【右丁】 【表紙】 【題箋は殆ど欠損】 【資料整理ラベル】 721.8 TAC 《割書:日本近代教育史| 資料》 【右丁】 絵本写宝袋 七 【左丁】 絵本写宝袋七之巻目録 范雎(はんしよ)遁(のかれ)_レ厠(かはやを)復(ふくする)_レ仇(あたを)図(づ)   張良(ちやうりやう)売(うつて)_レ剣(けんを)説(とく)_二韓信(かんしん) ̄ニ図 玄徳(げんとく)躍(おどらし)_レ馬(むまを)跳(こゆる)_二檀溪(だんけいを)_一図  曹操(さうそう)横(よこたへ)_レ槊(ほこを)賦(ふする)_レ詩(しを)図 錦嚢計(きんのふのはかりこと)趙雲(てううん)救(すくふ)_レ主(しゆを)図   関羽(くわんう)単刀(たんたうにして)赴(おもむく)_二呉会(ごのくはいに)_一図   仙人之部 王母(わうぼ)持(ぢする)_二蟠桃(ばんたうを)_一図      邪和璞(やわぼく)崔曙(さいしよ)迎(むかふ)_二 上 帝(ていを)_一図 巨霊人(これいじん)愛(あいす)_レ虎(とらを)図       呉猛(ごまふ)乗(のり)_二白鹿車(はくろくしやに)_一持(もつ)_二白羽扇(はくうせんを)【注】図 陳捕(ちんほ)乗(のつて)_レ笠(かさに)渡(わたる)_二洪流(こうりうを)_一【注】図  通玄(つうげん)瓢(ひさご)より出(いだす)_レ【注】駒(こまを)図 【注 早稲田大学本に「はくうせん」とあり、「一点」、「レ点」もあり。https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko06/bunko06_01293/bunko06_01293_0007/bunko06_01293_0007_p0002.jpg 】 【右丁】 陳楠(ちんなん)鉄鉢(てつはつ)より出(いだす)_レ竜(りうを)図     候(こう)先生(せんせい)浴(よくし)_二池中(ちちうに)_一成(なる)_二蝦蟇(かへると)_一図 孫博(そんはく)草木(さうもく)に火光(くはくはう)を生ず図    張(ちやう)九 哥(か)剪(きつて)_レ羅(うすものを)作(なす)_レ蝶(てうと)図 費文(ひぶん)画(ゑかいて)_レ鶴(つるを)酬(むくふ)【注】_二辛氏(しんしに)_一図 黄鶴(くはうくはく)仙人(せんにん)乗(のる)_レ鶴(つるに)図 【注 酧は酬の俗字】 【左丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 絵本写宝袋七之巻   范雎(はんしよ)厠(かはや)を遁(のが)れ仇(あた)を復(ふく)す 范雎(はんしよ)字(あさな)は叔(しゆく)。魏(ぎ)の大梁(たいりやう)の人。経済(けいさい)の大 才(さい)。諸子(しよし)百 家(か)。皆(みな) よく其 妙(めう)を究(きはめ)ずといふ事なし。魏の中 大夫(たいふ)須賈(しゆか)に仕 ̄ユ時に 須賈(しゆか)魏の昭王(せうわう)のために。斉国(せいこく)に使(つかい)す。范雎(はんしよ)を副使(ふくし)として。 金(きん)百 斤(きん)白璧車馬(はくへきしやば)を以て斉王(せいわう)に送(おく)り。互(たがい)に相すくふこと を約(やく)す。二人 斉国(せいこく)に到(いた)る。斉王の曰。尓(なんぢ)が魏(き)何等(なんら)の主(しゆ)にして。寡人(くわじん) がまへに誓盟(せいめい)を陳(のぶ)るや。范雎 須賈(しゆか)が対(こた)ふることの遅(おそ)きを見 て前(すゝ)み出て曰。臣(しん)が王は仁義礼智雄 略(りやく)の主なり。斉王大に 笑(わら)ふ。范雎が曰。然ば臣一々是を奏(そう)せんとて。魏王の彼(かの)徳(とく)ある 事を称(せう)し。猶又斉王の問(とい)にこたへ。終日(ひねもす)談論(だんろん)する事。懸河(けんが)の耳(みゝ) に入り。蜜(みつ)の浸(ひた)して漸々(ぜん〳〵)に甜(あまき)が如(こと)し。遂(つい)に正使(しやうし)須賈(しゆか)を。さし 除(のけ)て。范雎をもてなし。斉王又 黄金(わうごん)一 笏(こつ)を賜(たま)ふ。時に須賈 正使たる吾をさし置て。范雎をもてなし。金酒を賜(たま)ふ事を 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 妬(ねた)み詭(いつは)りをまふせて先(さき)に魏(ぎ)国に帰り。丞相(せう〴〵)魏 斉(せい)といふ 者に。范雎は魏 国(こく)の密事(みつじ)を斉王に訴(うつた)ふと讒(ざん)す。魏斉 即(すなは)ち人を遣(つかは)し。范雎(はんしよ)を搦(から)め来らしむ。魏斉がいはく。正使(しやうし) をもてなさずして副使(ふくし)を款待(もてなす)は。