【表紙】 【右下隅に三段ラベル:A00|霞亭|12】 木幡きつね 【表紙裏左上隅に請求記号:A00|霞亭|12】 【左丁右上隅に蔵書印:田安府芸台印】 【左丁右下隅に蔵書印:東京帝国大学図書印】 中ころの事にや有(あり)けん やましろの国。こわたの里 にとしをへて。ひさしき狐(きつね)あ り。いなりのみやうじんの。御 ししやたるによつて。何ごと も心にまかせずといふ事なし。 殊(こと)には男(なん)子(し)女(によ)子(し)。そのかず数(あま) 多(た)もち給ふ。どれ〳〵もち ゑさいかく。けい能(のふ)いふはかり なく。世にならびなく聞え ありて。とり〳〵にさいはひ 給ふ。中にもおとひめに。あ たらせ給ふはきしゆごぜん とぞ申ける。いづれよりも ことにすぐれて。ようがんび れいにうつくしく。こゝろ さまならひなく侍りて。春(はる) ははなのもとにて日を くらし。あきはくまなき月 かげに。心をすまし。しゐか。く わんげんにくらからず。きゝつ ■【た】へし人々は。心をかけすと いふことなし。御めのとおもひ 〳〵にえんをとり。我(われ)も〳〵 とかずのふみをつかはし。 こゝろをつくすと申せども ゆくみづにかすかくごとし。 うらなびくけしきもまし まさず。ひめぎみうき世に ながらへば。いかならんてんじやう 人か。くはんばく天下なとの きたのかたともいはれなん。 なみ〳〵ならんすまゐは。おも ひもよらず。それさなき物 ならば。てんくはうてうろゆめ まぼろしの世(よ)の中に。心を とめてなにかせん。いかなる みやまのおくにも引(ひき)こもり。 うき世をいとひ。ひとへに後(ご) 世をねがひ侍(はへ)らばやとおも ひ。あかしくらし給ふほどに。 十六さいにぞなりたまふ。ちゝ はゝ御らんじて。多(おほ)き子ども の中にも。此きしゆごぜんは。 よにすぐれみえたまふ。いか なる御かたさまをも  むこにとり   心やすきさまをも  見はやと   おもひてさま〳〵  きやうくん    したまふ さてまた爰(こゝ)に三でう大 なごんとのとておはします。 その御子に。三位の中/将(しやう)と のとて。ようがんびれいに して。まことにむかしのひかる げんじ。ありはらの中将殿 と聞(きこ)えしも。是(これ)にはまさ るべからず。たかきもいやし きも。心をまどはしける程(ほと) に。ちゝ大なこんどのにおほせ あはせて。さるかたさまより。 御つかひありしかども。中(ちう) しやうとの御こゝろにそむ。 いろもましまさず。いかならん しつのめの子なりとも。その かたちすくれたらん人なら ばとおぼしめし。常(つね)はしゐか くはんげんにのみ心をすまし 給ふ。ころは。三月/下(げ)じゆんの こと成に。はなぞのにたち出(い■) 給ひ。ちりなんはなを御らん じて。なりひらのけふのこ よひにと。よみけるも。かゝる 折にやとながめたまふ。おり ふしかのきしゆごぜん。いなり のやまより見おろして。う つくしの中しやうどのや。わ れにんけんとむまれなは。 かゝる人にこそあひなるへ きに。いかなるかいぎやうによ りて。かやうの身とは生(むま)れ けるぞや。あさましさよと おもひけるが。よし〳〵ひと まづにんけんのかたちと ばけ。一(いつ)たんのちきりをも。む すひさふらはではとおぼし めし。めのとのせうなごんを ちかづけて。いかにきゝ給へ。 われおもふしさいあり。いざや みやこにのぼりさふらふべし。 さりながら。此すがたにて上(のほ) りなば。人めもいかゞさふら はん。十二ひとへはかまきせて たべ。めのと此よしをきゝ。いま 程(ほど)みやこには。たかいぬなどゝ 申て。家(いゑ)〳〵ごとに多(おほ)ければ。 みちのほども御/大(だい)事(じ)にて さふらふぞや。そのうへ御ちゝ みやうぶどの。御ふた所(ところ)さまき こしめしとく。わらはがしわざ とのたまはん事。うたがひな し。おぼしめしとまり候へ と申ける。ひめぎみきこし めし。いかにとゞめたまふとも。 