末代噺の種 □ 末代噺の種 □【全】 【角朱印】 しんまちみつ井け 地震并津浪之 説(わけ) 地震(ぢしん)      西南海 【輪の外側上から時計回りに】 要石 正月 二月 三月 四月 五月 六月 七月 八月 九月 十月 十一月 十二月 【輪の中】  【上部】 東国【國】  【中部】 日本六十余州 其余外国異国(ソノヨグワイコクイコク) 皆此上ニ有ト云  【下部】 西国【國】 之 図(づ)【圖】    北氷海 【本文】 夫(それ) 地震(ぢしん)といふは其 象(かた)ち別に地底(ちてい)にあるにあらず陽気(やうき)【氣】 陰(いん)の下に伏(ふく)して陰気に迫(せま)り昇(のぼ)ること能(あた)はず陽気 渋滞(とゞこふり)て 歳月を経(ふ)るに随(したが)ひ地裂(ちさけ)て陽気天に発【發】せんとして振動(しんどう)する なり又 津浪(つなみ)といふて別に地中より水を発(はつ)【發】するの謂(いひ)にあらず 天地の間(あいだ)陽陰につゝまれて動発(どうはつ)【發】する事 大底(たいてい)地震に等(ひと)し故(ゆへ)に 地震(ぢしん)に依(よつ)て起(をこ)り或は大風雨に就(つい)て起(をこ)る其発【發】する所一ならざるを以(もつて)知(しる)べ し 大地震(おほぢしん)末代噺種(まつだいばなし) 一嘉永七甲寅年十一月四日 朝(あさ)五ツ時過より大地震(おほぢしん) それより昼夜(ちうや)少々(しやう〳〵)づゝ ゆり五日 昼(ひる)七ツ過又〳〵 大ゆり夜(よる)五ツ半時 頃(ころ)又 大ゆり夫(それ)より格別(かくべつ)の 大震(おほゆり)は無之(これなく)候へども 大底(たいてい)人家崩(じんかくづ)れ破損(はそん) 図(づ)のごとく且(かつ)大道(だいだう)へ たゝみを敷(しき)あるひは 小屋を掛(か)け夜(よ)を 明(あか)し申候事 前代(ぜんだい) 未聞(みもん)の事ども也 大地震末代噺種 【上段】 座摩(ざま)宮 鳥居門 石とうろう 絵馬堂崩る 本社無事 怪我(けが)人なし △本町心斎ばし并東へ入  うら長や 惣くづれ △北久太郎町丼池北へ入所  西側家二軒崩る △本町狐小路東側寺の  高塀崩る △同所南の辻角より北へ  七八軒大そんじ △南本町心さい橋筋東へ入  北がわ人家壱【壹】軒大そんじ 【下段】 △南御堂北西手の塀少々  そんじ南の門大ゆがみ  井戸やかた崩る △博労町いなりの鳥居大  ゆがみ石灯篭 倒(たふ)れる △御霊(ごれう)社内井戸屋かた崩る △塩町さのや橋筋角より  北へ半丁ばかり壱【壹】丈余【餘】の  高塀(たかへい)西手へくづれ落(を)ち         死人二人あり 大地震末代噺種 【上段】 ◯道修町せんだんの木筋  高塀十間ばかり崩る ◯順慶町丼池東南角人家  二軒大損じ 天満   不動寺(ふどうじ) 大そんじ   本尊(ほんぞん)   菱形(ひしなり)に   なる 右の近辺【邊】ゆがみ倒れ破(は) 損等おびたゝし ◯堀川の夷境内少〳〵の  いたみ此辺【邊】東西南北  少々づゝの損じあり ◯天満妙見絵馬堂崩る 【下段】 ◯淡路町西の土蔵(どぞう)くづれる ◯長ほりさのや橋北詰の  裏長屋七八軒大崩れ ◯天満天神井戸屋かた  土蔵大崩れ夫より東シ  寺町寺院門塀崩れ損じ  多し此近辺【邊】少々づゝの  いたみ家倒れかけ候處  あまた有之住居ならず 天満 西寺町 金毘羅(こんぴら)の 絵馬堂(えまだう) 大くづれ其外 損じ数ケ所    あり 大地震末代噺種 【上段】 ◯北の新地みどりはし北詰  西南 煮(に)うりやより西へ  四五軒大そんじ ◯梅田橋北詰に西へ入裏町  の家二けん崩る ◯常安ばし南詰西角の  人家往来へ倒(こけ)る ◯服部(はつとり)天神大損じ同所  寺二軒くづれそのほか  人家十軒ばかり崩る ◯願教寺裏手の長屋二  十軒ばかり崩る ◯阿波座岡崎ばし南詰  半丁東へ入所の人家五  六軒くづれる 【下段】 北の新地 下ばら   辺【邊】 人家 凡四十 けん ばかり   倒(たふ)れる ◯高原牢【窂】やしき前の家  一軒崩る ◯野ばく【畑地】蝋納屋(らうなや)十三げん  ばかり崩る ◯上本町御はらひすじ【御祓筋】  近辺【邊】少々づゝの損じ  あまたあり ◯川西願教寺 対(たい)【對】面(めん)所大  くづれ前すじ北へ入 練(ねり)   塀(へい)【ねりべい=瓦と練った土とで築き上げ、上に瓦を葺いた 塀】大ゆがみ 大地震末代噺種 【上段】 ◯福嶋上の天神表門崩る ◯汐津(しほつ)橋南詰凡長さ十  五間の土蔵惣壁落柱  ばかり残る ◯堂嶋 桜(さくら)ばし南詰西へ  入所人家五六軒崩る ◯天満梅がえ寺町の行  あたり正覚寺 境内(けいだい)金毘(こんぴ)  羅の社絵馬堂くづる 【下段】 ◯福島中の天神本社残り  境内の建物(たちもの)のこらず倒(たふれ)る ◯同下の天神絵馬堂崩  その外少々の損じあり ◯同光智院の玄関(げんくわん)大崩 ◯同人家大体一町に付  七八軒づゝ崩れ有之 ◯同五百羅漢堂大損し ◯大二村人家凡三十けん  ばかり崩る ◯汐津ばし北詰東へ入  所の風呂屋大崩れ ◯右向ひの人家八軒斗り  大くずれに相成 ◯梅田橋東へ入所の高塀砕(たかへいくだけ)ル 大地震末代噺種 【上段】 ◯京町ぼり紀伊國ばし南詰  西入 裏長屋(うらながや)二三げん  大崩れ ◯新町(しんまち)問屋橋角人家  七八軒大損じ 新町井戸の辻(つぢ) 南東角大崩れ 夫より少し 東の 寺 大 ゆ がみ ◯奈良屋ばし筋おくび町  角人家 倒(たふ)れかけ住居  ならず ◯北江戸ぼり壱【壹】丁目の   高塀(たかへい)十間計崩る 【下段】 ◯江戸堀 犬斎(けんさい)ばし人家  四五軒崩る ◯堀江 橘通(たちばなどふり)三丁目人家  半丁ばかり大損しこの  近辺【邊】人家土蔵そんじ  所々有之 ◯同いなり御旅所(おたびしよ)境内   神楽所(かぐらしよ)角力場(すまふば)大損じ  座敷くづるゝ ◯白髪(しらが)町くはんおん横町    高(たか)へい崩る ◯ざこ場石津町角崩る ◯堀江あみだ池裏門筋  の辻南東角高塀四間  ばかり崩る 大昔(おほむかし)《割書:宝永|四年》地震津浪聞書 宝永四年《割書:嘉永七寅迄|百四十八年に成》十月四日未上刻大坂大地震 に付舟にて内川【うちがわ=支流】に遁(のがれ)居候所 俄(にはか)に津波にて破船(はせん)シ皆々 死(しに)申候 《割書:南組|北組》 地震にて潰家(つぶれいえ) 六百二十【拾】軒 南組 同 押打(おしうたれ)死人 三千六百二十余【弐拾餘】人 北組 同    二【弐】千三百三十一【拾壹】人 南組 つなみにて水死(すいし) 一【壹】万二【弐】千人 北組 同        一【壹】万二【弐】千三十【拾】人 落橋(をちたるはし) 二十二【弐拾弐】  折橋(をれたるはし) 四ツ 道頓ぼり汐込(しほごみ)にて廻船大小百二十七 艘(そう)日(につ) 本(ぽん)ばし迄いやがうへに押来り此処【處】にて留り微塵に成 死人惣合二【弐】万九千九百八十一【拾壹】人 枚方(ひらかた)にて川船 数艘(すそう)打破人家押流し此所にて津浪止る 《題:《割書:大地震|大津浪》忠心蔵《割書:九|段|目》秡文句》 【上段】 寒空(さむそら)といひ 此度の  おもひがけない ぢしん 仕(し)よふ【仕様(しやう)か】を爰(こゝ)に 大屋の  見せ申さん  小やがけ 風雅でもなく 大屋のかこい【「ひ」とあるところ。】