【表紙】 【題箋 文字不明】 【両丁 白紙】 【右丁 白紙】 【左丁】 叙 古-今相撲大-全書-成焉太平逸民開_レ巻 拊_レ掌曰予也小-少 ̄ノ時有_レ客遺_二 一-戯具遽 ̄ニ 取見_レ之摺-畳繭紙聯-剪為 ̄シ_二鼎形_一折 ̄テ如_二 人 字_一乃細 ̄ニ睹【覩は古字】_レ之則塗-鴉 ̄シテ_二其 ̄ノ首_一而為_レ髻綵-飾 ̄シテ_二 其-腰 ̄ヲ_一以為_レ㡓後各紀 ̄ス_二其字号 ̄ヲ_一宛然両-人 【欠損部は国文学研究資料館の別本によって補完。 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/6?ln=en】 【右丁】 将_二相撲_一之貌也其戯法装_二之席上_一戯者 ̄モ 亦相-対 ̄シテ曲-折傴-僂尖_二其口嘴_一気-息徐々 一斉 ̄ニ吹-起来則忽-爾如_レ有_レ神而飄々揚 々盤-旋欹-斜暫-時争-競而仆得_二其上正_一而 者以為 ̄シテ_レ羸而呼号也予於_レ是始-知有_二相 撲之戯_一兵既長後得_レ睹_二【覩は古字】真相撲場_一便驚 【左丁】 嘆其壮‐観哉而其景-気容-態 ̄モ亦大非_二彼 演-劇之比 ̄ニ_一耳於_レ是予意愈嚮-往兵大-氐 人之於_レ技也苟有_二志-尚_一者必得_二其髣-髴 ̄ヲ_一 而遂 ̄ニ能精-思而力行弗_レ懈則罕_レ有_二不_レ大 成者_一也而唯於_二此技_一也苟 ̄モ非_レ有_二峻骨豊 腴魁偉豪強之資_一而亦能得_二其手-法_一者 【欠損部は国文学研究資料館の別本によって補完。 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/7?ln=en】 【右丁】 其誰敢_レ之耶可_レ謂乎限-兵之道哉今-也 既-老尚-且一閲_二此書 ̄ヲ_一則十二分的快-活 神-気粲-々亦唯従-前嚮往之意哉因叙 ̄スル 以_二此言_一而謂予嚮往至_レ今不哀云爾 宝暦癸未春三月太平逸民題 【右丁の欠損部は国文学研究資料館の別本によって補完。 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/8?ln=en】 【左丁】 相撲大全後序 夫 ̄レ相-撲者 托(ー) ̄シメ_二其 ̄ノ力 ̄ヲ於身-體 ̄ニ_一発 ̄ク_二其術 ̄テヲ於 土畫(ドヘウ) ̄ニ_一者- 也人-之在 ̄ル_レ世 ̄ニ不 ̄シテ_レ能 ̄ハ_レ無 ̄コト_レ戯 ̄レ強-弱難 ̄ク_レ敵(ハリアヒ)優-劣相 ̄ヒ-争 ̄フ力 生 ̄シ_二於 質(ムマレツキニ)_一術 ̄テ成 ̄リ_二於習 ̄フニ_一勝 ̄ツ-者 ̄ハ其 ̄ノ-心勧 ̄ヒ負 ̄ル-者 ̄ハ其 ̄ノ顔悲 ̄シ 可 ̄ク_二以 ̄テ相捻(ネヂアフ)_一可 ̄ク_二以 ̄テ相投(ナゲアフ)_一陰(クモラシ)_二 天-地 ̄ヲ_一激(リキマヒ)_二鬼神 ̄ヲ_一競(キソハシムル)_二 人-間 ̄ヲ_一莫 ̄シ _レ宜 ̄キハ_二於相-撲 ̄ヨリ_一相-撲 ̄ニ有 ̄リ_二 三-義_一 一 ̄ニ曰 ̄ク勝 ̄チ二 ̄ニ曰 ̄ク持(ワレ)三 ̄ニ曰 ̄ク負 ̄ケ 若 ̄シ夫 ̄レ猫 ̄ノ児(コ) ̄ノ之 嬉(ザレ)_二席上(ザシキ) ̄ニ犬 ̄ノ子 ̄ノ之 戯(アガク)_二牀下(ヱンノシタ) ̄ニ_一雖 ̄トモ_レ無 ̄ト_二定- 法_一為 ̄ス_二相-撲 ̄ヲ_一物-皆 ̄ナ有 ̄リ_レ之自-然 ̄ノ之理-也然 ̄シテ而神-代 【左丁の欠損部は国文学研究資料館の別本によって補完。 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/137?ln=en】 【右丁】 貌 ̄チ-也頗 ̄ル有 ̄テ_二膂力_一而形 ̄チ甚 ̄タ長 ̄シ如_三【長怪子(ミコシニウダウ) ̄ノ之立 ̄ツガ_二面(ハナ) ̄ノ】 前(サキ) ̄ニ_一也此 ̄ノ外氏-姓流 ̄レ聞 ̄ユル者 ̄ノ不_レ可_二勝 ̄テ数 ̄フ_一其 ̄ノ大-底皆【推 ̄シテ】 _レ類 ̄ヲ可 ̄キ_レ知 ̄ル也 予(ー)眼 ̄コ眊 ̄ク_二勝-負 ̄ノ之間 ̄ニ_一徒《割書:〱》 ̄ニ窃 ̄ム_二解(コト) ̄シク者 ̄ノ之【名 ̄ヲ_一】 適《割書:〱》遇 ̄ヒ_二相-撲大-全 ̄ノ成 ̄ニ_一以 ̄テ楽 ̄ム_二此 ̄ノ道 ̄ノ之再-昌 ̄ヲ_一嗟(ア)呼宮 居既 ̄ニ没 ̄スレトモ相-撲不_レ在 ̄ラ_レ斯 ̄ニ哉 于時宝暦十三年歳次癸未春 菫花亭主人題 【別本参照 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/139?ln=ja】 【左丁】 序 往昔すまひの勝負に争をなせし時に行事  雪はおらん竹は折れしとつもるまに   かせふ吹はらふしのゝめのそら といへる古哥を引もちゐて左右をなためける とそとみにかしこき才なりし誠や我師木村政茂【も】 幼なきより此道に妙を得あまねく諸所に其【名を】 施しいとまある徒然には年比心かけ【侍りし故こと】 【別本参照 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/8?ln=ja】 【右丁】 ともを書しるし置れけるか末の露もとの雫【の】 世のことわりには【盈々ヵ】ついに懐をとけす埋れ有し【に】 予なを近きころ見おほへあるは聞つたへたる事 なと補ひ置しをしたしき書肆の求にいなみ かたくいさや桜木にちりはめ給へとしかいふ  未春陽  木村政勝 【左丁】   凡例 一 此書(このしよ)。元三巻。今中下を分て五巻とす。其上巻は。和漢(わかん)相撲(すまふの)  濫觴(はじまり)および。上古(しやうこ)相撲節(すまふのせちへ)。部領使(ことりつかひ)の事を記し。中巻古  今珍らしき相撲(すまふ)。古書に散見(さんけん)するものを集(あつ)む。下巻は  当時(たうじ)勧進(くはんじん)相撲の古実(こじつ)。《割書:予》が相伝(さうでん)及(および)。古老(こらう)の聞伝(きゝつた)へし事を記(しる)す 一 古今(ここんの)勇力(ゆうりき)。或(あるい)は戦場(せんじやう)におよんで。種々力業(しゆ〴〵のちからわさ)の事 多(おほ)しといへども  相撲(すまふ)にあらざれば。今 是(これ)をのせず。又 戦場(せんじやう)にある【らヵ】ずし て【。力】  くらべの事相撲に近きもの有。例(れい)せば鎮西(ちんぜい)八郎 為朝(ためとも)。【琉球(りうきう)に】  渡(わた)り。異国(ゐこく)人と力を競(くらべ)。朝比奈義秀(あさひなよしひで)。【曽我時致(そがときむね)と】力を【くらべ】 【別本参照 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/9?ln=ja】 【右丁】  しの類。少(すくな)からず。他日(たじつ)後編(こうへん)を撰(ゑらん)で。是【を全】備(ぜんび)すべし 一 曩(さき)に。相撲(すまふ)図式(づしき)四十八手といふもの印板にあり。世に行(おこな)はるゝ  事(こと)久(ひさ)し。其図する所を見るに。画師(くわし)のあやまり少からす  《割書:予》が相伝(さうでん)に依(よつ)て。今(いま)悉(こと〴〵)く是をあらたむ 一 諸国(しよこく)相撲(すまふ)名寄(なよせ)之部は。古今 繁多(はんた)にして。遺漏(ゐろう)多からん  依(よつ)て後編(こうへん)の全備(ぜんび)を待のみ                木村卯之助政勝識 【左丁】 古今相撲大全  引用書目 史記    前漢書   説文    晋書 唐韻    五音集韻  漢武故事  広韻 韻会    増韻    洪武正韻  字彙 事物紀原  三才図会  忠義水滸伝 東国通鑑 正字通   康煕字典  法華経科註 修行本義【経】 修行本行経 旧事紀   日本書紀  続日本【紀】 日本後紀  続日本後紀 文徳実録  三代【実録】 類聚国史  風土記   延喜式   【江家次第】 【右丁】 西宮次第  本朝相撲記 雲図抄    新撰姓氏録 江記    公事根元  和名類聚抄  万葉集 二十一代集 夫木集   年中行事歌合 源氏物語 枕草子   詞林採葉  拾芥抄    世継物語 古今著聞集 今昔物語  宇治拾遺   続古事談 東鏡    源平盛衰記 春日古記   平家物語 曽我物語  曽我記   太平記    北条九代記 信長記   織田真記  蒲生軍記   大友家記 畠山記   諸家興廃記 庭訓往来   捔力秘要抄   通計六十八部 【左丁】   相撲字義并角抵 [相撲]晋書 ̄ニ云相撲(相)《割書:ハ》唐韻 ̄ニ息良切韻会 ̄ニ思将 ̄ノ切 ̄シ音 襄正韻 ̄ニ交-相也 【右丁】 古今相撲大全(ここんすまふだいぜん)巻之上    目録 一 漢土角觝濫觴(かんどかくていのらんしやう)   附り《割書:朝鮮国角抵(てうせんごくのかくてい)|天竺国相撲(てんぢくこくのさうぼく)》 一 本朝捔力紀原(ほんてうすまふのはじまり) 一 相撲節会(すまふのせちゑ)并 部領使時候(ことりづかひのじこう) 一 童相撲古例(わらはずまふのこれい) 【左丁】 古今相撲大全(ここんすまふだいぜん)巻之上             木村清九郎 撰             《割書:七ツ森折右衛門|源氏山住右衛門》 校             《割書:山ノ井門兵衛|小松山音右衛門》 訂   漢土角觝濫觴(かんどかくていのらんしやう) 附《割書:朝鮮国角抵(てうせんごくのかくてい)|天竺国相撲(てんぢくこくのさうぼく)》 夫(それ)角觝(かくてい)は。もろこし六 国(こく)のときに始る。史記に秦の二世 皇帝(くはうてい) 甘泉宮(かんせんきう)に有て。角觝をなさしめ。たのしめりと有。注に 戦国(せんごく)のとき。ます〳〵武(ぶ)を講(かう)す。戯楽(きらく)となして相誇(あいほこ)り。其力(そのちから)を 角(たゝかは)しめて相觝闘(あいたゝかは)しむ。両々 相当(あいあた)るなりといへり。其後 漢武帝(かんのぶてい) 甚(はなはだ)これを好(この)めりと。漢武故事(かんぶこじ)に出たり。蓋(けだし)牛(うし)の角(つの)ある。面(めん)を かづき勝負(しやうぶ)を為(な)す。今(いま)のすまふと同じからずといへども。是 すまふの始にして。後世(こうせい)さかんに行(おこな)はれ侍る。事物紀原(じぶつきげん)に見へたり。 又三才 図会(づゑ)に角觝(かくてい)の図を出せり。宋朝(そうてう)にて相撲(すまふ)の有しこと 忠義水滸伝(ちうぎすいこでん)に見へたり 出 ̄ル_二 三才図会 ̄ニ_一   角觝    之図 【欠損部は別本参照 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/13?ln=en】 【右丁 挿絵】  出_二忠義     水      滸       伝 ̄ニ_一        相撲之図 【左丁】 又 朝鮮国(てうせんごく)にても忠敬(ちうけい)王のとき《割書:元順帝(けんしゆんてい)至正(しせい)|三年にあたる》癸酉二月 本闕(ほんけつ)に 幸(かう)して。角觝(かくてい)のたはふれを観(み)ると。東国通鑑(とうごくつがん)に出たれば。 朝鮮(てうせん)にても行(おこな)はれて盛(さか)んなりし事と見へたり。又 天竺(てんぢく)に ては。釈迦牟尼仏(しやかむにぶつ)。因位(ゐんゐ)のとき。悉達太子(しつだたいし)にておはせしが。浄飯王(じやうほんわう) の御 弟(おとゝ)。白飯王(びやくぼんわう)といひしに。提婆達多(だいばだつた)とて太子あり。彼(かの)升男伴(しやうなんばん) 摩耶大臣(まやだいじん)の御 娘(むすめ)耶輸多羅女(やしゆだらによ)を論(ろん)じ給ひて。色々(いろ〳〵)の業(わざ)をなし 或(あるい)は腕押(うでおし)。相撲(すまふ)なんどを取(とり)給ふ。いつの比より有し事にや。法華(ほつけ) 安楽品(あんらくほん)に諸(もろもろの)有(あり)_二凶戯(けうき)_一。相扨(さうしや)。相撲(さうぼく)。及(および)那羅(なら)等 種々(しゆ〴〵)変化之戯(へんくはのたはふれ)と有 又 委(くわしく)は修行本紀経(しゆぎやうほんぎきやう)。本行経(ほんぎやうきやう)にも見へたれば。仏在世(ぶつざいせ)に既(すで)に 【別本参照 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/14?ln=en】 【右丁】 有しと見へたり   本朝捔力紀原(ほんてうすまふのはじまり) 日本 捔力(すまふ)の始(はじめ)は。神代(しんだい)に。建御雷神(たけみなづちのかみ)。御名方神(たけみなかたのかみ)。力競(ちからくらへ)の事。旧事(くじ) 紀(き)に出たり。是を始とや申べし。人代(にんだい)に至り。人皇十一代 垂仁(すいにん)天皇 七年七月大和国 当麻蹶速(たへまのけはや)。出雲国 野見宿祢(のみのすくね)といふ勇士(ゆうし)あり 此両人を召て力(ちから)をくらべさせ給ふ。委(くわしく)は中巻に見へたり。此 番(つがひ)の勝(しやう) 負(ぶ)を以て。本朝(ほんてう)捔力(すまふ)の紀原(はじまり)とす。今宝暦十三癸未年迄。凡 千七百九十二年に成る。此 野見宿祢(のみのすくね)を今。泉州(せんしう)石津(いしづ)の大社の 末社にいはひこめ。大野見宿祢命と崇(あかめ)。当社より出る神影(しんゑい)を 【左丁】   野見宿祢像《割書:并》略伝 野-見宿-祢 ̄ハ天 ̄ノ穂日 ̄ノ命十-二-世 ̄ノ孫可-美乾-飯-振 ̄ノ命 ̄ノ後而 雲-州 ̄ノ人也垂-仁 ̄ノ朝與_二當-麻 ̄ノ蹶-速_一 捔-力 ̄シ勝_レ之 ̄ニ領 ̄メ_二腰-折-田 ̄ヲ_一而臣 ̄トシ_二事 ̄ヘリ 皇-庭 ̄ニ_一造 ̄リ_二垣-輪 ̄ヲ_一而 止 ̄メ_二殉-死 ̄ヲ_一垂 ̄レ_二慈-愛 ̄ヲ 於千-歳 ̄ニ_一布 ̄ク_二仁政 ̄ヲ 於萬-年 ̄ニ_一 朝賞賜以 ̄ス_二土-師 ̄ノ宿祢 ̄ノ姓 ̄ヲ_一苗-裔栄-顕徳-音 今猶 ̄シ_二 一-日 ̄ノ_一嗚-呼可 ̄キ_レ尊 ̄フ哉 本-邦 ̄ノ捔-力実 ̄ニ権-_二輿 ̄ス宿祢 ̄ニ_一焉 【別本参照 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/15?ln=en】 今(いま)相撲道に入ものは。かならず尊祭なり。又出雲国大社の末社 にもこれを祭れり。又此宿祢の末孫とて。いま今肥後国に現(げん) 在(ざい)して。相撲行事を為(な)す。猶下巻に見へたり   相撲節会(すまふせちゑ)《割書:并》 部領使時候(ことりづかいひのじこう) 往古(わうご)禁裏(きんり)相撲節会(すまふのせちゑ)は。毎年二三月の比。大将以下 陣座(ぢんのざ)に おゐて。部領使(ことりづかひ)の事を定らる。関白(くわんばく)。大将(だいしやう)。随身(ずいじん)。陣官(ぢんくわん)。賭弓(のりゆみ)矢(や) 数(かず)の者等使として。諸国(しよこく)七道に遣(つかは)さる。人皇四十五代 聖武天皇(せうむてんわう) 御宇(ぎよう)。神亀三年七月廿八日。初て諸国の相撲人を召(め)す。是を 部領使(ことりづかひ)といふ。万葉集(まんようしう)および。詞林採葉(しりんさいよう)等に出たり。ことり 使の別をおしみけるを見て                     大伴家持 《割書:万葉集》  ますら男かゆき取おいて出て行は別をおしみなげきけんつま                     女房 《割書:年中行事歌合》  かたわきてことり使のいそぎしはけふの抜手のためと成けり これらを証(しやう)とすべし。六月廿日 限(かぎり)に。諸国の相撲(すまひ)人を召の ぼせ給ひ。七月十六七日の間に。召仰(めしおらせ)といへることありて。近衛(こんゑ) 府(ふ)へ仰渡され。大将下知し給ふ。上卿陣(しやうけいぢん)に仰す。此日相撲 召合(めしあはせ) をきこし召べきよし。上卿 外座(げざ)につき。官人(くわんにん)におほせて膝突(ひざつき)を 敷しめ。外記(げき)をせしめ。次将を召す。左右の次将ともに膝突 を召す。人皇六十六代。一条院 御宇。寛弘(くはんこう)六年には。大納言 行成(かうせい)卿。同七年には大納言 公任(きんとう) 卿。是を仰す。若(もし)左四位。右五 位参入せば一々是を召仰す。 故にかく号(がう)す。又 内取(うちどり)《割書:今云|地取》と いへることあり。是は毎年七月 《割書:大の月廿六日|小の月廿八日》仁寿殿(じじゆでん)にてまふけ させ給ふ。御物忌(おんものいみ)等あらせらる れば。清涼殿(せいりやうでん)にて行はせ給ふ。 是 習礼(しうれい)なり。御殿中御まふけ のことは。雲図抄(うんづしやう)に委く出た り。尤長橋の内 黄縁(きべり)の帖(たゝみ)を二 行に引。相撲人の座とす。宰(さい) 相(しやう)中将(ちうじやう)候(こう)し給ひ。殿上の下(げ) 臈(らう)の少将壱人 相副(あひそひ)。次に本府(ほんふ) の官人壱人結番を。文刺(ふんかう)に挿(はさん) で前へ。官人 束帯(そくたい)弓箭(きうせん)を 内取相撲長之図 左 右 内取相撲人之図 左 右 相撲節会庭上図 帯。次に左の相撲人 犢鼻褌(とくびこん)の上に。狩衣(かりきぬ)を着し/剱(ひの)をさし。相 撲三十人。次第に行列。左方は狩衣の上に帯を付。右方は狩衣の上 に帯を着(つけ)ず。狩衣の前をはさみて。長橋(ながはし)の内に候(こう)す。次将并に 府官人/後(うしろ)にあり。相撲長(すまふおさ)《割書:今云|頭取》三人。冠(かふり)。緌(おいかけ)。褐衣(かつゑ)。布帯(ぬのおび)。白半臀(しろきはつひ)。下(した) 襲(がさね)。白布袴(しろきぬのばかま)。糸鞋(いとわらぢ)。尻鞘(しりざや)《割書:左丸尻鞘|右魚形》 懸緒(かけを)《割書:左緋|右緋》纐纈(こうけつ)。かくのごとくの 装束(しやうぞく)にて出立。仕丁二人/水桶(みずおけ) 《割書:今云|力水》を舁(かき)後にあり。而後相撲 人次第に進(すゝみ)出て。庭中(ていちう)に /列立(ならびたつ)《割書:今云|土俵入》次に左右を合さ ず。左方右方とも方屋同 士取らせらる。先/方手(かたて)《割書:今云|方屋》の 最手(ほて)《割書:今云|大関》助手(すけて)《割書:今云|関脇》と是を取。 又最手と腋手(わきて)《割書:助手|一名》と取。夫 より次第に十五番終る。右方は左方に同じ合て三十番なり。終 日大将/勝(かち)たる相撲人の。交名の上に。爪(つめ)を以てしるさせらる。《割書:今云|勝負付》 名ありと順倭名抄に見へたり。左右/番(つがひ)をして勝負見る 役を/立合(たゝあはせ)《割書:今云|行司》と云。出立の装束(しやうぞく)は相撲/長(おさ)に同じ。又/召合(めしあはせ)といへるは 召合相撲人之図  左  右 七月《割書:大の月廿八日廿九日|小の月廿七日廿八日》也則/紫宸殿(ししんでん) におゐて催さる。然るに一/説召合(せつめしあはせ)は 八月なりといへども源氏物語/椎本巻(しいがもとのまき) に。すまひなどおほやけごとども まぎれ侍るころ過てさふらはへ などあれば。七月なる事明ら かなり。拾芥抄(しうがいしやう)にのする所の八 月といへるは。希(まれ)なる例(れい)なるべし。 御殿中の御儀式は。江次第に委 く見へ侍れば爰に略す。先/主(との) 殿寮(もれう)より南庭(なんてい)を掃除(さうぢ)せしめ。 左右衛門(さうのゑもん)に仰て。長楽門(ちやうらくもん)永安(ゑいあん) 門(もん)に砂を蒔(まか)せしむ。東西の腋(わき)に 斑慢(はんまん)を引/廻(まは)して。左右の相撲人 の候所(こうしよ)とす。《割書:今云|角力溜》大将御宿所に おゐて相撲/手番(てつがひ)の事を定ら る。次将/奏(そう)文を進(すゝむ)る。大将/披見(ひけん) し次将/彼奏(かのそう)を。文杖(ぶんじやう)にさし 【挿絵】 召合相撲之図 左 右 召合立合の図 左 右 【右丁】 はさむで。笏(しやく)を搢(さしはさみ)これを取。大将殿を昇り。御 簾中(れんちう)にひざ まづきて。笏をぬき内侍に付て座に復(かへり)給ふ。次に御前より 左の次将を召。右の奏を給ふ。番(つがひ)を改(あらため)て是を進ぜしむ。委は 西宮次第(せいきうしだい)に見へたり。