【横書】 TKGK-00053 書名  新板繪入伊勢物語2巻 刊   2冊 所蔵者 東京学芸大学附属図書館 函号  913.32/ISO 撮影  国際マイクロ写真工業社 令和2年度 国文学研究資料 【本文書は三条西家旧蔵本(日本古典文学大系『竹取物語 伊勢物語 大和物語』岩波書店、昭和32年第1刷に掲載)とほぼ同じである。】 【この〖新板繪入伊勢物語〗は、「文字遣い」、「濁音の付け方」、「段落の取り方」等々で三条西家旧蔵本を底本とするとは思われず。】 【表紙 題箋】 《割書:新板|絵入》伊勢物語 上 【資料整理ラベル】 913.32  ISO 日本近代教育史   資料 【頭部欄外の附箋】 三ノ一 【右丁上段】 伊勢物語(いせものかたり)の作者(さくしや)古来(こらい)より まち〳〵説(せつ)ありといへとも畢(ひつ) 竟(きやう)する所はなり平(ひら)みつからわ が身(み)のうへの事をつくり給ふ双(さう) 紙(うし)【ママ】なりその上(うへ)に伊勢(いせ)といふ 女房(によばう)さま〳〵の事を書(かき)そへて 作(つく)り物語(ものかたり)となして宇 多(だ)の院(ゐん) の后宮(こうくう)七 条后(てうのきさき)温子(おんし)へ奉りし 双紙(さうし)也よつて伊勢物語と云   業平(なりひら)の伝記(でんき) 業平(なりひら)は平城(へいせい)天皇(てんわう)の御 孫(まご)阿(あ) 保(はう)親王(しんわう)の五 男(なん)也 母(はゝ)は伊登(いとう)内(ない) 親王(しんわう)と云 桓武(くはんむ)天皇(てんわう)の御むす 【左丁上段】 め也 業平(なりひら)誕生(たんじやう)は淳和(じゆんわ)天皇(てんわう)の 天長(てんちやう)二年八月七日に生(うま)れ 元慶(げけい)四年五月廿八日に五十 六さいにて卒(そつ)し給ふ   伊勢(いせ)の御(こ)の伝記(てんき) 伊勢は右大臣(うだいじん)内麿(うちまろ)の末孫(はつそん)【ママ】前(さき) 大和守(やまとのかみ)従(じゆ)五 位(ゐ)上(じやう)藤原(ふぢはら)継蔭(つぐかけ)の むすめ也七 条(でう)の后(きさき)に宮(みや)つかへの 女房(によはう)也 宇多院(うだのゐん)のてうあひを得 て行明(ゆきあきら)親王をうめり よつて 伊勢 御息所(みやすところ)とも伊勢の女御(によご)            共いふ 【右丁下段】 春日野の  若むら    さきの  すり衣 忍ふの  みたれ かきり しら  れ   ず 【左手下段】   むかし男    うゐ    かう     ふり      して    ならの     京  かすかの    里に   しるよし     して    狩に     いに       けり     伊勢物かたりよみくせ ▲初段ことゝ。もや思ひけんとよみきるべしむかし〝人とにごるへし▲二段そをふると読(よむ)へし ▲三段たゞ人たゞうとゝ読べしよみておよんでと読べし▲九段す行者と読へし御おゝん とよむべししもつふさしもつうさと読べし▲十一段あなりあんなりとはねて読 べし▲十六段あてはか一説にばかともよめどもはかとすみたるよしよろこび にたへてゝの字にごるへし▲廿一段ありしよりけに勝の字也けとすみて読べし▲廿三段つゝ ゐづの井つゝと濁(にごる)へしけさうしてのしの字 濁(にごる)へしけこのうつはものけごとにごるべし▲廿四段あけて と読べしわかせしかこと両説有かことゝにごるはあしきと也かことゝ読べし▼廿八段あふこ かたみとにこるべし▲卅段ならんさかみんさがととにごるべし悪の字なり▲卅四段いへばえにはえにとよむへし ▲卅九段御はふりおゝんはうりと読べし▲四十げしうと読べしさかしらするさがと読説あ しゝたゞさかしらを云人有也讒の字なり猶おもひこそいゝしか此かのじすむべしいひしかと よみきりていとかくしもと読べし▲四十三ほとゝぎすながなくとかの字にこるべし▲四十四 段いゑどうじとにこるへし▲四十五なつのひくらしなかむれば日くらしとすむべしにごるは あしゝ▲四十六あめれあんめれとはねてよむべし 【左丁】 ㊀むかし男。うゐかうふりして。ならの京。かすかの里にしるよし して。かりにいにけり。其さとに。いとなまめいたる女。はらからすみ けり。此男かいま見てけりおもほえす。古里(ふるさと)に。いとはしたなくて 有ければ。こゝちまどひにけり。男のきたりける。かりきぬのすそを 切(きり)て。哥(うた)を書(かき)てやる。其男。しのぶずりの。かりぎぬをなん。きたりける 《割書:新古今》かすがのゝ若紫(わかむらさき)のすりころもしのぶのみだれかぎりしられず と。なんおひ付て。いひやりける。ついでおもしろきことゞもや。おもひけん 《割書:古今》みちのくのしのぶもぢずりたれゆへにみだれそめにしわれならなくに といふ哥の心ばへなり。むかし人は。かくいちはやきみやびをな んしける ㊁むかし。男。有けり。ならの京ははなれ。此京は。人の家まださだ まらざりける時に。西の京に女有けり。其女。世人にはまされりける。 其人。かたちよりは。心なんまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。 それをかのまめ男。うち物かたらひて。かへりきて。いかゞおもひけん 【右丁】 時はやよひつのいたち。あめそぼぶるにやりける 《割書:古今》おきもせずねもせでよるをあかしては春の物とて詠(ながめ)くらしつ ㊂むかし。男。有けり。けさうじける。女の許(もと)に。ひじきもといふ物をやるとて  おもひあらばむぐらの宿にねもしなんひじき物には袖(そて)をしつゝも 二条の后(きさき)の。まだみかどにも。つかうまつり給はで。たゞ人にてをはしける。時の事也 ㊃昔。ひんがしの五条に。おほきさいのみや。おはしましける。西のたいにす む人有けり。それをほいにはあらで。心ざしふかゝりける人。行とふらひける をむ月の十日ばかりの程に。外にかくれにける。有所はきけど。人の行か よふべき所にも。あらざりければ。なをうしと。思ひつゝなん有ける。又の年 のむ月に。梅の花ざかりに。こぞをこひて。いきて立て見。ゐて見。みれど 。こぞににるべくもあらず。うちなきて。あばらなるいたじきに。月のかたふく までふせりて。こそをおもひ出てよめる 《割書:古今》月やあらぬ春やむかしの春ならぬわか身ひとつはもとの身にして 【左丁 挿絵】 【右丁】 とよみで。夜のほの〳〵とあくるに。なく〳〵かへりにけり ㊄むかし。男有けり。ひんがしの五条わたりに。いとしのびていきけり。 みそかなる所なれば。かどよりもえいらで。わらはべのふみあけたる。ついぢの くづれより。かよひけり。人しげくもあらねど。たびかさなりければ。あるじ きゝ付て。其かよひぢに。夜(よ)ごとに人をすへて。まもらせければ。いけど もえあはて。かへりけり。さてよめる 《割書:古今》人しれぬわがかよひぢのせきもりはよひ〳〵ごとにうちもねなゝん と。よめりければ。いといたう。心やみけり。あるじゆるしてげり。二条の后(きさき)に。 忍(しの)びてまいりけるを。よの聞へ有ければ。せうと達(たち)のまもらせ給ひけるとぞ ㊅むかし。男有けり。女のえうまじかりけるを。年(とし)をへて。よばひわたりける を。からうじて。ぬすみ出て。いとくらきにきけり。あくた川といふかわを ゐて。いきければ。草(くさ)のうへにをきたりけるつゆを。かれは何ぞとなん。 男にとひける。行さきおほく。夜もふけにければ。鬼(をに)有所ともしらで。神 【左丁】 さへいといみじう成。あめもいとうふりければ。あはらなるくらに。女をばおく にをし入て。男弓やなぐひ【胡籙】をおいて【負いて】。とぐちにをり。はや夜(よ)もあけなん と思ひつゝ。ゐたりけるに。鬼(をに)はや一くちに。くひてげり。あなやといひ けれど。神なるさはぎに。えきかざりけり。やう〳〵夜もあけ行にみれば ゐでこし女もなし。あしずりをして。なけどもかひなし 《割書:新古今》しら玉かなにぞと人のとひし時つゆとこたへてきえなまじ物を これは二条の后(きさき)の。いとこの女御の。御もとにつかうまつるやうにて。ゐ給 へりけるを。かたちのいとめでたくおわしければ。ぬすみておひて出たり けるを。御せうどほり川のおとゞ。太郎くにつねの大 納(な)ごん。まだげらう にて。内へまいり給に。いみじうなく人有を聞付て。とゝめて取かへ したまふてげり。それをかくおにとはいふなりけり。まだいとわ かうてきさきのたゝにおわじける時となり ㊆むかし。をとこ有けり。京に有わひて。あづまにいきけるに。いせ 【右丁】 おはりのあわひの。うみづらを行に。なみのいとしろくたつを見て 《割書:後撰》いとゞしく過行(すきゆく)かたの恋しきにうら山しくもかへるなみかな となんよめりける ㊇むかし。おとこ有けり。京やすみうかりけん。あつまのかたに行て。 すみ所もとむとて。友(とも)とする人。ひとりふたりして行けり。し なのゝくに。あさまのだけにけふりのたつをみて 《割書:新古今》しなのなるあさまのだけに立けふりおちこち人のみやはとがめぬ ㊈昔。男有けり。其男。身をようなき物に思ひなして。京にはあら じ。あつまのかたに。すむべき国もとめにとて行けり。もとより友と する人。ひとりふたりしていきけり。道しれる人もなくて。まとひいき けり。三かはの国。八はしといふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは。水行 川のくもでなれば。橋を八わたせるによりてなん。八橋といひける。其さはの ほとりの。木のかげにおりゐてかれいひくいけり。其 沢(さは)に。かきつばたいとおも 【左丁 挿絵】 【右丁】 しろくさきたり。それを見てある人のいわく。かきつばたといふ五もしを。句(く) のかみにすへて。たひの心をよめと。