怪談御伽童巻三〜五 二 止 《割書:古今|実説》怪談御伽童 三 【検索用:かいだんおとぎわらわ/静観房好阿】 【以下巻の一にある目録です】 巻の壱【 https://honkoku.org/app/#/transcription/5FB68B99E3330B05722A0AA15A379152/5/ 】 速霊神 の 来由 の事 相模国 地蔵尊 霊験 の事 蛇 恩 を 報 ずる事  巻の二 八千代 稲荷 霊験 の事 佐藤弾正左衛門 海賊 の 難 遁 るゝ事 本所(ほんせう)扇橋(あふぎはし)川童(かわわらは)の事   巻の三【ここより本資料】 安房国(あわのくに)浪人(らうにん)横難(わうなん)を遁(のが)るゝ事【コマ3】   巻の四 三 州(しう)八名郡(やなこふり)山伏(やまぶし)の死霊(しれう)の事【コマ23】 長慶寺(てうけいじ)和尚(わしやう)猩々(しやう〴〵)呑(のみ)の事【コマ35】   巻の五 城の主水(もんどう)谷川(たにかわ)に寄情(じやうをよする)の事【コマ41】 怪談御伽童巻三   安房国(あわのくに)浪人(らうにん)横難(わうなん)を遁(のが)るゝ事 安房国 平群郡(へぐりこほり)の内に住(すみ)ける浪人(らうにん)もと北国(ほくこく)の大主(たいしゆ)に 仕(つか)へて時(とき)めきし身なれはいさゝかの事(こと)にて人(ひと)を討(うち)て 立退(たちの)き此(この)所(ところ)にしる人ありて尋(たづね)下(くだ)りなれぬひなの業(わざ) も今(いま)はやう〳〵仕(し)なれしと思へは杖(つえ)柱(はしら)と頼(たのみ)し人さへ 亡(ほろ)び失(うせ)て世(よ)わたるつなも片糸(かたいと)のよるべもなくて朝(あさ) 夕(ゆふ)のけふり絶々(たへ〴〵)に哀(あはれ)なる体(てい)なり此 浪人(らうにん)の娘(むすめ)その頃(ころ) 十六 才(さい)に成(なり)しが容色(ようしよく)すぐるゝのみならず手(て)つたなか らずわかの道(みち)さへほゞたど〳〵しからぬにいつなるゝと はなしに賎(しづ)の手業(てわさ)さへかしこかりけれは聞(きゝ)つたへ 見 初(そめ)てしたはぬものもなかりし中(なか)に五平次といへる 者(もの)此 娘(むすめ)に思ひなづみ人して送(おく)れる文(ふみ)は千束(ちつか)にも 余(あま)りけれどたゞ貧(まづ)しき身(み)の安否(あんひ)父母(ふほ)の孝養(こうやう) こそ忘(わす)るゝ間(ま)なく思ひつゞられうかれよりなんころ はあらずとのみいひてつれなくのみもてなしけれはあ るにもあられずせめては近々(ちか〴〵)顔(かほ)を見もしそれなら は少し思ひのはれんやと恋路(こひじ)のならひひたすらに あこがれて便(たより)もとめて此 家(いゑ)へ入来(いりきたり)て何(なに)かとしたしみ なれむつひけれは浪人(らうにん)夫婦(ふうふ)もいとうちとけてもて なしけるにぞ五平次一日も入(いり)来(こ)ぬ日もなく兼(かね)て貧(まづ) しきを察(さつ)して或(ある)時(とき)俵物(ひやうもの)など送(おくり)り或(あるひ)は金子(きんす)なども つゝみながら袖(そで)へ入て世(よ)に出(いで)給はゞ返(かへ)して給へなどいふ に請(うけ)まじき人にもの受(うく)るも本意(ほんゐ)ならねどけふの いとなみにうへて死(し)なんはさすがにて駑馬(どば)におとり し境界(きやうがい)も皆(みな)貧(まつ)しきのなさしむる業(わざ)とあきらめ いたゞきておさめぬ五平次が佞奸(ねいかん)のなす所にてうへ には真(まこと)ある体(てい)を見せ此 娘(むすめ)を我手(わがて)にいれん恋(こい)の術(てだて) とは後(のち)にぞ思ひしられける娘も初(はじめ)の程(ほど)こそあれかく 父母(ちゝはゝ)へ恵(めぐみ)を請(うけ)絶(たへ)ず訪(とむ)らひ来(く)るも皆(みな)われをしたふ 心の浅(あさ)からぬゆへと思ひとりて無下に情(なさけ)なくもも てなさず親(おや)の為(ため)には君契情(きみけいせい)に身(み)を売(うり)ても孝(かう)を つくすこそいみぢからめとさのみつらくももてなさ ずいつとなくふかき中とはなりぬ元来(ぐはんらい)此五平次よく ふかき性得(しやうとく)にて行(おこな)ひ不道(ぶとう)に博奕(ばくゑき)を業(ぎやう)としてし かも其(その)術(じゆつ)に妙(めう)を得(ゑ)て近年(きんねん)田畑(でんばた)を数多(あまた)買(かい)求(もと)め 家僕(かぼく)多(おふ)く召使(めしつか)ひ家(いゑ)富(とみ)奢(おごり)に長(てう)じ妻(さい)有ながら 妾(せう)二人迄 抱(かゝへ)置(おき)けりかゝる名聞(めうもん)利欲(りよく)にふける者(もの)故(ゆへ) 貧(ひん)家の娘に慕(した)ひよりて金銀(きん〴〵)を費(ついや)す事大き なる損(そん)なりと思ひめぐらし浪人(らうにん)へ遣(つかわ)したる物(もの)とも 取(とり)戻(もど)したき気(き)も出来(てき)最初(さいしよ)は此娘ゆへならは 命(いのち)をも打捨(うちすて)なんと一 途(づ)に思ひ込(こみ)し渕(ふち)今は 瀬(せ)とかはりはてかれ〳〵に成りけるを娘うらみわ びて書こしける文さへ見るもうるさくて そのまゝ打捨 置(おく)程(ほど)になりけるこそあさまし けれ此浪人の所持に左文字(さもじ)の刀(かたな)ありかく落(おち) ぶれたれ共此一 腰はたしなみ持けるを五平次い つの間に見置けん浪人へすゝめ此刀を売(うら)せ 其代金の中にておのれか合力(かうりよく)せし物共引取 らんとぞたくみけるに其頃此国の守(かみ)の家士(かし)の 【挿し絵】 内に五平次 内意(ないゐ)の者あり折節 領主(りやうしゆ)左文字 の刀(かたな)御 尋(たづね)有けるを時こそと悦ひ兼(かねて)而聞及(きゝおよび)し 浪人の刀 無疵(むきす)にしてすく【直】御 好(この)みに合なは価(あたひ)の 甲乙(かうおつ)はその節 極(きはむ)べしと五平次へふき込(こみ)けれは 心得(こころへ)て浪人方へ行(ゆき)何となく世のいとなみのおくり かたき事を語(かた)りて扨(さて)とくより心付たれど申 かね今迄 延引(ゑんゐん)致たり御所持の左文字の刀 御 払(はら)ひ被成当分の要用(よう〳〵)を御 足(たし)ありて此 困(こん) 窮(きう)をしばらく御のがれ候はゝ其内御有付の口 も有まじきものにあらずさもあらは我等(われら)の肝(きも) 煎(いり)いたし進(しんじ)候はんと領主(りやうしゆ)の御 望(のぞみ)とはわざといわず うらとひける浪人申けるは此 日頃(ひころ)御 懇意(こんゐ)に 預り内外御 世話(せわ)被下候上はつゝみ申べきやう なしなが〳〵しき物語(ものかたり)に候へとも我等浪人せし発(ほつ) 端(たん)は此刀故にて候 先祖(せんぞ)より代々 持(もち)伝(つた)へし一 腰(こし) にて随分(ずいぶん)秘蔵(ひさう)せしに召使(めしつかひ)ともの此刀を盗(ぬすみ)出し 逐電(ちくてん)せしむる刻(きざみ)同家中の士(し)へ金弐十両に 売渡(うりわたし)し候由それとは不存(ぞんぜす)四方(しほう)へ手(て)を廻し彼(かの) 家来(けらひ)を尋(たづね)候ひしに越中国(ゑつちうのくに)新川辺(にゐかわへん)にて見付 召(めし) 捕(とら)へ来りさま〳〵拷問(がうもん)いたし候へは太刀は何某(なにがし)方(かた) へ員数(いんじゆ)是程に売代(うりしろ)なし候旨 白状(はくじやう)に及(およ)ひ候こ れにより科人(とがにん)召(めし)つれ彼(かの)士(さむらひ)の方(かた)へ罷(まかり)越(こし)旨趣(しゆい)物(もの) 語(かたり)いたし先祖(せんぞ)より持来(もちきたり)候刀(かたな)ゆへ我等(われら)代(だい)になり他(た) 家(け)へ渡(わた)さん事 本意(ほんゐ)を失(うしな)ひ候金子有合無之候まゝ 当(とう)暮(くれ)物(もの)成(なり)取(とり)候はゝ返進(へんしん)可致(いたすべく)段(だん)証文(しやうもん)認(したゝめ)遣し置度 所存(しよぞん)一 腰(こし)は返(かへ)し給はれと相 頼(たのむ) ̄ム所(ところ)に彼(かの)士(さむらひ)申は とかく金子持参せざらんにおゐては刀(かたな)渡(わた)しかたき由(よし) 申に付 立帰(たちかへり)り右 家来(けらい)は打首(うちくび)にし請人へ渡(わた)し いかなる重宝(ちやうほう)ありとても彼(か)の刀にはかへじと存(そんじ) 可然(しかるべき)もの共 売払(うりはら)ひやう〳〵金子弐十両 支度(したく) いたし右の士かたへ持参して刀 請取(うけとり)可申 由(よし)申入 れば他出(たしゆつ)たりとて対面(たいめん)せず如此(かくのごとく)する事すでに 五 度(たび)に及(およ)べり漸(やう〳〵)登城(とじやう)の節(せつ)途中(とちう)にて逢(あい)たりし を幸(さいはひ)に立(たち)ながら金子とゝのひし間一 腰(こし)返(かへ)し 給はれよといふに色違(いろちが)へして先日 断(ことはり)申 達(たつ)したる 節(せつ)は格別(かくべつ)夫(それ)より日数(ひかず)も立(たち)何(なに)の沙汰(さた)もなきゆへ もはや入用無之と存所々こしらへ申付 自分(じぶん) 差料(さしりやう)にいたし則(すなはち)爰(こゝ)に帯(たい)したり只今にいたり 返進(へんしん)申儀叶(かな)ひがたし御前へ上り候間 重而(かさねて)申 述(のぶ)べくと言捨(いひすて)行過(ゆきすぐ)る無念(むねん)心魂(しんこん)にてつし 一 度(ど)立 返(かへ)しなんと言(いひ)一 度(ど)は叶(かな)ひがたしと両舌(りやうぜつ)を 以て人をたぶらかす不実(ふじつ)の仕方(しかた)かんにん成(なり)がたし