われおもふしさいありてお もひたちぬる   事なれは    いかにとゞめ       たまふとも   とまる     べきにて    あらずとて       うつくしく     はげ【「ばけ」?】なして       こそいでに          けり さるほどに中しやうどのは。 此ひめぎみを御らんじて。 夢(ゆめ)かうつゝかおぼつかなしと 御らんじけるに。そのかたち云(いふ) はかりなく。まことにげんそ うくはうていの。やうきひ。 かんのぶていの世なりせば。 りふじんかともおもふべし。 さてわがてうには。小(を)野(の)の よしざねがむすめ。をのゝ小 まちなとゝいふとも。是(これ)程(ほと) にありつらん。いかさまい つくの人にてもあれ。能(よき) たよりぞとおぼしめし。 めのとゝおぼしき女(によう)ばう に。かれは   いづくより     いづかたへ   とをらせ     給ふ人やらんと    御たづね       させ        たまふ めのとうれしくて申け るやうは。これはさるひと のひめぎみにてましま すが。けいぼにいひへだて られさせたまひ。ちゝのふ けうをかうふりたまひ。こ れをぼだひのたねとして。 いかならん。やま寺(てら)にも引(ひき) こもりたまはんとの御こと にて候か。是(これ)をはじめの旅(たひ) なれば。みちふみまよひて 是までまいりて候が。はゞ かりおほく候へども一/夜(よ)の御 やどをおほせ付(つけ)られ候て。 たび給へと。さもあり〳〵と 申しければ。中(ちう)しやうれしく おぼしめし。此とし月いろこ のみし侍りしかばかやう の人にあはんとの事にてこ そ有つらん。よし〳〵たれに てもあれ。これもせんせの しゆくえんとおぼしめし。こ なたへいらさせたまへとて。わ が御やかたへともなひ。御めのと にかすがのつぼねに。おほせ つけさま〳〵にこそ御もて なし。かしづきたまふ事。申 はかりはなかりけり。そのゝ ち。をの〳〵やすみたまへば。 いとゞ中しやうどのあこがれ させ給へば。ひめぎみの御/枕(まくら)に よりそひて。かやうのまよ り。二/世(せ)ならぬさき〳〵のき えんとこそおもひ侍れ。何(なに) と御こゝろふかくのたまふと も。このうちをばいだし申 まじとて。さま〳〵御ことの はをつくし給ふ。もとより ひめは。たくみたることなれ ば。うれしさかぎりなし。 さりながら。いとはつかしげ なるふぜいして。うちなびく けしきもなくてゐ給ひけ り。夜(よ)もやう〳〵更(ふけ)ければ。 ゑんあふの。ふすまのしたに たはふれけれ。たがひに 御心ざしあさからず。いきて はかいらうのちきりと思(おほ)し めし。よろのあけやすき夜(よ) 半(は)にて。ほどなく鳥(とり)も音(をと) づれ。寺(てら)〳〵のかねもはやあ けぬるとひゞきけり。中 しやうどのは。あまりなごり おしさのあまりに。一/首(しゆ)かく なん  むつこともまたつき    せぬにいかばかり  明(あけ)ぬとつぐる     鳥(とり)のねそうき 姫(ひめ)きみかへし  おもひきやこよひ       はじめの  たひねして   鳥(とり)のなく音(ね)をなけく       べしとは かやうにさま〳〵ながめさせ 給ひ。よるもよもすがら。ひる はひめもすにたはふれて。 あかしくらし給ふ程(ほと)に。月 日にせきもりあらざれは。み な月のころ。かのひめぎみな やみ給ふ。中しやうとの御らん じて。心ぐるしきあり様(さま)かな。 いかならん事そやとて。さま 〳〵御いのりともいふはかり なし。此事をのみ     なげかせ      たまへば  たゝならず     みえたまふ      中しやう        とのも   めのとも     御よろ      こびにて       そのとしも   すぎあらたま     きさらぎも      たち       やよひと         申には さもうつくしき。わかぎみを もうけ給ふ。中(ちう)しやうとの御 らんじて。たぐひなき御事 におもひ給ふ。