国の密事(みつじ)を売(う)りしゆへなり。 吾(われ)今 汝(なんぢ)をもてなさんとて。草(くさ)をまじへたる豆を以て馬と共に 喰(くは)しめ。士卒(しそつ)をして打(うた)しむること百。皮(かは)裂(さけ)肉(にく)綻(ほころ)び脅(かたぼね)を折(お) り歯(は)を摺(とりひし)ぎしかば。范雎 詭(いつはり)て死(し)したる状(かたち)をなす。魏斉 悦(よろこ) び簀巻(すまき)にして厠(かはや)に棄(す)て其上にかはる〴〵溺(いばり)せしめ。後のこらし めにする。鄭安平(ていあんへい)といふもの。范(はん)が罪(つみ)なくして刑(けい)せられし 事を怜(あはれ)み厠に往(ゆき)て是をみるに。范雎 簀(す)に巻(まか)れながら未(いま)だ死 せざることを告(つ)ぐ依之(これによつて)安平 野外(やぐはい)の死(し)人を以て。范雎と入かゑ 連(つれ)帰(かへり)て吾(わか)家に匿(かく)し名(な)を張禄(てうろく)と改(あらたむ)るに是を知るものなし秦(しん) の昭王(しやうわう)賢(けん)人をもとめ給ふ。安平ひそかに。張禄を以て王 稽(けい)といふ 者に告(つ)ぐ。稽(けい)すなはち車(くるま)に隠(かく)し秦(しん)国に帰る。昭王大に悦(よろ) 【左丁】 [こ]び。張禄(てうろく)を丞相(せう〴〵)に拝(はい)し給ひしより。一年にして秦(しん)国大に治(おさま)り。 遂(つい)に六国(りつこく)を呑(のむ)の勢(いきお)ひあり。魏(ぎ)国又 須賈(しゆか)を使(つかい)として。夜明(やめい) 珠(しゆ)を献(けん)じて和(わ)を乞(こふ)。范雎(はんしよ)是(これ)を聞(きゝ)。宴席(えんせき)を設(まふけ)て列国(れつこく)の使(し) 者(しや)を款待(もてな)し其前(そのまへ)にして。士卒(しそつ)に命(めい)じて須賈を捕(とら)へ。引出(ひきいだ)し て曰。汝(なんぢ)吾(われ)を讒(ざん)しける時。馬(むま)と共に喰(くらは)しめたるごとく。汝も馬 と共に喰(くら)ふべしとて。割(きさめ)る草(くさ)に豆をまじへ馬と共に喰しめ。 扨(さて)汝(なんぢ)を殺(ころ)すべけれども。一 命(めい)を許(ゆる)す。国に帰て魏(ぎ)王に報(ほう)じ。 速(すみやか)に魏斉(ぎせい)が首(くび)を献(けん)ぜよ。然(しか)らずんば兵(へい)を発(おこ)して。汝が魏国 城を屠(ほふ)らん。須賈 羞(はぢ)を含(ふく)み。国(くに)に帰(かへつ)て魏斉に告(つ)ぐ。魏斉大 に驚(おどろ)き。終(つい)に自(みづか)ら首(くび)を刲(はね)て死(し)す。秦(しん)の昭王(せうわう)六国を併(あは)する ものは。皆(みな)范雎(はんしよ)が功(こう)なり   張良(ちやうりやう)売(うつて)_レ剣(けんを)説(とく)_二韓信(かんしんを)_一 張良(ちやうりやう)は韓信(かんしん)が陣門(ぢんもん)に行(ゆき)。同国(どうこく)の友(とも)なり。速(すみやか)に見(まみへ)んことを告(つげ)けれ ば。韓信 怪(あやし)んで月かげに見れば。其(その)人表(じんへう)常(つね)ならず。問(とふ)て曰。足下(そくか)いかな 【右丁 挿絵の説明】 秦 ̄ノ丞相(せう〳〵)范雎(ハンシヨ) 【左丁 挿絵の説明】 魏国(ぎこく)の使(つかい)須賈(しゆか) に馬と共に くらはしむる所              須賈(しゆか) 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 る人なれば某(それかし)に遇(あは)んといひ給ふぞ。張良が曰。吾(わ)が家(いへ)に伝(つたは)る宝剣(ほうけん) 三振(みふり)あり。誠(まこと)に世(よ)に希(まれ)なる宝剣(ほうけん)なり。遍(あまね)く天下の英雄(えいゆふ)を求(もと)め。 先(まづ)其(その)人を見(み)て次(つぎ)に剣(けん)を売(う)る。既(すで)に二(ふた)ふりは売(うり)たれども。今 一(ひと)ふり。其人に遇(あは)ずして残(のこ)し置(お)けり。将軍(しやうぐん)此(この)剣を得(え)給はゞ。威(ゐ)天下 を制(せい)せん。韓信 心(こゝろ)の内(うち)ひそかに喜(よろこ)び。今 先生(せんせい)剣を持来(もちきたつ)て示(しめ) さる願(ねがは)くは一 見(けん)せん。張良 剣(けん)をあたへければ。韓信 灯(ともしび)の下(もと)に て抜(ぬい)て見るに。心の内しきりに喜(よろこ)び問て曰。此剣に名(な)はなき か。張良が曰。悉(こと〳〵)く名(な)あり。一つは天子の剣。一つは宰相(さいしやう)の剣。 一つは元戎(げんじう)の剣(けん)也。二 振(ふり)は誰(たれ)人に売給ひしぞ。