【帙入】 《割書:地震|後世》 俗語之種 《割書:初編|之四》 幸一此書を成すといへとも諺に貧の隙なし とかや其隙を覘て破壁のもとに筆を採とも 窮する時は必心魂逼り世事に脳【悩カ】み清貧かな らす盛貧にして一行も是を並る事あたはす 臂を曲膝を痛く折りて首を長く低れ 涎千尋を流し穢たる袖を濁れる涙に雪き 後悔多日におよふといへとも風流の道ひとつを しらす物書事はよかれあしかれ鐚の出入や売(本ノマヽ)取 書其日〳〵の恥のかき捨絵の事はかりは 道理なれ其道理こそ何ゆゑなれは習はぬ事の 出来ぬは道理と無理こじつけの道理なれは 小児たましの上絵書一枚二枚はかくして おいても三まい四枚の数重り終に顕れ面目を 灰にまふりし折こそあれある人来りて嘲笑ひ いよ〳〵此書の成就せは編笠かふり街に彳【彳たた-ずむ】 此度信州大地震世に珍らしき次第なり 紙代纔に十六銅とおためこかしの誉言葉 此時こそは玉の汗後悔恥辱は海より深く山ゟ 高き父母の恩【思?】沢紙価纔に十六穴と丈の 極りし豆蔵文句口惜き事かきりなし 今社【こそ】胸を痛くして責て何かなひとくせ あらはよもや斯まて嘲りを受けとるへきを不知は しらさるとせよとの教を最初から斯まて卑 下して置たる事をと既に空鋪秘しておきぬ 又ある人来りけり大災につけいろ〳〵と苦患の 噺数刻およひぬ此時風としておのれか存意を 語りあひこの事後世に及なはかゝる怪談を しるへからす噺伝もさたかならすや子孫の慰に 斯社したりと噺に乗して開けれはこの 人利を解て言けるは嘲笑したるはいつれのひと にありけるや其由しらされとも後世に及て此事 を伝聞ともいかてか是程の大変とおもふへき 信濃一国の大災といへとも其災害の多少により 差別あり災難の薄きところは此中において たに心配格外薄し一時といへとも眼たくまに 我千万の人〳〵一命を失ひ助け給へ救ひ 給へといふ程もなく火かゝり共に死せんといふを われは迚も遁れかたし共に命を失ひ 誰ありてか香花を手向一遍の念仏回向 すへき早く迯去りもふすへしと長き別れは またゝくうち骸を街にさらせとも誰あり てか是をとむらふものもなく一枚紙の裏表かへ すか如くの苦痛のありさま悲歎の程は今更に 語るもなか〳〵怖鋪身うちもしふるゝ計なり 亦山中にては山崩れかゝる大河の流末を 湛其外大災怪談は中〳〵あけて数へかたし いかてか代〳〵を累し後斯ばかりとは おもふへき他人に譲る存意になく全く 子孫に伝ふる実録いつれへか恥へき何れへか  汗顔すへき此上願くは子孫打寄折に ふれ時にふれ幼少女童にも読安きやう いかやうなりとも仮名をもつけおきて慰 ばかりを当にもせすわんばくなりし小児には 異見の種になる事もあるへきや譬他人の 誹謗はあるとも廿四日の夜のありさま此 世からなる地獄の苦痛絵に書残さは是も 又いろはもしらぬ小児まて物になそらひ 事によそひ威しすかしの種にもある べしと進めに応して徐くにいろはも しらぬ片言ましり仮名もわからぬかな づけに地水火の三災を又〳〵爰に書 載たれは覧人もありなは仮名違ひ 画図の拙事を赦し給へ 三月廿四日の夜地震火災の 危難数万の人〻群死苦痛の 全図并善光寺市町之焼跡廿 六七日頃見ル図 山中虚 空蔵山 抜崩 犀川之 大川ヲ 止メ 溜水ニ 民家 浮 沈流 失之 大略 下之巻 ニ委鋪 ス かゝる前代未聞なる時節なれともいつしか 東雲紅にして暁天にたなひき皐〳〵たる 樹木の蔭を照し天晴明にして普く 国土を照し給ふといへとも陰陽昇降 の遅速より発して雷となり地震となるとかや かゝる変化の時節なれは雲煙りの如く なるもの何となく虚におほふたかり天に 昼夜なしといへとも世上皆朧夜の如く人心 安からされは誰ありてか夜中の欝気を忘る へきや夕には花の林に遊ふか如く歓楽を 恣にし数万のともし火白昼を欺き群交 所せましと市中に衆?