【表紙】 【題箋】 《題:江戸名所図會  十六》 【見返し】 【左丁】 江戸名所図会(えとめいしよつゑ)巻之六(けんのろく)    開陽之部目録(かいやうのふもくろく)  金竜山浅草寺(きんりうさんせんさうし)《割書:観音堂(くわんおんたう) 古絵馬(こゑま) 山門(さんもん) 五層塔(こしふのたふ) 輪蔵(りんさう) 随身門(すゐしんもん)|三社権現(さんしやこんけん)堂 熊谷稲荷(くまかやいなり)社 十社権現(しつしやこんけん)社 念仏堂(ねんふつたう) 閻魔堂(えんまたう)》  《割書:地蔵菩薩古碑(ちさうほさつのこひ) 慈覚大師護摩檀之旧跡(しかくたいしこまたんのきうせき) 護国殿(ここくてん) 淡島(あはしま)祠 銭塚弁天(せにつかへんてん)祠 例幣使松(れいへいしのまつ)|西宮稲荷(にしのみやいなり)社 平内兵衛石像(へいないひやうゑのせきさう) 石(いし)の枕(まくら)来由(らいゆ) 一権現(いちのこんけん)社 姥(うは)ゕ池(いけ) 楊枝店(やうしみせ) 六地蔵石灯篭(ろくちさういしとうろう)》  《割書:坊舎(はうしや) 雷神門(らいしんもん) 観世音出現(くわんせおんしゆつけん)の図 藜堂来由(あかさたうらいゆ)の図 六月十五日 祭(まつり)の内 節分会(せつふんゑ)の図|十二月十八日 年(とし)の市(いち)図 薮内馬市(やふのうちむまいち)図》  浅草川(あさくさかは) 駒形観音堂(こまかたくわんおんたう) 三島明神(みしまみやうしん)社 清水稲荷(しみついなり)社《割書:同 来由(らいゆ)|の図》  諏訪明神(すはみやうしん)社 榧寺(かやてら)《割書:御厩河岸(おむまやかし)|渡(わた)しの図》 大蔵前八幡宮(おほくらまへはちまんくう) 閻魔堂(ゑんまたう)《割書:奪衣婆(たつえは)|地蔵(ちさう)観音(くわんおん)》  祗園(きをん)社《割書:同 祭(まつり)の図|十王堂(しふわうたう)》 銀杏八幡宮(いてうはちまんくう) 第六天神(たいろくてんしん)社《割書:篠塚(しのつか)|稲荷(いなり)社》 鳥越里(とりこへのさと)  鳥越明神(とりこへみやうしん)社 西福寺(さいふくし)《割書:御宮|弁天(へんてん)祠》 浄念寺(しやうねんし) 東漸寺(とうせんし)  手向野旧址(たむけのゝきうし) 東本願寺(ひかしほんくわんし)《割書:報恩講(ほうおんかう)|参詣(さんけい)図》 報恩寺(ほうおんし)《割書:開山古事(かいさんこし)|寺宝(しはう)》 誓願(せいくわん)寺  日輪寺(にちりんし) 天岳院(てんかくゐん) 称往院(しやうわうゐん) 東光院(とうくわうゐん)  海禅寺(かいせんし) 清水寺観世音(せいすゐしくわんせおん) 上宮太子堂(しやうくうたいしたう) 除厄太子堂(やくよくたいしたう)  祝言寺(しゆうけんし) 長遠寺日蓮大士(ちやうをんしにちれんたいし) 幡随意院(はんすゐゐゐん)《割書:妙竜水(みやうりうすゐ)| 》 信州善光寺灯明(しんしうせんくわうしとうみやう)《割書:灯明(とうみやう)|寺(し)》 【右丁】  永昌寺(えいしやうし) 広徳寺(くわうとくし) 下谷稲荷(したやいなり)社 下谷岡(したやのをか)  東叡山山下(とうえいさんやました)の図(つ) 五条天神(こてうてんしん)社 常楽院(しやうらくゐん)《割書:六阿弥陀|五番目》 上野坂本口(うへのさかもとくち)図  養玉院(やうきよくゐん) 善養寺閻魔堂(せんやうしえんまたう) 入谷庚申堂(いりやかうしんたう) 小野照崎明神(おのてるさきみやうしん)社  金杉安楽寺(かなすきあんらくし) 根岸円光寺(ねきしゑんくわうし)《割書:庭中(ていちゆう)|藤棚(ふちたな)》 時雨岡(しくれのおか)  不動堂御行(ふとうたうおきやう)の松(まつ) 正灯寺(しやうとうし)《割書:園中(ゑんちゆう)|楓樹(かえて)》 簑輪西光寺(みのわさいくわうし) 千束郷(せんそくのかう)《割書:千束(せんそく)|稲荷(いなり)社》  木戸孝範第宅旧跡(きへたかのりていたくのきうせき)《割書:三河島| 》 万里小路寓居之地(まてのこうちくうきよのち) 山谷熱田明神(さんやあつたみやうしん)社  駿馬(しゆんめ)の塚(つか) 小塚原天王(こつかはらてんわう)社 飛鳥明神(あすかみやうしん)社《割書:瑞光石(すゐくわうせき)| 》 誓願寺(せいかんし)  熊野権現(くまのこんけん)社 千住大橋(せんしゆおほはし)《割書:千住川| 》 光茶銚(ひかりちやかま) 沼田延命寺(ぬまたえんめいし)《割書:六阿弥陀|二番目》  《割書:彼岸詣(ひかんまうて)の図| 》 富士浅間(ふしせんけん)宮 浅間(せんけん)の淵(ふち) 十二天森(しふにてんのもり)  余木弥陀如来(きあまりみたによらい) 西新井弘法大師堂(にしあらゐこうほふたいしたう) 大師 加持水(かしすゐ) 六月村八幡宮(ろくくわつむらはちまんくう)  白籏塚(しらはたつか)《割書:白籏耕地(しらはたかうち)|兜塚(かふとつか)》 梅田明王院(むめたみやうわうゐん) 天満宮(てんまんくう) 不動堂(ふとうたう) 鷲大明神(わしたいみやうしん)社《割書:同 祭(まつり)|の図(つ)》  石浜(いしはま) 石浜 城跡(しろあと) 橋場(はしは) 朝日神明宮(あさひしんめいくう)  牛頭天王(こつてんわう)祠 天満宮(てんまんくう) 真崎稲荷(まつさきいなり)社《割書:神木(しんほく)|榎(えのき)》 思(おも)ひ川(かは) 【左丁】  隅田川渡(すみたかはわたし) 石浜古戦場(いしはまこせんちやう) 正平合戦之図(しやうへいかつせんのつ) 砂尾不動堂(すなをふとうとう)  総泉寺(そうせんし)《割書:千葉介墳墓(ちはのすけのふんほ)|宇都宮入道墳墓(うつのみやにうたうのふんほ)》 浅茅(あさち)ゕ原(はら) 妙亀塚(みやうきつか)《割書:妙亀明神(みやうきみやうしん)社|古墳(こふん)》  鏡(かゝみ)ゕ池(いけ) 袈裟掛松(けさかけまつ) 采女塚(うねめかつか) 玉姫稲荷(たまひめいなり)祠  東野先生墓(とうやせんせいのはか) 法源寺(ほふけんし)《割書:従二位有理卿墓碑(しゆにゐありよしきやうのほひ) 斎藤別当実盛墓(さいとうへつたうさねもりのはか)|権太夫景道石塔(こんのたいふかけみちのせきたふ)》  長昌寺(ちやうしやうし)《割書:宗論(しうろん)の芝(しは)|鐘(かね)ゕ淵(ふち)来由(らいゆ)》 今戸八幡宮(いまとはちまんくう) 聴水鶏(くひなきゝ)の図(つ) 今戸陶器師(いまとすゑものし)  山谷掘今戸橋(さんやほりいまとはし)の図 慶養寺(けいやうし) 真土山(まつちやま)  聖天宮(しやうてんくう) 日本堤(にほんつゝみ) 新吉原町(しんよしはらまち) 金龍山(きんりうさん)淺草寺(せんさうし) 傳法院(てんほふゐん)と號(かう)す坂東順禮所(はんとうしゆんれいしよ)第十三番目なり天台(てんたい)  宗(しう)にして東叡山(とうえいさん)に屬(そく)せり   《割書:按(あんす)るに東鑑(あつまかゝみ)に建久(けんきう)三年壬子五月八日 法王(ほふわう)四十九日の御佛事(おんふつし)に百僧供(ひやくそうく)を修(しゆ)せらるゝと其(その)条下(てうか)に|僧衆(そうしゆ)の中(うち)淺草寺(せんさうし)よりも三口(さんく)とあり又同書に建長(けんちやう)三年辛亥三月六日 淺草寺(せんさうし)へ牛(うし)の如(こと)きもの|忽然(こつせん)と出現(しゆつけん)し奔走(ほんそう)す時に寺僧(しそう)五十口(こしつく)はかり食堂(しきたう)に集會(しゆふくはい)する所(ところ)に件(くたん)の恠異(けい)を見て廿四人 立所(たちところ)に病(ひよう)|瘂(あ)を受(うく)七人 即座(そくさ)に死(し)するよしと記(しる)せり寺僧(しそう)五十口(こしつく)はかりとあるときは徃古(むかし)も猶(なを)大伽藍(たいからん)なる事|をしるへし永禄(えいろく)二年 小田原北条家(をたはらほうてうけ)の分限帳(ふんけんちやう)に淺草寺家分(せんさうしけふん)四拾貫九百文を附(ふ)せらるゝよし|出たり》  本堂(ほんたう) 本尊(ほんそん)聖観世音菩薩(しやうくわんせおんほさつ)《割書:世(よ)に傳(つた)へいふ御長(みたけ)一寸八分としかれとも古(いにしへ)より秘佛(ひふつ)にし|て輙(たやすく)宝帳(はうちやう)を褰(かゝけ)されは其實(そのまこと)を知(しり)かたし》  《振り仮名:𦚰士|けふし》梵天(ほんてん)帝釋(たいしやく)《割書:むらさきの一本(ひともと)といへる草紙(さうし)に|此二尊は行基大士(きよううきたいし)の作なりとあり》四天王(してんわう) 《振り仮名:𦚰壇|けふたん》 右 不動明王(ふとうみやうわう) 左  愛染明王(あいせんみやうわう) 後左右(うしろのさいう) 三十三身像(さんしふさんしんのさう)《割書: 其 余(よ)堂内(たうない)に諸(もろ〳〵)の佛天(ふつてん)を安置(あんち)す中(なか)にも賔頭盧(ひんつる)|尊者(そんしや)は慈覚大師(しかくたいし)の作(さく)にして霊験(れいけん)いちしるし》  額(かく)《割書:観音堂》《割書:御拜(こはい)の|上にかくる》大明福州漳郡龍邑(たいみんふくしうしやうくんりういふ)徐紹勲筆(しよせうくんのふて)  額(かく)《割書:施無畏》《割書:外陣(けちん)の家帯(なけし)|にかけてあり》深見玄岱筆(ふかみけんたいのふて)《割書:天井(てんせう)の龍(りよう)ならひに内陣(ないちん)天井(てんせう)の鳳凰(ほうわう)後壁(うしろかへ)|の二十八部衆等(にしふはちふしゆとう)は狩野永眞(かのえいしん)の筆(ふて)拜殿(はいてん)》  《割書:の天井(てんせう)に畵(ゑかけ)る天人(てんにん)は狩野洞春(かのとうしゆん)の筆(ふて)なり》  聯(れん)  《割書:内陣(ないちん)の左|右に掲(かく)る印(いん)》《題: 山頭月影雲光色々無非般若》 【左丁】  《割書:に元壽(けんしゆ)の|二字を住(ちゆう)|す筆者(ひつしや)|孟寛(まうくはん)の傳(てん)|あれともしけきをいとひて|こゝに畧(りやく)せり》 《題: 檻外松濤竹浪聲々都入圓通》  古繪馬(こゑま) 《振り仮名:𦚰壇|けふたん》左(ひたり)の方 不動尊(ふとうそん)の前(まへ)にかけたり世俗(せそく)古法眼元信(こほふけんもとのふ)の筆(ふて)  なりといふは誤(あやまり)なり《割書:寛政(くはんせい)の始(はしめ)本堂 修営(しゆえい)ありし頃(ころ)狩野何某(かのなにかし)親(したしく)是を影写(えいしや)す実(じつ)に六七百|年を経(へ)たる古物(こふつ)うたかふへからす傍(かたはら)に画家(くはか)の名(な)及(をよひ)印章等(いんしやうとう)あれとも湮滅(いんめつ)し》  《割書:て讀(よむ)へからす既(すて)にして|木(き)の性(しやう)をうしなへり》傳(つたへ)いふ徃古(そのかみ)此馬(このむま)毎夜(よこと)に額(かく)を秡(ぬけ)【拔】出て境内(けいたい)の草(くさ)を喰(はみ)あたり  近(ちか)き田畑(たはた)をもあらしけれは其頃(そのころ)左甚(ひたりちん)五郎といへる名譽(めいよ)の彫工(てうこう)を頼(たの)みて曳縄(ひきなは)を  書添(かきそへ)しむ仍(よつて)其後(そのゝち)は此事 止(やみ)けりとそ《割書:是大なる附會(ふくわい)の説(せつ)ならん曳縄(ひきなは)も同時の物(もの)にして|後世(こうせい)書加(かきくは)へたるにはあらす図(つ)に依(よつ)て辨(へん)し明(あきらむ)へし》  《割書:されと畫(くは)する所(ところ)の馬(むま)に霊(れい)ありて秡出(ぬけいて)たるといへる事 頗(すこふる)|妄誕(まうたん)に似(に)たりといへとも其 證(しよう)とするあり|歷代名画記(れきたいめいくはき)巻第八に云く唐世祖(とうのせいそ)の時(とき)楊子蕐(やうしくわ)といへる人あり甞(かつて)壁上(へきしやう)に馬を畫(ゑか)く其馬(そのむま)夜(よる)嘶(いなゝい)て|水草(すいさう)を索(もとむ)るか如し仍(よつ)て天下(てんか)號(なつ)けて画聖(くはせい)と称(しよう)すと云云又|揮塵後録(きちんこうろく)に曰 聖宮門(せいきうもん)の両廡(りやうふ)の下(した)に畫(ゑか)く所(ところ)の人馬(しんは)みな流汗(りうかん)の迹(あと)あり慶暦中(けいれきちゆう)に一夕(いつせき)人馬(しんは)の声(こへ)|あり明(あくる)に至(いた)つてこれを観(み)るに汗(あせ)の流(なか)るゝあり今にいたつて滅(きえ)すと云云|元亨釋書(けんかうしやくしよ)に云く昔(むかし)天王寺(てんわうし)の道公(たうこう)紀(き)の熊野山(くまのさん)に安居(あんこ)す夏(け)終(おわつ)て帰(かへ)るさの道暮(みちくれ)に逮(をよ)んて大樹(たいしゆ)の|下(もと)に宿(しゆく)せり其 夜半(やはん)騎馬(きは)の者(もの)あまた樹下(しゆか)にいたつて翁(をきな)ありやととふ一老翁(いちらうをう)荅(こたへ)てありといへり彼者(かのもの)|云く何そ前(さき)に進(すゝ)まさるとまた翁(おきな)こたへて云く馬(むま)の足(あし)損(そん)して乗(のる)に任(たえ)す齢(よはひ)もまた衰(おとろ)へたれ|は徒歩(かち)より行(ゆく)事あたはすと荅(こた)へけれはいさとて皆々(みな〳〵)通り過(すき)けり明旦(あくるあした)公(こう)恠(あやしみ)て樹下(しゆか)を見るに》 【右丁】 金龍山(きんりうさん) 淺草寺(せんさうし)  全圖   《割書:共五枚》 花川戸 並木町 名酒 隅田川 淺草川 番屋 手水屋 【左丁】   回國雜記    淺草といへる所に      とまりて     庭に殘れる草花を           みて 冬の色は    また浅草の  うら枯に   秌の露をも     のこす       庭かれ         道興准后 東國記行  角田川も見えわたるに  森のやうなる梢ありとへは  関東順禮観音浅草と云  所となん立よりて結緣      すべしなといへは 秋ならぬ木末の花も    あさくさの   露なかれそふ      角田川かな           宗牧 風雷神 かしま 秋葉 弁天 大神宮 【右丁】  其二 《割書:二十 軒茶屋(けんちやや)は|哥仙茶屋(かせんちやや)とも|いへり昔(むかし)はこの所の|茶店(ちやみせ)にて御福(こふく)の|茶(ちや)まいれとて叅(さん)|詣(けい)の人を呼(よ)ひけるとそ|今(いま)は其家(そのいへ)の貟(かす)|二十 余軒(よけん)ある故(ゆへ)に|俗(そく)是(これ)をよむて|二十 軒茶屋(けんちやや)と| いひならは|    せり》 妙けん 松の尾 金ひら 出世大こく 不動 このかは珠数屋 ねはん堂 【左丁】 五元集  石の    枕に   鮨や    あり     ける   今の    茶     屋     其角 このかは手遊屋 石そん 子聖 銭瓶弁天 くしやくも門 観音 二王 時鐘 錦袋円 梅園院 【右丁】 其三 地藏 東谷 講釈 二十けん茶屋 平内像 ばんや 東■【谷ヵ】 手遊やおほし 観音 せいし せいし 芝居 五重塔 手水や 傳法院 人丸 因果地藏 【左丁】 輪藏 二王門 本坊 ず 隨身門 ゑひす ゑま堂 地主いなり 両かはゆうしや 鐘ろう 両かはゆうしや 【右丁】 不動 聖天 手水や 神馬や 御供所 三社權現 山王 番や ひしや門 かすか 八まん ふけん もんしゆ 㐧六天 寅やくし いたてん 御供水 【左丁】 其四 ほうそう神 勅使末 此へんやうしみせおほし 十社 ゑひす 大こく 銭塚弁天 熊■【谷】いなり ちそう 秋は 尺■【処ヵ】 あはしま 地藏 人丸 笠神明 かせん店【?】 