【表紙】 【題箋 不明】 【右頁】 小兒必用記 京師書店芸香堂壽梓 【頭部欄外の蔵書印】 東京学芸大学蔵書 【左頁】 序 曾-太-天-草者何 ̄ソ。書 ̄ノ-名也。曷-為 ̄ノ書 ̄ソ。所_三-以 養_二-育 ̄スル小兒 ̄ヲ_一之-書也。著 ̄ス_レ之 ̄ヲ者 ̄ハ-誰 ̄ソ。著 ̄ス_レ之 ̄ヲ者 ̄ハ。 我 ̄カ 牛-山先-生也。 先-生自_二弱-冠_一。 潜_二心 ̄ヲ仁-術 ̄ニ_一。而造 ̄ル_二其閫-奥 ̄ニ_一。嘗 ̄テ事_二于 中津侯 ̄ニ_一。有 ̄リ_レ年矣。今-也。觧 ̄キ_レ綬来 ̄テ寓 ̄シ_二于 【蔵書印】後藤文      庫之印 【右頁】 京 ̄ニ_一。為 ̄ニ_レ 人 ̄ノ治 ̄シ_レ病 ̄ヲ。名振 ̄フ_二輦-下 ̄ニ_一。其所_二編-録 ̄スル_一。 書凡 ̄ソ若-干。咸有 ̄ルコト_レ功_二猶斯 ̄ノ-民 ̄ニ_一大矣。嚮 ̄ニ 在 ̄テ_二豐-州 ̄ニ_一。着 ̄ル_二婦-人古-登布-幾-草 ̄ヲ_一。行 ̄ル_二 于世_一。又-且欲 ̄ス_レ編 ̄ト_二老-人也-之奈-比草 ̄ヲ_一。是 ̄レ 随 ̄テ_一其-俗 ̄ニ_一。而為 ̄ス_二之 ̄レカ治 ̄ヲ_一喜-也。古-昔扁-鵲。 過 ̄テ_二邯-鄲 ̄ヲ_一。聞_レ貴 ̄フコトヲ_二婦-人 ̄ヲ_一。即 ̄チ為 ̄ル_二帯-下 ̄ノ毉 ̄ト_一。 【左頁】 過 ̄テ_二洛-陽 ̄ヲ【一点脱ヵ】。聞_三周-人愛 ̄ルヲ_二老-人_一。即為_二耳-目- 痺 ̄ノ醫 ̄ト_一。来 ̄テ入_二咸-陽 ̄ニ_一。聞_三秦-人愛 ̄ルヲ_二小-兒 ̄ヲ_一。 即為_二小-兒醫_一。 先-生其 ̄レ若-人之 流-亜 ̄ナル喜-歟。寶-永戊-子。京-師-火 ̄アリ。其 蔵-版 ̄ノ曽-太-天-草。亦燒-亡 ̄ス焉。頃 ̄ロ書- 肆某-氏。請 ̄フ_レ刊 ̄コトヲ_レ之 ̄ヲ。盖 ̄シ古-聖使 ̄ルトキハ_三慈-幼 ̄ヲシテ 【右頁】 備 ̄ヘ_二 六-養-中之一 ̄ニ_一。則 ̄チ此-書不_レ可 ̄ラ_二 一-日 ̄モ 無 ̄シハアル_一也。既-而 先-生。為_二之 ̄レカ増-補 ̄ヲ_一。加 ̄ヘ_二之 ̄レカ 藥-方 ̄ヲ_一。壽 ̄シテ_二諸梓-棗 ̄ニ_一。以 ̄テ乘 ̄ルト_二不-朽 ̄ニ_一云。 正德甲午春三月越中富山毉生 杏三折謹識 【印】【印】 【左頁】 小兒養育草序 いにしへの聖人(せいじん)民(たみ)に六くさの養(やしなひ)を教(おし)へ給ふに 慈幼(じよう)をもてそのひとつに定(さだ)め給へは世人(くにたみ)しら すんばあらしされは中華(もろこし)の書(ふみ)にも乳母(にうほ)をえら ふより裘帛(きうはく)を服(き)せざるの教(おしへ)ははべれと愚(おろか) なるひとはたゞなをさりにのみきゝすぐしあるはその 愛著(あいぢやく)にひかれて姑息(こそく)をつとめ兒(ちご)をして病を生ぜ しむ漸(やうや)く長(ひとゝ)なりても懦弱(だじやく)にしてその徳(とく)を破る 仰(あを)ひて父母につかふまつることあたはず俯(ふ)して 【右頁】 妻子(さいし)を養(やしな)ふことをえすその不慈不孝(ふじふかう)たる憐(あはれ)ま ざらんや予《割書:|か》家弟(かてい)貞庵(ていあん)啓益(けいゑき)は幼(よう)より毉(い)を學(まなん)で おこたりやまず巻(まき)を京師(きやうし)に負(お)ひ友(とも)を東武(とうぶ)に もとめて終(つい)にその道(みち)の功(こう)なりぬ中ころ 中津侯(なかつこう)小笠原君(おかさはらくん)につかへて侍毉(じい)となれり いまは辞(じ)して平安城(へいあんじやう)にあそび市にかくれて みつから牛山翁(ぎうざんおう)とよぶ吐納(となう)のいとま世人(くにたみ)の慈幼(じよう) におろそかなることを患(うれ)ひそのことをかんなにかきて 小兒養育草(せうにそだてぐさ)となづけ婦人愚夫(ふじんぐふ)のもてあそ 【左頁】 ひくさともせよとて故國(ここく)なる家族(かそく)にしめす僕(やつかれ) この書をよむに初生よりの養育(やういく)と痘疹(いもはしか)のことお よび十 嵗(さい)までの教誨(おしへ)をつまびらかにしるせりこ のこゝろおもへらく古人(こしん)小兒(せうに)を芽兒(げじ)といひまた 㜛蘂嬌花(なんずいけうげ)といひて草木(くさき)の初(はじめ)て萌出(もえいて)花(はな)の初(はじ) めてほころぶるにたとへはべれはそだてざら めやよつてその名(な)にとれり啓益さきに婦(ふ) 人(じん)壽草(ことぶきぐさ)といふ書(ふみ)をあらはして世(よ)におこなはる これにつぐにこの書なくんばあるべからすいかん 【右頁】 ぞ家族(かそく)のみにしてやぶさかにせん梓(あつさ)にちり はめて世(よ)とともにもてあそばゝ育草(そだてくさ)はび こりて裔(ひこばへ)のひこ孫(まご)瓜(おほうり)瓞(こうり)のつるのむま子(ご) を見ん事(わざ)終(おは)るときあらんやとてそのことを つゐてゝおくるものならし【注】 元禄十六癸未歳仲秋日    筑前(ちくぜん)植木(うえきの)逸民(いつみん)香月(かつき)五平(ごへい)子(し)秀房(ひてふさ)書               【印】 【注 ならし=断定の助動詞「なり」に推量の助動詞「らし」の付いた「なるらし」の変化したもの。「~であるらしい」の意。近世の文語用法として推量の意味を失い「なり」の断定をやわらげた表現として用いる。】 【左頁】 小兒(せうに)必用(ひつよう)養育(そだて)草(くさ)巻一       目録(もくろく) ㊀ 小兒(ちご)養育(よういく)の緫論(そうろん) ㊁ 誕生(たんじやう)の説(せつ) ㊂ 児子(ちご)生(むま)れて即時(そくじ)に用(もちゆ)る薬剤(やくざい)の説(せつ) ㊃ 児子(ちご)取擧様(とりあげやう)の説(せつ) ㊄ 臍帯(ほそのを)を断(たつ)の説 ㊅ 産湯(うぶゆ)の説(せつ)《割書:付たり|》常(つね)に浴(ゆあみ)するの説(せつ) 【右頁】 ㊆ 乳付(ちつけ)の説(せつ)《割書:付たり|》乳母(にうぼ)をめのとゝいひ摩(ま)〻(ゝ)と   いふの説(せつ) ㊇ 生(むま)れ子(ご)に乳(ち)を飲(のま)しむるの説 ㊈ 乳母(めのと)を撰(えら)ぶの説(せつ) ㊉ 乳母の病(やまひ)によりて児子(ちご)やまひを生(しやう)ずるの説(せつ)   《割書:付たり|》乳汁(にうじう)出(いで)ざる時用る薬剤(やくざい)の説 十一【丸でかこむ】小児(せうに)衣類(いるい)の説 十二【丸でかこむ】産衣(うぶぎぬ)の説(せつ)《割書:付たり|》振袖(ふりそで)の説 【左頁】 小児(せうに)必用(ひつやう)養育草(そたてぐさ)巻一          牛山翁(ぎうさんおう) 香月(かつき)啓益(けいえき)  纂(さんす)【「あつむ」左ルビ】   ㊀小兒(ちご)養育(よういく)の緫論(そうろん) ◯凢(およそ)人の親(おや)の子を愛(あい)する事や天理(てんり)の自然(しぜん)にしてあえ てあてゝする事にしもあらず上(うえ)はかしこくも天子(てんし)皇后(くはうごう) より下(しも)はあやしの賤(しづ)の男(お)賤(しづ)の女(め)にいたるまでひとつに みな替る事なし人は天地(てんち)の正(たゞし)き氣(き)をうけて天を戴(いたゞ)き 地(ち)を𨂻(ふん)て天地人(てんちじん)の三 才(さい)と稱(せう)ぜられ萬(よろづ)の物(もの)の霊(みたま)の長(おさ)な ればもとよりつらなり天地の横(よこ)さまなる氣(き)をうけて頭(かしら)は 横(よこ)にむかひ足(あし)は横(よこ)にあゆみ生(むま)れ出(いで)て月日を經(へ)るの後(のち)は 【右頁】 相(あい)さり相 別(わかれ)れてその親子(おやこ)といふ事をだにしらぬ鳥(とり)獣(けだもの) すらみなひとつ心なるにや夜(よる)の鶴(つる)の巣(す)になき【注①】 臥(ふす)猪(ゐ)【注②】の おそろしきもかるも【注③】のうちに子をひたす【注④】これその子の生(おひ) 先(さき)を見其子をおほし立て老(おい)の後(のち)を養(やしなは)れんとにもあら ずたゝわりなき恩愛(おんあい)のなす所しかる事を期(ご)せずして しかるものなりまひて人の親(おや)として其子(そのこ)をいつくしま ざるべけんやいにしへの聖人(せいじん)慈幼(じよう)をもて六養(むつのやしなひ)のひとつと し給ふ故(ゆへ)ある事にぞ生(せい)〻(〳〵)子(し)の説(せつ)に十(とをの)男子(なんし)を治(ぢ)すると も一婦人(ひとりのふじん)を治(ぢ)しがたく十婦人(とおのふじん)を治するとも一小児(ひとりのせうに)を治(ぢ)し がたしとありて小児(せうに)の療治(りやうぢ)は大人(たいじん)よりもむつかしき 業(わざ)に定置(さためおき)たる事なりいはんや世の人 醫(い)の道理(だうり)をし 【注① 白居易(字は楽天)の『新楽府』にある詩の「第三第四弦冷冷、夜鶴憶子籠中鳴」による。巣ごもりして鳴く鶴の声は子を思って鳴くというところから、子を思う親の愛情をたとえていう。】 【注② 寝ている猪。】 【注③ かるも=枯草。猪が枯草などを集めて作った寝床を「臥す猪の床」といわれる。】 【参考 歌論書『八雲御抄』 巻第六 用意部 (寂蓮法師がいひけるは、「歌の様にいみじきものなし。ゐのしゝなどといふ恐ろしき物も、『ふすゐのとこ』などいひつればやさしきなり。」といふ。) 『徒然草』第十四段に、(おそろしき猪のししも「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。)】 【注④ 「ひだす」とも。養い育てる。】 【左頁】 らねば児子(ちご)を養育(やういく)する業(わざ)にくらくやゝもすれは生育(せいいく)【「そだち」左ルビ】 しかだし【しがたしヵ】あはれむべき事なり《割書:啓益|》つねにひとつのたとへ をあげて養育の道にうとき人をさとすいま木を植(うゆ)る を見よ分寸(ぶんすん)の苗(なへ)を植(うへ)てその木 尺(しやく)にあまるまでの時(とき)を よく培(つちか)ひ水(みづ)そゝぎ虫蟻(むしあり)などのわざはひなきやうにし てその芽(め)をおらぬやうに心を付て二三尺までもそだ てぬれば其後は大抵(たいてい)にしても其木かならず合抱(だきまはす)ほどの 大木(たいぼく)となる一寸の時より二三尺までの内をよくそだて ざるときは合抱(だきまはす)ほどの木となる㔟(いきおひ)ありとても幹(から)ほそく枝(ゑだ)や せて何(なに)の用(よう)にも立ちがたしあまつさへ二三尺をまたず して枯落(こらく)するがごとしされは百尺(ひやくしやく)の松も一寸の時を 【右頁】 よくやしなひ得(ゑ)て千年(せんねん)の青(あを)き操(みさほ)をあらはし七尺の 人も壱尺の時をよくそだて得(ゑ)て百年の壽(ことぶき)をたも つ事をしるべきなり   ㊁誕生(たんじやう)の説(せつ) ◯父母(ふぼ)和合(わがう)してその両精(りやうせい)子宮(こぶくろ)に入る一月は珠露(しゆろ)のごとし とて其 形(かたち)たゞ一圓水(いちゑんすい)の露(つゆ)の玉(たま)に似(に)たり萬(よろづ)の木実(このみ)の 初(はしめ)てむすぶ時もその内みな水なるがごとし二月は桃花(もゝのはな) のごとしとてすこしく其形(そのかたち)をあらはすまづ臍帯(ほそのお)胞(ゑ)  衣(な)よりできはしめ漸(ぜん)〻(〴〵)に其かたち成就(じやうじゆ)して児(ちご)その胞(ゑ) 衣(な)を頭(かしら)にいたゞくこれ萬の 種(たなつ)【助詞「つ」の重複】つ物を植(うゆ)るにその芽(め)を 出す時は土中(どちう)より 孚甲(ふかう)をいたゞきて二葉(ふたば)生出(おひいづ)るなり 【左頁】 孚甲(ふかう)とは種(たな)つ物の上の殻(から)をいふそのごとく児子(ちご)生(むま)れ下 れは袍衣(ゑな)はしばらく母(はゝ)の胎内(たいない)に残(のこ)り半時(はんじ)一時(ひととき)の内にすな はち下るなりその時 臍帯(ほそのお)を断(たち)て後(のち)は種つ物の 孚甲の ごとく人の胞衣も臍帯も無用(むよう)の物となる也此胞衣は 父母(ふぼ)の一點(いつてん)の両精(りやうせい)珠露(しゆろ)のごときといふ時より一圓相(いちえんざう)【注】 の外(ほか)をつゝむ衣(ころも)なり道家(だうけ)にこれを混沌衣(こんとんゑ)と名付(なづく)るを もてそのことはりをしるべし千金論(せんきんろん)に胎内(たいない)の児(ちご)のかた ちを載す一月は珠露(しゆろ)のごとく二月は桃(もゝ)花のごとく三 月にして男女のかたちわかる四月にそのかたち全(まつた)くそ なはる五月に五藏(ござう)生(しやう)じ六月に六 府(ふ)成就(じやうじゆ)す七月に關(くはん) 竅(けう)通(つう)ず《割書:關竅(くはんけう)とは關節(くはんせつ)九竅(きうけう)の事也關節とは形(かたち)のつがひ手足(てあし)の|伸(のび)屈(かゞみ)する所をさしていふ九竅とは目(め)二つ耳(みゝ)二つ鼻(はな)二つ口一つ》 【注 一圓相 禅における書画のひとつで、図形の丸を一筆で描いたもの。】 【右頁】 《割書:前後(ぜんご)の二つの穴を|合て九竅といふ》八月に其 魂(たましゐ)あそぶ九月には三度其身を轉(てん) ずる也十月には氣(き)をうけたると云へりすてに十月の日数(ひかず) みつる時は児子(ちご)夢(ゆめ)の覚(さめ)るかごとくにして子宮(こふくろ)をおし わかち道をもとめて生(むま)れ出(いづ)るなりこれを分娩(ふんめん)の時 といふ分娩(ぶんめん)とは和訓(わくん)さねばなれとよみて木實(このみ)の熟(じゆく)し て肉(にく)と核(さね)とわかれはなるゝかことく又は瓜(うり)の熟(じゆく)しておの づから蔕(ほぞ)の落(おつ)るごとく母(はゝ)の胎内(たいない)をはなれて生(むま)れ下 るなり ◯児子(ちご)母の胎内(たいない)を出て生るゝ時その口のうちに穢毒(ゑどく)を ふくむ穢毒(ゑどく)とは胎内のけがれたる悪汁(あしきしる)をいふ児子の啼聲(なきごへ) にしたがひ口中にふくむ所のけがれたる物 咽(のんど)にいれば腹(はら)の 【左頁】 うちにかくれ後(のち)には萬の病(やまひ)となるなり生れ下るとそのそのまゝ 輭(やはらか)なる絹(きぬ)を指(ゆび)にまきて口中にふくむ所のけがれたる悪(あしき) 汁(しる)をぬぐひ去(さる)べしかくのごとくすれは胎毒(たいどく)の病(やまひ)なしと 保嬰撮要(ほうゑいさつよう)【注】といふ書(ふみ)に見えたり ◯王隱君(わうゐんくん)の説(せつ)に児子生れ下りて啼声(なきごゑ)を待(また)ずして まづ甘草(かんざう)の汁(しる)に絹(きぬ)をひたし指(ゆひ)をつゝみて舌(した)の下の けがれたる悪汁(あくじう)を拭(ぬぐひ)ひ【重複ヵ】去(さる)べし胎毒の病を生(せう)ぜすとい へり此 法(はう)をなせば児子生れざるまへに甘草(かんざう)をきざみ 五分ほど布(ぬの)の薬袋(くすりぶくろ)に入てたくはへ児子生るゝとそのまゝ 此薬袋を𤍽(あつ)湯(ゆ)にひたし汁(しる)を出(いだ)して上(かみ)にいふ所のご とく口中をぬぐふへしかくのごとくする事 我(わか)日本(ひのもと)に 【注 薛鎧の『保嬰撮要』全二十巻 1556年】 【右頁】 てはいにしへいまに傳(つた)はらずたゞ産婦(さんふ)にのみ氣(きづかい)をして 児子(ちご)は収婆(しうは)《割書:和俗に子とりといひ|子ぞへばゝといふ》に打まかせて置(おく)によりて ひたすらに啼(なき)て口中の穢(けがれ)たる悪汁(あくじう)を咽(のんど)にのみ入る故 に多くは胎毒(たいどく)の病をまぬかれず《割書:啓益|》常(つね)にこゝろみに 中花(もろこし)のごとく児子生れ下るとそのまゝ口中を拭(ぬぐ)ふ法(はう)を 用るに甚(はなはだ)益(ゑき)多(おほ)しこれを日本の風俗(ふうぞく)になさしめんと おもひ産婦(さんふ)ある家(いへ)にいたればかならず此事をしめす 心あらん人は予(よ)が志(こゝろざし)をつぎて世間(せけん)におしひろめ給へ ◯博愛心鑑(はくあいしんかん)といふ書(ふみ)に児子母の胎内にある時は母とその 氣を同しくしその呼吸(こきう)をともにして眼(まなこ)を開き口を ひらくの事なしいかんぞ胎内の穢れたる悪汁を飲(のむ)事 【左頁】 あらんやと見えたり誠(まこと)にさあるべき事なりしかれども児子(ちご) すでに分娩(ぶんめん)して道をもとめ子宮(こぶくろ)をわかち出る時に いたりてははや口をひらくの理(り)あり生れ下る時にして は猶更(なをさら)その穢毒(ゑどく)をふくみ飲(のむ)べきなりいまこゝろみに口中 を拭(ぬぐ)ふにかならず穢(けが)れたる悪汁(あくしう)多し又生れ下ていま だ乳(ち)をのまぬさきに大便(だいべん)に穢毒を通ずるを見れば 胎内の穢毒をふくむといふ古人(こじん)の説(せつ)疑(うたが)ふべからざるべし   ㊂児子生れて即時(そくじ)に用る薬剤(やくざい)の説(せつ) ◯児子生れ下るとそのまゝ黄連(わうれん)の法(はう)を用べし黄連《割書:二分》 甘草(かんざう)《割書:二分|五厘》絹(きぬ)につゝみ或(あるひ)は乳頭(ちまめ)の状(かたち)のやうにこしらへ 熱湯(あつゆ)にひたしこれを用ればその穢毒を吐出(はきいだ)すなり 【右頁】 かくのことくせざればそのけがれたる毒氣(どくき)胸腹(むねはら)の間(あいだ)にとゞ まり月日を経(へ)るにしたがひ驚風(きやうふう)の病となり或は惣身(そうみ)に 瘡(かさ)癤(ねぶと)を生し多くは頭面(かしらおもて)に瘡(かさ)出来て寒(かん)熱(ねつ)をなす これを胎毒といふと集驗方(しうけんはう)といふ書(ふみ)に載(のせ)たり和俗(わぞく)胎毒(たいどく) ふき出て頭に瘡を生し冑(かぶと)を戴(いたゞ)きたるやうなるもの をくさといふなり ◯日本の國風(こくふう)にて児子生れ下るとそのまゝ蜜薬(みつぐすり)と云 法を用るなり俗(ぞく)にあまものといふその法 款冬(くはんどう)の根(ね)少ば かり打くだき其草少ばかりを入れ或は蜂蜜(はちみつ)少ばかり をくはへて絹(きぬ)につゝみ或は乳頭(ちまめ)の状(かたち)のごとくこしらへ児子 の口中にそゝき入るなり此事 中花(もろこし)の書(ふみ)に見へずといへ 【左頁】 どもしきりにこゝろみて驗(しるし)多し都鄙(とひ)【「みやこいなか」左ルビ】ともにする事な りいづれの代より仕初(しそ)めたるにや《割書:啓益|》按ずるに 款冬(くはんどう)の根(ね)は 味(あぢはひ)苦(にか)しこれを用て口中 腹中(ふくちう)のけがれたる毒氣(とつき?)を吐(はき)出 す事 中花(もろこし)より傳(つた)へ來(き)たる黄連(わうれん)の法よりもその驗(しるし)はる かにまされり以上の法に用る甘草(かんぞう)は生(なま)を用べし火にてあ ぶるへからず款冬を倭俗(わぞく)やまぶきと心得たる者多しあ やまりなり朗詠集(らうゑいしう)に款冬誤綻暮春風(くわんどうあやまつてぼしゆんのかせにほころぶ)といふ清慎公(せいしんこう) の詩(し)よりあやまり來たるなるにや款冬を本草に考(かんがふ)るに やまぶきにあらず其 圖(づ)も其 論(ろん)も平生(へいぜい)食(しよく)する所の蕗(ふき)の 事なり ◯児子(ちご)生れ下りて用る法に牛黄(ごわう)の法 硃蜜(しゆみつ)の法など  【右頁】 いひて中花の書(ふみ)に多くのせ侍れと 本邦(ほんほう)にては其 益(ゑき)少(すくな) したゞ黄連(わうれん)の法と蜜薬(みつぐすり)とを用てよろし其外 本邦 の小児醫師(せうにいし)その家(いへ)〻の秘(ひ)方の五香湯(ごかうたう)とて初生(しよせい)に用る 薬(やく)方あり多くは藿香(くはつかう)木香(もつかう)丁香(ちやうかう)沈香などの入たる薬剤(やくざい) にて病なき小児に益なし用ずして可(か)なりしきりに黄 連の法又は蜜薬とを用てけかれたる物を吐(はき)出さすべし吐(はき)つ くして後は甘草少はかり用てよし   ㊃児子 取擧様(とりあげやう)の説(せつ) ◯児子(ちご)生れ下る時其 啼聲(なきごゑ)を待(また)ずして甘草のひた し汁(しる)に絹(きぬ)をつけて指(ゆび)をつゝみ児子の口中をぬぐひ又は蜜 薬黄連の法などを用ひ収婆(しうは)【「ばゝ」左ルビ】に命(めい)じてまづ臍蔕(ほそのお)を 【左頁】 断(たち)て産湯(うぶゆ)をなして取擧(とりあぐ)る事これ 本邦(ほんほう)の俗習(ぞくしう)な り産湯をなす所 戸障子(としやうじ)をさし或は屏風(べうぶ)を引まはし て風のいらぬやうにしつらひて浴(ゆあみ)すべきなり ◯難産(なんざん)の時は多(おほ)く母(はゝ)にのみ心を付て児子の事におよば す取擧(とりあぐ)る事おそければ冬月(ふゆのつき)は寒気(かんき)におかされ生子こゞ へて死(し)するに至(いた)る事多し此時はまづ臍蔕(ほぞのを)を断(たつ)べから ずすみやかに絮(わた)をあぶりあたゝめ児子をつゝみて懐(ふところ)に 抱(いだ)き胞衣(ゑな)を火にてあたゝめ大きなる紙燭(しそく)をとりて臍(ほそ) 蔕(のお)の上を往來(わうらい)して焼切(やききる)べしかくのごとくすれば暖(あたゝか)なる 気児子の腹(はら)のうちに通(つう)じてしばらくの間に元気(げんき)甦(よみがへり)て 生(いき)出るなり尤 浴(ゆあみ)する事をいむなりと保嬰撮要(ほうゑいさつよう)【注】に見え 【注「保嬰撮要」 1556年に出版された小児医学書 薛鎧著、薛己注釈】 【右頁】 たり此 紙燭(しそく)をなさは紙縷(かうより)を大きにひねりかたからぬ様に して胡麻(ごま)の油(あぶら)にひたし紙燭にして用べき也 赤水玄(せきすいげん) 珠(しゆ)の説(せつ)には紙燭にて焼切児子の元気 甦(よみがへり)て後に米(こめの) 醋(す)を熱(あつ)くして臍蔕(ほそのを)の焼(やき)目を洗(あらふ)べし是 秘方(ひはう)なりと 見えたり《割書:啓益|》常(つね)に此事をこゝろみて驗(しるし)をとりたる事 多し    ㊄臍蔕(ほそのお)を断(たつ)の説(せつ) ◯臍蔕を断の法 竹篦(たけべら)を用へし鐡(てつ)の刃物(はもの)を用へからず 輭(やはらか)なる絹にて臍蔕をつゝみ或は單(ひとへ)の絹(きぬ)にまきて歯(は)に て噛断(かみたつ)べし長(なが)からしむる事なかれ短(みじか)くすべからず生子の 足掌(あなうら)《割書:足の裏(うら)|をいふ也》の長(ながさ)にくらべて断べし長(なが)ければ外(ほか)より 【左頁】 風を引やすし短(みじか)ければ内臓府(うちざうふ)を破(やぶ)る臍蔕の内に 蟲(むし)を生(しやう)ずる事まゝこれあり速(すみやか)に拂去(はらひさる)べししからざ れば腹(はら)に入て病となると王隠君(わうゐんくん)の説にみえたり ◯本邦の風習(ふうしう)にて収婆(とりあけばゝ)まづ浴(ゆあみ)せざる前(さき)に生れ子の足(あな) 掌(うら)の寸にくらべ又は己(おのれ)が季指(こゆび)の長にくらべて臍蔕を 断(たつ)なり《割書:啓益|》按(あん)ずるに臍蔕(ほそのを)を断の法右にいふ所のごとく 寸法(すんほう)を定(さだ)めて断べき所を紙縷(かうより)にてきびしく結(ゆひ)て竹篦(たけへら) にて切断(きりたつ)べし扨臍蔕を断たる跡(あと)を輭(やはら)かなる絹にても又は 杉原(すぎはら)の紙をよく揉(もみ)て成共【注】二重(ふたへ)ほどつゝみ糸(いと)を以きびし くまきて産湯(うぶゆ)をなすへしかくのごとくせざれは水湿(すいしつ)の 氣臍蔕の断目より入りて病を生する事多し 【注 なりとも=断定の助動詞「なり」に接続助詞「とも」の付いたもの。この語は中世末・近世に多用されるが近代には衰える。多くの場合、「~でも…でも」、どちらにもこだわらない意。何なりとも。】 【右頁  産婆が生まれたての児子の産湯を使っている図】 【左頁  出産後の産婦と児子の産湯を見守る召使いの図】 【右頁】 王宇泰(わううたい)の説には児子浴せざる前に臍蔕を断ことなかれ 必臍蔕の断目より水 湿(しつ)の氣入て臍風臍瘡(さいふうさいそう)といふ 病を生すると戒(いまし)められたり然共本邦の風俗のごと く臍蔕を断て後浴せんとおもはゝ前にいふごとく能つゝみ まきて産湯をなす時は其 害(がい)なし ◯産後(さんご)胞衣(ゑな)下らざる事或は半日或は一両日を経て後下 る事あり大抵(たいてい)産ありて一時の前後に下るを吉とす 二時とも下る事なければ生子しきりに啼(なき)ていよ〳〵母の 気をやぶり目まひ心あしきにいたる此時はまづ収婆(とりあげばゝ)に 命(めい)じて早く臍蔕をたちて取擧(とりあぐ)べし寒暑(かんしよ)の時は なおさら生子いたむものなりもし臍蔕をたつ事 【左頁】 をそければ生子の氣母の腹(はら)に通(つう)じて胞衣(ゑな)も下りか ぬるものなり ◯臍蔕(ほそのお)をたちて其たちめに艾灸(やいと)【「かいきう」左ルビ】二三 壮(さう)ほどすれば その児子かならず無病にしてすくやかなりとてめ此す る人あり都の人はかつてせぬ事なり筑紫(つくし)の人 東(あづま)の 人はまゝ此事をなす《割書:啓益|》さきにつくしに住(すみ)ける時まの あたり此法をなす者を見るに多くはその児子無病なり親 の心にまかせて此法をなすべし児子などたび〳〵うし なひたる人などには此法をすゝめてなすべき事なり ◯収婆(とりあげばゝ)臍蔕をたつ時物に心得たる老女(らうぢよ)を付 添(そへ)て置べ し収婆の性おほくはひすかしく【理にはずれている。ねじけている。いすかし。】利慾(りよく)ふかし胞衣(ゑな)を盗(ぬすみ) 【右頁】 て薬肆(くすりや)に賣事あり俗説(ぞくせつ)に胞衣(ゑな)を取たる児子はそ だちがたくそだてどもかならず寿命(じゆめう)短(みじか)しなど云へり 心得へし ◯胞衣(ゑな)を納るの法は胞衣を水にてあらひ杉の曲(まげ)物を白 くだみ【注1】て鶴亀松竹をゑがきて其内にをさめ吉(よき)方 角をえらび人の踏(ふま)ぬ所の土中にふかく納むべきなり千(せん) 金論(きんろん)には胞衣を納るには新(あたらし)き瓶(かめ)の内に納て青き帛(きぬ)  にて口をつゝみ其上を磚(かはら)にておほひ三日の後吉日吉方 をえらび陽(よう)に向ひて高所の地に埋(うつ)む事三尺にすべし と見えたり拾芥(しうがい)抄【注2】に胞衣を納る吉日正月は亥(い)子(ね)二月は 丑(うし)寅(とら)三月は巳(み)午(むま)四月は卯(う)酉(とり)五月は亥(い)酉(とり)六月は寅(とら)卯(う)七月 【注1 だ・む「彩む」 他四=いろどる】 【注2 『拾芥抄』「しゅうがいしょう」は、中世日本にて出された類書「百科事典」。全3巻。元は『拾芥略要抄』とも呼ばれ、『略要抄』とも略されていた。】 【左頁】 は午(むま)未(ひつじ)八月は未(ひつじ)申(さる)九月は巳(み)亥(い)十月は寅(とら)申(さる)十一月は午(むま)未(ひつじ) 十二月は申(さる)酉(とり)是等(これら)の月に納むべし又忌日あり正二月は 申(さる)酉(とり)三四月は午(むま)戌(いぬ)五六月は申(さる)子(ね)七八月は寅(とら)戌(いぬ)九十月は 子 辰(たつ)十一十二月は寅(とら)午(むま)春は甲子(きのへね)夏は丙午(ひのへむま)秋は庚申(かのへさる)冬は 壬亥(みつのへい)又 申辰(きのへたつ)乙巳(きのとのみ)丙午(ひのへむま)丁未(ひのとのひつじ)戊申(つちのへさる)此等の日納むべからずと のせたり   ㊅産湯(うぶゆ)の説(せつ)《割書:付たり|》常(つね)に浴(ゆあみ)するの説 ◯生れ子を洗(あらふ)ふ湯(ゆ)を和俗(わぞく)産湯(うぶゆ)といふ其水は新汲水(しんきうすい)とて 井よりあらたに汲たる水又は東流水(とうりうすい)とて西より東へ流た る川水を汲(くみ)て湯に沸(わか)し熱(あつ)からずぬるからずよきほどに むめあはせて児子を洗ふべし 【右頁】 ◯王隠君(わうゐんくん)の説に生れ子を洗(あら)ふ湯には猪膽汁(ちよたんじう)少ばかり いれて浴すべし瘡(かさ)癤(ねぶと)を生する事なしと云へり猪膽 汁とはぶたのきものしるなり和俗 猪(ちよ)の字をあやまりて ゐのしゝと心得たる者多しゐのしゝは本草に野猪(やちよ)と のせたり猪とばかりはぶたの事なり生々子の説には生 子をあらふには五木(ごもく)の湯を用へし五木とは桑(くは)槐(ゑんじゆ)楡(にれ)桃(もゝ) 柳をいふなりと云へり《割書:啓益|》按(あん)ずるに此事 本邦(ほんほう)にて はいにしへより今にいたつてせざるわざなり然れ共を【近ヵ】 日の風俗なま物じりとやらんにて中花(もろこし)にてする事と いへはその善悪をも考(かんがへ)ずみだりになすものあり児子 いま母の胎内(たいない)を出ていまだ日のめ風のめをも見ぬ時なれ 【左頁】 ば薬湯の氣にたゝ【えヵ】ずかへつて病を生ずる者多し 常(つね)の湯を用(もちゐ)て洗ふべし薬湯を用事なかれ十餘ケ 日を経て後は薬湯にて洗ひたるもよし ◯生々子(せい〳〵し)の説に初めて生れたる児子を洗ふ■【事ヵ】第三日に 浴する事は俗禮(ぞくれい)の定りたる所なれ共生子 虚弱(きよじやく)にして 病あらは日数にかゝはらず十餘日をまちて後 浴(ゆあみ)すべしと 云へり然れは中花(もろこし)にては生れ下て必第三日めをまちて 洗ふ事定りたる俗礼と見えたり 本邦近来の風俗 は生れ下るとそのまゝ取擧(とりあげ)て浴するなり拾芥(しうがい)抄を考 ふるに初生(しよせい)の小児 沐浴(もくよく)の吉日を載(の)す丑(うし)卯(う)酉(とり)乙未(きのとのひつし)丙【「ひのへ」左るび】 午(むま)丁酉(ひのとのとり)或は寅(とら)申(さる)此等(これら)の日をえらび東流水(とうりうすい)を汲て用 【右頁】 と見えたりこれによりて見れば 本邦も古来(こらい)は生れ 下るとそのまゝ浴すると斗もいふべからずされ共萬 の事時のよろしきにしたがひたるがよきなれはと時の風俗 によりて生れ下るとそのまゝ取挙(とりあげ)て洗ひたるがよき なり其内に或は生子 虚弱(きよじやく)にして生れ下ると種々の 病ある類の児子は生(せい)〻(〳〵)子(し)の説にしたがひ児子の実する をまち病 愈(いへ)て後 浴(ゆあみ)すべきなり ◯魯伯子(ろはくし)の説に初て生れたる児子を洗ふにはかならず その背(せなか)を護(まもる)べしといへり背(せなか)は五藏の神(しん)のやどる所 なれば護るべしとなり今時の収婆(とりあけばゝ)はその理をさとさ ずみだりにおのれが脛(はぎ)の上に児子を引のせてあら〳〵敷 【左頁】 手を以 背(せなか)にあたり甚しきものは湯腹(ゆはら)をもむなどと云て 盥(たらひ)のうちにて児子の腹(はら)をもみ背を押(お)す類(たくひ)ありは なはだあしき事なり此事 始(はしめ)て洗(あら)ふ時のみにあらず平(へい) 生(ぜい)洗ふ時にも心を付べき事なり昔(むかし)仁宗皇帝(じんそうくわうてい)と申 奉る賢王(けんわう)は罪(つみ)ある者を杖(つへ)にてうつに背をうつ事なか れと命(めい)じ給ふ罪(ざい)人とても臓神(ざうしん)をやぶる事をいたまし め給ふにそ然れは初めて生れたる児子のいまた骨(ほね)も かたちもかたまらぬものなれは随分(ずいぶん)やはらかに殊(こと)に背を 守(まも)りて洗うべき事なり ◯初生(しよせい)の児子を洗ふには随分手早く取廻(とりまは)したるがよ きなり久しく浴する事なかれ夏冬の時はことさら外(くはう)【注】 【注 振り仮名は「くはう」とあるが、次コマに続く文字の熟語から「外邪」で振り仮名は「ぐわいじや」とあるところ。「う」は「い」の誤記だと思われる。意味は外部にある邪悪、害毒。またこれによってひき起こされる病気、災害。】 【右頁】 邪(じや)おかしやすきなり中花(もろこし)にては十日に一へん宛(づゝ)洗ふ なり 本邦の風俗は二日三日に一へんあらひ又は毎日(まいにち) 洗へば児子の元氣(けんき)もれ皮層(ひふ)薄(うす)くなりて風を引やす し十日とあらはねは児子は熱(ねつ)のつよきものにて瘡(かさ) 癤(ねぶと)を生ず大形(おほかた)は二日三日めにあらひてよし常(つね)に児子 に浴する時 股(もゝ)の付 根(ね)又は脇(わき)の下などを念(ねん)を入て洗ふ べきなり ◯證治準縄(せうぢじゆんじやう)に児子を洗ひてのち米粉(こめのこ)をすりぬり或は 牡蠣粉(ぼれいのこ)をすりぬるべしと見えたり《割書:啓益|》按(あん)ずるに米粉 を用れば小児(せうに)によりて肌(はだ)に虫(むし)を生し虱(しらみ)を生ずる事 あり牡蠣粉(ぼれいのこ)或は葛粉(くずのこ)又は天花粉(てんくわふん)をすりぬりたるがよ 【左頁】 しかくのごとくすれは夏は痤疿(あせぼ)を生せずいづれも皆粉 を随分(ずいふん)細(こま)かにしてぬるべし児子は皮膚(ひふ)の理(きめ)こまやか にやはらかなれば麁末(そまつ)なる粉をすりぬればかへつて 其あたりたる所かぶれて瘡(かさ)となるものなり又児子に よりて腮(あぎと)の下又は股(もゝ)の付もと脇(わき)の下たゞれて 汁(しる)を 出すあり上(かみ)にいふ所のごとく浴させて天花粉牡蠣の 粉の類をすりぬり或は碾茶(ひきちや)をすりぬるもよきなり   ㊆乳付(ちつけ)の説(せつ)《割書:付たり|》乳母(にうぼ)をめのとゝいひ摩(ま)〻(ゝ)といふの説 ◯生れ子取擧て後 古(ふる)き衣類(いるい)又はふるき綿(わた)を襁褓(むつき) としてつゝみまくべしいま児子 胎内(たいない)のあたたかなる所よ り出て風日(ふうじつ)を見れば夏の時といへども衣類にまきて 【右頁】 人の懐(ふところ)に抱(いだ)くべし扨 一族(いちぞく)の中にても又は隣家(りんか)にても 家人にても子を多く産(うみ)て子孫(しそん)盤昌(はんじやう)したる女中の 乳(ち)のあるをえらび其 懐(くわい)中に抱(いた)かしめて乳をのませ そむべしこれを乳(ち)付きの人といふなり是 本邦の風 俗なり ◯日本紀(にほんき)を按(あん)ずるに他姫婦(あだしをみな)を用(もちひ)て乳を以 皇子(みこ)を養(ひたし) まつるこれ世中に乳母(ちをも)をとりて児(ちご)を養(ひたす)の縁(ことのもと)なりと 見えたり《割書:啓益|》按するに他姫婦(あたしをみな)とは玉依姫(たまよりひめ)をさして申奉る 皇子(みこ)とは鵜羽葺不合尊(うのはふきあわせずのみこと)の御事すなはち海神(うみのかみ)の御 女(むすめ) 豐玉姫(とよたまひめ)の産(むま)せ給う所なり其時 豐玉姫(とよたまひめ)の御 妹(いもうと)玉依姫 姊(あね)の君(きみ)に替(かは)りて皇子(みこ)に乳(ち)を養(ひた)し給ふ此故に世中に 【左頁】 乳母(ちをも)をめのとゝいふ事の因縁(ゐんゑん)なりめのとゝは母の弟といふ 義(ぎ)也然れは遠(とを)き神代(かみよ)より乳付(ちつけ)の人を用ひたる事にし てわが國(くに)の旧(ふる)き風俗なるにや ◯東鑑(あづまかゝみ)に武衞(ぶゑい)《割書:源頼朝(みなもとのよりとも)卿|をいふなり》御 誕生(たんじやう)の初(はしめ)御 乳付(ちつけ)の青女(あをおんな)をめさる 摩(ま)〻(ゝ)と号(がう)すと見えたり《割書:啓益|》按ずるに今時も乳母(めのと)を摩 々といふ都(みやこ)にてはいはず関東(くわんとう)又は築紫(つくし)の方にてはいふ 事なり頼朝卿(よりともきやう)の摩(ま)〻(ゝ)より云始たるにや摩(ま)はなづる と訓(くん)ずれは其児子をなでさすりて育(そだつ)るを以 摩(ま)〻(ゝ)と いふにや又小児の食(しよく)を都鄙(とひ)共にまゝといふ乳は小児の 食なればまゝといふなるべし   ㊇生れ子に乳(ち)を飲(のま)しむるの説 【右頁】 ◯初生(しよせい)の小児(せうに)に乳を吸(のま)しむる事生れ下てより六時 ばかり過て後 乳付(ちつけ)の人の乳を飲(のま)しむべし其まへはたゞ 蜜薬(みつくすり)又は黄蓮(わうれん)甘草(かんさう)などの汁(しる)を吸しめてけがれたる 物を吐出(はきいた)させてよし生々子の説に初生の小児に乳 を飲しむる事 早(はや)けれは胎毒をこらして変(へん)じて萬の 病となると云へり ◯千金方(せんきんはう)【注】に初生の児子(ちご)に乳を早く飲しむる事な かれ半日又は一日ばかり過て後飲しむへし早けれは養(やしな) ひがたしと見えたり《割書:啓益|》按ずるに凢(およそ)母の子を産(う)む事 是 天理(てんり)の自然(しぜん)なれば母の乳汁(にうじう)出る時をまちて飲し むる事自然の道理(たうり)なるべし 本邦にてもその國の 【左頁】 風俗によりて母の乳出ざるうちは蜜薬などを吸し めて他人の乳を飲しめざる所あり母の乳にて養(やう) 育(いく)せんとおもはゞしきりに乳房(ちぶさ)をもみやはらげて 三四 歳(さい)ばかりの女子(おんなのこ)に吸(すは)しめ又は生子にも吸しむれは 二三日を待ずして或は半日又は十時ばかりのうちに産(さん) 婦(ふ)の乳出るものなりそれより直(すぐ)に母の乳を飲しめて 育(そだ)つべきなり昔(むかし)源(みなもと)の義経(よしつね)奥州落(おうしうおち)の時 北陸道(ほくろくたう)にさ まよひ給ひ【日】し頃 亀破坂(かめわりざか)といふ深山(みやま)にて御䑓所(みだいところ)産(さん)し 給ふに乳付の女乳母などゝいふもなかりけれ共其子そ だちて奥州(おうしう)へ着(つき)給ひ【日】たるためしあればよその乳 を用ずして母の乳を以そだつ事なるべし然れば位(くらゐ) 【注「千金方」「せんきんほう」 孫思邈「そんしぼう」著 唐代652年、原本は30巻。