出雲紀行 《割書: 出雲国地震記| 》 二十  【左丁】 出雲国【國】地震記   完 【左丁 朱書き】 上へ差出したる下書 【本文】   地震記 【角朱印】 帝国図書館蔵 此分は書捨候ものにて如何に奉存候へ共 御閑日之御笑草にも相成候はゝと奉存候て 差出候且又先達而も奉申上候通 年始会之度は大不気分中倅 よみ聞せ候を面倒まきれによし よしと申て格別加筆にも思慮にも わたらす為書候惰成短冊に御坐候間 此段言上被成置度奉願候会以後 遠立候者ゟ送り越候分大分到来 仕候へともいまた嶋根大原辺ゟ二三十 人も差出候筈に付先差出候いつれも初心 もの斗りに御坐候へは不差出方可然哉とも 奉存候事 出雲大社の神崇とさへいへはいつも地震也けり むかし年号は空に覚さりしか為泰若かりし時に 大社の御宝物なる琵琶を 朝廷にめされけるを嶋弾正重老守護仕奉りて京都に 参のほりて奉りしに今年は押詰たるほとに春になりて 御そなはすへれは守護人は先国に帰るへしとありし時 関白殿へ重老奉りし哥  よつの緒の音もそはんとや花鳥の春をまててふ勅は有けん と詠て奉りしに堂上方聞継言継して出雲には恐しき 哥人ありとのたまひしとそ其比に承り候扨其琵琶 御留になりし事 大神の御心に叶ひ給はさりしか其節京都の大地震 今更いはすともよく世の人のしれるかことく也けりされは その琵琶に御修復加へられて黄金や何やものさはに 添給ひて返し納め玉ひし其御礼代に両国造殿ゟ 吾師学のなりし中村文大夫守臣大人に命くたりて玉造の花仙山 より玉堀出さしめ給ひて奉られし時其玉にそへて 奉られし守臣大人の歌  出雲の神宝の中に紫藤もて造れりし琵琶ちふ物  の有けるを  朝廷にめさけ玉ひて看そなはして其琵琶に修理加へて  黄金やなにや物さはにそへ玉ひて返し玉ひけるその  よろこひに奉る物を求めて奉れとおふせかゝふりし  時よめる 大君のみことかしこみかへりことまをしきこえむゐや しろと国の宝をみつかひにさゝけまたさす物しろを まき出さねと掛巻は綾に畏し大殿よ命くたれは おほけなき我身の幸と梓弓いそしみ立て石上古き 例しを思ひいてゝ玉造らしし玉の祖の神の命の 幸のしつまりましし里ぬちに花仙と名に おへる山に生たる石社は国の宝と石こりか子にはあらねと 石屯を宇陀のうかちか手力を心あはせてもろ人に 忌鉏もたせすきかへし忌鍬とらせ打かへしはふり とりいて奉るそも〳〵是の里の名はあやにたふとし みそらゆく羽明玉の命そや造り玉ひし其玉を日の 大神にまつらしし其玉造り名におひて天津日続の 大饗へとよのあかりの神賀の吉言奏しに大神の 御手代として代々たえす御賀の玉を奉りつかへ まつりし古事は谷の埋木春の日の光を見すて 彼方の古川水の音たえてふりにしかともこち〳〵の ふる河岸の若暦木わかゝへり来て年波も今日の生日 に立かへりめさけたまひし神宝返し玉へるゐやしろと 伊豆の御宝添玉ひしかのみならす尊しや神の宝と ひたふるにいつきまつれと大言そはれりしかは昔より たふとかりける御宝の今はたさらに御光も照るか 如くみやつこも百の祝部も自然ぬかつきまつり風の 音の遠の朝廷をはろ〳〵と御祖の神の天翔り 国形見にと国翔りかけり見めくり此山の石とり出て 天の下くしはきませる皇孫のいかしの御代を常御代 の手長の御代と神ほさきほさき造れる美ほき玉 忌部の里に忌籠り鏡の浦の清まはり遠騰美の水に ふりすゝき捧けまたしし古へのあとを思ひて荒玉の 光りこもれる荒石を忌鉏持てはふりとり千曳の 石とたなすえに引すえ見れは朝日なす赫き渡る 赤玉のあからひまして御命は玉の緒なかく大君のみこ とのまにま神宝いつきまつろひ大神にこひのみまして 大御代をいかしの御代と言寿ひほかひもとほし