次に相撲/長(おさ)左右各弐人。装束は退紅(たいかうの) 袍(ほう)。白下襲(しろきしたがさね)。白布袴(しろきぬのばかま)。無絵尻鞘(ゑなしのしりざや)にて。円座(ゑんざ)をとつて。幕(まく)の前(まへ) 二/許丈(きよじやう)に置。三府将(さんふのしゃう)。佐(すけ)。座に着(つく)次に。立合(たゝあはせ)進出(すゝみいで)。籌刺(かずざし)の府生(ふしゃう) 弓箭(きうせん)を帯(たい)し座につく。先/矢(や)一筋(ひとすじ)立(たて)。次に一/番(つがい)左方先出。 葵花(あふひのはな)を着(つく)剱衣(けんゑ)を取て。北の円座(ゑんざ)に置(おき)進(すゝみ)。南殿の桜の 下(もと)に立。次に右方/瓠花(ゆうがほのはな)を着次の番は負方先進む。此例左 【左丁】 右ともに同じ。貞観(でうぐわん)以前左方を帝王(ていわう)の方と定らるれども。 元慶(げんけい)以来(いらい)。只(たゞ)正理に任せ給ふ 《割書:題林愚抄》                 顕広  ゆふかほにあふひの花のさしあひていつれか色のかてんとすらん 番(つがい)この勝負はやく決(けつ)せざれば。承明門(しやうめいもん)の方に追下され。次 の番を供(くう)ず。及免(きうめん)して障を申相撲せしめざるもの。初の負 方進べき。持(もち)《割書:今云|われ》者右是を進る。最手は先番の勝負に よらず。左方先進む若髪みだれ。又は犢鼻褌(とくびこん)など解(とく)る時 は。相撲長(すまふおさ)桜樹の下に。趍到(はしりいたり)て是をつくらう。此相撲長の号 も古き名目にて哥に 【別本参照 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100375764/21?ln=en】 【右丁】 題林愚抄                    親隆  さしかねてなけまふよりも相撲長のひさこ花とるけいろ                        まつ見よ 或は敵方(あいて)のすまひ理なき時。又/趍進(はしりすゝみ)て是を取離(とりはな)す。敵方 の相撲長また来て是を遮(さへぎ)る。勝負分明ならざるものは。上卿(しやうけい) 仰を奉(うけ)て。左右の次将を階下の東西に召て。各(おの〳〵)所見(しよけん)を申。 其とき勝方/歓呼(くはんこ)諠譁(けんくわ)す。次将/単衣(ひとへ)を脱て是を給ふ。左将は 日華門(じつくはもん)を渡らずといへども。要須(やうす)の人勝ときは。是を走る。勝方 立合舞ふ。負方には。立合。/籌刺(かずさし)等を改替(あらためかゆ)。勝方又笑ふ。されば 清少納言の枕草紙(まくらざうし)にも。むとくなるものすまひのまけてゐる 【左丁】 うしろ手とかゝれたり。右方の擬近(ぎきん)の奏下らざる時。府補(ふほ)の 近衛を称て直(たゞち)に進者追返して負とす。勝方/葵(あふひ)花/瓠(ゆふがほ)花。 并に剣衣等肖物を称。次の番を具せしむ。葵瓠の花木落 ときは。勝方といへとも風吹て階下(かいか)に入ば是をとらず吹入たる 時は。相撲長一人すゝみて是を取。最手(ほて)前番(せんばん)の相撲によらず 華を付く。並に剣衣(けんい)を執(とり)て出。壱弐番の間/内豎王卿(ないじゆわうきやう)及(およひ) 出居(でゐ)に衝重(ついがさね)を賜(たま)ふ。下﨟(げらう)の少将/瓶子(へいじ)を取て相従(あいしたが)ふ。大臣よ り次第に勧盃(さかづきをすゝめ)て退下る。而後三四番の間に御膳(おもの)を供(くう)す 《割書:今云|中入》十七番/畢(おはつ)て。日暮ければ。数をきはめず。是をやめらる。 【右丁】 三府/出居(でゐ)退て上卿本座にかへり給ふ。勝方/乱声(らんしやう)す。又/翌日(よくじつ) 抜手(ぬきで)と称し。前日の召合の内を抜(ぬき)出して。相撲を仰て行 はせられける故にかく号(がう)す。此/抜出(ぬきで)は旱魃(かんばつ)等の年に行はせ【左丁に続く】 【罫線あり】    /犢鼻褌圖(トクビコンノヅ) 史記 ̄ニ云司-馬相-如著 ̄ク_二犢鼻褌 ̄ヲ_一韋-昭 ̄ナ【ノの誤ヵ】曰今 ̄ノ三-尺 ̄ノ-布作 ̄ヲ_レ之形 ̄チ如 ̄ナル_二牛 ̄ノ鼻 ̄ノ_一者也 方-言注 ̄ニ云袴 ̄ニシテ而無_レ ̄キヲ跨謂_二之 ̄ヲ褌 ̄ト_一 須和名抄曰褌スマシノモノ一 ̄ニ云チイサキモノ 本朝相撲人の犢鼻褌者左方右方とも 本府より布を賜り是を以て造る前後 四幅なり異朝の犢鼻褌とは号同ふして 製異なり今図する所の物は我朝の製作也 長凡一尺九寸余 【左丁】 らるゝにより右方の相撲人の狩衣に。瓠の花を着ざること例 なり。相撲終れば。右方/振捊一節(しんぶいつせつ)。次に左右/舞楽(ぶがく)左方は散手(さんしゆ)。 還城楽(げんじやうらく)敷手(しきて)。大曲(たいきよく)に至れば。多く蘇合香(そがうこう)を奏(そう)す。右方は 帰徳(きとく)。狛犬(こまいぬ)。吉干(きつかん)。大曲にいたれば。多く新鳥蘇(しんとりそ)を奏(そう)す。かくの ごとく舞楽(ぶかく)なども行はせ給ふ事也。其外馬場殿。建礼門(けんれいもん)。綾綺(りやうき) 殿(でん)又は朝集堂(てうしうだう)にて相撲御覧の事六国史等に見へたり。或は 神泉苑(しんぜんゑん)。豊楽殿(ぶらくでん)にて御覧あらせられし。其式延喜式等に くわし。本朝相撲御覧の始は。人皇四十一代。持統天皇(ぢとうてんわう)の九 年に始(はじま)る。いにしへは雲の上にてもてはやされしことなり 人皇五十九代。/宇多(うだ)天皇と/有原業平(ありはらのなりひら)とすまふの戯をな したまひ。帝御負ありて。高欄やぶれたること。世継物語 に出たり。しかるに/相撲節会(すまふせつゑ)の事。安元年中以来/絶(たへ)て其 名のみのこれり。口おしき事也と古記に見ゆ   /童相撲古例(わらはすまふのこれい) /童相撲(わらはすまふ)は。人皇五十六代/清和(せいわ)天皇貞観三年。六月廿八日。 /前殿(せんでん)に/御(ぎよ)して。わらはずまふを/叡覧(ゑいらん)有しこと。三代/実録(じつろく) に見たり。是を始として。其後さかんに行はれし事共。/国史(こくし) /旧記(きうき)に/詳(つまびらか)なり。又人皇六十代/醍醐(だいこ)天皇御宇。/延長(ゑんちやう)六年。閏七 月六日中の六條院にて童相撲廿番はてゝ。舞を/奏(そう)す。右 方は/蘇合香(そがうかう)。左方は/新鳥蘇(しんとりそ)。次に新作の。/胡蝶楽(こてうのがく)を奏し けり。其曲/笛(ふへ)は/忠房朝臣(たゞふさあそん)。舞は式部卿親王舞ひたまひけり。 舞終りて/船吉実(ふねのよしざね)。/萬楽(まんがく)を/供(きやう)じけり。次に/羅陵王(らりやうわう)。/駒形(こまがた)を 奏す。式部卿親王に/纏頭(かずけもの)ありけること。古今著聞集に見たり。 近世/勧進(くわんじん)になりても。諸所に子供相撲の有ことは。其始/朝庭(てうてい) の/余風(よふう)ならんか 古今相撲大全巻之上終 /古今相撲大全(ここんすまふだいぜん)巻の中未   目録 一/野見宿祢当麻蹶速(のみのすくねたへまのけはや)相撲の事 一/紀名虎伴善雄(きのなとらとものよしを)相撲の事 一/多田満仲橘敏延(ただのまんぢうたちばなのとしのぶ)相撲の事 一/宗平時弘(むねひらとしひろ)相撲并宗平/伊勢田世(いせたよ)相撲の事 一/勝岡重茂(かつおかしげもち)相撲并勝岡/常正(つねまさ)相撲の事 一/久光恒世(ひさみつつねよ)相撲の事 一/真髪成村(まがみのなりむら)大力の/学士(がくし)にあふ事 「一/成村恒世(なりむらつねと)相撲の事 一/日田永季出雲鬼童(ひだのながすへいづもおにわらは)相撲の事 一/中納言伊実腹抉(ちうなごんこれざねはらくじり)と相撲の事 一/小熊伊成弘光(こぐまこれなりひろみつ)と相撲の事 一/佐伯氏長相撲節(さへきうぢながすまふのせつ)に/上洛(しやうらく)の事 一/大井光遠(おほゐみつとを)が事 一/古今相撲大全(ここんすまふたいぜん)巻之中本   一/野見宿祢当麻蹶速相撲(のみのすくねたへまけはやすまふ)の事 人皇十一代/垂仁天皇(すいにんてんわう)の七年。七月大和国。/当麻邑(たへまむら)に/蹶速(けはや)と て。たけたかくいさめる者あり。ちからつよくして/角(つの)をり。 /鈎(かぎ)をひきのべなんどして。/常(つね)に人に向ふてのゝしりけるは。日 本国をあまねくたづねもとめば。わがごときの/大力(だいりき)あらんや。 あはれいかなる/強力(がうりき)ものにもあふて。/生死(いきしに)をかまはず。力を くらべたきとねがふ。此ことみかとに/奏聞(そうもん)するもの有しかば /帝(みかど)もろ〳〵の/公卿等(くぎやうら)にみことのりして/当麻(たへま)/蹶速(けはや)は/天(あめ) がしたの/力人(ちからびと)なり。かれに向ひて/勝負(しやうぶ)をきはむるもの有ん やとのたまふ。ある公卿すゝみ出て出雲の国にいさめる人有。/野(の) /見宿祢(みすくね)とまうす。此/者(もの)を/召(めし)て蹶速とちからをくらべさせ 給へと/奏聞(そうもん)す。/帝倭直(みかどやまとのあたい)の/祖(とをつおや)。/長尾市(ながをち)をつかはして/野見宿祢(のものすくね) をよび給ふ。宿祢召にしたがふて都にのぼる。すなはち宿祢と 蹶速とすまふを取らせ給ふ。二人相向ひてたち。おの〳〵足を あけてふみければ。蹶速/脇骨(かたはらぼね)を/蹶(け)おられ。/腰(こし)をふみひし がれて。たちまちに/空(むな)しくなる。見分人宿祢が/強力(がうりき)をぞ /感(かん)じける。/天皇御感(みかどぎよかん)まし〳〵て/当麻蹶速(たへまのけはや)が/所領(しよれう)をこと〳〵 く野見宿祢にくだし給はり。これを/腰折田(こしおれだ)といふ。宿祢は都 にとゞまりつかへ奉ると。/日本(にほん)書記に見へたり。宿祢はすなは ち/管丞相(かんしやう〴〵)の/御先祖(ごせんぞ)なり。      /紀名虎伴善雄(きのなとらとものよしを)と相撲の事 人皇五十五代/文徳(もんとく)天皇は。/皇子(みこ)あまたおはします。中に も/惟喬親王(これたかしんわう)。/惟仁親王(これひとしんわう)を。わきていつくしみまします。/惟喬(これたか) は第一の皇子。/惟仁(これひと)は第四の皇子なり。天皇いづれに御/位(くらゐ)を ゆづらせ給はんとも。おぼし召わかつかたなかりしうちに。/御嫡子(ごちやくし) なれば。惟喬へとぞ御心よせありける。惟喬と申は御母は従四 /位下(ゐのげ)。/左兵衛佐名虎(さひやうへのすけなとら)がむすめ。/紀静子(きのしつこ)なり。/惟仁(これひと)とまうすは御 母は。/太政大臣良房公(だいじやうだいじんよしふさこう)の御むすめ。/藤原(ふぢわら)の/明子(あきこ)なり《割書:後に/染殿(そめどの)|の/妃(きさき)と云》一の 宮の御ことは。紀名虎とりたて奉らんとて。/帝運(ていうん)のしかる べきことにて。第一の皇子にうまれさせおはしませり。御 位は此きみにこそと。しきりに/内奏(ないそう)まうしけり。四の宮の御 ことは。良房公とりたて奉るとて。一宮は/落胤腹(らくいんばら)名虎が 娘うみまいらせたり。四の宮は/執柄家(しつへいけ)のむすめ/妃(きさき)たちの/皇子(わうじ) なり。/子細(しさい)にやおよばせ給ふべきと/内奏(ないそう)せられけり。此ことま ことに/難題(なんだい)にて/公卿(くぎやう)せんぎあり。/勝負(しやうぶ)について。御位を決 めらるべしとて。はじめには/八幡(やはた)にて/臨時(りんじ)の/祭(まつり)をなし。十 /番(ばん)の/競馬(けいば)あり。四/番(ばん)は一の宮につき。六番は四の宮につけり 此うへは/惟仁(これひと)御位につき給ふべかりしを。天皇なを御心あは ずおぼし召ければ。後には大内にして/相撲(すまふ)の/節会(せちゑ)をおこなはれ /勝負(しやうぶ)を/御覧(ごらん)有て御ゆづりあるべしとの儀なりければ。惟喬 の御方には/外祖(ぐはいそ)左兵衛佐名虎参りけり今年三十四ふとくたかく 七尺ばかりのおとこ。六十人がちからありし聞ゆ。惟仁の御方には /少将伴善雄(しやうしょうとものよしを)といふ/小男(こおとこ)。/行年(とし)二十一。なべてのちから人と聞ゆ れども。名虎に/敵対(てきたい)すべきものにあらずされ共。/果報(くはほう) 従四位下左兵衛紀名虎 維喬 維仁  御位定 捔力 少将大伴善雄  南殿庭上 /冥加(みやうが)は四の宮の/御運(ごうん)に/任(まか)せ奉ると/不敵(ふてき)に申/請(うけ)てぞ参 りける。かた〴〵御/祈(いのり)の/師(し)あり。一の宮の御方には/東寺(とうじ)の/柿本(かきのもと)の /紀僧正真済(きそうじやうしんざい)なり。四の宮の御方には/延暦寺(ゑんりやくじ)の/恵亮和尚忠仁(ゑりやうくはしやうちうじん) /公良房(こうよしふさ)と。ふかく/師壇(しだん)のちぎりを/結(むす)び給ひけるによつて。かたらひ つけられたり。/恵亮(ゑりやう)は/西塔宝憧院(さいとうほうどういん)に/壇(だん)をかまへて。/大威徳(だいいとく)の /法(ほう)を/修(しゆ)せられけり。/真済(しんぜい)は東寺に/壇(だん)を立て/隆三世(ごうさんぜ)の法を/行(おこな) はる。かくて其日になりしかば/名虎(なとら)と/善雄(よしを)と出合たり。/堂上階(とうじやうかい) /下(げ)目をすまして是を見。/門内門外足(もんないもんぐはいあし)をつまだてゝこれを 望む。名虎はもとより大/力(りき)なれば。うでのちから/筋(すし)ふとく。もゝ のむらじゝあつく。かたのわたりほねのつらなり。あたかも/力士(りきし) の/像(そう)に/似(に)たり。/手合(てあひ)するとひとしく。/善雄(よしを)が/腕(うで)くび/取(とつ)て引よせ 目よりたかくさしあげ。ゑい声いだして/投(なげ)たりける。/見物(けんぶつ)の上 下ありや。/惟仁(これひと)の御方/負(まけ)たりとおもふ程に。一/丈(じやう)あまりなげられ ながらくるりとかへりて立たりける。見る人あつとぞ/感(かん)し ける。またよせ合せて。ときうつりけるまでせり合たり。名虎も 松のたてるがごとくにうこかざりけるを。善雄は/藤(ふぢ)のまとふ ごとく取付て。/内(うち)がらみ。/外(そと)がらみ。大わたりがけ。小わたり/懸(かけ) /弓手(ゆんで)に/廻(まは)し。/馬手(めて)に廻し。/逆手(さかて)にいり。さま〴〵にこそもみ たりけれ。これや此。/品治北男(ほんじのきたを)。/丹治是平(たんぢのこれひら)。/佐伯希雄(さはきのまれを)/紀勝岡(きのかつおか) /近江薑(あふみのはじかみ)。/伊賀枯丸(いがのかれまる)と聞へし。/供御白丁(ぐこはくてう)も。いらでか是にはまさる べきと見る人/興(けう)をぞましたりける。/勝負(しやうぶ)はいまだしれ ねども/元来(ぐはんらい)力まさりなれば。名虎かちぬと見へければ。一の宮 の御方よりは。東寺へ/使(つかい)を立る。/良房公(よしふさこう)の方よりは四の宮の御 かたすでにあやうく見へ候と。使を/山門(さんもん)に立らる事おひつき 〳〵に/櫛(くし)のはをひくがごとし。/和尚(くはしやう)是を聞て。こは心くるしき 事かな。此ときふかくを/我山(わがやま)にのこさんこと。口おしかるべし四の宮 位につきたまはんとは。/命(いのち)いきて何かはせんとて。/念力(ねんりき)をぬきん てつゝ/爐壇(ろだん)に置たる/剱(けん)を以て。みづからかうべをつきやぶり。/脳(なふ)をくだ き/芥子(けし)にいれ。/香(かう)のけふりにもやしぐして/帰命頂礼大聖大威(きみやうちやうらいだいしやうだいい) /徳明王(とくみやうわう)。ねがはくば/善雄(よしを)にちからをつけたまひ。/勝(かつ)ことを/即時(そきじ)に/得(ゑ) せしめた給へと。/黒煙(くろけむり)を立て。あせをながしもみにもふでいのら れける。/生仏(しやうぶつ)もとよりへだてなく/信力本尊(しんりきほんぞん)に/通(つう)じければ/大(だい) /威徳(いとく)の/乗(のり)給へる。/水牛爐壇(すいぎうろだん)を三/度(ど)めぐり/声(こゑ)をあげてそ取 たりける。/其声大内(そのこゑおゝうち)にひゞきければ/善雄(よしを)に/力(ちから)ぞ付にける。 名虎は此声を聞けるより。力おちて/心茫然(こゝぼうぜん)となりける時。 善雄名虎をわきにはさんで。/南庭(なんてい)を三めぐりして。ゑいと いふて/投(なげ)れば。名虎/大地(だいち)にうち付られ。/血(ち)を/吐(はい)ておきあ がらず。/官人等(くはんにんら)はしりより/大内(おゝうち)より担き出して。/家(いゑ)にかへし たりければ。三日あつて/死(し)にけり。/名虎相撲(なとらすまふ)に/負(まけ)しかは。/惟仁(これひと) /位(くらい)につかせ給ふ。/清和天皇(せいわてんわう)と申せしは。此/皇子(みこ)の御事なり。是より して/山門(さんもん)いさゝかの事にも/恵亮(ゑりやう)なつぎをくだけば。二帝/位(くらい)に つき給へりと/伝(つか)へたり。/委(くはしく)は/平家物語(へいけものがたり)及び。/盛衰記(せいすいき)。/太平記(たいへいき)にも 出て/粗異同(すじいどう)あり/爰(こゝ)に/略(リヤク)す   /多田満仲橘敏延(ただのまんぢうたちばなのとしのぶ)相撲の事 人皇六十三代/冷泉院(れいぜんいん)の御宇に。/西宮左大臣殿(にしのみやさだいじんどの)。天子の/御弟(おんせうど)。 /染殿式部卿宮(そめどのゝしきぶきやうのみや)を/御位(みくらい)につけ奉らんとて/中務丞橘敏延僧(なかづかさのぜうたちばなのとしのぶそう) /連茂(れんも)。/多田満仲(ただのまんぢう)。/藤原千晴(ふぢはらのちはる)など/寄合(よりあひ)て。式部卿宮を取奉り て東国へ趣き。軍兵を/起(おこさ)んと。/右近馬場(うこんのばゞ)にて。夜々評儀しけ るが。/或(ある)とき/西宮殿(にしのみやどの)にて/敏延(としのぶ)と/満仲(まんぢう)と相撲を取けるに。満仲 /力劣(ちからおとり)にて/格子(かうし)に/投(なげ)付られ。顔を/打欠(うちかき)たり。満仲安からず思ひ /腰刀(こしがたな)を/抜(ぬい)て敏延を/突(つか)んとしける。敏延/高欄(かうらん)の/根木(ほうきそ)を/引放(ひきはなち) て/近付(ちかづけ)ば/頭(けうべ)を/打破(うちやぶ)らんとて。立/跨(はたかり)て有ければ。満仲力およば ず。さて/止(やみ)ぬ。時の人あゝ/源氏(げんじ)の/名折(なおれ)たりと云ければ。敏延を/失(うしなは) んとて。/返忠(かへりちう)したりけるとぞ源平盛衰記に出たり   /宗平時弘(むねひらとしひろ)相撲付宗平/伊勢田世(いせたよ)相撲の事 人皇六十六代/一條院御宇(いちてういんのぎよう)に。/駿河国(するがのくに)の/私市(きさいち)の宗平といふ すまふ。/儀同三司(ぎどうさんし)。/藤原伊周公(ふぢはらのこれちかこう)の御かたに参りたり。/時弘(ときひろ)といふ 相撲。伊周公の御弟/師(そつ)の/隆家(たかいえ)卿のかたに参りて。時弘しきり に宗平と相撲をのぞみける。/若負(もしまく)るものならば/首(くび)を切ら れん。時弘/負(まけ)は時弘が首を切んなど申ける。/或(ある)とき伊周公のや かたにて。立合けるが。宗平手あひするとひとしく。時弘を取 て地に/投(なげ)ふせければ。時弘しばらくうごき得ざりけり。隆家や すからずやおぼしけん。/落涙(らくるい)し給ひけるとかや。伊周公やがて /宗平(むねひら)に/褒美(ほうび)し給ひけり。時弘いかつて立出るとて門の /関(くはん)の/木(き)を引おりける。此時弘も其比ならびなき/強力(がうりき)なりし かど宗平には及ばざりけり。其比宗平はならびなき取てにて いく程もなく/左(ひたり)の/脇(わき)に立にけり《割書:左のわきとは|左方の関脇也》又同じかたの相撲 に。三河国の/伊勢田世(いせたよ)といふものあり。たけたかく/骨(ほね)ふとく/力(ちから)き はめてつよし。/最手(ほて)に立て《割書:最手は別|との関也》久しくなりけるが。宗平 と相撲を取けるに。田世/負(まけ)しかば。宗平最手に立て田世は 脇にぞくだりける。其比左右の相撲に宗平におよぶものなかり けるとぞ。