と覚悟(かくご)極(きは)め罷帰(まかりかへ)り此旨(このむね)其(その)役人(やくにん)たる者(もの)へ訴(うつたへ)へ出(いで) なば彼(か)の士(さむらひ)の非道(ひどう)露顕(ろけん)して取返さんはいと やすかるべきに若気(わかぎ)の至(いた)り行(ゆき)つまりたる胸中(けうちう) の恨(うら)み晴(はる)るゝ所なく資財(かざい)道具(どうく)をしるべへ預け 其節 娘(むすめ)は三 歳(さい)に成りしをいだかせ妻子(さいし)をは隣(りん) 国(こく)に断金(だんきん)の友(とも)あり其者(そのもの)方(かた)へしのばせ置(おき)其日 の内 諸事(しよじ)片付(かたつけ)かの侍(さむらひ)の登城(とじやう)の帰(かへ)りを待(まち)うけ 一方は関(せき)の堤(つゝみ)一方は山の差出(さしで)たる難所(なんしよ)にて名(な) 乗(のり)かけて首尾(しゆび)よく討留(うちとめ)帯(たい)せし刀(かたな)をとりて手前(てまへ) の刀を死骸(しがひ)にさゝせ壱弐丁 走(はしり)り来(きた)りしに此 代金(だいきん) 弐十両 返弁(へんべん)せずして立(たち)退(しりぞか)は奪(うば)ひ取らんため殺(せつ) 害(がい)せしと風聞(ふうぶん)あらばかへつて盗賊(とうぞく)の名(な)もや立(たゝ)んと 思惟(しゆい)して懐中(くわいちいう)より金子弐十両出し紙(かみ)に包(つゝ)み子細(しさい) 委敷(くわしく)認(したむ)るに間(ま)もなけれは矢立(やたて)取出し盗(ぬすみ)取(と)られし 刀此者二十両に買(かい)求(もとめ)候故代金差出し取返さんと 申を難渋(なんしう)いたし候故 無是非(ぜひなく)討捨(うちすて)刀(かたな)取返(とりかへ)し代金 死(し) 骸(がい)に付置(つけおく)者也(ものなり)と口上書 差添(さしそへ)死骸(しがい)へ押入(おしいれ)それより りんごくへ立越(たちこへ)へ朋友(ほうゆう)の介抱(かいほう)に成(なり)て廿日 余(あま)り居(い) たりしに折節(おりふし)上総国(かづさのくに)大多喜(おふたき)へ女中四五人下る成 に幸(さいわび)としるべあればわれも房州(ぼうしう)へ行(ゆか)ばやとて朋(ほう) 友(ゆう)に此事を談(だん)しつがふよくこしらへて右の女中 同道(どう〳〵)して御 関所(せきしよ)つゝがなく罷通(まかりとふり)当地(とうち)へ下着(げちやく)し夫(それ) より以来(このかた)十四年此所に居住(きよぢう)いたし侍(はべ)るも此 刀(かたな)ゆへ 人を討(うち)たる身にて候へは敵(かたき)の子孫(しそん)ありてわれをね らひ尋(たづぬ)るにてあらん若(もし)出合(であひ)なば尋常(じんしやう)に討(うた)れんと 思ひなから飢餲(きかつ)にせまり売(うり)喰(くら)ふ刀(かたな)ゆへに人をあや めしなどゝ死後(しご)のそしりをそんじ知(し)りて只今(たゞいま)迄(まで) 餓死(がし)せんとせし事 数度(すど)あれど此刀は放(はな)さす此上 死(し)して人手にわたらんは是非(ぜひ)なしいきながらへん内は 売(うり)候儀思ひもよらずと返答(へんとう)しけるに五平次も此 物語(ものかたり)を聞(きゝ)重(かさね)而いはん詞(ことば)もなく又(また)折(おり)もこそあらめ かく念(ねん)がけたるものつゐにうらせで置(をく)べきかと 悪念(あくねん)をはつしけれど更(さら)手(で)色(いろ)にも出さずかへりぬ 此後折にふれ時(とき)を得(ゑ)ては田舎(いなか)の住居(ぢうゐ)武士(ぶし)の義理(ぎり)は いらざる物(もの)帯剣(たいけん)止(やめ)て百姓(ひやくしやう)の業(げう)を仕習(しなら)ひ給へ当分(とうぶん) の渡世(とせい)こそ肝要(かんやう)也(なり)宝(たから)は身(み)の差合(さしあわ)せ刀(かたな)を何程(なにほど) にも代(しろ)なし田畑(でんはた)少にても調(とゝの)へ御 息女(そくじよ)の後栄(こうゑい)を待(まち) 給へとすゝめける然共(しかれども)浪人(らうにん)曽而(かつて)承引(せうゐん)せず其内(そのうち) に彼(かの)士(わむらひ)は加役(かやく)申つけられ何かといとまなく暫(しばらく)は 此 沙汰(さた)は止(や)みぬされは横(よこ)さまの金子むさぼり忽(たちまち)富(ふう) 貴(き)なる門(かど)は鬼(おに)是(これ)をにくみ且(かつ)天道(てんとう)はみてるを昃(かく)断(ことはり) なれは其年の夏(なつ)の末(すへ)に五平次がなす事大小に よらず仕合あしく博奕(ばくゑき)の術(しゆつ)も運尽(うんつき)ぬる時は思ふ 図(づ)にあたらすたくはへし金銀 勝負(せうぶ)の賭(ため)にとられ 残(のこ)るは資財(しざい)田畑(でんばた)のみにてありしを是もいく程なく売(うり) 代(しろ)なし其金子さへ尽果(つきはて)たりわづか三年の間 盛衰(せいすい) 手のうら返(かへ)せりかゝりしかば毎度(まいと)口入せし金子とて ありもあられぬもの迄(まて)〆高(しめたか)にして都合(つがう)金高 十五両の書付浪人方へ持参し催促(さいそく)きびしく毎日(まいにち) 来りて乞(こひ)けれは一旦は申 延(のべ)置(おき)ぬれど一 銭(せん)の心当 なくされど打捨(うちすて)置(おく)べきにも言訳(いひわけ)なし妻子(さいし) ̄ニ 向(むかひ)ひ申 けるは五平次方より一たび恩(おん)に成たる金子 返弁(へんへん) せずしては武士(ぶし)たゝず左文字(さもじ)の刀(かたな)売なば価(あたひ)心 やすく立(たつ)べけれ共 他(た)へ渡(わた)しては先祖(せんぞ)へ不孝(ふこう)且(かつ)又(また) 我(わが)手にかけたるものゝ魂(たましひ)しる事あらばいとゝ恨(うらみ) 深(ふか)かるべし此(この)刀(かたな)は一 命(めい)にかへても放(はな)すべからず難義(なんぎ) を救(すく)ふ一つの孝行(かう〳〵)と思ひ傾城(けいせい)の勤(つとめ)奉公(ほうこう)して五平次 方へ金子をつくのひくれよと落涙(らくるい)して語(かた)りけ れば母はとかうのいらへもなくうつふしに伏(ふし)て泣(なく) のみなるに娘(むすめ)は顔色(がんしよく)常(つね)のごとく悲しき体(てい)をも見せ ず五平次が此年月 情(なさけ)なふつらかりしを思へは逢(あい) そめしむかしうらめしく身(み)を捨(すて)成とも此金返し なんと思ひつめて孝(こう)の為(ため)に命(いのち)をも捨(すつ)るならひま してや勤奉公(つとめほうこう)せん事は年の限(かぎ)りあれは別(わか)れても又 父母に廻(めぐ)り逢(あわ)んをたのしみに暮(くらさ)んはいとやすき事よと 心よくこたへけれはおとなしくこう〳〵なる娘か詞(ことば)を 聞(きく)にも浪人 夫婦(ふうふ)はたゝ涙(なみだ)のみにむせび居(い)たりしが 果(はて)しなきなげきと明(あき)らめて五平次を呼(よ)び借用(しやくよう) 金返弁致すべき了簡(りやうけん)なし娘を売(うり)て身の代を以て 返済(へんさい)申たし一両日の中娘 同道(どう〳〵)し江戸へ罷出申たし 願はしからぬ事なから敵(かたき)持(もち)たる身(み)は今日出て明日 は斗(はかり)がたし殊(こと)に諸家(しよけ)集(あつま)れる幕府(ばくふ)の御 城下(じやうか)不(ふ) 意(ゐ)に出合 討(うた)れなんも斗(はかり)かたし若(もし)もの事あらは金 子は娘がかたより請取らるべし娘が在付(ありつき)の方は母 がもとへ申越べしといふ五平次以之外いかり行末(ゆくすへ) 知らぬ浪人の内室(ないしつ)斗(はかり)り残(のこ)され江戸へ御越しとは承(うけ給は) れと何方(いづかた)へ立退(たちのか)れんもしらず金子請取候迄は 他国(たこく)へ御 越(こし)候事中〳〵叶(かな)ひ不_レ申御 息女(そくじよ)を勤奉(つとめほう) 公(こう)に出されんとならば我等(われら)取斗(とりはからひ)いかやう共 致(いた)さん とはや己(おのれ)が欲心(よくしん)にまかせて身の代の内むさぼらん とてしける浪人も情(なさけ)なき口上いと口惜(くちをしく)くは思へと さしあたり彼(かれ)がもの負(おゐ)しかなしさ返答(へんとう)もなく思(し) 案(あん)を廻(めぐ)らし見申さんとさりげなくいひ金子は当月 中 待(まち)給へといろ〳〵断(ことはり)て帰(かへ)しいかゞせんと此 工夫(くふう)にはら わたをたち思ひ廻(めぐ)らすに浪人の住家(じうか)より十四五丁 もへたでし所に伝蔵(でんざう)といへる百姓(ひやくしやう)ありむかしは宜(よろしき)き 者(もの)にて奴僕(ぬぼく)も相応(さうをう)に仕(つか)ひて一弐とゆび折(をり)のもの なりしが日損(ひそん)水難(すいなん)打(うち)つゞきたる横(おふ)なんにて次第(しだひ) に貧(まず)しくなりて今はわづかの田畑(でんばた)にてやう〳〵壱人 住(すみ)のさびしき夕部(ゆふべ)も心のみさほきよきなかれに手水(てうづ) し神仏(かみほとけ)を尊(たつとみ)何事(なにこと)も前世(ぜんせ)よりの約束(やくそく)とわかき 心に世を思ひとりて疏食(そしい)をくらひ水(みず)をのみうたゝ ねの木枕(きまくら)に不才(ふさい)ながらも不義(ふぎ)の名(な)をいとひて心 さしひなの中にも情(なさけ)ふかきもの也いにしへのゆかり にや人もさのみ下にも見ず末(すへ)たのもしき人と村中(むらぢう) にてあはれがりけるいまだはたとせのうへは二つ斗 にもや成なんいときよらかにたほやかなる男(おとこ)つき なり前世(ぜんせ)のむすび薄(うす)からぬえにしにや此浪人の 娘 幸(さいわひ)にたへぬ思ひを文にしたゝめ人していわせけ けれどそのふしは五平次にふかく互(たがひ)に情(なさけ)だちし砌(みぎり) なりけれはおさ〳〵返事もなく伝蔵は恋(こひ)わびて さらに外(ほかの)心(こゝろ)もなく迷(まよ)ひ果(はて)なんを人づてならて一 