【横書】 TKGK-00052 書名  たけとり物語 刊   1冊 所蔵者 東京学芸大学附属図書館 函号  913.31/Y53 撮影  国際マイクロ写真工業社 令和2年度 国文学研究資料館 【表紙 題箋】 《割書:絵|入》竹とり物語 【右下のラベル】 部類 国語 部冊 【消去】 番号 【同右】 【同】 913・31 Y53 【中央上部のラベル】 部類 番号 函数 架数 国  九七 【同】       31    11 A 部類 部冊 番号 絵入上下 竹取物語 浪花 やなきはら壱兵衛梓 【蔵書印】東京学芸大学図書 【左丁】 我子たゝしやまふのひまもとめて此竹とり のこゝろえかたきふし〳〵をめやすきやう にしてんといふをいかにをこかましきこと しいてゝ人々のそしりをすかのねのなかき よにのこすらんなといひしろふほとに玉くし けふたゝひのかうかへもえせて身はつひに よもつまうとゝなりぬかつ入江のぬしは はやうよりのしたしきうからにていける日 の契りたかへしととかくしあつかひ給へ るは其はしのことはにつはらなるへし 【蔵書印】東京府師範学校之印 【蔵書印】東京府尋常師範学校蔵書印 【右丁】 さるをふみあきなふをのこの何事をおも ひけむこれさくら木にゑりてよもやまに つたへんとせちにもとむるをさゝかにのいかて せるふるまひなとたゆたふにはた頼 氏の此ふみのはしめにことそへてんなと きこへ給ふるはかはむしのさせるひかことにも あらさらんかしとおもふはおんなのしれ〳〵 しさにこまのかほまとにくるとかいふめる にやあらむ 【左丁】   たけとり物語 いまはむかしたけとりのおきなといふもの有 けり野山にましりてたけをとりつゝよろつの 事につかひけり名をはさる【ママ】きのみやつこと なんいひける其竹の中にもとひかる竹なん 一すちありけりあやしかりてよりて見るに つゝの中ひかりたりそれを見れは三すんはかり なる人いとうつくしうてゐたりおきな云やう われ朝こと夕ことに見るたけの中におはする にてしりぬ子になり給ふへき人なめりとて 手にうち入て家へもちてきぬめの女にあつ けてやしなはすうつくしき事かきりなし いとおさなけれははこに入てやしなふ竹とり のおきな竹とるに此子を見つけてのちにたけ 取にふしをへたてゝよことにこかねある竹をみ つくる事かさなりぬかくておくなやう〳〵 ゆたかになりゆく此ちこやしなふほとにすく 〳〵とおほきになりまさる三月はかりになる 程によきほとなる人になりぬれはかみあけな とさうしてかみあけさせきちやうの内よりも 出さすいつきかしつきやしなふ程に此ちこの かたかたちのけそうなる事世になく屋の内は くらきところなくひかりみちたりおきなこゝ ちあしくくるしき時も此子をみれはくるし き事もやみぬはらたゝしき事もなくなく さみけりおきなたけをとる事ひさしくなり さかへにけり此子いとおほきに成ぬれは名を みむろといんへのあきたをよひてつけさすあ きたなよ竹のかくやひめと付侍る此程三日う ちあけあそふよろつのあそひをそしけるお とこはうけきらはすよひつとへていとかしこ くあそふ世界のをのこあてなるもいやしき もいりてこのかくやひめをえてしかな見てし かなとをとにきゝめてゝまとふそのあたりの かきにも家のとにもをる人たにたはやすく 見るましきものをよるはやすきいもねすやみ の夜にもこゝかしこよりのそきかひま見まと ひあへりさるときよりなんよはひとはいひける 人の物ともせぬ所にまとひありけともなにの しるしあるへくも見えす家の人共に物をたに いはんとていひかくれともことゝもせすあた りをはなれぬ君達夜をあかし日をくらす人お ほかりけるをろかなるひとはようなきありき はよしなかりけりとてこすなりにけり其中 になをいひけるはいろこのみといはるゝ人五 人思ひやむときなくよるひるきたりけりその 名一人はいしつくりの御子一人はくらもちの 御子一人は右大臣あへのみむらし大納言一人 は大伴のみゆき中納言一人はいそのかみのもろ たか【*】此人々なりけり世中におほかる人をたに すこしもかたちよしときゝては見まほしうす る人たちなりけれはかくやひめを見まほしう て物もくはす思ひつゝかの家に行てたゝすみ ありきけれ共かひ有へくもあらす文をかきて やれとも返事もせすわひうたなとかきてつ 【字母が可の「か」とした。第二九コマでは「まろたか」に読める。】 かはすれ共かひなしと思へとも霜月極月の ふりこほりみな月のてりはたゝくにもさはら すきたり此人々あるときは竹とりをよひ出し てむすめを我にたへとふしおかみ手をすりの 給へ をのかなさぬ子なれは心にもしたかえ すとなんいはく月日ををくるかゝれは此人々 家にかへて物を思ひいのりをしくはんを立 おもひやむへくもあらすさり共つゐに男あは せさらむやはと思ひてたのみをかけたりあな かちに心さしを見えありくこれを見つけてお きなかくやひめにいふやう御身はほとけへんけの 人と申なからこれ程おほきさまてやしなひ 奉る心さしをろかならすおきなの申さん事 きゝ給ひてんやといへはかくやひめ何事をか のたまはんことは承らさらむへんけの物にて 侍けん身ともしらすおやとこそおもひ奉れと いふおきなうれしくもの給ふものかなといふお きな年七十にあまりぬけふともあすともし らす此世の人は男は女にあふ事をす女は男 にあふことをす其後なん門ひろくもなり 侍るいかてかさる事なくてはおはせんかく やひめのいはくなんてうさる事かし侍らん といへはへんけの人といふとも女の身もち 給へりおきなのあらんかきりはかうてもい ませかしこの人々の年月をへてかうのみい ましつゝのたまふ事を思ひ定めてひとり〳〵 にあひ給へやといへはかくやひめいはく能も あらぬかたちをふかき心もしらてあた心つき なはのちくやしき事も有へきをとおもふ はかりなり世のかしこき人なりともふかき心 さしをしらてはあひかたしとなんおもふといふ おきないはく思ひのことくもの給ふかなそも 〳〵いかやうなるこゝろさしあらん人にか あはんとおほすかはかり心さしをろかならぬ人 人にことあめれかくやひめのいはくかはかりの ふかきをか見んといはんいさゝかの事なり 人の心さしひとしかんなりいかてか中にを とりまさりはしらん五人の中にゆかしきも のを見せ給へらんに御心さしまさりたりとて つかうまつらんとそのおはすらん人々に申 給へといふよき事なりとうけつ日くるゝほ とれいのあつまりぬ人々あるひはふえをふき 或は歌をうたひ或はしやうかをしあるひはう そをふきあふきをならしなとするにおきな出て いはくかたしけなくきたなけ成ところに年 月をへてものし給ふ事ありかたくかしこま ると申おきなの命けふあすともしらぬをか くの給ふ君達にもよく思ひさためてつかうま つれと申もことはりなりいつれもをとりまさ りおはしまさねは御心さしの程は見ゆへし つかうまつらん事はそれになんつたむへき といへはこれ能事也人のうらみもあるまし といふ五人の人とも能事なりといへはおきな いりていふかくやひめ石つくりの御子には仏 の御石のはちといふ物ありそれを取て給へと いふくらもちの御子には東の海にほうらいと 云山あるなりそれにしろかねをねとしこかね をくきとし白き玉をみとしてたてる木あり それ一えたおりてたまはらんといふ今ひとり にはもろこしに有火ねすみのうはきぬを給へ 大伴の大納言にはたつのくひに五色にひかる 玉ありそれを取てたまへいそのかみの中納言 にはつはくらめのもたるこやすの貝取て給へ といふおきなかたき事にこそあなれ此国に 有ものにもあらすかくかたき事をはいかに申 さんといふかくやひめなにかたからんといへ はおきなともあれかくもあれ申さんとて 出てかくなん聞ゆるやうに見給へといへは御(み) 子(こ)たち上達部(かんたちめ)きゝてをいらかにあたりより たになありきそとやはのたはぬと云てうん してみなかへりぬなを此女見ては世にあるまし き心ちのしけれはてんちくに有物ももてこ ぬ物かはと思ひめくらしていしつくりの御子は こゝろのしたく有人にて天ちくに二つとなき はちを百千万里のほといきたりともいかてか 取へきとおもひてかくやひめのもとにはけふ なん天ちくへ石のはちとりにまかるときかせ て三年はかり大和の国とをちのこほりにある 山寺にひんするのまへなるはちのひたくろに すみつきたるをとりてにしきのふくろに入て つくり花のえたにつけてかくやひめの家に もてきて見せけれはかくやひめあやしかりて みれははちの中に文ありひろけて見れは うみ山のみちに心をつくしはてないしのはち の涙なかれけ【ママ】かくやひめひかりや有と見るに ほたるはかりのひかりたになし   をくつゆのひかりをたにもやとさまし    をくらの山にてなにもとめけん とて返し出すはちを門に捨て此歌の返しをす   しら山にあへはひかりのうするかと    はちをすてゝもたのまるゝかな とよみて入たりかくやひめ返しもせすなりぬ みゝにもきゝ入さりけれはいひかゝつらひて 帰りぬ彼はちをすてゝ又いひけるよりそおも なき事をははちをすつるとは云けるくらも ちの御子は心たはかり有人にておほやけには つくしの国にゆあみにまからんとていとま 申てかくやひめの家には玉のえたとりになん まかるといはせてくたり給ふにつかうまつる へき人々みな難波まて御をくりしける御子い としのひてとの給はせて人もあまたゐておは しまさすちかうつかうまつるかきりして出給ひ 御をくりの人々見奉りをくりて帰りぬおはし ましぬと人には見え給ひて三日はかり有てこ き給ぬかねてことみな仰たりけれは其時一つ のたからなりけるうちたくみ六人をめし取て たはやすく人よりくましき家をつくりてかま とを三へにし籠てたくら【ママ】を入給ひつゝ御子も 同所にこもり給ひてしらせ給ひたる限十六そ をかみにくとをあけて玉のえたをつくり給 かくやひめの給ふ様にたかはすつくり出つい とかしこくたはかりてなにはにみそかにもて 出ぬ舟にのりて帰りきにけりと殿につけやり ていといたくくるしかりたる様して居給へり むかへに人おほく参たり玉のえたをは長ひつに 入て物おほひて持て参るいつか聞けんくらも ちの御子はうとんてゑの花持てのほり給へり とのゝしりけりこれをかくやひめきゝて我は 此御子にまけぬへしとむねつふれておもひ けりかゝる程に門をたゝきてくらもちの御子 おはしたりとつく旅の御姿なからおはしたりと いへはあひ奉る御子の給はく命を捨て彼玉 のえき持てきたるとてかくひめに見せ奉り 給へといへはおきな持ていりたり此たまの枝 にふみそつけたりける   いたつらに身はなしつとも玉のえを    たをしてさらにかへらさらまし 是をも哀とも見てをるに竹取のおきなはしり 入ていはく此御子に申給ひしほうらいの玉 のえたを一つの所をあやまたすもておはしま せり何を持てとかく申へき旅の御姿なからわ か御家へもより給はすしておはしましたり はや此御子にあひかうまつり給へといふに 物もいはすつらつえをつきていみしくなけか しけに思ひたり此御子今さへな何かといふへから すと云まゝにえんにはひのほり給ぬおきな理 に思ふ此国に見えぬ玉の枝なり此度はいかて かいなひ申さん人様もよき人におはすなとい ひゐたりかくやひめの云様おやの給ふ事を ひたふるにいなひ申さんことのいとおしさに取 かたき物をかくあさましくもて来る事をね たく思ひおきなはね屋のうちしつらひなとす おきな御子に申様いかなる所にか此木は候ひ けんあやしくうるはしくめてたき物にもと 申御子こたへてのたまはくさおとゝしの二月 の十日ころに難波より舟にのりて海中に出 