念佛堂 源水 薬師 【右丁】 其五 千本さくら こま堂 楊弓 芝居 くまの 古碑 芥の助 みこしや 地藏 ゑんま 楊弓 【左丁】 法威能救衆生憂 小白蕐山彼岸舟 若把馬郎令渡水 應同海底有泥牛     羅山子 水茶や 冨士 なめし茶や 若宮いなり なめし茶や なめし茶や 【右丁】  《割書:小神祠(こほこら)ありその像(さう)朽損(くちそん)す前(まへ)に|一片(いつへん)の古(ふる)き絵馬(ゑま)あり前足(まへあし)の|ところその板(いた)破裂(はれつ)す公(こう)すなはち|糸(いと)をもつて繋補(けいほ)し|前(さき)の神言(しんけん)をこゝろみんと|して次(つき)の夜(よ)も猶(なを)樹下(しゆか)に|宿(しゆく)す中夜(ちうや)また騎馬(きは)の人|来(きた)つて翁(おきな)を問(と)ふ翁 馬(むま)に乗(しよう)|してさきに進(すゝみ)て出さり|暁(あかつき)に至(いた)つて帰(かへ)りきたり|公(こう)に向(むか)ひ謝(しや)して云〳〵師(し)|馬(むま)の脚(あし)を治(ち)し給ふこと 幸(さいは)ひに堪(たえ)たり公(こう)問(とふ)騎馬|の人は何そ翁(おきな)曰 役疫神(ゑきしん)|管内(くわんたい)を巡(めく)れるなり我(われ)|も其 前驅(せんく)たりもし出されは|かならす罵(のゝしり)を受(う)く今(いま)師(し)の|恵(めくみ)を蒙(かうむ)り喜慶(よろこひ)甚(はなはた)深(ふか)しと云云|丙辰記行(へいしんきかう)に昔此所に牛鬼(うしおに)の出て|走(はし)りありきし事を心に不図(ふと)思ひ出て|馬(むま)こそ大士(たいし)の化現(けけん)なれなにとて|牛(うし)は出けるそおかしかりきとあり また|挙白集(きよはくしふ)あつまの道(みち)の記(き)に云く|浅草(あさくさ)の観音(くわんおん)とて国(くに)ゆすりてもて|なす仏(ほとけ)おはす口(くち)にまかせて》 【図】 所提筆 【左丁】   いかなれや野辺にかり飼ふ浅草の くはむおむ(◦◦◦◦◦)まのはみのこしつる  長嘯子   《割書:按(あんする)に挙白集(きよはくしふ)なとにも其事となけれとかはかり趣(おもむき)の似(に)たる事を詠(えい)せりまた丙辰記行(へいしんきかう)にも馬(むま)を|大士の化身(けしん)なりなと旁(かた〳〵)此 絵馬(ゑま)に霊(れい)ありて抜(ぬけ)出たる事(こと)なしとも云へからす此 絵馬(ゑま)昔も人の|もてはやしけるにや寛永(くわんえい)年中 観音堂(くわんおんたう)回録(くわいろく)のとき木村市兵衛といへる者来り名画(めいくは)の筆跡(ひつせき)|焼(やけ)うせん事を歎(なけ)き助(たす)け出したりとて別当(へつたう)智楽院僧正(ちらくいんそうしやう)其 志(こゝろさし)を感(かん)して絵馬(ゑま)の縁(ふち)に左の|如(こと)く記(しる)し置(をか)れたり|寛永十九壬午二月十九日炎焼之時武州江戸之住木村市兵衛出之》  紅葉狩絵馬(もみちかりのゑま)《割書:同し所に掲(かけ)たり曾我蛇足(そかのしやそく)九代孫(くたいのそん)曾我紹叔(そかのせうしゆく)|の筆(ふて)なり》  静長刀(しつかのなきなた)《割書:本堂の後(うしろ)の方 家帯(なけし)にかけてあり世に義経(よしつね)の妾(おもひもの)静御前(しつかこせん)納(おさむ)る所なりと云 伝(つた)へたりこれ|恐らくは静流(しつかりう)の長刀(なきなた)ならん歟(か)あるひは云 長刀鍛冶(なきなたかち)志津(しつ)三郎 兼氏(かねうち)の作なるへしと》  山門(さんもん)《割書:楼上(ろうしやう)に文殊菩薩(もんしゆほさつ)の像(さう)を安置(あんち)す楼下(ろうか)の左右には金剛力士(こんかうりきし)の像(さう)を置(をく)来由(らいゆ)は此巻 報恩(ほふおん)|寺 什宝(しふはう)蛇反剣(しやかへしのつるき)【釼は俗字】の条下(てうか)に詳(つまひらか)なりされと往古(むかし)の霊像(れいそう)は回録(くはいろく)に亡(ほろひ)たりとそ今(いま)ある所(ところ)の像(さう)は》  《割書:後人(こうしん)の作(さく)なり毎年 春秋(しゅんしう)二度の彼岸(ひかん)の中日(ちゆうにち)ならひに正月七月十六日は諸(しよ)人の登(のほ)る事をゆるす》  額(かく)【額字】《題: 浅草寺》 曼珠院(まんしゆゐん)二品良尚法親王(にほんりやうしやうほふしんわうの)真蹟(しんせき)  五層塔(こそうのたふ)《割書:山門の内右の方にあり|内に五智如来(こちのによらい)を安置(あんち)す》転輪蔵(てんりんさう)《割書:同所にあり一切経(いつさいきやう)を収(おさ)む前(まへ)に傅大士(ふたいし)ならひに普(ふ)|賢(けん)普成(ふしやう)の像(さう)を置(おく)此(この)ふたつの堂(たう)は其始 安房守(あはのかみ)公(きん)》  《割書:雅(まさ)の建立(こんりふ)にして今ある所の堂(たう)は天和(てんわ)年中|焼亡(しやうはう)の後(のち)の御建立(ここんりふ)なり》随身門(すいしんもん)《割書:同所 東(ひかし)の方にあり豊磐間戸(とよいはまとの)|命(みこと)櫛磐間戸命(くしいはまとのみこと)の像(さう)を置(をけ)り》鐘楼(しゆろう)《割書:同所|にあり》  《割書:按(あん)するに本尊(ほんそん)縁起(えんき)の中(なか)に永和(えうわ)四年戊午十二月十三日 伽藍(からん)回録(くわいろく)あり嘉慶(かけい)元年より三歳(みとせ)の居諸(きよしよ)を|送(をく)るといへとも未(いまた)一宇(いちう)の再興(さいこう)も致(いた)さす大衆(たいしゅ)愁吟(しうきん)絶(たえ)さる所に修行(しゆきやう)の聖(ひしり)定済(ちやうさい)なるもの十方(しつはう)に勧進(くわんしん)》 【右丁】  《割書:し応永(おうえい)に至り建立(こんりふ)成就(しやうしゆ)すとあり然れは名所記(めいしよき)等(とう)の書に天慶(てんけい)中 安房守(あはのかみ)平公雅(たいらのきんまさ)観音堂(くわんおんたう)再興(さいこう)のとき|一躯(いつく)の鳬鐘(ふしやう)を鋳(い)てたかく一楼(いちろう)にかくるとあるは永和(えうわ)の回録(くわいろく)に亡(ほろ)ひたる鐘(かね)の事にして至徳(しとく)四年に至(いた)り》  《割書:再(ふたゝ)ひ今ある所の洪鐘(こうしやう)を鋳冶(とうや)せしとしるへし至徳(しとく)四年は嘉慶(かけい)と改元(かいけん)の年なり|》    日本国武州豊島郡千束郷金龍山浅草寺洪鐘銘    《割書:並》序    夫鐘者震梵苑之枯禅発騒檀之深省者矣南閻浮    提各以音声長為仏事西郡勝地特開榛莾剏此道    場於是傳法聊持短■【疏ヵ】勧発善縁新鋳鳬乳之鐘永    扣龍沢之月耳根契證者速趨解脱之門庭眼裏聞    声者則■【護ヵ】円通之妙果当時若不記者後代誰得識    哉銘曰    末鋳成前 響隔九天 新鋳成後 福応大千    規摸脱出 当空高懸 軽軽撞着 堕仏事辺    至徳《割書:二|二》年《割書:丁|卯》五月初三日              大勧進僧都海誉              小勧進大和国道高               鋳工和泉守経宏  三社大権現(さんしやたいこんけん)社《割書:本堂より艮(うしとら)の方にあり土師臣中知(はしのをみなかとも)ならひに家人(けにん)檜前浜成(ひのくまのはまなり)武成(たけなり)等(とう)の霊(れい)を配(あわ)せ崇(まつ)|祠(る)則(すなはち)当寺(たうし)の護法神(こほふしん)とす世(よ)に三処(さんしよ)の護法(こほふ)ともいへり神体(しんたい)は慈覚大師(しかくたいし)の作(さく)とそ当社(たうしや)》  《割書:は浅草(あさくさ)の惣鎮守(そうちんしゆ)にして祭礼(さいれい)は三月十八日 隔年(かくねん)に執行(しゆきやう)あり三社(さんしや)の来由(らいゆ)は本尊縁起(ほんそんえんき)の中(うち)に詳(つまひらか)なれは|こゝに略(りやく)す傍(かたはら)の堂(たう)に荒沢不動尊(あらさはふとうそん)歓喜天(くはんきてん)等(とう)を安置(あんち)す》  額(かく)《割書:三社大権現|》随喜楽院(すいきげうゐん)【注】一品公遵法親王(いつほんこうそんほふしんわうの)真蹟(しんせき) 熊谷稲荷(くまかやいなり)祠《割書:本堂の後(うしろ)の方(かた)に|あり熊谷(くまかや)安(やす)左衛門と》  《割書:いへる人 勧請(くわんしやう)す来由(らいゆ)は繁(しけき)をいとひてこゝに略(りやく)す|内陣(ないちん)に狩野周信(かのちかのふの)筆(ふて)の橋弁慶(はしへんけい)の掛絵(かけゑ)あり》十社権現(しつしやこんけん)祠《割書:同所左の方にあり十人(しふにん)の草刈(くさかり)を鎮(まつ)ると|いへり来由(らいゆ)は本尊縁起(ほんそんえんき)の条下(てうか)につまひらか也》 【左丁】  念仏堂(ねんふつたう)《割書:同所にあり阿弥陀如来(あみたによらい)を本尊(ほんそん)とす|昼夜二六時中に念仏(ねんふつ)を唱(とな)ふ》閻魔堂(えんまたう)《割書:本堂の乾(いぬゐ)の方にあり閻魔堂(えんまたう)像(そう)|は運長(うんちやう)の作(さく)なり毎年正月七月》  《割書:十六日 参詣(さんけい)群(くん)をなせり額(かく)に閻王殿(えんわうてん)と|あるは朝鮮国(てうせんこく)真狂金啓升(しんきやうきんけいしよう)の筆(ふて)なり》脱衣婆像(たつえはのさう)《割書:同堂中にあり慈覚(しかく)大士の作|にして霊験(れいけん)あり》地蔵古碑(ちさうのこひ)  《割書:同所井の傍(かたはら)にあり世に長石地蔵(なかいしちさう)と云又 俗(そく)誤(あやまつ)て小野小町(をのゝこまち)か石塔(せきたふ)とも称(しよう)し弘法(こうほふ)大師の作(さく)なりとも|いへと共(とも)に誤(あやま)れり長(なかさ)壱丈余 潤(ひろ)さ壱尺六寸程 厚(あつ)み二寸はかりあり寛保(くはんほ)二年八月の暴風(はうふう)に吹折(ふきをれ)》  《割書:て今三 段(たん)となれり上の方は伝法院構(てんほふゐんかまへ)の中(うち)稲荷(いなり)の叢祠(みや)の傍(かたはら)にあり其(その)形状(ありさま)上に地蔵薩埵(ちさうさつた)の種字(しゆし)を|鐫(ゑり)中段(ちゆうたん)に立像(りふさう)の地蔵尊(ちさうそん)を刻(こく)す側(かたはら)に沙門(しやもん)是(これ)を敬礼(きやうらい)する体相(ていさう)あり又下の方に花瓶(はなかめ)に蓮花(れんけ)を挿(さしはさみ)其》  《割書:左右に文字(もんし)三十有九字を鐫(せん)す其文に云く|》    右志者四殊由三昧沙弥西仏先妻女並男女二子    為一殊四弥西仏現当二世諸願円満西仏敬白   《割書:按(あんす)るに西仏(さいふつ)と称(しようす)る者(もの)三人ありて是非(せひ)をしらす其一(そのひとつ)は法然(ほふねん)上人の弟子(てし)に頓宮(とんくうの)内藤(ないとう)五郎兵衛|盛政入道西仏(もりまさにふたうさいふつ)又其 二(ふたつ)は海野幸親(うんのゆきちか)の男(なん)蔵人通広(くらふとみちひろ)世に太夫坊覚明(たいふはうかくめい)と云 是(これ)なり後(のち)親鸞(しんらん)上人》   《割書:の弟子(てし)となりて西仏(さいふつ)と号(かう)す又其 三(みつ)に東鑑(あつまかゝみ)建長(けんちやう)五年八月廿日 下総国(しもつふさのくに)下河辺庄(しもかうへのしやう)の堤(つゝみ)を築(つき)|固(かたむ)へき由(よし)沙汰(さた)あつて奉行(ふきやう)人を定(さため)らるゝといへる条下(てうか)に鎌田三郎入道西仏(かまたさふらうにふたうさいふつ)といへる名(な)を挙(あけ)たり》   《割書:かくのことく同名(とうめい)三人まてあれはいつれを是(せ)とすへきや碑面(ひめん)年号(ねんかう)を記(き)せされは詳(つまひらか)に定(さため)かたし猶(なを)後人(こうしん)の訂正(ていせい)|を竢(まつ)といふ》  護摩壇之趾(こまたんのあと)《割書:同所 熊野権現(くまのこんけん)の後(うしろ)の方 垣(かき)の中にあり淳和帝(しゆんわてい)天長(てんちやう)年間 慈覚(ちかく)大師 東国(とうこく)|遊化(いうけ)の路次(ついて)適(たま〳〵)当寺に宿(やと)り宝前(はうせん)に持念(ちねん)するのあひた三社権現(さんしやけんけん)の霊示(れいし)ありけれは》  《割書:伽藍(からん)を再営(さいえい)ありて永(なか)く止観(しくわん)の法灯(ほうとう)をかゝけ中興(ちゆうこう)の大祖(たいそ)と称(しよう)す此(こん)とき一千 座(さ)の護摩(こま)を修(しゆ)し|》  《割書:伽藍 人法(にんほふ)の繁栄(はんえい)を祈(いの)り給ひし|よし坂東順礼記(はんとうしゆんれいき)に出たり》護国殿(ここくてん)《割書:同所にあり五大明王(こたいみやうわう)の像(さう)ならひに自然木(しせんほく)の|多聞天(たもんてん)等(とう)を安置(あんち)す此 堂(たう)は往古(むかし)淡島明神(あはしまみやうしん)の地(ち)に》  《割書:東照大権現(とうせうたいこんけん)の御宮ありし頃(ころ)の護摩堂(こまたう)たりしか寛永(くわんえい)十九年二月の炎上(えんしやう)に焼残(やけのこ)りけるをその|儘(まゝ)【侭は略字】此所へ遷(うつ)しけるとそ此 故(ゆへ)に柱(はしら)其外にも葵(あふひ)の御紋(こもん)を附(つけ)たり》  淡島明神(あはしまみやうしん)社《割書:本堂の左の方にあり昔(むかし)此地に  東照大権現(とうせうたいこんけん)の御宮ありしか寛永(くわんえい)十九年|二月十九日門前より出火(しゆつくは)す其 時(とき)にあたつて 御宮(おんみや)焼亡(せうはう)ありしに依(よつ)》 【注 「随喜楽院」は「随宜楽院」ヵ】 【右丁】 【図】 【左丁】 六月十五日 祭礼之図(さいれいのつ) 【右丁】 節分会(せつふんゑ) 【左丁】 【図】 【右丁】  《割書:御城内(こしやうない)紅葉山(もみちやま)へ 御遷坐(こせんさ)ありて其跡へ此 神(かみ)を勧請(くわんしやう)す其 御 宮(みや)ありし地(ち)はこの淡島明神(あはしまみやうしん)の|後(うしろ)の方なり人の踏(ふま)ん事を恐(をそ)れて垣(かき)を結廻(ゆひまは)してあり傍(かたはら)の六角堂(ろくかくたう)に地蔵尊(ちさうそん)を安(あん)す是(これ)も》  《割書:御宮(おんみや)ありし頃(ころ)の御供水(こくうすい)にして則(すなはち)堂(たう)の下は井(ゐ)なり又社前の石橋(いしはし)も其 儘(まゝ)に存(そん)せり傍(かたはら)の小祠(こほこら)なる|石(いし)の蛭子(ゑひす)大黒(たいこく)の両像(りやうさう)はともに弘法(こふほふ)大師の作(さく)なりといへり》  銭塚弁財天(せにつかへんさいてん)祠《割書:同所にあり来由(らいゆ)銭瓶(せにかめ)|弁天(へんてん)の条下(てうか)に詳(つまひらか)なり》例幣使松(れいへいしのまつ)《割書:同所 御手洗(みたらし)池のかたはらにありて垣(かき)|をめくらせり毎歳(まいさい)四月十七日 日光(につくはう)御祭(こさい)》  《割書:礼(れい)に依(よつ)て例幣使(れいへいし)参向(さんかう)のとき昔(むかし)よりのならはせにて帰洛(きらく)の日はかならすこの地にて休息(きうそく)あり往古(むかし)は|此所に  御宮(おんみや)ありし故にかくのことしとそ今猶 旧例(きうれい)によつてしかり》  西宮稲荷祠(にしのみやいなりのみや)《割書:山門の前右の方にあり当山 地主(ちしゆ)の神(かみ)にして 浅草(あさくさ)の鎮守(ちんしゆ)なりかたはらに蛭子(ゑひす)|祠(みや)ある故(ゆへ)に此号(このな)あり是(これ)を上千束稲荷(かみせんそくいなり)と称(しよう)す下谷(したや)龍泉寺村(りうせんしむら)にあるところの》  《割書:稲荷(いなり)を下千束(しもせんそく)稲荷といへりとそ紫銅(からかね)の華表(とりゐ)の額(かく)に稲荷大明神とあるは大明院公弁法親王(たいみやうゐんこうへんほふしんわう)の真蹟(しん[せ]き)|なりといへり旁(かたはら)の祠(やしろ)に頓阿法師(とんあほふし)の作(さく)の人丸(ひとまる)の神像(しんさう)を安(あん)す又同し左の方に石地蔵(いしちさう)あり祈願(きくはん)あ》  《割書:るもの因果(いんくは)をもつて念(ねん)す故に因果(いんくは)|地蔵(ちさう)の称(しよう)あり霊験(れいけん)尤いちしるし》平内兵衛像(へいないひやうゑのそう)《割書:二王(にわう)門の前(まへ)右の方にあり平内兵衛は|兵藤氏(ひやうとううち)なり耳底(にてい)記といへる書にむかし》  《割書:青山主膳(あをやましゆせん)といへる人の家士(かし)にして強勇(きやうゆう)の人なりと云云 後年(のち)石平道人正三(せきへきたうしんしやうさん)《割書:鈴木|九太夫》の門人となりて大に|禅学(せんかく)を修(しゆ)す則此 石像(せきさう)も二王座禅(にわうさせん)の体相(ていさう)にして平内兵衛 生前(しやうせん)にみつから造立(さうりふ)せりとそ世に粂平内(くめのへいない)と》  《割書:称(しよう)するは大(おゝい)なるあやまりなり駒込(こまこみ)海蔵寺(かいさうし)墳墓(ふんほ)夫婦同会(ふうふとうくわい)の碑面(ひめん)に兵藤氏無関一索居士(ひやうとううちむくわんいつそこし)粂氏(くめうち)|松室瑩寿大姉(しようしつえいしゆたいし)とあれは平内兵衛は兵藤氏なる事あきらけし恐(をそ)らくは妻女(さいしよ)の氏(うち)をもつて混雑(こんさつ)せしものならん》銭瓶(せにかめ)  弁財天(へんさいてん)社《割書:山門の前右の方 池(いけ)の中島(なかしま)小山(こやま)の上にあり世(よ)に老女弁才天(らうしよへんさいてん)と唱(とな)ふ神体(しんたい)は慈覚(しかく)大師|の作(さく)といへり江戸雀(えとすゝめ)をよひ紫一本(むらさきのひともと)ならひに寛文(くわんふん)年中の江戸絵図(えとゑつ)にも当社は二王門(にわうもん)》  《割書:の左今 西宮稲荷(にしのみやいなり)明神の社地より奥(おく)にあるよしを記(しる)せり延宝(えんはう)年中の江戸絵図には今の社地(しやち)は|空地(あきち)にて観音勢至(くわんおんせいし)の銅像(とうそう)のみありて堂社(たうしや)なし紫一本(むらさきのひともと)に山門の東(ひかし)の方に大仏(たいふつ)を安置(あんち)し奉ら》  《割書:むと築(きつき)たる山ありといへるの【るヵ】は今の弁才天(へんさいてん)の社(やしろ)ある所の小山(こやま)をいへり故(ゆへ)にむかしは大仏山(たいふつやま)といひけるよし|按(あんす)るに淡島(あはしま)明神の地に銭塚弁天(せにつかへんてん)といへる小祠(こほこら)あり是も当社(たうしや)と一体(いつたい)の神(かみ)ならん歟(か)小田原記(をたはらき)をよひ》  《割書:北条(ほうてう)五代記 