諸国へ無事を知さんが為もより分くはしくしるす 御江戸 禁売《題:大地震出火巨細記》関八州 坐石堂壽鐫 【上段枠上】 御府内地震出火共焼崩土蔵数は 御大小名様方土蔵分は   六十七万五千三百六十九戸前也 御小屋敷方は   二十九万八千六百三十八也 御武家方は   十七万二千九百四十七也 寺院蔵崩焼分は   三千六百五十六也 町方土蔵は   四十二万九千〇七十五也 惣〆高 八百万九千七百八十五也    但し蔵数あまた有之    候へ共不崩古蔵之分    此中に入らず 《題:御用》   町会所 【上段枠下】 御救小屋五ヶ所  幸橋御門外火除地  浅草雷門外広小路  深川海辺新田  同永代寺八幡境内  上野御山下原 東叡山宮様より 御山下江立 右共  二ヶ所 【下段枠】 第五《割書:〇日本橋より南 品川宿まで|〇芝西みゝほ飯倉三田辺迄》 日本橋南壱丁目より四丁目まで左右中通り共 所〻にて古蔵崩る所多し人家はさのみにあらず 白木屋黒江屋などいたまず 西川岸呉服丁 がし新場通り共にいたみ少し 南伝馬丁より 東西共崩つよく かち橋外南柑屋丁五郎 兵衞丁南かぢ丁南大工丁やける 疊丁は火の中にて 少しのこる大根がしまばやける東は具足町柳丁 炭丁因幡丁鈴木丁常磐丁松川町片側にて やけとまる通りは弐丁め三丁め京橋きはにて焼止る ▲京橋向は銀座三十間堀弓丁弥左エ門丁辺 木挽丁辺汐留浜御殿つきぢ一円芝口より 源助丁限 東は仙臺様西は久保丁限り 此内誠におだやかにて崩る所まれ也 尤土蔵いたみ候所は諸〻に相見へ申候 此うち数寄屋がし辺少しいたむ八官丁土橋 辺いたみ少し▲露月丁よりうら通り共いたみ つよく柴井町壱丁やける夫三島丁神明丁 大いにつばれ芝神明社恙なし 増上寺御山内 御別条なくあたご下通り西之久保は少し崩る 飯倉四ツ辻辺いたみつよく赤初根すこしいたむ三田 本芝田丁は無事也高輪辺品川迄格別のことなし 臺丁は聖坂辺まで少し崩所有但土蔵いたむ所多し 【上段枠右】 于時安政二乙卯年十月二日夜四ツ半時地震 発し一時に発動して関東一円損亡夥敷く 人民肝を消て大路に轉ふ天救を請て漸に命を 保もの官府の仁恵を乞て始て人心に帰す 第一《割書:〇和田倉内〇大名小路|〇大手前〇日比谷内》 先震動焼亡の所は和田倉内馬場先内 〇【家紋】会津二十三万石 松平肥後守様やける〇武州忍十万石 松平下総守様焼る 夫より〇越後村上五万九千石 内藤紀伊守様やける此辺西丸下御屋 しき桜田内共崩れ多く損じ広大なり ▲龍の口北之角〇下サ【(総)】生実三万石 森川出羽守様やける 夫よりうた様御向屋敷やける〇姫路十五万石 酒井雅楽 頭様やける但表御門残る此辺神田橋ぎは 左衞門殿様小笠原右京大夫様松平越前守様 道三橋辺御やしきすべて崩おびたゞしく是より 向川岸は細川越中守様別条なく秋元但馬守様 此辺御やしき少 ■ツヽくづれ多し松平丹波守様 水野壱岐守松平越後守様何れも少ツヽくずるゝ 大名小路は両側共崩所〻也西側角〇近州三上 一万二千石 遠藤 但馬守様うしろ定火消御やしき共やける 〇因州鳥取 三十二万五千石 松平相模守様やけ御長家少しのこる 日比谷御門内〇三州岡崎五万石 