさう)なり委(くは)しくは縁起(えんぎ)に見(み)ゆ 禁断石(きんだんのいし) 土人(どじん)呼(よん)て禁断石(きんだんのいし)といひ或(あるひ)は殺生石(せつしやうせき)とも唱(とな)ふ皆(みな)略語(りやくご)して呼(よび)  けることなり実(じつ)は殺生禁断(せつしやうきんだん)の堺(さかひ)の碑(ひ)なり瀧尾(たきのを)並 御堂山(みだうやま)より乾(いぬゐ)に  當(あた)り廿町 後山(うしろのやま)に建(たて)り是(これ)より外(ほか)は殺生(せつしやう)苦(くる)しからぬゆゑ此碑(このひ)より  十町 程(ほど)山上(さんしやう)は猟師(れふし)猪鹿(ちよろく)を狩(かり)或(あるひ)は鳥屋(とや)と唱(とな)へ隠(かく)れ居(ゐ)て秋(あき)は山中(さんちゆう)より  出(いづ)る鳥(とり)を捕(と)るに木(き)の枝(えだ)を聚置(あつめおき)たるあたりへ黐(もち)をぬり鳥(とり)の休(やす)まん  とするものを捕(とる)ことにて春(はる)も四月 頃(ごろ)より山中(さんちゆう)へ入(いる)时(とき)も又(また)捕(とる)こと世渡(よわたり)と 【図】 【右丁】 七瀧 靑厓【印 靑厓】 【左丁】 赤ナギ山 イナリ川 【右丁】  せり其所(そのところ)を鳥屋(とや)と唱(とな)ふ扨(さて)此(この)禁断石(きんだんのいし)の邊(へん)は僧侶(そうりよ)山修行(やましゆぎやう)する禅頂(ぜんぢやう)  道(みち)なり兹(こゝ)を西北の方(かた)へ小笹山(をざゝやま)を登(のぼ)り詰(つむ)ると七瀧(なゝたき)の飛流(ひりう)する所(ところ)を  近(ちか)く望(のぞ)めり 七瀧(なゝたき) 此(この)七滝(なゝたき)は稲荷川(いなりかは)の水源(すいげん)なりされども河(かは)に随(したがひ)て行(ゆけ)ば巨嵓(こがん)多(おほ)く  荊棘(けいきよく)道(みち)を塞(ふさ)ぎ深山(しんざん)峻谷(しゆんこく)にて瀧(たき)の邊(ほとり)へ至(いた)りがたく深(ふか)く谷間(こくかん)へ分入(わけいる)  ほど却(かへり)て瀧(たき)の所在(しよざい)を失(うしな)ふゆゑ殺生石(せつしやうせき)の道(みち)を登(のぼ)れば其邊(そのへん)皆(みな)童山(どうざん)  にて小笹原(をざゝはら)の山路(さんろ)を一里半 程(ほど)登(のぼ)り四 方(はう)開(ひら)け東の方(かた)十里を遠望(ゑんばう)す  爰(こゝ)は女貌山(によばうさん)の續(つゞ)き登(のぼ)り詰(つめ)て下(した)を望(のぞ)み見(み)れば鑿削(ほりけづ)れる如(ごと)き絶壁(ぜつへき)  なり爰(こゝ)にて北の方に七滝(なゝたき)あり瀑(たき)七ヶ所(しよ)より落來(おちきた)る水㔟(すゐせい)凡(およそ)十丈 或(あるひ)は  十四五丈 許(ばかり)もやありなんとは見(み)ゆれども其下(そのした)は水烟(すゐえん)濛(もう)〻(〳〵)として測(はかる)  べからず須臾(しゆゆ)に雲霧(うんむ)盤渦(うづまき)出(いだ)して見(み)る中(うち)に滝(たき)は又(また)見(み)えずなれり  此邊(このへん)は容易(ようい)に至(いた)るべき境(さかひ)にあらず然(しか)るに寛文年中 霖雨(りんう)の頃(ころ)俄(にはか)に 【左丁】  洪水(こうずゐ)し激浪(げきらう)山(やま)の如(ごと)く稲荷川(いなりがは)へ落(おと)し來(きた)れるゆゑ人家(じんか)数宇(すう)流亡(りうばう)し  溺死(できし)のものも数多(あまた)なりし由(よし)其後(そのゝち)は河原地(かはらち)となりけり土俗等(どぞくら)の云(いひ)  傳(つた)へて先年(せんねん)山(やま)くづれて七瀧(なゝたき)の現(げん)したりと思(おも)ふは妄誕(まうたん)の説(せつ)にて  當山(たうさん)古縁起等(こえんきとう)に載(のせ)て徃古(わうご)より七滝(なゝたき)現在(げんざい)し今(いま)に至(いた)る迄(まで)禅頂行者(ぜんぢやうぎやうじや)  の拜所(はいしよ)なる由(よし)を聞(きけ)り 如宝山(によはうざん)の蔓延松(はひまつ) 姫小松(ひめこまつ)と称(しよう)する五葉(ごえふ)なり山中(さんちゆう)に多(おほ)く生(しやう)ず是(これ)は  如宝山(によはうざん)の北 裏(うら)にあり山上(さんしやう)より凡(およそ)八町ばかりが間(あひだ)はひ續(つゞ)き南へ三  谷(たに)を越(こ)え北へは七谷(なゝたに)を蔓延(まんえん)し根株(こんちゆう)の在所(ありどころ)しられず一 本(ほん)のもと  すゑにて斯(かく)もはひ亘(わた)れるゆゑ実(じつ)に名木(めいぼく)といふべし峰修行(みねしゆぎやう)する  行人(ぎやうにん)此松(このまつ)の枝上(ししやう)を渡(わた)り禅頂(ぜんぢやう)する道(みち)なり未曽有(みぞう)の長松(ちやうしよう)なり此邊(このへん)  常人(じやうじん)の徃見(ゆきみ)るべき所(ところ)ならねど修行(しゆぎやう)せし僧侶(そうりよ)も話(かた)り又(また)は採薬(さいやく)を  業(げふ)とするもの等(ら)常(つね)に話(かた)り傳(つたふ)る處(ところ)なり 【図】 如寶山の靈松 【右丁】 飛銚子(とびてうし) 此(この)器物(きぶつ)は男躰(なんたい)女貌(によばう)其外(そのほか)高山(かうさん)に在所(ありどころ)定(さだま)らず年(ねん)〻(〳〵)峰修行(みねしゆぎやう)の  行人(ぎやうにん)も此器(このき)を二三年 見(み)ざることありといふ形(かたち)はちひさき鉄(てつ)の銚子(てうし)  に似(に)て蓋(ふた)もなきものなる由(よし)是(これ)は山鬼(さんき)の好(このみ)て翫(もてあそび)とするものなり  といふ 二子山(ふたごやま) 八雲御抄(やくもみせう)藻塩草(もしほぐさ)ともに下㙒(しもつけ)とあり或(あるひ)はいふ下㙒(しもつけ)の山(やま)にては  有(ある)べけれど當所(たうしよ)の山(やま)にてはあらずともいへりされども古(ふる)くより  當所(たうしよ)に二子山(ふたごやま)の名(な)有(あり)て土人(どじん)も傳(つた)へいひて寂光(じやくくわう)荒沢(あらさは)の山續(やまつゞき)に二子(ふたご)  と称(しよう)する山(やま)ありとはいへども目(め)に立(たて)る山(やま)にもあらずおのれ考(かんがふ)るに  男躰山(なんたいさん)如宝山(によはうさん)の間(あひだ)に大真子(おほまなご)小真子(こまなご)とて二(ふたつ)の山(やま)二荒(にくわう)の間(あひだ)に屹立(きつりふ)せり  真(しん)の子(こ)なるべきが相並(あひなら)びたれば是(これ)なん當所(たうしよ)の二子(ふたご)なること知(しる)  ければ慥(たしか)に是(これ)を二子山(ふたごやま)とこそおもほゆれ    下㙒(しもつけ)に罷(まか)りける女(をんな)に形見(かたみ)にそへて遣(つかは)しける 【左丁】  《割書:後撰 |別》二子山(ふたごやま)ともにこえねど増鏡(ますかゞみ)そこなるかげを尋(たづね)てぞやる   《割書: よみ人しらず| 六帖に人丸》  《割書:六帖 |》下㙒(しもつけ)や二子(ふたご)の山(やま)のふた心(こゝろ)ありける人(ひと)をたのみけるかな   喜撰法師  《割書:家|集  》長(なが)きよに君(きみ)と二子(ふたご)の山(やま)のねはあくともしらぬ朝霧(あさぎり)ぞたつ  信 明  《割書:名|寄  》つはりせし二子(ふたご)の山(やま)のはゝそ原(はら)よにうみ過(すぎ)て消(きえ)ぬべきかな 後 頼  《割書:同  》旅人(たびびと)は鏡(かゞみ)とやみん玉(たま)くしげ二子(ふたご)の山(やま)にいづる月(つき)かげ    同 不動岩(ふどういは) 稲荷川(いなりかは)の北 岸(がん)なる山麓(さんろく)にあり其(その)形㔟(ぎやうせい)の似(に)たるゆゑ名附(なづく)る  なり高(たかさ)三丈 許(ばかり)あり 摺子岩(するすいは) 是(これ)も前(まへ)の續(つゞ)きにあり田舎(ゐなか)にて稲穀(たうこく)の籾(もみ)を摺(すり)わくる臼(うす)を  摺子(するす)と唱(とな)ふ是(これ)も其形(そのかたち)の似(に)たるより名附(なづ)く大(おほき)さ二 間(けん)四 方(はう)許(ばかり)高(たかさ)六  間 程(ほど)あり 凍岩(こほりいは) 是(これ)も前(まへ)と同所(どうしよ)岩(いは)の凍(こほり)に似(に)たるにあらず六月の炎天(えんてん)にも此(この)  所(ところ)の岩穴(がんけつ)に氷(こほり)あるゆゑ名附(なづけ)たり一 面(めん)の岩石(がんぜき)陰地(いんち)にして巨岩(こがん)いく 【図】 【左丁】 スルスイハ 不動岩 ■【西ヵ】山【印】 【図】 【右丁】 凍岩にて冰を うがつ圖 【左丁】 ■齊■【韶ヵ】【印】 【右丁】  つも重(かさな)り窟(くつ)の如(こど)【ママ】く漸(ぜん)〻(〳〵)に深(ふか)く澗水(かんすゐ)其(その)岩間(がんかん)へ流入(ながれいり)て凍(こほり)たるもの也  炎暑(えんしよ)の砌(みぎり)爰(こゝ)より氷(こほり)を取來(とりきた)りて賞翫(しやうくわん)す 外山(とやま) 稲荷川(いなりがは)を踰(こえ)て艮(うしとら)の方(かた)に直立(ちよくりふ)すること二町 許(ばかり)の孤山(こさん)なり半腹(はんふく)  より上(うへ)は悉(こと〴〵く)嶮巌(けんがん)ゆゑ鎖(くさり)を捫(とり)て登(のぼ)る所(ところ)あり頂上(ちやうじやう)に毘沙門堂(びしやもんだう)並に  篭屋(こもりや)あり皆(みな)岩(いは)の挟間(はざま)に造(つく)る山上(さんしやう)は尖頭(せんとう)にして堂(だう)の廽(めぐ)りに松(まつ)樅(もみ)  数根(すこん)岩間(がんかん)に生(お)ひ茂(しげ)り東の方を望(のぞ)めば壬生(みぶ)宇都宮(うつのみや)邊(へん)まで遥天(えうてん)に  見(み)ゆ正月三日を縁日(えんにち)とて諸人(しよにん)参詣(さんけい)あり此地(このち)は  将軍家 御参詣(おんさんけい)の砌(みぎり)は御圍塲(おんかこひば)にて遠望臺(ゑんばうだい)也(なり) 興雲律院(  うんりつゐん) 外山(とやま)の麓(ふもと)にあり天台律(てんだいりつ)なり享保 年中(ねんちゆう) 御座主(おんざす)  崇保院宮准三后一品公寛法親王 御開基(おんかいき)開山(かいさん)玄門和尚(げんもんをしやう)境内(けいだい)杉樹(さんじゆ)  陰森(いんしん)とし幽邃(いうすゐ)にして遥(はるか)に楼門(ろうもん)有(あり)聞薫閣(もんくんかく)の額(がく)を掲(かゝ)ぐ  座主(ざす)の  宮(みや)の御染筆(おんせんひつ)一切經蔵(いつさいきやうざう)あり兹(こゝ)にも覚宝蔵(がくはうざう)の額(がく)あり是(これ)は 【左丁】  公啓法親王の御筆(おんふで)佛殿(ぶつでん)に威光殿(ゐくわうでん)の額(がく)を掲(かゝ)ぐ  准后法親王の御染筆(おんせんひつ)なり 萩垣面(はぎがきめん) 此地(このち)はもと稲荷川邊(いなりがはへん)に在(あり)て萩垣町(はぎがきまち)といひしが寛文年中の  洪水(こうずゐ)に流失(りうしつ)し其後(そのゝち)同町の畑地面(はたぢめん)に住(ぢゆう)するゆゑ今(いま)は萩垣面(はぎがきめん)と唱(とな)ふ  然(しか)るを土人等(どじんら)附會(ふくわい)の説(せつ)をまうけ面(めん)といふを誤(あやま)り傳(つた)へて半(なかば)缺(かけ)たる  古(ふる)き面(めん)一つ天(てん)より降(ふり)たりしゆゑ半(はん)かけ面(めん)と地名(ちめい)せりといひて  俗説(ぞくせつ)を傳へり 御神領村(おんしんりやうむら)名寄(なよせ)に外山村(とやまむら)と出(いで)たるは此地(このち)なるべし 御茶亭(おんさてい) 萩垣面(はぎがきめん)より東の方 御門主(ごもんしゆ)の御方(おんかた)の御別荘(ごべつさう)なり春(はる)は小(を)  倉(ぐら)の春霞(しゆんか)を賞(しやう)し秋(あき)は連山(れんざん)の紅葉(こうえふ)を望(のぞ)み佳景(かけい)の地(ち)なり京極黄門(きやうごくくわうもん)  の小倉(をぐら)の山荘(さんしやう)に擬(ぎ)して設(まうけ)給ふにや 漆園(うるしぞの) 是(これ)は小倉山(をぐらやま)の續(つゞ)き鳴沢川(なるさはがは)といふを越(こえ)て其上(そのうへ)なる原㙒(げんや)の地(ち)  なる邊(へん)をいふ漆(うるし)を植付(うゑつけ)られしかど原㙒(げんや)の續(つゞ)きゆゑ年(ねん)〻(〳〵)㙒火(のび)の 【図】 外山 【図】 興雲律院 【右丁】  為(ため)に多(おほ)く枯(かれ)うせたり 小倉山(をぐらやま) 御茶亭(おんさてい)より東に續(つゞ)き高からぬ山にして峰(みね)に松樹(しようじゆ)数根(すこん)つら  なれり御茶屋(おんちやや)の四 邊(へん)も松樹(しようじゆ)さかえ芝(しば)生(お)ひ茂(しげ)れり 霧降瀧(きりふりのたき) 小倉山(をぐらやま)の麓(ふもと)を通り北の山合(やまあひ)を或(あるひ)は登(のぼ)り或は下り凡(およそ)一里  餘(よ)を經(へ)て山頭(さんとう)に至り夫より瀧(たき)のもとへ坂路(はんろ)一町 餘(よ)下りて落來(おちく)る  瀑布(たき)を望(のぞむ)に高(たかさ)五六拾間も有べき山上(さんしやう)より飛流(ひりう)する水沫(すゐまつ)数級(すきう)の岩(がん)  石(せき)に當(あた)りくだけ散(さん)ずること烟雾(えんむ)の如(ごと)しゆゑに雾降(きりふり)の名(な)起(おこ)れりさて  近(ちか)き頃(ころ)  将軍家 御参(おんまゐ)りもあらせられける砌(みぎり)は此(この)瀑布(たき)をも 御遊覧(おんいうらん)な  させらるゝことのあらんかとのはからひにて瀑布(たき)のあたりに有  あふ樹木(じゆもく)悉(こと〴〵く)伐(きり)はらひければ山上(さんしやう)より数級(すきふ)の飛流(ひりう)望(のぞみ)つくせり其  図(づ)を次に出す 【左丁】 生岡大日堂(いくをかのだいにちだう) 街道(かいだう)七里村(しちりむら)の西の方(かた)の路傍(ろはう)に小阪(こざか)ありて生岡大日(いくをかのだいにち)  道(みち)と銘(めい)ぜし碑石(ひせき)あり其所(そのところ)より左へ折(をれ)て阪路(はんろ)を登(のぼ)れば丘陵(きうりよう)の地(ち)  なり爰(こゝ)は上野村(うはのむら)の地(ち)にて大日堂(だいにちだう)の辺(へん)は生岡(いくをか)と唱(とな)ふる村(むら)の小名(こな)  なるべし仍(よつ)て里人等(りじんら)上(うは)のゝ大日(だいにち)とも又(また)は生岡(いくをか)の大日(だいにち)とも唱(とな)ふ  此所(このところ)に大日(だいにち)の堂地(だうち)悉(こと〴〵く)古木(こぼく)の杉森(すぎもり)にて堂地入口(だうちいりくち)左の方(かた)に列樹(なみき)七  八 本(ほん)皆(みな)大(おほき)さ丈餘(ぢやうよ)なり右の方(かた)に桜(さくら)の古木(こぼく)並(なら)び立(たて)り是(これ)より大日堂(だいにちだう)へ  向(むか)ひ六七 間(けん)堂(だう)は向拜附(かうばいつき)三 間(けん)四 面(めん)程(ほど)此(この)本尊(ほんぞん)は弘法大師(こうぼふだいし)の作(さく)といふ  堂(だう)の後(うしろ)に接(せつ)して老杉樹(らうさんじゆ)の大(おほい)なるもの七 株(ちゅう)有(あり)二三 株(ちゆう)は殊(こと)に大樹(たいじゆ)  にして凡(およそ)丈八九尺も周廽(しうくわい)あるべし枝葉(しえふ)地(ち)に垂(たれ)たるさまは屈曲(くつきよく)  して老松(らうしよう)に似(に)たり堂地(だうち)の前(まへ)は平坦(へいたん)なる畠地(はたち)なり隣邑(りんいふ)の野口(のぐち)の  山王森(さんわうのもり)の邊(へん)まで陸田(りくでん)つゞけり傳(つた)へ聞(きく)むかしは爰(こゝ)の大日(だいにち)并に山王(さんわうの)  社(やしろ)も繁昌(はんじやう)の地(ち)にして別當所(べつたうしよ)其餘(そのよ)坊舍(ばうしや)など数宇(すう)ありしといひ傳(つた)ふ 【図】 【右丁】 小倉春曉 【左丁】 峡山寫【印 峡山】 【図】 【右丁】 霧降瀧 【左丁】 交山亀大機真宰冩【印 交山】 【図】 【右丁】 生岡大日堂  野口山王森 大日堂 七里村 【左丁】 社司 山王社 ■■圖 【右丁】  れば其頃(そのころ)寺院(じゐん)坊舍(ばうしや)等(とう)のありし《振り仮名:𦾔迹|きうせき》にてありしならん又(また)云(いはく)大日堂(だいにちだう)  開建(かいこん)の事(こと)は弘仁十一年 弘法大師(こうぼふだいし)二荒山(にくわうざん)へ初(はじめ)て躋攀(せいはん)し玉(たま)ふ砌(みぎり)  爰(こゝ)は二荒(にくわう)の山麓(さんろく)なれば先(まづ)此所(このところ)に錫(しやく)を停(とゞめ)給ひ大日如來(だいにちによらい)の尊像(そんざう)を  /𠜇(こく)せられ草庵(さうあん)を営(いとな)み安(あん)して暫(しばらく)此所(このところ)にて法(ほふ)を修(しゆ)せられしかば其(その)  後(のち)に至(いた)り堂宇(だうう)荘厳(しやうごん)に営造(えいざう)し別當所(べつたうしよ)などもありしとかや然(しか)るに  今(いま)は大日堂(だいにちだう)の存(そん)するのみされども古木(こぼく)繁茂(はんも)せし有(あり)さま旧跡(きうせき)なる  事(こと)は知(し)られたり今(いま)に正月八日は法會(ほふゑ)とて日光山内(につくわうさんない)より堂衆(だうしゆ)出(しゆつ)  仕(し)して法會(ほふゑ)を修(しゆ)せらる此日(このひ)道俗(だうぞく)参詣(さんけい)して群(ぐん)をなす古(いにしへ)の故実(こじつ)なり  とておはじきの案内(あんない)と号(がう)する事(こと)有(あり)て村(むら)の民庶等(みんしよとう)寄合(よりあひ)芋(いも)の湯煑(ゆに)  せしものを竹串(たけぐし)に貫(つらぬ)きたるを出仕(しゆつし)の堂衆(だうしゆ)の饗應(きやうおう)となす事(こと)なり  其(その)いはれ知(し)られず又(また)十月にも山内(さんない)より僧徒(そうと)三人 下向(げかう)有(あり)て法事(ほふじ)  を執行(しゆぎやう)す金堂(こんだう)の承仕(しようし)壱人 先達(さきだち)て來(きた)り法事(ほふじ)の散蕐(さんげ)を盛(もる)といふ正月 【左丁】  十月ともに此地(このち)の役(やく)として衆僧(しゆそう)往反(わうへん)の傳馬(てんま)を勤(つと)むといへりまた  村名(むらな)を七里(しちり)と名附(なづけ)し事は御山内(おんさんない)神橋辺(みはしへん)より坂東道(ばんどうみち)七里(しちり)なるゆゑ  称(しよう)する由(よし)里俗(りぞく)の古(ふる)き傳(つた)へなり 尾立石(をたていし) 大日堂(だいにちだう)の乾(いぬゐ)の方(かた)八九町も上(うへ)にあり昔(むかし)太郎明神(たらうみやうじん)大蛇(だいじや)と化(け)し  玉(たま)ひ北嶺(ほくれい)より飛來(とびきたり)給ひ生岡山(いくをかやま)の頂(いたゞき)にて尾(を)を立(たて)て夫(それ)より宇都宮(うつのみや)  の丸山(まるやま)へ飛行(とびゆき)給ふといふは爰(こゝ)の磐岩(はんがん)なりと里人(りじん)の俗説(ぞくせつ)に傳(つた)ふ 山王社(さんわうのやしろ) 是(これ)は野口村(のぐちむら)の地(ぢ)七里村(しちむら)に隣(とな)り生岡山(いくをかやま)に相接(さうせつ)す大日堂(だいにちだう)より  東の方(かた)にて峰(みね)を分(わかち)たり本地(ほんち)十一面觀音(じふいちめんくわんおん)なり傳(つた)へ聞(きく)嘉祥元年  慈覚大師(じかくだいし)の草創(さう〳〵)にて山王(さんわう)を勸請(くわんじやう)し給ふといひ每年(まいねん)十月十一日  大日堂(だいにちだう)の法會(ほふゑ)終(をはり)て此(この)神前(しんぜん)にて法華(ほつけ)八 講(かう)執行(しゆぎやう)ありしが故(ゆゑ)有(あり)て中(ちう)  古(こ)は御山内(おんさんない)より僧衆(そうしゆ)三人 出仕(しゆつし)せられ三 問(もん)一 荅(たふ)の論議(ろんぎ)あり是(これ)も  承應年中より僧衆(そうしゆ)の出仕(しゆつし)も絶(たえ)て一 坊(ばう)堂衆(だうしゆ)は今(いま)も出仕(しゆつし)を勤(つとむ)といふ 【右丁】  往古(わうご)は山王(さんわう)の社僧(しやそう)二十一 坊舍(ばうしや)有(あり)て社頭(しやとう)の南の地(ち)を㸃(てん)じて寺(てら)を建(こん)  立(りふ)し社役(しややく)を勤(つと)め又(また)大日堂(だいにちだう)をも兼持(けんぢ)しけるゆゑ此地(このち)繁栄(はんえい)し日光(につくわう)  同宗(どうしう)の事(こと)なれば支配(しはい)せしかど別揆(べつき)を立(たて)んと欲(ほつ)し下知(げぢ)に應(おう)ぜざる  ゆゑ山内(さんない)より押寄(おしよせ)て坊舍(ばうしや)以下(いげ)悉(こと〴〵く)破却(はきやく)しけるといへり夫(それ)ゆゑ大日(だいにち)  堂(だう)の法事(ほふじ)山王(さんわう)の社役(しややく)も日光山(につくわうざん)にて修(しゆ)し來(きた)れる事(こと)とぞ聞(きこ)えける 久次良村(くじらむら) 古(いにしへ)は久自良(くじら)と書(かき)し由(よし)爰(こゝ)は蓮蕐石村(れんげいしむら)より東北にて御堂(みだう)  山(やま)より西に當(あた)り又(また)西北は寂光(じやくくわう)の山林(さんりん)入口(いりぐち)迄(まで)西より南へは荒澤(あらさは)の  嶮山(けんざん)續(つゞ)き東西 凡(およそ)拾四五町南北も又(また)七八町の内(うち)を久次良村(くじらむら)と唱(とな)へ  北 寄(より)の山際(やまぎは)に 御宮(おんみや)の社家衆(しやけしゆ)四 人(にん)住(ぢゆう)し其餘(そのよ)村民等(そんみんら)すめり皆(みな)山(やま)  の麓(ふもと)に散住(さんぢう)す北より南へ少(すこ)しく漸下(せんげ)すれども大抵(たいてい)開(ひら)け耰(たねかす)べき  地(ち)あり偖(さて)久次良(くじら)といへるは日光権現(につくわうごんげん)に附(つき)て謂(いは)れ有(ある)地(ち)なりとも聞(きこ)ゆ  往古(わうご)神社(じんじや)を宇都宮(うつのみや)へ移(うつ)し奉(たてまつ)るゆゑ彼土(かのど)に外久次良(とくじら)といふ地名(ちめい) 【左丁】  をも移(うつ)し外(と)は外山(とやま)などの外(と)にして爰(こゝ)の地(ち)は《振り仮名:𦾔地|きうち》なれば外(ほか)へ移(うつし)し  義(ぎ)にぞ有(あり)ける夫(それ)ゆゑ外久自良(とくじら)とも書(かき)しを是(これ)も後世(こうせい)は轉略(てんりやく)し今(いま)は  德次良(とくじらう)と書替(かきかへ)しゆゑ人(ひと)の名(な)になれり此説(このせつ)も正(たゞ)しき據(よりどころ)なけれど  おのれ𦾔(ふる)く聞傳(きゝつた)へたる事(こと)の有(あり)し侭(まゝ)に愚按(ぐあん)を附(ふ)せり 糠塚(ぬかづか) 此塚(このつか)は蓮花石(れんげいし)の先(さき)なる大日堂(だいにちだう)の南にして大谷川(だいやがは)を隔(へだて)たり  里人(りじん)糠塚(ぬかづか)と唱(とな)ふ何(なに)に寄(より)て築(つき)たるものにや曽(かつ)て其(その)來由(らいゆ)を失(うしな)ふ近(きん)  來(らい)冢上(ちようしやう)に稲荷(いなり)の小祠(せうし)を祀(まつ)るといひ又(また)其邊(そのへん)に石(いし)を聚(あつめ)て多(おほ)く積置(つみおき)  たるもあり其謂(そのいはれ)知(し)らず 池石(いけいし) 兹(こゝ)は寂光道(じやくくわうみち)の傍(かたはら)石(いし)の大(おほき)さ五六 尋(ひろ)高(たかさ)六尺 許(ばかり)上(うへ)は滑(なめら)にして凹(なかくぼ)の  所(ところ)三尺に四尺 程(ほど)深(ふか)さ一尺 餘(よ)或(あるひ)は号(がう)して生石(いきいし)といふ旱(ひでり)する时(とき)も渇(かつ)  せず 蓮蕐石(れんげいし) 原町(はらまち)を通(とほ)りすぎて田母澤(たもざは)といへる沢(さは)を越(こえ)て左右(さいう)に民戸(みんこ)連(れん) 【図】 大日堂 山本■■圖 【右丁】  住(ぢゆう)する所(ところ)を蓮蕐石村(れんげいしむ[ら])といふ其(その)村名(むらな)のおこれる所(ところ)は往來(わうらい)の左側(ひだりがは)に  蓮蕐石(れんげいし)と稱(しよう)する石(いし)あり謂(いはれ)ある石(いし)ゆゑ地(ち)の名(な)に唱(とな)ふ 大日堂(だいにちだう) 前(まへ)の蓮蕐石(れんげいし)を逕(すぎ)て二町 餘(よ)行(ゆけ)ば左の方(かた)へ下(くだ)る坂路(はんろ)を行(ゆき)小堂(せうだう)  あり石像(せきざう)の大日如來(だいにちによらい)を安(あん)し傍(かたはら)に一 宇(う)の寮(れう)あり南に向(むか)ふ庭前(ていざん)に  清潔(せいけつ)なる池(いけ)あり冷泉(れいせん)地中(ちちゆう)より涌出(ゆしゆつ)し下底(かてい)皆(みな)砂石(しやせき)にて池(いけ)の廣(ひろ)さ五  六 間(けん)四 方(はう)古木(こぼく)栄(さか)えて枝(えだ)を四邊(しへん)に垂(た)る 寂光(じやくくわう) 久次良村(くじらむら)の西の方(かた)にて徃來(わうらい)する所(ところ)は前(まへ)に出(いだし)し平原(へいげん)の地(ち)を  逕(すぎ)てゆけり境内(けいだい)へ至(いた)る大門路(だいもんみち)の入口(いりくち)に古木(こぼく)の大杉(おほすぎ)相對(あひたい)す夫(それ)より  杉(すぎ)の並木(なみき)を五六町 行(ゆけ)ば境内(けいだい)なり 常念佛堂(じやうねんぶつだう) 本尊(ほんぞん)三聖(さんせい)阿弥陀(あみだ)は恵心僧都(ゑしんそうづ)の作(さく)なり此堂(このだう)より釘念仏(くぎねんぶつ)  の札(ふだ)を出(いだ)す此事(このこと)は覚源上人(がくげんしやうにん)の開基(かいき)にて縁起(えんぎ)にくはし又(また)此堂(このだう)の  前(まへ)に釘念仏(くぎねんぶつ)を修(しゆ)したる札(ふだ)を納(おさむ)るもの石(いし)にて凾(かん)の如(ごと)く造(つく)れり 【左丁】 求聞持堂跡(ぐもんぢだうのあと) 本尊(ほんぞん)虚空蔵𦬇(こくうざうぼさつ)慈覚大師(じがくだいし)の作(さく)といふ此堂(このだう)の額(がく)は【平出】  准三后公辨法親王の御筆(おんふで)なる四大寺(しだいじ)なり是(これ)は徃古(わうこ)此堂(このだう)在(あり)しが廃(はい)  せしゆゑ元禄六年 大棟梁(おほとうりやう)甲良(かふら)宗賀 再建(さいこん)施入(せにふ)して同年 御染筆(おんせんひつ)の  額(がく)を掲(かゞげ)させられたり此堂(このだう)もとより御修理(おんしゆり)の内(うち)にあらざるゆゑ  また破壊(はゑ)せしにや今(いま)御額(おんがく)は別所(べつしよ)に置(お)けり《振り仮名:𦾔地|きうち》礎地(そち)のみ存(そん)せり 寂光寺(じやくくわうじ) 開基(かいき)弘法大師(こうぼふだいし)寺(てら)は東 寄(より)にあり 石鳥居(いしのとりゐ) 此(この)額字(がくじ)【平出】  准三后公遵法親王の御真翰(おんしんかん)なり小篆(せうてん)にて真鍮滅金(しんちゆうめつき)に高(たか)くおき  たり 三拾番神堂(さんじふはんじんのだう) 鳥居(とりゐ)の内(うち)石階(せきかい)の下(しも)にあり 不動堂(ふどうだう) 此堂(このだう)は弘仁十一年 弘法大師(こうぼふだいし)始(はじめ)て建立(こんりふ)し自作(じさく)の不動尊(ふどうそん)を  安置(あんち)し玉ひ寂光寺(じやくくわうじ)と名附(なづけ)たる由(よし)當山(たうざん)の古縁起(こえんぎ)に載(のせ)たれば古(いにしへ)此(この) 【図】 寂光 靄厓【印】 【右丁】  堂(だう)を以(もつ)て寂光權現(じやくくわうごんげん)の別所(べつしよ)となして《振り仮名:𦾔跡|きうせき》なり 拜殿(はいでん) 鳥居(とりゐ)の邊(へん)より石階(せきかい)曲折(きよくせつ)せしを二町 許(ばかり)登(のぼ)れり赤塗(あかぬり)橡葺(とちぶき)二 間(けん)  半(はん)三 間(げん)此(この)拜殿(はいでん)迄(まで)登(のぼ)る石階(せきかい)の初(はじめ)に三笠(みかさ)赤倉(あかくら)の両(りやう)小祠(せうし)あり 寂光權現(じやくくわうごんげん) 本社(ほんしや)七尺 許(ばかり)大床造(おほゆかづくり)二 重垂木(ぢゆうたるき)銅瓦(あかゞねかはら)赤塗(あかぬり)高欄(かうらん)楹上(えいしやう)彫物(ほりもの)彩(さい)  色(しき)祭神(さいじん)下照姫命(したてるひめのみこと)本地(ほんち)辨財天(べんざいてん)弘法大師(こうぼふだいし)勸請(くわんじやう)なり  宝物(はうもつ) 十二の手箱(てばこ)《割書:内(うち)に小貝入(こがひいりの)莳繪(まきゑ)|二寸に三寸 許(ばかり)》 小相口(こあひくち)白鞘(しらさや)《割書:信国 作(さく)》 白味(しろみ)の鏡(かゞみ)一 面(めん)  《割書:外(ほか)に五六 靣(めん)》 梭(をさ)一 本(ほん)《割書:長(ながさ)尺 許(ばかり)|織(おり)もの道具(だうぐ)品(しな)〻(〳〵)》 紅猪口(べにちよく)《割書:歯黒(はぐろ)道具(だうぐ)|眉刷(まゆはけ)の筆(ふで)》 曲玉(まがたま)二三 箇(か)《割書:梨子地(なしぢ)|香合(かうがふ)に入(いる)》  法蕐經(ほけきやう)数巻(すくわん)《割書:筆者(ひつしや)不知(しらず)》 弥陀經(みだきやう)一 軸(ぢく)《割書:桜町院 御宸筆(おんしんひつ)|紺帋(こんし)金泥(こんでい)》 錫杖(しやくぢやう)一 本(ほん)《割書:長(ながさ)六尺 許(ばかり)箱入(はこいり)柄(つか)に赤木|五本作忠秋と添書(そへがき)有(あり)》  御衣装(おんいしやう)一 重(かさね)《割書:御門主(ごもんしゆ)御奉納(おんほうなふ)|唐綾摸様(からあやもやう)》 釘念仏縁起(くぎねんぶつのえんぎ)《割書:御門主(ごもんしゆ)御筆(おんふで)》 釘念佛縁起(くぎねんぶつのえんぎ) 《割書:元禄年中 御門主(ごもんしゆ)御染筆(おんせんひつ)巻中(くわんちゆう)所(しよ)〻(〳〵)図画(づぐわ)は狩㙒常信 筆(ふで)》  粤(こゝ)に下野國(しもつけのくに)日光山(につくわうざん)の別所(べつしよ)寂光寺(じやくくわうじ)覚源上人(がくげんしやうにん)西方(さいはう)に志(こゝろざし)深(ふか)く念仏(ねんぶつ)朝(てう)  夕(せき)懈(おこた)らず勤(つとめ)侍(はべ)りしに或时(あるとき)こゝち安(やす)からずして俄(にはか)に息(いき)絶(たえ)ぬ側(かたはら)に侍(はべ) 【左丁】  りし輩(ともがら)驚(おどろ)きけれど畄(とゞ)むべきもなく荼毘(だび)の儀(ぎ)営(いとな)まんとするに上人(しやうにん)  の肌膚(きふ)猶(なほ)温(あたゝか)にして生(いけ)るが如(ごと)くなれば㙒辺(のべ)の送(おくり)も見合(みあはせ)一七日の夜(よ)  過(すぎ)ぬ斯(かく)て人(ひと)〻(〳〵)怪(あやし)む處(ところ)に上人(しやうにん)忽(たちまち)蘓生(そせい)し此頃(このころ)の形状(ぎやうじやう)を語(かた)る我(われ)閻王(えんわう)  宮(きう)に至(いた)るに大王(だいわう)我(われ)に告(つげ)て宣(のたま)ふは汝(なんぢ)今(いま)兹(こゝ)に來(きた)るべきにあらずされ  とも娑婆(しやば)の群生(ぐんしやう)邪見(じやけん)のもの地獄(ぢごく)に落(おつ)るもの多(おほ)し汝(なんぢ)に地獄(ぢごく)のすが  たを見(み)せ衆生(しゆじやう)を救(すく)はせん為(ため)なり則(すなはち)大王(だいわう)の敎(をしへ)に随(したが)ひ地獄(ぢごく)を廽(めぐ)り  ける大地獄(だいぢごく)百三十六 其餘(そのよ)地獄(ぢごく)の数(かず)を知(し)らず苦(くるし)みを受(うく)るものを  見(み)るに悲(かな)しみ歎(なげ)くに堪(たへ)ず閻王(えんわう)宣(のたま)はく凡夫(ぼんぶ)貪欲心(とんよくしん)にして悪(あく)を作(つく)る  こと限(かぎり)なければ死(し)して後(のち)四十九日の間(あひだ)四十九の釘(くぎ)をうたる罪(ざい)  業(ごふ)の深浅(しんせん)に應(おう)し釘(くぎ)の長短(ちやうたん)あり六寸八寸 或(あるひ)は壱尺六寸なり頭(かしら)に  三ッ左右(さいう)の肩(かた)に二ッ両手(りやうて)に六ッ腹(はら)に二十 腋(わき)に十四 足(あし)の左右(さいう)に  四ッ合(あは)せて四十九なり此釘(このくぎ)を打(うたる)る时(とき)苦(くるし)み叫(さけ)ぶ聲(こゑ)上(かみ)は有頂天(うちやうてん)に ■■箇是 寂光瀑布 峰尖松暗白雲 迷雪瀑半巖懸 欲低料識山僧 長對看不知霑 却黒迦黎 【右丁】 原蔵伊藤長胤拝書 【印 原藏父】【印 慥々齋】 此(この)寂光瀑布(じやくくわうのたき)の詩(し)は 准三后公辨法親王 御上京(おんじやうきやう)の砌(みぎり)人〻に被命(めいぜられ)日光八景(につくわうはつけい)の詩(し)を 賦(ふ)さしめ給ひし時(とき)に長胤(ちやういん)も賦(ふ)しゝ事 奉(たてまつり)し草稿(さうかう)の自筆(じひつ)なるを ゆゑ有(あり)て《割書:予》得(え)たりよりて摸(も)して爰(こゝ)に出(いだ)す 【左丁】  響(ひゞ)き下(しも)は阿鼻(あび)底(てい)に聞(きこ)ゆ閻王(えんわう)深(ふか)く憐(あはれ)みても自業自得(じごふじとく)の報(むくい)なれば  此苦(このく)を除(のぞ)くこと叶(かなひ)がたく娑婆(しやば)に於(おい)て仏(ほとけ)を供(くう)じ僧(そう)に布施(ふせ)する功徳(くどく)に  依(より)て其(その)苦(くる)しみ漸(やうやく)減(げん)ずといへども卅三年 過(すぎ)ざれば此釘(このくぎ)抜(ぬく)ることなし  汝(なんじ)毎月しやうがうを修(しゆ)せしものなれば速(すみやか)に本國(ほんごく)へ帰(かへ)り迷盲(めいまう)の  衆生(しゆじやう)を敎化(けうけ)し四十九 万遍(まんべん)の念仏(ねんぶつ)をつとむべし此(この)念仏(ねんぶつ)の業(げふ)満(みち)ぬ  れば其(その)苦(くる)しみを免(まのか)るべし人(ひと)〻(〴〵)死(し)して七〻日(にち)過(すぐ)る日(ひ)白(しろ)き餅(もち)を四  十九 備(そな)ふるは四十九のふし〴〵に打(うたる)る釘(くぎ)を轉(てん)じ此餅(このもち)に打(いた)しめん  となり又(また)四十九の卒都婆(そとは)を建(たつ)るも此釘(このくぎ)を轉(てん)じ仏躰(ぶつたい)ともなさん  功徳(くどく)也 假令(たとへ)亡魂(ばうこん)悪趣(あくしゆ)に墮(おつ)とも追福作善(つゐふくさぜん)の功(こう)に依(より)て四十九の釘(くぎ)の  苦(く)を除(のぞ)き都卒(とそつ)の内院(ないゐん)に至(いた)るべし況(いはんや)いけるうち此札(このふだ)を受(うけ)てみづ  から四十九 万遍(まんべん)の念仏(ねんぶつ)を修(しゆ)する輩(ともがら)は往生(わうじやう)疑(うたが)ひなしとて札(ふだ)一 枚(まい)を  授(さづ)くと覚(おぼえ)て夢(ゆめ)の覚(さめ)たるこゝちすと上人(しやうにん)具(つぶさ)に語(かた)れり斯(かく)て上人(しやうにん)手(て)を 【右丁】  