人名は千金より重いという意味の書名をつけた医学書。千金要方とも言う。医学総論、本草、製薬、婦人科、小児科、内科、外科、外毒、備急、養生、脈診、鍼灸、導引などを網羅している。】 【右頁】 高(たか)くやんごとなき御 方(かた)さま家(いへ)富(とみ)財(ざい)たれる人たり共 産母(さんぼ)病(やまひ)なく乳汁(にうじう)も潤沢(じゆんたく)ならば母の乳を飲(のま)しめて養(やしな) ふ事天理の自然(しぜん)をおこなふの事なるへし聖人(せいじん)の 教(をしへ)にも凢(およそ)子を産(さん)しては諸母(しよぼ)と可(か)なるものを撰(えら)んで 子を養育(やういく)すべしと見えたり諸母とは衆妾(しうせう)の事なり と注せり日本にては御局(おつぼね)女房(にうほう)達(たち)などの事にして乳 母の事をいはず可(か)なる者とは人柄(ひとがら)のよきをいふなりこれ によれば中花(もろこし)もいにしへは母の乳を以 養育(やういく)せし事を しるへしと時の人もし此理をさとして母の乳を以養 育せまくおもはゞ物 静(しづか)にして人 柄(から)よき女の四十ばかり なるを撰(えら)び乳母(にうぼ)のごとく其児子を抱(いだ)かしめてなじみ 【左頁】 したしましめて母は乳はかりを飲しむべしかくのごとく すれは三年め四年めにその次〻の子を出生して母も 病なくしてよろし然るに産婦(さんふ)もすくやかに乳も 潤沢(じゆんたく)なる者乳母を召(めし)つかひ其乳を飲しめてしゐて 母の乳を断(たつ)ときは血脈(けつみやく)【「脉」は「脈」の俗字】さかんにして大形(おほかた)毎年(まいねん)懐妊(くわいにん)を なし其身もはからざるの苦(くる)しみをうけ多産(たさん)の上(うへ) にては終(つゐ)に死(し)するに至(いた)るもの多しその上生るゝ子も 虚弱(きよじやく)にして病多しいはんや家(いへ)貧(まづ)しく財(ざい)とぼしき 人は猶更(なをさら)母の乳を飲しめて養育(やういく)すべき事なり 然れ共今時の人は多くは懐胎(くはいにん)の中其 身持(みもち)あしき故 産(さん)するの時 元気(げんき)よはく其 血(ち)多く脱(もぬ)く或は難産(なんさん)の 【右頁】 婦人(ふじん)は血気(けつき)ともに不足(ふそく)するによりて乳汁も出がたし ケ(か)様(やう)なる婦人其乳の出るをまちて飲(のま)しめんとせは児子(ちご) をして餓死(うへし)すべしかくのごときの婦人は乳母(めのと)を撰(えら) びて召(めし)つかひ児子を養育すべきなり一槩(いちがい)に心得(こゝろへ) べからず   ㊈乳母(めのと)を撰(えら)ぶの説 ◯除春甫(しよしゆんぼ)の説に乳母を撰ふ事いたつて大切(たいせつ)なり其 乳を飲て盛長(せいちやう)し漸(やうや)く染(そむ)事久しければ乳母の生質(むまれつき) 心根(こころね)までも皆よく似(に)るものなりいはんや血気の薄(うす)き 厚(あつき)きをやこれを木(き)を接(つぐ)にたとふといへり誠(まこと)にことは りにや接木(つぎき)の䑓木(だいき)かしくれは接穂(つきほ)も痩(やせ)るなり䑓(だい) 【左頁】 木 肥盛(ひせい)なれば接穂もよく盛長する事なりとしるべし ◯乳母を撰(えら)ぶ事◯第一 病者(ひやうじや)にして色(いろ)青白(あをしろ)く皮膚(ひふ) も形體(けいたい)も憔悴(しやうすい)【「かじけ」左ルビ】したる女◯第二 狐臭(わきが)ある女◯第三代々 癩瘡(らいさう)ある家(いへ)の女◯第四 身中(しんぢう)瘡疥(さうかい)ある女《割書:瘡疥とはひぜん|がさこせがさかゆ》 《割書:がりの|の類》◯第五 揚梅瘡(ようばいさう)ある女◯第六𤹪(せむ)瘻(し)【注】の女◯第七 癭(こ) 瘤(ぶ)ある女◯第八 癲癇(てんかん)の病(やまひ)ある女◯第九 音聲(こへ)の濁(にごり)たる 女◯第十 髪(かみ)の毛(け)のすくなき女◯第十一 耳聾(つんぼ)の女◯第 十二 兎缺(いぐち)の女◯第十三 齄鼻(ざくろばな)の女◯第十四 吃(どもり)の女◯第十 五 痘痕(いものあと)ある女其外 五體不具(ごたいふぐ)の女《割書:俗にいふかたは |ものゝ事也》是等(これら)の類(たぐひ)の 女を乳母とすべからすと諸(もろ〳〵)の醫書(いしよ)に載(のせ)たり ◯司馬温公(しばおんこう)の説に乳母をえらぶ事かろ〳〵しくすべからず 【注 「𤹪」は「痀」に同じで、「痀」の義は「せむし」。音はどちらも「ク」。故に「𤹪」も「せむし」の意味になります。「瘻」は音が複数ある中、義「こぶ」に叶った音は「ル」です「𤹪瘻」は「せむし」の意で問題ないと思います。ちなみに「傴」は音「ウ」で義は「かがむ・せむし」です。】 【右頁】 乳母よからざれば家(いへ)の法をやぶるのみにあらず養(やしな)ふ所の 児子をしてなす所の業(わざ)こと〴〵く乳母に似(に)るなりつゝ しむへしと云へり 日本にても乳母を撰(えら)ぶ事をろ そかにせずよく尋(たずね)問(とは)せて其(その)見掛(みかけ)よく乳汁(にうじう)も潤沢(じゆんたく)なる 女を撰みて乳母とすといへ共乳母は多くは賎家(いやしきいへ)より 出る者にして其 性(しやう)ひすかしく【注①】ねたまし心 奢(おごり)て怒安(いかりやす) しその上 大切(たいせつ)なる児子をそだつる事をゆだねをく事 なれば父母(ふぼ)も殊更(ことさら)要(よう)ある者におもひ大形の我まゝはゆる しをくによりてはひたふる【注②】奢([お]ごり)出来(でき)て家の法(ほう)を乱(みだす)に いたる能(よく)々心得べきなり ◯王肯堂(わうこうだう)の説に乳母(めのと)は氣血(けつき)共に盛(さか)んにして乳汁(にうじう)潤(じゆん) 【注①「ひすかしく」はシク活用の形容詞「ひすかし」の連用形のこと。むつかしいの意】【ひねくれている意では】 【注②「ひたふる」ただ一つの方向に強く片寄るさま。もっぱらそのことに集中するさま。いちず。ひたすら。の意】 【左頁】 沢(たく)にして其 生質(むまれつき)よき者をえらふべし乳母は常(つね)に飲食(いんしよく) を慎(つゝし)み色慾(しきよく)をおもふべからず房事(ぼうじ)をなすべからす乳母の 気血(きけつ)乳汁(にうじう)と化(くは)するなれは一切(いつさい)の事 慎(つゝし)み守(まも)るべきなりと 云へり《割書:啓益|》おもふに 日本にても冨貴(ふつき)の家(いへ)には乳母をえ らぶ事 法(ほう)のごとく其(その)つゝしみも法のごとく守らしめて児 子を養育(やういく)する事なり然れ共その内或は其理にくらき 事多しいかんとなれば乳母は多く卑賎(ひせん)【「いやしき」左ルビ】なる者にして 己(をのれ)が家に在(あり)て作法(さはう)行儀といふ事もなく衣類(いるい)も薄(うす)く 平生(へいぜい)の食(しよく)物も麁菜(そさい)ばかりを喰(くひ)萬とぼしく在(あり)つる者 俄(にはか)に徳(とく)つきて衣類は絹絮(きぬわた)に冨(とみ)て厚(あつ)く重(かさ)ね着(き)るに より其乳汁 熱(ねつ)を生じかへつて児子に害(がい)をなす又 食(しよく) 【右頁】 事(じ)には旨(むま)【㫖】き物 魚(うを)鳥(とり)の類(たぐひ)をすゝめ猶更(なほさら)道理(だうり)にくらき人 は乳汁(にうじう)は食(しよく)事によるなり乳母をして飽満(あきみつ)るやうに せざれは乳(ち)も出(いづ)る事なしとて昼夜(ちうや)六七度も食はしむ 乳母はつねに喰馴(くひなれ)ぬ美物(びもつ)なれは口にかなひて喰過(くひすご)し脾(ひ) 胃(ゐ)に充塞(みちふさかり)て脹満(ちやうまん)の病となり或はあやしき病となり死(し) するに至(いた)る者多し又その家によりて乳母(めのと)の致(いた)しも馴(なれ) ぬ行儀作法(ぎやうきさはう)を教(をし)へ平生(へいぜい)の居(ゐ)ずまゐもとしてあれかく してあれこと葉もいやしくて悪(あし)きなどいひて乳母 の家に在る時かつて見も聞(きゝ)も馴(なれ)ぬ業(わさ)をならはしむる により乳母の気(き)鬱(うつ)し滞(とゞこほ)りて乳脉(にうみやく)通(つう)せずをのづから 乳(ち)も出ぬもの多(おほ)し又其家により此 理(り)ある事を聞おぼ 【左頁】 【乳母が座敷でお方様をはじめとする家の女性達に取り巻かれ,児子に授乳している図】 【右頁】 え乳母は気つまりては乳も出ぬものなりとかく乳母は 我まゝにはたらかせたるがよきとゆるせば和俗(わぞく)の諺(ことはさ)にいふ がごとく舩頭(せんどう)馬方(むまかた)御乳母人(おちのひと)といふごとく我(わが)まゝ過て奢(おごり) やすく甚しきものは隣家(りんか)の小者(こもの)部(べ)屋をかけ廻(まは)り婬乱(いんらん) 放逸(ほういつ)にして家の法を乱(みだ)し児子をもおろそかにとりあ つかひて不慮(ふりよ)に怪我(けが)をさせ疵付(きずつく)る事 多(おほ)くその上児子も 乳母の事を贔屓(ひいき)して多くは乳母の性(しやう)に馴(なれ)て我まゝ 者に成事あり乳母は能(よく)〻撰(えらぶ)へき事也 ◯蠡海集(れいかいしう)に乳汁(にうじう)の色(いろ)【ク+也】は白し白(しろ)きは金(かね)の色【ク+也】金(かね)は肺(はい)の蔵(ぞう) の主(つかさど)る所 肺(ばい)は人の元氣(げんき)を主(つかさど)る乳汁は生育(せいいく)の 氣(き)の根(ね) ざす所 氣(き)をしき賦(くば)る始(はじめ)なれは其色(そのいろ)【ク+也】白しと見えたり然 【左頁】 れは乳汁(にうじう)の色(いろ)【ク+也】は白きを貴(たつと)ぶなり乳母をえらぶ時其 乳(ち) をしぼらせて其色【ク+也】を見るべし色【ク+也】黄にして濁(にご)る類(たぐひ)の乳 ならは必用事なかれ能〻心得へき事なり ◯千金方の説に乳母 健(すくやか)なる者は乳の出来(いてくる)る【語尾の重複】事多く其 㔟(いきおひ)猛(たけ)くこれを揉(もめ)ば必 飛走(とひはし)るものありこれを按(もみ)てその 㔟をへらして後 児子(ちご)に飲(のま)しむべしつねに乳母(めのと)児子(ちご)に 乳を飲しむる度毎(たびこと)にまづ按(もみ)て上乳(うはち)をさりて用べしこれ を宿熱乳(しゆくねつにう)と名付(なづけ)て小児に毒(どく)をなすと見えたり ◯乳母(めのと)の飲食(いんしよく)すなはち乳汁(にうしう)と通(つう)ず児子(ちこ)其乳を飲は たち所に感應(かんおう)するなり詳(つまびらか)に左(ひだり)にしるす  ◯乳母 熱(ねつ)を食(しよく)すれば乳汁 熱(ねつ)す寒(かん)を食(しよく)すれは乳汁 寒(かん) 【右頁】 ず夏(なつ)の時 熱(ねつ)したる乳を飲(のめ)は小児 吐逆(ときやく)をなす冬(ふゆ)の時 寒(かん)じたる乳を飲ば咳嗽(しはぶき)を生し痢病(りびやう)を患(うれ)ふる也 ◯乳母(めのと)怒(いか)りて乳(ち)を飲しむれは小児上氣して驚風(きやうふう) 癲癇(てんかん)の病をなす ◯乳母 酒(さけ)に醉(ゑい)て乳をのましむれば児をして腹痛(はらいたむ) ◯懐妊(くはいにん)の乳を飲しむれは小児 痩(やせ)て色 黄(き)ばみ腹(はら)大きに 脚(あし)痿(なへ)しむ名付(なつけ)て魃(ばつ)病【注①】といふなり和俗(わぞく)をとみづはり といふ也 ◯乳母風にあたりて乳を飲しむれは児をして腹張(はらはり) 吐逆(ときやく)せしむ ◯乳母 夜露(よつゆ)にあたりて乳を飲(のま)しむれは嘔吐(あうとを)なさしむ 【注①「魃病」俗ニ云、ヲトミヅハリナリ、小兒、母ノ懷姙シテイル乳ヲノミテ、瘧利ノ如ク病ナリ、又魃ハ小鬼ナリ、姙婦惡神ノ氣ニヲカサレ、小兒、其乳ヲノミテ病ナリ 古事類苑 第25巻1513頁】 【左頁】 ◯乳母食するとそのまゝ乳をあたゆれは色【ク+也】黄(き)ばみ疳(かん) の虫を生し口臭(くちくさき)事をなす也 ◯乳母 汗(あせ)してすなはち乳を飲しむれは疳の虫を生ずる也 ◯乳母 温麪(しつめん)【「あつめん」ヵ】《割書:うんどん切麦|そばきりの類》を食して乳を飲しむれは亀(き) 胸亀背(きやうきはい)の病をなす和俗いふ所のせむしの事也 ◯乳母 酸鹹(すくしはゝゆき)食物(しよくもつ)或(あるひ)は炙(あぶり)たる肉(にく)の類(たぐひ)を食して乳をあ たゆれは渇(かわき)の病を生する也 ◯乳母酒に酔(ゑい)風に中(あたり)て臥(ふし)し醒(さめ)て後乳を飲しむ れは児をして音聲(こへ)を失(うしな)はしむる也 ◯乳母 咳嗽(しはぶき)のある時乳をのましむれは児をして驚風(きやうふう)【注②】 喘痰(ぜんたん)の病をなす也乳母 薬(くすり)をのみてはやく愈(いや)すべし 【注②「驚風」漢方で、小児の脳脊髄膜炎および脳脊髄膜炎様の症状。脳水腫や癲癇も指したらしい。急驚風「陽癇」と慢驚「陰癇」とがある。】 【右頁】  ◯乳母(めのと)或は悲(かな)しみ喜(よろこび)いまだ定(さたま)らずして乳をのまし  むれば涎(よだれ)を生し 咳嗽(しはぶき)をなす也  ◯乳母 房事(ばうじ)をなして乳を飲しむれば児(ちご)をして  痩憔(やせかじけ)て脚(あし)弱(よはく)く【くの重複ヵ】行事 遅(おそ)からしむる也 右は乳母の身のつゝしむ所の事なり此いましめをおか す事となかれ以上の説(せつ)聖濟経(せいざいきやう)に載(のせ)たり ◯小児 大(おほ)ひに笑(わら)ひて即時(そくじ)に乳をのめは驚風(きやうふう)癲癇(てんかん)の 病(やまひ)を生(しやう)ず大きに哭(なき)て乳をのめば吐瀉(としや)をなす大に飢(うへ)て 乳をのめは腹痛(ふくつう)をなす大に飽(あき)て乳をのめは氣(き)とぼ しき事をなす大に驚(おどろき)て乳をのめは吐逆(ときやく)腹痛(ふくつう)をな す啼事(なくこと)いまだ定らずして即時(そくし)に乳をのめは児(ちご)をし 【左頁】 て癭瘤(こぶ)を生するなり右は小児の身(み)の上(うへ)のつつしむ 所の教(をしへ)なり以上の説(せつ)古今(こゝん)醫統幼科準縄(いとうようくはじゆんぜう)等に見えたり ◯千金方に乳母児子を抱(いだき)て臥(ふす)ときは己(おの)が臂(ひぢ)を枕(まくら)と して児の頭(かしら)と乳(ち)の頭(かしら)とたいらかにして乳をのましめ て寝(いね)さすべし小児 眠(ねふり)來(きた)り乳母(めのと)も眠(ねふり)来らばすなは ちその乳をうばひ去(さる)べし眠(ねふる)時は小児もおぼえす乳(ち)を 飲過(のみすご)し乳母もあたへ過して哯吐(けんと)の病を生すと見え たり哯吐(けんと)とは和俗(はぞく)のいふ乳をあます事也《割書:啓益|》おもふ に乳母も小児も眠来る時乳をはなつ事をしらずして 乳房(ちぶさ)にて児(ちご)の口 鼻(はな)をおほひ児の息(いき)をとゞめて死(し)に 至(いたる)る類(たぐひ)多し乳母のつゝしむ所は小児を抱(いだ)きて臥(ふす)時に 【右頁】 あり乳母によりて大ひに寝(ね)て児をして己(おの)が身にて しき殺(ころ)す類(たぐひ)の事 多(おほ)したとひ殺(ころす)にいたらざれとも 手足(てあし)をしてかたわになさしむる事まゝおほき事也 能々心を付へき事なり   ㊉乳母(めのと)の病(やまひ)によりて児子病を生(しやう)ずるの説(せつ)《割書:付たり|》    乳汁(にうじう)出(いで)ざる時用る薬剤(やくざい)の説 ◯生(せい)々(〳〵)子(し)の説に乳母は常(つね)に飲食(いんしよく)を慎(つつし)むへし乳母の 飲食すなはち乳汁となる辛(からき)物 辣(たゝがらき)物 味(あぢわい)の厚(あつき)物 熱(ねつ)つ よき物 肉食(にくしよく)油氣(あぶらけ)酒(さけ)の類(たぐひ)をいむべしこれを犯(おか)せば乳母 の脾胃(ひゐ)に熱生ず其 乳(ち)を飲(のめ)は児子(ちご)をして病を生し 頭(かしら)面(おもて)に瘡(かさ)を生ずるなりと見えたり和俗(わぞく)これを乳越(ちこし) 【左頁】 といふ也 惣(そう)じて乳母に熱あらばいづれの病にてもはやく 上手の醫師(いし)を頼(たのみ)【「み」の重複】て療治(りやうぢ)すべし乳母に飲しむる薬(やく) 剤(ざい)には甘草(かんざう)を少しく用て多(おほ)からしむる事なかれ甘草 をおほく入れは脾胃(ひゐ)の氣(き)塞(ふさが)りて乳汁(にうじう)に妨(さまたげ)ありと 古来(こらい)より 本邦(ほんほう)に云傳(いひつたふ)る事なり本草を考(かんが)ふに甘 草の乳汁に妨ありといふ事を載(のせ)ずしかれ共多くこゝろ みてたがはす心得へき事なり ◯乳母(めのと)故(ゆへ)なきに乳(ち)出(いづ)る事すくなく漸(やう)〻(〳〵)にうすくなる事 あり乳母かならず此事をかくすものなり折ふしごとに 乳(ち)をしぼらせて見るべし乳(ち)うすくして出(いで)かぬる時は はやく驚(おどろき)【「き」の重複】上手の醫師(いし)を頼(たのみ)て薬(くすり)を用べし和俗(わぞく)は乳 【右頁】 母に薬(くすり)を服(ふく)すればかならず乳にさまたげ有とおぼえたる 者 多(おほ)しことに乳などの出(いで)さるに薬を用事を嫌(きら)ふやま ひある時薬を服せずんはその病いかにして愈(いゆ)べき病 愈(いへ)ず んばいよ〳〵乳母 気(き)苦(くる)しみて乳の出る時有べからず和俗 の諺(ことわざ)にいへるごとく御乳(おちの)人の乳のあがりたるとて物の用に たらぬたとへなるべし上(かみ)にいふ所のごとくすくなき乳を のますれば児子 食(しよく)にとぼしきゆへ痩(やせ)つかれて病を生 ずるなり能々心得べきことなり ◯乳汁(にうじう)出(いで)ざる時に鯉魚(こいのうを)を味噌(みそ)汁にて煑(に)て食(しよく)すればよ く出るものなり和俗 常(つね)にする事なり本草には 鯉(こい)魚 一頭(ひとかしら)焼(やき)細末(さいまつ)して一銭(いつせん)酒(さけ)にて用と見えたり鯉を 【左頁】 丸ながらそのまゝ黒焼(くろやき)にして用へし酒をのまぬ乳母は 食のとり湯(ゆ)にて用たるがよきなり ◯乳汁出さるに露蜂房(ろぼうぼう)を黒焼(くろやき)にしてめしのとりゆ又は 酒にても用てよし露蜂房(ろほう〴〵)とは深山(みやま)の木の梢(こずゑ)にかけたる 蜂(はち)の巣(す)の雨露(あめつゆ)にさらされしをいふなり本草(ほんざう)を考(かんがふ)るに 乳癰(にうよう)を治する事ありて乳汁(にうじう)を通(つう)ずるの事なしと いへ共つねに用て其 驗(しるし)多(おほ)し用て妨(さまたげ)なし ◯乳(ち)出ざるには玉露散(きよくろさん)といふに加減(かげん)して用たるがよき也 加減玉露散(かけんぎよくろさん) 当帰(とうき) 白芍藥(びやくしやくやく) 桔梗(きゝやう) 川芎(せんきう) 白茯苓(ひやくぶくりやう) 天花粉(てんくはふん) 木通(も[く]つう)【注】 穿山甲(せんさんかう) 右八味 各(おの〳〵)等分(とうぶん)にして一服を 壱匁三分にして常(つね)のことくにせんじ用ゆべし乳母(めのと)の虚(きよ) 【注 振り仮名は「もつう」に見えますが、「もくつう」のことです。植物「あけび」の漢名。また、アケビの木部。消炎、利尿、通経、催乳の効がある。漢方生薬の一つ。】 【右頁】 實(じつ)寒熱(かんねつ)を問(と)はず此 薬(くすり)を用て験(しるし)をとる事多し然共乳の出 ざるにも其 病症(びやうしやう)品(しな)多き事なれば上手の醫師(いし)を頼(たの)みて薬(くすり)を用ゆべきなり   十一【丸でかこむ】小児 衣類(いるい)の説(せつ) ◯千金偏に生れ子男ならば父(ちゝ)のふるき衣類(いるい)を用ひ女 子ならば母(はゝ)の古(ふる)き衣類を用てあらためてこしらへ直し 児子(ちご)に着(きす)べし或は年老(としおひ)たる人のふるき衣類をあら ため作りて着せしむれは児をして命(いのち)長(なが)からしむ 新(あたらしき)なる衣類 絮(わた)の類(たぐひ)を用る事なかれ衣(ころも)を厚(あつく)く【く重複】きせて 熱(ねつ)せしむる事なかれ皮膚(ひふ)をやぶり面(おもて)に瘡(かさ)を生し或 は驚風(きやうふう)の病を生ずるなりと見えたり ◯小児の衣類は絹の類を用へからす礼(らい)記に童子(どうし)に裘(きう) 【左頁】 帛(はく)をきせず又 帛(きぬ)の襦袴(しゆこ)せずと見えたり裘(きう)とは皮(かは)に てこしらへたるきる物なり日本にてはなき事也帛とは きぬの事也 襦(しゆ)とは短(みじかき)衣(ころも)なりと註して和俗(わぞく)のいふ襦半(じゆばん) 肌着(はだぎ)などの類(たぐひ)なり袴とは肌(はだ)の下ばかまの事也 晦庵(くはいあん)の 朱子(しゆし)の註(ちう)に帛は大に温(あたゝか)にして陰氣(いんき)をやぶる小児(ちご)は 純陽(しゆんやう)のものとてもつはら陽氣(やうき)さかんなるものなれは 裘帛(きうはく)を着(き)せしめて熱(ねつ)をつゝむ事なかれ其上 幼(おさな)き 時より奢(おごり)の事をふせぐの教(をしへ)なり布(ぬの)を心して帛(きぬ)を 用る事なかれ富貴(ふうき)の家といふ共 綾(あや)羅(うすもの)錦(にしき)絨(けおり)を用事 なかれと見えたり ◯《割書:啓益|》按ずるに小児の衣類(いるい)夏(なつ)の時は勿論(もちろん)也 父母(ふぼ)の古(ふる)き 【右頁】 衫(かたびら)を用べし冬(ふゆ)の時とても衫(かたびら)に綿(わた)を入て着(き)せしむべし 和俗(わぞく)これを布子(ぬのこ)といふ也 日本に綿(わた)の種(たね)を栽(うへ)し事は 桓武天皇(くはんむてんわう)延暦(えんりやく)十八年に天竺(てんじく)崑崙(こんろん)の人 舩(ふね)に漂浪(ただよひ)て 三河(みかは)の国(くに)に着(つ)く此人 綿(わた)實(たね)を持(もち)て來(きた)りて栽初(うへそめ)しより 日本國にひろまりけると類聚國史(るいじゆこくし)百九十九巻に載(のせ)たり 中頃の事にや世 乱(みだれ)て綿種(わたたね)を栽る事を失(うしな)ひて後は布に わたを入て着けり近來(きんらい)文禄年中(ぶんろくねんぢう)の頃又 中花(もろこし)より伝(つた)へ來 り日本國中なべて綿種(わただね)を植(う)へ木綿(もめん)を織(おり)出して布(ぬの)に絮(わた) を入れて着る事やみぬされどふるきをわすれずいまも木(も) 綿(めん)着物(きるもの)を布子(ぬのこ)といひ綿(わた)をは唐綿(とうはた)といふにや惣(そう)じて小児 の衣類こまかなる木綿を着せしむるもよし糸(いと)ぶと 【左頁】 き紬(つむき)もよしいづれもみな脇(わき)あけにして着せしむべきなり 或(あるい)は冬(ふゆの)月の生れ子或は元氣(げんき)虚弱(きよじやく)なる小児は多くは寒氣(かんき) に堪(たへ)がたしふるき絹(きぬ)を用るもよし木綿(もめん)の類は小児に よりて虱(しらみ)を生ずる者ありすべて小児の襁褓(むつき)尻當(しりあて)の 類は布にても木綿にてもよし尻當をしきりに取 替(かへ)て 大小 便(べん)の湿(しつ)にあたりしめざるべししめりたる襁褓(むつき)の類 腰尻(こししり)の あたりにをく事久しけれはかならず肛門(こうもん)に瘡(かさ)を生しその汁(しる) のつく所 皆(みな)瘡(かさ)となりて乳母(めのと)も其瘡をうつり家内(けない)にう つり蜂起(ほうき)するものなり能々心を付べき事なり ◯小児に衣類を着せ替(かゆ)る時は戸障子(とせうじ)をさしまはし 帳(てう)【「とはり」左ルビ】をおろして火を燃し温(あたゝか)ならしめて着せ替(かへ)べしと ころ 【右頁】 千金論に見えたり ◯王隠君(わうゐんくん)の説に小児(せうに)に着せしむる衣類(いるい)冬の時にても火に てあぶるべからす熱(ねつ)つよくして皮膚(ひふ)をやぶるといえり衣(ころも)を かへんとせはあらかじめ小児の衣類をして人の膚(はだへ)につけて温(あたゝ)め をき着せしむべし夏の時とても衣を冷(ひや)して着すべからすいはんや 冬の時 冷(ひや)したる衣類を着せしむる事なかれ能々心を付べき事也 ◯千金論(せんきんろん)に小児時あつて怒啼(いかりなく)事しきりならばかなら す衣の中に針(はり)ありとさとりて衣をあらたむへしと 見えたり日本にてもまゝ多き事なり或は衣類に半風(しらみ) 生じ或は蟻(あり)のたぐひのさす虫の衣のうちに入たる時も 怒啼(いかりなく)事 多(おほ)しとにかくケ様の時は衣を改(あらため)め【活用語尾の重複】て着せかへ 【左頁】 させてよきなり ◯小児の衣類日に曬(さら)して日のある内に取納(とりおさ)むべし 夜露にあたらしむる事なかれよつゆにあたりたる衣類 を着せしむれはその湿(しつ)にあたりて病を生する也 玄中(げんちう) 記といふ書には姑獲鳥(こくはくてう)といふ鳥あり毛をきては飛(ひ) 鳥(てう)となり毛を脱(ぬぎ)ては女人となる胸の前に両の乳有 此鳥は懐妊(くはいにん)の婦人(ふじん)産(さん)する事をえすして死する者化 して此鳥となる此もの人の子をとりて養(やしな)ひて己(おのれ)が 子とす小児のある家に夜に入て衣を曬(さらす)へからす此鳥 夜あそひて小児の衣に血(ち)をしるしにつけてたゝり をなすによりて此衣類を児子にきすれば驚風癲癇(??ふうてんかん)【注】 【注 ??部は「きやう」ヵ】 【右頁】 のやまひを生し又は疳氣(かんけ)の病を生ずこれを無辜疳(むこかん) と名付と見えたり和俗此鳥をうぶめ鳥といふなり   十二【丸でかこむ】産衣(うぶきぬ)の説(せつ)《割書:付たり|》振袖(ふりそで)の説 ◯日本のふうぞくにて子を出生すれは親族(しんぞく)又は隣家(りんか)或 はしたしき友どちの方よりその祝義として新(あら)たに 衣服(いふく)をこしらへ亀鶴松竹をそめ入或は金銀の箔(はく)をも てちりばめて産衣(うふきぬ)と名づけて酒肴をとりそへて送 る事なり此事 古来(こらい)よりの俗禮(ぞくれい)なり《割書:啓益|》按(あん)ずるに 此うぶ衣(きぬ)を其まゝ生子に着せしむる事なかれ誕生日(たんじやうにち) を過て後直に着せしむへし其内は上(うへ)に打かけて着 せ初(そむ)べきなり聖恵論(せいけいろん)といふ書(ふみ)にも小児は 𤍽(ねつ)つよけれは 【左頁】 一朞(いつき)を過(すき)て後(のち)新(あらた)なる衣類綿(いるいわた)を着(き)せしむべしと見えたり 一朞(いつき)とは去年(こぞ)生(むま)れたる月日(つきひ)より今年(ことし)に相(あひ)あたる月(つき)日 をいふ和俗のいふ所の誕生日(たんじやうにち)なり ◯小笠原家諸礼(おがさはらけしよれい)の書(しよ)に婦人(ふじん)懐妊(くわいにん)して五月めに帯(おび) する礼(れい)ありこれをいはた帯(おび)といふ生絹(すゝしのきぬ)の長(なが)さ八尺ある おびこれを四つにたゝみてその夫(おつと)女房(にうばう)の右(みぎ)の袖(そで)より わたす女房(にうばう)請取(うけとり)てむすぶ也これは只(たゞ)当座(とうざ)の祝義(しうぎ)まで にて別(べつ)のきぬにても木綿(もめん)にても帯(おび)する事也 扨(さて)此すゞ しの帯は誕生(たんじやう)ありて後(のち)練(ねり)て肩(かた)にかにとりを付て 色(いろ)はうすあさぎたるべしおなじく裏(うら)にも此きぬを白(しろ)く してつけて生子にきするなりこれは産衣(うぶぎぬ)にてはなし 【右頁】 と見えたり運歩集(うんほしう)にかにとりとは龜鳥(かめとり)をいふ五音(ごゐん)通ず る故(ゆへ)なりと見えたり鸖龜(つるかめ)を付る事は齡(よはひ)の久(ひさ)しきに とるなり和俗(はぞく)多(おほ)くはかにとりといふ事をしらずしてかに 鳥とはかにとり草(くさ)といふものありなどゝいひてあやし く名もしれぬ草などをそめ付る類(たくひ)多(おほ)し甚(はなはだ)しき 者は蟹(かに)と鳥(とり)とを付るもありわらふべき事なり講説(かうせつ) には生れ子に新(あらた)なる衣類(ゐるい)を着せしむべからざるのことの もとなりと傳(つた)え侍(はべ)るなり中花(もろこし)日本(にほん)共(とも)に昔(むかし)より小児には あらたなる衣類を着する事をいましめたる意(こゝろ)をさとる べきなり ◯日本の風俗(ふうぞく)にて生子に着する衣類に紐(ひも)をつけて 【左頁】 二三歳まではゆるりとむすびてをく事なりこれも 小児は𤍽(ねつ)つよきものなればねつをつゝみこめまじき との事たるべし三四 歳(さい)にいたりて長(おとな)のごとく帯(おび)をさ する事なり ◯日本の風俗にして小児の衣服(いふく)男女(なんによ)共(とも)に十五六 歳 までは脇(わき)の下をぬいさして着せこれをわきあけと いひ又は振(ふり)そでといふ《割書:啓益|》おもふに皇太子(くわうたいし)親王(しんわう)以下(いげ) も御幼稚(ごようち)の間(あいだ)は缺腋(けつてき)とて脇(わき)あけの御袍(おんうへのきぬ)を召(め)さ せ給ふよし此 意(こゝろ)はいとけなき中(うち)はかけはしりの便(たより)に よきためなりと傳(つた)へ侍(はべ)る此等(これら)の事によりて見れば いとけなき者に脇あけを着するは屈伸(くつしん)【「のびかゞみ」左ルビ】《割書:のびかゞみの|事をいふ》 【右頁】 かけはしりの便(たより)なるにや又小児は日の升(のぼ)るがごとく月の まとかならんとするかごとく阳氣(ようき)さかんにして𤍽つよき故(ゆへ) に両(りやう)の腋(はき)をぬいさして其𤍽をもらさしむる意(こゝろ)なるにや 然るに此 理(り)をさとさぬ人 小児(せうに)の衣服(いふく)わきあけは風(かぜ)を引 やすしとて袖(そで)を短(みじか)くぬいつめて襦半(じゆばん)と名付(なつけ)或は阿蘭(おらん) 陀肌着(だはだき)などゝいひて肌(はだ)に着(き)せしむこれ𤍽氣(ねつき)をつゝみこめて もらさずはなはだ悪(あし)き事なり又 今時(いまどき)の婦人(ふじん)愚父(ぐふ)はふり袖 はたゞその風流(ふうりう)のみにして見かけの艶(ゑん)なるためとばかりおも ひて年たくるまでふり袖を着せしむ多くはその袖をはな はた長くして着するにより小児必かけ走(はしり)に足(あし)を袖にふみいれ て蹶(つまづ)きこけて疵(きず)つくる多し笑(わら)ふべき事なり  終 【背表紙】 【表紙】 【図書票】 493,98 Ka 87 日本近代教育史  資 料 【題箋】 □【小】児必用□【記】 【左頁】 小兒(せうに)必用(ひつよう)養育(そだて)草(くさ)巻二     目録(もくろく) ㊀ 生子(むまれご)養育(やういく)の説(せつ) ㊁ 生子 産髪(うぶかみ)を剃(そる)の説《割書:付たり|》宮叅(みやまいり)の説(せつ) ㊂ 小児 髪(かみ)を剃(そり)髪をはやす次第《割書:付たり|》髪置(かみをき)の事 ㊃ 小児 飲食(いんしよく)の説《割書:付たり|》喰初(くいそめ)の説 ㊄ 小児の脈(みやく)の説(せつ) ㊅ 非常(ひじやう)の生子の説 ㊆ 小児 諸病(しよびやう)の説 【左頁】 小兒(せうに)必用(ひつよう)養育(そだて)草(ぐさ)巻二         牛山翁(ぎうざんおう) 香月(かつき)啓益(けいゑき) 纂(さんす)【「あつむ」左ルビ】   ㊀生子(むまれご)養育(やういく)の説(せつ) ◯保嬰論(ほうゑいろん)に子を養育(そだつる)に十種(といろ)の法(はう)あり第一には背(せなか)を暖(あたゝか)に せよ二つに腹(はら)を暖(あたゝか)にせよ三つに足(あし)を暖にせよ四つには頭(かしら) を涼(すゞ)しくせよ五つには胸(むね)を涼(すゞ)しくせよ六つには小児(せうに)の驚(おどろ) きおそるゝかたちの類(たぐひ)を見する事なかれ七つにはいまだ見 しらぬ人を見せしむる事なかれ八つには啼(なく)事さだまらず して乳(ち)を飲(のま)しむる事なかれ九つには輕粉(けいふん)朱砂(しゆしや)の類(たくひ)の石薬(せきやく) を飲(のま)しむる事なかれ十には浴(ゆあみ)する事たび〳〵すべからずと見えたり 【右頁】 ◯巣元方(さうげんはう)の説(せつ)に初生(しよせい)の小児は皮膚(ひふ)いまだ堅(かた)からず衣(ころも)を厚(あつ) く重(かさ)ねて温(あたゝ)むべからす温(あたゝむ)れば汗(あせ)出(いで)やすし汗(あせ)出れは皮膚(ひふ)弱(よは)く 成(なり)て風を引やすきなり常(つね)に衣(ころも)を薄(うすく)すべし背(せなか)を冷(ひや)す 事なかれ衣(ころも)を薄(うす)くする事は初秋(はつあき)よりならはしむべし漸(ぜん)〻(〳〵)に 寒(さふ)くなるによりて初秋(はつあき)より薄(うす)く仕馴(しなれ)て次第〳〵に厚(あつ)くして冬(ふゆ)にい たれは俄(にはか)に寒(さむ)きにいたらずして寒(かん)に馴(なれ)てよく堪(たゆ)るなりと いえり心得べき事なり ◯生(せい)〻(〳〵)子(し)の説(せつ)に児子(ちご)生(むま)れて三五日の間(あいだ)は帯(おび)紐(ひも)の類(たぐひ)を以 束(つか)ね縛(しば)りて臥(ふさ)しむへし頭(かしら)を竪(たて)にして抱(いだ)き出る事なか れと見えたり《割書:啓益|》おもふに初生(しよせい)の児子(ちご)を絹(きぬ)にまきて帯紐(おひひも) にて束(つか)ねしばりて置(をく)事は胎内(たいない)にある時母のいはた帯(おび)に 【左頁】 てしめくゝりてある事なれば生出てもその事にならはし めてくゝりて置(おく)く【送り仮名の重複】べきなり乳母(めのと)にても又は年老(としおひ)たる女にて も児子を横(よこ)さまに抱(いだ)かせ足(あし)をゆたかに頭(かしら)の方(かた)を少(すこ)し高(たか)く して懐(ふところ)のうちに臥(ふさ)しむへし十餘(じうよ)ケ(か)日を経(へ)て後(のち)には床(とこ)に 臥(ふさ)しめてよきなり床(とこ)に臥(ふさ)しむる時は木綿(もめん)の蒲團(ふとん)をし きて頭(かしら)のかたを少し高く枕(まくら)かげんをよくして屏風(べうぶ) をひきまはし枕(まくら)もとより風(かぜ)のいらざるやうにしつらひ夜(よ)る は燈火(ともしび)をてらして臥(ふさ)しむへし衣類(いるい)も寒(かん)𤍽(ねつ)の時にした かひあつさうすさをはかりてきせしむべきなり児子(ちご)の顔(かほ) に衣類(いるい)を覆(おほ)ふべからず富貴(ふうき)の家(いへ)とても純帳緬帳(どんちやうめんちやう)など をたれてそのなかに臥(ふさ)しむべからす夏(なつ)は昼(ひる)も蚊帳(かちやう)を釣(つり)て 【右頁】 蝿(はい)におかされぬやうにすべし乳母(めのと)は平生(へいせい)脇(わき)に添臥(そひぶし)して あるべし児(ちご)をたゞひとり臥(ふさ)しむる事なかれ乳母(めのと)は寝(ね)ても さめても児の事のみをおもひおもふてその半に心をゆだ ねとゝむべきなり ◯保嬰論(ほうゑいろん)に小児の安(やす)からん事をおもはゞ三分(さんぶん)の飢(うへ)と寒(かん)と を帯(おぶ)べしと見えたり徐春甫(じよしゆんほ)の説(せつ)には三分(さんぶん)の飢(うへ)と一分の寒(かん) とをもとむべしと云(い)へり三分のうへ一分の寒とは十(とを)の物にし て三つほとは食(しよく)をひかへ十の内にしてひとつほとは衣類(いるい)を うすくせよとの事なり ◯巣元方(さうげんはう)の説(せつ)に天氣(てんき)和暖(くはだん)なる時分(じぶん)は乳母(めのと)児(ちこ)を抱(いだ)きて 風(かぜ)にふかせ日にあたらしむべし小児 其手(そのて)を動(うごか)し物を見し 【左頁】 る時は日のあたる所にて遊(あそ)び戯(たはふ)れさすべしかくのごとく すれば氣血(きけつ)つよく肌(はだへ)も肉(にく)も硬(かた)くきびしくなりて風を ひかず寒(かん)にあたる事なしといへり富貴(ふうき)の家(いへ)その児(ちご)を愛(あい) し過(すご)し純帳緬帳(どんちやうめんちやう)のうちに衣服(いふく)をあつくかさねて風の 氣(け)日(ひ)の目(め)にもあはせぬやうにそだてたる児(ちこ)はその色(いろ)も黄(き) ばみしらけ皮膚(ひふ)もうすくして風をひきやすしたとへは 日陰(ひかげ)に生(おひ)たる草(くさ)のごとく軟(やわらか)に弱(よはく)して風の氣(け)日(ひ)のめ などにあへばもろくしほれやすきがごときをしるべし ◯萬全論(まんぜんろん)に田舎(いなか)のいやしき人の小児をそだつるに病(やまひ)と いふ事なしこれをたとふるに深山(みやま)或(あるひ)は廣(ひろ)き野原(のばら)に生(おひ) たる木(き)はたやすく合抱(だきまはす)ほどの大木(たいぼく)となり或(あるひ)は珍(めづら)ら【送り仮名の重複】しき果(このみ)【「くだもの」左ルビ】 【右頁】 のなる木又はあやしき花のつく類(たぐひ)の木の人の愛(あい)し重寳(てうほう) とするはこれにつちかひ水そゝぎ養(やしな)ひを加(くはゆ)れ共 秀(ひいで)茂(しげる)事 なくたやすく果(このみ)もみのらす花もさく事なくあまつさへ 枯(かるゝ)にいたるがことしと見えたり然(しか)れば小児(ちご)をそだつる事は たゞ野山(のやま)の草木(くさき)のごとく風の氣日のめにあたらしめて吹(ふき) すかすやうにすればよく盛長(せいちやう)するなるべしさはいへども風の 烈(はげし)【冽洌ヵ】き所日のつよく照時(てるとき)にあつる事なかれ天氣(てんき)やはらぎあ たゝかなる時とても久しく日陽(ひなた)に置(おく)べからず大人(たいじん)さへひさ しく日向(ひなた)の氣(き)にあたればその氣にうたれてはかならず 頭痛(づつう)を発(はつ)するなりいはんや児子(ちご)その氣にたえんやひさ しく日向誇(ひなたぼこり)をなすべからず 【左頁】 ○保嬰論(ほうゑいろん)に児子(ちご)生(むま)れて六十日の頃 目(め)の瞠(ひとみ)さだまる故(ゆへ)に よく物を見しりよく笑(わら)らひ人を見識(みしる)なり此時 見馴(みなれ)ぬ人 に見せ抱(いだ)かせする事なかれもし抱(いだ)かせ見せすれは必(かならず)おび ゑて驚風(きやうふう)の病を生ずるなりこれを客忤(かくご)と名付と見え たり殊に児によりて人見ずをする生れつきありケ(か) やうなる児子には猶更外より来たる客人(きやくじん)なとに逢(あは)し むる事なかれ ○千金論(せんきんろん)に小児 漸(やうや)く人を見知り物を見しる时 神(しん)■(びやう)【廟ヵ】 《割書:堂寺社頭(どうてらしやとう)|などをいふ也》のほとり塚(つか)のあたりに携(たづさ)へ行(ゆく)べからずと云へりすべ て児子を愛(あい)するとて異形(いぎやう)のものをそろしきものな どにて愛しすかす事なかれ或(あるひ)は神佛(かみほとけ)の前(まへ)へつれ行 【右頁】 てあやしきかたちの鬼神(きしん)を見する事なかれ猿(さる)つかひ 傀儡子(てづしまはし)【注】の類(たぐひ)のおそろしき人形(にんぎやう)など見する事なかれ あやしきかたちの鳥獣(とりけだもの)の類又はかたはものゝ乞食(こつじき)など見 苦(ぐる)しきものを見する事なかれ或(あるひ)は高(たか)き所に抱(いだ)きあ げふかき井(い)のもとにのぞませふかきふちにむかひ流(なが)るゝ 川を見せ牛(うし)馬(むま)犬(いぬ)猫(ねこ)などを見せててづからいらはせ 牛馬の息(いき)にあたらせなどする事 甚(はなはだ)あしき事なり下 ざまの者は此理(このり)をしらず児をすかし愛(あい)するとて己(おのれ)が肩(かた) に抱(いだ)きのせ高聲(たかごへ)をあげて笑(わら)ら【送り仮名の重複】ひのゝしりなどして児 を驚(おどろか)して病を生ずる事 多(おほ)し此事 乳母(めのと)にもかたはら につきそふ人にも云(いひ)きかすべき事なり能〻心得べき事也 【注 「てずし(手呪師)」=てくぐつ(手傀儡)=手で人形をあやつること。】 