《題:地震年代記》 ことし安政二年卯十月二日 人定(にんてい)にいたり希有(けう)の大地震(おほぢしん)あり倉屋(さうをく)悉(こと〳〵)く損(そこな)はれ 人畜(にんちく)の傷体(けが)許多(あまた)なれば貴賎(きせん)上下 神(たましひ)を失(うしな)ひ恐怖(きようふ)せざるものなししかるに名(な) だゝる神社仏閣(しんじやふつかく)にいたりては十に九ッ恙(つゝが)なきは奇(あや)しくもいと尊(たふと)し仰(あふ)かざらめや 敬(けい)せざらめや埃(あい)【(壒)】嚢鈔(のうせう)《割書:十四|巻》に地震動の吉凶(きつきよう)を知(し)る法(ほう)を載(のせ)たりこれによるに十月 二日は二十八宿の虚宿(きよしゆく)に値(あへ)り時(とき)は亥剋(ゐのこく)なり仏説(ぶつせつ)に此日此時の地震(ぢしん)を帝釈動(たいしやくゆり)と 称(とな)へて其徴(そのしるし)は天下安穏五穀豊饒天使吉大臣福(てんかあんおんごこくぶねうてんしきつだいじんふく)を受(うけ)万民安穏(はんみんあんをん)也(なり)としるせり火神動(くわじんゆり) 龍神動(りうじんゆり)金翅鳥動(こんしてうゆり)と震動(ぢしん)に四種(ししゆ)ある事 大智度論(たいちどろん)に出て帝釈動(たいしやくゆり)の外(ほか)は皆(みな)凶兆(きようてう)なり大 鯰(なまづ)の所為(わざ)といふも金翅鳥動(こんしてうゆり)の類(たぐひ)なるべし兎(と)にも角(かく)にもいとめてたき世直(よなほ)しにこそ此(この)一小冊(いつせうさつ)を 上代(じやうだい)よりの地震(ぢしん)を古今(ここん)の書籍(しよぢやく)より鈔略取詮(せうりやくしゆせん)して今度(こんど)のにいくらも勝(まさ)る地震 数十度(すじふど) ありしかど世(よ)の衰弊(すゐへい)するにもあらず弥栄(いやさか)えにさかえて天地(あめつち)と共(とも)に窮(きはま)りなき我(わが)葦原(あしはら) の中国(なかつくに)の泰平万々歳(たいへいばん〳〵ぜい)たるよしを人々に知らせ参(まゐ)らせんとて  無名氏識 須佐之男命(すさのをのみこと)天(てん)に昇(のぼ)り 清(きよ)くあきらかなる御心(みこゝろ)を あかさんとしたまふ 勇威(ゆうゐ)あふれて国(くに)ゆする 【「 」は矩形で囲われた文字】 地震年代記(ぢしんねんだいき) 太古神代(むかしかみよ)に速須佐之男命(はやすさのをのみこと)根国(ねのくに)へ罷(まかり)たまはんとて天照大御神(あまてるおほんかみ)の御許(おんもと)に 御暇乞(おいとまごい)のため高天原(たかまがはら)へ上(のほり)たまふ時(とき)山川(やまかは)こと〴〵く動(うご)き国土(くにつち)皆(みな)震(ふる)ふ 「古事記上巻」是(これ)地震(ぢしん)のはじめと云(いふ)べし 「允恭天皇(いんきようてんわう)」五年七月十四日 地震(ぢしん)「推古(すゐこ)天皇」七年四月廿七日 地動(ちうご)き舎屋(いへ)こと ごとく破(やぶ)るゝすなはち四方(しはう)に令(おほせ)つけられて地震(ぢしん)の神(かみ)を祭(まつ)らしめたまふ 「皇極(くわうきよく)天皇」元年十月八日 地震(ぢしん)して雨(あめ)ふる次日(つぎのひ)又地震しこの夜(よ)地震(ぢしん)して 風(かぜ)ふく廿四日夜中 地震(ぢしん)す「天武(てんむ)天皇」四年十一月大いに地動く○同六年六月 十四日大に地震動(ちしんどう)す○同七年十二月 筑紫国(つくしのくに)大に地震(ちふる)ひて地(ち)の裂(さく)る 事 広(ひろ)さ二丈 長(なが)さ三千 余(よ)丈(ちやう)村々(むら〳〵)の民家(みんか)多く仆壊(たふれくづ)るゝこの時 百姓家(ひやくしやうや) 一軒(いつけん)岡(おか)のうへに有(あり)けるが震出(ゆりいだ)されて外(ほか)の所(ところ)に遷(うつ)りながら其家(そのいへ)全(まつた)くして 壊(くづ)れず家内(かない)の者(もの)家(いへ)の処(ところ)のかはりしを知(し)らず翌朝(よくあさ)初(はじめ)て大におどろく 以上「日本書紀」○同十一年八月十二日大に地動(ちうご)く十七日 亦(また)地震(ちしん)す「類聚国史」 ○同十三年十月十四日 亥剋(ゐのこく)【(刻)】大地震(おほちしん)山 崩(くづ)れ河水(かはみづ)涌出(わきいで)諸国(しよこく)の官舎(やくしよ)民家(みんか) 寺社(じしや)の破壊(はかい)あげてかぞふべからず人民(ひと)六畜(ちくしやう)死傷(しにけが)多(おほ)し伊予(いよ)の温泉(おんせん)没(つぶ)れ 土左国(とさのくに)田苑(たはた)五十余万 頃(けう)《割書:百畝を一頃といふ|則五十余万町也》海(うみ)となる○同十四年十二月十日地震 西より発(はつ)す以上「日本書紀」「文武(もんむ)天皇」「大宝」元年三月廿四日 丹波国(たんばのくに)地震三日する 「元明(けんみやう)天皇」「霊亀」元年五月廿五日 遠江国(とほ〳〵みのくに)地震し山 崩(くづ)れ麁玉河(あらたまかは)【(天竜川)】雍(ふさが)り 数(す)十日を経(へ)て水出 敷智(ふち)長下(ちやうげ)石田(いはた)の三 郡(こほり)百七十余 区(むら)没(つぶ)れ苗(なへ)を損(そこな)ふ 翌(よく)二十六日 三河国(みかはのくに)地震し正倉(おかみのおくら)四十七 民家(みんか)やぶれおち入る「聖武天皇」「天平」 六年四月七日大地震 諸国(しよこく)の民家(みんか)壊(くづ)れ圧死者(おされしすもの)多く山 崩(くづ)れ川 雍(ふさが)り 地拆(ちさく)る事 勝(あげ)てかぞふべからず同九月廿四日地大に震ふ○同十六年五月 【「 」は矩形で囲われた文字】 《割書:日つまひ|らかならず》肥後国(ひごのくに)雨ふりて地震し八代(やつしろ)天草(あまくさ)葦北(あしのきた)の三郡 官舎(やくしよ)并 ̄ニ田二百九十 余(よ)町 民家(みんか)四百七十余 区(むら)人千五百余 口(にん)水にたゝよひ没(しづめ)らるゝ山二百八十余 所 崩(くづ)れ圧死人(おされしするもの)四十余人 公(おほやけ)より賑恤(をすくひ)あり○同十七年四月廿七日通夜二日 三夜地震 美濃国(みのゝくに)櫓館(やくらのたち)正倉(おくら)寺院(てら)民家(みんか)崩(くづ)れひきつゞき五月朔日 二日三日四日地震し五日には日夜(よるひる)止まず六日七日八日九日十日十六日十八 日地震し地拆裂(ちくだけさけ)水 涌出(わきいづ)る二日より一七日の間京都の諸寺(しよじ)にて最勝(さいしやう) 王経(わうきやう)を転読(てんどく)せられたまひ八日より三七日の間 大安寺(たいあんじ)薬師寺(やくしじ)元興寺(ぐわんごうじ) 興福寺(こうふくじ)にて大集経(たいしふきやう)を読(よま)せたまふ「大炊(おほい)天皇」「天平宝字」六年五月九日 美濃(みの)飛騨(ひだ)信濃国(しなのゝくに)地震す家損(いへそん)じたる者に米二石つゞ賜(たま)ふ以上「続日本紀」 これまでの地震何国としるさぬはもはらみやこにてゆすりしなりたゞし 