《題:麻疹養生伝 全》 《背表紙:麻疹養生伝 全》 《題:麻疹養生伝 全》 《題:麻疹養生伝 全》 唐玄宗帝嘗臥病忽夢 万鬼侵玉床而又有一 士提剣撃之鬼忽退帝 問其名答云先朝之卑 宦鐘馗者也帝夢寤而 後命宦祭之後人是以 画其像掛壁上則必除 疫万云 麻疹養生伝序 夫人之性 ̄ハ理也有_二 天命 ̄ノ之性_一有_二気質 ̄ノ之性_一寿夭 貧福 ̄ハ即 ̄チ天命 ̄ノ之性賢愚緩急 ̄ハ即 ̄チ気質 ̄ノ之性 ̄ニシテ【シテ合字】而各 為 ̄リ_二懸隔之異_一而養生中 ̄ルトキハ_レ【トキ略字】節則免 ̄ル_二夭死 ̄ヲ_一始末慮 ̄ルトキハ_レ【トキ略字】遠 則不_二餓死 ̄セ_一 天命 ̄ノ之性 ̄スラ尚然 ̄リ焉況 ̄ヤ如 ̄キ_二気質 ̄ノ之性 ̄ノ_一依 ̄レリ_二其善 行 ̄ニ_一矣偶患 ̄フル_二麻疹 ̄ヲ_一者唯専_二 一 ̄トセハ養生 ̄ヲ_一何為 ̄ソ有 ̄ン_二幸不幸之異_一哉 此書拾_二鳩 ̄シ古今 ̄ノ医説 ̄ヲ_一投 ̄テ_下得 ̄ル_二其症_一者 ̄ニ_上欲 ̄スル_レ令 ̄ント_レ不 ̄ラ_レ誤 ̄ラ_二全体 ̄ヲ_一而已   文政甲申春          重田貞一謹誌    麻疹(はしか)之来由 ○痘瘡(はうそう)麻疹(はしか)ともむかしは曽(かつ)てなし此故に内経(ないけう)に載(のせ)ず後(ご) 漢(かん)の張仲景(ちやうちうけい)も又これを論(ろん)ぜず魏(ぎ)より以来/病論(びやうろん)あり といへども薬方(やくはう)なしたま〳〵唐(とう)の孫真(そんしん)人はじめて疱(はう) 瘡(そう)の治(ぢ)方を出せども麻疹のことはいまだあらず ○或書に曰/推古(すいこ)天皇三十四年日本/穀作(こくさく)実(み)のらず 是によりて三/韓(かん)より米粟(へいぞく)百七十 艘(そう)を調進(てうしん)しける その舩/浪花(なには)につく舩の中に三人の少年 瘡疹(さうしん)を なやむものあり異形者(ゐぎやうのもの)蔭(かげ)のごとくその病者どもに 付そひゐたりけるゆへ側(かたはら)のものあやしみその名を問(と)ふ にかのものども答(こた)へてわれ〳〵は疫神(ゑきじん)の徒(と)なり瘡疹(そうしん) の病(やま)ひをつかさどるものにしてもとは此病をうけて 死(しゝ)たるものどもなるが今 疫神(ゑきじん)となりてこの病者に付 こゝにわたれり傷(いたま)しきかな今よりして此/国(くに)の人もまた これを患(うれふ)るべしと云おわりて形(かたち)消(きへ)うせたるがそれよりして 日本に瘡疹の病あるといへり然(しかれ)ども恐(おそ)らくは此疫神