【表紙】 《題:江戸名所図会 四》 【見返し】 【左丁】 江戸名所図会(えとめいしよつゑ)巻之二    天璇之部(てんせんのふ)目録(もくろく)  東海寺(とうかいし)《割書:仏殿(ふつてん) 山門(さんもん) 中門(ちゆうもん) 鐘楼(しゆろう) 要津橋(えうしんきやう) 千歳杉(せんさいすき)|浴鳳池(よくほうち) 釣玄室(てうけんしつ) 豢竜井(けんりうせい) 万年石(まんねんせき) 法宝堂(ほふほうたう) 方丈(はうじやう)》  《割書:開山沢庵和尚廟(かいさんたくあんおしやうのひやう) 県居大人墓(あかたゐうしのはか) 南郭先生墓(なんくわくせんせいのはか) 鎌倉権五郎景政霊祠(かまくらこんこらうかけまさのれいし)|牛頭天王(こつてんわう)社 同 祭礼(さいれい)の図(つ) 坂稲荷(さかいなり) 人麻呂(ひとまろ)の碑(ひ)》  御殿山(こてんやま)《割書:鐘鋳(かねゐ)|の松(まつ)》 問答河岸(もんたふかし) 磯(いそ)の清水(しみつ) 品川駅(しなかはのえき)《割書:同 汐干(しほひ)|の図》  光厳寺(くわんこんし) 長徳寺(ちやうとくし) 中(なか)の橋(はし) 洲崎弁財天(すさきへんさいてん)  貴船明神(きふねみやうしん)社 寄木明神(よりきみやうしん)社《割書:兜島(かふとしま)| 》 本光寺(ほんくわうし)《割書:開山日什(かいさんにちしう)|上人 墓(はか)》 大竜寺(たいりうし)  天竜寺(てんりうし) 海竜寺(かいりうし) 常行三昧寺(しやうきやうさんまいし) 妙国寺(みやうこくし)《割書:本堂(ほんたう)|五層(こしうの)塔》  《割書:多宝塔(たほうたふ) 諏訪明神(すはみやうしん)社 二王門(にわうもん)|総門(さうもん) 鐘楼(しゆろう)》  海晏寺(かいあんし)《割書:鮫頭観音(さめつくわんおん) 北条時頼朝臣石塔(はうてうときよりあそんのせきたふ) 二階堂出羽守(にかいたうてはのかみの)石塔 梶原景時(かちはらかけとき)石塔|北条時宗(はうてうときむね)石塔 境内楓樹(けいたいかへて) 千貫牡丹(せんくわんほたん) 千貫松(せんくわんまつ) 竜淵 両渓橋(りやうけいきやう)》  《割書:蓬莱山(はうらいさん) 梶原屋敷(かちはらやしき) 石地蔵(いしちさう) 権現御手洗(こんけんみたらし)池|延命水(えんめいすゐ) 明神森(みやうしんのもり) 山王(さんわう)社 八幡宮(はちまんくう)》 鮫頭明神(さめついやうしん)社  上古海道(しやうこかいたう) 来福寺(らいふくし)《割書:本尊経読地蔵尊(ほんそんきやうよみちさうそん) 延命桜(えんめいさくら)|梶原塚(かちはらつか) 梶原松(かちはらまつ)》 納経塚(なうきやうつか)  西光寺(さいくわうし) 光福寺(くわうふくし) 了海上人産湯井(りやうかいしやうにんうふゆのゐ) 鹿島明神(かしまみやうしん) 【右丁】  鈴森八幡宮(すゝのもりはちまんくう)《割書:鈴石(すゝいし)|烏(からす)いし》 笠島(かさしま) 磯馴松(そなれまつ) 荒藺崎(あらいかさき)  鎧懸松(よろひかけまつ) 八景坂(やけいさか)《割書:俗(そく)やけん坂(さか)|といふ》 行慶寺(きやうけいし) 戸越八幡宮(とこえはちまんくう)  木原山(きはらやま)《割書:相模街道(さかみかいたう)|熊野弁天(くまのへんてん)》 桃雲寺(たううんし) 蓮華(れんけ)寺 女塚(おんなつか)  