いひければよめる 《割書:古今》から衣(ころも)きつゝなれにしつましあれははる〳〵きぬるたびをしぞ思ふ と。よめりければ。みな人かれいゝのうへに涙(なみた)をとしてほとびにけり。行〳〵 て。するがの国にいたりぬ。うつの山にいたりて。わがいらんとする道は。いと くらふ。ほそきにつたかえではしげり。物心ほそく。すゝろなるめを見る 事とおもふに。すぎやうじや【修行者】あひたり。かゝるみちは。いかでかいまするといふ をみれは。見し人成けり。京に其人の御もとにとて。ふみかきてつく 《割書:新古今》するがなるうつの山べのうつゝにもゆめにも人にあはぬなりけり ふしの山をみれば。さ月のつごもりに。雪いとしろうふれり 《割書:同》時(とき)しらぬ山はふじのねいつとてかかのこまたらにゆきのふるらん 其山は。こゝにたとへば。ひえの山を廿ばかりかさねあけたらん程して。なりは しほじりのやうになん有ける。なを行〳〵て。むさしの国と。しもふさの国 【左丁】 との中に。いとおほきなる川有。それをすみだ川といふ。其かわのほとりに 。むれゐて思ひやれば。かぎりなくとをくもきにけるかなと。わひあへ るに。わたしもり。はやふねにのれ。日もくれぬといふに。のりてわた らんとするに。みな人物わびしくて。京に思ふ人なきにしもあらず。さる 折しも。しろき鳥の。はしとあしとあかき。しぎの大さなる。水のうへに。 あそびつゝうをゝくふ。京にはみへぬとりなれば。みな人みしらず。わたし もりにとひければ。是なんみやこ鳥とと【ママ】いふをきゝて 《割書:古今》名にしおはゞいさことゝはん都鳥わが思ふ人はありやなしやと と。よめりければ。ふねこぞりてなきにけり ㊉昔。男。むさしの国まで。まどひありきけり。扨其国にある女を。よ ばひけり。ちゝはこと人【注①】にあはせんといゝけるを。母なんあて【注②】成人に心付たり ける。父はなを人【注③】にて。母なん藤原成ける。扨なんあて成人にと思ひける。此 むこがね【注④】によみておこせたりける。住所【住む所】なんいるまの郡。みよしのゝ里成ける 【注① 異人=別の人。ほかの人。】 【注② 身分が高いこと。】 【注③ 直人=平凡な家柄の人。】 【注④ 婿の候補者】 【右丁】   みよしのゝたのむのかりもひたふるに君が方にそよるとなくなる むこかねかへし   わかかたによるとなくなるみよしのゝたのむのかりをいつかわすれん と。なん人の国にても。なをかゝる事なん。やまざりける 十一【丸で囲む】むかし。男。あづまへ行けるに友達(ともだち)共(とも)に。道よりいひをこせける 《割書:拾遺》わするなよ程はくもゐに成ぬともそら行月のめぐりあふまで 十二【丸で囲む】昔。男。ありけり。人のむすめをぬすみて。むさしのにゐてゆく程に ぬす人成ければ。国のかみにからめられにけり。女をば草村(くさむら)の中にを きて。にげにけり。道くる人。此野はぬす人あなりとて。火(ひ)つけんとす女わびて 《割書:古今》むさし野はけふはなやきそ若草(わかくさ)のつまもこもれり我もこもれり と。よみけるをきゝて。女をばとりてどもにゐでいにけり 十三【丸で囲む】昔。むさし成男。京なる女の許(もと)に。きこゆればはづかし。聞えねばくるしと 書(かき)て。上(うは)かきに武蔵鐙(むさしあぶみ)と書(かき)ておこせて後(のち)。音(をと)もせず成にければ。京より女   むさしあぶみさすがにかけて頼(たの)むにはとはぬもつらしとふもうるさし 【左丁 挿絵】 【右丁】 と。あるを見てなん。たえがたきこゝちしける   とへばいふとはねばうらむむさしあぶみかゝるをりにや人はしぬらん 十四【丸で囲む】むかし。男。みちの国に。すゞろに行いたりにけり。そこなる女。京の人 は。めづらかにやおぼへけん。せちに思へる心なんありける。さてかの女 《割書:万葉》中〳〵にこひにしなずばくわこにぞ成へかりける玉のをばかり うたさへぞひなびたりける。さすがにあはれとやおもひけん。いきてねに けり。夜ふかく出にければ女   よもあけばきつにはめなてくだかけのまだきに鳴てせなをやりつる と。いへるに。をとこ京へなんまかるとて   くりはらのあねはの松の人ならば都のつとにいざといわまし と。いへりければ。よろこぼひて思ひけらしとぞ。いひをりける 十五【丸で囲む】むかし。みちの国にて。なでふことなき人のめに。かよひけるに。あやしう さやうにて。あるべき女ともあらず。みへければ 【左丁】   しのぶ山しのびてかよふみちもがな人の心のをくもみるべく 女かぎりなくめでたしと思へど。さるさがなきゑびす心をみては。いかゝはせん。は 十六【丸で囲む】むかし。きの有つねといふ人有けり。みよのみかどにつかふまつりて。 時にあひけれど。後(のち)は世かはり。時(とき)うつりにければ。よのつねの人のごとくも あらず。人がらは心うつくしう。あてはかなる事をこのみて。こと人にも にず。まづしくへても。なをむかしよかりし時の心ながら。よのつね の事もしらず。年ころあひなれたるめ。やう〳〵とこはなれて。つゐに あまに成て。あねのさきだちて。成たる所へ行(ゆく)を。男まことにむつまじき事 こそなかりけれ。今はと行を。いとあはれと思ひけれど。まづしければ するわざもなかりけり。思び【ママ】わびてねん比に。あひかたらひける 友達(ともたち)の許(もと)に。かう〳〵今はとてまがるを。何事もいさゝかなる事も えせで。つかはすことゝかきて。おくに   手(て)を折(おり)てあひみし事をかぞふれば十(とを)といゝつゝよつはへにけり 【右丁】 かの友たち是を見て。いとあはれと思ひて。夜。の物迄おくりてよめる   年たにも十(とを)とてよつはへにけるをいくたび君をたのみきぬらん かくいひやりたりければ   これやこのあまのはごろもむべしこそ君がみけし【御衣】と奉りけれ よろこびにたえでまた   秋やくる露(つゆ)やまがふと思ふまであるはなみだのふるにそ有ける 十七【丸で囲む】年比(としころ)おとづれざりける人の桜(さくら)のさかりに見に来りけれはあるじ 《割書:古今》あたなりと名にこそたてれ桜花 年(とし)にまれなる人も待(まち)けり かへし   けふこずはあすは雪とぞふりなましきえすは有とも花とみましや 十八【丸で囲む】むかし。なま心ある女有けり。男ちかう有けり。女うたよむ人 なれは。心みんとて。菊(きく)の花のうつろへるを折(おり)て。男のもとへやる   くれなゐにほふはいづら白きくの枝(えた)もとをゝにふるかともみゆ おとこ。しらずよみによみける 【左丁 挿絵】 【右丁】   くれないににほふがうへの白菊(しらきく)はおりける人の袖かともみゆ 十九【丸で囲む】むかし。をとこ。みやづかへしける女のかたに。ごだち【御達】成ける人を。あ ひしりたりける。ほどもなくかれにけり。をなじ所なれば。女のめには 見ゆる物から。男はある物かともおもひたらず。女 《割書:古今》あま雲(ぐも)のよそにも人のなり行かさすがにめにはみゆる物から と。よめりければをとこかへし 《割書:同》あまぐものよそにのみしてふる事はわが入山のかぜはやみなり と。よめりけるを。またをとこある人となんいひける 二十【丸で囲む】むかし。男。やまとにある女を見て。よばひあひにけり扨 程(ほど)へてみや づかへする人成ければ。かへりくる道に。やよひばかりにかえでの。もみぢ の。いとをもしろきを折(おり)て。女のもとに道(みち)よりいひやる   君がためたをれる枝(えた)は春なかく【ママ】かくこそ秋(あき)のもみちしにけり とてやりたりければへんじは京にきつきてなん。もてきたりける 【左丁】   いつのまにうつろふ色のつきぬらん君が里には春なかるらじ【ママ】 廿一【丸で囲む】むかし。男。女いとかしこく思ひかはして。こと心なかりけり。さるをいか成 ことかありけん。いさゝか成事に付て。世の中をうしとおもひて。出て いなんと思ひて。かゝるうたをなんよみて物に書付ける   出ていなば心かるしといひやせん世の有さまを人はしらねば とよみをきて。出ていにけり。此女かく書をきたるをけしう心をくへ き事共覚えぬを。何によりてかかゝらんと。いといたふなきて。いづかたに もとめゆかんと。かどにいでゝ。と見。かうみ。みけれど。いづこをはかりとも おぼえざりければ。かへり入て   思ふかひなき世なりけりとし月をあだにちぎりて我やすまひし といひてながめをり   人はいさ思ひやすらん玉かづらおもかげにのみいとゞ見えつゝ 此女いと久しく有て念じわびてにやありけん。いひをこせたる 【右丁】   今はとてわするゝ草のたねをだに人の心にまかせずもがな かへし   わすれ草うぶとだにきく物ならは思ひけりとはしりもしなまし また〳〵。ありしよりげにいひかはして。をとこ 《割書:新古今》わするらんと思ふ心のうたがひにありしよりげに物ぞかなしき かへし 《割書:同》なかぞらに立ゐる雲のあともなく身のはかなくも成にける哉 とはいひけれど。をのが世々に成ければ。うとく成にけり 廿二【丸で囲む】昔。はかなくてたえにける中。猶やわすれざりけん。女のもとより 《割書:新古今》うきながら人をばえしもわすれねばかつうらみつゝなをそ恋しき と。いへりければ。されはよといひておとこ   あひみては心ひとつを川島のみづのながれてたへじとそおもふ とは。いひけれど。其夜いにけり。いにしへゆくさきの事共などいひて   秋の夜のちよを一よになずらへてやちよしねばやあく時のあらん かへし   秋のよのちよを一よになせりともことばのこりて鳥やなくなん 【左丁 挿絵】 【右丁】 いにしへよりも。あはれにてなんかよひける 廿三【丸で囲む】むかし。ゐなかわたらひしける人【注①】の子ども井のもとに出てあそひ けるをおとなに成にけれは男女もはぢかはして有ければ。男は此女 をこそえめと思ふ女は此おとこをと思ひつゝ。おやのあはすれどもき かでなん有ける。