等(とう)の書(しよ)に大永(たいえい)二年九月のはしめ北条氏綱(ほうてううちつな)よりの使(つかひ)として冨永(とみなか)三郎左ヱ門 古河(こか)の御(こ)|所(しよ)へ参(まい)りける帰(かへ)るさ当寺(たうし)の観音へ参詣(さんけい)せしに折(をり)ふし十八日なれは常(つね)よりも殊(こと)に参詣(さんけい)の人》 【左丁】 兵藤平内兵衛(ひやうとうへいないひやうへ) 二王座禅像(にわうさせんのさう) 【図】 【右丁】 鎌田政清造立(かまたまさきよさうりふ) 六地蔵石灯籠(ろくちさうのいしとうろふ) 【図】 【左丁】  《割書:群集(くんしう)す此とき弁天堂(へんてんたう)の辺(へん)より銭(せに)湧(わき)出る事ありと参詣(さんけい)の人此 銭(せに)をとる寺僧(しそう)制(せい)しけれともきかす冨永(とみなか)奇(き)|異(い)の思(おも)ひをなし帰(かへり)て此事を氏綱(うちつな)へ申けるよしを記(しる)せり》  鯨鐘(けいしよう)《割書:同所にあり二六時(にろくし)|是を撞(つけ)り》   鐘銘曰寛永丙子歳  大猷院家光公詣当山観音堂見伽藍破壊即 命改   作之凡二十余所又於堂後林中創建  東照宮後僅数歳民屋火起神宮仏閣悉燠燼 公復   命老臣某等営造如初自爾㠯還日往年来超四十   風雨所侵寝至敗毀今  大樹幕下承 先公之事起土木之功 命山城守戸   田忠昌使十郎左衛門尉建部昌孝五郎左衛門尉   三浦義成八郎右衛門尉国領重清薫匠事嗚呼結   搆之崇彩飾之美仰而可望俯而可欽功徳之大豈   可量哉其楼上所掛之鐘亦破裂因改鋳之備後守   牧野成貞喜捨黄金二百両為常報十二時之資糧   鐘既成作銘《割書:並》序刻之銘曰   鎔銅鋳鐘 治功己成 撞之撃之 殷殷雷轟   鐘本無音 触物能鳴 触物是何 一切衆生   衆生一切 種種有声 音声種種 唯一銅鯨   鯨吼忽発 迷夢頓驚 况斯薩埵 威徳崢嶸   誠念彼力 恭称其名 諸若解脱 悲願維明   元禄五年次壬申八月日     武州豊島郡金龍山浅草寺            別当 権僧正宣存拝撰 【右丁】            鋳師武州深川              大田近江大椽【掾】藤原正次  石枕(いしのまくら)《割書:坊中(はうちゆう)東中谷(ひかしなかたに)明王院(みやうわうゐん)にあり庭中(ていちゆう)に小(ちいさ)き池(いけ)あり是を姥(うは)か池(いけ)と号(かう)すまた当寺の什宝(しうはう)に此石の枕|あり伝説(てんせつ)は文明(ふんめい)年中 道興准后回国雑記(たうこうしゆこうくわいこくさつき)に出たる文章(ふんしやう)をこゝに記(しる)す頗(すこふ)る俗伝(そくてん)と異(こと)なり旧記(きうき)たる》  《割書:をもつて左(さ)に挙(あけ)て其 伝(つた)へ|来(きた)る事の久(ひさ)しきをしらしむ》   回国雑記云 此里のほとりに石枕(いしのまくら)といへるふしきなる石あり其故(そのゆゑ)を   尋(たつね)けれは中頃(なかころ)の事にやありけむなまさふらひ侍り娘(むすめ)を一人(ひとり)持(もち)はへり   き容色(ようしよく)おほかたよのつねなりけりかの父母(ちゝはゝ)娘(むすめ)を遊女(あそひ)にしたて道(みち)ゆき   ひとに出(いて)むかひかの石(いし)のほとりにいさなひて交会(かうくわい)のふせひを事とし   はへりけり兼(かね)てよりあいつの事(こと)なれは折(おり)をはからひて彼(かの)父母(ちゝはゝ)枕(まくら)のほと   りに立寄(たちより)てともねしたりける男(おのこ)のかうへをうちくたきて衣装(いしやう)以下(いけ)   の物(もの)を取(とり)て一生(いつしやう)を送(をく)り侍りきさるほとに彼娘(かのむすめ)つや〳〵思ひけるやう   あなあさましや幾程(いくほと)もなき世(よ)の中(なか)にかゝるふしきの業(わさ)をして父母(ちゝはゝ)   もろともに悪趣(あくしゆ)に堕(た)して永劫沈淪(やうかうちんりん)せむ事のかなしさ先非(せんひ)に置(をき)て   は悔(くひ)ても益(ゑき)なし是(これ)より後(のち)の事さま〳〵工夫(くふう)して所詮(しよせん)我(われ)父母(ちゝはゝ)を出(た)しぬ 【左丁】  楊枝店(やうしみせ) 境内(けいたい)楊枝(やうし)を 鬻(ひさ)く店(みせ)甚(はなはた) 多(おほ)し柳屋(やなきや)と 称(しよう)するものを もて本源(ほんけん)とす されと今(いま)は其(その) 家号(いへな)を唱(とな)ふる もの多(おほ)く竟(つい)に 此地(このち)の名産(めいさん)とは なれり僧祗律(そうきりつ)【祇】 に楊枝(やうし)に五(いつ)ッの 利(り)ある事を載(のせ)て       云く 一に口 苦(にか)からす 二に口 臭(くさ)からす 三に風(かせ)を除(のそ)き 四に熱(ねつ)を去(さ)り 五に痰(たん)をのそく      とあり 【図】 【暖簾】 柳屋 【看板】    本やなき屋 御やうし所 【右丁】 一権現(いちのこんけん)祠   姥(うは)か池(いけ) 【図】 【枠内】一ノこんけん 【枠内】槐 【枠内】うはか池 【枠内】弁天 【左丁】   きて見(み)むと思(おも)ひある時(とき)道行人(みちゆくひと)ありと告(つけ)て男(おのこ)の如く出立(いてたち)て彼石(かのいし)に    臥(ふし)けりいつもの如く心得(こゝろえ)て頭(かしら)を打(うち)くたきけり急(いそ)き物(もの)とも取(とら)むとて   引(ひき)かつきたる衣(きぬ)をあけて見(み)れは人 独(ひとり)なりあやしく思(おも)ひてよく〳〵   みれは我娘(わかむすめ)なり心(こゝろ)もくれまとひてあさましとも云(いふ)はかりなし夫(それ)   より彼(かの)父母(ふほ)すみやかに発心(ほつしん)して度々(たひ〳〵)の悪業(あくけふ)をも慙愧(さんき)懺悔(さんけ)して今(いま)の   娘(むすめ)の菩提(ほたい)をも深(ふか)くとふらひはへりけると語伝(かたりつた)へけるよし古老(こらう)の人申けれ   は    つみとかの くつる( つくるィ )世もなき石枕(いしまくら)さこそはおもき思(おもひ)なるらめ   当所(たうしよ)の寺号(しかう)浅草寺(せんさうし)といへる十一面( 千手ィ )観音(くはんおむ)にてはへりたくひなき   霊仏(れいふつ)にてまし〳〵けるとなむ《割書:下略|》  一権現(いちのこんけん)社《割書:同所 顕松院(けんしようゐん)の境内(けいたい)にあり土俗(とそく)あかむ堂(たう)と云 往古(むかし)当寺(たうし)本尊 観世音(くはんせおむ)出現(しゆつけん)のとき|草刈(くさかり)の輩(ともから)蓼(あかさ)をもつて柱(はしら)としひとつの草堂(さうたう)を建(たて)て彼(かの)霊像(れいさう)を安置(あんち)し奉(たてまつ)りし旧跡(きうせき)》  《割書:なり故(ゆへ)にあかさ堂(たう)と唱(とな)ふへきを後世(のち)謬(あやまつ)て阿加牟堂(あかむたう)と|いへり傍(かたはら)に観音影向(くはんおむやうかう)の槐(ゑんしゆ)あり》  六地蔵石灯籠(ろくちさうのいしとうろう)《割書:雷神門(らいしんもん)の外(そと)花川戸町(はなかはとまち)の入口 角(かと)にあり故(ゆへ)に土人(としん)此所の河岸(かし)をさして六地蔵(ろくちさう)|河岸(かし)といへりこの地は往古(むかし)より奥州海道(あうしうかいたう)の馬次(むまつき)なりしとそ其頃(そのころ)はくわんおんの》 【右丁】 十二月十八日 年(とし)の市(いち) 【図】 【左丁】 観音堂(くはんおんたう)の  西面(せいめん)    より 念仏堂(ねんふつたう)の   かたを    望(のそ)む      図(つ) 【図】 【右丁】 馬市(むまいち) 藪(やふ)の内(うち)と  いへるに    あり 毎歳(まいさい)   十二月  なかはの    ころ 南部駒(なんふこま)  三歳立(さんさいたち)    なるを  こゝに出して    売(うり)     買(かひ)      す 【図】 【枠内】桟鋪 【枠内】桟鋪 【左丁】 【図】 【右丁】  《割書:門前(もんせん)旅籠屋町(はたこやまち)にして此 六地蔵石灯籠(ろくちさういしとうろう)のあたり馬(むま)駕籠(かこ)の立場にてありしといへり此 故(ゆへ)に今も毎年|十二月十八日の市(いち)には此辺 浅草海苔(あさくさのり)を賈(あきな)ふ家(いへ)〳〵にて近在(きんさい)より参詣(さんけい)する旅人(たひゝと)をして止宿(ししゆく)せしむるとそ》  《割書:伝(つた)へ云(いふ)久安(きうあん)二年丙寅 左馬頭義朝(さまのかみよしとも)当寺(たうし)観音(くわんおむ)へ参詣(さんけい)あつて諸堂(しよたう)造営(さうえい)の時(とき)鎌田兵衛正清(かまたひやうえまさきよ)奉納(ほうなふ)あ|りしといへり竿石(さほいし)に銘(めい)あれとも文字(もんし)剝落(はくらく)して鮮明(せんみやう)ならす唯(たゝ)久安(きうあん)六月十一日《割書:一書に十月|廿二日とあり》兵衛(ひやうえ)の九字(くし)のみ今》  《割書:猶(なを)現然(けんせん)たり高さ六尺あまり火袋(ひふくろ)の|六面(ろくめん)に六体(ろくたい)の地蔵尊を彫刻(てうこく)せり》  坊舎(はうしや)三十余宇(さんしうよう)《割書:当寺(たうし)は浅草(あさくさ)第一の精舎(しやうしや)にして境内(けいたい)霊神霊仏(れいしんれいふつ)甚(はなはた)多(おゝ)く枚挙(まいきよ)にいとまあらす|故(ゆへ)に悉(こと〳〵)く拾遺(しふい)にゆつりてこゝに略(りやく)せり》  専堂坊(せんたうはう) 斎堂坊(さいたうはう) 常音坊(しやうおんはう)《割書:此 三坊(さんはう)は漁者(きよしや)三人の遠裔(ゑんえい)にして妻帯(さいたい)なれは今にあり|子孫(しそん)連綿(れんめん)として相続(さうそく)す則 隔年(かくねん)三月十七日 祭(さい)礼の》  《割書:時(とき)も三人の輩(ともから)三基(さんき)の神輿(みこし)を供奉(くふ)す又 三坊(さんはう)のうちより|観音略縁記(くはんおんりやくえんき)牛王宝印(こわうはうゐん)等(とう)を出せり》  雷神門(らいしんもん)《割書:当寺(たうし)南の総門(そうもん)なり左右に風雷(ふうらい)の二神(にしん)を安置(あんち)す明和(めいわ)の回録(くはいろく)に罹(かゝ)りて烏有(ういう)となり|しか寛政(くはんせい)の今 再建(さいこん)ありて昔(むかし)に復(ふく)せり》  額(かく)《割書:金龍山|》曼珠院二品良尚親王(まんしゆゐんにほんりやうしやうしんわうの)真蹟(しんせき)  本尊縁起曰(ほんそんえむきにいはく)人皇三十四代 推古天皇(すいこてんわう)の御宇(きよう)土師臣中知(はしのおみなかとも)といへる人 故(ゆへ)あ  りて此地に流浪(さすらふ)《割書:日本紀曰(にほんきにいはく)垂仁(すいにん)天皇三十一年 野見宿祢(のみのすくね)に始(はしめ)て土師臣(はしのおみ)の姓(せい)を賜(たま)ふとあり野見宿(のみのすく)|祢(ね)は天穂日命(あまのほひのみこと)十四世の孫(そん)なりこゝにいへる中知(なかとも)も此 遠裔(ゑんえい)なるへし山岡明阿弥(やまをかみやうあみ)》  《割書:陀仏(たふつ)云(いふ)中知は奈加登茂(なかとも)又|登茂奈利(ともなり)とも訓(くん)すといへり》家臣(かしん)檜熊浜成(ひのくまのはまなり)武成(たけなり)と云(いふ)二人(ふたり)の兄弟(きやうたい)附添(つきそひ)て主従(しゆう〳〵)三  人 恒(つね)に漁猟(すなとり)を産業(なりわひ)としてこゝに年月(としつき)を送(をくり)けり《割書:檜熊(ひのくま)或(あるひは)檜前(ひのくま)に作(つく)る新撰姓氏録(しんせんせいしろく)|に檜前舎人連(ひのくまのとねりむらし)と云云 然時(しかるとき)は檜前》  《割書:に作(つくり)て可(か)ならん歟(か)し続日本後記(そくにほんこうき)に檜前舎人直由加麻呂(ひのくまのとねりあたへゆかまろ)武蔵国(むさしのくに)加美郡(かみこほり)の人にして土師氏(はしうち)と祖(そ)を同(おなしう)|するとあり又 延喜式(えんきしき)兵部省(ひやうふしやう)諸国馬牛(しよこくはきう)の牧(まき)の中(うち)にも武蔵国(むさしのくに)檜前馬牧(ひのくまのむまのまき)とあり是等(これら)によるとき》 【左丁】  《割書:は浜成(はまなり)武成(たけなり)も此 国(くに)の|人(ひと)ならん歟(か)》同三十六年戊子三月十八日の朝(あした)碧落(へきらく)に雲消(くもきえ)て蒼溟(さうめい)に  風静(かせしつか)なりけれは小舟(こふね)に乗(しよう)し此所の沖(おき)に出(いて)て網(あみ)を下(おろ)すに《割書:浅草川(あさくさかは)むかし|海にちかし旧(きう)》  《割書:名(めい)を宮戸(みやと)|川(かは)と称(しよう)す》遊魚(いうきよ)はさらになく幾度(いくたひ)も同(おな)し観音大士(くはんおんたいし)の尊像(そんそう)のみかゝり賜(たま)ふ  異浦(ことうら)に至(いた)りてもいよ〳〵しかり依(よつ)て主従(しゆう〳〵)驚(おとろ)き是(これ)を奉持(ほうち)して帰(かへ)り  機縁(きえん)の浅(あさ)からさるを思(おも)ひて其家(そのいへ)に安(あん)すといへとも唯(たゝ)臭魚(しうきよ)の穢(けかれ)に雑(ましは)る事  を恐(おそ)るゝのみ《割書:世(よ)に草刈(くさかり)の童(わらは)集(あつま)つて藜(あかさ)をもつて仮(かり)の|御堂(みたう)を造(つく)るといへる事 縁起(えんき)に所見(しよけん)なし》こゝにをひて終(つゐ)に魚舎(きよしや)をあら  ためて一宇(いちう)の香堂(かうたう)を経営(つく)り彼(かの)尊像(そんさう)を安置(あんち)し奉る《割書:今の一権現(いちのこんけん)の|地其 旧跡(きうせき)なり》其(その)  後(のち)舒明(しよめい)天皇の御宇(きよう)十年戊戌正月十八日 霊告(れいこう)ありて回録(くわいろく)す《割書:其後(そののち)又三ヶ月|を経(へ)て炎上(えんしやう)し》   《割書:夫(それ)より回録(くはいろく)七度(なゝたひ)に及(をよ)ふといへとも本尊(ほんそん)は自(をのつか)ら火焔(くはえん)を免(まぬか)れ出給ひて恙(つゝか)なし衆人(しゆうしん)皆(みな)奇(き)なりとす|是(これ)累年(るいねん)此地は漁猟(きよれふ)殺生(せつしやう)を業(わさ)として汚穢(をゑ)の所(ところ)なれは焼除(やきのそき)て無垢(むく)の霊場(れいしやう)となさんかためかく》  《割書:は本尊 示現(しけん)ありしとそ依(よつ)て|炎上(えんしやう)の後(のち)霊験(れいけん)いよ〳〵いちしるし》後(のち)久(ひさし)く堂宇(たうう)破壊(はゑ)にをよひしを孝徳(かうとく)天皇 大化(たいくは)元  年乙巳 勝海(しようかい)上人 東行(とうかう)の次(ついて)適(たま〳〵)こゝに来(きたつ)て再営(さいえい)す《割書:則(すなはち)当寺(たうし)の開山(かいさん)と称(しよう)すこのとき|勝海(しようかい)上人 本尊(ほんそん)の花容(くはよう)を拝(はい)し》  《割書:て奇異(きい)の霊告(れいかう)をかうむり夫(それ)より|己降(このかた)秘仏(ひふつ)として拝(はい)する事なし》天慶(てんけい)五年壬寅 安房守平公雅(あはのかみたいらのきんまさ)《割書:大系図(おほけいつ)に従五位上 平(たひらの)|公雅(きんまさ)武蔵守(むさしのかみ)に任(にん)する》  《割書:よし記(しる)せり前太平記(せんたいへいき)第六巻に藤原秀郷(ふちはらのひてさと)平親王将門(へいしんわうまさかと)を誅(ちゆう)する功(こう)によつて天慶(てんきやう)三年三月廿九日|武蔵(むさし)下野(しもつけ)両国(りやうこく)の守(かみ)に任(にん)せらるゝとあり又同書に同四年七月十六日《割書:将門記に二月|十四日誅すとあり》将門(まさかと)純友(すみとも)誅戮(ちゆうりく)の時(とき)も》 【右丁】 浅草寺(せんさうし)観音大士(くはんおんたいし) の出現(しゆつけん)ありしは 推古天皇(すいこてんわう)三十六年 戊子三月十八日なり 土師臣中知(はしのおみなかとも)をよひ 檜前浜成(ひのくまのはまなり)武成(たけなり)等(とう) の主従(しゆう〳〵)三人こゝの宮(みや) 戸川(とかは)に網(あみ)を下(おろ)して 此 本尊(ほんそん)を得(え)奉り しよし縁記(えんき) の中に詳(つまひらか)なり 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】 往古(そのかみ)土師臣中知(はしのをみなかとも)をよひ 檜前浜成(ひのくまのはまなり)武成(たけなり)等(とう)の 主従(しゆう〳〵)浅草川(あさくさかは)に網して 観音大士(くはんおんたいし)の霊像(れいさう)を 感得(かんとく)せし頃此地の 草刈(くさかり)集(あつまり)て藜(あかさ)を もて仮(かり)の御堂(みたう)を作(つくり) 其内に彼(かの)本尊(ほんそん)を 安置(あんち)し奉(たてまつ)りけると いひ伝ふ其 旧跡(きうせき)は今の 東谷(ひかしたに)《振り仮名:一の権現|いち  こんけん》の地 なり草刈(くさかり)は後(のち)神(かみ)に 