長栄山本門寺(ちやうえいさんほんもんし)《割書:祖師堂(そしたう) 釈迦堂(しやかたう) 輪蔵(りんさう) 鐘楼(しゆろう) 題目堂(たいもくたう)|鬼子母神(きしもしん)祠 妙見堂(みやうけんたう) 楼門(ろうもん) 五層塔(こしうのたふ) 七面倒(しちめんたう)》  《割書:宝蔵(はうさう) 檀所(たんしよ)【壇ヵ】 祖師荼毘所(そしたひしよ) 探幽法印墓碑(たんいうほふゐんほひ) 祖師終焉旧跡(そししうゑんのきうせき)|祖師鏡御影(そしかゝみのみえい) 同 滅(めつ)に臨(のそみ)て靠(よりかゝり)給ふ柱(はしら) 硯井(すゝりゐ) 旅立御影(たひたちのみえい) 日蓮大士石塔(にちれんたいしせきたふ) 池上宗仲墓(いけかみむねなかのはか)》  《割書:坊舎(はうしや) 惣門(さうもん)|寺宝略記(しはうりやくき) 祖師略伝(そしりやくてん)》 千束池(せんそくのいけ)《割書:日蓮上人|腰掛松(こしかけまつ)》 中延八幡宮(なかのふはちまんくう) 万福寺(まんふくし)《割書:梶原景時墓(かちはらかけときのはか)|寺宝(しはう)》  馬込八幡宮(まこみはちまんくう) 梶原氏宅地(かちはらうちたくち) 鳳来寺峰(ほうらいしみね)の薬師堂(やくしたう)  鵜木村光明寺(うのきむらくわうみやうし)《割書:功徳水(くとくすゐ) 観音堂(くわんおんたう) 当麻曼荼羅(たえままんたら)|善導大師像(せんたうたいしのさう) 開山善慧(かいさんせんゑ)上人 略伝(りやくてん)》 光明寺(くわうみやうし)の池(いけ)  矢口村新田明神(やくちむらにつたみやうしん)社《割書:河崎(かはさき)に同(とう)|社(しや)あり》 《割書:鞍掛榎(くらかけえのき) 矢口古事(やくちのこし)|古廟碑(こひやうひ)》 十騎社(しつきのやしろ)《割書:日本武尊(やまとたけのみこと)祠| 》  古川薬師堂(ふるかはやくしたう)《割書:銀杏古樹(いてうのこしゆ) 杉本霊泉(すきもとれいせん)|五智堂(こちたう)》 高畑村光明寺(たかはたむらくわうみやうし)  大森(おほもり)《割書:名産海苔(めいさんのり) 同 麦藁細工(むきわらさいく)|和中散店(わちゆうさんのみせ)》 貴船明神(きふねいみやうしん)社 蒲田梅林(かまたむめはやし)  行方弾正忠明連宅地(なめかたたんしやうのちゆうあきつらのたくち) 円頓寺(えんとんし) 蒲田八幡宮(かまたはちまんくう)  妙安寺(みやうあんし) 長照寺(ちやうしやうし) 六郷八幡宮(ろくかうはちまんくう)《割書:八幡塚(やはたつか) 籏立杉(はたたてすき)|古屋敷(ふるやしき)》 【左丁】  六郷渡(ろくかうのわたし) 羽田弁才天(はねたへんさいてん)社 河崎(かはさき)《割書:奈良茶店(ならちやみせ)| 》 河崎高重宅地(かはさきたかしけたくち)【https://honkoku.org/app/#/transcription/38E64CA25DB873D2854E760F69DD13E8/2/】  堀内山王宮(ほりのうちさんわうくう) 洲河原桃林(すかはらもゝはやし) 厄除大師堂(やくよけたいしたう)《割書:六字名号碑(ろくしみやうかうのひ)| 》  池上氏所蔵蜂竜盃(いけかみうちしよさうはちりやうのさかつき)《割書:慶安中酒徒(けいあんちうしゆとの)|略伝(りやくてん)》 末広松(すえひろまつ) 塩浜(しほはま)  石観音堂(いしくわんおんたう) 河崎新田明神(かはさきにつたみやうしん)社 