言(ごん) の返しをだにと度々(たび〳〵)いひおこせけれはお幸(さい)もさす がにあはれと思ひていとうきたる事とぞんし取りて 御かへしも申さで今 更(さら)はづかしふ候へ共わが身事 五平次殿にふかく思はれ候へはいか程にふかふ思召被下 ても人の手前 不義(ふぎ)の悪名(あくみやう)わが身はともかくもそ れさまの御 為(ため)いかゞに候まゝ思召 止(とま)り候へは 彼(か)の人は 妻(さい)もあり外(ほか)に思ひものあまた候へはさのみ行末(ゆくすへ)のとげ なんとも思はれず若(もし)真実(しんじつ)の御心ざしもましまさば その時(とき)ぞともかくも御心にまかせさふらはんといと情(なさけ) ふかくいひ送(おく)りけれは伝蔵は露(つゆ)のかことも彼(か)の人の 方よりとあるはうれしく披(ひら)き見ていとゞ思ひにこがれ ぬれど此返しことはりにも又あわれなれはもとより実(じつ) 体(てい)なるうまれゆへさのみうらみとも思はずことはりに くれて其の後は文してもいはず心うつくしく折々 問(とひ) 来(き)てもさのみうとみたる風情(ふせい)にもならて人目のひま ある時はよそながら情(なさけ)ばみていとあはれにて年月(ねんげつ)を おくりしに此度五平次が難渋(なんじう)に浪人大方ならずくつた くしていかゞせんとのみあんじわづらふよし伝蔵つたへ聞(きゝ) いかなる難義(なんぎ)ありて此身を果(はた)すはおさいが為にすてん命(いのち) 露(つゆ)もおしからず年頃(としごろ)よそながらさへ此まことを見せてと 思ひしに今(いま)は身(み)にとりて何かいとはんさのみやはと夜(よ) 更(ふけ)人しづまりて彼(かの)浪人の元(もと)へ行(ゆき)そこつにもや思し召ん がわが身しか〳〵の事にて御 息女(そくぢよ)へ人しれず心をかけ候 へとも去(さり)し頃(ころ)義理(ぎり)ある返(かへ)しに理(ことはり)りを思ひ取(とり)其後(そのゝち)は たえてたはふれ言(こと)をさへ申入ず道(みち)をたてゝ過(すご)せし 年月(ねんげつ)あはれと御おしはかり被下かしと神(かみ)かけていつはり ならぬさまおもてにあらはれていひければ浪人も嬉(うれ)しく 力(ちから)を得(ゑ)て心(こゝろ)とけぬさて此度の御事 私(わたくし)御 息女(そくぢよ)を伴(ともな)ひ 江戸(ゑど)吉原(よしはら)とやらんへ参(まいり)しるべを頼(たの)みともかくもはからひ 候はんまゝ御心安かるべしと涙(なみだ)をながして申ける浪人 悦(よろこ)び密(ひそか)に娘 支度(したく)させ元来(もとより)人目(ひとめ)忍(しの)ぶ事なれはつ きしなき名残(なごり)のかず〳〵もいとそこ〳〵になして夜(よ)の内 に所を出はなれよとて出たゝせたりこの心づかひいはんも さら也かくて伝蔵かひ〳〵敷(しく)道中(どうちう)何(なに)かと心(こゝろ)をつくし こま〳〵誠(まこと)をあらはして程(ほど)なく江戸にいたり吉原(よしはら)に知(しる)る 人ありて娘(むすめ)を勤奉公(つとめほうこう)させたきよし頼(たの)みそれはいと ねんごろに世話(せわ)して則(すなはち)五ケ年に金廿五両の給分(きうぶん)にて 済(すま)し早々(そう〳〵)帰(かへ)りて安堵(あんど)させんとて上下十日に帰(かへり)り着(つき) て右の次第(しだひ)細(こまか)にかたり金子取出し父母へ渡(わた)しぬ悲(かな) 敷(しき)中にも悦(よろこ)びて其内十五両五平次にかへして安(あん) 堵(ど)ながらも手(て)をうしなへる心地(こゝち)して老(おひ)のたよりも なく朝夕(あさゆふ)なき人をこふることく夫婦(ふうふ)涙(なみだ)のたねとは 成(なり)ぬ五平次此金 受取(うけとり)一 ̄ト まふけせんと思ひ例(れい)の よこしまなる勝負(しやうぶ)にかゝりて廿日も立さるに十五両 なくなりぬ是(これ)より後(のち)は身の置所(おきところ)なくいろ〳〵の悪業(あくげう) をぞ工(たく)みける此年もくれて春(はる)になりけれは五平次 彼(かの)入魂(しゆつこん)の士(さむらひ)をひそかに招(まね)き領主(りやうしゆ)先年(せんねん)御尋の左文字(さもし) の刀(かたな)御 求(もとめ)なくはくつけう一の事(こと)をこそあんじ出したり 貴方は新参(しんざん)の人にて在所(ざいしよ)に余(あま)り見しりたるもの もなし彼(か)の浪人にうたれたるものゝ子(こ)と名乗(なのり)て 敵討(かたきうち)と号(ごう)し浪人を打(うち)給へ其上にて刀(かたな)をばひとり 領主(りやうしゆ)へ差上(さしあげ)代金 配分(はいぶん)せんといひ合せけれは誠(まこと)に 同気(どうき)相求(あいもとむ)のならひ彼(かの)侍(さむらひ)悦(よろこ)びて領掌(りやうじやう)しかたき打(うち)は 天下(てんか)の御ゆるし誰(たれ)かとがむるものあらん彼(かの)刀(かたな)を一両月 過(すぎ)は時(とき)を見て領主(りやうしゆ)差上(さしあげ)なば人しれぬ徳分(とくぶん)成(なる)べ しと悦(よろこ)びしは誠(まこと)に強悪(きやうあく)熾盛(しきせい)【ママ、熾盛=しせい】の族(やから)と云(いひ)つべし 或日(あるひ)五平次此 侍(さむらひ)居(ゐ)ける長屋(ながや)へ来(き)て密談(みつだん)数刻(すこく)に 及(およぶ)然(しか)るに領主(りやうしゆ)在国(ざいこく)の間(あいだ)百姓(ひやくしやう)共 役(やく)にかゝれて【掛かれて】家中(かちう) の諸士(しよし)へ渡(わた)り下働(したはたらき)をなす是(これ)を役夫(やくふ)と号(ごう)す天に足(あし) なし人をかつ?て罰(ばつ)すとは誠(まこと)なる哉 彼(かの)伝蔵此 侍(さむらひ)の 役夫(やくぶ)に当(あた)れるものにやとはれ仮(かり)の中間(ちうげん)となり召(めし) つかはれけるに五平次 毎日(まいにち)来(きた)りさゝやく有様(ありさま)いぶかしく 思ひ今日(けふ)は奥(おく)へ閉(とぢ)こもり曽(かつ)て人を入さりしは如何(いか) なる密事(みつじ)かあるらんとあやしみ心利(こゝろきゝ)たるものなれは 外(ほか)へ用事(ようじ)に出(いづ)る体(てい)にもてなし座敷(ざしき)へ出入(でいり)の口(くち)に 襖戸(ふすまと)の押入(おしいれ)有(あり)けるへ這入(はいいり)ひそかに様子(やうす)伺(うかゞ)ひけるに 両人(りやうにん)出てあたりを見るに人 影(かけ)もなけれははゞかる事も なく今宵(こよひ)浪人か方へ夜更(よふけ)人しづまりて忍(しの)び入 油(ゆ) 断(だん)をはかりて討留(うちとめ)ん跡(あと)は親(おや)の敵討(かたきうち)と披露(ひろう)せんに何 の障(さはり)りかあらん一先(ひとまつ)用意(ようい)せんとてしばらく有て立出 いふやうかくて夜を更(ふか)さんも待遠(まちどふ)ならんにいさや町へ 出て門出(かとて)の酒盛(さかもり)して一 興(けう)せんとて打つれ出ぬ伝蔵 隠(かく) れし所より出つく〴〵思案(しあん)しいそき此事浪人に告(つげ)知(し)ら せんと思へと留主を守(まも)る人なしかゝる大事 手紙(てかみ)にては 若(もし)やあやまりて露顕(ろけん)せんもいぶかしくとやせんかくや と思ひ廻(まは)し居(い)る所へ役夫(やくふ)の当人(とうにん)見舞(みまひ)なから勤(つとめ)方 【挿し絵のみ】 のことなども心許(こゝろもと)なしとて来(きた)りしを神仏(かみほとけ)の加護(かこ)と 嬉(うれ)しくよくそ来り給ひし不叶(かなはざる)用事(ようじ)ありて宿所(やともと)へ 参(まいり)たししばしの間(あいだ)留主(るす)預(あづかり)給へよと頼(たの)み置(おき)て逸(いち) 足(あし)出して走(はし)り行(ゆき)浪人へ対面(たいめん)し彼(かの)者共(ものども)が工(たく)みし悪事(あくじ) の品々(しな〳〵)をくわしく物語(ものがたり)し今宵(こよひ)の難(なん)をまぬかれ玉 ふ様(やう)に御 思案(しあん)をめぐらし給へかれら蜜談(みつだん)の謀計(ぼうけひ) 露顕(ろけん)せしとしりなは不意(ふゐ)にいかなる悪事をな さんもはかりかたし心つかざる内(うち)にいそぎ罷帰(まかりかへ)るべし と其侭(そのまゝ)取(とつ)てかへし内に入見るにいまだ侍(さむらひ)はかへらず 心うれしく留主せし百姓(ひやくしやう)をは帰(かへ)してそしらぬ 顔(かほ)して居(い)けるに初夜(しよや)の頃(ころ)侍(さむらひ)帰(かへ)りて今宵(こよひ)は夜遊(よあそび)に 出るなり留守(るす)よくせよとて出行(いでゆき)けり伝蔵は今宵 の事を案(あん)じて此 夜(よ)は寐(ね)もやらず居(い)たり浪人は伝 蔵がしらせによりて思案(しあん)をめぐらし目付(めつけ)役(やく)の人の 方へ推参(すいさん)し拙者(せつしや)義は御 領分(りやうぶん)の内に罷在(まかりあり)候浪人にて 御座候が火急に得御意(ぎよいゑ)度(たき)儀(き)御座候て罷越候也 御 在宿(ざいしゆく)に候はゝ御 逢(あい)被下候へかしと申入けれは早速(さつそく) 対面(たいめん)せられぬ浪人あたりの人を遠(とふ)のけさせ申 けるは拙者(せつしや)儀御 領分(りやうぶん)の内にしるべの者(もの)ありて先 年 遠国(ゑんごく)より罷越(まかりこし)只今(たゝいま)平郡郡(へぐりごふり)の内に住居(じうきよ)仕 【平郡郡=平群郡。奈良の平群ではなく、安房国(千葉県)にあった平郡(へいぐん)の旧称。】 