満し毒龍鬼神と いへともなとか笑を含さらんや満足栄花を 眼たゝくまにくつかへし或は倒れ或は 潰れ夫妻兄弟父母子孫圧死するあり 焼死あり枕を並へ数万の人〳〵夢中の 夢のはかなき最期拙き筆にはしるし かたし中には五十里百里を隔て十人連立 二十人うち連立て参詣し我等一人残りし とてさだめて指折日をかそへ国にて親 族待居給ひけふや帰る翌や機嫌よく 帰るへしと親を待子を待事我か身の うへに引くらべさこそとおもひあはするを 今われ一人助かりしとて何面目に帰 国して斯とて是を告知らすへき去迚 我身覚語【悟ノ誤字カ】を極め今爰に自害せは 誰ありてか国にしらすへきとて身を なけふして心苦の歎きいふも語るもまる はだか徐く助り危を遁れいでたる事 なれは路用はもとより旅の空今より 此身を如何はせんと狼狽歎く人〳〵の 数をも知らぬ遠国他国さこそとおもひ あはすれは拙き筆には記しかたし 爰に幸一か幸ひなるは出店なる梅笑堂 にて売上銭のありけれは杖柱とも持 出し貯置し事なれとも今更是を何 にかせん纔なれとも草鞋の料にもなし 給んと差出しても受とらす昨夜よりして 段〳〵お世話になりたるうへいつれの方か 見知なけれはお返しまをすに便りもなし 女わらはの恥かしく襦袢ひとつかひいきの 沙汰下帯さへなき此姿を嗜しらぬ女ゆゑ かゝる始末と笑ひ給ふも理りなれと宿屋も 旅人の多けれは居風呂とてもはかとらす 旅行の労れ其侭にうちふしたるを 此騒動または翌日のつかれを案し起出て 湯に入りたるを其侭に打潰れて途方を 失ひ漸くたすかり遁れいてかゝる姿の 恥かしさと打伏歎く計りなりかゝる未 聞の大災を受る時節にいたりてはやるも 返すも心底なり実に誠欲を離れし 正銘正法世に他人なきしんじつ是実に 願はしき次第なり斯てもはてしなけれは とて泣〳〵別れ西に行東に行けと国に 帰りて親たちに何とて言訳すへしとて 又行兼て地にひれふし今宵の泊りは いかゝせん明日の道連いかゞはせんと無回?斗 身を案しつゞ狼狽歎き別れける ○案するに如斯大に震ふとき    中に釣提あるもの社【こそ】    心安きはあらさあるへきを  善光寺御堂左右に有ける   大鐘を震ひ落したる事を  後にも猶驚怖すへしかゝる   重きものゝさかさまに  ならすんは落つ事は有   へからすと其大なるを爰にしるす 去程に幸一か家より迎ひの者の来り けれは世俗の諺に地獄にて仏に逢たる 心地して様子を尋ね問けれはいまた 権堂へは火はかゝらすすこしもはやく 帰り給ひくはしきほとは道すからに語り まをすへしと進めにやうやくちからを 得さらばとて起上りても夜前より一命 危き煩ひに身体更に自由ならすこゝろは 急けとも足腰たゝす肩にすがり腰をいたか れ神輿あるかたを三礼し打連立て 漸〳〵に我宿さして行んとすれとも 市街は一円火の中ゆゑ本城より南の 細道通りけるに此辺はまた恐しく地 われて高低の夥敷裂たる端は三尺四尺 長短何れとも二十間三十間よりすへなきは なく大なるは壱丁有余是を見るより尚 更に所謂薄氷を踏か如くいまた地震 は数をもしれす幾度となく鳴動すれは 若哉此うへ大にして地割れ土中に 埋れせばいかにやせんと安からす身の  毛もいやたつ計なり徐くかた端なる 中程に下りて左右を見渡せは倒れたる 家よりは死骸を抱ひいで怪我人を背負 家財取出し運もあり大なる潰れ家は なか〳〵に堀出す間もあらすして泣 叫声聞ながらもはや炎たる火をかむり 黒雲の如き烟りうづを巻て取かすみ 修羅とうくわつの苦患といへ地獄の【とうくわつ等活地獄。