《題:江戸名所図會   十二》 【見返し】 【左丁】 戸塚(とつか) 今(いま)高田(たかた)と/属(そく)す古(いにしえ)ハ/此地(このち)の惣名(そうみやう)とす/北条家(ほうてうけ)の分限帳(ふんけんちやう)より  恒岡弾正忠牛込(つねをかたんしやうのちゆううしこめ)にて冨塚(とつか)の地を領(りやう)するとの注(ちゆう)せり《割書:江戸(えと)/鹿子(かのこ)に昔(むかし)|洪水(こうすい)の時(とき)/如地(かのち)を》 《割書:  うらむハ戸(と)を以(もつて)さしゆるを如(こと)く水災(すいさい)にかくらさりし故(ゆゑ)に名(な)とするとの記(しる)せとも信(しん)するに   たりす/里老(りらう)の/説(せつ)に宝泉寺(ほうせんし)の地に冨塚(とつか)と云ありて所(ところ)の名も冨塚村(とつかむら)と号(なのつ)く今(いま)より   冨(と)を戸(と)に改(あらた)むると云云/或人(あるひと)/云(いふ)/旧(いわく)/岡本氏(をかもとち)/某(それかし)の/邸(やしき)の地(ち)に古(ふる)き塚ありて/白狐(ひやくこ)の窩(すみか)とす   戸塚(とつか)ハ/狐塚(こつか)を誤(あやま)りて唱(とな)ふるにやと又/此辺(このへん)/昔(むかし)/古塚(ふるつか)/多(おお)くありし/故(ゆゑ)に十塚(とつか)と/呼(よひ)しなる   へしともいてり/按(あんする)に狐塚(こつか)といふハ水(みす)/稲荷(いなり)の社(やしろ)の傍(かたわら)にある塚の事をいふらんより高田(たかた)/雲雀(ひはり)   といわる/草紙(さうし)に戸塚の祠(ほこら)ハ宝泉寺(ほうせんし)にあり此所に狐(きつね)の形(かたち)の石(いし)の扉(とひら)ある故(ゆゑ)に昔(むかし)より戸塚といふとあり》 百八塚(ひゃくはちつか) 今(いま)/其(その)/所在(しょさい)さるなくす/里老(りらう)/伝(つた)へ/云(いふ)/往古(いにしえ)/昌蓮(しやうれん)といへる/冨民(ふみん)   /佛(ほとけ)/供養(くやう)の/為(ため)/此(この)/高田(たかた)の/辺(へん)より大久保(おおくほ)/迄(まて)の/間(あひた)すへて百八員(いん)の塚(つか)を   築(きつ)くと今(いま)ハ悉(ことこと)く其(その)/所在(しょさい)をしらす 《割書:      按(あんする)に中野村(なかのむら)/熊野(くまの)十二所(しょ)/権限(けんけん)の別当(へっとう)に成願寺(しやうかんし)といえる禅林(せんりん)あり其(その)/寺記(しき)に鈴木       荘司重邦(すすきしやうしけくに)の後裔(こうえい)鈴木(すすき)九郎とへる者(もの)あり/紀州(きしう)/藤代(ふししろ)にありしか/応永(おうえい)の頃(ころ)/武州(ふしゅう)       に来(きた)り中野(なかの)の地(ち)に住(しゆう)す/其(その)/家(いえ)/大(おおい)に冨(とみ)をなせり されと宿因(しゆくいん)にや其(その)娘(むすめ)/夭死(やうし)す       九郎大に歎(なけ)き居宅(きよたく)を壊(かい)ちく/精舎(しやうしや)とし女(むすめ)の法号正観(ほふこうしやうかん)を以(もつ)て寺号(しこう)とし       又/名(な)を正蓮(しやうれん)と改(あらた)むるとあり /昌正同音(しやうしやうとうおん)なれハ此(この)百八員(ひやくはちいん)の塚(つか)といふハ若(もし)くハ此(この)人の       造立(さうりふ)する故あらん/与(よ)/或(あるひハ)/云(いわ)く/今(いま)/馬場(ばば)/下町(したまち)を/供養(くやう)/塚町(つかまち)と唱(とな)ふるも/其(その)/旧称(きうしよう)の残(のこ)らる       にやと云云/再(ふたた)ひ案(あんす)るに此地(このち)を昔(むかし)/冨塚(とみつか)と号(なつ)けしも冨民(ふみん)の制(せい)する故なれハ彼(かの)供養(くやう)       