江戸名所図会 一 【目録の場所】 1. 天枢之部(20巻の1) https://honkoku.org/app/#/transcription/98102D4B5EE4B6C98BB62A56BCCE95CA/20/ 2. 天璇之部(20巻の4) https://honkoku.org/app/#/transcription/B97526B43D33B4F752C2BB4A6C581FCD/2/ 3. 天璣之部(20巻の7) https://honkoku.org/app/#/transcription/04B643AB698048867221B37E43A10054/2/ 4. 天権之部(20巻の11) https://honkoku.org/app/#/transcription/3A4293B76CA3D33A6BB50C288A4030FE/2/ 5. 玉衡之部(20巻の14) https://honkoku.org/app/#/transcription/AD5ABC1C3B0DA004EA5A07662DB78DF0/2/ 6. 開陽之部(20巻の16) https://honkoku.org/app/#/transcription/8AE19AF500B8557738741A344D344E8E/2/ 7. 揺光之部(20巻の18) https://honkoku.org/app/#/transcription/9E7921B2AC233A112E2066C4D184EC1D/2/ 《題:東都名所図 会《割書:松濤軒長秋編輯|長谷川雪旦図畫》》 【左頁】 都名所圖會始/出(、)適在_二余成童 /特(、)_一 一閲_レ之即謂此可_三以供_二卧游_一 /矣(、)則江戸亦不_レ可無_二是輯_一/也(、)後 數/歳(、)聞_二諸酉山大久保/翁(、)_一有_二齋 藤幸雄/者(、)_一有_二探勝之/癖(、)_一方撰_二江 戸名所圖/會(、)【_一?】採擇稍/遍(、)描寫頗 /盡(、)然獨病_下江戸稱_二名所者僅僅 不_上レ足_二僂指_一/也(、)余謂凡名所之稱 本岀_二於咊歌者/流(、)_一盖其設_レ法謹 厳畫/一(、)縦令有_二山秀水/麗(、)_一足_二以 吟/咏(、)_一而其不_レ為_二古歌所_一レ取/者(、)不 _レ得稱_二之名/所(、)_一是其所_下以雖_三世有_二                        序之一 汗/隆(、)_一 要不_上レ失_レ為_二雅馴_一/也(、)然名所者 賓/也(、)實者主/也(、)主豈可_二以_レ賓加 損_一焉/哉(、)矧秋里氏之/撰(、)非_二惟所 _レ謂名所而/己(、)_一神祠佛/寺(、)説係_二恠 /誕(、)_一■陌綺/街(、)事渉_二猥瑣_一/者(、)無網 羅而不_レ遺/乎(、)矧復江戸之為_レ /地(、) [右] 武野之曠秩嶺之山濹流之永 玉川之澄絡_二澤那域_一霞関忍 孝亦以_二文化戌寅_一□又遺_二托之 男幸成_一奉成泣受_レ之□勉不_一怠 校讐極_レ力竟竣_二其功_一間者幸成 突然抵_レ門通_レ刺出_二其全帙_一示_レ之 且需_二序言_一是蓋由_三余注日介_レ 人 □_二其成_一也余乃一閲三難汪追_下念 與_二酉山翁_一言_上 三_二紀於茲_一喜悲交 集又憾_下幸雄奉孝與_二酉山翁_一皆 不_上レ觀_二其完成_一矣然其所_二以暦年 若_レ之此其久_一者敵_二慎遺托_一不_二敢軽 豊奉_一則死者而有_レ知必曰予子若 孫相積能成_二吾志_一矣抑面會之 有_レ ̄リ 人。逝者無_レ 憾矣。乃走_レ 尓?微_二序 ̄ヲ於 余_一 ̄ニ。時 ̄ニ去_二承 ̄カ先-人易_一レ簀。盖八-稔矣。而余 以_二薄枝_一。浪 ̄リニ代_二先-人 ̄ノ之任 ̄ニ。大-方 ̄ノ之誚。 固 ̄ニ所_レ不_レ免也。天保癸巳【天保四年1833】春三月  江戸 亀田長梓 謹識         牧野信書 あらかねの土てふものはとこしへに勅事なきことわりなから とし月 のうつりゆくにつけてハ 山崩れ海あせてかはりゆく事なき【支】に しもあらぬハ そのあたれらん国〻にとりてハ 大きなるさわき【騒ぎ】 にはありぬへけれと そも大塊のうへより見れハ まことに九牛の 毛ひとつにもおよはすとかいひけん諺のたくひになんひとし かるへき されはむかしより名にきこえたるところ【呂】〳〵も猶 おのつから しかもなりゆきあるハたよりにつけて田とも溝【うなで?】とも きは【際?】