かへりことまをしまさねと掛巻はかしこかれともこと ほきて御賀の玉の石たてまつる             出雲の神門臣守臣 是はそのむかし守臣大人に乞て書貰ひしを写せるなりけり 其時の地震の事は此大人はた重老大人又其節医学 修業すとて彼地にありて其事にあへる安井司民坂本功 なとよりもかたり聞せたりしにはしめ空中にて恐しき音して より大地振出て洛中洛外の家人害はれし事きくも 恐しき事なりけり扨かの神宝なる琵琶を写したる 摺物ありて懸物なとにせるを見しに守臣大人の讃あり その哥  そこたから御宝主の大神のみたまそはりし神たからかも 「其」此後安政二年卯冬十一月の地震は為泰神門郡に                    ますとて 出雲郡千家村迄至れるに俄に目くるめきて足たゝす 持病起れりやと思ふ程にそあれ大地大波の打かことく に見えて片辺なる長雲寺の松三百年にも及へく思は れける老木ほつえ寺の屋根につくかと思ふはかりゆる まてこの寺をはしめ家毎にものゝ落る音ころひたを るゝ音おひたゝしき事になん又左右のあけ田の水 うねことに打越てゆるけりやゝをさまり方になれ るころ空中にて震動鳴動せり神立村にいた れるまて猶やます此夜爰にとゝまれるに此あたりの 百姓とも皆家を明て出雲川の川堤の上にて夜明せし とそ宿の主いへらく大きにゆるきなは起すへし心落 ゐてい「ぬへし」ね玉へといへは其口にまかせて打臥ぬ夜中 幾度となくゆるきける度毎に家刀自らは懸出た りしとなんおのれは終日の歩行にくたひれてよく 寝て翌日のあした思ふに松江はいかはかりの事ならん それ聞すして行へきにあらすとて神立を出てだん原 といふ所まて帰りしに出西より庄原へ川違ありし 新川の南堤二三町はかりの所しつみけるを向より来れ る人に尋ねけれは昨日の地震に如斯しつめり恐しき 地震なりしといへり扨松江を出くる人あらは 尋まほしく思へとも西より東にとをるはありなから東より 西へ来れる人更になかりけりやう〳〵完路の中山まて 帰り来れるに向より旅人来れるほとに問尋ぬるに 松江さのみかはる事不承といへるに少し落ゐたりさて ひた急にいそきて夕つ方家に帰り来れるにかたみに 無事をよろこへり為泰はよそにありて家の事を おもひ家人は為泰か地さけて落入ともせさりしやと 思ひしもことわり也けり此時に  あらかねの地や此頃動なき御代にかはりてゆるへそめけん とよめりしと紀伊木の国長沢伴雄方へ言遣しけれは かなたはこなたに増りてふるへるよしいひて其時に  震さやく竹の下ふしよもすから身さへ家さへふるひのみして とはよめりと言おこせたりき扨此地震は東国ことに 強くふるひしと見へて翌三年辰春二月松江を 出て武蔵国本牧へ行し時乗坂の松原ころひかへりし を見て驚きつゝ行道すから殊に駿河路の駅々 大かたに砕け潰れたる跡広野とあれはてゝ目もあて られぬありさまなりけり又沼津城の石垣崩れたる を見府中殊にあれにけるを見或は其時の事とも 聞にあはれ至極の事になん今年本牧陣にあり しを秋八月二十五日夜四つ時ゟ暁七つ時まての大風に 本牧の陣屋あまた建並へたるか一棟も残らすたふれ 潰れ八王子の山鼻二つ吹とはし牛込浦横二十間計 長さ百二十間はかりの浜建家ともになくなれり 又其夜強雨ふれりと思ひしは一ノ谷より三ノ谷まての 高岸大浪打越て三町計り隔たれる陣屋にうち こめる也けり海面火の玉飛行せりとのみ見しを 後おもへはうしほの飛散し也けり如斯てやう〳〵 風をさまれる暁ころ江戸鎌倉の方にあたりて 大に火の手見ゆ此時為泰は病床にありしを人に 助けられてたふれかゝりし陣屋をからうしてのかれ出て 山にのほらんとする時三度まて吹たをされぬやう〳〵 這のほりて木かやに取つき居てあはれ風の為に命せ ん事本意なしと心中に杵築大神守らせ給へと いのる外なかりしにみな人も十死を極めしと見へて 或は南無阿弥陀仏或は南無妙法蓮華経なと はゝかる所もなく大声あけて唱ふる事かしましき はかりなりき此外声立さるも各おのか向々信心の 神仏いのれりとは見ゆれともそは耳に聞さりけり 扨夜明て見るに陣地建物吹飛し踏所もなかりけり 黒田千三郎病を問来けれは夫に負れて陣屋を出て 東鳥井と門名称するものゝ家に病を養ひつゝきくに 箱根山の大杉古木八重十文字に折たふれて通路と まれりといふをはしめ諸国の変事種々の人に あけてかそへかたし去年は前代未聞の大ちしん ことしは古来聞も不及大風心もとなきよのなり ゆきなりといはさるものもなかりけりことしの 大震に十八年のむかしをおもひ出て空に覚え たる事かくのことし 今年明治五年壬申春二月六日夕七つ半時ころの 大地震家に居かねて誰言合すとなく家人不残後の 畑中に飛出て見るに藁ふきの大家根は初にゆらき 付おろしの瓦屋根は東にゆるき今やころふと守り 居けるに終に事なかりしを悦たて家に帰り見しに 棖押の上に懸たる鉄砲落て茶箱損し柱付の塀放れ たり位之事なりき扨近隣の事聞に笠原氏にては 塀打たふれて箪笥三棹塀の下にたふれころひて 上なる引出しに入たる瀬戸物微塵に砕けしを 笊に幾杯とか捨たりとなん又黒田氏には縮棚より 落て五つ計り割たりとそ此夜僕和太郎丈に出て かへりて申様北堀市中のものみな家を明けて堀は たに屏風立めくらし其上渋紙もて屋根として 夜明すへしといひ合りとそ 七日入江真幸地震見舞に参りて外中原には門たふれ 塀覆ころひたるを見末次社の宝燈寺町辺の石塔みな ころへりといふけふも幾たひとなく震ふるふ 八日朝ゆるき強かりしほとに老母我居間口迄参給ひて扨々 世の中余りどうよく成事になりて万民の苦しみ爰にてさへ ケ様之事定て江戸は思ひやられぬ殿様いかゝ御凌遊はす事やと そのたまへる為泰もそも此度の始より心付て十八年以前 の事思はれぬと答はへりきけふも幾度となくなゐふる 九日夜明ころと昼と夕方となゐふる 十日朝飯後地震ふる今日終日曇天夜又ふる扨和太郎 朝丈に出て帰りて言やう五人とか打首有といふ 今日杵築ゟ人参りて彼地の地震はしめて委敷聞り 官三郎より遣したる書状左之通  余寒退兼候処被御揃益御機嫌能可被為御座奉賀候  随而私方無異罷在候御安意可被下候然は先達て北嶋殿  御火災御見舞之品三度便りに御送り被下慥に献上仕置候 【頭註朱記】 是書終たる後石見国多田清興金子秋俊亮孝父三人より地震一件申越したる書面を是に可書加なり  扨又当月六日夕七つ半時頃に大地震に杵築町中  百七十軒計りころひ申候大中小損は無残所御坐候  私宅は上々首尾にて御座候へとも本家は土蔵計り  残り其外不残砕潰れ申候人命は無事に御坐候  四つ角の菓子屋娘は家之下に成死申候大鳥居抑  左近はころひたる家中ゟ火出丸焼其外郷中には川が  山と成山が川となり一飛には六ケ処程之大われ所々  有之候石州なとは十六人家内家も人もいつ方へいかゝ成候か  なく成候所有之よし彼方より知らせ来り候且又此間  出雲郡冨村之もの来り相咄候には千家村冨村之両村  半分辻どろ海に相成候由是のみならす同郡潰家  或は地しつみ田より潮吹出し候或は鉄砂等吹出し候由  抜の橋より大鳥居近く迄五軒十軒つゝの地大われ  出来又五寸六寸計つゝ地高低出来申候北嶋殿は御焼  失後佐原須賀夫宅御住居に相成候処迚も御住居不相  成元屋敷辺へ御住居替に相成候別火屋敷は門  を始建物一ケ所も残所なく砕潰れ申候前代未聞之大変に  御坐候本家には兄弟とも留守に付阿州へ懇飛脚  立候に付其御地之事気遣為留立寄候事に御坐候  