開(ひら)き見(み)れば五輪(ごりん)に四十九の釘穴(くぎあな)有(ある)札(ふだ)あり誠(まこと)に難有(ありがたき)事(こと)どもなれば  見(みる)もの聞(きく)もの奇異(きい)の思(おも)ひをなし邪見(じやけん)の輩(ともがら)忽(たちまち)に信心(しんじん)深(ふか)く成(なり)て此(この)  札(ふだ)を乞受(こひうけ)て念仏(ねんぶつ)修行(しゆぎやう)せんと願(ねが)へば上人(しやうにん)閻王(えんわう)の授(さづ)け給ひし札(ふだ)を写(うつ)し  梓(あづさ)に𠜇(きざ)み廣(ひろ)く施(ほどこ)せり叔世(しゆくせ)末代(まつだい)といふとも蒐(かゝ)る不思議(ふしぎ)の有事(あること)放逸(はういつ)  無慙(むざん)なるものゝ敎(をしへ)なれど浅(あさ)からず覚(おぼ)えけると《割書:云| 云》   文明十三《割書:辛》丑年六月 㐧子(でし)沙門(しやもん)謹識(つゝしんでしるす)日光山(につくわうさん)寂光寺(じやくくわうじ)上人(しやうにん) 寂光瀧(じやくくわうのたき) 一 名(みやう)布引滝(ぬのびきのたき)と号(がう)す高(たかさ)五六丈 餘(よ)二三 級(きふ)に飛流(ひりう)す水幅(みづはゞ)五六尺  此邊(このへん)一 面(めん)の嵓石(がんぜき)續(つゞ)き流(なが)れ瀧(だき)ゆゑ瀧(たき)のもとに渕潭(ゑんたん)なし坂落(さかおと)しに  岩(いは)つらを奔流(ほんりう)す 羽黒瀧(はぐろのたき) 布引滝(ぬのびきのたき)より遥(はるか)に北 寄(より)にあり遠(とほ)く望(のぞむ)ゆゑ定(さだ)かならねど是(これ)も  水幅(みづはゞ)四五尺 許(ばかり)高低(かうてい)は知(しる)べからず羽黒山(はぐろやま)と称(しよう)する深山(しんざん)の麓(ふもと)より  流(なが)れ來(きた)れるゆゑ名附(なづけ)たり 【左丁】   遊寂光寺觀瀑  偶尋古跡■【宀+尗】光寺瀑布穿石流不停百尺天然長帶白一條界破茂松  靑奔泉餘馬似噴玉飛沫濺花如建瓶試掬餘波閑漱口旅愁洗了自  清冷   寛文癸卯三年四月中旬       春齋林子題 裏見瀧(うらみがたき) 荒澤滝(あらさはのたき)ともいへり久次良(くじら)の大日堂(だいにちだう)より少(すこ)しく行(ゆき)て右の方(かた)に  牓示(はうじ)あり此所より山路(さんろ)の嶮(けん)を凌(しのぎ)て西北へ廿町 許(ばかり)ゆきて荒澤(あらさは)の山(さん)  上(しやう)に至(いた)る夫より路(みち)を左に取(とり)て尖岩(せんがん)を陟(わた)り右の方(かた)なる山崕(さんがん)を見(み)  れば危石(きせき)忽(たちまち)に落(おつ)るが如き岩下(がんか)を越(こえ)て滝(たき)の傍(ほとり)に至(いた)る兹(こゝ)に荒沢不(あらさはふ)  動(どう)の石像(せきざう)有(あり)て脇(わき)に篭堂(こもりだう)あり此所(このところ)は瀧(たき)の横手(よこて)ゆゑ正面(しやうめん)を望(のぞむ)には  滝(たき)の裏(うら)を潜(くゞ)り行(ゆき)て向(むかふ)の方(かた)へ廽(めぐ)り見ることなり偖(さて)其(その)滝口(たきぐち)は盤岩(はんがん)凡(およそ)一  間(けん)餘(よ)差(さし)出たる上より瀑水(はくすゐ)激流(げきりう)して水幅(みづはゞ)六七尺 其(その)岩石(がんせき)の差出(さしいで)たる 【図】 閑林勝錬 裏見が瀧 【右丁】  下(した)は道幅(みちはゞ)四尺 許(ばかり)高(たか)さ六七尺あれば滝(たき)の裏(うら)を潜(くゞ)り透(とほ)るに患(うれ)ひなし  誠(まこと)に希代(きたい)の飛瀑(ひはく)なり係(かゝ)る名勝(めいしよう)なる瀑(はく)水を八 景(けい)の内に入ざりしは  うらみといふ唱(とな)へを嫌(きら)はれたる欤(か) 清瀧村(きよたきむら) 神橋邊(みはしのへん)より一里 許(ばかり)兹(こゝ)の入口(いりくち)の字(あざな)を鳥居原(とりゐはら)といへりむかし  清滝権現(きよたきごんげん)の鳥居(とりゐ)有し跡(あと)ならん中禅寺(ちゆうぜんんじ)並に足尾邊(あしをへん)への往來(わうらい)なり  民戸(みんこ)三十 宇(う)散在(さんざい)し陸田(りくでん)もあり 清滝權現(きよたきごんげん) 村内(そんない)徃來(わうらい)の脇(わき)にあり此(この)社頭(しやとう)は徃古(わうご)よりの鎮座(ちんざ)にして  其(その)最初(さいしよ)を繹(たづぬ)るに  天武天皇の大宝年中 役小角(えんのせうかく)と雲遍上人(うんへんしやう  )二人  大鷲山(だいじゆせん)の清滝(きよたき)に至(いた)るに瀧上(ろうしやう)に雲(くも)起(おこ)り雷鳴(らいめい)し雨(あめ)車軸(しやじく)を流(なが)し進(すゝ)み  兼(かね)たるゆゑ二人 秘咒(ひじゆ)密言(みつごん)を以(もつ)て祈穰(きしやう)すれば又(また)忽(たちまち)に天(てん)晴(はれ)たり其(その)  所に大杉(おほすぎ)有(あり)其上(そのうへ)に天狗(てんぐ)の酋長等(いうちやうら)数万(すまん)の眷属(けんぞく)をひきゐ現(げん)し出(いで)て  二人に告(つげ)て云(いはく)我等(われら)二千年 前(まへ)㚑山(りやうぜん)にて佛(ほとけ)の附属(ふぞく)をうけ大魔王(だいまわう)と 【左丁】  なり此山(このやま)を領(りやう)し群生(ぐんしやう)を利益(りやく)すといひ説(をはり)て見(み)えず因兹(これによりて)二人 杉樹(すぎのき)を  号(がう)して清滝四所明神(きよたきししよみやうじん)と崇(あが)め扨又(さてまた)滝(たき)の邊(へん)に千手大士(せんじゆだいし)を安置(あんち)し其(その)  地(ち)を鎮(しづ)むと《割書:云| 云》後世(こうせい)仏法擁護(ぶつほふおうご)の靈區(れいく)となれりとあれば弘法大師(こうぼふだいし)  此神(このかみ)を祀(まつ)り鎮護(ちんご)せしめ又(また)清滝寺(せいろうじ)を建立(こんりふ)すと《割書:云| 云》此(この)ゆゑに密宗(みつしう)の  靈地(れいち)に清滝權現(きよたきごんげん)を祀(まつ)り山内(さんない)の鎮守(ちんじゆ)とすることなり古杉樹(こさんじゆ)茂(しげ)り峻(しゆん)  岩(がん)数(す)十 丈(ぢやう)聳(そびえ)たる所(ところ)に瀧(たき)あり是(これ)を清滝(きよたき)と號(がう)せり 清瀧寺(せいろうし) 勝福山(しやうふくざん)金剛成就院(こんがうじやうじゆゐん)と號(がう)す往古(わうご)真言(しんごん)の道塲(だうぢやう)なり徃古(わうご)弘法(こうぼふ)  大師(だいし)開基(かいき)し其後(そのゝち)慈覚大師(じがくだいし)登山(とうざん)の頃(ころ)一 山(さん)の僧徒(そうと)皆(みな)台家(たいか)の法流(ほふりう)と  なる此寺(このてら)も其时(そのとき)より宗派(しうは)を改(あらた)めし由(よし)もとより一 山(さん)の香蕐院(かうげゐん)【「ボダイシヨ」左ルビ】なり  寛永五年 慈眼大師(じげんだいし)妙道院(みやうだうゐん)を創建(さうこん)ありしより清瀧寺(せいろうじ)の法水(ほふすゐ)を移(うつ)  され灌室(くわんしつ)を定(さだ)め給ふこと《振り仮名:𦾔記|きうき》にしるせる由(よし)妙道院(みやうだうゐん)の兼帯所(けんたいしよ)なり 清滝観音堂(きよたきくわんおんだう)並 別當所(べつたうしよ) 長興山(ちやうこうざん)福聚院(ふくじゆゐん)圓通寺(ゑんつうじ)と號(がう)す観音堂(くわんおんだう)に相双(あひなら) 【図】 【右丁】 清瀧村  淸滝觀音堂  同權現社 清滝権現 清滝寺 清滝村 【左丁】 別所 清滝観音 【右丁】  べり観音(くわんおん)六 間(けん)四 面(めん)向拜造(かうはいづくり)抑(そも〳〵)本尊(ほんぞん)觀音(くわんおん)は勝道上人(しようだうしやうにん)中禅寺(ちゆうぜんじ)の千手(せんじゆ)  観音(くわんおん)を《振り仮名:調𠜇|てうこく》し玉ひし其余(そのあまり)を以(もつ)て作(つく)り玉ひし千手大士(せんじゆだいし)なりといふ  中禅寺(ちゆうぜんじ)の観音(くわんおん)は坂東(ばんどう)十八 番(ばん)の札所(ふだしよ)なれど女人禁制(によにんきんせい)の山なるゆゑ  前立(まへだち)として兹(こゝ)に安置(あんち)し女順礼(をんなじゆんれい)は此(この)清滝(きよたき)の観音堂(くわんおんだう)へ札(ふだ)を納(をさ)めさする  為(ため)なりといふ一 説(せつ)に弘法大師(こうぼふだいし)清瀧権現(きよたきごんげん)を開基(かいき)し玉ふ时(とき)鷲山(じゆぜん)の瀧(たき)  の上(うへ)に千手大士(せんじゆだいし)を安置(あんち)せし謂(いはれ)を以(もつ)て此地(このち)も夫(それ)に摸(も)し清瀧権現(きよたきごんげん)を  祀(まつ)り千手大士(せんじゆだいし)も其时(そのとき)建立(こんりふ)し玉(たま)ふとも聞傳(きゝつた)ふ 足尾道(あしをみち) 清瀧村(きよたきむら)を少(すこ)しく行(ゆき)て中禅寺道(ちゆうぜんじみち)は右へ折(をれ)てゆき足尾路(あしをみち)は左の  方(かた)へ向(むか)ふ其先(そのさき)に細尾(ほそを)といへる小村(せうそん)あり上州筋(じやうしうすぢ)より順礼(じゆんれい)其餘(そのよ)の旅人(りよじん)  妙義(みやうぎ)榛名(はるな)を經(へ)て足尾(あしを)へ掛(かゝ)り當山(たうざん)へ來(き)たるもの山路(さんろ)行暮(ゆきくれ)たる时(とき)  旅人(りよじん)をとまらする家(いへ)あり是(これ)より足尾峠(あしをたうげ)の嶮路(けんろ)二里を踰(こゆ)る 馬返村(うまがへしむら) 細尾村(ほそをむら)の内(うち)なる小名(こな)なり此邊(このへん)は余程(よほど)深山(しんざん)へ入(いり)たる所(ところ)にて 【左丁】  地形(ちぎやう)至(いたつ)て狹隘(せまくふさがり)一 村(そん)とはいへども民戸(みんこ)纔(わづか)に八九 宇(う)住(ぢゆう)せり畑打(はたうち)する  地(ち)も少(すくな)く大石(たいせき)怪岩(くわいがん)の《振り仮名:間〻|あひだ〳〵》を畠地(はたち)として耕耘(たがやしくさぎり)をなせり男女(なんによ)皆(みな)山(やま)  稼(かせぎ)を世業(せげふ)とし女(をんな)も短褐(たんかつ)をまとひ周旋(しうせん)する形㔟(ぎやうせい)は頗(すこぶる)男女(なんによ)をも辨(わきま)へ  がたしされども是(これ)は去(さ)りし世(よ)のことにて二三十 年前(ねんまへ)とは今(いま)はかはり  家作等(かさくとう)も能(よく)て徃來(わうらい)に軒(のき)をつらねて茶店(さてん)三四 宇(う)在(あ)り酒食(しゆしよく)など商(あきな)ふ  に旅人(りよじん)の口腹(こうふく)を養(やしな)ふに足(た)れり風俗(ふうぞく)人物等(じんぶつとう)も山中(さんちゆう)とはいへど鄙㙒(ひや)  の朴訥(ぼくとつ)にもあらず 前二荒山(まへにくわうざん)並 風穴(かざあな) 馬返(うまがへし)より河原道(かはらみち)を四五町 餘(よ)行(ゆき)て徃來(わうらい)の右に當(あた)り  嶮嵓(けんがん)数(す)十 丈(ぢやう)なる絶壁(ぜつへき)二 山(さん)相(あひ)ならぶ男躰(なんたい)女貌(によばう)の小(ちひさ)き山(やま)ゆゑ前二荒(まへにくわう)  とも小二荒(せうにくわう)ともいふにや偖(さて)其(その)嶮崕(けんがい)に洞窟(どうくつ)あり人蹊(じんけい)の至(いた)るべき所(ところ)に  あらず遥(はるか)に麓(ふもと)より其窟(そのくつ)の廣狹(くわうけう)を謀(はか)るに竪(たて)一 丈(ちやう)許(ばかり)幅(はゞ)六七尺 程(ほど)にぞ  見(み)ゆる其(その)深淺(しんせん)知(しら)れず此穴(このあな)より風(かぜ)を出(いだ)し或(あるひ)は雷獣(らいじう)とて雲(くも)に乗(じよう)し 【図】 【右丁】 二世  柳川重信 【左丁】 馬返村 男體山一ノ鳥居 【図】 【右丁】 風穴 【左丁】 前二荒山 中禅寺道 ■【雲】峰 【印 雲峯】 【右丁】棧  雷(いかづち)と同(おなじ)く虗空(こくう)を飛行(ひぎやう)する畜(けだもの)のすめる穴(あな)ゆゑ雷神穴(らいじんけつ)ともいふと  なんされば世(よ)にいふ日光雷(につくわうかみなり)のすむ所(ところ)なるべし又(また)云(いはく)むかし此穴(このあな)を  司(つかさど)る神職(しんしよく)有(あり)しが今(いま)は絶(たえ)て其(その)子孫(しそん) 御宮(おんみや)の伶人(れいじん)となれりと聞(きけ)り  仍(よつ)て考(かんがふ)るに古縁起(こえんぎ)にいふ當山(たうざん)に岩窟(がんくつ)有(あり)て春秋(しゆんしう)二 度(ど)宛(づゝ)大風(たいふう)吹出(ふきいだ)し  荒(あれ)けるゆゑ庶民(しよみん)難義(なんぎ)せしかば弘法大師(こうぼふだいし)登山(とうざん)せられ其穴(そのあな)を辟除(へきぢよ)  結界(けつかい)し玉ふとあるは此窟(このくつ)の事(こと)なるべし夫(それ)に付(つき)て山(やま)の二荒(にくわう)の説(せつ)は  前篇(ぜんへん)に出(いだ)せり 深澤(みさは)の茶屋(ちやや) 馬返(うまがへし)より漸(ぜん)〻(〳〵)登(のぼ)り來(く)る河原路(かはらみち)に棧道(さんだう)或(あるひ)は急流(きふりう)に架(か)  せし危橋(きけう)を逕(わた)りて山路(さんろ)を躋(のぼ)らんとする所(ところ)ゆゑ茶店(さてん)を設(まう)く是(これ)も  四月 頃(ごろ)より八月 时分(じぶん)迄(まで)兹(こゝ)に來(きた)り住(すみ)て参詣(さんけい)する道俗(だうぞく)休所(やすみどころ)とし茶(ちや)  菓(くわ)の麁(そ)なるものを商(あきな)ふ山路(さんろ)は嶮(けん)なりといへども肩輿(けんよ)にても登(のぼ)り  又(また)牛馬(ぎうば)を禁(きん)ずるゆゑ中禅寺(ちゆうぜんじ)別所(べつしよ)或(あるひ)は湯元(ゆもと)への飯米(はんまい)其外(そのほか)雜品(ざつひん)を 【左丁】  日(ひ)〻(ゞ)皆(みな)脊負(せお)ひ登(のぼ)れり 地蔵堂(ぢざうだう) 是(これ)も深澤(みさは)の地蔵堂(ぢざうだう)と唱(とな)ふ此所(このところ)は殺生禁断(せつしやうきんだん)女人牛馬結界(によにんぎうばけつかい)の  堺(きやう)とす土俗(とぞく)呼(よん)で深澤(みさは)の女人堂(によにんだう)とも稱(しよう)せり爰(こゝ)を中禅寺(ちゆうぜんじ)の東門(とうもん)と  名附(なづけ)玉(たま)ひし事(こと)縁起(えんぎ)に見(み)え禅那波羅密(ぜんなはらみつ)と称(しよう)する由(よし) 劔(けん)の峰(みね) 此所(このところ)は中禅寺道(ちゆうぜんじみち)第(だい)一の險難(けんなん)危急(ききふ)の道(みち)にて通路(つうろ)たえんと  するが如(ごと)き所(ところ)ゆゑ棧道(さんだう)を設(まう)けて通路(つうろ)の便(たより)とせり刄(やいば)の上(うへ)を渡(わた)るの  あやふきに譬(たとへ)て斯(かく)は呼(よび)けり 方等瀧(はうどうのたき) 此邊(このへん)深谷(しんこく)にて峻山(しゆんさん)万重(ばんちよう)ならび聳(そびえ)たる北の方(かた)なる深蹊(しんけい)より  瀑布(はくふ)飛流(ひりう)す遠望(ゑんばう)するに瀧幅(たきはゞ)三尺 許(ばかり)高(たか)さ四五丈 程(ほど)なり 般若滝(はんにやのたき) 是(これ)も同所(どうしよ)にて坤(ひづしさる)の山谷(さんこく)より落來(おちく)る瀧幅(たきはゞ)八九尺 高(たか)さ三四丈  許(ばかり)水㔟(すゐせい)は方等瀧(はうとうのたき)より大(おほき)にまされり此(この)二 瀧(ろう)の名(な)とする謂(いはれ)はなほ  蕐厳滝(けごんのたき)の條(でう)に記(しる)せり 【図】 【左丁】 丙申冬 十月 椿山弼 寫  【印 平弼】 方等瀑布 般若瀑布 【右丁】 中(なか)の茶屋(ちやや) 深澤(みさは)より上(うへ)は阪路(はんろ)急(きふ)にして登(のぼ)りがたきゆゑ休所(やすみどころ)を設(まう)く 不動堂(ふどうだう) 古記(こき)にいふ開祖上人(かいそしやうにん)敎旻(けうびん)道珍(だうちん)等(ら)に命(めい)じて堂宇(だうう)造立(ざうりふ)せら  れて不動尊(ふどうそん)を安置(あんち)し給ふといふ兹(こゝ)より大平(おほだいら)といふ所(ところ)を經(へ)て中禅(ちゆうぜん)  寺(じ)のかまえなり又(また)一 説(せつ)には弘仁十一年 弘法大師(こうぼふだいし)登山(とうざん)の时(とき)真済(しんさい)  阿闍梨(あじやり)同(おなじ)く登山(とうざん)し江尻(えじり)に蕐厳寺(けごんじ)を建(たて)て不動尊(ふどうそん)を安(あん)せしと有(ある)は  兹(こゝ)なりともいへり 大平(おほだいら) 此邊(このへん)より中禅寺構(ちゆうぜんじかまへ)に至(いた)る迄(まで)は大抵(たいてい)平坦(へいたん)にて路傍(ろばう)には熊笹(くまざゝ)  のみ多(おほ)く其餘(そのよ)の古木(こぼく)は碧翠(へきすゐ)を重(かさ)ねて常(つね)に日色(につしよく)を見(み)ず雲霧(うんむ)深(ふか)き  所(ところ)ゆゑ樹(き)〻(ゞ)の梢(こずゑ)に藻草(もぐさ)の如(ごと)く薄青(うすあを)く葉(は)もなき莖(くき)ばかりなるが  三四尺あまり古木(こぼく)に纒(まと)ひて垂(たる)るもの殊(こと)に多(おほ)し是(これ)はいづちの深(しん)  山(ざん)にも生(おふ)るものなり其名(そのな)をサルヲガセと唱(とな)ふ 日 光 山 志 巻 之 三《割書: 終》 【裏表紙】 【表紙】 【題箋】 日光山志  四 【右丁 白紙】 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 四      目(もく) 録(ろく)  蕐嚴瀧(けごんのたき)《割書:同圖(おなじくづ)》    岩燕圖(いはつばめのづ)      冠木門(かぶきもん)  巫女石(みこいし)      牛石(うしいし)       男躰山禅頂小屋(なんたいざんぜんぢやうのこや)  中禅寺別所(ちゆうぜんじのべつしよ)    什物古磬(じふもつこけい)《割書:同圖(おなじくづ)》   不断火(ふだんひ)  古鐘銘(こしようのめい)      中禅寺古棟札写(ちゆうぜんじこむなふだのうつし) 走大黒影像(はしりだいこくのえいざう)  大鳥居(おほとりゐ)       護摩堂(ごまだう)     鐘楼(しゆろう)  三層塔(さんそうのたふ)      採燈護摩所(さいとうごましよ)    古釜(ふるがま)  中禅寺境地(ちゆうぜんじけいち)《割書:并(ならびに)》湖水圖(こすゐのづ)         三社權現本社(さんじやごんげんのほんしや)  拜殿(はいでん)       本地觀音堂(ほんちくわんおんだう)《割書:妙見堂(みやうけんだう) 根本堂(こんほんだう) 戒壇堂(かいだんだう)|摩伽羅天堂(まきやらてんだう) 山王社(さんわうのやしろ)》  唐銅鳥居(からかねのとりゐ)     石燈籠(いしどうろう)      木戸門(きどもん) 【右丁】  舩禅頂(ふなぜんぢやう)        草花数種(くさばなすしゆ)      古碑銘(こひのめい)  弘法大師記文(こうぼふだいしのきのぶん)     中禅寺私記(ちゆうぜんじのしき)     武射祭(むしやまつり)  慈悲心鳥圖(じひしんてうのづ)      娑羅樹(しやらじゆ)       男躰山(なんたいざん)《割書:並古哥(ならびにこか)》  勝道上人三神影向(しやうだうしやうにんさんじんのいやうがう)を拝(はい)し給(たま)ふ圖(づ)    男躰晴雪(なんたいのせいせつ)《割書:八景(はつけい)|の内(うち)》  如宝山圖(によはうざんのづ)       南湖(なんこ)        南岸橋(なんがんけう)  哥濱(うたのはま)         寺崎(てらがさき)        石楠花圖(しやくなげのづ)  日輪寺旧跡(にちりんじのきうせき)      上野嶋(かうづけじま)       千手崎(せんじゆがさき)  千手原(せんじゆがはら)        千手砂利(せんじゆのじやり)      菖蒲沼(あやめがぬま)  赤岩(あかいは)         瑠璃壷(るりがつぼ)       龍頭瀧(りうづのたき)《割書:同圖(おなじくづ)》其二(そのに)  地獄茶屋(ぢこくのちやや)       木叉寺旧跡(もくさうじのきうせき)     顕釋坊渕(げんしやくばうのふち)  鉢山(はちやま)         鉢石(はちいし)        四條寺旧跡(しでうじのきうせき)  法蕐密嚴寺旧跡(ほつけみつごんじのきうせき)    轉法輪寺旧跡(てんほふりんじのきうせき)    般若寺旧跡(はんにやじのきうせき) 【左丁】  梵字岩(ぼんじいは)        若松崎(わかまつのさき)       老松崎(おいまつのさき)  標芽原(しめぢがはら)《割書:並古哥(ならびにこか)》      戦塲原説(せんぢやうがはらのせつ)     赤沼原圖(あかぬまがはらのづ)  其二(そのに)  白鶴(はくくわく)         野端湖(のばたのうみ)       西湖(せいこ)  蓼湖(たでのうみ)         狩籠湖(かりごめのうみ)       魔湖(まのうみ)  佛湖(ほとけのうみ)         絹沼(きぬぬま)        湯湖(ゆうみ)  中禅寺温泉(ちゆうぜんじのおんせん)《割書:同圖(おなじくづ)|八湯(はつたう)》    湯平(ゆのたひら)        金精峠(こんせいたうげ)  前白根山(まへしらねやま)       奥白根山(おくしらねやま)       白根山圖(しらねやまのづ)  肉蓯蓉圖(にくじやうようのづ)       白根葵圖(しらねあふひのづ)       栗山郷(くりやまのがう)《割書:十村(じつそん)》  同深谷岩茸取圖(おなじくしんこくいはたけとりのづ)   所(しよ)〻(〳〵)温泉(のおんせん)《割書:板室(いたむろ) 塩原(しほばら) 福和田(ふくわだ) 荒井(あらゐ)|瀧(たき) 川俣(かはまた) 湯西(ゆにし) 日光沢(につくわうざわ)》  足尾峠(あしをたうげ)        足尾郷(あしをのがう)《割書:同圖(おなじくづ)|十四村(じふしそん)》      銅山濫觴(どうざんのらんじやう)  足尾山中銅(あしをのさんちゆうあかゞね)と砂石(しやせき)を沙汰(さた)する圖(づ)      山中銅堀圖(さんちゆうあかゞねほりのづ)  不動沢(ふどうさは)        銀山(ぎんざん)         庚申山圖(かうしんやまのづ) 【注 「標芽原」は「標茅原」の誤記ヵ。以降」、ママ】 【右丁】  日光諸所名産(につくわうしよ〳〵のめいざん)《割書:金石(きんせき) 飛禽(ひきん) 魚虫(ぎよちゆう) 薬品(やくひん) 草木(さうもく)|走獸(さうじう) 飲食類(いんしよくのるゐ) 細工物(さいくもの)》 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 四                  植 田 孟 縉 編 輯 蕐嚴瀧(けごんのたき) 此(この)飛瀑(たき)は中禅寺湖水(ちゆうぜんじのこすゐ)より落來(おちく)る水路(すゐろ)凢(およそ)七八町 流(なが)れて瀧(たき)  口(ぐち)に至(いた)る其(その)水路(すゐろ)も又(また)一 派(ぱ)の河(かは)の如(ごと)く幅(はゞ)十 間(けん)餘(よ)或(あるひ)は七八 間(けん)の所(ところ)  もあり偖(さて)南湖(なんこ)より四五町 流(なが)れ來(きた)りて板橋(いたばし)を架(か)せり是(これ)を南岸橋(なんがんけう)  と唱(とな)ふ長(ながさ)十 間(けん)許(ばかり)この橋(はし)は歌濱(うたのはま)への通路(つうろ)なり又(また)は足尾(あしを)へ掛(かゝ)り上州(じやうしう)  筋(すぢ)より詣(まうづ)るもの足尾峠(あしをたうげ)の頂上(ちやうじやう)より岐路(きろ)を逕(すぐ)ること凢(おおよそ)二 里(り)許(ばかり)の𡸴(けん)  を凌(しのぎ)て爰(こゝ)へ來(きた)るまた本道(ほんだう)を經(へ)て中禅寺(ちゆうぜんじ)へ詣(まうづ)るものは大平(おほたひら)の道脇(みちわき)  に左へ折(をれ)て行(ゆく)べき平坦(へいたん)の小路(せうろ)あり凢(およそ)五六町 餘(よ)をたどりゆきて此(この)  飛瀑(たき)の邊(へん)に至(いた)る是(これ)は大谷川(だいやかは)の水源(すゐげん)なり高(たかさ)七十五丈といふ此瀑(このたき)は  東関㐧一(とうくわんだいいち)の瀑(たき)にして瀧口(たきぐち)幅(はゞ)二 間(けん)餘(よ)瀧下(たきした)は人蹤(じんしよう)のかよふ所(ところ)にあら 【図】 【右丁】 蕐嚴瀑布圖      文晁寫【印】 【左丁】 華嚴瀧 【右丁】  さるゆゑ瀧(たき)を眺望(てうばう)すべき所(ところ)なく瀧邊(ろうへん)より二三十 間(けん)程(ぼと)も東 寄(より)に  懸崕(けんがい)に差出(さしいで)たる危岩(きがん)あり藤蘿(とうら)を捫(とり)て其磐(そのいは)の上(うへ)へ下(くだ)り藤蘿(とうら)を力(ちから)  にし持(もち)て頭(かしら)を延(のべ)ながら飛流(ひりう)する水㔟(すゐせい)を覘見(のぞきみ)るばかり直下(ちよくか)する  激㔟(げきせい)遥(はるか)に下(くだ)る水烟(すゐえん)雲霧(うんむ)盤渦(ばんくわ)として分(わか)ちがたし華嚴瀧(けごんのたき)と名附(なづく)るは  縁起(えんぎ)にいふ此山中有瀑則湖水流泒青巒髙嵸紅日早照清瀧近遠岩  上繁花芬々恰如㴠錦似嚴瀧因名華嚴瀑《割書:云| 云》此(この)蕐嚴瀑(けごんのたき)あるゆゑ  又(また)深沢(みさは)に方等瀧(はうとうのたき)般若瀧(はんにやのたき)の名(な)も起(おる)れる欤 冠木門(かぶきもん) 中禅寺(ちゆうぜんじ)境内(けいだい)入口(いりくち)なり此門(このもん)の名(な)を合門(がふかど)とも称(しよう)すといふ 巫女石(みこいし) 華嚴瀧(けごんのたき)へ行所(ゆくところ)の路傍(ろばう)にあり其(その)かたち巫女(ふぢよ)の立(たち)たる貌(かたち)なり石(いし)  と化(け)したるいはれは巫女(ふじよ)は神(かみ)に仕(つか)ふるものなれど當山(たうざん)は牛馬(ぎうば)女人(によにん)  禁断(きんだん)の地(ち)へ登(のぼ)りけるゆゑ神罸(しんばつ)を蒙(かうふ)り忽(たちまち)に立(たち)すくみて石(いし)と成(なり)しと云傳(いひつた)ふ 牛石(うしいし) 冠木門(かぶきもん)に至(いた)る路傍(ろはう)にあり牛(うし)の卧(ふし)たる貌(かたち)に似(に)たり七尺五六寸 【左丁】  に六尺 許(ばかり)脊(せ)の高(たか)き所(ところ)三尺 程(ほど)是(これ)も巫女石(みこいし)の如(ごと)く牛馬(ぎうば)を禁(きん)ずる山(さん)  上(しやう)へ牽來(ひききた)れるが忽(たちまち)に四足(しそく)すくみて石(いし)となれる由(よし)鼻(はな)と覚(おぼ)しき穴(あな)  有(ある)所(ところ)へ藤(ふぢ)もて繋(つなぎ)たる趣(おもむき)になせり 男躰山禅頂小屋(なんたいざんぜんぢやうのこや) 毎年(まいねん)七月朔日より同七日 朝迄(あさまで)禅頂(ぜんぢやう)する行人(ぎやうにん)数(す)  千(せん)登山(とうざん)し此(この)小屋(こや)に篭(こも)り居(ゐ)て種(しゆ)〻(〴〵)行法(ぎやうぼふ)を修(しゆ)して中禅寺上人(ちゆうぜんじしやうにん)とて  衆徒(しゆと)の内(うち)より年番(ねんばん)に當(あた)れる僧(そう)先達(せんだつ)し七日の早朝(さうてう)より登山(とうさん)す尤(もつとも)  七月朔日 此所迄(このところまで)登(のぼ)れる以前(いぜん)四十八日 別火(べつくわ)し垢離(こり)をとり日(ひ)〻(ゞ)行(きやう)  する事(こと)終(をはり)て此所(このところ)へ登(のぼ)ることなり朔日より七日 迄(まで)御賄(おんまかなひ)は【平出】  御門主 御方(おんかた)より下(くだ)さるといふ小屋(こや)数(かず)凢(およそ)二十 棟(むね)餘(よ)區別(くべつ)し番附(ばんづけ)にし  て五拾 番迄(ばんまで)有(あり)て湖水(こすゐ)の邊(へん)より鳥居(とりゐ)の前後(ぜんご)或(あるひ)は別所(べつしよ)の傍(かたはら)其餘(そのよ)所(しよ)〻(〳〵)  に散在(さんさい)せり 中禅寺別所(ちゆうぜんしのべつしよ) 三重塔(さんぢゆうのたふ)の東 寄(より)にあり弘法大師(こうぼふだいし)の記文(きぶん)を考(かんがふ)るに勝道上人(しようだうしやうにん) 【図】 【右丁】 岩燕(いはつばめ)  蕐嚴瀑(けごんのたき)の峻谷(しゆんこく)に巣(すく)ひ常(つね)に谿間(たにま)を  囘翔(くわいしやう)す常(つね)の燕(つばめ)より殊(こと)に大(おほい)にして尾(を)  二(ふた)ッにさけず尾先(をさき)に針(はり)の如(こと)きものあり 【左丁】 無事菴主君夏冩 【右丁】  延暦七年四月 登山(とうざん)せられ蝸庵(くわあん)を湖水(こすゐ)の北涯(ほくがい)に移(うつ)すとあるは其时(そのとき)上人(しやうにん)  基(もとゐ)を開(ひらか)れ又(また)補陀洛山(ふだらくせん)神宮寺(じんくうじ)と號(がう)せし一 宇(う)の跡(あと)なりといふ其比(そのころ)より中(ちゆう)  禅寺(せんじ)の称号(しようがう)は起(おこ)れりといふ建_二神宮精舍_一號_二 中禪寺【一点脱ヵ】と《割書:云| 〻》古(ふる)くより一 山(さん)の  上人職(しやうにんしよく)のもの常(つね)に年限(ねんげん)有(あり)て山篭(さんろう)して寺務(じむ)を司(つかさど)りしかど寛永二年いは  れ有(あり)て是(これ)より御本院(ごほんゐん)の御持(おんもち)となれる由(よし)今(いま)も一 山(さん)衆徒(しゆと)の内(うち)摂行(せつぎやう)し常(つね)  には一 坊(ばう)壱人 御本坊(ごほんばう)の御家來(ごけらい)壱人 宛(づゝ)住番(ぢゆうばん)し外(ほか)に下部(しもべ)一 両人 住(すめ)り又(また)  一 坊(はう)の内(うち)より濱役(はまやく)といふは七年 替(がはり)に勤(つとむ)る由(よし)又(また)御宮(おんみや)の社家(しやけ)是(これ)も年﨟(ねんらふ)の  次序(しじよ)を以て三社權現(さんしやごんげん)の社務(しやむ)を司(つかさど)るといふ 不断火(ふだんひ) 當別所(たうべつしよ)にては開闢(かいひやく)已來(いらい)火(ひ)を絶(たや)すことなく庫裡(くり)の大居爐裏(おほゐろり)の  中(なか)へ大材(たいざい)をふすべ置(おき)冬夏(とうか)絶(たやさ)ざるゆゑ土人(どじん)いふ神代(じんたい)よりの火(ひ)なりと  いへり日光山内(につくわうさんない)を初(はじ)め町(まち)〻(〳〵)の家(いへ)へも最初(さいしよ)爰(こゝ)の火(ひ)を得(え)て各(おの〳〵)が家(いへ)にも  絶(たえ)ざるやうに取計(とりはから)ふ土風(とふう)なりといふ 【左丁】 【図】 中禅寺別所什物(ちゆうぜんじべつしよじふもつ)   磬(けい)の圖(づ) 【磬表面】   光明真言ノ   文アリ ■【キリーク(梵字)】 【磬裏面】    奉施入   男躰權現  建保五年《割書:丁|刁》 金剛佛子 淨智房  献宣生年   六十三   大工藤原    兼則 〻 【右丁】 古鍾(こしよう)の銘(めい)  此(この)古鍾(こしよう)は文化八年丙丁の災(わざはい)に罹(かゝ)りけるゆゑ翌(よく)九年 奉(ほうじて)_レ命(めいを)新鍾(しんしよう)  を鎔(よう)する时(とき)此(この)故銘(こめい)を載(のせ)て前大僧正凌雲沙門尚詮と銘(めい)ぜり其(その)銘(めい)  文(ぶん)兹(こゝ)に略(りやく)す 日光山權現御宝前 奉施入鑄金一口事  右志者爲左衛門尉藤原政綱北方藤原氏《割書:并》所生  愛子等御息災延命恒受快樂心中所念决定成就  也   建保亖年       丙子三月廿二日     願主左衛門尉藤原政綱           當上人覺音房 【左丁】 中禅寺古棟札冩(ちゆうぜんじこむなふだのうつし)     人王八十四代      藤原國綱妻子     順德天皇御宇      影綱入道妻子       奉建立一間二面御殿一宇      征夷大將軍      宗綱入道妻子      源實朝公御代     親綱入道妻子                 藤原有房妻子       建保五年《割書:丁| 丑》四月十八日       同 六年《割書:戊| 寅》七月十九日  鎮守之地頭        結縁衆㔫衛門尉藤原朝政 【以上9行矩形で囲む】  古棟札(こむなふだ)保延久壽永歴文治建久 等(とう)夫(それ)より後(のち)も造営(ざうえい)の毎事(まいじ)数多(あまた)な  るゆゑ悉(こと〴〵く)も記(しる)しがたく仍(よつ)て略す 【右丁】   中禅寺走大黒影像(ちゆうぜんじはしりだいこくのえいざう) 【図】 走大黒影像(はしりだいこくのえいざう) 此(この)靈像(れいざう)の來由(らいゆ)を尋(たづぬ)るに徃昔(むかし)城蕐坊(じやうげばう)と称(しよう)する衆徒(しゆと)中(ちゆう)  禅寺(ぜんじ)の上人(しやうにん)たりし时(とき)毎歳(まいさい)秋(あき)に至(いた)り何方(いづこ)よりとも知(し)れず一 疋(ひき)の  鼠(ねずみ)粟(あは)稗(ひえ)の穂(ほ)をくはへ來(き)て別所(べつしよ)に献(けん)ずかゝる人境(じんきやう)遠(とほ)き山中(さんちゆう)に粟(あは)稗(ひえ)  の有(ある)べき事(こと)なしと上人(しやうにん)不思議(ふしぎ)に思(おも)はれ彼鼠(かのねずみ)の足(あし)に糸(いと)を付(つけ)て其(その)  跡(あと)を慕(した)ひ山(やま)の麓(ふもと)に至(いた)りければ人家(じんか)ありけり依(より)て其地(そのち)を中禅寺(ちゆうぜんじ) 【左丁】  の社領(しやりやう)とす足(あし)に糸(いと)を付(つけ)て見出(みいだ)したる所(ところ)ゆゑ夫(それ)より足尾郷(あしをのがう)とは  名附(なづけ)しとかや上人(しやうにん)則(すなはち)奇異(きい)の思(おもひ)をなし是(これ)を崇(あがめ)て大黒天(だいこくてん)とは祀(いは)【祝ヵ】ひ  奉(たてまつ)りけり大黒天(だいこくてん)は十二 支(し)の子(ね)を主(つかさど)り給ふ故(ゆゑ)なりとぞ亦(また)不思議(ふしぎ)  なる事には彼鼠(かのねずみ)の形相(ぎやうさう)自然(しぜん)に化(け)して大黒天(だいこくてん)の尊容(そんよう)を現(げん)せり其(その)  像(かたち)走(はしり)給ふのかたち有(あり)とて时(とき)の上人(しやうにん)これを波之利大黒天(はしりだいこくてん)と称号(しようがう)し  奉(たてまつ)り崇信(そうしん)するものへ印施(いんし)せられけるに其(その)竒瑞(きずゐ)ある事 揚(あげ)てかぞふべか  らず走(はし)るといふは速(すみやか)に趨(はしる)の義理(ぎり)にして亦(また)假字(かな)に波之利(はしり)と書(かく)事(こと)は  別(べつ)に秘密(ひみつ)の事(こと)ありとぞされば海上(かいしやう)にて舩(ふね)の速(すみやか)に走(はしり)て暴風(ばうふう)にも  曽(かつ)て水難(すゐなん)に遇(あは)ざる謂(いはれ)を以(もつ)て舩中(せんちゆう)の守護神(しゆごじん)ともなせりすべて一 切(さい)  の道(みち)に於(おい)て信心(しん〴〵)の感應(かんおう)暫(しばらく)も間断(かんだん)なく士農工商(しのうこうしやう)ともに其(その)所願(しよぐわん)の  成就(じやうじゆ)する事 走(はしり)ゆくにことならず故(ゆゑ)に福徳(ふくとく)守護(しゆご)の神(かみ)と申すなり  また此(この)尊像(そんざう)五大願(ごだいぐわん)と称(しよう)する事あり一には貧窮(ひんきう)の衆生(しゆしやう)には福徳(ふくとく)を 【右丁】  与(あた)へ二には疾病(しつびやう)の衆生(しゆじやう)には療薬(れうやく)を与(あた)へ三には造悪(ざうあく)の衆生(しゆじやう)には善心(ぜんしん)  を与(あた)へ四には短命(たんめい)の衆生(しゆじやう)には延寿(えんじゆ)を与(あた)へ五には愚癡(ぐち)の衆生(しゆじゃう)には智恵(ちゑ)  を与(あた)へ給(たま)はんとの誓願(せいぐわん)なりとぞ  /𢌞(くわい)國雜記(こくざつきに)云(いはく)此山(このやま)のうへ三十 里(り)に中禅寺(ちゆうぜんじ)とて權現(ごんげん)まもけり登山(とうざん)  して通夜(つや)し侍(はべ)る今宵(こよい)はことに十三 夜(や)にて月(つき)もいづくにすぐれ侍(はべ)り  き渺漫(べうまん)たる湖水(こすゐ)侍(はべ)り歌(うた)の濱(はま)といへる所(ところ)に紅葉(もみぢ)色(いろ)をあらそひて月(つき)  に映(えい)じ侍(はべ)れば舟(ふね)にのりて   敷しまのうたの濱邊(はまべ)に舟(ふね)よせて紅葉(もみぢ)をかざし月(つき)を見るかな  翌日(よくじつ)中禅寺(ちゆうぜんじ)をたちいでける道(みち)にかつちりしける紅葉(もみぢ)の朝霜(あさしも)のひまに  みえければ先達(せんだち)しける衆徒(しゆと)長門(ながと)の竪者(じゆしや)といへるものにいひきかせ侍(はべ)りける   山(やま)ふかき谷(たに)のあさしもふみわけてわがそめいだす下紅葉(したもみぢ)かな  かくしつゝ下山(げさん)し侍(はべ)りけるに黒髪山(くろかみやま)の麓(ふもと)を過(すぎ)侍(はべ)るとてわれ人(ひと)いひすてともし侍(はべり)けるに 【左丁】   ふりにける身(み)をこそよそにいとふとも黒(くろ)かみ山(やま)も雪(ゆき)をまつらん  おなじ山(やま)のふもとにて迎(むかへ)とて馬(うま)どもの有(あり)けるを見て   日(ひ)かず經(へ)てのる駒(こま)の毛(け)もかはるなり黒髪山(くろかみやま)の岩(いは)のかけ道(みち) 大鳥居(おほとりゐ) 唐銅(からかね)湖水端(こすゐのはた)に建(たて)り兹(こゝ)より石階(せきかい)を登(のぼ)り平路(へいろ)よりまた石階(せきかい)  二ヶ所(しよ)を上(のぼ)りて觀音堂(くわんおんだう)に至(いた)るの正面(しやうめん)なり 護摩堂(ごまだう) 三 間(げん)四 面(めん)石階(せきかい)を登(のぼ)り觀音堂(くわんおんだう)の前(まへ) 鐘楼(しゆろう) 二間に三 間(げん)鐘(かね)は古(ふる)きもの囘録(くわいろく)に及(およ)び今(いま)の鐘(かね)は文化年中 鋳造(たうざう) 三層塔(さんぞうのたふ) 赤塗(あかぬり)三 間(けん)四 方(はう)五智如來(ごちによらい)を安(あん)す右の方(かた)にあり 採燈護摩堂(さいとうこまだう) 鐘楼(しゆろう)より東の方(かた)爰(こゝ)の後(うしろ)より一 階(かい)高(たか)く築地(ついぢ)あり 古釜(ふるがま) 二 口(く)護摩堂(ごまだう)の脇(わき)にあり徑(わたり)三尺五六寸 銘(めい)有(あり)一は貞和二《割書:丙| 戌》年  二月 聖記(しやうき)阿弥陀佛(あみたぶつ)奉施入中禅寺一は應永卅三年の銘(めい)其餘(そのよ)讀(よみ)がたし  底(そこ)朽(くち)て所(ところ)〻(〴〵)損(そん)ぜり此釜(このかま)は少(すこ)し大形(たいぎやう)なり 【図】 【右丁】 中禪寺境地《割書:並》湖水圖 牛石 登山口 不動堂 ミコ石 千手ガハマ 【左丁】 寺ガサキ ケゴンノ滝 ウタノハマ コウツケシマ 䔍敬圖 【右丁】 三社權現本社(さんじやごんげんのほんしや) 銅葺(あかゞねぶき)緫赤塗(そうあかぬり)南 向(むき)二 間(けん)に三 間(げん)大床造(おほゆかづくり)箱棟(はこむね)滅金(めつき)かな  物(もの)高欄(かうらん)彫物(ほりもの)彩色(さいしき)正面(しやうめん)三扉(さんひ)黒塗(くろぬり)鰐口(わにぐち)三ッ掲(かゝ)ぐ瑞籬(たまがき)四 邊(へん)を折廻(をりまわ)し是(これ)  も赤塗(あかぬり)正面(しやうめん)と東の方(かた)に門(もん)あり此(この)内庭(うちには)に玉石(ぎよくせき)を敷(しけ)り勝道上人(しようだうしやうにん)弘  任七年 敎旻(けうひん)道珍(だうちん)等(ら)を伴(ともな)ひ登山(とうざん)し給ひける时(とき)に男躰山(なんたいさん)の頂上(ちやうじやう)に  て三神(さんじん)の影向(やうがう)を拜(はい)し玉ひ下山(げさん)の时(とき)麓(ふもと)に社殿(しやでん)を造立(ざうりふ)し給ふとある  は當社(たうしや)のことなり是則(これすなはち)三社(さんじや)鎮座(ちんざ)の草創(さう〳〵)といふ   《割書:元禄四年四月廿七日 當山(たうざん) 座主宮公辨法親王 始(はじめ)て登山(とうざん)し給ひける时(とき)神前(しんぜん)にて|御法楽(おんほふらく)並に詩(し)を詠(えい)し玉ひて御奉納(おんほうなふ)と《割書:云| 〻》》  中禪千載祠一拜覺靈竒積雪三冬色開花四月枝  湖光連碧落日影泛澄漪留意人𡩲外促歸聊賦詩 拜殿(はいでん) 銅葺(あかゞねふき)惣赤塗(そうあかぬり)四 方(はう)掾(えん)【縁椽ヵ】有(あり)五 間(けん)に六 間(けん)地蔵尊(ぢざうそん)を安(あん)す 本地観音堂(ほんちくわんおんだう) 拝殿(はいでん)より西の方(かた)銅瓦(あかゞねがはら)赤塗(あかぬり)本尊(ほんぞん)千手大士(せんじゆだいし)立木(りふぼく)の像(ざう)一  丈六尺 素木(しらき)勝道上人(しようだうしやうにん)の作(さく)堂内(だうない)の左右(さいう)は四天王(してんわう)の像(ざう)を安(あん)す坂東(ばんどう) 【左丁】  十八 番(ばん)の札所(ふだしよ)なり  觀音(くわんおん)の詠歌(えいか)なりとて扁額(へんがく)に題(だい)して向拜(かうはい)に掲(かゝ)ぐ 坂東順礼記(ばんどうじゆんれいき)といふものに出(いで)たる由(よし)   中禅寺(ちゆうぜんじ)登(のぼ)りてをがむみづうみの哥(うた)のはまぢに立(たつ)はしら波(なみ)   補陀洛(ふだらく)やのぼりて拝(をが)む湖(みづうみ)のきしに立木(たちき)のちかひ久(ひさ)しき  末社(まつしや) 妙見堂(みやうけんだう)《割書:向拝附(かうはいつき)大床造(おほゆかづくり)|拝殿(はいでん)あり》 根本堂(こんほんだう)《割書:本尊(ほんぞん)虚空蔵(こくうざう)を安(あん)す| 》     戒壇堂(かいだんだう)《割書:本尊(ほんぞん)受戒(じゆかい)の|三聖(さんせい)を安(あん)す》 摩伽羅天堂(まきやらてんのだう) 山王社(さんわうのやしろ)  傳(つた)へいふ此山(このやま)を補陀洛山(ふだらくせん)と名附(なづけ)られし事は徃昔(むかし)開祖上人(かいそしやうにん)當山(たうざん)  草創(さう〳〵)多年(たねん)の間(あひだ)屡(しば〳〵)觀音(くわんおん)の霊験(れいげん)を被(かうふ)り給ひ殊(こと)に延暦三年 登山(とうざん)し  給ひ西湖(さいこ)の南岸(なんがん)に於(おい)て大士(だいし)の影響(やうきやう)を感見(かんけん)まし〳〵てみづから其(その)  尊容(そんよう)を手刻(しゆこく)して安置(あんち)し給ひかつ上人(しやうにん)倩(つら〳〵)思惟(しゆゐ)し給ふに二荒(にくわう)各處(かくしよ)  の山中(さんちゆう)にして觀音薩埵(くわんおんさつた)の種(しゆ)〻(〴〵)の竒瑞(きずゐ)を示(しめ)し給ふこと是(これ)たゞ吾(わが)信(しん)  力(りき)のみにあらず當山(たうざん)は必(かならず)大士(だいし)有縁(うえん)の㚑境(れいきやう)なるべしと悟(さと)らせ 【右丁】  玉ひ大士(だいし)のすみ給ふ南海(なんかい)の補陀洛山(ふだらくせん)を此所(このところ)に標顯(へうけん)して即(すなはち)當山(たうざん)  を補陀洛山(ふだらくせん)と名附(なづけ)給(たま)へるよし 唐銅鳥居(からかねのとりゐ) 男躰山(なんたいざん)登(のぼ)り口(くち)にあり男躰山大權現(なんたいざんだいごんげん)と行書(ぎやうしよ)に當山(たうざん)【平出】  座主宮(ざすのみや)の御真蹟(おんしんせき)なる額(がく)を掲(かゝげ)たり 石燈籠(いしとうろう) 二 基(き)鳥居(とりゐ)の内(うち)にあり 木戸門(きどもん) 七月七日 禅頂(ぜんぢやう)する者(もの)是(これ)より登(のぼ)る常(つね)に鎖閇(さへい)せり浄土口(じやうとぐち)と称(とな)ふ 舩禅頂(ふねぜんぢやう) 是(これ)は六月朔日に開闢(かいびやく)して同月十一日より十九日 迄(まで)定舩講中(ぢやうせんこうぢゆう)  の者(もの)連日(れんじつ)漕出(こぎいだ)し廵拜(じゆんはい)するなり是(これ)を舩禅頂(ふねぜんぢやう)といふ又(また)七月 中(ぢゆう)迄 願(ねが)ふ  ものあれば舩(ふね)を出(いだ)す名附(なづけ)て是(これ)を補陀洛舩(ふだらくせん)と唱(とな)ふる由(よし)男躰山禅(なんたいさんぜん)  頂(ちやう)するものも別(べつ)に勤行(ごんぎやう)して山禅頂(やまぜんぢやう)と両方(りやうはう)兼(かね)て禅頂(ぜんぢやう)するものも  有(あり)一 様(やう)ならず 古碑銘(こひのめい) 性霊集(しやうりやうしふ)に載(のせ)たる弘法大師(こうぼふだいし)の記文(きぶん)の銘(めい)なり唐銅鳥居(からかねのとりゐ)のも 【左丁】  とにあり勝道上人(しようだうしやうにん)神護景雲元年より跋渉(ばつせふ)を企(くわだて)給ひ漸(ぜん)〻(〳〵)延暦の  初(はじめ)に至(いた)り登臨(とうりん)を極(きは)めたる銘文(めいぶん)弘法大師(こうぼふだいし)書記(しよき)し給ふ古碑(こひ)此所(このところ)に  有(あり)しが破潰(はたい)して文字(もんじ)見ゆる所(ところ)なきに仍(よつ)て當山(たうざん)座主宮(ざすにみや)【平出】  准三后公辨法親王 御再興(おんさいこう)【平出】  准后の御撰文(おんせんぶん)もあり是(これ)を不朽(ふきう)に傳(つた)へ玉はん事を尊慮(そんりよ)有(あり)て銅(あかゞね)にて  箱(はこ)を造(つく)り石碑(せきひ)の上(うへ)に被(かうふ)らすむるゆゑ原文(げんぶん)は見(み)えねど其(その)銅(あかゞね)の箱(はこ)  に細字(さいじ)に雕附(ゑりつけ)たり此碑(このひ)は唐銅鳥居(からかねとりゐ)の前(まへ)に建(たて)り銘文(めいふん)次(つぎ)に出(いだ)せり  當山(たうざん)座主宮(ざすのみや)【平出】  公辨法親王 古碑銘(こひのめい)御再興(おんさいこう)の御撰文(おんせんぶん)   重建勝道上人補陀洛山碑記  人籍靈境以進道境因勝人而彰名如補陀山亦徵  哉勝道上人創窮其頂精練㓛成弘法大師揮天縱 【右丁】  才文之詳矣於是世人昭々知其爲名山也其文則  載性靈集傳到于今而其碑則歷年遼邈掃也不存  嗚呼廢而不興非人情也近者余鼎樹貞珉刋其文  焉庻乎使臨者讀雄文以審靈境知靈境誠爲進道  之縁矣然則此舉豈曰無所係乎世有髙談浄心蔑  視山水者不亦謬哉因題碑隂聊紀歳月云   寶永二年歳次乙酉春三月    前天台座主一品公辨親王識 沙門勝道歷山水瑩玄珠碑《割書:並》序  蘓巓鷲嶽異人所都達水龍坎靈物斯在所以異人  卜宅所以靈物化産豈徒然乎請試論之夫境隨心  變心垢則境濁心逐境移境閑則心朗心境冥會道 【左丁】  德玄存至如能寂常居以利見妙祥鎮住以接引提  山垂迹孤岸津梁並皆靡不依仁山託智水臺境瑩  磨俯應機水者也有沙門勝道者下野芳賀人也俗  姓若田氏神邈救蟻之齡清惜囊之齒桎枷四民之  生事調飢三諦之滅業厭聚落之轟々仰林泉之皓  然奥有同州補陀洛山葱嶺挿銀漢白峰衝碧落磤  雷腹而鼉吼翔鳳足而羊角魑魅罕通人蹊也絶借  問振古未有攀躋者法師顧義成而興歎仰勇猛以  䇿意遂以去神護景雲元年四月上旬跋上雪㴱巖  峻雲霧雷迷不能上也還住半腹三七日而却還又  天應元年四月上旬更事攀陟亦上不得也二年三  月中奉爲諸神祗冩經圖佛裂裳裹足弃命殉道繈 【図】 【右丁】 姫石楠花(ひめさくなぎ) 岩千鳥(いはちどり)  花(はな)はうす紅(べに)にて  春(はる)咲出(さきいづ)る 【左丁】 圖(づ)に出(いだ)せし草花(さうくわ)は皆(みな)深山(しんざん)に生(しやう)ずるなり 此むこ菜(な)といふは深山(しんさん)に生(しやう)ぜす里(さと)ちかき 山際(やまきは)又(また)は溪間(たにま)に自然(しねん)に生(しやう)ず土人(どじん)取(とり)て食(しよく) 用(よう)となせり味(あぢは)ひ輕(かろ)きものなり 婿菜(むこな) ■【絳ヵ】雪学【印 學士印】 【右丁】  負經像至于山麓讀經禮佛一七日夜竪發願曰若  使神明有知願察我心我所圖冩經及像等當至山  頂爲神供養以崇神威饒群生福仰願善神加威毒  龍巻霧山魅前導助果我願我若不到山頂亦不到  菩提如是發願訖跨白雪皚々攀緑葉之璀璨脚踏  一半身疲力竭憇息信宿終見其頂怳惚々々似夢  似窹不因乘査忽入雲漢不嘗妙藥得見神窟一喜  一悲心魂難持山之爲狀也東西龍臥彌望無極南  北虎踞棲息有興指妙髙以爲儔引輪鐵而作帶笑  衡岱之猶卑哂崐香之又劣日出先明月來晩入不  假天眼萬里目前何更乘鵠白雲足下千般錦華無  機常織百種靈物誰人陶冶北望則有湖約許一百 【左丁】  頃東西狹南北長西顧亦有一小湖合有二十餘頃  眄坤更有一大湖羃許一千餘町東西不濶南北長  遠四面髙岑倒影水中百種異莊木石自在銀雪敷  地金華發枝池鏡無私萬色誰逃山水相映乍看絶  膓瞻佇未飽風雪趂人我結蝸庵干其坤角住之禮  懴勤經三七日已遂其願便歸故居去延曆三年三  月下旬更上經五箇日至彼南湖邊四月上旬造得  一小船長二丈廣三尺卽與二三子棹湖游覽遍眺  四壁神麗夥多東看西看汎濫自逸日暮興餘强託  南洲其洲則去陸三十丈餘諸洲之中美華冨焉復  更游西湖去東湖十五里許又覽北湖去南湖三十  許里並雖盡美摠不如南其南湖則碧水澄鏡深不 【図】 【右丁】 栂櫻(つかざくら) 《割書: |季春(きしゆん)より》 《割書:初夏(しよか)に至(いた)り花(はな)咲(さく)其花(そのはな)|桜(さくら)の花(はな)の小なるもの葉(は)は|栂(とが)の如く小細なるゆゑに|名附(なつけ)たり木(き)にもあらず|また草(くさ)にもあらず葉(は)は|常盤(ときは)なり》 【左丁】 岩澤㵼(いはをもだか)  《割書:常盤草(ときはくさ)なり|石間(せきかん)の苔(こけ)の中(なか)に生(しやう)ず》 丙申小春 椿山人晝【畫ヵ】   【印 平弼】 【右丁】  可側千年松柏臨水而傾緑葢百圍檜杉竦巖而搆  紺樓五彩之花一株而雜色六時之鳥同響而異觜  白鶴舞汀紺𠒎戯水振翼如鈴吐音玉響松風懸琴  抵浪調鼓五音争奏天韻八德澹々自貯霧帳雲幕  時々難陀之羃䍥星燈雷炬數々普香之把束見池  中圓月知普賢之鏡智仰空裡惠日覺遍智之在我  託此勝地聊建伽藍名神宮寺住此修道荏苒四祀  七年四月更移住北涯四望無㝵沙塲可愛異華之  色難名驚目竒香之臭叵尋悦意靈仙不知何去神  人髣髴如存忿歳精之無記惜王矦之不遊思餓虎  而不遇訪子喬而適去觀華蔵於心海念實相於眉  山薀蘿遮寒蔭葉避暑喫菜喫水樂在其中乍彳乍   【左丁】  干出塵外九臯鶴聲易達于天去延曆中 柏原天  皇聞之便任上野國講師利他有時虗心逐物又建  立華嚴精舎於都賀郡城山就此往彼利物弘道去  大同二年國有陽九州司令法師祈雨則上補陀洛  山祈禱應時甘雨霶霈百穀豊登所有佛業不能縷  說咨日車難駐人間易變從心忽至四蛇虗羸攝誘  是務能事畢矣前下野伊博士公與法師善秩滿入  京于時法師歎勝境之無記要屬文於余茟伊公與  余故固辭不免課虗抽毫乃爲銘曰  鷄黄裂地粹氣昇天蟾烏運轉萬類跰闐山海錯峙  幽明殊阡俗波生滅真水道先一塵搆嶽一滴㴱湖  埃㳙委聚畵飭神都嶺岑不梯鸑鷟無圖皚々雪嶺 【図】 【右丁】 恒吉椿彰    【印 椿彰】 何亭寫【印 可亭】 岩鏡(いはかゞみ) 初夏(しよか)に花(はな)咲(さく) 圖(づ)の如(ごと)し紅(こう) 色(しよく)なり岩間(いはま) に生(しやう)ず 岩蓬(いはよもぎ)  或(あるひ)は   岩菊(いはきく)とも称(しよう)す 【左丁】 苦桃(にがもゝ) 花(はな)は初夏(しよか)に咲(さく)桃(もゝ)の花(はな)の如(ごと)く薄紅(うすべに) 常盤草(ときはくさ)なり実(み)を結(むす)ぶ青木(あをき)の実(み) より小(せう)なり八月 頃(ころ)熟(じゆく)す此 実(み)熟(じゆく)せし を丹頂(たんちやう)好(この)むゆゑ延齢(えんれい)の菓(このみ)なりと 称(しよう)す冨士山(ふじさん)にて濱梨子(はまなし)と云(いふ)ものに             相(あひ)似(に)たり 此実(このみ)赤色(あかいろ)    なり 芳馨  【印 芳馨】 雪割草(ゆきわりさう)  桜草(さくらさう)の至(いたつ)て小なる  ものなり 丙申十月上浣 琴音寫生【印 琴 音】 【右丁】  曷矚誰廬沙門勝道竹操松柯仰之正覺誦之達磨  歸依觀音禮拜釋迦殉道斗藪𥄂入嵯峨龍跳絶巘  鳳擧經過神明威護歷覽山河山色峥嶸水色泓澄  綺華灼々異鳥嚶々地籟天籟如筑如筝異人乍浴  音樂時鳴一覽消憂百煩自休人間莫比天上寧儔  孫興擲茟郭詞豈周咄哉同志何不優遊弘仁之年  敦牂之月月次壯朔三十之癸酉也人之相知不必  在對面久話意通則傾蓋之遇也余與道公生年不  相見幸因伊博士公聞其情素之雅致兼𫎇請洛山  之記余不才當仁不敢辭讓輒抽拙詞並書絹素上  詞翰俱弱㴱恐玄之猶白寄以瓦礫表其情至百年  之下莫忘相憶耳 【左丁】          西岳沙門遍照金剛題  右性靈集所載也 中禪寺私記  日光山滿願寺者穪德天皇御宇神護景雲年中當  國芳賀郡人沙門勝道勤求佛道攀躋靈窟爲鎮護  國家爲利益衆生勸請於神祗造冩佛經始卜斯山  新起道塲其山中央有嶽其髙不知幾千仭其嶽半  腹有大伽藍号中禪寺安置丈六千手觀音像其傍  建立靈祠奉崇權現又妙法蓮華經一千部并大般  若經六百軸併納之箱底安之堂中每歳四月二十  二三日両朝之間有修大會前日講般若經次日講  法華經奉辨備三十三杯御膳奉供觀自在尊辨僃 【右丁】  百八十杯御膳奉供權現王子件會住僧等守次第  勤行之巳爲規摸敢不失墜爾後碩學相續勤求講  匠嚴重之儀不遑具記自兹寺至于山頂二百四十  町者結界地也五種相分四神具足其前頭有大湖  揚五色浪如八功德池湖之南涯有別所穪歌濵彌  勒大士妙吉祥天靈驗之塲也湖坤有一梵宮號日  輪寺安置不動降三世軍荼利大威德金剛夜叉等  尊像葢是本願勝道上人修練之砌也其前有小嶋  彼上人止住此島禮拜之次奉祈聖朝柏原天皇遥  聞此事㴱成叡感令補上野講師仍号上野嶋湖西  岸有十六丈千手觀音石像曰千手﨑弘法大師手  書山門題額補陀洛山發心檀門其門六宇葢是宛 【左丁】  六度也化導無限遍被遐迩之郷功德不孤必有隣  旁及幽顯境上自天子以至於庻民壹是孰不欽仰  誰不歸依哉其地之爲体神嶽蔣々送千嶺髙峙靈  湖渺々冩四瞑而遥𢌞凡厥峻極之狀勝絶之美具  于弘法大師御作勝道歷山水碑文序今之實録粗  擧大槩而巳于時保延七年夷則初三日吏部侍郎  藤原敦光爲貽方來揚確記云 武射祭(むしやまつり) 毎年(まいねん)正月四日 武射祭(むしやまつり)の神事(じんじ)として御宮(おんみや)の社家(しやけ)一人 爰(こ々)の  社務(しやむ)を兼掌(けんしやう)するもの登山(とうざん)し古実(こじつ)の武射(むしや)の祭儀(さいぎ)とて湖水(こすゐ)の邊(へん)に  て其式(そのしき)を行(おこな)ふ日光町方(につくわうまちかた)又(また)は近村(きんそん)の者(もの)ども登山(とうざん)し鏑(かぶら)を放(はな)ちける  时(とき)参詣(さんけい)の老若(らうにやく)一同(いちどう)に聲(こゑ)を發(はつ)す是(これ)上古(しやうご)よりの祭儀(さいぎ)なりといふ 慈悲心鳥(じひしんてう) 此鳥(このとり)當山(たうざん)にて別(べつ)に名(な)あることを聞(きか)ず唯(たゞ)其(その)喚呼(くわんこ)するを 【図】 【右丁】 沙羅樹(さらじゆ)  慈悲心鳥(じひしんてう) 【左丁】   慈悲心鳥 神山靈鳥自呼名薄夜層 巒陰籟生鸚鵡久休宮裡 語頻迦巳脫㲉中聲珠林 開䖏■【啣ヵ】花去瑶闕過時向 月鳴樹色㴱々看不見天 風吹度梵王城      紫溟驤 石阪■【彛ヵ】教冩【印 源■[𢑴ヵ]教印】 【右丁】  以(もつ)て名(な)に称(しよう)するにて仏法僧鳥(ぶつほふそうてう)と名附(なづく)るが如(ごと)き欤 初夏(しよか)の頃(ころ)よく  聲(こゑ)を發(はつ)せり此(この)山中(さんちゆう)にかぎらず荒沢(あらさは)寂光(じやくくわう)又は栗山邊(くりやまへん)にも多(おほ)く栖(すめ)  る由(よし)时(とき)として御山内(おんさんない)へも𢌞(くわい)翔(しやう)し來(きた)り鳴(なく)ことあり人家(じんか)多(おほ)き所(ところ)へは來(きた)る  こと稀(まれ)なり足(あし)の前後(ぜんご)二 本(ほん)宛(づゝ)にわかれたり羽色等(はいろとう)圖(づ)の如しかたちは  鵯(ひえとり)程(ほど)の鳥(とり)なりおのれ先(さき)に榛名山(はるなさん)へゆきて社家(しやけ)の家(いへ)に舎(やど)りしにあ  るじが話(かた)れるに當山(たんざん)に三宝鳥(さんばうてう)戒行鳥(かいぎやうてう)などすめり三宝鳥(さんばうてう)は鳴(なく)こと  稀(まれ)なり戒行鳥(かいぎやうてう)は夜(よ)更(ふけ)てなけりといひしかど春(はる)はやく行(ゆき)しゆゑ  鳴(なか)ず其(その)戒行鳥(かいぎやうてう)といへるは慈悲心鳥(じひしんてう)なりと舎(いへ)のあるじが話(かた)れり 娑羅樹(さらじゆ) 或(あるひ)は娑羅双樹(さらさうじゆ)とも唱(とな)へ常(つね)に夏椿(なつつばき)といへり四五月 比(ごろ)花(はな)さく  ゆゑにやされども椿(つばき)とは大(おほい)に異(こと)なり山中(さんちゆう)に多(おほ)く生(しやう)ぜり 男體山(なんたいさん) 二荒山(にくわうさん)補陀洛山(ふだらくせん)黒髪山(くろかみやま)黒上山(くろかみやま)日光山(につくわうさん)男躰山(なんたいさん)などゝ號(がう)せ  り二荒(にくわう)を轉(てん)ぜし説(せつ)は前巻(ぜんくわん)にも弁(べん)じたれば兹(こゝ)に畧(りやく)すまた黒髪山(くろかみやま) 【左丁】  と唱(とな)へしことは万葉集(まんえふしふ)にも見(み)えて古(ふる)き唱(とな)へにてぞ有(あり)ける古老(こらう)が  話(かた)れるはかゝる高山(かうざん)にて積雪(しやくせつ)深(ふか)けれど麓(ふもと)より巔(いただき)に至(いた)る迄(まで)松(まつ)樅(もみ)檜(ひ)栂(とが)  等(とう)の古木(こぼく)積翠(しやくすゐ)朦朧(もうろう)として真黒(まくろ)に見(み)ゆるより名附(なづけ)たる謂(いはれ)とぞ話(かた)りし  或説(あるせつ)に上古(しやうこ)の御世(おんよ)には此國(このくに)の名(な)を毛國(けのくに)と名附(なづく)毛(け)といふ时(とき)は成(じやう)  熟(じゆく)の意(こゝろ)なり田畠(たはた)に耰(たねがし)して生(しやう)ぜしものを作毛(さくまう)と唱(とな)へ成熟(じやうじゆく)せさる  地(ち)を不毛(ふまう)の地(ち)と呼(よぶ)か如(ごと)し當國(たうごく)も神代(じんだい)より高山(かうざん)に樹木(じゆもく)の成立(せいりふ)し  けるより國(くに)の名(な)も是(これ)より起(おこ)れるにや又(また)毛(け)とは草木稲蔬(さうもくたうしよ)の生熟(せいじゆく)  する謂(いはれ)をもて黒髪山(くろかみやま)とは称(しよう)するならんといふ此説(このせつ)の如(ごと)きも其(その)  理(り)當(あた)れるに似(に)たり又(また)男躰山(なんたいざん)の名(な)より大真子(おほまなご)小真子(こまなご)の二子(じし)の称(しよう)  をも生出(しやうしゆつ)せしなり扨(さて)麓(ふもと)禅頂口(ぜんぢやうぐち)より登(のぼ)ること凢(およそ)三里の直道(ちよくだう)なり絶(ぜつ)  巔(てん)に三社(さんじや)を祀(まつ)れり頂上(ちやうじやう)の廣(ひろ)さ南北拾町 許(ばかり)東西三町ほど登道(のぼりみち)𡸴(けん)  嵓(がん)にて道(みち)絶(たえ)たる危(あやふ)き所(ところ)もなく躋躡(せいでふ)する事 易(やす)し仍(よつ)て古木(こぼく)の欝(うつ)■(すゐ) 【図】 【左丁】 相覧【印】 【右丁】  四时(しいし)枝葉(しえふ)を栄(さか)え石楠花(しやくなんげ)二尺より三四尺 廻(まは)り或(あるひ)は躑躅(つゝじ)の拱抱(きようはう)すべ  き大木(たいぼく)数多(あまた)有(あり)て林(はやし)をなせり絶頂(ぜつちやう)に至(いたり)ては四邊(しへん)の神秀(しんしう)なることは  言葉(ことば)に述(のべ)がたし巔(いたゞき)に神社(じんじや)を祀(まつ)り玉ふは勝道上人(しようだうしやうにん)神護景雲元年  四月 初(はじめ)て跋渉(ばつせふ)を企(くはだて)て半路(はんろ)にして雷鳴(らいめい)し路(みち)に迷(まよひ)て登(のぼ)ることを得(え)ず  夫(それ)より十五年を經(へ)て天應元年四月 又(また)企(くはだて)て登(のぼ)らんとすれども果(はた)  さず同二年三月 經(きやう)を写(しや)し仏(ほとけ)を圖(づ)し山麓(さんろく)に至(いたり)て一七日 讀經(どきやう)し神(しん)  明(めい)に誓(ちか)ひ山頂(さんちやう)に至(いた)ることを得(え)ば經巻(きやうくわん)仏像(ぶつざう)を絶頂(ぜつちやう)に置(おき)て天地(てんち)の神(しん)  明(めい)の為(ため)に供養(くやう)し神威(しんゐ)を崇(あが)め奉らんと祈念(きねん)し誓(ちか)ひ漸(やうやく)三 度目(どめ)に登(とう)  臨(りん)を極(きはむ)と《割書:云| 云》此时(このとき)上人(しやうにん)神祠(しんし)を祀(まつ)り玉ふは天地(てんち)の神明(しんめい)を祀(まつ)り給ふ  なり其後(そのゝち)弘仁七年 登山(とうざん)の时(とき)に三神(さんじん)の影向(やうがう)を拝(はい)し玉ひて祀(まつ)りける  は是(これ)日光三社權現(につくわうさんじやごんげん)の鎮(しづま)りましますの始(はじめ)也 對面石(たいめんせき)とて山上(さんしやう)に一 石(せき)  あり弘仁七年 影向(やうがう)を拝(はい)し給ふ石(いし)なりといへり此餘(このよ)記(き)するに遑(いとま)あら 【左丁】  ず禅頂(ぜんぢやう)して其(その)神秀(しんしう)なるを知(しる)べし  《割書:万葉|十一》うば玉(たま)の黒髪山(くろかみやま)の山菅(やますげ)にこさめ降(ふり)しきます〳〵ぞ思(おも)ふ 人丸  《割書:續古|今》うば玉(たま)の黒髪山(くろかみやま)を朝(あさ)越(こえ)て木(こ)の下露(したつゆ)にぬれにけるかな 同  《割書:新後|拾遺》身(み)のうへにかゝらんことを遠(とほ)からぬ黒髪山(くろかみやま)にふれるしら雪(ゆき) 従三位頼政  《割書:堀川|百首》旅人(たびゞと)の真菅(ますげ)の笠(かさ)や朽(くち)ぬらん黒(くろ)かみ山(やま)の五月雨(さみだれ)のころ 公実朝臣  《割書:同 》うば玉(たま)の黒髪山(くろかみやま)に雪(ゆき)ふれば谷(たに)も埋(うもる)るものにぞ有(あり)ける 俊頼朝臣    うば玉の黒髪山(くろかみやま)の頂(いたゞき)に雪(ゆき)も積(つも)らばすら髪(が)とや見む 隆源  《割書:夫木》ながむ〳〵散(ちり)なんことを君(きみ)もとへ黒(くろ)かみ山(やま)に花(はな)咲(さき)にけり 西行法師  《割書:寛永十三年二十一 囘(くわい) 御忌(ぎよき) 勅會(ちよくゑ)にて公卿(くぎやう)門跡(もんぜき)登山(とうざん)此时(このとき)阿野宰相藤原公業卿 夘(う)|月(づき)の初(はじめ)に登山(とうざん)ありて》    山菅(やますげ)の橋(はし)よりみれば名(な)にも似(に)ず黒(くろ)かみ山(やま)に残(のこ)るしら雪(ゆき)  《割書:慶安元年三十三 囘(くわい) 御忌(ぎよき) 勅會(ちよくゑ)にて公卿(くぎやう)門跡(もんぜき)登山(とうざん)此时三條宰相藤原実教卿|夘月(うづき)の初(はじめ)に登山(とうざん)ありて》    时(とき)しらぬたぐいか是(これ)も夏(なつ)かけて黒髪山(くろかみやま)にふれる白雪(しらゆき) 【図】 【右丁】 湛齋冩 【左丁】 如宝山 小マナ子 【図】 【右丁】 大マナゴ 男體山 【左丁】 男躰の晴雪 【右丁】 南湖(なんこ) 中禅寺(ちゆうぜんじ)の湖水(こすゐ)と唱(とな)ふるものなり㐧一の大湖(たいこ)にして凢(およそ)東西三里  餘(よ)南北 凢(およそ)一里 餘(よ)又(また)八功徳池(はつくどくち)と名附(なづく)ることは縁起(えんぎ)にみえたり凢(およそ)山腹(さんふく)  山趾(さんし)に四拾八 湖(こ)有(あり)となん聞(きけ)るされど其(その)在所(さいしよ)も定(さだ)かに知(し)れるもの  なし大師(だいし)の記文(きぶん)に載(のせ)たるが如(ごと)く眄坤更有一大湖羃計一千餘町  《割書:云| 云》清潔(せいけつ)なる冷水(れいすゐ)ゆゑ鱗蟲(りんちゆう)も生(しやう)せず一 㸃(てん)の塵芥(ぢんかい)もなく常(つね)に白波(はくは)  汀濱(ていひん)に湛(たゝ)へ旱年(かんねん)又(また)は霖雨(りんう)にも不耗(へらず)不溢(あふれず)そのかみ神護景雲元年  勝道上人(しようだうしやうにん)㳺覧(いうらん)せられしより今(いま)も猶(なほ)現然(げんぜん)として竒觀(きくわん)なる大湖(たいこ)といふべし 南岸橋(なんがんきやう) 蕐嚴滝(けごんのたき)落口(おちくち)より上(うへ)にあり湖水(こすゐ)の流(ながれ)瀧口(たきぐち)へ至(いた)る水路(すゐろ)に板橋(いたばし)  を架(か)す花供行人(けくうぎやうにん)歌濱(うたのはま)より是(これ)を渡(わた)りて別所(べつしよ)へ來(く)る通路(つうろ)とすまたは  足尾(あしを)より峠(たうげ)へ掛(かゝ)り嶺上(れいしやう)に中禅寺道(ちゆうぜんじみち)へ別(わか)る岐路(きろ)あり夫(それ)より山路(さんろ)の  険(けん)を經(へ)て中禅寺(ちゆうぜんじ)へ詣(まうづ)るもの徃來(わうらい)せり 歌濱(うたのはま) 湖水(こすゐ)の南 岸(がん)なり上世(じやうせい)勝道尊師(しようだうそんし)兹(こゝ)の汀濱(ていひん)を㳺覧(いうらん)し修行(しゆぎやう)せら 【左丁】  れし时(とき)天人(てんにん)下(くだ)りて歌詠(かえい)讃嘆(さんたん)せしといへり依(より)て夫(それ)より此所(このところ)を歌濱(うたのはま)  と称(しよう)する由(よし)其(その)旧跡(きうせき)今(いま)花供行者(けくうぎやうじや)の篭(こも)る所(ところ)を宿(やど)と称(しよう)するあり是(これ)其(その)  旧跡(きうせき)なりといへり 寺﨑(てらがさき) 南 岸(がん)にて歌濱(うたのはま)より西の方(かた)此地(このち)は勝道師(しようだうし)の開建(かいけん)にあらず慈覚(じがく)  大師(だいし)の草創(さう〳〵)といへり嘉祥元年四月 此地(このち)に到(いた)り給ひ薬師堂(やくしだう)を創建(さうこん)  し給ひ手(しゆ)𠜇(こく)の本尊(ほんぞん)を安(あん)し其堂(そのだう)の中心(ちゆうしん)に薬壷(やくこ)を埋(うづみ)給ひ薬師寺(やくしじ)と  称号(しようがう)す此(この)薬壷(やくこ)といふは天竺(てんぢく)の耆婆醫王(ぎはいわう)より一行和尚(いぢぎやうをしやう)へ相傳(さうでん)の薬壷(やくこ)  なる由(よし)此事(このこと)は當山(たうざん)の古記(こき)なる宸翰(しんかん)の五 軸(ぢく)の文(ぶん)に出(いで)たることを聞(きけ)り  南 岸(がん)より八町 程(ほど)築(つ)き出(いだし)し如(ごと)き小山(こやま)の出﨑(でさき)に薬師堂(やくしだう)あるゆゑ寺(てらが)  /﨑(さき)薬師寺(やくしじ)と称(しよう)する所(ところ)なり 《振り仮名:日輪寺𦾔迹|にちりんじのきうせき》 勝道上人(しようだうしやうにん)歌濱(うたのはま)にしばし草庵(さうあん)を結(むすび)給ふ时(とき)或夜(あるよ)の夢(ゆめ)に  大日輪(だいにちりん)の内(うち)に五大尊(ごだいそん)の出現(しゆつげん)を拝(はい)し給ひしゆゑ五大尊(ごだいそん)を𠜇(こく)して此(この) 【図】 石楠花(しやくなけ) 【右丁】  所(ところ)に草創(さう〳〵)せられ日輪寺(にちりんじ)と名附(なづけ)給ひし由(よし)兹(こゝ)も南 岸(がん)なり 上野島(かうづけしま) 此地(このち)は中禅寺(ちゆうぜんじ)別所(べつしよ)の邊(へん)の湖岸(こがん)より望(のぞ)むに湖中(こちゆう)に浮(うか)み出(いで)  たる如(ごと)く見(み)ゆる島(しま)なり竒石(きせき)珍木(ちんぼく)多(おほ)しといふ勝道上人(しようだうしやうにん)の遺骨(ゆゐこつ)を納(をさめ)し  碑石(ひせき)あり其(その)うしろに慈眼大師(じげんだいし)の遺骨(ゆゐこつ)を納(をさめ)し塔(たふ)あり仍(よつ)て此邊(このへん)舩禅(ふなぜん)  頂(ぢやう)の拝所(はいしよ)なり 千手﨑(せんじゆがさき) 此地(このち)は中禅寺(ちゆうぜんじ)より西 寄(より)の湖岸(こがん)なり傳(つた)へいふ勝道上人(しようだうしやうにん)延暦  三年四月廿日 湖上(こしやう)にして金色(こんじき)の千光眼(せんくわうがん)の影向(やうがう)を拝(はい)し給ひしゆゑ  爰(こゝ)に千手大士(せんじゆだいし)を創建(さうこん)し玉ひ補陀洛山(ふだらくせん)千手院(せんじゆゐん)と名附(なづけ)給ふといふ其後(そのゝち)  弘法大師(こうぼふだいし)登山(とうざん)の时(とき)此地(このち)に來(きた)り千光眼(せんくわうがん)を礼拝(らいはい)して補陀洛山(ふだらくせん)発心(ほつしん)  檀門(だんもん)といふ額(がく)を書(かき)給ひ堂宇(だうう)に掲(かゝげ)たるをいつの頃(ころ)にか㙒火(のび)に罹(かゝ)り  焦土(せうど)と成(なり)しを文政二年の春(はる)一山(いつさん)の法門院(ほふもんゐん)上人職(しやうにんしよく)なりし时(とき)に発願(ほつぐわん)  に依(より)て補陀洛山(ふだらくせん)発心檀門(ほつしんだんもん)の額字(かくじ)當(たう) 【左丁】  御門主公猷大王 御筆(おんふで)を染(そめ)させ給ふといふ 千手原(せんじゆがはら) 是(これ)は千手﨑(せんじゆがさき)より續(つゞ)き赤沼原(あかぬがはら)の南西によれり廣(ひろ)さ凢(およそ)一里  半 餘(よ)も有(あり)ける由(よし)兹(こゝ)は徃反(わうへん)する處(ところ)にあらねば知(し)れるものすくなし  千手(せんじゆ)かんひと称(しよう)する草花(さうくわ)の名産(めいさん)を生(しやう)ず 千手砂利(せんじゆのしやり) 是(これ)は千手﨑(せんじゆがさき)の出﨑(でさき)にあり真白(ましろ)にて舎利石(しやりせき)の如(ごと)し或(あるひ)は  