軒をならふ【布】る市人のすみかともうつろひきぬる事 なれは あまたの世をへての後にハ たゝ名はかりハ むなしう 残れるものからあらぬおもむき【趣】になりもてきぬる事 こゝのミ にしもあらぬこと国にもかそへつくしかたう【数え尽くし難う】なんあるへき され は今の世よりしてはそことしも まさしくさしてこゝなりけんとは しりかたき事おほかれと 猶そのすち【筋】の事ともかいしるしたる ものらそここゝにちりほひのこりてあれは それにつきて考 あはすれは あたらすといへと遠からすといひけん さかひにハ いたるへき事又少からすおほゆるよ こゝに藤原幸雄といふ 翁ありておもへらくいにいにしへの事ハ それしか成きぬ 今此二 百年はかりの事たに日にそへて此大江戸の承旅ゆくにつけ てもと有つるところ〳〵をこゝかしこに称されたる事いた おほかるをそれたにはたしる人まれなれハ かくていよゝま すますにさかえゆきてんには市人の家をしもおきなら へんにところせくしていま見およふ所をしも又うつされも し玉ふへき御代のにきはひにしあれは いかて今見るさまつ はらに書しるしあつめてん近きころ何某主内日刹都の 名にきこえたるところ〳〵を委しうしるしえなとかゝせて 世にあらはされて後大和なる河内なる摂津国なる紀伊国 なるつき〳〵に出来ぬるハ まことに世中にすミとすむ人な りはひ撫?て出たらん愁もなく沓代費さんわつらひもなく たゝゐなからにゆき見たらんこゝちすへけれは遠くあそは されとのたまひけん聖のみこころにもかなふへきはしにもなり ぬへけれはよのなかの人のためにハ まことに大きなるいさを【功】な らんかしとておもひおこされしなりとそ されとはこやの山を なかはとか聞つるよはひなれはことおほきにやたへさりけん つひにはたすともなくて通られきさるをその子幸孝うけ つき【受け継ぎ】ていか侍ほい【本意】のことはたしてんと こゝろはせめくりて ものしつる そのまきれに【紛れに】いかにとりおとしけんとしころ【年頃】かいつめ おかれしうちなる一巻をうしなひきさるを本所石原のわ たりなる番場てふ所に妙源寺海煉上人とてたふとき【貴き】ひし りおはしけり もとより世中ハおもひはなれて山水の清くいさき よきに心をすましことはの花のたへにかくはしきを衣にしめて もてあそひものとし玉へるか 常に我つふミ【文】ならしおはするついてに この二年はかりをち【遠=昔】なりきわかすむてらの事なと委しうねも ころ【懇ろ】にとひあきらめて【明めて】かへりし人のわすれたりけん かゝる一巻 なんおちゐたる あはれかはかり【かばかり】にも心いれたるものをとおもへは いとほしくて月ころすきやうしありく【歩く?】にもくひにかけて【首に掛けて?】 その人と見しりたる人あらハ かへしあたへてんとおもへと みちかひ【見違い】にてもさる人とおほえたるはなく哥よむ人〻 にあふときハ かゝることおもひたちたる人やあるととひあ はせ【問い合わせ】なとしつれとふつに【全く】たつね出ねは今萬侍にかくハ おもへとかひなく かくはかりにもこゝろつくしたるものをと かたられたれはい侍そハおのかしりたる人になんといへは ひしりよろこほひてそ【其】はとしころのほい【本意】かなひたり いと うれしさらハ【さあらば】 かへしやりてん その人にたかはすハ【違いなければ】とらせ給 ひてよとて ふところより出されたるをやかてミつからもてゆ きてけふハしか〳〵の事ありて来つといふを湯あミし てありけるか聞つけてさなからにはしり岀てあれうれし この 巻うしなひしより さるへきをりにつけてはかた〳〵とあなくり もとむれと わすれぬることハあやにくなるものにて あまた渡かた ふけと そこ【其処】なりけんとハおもひよらぬものなるよ おやのしたゝめ給へる ものにしあれは いかて身にかへてもとおもへと すへなくて通しつるを なといひていとよろこほひてれしとおもひたるけしきなりけ れは 帰りてそのよしつはらに【委曲に】のふ【述】れは我も此としころめくりあひて その人なりけりとしらハ【知らば】かへし【返し】あたへてんとおもひつるかひありてと よろこはれたるおもゝちまことありてあはれに有かたかりき さる こゝろもち玉へれはこそ つひに身延山の貫主とあかめられ玉ひ て去年の春かの御山にハうつり玉へるなれこハくた〳〵しう【くどくどと】 こゝにしるすへき事にしもあらねと上人の有かたかりし御心さし をものはへ【述ばへ?】まほしくおもへは およはぬ筆のつたなさもわすれての 事なりけり まことやこの幸孝ぬしは市人の長たちてうたへことま かなひつかふなるかうへにせさ?