曰。天子の 剣は沛公にうり。宰相(さいしやう)の剣は蕭何(しやうが)にうり候。元戎(けんじう)の剣は。 足下(そくか)に売(う)らんため特(とく)に来てすゝむるなり。韓信が曰。先生(せんせい)は韓(かん) 国の張子房(てうしばう)にてはなきか。張良が曰。将軍(しやうぐん)吾(われ)を知(しり)給ふ。韓信 大に笑(わらつ)て。先生は人中の竜(りう)なり。我(われ)爰(こゝ)を去(さつ)て漢王(かんわう)に帰(き) せんとほつす。願(ねがは)くは計(はかりこと)を教(おしへ)給へ。張良が曰。将軍(しやうぐん)漢王(かんわう)に帰せん 【左丁 挿絵中の説明】 韓信(かんしん)剣(けん)を見(み)る                       張良(てうりやう)剣(けん)を売(うり)説(とく) 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 とならば我に一物ありと。懐(ふところ)より封(ふう)じたる割符(わりふ)を取出し。往(その) 日(かみ)漢王(かんわう)に別(わか)るゝ時。破楚(はそ)大元帥(たいげんすい)をたづね得(え)ば。此(この)割符を以て すゝめ遣(つかは)すべしと蕭何(せうが)と約(やく)をなせり。将軍(しやうぐん)赴き給はゞ漢王(かんわう) 重(おも)く用ひ給ふべしと。又 残道(ざんたう)の地理(ちり)の図(づ)を渡し。次(つぎ)の日張 良は出去(いでさり)ければ韓信(かんしん)は漢中(かんちう)へ赴(おもむ)きけり   玄徳(げんとく)躍(おどらして)_レ馬(むまを)跳(こゆ)_二檀溪(だんけいを)_一 劉備(りうび)字(あざな)は玄徳(げんとく)後漢(ごかんに)景帝(けいてい)の元孫(げんそん)涿縣(たくけん)の人(ひと)。母(はゝ)に事(つかへ)て孝(かう) を尽(つく)し。履(くつ)を售(うり)蓆(むしろ)を織(おり)て家業(かげう)とす。身(み)の長(たけ)七尺五寸左右 の手(て)膝(ひざ)を過(すぐ)る。又身の長九尺五寸 髯(ひげ)の長(なが)さ一尺八寸。河東(かとう)の人(ひと) 関羽(くわんう)字(あざな)は雲長(うんてう)。扨又。張飛(てうひ)身の長八尺。此三人 桃園(とうゑん)に義(き) を結(むす)んで兄弟と成。黄巾(くわうきん)の賊(ぞく)を破(やぶ)りし軍功(ぐんこう)に依(よつ)て。予(よ) 州(しう)の牧(ぼく)に補(ほ)せられ給ふ。曹操(そう〳〵)といふ者(もの)。漢(かん)の天下を奪(うばは)んとす るを悪(にく)み。義兵(ぎへい)を興(おこ)し。当陽(たうやう)の長坂波(てうはんは)に曹操(そう〳〵)と戦(たゝか)ひ 勢(せい)少(すくな)く打負(うちまけ)て。荊州(けいじう)の劉表(りうへう)を頼(たの)み居(ゐ)給ふ。劉表弟と 【左丁】 称(せう)して。襄陽(じやうやう)の新野(しんや)城を守(まも)らしむ。劉表(りうへう)病身ゆへ荊州(けいしう)を譲(ゆづら) むといへども。玄徳(げんとく)うけ給はず。劉表の妻(さい)の兄(あに)蔡瑁(さいぼう)と云(いふ)もの。国の政(まつり) ごとを専(もつはら)にす。劉 表(へう)玄徳に国(くに)をゆづらんといふを聞(きく)。玄徳を置(おき)ては。 後(のち)の災(わざわい)と蔡夫人(さいふじん)と計(はかり)て襄陽(せうやう)の会(くわい)を催(もよほ)し。玄徳を招(まね)きけるに。 玄徳 何(なに)の心(こゝろ)もなく来り給ふ。蔡瑁(さいぼう)仕(し)すましたりと悦(よろこ)びぬ。酒(さけ)三 巡(じゆん)に及ぶ時。伊藉(いせき)といふ者 盃(さかづき)を取て玄徳のまへにゆき。屹(きつ)と目(め)く ばせして衣(ころも)を着(き)かへ玉へと云ければ玄徳其心を悟(さと)り厠(かはや)へ行 体(てい)にて 出給へば伊藉 私語(さゝやき)けるは蔡瑁君を殺んとて城外三方には皆 大 勢(ぜい)を伏置(ふせおき)たり。只 西(にし)の門 計(ばかり)担溪(だんけい)を頼みて伏(ふせ)勢を廻(まは)さず。此 道(みち) より落(おち)給へと告(つ)ぐ。玄徳悦び。的盧(てきろ)の馬に乗(の)り。担溪(だんけい)に到(いたり)り【衍】見(み) 給ふに白波(しらなみ)天に漲(みなぎ)り渡(わた)るべきやうなし。後(うしろ)をかへり見給へば。敵軍(てきぐん)はや 背(せなか)にあれば。馬(むま)をさつと打(うち)入れ。馬の頭(かしら)をたゝき。的 盧(ろ)々々(〳〵)努力(つとめよ)やと 宣(のたま)ふに。此馬 忽(たちま)ち一 躍(おどり)三 丈(じやう)飛(とん)で西(にし)の岸(きし)に襄(あが)る。