明治三陸大海嘯之実況          小国政 梅堂 丙申  時(とき)惟(こ)れ明治二十 九年六月十五日 岩手(いわて) 宮城(みやぎ)青森(あをもり)の三 県海辺(けんかいへん)に 起(おこ)りし大海嘯(をほつなみ)は実(じつ)に猛烈(もうれつ)を極(きは)め たり此日(このひ)は恰(あたか)も旧暦(きふれき)の端午(たんご)にて家族(かぞく)友(いう) 人(しん)相会(あいくわい)し宴飲歓(ゑんゐんくわん)を尽(つく)しつゝありしが突(とつ) 然(ぜん)沖合(をきあい)に当(あた)つて巨砲(きよはう)を発(はつ)したるが如(ごと)き響(ひゞき) あり人々 怪(あやし)み屋外(をくゞわい)に出(いて)んとする一 瞬(しゆん)間(かん)数(す) 丈(じやう)の狂瀾(きやうらん)襲(をそ)ひ来(きた)り三万に近(ちか)き人命(じんめい)を 家屋(かをく)と共(とも)に一 掃(そう)せり幸(さひはひ)に逃(のが)れしも 或(あるひ)は為(ため)に不具者(かたわ)となり或(あるひ)は食(くら) ふに粟(あは)なく其惨憺凄愴(そのさんたんせいそう)た るの状(じやう)能(よ)く筆舌(ひつぜつ)の尽(つくす) す所(ところ)にあらず 弊堂(へいどう)今回(こんくわい)稀有(けう)の大海嘯(をほつなみ) 実況(じつきやう)を出版(しいつぱん)して博(ひろ)く天下(てんか)の 仁人(じんしん)に照会(せうくわい)し此同胞目前(このどうはうもくぜん)の 急(きふ)を救助(きふじよ)するの義務(ぎむ)を 尽(つく)せられんことを 希望(きばう)す                 明治廿九年七月《割書:一日印刷| 日発行》                 臨写印刷兼発行者                 日本橋区長谷川町十九バンチ                  福田初次郎