本田中務大輔様やける 〇摂州高槻三万六千石 永井遠江守様やける 此辺いたみつよく すきやばし通りかち橋通り共損亡おびたゞし 【上段枠左】 第弐  《割書:〇外桜田辺 〇かうかじ丁 〇番町|〇幸橋内 〇四谷赤坂 〇青山辺》 外桜田は芸州様御屋敷別条なく黒田様御屋敷は 角矢倉之御物見残り表御門きはまで御長家くづるゝ 此辺諸家様崩多く南は溜池へん西は赤坂 御門山王永田丁辺諸〻崩る猶又新シ橋内東角 〇石州鹿足四万三千石 亀井隠岐守様御屋敷内にて長家一ト棟焼る それより〇日向おび五万千八十石余 伊東修理大夫様やける〇和州郡山十五万千二百八十石松平時之助 様やけ又向がはゝ〇奥州もり岡十一万石 南部美濃守様〇薩州様 御装束屋敷表側やける其外有馬様丹羽様 に【「北」カ】条様大岡様水野様鍋嶋様等いづれも崩 多し上杉様少し崩る〇長州様うら御門内 少しやける〇肥前佐賀三十五万七千石に 松平肥前守様崩候上やける夫ゟ 山下御門内は 手通りふ残中でも阿部播磨守 様大崩れ又井伊かもん頭様より三軒家辺 平川丁崩少なく麹町通所〳〵崩あり 谷町隼人山本町少しいたむ四ツ谷御門内は 尾州様紀州様共其外御やしき崩少し番丁崩なし 是より四ツ谷傳馬町通市谷は高地宜しく 鮫がばし丁縁ひくき場所いたみつよし當所は 上水万年樋そんじ水あふれ諸人難義す 新宿成子大久保辺千駄ヶ谷別してさわりなし 青山赤坂は所〻そんじ多く分けて田町傳馬丁辺 崩れ多く麻布龍土日かくほ辺すべて崩少なし 【下段枠右】 第六《割書:〇上野広小路〇坂本金杉辺|〇根津池之端〇御成道山下辺》 東叡山御山内は御別条なく宿院諸所いたむ 池の端茅町弐丁目より出火境稲荷より上は 七軒丁根津辺迄崩多く候へ共類焼なし 茅町は壱丁め木戸際ニて焼とまる山側少しのこる 出雲様榊原様無事也切通し下町家大崩なり 天神下通り崩つよく御すきや丁皆崩るゝ仲丁は 片側崩多く両かは丁は少し 広小路山下辺崩多し 廣小路東側中程より出火上野元黒門町北大門丁 上野丁一丁目二丁目下谷同朋丁新黒門町上野 御家来屋敷向側〇下総一万石 井上筑後守様 東北の 角少しやける車坂丁大門丁長者丁壱丁め二丁め 下谷町二丁目代地是より中御徒士町通へやけの也 長者丁向片側御屋敷上野丁うら中おかち丁 一円御武家地やける山下通御かち丁は和泉橋 通り迄所〻崩るゝ妻恋下建部様内藤様 表長家崩るゝ下谷大名小路は〇いせ亀山六万石 石川主殿頭 様〇房州勝山二万石 酒井安芸守様二軒やける▲夫より下谷坂本は 二丁目三丁目やけて金杉三之輪は崩多し大音寺前 根岸共少しふるひ谷中は多分の事なし又車坂下 山崎丁辺広徳寺前辺少し崩るゝ三味せんほりより 七曲辺大名方塀土蔵大半崩るゝ尤外神田 境は格前のことなく久右え門丁餌鳥屋敷辺少し崩る 【下段枠左】 第七 《割書:〇浅草辺一圓|下谷境迄》 北は千住宿崩多く小塚原丁のこらずやける 山谷通新鳥越は寺院共大崩れに新吉原 江戸丁より出火五丁不残やける又浅草田町二丁目め 山川丁竹門馬道町寺院不残聖天横丁より 芝居丁やける東かはにて森田勘弥羽左エ門 福助しうか竹三茶すゝ【菊次郎?】