奉(ほう)して十社権現(しつしやこんけん)と   いつきまつれり 【右丁】  《割書:両度(りやうと)の戦(たゝか)ひに軍功(くんこう)あるを以(もつ)て武蔵守(むさしのかみ)に任(にん)せられしか同五年の夏(なつ)任限(にんけん)満(みた)すして重病(ちゆうひやう)にかゝつて卒(そつ)す依(よつ)て公雅(きんまさ)|を此 国(くに)の守(かみ)に任(にん)せらるゝとあり公雅(きんまさ)は常陸大椽国香(ひたちのたいしやうくにか)【注①】の弟(おとゝ)上総介良兼(かつさのすけよしかね)の長男(ちやうなん)にして平将門(たいらのまさかと)を諌(いさめ)て切腹(せつふく)あ》  《割書:りし六郎公連(ろくらうきんつら)|の兄(あに)なり》当寺(たうし)に詣(もうて)当国(たうこく)の大守(たいしゆ)たらむ事(こと)を祈求(ききう)すいくはくならすして辻任(せんにん)【注②】し  此国(このくに)の守(かみ)となりけれは霊験(れいけん)の空(むなし)からさるをあふき奉(たてまつ)り本堂(ほんたう)をよひ宝塔(はうたふ)鐘楼(しゆろう)  楼門(ろうもん)経蔵(きやうさう)法華(ほつけ)常行(しやうきやう)六所(ろくしよ)の社壇(しやたん)《割書:六所(ろくしよ)の社壇(しやたん)|いまた考(かんか)へす》を造立(さうりふ)し田園(てんえむ)数百町(すひやくちやう)を附(ふ)して長(なか)く龍(りう)  華(け)の暁(あかつき)を期(こ)せしむ《割書:又 長久(ちやうきう)二年辛巳十二月廿二日 大地(たいち)震動(しんとう)して仏閣(ふつかく)顛倒(てんたう)|せり寂円阿闍梨(しやくゑんあしやり)永承(えいしやう)六年に造営(さうえい)す》遥(はるか)に後(のち)白河院(しらかはのゐん)承暦(しやうりやく)  三年己未十二月四日 堂塔(たうたふ)回禄(くわいろく)す其時(そのとき)本尊(ほんそん)火中(くはちゆう)を出(いて)て坤(ひつしさる)の榎(えのき)の梢(こすゑ)にうつり  給ふ承徳(しやふとく)二年戊寅四月 藤原成実(ふちはらのしけみつ)四箇年の間(あひた)当国(たうこく)を拝任(はいにん)し猶(なを)重任(ちやうにん)の望(のそみ)  ありて祈願(きくわん)し霊験(れいけん)あり依(よつて)代々(たい〳〵)罕籠(かんろう)の田畑(たはた)を尋(たつね)て元(もと)の如(こと)く皆(みな)施入(せにふ)し奉(たてまつ)  る《割書:按(あんする)に大系図(おほけいつ)に源成実(みなもとのしけみつ)と云し人 武蔵介(むさしのすけ)に|なりたる事ありこゝに藤原(ふちはら)とあるは誤(あやまり)なるへし》  其後 左馬頭源義朝(さまのかみみなもとのよしとも)当寺(たうし)へ参詣(さんけい)ありて  堂塔(たうたふ)を修営(しゆえい)し彼(かの)坤(ひつしさる)の榎(えのき)を以(もつて)新(あらた)に観音(くわんおむ)の像(さう)を彫刻(てうこく)して納(おさめ)らる《割書:其 像(さう)今 内陣(ないちん)|に安(あん)す台座(たいさ)に》  《割書:奉行(ふきやう)鎌田兵衛政清(かまたひやうゑまさきよ)と書付(かきつけ)てあり坂東順礼記(はんとうしゆんれいき)に康治(かうち)年中 義朝(よしとも)当寺(たうし)観音(くわんおむ)へ詣(まうつ)るとありまた花川(はなかは)|戸(と)六地蔵(ろくちさう)の石灯籠(いしとうろう)の銘(めい)に久安(きうあん)二年丙寅とありて鎌田兵衛(かまたひやうゑ)の建立(こんりふ)なりといへり依(よつ)て按(あんす)るに康治(かうち)より久安(きうあん)》  《割書:まてわつかに五年の間(あいた)なれはいつれも政清(まさきよ)命(めい)をうけて|普請(ふしん)の事をつ かさとりしころの事(こと)なるへし》又 仁安(にんあん)三年戊子 用舜法印(ようしゆんほふゐん)大衆(たいしゆ)に同心(とうしん)  して仏閣(ふつかく)を修営(しゆえい)す治承(ちしやう)四年庚子十月十七日《割書:縁起(えんき)に八月十七日とあるは誤(あやまり)なり十七日は北(ほう)|条(てう)を初(はしめ)宗徒(むねと)の人々 八牧判官兼隆(やまきのはんくわんかねたか)か館(たち)に》 【左丁】  《割書:むかふよし源平盛衰記(けんへいせいすいき)をよひ平家物語(へいけものかたり)等(とう)の書(ふみ)に出(いて)たり石橋山(いしはしやま)の戦(たゝか)ひも同廿日の事にしていまた安房(あはの)|国(くに)へもわたらさる先(さき)なれは頼朝(よりとも)当寺(たうし)へ参詣(さんけい)あるへきにあらす又 盛衰記(せいすいき)に治承(ちしやう)四年九月十一日 武衛(ふゑい)武蔵(むさし)下総(しもつふさ)》  《割書:の境(さかひ)なる松戸(まつと)の庄(しやう)市川(いちかは)に着(つき)たまふと東鑑(あつまかゝみ)には治承(ちしやう)四年十月二日 武衛(ふゑい)太井(ふとゐ)|隅田(すみた)の両河(りやうか)を渡(わた)らるゝとあれは八月十七日とするはおほひなる誤(あやまり)なり》右兵衛佐源頼朝(うひやうゑすけみなもとのよりとも)参詣(さんけい)あり  て田園(てんゑむ)若干(そくはく)を寄附(きふ)せらる是(これ)平家追罰(へいけついはつ)の祈願(きくわん)に依(よつ)てなり承久(しやうきう)三年辛巳  には禅尼(せんに)政子(まさこ)二品(にほん)及(をよひ)相州(さうしう)武州(ふしう)両刺史(りやうしゝ)敬信(けいしん)し願書(くわんしよ)を棒(さゝ)【注③】け白檀(ひやくたん)の大悲(たいひ)の  像(さう)一躯(いつく)と白色(しろいろ)の綾羅(りようら)の帳(とはり)一なかれ信濃布(しなのぬの)千端(せんたん)を寄附(きふ)ありまた伏見院(ふしみのゐんの)  御宇(きよう)正応(しやうおう)二年己丑十月廿一日大輔 聖(ひしり)といへる沙門(しやもん)其頃(そのころ)堂宇(たうう)の破壊(はゑ)を歎(なけき)十(しつ)  方(はう)に勧進(くはんしん)して正安(しやうあん)二年庚子三月十八日 修営(しゆえい)落成(らくせい)す其後 建武(けんむ)年中 将軍(しやうくん)  尊氏(たかうち)鎮西(ちんせい)発向(はつかう)の折(おり)から夢想(むそう)に依(よつ)て当寺(たうし)観音(くわんおん)へ願書(くわんしよ)をこめられ同 観応(くはんおう)  三年壬辰《割書:今年 文和(ふんわ)と改元(かいけん)あり|南朝(なんてう)の正平(しやうへい)七年なり》閏二月廿日《割書:縁起(えんき)に三月廿日と|あるは誤(あやまり)なり》武蔵野合戦(むさしのかつせん)にも兼(かね)て勝(しよう)  利(り)あらん事を祈願(きくわん)ありて合戦(かつせん)の後(のち)美田(ひてん)を寄(よせ)らる《割書:永和(やうわ)四年戊午十二月十三日 伽藍(からん)回禄(くわいろく)|すといへとも本尊(ほんそん)は恙(つゝか)なしこゝに》  《割書:至(いたつ)て回禄(くわいろく)九度(こゝのたひ)におよへり其後 嘉慶(かけい)元年丁卯 修行(しゆきやう)の聖(ひしり)|定済(ちやうさい)なる者(もの)勧進(くわんしん)の功(こう)を募(つの)り応永(おうえい)にいたり建立(こんりふ)成就(しやうしゆ)せり》夫(それ)より後(のち)天文(てんふん)四年乙未八月十八日 炎(えん)  上(しやう)す其 頃(ころ)相州(さうしう)小田原(をたはら)の城主(しやうしゆ)北条氏綱(ほうてううちつな)当国(たうこく)を領(りやう)しけれは破壊(はゑ)の諸堂(しよたう)再(さい)  興(こう)ありて大伽藍(たいからん)とし《割書:天文(てんふん)八年己亥五月十八日 当寺(たうし)奉加帳(ほうかちやう)に島津長徳軒(しまつちやうとくけん)大道寺盛(たいたうしもり)|冨(とみ)松田盛秀(まつたもりひて)等(とう)の名(な)を注(ちう)し加(くは)ふ是(これ)本文(ほんもん)の意(こゝろ)に合(かつ)せり又 知足軒(ちそくけん)》 【注① 「椽」は「掾」の誤】 【注② 「辻」は「迁(遷の異体字)の誤ヵ】 【注③ 「棒」は「捧」の誤】 【右丁】  《割書:友山翁(いうさんをう)の説(せつ)に元和(けんわ)年中迄の棟札(むなふた)に武州(ふしう)河越城主(かはこえのしやうしゆ)大道寺(たいたうし)|駿河守(するかのかみ)是(これ)を奉行(ふきやう)すとありと云云》忠善(ちうせん)上人を以(もつ)て別当職(へつたうしよく)とす《割書:忠善(ちうせん)|上人は》  《割書:北条幕下(ほうてうはくか)遠山丹波守(とをやまたんはのかみ)の末子(はつし)なり又 其師(そのし)忠海(ちうかい)上人といへるは摂州(せつしう)細川律師定禅(ほそかはりつしちやうせん)の末葉(はつえう)武州(ふしう)金沢(かなさは)の城主(しやうしゆ)|伊丹三河守(いたみみかはのかみ)の子(こ)なり三河守(みかはのかみ)宿願(しゆくくわん)の事(こと)ありて末子(はつし)を沙門(しやもん)とし当寺(たうし)の別当(へつたう)とす是(これ)より後(のち)は代々 伊丹(いたみ)遠山(とをやま)の》  《割書:両家(りやうけ)より別当職(へつたうしよく)を|相続(さうそく)せしとなり》然(しか)るに元禄(けんろく)年中 故(ゆへ)ありて《割書:或人云 貞享(ちやうきやう)|二年の事(こと)なりとそ》別当(へつたう)知楽院権僧正宣存(ちらくゐんこんそうしやうせんそん)  鎌倉(かまくら)へ退居(たいきよ)し夫(それ)より東叡山(とうえいさん)に属(そく)す当寺(たうし)本尊(ほんそん)は殊(こと)に  大神君(たいしんくん) 御信仰(こしんかう)最厚(もつともあつき)に 依(よつ)て寺領(しりやう)若干(そくはく)を附(ふ)せられ寛永(くはんえい)十九年二月十九日  回禄(くわいろく)の後(のち)も慶安(けいあん)三年庚寅六月三日 手釿(てをの)はしめありて堂塔(たうたふ)御建立(ここんりふ)ありしより  このかた 公(おほやけ)より修理(しゆり)を加(くは)へられ誠(まこと)に無双(ふそう)の霊場(れいちやう)となれり  修正会(しゆしやうゑ)《割書:除夜(しよや)より正月六日に至(いた)る|一七日の間 毎夕(まいせき)追儺(ついな)あり》牛王加持(こわうかち)《割書:同五日巳の刻(こく)執行(しゆきやう)す同日 三社(さんしや)|権現(こんけん)の社前に流鏑馬(やふさめ)あり》多羅尼会(たらにゑ)《割書:同十二日より|十八日に至(いた)り》  《割書:一七日の間 昼夜(ちうや)|温座(おんさ)にて修行(しゆきやう)す》祭礼(さいれい)《割書:隔年(かくねん)三月十八日なりこの祭礼(さいれい)は往古(むかし)正和(しやうわ)元年の神詫(しんたく)【託】に依(よつ)てこれをはしむ十七日に三社(さんしや)の|神輿(みこし)を本堂(ほんたう)へうつし拍板(ひんさゝら)獅子舞(ししまひ)あり当日は神輿(みこし)を浅草(あさくさ)の大通(おほとほ)りを渡(わた)し浅草橋(あさくさはし)に》  《割書:至(いた)るそれより船(ふね)に乗(しよう)し帰輿(きよ)は駒形(こまかた)より上(あか)らせらる此日 旧例(きうれい)として武州(ふしう)六郷(ろくかう)大森(おほもり)等(とう)の海村(かいそん)より猟船(れふせん)を出(いた)しかし|こより漁人(きよしん)来(きた)りてこれを供奉(くふ)す往古(むかし)此地の漁師(れふし)を大森村(おほもりむら)の辺(あたり)へ移(うつ)しけるより今も祭礼に此 儀(き)有(あり)といへり》  簔市(みのいち)《割書:同日 近在(きんさい)の農夫(のうふ)簔(みの)を持(もち)出て雷神(らいしん)門の前(まへ)|をよひ馬道(むまみち)等(とう)の辺(へん)にて是を鬻(ひさ)く》拍板(ひんさゝら)《割書:毎年六月十五日 執行(しゆきやう)す此日も三月十七日の如(こと)|く本堂(ほんたう)の前(まへ)に舞台(ふたい)をしつらひ是(これ)を勤(つと)む神楽(かくら)》  《割書:其外 神事(しんし)を執行(しゆきやう)す此 祭礼(さいれい)は鎌倉右府将軍(かまくらうふしやうくん)再興(さいこう)|ありしといへり其 拍子(ひやうし)等甚 古雅(こか)にして殊勝(しゆしよう)なり》千日参(せんにちまいり)《割書:七月十日 前夜(せんや)より参詣(さんけい)群集(くんしふ)せり俗(そく)にこの|日をもつて四万六千日 詣(まふて)と称(しよう)す》  《振り仮名:年の市|とし  いち》《割書:毎歳(まいさい)十二月十七日十八日両日のあいた衢(ちまた)に仮屋(かりや)を■(まう)【儲】け注連飾(しめかさり)蓬莱飾(ほうらいのかさり)物 等(とう)すへて歳首(としのはしめ)の賀(ことふき)に|用(もち)ゆへき種(くさ)〳〵を売買(うりかい)す浅草大通(あさくさおほとをり)をよひ下谷通(したやとほ)りともに群集(くんしふ)す殊更(ことさら)境内(けいたい)は尺寸(せきすん)の地(ち)な》 【左丁】  《割書:く只(たゝ)人を以て地を覆ふに異ならす実(まこと)に此日の繁昌(はんしやう)江戸(えと)第一(たいいち)にて|遠近(ゑんきん)に轟(とゝろ)けり往古(むかし)は毎月三八の日此所にて市(いち)立(たち)しとそ》節分会(せつふんゑ)《割書:此日 節分(せつふん)の守札(まもり)をいたす|是(これ)を受得(うけえ)んとする輩(ともから)堂》  《割書:中(ちう)に充(みち)て其 囂(かまひす)しき事 言葉(ことは)に述(のへ)かたし猶其 余(よ)の|行事(きやうし)は繁(しけき)をいとひてこゝに略(りやく)せり》  抑(そも〳〵)当寺(たうし)は一千百七十有 余(よ)年を経(ふる)の古刹(こせつ)にして実(しつ)に日域無双(にちいきふそう)繁昌(はんしやう)の霊(れい)  区(く)なり其(その)霊験(れいけん)の著(いちしるき)事は普(あまね)く世(よ)に知(しる)所(ところ)なり常(つね)に金鈴玉磬(きんれいきよくけい)の響(ひゝき)絶(たえ)す焼香(せうかう)  散華(さんくは)の勤行(つとめ)怠(をこた)る事(こと)なし朝(あした)より夕(いうへ)に至(いた)る迄 参詣(さんけい)の貴賤(きせん)袖(そて)を連(つらね)て場(には)に  充満(みちみて)り殊更(ことさら)月毎(つきこと)の十七日には通夜(つや)の緇素(しそ)堂中(とうちやう)に参籠(さんろう)して終夜(よもすから)誦経(しゆきやう)念(ねん)  咒(しゆ)怠慢(たいまん)なし又 境内(けいたい)売物(うりもの)の数(かつ)多(おゝき)か中(なか)にも錦袋円(きんたいゑん)浅草餅(あさくさもち)揚枝(やうし)【楊】珠数(しゆす)五倍(ふしの)  子(こ)茶筌(ちやせん)酒中花(しゆちゆうくは)香煎(かうせん)浮人形(うきにんきやう)の類(るい)殊(こと)に浅草海苔(あさくさのり)は其名世に芳(かんは)し手遊(てあそひ)  錦絵(にしきゑ)等(とう)を商(あきな)ふ店(みせ)軒(のき)をならへたり他邦(たはう)の人こゝに至りて其/繁昌(はんしやう)をしるへし 浅草川(あさくさかは) 隅田河(すみたかは)の下流(かりう)にして旧名(きうめい)を宮戸川(みやとかは)と号(かう)す《割書:古鹿子(ふるかのこ)に三(み)|屋戸(やと)に作(つく)る》白魚(しらうを)紫鯉(むらさきこい)の  二品(にひん)を此河(このかは)の名産(めいさん)とす美味(ひみ)にして是(これ)を賞(しやう)せり鰻鱺(うなき)蜆(しゝみ)も又 佳品(かひん)とす   《割書:按に本尊縁起(ほんそんえんき)の中に宮戸川の沖(おき)に網(あみ)を下すといへる事あり源平盛衰記(けんへいせいすいき)に治承(ちしやう)四年九月 頼朝(よりとも)下(しもつ)|総(ふさ)より武蔵(むさし)へ打越(うちこへ)らるゝ条下(てうか)に石浜(いしはま)とまうす所(ところ)は江戸太郎(えとのたらう)か知行所(ちきやうしよ)なりおりふし西国船(さいこくふね)の着(つき)た》   《割書:るを数千艘(すせんさう)あつめ三日の中に浮橋(うきはし)をくみけるとありしかるときは往古(むかし)は石浜(いしはま)の辺(あたり)入津(にふしん)の湊(みなと)にて西国の|船(ふね)も入来(いりきた)りしとみえたり又 氏康武蔵野記行(うちやすむさしのきこう)に墨田河(すみたかは)に着(つき)ぬ《割書:中略|》むかひは安房(あは)上総(かつさ)まのあたり見渡(みわた)》 【■は、「亻+設」「儲」の誤】 【右丁】 駒形堂(こまかたたう) 清水稲荷(しみついなり) 【図】 【枠内】並木町 【枠内】駒形堂 【枠内】禁殺碑 【左丁】 此碑   ては  江を   あはれ    まぬ   蛍    かな    其角 【図】 【枠内】いなり 【右丁】   《割書:さるゝとあり今あはせて考(かんか)ふれは往古(そのかみ)は石浜(いしはま)のあたりより東南(とうなん)此 浅草(あさくさ)のあたり迄も打開(うちひらき)たる海面(かいめん)にて|ありしなるへし土俗(とそく)の口碑(こうひ)に其むかし本所深川(ほんしよふかかは)のあたり海面(かいめん)なりし頃は今の真土(まつち)山は沖(おき)より入津(にふしん)の》   《割書:船(ふね)の目 的(あて)にてありしとそ仍(よつ)てまた考ふるに木下(きけ)川より須田村(すたむら)のあたりを限(かき)りとし南のかたは|寺島(てらしま)柳島(やなきしま)牛島(うししま)大(おゝ)島 