玄徳 茫然(ばうぜん)として雲霧(うんぶ)の 中を行(ゆく)がごとく危(あやう)き難(なん)を遁(のが)れ玉ふ。後(のち)に蜀(しよく)の皇帝(くはうてい)と成給ふは此 人(ひと)なり 【右丁 挿絵の説明】 【右から横書き】 玄徳 的(テキ)盧(ロ)馬(バ)ニ乗 ̄リ 檀(ダン)溪(ケイ) ̄ヲ越(コ)所(ス) 【左丁 挿絵のみ】 【右丁 挿絵の説明】 呉ノ南屏山 ̄ニ月ノボツテ 烏鵲発 ̄ノ_レ声 ̄ヲ景 【左丁 挿絵の説明】 曹操身長七尺 細眼(メホソク)長髯(ヒゲナガシ)行年五十歳 舟頭ニ立テ横(ヨコタヘ)_レ槊(ホコヲ)詩賦(シフ)ノ図              シトグ 中冬西北ノ微風紅ノ袍(ヒタヽレ)ヲヒルガヘス意ヲ写ス       薄墨                             クマ   黄土具                                     墨                                     クマ                          金                          砂子 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】   曹操(そう〳〵)横(よこたへて)_レ槊(ほこを)賦(ふす)_レ詩(しを) 魏(ぎの)曹操(そう〳〵)は後漢(ごかん)の末(すへ)の大 名(めう)なりしが。頻(しきり)に軍功(ぐんこう)あつて丞相(せう〴〵) となる。又 呉(ご)の国の大名を孫権(そんけん)と云。是を亡(ほろぼ)さんため。百万の 勢(せい)を引率(いんそつ)し。数(す)万 艘(ざう)の船を拵(こしら)へ大江に浮(うか)め。懸引(かけひき)を調練(てうれん)す。 呉の国には周喩(しうゆ)といふ大将。又 玄(げん)徳の軍■【師ヵ】諸葛孔明(しよかつこうめい)と計(はかりこと)を 合(あは)せ。孔明は風を祈(いの)る。周愈(しうゆ)は火ぜめの用 意(い)せり黄蓋(くはうがい)に狗(く) 肉(にく)の計(はかりこと)を授(さづ)け。曹操(そう〳〵)に降(くだ)らしむ。孔明は風を祈(いの)り荊州へ 戻(もど)り。手分(てわけ)を定(さだ)め曹操と戦(たゝかは)しむ。時(とき)に建安(けんあん)十二年十一月十五日 曹操 大船(たいせん)を赤壁(せきへき)の中央(ちうわう)に浮(うか)べ。自(みづか)ら将台(しやうたい)の上に坐(ざ)す。近侍(きんじ) みな錦繍(きんしう)の袖(そで)をつらね。文 武(ふ)の大将 階級(かいきう)に依(よつ)て悉(こと〳〵)く集(あつま)り しかば。曹操 勇(いさ)み喜(よろこ)び。南 屏(へう)山の月に映(えい)じて画(ゑかく)が如くなるに 酒(さけ)を取て江を奠(まつ)り。三盃 飲(のみ)つくして。槊(ほこ)を横(よこた)へ諸将に向(むかつ)て。 吾此 槊(ほこ)を以て黄巾(くはうきん)の賊(ぞく)を破(やぶ)り。天下の内に縦横(じうわう)す。真(まこと)に 大丈夫の志(こゝろざし)なり。吾今歌を造(つく)らん。汝(なんち)等(ら)是を和(わ)せよとて 【左丁】 一 長篇(ちやうへん)を賦(ふ)せられけるが。終(つい)に打 負(まけ)て。からき命を助りける。 これを赤壁(せきへき)の戦(たゝかい)と云   錦嚢計(きんのふのはかりこと)趙雲(てううん)救(すくふ)_レ主(しゆを) 呉(ご)の孫権(そんけん)周喩(しうゆ)と計(はかり)て。妹(いもうと)と嫁(めあは)せんと偽り劉玄徳(りうげんとく)を招(まね)き 寄(よ)せ。擒(とりこ)にして獄中(ごくちう)に囚(とらへ)置(おき)荊州(けいしう)を取らんと。呂範(りよはん)といふ者を 荊州へ遣(つかは)す。呂範(りよはん)即(すなは)ち荊州に至る。時に孔明(こうめい)が曰。周喩(しうゆ)が計 にて荊州の故(ゆへ)ならん。某(それかし)は屏(べう)風の後(うしろ)に居(ゐ)て聞べし。君(きみ)は対(たい) 面(めん)して客屋(かくや)に留(とめ)置給へ。評議(へうぎ)して返すべしと。扨呂範玄徳 に見(まみ)へ。孫権(そんけん)の妹と配偶(はいぐう)のことを詳(つまびらか)に申す。玄徳の曰。先 客(かく)屋 にて休(やす)み給へ明日事を定んと。其夜 諸(しよ)大将を集(あつ)め議(ぎ)し 給ふ。孔(こう)明 笑(わらつ)て曰。某(それかし)屏風の後にて具(つぶさ)に聞に此事大 吉(きち)也。 許容(きよよう)し給へ。孫権が妹を娶(めと)る時は荊州 危(あやう)きことなし。玄徳心 決(けつ)せず。孔明三ヶ条(でう)の計(はかりこと)を書写し。錦(にしき)の袋(ふくろ)に入て趙雲に 授(さづ)け。