いもの奉る納屋あつかりてさへつとめられ たれは かた〳〵につけてのかるへき【逃るべき】ひまなさにはつか【二十日】なるいとまうるをり〳〵 のたのミのみにて通されつるほとに 此ぬしもふとおもひかけなう【思いがけなく】 いミしき【いみじき】やまひにかゝりてよもつ国にまかられたるは たれ人か をしまさらんや しかハあれとそのいたつきむなしからさらしめし とさきはひ【幸い】玉ふ神やまし〳〵けんその子幸成主清うあらため 書て今かく世にひろうなりゆかん事このふたりのぬしたちのミたま しも天かけりて見玉はハ いかはかりよろこひおもはさらんやあハれ 世人いかはかりめてもてはやさゝらんやかれ今板にゑりておほやけ にせはやとてよはひまたはたちにもおよはさりしころよりおもひ おこされて文政三年といふとし亀田の翁なとかたらひて世に あらはさんとはかられつるそのきさみにおのれこの父ぬしより 明くれとひとはれし友にハあらねとさるへきゆかりはたなきにしも あらねははしにまれおくにまれいさゝかしるしてよとこはれたれハ いなむへきなからひにしもあらねはつたなきものから草とりて いさゝかしるしおきつれと十あまりの年もへぬる事にしあれハいつく にかさしおきけん見うしなひて今はもとむれとさくり出つへき たよりなしさるハ去年やよひのすゑとしころすみならしたる家 のまへうしろこよなうかまひすしうよからぬいと竹の愁をいとひて 根岸といふ山里にかこかなるすみかもとめてうつろひかくろへぬる そのまきれにやありけんいかて見いてゝんともとむれともとより やまひかちにて何事もおもふかひなくはか〳〵しからぬ身にし あれは友たちの哥むしろなとにたにものうくおほえてたち あはんともせすかきこもりてのみすくすに今ハ老のくるしさゝへ せめ来つれハうしなひつるものさかしもとめんとするちからさ へなく気むつかしけれはいかてひとくたりのことをたにしたゝむ へきかうかよわくやまひかちになりてたゝみつからをやしなふ のみをたけきものにてあかしくらせはいまことさらにしたゝ めん きてなりともえさせよとせめらるゝをもとき聞えんたにこゝち むつかしけれはたゝひとくたり茟とる手さへちからなきかへるの 子のやうにてなんそも〳〵この幸雄の翁といふハ吾浄有翁とハ へたてなき友とちにて佛の道をも心にいれて相ともに おこなひから人のをしへをもわするゝまなくつようまもりて相 ともにちからいれられたる翁にしあれハさる心よりおもひおこ されての事にしあれはいかて身延山の貫首なと世にもくす しうなさけある御方のやうなるさいはひにしもあひ奉らさ らんや天保三年といふとしの五月はしめかたをかの寛光 このころ世にひろうもてとゝろ かしきこゆる国つ名ところ圖 絵てふ書そしかもこのくにつ 文字して女児等にもいとめや すう将こよなきなくさなり そハうち日さすみやこあたりを 初めにてあらひきの大和路より おしてる浪速のうらつたひかうち いつみもともに名におへるとこ ろ〳〵ゑらひものして五ツのくに またくそれかあまりにハ神風の 伊勢の国東路の五十まり三ツの うまや〳〵も■るかたなくまさしに 絵かきつことのよしをもつはら にかひあつめてその境■しらぬ 人にたより先のいさをハ實に みやこ人のみやひの心よりなれる わさにていと雄ゝしくなも おのれゑひす心にしてかれをま ねふとにはあらねとその 大江戸にすめる身にしてこの あたりしらてあらむもうたて 心くるしくてとし月いゆきめ くらひぬる処ゝかいあつめぬれ ハさすかに書かましくもなりぬる にこそ      付言 此書は祖父か寛政中の編にして父縣麻呂か刪補文化の末に至て なり文政の今に至て上梓の功を終りぬ凡年序を経る事三十有余年 江都蕃昌に随て神社寺院境地沿革するもの頗多し一向の小祠も 須臾に壮麗たる大社となり纔の草庵も巍然たる荘厳となれる もの少からす或は祝融の災に罹りて楼門回廊を消失し礎石のみ 存するの類興廃枚挙すへからす然りといへとも時々是を改る事能わす 故に今時の体に差へるもの多し見るものいふかる事なかれ                     斉藤月岑識 【左丁】 江戸名所図会(えとめいしよつゑ)巻之一(けんのいち)    天枢之部(てんすうのふ)目録(もくろく)  武蔵国号基(むさしこくかうのもと) 日本武尊(やまとたけのみこと)秩父岩倉山(ちゝふいわくらやま)に武器(ふき)を収(おさめ)給ふ図(つ)  江戸始元(えとのしけん) 御城興基(おんしろのかうき) 