千手石(せんじゆせき)とも唱(とな)ふ 千手清水(せんじゆのしみづ) 千手堂(せんじゆだう)の後山(うしろやま)より流出(ながれいづ)る清水(しみづ)なり 菖蒲沼(あやめがぬま) 南 湖(こ)の北 寄(より)の入江(いりえ)をいふ爰(こゝ)の北 涯(がい)に殺生禁断(せつしやうきんだん)の碑(ひ)あり  是(これ)より北西南を境(さかひ)とす 赤岩(あかいは) 南 湖(こ)の北 涯(がい)にあり 白岩(しろいは) 南 湖(こ)西 寄(より)の湖岸(こがん)にあり 瑠璃壷(るりがつぼ) 菖蒲沼(あやめがぬま)の邊(へん)より北の山中(さんちゆう)に洞窟(どうくつ)あり縁起(えんぎ)にいふ勝道上人(しようだうしやうにん)  の遺骨(ゆゐこつ)を此(この)窟中(くつちゆう)に納(をさ)むとあり 龍頭滝(りうづかたき) 是(これ)は湯瀧(ゆのたき)の下流(かりう)なり路傍(ろばう)より望見(のそみみ)る时(とき)は水㔟(すゐせい)おのづから 【図】 【右丁】 齢七十二 画狂老 人卍筆 【左丁】 龍頭滝其一 【図】 【右丁】 應需画 狂老人 卍冩■【意ヵ】 【左丁】 其二 【右丁】  龍頭(りうづ)の如(ごと)し故(ゆゑ)に名附(なづけ)たり秋(あき)來(く)れば紅葉(もみぢ)の好所(かうしよ)なるゆゑ別名(べつみやう)を  紅葉瀑(もみぢのたき)とも唱(とな)ふ此瀧(このたき)は南 湖(こ)に落入(おちいる)迄(まで)に数(す)ヶ所(しよ)に瀧(たき)有(あり)て絶景(ぜつけい)な  る事(こと)筆紙(ひつし)に尽(つく)しがたし其(その)大概(たいがい)を略圖(りやくづ)して前(まへ)に出(いだ)せり 地獄茶屋(ぢごくのちやや) 中禅寺(ちゆうぜんじ)別所(べつしよ)の邊(へん)より湖水(こすゐ)に随(したが)ひ凢(およそ)一里 餘(よ)ゆきて徃來(わうらい)  橋(ばし)を踰(こえ)て其上(そのうへ)にあり名附(なづく)る處(ところ)は此(この)茶屋(ちやや)より東に當(あた)り男躰山(なんたいさん)の  麓(ふもと)に洞穴(どうけつ)有(あり)て窟底(くつてい)の深(ふか)さ知(しられ)ざるゆゑ土人(とじん)地獄穴(ぢごくあな)と呼(よび)けり其(その)あた  り近(ちか)きゆゑ竟(つひ)に地獄(ぢごく)の茶屋(ちやや)と唱(とな)ふ爰(こゝ)は湯元(ゆもと)迄 程遠(ほどとほ)ければ旅人(りよじん)  中休(なかやすみ)の為(ため)に設(まう)く 木叉寺旧跡(もくさうじのきうせき) 是(これ)も湯元(ゆもと)徃來橋(わうらいばし)の東の山腹(さんふく)にあり弘法大師(こうぼふだいし)開基(かいき)とは  傳(つた)ふれども今(いま)は故地(こち)のみ其名(そのな)を傳(つた)ふ 顯釋坊淵(げんしやくばうのふち) 湖水(こすゐ)東の入江(いりえ)をいふ徃古(わうこ)此僧(このそう)が入水(じゆすゐ)の所(ところ)なり年(ねん)〻(〳〵)七月  濵禅頂(はまぜんぢやう)の时(とき)笹(さゝ)つとの㚑供(れいく)とて弥陀經(みだきやう)を括(くゝ)り付(つけ)て湖中(こちゆう)へ投(とう)じ上人(しやうにん) 【左丁】  囘向(ゑかう)すれば忽(たちまち)弥陀經(みだきやう)を水底(すゐてい)へ引込(ひきこむ)が如(ごと)くして沈(しづ)む禅頂(ぜんぢやう)する道(だう)  俗(ぞく)竒異(きい)の想(おもひ)をなせり 鉢山(はちやま) 丸(まろ)き山(やま)なり湖水(こすゐ)の北にて男躰(なんたい)の南に連(つらな)る 鉢石(はちいし) 湖中(こちゆう)にあり鉢(はち)やまの邊(へん)に有(ある)ゆゑ名附(なづ)く 四條寺旧跡(しでうじのきうせき) 鉢山(はちやま)より前(まへ)にて湖水(こすゐ)の邊(へん)弘法大師(こうぼふだいし)建立(こんりふ)此(この)旧跡(きうせき)を元(もと)  戒壇所(かいだんしよ)と号(がう)す 法蕐密嚴寺旧跡(ほつけみつごんじのきうせき) 鉢山(はちやま)の上(うへ)なり真済阿闍梨(しんさいあじやり)建立(こんりふ) 轉法輪寺旧跡(てんほふりんじのきうせき) 鉢山(はちやま)の麓(ふもと)教旻(きやうびん)建立(こんりふ) 般若寺旧跡(はんにやじのきうせき) 西湖(さいこ)の岸(きし)にあり弘法大師(こうぼふだいし)の建立(こんりふ)なり 梵字磐(ぼんじいは) 般若寺(はんにやじ)の前(まへ)湖水(こすゐ)の内(うち)にあり弘法大師(こうぼふだいし)梵字(ぼんじ)を㸃(てん)じ給ふ 若松﨑(わかまつのさき) 老松﨑(おいまつのさき) 日輪寺旧跡(にちりんじきうせき)の邊(へん)と般若寺跡(はんにやじのあと)の邊(へん)をいふ 標芽原(しめぢかはら) 或(あるひ)は戦塲原(せんぢやうがはら)又(また)は赤沼原(あかぬまがはら)など唱(とな)ふれども標芽原(しめぢがはら)の異称(いしよう)にて 【図】 【右丁】 竹谷寫【印 竹谷】 【左丁】 赤沼ヶ原 【右丁】  別(べつ)に其地(そのち)有(ある)にあらず赤沼(あかぬま)と唱(とな)ふる本説(ほんせつ)は此野(このの)の中(なか)に清水(せいすゐ)湧出(ゆ[う]しゆつ)  の㚑沼(れいせう)あり開祖上人(かいそしやうにん)閼伽(あか)の水(みづ)を汲(くみ)給ひし謂(いはれ)を以(もつ)て後世(こうせい)これを  閼伽沼原(あかぬまがはら)といふまた赤沼(あかぬま)とも書(かく)は神戦(しんせん)有(あり)し时(とき)血(ち)ながれて赤(あか)かりし  といふ説(せつ)よりいへり亦(また)戦塲原(せんぢやうがはら)の名(な)もこれより起(おこ)りしとぞ此(この)原野(げんや)  は中禅寺(ちゆうぜんじ)別所(べつしよ)の邊(へん)を去(さり)て湯元(ゆもと)入口(いりくち)迄(まで)三里の行程(かうてい)なり又(また)云(いはく)標芽(しめぢが)  原(はら)を或(あるひ)は忠女治原(しめぢがはら)と書(かけ)り  《割書:新古|今》猶(なほ)たのめしめぢか原(はら)のさし艾(もぐさ)我(われ)世中(よのなか)にあらんかぎりは 《割書:此哥は清水|觀音の御哥|ともいふ》  《割書:新千|載》いかなれば標芽原(しめぢがはら)の冬草(ふゆくさ)のさしも無(なく)ては枯果(かれはて)にけむ 《割書:よみ人しらす》  《割書:六帖》下野(しもつけ)や標芽(しめち)がはらのさし艾(もぐさ)おのが思(おも)ひに身(み)をや燒(やく)らむ 《割書:同》  《割書:新六》草(くさ)たちししめぢか原(はら)は霜枯(しもがれ)て身(み)は有増(あらまし)の頼(たのみ)だになし 《割書:衣笠内大臣》  《割書:夫木》たのめこし標芽原(しめぢがはら)の下蕨(したわらび)下(した)にもえても年(とし)へにしかな 《割書:俊成卿》  《割書:同 》下野(しもつけ)やしめぢか原(はら)の草(くさ)がくれさしもはなにしもゆるおもひぞ 《割書:光俊朝臣》 【左丁】  中禅寺(ちゆうぜんじ)別所(べつしよ)の邊(へん)より湯元(ゆもと)迄(まで)三里といふ湖水(こすゐ)の際(きは)に随(したが)ひ一里 許(ばかり)  も行(ゆき)て菖蒲沼(あやめがぬま)などいへる所(ところ)は湖水(こすゐ)の末(すゑ)にてあやめ草(ぐさ)多(おほ)く生茂(しやうも)せし  ゆゑ名附(なつげ)たり夫(それ)より木立(こだち)を通(とほ)り赤沼原(あかぬまがはら)を逕(すぐ)ること二里 許(ばかり)にして  湯元(ゆもと)に至(いた)るすべて渺茫(べうばう)たる平原(へいげん)或(あるひ)は芝生(しばふ)の地(ち)多(おほ)く数品(すひん)の艸花(さうくわ)  あり春(はる)も気(き)𠊱(こう)おくれ四五月 頃(ごろ)に至(いた)り漸(やうやく)春(はる)の時気(じき)を得(え)て数(す)百 種(しゆ)  の花(はな)一 时(じ)に開(ひら)き爛漫(らんまん)として花氊(くわせん)をつらねたるが如(ごと)しゆゑに一 名(みやう)  を御花畑(おんはなばたけ)とも唱(とな)へり  戦塲原(せんぢやうがはら)の説(せつ)  上古(しやうこ)神(かみ)いくさ有(あり)し所(ところ)ともいひまた遥(はるか)に後(のち)の世(よ)に至(いた)りても鎌倉(かまくら)  御所(ごしよ)満兼朝臣(みつかねあそん)下野(しもつけ)の小山(をやま)退治(たいぢ)せらる是(これ)は永徳元年の事(こと)にて小(を)  山右馬頭義政(やまうまのかみよしまさ)其子(そのこ)若犬丸(わかいぬまる)南朝(なんてう)へ心(こゝろ)を通(つう)じ鎌倉(かまくら)の下知(けぢ)を叛(そむ)きける  ゆゑ右兵衛督殿(うひやうゑのかみどの)出馬(しゆつば)せらる此时(このとき)常陸(ひたち)の小田讃岐守入道(をださぬきのかみにふだう)父子(ふし)御先(おんさき) 【図】 【右丁】 其二 【左丁】 白根山 【右丁】  手(て)に参(まゐ)り忠功(ちゆうこう)を顕(あらは)し小山(をやま)が城(しろ)〻(〴〵)攻落(せめおと)さる然(しか)るに嘉慶二年五月  十三日 古河(こが)の住人(ぢゆうにん)野田右馬助(のだうまのすけ)囚人(めしうと)壱 人(にん)を搦(からめ)て鎌倉(かまくら)へ参(まゐ)らす此(この)  もの白状(はくじやう)申(まうし)けるは小田入道直高(をだにふだうなをたか)父子(ふし)小山若犬丸(をやまわかいぬまろ)と同意(どうい)し若犬(わかいぬ)  丸(まろ)を隠(かく)し置(おけ)る由(よし)を申(まう)す小田父子(をだふし)先年(せんねん)忠功(ちゆうこう)を尽(つく)せる人(ひと)なり何(なに)の  恨(うらみ)有(あり)て歒(てき)に同意(どうい)致(いた)しけるやと疑(うたがひ)ながら同(おなじ)き六月十三日 小田(をだ)が  子(こ)二 人(にん)召預(めしあづけ)七月十九日 管領(くわんれい)上杉中務大輔朝宗(うへすぎなかつかさのたいふともむね)を大将(たいしやう)として小(を)  田(だ)が城(しろ)を攻(せめ)ければ小田直高(をだなほたか)並 子息(しそく)二人 家老(からう)信田某等(しだなにがしら)城(しろ)を落去(らくきよ)  野刕(やしう)男躰山(なんたいざん)へ楯篭(たてこも)る此所(このところ)は高山(かうざん)にて力責(ちからぜめ)にも難落(おとしがたく)同(おなじ)き十一月  廿四日より相戦(あひたゝか)ひけるといへども勝負(しようぶ)も分(わか)たず依(よつ)て鎌倉殿(かまくらどの)より  謀(はかりごと)を以(もつ)て海老名備中守(えびなびつちゆうのかみ)を御使(おんつかひ)として免許(めんきょ)可被成(なさるべく)間(あひだ)出城(しゆつじやう)すべき  由(よし)被仰遣(おほせつかはされ)けるゆゑ翌(よく) 康慶元年五月 小田(をだ)并 子息(しそく)孫四郎(まごしらう)を被召出(めしいだされ)  嫡子(ちやくし)太郎(たらう)をば那須越後守(なすゑちごのかみ)へ預(あづけ)給ひ同(おなじ)き廿七日 曉天(けうてん)に又(また)鎌倉㔟(かまくらぜい) 【左丁】  攻(せめ)よす依(よつ)て小田(をだ)が家臣等(かしんら)百 餘人(よにん)討死(うちじに)し城(しろ)に火(ひ)を懸(かけ)て残(のこ)る者(もの)ど  も没落(ぼつらく)せりといふ事(こと)大草紙(おほざうし)に載(のせ)たり此砌(このみぎり)小山(をやま)が家(いへ)は亡(ほろび)けり徃(わう)  昔(じやく)治承 年中(ねんぢゆう)より右大将家に仕(つかへ)し小山左衛門尉朝政(をやまさゑもんのじようともまさ)兄㐧(きやうだい)三 人(にん)各(おの〳〵)  武威(ぶゐ)を輝(かゞやか)し鎌倉公方家(かまくらくばうけ)の世(よ)に至(いた)りても関東(くわんとう)の七屋形(なゝやかた)と称(しよう)せる  内(うち)なりしが一 时(じ)に滅(めつ)し又(また)小田直高(をだなほたか)が家(いへ)は宇都宮(うつのみや)の元祖(ぐわんそ)座主三(ざすのさむ)  郎宗綱(らうむねつな)より出(いで)て是(これ)も連綿(れんめん)として常陸(ひたち)に住(ぢゆう)し七屋形(なゝやかた)の内(うち)なる名(めい)  家(け)なれど此时(このとき)にぞ亡(ほろび)ける偖(さて)野刕(やしう)男躰山(なんたいざん)とあるに今(いま)も山中(さんちゆう)に幕(まく)  張(ばり)楢弓(ならゆみ)張楢(はりなら)などいふもあるはさるゆゑある事ならん猶(なほ)後(のち)の考(かんがへ)に  備(そな)ふ 白鶴(はくくわく) 土人(どじん)三社權現(さんじやごんげん)の神鳥(しんてう)なりと号(がう)すむかしより一番(ひとつがひ)のみ此原(このはら)  にすみけり雛(ひな)を養(やしな)ひけれどいづちへか翶翔(くわうしやう)し去(さり)て丹頂(たんちやう)の番(つがひ)ば  かり爰(こゝ)にすめり四五十年 前迄(まへまで)は原㙒(げんや)の中(うち)に逰(あそ)び居(ゐ)たるを湯元(ゆもと)へ 【右丁】  徃反(わうへん)する旅人(りよじん)にも驚(おどろか)ず夫(それ)ゆゑ近(ちか)く見(み)たるものも有(あり)しかど近來(きんらい)は  見るものなき由(よし)さきに神庿(しんべう)の伶官(れいくわん)迦山(かざん)といへるが話(かた)れるはおのれ  若(わかき)より白鶴(はくくわく)を見(み)んとて年毎(としごと)に春(はる)より秋(あき)迄の内(うち)一 度宛(どづゝ)中禅寺(ちゆうせんじ)よ  り湯元(ゆもと)へかけてゆきゝせしに明和の末(すゑ)安永の始(はじめ)の年(とし)にも原㙒(げんや)の中(なか)  にあたり蒹葭(けんか)のたけ五六尺もや有(あり)なん上(うへ)より其頭(そのかしら)を出(いだ)し居(ゐ)たる  をも見(み)けり夫(それ)より後(のち)年毎(としごと)に此㙒(このの)を逕(すぐ)れども近(ちか)きころは絶(たえ)て其(その)  俤(おもかげ)だにも見(み)ざるは近世(きんせい)人(ひと)の心(こゝろ)もあしく靈鳥(れいてう)のみえざれば在所(ざいしよ)  を尋(たづね)んとて蒹葭(けんか)を分入(わけいり)扖(さがし)などせしゆゑ神鳥(しんてう)もおそれて遠(とほ)く蒹(けん)  葭(か)の中(なか)へかくれける事(こと)ならんと話(かた)れり 野端湖(のばたのうみ) 男躰山(なんたいざん)の西にあり廣(ひろ)さ凢(およそ)十町に一里 許(ばかり)なり湖水(こすゐ)の廣狹(くわうさ)  をいふは皆(みな)二十五町を一里と定(さだ)めし方量(はうりやう)と知(しる)べし下(しも)同(おな)じ 西湖(さいこ) 千手﨑(せんじゆがさき)より西にあるゆゑ名(な)とす或(あるひ)は薊(あざみ)たひらの湖(うみ)ともいふ 【左丁】  凢(およそ)一里に二拾町 許(ばかり)起文(きぶん)に西顧亦有_二 一小湖_一合_レ有_二 二十餘頃_一と《割書:云| 〻》 蓼湖(たでのうみ) 男躰山(なんたいざん)より乾(いぬゐ)に當(あた)る蓼草(たでくさ)多(おほ)きゆゑ名附(なづく)廣(ひろ)さ二十町 許(ばかり) 狩篭湖(かりごめのうみ) 男躰山(なんたいざん)の後(うしろ)の方(かた)太郎嶽(たらうがたけ)の麓(ふもと)にあり一 説(せつ)に上世(じやうせい)山中(さんちゆう)に人(ひと)  を害(がい)する毒龍(どくりう)すみけるゆゑ靈神(れいじん)此所(このところ)に狩篭(かりこめ)給ひしゆゑ名附(なづく)といふ  余所(よそ)の高山(かうざん)㚑地(れいち)にも此名(このな)あり 魔湖(まのうみ) 是(これ)は奥白根(おくしらね)と前白根(まへしらね)との間(あひだ)にあり四邊(しへん)水際(みづぎは)より深(ふか)き事(こと)は  数尋(すひろ)にて此湖(このうみ)の端(はた)へ畏(おそ)れて近附(ちかづ)くものなし夫(それ)ゆゑ魔湖(まのうみ)と名(な)  附(づく)る欤 廣(ひろ)き湖(うみ)にはあらぬ由(よし) 佛湖(ほとけのうみ) 是(これ)は前(まへ)の魔湖(まのうみ)と相對(あひたい)してあり廣(ひろ)さ三四町四 方(はう)も有る(ある)べし仏(ぶつ)  砂利(しやり)を出(いだ)す湖(うみ)の形(かたち)は山越(やまこし)の弥陀(みだ)の尊容(そんよう)なりとて名附(なづけ)たる由(よし)猶(なほ)  委(くはしく)は白根山(しらねさん)の條(でう)に出(いだ)せり 絹沼(きぬぬま) 兹(こゝ)は御神領(おんしんりやう)の内(うち)なれども塩谷郡(しほやのこほり)栗山郷(くりやまのがう)の山奥(やまおく)ゆゑ行(ゆき)て湖(こ) 【右丁】  水(すゐ)を見(み)たるもの稀(まれ)なり御山内(おんさんない)より栗山郷(くりやまのがう)迄(まで)六里の山路(さんろ)にて又(また)  栗山郷(くりやまのがう)の内(うち)湯西(ゆにし)又(また)河俣(かはまた)などいふ所(ところ)より此(この)絹沼(きぬぬま)迄(まで)山路(さんろ)六里といふ  合(あはせ)て拾二里の山路(さんろ)殊(こと)に人境(にんきやう)の絶(たえ)たる所(ところ)ゆゑ逰覧(いうらん)するものなし  唯(たゞ)古(いにしへ)より傳(つたふ)る所(ところ)を話(かた)れるのみされども男躰山(なんたいざん)太郎嶽(たらうがたけ)又(また)は奥白根(おくしらね)  山(さん)等(とう)の絶頂(ぜつぢやう)より遥(はるか)に見(み)ゆ方位(はうゐ)は男躰山(なんたいさん)の北 裏(うら)に當(あた)れり廣(ひろ)さ凢  一里四 方(はう)程(ほど)大師(だいし)の起文(きぶんに)云(いはく)北望則有_レ湖約許一百頃東西狹南北長《割書:云| 云》  又云覽_二北湖_一去_二南湖_一 三十許里《割書:云| 云》其(その)沼湖(せうこ)の清潔(せいけつ)にして㚑草(れいさう)珍木(ちんぼく)湖(こ)  岸(がん)に連(つらな)り松檜(しようくわい)枝(えだ)を垂(たり)沼底(せうてい)も深(ふか)からず砂石(しやせき)皆(みな)五彩(ごさい)の色(いろ)にて清水(せいすゐ)  おのづから五色(ごしき)に見(み)ゆとぞ錦(にしき)の蕐(はな)さきたる景色(けしき)にて機(はた)を織(おり)たる  が如(ごと)く四季(しき)の花(はな)常(つね)に絶(たえ)ず偏(ひとへ)に仙人境(せんにんかい)ともいふべく樹木(じゆもく)皆(みな)岩上(がんしやう)  に屈蟠(くつはん)して曲折(きよくせつ)自然(しぜん)の景色(けいしよく)なりと仍(よつ)て錦沼(にしきぬま)と称(しよう)せしが今(いま)は絹(きぬ)  沼(ぬま)と号(がう)す水末(すゐまつ)三 方(ばう)へ流(なが)れ落(おち)會津(あひづ)へも至(いた)りまた一 流(りう)は上野(かうつけ)の山(さん) 【左丁】  中(ちゆう)へ流入(ながれいり)て利根川(とねがは)の水源(すゐげん)なりともいふむかしより水路(すゐろ)をたれも見  定(さた)めたるものもなし當國(たうごく)を流(なが)れて常陸(ひたち)下総(しもふさ)へ流(なが)れ入(いる)を絹川(きぬがは)と  称(しよう)するをば人(ひと)の知(し)れる処(ところ)なり亦(また)此(この)沼湖(せうこ)上世(じやうせい)には一 湖(こ)にて有(あり)し  由(よし)なれどもいつの頃(ころ)よりにや分裂(ぶんれつ)して十二 湖(こ)となり下流(かりう)は次(し)  㐧(だい)〻〻(〳〵  )に會流(くわいりう)して絹川(きぬがは)となれり 湯湖(ゆのうみ) 是(これ)は湯元(ゆもと)にあり廣(ひろ)さ凢(およそ)拾四五町に二十町 許(ばかり) 中禅寺温泉(ちゆうぜんじのおんせん) 八湯(はつたう) 中禅寺(ちゆうぜんじ)別所(べつしよ)より西北に當(あた)り赤沼原(あかぬまがはら)を逕(すぎ)湯(ゆ)  元(もと)迄三里 日光神橋(につくわうみはし)より六里あり春(はる)も風雪(ふうせつ)寒威(かんゐ)はげしく三月 末(すゑ)  迄も餘寒(よかん)有(ある)ゆゑ四月八日を初(はじめ)として登山(とうざん)し各(おの〳〵)湯室(たうしつ)を開(ひら)き初(はじ)む  れども白根嶽(しらねがたけ)はまた残雪(ざんせつ)多(おほ)く五月 末(すゑ)より六月に至(いた)らざれば浴(よく)  するものも少(すくな)し九月には前山(せんざん)に雪(ゆき)降(ふる)ゆゑ九月八日を終(をは)りとして  湯室(たうしつ)をとぢて麓(ふもと)へ下(くだ)る日光町方(につくわうまちかた)のもの持(もち)とす湯室(たうしつ)を開(ひら)き日(ひ)〻(ゞ) 【図】 【右丁】 中禪 寺山 奥温 泉塲 之圖 ユノタキ 【左丁】 温泉湖 武州不退林憲【印】 【右丁】  日光町(につくわうまち)より米穀(べいこく)園蔬(ゑんそ)を初(はじ)め其餘(そのよ)の諸品(しよひん)を脊負(せお)ひ送(おく)れり  河原湯(かはらのゆ)《割書:甚热(じんねつ)なり湖水(こすゐ)湛(たゝふ)る时(とき)は|热(あつ)し乾(かわ)く时(とき)はぬるし》    藥師湯(やくしのゆ)《割書:㐧(だい)一 眼病(がんびやう)によし》  姥湯(うばのゆ)《割書:黒(こく)苦味(くみ)》           瀧湯(たきのゆ)《割書:甚冷(じんれい)なり》  中湯(なかのゆ)《割書:热(ねつ)なり》           笹湯(ささのゆ)《割書:寒暑(かんしよ)の濕(しつ)をはらふ》  御所湯(ごしよのゆ)《割書:㐧(だい)一 金瘡(きんさう)に妙(みやう)なり》     荒湯(あらゆ)《割書:热湯(ねつたう)なり》  自在湯(じざいゆ)《割書:平清(へいせい)なり洪水(こうずゐ)の时(とき)遣(つか)ひ水(みづ)不自由(ふじゆう)なる时(とき)|此湯(このゆ)にて飯(めし)を炊(た)きても匂(にひ)ひなし》 湯平(ゆのたひら) 温泉(おんせん)の浴室(よくしつ)九 軒(けん)あり毎年(まいねん)始(はじまり)と終(をはり)とすることは前(まへ)に記(しる)  せり此 温泉(おんせん)を開闢(かいびやく)せし年代(ねんだい)しらず九 軒(けん)の屋作(やづく)り各(おの〳〵)間廣(まびろ)に  構(かま)へたり地形(ちぎやう)は大抵(たいてい)平坦(へいたん)にして三四町 程(ぼと)も有べけれど東 寄(より)  の山際(やまぎは)より温液(おんえき)生(しやう)ずるゆゑ皆(みな)東の山寄(やまより)に連住(れんぢゆう)せり西北の方に  平坦(へいたん)續(つゞ)けども少(すこ)しく低(ひき)く古(いにしへ)は爰等(こゝら)も一 面(めん)の湯湖(たうこ)にて有し事なら  ん今(いま)も蒹葭(けんか)のみ生(お)ひ茂(しげ)れり扨(さて)此所(このところ)より上刕(じやうしう)沼田領(ぬまたりやう)への間道(かんだう)あり 【左丁】  其(その)山路(さんろ)のことは次(つき)にしるせり 金精峠(こんせいたうげ) 湯平(ゆのたひら)より西北の間に金精沢(こんせいざは)と唱(とな)ふる渓間(けいかん)に徑(こみち)有(あり)其(その)険隘(けんあい)  の路([み]ち)を傳(つた)ひ行事一里半の餘(よ)を經(へ)て峠に至(いた)る金精の社(やしろ)迄は一里なり  夫(それ)よりまた半里を登(のぼ)りて峠なり金精權現(こんせいごんげん)と称(しよう)する小祠あり祭(さい)  神しられず徃古(わうご)何ものゝ納たるにや銅(あかゝね)に滅金(めつき)せし男根をもて神  躰(たい)とせり中古(ちゆうこ)また自然(じねん)に男女交合(なんによかうがふ)の形(かたち)に出來たる古木の根株(こんちゆう)  を納(をさ)めたり諸願(しよぐわん)を祈(いの)るに驗(しるし)ありといひ傳(つた)ふ此社は湯亭(たうてい)のものゝ  持とせり扨(さて)此峠(このたうげ)の古名(こめい)は樾(こむら)峠なり和名抄に木枝相交下陰(もくしあひましはるかいん)を樾(こむら)  といふと《割書:云| 〻》されば五音相通しけるよりしていつしかきむら峠  と轉誤(てんご)せるなり兹(こゝ)の山(さん)中に肉蓯蓉(にくしゆうよう)多(おほ)く生ず其くさむらの名をも  きむら茸(たけ)と呼(よべ)り此蕈(このくさびら)は薬品(やくひん)にして能(よく)腎經(じんけい)を補助(ほじよ)するものなれば  とて何ものか兹に陽物(やうぶつ)を祀(まつ)りて金精(こんせい)と称し古名(こみやう)の樾(こむら)を轉じて 【右丁】 【図】 肉蓯蓉(にくしゆうやう)《割書:初夏(しよか)のすゑに生(しやう)じ其色(そのいろ)白(しろ)く上(うへ)に|花(はな)のごとく開(ひら)きたるものは赤(あか)し》 湖孑【印】 花(はな)  べにとび白(しろ)ふくりんしん黄(き) うす黄色(きいろ) くきうす赤(あか) 筋(すぢ)濃(こい)あか 爪(つめ)黄(き)  さき赤 白 【左丁】  きむらと唱(となふ)るより今は又(また)轉誤(てんご)してきむらのむの音(おん)をまに替(かへ)て  鄙劣(ひれつ)の唱(とな)へを詈(のゝし)ること笑(わら)ふべきにあらずやされども五 音(おん)に通(つう)  用(よう)する事より起(おこ)れり又(また)此峠(このたうげ)は上野(かうづけ)下㙒(しもつけ)の國界(こくかい)に接(せつ)して兹(こゝ)より  西の方(かた)へ下る迄四里 許(ばかり)の𡸴(けん)路(ろ)を踰(こえ)て上刕(じやうしう)沼田(ぬまだ)に近(ちか)き小川村(をがはむら)と  いふに至(いた)る人境(しんきやう)をはなれたる山道(さんだう)なり夫(それ)より越後(ゑちご)へもゆけりと  いへり常(つね)に人の通行(つうかう)なし 前白根山(まへしらねさん) 湯平(ゆのたひら)より乾(いぬゐ)に當(あた)る又(また)白根沢(しらねざは)といふ所は湯平(ゆのひら)の西の方に  て此沢(このさは)より登口(のぼりくち)あり西に連(つらな)る山岳(さんがく)は是(これ)も白根山(しらねさん)の亘(わた)り出たる  峰巒(ほうらん)なり前白根(まへしらね)も頂上(ちやうじやう)迄凢三里 許(ばかり)六月に至(いた)る迄 谷(たに)〻(〴〵)凍雪(とうせつ)所(しよ)〻(〳〵)  消(きえ)やらず湯屋(ゆや)より居(ゐ)ながら盛夏(せいか)の时(とき)も猶(なほ)白雪(はくせつ)を望(のぞ)めり登山(とうざん)す  るには其(その)皚(がい)〻(〳〵)たるを陟(わた)り行(ゆく)こと或(あるひ)は十町 又(また)五町も躋攀(せいはん)し尖岩(せんがん)  を𨂻(こえ)て漸(ぜん)〻(〳〵)登(のぼ)りて前白根山(まへしらねさん)の頂上(ちやうじやう)に至(いた)る又(また)奥白根山(おくしらねさん)は突兀(とつこつ)とし 【図】 【右丁】 白根山 魔海 奥白根山 佛海 前白根山 【図】 【右丁】 白根葵(しらねあふひ) 【左丁】 椿山人寫 生【印 平弼】 【右丁】  西(にし)に特立(とくりふ)し皆石山にて樹木(じゆもく)更(さら)に生ぜず前白根(まへしらね)の頂上(ちやうじやう)より昇降(しようごう)  して登(のぼ)ることまた一里なり実(じつ)に㚑山(れいざん)にして岩間(がんかん)《振り仮名:所〻|しよ〳〵》に苦桃(にがもゝ)と称(しよう)す  るものゝみ一面に生(お)ひ茂(しげ)り春(はる)花咲(はなさき)夏月(かげつ)実(み)を結(むす)べり大(おほき)さ豆(まめ)より少(ちひさ)く  色(いろ)赤(あか)く熟(じゆく)せり丹頂(たんちやう)是(これ)を好(このみ)て熟(じゆく)せし頃(ころ)むれ來(きた)りて其実(そのみ)をはめり  此(この)ゆゑをもて苦桃(にがもゝ)は鶴(つる)の好(このめ)る菓(くだもの)なれば延齢(えんれい)を保(たも)つべき薬品(やくひん)な  りといふ絶頂(ぜつちやう)に日光權現(につくわうごんげん)を祀(まつ)れる社(やしろ)あり兹(こゝ)にては白根權現(しらねごんげん)と崇(あが)む  社(やしろ)は唐銅(からかね)にて造(つく)れり承應元年 奉納(ほうなふ)の銘(めい)有(あり)此(この)山巔(さんてん)燒出(せうしゆつ)せしは慶  安二年のことなるに震動(しんどう)日(ひ)を經(へ)て不止(やまず)當山(たうざん)【平出】  御座主(おんざす)命(めい)じ玉ひ新宮拝殿(しんぐうはいでん)にて八講(はつこう)御修行(おんしゆぎやう)或(あるひ)は妙典(みやうてん)を誦(じゆ)せさせ  給ひける其时(そのとき)絶頂(ぜつちやう)燒破(やけやぶ)れ赤沼原(あかぬまがはらの)邊(へん)へ燒灰(やけはひ)二三尺 餘(よ)積(つも)り上刕(じやうしう)又は  會津領(あひづりやう)へも降(ふり)ける由(よし)燒破(やけやぶ)れし所(ところ)二町 許(ばかり)の岩穴(いはあな)となり深(ふか)さ何(なん)十 丈(ぢやう)  といふことをしらず徃昔(わうじやく)より勸請(くわんじやう)ありし石宮(いしのみや)も此时(このとき)窟中(くつちゆう)へ䧟(おちい)り 【左丁】  けるゆゑ唐銅(からかね)に造(つく)りて奉納(ほうなふ)すといふさて此嶽(このたけ)は上野(かうつけ)下野(しもつけ)の國界(こくかい)  にして上刕(じやうしう)の方(かた)なる八分目(はちぶんめ)と覚(おぼ)しき所(ところ)に社(やしろ)あり爰(こゝ)は上㙒國(かうづけのくに)の  地(ち)にして彼土(かのど)にては荒山權現(あらやまごんげん)と崇(あが)め祀(まつ)り生土神(うぶすなのかみ)とし毎年(まいねん)養蠶(やうさん)  を專(もつは)らとするゆゑ繭(まゆ)より取(とり)たる新糸(しんいと)を家(いへ)ごとに携(たづさ)へ詣(まうで)て各(おの〳〵)社(やしろ)よ  り注連(しめ)を曳(ひき)たる如(ごと)く結(むす)び合(あは)せて麓(ふもと)迄(まで)つなぎ附(つけ)たること其数(そのかず)多(おほ)け  れば何(なに)ともしられず遠(とほ)くより望(のぞむ)时(とき)は布(ぬの)など引(ひき)はへたるやうにぞ  見えける祭神(さいじん)は是(これ)も當所(たうしよ)の鎮神(ちんじん)と同躰(どうたい)にて社号(しやがう)のかはれるのみ  とぞ聞(きけ)るさすれば峻嶽(しゆんがく)を東西にわかち東のかたより絶頂(ぜつちやう)迄(まで)は  當國(たうごく)の地(ち)にして山(やま)の八分目(はちぶんめ)より西のかたは彼國(かのくに)の地(ち)なる由(よし)此(この)  山岳(さんがく)をもて両国(りやうごく)の堺(さかひ)とすとぞ扨(さて)巔(いたゞき)は高(たか)きゆゑ常(つね)に雲霧(うんむ)掩(おほ)ひ北  風(ふう)勁(つよ)ければ銅社(どうしや)の廻(めぐ)りを巨岩(こがん)を聚(あつめ)てたゝみ揚(あげ)たるゆゑ岩室(いはむろ)の  内(うち)に社(やしろ)を造(つく)りし如(ごと)くに思(おもは)る四 方(はう)八 面(めん)望(のぞ)み尽(つく)せり土人(どじん)いふ白根嶽(しらねがたけ)は 【右丁】  男躰山(なんたいさん)の奥院(おくのゐん)なりともいへり山(やま)の中腹(ちゆうふく)は悉(こと〴〵く)積翠(しゆくすゐ)を重(かさ)ね樅(もみ)栂(とが)多(おほ)く  樹蔭(じゆいん)の邊(へん)に名產(めいさん)と称(しよう)する白根人参(しらねにんじん)或(あるひ)は白根葵(しらねあふひ)白根蘭(しらねらん)等(とう)其餘(そのよ)の  異草(いさう)珍木(ちんぼく)多(おほ)く薬品(やくひん)とするもの黄連(わうれん)を初(はじめ)とし枚挙(まいきよ)しがたし霊岳(れいがく)  ゆゑ容易(ようい)に登臨(とうりん)することをゆるさず傳(つた)へいふ此嶽(このたけ)に麝香(じやかう)といへる  畜(けだもの)すみける由(よし)其形(そのかたち)を見ることはなけれど禅頂(ぜんぢやう)せしもの折(をり)ふし其(その)  糞(ふん)なりとて拾(ひろ)ひ得(え)て帰(かへ)れり砂麝香(すなじやかう)などいへるものより殊(こと)に其(その)香(かう)  気(き)まされり実(じつ)に彼畜(かのけだもの)の糞(ふん)なるにや其形(そのかたち)を見まほしきなり阿弥(あみ)  陀湖(たがうみ)は前白根(まへしらね)と奥白根(おくしらね)の間(あいだ)にあり 栗山郷(くりやまのがう) 十ヶ村(そん)塩谷郡(しほやのこほり)なり 西川(にしかは) 日向(ひなた) 湯西川(ゆにしがは) 土呂部(とろべ)  黒部(くろべ) 上栗山(かみくりやま) 下栗山(しもくりやま) 野門(のかど) 川俣(かはまた) 川治(かははる)等の村(むら)〻(〳〵)也 御山内(おんさんない)  邊(へん)より北の方(かた)如宝山(によはうざん)の北 裏(うら)に當(あた)り如宝(によはう)と男躰(なんたい)の間(あひだ)なる幽谷(いうこく)を  經(へ)て冨士見峠(ふじみたうげ)といふ峻山(しゆんざん)を踰(けん)【こえヵ】て行(ゆけ)る村居(そんきよ)の開(ひら)けたる年时(ねんじ)も知(しる) 【左丁】  べからす至(いたつ)て山中(さん や)の村居(そんきよ)なれば畠地(はたち)とても僅(わづか)に岩石(がんぜき)の間(あひだ)を穿(うがち)  て作(つく)れるゆゑ登実(とうじつ)するもの少(すくな)く夫食(ぶじき)一 年(ねん)の貯(たくはへ)なく男女(なんによ)ともに  山中(さんちゆう)へ入て動揺(どうえう)し男(をとこ)は鳥獣(てうじう)を猟(かり)し或(あるひ)は喰(くら)ひ或(あるひ)は販(ひさ)ぎ其餘(そのよ)幽谷(いうこく)尖(せん)  峰(ほう)を渉(わた)り岩茸(いはたけ)など採(とる)もあり木(き)を伐(きり)て板(いた)に挽(ひき)て日光(につくわう)へ出(いだ)すも山(さん)  路(ろ)狹(せば)き棧道(さんだう)多(おほ)きゆゑ三四尺に切(きり)て脊負(せお)ひ出(いだ)し或(あるひ)は駄(だ)するも痩(やせ)  たる牝馬(ひんば)ゆゑ𡸴(けん)路(ろ)﨑嶇(きく)として行易(ゆきやす)からず皆(みな)稲穀(たうこく)にかへて帰(かへ)る  冬(ふゆ)は家(いへ)に居(ゐ)て木鉢(きばち)木(き)𪭜(じやく)子(し)木履(ぼくり)等(とう)を作(つく)るもあり近來(きんらい)栗山桶(くりやまをけ)とて  曲物造(まげものづくり)の器(き)を出(いだ)す是(これ)は谷川(たにがは)の水(みづ)を汲取(くみとる)桶(をけ)なりといふ児女(じぢよ)も短褐(たんかつ)  をまとひ山(やま)へ入(いり)て妻木(つまぎ)をとり时(とき)に随(したがひ)て橡実(とちのみ)栗子(くりのみ)多(おほ)ければ是(これ)を  拾(ひろひ)て食物(しよくもつ)の設(まうけ)とす又(また)栗山(くりやま)の長(をさ)なるものは項(うなじ)を不剃(そらず)傳(つた)へいふ古(いにしへ)  平家(へいけ)の餘類(よるゐ)の此(この)山中(さんちゆう)へ隠(かく)れし所(ところ)なり氏(うぢ)は小松(こまつ)を称(しよう)する由(よし)されども  家蔵(かざう)とする古文書(こもんしよ)古器(こき)などもなければ其(その)來由(らいゆ)も定(さだ)かならず 【図】 【右丁】 栗山深谷岩茸取 椿山外史   【印】 【右丁】 《振り仮名:所〻|しよ〳〵》温液(おんえき)  板室(いたむろ)《割書:日光(につくわう)より東北 行程(かうてい)十三里|中風(ちゆうふう)の類によし》     塩原(しほばら)《割書:塩湯(しほのゆ)といふ日光(につくわう)より東北 行(かう)|程(てい)十一里 濕(しつ)ひぜんによし》  福和田(ふくわだ)《割書:右に同(おなし)》          荒井(あらゐ)《割書:右に同(おなし)》  滝(たき)《割書:滝(たき)村にあり日光(につくわう)より東の方|行程(かうてい)五里 主治(しゆぢ)前(まへ)に同(おなじ)》      川俣(かはまた)《割書:栗山郷(くりやまがう)女貌山(によはうざん)の北に當(あた)る|行程(かうてい)九里 婦人(ふじん)一 