扨となりの男のもとよりかくなん   つゝゐづゝ井筒にかけしまろがたけ過(すき)にけらしないもみさるまに かへし   くらへこしふりわけがみもかた過ぬ君ならずしてたれかあぐべき など。いひ〳〵て。つゐにほいのごとくあひにけり。扨としころふる程に。女おや なくたよりなく成まゝに。もろともにいふかひなくてあらんやはとてかうち の国たかやすのこほりに。いきかよふ所出きにけり。さりけれど 此もとの女あしと思へるけしきもなくて出しやりければ。男こと心有 て。かゝるにやあらんと思ひうたがひて。せんざいの中にかくれゐてかう ちへいぬるがほにてみれば。女いとようけさうじて。うちながめて 【左丁】 《割書:古今》風ふけばおきつしらなみたつた山よはにや君がひとりこゆらん と。よみけるを聞て。かぎりなくかなしと思ひて。かうちへもいかず成 にけり。まれ〳〵にかのたかやすにきてみれば。はじめこそ心にくゝもつ くりけれ。今はうちとけて。手づからいゐがひ【注②】取て。けご【注③】のうつは物にもり けるをみて。心うかりていかず成にけり。さりけれは。かの女 大和(やまと)の方を見やりて 《割書:新古今》君があたり見つゝおくらんいこま山くもなかくしそあめはふるとも と。いひて見いだすにからうじて。やまと人こんといへり。よろこびて まつにたび〳〵すぎぬれば 《割書:古今》君こんといひし夜ごとに過ぬればたのまぬ物のこひつゝぞふる と。いひけれど。をとこすまずなりにけり 廿四【丸で囲む】昔。男。かたゐ中にすみけり。男みやづかへしにとて。わかれをしみて 行にけるまゝに。みとせこざりければ。待(まち)わびたりけるに。いと念比(ねんごろ)にいひ ける人に。こよひあはんとちぎりたりけるに。此をとこきたりけり此 戸(と) 【注① 田舎渡らひしける人=地方めぐりをするやく役人】 【注② しゃもじ】 【注③ 笥籠=飯を盛る器。】 【右丁】 あけ給へとたゝきけれど。あけで哥をなんよみて。出したりける   あら玉(たま)の年(とし)のみとせをまちわひてたゞこよひこそにゐまくらすれ と。いひいだしたりければ   あづさゆみまゆみつきゆみ年をへて我(わが)せしかごとうるはしみ【注①】せよ と。いひていなんとしければ女   あづさゆみひけどひかねどむかしよりこゝろは君によりにし物を と。いひければ。男かへりにけり。女いとかなしくて。しりに立て【注②】をひ 行(ゆけ)とえおひつかで。し水の有所にふしにけり。そこ成ける岩(いわ)におよひ【注③】のち【血】して書付(かきつけ)ける   あひ思はでかれぬる人をとゞめかね我身はいまぞきへはてぬめる と。かきてそこにいたづらになりにけり 廿五【丸で囲む】昔男有けり。あわしともいはざりける。女のさすが成けるがもとに。いひやりける 《割書:古今》秋の野にさゝわけし朝(あさ)の袖(そで)よりもあわでぬる夜ぞひぢまさりける いろごのみなる女かへし 【注① 立派だと褒める】 【注② 後ろについて。】 【注③ および=指】 【左丁 挿絵ゝ】 【右丁】 《割書:古今》見るめなきわが身をうらとしらねばやかれなであまのあしたゆくくる 廿六【丸で囲む】昔。男。五条わたり成ける女を。えゝず成にける事と詫(わひ)たりける人の返事に 《割書:新古今》おもほへず袖(そて)にみなとのさはぐかなもろこしふねのよりしばかりに 廿七【丸で囲む】むかし。男女のもとに。一夜(ひとよ)いきて。又もいかいかず成にければ。女の手あらふ所 に。ぬきす【注】をうちやりて。たらいのかげに見えけるをみづから   わればかり物おもふ人は又もあらじとおもへば水の下(した)にも有けり と。よむをこさりける。をとこたちきゝて   みなくちに我(われ)やみゆらんかはづさへ水のしたにてもろこゑになく 廿八【丸で囲む】むかし。色(いろ)ごのみ成ける女。出ていにければ   などてかくあふこかたみに成にけん水もらさしとむすひし物を 廿九【丸で囲む】昔 春宮(とうくう)の女御の御かたの花の賀に召(めし)あづけられたりけるに   花にあかぬなけきはいつもせしかどもけふのこよひににる時(とき)はなし 三十【丸で囲む】むかし。おとこ。はつかなりける。女のもとに 【左丁】   あふ事は玉のをばかりおもほえでつらき心のながくみゆらん 卅一【丸で囲む】むかし。宮(みや)の内にてある。ごたちのつぼねのまへをわたりけるに。何 のあたにか思ひけん。よしや草葉(くさば)よならん。さがみんといふ男   つみもなき人をうけへばわすれぐさおのがうへにぞおふといふなる と。いふをねたむ女もありけり 卅二【丸で囲む】むかし。物いひける女に。としごろありて   いにしへのしつのをだまきくりかへしむかしを今になすよしもかな と。いへりけれど。なにともおもわずやありけん 卅三【丸で囲む】むかし。をとこ。つの国。むばらのこほりにかよひける女此たびい きては。又はご【ママ】じとおもへるけしきなれば。をとこ 《割書:万葉》あしべよりみちくるしほのいやましに君に心をおもひますかな かへし   こもりゑに思ふ心をいかでかはふねさすさほのさしてしるべき ゐ中人のことにては。よしや。あしや。 【注 貫簀=竹で編んだ簀。手洗いの水が自分にかからないようにする道具。】 【右丁】 卅四【丸で囲む】むかし。をとこ。つれなかりける人のもとに   いへばえにいはねばむねにさはがれて心ひとつになげくころかな おもなくて。いへるなるべし 卅五【丸で囲む】むかし。心にもあらで。たへたる人のもとに   玉のをゝ。あはを【注】によりてむすべれば。たへてのゝちもあはんとそおもふ 卅六【丸で囲む】昔。わすれぬるなめりと。とひごとしける。女のもとに 《割書:万葉》たにせばみみねまではへる玉かづらたへんと人にわがおもはなくに 卅七【丸で囲む】むかし。男。色このみ成ける。女にあへりけり。 うしろめたくや思ひけん   我ならでしたひもとくな朝皃(あさがほ)のゆふかげまたぬ花はありとも かへし   ふたりしてむすびしひぼをひとりしてあひみるまではとかじとぞ思ふ 卅八【丸で囲む】昔。きの有つねがりいきたるに。ありきておそく きにけるによみてやりける   君により思ひならひぬ世の中の人はこれをやこひといふらん かへし   ならはねは世の人ごとになにをかもこひとはいふととひしわれしも 【注 あわを(沫緒)=ほどけやすいようによった緒。】 【左丁 挿絵】 【右丁】 卅九【丸で囲む】昔。西院のみかどゝ申す。みかどおわしましけり其みかどのみこ。たか いこと申す。いまぞかりける。其みこうせ給ひて。御はふりの夜。其 宮(みや)のと なり成ける男。御はふりみんとて。女 車(くるま)にあひのりて出たり。久しう ゐて出奉らず。うちなきてやみぬべかりける間にあめのしたの色このみ。 源(みなもと)のいたるといふ人。是も物見るに。此車を女車と見てよりきて。とかく なまめく間に。かのいたるほたるを取て女の車に入たりけるを。車成ける 人。此 蛍(ほたる)の火にやみゆらんと。ともしけちなんするとて。のれる男のよめる   出ていなばかぎり成べきともしけち年へぬるかとなく声(こゑ)をきけ かのいたるかへし   いとあはれなくぞ聞ゆるともしけちきゆる物とも我はしらずな あめの下(した)の色好(いろこのみ)の哥にては。猶そ有けるいたるはしたがふがおほぢ也。みこのほいなし 四十【丸で囲む】昔。わかき男。げしうはあらぬ女を思ひけり。さかしらするおや有てお もひもぞつくとて。此女を外(ほか)へをひやらんとす。さこそいへまたおひやらす人の子 なれば。まだ心いきほひなかりければ。とゞむるいきほひなし。女もいやしければ。す 【左丁】 まふ力(ちから)なし。さる間に思ひはいやまさりにまさる。俄(にはか)に此女をおひうつ男ちの 涙(なみだ)をながせども。とゞむるよしなし。ゐて出ていぬ男なく〳〵よめる   出ていなばたれかわかれのかたからん有しにまさるけふはかなしも と。よみてたへ入にけり。おやあはてにけり。なを思ひてこそいひしが。いとかく しもあらし。と思ふに。しんじちにたへ入にければ。まどひて願たてけり。 けふの入相ばかりにたへ入て。又の日のいぬの時ばかりになん。からうじていき 出たりける。昔の若人はさるすける物思ひをなんしけり。今の翁(おきな)まさにしなんや 四十一【丸で囲む】むかし。女はらからふたり有けり。ひとりはいやしき男の。まづしき。一人は あてなる男もたりけり。いやしき男もたる。しはすの晦日に。うへのきぬをあらひ て手づからはりけり。心さしはいたしけれど。さるいやしきわざもならはざり けれは。うへのきぬのかたをはりやりてけり。せんかたもも【ママ】なくて。たゞなきに なきけり。是をかのあてなるをとこ聞て。いと心くるしかりければ。いときよ らなるろうさう【注】の。うへのきぬを見出てやるとて 【注 ろくさん(緑衫)の音便形。六位が着る緑色の袍。】 《割書:古今》むらさきの色こき時はめもはるに野なる草木(くさき)ぞわかれざりける むさし野のこゝろなるべし 四十二【丸で囲む】昔。男。色ごのみとしる〳〵。女をあひいへりける。されどにくゝ。はたあら ざりけり。しば〳〵いきけれど。猶いとうしろめたく。さりとていかで。はたえ 有まじかりけり。猶はたえあざらりける中成けれは。二日三日 計(はかり)さはる事有て。ゑいかてかくなん   出てこしあとだにいまだかはらじをたがかよひぢといまはなるらん ものうたがはしさによめるなりけり 四十三【丸で囲む】昔。かやのみこと申すみこ。おはしましけり。其みこ。女をおぼしめして いとかしこく。めぐみつかふ給ひけるを。人なまめきて有けるを。我のみとお もひけるを。又人きゝ付てふみやる。ほとゝぎすのかたをかきて   ほとゝぎす。ながなく里(さと)のあまた有は。なをうとまれぬ思ふ物から と。いへり。この女けしきをとりて   名のみたつ。