猿江(さるえ)永代(えいたい)島なと称(しよう)してむかし海面なりしといへる事よりところとするにたれり》 駒形堂(こまかたとう) 駒形町(こまかたまち)の河岸(かし)にあり往古(むかし)は此所に浅草寺(せんそうし)の総門(そうもん)ありしといふ  《割書:其 頃(ころ)は左右(さいう)並木(なみき)にして桜花(さくら)数株(すちう)を栽(うへ)ましへ春時(はる)は殊更(ことさら)なかめも深かりしにや寛永(くはんえい)二十年の|印本(いんほん)東(あつま)めくりといへる書(ふみ)に駒形堂の近辺(きんへん)並木(なみき)の桜花(さくら)爛熳(らんまん)たるよしをしるせり》本尊(ほんそん)は  馬頭観音(はとうくはんおん)なり浅草寺縁起(せんそうしえんき)に天慶(てんけい)五年 安房守(あはのかみ)平公雅(たいらのきんまさ)浅草寺 観音(くはんおん)  堂(とう)造営(そうえい)の時此 堂宇(とうう)も建立(こんりふ)ありしよしを記(しる)せり《割書:祈願(きくはん)ある者 賽(かへりまうし)にはかならす駒の|形(かたち)を作(つく)り物にして堂内(とうない)へ奉納(ほうのふ)す故に》  《割書:駒形堂と唱(とな)へ地名(ちめい)も|またこれに因(よつて)おこる》此 堂(とう)の傍(かたはら)に浅草寺領内(せんさうしりやうない)殺生禁断(せつしやうきんたん)の碑(ひ)あり   禁殺碑   武蔵之州浅草之川遠出乎源近注干海大悲薩埵   現像垂跡洋洋如在昭昭而著其為霊境亦己尚矣   然恣事釣漁夭傷水族寃苔之惨不勝哀愍腥臭之   穢固可厭悪伏惟霊刹数 回禄蓋以大悲為此有   所不安也幸遇   今時丕承   洪運仁慧   四海深重物命礼崇三宝㫄興寺宇於是去歳闔寺   堂舎修治補葺猶如新成因立制令厳戒殺生乃以   南自諏訪町北至聖天岸十町余計為界嗚呼盛哉   好生之大徳種福之勝業一在干斯   人主之   天恩意足仰而望菩薩之観心可従而知区区愚哀 【左丁】   感仰有余乃為銘曰   維斯一心 即具三千 以我則乖 以観則円   鱗介異類 好悪同然 詎忍残殺 不知哀憐   営生■味 速禍取愆 畏報於後 思戒於肯   文明遇時 慈悲如天 網罟作禁 魚龞無度   豈伹物命 因慈得全 教化所及 弊習能悛   元禄第六歳次昭陽作噩春三月     武州豊島郡金龍山浅草寺権僧正宣存誌 三島明神(みしまみやうしん)社  駒形(こまかた)町の西二丁はかりにあり祭神(さいしん)大山袛命(おほやますみのみこと)一坐(いちさ)《割書:伊予(いよ)の国(くに)風(ふう)|土記(とき)には大山(おほやま)》  《割書:積(つみ)につく|れり》土人(としん)伝云(つたへいふ)往古(むかし)河野何某(かうのなにかし)本国(ほんこく)予州(よしう)の地(ち)より此 武蔵国(むさしのくに)へ赴(おもむ)くの海上(かいしやう)  にて風波(ふうは)の難(なん)に逢(あふ)仍(よつて)本国(ほんこく)一宮(いちのみや)の御神(おんかみ)に祈(いの)り奉(たてまつ)りしに恙(つゝか)なく着岸(ちやくかん)  せしかは神恩(しんおん)を報(むくひ)奉(たてまつ)らむか為(ため)弟宅(ていたく)の地に勧請(くはんしやう)ありし由(よし)昔(むかし)は下谷坂本(したやさかもと)にありし  を元禄(けんろく)年中 今(いま)の地(ち)へ遷(うつ)さる《割書:其 旧地(きうち)東叡山(とうえいさん)の東(ひかし)の|麓(ふもと)根岸村(ねきしむら)にあり》祭礼(さいれい)は毎歳(まいさい)五月十五日なり 清水稲荷(しみついなり)社  駒形(こまかた)町にあり往古(むかし)嘉承(かしよう)年中 弘法大師(こうほふたいし)東国遊化(とうこくいうけ)のみき  り此 国(くに)へ入給ひし頃(ころ)霊告(れいかう)によつて如意宝珠(によいはうしゆ)を神体(しんたい)とし稲荷(いなり)に勧請(くわんしやう)した  まふとそ《割書:其 地(ち)より清泉(せいせん)涌出(わきいつ)る故(ゆへ)に清水(しみつ)の名(な)あり其 後(のち)谷中(やなか)感応寺(かんおうし)の持(もち)となり法華(ほつけ)の勧請(くはんしやう)と|なりしか彼寺(かのてら)改宗(かいしう)の後(のち)東叡山末(とうえいさんまつ)となり別当(へつたう)を妙行院(めうきやうゐん)といふ旧地(きうち)は東叡山(とうえいさん)の西(にし)のかたに》  《割書:ありて寒松院搆(かんしやうゐんかまへ)のうちとなる今 清水門(しみつもん)と号(なつく)るも其 旧号(きうかう)をうしなはさるの証(しよう)なり元禄(けんろく)の頃(ころ)三島(みしま)明神と|共(とも)にこの地(ち)にうつされたり按(あんす)るに元禄(けんろく)二年 開板(かいはん)の江戸惣鹿子(えとそうかのこ)といへる草紙(さうし)に谷中稲荷清水(やなかいなりのしみつ)今に絶(たえ)せ》 【■は「嗜」ヵ】 【前コマと重複】 【右丁】  《割書:すとあれは元禄(けんろく)の頃(ころ)まては其(その)清水(しみつ)現然(けんせん)としてありしならむ今 池(いけ)のはたより護国院(ここくゐん)へ|行道(ゆくみち)御花畑(おはなはたけ)と称(しよう)する地(ち)の谷合(たにあい)より流(なか)れいつる清水(しみつ)ありこれならむ歟(か)》又 江戸名所記(えとめいしよき)の説(せつ)  に弘法大師(こうほふたいし)東国遊化(とうこくいうけ)の砌(みきり)武蔵国(むさしのくに)にてひとつの小坂(こさか)に《割書:東叡山(とうえいさん)西(にし)の麓(ふもと)清水門(しみつもん)|の坂(さか)是(これ)なりといへり》かゝり  給ふ頃(ころ)老女(らうしよ)の水桶(みつおけ)を戴(いたゝき)て行(ゆく)あり大師(たいし)彼(か)の水(みつ)を乞(こひ)たまふ時(とき)老女(らうしよ)の云(いは)く此辺(このあたり)に  水(みつ)なく遠(とほ)く是(これ)を汲由(くむよし)まうしけれは大師(たいし)憐(あはれ)み独鈷(とつこ)を以(もつ)て加持(かち)したまひけれは  其所(そのところ)に清泉(せいせん)涌出(ゆしゆつ)す其傍(そのかたはら)に当社(たうしや)を勧請(くはんしやう)し給ひけるといふ 諏訪明神(すはみやうしん)社 同所 諏訪町(すはちやう)にあり祭神(さいしん)は信州(しんしう)の諏訪(すは)に同しく健御名方命(たてみなかたのみこと)  なり当社(たうしや)の権輿(けんよ)は至(いたつ)て久遠(きうをむ)にして来由等(らいゆとう)詳(つまひらか)ならす 榧寺(かやてら) 同所 黒船(くろふね)町にあり浄土宗(しやうとしう)にして増上寺(そうしやうし)に属(そく)す池中山正覚寺(ちちゆうさんしやうかくし)と号(かう)す  本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)は恵心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)にして開山(かいさん)は観智国師(くはんちこくし)なり往古(そのかみ)当寺(たうし)に  名(な)ある大木(たいほく)の榧(かや)ありし故(ゆへ)に号(な)とせりといへり 石清水正八幡宮(いはしみつしやうはちまんくう) 大倉前(おほくらまへ)にあり元禄(けんろく)五年 台命(たいめい)に仍(よつ)て石清水正八幡宮(いはしみつしやうはちまんくう)を  勧請(くはんしやう)せり《割書:昔(むかし)は文殊院(もんしゆゐん)の八幡(はちまん)と称(しよう)し高野山(かうやさん)行人派(きやうにんは)の僧(そう)住職(ちゆうしよく)|ありしか故(ゆへ)あつて其地(そのち)を改(あらため)られ石清水正八幡宮(いはしみつしやうはちまんくう)を勧請(くはんしやう)せり》別当(へつたう)を大護院(たいこゐん)と号(かう)し雄(お)  徳山(とこやま)と云 開山(かいさん)幸沼法印(かうせうほふゐん)なり護摩堂(こまたう)の本尊(ほんそん)は五大明王(こたいみやうわう)にして運慶(うんけい)の作(さく)なり 【左丁】 弘法大師(こうほふたいし)東国遊化(とうこくいうけ)の みきり武蔵(むさし)の国に 至(いた)りひとつの小坂(こさか)に かゝり給ふ時に一老女(いちらうしよ) の遠(とほ)く水(みつ)を運(はこ)ふあり 大師(たいし)深(ふか)く是(これ)をあはれみ 給ひたゝちに其地を加持(かち) し給へは忽然(こつせん)として 清泉(せいせん)涌出(ゆしゆつ)せるよし 江戸名所記(えとめいしよき)に 出たり今(いま)東叡山(とうえいさん) 寒松院(かんしやうゐん)の境内(けいたい) 西(にし)の梺(ふもと)にある  ところの清水(しみつ)    を云     ならん歟(か) 【図】 【右丁】 三島明神(みしまみやうしん)社 諏訪明神(すはみやうしん)社 【図】 【枠内】みしま明神 【枠内】井 【枠内】みたらし 【枠内】諏訪明神 【左丁】 閻魔堂(えむまたう) 八幡宮(はちまんくう)より南(みなみ)の方弐三丁を隔(へた)つ称光山長延寺(しようくはうさんちやうえんし)と号(かう)す本尊(ほんそん)閻羅王(えむらわう)  は運慶(うんけい)の作(さく)にして其丈(そのたけ)壱丈六尺あり額(かく)に閻王殿(えむわうてん)とあるは延享(えんきやう)年中 来聘韓(らいへいかん)  人(しん)の筆(ふて)なり当寺(たうし)は慈覚大師(しかくたいし)草創(さう〳〵)ありて《振り仮名:■昔|むかし》【疇昔】は下野国(しもつけのくに)にありしを文永(ふんえい)年  中此地へ遷(うつ)すとそ《割書:或説(あるせつ)に昔(むかし)は《振り仮名:霞か関|かすみ せき》にありしを国初(こくしよ)の頃(ころ)馬喰町(はくろうちやう)へ|うつされ後(のち)復(また)いまの地(ち)へひかるゝといへり》毎歳(まいさい)正月七月十六日 参(さん)  詣(けい)群集(くんしふ)す  奪衣婆像(たつえはのさう)《割書:運慶(うんけい)の作(さく)にして本尊(ほんそん)|閻王(えんわう)と同木(とうほく)なりといへり》化馬地蔵尊(けはちさうそん)《割書:聖徳太子(しやうとくたいし)の作(さく)昔(むかし)は紀(き)の那智山(なちさん)にありしとそ|昔(むかし)仏法(ふつほふ)を徘傍(ひはう)【誹謗】せし女(をんな)あり是(これ)を化度(けと)せんか為(ため)に》  《割書:馬(むま)に化(け)して彼女(かのをんな)を仏道(ふつたう)に|帰入(きにふ)せしめ給ひしとなん》花山観世音(くはさんくわんせおむ)《割書:花山院(くわさんのゐん)深(ふか)く観音薩埵(くわんおんさつた)を尊信(そんしん)し給ひ真蹟(しんせき)の普門品(ふもんほん)大悲(たいひ)|の大陀羅尼等(たいたらにとう)の経巻(きやうくわん)をもつて大悲(たいひ)の像(さう)を作(つく)らせたまひ》  《割書:仏眼(ふつけん)上人をして点眼供養(てんかんくやう)せしめ法皇(ほふわう)みつから観音(くわんおむ)の霊区(れいく)三十三所《割書:観音順礼|のはしめなり》順礼(しゆんれい)あらせられけるとき負(おは)|せ給ひし尊像(そんさう)なり故(ゆゑ)あつて東叡山(とうえいさん)よりこゝに移(うつ)し奉(たてまつ)る是則(これすなはち)笈仏(おひふつ)の権輿(はしめ)なり当寺(たうし)境内(けいたい)に文永(ふんえい)十一年の》  《割書:古墳(こふん)|あり》 祗園社(きをんのやしろ) 同所 閻魔堂(えむまたう)の南(みなみ)に隣(とな)る当社(たうしや)牛頭天王(こつてんわう)は天暦(てんりやく)年中の鎮座(ちんさ)なりとそ  大倉前(おほくらまへ)の総鎮守(そうちんしゆ)にして別当(へつたう)を大円寺(たいえんし)と号(かう)す  十王堂(しふわうたう)《割書:境内(けいたい)にあり慶長(けいちやう)十八年《割書:又 寛文|ともいへり》御建立(ここんりふ)ありしとそ中尊(ちゆうそん)は地蔵菩薩(ちさうほさつ)にして左右(さいう)に冥府十王(めいふしふわう)|の像(さう)を安置(あんち)せり》 銀杏八幡宮(いちやうはちまんくう) 同所 福井町(ふくゐちやう)にあり伝(つた)へ云 当社(たうしや)は永承(えいしやう)六年 源頼義朝(みなもとのよりよしあそん)同(おなしく) 【■は「日+壽」】 【右丁】 正 覚寺(かくし)  《割書:一に榧寺(かやてら)とも|いへり》 八幡宮(はちまんくう) 【図】 【枠内】御馬や渡し 【枠内】方丈 【枠内】かや寺 【左丁】 【図】 このへん 御米蔵あるゆへに 大倉前と唱ふ 【枠内】八幡宮 【右丁】 御厩河岸渡(おむまやかしのわたし) 【図】 【枠内】駒留はし 【枠内】駒留石 【枠内】椎木やしき 【左丁】  義家朝臣(よしいへあそん)奥州下向(あうしうけかう)の時(とき)こゝに至(いた)りたまふに河上(かはかみ)より銀杏木(いちやうのき)の流(なか)れ来(きた)る  あり則(すなはち)義家公(よしいへこう)手(て)つから地(ち)にさし誓(ちかつ)て曰(いはく)朝敵退治(てうてきたいち)勝利(しようり)あらは此樹(このき)すみやかに  枝葉(しえふ)を栄(さか)ふへしとなり遂(つゐ)に其軍(そのいくさ)勝利(しようり)ありて凱陳(かいちん)【陣】の時(とき)ふたゝひこゝに至(いた)り給ふに  枝葉(しえふ)栄(さかへ)けれは八幡宮(はちまんくう)を勧請(くはんしやう)し給ひしとそ其昔(そのむかし)は八幡塚(はちまんつか)と唱(となへ)けりとなん神木(しんほく)  の銀杏樹(いちやうのき)は延享(えむきやう)二年の秋(あき)暴風(ほうふう)に吹折(ふきおられ)て今わつかに其枯株(そのこちゆう)を存(そん)せり 第六天神社(たいろくてんしんのやしろ) 浅草橋(あさくさはし)の外(そと)にあり昔(むかし)は大倉前(おほくらまへ)森田町(もりたちやう)にありしを享保(きやうほ)四年 火(くは)  災(さい)の後(のち)今の地に移(うつ)る祭神(さいしん)は面足尊(おもたるのみこと)惶根尊(かしこねのみこと)なり《割書:天神六代|の神なり》祭礼(さいれい)は毎歳(まいさい)六月五日なり 篠塚稲荷社(しのつかいなりのやしろ) 当地(たうち)の旧社(きうしや)なり《割書:往古此所を茅原(かやはら)の里と|云よし社伝(しやてん)に云り》昔(むかし)新田家臣(につたのかしん)篠塚伊賀守(しのつかいかのかみ)当社(たうしや)を信  仰(かう)し晩(のち)に入道(にふたう)して社(やしろ)の側(かたはら)に庵室(あんしつ)を結(むす)ひて住(ちゆう)す別当(へつたう)玉蔵院(きよくさうゐん)は其 裔孫(えいそん)なりと云(いへ)り 鳥越里(とりこえのさと) 鳥越明神(とりこえみやうしん)の辺より大倉前(おほくらまへ)の辺まてをいへり北条家分限帳(ほうてうけふんけんちやう)に冨永善左衛門(とみなかぜんさゑもん)  江戸(えと)鳥越村(とりこえむら)の内(うち)を領(りやう)するよし記(しる)せり    《割書:尭恵北国記行に文明十八年十二月廿三日 隅田河(すみたかは)の辺(ほとり)鳥越といへる海村(かいそん)に善鏡(せんきやう)といへる翁(おきな)あり彼宅(かのいへ)|に笠やとりして閑林(かんりん)にあかめ置たる金光寺(こんくわうし)に在宿(さいしゆく)しはへり同十九年元日に》   おさまれる波をかけてや筑波根のやまとしまねに春の立らん 尭恵 【右丁】 大倉前(おほくらまへ)  閻魔堂(ゑんまたう)  牛頭天王(こつてんわう)  十王堂(しふわうたう) 【図】 【枠内】本堂 【枠内】観音      地蔵      うは 【左丁】 【図】 【枠内】長延寺 【枠内】大円寺 【枠内】神木 【枠内】十王堂 【枠内】てんわう 【右丁】  祗園会篠団子(きをんえのさゝたんこ) 毎歳六月八日の暁(あかつき) 是を修行(しゆきやう)す氏子(うちこ)の 家々にて団子(たんこ)を 製(せい)し悉(こと〳〵)く篠(さゝ)の枝(えた) につけて是を宝前(はうせん) に供(こう)す時(とき)に諸人(しよにん) 争(あらそ)ひこれをとり得(え)て 家内(かない)に収(おさ)め置(をき) 疫災(ゑきさい)を除(のそ)く の守護(まもり)   とす 【図】 【幟】牛頭天王御祭禮 【幟】牛頭天王御祭禮 氏子中 【左丁】 【図】 【右丁】 第六天(たいろくてん) 篠塚稲荷(しのつかいなり) 【図】 【枠内】いなり 【枠内】本社 【枠内】金ひら 【左丁】    四国雑記 鳥越(とりこえ)の里(さと)といふ所(ところ)に行くれて   暮にけりやとりいつくといそく日になれも寝に行鳥越乃里 道奥准后 鳥越明神(とりこえみやうしん)社 元鳥越町(もととりこえまち)にあり此辺(このへん)の産土神(うふすな)とす祭神(さいしん)日本武尊(やまとたけのみこと)相殿(あいてん)天(あまの)  児屋根命(こやねのみこと)なり《割書:昔(むかし)は第六天神(たいろくてんしん)熱田明神(あつたみやうしん)を合(あは)せて鳥越三所明神(とりこえさんしよみやうしん)と号(なつ)けしか正保(しやうほ)二年此地|公用(こうよう)の為(ため)に召上(めしあけ)られ三谷(さんや)にて替地(かへち)を給ひわつかに社(やしろ)の地(ち)はかりを残(のこ)さるその頃(ころ)》  