《題:挌列刺予防心得法》 浦谷義春編述  《題:挌列刺予防心得法(これらよぼうこゝろゑはう)》 〇 抑(そも〳〵)挌列刺(これら)の病(やまひ)たる惨劇(さんげき)名状(めいじやう)すへからざるものにして吾(わが)邦俗(くにぞく)之(これ)を虎狼痢(ころり)と云(いふ)蓋(けだ) し▢▢▢音(おん)の転訛(よこなまり)せるものなり此(この)病(やまひ)は元来(ぐわんらい)一千八百四十七年《割書:日本二千四|百七十七年》 《割書:仁孝天皇御宇文|化十四年丁丑年》印度(てんじく)ベン▢ラ地方(ち▢▢)に大(おゝい)に流行(りうかう)し其後(そののち)支那(しな)魯西亜(ろしや)欧羅巴(えうろつぱ)に伝播(ひろがり) しを▢▢【「以(もつ)て」か】西洋(せいやう)にては流行(はやり)挌列刺(これら)を亜細亜(あぢあ)挌列刺(これら)と云(い)ふ其(その)症候(しようこう)先(ま)づ胸中(むなさき)悪(わる)く嘔吐(ゑづき) 或(ある)は下利(くだり)三四行にして眼(め)陥没(おちくはみ)し手足(てあし)厥冷(ひへあがり)口煩(くちいきれ)渇(かわき)して体中(からだうち)熱灼(あつくもへ)し脈(みやく)沈伏(しづみ)して手足(てあし) の指先(ゆびさき)より麻痺(しびれ)米洗汁(しろみづ)の如(ごと)きものを下利(くだ)し遂(つひ)に死(し)す其(その)病勢(やまひ)の猛悪(まうあく)なる他(た)の病(やまひ)の 比(ひ)に非(あら)ず故(ゆへ)に一 刻(こく)も早(はや)く医治(ゐぢ)の手当(てあて)なきときは救(すく)ひ難(がた)く実(じつ)に恐(おそ)ろしき病(やまひ)なり然(しか) し此(この)病(やまひ)流行(はやる)するときは予防方(よばうはう)を施(ほどこ)せば其(その)患(うれひ)を免(まぬが)るゝを以(もつ)て其(その)大略(たいりやく)及(および)医(ゐ)に乏(とも)しき 僻邑(かたゐなか)の為(ため)に予防方(よばうはう)を示(しめ)す事(こと)左(さ)の如(ごと)し 此(この)▢(やま▢)【「病(やまひ)」か】の原因(げんゐん)は一 腫(しゆ)血中(ちのなか)に顕(あら)はるゝ病毒(びやうどく)にして流行(りうかう)のとき挌列刺(これら)病人(びやうにん)呼吸(いき)及(および)吐出(はきだ) す悪物(▢ぶつ)下利(くだ)する物質中(ものゝなか)に含(ふく)み聊(いさゝ)か触(ふ)るゝも直(ぢき)に人(ひと)に伝染(うつり)する病性(やまひのしよう)なれば此(この)病人(びやうにん) あるときは消毒法(どくけしはう)[左に出す]を行(おこな)はざれば家内(かなひ)親戚(しんるひ)の者(もの)と雖(ひへと)も病人(びやうにん)の側(そば)に近(ちかよ)る べからず又(また)衣服(きもの)其他(そのはか)一切(いつさひ)病人(びやうにん)に触(ふ)れたる物(もの)は何品(なにしな)に限(かぎ)らず消毒法(どくけしはう)を施(ほどこ)すべし 病(やまひ)の毒(どく)を生(しやう)ずるは暗渠(うめみぞ)飲水(のみゝず)不潔(きたなく)飽食(くひすぎ)盛宴(のみすぎ)不熟果物(みのいらぬくだもの)を喰(く)ひ及 衣服(きもの)不潔(きたなき)過度(くわど)の労役(らうゑき) 及(をよび)過房等(くわばうとう)は大(おほひ)に危(あや)ふし多人(たにん)集合(しうがう)の場所(ばしよう)即(すなわ)ち学校(がくかう)病院(▢よういん)劇場(しばゐ)の如(ごと)きは別(べつ)して注意(きをつけ)▢ べし平生(つね)より消食器病(こなしだうぐのやまひ)に下利(くだり)やすき人は感染(うつり)し易(やす)し故(ゆへ)に縱令(たとへ)平日(へいじつ)大便秘結症(だいべんひけつしやう)と 雖(いへど)も可成丈(なるだけ)通(つう)じ薬(くすり)を用(もち)ふべからず又 感冒(かぜひき)を注意(ようじん)すべし 〇 食物(くひもの)は総(すべ)て平生(つね)より喫(しよく)して大便(だいべん)の緩(やはら)ぐ品(しな)は避(さく)べし通例(つうれい)穀物(こくもつ)米(こめ)麦(むぎ)豆(まめ)麺粉(うどんこ)の類(るゐ)を 良(よ)しとす魚貝類(さかなかひるゐ)の肉(にく)は可成丈(なるだけ)食(しよく)せざるを良(よし)とす何者(なにゆへならば)消化(こなれ)遅(おそ)く貝類(かひるゐ)は殊(こと)に宜(よろ)しか らず牛(うし)犢(こうし)羊(ひつじ)鶏(にはとり)鶏卵(たまご)牛酪(はうとる)肉羹汁(そつぷ)等(とう)新鮮(あたらしき)の者(もの)を用(もち)ゆべし豚(ぶた)家鴨(あひる)雁(がん)等(など)は脂肪(あぶら)多(おゝ)く して宜(よろ)しからず〇 野菜(やさい)は熟(よく)煮(に)せざれば害(がい)あり馬苓薯(じやがたらいも)蕃薯(さつまいも)類(るゐ)は澱粉質(でんぷんしつ)を含(ふく)みて 良(よ)し就中(とりわけ)不熟果(じゆくせぬくだもの)は甚(はなは)だ▢(▢ろ)【「宜(よろ)」か】しからず 〇 飲水(のみみず)は新汲(くみたて)水を用(もち)ひ汲置(くみおき)は飲(の)むべからず不得止(やむをえず)ば一 度(ど)沸(たぎ)らし或(ある)ひは木炭(ばくたん)砂(すな)に て漉(こ)し用(もち)ふべし茶(ちや)及(およひ)骨喜(こひに)和(くわ)し▢(のち)【「后」か】▢(もち)【「用」か】ふべし挌列刺(これら)病毒(びやどく)は飲水(のみゝず)の不潔(きたなき)より来(きた)るもの 多(おゝ)き故(ゆへ)別(べつ)して注意(きをつけ)すべし大阪(おほさか)の河水(かわみす)は常(つね)に有機物(いうきぶつ)多量(おゝく)混合(まじり)する故(ゆへ)可成丈(なるだけ)清潔(きれい)の 水(みず)を用(もち)べし井水(ゐどみず)も厠(かわや)及 溝道(すゐだう)近(ちか)き水は飲(の)むべからず必(かなら)ず井戸(ゐど)は厠(かわや)溝(どぶ)より六 間(けん)余(よ)隔(へだ) つ井戸水(ゐどみず) を用(もち)ふべし若(も)し疑(うたが)はしき水(みず)と思(おも)ふときは過満俺酸加里(くわまんがんさんかり)と云(い)ふ薬(くすり)を少量(すこし) 入(いれ)て其(その)水(みず)茶褐色(とびいろ)を顕(あら)はすときは已(すで)に多量(おゝく)の有機物(いうきぶつ)を含(ふく)みたる証(しるし)にして飲料(のみもの)に供(もち) ふべからず 〇 衣服(きもの)は常(つね)に清潔(きよらか)(華美(はでやか)を謂(ゐふ)に非(あら)ず)なるを着(き)て殊(こと)に肌膚(はだへ)に触(ふ)るゝ衣服(きもの)則(すなは)ち繻絆(じゆばんも) 股引(ゝひき)褌(ふどし)等(とう)は時々(とき〴〵)洗濯(せんたく)を怠(お▢た)るべからず絨織物類(けをりものるゐ)殊(こと)にフラネルの襯衣(したぎ)毛布(けをり)の股引(もゝひき)の 