しでの田をさはけさぞなくいほりあまたとうとまれぬれは 【右丁】 時はさ月になんありける。おとこかへし   いほりおほきしでの田をさはなをたのむわがすむ里に声(こゑ)したへずば 四十四【丸で囲む】昔。あがたへ行人に。馬(むま)のはなむけせんとて。よびてうとき人にしあらざりければ 家(いへ)どうじ盃(さかつき)さゝせて。女のさうそくがつ【ママ】けんとす。あるしの男 哥(うた)読(よん)で物こしにゆひ付さす   出て行君がためにとぬぎつれば我さへもなく成ぬべきかな 此哥は。有か中にをもしろければ。心とゞめてよまず。はらにあぢはひて 四十五【丸で囲む】昔男有けり。人の娘(むすめ)のかしづく。いかで此男に物いはむと思ひけり。打出ん事 かたくや有けん。ものやみに成てしぬべき時に。かくこそ思ひしがといゝける を。おや聞付て。なく〳〵つげたりければ。まどひ来りけれど。しにければつ れ〳〵とこもりをりけり。時はみな月の晦日いとあつき比(ころ)ほひによひは あそびをりて。夜ふけて。やゝすゞしき風 吹(ふき)けり。蛍(ほたる)たかうとびあかる。此男見ふせりて 《割書:後撰》行(ゆく)ほたる雲のうへまていぬべくはあき風ふくとかりにつげこせ   くれがたき夏(なつ)の日ぐらしながむればそのことゝなく物ぞかなしき 【左丁】 四十六【丸で囲む】昔男。いとうるはしき友有けり。かた時さらずあひ思ひけるを。人の国へ いきけるを。いとあはれと思ひて。わかれにけり。月日へてをこせたるふみ に。あさましくえたいめんせで。月日のへにける事。わずれやし給ひに けんと。いたく思ひわぴ【ママ】てなんはんべる。世の中の人の心はめがるれば。わすれ ぬべぎ【ママ】物にこそあめれと。いへりければ。よみでやる   めがるともおもほへなくにわすらるゝ時しなければをもかげにたつ 四十七【丸で囲む】むかし。おとこ。ねんごろにいかでと思ふ女ありけり。されど此おとこ を。あだなりときゝて。つれなさのみまさりつゝ。いへる 《割書:古今》大ぬさのひくてあまたに成ぬれば思へとえこそたのまざりけれ かへしおとこ 《割書:古今》大ぬさと名(な)にこそたてれながれてもつゐによるせはあるてふ物を 四十八【丸で囲む】昔男有けり馬のはなむけせんとて。人を待けるに。こざりければ 《割書:古今》いまそしるくるしき物と人またんさとをはかれずとふべかりける                     上ノ終【四角で囲む】 【裏表紙】 【表紙 題箋】 《割書:新板|絵入》伊勢[物語 下] 【頭部欄外の附箋】 三ノ二 【左丁】 【本文】    伊勢物かたりよみくせ ▲四十九段いとおかしげとにごるへしうらわかみ此かの字すむべし ▲五十段あだくらべとにこるへし かたと(ヽヽヽ)と読(よも)べしたかいの心也かたみ(ヽヽヽ)とよむは 顔見の事也▲五十五段えうまじう終にわがてにいるましきを云也 ようとよむはあしゝ▲五十八段みやはらとにごるべしすだくと読べしおち ぼ田づらとにこるべしゆかましとすむべし▲六十段しそうの官人とすむ べし官人とよみきりてさてめにてとつゝくべし妻とかく也さらす(ヽヽヽ)ばさ あらすばなり▲六十三段さぶらうと読べし御男をゝんをのこと よむべし▲六十五段まかてまかんてとよむ也▲六十九段そこにご させけりとにごるべし▲七十七段めはたかいなからとにごるべし ▲七十八段山しなのせんしのみことよむべし▲八十一段たいじきと にこるべし▲八十二段やまとうだとにごるへし大和宇だ也その木 のもとこのもとゝよむべしのたまうければとにごるべしかへす〳〵ずうじたまふかへす〳〵とすむべしみねもたひらたひらと読へし▲八十五段 ことだつとにこるべしこほすがごとふりてとにごるべし▲八十七段よみけるそ このと読べしいざこの山とにこるべしゐなか人はいなかうとゝよむべし ▲九十三段あふな〳〵あうな〳〵と読べし▲九十五段なとしてなんと してとよむべし▲九十七段おほいまうちきみとにごるへし▲百一[ 段]ま らうとさねとにごるべし▲百八段風ふけばとはにとよむべし ▲百九段こひんとか見しとすむべし▲百十一段とふらふやう にてとむらふとよむべしさるとにげなくとにごるへし 【左丁】 四十九【丸で囲む】むかし男。いもふとのいとおかしけ成けるを見をりて   うらわかみねよげに見ゆる若草(わかくさ)を人のむすばんことをしそ思ふ ときこへけり。かへし   はつ草(くさ)のなとめづらしきことのはぞうらなく物をおもひけるかな 五十【丸で囲む】むかし男。ありけり。うらむる人をうらみて   鳥(とり)の子(こ)を十(とを)づつ十(とを)はかさぬとも思はぬ人をおもふものかは といへりければ   あさつゆはきえ残りても有ぬべしたれか此世をたのみはつべき またをとこ   ふく風にこぞの桜(さくら)はちらずともあなたのみがた人のこゝろは 又女かへし   行水(ゆくみつ)にかず書(かく)よりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり またおとこ 【右丁】   行水(ゆくみつ)と過(すぐ)るよはひと散(ちる)花といづれまててふことを聞らん あだくらべ。かたみにしける男女の。しのびありきしける事成べし 五十一【丸で囲む】むかし男人のせんざいにきくうへけるに   うへしうへは秋なき時やさかざらん花こそちらめねさへかれめや 五十二【丸で囲む】昔男有けり。人の許(もと)より。かざりちまきおこせたりける。返事(へんじ)に   あやめかり君はぬまにぞまどひける我は野に出てかるぞわひしき とて。きじをなんやりける 五十三【丸で囲む】昔男。あひがたき女に逢(あふ)て。物語なとする程にとりのなきければ   いかでかは鳥のなくらん人しれずおもふこゝろはまだ夜ふかきに 五十四【丸で囲む】むかしをとこ。つれなかりける女に。いひやりける   行やらぬゆめぢをたとるたもとにはあまつそらなる露(つゆ)やをくらん 五十五【丸で囲む】むかし男。思ひかけたる女のえうまじう成てのよに   おもはずはありもすらめどことのはの折ふしごとにたのまるゝかな 【左丁 挿絵】 【右丁】 五十六【丸で囲む】むかし男。ふして思ひ。をきておもひ。思ひあまりて   わが袖(そて)は草(くさ)の庵(いほり)にあらねどもくるればつゆのやどりなりけり 五十七【丸で囲む】昔男。人しれね物おもひけり。つれなき人のもとに   恋わびぬあまのかるもにやどるてふ我から身をもくだきつるかな 五十八【丸で囲む】むかし心つきて。色(いろ)ごのみなる男。長岡(ながをか)といふ所に家つくりてをり けり。そこのとなり成ける。みやばらに。こともなき女どものゐ中成 ければ。田からんとて。此男の有を見て。いみしのすきものゝしわさや とて。あつまりて入りきければ。此男。にげてをくにかくれにければ女   あれにけりあはれいく世の宿なれや住(すみ)けん人のをとつれもせぬ といひて。此みやにあつまりきゐて有ければ。此おとこ   むぐら生てあれたる宿のうれたきはかりにも鬼のすたく成けり とてなん出したりける。此女ともほひろはんといゝければ   うちにわひてをちぼひろふと聞ませば我も田つらにゆかまし物を 【左丁】 五十九【丸で囲む】昔男。京をいかゞ思ひけんひんがし山に住むと思ひ入て   すみわひぬ今はかぎりと山ざとに身をかくすへき宿もとめてん かくて。物いたくやみて。しに入たりければ。面(おも)に水そゝきなとしていき出て 《割書:古今上さう》我うへにつゆそおくなるあまの川とわたるふねのかいのしづくか となんいひていき出たりける 六十【丸で囲む】むかしおとこ。有けり。宮(みや)つかへいそがはしく。心もまめならざりける 程の家どうし。まめに思はんといふ人につきて。人の国へいにけり此おとこうさ のつかひにて。いきけるに。ある国のしそうの官人(くわんにん)の。めにてなん有と聞 て。女あるじにかはらけとらせよ。さらすはのましといひければかはらけ 取て出したりけるに。さかな成けるたち花をとりて   さ月まつ花たち花のかをかげばむかしの人の袖のかぞする と。いひけるにぞ。思ひ出てあまに成て山に入てぞ有ける 六十一【丸で囲む】むかし男つくしまでいきたりけるに。これはいろこのむといふずきも 【右丁】 のと。すだれのうちなる人の。いひけるをきゝて 《割書:拾遺》そめ川をわたらん人のいかでかはいろになるてふことのなからん 女かへし 《割書:後撰》名にしおはゞあだにそ有べきたはれ島(しま)なみのぬれ衣(きぬ)きるといふ也 六十二【丸で囲む】むかし。年ごろをとづれざりける女。心かしこくやあらざりけん。はか なき人のことに付て。人の国なりける人に。つかはれて。もと見し人の まへに出きて。物くわせなどしけり。よさり此有つる人給へとあるしに いひければ。おこせたりけり。男われをしらずやとて   いにしへのにほひはいづらさくら花こけるからともなりにけるかな といふを。いとはつかしと思ひて。いらへもせでゐたるを。などいらへもせぬと いへは。なみだのこほるゝにめも見えず。物もいわれずといふ   これやこのわれにあふみをのかれつゝ年月ふれとまさりがほなき といひて。きぬぬきてとらせけれど。捨(すて)てにけにけりいづちいぬらん共しらず 【左丁 挿絵】 【右丁】 六十三【丸で囲む】むかし。世。心つける女。いかで心なさけあらん男にあひえてしがなと 思へど。いひ出んもたよりなさに。誠(まこと)ならんゆめかたりをす子三人を よびてかたりけり。ふたりの子はなさけなくいらへてやみぬ。三郎成ける 子なん。よき御男ぞゐてこんとあはするに此女けしきいとよしこと人 はいとなさけなし。いかで此さいご中将にあはせてしかなと思ふ心有 狩(かり)しありきけるにいきあひて。道にて馬のくちを取て。かう〳〵なん 思ふといひければ。あはれがりてきてねにけり。扨のち男見えざりけ れば。女男のいゑにいきて。かいま見けるを。