/古今著聞集(ここんちよもんしう)にでたり。又/太秦広隆寺(うづまさくはうりうじ)の/南大門(なんだいもん) の西/力士(りきし)は。すまふ/人(ひと)宗平に/似(に)たりと/続古事談(しよくこじだん)に出たり   /勝岡重茂(かつおかしげもち)相撲并勝岡/常正(つねまさ)相撲の事 人皇六十八代後一條院の御宇相撲の/節(せち)に/勝岡(かつおか)といふ相撲 と/重茂(しげもち)といふ相撲合せけるに。重茂か/尻(しり)を木にすらせけ るを。常世といふすまふ見て。只今大事出来ぬといひけるに /果(はた)して重茂。木をふみて勝岡にかゝりければ。勝岡まろびに けり。/小野宮実資公(おのゝみやさねすけこう)は勝岡が/負(まけ)たるをいかり給ひ。/隋身(ずいじん)をめ して人をはらはせられける程に。/冠(かふり)をうちおとさるゝものも 有けるとなり。おなじとき左の方の相撲おめ〳〵まけけるを 小野宮殿あざけり給ふよし聞へければ。左方の輩夜のまに 勝岡負べきよしの祈をせさせけり。其あくる日勝岡と常 正とあはせけるに。常正勝岡を取て火たきべになげ付たり /後(のち)のたびには/勝負(しやうぶ)を/決(けつ)せず此とき/公保常時(きんゃすつねとき)なと聞ゆる相 撲共是は/奇異(きゐ)の事なり。かくばかりの相撲声を出して勝負せ ざりし事。いまだ/聞(きか)ずいかさま子細あらんと/評伴(ひやうばん)しけり。古今著聞集。江次第に見へたり   /久光恒世(ひさみつつねよ)相撲の事               常世ノ常江次第作常 後/一條院(いちでうのいん)の御宇相撲の/節(せち)に。/久光(ひさみつ)といふ相撲。つめをながくし て/相手(あいて)をかきけるに。/海恒世(うみのつねよ)にあはせられければ。久光恒世 が/顔(かほ)を一両度かきけるを。恒世ものゝ数ともせず。久光がかし らをむねにてせめて。ひしぎつけ奉るに。久光たちまち/絶(たへ) 入けり。久光やう〳〵心つきて。今より後かゝるふるまひをせし といひて。/近(ちか)づかざりけり。/左大将(さだいしやう)しきりに今度勝負をい たすべきよしをいはれけれども。/承引(せういん)せざりければ。/禁獄(きんごく)すべし といはれけるに。久光禁獄にあふとも/命(いのち)はうすべからず。 恒世に近付ては。命有べからずといひて。ふたゝびすまふを取 ざりける。古今著聞集に出たり    /真髪成村大力(まがみのなりむらだいりき)の/学士(がくし)にあふ事 後一條院の御宇/陸奥国(むつのくに)に/真髪成村(まかみのなりむら)といふ相撲あり。真髪 為村が父にて/経則(つねのり)か/祖父(そふ)なり。此成村/若(わか)かりしとき。国々の 相撲と共に/上洛(しやうらく)して。相撲の節を/待(まち)けるが。いざやかた〴〵出 て次涼ゞまんとて/朱雀門(しゆしやくもん)にゆきけるが。それより大学のひがし の門をすぎて。南の方へゆかんとする時。大学衆どもあまた 東の門にすゞ見/居(い)けるが。相撲どもを/通(とを)さじと立ふさがりけ れば。さすがにゆづりても通り/得(ゑ)ず。/朱雀門(しやしゆくもん)にかへりけり。そこに て成村いふやう。大学の者共何のゆへに/我等(われら)をばとをさぬや 中務丞橘敏延 左大臣  高明公            冷泉院御宇              於西宮殿             橘敏延             多田満仲               両人相撲     多田満仲 らん。中にもたけひくき男の。かんふりうへのきぬ/他(ひと)よりは。よ ろしきが。すぐれて通さじとのゝしりて。立ふさがること つらにくし。いざ各もようしあつめて。明日かの所を通るべし /定(さだめ)て大学の衆けふのやうにせいすべし。其時おとなふまゝに けちらして通るべしとて相撲の中にすぐれて。ちから つよく/足(あし)きゝてたかくいさめる/若(わか)ものをゑらびて。かの せいする学士が/顔(かほ)をけられよといへば。此すまふ我等にまか せ給へといひおのが家〳〵にそかへりける。かくてあくる日は/屈(くつ) /強(つよ)のすまふあまたすぐりうちむれて。大学の東之門に あゆみかゝり。大学の衆もかねて心得てや/居(い)けん。/前(まへ) の日よりはおほく出て。とをさじとぞせいしける。其中にも 成村がいひし学士さきにすゝみ大路に立はたかり通さじ とおもふけしきなり。成村さればよくおもひて。顔けよといひ し相撲に。きつと目くばせすれば。かのすまふつよくよつて はたとける。学士も心得たるものにや有けん。うつふきて/蹴(け)は ずさせ相撲が/足(あし)のあがりたるをつかんで中にさしあげ。二 三だんばかり/投(なげ)ければ身くだけてたへ入たり。学士これをば うちすてゝ。成村にはしりかゝる。成村かなはじと取てかへし にげけるを。のがさじとおひければ。/朱雀門(しゅしやくもん)の方へはしり。わき 之門へ入て。/式部省(しきぶしやう)の/築地(ついぢ)をこえんとするを。学士とびかゝりて 成村が足のきびすを/沓(くつ)ながらひしと取。成村ひきはなち て築地をこしけるに。取たる所/沓(くつ)と共に/刀(かたな)にて/切(きり)たるやうに。 ひきちぎりたり成村築地の内に立て足を見れば。きびす きれ/血(ち)はしりて。さらにとゞまらねども。あまりのおそろし さに。はう〳〵/宿所(しゆくしよ)へそ/逃(にげ)かへりける。/投(なげ)られたる相撲は/死(しに) 入たりければ。/板(いた)にのせてもちかへりけり。此/強力(げうりき)の学士いづ れぞと。たづねられけれども。ついに其人しれざりける。 /宇治拾遺(うぢしうゐ)に見へたり   /成村恒世(なりむらつねよ)相撲の事 後一條帝の御宇。相撲の節ありて/抜出(ぬきで)の日/左方(さほう)の/最手(ほて) /真髪成村(まがみのなりむら)。右方の/最手海恒世(ほてうみのつねよ)をめしあはせらる。成村は/陸(む) /奥(つ)の相撲なり。たけ高く力つよし。恒世は/丹後(たんご)のすまふなり、 たけは成村よりはひきかはしかとも/力(ちから)はおとらず。すぐれたる /上手(じやうず)なり。成村/頭(づ)を恒世がむねにつけて。つよくおしくるを恒 世引よせてのけさまになぐれば。成村うしろにたふれ恒世其上 にぞころびける。二人ともに身をつよくうちたるにや。しばしは おきあがらざりけるが。成村ははう〳〵/起(おき)あがり。相撲部屋へ入けり 衣/襖(はかま)きて。人に手をひかれてかへりけり。恒世は をき/得(ゑ)ずしてふしければ。右の方の相撲どもよつてかき あげて。/弓場殿(ゆばどの)の方へ持ゆき。/殿上人(てんじやうびと)の/居(ゐ)たる所に/置(おき)たりける。 各々よつて恒世に成村はいかゞありつるぞと問へば。/只牛(たゞうし)の ごとしとばかりこたへける。それより相撲殿へつれゆけば。各々 /衣服(ゐふく)金銀をあたへられければ。かたはらに山のごとくにつみあげ たり。恒世はいとくるしげに此/賜物(たまもの)を見もやらずして居たる を其国につれ下るに。/播磨(はりま)の国にてむなしくなる。成村 に/胸背(むねせふ)をさしおられけりとぞ聞えし   /日田永季出雲鬼童(ひだのながすへいづもおにわらは)相撲の事 人皇七十一代/後三條院(ごさんでういん)の御宇に/豊後国日田郡(ぶんごのくにひだこほり)に/日田鬼(ひたおに)太夫 /大蔵永季(おほくらながすゑ)といふものあり。/先祖(せんぞ)をきはめるに。/神武天皇(じんむてんわう)の御宇に /善憧鬼(ぜんとうき)といふ人/紀州大蔵谷(きしうおほくらたに)といふ所より/鬼武(おにたけ)。/武内(たけうち)。/武下(たけした)。以下 の/家人(けにん)をぐし豊後国日田郡にくだり/戸山(とやま)といふ所に/住(ぢう)す。大 蔵谷より出たるゆへに/子孫(しそん)大蔵を以て/姓(せい)とす。其/未葉(まつよう)に/妙(めう) /憧鬼(どうき)といふものあり。/後(のち)に/日田鬼蔵(ひだのおにくら)太夫/永弘(ながひろ)とあらたむ。/強力無(かうりきむ) /双(そう)なり。/背(せ)に一尺二寸の/毛生(けはへ)たり白鳳(はくほう)年中の人なり。夫より/数代(すうだい) を/経(へ)て/永季(ながすへ)にいたれり。永季其/生(うま)れつき。たゞにあらす 長八尺にあまり力のかぎりはしる人なし。/強力(かうりき)のほまれ/都鄙(とひ)に かくれなかりしかば。/延久(ゑんきう)三年。十六才にて相撲の/節会(せちゑ)に召れて 上洛す。此とき/出雲(いつもの)国に/希代(きだい)の/力者(りきしや)あり。/畿内(きない)より/関八州(くはんはつし)四国 中国に/廻(めく)りて相撲を取に。/片手(かたて)におよぶものなしと。/風聞(ふうぶん) あるによりて。是も召れて上洛すへく聞へける。是によつて永 季伊勢大神宮に/祈願(きぐはん)し。/神馬(じんめ)七疋を奉る。かくて上洛の時 /筑前太宰府(ちくぜんだざいふ)に/至(き)るに。ひとりの/童女(どうにょ)にゆきあふ。童女永季 にむかつて/汝(なんぢ)此度/禁裏(きんり)におゐて。/古今絶倫(ここんぜつりん)の大力にあふべし。 其たけ/常(つね)の人よりはひきく。/惣身鉄(そうしんてつ)にしてちから/無量(むりやう)なり。 これにかたん事人力におよびかたしといへども。/勝利(しやうり)を/得(う)へる子 細あり。其故はかの/童(わらは)が母。日本第一の/力者(りきしや)をうましめたまへと /諸神(しよじん)に/祈(いの)り/懐妊(くはいにん)の始より/鉄砂(てつすな)をくらふ故。うまるゝ子強力なり。 されども母。/炎熱(えんねつ)にくるしみひとつの/甜瓜(まくわ)をくらいしかば。童が /頭(こうへ)のうへにとゞまつて。方三寸の/肉(にく)となれり。相撲の/節(せち)にのぞん で/乾(いぬい)の方をうかゞうべし。われ/汝(なんじ)に/方便(ほうへん)を/示(しめす)べしと。いひ/終(おはり)て とびさりぬ。永季此/奇特(きとく)を/感(かん)じ。天満宮にまうでて/無二(むに)の /丹誠(たんぜい)をぬきんで/奉幣(ほうへい)し。今度の相撲に/勝利(しやうり)を/得(ゑ)せしめ 給はゞ。日田郡のうち/大肥(たいひ)の/壮(しやう)を/寄進(きしん)し。其地に老松明神を /勧請(くはんしやう)し奉らんと祈願して上洛し相撲の節にいたりて。かの 童にぞ立合ける。永季は/鉄胴(てつどう)の/鎧(よろひ)の。こて/草(くさ)ずりをちぎり すて。/胴(どう)ばかりを/着(ちやく)し八寸におよぶ大竹をにぎりひしいで/帯(おび) とし。其うへに/衣服(ゐふく)をかさねたり。かの童は/髪(かみ)をながしみだし /単物(ひとへもの)を/着(ちやく)し。ちいさき/帯(おび)をゆるくむすびて立出たり。/面色(めんしょく) /黒(くろ)きことうるしのごとく。眼まろくひかりて/星(ほし)のごとく/双方(そうほう) よせ合せつゝ手合するに。/肌(はだ)は/鉄(てつ)にひとしく。かたくすべりて 手にたまらず。永季以前の/告(つげ)をおもひて/乾(いぬい)の方をうかがふに /宰府(たいふ)にてまみへし。/童女雲中(どうにようんちう)にあらはれ。永季に目を見 合せ。/額(ひたい)をおさへてさとしめたり。永季やがてこぶしをもつて 童が/頭上(づしやう)を/丁(てう)どうつに。はたして/肉身(にくしん)なりしかば。やぶれて/血(ち)さつ と/出(いづ)る。さしもの童もながるゝ/血(ち)にまなこくらみたゞよふを永季 取て引よせ。目よりたかくさしあげ。一ふりふりて/曳(ゑい)といふて/投(なげ) しかば。かしら/手足(てあし)ちぎれて四方にちりたるける。かゝりしかば 日本第一の/大力(だいりき)と/勅免(ちよくめん)の/綸旨(りんし)を給はり。日田郡を一/円(ゑん)に/宛行(あておこな) はれて/帰国(きこく)し。立願のごとく。/大肥庄(だいひのしやう)を天満宮に/寄進(きしん)し老松 明神を/勧請(くはんじやう)す。又/高城(たかしろ)といふ所に/自(みづから)がかたちをつくり。童が手 を/肩(かた)にのせ。それをふまへたる/体(てい)にし。/毘沙門(びしやもん)と名付て/安(あん) /置(ち)し。其地に寺をたてゝ/永福伝寺(ゑいふくでんじ)と/号(ごう)しける。其後相撲 の節会に三度出。人皇七十三代堀川院の御宇に/寛治(くはんぢ)五年より長治元年迄七度以上十ヶ度の相撲に一度も負ず。名を日本 にかゝやかせり。此永季或は/枝(きのまた)に大石をはさみ。大石のうへに 同じごとくなり石をかさねをく。日田がかさね石とよぶ小家の 大さにひとし。又あるとき/領内(れうない)に永季をそむくもの有しかば。 おし寄て門をやぶり/扉(とびら)を以て。百人ばかりうちころしたる事 もあり。長治元年七月十八日。永季四十九歳にて/大肥庄薄村(だいひのしやうすゝきむら) におゐて/卒去(そつきよ)す。後に其所に寺をたて/明量寺(めいじやうじ)と名ずく。永 季より。/季平(すへひら)。/髙家(たかいゑ)。/永平(ながひら)。/永宗(ながむね)。/永秀(ながひで)。/永隆(ながたか)。/永俊(ながとし)。/永綱(ながつな)。/永信(ながのぶ)。 /永基(ながもと)。/永資(ながすけ)。/永貞(ながさだ)。/長俊(ながとし)。/倫永(のりなが)。/永息(ながやす)。/永英(ながひで)。七郎丸参て/相続(さうぞく)なし て。七郎丸早世し。/摘家(ちやくか)は/断絶(だんぜつ)し/鹿流(そりう)今に日田にのこれり。 /家(いゑ)の/紋(もん)四足の/州浜(すはま)なり。是/先祖(せんぞ)永季が。かゞみたるかたちを /表(ひやう)するといひ伝へたり      /中納言伊実腹抉(ちうなごんこれざねはらくじり)と相撲の事 中納言伊実と申す/公卿(くぎやう)おはしけり。/学問(がくもん)を/好(この)み給はず。つねに 相撲/競馬(けいば)をこのまれけり。/御父伊通公(おんちゝこれみちこう)とゞめ給ひしかどやみ 給はず。其比ひとりの相撲あり。/極(きはめ)て/強力(げうりき)にてすぐれたる上手 なり。此相撲が/得(ゑ)たるには。相手の/腹(はら)にかしらを入てかならず/袂(くじり) まろがしければ。/腹袂(はらくじり)とぞよびけり。伊通公腹袂をひそかに/呼(よび) よせて。我子の中納言相撲をこのむがにくきに。くじりまろば かせたらば。ほうびをとらすべしと。仰ふくめられて後。中納言 に/足下(そつか)相撲をこのめるに。腹くじりと/勝負(しやうぶ)すべし。/勝(かち)たらば 我とゞむる事有べからず。/負(まけ)たらんにおゐては。ながく相撲を/止(やむ) べしと有ければ。中納言かしこまり候とて立向ひ。腹くじりが 好むまゝに身をまかせられければ。悦てくじり入にけり。其後 中納言/腹袂(はらくじり)かよつつぢを取。力にまかせてひかれければ。かし らもおるゝばかりにおほへうつぶしにたふれけり。伊通公は興さ めて立給ひければ腹くじりは其座より/逃(にげ)うせけり。それよりし て相撲のせいしなかりけり。古今著聞集に出たり。   /小熊伊成弘光(こぐまこれなりひろみつ)と相撲の事 人皇八十二代/鳥羽院(とばのいん)の御宇に。/帥大納言長実卿(そつのたいなごんながざねきやう)のもとへ尾張国 の者に小熊/権頭伊遠(ごんおかみこれとを)といふ相撲。其子/伊成(これなり)を/具(ぐ)して参り ければ。酒をいだしてすゝめらるゝ所に弘光といふ相撲又きたり けるを。/召(めし)くはへてさかずきたび〳〵めぐりて後。弘光/酔狂(すいきやう)のあ まりに。/長実(ながざね)卿に向ひて。むかしの相撲は勝負について/昇進(しやうしん)をも 仕りしかば。/朋輩(ほうばい)口をふさぎ。/世(よ)の人これをゆるしき。近代はせい など大きになり候へば。左右なく/最手(ほて)をも給はり/脇(わき)にも/立(たち)候也。 いさみなき世にて候と申す。伊遠此こと/葉(は)を聞とかめ少し 居なをり。是はひとへに伊成が事を申たる候なり。/不肖(ふしやう)の身/今(こん)度 最手のわきをゆるされぬ。まことに申さるゝ所のがれがたし。/但(たゞし) すこしこゝろみられんやといへば。弘光うちわらひて。たゞ道理 のおす所をいふばかりなり。こゝろみられんはさいわいなりとて。 左の手をいたしてこひけるを伊成かしこまりて父か/景色(けしき)を 伺ひしかば。/伊遠弘(これとをひろ)光かやうに申すうへは。こゝろみ候へといふ時 伊成弘光が出せる手をひしとにぎる。弘光引ぬかんとしけれ ども。うごかざりければ。たはぶれにもてなして。かやうの手合は さのみこそ候へ勝負これによるべきにあらず。いて一さしつ かまつらんといひて。ふたつの袖をひきちがへ/袴(はかま)のくゝり高く かゞげて庭に出てこれへ下り候へ〳〵といふ伊成も庭におり てぞ向ひけり。/形体勇力金剛力士(ぎやうたいゆうりきこんがうりきし)のあらはれたるかとあやまりた る。弘光もまた/敵対(てきたい)にはぢず見へにけり。/亭主(ていしゆ)を始め諸人 目をおどろかし。ざくめきて見る所に伊成すゝみよりて弘 光が手を取て。/前(まへ)につよく引ければ。うつぶしにまろびたり。 弘光立あがり只今はあやまちなりとて。又すゝむを同じ ごとくに手を取てうしろさまにはねければ。のけさまにどうとた ふれ。しばし有て/起(おき)あがり/烏帽子(ゑぼし)のおちたるを取ておしいれ /師(そつ)の前にひさまづき/涙(なみた)をはら〳〵とながして。君の/見参(げんさん)に入候はん もけふはかりに候とてはしり出もとゞり切て。法師にぞ成にけ る。又あるとき父伊遠伊成かちからをこゝろみばやとてぬりご めの中にてくみあひたり。/勝負(しやうぶ)はいづれと見へざれども板敷 のなるおと。おびたゞしく。/雷(らい)のおちたるやうにぞきこへける。又 此/権頭(ごんのかみ)伊遠。/若(わか)きとき京に出て。宮つかへせし折節。馬の足 を折し事有。今是を畧す。古今著聞集に見ゆ   /佐伯氏長相撲節(さへきうぢながすまふのせつ)に/上洛(しやうらく)の事 越前国に。佐伯氏長といふ大力の者ありしが。/禁裏(きんり)へ相撲に召 れてのぼりけるとき近江国/高嶋郡(たかしまごをり)の石橋を過侍りけるに。 いと/清(きよ)げなる女。川の水を/汲(くみ)てみづからいたゞき行。氏長見て心うご き此女が/腕(うで)の下へ手をさしやりたるに。女うちえみて氏長が手を /脇(わき)にてはさみけるが久しくなれどもはなたざりしほどに 引ぬかんとすれどもかなはず。打おどろきておめ〳〵と女に したがひ行に。女家に入ていかなる人ぞと問ふに。しか〳〵のよし をかたる。女のいふ、今の程にては心もとなし。其/期(ご)いまだ日数有ば しばらくとゞまり給へといふにしたがひとゞまりければ。其夜より こはき/飯(めし)をこしらへ。女/自握(みずからにぎり)てくはするに/喰(くひ)わられざりしが 日を/経(へ)てやう〳〵/喰(くひ)わられけり/夫(それ)より/次第(しだい)にうるはしく喰けるまゝ。 今は/子細(しさい)あらじとてのぼせけるに。/果(はた)して/晴(はれ)の相撲に/勝(かち)て高名しけり。 /偏(ひとへ)に此女の/力(ちから)成けり。此女はおほゐ子といふ/勇力(ゆうりき)のおんなにてぞあ れける。あるとき村の人田に水をまかするころ。水を/論(ろん)し てとかくあらそひおほい子が田にはあて付ざりける時おほい子 夜にかくれて面のひろさ六七尺ばかりなる石の四方なるをもち 来り。/彼(かの)水口に/置(おき)てければ。水おもふやうにせかれて。おほい子が。 田うるほひにけり。村人見て大きにおどろき石を引のけんとす るに百人してもかなはず。いかゝせんとて。村の人おほい子にわ びをこふてければ。此上はとて其/侭(まゝ)石を引のけり。夫より 後はながく/水論(すいろん)する事やみにけり。/件(くだん)の石大井子が水口石とて。今 に伝るとなん。古今著聞集に見へたり   /大井光遠(おほゐのみつとを)が事 /甲斐国(かひのくに)のすまふ。大井光遠といふもの有。ちからつよく。手きたへ ならぶものなかりけり。光遠にいもうとあり。みめことがらけはひ もよく。すがたたをやかなりしが。ちからは光遠を二人ばかり。あ はせたるほどにて。大きなる/鹿(しか)の/角(つの)を。