切(さい)によし》  湯西(ゆにし)《割書:是(これ)も栗山(くりやま)の内(うち)湯(ゆ)四ヶ所(しよ)|あり主治(しゆぢ)効能(こうのう)色(いろ)〻(〳〵)》      日光澤(につくわうさは)《割書:栗山(くりやま)の内にて三里 山奥(やまおく)に|あり主治(しゆぢ)大抵(たいてい)前(まへ)に同(おなじ)》 足尾峠(あしをたうげ) 昇降(しようごう)一里 宛(づゝ)なり日光(につくわう)の方へは東北に下(くだ)りて細尾村(ほそをむら)へ出(いづ)る  夫(それ)より清滝村(きよたきうら)を逕(すぎ)て日光山内(につくわうさんない)へ至る行程(かうてい)二里 餘(よ)峠(たうげ)の絶頂(ぜつちやう)に茶店(さてん)  一 宇(う)常(つね)にすめり坤(ひつじさる)の方(かた)へ下(くだ)れば渡瀬(わたらせ)とて足尾郷(あしをのがう)新梨子村(しんなしむら)に属(ぞく)せし  山村(さんそん)あり爰(こゝ)の谷奥(たにおく)中禅寺(ちゆうせんじ)の湖水(こすゐ)の南の方なる谿間(けいかん)より涌出(ゆしゆつ)せ  る谷川(たにがわ)渡瀬(わたらせ)の邊(へん)より流出(ながれいづ)るゆゑ南 流(りう)して利根川(とねがは)へ灌漑(くわんがい)する迄  渡瀬川(わたらせがは)と称(しよう)するいはれなり峠(たうげ)の下にて此川を踰(こえ)て足尾村(あしをむら)迄(まで)二里  峠(たうげ)よりは三里なり又 峠(たうげ)より峰續(みねつゞき)に乾(いぬゐ)へ達(たつ)する道(みち)は足尾(あしを)近在(きんざい)より 【左丁】  中禅寺(ちゆうざんじ)又は湯(ゆ)元へ徃反(わうへん)する道(みち)ゆゑ峠(たうげ)より一里 半(はん)許(ばかり)にて湖水(こすゐ)の  南岸橋(なんがんけう)を渡(わた)りて中禅寺(ちゆうざんじ)別所(べつしよ)の邊(へん)へ至(いた)る又 其(その)南岸(なんがん)を傳(つた)ひ行(ゆけ)ば赤(あか)  沼原(ぬまがはら)へ出(いで)て湯元(ゆもと)迄(まて)至(いた)る道(みち)ありといふ先年(せんねん)利姦(りかん)を巧(たく)むもの有(あり)て中(ちゆう)  禅寺(ぜんじ)の湯(ゆ)へ婦人(ふじん)を浴(ゆあみ)せさせんことを謀(はか)り御許容(ごきよよう)あらば温泉(おんせん)も繁(はん)  栄(えい)すべし其(その)路次(ろじ)は上刕筋(じやうしうすじ)より足尾峠(あしをたうげ)へ掛(かゝ)り此 道(みち)を湯元(ゆもと)へ徃來(わうらい)  せば女人(によにん)牛馬(ぎうば)禁制(きんぜい)の中禅寺(ちゆうぜんじ)へ出(いで)ず日光町筋(につくわうまちすじ)よりも清瀧(きよたき)細尾(ほそを)へ  掛(かゝ)り足尾峠(あしをたうげ)より此 道(みち)を行时(ゆくとき)は馬返村(うまがへしむら)へも出(いで)ず湯元(ゆもと)へ至(いた)るとて  其道(そのみち)を《振り仮名:内〻|ない〳〵》切開(きりひら)き利姦(りかん)を運(めぐら)しけれども湖水(こすゐ)の南岸(なんがん)を花供行人(けぐうぎやうにん)  の勤行(ごんぎやう)する所(ところ)にて歌濱(うたのはま)を初(はじ)め《振り仮名:年〻|ねん〳〵》禅頂(ぜんぢやう)行法(ぎやうぼふ)する宿(やど)もあれば絶(たえ)  てならざる事(こと)なりとて御(おん)ゆるしなくて事やみしといふさも有(ある)べきことなり 足尾郷(あしをのがう) 日光山内(につくわうさんない)より西(にし)に當(あた)り行程(かうてい)六里 御神領(おんしんりやう)と唱(とな)ふ同國(どうごく)阿蘇(あその)  郡(こほり)に属(ぞく)す足尾(あしを)十四ヶ村(そん)を上下(じやうげ)に分(わか)つ古(いにしへ)は新梨子(しんなし)赤沢(あかざは)の二 村(そん)を足尾(あしを) 【図】 【右丁】 一鳳 【左丁】 銅堀(あかゞねほり)の妻子等(さいしら)太布(ふとぬの)にて 拵(こしらへ)たる猿子袴(さるこばかま)といふものを はき銅(あかゞね)と石(いし)とを沙汰(さた)する圖(づ) 【図】 【右丁】 足尾郷畧圖 銅山 【左丁】 銅山 銅山 銅山 不動澤 ツヽラ石 【右丁】  千 軒(げん)の戸数(こすう)と唱(とな)へ銅山(ごうざん)銀山(ぎんざん)の潤益(じゆんえき)あるに依(より)て諸國(しよこく)より來集(らいしふ)し  て繁栄(はんえい)せしが延享寛延の末(すゑ)より漸(ぜん)〻(〳〵)衰(おとろへ)て今は家数(かすう)も三百 戸(こ)許(ばかり)  村居(そんきよ)は山谷(さんこく)の地(ち)ゆゑ山麓(さんろく)に村民(そんみん)家居(いへゐ)せり二 條(でう)の路(みち)は南北へ達(たつ)  する道なり廣狹(くわうさ)東西三里南北一里 許(ばかり)其十四ヶ村(そん)といふは 間藤(まふぢ)  赤倉(あかくら) 久蔵(きうざう) 松木(まつぎ) 仁田元(にたもと) 高原木(たかはらぎ) 神子内(みこうち)以上の村(むら)〻(〳〵)を上分(かみぶん)の村(むら)と  唱(とな)ふ 掛水(かけみづ) 赤沢(あかざは) 新梨子(しんなし) 中居(なかゐ) 遠下(とほした) 原(はら) 唐風呂(からふろ)以上の村(むら)〻(〳〵)を下(しも)  分(ぶん)の村(むら)と唱(とな)ふ此 所(ところ)より銅(あかゞね)を出(いだ)せる駅次(うまつぎ)あり上刕へ二里 銅山濫觴(どうざんのらんしやう) 古(いにしへ)坑数(かうす)百 竅(けう)あり此 銅山(どうざん)の地形(ちぎやう)は足尾郷中(あしをがうちゆう)の真中(まなか)にある  山にて足尾(あしを)の四 境(きやう)凢(およそ)五六里も有(ある)べし其(その)銅山(どうざん)周(しう)𢌞(くわい)凢(およそ)三里十八町  に亘(わた)り銅山(どうざん)は岩石(がんせき)にて山頂(さんちやう)に樹木(じゆもく)生(しやう)ぜす銅山(どうざん)堀初(ほりはじめ)たるは慶長  十五年の事(こと)にて備前國(びぜんのくに)のもの此 地(ち)へ來(きた)り銅山(どうざん)なることを見定(みさだ)め其(その)  頃(ころ)座禅院(ざぜんゐん)の領所(りやうしよ)なるゆゑ其(その)下知(げぢ)を得(え)て堀初(ほりはじめ)けるに沢山(たくさん)に銅(あかゞね)を 【左丁】  堀得(ほりえ)て問吹銅(とひぶきあかゞね)を公廳(こうちやう)へ奉(たてまつり)し頃(ころ)【平出】  御三代將軍家 初(はじめ)て御袴(おんはかま)召(め)させ給ふ御恐悦(おんきようえつ)の折(をり)からゆゑ吉事(きちじ)な  る銅山(どうざん)との事(こと)にて夫(それ)より御用山(ごようざん)となり貢賦(こうふ)の事(こと)は日光(につくわう)の支配(しはい)  なれど銅山(どうざん)は御代官(おんだいくわん)の指揮(しき)となり替(かはる)〻(〴〵)支配(しはい)し享保 年中(ねんぢゆう)拝借(はいしやく)御(おん)  下金(さげきん)等(とう)莫大(ばくたい)のこと度(たび)〻(〳〵)なり又(また)元文の初(はじめ)に御用銅(ごようとう)の外(ほか)に鋳銭座(たうせんざ)被(られ)  仰付(おほせつけ)暫(しばらく)鋳銭(たうせん)吹立(ふきたて)ける由(よし)銭(ぜに)の裏(うら)に足(あし)の字(じ)をすゑしは爰(こゝ)にて鋳造(たうざう)  せしものなり其(その)以來(いらい)は御下金(おんさげきん)相止(あひやみ)賃吹(ちんぶき)に成(なり)夫(それ)より銅山(どうざん)衰微(すいび)し  鋳銭座(たうせんざ)も御免(ごめん)を願(ねが)ひ殆(ほとんど)困窮(こんきう)に及(およ)ぶといふされども今(いま)も銅(あかゞね)賃吹(ちんぶき)御代(おんだい)  官掛(くわんがゝ)りにて陣屋(ぢんや)有(あり)て手代(てだい)在住(ざいぢゆう)することはもとの如(ごと)し當所(たうしよ)銅山(どうざん)を  見立(みたて)し備前(びぜん)のもの大(おほい)に貨殖(くわしよく)し國(くに)へ帰(かへ)らんとせし时(とき)此所(このところ)の新梨(しんな)  子村(しむら)の浄土宗(じやうどしう)にて大圓寺(だいゑんじ)といへる境内(けいだい)へ石碑(せきひ)造立(ざうりふ)し開闢(かいびやく)の來由(らいゆ)  を銘(めい)じ置(おき)けるが今(いま)は無住(むぢゆう)ゆゑ寺(てら)も荒蕪(くわうふ)し石碑(せきひ)も又(また)剥落(はくらく)し文字(もんじ) 【図】 【右丁】 山中銅穴圖 【左丁】 湖孑【印】 【図】 足尾村不動澤 【右丁】  知(し)れざる由(よし)當时(たうじ)も陣屋(ぢんや)の側(かたはら)に銅吹分小屋(あかゞねふきわけごや)四五 戸(こ)相双(あひなら)べり 銀山(ぎんざん) 足尾町(あしをまち)より西(にし)にあたり二里 餘(よ)地形(ぢぎやう)四五町 程(ほど)なる塲所(ばしよ)なり  銀山(ぎんざん)は日光(につくわう)【平出】  御門主 御持山(おんもちやま)となれり運上(うんじやう)を奉(たてまつ)り村民(そんみん)稼(かせぎ)の山(やま)なりしかど今(いま)は  銀(ぎん)出(いで)ざるゆゑ吹方(ふきかた)を休(やすみ)て此所(このところ)に司(つかさど)るものを命(めい)じ置(おけ)り 庚申山(かうしんざん) 是(これ)は町方(まちかた)より西北 行程(かうてい)三里 許(ばかり)此山(このやま)は自然(しぜん)なる竒石(きせき)種(しゆ)〻(〴〵)  天造(てんざう)の如(ごと)くなる形勝(ぎやうしよう)をなせり近(ちか)き比(ころ)より山中(さんちゆう)の竒觀(きくわん)なる圖(づ)を  摸刻(もこく)し逰覧(いうらん)するものあれば土人等(どじんら)誘引(いういん)せり或(あるひ)はいふ此(この)山中(さんちゆう)に  白猿(はくゑん)一頭(いつとう)すめるゆゑ庚申山(かうしんざん)とも唱(とな)へ又(また)は猿(さる)の浄土(じやうど)とも称(しよう)すといふ 日光諸處(につくわうしよ〳〵)の名産(めいさん)  銅(あかゞね)《割書:足尾(あしを)より出(いだ)す》 銀(ぎん)《割書:上(うへ)に同(おなじ)》 熊膽(くまのい) 熊皮(くまのかは)《割書:是(これ)も足尾邊(あしをへん)より出(いだ)す》  蝋石(らふせき)《割書:日光蝋石(につくわうらふせき)とて印章(いんしやう)其餘(そのよ)細工(さいく)ものに造(つく)る石(いし)は足尾山中(あしをさんちゆう)より|出す今(いま)は上品(じやうひん)の石(いし)堀(ほり)つくし白(しろ)き石(いし)のみ多(おほ)し》 【左丁】   飛禽(ひきん)  慈悲心鳥(じひしんてう)《割書:當山(たうざん)の㚑鳥(れいてう)とす中禅寺(ちゆうぜんじ)又(また)は栗山邊(くりやまへん)にすめり御山内(おんさんない)へも|翶翔(かうしやう)し來(きた)りて鳴(なけ)り其(その)喚呼(くわんこ)の聲(こゑ)を以(もつ)て鳥(とり)の名(な)とせり》  駒鳥(こまどり)《割書:岩山(いはやま)にすめる|を佳(か)とす》 山鴿(やまばと) 山鶏(さんけい) 山鴫(やましぎ) 岩燕(いはつばめ) 鷦鷯(さゝぎ)《割書:山谷(さんこく)にすめるもの|其聲(そのこゑ)至(いたつ)て高(たか)し》  鼯鼡(むさゝび) 《割書:飛鳥(ひてう)にあらねど能(よく)飛行(ひぎやう)|するものゆゑ此部(このぶ)に出(いだ)す》   魚蟲(ぎよちゆう)  鱞(やまめ) 鱒(ます) 岩魚(いはな)《割書:大谷川(だいやがは)其餘(そのよ)|谷川(たにがは)に生(しやう)ず》 山生魚(さんしやうのうを)《割書:是(これ)は所(しよ)〻(〳〵)の山中(さんちゆう)谷川(たにがは)に生(しやう)す|四 趾(し)あり五 疳(かん)を治(ぢ)するもの也》   藥品(やくひん)  黄連(わうれん) 直根人参(ちよくこんにんじん) 日光人参(につくわうにんしん)《割書:御種人参(おんたねにんじん)の事(こと)也 山村(さんそん)瘠地(せきち)多(おほ)きゆゑ神領(しんりやう)の内(うち)多(おほ)く作(つく)れり|必(かならず)其(その)利潤(りじゆん)あり此餘(このよ)薬草(やくさう)多(おほ)けれど悉(こと〳〵く)しるさず》   草木(さうもく)  白根葵(しらねあふひ) 白根蘭(しらねらん) 白根人参(しらねにんじん)《割書:各(おの〳〵)白根山(しらねさん)|に生(しやう)ず》 雪割草(ゆきわりさう) 苦桃(にがもゝ) 岩千鳥(いはちどり)  岩鏡(いはかゞみ) 猩(しやう)〻(〴〵)頭(がしら) 栂桜(とがさくら)《割書:是(これ)も皆(みな)山中(さんちゆう)|に生(しやう)ず》 日光蘭(につくわうらん)《割書:是(これ)は春蘭(しゆんらん)|の事なり》  千手(せんじゆ)がんひ《割書:湖水(こすゐ)のほとり千手(せんじゆが)|原(はら)に生(しやう)ず名品(めいひん)とす》 蓼湖(たでのうみ)の蓼(たで) 石楠花(しやくなんげ) 躑躅(つゝじ)《割書:男躰山(なんたいざん)に|大木(たいぼく)多(おほ)し》 【図】 【右丁】 庚申山 ヒラ岩 カマ石 胎内クヾリ 二王石 奥院 タイ石 二王石 【左丁】 宝蔵石 ヒキタシ石 石橋 石橋 ヤグラ石 一ノ門 ウラミ滝 ツリガネ石 二ノ門 モンジ石 トウロ石 【右丁】  熊谷草(くまがえさう) 敦盛草(あつもりさう)《割書:さくら草(さう)に似(に)たるものなり両種(りやうしゆ)を一 所(しよ)に栽(うゝ)る时(とき)は果(はた)して|敦盛草(あつもりさう)は絶(たゆ)るより熊谷(くまがえ)敦盛(あつもり)と名附(なづけ)たるものなり》  緋桜(ひざくら)《割書:其色(そのいろ)紅(くれなゐ)なり男躰(なんたい)|山上(さんしやう)にあり》 白檜(しらひ) 唐松(からまつ) 姫小松(ひめこまつ) 虎(とら)の尾(を) 松(まつ)はた《割書:其(その)枝葉(えだは)樅(もみ)に似(に)たり|曲(まげ)ものに作(つく)る》  沙羅樹(さらじゆ)《割書:夏椿(なつつばき)といへり中禅寺(ちゆうぜんじ)|山中(さんちゆう)に多(おほ)し》   走獣(そうじう)  熊(くま) 羚羊(れいやう) 狼(おほかみ) 猪(しゝ) 鹿(しか) 猿(さる) 貉(むじな) 貍(たぬき)   飲食類(いんしよくのるゐ)  岩茸(いはたけ) 獅子茸(しゝたけ) 椎茸(しひたけ) 松茸(まつだけ) 栗子(くりのみ) 胡鬼子(こぎのみ) 漬蕃椒(つけたうがらし)  湯婆(ゆば)《割書:五 色(しき)ゆば巻(まき)ゆば|名産(めいさん)とす》 鳥(とり)の醢(しゝびしほ) 平索麪(ひらざうめん) 婿菜(むこな) 陟(かは)𨤲(のり)   細工物(さいくもの)  春慶塗(しゆんけいぬり) 指物細工(さしものざいく) 曲物類(まげものるゐ) 挽物(ひきもの) 栗山(くりやま)𪭜(じやく)子(し) 木鉢(きばち) 曲桶(まげをけ) 日 光 山 志 巻 之 四《割書: 終》 【裏表紙】 【表紙】 【題箋】 日光山志  五 【右丁 白紙】 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 五       目録(もくろく)  御鎮座記(おんちんざのき)     御宮略圖(おんみやりやくづ)     石御鳥居(いしのおんとりゐ)  巨石御燈爐(きよせきのおんとうろ)《割書:並銘(ならびにめい)》  同(おなじく)       五層宝塔(ごそうのはうたふ)  御番所(おんばんしよ)      滑海藻石(あらめいし)     阿房丸石(あはうまろのいし)  二王御門(にわうごもん)     三神庫(さんしんこ)      同梁上彫物白象図(おなじくはりうへほりものびやくざうのづ)  御厩(おんうまや)       金松(きんしよう)𣗳(じゆ)      御番所(おんばんしよ)  御手洗水盤(みたらしすゐばん)    唐銅御鳥居(からかねのおんとりゐ)    輪蔵(りんざう)  諸家獻備御燈爐(しよけけんびのおんとうろ)  朝鮮國獻備洪鐘図(てうせんこくけんびのこうしようのづ) 日光山鐘銘(につくわうざんのかねのめい)《割書:并序(ならびにじよ)》  朝鮮国獻備燈臺穗屋図(てうせんこくけんびのとうだいほやのづ)         阿蘭陀獻備燈臺図(おらんだけんびのとうだいのづ)  琉球獻備燈臺図(りうきうけんびのとうだいのづ)  鐘樓(しゆろう)       皷楼(ころう) 【右丁】  御本地堂(おんほんぢだう)       陽明御門(やうめいおんもん)     同御天井昇降二龍図(おなじくてんぢやうしようごうにりようのづ)  御唐門(おんからもん)        唐銅御燈爐(からかねのおんとうろ)    御瑞籬(おんみづがき)  御拜殿(おんはいでん)        御石間(おんいしのま)      御本殿(おんほんでん)  御廽廊(おんくわいらう)        坂下御門(さかしたおんもん)     上御供所(かみおんくうしよ)  八房梅(やつぶさのうめ)        銅御藏(あかゞねのおんくら)     御神輿舎(おんしんよしや)  御護摩堂(おんごまだう)       御神樂堂(おんかぐらだう)     御門主御登社御門(ごもんしゆおんとうしやおんもん)  東通用御門(ひがしつうようおんもん)      社家(しやけ)《割書:並(ならびに)》一坊神人等休息所(いちばうしんじんとうきうそくしよ)  埋御門(うづみおんもん)        大杉(おほすぎ)𣗳(のき)      相輪樘(さうりんたう)《割書:同図(おなじくづ)》  御神號御位階(おんしんがうおんゐかい)     御遷座(おんせんざ)      御宮號(おんきうがう)  例幣使(れいへいし)        将軍家御参詣次第(しやうぐんけおんさんけいのしたい) 羅山集略(らざんしふのりやく)  法蕐八講記(ほつけはつこうのき)      御旅所(おんたびしよ)      東遊(あづまあそび)《割書:同舞樂図(おなじくぶがくのづ)》《割書:其二(そのに)》  同碑銘(おなじくひのめい)        御假殿(おんかりでん)      唐銅御鳥居(からかねのおんとりゐ) 【左丁】  御門(ごもん)         御拜殿(おんはいでん)      御本殿(おんほんでん)  御湯立釜(おんゆだてかま)《割書:同図(おなじくづ)》     時鐘(ときのかね)       唐銅御宝塔(からかねのおんはうたふ)  社家伶人以下神人員数(しやけれいじんいげしんじんのゐんじゆ) 御神㕝每歳御執行次第(おんじんじまいとしおんしゆぎやうのしだい)  奉幣使式(ほうへいしのしき)       御宵成神事(おんよひなりのじんじ)    延年舞(えんねんのまひ)  御神迎御榊(おんしんかうのおんさかき)     渡(と) 御還(ぎよくわん) 御音樂(ぎよのおんがく) 御神事御行列次第(おんじんじおんぎやうれつのしだい)  田樂法師圖(でんがくほうしのづ) 【右丁 白紙】 【左丁】 日 光 山 志 巻 之 五                  植 田 孟 縉 編 輯 御鎮座之記(おんちんざのき) 《割書:烏丸大納言藤原光廣卿》  抑(そも〳〵)元和三の年  尊躰(そんたい)を日光山(につくわうざん)へうつし奉(たてまつ)らるゝ事は大織冠(たいしよくくわん)を  摂津國(つのくに)阿威山(あゐやま)より多武峰(たふのみね)に定惠和尚(ぢやうゑをしやう)のわたし申(まう)されけるためし  なりこれ御(おん)ぞうのいやつぎにおはします故(ゆゑ)なるべし天(あま)てる御神(おほんがみ)  も後(のち)にぞ倭姫命(やまとびめのみこと)五十鈴(いすゞ)の川上(かはかみ)には鎮座(ちんざ)有(あり)ける男山(をとこやま)の御(おほん)をば行(ぎやう)  敎(けう)宇佐宮(うさのみや)よりかの和尚(をしやう)の三の衣(ころも)にやどらせ給(たま)ふ此(この)たびはことの  やう御現存(おんげんぞん)の时(とき)よりくはしく大僧正(だいそうじやう)天海(てんかい)に御神約(おんしんやく)ありてかく  まのあたり道(みち)びかれおはしますをばさぞうれしとや見そなは  すらんいにしへ今(いま)さることわり逰めたがふまじくなんしかはあれ 【右丁】  どおよそ人(びと)は此所(このところ)をさへはなれおはしますをいかでしたひ奉(たてまつ)  らざらむもことわりなり僧正(そうじやう)も水(みづ)がきの久(ひさ)しくなれむつび給ふ  御名残(おんなごり)つかのまおぼし忘(わす)れず二月(きさらぎ)の佛(ほとけ)の御(おん)わかれとてもさか  しき尊者(そんじや)かなしまずやはこれまたまことの道(みち)にたがふべきにも  あらずさて神躰(しんたい)は金輿(きんよ)に奉(たてまつ)る大僧正(だいそうじやう)は御(おん)さきにぞおはす次(つぎ)に  山門(さんもん)の碩学(せきがく)東関(とうくわん)の学者(がくしや)ありけるかぎりまゐりあつまる巍(ぎ)〻(ゝ)蜀(しよく)  錦(きん)をつゞり呉綾(ごりよう)をきるめをかゞやかし耳(みゝ)をおどろかさずといふ  事なし  御所(ごしよ)の御名代(おんみやうだい)には土井大炊頭利勝(どゐおほゐのかみとしかつ)松平右衛門佐正久(まつだひらゑもんのすけまさひさ)  板倉内膳正重昌(いたくらないぜんのしやうしげまさ)秋元但馬守泰朝(あきもとたぢまのかみやすとも)等(とう)也(なり)騎馬(きば)の行粧(ぎやうさう)唐鞍(からくら)うつし馬副(うまぞひ)  布衣(ふい)のさふらひ雜色(ざつしき)ざまにいたるまでおの〳〵きらをつくさせ  たり御旅所(おんたびしよ)はこなたかなたあたらしくつくりいとなまれしもあり  道(みち)は江尻(えじり)より清見(きよみ)をとほらせ給(たま)ふにむかひに三保(みほ)の松原(まつばら)あを 【左丁】  やかに見わたされてゆく〳〵と久能(くのう)はへだゝりぬれば霞(かすみ)ぞ春(はる)はと  涙(なみだ)はとゞまらねど神輿(しんよ)は折(をり)〻(〳〵)とゞまる浪(なみ)の関守(せきもり)せきもとゞむるか  松原(まつばら)のまつとかおもふ興津川(おきつがは)のおほうなばらにながれ入(いる)を見  ては四河入海(しかにふかい)同一鹹味(どういちかんみ)とも自然流入(じねんるにふ)薩婆若海(さつばにやくかい)と觀(くわん)じたまふ田子(たごの)  浦(うら)に打出(うちいづ)れば濵(はま)づたひに塩(しほ)焼(やく)烟(けふり)一(ひと)むすびして雲(くも)とやなり霞(かすみ)とや  なびくらん風(かぜ)はなぎわたりて舟(ふね)ども浪(なみ)にうかべりかゝる折(をり)にも  かけぬ日(ひ)はなしとおもほす今日(けふ)の御とまりは富士山(ふじさん)の麓(ふもと)善徳(ぜんとく)  寺(じ)なり初(はじめ)にちる桜(さくら)あれば咲(さく)もあり是(これ)すなはち常住(じやうぢゆう)の理(ことわり)なるぞや  先(まづ)そやの御法事(おんほふじ)みやうがうのかゝ気ふたきまでくゆりみちて花(はな)は  つくまにぞちりまがふ梵音(ぼんおん)は迦陵頻伽(かりようびんが)の聲(こゑ)はづかしくむつの  輪(りん)のひゞきは六道(ろくだう)の衆生(しゆじやう)もげに苦(くるしみ)をまぬかれぬべくぞきこゆる  大衆(だいしゆ)の囬向(ゑかう)ありがたく涙(なみだ)もせきあへぬぞかし御 布施(ふせ)しな〴〵ひき 【右丁】  わたさるゝもいかめしくや後夜(ごや)の御法事(おんほふじ)には人(ひと)しづまりて三月  十五 夜(や)なれば有明(ありあけ)の月(つき)のひかりえん也 僧正(そうじやう)おぼしけるはあれ  ましかんさりまし佛(ほとけ)も現生現滅(げんじやうげんめつ)のよそほひをしめし給(たあ)ふはさしも  御めぐみのあまりなれば示司(じし)凡夫(ぼんぶ)のかりの御 名残(なごり)をおもふには  墨(すみ)の袖(そで)もかくばかりになん西行法師(さいぎやうほふし)の風(かぜ)になびくと吟(ぎん)し小㙒(をの)の  しげかぜが山(やま)たちはなれ行雲(ゆくくも)とながめしもことわりとはおもへば  かなし   立(たち)おもふ霞(かすみ)にあまる冨士(ふじ)のねにおもひをかはす山桜(やまざくら)かな  歌(うた)は吾國(わがくに)の陀羅尼(だらに)とかや  十六日にはよしはらといふ所(ところ)を過(すぎ)て浮島原(うきしまがはら)をとほりおはしますに  荻(をぎ)の焼原(やけはら)のいつしかともえわたりけるをみ給(たま)ひて春風(しゆんふう)吹(ふきて)又(また)生(しやうず)  とぞ口(くち)すさび給(たま)ひける野徑(やけい)茫(ばう)〻(〳〵)としてさかひをしらず頭(かうべ)をめ 【左丁】  ぐらせば汀水(ていすゐ)漾(やう)〻(〳〵)としてかぎりあることなしかくて三島(みしま)につか  せ玉ふ供奉(くぶ)の行列(ぎやうれつ)きのふにかはらず六十 餘国(よこく)の人(ひと)〻(〴〵)われさきにと  つどひたるべし菅笠(すげがさ)をぬきて額(ひたひ)に手(て)をあて神輿(しんよ)を拝(をが)み奉(たてまつ)らぬ  人(ひと)なし此(この)明神(みやうじん)は大通智勝佛(だいつうちしようぶつ)の御すゐ跡(しやく)となん申(まう)せば十劫坐道(じふごふざだう)  塲(ぢやう)佛法不現前(ぶつほふふげんぜん)と誦(じゆ)して法味(ほふみ)をまゐらせらる  東照大權現はかたじけなくも薬師(やくし)ほとけの御化現(おんけげん)なりとぞさる  により照于東方(せううとうばう)万八千土(まんはつせんど)のことわりもつくりあはせたりけりかの  御山(おんやま)にひかりをうつさせおはします物(もの)よと其(その)ころ世中(よのなか)にいひ  のゝしりにきいざよふ月(つき)はすこしかけたりけれど御法事(おんほふじ)はよ  べにことをそへられたり又(また)の日(ひ)も此所(このところ)におはしますことを道(みち)にし  あれば人(ひと)〻(〴〵)のつかれをおぼすも神(かみ)の御心(みこゝろ)をくみてなるべし明(あく)  れば箱根(はこね)をよぢのほり給(たま)ふにえもいはず山頭(さんとう)水色(すゐしよく)うすく煙(けふり)を 【右丁】  こめたりやう〳〵春(はる)も暮(くれ)ゆけば菫(すみれ)など露(つゆ)しげくさき紫(むらさき)のゆかりを  かけたるも有る(ある)べしと思(おも)ふに又(また)袖(そで)ぬれぬからうじて小田原(をだはら)に  つかせ給(たま)ふ御法事(おんほふじ)やむごとなくぞ聞(きこ)えける  十九日も昨日(きのふ)にかはらず  廿日 小餘綾(こよろぎ)の磯(いそ)をとほり玉ふに蒼海(さうかい)はるかに見渡(みわた)されて巖(いはほ)に  かゝる浪(なみ)は雪(ゆき)かとまがひ渚(なぎさ)になびく雲(くも)は花(はな)かとのみぞ見(み)えける  磯(いそ)あさりするあま少女(をとめ)も玉だれのをがめをむなしくしてこの  神輿(しんよ)をぞ拝(をが)み奉(たてまつ)るさて中原(なかはら)の御殿(ごてん)につかせ給(たま)ふ御法事(おんほふじ)いとゞ  つき〴〵これは六所宮(ろくしよのみや)あたり近(ちか)き所(ところ)それは一 国(こく)の揔社(そうしや)とぞうけ  たまはる  東照大權現は西より南よりこしの白根(しらね)のゆきいたらぬ御(おん)ひかり  やはあらん 【左丁】  廿一日 府中(ふちゆう)の御殿(ごてん)に着(つか)せおはしますあくる日もおなじ所(ところ)にて  さま〴〵御法會(おんほふゑ)たふとき事どもあり  廿三日は山(やま)の端(は)しらぬむさし野(の)にわけいらせ給(たま)ふ草(くさ)より出(いづ)るは  月(つき)のみかはあのねさす日(ひ)もおなじ萱生(かやふ)よりかげのどかに霞(かすみ)に  もるゝ春(はる)もながめえもいはず友(とも)におくれてかへる鴈(かり)のつばさもの  あはれなりければ僧正(そうじやう)   おもほえずうすみの袖(そで)をぬらしけり行(ゆく)もかへるも鴈(かり)の泪(なみだ)に  掘(ほり)かねの井(ゐ)は右にみてとほる決定知近水心(けつぢやうちごんすゐこゝろ)【注】にうかぶべしけふは  仙波大堂(せんばだいだう)にとゞまらせ給(たま)ひておなじき廿六日までおはします  この所(ところ)はむかし仙保仙人(せんはうせんにん)開闢(かいびやく)し慈覚大師(じがくだいし)中興(ちゆうこう)ありてそのゝち  尊海僧正(そんかいそうじやう)又(また)おこし給(たま)ふ 勅額(ちよくがく)数代(すだい)の聖跡(せいせき)などもありかゝる靈地(れいち)  なればこれにて論題(ろんだい)をいだされけるは一生入妙覚(いつしやうにふみやうがく)となん問荅(もんだふ)重(ぢゆう) 【注 「決定知水必近」ヵ】 【右丁】  難(なん)善(ぜん)つくし美(び)つくせり御證義(おんしようぎ)はもとより大僧正(だいそうじやう)ことさらに明智(めいち)  巨海(こかい)をてらし辨舌(べんせつ)懸河(けんか)をながせり即故初後不二(そくこしよごふじ)と判(はん)ぜられたれ  ばことわり成(なり)し数(かず)かぎりなき御功徳(おんくどく)にもあるかな法席(ほふせき)すぎて  河越城主(かはごえのじやうしゆ)酒井備後神(さかゐびんごのかみ)さゝげものにあしおほくつみあげられたるは  山(やま)もさらにうごき出(いで)たるやうにみえたりこの城中(じやうちゆう)は名(な)におふ  みよしのゝ里(さと)なりけり在五羽林(ざいごうりん)のいつかわすれんとよみし所(ところ)  天満天神(てんまんてんじん)鎮守(ちんじゆ)なれば花(はな)の絶間(たえま)に松などもみえたりむさし㙒(の)の  鴈(かり)やしたひきにけんおなじつらに二 聲(こゑ)三 聲(こゑ)おとづれければ   かへるさを鴈(かり)やたどりてみよし㙒(の)の花(はな)に心(こゝろ)のよると鳴(なく)らん  供奉(ぐぶ)の中(うち)にたのむの風(かぜ)に花(はな)のさそはるゝをみて   春風(はるかぜ)を袖(そで)におほはぬもろ人(びと)のうらみたぐへよみよしのゝ花(はな)  あまたもらしつあくる日(ひ)はたてばやしを御中(おんなか)やどりにて佐㙒(さの)に 【左丁】  つかせ給ふしもつけといへど舩橋(ふなばし)もやかけぬらんはらひみがける  玉鉾(たまぼこ)のゆきかふ袖(そで)に春(はる)も今(いま)はの藤(ふぢ)山(やま)ぶきつゝじなど折(をり)かざしぬ  廿九日になれば佐野(さの)を一里ばかりゆきて輿(こし)くぼといふ所(ところ)なり慈覚(じがく)  大師(だいし)生湯(うぶゆ)あみ玉ふゆゑとかや岩舟地蔵薩埵(いはふねぢざうさつた)左にたらせ玉ふかく  れなき魔所(ましよ)にぞありける神輿(しんよ)と申したふときかまの相(さう)おはする  僧正(そうじやう)の釼索印(けんさくいん)など物(もの)し給(たま)ひあまたの御警固(おんけいご)といひなにのつゝ  がらあらん上中下(かみなかしも)ことなくにとみだをとほりとちぎといふ所(ところ)を  過(すぎ)てぞ音(おと)にきく室(むろ)の八島(やしま)はみえけるさるは名高(なだか)き所(ところ)にて俊成(しゆんぜい)定家(ていか)  の両卿(りやうきやう)も秀歌(しうか)をや詠(えい)じにしさてかの御名残(おんなごり)にはむねのけふりも  空(そら)せばきこゝちしてなみだは水(みづ)よりもながれぬかくて鹿沼(かぬま)につ  かせ玉ふけふ一日たらで春(はる)もくれはてにけるよなどいひて御法事(おんほふじ)  例(れい)のやうにあり聴聞(ちやうもん)の後(のち)こよひはおの〳〵やよひのかぎりをしまん 【右丁】  とかたらひあひつゝ涙(なみだ)そゝぐ春(はる)のさかづきめぐりゆけばあか  つきのかねに打(うち)おどろかされぬ  夘月(うづき)一日(ついたち)にもなれば蝉(せみ)の羽衣(はごろも)に立(たち)かへんも花(はな)のかたみたゞならず  うつりゆく光陰(くわういん)こそ矢(や)よりもはやけれなどいひつゝこれにおなじ  三日までおはす如在(によざい)の礼奠(らいてん)御法事(おんほふじ)むつ〳〵の时(とき)おこたらずなほ  きやうざくなり  四日に日光山(につくわうざん)座禅院(ざせんゐん)につかせ奉(たてまつ)りたまふこのほど大僧正(だいそうじやう)扈従(こしゆう)  の人(ひと)〻(〴〵)にあまねくしめしきかせ給ふやうそれ神(かみ)は混沌(こんとん)のはじめを  まもるゆゑに生死(しやうし)のふたつの相(さう)をとり給(たま)はず六塵(ろくじん)の境(さかひ)にまじ  はるはしばらく和光(わくわう)の御結縁(おんけちえん)なりしかのみにあらずかけまくも  おほやけよりかしこき神號(しんがう)をさづけまゐらせられ又(また)なきひとつ  の位(くらゐ)にあがめ拝(はい)せさせ給(たま)ふよろこびのうへのよろこびにあらずや 【左丁】  御門(みかど)より初(はじ)めて  御家運(ごかうん)は久(ひさ)かたのあめ長(なが)くあらかねのつち  久(ひさ)しく擁護(おうご)しいまさんこといちじるしとこの时(とき)おの〳〵ゑみさか  えて万歳(ばんぜい)をぞよばられけるそれが中(なか)に   東(あづま)より照(てら)さん世(よ)〻(ゝ)の日(ひ)の光(ひかり)山(やま)をうごかぬためしにはして  いづれもおなし心(こゝろ)ばへなればおほくしるすに筆(ふで)いとまあらず  かくて佛(ほとけ)誕生日(たんじやうのひ)に御廟塔(おんべうたふ)に御定座(おんぢやうざ)ありさて十六日に新造(しんざう)の  みやしろに遷(せん) 御(ぎよ)なし奉(たてまつ)らんと議定(ぎぢやう)ありけるとぞ 石御鳥居(いしのおんとりゐ) 總髙(そうたかさ)二丈七尺六寸五分 柱石(ちゆうせき)差渡(さしわた)し三尺五寸 柱根入(はしらねいり)凡(およそ)  二尺五寸 地輪石(ぢりんせき)八尺四方  東照大権兼現と彫(ほり)たる文字(もんじ)置揚(おきあげ)總唐銅(そうからかね)の御額(おんがく)を掲(かゝ)ぐ  後水尾院の御宸翰(おんしんかん)なり是(これ)は黒田筑前守長政(くろだちくぜんのかみながまさ)獻備(けんび)の御鳥居(おんとりゐ)にして  柱(はしら)に銘文(めいぶん)をしるす其銘(そのめい)は次(つぎ)に出(いだ)せり此(この)石御鳥居(いしのおんとりゐ)前(まへ)に二三 間(げん)隔(へだて)て 【図】 御宮中總圖 【右丁】  左右(さいう)に甃(しう)【「イシダヽミ」左ルビ】し高(たかさ)五尺 程(ほど)幅(はゞ)二間 程(ほど)長(ながさ)四間 許(ばかり)切石(きりいし)にて畳(たゝ)み揚(あげ)たる上に  杉(すぎ)の古木(こぼく)双(なら)び生(おひ)たり左右(さいう)の間(ま)は一 面(めん)に敷石(しきいし)して二間半 許(ばかり)是(これ)より  御鳥居下(おんとりゐした)を經(へ)て二王御門前(にわうごもんまへ)石階(せきかい)のもと迄(まで)石敷(いししき)續(つゞ)けり凡(およそ)二拾間  餘(よ)御鳥居(おんとりゐ)は南 向(むき) 兹(こゝ)より中山道(なかやまどほり)までは少(すこ)しく漸下(せんげ)せし大路(おほぢ)にて  長(ながさ)二町 許(ばかり)大路(おほぢ)の東 側(がは)は御本坊(ごほんばう)表御門通(おもてごもんどほ)り西の方(かた)は 御殿跡地(ごてんあとち)  の御構(おんかまへ)なり里俗等(りぞくら)此邊(このへん)を稱(しよう)して御見透(おんみとほ)しと唱(とな)ふ 巨石御燈爐(きよせきのおんとうろ)  二基  二王御門(にわうごもん)石階(せきかい)の下(した)左右(さいう)に建(たて)り凡(およそ)髙(たかさ)一丈 許(ばかり)御影石(みかげいし)にて春日形(かすががた)に  