《割書:より熱田(あつた)は三谷(さんや)の地(ち)へうつし第六(たいろく)|天(てん)は森田町(もりたちやう)へうつせしといへり》当社(たうしや)は最古跡(もつともこせき)なれとも旧記等(きうきとう)散失(さんしつ)して勧請(くはんしやう)の年暦(ねんれき)  来由等(らいゆとう)詳(つまひらか)ならすといへり祭礼(さいれい)は隔年(かくねん)六月九日なり 東光山(とうくわうさん)西福寺(さいふくし) 良雲院(りやううんゐん)と号(かう)す《割書:良雲院殿(りやううんゐんてん) 御尊骸(こそんかい)を当寺(たうし)に葬(さう)し|奉(たてまつ)る故(ゆへ)に院号(ゐんかう)とす当寺(たうし)に 御墓所(おんほしよ)あり》鳥越明神(とりこえみやうしん)  より三町はかり東(ひかし)の方にあり江戸(えと)浄宗(しやうしう)四ヶ寺の随一(すいいち)にして本尊(ほんそん)阿弥陀如(あみたによ)  来(らい)は安阿弥(あんあみ)の作(さく)なり《割書:三州(さんしう)よりうつ|さるゝとそ》開山(かいさん)を真蓮社貞誉了伝(しんれんしやていよれうてん)上人と号(かう)す《割書:元和(けんわ)八|年五月》  《割書:廿七日に|寂す》遠州(ゑんしう)犀(さい)か渕(ふち)戦死(せんし)の迷魂得脱(めいこんとくたつ)の師(し)なり迷魂得脱(めいこんとくたつ)の功(いさをし)は武父(ふふ)の戦功(せんこう)  に等(ひと)しけれは其功(そのこう)を永世(えいせ)に伝(つた)へよと 神祖(しんそ) 松平(まつたひら)の御称号(おんしようかう)并 山号(さんかう)  等(とう)を給ふ往古(むかし)三州(さんしう)にありしを慶長(けいちやう)の頃(ころ) 台命(たいめい)に依(よつ)て当国(たうこく)駿河台(するかたい)  に移(うつ)され又 寛永(くわんえい)十五年今の所(ところ)にて地を給ふ一夏中(いちけのうち)法幢(ほつとう)を立(たて)檀林(たんりん)に准(しゆん)す 【右丁】 西福寺(さいふくし) 【図】 【枠内】中塔 【枠内】中塔 【左丁】 【図】 【枠内】庫理【裡の誤】 【枠内】弁天 【枠内】方丈 【枠内】本堂 【右丁】 新堀端(しんほりはた)  浄念寺(しやうねんし)  東漸寺(とうせんし)  龍宝寺(りうはうし) 【図】 しんほり 【枠内】浄念寺 【左丁】 【図】 【枠内】東漸寺 【枠内】龍宝寺 【右丁】  東照大権現宮(とうせうたいこんけんくうの)神影(しんえい)《割書:神祖(しんそ)并に  台徳公(たいとくこう)及(をよ)ひ  良雲尼公(りやううんにこう)の御寿影(おんしゆえい)をも寄附(きふ)せられ|共(とも)に三軸(さんちく)あり毎歳(まいさい)四月十七日御祭禮のとき諸人(しよにん)に拝(はい)せしむ》  江島弁財天(えのしまへんさいてん)祠《割書:当寺(たうし)の鎮守(ちんち)たり本尊(ほんそん)は画像(くはさう)にして弘法(こうほふ)大師の筆(ふて)なりといへり当寺(たうし)第二世|称誉(しようよ)上人 感徳(かんとく)ありてこゝに安(あん)せらる》 化用山(けようさん)常照院(しやうせうゐん)浄念寺(しやうねんし) 同所 西福寺(さいふくし)の北(きた)の通(とほり)にあり浄土宗(しやうとしう)開山(かいさん)は性誉(しやうよ)上人  露休和尚(ろきうおせう)にして永禄(えいろく)年中の草創(さう〳〵)とそ本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)は慈覚(しかく)大師の作(さく)  《割書:作(つく)り収(おさめ)の尊像(そんさう)と称(しよう)す胎中(たいちゆう)に鑿(のみ)|鋸(のこきり)等(とう)を入(いれ)収(おさ)む其 長(たけ)二尺三寸なり》寛永(くはんえい)十二年 駿河台(するかたい)より今の地(ち)に移(うつ)る《割書:境内(けいたい)に慈覚(しかく)|大師の作(さく)の》  《割書:聖観音(しやうくわんおん)をよひ土中(とちゆう)出現(しゆつけん)の|渡唐(とたう)の天神 等(とう)を安置(あんち)す》 正保山(しやうほさん)東漸寺(とうせんし) 医王院(いわうゐん)と号(かう)す天台宗(てんたいしう)にして東叡山(とうえいさん)に属(そく)す浄念寺(しやうねんし)の北に  あり本尊(ほんそん)薬師如来(やくしによらい)は行基大師(きやうきたいし)の作(さく)なり《割書:書写性空(しよしやのしやうくう)上人 常(つね)に護持(こち)の霊像(れいさう)にして脇士(けふし)|に十二 神将(しんしやう)の像(さう)を置 世俗(せそく)かはらけ薬師(やくし)と》  《割書:称(しよう)す寄願(きくわん)ある者(もの)かならす|かはらけを供(くう)するの故(ゆへ)なり》開山は慈覚(しか[く])大師にして太田道灌(おほたたうくわん)再興(さいこう)す始(はしめ)御城内(こしやうない)にあ  りしを後(のち)に神田芝崎村(かんたしはさきむら)に移(うつ)し又 正保(しやうほ)年中 今(いま)の地(ち)へうつせり 手向野(たむけの) 《割書:寛文(くはんふん)の頃(ころ)戸田茂睡(とたもすい)といへる哥人(かしん)此所(このところ)に草庵(さうあん)をむすひしはらく住(すめ)り一子伊右衛門なるもの|天和(てんわ)二年十八歳にして卒(そつ)せり故(ゆへ)に此 手向野(たむけの)に葬(はふむ)り傍(かたはら)に碑(ひ)を立(たて)て手向野(たむけの)と彫(ゑり)て和哥(わか)を》  《割書:記(しる)す其地は同所 金龍寺(きんりうし)の境内(けいたい)にして茂睡 夫婦(ふうふ)並(ならひ)に一子伊右衛門か墓(はか)さへありされは金龍寺のあたりを手向野と紫の|一本(ひともと)にもいひしなるへしされと新寺町 東陽寺(とうようし)の境内なるよし諸書に載(の)せ東陽寺にも今は此茂睡か哥さへ石碑にえりたり》  《割書:或人云此辺 往古(むかし)は奥州海道(あうしうかいたう)にして刑罪場(けいさいば)なり其頃 往来(ゆきゝ)の人 香花(かうけ)なと手向けれはかく唱(とな)へしといへともしるへからす|  風の音苔のしつくもあめつちの絶ぬ御法の手向にはして     茂睡》 【左丁】 東本願寺(ひかしほんくはんし)  十一月廿二日より  同しく廿七日迄  開山忌(かいさんき)にて門(もん)  徒(と)の道俗(たうそく)    群参(くんさん)す 【図】 【枠内】塔中 【枠内】塔中 【枠内】惣門 門跡前通り 此辺 あま さけや おほし 【右丁】 其 二 【図】 【枠内】書院 【枠内】方丈 【枠内】内玄関 【枠内】唐門 【枠内】塔中 【枠内】裏門 【枠内】玄関 【左丁】 【図】 【枠内】庫裡 【枠内】本堂 【枠内】番所 【枠内】塔中 【枠内】鐘 【枠内】西門 【枠内】邪堀川 下谷大通り 【右丁】 【図】 報恩講(ほうおんこう)  俗(そく)に御講(おこう)と      いふ 【左丁】 【図】 平等  に わたせる  はしや  お   霜月    西山宗因 【右丁】 東本願寺(ひかしほんくわんし)       新堀端大通(しんほりはたおほとほり)にあり開山(かいさん)教如(けうによ)上人 其先(そのさき)本山(ほんさん)の住(ちゆう)  職(しよく)たりしを豊臣家(とよとみけ)のはからひとして順如(しゆんによ)上人《割書:教如(けうによ)上人|の舎弟(しやてい)也》を本寺(ほんし)の門跡(もんせき)に定(さた)め  られ教如(けうによ)上人をは故(ゆへ)なく退隠(たひいむ)せしめ裏屋舗(うらやしき)に置(をか)れしを《割書:此故に東門跡(ひかしもんせき)を|裏方(うらかた)とはいへり》  神祖(しんそ)竟(つゐ)に 召出(めしいた)され開祖(かいそ)上人の真影(しんえい)を御寄附(こきふ)ありて六条室町(ろくてうむろまち)の末(すへ)にて  新(あらた)に御堂屋舗(みたうやしき)を下(くた)し賜(たまは)る夫(それ)より後(のち)東西(とうさい)とわかる《割書:其後(そのゝち)江戸(えと)に末寺(まつし)建立(こんりふ)あり度由(たきよし)|訟(うつた)へ則 神田(かんた)にて寺地(てらち)を拝領(はいりやう)す》  《割書:一宇を建(たて)て京都よりの輪番所(りんはんしよ)となり江戸中(えとちゆう)の門徒(もんと)を勧化(くはんけ)す|其地(そのち)今(いま)昌平橋(しやうへいはし)の外(そと)加賀屋敷(かゝやしき)と唱(となふ)る所(ところ)也 明暦(めいれき)の後(のち)今の地(ち)に移(うつ)されたり》当寺(たうし)は朝鮮人(てうせんしん)来聘(らいへい)の  砌(みきり)旅館(りよくはん)となる  立花会(りつくはゑ)《割書:毎年(まいねん)七月七日 興行(こうきやう)す|参詣(さんけい)の人に見物(けんふつ)を許(ゆる)す》開山忌(かいさんき)《割書:毎年十一月廿二日より同廿八日まての間 読経説法等(とくきやうせつほふとう)あり|俗(そく)に是(これ)を御講(おこう)と称(しやう)す一に報恩講(ほうおんこう)ともいふそのあひた》  《割書:門徒(もんと)の貴賤(きせん)|群参(くんさん)せり》 高龍山(かうりうさん)報恩寺(はうおんし) 謝徳院(しやとくゐん)と号(かう)す東本願寺(ひかしほんくわんし)の東(ひかし)に隣(とな)る一向派(いつかうは)にして宗(しう)  祖(そ)上人の遺跡(ゆいせき)二十四 輩所(はいしよ)の随(すい)一なり当寺(たうし)は下総国(しもつふさのくに)豊田(とよた)の左(しやう)【庄ヵ】横曾(よこそ)  根(ね)に有(ある)事 数(す)十世 後(のち)結城(ゆふき)の城主(しやうしゆ)七郎左衛門 晴朝(はるとも)の臣(しん)多賀谷何某(たかやなにかし)  といへる者(もの)の為(ため)に寺領田園等(しりやうてんゑんとう)を押領(あふりやう)せられ終(つゐ)に武州(ふしう)に移(うつ)り桜(さくら) 【左丁】 【図】 報恩寺(はうおんし) 【枠内】田原町 【枠内】塔中 【枠内】清光寺 【枠内】浅草寺 【枠内】表門 【枠内】鐘 【枠内】塔中 【枠内】報恩寺 【枠内】裏門 【右丁】 【図】 誓願寺(せいくわんし) 日輪寺(にちりんし) 【枠内】塔中 【枠内】東本願寺塔中 【枠内】くまの 【枠内】東本願寺裏門 【枠内】方丈 【枠内】鐘 【枠内】塔中 【左丁】 【図】 【枠内】いなり 【枠内】誓願寺 【枠内】塔中 【枠内】塔中 【枠内】裏門 【枠内】方丈 【枠内】日輪寺 【枠内】正定寺 【右丁】 【図】 【枠内】天かく院 【枠内】松源寺 【枠内】隆光寺 【枠内】称往院 【枠内】いなり 【枠内】鐘 【枠内】東光院 【枠内】清水寺 【枠内】善徳寺 【枠内】祝言寺 【左丁】 海(かい) 禅(せん) 寺(し) 天嶽院(てんかくゐん) 称往院(しようわういん) 東光院(とうくはうゐん) 清水寺(せいすいし) 慈眼院(しけんゐん) 聖徳寺(しやうとくし) 祝言寺(しゆうけんし) 【図】 【枠内】実相寺 【枠内】いなり 【枠内】本覚寺 【枠内】聖徳寺 【枠内】方丈 【枠内】海禅寺 【枠内】客殿 【枠内】慈眼院 【右丁】  田(た)にありしか後(のち)八丁堀(はつちやうほり)に遷(うつ)り明暦火後(めいれきくはこ)今の地に至(いた)る《割書:旧地(きうち)横曽根(よこそね)にとゝむる所の|寺(てら)を聞光寺(もんくはうし)と号(かう)して今》  《割書:猶(なを)存(そん)|せり》開山(かいさん)性信房(しやうしんはう)俗姓(そくしやう)は大中臣(おほなかとみ)常州(しやうしう)鹿島郡(かしまこほり)の産(さん)也 幼名(えうみやう)を與(よ)四郎といふ  天性(てんせい)多力勇悍(たりきゆうかん)心(こゝろ)狼戻(らうれい)にして礼法(れいほふ)をしらす唯(たゝ)漁猟殺生(きよれふせつしやう)を事(こと)とするのみ  《割書:故(ゆへ)に悪五(あくこ)|郎(らう)といふ》十八歳の春《割書:元久(けんきう)三|年なり》紀(き)の熊野山(くまのさん)へ詣(まふ)て帰(かへ)るさ洛陽(らくやう)に至(いた)り適(たま〳〵)東山(ひかしやま)  吉水(よしみつ)にをひて法然(ほふねん)上人 他力本願(たりきほんくはん)の旨(むね)を説(とき)給ふを聞(きゝ)頓(とみ)に鬢髪(ひんはつ)を  薙(なき)て仏門(ふつもん)にいらん事を願(ねか)ふ依(よつ)て性信(しやうしん)と名(な)を授(さつ)く夫(それ)より鸞師(らんし)に随(したかつ)  て昼夜(ちうや)側(かたはら)をさらす師(し)左遷(させん)の時(とき)も陪従(はいしゆう)して凡二十五年を経(へ)たり建保(けんほ)二  年 師(し)下総(しもつふさ)に往(ゆき)て大(おほひ)に群生(くんしやう)を化(け)す同国 横曽根(よこそね)の郷(かう)に朽敗(きうはい)の古刹(こせつ)あ  り性信(しやうしん)をして住(すま)しむ其後(そのゝち)貞永(ちやうえい)元年 竟(つゐ)に師(し)の命(めい)に応(おう)し彼地(かのち)に逗(とゝま)つて  大(おほひ)に東関(とうくわん)を化度(けと)せんとし念仏門(ねんふつもん)を弘通(くつう)するに道俗(たうそく)充満(しゆうまん)して場(には)に溢(あふ)  る爰(こゝ)にをひて古刹(こせつ)再興(さいこう)の志願(しくはん)を企(くはた)て其地(そのち)を求(もとむ)かしこに沼(ぬま)あり飯沼(いひぬま)  といへり則(すなはち)是(これ)を湮埋(いむまい)して仏閣(ふつかく)を営(いとな)み報恩寺(はうおむし)と号(かう)す《割書:則(すなはち)当寺(たうし)の|権輿(けんよ)なり》その沼(ぬま)の  側(かたはら)に天満神(てんまんしん)の祠(やしろ)あり同年十一月七日 此神(このしん)老翁(らうをう)と化(け)しきたつて 【左丁】  聞法随喜(もんほうすいき)し師弟(してい)の約(やく)慇懃(いんきん)なり《割書:此時(このとき)紫(むらさき)の戸帳(とはり)一重(ひとかさね)|を袈裟(けさ)の料(れう)にたまふ》又 天福(てんふく)元年正月十日 此神(このかみ)何(なに)  某(かし)か夢(ゆめ)に告(つけ)て曰(のたまは)く是(これ)より後(のち)永(なか)く師資(しし)の礼譲(れいしやう)として御手洗(みたらし)の鯉魚(こい)を  報恩寺(はうおんし)に贈(をく)るへしと云云 依(よつて)鯉魚(こい)二 喉(こう)を捕(とり)て師(し)に贈(をく)る師(し)も又是を謝(しや)せんか為(ため)神(しん)  前(せん)に鏡餅(かゝみもち)二枚(ふたひら)を供(くう)す《割書:此 贈答(そうたふ)の例(れい)今に至(いた)つて怠慢(たいまん)なし毎歳(まいさい)正月十一日 飯沼天神(いひぬまてんしん)の御手洗(みたらし)の|鯉(こい)二喉(にこう)を報恩寺(はうおんし)に贈(をく)り性信房(しやうしんはう)の前に供(くう)すれは又 報恩(はうおん)寺よりも》  《割書:返礼(へんれい)として鏡餅(かゝみもち)を供(くう)す則(すなはち)彼地(かのち)にても天満宮(てんまんくう)の神前(しんせん)に供(くう)し|同廿五日 初連歌(はつれんか)を興行(こうけう)し後(のち)鏡餅(かゝみもち)を開(ひら)き祝(いは)ふを旧例(きうれい)とす》建長(けんちやう)二年の頃(ころ)性信(しやうしん)夢(ゆめ)見る事  あつて奥州(あうしう)山中(さんちう)に自(みつから)過去生(くはこしやう)の枯骨(ここつ)を得(え)たり《割書:其地(そのち)に寺(てら)を営(いとなみ)て法徳寺(ほふとくし)と号(かう)す中古(ちうこ)|済家(さいか)の禅宗(せんしう)に改(あらた)め光徳寺(くはうとくし)と号するを》  《割書:画上(くはしやう)に|詳(つまひらか)なり》竟(つゐに)建治(けんし)元年七月十七日 下総(しもうさ)にをひて寂(しやく)を示(しめ)す化寿(けしゆ)八十九《割書:以上 開山伝(かいさんてん)の要(えう)|を摘(つん)て記(しる)す》  寺宝(しほう) 親鸞(しんらん)上人 寿像(しゆさう)《割書:右に払子(ほつす)を持(ち)し左に珠数(しゆす)を持(もつ)嘉貞(かしやう)乙未年 性信坊(しやうしんはう)洛陽(らくやう)に至る|のとき高祖(かうそ)に謁(えつ)して東国(とうこく)漸(やうやく)宗風(しうふう)に化(くは)せし事を語(かた)るそのとき自(みつから)》  《割書:彫刻(てうこく)ありて性信(しやうしん)にあたへられし|六十三歳の影像(えいさう)なりといへり》 五色仏舎利(こしきのふつしやり) 本尊名号(ほんそんのみやうかう)《割書:十字(しうし)の名号(みやうかう)なり宗祖(しうそ)上人の|真蹟(しんせき)にして横曽根(よこそね)聞光寺(もんくわうし)の》  《割書:本尊(ほんそん)|たり》同九 字名号(しのみやうかう)《割書:同宗祖上人|の真蹟(しんせき)なり》珠数一連(しゆすいちれん)《割書:親鸞(しんらん)上人より性信坊に賜ふ|誕生椋(たんしやうむく)の実(み)の念珠(ねんしゆ)なり》性信坊(しやうしんはう)過(くは)  去生骨(こしやうのほね)《割書:夢想(むそう)に依(よつ)て奥州(あうしう)土湯(つちゆ)|山中に得(う)るところの枯骨(ここつ)也》教行信證一部六巻(けうきやうしんしやういちふろくくはん)《割書:親鸞(しんらん)上人の真蹟(しんせき)なり貞永(しやうえい)元|年上人 