男ほのかに見て   もゝとせに一とせたらぬつくもがみ【注】われをこふらしおもかげにみゆ とて。出たつけしきを見て。むばらからたちにかゝりて。家(いへ)にきてうち ふせり。男かの女のせしやうに忍(しの)びて。たてりてみれば。女なげきてぬ【寝】とて 《割書:上句古今》さむしろに衣(ころも)かたしきこよひもや恋しき人にあはてのみねん と。よみけるを。男あわれと思ひて。其夜ねにけり。世の中の例(れい)として思 【左丁】 ふをば思ひ。思はぬをは思はぬ物を。此人は。思ふをも。思はぬをも。けぢめ見せぬ心なん有ける 六十四【丸で囲む】むかし男。女みそかにかたらふわざもせざりければ。いつく成けんあやしさによめる   ふく風に我身をなさば玉すだれひまもとめつゝ入べき物を かへし   とりとめぬ風には有とも玉すだれたがゆるさばか隙(ひま)もとむべき 六十五【丸で囲む】昔。おほやけおぼして。つかふ給ふ女の。いろゆるされたる有けり。お ほみやすん所とて。いますかりける。いとこ成けり。殿上(てんじやう)にさふらひける。あ り原(わら)成ける男の。まだいとわかゝりけるを此女あひしりたりけり。男 女がた【注①】ゆるされたりければ。女のある所にきて。むかひをりければ女いとかた はなり。身もほろびなん。かくなせそといひければ 《割書:新古今》思ふにはしのぶることぞまけにける逢にしかへはさもあらばあれ と。いひて。ざうし【曹司 注②】におり給へれば。例(れい)の此みざうしには。人のみるをもしら で。のほりゐければ。此女思ひわひて。さとへゆく。されば何のよき事と 思ひて。いきかよひければ。みな人聞てわらひけり。つとめてとのもづか 【注① 女方=女房の詰所である台盤所。】 【注② 宮中や貴族の邸内にある女官・官人などの宿所・部屋。】 【右丁】 さのみるに。くつは取てをくになげ入てのぼりぬかくかたはにしつゝ有わ たるに。身もいたづらに成ぬべければつゐにほろびぬべしとて。此男いかに せん。わがかゝる心やめ給へと。仏神(ふつじん)にも申けれど。いやまさりにのみ覚(おほ)えつゝ 猶わりなくこひしうのみおぼへければ。をんやうしかんなきよびてこひ せしといふ。はらへのぐしてなんいきける。はらへけるまゝに。いとゞかなし き事 数(かす)まさりて。有しよりげにこひしくのみをほへければ   こひせしとみたらし川にせしみそき神はうけずも成にけるかな と。いひてなんいにける 此みかどは。かほかたちよくをはしまして。仏(ほとけ)の御名を。御心に入て。御 こゑはいとたうとくて申給ふをきゝて。女はいとふなきけり。かゝる 君につかうまつらで。すぐせつたなくかなしき事。此男にほだされてとて なんなきける。かゝるほどに。みかど聞しめし付て。此男をばながしつか はしてければ。此女のいとこの宮す所。女をはまる【ママ】てさせて蔵にこめてしほり給ふけれは蔵          こもりてなく 【左丁 挿絵】 【右丁】   あまのかるもにすむ虫(むし)のわれからとねをこそなかめ世をばうらみじ と。なきをれば。此男は人の国より。夜ことにきつゝ。ふへをいとおもしろくふ きて。こゑはおかしうてぞあはれにうたひける。かゝれば此女はくらにこ もりながら。それにぞあなるとはきけど。あひみるべきにもあらでなん有ける   さりともと思ふらんこそかなしけれあるにもあらぬ身をしらずして と。思ひをり。男は女しあはねばかくし。ありきつゝ。人の国にありきて。かくうたふ 《割書:古今無作者》いたづらに行てはきぬる物ゆへに見まくほしさにいざなわれつゝ 水のをの御 時(とき)成べし。大みやすん所もそめ殿の后(きさき)也。五条のきさきとも 六十六【丸で囲む】むかし男。つの国にしる所有けるに。あにおとゝ友(とも)だちひきゐてな にはのかたにいきけり。なぎさをみれば。ふねどものあるを見て 《割書:後撰》なには津(つ)をけさこそみつのうらごとに是や此世をうみわたるふね これをあはれがりて。人々かへりにけり 六十七【丸で囲む】むかし。男せうえう【逍遥】しに。思ふどちかいつらねて【連れだって】。いづみの国へきさらぎ 【左丁】 はかりにいきけり。かうちの国いこま山をみれば。くもりみ。はれみ立。ゐる くもやまず。あさよりくもりて。ひるはれたり。雪(ゆき)いとしろう。木のす へにふりたり。それをみて。かの行(ゆく)人の中に。たゞひとりよみける   きのふけふ雲(くも)の立まひかくろふは花のはやしをうしと成けり 六十八【丸で囲む】むかし男。いづみの国へいきけり。住(すみ)よしのこほり。住吉の里。住吉の はまを行に。いとおもしろければをりゐつゝ行。ある人住吉の浜とよめといふ   かりなきて菊(きく)の花さく秋はあれど春のうみへに住よしのはま と。よめりければ。みな人々よまず成にけり 六十九【丸で囲む】昔。男有けり。其男。いせの国にかりのつかひにいきけるにかのいせの さいくう成ける人のおや。つねのつかひよりは。此人よくいたはれといひやれり ければ。おやの子成ければ。いとねん比(ころ)にいたわりけり。あしたにはかり に出したてゝやり。ゆふさりはかへりつゝ。そこにご【ママ】させけり。かくてねん ころにいたつき【注①】けり。二日といふ夜。男われて【注②】あわんといふ女もはたいとあは 【注① 世話をする。】 【注② 無理に。】 【右丁】 しともおもへら【注①】ず。されど人めしげければ。えあはず。つかひざね【注②】とある人な れば。とをくもやどさず。女のねやもちかく有ければ。女人をしつめて【注③】 ねひとつ【注④】ばかりに。男のもとに来りけり。男はたねられざりければ。 と【外】のかたを見いだしてふせるに月のおぼろ成に。ちいさきわらはをさき に立て。人たてり。男いとうれしくて。わがねる所にゐて入て。ねひとつ より。うし三つまて有に。まだ何事もかたらはぬに。かへりにけり。男い とかなしくて。ねす成にけり。つとめていぶかしけれど。我人をやるへき にしあらねば。いと心許なくて待(まち)をれば。明(あけ)はなれてしはし有に女の許(もと)より詞(ことは)なくて   君やこしわれや行けんおもほえずゆめかうつゝかねてかさめてか おとこ。いといたうなきて 《割書:古今》かきくらす心のやみにまどひにきゆめうつゝとはこよひさだめよ と。よみてやりてかりに出ぬ。野にありけど。心はそらにて。こよひだに 人しづめて。いととくあはんと思ふにくにのかみ。いつきのみやのかみかけ 【注① おもへり(面へり)=「おもいあり」の約。〖ラ変〗顔つきをしている。】 【注② 使実=使いの中の主だった人。正使。】 【注③ 寝静まらせて。】 【注④ 子一ツ=子の刻は午後十一時から午前一時頃までの約二時間。一刻を四分して一ツから四ツまである。子一ツは大体午前零時頃。】 【左丁 挿絵】 【右丁】 たる【注①】かりのつかひ有と聞て。夜ひとよ酒(さけ)のみしければ。もはらあひこ ともえせで。あけばおはりの国へ立なんとすれば。男も人しれ ず。ちのなみだをながせど。えあはず。夜やう〳〵あけなんとする 程に。女 方(かた)より出す。盃(さかつき)のさらに。哥(うた)を書(かき)て出したり。取てみれば   かち人【注②】のわたれとぬれぬえにしあれは と書てすへはなし。其盃のさらに。つゐ松のすみ【注③】して。哥のすへを書つぐ   またあふさかのせきはこへなん とて。あくればおはりの国へこへにけり。さいくうは水のをの御時。もん とく天わうの御むすめ。これたかのいもふと 七十【丸で囲む】むかし男。かりのつかひよりかへりきけるに。おほよどのわたり にやとりて。いつきのみやのわらはべにいひかけゝる 《割書:新古今》みるめかる方やいつこぞさほさして我におしへよあまの釣舟(つりふね) 七十一【丸で囲む】むかし男。いせのさいくうに。内の御つかひとてまいりければ。かの宮(みや) 【注① 兼ねている。】 【注② 徒歩人=歩いて行人。】 【注③ たいまつの燃え残りの炭。】 【左丁】 に。すきこといひける。女わたくしごとにて 《割書:上句拾遺》ちはやふる神のいがきもこへぬべし大みや人の見まくほしさに おとこ   こひしくばきても見よかしちはやふる神のいさむる道ならなくに 七十二【丸で囲む】昔男。いせの国成ける。女まだえあはで。隣(となり)の国へいくとて。いみしう恨けれは女 《割書:新古今》大よどの松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへるなみかな 七十三【丸で囲む】昔。そこには有と聞ど。せうそこをたにいふべくもあらぬ。女のあたりを思ひける 《割書:万葉》めにはみて手にはとられぬ月の内のかつらのことき君にぞ有ける 七十四【丸で囲む】むかしおとこ。女をいたううらみて   いはねふみかさなる山にあらねどもあはぬ日おほくこひわたるかな 七十五【丸で囲む】むかし男。いせの国に。ゐていきてあはんといひければ女   大よどのはまにおふてふみるからに心はなぎぬかたらはねども と。いひて。ましてつれなかりけれはをとこ   袖ぬれてあまのかりほすわたつ海(うみ)のみるを逢(あふ)にてやまんとやする 【右丁】 女   岩まより生るみるめしつれなくはしほひ塩(しほ)みちかひもかひも有なん 又男   なみだにぞぬれつゝしほる世の人のつらき心はそてのしづくか よにあふことかたき女になん 七十六【丸で囲む】むかし。二条のきさきの。また春宮(とうぐう)のみやすん所と申ける時。 うぢ神にまふで給けるに。このゑつかさにさふらひけるおきな。人 々のろく給わるついでに。御車より給はりて。よみて奉りける 《割書:古今をゝはら》大原やをしほの山もけふこそは神代(かみよ)のことも思ひいつらめ とて。心にもかなしとや思ひけん。いかゞおもひけんしらすかし 七十七【丸で囲む】むかし。田村(たむら)のみかどゝ申みかどおわしましけり。其時の女御。