天明八戊申年正月晦日京都大火に付 諸事聞書               中尾方治 一正月晦日暁七ツ時頃川東四条下るとん栗の辻子ゟ【*】  出火之処丑寅の風強く川西寺町松【原文の「松」は異体字の「枩」】原通え飛火夫  より次第に焼広かり仏光寺其外町方寺社段々  焼東本願寺本国寺大宮通野まて焼秡風替り  辰巳風烈敷相成東は寺町西は大宮通迄一面大  火に相成北西え焼立四ツ時の頃牢屋敷両町御奉行  所両組屋敷小堀数馬様両御屋敷不残焼  御城番両組屋敷過半焼両御門頭御役屋敷  始其辺御所司代組屋敷相残り候併右組屋敷 【『天明八年京都大火図』に建仁寺西側・賀茂川沿いに「ドングリ辻子」がある】 【「ドングリ辻子」は鴨川東側の宮川町の団栗辻子で、現在の京都市東山区宮川筋付近に該当】  御所諸家こと〳〵く焼亡同四年丙辰十二月廿六日の夜  仙洞御所女院御所炎上皇居には至らす東山院の御宇  宝永五年戊子三月八日同炎上天明八戊申年正月晦日  内裏炎上宝永五より八十一年目なり古へよりかく計  焼亡のためしもあれと今度のことくなる大火は見へ  すとなり