《割書:十|箇》 大地震之図 《割書:国》 【紙面右下】 御大名様方御城下十八ヶ所 郡 数    五十六ヶ所 寺 社   千二百余ヶ所 里 数    《割書:立 百二十り余|巾 七十り余》 夫天地不時の変動は陰 陽混して雷雨をなす地に 入れば地震をなすアゝ神仏の 庇護も是を納ることかたし 頃は嘉永七甲寅年十一月四日 五ツ時大地震にてまづ伊豆の国は大島かんず【神津島のことか】三 倉三宅其外島〳〵大小ゆりつぶれ下田はいろ が崎戸田河津いなし赤沢いとう北条にら山 仁田しゆぜんじあたみをせ【大瀬】いづれも地をく つがへすかとあやしむばかりにて家はしやうぎ だをし【将棋倒し】にたをれ一人として生ある心ちはなかりし とかやしかるに時刻半時ほど過ると思ふころ むさんなるかなしゆぜんじ山一度くずれこの もの音すごきことたとへんかたなし下田千軒の町大 はんつなみにておしながし大船四十五そう小舟数多 行ゑ【衛】しれずやう〳〵のかれ侍たる大船は遠州三州の辺迄 浪にひかれ行しとなり箱根宿山中三ツたに大いにあれ 三島はこと〳〵くつぶれ明神社より西へ五六軒東へ二丁余焼け 駿州は沼津五万石水野出羽守様御城下しやうぎだをしにたをれ 宿半より先は焼失する浜手はつなみにて人家損亡多し原宿柏 原吉原宿冨士の元市場ふじの根がた大にあれつふれ家多し富士川がけ崩れ二丁余り埋 川水りうくわん【柳岸】流れ岩淵此辺家あまたそんじ山々大にあれ崩るゝかん原甚つよく由井の宿は 焼失する倉沢さつたとうげくずれ興津川大水におよび興津宿大に つぶれ出火いたす所 是又名にしおふ興津しら浪と古哥の吟のごとくびやう〳〵たる風景も一度に大津なみとなり て清見寺の辺迄おしかさなるばかりに来り宿内人家あまた引かれ真事に目もあてられぬ ありさまなり尤此興津宿はむかしか□【「ゝ」ヵ】るつなみありし所なるとかや清水三保の松ばら 甚つよく江じり宿大半つぶれ小吉田辺も同断也府中御城下つふれ焼失す弥勒 辺あべ川是又水かさなり留る小島一万石松平丹後守様御陣屋下まりこ宿うつの谷峠 の峯大にあれくずれるなりおかべ宿藤枝宿甚つよく田中四万石本多豊前守様 御城下こと〳〵くそんじやける瀬戸川常に水なき川なれども古今の大水にて是又渡 りを留る三軒家辺しまた宿つふれ大井川いにしへよりならびなき 大水にして是を 見聞く者きもたましいをひやせしとかや又遠州は金谷宿つぶれ日坂とうげさよ の中山大ぢごく小ぢごくこと〳〵くあれ実に是らを大小のぢごくかとあやしむばかり なり日坂宿大にそんじ掛川六万石太田摂津守様御城下いたつてつよくゆりつぶ れ焼失す原川袋井宿見附宿池田いづれも大かたならず大天龍小天龍此川一ツ 一ツになるにもたらずしてつゝみ五百軒ほど切れ込人家あまたそんずる也横須賀三万 三千石西尾隠岐守様御城下相良一万石田沼玄蕃頭様御陣屋下浜松六万石井上河内守様 御城下ともにそんじ是より尾州路にいたりてもひゞき甚つよく相州根ぶ川辺つよく箱 根山は御関所手前畑湯本風の神へんつよく小田原十一万三千百廿九石大久保加賀守様御 城下大いそ小いそ平つか四ッ谷ふじ沢辺かくべつそんしもなくかまくら江のしま 辺はいたつてつよくりやうし町其外浜手大にそんじるなり三崎浦長州萩の 御大守三十六万石松平大膳大夫様御持場りやうし町其外浦々人家つなみにて家数 二百軒余引ながれる浦賀金ざはつなみにてそん亡多くなか〳〵もつて筆につくし がたし大津は肥後熊本の御大守五十四万石細川越中守様御持場近辺つよくそんしるなり 又とつか宿ひゞきつよくほとかやかな川かわ崎大師かわら【河原】へん江戸は山の手 下町とも所々少々つゝのそんじ所有て甲州は身のぶ山大にあれるはたこや町近辺 つるせかつ沼いわさ【石和】辺殊さら甲府は御城下大にそんしにらさき【韮崎】たいがはら【台ヶ原】武州はちゝぶ四万 此辺山々大にあれる中仙道は信州わだ峠辺より下のすは【下の諏訪】しほ【塩尻ヵ】せば【洗馬】元山【本山】ならは【「奈良井」と思われる。とすれば「は」は「い」の誤記か。】八五原【藪原ヵ】宮こし福 しま御関所辺上ヶ松す原の尻辺つよく山々崩れあるひは谷々大いにそんしるなり又飯田 二万七千石堀大和守様御城下こと〳〵くつよくふるびかたさか【?】みや田宿そんじて 高遠三万三千石内藤駿河守様御城下是またいたつてつよく上のすは高しま 三万石諏訪因幡守様御城下甚つよく松本六万石松平丹波守御城下是又 大いにそんじ殊さらしやうしつにおよぶ惣して人家牛馬のそんぼう 大かたならす【並み大抵でない】松代十万石真田しなの守様御城下上田辺飯山二万石本多 豊後守様御城下辺いつれ大かたならさるそんしにてぜんかうじ近辺 までもひゞきいたつてつよし又房州上総の両国ともいたつてつよく房 州なかう【鵜】の浜津なみ人家そんぼう多くなか〳〵もつてあわれといふもお ろかなり惣して人家はいふにおよはず土蔵并に大船小舟のそんぼういくばく どもごんご【言語】にのへかたしやう〳〵七日夜日かづ四日にしてゆりやみ諸人あんとな すとはいへども未だきやうぶの思ひはさらさりしとかやかゝる折から諸国のゑん 者いかで人じやうとしてあんじさらんものはあるべからず一刻もはやくこの あんび【安否】を告げあんどなさしめんと専一なれば其たよりにもなるへきまゝ 委細を図面にあらわしかくはしるす 【紙面右側中程 図の上部】 今切御関所 より一りほど つなみにて 引ながす 【紙面左側中程】 ○此辺つなみ にてりやう し町 大にな かれる