ひざにあてゝ。ちいさき 木を折やうに折けり。あるとき人を/害(がい)したる男きたりて。 かのいもとを人/質(じち)にとりぬと。つげきたりけるに。光遠打 わらひて。我がいもとをば/薩摩(さつま)の氏長ばかりぞ/質(しち)には。と らめ。其外にはおぼへぬものをとて。すこしもさはがざりけ り。いもとはしちにとられながら。かの男が刀もつたる手をひ ひだりの手にてとゞめ。右の手にては。かたはらはらに矢の/箆(の)の。あら作 したるが二三十ばかりあるをとりて。手ずさみにゆびにて/板敷(いたしき) にあてて。にしなに/朽木(くちき)のやうにくだくるを見てぬす人おそ れて。女をはなちつゝ。/逸(いち)あしをいだしてにげさりけり 古今相撲大全巻の中本終 【右丁白紙】 【左丁】 古今相撲大全(ここんすまふだいぜん)巻之中《割書:末》    目録 一/河津祐泰(かはづすけやす)俣野景久(またのかげひさ)相撲の事 一/畠山重忠(はたけやましげたゞ)長居(ながゐ)と相撲の事 一/和田常盛(わだのつねもり)朝比奈義秀(あさひなよしひで)相撲の事 一/賀茂能久(かもよしひさ)天竺冠者(てんぢくくはんじや)相撲の事 一/畑時能(はたときよし)相撲の事 一/妻鹿長宗(めがながむね)相撲の事 一/山中幸盛(やまなかゆきもり)相撲の事 【右丁】 一/矢部刑部允(やべぎやうぶのぜう)相撲の事 一/原大隅守(はらおゝすみのかみ)相撲の事 一/蒲生氏郷(かまふうぢさと)相撲の事 一/織田信長公(おだのぶながこう)相撲御覧の事 一/豊臣秀次公(とよとみひでつぐこう)相撲御覧の事 【左丁】 古今相撲大全(ここんすまふだいぜん)巻之中《割書:末》   河津祐泰(かはづすけやす)俣野景久(またのかげひさ)相撲の事 安元二年十二月。伊豆。相模両国の者(もの)ども。おの〳〵奥野(おくの)の狩(かり) して。柏峠(かしはとうげ)にのぼり。酒宴(しゆゑん)をまふけ。興(けう)に乗(ぜう)し。大なる石を持(もち) などして。力(ちから)をくらべなぐさみしが。海老名源八秀定(ゑびなげんはちひでさだ)申やう。某(それがし)が若(わか) ざかりには。狩漁(かりすなどり)の帰(かへ)りには。かならず相撲を取。或はちから挍(くらべ)など をこそ興(けう)としつれ。今も若(わか)きかた〴〵は争(いかで)かくるしく□□□【候べき】。 各(おの〳〵)取給はゞ。源三(げんざう)膝(ひざ)ふるふとも。出(いで)て行事(ぎやうじ)をせんといひけれ□□【ば。老(らう)】 若(にやく)酒狂(しゆきやう)してしかるべしと同(どう)じける。其とき實平(さねひら)。滝口殿(たきぐち[どの]) と。/藍沢殿(あいざはどの)相比(あいころ)にあるべし。出て始(はじめ)給へかしと云れければ。/経(つね) 俊(とし)聞(きゝ)て。東国に於て。力(ちから)有ん人は御出候へ。但(たゞし)藍沢(あいざは)殿の御(お)□【相(あい)】 手(て)には餘(あま)りてこそ存られ候ぞ。御望に於ては一番取候べき かと云。重治(しがはる)聞て。伊豆(いづ)相模(さがみ)の人々にちから強(つよ)き人はなきか。出て あの広言(くわうげん)を止(やめ)よ。力(ちから)を自慢(じまん)するは。凡卑(ぼんひ)の者(もの)の事なり。只(たゞ)侍(さふらひ)は戦場(せんじやう) に進(すゝみ)て。敵(てき)を射捕(ゐとる)に。敢(あへ)て力の有無(うむ)にはよらず。憚(はゞかり)なきちから の自慢(じまん)聞にくしといひければ。滝口(たきぐち)聞て実(げに)〳〵のたまふごとく。 十郎殿と組(くん)で首(くび)を取か取るゝか。只(たゞ)力業(ちからわざ)の勝負(しやうぶ)に於(おゐ)ては。誰(たれ) にかおとり候はんや。藍沢殿と相撲こそ望なれとて。直垂(ひたゝれ)を脱(ぬぎ)て 躍(おどり)出ける間。重治(しげはる)見てこらへず。腕(うで)のつゞかん程(ほど)は命こそ涯(かぎり) なれ。海老名殿あはせ給へといひながら。つと出んとしければ。季貞(すへさだ) 押(おし)とゞめて相撲はたゞ少人(しやうじん)より取り上りたるこそ面白(おもしろく)く候へ。先 藍沢七郎殿と。滝口四郎殿。年比(としごろ)も相似(あいに)たれば出て始たまへ。 海老名行事仕らんとて合せければ。重真(しげざね)。家俊(いゑとし)。たがひに屡々(しば〳〵) せり合けるが。重真つゐに負(まけ)にけり。其とき舎兄(しやけう)六郎/重光(しげみつ) つと出。家俊(いゑとし)を突倒(つきたを)して入らんとする所を。経俊(つねとし)躍(おどり)出。重光 を片手(かたて)にたらずなげける間。重光が舎兄/重治(しげはる)。弟(おとゝ)二人をなげ られ。やすからずおもひ。袴(はかま)の紐(ひも)解(とく)間(ま)おそしと引切て。走出(はしりいて) 近(ちか)〳〵とより。拳(こぶし)をつよく握(にぎつ)て。滝口(たきぐち)が鬢(びん)のはづれを。したゝ【かに】 擲(うち)ける程に。経俊(つねとし)も左右の拳(こぶし)を握。負(まけ)じ劣(おと)らじと捻(ねじ)あ【ひ】 ければ中〳〵相撲とは見へざりける。其後藍沢/下手(したて)に入て。終(つい)に滝口(たきぐち)に【勝】 てげり。此上はいか程/負(まけ)ても不苦(くるしからず)とて。相手を嫌(きら)はず取ける程に。究竟(くつけう)の 者(もの)共/続(つゞけ)て五番/勝(かち)ける所に。/八木下(やぎした)五郎。藍沢を始/続(つゞけ)さまに六番勝。/本(ほん)間五郎 資俊(すけとし)。八木下をはじめて九番打て入らんとする所に。俣野五郎 景久(かげひさ)出て。本間を始て其名をよばるゝ力量(りきりやう)の人つゞけて 十番勝ければ。出て取らんといふ人なし。景久いひけるはに。【相】 撲は止(やみ)て候か。相手に嫌(きら)ひはなきぞ。誰(たれ)にてもおはせよ。我と おもふ人々は出られ候へやと髙声に罵(のゝし)【訇ヵ】りける間駿河の国 の住人高橋中六家成小兵ながらつと出て取付ければ是を 始て若手の者すゝみ出て俣野に息をも継せず負れば 出おれは入立替入かはり十人ばかり出けれども俣野は聞ゆる 大力(だいりき)の名人(めいじん)なればつゞけさまに廿一人/投(なげ)たりける。其時/土肥(とひの) 二郎/扇(あふぎ)をひらき。景久(かげひさ)をあふひであつはれ俣野殿は聞し よりも上手(じやうず)かな。實平十五年以前ならば。出て取候べき物 をと。戯言(たはふれ)ければ。景久聞て御としのよられ候とても。何かは くるしく候べきぞ御出候へ一番取候はんといひける間。土肥は 伊豆相模両国   諸大名柏峠角力 河津三郎    祐泰 脵野五郎     景久 兎角(とかく)の返答(へんとう)にもおよばず。伊豆。相模の人々此/恥辱(ちじょく)は。伊東 三浦にこそ留りたれと。囁(さゝやき)て誰(たれ)か彼(かれ)かといふにもあらず。 河津三郎こそとつぶやきしかども。祐泰(すけやす)は智仁勇(ちじんゆう)の徳 ありとて。伊東よりは重(おも)んじ敬ひける間。諸人/心(こゝろ)には思ひながら 出て取れといふものなし。河津氏/景色(けしき)を悟(さとり)て。土肥にさゝや きけるは。今日の御酒宴(ごしゅゑん)は興(けう)に乗(ぜう)じ。老若(らうにやく)の隔(へだて)なく候はば。祐(すけ) 泰(やす)も出て一番取候はんか。空しく帰(かへ)るべきも。又/無戯(むげ)にや 候べき御指図あれかしといひければ。實平(さねひら)聞て今俣野が 詞(ことば)の笑止(しやうし)さにこそいふらん。若此上に河津/負(まけ)ば大なる恥辱(ちじよく) なれとおもひければ。兎角(とかく)の返答(へんとう)にもおよばず。只/赤面(せきめん)し てぞ見えたりける。伊東(いとう)是(これ)を聞て神妙(しんひやう)に申つるしかる。 たとへ負ても恥ならぬぞ。出て。俣野殿と御相手に罷なれ といはれければ。河津かしこまり候とて。直垂(ひたゝれ)を脱捨(ぬぎすて)。小袖一つの 上を。手綱(たづな)二筋(ふたすじ)田字に廻して強(つよ)く縮(しめ)。俣野殿の御/手柄(てがら) 申も中〳〵餘(あまり)あり。河津が御相手に出ること不足に候はんずれ ども。少は仕候べしとて出ければ。景久聞て出向ひ。相【撲を】 取に相手の名を呼(よぶ)ことやあるべきされども相手に/嫌(きらひ)【はなし。】 只(たゞ)天(あめ)が下におゐて力(ちから)のすぐれて強(つよ)からん人は御出候へとい【ふ】 てぞ出たりける。河津近〳〵と寄て。俣野がちからをはからん が為に一/推(をし)しておもひけるは。兼々聞しには/似(に)ぬものか 今日/多(おほ)くの人の/負(まけ)たるは。酒に/酔(ゑひ)たる故なるべし。されども此男 は八箇国に名を/呼(よば)れ。一年/都(みやこ)におゐて取けれ共。彼に勝 たるものなしとて。相撲/無双(ぶそう)の名を得たる者なれば/容易(たやすく)は /投(なげ)がたしと思ひ。二三度もゑいや〳〵と/推(をし)合けるが。河津なをも 其手をはなたず。向へつよく/推(をし)ければ。各/並居(なみゐ)たる衆中へ つら押入。/膝(ひざ)を/突(つか)せて入にける。俣野は只も入らず。/爰成木(こゝなるき)の /根(ね)に/踢(つまづい)てこそ。/不覚(ふかく)の/負(まけ)をしたるに。今一番取らんといひ ければ/兄(あに)の景親走出て/傍(あたり)を見/廻(まは)し。/実々(けに〳〵)是に木の根有 俣野かまことの負にあらず。/真中(まんなか)にて/尋常(じんじやう)に/勝負(しやうぶ)した まへ河津負といひければ。伊東是を聞て。いや〳〵河津も/膝(ひざ)が 少しながれて見へ候ぞ。只時の/興(けう)なれば。/互(たかい)の/意恨(いこん)も有べから ず。今一番取て負よといはれける間。河津辞するにも及 ばすして出たりければ。俣野は手相もせずして。向さまに や当ん。/横(よこ)さまにや。/繋倒(かけなじ)べきと。つと/寄(よる)所を。河津は前後 相撲は。是が初めなれば何の手もなく俣野か上帯むづとつかん で前へひき寄。/妻手(めて)へ廻て。目より高く。差揚ければ俣野 足(あし)を/差延(さしのべ)。河津か/股(もゝ)に/纏(からみ)けるを。河津事ともせず一/反(そり)して 尚高〳〵と差揚。しばし/保(たもち)て。片手を/放(はなち)真中に進て/横(よこ)さ まにぞ/投(なげ)たりければ。俣野早々/起(おき)上り相撲の取やうこそ多 に。なんぞや/御辺(ごへん)の/片手業(かたてわざ)はといひければ河津打笑ひされば こそ/最前(さいぜん)も勝たる相撲を/論(ろん)し給ひける程に。此度は真中 におゐて。/然(しか)も片手投に仕たるか。/未(いまた)御負ならずや/実(げに)〳〵木の 根のなきにこそ。右は仰つらめ只その勝負を人々御覧候へつ るかと云ければ。/列座(れつさ)の面々一度に/咄(どつ)と笑ひける 下略 曽我 物語に出たり   /畠山重忠(はたけやましげたゞ)長居(ながゐ)と相撲の事 /鎌倉(かまくら)の源頼朝卿の/御館(みたち)へ。東八ヶ国に/双(ならひ)なき。大力/長居(ながゐ)といふ 相撲来ていはく当時に長居に手向ひいたすべき人おぼへさふらはず。畠山庄司次郎ばかりぞ心にくい。それとてもたや すくはいかでかはたらかし候はんと。詞をはなちて云るは。頼朝聞し召てねたましくおほしける折ふし重忠きたりたり。 白き/水干(すいかん)に/葛(くず)ばかま。黄なる衣を/着(き)たるける侍所に大名 小名。ひしと居ならびたり中をわけて座上に居たる。大将/尚(なを) ちかく。それへ〳〵と有けれども。かしこまりてさふらひけり 其とき頼朝卿物語し給ひてそも〳〵足下に所望の事 誰を申さんとおもふが宣て/不詳(ふしやう)に候はん。為にやまんも/忍(しの)び がたしとおもひわづらひたりと/宣(のたまひ)ければ。重忠ちと/居(い)な をりて。君の御大事。何にて候とも。いかで子細を申候はんと云 たるに。大将/入輿(じゆけう)し給ひて。その庭に長居めが参りて。東八ヶ 国にならびなしと。/自称(じしやう)して。/貴殿(きでん)と手あひを望みする 間。ねたましく覚ゆれば。頼朝なりとも出てこゝろみんや とおもへとも。とりわき重忠をのぞみ申ぞこゝろみ給へと のたまへば。重忠/存外(ぞんぐはい)げにおもひて。かしこまりていふ事なし 大将さればこそ。これは我ながらも非愛の事にて候。但わが所 望此事に有とのたまうとき、重忠閑所に行て。くゝりすへ。/鳥(ゑ) /帽子(ぼし)かけて出にけり。長居は庭の床にしりかけて居けるが。 つと立て/犢鼻(ふどし)つきてねり出たる形勢。/金剛力士(こんがうりきし)のあらはれ たるかと見へければ。畠山もいかゞぞとおぼへける。さてよせ合 せたるけるに。長居畠山がこくひをつよくうつて/袴(はかま)の/前(まへ)ごし をとらんとしけるを。畠山長居が左右の肩をひしとおさへて。 ちかづけず。しばらく/程(ほど)へければ/梶原景時(かぢはらかげとき)いまはことがら御覧 さふらひぬ。さやうにてやおかせさうらはんと申ければ頼朝いか で此まゝはあるべき。勝負有べしとのたまひける。言葉のしゝ より畠山長居を/尻居(しりゐ)におしすへければ。罷りいりてあしをふみ そらしければ。人々立よりおしかゞめてかきだしける。重忠 座にかへりつゝ。一言もいはずして出にけり。長居はそれより /肩(かた)のほねくだけて。かたわものになりて。相撲とる事もなか りけり    /和田常盛(わだのつねもり)朝比奈義秀(あさひなよしひで)相撲の事 正治二年九月二日源頼家卿/小壺(こつぼ)の海辺をめぐりたまふとき /小坂(こさか)太郎。/長江(ながゑ)四郎等。/御駄餉(おんたしやう)をます〳〵笠懸あり。/結城(ゆふき)七郎 /朝光(あさみつ)。小笠原/阿波(あはの)弥太郎。/海野(うんの)小太郎/幸氏(ゆきうぢ)市川四郎/義胤(よしたね) 和田兵衛/常盛(つねもり)。其/射手(いて)なり。次に海上に船をよそほひ。/盃酒(はいしゆ) をたてまつる。然るに朝比奈三郎義秀/水練(すいれん)のきこへあり。此 ついでをもつて。/其芸(そのげい)をあらはすべきよしを仰らる。義秀 辞し申ことあたはず。船よりおり海上にうかひ。数十度およきて。 なみの/底(そこ)に入。しばらく見へず。諸人あやしみをなす所に。 生たる/鮫(さめ)三/唯(とう)をひつさげ。御ふねの前にうかひあがる。/満座(まんざ)の ともがら/感(かん)ぜずといふ事なし。頼家卿/御感(ぎよかん)のあまりに。め す所の御/馬(むま)を。義秀に下したまふ。此馬は/奥州(おうしう)一の名馬なり /大江広元朝臣(おゝゑひろもとあそん)献じたり。義秀が兄/常盛(つねもり)をはじめ。諸人 こひのぞむといへども。たまはらざりしに。今日義秀にたま はりぬ。是を見て義秀か兄和田兵衛常盛すゝみ出て申 けるは。それがし/水練(すゐれん)は義秀に及ずばとも相撲におゐては /長兄(ちやうけい)のしるし候べし。ねがはくは御馬を兄弟のなかにをかれ。 すまふを御覧あつて。其勝負について。くださるべしといふ。 頼家卿/興(けう)に入たまひ。御舟をきしにつけたまひ。小坂太郎か前 の庭にて。是をあはせたり。二人ともに/衣装(いしゃう)ぬぎてたち 向ふ。其/体力士(ていりきし)にことならず取あふこと。たび〳〵なり。ふむ所 の地/震動(しんどう)するがごとし。まことに/希代(きだい)の見物なり。しかれ共 義秀/力(ちから)まさりなれば。常盛あやうく見へたり。/江間(ゑま)小四郎。 あまりに感じて座をたち。両人の。/間(あいだ)を立へたてらる。その時 常盛はだかながら。くだんの馬にひたとのり。/鞭(むち)をあげてにげ行 たり。義秀はなはだ/後悔(こうくはい)す。見るものわらはずといふ事なし          /賀茂能久(かもよしひさ)天竺冠者(てんぢくくはんじや)相撲の事 人皇八十二代/後鳥羽院(ごとばのゐん)の御宇に。伊豫国/大寺(おうてら)の/嶋(しま)といふ所に。 天竺冠者といふ/希代(きだい)の/幻術者(げんじゅつしや)。/大力(だいりき)の聞へ有ければ。其比都に 加茂の/神主能久(かふぬしよしひさ)相撲の聞へあり。是にあはせられけるに。能久 天笠冠者を取て。池の面へ 七八尺ばかりなげすてけると なり   /畑時能(はたときよし)相撲の事 /新田義貞(につたよしさだ)の/家臣(かしん)。/畑(はた)六郎左衛門時能は。武蔵国の住人にて。無 双の/強力(げうりき)なり。/腕(うで)の/力(ちから)すぢふとくして。/股(もゝ)のむら/肉(にく)あつければ/彼(かの) /薩摩(さつま)の/氏長(うぢなが)も。かくやとおぼへておびたゞし。歳十六の時より このみて相撲を取けるに。/板東(ばんどう)八ヶ国にさらに/勝(かつ)ものなかり けり   /妻鹿長宗(めがながむね)相撲の事 妻鹿孫三郎長宗は。/薩摩(さつま)の/氏長(うぢなが)が末にて。ちから人にすぐ れ。/器量(きりやう)人にこへたり。生年十二の春の比より/好(このん)ですまふを 取けるに。日本六十余州の中に/終(つい)に/片手(かたて)にかゝるものなし   山中/幸盛(ゆきもり)すまふをこのむ事 山中/鹿之介幸盛(しかのすけゆきもり)は/尼子義久(あまごよしひさ)の十/勇士(ゆうし)の/隋(ずい)一なり。幸盛が 母かつて子なきことをなげきて。/毘沙門天(びしやもんでん)に/祈(いのり)てふたりの/男(なん) /子(し)をうむ。兄を甚太郎といひ弟を甚次郎といふ。何れもおと らぬ/勇士(ゆうし)なりしが。甚太郎は早世し甚次郎は鹿之介と名 をあらたむ/殊更(ことさら)幸盛は。出雲国/鰐淵山(わにびちやま)のふもと。/武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい) がそだちたるやしきにて生る。一月過てあゆみ。二月にて 食し。七月にしてよくはしる。十三四歳よりしてこのみて すまふを取けるに。国中におゐて終に/勝(かつ)ものなし。是によつて /今弁慶(いまべんけい)とよびならはす。其長七尺六寸ちからはかりがたし。/弓(ゆみ)は 五人/張(ばり)に十八/束(そく)をひく。二十六歳までに。五十六度/鎗(やり)を合せ たりといひ伝へたり   /矢部刑部允(やべぎやうぶのぜう)相撲の事 豊後国大友/義鎮(よししげ)入道宗麟の次男/親家(ちかいゑ)の郎等に。矢部 刑部允といふものあり。/力(ちから)万人にすぐれ/武芸(ぶげい)の/奥旨(おうし)をきはめ たる聞へありしか。子細有て豊後を立のき。肥前の国に 行て。/龍造寺隆信(りうさうじたかのぶ)に/仕(つか)ふ。隆信の/次男江上(じなんゑがみ)又四郎/家種(いゑたね)は。九州 /無双(ぶさう)の大力と聞ゆ。つねに四尺八寸の/刀(かたな)。二尺六寸の/脇(わき)さしをよこ たへ。三間柄の/鎗(やり)を/柄(ゑ)ともに。/鉄(てつ)にてうちのべたり/棒(ぼう)は/樫(かし)の木 を。八角にけつらせ/筋金(すじがね)をふせ数十の/肬(いほ)をうへて。いくさにのぞ む/毎(ごと)に/敵(てき)をうつこと/数(かず)をしらず。常に相撲をこのみ。国中の 大力どもを/集(あつめ)て相撲を取らせける。刑部允もあはれ 家種と。手合したくおもふ/折節(おりふし)。家種も矢部が力を■。よび 出て相撲取られけるに。何れもおとらぬ大力なれば/互(たかい) に/負(まけ)じともみ合取。わかれては取。やすみては取。終日くみ合 けれども。終に勝負はなかりけり。刑部允後に肥前を出て。 伊豫にいたり。/西園寺公広(さいおんじきんひろ)公に仕ふ。あるとき/領内医王寺(れうないゐれうじ)にあ そびしに。/住僧(ぢうそう)出てちからもちを望みしかば。刑部允。八尺餘りの 五/輪(りん)を/地輪(ぢりん)共にかゝへ/庭上(ていじやう)を二三返/持(もち)めぐりもとの所にすへ たり。其後宇和郡にて大きなるいはほの上に/大盤石(だいはんじやく)をかさ ねおきたり。其より後此石をうごかす程の人なければ。今 の世までものこりしとかや   /原大隅勇力(はらおゝすみゆうりき)すまふの事 豊後国大友/宗麟(そうりん)の/家臣(かしん)に。原大隅守といふ人。九州にかくれな き大/剛力(げうりき)の勇士なりしが。或とき肥後国/戸口(とのくち)といふ所迄。/南蛮(なんばん) /国(こく)より/発貢(いしびや)五百挺渡りしに。