浪人にて御座候所五平次と申 百姓(ひやくしやう)と常々(つね〳〵)心易(こゝろやすく)いたし 拙者(せつしや)怨敵(をんてき)ある様子(やうす)をよく存知(そんじ)御 家中(かちう)何某(なにがし)と 申合せ敵(かたき)の名(な)を仮り今宵(こよひ)討(うち)入候はん工(たく)み其 逆某(きやくぼう) 明白(めいはく)に告(つげ)しらせ候物有(これ)_レ之(あり)候 故(ゆへ)待受(まちうけ)討(うち)果(はた)し候半と覚(かく) 悟(こ)究(きは)め候へとも偽(いつはり)の謀(はかりこと)によりて討死(うちじに)仕候はゝ証拠(しやうこ)も なく死後(しご)の御 疑(うたが)ひ受候もめいわくに存候て注進(ちうしん) 申入候なりとつぶさに申ければ目付 委細(いさひ)聞届(きゝとゞけ) ̄ケ これやゝありて神妙(しんめう)成(なる)届(とゞけ)にて候 乍去(さりながら)此義 露顕(ろけん)いた さゞるには吟味(ぎんみ)も成かたく候間夜に入候て貴宅まて 捕手(とりて)の者(もの)を差遣(さしつかは)し候べし其者共(そのものども)押(をし)入らふぜき致 におゐては悪事(あくじ)顕然(げんぜん)たり其時からめとらせ僉義(せんき)を とげ罪科(ざいくわ)に申 行(おこな)ふべし御 帰宅(きたく)の上 他聞(たぶん)を御つゝしみ 候へと申 含(ふくめ)帰(かへ)されけるかくて夜(よ)に入て道行(みちゆく)人の体(てい) にこしらへ捕手(とりて)の衆中(しゆじう)十人はかりかの浪人の方へ一人 二人づゝ来(きた)りて爰(こゝ)のすみかしこのくまにかくれ居(ゐ)て彼(かの) 者共(ものども)が来(く)るを待(まち)居(い)たりかくともしらで五平次が案(あん) 内にて彼(かの)侍(さむらひ)子丑(ねうし)のさかいに及(およん)で表(をもて)の戸をけはなして 五平次 真先(まつさき)に走(はし)り入けるに忍(しの)びひかへし衆中(しゆじう)一 同(とう)に 顕(あらは)れ出 取囲(とりかこ)みけれは案(あん)に相違(そうゐ)し気(き)おくれて捕人(とりて) へかはり疵(きず)も得(ゑ)負(おふ)せずやみ〳〵と生捕(いけとら)られ両人共 斬罪(ざんざい)に行(をこな)はれける浪人は此度の難(なん)をのがれしも偏(ひとへ)に 伝蔵がつけ知らせし故(ゆへ)なれはとて是(これ)より弥(いよ〳〵)実子(じつし) のごとくにしたしみ娘も程(ほど)なく年明(としあけ)て帰(かへ)り来(きた)れは 兼而(かねて)約(やく)せしごとく伝蔵が妻女(さいぢよ)となし浪人夫婦(ふうふ)は 手習(てならひ)手跡(しゆせき)の指南(しなん)して渡世(とせい)せしが敵(かたき)にゆかりも なかりしにや終(つゐ)に尋(たづね)来らず一 生(しやう)無事(ふし)にして天(てん) 命(めい)をもつて終(おは)りけるとなり今(いま)に此(この)伝蔵が子孫(しそん) 其所(そのところ)に住(ぢう)すとへぐり郡(ごふり)のものかたりぬ 怪談御伽童巻三終 《割書:古今|実説》怪談御とき童 四 怪談御伽わらは巻四   三州八名郡山伏の死霊 棄義(きをすて)背理(りにそむき)不知其悪(あくをしらず)有時亡(ときにありてほろぶ)とかや往(すぎ)しころ 三河国守に仕(つか)ふる士(さむらひ)に山香(やまが)佐野右衛門とて二百石 を知行し器量(きりやう)骨(こつ)がら優美(ゆうび)にして武士道はいふ におよばず遊芸(ゆうげい)にさとく心あくまて剛(こう)にして仁愛(じんあい) ふかく文武(ぶんぶ)備(そな)はりたる士あり此人殊に猟(かり)を好み勤仕(きんし) のいとまには朝(あした)に山(さん)野へ出て狩(かり)くらし夕陽(せきやう)をおしむけ ふも例(れい)のごとく未明(みめい)に弓(ゆみ)うちかたけ【担げ】矢筒(やつゝ)おひて出 たり終日(しうじつ)伺(うかゞ)ひゆけど兎(うさぎ)壱つ小鳥の一 羽(は)も得ず 秋(あき)の日山 間(あい)に落(おち)て風ひやゝかに山かつも帰る頃(ころ)な れば明日こそと名残おしくも帰路(きぢ)におもむくに黄(たそ) 昏(かれ)ちかく成ぬれば道をいそぐ所に折から駄賃馬(だちんむま) に馬 追(を)ひ打乗(うちのり)て来(く)るを見てその馬からんといへ は馬追ひ下り立てあたひを定(さだ)め既(すで)に佐の右衛門 打乗ける所へ山伏(やまぶし)一人来かゝり馬追ひをまねき 何事か云(いひ)けんうなづきあふて馬かた佐の右衛門にいふ やう此馬はあの山伏にかして候へはそなたにはをり 給へといふ佐の右衛門聞て何条(なんぢやう)さる事有べき我(われ) すでに約(やく)して乗たる馬に他人をのする法や有 べきその事叶ふまじ急き此馬引行べしと云(いへ)は 山伏さし出此馬はわれら馬士(まご)と相(あい)対(たい)してかり受 たりそこには下り立て外の馬を借(かり)給へわれらは 此馬士のとくゐなれは何人の召れとも引おろし 乗なりとく〳〵おり候へといへは佐の右衛門打わらひ とくゐにてもあれわれら先約(せんやく)いたし乗たる馬に 候へは御ふせうなから其元外の馬借へ御申あれ はや日もくれに及びぬわれらは八名まてまいる 間 道(みち)のほども遠(とを)くこれあれば少もいそぎ申也 とねんころにことはれば山伏声をはげましせん やくでもねり薬(やく)でも此方にかまひなし御分(ごぶん)外 の馬借(ばしやく)に申されよいかに馬士またふ。やみを。ゆるから はぶり。がれん。【やみを、からここまで意味不明につき添削を強く希望】などがおよはぬ事うぢ〳〵せずと其 馬引てわれをのせよ狐(きつね)を馬に乗せたるやうにき よろ〳〵する侍(さむらひ)を引ずりおろせと白眼(にらみ)つけ傍若(ぼうじやく)無(ぶ) 人(じん)にのゝしるにぞ佐の右衛門扨々 理不尽(りふじん)なる山ぶ殿 御 法楽(ほうらく)でおし乗せんとは三宝(さんぼう)荒神(かうじん)馬頭観音(ばとうくはんをん) ならしらず弓矢神(ゆみやかみ)はうけ給はず我等(われら)かかりたる馬 なれは心 任(まか)せに乗行なり馬士来れと乗出すを 山伏 端綱(はつな)を取て引とめ此 街道(かいどう)にて我をしらぬ ものやあるべき所望(しよもう)しかけたる事叶(かな)はては後日(ごにち)の 為にならぬ也おりずはおのれ目にもの見せて引おろ さんいかに〳〵とせめかくる佐の右衛門もいひかゝり侍の 下 馬(ば)は事による世話(せわ)をかゝずと外の馬かりてのら れよ最前(さいぜん)より申通りに候へはそこをはなせと馬のし りうたれて馬はあゆみ出す山伏いよ〳〵じや〳〵と ふみ侍(さむらひ)でも弔(とむ)らひても我が法力には及(およ)ふまじ いで〳〵寝言(ねごと)の目を覚(さま)させん此法力をよく見よと 持たる珠数(じゆず)その間五尺斗がほど中をめぐりてしばし がほどあなたこなたと行もどるさまあやしくも 【挿し絵】 又おそろしけれ佐の右衛門うちわらひ正法に奇特(きどく)なし 汝(なんじ)が邪(じや)法わが正法をもつて正(たゝ)さんに汝(なんじ)が法力いかで 及?べきかと抜手(ぬくて)も見せず山伏の首(くび)討落(うちおと)せは死(し) 骸(がい)はたふれず首は佐の右衛門を白眼(にらみ)歯(は)ぎしみし しばしくるめくその有様おそろしといわんかた なし馬士(まご)は是(これ)を見て色 青(あを)ざめてわな〳〵ふるふ さのへもんは死骸(しがひ)をけたふし馬士来れとのりゆく にぞ馬子はひさふるひてあゆみうぇすさのへもん云 やう汝(なんじ)おそるゝ事なかれ我人をあやめんとおもふ 心にあらねとも見 聞(きく)通りの過言(くわごん)無法なる奴(やつ)故(ゆへ)に 止事(やむこと)を得(ゑ)ず手にかけしなり少も汝(なんじ)が害(がい)とはなるべ からす若(もし)後難(こうなん)もあらば汝が聞(きゝ)し通りつぶさに 申ひらくべしわれは何某殿(なにがしとのゝ)の御内 山香(やまか)佐の右衛門 といふものなり汝が身(み)に此 難義(なんぎ)かゝる事はあるまし といへは馬士大きにおとろ何 様(さま)の御 家士(かし)とやかく とも夢々(ゆめ〳〵)存知(そんじ)申さで無礼(ふれい)の段 幾重(いくゑ)とも御めん 下さるべし私は御 領分(りやうぶん)の土民(とみん)にて候 最初(さいし)【ルビ:さいしよ?】の義を約(やく) しながらあの山伏をのせんと申せし事は山伏我?を まねきことの外 道(みち)につかれたりあの侍(さむらひ)に断(ことはり)を乗?に 駄(だ)ちんは汝が心に 任(まか)せんとく〳〵頼(たの)むなりとし給て 申そのうへあのものは近郷(きんごう)にかくれなき強力(ごうりき) もの此 往還(わうくはん)にかくれなく殊(こと)に行力も人々しら れて物しらゆへかれが心にさかひては後日の仇(あた)と ならんもおそろしく心ならず無礼(ぶれい)いゝかたる事 御ゆるし下されかしと手をすりて侘(わび)るにぞさの へもん打うなづき何(なに)か汝を咎(とが)めん少しも氣づかふ ことなかれ御 領分(りやうぶん)のものとあればわれは心安し 夢々(ゆめ〳〵)心を置(おく)事なかれと安き言葉(ことば)に馬子(まご)もこゝろ うちとけて行ほとに城外(ぢやうぐはい)にて馬より下り馬子は帰 し我家(わがや)へ帰れは亥刻(よつ)をしらするにぞ食事(しよくじ)など したゝえてさのへもんはけふの草臥(くたびれ)やすめんと寝や に入る家内(かない)のものもしつまり夜(よ)も更(ふけ)けるに物 音(おと)か まびすくするに夢(ゆめ)さめて見れはともし火かすかに 消(きへ)なんとするを起(をき)てかゝげんとするに何やらんかげの ことくならんものありすかし見れは人なりあやしみ なからともし火かゝげ見れは昼手(ひるて)に懸(かけ)し山伏の さもおそろしきさましてさの右衛門をはたとにらみ 立り大かたの人ならば恐れわなゝくべけれとも少も おそれず妻(さい)子の目さめて見ばおそれん事を思ひて 我が夜のものを屏風(びやうぶ)の外(ほか)へ引出し妻子の寝たる かたをば屏風(ひやうぶ)にてかこひ家はともし火をちかくた てゝ打(うち)ふしたり山伏はいかれる面(おもて)すさましく佐 