てゆかん方もしらす覚えしかと思ふ事なら て世中にいき何かてせんと思ひしかはたゝ むなしき風にまかせてありく命しなはいかゝ はせん生てあらん限かくありきてほうらいと 云らん山にあふやと海にこきたゝよひありき て我国の内をはなれてありき罷しに有時は 浪あれつゝうみのそこにも入ぬへく有時には 風につけてしらぬ国に吹よせられて鬼のやう なる物出来てころさんとしき有時にはこしかた 行すゑもしらてうみにまきれんとし有時には かてつきて草のねをくひものとし有時いはん かたなくむくつけけなるものゝきてくひかく らんとしき有時はうみのかいを取て命をつく 旅のそらにたすけ給ふへき人もなき所に色々 の病をして行方空も覚えす舟の行にまかせ てうみにたゝよひて五百日と云たつのこく計 にうみの中にわつかに山見ゆ舟の内をなんせ めて見るうみのうへにたゝよへる山いとおほき にてあり其山のさま高くうるはし是やわか もとむる山ならむと思ひてさすかにおそろし く覚えて山のめくりをさしめくらして二三 日計見ありくに天人のよそほひたる女山の 中より出きてしろかねのかなまるを持て水をく みありく是を見て舟よりおりてこの山の名を 何とか申ととふ女こたへて云これはほうらいの 山なりとこたふ是を聞にうれしき事限なし 此女かくのたまふは誰そととふ我名ははうかん るりと云てふと山の中に入ぬその山を見るに さらに上るへき様なし其山のそはひらをめく れは世中になき華の木共たてり金しろかね るり色の水山より流出たるそれには色々の玉 の橋渡せり其あたりにてりかゝやく木共立り 其中に此取て持てまうてきたりしはいとわろ かりしか共の給ひしにたかいましかはとこの 花を折てまうて来る也山はかきりなく面白し 世にたとふへきにあらさりしかと此えたを折 てしかは更に心もとなくて船にのりておひ風 吹て四百余日になんまうてきにし大願力にや 難波よりきのふ南都にまうてきつる更に塩に ぬれたる衣たにぬきかへなてなん立まうてき つるとの給へはおきな聞て打なけきてよめる   くれ竹の世々のたけとり野山にも    さやはわひしきふしをのみ見し 是を御子聞てこゝらの日ころ思ひにひ侍つる 心はけふなんおちゐめるとのたまひて返し   わかたもとけふかはけれはわひしさの    千草のかすもわすられぬへし との給ひかゝる程に男共六人つらねて庭に 出来一人の男ふはさみ文をはさみて申くも むつかさのたくにあやへのうちまろ申さく玉 の木をつくりつかふまつりし事こ国をたち て千余日に力をつくしたる事すくなからす然 にろくいまた給はらす是を給てわろきけこに 給せんと云てさゝけたる竹取のおきな此たく みらか申事は何事そとかたふきおり御子は われにもあらぬけしきにてきもきえゐ給へり 是をかくやひめきゝて此奉る文をとれと云て みれは文に申けるやう御子の君千日いやしき たくみらともろとも同所にかくれゐ給ひて かしこき玉のえたをつくらせ給ひてつかさも たまはらむと仰給ひき是を此頃あんするに 御つかひとおはしますへきかくやひめのえう し給ふへきなりけりと承て此宮より給はら むと申て給へきなりといふをきゝてかくやひめ くるゝまゝに思ひはひつる心地わらひさかへ ておきなをよひとりて云やう誠ほうらいの木 かとこそおもひつれかくあさましきそらこと にて有けれははや返し給へといへはおきなこた ふさたかにつくらせたる物と聞つれはかへさんこ といとやすしとうなつきをりかくやひめの 心ゆきはてゝありつるうたの返し   まことかと聞て見つれはことのはを    かされる玉のえたにそありける といひて玉のえたも返しつ竹取のおきなさは かりかたらひつるかさすかにおほえてねふり をり御子はたつもはしたゐるもかしたにて居 給へり日の暮ぬれはすへり出給ひぬ彼うれへ せしたくみをはかくやひめよひすへてうれし き人ともなりといひてろくいとおほくとらせ 給ふたくみらいみしくよろこひて思ひつる様 にもあるかなと云て帰る道にてくらもちの御 子ちのなかるゝ迄調させ給ふろくえしかひも なく皆とり捨させ給ひてけれはにけうせにけ りかくて此御子一しやうのはち是に過るはあら し女を得すなりぬのみにあらす天下の人の おもはん事のはつかしき事との給ひてたゝ一所 ふかき山へいり給ぬ宮つかささふらふ人々 皆手をわかちてもとめ奉れ共御死にもやし 給ひけん得見つけ奉らす成ぬ御子の御供にか くし給はんとて年頃見え給はさりける也是を なん玉さかるとは云はしめける左大臣あへの みむらしはたからゆたかに家ひろき人にて おはしける其年きたりけるもろこし舟のわ うけいと云人のもとに文を書て火ねすみのか はといふなる物かひてをこせよとてつかうまつる 人の中に心たしかなるをえらひて小屋のふさ もりと云人をつけてつかはすもていたり彼うら にをるわうけいに金をとらすわうけいふみを ひろけて見て返事かく火ねすみのかはころも 此国になき物也をとにはきけ共いまたみぬ物 なり世に有物ならは此国にももてまうてきな ましいとかたきあきなひ也然共もし天ちくに 玉さかにもて渡りなは若長者のあたりにとふ らひもとめんになき物ならは使にそへて金を は返し奉らんといへりかのもろこしふねきけ り小屋のふさもりまうてきてまうのほると云 事を聞てあゆみとうする馬をもちてはしら せんかへさせ給ふ時に馬にのりてつくしより只 七日にまうて来る文を見るに云火ねすみのか は衣からうして人を出してもて奉る今の世 にも昔の世にも此かははたはやすくなきものな りけりむかしかしこき天ちくのひしり此国に もて渡りて侍りける西の山寺にありときゝ及 ておほやけに申てからうしてかい取て奉る あたひの金すくなしとこくし使に申しかは わうけいか物くはへてかひたり今こかね五十両 給るへし舟の帰らんに付てたひをくれもし