で しやれでなく 酒のんでゐるかへ とんと絵(え)に 大黒はしのふね         はんこう引合   書(かい)たとふり  してゐる人  折角(せつかく)おもしろふ ちして茶屋から え【「ゑ」とある所。】ふた酒 とんで出る客(きやく) たすきはづ   昼(ひる)めし前の して飛(とん)で出る  ゆさ〳〵 是上られいと  用意(ようい)の  さし出(いだ)す    気(き)【氣】つけ 飛脚(ひきやく)が来(き)たらば  遠方(えんほう)へ  しらせいよ     出(だ)す手かみ おまへなり  大工方 わたしなり   手待ち 是は〳〵   往来(わうらい)で瓦(かはら)が  いたみ入  おちてけがした人 わたしが役(やく)の 大地しんで   二人(ふたり)まへ  にはかに男世帯(をとこせたい) いかにやくそく 津なみで  なればとて    死(しん)だ人 【下段】 様子(やうす)に依(よつ)ては 諸方の きゝ捨(すて)られぬ  大つなみ おやの欲目(よくめ)か 新たち  しらねども  家にゐる人 そりや真実(しんじつ)か 大こくはしの  まことかと   噂(うはさ)を聞(きく)人 家(いへ)にも身にも  銘々(めい〳〵)にかねを かへぬ重宝(てふほう) もたして逃す人 途方(とはう)にくれし  在所(さいしよ)の親(しん)るいゟ をりからに   むかひに来(き)た人 がてんがゆかぬ つなみで止(やん)だと コリヤどふじや おもふに又ゆさ〳〵 遊興(ゆうきよう)に耽(ふけ)り大(おゝ)  見舞かこつけ 酒(ざけ)に性根(しやうね)を乱(みだ)し  茶やへ行 息子(むすこ) 日本一の    外(そと)へも出すじまん あほふの鑑(かゞみ)  顔(がほ)でへたつてゐる人 嘸(さぞ)本望(ほんほう)【「望」の振り仮名が「も」に見えず、さりとて「ほ」では字母が不詳。取り敢えず「ほ」を入れました。】で  材木屋  こざらふ  かういふ事が 年より子共を  いやさに   在所(ざいしよ)へ預(あつけ)た人 絵面(えめん)にくはしく  遠方(えんはう)へ手紙に   書付(かきつけ)たり   封(ふう)じ込(こむ)はんかう【頒行】 移(うつ)りかはるは  ぢしんも納(おさま)り   よのならひ   春(はる)のしこみ 嘉永七甲寅十一月 大地震相撲取組《割書:頭取世直シ震蔵|世話人白米安右衛門》 巳ノ時  二度目  堂崩レ   永來目(エライメ) ̄ニ 震(ユリ)出 ̄シ  仰天   土煙   阿武松 浪花瀉  清水  大道  西ノ方 大恵羅  舞台飛 夜明 ̄シ 黒雲 大 震(ユリ)  座摩ノ宮  伝【傳】法瀉  馬場 肝潰   鳥居倒【「コケ」を左ルビ】  藏倒【「ヘタリ」を左ルビ】                 人ノ山 大破損  材木矢   吹(フ) ̄イ子(ゴ)  夜通 ̄シ 変宅   大悦   大不寄   逃【「ニゲ」を左ルビ】仕度 普請方  南御堂  高塀   神仏(シンブツ) 幸 ̄ヒ   門 斜【「イガミ」を左ルビ】  皆 倒【「コケ」を左ルビ】  大 祈【「イノリ」を左ルビ】 