大江戸東南(おほえととうなん)の市街(いちまち)より内海(うちうみ)を望(のそむ)の図(つ)  元旦諸侯登城図(くわんたんしよこうとしやうのつ) 吹上御庭(ふきあけおんには) 松原小路(まつはらこうち) 梅林坂(はいりんさか)《割書:平河天満宮(ひらかはてんまんくう)|旧地(きうち)》  八代曽河岸(やよすかし) 竜(たつ)の口(くち)《割書:平田明神(ひらたみやうしん)|蒲生飛騨守宅地(かまふひたのかみたくち)》 道三橋(たうさんはし)  銭瓶橋(せにかめはし) 常盤橋(ときわはし) 一石橋(いちこくはし)《割書:八橋一覧(やつはしいちらん)図|桧木河岸(ひのきかし)》 日本橋(にほんはし)《割書:同 魚市(うをいち)| 》  天王御旅所(てんわうおたひしよ)《割書:大伝馬(おほてんま)町|小船(こふな)町》 通町(とほりちやう)《割書:駿河(するか)町 三井呉服店(みつゐこふくたな)本町 薬種(やくしゆ)店|大伝馬町 木綿(もめん)店》  浮世小路(うきよしやうち) 十軒店(しつけんたな)《割書:同 雛市(ひゐないち)| 》 本石(ほんこく)町 時(とき)の鐘(かね) 堀留(ほりとめ)《割書:伊勢(いせ)町 米河岸(こめかし)|同 塩河岸(しほかし)》  福田村旧址(ふくたむらきうし)《割書:白籏稲荷(しらはたいなり)祠| 》 千代田村旧跡(ちよたむらきうせき)《割書:千代田稲荷祠| 》  本銀(ほんしろかね)町 土手(とて) 今川橋(いまかははし)《割書:主水井(もんとのゐ)|下駄新道(けたしんみち)》 神田明神旧地(かんたみやうしんのきうち) 神田橋(かんたはし)《割書:鎌倉(かまくら)町 豊島(としま)屋|酒店(しゆてん)白酒(しろさけ)を集(あきな)ふ図》  護持院旧地(こちゐんきうち) 菰淵(まこもかふち)《割書:蟋蟀橋(きり〳〵すはし) 魚板橋(まないたはし)|飯田(いゐた)町 世継稲荷(よつきいなり)祠》 小川町基立(おかはまちきりう)《割書:小川清水(おかはのしみつ)|神田淵(かんたかふち)》  田安台(たやすのたい) 築土明神旧地(つくとみやうしんきうち) 飯田町(いゐたまち)《割書:中坂(なかさか)|九段(くたん)坂》 御茶(おちや)の水(みつ) 【右丁】  水道橋(すゐたうはし)《割書:駒込(こまこみ)吉祥寺(きちしやうし)旧地(きうち)|三崎稲荷(みさきいなり)祠》 駿河台(するかたい) 筋違橋(すちかゐはし)《割書:八小路(やつこうち)| 》  昌平橋(しやうへいはし)《割書:淡路坂(あわちさか)|太田姫稲荷(おほたひめいなり)祠》 神田川(かんたかは) 丹後殿前(たんことのまゑ)  藍染川(あゐそめかは)《割書:頬焼(ほうやき)|薬師(やくし)》 於玉(おたま)か池(いけ)《割書:於玉(おたま)稲|荷》 弁慶橋(へんけいはし) 柳原封疆(やなきはらとて)《割書:柳森(やなきのもり)稲|荷》  《割書:稲荷(いなり)|河岸(かし)》 馬喰(はくろふ)町 馬場(はゝ)《割書:東錦絵店(あつまにしきゑみせ)| 》 浅草橋(あさくさはし)  柳橋(やなきはし)《割書:薬研堀(やけんほり)| 》 両国橋(りやうこくはし) 清水如水宅地(しみつしよすゐたくち) 杉森稲荷(すきのもりいなり)社【https://honkoku.org/app/#/transcription/EFAE46D49E3E87F3F7B07117751CE5D8/2/】  歌舞妓芝居(かふきしはゐ)《割書:堺(さかゐ)町 中村座(なかむらさ)|葺屋(ふきや)町 市村座(いちむらさ)》 吉原町旧地(よしはらまちきうち)《割書:大門(おほもん)|通(とほり)》 賀茂真淵翁(かものまふちをう)閑居地(かんきよのち)  新大橋(しんおほはし) 三派(みつまた)《割書:別(わかれ)の淵(ふち)|》 江戸橋(えとはし)《割書:木更津(きさらつ)|河岸(かし)》 四日市(よつかいち)《割書:土手蔵(とてくら)|才蔵市(さいさういち)》  《割書:根津権現(ねつこんけん)|御旅所旧地(おたひしよきうち)》 中橋(なかはし) 天王御旅所(てんわうおたひしよ)《割書:南伝(みなみてん)|馬(ま)町》 鎧(よろひ)の渡(わたし)《割書:鎧(よろひ)の淵(ふち)| 》  兜塚(かふとつか) 永田馬場(なかたはゝ)山王(さんわう)御旅所(おたひしよ)《割書:同 御祭礼(こさいれい)|の図(つ)》 茅場(かやは)町 薬師堂(やくしたう)  《割書:天満(てんまん)|宮(くう)》 俳仙(はいせん)其角翁(きかくをうの)宅地(たくち) 