一挺を十六人にて持つれ。大友 家の居城。豊後/丹生嶋(にふじま)の広庭にこと〳〵くならべおきたりしを。 宗麟大隅守を招き。此石火矢を汝一人して/持(もち)見よとあれ ば/畏(かしこまり)て候とて。つと立て/筒先(つゝさき)より/起(おこ)し。かろ〳〵と/肩(かた)にのせ /広庭(ひろには)の中を二三/辺(へん)持て廻り。本の所におろし置。宗麟大 におどろき/尚(なを)もちからを見たまはん為。大なる/自然石(しぜんせき)の/手水(てふづ) /鉢(ばち)の有けるを。此石のすへやう我心にかなはず/汝直(なんぢなを)すべきやと あれば。右承り候と又つと立て。十分にたゝへたる水を少しも こぼれざるやうに。/居直(すへなを)したりしかば入道大にかんじたまへり。又 或とき都より/雷(いかづち)。/稲妻(いなづま)。/大嵐(おゝあらし)。/辻風(つじかぜ)といふ相撲取ども。下向し 豊後/府内(ふない)に於て/勧進(くはんじん)相撲を/興行(こうぎやう)せしに。彼等四人に/勝者(かつもの) なし。其よりして。同国/臼杵(うすき)へ来りしに。其比大隅守も臼杵の宿 所に居たりしに。彼/雷(いかづち)といふ関相撲。其外大/力量(りきりやう)の者ども七八人 或人をたのみ。大隅守か/力業(ちからわざ)を望みけり。大隅守もきやつ/等(ら)が 望むがやさきに。一手取ばやとおもひけるが。先此ものどもを 少しおびやかさんとおもひ。宿所に/招(まね)きよせて。彼者共に 向ひ。扨〳〵おもひ寄て/能(よく)も来られつわもの哉。少し細工に /仕(し)かりたり。/暫(しばら)くそれに待たまへといひ/捨(すて)。大なる麻の角を/数多(あまた) 取よせ。ひし〳〵とつまみ/砕(くだ)き。/盥(たらい)の水に/投(なげ)入て。其後彼者共 と/種々(しゆ〴〵)の/雑談(そうだん)におよぶ。/雷(いかづち)以下の者共は。是をば少しも見ぬかほ にて。大隅殿の御勇力はかねて承りおよび候。御力量のほどを そく御見せ候へといふ。いかでか聞は及ばざるべき。去ながら力の 程を見せ申さんといへば此者共悦び。しからば相撲を一手仕ん と望む。大隅守聞て/我幼少(われようしやう)より。/兵術(へいじゆつ)はぐくみたれども。相撲に於 ては/知(し)らず。各々おしへられよといふけるに/既(すで)に身ごしらへをし たりしが。其内に家人にいひ付。大竹壱本庭へ持出させたるり。 雷是を見て。是は何の用にかと/不審(ふしん)をなし居る所に。大隅守 立出て。本よりも/某(それがし)ハ。是相撲の始なり。/片屋(かたや)といふものを先 作て見べしとて。彼大竹を一/節(ふし)づゝ末よりつまみひしぎ /頓(やが)て/引裂(ひきさい)て本末を一ツにねぢ合。/輪(わ)を作り此輪を かぎり外へ足を/踏(むみ)出しなば。負なるべしと定れば。雷。稲妻。大 嵐。辻風。以下の者共大におどろき/舌(した)を/鳴(な)らし取申にも及 ばず/早我々(はやわれ〳〵)が負にて候。此四人の者共は。諸国を/修行(しきやう)仕。国々の 大力共を/試(こゝろ)みし申候へども。かゝる御力量はいまだ見たること候 はずとて。終に相撲は取ず。原心より/希(こ)に/打笑(うちわら)ひ。其より/盃(さかずき)を出し 一献を始めしかば。以来は/是非(ぜひ)とも/御懇意(ごこんゐ)に預り候はんとて 拝謝してぞかへりける。大友家記に出たり   /蒲生氏郷(かまふうぢさと)相撲の事 奥州/会津(あいづ)の/領主(れうしう)蒲生/飛驒守氏郷(ひだのかみうぢさと)の/家人(げにん)に。西村左馬之助 とて。大男の強力相撲の上手にてありける。子細あつて去 ぬる比勘当せられしが。ゆるされて帰参しけり。氏郷みづからの /力(ちから)にまさりたるをばしりながら。かれが心を見んとやおもはれ けん。帰参の/翌日(よくじつ)。左馬助を/呼(よび)て我と相撲を取べしとて 座中にて取られしに。西村おもひけるは。/勝(かち)たらば御こゝろに やそむかん。/負(まけ)たれば/軽薄者(けいはくもの)とやおぼしめさん。いかゞせんと思ひ しが。いや〳〵/侍(さふらひ)のならひ見かぎられては/恥(はぢ)なりとおもひ/精(せい)を 出してくみあひ。/終(つひ)に氏郷に勝にけり。氏郷/無念(むねん)なりと一番と らんとて。ちから/足(あし)をふまれしかば。/近習(きんじゆ)の者共あはれ左馬介 負よよし。此度負ずは/手討(てうち)にやせられんと。おの〳〵手にあせ をにぎりけり。西村また/思案(しあん)しけるは。今度負たらばいよ〳〵/軽(けい) /薄(はく)になるべし。手討にならんは/是非(ぜひ)なしと今度も西村勝にけり。 其とき氏郷ゑみをふくみ給ひ。/汝(なんぢ)がちからは我よりすぐれたり とて/加増(かぞう)の地を出されける。是左馬介が/直(すく)なる心を/感(かん)ぜ られし故也。此とき相撲に/負(まけ)たりましかば。ながく見おとさる べきに。負ざりしこそ。武士道の/本意(ほんい)なれ   /織田信長公(おだのぶながこう)相撲御覧の事 /元亀(げんき)元年二月廿五日。信長。/岐阜(ぎふ)を御立有て翌日江州の/常(じやう) /楽(らく)寺につかせ給ふ。御/遊(ゆう)の/興(かう)を/催(もよう)されんとて。/暫(しばら)く爰に/逗(とう) /留(りう)有て。国中の相撲取共を召あつめ。相撲をぞ始られける。 皆/勝(すぐ)れたる/上手(じやうず)にてはあり。今日を/晴(はれ)と取程に。/鴨(かも)の入/頸(くび)。みづ 車。そり。/捻(ひねり)。なげなんどいふ手を。我おとらじと取しかば。何の 道にても。すぐれぬれば。/奇異(きい)にこそ覚ゆれとて。/興(けう)ぜさせ 給ふ。見物の/老若(らうにやく)も目をすましけり。/白寺(はくさいじ)の/廉(しか)。/小廉(こしか)。/長光(ながみつ)。 /宮居目眼(みやゐげん)左衛門。/深(ふか)尾又次郎。/河原寺大進(かはらでらだいさくいん)。/鯰江(なまづゑ)又二郎。/青地(あをぢ)与右衛門 などいふ者共は。たぐひすくなき上手にて。取勝りかり。此時は 行司は/木瀬蔵春庵(きのせぞうしゆんあん)なり。鯰江。青地弐人は/召出(めしだ)され。/熨斗付(のしつき) の/刀(かたな)。/脇差(わきざし)を下し給はり。すなはち召つかはるへきとて相具せ らる。深尾又次郎は時服を/賜(たま)ふといへり。信長記に出たり   /豊臣秀次(とよとみひでつぐ)公相撲御覧の事 関白豊臣秀次公。相撲見物すべき間。其用意いたすべき由 のたまひければ相撲奉行丹後守を召て申付諸方を ふれける程に。洛中洛外。/淀(よど)。/鳥羽(とば)。/桂(かつら)。/嵯峨(さが)。/鞍馬(くらま)。/白川(しらかは)。/山科(やましな)。ざい々 /辺(へん)より。我も〳〵と/集(あつま)りける。秀次公の取手共百人ばかり出て。 東のかたやにひかゆれば。西には寄の相撲二三百人ならび居けり /既(すで)に日くれて。月山の/端(は)に出ければ。秀次公の御前の/幕(まく)をし ぼりあげ。らうそくあまたたてさせ大名小名。右のかたに/祠候(しこう) せらる。とかくと/時刻(じこく)うつりて後。相撲すでに始りぬ。関白殿 の相撲共。何も名を得し取手なり。寄相撲もよのつねなら ぬもの共なれば。三十番もすぎけれども。取わけにぞみへたり ける。実に関白殿の相撲のうちにて。昼夜。ふせいし。関がね。 /井関(ゐせき)。/岩根(いはね)などいふ上手どもゞ一番二番づゞとつて入にけり。中 にも。岩根は/防(せき)なるが。よき相手がなとおもへる/体(てい)にて立出たり。 行司/誰(たれ)にても/望(のぞ)みのかたあらば出たまへと。ふれけるに。こゝに /西岡(にしのおか)の住人に/突舂(つきうす)といふ相撲有。かくれなき上手なれども。 しかるべき相手なき故/宵(よい)より一番もとらざりしを。かた はらの者共出て。関をとられと次ゝめける。行司聞て/急(いそ)ぎ 出られさうらへ。/遅参(ちさん)は御前への恐れ有やといひければ/畏(かしこまり)候とて 立出けり。/長(たけ)はわづかに四尺ばかりなれども/脇(わき)の大さは六 尺ばかりもあらんと見ゆ。左右の/腕(うで)はつねの人の/太股(ふともゝ)にまさ りたり。年二十四五にて。つら大きに。まなこすさまじかりけ るが。白布を三重に/廻(まは)してつよくしめたり。岩根之介はたけ六 尺ゆたかにして。ほねふとく肉あつく。二重をつくり/損(そん)ぜしご とく也/茜(あかね)のした帯。二重に廻して引しめたり。秀次公いそぎ あはせよとのたまへは。行司やがて取らせける。一方はたけ髙く。 一方はひきかりければ。そこばくにちがひて見ゆ。岩根おもひ けるは。したての相撲なれば。うちにいれじと立廻る。 つき/舂(うす)は下手に入て。そつてみんとあひしらふ。/互(たがい)に/劣(おと)らぬ 上手なれば。くんづはなれつ。かけつ。はついつ。手をくだき半時 ばかりねぢ合ける。いかゞしけん。つき/臼(うす)つつと入て。岩根を 場中にて/反(そり)たりける。秀次公御覧して。扨も取たり心の きゝたる相撲かなと/感(かん)じ給へば。御前/伺公(しこう)のめん〳〵もあつと かんじあはれける。/暫(しばら)く/双方(そうほう)いきをつぎて。又合するに今 度は岩根之介つき臼を/懸投(かけなげ)る。おひ投る。二つの内を取べし と立まはれば。つき臼は/長(たけ)なければ/反(そり)を望んではづしける。 しばらく有て。岩根之介。つき臼がそぐひを引よせて。かけ 投にせんとしけるを搗臼。岩根が/馬手(めて)のもとをとつて。/曳(ゑい)と おしあげ。つと入てかしらにて一/間(けん)ばかり。かたやにおしこみ とまる所を。引かづきて。おなじやうに/反(そり)にけり。秀次公大に /笑(わら)はせ給ひ。/各々(おの〳〵)ざゞめきわたりけり 古今相撲大全巻之中未終 【右丁白紙】 【左丁】 古今相撲大全(ここんすまふだいぜん)巻之下《割書:本》    目録 一/神事捔力来由(じんじずまふのらいゆ) 一/御前角力作法(ごぜんずまふのさほう) 一/角觗場舊地考(すまふばきうちのかんがへ) 一/勧進相撲開基(くはんじんすまふかいき) 一/土俵員数故実(どひやうゐんじゆのこじつ) 一/四本柱相当(しほんばしらのさうとう) 一/水引幕張様(みづひきまくのはりやう) 【右丁】 一/幣帛両儀(へいはくのりやうぎ) 一/力水清淨(ちからみづのしやう〴〵)并/化粧紙近例(けしやうがみのきんれい) 一/頭取家業(とうどりかぎやう) 一/前行事格式(まへぎやうじのかくしき) 一/行司伝来(ぎやうじのでんらい)并/古今行司姓名(ここんぎやうじのせいめい)     附《割書:り》装束団扇風流(しやうぞくうちわのふうりう) 【左丁】 古今相撲大全(ここんすまふだいぜん)巻之下《割書:本》    /神事捔力来由(じんじずまふのらいゆ) 神社(じんじや)の前(まへ)にて相撲(すまふ)を取(とる)事多し。又/小祠(ほこら)の両脇(りやうわき)にある板(いた)を。俗(ぞく) に相撲/板(いた)といふ。表(おもて)には舞楽(ぶがく)。裏(うら)に相撲を画(ゑが)くを例(れい)とせり。今 南都(なんと)春日若宮(かすがわかみや)の祭礼(さいれい)。毎年十一月廿七日の夜。御旅所(おたびしよ)の神(しん) 前(ぜん)にて。十番の相撲。并に相撲番(すまふつがひ)の舞楽(ぶがく)あり。是則いにしへ 朝庭(てうてい)相撲の節(せち)の違意(いゐ)なり。其体(そのてい)先(まづ)神前(しんぜん)に。御幣(ごへい)二本。素襖(そおふ) 着(き)二人。二行に進(すゝ)み。支證(ししやう)《割書:今云相撲|行司也》とて。冠(かふり)。細桜(ほそゑい)。老懸(おいかけ)。褐衣(かつゑ)にて 弓を持。矢を負(おい)。四人神前の四/隅(ぐう)に立。相撲役人/放髪(はなちがみ)にて。数(かず) 【右丁】 指(ざし)とて。紙をさし裸(はだか)にて。太刀かたげ左右方出。太刀を下に置。 数指(かずざし)を取神前へ投(なげ)。相撲を取《割書:但儀式|斗也》太刀かたげ退(しりぞ)き。神前へ 向ひ座す。専当(せんだう)後(うしろ)より褒美布(ほうびぬの)を肩(かた)に打かゝる也。右十番の 相撲おはりて。相撲番の舞楽(ぶがく)あり《割書:抜頭(ばとう)|落蹲(らくそん)》を奏(そう)す。上古より今に 至るまで執行(しゆぎやう)せらる。委は春日古記に出たり。又/後鳥羽院(ごとばのゐんの)御 宇。文治(ぶんぢ)五年四月。鎌倉(かまくら)鶴岡(つるがおか)八幡宮/祭(まつり)に。相撲十五番あり。又/建久(けんきう) 三年八月十四日。鶴岳放生会(つるかをかほうじやうゑ)に回廊(くはいらう)の外庭(そとには)におゐて。相撲を 執行せらる。則/源頼朝卿(みなもとのよりともきやう)の命(めい)により。因幡前司(ゐなばのぜんじ)沙汰(さた)せられ。藤判(とうはん) 官代(ぐはんだい)を奉行(ぶぎやう)とし。八番の相撲あり。同六年二月十三日。鶴岳/臨時(りんじの) 【左丁】 祭ありて。相撲等/結構(けつこう)の儀あり。同年九月九日鶴岳神事に すまふ十番ありと。東鑑(あつまかゞみ)に載(のせ)られたり。又山城国にも。賀茂八(かもや) 幡(はた)。松尾(まつのを)等にもあり。賀茂は今に毎年九月九日にあり。松尾八 月朔日にあり。八幡は足利時代(あしかゞじだい)に絶(たへ)たり。又隣国/住吉(すみよし)にも毎年九 月十三日に相撲と云あり。いにしへより今に至るまで相続して執 行あり。其餘(そのよ)諸国(しよこく)に神事ずまふ数多(あまた)行(おこな)はれ侍れど。式は正(たゞ)し からず。故に爰(こゝ)に畧(りやく)す    御前角力作法(ごぜんずまふのさほう) 御前相撲の作法(さほう)は。元来(ぐはんらい)武家よりの事にて。先御/書院前(しよゐんさき) 【右丁】 などの平地に。陣幕(ぢんまく)を打たせられ。左右に相撲奉行とて。御家中 の侍衆(さふらひしゆ)左右に一人/宛(づゝ)。/上下(かミしも)を/着(ぢやく)し。幕(まく)の内に。円座(ゑんざ)を敷(しき)。硯箱(すゞりばこ) をひかへ。一番〳〵の勝負(しやうぶ)を筆記(ひつき)せらる。次に水桶一つ宛。是又左右に 置。土俵(どひやう)の外に足軽(あしがる)やうの人/座(ざ)して。代/役(やく)を奉仕(ぶじ)す。土俵は平地 に半(なかば)埋(うづ)みふせ。四本柱水引幕などは。御家により花美風流(くはびふうりう)の御 物好(ものずき)にまかせらる。土俵の外。三方に下座/筵(むしろ)を敷(しか)せらる。主人(しゆじん)云(いう) 御書院(ごしよゐん)へ出(いで)させ給ふと。程(ほど)なく行司(ぎやうじ)美服(びふく)をかざり。上下(かみしも)を着(ちやく)し。股(もゝ) 立(だち)取房付(とりふさつき)の唐団(とううちわ)をもち。正面の下座筵に。中腰(ちうごし)になり平伏(へいふく) す。此/団扇(だんせん)の房捌(ふささばき)。行司の習(なら)ひある事にて口伝(くでん)多し。扨左 【左丁】 方の角力取(すまふとり)一人宛。下座筵の上にて。手をつき平伏す。尤 左の手はながくのばして深く。是御前ずまうに限(かぎ)りての平伏の 仕様也。此禮すみて二字口(にじくち)より土俵の内に入。殿の正面にむかひ。 仮令(たとへ)ば前(まへ)三人。後五人。其次七人と。次第に列(れつ)し。中腰に成り 足の大指(おほゆび)をにぎり。平伏して居る。時に正面の下座筵に居る 行司より。シツといふを合図に。頭(かしら)をさげて手拍子壱つ打。力足(ちからあし) の三つ拍子(びやうし)を踏(む)む。而後/溜(たま)りへ入る。右方の作法(さほう)是に同じ。扨す まふ初る前に頭取(かしらどり)下知して。彼(かの)水の役人に通ず。時に水桶 にかしづき居る役人平伏/仕(し)ながら。出かけの角力取の名乗(なのり)を 【右丁】 云(いひ)あげる。次に相手もなのりあぐる。第一の角力取又初のごとく。 下座筵の上にて平伏し。而後二字口へ出。左右中腰にて烏(からす) 飛(とび)をし。手合をなし取むすぶ。行司此勝負を見/極(きはめ)て勝(かち)の方へ 団(うちわ)をあげる。第二のすまふは。はじめ負(まけ)たる方より出かける是/故(こ) 実(じつ)なり。それよりの次第是に同じ。双方の人数(にんじゆ)のこらず取/終(おはれ) ば中にも力量(りきりやう)すぐれ。殊に手なども上手(じやうず)なる角力取を。殿(との)より 御見出しありて。誰々(たれ〳〵)三人。又誰々を五人勝負取らすべき様 御/乞(こい)ありけることあり。是を三人/懸(がゝ)り。五人懸りといふ。三番。五番 をつゞけて合す。一人して三番にても五番にても勝(かち)つゞけ 【左丁】 れば。此とき殿より御/褒美(ほうび)出る《割書:何成共御家の格式に|寄り相応の御品を賜ル》頂戴(ちやうだい)して 膝退(しつたい)す。かくのごとくの格式(かくしき)にて。勧進(くはんじん)ずまふなど〳〵/違(ちがひ)甚(はなはだ)厳重(げんぢう) にして花やかなる見物事也。其外さま〳〵御/家例(かれい)の儀式(ぎしき)等これ あるといへども。中〳〵筆に書取がたければ。此余は爰(こゝ)に洩(も)らす    角觗場舊地考(すまふばきうちのかんがへ) 洛北(らくほく)紫野(むらさきの)。今宮御旅所(いまみやおたびしよ)の東/古池(ふるきいけ)の辺(ほとり)に亀宮(かめのみや)と号(がう)し小祠(ほこら) あり世人是を紀名虎(きのなとら)とも。又大/伴善雄(ともよしを)の霊(れい)を祭(まつ)るなりとも いふ。則/此辺(このへん)往古(わうご)すまふ取たる旧地(きうち)なりといへり。是(これ)甚(はなはだ)非(ひ)なり。往 古。大内裏(たいだいり)両京の古図(こづ)を以て考(かんかふ)れば。大に相違(さうゐ)せり。按(あん)ずるに 此/小祠(ほこら)は惟喬親王(これたかしんわう)の霊(れい)を祭たるなり。山州(さんしう)風土記(ふどき)に見えたり。捔力(すまふ) ありし同時代の因縁(ゐんゑん)より。後世(こうせい)あやまつて云伝えたるとさつせら る。此小祠の辺に土の小髙き所。則(すなはち)右の土俵の跡(あと)なりといへど拾芥 抄にのせたる地理(ちり)の圖(づ)にても明らかなば。其/証拠(しやうこ)おぼつかなし。 後のかんがへを待のみ      勧進相撲開基(くはんじんずまふのかいき)  勧進相撲(くはんじんずまふ)の開基(かいき)を尋(たづぬ)るに。山城国。愛宕郡(おたぎのこをり)田中村(たなかむら)。干菜山(かんさいざん) 光福寺(くはうふくじ)《割書:世俗 ̄ニ云 ̄フ_二|干菜寺(ほしなでら)_一》開山(かいさん)より四代目。宗円和尚(そうゑんおしやう)といへる住僧(ぢうそう)。当山(たうさん)の 鎮守(ちんじゆ)。八幡宮(はちまんくう)再建(さいこん)に付。人皇百十一代。後光明院(ごくはうめうゐんの)御宇。寛永(くはんゑい)廿一 申年十一月《割書:十二月 ̄ニ正保|元年と改元》に。御/願(ねがひ)申上られ。御赦免(ごしやめん)に付。翌(よく)正保二 酉年六月。下鴨会式(しもがもゑしき)《割書:今云|糺凉》の内。十日の間/興行(こうぎやう)ありし。是勧進相撲 の始なり。今宝暦十三未年迄。百十九年に及ぶ。其後凡四十年余。 中絶(ちうぜつ)ありしに。元禄二己【巳】年。山城国/伏見(ふしみ)又/淀(よど)にて。勧進相撲あり。 しかれども京にて有し程(ほど)の事にては侍らず。人皇百十四代。 東山院御宇。元禄十二卯年。洛東(らくとう)岡崎村(おかさきむら)。洛西(らくさい)吉祥院村(きちじやうゐんむら)などにて も興行あり。又同年に西/朱雀村(しゆしやくむら)にても有しこと諸書に見えたり。 翌元禄十三辰年。又光福寺八幡宮/大破(たいは)に付。五代目の住僧/正慶和(しやうけいお) 尚(しやう)。古例(これい)を引。勧進ずまふ御願申上られ。御免の上。此度は新田村(しんでんむら) 赤宮(あかのみや)《割書:稲荷大明神|勧請の所》の辺にて。晴天(せいてん)七日が間興行有し。是世に名 髙き髙野川原のすまふといへる是なり今に土俵/跡(あと)とて残り あり。勧進ずまふ初りて二度目の/旧地(きうち)なり。今宝暦十三年未迄 六十三年に成る。其後人皇百十五代。中御門院御宇。正徳五未年 十一月に。又/寺内(じない)破損(はそん)に付。光福寺六代目の住僧。