野右衛門が枕(まくら)ちかく立ゐて目ましろきもせずあれど 佐の右衛門さらに何ともおもはずゆたかにいねたり 夜明(よあけ)かたになりて山伏はきへうせぬ佐の右衛門 常(つね)のごとく起(をき)ゐてけふも山 狩(がり)に出んとしけるに雨(あめ)の つよく降(ふ)れは出ずなりぬ佐の右衛門 妻(さい)にわひけるは しはらくの内御 身(み)と二人の子は外の座敷(ざしき)に寝(ね) 給へ我は思ふむねあれは今宵(こよひ)よりひとりの間に 寝(ね)んと云けれは妻女(さいぢよ)ともかくもといらへて夜(よ)に 入て家内うちやすみけれは常(つね)のごとく佐の右衛門も 寝たるに今宵(こよひ)は山伏 前(まへ)の夜(よ)よりもはやく出て つと立ゐたり佐の右衛門は更(さら)にめもやらで打ふしぬ かくて夜 毎(ごと)に出てさのへもんをおにらみたる斗にて 外には何の怪(あやしき)事もなしされど後〳〵は妻女(さいじよ)を初 家内のものとも此山伏を見ては絶入(ぜつじ)して二三日 づゝ病(やまひ)にふしけれは妻の父(ちゝ)は同 家中(かちう)田村 軍蔵(くんぞう) とて物頭役(ものかしらやく)してあれば妻は二人の稚(をさな)きを伴(ともな)ひ 行て帰らず従者(じうしや)もいつとなくいとまを乞(こふ)て皆(みな)出 さりけれはさのへもんも理(ことは)りと思ひていとま遣し ぬ扨(さて)相番(あいはん)十余人ありけるを或日(あるひ)まねきてしか〳〵 のよし語(かた)りしばらく病気(びやうき)と称(しやう)して勤仕(きんし)を止(や)め たきむね談(だん)じけれは何れも勇気(ゆうき)の人々なれは評(ひやう) 義(ぎ)取々にて今宵(こよひ)は何分 伽(とぎ)してその化物(はけもの)を引捕(ひつとらへ) んなどひきけれはさのへもん達(たつて)る?断?いへとも聞(きゝ)入ず【達(たつて)の頼(たのみと)いへとも?】 いづれも夜に入を待(まち)ゐたりしに未(いまだ)暮(くれ)ぬうちより 山伏出たりしをなみゐし人々一同ににきつれ我 討(うち) 取らんとさはぎたちしにうては消(きへ)うせひらけは あらはれまぼろしのことくなれは有合(ありあふ)人々 詮方(せんかた) なく終夜(よもすがら)たゞ刀を抜(ぬい)て切はらふのみさらに仕(し) いでたる事もなくて夜は明ぬ人々も興(けう)をさまし て帰りそれより家中の諸士(しよし)毎夜(よこと)に集(あつま)りてきり とめんくみとめんとすれと叶(かな)はす佐の右衛門 敢(あへ) て手もさへずかゝりし程に年もくれて春に至(いたり) て死霊(しれう)は昼(ひる)も出けれは今は病気(びやうき)とて引 込(こみ) 昼となく夜(よ)となく山伏と向(むか)ひゐたり人々 訪(とむ) らひ来て加 持(ぢ)などし給へと諌(いさむ)れと佐の右衛門 さらに聞入ず月日ふるに随ひて山伏はさのへ もんの影(かげ)のことくつきまとひけれど佐の右衛門は更(さら) に屈(くつ)せず大きなる家に昼夜(ちうや)山伏とむかひ 居(ゐ)てすこしもおくしたる気色(けしき)もなし後(のち)には人も 訪(とひ)こず七とせ斗ありてさのへもん軍蔵のもとへ 行て久敷 不音(ぶゐん)を述(のべ)て妻子(さいし)に逢(あ)ひ終日(しうじつ)鬱散(うつさん) し立帰らんとするに佐助とて十五歳に成ける佐の 右衛門の息(そく)七年 已然(いぜん)母と共にこゝに来りしが父(ちゝ)に向(むか)ひ ていふやう某(それがし)はや十五才に罷成 嬰児(ゑいじ)のごとく変化(へんげ) を恐(をそ)れゐたらんは世の聞へも恥(はづか)しう候へは御 供(とも)申罷 帰たく候此義度々 祖父母(そふぼ)又 母(はゝ)へも申候へ共ゆるし なく候間何とぞ父の詞(ことば)そへられ召(めし)つれられ 下されかしとおとなしやかにいふにぞおひさき 思(をも) はれ父はうれしくいしくも申つるものかなとて 軍蔵に向(むか)ひ永々(なか〳〵)妻子を預置御 深恵(しんゑい)の段御礼 言語に述つくしかたし伜佐介義は存する旨?た?る? 同道いたし罷帰たく候といへは母を初祖母其外まて しゐて止(とゝめ)けれは佐助いふやうは伝へ聞 奥(をう)州の 千代 童子(とうし)は十三歳にて父貞任に随(したか)ひ大敵にあ たり頼 朝(とも)卿は十三歳の時敗軍にて父に送(をく)れ て数多の敵を切はらひ給ひぬ夫は名将(めいしやう)勇士(ゆうし) ちかきころも何某(なにかし)殿は伯父の仇を十四にて即坐 に討(うち)給ひしと承(うけ給は)る其 働(はたらき)にておとる共心は なとかおくれ候半や是?然?御供仕罷帰候はんと いさきよくいふに人々もしゐて止(とめ)行す母は女心の やるせなさも人々に恥(はち)らひてとかくいはで帰し ぬれと心はやすからすかくて佐の右衛門父子は我 家へ帰りしに死霊も待(まち)うけゐたり佐介は是(これ)を 見て刀を引ぬき打てかゝるをさのへもんおしとめ いさゝかもいらふへからす昔(むかし)天竺(てんぢく)にて斯任(ししん)と いふもの摩伽圓に七世つきめくり趙(てう)の何某(なにかし)は孟(もう) 竺(ちく)に十八年はなれず我朝(わがてう)の文学(もんかく)は承久(ぜうきう)の 御門(みかと)を恨み奉りし皆(みな)怨執(をんしう)深き悪業(あくごう)の さりかたきものゝなすわさに取あふに及さる事や いざねんとてもろ共にふしたり父子共によく寝 たるにわつといふ声(こゑ)佐の右衛門か耳に入おとろき 見れは山伏佐介か上へ乗て首(くび)ねぢ切らんと する体(てい)也佐介は枕(まくら)にありし刀(かたな)に手をはかけながら 山伏に手ごめにあひぬさのへもん大にいかり起上り 刀をぬいて切はらひ憎しきたなき死霊かな 何条(なんぢやう)伜(せがれ)に恨みあらんや本来(もとより)己(をのれ)が邪法(しやほう)の我慢(かまん) にほこり人を人とも思ひたらず邪(よこしま)をのみなすゆへ 天わが手をかつて汝(なんじ)が悪逆(あくきやく)を罪(つみ)し給ふ天罰(てんはつ)を わきまへず我 慢(まん)外道(げたう)へ落(をち)入り悪 趣(しゆ)に迷(まよ)ひ我 を恨(うら)みんは是非(せひ)なし幼弱(ようじやく)の伜に鬱憤(うつふん)を晴(はら)さ んとは比興(ひけう)至極(しこく)の至りなりと大きに嘲(あさけ)り佐介か いたみを介抱(かいほう)す夜明(よあけ)けれは医(ゐ)師をまねき薬を つけなとして痛(いたみ)を療治(りやうち)す母は夜すからあんじ あかして未明(みめい)に人を遣し此事を聞てわれも走(はし)り きまほしう思へとかなはて迎(むか)ひの人をやりて呼(よひ) よせかへらぬくり言は人聞もいかゝなれと女のならひ さま〳〵に歎(なけ)きけるも理(ことは)りかないたみは日を経て 快気(くはいき)したれとも首(くび)は後のかたへねちれて片輪(かたわ) つきたるをさま〳〵にあつかへど元のことくにならず此 子も口 惜(をし)しき事に思ひけれども甲斐(かひ)なし首(くび)は 右のかたへねぢむきたれども健(すこやか)になりぬれは祖父(ちゐ) に向(むか)ひ又父がもとへ行んといへど此度は人々あな がちにいさめ止(とゝめ)て更(さら)にゆるさずかくて1とせ斗り ありて佐介人々にさま〳〵断いひて漸(やう〳〵)に父か許(もと) へ帰り来りて父ともろ共山伏に向ひゐたり此度は 死霊(しれう)も手をさへず佐助はかく片輪(かたわ)づきたる 事を不斜(なのめならず)口惜(くちおしう)思ひけれど死霊にうらみ云(いふ) へくもあらず只三人にらみあふてうち過(すご)すのみや かくて此 死霊(しれう)九年めの初秋(しよあき)の頃(ころ)よりは二三日つゝ程 を置て出夜のみ出る事もあり又 昼(ひる)ちらと見へて 夜は来らぬ事もありしがその冬(ふゆ)に至(いた)りては曾而(かつて) 来らず佐の右衛門親子もあやしみいかにしてか此 化物(ばけもの) は出ざるやらんなどいひて待(まち)に其後はゆめにも来ず かくて年もあらたまりぬれど死霊(しれう)はいよ〳〵影(かげ) 見えねは妻子 従者(じうしや)ももとのごとく呼(よび)かへし佐野 右衛門病気 全快(ぜんくはい)の義申 達(たつ)し勤仕(きんし)を願(ねが)ひて出(しゆつ) 勤(きん)し同役(どうやく)中を招(まね)き饗応(きやうをう)の上にて何やらん紙(かみ)に 包(つゝみ)たるものをひとり〳〵の前へ直(なを)し引廻れは人々 是はいかにといふに佐の右衛門いひけるは某(それかし)山伏を手 にかけし事 殿(との)の御用にて出たる道にての事にもあらず 私の遊山(ゆさん)に出山伏のらふぜきとは云(いひ)ながら畢竟(ひつきやう) 私なり然るに其 為(ため)に九年か間 勤仕(きんし)せざること 茗加(めうが)なき事共なるを各(をの〳〵)の深志(しんし)を以て代役(かわりやく)を 御 勤(つとめ)下されゆる〳〵病気 養生(やうじやう)いたしとてかく全快(ぜんくはひ) 仕段 皆(みな)人々の御 厚情(こうせい)いか様にいたしてもあきたら ざる事なれ共すべきかたも侍らはず九牛(きうぎう)が一 毛(も)にも 即(およば)_レ不(すな)_レ及(はち)せめての寸志(すんし)に候とて九年が間の物成(ものなり)を十 余(よ) 人の相 番(ばん)の人々へわかち遣しけれは人々もさま〳〵 じたひにおよひけれとも佐の右衛門しゐて理(ことは)りを述(のへ)け れは十 余(よ)人の相番も止(やむ)事を得かたく各(をの〳〵)受納(じゆのう)して 誠(まこと)に心懸(こゝろがけ)あつき士(さむらひ)なりとて感(かん)じあひけるとなん此 事 無下(むげ)にをきことにて首(くび)ねちれたる人の縁者(えんじや) つか?き?