此ころは大和国にみやこありしなりつぎよりは平安城いまの京なり 「桓武(くわんむ)天皇」「延暦」十六年八月十四日地震と暴風(あらがせ)ふきて京中の坊門(きど)民家(みんか) たふるゝもの多し「平城(へいしやう)天皇」「大同」二年五月地大に震す「嵯峨(さが)天皇」「弘仁」九年 七月相模武蔵下総常陸上野下野等の国 地震(ぢしん)し山崩れ谷埋(たにうづま)るゝ 事 数里(すうり)圧死(おしころされ)たる百姓(ひやくしやう)勝(あげ)て計(はか)るべからず八月 賑恤(おすくひ)をたまひ今年の租調(ねんぐ)を 免(ゆる)したまひ屋(いへ)を修(なほ)し圧没(おしつふされ)たる徒(ともがら)を歛(はう)【(斂)】葬(むら)しめたまふ九月御祈祷あり 「淳和(しゆんわ)天皇」「天長」四年七月十二日地震し頽屋(たふれいへ)おほし一日の内大ゆり壱度 小ゆり七八度同十四日地動てやまず亥刻大に震ゆるごとに声(こゑ)あり 同十五日震動十六日に二度十九日大ゆすり二度廿一日廿二日もゆり 廿四日は昼夜三度廿五日はゆりて雨ふり戌刻もゆり廿七日は大ゆり 廿九日もゆり晦日もゆりて午刻大ゆり未刻にもゆる八月三日も五日 もゆり六日は三度ゆり八日も十二日も十四日十五日も十六日十九日廿二日も ゆり廿四日は両度九月朔日もゆり十五日は大ゆり二十日も廿ニ日もゆり十月 【「 」は矩形で囲われた文字】 二日二度ゆり四日もゆり十二日は二度ゆり十一月十五日もゆり廿二日は大ゆり廿四日 廿九日ゆり十二月朔日二日もゆる十四日 清行僧(みもちきよきそう)百口(ひやくにん)を大極殿(たいごくでん)に集(あつ)め三ヶ 日の間 大般若経(たいはんにやきやう)を転読(てんどく)せさしむ十六日地震して雪(ゆき)ふる十九日も又 ゆる年改り同五年二月五日十二日十五日三月四日十一日六月三日五日 廿五日もゆる同七月廿九日老人の傜(ねんぐ)をゆるされ八十以上ならびに後(ご) 家(け)やもめ親(おや)なき子(こ)子(こ)なきものゝ貧(まづ)しきに物をたまふ十月廿二日大地 震○同六年三月朔日地大に震ふ○同七年正月三日辰時出羽国大地 震秋田城四天王寺 㒹(くつがへ)り屋仆(いへたふ)れうたれ死(しぬ)る民(たみ)十五人 体損(けがにん)人百人 余(あまり) 地として砕(さけ)ざる処もなく或(あるひ)は三十丈 計(ばかり)或は二十丈 許(ばかり)におよぶ秋田川(あきたかは)水(みづ) 涸(かれ)つくしぬ震動一時に七八度ツヽ同月廿八日にいたりてもやまず風吹(かぜふき) 雪(ゆき)もふる同四月 公(おほやけ)より使(つかひ)を下(くだ)し当年(たうねん)の租調(ねんぐ)をゆるし屋(いへ)を修(なほ)させ 圧亡(おされしに)たるものを葬しめたまふ同五月一七日の間僧百人を大極殿(たいこくてん)にめさ れ大般若経(だいはんにやきやう)を転読(てんどく)せさせたまふ○同十年二月廿四日 己(みの)【(巳の誤記)】刻(こく)地大いに 震ふ以上「類聚国史」「仁(にん)明天皇」「承和」三年五月二十日地大に震ふ○同八年 二月十三日信濃国地震一夜に凡九十四度 墻屋(かきいへ)倒(たふ)れ頽(くづ)れ上下 損(そこな)はれ ぬものなし○今年伊豆国地震し人も物も損傷(そこなひやふ)れ租調(ねんぐ)をゆるさ るゝ等の事出羽国におなじ《割書:月日いまだ|つまびらかならず》以上「続日本後紀」「文徳(もんとく)天皇」「嘉祥」三年 八月廿六日地西北より震来(ふるひく)る鷄雉(にはとりきじ)みなおどろく○同年十月出羽国地大に 震(ふる)ひ裂(さけ)山は谷となり谷は山となり圧死(おされしぬ)る者多し賑恤(おすくひ)の次第(しだい)前(まへ)に おなじ以上「文徳実録」○同「斉衡」二年五月五日大地震南都東大寺の大仏 の御頭(みぐし)地におつる「和漢合運図」同三年三月此つきしば〳〵地震あり京 都 及(また)城南(みやこのみなみ)屋(いへ)毀(こは)れ仏塔(ふつたふ)傾(かたむ)く○同「天安」元年七月八日 地(ち)大に震(ふる)ふ 東大寺(とうだいじ)盧舎那仏(るしやなぶつ)は 孝謙(かうげん)天皇天平勝宝 元年七月 鋳(い)たてまつる 座像(ざさう)の高(たか)さ五丈三尺 六寸 面(おもて)長一丈七尺 広九尺五寸 肉髻(にくけい)高三尺 【「 」は矩形で囲われた文字】 以上「文徳実録」「清和(せいわ)天皇」「貞観」五年六月十七日/越中(ゑつちう)越後(えちご)地大に震(ふる)ふ陵(をか)は谷(たに) となり谷(たに)は陵(をか)となり水涌出(みづわきいで)民家(みんか)を壊(くづ)し圧死者(おされしぬもの)多しこれより後/日毎(ひごと)にゆす る○同六年十月十二日大震動○同十年七月八日/地震動(ぢしんどう)し内外(うちと)の墻(かき) 屋(いへ)往々(わう〳〵)頽破(たいは)に及(およ)ぶ同日/播磨国(はりまのくに)地(ち)大に震動(しんどう)し諸郡(しよぐん)の官舎(やくしよ)寺々皆 頽倒(こはれたふ)るゝ同九日十二日十三日十六日廿日八月十日十二日十四日十六日廿九日九月 七日/地震(ぢしん)あり○同十一年五月廿六日/陸奥国(むつのくに)地(ち)大(おほい)に震動(しんどう)し光(ひか)りありて 昼(ひる)の日陰(ひかげ)の如(ごと)し人民(じんみん)さけんで起事(たつこと)をえず屋(いへ)たふれ圧死(おされしに)或(あるひ)は地裂(ぢさけ)て埋(うづ)まり 馬牛(うまうし)おどろきて踏(ふみ)あひ城郭(じやうくはく)も門櫓(もんやぐら)も墻壁(かきかべ)も頽落(こはれおち)くつがへる事(こと)其数(そのかづ)を 知(し)らず海(うみ)なり驚涛(つなみ)漲(みなぎり)て城下(じやうか)にいたり海(うみ)をへだてたる所(ところ)も原野(はらの)道路(みち〳〵)滄溟(あほうみ) となり船(ふね)にものりあへず山(やま)にも登(のぼ)り得ず溺死者(おぼれしするもの)千人/許(ばかり)資産(たくはへ)も苗稼(たべもの)も ほど〳〵孑遺(のこり)なし十月十三日/公(おほやけ)より矜恤(おすくい)をたまふ事大かた前におなじ○ 同十五年四月十四日地大に震動(しんどう)する○同十六年十二月二十九日/酉時(とりのとき)地大に 震動(しんどう)する「陽成(やうしやう)天皇」「貞観」十九年三月十一日/辰四刻(たつしこく)地大に震(ふる)ふ同「元慶」元年 十月十七日地大に震(ふる)ふ○同二年九月廿九日/関東(くわんとう)の諸国(しよこく)地大に震裂(ゆりさけ)る相(さ) 模(がみ)武蔵(むさし)尤(もつとも)はなはだし其(その)後五六日/震動(しんどう)やまず公私(おほやけわたくし)の家居(いへゐ)全(まつた)きは 一ッもなし或(あるひ)は地窪陥(ちくぼみおちいり)往還(わうくわん)ふさがり百姓(ひやくしやう)圧死(おされしぬる)もの勝(あげ)て計(かぞ)ふべからず○同 三年三月廿二日/午一尅(うまのいつこく)【(刻)】地大に震動(しんどう)し同/四尅(しこく)【(刻)】に又(また)震(ふる)ふ○同四年四月二日 地大に震ふ○同十月朔日/夜(よ)地震(ぢしん)二日/再(ふたゝび)震(ゆり)三日もゆり十四日大に震(ゆる) 同日/出雲国(いづものくに)神社仏寺官舎(じんじやぶつじやくしよ)及(また)民家(みんか)或(あるひ)は顛倒(てんどう)し或(あるひ)は傾倚(かたぎ)そこね 傷者(やふるゝもの)衆(おほ)し廿二日に至(いた)る迄(まで)昼(ひる)二三/度(ど)夜(よ)三四度/微々(すこしづゝ)震動(しんどう)し廿七日に いたり猶(なほ)休(やま)止ず○同十二月四日/夜(よ)地(ち)大(おほひ)に震動(しんどう)する事五六度にて 止(とゞま)り同月六日/子尅(ねのこく)【(刻)】地大に震動(しんどう)し且(よあけ)に至迄(いたるまで)に十六度(ど)ゆり大極殿(たいこくでん) 【「 」は矩形で囲われた文字】 西北(いぬい)の竪檀(たてだん)長(ながさ)八間/裂(さく)る宮城(おくるはかち?)京師(みやこ)の庐舎(らくし)頽損(くづれそこなは)るゝ事(こと)甚多(はなはだおほ)し七日/陰陽(おんやう) 寮(れう)奏聞(そうもん)していはく地震の徴(しるし)は兵(いくさ)賊(ぬすびと)飢(きゝん)疫(はやりやまひ)を慎(つゝ)しむべしと。《割書:かくうらなひ|けれどその》 《割書:ころよのなかおたやかに|をさまりしなり》其夜(そのよ)戌尅(いぬのこく)【(刻)】より子尅(ねのこく)【(刻)】迄(まで)地(ぢ)又(また)震動(しんどう)し八日は辰刻(たつのこく)より 丑刻(うしのこく)に至(いた)る迄(まで)に四/度(たび)ゆり九日の夜(よ)も二度十日は五度十一日はしば〳〵震動し 十二日は子一尅(ねのいつこく)【(刻)】大にゆり寅四尅(とらのしこく)【(刻)】小(ちいさ)くゆる十三日十四日十七日十八日もゆる 十九日/戌(いぬ)の時(とき)天(てん)に声(こへ)ある事二度/地(ち)又(また)震動(しんどう)す廿一日も戌一尅(いぬのいつこく)【(刻)】空(そら)に声(こへ) ありて丑刻(うしのこく)に地震廿二日/辰(たつ)の時(とき)地大に震(ふるひ)二たび動(うご)きてやむ廿三日廿四日 廿五日廿九日も地震する同五年正月六日/酉(とり)の時(とき)地震する十一日十二日 十四日十六日も九月十九日廿日廿一日《割書:二|度》地震する以上「三代実録」「光孝(くわうかう)天皇」「仁和」 元年四月十四日/大風雨(たいふう)して地震/声(こえ)あり同十六日/霜(しも)ふり寒く地震(ちしん)す 「扶桑略記」同十二月廿日/巳(み)の時(とき)天(てん)の東南(たつみ)に声(こへ)ありて高楼(にかいや)の壊落(くづれおつる)が て圧死者(おされしぬるもの)四人/此(この)穢(けがれ)によつて賀茂祭(かもまつり)停(とゝめ)らるその後(ご)日々(ひゞ)地震(ぢしん)やまず 同廿八日/国々(くに〳〵)におほせつけられて地震祭(ぢしんまつり)あり同廿九日/迄(まで)ゆりてのち 無事(ぶじ)なり○同六月三日/雨(あめ)ふり地大に震(ふる)ひ廿日又/地震(ぢしん)して鴨河(かもがは)の 水(みづ)大に溢(あぶ)れ京(きやう)の人家(じんか)をたゞよはす陰陽寮(おんやうれう)東西(とうざい)に兵草(いくさ)あるべしと占(うらな)へり 「日本記【(紀)】略」「扶桑略記」《割書:はたして翌年下総に将門伊与に純友の|乱おこる但しほどなくたひらぎをはんぬ》「村上天皇」「康保」二年 九月廿一日地大に震(ふる)ひ廿二日廿三日十月朔日又震ふ「冷泉(れいぜい)天皇」「安和」元年 八月三日/子刻(ねのこく)地震(ぢしん)鳥獣(とりけだもの)おどろきて鳴(なく)「円融(ゑんゆう)天皇」「天禄」三年閏二月十四日 寅刻(とらのこく)大地震(おほぢしん)同日/申(さる)の時(とき)冝陽殿(きやうでん)鳴(なる)同年九月廿七日/辰刻(たつのこく)地(ち)大に震(ふるふ) 《割書:「本朝年代記」に余|動有としるす》十二月廿日/年号(ねんごう)天延(てんゑん)元年と改(あらたむ)る天変地震(てんべんぢしん)によつてなり 罪人(たいにん)を赦(ゆる)し調庸(みつぎ)を免(ゆる)し老人(らうじん)に穀(こく)を賜(たま)ふ「貞元」元年四月十一日 夜(よ) 地(ち)大(おほい)に震(ふる)ふ同六月十八日/申刻(さるのこく)地(ち)大(おほひ)に震(ふる)ふそのひゞき甚(はなはだ)し内裏(だいり)御(お) 郭(くるは)諸司(やくしよ〳〵)壊(くづ)れ顛(くつがへ)り京中(きやうぢう)の家居(いへゐ)いと多(おほ)く倒(たほ)る八省院(はつせういん)豊楽(ぶらく)いん 東寺(とうじ)西寺(さいじ)極楽寺(ごくらくじ)清水寺(せいすいし)円覚寺(ゑんがくし)等(とう)顛倒(てんどう)す未曾有(みそう)の地震(ぢしん) といふ主上中宮(みかどおきさき)御庭(おんには)に幄(まく)をはりて御座(ござ)所とせさせたまふ清水寺(せいすいじ)にて 僧俗(そうぞく)圧死(おされしする)もの五十人/翌(よく)十九日十四度/震(しん)し左衛門(さゑもん)の陣(ぢん)の後(こ) 庁(ちやう)堀川院(ほりかはのいん)の廊下(らうか)閑院(かんいん)の西(にし)の対屋(たいのや)民部省(みんぶせう)の舎(いへ)三宇(みむね)倒(たふ)る主上(みかど)堀川(ほりかは) 太政大臣(だじやうだいじん)兼家公(かねいへこう)の家(いへ)に遷幸(うつら)せゐはんが為(ため)に数百人の大工(だいく)に 修理(しゆり)せさせ給ふ時(とき)四面(しめん)の築垣(ついぢ)忽(たちまち)倒(たふ)れ大工(だいく)三十人/余(よ)打(うち)ころさるゝ 内十八人を堀出(ほりいだ)す御読経(おんどくきやう)の僧(さう)の児(ちご)ども圧殺(おしころ)され崇福寺(そうふくじ)法花(ほつけ) 堂(どう)南方(なんぼう)頽(くづ)れ谷底(たにそこ)に入(い)り堂守(どうもり)の僧(そう)千聖(せんしやう)死(し)し鐘(かね)つき堂(どう)顛倒(てんどう) 弥勒堂(みろくどう)大石(たいせき)落(おち)て乾(いぬい)の角(すみ)をこはす又(また)近江(おふみ)の国分寺(こくぶんじ)大門(だいもん)倒(たふ)れ 二王(にわう)くだけ国府(こくふ)の庁(やくしよ)の屋(いへ)三十/宇(むね)余(よ)顛(くつがへ)り関寺(せきでら)の大仏(おほほとけ)こしよりうへ くだけ失(うせ)る廿日十一/度(ど)廿一日十三/度(ど)廿二日十二/度(ど)廿三日十度廿六日八度 廿九日五度/晦日(みそか)八度七月十一日六度十二日四度地震あり此災(このさい)によつて 是迄(これまで)天延(てんゑん)《割書:四|年》の年号(ねんごう)を貞元と改らる《割書:罪人をゆるさるゝ|などれいのごとし》されど猶(なほ)余動(よどう)止(やま)ず 十四日二度ゆる十八日廿日大にゆり廿一日三度廿三日/迄(まで)たえず震(ふる)へり 同九月廿三日又地大に震(ふる)ふひゞき甚(はなはだ)し十月十一日/諸社(しよしや)に神宝(じんほう)を奉(たてまつ)らし