造(つく)れる大燈爐(おほとうろ)なり酒井讃岐守忠勝(さかゐさぬきのかみたゞかつ)献備(けんび)柱(はしら)に銘文(めいぶん)を彫(ほり)たり其銘(そのめい)  次(つぎ)に出(いだ)す 石御鳥居之銘(いしのおんとりゐのめい)  奉寄進日光山 【左丁】  東照大權現御寶前石鳥居者於筑前國削鉅石造大柱而運之  南海以達于 當山者也   元和四年戊午四月十七日 黑田筑前守藤原長政 仁王御門下大燈爐之銘(にわうごもんしたおほとうろのめい)  今兹有 鈞命彫刻鉅石改造靈塔以垂不朽於是臣亦表寸丹  聊祝不盡   寬永十八年九月十七日    若狹國主從四位下侍從酒井讃岐守源朝臣忠勝 石大燈爐(いしのおほとうろ)  二 基(き)  石御鳥居内(いしのおんとりゐのうち)にあり高(たかさ)六尺 許(ばかり)元和四年四月十七日 有馬中務大輔(ありまなかつかさのたいふ)  忠頼(たゞより)造献(ざうけん)の銘(めい)あり 五重御寶塔(ごぢゆうのおんはうたふ) 石御鳥居(いしのおんとりゐ)と二王御門(にわうごもん)の間(あひだ)にて西の方(かた)にあり塔内(たふない)三間 【右丁】  四 方(はう)本尊(ほんぞん)五智如来(ごちによらい)并 須弥(しゆみ)の四天(してん)其餘(そのよ)諸尊(しよそん)を安置(あんち)す是(これ)は慶安三年  小濵侍従(をはまじじゆう)酒井忠勝朝臣(さかゐたゞかつあそん)造献(ざうけん)せり總髙(そうたかさ)拾七間二尺 柱(はしら)金襴巻(きんらんまき)二 手先(てさき)  揔彩色(そうさいしき)外(ほか)承塵(じようぢん)の上通(うへとほ)りは十二 支(し)を彫(ほり)たり二 重垂木(ぢゆうたるき)銅葺(あかゞねぶき)四 方(はう)黒塗(くろぬり)  扉(とびら)に葵御紋(あふひのごもん)あり外通(そとどほ)り赤塗(あかぬり)廽(めぐ)り八間四 方(はう)程(ほど)鉾石(ほこいし)の玉垣(たまがき)を構(かまへ)たり 御番所(おんばんしよ) 二王御門(にわうごもん)の下(した)にあり日光組頭支配(につくわうくみがしらしはい)の同心(どうしん)見張(みはり)を勤(つと)む此(この)  所(ところ)より右の方(かた)へ折廻(をりまは)し拾五六間 程(ほど)行(ゆき)て御番所(おんばんしよ)あり是(これ)は御裏御門(おんうらごもん)の  見張(みはり)なり其前(そのまへ)の石坂(いしざか)をくだれば大樂院(だいらくゐん)表門(おもてもん)前(まへ)なり又(また)二王御門(にわうごもん)の  東の方(かた)に杉(さん)𣗳(じゆ)蔭蔚(いんゐ)とせし所(ところ)は御假殿(おんかりでん)の御構(おんかまへ)なり 滑海藻石(あらめいし) 二王御門(にわうごもん)石垣(いしがき)高(たかさ)一丈五六尺 其(その)築石(つきいし)の中(うち)なる巨石(きよせき)を名(な)  附(づ)く小口(こぐち)の見ゆる所(ところ)横(よこ)一丈四五尺 高(たかさ)一丈 許(ばかり) 阿房丸石(あはうまろのいし) 是(これ)も右 同所(どうしよ)右の方(かた)番所(ばんしよ)の後(うしろ)にあり大石(たいせき)高(たかさ)一丈五尺 程(ほど)横(よこ)  三間四尺 許(ばかり)此(この)両方(りやうはう)の石垣(いしがき)の内(うち)へ畳込(たゝみこみ)たるものなり巨石(きよせき)の名(な)を 【左丁】  諸國(しよこく)より詣(まうづ)るものへ宮(みや)めぐりを導(みちび)く里俗等(りぞくら)其(その)大(おほい)なるを称(しよう)して  演説(えんぜつ)する處(ところ)なり其謂(そのいはれ)は定(さだ)かならず 二王御門(にわうごもん) 石御鳥居(いしのおんとりゐ)正面(しやうめん)四間に二間半 朱塗(しゆぬり)銅葺(あかゞねぶき)檐口(のきぐち)箱棟(はこむね)滅金(めつき)御紋(ごもん)  あり右弼(うひつ)那羅延金剛(ならえんこんがう)左輔(さほ)密迹金剛(みつしやくこんがう)長(たけ)一丈 餘(よ)朱塗(しゆぬり)運慶作(うんけいのさく)總丸柱(そうまろばしら)の  上(うへ)は金襴巻(きんらんまき)彩色(さいしき)内(うち)羽目(はめ)ともに朱塗(しゆぬり)垂木(たるき)黒塗(くろぬり)表裏(へうり)左右(さいう)の間(あひだ)は格画(がうぐわ)  天井(てんじやう)内柱(うちはしら)上(うへ)は菊(きく)の篭彫(かごぼり)外柱(そとはしら)上(うへ)は金龍(きんりよう)に雲形(くもがた)の彫(ほり)あり冠木(かぶき)上(うへ)中央(ちゆうあう)  に金御紋附(きんごもんつき)左右(さいう)は竹(たけ)に虎(とら)の彫(ほり)御門扉(ごもんとびら)朱塗(しゆぬり)御門(ごもん)内裏(うちうら)に金色(こんじき)の狛犬(こまいぬ)  二 頭(とう)蹲踞(そんきよ)す各(おの〳〵)三尺 許(ばかり)御門(ごもん)より左右(さいう)銅葺(あかゞねぶき)に赤塗(あかぬり)せし屏垣(へいがき)を折廻(をりまは)し  東の方(かた)は裏御門迄(うらごもんまで)に至(いた)り西の方(かた)は相輪樘(さうりんたう)の邊(へん)に至(いた)る凡(およそ)長(ながさ)五六  拾間 偖(さて)二王御門(にわうごもん)より内(うち)は角(かく)なる石(いし)を敷詰(しきつめ)幅(はゞ)一丈 餘(よ)長(ながさ)は陽明御門(やうめいごもん)  下迄(したまで)数(す)百 歩(ほ)の間(あひだ)三 曲(きよく)に折(をれ)て其(その)左右(さいう)は一 面(めん)に丸小石(まろこいし)を敷詰(しきつめ)たり  此(この)御門(ごもん)外左右(そとさいう)に古大樹(こたいじゆ)の杉(すぎ)十 根(こん)ばかりあり徃古(わうご)よりの杉(すぎ)なり 【図】 【右丁】 一の神庫(しんこ)破風下(はふした)梁上(うつばりうへ)に有(あり) 右は鼡色(ねずみいろ)左は白象(はくざう)大(おほき)さ 凡(およそ)五尺 許(ばかり)高彫(たかぼり)彩(さい) 色(しき)なり 【右丁】  といふ 三神庫(さんしんこ) 三 棟(むね)亞脊造(あぜづく)り二王御門(にわうごもん)を入(いり)て右の方(かた)に相双(あひなら)ぶともに總(そう)  朱塗(しゆぬり)銅葺(あかゞねぶき)滅金(めつき)御紋(ごもん)其餘(そのよ)かなもの皆(みな)滅金(めつき)花鳥草木(くわてうさうもく)の極彩色(ごくざいしき)柱上(はしらうへ)は  金襴巻(きんらんまき)一 庫(こ)毎(ごと)に三 扉(ひ)前(まへ)に椽側(えんがは)並に階(かい)を設(まう)く一の御神庫(おんしんこ)外(そと)長押(なげし)  上(うへ)破風下(はふした)に鼡色(ねづみいろ)と白色(しろいろ)との大象(だいざう)を彩色(さいしき)に図(づ)せり恰(あたかも)生(いき)たるが如(ごと)し  大(おほき)さ五尺ばかり是(これ)は探幽法印(たんいうほふいん)の下繪(したゑ)なりといひ傳(つた)ふ 御厩(おんうまや) 二王御門(にわうごもん)を入(いり)て左の方(かた)にあり三間に五間半 素木造(しらきづくり)銅葺(あかゞねぶき)金(きん)  滅金(めつき)御紋(ごもん)外(ほか)に揔(そう)かなもの滅金(めつき)長押上(なげしうへ)其餘(そのよ)所(しよ)〻(〳〵)極彩色(ごくざいしき)猿(さる)に花実(くわじつ)  の摸様(もやう)内(うち)に駒繫(こまつなぎ)有(あり)て前(まへ)に木(き)にて組揚(くみあげ)たる臺(だい)の上(うへ)に飼桶(かひをけ)あり唐(から)  銅(かね)の鋳貫(いぬき)深(ふか)さ一尺 餘(よ)横(よこ)一尺五寸 許(ばかり)長(ながさ)二尺 程(ほど)厚(あつさ)七八分なるに滅金(めつき)の  御紋(ごもん)を附(つけ)たり傍(かたはら)に馬官(ばくわん)の席(せき)あり高床(たかゆか)に高麗縁(かうらいべり)の疂(たゝみ)を敷(しき)一 方(はう)に  は簾(すだれ)を掲(かゞ)ぐ 【左丁】 金松(きんしよう)𣗳(じゆ) 御厩(おんうまや)の傍(かたはら)にあり実(じつ)は本槙(ほんまき)と穪(しよう)するものなり石玉垣(いしのたまがき)の内(うち)に  あり是(これ)は弘法大師(こうぼふだいし)高野山(かうやさん)より移(うつ)されし種(たね)なりといふ周廽(しうくわい)一丈 餘(よ)  枝葉(しえふ)垂(たり)て茂生(もしやう)せり 御番所(おんばんしよ) 御厩(おんうまや)に相双(あひなら)ぶ銅葺(あかゞねぶき)揔赤塗(そうあかぬり)日光組頭支配(につくわうくみがしらしはい)の同心(どうしん)勤番(きんばん)す里(り)  人等(じんら)此(この)御番所(おんばんしよ)を赤番所(あかばんしよ)と唱(とな)ふ二間に三間なり 御手洗水盤(みたらしすゐばん) 御番所(おんばんしよ)の西の方(かた)にあり御手水屋(おてうづや)とも唱(とな)ふ水盤石(すゐばんせき)長(ながさ)  八尺五寸 幅(はゞ)四尺 許(ばかり)高(たかさ)三尺五寸 程(ほど)なる御影石(みかげいし)にて造(つく)れり盤底(はんてい)よ  り常(つね)に涌出(ゆしゆつ)するやうに設(まう)け自然(しぜん)に水盤(すゐばん)の四 方(はう)より流出(りうしゆつ)せり是(これ)は  鍋島家(なげしまけ)の寄進(きしん)し奉(たてまつ)るものなり覆屋(ふくや)は二間に三間半 許(ばかり)これも又(また)柱(はしら)は  御影石(みかげいし)凡(およそ)七寸 角(かく)程(ほど)の柱(はしら)に造(つく)り其(その)石柱(せきちゆう)を四 方(はう)の一 隅(ぐう)に三 本(ぼん)宛(づゝ)建(たて)た  れば都合(つがふ)十二 本(ほん)の石柱(せきちゆう)なり桁(けた)貫(ぬき)ともに御影石(みかげいし)にて稲妻形(いなづまがた)の彫(ほり)  あり屋根(やね)唐破風造(からはふづく)り楹(つかばしら)鼻(はな)破風板(はふいた)屋棟(やむね)等(とう)滅金(めつき)かなもの唐草摸様(からくさもやう) 【右丁】  軒先(のきさき)に金御紋(きんごもん)を附(つく)天井(てんじやう)極彩色(ごくざいしき)飛龍(ひりょう)の彫垂木(ほりたるき)黒塗(くろぬり)なり石柱(せきちゆう)の礎(そ)  石際(せきぎは)にも桁際(けたぎは)にも滅金(めつき)かなものにて褱(つゝみ)たり水盤石(すゐばんせき)の後(うしろ)の方(かた)に  銘文(めいぶん)有(あり)  奉寄進御手水鉢石鍋島信濃守肥前侍從藤原勝茂元和四年  四月十七日《割書:云| 云》 唐銅御鳥居(からかねのおんとりゐ) 御手水屋(おんてうづや)の前(まへ)に建(たて)り御額(おんがく)なし笠木(かさぎ)に金御紋(きんごもん)五ッあり  高(たかさ)凡(およそ)二丈 許(ばかり) 輪蔵(りんざう) 御手水屋(おんてうづや)より北の方(かた)堂(どう)五間半四 面(めん)二 重屋根(ぢゆうやね)銅葺(あかゞねぶき)中央(ちゆうあう)輪蔵(りんざう)  一 切經(さいきやう)を納(をさめ)奉(たてまつ)り前(まへ)に傳大士(ふだいし)左右(さいう)に普成(ふせい)普建(ふけん)の木像(もくざう)あり宝形造(はうぎやうづくり)  堂内(だうない)石敷(いししき)にて四 方(はう)に扉(とびら)あり後(うしろ)の方(かた)左右共(さいうとも)一間 通(どほ)り揚床(あげゆか)疂敷(たゝみしく) 諸家獻備御燈爐(しよこくけんびのおんとうろ) 總数(そうかず)百十八 基(き)内(うち)《割書:唐銅(からかね)十五 基(き)鉄(てつ)二 基(き)石(いし)百一 基(き)|年号(ねんがう)姓名(せいめい)等(とう)略之(これをりやくす)》 朝鮮國獻備洪鐘(てうせんこくけんびのこうしよう) 龍頭(りうづ)の下(した)に一 竅(けう)あり里俗(りぞく)虫喰鐘(むしくひがね)と唱(とな)ふ覆屋(ふくや)四 趾(し) 【左丁】  銅(あかゞね)の巻柱(まきばしら)また四 方(はう)の楹先(つかばしらさき)に滅金(めつき)せし象頭(ざうづ)を造(つく)る燈燭(とうしよく)の覆屋(ふくや)も  造工(ざうこう)相同(あひおな)じ 【図】 河湖孑圖【印】 【右丁】   日光山鐘銘《割書:并》序  日光道塲為  東照大權現設也 大權現有無量功德合有無量崇奉  結搆之雄世未曾有繼述之孝益彰先烈我 王聞而歡  喜為鑄法鐘以補靈山三寶之供仍 命《割書:臣》植叙而銘之  銘曰   丕顯英烈肇闡靈眞玄都式廓寶鐘斯陳叅修勝   緣資薦冥福鯨音獅吼昏覺魔伏非器之重唯孝   之則龍天是謨鴻祚偕極   崇禎壬午十月   朝鮮國禮曹叅判李植撰                行司直呉竣書 【左丁】 【図】 朝鮮國獻備燈臺穗屋(てうせんこくけんびのとうだいほや) 湖孑河西愛貴圖    【印】【印】 【右丁】  取放(とりはな)し正面(しやうめん)に見(み)る圖(づ)   前図(せんづ)穂屋(ほや)揔黄銅造(そうくわうどうつくり)《割書:但(たゞし)網(あみ)は銕(てつ)なり覆屋(ふくや)は洪鐘(こうしよう)の覆屋(ふくや)と同(おな)し》   上(うへ)の紈附(くわんつき)より下(した)礎際(いしずゑぎは)迄(まで)髙(たかさ)一丈二尺 許(ばかり)九角造(くかくづくり)此(この)穂屋(ほや)の内(うち)に   燈燭(とうしよく)あり真中(まなか)の銅柱(どうちゆう)へ上段(じやうだん)の枝釭(しこう)九ッ下段(げだん)の枝釭(しこう)も九ッ廽(めぐ)りへ   附(つけ)たり其(その)枝釭(しこう)の製作(せいさく)は図(づ)の如(ごと)し 【図】 【左丁】  前(まへ)に同断(どうだん)   阿蘭陀獻備燈臺(おらんだけんびのとうだい)    枝釭(しこう)一 段(だん)に十 釭(こう)宛(づゝ)三 段(だん)に都合(つがふ)三十 釭(こう)を図の如(ごと)く    廽(めぐ)りに附(つけ)たり上(うへ)の紈附(くわんつき)より下(した)石際(いしぎは)迄(まで)揔高(そうたかさ)九尺 許(ばかり) 【図】 銘文(めいぶん)アリ 臺石(だいいし) 高(たかさ)一尺五寸 程(ほど)  琉球獻備燈臺(りうきうけんびのとうだい) 唐銅造(からかねつくり)上(うへ)に釭(こう)一 其下(そのした)三 段(だん)に釭(こう)三十一 釭(こう)《割書:但(たゞし)一 段(だん)に十 釭(こう)宛(づゝ)》 【図】 螭足(りそく)六ッ 【左丁】 鐘樓(しゆろう) 朝鮮鐘(てうせんのかね)の東にあり揔高(そうたかさ)凡(およそ)二丈五六尺 土臺石際(どだいいしのきは)三間四 方(はう)程(ほど)垂(たる)  木先(きさき)皆(みな)龍頭(りうづ)彩色(さいしき)かなもの滅金(めつき)なり 皷樓(ころう) 朝鮮釣燭(てうせんのこうしよく)の西にあり造工(ざうこう)鐘楼(しゆろう)と同(おなじ) 御本地堂(ごほんちだう) 皷楼(ころう)の西に有(あり)大間造(おほまづくり)五間に十間 許(ばかり)銅葺(あかゞねぶき)東 向(むき)にて向拜(かうばい)  四間に七間 鰐口(わにぐち)を掲(かゝ)ぐ前(まへ)三 扉(ひ)御内陣(おんないぢん)四間に七間 許(ばかり)向拜(かうばい)虹梁(こうりやう)の  上(うへ)に虎(とら)の彫物(ほりもの)あり柱(はしら)金襴巻(きんらんまき)長押上(なげしうへ)も同(おなじ)く地紋(ぢもん)彩色(さいしき)金銀(きん〴〵)を鏤(ちりばめ)たり  二 重垂木(ぢゆうたるき)黒塗(くろぬり)滅金(めつき)かなもの有(あり)御内陣(おんないぢん)天井(てんじやう)には長(たけ)八間の蟠龍(ばんりよう)墨(すみ)  画(ゑ)なり狩野永真安信(かのえいしんやすのぶ)の筆(ふで)なり堂内(だうない)に安置(あんち)奉(たてまつ)れる尊像(そんざう)は三州(さんしう)峰(みね)の  薬師(やうし)を摸(も)し給(たま)ふといふ左右(さいう)日光(につくわう)月光(ぐわつくわう)十二 神将(じんしやう)四天王(してんわう)愛染明王(あいぜんみやうわう)千(せん)  手觀音(じゆくわんおん)如意輪觀音(によいりんくわんおん)を安置(あんち)し給(たま)ふとぞ 陽明御門(やうめいごもん) 午未 向(むき)垂木割(たるきわり)間数(まかず)ゆゑ慥(たしか)には知(しり)がたし大概(たいがい)四間に二間  余(よ)といふ三 手先造(てさきづくり)四 方(はう)唐破風(からはふ)銅葺(あかゞねぶき)四 方(はう)の軒口(のきぐち)に金鈴(きんれい)の大(おほい)なるを 【右丁】  掲(かゞけ)たり二 重垂木(ぢゆうだるき)の下(した)手先(てさき)金龍(きんりよう)と白龍(はくりよう)を組出(くみいだ)し其間(そのま)每(ごと)に素木(しらぎ)の  獅子(しゝ)数頭(すとう)あり桁(けた)も木地(きぢ)皆(みな)牡丹(ぼたん)唐草(からくさ)の彫(ほり)あり柱(はしら)十二本みな槻(けやき)の  白木(しらき)の丸柱(まろばしら)唐木色附(からきいろつけ)に仕立(したて)地紋(ぢもん)綾菱(あやびし)の中(うち)に圓窓(ゑんそう)を置(おき)て其内(そのうち)に  鳥獣草花(てうじうさうくわ)の雕(ほり)あり前破風(まへはふ)は金龍(きんりよう)の丸彫(まろぼり)有(あり)て御額(おんがく)は【平出】  後水尾院 降位(こうゐ)の後(のち)の御宸翰(おんしんかん)なりといふ  御神號(おんしんがう)の文字(もんじ)は金(きん)にて其外(そのほか)は紺青(こんじやう)を以(もつ)て埋(うめ)たてたり髙欄(かうらん)手摺(てすり)  黒塗(くろぬり)滅金(めつき)かなもの又 髙欄(かうらん)の間(あひだ)は唐子逰(からこあそび)の丸彫(まろほり)揚(あげ)上下(じやうげ)の軒通(のきどほ)り  三尺 間每(まごと)に金龍(きんりやう)の彫(ほり)一 本(ほん)宛(づゝ)冠木上通(かぶきうへどほ)りには人物(じんぶつ)又(また)は鳥獣(てうじう)等(とう)の彫(ほり)  物(もの)あり或(あるひ)は琴碁書画(きんぎしよぐわ)人物(じんぶつ)には周公旦(しうこうたん)孔子(こうし)顏囬(ぐわんくわい)盧敖(ろがう)費張房(ひちやうばう)琴髙(きんかう)  稽康(けいかう)阮籍(げんせき)豊干(ほうかん)王子猷(わうしいう)虎溪三笑(こけいのさんせう)四友(しいう)九哲(きうてつ)等(とう)なり表(おもて)の左右(さいう)には極(ごく)  彩色(ざいしき)の随身(ずゐじん)あり裏(うら)の方(かた)には東に青色(せいしよく)の風神(ふうじん)西に朱色(しゆしよく)の雷神(らいじん)あり  又(また)内外(ないぐわい)の御門(ごもん)天井(てんじやう)のふた間(ま)に昇降(しようごう)の二 龍(りよう)墨画(すみゑ)是(これ)は狩野探幽守(かのたんいうもり) 【左丁】  信(のぶ)の筆(ふで)なり御修理(おんしゆり)の砌(みぎり)も曽(かつ)て手(て)を不入(いれず)古(いにしへ)の侭(まゝ)なり左右(さいう)の袖塀(そでべい)に  白木彫(しらきぼり)なる獅子(しゝ)一 間(ま)に二 匹(ひき)宛(づゝ)二 間(ま)にあり其下(そのした)の通(とほ)りに白波(しらなみ)の彫(ほり)  左右(さいう)ともに同(おな)じ裏(うら)の左右(さいう)は金獅子(きんじゝ)二 匹(ひき)宛(づゝ)御門(ごもん)の高軒(たかのき)の四 隅(ぐう)に  金鈴(きんれい)をかゝぐ偖(さて)此(この)御門(ごもん)よりしては守信(もりのぶ)安信(やすのぶ)両人(りやうにん)の下繪(したゑ)にて巧手(かうしゆ)なる  剞劂(きけつ)が雕(ほり)たるものゆゑに世上(せじやう)に絶(たえ)てなき彫物(ほりもの)なり悉(こと〴〵く)枚挙(まいきよ)する  事を得(え)ず殊(こと)にまたくはしく知(しる)べきにもあらねば御唐門(おんからもん)より内(うち)は  おそれ多(おほ)き事のみなれば唯(たゞ)荒増(あらまし)を記(き)せり其餘(そのよ)は凖(しゆん)じて知(しる)べし 御唐門(おんからもん) 陽明御門(やうめいごもん)より正面(しやうめん)なり四 方棟唐破風造(はうむねからはふづくり)正面(しやうめん)の破風上(はふうへ)の  屋棟(やむね)に唐銅(からかね)にて造(つく)れるものを里俗等(りぞくら)恙(つゝが)といへる虫(むし)なりと唱(とな)ふ其(その)  形(かたち)四 趾(し)ありて虎(とら)に似(に)たるさまなり長(ながさ)四尺 許(ばかり)鎖(くさり)にて繫(つなぎ)たり又(また)東  西の棟上(むねうへ)に龍(りよう)二ッ是(これ)も唐銅(からかね)にて長(ながさ)四尺 餘(よ)有(ある)べし御門(ごもん)は唐木造(からきづくり)正(しやう)  面(めん)の両柱(りやうはしら)には昇降(しようごう)の二 龍(りよう)に梅竹(ばいちく)を添彫(そへぼり)し皆(みな)木地(きぢ)の高彫(たかぼり)なり虹(こう) 【右丁】 陽明御門(やうめいごもん)御天井(おてんじやう)昇降(しようごう)の二 龍(りよう) 昇龍(しようりよう)は外(そと)の方(かた)にあり降龍(こうりよう)は内(うち)の 方(かた)にあり墨画(すみゑ)墨隈(すみぐま)なり 【図】 【右丁】  梁(りやう)には素木(しらき)龍(りよう)の彫(ほり)もの正面(しやうめん)に虎(とら)一 匹(ひき)の丸彫(まるぼり)あり御柱(おんはしら)白木地(しらきぢ)唐(から)  木色附(きいろつけ)總地紋(そうぢもん)は丸龍(ぐわんりよう)丸獅子(ぐわんしゝ)御柱根(おんちゆうこん)は赤銅巻(しやくどうまき)色繪(いろゑ)かなもの御柱(おんはしら)  上(うへ)の方(かた)にも滅金(めつき)かなもの正面(しやうめん)冠木上(かぶきうへ)は孔子(こうし)十 哲(てつ)の彫(ほり)向(むか)ふ破風(はふ)は  鳳凰(ほうわう)欄間(らんま)には巣父許由(さうふきよいう)或(あるひ)は七 賢(けん)七 福人(ふくじん)等(とう)を彫(ほり)たり滅金(めつき)かな物(もの)  魶子地(たふしぢ)彫附(ほりつけ)天井(てんじやう)素木地(しらきぢ)に天人(てんにん)を彫(ほり)たり両扉(りやうとびら)唐木(からき)にて菊(きく)牡丹(ぼたん)梅(うめ)  等(とう)の彫(ほり)なり其餘(そのよ)細密(さいみつ)なる彫工(てうこう)筆(ふで)に尽(つく)しがたし 唐銅御燈爐(からかねのおんとうろ) 一 基(き)御唐門外(おんからもんそと)の東の方(かた)にあり是(これ)は謂(いはれ)ある御寄進(おんきしん)な  るものといひ無銘(むめい)なれば其傳(そのつた)へをしらす 御瑞籬(おんたまがき) 御唐門(おんからもん)の左右(さいう)より御本殿(おんほんでん)御拜殿(おんはいでん)を折廽(をりまは)し銅葺(あかゞねぶき)地紋(ぢもん)彫透(ほりすか)  し欄間(らんま)には草木花鳥(さうもくくわてう)の浮彫(うきぼり)彩色(さいしき)なり 御拜殿(おんはいでん) 御唐門(おんからもん)より内(うち)は庸人(ようじん)の具(つぶさ)に拜覧(はいらん)すべき所(ところ)ならねば知(しり)が  たし階下(かいか)にて拝(をが)み奉(たてまつ)る折(をり)から其(その)荘厳(しやうごん)なる事十が一もこゝろに諳(あん)し 【左丁】  がたく適(たま〳〵)つたへ聞(きけ)るも御深秘(おんしんひ)なれば大概(たいがい)を誌(しる)せり御拜殿(おんはいでん)御正(おんしやう)  面(めん)およそ拾一二間 許(ばかり)横間(よこま)四五間 程(ほど)なり向拜下(かうばいした)迄(まで)御唐門(おんからもん)内(うち)石敷(いししき)なり  衆庻(しゆしよ)此(この)御石鋪(おんいししき)の所(ところ)にて拝(をが)み奉(たてまつ)ることなり偖(さて)御石鋪(おんいししき)の向(むかふ)は御階段(おんかいだん)  なり五 級(きふ)一 面(めん)に滅金(めつき)かなものにて張詰(はりつめ)たり上(うへ)に御鰐口(おんわにぐち)三ッ掲(かゝげ)り皆(みな)  金色(こんじき)なり御濵椽(おんはまえん)并 髙欄(かうらん)ともに黒(くろ)■(ろ)【蝋】色(いろ)にて御内(おんうち)の御柱(おんはしら)向(むき)は揔金(そうきん)  だみ外(そと)なる御長押(おんなげし)うへは素木(しらき)鳳凰(ほうわう)の高彫(たかほり)金彩色(きんざいしき)御唐戸(おんからど)黒(くろ)■(ろ)【蝋】色(いろ)  金(きん)の唐草(からくさ)蒔繪(まきゑ)正面(しやうめん)の御本間(おんほんま)御天井(おんてんじやう)折揚(をりあげ)二 重(ぢゆう)の格天井(がうてんじやう)其内(そのうち)へ岩(いは)  紺青(こんじやう)にて丸龍(ぐわんりよう)の彩色(さいしき)其形(そのかたち)皆(みな)異(こと)なり御内(おんうち)承塵上(じようぢんうへ)に三十六 歌仙(かせん)の  御額(おんがく)を掲(かゝげ)玉ふ和歌(わか)は【平出】  後水尾院の御宸翰(おんしんかん)なり画(ゑ)は土佐将監(とさのしやうげん)が筆(ふで)といふ東西の御襖戸(おんふすまど)  東は金泥地(きんでいぢ)にして竹(たけ)に麒麟(きりん)の彩色(さいしき)西の方(かた)は獅子(しゝ)の繪(ゑ)なり探幽(たんいう)  の筆(ふで)なりといふ御拜殿(おんはいでん)の東の御間(おんま)を御聴聞所(おんちやうもんしよ)と唱(とな)へ【平出】 【右丁】  将軍家 御座(ござ)の間(ま)と称(しよう)す御天井(おんてんじやう)天蓋(てんがい)折揚造(をりあげつく)り真中(まなか)に伽羅木(きやらぼく)にて  葵(あふひ)の御紋(ごもん)一ッを造(つく)れれり御間(おんま)の堺(さかひ)には御簾(ぎよれん)を垂(たれ)たり又(また)御間(おんま)の東  の羽目(はめ)に桐(きり)に鳳凰(ほうわう)を紫檀(したん)黒檀(こくたん)たがやさん等(とう)の寄木(よせき)の細工(さいく)目(め)を  驚(おどろか)したる妙手(みやうしゆ)を尽(つく)せり又(また)西の御間(おんま)は【平出】  御門主 御方(おんかた)の御休息所(おんきうそくじよ)と唱(とな)ふ御天井(おんてんじやう)の真中(まなか)に天人(てんにん)の彫物(ほりもの)西の  御羽目(おんはめ)は鷲(わし)に松柏(しようはく)唐木(からき)よせの彫工(てうく)なり御拜殿(おんはいでん)と御石(おんいし)の間(ま)の取(とり)  合(あはせ)の御柱(おんはしら)は堆朱(ついしゆ)の巻柱(まきはしら)と称(しよう)するもの四 本(ほん)ありと聞(きけ)り此餘(このよ)結搆(けつこう)  なる事 悉(こと〳〵く)枚挙(まいきよ)することを得(え)ず 御石(おんいし)の間(ま) 御拜殿(おんはいでん)と御本殿(ごほんでん)のあひだの御間(おんま)をいふ紅縁(べにべり)の御畳(おんたゝみ)を敷(しく)  御疂下(おんたゝみした)は石敷(いししき)なりといふ此邊(このへん)より其(その)結搆(けつこう)なる事はしるさず 御本殿(おんほんでん) 御石(おんいし)の間(ま)より續(つゞ)けり御本殿(ごほんでん)内(うち)に御幣殿(おんへいでん)亦(また)夫(それ)より御内陣(ごないぢん)  又(また)御内(ごない)〻(〳〵)陣(ぢん) 御宮殿(おんきうでん)ありといふおそれ多(おほ)ければ略(りやく)す御拝殿(おんはいでん)御本(ごほん) 【左丁】  殿(でん)の御屋根(おんやね)銅葺(あかゞねぶき)棟木(むなぎ)に金御紋(きんごもん)所(ところ)〻(〴〵)にあり御破風(おんはふ)は鳳凰(ほうわう)の彫物(ほりもの)  御本殿(ごほんでん)の御棟木(おんむなぎ)に風木(かざき)勝男木(かつをぎ)あり 御廽廊(おんくわいらう) 陽明(やうめい)御門 續(つゞ)き左右(さいう)二間 宛(づゝ)は黒塗(くろぬり)それより先(さき)は赤塗(あかぬり)なり  揔銅葺(そうあかゞねぶき)東の御廽廊(おんくわいらう)拾五六間目より大樂院(だいらくゐん)續(つゞ)きの廊下(らうか)へゆき夫(それ)  より前(まへ)の方にて北へ折(をれ)て僅(わづか)に行(ゆけ)ば御門ありまた夫(それ)より二三ッ折(をれ)て  殊(こと)に長(なが)しすべて間数(けんすう)は定(さだ)かに知(しり)がたし又 陽明(やうめい)御門より左の御廽(おんくわい)  廊(らう)は西へ七八間 過(すぎ)て北へ續(つゞ)く事 長(なが)く高御石垣(たかおんいしがき)の際(きは)にて止(とゞま)れり 坂下御門(さかしたごもん) 此御門は西 向(むき)なり素木造(しらきづくり)柱(はしら)に彫物(ほりもの)あり格天井(がうてんじやう)牡丹(ぼたん)と  菊(きく)の折枝(をりえだ)極彩色(ごくざいしき)高彫(たかぼり)垂木(たるき)黒塗(くろぬり)地紋(ぢもん)金(きん)の紋唐草(もんがらくさ)滅金(めつき)御門附(ごもんつき)なり  此御門は御奥院(おんおくのゐん)口の御門なり 上御供所(かみおんくうしよ) 東の御廽廊(おんくわいらう)續(つゞ)きに御唐戸口(おんからどぐち)あり 八房(やつぶさ)の梅(うめ) 銅御倉(あかゞねおんくら)の北の方にあり古木(こぼく)なり來由(らいゆ)を傳(つた)へず 【右丁】 銅御倉(あかゞねのおんくら) 東の御廽廊(おんくわいらう)に接(せつ)す外(そと)の廽(めぐ)りは揔銅(そうあかゞね)にて褱(つゝみ)たる御倉(おんくら)ゆゑ  に名附(なづけ)たり御寶物(おんはうもつ)数品(すひん)納置(をさめおか)るゝ所(ところ)なり 御神輿舍(おんしんよしや) 陽明(やうめい)御門の西の方にあり銅葺(あかゞねぶき)黒塗(くろぬり)前後(ぜんご)に御唐戸(おんからど)有(あり)て  御天井(おんてんじやう)に天人(てんにん)の絵(ゑ)あり 御護摩堂(おんごまだう) 御神輿堂(おんしんよだう)より艮(うしとら)の方によれり本尊(ほんぞん)五大尊(ごだいそん)十二天を安(あん)  せり正五九の中旬(ちゆうじゆん)護摩修法(ごましゆほふ)あり銅葺(あかゞねぶき)向拜附(かうはいつき)階段(かいだん)有 正面(しやうめん)の奥(おく)の  方は黒塗(くろぬり)前(まへ)なる一 間(ま)は緑青塗(ろくしやうぬり)中蔀(なかしとみ)外通(そととほ)り長押上(なげしうへ)草花鳥(さうくわてう)の彫(ほり)摸(も)  やうあり 御神樂堂(おんかくらだう) 陽明御門(やうめいごもん)の東にあり御拝殿(おんはいでん)へ向(むか)ふ銅葺(あかゞねぶき)黒塗(くろぬり)前椽側(まへえんがは)階(かい)  段(だん)あり 御門主御登社(ごもんしゆおんとうしや)御門 銅御倉(あかゞねのおんくら)の前(まへ)にあり【平出】  御門主 御方(おんかた) 御宮(おんみや)へ参(まゐ)らせ玉ふ时は御 裏(うら)御門より此御門へ被(いら) 【左丁】  為入(せらるゝ)事なり 東通用御門(ひがしつうようごもん) 御宮内(おんみやうち)へ東の方よりの入口なり御裏門(おんうらもん)とも称(しよう)せり  御宮内(おんみやうち)へ出勤(しゆつきん)する面(めん)〻(〳〵)此所(このところ)より出入(しゆつにふ)す社家等(しやけとう)の休息所(きうそくしよ)の邊(へん)に  有ゆゑ字(あざな)して社家(しやけ)御門とも唱(とな)ふ 社家(しやけ)并 一坊神人等休息所(いちばうしんじんとうきうそくしよ) 前(まへ)にいふ御門を入て右に接(せつ)して御長(おんなが)  屋あり 埋御門(うづみごもん) 二王(にわう)御門より相輪樘(さうりんたう)までの御塀垣(おんへいがき)の下より通用口(つうようぐち)新宮(しんぐう)  馬塲(ばゝ)の方(かた)にあり 大杉樹(おほすぎのき) 陽明御門下(やうめいごもんした)御皷楼(おんころう)の邊(へん)に大杉(おほすぎ)三四 株(ちゆう)圍(めぐり)凡(およそ)一丈 餘(よ)の杉(すぎ)なり  古老(こらう)の話(かたり)けるに此(この)大杉(おほすぎ)を古(いにしへ)より軍荼利杉(ぐんだりすぎ)と唱(とな)へし由(よし)されば徃古(わうご)  此邊(このへん)に軍荼利明王(ぐんだりみやうわう)の堂(だう)ありし事にぞあらん此外にも二王御門(にわうごもん)  邊(へん)又は御經蔵(おんきやうざう)御手水屋(おんてうづや)の邊(へん)にも古杉(ふるすぎ)あり 【図】 相輪樘 【右丁】 相輪樘(さうりんたう) 御宮(おんみや)御築地(おんついぢ)外(そと)の山腹(さんふく)にて新宮(しんぐう)馬塲(ばゝ)の方(かた)に有(あり)是(これ)は古(いにしへ)傳敎(でんげう)  大師(だいし)叡山(えいざん)を初(はじめ)とし日本(につほん)六ヶ所(しよ)に建(たて)給ふといふ   安東(あんとう)   上野(かうつけ)   上野國(かうつけのくに)綠野郡(みとのゝこほり)にあり   安南(あんなん)   豊前(ぶぜん)   豊前國(ぶぜんのくに)宇佐郡(うさのこほり)にあり   安西(あんさい)   筑前(ちくぜん)   在所(ざいしよ)不審(つまびらかならず)   安北(あんぼく)   下野(しもつけ)   下野國(しもつけのくに)都賀郡(つがのこほり)にあり   安中(あんちゆう)   山城(やましろ)   叡山西塔院(えいざんさいたふゐん)にあり   安摠(あんそう)   近江(あふみ)   同(おなじく) 東塔院(とうたふゐん)にあり  慈眼大師(じげんだいし)叡山(えいざん)に比(ひ)して傳敎大師(でんげうだいし)の銘文(めいぶん)を摸冩(もしや)して建立(こんりふ)し給(たま)ふ  始(はじめ)は奥院(おくのゐん)の山(やま)へ寛永廿年七月 建(たて)給ひしが其後(そのゝち)慶安三年 今(いま)の地(ち)へ  御建直(おんたてなほ)しになれりといふ揔高(そうたかさ)地盤石(ちばんせき)より七間二尺 外(ほか)に根入(ねいり)二尺  四寸 元口(もとくち)差渡(さしわたし)三尺一寸 基石(きせき)大(おほき)さ八尺四 方(はう)八 角(かく)座石(ざせき)二丈一尺七寸 【左丁】  廽(めぐ)り控柱(ひかへばしら)髙(たかさ)一丈七尺八寸 元口(もとぐち)丸差渡(まろさしわたし)一尺八寸五分 金瓔珞(きんやうらく)のかな  もの二十四 連(れん)金鈴(きんれい)二十四あり滅金(めつき)かなもの下(した)に葵御紋(あふひごもん)金(きん)にて  置(お)けり敷石(しきいし)の圍内(かこひうち)五間四 方(はう)許(ばかり)其(その)真中(まなか)に輪樘(りんたう)の銅柱(とうちゆう)を建(たて)たり控(ひかへ)  是(これ)も銅柱(どうちゆう)にて頭(かしら)に凝(ぎ)【擬】宝珠(ばうしゆ)あり樘(たう)の図(づ)は右に出(いだし)し如(ごと)くなり 御神號御位階(おんしんがうおんゐかい) 元和三年丁巳二月廿一日  勅(ちよく)して【平出】  東照大權現と授(さづけ)奉(たてまつ)らる同年三月九日  正一位を贈(おくり)奉(たてまつ)らる 御遷座(おんせんざ) 元和三年三月十五日 日光山(につくわうざん)へ御遷座(おんせんざ)の事にて同日 久能(くのう)  山(ざん)より【平出】  御神靈(おんしんれい)を供奉(ぐぶ)し四月四日に日光山(につくわうざん)座禅院(ざぜんゐん)へ入(じゆ) 御(ぎよ)奉(たてまつ)れる迄(まで)の  事は上(かみ)にあげたる光廣卿(みつひろきやう)のしるし給ふ記(き)にくはしければ兹(こゝ)に  略(りやく)す同月八日に【平出】  御神靈(おんしんれい)を御庿塔(おんべうたふ)に歛(をさめ)【斂】奉(たてまつ)り同十四日【平出】 【右丁】  御神(ぎよしん)を御假殿(おんかりでん)へ移(うつ)す  宣命使(せんみやうし)阿野宰相実顕卿(あのゝさいしやうさねあきのきやう)同十六日【平出】  御神(ぎよしん)を御正殿(おんしやうでん)へ移(うつ)し奉(たてまつ)る  宣命使(せんみやうし)中御門宰相宣衡卿(なかのみかどのさいしやうのぶひらのきやう)【平出】  奉幣使(ほうへいし)清閑寺宰相共房卿(せいかんじのさいしやうともふさのきやう)同日【平出】  