御めのと数々(かす〳〵) そのほか   おの〳〵    まいり     いつき   かしつき    たまふ     こと      かきり       なし かくて日にそへて。ひかりさ したまふ心ちして。うつく しくおいたち給ふ。大なごん どのきたの御/方(かた)も。よそ〳〵 ながらきこしめし。中しやう どのは。なにとてかやうの御 事。つゝませたまふぞや。そ のみはいかやうの人にても あれ。中しやうどのゝ御らん ぜん人。そのうへうつくしきわ かきみも出(いで)来(き)させ給へば。我々(われ〳〵) いかでかをろかならぬ。姫(ひめ)ぎみ にもたいめんして。もろとも にかしづきまいらせらんとお ぼしめし中しやうとのへこま 〳〵と仰(おほ)せられければ。なの めならずによろこびたまひ。 これよりかくと申いれたく 候へども。はゞかりにぞんじ候へ ばとて。ひめぎみにかくと宣(のたまへ) ば。はゞかりながら。かやうに のたまふうへはとて。とり〳〵 の御しやうぞくなど  こしらへて   吉日御とり  御けんざんありけり 大なこんどのきたのかた御(ご) らんじて。かゝるうつくしき女 ばうも。よにはありけるよ。 いかならぬみやはらのひめ君(きみ) といふとも。かゝるすがたは有 まじ。中しやうどのゝ。おもひた まふもことはりとぞおぼし ける。かくておもふ事なく て。月日ををくり給ふ程(ほど)に。 わかぎみ三さいにならせ給ふ ほどに。御うちの人にも。此わ かきみの御きげん。能(よき)やう にとたしなみ。いろ〳〵御 もてなし。御あそひものなど たてまつる。あるとき中 しやうどのゝ御めのと。なかづ かさのもとよりとて  世(よ)に   たぐひなき  一もつとて    うつ     くしき    いぬを      しん上    いたし      けり せうなごん御よしをきゝて。その けもよだつはかりにて。急(いそ) きひめぎみの御はへにまいり て申けるは。ふしきの御/大(だい) 事(じ)出(いで)来(き)さふらふぞや。この犬(いぬ)。か くてさふらはずは。たいしこ れにすき候はずとて。なみだ にむせふはかりなり。ひめ君 きこしめし。まことに是こそ かぎりなれ。このうちいつる よりほかの事あらじ。ちう しやうどの。わかぎみの御なご り■【は】かゞすべきとて。なみだ せきあへず。やゝありて仰せ けるは。たとへせんねん万(まん)年(ねん) をふるとも。なごりはつくる事 あらじ。ひまをうかゞひたち いで。是(これ)をぼだいのたねとし て。よをいとひなんことは。いとや すき事なれども。中しやう との。さこそはなげかせ給はん ずらん。わかぎみのなごり。かへ す〴〵もかなしけれは。ぜひ かなはぬ事なればとて。なみ だにむせびたまひけり。さる ほどに。中しやうどのみかど より御めしありて。七日のくは んげんとありしかば。ひめ君 にのたまふやう。われふえ のやくとて。だいりへまいり 候。るすのほどよく〳〵わか きみなくさめ給ふべしとて。 いでさせたまふ。ひめぎみ御 らんじて。これぞかぎりなり。 よそ〳〵なからは。みまいら せ候とも。ことばをかはし申さ んことは。いまばかりなり。扨(さて) そのゝち。せうなごんをちかつ けて。これこそよきひまよ いざいで候はんとて。せうなごん 御しやうぞくなど。とりひそ めければ。ひめぎみ御らんじ て。なみだのひまよりかくぞ よみたまふ  わかれても    またもあふせの   ある    ならば   なみだの     ふちに   身をば    しづめじ かやうにゑいじたまひて。 せうなごんもろともに。みや こをいで。いなりのみやうじん さま。われふるさとへ。かへらぬま では。なんなくまほらせ給へと て。なみだとともにいでたまふ。 こゝろのうちぞあはれなり。 ふかくさをとをるとて。みやこ のかたをみをくりて。たゝ ずみたまへば。折ふしおぎ のはに。露(つゆ)しめ〳〵とうち をきて。いとものあはれに おもひいづる。身(み)はふかくさ のおき   のはの    つゆに   しほるゝ    わが   た    もと     かな かやうにうちながめ。