帰洛(きらく)のとき性信坊(しやうしんはう)に附(ふ)》  《割書:属(そく)ありしとそ今猶(いまなを)|当寺(たうし)に伝(つた)へてあり》蛇反釼(しやかへしのつるき)《割書:長六寸七分 波平(なみのひら)の作(さく)とも又は了戒(れうかい)の作ともいへり性信坊 横曽(よこそ)|根(ね)の古院(こいん)に住(ちう)する頃(ころ)其沼(そのぬま)に悪龍(あくりう)すむて漸(やゝ)もすれは害(かい)をなせり》  《割書:性信(しやうしん)是を退(しりそ)けんとするに力(ちから)なく空(むなし)く年月をうつせり然るにあるとき斗藪(とそう)の僧(そう)一人 来(きた)り山門(さんもん)の傍(かたはら)に|熟睡(しゆくすい)す時に池中(ちちう)より悪龍(あくりよう)出て彼僧(かのそう)を呑(のま)むとすしかるに懐中(くわひちう)より寸釼(すんけん)飛出(とひいて)て彼(かの)悪龍を防(ふせ)く又》 【右丁】  《割書:山門の金剛力士(こんかうりきし)出て足をもつて悪龍を池中に踏込(ふみこむ)《割書:浅草寺の山門に安置せしか|そのかみ回禄に亡たりといへり》性信(しやうしん)此 体(てい)を見て僧(そう)を請(しやう)し具(つふさ)に件(くたん)の|趣(をもむき)を語(かた)る往(ゆき)て見(み)るに金剛力士(こんかうりきし)の足(あし)泥土(ていと)に漫(ひた)【浸】せる跡(あと)あり則性信 彼(かの)寸釼を乞(こひ)得て悪龍(あくりう)を退(しりそ)けんとす終(つい)に悪龍》  《割書:雲に乗(しよう)して常州(しやうしう)三俣(みつまた)の水中(すいちう)に入(いり)後(のち)この釼(つる[き])を証智(しようち)比丘尼(ひ[く]に)に与(あた)ふ《割書:この尼は性信の|むすめなり》尼(に)あるとき鹿島(かしま)へ詣(まうて)舟(ふね)に乗(のり)て三(みつ)|俣(また)に至るに風 烈(はけ)しく須臾(しゆゆ)にして逆浪(けきらう)起(おこ)り既(すて)に船(ふね)を覆(くつかへ)さむとす時に其 寸釼(すんけん)自(をのつから)飛(とひ)出て水中(すいちう)に入けれは風(ふう)》  《割書:浪(らう)たちまちにおさまれり下向(けかう)に又 舟(ふね)に乗(しよう)してこゝに至るに前(さき)の悪龍(あくりよう)水中より|あらはれ彼(かの)寸釼(すんけん)頭(かしら)にあり尼(に)是を得(え)て帰(かへ)る是より後(のち)字(あさな)して蛇反(しやかへし)の釼(つるき)といへりとそ》松風茶碓(まつかせのちやうす)《割書:上は石にして|下は樟(くす)なり》  茶入(ちやいり)《割書:唐桑(からくは)のすん切(きり)なり|袋(ふくろ)は二重蔓(ふたへつるの)唐織(からをり)》笈(をひ)《割書:網代(あしろ)にて製(せい)す性信坊(しやうしんはう)の作(つく)る所なりといへり其余(そのよ)団扇(うちは)■(きんちやく)【幐ヵ】四(よつ)もゝの刀(かたな)雀割(すめわり)の|薙刀(なきなた)をよひ覚如(かくによ)上人の筆(ふて)の絵伝(ゑてん)すへて三十 余品(よひん)あり》 田島山(たしまさん)誓願寺(せいくはんし) 快楽院(けらくゐん)と号(かう)す東本願寺(ひかしほんくはんし)の北にあり浄土宗(しやうとしう)江戸(えと)四ヶ寺の一(いつ)  室(しつ)にして開山(かいさん)は見蓮社東誉(けんれんしやとうよ)上人なり本尊(ほんそん)弥陀如来(みたによらい)は安阿弥(あんあみ)の作にして  世(よ)に歯吹如来(はふきによらい)と称(しよう)せり伝云(つたへいふ)往古(そのかみ)建仁(けんにん)三年十二月廿八日 元祖(くはんそ)円光大師(ゑんくわうたいし)室(しつ)に  在(いま)して集会(しうゑ)念仏(ねんふつ)の時(とき)金像(こんさう)の弥陀(みた)尊仏堂(そんふつとう)の屏障(へいしやう)に映現(えいけん)し須臾(しゆゆ)にして  没(ほつ)す大師(たいし)感嘆(かんたん)して乃(すなはち)仏工(ふつこう)安阿弥(あんあみ)に命(めい)して彼(かの)尊容(そんよう)を写(うつ)し御長(みたけ)三尺に 彫刻(てうこく)せしむ自(みつから)開眼(かいけん)ありて常(つね)に持念(しねん)し給ふ同三年十月十五日 彼(かの)尊像(そんさう)惚(こつ)  然(せん)として口を開き音(こゑ)を発(はつ)し親(した)しく大師(たいし)に十念を授(さつけ)給ふ尓来(しかつしより)面門(めんもん)遂(つい)  に啓歯(とけは)微(すこしく)露(あらは)れ息(いき)を吹(ふき)語(ことは)を発(はつ)するの状(かたち)に髣髴(さもにたり)時の人 称(しよう)して歯吹(はふき)  の尊像(そんさう)と云《割書:くわしくは語燈録(ことうろく)をよひ明遍僧都(めいへんそうつ)の添状等(そへしやうとう)に|つまひらかなれはこゝにもらしつ》大師の滅後(めつこ)勢観坊源(せいくはんはうけん) 【左丁】  智(ち)上人《割書:縁起(えんき)に小松内府重盛卿(こまつのないふしけもりけう)の子(こ)備中守平朝臣師盛(ひつちうのかみたひらのあそんもろもり)の息なりとそ又 幡随意(はんすいい)上人|行化伝(けうけてん)に源智(けんち)上人は洛陽(らくやう)知恩寺(ちおんし)第(たい)二世なりとあり》貞応(しやうおう)の  はしめ高野山(かうやさん)に常行念仏(しやうけうねんふつ)の道場(たうしやう)を創起(さうき)し蓮華三昧院(れんけさんまいいん)と号し  彼(かの)尊像(そんさう)を伝持(てんち)して本尊(ほんそん)とす竟(つい)に安永(あんえい)の末(すゑ)故(ゆへ)ありてこゝに移(うつ)したて  まつるとそ  当寺(たうし)往昔(そのかみ)相州(さうしう)小田原(をたはら)にありしを天正(てんしやう)十八年 台命(たいめい)に依(よつ)て当国(とうこく)にう  つされ文禄(ふんろく)元年 本銀町(ほんしろかねちやう)壱丁目にをひて始(はしめ)て寺地(てらち)を賜(たま)ふ又 慶長(けいちやう)のころ  神田須田(かんたすた)町へ移(うつ)され明暦(めいれき)の火後(くはこ)浅草(あさくさ)にて替地(かへち)を賜ふ元禄(けんろく)中 用誉龍(ようよりう)  岳(かく)上人 国寵(こくちよう)を蒙(かうむ)り常紫衣(しやうしえ)を賜(たまは)る尓来(しかなりしより)已降(このかた)檀林(たんりん)の中より住職(しうしよく)す則  当寺(とうし)の規摸(きほ)とせり 神田山(かんたさん)日輪寺(にちりんし) 芝崎道場(しはさきとうしやう)と号(かう)す誓願寺(せいくわんし)の北の方にあり本尊(ほんそん)阿弥陀(あみた)  如来(によらい)は安阿弥(あんあみ)の作なり当寺は時宗(ししう)にして当国(たうこく)弘法(くはふ)最初(さいしよ)の道場(とうしやう)とそ《割書:相州(そうしう)|藤沢(ふちさは)》  《割書:清浄光(しやう〳〵くはう)寺|に属(そく)せり》開山(かいさん)真教坊(しんけうはう)は一遍(いつへん)上人第二世にして往古(むかし)諸国遊化(しよこくいうけ)の頃(ころ)当国(たうこく)豊(と)  島郡(しまこほり)芝崎村(しはさきむら)に至(いた)るにかしこにひとつの叢祠(そうし)あり《割書:神田明神是なり今の神田橋(かんたはし)御門|の辺(へん)旧名(きうめい)を芝崎村(しはさきむら)といへり》其(その) 【右丁】  傍(かたはら)に一宇(いちう)の草庵(さうあん)を結(むす)ひ芝崎 道場(とうしやう)と号(かう)す《割書:当寺(たうし)の|権輿(けんよ)なり》其後(そののち)あまたの星霜(せいさう)を  経(へ)て慶長(けいちやう)年中 神田明神(かんたみやうしん)は駿河台(するかたい)へ遷(うつ)され当寺は柳原(やなきはら)のもとに地を  賜ふ又 明暦(めいれき)の頃(ころ)今の地にうつる《割書:寺僧(しそう)云(いは)く往古よりの由緒(いうしよ)によりて今も隔年(かくねん)九月十五日|神田明神(かんたみやうしん)祭礼(さいれい)執行(しゆけう)の時は当寺より上人以下 衆僧等(しそうら)社(しや)》  《割書:頭(とう)に至りて誦経念仏等(しゆけうねんふつとう)種(さま)〳〵の修法(しゆはふ)ありて後(のち)神輿(みこし)を渡(わた)したてまつるを恒例とする事今に至りてしか|りとそ当寺住職(とうししうしよく)其阿(こあ)上人は柳営(りうえい)御連歌(おんれんか)の御連衆(これんしう)たり》 光明山(くわうみやうさん)天嶽院(てんかくいん) 遍照寺(へんせうし)と号す日輪寺(にちりんし)の西(にし)に隣(とな)る浄社(しやうしや)の法崫(ほうくつ)にして天正  年中 善空(せんくう)上人 草創(さう〳〵)す開山(かいさん)は円蓮社満誉(ゑんれんしやまんよ)上人と号(かう)せり本尊(ほんそん)手嶋観世(てしまくはんせ)  音菩薩(おんほさつ)は唐仏(とうふつ)にして順徳帝(しゆんとくてい)建保(けんほ)年中 相州(そうしう)鎌倉(かまくら)鶴岡(つるかをか)の社僧(しやそう)良真僧都(りやうしんそうつ)  入宋(につそう)の時 育王山(いわうさん)能仁寺(のうにんし)より将来(しやうらい)せる尊像(そんそう)なりしを其後(そののち)豊太閤(ほうたいかう)の幕下(はくか)  津田勝重(つたかつしけ)といへる者 此像(このそう)を感得(かんとく)す息(そく)元重(もとしけ)伊賀国(いかのくに)手島(てしま)と云 所(ところ)に至る頃(ころ)此  霊像(れいそう)の告(つけ)によりて群賊(くんそく)の蜂起(ほうき)を治め武威(ふい)を国中(こくちう)に振(ふる)ひぬ依(よつて)人民(しんみん)伏(ふく)して  手島殿(てしまとの)と称(しよう)す其後 元重(もとしけ)当国(とうこく)に趣(おもむ)きし頃(ころ)故(ゆへ)ありて当寺(たうし)に収(おさ)む則 寺(し)  内(ない)に手島元重(てしまもとしけ)の墳墓(ふんほ)あり当寺(とうし)旧(もと)は浅草橋(あさくさはし)のうちにありしか明暦(めいれき)  回禄(くはいろく)の後(のち)此地に移(うつ)る 【左丁】 一心山(いつしんさん)称往院(しょうわうゐん) 同 西(にし)に隣(とな)る捨世寺(しやせいし)と号(かう)す浄土宗(しやうとしう)にして本尊(ほんそん)阿弥陀(あみた)  如来(によらい)は丈六(ちやうろく)の座像(ささう)にして恵心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)なり脇(わき)に観音勢至(くはんおんせいし)の二菩薩(にほさつ)を  安置(あんち)す開山(かいさん)は幡蓮社白誉称往(はんれんしやはくよしようわう)上人《割書:姓(せい)は飯田氏(いひたうち)下(しも)の野州(やしう)|宇津宮(うつのみや)の人なり》当寺(たうし)昔(むかし)は小田原(をたはら)  にありしか慶長(けいちやう)年中 当国(たうこく)へ移(うつ)され湯島(ゆしま)に地(ち)を賜(たま)ふ後(のち)復(また)今の地(ち)に  引(ひか)れたり捨世一派(しやせいいつは)常行念仏(しやうきやうねんふつ)の道場(たうちやう)にして殊勝(しゆしよう)なり《割書:当寺(たうし)に円光大師(ゑんくわうたいし)|月影(つきかけ)の御影(みゑい)といふあり》 薬王山(やくわうさん)東光院(とうくわうゐん) 同く西(にし)に隣(とな)る医王寺(ゐわうし)と号(かう)す天(てん)台にして東叡山(とうえいさん)に属(そく)す本(ほん)  尊(そん)瑠璃光如来(るりくわうによらい)の像(さう)は仏工(ふつこう)春日(かすか)の作(さく)なり伝云(つたへいふ)慈覚大師(しかくたいし)当寺(たうし)を草創(さう〳〵)  ありしとそ往古(そのかみ)は顕密二教(けんみつにけう)ともに弘(ひろま)りて台宗(たいしう)一百八箇寺の総本寺(そうほんし)たり  中古(ちゆうこ)太田道灌(おほたたうくはん)此 霊像(れいさう)を崇敬(そうきやう)し江城(こうしやう)の鬼門(きもん)に置(をき)又(また)其後(そののち)慶長(けいちやう)年中日光  御門主(こもんしゆ)一品尊敬法親王(いつほんそんきやうはふしんわう)山門(さんもん)無動寺(むとうし)の松林坊賢海法印(しようりんはうけんかいはふゐん)に仰(おほせ)て再興(さいこう)せし  む  神祖(しんそ)其時(そのとき)院主(ゐんしゆ)に命(めい)ありて江城(こうしやう)長久(ちやうきゆう)の御祈禱(おんきたう)として正五九月に大般若経(たいはんにやきやう)転(てん)  読(とく)せしめらる《割書:此 例(れい)今(いま)に至(いた)つてしかり慶長(けいちやう)の頃迄(ころまて)は常盤橋(ときははし)の北(きた)にありしか其後(そののち)小伝馬町(こてんまちやう)へうつさる其地(そのち)|をさして今(いま)も猶(なを)薬師堂前(やくしたうまへ)といへり浅草(あさくさ)の地(ち)へ寺(てら)を移(うつ)せしは明暦回禄(めいれきくはいろく)の後(のち)なり》 【右丁】 建長(けんちやう)二年の秋(あき) 性信坊(しやうしんはう)夢想(むそう)に よつてみつから過去(くはこ) 生(しやう)の枯骨(ここつ)の所在(しよさい)を しり奥州(あうしう)信夫郡(しのふこほり) 土湯山(つちゆさん)に至(いたる)時(とき)に一(ひとり)の 猟人(れうしん)あり師云(しいは)く 此(この)松下(しようか)に我(わか)過去生(くはこしやう)の 枯骨(ここつ)あり汝(なんち) 是(これ)を堀(ほり)て 得(え)さすへしと 猟人(れうしん)云く 我(われ)業(けふ)を なさゝれは 明日(あす)の糧(かて) なしとて さらに■(うけか)【注】は す依(よつ)て性(しやう) 信坊(しんはう)猟者(れうしや)か 【図】 【左丁】 持(もつ)ところの 弓箭(きうせん)をとつて 石上(せきしやう)に投(とう)すれは 其箭(そのや)をのれと 発(はつ)し一鹿(ひとつのしか)を射(い)たり 師(し)則(すなはち)是(これ)をあたふ 猟人(れうしん)驚(おとろ)ひて其(その)凡(ほん) ならさるを悟(さと)り直(たゝち)に 松下(しやうか)を穿(うか)ち既(すて)にして 枯骨(ここつ)を得(え)けれは性(しやう) 信坊(しんはう)歓喜踊躍(くはんきゆやく)し 竟(つゐ)に其地(そのち)を封(ほう)して 一(ひとつ)の精舎(せいしや)を営(いとな)み 号(なつ)けて法得寺(ほふとくし) とはいひける 【図】 【注 「■:止+貝」は「肯」の誤】 【右丁】 大雄山(たいいうさん)海禅寺(かいせんし) 同所 新堀(しんほり)の小川(をかは)を隔(へたて)て西(にし)の方(かた)にあり妙心寺派(めうしんしは)の禅宗(せんしう)  にして江戸(えと)四箇寺の一(いつ)なり往古(そのかみ)平親王将門(へいしんわうまさかと)総州相馬郡(そうしうさうまこふり)にあつて草創(さう〳〵)  する所(ところ)の仏刹(ふつせつ)なりされと将門(まさかと)亡(ほろふ)るの後(のち)年(とし)を歴(へ)て荒廃(くわうはい)にをよひさなから狐(こ)  兎(と)の栖(すみか)となりしを慶長(けいちやう)の頃(ころ)覚印和尚(かくゐんおせう)再興(さいこう)して寺(てら)を江府湯島(こうふゆしま)の地(ち)に  移(うつ)せり其頃(そのころ)  神祖(しんそ)和尚(おせう)の道徳(たうとく)を聞(きこ)しめし尊敬(そんきやう)あらせられしより後(のち)は寺院(しゐん)も輪奐(りんくはん)と  して宗流(しうりう)殊(こと)に盛(さかむ)なり《割書:明暦回禄(めいれきくはいろく)の後(のち)今(いま)の|地(ち)に遷(うつ)させられたり》 清水寺(せいすいし)観世音菩薩(くはんせおんほさつ) 海禅寺(かいせんし)の向(むか)ふ新堀端(しんほりはた)にあり昔(むかし)は浅草橋(あさくさはし)の内(うち)にあ  りしか明暦火後(めいれきくはこ)今(いま)の地(ち)にうつさる寺(てら)を江北山(こうほくさん)清水寺(せいすいし)と号(かう)す天長(てんちやう)年中  慈覚大師(しかくたいし)ひとつの勝地(しようち)を求(もと)め天台法流(てんたいはふりう)の一院(いちゐん)を建立(こんりふ)ありてみつから  一刀三礼(いつたうさんれい)にして千手大悲(せんしゆたいひ)の像(さう)を作(つく)り本尊(ほんそん)とす其昔(そのむかし)は仏閣(ふつかく)甍(いらか)を  ならへ巍々(きゝ)たりしに年去(としさり)年来(としきた)り星霜(せいさう)を歴(ふる)まゝに堂塔(たうたふ)大(おほひ)に破壊(はゑ)せ  しを文禄(ふんろく)年間 慶円法印(けいゑんはふゐん)といへる沙門(しやもん)霊告(れいかう)を得(え)て叡山(えいさん)正覚坊(しやうかくはう)の探題(たんたい) 【左丁】  豪盛僧正(かうしやうそうしやう)と相謀(あいはかつ)て堂宇(たうう)を修営(しゆえい)し昔(むかし)に復(ふく)せしむ 上宮太子堂(しやうくうたいしたう) 同所壱丁はかり坤(こん)の方(かた)にあり寺を用明山(ようめいさん)聖徳(しやうとく)寺と号(かう)す  浄土宗(しやうとしう)にして本尊(ほんそん)聖徳太子像(しゃうとくたいしのさう)は御自作(おんしさく)なりといふ《割書:世(よ)に孝養(かうやう)の御影(みえい)と称(しよう)|す伝云(つたへいふ)往古(いにしへ)御父(おんちゝ)用明(やうめい)》  