同じく五百 余(よ)人の精兵(せいべう)を添(そ)へたり。玄徳 早(はや)船に乗(の)りて 【右丁 挿絵の説明】                    常山ノ趙雲(テウウン) 玄徳ノ妻(ツマ)孫夫人ノ車 【左丁 挿絵の説明】         呉ノ将 陳武(チンブ)潘璋(ハンシヤウ)二人 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 荊州に着(つき)ければ。趙雲(てううん)第一の袋(ふくろ)を開(ひら)き看(み)て。五百人の 壮士(さうし)に計(はかりこと)を授(さづ)く。爰(こゝ)に又 呉(ご)の国に橋国老(けうこくらう)とて。至(いたつ)て正直成(せうちきなる) 人あり。孫策(そんさく)周兪(しうゆ)が舅(しうと)なれは孫権(そんけん)を初(はじ)め諸(しよ)人 尊(たつと)ぶ。玄徳 礼物(れいもつ)を持せ橋国老(けうこくらう)が家(いへ)にゆき次第(したい)を告(つげ)給ふ。橋国老玄徳に 対面(たいめん)して後(のち)。呉夫人(ごふじん)に見(まみ)へ悦(よろこ)びを申す。呉夫人 何(なに)事かと 問(と)ふ。国老曰。孫夫人(そんふじん)に劉玄徳を婿(むこ)とし給ふ由(よし)。玄徳此国に来り 給ふ。呉夫人 曽(かつ)てしらず。孫権(そんけん)を呼(よ)び大に怒(いかつ)て曰。汝(なんぢ)妹(いもうと)を以て 玄徳に嫁(めあは)せんとす。何とて初(はしめ)より知らせず。汝(なんぢ)吾(われ)を母と思はゝ。先(まづ)吾(われ) に問(とふ)て其後事を行(おこな)はざるやと。以の外(ほか)に怒(いか)り給へば。孫権 元(もと)より 大 孝行人(かう〳〵じん)ゆへ母(はゝ)の怒(いか)りに依(よつ)て。玄徳(げんとく)を実(じつ)の婿(むこ)とす。又 周喩(しうゆ)が 謀(はかりこと)にて金屋(きんおく)朱門(しゆもん)綾羅錦繍(れうらきんしう)をつらね。美(び)女 数(す)十人 孫(そん)夫 人と昼夜(ちうや)遊楽(ゆふらく)せしめ心を蕩(とらか)さしめて是を殺(ころさ)んとす。時に 趙雲(てううん)。孔明が与(あた)へし錦嚢(きんのふ)年(とし)の終(おはり)に開(ひら)き見よと云。第二の 嚢(ふくろ)を披(ひら)き。其 旨(むね)を覚(さと)り。玄徳に暁(さと)して曰。曹操五十万 【左丁】 の勢(せい)を以て荊州を攻(せむ)るのよし。孔明(こうめい)早船(はやふね)を以て告(つぐ)ると。依之(これによつて) 玄徳 孫(そん)夫人と謀(はか)りて。春正月朔日 先祖(せんぞ)の祭(まつり)に事(こと)よせ。孫夫人 は車(くるま)にのり。玄徳は馬(ば)上にて数(す)十 騎(き)を従(したが)へ。趙雲(てううん)が五百の勢(せい) と。南徐(なんぢよ)を離(はな)れて熊と陸路(りくぢ)より逃(のき)給ひぬ。孫権(そんけん)怒(いかつ)て 陳武(ちんぶ)潘璋(はんじやう)に五百の精兵を授(さづ)け。二人共に捕(とら)へ来れと下知(けぢ) しける。玄徳は漸(やう)〳〵(〳〵)柴桑(さいさう)まで落(おち)給ふ処に。跡より五六百 騎 飛(とぶ)が如(ごと)く追(おい)来(きた)る。趙雲(てううん)が曰。君はさきへ落給へ。某(それかし)一 軍(いくさ)せんと 云ける時。向より又。一手(ひとて)の勢来る。玄徳前後の敵(てき)あり。進退(しんたい) 極りける時。第三の嚢(ふくろ)を開(ひら)き見。計(はかりこと)を孫夫人に告(つげ)給へば。孫 夫人追手の兵を退(しりぞ)け給ふ所に。孔明兼て商人(あきひと)船に精兵 を隠(かく)し相待。事ゆへなく荊州(けいしう)へ帰り給ふ   関羽(くはんう)単刀(たんたう)にて呉(ご)の会(くわい)に赴(おもむく) 関羽 身長(みのたけ)九尺五寸 髯(ひげ)の長サ一尺八寸。面は重棗(てうさう)のごとく世に。 美髯公(びぜんこう)と称す。劉(りう)玄徳の弟なり。玄徳 巴蜀(はしよく)を取て関羽 【右丁 挿絵の説明】 呉ノ塞(サイ)外 臨(リン)江亭 兵ヲ伏セ置シ体     魯粛(ロシユク) 【左丁 挿絵の説明】  美髯公面赤ク              六シヤウ  状チ棗(ナツメ)ノ如シ眼             金紋  鳳ノコトク鬚(ヒゲ)一尺   面朱ノキメクマ    コンジヤウ  八寸身長九尺五寸               金紋      朱  緑(ミドリ)ノ袍(ヒタヽレ)ヲ着ス                           朱ウン                                     ナン                                  白              