かねたまはぬ物ならは彼衣のしち返したへと いへる事を見て何おほすいまかね少にこそ あなれうれしくしておこせるかなとてもろ こしのかたにむかひてふしおかみ給ふ此かは きぬ入たるはこをみれはくさ〳〵のうるはし きるりをいろえてつくれりかはきぬを見れは こんじやうの色るりけのすゑにはこかねの光 しさゝやきたりたからと見えうるはしき事 並へき物なし火にやけぬ事よりもけうら なる事限なしうへかくやひめこのもしかり給 ふにこそ有けれとのたまひてあかしことて はこに入給ひてものゝえたにつけて御身の けさういといたくしてやりてとまりなんもの そとおほしてうたよみくはへてもちていまし たりそのうたは   かきりなき思ひにやけぬかはころも    たもとかはきてけふこそはきめ といへり家の門にもていたりてたてり竹取出 きてとり入てかくやひめに見すかくやひめの かは衣を見て云うるはしきかはなめりわきて 誠のかはならん共しらす竹取こたへていはく ともあれかくもあれ先しやうし入奉らん世中 に見えぬかはきぬのさまなれは是をと思ひ給 ひね人ないたくわひさせ給ひ奉らせ給ふそと 云てよひすへたてまつれりかくよひすへて此 度はかならすあはんと女の心にも思ひをり此 おきなはかくやひめのやもめなるをなけかしけ れはよき人にあはせんと思ひはかれとせちに いなといふ事なれはえしひぬは理也かくやひめ おきなに云此かは衣は火にやかんにやけすは こそまことならめと思ひて人のいふ事にもま けめ世になき物なれはそれをまことゝうたか ひなく思はんとの給ふ猶是をやきて心みんと 云おきなそれさもいはれたりと云て大臣にかく なん申といふ大臣こたへて云此かははもろ こしにもなかりけるをからうしてもとめたつ ね得たる也なにのうたかひあらんさは申とも はややきてみ給へといへは火の中に打くへ てやかせ給ふにめら〳〵とやけぬされはこそ こと物のかはなりけりといふ大臣是を見給ひ てかほは草のはの色にて居給へりかくやひめは あなうれしとよろこひてゐたりかのよみ給ひ ける歌の返しはこに入て返す   名残なくもゆとしりせはかはころも    思ひのほかにをきて見ましを とありけるされは帰りいましにけり世の人々 あへの大臣火ねすみのかは衣をもていまして かくやひめに住給ふとなこゝにやいますなと とふある人の云かはは火にくへてやきたりし かはめら〳〵とやけにしかはかくやひめあひ給 はすといひけれは是を聞てそとけなきものを はあへなしと云ける大伴のみゆきの大納言は 我家にありとある人をあつめてのたまはくた つのくひに五色のひかりある玉あなりそれを 取て奉りたらん人にはねかはん事をかなへん とのたまふをのこ共仰の事を承て申さく 仰の事はいともたうとし但この玉たはやす く得とらしをいはんやたつのくひの玉はいかゝ ととらんと申あへり大納言の給ふ天のつかひと いはんものは命をすてゝもをのか君のおほせ 事をはかなへんとこそ思へけれ此国なき てんちくもろこしの物にもあらす此国の海山 よりたつはをりのほる物也いかに思ひてか汝 等かたき物と申へきをのこ共申様さらは いかゝはせんかたき物成共仰事にしたかひても とめにまからんと申に大納言見わらひてなん ちらか君の使と名をなかしつ君の仰事をは いかゝはそむくへきとの給ふたつのくひの玉 とりにとて出したて給ふ此人々の道のかてく ひものに殿の内のけ【ママ】ぬわたせになとある限取 出してつかはす此人々とも帰るまていもゐを して我はをらん此玉とりえては家に帰りくな との給はせたりをの〳〵仰承て罷りぬ龍の首 のたま取得すは帰りくなとの給へはいつちも 〳〵あしのむきたらんかたへいなんすかゝるす き事をし給ふ事とそしりあへり給はせたる 物をの〳〵わけつゝ取或はをのか家にこもり 居或はをのかゆかまほしき所へいぬ親君と 申共かくつきなき事をおほせ給ふ事とこ とゆかぬ物ゆへ大納言をそしりあひたりかくや ひめすへんにはれいやうにはみにくしとのた まひてうるはしき家をつくり給ひてうるしを ぬりまき絵して返し給ひて屋の上にはいと をそめて色々ふかせてうち〳〵のしつらひに はいふへくもあらぬあやをり物にゑをかきて まことはりたりもとのめともはかくやひめを かならすあはんまうけしてひとり明しくらし 給ひつかはしゝ人はよるひるまちたまふに 年こゆるまてをともせす心もとなかりていと しのひてたゝとねり二人めしつきとしてやつれ たまひて難波の辺におはしましてとひ給ふ 事は大伴の大納言の人や舟にのりてたつ ころしてそかくひのたまとね【ママ】るとや聞ととは するに舟人こたへていはくあやしき事かなと わらひてさるわさする船もなしとこたふるに をちなき事する舟人にもあるかなえしらて かくいふとおほしてわか弓の力はたつあらはふ といころしてくひの玉はとりてんをそくく るやつはらをまたしとの給ひて舟に乗て海 ことにありき給ふにいと遠くてつくしの方の 海にこき出給ぬいかゝしけんはやき風吹世界 くらかりて舟をふきもてありくいつれの方共 しらす舟を海中にまかり入ぬへくふきまはし て波は船にうちかけつゝまき入神は落かゝる様 にひらめきかゝるに大納言はまとひてまたか かるわひしきめ見すいかならんとするそとの給 ふかち取こたへて申こゝら舟に乗て罷ありくに またかゝるわひしきめを見すみ舟うみのそこに いらすは神おちかゝりぬへしもしさいはひに 神のたすけあらは南海にふかれおはしぬへし うたて有主のみもとにつかうまつりてすゝろ なるしにをすへかめるかな梶取なく大納言 是を聞ての給はくふねに乗てはかちとりの 申事をこそ高き山とたのめなとかくたのもし けなく申そとあをへとをつきての給ふかち取 こたへて申神ならねは何わさをかつかうまつ らん風ふき波はけしけれ共神さへいたゝきに おちかゝるやうなるは龍をころさんともとめ給 