などの家のこる聖天丁 山の宿はやけず九品寺より西側花川戸□□ほど 入やけとまる是より金龍山観世音恙なく地内 崩れ多し並木田原丁多分也駒形崩多く中頃より 出火して諏訪丁黒船丁三好丁御うまやがしにてとまる 夫より御蔵前浅草見附迄と所〻崩多く鳥越新堀 寺丁所〻崩る茶屋橋きは新寺丁角より 出火して両側小半丁やけこみ本立寺行安寺 正行寺三門前やけるこの裏てこうむね仁太【?】夫の こやうち潰の上やける□前辺所〻崩る猶又 八軒寺丁四軒寺丁の寺院大半潰る東門跡は 本堂恙なし地中大破也西東の門倒るゝ也 森下三間町堀田原辺所〻崩れ潰共多し 小勝【?】丁御組下長屋潰る福富丁富坂丁 は潰れ多く又誓願寺店日輪寺店辺崩 所〻也浅草溜少し崩る観世音五十の塔 九りん小の方まがる雷神門の雷神損じ落 【上段枠右】 第三《割書:〇小川町筋ゝ 駿河台|〇小石川御門内 飯田丁》 神田橋外はいたみうすく小川丁通りへ入崩多く 水道橋通り稲葉長門守様土屋采女正様此辺 そんじ多く〇【家紋】野州足利一万千石 戸田大炊頭様表長家計焼る 〇信州高遠三万三千石 内藤駿河守様やけ表門長家のこるそれより 向角田中様のこる〇下総佐倉十一万石 堀田備中守様大いにやける 半井出雲守様やける溝口八十五郎佐藤金之丞 伏屋大久保柘植様やける依田様一軒のこる 神(かん)織部様荒川曽我近藤青木本多新見様 までやける夫より河内小林佐藤様やける又裏神保 小路は間下長坂寺嶋荒井様迄やける一ツ橋通りは 明楽(アケラ)雨森大岡様のこる表神保小路は定火消 御屋敷やける又〇ゑちごたか田十五万石 榊原式部大輔様半分やける 裏御門より向〇すん州田中四万石 本多豊後守様半分焼る戸田 加賀守様やける西南の角少しのこる 鷲巣淡路守様 やけて長谷川荒井二軒共表がは残る山本様少しとて やけ留る又一ト口は雉子橋通り小川丁本郷丹後守様 やける一ツ橋通りは〇丹波かめ山 五万石 松平豊前守様やける塙(はなは)宗悦 様やける又渡辺様一色様やける又小石川御内は 〇いよ今治二万五千石 松平駿河守様此辺小やしき五六軒やける本間 様半やけにてとまる此辺すべて潰れ多し小石川御門より 西の方少しそんじするが台無事也飯田町辺俎ばし辺 少しいたみ番丁は多分のことなし牛込は改代町大崩也 【上段枠左】 第四《割書:〇日本橋より北〇神田辺〇外神田|〇両国辺柳原〇濱丁辺〇本郷辺》 日本橋北室丁小田原丁魚かし辺は格別のことなし 釘店より一石橋辺本丁がし通少しいたみするが丁 三井見せ無事也尤何方も土蔵は皆ふるひ 申候本町通りつよく大傳馬丁崩多し堀留 小舟丁堀江丁も土蔵不残ふるふ小網丁大崩れなり 富沢丁人形丁通り芳丁辺崩多くかきがら丁より大橋辺 大いにふるふ濱丁〇すん州沼づ五万石 水野出羽守様御中屋敷やける 此辺ゟ矢の倉いたみ両国辺馬喰丁は格別のいたみなし 豊嶋丁辺ゆるやかにて東神田は小柳丁平永丁お玉が池 辺大いに崩れ筋違より日本橋通り丁〻崩多し又 西神田蔵のみ崩家は格別のことなし鎌くらかし辺 三河丁辺少し崩るゝ今川橋川岸通いたむ處 多し柳原通り土手下辺崩所〻也尤去年 類焼場所はさしかけ仮屋等多分にて崩少し 猶又新しき普請の家にも建方あしきは 損亡多く土蔵ふるひ候事おびたゞしく ▲新シ橋外佐久間町辺崩少し御成道通り又 金沢丁はたご丁明神下辺すべて崩多く昌平ばし 外少し崩れゆしま一丁めよりお茶の水本郷辺まで 崩少なし尤本郷は麹室崩る所あり菊坂下田町は 大いに崩るゝ傘谷は下町そんじ切通上は少しにて 湯島天神門前崩所〻也三組丁崩恋妻稲荷無事也 【下段枠右】   第八 本所一圓 東両国辺 本所一ツ目相生町松坂丁辺崩多く二ツ目緑町より 出火壱丁目弐丁目やける三丁めのこり四丁目五丁め三ツ目 花町少しやけ是にて留る又向川岸徳右衛門町壱丁め 二丁目やける三丁目はのこる夫より柳原茅場丁辺四ツ目 辺余程いたむ鐘の下長崎丁辺南割下水辺津軽樣辺 亀沢町小泉丁横網丁回向院前皆所〻崩る御竹蔵 辺大川端御屋敷多分の事なし法恩寺橋きは町家少し やける此辺少し崩多く亀戸町天神橋向二ケ所焼る 柳島押上辺所〻いたみつよく小梅瓦丁辺中の郷 松倉丁辺北割下水辺崩多し荒井丁ぬけ弁天 牛御前おかりや辺やける石原番場共大いに崩れ 潰家多し多田の藥師別当所潰る所本所之 寺院町家共つぶれ多し太子堂潰る東橋向 松平周防様下屋敷壱軒やける竹町大根がしより まくら橋辺いたみ少し三園の土長の手大いにわれる 向島は少しツヽ所〻いたむ  附 今戸橋場 橋場真先崩多く銭座やける今戸は 橋際より家十軒斗やける此辺崩おほし 【下段枠左】 第九《割書:〇御船蔵前 高橋筋  佃島まやかし丁|霊岸島 永代橋》 御船蔵前町より八名川丁六間堀神明門前南森下 常磐丁〇小笠原佐渡守様下やしき〇太田摂津守様中 屋敷にて焼留る此辺都て崩多し又扇橋より北源川西丁半丁余やける 小名木川通上下共崩多し又清住丁大崩れいせ崎丁やける寺丁通 少しにて三角富久丁潰る和倉本所代地やける又一ト口は永代より入口 松川丁熊井丁諸丁北川町黒江丁大島丁中島丁はまぐり丁永代寺 門前山本丁仲丁右何れ潰候上焼失す八幡宮御別条なく三十 三間堂木場辺少しツヽ崩所〻也▲大橋ぎは御籾蔵少しやける深川元丁 大崩也大はし向間部がし稲荷(とうか)堀(ほり)箱さき北新川共崩多し 霊岸島塩丁片側やける南新堀半丁程やける大川端町はま丁やける 都合二丁余也越前様きはにて焼留る霊岸島多分崩所多し 鉄砲洲は〇松平淡路守様やける其外御やしき潰れ多く前町 二丁程やける都而もえ立時は三十余ケ所相見へ候得共五ヶ所三ヶ所ツヽ一所 になり廿七八か所に相成申候是に書加へさる所土蔵のみ崩候分は町名を しるさす誠に広大なる事筆紙につくしかたく候間実事のみを記ス  ●御府内四里四方は往古八百余丁なりしが今新地代地門前を加へて  五千七百七十余丁也但し里数にして百五十九り六十二町なり 其外東海道筋は戸塚限り神奈川崩多く本枚金沢浦賀辺迄 ●中山道は高崎辺かぎり蕨より大宮宿迄崩所〻也●日光道宇都宮限 街道筋いたみつよく●水戸街道は松戸牛久土浦迄●甲州道は八王子 限り葛西二合半はゆれつよく行徳船橋辺甚しくゆすると也あくれば 翌三日朝五ツ半過諸方共しづまり人〻安堵のおもひをなしぬ 【枠外】 地震除 宮様之御歌 むねは八ツもんは九ツ戸【はひとつ】身はいさなきの神の子にこそ これを家にはりおけば ぢしんにう□はなく