【左頁】 ◯千金論(せんきんろん)に夏(なつ)の時にいたらは赤(あか)き絹(きぬ)にて袋(ふくろ)をぬいて 杏仁(きやうにん)《割書:あんずのさねの|うちのみをいふ》七つ両方の尖(とがり)と皮(かは)とをさりて袋(ふくろ)の内(うち)に入 て児の衣(ころも)の領(ゑり)になり共 帯(おび)になり共くゝりつけて置(おく)べし 児(ちこ)雷(かみなり)の聲(こへ)を聞(きゝ)てもかつて驚(おどろく)事なしと見へたり日(に) 本(ほん)にても常(つね)にする事なりむかし築(つく)【筑】紫(し)太宰府(だざいふ)に 菅丞相(かんせうじやう)の流(なが)され給(たま)ひし時 御寵愛(ごてうあい)の梅(むめ)都(みやこ)の御 庭(には)に残(のこ)し をき給ひしに御詠哥(ごゑいか)を感(かん)じて此 梅(むめ)一夜(ひとよ)のうちに築(つく)【筑】紫(し) に飛來(とびきた)るよし云傳(いひつた)ふいまも社頭(しやとう)に一株(ひとかぶ)の梅に瑞籬(みつがき)を して飛梅(とびむめ)となづけて神木(しんぼく)とす社僧(しやそう)検校坊(けんぎやうばう)といふ家(いへ)に 秘方(ひはう)を傳(つた)ふると云(いひ)て此 飛梅(とひむめ)の核(さね)をとりて封(ふう)じ梅守(むめのまもり)と なづけて雷(かみなり)の災(わざはひ)をさくる守(まもり)とて諸國(しよこく)へもてはやすあり 【右頁】 天神(てんじん)は雷(かみなり)となり給ふよしの俗説(ぞくせつ)あればこれに附会(ふくわい)する にや是梅の核(さね)杏(あんず)の核(さね)いづれも大形(おほかた)その類同しきをもて かく傳(つた)へ來(きた)るにや此梅の守(まもり)も児(ちご)におびさせてよろしかるべ きなりすべて小児は心氣(しんき)うすく物におびえやすければ 雷などの時は乳母(めのと)の懐(ふところ)にしかと抱(いだ)きて驚(おとろ)かせぬやうにすべ きなりかくいへば物に心えぬ愚(おろか)なる人はあまりに児を愛(あい)し すごし少ばかりの雷の時もはや驚きて蚊帳(かちやう)を釣(つり)戸棚(とだな) 長持(なかもち)のうちにかくすやうにするによりていよ〳〵児におそ ろしみをつけてそれをならつて性(せい)となりて長(おとな)となり ても少の雷にも色(いろ)を青(あお)くし少の電(いなびかり)にも肝(きも)をひやし て夏(なつ)の時 天(そら)くもりては人前(にんぜん)には出(いづ)る事ならぬ類の者(もの)多(おほ)し 【左頁】 糾(きう)〻(〳〵)たる武夫(ぶふ)の家(いへ)の小児(ちご)などをかくそだてなす事は さて〳〵おろかなる事なるへし能〻心得べき事なり ○わが日本は神國(しんこく)にして神(かみ)をうやまひたつとふを風(ふう)【「なら」左ルビ】 習(しう)【「わし」左ルビ】とすれは小児(ちこ)の時は氏神(うぢがみ)産神(うふすな)又はその外にも神の 守(まもり)とて封(ふう)じたる札(ふだ)やうの物を衣帯(ころもおび)にくゝりつけて置(をく) 事なりかくのごとくすれば邪気(じやき)悪魔(あくま)をさくといふ 児は心氣(しんき)薄(うす)くよはければ邪気もをかしやすきものなり 外(ほか)よりなす事にして害(がい)のなき事なればすべき事なり 然れ共 愚(をろか)なる人は此事をたゞ㐧一の事とおもひ巫(かんなぎ)をめ しあつめなどして児(ちこ)を見せ又は児の前にて祈祷(きとう)な どをさするによりて鈴(すゞ)の聲(こへ)錫杖(しやくじやう)の音(おと)などに驚(おどろき)き児 【右頁】 をして病(やまひ)を生(せう)ずる事 多(おほ)し財(ざい)を費(ついや)すのみにあらず 其害(そのがい)多き事なり能〻心得べきなり ◯小児(ちご)をふさしむる時は枕(まくら)の上に銘(めい)ある釼(つるぎ)又は古(ふる)き鏡(か[ゝ]み) などを置(をく)べきなりよく邪氣(じやき)悪魔(あくま)をさくるなり銘釼(めいけん) 古鏡(こきやう)の邪氣(じやき)悪魔(あくま)をさる事 中花(もろこし)の書(ふみ)にもさま〴〵そ の奇特(きどく)をのする事多し 本邦(ほんほう)にてもまのあたり見聞(みきく) 事にしてたがはず児をふさしむる間(ま)には弓矢(ゆみや)を置(をく)べきな り是亦(これまた)邪氣(じやき)鬼魅(きみ)の類(たぐひ)をさくる事なり ◯千金論(せんきんろん)に小児生れて二百四十日に骨筋(ほねすぢ)みな成就(じやうじゆ)す母(はゝ) つねに児をして匍匐(ほふく)する事をおしゆべし一周(いつしう)の後しきり に行歩(ぎやうぶ)する事を教(をし)ゆべしつねに土(つち)と水(みづ)とを愛(あい)させてそ 【左頁】 だつべきなりと云へり匍匐(ほふく)とははらばひする事なり一(いつ) 周(しう)とは誕生日(たんしやうにち)をいふ貴(たつとき)も賤(いやしき)も児(ちこ)をそだつる事 上(かみ)にいふ 所のごとくすれは其益(そのえき)甚(はなはだ)多(おほ)し心得べき事なり   ㊁生子(むまれこ)産髪(うぶがみ)を剃(そる)の説(せつ)《割書:付たり|》宮參(みやまいり)の説 ◯集驗方(しうけんはう)に初生(しよせい)の児 初(はじ)めて髪(かみ)を剃(そる)事はかならず日を撰(えら) ぶに及ばずすなはち満月(まんげつ)《割書:生れて三十日|めにあたるをいふ》の日これを剃(そる)事 風俗(ふうぞく) の尚(たつと)ふ所なり産婦(さんふ)満月の日まては産房(さんばう)を出(いづ)る事なし此 日にいたりて小児と共に産房(うふや)を出べしかくのごとくする事 は胎髪(たいはつ)の穢(けがれ)《割書:按ずるに胎髪(たいはつ)の穢(けがれ)とは母の胎内に在(あり)し時より|生したる髪(かみ)なれはけがらはしとて剃(そり)て捨(すつる)をいふなり》又は産母(さんぼ) の穢 竈(かまど)の神に觸(ふれ)る事あれば小児(ちご)をして必 祟(たゝり)をなす 事ありそれ故(ゆへ)に此日小児の髪(かみ)を剃(そり)て産母(さんぼ)の穢(けかれ)の日数(ひかず) 【右頁】 もみちて出る事 俗礼(ぞくれい)なりと見えたり 本邦(ほんほう)の風俗(ふうぞく)も またかくのごとし或(あるひ)は和俗(わぞく)七日めに胎髪(たいはつ)を剃(そる)人もあり よろしからぬ事也 大抵(たいてい)三十日めに胎髪を剃て産婦 血心(ちこゝろ)もなく健(すくやか)なる時はみづから抱(いだ)きて親族(しんぞく)にも見せ しめ打よりて祝(いはふ)べき事なり ◯集驗方(しうけんはう)に生れ子はじめて髪(かみ)をそる時は暖(あたゝか)なるところにて かぜをさけて剃(そる)べきなり剃て後 杏仁(きやうにん)《割書:あんずのさねの|うちのみなり》三つ皮(かは) と尖(とがり)とをさり研(すり)くだき薄荷葉(はつかのは)三枚を入てすり合て胡(こ) 麻(ま)の油(あぶら)少ばかり入て頭(かしら)にぬれば風を引事なく又 頭(かしら)に 瘡(かさ)を生(せう)ずる事なしひとり初(はしめ)て剃時のみにあらず剃 度(たび) ごとに此 法(はう)を用(もちゆ)べしと見えたり 本邦にては剃て後に 【左頁】 酒(さけ)をぬり又は天花粉(てんくはふん)をぬり又は胡麻(ごま)の油にてときて ぬるもありいづれもよし ◯本邦の俗禮(ぞくれい)にて生子 男(おとこ)なれは三十二日 女子(によし)なれば三 十三日にあたる日を宮參(みやまいり)の日と定(さだ)め氏神又は産神(うふすな)に 詣(まう)でしむる事なり此事いづれの代(よ)より仕初(しそめ)たるやらん いまだ考(かんが)えず宮參をなさば必 遠(とを)き神社(じんじや)に詣(まう)ずる事なかれ 近所(きんじよ)の産神に詣(まうで)しむべし乳母(めのと)の懐(ふところ)に能(よく)いだかしめていか にも静(しづか)に籃輿(かご)をかゝせ高聲(たかごえ)なる事をいましめ風邪(ふうじや)に あたらぬやうにして詣しむへし多くは児宮參の日より風 をひきあるひは乘物(のりもの)にふられて病(やまひ)を生(せう)ずる事あり能〻 心を付へき事なり 【右頁】   ㊂小児(ちご)髪(かみ)を剃(そり)髪(かみ)をはやす次第(しだい)《割書:付たり|》髪置(かみをき)の事 ◯本邦(ほんほう)の俗禮(そくれい)にして小児男女共に四五歳まては髪を そる事なり毎月(まいつき)四五 度(ど)あてそりたるがよきなり小児(ちご)は 𤍽(ねつ)つよきものゆへ半月(はんげつ)と髪をそらねは頭(かしら)に瘡(かさ)を生(せう)ずる類 多し又小児三四歳といふ霜月に髪置(かみをき)といふ祝義(しうぎ)あり又は 髪(かみ)そぎといふ小笠原家(をがさはらけ)諸礼(しよれい)の書(ふみ)に男女(なんによ)共(とも)に三四歳になる 霜月十五日か亦は其月に入て吉日をえらび髪をきの 祝義あるべしと見えたり講説(かうぜつ)には小児 胎髪(たいはつ)をそりてその 後三四歳といふ夏(なつ)の比までは毎月四五 度(ど)宛(あて)髪をそりて 三四歳の初秋(はつあき)より髪をはやすべし霜月に入て吉日を えらびて髪置の祝義あるなり男子(なんし)の髪置は左(ひだり)の鬢(びん)よ 【左頁】 り初(はじ)め女子(によし)の髪置(かみをき)は右(みぎ)の鬢(ひん)より初(はじ)むるなり男子(なんし)ならば 一族(いちぞく)の中(うち)にておとなしき人の役(やく)なり女子(によし)ならば一 族(ぞく)の中に て是も又おとなしき女中(ぢよちう)の子を多(おほ)くもちて盤昌(はんじやう)したる 人の役(やく)なりと傳(つた)ふるなり作法(さはう)故実(こじつ)ありこゝに畧(りやく)す   ㊃小児 飲食(いんしよく)の説(せつ)《割書:付たり|》喰初(くいぞめ)の説 ◯錢仲陽(せんちうやう)の説(せつ)に小児生れて半年(はんねん)の後 陳米(ふるごめ)の粥面(じゆくめん)を 時(とき)〻(〴〵)児子に飲(のま)しむべし《割書:按(あん)ずるに粥面とは|かゆのうはずみの事也》十月を過て後 漸(ぜん)〻(〳〵) に稠粥(てうじゆく)《割書:按ずるに稠粥とは|かたがゆの事也》を煑(に)たゞらかして食(しよく)せしむべし かくのごとくすれば脾胃(ひゐ)の氣(き)をたすけて自然(しぜん)と養(やしな)ひ やすく病(やまひ)もなし必 生冷(さんれい)の物《割書:按ずるに火にて煑(に)|ざる食(しよく)をいふ也》油膩(ゆに)《割書:按ずる|にあぶら》 《割書:あげの類又はあぶら|こき料理をいふ也》甜物(あまきもの)魚(うを)鳥(とり)を食(しよく)せしむる事なかれひとり 【右頁】 【喰初の図】 【左頁】 【身分の高い家の児子が乳母に抱かれて駕籠で移動している図 周囲には一般人の家族の様子が対比的に描かれている】 【右頁】 小児のみにあらず乳母(めのと)にも此 類(るい)の食物(しよくもつ)をあたゆへからず 富貴(ふうき)の家(いへ)はその児を愛(あい)する事 甚(はなはだ)しくて二三 歳(さい)まで も乳味(にうみ)ばかりを飲(のま)しめて飲食(いんしよく)をたえてあたへざる類 多しかくのごとくなれは其児の脾胃(ひゐ)窄(すぼ)く虚弱(きよじやく)にして 病(やまひ)多(おほ)しといへり 日本にてもその子を愛(あい)し過(すご)して二三 歳(さい)まではかつて食事をあたへず乳(ち)ばかりをのましめて そだつる家(いへ)多し又はなまものじり【注】の人は佛経(ぶつきやう)に母(はゝ)の 乳味(にうみ)百八拾石を以 養(やしな)ふと説(とき)給(たま)ひ又 行基菩薩(ぎやうぎぼさつ)の御詠哥(ごゑいか)にも  百(もゝ)くさに八十(やそ)くさそへて給(たま)ひてし   乳房(ちふさ)のむくひいまぞわれする とありて生れ落(おつ)るとそのまゝ乳(ち)を飲(のみ)そめて六 歳(さい)まで【注 「なまものじり」=いいかげんの知識しかないのに物知り顔をすること】 【左頁】 毎年(まいねん)乳味(にうみ)三十石 宛(あて)にして三六百八拾石を飲盡(のみつく)すこと はりなどいひて六歳の比(ころ)まで乳(ち)をあたふる類(たぐひ)の人在り 《割書:啓益|》按(あん)ずるに此等(これら)の事よろしからぬ説(せつ)なり小児に 食をあたへそむる事は半年の後又は十月ばかりの比 生子に歯(は)のはゆる時をまちて食をあたふる時と定(さだ)む べしこれ天理(てんり)の自然(しぜん)なり歯(は)のはゆるは食をくわんため なる事をしるへし二歳半の比までは乳を多くのませ食 をすくなくあたへよ三歳より四歳までは食を多く乳を すくなくあたへたるがよきなり五歳よりは乳をのまする 事あるへからず或(あるひ)は歯(は)いまだはへざるにしひて食をあた ゑ或は半年の後又は誕生日(たんぜうにち)の前後(ぜんこ)まで食をして 【右頁】 乳(ち)よりも多(おほ)くあたへなどすれは児子(ちご)は脾胃(ひゐ)窄(すぼ)く脆(もろ)き 故(ゆへ)にその穀氣(こくき)【注】にたえずして必 病者(ひやうじや)となるなり いま貧家(ひんか)に乳母(めのと)をも召(めし)つかふ事かなはず實母(じつぼ)病者(ひやうじや) にして乳(ち)すくなきものやむ事をえずして粥面(かゆのうはずみ)など にてそだつる児(ちご)はかならず病者(ひやうじや)となるなりこれを以しるべ きなり又 按(あん)ずるに世間(せけん)實母(じつほ)の乳にて子を育(そだつ)る人を見 るに必三年め四年めにその次(つぎ)〻(〳〵)の子を㜳妊(くはいにん)するなり㜳妊 して月のかさなるにしたがひ乳出る事なししかれば小児 に食(しよく)をあたへそむるは其 歯(は)のはへ出る時をまちて其後(そのご) とさだめ乳を飲(のま)する事をやむる時は實母の㜳妊して 乳の出ぬ時をその期(ご)とすべき事也これ天理(てんり)の自然(しぜん)なる 【注 「穀氣」=水穀の精気。水穀の気ともいう。脾により飲食物から運化された栄養物質】 【左頁】 べきなり ◯小笠原家諸礼(おかさわらけしよれい)の書(しよ)に小児生れて百二十日めに相 当(あた) る日は善悪(ぜんあく)をえらはず喰初(くひそめ)あるべきなり食(しよく)を喰(くい)初さ する事男子ならは男の役(やく)女子(によし)は女の役(やく)なりいづれも一族(いちぞく) の中にて子孫繁栄(しそんはんゑい)の人をえらぶへしと見えたり其 作法(さはう)膳部(ぜんぶ)等(とう)故実(こじつ)次第ある事なりこゝに畧(りやく)す   ㊄小児(せうに)の脉(みやく)の説 ◯生(せい)〻(〳〵)子(し)の説に生子百日の後 周歳(しうさい)《割書:誕生日(たんぜうにち)を|いふなり》の比までは その顖門(しんもん)を觀(み)て其 病(やまひ)をしり其 吉凶(きつきやう)を定(さだむ)へしと云へり 顖門とは和訓(わくん)おどりとよみて児の頭(かしら)の真中(まんなか)に縫合(ぬひあはせ)の ごとく溝(みぞ)たちて動(うご)きおどる所をいふなり人のかたちは父(ふ) 【右頁】 母両精(ぼりやうせい)の陰陽(いんよう)左右合一(さゆうがういつ)の道理(だうり)を以物を二つ打あはせた るがごとく背(せなか)は督脉(とくみやく)とて一筋(ひとすぢ)とをり腹(はら)は任脉(にんみやく)とて一筋と をりたる脉(みやく)あり鼻(はな)の下の人中(にんちう)といふ溝(みぞ)も皆 合(あわせ)めとし るべし和俗(わぞく)人の形(かたち)を佛(ほとけ)作(つく)りて合せたるがごとしといふ 実(まこと)にさる事なりいま佛工(ぶつこう)の佛(ほとけ)を作(つく)るを見るに真中(まんなか)ずみ をして二つにして合せたるものなり此 顖門(しんもん)の所を心を付 て見るべし此所くぼみをちいりて坑(あな)をなす者 或(あるひ)は高く腫(はれ) 起(おこ)る者又はその所の合め両方へひらき真中に溝(みぞ)の立たる 小児は病ありと心得べし惣(そう)じて児子は顖門の所両方の 合目とくとあひて溝の見えぬやうにて動(うご)きおどる事 すくなきを無病(むびやう)の児と心得べきなり 【左頁】 ◯薛鎧(せつかい)の説(せつ)に小児一歳 以前(いぜん)は虎口(こかう)の三關(さんくわん)を見て其  病をみるべし一歳 已後(いご)五歳までは医師(いし)の大指(おほゆび)ひとつ を以其上中下 三部(さんぶ)を診(こゝろむ)べきなりと云へり虎口(こかう)の三關 とは小児の左右(さう)の手の食指(ひとさしゆび)の内の三節(みふし)の間をいふ此 三節の間に種(しゆ)〻(ゞ)の紋(もん)をあらはすを見て其病をしる 事なり三關の圖(づ)を㔫(さ)【「ひだり」左ルビ】にしるす 【三關の圖 上段に手の母指球の上に「虎口」、食指の上に 命、氣、風の三文字がある】 【図の下段に食指の文字の説明文】 風關(ふうくわん)といふは下の第一 節(ふし)の間 氣關(きくわん)といふは中の第二 節(ふし)の間 命關(めいくわん)といふは上の第三 節(ふし)の間 これを虎口(こ[か]う)の三關(さんくわん)といふ なり 【右頁】 【以下八つの符号に関しての説明】 【符号一】如此 紋(もん)の形(かたち)を魚刺(ぎよし)といひて魚(うお)の尾(を)ひれのごとく   あるときは驚風(きやうふう)痰(たん)𤍽(ねつ)の病(やまい)を生ずと心得べし 【符号二】如此の形を懸針(けんしん)といひて針(はり)をかけたるごとくある時  には傷風(しやうふう)泄泻(せつしゃ)積(しやく)𤍽(ねつ)の病を生ずるなり 【符号三】如此 水字(みづのじ)の形(かたち)のごときは食積(しよくしやく) 咳嗽(がいそう)驚疳(きやうかん)の病を生  ずるなり 【符号四】如此 乙(おつ)の字(じ)の形(かたち)のごときは肝(かん)病 驚風(きやうふう)の病を生ず  るなり 【符号五】如此 蟲(むし)の形(かたち)のごときは疳蟲(かんちう)大腸(たいちやう)の穢積(ゑしやく)の病を  生ずる也 【符号六】如此 環(くはん)の形をあらはす時は疳積(かんしやく)吐逆(ときやく)の病を生ずる也 【左頁】 【符号七】如此の乱(みだれ)たる紋(もん)をあらはすは蟲氣(むしけ)としるべし 【符号八】如此 珠(たま)の形をあらはすは死証(ししやう)としるべし ◯全幼心鑑(ぜんようしんかん)に虎口の三關(さんくはん)男(おとこ)は㔫(ひだり)女は右(みぎ)の手(て)の食指(ひとさしゆび)の 三節下を風關(ふうくはん)として寅(とら)の位(くらい)に應(おう)じ中を気關(きくはん)として 卯(う)の位に應(おう)じ上を命關(めいくはん)として辰(たつ)の位に應ず其 紋(もん) の色 紫(むらさき)なるは𤍽(ねつ)としるべし紅(くれなひ)なるものは寒(かん)としるべし青(あをき) は驚風(きやうふう)白(しろき)は疳(かん)の虫(むし)黒(くろき)は中悪(ちうあく)《割書:中悪とは邪氣(じやき)悪氣(あくき)|にあたりたるをいふ》黄(き)なるは 脾(ひ)の病(やまひ)としるべし右(みぎ)の紋(もん)風關(ふうくはん)にあらはるゝをその病 軽(かろ)しとしるべし気關(きくはん)にあらはるゝはその病重し命關(めいくはん) にあらはるゝものは多(おほ)くは治(ぢ)しがたしとしるべし ◯王隠君(わうゐんくん)の説に小児(せうに)の眉間(みけん)に青筋(あをきすぢ)をあらはすものは 【右頁】 多(おほ)くは病を生ずるなりと云へり如此なるものは多くは脾(ひ) 胃(ゐ)の病 或(あるひ)は虫氣(むしけ)としりてはやく驚(おどろ)き療治(りやうぢ)すべき事也 ◯全嬰方(せんゑいはう)に児(ちご)の左(ひだり)の頬(ほう)の色 赤(あかき)は肝(かん)の臓(そう)【蔵ヵ】の風(ふう)𤍽(ねつ)なり 青黒(あをくろき)者は驚風(きやうふう)腹痛(ふくつう)をなすすこしあかきは潮(てう)𤍽(ねつ)をなす と見えたり潮(てう)𤍽(ねつ)とは時(とき)を定(さだ)めて𤍽(ねつ)の來(きた)るをいふなり潮(うしを)の 満(みちつ)る事時の定(さだま)りたるかごとくなれはなり ◯又いはく右の頬(ほう)色(いろ)赤(あかき)は身(しん)𤍽(ねつ)す 少(すこし)く赤は潮(てう)𤍽(ねつ)をなし 或(あるひ)は大小便(だいせうべん)通(つう)ぜず氣喘(きぜん)咳嗽(がいそう)をなす色(いろ)青白(あをしろき)は咳嗽(がいそう)悪心(あくしん) 《割書:あくしんとはむねの心持(こゝろもち)あしきを|いふおしんとよむはあやまり也》をなす色 青(あをき)は風(かぜ)肺(はい)の蔵(ざう)に入て咳(がい) 嗽(そう)する事なり青黒(あをくろき)は驚風(きやうふう)腹痛(ふくつう)をなす也と見えたり ◯又いはく額上(かくじやう)《割書:ひたひのうへ|をいふ也》の色赤は風(ふう)𤍽(ねつ)心煩(しんはん)驚悸(きやうぎ)の病を 【左頁】 なす青黒は中に邪(じや)あり驚風(きやうふう)腹痛(ふくつう)をなす黄色(きいろ)にして 皮(かは)乾(かはく)は盗汗(とうかん)をなすなりと見えたり ◯又いはく鼻(はな)の上の色(いろ)赤者(あかきもの)は身(しん)𤍽(ねつ)飲食(いんしよく)をおもはず黄色(きいろ)なる 者へ【はヵ】小便(せうべん)通(つう)ぜず鼻(はな)の穴(あな)燥(かは)く者は衂血(じゆつけつ)をなす白(しろ)色なる者 は泄瀉(せつしや)をなし飲食(いんしよく)化(くは)せずと見えたり  ◯又いはく顎(がい)《割書:おとがひの|事をいふ》の下赤色あるものは膀胱(ばうくはう)に熱ありて 小便通せすと見えたり ◯衛生寳鑑(ゑせいほうかん)に脣(くちひる)常(つね)に紅(くれなひ)なるものは病なし唇(くちひる)燥(かはく)者は 脾胃(ひゐ)に𤍽(ねつ)あり唇(くちひる)白者は虚証(きよせう)としるへし唇紫(むらさき)なる 者は内に𤍽(ねつ)ありて外寒(ほかかん)にあたるなり唇 黒(くろき)者は𤍽(ねつ)つ よく悪証(あくしやう)なりと見えたり 【右頁】 ◯又いはく人中(にんちう)《割書:はなの下の真中(まんなか)|のみぞをいふ》黒(くろ)き者は腹痛(ふくつう)をなし疳蟲(かんちう) うごく人中に一點(いつてん)つゝ所(ところ)〻(〳〵)に黒(くろき)をあらはすは吐逆(ときやく)痢病(りびやう)と しるべしと見えたり ◯又いはく鼻(はな)の色(いろ)紫(むらさき)なる者は乳食(にうしよく)にやぶられて驚風 発(おこ)るとしるへし黒き者は死症(ししやう)としるべしと見えたり ◯又いはく両(りやう)の眉(まゆ)紅(くれなひ)なるは夜啼(よなき)風(ふう)𤍽(ねつ)としるべしと見えたり ◯又いはく両の眼(まなこ)黒く睛(ひとみ)黄(き)なるは傷寒(しやうかん)白睛(びやくせい)黄なるは 湿(しつ)𤍽(ねつ)積聚(しやくじゆ)としるべし睛 赤(あかき)者は心(しん)𤍽(ねつ)なり少赤い心(しん)の虚(きよ) 𤍽(ねつ)青(あをき)者は肝(かん)に𤍽ありとしるべしと見えたり ◯又いはく目に彩光(さいくはう)なく《割書:彩光とは眼(まなこ)の中の|いき〳〵としたる光(ひかり)を云》瞳(ひとみ)人【はヵ】ど?【みヵ】みしらけ眼(まなこ) 珠(だま)に赤膜(もうまく)【あかまくヵ】《割書:あかきから|物をいふ》あり此から物 筋(すぢ)のごとくにして瞳(ひとみ)を 【左頁】 つらぬく影の者其病甚きときはみな悪証(あくしやう)にして死証(ししやう) としるべしと見えたり ◯又いはく児の舌(した)を見るに舌(した)乾(かわき)舌 白(しろく)舌 黒(くろく)舌 燥(かはき)舌 黄(き)に 舌(した)赤腫(あかくはれ)共(とも)に病(やまひ)ありとしるべし多くは大便(だいべん)通(つう)じがたし 舌 少(すこし)く焦黄(こがれき)に舌 裂(さけ)或は舌上 芒(のき)のごとくになり舌上 白胎(びやくたい)とて白もの出来(てき)《割書:和俗したしと|ぎといふ》舌(した)血(ち)を出(いだ)し舌上(したのうへ)に瘡(かさ) を生する類もみな病ありとしるべし以上の舌の病はみな 𤍽の強(つよ)くして陽毒(ようどく)の症(しやう)なりとしるべし舌上(したうえ)の方(かた)へま き上るは驚風(きやうふう)の病としるべし又は泄瀉(せつしや)痢病(りびやう)となる舌 黒(くろき)者は𤍽(ねつ)のつよきなりされども舌に潤い(うるほ)ひあるは𤍽に あらず虚証(きよしやう)としるべし舌 黒(くろく)して潤(うるほ)ふものは多くは死証(ししやう) 【右頁】 としるへしと見えたり   ㊅非常(ひじやう)の生子(むまれご)の説(せつ) ◯《割書:啓益|》按(あん)ずるにいにしへ天地(てんち)の開初(ひらけはじめ)し時は其(その)氣候(きこう)もする どにして其 氣(き)をうけたる人なれば其かたちもあやしく すさまじく夜叉(やしや)のごとき類おほかりけるにや中花(もろこし)の神農(しんのう) 氏(し)は牛首人面(ぎうしゆにんめん)とて頭(かしら)に角(つの)のありけるとかやわが日本 にても猿田彦(さるだひこ)の神などゝいひけるも鼻高(はなたか)くあやしき 顔(かほ)なりけるとぞ傳(つた)へ侍(はべ)る老子(らうし)は母(はゝ)の胎内(たいない)に在(あり)ける事八十 一 歳(さい)にして白髪(しらが)にて生れ給ふよし馬呈徳(ばていとく)が子も母の 胎(たい)にある事八歳にして生れたりたゞ髪(かみ)の長(ながき)事 尺餘(しやくよ)生 てよく物云たると五雜俎(ござつそ)に見えたり 本邦(ほんほう)反正天皇(はんしやうてんわう)は 【左頁】 生れ給(たま)ひたる時 骨(ほね)のごとくなる歯(は)三つはへ給へは三歯(みつば) 別(わけ)の尊(みこと)と申奉る清寧天皇(せいねいてんわう)は生れ給ひて御 髪(かみ)白く 長(なが)かりければ白髪(しらが)の皇子(わうじ)と申奉る武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)は生れ 落(おち)て物をいひはいありき歯(は)生(おひ)たりと申傳へ侍る此等(これら)の 類今の世にもまゝ多き事なりしかれ共 鬼子(おにご)といひて ひねり殺(ころ)し水に流(なが)す者あり是 道理(だうり)にくらき故なり 天地造化(てんちざうくは)の変(へん)なればケ(か)様(やう)なる事いくらもあるべき事と 心得て育(そだて)をくべきなり此子 長生(ちやうせい)の後いかやうなる名(めい) 人(じん)にか成ぬべきはかりがたし又七ヶ月八ヶ月にて生れ 其形もはなはだ弱(よは)くちいさくてそたつべき共見えぬ 生れ子を月たらずの児子(ちご)とて殺(ころ)す類多し魏畧(きりやく)に 【右頁】 姜人(きやうひと)【羌人ヵ】は孕(はら)む事六ヶ月にして産(さん)するよし博物志(はくぶつし)に 僚人(れうひと)は孕む事七ヶ月にて産すと見えたり時珍(しちん)の説(せつ)に 七ヶ月の子八ヶ月の子 共(とも)に生育(せいいく)するなりその内七ヶ月 の子は猶更(なをさら)よくそだつなり七は陽数(ようすう)にしてよく変(へん)ずれ はなりと見えたり必そだつべき事なり或(あるい)は又生子に之も いへぬ不具(ふぐ)なる者あり盛長(せいちやう)して後も人前(にんぜん)にも出(いだ)し がたき類の児は親(おや)の心にまかすべきなり ◯生れ子の手足(てあし)の指(ゆび)に駢拇(へんぼ)とて指(ゆび)の六つある者あり 生れたる時にそのまま切たつ時は血(ち)多(おほ)く出て死(し)に至(いた)る類 多し必三四歳の時分上手の外科(けくわ)に頼(たのみ)て切たつへし 少 跡(あと)の付までにて見苦(みぐるし)きにいたらずいまだ物の心もわ 【左頁】 かぬ時に切たるがよきなり十五六歳にもいたればその 見 苦(ぐるし)き事をおもひて切とらんとすれ共 指(ゆび)もふとくな りてかへつて切にくきなり能〻心得へき事なり ◯生れ子 惣身(そうみ)に皮(かは)なくして倶(とも)に紅(くれなひ)の肉(にく)ばかりなるもの ありこれ脾胃(ひゐ)の氣(き)不足(ふそく)なる故なり早米粉(わせごめのこ)を細(こまか)に してうちつくれはすなはち皮(かは)生(せう)ずるなり皮生ずるをまち てやむべしと王隠君(わうゐんくん)の説(せつ)に見えたり此事 本邦(ほんほう)にても まゝ多き事なり此 術(じゆつ)をなしてよくなりたる事まの あたり見しことなり此粉はずいぶん細(こまか)にしてよきなり ◯生れ子 惣身(そうみ)魚泡(ぎよはう)《割書:按ずるに魚泡(ぎよはう)とは魚の|腸(はらわた)の水ぶくれをいふ也》のごとく皮(かは)すきと をりて水晶(すいしやう)のごとくなるありこれを砕(くだけ)は流(ながれ)もれて水を 【右頁】 出し瘡(かさ)となるものあり蜜陀僧(みつだそう)の末(まつ)をすりぬれば必 愈(いゆる)なりと薛鎧(せつがい)の説(せつ)に見えたり ◯生れ子に穀道(こくだう)《割書:按ずるに穀(こく)道とは|大便(だいべん)通(つう)ずる穴(あな)をいふ也》の穴(あな)なき者あり大便(たいべん) 通(つう)ぜざるによりて急(きう)に死(し)するにいたる速(すみやか)に金銀(きん〴〵)の 簪(かんざし)の類(るい)をもて其穴の所を刺穿(さしうがつ)べし或は簪(かんざし)を焼(やき) 針(ばり)にして刺穿(さしうがつ)もよきなり必ふかくさす事なかれ其 後 蜜導(みつだう)を以ひたと肚門(こうもん)にひねり入れい【はヵ】かならす大便(だいべん)通(つう) じて穴(あな)ひろくなると王隠君(わうゐんくん)の説に見えたり是 亦(また) 本邦(ほんほう)にてもまゝ多き事なり《割書:啓益|》ひとりの小児此 症(せう) あるを治(ぢ)するに銀(ぎん)の簪をやきて刺(さし)うがちて其あとに 鉛(なまり)を針(はり)のごとくにこしらへてひたと穿(うがち)ければ其穴 【左頁】 漸(ぜん)〻(〴〵)に廣(ひろ)くなりて大便通して長 生(せい)せしなり鉛(なまり)の性(しやう) はよく肉(にく)に入るの能(のう)あるを以の故(ゆへ)なり烏銃(てつほう)【鳥の誤】の玉を鉛にて するも人の肉にいらしめんとの事なり蜜導(みつだう)とは蜂蜜(はちみつ) を重湯(ゆせん)にてひたとねりて飴(あめ)のやうにして手に胡麻(ごま)の 油をつけてもみて長(なが)くして肚門(こうもん)にさすなり   ㊆小児(せうに)諸病(しよびやう)の説《割書:上|》 ◯《割書:啓益|》按ずるに小児はたゞ大小 便(べん)の事を常(つね)に心を付 て見るべし大小便つねによく通(つう)じて襁褓(むつき)尻(しり)あての 類をとりかゆる事しきりなるほどある小児は病なし と心得べし少にても大小便 滞(とどこほ)る時は病ありとしるべし 小児初て生れて黒き大便を通(つう)ずるなりこれを蟹(かに) 【右頁】 糞(こゝ)といひ又 蟹(かに)ばこといふ此 黒(くろき)大 便(べん)沢山(たくさん)に通(つう)じたる小 児は無病(むびやう)なるものなりこれを蟹糞(かにこゝ)と名付(なづく)る事 は豊玉姫(とよたまひめ)彦波㶑武鸕鷀羽葺不合尊(ひこなきさたけうがやふきあはせずのみこと)を生給ふ時 海(うみ) の神(かみ)の御 娘(むすめ)なれば御産房(おんうぶや)海(うみ)の濱(ほとり)なりけれは蟹(かに)來り て皇子(みこ)の御 大便(だいべん)を喰(くひ)けるによりて掃守(かんもり)の連(むらじ)の遠(とを)つ 祖(をや)天忍人命(あまのをしひとのみこと)つかへ奉りて箒(はうき)を作(つく)りて蟹(かに)を拂(はら)ひ退(のけ)給 ふゆへに鋪役(しきもの)をつかさどり掃除(そうぢ)の事を職(しよく)として蟹守(かにもり) と号(がう)す今世(いまのよ)の掃守(かもん)といふは蟹守(かにもり)の云替(いひかへ)なりと古語(こご) 拾遺(しうい)に見えたり又大便をこゝといふはこゝとは数(かず)多(おゝ)しとか きてこゝらとよみて物の多き事をいふ大便は穢(けがら)はしき もの多(おほ)く下るを以名付たるなり又大便をはこといふは 【左頁】 いにしへはさしたる箱(はこ)に大便をうけて取(とり)たるによりて はこといふなり今時も曲物(わげもの)にてこしらへたるを丸(まる)といふの 類におなじ ◯李梴(りぜん)の説に小児の病多くは胎毒(たいどく)或は乳食(にうしよく)の致(いた)す所 なり外よりの風邪(ふうじや)寒邪(かんじや)の病は十にして一二なりと見えたり 《割書:啓益|》おもふに今時の小児は母の胎内(たいない)にある時其母 身持(みもち)あし く厚味(こうみ)をたしみ色慾(しきよく)をおもひ房事(ばうじ)を犯(おか)すにより胎中(たいちう) に𤍽(ねつ)毒(どく)多(おほ)き故其 氣(き)にあたり其上 小児(ちご)生れんとする時 子(こ) 宮(ふくろ)をわかち道をもとめて出るにはや其口あればのみ食(くら) ふ心あり胎内の穢毒(けがれたるとく)を含(ふく)み又は生れ下る道路(たうろ)にて穢(けかれ) たる物を飲(のみ)已(すで)に生れ下ていまだ取舉(とりあげ)ぬうちにまづその 【右頁】 