え【ママ】へはある也はやてもりうのふかする也はや神 に祈り給へと云能事なりとてかち取の御神 きこしめせ音なく心をさなくたつをころさん と思ひけり今よりのちは毛一すちをたにうこ かし奉らしとよことをはなちて立ゐなく〳〵 よはひ給ふ事千度計申給ふけにやあらんや う〳〵神やみぬ少ひかりて風は猶はやく吹 梶取のいはく是は龍のしわさにこそ有けれ此 ふく風はよき方の風なりあしき方の風にはあら す能かたに趣てふくなりといへ共大納言は是を 聞入給はす三四日ふきてふき返しよせたり はまをみれははりまのあかしのはまなりけり 大納言南海のはまにふきよせられたるにやあ らんとおもひていきつきふし給へり舟にある をのことも国につけたれ共国のつかさまうて とふらふにも得おきかり給はて船そこに ふし給へり松原にさむしろしきておろし奉る 其時にそ南海にあらさりけりと思ひてからう しておきあかり給へるを見れは風いとおもき 人にてはらいとふくれこなたかなたの目には すもゝを二つけたる様也是を見奉りてそ国の つかさもほうゑみたる国に仰給てたこしつく らせ給ひてやう〳〵になはれて家に入給ひ ぬるをいりてかきゝけんつかはしゝをのこ共 参りて申様たつの首の玉をえとらさりしか は南殿へも得参らさりし玉の取かたかりし事を しり給へれはなんかんたうあらしとて参つる と申大納言おき居てのたまはくなんちらよ くもてこす成ぬ龍はなる神のるいにこそあ りけれそれか玉をとらんとてそこらの人々の かいせられんとしけりましてたつをとらへた らましかは又こともなく我はかいせられなま しよくとらへす成にけりかくやひめてふおほ 盗人のやつか人をころさんとするなりけり家 のあたりたに今はとをらし男共もなあり きそとて家に少のこりたりける物共はたつの 玉をとらぬ者共にたひつ是を聞てはなれ給 【右丁】 ひしもとの上はかたはらいたくわらひ給ふい とをふかせつくりし屋はとひからすのすにみ なくひもていにけり世界の人の云ひけるは大伴 の大納言はたつのくひの玉取ておはしたる いなさもあらす御まなこ二にすもゝのやうな る玉をそそへていましたるといひけれはあな たへかたといひけるよりも世にあはぬ事をは あなたへかたとはいひはしめける   たけとり物語上終 【左丁】   たけとり物語下 中納言いそのかみのまろたかの家につかは るゝをのことものもとにつはくらめのすくひ たらはつけよとの給ふを承りてなにの用にか あらんと申こたへての給ふやうつはくらめの もたるこやす貝をとらんれうなりとのたもふ をのこともこたへて申つはくらめをあまたこ ろして見るたにもはらになきものなりたゝ し子うむ時なんいかてかいたすらんと申 人たに見れはうせぬと申又人の申やう おほいつかさのいひかしく屋のむねにつくの あなことにつはくらめはすをくひ侍るそれに まめならんをのこともをひて罷りてあくらを ゆひあけてうかゝはせんにそこらのつはくらめ 子うまさらむやは扨こそとらしめたまはめと 申中納言よろこひ給ひておかしき事にも 有かなもつともえしらさりけりけう有事申 たりとの給ひてまめなるをのことも廿人はかり つかはしてあなゝひにあけすへられたり殿よ り使ひまなく給はせてこやすのかひとりたる かとむかはせ給ふつはくらめもひとのあまた のほり居たるにおちてすにものほりこすかゝる よしの返しを申けれは聞給ひていかゝすへき とおほしわつらふに彼つかさの官人くらつ丸 と申おきな申やうこやす貝とらんとおほしめ さはたはかり申さんとて御前にまいりたれは 中納言ひたひをあはせてむかひ給へりくらつ まろか申やうこのつはくらめこやす貝はあし くたはかりてとらせ給ふなりさてはえとらせ 給はしあななひにおとろ〳〵しく廿人上りて 侍れはあれてよりまうてこす也せさせたまふ へきやうは此あなゝひをこほちて人みなしり そきてまめならん人一人をあしたにのせすへ てつなをかまへて鳥の子うまん間につなを つりあけさせてふとこやすかひをとらせ給ひ なはよかるへきと申中納言のたまふやうい とよき事なりとてあなゝひをこほし人みな 帰りまうてきぬ中納言くらつ丸にのたまは くつはくらめはいかなる時にか子をうむとし りて人をはあくへきとのたまふくらつ丸申様 つはくらめ子うまんとする時は尾をさゝけて 七度めくりてなんうみおとすめる扨七度めく らんおりひきあけてそのおりこやすかひはと らせ給へと申中納言よろこひ給て万の人 にもしらせ給はてみそかにつかさにいまして をのこ共の中にましりてよるをひるになして とらしめ給ふくらつ丸かく申をいといたくよ ろこひてのたまふこゝにつかはるゝ人にも なきにねかひをかなふる事のうれしさとの 給ひて御そぬきてかけつけ給ふつ【ママ】さらによさり 此つかさにまうてことの給ふてかはしつ 日暮ぬれは彼つかさにおはして見給ふに誠つ はくらめすつくれりくらつまろ申やうおう けてめくるあらこに人をのほせてつりあけさ せてつはくらめのすに手を指入させてさくる に物もなしと申に中納言あしくさくれは なき也とはらたちてたれはかりおほえんにと て我のほりてさくらんとの給ひてこにのりて つられ上りてうかゝひ給へるにつはくらめお をさけていたくめくるにあはせて手をさゝけ てさくり給ふに手にひらめる物さはる時に我 物にきりたり今はおろしてよおきなしえたり との給ひてあつまりてとくおろさんとてつな をひき過してつなたゆる則にやしまのかなへ の上にのけさまにおち給へり人々あさまし かりてよりてかゝへ奉れり御目はしらめにて ふし給へり人々水をすくひ入奉るからうして いき出給へるに又かなへの上より手とり足取 してさけおろし奉るからうして御こゝちは いかゝおほさるゝととへはいきの下にて物は 少覚ゆれとこしなんうと【ママ】かれぬされとこやす 