《割書:天皇(てんわう)御悩(このう)の時 太子(たいし)神明仏陀(しんめいふつた)に祈誓(きせい)したまひ至孝(しかう)の誠(まこと)を擢(ぬきんて)給ふにより御悩(こなう)直(たゝち)に|平愈(へいゆ)ましますよつて許賽(かへりならし)の為(ため)に自ら作(つく)らせ給ふ御(おん)年十六歳の御影像(おんえいさう)なりとそ》往古(むかし)聖実(しやうしつ)  上人 念仏弘通(ねんふつくつう)の為(ため)此 霊像(れいさう)を守(まも)り奉(たてまつ)りて関東(くはんとう)に下り坪根沢(つほねさは)に一宇(いちう)の  精舎(せいしや)を建立(こんりう)す《割書:又は局沢(つほねさは)に作(つく)る御城内(こしやうない)|吹上(ふきあけ)と称(しよう)するは其 旧地(きうち)也》其後(そののち)亨徳(かうとく)【注】二年 忠蓮社(ちうれんしや)加誉(かよ)上人 良(りやう)  祐和尚(いうおしやう)中興(ちうこう)し台宗(たいしう)を改(あらた)めて浄家(しやうけ)とす慶長(けいちやう)の頃(ころ)馬喰町(はくらうちやう)馬場(はゝ)の辺(へん)に  移(うつ)され明暦(めいれき)の後(のち)今の地に引れたり当寺(たうし)門の内に地蔵尊(ちさうそん)の石像(せきさう)あ  り《割書:相州一沢(さうしういちのさは)木喰弾誓(もくしきたんせい)上人の作(さく)にして当山(たうさん)十七世の住侶(しうりよ)霊告(れいこう)によつて土中(とちう)を穿(うかち)此(この)地蔵尊(ちさうそん)|の御首(みくし)を得(え)たり仍(よつ)て石工(せきこう)に命(めい)して全体(せんたい)を補造(ほそう)せしめ其 背面(はいめん)に件(くたり)の旨趣(ししゆ)を鐫(せん)す》 除厄太子堂(やくよけたいしたう) 同所北の方 浄土宗(しやうとしう)天然山(てんねんさん)慈眼院(しけんいん)に安す聖徳太子(しやうとくたいし)四十  二歳の御時(おんとき)除厄(しよやく)の為(ため)自(みつから)彫刻(てうこく)し給ひし霊像(れいさう)なりといへり《割書:当寺(たうし)昔(むかし)は神田(かんた)|橋本町(はしもとちやう)の辺(へん)にあ》  《割書:り明暦回禄(めいれきくはいろく)の時 本尊(ほんそん)を失ふ依(よつて)住僧(しゆうそう)徳誉(とくよ)上人 深(ふか)く是を悲(かなし)み竟(つい)に霊告(れいこう)を|得(え)て忍(しの)はすの池の中島(なかしま)にして此(この)本尊を感得(かんとく)し再(ふたゝ)ひこゝに安置せしむるといへり》 萬年山(まんねんさん)祝言寺(しうけんし) 同所南の方 通(とほり)を隔(へたて)て西南の方にあり曹洞派(さうとうは)の禅宗(せんしう) 【注 「かうとく」は「けうとく」ヵ】 【右丁】  にして良山存久和尚(りやうさんそんきうおしやう)開山(かいさん)たり往古(そのかみ)は江戸 城(しやう)の辺(あたり)祝言村(しうけんむら)といへるにありて天(てん)  文(ふん)二十年の頃(ころ)太田道灌(おほたたうくわん)草創(さう〳〵)す天正(てんしやう)の頃 山号(さんかう)を賜(たま)ひ又此地に遷(うつ)さる 日蓮大菩薩(にちれんたいほさつ) 同所 新寺(しんてら)町より半丁はかり西南(ひつしさる)の方にあり安立山(あんりうさん)長遠寺(ちやうをんし)  に安置(あんち)す伝云(つたへいう)往古(むかし)花洛(みやこ)南禅寺(なんせんし)の普門禅師(ふもんせんし)多年(たねん)日天子(につてんし)を信敬(しんけい)し  一朝(あるあした)日輪(にちりん)の中(うち)に二菩薩(にほさつ)の尊影(そんえい)を拝(はい)す依(よつ)て自(みつから)筆(ふて)をとつて親(まのあたり)是(これ)を摸(うつ)  し奉(たてまつ)り霊告(れいこう)によつて弘長(こうちう)元年辛酉六月 遥(はるか)に関東(くはんとう)に下(くた)り豆州(つしう)伊(い)  東(とう)に至り同六日 日蓮(にちれん)上人に謁(えつ)し彼(かの)二尊(にそん)の点眼(てんげん)を乞求(こひもと)む則(すなはち)上人 開眼(かいけん)  供養(くやう)あつて花押(くはあふ)を添(そへ)らる又 禅師(せんし)深(ふかく)上人の徳沢(とくたく)を慕(した)ふ故(ゆへ)に大士  自(みつから)肖像(せうさう)を造(つく)りて禅師(せんし)のもとに贈(をく)らる《割書:当寺(たうし)日蓮(にちれん)大士|の像(さう)是なり》禅師(せんし)帰寂(きしやく)の後(のち)京(けい)  師(し)要法寺(えうほうし)にうつし又 妙栄寺(みやうえいし)に安置(あんち)せしか故(ゆへ)あつて文禄(ふんろく)三年の  頃(ころ)当寺(たうし)に遷(うつ)せり 神田山(かんたさん)幡随意院(はんすいいいん) 新知恩寺(しんちおんし)と号す浄家(しやうけ)十八 檀林(たんりん)の一室(いつしつ)にして本(ほん)  尊(そん)阿弥陀如来(あみたによらい)は安阿弥(あんあみ)の作(さく)なり 妙龍水(みやうりうすい)《割書:本堂(ほんたう)の左にあり傍(かたはら)に碑(いし)|碣(ふみ)を建(たつ)る其 文中(ふんちう)に開(かい)》 【左丁】  《割書:山(さん)幡随意(はんすいい)上人 天正(てんしやう)十年 の秋(あき)越後国(ゑちこのくに)高田(たかた)の善導寺(せんたうし)に在(いま)して一七日の間 別時念仏(へつしねんふつ)修行(しゆきやう)あ|りし頃(ころ)龍女(りうによ)ありて上人のもとに来り浄土(しやうと)の脈譜(みやくふ)を受(うけ)て畜身(ちくしん)を解脱(けたつ)し成仏(しやうふつ)せりとそ》  《割書:依(よつ)て其(その)のち法恩(ほふおむ)の為(ため)に捧(さゝく)るところの清泉(せいせん)なりといへり|妙龍(みやうりう)は則(すなはち)龍女(りうによ)の法号(ほふかう)にして上人 授与(しゆよ)ありしなり》  開山(かいさん)演蓮社智誉(えんれんしやちよ)上人《割書:始(はしめ)の号(な)は|典誉(てんよ)》幡随意白導(はんすいいはくたう)と号(かう)す相州(さうしう)藤沢郷(ふちさはのかう)善(せん)  行寺村(きやうしむら)の産(さん)俗姓(そくしやう)は川島氏(かはしまうち)なり天文(てんふん)十一年壬寅十月十五日に生(むま)る児(し)た  る時(とき)常(つね)に仏像(ふつさう)を礼(れい)し沙門(しやもん)を敬(けい)す九歳に及(をよ)ふの頃(ころ)出家(しゆつけ)せん事をのそ  むといへとも父母(ふほ)是(これ)を許(ゆるさ)す既(すて)にして十一歳 竟(つゐ)に同国 玉縄邑(たまなはむら)二伝寺(にてんし)の範誉(はんよ)  上人に投(とうし)て落髪授戒(らくはつしゆかい)し幡随意(はんすいい)と号(かう)す爾来(しかありしより)所々(しよ〳〵)を経歴(けいれき)し数回(すくはい)の年(ねん)  序(しよ)を経(へ)宗要(しうえう)の玄微(けんひ)を究(きは)む《割書:天正(てんしやう)年中 上州(しやうしう) 館林(たてはやし)の刺史(しし)藤原康政(ふちはらのやすまさ)の請(しやう)によりて彼地(かのち)に|一宇(いちう)を創立(さうりふ)し終南山(しゆうなんさん)善導寺(せんたうし)と号(かう)す十八 檀林(たんりん)の一(いつ)なり又》  《割書:下総国(しもふさのくに)関宿(せきやと)に大竜寺(たいりうし)を草創(さう〳〵)し又|越後国(ゑちこのくに)高田(たかた)にても善導寺(せんたうし)を開基(かいき)せり》慶長(けいちやう)七年壬寅《割書:歳六|十一》洛陽(らくやう)知恩院(ちおむゐん)に住職(しゆうしよく)  す此時(このとき)紫服(しふく)を賜(たま)はり鳳闕(ほうけつ)に登(のほ)り浄家(しやうけ)の秘牘(ひたく)を講(こう)す主上(しゆしやう)大(おほい)に叡感(えいかん)  あり同九年甲辰 東武(とうふ)の招(まねき)により再(ふたゝ)ひ此地(このち)に下向(けかう)し神田(かんた)の台(たい)に《割書:駿河(するか)|台(たい)也》  地(ち)を給ひ一宇(いちう)の梵刹(ほんせつ)を闕(ひらひ)【注】て神田山(かんたさん)新知恩寺(しんちおむし)と号(かう)す《割書:明暦(めいれき)の頃迄(ころまて)|池(いけ)の端(はた)にあり》同十  三年庚申《割書:歳六|十七》武州(ふしう)熊谷邑(くまかやむら)に至(いた)り蓮生法師(れんしやうほふし)の遺跡(ゆいせき)に小(すこし)き草庵(さうあん)あ 【注 「闕」の振り仮名「ひらひ」は疑問。「闢」「開」ヵ】 【右丁】 廣徳寺(くわうとくし) 【図】 【枠内】塔中 【枠内】塔中 【枠内】塔中 【枠内】塔中 【枠内】庫裡 【枠内】鐘 【枠内】表門 【左丁】 【図】 【枠内】方丈 【枠内】客殿 【枠内】塔中 【枠内】脾堂【牌堂ヵ】 【枠内】塔中 下谷大通り 【右丁】  りしを転(てん)して精舎(しやうしや)とし熊谷寺(くまかやてら)と号(なつく)《割書:台命(たいめい)によりて金襴(きんらん)の袈裟(けさ)を|たまひ寺領等(しりやうとう)を附(ふ)せらる》同十六年  辛亥《割書:歳|七十》勢州(せいしう)山田(やまた)に入門寺(にふもんし)を開基(かいき)す然(しかる)に同十八年癸丑《割書:歳七|十二》蛮夷(はんい)の  凶賊(きやうそく)九州に発(をこ)り邪法(しやほふ)を弘(ひろ)め幻術(けんしゆつ)を以(もつ)て人を惑(まとは)し頗(すこふる)国(くに)を傾(かたふけ)んとする  の兆(てう)ありされとも是(これ)を平治(へいち)するに干戈(かんくは)を動(うこか)す時(とき)は国中(こくちゆう)の人民(しんみん)を鏖(みなころし)にするに  至(いた)れり高僧(かうそう)に命(めい)し正法(しやうほふ)に導(みちひか)しめむにしかしこゝにをひて衆義一決(しゆうきいつけつ)し  幡随意(はんすいい)其器(そのき)なりとて直(たゝち)に召(めさ)れ  大樹(たいしゆ)自(みつから)命(めい)せられて云(いは)く吾(われ)聞(きく)国(くに)に  患(うれへ)ある時(とき)は必(かならす)仏法(ふつほふ)の護持(まもり)によるといへり師(し)は既(すで)に天下(てんか)の法将(ほふしやう)にして邪徒(しやと)  を退治(たいち)すへきの英雄(えいゆう)なり又(また)邪徒(しやと)に対(たい)するは軍将(くんしやう)の干戈(かんくは)を揮(ふる)ひ敵陣(てきちん)に向(むかふ)に  等(ひと)しけれはとて蜀江(しよくこう)の陣羽織(ちんはをり)及(をよ)ひ金(きん)の軍配団扇(くんはいうちは)とを賜(たま)ひ急(いそ)き彼地(かのち)  に赴(おもむ)き凶徒(きようと)を教化(けうけ)せしめ国家(こくか)の患(うれへ)を除(のそく)へきの旨(むね)鈞命(きんめい)ありしかは師(し)も辞(し)  するに語(ことば)なく命(めい)に応(おう)し終(つゐ)に九州に至り邪徒(しやと)と宗義(しうき)の対論(たいろん)ありしに  各(おの〳〵)道理(たうり)に帰(き)して凶徒(きようと)直(たゝち)に志(こゝろざし)をひるかへし邪法(しやほふ)を出(いて)て浄土門(しやうともん)に入ける実(しつ)  に師(し)の徳(とく)のしからしむる故(ゆへ)なるへし《割書:軍配団扇(くんはいうちは)は幡随意院(はんすいいゐん)に蔵(さう)す|陣羽織(ちんはをり)は法孫(ほふそん)是(これ)を伝持(てんち)せり》其後(そののち)又(また) 【左丁】  令命(れいめい)によりかしこに梵宇(ほんう)を創立(さうりう)し観音寺(くはんおんし)と号(かう)す《割書:有馬氏(ありまうち)越前国(ゑちせんのくに)丸岡(まるをか)に移(うつす)|今(いま)の二河山(にかさん)白導寺(はくたうし)是(これ)なり》其(その)  後(のち)崎陽(きやう)に至り大音寺(たいおんし)を闢(ひら)き竟(つゐ)に晩年(はんねん)にをよひ紀州(きしう)和歌山(わかやま)に於(をひ)て万(はん)  松寺(しようし)を建立(こんりふ)してこゝに住(しゆう)せられしに一日(あるひ)微疾(ひしつ)を示(しめ)す上 足(そく)意天(いてん)和尚《割書:深川(ふかかは)霊(れい)|巖寺(かんし)第》  《割書:二世|なり》かしこに至(いた)り師(し)の病床(ひやうしやう)を訪(とふら)ふ師(し)大(おほひ)に喜(よろこ)ひ伝燈(てんとう)の法主(ほつしゆ)たるへしとて委(こと〳〵)【悉ヵ】く  伝法(てんほふ)あり且(かつ)諸弟(しよてい)に教誡(けうかい)し遂(つゐ)に猊床(けいしやう)に坐(さ)し筆(ふて)を求(もと)め辞世(しせい)の偈(け)を書(しよ)  して云(いは)く白道(はくたう)運歩(うんほ)数十年(すしふねん)《振り仮名:以_レ火|ひをもつて》《振り仮名:消_レ火|ひをせうす》難思術(なんしのしゆつ)と書(かき)畢(をはつ)て筆(ふて)を擲(なけ)端坐(たんさ)  合掌(かつしやう)して高声(かうしやう)に弥陀(みた)の尊号(そんかう)を唱(とな)へ眠(ねむる)か如(こと)くにして化(け)す■(とき)【口+之】に元(けん)  和(わ)元年乙卯正月十五日 歳算(せいさん)七十四《割書:以上行化伝の|要を摘》 信州(しんしう)善光寺(せんくはうし)燈明(とうみやう) 寺町 赤城山(あかきさん)燈明寺(とうみやうし)といへる台宗(たいしう)の寺(てら)にあり有心(うしん)の  輩(ともから)是(これ)をうく寺内(しない)に赤城明神(あかきみやうしん)を鎮(まつ)れり 朝日山(あさひさん)永昌寺(えいしやうし) 願成院(くはんしやうゐん)と号(かう)す下谷大通(したやおほとをり)にあり浄土宗(しやうとしう)にして鎮蓮社尊誉(ちんれんしやそんよ)上人  を開祖(かいそ)とす本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)は運慶(うんけい)の作(さく)千手観音(せんしゆくはんおん)は慈恵大師(しゑたいし)の作(さく)とそ  《割書:世に除厄(やくよけ)の|本尊と称(しよう)す》寺伝(してん)に云 当寺(たうし)は天正(てんしやう)年間 下谷(したや)長者(ちやうしや)某(それかし)《割書:其名今|しるへからす》草創(さう〳〵)すもと同所 長者(ちやうしや) 【右丁】  下(した)  谷(や)  稲(い)  荷(なり)  明(みやう)  神(しんの)  社(やしろ) 【図】 【左丁】 【図】 【右丁】  町(まち)といへるにありしを元和(けんわ)の頃(ころ)今の地に引(ひき)たりとそ明暦(めいれき)二年丙申 松浦家(まつらけ)の  母儀(ほき)永昌院(えいしやうゐん)再興(さいこう)ありしとなり則(すなはち)境内(けいたい)に長者(ちやうしや)の墳墓(ふんほ)あり 円満山(ゑんまんさん)広徳寺(くわうとくし) 同所にあり大徳寺派(たいとくしは)の禅宗(せんしう)にして始(はしめ)相州(さうしう)小田原(をたはら)  にありしを天正(てんしやう)十九年 江戸(えと)に遷(うつ)され神田(かんた)にて地(ち)を賜(たま)ふ《割書:事跡合考(しせきかつかう)に昌(しやう)|平橋(へいはし)の内(うち)其ころ》  《割書:いまた足入(あしいれ)の沼地(ぬまち)なりしをとやかくして纔(わつか)なる堂(たう)|一宇(いちう)を建(たて)たりと其頃(そのころ)迄(まて)は当寺(たうし)昌平橋(しやうへいはし)の内(うち)にありしなり》其後(そののち)寛永(くはんえい)の末(すゑ)今(いま)の地(ち)に遷(うつ)る開(かい)  山(さん)を希叟宗竿禅師(きさうしうかんせんし)といへり   《割書:当寺(たうし)の総門(そうもん)は名匠(めいしやう)の差図(さしづ)にして是迄(これまて)風火(ふうくは)の難(なん)度々(たひ〳〵)にをよふといへとも恙(つゝか)なし最(もつとも)番匠(はんしやう)の規(き)|矩(く)とする所(ところ)なり詳(つまひらか)に梅臘主人(はいらふしゆしん)【注①】あらはせる新斎夜話(しんさいやわ)といへける草紙(さうし)に出たり》 下谷稲荷(したやいなり)社 広徳寺(くわうとくし)の向(むか)ふ側(かは)にあり故(ゆへ)に俗(そく)呼(よひ)て広徳寺(くわうとくし)の稲荷(いなり)と称(しよう)す  是(これ)大(おほい)なる誤(あやまり)なり別当(へつたう)を正法院(しやうほふゐん)といふ祭神(さいしん)は蒼稲魂命(うかのみたまのみこと)【注②】にして本地(ほんち)十一(しふいち)  面観世音(めんくはんせおむ)は行基大士(きやうきたいし)彫刻(てうこく)の霊像(れいさう)なりとそ中(なか)の鳥井(とりゐ)に正一位稲荷大(しやういちゐいなりたい)  明神(みやうしん)と書(かけ)る額(かく)あり崇保院公寛法親王(そうほゐんこうくはんほふしんわう)の真蹟(しんせき)なり拝殿(はいでん)に掲(かけ)たる  同 神号(しんかう)の額(かく)は蓮花光院(れんけくはうゐん)道恕(たうによ)【注③】の筆(ふて)なり当社(たうしや)祭礼(さいれい)は隔年(かくねん)三月  十一日に執行(しゆきやう)す下谷(したや)の鎮守(ちんちゆ)と称(しよう)す 【左丁】 【見返】      【蔵書印】豊田家蔵 【注① 「臘」は「朧」ヵ】 【注② 「蒼」は「倉」ヵ】 【注③ 「道恕」の振り仮名の「とうによ」は「たうじよ」ヵ】 【裏表紙】