穢(けがれ)をのむによりて日を経(へ)て種(しゆ)〻(ゞ)の病となるしかれは小児 の病はかならず胎毒(たいどく)を第一とすべきなり又小児うまれ下り 取挙(とりあげ)て後ははや己(おのれ)が拳(こぶし)を口に入て吸(すは)んとし已(すで)に乳(ち)を のましむればその乳(ち)をさぐりもとむるの心あり日を経(へ) 月をかさぬるにしたがひては乳を吸(すひ)物(もの)をくらふ事をのみ おもひてたゝ別(べつ)のおもひなくその上 傍(かたはら)の者もその愛箸(あいじやく) にひかれて乳をあたへ過(すご)し食(しよく)をくはせ過すによりてその 病多くは乳癖(にうへき)《割書:按するに乳癖(にうへき)とは小児乳をのみ過|して腹(はら)に滞(とゞこを)りてつかへふさがる病を云》と食滞(しよくたい)とより 起(おこ)る事なり外より來る風寒暑湿などの病は傍(そば)より心 をつけて其氣にあたらぬやうにふせぎまもる事なれば 外よりの病を第二とする事なりと心得べきなり 【左頁】 ◯《振り仮名:胎𤍽|たいねつ》懸癕(けんよう)といふ病あり小児生れ下ると其まゝ死(し)に 至(いた)るなり急(きう)に生れ子の口のうちを見るへし咽(のんど)の會厭(ゑゑん)《割書:按ずる|會厭》 《割書:とは咽(のんど)の奥(おく)のひこと|いふものをいふなり》の所或は腭(あきと)の上に白泡(はくはう)《割書:按ずるに白泡とは和俗いふ |所の水ぼとて粟粒(あはつぶ)のごとき》 《割書:をいふ》ありて粟粒(あはつぶ)のごとし指(ゆび)を以 摘破(つみやぶれ)れば血(ち)出(いづ)るなり其 血(ち)を拭去(ぬぐひさる)べしかくのごとくすれは啼聲(なきごへ)出て甦(よみがへ)るなり其 白(はく) 泡(はう)より出る所の血を咽(のんど)の中にいらぬやうにすべしあやま つて咽にいれは必 死(し)する也と王隠君(わうゐんくん)の説(せつ)に見えたり 甘豆湯(かんづたう)を用たるがよきなり甘草(かんざう)黒豆(くろまめ)竹葉(たけのは)燈心(とうしん)各(おの〳〵) 等分(とうぶん)これを甘豆湯(かんつたう)と名付(なづく)る也 本邦(ほんほう)にもまれにある 病なり惣(そう)じて小児(ちご)生(むま)れ下るとそのまゝ先いかなる生れ付 いかなる病かあると心を付べき事なり多(おほ)くは母にのみ心を 【右丁】 いれて生子に心をよせぬ類多し能々心得へき事なり ○小児しきりに呵欠(あくび)出る事あらばこれ病のきさすとしる べしと王隠君(わうゐんくん)の説に見えたり《振り仮名:ケ様|かやう》なる時は早(はや)く驚(おどろき)療(りやう) 治(ぢ)すべきなり多(おほ)くは乳のみ子は吐乳(とにう)をなす又は熱(ねつ)ある なり其時は二陳湯(にちんたう)を用へし 白茯苓(びやくぶくりやう) 陳皮(ちんひ) 半夏(はんげ) 《割書:各(をの〳〵)等(とう)|分(ぶん)》 甘草(かんざう)《割書:少許(すこしばかり)》これを二陳湯(にちんたう)といふ也此方に黄連(わうれん)少 加(くは)へて生姜(しやうが)を少(すこし)いれて煎(せん)じ用べし又は小児 医師(いし)の家(か) 伝(でん)の五香湯(こかうたう)といふあり用てよし已(すで)に三四 歳(さい)にいたり て食滞(しよくたい)の気味(きみ)にて呵欠(あくび)する時は右の二陳湯に麦芽(ばくげ) 神曲(しんきく)砂仁(しやにん)を加(くは)へて用てよし風邪(ふうじや)のごとくにて熱ありて 呵欠するには二陳湯に黄芩(わうこん)葛根(かつこん)紫蘇(ちそ)を加へて用てよし 【挿絵のみ】 【右丁】 吐乳(とにう)するには二陳湯に黄連(わうれん)連翹(れんぎやう)を加(くは)へて用べし総じ て小児の病ありて薬(くすり)を用るにはいづれの方にも連翹(れんぎやう) 山(さん) 査子(ざし)を少加へて用る事 大秘密(だいひみつ)の妙(めう)なりその理(り)いたつ てふかししるしが多し口伝(くでん)心授(しんじゆ)すべき事なり《割書:予》が門(もん)に あそぶものならでは伝(つた)えがたし ○小児生れて六七日の後 陰嚢(いんのう)しゞまりて腹(はら)のうちにおさ まり入る者ありこれは寒冷(かんれい)の気にあたりてかくのごとし熱(ねつ) 湯(とう)に手巾(てぬぐひ)をひたして腹(はら)と陰嚢(いんのう)とをしきりに温(あたゝ)むべし かくのごとくすれは愈(いゆ)るなりと王隠君(わういんくん)の説に見えたり 此 症(せう)には五香湯(ごかうたう)よろし藿香(くはつかう) 木香(もつかう) 沈香(ぢんかう) 丁香(ちやうかう) 白芷(びやくし) 香(かう) 右 等分(とうぶん)にして用べし寒(かん)つよくは肉桂(につけい)を加えて白芷を 【左丁】 去たるがよきなり ○小児生れて一両月の内に臍(ほぞ)突出(わきいて)【ママ】て腫(はれ)其 色(いろ)赤(あか)く 痛(いた)む病あり臍突(さいとつ)といふなり庸医(ようい)《割書:下手(へた)医師(いし)|をいふなり》は大切(たいせつ)な る事といふをしらずたゞ臍風(さいふう)などゝいひて臍帯(ほそのを)のた ちめより風などの入たるごとくおもひて軽々(かろ〴〵)しく心得 治(ぢ) をあやまる事多しと生々子(せい〳〵し)の説に見えたり早(はや)く驚(おどろ) き上手の医師(いし)をたのみて療治(りやうぢ)すべきなり此 症(せう)を治(ぢ) するには赤小豆(しやくせうづ) 豆鼓(づし) 天南星(てんなんせう) 白斂(びやくれん)《割書:各一|匁》右 細末(さいまつ)し て毎(つね)に五分を用て芭蕉(ばせう)の葉茎(はくき)をすり砕(くだ)きて其 汁(しる) をとりて此 粉薬(こぐすり)をねりて臍(ほぞ)の四方(しはう)につくる事一日に 一両度すれは小便に白き物を通して平愈(へいゆ)するなり 【右丁】 《割書:啓益》つねにこゝろみて験(しるし)をとる事 多(おほ)し又 小児(ちご)により て此 症(せう)とはちがひて五六歳までも臍(ほぞ)の突出(つきいて)たる者 ありこれは其色もつく事なく痛(いたみ)もなくたゞ臍(ほぞ)の出た る計(ばかり)にて何の煩(わづらい)もなき者なり療治(りやうぢ)する事なかれ 七八歳にいたれば多くはひとりへりて常(つね)のごとくなる なり見 苦(ぐるし)くおもひてはやくへらさんとおもはゞ夏(なつ)の時 にその児(ちご)袒(はだか)になりて遊(あそ)ぶ時おもひがけなきによくねら ひて杖(つへ)のさきを円(まどか)か【衍ヵ】にしてきぬにてよくつゝみてその 杖のさきにて臍突(さいとつ)のうへをつく時はかならず一両月の うちにその臍突へるものなり是また築紫(つくし)の方(かた)の 野人(やじん)の一術(いちじゆつ)なり小児のおもひがけなき時をつくによ 【左丁】 りて築紫(つくし)の方にては此事を瞽者(めくら)にさする事なり 瞽者(めくら)はつくべきとも小児おもはぬ所をつく故(ゆへ)なるべし ○臍風(さいふう)の症(せう)は臍帯(ほそのお)を断(たち)たるその断 目(め)より水湿(すいしつ)の気(き) 入又は風邪(ふうじや)いりて臍(ほそ)腫(はれ)腹(はら)脹(はり)口 撮(つま)みて啼(なく)事多く乳(ち) を飲(のむ)事あたはざるなり防風散(ばうふうさん)を用たるがよきなり防(ぼう) 風(ふう) 羌活(きやうくはつ) 白芷(びやくし) 当帰(とうき) 黄茋(わうぎ) 甘草(かんざう) 《割書:各等|分》右 細末(さいまつ)し て少許(すこしばかり)づゝ灯心の煎湯(せんとう)にて用べきなりこれを防風(はうふう) 散(さん)と名付(なづく)るなり臍風(さいふう)の病 経絡(けいらく)に入れは多くは変じて 癇症(かんせう)となる又 臍(ほそ)の辺(へん)青黒(あをくろく)して口 撮(つま)みて開(ひら)かざる を臍風(さいふう)撮口(さつこう)といひて治(ぢ)しがたし爪甲(つめのかう)黒(くろき)者は死症(しせう)と しるへきなり 【右丁】 ○初生の小児 眼(まなこ)閉(とぢ)て開(ひらか)ざる者ありこれ産母(さんぼ)熱物(ねつぶつ)を 食(く)らふ事 多(おほ)きによつて致(いた)す所なり熊胆(くまのい)少ばかり湯(ゆ)に てとき眼(まなこ)の上(うへ)をあらふべし一日に七八度あらへは多くはひゝ く也もし三日と開(ひらか)ざる時は生地黄湯(しやうぢわうたう)を用べし生地黄(しやうぢわう) 赤芍薬(しやくしやくやく) 川芎(せんきう) 当帰(とうき) 爪蔞根(くはろうこん)《割書:各等|分》甘草(かんざう)《割書:少計》 右 細末(さいまつ)して灯心(とうしん)の煎湯(せんとう)にて少(すこし)許用へし除春甫(しよしゆんほ)【徐とあるところ】の 説に見えたり《割書:啓益》つねに此方を用て験(しるし)をとる事多し ○小児しきりに舌(した)をすこしあらはしては又 納(おさめ)するを 弄舌(ろうぜつ)の症(しやう)と名付(なづく)と薛鎧(せつがい)の説(せつ)に見えたり是病のき ざすと心得て早(はや)く驚(おどろ)き上手の医師(いし)に見せて療治(りやうぢ) すべきなり保嬰全書(ほうゑいせんしよ)に弄舌(ろうぜつ)は脾(ひ)の蔵(ざう)に熱(ねつ)あるなり 【左丁】 瀉黄散(しやわうさん)によろし 藿香葉(くはつかうよう) 山梔子(さんしし)《割書:各二|分》軟石膏(なんせきかう) 防風(ばうふう) 甘草(かんざう)《割書:各一|分》右 調合(てうがう)して水はかりにて煎(せん)じて 用べきなり ○小児 夜啼(よなき)の症(せう)は初(はじ)めて生れたる月の内に夜啼する はよき事なり胎毒(たいどく)の気(き)かならず散(さん)ずる故なりと王(わう) 隠君(ゐんくん)の説に見えたり夜啼(よなき)は多くは薬(くすり)を用におよはず 呪法(ましなひ)にて治(ち)する事多しそれゆへに諸(もろ〳〵)の方書(はうしよ)にさし 立たる薬方(やくはう)なし灯心(とうしん)を焼(やき)て灰(はい)として母の乳(ち)の上に つけて小児をしてこれを吮(すは)しむべし又 朱砂(しゆしや)を蜜(みつ)にて ときて児のねゐりたるひまに口に流(なが)し入れてよし朱(しゆ) 砂(しや)をすりて甲寅(きのへとら)といふ二字(にじ)を書て枕(まくら)の上の壁(かべ)に貼(のりづけ)に 【右丁】 すれば必 啼(なき)やむなり昔(むかし)平(たいら)の忠盛(たゞもり)朝臣(あそん)白河院(しらかはいん)より祇(ぎ) 遠(おん)女御(によご)といふ女房(にうぼう)を給(たま)り【ママ】て生(うみ)たる子 夜啼(よなき)する事しき りなるよしを白河院 聞召(きこしめし)て御製(ぎよせい)に  夜なきすとたゝもりたてよ末の世に   きよくさかふる事もこそあれ とあそはして給りけれはその児(ちご)啼(なき)やみけりとなり それゆへ此子を清盛(きよもり)と名付(なづけ)けるとぞいまも此 哥(うた)を 枕上(まくらかみ)の壁(かべ)にのりづけにすれば夜啼をやむるなりそ の外 種々(しゆゞ)の呪法(まじなひ)あり外よりなす事なれは害(がい)のな き事なればいかやうなる事をもなすへし ○初生(しよせい)の小児(ちご)大小 便通(べんつう)せず腹(はら)脹満(ちやうまん)して死するに至(いた)る 【左丁】 ものあり婦人(ふじん)をして熱湯(あつゆ)にて口漱(うかひ)をさせて生子の 胸(むね)の真中(まんなか)背(せなか)の真中(まんなか)臍(ほぞ)の下 手心(てのはら)足心(あしのはら)右の七所を其 色(いろ) 紅(くれなひ)になるほど吸(すひ)温(あたゝむ)ればすなはち大小便 通(つう)じて腹(はら)の脹(はり)よく なるなりと王隠君(わうゐんくん)の説に見えたり《割書:啓益》此事をたび 〳〵こゝろみて験(しるし)を取たる事なり ○小児は大小便つねによく通(つう)ずる時は病(やまひ)なしと嬰幼論(ゑいようろん) に見えたり小児の腹(はら)の間はいたつて短(みしか)き故(ゆへ)乳(ち)にてもふ さがり安(やす)しまいて食(しよく)は滞(とゞこほり)安きなり大小便に化(くは)する 時はめぐりて病なし大小便 通(つう)じかぬる時は病としり て療治(りやうぢ)をなすべきなり ○初生の小児五六日にいたりて大小便通せさる事あり 【右丁】 葱(ひともじ)の白根(しろね)二三寸ほときりて搗爛(つきたゞらか)して乳(ち)をしぼりて 盞(さかづき)に入れ葱(ひともじ)の汁(しる)を加(くはへ)て生子の口にそゝきいれ其上 にて乳を吮(すは)しむれは必(かならず)よく通(つう)ずるなりと嬰幼論(ゑいようろん)に見え たり《割書:啓益》常(つね)に大小便通ぜず又乳をあます小児を治(ぢ)す るに葱の白根(しろね)二寸ばかりに切て乳をしぼりて盞(さかづき)に入れ 重湯(ゆせん)にてあたゝめ此葱の白根をひたす事十 度(ど)ばかり して小児にのましむれは共(とも)に験(しるし)をとる事多し是 秘(ひ) 蔵(さう)の事なり ○小児二三歳の比 別(べつ)に病といふ事もなく口より大便(たいべん) を出(いだ)す症(せう)あり此事 奇怪(きくわい)なる症(せう)にして世に希(まれ)なる病 なり元禄の初年(しよねん)に京都(きやうと)五条(ごでう)あたりに此病を患(うれ)ふる児(ちこ) 【左丁】 ありけり種々(しゆゞ)【注】の医薬(いやく)をあたへ神(かみ)に仏(ほとけ)に祈(いの)る其 父母(ふぼ)たる 者 手足(てあし)を置(をく)に所なしその姨(おば)なる人もとはある大名(たいめう)に 宮(みや)づかへせしが年老(としおひ)ていまは南都(なんと)にあり或時京への ぼり此事を見て涙(なんだ)を流(なが)し申けるはわれ若(わか)き時 草(さう) 紙(し)をよみけるに此事ありと覚(おぼ)えたり葱の白根(しろね)を 煎(せん)じてあたへて見よと云ければ父母 悦(よろこ)びいそき葱 の白根を煎し一日一夜に五六度 宛(あて)用る事二七日に して大便の口より出る事やみて一月の後に怪(あや)し き虫(むし)の蛇(へひ)のごとくなるを下して再(ふたゝ)び発(おこ)る事なかり しと其 隣家(りんか)の隠士(いんじ)城氏(じやううじ)某(それがし)予(よ)に語(かた)りけるにより てその草紙(そうし)はいかなる書(ふみ)に侍(はべ)るやと問(と)ひけれ共(ども)其 名(な)を 【注 振り仮名を「しゆ〴〵」としないで「しゆゞ」としている。この表記は62コマ1行目にも見える。】 【右丁】 覚(おぼ)え侍らずと答(こたへ)しなり此人 言(こと)を食(はむ)者にあらず其後 《割書:啓益》暇(いとま)の日 法苑珠林(はうおんじゆりん)を考(かんかふ)る事ありしに此病にひ としき事を載(のせ)たり法苑珠林百十巻 賞罰(しやうばつ)の篇(へん)に 阿育王経(あいくわうきやう)にいはく阿育王(あいくわう)の病 口中(こうちう)臭(くさ)き事 糞(ふん)のご とく身中(しんちう)の毛孔(けあな)より糞汁(ふんじう)流出(ながれいで)て臭(くさき)事 限(かきり)なし阿(あ) 育王(いくわう)の后(きさき)帝失羅(ていしつら)国中(こくちう)に触(ふれ)をなして王(わう)の病(やまひ)に似(に)たる 者あらば召連(めしつれ)て来るべしと在けれはひとりの小児王の 病にひとしき者ありて来れり此児の腹(はら)を割(さき)てみれは 怪(あや)しき形(かたち)の虫(むし)ありて動(うご)き走(はし)る医師(いし)に仰(おほ)せてさま 〴〵の毒薬(どくやく)を以せめけれども此虫ひるむ事なし葱(ひともじ)の 白根(しろね)の煎汁(せんじしる)をそゝぎかけたれは忽(たちまち)死(し)にけり則(すなわち)葱の 【左丁】 白根の煎汁を阿育王(あいくわう)にすゝめ奉りけれはあやしき 形(かたち)の虫大便より通(つう)じて其病 愈(いへ)たりと見えたり《振り仮名:ケ様|かやう》 なる事も世(よ)にあること事なれは医師(いし)たらん者は見聞(けんぶん)に 広(ひろ)ければ其 益(ゑき)多(おほ)き事なりいま城氏(しやううぢ)の物かたりにひとし ければこゝにしるし侍りぬ 小児必用養育草巻二終 【裏表紙】 【表紙 題箋】 《題:□□必用記 《割書:三|□》》 【資料整理ラベル ➀】 493.98  Ka87 【資料整理ラベル ② 横書き】 日本近代教育史  資料 【右丁 文字無し 鎧を着装した武士の絵の落書あり】 【左丁】 小児(せうに)必用(ひつよう)養育草(そだてくさ)巻三           牛山翁(ぎうさんおう)  香月啓益(かつきけいゑき) 纂(さんす)【左ルビ:あつむ】   ㊀小児(せうに)諸病(しよびやう)の説《割書:下》 ○小児の病(やまひ)大小となく多くは吐乳(とにう)より起(おこ)ると保嬰論(ほうゑいろん)に 見えたり小児 乳(ち)をあます事あらば病のきざすと 心得て早(はや)く驚き療治(りやうぢ)すべきなり 二陳湯(にちんたう)に加減(かげん) して用べきなり 連翹(れんぎやう) 砂仁(しやにん)を加(くは)へて用たるがよき也 総【惣】じて吐乳(とにう)の症(しやう)に寒熱(かんねつ)虚実(きよじつ)をとはず連翹を用 ときは其 験(しるし)多し秘(ひ)すべき事なり ○孫対微(そんたいび)の説に小児の鵞口瘡(がこうさう)といふ病は口中(こうちう)皆 白(しろ)く 【蔵書印】 後藤文 庫之印 【右丁】 して鵞(か)の口中(こうちう)のごとしこれ胃中(いちう)の熱毒(ねつどく)なりと云 へり和俗(はぞく)【注】雪口(ゆきくち)といひ又は舌(した)しとぎといふなり昆布(こんぶ)を 黒焼(くろやき)にして細(こま)かにして鳥(とり)の羽(は)につけて舌(した)の上(うへ)口中 をはけばその黒焼につきて白き物皆とれて愈(いゆ)るな り少し舌にしむ気味(きみ)あれば小児 啼(なき)てつけさせぬ 類(たぐひ)ありしゐてつくべき也かならず治(ぢ)する事なり鵞(か) 口瘡(こうさう)を治(ぢ)するに黄連(わうれん)を細末(さいまつ)して蜜(みつ)にてときて付(つく) れは験(しるし)多し鵞口瘡にて小児 乳(ち)を吮(すふ)事あたはざる に加減(かげん)清胃散(せいゐさん)を用べし黄芩(わうこん) 黄連(わうれん) 升麻(しやうま) 石膏(せきかう) 連翹(れんぎやう) 辰砂(しんしや) 黄柏(わうばく) 生甘草(しやうかんざう) 《割書:各等|分》 右 細末(さいまつ) してさゆにてもよし煎薬(せんやく)にしてもよし 【左丁】 ○生々子(せい〳〵し)の説に上腭(うはあご)腫(はれ)て舌の下に肉(にく)出来ものあり 重舌(ぢうぜつ)と名付(なつく)と見えたり和俗(わぞく)に小舌(こじた)といふ早く驚(をどろ)き 療治(れうぢ)すべき事なり頷(をとがひ)の下の真中(まんなか)に廉泉(れんせん)の穴(けつ)といふ 所あり此所に灸(きう)する事四五 壮(さう)ほどなれば小舌しゞまり て愈(いゆ)るなり秘蔵(ひさう)の事なり重舌(ぢうぜつ)の症(しやう)に 当帰連(たうきれん) 翹湯(きやうたう)を用べし 当帰尾(たうきび) 連翹(れんぎやう) 白芷(びやくし) 《割書:各等|分》 大黄(たいわう) 甘草(かんざう) 《割書:各半|分》 右その小児の大小によりて服(ふく)を かげんして水ばかりにて煎(せん)じ用ゆべし其 験(しるし)多し ○嬰童百問(ゑいどうひやくもん)に木舌(もくぜつ)の病は心脾(しんひ)の積熱(しやくねつ)のなす所なり 其症 舌(した)腫(はれ)て漸々(ぜん〳〵)に脹大(ちやうだい)にして口中に満塞(みちふさがる)なり重(ぢう) 舌(ぜつ)木舌(もくぜつ)共(とも)に煎薬(せんやく)は当帰(たうき) 連翹湯(れんぎやうたう)を用べし蒲黄(ほわう)の 【注 16行目に和俗(わぞく)とあり。おそらく原文は「ワぞく」と振られていたのでは。】 【右丁】 末(まつ)を香色(かういろ)にいりて蜜(みつ)にてときて舌(した)にぬるへし又 黄(わう) 栢(ばく)の粉(こ)を蜜(みつ)にときてぬるもよきなり ○走馬疳(そうはかん)とは口に瘡(かさ)生して血を出(いだ)し口中 臭(くさ)く歯(は) 齦爛(ぎしたゞ)れ歯(は)黒く歯悉く脱落(ぬけおち)頷(をとがひ)に穴(あな)を生(しやう)して死(し)する に至るなりと王隠君(わうゐんくん)の説に見えたり和俗(わぞく)歯(は)くせといひ 又その死(し)すみやかなるによりて早(はや)くせといふ此 症(しやう)は 火急(くはきう)の事なれは小児口中 臭(くさ)き事あらば早(はや)く驚(おどろ) き上手の医師(いし)に頼(たの)みて療治(りやうぢ)すべし走馬牙疳(そうばげかん)を治 するに清胃升麻湯(せいいしやうまたう)によろし 升麻(しやうま) 川芎(せんきう) 半夏(はんげ) 白芍薬(びやくしやくやく) 《割書:各等|分》 葛根(かつこん) 黄連(わうれん) 生甘草(しやうかんさう) 防風(はうふう) 白芷(びやくし) 白朮(びやくじゆつ) 軟石膏(なんせきかう) 《割書:各半|分》 右の薬(くすり)調合(てうがう)して 【左丁】 水煎(すいせん)し用ゆべし外には 黄栢(わうばく) 蒲黄(ほわう) 捂棓子(ごはいし) 枯礬(こばん) 《割書:各等|分》 細末(さいまつ)して先 米泔汁(こめのどきしる)【ママ】を湯(ゆ)に沸(わか)して 口中をあらい口漱(うがひ)させて此 粉薬(こくすり)を患(うれ)ふる所にすり ぬるべし其験すみやかなり ○銭仲陽(せんちうよう)の説に驚風(きやうふう)の病は小児の元気(げんき)弱(よは)く神魂(しんこん) いまだ定(さだ)まらざる故(ゆへ)あやしき形(かたち)の物をみせ或(あるひ)は厲(はげし) き響(ひゞき)のある器(うつは)などの鳴(なる)声(こへ)を聞て心神(しん〴〵)を驚(をどろか)し 躁(さは)ぎおびえて眼(まなこ)を見つめ手足(てあし)を動(うごか)し搐搦(ちくでき)《割書:搐搦と|は手足》 《割書:をひくつかす|をいふ》し痰沫(たんあは)を吐(はき)て死(し)にいたる病の勢(いきほひ)の火急(くはきう) なる事を急驚風(きうきやうふう)と名付(なづけ)病のゆるやかなるを慢驚風(まんきやうふう) といふなりと云へり小児の病は外よりの風にても内よ 【右丁】 りの食滞(しよくたい)にても多くは驚風(きやうふう)に変(へん)ずるなり此の病のき ざしあらは早く驚(をどろ)き上手の医師(いし)にたのみて療(りやう) 治(ぢ)すべし油断(ゆだん)して治(ぢ)せざれば癖(くせ)になりて五日七 日にひたとおこりて年(とし)長(ちやう)じて後は癲癇(てんかん)の病(やまひ)と成 て廃人(すゝろびと)になる者なれば小児の病のうちにては此病を 第一の重(おもき)病としるべきなり ○驚風 始(はじめ)ておこり眼(まなこ)を見つめ又は上竄天弔(しやうさんてんてう)とて眼 を上の方につりあげ火急(くはきう)なる時は牛黄清心円(ごわうせいしんゑん)万病(まんびやう) 解毒丹(げどくたん)紫金錠(しきんぢやう)玉枢丹(ぎよくすうたん)など云薬又は奇応丸(きおうぐわん)奇効(きかう) 丸(ぐわん)命蘇丸(めいそぐわん)至宝丹(しほうたん)なとゝ云薬の類(たぐひ)の龍脳(りうのう)麝香(じやかう)な どの多(おほ)く入葉をきざみて水にて成共さゆにて成共 【左丁】 又はしやうがの汁(しる)をさしたる湯(ゆ)にて成共用ゆべし かくのごとくして元気(げんき)甦(よみがへ)り痰(たん)退(しりぞき)て後 煎薬(せんやく)を用 べきなり上にいふ所の名方(めいはう)は医師の家に伝(つた)へ来り 或は薬肆(くすりや)又は今時は売薬(うりくすり)所に調合(てうがう)してあればそれ を求(もと)め畜(たくは)へをき用意(ようい)すべししげき故にこゝにしるさ ず扨甦りて後には二陳湯(にちんたう)《割書:此方前にしるす|かんがふべし》に釣藤鉤黄(てうとうこうわう) 連(れん)を加(くは)へて用べし ○急驚風(きうきやうふう)を治するに金棗化痰丸(きんそうけたんぐわん)といふ名方(めいはう)あり 天麻(てんま)《割書:七匁》 南星(なんしやう) 半夏(はんげ) 《割書:各二|匁》 白附子(びやくぶし) 全蝎(ぜんかつ)《割書:各一|匁》 硃砂(しゆしや) 硼砂(ほうしや) 雄黄(おわう) 枳実(きじつ)《割書:各一匁|五分》 珍珠(ちんじゆ) 《割書:五分》 麝香(じやかう) 《割書:三分》 槐角(くわいかく) 《割書:七匁》 連翹(れんぎやう) 釣藤鉤(てうとうこう) 《割書:各三|匁》 山査子(さんざし)《割書:五匁》 【右丁】 右 細末(さいまつ)して大なる棗(なつめ)の熟(じゆく)して金(こがね)の色(いろ)のごとく なるを三十三 枚(まい)をとりて核(さね)を去(さり)て其 中(なか)に巴豆(はづ) を一粒(ひとつぶ)ツヽいれて三十三枚皆かくのごとくして麦(こむぎ) 麪(のこ)を水にてこねて棗(なつめ)をつゝみ紙に五重(いつへ)ほどつゝみ 水にひたしてあつ灰(はい)にいけて煨(うい)【「わい」の誤ヵ】して扨その棗(なつめ) の中の巴豆(はづ)を去て棗の肉(にく)を竹篦(たけべら)にてこそげとり て右の細末(さいまつ)の薬をねりかたき時は米糊(こめののり)少を加(くは)へて 丸(ぐわん)ず丸薬(ぐわんやく)の重(おもさ)二分にして金箔(きんばく)を衣(ころも)にかけて 一歳(いつさい)には一丸(いちぐわん)二歳には二丸と年(とし)の数(かず)に応(おう)じてさゆにて 用又 生姜湯(しやうがゆ)にて用てよし甚(はなはだし)き時は薄荷(はつか)の煎湯(せんしゆ) にて用もよし此方は諸(もろ〳〵)の医書(いしよ)にのせたりされ共此 【左丁】 方は除春甫(じよしゆんほ)【徐とあるところ】の方を本として加減(かげん)して予(よ)が家(いへ)古(こ) 来(らい)より伝(つた)へ来る名方にして大秘蔵(だいひさう)の事なれ共其 験(しるし)多き方(はう)なれは世のため人のためにもやとこゝにし るし侍りぬ ○急驚風(きうきやうふう)は多くは大便(だいべん)を下して利(り)を得る事多し 備急丹(びきうたん)などゝ云下し薬を用る事もあり急驚風 にて危(あやうき)に至らは霊妙丸(れいめうぐわん)にて下すへし 南星(なんしやう) 半夏(はんげ) 《割書:各四|匁》巴豆(はづ) 《割書:殻(から)【売は殻の略字】を去(さり)て酒(さけ)にて煮(に)て|乾(かは[か])して五匁》 全蝎(ぜんかつ) 《割書:三匁》 辰砂 《割書:三匁半分は|薬(くすりの)中に入》 《割書:半分は衣と|すべし》 姜蚕(きやうざん) 《割書:各八|分》 大黄(たいわう) 《割書:二匁》 軽粉(けいふん) 《割書:五分》 右細末して水糊(みづのり)にて丸ず黍(きび)の大にして三丸を用ゆべし 或(あるひ)は蜜(みつ)にてねりて用るも有此 霊妙丸(れいめうぐわん)の方 諸書(しよ々)にのせ 【右丁】 たり万病(まんびやう)回春(くはいしゆん)には此丸薬を金銀湯(きん〴〵たう)にて用るとあり 其外の書にも此等(これら)の薬(くすり)を金銀湯にて用るとある事 はあやまりなり金銀(きん〴〵)薄荷湯(はつかたう)の事なり河澄(かちやう)の説(せつ) に金銀薄荷とは即(すなわち)金銭薄荷(きんせんはつか)是也今 家園(かゑん)の 薄荷の葉(は)円(まろく)して小(ちいさき)もの其 形(かたち)金銀 銭(せん)に似(に)たるの 義なりと侍れはみな薄荷の煎湯(せんたう)にて用る事な り此事をしらぬ人は金銀をせんじたる汁(しる)にて用るあ り此説 除春甫(しよしゆんほ)【徐とあるところ】の古今医統(ここんいとう)につまびらかなり能々心 得へき事なり ○急驚風(きうきやうふう)愈(いへ)て後 調理(てうり)には六君子湯(りつくんしたう) 人参(にんじん) 白朮(ひやくじゆつ) 白茯苓(びやくふくりやう) 陳皮(ちんひ) 半夏(はんげ) 《割書:各等|分》 甘草(かんざう) 《割書:少(すこし)許》 これを六君(りつくん) 【左丁】 子湯(したう)といふなり此人参には朝鮮(てうせん)人参ならは三厘(さんりん)加べし 朝鮮 鬚(ひげ)人参ならば五厘(ごりん)ほど加ふべし生姜(しやうが)棗(なつめ)をいれて 煎(せん)じ用べし近来(きんらい)京都(きやうと)の医者(いしや)いつの比よりやらん薬に 棗(なつめ)を入る事をせずそれゆへ今時の医師の薬の書付 に棗をいるゝといふ事をせず病家(びやうか)にも棗をいるゝ事を しらず習(なら)つてさつせざる故に甚(はなはだ)しきものは棗をいる る事は当世には嫌(きら)ふなどいひていれさせぬ医もあり これ薬に棗をいるゝの理(ことわり)をしらぬ故なり生姜(しやうが)は味(あぢはひ)辛(から)く して発散(はつさん)し諸(もろ〳〵)の薬毒(やくどく)を解(げ)し水毒(すいとく)を解(げ)する以多 くは生姜のいらぬ薬とてもなきなり棗は味(あぢはひ)甘(あまく)して 脾胃(ひゐ)を補(おぎな)ひ百薬(ひやくやく)を調和(てうくは)するの功能(こうのう)ありこゝを以 生姜(しやうが) 【右丁】 と棗(なつめ)とを服薬(ふくやく)のうちにかならずくはゆる事なり古書(こしよ) に入来りたるをいまわたくしにむつかしなどおもひてかく する事はさて〳〵あらき事共なり《割書:予(よ)》つねに用るに棗 をきざみて薬箱(くすりばこ)に入 畜(たくはへ)て調合(てうがう)の時かならず加(くは)へてあ たゆるなり今時の病家(びやうか)に棗(なつめ)を入よなといへばあやしき 事のやうにおもふ者多し《割書:予(よ)》が門(もん)にあそぶ者かならず此(これ) 等(ら)の麤工(そかう)にならふ事なかれ此 六君子湯(りつくんしたう)に木香(もつかう)砂仁(しやにん) 釣藤鉤(てうとうこう)山査子(さんざし)を加(くは)へて驚風(きやうふう)の調理(てうり)の薬に用べき也 ○慢驚風(まんきやうふう)の症(しやう)は或(あるひ)は急驚風(きうきやうふう)の症(しやう)危(あやうき)に逢(あふ)てみだり に涼薬(りやうやく)を用ひ過(すご)し或は下す事 甚(はなはだ)しくして伝変(てんべん)し 或は吐逆(ときやく)吐乳(とにう)やまず泄瀉(せつしや)痢病(りびやう)久しくいへずして臓府(さうふ) 【左丁】 虚(きよ)し或は風邪(ふうじや)腸胃(ちやうい)にいつて大便(だいへん)おぼえず下りると する類(たくひ)かならず慢驚風(まんきやうふう)に変(へん)ずるなり其症(そのしやう)日夜(にちや)盗汗(とうかん) 出て睡(ねふる)る事を好(この)み咽(のんど)渇(かはき)四肢(しいし)《割書:手足(てあし)の|四つをいふ》浮腫(ふしゆ)【左ルビ:うそはれ】大小便 秘結(ひけつ) し或は口臭(くちくさ)く走馬牙疳(そうばげかん)となり目を経(へ)ては癲癇(てんかん)に 変(へん)じて終(つい)に死(し)するにいたるなり其中 脾胃(ひい)虚寒(きよかん)し て泄痢(せつり)するものは治(ぢ)しがたしとしるべし理中湯(りちうたう)を用 ゆべし 白朮(ひやくじゆつ)《割書:五分》 人参(にんじん)《割書:二分》 甘草(かんざう)《割書:壱分》 乾姜《割書:二分》 右 剤 右 剤(さい)となしなにもいれず水にて煎(せん)じ服(ふく)すべし汗(あせ)あら は黄茋(わうき)をかへてよし大便 不禁(ふきん)《割書:不禁とは大便ひたと通じ|て其 数(かず)をおぼえぬをいふ》 ならは山薬(さんやく)蓮肉(れんにく)扁豆(へんづ)陳皮(ちんひ)白茯苓(ひやくぶくりやう)を加(くは)ふべし虚(きよ) 寒(かん)して泄痢(せつり)をなさば附子(ぶし)をかへて用べし附子(ぶし)理中(りちう) 【右丁】 湯(たう)と名付る也 益智(やくち)肉桂(につけい)粱(あは)米(こめ)を加へて用るもよし総(そう) じて慢驚(まんきよう)は多くは他病(たひやう)より変(へん)じ来るものなれは補(ほ) 薬(やく)によろし四君子湯(しくんしたう) 人参(にんじん) 白朮(びやくじゆつ) 白茯苓(びやくふくりやう)《割書:各等|分》 甘草(かんざう)《割書:少許(すこしばかり)》生姜(しやうが)棗(なつめ)を加(くは)えて用ゆべし陳皮(ちんひ)を加えたる を異香散(いかうさん)と名付く六君子湯(りつくんしたう)に加減(かげん)して用ゆべし 又は銭氏(せんし)の七味白朮散(しちみひやくじゆつさん)を用べし 葛根(かつこん)《割書:五分》 藿香(くはつかう)《割書:一|分》 人参(にんじん)《割書:二分或は|一分》白朮(びやくじゆつ)《割書:二分》白茯苓(びやくぶくりやう)《割書:二分》木香(もつかう)《割書:七リン》甘草(かんざう)《割書:五リン》 右 剤(ざい)として何もいれずに煎(せん)じて用ゆべし藿香(くわつかう)を 去(さり)て陳皮(ちんひ)砂仁(しやにん)を加えて用るときは甚(はなはだ)験(しるし)あり ○慢驚風(まんきやうふう)を治(ぢ)するに神薬(しんやく)といへる方(はう)あり 人参(にんじん) 黄茋(わうぎ) 白芍薬(びやくしやくやく)《割書:各等|分》甘草(かんざう)《割書:少計》 右剤として何もいれずに 【左丁】 煎(せん)じて用其験神のごとしと万病回春(まんびやうくわいしゆん)に見えたり 此方多く験ある方なり ○王隠君(わうゐんくん)の説に五疳(ごかん)の病とは五蔵(ござう)に生ずる積癖(しやくへき) 也其 色(いろ)青く黄(き)ばみ其 形(かたち)甚(はなはだ)瘦(やせ)て腹(はら)多くは脹大(ちやうだい)なり 初生(しよせい)より二十 歳(さい)までを疳(かん)といひ二十歳 已後(いご)を癆(らう) 瘵(さい)といふと云へり《割書:啓益》按(あん)ずるに疳疾(かんしつ)の症(しやう)五蔵の分(ぶん) ありといへども多くは脾胃(ひゐ)の病に属(ぞく)する也 乳母(めのと)の身 持(もち)あしく甘肥(かんひ)の物《割書:甘肥とは甘き物 味(あぢはい)|厚(あつ)き物をいふなり》を過食(くはしよく)し或は酒に 醉(ゑい)食に飽(あき)て小児に其 乳(ち)をあたゆるによりて児(ちご)の 脾胃(ひゐ)に鬱(うつ)し熱(ねつ)を生して吐乳(とにう)をなす又□小児は甘(あまき)【「き」衍ヵ】 き物を好(この)むその上しばらく小児の啼(なく)をやめんとては 【右丁】 ひたすら甘(あま)き物をすゝむるによりて是又 脾胃(ひゐ)に鬱(うつ) 滞(たい)し湿熱(しつねつ)を生(しやう)じてその湿熱(しつねつ)によりて腹中(ふくちう)に あやしき虫(むし)を生ずるなりこれを疳虫(かんちう)といふなり又 小児 吐乳(とにう)久しくやまず或は泄瀉(せつしや)久しくやまず或は 汗(あせ)久(ひさ)しくやまず或は瘧(おこり)久しくおちす或は喉嗽(しはぶき)久しく やまず頭瘡(かしらのかさ)久しく愈(いへ)ずかくのごときの病(やまひ)久しき ときは津液(しんゑき)かはき脾胃虚(ひゐきよ)損(そん)じて疳疾(かんしつ)をなす事 なり此病 始(はじめ)てきざす時は萑目(とりめ)【ママ 隹の誤ヵ】の症(しやう)となり漸々(ぜん〴〵)に 眼(まなこ)あしく色(いろ)黄(き)ばみ青(あを)く青 筋(すぢ)をあらはし形(かたち)痩(やせ)てそ の腹(はら)ひとり脹大(ちやうだい)にして蜘(くも)のごとく臍(ほぞ)突(つき)出る者は死症(ししやう) なり此病小児 毎(ごと)に多きか少(すくな)きかなき者はなし其 療治(りやうぢ) 【左丁】 多くは虫を化(くは)し下して利(り)を得る事あり 本邦(ほんほう)の 医家(いけ)にも俗家(ぞくか)にも五疳(ごかん)の妙薬(めうやく)多し虫気(むしけ)の病な れは同気(どうき)相 求(もと)むるの理(ことわり)にや其薬多くは虫(むし)の類(たぐい)を用る なり蜈蚣(むかで)鱔鰻(やつめうなぎ)赤蝦蟆(あかがいる)柳虫(やなぎむし)桑虫(くはのむし)恒山(くさぎ)虫(むし)山蚕(やまゝゆ)【蠶は旧字】桑螵蛸(おほぢのふぐり) の類を用て黒焼(くろやき)にして用て利(り)を得る事多し又疳の 虫気に鰻鱺魚(うなぎ)をやきて鍋墨(なべすみ)を細末(さいまつ)してつけて食(くら) はすれは疳虫(かんちう)を殺(ころ)し黄(き)ばみ痩(やせ)たるを治(ぢ)するなり万葉集(まんようしう) の哥(うた)に  石麻呂(いしまろ)にわれものもうす夏(なつ)やせに   よきといふなるうなきとりめせ とよみてわか 日本にても古来(こらい)より伝(つた)へ来りて 【両丁挿絵 文字無し】 【右丁】 験(しるし)を取たるにや注夏病(なつやせのやまひ)も疳気(かんけ)の其ひとつの病なれ はなり ○五疳(ごかん)の症(しやう)に用る丸薬(ぐわんやく)さま〴〵あり左(ひだり)にしるす 四味肥児丸(しみひにぐわん) 黄連(わうれん) 蕪夷仁(ぶいにん) 神曲(しんきく) 麦芽(ばくげ) 《割書:各等|分》 