めたまひ御祈(おんいのり)あり以上「日本紀略」「扶桑略記」○同二年二月四日/巳刻(みのこく)地震(ちふる)ふ 九日/巳時(みとき)地(ち)大に震(ふる)ふ「花山(くはさん)天皇」「永観」二年十一月八日地大に震(ふる)ふ「一/条(てう)天皇」 「正暦」五年十月廿四日/同前(どうぜん)御卜(おんうらなひ)あり「三条天皇」「長和」四年十一月六日 地大に震(ふるふ)以上「日本紀略」「後一条(ごいちでう)天皇」「治安」二年同前○「万寿」元年三月十一日 戌(いぬ)の刻(こく)地震(ぢしん)十八日/卯刻(うのこく)又(また)震(しん)す「扶桑略記」同二年十二月/地震(ぢしん)大雪(おほゆき)○同 四年三月二日/申(さる)の時(とき)大地震「長元」五年三月五日/天変地震(てんべんぢしん)の恠異(くはいゐ) 【「 」は矩形で囲われた文字】 攘(はら)はんために天下大赦(てんかたいしや)等(とう)の事(こと)あり以上「日本紀略」」《割書:地しんの年月|いまだ考へず》「後朱雀(ごしゆじやく)天皇」 「長久」元年九月八日/寅時(とらのとき)大地震(おほぢしん)同十一月朔日/夜(よ)同前○同二年七月廿日/丑(うしの) 刻(こく)同前(どうせん)「後冷泉(ごれいぜい)天皇」「康平」三年六月十八日同前/声(こへ)あり○同四年五月 六日/丑時(うしのとき)地震(ぢしん)烏(からす)群(むらが)りおどろき鳴(なく)七日/己(みの)【(巳の誤記)】刻(こく)又ゆる八日/恩赦(おんしや)《割書:罪人をゆるし|人にものを》 《割書:たまふ|るゐ也》あり地震(ぢしん)によつてなり「治暦」元年五月七日地大に震(ふる)ふ「後三条(ごさんてう)天皇」 「延久」二年十月廿日/夜半(やはん)に地震動(ちしんどう)す洛中(らくちう)の家々(いへ〳〵)築垣(つひぢ)往(わう〳〵)頽落(くつれおち)東大寺(とうだいじ)の 洪鐘(おほがね)震(ゆ)り零(おと)し諸国(しよこく)の寺塔(てらとふ)間(まゝ)壊損(こはれそこな)ふ同廿三日時々又/震(ふる)ふ「堀河(ほりかは)天皇」 「寛治」五年八月七日申の刻大地震あり法成寺(ほうじやうじ)五大堂(ごだいどう)の軍荼利(ぐんだり)《割書:丈六|なり》 ゆりたふされ九重塔(くちうのとう)の流星(りうせい)かたむき金堂講堂(こんどうかうどう)の本尊(ほんぞん)荘厳(さうごん)そんじ 常行堂(じやうぎやうどう)大破(たいは)又/大和国(やまとのくに)金峯山(きんぶせん)蔵王(ざわう)の宝殿(ほうでん)もゆれそこなはる古今(ここん)いまだ 聞(きか)ずといふ○同六年十一月十日/戌刻(いぬのこく)地大に震動(しんどう)す犬(いぬ)群(むらが)りて駭(おどろき)ほゆる ○同七年二月十四日/未尅(ひつじのこく)【(刻)】地大に震動(しんどう)し僧俗(そうぞく)みな怖(おそれ)て庭(には)におりる以上 「扶桑略記」「嘉保」三年十二月十七日/年号(ねんこう)「永長」と改(あらたむ)る天変地震(てんべんぢしん)によつて也 「永長」二年十一月廿一日「承徳」と改る天変地震(てんべんぢしん)洪水(こうずい)によつてなり「承徳」三年八 月廿八日「康和」と改る地震(ぢしん)疾疫(わづらひ)によつてなり以上「皇代記」《割書:右二度の月日|未た詳ならず》「後鳥羽(ことば)天皇」 「文治」元年七月九日/午尅(うまのこく)【(刻)】京都(きやうと)大地震(おほぢしん)得長寿院(とくちやうじゆいん)蓮華王院(れんけわういん)最勝光院(さいしようくわういん)以下 仏閣(ぶつかく)顛倒(てんどう)し閑院(かんいん)の御殿(ごてん)棟(むなき)をれ釜殿(かまどの)より下(しも)屋々(いへ〳〵)少(すこ)し倒(たふ)る然るに九郎 判官(はうぐはん)源義経(みなもとのよしつね)の六条室(ろくでうむろ)町の亭(いへ)はいさゝかも頽(くづれ)かたむかぬこそめづらしけれ 在々所々(ざい〳〵しよ〳〵)堂塔(どうたう)一として全(まて)からず圧死(おされしぬる)ものもあり地震(ぢしん)の名波(なごり)しばらく絶(たへ)ず 常(つね)におどろくほどのもの二三十度ふるはぬ日なし十日廿日/過(すき)てやう〳〵間遠(まどを) になり三月(みつき)ばかりにしてしづまる「吾妻鏡」「方丈記」「順徳(じゆんとく)天皇」「建保」元年 五月廿一日/鎌倉(かまくら)大地震(おほぢしん)堂社(とうしや)破倒(やふれたふ)る○同三年八月廿一日/己(み)【(巳)】の刻(こく)鷺(ざき) 【絵のみ文字なし】 【「 」は矩形で囲われた文字】 かまくら御所(ごしよ)の西(にし)侍(さむらひ)の上(うへ)に集(あつま)る未尅(ひつじのこく)【(刻)】地震(ぢしん)廿二日/武将(ぶしやう)占(うらなは)せ玉(たま)ふに 重変(おもきへん)のよし申により相模守(さがみのかみ)の家(いへ)に入たまふ九月六日/丑刻(うしのこく)大/地震(ぢしん)八日 寅刻(とらのこく)又大に震ふ十一日/寅刻(とらのこく)同前又/小動(こゆすり)あり十三日十四日十六日もゆる 十七日三度ゆる廿一日/御祈(おんいの)り三万六千の神祭(じんさい)は親職(ちかもと)地震祭(ぢしんまつ)りは 宣賢(のぶかた)奉行(ぶぎやう)す「四条(してう)天皇」「文暦」二年四月十三日/午尅(うまのこく)【(刻)】同廿八日/未尅(ひづしのこく)【(刻)】廿九日 同尅(どうこく)【(刻)】地震八日/御祈祷(ごきとう)徳政(とくせい)の御沙汰(ごさた)あり「仁治」二年二月七日/己(み)【(巳)】の刻(こく) 大地震/古老(こらう)のいはくさんぬる建暦年中(けんりやくねんぢう)今(いま)の如(ごと)き大ゆすりあり 《割書:建保元年|をさして云》すなはちこれ和田(わだ)左衛門/尉(ぜう)義盛(よしもり)叛逆(ほんぎやく)の兆(てう)やと《割書:云| 云》同日/午時(うまのとき) 子尅(ねのこく)【(刻)】と両度(りやうど)小ゆすりあり八日/己(みの)【(巳)】尅(こく)【(刻)】又ゆる昨今(さくこん)動揺(ゆるぎ)五ヶ度《割書:以|上》「吾妻鏡」 「後深草(ごふかくさ)天皇」「建長」六年閏五月十一日十九日/大地震(おほちしん)「皇年代略記」「正嘉」元年 八月廿三日/鎌倉(かまくら)大地震/音(おと)あり神社仏閣(じんじやふつかく)一宇(いちう)も全(まつた)からず山(やま)くづれ 屋(いへ)倒(たふ)れ築垣(つひぢ)悉(こと〳〵く)損(そん)じ地裂(ちさけ)水/涌出(わきいづ)る中にも下馬橋辺(げばばしへん)地裂たるなか より青色(あをきいろ)の火炎(くはえん)もえ出ると《割書:云(うん〳〵)|  云》九月四日/小雨(こさめ)ふり申尅(さるのこく)【(刻)】地震する 去月大ゆりの後(のち)けふにいたりてやまず「伏見(ふしみ)天皇」「永仁」元年四月十三日 寅尅(とらのこく)【(刻)】大地震/山頽(やまくづれ)家顛(いへくつがへ)り死るもの其数(そのかず)をしらず鎌倉(かまくら)大慈寺(だいひし)【(だいじじ)】 