の人の物語なり    長慶(てうけい)寺百川和尚猩々 呑(のみ)の事 短歌行(たんかこう)に曰(いわく)酒(さけ)に対(むかつ)て当(まさ)に歌(うた)ふべし人生(じんせい)いくばく ぞ譬(たとへ)は朝露(あしたのつゆ)のごとし憂思(ゆうし)忘(わす)れ難(かた)し何(なに)を以(もつて)か 愁(うれい)を解(とか)ん唯(たゞ)杜康(とかう)有とは今はむかし江都(こうとう)深川(ふかかわ) に長 慶寺(けいし)といへる済家(さいか)の寺ありその住寺(じうし)を百川(ひやくせん) 和尚(をしやう)とて遠国にならびなき大酒(たいしゆ)にて殊に禅学(ぜんがく)に 達(たつ)し頓智(とんち)発明(はつめい)にして更(さら)に貪着(とんぢやく)なき住持(ぢうじ) なれは貴賎(きせん)によらず酒(さけ)このむ者は寺へも行又手 前へも請待(せうだい)して酒を呑合(のみあふ)けるに此和尚いづかたへ 行て呑(のま)れともつゐに顔(かほ)の赤(あか)ふ成し事なくまして 酔(ゑは)はれたる体(てい)を見たるものなし心安き同宿などは 折にふれてははふれいかほど酒をまいれば酔(ゑい)給ふぞと とへは和尚わらひて此寺へ入院(じゆゐん)已然(いぜん)諸国 偏参(へんさん)の 時分(しぶん)伊豫(いよ)国 何郡(なにごふり)とかやに行しに楽助(らくすけ)といひし 【挿し絵】 百姓(ひやくしやう)出?させる日にあたりしとてわれらをまねきて 酒(さけ)をあくまてまいれとて大きなるかめに酒をたゝへ ていだしすへたりそれを残(のこ)らず呑(のみ)尽(つく)して少(すこし)酔(ゑい)たり と思ひしより外終(つゐ)に酔(ゑい)たる覚なし夫よりして われらが異名(ゐみやう)を猩々(しやう〴〵)和尚といふぞとかたられし その頃本庄五つ目あたりに三木(みき)酒之助といへる士(さむらい)有 此人も聞ふる酒呑にて一とせ大坂へゆかれし時名に あふうかふせにて共七盃迄 息(いき)せずにつゞけさまに 呑れしとて虚実(きよじつ)はしらず自慢(じまん)の大酒なりしが 同気相 求(もとむ)るのことはりかや此和尚といと入魂(じゆつこん)して折 毎(こと)に往来(をうらい)せしが在(ある)時酒之助寺へ入来りけれは和尚 も其日は徒然(とせん)にてゐられしかは悦て対面(たいめん)し例(れい)の 酒 盛(もり)せうてけるに互(たかい)に甲乙(こうをつ)なく日もかたふけは酒 之助いとま申て帰らんとせしが和尚にいひけるは 多(た)年 呑合(のみあふ)といへとも未(いまた)その強弱(きやうしやく)をわかたす何 さま近日一 会(くはい)を催(もよほ)してその甲乙(かうをつ)はかり見て先生(せんせい) とせんといへは和尚を初め同宿 弟子(てし)中も是は興(けう) ある事ならんいて〴〵さはりなき日をさして互(たかい)に兼(けん) 約(やく)あれかしとすゝむれは和尚八月十五夜こそ よからんとあれは酒之介もさなんとてかへりぬ程 もなく其日に成けれは酒之介は夕くれかたに寺へ 入来て物かたりするうちに初夜も過て月は名(な)に あふ二千里(せんり)の外古人(こしん)も今(こん)人も素面(すめん)の楽(たの)しみは おかしからしと端近く出て物語するに勝手【?】より大 きなる盤(はん)に盃(さかつき)二つすへいもやうのさかなあまた調(とゝの) へ持(もち)出二人の中へ直(なを)し扨(さて)四 斗(と)樽(たる)を二人してかき 来り樽のかゝみを打ぬき柄杓(ひしやく)を二本【?】そへて盤(はん)と 同しくならべ置(をき)て皆々勝手【?】へ入けれは和尚のけふは 杓人(しやくにん)の給仕(きうし)のと人ませせんもむつかし彼らも今宵(こよひ) は目見て楽しまんと思ふらめと思ひ取てこそか くははからひ侍りし是をなづけて猩々(しやう〴〵)呑(のみ)と号(がう)し 侍らふとたはふれていざこしめせとて銘々(めん〳〵)盃(さかづき)柄杓(ひしやく) 取 持(もち)彼(かの)樽(たる)よりも汲(くみ)あげ〳〵夜と共にのめる有さま 月はくまなくさえて庭(には)の池水に影(かげ)すみわたり潯(じん) 陽(やう)の江もかくやあらんと思ふに夜半斗に一樽 汲(くみ)ほし けれは和尚僧と呼(よび)てけう一樽もてこよとあれは心 得て又一樽もちきりてかゞみ打ぬき夫よりさけ あらたまりしとて又くみかわしけれは月入夜も ほの〳〵と此樽も同し句明て仕廻(しまひ)ぬさすがの 酒之介も是(これ)までに覚ず心よく酔(ゑい)たりちと休(やすみ) なんに御免あれとて枕(まくら)こひうけいねたり和尚は少 しも酔(ゑい)たる気色(けしき)もなく手水(てうづ)などして袈裟(けさ)衣 も着(ちやく)して弟子(でし)中とともに仏前(ぶつぜん)へ行 常(つね)のごとく朝 の看経(かんきん)をぞせられけるとなん此酒之介はわらはが親いとしたしうし侍りぬるが常に此事をかたりき 怪談御伽童巻四終 《題:《割書:古今|□説》怪談御伽童 五》 怪談御伽童巻五    城(じやう)ノ主水(もんどう)谷川(たにかわ)に《振り仮名:寄_レ情事|じやうをよすること》 泰山(たいさん)は土壌(どしやう)を譲(ゆづ)らず故(ゆへ)によく其(その)高き事をなす 阿海(あかい)は細(ほそ)き流(ながれ)をいとはず故によく其 深(ふか)き事を なすとかや往(むか)し播磨(はりま)の国司(こくし)に仕へける士(し)に片島(かたしま) 正蔵 橋崎(はしさき)宇根(うね)右衛門といへる人あり此両士 断金(だんきん) の交(まじは)り深く勤仕(きんし)の間にはいとむつまじくかたらひける 正蔵に男子(なんし)ひとり有名を幾之助といふ此子見め 形(かたち)心さまにいたるまで人にすぐれけれは夫婦のいつ くしみ一入(ひとしほ)ふかく身の老(おひ)をしれて此子の人ならん 事を待(まち)ける心そはるかなれ宇根右衛門には曽根松(そねまつ)と いふ男子さよといふ女子有然(しか)るにさよ容色美敷(ようしよくうつくしく) のみならず心ざし優(ゆう)にやさしくおさなき手 遊(あそ)びの 品も人に異(こと)なる唐物(からもの)大和(やまと)の写絵(うつしへ)物語 等(など)を弄(もてあそび) 事ならひも心あるさまに書ちらしけれは父母は元来(もとより) しれる人は珍(めづ)らしき少女(せうじよ)哉とあやしきまてにいひ あへり或日(あるひ)宇根右衛門 許(もと)へ正蔵幾之助をつれ入来り 例(れい)のごとく三人の子共 打交(うちまじ)りまさな事【正無事】してたはふれ 余年(よねん)なき有様を正蔵つく〴〵見て宇根右衛門に申 けるは侍輩(ほうばい)多き中にも貴所(きしよ)とは兄弟 同前(どうぜん) なる事人も知(し)りたる事也御 息女(そくぢよ)は五つ伜は八才にて 候へは能(よき)ほどの聞ならんに聟(むこ)になし給ひなんやと いへは宇根右衛門悦び左(さ)思ひより給はるこそしん じつ■【置?】なき此上のこと何かあらん吉日ともいかず 今日より娘を参らせ候はん御 子息(しそく)は聟なりとて一 家ざゝめき悦び母も何か差し置来りていはひおさめ けるいまだ雅(おさな)き【稚き】どちなれは何のゆくりもなく昼(ひる)は 終日(しうじつ)もろともに遊び戯(たはむ)れくらして夜にはおのが家へ 帰りてあかしくらすに正蔵 不慮(ふりよ)の事ありて俄(にわか)に 浪人(らうにん)しけるに宇根右衛門は縁者(えんじや)といひ殊に(こと)にしたしき 朋友(ほうゆう)なれは万身(ばんしん)をかけて内外(ないくわひ)取まかなひ同国高 砂と云所へ仮(かり)の住居をしつらひてこゝに半とせ斗在 しに陸奥(むつ)の国主(こくしゆ)より召けれは参りて仕(つか)へんとお もむくに極りぬ正蔵宇根右衛門に申けるは此度陸奥 へ下り候へとも国主の御家人 召抱(めしかゝへ)へられん事はいまた治(ぢ) 定(じやう)な事と彼国にしたしき親族(しんぞく)候へは一先下り候なり 然か上は従者(じうしや)を減(げん)じわづかの人にて下り候へし長(てう) 途(ど)の事なれは御息女は伴(ともな)ひがたし此上幾何年 浪々(らう〳〵)いたし居らんもしれずかく行衛定めぬ忰事 御息女と縁組(ゑんくみ)いたし候はんもいかゞなり身の片付定 申迄は自由(しゆう)がましく候へ共 断縁(だんえん)仕たしさりなから今 迄の御 深志(しんし)何国(いづく)いかなるうらにても忘(わすれ)奉らじ折節 は文通(ぶんつう)にて申 承(うけ給ら)んとはら〳〵と涙をながし切(せつ)なる心(しん) 底(てい)御 察(さつ)し下されかしとしみ〴〵とくどくにぞ宇根右衛門 も並みだぐみ御尤 至極(しごく)せりさりながら一度むすびし縁 いかにおさなきどちなりとて親の心に任せんもいかゞ なり御 断(ことはり)仰(をふせ)の候段一通り承知(せうち)いたし候へともたとひ 御子息 不幸(ふかう)にていか程 貧敷(まづしく)なり給ひても断縁 の義は存知(そんじ)もよらず候間御身上 極(きはま)り申迄娘は 何十年ても預(あつか)り置きさふらはんわれらぞんめいの中は 【挿し絵】 何国(いづく)迄も御 縁者(ゑんじや)たりといと頼母敷(たのもしく)いふにそ 正蔵もうれしくて左も候はゝともかくも御心に任(まか)せん と互(たがひ)に別(わか)れぬやかて其日に成ぬれはまだ夜をこ めて高砂を立出いつしかならはぬ旅路(たびぢ)の行衛(ゆくゑ)遠(とふ) き東(あづま)なるみちのくさして下りける折秋 最中(もなか)にて 草(くさ)むらことに露(つゆ)おもく風にもまるゝ萩(はぎ)の枝(えだ)も たはゝにぬししらぬ蘭(らん)のなつかしき香(か)にも古郷(ふるさと)を 忍び女郎花(をみなめし)多き野辺(のべ)は落馬(らくば)の用心せよと たはふれ秋田かるてふ賎(しづ)のかしこき御 恵(めぐみ) に道すがらの民(たみ)の賑(にぎ)はふ家居もしげく立続(たちつゝき) たるに心もいさみて豊年の忝【?】