下スミクマ              コン              コンジヤウ                 カケ       白 青龍ノ偃月刀                 コレヨリ下皆金        朱    金テイ                  金                 朱  朱                         白   白                  白           ワウトグ               白   白                            白                                コン  臥牛山ノ  周倉面ノ色ワウト朱スミクマ           下スミクマ  面(カヲ)虯(ミツチ)【虬は俗字】ノコトク髯(ヒケ)螭(ヱンウ)ノコトク    アイロウカケ                           金紋 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 を荊州の太守(たいしゆ)とす。呉(ご)の孫権(そんけん)荊州を取らんため初め妹を餌(えば)とし 玄徳を呼寄(よびよせ)しに。母(ぼ)公の怒(いか)りゆへ実(じつ)の婿【聟は俗字】とし終(つい)に計 不成(ならず)今関羽 を呼寄せ。帷幕(いばく)のかげに精兵を伏せ置。忽(たちまち)に殺さん若大勢に て来らば。呂蒙(りよもう)甘寧(かんねい)鉄炮(てつほう)を相図とし一 度(ど)に打出。こと〴〵く討(うつ)べしと 陸口(りくこう)の塞外(さいぐはい)臨江亭(りんこうてい)に会宴(くはいえん)を設(もふ)け。書簡(しよかん)を調へ。荊州へ使を遣(つかは) しけり。関羽書簡を見て。其使に明日必ず行んと云ければ。関平が曰。 魯粛(ろしゆく)が会宴は必ず悪心あらん父千 金(きん)の重(おも)き御身を軽(かる)〴〵し く虎狼(こらう)の穴に陥(おと)し給ふな。関羽が曰。吾(われ)これを知まじきか。陸口に 兵(へい)を伏置き。擒(とりこ)にして荊州を求(もとめ)んためなり。行ずんば臆(おく)せるに似(に)た り。馬良(ばりやう)諫(いさめ)て曰軽〳〵しく行給ふな。関羽が曰 豈(あに)呉の国の鼠どもを 怖(おそれ)んや。むかし春秋の時。趙(てう)の国に藺(りん)相如(しやうじよ)と云し人は。鶏(にはとり)を縛(つな)ぐ計 の力もなくして。澠池(めんち)の会(くはい)に秦(しん)の国の君臣を小児のごとくせり。吾 万人の敵(てき)を学(まな)ぶ。既(すで)に行んと云て行すんば是 信(しん)にそむくなり。 馬良が曰。行給ふとも宜く用心し給ふべし。関羽が曰関平に船手(ふなて) 【左丁】 の精兵五百人と早船(はやふね)十 艘(さう)此 方(かた)の岸(きし)に待(また)せ置き若(もし)旗(はた)を以て まねくを見ば早く舟を飛(とば)して来るべし。関平 父(ちゝ)の命(めい)にしたがい。兵を揃(そろへ) へ【衍】て北の岸に出(いで)ければ。関羽八十二斤の青 龍刀(りうたう)を周倉(しうたう)に持せ江(え) を渡る。魯粛(ろしゆく)次(つぎ)の日人を出し見せしむるに。紅(くれない)の旗(はた)に関の字(じ)書(かき)たる舟 既(すで)に岸に着(つき)けり。関羽 緑(みどり)の袍(ひたゝれ)を着(き)て。周倉(しうさう)とて面は蛟(みつち)のごとく成(なる) 千斤を上る大刀。青龍の大 薙刀(なぎなた)を執(とり)て相 続(つゝい)て。躍(おどり)り【衍】上りしかば。 魯粛出 迎(むか)へ礼(れい)を施(ほどこ)し引て臨江亭(りんこうてい)に入り。魯粛 拝伏(はいふく)して仰(あふぎ) 見ること能(あた)はず。酒 半酣(はんかん)に至て魯粛が曰。昔(むかし)劉皇叔(りうくわうしゆく)曹操(そう〳〵) に攻(せめ)破(やぶ)られ。計(はかりこと)窮(きはま)り。勢(いきをい)尽(つき)し時。我(わが)主人孫権 国(くに)の費(つい)へ民の 労(らう)を思はず。大軍を発(おこ)し。其 憂(うれい)を救(すく)ひし時の約束(やくそく)にそむき。 今 蜀(しよく)の四十一州を取ながら。荊州(けいじう)を渡し給はず。枉(まげ)て併(あは)せ領(れうぜ)ん とし玉ふ。関羽が曰。是みな兄(このかみ)のことなり。某(それがし)が知る処にあらず。魯(ろ) 粛が曰 昔(むかし)桃園(とうえん)に義(ぎ)を結(むす)んで。共に生死の交(まじは)りを誓(ちか)ひ玉ふ。 然る時は劉皇叔は即(すなは)ち足下なり。何(なに)ゆへ知(しる)処にあらずと宣(のたま)ふ 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 や。