将軍家 日光山(につくわうざん)着(ちやく) 御(ぎよ)し給(たま)ふ 御門跡 方(がた)並 卿相雲客(けいしやううんかく)登山(とうざん)同十七日【平出】  御本殿(ごほんでん)にて御法會(おんほふゑ)御修行(おんしゆぎやう)導師(だうし)天海大僧正(てんかいだいそうじやう)咒願(じゆぐわん)正覚院權僧正(しやうがくゐんごんそうじやう)證(しよう)  誠(じやう)【平出】  梶井二品最胤親王 御布施(おんふせ)被物禄(ひもつろく)以下(いげ)勝(あげ)て計(かぞ)ふべからず 御宮號(おんきうがう) 正保二《割書:乙| 酉》年十一月三日 勅(ちよく)して 宮號(きうがう)を贈(おくり)玉ふ是(これ)は【平出】  新帝(しんてい)御即位(おんそくゐ)【平出】  大權現の神助(しんじよ)に因(よつ)てなりと《割書:云| 云》同十七日  勅使(ちよくし)今出川大納言(いまでがはだいなごん)  經秀卿(つねひでのきやう)日光山(につくわうざん)へ登(のぼ)り御神前(おんしんぜん)に於(おい)て  宣命(せんみやう)を讀(よみ)給(たま)ふ 例幣使(れいへいし) 正保四年三月十三日 奉幣使(ほうへいし)下向(げかう)有(あり)て  宣命(せんみやう)を讀(よみ)玉 【左丁】  ひし式(しき)ありしを始(はじめ)とし是(これ)より例(れい)となり毎年(まいねん) 奉幣使(ほうへいし)下向(げかう)有(あり)て  中山道(なかせんだう)を踰(こえ)給ひ四月十五日 日光山(につくわうざん)へ下着(げちやく)翌(よく)十六日の朝 奉幣(ほうへい)  なり當山(たうざん)浄土院(じやうどゐん)を宿坊(しゆくばう)とせらる十六日 拂暁(ふつけう)に浄土院(じやうどゐん)より手輿(てごし)  に乗(じよう)し石(いし)の御鳥居前(おんとりゐまへ)にて下乗(げじよう)随身(ずゐじん)の数(かず)は家(いへ)〻(〳〵)に仍(より)て差(しな)ある欤(か)【平出】  御唐櫃(おんからひつ)は仕丁等(しちやうら)に舁(かゝ)せ先(さき)に進(すゝ)み御宮門(おんきうもん)を入(いる)  勅使(ちよくし)は御鳥居(おんとりゐ)  のもとより史生(ししやう)衛士(ゑじ)并 雜掌等(ざつしやうとう)を従(したが)へ雁鼻沓(がんびくつ)にて陽明御門(やうめいごもん)まで  歩(ほ)せられ此(この)御門(ごもん)より裾(きよ)をくだし御唐門(おんからもん)を入(いり)御拜殿(おんはいでん)の階(かい)を昇(のぼ)り  御拜殿(おんはいでん)中央(ちゆうあう)にして 奉幣(ほうへい)の式(しき)ありて  宣命(せんみやう)をよみ畢(をはり)て同日 昼(ひる)  时(どき)日光山(につくわうざん)を發(はつ)せられて宇都宮通(うつのみやどほ)りを千住(せんじゆ)へ出(いで)て浅草觀音境内(あさくさくわんおんのけいだい)  を小休(こやすみ)とせられ江戸(えど)を逕(すぎ)東海道(とうかいだう)を上(のぼ)り給(たま)ふといふ 将軍家御叅詣子第(しやうぐんけおんさんけいのしだい)  ○元和八《割書:壬| 戌》年七周(しう)  御忌(ぎよき)【平出】 【右丁】  台德公四月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)十六日 日光(につくわう)着(ちやく)  御(ぎよ)十七日  御宮(おんみや)  御叅詣(おんさんけい)十八日 中禅寺(ちゆうぜんじ)  御登山(おんとうざん)廿二日 江戸(えど)還(くわん)【闕字】  御(ぎよ)  ○寛永五《割書:戊| 辰》年十三 周(しう)  御忌(ぎよき)   台德公四月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)十六日 日光(につくわう)着(ちやく)  御(ぎよ)十七日   御宮(おんみや)  御叅詣(おんさんけい)廿一日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○右同年同月廿二日   大猷公《割書:于时大納言也》為(して)_二日光(につくわう)  御叅(おんまゐりを)_一江戸(えど)  御發駕(おんほつが)廿五日 日(につ)   光(くわう)着(ちやく)  御(ぎよ)廿六日  御宮(おんみや)  御叅詣(おんさんけい)廿八日 日光(につくわう)  御發(おんほつ)   駕(が)五月朔日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○同六《割書:己| 巳》年   台德公九月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)十七日  御宮(おんみや)  御叅(おんさん) 【左丁】   詣(けい)是(これ)は依(よりて)_二御疱瘡(おんはうさう)御立願(おんりふぐわんに)_一也(なり)  ○同九《割書:壬| 申》年十七 周(しう)  御忌(ぎよき)   大猷公四月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)十六日 渡(と)  御(ぎよ)今市如来(いまいちによらい)   寺(じを)被(さだめ)_レ為(させ)_レ定(らる)_二  御旅舘(おんりよくわんと)_一翌(よく)十七日 如来寺(によらいじ)に一日  御逗畄(おんとうりう)従是(これによりて)   為(して)_二 御名代(おんみやうだいと)_一彦根少将直孝(ひこねのせうしやうなほたか)登(のぼり)_二日光山(につくわうざんに)_一  御宮(おんみや)叅拜(さんはい)翌(よく)十八日【闕字】   幕府(ばくふ)今市(いまいち)  御發輿(おんほつよ)廿一日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)    是(これ)は今年正月廿四日 大相國家 薨(こう) 御(ぎよ)依(よりて)_レ為(たるに)_二御忌服(おんきぶく)_一雖(いへども)_レ不(ずと)_レ及(およば)_二    御登山(おんとうざんに)_一態(わざ)〻(〳〵)被(らるゝ)_レ為(せ) _レ成(なら)事は御尊崇(おんそんそう)厚(あつき)故(ゆゑ)也(なり)《割書:云| 云》  ○同十一《割書:甲| 戌》年   大猷公四月 日光(につくわう)  御叅詣(おんさんけい)    但(たゞし)  御發駕(おんほつが)並 還(くわん)  御(ぎよ)日限(にちげん)不詳(つまびらかならす)  ○同十三《割書:丙| 子》年 御宮(おんみや)御造替(おんざうたい)為(して)_二御供養(おんくやうと)_一【平出】 【右丁】   大猷公四月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)十七日 新建之(しんこんの) 御宮(おんみや)【平出】   御叅詣(おんさんけい)廿一日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○同十七《割書:庚| 辰》年廿五 周(しう)  御忌(ぎよき)   大猷公四月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)十七日 御宮(おんみや)  御叅詣(おんさんけい)   廿一日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○同十九《割書:壬| 午》年 依(よりて)_二 御宮(おんみや)奥院(おくのゐん)御宝塔(おんはうたふ)御造替(おんざうたいに)_一為(して)_二御供養(おんくやうと)_一【平出】   大猷公四月十三日 江戸(えど)  御發輿(おんほつよ)十七日 御宮(おんみや)  御叅詣(おんさんけい)   廿一日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○慶安元《割書:戊| 子》年三十三 周(しう)  御忌(ぎよき)   大猷公四月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)大御法會(だいおんほふゑ)御修行(おんしゆぎやう)十三日より   御法會(おんほふゑ)始(はじまり)廿二三日 御結願(おんけちぐわん)廿四五 両日(りやうじつ)法蕐曼荼羅供(ほつけまんだらく)廿六日 於(おいて)_二【闕字】   御宮内(おんきうないに)_一神事能(じんじのう)御興行(おんこうぎやう)廿七日  御發駕(おんほつが)前後(ぜんご)十四五日之 間(あひだ)日(につ) 【左丁】   光(くわう)  御逗畄(おんとうりう)晦日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○同二《割書:己| 丑》年   厳有公《割書:于时大納言也》為(して)_二日光(につくわう)  御叅詣(おんさんけいと)_一 四月十三日 江戸(えど)【闕字】   御發駕(おんほつが)十七日 御宮(おんみや)  御叅詣(おんさんけい)廿一日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○寛文三《割書:癸| 卯》年   厳有公四月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)十七日 御宮(おんみや)  御叅詣(おんさんけい)   廿一日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○享保十三《割書:戊| 申》年   有德公四月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)十六日 日光(につくわう)  御着山(おんちやくざん)十   七日 御宮(おんみや)  御叅詣(おんさんけい)廿一日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○安永五《割書:丙| 申》年百五十 周(しう)  御忌(ぎよき)   後明公四月十三日 江戸(えど)  御發駕(おんほつが)十六日  御着山(おんちやくざん)十七日 【右丁】   御宮(おんみや)  御叅詣(おんさんけい)廿一日 江戸(えど)還(くわん)  御(ぎよ)  ○羅山集云。寬永五年戊辰夏。四月十三日 大相國發江戸。十六日。   登日光山。當皇考神君十三囬忌也。先是。尾張亞相義直卿。紀伊亞   相頼宣卿。水戸黄門頼房卿。預來會。與詔使俱拜謁。十七日。 靈輿   神。遊于山菅橋邊頓宮。山王摩多羅二輿從行。 大相國。座假閣而   見之。十八日。詣靈廟塔。廿一日。還於江戸。 三卿從之。廿五日 大   樹《割書:家 光|公》又入山。厥明詣閟宮。翌日復詣謁神宮。廿八日。 大樹出日   光。五月朔。還於江戸。 又云寛永十三年初夏。改作日光宮宇。今兹   季春。 幕下以聞 朝廷。從之。於是。公卿殿上人。應佳招。以季春中   浣而發京師。右大臣藤原朝臣敎平公《割書:鷹|司》。前内大臣藤原朝臣實條   公《割書:西 三|条》權大納言藤原資勝卿《割書:日|ノ》。權大納言藤原光廣卿《割書:烏|丸》。新大納   言藤原季繼卿《割書:四|辻》。新大納言藤原兼賢卿《割書:廣|橋》。權中納言藤原業光卿 【左丁】   《割書:柳|原》。中納言藤原永慶《割書:高|倉》。中納言藤原雅宣卿《割書:ア ス|カ ヰ》。中納言藤原光賢   《割書:光 廣|ノ 息》。中納言藤原經敦《割書:大 炊|御 門》。前中納言藤原氏成《割書:ミ ナ|セ》。十三年。四月   乙亥朔。越甲申。《割書:十|日》夜奉遷 神靈於新殿。詔使。藤光廣。兼賢。永慶。雅   宣。俊定卿。束帶著座。隆量朝臣。奉行事。預命奥平美作守忠昌。秋元   但馬守泰朝。及那須郡士等。警蹕之丙戌《割書:十 二|日》詔使。藤公景卿。奉幣   使。資勝卿。納劔馬使。藤原康胤卿。讀宣使祝詞。 大上皇使。藤光廣卿。   奉劔。 皇大后使。藤兼賢卿。獻鏡二面。是日。 幕下詣增上寺。拜【平出】   台德院殿之靈牌。將赴日光山之故也。丁亥《割書:十 三|日》 台斾旣出。戊子   《割書:十 四|日》。入古河城。己丑《割書:十 五|日》著宇都宮。庚寅《割書:十 六|日》。出宇都宮。路經大澤。   阿部對馬守。獻午炊。晩次于今市。㸃如來寺為御館。尾張義直卿。紀   伊頼宣卿。自大桑村。到今市。拜謁。辛卯。早陟山。入御館。搆假于道左   石墻上。以爲 幕下御座。道右爲僧徒假閣。甲午。 台輿發軔于今 【右丁】   市。路歴鹿沼。晩入壬生城。乙未到于古河城。晩入于岩築城。丙申還   著江戸。戊戌詣増上寺。告于 皇考也。 法華八講記(ほつけはつこうのき)     冷泉為景  よろこびやすきはじめのそれの月(つき)それの日(ひ)  東照大権現三十三 回(くわい)の神忌(しんき)にあたれりとかや天(あめ)が下(した)ゆすりて  ひゞきのゝしるされば日光(につくわう)の宮(みや)にて八講(はこう)おこなはるべき【平出】  のりありて前摂政殿下(さきのせつしやうでんか)をはじめ奉(たてまつ)りおもと人(びと)のかぎりあかち  つかはすさは等持院贈左相府(とうぢゐんぞうさしやうふ)追薦(つゐせん)のためしならし 院(ゐん)の御製(ぎよせい)は  かの毘沙門堂大納言(びしやもんだうのたいなごん)の古(こ)富【?】いおぼしめし給(たま)ひて霜(しも)のたて露(つゆ)の  ぬきはたばりひろくおりなせるにしきの御心(みこゝろ)くまなくかきあら  はしぬるぬひものゝ御(おん)くちたくみにめぐりてたまきのはしなき  がごとし是(これ)や若蘭(にやくらん)が手玉(てだま)もゆらにおりはへけむことの葉(は)もいか 【左丁】  でとめもあやに見(み)はやし奉(たてまつ)らずやはやつがれも人(ひと)なみ〳〵に其(その)  かずにつらなりて木曽(きそ)の麻衣(あさぎぬ)はる〴〵とおもひたち侍(はべる)も騏尾(きび)の  さばへの千里(せんり)をかけるこゝちすべしやおほ海(うみ)に舟(ふね)わたしし山(やま)に  かけはししてゆくての道(みち)たど〳〵しからずたゞしき命(いのち)をつたふる  馬屋路(うまやぢ)の鈴(すゞ)の声(こゑ)もさながら花(はな)をもりがほなるに其(その)名残(なごり)もあはれ  しられて都(みやこ)をたち出(いで)て侍(はべ)りしは過(すぎ)し弥生(やよひ)の廿日あまり一日の日(ひ)  ならんかしそれより此(この)夘月(うづき)三日になんやうやくうば玉(たま)のくろかみ  山(やま)にいたりつきぬその道(みち)こゝらの名所(めいしよ)をすぎてくちすさめる  からやまとのことの葉(は)くた〳〵しければもらしつすべて此山(このやま)はもと  満願権現(まんぐわんごんげん)の地(ち)にして補陀洛山(ふだらくせん)と名付(なづく)およそ勝道上人(しようだうしやうにん)のぼること  三たびにしてはじめて寺(てら)をいとなめりよりて神宮精舎(しんぐうしやうしや)とす  あるひは又(また)圓仁師(ゑんにんし)の建立(こんりふ)せりともいへりとかや委(くはしく)は師錬(しれん)の書(しよ)に 【右丁】  見(み)えたりそのほか弘仁 年中(ねんぢゆう)上人(しやうにん)徒㐧(とてい)のしるせる補陀洛山記(ふだらくせんのき)いと  こまやかなりいはんや又(また)瀧尾(たきのを)寂光(じやくくわう)は道珎(だうちん)尊鎮(そんちん)が筆(ふで)をのこし満願(まんぐわん)  中禅(ちゆうぜん)の両寺(りやうじ)は尊蓮(そんれん)敦光(あつみつ)がその記(き)つくれるをやしかのみにあらずかし  この縁起(えんぎ)にかける満願權現(かんぐわんごんげん)の因位(いんゐ)を見(み)れば有宇 中将(ちゆうじやう)朝日姫(あさひひめ)の  こと何(なに)くれとあげてしるすにいとまあらずそのゝち元歷文治の  ころに至(いた)りて右大将(うだいしやう)頼朝(よりとも)燈明料(とうみやうれう)を寄附(きふ)せるよし東鑑(あづまかゞみ)に見(み)え侍(はべ)  りしやらんかやうの事かぞへばゆびもそこなはれぬべしそれは  さることにて今(いま)見(み)る所(ところ)のさまゆゝしくつくりならべたるみあらか  いときよらに塵(ちり)もすゑじとみがきなせる玉(たま)の御(み)はしけざやか  にてあけの高殿(たかどの)紫(むらさき)の軒端(のきば)みつばよつばにものせし驪山宮(りさんきう)もかば  かりやはとふりさけ見(み)るもいとまばゆしまづさし入(いる)山口(やまぐち)しろく  わたせる山(やま)すげのはし長(なが)くよこたはりていまもはひもこよふ 【左丁】  龍(たつ)のむかしおもほゆかたはらにそびゆる松(まつ)杉(すぎ)生(おひ)しげりて千尋(ちひろ)の  梢(こずゑ)雲(くも)をさそふげにものふりたる所(ところ)のさま幾世(いくよ)を經(へ)てかかく神(かみ)  さびけんいとあやしそれより石(いは)みち高(たか)くのぼりて《振り仮名:石の鳥居|いし  とりゐ 》に  いたる此額(このがく)は 本院(ほんゐん)いまだ御位(みくらゐ)におはしましける时(とき)の宸筆(しんひつ)と  かや猶(なほ)よぢのぼりて二王門(にわうもん)にいたりぬかねの鳥居(とりゐ)にいれば東(ひがし)に  三の御蔵(みくら)有(あり)やがてこゝを衆僧(しゆそう)集會(しうくわい)の所(ところ)とす西(にし)に御經蔵(おんきやうざう)有(あり)これを  諸家(しよけ)のすだく所(ところ)として上達部(かんだちめ)の座(ざ)をかまふこのあひだに彩旙(さいはん)を  たて地鋪(ちしき)をしきて導師(だうし)をむかふるよそほひせり又(また)《振り仮名:石の階|いし  かい》をのぼ  りて西(にし)に本地堂(ほんちだう)有(あり)東(ひがし)の左右(さいう)に鍾皷(しようこ)の楼(ろう)あり其外(そのほか)朝鮮国(てうせんこく)より奉(たてまつ)  れる蕐鯨(くわげい)いとおほきやかに上(かみ)にきざめる李植(りしよく)が銘(めい)あざやかなり  ひゞき豊嶺(ほうれい)の霜(しも)をしのぎてあした夕(ゆふべ)のねふりをいましむ今(いま)是(これ)を  つきて諸卿(しよきやう)集会(しふくわい)の鐘(かね)とす前(まへ)にすゑたる燈籠(とうろ)は琉球国(りうきうこく)より奉(たてまつ)れり 【右丁】  となん曼荼羅供(まんだらく)おこなはるゝ时(とき)にこゝに樂屋(がくや)をかまへらる是(これ)を過(すぎ)て  陽明門(やうめいもん)に入(いり)ぬ此額(このがく)は 院(ゐん)の御門(みかど)おりゐさせ給(たまひ)てかゝしめ給(たま)へり  となんこゝより《振り仮名:人〻|ひと〴〵》裾(きよ)をくだし侍(はべ)るそのめぐりはみな廽廊(くわいらう)なり  此廊(このらう)を左右(さいう)の樂屋(がくや)とす瑞籬(みづかき)の中央(ちゆうあう)にあたりて舞臺(ぶたい)をたつそれ  よりやゝ拝殿(はいでん)にのぼるすべてかうやうの事 羅友(らいう)といふとももたして  しるすにいとまあらじやがて十三日より御法事(おんほふじ)はじまる其日(そのひ)の  證義(しようぎ)は妙法院宮(みやうほふゐんのみや)とぞ殿下(でんか)をはじめて着座(ちやくざ)の公卿(くぎやう)それ〳〵とのぼり  すゝむ堂童子(だうどうじ)四人 簀子(すのこ)の座(ざ)にわかちつく季雅朝臣(すゑまさあそん)は音樂(おんがく)の行(ぎやう)  事(じ)にて伶人(れいじん)をひきゐ衆會(しゆうくわい)の所(ところ)にむかふかへりのぼりてかの座(ざ)の上(うへ)に  つく一曲( きよく)は階(はし)の前(まへ)にて近光廣有(ちかみつひろあり)これをかなづ衆僧(しゆそう)座(ざ)につきをは  りて階(はし)をくだり退出(たいしゆつ)し侍(はべ)る夕座(せきざ)の舞樂(ぶがく)は賀殿(がでん)古鳥蘇(ことりそ)太平楽(たいへいらく)長(ちやう)  保樂(はうらく)陵王(りようわう)納蘇利(なそり)なりとかやむべも八の音(ね)よくとゝのほりてとも 【左丁】  がらをうばふことなからん事(こと)を思(おも)ふかのもゝのけ物(もの)まひけんほ  どこそなからめをさまれる世(よ)の聲(こゑ)はこれにもしか〳〵きこゆらん  かしいでやおのが家(いへ)の名(な)にあかれたるいづみの水(みづ)はたえて久(ひさ)しく  なりにたるをいにし年(とし)の夏草(なつくさ)の露(つゆ)おもひかけぬ【平出】  今上(こんじやう)の仰(おほせ)ごとありて和歌(わか)のうらなみふたゝびむかしにたちかへり  つゝかゝるいみじき御法(みのり)の場(には)に立(たち)まじり侍(はべ)ることさはおほろげの  えにしにもあらじひとへに世(よ)をおもふ【平出】  《振り仮名:大𣗳|たいじゆ》のひろき御(み)めぐみはげに筑波山(つくばやま)のかげにもまさりてあふ  ればいやたかゝるべしそのかみわがたらちね《振り仮名:藤■|とうせう》【粛ヵ】はさしも【平出】  大權現(だいごんげん)の御(み)うつくしみふかくはる〳〵こととひかはし給(たま)へることにや  文禄の二年ばかり江府(ごうふ)にまかりたりしにも貞観政要(ぢやうぐわんせいえう)といふ文(ふみ)  よましめてきこしめしけりとなん行状(ぎやうじやう)に見ゆめりさるべきをり 【右丁】  にやみづからとり出てくだしたまへりし近思録(きんしろく)靖節集(せいせつしふ)など  ひつにかくしながき宝(たから)となすものあらかう身(み)をてらす《振り仮名:玉の光|たま ひかり》  とならはれけんも卞氏(べんし)がむかしおぼえてありがたくいふかし  十七日は【平出】  大權現(だいごんげん)の祭礼(さいれい)とておの〳〵みまくいきのゝしる《振り仮名:石の鳥居|いし とりゐ》のかた  はらをしつらひて諸家(しよけ)見物(けんぶつ)の所(ところ)とす毘沙門堂(びしやもんだう)大僧正(だいそうじやう)公海(こうかい)人(ひと)あ  またぐして打過(うちすぐ)るより始(はじめ)て榊木(さかき)兵士(えいし)など何(なに)くれとものゝふの  具(ぐ)をもたる人(ひと)いくらといふ数(かず)しらずあゆみつゞくそのゝち神輿(しんよ)  三社(  じや)さきなるは【平出】  大權現(だいごんげん)中(なか)は山王(さんわう)あとなるは摩多羅心(またらしん)とかや社司(しやし)神人(しんじん)いづれも  つきくしきよそほひなりあくれば十八日 法蕐(ほつけ)第五巻(たい  まき)にあたれり空(そら)  いと晴(はれ)てさし出(いづ)る《振り仮名:日の光|ひ  ひか》りも《振り仮名:山の名|やま  な 》をあらはしがほなりけふは 【左丁】  《振り仮名:人〻|ひと〳〵》染装束(そめしやうぞく)にことそぎてその《振り仮名:色〻|いろ〳〵》花(はな)やかに見(み)ゆる【平出】  将軍家も神樂所(かぐらどころ)におはしまして大行道(だいぎやうだう)見(み)玉ふあまたの人数(にんじゆ)にて  こうじ給(たま)はんほどもいかめしとて雲客(うんかく)は列(れつ)に立(たち)侍(はべ)らず行道(ぎやうだう)をは  りて諸卿(しよきやう)拝殿(はいでん)の座(ざ)にかへるとき着座(ちやくざ)し給(たま)ふつゞきて尾張大納言(をはりだいなごん)  紀伊大納言(きいだいなごん)水戸中納言(みとちゆうなごん)越後少将(ゑちごのせうしやう)南(みなみ)の座(ざ)につけりそのほか一門(  もん)  執権(しつけん)の《振り仮名:人〻|ひと〳〵》いづれも皆(みな)簀子(すのこ)に候(こう)ぜらる今出川前大納言(いまでがはさきのだいなごん)座(ざ)を立(たち)  て御簾(ぎよれん)を巻(まく)衆僧(しゆそう)諸卿(しよきやう)ともに平伏(へいふく)そのゝち論議(ろんぎ)はじまる當議(たうぎ)は【平出】  尊敬法親王(そんけうほふしんわう)ことし御十五(おん    )にならせたまふ御聲(おんこゑ)いとたふとく言(こと)  葉(ば)の《振り仮名:流〻|ながれ〳〵》てとゞこほるかたなくおはしますおほよそ人(びと)の涙(なみだ)は  いふにもたらず【平出】  柳営(りうえい)の御袖(おんそて)もしとゝにものしたまへりとなん十九日 合行曼荼羅供(がふぎやうまんだらく)【平出】  《振り仮名:大𣗳|たいじゆ》以下(いげ)の御着座(おんちやくざ)きのふの如(ごと)しけふの導師(だうし)は毘沙門堂(びしやもんだう)大僧正(だいそうじやう) 【右丁】  とかや雅樂寮(うたれう)獅子(しゝ)菩薩(ぼさつ)伶人(れいじん)をひきゐて幄屋(あくおく)にむかふおのれは  樂屋(がくや)の座(ざ)につきて居(ゐ)ながら舞樂(ぶがく)の目録(もくろく)をわたすこれは本地堂(ほんちだう)  の簀子(すのこ)所(ところ)せければこゝに座(ざ)をかまふるなるべし桃李花(たうりくわ)登天樂(とうてんらく)  拔頭(ばつとう)還城樂(げんじやうらく)あるひは小蝶(こてふ)の袖(そで)に香(か)をめぐらし或(あるひ)は迦陵頻(かりようびん)のつ  ばさに雲(くも)をひるがへす物(もの)の音(ね)空(そら)にひゞきあひてさながら琴(こと)の  爪音(つまおと)も引(ひき)そふこゝちす廿一日は 三摩耶戒(さんまやかい)の灌頂(くわんぢやう)神前(しんぜん)にておこな  はる御敎授(おんけうじゆ)は【平出】  尭然法親王(けうぜんほふしんわう)なり御受者(おんじゆしや)【平出】  尊敬法親王(そんきやうほふしんわう)大阿闍梨(だいあじやり)は毘沙門堂大僧正(びしやもんだうだいそうじやう)とぞ聞(きこ)ゆる舞樂(ぶがく)は採桒(さいさう)  老(らう)薪靺鞨(しんまかち)泔州(かんしう)林歌(りんか)打毬樂(だぎうらく)狛狎(こまいぬ)也 結願(けちぐわん)の日(ひ)の證義(しようぎ)は公海大僧正(こうかいだいそうじやう)  なり法事(ほふじ)をはりて緇素(しそ)おの〳〵奉幣(ほうへい)のよしきこゆれど殿下(でんか)はい  かゞおはしけんその日(ひ)はしたまはであくる日(ひ)なんぬさ奉(たてまつ)り玉ふ 【左丁】  おのれもいたはること有(あり)て此(この)ついでにつかうまつる廿四五日 法蕐(ほつけ)  万部經(まんぶきやう)讀誦(どくじゆ)の僧(そう)五千二百口(    く)となん廿六日は神事(じんじ)の御能(おんのう)有(あり)とかや  觀世(くわんぜ)金春(こんはる)などゝいふ猿樂(さるがく)の名伎(めいき)数(かず)を尽(つく)して來(きた)りつどふ笛(ふえ)皷(つゞみ)の音(おと)  空(そら)にひゞきて是(これ)もさながら行雲(かううん)をとゞむるたぐひといへばさら  なりかくくさ〴〵の大法會(だいほふゑ)もゆゑなくおこなはれしかばみな人(ひと)  よろこぶ事かぎりなし【平出】  《振り仮名:大𣗳|たいじゆ》の御(み)けしきもなほざりならずとぞつたへうけ給(たま)はるたま〳〵  一日二日のいとまある折(をり)からを得(え)て名有所(なあるところ)見(み)ざらんも残(のこり)おほ  ければしれる人(ひと)ひとりふたりいざなひつゝ瀧尾(たきのを)寂光(じやくくわう)などかり  ゆきて《振り仮名:所〻|ところ〴〵》みめぐるそのくさ〳〵しきことはれいのもらしつたゞ此(この)  たびのよそひかたばかりかいつけて都(みやこ)のつとにいざといはましや   山(やま)もけふ名(な)にはかくれず出(いづ)る日(ひ)のひかりを花(はな)とちらす御法(にのり)に 【右丁】   たかてらすひかりをこゝにやはらげて神(かみ)の宮居(みやゐ)はちりもくもらず   ふたあらやその山姫(やまひめ)のあさひ子(こ)がおもかげのこす峰(みね)のしら雪(ゆき)   むかしきて雲井(くもゐ)の龍(たつ)も今(いま)やまた人(ひと)に見(み)えける山(やま)すげの橋(はし)   いく千世(ちよ)をふるかは㙒(の)べの数(かず)そへてみもとの杉(すぎ)に又(また)もあひ見(み)ん   にぎはへる煙(けふり)やこゝに立(たち)まさる民(たみ)のかまどをむろのやしまに   めもはるに見渡(みわた)すはては夏草(なつくさ)のなすのゝ原(はら)は空(そら)もひとつに   九重(こゝのへ)やとの井におなじ濵(はま)の名(な)のくろどにやどる雲(くも)のうへ人(びと)   いかに又(また)くろきすぢなき黒髪(くろかみ)のやまより落(おつ)る瀧(たき)の尾(を)の水(みづ)   かしこしれあふぐも高(たか)き松風(まつかぜ)に人(ひと)の国(くに)までなびく草(くさ)はは    慶安元年四月廿九日 御旅所(おんたびしよ) 長坂(ながさか)を登(のぼ)り右の方(かた)なる地(ち)をいふ中山通(なかやまどほ)りなり御旅所(おんたびしよ)とて  別(べつ)に御宮殿(おんきうでん)を設(まうけ)給ふにあらず此(この)御旅所(おんたびしよ)と称(しよう)するは山王(さんわう)の社(やしろ)なり 【左丁】  其(その)本社(ほんしや)へ神輿(しんよ)三輿( よ)をすゑ奉(たてまつ)るなり山王社(さんわうのやしろ)《割書:大間(おふま)》三間に二間 程(ほど)向(かう)  拜附(はいつき)朱塗(しゆぬり)上蔀(あげしとみ)も朱塗(しゆぬり)なり橡葺(とちぶき)前(まへ)に拜殿(はいでん)あり四間に五間 許(ばかり)丹塗(たんぬり)  橡葺(とちぶき)前後(ぜんご)に扉(とびら)あり上蔀(あげしとみ)有(あり)黒塗(くろぬり)大床造(おほゆかづくり)御神事(おんじんじ)の砌(みぎり)供御(ぐご)の式(しき)あり  御供所(おんくうじよ)も有(あり)て此殿(このでん)へ歩廊(ほらう)を亘(わた)す東逰(あづまあそび)舞樂(ぶがく)を奏(そう)する所(ところ)は拝殿(はいでん)と  本社(ほんしや)の間(あひだ)の石敷(いししき)の所(ところ)にて舞樂(ぶがく)を奏(そう)する事なりまた山王社(さんわうのやしろ)の北  寄(より)に東逰(あづまあそび)の石碑(せきひ)あり 東逰(あづまあそび) 御祭儀(おんさいぎ)の節(せつ)御旅所(おんたびしよ)にて奏(そう)する舞曲(ぶきよく)なり伶人(れいじん)の内(うち)七人にて  脩(しう)せり其内(そのうち)舞人(まひびと)四人は紅紗(こうしや)の袍(はう)に下襲(したがさね)藤色(ふじいろ)表袴(うへのはかま)は白(しろ)精好(せいこう)に青(あを)  摺(ずり)の摸様(もやう)下袴(したばかま)は緋(ひの)精好(せいがう)の大口(おほくち)陪従(べいじゆう)の三人は紫(むらさき)の紗袍(しやはう)に蝋虎(らつこ)【猟虎】を  縫(ぬひ)たる蠻衣(ばんえ)下襲(したがさね)は玉虫色(たまむしいろ)紫(むらさき)の刺貫(さしぬき)右の七人ともに騎馬(きば)にて【平出】  神輿(しんよ)に供奉(ぐぶ)し御旅所(おんたびしよ)に至(いた)る入(じゆ) 御(ぎよ)の節(せつ)伶人(れいじん)御安座樂(おんあんざらく)とて拔頭(ばつとう)  を奏(そう)す御三品立(おんさんぼんだち)の御膳(ごぜん)を奉(たてまつ)る是(これ)を上(あが)り御膳(ごぜん)と唱(とな)へ此时(このとき)十天樂(じつてんらく)を 【図】 御拜殿 御本殿 相覧【印】 【右丁】  奏(そう)し奉(たてまつ)るそれより東逰(あずまあそび)を歌舞(かぶ)す陪従(べいじゆう)の内(うち)一人は神樂歌(かぐらうた)を唱(とな)へ外(ほか)  二人は篳篥(ひちりき)と高䴡笛(こまぶえ)を役(やく)す舞曲(ぶきよく)終(をは)りて御膳(ごぜん)をすべすを下御膳(さがりごぜん)  と称(しよう)してまた此时(このとき)伶人(れいじん)羅陵王(らりようわう)を奏(そう)する事(こと)とかや  續拾遺(しよくしふゐに)云(いはく)式部大輔(しきぶのたいふ)資業(すけなり)が伊豫守(いよのかみ)に侍(はべ)る时(とき)彼国(かのくに)の三島明神(みしまみやうじん)に東(あづま)  逰(あそび)して奉(たてまつ)りけるをよめる能因法師(のういんほふし)   宇と濵(はま)に天(あま)の羽衣(はごろも)むかしきてふりけん袖(そで)やけふのはふり子(こ)  とよめるも爰(こゝ)の御脩祭(おんしうさい)のごとき結搆(けつこう)にこそあらざらめども社前(しやぜん)  に奉(たてまつ)れる舞(まひ)ならん當御山(たうおんやま)の御神事(おんじんじ)は綾羅錦繍(りようらきんしう)の装(よそほい)し荘厳(しやうごん)なる  御脩祭(おんしうさい)はかけまくもかしこき【平出】  御神徳(おんしんとく)の久(ひさ)かたのあめとひとしくめでたくも又(また)たぐひなき御事(おんこと)  にぞありける。 