た かきこと申。みまぞかり【注①】けり。それうせ給ひてあんしやうじにて。みわざ【注②】 しけり人々さゝけ物奉りけり。奉りあつめたる物。ちさゝけ【注③】ばかり有。 そこはく【注④】のさゝげ物を。木の枝(えた)につけてたうのまへに立たれは山もさ らにたうのまへに。うこき出たるやうになんみへける。それを右大将(うたいしやう)にいま 【注① みまそがり=いらっしゃる】 【注② 法要、仏事を尊んでいう語。】 【注③ 千捧げ=平安時代、捧げものを数えるのに用いる。物の枝につけた一組の捧げものをひとささげという。】 【注④ そこばく=たくさん】 【左丁】 そかり【注⑤】ける。ふぢはらのつね行と申。いまそかりて。かうのをはるほどに。 哥よむ人々をめしあつめて。けふのみわざをだいにて。春の心ばへある哥 奉らせ給ふ。右の馬(むま)のかみ成けるおきな。目はたがひ【注⑥】なからよみける   山のみなうつりてけふにあふ事は春のわかれをとふと成べし と。よみたりけるを。今みればよくもあらざりけり。そのかみ【注⑦】は是や増(まさ)りけん哀(あはれ)がりけり 七十八【丸で囲む】むかし。たかきこと申女”御。をわしましけり。うせ給ひて七々日の みわざ。安祥寺(あんじやうし)にてしけり。右大将(うだいしやう)ふぢはらのつねゆきといふ人いま そが【濁点の打ち間違い】りけり。其みわざにまふで給ひて。かへさに【注⑧】山しなのぜんじのみこ おわします。其山しなのみやに。たきをとし水はせらせなどして。 をもしろくつくられたるに。まうで給ひて。としごろよそにはつかふ まつれど。ちかくはいまだつかふまつらず。こよひはこゝにさふらはんと 申給。みこよろこひ給ふて。夜のをましのまうけさせ給ふ。さるに かの大将。出てたばかり【注⑨】給ふやう。みやつかへのはじめに。たゞなをやは有へ 【注⑤ いまそがり=いますがり=みまそがり=みますがり=「ある」、「いる」、「おる」の尊敬語。いらっしゃる。】 【注⑥ 見間違い】 【注⑦ その当座。】 【注⑧ 帰りがけに】 【注⑨ 相談する。】 【右丁】 き。三条のおほみゆきせし時。きの国ちさとのはまに有ける。いと おもしろきいし奉れりき。おほみゆきのゝち奉れりしかば。ある人のみ ざうし【御曹司】のまへのみぞ【溝】にすへたりしを。しま【注①】このみたまふ君なり。此 石を奉らんとの給ひて。みずいしん【御随身】とねり【舎人】して。取につかはす。いく ばくもなくてもてきぬ。此石きゝしよりはみるはまされり。是を たゞに奉らば。すゞろ【注②】成へじ【ママ】とて。人々に哥よませ給ふ。右の馬のかみ成ける 人をなん。あをきこけをきざみて。まきゑ【蒔絵】の方に。此哥を付て奉りける   あかねとも岩(いわ)にぞかふるいろみへぬ心をみせんよしのなければ となんよめりける 七十九【丸で囲む】むかし。うぢの中にみこ生れ給へりけり。御うぶ屋に人々うた よみけり。御おほぢがたなりける。おきなのよめる わが門にちひろ有かげをうへつれば夏(なつ)ふゆたれかかくれざるべき これはさだかずのみこ。ときの人。中将の子となんいひけるあにの 【注① 泉水のある庭。】 【注② 何ということもなくつまらない。】 【左丁 挿絵】 【右丁】 中なごんゆきひらのむすめのはらなり 八十【丸で囲む】昔。おとろへたる家に。ふしの花うへたる人有けり。やよひのつごもり に。其日あめそぼぶ【ママ】るに人のもとへをりて。奉らずとてよめる 《割書:古今》ぬれつゝぞしゐて折つる年の内に春はいくかもあらじとおもへば 八十一【丸で囲む】むかし。左のおほいまうち君。【注①】いまぞかりけり。かも川のほとりに。 六条わたりに。家をいとおもしろくつくりて住(すみ)給ひけり。かみな月の 晦日がた。菊(きく)の花うつろひ。さかり成に。もみぢのちくさにみゆるをり。 みこたちをはしまさせて。夜一よ酒のみしあそびて。夜あけもて 行ほどに。此殿のおもしろきをほむる哥よむ。そこに有けるかたいおき な【注②】いたじきのしたにはいありきて。人にみなよませはてゝ。よみける   しほがまにいつかきにけんあさなぎにつりするふねはこゝによらなん と。なんよみけるは。みち【陸奥】の国にいきたりけるに。あやしくおもしろき所々 おほかりけり。わがみかど【注③】六十よこくの中に塩(しほ)かまといふ所ににたる所な 【注① 「オホキマヘツキミ」の転。大臣。】 【注② かたゐ翁=乞食じじい。人を卑しめて呼んだ語。】 【注③ 本朝】 【左丁】 かりけり。さればなんかの翁(おきな)さらにこゝをめてゝ。塩釜(しほかま)にいつかきにけんよめりける 八十二【丸で囲む】昔。これたかのみこと申。みこをわしましけり。山ざきのあなたに。み なせといふ所に宮有けり。年ことの桜の花ざかりには。其 宮(みや)へなんをは しましける。其時右の馬の守成ける人を。常にゐてをわしましけり。時よへて 久しく成にければ其人の名わすれにけり。かりはねん比にもせで酒をの み。のみつゝ。やまとうたにかゝれりけり今かりするかたのゝなぎさの家。 その院の桜。ことにをもしろし。其木のもとにおりゐて。えだを折てか ざしにさして。上中下(かみなかしも)皆(みな)哥よみけり。馬のかみ成ける人のよめる 《割書:古今》世[の]中にたえて桜のなかりせは春の心はのどけからまし となん。よみたりける又人のうた   ちればこそいとゝ桜はめてたけれうき世に何かひさしかるべき とて。其木のもとは立てかへるに。日くれに成ぬ。御供なる人。酒をも たせて野より出きたり。此酒をのみてん【注④】とて。よき所をもとめ行に。 【注④ 飲んでしまおう。】 【右丁】 天(あま)の川といふ所にいたりぬ。みこに馬のかみおほみきまいる。みこのの給ひ ける。かたのをかりて。あまの川のほとりにいたるをだいにて。哥よみ てさかつきさせとのたまひければ。かの馬のかみよみて奉りける 《割書:古今》かりくらし七夕づめ【注①】にやどからん天(あま)の川原にわれはきにける【ママ】 みこうたをかへす〳〵す【誦】し給ひて。返しゑ【ママ】し給はすきの有つね 御ともにつかうまつれり。それか返し 《割書:古今》一とせに一たひきます君まてばやとかす人もあらじとぞ思ふ 帰りてみやにいらせ給ひぬ。夜ふくるまて酒のみ物語して。主のみこゑ ひて入給ひなんとす十一日の月もかくれなんとすれば。かの馬のかみのよめる 《割書:古今》あかなくにまたきも月のかくるゝか山のはにげていらすもあらなん みこにかはり奉りて。きの有つね   をしなへてみねもたひらに成なゝん山のはなくは月もいらじを 八十三【丸で囲む】昔。みなせにかよひ給ひし。これたかのみこ。例(れい)のかりしにおわし 【注① 七夕伝説の織女星の異名。】 【左丁】 ますともに。馬のかみなるをきな。つかうまつれり。日比(ひころ)へて。宮にかへり 給ふけり。御おくりしていなんと思ふに。おほみき給ひ。ろく【禄】給はんとて つかはさりけり。此むまのかみ心もとながりて   まくらとて草引むすぶ事もせし秋の夜とだにたのまれなくに とよみける。時はやよひのつごもり成けり。みこおほとのこもらで。【注②】あかし 給ひてげり。かくしつゝまふでつかうまつりけるを。思ひの外に御くし をろし給ふてげり。む月におがみ奉らんとて。をのにまうでたるに。ひえ の山のふもとなれば。雪(ゆき)いとたかし。しゐてみむろ【注③】にまふでゝ。おがみた てまつるに。つれ〳〵といと物かなしくてをはしましければ。やゝ久(ひさ)しくさふら ひて。いにしへの事なと思ひ出て聞へけり。扨もさふらひてしがなと 思へど。大やけ【公】事ども有ければ。えさふらはで夕(ゆふ)ぐれにかへるとて 《割書:古今》わすれては夢(ゆめ)かとぞ思ふおもひきや雪ふみわけて君をみんとは とてなん。なく〳〵きにける 【注② 寝所にお入りにならずに。】 【注③ 御室=貴人の住居。特に、僧房・庵室をいう。】 【右丁】 八十四【丸で囲む】むかし。男有けり身(み)はいやしながら。母(はゝ)なん宮成ける。其母なが岡(をか)と いふ所に住(すみ)給ひけり。子(こ)は京にみやづかへしけれど。まふつとしけれ ど。しば〳〵えまうでず。ひとつ子にさへ有ければ。いとかなしうしたまひけり。 さるにしはす計(ばかり)に。とみの事とて御文有を。ときてみればうた有 《割書:古今》をひぬれはさらぬわかれの有といへばいよ〳〵見まくほしき君かな かの子いたううちなきてよめる 《割書:同 》世の中にさらにわかれのなくもがな千代(ちよ)もといのる人の子のため 八十五【丸で囲む】昔男有けり。わらはよりつかふまつりける。君御ぐしをろし給ふてけ り。む月にはかならずまふでけり。大やけの宮づかへしければつねにはゑ まふです。されどもとの心うしなはでまふでけるになん有ける。昔 つかふまつりし人そく成。ぜんしなるあまた参りあつまりて。む月なれば事 たつとておほみき給ひける。雪こぼすがごとふりて。ひねもすにやます 。みな人ゑひて。雪にふりこめられたりといふを。だいにてうたありけり 【左丁 挿絵】 【右丁】 《割書:古今》思へども身をしわけねばめかれせぬ雪のつもるぞわが心なる と。よめりけれよめりければ。みこいといたう哀(あはれ)がり給ふて。御ぞぬぎて給へりけり 八十六【丸で囲む】昔。いと若き男。若き女をあひいへりけり。をの〳〵親(をや)有ければ。つゝみていゝ さしてやみにけり。年比(としごろ)へて女の許(もと)に。猶心ざし果(はた)さんとや思ひけん。男哥をよみやりける 《割書:新古今》今まてにわすれぬ人は世にもあらじをのがさま〳〵年のへぬれは とて。やみにけり。男も女もあひはなれぬ宮(みや)づかへになん出にける 八十七【丸で囲む】昔男。つの国むばらの郡(こほり)あし屋の里(さと)に。しるよしゝていきて住けり昔の哥に 《割書:新古今》あしの屋のなだのしほやきいとまなみつげのおぐしもさゝずきにけり とよみける。