右細末して水糊(みづのり)にて丸(ぐわん)じて用ゆべし毎服(まいふく)一二十丸 その小児の大小によりて用ゆへし陳皮(ちんひ)川楝子(せんれんし)を加(くは)へて 六味肥児丸(ろくみひにぐわん)と名(な)づけて共(とも)に疳虫(かんちう)の症(しやう)を治(ぢ)するの妙(いう)【「めう」ヵ】 薬(やく)也 ○加味肥児丸(かみひにぐわん) 胡黄連(こわうれん) 木香(もくかう) 檳榔(ひんらう) 黄連(わうれん) 山稜(さんりやう) 莪朮(がじゆつ) 青皮(せうひ) 陳皮(ちんひ) 神曲(しんきく) 香附子(かうぶし) 麦芽(ばくげ) 蘆薈(ろくはい) 史君子(し[く]んし) 右 細末(さいまつ)して丸ずる法(はう)常(つね)の 【左丁】 ごとく丸数小児の大小をはかりてあたふべきなり諸(もろ〳〵)の 疳疾(かんしつ)身(み)黄(きはみ)痩(やせ)肚(わきはら)腹(はら)脹(ほて)大(おほい)にして痞(ひ)【左ルビ:つかへ】満(まん)泄瀉(せつしや)する類(たくひ)に 用て験(しるし)多し ○本邦(ほんほう)の医家(いけ)に伝(つた)ふる所の保童円(ほうどうゑん)といふ妙方(めうはう)あり此 方 中花(もろこし)より来る所の諸(もろ〳〵)の医書(いしよ)を考(かんがふ)るにのする事なし たま〳〵保童円の名義(みやうぎ)あれ共此方とは各別(かくべつ)なりこれ  本邦にて往古(いにしへ)の名医(めいい)のくみたる方ならんや筑紫(つくし) の方(かた)の人の説(せつ)には南蛮人(なんばんじん)より伝(つた)ふるといふなり多くは 其薬方の中に乾海参(かんかいしん)《割書:和俗(はぞく)いふ所の|いりこの事也》狼毒(らうどく)《割書:和俗いふ所の|まはりの事也》などの 入たる方にして小児の疳気(かんけ)に用て奇妙(きめう)に験ある方な り其家〳〵に秘(ひ)する所の妙方(めうはう)なればたやすくこゝにしる 【右丁】 しが多し其人にあらずんば伝へがたき事なり ○小児に癖積(へきしやく)の症(しやう)とて腹(はら)のかたわらに塊(くわい)【左ルビ:かたまり】ありて横た わり寒熱(かんねつ)を生(しやう)ずる病あり瘧(おこり)などにもまぎるゝなり 或はこれを虫瘧(むしおこり)又はかたかひなど和俗(はぞく)に名付(なづく)るなり浄(じやう) 腑湯(ふたう)を用てよし 柴胡(さいこ) 白茯苓(ひやくぶくりやう) 猪苓(ちよれい) 山稜(さんりやう) 莪朮(かじゆつ) 山査子(さんざし) 沢瀉(たくしや) 《割書:各一|分》 黄芩(わうこん) 白朮(びやくしゆつ) 半夏(はんげ) 人参(にんじん) 《割書:各八|厘》 胡黄連(こわうれん) 甘草(かんざう) 《割書:各三|リン》 右 剤(ざい)として生姜(しやうが)大 棗(なつめ)を加(くは)へて煎(せん)じ 用べし疳疾(かんしつ)癖疾(へきしつ)の類(たぐひ)此方を用ときは其 験(しるし)神(しん)の ごとし ○癆疳(らうかん)の病とて潮熱(てうねつ)を生し五心(ごしん)《割書:五心とは胸(むね)と両の手の|裏(うら)両の足(あし)のうら共に》 【左丁】 《割書:五心と|いふ也》煩熱(はんねつ)して盗汗(とうかん)《割書:盗汗とは寝汗(ねあせ)の事なり人の寝いりたる|内におほえず出る汗をいふなり》 喉嗽(しはぶき)し形(かたち)憔悴(しやうすい)するものあり多くは治(ぢ)せず此 症(しやう)あらは はやく驚(おどろ)き上手の医師(いし)に頼(たの)みて療治(りやうぢ)すべきなり ○疳(かん)の虫(むし)によりて萑目(とりめ)【ママ 隹の誤ヵ】の症となる者あり保童円を 用てよし或は鰻鱺魚(うなぎ)の腸(わた)を醬油(しやうゆ)にていりて喰(くら)ひ 鯛(たい)の子のなし物をくひ赤毛(あかけ)の犬(いぬ)の肝(きも)をくひてよきなり ○疳の虫気(むしけ)によりて或(あるひ)は土(つち)を喰(くら)ひ或は土器(かはらけ)を食ひ或 は炭(すみ)なと喰(くら)ふ類(たぐひ)の症あり此類もみな腹中(ふくちう)の虫(むし)のわ ざなり保童円を用て其 験(しるし)多し又 清胃養脾湯(せいゐやうひたう) を用てよし 黄芩(わうこん) 陳皮(ちんひ) 白朮(びやくじゆつ) 白茯苓(びやくふくりやう) 甘草(かんざう) 軟石膏(なんせきかう)【輭は軟の正字】《割書:各等|分》 右 剤(ざい)として水にて煎(せん)じ用へし其験 【右丁】 神のごとし ○保嬰論(ほうゑいろん)に小児(せうに)涎(よだれ)を流(なが)す事しきりにして頤(おとがひ)の間(あいだ) を漬(ひた)し赤(あか)く爛(たゞ)るゝ者ありこれを解頤(けい)【左ルビ:かいい】の病となづ く脾胃(ひゐ)の気(き)弱(よは)き故(ゆへ)なりと見えたり又 鼻(はな)の下赤く 爛るゝ者ありこれも脾胃よわく肺気(はいき)の不 足(そく)したる 小児なりとしるへし黄連(わうれん)黄柏(わうばく)葛粉(かつふん)を細末(さいまつ)して寒(かん) の水又は雪水(ゆきみづ)を畜(たくは)へ置てときて付へし右の粉薬(こぐすり) を其まゝ付てもよし ○銭仲陽(せんちうやう)の説(せつ)に胎毒(たいどく)の症(しやう)は熱毒(ねつどく)鬱(うつ)して瘡(かさ)を生(しやう)ず るなりと云へり熱は多くは頭(かしら)にあつまるを以其瘡あたま に生し又は面(おもて)に生する也其瘡 大抵(たいてい)愈(いへ)て頭や手足(てあし) 【左丁】 にあつまりて一所にありていへかぬるを和俗(わぞく)よ りといふ也其より久しくいへざれは膿汁(うみしる)出て後 其 跡(あと)ほつれくゞりて見ゆるを癤(せつ)といふ和俗これを はすねといふ其跡 蓮根(はすのね)の切(きり)たる口に似(に)たるを以いふな り 本邦 小児医師(せうにいし)其 家々(いへ〳〵)にくせ下しといふ妙方(めうはう) あるなり才覚(さいかく)して用べきなり多くは下して利(り)を得 る事なりさりながら虚弱(きよじやく)なる小児は下す事なかれ 此 胎毒(たいとく)を治(ぢ)するにも浄腑湯(じやうふたう)を用べきなり千金論(せんきんろん) にも小児は熱(ねつ)つよくして殊(こと)に胎毒の気(き)多(おほ)し病の きざす事あらば必下す薬を用べしと見えたり ○王隠君(わうゐんくん)の説(せつ)に小児 丹毒(たんどく)の症は頭(かしら)面(おもて)胸(むね)背(せなか)或は手足(てあし) 【右丁】 あなたこなた赤く腫(はれ)て所をさだめず其熱 焼(やく)がごとく 其 痛(いたみ)甚(はなはだ)しこれ熱毒(ねつとく)なりと云へり和俗(はぞく)【注】これをあかく さといひはしりぐさといふ葱(ひともじ)をすり爛(たゞらか)して付れは いゆるなり又 赤小豆(しやくせうづ)の粉(こ)を雞子清(けいしせい)《割書:にはとりのたまごの|しろみをいふ也》にて ときて付てよし浄腑湯(しやうふたう)を用てよし此病のきざし あらば早く驚(おどろ)き上手の医師(いし)に頼(たのみ)て療治(りやうぢ)すへし此病も し腹(はら)にせめ入て腹(はら)脹(はり)陰嚢(ふぐり)にせめ入て傷(やぶ)るゝがことくな る者は必 死(し)するなり犀角(さいかく)消毒(せうどく)飲(いん)を用へし 荊芥穂(けいかいすい) 防風(ばうふう) 黄芩(わうこん) 牛房子(ごぼうし) 《割書:各等|分》 犀角(さいかく) 甘草(かんざう) 《割書:各半|分》 右 剤(ざい)として水煎(すいせん)し服(ふく)してよきなり《割書:犀角なきときは升麻(しやうま)|を代(かへ)用てよし》 ○小児は熱毒(ねつどく)さかんなるを以 疥癬(かいせん)の類の瘡(かさ)を生ずる事 【注 本来は「わぞく」とあるところを「は(ハ)ぞく」とあり。82コマ23行目にも「は(ハ)ぞく」とあり、「わ」の誤としたきところだが判断に苦しむ。】 【左丁】 多し和俗ひぜんかさといふ升麻(しやうま)葛根湯(かつこんたう)に加減(かげん)して 用べし 升麻(しやうま) 葛根(かつこん) 白芍薬(びやくしやくやく) 《割書:各等|分》 甘草(かんさう) 《割書:少(すこし)許》 右剤として水煎(すいせん)し服(ふく)してよし連翹(れんぎやう) 黄芩(わうこん) 山梔(さんし) 子(し)荊芥(けいかい)を加(くはへ)て用たるがよきなり総(そう)じて小児の胎毒(たいどく) の類 疥癬(かいせん)の類外よりつけ薬(くすり)又はすり薬などゝいふ ものを以 愈(いや)す事なかれ必その瘡毒(さうどく)内に入て臓腑(ざうふ)を せめて息(いき)だはしく成て呼吸(こきう)せまりて死(し)するなり或は遍身(へんしん) 浮腫(ふしゆ)【左ルビ:うそばれ】して大事(だいじ)の病となるなり ○嬰幼論(ゑいようろん)に亀胸亀背(ききようきはい)の症(しやう)はその病根(びやうこん)おなじ亀背(きはい)は 亀(かめ)の背(せなか)のごとく腰(こし)より上かゞまり頸(くび)すはりて短(みじか)く亀(かめ) のごとくあるをいふ亀胸(ききよう)も又 胸(むね)しきりに高(たか)くさし出て 【右丁】 亀(かめ)の形(かたち)に似(に)たり此病多くは疳虫(かんちう)のなす所なり又 初生(しよせい) の時に背(せなか)を冷(ひや)し或はいまだ尻骨(しりほね)のかたまらぬさきに しゐてすはりならはしむれば必此 病(やまひ)を生ずるなりと 見えたり此病のきざしあらば早く驚(おとろ)き上手の医師(いし) を頼て療治(りやうぢ)すべし治(ぢ)する事 遅(おそ)ければ傴瘻(おうる)《割書:和俗いふ所|のせむしの》 《割書:事也》となりて生れつかぬ片輪者(かたはもの)となるなり《割書:啓益》おもふ に此病を和俗(わぞく)せむしといふにて心を付てみるべし疳(かん) 虫(ちう)のなす所なれば肥児丸(ひにぐわん)磨積円(ましやくゑん)保童円(ほうどうゑん)浄腑湯(じやうふたう)に加(か) 減(げん)して用て其 効(しるし)多し 本邦(ほんほう)の小児医師(せうにいし)多く 此病は腎気(じんき)の不足(ふそく)と云て六味(ろくみ)八味(はちみ)の地黄丸(ぢわうぐわん)を用る 人もあり是もまた一術(いちしゆつ)なれ共小児は熱(ねつ)つよく脾胃(ひい) 【左丁】 もろくすぼし地黄などの類のおもき薬(くすり)を好(このま)ぬ者なれば 其 益(ゑき)少し能々心得べき事なり ○銭仲陽(せんちうやう)の説(せつ)に小児の鶴膝(くわくしつ)の病は足脚(あしはぎ)弱(よは)く痩(やせ)て細(ほそ) く鶴(つる)の膝(ひざ)に似(に)たるを以 名付(なづく)るなり是生れつきて腎気(じんき) よわき小児 或(あるひ)は風湿(ふうしつ)にあたりて此 症(しやう)に変(へん)ずるなりと 云へり小児大人 共(とも)に此病は大病(たいびやう)の後(のち)多くは痢病(りびやう)の後 傷寒(しやうかん)熱病(ねつびやう)の後 脚(はき)よはく行歩(ぎやうぶ)にこけやすくあらは此 症のきざすと心得て早く驚(おどろ)き上手の医師(いし)に逢(あい)て 療治を頼(たの)むべき事なり油断(ゆだん)して多くは生れつかぬ片(かた) 輪(は)者になるあり大防風湯(たいばうふうたう)を用てよし 人参(にんじん) 黄茋(わうぎ) 当帰(たうき) 川芎(せんきう) 熟地黄(じゆくぢわう) 白芍薬(びやくしやくやく) 《割書:各等|分》 【右丁】 防風(ばうふう) 羌活(きやうくわつ) 牛膝(ごしつ) 附子(ぶし) 《割書:各半|分》 甘草(かんざう) 《割書:少(すこし)許》 右 剤(ざい)として生姜(しやうが)棗(なつめ)を加(くは)へて煎(せん)じ服(ふく)すべし鶴膝(くわくしつ) 風(ふう)に此方を用る事は世医(せい)のつねにしる所なり此方 にても愈(いへ)ざれは脹介賓(ちやうかいひん)の右帰丸(うきぐわん)左帰丸(さきぐわん)などいふ丸薬 などを用ひそれにても効(しるし)なければ廃人(すゝろびと)となれ共すべき わざなしとて治(ち)をやむる類(たくひ)ありあはれむへき事なり 《割書:啓益》さきに豊前(ぶぜん)に仕(つかへ)し比 豊後国(ぶんごのくに)日田(ひた)といふ所に手(て) 嶋(しま)何某(なにかし)とて富家(ふうか)あり此 児(に)十 歳(さい)の時に痢病(りびやう)を患(うれ)ひ 愈(いへ)て後 脚(はぎ)膝(ひざ)弱(よは)くこけやすき事有けるを一年ほど も打 捨(すて)置ければひたすら行歩(ぎやうふ)成がたくして漸々(ぜん〳〵)に 足(あし)細くなりて鶴膝(くわくしつ)にいたる豊前(ぶぜん)豊後(ふんご)筑前(ちくぜん)肥前(ひぜん)の 【左丁】 諸医(しよい)に治療(ちりやう)を頼み薬方(やくはう)を乞(こひ)けり多くはみな大防風湯(たいばうふうたう) を主方(しゆはう)とすそれにても愈(いゆ)る事なきによりて京都へ 上り難波(なには)に至りて世に鳴(なり)わたる名医(めいい)たちに治(ぢ)をもと めて半年ほども治しけれどそのしるしなし薬方を 請(こひ)もとむれは多くは大防風湯(たいはうふうたう)六味八味の地黄丸(ぢわうぐわん)脹介(ちやうかい) 賓(ひん)の右帰丸(うきぐわん)左帰丸(さきぐわん)の外 更(さら)に主方(しゆはう)をあたふる医(い)な し豊後(ぶんご)に帰(かへ)りて其薬方を修合(しゆかう)して用といへども 漸々(ぜん〳〵)に足(あし)弱(よは)く行歩成がたくあまつさへ小便(せうべん)不禁(ふきん)の 症(しやう)をそへたりその比《割書:予》が邦君(ほうくん)東武(とうぶ)に近仕(きんし)し給ふ 比にして四年あまり東武に居(ゐ)給(たま)日(ひ)て豊前(ふぜん)に帰り給 わず《割書:予》もまた東武に在りけり元禄(けんろく)癸酉(みづのとのとり)の年たま〳〵 【右丁】 豊前に帰(かへ)るを聞(きゝ)て此 児(に)を中津(なかつ)につれ来りて予(よ) に治(ぢ)をもとむその比此児はや十四 歳(さい)になりけれど八 九歳ばかりの子ほどに見えて頸(くび)短(みしか)く背骨(せぼね)さし出て 両足(りやうそく)と共(とも)に鶴(つる)の足(あし)のごとくやせて背(せなか)の十七八の椎(ずい)の所 にて座(ざ)するほどに見えて後(うしろ)に坐録(ざろく)やうの物を置(をき)ても たれかゝりてのみありけり両の足を伸(のば)す事かなはず左(ひだり) の足を下になし右の足を上になして打ちがへての み座(ざ)しけりこゝろみにその足(あし)をとりて左右(さう)へ引わけ てその間(あいだ)に枕(まくら)やうの物をはさみて置(をく)にしばらくは左(さ) 右(う)へ足わかれてあれ共少の間(ま)に左右の足ふるひ出て はさみたる枕やうの物 誰(たれ)いらふ共なきに中にをどる 【左丁】 やうに成て飛出(とびいて)又 始(はしめ)のごとく左を下に右を上にな して打ちがへてねぢれたるやうになるみづから 廃人(はいじん)【左ルビ:すゝろひと】ならん事をうれひて《割書:予》にむかひて涙(なみだ)をながす 《割書:予》膝を診(しん)し形(かたち)を見て此病 治(ぢ)すへししかれ共一両年 を経ずんは治すべからずいま一両年を経て此児十五六 歳に成て精気(せいき)つのりて声(こへ)の替(かは)る時に至らば全(まつた)く 愈(いゆ)べしその間 薬(くすり)を用ば少づゝ快(こゝちよ)くなるべしといひて一 方をあたふ 人参(にんじん) 白朮(びやくじゆつ) 当帰(たうき) 川芎(せんきう) 白芍薬(びやくしやくやく) 黄茋(わうぎ) 熟地黄(しゆくぢわう) 山茱萸(さんしゆゆ) 山薬(さんやく) 白茯苓(びやくぶくりやう) 鹿(ろく) 角膠(かくきやう) 亀板(きはん) 《割書:各二|十匁》 熟附子(じゆくぶし) 肉桂(につけい) 蒼茸子(そうにし) 海(かい) 桐皮(とうび) 木瓜(もくくは) 薏苡仁(よくいにん) 牛膝(ごしつ) 虎脛骨(こけいこつ) 穿山甲(せんさんこう) 【右丁】 防風(はうふう) 《割書:各十|匁》 川烏頭(せんうづ) 釣藤鉤(てうとうかう) 《割書:各八|匁》 右 細末(さいまつ)して米糊(こめのり)にて丸(ぐわん)し梧桐子(ごとうし)《割書:胡椒(こせう)の粒(つぶ)ほと|をいふなり》の大 にして爰に五十丸づゝさゆにて一日一夜に五六度用る 事半年にして小便(せうべん)不禁(ふきん)やみて足の左右(さう)にかさな る事やみ足のかゞみ伸(のひ)て物にとりつき人にたすけ られて歩行(ほこう)をなす一年の後そのかたちひきのぶるや うに盛長(せいちやう)し頸(くび)短(みじかく)背(せなか)にて座(ざ)するやうの事こと〴〵く いへて常(つね)の人となりぬ二年の後 長門(ながと)の国 俵(たはら)山と いふ温泉(おんせん)につかる三七にしていよ〳〵快(こゝろよく)なりて 全(せん)人となりたるなり此薬かくのごときの病(やまひ)を治(ぢ) する事は虎脛骨(こけいこつ)穿山甲(せんさんこう)の力(ちから)なるべし虎(とら)の千里(せんり) 【左丁】 をかける脛(はぎ)の骨(ほね)にて病者(びやうじや)の足(あし)をたすけ穿山甲(せんさんこう)の 山をうがち岩(いは)を起(おこ)すの力(ちから)を以 経絡(けいらく)のめぐらざるをめ ぐらして補薬(ほやく)を足(あし)にいたらしむ海桐皮(かいとうひ)蒼耳子(そうにし)防風(ばうふう) を用て風湿(ふうしつ)をさり牛膝(こしつ)薏苡仁(よくいにん)を用て薬(くすり)の下行(げがう) をみちびき木瓜(もくくは)を用て筋(すぢ)をやはらげ熟附子(じゆくぶし)川(せん)烏 頭(つ) 肉桂(につけい)を用ひて補薬(ほやく)をみちびき経絡(けいらく)をあたゝむその 余(よ)の薬みな気血(きけつ)を補(おぎな)ふの剤(さい)なりその後或は痛風(つうふう) の後足 痛(いたん)で行歩(ぎやうぶ)叶(かな)はす或は産後(さんご)脱血(だつけつ)して足たゝ ず或は癩病(らいびやう)揚梅瘡(やうばいさう)の類しきりに寒薬(かんやく)を服(ふく)して気(き) 血(けつ)枯(かれ)て足たゝぬ類の症(しやう)に此方をのましむるに験(しるし)あら ずといふ事なし秘蔵(ひさう)の事なれ共世のため人のため 【右丁】 にこゝにしるす見る者ゆるかせにする事なかれ ○保嬰論(ほうゑいろん)に小児(せうに)の顖門(しんもん)《割書:顖門とは頭(かしら)の真中(まんなか)の|ぬい合の所和儀おどりと云》のぬいあはせ 両方へひらきわかれて一筋 皮(かは)の下に溝(みぞ)の立て見ゆる を解顱(けろ)【左ルビ:かいろ】と名付是 腎気(じんき)不足(ふそく)の小児にして虚弱(きよじやく) なる生れ付と心得へし顖門うごく事しきりなるも 神気(しんき)の不 足(そく)としるべしと見えたり共に六味丸(ろくみぐわん)を用て よし ○小児(せうに)の遺尿(いねう)は腎(じん)の気(き)膀胱(はうくわう)の気(き)共に虚弱(きよしやく)なる故(ゆへ) 也と除春甫(じよしゆんほ)【徐とあるところ】の説に見えたり腎(じん)の蔵(ざう)虚寒(きよかん)し膀胱に 風冷(ふうれい)の気(き)乗(じやう)ずる時は必 遺尿(いねう)すこれを尿床(ねうしやう)といふ と王隠君(わうゐんくん)の説に見えたり小児一二歳の比 何(なに)の心も 【左丁 挿絵のみ】 【右丁】 なくて遺尿(いねう)するあり乳母(めのと)心を付てそのおりふしを見 合(あわせ)てひたとつげて小便(せうべん)をなさしむべし児(ちご)物の心を しるにしたかひその時〳〵をつぐるものなりかくのごとく せざる児(ちご)は一二歳の時の事くせと成て六七歳まで も床(とこ)をけがすものあり又病によりて遺尿(いねう)する ものあり雞腸散(けいちやうさん)を用たるがよきなり 雞腸(けいちやう)《割書:按するに雞(にはとり)の腸(わた)なり|くろやきにして》 牡蛎(ぼれい) 白茯苓(びやくぶくりやう) 肉桂(にくけい) 桑螵蛸(そうへうせう)《割書:和語おゝぢの|ふぐりといふ》 竜骨(りやうこつ) 《割書:各等|分》 右 細末(さいまつ)してさゆにて 少許(すこしばかり)用たるよし又十一の椎(ずい)又十四の椎(ずい)腰眼(ようがん)《割書:和俗のいふ|いのめなり》 の穴(けつ)を灸(きう)して其 験(しるし)多し六味丸八味丸の類を用 て愈(いゆる)もあるなり 【左丁】 ○王隠君(わうゐんくん)の説に初生の小児 陰嚢(いんのう)【左ルビ:ふぐり】偏腫(かた〳〵はれ)て大なる者 あり痛(いたみ)なき時は治(ぢ)すへからずをのつから愈(いゆ)るものなり と見えたり今時もまゝ多き事なり療治(りやうぢ)すべからず ○王隠君の説に小児(せうに)歩行(ほかう)する事おそく髪(かみ)はゆる 事をそきは共(とも)に気血(きけつ)の不 足(そく)してみたざる故(ゆへ)也と 云へり六味丸に牛膝(ごしつ)木瓜(もくくは)薏苡仁(よくいにん)五加皮(ごかひ)を加へて 用てよし ○王隠君の説に小児 語(かたる)事をそきは心気(しんき)弱(よは)き故也 と云へり菖蒲丸(しやうふぐわん)によろし 石菖蒲(せきしやうふ) 人参(にんじん) 川芎(せんきう) 当皈(たうき) 乳香(にうかう) 硃砂(しゆしや) 遠志(おんじ) 右細末して黍粒(きびつぶ)の大に丸(ぐわん)じて十丸つゝさゆにて用てよし 【右丁】 王隠君(わうゐんくん)の説に歯(は)のはゆる事 遅(おそき)は腎(じん)の不足(ふそく)なり といへり丹渓(たんけい)の芎黄散(きうわうさん)によろし 熟地黄(じゆくぢわう) 川芎(せんきう) 当皈(たうき) 白芍(びやくしやく) 甘草(かんざう) 《割書:各二銭》 右 細末(さいまつ)して歯(は) 牙(げ)にすりぬるべしまた食(めし)のとり湯(ゆ)にて少(すこし)許づゝ服(ふく) したるがよきなり ○小児 停耳(ていに)の症(しやう)とて耳(みゝ)より膿(うみ)を出して痛(いたみ)甚(はなはだ)し きものあり和俗(わそく)耳(みゝ)だれといふ此症は多くは脾胃(ひゐ)の 気(き)滞(とゞこほ)るによりてなり藿香正気散(くわつかうしやうきさん)を用てよし 外より付 薬(ぐすり)など多く医書(いしよ)にものせたれ共 験(しるし)すくなき ものなり五倍子(ごばいし)を黒焼(くろやき)にして胡麻(ごま)の油(あぶら)にてときて 耳(みゝ)の内に入たるがよき也 【左丁】 王隠君(わうゐんくん)の説に小児に八蒸十変(はちじやうしつへん)といふ事あり生れ て三十二日に一変(いつへん)とて熱(ねつ)少出て乳(ち)をあまし大便(だいへん) 青(あを)く煩(わづら)はしきなりかくのごとく一蒸一変(いちじやういつへん)にあふごと に小児 手足(てあし)を動(うこか)し物を見るにも智恵(ちゑ)つく事なり 前(まへ)のごとく三十二日六十四日とかそへて五百十二日に 変蒸(へんじやう)の事をはりて物をいひよく食(しよく)するなりと云 へり和俗(わぞく)これを智恵熱(ちゑぼとほり)といふあながちに三十二日め にはかきらず少の事は薬を用るに及(をよ)はず生れつき盛(さか) んなる小児は変蒸(へんじやう)のきざしあれ共外に見えず又 小児によりてその折からは必 熱(ねつ)さし出(いで)て煩(わづらは)しきも ありされ共一両日過れは熱さむるものなり治(ぢ)せすし 【右丁】 てくるしからず日を経(へ)ても後まて熱(ねつ)つよくして 煩(わづらは)しき時は病と心得て療治(りやうぢ)すべき事なり ○小児の諸病(しよびやう)大人(たいじん)に替(かは)る事なし上にいふ所の病は みな小児にかぎりたるばかりをあげてしるすなり大人 とおなし類(たぐひ)の病はそれ〳〵の医書(いしよ)の病門(びやうもん)を見合て 療治(りやうぢ)すべきなりされ共その内に小児に用て利ある薬 を左(ひだり)にしるして急(きう)にそなふるなり ○小児の風をひきたるには惺惺散(せいさん)によろし 人参(にんじん) 白朮(びやくじゆつ) 白茯苓(びやくぶくりやう) 桔梗(ききやう) 括蔞根(くはつろこん) 細辛(さいしん) 薄荷(はつか) 《割書:各等|分》 甘草(かんざう) 《割書:少許(すこし)》 右 水煎(すいせん)して服(ふく)すべし咽(のんと)痛(いたみ)咽 乾(かはく)とき は葛根(かつこん)をくわへ熱(ねつ)甚(はなはだし)き時は黄芩(わうこん)を加(くは)へ痘瘡(とうさう)の序病(じよびやう) 【左丁】 とも見わけがたき時は連翹(れんきやう)升麻(しやうま)葛根(かつこん)を加(くは)へよ嘔吐(おうと) 泄瀉(せつしや)吐乳(とにう)などあらば半夏(はんげ)陳皮(ちんひ)連翹(れんぎやう)を加(くは)へよ此時は 括蔞根(くわつろうこん)を去(さる)べし小児の風気(ふうき)のやうならばかならず 此薬を用べし ○小児 熱(ねつ)ありて風(かぜ)共 食滞(しよくたい)共見 分(わけ)がたき時は加減(かけん) 正気散(しやうきさん)によろし 藿香(くわつかう) 白朮(びやくじゆつ) 厚朴(こうぼく) 陳皮(ちんひ) 白(びやく) 茯苓(ふくりやう) 大腹皮(たいふくひ) 桔梗(ききやう) 白芷(びやくし) 《割書:各等|分》 甘草(かんさう)《割書:少許》 黄芩(わうこん) 右 一剤(いちざい)として生姜(しやうが)を加へて水煎(すいせん)し服(ふく)すべし吐乳(とにう)す る者 嘔吐(おうと)するものには白芷(びやくし)を去(さり)て砂仁(しやにん)を加へてよし ○小児 脾胃(ひゐ)の気(き)よはく泄瀉(せつしや)をなしやすく或はやゝも すれは吐乳(とにう)をなし顔色(かほいろ)黄(きば)み額(ひたい)に青筋(あをすぢ)をあらはす類(たぐい) 【右丁】 には銭氏(せんし)の七味(しちみ)白朮散(ひやくしゆつさん)を用てよし藿香(くわつかう)を去(さり)て 陳皮(ちんひ)砂仁(しやにん)白扁豆(はくへんづ)を加(くは)へて用たるがよきなり ○小児 泄瀉(せつしや)して腹(はら)痛(いたみ)痢病(りびやう)とならんとするには東垣(とうゑん) の茯苓湯(ぶくりやうたう)を用べし 生黄芩(しやうわうこん) 当皈(たうき) 肉桂(にくけい) 猪苓(ちよれい) 沢瀉(たくしや) 白茯苓(びやくぶくりやう) 芍薬(しやくやく) 白朮(びやくじゆつ) 《割書:各等|分》 升麻(せうま) 柴胡(さいこ) 甘草(かんざう) 《割書:各半|分》 右 剤(さい)として生姜(しやうが)棗(なつめ)を加(くは)へてせんし 用べし其 効(こう)神のごとし ○小児 脾胃(ひゐ)虚弱(きよじやく)にして腹(はら)下りやすく腹(はら)の痛(いたみ)もな く不 食(しよく)して痩(やする)ものには参苓白朮散(しんりやうひやくじゆつさん)を用てよし 人参(にんじん) 白朮(びやくじゆつ) 白茯苓(びやくぶくりやう) 山薬(さんやく) 白扁豆(はくへんづ) 蓮肉(れんにく) 桔梗(きゝやう) 砂仁(しやにん) 薏苡仁(よくいにん) 《割書:各等|分》 甘草(かんざう)《割書:半分》 右剤として生姜棗 【左丁】 を加へて用べし腹の下りつよくは薏苡仁(よくいにん)を去て用 べし腹のいたみあらは木香(もつかう)少加へて用へし粉薬(こくすり)にし て食(めし)のとり湯(ゆ)にて用たるもよし ○小児 夏(なつ)の時 乳母(めのと)油断(ゆだん)してねびへをさせて風邪(ふうじや)の ごとくにて熱少さし出て咳嗽(しはぶき)などするには六君子湯(りつくんしたう) 《割書:此方まへにしるす|かんがふへし》に羌活(きやうくわつ)乾姜(かんきやう)を加へて用たるがよき也 ○生々子(せい〳〵し)の説に小児の病はすべて脾胃(ひゐ)にありかな らず脾(ひ)の兪(ゆ)《割書:十一の椎(ずい)|をいふ也》を灸してよしと云へり和俗(わそく) は春秋にかならず灸する事なり多くは身柱(しんちう)《割書:和俗ちり|けといふ》 又は九の椎(ずい)と十一の椎(ずい)とをすぢかへて灸するなり 和俗すぢかひといふ男(おとこ)は左(ひだり)を十一にし女(おんな)は右(みき)を十一にす 【右丁】 又十一の椎(ずい)の両方を灸するもあり《割書:和俗 中折(なかおり)といふ十一|の椎は廿一椎の真中》 《割書:なれは|也》され共 故(ゆへ)なきに小児に二歳までは灸する事 なかれと王隠君(わうゐんくん)の説(せつ)にもあれは二歳のうちは見合 すべきなり三歳の春より灸したるがよきなり 五疳(ごかん)の病ある小児 癖積(へきしやく)【左ルビ:つかへ】ある小児には天枢(てんすう)《割書:臍の両脇|ひらくこと》 《割書:をの〳〵一寸五分|の所をいふ》又は中脘(ちうくわん)《割書:むねの下の鳩尾(きうび)の骨(ほね)と|臍の上との真中をいふ也》の穴(けつ)を灸 してよし京都(きやうと)近年(きんねん)の風俗(ふうぞく)に腹(はら)に灸すれは息(いき)短(みじか) くなるなど云て灸せぬ類の者多し道理にくらき 人の申事なり腹(はら)に灸(きう)して悪(あし)き事ならはいにしへの 医聖(いせい)なんぞ腹に灸穴(きうけつ)を定(さだ)むべしその上京都にて も五十已上の人は多く腹に灸の跡(あと)あるなりたゞ 【左丁】 近来(きんらい)の俗説(ぞくせつ)なり病ある小児にはかならず腹に灸す べきなり小児の艾炷(やいと)は雀(すゞめ)の糞(ふん)ほどにして十壮(じつさう) より二十 壮(さう)なでにてやむべきなりと孫真人(そんしんじん)の説に 見えたり小児の病薬を服(ふく)してもその験(しるし)すくなき ときはかならず右にいふと所の灸穴(きうけつ)その外にも上手 の医師(いし)に相談(さうだん)してよき穴をたづねて灸すべ き事なり大抵(たいてい)無病(むびやう)なる小児にも二月八月にかな らず身柱(ちりけ)十一の兪(ゆ)は灸すべき也病を生ずる事 なし能々可心得事也 【裏表紙】 【表紙 題箋ここに注記を書きます】 《割書:増補|ゑ入》小児必用記《割書:四》 【資料整理ラベル】 493.98 Ka87 日本近代教育史   資料 【右丁 文字無し】 【整理番号】 19602489 【蔵書印 読み取り不能】 【左丁】 小児必用(せうにひつよう)養育草(そだてくさ)巻四    目録(もくろく) ㊀ 中花(もろこし)我国(わかくに)共に痘瘡(いも)初(はじ)めて流行(りうかう)するの説(せつ) ㊁ 痘瘡(いも)の病(やまひ)に神明(しんめい)あるの説 ㊂ 痘瘡の病の説 ㊃ 痘瘡の病人(びやうにん)居所(おりどころ)しつらひやうの説 ㊄ 痘瘡に禁物(きんもつ)の説 ㊅ 痘瘡の病に禁忌(きんき)の食物(しよくもつ)の説 【蔵書印】 後藤文 庫之印 【右丁】 ㊆ 痘瘡(いも)始終(しじう)の日数(ひかす)の説(せつ) ㊇ 痘瘡の序病(じよびやう)をしるの説《割書:付たり》紅紙燭(べにしそく)の事 ㊈ 痘瘡 始(はじめ)て出(いづ)る所の善悪(ぜんあく)の説 ㊉ 痘瘡の形色(けいしよく)の善悪の説(せつ) (十一)【注】痘瘡 生死(しやうじ)を決(けつ)する日期(にちご)の説 (十二) 痘瘡 発熱(ほつねつ)の時節(じせつ)善悪(ぜんあく)の説 (十三) 痘瘡 放標(はうへう)の時節善悪の説 (十四) 痘瘡 起脹(きちやう)の時節善悪の説 (十五) 痘瘡 貫膿(くわんのう)の時節善悪の説 【十一から()で括る】 【左丁】 小児必用(せうにひつよう)養育草(そだてくさ)巻四        牛山翁(ぎうさんおう) 香月啓益(かつきけいゑき)   ㊀中花(もろこし)我国(わかくに)共に痘瘡(いも)初(はじ)めて流行(りうかう)するの説(せつ) ○痘診心印(とうしんしんいん)といふ書(しよ)に痘瘡(いも)は東漢(とうかん)の建武(けんむ)年中(ねんちう)に 南陽(なんやう)といふ所をうちしたがへし時の虜人(とらわれひと)此 瘡(かさ)を煩(わづら)ひ 伝(つた)へて中花(もろこし)に流布(るふ)する故に虜瘡(ろさう)と名付るよし見え たり本草綱目(ほんさうかうもく)の説には唐の高祖(かうそ)の時 永徽(ゑいき)年中に 此 瘡(かさ)西域(せいいき)《割書:天竺(てんぢく)の|事をいふ》より中国に伝へ来ると見えたり二説 おなしからず《割書:啓益》按ずるにいにしへ黄帝(くはうてい)扁鵲(へんじやく)の書に 此病をのせず多くは後漢(ごかん)の末(すへ)唐(とう)の初めよりあまねく 【右丁】 天下に時行(はやる)と心得べきなり ○此 痘瘡(いも)日本にては聖武天皇(しやうむてんわう)の御宇(ぎよう)に築紫(つくし)の 人 悪風(あくふう)に船(ふね)をはなたれ新羅(しんら)の国にいたる其 船中(せんちう)の人 此所より伝(つた)へ来りて諸国(しよこく)にあまねく流布(るふ)せしな りと続古事談(しよくこじだん)といふ書に見えたりその比此病の 療治(りやうぢ)をする事をしらざるゆへに大臣(だいじん)公卿(くぎやう)高貴(かうき)の 人 達(たち)多く此病にて失(うせ)給りける事 本邦(ほんほう)の正史(せいし)に のせたり    ㊁痘瘡(いも) の 病(やまひ)に 神明(しんめい) あるの説 ○朝鮮(てうせん)の人 南秋江(なんしうかう)があらはす所の鬼神論(きしんろん)に痘瘡(いも) の病一度ありて後身を終(おは)るまて二度 煩(わづら)ふ事なし 【左丁】 或人(あるひと)おもへらく世の俗説(ぞくせつ)に痘瘡(いも)の神は聡明(そうめい)無欲(むよく) の神なるを以二度いたる事なしと誠(まこと)に鬼神あ りや南秋江(なんしゆうかう)がいはくこれすなはち神明にあらず小児 はじめて生る時かならす穢(けがれ)れ【衍】たる悪汁(あくじう)を飲(のむ)事あり て腹内(ふくない)にかゝる事多く時行(じかう)の疫風(ゑきふう)の温熱(うんねん)【「うんねつ」の誤】の気 外よりさそひぬれば臓腑(ざうふ)にかくれたる所の穢(けが)れ内 より相応(あいおう)じて此病を致(いた)すその悪汁を飲(のむ)事二度 せずそれ故に其病も二度 発(はつ)する事なしなんぞ 鬼神の過(とが)ならんや順(じゆん)なる証(しやう)は薬を用ざれ共 治(ぢ)す 逆(ぎやく)なる症(しやう)は薬を用ひ薬 餌(ぐい)をなすへしその備(そなへ)医家(いか) につまびらかなり今の世の人此病は鬼神の病となし 【右丁】 薬を施(ほどこ)す事なく居(ゐ)ながら死(し)をまつ類(たぐひ)の者多し これ愚(おろか)なる事なりと云へりしかれば他国(ひとのくに)にても痘(いも)の 神といふ事を云けるにやわが日本の風俗(ふうぞく)ことさら 神明(しんめい)をたつとぶ国なれば其家痘を煩(わづら)ふ者あれば 神の棚(たな)とて新(あらた)にこしらへ御酒(みき)倶物(ぐもつ)等(とう)をそなへ祭(まつ)る 事なり外よりなす事さして病者(びやうじや)に害(かい)をなす事 ならねばいヶ様にも国の風俗にしたかふべきなり ○今時の神道者(しんたうじや)は痘瘡(いも)の神(かみ)は住吉大明神(すみよしたいみやうじん)を祭(まつ)る べしといへり住吉の神は三韓(さんかん)《割書:三韓とは新羅(しんら)百済(はくさい)|高麗(かうらい)をいふなり》降伏(がうぶく)の 神なり痘(いも)は新羅(しんら)の国より来れる病なれは此神を祭 りて病 魔(ま)の邪気(じやき)に勝(かつ)べき事なりとぞ好事(こうず)の 【左丁】 者の説なるにや   ㊂痘瘡(いも)の病(やまひ)の説(せつ) ○孫朋来(そんほうらい)の説に痘瘡(いも)の病(やまひ)は胎毒(たいどく)と時行(じかう)の熱邪(ねつじや) との致(いた)す所なり此二つの者の外にあらずいかんとなれ ば小児(ちご)母の胎内にある時 淫火(いんくは)【滛は淫の誤字】の熱毒(ねつどく)をうけ又は生れ 落とそのまゝその穢(けがれ)たる悪汁を飲(のむ)によりてその毒(どく)腹(はら) の内にかくるこれを胎毒といふ然るにいま天地の五運(ごうん) 六(りつ)気の変(へん)にあたりて疫癘(ゑきれい)の邪熱(しやねつ)の気 流行(るかう)して その胎毒の気をさそふ故に内の熱毒外の邪気に 催(もよを)されて此病を生ずるなり此病一度出て其毒こ と〴〵くつくる故に人の一生にたゞ一度ならでは煩ふ 【右丁】 事なし又此病 一国(いつこく)一郡(いちぐん)一邑(ひとむら)なべてわず煩(わづら)ひ或は家に かふ所の鶏(にはとり)犬(いぬ)猫(ねこ)の類(たぐひ)まで其毒に染(そみ)伝へて此病を 生し或(あるひ)は此病 流布(るふ)する時は深山(しんざん)幽谷(ゆうこく)に隠(かく)れのがれ その邪毒(じやどく)をさくれば多くはまぬがるゝ事なりしかれば 此 痘瘡(いも)は一般(いつはん)の時行(じかう)の疫癘(ゑきれい)の毒によらすんばある べからずといへり古今(ここん)の名医(めいい)痘瘡(とうさう)の議論(ぎろん)まち〳〵な れど此 孫朋来(そんほうらい)の説にしかず此論を以 至極(しごく)の道理と しるべきなり   ㊃痘瘡(いも)の病人(びやうにん)居所(おりどころ)しつらひやうの説 ○痘瘡(いも)すでに一点(いつてん)あらはるゝ時にいたらばまづ一間(ひとま)な る所をいかにも奇麗(きれい)に掃除(さうじ)して屏風(べうぶ)をひきまは 【左丁】 し乳香(にうかう)といふ薬を香をたくごとくに少つゝくべて 穢(けが)れ不浄(ふじやう)をさけ冬(ふゆ)の月には純帳(どんちやう)或は紙(し)帳の類(るい)を たれて其外には炭(すみ)火を置(をき)て寒邪(かんじや)をふせぐべし 夏の月は蚊帳(かちやう)をたれて蝿(はい)や蚊(か)なんどの痘瘡(いも)の上に とまる事を禁(きん)ずべきなり屏風(べうぶ)衣桁(いかう)に赤き衣類(いるい)をか かそのちごにも赤き衣類を着(き)せしめ看(かん)病人もみ な赤き衣類を着るへし痘(いも)の色(いろ)は赤(あか)きを好(よし)とす る故なるべしすべてその間に穢れたる臭(か)をいむべし 毎朝(まいてう)汐(しほ)水をそゝぎ注連縄(しめなは)をひきて不浄(ふじやう)をさく べきなり   ㊄痘瘡(いも)に禁物(きんもつ)の説 【右丁】 ○出家(しゆつけ)比丘尼(びくに)祢宜(ねぎ)山伏(やまぶし)覡(かんなき)の類(たくひ)の人に見する事なかれ 祈祷(きたう)などする事あり共病者に見せずしてなす べきなり ○生人(せいじん)往来(わうらい)をいむとは見 馴(なれ)ぬ人の往来(ゆきゝ)するをいふ なり熟(じゆく)し馴(なれ)ずしてなま見しりといふ心なり又 一説に生れ子の類新 産(さん)の婦人(ふじん)をもいふとあれは二 ツながらいみたるがよきなり ○孝服(かうふく)の人をいむとは親の服忌(ぶくき)ある人をいふなり ○月水ある女をいむはいたつて不浄なれはなり ○酒に醉(ゑい)てその息酒 気(け)あつてくさき人 ○葱(ひともじ)韭(にら)の類の臭(くさ)き物をくひたる人いはんや五辛(ごしん)の 【左丁】 類 家内(けない)に入ること事なかれ《割書:五辛とは葱の類の臭きをいふ仏(ふつ)|家(け)道家(たうけ)の二説あり本草綱目(ほんさうかうもく)蒜(さん)》 《割書:の条下(てうか)を|考へし》 ○瘡毒(さうどく)を煩(わづら)ふ人その外にても腫物(しゆもつ)にて膿血(うみち)を出(いだ)す 類の人 ○いかりのゝしり声(こへ)高(たか)く喧嘩(けんくは)口論(こうろん)する人 ○腋気(ゑきき)ある人わきがの事也又 狐臭(こしう)といふ ○息(いき)のくさき人 総(そう)【惣】じて身持(みもち)不浄(ふじやう)にしてくさき人 ○遠路(ゑんろ)をありき又は力(ちから)わざなどして骨(ほね)を折て 汗(あせ)くさき人 ○房事(ばうじ)をなしたる人 ○硫黄(いわう)の臭(か) 【右丁】 ○麝香(じやかう)竜脳(りうのう)その外 香具(かうぐ)かけ香(がう)の類(たぐひ) ○油(あぶら)あげする臭(か) ○あやまつて髪毛(かみけ)をやく臭(か) ○蝋燭(らうそく)紙燭(しそく)など吹消(ふきけし)たる臭(か)総【惣】してその一間(ひとま)に蝋(らう) 燭(そく)ともすべからす紙燭(しそく)にて蚊(か)をやくべからす ○魚(うを)鳥(とり)をやき又は煮(に)る臭(か)をいむあやまつて魚(うを)の 骨(ほね)やく臭(か) ○溝(みぞ)をさらへ圊(かはや)を掃除(さうし)して糞(ふん)のけがれたる臭(か) ○病者(びやうじや)に対(たい)して櫛(くし)けづるべからす ○病者に対して癢(かゆ)き所かくべからす ○病者に対して舞(まひ)謡(うた)ふ事なかれ 【左丁】 ○病者の居間(ゐま)并に庭(には)を掃除(さうじ)する事なかれ ○病者の居所に犬(いぬ)猫(ねこ)の類 鳥類(てうるい)畜類(ちくるい)を入る事なかれ   ㊅痘瘡(いも)の病に禁忌(きんき)の食物(しよくもつ)の説 ○一切(いつさい)無塩(ぶゑん)の魚類(ぎよるい)   ○諸(もろ〳〵)の鳥類(てうるい) ○豆腐(とうふ)         ○茶(ちや) ○酒(さけ)          ○餅(もち) ○饅頭(まんぢう)         ○麪類(めんるい) ○南蛮菓子(なんばんくはし)       ○蜜(みつ)餳(あめ)砂糖(さたう)の類(るい) ○総(そう)【惣】じて甜(あまき)物の類 ○柿(かき)棗(なつめ)杏(あんず)梅(むめ)桃(もゝ)李(すも[ゝ])楊梅(やまもゝ)の類 ○油(あぶら)あげの類      ○肉食(にくしよく)の類 ○鱗(うろこ)なき魚(うを)      ○茸(たけ)の類 【右丁】 ○臭(くさ)き類(るい)の野菜(やさい)   ○甜瓜(まくは)西瓜(すいくは)の類(るい) 総(そう)【惣】じての食物(しよくもつ)一々に頼(たのみ)たる医師(いし)にたづねと ひて食せしむべきなり   ㊆痘瘡(いも)始終(はしめおはり)の日数(ひかず)の説(せつ) ○熱蒸(ねつじやう)とて三日あり和俗(わぞく)ほとをりといひ又は序(じよ) 病(びやう)といふなり ○放標(はうへう)とて三日あり和俗出そろひといふなり ○起脹(きちやう)とて三日あり和俗水うみといふなり ○貫膿(くわんのう)とて三日あり和俗山あげといふなり ○収靨(しうゑん)とて三日あり和俗かせといふなり かくのことく三日つゝにて十五日を経(へ)て後 落痂(らくか)とて瘡(かさ) 【左丁】 のふた落(おち)て愈(いゆ)るを順症(しゆんしやう)といひて薬を服(ふく)するにも 及ばす又夫よりも軽(かろ)き症は首尾(しゆび)十二日にてかせて愈(いゆ) るもあり逆(ぎやく)なる症(しやう)は何かと変(へん)ずる事多くして二十 《振り仮名:余ケ|よか》日三十日あたりもかゝりて愈(いゆる)もあり或は死す るに至るあり以上の説 痘疹心印(とうしんしんいん)博愛心鑑(はくあいしんかん)保赤全書(ほうせきぜんしよ) 痘疹全書(とうしんぜんしよ)等(とう)に詳(つまひらか)なり   ㊇痘瘡(いも)の序病(じよびやう)をしるの説《割書:付たり》紅紙燭(べにしそく)の事 ○痘瘡(いも)の序病(じよびやう)は熱(ねつ)甚(はなはだ)しく傷寒(しやうかん)熱病(ねつびやう)にまが ふもの也こゝろみに耳(みゝ)を見るべし耳(みゝ)のの後(うしろ)に紅(くれない)の細(ほそ)き 筋(すぢ)をあらはし両(りやう)の耳 共(とも)に冷(ひゆ)るものなり総身(そうみ)手足(てあし) 共に熱(ねつ)甚(はなはだ)しといへども男は左(ひだり)女は右(みぎ)の手の中指(たか〳〵ゆび)ひとつ 【右丁】 冷(ひゆ)るを以 痘瘡(いも)の病としるべしと保嬰論(ほうゑいろん)に見えたり ○痘瘡(いも)序病(じよびやう)の時より皮膚(ひふ)のうちに其 勢(いきほひ)きざす事 なりこれを天日(てんじつ)の光(ひかり)にて見てはみゆる事なし病者の 居所(おりどころ)をくらくして紙燭(しそく)をともしてその光にてすか して見れば皮膚(ひふ)のうちにむら〳〵として瘡(かさ)の勢(いきほひ) 見ゆる物なりその紙燭(しそく)の紙(かみ)は学書(がくしよ)の竹紙(ちくし)《割書:学書の竹|紙とは古き》 《割書:唐紙(とうし)の書物|をいふ也》を以こしらへ小指(こゆび)の大さにして胡麻(ごま)の油(あぶら) にひたし火の上を二三度わたしてともしても油の 落(おち)ぬやうにして見るべしと保嬰論(ほうゑいろん)に見えたり 本邦(ほんほう)にてもかくのごとくする事なり近来(きんらい)は燕脂紙燭(べにしそく) とて紙燭(しそく)に燕脂(べに)をぬり其上を油(あぶら)にひたして用る 【左丁】 なり赤きは陽(よう)の色(いろ)にして痘瘡(いも)の好色(よきいろ)なればかく するなるべしその上 紙燭(しそく)に光(ひかり)ありて能見ゆる事なり   ㊈痘瘡(いも)初(はしめ)て出る所の善悪(ぜんあく)の説 ○痘瘡は陽毒(ようどく)の病(やまひ)なれば陽(よう)にしたがつてまづ面部(めんぶ) にあらはるゝものなり陽明(ようめい)は胃(ゐ)と大腸(だいちやう)とに属(ぞく)して気(き) 血(けつ)ともに多き経(けい)なれば口(くち)と鼻(はな)との両傍(りやうはう)人中(にんちう)の上下 顋(あぎと)【注】 耳(みゝ)年寿(ねんじゆ) 《割書:年寿とは|鼻柱(はなばしら)をいふ》の間に先 出現(いであらはるゝ)ものは吉也 天庭(てんてい)印(いん) 堂(どう)暁星(けうせい)とて面(おもて)の真中(まんなか)眉(まゆ)の上より髪(かみ)の生際(はへぎは)までの 間に痘(いも)の出る事多きは悪候(あくこう)也 頭(かしら)は諸陽(しよよう)の聚会(しゆくわい)す る処(ところ)両の額(ひたい)は五蔵(ござう)精華(せいくは)の処 咽(いん)《割書:咽(いん)ののんどゝいふはうしろのかた|の穴(あな)にて飲物(のみもの)食(くい)物の通(つう)ずる所》 《割書:なり》は水穀(すいこく)の道路(だうろ)の処 喉(こう)《割書:喉ののんどゝいふは前の穴にてのどぶえに|して気(き)の通(つう)ずる所なり》 【注 資料の字面「𦝰」は「病む」という義なので、文意からは振り仮名の「あぎと」が妥当で「腮」の誤記だと思われる。然れども「腮」は「顋」の俗字ですので、「顋」と刻字。】 【両丁 挿絵のみ】 【右丁】 は肺脘(はいくわん)呼吸(こきう)の往来(わうらい)するの処 胸(むね)腹(はら)は諸(もろ〳〵の)陽気(ようき)を受(うくる)の 処これを五所の要害(ようがい)といひて此所に痘(いも)の出る事多 きは悪症(あくしやう)也此所に出る事 稀(まれ)なるは吉(よき)也 惟(ひとり)四肢(しいし)《割書:手足|をいふ》 多しといへ共 妨(さまたげ)なきなりと保嬰論(ほうゑいろん)保赤全書(ほうせきぜんしよ)等(とう)の 書に見えたり   ㊉痘瘡(いも)の形色(けいしよく)の善悪(せんあく)の説 ○痘瘡の形色(かたちいろ)四時にしたがつて善悪をあらはすといへ共 概(おほむね)これをいへば四時にかゝはらす痘の色 紅(くれなゐ)にして黄(き)な る色を面部(めんぶ)にあらはす者は吉也又 紅(くれなゐ)にして白を帯(おび) 眼中(がんちう)精神(せいしん)あつて症必両の臉(ほうさき)上に三つ四つほど出て 大小ひとしからず痘の色 光沢(くわうたく)にして根(ね)紅活(こうくわつ)なる 【左丁】 ものは薬を服(ふく)せずといへ共をのづから愈(いゆ)る事也と保 嬰論保赤全書等の書に見えたり ○痘の形(かたち)は尖(とがり)円(まとか)にして大きに起脹(きちやう)の時にいたつて大(だい) 豆(づ)を見るやうにして手にてその上をなづるにさら〳〵 として膿(うみ)をいつはいに持(もち)たるを最上吉(さいじやうきち)の痘(いも)といふ薬(くすり)を 服(ふく)せずしても愈(いゆ)るなり瘡皮(かさかは)厚(あつ)く硬(かたく)して皮(かは)平(たいら) かに又は瘡(かさ)の形(かたち)凹(なかくぼ)にして其中に針(はり)にてつきたるほどの 穴(あな)ありて黒色(くろいろ)を少(すこし)にてもあらはすを悪(あし)き痘(いも)と心得 べきなり痘(いも)の形(かたち)は起発(きはつ)して心よく見ゆれ共その色 光(ひかり)沢(うるわし)からずその痘根(いものね)紅活(こうくわつ)ならざるは必九日め十一日目 ほどにして変症(へんしやう)出て悪くなるなりと保嬰論(ほうゑいろん)に見え 【右丁】 たり紅活(こうくわつ)とは其色紅にしていき〳〵としてひかりうる はしきをいふなり ○痘(いも)の形(かたち)平にして痘(いも)の色(いろ)と肉(にく)とわからず散漫(さんまん)し て分明(ふんみやう)ならざる者は悪症(あくしやう)なり痘の色 淡白(たんはく)なりとも 痘(いも)の根(ね)に紅(くれない)の線(いとすぢ)のやうに円(まろ)く引まはして地(ち)の肉(にく)と 痘とわかれて見ゆるは元気しまりて毒気(どくき)の散走(さんそう) する勢(いきほひ)なりこゝを以 吉兆(よきしるし)としるべしと保赤全書(ほうせきぜんしよ)に 見えたり ○痘瘡(いも)出初(いてそめ)て六日のまへはもつはら根窠(こんくは)を見るへし 《割書:根窠(こんくは)とは痘の形 一粒(ひとつぶ)づゝ根(ね)ざし|ありて肉(にく)とわかれたるをいふ》若(もし)根窠(こんくは)なければ貫膿(くわんのう)《割書:うみを|もつ事也》 をなさず六日以後は専(もつはら)膿色(うみいろ)を見よ若(もし)膿色(うみいろ)なければ 【左丁】 かならず収靨(しうゑん)《割書:かせの|事をいふ》しがたふして変(へん)じて悪病なる なりと保嬰論に見えたり   (十一)痘瘡(いも) 生死(しやうし)を決(けつ)する日期(にちご)の説 ○保赤全書(ほうせきぜんしよ)に痘(いも)出て一日を初(はじめ)として六日九日にいたる 時かならず変(へん)ずるもの也又十一日め十四日めにあたる時かな らず変(へん)ずるものなりと見えたりこれ死生(ししやう)を決定(けつぢやう)する の日限(にちげん)としるべし ○王節斉(わうせつさい)の説に痘瘡(とうさう)重(おも)き症 虚寒(きよかん)に属(ぞく)する者はそ の毒(どく)少くして気血(きけつ)不足(ふそく)する故(ゆへ)に貫膿(くわんのう)《割書:和俗山|あげといふ》成就(じやうじゆ)す る事なくしてかならず九日の後 変(へん)じて死(し)する也 或は十数日をのべて死する也 実熱(じつねつ)に属(ぞく)する者 毒(どく) 【右丁】 盛(さかん)にしてこと〴〵く出る事なくして六日に至つて かへつて内臓腑(うちざうぶ)を攻(せめ)て死する也又三日にして死 する者あり此症は熱毒(ねつどく)甚(はなはだ)盛(さかん)にして洩(もるゝ)事なくして 臓腑(ざうふ)傷(しやう)をうくる故にその死する事すみやかなりと 云へり如此の逆証(ぎやくしやう)は十にして八九は死するなり早く 心を付て療治(りやうぢ)すれば十にしてひとりふたりも生る事 ありよく〳〵心得べき事なり   (十二)痘瘡(いも) 発熱(ほつねつ)の時節(じせつ)善悪(ぜんあく)の説(せつ) ○痘瘡 初発(しよほつ)の熱(ねつ)はいかにも和(やはらか)にして煖(あたゝか)に或は熱し 或は退(しりぞ)き病者(ひやうじや)の気(き)爽(さはやか)にして食事(しよくじ)常(つね)のごとく大 便 調(とゝのほ)りて色(いろ)黄(き)に小便すみて他(た)の症なく二三日 【左丁】 熱ありて痘(いも)少くあらはるゝを順症(じゆんしやう)と名付て薬を用るに およばざる也 ○初(はじ)めて熱(ねつ)する時しきりに驚(おどろ)き手足を搐溺(ちくでき)《割書:手足をびく|つかするをいふ》 する者はかならす内の毒気(どくき)外へ出るなり多くは痘瘡(いも) 軽(かろ)きもの也 総(そう)【惣】じて序病(じよびやう)につよく煩(わづ[ら])ふものはかならず 軽きものなり ○初(はじ)めて熱する時 吐逆(ときやく)をなししきりに唾(つばき)をはく証(しやう)あり 又 大便(だいべん)一両日の間に二三度ほど下りてそののち留るも のあり此二つの症は痘毒(とうどく)内より外に出るなりいづれも 吉事也あわてゝ薬を用て吐(と)をとめ瀉(しや)をとむる事なか れしかいへど大便数十度も下り吐逆(ときやく)もきびしく 【右丁】 して其病 甚(はなはだ)しき時は上手 医師(いし)に頼(たの)みて療治(りやうぢ)をな すへきなり一概(いちがい)に心得べからず ○初めて熱(ねつ)する時 寒(かん)を悪(にく)み熱(ねつ)壮(さかん)なる者 頭痛(づゝう)咳嗽(かいそう)鼻(はな)に 清涕(せいてい)を流(なが)し感冒(かんばう)傷寒(しやうかん)の類(たぐい)に似(に)て疑(うたが)はしき証には 参蘇飲(じんそいん)加減(かげん)升麻葛根湯(しやうまかつこんたう)敗毒散(はいどくさん)類を見合て用 べきなり此等(これら)の薬方(やくはう)を用て汗(あせ)を発(はつ)すれは痘瘡(いも)なれば 一二日の間にばらりと出るなりたとひ痘瘡(いも)にあらずし て風寒(ふうかん)の外邪(ぐわいじや)なれば汗(あせ)出て邪気(じやき)散(さん)じて其病を のづから愈るなり ○加減(かげん)参蘇飲(じんそいん)の方(はう) 人参(にんじん) 《割書:元気 実(じつ)する者は弦(つる)人参を用べし|元気 虚弱(きよじやく)なる者は朝鮮(てうせん)人参を》 《割書:用べ|し》 紫蘇葉(しそよう) 川芎(せんきう) 桔梗(ききやう) 前胡(ぜんこ) 陳皮(ちんひ) 半夏(はんげ) 【左丁】 葛根(かつこん) 《割書:各等|分》 白茯苓(びやくふくりやう) 山査肉(さんざにく) 牛房子(ごほうし) 《割書:各半|分》 甘草(かんざう)《割書:少》 右 一剤(いちさい)にして生姜(しやうが)を加へて煎(せん)じて用ゆべし ○加味(かみ)升麻葛根湯(しやうまかつこんたう)の方(はう) 葛根(かつこん) 升麻(しやうま) 赤芍(しやくやく) 桔梗(きゝやう) 防風(ばうふう) 紫蘇葉(しそよう) 川芎(せんきう) 山査肉(さんざにく) 《割書:各等|分》 牛房子(ごばうし) 甘草(かんさう) 《割書:半分》 右 生姜(しやうが)を加(くは)えて水煎(すいせん)し服(ふく)す ○加減(かげん)敗毒散(はいどくさん)の方 柴胡(さいこ) 《割書:鎌倉(かまくら)柴胡|を用べし》 人参(にんじん) 前胡(ぜんご) 枳殻(きこく) 羌活(きやうくわつ) 独活(どくくわつ) 防風(ばうふう) 荊芥(けいがい) 川芎(せんきう) 白(びやく) 茯苓(ぶくりやう) 山査肉(さんざにく) 《割書:各等|分》 桔梗(きゝやう) 甘草(かんさう) 《割書:各半|分》 右一剤として生姜を加へて水煎して用へきなり此 三方は久吾聶(きうごじやう)の加減(かけん)の妙方(めうはう)なり ○初めて熱(ねつ)出る時 腹(はら)痛(いたむ)者あり多くは飲食(い[ん]しよく)の滞(とゞこほ)り 【右丁】 なり銭氏(せんし)白朮散(ひやくじゆつさん)《割書:巻の一に|出る考べし》に香附子(かうふし) 砂仁(しやにん) 陳皮(ちんひ)を加え て用へしそのしるし神のごとし吐逆(ときく)する者にもよ し連翹(れんきやう)を加へし ○初めて熱(ねつ)出(いづ)る時 腰痛(ようつう)しきりに甚(はなはだ)しき者は加減(かげん)敗(はい) 毒散(どくさん)に連翹(れんきやう) 黄芩(わうこん) 細辛(さいしん)を加(くは)えて用へし其しるし 神のごとし ○初熱の時 腰痛(ようつう)しきりに甚(はなはだ)しく杖(つえ)にてうたるゝがごと き者は悪証なり多くは死するなり ○初めて熱する時 頭(かしら)面(おもて)ばかり火(ひ)にて焼(やく)かごとく其上 燕脂(べに)をさしたるごとくなる者は悪証なり多くはすくは さるなり 【左丁】 ○初めて熱出る時 紙燭(しそく)をてらして見るに皮膚(ひふ)のうち に所々 紅(くれなひ)の色かたまりて動(うごか)ざる者は必悪症に変(へん)する也 ○初めて熱出る時その熱甚しく手を焼(やく)かごとく眼中(がんちう) 紅にして口(くち)唇(くちひる)紫(むらさき)色 黒(くろ)色をあらはし皮膚(ひふ)さけ破(やぶ) るゝがごとき者は悪し多くは変証(へんしやう)出て死する也 ○初めて熱出る時 鼻(はな)目(め)口(くち)耳(みゝ)より血(ち)を出し大小便に 鮮(あざやか)なる血を下す者は悪症也多くはすくはず ○初めて熱出る時 胸(むね)高(たか)く突出(つきいづ)る者は痘(いも)の毒(どく)深(ふか)し変(へん) じて悪証となりて多くはすくはず ○初めて熱出る時よりそのまゝ眼(まなこ)閉(とち)塞(ふさが)る者は悪症なり 《割書:和俗 眼(まなこ)を閉(とづる)者を窓(まと)をおろすといふなり出そろひて|後 地(ぢ)腫(はれ)つよくして眼閉はよし初より眼閉るは悪し》多くは変(へん)じ 【右丁】 てすくはす ○初めて熱出る時 舌(した)の頭(かしら)紫色(むらさきいろ)黒色(くろいろ)をあらはし或は口 臭(くさ)く口中(こうちう)黒色なるは悪し ○初めて熱出る時 声(こへ)出る事なく鴉声(からすのこへ)のごとくなる 者は悪し ○初めて熱する時 蛔虫(くわいちう)とて蚯蚓(みゝず)のごとくにして白き虫(むし) を吐(は)き大便に下すものあり悪症なりとしるべし ○熱発するとそのまゝ痘(いも)出或は半か一日の間に痘(いも)あら はるゝものはかならず悪症に変(へん)ずるものなり以上の諸説 保嬰論(ほうゑいろん)保赤全書(ほうせきぜんしよ)痘疹全書(とうしんせんしよ)等の書に見えたり ○初めて熱する時その熱甚しく二三日を経(へ)ても痘(いも)出る 【左丁】 事なくしきりに腰痛 煩悶(はんもん)して痰喘(たんぜん)短気(たんき)なる者は これ痘毒(とうどく)深重(しんぢう)にして出かぬるなり清解散(せいげさん)を用べし 防風(ばうふう) 荊芥(けいがい) 蝉脱(せんぜい)【注】 桔梗(きゝやう) 川芎(せんきう) 前胡(ぜんご) 葛根(かつこん) 升麻(しやうま) 酒炒黄連(しゆさうのわうれん) 酒炒 黄芩(わうごん) 紫草(しさう) 木通(もくつう) 牛房子(ごばうし) 連翹(れんぎやう) 山査子肉(さんさしにく) 《割書:各等|分》 甘草(かんざう)《割書:少》 右 剤(ざい)として生姜(しやうが)一片(ひとへぎ)を加へて煎(せん)じ用べしその毒(どく) を発(はつ)して痘瘡(とうさう)出て苦悩(くるしみなやめ)どもその験(しるし)神(しん)のごとし ○発熱三日 痘(いも)出んとして出る事なく驚搐(きやうちく)をなし 物狂(ものぐるはしく)して躁(さはが)しきもの脈(みやく)浮大(ふだい)にして虚(きよ)する者これ 気血(きけつ)虚弱(きよじやく)にして痘毒(とうどく)を外へ発(はつ)し送(おく)る事あたはざる なり温中益気湯(うんちうゑききたう)を用てよし 人参(にんじん) 白朮(びやくじゆつ) 黄茋(わうぎ) 【注 字面の振り仮名としては「せんだつ」とある所だが、蝉脱は蝉蛻(せんぜい)と同義(蝉の抜け殻)であるところから「せんぜい」と振ったものと思われる。】 【右丁】 当皈(たうき) 白茯苓(ひやくふくりやう) 川芎(せんきう) 《割書:各等|分》 白芷(びやくし) 防風(はうふう) 木香(もくかう) 肉桂(につけい) 山査子(さんざし) 甘草(かんざう) 《割書:各半|分》 右 剤(ざい)として生姜(しやうが)棗(なつめ)を加(くはへ)て煎(せん)じ用て気血(きけつ)を温(うん) 補(ほ)すればその痘(いも)発(はつ)し出て快(こゝろよき)に至るなり痘瘡(いも)出か ぬるに二症ありひとつは実(じつ)に属(ぞく)す清解散(せいげさん)によろし ひとつは虚(きよ)に属(ぞく)す温中益気湯(うんちうゑききたう)によろし此間をよく 見わけて療治(りやうぢ)すべし二方共に活幼心法(くわつようしんはう)に出たり常(つね)に 用て効(しるし)を取事多し   (十三)痘瘡(いも)放標(はうへう)の時節(じせつ)善悪(せんあく)の説 ○痘病(とうひやう)発熱(ほつねつ)の時いかにも和(やはら)かに緩(ゆる)くその熱さしたり 覚(さめ)たりして二三日を経(へ)ての夜四日目の朝(あさ)より痘(いも)あら 【左丁】 はれ初て熱も退(しりぞ)き顔(かほ)口(くち)鼻(はな)顋(あぎと)【腮は俗字】耳(みゝ)手足(てあし)の間に大小 相ましはりばらりと出て其色上白く其 根(ね)紅(くれなゐ)にして 瘡(かさ)にひかりありて痘(いも)の赤(あかみ)と肉(にく)の白(しろ)みとをのづからわ かれ明(あきらか)にして手にてさぐれは手にあたる所かたくさはる を最上(さいしやう)の好(よき)痘瘡(いも)としるべきなり ○痘初めて出る事二三度に総身(そうみ)に出そろひ三日の後 手足(てあし)の心(はら)に出る事二つ三つ出るを好(よき)痘瘡(いも)としるべし 或は痘瘡に似(に)たる症(しやう)ありて出来たる瘡(かさ)も豆(まめ)のごとく あれ共 真(まこと)の痘瘡(いも)ならねば手 足(あし)の心(はら)に出(で)ぬものなり 何ほど軽(かろ)き痘瘡にても手足の心(はら)に出ぬといふ事は なきものなり能々心得べき事也 【右丁】 痘初て出る時 蚤(のみ)の喰(くい)たる跡(あと)のごとく二日 目(め)より 大さ粟粒(あはつぶ)のごとく三日目より赤小豆(あづき)のごとく次第 〳〵に大になりて豆のごとくになりてその色すき わたりて玉のごとく紅(くれなひ)の糸(いと)を以 根(ね)をまはしたるやう にして大小便 常(つね)のごとく飲食(いんしよく)常(つね)のごとくなるを順(じゆん) 症(しやう)といひて薬を服(ふく)するに及ばぬるなり以上の諸説 保嬰論(ほうゑいろん)保赤全書(ほうせきぜんしよ)等(とう)に見えたり ○放標(はうへう)の悪証といふは発熱(ほつねつ)ありて半日一日の間(あいた)に 痘(いも)出る第一の悪症(あくしやう)なり二日の後出るこれに次べし発 熱あるとそのまゝ痘(いも)出る者は九死一生としるべし ○痘出て熱一へんさし出又痘出る事一へんする者 【左丁】 は悪し ○痘始て出る事 蚕種(かいこのたね)のごとくなるものは悪し ○痘出てその色しらけ肉(にく)の色(いろ)と同(おなじ)き者は悪し ○痘出て全く起脹(きちやう)せず焼湯瘡(やけど)のかたちのごとくな るは悪し ○痘出るかとおもへばかくれかくるゝかとおもへば又あらはるゝ 者は悪し ○痘出てその皮(かは)うすく破(やぶ)れやすく汁(しる)出る者は悪症也 ○痘出て後も腰痛(こしいたむ)事 甚(はなはだし)く口(くち)臭(くさ)く息(いき)あらく短気(たんき) なる者は悪症なり ○痘出そろひて後も熱いまだ退(しりぞく)事なく譫言(そゞろこと)をなし 【右丁】 鬼神(きしん)を見るかごとく好(この)んて冷水(ひやみづ)を飲(のむ)者は悪症なり ○痘(いも)出そろひて後 瘡(かさ)の頭(かしら)こがれくろくなりてうるほひ なき者は血分(けつぶん)に熱(ねつ)甚(はなはだし)きゆへなり悪症に変(へん)じてすくはず ○痘出て其 色(いろ)紫黒(しこく)にしてかはき枯(かるゝ)者九死一生もな し大悪症としるへし ○痘出て紫色(むらさきいろ)にしてすきとをりこれをやぶれは黒(くろ)き 血(ち)を出すものは悪し ○痘出て瘡(かさ)の頂(いたゞき)陥(おちくぼ)りて凹(なかくぼ)に其中 針(はり)にてさしたる 跡(あと)のごとく黒(くろ)き所をあらはすは大悪症なり《割書:和俗(わぞく)楊櫨(うつぎ)の|実(み)といふ也》 ○痘でそろひて其色 赤(あか)からず皮(かは)薄(うす)くしてこれにさわ れば其 瘡(かさ)破(やぶれ)やすきものは此人気分の虚(きよ)する也六七日 【左丁 挿絵のみ】 【右丁】 の後かならす痒(かゆ)がり出て悪証に変ずるものなりこの 症は大料(だいりやう)の人参(にんじん)を用ざれば貫膿(くはんのう)する事なくして 変(へん)じて悪症となりて死するなりあらかじめ補剤(ほざい) を用へきなり ○痘瘡(いも)の出所 目(め)と鼻(はな)との間(あいた)人中(にんちう)《割書:鼻(はな)の下の|みぞをいふ》山根(さんこん)《割書:鼻ばしら|をいふ也》 或は額(ひたひ)顴骨(つらぼね)鼻(はな)口(くち)耳(みゝ)眼(まなこ)の上(うへ)頸(くひ)咽(のんど)吭(のどぶへ)胸(むね)腹(はら)これらの所に 沢山(たくさん)に出るを嫌(ぎら)ふ事なりたゞ手足(てあし)は多きといへ共 妨(さまたげ)な きなり総(そう)【惣】じて痘(いも)の勢(いきほひ)つよくして其かたち豆のごとく 痘(いも)と肉(にく)との間をわかちたるを地界(ちかい)をわかつといひて出 る事 沢山(たくさん)なりといへ共 害(かい)する事なし痘瘡の勢よは ければすくなしといへとも害をなすなりさはいへと沢山に 【左丁】 出たる痘瘡に軽(かろ)きといふは希(まれ)なる事なり放標(はうへう)の時 より地腫(ぢばれ)つよく眼(まなこ)腫(はれ)ふさがるもの也《割書:和俗これをまとを|おろすといふなり》軽き 痘瘡は眼ふさがるにいたらざるなりかくのごとき痘瘡 は薬を服するに及ばぬ事なるへし以上の説は古今医統(ここんいとう) 幼科準縄(ようくはじゆんじやう)等(とう)の書にのせたり ○痘瘡出そろひたる時は調元化毒湯(てうけんくはどくたう)を用て見合すべし 順症(じゆんしやう)逆症(きやくしやう)共に験(しるし)あるなり 生黄茋(しやうわうぎ) 人参(にんじん) 白芍(びやくしやく) 薬(やく) 当帰(たうき) 牛房子(ごばうし) 連翹(れんぎやう) 酒黄芩(しゆわうこん) 酒黄連(しゆわうれん) 防風(ばうふう) 荊芥(けいかい) 桔梗(きゝやう) 木通(もくつう) 紫草(しさう) 生地黄(しやうちわう) 山(さん) 査子(ざし) 《割書:各等|分》  紅花(こうくは) 蝉退(ぜんたい) 甘草(かんざう) 《割書:各半|分》 右 一剤(いちざい)と して生姜(しやうが)を加(くは)へて煎(せん)じ服(ふく)すべし其 効(しるし)神のごとし 【右丁】   (十四)痘瘡 起脹(きちやう)の時節(じせつ)善悪(せんあく)の説 ○起脹三日の時まへに出たるはまつおこり後に出たるは をくれて起(おこ)り痘(いも)の根(ね)肥満(こへみち)て光(ひかり)あり顔(かほ)目(め)少 腫(はれ)あり 次第〳〵に起り出て其期(そのご)にいたりて貫膿(くわんのう)《割書:やまあげ|をいふ》して 飲食(いんしよく)常(つね)のごとく大小便常のごとくなるを順症(しゆんしやう)とて療(りやう) 治(ち)を加(くは)ふるに及ばざる事なり ○起脹の悪症とは遍身(へんしん)《割書:一身中(いつしんぢう)|をいふ》みな起脹すといへとも頭(かしら) 面(おもて)起脹せざるは大凶事(だいけうじ)なりとしるべし ○痘(いも)の色 紫黒色(しこくしよく)にして起脹せざるは悪症なり ○痘起脹せずして黯黒(づゞみくろく)して陥(おちくぼ)り悶乱(もんらん)《割書:むねもだへ|の事をいふ》し て安(やす)からず神気 昏(くら)きは悪症なり 【左丁】 ○起脹の時 吐逆(ときやく)してやまず大便下り小便に血(ち)を下 す者は悪症なり ○起脹の時痘の色白く灰色(はいいろ)なるは悪症なり ○起脹の時小児日夜 啼(なく)事やまず胸悶(むねもたへ)して譫言(そゞろごと) をいひ鬼神(きしん)を見るかごとく成ものは悪証也以上の諸説 千金方(せんきんはう)医林集要(いりんしうよう)保赤全書(ほうせきせんしよ)等(とう)に見えたり ○起脹の時 痘(いも)の色 紫(むらさき)に或は焦(こかれ)黒色(くろいろ)にして悪症き ざす時は九味神効湯(くみしんこうたう)によろし 人参(にんじん) 黄茋(わうき) 牛房(ごはう) 子(し) 前胡(ぜんこ) 生地黄(しやうちわう) 紫草(しさう) 白芍(ひやくしやく) 《割書:各等|分》 紅花(こうくは) 甘草(かんさう) 《割書:半分》 右剤として水煎(すいせん)し服(ふく)すその効(しるし)神のごとし ○痘起脹の時 風寒(ふうかん)の気(き)にあたり鼻(はな)に清涕(せいてい)を流(なが)し 【右丁】 咳嗽(がいそう)しきりに風を悪(にく)み自汗(しかん)し身 戦慓(せんりつ)《割書:ふるひわなゝく|事をいふ也》 し痘(いも)の色(いろ)惨白(さんはく)《割書:色あしく白(しら)け|たるをいふ也》なる者は中和湯(ちうくはたう)を用べ し 人参(にんじん) 黄茋(わうぎ) 厚朴(こうほく) 白芷(びやくし) 川芎(せんきう) 当帰(たうき) 桔梗(ききやう) 防風(ばうふう) 《割書:各等|分》 肉桂(につけい) 藿香(くはつかう) 甘草(かんざう) 《割書:各半|分》 右 剤(ざい)として生姜(しやうが)棗(なつめ)を加(くは)へて煎服(せんふく)す糯米(たべい)《割書:もちごめ|の事也》 を加えて妙なり ○痘起脹の時 邪穢(じや▢)《割書:外よりふれおかす|けがれの事をいふ》にふれて其痘出 かね又は出て後起脹する事なき者には平和湯(へいわたう)を用へし 人参(にんじん) 当皈(たうき) 桔梗(きゝやう) 白朮(ひやくじゆつ) 紫蘇(しそ) 黄茋(わうぎ) 《割書:各等|分》 防風(はうふう) 白芍(ひやくしやく) 甘草(かんさう) 肉桂(につけい) 沈香(ちんかう) 檀香(だんかう) 乳香(にうかう) 藿香(くはつかう) 右剤として生姜(しやうが)を加(くは)えて水煎(すいせん)して用へし 【左丁】 外には蒼朮(さうじゆつ)棗(なつめ)沈香(ぢんかう)檀香(だんかう)乳香(にうかう)の類(たぐひ)を焼(たき)てその邪 気(き)を去(さる)べき也   (十五)痘瘡(いも)貫膿(くわんのう)の時節(じせつ)善悪(ぜんあく)の説 ○痘瘡出て初てより七日に至りてを貫膿(くわんのう)の時といふ なり其 形(かたち)円満(ゑんまん)にして光沢(くわうたく)ありて緑水(りよくすい)のごとく漸(やうや)く にして蒼蠟(さうらう)の色となり玉蜀黍(なんばんきび)の形(かたち)のごとく手にて 摩(なづ)ればその皮(かは)堅(かた)く飲食(ゐんしよく)つねのごとく大小便 常(つね)のご とくなる者を順症(じゆんしやう)とて薬(くすり)を服(ふく)するに及(およ)はざるなり ○貫膿(くわんのう)の時の悪症といふは痘出て七日に至りても膿(うみ) を持(もつ)事すくなく痘(いも)の頂(いたゞき)陥(おちくぼ)み貫膿せざるは悪し ○貫膿の時痘の色しらけ灰色(はいいろ)にして中陥りて痒(かゆ) 【右丁】 き者は九死一生なり急(きう)に大料(だいりよう)《割書:大ふくを|いふ也》の人参を用ざれ は救(すく)ふ事なし総(そう)【惣】じて痘瘡 貫膿(くわんのう)の時節は人参を 用たるがよき也此 意(こゝろ)は元気(げんき)を表分(ひやうぶん)にはこび出すを 以内はかならず虚弱(きよじやく)になるものなれはなり能々心得 へき事なり ○貫膿の時節手にてなづるに皮(かは)軟(やはらか)にして皺(しば)む者は悪し ○貫膿の時節にいたりても痘の色 紅(くれなゐ)なる者は血実(けつじつ) 熱毒(ねつどく)の症なり必 紫(むらさき)色に変(へん)じ後には黒色になりて 死するなり ○貫膿の時にいたりて総【惣】身はいづれもよく膿(うみ)をもつと いへ共ひとり天庭(てんてい)《割書:天庭とは眉(まゆ)の上の|額の真中をいふ也》の所貫膿せざるは 【左丁】 悪症なり必変して死にいたるなり ○貫膿の時痘瘡よくはり起りて見ゆれ共其中水 多くして膿(うみ)すくなく痘(いも)の勢(いきほひ)脹起(ちやうき)に似(に)たる者は極めて 悪症なりこれを庸医(ようい)は大形(おほかた)よき勢の痘と心得て 油断(ゆだん)して多くは変して死するにいたる能々心得へき 事なり ○貫膿の時節 面目(めんもく)の腫(はれ)早くしりぞき瘡(かさ)陥(おちくぼ)り膿(うみ) 少きものは悪し総【惣】じて痘の病人の顔(かほ)の地(ぢ)腫(はれ)はや く減(へる)事は悪証なり痂(ふた)落(おち)て後までも地腫ありて漸(ぜん) 々(〳〵)に減(へる)ものを吉(よし)とす ○貫膿の時しきりに痘瘡(いも)痛(いたみ)を発(はつ)し堪(たえ)がたきものは 【右丁】 悪症也 貫膿(くわんのう)の時は痘瘡(とうさう)しきりに脹起(ちやうき)によりて すこしは痛(いたみ)出るものなりされ共きびしく痛(いたみ)て堪(たえ) かたきほどなるは悪症としるべし ○貫膿の時 痘(いも)の色(いろ)紫黒(しこく)に変(へん)し煤(すゝ)のごとくなるは 死証なり急に筋余(つめ)《割書:平日人の手の爪(つめ)を切る時|あつめたくはへをくへき也》壱匁五分に ても弐匁にても一服(いつふく)として常(つね)の薬をせんするごとく にして用れは其色 即時(そくじ)によくなるものなり《割書:啓益》し きりに試(こゝろみ)てしるしを得たるなり此方 築紫(つくし)の野人(やじん) の伝(てん)なり ○貫膿の時しきりにその痘(いも)痒(かゆ)きものは悪証なり虚(きよ) 証(しやう)としるへし総(そう)【惣】じて貫膿の時節は虚実(きよじつ)をとはず 【左丁】 多くは針にてつくごとくにして痒(かゆ)きものなれば小 児必あやまつて搔破(かきやぶ)るにいたるなり起脹の時より 手に手巾(ておひ)をさして爪(つめ)の痘(いも)にあたらぬやうにすべし 痘(いも)を摩(なて)搔(かく)には兔(うさぎ)の手を用べきなり 本邦(ほんほう)の俗(ぞく) 多くは畜(たくは)へをく事なり ○貫膿の時より心を付て眼(まなこ)のうち鼻(はな)のうちなど を念(ねん)を入て見るべし此所に多く出来る時は眼つぶれ 鼻ふさがりて生(むま)れつかぬ片輪(かたは)者になる多し能々 