の丈六/堂(どう)をはじめつぶれ埋(うづま)り寿福寺(しゆふくじ)円覚寺(ゑんがくじ)倒(たふ)れてやけぬ聖の 顛倒(てんどう)かぞへがたし死人二万千廿四人「北条記」「後伏見(ごふしみ)天皇」「正安」元年四月廿五日 大地震/摂津国(せつゝのくに)四天王寺(してんわうじ)金堂(こんどう)くつがへり洛東(らくとう)南禅寺(なんぜんじ)の堂(どう)倒(たふ)る 五畿内(ごきない)死人一万/余(よ)「本朝年代記」「花園(はなその)天皇」「文保」元年正月/以後(いご)京都 連々(れん〳〵)大地震(おほぢしん)東寺(とうじ)の塔(たふ)振落(ふりおと)す清水寺(せいすいじ)炎上(ゑんじやう)し田村将軍(たむらしやうくん)の御影(みゑい) もやけうせぬ「北条記」「後醍醐(ごだいご)天皇」「正中」元年十一月/大地震(おほぢしん)近江(あうみ)の竹生(ちくぶ) 島(しま)くづれ半(なかは)は湖(みつうみ)に入(い)る「本朝年代記」元弘元年七月三日大地しん 【「 」は矩形で囲われた文字】 有(あつ)て紀伊国(きいのくに)千里浜(ちさとのはま)の遠干潟(とをひかた)俄に陸地(くがち)になる事二十/余(よ)町 同七日/酉尅(とりのこく)【(刻)】に地震あつて富士(ふじ)の絶頂(ぜつちやう)崩(くず)るゝ事(こと)数(す)百丈「太平記」 「建武」元年八月廿七日/暁(あかつき)大地震同十二月十三日同前「光明天皇」「暦応」 元年七月十九日同前ゝ廿二日地震「観応」元年七月二日/申(さる)㐪【(亥の異体字)】両尅【(刻)】 地震/将軍墓(しやうぐんづか)鳴動(めいどう)する事以の外なり○同二年二月十九日大 地震/将軍墓(しやうぐんづか)又(また)鳴動(めいどう)す三月十七日/天変(てんべん)今夜(こんや)又地震四月 十一日/辰刻(たつのこく)同前「後光厳(ごくわうごん)天皇」「康安」元年六月廿日大地震/其以後(そのいご) 連綿(れんめん)と大地震す京/南都(なら)堂舎(とうしや)顛倒(てんどう)す以上「《割書:皇年代略|記頭書》」「延文」五年 六月大地震度々/火災(くはざい)もあり十八日よりはじまりて七月に至(いた)り てやまず淡路島(あはぢしま)津波(つなみ)人馬(にんば)不残(のこらず)死(し)す七月廿二日/雪(ゆき)ふり廿四日 山の如(ごと)く雪ふりて地震やまず「後小松天皇」「応永」九年春/彗星(はゝきほし) 「慶長」元年閏七月十二日/大地震(おほぢしん)土裂(つちさけ)水わき京伏見(みやこふしみ)の城屋敷(しろやしき)民家(みんか) 倒(たふ)れ破(やふ)れ死(し)人/数(かず)を知(し)らず大仏殿(たいぶつでん)崩(くづ)れ仏像(ぶつざう)も壊(くづ)れたり太閤(たいかふ) 往(ゆき)て御覧(ごらん)じ仏にむかひ叱(しかつ)てのたまはく仏像(ぶつざう)を安置(あんち)するは国家安(こくかあん) 泰(たい)のためなりしかるに大地震をとめる事あたはず万民(ばんみん)をくる しめ其身(そのみ)だに保(たも)つことをえす摧裂(くだけさけ)たるこそつたなけれ抑(そも〳〵)なにの 益(ゑき)かあると弓をひきて矢を射(ゐ)かけ給ふさて信濃国(しなのゝくに)善光寺(ぜんくわうじ)の仏(ほとけ)を 取(とり)よせ仏殿(ふつでん)に置(おか)せたまひぬ《割書:のちこの像をかへし別に|金仏をいさせ玉ふ》また御傍(おそば)の女中大かた 圧死(おされしに)て俄(にわか)に代(かは)りなかりければ京/伏見(ふしみ)大坂(おほさか)堺(さかい)等(とう)の遊女(ゆうぢよ)数百人を 召上(めしあけ)られ女中としてつかひたまふ「豊臣譜」「後水尾(ごみのを)天皇」「慶長」十九年十 月廿五日大地震「合運図」「寛永」四年正月十一日同五年同前「本朝年代記」 「明正天皇」「寛永」十年正月廿日同前/相模国(さがみのくに)小田原(をだはら)にて人馬(にんば)死(しす)る 【図中】 伏見(ふしみ)大地震(おほぢしん)のとき 清正(きよまさ)駈来(はせつき)騒動(さうどう)を鎮(しづむ) 【「 」は矩形で囲われた文字】 もの数(かず)を知()らず「後光明(ごくわうみやう)天皇」「正保」四年五月十三日/江戸(ゑど)大地震(おほぢしん)大名(だいめう) 屋敷(やしき)破損(はそん)す「或記」「慶安」元年四月廿二日大地震/相模国(さがみのくに)筥根山(はこねやま) 坂(さか)崩(くず)るゝ「合運図」○同二年二月五日/伊予国(いよのくに)松山(まつやま)宇和島(うわじま)辺(へん)大地震 城中/石垣(いしがき)くづれ民家(みんか)多(おほ)くそこなはる同六月廿日江戸同前/大名(だいめう) 屋敷(やしき)民家(みんか)破倒(やぶれたふ)れ人多く死(し)す○同三年三月廿三日/夜(よ)関東(くわんとう) 大地震以上「或記」「後西天皇」「寛文」二年五月朔日大地震京五条 石橋(いしばし)崩(くづ)れ近江国(あふみのくに)朽木谷(くつきだに)の山(やま)くづれ民家こと〴〵くうづまり 貴賎(きせん)いと多(おほ)く死(し)する同十一月/大隅国(おほすみのくに)の山崩れ海陸地となる 余動(よどう)しば〳〵発(はつ)し歳(とし)の終(をは)りにいたる「本朝年代記」「地震考」同三年 七月廿五日/蝦夷(ゑぞ)松前(まつまへ)大地震同十二月六日京都同前/戌刻(いぬのこく)ゟ丑刻(うしのこく) にいたる二/条(てう)の城(しろ)をはじめ洛中(らくちう)所々(しよ〳〵)破損(はそん)同四年十二月廿七日 越後国(ゑちごのくに)髙田領(たかたりやう)大地震(おほぢしん)民家(みんか)たふれ死人(しにん)多(おほ)し《割書:本朝年代記に|五年とす》「或記」 「霊元天皇」」「天和」三年五月廿二日大地震/二荒山(ふたらやま)神庿(しんびやう)破(は)そんあり 「本朝年代記」「東山天皇」「元禄」十六年十一月廿二日/丑刻(うしのこく)江戸大地震 武家(ぶけ)町屋とも破損(はそん)し相州(さうしう)小田原(をだはら)は余国(よこく)よりもつよく民(みん) 家(か)倒(たふ)れ筥根山(はこねやま)崩(くづ)れ道(みち)ふさがり同時(どうじ)に所々に出火(しゆつくは)人多く死(し)し 海辺(かいへん)にのがるゝ者(もの)は津波(つなみ)にて死(し)す「宝永」三年九月十五日大地震 以上「或記」○同四年十月四日/未刻(ひつしのこく)東海道(とうかいどう)大地震地さけ海(かい)へん 洪波(つなみ)人多く死(し)す同十一月/富士(ふじ)のやま焼(やけ)宝永山(ほうゑいざん)あらはる「或記」 「和漢三才図会」「中御門天皇」「享保」八年十一月廿日より十二月にいたり 九州大地震○同十年九月廿五日/長崎(ながさき)大地震/昼夜(ちうや)八十/余(ど)【ママ】度 「或記」「桃園天皇」「宝暦」元年二月廿九日大地震/諸堂舎(しよどうしや)破懐(やれそこな)【(壊)】ひ 【「 」は矩形で囲われた文字】 余動(よどう)六七月にいたりてとゞまる「地震考」同年四月廿五日/越後国(ゑちごのくに)高田(たかた) 大地震/酉(とり)の刻(こく)より丑刻(うしのこく)まで三十/余度(よど)山崩(やまくづ)れ民家(みんか)倒(たふ)れ死(しぬ)る もの凡(おほよそ)一万六千三百/余(よ)人といふ○同六年七月晦日/近江国(あふみのくに)大地 震「後桜町天皇」「明和」三年正月廿八日/奥州(おほしう)津軽(つがる)青森辺(あをもりへん)大(たい) 雪(ゆき?)大地震/大火(たいくは)にて人多く損(そん)ず○同八年五月二日江戸地 震同六月二日江戸大地震「光格天皇」「天明」二年七月十四日/丑(うしの) 刻(こく)江戸同前同十五日また大に震(ふる)ひ民家(みんか)倒(たふ)る翌朝(よくてう)に至(いた)り 十五六/度(ど)震動(しんどう)すこの時(とき)相州(さうしう)小田原(をだはら)ことに甚(はなはだ)し筥根山(はこねやま) ならびに小田原の城中(せうちう)石垣(いしがき)崩(くづ)れ民家(みんか)破損(はそん)多(おほ)し○同三 年二月二日/丑刻(うしのこく)江戸大地震「寛政」四年閏二月此月/肥前(ひぜん) の国(くに)島原領(しまばらりやう)山(やま)もえいでゝ湯涌(ゆわき)ながれ人多く死(し)ぬ国中(こくちう) 震動(しんどう)して火(ひ)の光(ひかり)余国を照す以「或記」「享和」三年十一月十五日/佐渡国(さどのくに)大地 震小ゆり翌年(よくねん)六月にいたる以上「地震考」「文化」元年出羽国地震して 象潟(きさがた)の山くづれ地おちいり天下(てんか)に稀(まれ)なる勝地(しやうち)をそこなふ「或日記」同六年 二月廿一日ゟ廿四日にいたり信州松本領/安曇郡(あつみごほり)の山中/鳴動(めいどう)す同廿四 日/暮方(くれかた)南北五百間余東西九百間余大地やぶれさけ岩石(かんぜき)ぬけ崩(くづ) れ中谷村等の四村/枝郷(えだごう)六ヶ所/家数(いへかず)廿七軒/田畑(てんはた)ともくほみ落つれど 人馬はつゝがなし○同七年元日佐渡国大地震/連日(れんじつ)止(とゞ)まらず○同 九年十一月四日江戸并近国大地震神奈川保土ヶ谷辺/殊(こと)に甚しく 民家/破(や)れたふるゝ「仁孝天皇」「文政」二年六月十二日京并伊勢美濃 辺大地震○同五年閏正月十六日ゟ十九日にいたり奥州蝦夷地大地 震(しん)百五十余度○同九年此秋江戸地震数度○同十一年十一月十二日 【「 」は矩形で囲われた文字】 越後国(ゑちごのくに)長岡辺(ながおかへん)三条辺/家崩事(いへくづるゝこと)おびたゞしく今町辺 ̄ニ いたる大地震也 以上「或記」「天保」元年七月二日申刻京都大地震二条城并/貴賎(きせん)の 家蔵破壊/顛倒(てんどう)おびたゞしく死傷(しじやう)かそふべからす同十八日/洪水(こうずゐ)にて 所々損し清水寺/廻廊(くわいらう)くづれ死人あり地震の余動しば〳〵火災も あり八月下句【(旬)】全(まつた)くしづまる「今上天皇」【(孝明天皇)】「弘化」四年三月廿四日戌刻ゟ 亥刻(ゐのこく)まで信濃国六郡《割書:安曇更科水内|埴科小県高井》松代上田飯山善光寺辺都て 大地震して山くづれ大河/埋(うづ)み家潰人馬死傷多し同四月十三日 洪水「嘉永」六年二月二日相模国■【(囗に反or友:小)】田原大地震「安政」元年六月十四 日夜上方筋は駿州遠州三州勢州伊賀摂津播州辺四国一参大地震 其餘(そのよ)諸国(しよこく)余動(よとう)あり翌年(よくねん)いたり相州(さうしう)津波(つなみ)同五月摂州同前以上「手記」 右/尋常(まのつね)の地震(ぢしん)は省(はぶ)きて録(しる)さず大地震といへども猶(なお)漏(もれ)たるも少(すく)なからじ 「安政」二乙卯年十月二日/夜(よ)亥(ゐ)の上刻(しやうこく)地震(ちしん)即時(そくじ)に出火(しゆつくわ)はじまり 三十余ヶ所なり翌(よく)三日/朝(あさ)双方(さうはう)しづまりしがそのゝち地震は日々 少しツヽゆりて同月廿日比まて止(や)まず其場所は ㊀日本橋ゟ北室町本船町小田原町本町石町本銀町大伝馬町通 旅籠(はたご)町堀留町小船町小網町辺/大破損(おほはそん)土蔵(どぞう)崩(くづ)れ人家(じんか)潰(つぶれ) 傾(かたむ)く此辺/潰家(つぶれいへ)百三十三軒潰土蔵二十三ヶ所/圧死(おされしす)る者(もの)多し ㊁小伝馬町馬喰町辺格別の事なしといへ共土蔵大破郡代御 屋敷無事同神田亀井町橋本丁としま町辺ゆるやかにて横山丁 両国/辺(へん)人家(じんか)傾(かたむ)き富沢町田所丁人形町通り堺町甚左衛門丁大 坂町かきがら町松しま丁住吉町辺/大破(たいは)夫ゟ浜町川岸水野出羽 守様/焼失(しやうしつ)津軽越中守様安藤長門守様秋元但馬守様そのほか 江戸 地震 出火 一覧 【印】【印】 御屋敷方/大破損(おほはそん)也此辺潰家三百余軒と九十二棟潰土蔵九十七 ヶ所死人おびたゝし ㊂浅草御門外茅町尾町森田町御蔵前片町辺格別のこと なし同元鳥越明神の社別条なく同七曲り池田様/巨勢(こせ)様小 出様阿部様大破損松原様佐竹壱岐守様大に震(ふる)ひ新堀 端両側共損じ御蔵前八幡宮/本社(ほんしや)別条なく社内大破そん 同所駒形町ゟ出火すは丁黒船丁焼失同所御蔵/別条(べつてう)なし 同並木町田原丁辺損じ東/本願寺(ほんぐわんじ)本堂無事寺中/潰(つぶれ)多し 同/誓願寺(せいぐわんじ)門前/日輪寺(にちりんじ)門前/惣崩(そうくづ)れ中田甫六郷様/損(そん)じ 新吉原町不残潰れのうへ焼失(しやうしつ)江戸町一丁目名主而已残る 五十軒道御/高札(かうさつ)別条(べつでう)なく日本堤(にほんづゝみ)大地/裂(さけ)割(わ)れる夫ゟ田町 出火して一丁め二丁め山川丁/焼失(しやうしつ)大手下の茶屋少々残る同北新町ゟ 出火猿若町三丁め二丁め一丁め三芝居やける同所役者 新道東/側(かは)残る北馬道は浅草寺地中の寺院(しいん)両側/焼(やけ)南馬みち 戸沢長家(とざはながや)北がはにて止る浅草寺は諸門本堂別条なく奥山の 諸堂(しよどう)損(そんじ)花川戸町は半ば焼る山の宿町聖天町大破山谷ばし向 新鳥越丁元吉丁浅草丁辺惣崩れ玉姫の社総泉寺大 破今戸橋向角ゟ半丁程やける橋場丁惣崩れ三宅様 大破真崎稲荷神明宮無事給い【?】