多く稲(いね)多し爰に 高き廩(くらたそかれ)に山路をたどり野を過れは 行に端(は)山も紅葉しむら〳〵のにしき雁(かり)の友よび 行さま妻こふ鹿(しか)の声遠寺(ゑんじ)の晩鐘(ばんしやう)道(みち)を急 ぎ袖さむき黄昏(たそかれ)に山路をたどり野を過れは 誠(まこと)に山遠くして雲 行客(かうかく)の跡を埋(うづみ)日(ひ)を経(へ)て二 本松といへる所に到(いた)りぬこゝにしたしき一 族(ぞく)ありて しばらく旅(たび)のつかれをなくさみぬひとひ二日と立 て初時雨(はつしぐれ)身にしみて覚へける折しも正蔵風 の心地とて衣などあつく着 補(おきな)へと次第に重(おも)く なりて妻子を初め此家のあるじも心を尽(つく)し良(りやう) 薬(やく)祈(いの)りと物しけれと長途(てうど)のつかれにやまた前世(せんぜ) の定(さだま)れる命にや十日 余(あま)りおもくわづらひて終(つい)に なき人の数(かづ)となりぬ妻子の歎(なげ)きいふも更(さら)なり 武士(ぶし)の習(なら)ひ何国(いづく)え果(はて)なんも斗り難(がた)き理(ことは)りは 誰(たれ)もしることながら住なれし古郷(こきやう)を仕官(しくはん)の為に 立出てはる〳〵しらぬ東(あつま)に下りてその願ひも果 さて空敷(むなしく)死にうせ給ひて残(のこ)りし雅(をさなご)わらは 女の身にて養(やしな)ひたてんよすかもなし魂(たましひ)なきから をさらで有なば同し道に伴(ともな)ひ給へ誰を便(たより)に 何によりてながらへんと絶(たへ)入〳〵歎(なけ)きしは理(ことは)りにも過 て哀(あわれ)なりあるし夫婦もさま〴〵となくさめて野べ のおくりもいとなみ終(をわ)りて此 主(あるし)の士(し)いとたのもし き人にて幾之助が母に向ひ何事も心の限(かぎ)りはご くみ奉らせんに夢々心置給ふべからす我(われ)は亡人(ぼうじん)に 遠からぬものなれはかくて御荘(おは)さん【?】には亡人と思ひ なぐさみて過し給へとねんころにかしづき幾之介 をも我子のごとく万いたらぬきはもなく教(おしへ)へ なし弓馬(きうば)剣術(けんじゆつ)手跡(しゆせき)文学(ぶんがく)何によらずその 道にかしこきを師(し)として学(まな)ばせけるたゝ無き こそはふけて【?】なれ外にはさのいかなしきこともなくて 幾之介 芸能(げいのう)何によらずかい〳〵く美童(びとう)の誉(ほま)れ 国主の聞に達(たつ)し十三才の頃 新知(しんち)三百石にて召出 され他に異(こと)なる寵愛(てうあい)にて一国おもくもてなし ける然るに古郷宇根右衛門方より風の音信(をとづれ)もなき をあやしみながらこらの愁(うれい)何かに取まぎれ一とせ 余(あま)りも過しに夢の便(たより)りもなし幾之介母思ふは人の 心の頼なく世になきものと思ひすてけるならんと或(あるひ)は 恨みまたはかこちなからもさすがに古郷なつかしくて便 につけて絶(たへ)ず古郷を忍ぶさま又夫の不幸など 細々(こま〳〵)と書認(かきしたゝめ)送(をく)り遣しけれど片便(かたたより)なれば返(かへ)しも 見ずなりぬ三とせ斗有て故郷(こきやう)にて召仕(めしつか)ひしものゝ 一 族(ぞく)の中に出家(しゆつけ)有けるが尋来(たづねき)てしか〳〵と案(あん)内し けれは絶(たへ)々と久しき古郷の便りうれしさに何事も 忍(しの)びあじぇず奥へ通し対面(たいめん)す此 僧(そう)何某(なにがし)が弟(をとゝ)にて と身の由緒(ゆいしよ)明(あき)らかに申せは母(はゝ)も心 置(をき)なく打とけて 宇根右衛門の無音(ぶゐん)を恨(うらみ)がちに語(かた)れは僧 答(こたへ)てその御 方こそ御夫婦共打 続(つゞき)死去(しきよし)給ひ雅(をさな)き人々は孤(みなしご)と 成(なり)給ひ女子(によし)は竜野(たつの)の伯母(をば)君(ぎみ)の方へ引取給ひぬ 其後はいかゞ成行給ひしやらんしらずと語(かた)りぬ 此事を聞(きい)て母は袖をかほにあてしばしこと葉も なかりしが露(つゆ)斗もかくとしらは此子をも具(ぐ)して 下らんものを神ならぬ身は此子が行衛(ゆくゑ)を思ひて父(ちゝ) 母に預け下りしに今迄 便(たより)なきをあやしと思ひしに 理(ことは)にこそなを古郷(こきやう)の事とも委敷(くはしく)聞まほしく しばらく爰(こゝ)に留(とま)り給へとて二三日留(と)めおきぬ僧(そう)は 松前のかたへ行て末 陽(はる)【?】播州(ばんしう)へは帰るなりと 聞給て彼(かの)さよが方への文に一品をそへてこれを尋(たつね) 逢(をふ)て手渡(てわた)しして給へくれ〳〵たのみ入申也と 僧(そう)にも旅(りよ)用など少遣しぬ僧は品々取もち いとま乞(こふ)て立出ぬ年もくれて春の半(なかは)に僧は松 前を立て古郷へ帰(かへ)りあなたこなたよすが求(もとめ)て やう〳〵娘の在所(さいしよ)を聞(きゝ)出し尋(たづね)行てかくといひ入 けれは伯母(をば)もおさよも対面(たいめん)しつ陸奥(むつ)の事 細々(こま〴〵)語(かた)りて文と一品を渡(わた)しけれは人々母(はゝ)の深切(しんせつ) をかんじぬ然(しかる)るに此伯母其 夏(なつ)の頃身まかりて 頼(たの)む木(こ)かげに雨(あめ)もたまらでおさよはよるべなく たゞよひしを人々憐(あわれ)みて美作(みまさか)津山といへる 所の郷士(ごうし)の方へ養(やしな)ひ女(むすめ)に遣しける此 養父母(やうふぼ)深(ふか)く あはれみ国 主(しゆ)へ宮仕へに出しぬかゝりしより 後(のち)は陸奥(むつ)の便(たより)も絶果(たへはて)けり幾之介か母は我子 の生(を)ひ先き美々敷(びゝしく)主君(しゆくん)の御 恵(めぐみ)に国中のよせ おもきを見るにも彼(かの)おさよか事を露(つゆ)も忘(わすれ)ず 今年はいくつに成なん今はさぞおとなしうも のしつらんなどなつかしう恋(こひ)しきまゝ神仏を いのりてひたすら廻り逢(あわ)ん事をのみねんじける 光陰矢(こうゐんや)よりもはやく時人を得たて幾之助十九の 年 元服(げんふく)し故(ゆへ)有て苗字(めうじ)を改 城主(じやうもんとう)とて役義(やくぎ) も此国の一人にならひて廿三才の時は二千石を給(たまわり) 国主の御目がねにて大役ながら此度 作州(さくしう)の御預り 地十万石の郡代になりて母(はゝ)もろとも彼地(かのち)へ至(いた)りぬ こゝは古郷(こきやう)へも無下に近く明(あけ)くれ母のこひしたひ 給ふ人々へも便(たよ)り求(もとめ)これかれ音信(ゐんしん)もしば〳〵聞 けれはおさよが行衛を母も尋(たづね)ぬれど更(さら)に知(し) れる人なしいたしぬかたなく心の及ぶたけ尋もと むれとそのよすかさへきかで三とせになりぬ母も 尋(たつね)侘(わび)てせんかたなくかく不幸(ふこう)の人は死(しに)もうせ つらんと老(おひ)の涙もろくてひとへに菩提(ぼだひ)をのみ 弔(とむら)ひけるかくてみちのくの守(かみ)より主水(もんど)に妻室(さいしつ) 迎(むか)ひ取 得(ゑ)させよと度々母が方へ仰(をゝせ)給りぬれは 難有(ありかたき)恵(めぐみ)の程をかしこまり思ふにもおさよか行衛 を人しほしたひ思へとせんかたなくてしたしき人の 媒(なかだち)に心 行(ゆく)べき事ありて母もげにと心得て主水(もんど) にすゝむれは心はそまねど母のはからひに任(まか)せぬ しかはあれど我(われ)高砂の別(わか)るゝ時よしや年 経(へ) てみちに親(をや)〳〵の心にたかふと外の女は見まじと いへるにさよが六つの年何 心(こゝろ)なく顔うち見てうな づきし面影(おもかげ)年来ふれどさらに忘(わす)れずもし 此世になき人となるとても異(ほかの)女にま見へるは こけの下にて思はんこともはづかしなとおもひ つゝくるもいとやさしきこゝろぞかし時しも神無(かみなし)月の 頃かれ野ゝ気色(けしき)見んとてそこはかとなくうか れ行に例(れい)の山嵐に木(こ)の葉 散(ちり)つゝ谷河の流(なか) れは紅葉(もみぢ)をそのまゝに下〳〵おもしろき日も あやに詠(ながめ)ゐたるにしがらみにかゝりてとゞまりたる 一葉に文字の書(かき)たるあり取上みれは   浅(あさ)ぢゆのかき〳〵になるおもひには   なみだの露(つゆ)そおきところなき いとうつくしき女のふての跡(て)也いかなる人のす さひ成らんあやしさよ実(げに)や晋(しん)の干宝(かんほう)唐(とう)の 段九成(だんきうせい)が事も偽(いつわり)ならめとのみ思ひしにまのあ たりかゝる事はいまた聞ず何となく此葉の跡(あと)に 心とまりてやゝ思ひめぐらすにしゐてうちすてかた くわれも又あたりの木(こ)の葉にかくこそ【?】   あし引の山路のおくをわけかねて   身は谷河にしつみはてなん と思ひつゝけける侭(まゝ)に書て同ながれにうち入れ て行(ゆき)方を見やりて立る【?】もはてしなきおりちぞ かしとかくするに日は西山(せいざん)に陰(かげ)おちて田面(たのも)の 賎(しづ)もいさなひかへり遺愛寺(いあいじ)の入相におどろき て家路(いへぢ)に帰りてもともし火近(ちか)くたて彼(かの)木の葉(は) を詠(なか)め入て寝(ね)もやらず思ひ廻(まは)すに彼(かの)貫之(つらゆき)の遍(へん) 照僧正(じやうそうちやう)の歌(うた)を絵(ゑ)に書(かけ)る女を見ていたづらに心 をうこかすかことしと難(なん)じ給ひぬとかそれは筆(ふで) に任(まか)せ心を入て書なしたるなれは形(かたち)も似(に)たるも あらんかと思ふ者から心をかけまじき者にあらず是(これ) は聞も見んせぬ人の筆の跡(あと)をかくせちにおもひ 入りしはあるまじき事と思ひすつれどあやにく【あやふく?】 