東逰碑銘(あづまあそびのひのめい) 《割書:碑石(ひのいし)長(ながさ)六尺五寸 許(ばかり)幅(はゞ)一尺五寸 厚(あつさ)八九寸|基石(きせき)共(ともに)摠高(そうたかさ)凡(およそ)一丈 余(よ)》 【左丁】   日光山歲脩  東照宮祭禮京師伶人來奏東遊神樂其後廢絶   久不奏焉《割書:吾》  一品大王欲復其儀寶永三年秋請于  大將軍綱吉公  大將軍速允其請召伶人攝津守多久富伯耆守   狛近家豊前守狛近任木工權頭狛近業左近   將監狛永貞傳其曲于日光伶人四年四月料   給三百俵以充其費自此每歲四月九月脩祭   之日必奏以為常《割書:保孝》受  大王之命謹記其由以勒于石   寶永五年戊子四月 内藤内藏權頭從五位下藤原朝臣保孝謹書 【図】 華山渡邉登 東遊舞樂の圖 【右丁】  御假殿(おんかりでん) 御宮(おんみや)二王門(にわうもん)の東の方(かた)《振り仮名:杉𣗳|さんじゆ》陰森(いんしん)とし幽邃(いうすゐ)なる所(ところ)に御矢來(おんやらい)  御門(ごもん)あり此所(このところ)は 御宮(おんみや)御修復中(おんしゆふくちゆう)爰(こゝ)へ下遷宮(げせんぐう)なし奉(たてまつ)る其餘(そのよ)は每(まい)  歳(さい)十一月十五日 御社前(おんしやぜん)にて御湯立(おんゆだて)あり其事(そのこと)は次(つぎ)に出(いだ)せり 唐銅御鳥居(からかねのおんとりゐ) 南向(  むき)御鳥居前(おんとりゐまへ)に石燈籠(いしどうろう)左右(さいう)に建(たて)り 御門(ごもん) 南向(  むき)此(この)御門(ごもん)より御瑞籬(おんたまがき)を廽(めぐ)らせり揔赤塗(そうあかぬり) 御拜殿(おんはいでん) 五間に二間 許(ばかり)向拜附(こうはいつき)御鰐口(おんわにぐち)三ッ三扉( ひ)夫(それ)より御石間(おんいしのま)有(あり) 御本殿(おんほんでん) 凡 三間四方程(      はうほど)御縁(おんえん)押廽(おしまは)し高欄脇(かうらんわき)障子(しやうじ)あり左右(さいう)ともに一間  宛(づゝ)揚蔀(あげしとみ)御屋根(おんやね)銅葺(あかゞねぶき)金御紋附千木(きんごもんつきちぎ)あり揔赤塗(そうあかぬり)滅金(めつき)かなもの彫物(ほりもの)  彩色(さいしき)御柱(おんはしら)は金襴巻(きんらんまき)三扉( ひ)黒塗(くろぬり)階段(かいだん)も同塗(おなしぬり) 御湯立釜(おんゆだてのかま) 三基( き)御鳥居(おんとりゐ)に向(むか)ひ左の方(かた)にあり東の御釜(おんかま)には巴(ともゑ)の御紋(ごもん)  有(あり)中(なか)の御釜(おんかま)には葵(あふひ)の御紋附(ごもんつき)西の御釜(おんかま)は茗荷(みやうが)の御紋(ごもん)皆(みな)金紋(きんもん)なり  紐(ちゆう)には獅子(しゝ)を附(つけ)たり例年(れいねん)十一月十五日 御湯立(おんゆだて)の神事(じんじ)あり天下泰(てんかたい) 【左丁】  平(へい)國家安穩(こくかあんおん)の御祈(おんいのり)あり神樂舞(かぐらまひ)有(あり)て御桟敷(おんさんしき)御仮(おんかり)ものにて出來(しゆつらい)し  御奉行(おんぶぎやう)《振り仮名:出𫝶|しゆつざ》御桟敷(おんさんじき)にて是(これ)を鑒(かん)し給(たま)ふ御別當(おんべつたう)大樂院(だいらくゐん)を初(はじめ)一山(  さん)の  衆徒(しゆと)其餘(そのよ)出席(しゆつせき)なり神樂(かぐら)男(をとこ)二人 神人(しんじん)三人 湯立(ゆだて)男(をとこ)一人 出勤(しゆつきん)御釜(おんかま)は  寛永年中 御鑄製(おんたうせい)の両箇(りやうか)破裂(はれつ)に依(より)て享保廿年《振り仮名:𦾔録|きうろく》に従(したが)ひ新製(しんせい)改(かい)  鑄(たう)し玉ふ御銘文(おんめいぶん)あり 《振り仮名:時の鐘|とき  かね》 御假殿(おんかりでん)の前(まへ)にて南寄(  より)堂(だう)四趾( し)赤塗(あかぬり)橡葺(とちぶき)鐘撞寮(かねつきれう)の承仕(しようし)三軒(  けん)の  事初(ことはしめ)に記(き)せしゆゑ兹(こゝ)に略(りやく)す 唐銅御宝塔(からかねのおんはうたふ) 一基( き)御假殿(おんかりでん)の左の方(かた)にあり南向(  むき)石玉垣(いしのたまがき)を廽(めぐ)らしたり  是(これ)は文化九年十二月晦日 大樂院(だいらくゐん)より失火(しつくわ)して銅御倉(あかゞねのおんくら)御焼亾(おんせうばう)の  砌(みぎり)御法器(おんはうき)の灰燼(くわいじん)を爰(こゝ)に填(うづめ)て御供養(おんくやう)ありし御宝塔(おんはうたふ)なりといふ 社家伶人以下(しやけれいじんいげ)の貟数(ゐんじゆ)  社家衆(しやけしゆ)六人 古島氏(ふるしまうぢ) 猿橋氏(さるはしうぢ) 齋藤氏(さいとううぢ) 江端氏(えばたうぢ) 【図】 御假殿 御湯立 之圖 相覧【印】 【右丁】         古橋氏(ふるはしうぢ) 中麿氏(なかまろうぢ)  伶人(れいじん)《割書:二拾人》 宮仕(きうし)《割書:十人》 神人(しんじん)《割書:七拾六人》 巫女(ふしよ)《割書:八人|或(あるひ)は八乙女(やおとめ)とも唱(とな)ふ》 御神事每歳御執行次第(おんじんじまいさいおんしゆぎやうのしだい)  四月十五日 朝例(あされい) 幣使(へいし)御着(おんちやく)每歳(まいさい)當山(たうざん)浄土院(じやうどゐん)を宿坊(しゆくばう)とせらる【平出】  御門主 御方(おんかた)は同十二日 東叡山(とうえいざん)御發駕(おんほつが)にて同十五日 夕(ゆうべ)御着山(おんちやくざん)の  事は恒例(ごうれい)なり御祭禮(おんさいれい)  御名代(おんみやうだい)高家衆(かうけしゆ)一人 宛(づゝ)毎年(まいねん)登山(とうざん)有(あり)て同  十六日 御幸町(こがうまち)本陣(ほんぢん)入江某(いりえなにがし)が許(もと)に御着(おんちやく)御祭禮(おんさいれい)御奉行(おんぶぎやう)として大名(だいみやう)  衆(しゆ)両家(りやうけ)同十六日 朝(あさ)鉢石町(はついしまち)本陣(ほんぢん)二軒(  けん)へ参着(さんちやく)但(たゞし)九月の御祭禮(おんさいれい)は御神(おんじん)  事(じ)供奉(ぐぶ)の式(しき)も半減(はんげん)の御定(おんさだめ)にして御祭禮(おんさいれい)御奉行衆(おんぶぎやうしゆ)も一人に【平出】  命(めい)し玉ふといふ 《振り仮名:奉幣使の式|ほうへいし  しき》  毎年(まいねん)四月十六日《振り仮名:明六ッ时|あけ    どき》宿坊(しゆくばう)浄土院(じやうどゐん)より手輿(てごし)に乗(じよう)し仕丁(じちやう)是(これ)を舁(かく) 【左丁】  随身(ずゐじん)左右(さいう)に扈従(こじゆう)し《振り仮名:石の御鳥居前|いし おんとりゐまへ》にて下乗(げじよう)し雁鼻沓(がんびぐつ)にて歩行(ほかう)せ  られ陽明御門内(やうめいごもんのうち)東の御廽廊(おんくわいらう)待合所(まちあひしよ)へ参入(さんにふ)せられ啓(けいし)_二案内(あんないを)_一 御宮(おんみや)へ  登(のぼり)給(たま)ふ従是前(これよりまえ)拂暁(ふつけう)に浄土院(じやうどゐん)より衞士(ゑじ)史生(ししやう)等(ら)装束(しやうぞく)し雜掌(ざつしやう)狩衣(かりぎぬ)を  着(き)て御唐櫃(おんからひつ)三棹(  さを)仕丁(じちやう)に舁(かゝ)せ 幣使(へいし)より先達(さきだち)て 御宮内(おんきうない)に参入(さんにふ)し  幣使(へいし) 御宮門(おんきうもん)に登(のぼり)給ふを待得(まちえ)て衞士(ゑじ)史生(ししよう)等(ら)御唐櫃(おんからひつ)を御拜殿(おんはいでん)へ  すゑ奉(たてまつ)り又(また)階下(かいか)へくだる夫(それ)より雜掌(ざつしやう)捧(さゝげ)_二御位記(おんゐきを)_一畢(をはり)て階(かい)をくだる【平出】  奉幣使(ほうへいし)御唐門(おんからもん)より裾(きよ)を曳(ひき)て階上(かいしやう)へ進(すゝ)み玉ひ御拜殿(おんはいでん)中央(ちゆうあう)にて奉(ほう)  幣(へい)の式(しき)ありて  宣命(せんみやう)をよみ終(をは)り退去(たいきよ)待合所(まちあひしよ)へ参(まゐ)られ又(また)案内(あんない)  有(あり)て階(かい)を昇(のぼ)りみづからの参拝(さんはい)をも修(しゆ)し奉幣(ほうへい)の式(しき)終(をは)りければ【平出】  御宮門(おんきうもん)を出(いで)給ひ御鳥居前(おんとりゐまえ)より乗輿(じようよ)し 御靈屋(おんれいや)へ登(のぼ)られ御拝禮(おんはいれい)  畢(をは)り浄土院(じやうどゐん)へ帰館(きくわん)装束(しやうぞく)を改(あらため)られ御本坊(おんほんばう)へ至(いた)り給(たま)ふ【平出】  御門主 御方(おんかた)御對顏(おんたいがん)の上(うへ)御饗應(おんきやうおう)の事 終(をわり)て宿坊(しゆくばう)浄土院(じやうどゐん)へ還入(くわんにふ)し玉ひ 【右丁】  無程(ほどなく)即日(そくじつ)浄土院(じやうどゐん)を發駕(ほつが)今市(いまいち)より宇都宮通(うつのみやどほ)りを千住(せんぢゆ)へ至(いた)り江戸(えど)を  透過(とほりすぎ)て東海道(とうかいだう)を京都(きやうと)へ登(のぼり)給ふ《割書:下向(げかう)は中山道(なかせんだう)を通行(つうかう)せられ碓氷嶺(うすひのみね)を踰(こえ)給ひ上㙒(かうづけの)|国(くに)新田郡(につたのこほり)より下野国(しもつけのくに)梁田(やなだ)へ出(いで)て同国(どうこく)佐㙒(さの)杤木(とちぎ)を》  《割書:經(へ)て日光山(につくわうざん)へ赴(おもふ)き給ふ此(この)道(みち)|筋(すぢ)を例(れい) 幣使街道(へいしかいだう)と唱(とな)ふ》 《振り仮名:御宵成の神事|おんよひなり  じんじ 》  四月十六日 夕(ゆふ)七ッ时【平出】  御門主 御方(おんかた)御登(おんとう) 社(しや)《振り仮名:被_レ為_レ成|なさせられ》御下(おんくだ)りありて【平出】  東照 三社(  しや)の御神輿(おんしんよ) 御宮(おんみや)より新宮(しんぐう)《割書:日光權現(につくわうごんげん)》拜殿(はいでん)へ渡(と) 御(ぎよ)し給(たま)ふ  社家(しやけ)伶人(れいじん)等(ら)行装(ぎうさう)を刷(かいつくろ)ひ其餘(そのよ)御神事(おんしんじ)に与(あづか)るもの御祭禮(おんさいれい)の具(ぐ)を整(とゝのへ)  神輿(しんよ)を供奉(ぐぶ)し日光御奉行(につくわうおんぶぎやう)両組頭衆(りやうくみがしらしゆ)を初(はじめ)とし其外(そのほか)諸役人(しよやくにん)厳重(げんぢゆう)に  警衞(けいゑい)し神輿(しんよ)を渡(わた)し奉(たてまつ)る是(これ)を称(しよう)して御宵成(おんよひなり)の神事(じんじ)と號(がう)す翌(よく)十  七日は此(この)拝殿(はいでん)より御旅所(おんたびしよ)へ渡(わた)らせ給ふ   《割書:還(くわん) 御(ぎよ)には神輿(しんよ)直(すぐ)に御宮内(おんきうない)へ還(くわん) 入(にふ)なさせ給ふ神輿(しんよ)還(くわん) 御(ぎよ)のうへ三神輿(  しんよ)を神輿舎(しんよしや)へ納(をさ)|め奉(たてまつ)る时(とき)伶人等(れいじんら)舍前(しやぜん)にて太平楽(たいへいらく)を奏(そう)す》 【左丁】 延年舞(えんねんのまひ) 《割書:此舞(このまひ)は每年(まいねん)三月二日 新宮(しんぐう)祭礼(さいれい)にも行(おこな)はるゝ式(しき)と相同(あひおな)し》  每歳(まいさい)四月十七日 御祭禮(おんさいれい)の前(まへ)に行(おこな)はるゝ事なり此(この)三御神輿(  おんしんよ)は新(しん)  宮(ぐう)拜殿(はいでん)に前夜(ぜんや)より御座(おんざ)なり僧衆(そうしゆ)二人これは 一山(  さん)の衆徒(しゆと)の内(うち)附(ふ)  㐧(てい)の両僧(りやうそう)修(しゆ)する事にて古実(こじつ)の事ありと聞(きこ)ゆ抑(そも〳〵)此舞(このまひ)は天下泰平(てんかたいへい)  國土豊饒(こくどぶねう)の秘密(ひみつ)の舞(まひ)なりといふ慈覚大師(じかくだいし)入唐(につたう)の砌(みぎり)傳來(でんらい)せられし  天下泰平(てんかたいへい)の舞(まひ)なりとも傳(つた)ふさて御祭禮(おんさいれい)御當日(おんたうじつ)の朝(あさ)《振り仮名:五ッ时頃|    どきごろ》前(まへ)に  いへる僧衆(そうしゆ)両人頭(りやうにんかしら)を白の五條袈裟(ごでうのけさ)を以(もつ)て褱(つゝ)み緋純子地(ひどんすぢ)に牡丹唐(ぼたんから)  草(くさ)の直垂(ひたゝれ)を着(ちやく)し白の大口袴(おほくちはかま)をはき短刀(たんとう)柄(つか)を巻(まか)ざる鮫(さめ)に放(はな)し目(め)  貫(ぬき)し又(また)鍔(つば)もなく梨子地塗(なしぢぬり)の鞘(さや)なるをうしろに挿(はさ)み真紅(しんく)の打紐(うちひも)  にて結(むす)び鼻高沓(びかうぐつ)をはき御本坊(おんほんばう)より両僧(りやうそう)相双(あひならび)練出(ねりいだ)す外(ほか)に僧侶(そうりよ)相(あひ)  従(したが)ひ白張着(しらはりき)の仕丁(じちやう)数十人(す  )供奉(ぐぶ)し其次(そのつぎ)に【平出】  御門主 御方(おんかた)御輿(おんこし)にて同(おな)じく出(いで)させ給(たま)ひ石(いし)の御鳥居(おんとりゐ)を入(い)らせ玉ひ 【右丁】  新道通(しんみちとほ)り新宮(しんぐう)拜殿前(はいでんまへ)に至(いた)らせ神輿前(しんよまへ)にて御修法(おんしゆほふ)をはり其邊(そのへん)に  御輿(おんこし)を駐(とゞめ)給ひ監臨(かんりん)し玉ふ三佛堂前(さんぶつだうまへ)南の方(かた)に敷舞臺(しきぐたい)を搆(かまへ)し所(ところ)に  て両僧(りやうそう)《振り仮名:替〻|かはる〴〵》舞(ま)ひ中頃(なかごろ)より一人は黒(くろ)き立烏帽子(たてゑぼし)をかぶり又(また)舞(まひ)を  かなづ衆僧(しゆそう)は舞臺(ぶたい)の後(うしろ)にて舞頌(ぶしよう)を唱(とな)ふ《割書:三月二日には此(この)舞臺(ぶたい)の正面(しやうめん)へ御神馬(おんしんめ)|一匹(  ひき)牽來(ひきき)て廣庭(ひろには)に立(たて)り四月 御祭(おんさい)》  《割書:礼(れい)には此(この)|事(こと)なし》御祭禮(おんさいれい)御奉行(おんぶぎやう)其餘(そのよ)蹲踞(そんきよ)せり無程(ほどなく)舞(まひ)終(をは)り【平出】  御門主御方の御輿(おんこし)を旋(めぐら)し玉ひ舞衆(まひしゆ)其餘(そのよ)の僧(そう)も同(おな)じく御跡(おんあと)に随(したが)ひ  御本坊(おんほんばう)へ帰(かへ)られ少(すこ)しく有(あり)て四ッ鐘(かね)を撞(つ)けば間(ま)もなく御神事(おんじんじ)始(はじま)れり 《振り仮名:御神迎の御榊|おんしんかう  おんさかき》  普通(ふつう)の神祭(しんさい)には榊(さかき)とて神事(じんじ)の先(さき)に曳渡(ひきわたす)ことなれど當山(たうざん)御神事(おんじんじ)には  それと異(こと)なり四ッ鐘(かね)をつくとひとしく御旅所(おんたびしよ)のかたより白張着(はくちやうき)  のもの凡(およそ)三百人 許(ばかり)警固(けいご)麻上下(あさ    )百五拾人一度( ど)に同音(どうおん)を揚(あげ)て御桟(おんさん)  敷前(じきまへ)を石(いし)の御鳥居(おんとりゐ)内へ曳來る爾(しか)して御神事(おんじんじ)の供奉(ぐぶ)を操出(くりいだ)せり 【左丁】  此(この)ゆゑに御神迎(おんしんかう)の真賢木(さかき)と唱(とな)ふ他(た)の神事(じんじ)にもちふる榊(さかき)といへる  ものは冬木(ふゆき)にて《振り仮名:椎𣗳|しひのき》に似(に)て小葉(せうえふ)なるものをいふ當御神祭(たうおんしんさい)の榊(さかき)  は夏木(なつき)にて幹(みき)枝葉(しえふ)ともに《振り仮名:娑羅𣗳|さらじゆ》の如(ごと)し當所(たうしよ)の俗語(ぞくご)にサルナメ  と称(しよう)せり是(これ)は久自良村(くじらむら)の役(やく)として每歳(まいさい)両度宛(りやうどづゝ)彼地(かのち)の山林(さんりん)小名(こな)  エヅラといふ所(ところ)より堀出(ほりいだ)せる事(こと)なり又(また)榊(さかき)をば普通(ふつう)の神事(じんじ)にも  真先(まさき)に曳渡(ひきわた)すといふ謂(いはれ)にて真賢木(まさかき)といふ由(よし)を傳(つた)ふれど是(これ)は俗(ぞく)  説(せつ)にや賢木(けんぼく)といふ字(じ)は古事記(こじき)または日本紀(にほんき)にも出(いで)たり万葉(まんえふ)には  《振り仮名:神𣗳|しんじゆ》と書(かけ)るを後世(こうせい)に至(いた)り神木(しんぼく)とかきてこれは神事(じんじ)に用(もち)ふる木(き)  なりとて後(のち)また二字( じ)を相双(あひならべ)て一字( じ)に作(つく)り竟(つひ)に榊(さかき)といふ字(じ)を用(もちふ)  ることとぞ 《振り仮名:渡御還御の音樂|とぎよくわんぎよ  おんがく》  渡(と)  御(ぎよ)には慶雲樂(けいうんらく) 還(くわん)  御(ぎよ)には還城樂(くわんじやうらく)を奏(そう)せりといふ 【右丁】 御神事御行列(おんじんじおんぎやうれつ) 兵士鉾持(へいしほこもち)  兵士(へいし)百人 警固(けいご)二人 宛(づゝ)熨目(のしめ)麻上下(あさがみしも)にて先(さき)に立事(たつこと)は  下(しも)皆(みな)同(おなじ)警固(けいご)二行( ぎやう)に前頭(ぜんとう)に進(すゝ)み歩行(ほかう)す其跡(そのあと)より兵士(へいし)五拾人づゝ  二行( ぎやう)に歩行(ほかう)す鳥兠(とりかぶと)を被(かぶ)り麻地(あさぢ)の袍(はう)鳶色(とびいろ)と花色(はないろ)と五拾人 宛(づゝ)相交(あひまじ)り  袍(はう)に鳳凰(はうわう)を白(しろ)く染(そめ)ぬけり淺黄(あさぎ)に波(なみ)の摸様(もやう)ある奴袴(さしぬきのはかま)を着(き)各(おの〳〵)手(て)に  鉾(ほこ)を携(たづさへ)たり鉾(ほこ)柄(つか)ともに長(ながさ)八尺 許(ばかり)柄(つか)は黒臘(くろろ)【蝋ヵ】色(いろ)かなもの揔滅金(そうめつき)太(た)  刀打(ちうち)の邊(へん)に小旛(こばた)の如(ごと)きものを附(つけ)たり両面(りやうめん)に仕立(したて)片面(かためん)萠黃(もえぎ)片面(かためん)は  赤地(あかぢ)の錦(にしき)紐附(ひもつけ)の邊(へん)に巴(ともゑ)の紋(もん)を滅金(めつき)かなものにて附(つけ)たり長(ながさ)一尺  許(ばかり)幅(はゞ)六寸 程(ほど)にて先(さき)を剱頭(けんがしら)にし紋(もん)のもとより三流( ながれ)に裂(さき)たり其剱(そのけん)  先(さき)並に紐附(ひもつけ)かなもの皆(みな)滅金(めつき)なり 職士鉾持(しよくしほこもち)  神人(しんじん)壹人  鳥兠(とりかぶと)猿田彦命(さるだびこのみことの)赤面(あかめん)を被(かぶ)り萠黃地(もえぎぢ)の錦(にしき)に地紋(ぢもん)有(ある)袍(はう)を着(ちやく)し紺玉虫(こんたまむし) 【左丁】  色(いろ)にて白(しろ)く雀形(すゞめがた)の摸様(もやう)を織出(おりいだし)し奴袴(さしぬきのはかま)にて糸鞋(しかい)をはけり 獅子(しゝ)  二頭( かしら) 一頭( かしら)は神人(しんじん)三人 宛(づゝ)都合(つがふ)六人なり  二頭( かしら)ともに金色(こんじき)一頭( かしら)には唐織(からおり)にて煤竹色(すゝたけいろ)の地(ぢ)に黒(くろ)く虎斑(とらふ)の文(もん)  あり一頭( かしら)は青地色(あをぢいろ)に唐草(からくさ)の如(ごと)き摸様(もやう)各(おの〳〵)織文(おりもん)なり普通(ふつう)の獅子(しゝ)と  號(がう)するものは繪(ゑ)又(また)は彫物(ほりもの)などにもすべて垂耳(たれみゝ)なる図(づ)なり當山(たうざん)の  御神事(おんじんじ)の獅子(しゝ)は立耳(たてみゝ)にして斑文(はんもん)ある織物(おりおの)を被(かぶ)るゆゑ世俗(せぞく)は虎(とら)の  頭(かしら)なるべしといへり獅子(しゝ)の生獣(しやうじう)をば和漢(わかん)ともに現(げん)に見(み)たるもの  なきゆゑ古(いにしへ)より獅子(しゝ)といへばみな垂耳(たれみゝ)長毛(ちやうまう)なるものとおもへり  普通(ふつう)の神事(じんじ)に獅子(しゝ)を出(いだ)すことゆゑ當山(たうざん)にても獅子(しゝ)とは称(しよう)すれども  獅子(しゝ)にあらず虎(とら)なるべし能(よく)其形(そのかたち)を拝(はい)して知(し)るべきものなり 笛(ふえ)  神人(しんじん)壱人 黄袍(きのはう)烏帽子(ゑぼし) 田樂法師(でんかくほうし)  宮仕(きうし)一人 【図】 【右丁】 田樂法師 【左丁】 ◼◼画 【印】【印】 【右丁】  金色(こんじき)の立烏帽子(たてゑぼし)赤地(あかぢ)金襴(きんらん)の袍(はう)奴袴(さしぬきのはかま)は茶色(ちやいろ)の綾織(あやおり)拍板(はくはん)を襟(えり)にか  けて糸鞋(しかい)をはけり【平出】  御法會(おんほふゑ)の砌(みぎり)は京都(きやうと)より田樂法師(てんがくほうし)数軰(すはい)くだり御行列(おんぎやうれつ)に供奉(ぐぶ)し  御旅所(おんたびしよ)にて舞曲(ぶきよく)なせり先年(せんねん)より京都田樂法師(きやうとでんがくほうし)の内(うち)一人 當山(たうざん)に  畄(とゞ)めさせ玉ひ千万歳(せんまんざい)とかやいへるものゝ子孫(しそん)を常(つね)には宮仕(きうし)に被(られ)  仰付(おほせつけ) 御宮(おんみや)へ勤(つと)め両度(りやうど)の御神事(おんしんじ)の时(とき)には田樂法師(でんがくほうし)の役(やく)にて供(ぐ)  奉(ぶ)せり此黨(このたう)京都(きやうど)にすめるもの其(その)称号(しようがう)千壽万歳(せんじゆまんざい)又(また)十万歳(じふまんざい)百万歳(ひやくまんざい)  《振り仮名:万〻歳|まん〳〵ざい》などゝ名乗(なのる)といへり 大拍子(おほびやうし)  神人(しんじん)壱人 黄袍(きのはう)烏帽子(ゑぼし) 神樂男(かぐらをとこ)  神人(しんじん)五人 服色(ふくしよく)上(かみ)に同(おな)じ 八乙女(やおとめ)  八人 立花摸様(たちばなのもやう)の服(ふく)を着(ちやく)し千早(ちはや)を襲(おそ)ひ練(ねり)なる白帽子(しろばうし)を  被(かぶ)る 【左丁】 三綱僧(さんかうそう)  一人 騎馬(きば)素袍着(すはうき)一人 白張(はくちやう)四人 相随(あひしたが)ふ  緋(ひ)の袍(はう)裳(も)赤地(あかぢの)錦(にしき)の五條袈裟(ごでうのけさ)淺黄地(あさぎぢ)《振り仮名:八ッ藤|    ふぢ》の紋(もん)ある指貫(さしぬき)を着(ちやく)す里(り)  俗等(ぞくら)是(これ)を一时僧正( ときそうじやう)と唱(とな)ふ一坊中( ばうちゆう)より勤(つと)む 社家(しやけ)  騎馬(きば)四人 四位(しゐ)の束帯(そくたい)なり  一騎( き)へ素袍着(すはうちやく)一人 宛(づゝ)白張(はくちやう)四人 宛(づゝ)都合(つがふ)二拾人 相随(あひしたが)ふ 御神馬柄拶持(おんじんめひしやくもち)  御厩(おんうまや)の舎人(とねり)一人 白張(はくちやう) 御神馬(おんじんめ)  三匹(  ひき)  口附(くちつき)二人 宛(づゝ)各(おの〳〵)白張(はくちやう)都合(つがふ)六人 沓持(くつもち)一人 外(ほか)に一人 宛(づゝ)三人 皆(みな)白張(はくちやう)着(き)  合(あはせ)て九人 御厩別當(おんうまやべつたう)  一人 布衣(ほい) 麻上下(あさがみしも)侍(さふひ)一人 白張(はくちやう)二人 相随(あひしたが)ふ 御鐡炮(おんてつはう)  五拾挺(   ちやう)  二拾五人 宛(づゝ)二行( ぎやう)警固(けいご)両人(りやうにん)前頭(ぜんとう)に進(すゝ)む《振り仮名:猩〻|しやう〴〵》緋袋入(ひふくろいり)染火縄(そめひなは)附持人(つきもちびと) 【右丁】  帯刀(たいたう)法被(はつぴ)《振り仮名:花色𥿻|はないろきぬ》紋所(もんどころ)輪宝(りんばう)無地(むぢ)の股引(もゝひき) 御弓(おんゆみ)  五拾張(   ちやう)  二拾五人 宛(づゝ)二行( ぎやう)警固(けいご)同断(どうだん)黒塗(くろぬり)空穂(うつぼ)附持人(つきもちびと)法被(はつぴ)上(かみ)に同(おなじ) 御鎗(おんやり)  五拾筋(    すぢ)  二拾五人 宛(づゝ)二行( ぎやう)警固(けいご)同断(どうだん)御素鎗(おんすやり)鞘(さや)赤塗(あかぬり)持人(もちびと)花色(はないろ)法被(はつぴ)白(しろ)の子持(こもち)  筋(すじ)あり 鎧着(よろひき)  百人  五拾人 宛(づゝ)二行( ぎやう)其餘(そのよ)同断(どうだん)紅糸威(あかいとおどし)大袖(おほそで)佩楯(はいだて)兠(かぶと)皆(みな)金色(こんじき)なり太刀(たち)を佩(はき)  裁附(たちつけ)紺白(こんしろ)の横島(よこじま)あり 童児(どうじ)  十二人六人 宛(づゝ)二行( ぎやう)警固(けいご)二人 同断(どうだん)  花瓔珞(はなえうらく)に十二支(  し)を附(つけ)たるものを頭(かしら)にいたゞき精好(せいがう)地(ぢ)赤色(あかいろ)の袍(はう)  金(きん)にて摸様(もやう)あり白地(しろぢ)にすり金(きん)の紋(もん)附(つき)たる大口(おほくち)をはけり 【左丁】 末社神(まつしやじん)  掛面(かけめん)  五拾人二拾五人 宛(づゝ)二行( ぎやう)警固(けいご)同断(どうだん)《振り仮名:猩〻|しやう〴〵》緋(ひ)の角頭巾(つのづきん)同物(どうぶつ)なる袖(そで)なし  羽織下(ばおりした)に紺地(こんぢ)に白(しろ)く鱗形(うろこがた)附(つけ)たる裁附(たちつけ)をはき《振り仮名:種〻|しゆ〴〵》異形(いぎやう)なる面(めん)を  被(かぶ)り各(おの〳〵 )兵仗(ひやうぢやう)を携(たづさ)ふ長(ながさ)六尺 許(ばかり)黒臘色塗(くろろいろぬり)上下(うえした)に滅金(めつき)かなものあり 御翳(おんえい)  四本(  ほん) 持人(もちびと)神人(しん〴〵)四人 二行( ぎやう)  軍配團扇(ぐんばいうちは)の大(おほい)なるものなり長(ながさ)八尺 許(ばかり)青貝塗(あをがひぬり)柄(つか)かなもの滅金(めつき)翳(えい)  の地(ぢ)赤(あか)地紋紗(ぢもんしや)にて張(はり)其中(そのなか)に金御紋(きんのごもん)を両面(りやうめん)に附(つけ)たり 御太刀負社家(おんたちおひしやけ)  一人 騎馬(きば)四位束帯(しゐのそくたい)《振り仮名:社家一﨟|しやけの  らう》勤之(これをつとむ)  御太刀(おんたち)を赤地大和錦(あかぢのやまとにしき)の御袋(おんふくろ)に入(いれ)真紅(しんく)の紐(ひも)にて奉(たてまつり)_二背負(せおひ)_一素袍着(すはうき)一人  白張(はくちやう)四人 相随(あひしたが)ふ 御旗負社家(おんはたおひしやけ)  一人 騎馬(きば)四位束帯(しゐのそくたい)《振り仮名:社家二﨟|しやけ  らふ》勤之(これをつとむ)  御旗(おんはた)是(これ)も赤地錦(あかぢのにしき)の御袋(おんふくろ)に入(いれ)真紅(しんく)の紐(ひも)にて奉(たてまつり)_二背負(せおひ)_一素袍着(すはうき)一人 白(はく) 【右丁】  張(ちやう)四人 相随(あひしたが)ふ 齊御鉾(いみのおんほこ)  三本(  ぼん)警固(けいご)二人 前頭(ぜんとう)に進事(すゝむこと)前(まへ)に同(おな)じ  此(この)三本(  ほん)を三種(  しゆ)の神器(じんき)の御鉾(おんほこ)と称(しよう)す第一(だい  )の御鉾(おんほこ)を宝剱(はうけん)と奉称(しようしたてまつる)其(その)  次(つぎ)は日輪(にちりん)其次(そのつぎ)は月輪(ぐわちりん)の御鉾(おんほこ)と称(しよう)せり御旗(おんはた)吹流(ふきなが)し龍門(りうもん)絹御紋(きぬごもん)を  一ッ附(つく)其外(そのほか)は巴(ともゑ)又(また)は茗荷(みやうが)九曜(くえう)等(とう)《振り仮名:色〻|いろ〳〵》の紋(もん)を一流( ながれ)に五ッ宛(づゝ)附(つけ)たり  御紋(ごもん)ばかり五ッ附(つけ)たるも有(あり)染色(そめいろ)五色(ごしき)其外(そのほか)《振り仮名:種〻|しゆ〴〵》の染色(そめいろ)にて御紋(ごもん)を  白(しろ)く染貫(そめぬき)たり柄(つか)は黒臘色塗(くろろいろぬり)にしてちらし莳繪(まきゑ)あり同塗(おなじぬり)の篗臺(わくだい)  へ建(たて)て四人にて《振り仮名:替〻|かはる〴〵》是(これ)を舁(かく)紅(くれなゐ)の大綱(おほづな)を御鉾(おんほこ)の柄上(つかのうへ)に附(つけ)たるを  一人これを引張(ひきはり)持(もつ)皆(みな)白張着(はくちやうき)都合(つがふ)五人 宛(づゝ)三本(  ぼん)にて拾五人 御鉾(おんほこ)の  高(たかさ)凡(およそ)一丈二尺 許(ばかり)揔黒臘色(そうくろろいろ)滅金(めつき)かなものあり 祭御鉾(まつりのおんほこ)  八本(  ほん) 白張(はくちやう)五人 宛(づゝ)都合(つがふ)四拾人  此(この)八本(  ほん)の御鉾(おんほこ)のもとに滅金(めつき)にて松(まつ)紅葉(もみぢ)又(また)は草花(さうくわ)などを造(つく)りたり 【左丁】  御吹流(おんふきなが)し御紋(ごもん)或(あるひ)は染色(そめいろ)其餘(そのよ)の製作(せいさく)前(まへ)に辨(べん)せり 御太皷(おんたいこ)  白張着(はくちやうき)三人にて荷(にな)ふ揔金色(そうこんじき)極彩色(ごくさいしき)摸様(もやう)あり  御鉦皷(おんしやうこ)  白張着(はくちやうき)一人 御枕木(おんまくらぎ)  二基( き) 白張(はくちやう)二人 宛(づゝ)二行( ぎやう)都合(つがふ)四人 猿面着小童(さるのめんきせうどう)  三拾人 是(これ)を作(つく)り猿(さる)とも唱(とな)ふ 本猿牽(ほんさるひき)  四人 二行( ぎやう)  黒(くろ)の剱烏帽子(けんゑぼし)《振り仮名:猩〻|しやう〴〵》緋(ひ)の陣羽織(ぢんばおり)無反(そりなし)の太刀(たち)を帯(たい)せり 宮仕(きうし)  十人 二行( ぎやう) 黄絹(ききぬ)のかさね衣(きぬ)白絹(しろきぬ)の奴袴(さしぬきのはかま) 神人(しんじん)  六拾人 二行( ぎやう)黄麻(きあさ)の袍(はう)烏帽子(ゑぼし)白木綿(しろもめん)の奴袴(さしぬきのはかま) 東逰舞樂舞人(あづまあそびぶかくのまひびと)  七人 騎馬(きば)素袍着(すはうき)一人 宛(づゝ)白張(はくちやう)四人 宛(づゝ)都合(つがふ)凡(およそ)三拾  五人 相随(あひしたが)ふ装束等(しやうぞくとう)の事(こと)は前(まへ)にいへるが如(ごと)し 伶人(れいじん)  二拾人 二行( ぎやう)白張着(はくちやうき)二拾人 相随(あひしたが)ふ 【右丁】  鳥兠(とりかぶと)半臂(はんぴ)下襲(したがさね)赤色(あかいろ)大口袴(おほくちのはかま)浅黄(あさぎ)糸鞋(しかい)をはき歩行(ほかう)す伶人(れいじん)の一﨟(  らふ)眞(ま)  先(さき)に進(すゝ)み鷄婁(けいろう)といへる金(きん)だみの丸(まろ)くて太皷(たいこ)の如(ごと)くなるものを紅(くれなゐ)の  紐(ひお)にて襟(えり)に掛(かけ)右の手(て)に棒(ばち)を持(もち)てうつ又(また)左の手(て)に是(これ)も金(きん)だみの  振(ふり)つゞみとて小(ちひさ)きつゞみに重(かさ)ねたる如(ごと)きものを振(ふり)ならす二﨟(  らふ)は  太皷(たいこ)を打(うつ)又(また)末席(ばつせき)なるものは鉦皷(しやうこ)をうつ其餘(そのよ)の伶人(れいじん)各(おの〳〵)三管( くわん)を吹(ふく)  荷(にな)ひ太皷(たいこ)荷(にな)ひ鉦皷(しやうこ)白張着(はくちやうき)二人 宛(づゝ)にて荷(にな)ひ都合(つがふ)四人なり 御鷹匠(おんたかじやう)  拾人 二行( ぎやう)  烏帽子(ゑぼし)狩衣(かりぎぬ)太刀(たち)を佩(はき)手(て)に御鷹(おんたか)の作(つく)りものをすゑたり 御金幣(おんきんのへい)  持人(もちびと)神人(しんじん)一人 黄袍(きのはう)白奴袴(しろさしぬきのはかま) 御祭禮奉行(おんさいれいぶぎやう)  二人 二行( ぎやう)  赤色(あかいろ)衣冠(いくわん)宿坊(しゆくばう)の院代(ゐんだい)相随(あひしたが)ふ素絹(そけん)輪袈裟(わけさ) 日光奉行支配組頭(につくわうぶぎやうしはいくみがしら)  二人 二行( ぎやう) 【左丁】  素袍(すはう)侍烏帽子(さふらひゑぼし)下知僧(げぢそう)二人 素絹(そけん)五條(ごでう)着用(ちやくよう) 日光奉行支配吟味役(につくわうぶぎやうしはいぎんみやく) 其餘(そのよ)諸役人(しよやくにん)熨斗目(のしめ)麻上下(あさがみしも)にて供奉(ぐぶ)す 鹿沼社家(かぬましやけ)  三人  木幡社家(こはたしやけ)  一人 烏帽子(ゑぼし)狩衣(かりぎぬ)各(おの〳〵)二行( ぎゃう)に列(れつ)す 素袍着(すはうき)  五拾人  麻上下着(あさがみしもき)  五拾人二拾五人 宛(づゝ)二行( ぎやう) 御本社御神輿(ごほんしやおんしんよ)  白張着(はくちやうき)百人 奉舁(かきたてまつる)  御神輿(おんしんよ)金梨子地(きんなしぢ)金御紋(きんごもん)ちらし錦(にしき)の御戸帳(おんとちやう)御(おん)かなもの金色(こんじき)なり  四方(  はう)に御鏡(おんかゞみ)を掛(かけ)玉ふこと数多(あきた)【ママ】なり御上屋(おんうはや)の上(うへ)に金(きん)の鳳凰(はうわう)有(あり)其外(そのほか)  小鳥(ことり)《振り仮名:数十羽|す は》又(また)神輿(しんよ)の左右(さいう)の下(した)の方(かた)に金滅金(きんめつき)の御衝立(おんついたて)あり竪(たて)一  尺 程(ほど)横(よこ)一尺七八寸 許(ばかり)地紋(ぢもん)虎(とら)の高莳繪(たかまきゑ)なり其餘(そのよ)の結搆(けつこう)なる事は  准(じゆん)じて知(しる)べし雨天(うてん)の时(とき)は《振り仮名:猩〻|しやう〴〵》緋(ひ)の御雨覆(おんあまおほひ)を奉懸(かけたてまつる)事は三輿( よ)とも  に相同(あひおなじ) 熨斗目麻上下着(のしめあさがみしもき)  五人 宛(づゝ)二行( ぎやう) 【右丁】 御太皷(おんたいこ)  白張着(はくちやうき)三人にて荷(にな)ふ  御鉦皷(おんしやうこ)  白張着(はくちやうき)一人 御枕木(おんまくらき)  二基( き) 白張(はくちやう)二人 宛(づゝ)都合(つがふ)四人 御金幣(おんきんのへい)  持人(もちびと)神人(しんじん)一人 黄袍(きのはう)白奴袴(しろさしぬきのはかま) 素袍着(すはうき)  二拾人 二行( ぎやう) 御左(おんひだり)の神輿(しんよ)  白張着(はくちやうき)五拾人 奉舁(かきたてまつる)  神輿(しんよ)金梨子地(きんなしぢ)錦(にしき)の戸帳(とちやう)御紋(ごもん)巴(ともゑ)の金紋(きんもん)ちらし上屋(うはや)の上(うへ)に金(きん)の鳳凰(はうわう)  一羽( は)外(ほか)に小鳥(ことり)前(まへ)に同(おな)じ其餘(そのよ)大概(たいがい)相同(あひおな)じ神輿(しんよ)の下(した)の方(かた)に金滅金(きんめつき)  の衝立(ついたて)左右(さいう)に有(あり)て猿(さる)の莳繪摸様(まきゑもやう)これも御本社(ごほんしや)の御飾(おんかざり)と同(おな)し 熨斗目麻上下着(のしめあさがみしもき)  二拾人 二行( ぎやう) 御太皷(おんたいこ)  白張着(はくちやうき)三人  御鉦皷(おんしやうこ)  白張着(はくちやうき)一人 御枕木(おんまくらぎ)  二基( き) 白張(はくちやう)二人 宛(づゝ)都合(つがふ)四人 御金幣(おんきんのへい)  持人(もちびと)神人(しんじん)一人 黄袍(きのはう)白奴袴(しろのさしぬきのはかま) 素袍着(すはうき)  二拾人 二行( ぎやう) 御右(おんみぎ)の神輿(しんよ)  白張着(はくちやうき)五拾人 奉舁(かきたてまつる) 【左丁】  神輿(しんよ)金梨子地(きんなしぢ)錦(にしき)の戸帳(とちやう)上屋(うはや)のうへに金(きん)の宝珠(はうじゆ)あり其外(そのほか)に小鳥(ことり)  すべて金色(こんじき)《振り仮名:丸の内|まろ  うち》に向(むか)ひ茗荷(みやうが)の金御紋(きんごもん)ちらし其餘(そのよ)前(まへ)とおなじ  神輿(しんよ)の左右(さいう)の下(した)の方(かた)に朱塗(しゆぬり)の鳥居(とりゐ)あり 熨斗目麻上下着(のしめあさがみしもき)  二拾人 二行( ぎやう) 大千度行者(だいせんどのぎやうじや)    二拾人 二行( ぎやう) 日光山伏(につくわうやまぶし)     三拾人 二行( ぎやう) 無髪(むはつ)白(しろ)ふさ袈裟(けさ)篠掛(すゞかけ)裁附(たちつけ) 里山伏(さとやまぶし)      二拾人 二行( ぎやう) 有髪(うはつ)兠巾(ときん)篠掛(すゞかけ)裁附(たちつけ)装束(しやうぞく)白地(しろぢ)に紺(こん)  にて鱗形(うろこがた)上下(じやうげ)ともに一面(  めん)に染附(そめつけ)たり袈裟(けさ)は前(まへ)と同(おな)じ                          石槗真國                          櫻井東 謹校                          勝田閑齋 日 光 山 志 巻 之 五《割書: 大 尾》 【右丁】  官許天保七年丙申九月    同 八年丁酉正月𠜇成          《割書:江戸浅草新寺町  》和泉屋庄次郎          《割書:同 横山町三丁目 》和泉屋金右衛門          《割書:同 両國吉川町  》山 田 佐 助          《割書:同 神田鍜治町  》北島 順四郎     發行   《割書:同 芝神明前   》岡田屋嘉 七          《割書:同 中橋廣小路町 》西宮 彌兵衛          《割書:同 日本橋通二町目》小林 新兵衛     書林   《割書:同    所   》山城屋佐兵衛          《割書:同 本石町十軒店 》英  大 助          《割書:同 日本橋通壹町目》須原屋茂兵衛          《割書:同 日本橋通四町目》須原屋佐 助          《割書:同 浅草茅町二町目》須原屋伊 八 【右丁 】 【左丁 前コマに同じ】 【折返に文字有り】 【裏表紙】