瀬戸物   起番(オキバン)  用心    尼ケ崎 大割 ̄レ  酒はつみ  軒【「ノキ」を左ルビ】丸太  半崩 ̄レ 都方  伊勢ノ海  四日市  商 ̄ヒ 静 ̄カ  大荒 ̄レ   夏通 ̄リ   半休日【「ハンヤスミ」を左ルビ】 大津浪末代噺種(おおつなみまつだいばなし) 一嘉永七甲寅十一月五日七ツ時過 大地震後(おほぢしんご)沖合 鳴出し夜五ツ半時 頃(ころ)大津なみと相成高さ一 丈余(じやうあま)【餘】りの大浪矢よりも早く打来り天保山の 人家 惣崩(そうくつ)れ泉尾新田今木新田月正嶋木津 難波新田勘介嶋寺嶋一面の白海と相成田地は 勿論(もちろん)人家不残流れ死人数を知らす千石二千石 或は五百石の大船木津川安治川両川口に繫居(かゝりおり)ゝ 所【處】右の津浪にて両川口へ分れ逆巻(さかまく)ごとく内川へ 矢よりもはやく突上け故 剣(けん)【剱】 先(さき)【「剣先舟」の略】 上荷(うわに)【「上荷舟」の略】 茶舟(ちやふね)押潰(おしつぶ)され あるひは大船の下敷に相成荷物は勿論乗込の人々 溺死(できし) 幾(いく)千人といふ数を知らす大船も五百石千石等の 船の上へ弥(いや)が上(うへ)に乗上け事故互ひに打砕け是亦死 人数しらず夫故内川の浜【濱】側掛造り【かけづくり=水の上や傾斜地に建物を張り出して作ること。またその建物。】の家は勿論(もちろん)藏 【絵画面にて文字はないが強いては船名が記されている】 ■大丸 納屋等に至ること悉(こと〳〵)く大船の爲に打砕(うちくた)かれ且 道頓堀川筋は日吉橋 汐見(しほみ)橋 幸(さいわい)橋住吉橋この 四ツの橋 押落(おしをと)し其音百雷の落来ることし漸 大黒橋にて水勢三方へわかれ候事故此所にて 船止る込合居候船千石已上已下の船凡三百余【餘】 艘 剣先(けんさき)以下の小舟凡千艘 崩(くつ)れて形(かた)ち無之 舟数を知らず又安治川は同様の勢ひなれ共(とも) 川はゞひろく道頓堀川筋よりは死人 破船(はせん)等も すくなく橋は安治川橋亀井橋二ヶ所落ち堀 江川筋落橋水分橋黒金橋長堀川高橋落る 道頓堀西横堀金屋橋 帆柱(ほはしら)にて半崩れ実(しつ)に あはれ成は地震 最中(さいちう)に上荷【「上荷舟」の略。】茶舟等の小舟 にておもひ〳〵に地震を除(よけ)んとて内川に 舟住居(ふなすまい)致し且は浜側(はまかは)の明地(あきち)へ逃出(にけいた)し居候 男女老若右の津浪にて一人ものこらす水 死いたし候恐るべし〳〵 大津波末代噺種 志州 鳥羽(とば) の湊(みなと)大 津浪(つなみ)にて 御家中町家とも惣 くづれ又みなと川口に かゝり有之大船小ふね 陸(くが)へ打上あるひは海中へ 捲(まき)こみ死人何千とも 相わからす目も 当られぬ次第也 ◯淡州福良(だんしうふくら)は惣家数三百余【餘】軒の処 【處】大つなみ  にてのこらず流れ此嶋跡かたもなく相成申候 ◯勢州山田松坂津白子四日市 桑名(くわな)すべて  浜辺【濱邊】の人家は大体 鳥羽(とば)におなし ⦿摂州尼ケ崎つなみ内川水壱【壹】丈余【餘】り増す船  人家の損し夥(おびたゝ)しく死人百余【餘】人あり 大津浪末代噺種 十一月五日夕 大津波(おほつなみ) 突来(つきく)る前に大坂の西 前垂嶋(まえだれじま)といふ処【處】へ丈(た)け 二丈ばかりの高坊主(たかぼうず) 出たり人々是を見て 肝(きも)を潰(つぶ)しアレヨ〳〵と いふうち海に入 陸(くが)に 向ひ手にて水を かける如くして姿(すがた) 見へず成(なる)と 