成就院(しやうしゆゐん) 御霊権現(こりやうこんけん)社  亘新左衛門尉早勝塚(わたりしんさゑもんのしやうはやかつのつか) 同居住旧址(おなしくきよしうきうし) 姥(うは)か森(もり)  栗生左衛門尉忠良塚(くりふさゑもんのしやうたゝよしのつか) 宗参寺(さうさんし) 養光寺(やうくわうし)  佐々木明神(さゝきみやうしん)社 勝福寺旧址(しやうふくしきうし) 市場観音堂(いちはくわんおんたう) 鶴見川《割書:鶴見橋| 》  末吉不動堂(すへよしふとうたう) 秋田城介義景旧館地(あいたしやうのすけよしかけきうくわんのち) 成願寺(しやうくわんし)  白旗八幡宮(しらはたはちまんくう) 子安観音堂(こやすくわんおんたう) 松隠寺(しようおんし) 慈眼堂(しけんたう)  義高入道墓(よしたかにふたうのはか) 観福寿寺(くわんふくしゆし)《割書:世(よ)に浦島(うらしま)|寺(てら)といふ》《割書:浦島明神(うらしまみやうしん) 亀化竜女(きけりうによ) 竜灯松(りうとうのまつ)|目当灯篭(めあてとうろう) 菩提樹(ほたいしゆ) 浦島墓(うらしまのはか)》  《割書:浦島足洗井(うらしまあしあらひのゐ) 同 腰掛石(こしかけいし)|浦島古事(うらしまこし)》 浦島塚(うらしまつか) 神奈川駅(かなかはのえき)《割書:同 総図(さうつ) 三宝寺(さんはふし)|本覚寺(ほんかくし) 平尾物見(ひらをものみ)の松(まつ)》  《割書:金毘羅祠(こんひらのやしろ) 飯綱社(いゝつなのやしろ) 人穴社(ひとあなのやしろ) 人穴(ひとあな)|神奈川台貸食店(かなかはたいりやうりや)》 上無川(かみなしかは) 能満院(のうまんゐん)  北条上杉合戦図(はうしやううゑすぎかつせんのつ) 洲崎明神(すさきみやうしん)祠 熊野権現(くまのこんけん)社 滝(たき)の橋(はし) 《割書:滝(たき)の川(かは)| 》 【右丁】  宗興寺(さうかうし) 観音山(くわんおんやま) 熊野権現山(くまのこんけんやま)《割書:古戦(こせん)|場(ちやう)》 慶雲寺(けいうんし)  雲松院(うんしようゐん) 小机城跡(こつくへのしろあと) 泉谷寺(せんこくし) 師岡熊野権現宮(もろおかくまのこんけんくう)  折本淡島明神(おりもとあはしまみやうしん)社《割書:桜樹(さくら)|神祠碑(しんしのひ)》 多目周防守宅地(ためすはうのかみたくち) 西向寺(さいかうし)  本覚寺切通(ほんかくしきりとほし) 本覚禅寺(ほんかくせんし) 陽光院(やうくわんゐん) 道灌山(たうくわんやま)  飯綱権現(いつなこんけん)社 袖(そて)ゕ浦(うら) 富士浅間(ふしせんけん)祠 洲乾弁財天(しうかんへんさいてん)祠  姥島(うはしま) 本牧十二天宮(ほんもくしふにてんくう) 吾妻明神(あつまみやうしん)社《割書:天神(てんしん)|の森(もり)》 杉山神社(すきやましんしや)【https://honkoku.org/app/#/transcription/B42E378426DF3587A0A6DAEE5AFF557F/2/】  帷子里(かたひらのさと) 帷子川(かたひらかは) 程(ほと)ヶ谷新町(やしんまち) 神戸川(かうとかは)  太神宮(たいしんくう) 品野坂(しなのさか)《割書:一名 権太坂(こんたさか)| 》 古町海道(こまちかいたう) 界木(さかいき)《割書:地蔵堂(ちさうたう)| 》  