徂来先生(そらいせんせい)居宅地(きよたくのち)  伊雑太神宮(いそへたいしんくう) 三(み)ッ橋(はし) 霊巌島(れいかんしま)《割書:霊巌|橋》 随見屋舗(すゐけんやしき)  新川太神宮(しんかはたいしんくう) 新川酒問屋図(しんかはさかとひやのつ) 永代橋(えいたいはし) 薬師堂(やくしたう)橋本稲荷(はしもといなり)社  恵比須前稲荷(ゑひすまへいなり)社 湊稲荷(みなといなり)社 鉄炮洲(てつはうす) 半井卜養翁(なからゐほくやうをう)居宅地(きよたくのち) 【左丁】  了然禅尼(りやうねんせんに)菴室地(あんしつのち) 佃島(つくたしま)同 白魚網(しらうをあみ) 住吉明神(すみよしみやうしん)社 鎧島(よろひしま)  江風山月楼(かうふうさんけつろう) 咳嗽耆嫗(せきのぢゝばゝ) 寒橋(さむさはし) 西本願寺(にしほんくわんし)  采女原(うねめかはら)《割書:采女井| 》 木挽(こひき)町 歌舞妓芝居(かふきしはゐ) 織田有楽斎(おたうらくさい)第宅地(ていたくのち)  新橋(しんはし) 汐留橋(しほとめはし) 尾張(おはり)町 呉服店(こふくたな)《割書:金六町しからき|茶店(ちやみせ)》  三縁山増上寺(さんえんさんそうしやうし)《割書:本堂(ほんたう) 経堂(きやうたう) 開山堂(かいさんたう) 鐘楼(しゆろう) 熊野祠(くまのゝやしろ) 黒本尊堂(くろほそんたう)|三門(さんもん) 安国殿(あんこくてん) 五層塔(ごそうのたう) 涅槃石(ねはんせき) 曼荼羅石(まんたらいし) 鷹門(たかもん)》【https://honkoku.org/app/#/transcription/C5E07A532F4452AAD21E4D48444FE861/2/】  《割書:極楽橋(こくらくはし) 宗廟(そうひやう) 御常念仏堂(おんしやうねんふつたう) 性寿院(しやうしゆゐん) 飯倉天満宮(いゐくらてんまんくう) 茅野天満宮(かやのてんまんくう) 円光大師旧跡(えんくわうたいしきうせき)|円坐松(えんさのまつ) 円山(まるやま) 芙蓉洲弁才天(ふようしうへんさいてん)祠 子聖(ねのひしり)社 産千代稲荷(うふちよいなり)祠》  《割書:阿加牟堂(あかんたう) 大門(たいもん) 御成門(おなりもん)|涅槃門(ねはんもん) 柵門(やらいもん)》 飯倉神明宮(いゐくらしんめいくう) 宇田川橋(うたかははし)  日比谷稲荷(ひゝやいなり)祠 烏森稲荷(からすもりいなり)社 薮小路(やふこうち) 桜川(さくらかわ)  真福寺(しんふくし) 愛宕山権現(あたこさんこんけん)社《割書:愛宕山(あたこさん)正月三日|祭事(さいし)之図》 青松寺(せいしようし)《割書:含海山(うんかいさん)| 》  金地院(こんちゐん)《割書:閻魔(ゑんまの)|石像(せきさう)》 天徳寺(てんとくし) 城山(しろやま) 太田道灌城跡(おほたたうくわんしろあと)《割書:一名 番(はん)|神山(しんやま)》  西窪八幡宮(にしのくほはちまんくう) 飯倉(いゐくら) 熊野権現宮(くまのこんけんくう) 勝手(かつて)か原(はら)  赤羽川(あかはねかは) 赤羽橋(あかはねはし) 心光院(しんくわうゐん)《割書:布引観世音(ぬのひきくわんせおん)|竹女故事(たけしよかこし)》 芝浦(しはうら)  三穂神社(みほのしんしや) 鹿島神社(かしましんしや) 毘沙門堂(ひしやもんたう)《割書:日親(につしん)堂| 》 西応寺(さいをうし) 【右丁】  三田(みた) 綱坂(つなさか)《割書:手引坂(てひきさか) 産湯水(うふゆのみつ)|駒繋松(こまつなきまつ) 綱塚(つなつか)》 小山神明宮(こやましんめいくう)  春日明神(かすかみやうしん)社 月波楼(けつはろう) 三田八幡宮(みたはちまんくう) 聖坂(ひしりさか)  功運寺(こううんし) 済海寺(さいかいし) 竹柴寺旧址(たけしはてらきうし)同 古事(こし)  亀塚(かめつか) 徂来先生墓(そらいせんせいのはか) 魚籃観音堂(きよらんくわんおんたう) 潮見坂(しほみさか)  伊皿子薬師堂(いさらこやくしたう) 牛小屋(うしこや) 高輪大木戸(たかなわおほきと)《割書:七月廿六 夜待(やまち)之図| 》  高輪(たかなわ)か原(はら) 泉岳寺(せんかくし) 如来寺(によらいし)《割書:臥竜岡(くわりうのおか)| 》 太子堂(たいしたう)庚申堂(かうしんたう)  稲荷(いなり)祠 常光寺(しやうくわうし) 