そこの里(さと)をよみける。こゝをなんあしやのなたとはいひける 。此男。なま宮づかへしければ。それを便(たより)にて。えうのすけどもあつまり。 きにけり。此男このかみも。えうのかみ成けり。其家のまへの海(うみ)の辺(ほとり)に あそびありきて。いざ此山のかみに有といふ。ぬの引のたき見にのぼらんと いひて。のぼりてみるに。其たき物よりことなり。長(なか)さ廿 丈(しやう)ひろさ五丈ば 【左丁】 かりなるいしのおもてに。白きぬにいわをつゝめらんやうになん有ける。さる 滝【瀧】のうへに。わらふだ【注】の大さしてさし出たる石有。その石(いし)のうへのはしり かゝる水は。小かうじくりの大さにて。こぼれをつ。そこなる人にみな たきのうたよますかのえうのかみまづよむ 《割書:新古今》わが世をばけふかあすかとまつかひの涙(なみだ)のたきといづれたかけん あるじつぎによむ   ぬきみたる人こそ有らし白玉(しらたま)のまなくもちるか袖のせばきに と。よめりければ。かたへの人わらふ事にや有けん。此うたにめでゝやみにけり。 帰りくる道とをくてうせにし。くないきやうもちよしか家のまへくるに 日くれぬやどりの方をみやれば。あまのいざり火おほくみゆるに。かの主(あるじ)の男哥よむ 《割書:新古今》はるゝ夜の星(ほし)か河辺のほたるかも我すむかたのあまのたくひか と。よみて家にかへりきぬ其夜南の風 吹(ふき)て。波(なみ)いとたかしつとめて其家 のめの子共出て。うきみる【浮海松】の波によせられ□【「た」ヵ】る。ひろいて家の内にもてきぬ 【注 藁を縄にない、渦に巻いて平たく組んだ敷物。わらざ。】 【右丁】 女方より。其みるをたかつきにもりて。かしはをおほひて出したる。かしはにかけり   わだつうみのかさしにさすといはふもゝ君がためにはをしまざりけり ゐなか人の歌にてはあまれりやたらすや 八十八【丸で囲む】昔いとわかきにはあらぬ。是かれ友達(ともたち)共あつまりて。月を見てそれが中にひとり 《割書:古今》大かたは月をもめてし是ぞこのつもれば人のをひとなる物 八十九【丸で囲む】昔。いやしからぬ男。我よりはまさりたる人を思ひかけてとしへける   人しれすわれ恋しなばあぢきなくいつれの神になき名おゝせん 九十【丸で囲む】むかし。つれなき人を。いかでと思ひわたりければ。あわれとやおもひ けん。さらはあす物ごしにてもといへりけるを。かぎりなくうれしく。 又うたがはしかりければ。おもしろがりける。さくらにつけて   さくら花けふこそかくも匂ふらめあなたのみかたあすのよのこと といふこゝろばへもあるべし 九十一【丸で囲む】むかし月日の行をさへなげく男三月のつごもりかたに 【左丁】 《割書:後撰》おしめども春のかぎりのけふの日のゆふくれにさへ成にけるかな 九十二【丸で囲む】むかし。恋しさにきつゝ【来つゝ】かへれど。女にせうそこをたにえせでよめる   あしへこぐたななし小ふね【注①】いくそたび【注②】行かへるらんしる人もなみ 九十三【丸で囲む】昔男。身はいやしくて。いとに【似】なき人を思ひかけたりけり。すこしたのみ ぬべきさまにや有けん。ふして思ひ。をきて思ひ。おもひわびてよめる   あふな〳〵【注③】思ひはすへしなぞへなく【注④】たかきいやしきくるしかりけり むかしも。かゝることは世のことはりにやありけん 九十四【丸で囲む】昔男ありけり。いかゞ有けん。其男すまず成にけり。後(のち)におとこ有 けれと。子ある中成ければ。こまかにこそあらねど。時々物いひお こせけり。女がたにゑかく人なりければかきにやれりけるを。今の男 の物すとて。ひとひふたひをこせざりけり。かの男。いとつらく。をのが聞ゆ る事をば。今まて給はねば。ことはりと思へど。なを人をはうらみつべき物 になん有けるとて。ろうじて【注⑤】よみてやれりける。時は秋になん有ける 【注① たななしおぶね(棚無小舟)=棚板すなわち舷側板を設けない小舟。近世では、一枚棚すなわち三枚板作りの典型的な和船の小舟をいう。】 【注② 幾そ度=どれくらいの回数。何度も。何回。】 【注③ それぞれの分に応じて。】 【注④ 他と同等に扱えないさま。また、他と比べようもないさま。】 【注⑤ 弄ず=あざける。からかう。ひやかす。なぶる。】 【右丁】   秋のよは春日わするゝ物なれやかすみにきりやちへ【千重】まさるらん となん。よめりける。女かへし   ちゝ【千々】の秋ひとつのはる春にむかはめやもみぢも花もともにこそちれ 九十五【丸で囲む】昔。二条の后(きさき)に。つかうまつる男有けり。女のつかうまつるを。つねに見 かはして【注①】よばひわたりけり。いかで物ごしにたいめんして。おほつかなく思ひつめ たる事すこしはるかさん【注②】といひければ女いと忍て物ごしに逢(あひ)にけり物語なとして おとこ   ひこほしにこひはまさりぬあまの川へだつるせきをいまはやめてよ このうたにめてゝあひにけり 九十六【丸で囲む】むかし。おとこありけり。女をとかくいふ事。月日へにけり。いわ 木にしあらねば。心くるしとや思ひけん。やう〳〵あはれとおもひける。 其ころみな月のもちはかり成けれは。女身にかさ【瘡】ひとつふたつ出 きにけり。女いひをこせたる。今はなにの心もなし。身にかさもひ とつふたつ出たり。時もいとあつし。すこしあきかせふきたちなんとき。 【注① 見交わす=(男女が)相い逢う。】 【注② 晴るかさん=「はるかす」の未然形+意志・希望の助動詞「む」。晴らそう。】 【左丁 挿絵】 【右丁】 かならすあはんといへりけり。秋まつころほひに。こゝかしこより。其人 のもとへいなんずなりとて。くせち【注①】出きにけり。さりければ。此女のせうと【兄】 。にはかにむかへにきたりたり【ママ】。されば此女。かえでのはつもみぢをひろ はせて。うたをよみて。かき付ておこせたり   あきかけていひしながらもあらなくに木葉(このは)ふりしく江に社(こそ)有けれは とかきをきて。かしこより人をこせば。これをやれとていぬ。扨やがてのち つゐにけふまでしらず。よくてやあらんあしくてやあらん。いにし所も しらず。かの男はあまのさか手をうちてなん。のろひおるなるむくつ けき事。人ののろひ事はおふ物にやあらん。おわぬ物にやあらんいま こそは見めとぞいふなる 九十七【丸で囲む】むかし。ほり川のおほいまうち君【大臣】と申。いまぞかりけり。四十の 賀。九条の家にてせられける日。中将(ちうじやう)成けるをきな 《割書:古今》桜(さくら)花ちりかひくもれ老らくのこんといふなる道まがふかに 【注① くぜち(口舌)=文句】 【左丁】 九十八【丸で囲む】むかし。おほきおほひまうち君【太政大臣】と聞ゆる。おわしけり。つかふまつる 男。長月(なかつき)ばかりに。桜のつくり枝(えた)に。きじを付て奉るとて 《割書:古今》わがたのむ君かためにと折(をる)花(はな)は時(とき)しもわかぬ物にぞ有ける と。よみて奉りたりければ。いとかしこくをかしがりたまひて。つかい にろくたまへりけり 九十九【丸で囲む】昔。うこんのばゞのひをり【注②】の日。むかいに立たりける車(くるま)に女のか ほの。下すたれよりほのかに見えければ。中将(ちうじやう)成ける男よみてやりける 《割書:古今》見すもあらず見もせぬ人のこひしくばあやなくけふやながめくらさん かへし   しるしらぬ何(なに)かあやなく【注③】わきて【注④】いわん思ひのみこそしるべ成けれ のちは。たれとしりにけり 百【丸で囲む】むかしおとこ。後涼殿のはざまをわたりければ。あるやんごとなき 人の御つぼねより。わすれぐさを。しのぶぐさとやいふとて。いださせ 【注② 日折り=平安時代、五月五日に左近衛の舎人(とねり)が、翌六日に右近衛の舎人が、馬場で競馬・騎射(うまゆみ)の真手番(まてつがひ)をしたこと。手番(てつがひ)=射手を左右に一人ずつつがわせて競わせること。予行の荒手番と正式の真手番がある。】 【注③ わけもなく。】 【注④ 区別して。】 【右丁】有 たまへりければたまはりて   わすれ草おふるのべとは見るらめとこはしのぶなるのちもたのまん 百一【丸で囲む】むかし。左兵衛督(さひやうへのすけ)【「かみ」の誤記】なりける。ありはらゆきひらといふ有けり。其 人の家に。よき酒(さけ)有と聞て。うへに有ける左中(さちう)べんふぢはらのまさ ちかといふをなん。まらうとさね【注①】にて。其日はあるしまうけしたり ける。なさけある人にて。かめに花をさせり。其花の中に。あやしき ふじの花有けり。花のしなひ【注②】三尺六寸ばかりなん有ける。それを だいにてよむ。よみはてがたに。あるじのはらからなる。あるしし給ふ と聞て来りければ。とらへてよませける。もとよりうたの事はしらざ りければ。すまひ【注③】けれど。しゐてよませければかくなん   さく花のしたにかくるゝ人おほみ有しにまさるふじのかげかも なと。かくしもよむといひければ。おほきおとゞ【太政大臣】のゑいぐわのさかり にみまそかり【注④】て。ふぢうぢのことにさかゆるを思ひてよめるとなん 【注① まらうどざね=正客】 【注② 垂れた花房。】 【注③ 断る。】 【注④ いらっしゃる。】 【左丁】 いひける。みな人そしらず成にけり 百二【丸で囲む】昔。男有けり。哥はよまざりけれど。世[の]中を思ひしりたりけり。あ てなる【注⑤】女の。あまに成て。世の中を思ひうんじて。【注⑥】京にもあらすはる かなる山 里(さと)に住(すみ)けり。もとしぞく【注⑦】成ければ。よみてやりける   そむくとて雲(くも)にはのらぬ物なれと世のうきことぞよそに成てふ となん。いひやりけり。さいくうのみやなり 百三【丸で囲む】むかし男有けり。いとまめに。じちよう【注⑧】にてあだ【注⑨】成心なかりけり ふかくさのみかどになんつかうまつりける。心あやまりやしたりけんみこ たちのつかひ給ひける。