順栄和尚(じゆんゑいおしやう)先年 の例(れい)を以御願申上られ。御免あつて。翌正徳六申年に真葛原(まくずはら)に おゐて。晴天十日が間有。今宝暦十三未年迄。四十八年に成る。 是より己來勧進相撲相続して。近年は二条川原にて興 行あり年を追て繁栄(はんゑい)す 江戸/勧進(くはんしん)ずまふの始は。人皇百十代明正院御宇。寛永元子のとし。 明石志賀之助といへるもの。初て寄(よせ)相撲と号(なづけ)。四ツ谷塩町におゐ て。晴天(せいてん)六日興行いたせしか。最初(さいしよ)なり。今宝暦十三未年まて。百 三十九年に及ぶ。其後/故(ゆへ)あつて三十七年/中絶(ちうぜつ)し人皇百十一代。 後西院御宇。寛文元丑年すまふ年寄申合。御願申上。御赦免 有しより相続す。今年迄百三年に成る 大坂勧進ずまふの始は。人皇百十四代。東山院御宇。元禄五申年に 袋屋伊右衛門といへるもの御願申上。初而南堀江高木屋橋筋立 花通にて興行せしが最初なり。其時の場所は四十間四方にて。 大坂相撲土俵入図 入口も四所なりし。今宝暦十三未年迄。七十二年におよふ。二 度目大山次郎右衛門。興行せし後中絶し。人皇百十五代。中御門院 御宇享保八卯年。大山次郎右衛門《割書:二代目|大山弟》御願申上。もみ鬮(くじ)と成 たり。今におゐて。毎年十二月廿日に鬮を取。翌年(よくねん)のすまふを定 ること近例(きんれい)なり。今年迄四十一年に成る 右三ヶ條の外諸国に勧進ずまふ。年〳〵興行ありて。年紀の 考(かんがへ)あれど後編(こうへん)に残し筆をさしをく    土俵員数故実(どひやうゐんじゆのこじつ) 土俵(どひやう)を圓(まる)く居るは。大極(たいきよく)を象(かたど)る。四方に四方を合せ。内外にて 三十二俵なり。内土俵十六俵の内。左方に二俵。右方に二俵。合て 四俵のける。左右は両義にて。左方を湯とし右方を法となす。 二俵/宛(づゝ)のけて。一道を作る。今是を二字口(ふじぐち)といふ阿吽(あうん)の二ツより出る といへり左にあらず。古へ角力すでに始んとせしに。俄(にわか)に大雨の ふり土俵の中へ水たまりし故。すまふを猶予(ゆうよ)せしとき。左右の土 俵一ツ宛のけ水をながせしにより水流しといふ。しかれ共その 名目今しる人まれなり。内土俵四俵のけて残り十二俵を 十二/支(し)にかどたり。外土俵四俵のけて残り十二俵を十二月に標(へう) す。近例は内土俵ばかりをのけ。外土俵二俵宛はのけず。内土俵 の二俵宛は左右《割書:今は|東西》の関の腰懸(こしかけ)とす。是も近来は右の余風(よふう)も すたれて水桶のせとす。世人土俵の数は定らずといへど左 にあらず。甚(はなはだ)故実(こじつ)あることなり。委は秘要抄(ひようしやう)に出たり    四本柱相当(しほんばしらのさうたう) 四本柱は四季(しき)に標(へう)す。東は春にて其色青色。西は秋にて 白色。南は夏にて赤色。北は冬にて黒色なれば。其色〳〵の絹(きぬ) をもつて巻(まく)を差別(しやべつ)とす。御前ずまふの風流なる物好より。つい に一様の色絹(いろぎぬ)にて。巻様に成たり    水引幕張様(みづひきまくのはりやう) 四本柱の上(うへ)に。水引幕を張(は)る。是も甚(はなはだ)習ひある事なり。北方は 陰にて。水徳をつかさどる。水の縁により北より張て。北に張 納る。幕の地絹(ぢぎぬ)染色。あるは模様等などの事は古今共に風流にまかす    幣帛両儀(へいはくのりやうぎ) 中に立る幣帛(へいはく)は土の色を標(へう)し。黄色を用ゆるを故実(こじつ)と す。則高野川原にて興行の時節(じせつ)までかくのごとくの黄(き)なる 幣を用ひたるに。其已来神道によつて。白幣に成たり今なをかくのごとし    力水清浄(ちからみつのしやう〴〵) 并 化粧紙近例(けしやうがみのきんれい) 相撲/場(ば)にて。桶(おけ)に水を堪(たゝへ)【湛】置(おき)。力者にあたふ故に。今俗に力水と 称(しやう)す。往古(わうご)朝庭(てうてい)にて。すまふ行はせ給ふ初より。水桶は左右 にあり。仕丁(じてう)是を司(つかさど)る。委は旧記に見えたり。勧進相撲に成り ては。早天(さうてん)より新敷(あたらしき)水桶(みづおけ)に。清浄(しやう〴〵)成る水を汲(く[み])入。左右に一つ宛 合て二桶。内土俵の中央に居置。上に幣帛(へいはく)を立。前に神酒(みき) 洗米(せんまい)を供(くう)じ。四本柱に注連縄(しめなは)を張(はり)。土俵入前に注連を取(とり)。二つ の水桶を左右《割書:今云|東西》に分。終日(しうじつ)すまふ取にあたふ。角力取/咽(ゐん) 中(ちう)を潤(うるほ)す。此事古より今に至るまで同様なり。今化粧水と いふ。又/化粧紙(けしやうがみ)の事。国史(こくし)及(およ)び已来の古記に見え侍らず。また いづれの御時にはじまりけるにや。化粧紙と号し。正面の四 本柱の左右の柱に釣置(つりおく)。すまふ取是をつかひ用ゆ。是は全(まつたく)勧 進に成りて後。初りしと推(すい)せらる。猶/後(のち)の考(かんがへ)をまつて筆 をさしおく    頭取家業(とうどりかげう) 頭取(とうどり)は往古(わうご)禁庭(きんてい)にて。相撲番(すまふつがひ)行(おこな)はせ給ふとき。相撲長(すまふおさ)と称(しやう) するもの是なり。初て勧進(くはんじん)に興行せし時より頭取(とうどり)と号(ごう) す。是はすまふ取中間にても。老分の職(しよく)にて老分といへども。 若かつ【りヵ】し時は。国々にて名を発(はつ)し。生得(しやうとく)力量(りきりやう)諸人に すぐれ 手取もまた至て上手と賞(しやう)せられ。心も正直(せいちよく)にて。餘人(よじん)の およはさる。三徳(さんとく)を兼(かね)たるもの頭取と成る。是自分より称 せず。仲間(なかま)にて其職(そのしよく)に備(そなは)り。然(しか)るべき人体(しんたい)なる人々をかく 号(ごう)す。相撲興行の間はいふに及ばず。角力取仲間の理非(りひ)を正(たゞ)し。 年中万事の所務(しよむ)を。此頭取より下知する也。則当時の頭取 姓名左に記す   江戸之分 雷 権太夫    伊勢海五太夫   花籠与市   武蔵川初右衛門  木村瀬平     玉の井村右衛門 竜田川清八    音羽山与右衛門  錣山喜平次 入間川五右衛門  九重武治右衛門  前嶋甚八 尾上甚五郎    若松 平次    井筒伴五郎 間垣伴七     玉垣額之助    白玉由右衛門 春日山鹿右衛門  九重武七     木村喜太郎 竜田川清五郎   出来山岸右衛門  田子浦源蔵 桐山権平     嶺嶋浦右衛門   立山宇右衛門 濱風宇右衛門   鳴戸沖右衛門   左野山条助    大坂之分 前嶋森右衛門   陣幕長兵衛    大嶋庄兵衛 早摺 又七     鏡山左兵衛    間瀬垣武兵衛 雷 藤九郎     岩船 門平 嶋ケ崎一平     藤綱市右衛門   京都之分 有知山八八     浮船羽右衛門   岩ケ端宗平 三輪山吉郎右衛門  鞍馬山 鬼市   松ケ崎平蔵 篠竹定七      七ッ森折右衛門  山之井門兵衛 源氏山住右衛門    前行事格式(まへぎやうじのかくしき) 前(まへ)行事といへるもの。往古(わうご)内裏(だいり)にてすまふ行はせ給ふ時に。 相当(さうとう)せる称号(しやうがう)のもの。古書(こしよ)に見え侍らず。其/故(ゆへ)は相撲(すまひ)人の 姓名(せいめい)は前(まへ)に書認(かきしたゝめ)。次将大将に捧(さゝげ)大将より簾中(れんちう)の内侍に付 て奏(そう)す。以下も是に准(じゆん)し。番組/悉(こと〴〵く)ひかへさせ御覧ある。 爰におゐて左右のすまふを合す前に番(つがひ)の号(な)をふれあぐ ることにおよばす。近世勧進相撲になりては。番組前に極ら ず。よつて行事の前(まへ)役人をこしらへ。左右《割書:今ハ|東西》の角力(すまふ)人の 名乗をふれながす。勝負/決(けつ)する前の行ひは。万事此職より つとむる故に前行事と号(がう)す。近年は俗(ぞく)にふれといふ。行 司は勝負の是非(ぜひ)を見/分(わく)るばかりの役(やく)にて役がらおもき ゆへ其餘はつとめず。或はすまふ人へ贔屓(ひいき)之方より花な【ど】 出るときも。此の前行事よみあけ披露(ひろう)する也。此の役がらの人 近年は装束(しやうぞく)も美服(びふく)をかざらず。故に本名を知たる人も稀(まれ) なるやうに成たり   行司伝来(ぎやうじでんらい)《割書:并》装束団扇風流(しやうぞくうちわのふうりう)《割書:附》古今行司姓名(ここんぎやうじのせいめい) 往古(わうご)朝庭(てうてい)に相撲行はせられける時は。立合(たちあはせ)と号(がう)し。地下(ぢげ)の官人(くはんにん)是を つとむ。江次第に詳(つまびらか)也。行司は相撲道(すまふどう)におゐて。式法故実(しきほうのこじつ)はいふに及ばず 相撲の事一/通(とをり)。委明らめたる上ならでは。中〳〵此職/勤(つとま)りがたし。甚 重(おも)き役(やく)也中古勧進と成ても勿論(もちろん)也。行司が見極(にきはめ)たる勝負に 角力人より争論(さうろん)に及ぶことにあらざる也。然るに近来(きんらい)段々此道 の故実共(こしつども)用ゆる人/稀(まれ)なるやうに成て。行事が上(あげ)たる団(うちは)をさゝへ侍 など。いと騒(さう)〴〵敷(しき)有様也。双方(さうほう)旧儀(きうぎ)を改(あらため)見ば是非(ぜひ)分明(ふんめい)なるべし。 古代行事の装束は。侍烏帽子(さふらひゑぼし)を戴(いたゞ)き。素襖(すをふ)を着(ちやく)し。露(つゆ)を結(むすび)て たすきとし。揮(ざい)を持て相撲を合せしもの也。中古風流になり烏帽子を取(とり) 茶筌髪(ちやせんがみ)にして。素襖と陣羽織(ぢんばをり)に替(か)へ裁付(たちつけ)をはき。揮(ざい)を唐団(とううちわ)に換(かへ)たり。 此出立/漸(やうやく)久しかりしに。享保年中より又装束/転(てん)して着(き)ながし小袖の上に 上下を着し。股立(もゝだち)を取て出立右の風流より今の変化(へんくは)に心を付べき也   古今行司姓名(ここんぎやうじのせいめい) 吉田追風  上古野見宿祢末孫今に代々子孫相続して       肥後国熊本に住す此道におゐて由緒正しき家       筋にて代々行司家にて名髙しいにしへ相撲節       会のとき禁庭より賜りし団扇も此家にありと       いひつたふ此高弟数多有之といへども今これを略       す何れも式の字を名乗事故実あり 木瀬蔵春庵 織田信長公御内にて御前ずまふのとき勤し人也       今子孫絶たり   右人之分 吉川兵庫    木村茂太夫   川嶋林右衛門 木村喜左衛門  木村喜平次   木村庄之助 西川宇右衛門  岩井団右衛門  岩井団之助 吉岡甚弥    尾上嘉兵衛   吉川治左衛門 吉川八之助   新葉利左衛門  新葉相馬 木村十六之助  新葉音右衛門  小柳佐右衛門 青柳吉兵衛   青柳伊平次   尾上十兵衛 岩井佐平次   木村六太夫   木村善兵衛 木村丸平    木村茂末    吉岡磯五郎 尺子一学    木村清九郎   木村辰之助 木村源次郎   木村源四郎   長瀬越後 木村徳三郎   木村奇之助   木村九郎三郎 漣 定右衛門  木村伝次郎   一字一学 吉村小作    吉岡戸右衛門  岩井嘉七 岩井友右衛門   当時之分 肥州吉田氏門弟 江戸 木村庄之助  但由緒ある家筋也 江戸     江戸     明石  松風瀬平   木村但馬   木村茂跡 大坂     大坂     大坂  木村正蔵   木村門九郎  木村勝之助 紀州     大坂     大坂  尺子伊三郎  村瀬平次郎  岩井庄次郎 京都     京都     京都  木村卯之助  木村善太郎  木村政八 京都     京都     丹州  早友定之助  岩井腕之助  木村嘉平次 江州     江州     江州  木村嘉平   木村辰之丞  木村与太夫 古今相撲大全巻之下《割書:本》終    古今相撲人姓名凡例(ここんすまふびとせいめいのはんれい) 一古今相撲人/部類(ぶるい)は。年歴(ねんれき)久しければ上古(しやうこ)。中古(ちうこ)。近世(きんせ)。当時(たうじ)と分(わか)ち  次第す。先人皇十一代/垂仁(すいにん)天皇御宇に番(つがひ)せし野見宿祢(つ[のヵ]みのすくね)当广蹴(たへまのけ)  速(はや)を始として。人皇八十二代/後鳥羽院(ごとばのゐん)御宇迄を上古として。人皇百六 代/後奈良陰(ごならのゐん)御宇。雷。稲妻を初 ̄メ。出羽の念数関(ねずがせき)迄を中古とす。此分は  古記(こき)に見へたる分を考(かんがへ)て次第す 一世に名高き白山新三郎より。近世とわかち。諸国御かゝへの分は。其地名を性  名の奥に附す。同/苗(めう)の人。二所。三所に書記しあれど。名/異(こと)なるは。二代。三  代と知るべし。又同苗同名の人々所々に書記せしは。初 ̄メ御かゝへとかはりたる などあり。内/至(いたつ)て高名成人は両方へ書記す。たとへば。谷風梶之介など是なり  余(よ)は是にて知るべし其外御かゝへにて無之分は次第を混雑(こんざつ)して  一所に部類す 一近世の内古人たりといへども。至て/肥大(ひだい)なる人々は。大男の部と立/背長(せたけ)  の寸尺をこと〴〵く書記し。中にも名髙き石槌嶋之助《割書:白山新三郎事》  丸山権太左衛門右両人は手足の形(かた)を図す 一古人の内すぐれて上手(じやうず)と称(しやう)せし分は。名人の部と立大男の次に次第す 一当時の分は国々を分 ̄ケ師弟(してい)を連綿(れんめん)す。但/出生(しゆつしやう)詳(つまびらか)なれど前後に師分有。  あれとも分(わけ)がたきは。師の性名は略して茲(こゝ)にのせず 一出生何国にても御かゝへと成たるは。其主人公の国号となす 一師弟/未考分(いまだかんがへさるぶん)は。出生の地名を記し。所々に部類す  以上 古今相撲大全(ここんすまふだいぜん)巻之下《割書:末》     目録 一/相撲人名目(すまふびとのめうもく)《割書:并》古今角力人姓名(ここんすまふびとのせいめい)    附 関(せき) 関脇(せきわき) 小結(こむすび) 前頭(まへがしら) 一/四十八手分別(しじうはつてのふんべつ)《割書:并》画圖(ゑづ) 一/新手部類(しんてのぶるい) 一/地取式禮(ぢどりのしきれい) 一/褒美起(ほうびのおこり)    附 弓(ゆみ) 弦(つる) 扇子(あふぎの)配当(はいとう) 古今相撲大全(ここんすまふだいぜん)巻之下《割書:末》   相撲人名目(すまふびとのめうもく)《割書:附 関 関脇 小結 前頭|并 古今角力人姓名》 元来(ぐはんらい)相撲は。なぐさみものにてはなし。既(すで)にもつて人皇五十四 代。仁明(にんめう)天皇。天長十年五月丁酉。武力もつとも此中に有。国々 を捜求(さがしもとめ)。力量(りきりやう)すぐれたる者を貢(たてまつれ)よと勅(みことのり)ありし事など。類聚(るいじゆ) 国史(こくし)等に出たり。すまふの起(おこ)りは。武道の体術(たいじゆつ)より出たるものなり。 されば玄恵法印(げんゑほうゐん)の庭訓往来(ていきんわうらい)にも。武芸(ぶげい)相撲の族(やから)と書つゞけ られたり。まさか戦場組打(せんじやうくみうち)の時の用に立るものなれば。武士(ぶし)た る人心/懸(がけ)なくては叶はぬ業(わざ)なりと。軍学者流(ぐんがくしやりう)の説(せつ)。もゝ武術(ぶじゆつ) の事なれば。今におゐて江戸にては。頭取はいふにおよばず角力(すまふ) 人(びと)悉(こと〴〵く)帯刀(たいとう)する也。是にても古をおもふべし。角力人の貫首(くはんじゆ) たるものを関と称す。此名甚古きことなり。往古/禁庭(きんてい)に て相撲の節会/行(おこな)はせ給ふ後。防人(さきもり)となつて諸国へ下りて。関 所を堅固(けんご)に守る役を奉仕(ぶじ)す。故に号す。此事江次第。詞林采 葉抄等に委く見へたり。又防人の詠哥など。万葉集に数多(あまた) 出侍り。関脇是に次たる号なり。小結は役ずまふ取の小口の結な れば。ゆへにかくいふ。それより以下を前頭(まへがしら)といふ。此/称号(しやうがう)のもの大 勢あり。此部に列するものを。俗に幕(まく)の内(うち)といふ。幕の外(そと)を通称(つうしやう)。前(まへ) といふにより。其頭たる。取人(とりし)なればかく号(ごう)す。前の上座に居る を中といふ。是前頭と前の中といといへることなり。上古(しやうこ)朝廷(てうてい)にて 行はせ給ふときは。関関脇小結とも二人/宛(づゝ)是(これ)を撰(えらび)たまふ。勧進(くはんじん) 相撲になりても。二人宛ありしなり。干菜寺(ほしなでら)にて興行の有 し。二度目迄かくのごとし。則左に姓名を書/顕(あらは)す 寄方             勧進方     東方            西方 大関 《割書:筑前》金碇仁      大関 《割書:讃州》相引森右衛門 大関 《割書:江戸》御用木無次太夫  大関 《割書:因幡》両國梶之助 関脇 《割書:大坂》大山次郎右衛門  関脇 《割書:讃州》一ッ松半太夫 関脇 《割書:肥前》郭雷助三郎    関脇 《割書:同 》岩橋源太夫 小結 《割書:江戸》錦 龍田右衛門  小結 《割書:同 》松山佐五右衛門 小結 《割書:尼崎》唐竹茂次之丞   小結 《割書:同 》今川三太左衛門 前頭 《割書:大阪》片男浪室右衛門  前頭 《割書:同 》御手洗有右衛門     下略 これ元禄十三庚辰年六月九日。糺(たゞす)の森(もり)の東。高野(たかの)川原 赤宮(あかのみや)にてのすまふ組なり。此時節迄かくのごとくなりしに。 三度目正徳六年《割書:七月に享保|元年と改元》丙申六月のときは。此/故実(こじつ)を略し て。関関脇小結ともに一人宛に成たり。其以前二人宛の とき。表裏になぞらへ。第一を関といひ。第二に列するを裏関(うらぜき) と称(しやう)じ有る。立派(たては)は古今相違すれど。此裏関の称号は。今 にも此道/熟達(じゆくたつ)の人々は聞つたへられける。漸/号(な)のみ残りて。 事は行はれず成にき。又/角前髪(すみまへがみ)の角力取。櫛(くし)をさすこと 元禄年中に盛(さかん)成りし。両国/梶(かぢ)之助に始る。力量諸人に勝(すぐれ) たる生得にて。ある夕ぐれすまふ果(はて)より。新田(しんでん)村の農家(のうか)へ 御用木無次右衛門。両国梶之助。両人/咄(はな)しに行けるとき。亭主(ていしゆ) 湯(ゆ)が湧(わき)たるほどに入たまへとて。馳走(ちそう)にかねて。大きなる居(すへ) 風呂をしつらひ置て入る。御用木も諸人に勝(まされ)たる大男に て侍れど。たやすく居風呂へ入にける。折節(おりふし)一乗寺(いちじやうじ)村より。 戻(もど)りたりし牛(うし)来る。門口に仕つらひたる風呂にて。牛の通 る邪厂(じやま)に成るにより。牛飼(うしかい)のけてくれられよといふ時に。御用 木/俄(にわか)にあがらんとしけるを。側(そば)に有あふ両國。いざのけて やらんと。御用木が入たる居風呂共に脇(わき)へのけける。彼(かの)牛を追(おひ) 来りし百姓。かれは人間/業(わざ)にてはあるまじと。大に恐(おそ)れ足(あし) 早(ばや)に逃(にげ)かへりけるとなん。誠に大力いふばかりなし。此両國が櫛 をさしたるより。角力取の内。前髪(まへがみ)あるもの。多く櫛をさす ことはやりて。其後は鬼勝象之助が二枚櫛をさし初たり。昔は 犢鼻褌(とくびこん)とて。布にて下帯をかくす。はかまを着(ちやく)したり。依(よつて) 風流も尽(つく)さず。勧進(くわんじん)になつては犢鼻褌まとふことならず 犢鼻褌は朝庭(てうてい)の相撲のとき。此官の大将より是を賜(たまは)る。よつ て犢鼻褌を用ゆることあたはず。故に織紋(おりもん)。縫模様(ぬいもやう)の風流 を物好(ものずき)仕初(しそめ)たり。此事正徳中に初り。享保年中大に流行(りうかう)しける。 其比武門の御歴々に。至て相撲を好ませ給ひ。諸国の大力上手等 数多(あまた)御/抱(かゝへ)有て。角力取の望にまかせ。勧進ずまふにも暫(しばらく)の御暇(おんいとま) 給はり御構もなく出し給ふ。其御抱の角力人。彼殿(かのとの)より拝領(はいれう)の下 帯を花やかに結び立出けるより。他(ほか)の角力人も。