潰家千四百四十七軒潰土 蔵七十一ヶ所其外焼失の土蔵数しれず変死人おびたゝし ㊃日本橋ゟ南通一丁めゟ四丁め迄両側中通り四日市町しん 肴場中橋/埋立地(むめたてち)辺格別の事なしといへども悉(こと〴〵)く土蔵を 震(ふる)ふ潰家(つぶれや)六十三軒五/棟(むね)潰(つぶれ)土蔵六十ヶ所 ㊄同南伝馬丁より崩(くづ)れ多く其上西中通り南大工丁より 出火して京橋/際迄(きはまで)やける西は南かぢ丁五郎兵衛丁/焼(やけ)畳(たゝみ) 丁少々残る東は具足丁柳丁鈴木丁ときと【(「常磐」カ)】町松川丁/片(かた)かは すみ丁本材木丁川岸にて止る潰家七十壱/棟(むね)土蔵二十八ヶ所 其外焼失の土蔵数しれず ㊅京橋南新両替丁白魚屋敷金六丁水谷丁弓丁新肴丁 すきや橋御門外川岸通りおはり丁竹川丁いづも丁南鍋丁 山下丁八官丁加賀丁辺木挽丁汐留辺格別の事なし 潰(つぶれ)十一/棟(むね)潰土蔵二十二ヶ所 ㊆南八丁/堀(ぼり)大富丁/大破(たいは)築地(つきぢ)小田原丁上柳原丁海川岸辺 大破西/本願寺(ほんぐわんじ)本/堂(どう)別条なく寺中の寺院崩多し夫ゟ■【(鉄)】ぽう 洲(づ)明石町本湊町船松丁辺大破損松平淡路守様焼失/都而(すべて)此辺 御武家方崩多し鉄ぽうづ稲荷社別条なく佃島(つくだじま)格別(かくべつ)のこと なし霊(れい)がん島東湊町白銀丁長崎丁川口丁辺潰多く同みなと橋通 塩丁/片側(かたかは)やけ夫ゟ南新堀半丁浜丁大川端丁迄焼失松平越前 守様残る同北新堀箱崎丁辺大破同/霊(れい)がん橋ゟ表裏茅場 町坂本丁辺御組屋敷別条なく薬師堂無事同亀島丁日比谷 丁本八丁堀辺破損多し潰家百八十六軒潰土蔵三十九ヶ所也 ㊇新橋南芝口ゟ露月丁源助丁仙台様脇坂様格別のこと なし同柴井丁壱丁焼宇田川丁神明丁三島丁共大ひに崩 浜松丁新網丁中門前片門前辺潰多く増上寺(ぞうじやうじ)本堂別 条なく山内の寺院(じいん)破損(はそん)芝神明の社無事/愛宕下(あたごした)青松(せいしやう) 寺はじめ其外の寺院損じ愛宕の社(やしろ)無事御武家がた 松平隠岐守様米津様仙台様秋田様田村様其外とも 破損し同切通し飯倉丁辺破損し神明宮無事同永井丁 辺西の久保四ッ辻辺損じ天徳寺門前ふきで丁新下谷丁 仙石隠岐守様松平右近将監様等破損し同汐見坂松平 大和守様損じ虎の門外京極様破損金毘羅宮別条なし 同久保丁びぜん丁辺大破堀田様毛利様一柳様溝口様 大破兼房丁少々消失幸橋御門外土橋辺二葉丁ゆる やかにて烏森稲荷(からすもりいなり)無事潰家四百九十四軒潰土蔵 八十三ヶ所死人多し ㊈金杉橋南通壱丁目ゟ四丁目本芝丁田丁高輪泉丘【(岳)】寺 其外の寺院損じ品川宿損じ同南四丁めゟ大(たい)破/東海(とうかい) 寺/海安寺(かいあんし)等損じ同白銀台丁辺二本榎三田辺いたみ 春日明神(かすがめうしん)無事同松本町赤羽根有馬様損じ同麻布/辺(へん)龍(りう) 土日ヶ久保桜田丁本村丁辺損じ麻布(あさふ)善福寺(ぜんふくし)ゆるや かにて同今井谷町市兵衛丁等大破夫ゟ青山辺潰 家(いへ)多(おほ)し百五十軒潰れ土蔵(とそう)十四ヶ所潰るゝ ㊉和田/倉(くら)御門の内見張番所やけ松平/肥後(ひごの)守《割書:会|津》様松平 下総守様内藤様等やけ馬場(ばゝ)先御門外遠藤様松平相 模守様半ば御火消屋敷/焼失(しやうしつ)すきやばし御門内/崩(くづれ)多(おゝ)く 御類焼の御屋敷は永井遠江守様本多/中務太輔(なかつかさのたゆふ)【(大輔)】様 【行頭の(漢数字)は丸囲み】 焼失(しやうしつ)日比谷(ひゞや)御門御番所やけ松平/土佐(とさ)守様土井大炊頭様 大ひに損じ同御門外松平/肥前(ひぜん)守様やけ松平太膳太夫 様御門内少々焼る有馬備後守様南部美濃守様やける 向側にて薩州(さつしう)様/御装束(おんしやうぞく)屋敷表長家少しやけ幸ばし 御門内は柳沢時之助伊東様亀井様中長家一棟やけ 北条美濃守様少々にて焼止(やけとま)る山下御門内阿部播磨守 様惣崩れ夫ゟ龍(たつ)の口(くち)角(かど)森川様やけ大手先酒井雅 楽頭様焼表御門残る同御向やしきやける都而(すべて)常磐(ときわ) 橋内神田橋内とも大破外/桜田(さくらだ)霞(かすみ)ヶ(が)関(せき)は芸州(げいしう)様は 別条(べつてう)なく黒田様少々損し井伊かもんの頭様別条 なし其外御大名方塗籠の御長家大半崩れ永田 丁大村様細川様渡辺様/丹羽(には)左京太夫様此辺御/旗本(はたもと)がた御 屋敷損じ山王御社無事赤坂御門内松平出羽守様土井大隅守様 岡部美濃守様等/破損(はそん) (十一)今川橋北神田かぢ丁同/鍋(なべ)丁通新石丁/須田(すだ)丁辺/崩(くづ)れ 多く御玉ヶ池通/白壁(しらかべ)丁小柳丁辺ゆるやかにて西神田は崩れ少し 小川丁は表猿楽(おもてさるがく)丁通/稲葉(いなば)様/土屋(つちや)様/大破(たいは)戸田様やけ表御門 長家残る又/半井(なからい)出雲守一軒やける猶(なを)表裏神保小路(おもてうらじんぼこふじ)焼(やけ) 定御火消屋敷やけ榊原(さかきばら)様/半(なか)ばやける同向本田豊前守様半は やけ夫ゟ戸田加賀守様やける同/雉子橋(きじばし)通り本郷様松平豊 前守様焼又一ト口は一色丹後守様一色邦之助様奧少し やける尤/一円(いちゑん)地震(ぢしん)つよく崩(くづ)れおびたゝ敷候小石川御門 【行頭の(漢数字)は丸囲み】 内松平駿河守様やけ此辺御/組屋敷(くみやしき)加藤(かとう)大原(おゝはら)渡辺(わたなへ)冬木(ふゆき) 様やけ本間(ほんま)様/大森(おゝもり)様/中条(ちうてう)様黒川様/半(なか)ばやけ是(これ)にて止(とま)る 此辺/焼(やけ)ざる家(いへ)は大半(たいはん)潰(つぶ)れ多(おほ)し小石川御門ゟ西は損(そん)じ少(すけな)し 飯田(いゝだ)町/俎板橋(まないたばし)九段坂辺少し崩(くづ)れ番(はん)丁/小路(こふぢ)〳〵能々(よく〳〵)見届(みとゞけ) 候得共/格別(かくべつ)のいたみなし潰(つぶれ)家百八十軒と二十四/棟(むね)潰/土蔵(どざう) 六十三ヶ所/焼失(しやうしつ)の土蔵/数知(かづし)らす (十二)外神田/佐久間(さくま)丁/辺(へん)相生丁松永丁同和泉橋通藤堂 和泉守様同佐渡守様此辺少し損じ夫/宗対馬(そうつしま)守様/生(い) 駒主殿頭(こまとのものかみ)様/三味線(さみせん)ぼり佐竹右京太夫様立花/左近将(さこんしやう) 監(げん)様御徒丁通り加藤遠江守様等破損夫外神田はた ご丁金沢丁/余程(よほど)損(そん)じ神田仲町三丁共大破夫ゟ 湯島(ゆしま)辺/聖堂(せいどう)御/学問所(がくもんしよ)別条(べつてう)なし神田明神無事本郷辺はゆるやかにて 妻乞稲荷(つまごひいなり)別条(べつてう)なく湯島天神(ゆしまてんじん)損(そん)じ切通(きりどふ)し辺(へん)は格別(かくべつ)の事なし 此辺/潰家(つぶれや)六十七/棟(むね)潰(つぶれ)土蔵六ヶ所 (十三)神田明神下/同朋(どうほう)丁同/御台所(おだいどころ)丁/大破(たいは)同平永丁代地柳原岩井 丁代地花房丁代地共/大破(たいは)夫ゟ御成道(おなりみち)西側(にしがは)は松平伊賀守様黒田 豊前守様大関信濃守様等やけ石川主殿頭様/半(なか)ば焼(やけ)る同向小笠 原左京太夫様大破損上野大門丁車坂丁長者丁壱丁め弐丁め 下谷丁弐丁め代地等やけ中御/徒(かち)丁/片側(かたかは)にて止(とま)る又/上野広小路(うへのひろこふち) 東側(ひかしがは)中/程(ほど)ゟ出火して北大門丁元黒門町上野丁壱丁め弐丁めやけ 一条院(いちてういん)徳大寺(とくたいし)焼失(しやうしつ)同朋(とうぼう)丁新黒門町上野/御家来屋敷(ごけらいやしき)やけ御成(おなり) 道(みち)井上/筑後(ちくこの)守様東北角少々やける残り惣崩(そうくづ)れ三枚橋横丁は ○十月二日地震出火ニ而焼亡之 人民不少趣被 聞召天災とは申 