に恋(こひ)しくやゝ夜(よ)も更(ふけ)行に村(むら)鳥(とり)のねぐらあら そふ声(こゑ)のしるく瀟々(しやう〳〵)たる雨(あめ)の窓(まど)をうつ音(をと)に いとゞ目もあはずおさよが事も打まぜて思ふに とりもしば〳〵音信(をとづれ)て明(あけ)なんとする頃にあま戸(と) 押(をし)ひらき明かたの空(そら)を詠(なかむ)れは四方(よも)の梢(こすへ)もまば らなる中に常盤木(ときわぎ)立まじりたる明ぐれの さましのゝめの烏(からす)もわれを思ふかとあはれに 聞(きゝ)なし漸(やう〳〵)下部(しもべ)も起出(をきいて)物さはがしく日もさしあ がりぬれは母も寝屋を立(たち)出給へは我(われ)も今 起(をき)たる さまに手水(てうづ)などつかひ何心もなきふりしてゐれと 心はやすからずされど昼(ひる)は事しげきにおのづから まぎるれどよる〳〵は忍(しの)びかたきにや四五日 過て又 彼(かの)谷河(たにかわ)の辺(ほとり)りへ行きて見るに過しやうに 水の色も見へぬ程(ほど)にはあらねとたえ〳〵なる 木(こ)の葉(は)の筏(いかだ)なりしたるさまはこほ【?】見所有て いと興(けふ)ふりし又もものかきたる木の葉(は)ながれ ぬるやと目まぜもせず詠(なかめ)給るにさらにあらずもし やと流(なが)るゝ木の葉をかきよせ〳〵取上るにみすの したゝり衣(きぬ)にかゝりてうへ下通(とふ)りはへもひた〳〵 する程(ほと)にしれとぬれけるもふかきかたにおもひ よそへられといとおかしあまり思ひわひて   はかなさを何(なに)によそへん行水(ゆくみず)の   なかれのすへに柵(しからみ)もうき【?】 と書て又ながしやりぬかくて下部(しもべ)ともあまた 尋(たづ)ね来(きた)りあやしや何の見所もなき谷(たに)川に心 をよせ給ふこそはかなけれかゝる所には狐(きつね)なと有 て人の心を迷(まよ)はすなれと口々いふにてげにと 思ひても立(たち)さりがたく瑟々(しつ〳〵)たる波(なみ)西施(せいし)が顔色(がんしよく) 今いづくにかあると高(たか)らかに云(いひ)勝(まさ)らかして帰(かへ)り ぬとかくするに年(とし)もかへりて睦月(むつき)になのゝは事【??】 多く物思ひも少し勝(まさ)れぬへし花 盛(さかり)の頃(ころ) より何かと取 急(いそ)ぎ卯(う)月四日に同国津山 より妻(つま)をむかへ入たり名(な)をしがとなん云(いひ)ける 婚礼式(こんれいしき)終(をわ)りて寝(ね)やに入て男(をとこ)はさよが事に 打(うち)そへて過し頃 谷(たに)川にてひろひ取し木(こ)の葉(は) のぬし恋(こひ)しくて此女の事は心にもいらねは 世の掟(おきて)斗の妻(さい)となして置(をく)べしと心を定(さだめ)て妻(さい) に向(むか)ひいふやうかくいはばあやしやいかなりてな すにと心もとなく思ひたまはんが千々(ちゞ)の神(かみ)かけ てそこをよそふ思ふにはあらず我身(わがみ)事十三 の歳(とし)君(きみ)へ召(めし)出され寵愛(てうあひ)他(た)にこへ厚(あつ)き御 恩(をん)は身(み)に余(あま)りぬある折(をり)から御たはふれに 汝(なんじ)三十にならん迄は妻愛(さいあい)なすべからすこの御 言(こと)の葉(は)身(み)にしみてかたしけなくも有(あり)がたく かしこまりて御 受(うけ)申ぬしかるに三四年此 郡代(ぐんだい) に仰(おふせ)付られ母も■らもにころふ【???】ありて君(きみ)の御 前(ぜん)へ出(いつ)る事もなく只(たゞ)遠(とを)く思ひ上奉るのみ也 誠(まこと)に深(ふか)き御 情(なさけ)のあまりにひとり寝(ね)のつれ〴〵 迄を思しめし下され妻(さい)を迎(むかひ)取 得(ゑ)させよと 母かもとを度々(たひ〳〵)仰(をゝせ)下されしを母は何(なに)のあや をもしらで出入人々に似合(にあわ)しきえにしもあ らばと頼(たのも)しふ幸(さいわい)にそこを迎(むかへ)とらんとあるを 母に向(むか)ひ此 理(ことは)りものへかたくてよし此うへは 迎入てはその人に此事をあからさまにいい聞 せんになどか心得(こゝろへ)たる人きと思ひてむかへし也 此事ゆめ〳〵いつわりならす下紐(したひも)こそはとかずとも いもせのちぎりふかき事を思ひとりて幾久(いくひさ)に かたらはんをたのしみにわが年の三十にみつるを 待(まち)給はるへしとしみ〴〵とくどくにそ女もさのい 気疎(きやうと)き様(やう)にもあらで実(げに)世(よ)は思ふに甲斐(かゐ)なき ものにてこそおはすれともかくも御心にしたがひ さふらはんといらへけれは主水(もんと)も思ひの外に 心おちつきて契(ちぎ)り異(こと)なるいもせの中なり母は かゝる事とは夢(ゆめ)にもしらで主水(もんと)がうきたるさ まの一人 寝(ね)をたえず心くるしく見しに美(み)め かたちも思ふまゝなる人をむかへ居(すへ)たれば嬉(うれ)しさ かぎりなきにもおさよが事は忘(わす)れず此人おさよ に似(に)たるかと思ひ合(あわ)すれどわづかに六つになりし 時の稚顔(をさながほ)さらにおもひよらず此よめは今を盛(さかり)り の年(とし)の程(ほと)にていと清(きよ)らかにけだかく心ざしもなる 事【?】にまさりて優(ゆう)にやさしく情(なさけ)ふかしいづこにて露(つゆ) 難(なん)ずへき所もなし三人ともに下もへ【?】の思ひは深(ふか)く ありそうみのつきぬまさごのかず〳〵もいらねは こそあれみなひとつ思ひにやるせなき月日 もたちて文(ふみ)月十三日になりぬ母は老(おひ)の一かたに 仏(ほとけ)の道(みち)を思ひ入たまだなに供物(くもつ)そなへなどして おしがもろとも取いそぎぬこれは何某(なにがし)彼(かれ)は 誰(たれ)と裂(れつ)を定(さだ)めしその中に雅名(をさなな)の書しあり見れ は橋崎宇根右衛門 娘(むすめ)さよとしるせりおしがいと ふしんなる体(てい)にて母に向(むか)ひ是(これ)はいかなる人の しるしに候やと尋(たつぬ)れは母はしばしいらへもせで 涙(なみだ)にくれしが夫(それ)につきてはあはれなることこそ 【挿し絵】 あれとて始終(しぢう)をかたりけれはおしがは涙(なみた)玉をなし わらはこそ其(その)宇根(うね)右衛門が娘(むすめ)さよにて侍(さむら)らへとて守(まもり) 袋(ふくろ)より有(あり)つる文を取出し母にみすれは母は夢(ゆめ)□ わきまへずふたり手(て)に手を取かわし嬉(うれ)し涙(なみだ)に言葉(ことば) をなししがはやう〳〵涙をおさへかくまでちきり深(ふか)き 事をばしらで心に物を思ひながらつみふかく身(み)のうへ をかたりあかし侍(はんべ)らはざりし事の悔(くや)しさよといへは 母もこしかたのことゞもかたり出て互(たかい)にうれしさいわ んかたなく悦(よろこ)びあへり主水(もんど)は用の事ありて外(ほか)へ 出たりしか月さし出る頃 帰(かへ)りぬれは母もおしがも 言葉(ことば)を揃(そろ)へひとつ思ひなる事をしらで過しつる はかなさをかたれは主水はうつゝ共わからず同じ 思ひにこかれし事を思ふにも彼(かの)谷河(たにがわ)のなかれに 拾(ひろ)ひ得し木の葉(は)のぬしぞふかしとしたひしも すべもなき心のくまならしとおもふにぞ女は又 年来(ねんらい)の物思ひも夢(ゆめ)の覚(さめ)たる心地(こゝち)するにも世(よ) を去(さ)りぬ父母(ちゝはゝ)の事おもひ此 世(よ)にある人々にはかく 思ひまうけぬ対面(たいめん)もなすそかし亡(なき)人のたまのあ りかもとめてつけしらせん■■もかなと思へと夫(それ)は いとかたき事なりといとゞ哀(あわれ)をそへぬ男は始終(しぢう) を聞(きゝゐ)て此年月 露(つゆ)わすれざりし面影(おもかげ)思ひ合すれは こよなうねびまさりて見所あるもその人にあらずと 思ひしゆへに心にもそまて過いる月日もくやしく かの谷川にてひろひ得し木の葉(は)取出し有しさま 又おさよならては外(ほか)の女に契(ちぎ)らじと思ひて新枕(にゐまくら)に ■今迄人め斗の妹背(いもせ)にて更(さら)に下紐(したひも)とかざりし などかたれはおしがも亦(また)懐(ふところ)より同じ木の葉(は)とり 出てさればとよわらはは養(やしな)ひ親(をや)の元(もと)より国司(こくし) へ宮仕(みやつかひ)に出しが此二とせ已然(いせん)より養(やしな)ひ親(をや)の館(たち)へ 帰り住(す)みてもたゞあけくれ御 行( く)衛の恋(こひ)しさたへ かたく心も空(そら)にあこがれ前栽(せんさい)のやり水に谷(たに)河 せき入たる辺(ほとり)に詠(ながめ)ゐしに折(をり)ふし木の葉の落(をち)たる を取て心にうかみけるまゝつたなきことの葉を 河水にうかべ侍(はべり)りしに亦の日用の事ありて此谷 川の下を通(とふ)りしに木の葉に何(なに)やらん書(かき)たる がながれたゞよひけれはもしやきのふの我くち すさびならんと思ひひろひ取て見れはさにはあ らで外の手(て)して書たるものゆへふしぎに思ひ 世にはわがごとく物思ふ人もあるやらんよし〳〵前(ぜん) 世(せ)のえにしつたなくおさなき時の人に逢(あふ)事かたく ばせめて此 主(ぬし)に成とも縁(ゑん)を結(むす)ばしめ給へと常(つね)に願(ねが)ひ 侍(はへ)りしに思はずも今 君(きみ)にま見へしは誠(まこと)に神仏の恵(めぐみ)な らんと思へはいと深(ふか)きえにしにぞ侍るなどかたりつき すべくもあらぬことの葉に夜も更(ふけ)て今宵(こよひ)こそ心も 下紐(したひも)も互(たがひ)に解初(とけそめ)て偕老(かいらう)の契(ちぎ)り浅(あさ)からぬ中とそ成 にけるとして母にも一入(ひとしほ)孝行(かう〳〵)に仕(つか)へ男女(なんによ)の子とも あまたもちて年々に君より加増(かぞう)を給り家(いゑ)富(とみ) 栄(さか)へ繁昌(なんしやう)し今に其 子孫(しそん)播磨(ばんしう)美作(さくしう)に数多(あまた) ありとぞ 怪談御伽童巻之五終 課長百談静観房好阿述前編《割書:全部五冊|先達而出来》 明和九辰歳正月吉晨    京都《割書:寺町通五条橋上ル西側|    梅村判兵衛版》 【見返し】 【裏表紙】