宝蔵寺(ほうそうし)《割書:子安観音|弁才天》 釈神(しやくしん)社  高山稲荷(たかやまいなり)社 東禅寺(とうせんし)《割書:有喜寿(うきす)|八幡宮》 谷山(やつやま) 【左丁】 武蔵(むさし) 【挿し絵】 日本武尊(やまとたけのみこと)東夷征代(とうゐせいはつ)【伐の誤りか】 の時(とき)武具(ふく)を秩父(ちゝふ) 岩倉山(いわくらやま)に収(おさめ)給ふ 是 武蔵国号(むさしこくかう)の      濫觴(はしめ)なり 倭健戎容猛 征西又伐東 腰間十束剣 草薙偃威風    春斎子 【挿し絵】 江戸東南(えとひかしみなみ)の   市街(いちまち)より  内海(うちうみ)を   望(のそ)む図(つ) 【挿し絵】 駿河町(するかちやう)  三井呉服店(みつゐこふくたな)  元日の    みる   ものに     せん   不二     の    山    宗鑑 【挿し絵】 本町(ほんちやう)  薬種店(やくしゆたな) 【挿し絵】 大伝馬町(おほてんまちやう)   木綿店(もめんたな)  橋(はし)京橋(きやうはし)新橋(しんはし)を経(へ)て金杉橋(かなすきはし)の辺迄(あたりまて)の総名(そうみやう)にして町幅(まちはゝ)十 間余(けんよ)あり 浮世小路(うきよしやうち) 室町(むろまち)三丁目の間(あひた)の東(ひかし)の横小路(よここうち)を云(いふ)されと其故(そのゆゑ)をしらす  或人云(あるひといふ)畳表(たたみおもて)浮世臥座(うきよこさ)商(あきな)ふみせある故(ゆゑ)にいふとも又は風呂屋(ふろや)遊女(いうちよ)の居(ゐ)たり  し故(ゆゑ)ともいへり 十軒店(しつけんたな) 本町(ほんちやう)と石町(こくちやう)の間(あひた)の大通(おほとほり)をいふ桃(もゝ)の佳節(かせつ)を待得(まちえ)ては大(たい)  裡(り)雛(ひな)裸人形(はたかにんきやう)手道具(てとうく)等(とう)の鄽(みせ)軒端(のきは)を並(なら)へたり端午(たんこ)には冑人(かふとにん)  形(きやう)菖蒲刀(しやうふかたな)こゝに市を立(たて)て其賑(そのにきは)ひをさ〳〵弥生(やよひ)の雛市(ひないち)におと  らす又 年(とし)の暮れ(くれ)に至(いた)れは春(はる)を迎(むか)ふる破魔弓(はまゆみ)手毬(てまり)破胡板(はこいた)を商(あきな)ふ  共(とも)に其市(そのいち)の繁昌(はんしやう)言語(けんきよ)に述尽(のへつく)すへからす実(しつ)に大平(たいへい)の美(ひ)とも云ん  かし 《割書:其余(そのよ)尾張町(おはりちやう)浅草(あさくさ)茅町(かやちやう)池(いけ)の端(はた)仲町(なかちやう)麹町(かうしまち)|駒込(こまこみ)抔(なと)にも雛市(ひないち)あれとも此所の市(いち)にはしかす》 時鐘(ときのかね) 石町(こくちやう)三丁目の小路(こうち)にあり辻源(つしけん)七といへる者(もの)是(これ)を役(やく)す此鐘(このかね)  初(はしめ)は御城内(こしやうない)にありしとなり 《割書:其余(そのよ)都城(としやう)の繞(めく)りに有(あり)て候時(こうし)を報(はう)する|ものすへて八ヶ所なり所謂(いはゆる)浅草寺(せんさうし)本所(ほんしよ)横(よこ)》  《割書:川町(かはちやう)上野(うへの)芝(しは)切通(きりとほし)市谷八幡(いちかやはちまん)目白不動(めしろふとう)赤坂(あかさか)田町(たまち)成満寺(しやうまんし)四谷天竜寺(よつやてんりうし)等(とう)なり| 》  銘曰 宝永辛卯四月中浣鋳物御大工椎名伊豫   藤原重休 【挿し絵】  祇園会(きおんゑ)  大伝馬町御旅所(おほてんまちやうおたひしよ)  五元集  天王の御旅所と  拝す 里の子    の  夜宮    に   いさむ   鼓    かな    其角 【挿し絵】 堀留(ほりとめ) 【挿し絵】 主水井(もんとのゐ) 【左ページ】  侯(こう)の弟宅(ていたく)ありし故(ゆゑ)に又 大炊殿橋(おほいとのはし)とも号(かうし)たるとなり 《割書:事跡合考(しせきかつかう)に|云(いは)く昔(むかし)は神田(かんた)》  《割書:橋(はし)の外(そと)に茅商人(かやあきんと)あまた住(ちゆう)す今(いま)の八丁堀(はつちやうほり)の茅場町(かやはちやう)是(これ)なり又 其後(そのゝち)|本所(ほんしよ)にも遷(うつ)さるゝ今(いま)本所(ほんしよ)の茅場町(かやはちやう)といふはこの故(ゆゑ)なりと云々》 此御門(このこもん)の  