蒔田城跡(まいたのしろあと) 乗蓮寺(しやうれんし) 二位禅尼影堂(にゐせんにえいたう) 住吉明神(すみよしみやうしん)社  青木明神(あほきみやうしん)社 弘妙寺(くみやうし)《割書:天満宮(てんまんくう) 熊野(くまの)祠 麻耳山(まにさん)|鐘楼(しゆろう) 七(なゝ)ッ石(いし) 二王門(にわうもん)》【弘明寺ヵ】  神明宮(しんめいくう) 杉田梅園(すきたむめその) 同 海鼠(なまこ)を製(せいす)る図(つ)  金沢(かなさは)《割書:同 総図(さうつ)| 》 能見堂(のうけんたう) 擲筆松(ふてすてまつ) 称名寺(しやうみやうし)《割書:鐘楼(しゆろう)|金沢顕時墓(かなさはあきときのはか)》   《割書:金沢貞顕墓(かなさわさたあきらのはか) 美女石(ひしよいし) 姥石(うはいし) 青葉楓(あほはのかへて) 西湖梅(せいこのむめ) 桜梅|普賢象(ふけんさう) 文殊桜(もんしゆさくら) 一室(いちのむろ) 阿弥陀院(あみたゐん) 二王門(にわうもん) 熊野新宮(くまのしんくう) 寺宝略目(しはうりやくもく)》 【左丁】  金沢文庫旧址(かなさはふんこのきうし) 御所(こしよ)ゕ谷(やつ) 兼好法師閑居旧址(けんかうほふしかんきよのきうし)  薬王寺(やくわうし) 薬師堂(やくしたう) 天然寺(てんねんし) 竜華寺(りうけし)  浦(うら)の郷(かう) 善応寺(せんをうし) 野島(のしま)《割書:土人 百軒島(ひやくけんしま)|と云》 《割書:金沢(かなさは)の原(はら)|乙鞆(おとも)の浦(うら)》  野島(のしま)の渡(わたし) 洲崎(すさき) 瀬戸(せと) 瀬戸橋(せとはし)《割書:旅亭東屋(りよていあつまや)| 》  照天松(てるてのまつ) 瀬戸明神(せとみやうしん)社《割書:鐘楼(しゆろう) 薬師堂(やくしたう)|三本杉(さんほんすき) 蛇混柏(しやひやくしん)》 瀬戸弁財天(せとへんさいてん)《割書:福石(ふくいし)| 》  円通寺(えんつうし)《割書:御宮(おんみや)| 》 金竜院(きんりうゐん)《割書:飛石(とひいし)|九覧亭跡(きうらんていのあと)》 泥牛庵(ていきうあん) 日荷上人加持水(にちかしやうにんかちすゐ)  能仁寺旧跡(のうにんしきうせき) 上行寺(しやうきやうし)《割書:日荷上人石塔(にちかしやうにんせきたふ)| 》 嶺松寺(れいしやうし) 六浦(むつら)  六浦川(むつらかは) 専光寺(せんくわうし) 油堤(あふらつゝみ) 侍従川(ししうかは)  光伝寺(くわうてんし) 界地蔵(さかいちさう) 三艘浦(さんさうかうら) 太寧寺(たいねいし)《割書:蒲冠者(かはのくわんしや)|範頼墓(のりよりのはか)》  筥根権現(はこねこんけん)社 雀(すゝめ)ゕ浦(うら) 《割書:一名 天(てん)|神(しん)ゕ崎(さき)》 巾着岩(きんちやくいわ)根付岩(ねつけいわ) 榎戸湊(えのきとのみなと)  烏帽子島(ゑほししま) 夏島(なつしま) 猿島(さるしま) 裸島(はたかしま)  名産甲香(めいさんかいかう) 【右丁 白紙】 【左丁】 萬松山(ばんしようさん)東海禪寺(とうかいせんし) 品川(しなかは)北馬塲(きたはんは)にあり花洛(くわらく)大德寺派(たいとくしは)の禪宗(せんしう)  江戸(えと)觸頭(ふれかしら)の一員(いちゐん)たり當寺(たうし)は輪番(りんはん)にして年〻八月に交代(かうたい)す  寛永(くわんえい)十五年戊寅 