貝をふとにきりもたれはうれしくおほゆる也 まつしそくしてこゝのかいかほ見んと御くしも たけて御手をひろけ給へるにつはくらめのま りをけるふるくそをにきり給へるなりけりそ れを見給ひてあなかひなのわさやとのたまひ けるよりそ思ふにたかふ事をはかひなしと 云けるかひにもあらすと見給ひけるに御心ち もたかひてからひつのふたに入られ給ふへく もあらす御腰はおれにけり中納言はいくいけ【*】 たるわさしてやむことを人にきかせしとし 給ひけれとそれをやまひにていとよはくなり 給ひにけりかひをえとらすなりにけるよりも 人のきゝわらはん事を日にそへておもひ給ひ けれはたゝにやみしぬるよりも人きゝはつか しく覚え給ふなりけりこれをかくやひめ 聞てとふらひにやる歌   年をへて波立よらぬすみの江の    まつかひなしときくはまことか とあるをよみてきかすいとよはき心にかしら もたけて人にかみをもたせてくるしき心ちに からうしてかき給ふ   かひはかくありける物をわひはてゝ    しぬるいのちをすくひやはせぬ と書はつるたえ入給ひぬ是を聞てかくやひめ 少あはれとおほしけりそれよりなん少うれし き事をはかひありとは云ける扨かくやひめ かたちの世に似すめてたき事をみかときこ しめして内侍なかとみのふさこにの給うおほく 【日本古典文学大系『竹取物語』岩波書店・昭和三十二年では「わらはげ」に校訂】 の人の身をいたつらになしてあはさるかくや ひめはいかはかりの女そとまかりて見てまい れとの給ふふさこ承てまかれりたけとりの家 に畏てしやうじいれてあへり女に内侍の給ひ 仰事にかくやひめのうちいうにおはすなり能 見てまいるへきよしの給はせつるになん参り つるといへはさらはかく申侍らんといひて入 ぬかくやひめにはやかの御使にたいめんし給 へといへはかくやひめよきかたちにもあらすい かてか見ゆへきといへはうたてものたまふかな 御門の御使をはいかてかをろかにせんといへは かくやひめのこたふるやう御門のめしてのた まはん事かしこし共おもはすといひてさらに 見ゆへくもあらすむめる子のやうにあれと いと心はつかしけにをろそかなるやうにいひ けれは心のまゝにもえせめすないしのもとに 帰り出て口おしくこのおさなきものはこはく 侍る者にてたいめんすましきと申ないしか ならす見奉りてまいれと仰こと有つる物を見 奉らてはいかてか帰り参らん国王の仰事を まさに世に住給はん人の承たまはてありなん やいはれぬことなし給ひそとことははちしく 云けれは是をきゝてましてかくやひめ聞へく もあらす国王の仰事をそむかははやころし 給てよかしと云此内侍帰り参て此由をそうす 御門きこしめしておほくの人ころしてける心 そかしとのたまひてやみにけれと猶おほしお はしましてこの女のたはかりにやまけんとお ほして仰給ふ汝か持て侍るかくやひめ奉れ かほかたちよしときこしめて御つかひたひ しかとかひなく見えす成にけりかくたひ〳〵 しくやはならはすへきと仰らるゝおきな畏て 御返事申やう此めのわらははたへて宮仕 つかうまつるへくもあらす侍をもてわつらひ 侍さり共罷ておほせ給はんとそうす是を聞召 て仰給ふなとかおきなのおほしたてたらん物 を心にまかせさらむ此女もし奉りたるゝも のならはおきなにかうふりをなとかたはせさ らんおきなよろこひて家に帰てかくやひめに かたらふやうかくなん御門の仰給へるなをや はつかうまつりたまはぬといへはかくやひめこ たへて云もはらさやうのみやつかへつかうま つらしとおもふをしゐてつかうまつらせたま はゝきえうせなんすみつかさかうふり仕てし ぬはかり也おきないらふる様なし給ひそかう ふりもわか子を見奉らては何にかせんさは有 共なとか宮つかへをし給はさらん死給ふへき やうや有へきといふなをそらことかとつかま つらせてしなすやあると見たまへあまたの人 の心さしをろかならさりしをむなしくなして しこそあれきのふけふみかとののたまはん事 につかん人きゝやさしといへはおきなこたへ て云天下の事はと有ともかゝりとも御命の あやうきこそおほきなるさはりなれは猶つか うまつるましき事を参りて申さんとて 参りて申やう仰の事のかしこさにはわらは をまいらせんとてつかうまつれは宮つかへに 出したておはしぬへしと申みやつこ丸か手に うませたる子にてもあらすむかし山にて見付 たるかゝれは心はせも世の人に似す侍ると そうせさす御門おほせ給はくみやつこまろか 家は山もとちかく也御かりみゆきしたまはん 様にて見てんやとのたまはすみやつこまろか 申様いと能事也何か心もなくて侍らんにふ とみゆきして御覧せられなんとそうすれは 御門俄に日を定て御かりに出給ふてかくや姫の 家に入給ふて見給に光みちてけうらにてゐた る人有是ならんとおほしてにけて入袖をとら へ給へはおもてをふたきて候へとはしめよく御 らんしされはたくひなくめてたく覚えさせ 給ひてゆるさしとすとてゐておはしまさんと するにかくやひめこたへてそうすををのか身は 此国に生て侍らはこそつかひ給はめいとゐて おはしまし難くや侍らんとそうす御門なとか さあらむなをゐておはしまさんとて御こしを よせ給ふに此かくやひめきとかけに成ぬはか なくくちおしとおほしてけにたゝ人にはあら さりけることおほしてさらは御ともにはゐてい かしもとの御かたちとなり給ひねそれを見て たにかえりなんと仰らるれはかくやひめもとの かたちに成ぬ御門猶めてたくおほしめさるゝ 事せきとめかたしかく見せつる宮つこ丸を よろこひ給ふさて仕まつる百くはん人々ある しいかめしうつかうまかるみかとかくやひめ をとゝめて帰給はん事をあかす口おしくおほ しけれと玉しゐをとゝめたる心ちしてなんかへ らせ給ひける御こしに奉て後にかくや姫に   帰るさのみゆき物うくおもほえて    