格別之御損所は無御坐候処極古家之事定而損候  儀と奉存候右御左右申上度如此御坐候敬白     二月十日 十日会一香道生豊年吉雄敬典被地震の哥詠今日 もなゐふる 十一日早朝なゐふる朝飯後の分大分ふるひて隣の家内 はな懸出る 十二日今日はしめて地震ふらすと思ひしに夜ふるへり と翌朝人々いふ石州にては津波にて人家あまたそこ なへりといふ長門萩城落たりといふ 十三日ゟ十七日まての事付落せり 十八日実母の五十回忌法事執行すとて六十 二年むかし二月朔日産舎に入て七日にやう〳〵 うましし事なとおもひ出られてよみて霊棚に そなへ奉れる  御産屋に七日七夜をいたましてうませけれこそ見はかくてあれ 又為泰の産れし時酒の栄菜に 鰤子(ワカナ)の吸物いたせる を大国養保か賀言を聞給ひて祖父正平翁歓給ひて 末に名をあくるふもとの若なかやと祝吟し玉ひし ことをおもひて  五十年のむかしのわかな六十経て思ひつめりと君にしらすや 扨此法事にあはんとて夕つ方出雲郡神立村なる 柳楽庄右衛門来りて六日の地震に土蔵の片塀落て 冨村の荒神松ほつえ北になひきて生たるか南になひ きて深くしつめりといふ又田の底より鉄砂塩気なと 吹出してあれたる事官三郎の書状に書るかことしまた 日暮て後飯石郡三刀屋なる川津源兵衛きたりて 今朝支度して出へしと思ふ時地震大きにふるひて 家内とも出る事なかれととゝめけるほとに一度見合たり しかと今日参らすてかなはさる事故遅く宿出候 程に夜にいれり六日以後今日まて一日もなゐふらさる 日なしとそいへる又神門郡大津なる葛西益兵衛も 宿遅出たりとて夜に入て来りて地震のはなし せるか大かた源兵衛かいへるに違ふ事なし 二十日学業の為に巡国せる陸奥国弘前の士族佐々木 貞輔清方来れり是はをとつ日来りし時に哥人かと 問しに儒学にて高名家尋廻れるものなから松江にて 其名しられさるほとに来れりといふさらは今日は法事せる ほとに今日明日の所にて挑文の師内村友輔永泉寺天鱗 なと問行へしとて名前住所書等調へ聞かゝせてあたへ けれは一日為泰か物語も聞まほしと望めれは二十日来よと 言しほとに来れるもの也けり貞輔は今年二十一歳にて をとつ年の秋津軽を出て駿河国静岡中学校の 教師中村敬介方の塾にありしかと去年教師敬介 東京にめされて出しより学友は人手をわかちて諸国 めくりありきて西京にて出会東京にものすへき契り なりけりとそさて此人今月六日周防の山口を出て 石見の津和野に着宿入せる否大震ふるひける程に 二階より飛下りしに其家はいふに不及あたり なへて砕け潰れたりとなん其夜野宿して七日 浜田にて野宿し八日何とかいへる所にて野宿せりとなん 石州路三日いつ方もかくのことくにて十方にくれ けりとそ扨出雲路はいかにと尋ぬるに山陰道は なへてかはる事なしといへれは今はすへなし安芸路ゟ 西京にと志して石見の何とか言へる所より備後を さして何とかいへる所に行着て漸宿入せるに そこに松江より出て行とまれる旅人に相宿りして こなたの事聞しに松江に潰れたる家は一軒もなし といへるほとにさらはとて又此方に向赤名と三刀屋 と二宿を経てきたれりといへりさて一首をと 望めれはよみて遣しける  国の名のみちは弘前奥深く尋ね学ひて世には立なん  めくり得て陸の奥にはとくかへれ西の都に足とゝむとも  まさきくて見青森に帰りぬと出るへき風の便りをそまつ かくて我国の岩木山の哥一首を今望たれは  大舟の津かろのふしも時しくに雪は降けり山とこそいへ 扨又一首をとて出せるを見るに   奉訪千竹園先生  奥水雪山路万程春鶯声表詩君情  羨翁風詠歌中画千歳色塞千竹名          東奥菊城生拝草 【白紙 左端上に管理ラベル】 【白紙 左端上に管理ラベル】 【裏表紙】