やう〳〵 ゆくほどに。ふるつかにこそつ きにけり。きしゆごぜんのかへ らせ給ふと。はしたきつね のいひければ。ちゝはゝ聞も あへず。こはいかにとて。かけい で。此みとせがほどみえたま はねば。いかならんかり人などに もゆきあひ給ひて。かりま たの一すぢも。あたりたまふ らんか。またはたかいぬなどに も。くはれさせたまふらんと。 さま〳〵なげきくらせしに。 これはゆめかやうつゝかや。う れしき中にも。なみだに てたもとにすがりつき。あ らめづらしやこん〳〵。いづく におはせしぞこん〳〵と。の みいひければ。めのとせうな ごん。はじめをはりの事ども を。こま〳〵とかたりけり。ちゝ はゝきゝて。さてはかやうに ちかきあたりに。すみながらへ ておはせしに。いまゝでしらせ ざりし。せうなごんこそうら めしけれとて。一もんけんぞ くさしあつまりて   よろ    こびの   さか    もりは     こと      はり     とぞ      きこえ       けり かやうにめでたき事/限(かき)り なし。中にもきしゆごぜんは。 たゞわかぎみ中しやうどの の御ことのみ。こひしくて。さ ら〳〵うき世(よ)に御こゝろもと まらず。さまをかへさせぼだい のみちにいらんと。あんじ。 またこわたのつかをたち いでゝ。さがのゝかたへわけ入て。 あんじつをむすび。みとりの かみをそりおとし。このよはか りのやど。でんくはうてうろ。ゆ めまぼろしのことなれば。今(■■) 此とき。しやうじりんゑをま ぬがれ。みらいはかならず。ひと つはちすのうてなにむま れんと。ねがはれけり。さて もみやこには。中しやうどの。だ いりより御いとま申て。わが御 所にかへり給ふか。こせんも少 なごんも。みえたまはず。わか ぎみは。めのとのひざによりふ して。はゝうへのうせ給ひし御 事。ふかくなげきたまひけ り。中しやうどのは。いかなる御こ とぞやと。御なげきなか〳〵 たとへんかたもなし。つねに すみ給ひし所(ところ)御らんずれ ば。さま〳〵の御なこりおしき 御事。かきつくし給ふ御事 かぎりなし。われこそえん つくるとも。わかぎみさへおい たちたまへば。なにのうらみ にかいでたまふぞと。御なげ きかぎりなし。かすがの御 つぼね。わかぎみのおちの人 に。ことのしさいをたつね給へど も。何ともしりまいらせ候はず。 わかぎみさまへ。いぬまいり候て より。せうなこんどのことのほか。 かほのいろかはり。世にうらめし げにのたまひしよりほかは。 みまいらせず候。何(なに)ごとも候はず 候と申けり。中(ちう)将(しやう)殿(との)きこし めし。よし〳〵そのみは何にて もあれ。せめて此わか七さい迄(まで) は。などかひとつにあらざらん と。御なげきは申はかりなし。 しかるにそのゝち。こゝかしこ より。きたのかたむかへさせ給へ と申けれども。そのいろもま しまさず。たゞこの御わかれ のみなげかせ給ひけり。かやう にして  とし月を    をくり給ふ   ほどに     わかぎみは       とり〳〵   はんじやう     させたまひ       すゑ     はんじやう       とぞ        聞(きこ)え給ふ さるほどに。かのあんじつには。 みやこの事のみこひしくて すごし給ふ。さりながら。わか君(きみ) の御さかへ。よそ〳〵ながらみた まひて。うれしさかぎりなし。 わかぎみはいよ〳〵みねに 上り。はなを折(おり)たにの水(みづ)を むすび。せうなごんもろともに。 みだの  みやうがう    となへをこなひ   すまし     給ひけり かゝるちくるい   だにも    ごしやうぼだいの      みちをねがふ     ならひなり    いはんや人(にん)間(げん)として      などか此みちを     なげか      ざらんや   ■やうにやさしき事      なれば       かきつたへ      申なり〳〵 【裏表紙裏右下隅に蔵書印:東京帝国大学附属図書館|大正十四年登記|文18532】 【裏表紙】