そむきてとまるかくやひめゆへ 御返事   むくらはふ下にも年はへぬる身の    なにかは玉のうてなをも見ん これを御門御らんしていかゝ帰り給はんそら もなくおほさる御心は更にたち帰るへくもお ほされさりけれとさりとて夜を明し給ふへき にあらねはかへらせ給ひぬつねにつかうまつる 人を見給ふにかくやひめのかたはらによるへ くたにあらさりけりこと人よりはけうらなり とおほしける人のかれにおほし合すれは人にも あらすかくや姫のみ御心にかゝてたゝひとり 過し給ふよしなく御かた〳〵にも渡り給はす かくやひめの御もとにそ御文をかきてかよは させ給ふ御かへりさすかににくからすきこえか はした給ひて面白く木草に付けても御歌をよみ てつかはすかやうにて御心をたかひになく さめ給ふ程に三年はかり有て春の初よりかく や姫月のおもしろう出たるを見てつねよりも 物思ひたる様也有人の月かほ見るはいむ事と せいしけれ共ともすれは人まにも月を見ては いみしけくなき給ふ七月十五日の月に出ゐて せちに物思へるけしき也ちかくつかはるゝ人 人竹取のおきなにつけて云かくやひめれいも 月をあはれかり給へ共此頃となりてはたゝ事 にも侍らさめりいみしくおほしなけく事有 へしよく〳〵身奉らせ給へといふをきゝてか くやひめに云様なんてう心ちすれはかくもの を思とひたる様にて月を見給ふそうましき世に と云かくやひめ見れはせけん心ほそく哀に 侍るなてう物をかなけき侍るへきと云かくや ひめの有所にいたりて見れは猶物思へるけし きなり是を見て有仏何事思ひ給ふそおほす らん事何ことそといへは思ふ事もなし物 なん心ほそくおほゆるといへはおきな月な見 給ふそ是を見給へは物おほすけしきは有そと いへはいかて月をみてはあらんとて猶月出れ は出居つゝなけき思へり夕やみには物思はぬ けしき也月の程に也ぬれはなを時々は打なけ きなきなとす是をつかふものともなを物おほす 事有へしとさゝやけと親をはしめて何事とも しらす八月十五日はかりの月に出居てかくや ひめいといたくなき給ふ人目も今はつゝみ給 はすなき給ふ是を見て親共も何事そととひさ はくかくや姫なく〳〵云先々も申さんと思ひ しかともかならす心まとはし給はんものそと 思ひて今迄過し侍りつる也さのみやはとて打 出侍りぬるそをのか身は此国の人にもあらす つきの都の人也それをなんむかしのちきり有 けるによりなん此世界にはまうてきたりける 今はかへるへきに成にけれは此月の十五日に 彼もとの国よりむかへに人々まうてこんすさら す罷ぬへけれはおほしなけかんかかなしき事 を此春より思ひなけき侍るなりといひていみ しくなくをおきなこはなてう事をの給ふ そ竹の中より見つけきこえたりしかとなたね の大きさをおはせしをわかたけたちならふま てやしなひ奉りたるわか子をなん何人かむかへ聞 えんまさにゆるさんやと云て我こそしなめと てなきのゝしる事いとたへかたけ也かくやひめ 云月の都の人にて父母ありかた時の間とてか の国よりまうてこしかともかく此国にはあま たの年をへぬるになん有ける彼国の父母の 事も覚えすこゝにはかく久敷あそひきこえ てならひ奉れりいみしからん心地もせすかな しくのみあるされとをのか心ならす罷りなんと するといひてもろともにいみしうなくつかは るゝ人も年頃ならひて立わかれなん事を心 はへなとあてやかにうつくしかりつることをみ ならひてこひしからん事のたへかたくゆ水のま れす同し心になけかしかりけりこの事を御 門きこしめして竹取か家に御使つかはさせ給ふ 御使に竹取出あひてなく事限なし此事をな けくにひけもしろくこしもかゝまり目もたゝ れにけりおきな今年は五十はかりなりけれ とも物思ひにはかたときになん老になりにけ りとみゆつかひおほせ事とておきなに云 いと心くるしく物思ふ成は誠にかと仰たまふ 竹取なく〳〵申此十五日になん月の都より かくや姫のむかへにまうてくなるたうとくとは せ給ふ此十五日には人々給はりて月の都の人 まうてこはとらへさせんと申御使帰り参りて おきなの有様申てそうしつる事共申を聞 召ての給ふ一目見給ひし御心にたに忘れ給 はぬに明暮見なれたるかくやひめをやりてい かゝ思ふへきかの十五日つかさ〳〵におほせて ちよくし少将高野のおほくにと云人をさして 六ゑのつかさ合て二千人の人を竹取か家に つかはす家に罷てつゐ地の上に千人屋の上に 千人家の人々おほかりけるに合てあけるひま もなくまもらす此まもる人々も弓矢をたいし ておもやの内には女ともはんにおりて守らす 女ぬりこめの内にかくや姫をいたかへており おきなもぬりこめの戸さしてとくちにおり おきなの云かはかり守る所に天の人にもまけ むやといひて屋のうへにおる人々にいはく露も 物そらにかけらはふといころし給へまもり人 人の云かはかりしてまもる所にかはり一た にあらはまついころして外にさらさんと おもひ侍るといふおきなこれをきゝてたのもし かりおり是をきゝてかくやひめはさしこめて まもりたゝかふへきしたくみをしたり共あの国 の人を得たゝかはぬなり弓矢していられし かくさしこめて有共彼国の人々はみなあきな むとす相たゝかはんとす共彼国の人きなは たけき心つかう人もよもあらしおきなの云様 御むかへにこん人をは長きつめしてまなこを つかみつふさんさかゝみをとりてかなくりお とさんさかしりをかきいてゝこゝらのおほやけ 人に見せてはちを見せんとはらたちおるかく や姫いはくこはたかになのたまひそ屋の上に おる人共のきくにいとまさなしいますかりつる 心さしともを思ひもしらて罷なんする事の 口おしう侍りけりなかきちきりのなかりけれは 程なく死ぬへきなめりと思ひかなしく侍る也 親達のかへりみをいさゝかたにつかうまつらて まからん道もやすくも有ましきに日頃も出ゐ てことし計のいとまを申つれとさらにゆる されぬによりてなんかく思ひなけき侍る御心 をのみまとはしてさりなん事のかなしくたへ かたく侍也かの都の人はいとけうらにおひをせ すなん思ふ事もなく侍るなりさる所へまか らんするもいみしく侍らす老おとろへ給へる さまを見奉らさらむ事こひしからめといひて おきなむねいたき事なし給ふそうるはしきす かたしたる使にもさはらしとねたみおりかゝる 程によひ打過てねのこく計に家のあたりひる のあかさにもすきてひかりたりもち月のあか さを十あはせたる計にて有人の毛のあなさへ 見ゆる程なり大空より人雲にのりておりき て土より五尺はかりあかりたる程にたちつらね たり内外なる人の心とも物におそはるゝやう にて相たゝかはん心もなかりけりからうして 思ひおこして弓矢をとりたてんとすれ共手に 力もなくなりてなへかゝりたる中に心さかし きものねんしていんとすれ共ほかさまへいき けれはあれもたゝかはて心地たゝしれにしれて まもりあへりたてる人共はさうそくのきよら なる事物にも似すとふ車一くしたりらかいさ したり其中に王とおほしき人宮つこまろ 家にまうてこといふにたけく思ひつるみやつこ まろも物にゑひたるこゝちしてうつふしにふ せりいはく汝おさなき人いさゝか成くとくを おきなつくりけるによりて汝かたすけにとて かた時の程とてくたしゝをそこらの年頃そこ らのこかね給ひて身をかへたるかことくなり にけりかくやひめはつみをつくり給へりけれ はかくいやしきをのれかもとにしはしおはし つるなりつみのかきりはてぬれはかくむかふ るおきなはなきなけくあたはぬ事也はや返 し奉れといふおきなこたへて申かくやひめ をやしなひたてまつる事廿余年に成ぬか た時との給ふにあやしく成侍りぬ又こと所に かくや姫と申人そおはしますらむと云こゝに おはするかくやひめはおもき病をし給へはえ 出おはしますましと申せは其返事はなくて 屋の上にとふ車をよせていさかくやひめきた なき所にいかてか久敷おはせんといひたてこめ たる所の戸則たゝあきにあきぬかうし共も 人はなくしてあきぬ女いたきてゐたるかくや 姫とに出ぬえとゝむましけれはたゝさしあふ きてなきおり竹とり心まとひてなきふせる所 によりてかくや姫いふこゝにも心にもあらて かくまかるにのほらむをたに見をくり給へと いへとも何しにかなしきに見をくり奉らん我 をいかにせよとてすてゝはのほり給ふそくして ゐておはせねとなきてふせれは御心まとひぬ 文を書置てまからんこひしからん折々取出 て見給へとて打なきて書ことは此国に生れ ぬるとならはなけかせ奉らぬほとまて侍らて 過わかれぬる事返す〳〵ほゐなくこそ覚侍れ ぬきをく衣をかたみと見給へ月の出たらん夜 は見をこせ給へ見捨奉りてまかるそらよりも 落ぬへき心ちすると書をく天人の中にもたせ たるはこ有あまの羽衣いれり又あるは不死の くすり入りひとりの天人云つほなる御くすり 奉れきたなき所の物きこしめしたれは御心地 あしからん物そとてもてよりたれはいさゝか なめ給ひて少かたみとてぬき置ころもにつゝ まんとすれはある天人つゝませす御そをとり 出してきせんとすその時にかくやひめしはし まてといひきぬきせつるは心ことに成なり といふもの一こといひ置へき事ありけりと云 て文かく天人をそしと心もとなかり給ひかく や姫物しらぬ事なのたまひそとていみしくし つかにおほやけ御文奉り給ふあはてぬさま なりかくあまたの人を給ひてとゝめさせ給へと ゆるさぬむかへまうてきてとりいて罷ぬれは 口おしくかなしき事宮仕つかうまつらす なりぬるもかくわつらはしき身にて侍れは 心得すおほしめされつらめとも心つよく承は らすなりにし事なめけなるものに思召とゝ められぬるなん心にとまり侍りぬとて   今はとてあまの羽ころもきるおりそ    君をころもとおもひいてたる とてつほのくすりそへて頭中将をよひよませ 奉らす中将に天人とりてつたふ中将とり つれはふとあまの羽ころも打きせ承りつれは をきなをいとをしかなしとおほしつる事も うせぬ此きぬきつる人は物思ひなくなりに けれは車にのりて百人はかり天人くして上 りぬ其後おきな女ちのなみたをなかしてまと へとかひなしあの書をきし文をよみきかせ けれと何せんにか命もおしからんたかため 何事もようもなしとてくすりもくはすやか ておきもあからてやみふせり中将人々ひき くじ【ママ】て帰りまいりてかくや姫を得たゝかひと どめす成ぬるをこま〳〵とそうすくすりのつ ほに御文そへて参らすひろけて御覧して いとあはれからせ給ひて物もきこしめさす 御あそひなともなかりけりだいじん上達部(かんたちめ)を め 【し闕ヵ】ていつれの山か天にちかきとゝはせ給ふ にある人そうすするかの国にあるなる山なん 此都もちかく天もちかく侍るとそうすこれを きかせたまひて   あふこともなみたにうかふ我身には    しなぬくすりも何にかはせん かの奉る不死のくすりに文つほくして御使に 給はすちよくしには月のいはかさといふ人 を召てするかの国にあなる山のいたゝきにもて 【右丁】 つくへき由仰給ふみねにてすへきやうをしへ させ給ふ御文ふしのくすりのつほならへて火 をつけてもやすへきよし仰給ふそのよし承て 兵者もあまたくして山へのほりけるよりなん 其山をふしの山とは名付ける其けふりいま た雲の中へたちのほるとそいひつたへたる              茨城多左衛門尉板 【左丁】 天明四年甲辰夏四月     江戸日本橋三丁目           前川六左衛門     京都六角通御幸町日へ入  書林       小川多左衛門     大阪南久太郎町心齋橋筋           柳原 喜 兵 衛 【裏表紙右下折返】 ■■【七文ヵ】■■ 七■【計ヵ】 【朱丸印】「キ北畠」 【裏表紙 文字無し】