類(るゐ)を着(は)き勉(つと)めて身体(からだ)を湿濡(しめ▢)すべからず又 可及的(なるだけ)度々(たび〳〵)着替(きかへ)垢付(あかづ)かざる様(やう)注意(こゝろづけ)すべ し[挌列刺予防消毒方(これらよけどくけしかた)は(1)(2)(3)を照準(みあわせ)し施(ほどこ)すべし] 〇 家屋(いへ)居室(ゐま)は時々(とき〳〵)掃除(さうじ)して乾燥(かわか)したる空気(くうき)を通(かよ)はし湿気(しめりけ)を去(さ)るを要(えう)す殊(こと)に病人(びやうにん) 小児(こども)の大小便類(だいせうべんるゐ)は可成的(なるだけ)居室(ゐま)より離(はな)れたる処(ところ)へ除(の)けるを良(よし)とす又 厠圊(せつゐん)尿桶(せうべんたご)は臭(くさ) ▢を除(さ)り且(かつ)挌列刺毒(これらどく)撲滅(うちけし)のため消毒法(しようどくはう)(1)(4)と併(あは)して灌(そゝ)ぎ病人(びやうにん)嬰児(こども)の糞匣(おかわ) 襁褓(むつき)へ撒滴(ふりかけ)すべし       〇 挌列刺消毒法(これらせうどくはう)  (1)[石炭酸(せきたんさん)【左ルビ「カーボリツキアシド」】]結晶(けつしやう)の者(もの)若(もし)くば流動(りうどう)石炭酸一分又は二分に百分の水に和(くわ)し たるもの挌列刺毒(これらどく)を撲滅(うちけし)するに要用(やうよう)なり  (2)[挌魯児加爾基(ころほるかるき)]「染匠(そめものや)の漂白(さらし)に用(もち)ふる品(▢な)」一分に水の十分を和(くわ)すもの  〇 用法(もちひかた)衣服(きもの)を洗(あら)ふとき或(あるひ)は浴湯(ゆにいる)の節(せつ)此(この)薬(くすり)にて洗滌(あらひ)して能(よ)く毒(どく)を解(げ)す又  「石炭酸(せきたんさん)入(いり)の石鹸(しやぼん)は最(もつと)も便利(べんり)にして良(よ)し」又 泥溝(みぞどぶ)便所(べんじよ)芥溜(ごもくば)に此(この)液(えき)を灌(そゝ)ぐべし  (3)[亜硫酸瓦斯(ありうさんがす)]即(すなは)ち硫黄(いわう)に火(ひ)を点(つ)け燃(もや)す時(とき)発(はつ)す瓦斯(けむり)なり  〇 用法 不潔(ふけつ)なる衣服(きもの)布団(ふとん)道具(だうぐ)或(ある)ひは居室(ゐま)を煤(くす)べてよし  (4)[硫酸鉄(りうさんてつ)【左ルビ「サルマルチス」】]又 緑礬(ろうは)にても良(よ)し録礬(ろうは)百目に水八百目の割合(わりあひ)に溶(とか)したるもの  〇用法 大小便(だいせうべん)後(ご)厠▢(せつゐん)尿桶(せうべんたご)に灌(そゝ)ぐべし此(この)方(はう)は糞尿(こゑせうべん)の臭気(くさみ)を去(さ)るために平日(つね)     にても施(ほどこ)すをよしとす  (5)[挌列刺薬(これらぐすり)]は少(すこ)し気分(きぶん)悪(あ)しきとき十 滴(しづく)より卅 滴(しづく)「但(たゞ)し大人の分量(ぶんりやう)」小児(こども)は  五 滴(しづく)より十五 滴(しづく)迄(まで)水(みず)に▢(たら)し用(もち)ふべし      明治十年九月廿九日御届          同月 出版            大阪第一大区四小区今橋            弐丁目卅番地               《割書:編述兼|出版人》浦谷義春 【裏表紙】