関羽 答(こた)ふべき詞(ことば)なし。周倉 声(こへ)を励(はげま)して曰。天上地下只 徳(とく)あ るもの是を保(たも)つ時に関羽色を変(へん)じ周倉が持たる青龍刀(せいりうたう) を提(ひつさ)げ。これは国家(こくか)の大事。酒後に論(ろん)すべからずと。屹(きつ)と目(め)くばせ すれば。周倉其心を悟(さと)り岸(きし)の辺にはしり出。紅(くれない)の旗(はた)を取て招(まねけ) ば。関平が勢五百余人 早舟(はやふね)十 艘(さう)矢のごとく東(ひかし)の岸(きし)に馳(はせ)来る。関 羽は右の手に青龍刀を提(ひつさ)け。左の手にて魯粛が臂(ひぢ)を引掴(ひつつか)み。 佯(いつは)りて醉(えい)たる体(てい)をなして曰。御辺(ごへん)と是非(ぜひ)を論(ろん)ぜば。恐(おそ)らくは故旧(こきう) の情(じやう)を傷(やぶ)るべし。他日荊州に請(しやう)じて一 会(くわい)せんと。小児を提(さげ)たる が如(ごと)くにして岸の辺に出ければ。兼(かね)てより漏(もら)さじと待かけたる 呂蒙(りよもう)甘寧(かんねい)。若(もし)討て出てば魯粛が殺(ころ)されん事を怕(をそ)れ兵を制(せい) して出ず。関羽が船は順(じゆん)風に乗(ぜう)じて去ければ。魯粛 茫然(ばうぜん)と して酒に醉(えい)たるごとく計(はかりこと)終にならざれば。共に本陣(ほんぢん)に帰り孫権に斯(かく) と告げ。重て荊州を攻(せめ)んことを議(ぎ)しけれども。曹操攻来ると聞て 先是を防(ふせ)ぐ事を計りき 【左丁】        亀台(きたい)金母(きんぼ) 後 漢(カンノ)降(クタル)_二武帝 ̄ノ 殿 ̄ニ_一母 進(スヽメテ)_二蟠桃(バンタウ)七 枚(マイヲ)帝 ̄ニ_一自 ̄ラ食(クラフ)_二其 ̄ノ 二 ̄ヲ_一帝欲 ̄ス_レ留 ̄ント_レ核(サネ) ̄ヲ母 ̄ノ 曰 ̄ク此 桃(モヽ)非 ̄ス_二世間 ̄ニ所 ̄ニ_一_レ有 ̄ル 三-千-年 ̄ニ一 ̄タヒ-実(ミノル)-耳 偶(タマ〳〵) 東方 朔(サク)於(ヨリ)_レ牖間(マド)窺(ウカヽフ)_レ之母指 ̄シテ-曰此 ̄ノ-児(ジ)已 ̄ニ-三 ̄ツ偸(ヌスム)_二吾 ̄カ-桃 ̄ヲ_一矣然 ̄トキハ則朔 ̄ハ九千歳ト イヘドモ寿(コトブキ)ハカリナシ寿(ジユ)老人ハ朔ナルカ 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 邢和璞(けいくわほく)【邪は誤】終南山に廬(いおり)す。人の心を算(かぞ)ふるの術を得たり。暴死(とんし)する者を活(いか)す。道(とう)を 学(まな)ぶ者多し。一(ある)日弟子 摧曙(さいしよ)に謂(いつ)て曰。異客(いかく)来らんと。翌(よく)日 果(はた)して一人至る。 身(み)の長(たけ)五尺 闊(ひろ)【濶は俗字】さ三尺。首(かしら)其の半(なかば)にあり緋(ひ)を衣(き)笏(こつ)を執(とつ)て鼓(く)_レ髯(ひげを)して大笑す。吻角(くちひる) 耳を侵(おか)して劇談(ものかたり)す。多く人間の語(ご)に非(あら)ず。摧曙(さいしよ)移(はしつ)て庭を過ぐ。客 熟視(つぐ〴〵み)て和璞に 謂て曰 此(これ)泰山老師(たいさんらうし)に非や。曰然り。食(しよくし)畢(おわつ)て去る。和璞曙に謂て曰。此 ̄レ は上帝(しやうてい)なり。 臣に戯(たはふ)れてなり。泰山老師といふ子(なんぢ)-復(また)-能(よ)く省(さと)るや。曙曰 向(さき)に先生の言(ことば) を聞に某を泰山 老師の後身と 然れども前身 記(き)することを 得ずと和        上帝 璞 後(のち)に之(ゆく) 所を知らず             世に寿老人といふは此人歟 【左丁 挿絵の説明】    邪和璞(ヤワボク)【ママ】    崔曙 【右丁 挿絵のみ】 【左丁 挿絵の説明】 巨霊人(これいじん) 八仙人ノ内      白虎仕立ゴフン 大力 神通(じんづう)の人なり          章スミ 古文前集に 巨霊山を劈(つんざい) て洪水(こうすい)尽(つく) とあり又 白虎を愛 すと有 【右丁】 呉猛(ごもう)《割書:字世雲》 常(つね)に江を渡る時に 波風大にあれば 白(はく)羽 扇(せん)を以て 水を㩇(かきわけ)て渡 後亦白 鹿(ろく)車に 乗じて 天に昇る 【左丁】 陳捕(ちんほ)《割書:字南木》 披(ひらい)_レ髪(かみを)て日に行こと数百里三山の 大義渡(だいぎど)を過て 洪水流て舟を 渡すこと ならず 依て 着たる 笠を  浮べて     済(わた)る 【右丁】 【囲みの中】通玄(つうけん)先生《割書:八仙ノ内》 ひさごより駒を 出す術あり 【左丁】 陳楠(ちんなん)《割書:八仙ノ内》 嘗(かつ)て蒼梧(さうご)に之(ゆく)郡人雨を祈る楠 鉄鞭(てつべん)を執(とつ) て潭(いけ)に下り竜を駆(か)る須臾(しはらく)にして雷雨(らいう)交(こも〳〵)作(な) る鉄鉢より 竜を出 す 術 有 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 何(いつれ)の処の人といふことを知らず。