是におとらじと伊達(だて) を専(もつはら)にしける。此時の御抱の角力取の拝領のまはしを。世に紀州(きしう)まはしと 称ける。其ゆへは金銀(きん〴〵)にあかし御/物数寄(ものずき)有て。織(を)らせられける故。花美(くはび)眼(め)を 驚(おどろか)す見事さ。言語(ごんご)にのべかたし。是より次第に我/劣(おと)らじと風流を尽(つくす)るに 成たり。誠に土俵(どひやう)入の時。打/揃(そろ)ひ出/並(なら)びたる景色(けしき)。筆に書取がたし。然共/粧(よそほ) ひは自由(しゆう)に成へけれど叶はさることは。生得(しやうとく)の人品(じんぴん)也。御用木両国の後も。大力の 人。又至て肥大(ひだい)なる角力取/少(すくな)からず。依(よつ)而/姓名(せいめい)と背長(せたけ)の寸尺を書しるし て。古人(こじん)をしらす。其外古人の名号記分は悉(こと〳〵く)其姓名を部類(ぶるい)して 左にしらしむる。出生(しゆつせう)は姓名の上に本名を書しるす   古今大力相撲姓名  上古 垂仁帝朝  当麻蹴速    野見宿禰《割書:日本記》 天武帝朝  大隅隼人    阿多隼人 淳和帝朝  紀茂世     大神惟明《割書:天長九年七|月廿六日記》 文徳帝朝  紀名虎     伴 善雄 一條帝朝  私市宗平《割書:駿河人》 時弘       伊勢田世《割書: |已上著聞集》            後一條帝朝 勝罡      重茂        恒正        公保        常時        久光        海常世《割書:丹後人》    真髪茂村《割書:陸奥人》 後三條帝朝  日田永季《割書:豊後人鬼太夫大蔵姓古今大力》 鳥羽帝朝   小熊伊遠《割書:尾張人権取》  伊成《割書:伊達子》   時代不知 弘光《割書: |已上著聞集》        佐伯氏長《割書:越前人 相撲節上洛 見著聞集》        大井光遠《割書:甲斐人 右 同   見宇治拾遺》         長居        服袂《割書: |已上著聞集》        奈良藤次      荒次郎        鶴次郎       藤塚目        大武五郎      白河黒法師        佐賀良江六     傔仗太郎        通司三郎      小熊紀太        鬼王        荒瀬五郎        紀六        王鶴        小中太       千年王《割書: |已上恵温》 右の姓名は。上古相撲の節に召れし人々。古書に散見(さんけん)す るものを載(のす)る。猶/遺漏(ゐろう)多からんのみ    中古   雷        稲妻   大嵐       辻風《割書: |已上大友家記及興廃記》    白洲寺の鹿    小鹿   宮居眼左衛門   深尾又次郎   河原寺大進    鯰江(なまずえ)又次郎   青地与右衛門《割書: |已上信長記及実録》      井関       岩根   伏石       立石   関金       搗臼《割書: |已上諸家興廃記》   立山《割書:北国人》    倶梨伽羅(くりから) 同上   荒磯《割書:同上》     長浜《割書:同上》   黒船《割書:筑紫転多人》   文字ヶ関《割書:同上》   松島《割書:陸奥人》     白河《割書:同上》   大木戸《割書:同上》    二所ヶ関《割書:同上》   念数(ねずが)関《割書:出羽人|已上家記》  近世 石槌嶋之(白山新三郎無名)助   相引森右衛門  鏡山沖野右衛門 矢嶋沖右衛門 鬼勝象之助   荒磯浦之助   荒砂長太夫   八角楯之助 北国官太夫   白浪灘之助   楯ヶ崎浪之助  熊ヶ嶽岩右衛門 仙ヶ崎亀左衛門 小相引森之助  若竹孫太郎   若ノ浦藤七 牧尾曾涑之助《割書:已上紀州》   三国鷲右衛門  御手洗有右衛門 薄霞峯之助   立山利太夫 大碇灘右衛門  小柳龍左衛門  今川三太左衛門 巴 九太夫 湊川虎之助   谷風若之助   大杉三太夫   山森竹右衛門 《割書:同_レ 上》 火之車鉄右衛門 間垣伊太夫   大橋川右衛門  鉄風空右衛門 《割書:左戸沢衆》 御用木雲右衛門 八角楯右衛門  七角戦右衛門  出船山宗平 朝の雷勘三郎  小夜衣更右衛門 玉嶋逢太平   鳴門是非右衛門 小平善右衛門  兎角是非内   錦龍田左衛門 《割書:右九州平戸衆》 荒鷲勝右衛門  八重垣妻右衛門 岩船門平    七角長之助 竹林三平   《割書:右浅田衆》 鎌倉一学    五十嵐半太夫  大竹弥五太夫  大灘浪右衛門 才槌友右衛門  釘貫拾兵衛   黒岩権兵衛   浦嶋林左衛門 絹笠染之助   土部山金六  《割書:右丸亀衆》 平石七太夫   岡山十太夫  《割書:同_レ 上》 雷電源五太夫 磯の上矢志右衛門 山獅子戸平   生田川森之助 雷門太夫   八ツ橋百度平   鷲の森の万平  立テ川七郎平 竹熊弥太八  八重垣和田之助  花車磋磯之助  石ケ浜銅蔵 掛橋木曽之助 湊伝右衛門    荒浪四五右衛門 幻竹右衛門 浮船羽右衛門《割書:右勢州津》  龍門滝之助  浪ノ音於右衛門 瀧音長太夫《割書:右伊予衆》 山獅子戸平   大木戸団右衛門 磐石政右衛門  小唐竹十右衛門 詰石茂右衛門  唐糸元右衛門  杉の森長右衛門 嵐山清左衛門 十文字五右衛門 石車定右衛門  放駒嘉右衛門  八ツ鏡与治右衛門 馬 面(メン)嘉助    立浪磯右衛門《割書:右土岐衆》 両國一太左衛門 荒瀧音右衛門 簑嶋十太左衛門 石山門左衛門 福田川勝右衛門 大熊荒右衛門 十七八十平   大林熊右衛門 岩出山谷右衛門 鉄壁羽右衛門 湊風沖右衛門  峰石曾和右衛門 大碇浪右衛門  丸岡瀬平  《割書:同_レ 上》 大井川棹右衛門 衣笠又九郎 玉川出右衛門 小倉山嘉惣平 岩船梶右衛門  小柳市郎次 白露玉之助  白玉万之助 《割書:右笹山衆》 雷藤九郎   筧龍右衛門  立山郷左衛門 大岩竹右衛門 白山幸右衛門 錦戸銀右衛門《割書:右同_レ 上 中古》   鳫幕善太夫 巻の尾喜伝 松尾山市太夫 箕嶋龍太夫 石の上甚八 廉糸若之助 両國善太郎 右広島衆 山嵐嶽右衛門 大岩十太左衛門 平石七太夫 岩ケ根喜太夫 雷藤九郎 錦帯又五郎 雄岐吉太夫 鈴鹿山万三郎 山ノ井錑右衛門 雷電源八 八十嶋吉平 戸田川浜右衛門 川船浜右衛門 鳴神八八 岩倉磯五郎 塩釜迎之助 早雲槌之助 浪ノ音万平 鳴門浪右衛門 右明石衆 山分熊右衛門 八ッ岩磯之丞 虎ノ尾和田之助礼机茂木右衛門 高瓦山市太夫 右因州衆 放石喜伝次 稲妻村右衛門 鈴鹿山七平 玉の井七五郎 大嵐九太夫 元碇鉄兵衛 小男鹿定八 生駒山紋太夫 御手洗小平次 大築音右衛門 明石和田之助 光山林平 大井川瀬太右衛門 白藤団平 荒馬岩之助 右小浜衆 大鏡志賀右衛門 坂茂木城右衛門 秋津嶋浪右衛門鬼切友五郎 荒鷲羽太夫松浦川勝右衛門老松曾根右衛門 いかり猪勇右衛門 白藤宅平 右九州鹿島 林音右衛門 空ッ船由良之助 唐橋瀬田之助 八重車志ゞ之助 唐糸勇右衛門 浮嶋宇五郎 湊由良右衛門 唐獅子太郎助 右九州イサハイ衆 大江山幾右衛門 峯石可右衛門 小天狗嘉藤次 閂折右衛門 右蓮池衆 錣山磯右衛門 武蔵野磯之助 谷風梶之助 熊山幸右衛門 沖ノ船九太夫 片男波長之助 轟音右衛門 大筒七郎太輔 山ノ井八八 山風幸八 揚石源八 三上山十右衛門 湊由郎右衛門 中川宋八 十六夜実七 小倉山紋次郎 走船三七 小笹喜八 笧円六 湊千鳥丹平 玉川流平 大江山戸右衛門 無神月林八 植 勇八 おのうえ 尾上山只右衛門 早川五郎次 時雨寒平 因幡山平太夫 河菌田藤八 桜川五太夫 朝日山源七 右越前衆 総角紋太輔 外ケ浜音右衛門 今碇藤五郎 乱杭浪右衛門 小唐竹磯右衛門 放山林平 右大村衆 荒浪弾右衛門 村雨五太夫 立山利兵衛 大尾竹左衛門 鎌倉一学 大山次郎右衛門 日暮時右衛門 若狭川熊右衛門 右巻ノ衆 鷲峯空右衛門 汐風濱右衛門 峯石外平 浅香山谷蔵 花筏梶右衛門 春日山鹿右衛門 水車濱右衛門 立浪若之助 花車十五郎 右津軽衆 谷風梶之助 相引浦之助 楯ケ崎浪之助 秋津嶋浪右衛門 絹嶋瀧之助 大筒七郎太夫 松山綾之助 碇山加茂之助 松尾埼丹平 八栗山谷之助 鷲端岩蔵 幹 鉄蔵  入船林右衛門 矢嶋団右衛門 打波三太夫 高嶋十太輔 浜松浪左衛門 八重嶋半右衛門 廿山品右衛門 三国利介 右高松衆 外ケ浜団之丞 甲山刀平 右水野衆 綾川五郎次 満月銀六 右渋谷衆 土蜘塚右衛門 二所ケ関軍之丞 蛇石門右衛門 文字摺石平 角田川若右衛門 浦車矢右衛門 今蜘塚之丞 吹返谷右衛門 右南部衆 両國才蔵 金碇仁太輔 両國梶之助 坂田六角 浅川三太夫 大橋丹平 一松半太夫 浮舟岩之助 黒岩権平 唐崎平十郎 振分ケ玉之助 白波長左衛門 黒舟佐平 立石何右衛門 泉川藤蔵 小鴈森平 音羽山今之助 唐糸門右衛門 白藤次郎八 花筏源太郎 大嶋治郎兵衛 住ケ江仁太夫 八汐伊兵衛 生田川森右衛門 岩浪嘉平治 久米川三太夫 相引森右衛門 甲山権太左衛門 大筑紫灘右衛門 小乱難波之助 松山佐五右衛門高松栗右衛門 小分銅重六 すわのへ善六 唐竹鉄之丞 荒川弾蔵 松風瀬平 花菊瀧之助 鏡山今右衛門 小乱又五郎 乱竿宗兵衛 鈴鹿山一角 横田川三之丞 一本杉安左衛門 羽綱紋太夫 花杉源太夫 御舟山宇太夫 たが袖長五郎 大原宅平 玉の井安之助 玉の井松之助 谷風市郎右衛門 出來山丹五平 朝の雷嶋之丞 因幡山仁太夫 金碇庄太夫 近ケ浦沖右衛門 水尾木善七 荒獅子九太夫 神楽三太輔 前戸門太夫 出来嶋文太夫 小車吉兵衛 桜川九兵衛 漣源五郎 築嶋金右衛門 朝日山与太夫  釣鐘半太夫 大橋三太輔 窟林左衛門 細石佐賀右衛門 花劔太右衛門 布引八十八 石筒和田右衛門 築羽山峯右衛門秋津嶋浪右衛門 鬼切友五郎 夕嵐織之助 峯石万右衛門 岩倉善五郎 両国森右衛門 荒鷲羽太夫 白藤宅平 天津風時之助 時之声織右衛門 石山善次 秀之山幸右衛門 村藤森右衛門 山科長太夫 沖之船輯右衛門 鷲尾嶋右衛門 反橋住右衛門 御所車金之丞 沖石今助 八方嶋磯右衛門 荒岡弾平 浮嶋伊太夫 嶋ケ崎一平次 龍田川瀬左衛門 大嶋定右衛門 若山岩右衛門  豊島  八十嶋  讃岐 小難波長五郎 十八又五郎 名草山喜太夫 今出川勘三郎 浜風沖右衛門 呉服沖之助 佐野川    峯石 角山  音羽山和田右衛門 夕嵐時之助 離嶋浦右衛門 磯森  乙女川   光山   大谷 小細名  三扇  岩城山   岩角 五太夫 八峯七之助 荒馬音之助 立川一良平 鷲ケ峯太平次 荒磯  物見山団蔵 獅子蔵峯右衛門 招沢関岡右衛門 大渡門右衛門 八ッ岩磯之丞 浅尾山仙太夫 浅尾山善七 隅ケ崎増右衛門 文字関谷右衛門 常盤山小平次両國熊右衛門 御所嶋浦右衛門 魚虎浪右衛門 山姿森右衛門大鳴門浜右衛門 鮱ノ山浦右衛門 三條関梶右衛門 鹿ケ嶽源平 二名嶋瀧右衛門 一文字六之助 白藤新平   大男之部 鬼勝象之助  七尺三寸  山嵐嶽右衛門 六尺六寸七分 白山新三郎事 石槌嶋之助 六尺四寸三分 御用木無次右衛門 六尺四寸五分 大碇灘右衛門 六尺四寸三分 両国市太左衛門 六尺四寸 丸山権太左衛門 六尺三寸七分 両国森右衛門 六尺三寸七分 管谷勘四郎  六尺三寸弐分 大矢嶋新右衛門 六尺三寸 巻尾曽津之助 六尺弐寸七分 箕嶋十太左衛門 六尺弐寸七分 窟林左衛門 六尺壱寸五分 細石嵯峨右衛門 六尺壱寸五分 北国官太夫 六尺弐寸七分 楯ケ崎浪之助 六尺弐寸五分 吉野川団右衛門 六尺弐寸五分    古キ名人之部 鏡山沖右衛門 錣山磯右衛門 松山佐五五右衛門錦龍田右衛門 紅井浦之助 錦帯小兵衛 生田川森之助 十五夜弾平 大橋弾平 窟 笹之助 大木戸団右衛門 朝の雷勘三郎 掛橋木曽之助 小乱難波之助 揚石源八 小唐竹十右衛門 稲妻村右衛門 明石志賀之助 破鏡十五左衛門 当時之分 筑後 秋津嶋浪右衛門弟子     呉服織右衛門 唐崎松之助 名取川信四郎      右三人■ニなりし時三人前髪といひて世人大ニ賞す     阿蘇嶽桐右衛門 大嶋徳右衛門 大瀧森右衛門     筑波根峯右衛門 玉簾加賀之助 山の井雲平     箕嶋伊右衛門  阿蘇谷新之丞 築後 呉服織右衛門弟子    御所浦平太夫  壇之浦灘右衛門  揚石利八 築後 御所車淀右衛門弟子 磐井川一八 肥後 竹嶋甚四郎弟子 荒瀧五太夫      冨野灘右衛門 雪見山堅太夫  平塚山仁太夫     不知火光右衛門 大空団右衛門 錺間津平太夫 薩州 荒砂浜右衛門 勘木源五郎 大石辰五郎    浮舟与市 /出水(いつミ)川  花火野   長崎     備中       備前    玉の井与惣次 鉄ケ嶽岩右衛門   荒井川桶右衛門          村右衛門子 出雲 不破関金吾  稲妻村之助 雷電為五郎    熊山谷右衛門   兵庫       兵庫      兵庫    渡り山光右衛門  立山桐右衛門  川崎団四郎   備前       池田        堺    日下山林右衛門  伊奈川次郎吉   今川玉右衛門   堺    荒鹿金四郎 大阪 古林川峯之助【後日書き加へ?】 大阪 藤嶋森右衛門弟子    神楽太市 若松岩之助 富士嵐大蔵    種ケ嶋吉平 三熊山沢右衛門 二   淀川伊之助是は大阪関取也所は南      弟子になりこがこい【二行後日書き加へ?】 大阪 雷藤九郎弟子     藤九郎子      雷冨右衛門 八ケ峰七之助 山吹兵之助       浪除庄八 大阪 熊ケ関松兵衛 大様 陣幕長兵衛弟子 名取山繁右衛門 大様 獅子蔵峯右衛門弟子 嵐山雛五郎     荒峯七之助  雁又戦八   大阪    竹縄半右衛門   大阪       大阪    鳴瀧兵七     七御崎八百右衛門 京 小松山音右衛門弟子    預り    夕嵐庄太夫 七ツ尾久蔵  小塩山五太夫 京 楯ケ崎岡之丞弟子    荒鷲孫八 相生峯之右衛門 京 御崎山峯五郎弟子 岩浪和助 京 四ッ車大八弟子    朝日山森右衛門 岩戸山門右衛門   南部    花霞林右衛門 京 七ッ森折右衛門弟子 四明ケ嶽源次 江戸 春日山鹿右衛門弟子     源氏山住右衛門 鈴鹿山太右衛門 浜風今右衛門     武蔵野和田右衛門 八ッ橋清太夫 錦山段右衛門     御崎山峯五郎 八光山橋五郎 戸根川亀右衛門     白石清五郎 伊勢海五太夫  楯ケ崎岡之丞 谷風こいつ手しらず大野川になげられた【後日書き加へ?】 江戸 玉垣頬之助弟子     大童子峯右衛門 戸田川鷲之助 友綱了助     蟷戸嶋善太夫 江戸 伊勢海五太夫弟子     関ノ戸重蔵 玉水定八 白川志賀右衛門     七ツ池 江戸 桐山権平弟子     獅子嶽谷右衛門 沖石峯右衛門 錦嶋三太夫 江戸 武蔵川初右衛門弟子 越ノ海福松 江戸 大橋三太左衛門弟子 磯碇平太左衛門 江戸 捻鉄能登右衛門弟子 押ヲ川巻右衛門 江戸 塩風浜右衛門弟子     郡山三太左衛門 月見山鉄右衛門  江戸 源氏瀧皆右衛門 今碇  大崎     高浜  三国山  七瀬川五三郎     布ケ瀧軍八 亀ケ崎金平 柏戸     鎧嶋 蝦夷嶋団右衛門 荒浜政五郎     羽黒山  井出里貫蔵  錦戸万五郎     御所車平太夫 江戸 鳴門仲右衛門弟子     四ツ車大八 出羽崎浦之助 南部  黒雲雷八 玉川浪之丞 蛇嶋五郎八     七湊磯右衛門 秋田  志賀瀧浦右衛門 鳴瀧時右衛門 秋之浦佐太夫 右の外/数多(あまた)あるべけらど/後編(こうへん)に/残(のこ)し/爰(こゝ)に/略(りやく)す    四十八手/分別(ぶんべつ)并/画圖(えづ) 夫すまふの手ハ。/古法(こほう)四手なり。此一手より。/投(なげ)。/懸(かけ)。/捻(ひねり)。/超(そり)の十二手 /宛編(づゝあミ)出し。四十八手と定む。一説に上古のすまふハ手なし。力を もつて勝負を/決(けつ)すといへり。しかれども相撲を/解(げ)する ものを/捜求(さがしもとめ)て達れと/仁明帝勅(にんめうていミことのり)有し事。続日本後記に 見へ侍れバ。/往古(わうこ)より手ハありたると見へたり。古今おこふ所 の四十八手ハ/則左(すなハちさ)に/画圖(えづ)をあらハして/童蒙(どうもう)の/便(たより)とす 【右頁上段】 かものいれくび  双方同じくみやうにてくだけば  磯のなみまくらとん法がへし  水車きnきぬかづき等にも             なる  猪名川  千田川 【右頁下段】 むかふずき  四十八手は勿論手くだき  手さばきさま〴〵に         わかる  くびがいたい 【左頁上段】 さかてなげ  おひなげ こでなげ たすきなげ等と              同じやうに               なるもの也 【左頁下段】 すくひなげ  残れば まきおとし        こしひねりの手になる 【右頁上段】 ぎやくなげ  くだけば本手なげにもなれど   かくのごとく逆身になりたればかく              なげる也 【右頁下段】 なげ  是を本手なげといふ     見事なるもの也又     よりなげともいふ       【左頁上段】 つまどり  こつまどりとは別也 あしがぬける   かんにん 【左頁下段】 さまた  此手は何れの時にか有けん唐土より  大さまたといふ者日本に来り数多の  相撲を取けるが此大さまた手合すると  ひとしく右の手にて多くの人をなげ  ころせしより此手はじまる  しかるに鎮西十郎朝長といふものあり  生年十八才にて此大さまたにかちけると              いひつたふ 【右頁上段】 ためだし  すがりとも云はづみによりかいなひねり  おひなげ さかてなげ等にもなる 【右頁下段】 たぐり  のこれば内がけ外がけ切かへし               さま〴〵あり 【左頁上段】 見ところずめ  此手になれば残られず 【左頁下段】 けかへし  是は四てけかへし残ればやぐら     又内よりけかへせばけたぐりともなる 【右頁上段】 かいなひねり  此手になれば残られず 【右頁下段】 うちかけ  残ればさばおりこしひねり 【左頁上段】 かたずかし  かたずかしの残りしをたゝきつめたる                圖なり 【左頁下段】 だし  此圖はうはてだし也此手のこれば   つりはなげなまづの水ばなれつかみやがら                  等にもなり 【右頁上段】 そくびおとし  然れば内ばうき 外ばうきなど   いふことあり伝なれば   これを略す 【右頁下段】 ひきまはし  ひきまはしの手などはづれしは   びんまはし或はかたてくり    もろてぐりくさずりづめなどになり 【左頁上段】 かはづがけ  世人云つたふる名髙き手也しかれども河津が  仕初し様におもへる人多し左にあらず  /俣野(またの)とすまふせしに河津は/無双(ぶそう)の大力にて  俣野をさしあげける時俣野河津にかけし故に  かはづかけといふまた野が手也委は古記につまびらか也  古老曰此手は上古より有て/蛙(かはづ)がけといふ然るに  河津俣野すまふのとき此て出来りし故に    /混雑(こんざつ)せりといへりよつて両伝を用ゆ 【左頁下段】 しゆもくぞり  此の類にてんかうぞりしゆもくぞりなり寄くり等有 【右頁上段】 屋がら  此手なげのうち也本手に見せかけ  やがらになつてなげるゆへにかくいふ   但ゆんでやがらめてやがらといへり両派有 【右頁下】 もち出し  此手は大力ならでは持出されずといへり  土俵がはりといふ事あれど手取ならでは            足の入かへなりがたし 【左頁上段】 ひざこまはし  此圖はなげの残り方をかくいふ 【左頁下段】  とびちがひ 此手は元ほぐれより出てまれなる手也  ゆきあひ  しばひき もぢりがけ等になる              残ればはね出し 【右頁上段】 こしくぢき  四手もどき 胴ひねり  つりあげ  引あげ等の  残よりで出る手也 【右頁下段】 大わたし  此圖はのこらぬ手なりのこればしかけの方  あやうし つり出し しやもくなげ やがら        やぐらさま〴〵となる 【左頁上段】 しぎのはがへし  鴨の入くび しやもくぞり かいなぞり 其外しな〳〵手わかる也 【左頁下段】 まがひつき出し  まがひに十二通あり 【右頁上段】 