塚(つか)を冨(とみ)塚と唱(とな)へしを中古(ちゆうこ)より美(ひ)の一/字(し)を略(りやく)して登津加(とつか)とハ呼(よひ)あやまりたるならん》 高田天満宮(たかたてんまんくう) 同所ハ幡宮より馬場(ばば)の方(かた)へ行道(ゆくみち)の左側(ひたりかは)にあり別当(へつとう)と 【右丁】   真言宗(しんごんしゆう)として真定院(しんちやういん)と号(こう)す神躰(しんたい)ハ菅神手造(かんしんしゆさう)の霊像(れいさう)にて   一寸八分ありと云相博(あひつた)ふ寛永(かんえい)の頃(ころ) 大樹(たいじゆ)/此神像(このしんさう)を大橋立慶(おおはしりふけい)に   賜(たま)ふ《割書:此立慶(このりゆうけい)ハ入木(しゆほく)/堪能(たんのふ)の人(ひと)にて大橋流(おおはしりう)/筆法(ひつほふ)の始祖(しそ)なる也(なり)/菊岡仙涼(きくおかせんりゆう)けり按(あんする)に|息男大橋長(そくなんおほはしちやう)左勝ツ重政御家流(しけまさおいえりゅう)より出て一家(いつけ)をなす是世間(これせけん)に所得(ところゆえ)大橋》   《割書:流(りゆう)と称(しよう)する|とのなり》依(よつ)て立慶(りふけい)/当社(とうしや)を建(たて)て神前(しんせん)に懸(かか)る尓(しかり)の戸帳(こちやう)に其旨(そのし)   趣(しゆ)を記(しる)し置(おく)といへり 《割書:当社の旧地(きゆうち)ハ牛込(うしこみ)/済松寺(さいしようし)の辺(あた)り今天神町(いまてんしnまち)と唱(とな)うる地(ち)|是(これ)なり望海毎談(ほうかいはいたん)といへる冊子(さうし)に寛永(かんえい)七年の事実(ししつ)を》   《割書:記(しる)せし次(つき)に御祐筆(こゆうひつ)/大橋立慶(おおはしりふけい)に高田大友(たかたおおとも)の屋敷(やしき)を給ふ|とありて其地(そのち)に天神(てんしん)の宮(みや)あるなりを記(しる)せり証(しやう)とすへし》又/菅神(かんしん)の真筆(しんひつ)の佛経(ふつきゆう)   を収(おさ)むる由(よし)/云(い)へり 社前(しやせん)にある所(ところ)の龍神(りゆうしん)及(およ)ひ鬼子(きし)/母神(もしん)/等(とう)の石像(せきさう)ハ   昔(むかし)/此地(このち)に経蔵(きやうさう)ありし頃(ころ)/守護(しゆこ)の為(ため)に造立(さうりふ)せしといふ      《割書:按(あんする)に当社(とうしや)の博(ちん)ハ大橋立慶 大樹(たいしゆ)よりたまふ和(ときころ)の菅神(かんしん)の像(さう)を一社(いつしや)に奉(かう)す とありく旧地(きゆうち)を天神(てんしん)町とす土人済松寺(としんさいしようし)の地(ち)/昔(むかし)ハ大橋氏の宅地(たくち)なりといふ南向(なんかう) 亭茶話(ていさす)に云/大友宗五郎義延(おおともそうころうよしのふ)/自(みつか)らの宅地(たくち)に大宰府(たさいふ)の天満宮(てんまんくう)を近(ちか)しまのうす 其地(そのち)を天神町(てんしんまち)と号(なつ)く後(のち)/高田(たかた)に移(うつ)す大橋長左衛門/奉納(ほうのう)の三十六/歌仙(かせん)の絵(え) とも今(いま)/猶(なお)/存(そん)すとあり再(ふたた)ひ按(あんする)に元禄(けんろく)二年の開板(かいはん)の江戸鹿子(えとかのこ)に二百/余(よ)年に及(およ)ふ とあるに依(よつ)て考(かんか)うるに/大友義延(おおともよしのふ)ハ/文(ふん)禄の/頃(ころ)の人なれハ/其頃(そのころ)/宅地(たくち)に/勧請(かんしゆう)せし を/後大橋氏(のちおおはしうち)/其跡(そのあと)に居住(きよちゆう)しく 大樹(たいしゆ)よりたまふ所の神像(しんそう)をその社(やしろ)に安置(あんち)し たるならん/歟(か)/寛永(くわんえい)ハ寛政(くわんせい)の今(いま)に至(いた)りて未(いまた)二百年に過(すき)す》 高田馬場(たかたはは) 同し北(きた)の方(かた)にあり追廻(おひまは)しと称(しよう)して二/筋(すち)あり竪(たて)ハ東西(とうさい)丁 【左丁】