宋の大中の比 京師(みやこ)に在て薬を貨(うり) 年四十余にして鬚(ひげ)眉(まゆ)なし。肌体(みうち)に㨨贅(いぼ)を生ず。馬元(ばけん)と云もの有。夏月 之(これ)に 随(したがつ)て閶闔(しやうかつ)門に出(い)ず。候(こう)池中に浴(よく)す。元 因(よつ)て臨(のぞ)み見ば。乃(すなは)ち一 ̄ツ の大蝦蟇(おほかへる)なり 元 遽(にはか)に退(しりぞ)き引く。候 浴(よく)し畢て衣を着(き)て出ければ。元 前(すゝん)で揖(いつ)す。候笑 て曰。子(なんち)適(まさ)に我を見るや。乃(いまし)元を召して酒肆(さかや)に行て飲む薬(くすり)一粒を元に 与へて曰。是を服(ふく)せば寿(ことぶき)百歳ならんと。此より後見す 後に蜀(しよく)より  来る者   市にて 薬を貨(うる)を 見る  と云     馬元 【左丁 挿絵の説明】        候(こう)先生 【右丁】 孫博(そんはく) 好で書を読み 道を学ぶ能く 草木をして火 の光りを 生ぜし む水中 を行ども 衣 不沾濡(うるをはず) 山間石壁を 出入すること 穴のあるが  ことし 【左丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 張(ちやう)九 哥(か) 宋(そう)の慶暦(けいれき)年中に京師(みやこ)に居れり。冬の時も単衣(ひとへもの)を着するのみ。燕五是を 奇とす嘗(かつ)て召て与(とも)に飲む。後五に見て曰 遠(とを)く遊(あそば)んとす故に来て別(わか)る。吾 小枝(せうき)あり王を悦(よろこは)しめん乃(すなは)ち羅(うすもの)を取て重(かさね)畳(たゝん)で 剪(きつ)て蝶の状(かたち)を なす剪るに 随(したが)ひ飛去て  天日を    遮(さへぎ)り蔽(おゝ)ふ少頃(しばらくあつ)て 之を呼べは皆   来り復(かへつ)て   元(もと)の羅(うすもの)となる 【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】 費文禕(ひぶんい)《割書:字子安》 道を好んで仙を得たり。偶(たま〳〵)江夏 辛(しん)氏の酒館(さかや)に行て酒をのむ。辛後 巨(おほ)き成 觴(さかづき)を与(あた) へて飲(のま)しむ。明日又来る辛 彼(かれ)が索(もとめ)を待(また)ずして是に飲しむ。如此(かくごとく)すること数載(すさい)略(ほゞ)惜(おしむ)意(こゝろ) なし。乃(いまし)辛に謂(いつ)て曰。多く酒銭(さかて)を負(おふ)今 少(すこし)く酬(むく)【酧は俗字】ふべしと。橘(みかん)の皮を取て壁(かべ)間に一の 鶴(つる)を画(ゑかい)て曰客来り飲(のむ)とき 但(たゝ)手を拍(はく)【左ルビ:うつ】して歌(うたは) しめよ鶴 必ず下り 舞(まは)んと後 客来て飲時に 鶴果して蹁躚(へんせん)と してまふ。回旋(めぐり)宛(ひる) 転(がへり)曲(ぎよく)音律(いんりつ)に 中(あた)る遠近 集(あつま)り 【左丁】 飲て是を観る十年を踰(こへ)て辛氏か 家へ 貲(たせ)【注】巨(こ)万なり一日 子安(しあん)来て所償(むくふところ) 何如(いかん)と問(とふ)辛氏 謝(しや)して曰先生の黄 鶴を画(ゑかく)に因て百倍を 獲(え)たり願くは謝(しや)せんと云 子安笑て曰何ぞ是が為(ため)に     来らんやと笛を       取て数(しは〳〵)弄ず        須臾(しはらく)にして白雪 空(そら)より下る画鶴         飛て子安が前に至る。遂(つい)に鶴 に跨(またが)り雲          に乗じて去る。辛氏其所に楼を建て           黄鶴楼(くはうくはくろう)と名く 【注 「たせ」の意味不明】 【右丁】 黄鶴仙人 代々費長房 ナリト云神仙伝 ̄ニ 壺公遺 ̄メ_二費 長房 ̄ヲシテ帰 ̄ラ_一以_二 一 ̄ツノ之 竹-杖(ツエ) ̄ヲ_一与 ̄テ_レ之 ̄ニ-騎 ̄シム 長房杖ニノツテ 忽然トシテ家 ニ皈ル竹杖ヲ 投 ̄シメ_二葛波 ̄ニ_一而 此ヲカエリミレ バ青龍ナリト云々 然レバ費長 房ニアラズ 費文飛行 ノ図ヲアヤマル 歟 【左丁 見返し】 【裏表紙】