外(そと)の町(まち)をすへて神田(かんた)と号(なつ)く 護持院旧地(ごちゐんきうち) 神田橋(かんたはし)と一橋(ひとつはし)との間(あひた)御溝(おんほり)の外(そと)の芝生(しはふ)を云(いふ)此所(このところ)は  大塚護持院(おほつかこちゐん)の旧址(きうし)なり 《割書:元禄年間(けんろくねんかん)柳原(やなきはら)の南(みなみ)にありし知足院(ちそくゐん)を引て|護持院(こちいん)と号(なつけ)られ殿堂(てんたう)御建立(ここんりふ)ありしか享保(きやうほ)》  《割書:回録(くわいろく)の後(のち)大塚(おほつか)の地(ち)へ|移(うつ)され後(のち)明地(あきち)となる》 林泉(りんせん)の形(かたち)残(のこ)りて頗(すこふ)る佳景(かけい)なり夏秋(かしう)の間(あひた)是(これ)を  開(ひら)かせられ都下(とか)の人こゝに遊(あそ)ふ事をゆるさる冬春(とうしゆん)の間(あひた)は時(とき)として  大将軍家(たいしゃうくんけ)こゝに御遊猟(こいうりやう)あり故(ゆゑ)に此所(このところ)を新駒(しんこま)か原(はら)とも唱(とな)ふる  となり世俗(せそく)は護持院(こちゐん)の原(はら)と呼(よ)へり 菰(まこも)か淵(ふち) 元飯田町(もといひたまち)の東(ひかし)の入堀(いりほり)をしか号(なつ)く蟋蟀橋(きり〳〵すはし)と云は同所 北(きた)の  方(かた)の小溝(こみそ)に架(わた)す石橋(いしはし)の号(かう)なり又 小川町(おかはまち)より九段坂(くたんさか)へ向(むか)ふ所(ところ)の  橋(はし)を今(いま)魚板橋(まないたはし)と唱(とな)ふ 《割書:又 俎板(まないたはし)|に作(つく)る》 されと其所以(そのゆゑん)をしらす 《割書:江戸名勝志(えとめいしようし)|に此川(このかは)を飯(いひ)》  《割書:田川(たかは)と云と|しるせり》 世継稲荷(よつきいなり)は飯田町(いひたまち)の中坂(なかさか)にあり文安(ふんあん)の頃(ころ)より此地(このち)に  御大工棟梁(おんたいくとうりやう)弁慶(へんけい)小左衛門といへる人の工夫(くふう)によりて懸初(かけはしめ)しと  いへり此地(このち)の形(かたち)に応(おう)し衢(ちまた)を横切(よこきり)て筋替(すちかへ)にかくる尤(もつとも)奇(き)なり 【挿し絵】   岩本町   松枝町   水   水   弁慶橋之図   元岩井町   横山町三丁目代地 【挿し絵ここまで】 柳原封壃(やなきはらのとて) 筋違橋(すちかひはし)より浅草橋(あさくさはし)へ続(つゝ)く其間(そのあひた)長(なかさ)凡(およそ)十町 斗(はかり)あり  享保(きやうほ)年間(ねんかん)此所(このところ)の堤(つゝみ)に悉(こと〳〵)く柳(やなき)を栽(うゑ)させらる 《割書:寛永(くわんえい)十一年の江戸絵図(えとゑつ)|には柳堤(やなきつゝみ)とあり》  堤(つゝみ)の外(そと)は神田川(かんたかは)なり又 此堤(このつゝみ)の下(した)に柳森稲荷(やなきのもりいなり)と称(しやう)する叢(さう)祠あり  故(ゆゑ)に此地(このち)を稲荷河岸(いなりかし)と呼(よ)へり 《割書:昔(むかし)は神田川(かんたかは)の隔(へたて)もなく此川(このかは)の南北(なんほく)ともに|おしなへて柳原(やなきはら)といひし広原(くわうけん)なりしとなり》 馬場(はゝ) 馬喰町(はくろちやう)三丁目の西北の裏通(うらとほり)にあり江戸馬場(えとはゝ)の中(うち)最(もつと)も古(ふる)し  慶長(けいちやう)五年 関(せき)か原(はら)御陣(こちん)の時(とき)御馬揃(おんうまそろへ)ありし所(ところ)なりと云(いひ)伝(つた)ふ  御馬工郎(おんはくらう)高木源兵衛(たかきけんひやうゑ)是(これ)を預(あつか)り奉(たてまつ)る 《割書:此地(このち)を馬喰町(はくらふちやう)といふも此(この)御由緒(こゆいしよ)によりて|なり昔(むかし)は富田半七(とみたはんしち)と高木源兵衛(たかきけんひやうゑ)と両人(りやうにん)》  《割書:まりしとそ寛永(くわんえい)廿年開板(かいはん)あつまめくりといへる草紙(さうし)に末(すゑ)は馬喰町(はくらふちやう)とかや侍(さふらひ)あまたうち|つれてこゝにくり毛(け)の馬(うま)もありあるひは月毛(つきけ)鹿毛(かけ)かすけ皆(みな)せめ事とうちみえて云々 其頃(そのころ)は》  