心得へきなり ○貫膿の時痘の色 紅紫(くれなひむらさき)にして乾(かは)き枯(かれ)て焦(こがれ)黒(くろき)に 変(へん)ずる者は毒(どく)さかんにして血(ち)凝(こる)なり必 膿(うみ)をなさずして 【右丁】 悪証となる也 急(きう)に清毒活血湯(せいとくくわつけつたう)を用べし 紫草(しさう) 当帰(たうき) 前胡(ぜんこ) 牛房(こほう) 木通(もくつう) 生地黄(しやうぢわう) 生白芍(しやうひやくしやく) 連翹(れんぎやう) 桔梗(きゝやう) 酒黄芩(しゆわうこん) 酒黄連(しゆわうれん) 山査(さんさ) 人参(にんじん) 生黄茋(しやうわうぎ) 《割書:各等|分》 甘草(かんざう)《割書:半分》 右 剤(さい)として 生姜(しやうが)一片(ひとへぎ)加(くは)えて水煎(すいせん)し服(ふく)すそのしるし神のごとし ○貫膿の時痘の色 淡白(たんはく)にしてと尖(とかり)円(まど)かならず膿(うみ)をな さゞる者は虚証(きよしやう)なり急に参帰(さんき) 鹿茸湯(ろくしやうたう)を用へし 鹿茸(ろくじやう) 黄茋(わうぎ) 当皈(たうき) 人参(にんじん) 《割書:各等|分》 甘草(かんさう)《割書:少許》 右 剤(ざい)として生姜(しやうが)一片(ひとへき)龍眼肉(りようがんにく)三箇(みつ)入て煎(せん)じ服(ふく)す その痘 紅活(こうくはつ)を転(てん)じて貫膿(くわんのう)する事なり虚弱(きよじやく)なる 症には寒戦(かんせん)《割書:寒気(さむけ)だちて身|ぶるひするをいふ》咬牙(かうげ)《割書:歯(は)がみを|する事也》をあらはす也 【左丁】 此方によつて肉桂(にくけい)附子(ぶし)を加(くは)へし泄瀉(せつしや)《割書:腹(はら)の下る|をいふ也》する ものには当皈(たうき)をさりて白朮(びやくじゆつ)白芍薬(びやくしやくやく)砂仁(しやにん)白茯苓(ひやくぶくりやう) 白(はく) 扁豆(へんづ)木香(もくかう)丁子(てうじ)肉桂(にくけい)を加へて用べし ○貫膿にかゝる初より虚実(きよしつ)寒熱(かんねつ)をとはず多くは千金(せんきん) 内托散(ないたくさん)を用へし 人参(にんじん) 当皈(たうき) 黄茋(わうぎ) 白芍(びやくしやく) 川芎(せんきう) 肉桂(にくけい) 山査子(さんさし) 木香(もくかう) 防風(はうふう) 白芷(びやくし) 厚朴(こうほく) 《割書:各等|分》 甘草(かんさう) 《割書:少許》 右剤として生姜一片を加へて 煎じ服すべしそのしるし神のごとし一方に桔梗(きゝやう) 紫草(しさう)を加ふ尤よし ○貫膿の時 虚(きよ)に属(ぞく)する者は膿(うみ)をなすにいたらずし て種々(しゆ〱)の悪症(あくしやう)に変(へん)ずる者なりあるひは痒(かゆ[き])事しき 【右丁】 りにして堪(たえ)がたく寒戦(かんせん)咬牙(かうげ)する者は多く死証 なり急に保元湯(ほうげんたう)を用べし 黄茋(わうぎ)《割書:大》 人参(にんじん)《割書:中》 甘草《割書:少許》 右 剤(ざい)として生姜(しやうが)棗(なつめ)を加えて煎(せん)じ服(ふく) すべし肉桂(につけい)を加へて人参(にんじん)黄茋(わうき)の力(ちから)をたすけてよし 川芎(せんきう)白朮(びやくじゆつ)肉桂(につけい)を加(くは)へて大保元湯(だいほうげんたう)と名(な)づく此方は 総(そう)【惣】じて痘瘡(いも)の悪証(あくしやう)に変(へん)ずる者に用て其しるし 神のごとし ○貫膿の時 虚(きよ)甚(はなはだ)しくして身(み)涼(ひへ)て汗(あせ)出(いづ)る事やまず 煩悶(はんもん)し或は寒戦(かんせん)咬牙(かうげ)する者に帰茋湯(ききたう)を用べし 当皈(たうき) 黄茋(わうぎ) 《割書:各等|分》酸棗仁(さんさうにん)《割書:半分》 右 剤(ざい)として水煎(すいせん) し服すへし 【左丁】 貫膿の時虚に属(ぞく)する者多くは痒(かゆき)を発(はつ)し飲食(いんしよく) 減少(げんせう)して次第に気(き)乏(とぼし)き者には補中益気湯(ほちうゑききたう)によ ろし 人参(にんじん) 黄茋(わうぎ) 白朮(びやくじゆつ) 《割書:各等|分《割書:上》》 当皈(たうき) 陳皮(ちんひ) 《割書:各中》 升麻(しやうま) 柴胡(さいこ) 甘草(かんざう) 《割書:各少|許《割書:下》》 右 剤(さい)として生(しやう) 姜(が)棗(なつめ)を入て煎(せん)じ用べし○寒戦(かんせん)咬牙(かうげ)する者に は肉桂(につけい)附子(ふし)を加べし○泄瀉(せつしや)せば白茯苓(ひやくふくりやう)扁豆(へんづ)砂仁(しやにん) 蓮肉(れんにく)を加(くは)ふべし○痰(たん)あらは白茯苓(びやくふくりやう)半夏(はんげ)貝母(はいも)を加ふ べし○小便 通(つう)ぜざるには茯苓(ぶくりやう)車前子(しやぜんし)沢瀉(たくしや)を加ふへし ○甚 痒(かゆ)きには防風(ばうふう)荊芥(けいかい)連翹(れんぎやう)を加ふへし○此方を用 るに連翹(れんきやう)山査子(さんざし)を加て妙(めう)有 【裏表紙】 【表紙 題箋】 《題:《割書:増補|ゑ入》小児必用記《割書:五》》 【資料整理ラベル】 493.98  Ka87 日本近代教育史  資料 【右丁 白紙】 【蔵書印】東京学芸大学蔵書 【整理番号】19602490 【左丁】 小児必用養育草(せうにひつようそだてくさ)巻五    目録(もくろく) ㊀ 痘瘡(いも)収靨(しうゑん)の時節(じせつ)善悪(ぜんあく)の説(せつ) ㊁ 痘瘡収靨の後 米泔水(こめのとぎしる)の湯(ゆ)にて浴(ゆあみ)するの説 ㊂ 痘瘡 落痂(らくか)の時節善悪の説 ㊃ あらかじめ痘(いも)の毒(どく)を解(げ)するの説 ㊄ 麻疹(はじか)の説(せつ) ㊅ 水痘(みづいも)の説 【蔵書印】 後藤文 庫之印 【右丁 白紙】 【左丁】 小児必用養育草(せうにひつようそだてくさ)巻五          牛山翁(ぎうさんおう) 香月啓益(かつきけいゑき)  纂(さんす)【左ルビ:あつむ】   ㊀痘瘡(いも)収靨(しうゑん)の時節(じせつ)善悪(せんあく)の説(せつ) ○痘瘡(いも)十日を経(へ)て血(ち)尽(つき)毒(どく)解(とけ)て其 膿(うみ)漸々(せん〳〵)乾(かは)き葡(ぶ) 萄(どう)の色(いろ)のごとくなりて口(くち)鼻(はな)の両傍(りやうはう)あるひは頭(かしら)面(おもて)よ りかせはじめて胸(むね)腹(はら)にいたり手足(てあし)に及ひてかくのご とく上より下に次第〳〵に収靨(かせ)もてゆき身も軽(かろ)く 気色(きしよく)快(こゝろよ)く飲食(ゐんしよく)つねのごとく大小 便(べん)常(つね)のことくなる を順症(しゆんしやう)といひて薬(くすり)を服(ふく)するに及はぬ事也 ○収靨(かせ)の時 痘瘡(いも)の潤(うるをひ)ひく事なくかせかぬるを流漿(りうしやう)と 【右丁】 名つくこれ皮膚(ひふ)の気(き)弱(よは)きゆへなり急(きう)に保元湯(ほうげんたう)《割書:薬|方》 《割書:前に|しるす》を大料(だいりやう)にして用べししからざれば痒(かゆ)きに変(へん)じ て救(すく)はざるにいたるすべて痘(いも)は大形(おほかた)仕取(しとり)たるとおもへ 共十日過のかせくちに必 変(へん)じて悪症(あくしやう)出(いづ)るものなり 八日九日のあいだによく飲食(いんしよく)をつゝしみ風(かせ)にあたら ぬやうにすべしその時分は病家(ひやうか)もつかれ看病(かんびやう)人も 多くは眠(ねふ)りてゆだん出来るものなり年(とし)老(おひ)たる女 の物に馴(なれ)て性(しやう)静(しづか)なるを付そへて瘡(かさ)の色(いろ)病(やまひ)のしな 夜な〳〵の苦(くるし)みを医師(いし)にかたらしむべし小児はとに かく飲食(いんしよく)のつゝしみあしき故(ゆへ)にその害(かい)多し乳飲(ちのみ) 子(こ)は乳母(めのと)の食物(しよくもつ)をつゝしませ色欲(しきよく)の念(ねん)をおこさぬ 【左丁】 やうに怒(いかり)をなさしめぬやうにすべし多くは乳母(めのと)のつゝ しみあしきゆへにその害(かい)児(ちご)におよぶなり十四五 歳の病者(びやうじや)よりは飲食(いんしよく)と色欲(しきよく)とに心をつくべし いケほど軽(かろ)き痘(いも)なれ共此二ツをつゝしまぬ時はかな らず変(へん)じて死(し)にいたるなり能々心得べき也 ○総【惣】身いまだかせざるうちにまつ口 唇(くちびる)腐爛(くちたゞれ)て白く 舌(した)まで白くなる者は悪証なり ○収靨(かせ)の時にいたつて飲食まつたくすゝまず口 唇(くちびる) つねに物を喰(くら)ふがことくしきりに動(うごき)てとゞまらざる 者は九死一生なり ○総【惣】身の痘瘡(いも)収靨(かせ)にいたらず汁(しる)膿(うみ)出て総【惣】身たゞれ 【右丁】 臭(くさ)き事 近(ちか)づくべからざるやうなる者は悪症なり収(か) 靨(せ)の時に膿汁(うみしる)出て爛(たゞるゝ)者は衣類(いるい)とりつきて離(はなれ)がた きによりて絹(きぬ)の衣類(いるい)は悪し痘(いも)多く出たるものは起脹(きちやう) の時分よりやはらかなる布(ぬの)のかたびらを袷(あはせ)にして 着(き)せしむべしそのうへに絹の衣類を重ね着せし むべきなり ○収靨(かせ)の時 熱(ねつ)甚(はなはだし)くして譫言(そゞろごと)をいふ者は悪証なり ○収靨の時 寒(さむ)け出て振(ふる)ひ慄(わなゝ)き牙(きは)を咬(かみ)眼(まなこ)ふさがり 足(あし)冷(ひゆ)るものは九死一生なり大料(おほぶく)の参附湯(じんふたう)又は保元(ほうげん) 湯(たう)益気湯(ゑききたう)などの類(たくい)見合て用べきなり ○収靨の時総【惣】身 痒(かゆ)く掻破(かきやぶ)れは膿(うみ)水(みつ)出る事なく皮(かは)捲(まき) 【左丁】 て豆(まめ)の皮(かは)のごとくなる者は悪し総【惣】して痘瘡は始(し)【左ルビ:はじめ】 中終(ちうじう)【左ルビ:なか おはり】共に痒(かゆき)は虚証(きよしやう)なれば悪しく変(へん)ずる事と心得へ きなり万の瘡(かさ)腫物(しゆもつ)の類 痛(いた)む者を実証(じつしやう)としり痒 き者を虚証(きよしやう)と心得べきなり ○総【惣】身の痘収靨にいたれ共そのうち数粒(すりう)かせざるもの ありこれ九死一生としるべし以上の諸説 千金方(せんきんはう)保嬰(ほうゑい) 論(ろん)保赤全書(ほうせきせんしよ)古今医統(ここんいとう)証治準縄(しやうぢじゆんじやう)等の書(しよ)に見えたり ○収靨の時或は忽然(こつぜん)として腹痛(ふくつう)しその痛(いたみ)中脘(ちうくわん)に ある者に食滞(しよくたい)をめぐす薬を用てもその痛(いたみ)やむ事な くしきりに痛(いた)む者はこれ瘀血(おけつ)の痛なり消毒散血湯(しやうどくさんけつたう) を用べし 牛房子(ごはうし) 生白芍薬(しやうびやくしやくやく) 桃仁(とうにん) 乳香(にうかう) 【右丁】 没薬(もつやく) 《割書:各等|分》 紅花(こうくは) 大黄(だいわう) 《割書:各半|分》 右 剤(ざい)として水煎 して服すへし一服(いつふく)にしてその痛(いたみ)退(しりぞ)くなりかならず 数貼(すてう)服(ふく)すべからず瘀血(おけつ)さんじて痛やむときは用べからす ○収靨(かせ)の時外 潰(つひゑ)て痘(いも)より膿汁(うみしる)を出し爛(たゞるゝ)者を水靨(すいゑん) と名づく新(あらた)なる瓦(かはら)を細末(さいまつ)にして絹切(きぬぎれ)か布切(ぬのきれ)かにつゝみ てふるひかけてかはかすべしと久吾聶(きうごじやう)の説に見えたり 和 俗(ぞく)は土器(かはらけ)を粉(こ)にしてふりかけ米(こめ)の粉(こ)をふりてとり あつかふなりいづれもよきなり   ㊁痘瘡(いも)収靨(かせ)の後 米泔水(こめのとぎしる)の湯(ゆ)にて浴(ゆあみ)するの説 ○わが 日本の風俗(ふうぞく)にて痘瘡(いも)収靨(かせ)ていまだ痂(ふた)おちざる 前(まへ)に米泔水(こめのとぎしる)に酒(さけ)少ばかりを加(くは)え或は鼠(ねすみ)の糞(ふん)二ツばかり 【左】 入て沸湯となしてその湯にて痘を洗(あら)ひ沐浴(もくよく)すれは 痘よくかせて病者(びやうしや)こゝろよきにいたるなりこれを酒湯(さかゆ) といふ酒湯(さかゆ)をかけて後その病者の居所(おりどころ)を掃除(さうぢ)し 痘の神の棚(たな)なども仕舞(しまい)て親族(しんぞく)打よりて祝(いは)ふ事 これ俗礼(ぞくれい)なり《割書:啓益》あまねく中花(もろこし)の書(ふみ)を考(かんがふ)るに米(こめの) 泔水(ときしる)にて洗(あら)ふ事を見ず京師(きやうし)東武(とうふ)の宿儒(しゆくじゆ)老医(らうい)に 尋(たづ)ねとふに其 出所(しゆつしよ)をしる者なしいつれの時何者の 仕初(しそめ)たる事にや天和(てんわ)壬戌(みつのえいぬ)の年 朝鮮人(てうせんしん)来聘(らいへい)せし時 朝鮮国の医師(いし)鄭東里(ていとうり)に此事を筆談(ひつだん)せしに朝鮮 国にては痘(いも)の色 紫黒(しこく)或は漿(せう)ひく事なく愈(いゆ)る事 遅(おそき) き類を薬湯(くすりゆ)にて洗(あら)ふ事あれども善悪共に洗ひ又は 【両丁 挿絵のみ】 【右丁】 米泔水にて洗ふ事はなしと答へ侍りぬ然れは中花(もろこし)も 朝鮮(てうせん)も我国(わかくに)のごとく俗礼(ぞくれい)となして善悪(せんあく)共に湯(ゆ)を 掛(かく)る事はなきにや 本邦(ほんほう)にては収靨(かせ)の後 米泔水(こめのとぎしる)にて 浴(ゆあみ)せざれは痘瘡(いも)膿(うみ)かへりて悪しき事多し湯の掛時 にはやしおそしありたやすき痘瘡は十一日十二日ぶ りにいたりて頭(かしら)面(おもて)胸(むね)腹(はら)かせたる時を見合 手巾(てぬぐひ)を湯 にひたししぼりて痘の上を押つけて温(あたゝめ)たるがよき なり和 俗(そく)これを一番湯といふ中一日ありて二番湯 を掛べし其時は盥(たらい)のうちに入れて洗(あら)ふべきなり何ほ ど軽(かろ)き痘瘡(いも)なり共久しく洗ふ事なかれ虚弱(きよじやく)なる 小児或は痘瘡多く出たる者は一番湯はまづ祝儀(しうぎ)ばかりに 【左丁】 掛そめて二番湯の時とくと洗ふべきなり痘の後は 元気(けんき)虚(きよ)し皮膚(ひふ)うすき事なれば行水(ぎやうずい)する事久し けれは元気つかれ或は風をひきやすく変(へん)じて悪証 となるものなり湯を掛るの前に上手の医師 功者(こうしや) の人に相談(さうだん)してよき時分を見あはせて湯をな すべきなり多くは湯の掛時あしき故に変証(へんしやう)出来(いでき) て死する者あり可心得事也 ○痘瘡に掛る湯のこしらへやう米をかしたる汁 を用るに一番とぎははへてその汁を捨(すて)て二番とぎ 汁壱斗に酒五合を入て沸湯(にへゆ)となして洗ふべし 熱(あつ)からず冷(つめた)からず能ほどにして沐浴(もくよく)すべきなり 【右丁】 鼠(ねすみの)糞(ふん)を入る者もあれ共鼠糞は毒(とく)あれは人によ りてかへつて瘡痕(かさあと)たゞるゝ者あり用さるがよ きなり ○痘瘡 軽(かろ)きものは十一日より十五日まての間見合て 湯を掛べきなり重(おも)きものは廿日より三十日の間に なすべきなりかならず日数(ひかず)にかゝわるべからすそのよき 時分を見合 老医(らうい)にとひて指図(さしづ)をうくべきなり ○魏直(ぎちよく)が博愛心鑑(はくあいしんかん)に里中(りちう)に痘瘡(いも)流行(りうかう)せし時 或家(あるいへ) の前(まへ)に痘瘡多く出て目(め)も鼻(はな)もわからず喘息(ぜんそく)短(たん) 気(き)にして死(し)をまつやうなる児(ちご)を抱(いだ)きたる老婆(らうは)【左ルビ:うば】 ありけるにその明(あく)る日またその家のまへを通(とを)りけるに 【左丁】 きのふの小児その痘よく収靨(かせ)て右の危(あやう)き証すき と本 復(ぶく)する勢(いきほひ)あり魏直(ぎちよく)あやしくおもひてその 故(ゆへ)をとへば老婆(らうは)のいはく水楊(すいやう)の枝葉(ゑたは)五斤(ごきん)大釜に て煎(せん)じて浴(ゆあみ)させたればかく清快(せいくはい)なりと答(こた)へける を聞て魏直此 伝(でん)をえてしきりに痘瘡の危(あやうき)証 を洗ふに験(しるし)をとる事多しと見えたり《割書:啓益》按ずるに 水楊(すいやう)は和名(わめう)川柳(かはやなぎ)といひ又は丸 葉(ば)柳(やなぎ)といふ本草(ほんさう)を考(かんがふ)る に此ものよく瘡毒(さうどく)の熱(ねつ)をさるの功能(こうのう)あり米泔水(こめのとぎしる) にてあらひても痘瘡かせかぬる時は水楊(すいやう)の煎湯(せんたう)に て洗(あら)ふべきなりつねにこゝろみて験(しるし)をとるなり   ㊂痘瘡(いも)落痂(らくか)の時節(しせつ)善悪(せんあく)の説(せつ) 【右丁】 ○痘瘡(いも)収靨(かせ)て後その痂(ふた)厚(あつく)して落(おつ)る事おそく肉(にく)を 離(はな)れて粘(ねはら)ざるを吉とす痂(ふた)落(おち)てその瘢痕(はんごん)《割書:かさあとの|事をいふ》 紅(くれない)にして凸(なかだか)凹(なかくぼ)なく食事つねのごとく大小便 常(つね)のごと くなるものを順症(じゆんしやう)とて薬を服するに及ばさるなり ○みづから痘(いも)の痂(ふた)をとりて食(しよく)するもの多し此症 は吉事にして他症(たしやう)あれ共 死(し)する事なし ○痘(いも)すでに深(ふか)く陥(おちくぼ)る者あり蜜(みつ)を水にてときてぬれ は離(はな)れ落(おつ)るなり又は蜜【密とあるところ】陀僧をつけてもよし ○痘の痂落てその瘢痕(かさあと)白くして雪(ゆき)のごとくなるは 虚証なり補中益気湯(ほちうゑききたう)に川芎(せんきう)酒芍薬(しゆしやくやく)連翹(れんぎやう)を加(くは)え て用べし 【左丁】 ○痂(ふた)落(おち)て後口中 臭(くさ)く脣(くちひる)乾(かは)くものは悪症なり ○痂落て後寒熱(かんねつ)往来(わうらい)し胸(むね)腹(はら)手足(てあし)頭(かしら)面(おもて)倶(とも)に熱(ねつ)し 大便(たいべん)秘結(ひけつ)し小便 赤(あか)く渋(しぶる)者は余毒(よどく)さかんなるなりその 余毒を解(げ)すべし大連翹飲(だいれんきやういん)を用べし 連翹(れんきやう) 牛房子(ごぼうし) 当皈(たうき) 赤芍(しやくしやく) 防風(ばうふう) 《割書:各等|分》 木通(もくつう) 車前子(しやぜんし) 荊芥(けいかい) 酒黄芩(しゆわうこん) 酒炒山梔子(しゆそうのさんしし) 滑石(くわつせき) 甘草(かんざう) 蝉退(ぜんたい) 《割書:各半|分》 右 剤(ざい)として生姜(しやうが)を加へて煎(せん)じ服(ふく)すべしその しるし神のことし ○痂落て後 寒熱(かんねつ)ありて手足を動(うごか)し牙(きば)を咬(かみ)眼(まなこ)い まだとぢて開(ひら)かざる者は九死一生なり保元湯(ほうげんたう)によろ し眼に梨(なし)の汁(しる)をぬり又は枳椇(しぐ)の汁をぬるべし枳椇(しぐ) 【右丁】 は和名(わみやう)けんほのなしといふなり ○痂(ふた)落(おつ)るといへ共 瘢痕(かさあと)なを黯黒(ずみくろく)或は凹(なかくぼ)凸(なかだか)なる者は悪症 なり乳香(にうかう)の末(まつ)をすりぬりてよし ○痂落て後 両目(りやうめ)ひらく事なく日の光(ひかり)をにくみ或は 暗(くら)き所にてもひらかざる者は眼(まなこ)のうちに瘡(かさ)ありとしる べし早く驚(おどろ)きて上手の目医師(めいし)に見せて療治(りやうぢ)すべ きなり痘(いも)目(め)の内に出たるには雀(すゞめ)の立糞(たちふん)を乳汁(ちのしる)に すりて目にいれたるがよき也 ○痂落て後 唇(くちひる)口あるひは歯齦(はぐき)又は鼻(はな)の孔(あな)に瘡(かさ)あり て膿(うみ)出て臭(くさ)きは痘(いも)の余毒(よどく)なり打 捨(すて)て療治(りやうぢ)せざ れは鼻(はな)崩(くづ)れ頬(ほう)破(やぶ)れて死(し)するなり大連翹飲(だいれんぎやういん)《割書:薬方|前に》 【左丁】 《割書:出る|なり》を用べしそのしるし神のごとし ○痂落て後 総(そう)【惣】身(み)の瘢痕(かさあと)痒(かゆ)き事しきりなるは悪し 多くは虚証(きよしやう)なり保元湯(ほうげんたう)を用べし ○痂落て後 総【惣】身の瘢痕みな風癮(かざぼろせ)のごとくになる 証あり蜆子貝(しゞみがい)の煮汁(にしる)にて洗(あら)へはたちまち愈(いゆ)る也 ○痂落て手の曲池(きよくち)《割書:臂(ひぢ)のかゞみ|たる所をいふ》足(あし)の膕中(こくちう)《割書:膝の内のひき|かゞみをいふなり》 腋下(わきのした)その外 身(み)の節々(ふし〴〵)に痘(いも)の毒(どく)滞(とゞこほ)りて癰(よう)のごとくな りて後には骨(ほね)のうちに腐(くち)入て多骨疽(たこつそ)附骨疽(ふこつそ)な どのやうに骨(ほね)くちて瘡口(かさぐち)より出て一生涯(いつしやうがい)平愈(へいゆ)せず 手足(てあし)に滞(とゞこほ)る者は手足 挙(あぐ)る事あたはずこれを和俗(わぞく) 痘(いも)の余(よ)【疒+邕】(り)といふなり早く驚(おどろ)きて十宣内托散(じうぜんないたくさん)或は 【右丁】 補中益気湯(ほちうゑききたう)に連翹(れんきやう)酒黄芩(しゆわうこん)山梔子(さんしゝ)防風(ばうふう)を加へて用 べしその効(しるし)多し外には米泔水(こめのとぎしる)を炭火(すみび)にて煉(ねり)て黄(あめ) 牛(うし)の糞(ふん)を黒焼(くろやき)にして細末(さいまつ)してこれにまぜてつく ればその瘡(かさ)愈(いゆ)るなりこれ築紫(つくし)の野人(やじん)の伝(でん)なり《割書:啓益》 つねにこゝろみてしるしをとるなり ○痂(ふた)落(おち)て後 膿(うみ)出て皮膚(ひふ)弱(よは)く瘢痕(かさあと)より汁(しる)出ある ひは瘢痕(かさあと)魚(うを)の腸(はらわた)の水ぶくれのかたちのごとくなるに 黄牛(あめうし)の糞(ふん)を陰乾(かけぼし)にして細末(さいまつ)してつくればたち まち愈(いゆ)るなりこれ秘蔵(ひさう)の事なり ○痘瘡(いも)愈(いへ)て後小児をして園中(そのゝうち)又は庭(には)に出て土座(とざ) にて遊(あそ)ばしむべからす四五十日 過(すぎ)てもかならず変証(へんしやう)出て 【左丁】 急(きう)に死(し)するものなりこれを築紫(つくし)のかたにては螻蛄風(けらかぜ) に逢(あふ)といふなり痘瘡(いも)の後四五十日も螻蛄(けら)を見る事 をいむなり此事 中花(もろこし)の書(ふみ)におゐて見ず又は京都(きやうと)東(とう) 武(ふ)などにてはかつて人のいはぬ事なれ共 築紫(つくし)の方(かた) にてはまゝ多き事なり痘後(いもののち)は皮膚(ひふ)うすき故に土(ど) 気(き)などにふれをかさるゝ事悪きなるべしかならず螻(け) 蛄風(らかぜ)のみにあらず蚯蚓(みゝず)蛇(へび)百足(むかで)の類の悪虫(あくちう)をもさけ いみたるがよろしかるべき也 ○痘瘡の後 軽(かろ)きものは五十日 重(おも)きものは七十五日或 は百日のうち保養(ほうよう)慎(つゝし)むべし乳飲子(ちのみご)は乳母(めのと)のつゝし みをろそかにすべからず三四歳よりは飲食(いんしよく)の慎(つし)み 【右丁】 第一なり魚(うを)鳥(とり)の肉(にく)油(あぶら)あげの類その外 膩(あふらこき)物の類食 すべからす外は風寒(ふうかん)暑湿(しよしつ)の気(き)をさくべきなり十歳 以上の児(ちご)は読書(とくしよ)手習(てならゐ)の類しゐて懃(つとめ)しむる事なかれ 謡(うたひ)乱舞(らんふ)をなす事なかれ遠路(ゑんろ)を歩行(ほかう)すべからず十四 五歳の後よりは第一 色欲(しきよく)の事をいましむべきなり かくのごとくする事百日なれは痘後(とうこ)の病(やまひ)といふ事 なし能々心得べき事なり   ㊃あらかじめ痘(いも)の毒(どく)を解(げ)するの説 ○諸(もろ〳〵)の医書(いしよ)に預(あらかじめ)《割書:あらかしめとは|前かどの事也》痘(いも)の毒を解(げ)する薬方(やくはう)を のする事多し 本邦(ほんほう)にても医家(いか)にも家伝(かでん)と称(せう) し秘方(ひはう)と号(がう)して種々(しゆ〴〵)の薬(くすり)あり用んとおもはゞ 【左丁】 上手の医師(いし)に相談(さうだん)してその指図(さしづ)をうけてなすべき なり倭漢(わかん)ともに薬をせんじて其汁にて浴(ゆあみ)する事 あり是は外よりなす事にして害(かい)のなき事なれば よきといふ事は幾度(いくたび)もなすべき事なり ○あらかじめ痘(いも)の毒(とく)を解(げ)するに雄鼠(おとこねずみ)を生(いき)なからとら へて殺(ころ)し手足の肉(にく)をとりて煮(に)又は焼(やき)て用べし 児(ちご)をしてしらしむる事なかれと保赤全書(ほうせきぜんしよ)に見えたり  本邦(ほんほう)にても多くする事なり小鳥(ことり)など焼(やき)たるやうに して児よくくふものなり用て害(かい)のなき事なれば 用べきなり此事をなさは中位の鼠(ねずみ)を用べし大に して年 経(へ)たる鼠は毒(どく)あるなり用る事なかれ 【右丁】 ○兔(と)血丸(けつぐわん)といふ妙方あり十二月八日に兔(うさぎ)をとりて午(むま) の時をうかゞつて刺(さし)て血(ち)を取(とり)て蕎麦麪(そばのこ)に和(くは)し 雄黄(おわう)【「ゆうお(わ)う」のこと。】少ばかり加(くは)へ乾(かはく)をまつて菉豆(りよくづ)の大さに丸(ぐわん)して 小児の年の数(かず)に応(おう)じて用るなり保寿堂(ほうじゆどう)の方と 本草綱目(ほんざうかうもく)に載(のせ)たり 本邦(ほんほう)にては国守(こくしゆ)領守(りやうしゆ)ならでは 此方を調合(てうがう)しがたし此方を調合(てうかう)するに口伝(くでん)あり医(い) 書(しよ)にいふ所のごとく兔(うさぎ)の血(ち)に蕎麦麪(そはのこ)を入て丸ずる とばかり心得ては手につきねばりてまろめかたし兔 の血をとりて磁器(やきものはち)に入て二時ばかり過る時は上は水に なりて血は下に凝(こり)てかたまるなりその時上の水を したみて捨て凝(こり)たる血の中に蕎麦麪(そはのこ)をかきまぜ 【左丁】 てつき合せ雄黄(おわう)少ばかりいれ又は家伝(かでん)によりて辰(しん) 砂(しや)少 碾茶(ひきちや)少 加(くはふ)もありかくのごとくせざれは丸(ぐわん)じにくゝ してしかもその薬性(やくしやう)もうすくして験(しるし)なきなり《割書:予(よ)》さき に仕(つか)へし比(ころ) 君命(くんめい)によりて此 方(はう)を調合(てうがう)する事 度々(たび〳〵) にしてよく調合(てうがう)の工夫(くふう)を得(ゑ)たるなり扨此薬を痘瘡(いも) 流行(りうかう)する時にいたれは国中(こくちう)に頒(わかち)たうびけるその民(たみ)を 恵(めぐ)み給ふ御こゝろざし有難(ありがた)き事にぞ侍る ○趙侍郎(てうじらう)が方に苦楝子(くれんし)をとりて多少にかゝはらず煎(せん) 湯(たう)にして小児に浴(ゆあみ)すれば痘瘡(いも)をうれへずたとひうれ ふれども数(かず)すくなく出て軽(かろ)きなりと見えたり苦楝子(くれんし) は和俗(わぞく)いふ所のせんたんの木の実(み)の事なり 【右丁】 ○ 兔(うさぎ)の肉(にく)を煮(に)て食(しよく)する時はあらかじめ痘毒(いものどく)を解(げ) するの妙(めう)ありと本草綱目(ほんざうかうもく)にのせたり ○活幼心法(くわつようしんほう)の説に痘(いも)の毒(どく)は胚胎(はらごもり)の時より稟受(うけうけ)て五 臓六腑に潜(ひそま)【僭は誤】り伏(かく)れて声(おと)もなく臭(か)もなきの毒(どく)に して数年(すねん)の後たま〳〵天地の気運(きうん)の邪気(じやき)にさそ はれて出る病なればあらかじめ防(ふせ)ぎ解(げ)するといふの 理(ことはり)なし予(よ)か婦(ふ)男女(なんによ)の子十人を産(さん)すいづれも痘(いも)を やめりこゝろみにあらかじめ痘の毒を解する薬(くすり)を 用たる者六人ありみなその痘かへつて重し薬を 用ざる者四人あり皆その痘いたつて軽(かろ)かりきこれ をもつて見れは痘毒(とうとく)の軽重(けつぢう)は胚胎(はらごもり)の内より定(さだま) 【左丁】 りたる事なりとしるべしあらかじめ解するの薬 みな脾胃(ひゐ)をやぶる剤にして損(そん)あつて益(ゑき)なしと 見えたり聶尚恒(しやうしやうごう)の此 論(ろん)議に至極(しごく)の理(ことはり)なり 本邦 にても富貴(ふうき)の家は隣(となり)の国里に痘瘡(いも)はやるといへば あらかじめ防(ふせぐ)といひて種々の薬を用なり古人の語(ご) にも薬を服(ふく)せざる中 医(い)を得るとあれは用ざるには しかじ ○外よりなす事は何事にても苦(くる)しかるまじき事 とはいへどそれさへ又その品によるべきなり元禄の 初年(しよねん)に築紫(つくし)日向(ひうが)の国のかたほとりにあやしき巫(かんなぎ)あ りて神の乗移(のりうつ)り給ふといひて希有(けう)なることを 【右丁】 いひ出して後には神の告(つげ)なりといひて痘疹(いも)を軽(かろ) くする香水(かうすい)ありとて諸人にあたふる愚夫(ぐふ)愚(ぐ)婦の輩 此香水をうけて小児に浴するの湯(ゆ)のうちに入てわかし て洗(あら)ふ甚(はなはだ)しきものは此香水をのましむ此香水をの みあらひなどすればかならず二三日がほと発熱(ほとほり) ありて身中に細(こまか)なる瘡(かさ)出来なりその時これ神の なす所のまじなひ痘(いも)よと云て誠(まこと)の痘瘡のごと くとりあつかひて後は米泔水(こめのとぎしる)などかけてひしめきあ えりける事ありしにかくのごとくしたる児(ちご)も痘をま ぬかれずその上重き痘(いも)まゝ多かりき後によくきけば 漆(うるし)の煎(せん)じ汁を水にまぜて香水と名付 九国二島(くこくにとう) 【左丁 挿絵のみ】 【右丁】 にわかちつかはして人をまどはすなり此 漆(うるし)の毒に あたりて小児によりてはその瘡(かさ)そのまゝ愈(いゆ)る事なく して疵(きず)つくに至る者多ししかれは外よりなす事は 妨(さまたげ)なしとばかりも云へからず能々心得べき事なり   ㊄麻疹(はしか)の説(せつ) ○陳文宿(ちんみんしゆく)【注】の説に痘 疹(はじか)の二証(にしやう)共に胎毒(たいどく)のなす所にし て痘はその毒(とく)五臓(ござう)より発(おこり)てその瘡(かさ)大にして豆の ごとし麻疹(はじか)はその毒六腑におこりてその瘡(かさ)小にして 麻(あさ)の実のごとし発熱(ほとをり)の時 傷寒(しやうかん)に似てはげしく たゞ咳嗽(しはぶき)しきりにして声(こへ)啞(かれ)て出ず咽(のんど)腫(はれ)痛(いたみ)口 乾(かは) き咽(のんど)喝(かつ)して渇水を飲事かぎりなし発熱(ほとをり)一両日 【左丁】 にして身体(しんたい)皮(かは)の中にすき間なく出て蚊(か)の喰(くひ)た る跡(あと)のごとく或は粟粒(あはつぶ)のごとく出て後 熱(ねつ)退(しりぞ)き半 日一日或は一日半日二日にして疹子(はじか)収(おさま)るものは順症(じゆんしやう)に して薬(くすり)を服(ふく)するに及はさるなりと見えたり ○疹子(はじか)発熱(ほとをり)の時まづ升麻(しやうま)葛根湯(かつこんたう)《割書:その薬方痘瘡の|所にのす考べし》 に加減(かげん)して用てよし熱(ねつ)つよくは黄芩(わうこん)黄連(わうれん)羌活(きやうくわつ) 防風(ばうふう)を加(くは)えてよし総(そう)【惣】身(み)汗(あせ)出るものはその毒(どく)汗(あせ)にした がつて出やすし咳嗽(しはぶき)甚(はなはだし)きものは参蘇飲(じんそゐん)《割書:薬方痘瘡|の所にのす》 《割書:考ふ|へし》に黄芩(わうこん)桑白皮(さうはくひ)を加てよし咽(のんど)痛(いたむ)ものには葛(かつ) 根(こん)桔梗(きゝやう)を倍(ばい)し黄芩(わうこん)連翹(れんぎやう)を加へてよし ○疹子(はじか)発熱(ほとを[り])の時外は風寒(ふうかん)にあたり内は生物(なまもの)冷物(ひへもの)の類(るい) 【注 144コマでは「ちんぶんしゆく」と仮名を振っている。】 