人をあひいへりけりさて 《割書:古今》ねぬる夜のゆめをはかなみまどろめばいやはかなにも成まさるかな となん。よみてやりける。さる哥のきたなげさよ 百四【丸で囲む】昔ことなる事なくて。あまになれる人有けり。かほやつしたれど。 物やゆかしかりけん。かものまつり見に出たりけるを。哥よみてやる 【注⑤ 身分が高い。】 【注⑥ いやになって。「うんじ」は「倦みし(為)」の転。】 【注⑦ 親族。シンゾクの「ン」を表記しなかった形。】 【注⑧ 実用=まじめ。実直。】 【注⑨ 不誠実で浮気っぽいさま。】 【右丁】 世をうみのあまとし人をみるからにめくばせよともたのまるゝかな これは。さいくうの物見給ひける。くるまにかくきこへたりければ。みさ して【注①】かへりたまひにけりとなん 百五【丸で囲む】むかし男。かくてはしぬべしといひやりたりければ。女   しらつゆはけ【消】なばけ【消】なゝんきへずとて玉にぬくべき人もあらじを といへりければいとなめし【注②】と思ひけれど心ざしはいやまさりけり 百六【丸で囲む】昔男。みこたちのせうえう【逍遥】し給ふ所に。詣(もふて)てたつた川の辺(ほとり)にて 《割書:古今》ちわ【ママ」】やふる神代(かみよ)もきかずたつた川からくれなゐに水くゞるとは 百七【丸で囲む】昔。あてなる男有けり。其男のもとなりける人を。内記(ないき)にあり ける。ふじはらのとしゆきといふ人よばひけり。されどまたわかければ 。文もをさ〳〵しからす。詞(ことは)もいひしらす。いはんや哥はよまさりければ。かの あるし成人案を書(かき)て。かゝせやりけり。めてまどひける。扨男のよめる 《割書:古今》つれ〳〵のながめにまさる涙(なみた)川 袖(そて)のみひちてあふよしもなし 【注① 見物途中で。】 【注② 無礼である。】 【左丁 挿絵】 かへし。れいのをとこ。女にかわりて 《割書:古今》あさみこそ袖はひつらめなみだ川身さへながると聞はたのまん と。いへりければ。男いといたうめでゝ。今までまきて。ふばこに入て。ありと なんいふなる男。ふみをこせたり。えて後(のち)の事成けり。あめのふりぬ べきになん。見わづらひ侍る。身さいわひあらば。此あめはふらしといへり ければ。れいのをとこ。女にかはりて。よみてやらす 《割書:古今》かず〳〵に思ひ思はずとひかたみ身をしる雨(あめ)はふりぞまされる と。よみてやれりければ。みのも。かさも。取あへで。しとゝにぬれてまどひきにけり 百八【丸で囲む】むかし女。人のこゝろをうらみて   風ふけばとばになみこすいわなれやわか衣(ころも)でのかはくときなき と。つねのことくさにいひけるを。聞(きゝ)をひ【注①】ける。おとこ   よひごとに蛙(かわつ)のあま[た]なく田には水こそまされあめはふらねど 百九【丸で囲む】むかし男ともだちの人を。うしなへるがもとにやりける。 【注① 「聞き負ひ」=自分のこととして聞く。】 【左丁】 《割書:古今》花よりも人こそあたに成にけりいづれをさきにこひんとか見し 百十【丸で囲む】むかし男。みそかに【注②】かよふ女有けり。それがもとより。こよひゆめ になん見へ給ひつると。いへりければ。をとこ   思ひあまり出にし玉【魂】の有ならん夜ふかくみへば玉むすび【注③】せよ 百十一【丸で囲む】昔男。やんごとなき女のもとに。なく成にけるを。とふらふやうにて。いひやりける   いにしへは有もやしけん今ぞしるまた見ぬ人をこふるものとは かへし   下ひものしるしとするもとけなくにかたるかごとは恋すそ有べき またかへし 《割書:後選【ママ】》こひしとはさらにもいわじ下紐(したひも)のとけんを人はそれとしらなん 百十二【丸で囲む】むかし男。念比(ねんごろ)にいひちぎりける。女のことざまに【注④】成にければ 《割書:同》すまのあまのしほやくけふり風をいたみ思はぬ方にたな引にけり 百十三【丸で囲む】むかしをとこ。やもめにていて   ながからぬいのちの程(ほと)にわするゝはいかにみしかき心なるらん 【注② ひそかに。】 【注③ 身から浮かれ出た魂を結び止めるまじない。】 【注④ 「ことざまになる」の形で、他の男に心を移した、或は別の男と結婚するの意。】 【右丁】 百十四【丸で囲む】むかし仁和のみかと。【注①】せり川に行幸し給ひける時。今はさる事なれ なく思ひけれど。もとつきにける事なれば。おほたか【大鷹】のたかかひ【鷹飼】にて さふらはせ給ひける。すりかりぎぬ【摺狩衣】のたもとにかきつけける   おきなさび【注②】人なとかめそかりころもけふばかりとぞ田鶴(たつ)もなく成 おほやけの御けしきあしかりけり。をのがよはひを思ひけれと。わかゝら ぬ人はきゝをひけりとや 百十五【丸で囲む】むかし。みちの国にて男女すみけり。男 都(みやこ)へいなんといふ。此女い とかなしうて。むまのはなむけをだにせんとて。おきのゐて【注③】みやこし まといふ所にて。さけのませてよめる 《割書:古今》おきのゐて身をやくよりもかなしきはみやこ島べのわかれ成けり 百十六【丸で囲む】むかし男。すゞろにみちの国迄まどひいにけり。京に思ふ人にいゝやる 《割書:拾遺》なみまよりみゆる小島のはまひさし【注④】久しく成ぬ君にあひみて なに事も。みなよくなりにけりとなん。いひやりける 【注① 光孝天皇。仁和は在位中の年号。】 【注② 老人らしくふるまう。】 【注③ 語義未詳。】 【注④ 浜庇。「浜楸(浜辺のひさき)」を伊勢物語で読み誤ったためにできた歌語という。多く「久し」を導く序として使われる。浜辺の家のひさし。】 【左丁】 百十七【丸で囲む】むかし。みかとすみよしに行幸し給ひけり 《割書:古今》われ見ても久しく成ぬ住吉(すみよし)のきしのひめ松いくよへぬらん 御神げきやう【注⑤】したまひて 《割書:新古今》むつまじと君はしらなみみづかきの久しき代よりいはひそめてき 百十八【丸で囲む】昔男。久しく音(をと)もせで。わするゝ心もなく。まいりこんといへりければ 《割書:古今》玉かづらはふ木あまたに成ぬればたへぬ心のうれしげもなし 百十九【丸で囲む】むかし。女のあだなる【注⑥】男のかたみとて。をきたる物ともをみて 《割書:古今》かたみこそ今はあだなれこれなくばわするゝ時もあらまし物を 百廿【丸で囲む】むかしおとこ。女のまた世へずとをほへたるが。人の御もとにし のひて。ものきこゑてのち。ほどへて   あふみなるつくまのまつりとくせなんつれなき人のなべのかずみん 百廿一【丸で囲む】むかしおとこ。梅(むめ)つぼよりあめにぬれて。人のまかりいづるをみて   うぐひすの花をぬふてふかさもがなぬるめる【注⑦】人にきせてかへさん 【注⑤ げぎょう(現形)=「ゲンギヤウ」の撥音「ン」を表記しない形。神仏など霊的なものが姿を現す事。】 【注⑥ 浮気な。】 【注⑦ 「濡る」終止形+推量の助動詞「めり」の連体形。濡れて行くだろう】 【右丁】 《割書:かへし》うぐひすの花をぬふてふかさはいなおもひを付よほしてかへさん 百廿二【丸で囲む】むかしをとこ。ちぎれる事あやまれる人に 《割書:新古今》山しろのいでの玉水手にむすびたのみしかひもなき世成けり と。いひやれどいらへもせず 百廿三【丸で囲む】むかし男有けり。ふかくさにすみける女をやう〳〵あきがたに やをもひけん。かゝるうたをよみけり 《割書:古今》としをへてすみこしさとを出ていなばいとゞふかくさ野とや成なん 《割書:同 》野とならばうづらと成て鳴(なき)をらんかりにだにに【ママ】やは君はこざらん と。よめりけるにめでゝ。ゆかんと思ふ心なく成にけり 百廿四【丸で囲む】むかし男。いかなりけることを思ひけるをりにかよめる   おもふ事いわでぞたゞにやみぬべきわれとひとしき人しなければ 百廿五【丸で囲む】むかしをとこ。わづらひてこゝちしぬべくをぼへければ   つゐに行(ゆく)道(みち)とはかねてきゝしかどきのふけふとは思はざりけり 【左丁】 近(きん)-代(だい)以(もつて)_二狩(かりの)-使(つかいの)-事(ことを)_一為(する)_レ端(はしと)之(の)本(ほん)出(いて)-来(きたり)末(まつ)代(だい)之(の)人(ひと)今(こん) 案(あん)也(なり)更(さらに)不(す)_レ可(へから)_レ用(もちゆ)_レ之(これを)此(この)物(もの)語(かたり)古(こ)-人(しん)之(の)説(せつ)々(〳〵)不(ず)_レ同(をなしから)或(あるひは) 云(いひ)_二在(さい)中(ちう)将(じやう)之(の)自(し)書(しよと)_一或(あるひは)称(しやうし)_二伊(い)勢(せが)筆(ひつ)作(さくと)_一畢(をはんぬ)被(かれ)【彼】此(これ) 有(あり)_二書(かき)落(をとす)事(こと)等(たう)_一 上(しやう)古(こ)之(の)人(ひと)強(あなかち)不(す)_レ可(べから)_レ尋(たづね)_二其(その)作(さく)者(しやを)【一点脱ヵ】只(たゝ) 可(べき)_レ翫(もてあそふ)_二詞(し)花(くわ)言(げん)葉(ようを)【一点脱ヵ】而已(のみ) 戸(こ)部(ほう)尚(しやう)書(しよ)在判 宝永弐年 孟春吉祥日 御幸町通二条上 ̄ル二町目【蔵書印】  磯田太良兵衛【落款】波 【左上】 牽牛(けんきう) 七夕  凡河内躬恒(おふしかうちのみつね) 年(とし)ごとにあふとは   すれど七夕(たなはた)の  ぬる夜(よ)のかずぞ   すくなかりける  能因法師(のうゐんほうし) 秋の夜を あり  ながき  ける   物とは 影(かげ)  ほしあひの  見ぬ人のいふにぞ  民部卿為藤(みんぶきやうためふち) 天の川その    みなかみは あふ きはむとも   せははても  をもふとそあらし  中務卿親王(なかつかさきやうしんわう) たなばたの恋や  つもりて天(あま)の川 まれなる中の   ふちと成らん 【45コマ目と同】 【左頁左下の折返に手書き文字有り】 【裏表紙】