《割書:追廻(おひまは)しといひて左(さ)の如(こと)き形(かたち)なりしとなり寛永(くわんえい)明暦(めいれき)延宝(えんはう)等(とう)の江戸絵図(えとゑつ)にしかしるせり| 》 【挿し絵】  四丁目  三丁目  二丁目  はくろう丁  馬場 追廻し  唯念寺  法泉寺  日■ゐん  聖徳寺  浄安寺  せんとくし  ■■寺  本泉寺  大正寺 【挿し絵ここまで】 浅草橋(あさくさはし) 神田川(かんたかは)の下流(かりう)浅草御門(あさくさこもん)の入口(いりくち)に架(わた)す此 所(ところ)にも御高札(こかうさつ)を建(たて) 【挿し絵】   馬喰町馬場(はくろふちやうはゝ) 鶴岡放生会職人歌合  博労恋  なへて    世の   人に手なれの     あた      こゝろ    つけすまひ        こそ    よしな      かり       けれ       良基   錦絵(にしきゑ) 江戸(えと)の名産(めいさん)にして 他邦(たほう)に比類(ひるい)なし 中(なか)にも極彩色(こくさいしき)殊(こと) 更(さら)高貴(かうき)の御 翫(もてあそ) ひにもなりて諸国(しよこく) に賞美(しやうひ)する事 尤(もつとも) 夥(おひたゝ)し 【挿し絵中、右ページ下の桶】 通油町 【左ページの凧】 竜 【看板】 さうし問□   鶴屋 本問屋   喜右衛門 【描かれているのは鶴屋喜右衛門の店の様子】 【挿し絵】 薬研堀(やけんほり)  不動(ふとう)  金毘羅(こんひら)  歓喜天(くわんきてん)  らる馬喰町(はくらふちやう)より浅草(あさくさ)への出口(てくち)にして千住(せんぢゆ)への官道(くわんたう)なり此東(このひかし)の大(おほ)  川口(かはくち)にかゝるを柳橋と号(なつ)く柳原堤(やなきはらつゝみ)の末(すゑ)にある故(ゆゑ)に名(な)とするとそ 《割書:此所(このところ)諸方(しよはう)へ|の貸船(かしふね)あり》 両国橋(りやうこくはし) 浅草川(あさくさかは)の末(すゑ)吉川町(よしかはちやう)と本所元町(ほんしよもとまち)の間(あひた)に架(わた)す長(なかさ)九十六 間(けん) 《割書:橋(はし)の|前後(せんこ)》  《割書:并(ならひに)橋上(きやうしやう)に番屋を|居(すゑ)て是(これ)を守(まも)らしむ》 万治(まんち)二年己亥 官府(くわんふ)より始(はしめ)て是(これ)を造(つく)り給ふ 《割書:三橋記(さんきやうき)|或(あるひ)は云(いふ)》  《割書:寛文(くわんふん)元年辛丑 新(あらた)に両国橋(りやうこくはし)を架(かけ)しめらる御普請奉行(こふしんふきやう)芝山(しはやま)坪内(つほうち)両氏(りやうし)に命(めい)せ|られしと云々旧名(きうみやう)を大橋(おほはし)と号(かう)す事跡合考(しせきかつかう)に万治(まんち)二年 東(ひかし)の大川筋(おほかはすち)に始(はしめ)て大(おほ)》  《割書:橋(はし)一ヶ所をかけらるゝとあるも此橋8このはし)の事なり又むさしあふみといへる草紙(さうし)|にも此橋(このはし)を大橋(おほはし)としるしてあり事跡合考(しせきかつかう)云 此橋(このはし)の形(かたち)は扇(あふき)を開(ひら)きたるにかたとると云々》  其昔(そのむかし)此川(このかは)を国界(くにさかい)とせしにより両国橋(りやうこくはし)の号(かう)ありといへとも今(いま)の  如(こと)く利根川(とねかは)を以(もつて)界(さかい)と定(さた)め給ふにより後(のち)は本所(ほんしよ)の地(ち)も同(おな)しく武蔵(むさしの)  国(くに)に属(そく)すといへとも橋(はし)の号(かう)は唱(とな)へ来(きた)るに任(まか)せて其侭(そのまゝ)改(あらため)られすと  なり 《割書:或人(あるひと)云(いは)く長享(ちやうきやう)三年丙寅春三月 利根川(とねかは)|の西(にし)を割(わり)て武蔵国(むさしのくに)に属(そく)せしめらるゝと云々》 此地(このち)の納涼(なうりやう)は五月廿八日に  始(はしま)り八月廿八日に終(おは)る常(つね)に賑(にき)はしといへとも就中(なかんつく)夏月(かけつ)の間(あひた)は尤(もつとも)  盛(さかん)なり陸(くか)には観場(みせもの)所(ところ)せき斗(はかり)にして其(その)招牌(せうはい)の幟(のほり)は風(かせ)に飄(ひるかへり)て  扁翻(へんほん)たり両岸(りやうかん)の飛楼高閣(ひろうかうかく)は大江(たいかう)に臨(のそ)み茶亭(さてい)の床几(しやうき)は水辺(すゐへん)に立(たて)