八大地獄の第一】 呵責といふとても是にはよもやまさる ましと見聞も中〳〵恐しくふるひ〳〵 て漸〳〵に淀ケ橋より細道つたひて はせ越へ出て夫よりかんねいかはの端を 歩行て?裏田町なる畔を踏み普済寺脇道に 至りてみれは是なる客殿をはしめとし軒並 揃うて倒れてあり驚怖しなから漸〳〵に 権堂たんほにいたりて見れは野宿のあり さま家財取出し囲となし残りし家 財こはれ戸や破れ障子を持運ひ畳よ桶よ 戸棚よと老若男女入交り上よ下へと散乱し  火災を遁るゝ辛苦の騒動驚き歎く計り也  善左ヱ門家内本城より権堂田甫 に帰る路すから廿五日昼巳の尅頃 岩石街裏通りの炎〻たる焼 亡を見る図略 是を見るより善左衛門家内のものも漸〳〵に 心を慥にもち直し人は皆〳〵斯社【こそ】あるになとか 其侭焼捨なん一品なりとも出すへしとて 我家の際まて行ては見れとも塀は倒れて 道をとち隣家は潰れて路次をふさき近 寄事も容易(本ノ)【「マヽ」ガ脱字。「本ノマヽ」】或は震ひあるひは鳴動 千辛万苦の思ひにて漸〳〵一品二品を手に 携て逃出し一丁有余も隔りし青麦菜 種の田畑さへ諸人の騒動厭ひもなく踏あらし ては仮居をまうけかゝる急難変災なれは小屋 かけすへき用意は更なり屏風格子戸襖 障子有合ふものにて囲しのみ屋根も同しく 手当り次第命から〳〵持出せし荷物は其 侭積置て畳板戸を雨覆ひ日除ケ成る時節に 到りては欲は素ゟ始末も出来す此上如何なり ゆくものと狂気の如く狼狽けり然るに午の刻 過にこしろより権堂後町へ一やうに火移り 盛んに然【燃ノ誤字カ】立明行寺大門先まて焼下る事 眼たゝく間にして左右へ吹かけ又下た町へ 焼下るといへとも逃たりし諸人は壱丁余有も離れし  田畑の中に小屋掛し荷物を持運ひ或は 怪我人あるひは煩ひを介抱し小児老人を いたはりたゝ〳〵狼狽さまよふのみには 今社【こそ】我家に火の懸るなれ其次社【こそ】我家なれ といふのみにて焼失する事を壱人として 驚くありさまもなくさなから是を 防とゝむるの咄しもなく煙火の中の家の むねをこゝよかしこと指さしつゝ狂気の 如くまた気抜の如くなれるもことわりなり昨 夜亥の刻掛る変災の大なるは前代未聞の 事共にて手足を労し身魂を悩まし千辛 万苦のみならす精魂を痛ましめ心を砕し事 実に尤父母妻子には夢うつゝの如くにして 長く別れ死骸たに其あるところをしらす して火宅の苦患を受るもの其数幾千万と いへとも是を問ひ音信するものもなく一日 一夜潰れ家の下にあり気力を痛め 漸〳〵に堀出されて一命助り始て是を見るに 夥敷怪我あるといへとも医療の便も更に なく身体紅に染り背負はれて野中に 介抱をうくるといへとも風を受日を受痛 強けれは親族の輩是に気をうばはれ 夜を日に続て千辛万苦たま〳〵夜喰の 残りたるを持出したる人もありて爰に 進めかしこに貰ひ得て手に取れとも 一ト箸たにも咽どに通せす口中にうる ほひなく胸痛み疲れては水を呑よわりては 水を呑一昼夜を過せし今の時に到りては 大人小児の無差別目ぶち黒みたゞれ ほうへたこけ衰ひ色青しといへとも青きに あらす諺にいふ土け色とやらにして乱れたる 髪には土砂のほこりを頂き陰陽順逆の 所為にや朝頃よりむし暑くして頭重く 身持尤悪くして働きて疲るゝ事倍を 増し誰ありてか身の落着をしるものなし 未の刻より申の刻比まてに隣家まて 焼失して向ふ側に火移り下も町に もい上り善左衛門家居向はのこりけるを いかなる悪風悪火なるか昨夜よりして 其さまを見るに風は北へ吹まくりて 火は南にもえ行適残りたる家あり ても迫り返りては焼失し風替りては 残りたるを焼亡し戌の刻比に到りて 俄に風替り未申の方より丑寅のかたへ 向ひて大風烈しく暫時に善左衛門か家に 火を吹かくる事夥敷火煙り霞のことく 空によこたはり三輪宇木之辺まて火の 粉恐しく連なり始終火中にありて 一段の類焼は遁るといへとも俄に風替りて 不残り家を失ひけり折しも一天曇り 風雨はけしく田畑に小屋懸ケしたる者多 しといへとも誰ありてか風雨の凌を整ふものも なく家潰れさるものは戸棚箪子なとを 囲にして其うへに障子唐紙抔を并らへ のせて日覆にし倒れたる家には戸棚 箪笥も打砕て囲ふへき品もなくこわれ たる障子をれたる襖をからけつけてたはね 藁をうちかけしのみなりいつれの小屋も 斯なれはおのれか小屋より一足踏出しては おのれか小屋に帰る事を見失ひ取散し  たる荷物を持運ふにもさまよふのみなれは ありあわせたるてうちんを竹丸太の 先に結付て小屋の前に立潰れ倒れて てうちんたにあらぬものは小風呂鋪手拭 なんとを杖ほうきの先に結付て小屋の 屋根にさして是を目当に持運ひかゝる おりしも風雨ます〳〵夥しけれは 囲はあれとも風を除けす屋根はあれとも 雨を凌かす東より南をなかむれは広 〳〵たる田畑闇夜に形ちをわかたすして 沖の江の浪に漂よふ苫舟の焼火を見るか 如く物淋しく又哀れにして霏りほらりと そこかしこに見ゆるのみしつまりかへつて ありけるいかなる心地と我身におしあて 物すこく胸中に懲へ北より西を詠れは 拾丁有余一円の盛火空にうつり味噌 □硫黄金なものゝ火は青黄赤白黒と いへとも其色また恐しく焔硝に火 移り辺りなる潰れ家を刎とはし其響き 雷公の落るか如く宇宙は闇夜にして  猛火の勢を降下る陰雨にとぢおさへらるゝの 心地おのつから五躰に微へ実に地水火風 空の苦患眼前の地獄おそろし かりし事とも也   かゝる天変不思儀なる災害なれはその広太   なる事拙耳目には及ひかたくはた愚   毫に尽かたし日を追て見聞する事を   後編まてに記すといへとも九牛か一毛にして   万分のひとつも微力におよはす   抑廿四日亥の刻災害発してよりこのかた   己か身のうへのみ記せしは他の成行を   不知るに等しく事実詳かならさる   に似たりといへとも是畢竟広大なれは也   同おのれか身のうへの憂艱難の手続を   もつて実録とす他の苦患も斯なれは   推量りて後にも猶恐怖すへし哀   無情なる事を思ひて   三災変死諸群霊魂有無両縁菩提并   牛馬有非常草木鳥獣虫類変災菩提 の至法界平等利益子〻孫〻に到るとも 追善を施すへし教に陰悪は鼾の如し 陰徳は耳の鳴か如しと云〻 爰に善光寺市町焼跡の図を出す事手続の 前後感あるへし翌戊申の年を過すといへとも 恐へしかなしむはいまた図の如くかたつきたる にはあらねと其有増を記し置事なくは後代の 子孫俗語の種に便薄からんか依て前後を不論 心に浮むのむねを綴入るもの也