【右丁】 を食する事なかれ内外(ないけ)共に熱(ねつ)つよきものなればかなら ず病人外より冷(ひゆ)る事を好(この)み内よりは生物(なまもの)冷(ひゆる)物を食(しよく) するを好(この)むによりて此 禁(きん)をおかして内外(ないげ)より冷(ひへ)て疹 子出る事なくして悪証(あくしやう)に変(へん)ずるものなりたゞ衣(ころも)被(ふすま) を厚(あつ)くして汗(あせ)を出すべし ○疹子(はじか)発熱(ほとをり)の時 咽(のんど)腫(はれ)痛(いたみ)て飲食(いんしよく)入事なくつをのむ もならざるものありはなはだ急証(きうしやう)なりあはてゝ咽(のんど)に針(はり) する事なかれ疹子の火毒(くはどく)甚 盛(さかん)なる故(ゆへ)なり急(きう)に黄(わう) 連(れん)黄芩(わうこん)桔梗(きゝやう)石膏(せきかう)黄柏(わうばく)【栢は俗字】甘草(かんざう)《割書:各等|分》 右 剤(ざい)として 水煎(すいせん)して服(ふく)すべし或は寒(かん)の水又は臘雪(しわすのゆき)を畜(たくは)へ置 てその水にて煎(せん)じ用るときはそのしるし神(しん)のごとし 【左丁】 これ大秘方(だいひはう)なり火急(くはきう)なる症なれは上手の医師(いし)を頼(たの) みて治(ぢ)すべきなり ○疹子 発熱(ほとをり)の時多くは口(くち)乾(かはき)き【「き」衍】咽(のんと)喝(かつ)するによつてほ しゐまゝに冷水(れいすい)をのみ或は梨子(なし)蜜柑(みつかん)熟柿(しゆくし)などを 食ふ事多くしてかならす疹(はしか)収(おさま)りて後 痢病(りびやう)に 変(へん)ず るものあり疹子は軽(かろ)けれと跡(あと)の痢病(りびやう)にて死(し)する類の ものあり何ほど喝(かつ)すとも湯(ゆ)をあたへて冷水(ちやみづ)生物(なまもの)をあ たふる事なかれつゝしむべき事なり ○疹子出る時 腹痛(ふくつう)泄瀉(せつしや)し或は自利(じり)とて大便おぼえず して通(つう)ずるものあり或は赤白(しやくびやく)の痢病(りびやう)をかぬるもの ありこれみな悪証なりはやく驚(おとろ)き上手の医師(いし)を 【右丁】 たのみて療治(りやうぢ)すべし升麻(しやうま)葛根湯(かつこんたう)に当皈(たうき)川芎(せんきう) 防風(ばうふう)黄芩(わうこん)黄連(わうれん)桔梗(きゝやう)粳米(かうべい)を加(くは)へて用て其 効(しるし)神 のごとし ○疹子(はじか)出る時多くは吐逆(ときやく)をなすものなり小児は哯吐(けんと)《割書:乳|を》 《割書:あます|事なり》をなすなり疹子出つくす時はおのづから吐もやむ ものなり疹出つくしても吐逆(ときやく)やまぬものは悪証なり 早く驚(おどろ)き上手の医師(いし)に逢(あい)て療治(りやうぢ)を頼(たの)むべきなり 此症を治(ぢ)するには升麻(しやうま)葛根湯(かつこんたう)に二陳湯(にちんたう)を合(がう)して 服(ふく)すべししるしあるなり連翹(れんきやう)を加(くはふ)るを妙([め]う)とす ○疹子出て六時ばかりにして収(おさま)り或は一日一夜なるは 軽(かろ)し二日はその次なり三四日も収(おさま)ま【「ま」衍】らぬときは大 悪症(あくしやう) 【左丁】 なり早く驚き上手の医師を頼て療治すべき事也 多くは元気(けんき)の虚(きよ)するなり升麻(しやうま)葛根湯(かつこんたう)に六君子湯(りつくんしたう) を合(がつ)し当皈(たうき)黄茋(わうぎ)を加(くは)へて用てその効(しるし)をとる事 多し ○疹出て其 色(いろ)紅(くれなひ)なるは吉なり紫(むらさき)黒色(くろいろ)は九死一生 としるべし ○疹子の証これを痘(いも)にたくらぶれははなはだ軽(かろ)きに 似(に)たり然れ共 保養(ほうやう)あしければその禍(わざはひ)たちどころに いたる痘(いも)は日数(ひかす)を経(へ)て後に変(へん)じ疹子(はじか)は一両日の中 に急(きう)に変(へん)ずるものなればかならず油断(ゆだん)すべからずたゞ 外より風寒(ふうかん)にあたる事を禁(きん)ずべし内は飲食(いんしよく)を 【右丁】 つゝしむべきなり軽(かろ)きものは四十九日をまちて禁忌(きんき) を捨(すつ)べし重(おも)きものは七十五日又は百日をまつべし 何も痘の禁忌(きんき)とおなじくすべきなり ○世間(せけん)に痘(いも)疹(はしか)の流行(りうかう)する時小児に灸(きう)する事なかれ自(し) 然(ぜん)灸(きう)をしたり共 愈(いへ)ぐすりをつけてはやくいやす べきなり小児 瘡(かさ)癤(ねぶと)の類出来る事あらばこれも はやく愈(いや)すべきなり瘡(かさ)癤(ねぶと)灸瘡(きうかさ)など愈(いへ)ざるう ちに痘疹をすればその所に熱毒(ねつどく)の滞(とゞこほ)りてかな らず痘(よ)【疒+邕】(り)となるものなり以上の諸説 保嬰論(ほうゑいろん)保(ほう) 赤全書(せきぜんしよ)痘疹全書(とうしんせんしよ)等(とう)に見えたり   ㊅水痘(すいとう)の説(せつ) 【左丁】 ○陳文宿(ちんぶんしゆく)の説に水痘(みづいも)の証は総(そう)【惣】身(み)発熱(ほとをり)二三日をまたず して痘(いも)出るなり或は咳嗽(しはぶき)し面(おもて)赤(あか)く眼(まなこ)のひかり水の ごとく痘とおなじからず出る事やすく収(おさま)る事もや すし始終(しじう)五六日にして其 瘡(かさ)水 膿(うみ)ばかりにして収(おさま)ま【「ま」衍】 るなりといえり 本邦(ほんほう)の人これをみづいもといひ又は 所によりてへないもといふ療治(りやうち)禁忌(きんき)の事 痘疹(とうしん)に 替(かは)る事なし ○痘瘡(とうさう)は人の一生涯(いつしやうがい)にたゞ一度するものなり麻疹(はしか)水(みづ) 痘(いも)の類(たぐひ)は人によりて両三度もするものあり痘瘡 は五臓(こざう)の中よりおこり麻疹(はしか)水痘(みついも)は六腑(ろつふ)よりおこる 事をしりてその軽重(けいぢう)【左ルビ:かろしおもし】を分別(ふんべつ)すべき事なり 【右丁】 ○麻疹(はしか)水痘(みついも)共に収靨(かせ)て後 痘(いも)を洗(あら)ふごとく米泔水(こめのとぎしる) をわかして浴(ゆあみ)すべきなり湯のこしらへやうかけやう 痘に替る事なし湯をかけて後 風寒(ふうかん)をさけて保養(ほうよう) すべきなり 【左丁 手書きメモのみ】 十二月吉日    ■■     ■■■     ■■■ 【裏表紙】 【表紙 題箋文字無し】 【資料整理ラベル】 493.98  Ka87 日本近代教育史   資料 【右丁 手書きの松の絵】 【蔵書印】 東京学芸大学蔵書 【左丁】 小児必用養育草(せうにひつようそだてくさ)巻六     目録(もくろく)  ㊀ 小児物を見知(みし)る時よりの教(をしへ)の説(せつ)  ㊁ 和俗(わぞく)児子(ちご)に拍手(てうち)【柏は誤】振頭(かぶり)を教(おしゆ)るの説  ㊂ 男女(なんによ)の小児(せうに)物をくひ物をいふ時の教の説  ㊃ 和俗児子に破魔弓(はまゆみ)羽子(はね)紙鳶(いかのぼり)竹馬(たけむま)殿事(とのごと)炊(まゝ)    事(ごと)の戯(たはむれ)をなさしむるの説  ㊄ 男女の小児に教誨(きやうくはい)の説 【蔵書印】 後藤文 庫之印 【右丁 白紙】 【左丁】 小児必用養育草(せうにひつようそだてくさ)巻六         牛山翁(ぎうさんおう) 香月啓益(かつきけいゑき) 纂(さんす)【左ルビ:あつむ】   ㊀小児(せうに)物を見知る時よりの教(をしへ)の説 ○王隠君(わうゐんくん)の説に小児生れて六十日の後 瞳(ひとみ)人 定(さだ)ま るなり是より人を見識(みしり)て語(かた)るかごとく笑(わら)ふ事を しる其時 愛(あい)をなすとて高声(たかごへ)を出し肩(かた)にのせ高く 挙(あぐ)れは児(ちご)しゐて笑(わら)ひよろこぶといへども必病を生 し是より児子人を罵(のり)怒(いかり)などする事を好(この)み不礼(ぶれい) のきざし出るものなり慎(つゝし)むべき事なりと云へり児 子笑ひかたるがことくなる時は乳母(めのと)又はかたはらなる人 【右丁】 折ふしごとに児に対(たい)して此方(こなた)よりも物がたりする やうに愛(あい)をなせば児もよく打わらひてその人のまね をしてかたるがごとくするものなりかくしなるれはもの いふ事はやく人みずをせずして客忤(かくご)の病を発(はつ)す る事なし ○千金論(せんきんろん)に児生れて二百四十日に堂骨(とうこつ)定(さだ)まる此 時にいたつて座(ざ)する事 葡匐(ほふく)《割書:はらばひ|するをいふ》する事を教(おしゆ)べし 三百六十日にいたつては乳母の類(たぐひ)たすけて歩行(ほかう) する事を教(おそ)へしむべきなりと見えたり 本邦(ほんほう)の人 もかくのごとくする事なり漸(やうや)く児(ちこ)立んとする時は 乳母の類たすけてたち〳〵といひてたつ事を教(をし) 【左丁】 へ漸く歩行(ほかう)せんとする時はあゆみ〳〵といひて歩行 する事を教べし富貴(ふうき)の家(いへ)はたゞその児を愛(あい)し すごして抱(いだ)きてのみあるによりて多くはたつ事 もおそく歩行する事もおそきもの也能々可心得也   ㊁和俗(わぞく)児(ちご)に拍手(てうち)【柏は誤】振頭(かぶり)を教(おしゆ)るの説 ○和俗(わぞく)児子物を見識(みしり)手(て)を動(うごか)す時にいたれは乳母の類 まづ教るに拍手(てうち)といふ事をなさしむるなりわが 日本の古礼(これい)に貴(たつと)き人を拝(はい)する時 拍手(かしはで)といひて両の 手を合てうつ事あり 持統天皇(ぢとうてんわう)御位(おゝんくらゐ)に即(つか)せ給ふ 正月に公卿(くきやう)百官(ひやくくはん)列座(れつざ)して迊(めぐり)拝(おが)み奉りて手をう つて礼すると日本紀(にほんぎ)に見えたり周礼(しゆらい)といふ中花(もろこし)の 【右丁】 書(ふみ)にも九拝(きうはい)のそのひとつに振動(しんとう)とある註(ちう)に振動とは 今(いま)倭人(わじん)《割書:日本人|をいふ》の拝礼(はいれい)に両手を合てうつがごとし と見えたりしかれば 日本はいにしへより伝(つた)へ来る礼法(れいはう)な り今の世たゞくだりていにしへの事をとりうしなひ てしるものなく神道者(しんたうじや)の類 神(かみ)を拝(はい)する時に拍手(かしはで) とて両手を合てうつ事を用るなり都(と)【左ルビ:みやこ】鄙(ひ)【左ルビ:ひな】共に商(あき) 人(びと)交易(かうゑき)の時たがひに手をうつ事も相済(あいすみ)たるといふ 礼法のしるしなるにや小児にまづ拍手(てうち)を教(をしゆる)事は 礼を教の初(はしめ)にしてふるき遺法(ゐはう)なるべし振頭(かぶり)はい やといふ事を教(をしゆ)るなり礼(れい)の字(じ)の和訓(わくん)をいやとよむ なれは是又 礼儀(れいぎ)を教るの事なり人として礼なくんは 【左丁】 畜類(ちくるい)もおなじ事なるべし詩経(しきやう)にも鼠(ねずみ)を相(み)れは体(すがた) あり人として礼(れい)なくんばなんぞはやく死(し)せざると 見えたり   ㊂男女(なんによ)の小児(せうに)物をくひ物をいふ時の教(おしへ)の説 ○礼記(らいき)の内則(だいそく)に児よく食(しよく)を喰(くら)ふ時は右の手を用る 事を教(おしゆ)べしと見えたり又 礼(れい)は食(しよく)にはじまるとあれ ばいとけなき時より食を喰(くら)ふ時の作法(さはう)を教る事第 一なり小児は食にあひては飽期(あくご)をしらす乳母(めのと)の類(たぐひ)心 得てすゝむへし児子 啼(なく)事あれはしばらくその啼(なき)を やめんとては甘(あま)きものゝ類をあたへて悦(よろこ)ばしむればその 児食を見てはかならず啼(なく)事多しこれを姑息(こそく)と 【右丁】 いふ姑息(こそく)とはしばらくやむるとよみて児子(ちご)の啼(なく)事 や機嫌(きげん)のそんじたるをしばらく甘(あま)きものなどあたへ てやむる事なり一説(いつせつ)に姑(こ)は老女(らうぢよ)にてうばとよみ 息(そく)はやしなふとよめばうばそだてといふ事なり共いへり 児子(ちご)に食をあたふる時物かげ人の見ぬ所など又は 下々と一所にてかりにも食(しよく)せしむべからす父母(ふぼ)の前 にて食(しよく)しならはすべしいとけなき時より物かげに て食しなるれば食にむかへばかならずよろこびいかりひ としからぬものなり能々可心得事也 ○王隠君(わうゐんくん)のいとけなき時 好(この)んて飴(あめ)を嗜(たし)まれけるに 或時(あるとき)飴(あめ)のうちに蚯蚓(みゝず)ありて頭(かしら)をひきて出るを見て 【左丁】 これより飴をくふ事なかりきひとゝなりて始(はしめ)て母(はゝ) のたくみてかくし給へる事をしりぬ此事なくんばひ たすら喰(くひ)て疳虫(かんのむし)を生し病をおこし又は死にいたる へきにありかたき母の恩恵(おんけい)なりと保嬰論(ほうゑいろん)に見えたり  日本にてもかくのごときの事多けれは父母(ふほ)乳母(めのと)とも に心をつけて食をあたへ食する時に作法(さはう)よく教(おしゆ)る 事第一とすべき事なり児子によりて左(ひだり)の手のきゝ たる生れつきもありかならす箸(はし)を左(ひだり)の手にてとるも のなり是もいとけなき時よりしゐて右にとる事を 教れはよのわざはみな左(ひだり)を用れ共 箸(はし)計(ばかり)は右にとる ものなり是もそのまゝおけは長(おとな)になりても右にとる 【右丁】 事 叶(かな)はぬ類(たぐひ)の者多したゞ児子は我(わが)まゝならぬやうに 教(おし)ゆれば邪気(じやき)のなきものにしてひたふるならつて 性(せい)となりて不作法(ぶさはう)なる事なきものなり能々可心得 事也 ○礼記(らいき)の内則(だいそく)に児子よく物をいへは男(おとこ)は唯(い)し女(おんな)は愈(ゆ)す と見えたり男子(おのこゞ)の返事(へんじ)はすみやかにしてはつきりと いひならはせ女子のこたへはゆるやかにしてやはらかにい ひならはするの事なり   ㊃和俗(わぞく)児子(ちご)に破魔弓(はまゆみ)羽子(はね)紙鳶(いかのぼり)竹馬(たけむま)殿事(とのごと)炊(まゝ)    事(ごと)の戯(たはむれ)をなさしむるの説 ○毎年(まいねん)正月に四民(しみん)共に男子(おとこのこ)には破魔弓(はまゆみ)をもてあそ 【左丁】 ばしめて弓(ゆみ)射(い)る事をしらしむるなりわが 日本(にほん)の国風(こくふう) は武(ぶ)を専(もつはら)とする事なれは治(おさま)れる世にも武(ぶ)を忘(わすれ)れ【衍】ざる 意(こゝろ)なるべし 日本(にほん)をさして中花(もろこし)より東夷(とうい)といふも 夷(い)の字(じ)は大(だい)に从(なら)【ママ 注】び弓(ゆみ)に从(なら)ぶといひて大弓(おほゆみ)と書なれは  日本の弓ほど大なる弓はなくしてその国風(こくふう)武(ぶ)を たつとぶ事をしるべしいま児子をして破魔弓(はまゆみ)を 持(もち)てかけ廻(まは)りかけ走(はし)らしむれば熱(ねつ)ももれ病(やまひ)なく歩(ほ) 行(かう)健(すくやか)ならしむるの意(こゝろ)なるべし ○続博物志(ぞくはくぶつし)といふ書に春(はる)の時に紙鳶(しゑん)を作りて風にふ かせ小児の戯(たはふ)れとなさしむる事は児をして空(そら)にむ かひて気(き)をはき風にふかれて熱(ねつ)をもらさしめん 【注 从は従の本字にして「ならぶ」の義なし】 【右丁】 との意なりと見えたり紙鳶(しゑん)とは 日本いふ所のいか のぼりの事なり 本邦(ほんほう)にても多く児に此 戯(たはむれ)をな さしむる事なり此比の俗(ぞく)はその意(こゝろ)をさとさず奢(おごり)を のみ好(この)み紙鳶(いかのぼり)を作(つく)るにその大さ五六尺はかりにして 金銀(きん〴〵)をちりばめ糸(いと)を長くつけて健(すくやか)なる男に挙(あけ) させてたゞ人の目(め)をよろこばしむる事のみにして 財(ざい)を費(ついや)すのみにあらず其 益(ゑき)なし紙鳶(いかのぼり)の戯(たはふれ)をな さしめんとおもはゞそのかたちをちいさく作り小児(せうに) みづから風にむかひて吹(ふき)あげさせ空(そら)を見て気を はき熱(ねつ)をもらしかけ廻(まは)りて歩行(ほかう)をのづから健(すくやか)に なる事をしるべし能々可心得事也 【左丁】 ○毎年(まいねん)正月に女子は欒華子(むくれんじ)【ママ】に羽(はね)をつけて板(いた)にて つかしむるなりこれをこきの子と名(な)づくなりこきの こといふ木の実(み)の形(かたち)に似(に)たるをもていふなりこきのこ といふもの叡山(ゑいさん)にあり他所(たしよ)にて見ぬものなりその 実(み)山梔子(くちなし)の形(かたち)のことくにして山梔子よりは実の尖(とがり) のさき長くして粒(つぶ)は円(まろ)くあればそのまゝ欒華(むくれん) 子(じ)に鳥(とり)の羽(は)をつけたるごとく見ゆる世諺問答(せいげんもんだう) にはおさなきものゝ蚊(か)にくはれぬまじなひ事なりと いえり《割書:啓益》按するにさにはあらじ小児は熱(ねつ)のつよ きものなれは此 戯(たはふれ)をなさしめて風にふかれ空(そら)に むかひて気(き)をはかしめて熱をもらさんとの事なるべし 【両丁 挿絵のみ】 【右丁】 いつれの代よりしはじめたる事にや男の子の紙鳶(いかのほり) を挙(あぐ)るの意(こゝろ)とおなしかるべきなり倭学(わがく)に達(たつ)したる 人にたつぬべきなり ○男の児(ちご)五六歳の比(ころ)同し年比の類打よりて殿(との) 事(ごと)馬事(むまごと)などゝいふ事をなして或は竹馬(たけむま)に鞭(むち)うつ の戯(たはむ)れみな武(ぶ)をならわしめ歩行(ほかう)を健(すくやか)にするの事 なりいづれも乳母(めのと)或はつきしたがふ所の者共心に かけて小児 怪我(けが)をせぬやうに遊(あそ)び戯(たはふ)れしむべきなり ○女(め)の童(わらは)二三歳よりは炊事(まゝごと)といふ戯れをなすこれ 土座(どさ)に筵(むしろ)をしきておなじ歳比(としころ)の小児あつまりて 食(いゝ)炊(かし)くまねをする事なりいたつて鄙賤(ひせん)なる事 【左丁】 なれ共 銭英(せんゑい)の説(せつ)に小児は土と水とを常(つね)にもてあそ ばしむればその熱(ねつ)鬱(うつ)の気(き)散(さん)じて病(やまひ)なしと見えたれ は和俗(わぞく)此戯をなさしむる事は此意なるにや又食は人 を養(やしな)ふ根本(こんぼん)にして女は内を治(おさ)むる事をつかさどる故 にかく飯(いゝ)炊(かしく)まねをなさしむる事なるべし   ㊄男女(なんによ)の小児(せうに)に教誨(きやうくはい)の説 ○児子は見聞(みきゝ)馴(なれ)ふるゝ所にしたがつてその見まねを するものなりそれ故(ゆへ)に孟子(もうし)の母(はゝ)は三度(みたび)隣(となり)をかへ給へり 始(はじめ)の居所(おりところ)墓(はか)のほとりに近(ちか)し孟軻(もうか)のいとけなき時 の戯れにみな人を葬(ほうむ)り死人(しにん)を土に埋(うづ)むるまねを し給ひけり御母これ子を置(をく)所にあらずとてその後 【右丁】 市街(いちまち)に居(をり)給へば衒賈(けんか)とて物を商(あきな)ひ或はふり売(うり)を するまねをのみ戯(たはふれ)とし給えり御母これまた子を置所 にあらずとて此 度(たび)は学宮(がくきう)とて学問(がくもん)する人をあつめて 教(をしゆ)る所の隣(となり)に居(をり)給へは孟軻(もうか)の戯(たはふ)れ事に儒者(じゆしや)の神(しん) を祭(まつ)る真似(まね)をなし或は礼儀(れいぎ)をなすかたちのまねを し給えり御母これを見給ひてこれ子をおく所なりと て遂(つい)に此所に住(すみ)給ひけり是いとけなき子を教(をしゆ)る第 一の事なり ○孟子のいとけなき時 東隣(ひがしとなり)の家(いへ)に猪(ぶた)を殺(ころ)すは何にか はするとたづね給へは御母きゝ給ひて戯れに汝(なんぢ)にあ たえんとの事なりとの給ひけるが已(すで)に後悔(こうくはい)し給るい 【左丁】 とけなき子をあざむくは偽(いつはり)を教るの事なりとて市(いち)に て猪肉(ぶたのにく)を買(かひ)て孟軻(もうか)にあたへ給へるなりケ様にそだ てたまへるによりてひとゝなりて大賢(たいけん)亜聖(あせい)の徳(とく) となり給へるなり ○司馬光(しばくわう)公(こう)五六歳の時 胡桃(くるみ)を弄(もてあそ)び給ふ光公の姉(あね) あり胡桃(くるみ)の皮(かは)をさらんとし給へ共去事なし姉その 座(ざ)を立給ひたる跡(あと)にて一婢(ひとりのこしもと)をよびこれを去せら る湯(ゆ)につけてその皮(かは)をさる姉(あね)来りて胡桃(くるみ)の皮は 誰(たれ)かさると問ひ給へは光公みづからその皮を脱去(もぬきさる)と こたへ給ふ父(ちゝ)これを聞(きゝ)給ひて光公を訶(しかり)て小子(せうし)なん ぞ偽(いつわり)をいふやと戒(いまし)め給えり此事いとけなき時の耳(みゝ)に 【右丁】 とゞまりそれより妄語(もうご)する事なかりしとなり ○礼記(らいき)内則(だいそく)に児子六歳にしては数(かず)と方(かた)の名(な)とを 教(をし)ゆべしと見えたり数(かず)とは一十百千 万(まん)億(おく)といふの数な り方(かた)とは東西南北(とうざいなんぼく)の方角(はうがく)を教(をし)ゆべきなり七歳の時 よりは男童(おのわらは)女(め)の童おなじむしろに座(ざ)せしめず同じ 器(うつは)にて食(しよく)せしめず男女(なんによ)別(べつ)にある事を教るなり 日本(にほん) にても大名(たいみやう)髙家(かうけ)の奥方(おくがた)へその付々(つき〴〵)の役(やく)人の子共(こども)を六 歳までは男童(おのわらは)をも鍵(じやう)の口の内に出入をゆるすなれ ども七歳の正月よりはかたく禁(きん)じていれざる作(さ) 法(はう)なり是 中花(もろこし)の礼(れい)にかなひたる事なるべし ○礼記(らいき)の内則(だいそく)に八歳にして門戸(もんこ)を出入(いでいり)する時又は 【左丁】 座席(ざせき)につき飲食(ゐんしよく)する時かならず年(とし)の長したる 人よりおくれてすべきなり始(はしめ)て譲(ゆづり)を教(おし)ゆとて何 事にてもまづそなたへと長者(ちやうじや)にゆづるべきなり ○礼記(らいき)の内則(だいそく)に九歳にしては日をかぞふる事を教(おし)ゆ と見えたり日を数(かぞ)ゆるとはあるひは朔日(ついたち)十五日又は十干(じつかん) 十二 支(し)の名を教る事なるへし十干(じつかん)とは甲(きのへ)乙(きのと)丙(ひのへ)丁(ひのと) 戊(つちのへ)己(つちのと)庚(かのへ)辛(かのと)壬(みづのへ)癸(みづのと)をいふ俗(ぞく)にゑとゝいふなり十二支(しうにし)と は子(ね)丑(うし)寅(とら)卯(う)辰(たつ)巳(み)午(むま)未(ひつじ)申(さる)酉(とり)戌(いぬ)亥(い)をいふ俗(ぞく)にひよ みといふなり小学(せうがく)の注(ちう)には上にいふ所の六歳より九 までは男女(なんによ)の童(わらは)をかねていふと見えたり ○中花(もろこし)の聖人(せいじん)八歳よりは小学(せうがく)に入るとあれは男子(なんし) 【右丁】 は手 習(ならひ)読書(とくしよ)其外立 居(ゐ)ふるまひ言語(ごんご)の正しき事 行儀作法(ぎやうきさはう)を教(おしへ)しむべきなり女子も手習又は哥書(かしよ) などよませ女工(じよこう)《割書:ぬい者おり物おをうみわたを|つむぎくみ物などの事なり》をおしへしむべき なり男女(なんによ)の童(わらは)共(とも)に八歳の時よりは諸芸(しよげい)をならはし むべし士農工商(しのうこうしやう)富貴(ふうき)貧賤(ひんせん)にしたがひその家々(いへ〳〵)の 業(わざ)ある事なればほど〳〵に教ゆべき事なり ○礼記(らいき)の内則(たいそく)に十四歳にしては出(いで)て外傅(ぐわいふ)に就(つき)外(ほか)に 宿(しゆく)し書計(しよけい)を学(まな)び朝夕(てうせき)幼儀(ようぎ)を学(まな)ぶへしと見えたり 外傅(ぐはいふ)とは家塾(かしゆく)の師(し)と注せり家塾とは和俗(わぞく)の云 所の手 習(ならひ)寺(てら)手習 師匠(ししやう)なり書(しよ)とは物書(ものかく)事なり 計(けい)とは算用(さんよう)の事なり幼儀(ようぎ)とはいとけなきものゝ長 者(じや) 【左丁】 につかへ父母(ふぼ)につかふまつるの儀にして立居(たちゐ)ふるまひ 行儀作法(ぎやうぎさはう)を教べきなり ○児子十歳の比よりつねによき師(し)をえらびてつけ したがへて万(よろづ)の事をならはしむへし生(むまれ)つきて聡明(そうめい) 智恵(ちゑ)をそなへたる人も教(おしへ)ざれは愚昧(ぐまい)の人にひとし 礼記にも玉琢(たまみがゝ)ざれは器(うつは)とならず人(ひと)学(まな)びざれは智(ち)な しと見えたり古(ふる)き哥(うた)にも  植てみよ花のそたゝぬ里もなし   心からこそ身はいやしけれ とよみ古聖(こせい)のことばにも養(やしな)ひ体(たい)をうつすとあり 和俗の諺(ことわざ)にも氏(うぢ)よりそだちといへは人の人たる事は 【右丁】 教ゆるとおしへざるとによるなりことに教は先(まづ)入(いる)の 言(こと)を主(しゆ)とすと見えていとけなき耳(みゝ)によく聞(きゝ)おぼ えたる事 一生涯(いつしやうがい)の徳義(とくぎ)となるものなればよき師(し)よ き友(とも)をえらびて教(をしへ)しむべき事なり狸(たぬき)の竹(たけ)の輪(わ)を くゞり猿(さる)の船(ふね)に棹(さほ)さし舞(まい)おどる類(たぐひ)みな教(をしへ)にしたが ふなれは人なるを以 獣(けたもの)にだもしかざるべけんや ○手習(てならひ)の事 肝要(かんよう)なり手習の時 万事(ばんじ)作法(さはう)あしけれ は一 代(だい)の所作(しよさ)みな不道(ぶだう)なり子細(しさい)は諸道(しよたう)を導(みちび)くことは 書(しよ)を以もとゝするの事なればなり ○手習 勤(つとめ)候事は朝(あさ)十返(しつへん)昼(ひる)三十返 晩(ばん)十返ならふべし 手本ひとつを十五日とさだめて五日に一へんつゝ清書(きよがき) 【左丁】 をなして三度めの清書(きよかき)を諳書(そらがき)にすべし《割書:諳書(あんしよ)とは中に|おほくて書事也》 和俗 近来(きんらい)童(わらは)をして手習師(てならひし)匠(しやう)にまかせて手習を さする事なればその勤方(つとめかた)はその師匠(ししやう)の教(おしへ)にまかすべ きなり又ちかき比は女(め)の童(わらは)をも七八歳より十二三歳 までは手習所につかはすなりこれはなはだ悪しき 風俗(ふうぞく)なり七歳よりは男子(なんし)と女子(によし)と席(せき)を同(おな)じく すべからずとこそ古聖(こせい)のいましめ給ふにかく外へつか わして男(お)の童(わらは)とひとつにまじはる事あるべからす元(もと) より手習師匠もその事をさとりて男の童と 女の童とは間所を隔(へだて)て教(おしゆ)るといへ共その所せばけれ ばひたすら男の童のなす所を見馴(みなれ)をのづとなれ 【右丁】 うつりてあしきなり富家(ふうか)はもとよりさらなり貧(まづ)し き人も心得べき事なり女の童はとにかくに内にをき て外に出すべからす物書事も大かたに文(ふみ)のやりとり さへ間(ま)のわたるほとならばしゐてよく書(かく)にも及(およぶ)まじ き事なるべし ○朝(あした)には早(はや)く起(おき)て楊枝(やうじ)をもて口中(こうちう)をみがき手あらひ 口すゝぎ髪(かみ)をゆひ手水(てうづ)をつかひて卓(しよく)に向(むか)ふべし ○手習仕上りてのち筆のよごれたるをは双紙(さうし)にてぬぐひ いケ(か)にも奇麗(きれい)にして筆(ふで)をも硯(すゞり)をも水(みづ)入をも押板(おしいた) の上(うへ)にそれ〳〵あるべき所に置(をき)て押板(おしいた)を直(なを)し手水(てうづ)を つかひ手(て)顔(かほ)に墨(すみ)の付たるやと鏡(かゞみ)を見て鬢(びん)をなを 【左丁】 させ扨そのゝちはいケ様なる遊(あそ)びをもなし諸芸(しよげい)をつと むべきなり ○手習の時 不行儀(ふぎやうぎ)にして筆(ふで)三対(さんつい)六つをは六(む)所にな げ捨(すて)水入をく所に墨(すみ)を置(をき)墨をおく所に水入をうつ ぶけておき顔(かほ)や手に墨の付(つき)たるをもしらす丸腰(まるごし) ながらかけ出し草履(そうり)を片々(かた〳〵)どちはき走(はし)りめぐる ごとくにそだちたる童(わらんべ)は長(おとな)になりて奉公(はうこう)に出て も主(しう)の目(め)をしのびぶ作法(さはう)なる事のみ多く種々(しゆ〴〵)の 外言(としごと)を云ひ我(わが)あやまりを傍輩(はうばい)にぬり科(とが)ひとつに 虚言(きよげん)を数八百(すはつひやく)もつくりてのがれんとするものなりこ れみな手習の時に足を踏(ふみ)出したる事 僻(くせ)となりてかく 【右丁】 のごとしよく〳〵手習の時の作法(さはう)をつゝしむべき事也 ○ 読書(とくしよ)の事第一なり四書(ししよ)五経(ごきやう)小学(せうがく)近思録(きんしろく)等(とう)の書は 勿論(もちろん)よむべきなり其外 詩文(しぶん)の類(たぐひ)をも素読(そよみ)すべし その品々(しな〴〵)は師伝(しでん)にまかすべし又その家(いへ)がら富貴(ふうき)貧(ひん) 賤(せん)にしたがひその童(わらんべ)の愚鈍(ぐどん)聡明(そうめい)にしたがふべし ○ 謡(うたひ)をならはしむべきなり謡(うたひ)は 日 本(ほん)の俗楽(ぞくがく)といひ ながら小哥(こうた)浄瑠璃(じやうるり)の類の鄭声(ていせい)とは各別(かくべつ)にして 都(みやこ)鄙(ひな)共(とも)に符節(ふせつ)を合(あはせ)せたるがごとくにして相 替(かは)る事 なく古今(ここん)不易(ふゑき)の音楽(おんがく)なればしらぬはかたくななるべし され共ひとへにかたぶきたるは猿楽(さるがく)にひとしく此 芸(げい) によりては士(さむらい)は種々(しゆ〴〵)の難題(なんだい)を得 主君(しゆくん)へも不足(ふそく)をいひ 【左丁】 傍輩(はうばい)とも云分(いひぶん)を仕出(しいた)し身の大事にもおよびあたら 重代(ちうだい)の知行(ちぎやう)にもはなるゝ類多し商(あきびと)は此 芸(げい)を好(この)み しゐてつとむればその家職(かしよく)をわすれ家(いへ)貧(まづしく)なり て後には此 芸(げい)を云立(いひたて)にして猿楽(さるがく)の中に落(おつ)る類に いたる器用(きよう)なりといへば親(おや)はその子の愛着(あいじやく)にひかれて世 になき者とおもひ人も誉(ほめ)などすればおぼえす此事を 好(この)み過(すぐ)る事なり此 芸(けい)に器用(きよう)たりともすき好むとも 大かたにしてやむべき事なり ○諸礼(しよれい)習(ならふ)べき事なり小笠原家(おがさはらけ)などにては八歳の時分 より素礼(すれい)百返(ひやくへん)と定(さだ)めて毎日ならはしむる事なり躾形(しつけがた) 【右丁】 立 廻(まは)りよく畳(たゝみ)ざはり膝(ひさ)まはし進退(しんたい)度(と)にかなへば脇(わき) ざしの鞘(さや)も物にあたらず敷居越(しきゐこし)に心をつけ畳の縁(へり) をふまぬ事など自然(しぜん)となれて長(おとな)になりて人前に 出ても立居ふるまひしとやかにして武士(ぶし)たらんもの は他国(たこく)へ使者(ししや)へゆき又は他所(たしよ)より来る使者(ししや)をとりつぎ ても使者(ししや)奏者(そうしや)の役(やく)共によろしきなり是を中花(もろこし)の 人さへ四 方(はう)に使(つかひ)して君命(くんめい)を恥(はづか)しめすといひてよき事 にしたれはいはんや 日本は武(ぶ)をもつはらとして物ごと に立派(りつは)をいふ所なれは幼(いとけな)き人の急務(きうむ)たるへし ○茶礼(ちやれい)は 本邦(ほんほう)の俗礼(ぞくれい)ながら上下もてあそぶ事な れは一座 一通(ひととを)りは習(ならふ)べき事なり十歳にもいたらは師(し)を 【左丁 挿絵のみ】 【右丁】 もとめて習(なら)はしむへきなり ○盤上(はんしやう)といふものは博奕(ばくゑき)の類にしてさして習(なら)ふべき 事にしもあらねど 本邦(ほんほう)の俗(ぞく)多く好(この)む所にして賓(ひん) 客(かく)をもうけ或(あるひ)は客(きやく)にまねかれたる時その事あるに石(いし)の 生死(いきしに)をも見分(みわけ)がたく駒(こ[ま])のきゝ道(みち)をもしらぬはむげに拙(つたな) き事なれはしりたるがよきなり最明寺(さいみやうじ)殿(どの)のうたに  盤上(はんしやう)をさのみにすくはうつけもの   人のゑしやくにおりふしはよし 又おなじ哥に  基(ご)象戯(しやうぎ)にまけても笑(わら)ふ人ぞよき   まけばらたつる顔(かほ)は見苦(みぐる)し 【左丁】 とよみ給へば勝負(しやうぶ)をつのり又は脇(わき)より助言(じよごん)など いふべからす盤上(ばんしやう)の助言(じよごん)により人をせかせて不 慮(りよ)に 云ぶんになりて打はたすに及ふ事などもあり殊に 双六(すごろく)は猶更(なをさら)好むべからす総【惣】じて盤上はしりてこのまぬ をよしとするなり謡(うたひ)茶礼(ちやれい)盤上はいとけなき時に 習はねは年たけては習ひがたきものなり前髪(まへがみ)をも取 たる男(おとこ)の口うつしに謡(うたい)をならひ四つめごろし駒のきゝを いふ事も恥(はづか)【耻は俗字】しき事におもひて一生涯(いつしやうがい)此事をしらず その座(ざ)にいたれはよほどよき人物(じんぶつ)に見ゆる男(おとこ)の一(ひと)ちゞ みになりたるもおかしき事なれは此 芸(げい)は殊更(ことさら)いとけ なき時に少にてもならひておくべき事なり能々心得 【右丁】 べき事也 ○射(しや)《割書:弓いる|事をいふ》御(ぎよ)《割書:馬のる|事をいふ》の道 兵術(ひやうじゆつ)の諸芸(しよげい)は武家(ぶけ)の当務(たうむ)な れはその品々(しな〴〵)をあげていふに及はす習はしむへく熟(しゆく)すべし 猶更(なをさら)武士(ぶし)のいとけなき時よりならふへきは刀(かたな)脇指(わきざし)の抜(ぬき) 形(かた)なるべし何(なに)ほど心やたけにおもふとも刀(かたな)抜(ぬく)わざをしら ずんは何の用に立んや刀さしの刀ぬかずと俗(ぞく)の諺(ことはざ)に云 なり ○算用(さんよう)の事十歳ともならは習べきなり今時不満物じ りの武士(ぶし)などは算用(さんよう)とは商売家(しやうばいか)の業(わざ)にして武士(ぶし)たら んものゝすべき事にしもあらすなどいふ類多し是 僻(ひが) 事(こと)也むかし北条(ほうでう)の氏康(うぢやす)のいとけなき時 父(ちゝ)の氏綱(うぢつな)老功(らうこう) 【左丁】 の臣を召集(めしあつめ)て氏康(うちやす)已(すで)に十歳におよぶ何事の芸(げい)を かならはしめんとの給へは大道寺(だいだうじ)といふ老功(らうこう)の臣(しん)申され けるは算用(さんよう)をまづ御ならはせあるべしと云けれは近習(きんじう) の若侍(わかざむらい)ども目(め)ひき鼻(はな)ひき笑(わらい)けるを氏綱(うぢつな)見給ひて何 を笑ふぞ大道寺が云所尤至極なり兵書(ひやうしよ)に兵(へい)を出す には日に千金を費(ついや)すと説(と)き又は兵食(へいしよく)の多寡(たか)を算(さん) すと見えたれは人に将(しやう)たらん者は算用をしらずしては 軍旅(ぐんりよ)の事 調(とゝのひ)がたかるへし大道寺此事をよく勘弁(かんべん)して 申たるなり吻(くちはきの)【ママ】黄(き)なる者のしる事にあらずとて氏康(うぢやす)の 芸(げい)の習(なら)ひはじめに算用(さんよう)をならはせられたると古老(こらう)の 物がたりに伝(つた)へるるその上 天文地理(てんもんちり)の学問(かくもん)をなし千 【右丁】 歳の日至(にちじ)日月の蝕(しよく)などゝ云事もみな算用を以しる 事なり士農工商(しのうこうしやう)共(とも)に算用(さんよう)をしらずして何事か成就(じやうじゆ) すべき入る事をかぞへ出る事をはからざる者はかならず 家(いへ)を失(うしな)ふものなりしかはいへどいとけなき子の十露盤(そろばん) はやく人の前にて算用 金銀(きん〴〵)利徳(りとく)売買(ばいばい)の事をいふは 見 苦(ぐる)しき事なり何事をならふとても内外の差別(しやべつ)ある 事なれば算用の事などは人前に押(おし)出して習(なら)ふ事 にしもあらず中花(もろこし)の聖人(せいじん)も十 歳(さい)にして書計(しよけい)を学(まな) ぶとありて物書(ものかく)と算用とをならべて云応給へはゆる かせにせんやされ共聖人の算用をおもてにし給ふ事 もなく氏康(うぢやす)諸芸(しよげい)の初(はじめ)に算用を習ひ給へど算用者 【左丁】 といふ事も算用だての事を云給ふ事も北条五代記に も見えず一切の芸能(げいのう)はしりてしらぬといふ事ありそ の芸をかくして入用の時取出すべきなり ○上にいふ所のごとき事を父母(ふぼ)心をつけてよく教(おしへ)入れは 長(おとな)になりてよきものになるなり武士(ぶし)は奉公に出て も立身(りつしん)しその外の商農工(しやうのうこう)家(か)もみなほど〳〵に身 を立道を行ひ家(いへ)を起(おこ)し名をあげて父母をあらは して孝道(かうだう)にかなふ事なり能々教べき事なり ○世間の父母その子の愛着(あいじやく)にひかれてわが子は何事 もよきとばかりおほえて誉(ほめ)そやし姑息(こそく)をもてそ だつる類の者多しかく姑息(こそく)をもてぞだちたる児は 【右丁】 地下(ぢけ)がゝりの風(ふう)とて極(きは)めて悪(あ)しき風俗(ふうぞく)となるなり ○地下(ぢげ)がゝりの風とは十歳の比より仮(かり)にもよき人に 付会(つきあい)善(よき)事を聞事を嫌(きら)ひ下ざまの小者 部屋(べや)にか け込(こみ)小草履取(こざうりとり)をともなひかくれんぼうに鬼(おに)むさ しはさみ象戯(しやうぎ)むめおりは浄瑠璃(じやうろり)本を引ひろげ 句切(くぎり)もあしく読(よみ)なして長田(おさだ)が聟(むこ)鎌田(かまだ)兵衛とある 所をおさ誰(たが)聟(むこ)か又兵衛とよみおぼえなましゐに 武士(ぶし)の子とて軍(いくさ)物語は好(このめ)ども記録(きろく)の端(はし)をもよまざ れは金平(きんひら)は弁慶(べんけい)が弟 和田(わだ)の義盛(よしもり)の若ひ時 伊勢(いせ)の国 鈴鹿(すゞか)山で強盗(がうたう)をめされければこそ伊勢の三郎とも申 す頼政(よりまさ)の鵺(ぬえ)を射(い)られたは尼(あま)が崎(さき)での事なり兵庫(ひやうご)の 【左丁】 かみとぞ申けるとあれはなどゝいふ咄(はなし)のとりもつかぬ 事を跡先(あとさき)にかたりなし物をいへども片言(かたこと)ばかりに て官(くわん)の宰相殿(さいしやうどの)をさんせうどのといひ形部(ぎやうぶ)をべう ぶととなへ人の煩(わづらい)のくはくらんをはくらんといひ脈(みやく)のう つをはにやくがうつといふ人のしかるをひかるといひ物の すみをはすまといふよき人 聞(きゝ)てすまとはいはぬひかる とはいはぬものなりしかるといひすみといへと教(おしゆ)れは 重(かさ)ねて謡(うたひ)をおしゆる時 光源氏(ひかるげんじ)をしかる源氏(げんじ)といひ すまの浦(うら)かけてといふ所をすみの浦(うら)かけてとうたふ それをしかればすまといへはすみといへとすみといへは すまといへとしかる何共せんかたなきなどゝちいさき 【右丁】 子の申すこれ地下(ぢけ)がゝりの風俗なりケ(か)様(やう)にそだち たる童(わらんべ)は傍若無人(ばうじやくぶじん)のふるまひをなす者なりこれ とてもよく教(おしへ)入れはよき者になるそのまゝおけばす ね者になりて物の用にたゝぬ者なり是みなその科(とが) は父母の愛着(あいじやく)にひかれてたゞ姑息(こそく)をつとむるのなす 所なりされは聖人(せいじん)も人その子の悪(あし)き事をしる事なく その苗(なへ)の碩(おゝひ)なる事をしる事なしと戒(いまし)め給へり人の 父母(ふぼ)たる者つねに此語(こ)を膺(むね)につけておもひおもふて その子を教べき事なりその教の品々(しな〴〵)は聖賢(せいけん)の諸書(しよしよ) に詳(つまびらか)なりいま爰(こゝ)にしるす所は万分(まんぶん)がひとつにして婦(ふ) 人(じん)愚夫(ぐふ)の見るに便(たより)するものならし 【左丁】 正徳第四《割書:甲| 午》歳五月吉日       《割書:京寺町押小路下《割書:ル》町》         野田治兵衛  書肆     秋田屋甚兵衛 梓       《割書:江戸日本橋南一町目》         梅村弥右衛門       《割書:大坂心斎橋筋》         秋田屋市兵衛 行 【裏表紙】