台命(たいめい)を奉(ほう)して澤庵和尚(たくあんおしやう)開創(かいさう)する  所(ところ)の禪園(せんえむ)なり《割書:塔中(たつちう)十七|宇(う)あり》  佛殿(ふつてん) 釋尊(しやくそん)の像(さう)を安(あん)す 額(かく)《割書:祈禱堂》天倫筆(てんりんふて) 二重屋根額(にちゆうやねのかく)  《割書:世尊寺殿》同筆(おなしふて) 山門樓上(さんもんろうしやう)に観音(くわんおん)を安(あん)す 額(かく)《割書:潮音閣|十境の一》大明院宮(たいみやうゐんのみや)  公辨法親王真跡(こうへんはふしんわうのしんせき) 中門額(ちゆうもんのかく)《割書:東海禪寺》天倫筆(てんりんふて)  鐘樓(しゆろう)《割書:本堂(ほんたう)の右にあり豁夢(くわつむ)|樓(ろう)と号(かう)す十境の一》 《振り仮名:要津𣘺|えうしんきやう》《割書:南(みなみ)の方にあり|十境の一》 千歲杉(せんさいすき)《割書:同所 𣘺(はし)より|南(みなみ)の方の》  《割書:門(もん)へ行道(ゆくみち)の右にあり寛永(くわんえい)の頃(ころ) 大樹(たいしゆ)命(めい)せられて千歲杉(せんさいすき)と云(いふ)とそ是(これ)も|十境の一也 宝曆(はうりやく)の頃(ころ)暴風(はうふう)に吹折(ふきをれ)たりとて今(いま)は其幹(そのもと)わつかに残(のこ)れり》 浴鳳池(よくほうち)  《割書:方丈(はうちやう)の庭(には)の泉水(せんすゐ)をいふ十境の一なり寺後 ̄ノ|山下 ̄ヨリ清泉流出師_レ引_レ之開_二 一池 ̄ヲ於室之北面 ̄ニ_一《割書:云| 云》 釣玄室(てうけんしつ)《割書:池(いけ)の北(きた)の汀(みきわ)にあり 大樹(たいしゆ)寛永(くわんえい)|二十年 仲秋(ちゆうしう)の頃(ころ)澤庵和尚(たくあんおしやう)と》  《割書:此所(このところ)にて御法問(こはふおん)ありしとなり則(すなはち)十境の一なり東海和尚年賦云寛永二十年癸未仲秋之夕|台駕入_二東海_一翫_二月於山亭_一台𩓲怡怡而出_二山亭_一猶乗_二月明_一倚_二池上小亭_一亦侍_レ傍《割書:云| 云》》  豢龍井(けんりようせい)《割書:釣玄室(てうけんしつ)の東(ひがし)に並(なら)ふ寛永(くわんえい)の頃(ころ) 大樹(たいしゆ)御茶(おんちや)の水(みつ)に|掬(きく)せしむその水(みつ)清冷甘美(せいれいかんひ)なり是(これ)も十境の一也》 萬年石(まんねんせき)《割書:池中(ちちゆう)東(ひかし)の方(かた)|にあり十境の》  《割書:一なり寛永(くわんえい)二十年癸未三月十四日 大樹(たいしゆ)當寺(たうし)へ台駕(たいか)を移(うつ)させ給ふ|其時(そのとき)遠州矦(ゑんしうこう)小堀政一(こほりまさかつ)に命(めい)せられてよはせらるゝ所(ところ)なり》 【右丁】  萬年石之記 今玆寛永癸未三月十四日偶  左相府見移  台座於此池沼下池有島島有幽  䂖熟見之無奇形恠狀不端險挺立若由醉兮栗里  翁之石乎或由醒兮李悳祐之䂖乎皆不然彼防風  之朽骨乎或於莵之白額乎共不然唯突兀而在草  裡痴兀而含德容是世之求奇者未曾知此石之所  貴偏得恬淡虚無之趣而有谷神不死之體如至虚  極也似守靜篤也  相君命侍臣曰此石不可無  名各以所思聞焉於此諸子雖有所思非無所懼斟  酌相半也時小堀遠江守政一侍茶爐下  君有  旨政一卽起向石三呼萬年石石三点頭矣  君下佳言曰不疑是萬年石也大度之一言以定天  