ながら不便 ̄ニ被 思召依之死亡ものゝ為 十一月二日諸宗寺院に於て施我鬼 修行被 仰付誠に御仁恵之程難有 右寺々名前左にしるし申候 天台宗 上野 凌雲院 淨土宗 本所 回向院 古義眞言 二本榎 高野寺 西南院 同    白金 同寺 円満院 新義真言 御蔵前 大護院 臨済宗 品川 東海寺 漕【(曹)】洞宗 愛宕下 青松寺 黄檗宗 本所 羅漢寺 西本願寺 輪番 与楽寺 東本願寺 輪番 遠慶寺 日蓮宗 一致派 下谷 宗延寺 同 宗 勝劣派 浅草 慶印寺 時 宗 浅草 日輪寺  右寺院にて大法事相勤候 ○猶又御救小屋五ヶ所御建被下 幸橋御門外 浅草広小路 深川海辺新田 同八幡境内 上野御山下火除地 ○東叡山宮様御小屋 山下右同所   以上 六ヶ所 ○二日夜同廿日比迄度々小ゆり あり人 儡地(らいち)【(畾地)】へ諸道具をつみ野宿 すること毎夜也此人々へ御上より もつそうの御飯を三日ゟ廿日迄被下置 ○市中町人共分限に応じ町内 又は出入之者或は御小屋入之者又は 地面うち等へ施行米銭を出す ○最寄の寺々にてせがき 供養ある事諸方なり 右何れも広大なれ共爰に略す 【行頭の(漢数字)は丸囲み】 鈴木(すゞき)石川(いしかは)坂巻(さかまき)福井(ふくゐ)山崎(やまざき)様やける上野丁壱丁め横丁はよし田様 にて焼止(やけとま)る東叡山(とうゑいざん)御堂(みどう)別条なく山内/宿坊(しゆくぼう)少々/破損(はそん)不忍(しのはず)弁 才天社内大破池の端仲丁少々いたみ御すき屋丁惣崩れ 天神下通御やしき大半(たいはん)崩(くづ)るゝ茅(かや)丁は壱丁め弐丁め潰(つぶれ)の上不残 やける山/側(がわ)のこる崩家多し夫ゟ上野山下通り損(そん)じ広徳寺(こうとくじ) 前通りは格別の事なく下谷稲荷柳の稲荷等/破損(はそん)都而(すべて) 此辺/寺院(じいん)多き所なれば破損おびたゞし阿部川(あべかは)丁ゆるやか なり又/菊屋橋(きくやばし)西新丁(にししんてう)より出火して両側(りやうかは)半丁程やける 又三十三/間堂前(げんどうまへ)山本仁太夫/矢来内(やらいうち)潰(つぶ)れの上/出火(しゆつか)して矢来 内計/焼失(しやうしつ)同所/矢先稲荷(やさきいなり)残(のこ)る此/辺(へん)都而(すべて)惣崩れ也同/海禅(かいぜん) 寺(じ)門前/極楽寺(ごくらくじ)門前/灯明寺(とうめうじ)門前/源空寺(げんくうし)門前等/崩(くづ)れ多し 東門跡添地(ひがしもんぜきそへち)大破(たいは)幡随院(ばんずいいん)門前/損(そん)じ山伏丁山崎丁辺/潰(つぶれ)多(おゝ)く新 坂本町/惣潰(そうつぶ)れ入谷辺/大破(たいは)下谷坂本丁弐丁め三丁め焼失(しやうしつ) 同四丁目大破/小野照崎明神(おのてるさきめうじん)少々/損(そん)じ根岸(ねぎし)辺(へん)崩(くづ)れ多し同 金杉町四丁/惣潰(そうつぶ)れ圧死(おされしす)るもの多し三嶋(みしま)の社(やしろ)火除観音(ひよけくわんおん) 大破同/龍泉寺(りうせんじ)丁/惣崩(そうくづ)れ龍泉寺(りうせんじ)大音寺(だいおんじ)西徳寺(さいとくじ)鷲(わし)大明 神等大ひに震ふ又/箕輪(みのわ)新町ゟ天王前(てんわうまへ)迄(まで)潰(つふれ)多く小塚原(こつかはら) 中村丁やけはたごや不残(のこらず)焼夫ゟ橋戸(はしど)河原(かはら)千住かもん宿大破損 潰家(つぶれや)千七百二十壱軒/潰(つぶれ)土蔵百九十八ヶ所死人多し (十四)小石川御門外水戸様御屋敷百軒長家向側飛々焼 失同富坂丁水戸町辺潰れ多く同/伝通院(てんつういん)門前少々 損じ白山巣鴨駒込辺損じ少く団子坂下谷中三崎丁惣崩れ 【行頭の(漢数字)は丸囲み】 同茶屋丁/格別(かくべつ)の事なし天王寺(てんわうじ)五/重(ぢう)の塔(たう)九輪(くりん)おれて大地へ埋(うづま)る 事三尺/余(よ)同/根津宮永(ねづみやなが)丁辺/惣門内外(そうもんうちそと)惣潰(そうつぶ)れ日暮里(につほり)田畑辺(たばたへん) 損(そん)じ又/音羽辺(おとはへん)少々/損(そん)じ護持院(ごぢいん)目白不動(めじろふどう)等/格別(かくべつ)の事 なし潰家七百四十三軒同/土蔵(どぞう)十九ヶ所 (十五)牛込御門外(うしごみごもんそと)揚場(あげば)神楽坂辺(かぐらざかへん)大破(たいは)同/改代(かいたい)丁/肴(さかな)丁へん 損じ市ヶ谷田丁本村丁辺/大破(たいは)麹(かうじ)丁/辺(へん)損(そん)じ平川天満宮(ひらかはてんまんぐう)大 破(は)四ッ谷御門外伝馬丁/塩(しほ)丁/辺(へん)損(そん)じ水戸(すいど)の万年樋(まんねんとよ)崩(くづ)れ損(そん)ず 鮫(さめ)ヶ(が)橋辺/崩(くづ)れ多く赤坂(あかさか)表裏(おもてうら)伝馬(てんま)丁田丁辺/潰(つふれ)多し 潰(つぶれ)家三百六十七軒同土蔵三十九ヶ所 (十六)両国橋(りやうごくはし)東本所(ひかしほんじやう)元町/回向院前(ゑこういんまへ)立川相生丁/大破(たいは)同/緑(みどり)町壱丁 目ゟ出火同弐丁目迄/焼(やけ)三丁目は潰(つぶ)れのみにして四丁 目五丁目/花(はな)丁少々やけ是(これ)にて止(とま)る又向/川岸(かし)は林丁壱丁目ゟ五丁目 迄(まで)潰(つぶ)れ多く徳右衛門丁壱丁め弐丁め焼(やけ)る三丁めは潰れ多く 栄川丁三丁とも崩(くづれ)多(おほ)し扇橋/際(きわ)深川西丁半丁程やける同茅 場丁辺損じ入江丁清水丁辺惣崩れ吉田丁吉岡丁辺大破 都而此辺御武家方御屋敷大半崩多し潰家百九軒八十三棟 潰土蔵七十九ヶ所死人多し (十七)大橋東深川御船蔵前ゟ出火八名川丁へ焼込/歯神権現(はがみこんげん)焼 御舟蔵番やけ大日横丁管野井上牧野焼る木下図書様火の 見計残る御籾ぐら半は残る六間堀神明宮/恙(つゝが)なし又一ト口は中 森下ゟ両森下元丁焼る猶又/常磐(ときは)町辺ゟ出火して井上 様少々焼る夫ゟ常磐町壱丁めゟ弐丁め太田様にて止る 都(すべ)て此辺大潰れ也夫ゟ小名木(をなぎ)川辺/大破損(おゝはそん)海辺大工丁ゟ清住丁 辺潰多し仙台様蔵屋敷損じ伊せ崎丁壱丁め弐丁め やける西ひらの丁冨久丁三角屋敷此辺/悉(こと〴〵)くつぶれ寺丁通り諸寺院(しよじいん) 大破/霊(れい)がん寺/浄心寺(じやうしんし)雲光院(うんこういん)等大破/正覚(しやうがく)寺橋通り一色丁 万年丁辺/悉(こと〴〵)く潰(つぶ)れゑんま堂橋(どうはし)綱打場(つなうちば)辺少したるみ佐賀丁は 大に崩れ相川丁熊井丁中嶋丁大嶋丁迄焼る冨吉丁通り 北川丁八幡橋の際(きわ)にて三軒残る蛤(はまぐり)丁少々残り黒江丁三念 寺やける永代寺(ゑいたいじ)門前山本丁ゟがたくり橋/際(きは)迄にて止る又一ト口は 和倉(わぐら)にて北本所代地佐賀丁代地等焼る永代寺八幡宮無事 社内破損同三十三間堂大破木場損じ州崎弁天(すさきへんてん)無事夫ゟ 砂村(すなむら)辺/大破(たいは)潰家(つぶれや)四千九百三軒同土蔵七百八十五 【裏表紙】 【變災】 【昭和六年一二月一五日寄託】