つきけかへし  是よりたぐり付出 【右頁下段】 そとがけ  てうどがけ のぼりがけ あをり  此類かけやう同じやうなれどそなへにより  かけの手わける残ればしきこまたになる  入くみたる手なりのこれば相手より  かはづがけになる 【左頁上段】 きぬかづき  此体になれば残らず 【左頁下段】 てふのがけ  残れば引まはし 是よりかけなげ   もたれなげ わたしがけ 此手不分明にて  勝負つかざらんとき土俵ぎはにて     竹馬となる勝負見分ヶがたし 【右頁上段】 つきやぐら   しのびぞり むそうどまりなど     此手のうちにあり 【右頁下段】 たすきぞり  此あをりは中古名人の取し圖をあらはす  取かけよりの次第は書取がたし本手あをりの  圖にはあらずかんがへて見給ふべし 【左頁上段】 うはてずらし  のこればゑんこうのつたひあしからす飛  入ちがひ或はたゝきよせ 【左頁下段】 しきこまた  さるの一とびより此手になる又は   土俵まはしおひおひさはき 【右頁上段】 そとむそふ  かせを入れて残れば引まはし   かけてもたれば負龍といふ手になる 【右頁下段】 よつがひ  防手によつてさま〳〵になる 【左頁上段】 そくびなげ    残れば     さるすべりと      いふ手になる 【左頁下段】 はりまなげ      哥にうちよする磯辺の岩は /波離間投(はりまなげ)  つれなくておのれくたくる                沖つしら浪 【右頁上段】 かけなげ  残ればはねなげといへる手あり 【右頁下段】 おひなげ    前後に手なし 【左頁上段】 のぼりかけ   かけられし方上手ならばかけしもの             勝負あやうし 【左頁下段】 やぐら  今圖する所は本手やぐら也   うは手よりつりあげるをいふ        此手残ればゑんずり          持出しにもなる 【右頁上段】 したてやぐら   是は逆やぐらなり尤さしうでの    得手により左右あり内むそう          又は出しになる 【右頁下段】 うちむそう  残れば内こまた外こまた          引まはし等になる 【左頁上段】 登あし  手くだき手ささばきのうちに             あまたあり 【左頁下段】 くぢきだをし  ひしぎ出しつきおとし等   少のたがひにて名目わかる  /捔力秘要抄 (すまふひようしやう)四十八手名目附/紛(まがひ)十二手     /投(なげ)十二 /負投(おひなげ) /繋投(かけなげ) /居投(ゐなげ) /寄投(よりなげ) /波離間投(はりまなげ) /胸投(むねなげ) /拮投(ハねなげ)  /腕投(うでなげ) /飛投(とびなげ) /扔投(ひきなげ) /手抄投(たすきなげ) /腹投(はらなげ) /四手崩(よつでくづし)    /繋(かけ)十二 /内繋(うちがけ) /外繋(そとがけ) /狩度繋(てうどかけ) /登繋(のぼりがけ) /足折繋(あをりがけ) /繋跽(かけてのこれバ) /敷小蹗(しきこまた) /脇抜(わきぬけ) /拮繋(ハねかけ) /渡繋(わたしがけ) 手掏倒(てくミだをし) /得智後繋(ゑちごがけ) /一方繋(いつほうかけ)    /捻(ひねり)十二 /頭捻(づにねり) /䟯捻(けひねり) /腕捻(かいなひねり) /四手捻(よつでひねり) /鬢廻(びんまハし) /跠腰(いごし) /〇腰(いしごし)【右の〇印は足偏に基】 /行下力草(いきのしたちからぐさ) /䠅捻(子やしびねり) /櫢拝(つまどり) /小櫢拝(こづまとり) /得智後捻(ゑちごひねり)    /䇍(そり)十二 /中䇍(ちうぞり) /飛反(とびぞり) /捻䇍(ひねりぞり) /厭生反(ゑんしやうぞり) /朽木反(くちきぞり) /入替䇍(いれかへぞり) /䟚慕攱(じぼうし) /一寸䇍(いちすんぞり) /繋反(かけぞり) /拙反(つたへぞり) /顛顆䇍(てんろうぞり) /撞木反(しゆもくぞり)    十二之/紛(まがい) /鴨入首(かもいれくび) /向附(むかふづき)/逆附(さかづき) /鴫羽返(しぎのはがへし) /絹繭(きぬがつぎ) /悔(とんほうがへし) /水車(ミづぐるま) /〇大意(つみのおふごころ)【上記〇印は常偏に鳥】 /繋前後(かけのまへうしろ) /磯并枕(いそのなミまくら) /立眼(たちがん) /居眼(ゐがん) /猿一飛(さるのひととび) /夢枕(ゆめまくら)   新手部類(しんてぶるい) 新手は古法四十八手より。後人(こうじん)又/工夫(くふう)仕出して。手捌(てさばき)八十二 手。手砕(てくだき)八十六手。合て百六十八手あり。則左に新手の名目(めうもく) を部類(ぶるい)して悉(こと〳〵く)記す。此新手の内に又手の名目あり。是は行 事方に秘(ひ)することなればこゝに畧す   手捌(てさばき)八十二 無想(むさう) ■投(つりなけ) ■投(うつほなげ) 脇抜(わくぬけ) 出(だし) 肩坪(かたぞらし) 三蹗(さまた) 小蹗(こまた) 錣投(しころなげ) 鷲羽落(わしのはおとし) 擣■(つかみあげ) 弓手返(ゆんでがへし) 袖返(そでがへし) 馬手草摺返(めてくさどりがへし) 逆手䟯返(さかてけかへし) ■投(すくいなげ) 捁出(はねたし) 持込(もちこみ) 挟込(くらこみ) 合掌捻(がつしやうびねり) 扔廻(ひきまはし) 相引■(あいびきまはし) 請■(うけおとし) 磯打浪(いそうつなみ) 打返(うちかへし) 前引片男浪(まへひくがかたをなみ) 打倒(うたせ) 腰並請䇍(こしのなみうけぞり) 膝反(ひざぞり) ■䇍(ひしぎぞり) 五輪砕(ごりんくだき) ■捻(ぎやくびねり) 扔捨(ひきすて) 躊䟯(たぐりけ)  突落(つきおとし) 扤■(うつてくじき) 挫出(ひしどだし) 四手腹投(よつではらなげ) 内無(うちむそう) 前附■投(まへづきつりなげ)  胴捻(どうひねり) 四手䟯返(よつでけかへし) ■落(まもおとし) ■(わたしとあし) 揇投(からみなげ) ■撒■(もつてつまどり) 逆手投(さかてなげ) 弓手■(ゆんでやがら) 馬手■(めてやがら) 矯出(ためだし) 袖摺(そですり) ■繋(たすきがけ) ■(たぐりてあし) 大■(おほわたし) 前附䟯返(まへづきけかへし) ■出(うわてだし) ■替(まきかへ) 膝■(ひざをし) 帰■(かきまはし) 前附捻(まへづきひねり) ■落(おいおとし) 備崩(そなへくづし) 合当(さぐりあて) 大腰(おほこし) 小腰(こごし) 一体一生一捁(いちたいいつしやうひとッバね) ■拮(こしノバね) 打臥(うちふせ) 五論崩(ごりんくづし) 捧投(もろてなげ) 拝■拙出(かたてぐみつてぇだし) ■䟯返(うわてけかへし) 踢(たりかへし) ■倒(くじきだをし) 相投(あひなげ) 頸投(くびなげ)  四肢一足横■(ししのいつそくよこなぐり) 扔■殻(ひきまはしあし) ■出( くみだし) 請■(うけたぐり) 両矯出(りやうたくりだし) 扔■(ひこおぐり) /手合見競勝負初(てあひミくらべしゃうぶのしよ) /四肢歯噛(しゝのはがミ) /喉輪趁(のどわづめ) /拮請身(はねのうけミ) /勣体(しかけのたい) /懸橇(かけのほぐれ) /虚実体(きよじつのたい) /拏崩(とりでくづし) /三所趁(ミところづめ) /呼吸入身(こきういりミ) /焱口(ゑんこうぞり) /下手飛反(したてとびぞり) /口(とびちがい) /四手初(よつではじまり) /毅(とほし) /励䠅(かゝりはやし) /捺()  /牛弾(うしびき) /底円(そこゑん) /拄〇(とめぞり) /逃身(にげミ) /分身(わけミ) /草摺矯(すさずりだめ) /不生夫見離(なまミのミずばなれ) /声抱〇(こゑのだきのぼり) /抄込(ぬけこミ)/草押挫反(くさおしひしくぞり) /内〇(うちぼうき) /外〇(そとぼうき) /手抄〇落(たすきおいおとし) /刻逝〇(こゝさるまハし) /逝〇(さるわがへし) /附込(つけこミ) /待請(まちうけ) /外足(とあし)/〇(ひわうそく) /旗折悔(はたおりかへし) /帰乗足(きしやうのそく) /下手〇(したてかゝり) /〇廻(ときまハり) /〇〇出(かんとうつりだし) /踱(わたりそく) /〇〇(のこりとゆる) /悶体(もたれのたい) /丸違〇(わちがひぞり) /肩〇(かたおくり) /()/〇〇(しのびづり) /越〇(こしいれかへぞく) /趕渡(しりわたし) /総角趁(あげまたづめ) /腰拙(こそつたへ) /裾返(すそがへし) /〇〇(けんほうかりれあし) /〇跳(しのびはこび) /腰車(こしぐるま) /踈(うきそく) /蹻(たかぞり) /〇返(こしかへし) /無相〇(むそうとおり) /不見離(ミずばなれ) /擢〇(ぬきあげこあし) /折入足(おるいれあし) /横挟(よこやはづ) /拙足(つたへそく) /拝挟(かたてはさミ) /蹼挟(もつてハぐし) /腰返(こしがへし) /四肢入身(しゝのいりミ) /辯横投(たすきよこなげ)/〇扱(といさばき) /行合(ゆきあひ) /芝引(しばひき) /扔落(ひきおとし) /〇〇(たぐりけ) /跟(のこり)  /勤見腰(つきミごし) /四肢惣〇(しゝのそうまくり) /〇趁(をハつり) /閻〇(ゑんつり) /趁〇(つめこめし) /抱〇(かゝづり) /頑抱〇(かびかゝへづり) /草〇趁(くさぞりづめ) /褌〇(こんのふ)     /地取式体(ぢどりのしきたい) 上古  /朝庭(てうてい)にてすまふを行ハせ給ふ時に/内取(うちどり)といへることあり 其式/旧記(きうき)に/詳(つまびらか)なり其/餘風伝(よふうつた)ハりて/勧進(くハんじん)相撲になりても初ル の前日にすまふの儀式を行ふ。是を地取といふ。先行司出。穢をし て清め。神拝を成し。土俵の上を祭る此礼故実有畧之扨土俵 入すミて勧進三方より一人と寄方より一人出て双方相撲 を合す《割書:無言にて|是を勤む》一番ハ勧進方一番ハ/寄方(よりかた)と勝をわくる此日 行司団扇をもたず。右側に寄り幣を用ゆ。又左右《割書:今ハ|東西と云》の /桟敷(さじき)一軒宛/注連(しめ)縄を/張(は)り/清菰(すがごも)を敷神の桟敷とす。行司 此所にかしづき居て。相撲取一人/宛(づゝ)に/黄色(わうしゃく)の/幣(へい)を/頂戴(てうだい)さ せ。土俵へ出す左右とも儀式これに同じ。此日ハ一式神事なり。 二番合すすまふを/俗(ぞく)に/神(かミ)相撲といふ。是手向なり。本式の儀。 式ハ至てむつかしきことにて近来ハ次第に畧式をもち ゆるやうに成たり   /褒美起(ほうびのおこり)附/弓弦(ゆミつる)/扇子(あふぎ)/配当(はいとう) 勝相撲に弓を渡す起りを尋るに元亀元年二月廿五日織 田信長公。江州堂楽寺におゐて。国中の角力取を召あつ め給ひ。勝負を御覧有けるに。宮居眼右衛門といへる者につく 相手なかるけれバ御/褒美(ほうび)に御/秘蔵(ひぞう)の/重藤(しげどう)弓を賜りける 是/濫觴(はじめ)なり。此御弓ハ山城国伏見住嶋田喜内といふ古今無 の/上手(じやうず)と/賞(しやう)せられし名人の/製作(せいさく)なる其以後眼右衛門相 撲取事梓し申けるときに信長公/不審(ふしん)し給ひいか 故にやと御/尋(たづね)有しに。相撲ハはなれものにて/強(つよ)きものものが /勝(かつ)にあらず弱キものが/負(まけ)るに/定(さだまり)たる事ならねバ御持弓を 取/損(そん)じ。/若敵(もしあいて)に御大将の弓を渡してハ高名むなしく成 べしと/答(こた)へけれバ信長公かれが志を/感(かん)じ給ひ。/角力(すまふ)取/節(せつ) 御褒美に御持弓/遣(つかハ)さることを/止(とゞま)り給ひ其以来御ほうび にハ餘のものを下し置給ふとなん。勧進相撲の十日目の結ひ に勝たる関に弓を渡す事。此余/風(ふう)なりとぞ。役ずまふ三番な るに。関ばかりにほうびを渡し。其以下/本意(ほい)なしとて。近来ハ 関に弓。関脇に/弦(つる)。小結に扇子を渡す。此弓渡しのこと/元来(ぐハんらい) /武門(ぶもん)より/起(おこ)りし/故(ゆへ)。/請取渡(うけとりわたし)に。/故実作法(こじつさほう)有て。関直に請取らね バ。方屋のうち。/故実(こじつ)の案内をよく知りたる者出て。此弓を請取也。 此弓ハ四本柱の内出掛の正面の/乾(ゐぬい)の柱に結付置しを。近代出掛 の柱に結付をく。其外十日目にハさま〴〵/故実古例(こじつこれい)の/儀式作法(ぎしきさほう) 等/数多(あまた)なれど。近来次第に行ハれす成たれバ。当時の用の ミを書しるす。此余の事ハなを/後(のち)の/考(かんがへ)にあづけ/後編(こうへん)に残す 古今相撲大全巻之下未終 古今相撲大全巻之下本附禄    当時頭取    江戸之分 雷 権太夫   錣山喜平次   伊勢海五太夫 鳴戸仲右衛門  入間川五右衛門 浜風今右衛門 武蔵川初右衛門 玉垣額之助   春日山鹿右衛門    大阪近年頭取 塙石善兵衛   鷲峯太平治   藤綱市右衛門 鉄山佐兵衛   大嶌庄兵衛   間瀬垣茂兵衛 嶋ケ崎一平   荒石丈右衛門   草摺文七 雷藤五郎    岩ケ浜清兵衛        大阪当時之分 岩船門平    陣幕長兵衛    御所桜七之助 竹縄半右衛門  湊又七      虎ケ嶽源兵衛 朝日山森右衛門 若狭山宅右衛門  美保関梶右衛門 小野川才助   藤嶋森右衛門       京都之分 享保年中ゟ元文之頃迄 大森伝之助   桜川九兵衛    浮船扨右衛門 白川仁太夫   玉笹安太左衛門  桂川善兵衛 神楽長太郎   山之井門兵衛   千賀浦沖右衛門 松風七左衛門  錦 藤吉     白玉又兵衛 松風瀬平    木村善太夫     京都近年頭取 船岡権右衛門  三輪山吉郎兵衛  丸嶋長右衛門 泉川庄五郎   名取川浦右衛門  源氏山住右衛門 岩ケ端宗兵衛  八橋羽右衛門   玉川八十八 近ケ浦磯右衛門 有知山八八    花霞林右衛門 若狭山宅右衛門 大坂住居    京都当時之分 七ッ森事      二代目  和歌浦折右衛門   浮船羽右衛門   鞍馬山鬼市                    二代目  小松山音右衛門   松ケ崎平蔵    丸嶋長右衛門                    二代目  篠竹定七      白葛大吉     山之狩門兵衛  若山熊右衛門    飛熊藤吉     草摺岩之助    行司部附録     京都当時之分  岩井弁蔵    岩井腕松    木村喜太郎 二代目  木村□之助   木村熊之助   木村藤助     大坂近年之分 岩井嘉七    木村門九郎    木村正蔵 岩井庄五     大坂当時之分 岩井□之助    岩井又七    木村庄次郎 岩井嘉七      江戸当時之分 木村庄之助    式守伊之助   木村左司禁 式守秀五郎   式守仲五郎 古今相撲大全巻之下未附録    大男之部附録 里見山丈右衛門   六尺五寸 波戸崎岸右衛門   六尺二寸 釈迦嶽雲右衛門   七尺一寸六分  此人雲州森の産にて明和明和九辰の年三ケ津  大相撲の関取にて其名高く鬼勝象之助此かた  かゝる大男無之よし古今無双非類なき関取  なり   当時相撲人名寄 九州 雲見山堅太夫  湊川松之助   荒瀧五太夫    伊吹山丈助   大山源太左衛門 八ヶ峯 薩州 出水川貞右衛門 二十山弥太夫  三国山宗右衛門    巻ノ戸金右衛門 出雲 釈迦嶽雲右衛門 鶴渡甚太夫 大阪 置塩川巻右衛門 江戸ケ崎小三郎 千田川吉五郎    岩角太四郎   猪名川政右衛門 若狭川平八      浅香山伝太夫  平石伝左衛門  高崎市丈十郎    飛鳥川弥太郎  藤戸吉太夫   龍ケ洞源次郎    節ケ嶋藤次郎  陣幕文蔵    白糸半太夫    初嶋捨松    打浪宗五郎   波戸ケ崎岸右衛門    唐崎茂三 京  小松山音右衛門弟子     一ツ松久太夫  茶摺岩之助 京  浮船羽右衛門弟子     於鹿山善蔵 勢州 江戸         二代      京    友綱了助    玉垣額之助   越の海勇蔵   京    盤井川逸八   佐渡嶽沢右衛門 柏戸村右衛門   二代    戸田川鷲之助  外ケ濱浪右衛門 荒飛里右衛門    今碇嘉蔵    山分辰之助   志賀浦勘太夫    奥海伊八    須磨浦三太夫  八雲山弥藤次    甲山力蔵    里見山丈右衛門 大江嶋森右衛門    秀の山武四郎  境川波右衛門  谷川圓太夫    繋馬丈右衛門  八ケ嶋団右衛門 鷲尾山林右衛門    伊豫嶽与市   追手風幸右衛門 盤石勘太夫    福田川磯右衛門 錦鳥三太夫   冨士根鉄五良    岩戸川金太郎  大位川辰右衛門 生田野栄蔵    和田津海善兵衛 永浜木曽八   大渡要蔵                名前川平蔵   峯松杢之助   三宝山清蔵    竹隈文蔵    若狭川定右衛門 君ケ濱団之助    枇杷海近八   岩手山庄太夫  松ケ崎岩右衛門    登名瀬川亀之助 荒馬馬五良   礼獅子三之助    峨々谷鶴之助  月見山利八   立浪彦七    浦風与八 南部 石見潟丈右衛門 入佐山巻右衛門 唐糸織右衛門    箱川定平    生駒山峯右衛門 緑り山三蔵    籬嶋団蔵    千年山龍右衛門 巻絹五良次    荒濱市右衛門  伊勢路山善八  四ケ谷熊右衛門    立石林右衛門  男女川音右衛門                小頭 花霞林右衛門 明和九壬辰年六月仙台於躑躅岡勧進相撲番附   本方 南部衆十四人 本方ハ勧進本也  大関 南部 石見潟丈右衛門  関脇 同  唐糸織右衛門   小結 同 生駒山峯右衛門   前頭 同 籬嶋団蔵   同  同 巻絹五郎治   同  同 伊勢路善八   同  同 立石林右衛門   同  同 入佐山巻右衛門   同  同 絹川定平   同  同 緑り山三蔵   同  同 千年山龍右衛門   同  同 荒濱市右衛門   同  同 四ケ谷熊右衛門   同  同 男女川音右衛門    行司  長濱源助     名乗上ケ 圓蔵   小頭   花霞林右衛門 右ハ勧進本の相撲附なり寄方ハ仙台衆江戸衆 多ク候得共今茲に畧す  初日六月朔日    岩見潟  達ケ関   此すまふ七分斗達ケ関負に相見へ候へとも中程   より左右へ分て頭取の預りに被成候 二日め      達ケ関  岩見潟 三日め  東方南部衆寄方仙台衆江戸衆のこらす      組合有之      唐糸   達ケ関      石見潟  君ケ濱      石見潟  大鳴戸      立テ石  達ケ関      石見潟  達ケ関 石見潟に達ケ関与四郎三番まけ被申候ニ付此相撲 四日限に相定候其後大男七人にて有之よし  本吉郡きせ氣仙沼 卯内 廿二歳  六尺七分             六十六貫目の錠を差上る  同郡赤生津村   三太 廿歳   六尺一寸五分             米俵弐表を手まりにつく  登米郡田尻村      十八歳  六尺二寸五分             米五俵をさし上る       江刺郡平山村  喜八  十八歳  六尺二寸五分  宮城郡利夫府村 徳六  十八歳  六尺五寸  渡波十嶋    五良八 廿三歳  六尺三寸            六十貫目の錠をさし上る 相撲大全後編すまふたぜんこうへん  版行追附出来 右の書は前扁みに残したる事を記し其外三ケ津大勝負附等を 顕し古今面白き手などを附して出す 安永二癸己年五月改正増補附録          江戸大伝馬町三丁目  武江書林         鱗形屋孫兵衛          大坂心斎橋南江四丁目  浪花書肆         吉文字屋市兵衛          京冨小路通二條下ル町  皇都           大和屋善七                       合          京五状条通小橋西江入町  書房            長浜屋九郎右衛門                        版          京麩屋町通誓願時下ル町               八文字屋八左衛門 【横書】 受入番号   198118 請求記号  788・1  ki39 東京学芸大学付属図書館  東京都小金井市貫井北町4-780   電話 (国分寺0423ー21)1741(代)