下况於䂖乎嗚呼䂖乎哉石乎哉入于  台覽一  旦發光而陟變改其觀益【葢】爲萬之言也未必可以十  千而限凡數者始一而窮十始十而窮百始百則窮  千始千則窮萬以萬筭則不知幾十百千萬億兆年  以此無窮爲石之壽量以石之壽量比  君壽山  則累蕐頂萬八千丈猶在麓者耶以世計則復不知  其幾萬世矣村語以銘曰  重於九鼎萬年石  鈞命如驚豈可輕 和氣一團無盡藏 以秋送復  以春迎       住山老衲澤庵宗彭敬書  法寳堂(はふはうたう)《割書:一切經(いつさいきやう)を収蔵(しゆさう)す池(いけ)より北(きた)に|あり當寺(たうし)十境の其一なり》  方丈(はうぢやう)《割書:書院(しよゐん)内佛(ないふつ)廊下(らうか)等(とう)の杉戸(すきと)壁上(へきしやう)の画(ゑ)は狩野探幽(か の たんいう)の筆(ふて)なり|加茂競馬(かものけいは)南都焚木能(なんとたきゝののう)其餘(そのよ)人物花鳥(しんふつくわちやう)の類(たくひ)なり》 【左丁】 午頭天王社(こつてんわう )【牛頭】 東海禪寺(とうかいせんし) 【図】 御殿山 神主 【右丁】 其二 【図】                    中門               いなり     曽根松    御供取【所】  坂いなり          不動   天王  弁天      太神宮          清德寺 山神           虚空蔵 【左丁】 【図】 塔中     額門      車門     浴室 【右丁】 其三 【図】    豢竜井          山門     鈎玄室 法宝堂                塔中     万年石              鐘楼   浴鳳池        本堂            白槙    客殿         方丈門 【左丁】 【図】 方丈   庫裡       塔中              塔中          要津𣘺         千歳杉 【右丁】 其四 【図】               塔中 澤庵和尚廟   塔中 為朝社 鎌倉権五郎社             南門         塔中 【左丁】 【左丁】  開山澤庵和尚廟(かいさんたくあんおしやうのひやう)《割書:方丈(はうちやう)の西北(にしきた)の隅(すみ)丘(をか)の上(うへ)にあり開山和尚(かいさんおしやう)の遺志(ゆゐし)により石塔(せきたふ)を|建(た)てすたゝ自然(しねん)の巨石(きよせき)を置(おく)左右(さいう)に高(たか)さ三四 程(ほと)つゝの》  《割書:石(いし)を数(す)十 立並(たてなら)へたり是(これ)を羅漢石(らかんいし)と号(なつ)くすへて廟地(ひやうち)の趣(おもむき)は小堀遠州矦(こほりゑんしうこう)の指図(さしつ)なりと|いへり傍(かたはら)に和尚(おしやう)の行實(きやうしつ)を記(しる)せし石碑(せきひ)を建(たて)たり是(これ)を慈隱(しいん)塔と号(なつ)く當山(たうさん)十境の一|なり銘文(めえいふん)|左(さ)のことし》  開山澤庵和尚塔銘並序  昔者南浦明公正元間艤南遊棹入大宋國偏曆諸  老時虚堂祖翁主淨慈往謁之參禪大徹終提堂之  正印歸于本朝而啟迪作家爐鞴陶冶天下學者入  其室者一千有餘人嗣其法者以十有五數計若興  禪大燈國師其一人也國師入萬鍛洪爐恰似精金  無變色得證明而後閱二十之寒暑竪起大法幢炫  燿于朝廷山林自爾以降燈燈相續明明不盡方今  