間(ま)もなく 大 津浪(つなみ) 突(つき)来る 是此 変(へん)を告しならんと 後(のち)に思ひ合しける 嘉永七甲寅十一月 《題:大津浪相撲取組《割書:頭取湊 荒右エ門|世話人響灘浪之助》》 沖鳴  大津浪  早浪  大浪 雷の音  逆【「サカ」を左ルビ】巻  落橋   破【「ヤフ」を左ルビ】船 大黒橋  新田  小舟皆  荒湊 船詰リ  白海   微塵【「ミヂン」を左ルビ】  家無シ 問屋瀉  川材木  荷主山  勘助嶋 皆損シ  大流シ  大泣  大 漬【「ツカ」を左ルビ】リ 住ノ江  割茶舟   跡(アト)残り  荷流シ 静【「シツ」を左ルビ】カ  人流シ  橋台【臺】  大損シ 金屋橋  天保山  船持  西ノ浜【濱】 半崩【「クツ」を左ルビ】レ  家流シ  大 弱【「ヨワ」を左ルビ】リ   肝潰【「キモツブ」を左ルビ】シ 出水川  掛造リ  水勢  浜【濱】納屋 割リ舟  大破損  町流  藏崩 鳥羽浦  紀伊ノ海  大群集  多人力 惣崩   大荒    人の山  引船 《題:《割書:大地震|大津浪》大功記十段目《割書:秡| 文|  句》》 しあん投首(なけくび)   つなみては船【破船】           した 荷(に)主 おもひをくこと  よういして  さらになし    ばんばへ出た人 早本国へ     遠まてつなみ  引とり給へ   の噂(うはさ)聞人 あはやと見やる   ふる家急に 表(をもて)口数ケ所の手 疵(きす) 宿かへする人 顕(あら)はれ出(いて)たる  まいはん【毎晩】            西に黒雲 ぬき足(あし)     へたり掛たる家へ  さし足     着物取に這入人 わつと玉(たま)ぎる  地(ち)しん最中産(さいちうさん)   女のなき声(こゑ)【聲】 の気(け)の付(つい)た人 聞(きこ)ゆるもの音(おと)   大道(だいだう) 畳敷(たゝみしい)て こゝろえたりと   内にゐる人 互(たかい)の身(み)の   注文物船(ちうもんものふね)へ  しあはせ   つまなんた人 水あげかねし  大地しん  風(ふ)ぜいにて   藏仲仕(くらなかし) 末世(まつせ)の記録(きろく)に   大黒(たいこく)ばしへ のこしてたべ   つまつた船 操(みさほ)の鏡(かゞみ)  住よしの浜(はま)【濱】  くもりなき つなみなし 【下段】 他家へ縁付  大はそんした して下され   家ぬし 詞はゆるかぬ  大坂の  大はん石     御城 しるしは目前  家ちんの   これを見よ   やすい古家 追〳〵都へ   諸国よりの   はせのほる   見舞状 高名手がらを  普請方  見るやうな 我(われ)又 孫呉(そんご)が  大道へ素人細工の   秘術をつくし  小家たてる人 とかふ言内    かんばん出した  時こくが延る  道頓堀の芝居 まだ祝言の  地しんて  さかつきを   延(のひ)たこん礼 あたりまば  下やしきへ逃(にげ)る  ゆき出立は  北辺の御寮人(これうにん) 行方しらす  津なみて  なりにけり  おちた橋〳〵 さやうなれは  明地【あきち】のある所へ 御遠慮なし   とまりに行人 めでたい〳〵  家内に          けがのないの 《題:《割書:大地震|大津浪》世直し万歳(まんざい)》 時は嘉永寅の冬みるもさはぎまし升そうどう ありけるあらましの飛出(とびだ)しさはぐわれらよりたれもおど ろき皆目をさましあはてけるは誠に手ひどふさアはぎ けるけふのゆさ〳〵は安座でどふも御家にゐられぬ皆も 大事おれもモウ出るかゝも逃よ夜通しゆさ〳〵とうらや 住【裏屋住み】の者共が亽霜月四日辰の下刻にゆり出し長い事まじ ない神をいのられ給ふあふないなんぞと気もませ給ふは まことにねぶたふそふらひける亽つなみ〳〵とつとこんだる つなみ打たる浪の大ゆりうろたへこはい内の大ゆりあはて騒(さはい)で はまがはこわいはまがは〳〵〳〵こわいなとゆつたる度に気をもめそこを 打捨せと物屋をみたればらんちくさはぎ皿やかんちろりん疵(きず)ひゞ ぎ皆 疵(きず)しゆびん【酒瓶】色々 結構(けつこう)かざり立てあぶないしが忽(たちまち)にくづけ しや落して破(われ)たる雑(ざう)ばち迄ゆりこうなる様(さま)野にも集(あつま)る皆よれ これよれ諸方(しよはう)の御藏もどつさり〳〵〳〵〳〵〳〵瓦も傾(かたむ)く世上には取沙(とりさ)た 門(かど)には集(あつま)るどつちもこつちもいかれんのこわいことは後(のち)の世直(よなを)し 《題:《割書:大地震|大津浪》継ずくし》 【上段】 清水寺とかけて    こころはぶたい飛(とび) しはんばうの散財ととく  じや 霜月五日の夕かた    沖なり 直【「値」の意】のたかい質 じや つなみの大ふね   はし折て なんこのけん     じや 道頓堀川の大ふね  大黒で すぼらな和尚    留つてゐる ひろちの小家がけ  ゆすつても よいしゆ【良い衆】のむすこ  気が入ぬ 天王寺のたう   こけそふても しやうずのせき取  こけぬ 気のよわひ女中   杓おこして あら物屋の歳暮     じや 瀬戸物町     高いもの  けいこのかねつけ 割てじや 大地しんの念仏  しんから 香の物の口あけ  出してじや 住よしのとうろう  大かた すほらなげいこ   こけてる 大つなみ    剣先引 茶屋のつき出し さいてじや 今度の大つなみ   志摩 しゆんくはんそうづ【俊寛僧都】 なかしじや 【下段】 おき番【起番=寝ずの番】のさけ 利に入て えらい借きん           しまふ つなみ地しん    二度びつ ふきりやうな嫁さん くりじや しばゐのかんばん  出した儘で 正月のにらみ鯛   手がつかぬ 町〳〵の板行(はんこ)【「版行」に同じ】や  づを出して きせるのそうじ         じや 今度のつなみ    紀州が やすいおやま【遊女・娼妓】 ゑらい 地しんなかばの小便  こは〴〵 きむすめの色事    してじや くすれかけた橋  人とめて はたごや      じや 鳥羽浦のつなみ   皆 潰(つぶ)れて  かほのわるいたのもし  ゐる  へたりかけた家   突張(つゝはり)して 流れかけた質    留てしや 大道の夜あかし  星が 春先のもち    見へる へたり掛たいえ   丸太で 馬場さき近辺の茶や 持てゐる 道頓堀川の引ふね  をい〳〵 米相場       さげる 淀(よと)の川瀬(かはせ)かへ哥 四方(よも)のあわてのなアけし からぬ音(おと)にこけてこまるやね なんじうしごく■【記号のよう】ひどきつな みが打夜(うつよ)のなんぎ■【記号のよう】ひゞく家(や) ごとにみんなみ船出升■【記号のよう】 出(だ)した 門口(かどぐち)かこうて住(すめ)ば■【記号のよう】 夜風吹(よかせふく)ので こまつたはつらい惣(そう)よつた所(ところ)で げんきますヲイ〳〵〳〵ヲイ〳〵イヨル 【張り付けた付箋】 昭和六年十一月一八日寄託 【紙面はコマ22の裏面】