挑其焰昭其化者澤庵禪師也師諱彭㝠之其自謂  也晩稱東海■【暮】翁天正初元生於但馬州出石縣平  氏少受僧業於邑之宗鏡禪寺希先西堂西堂授法  諱曰秀喜年十有四而祝髪探賾於竺墳索隱於魯  典每聞先之𡬹諙有徧詢之志先逝而去龍寳山大  德禪寺董甫仲公居宗鏡丈室師方咨叩及仲公歸  大德師乃參隨至彼粤𨸩諱宗彭仲公赴江左瑞岳  寺師與之東行矣仲公蛻而後還本寺依大寳圓鑒  國師請益亦周旋于山中諸老閒多獲言論風旨也  師穷■【窶】而無一鉢之資只雋永于法喜禪悅而已一  朝飛錫乎泉南就文西西堂酌文字流文西是黄龍  泒下頭角而尤老文學者也西臨終焉之期以所貯 【右丁】  之典籍附師初雲英偉公玉甫琮公以法器期師招  之弗就明堂古鏡禪師一凍滴公住邑之陽春菴師  亟見之機辨縱横應答如響實透網金鱗而頓轡青  驪也鏡移同邑南宗寺師執侍巾瓶日夜參究鏡知  師有所契悟授印證語号曰澤菴賦祗夜抒其義師  命𦘕匠冩鏡壽像索贊鏡渉毫書曰麁面易描中眉  難冩平素作略入魔界而還降魔宗活機自由入佛  界而能殺佛者快拂子突出云父攘羊隱之底不是  彭禪子麼《割書:予》失笑云何不問起大平天下師領之珍  襲寳護同邑有宗無者爲先考齋緇侶殊請圓鑑國  師入室師之酬對敏捷而玉轉珠囬也此時鏡臥病  于陽春聞師勘辨而驚異嘉■【謨謹ヵ】云眞跨竈兒也於鏡  殁也師𩠐衆陽春補席慶長丁未師年三十有五遷  本寺板■【𩠐ヵ】繼臨德禪同年秋八月主龍興山南宗禪  寺經二年而入院于本寺大德一香爲古鏡供住山  綽有古人風味亡何告■【𨔒ヵ】還于泉南泉南緇素郊迎  驩喜如見■佛同邑有宗印者創建一菴名曰祥雲  延師爲開山祖也師𪛋法語慶之讚之于泉南于龍  峰視其去畱知其輕重陽■【明ヵ】殿下信尹公一夕入師  禪室問道詰且馳書謝之癸丒一新南宗之鐘樓甲  寅再造大仙之拾雲軒師禪坐之暇編大燈年譜収  在雲門菴乙卯南宗■【罹ヵ】鬱攸之災師告邑宰相攸於  邑之南再建南宗不亟不徐尋復𦾔觀師視名利■【若ヵ】  塵埃視聲色若泡幻有時在泉南天下邑而愛幽䆳  深靖有時寓南京之芳林菴韜光匿耀有時入泊瀬  勝槩抱𤇆霞沈痼有時僑城州薪之妙勝寺守空寂 【左丁】  生涯爾後歸山陰之故里構一把茆於宗鏡主山之  下扁投淵軒折脚鐺内煮麻麥粟豆給日食而無有  飢色寛永己巳師有事■【馵ヵ】玉室翁同貶于窮卿遐徼  然師知其行止係數不變容色壬申  幕下降  鈞命召還二翁師抵武陵於城外民村一牛鳴之地  卓庵曰撿束暫寓止焉  幕下徵師於營中時時  問法𡢗睠遇優渥𡬹望愈高戊寅秋師之京師  大上皇召入  仙院講原人論辨瀾激起如懸江  河  皇情大悅師奏我山第二世徹翁唯有禪師  号無國師号也願下 綸旨  上皇允之圭章寳  黑不日而下謚天應大現國師有功于曩祖若此也  幕下於金城南品川創草梵刹使師住持山曰萬松  寺曰東海落成之日賦賀頌𦤺𨤲祝厥後  台輿  入山草木生輝師奉  鈞命賦和歌一首祈國基  之鞏固䜟新筑之久昌辛巳歲降使本寺出世制法  復𦾔規之  鈞命葢是依師之所願也有功于本  寺其可知也正保乙酉夏令𦘕師劃一圓相相中親  加一點墨書于贊詞於其上以爲壽㝐同年仲冬示  疾預知縁盡遺誡云瘞全身於後山莫誦經設齋莫  受道俗■【予ヵ】賻衆僧著衣喫飯如平日矣且莫爲求謚  号而煩  朝奏莫入木牌於本寺之祖堂云云彌  月不痊一日暁天授筆書夢一字泊然而逝實十二  月十一日也世壽七十有三僧臘五十有九瘞于全  身於東海之西北岡唯種松乎其上不樹塔葢依遺  𫝇也門人在泉南者祥雲樹塔名曰寂然曩【昔ヵ】參學  弟子武野氏安齋翁往年昇師行實求銘其塔因循